1 :
中華@名無史さん:
2 :
世界@名無史さん:02/09/26 22:38
つーか、ネタが無いよ。
この時代主役が不在だからつまらないんだよね。
そう言うな、可哀想だからかまってやれよ(w
で、石勒のどこに萌えてるよ?
4 :
世界@名無史さん:02/09/27 00:34
かわいそうなどといいつつ
思いっきりsage入れてるのはどういう訳だ?
5 :
中華@名無史さん:02/09/27 00:47
レスどうも!>3
まぁ冒頭の「石勒萌え〜!」発言は、前スレの1さんが
「前秦マンセー」と言う一言を残して消えたので、漏れもこの時代で一言残して見ただけです(w
まぁ、でも石勒好きですよ。前スレでも誰かが出していたエピソードだけれども…
☆以下転載
石勒は字が読めないから、誰かに史記の高祖本紀読ませてて、その中で天下統一後どんな統治をする
かっていう段になった時儒者がでてきて「旧王族を各地に封ずるべきだ」って進言したら、石勒大慌
てで「ダメダメ!高祖!それじゃあ天下はとれないぞー!」って叫んだってヤツね。その後張良だっ
たか蕭何だったかが「中央から役人派遣して治めるべきだ」って進言して高祖もそれを採用したもん
だから「ふーっそれでヨシ」って安心したんだよね。
石勒っていいヤツだな。
☆転載終り(続く)
6 :
中華@名無史さん:02/09/27 00:48
みたいに、幼い頃貧しくて、文盲だったけど、書を読める部下に歴史書等を読ませて
勉強したりと努力、元々素養は有るのでそれらを吸収し、また武勇にも優れて居たので、
その才能で華北をほぼ統一&名君としても名を残しましたね。
それとか、西漢の高祖劉邦・東漢の光武帝劉秀・三国魏の武帝曹操、それぞれの君主と自分を、
君主として争ったらどうなったか?と言う例えで優劣を比較した話等、
彼にはエピソードを欠かさない感じなので、人間的に面白いと思います。
7 :
世界@名無史さん:02/09/29 00:14
>4
ちょっとしたイタズラゴコロだ(w
石勒は大の字はつかないが好きな君主ではあるよ。
特に王衍を処刑したところは、苛烈さとか残忍さより、英雄型君主の持つ
潔癖さを感じた。
ちと話が逸れるが、王衍&王戎がなんで高評価をもらってるのかわからん。
王衍なんて単なるオポチュニストだし、王戎は吏部尚書をやった以外に
実務家としてのエピソードをなにも残してないじゃん。
「竹林の七賢」とその関係者で、著作をものさなかったのはこのふたり
だけだし(『隋書』経籍志を参照)、実は「名族」の看板を取り払ったら
無能者だったのと違うか。
これはこちらの主観だが、張華や裴逸民のほうが遥かに好感が持てる。
少なくともこっちのふたりには、政治家としての気概があったからな……。
石勒VS劉曜はやっぱり萌えるねー
かたや匈奴・漢のハイブリッド血統の英雄貴公子
かたや奴隷・盗賊上がりの無教養な遊牧民族の後裔
石勒すら大胡と侮蔑する劉曜のプライドの高さや、匈奴王族持ち前の怪力には項羽と通じるところがある
石勒が劉邦に憧れを抱いたのは、なんとな分かるわ
凉州に拠る張氏一族、北方の盟主王浚、祖逖・劉昆らの剛毅な将軍たち
同僚でありながら、互いに屠りあおうと心の中で火花を散らす王彌や斤準
鮮卑の族長たちも含めてこの時代のトップを飾る華々しい面々だわ
呼延晏って匈奴の貴族、呼衍氏と同系?
そうすると山西匈奴軍閥って匈奴色強かったんだな
9 :
世界@名無史さん:02/09/30 21:05
劉曜は何となくお人好しっぽいな・・・
石勒は石虎のようなドキュソが身近にいたのが不幸だ。
あんなに人から殺すべきだと言われる人間も珍しい。
10 :
中華@名無史さん:02/10/05 12:45
竹林の七賢と言うのは時代的には、三国末〜西晋〜五胡十六国、と言う人達だと思うけど、
漏れの中では三国末のイメージが強かったですね。
この時代、他に萌える人物と言えば、やはり符堅は外せないと思います。
中華の歴史でも、あそこまで多民族共栄の理想に拘った人物は居ないかも?
変わった所では、その符堅に仕えた呂光将軍。
西方亀慈の高僧、鳩摩羅什を迎える為に出征、それを拒否した亀慈を滅ぼしたまでは
良いものの、帰路に立つ頃には本国の前秦が無く成っていた…
と言う事でそのまま西域に留まり、自ら皇帝に即位して”後涼を建国してしまうと言う
なかなか数奇な人人です。
11 :
世界@名無史さん:02/10/09 02:12
後に勝者と成って行く鮮卑族の、中華侵入の先鞭を付けた、慕容部族も面白いね?
12 :
世界@名無史さん:02/10/09 10:03
>>11 慕容部族の発祥の地ってどこなのかな。
どうも拓跋部族とはちがうらしいけど。
13 :
世界@名無史さん:02/10/09 12:22
発祥の地なんて無いんじゃないの?
鮮卑は移動生活だし。
14 :
中華@名無史さん:02/10/09 13:16
>発祥ネタ
確かに、明確な発祥地と言う物は無いと思いますね?
ただ大凡の各部族の居住地域等は、有ったんじゃ無いかな?とは思います。
(モンゴル諸族がそうで有った様に)
慕容部族の諸王朝が建国される地域と言うのが、概ね中華北東部な所から、
塞外に居住していた時期でも、モンゴル高原東部(鳥恒近辺)
だったのじゃ無いかと自分は思います。
15 :
世界@名無史さん:02/10/09 19:56
慕容部族のなかで、最初に史書に登場するのは慕容廆から。
父親の渉が死んだとき、渉の弟(廆の叔父)が単于の地位を簒奪しようと計画し、
廆を殺そうとしたので、難を避けて姿をくらませていたけど、国人が叔父を
殺して廆を迎え入れた。
その後父親の渉が遺恨をもっていた同じ鮮卑の宇文部族を攻めようとしたけど、
晋の武帝(司馬炎)が許さなかったので、腹を立てて遼西を侵略。
16 :
世界@名無史さん:02/10/09 22:39
五胡の人達は、漢民族とはちがう人達なんですか?
この時代にごちゃごちゃに混ざったんですか?
17 :
世界@名無史さん:02/10/10 02:09
>>16 胡は異民族(漢民族じゃないって意味)のことです。
>この時代にごちゃごちゃに混ざったんですか?
これは解釈難しいのでパス。
18 :
世界@名無史さん:02/10/10 02:37
人口が激減したことからくる生産力を補うために
曹操が胡人を各地に屯田させたのが
五胡十六国の時代の原因だったって話は信憑性あり?
19 :
世界@名無史さん:02/10/10 03:18
>>18 単純に漢民族の支配力低下では?
一方が弱まると他方が勢力を増すのは必然ですし。
とはいえ、その最初のところが匈奴ですので原因の一つではあると思います。
20 :
中華@名無史さん:02/10/10 04:41
>15
前燕を立てた慕容皝の父親(実質の初代)ですね?
そこまで詳しいエピソードは存じませんでしたので参考に成りました。
初期の慕容部族は、北は宇文部族、南に段部族に挟まれて苦しい立場でしたが、
後趙の石虎が段部族を討つのに乗じて、鮮卑族の盟主的立場へ一気に上り
華北東部に進出&割拠します。
この時、実力を認められ東晋の朝廷からも燕王の位を贈られました。(自称じゃ無い)
この事を見て、過去に司馬炎が押さえ付けていたと言う話を聞くと、
何か因縁を感じます。
21 :
中華@名無史さん:02/10/10 04:57
>16
五胡の諸民族の系譜に関しては、諸説有りますが、匈奴は漢書にその容貌の記述が
無いので謎らしいですが、トルコ系かモンゴル系のどちらかと言われて居ますね。
氐族はチベット系。そして鮮卑族はツングース系(女真系)かトルコ系と
言われて居ますが、最近はトルコ系説が有力みたいです。
(確か鮮卑族で有る北魏の皇帝の誰かが、史書に”鼻が高く瞳に色が有る”と言う記述が
有った様な記憶が有ります。 と言うか有った様な…(汗 )
22 :
世界@名無史さん:02/10/10 09:58
>>21 鮮卑については中国の史料に「黄髯」などと書かれていますね。
ついでに、慕容部族は特別に肌の色が白くて、「白部鮮卑」「白虜」と
呼ばれていたらしいです。
23 :
世界@名無史さん:02/10/10 16:20
慕容カイとコウって、皆見えてる?
俺は見えてるけど、古いパソコンだと見れなかったような・・・
>>23 同じ2ちゃんでも、板に拠ってはユニコード自体変換されない板(鯖?)あるよね?
でも、機種依存文字云々は2ちゃん自体半角カナ使用好まれたりしてるし
世界史板住人自体色々な流儀が有るって事で良いのでは?
スレどころか、板にすら関係無いのでsage!
25 :
世界@名無史さん:02/10/10 19:46
>>20 廆の曽祖父の時代には部族を従えて遼西に移り、建国して間もない魏に仕え、
238年、司馬仲達が公孫氏を滅ぼしたときに軍功を挙げています。
廆の父親渉が遼東に移住したころから、遼東から朝鮮半島にかけて勢力を
伸ばすようになりました。
廆は晋の武帝に討伐されたとき、敗れはしましたが、周辺への侵攻はやめず、
286年には扶餘を攻めて王を自殺させます。
この後廆は高句麗と敵対するようになります。
さらに廆は晋に帰順することにし、武帝はこれを喜んで鮮卑都督に任じました。
26 :
世界@名無史さん:02/10/10 23:57
慕容一族というと、主に慕容儁の時代を生きた皇族・慕容恪が好きだなあ。
知勇兼備の名将。もうすこし長生きして、符堅・王猛と戦ってほしかった。
桓温を破ってもいるし、結構いい勝負をしたんじゃないかと思うけど。
慕容恪の子孫が東魏で活躍した慕容紹宗ってことを考えると、この家系は
将種と称してもいいのかな?
しかし前燕って調べると味わいのある王朝ですねえ。個人的には前涼王朝も
面白いと思う。張軌の涼州掌握の過程だけでも、一編の小説ができそう。
27 :
中華@名無史さん:02/10/11 02:33
>25氏
す、凄い知識です… 感服シマスタ
でもこの時代で一時代を作り上げた慕容部族が、中華史で一番人気が有る
三国時代にまで関わって居たと言うのは激萌えな話ですね?
28 :
中華@名無史さん:02/10/11 03:08
>26 さん
確かに萌えますね?>前燕 禿同です。
漏れは正確には前燕の人物では無いですが(でも前燕の皇族と言う事で御容赦)
慕容部族の人物だと、後燕の慕容垂が好きですね。
前秦の符堅が淝水の戦いの敗戦後、部下や一族から符堅を裏切って独立する様に勧められるが、
前燕時代に、一族の慕容評に誅殺されそうに成った所を、亡命先の前秦で
匿うばかりで無く、その上朝廷内でも取り立てて貰った恩を仇で返す訳には行かないと、
直ぐに殺せる立場に有ったのに、その場は逃がし恩を返した。
と言う様なエピソードが有りました。
29 :
中華@名無史さん:02/10/11 03:11
(続き)
それと、この時代の涼関係の王朝創始者は、先にageた呂光もそうですが、
僻地の西涼に行っている間に、中原の主勢力が滅ぼされて独立。
と言う展開に成る人が多いですね?
30 :
世界@名無史さん:02/10/11 20:30
>>28 あ、私も好きです、慕容垂。
前燕の宮廷では慕容暐の母の可足渾と一族の慕容評が暐を思い通りに操っていて、
彼らは儁の末弟で、実力のある垂が邪魔になって暗殺しようとしたので、
垂は一族を連れて苻堅に投降。
周囲のものは垂が慕容氏であることから反対したけれど、苻堅は反対を
押し切って垂を迎え入れ、厚遇しました。
ついで苻堅は垂に慕容氏のたてこもる洛陽をせめさせ、陥落させます。
31 :
世界@名無史さん:02/10/11 20:59
中華のアレクサンドロス・符堅。
32 :
世界@名無史さん:02/10/11 21:03
>>31 異民族間の差別をなくそうとした、という意味かな?
秦王となった当初は自ら田を耕し、王妃にも蚕を飼わせ、民衆にも働くことを
勧めて戦争よりも治世に努めた。
中華のアッティラ、赫連勃勃
ちょっと違うか…
拓跋王朝時代の宇文氏って鮮卑宇文部の出なのかな?
34 :
世界@名無史さん:02/10/11 23:11
>>33 鮮卑化した匈奴南単干の子孫だと書かれているので多分そうだと思います。
ちなみに北周の貴族には多数の匈奴鮮卑の出身者がいたとか。
同じ鮮卑の段部は慕容儁の時代に穴埋めにされています。
段部というと、段匹【石單】ぐらいしか分からないなー
こいつ劉【王昆】殺したから嫌いなんだよ
行動もコバンザメ同然で、拓跋や慕容、晋に着いたり離れたり
こいつ以前の段部に詳しい人いない?
36 :
世界@名無史さん:02/10/12 18:11
>>35 >>20で指摘されてるように、慕容部に対して段部、宇文部、高句麗が同盟を
組んだけれど、慕容皝が段蘭を、石虎が段遼を破って、段遼が慕容部に
投降したあたりしか知らないです。
何だか前スレと違って内容のあるスレになってますねw
38 :
世界@名無史さん:02/10/12 22:16
もしこの時代、ヨーロッパみたいな封建社会が中国に成立してたらおもしろかったと
思うんだけど、そうはならなかったね。
39 :
世界@名無史さん:02/10/12 23:36
>>35 段部については、「魏書」の巻百三にまとめて載っているね。一ページ半の
分量しかないけど、そこに「西晋〜慕容儁に穴埋め」までの段部の指導者たち
について書かれてる。
慕容垂はかなり好きだなあ。ただ、符堅に対する態度には政治家としての現実
的な判断もあったと思うけど。ここで露骨に裏切らなくても姚氏とかが反旗を
ひるがえすのは目に見えてただろうから。
むしろ符堅を生かすほうが、この場合メリットは大きかったんじゃないか?
主殺しの汚名を着ずにすむ(敵に大義名分を与えずにすむ)し、符堅が再起を
図っても符融とかの有力な将帥を失ってる以上、前秦が優勢を保てず中原を混乱
させるのは予想できたろうし。実際、前秦と後秦と西燕が争う間に、慕容垂は
前燕の故知を回復したわけだが……。
ただ、やっぱり符堅を生かしたのは、慕容垂の人柄をあらわしてると思う。
姚萇なんかさっさと符堅を殺したもんねえ。このせいで、個人的に後秦は好きじゃ
なかったりする。
>28
あ、そうそう。漏れは26。前燕萌えの同志よ、30も含めてありがd。
40 :
世界@名無史さん:02/10/13 01:44
41 :
世界@名無史さん:02/10/13 08:54
慕容翰は皝の庶兄ですよね?
翰は318年の宇文部・段部・高句麗との戦いにも仁とともに出征していますし、
嫡子の皝は彼のことを妬んでいたとか。
父親の廆が死ぬと実に不安を感じて、段遼のもとに出奔してしまった。
次いで段遼が石虎との戦いに敗れると、宇文帰のもとに身を寄せる。
宇文帰は彼の才能を妬んでいたので、酒に酔い、乞食のような身なりで歌ったり踊ったりして
宇文帰を欺いていた。
その翰の様子を知った皝は彼を呼び戻して厚遇。
しかし4年後に宇文帰と戦った際、負傷して病臥。
ようやく治りかかり、馬に乗って馬を試しているのを見たある者が、謀反の意図が
あるのではないかと皝に密告。
皝から迎えの使者が来たとき、毒を飲んで自殺。
皝にしてみれば、もはや翰が用済みになったし、邪魔になりそうだと思ったので
殺したのかもしれない。
王猛っていつ戦争のやり方覚えたんでしょう?
庵の中に引きこもってたくせに前燕平定の功を立ててる…
孔明の再来とか言われてたらしいが、それ以上だな
基本的に前秦の隆盛は王猛のプロモートによるものだろうから、彼亡き後の苻堅はDQN
鮮卑ってもと匈奴の支配部族のひとつでいいの?
主に東北部や内蒙古に割拠してるから左賢王配下の諸族だったのかな?
羯(石勒)はタシュケントの出身らしいから、匈奴の一派と考えていいのかね?
分裂後は匈奴の影響力も衰えてるだろうし
43 :
世界@名無史さん:02/10/13 09:40
>>42 鮮卑は以前東胡と呼ばれていて、一時、匈奴に並ぶほど勢力を持ちましたが、
紀元前3世紀頃、匈奴に追われて黒龍江南岸、興安嶺西方の鮮卑山に
根拠を置いて、それ以後鮮卑族と呼ばれるようになりました。
羯は高い鼻、くぼんだ目で拝火教を信じていたので、中央アジアが根拠地
だったと考えていいと思います。
苻堅は383年に東晋を攻めたとき、雲母車(女性の乗る車。雲母のような
上等の紗で四方を覆い、中から外が見えるようになっている)に乗っていた
というのは有名だけど、かれは実戦の経験があまりない人だったのでしょう。
大軍だけど、にわか仕立ての苻堅の軍勢は惨敗。
44 :
世界@名無史さん:02/10/13 10:36
>基本的に前秦の隆盛は王猛のプロモートによるものだろうから、彼亡き後の苻堅はDQN
載記の符堅伝ぐらいは読めやDQN。
あと、後漢時代の檀石槐とかも調べれば。
45 :
中華@名無史さん:02/10/14 03:01
この時代の人物を、ヨーロッパの人物と比べている書き込みを幾つか見かけますが、
漏れ的にこの時代は、「東洋の民族大移動」と言う感じですね。
まぁ晋がローマか?と言うとあれですが…
>>38さんが言われる様に、ヨーロッパに似た時代の動き等起こっていたら面白いでしょうね?
漏れが夢想するのは、この時代の五胡進入により、他民族に因る多数の国家の恒常的状態。
が続いたとしたら、元々の文化水準の高いこの地域だったら、国家間の切磋琢磨に因って
将来的にヨーロッパを凌ぐ早い段階での高度技術革新が行なわれたかも?
等と思います。
>羯(石勒)はタシュケントの出身
>羯は高い鼻、くぼんだ目で拝火教を信じていたので、中央アジアが根拠地
ハァ? ほんとかYO???
わしは文部省から通達があるまで信じんぞ
東胡が後に烏桓になったというのはそのとおりとしても
鮮卑がはたして東胡の子孫かどうかはわからない。
というのは漢籍史料では烏桓についてはつねに東胡の子孫として紹介され、
東胡がストレートに烏桓になったような文字遣いがされるのに対し
鮮卑は支流、別種のような表現になる。
おそらく鮮卑は系統不明の新興の種族で、その初期に
烏桓に臣属しながら生活手段や文化を学んだものであろう
>>38,
>>45 >まぁ晋がローマか?と言うとあれですが…
末期のローマ帝国でしょう。
漢とローマを同列に語ることが許されるなら
「前漢朝→新朝→後漢朝→魏朝→晋朝」を同一帝国内の政権交代として
ひとつの「古代中華帝国」としていいのでは。
>ヨーロッパみたいな封建社会が中国に成立してたらおもしろかったと
>思うんだけど、そうはならなかった
どうなんでしょう
南北朝〜隋唐は封建的ではないのかやっぱり
唐はイスラム帝国と比較されたりしてるもんな
49 :
世界@名無史さん:02/10/15 00:41
車師後王国っていつ滅びたんでしょうか?
交河城の車師前王国とつながりがあるみたいだけど、車師前王国が河西で破れて
逃げてきた北涼の沮渠安周に滅ぼされたのは史書に記述があるんだけど、後王国
ってどうなんだろう。
50 :
中華@名無史さん:02/10/15 03:26
>48
晋をローマと比べて疑問に思ったのは、ローマの様な輝かしい歴史の有る大国と比べると、
晋王朝単体で比べると余りにも見劣りする。と思ったのであの様な書き方に成りました。
しかし歴代王朝を、一つの王朝として見れば確かにそうですね?(禅譲で繋がって居るし)
”末期”東西分裂前のローマと、晋とを比べたら、確かに異民族の傭兵を雇い
その兵達に国の半分を滅ぼされた。と言う図式は正に同じですからね。
51 :
中華@名無史さん:02/10/15 03:33
>49
車師後王国と言うと、主に東漢の時代に良く聞く国名ですよね?
国名に有る”前”と”後”と言うのは、時代を表す物では無く
中華との位置関係に因って”前後”の区別を付けられた感じですよね?
(地図で見ると”前”の方が中華から見て手前。”後”が奥。)
ひょっとすると匈奴の様に”後”の方が、中華より距離が有るので、逆に
時代と共に遠ざかった。と言う事は考えられないですかねぇ〜?
詳しい方居たら御降臨願います。
52 :
世界@名無史さん:02/10/15 11:32
53 :
世界@名無史さん:02/10/15 23:11
別に五胡は「侵入」したわけじゃないだろ(苦笑
羌族とか匈奴・鮮卑は、晋代すでに涼州・幽州その他で漢人と雑居してたんだがね。
で、民族間の摩擦が斉万年の乱とか禿髪樹機能の乱を引き起こしたんだろ。
江統の「徙戎論」とか知らんのか?
とりあえず45は勉強し直せ。
54 :
世界@名無史さん:02/10/15 23:25
>禿髪樹機能
とくはつじゅきのう、って読むの?
なんか哲学板にいたんだけどこの人
55 :
中華@名無史さん:02/10/15 23:53
>53
徙戎論は知りませんでした。
(↑について書かれた物を少し読みましたが、最近見直された論ですか?)
匈奴に関しては、東漢の時代には既に、太原周辺で居住地が有るとの認識でしたが、
他の民族に付いては知りませんでした。つっこみ有難う御座いました。
とりあえず日々勉強ですので。
そんなこといったらゲルマン人だってローマに侵入したわけでは・・・・(w
普通に南匈奴は山西に住んでいたからなー
そもそも純粋な漢民族なんて有史以来存在して無いだろう
普通に中原とかにも遊牧民いたんだし
58 :
世界@名無史さん:02/10/16 17:21
匈奴はバイリンガルなんか?
59 :
世界@名無史さん:02/10/16 22:43
烏孫はトルコ系またはアーリア系で、史書によると紅毛碧眼、
猿みたいな風貌らしいです。
石氏は南匈奴の子孫と言われ、深い目、高い鼻、多い髭が特徴。
南匈奴はどうかしらないが、ケツ族は概ねコーカソイドだったようです。
>>59 石氏滅亡の際、鼻が高いというだけで多くの漢人がとばっちり受けたとか
羯族ってこれ以後影薄いし、冉閔?って酷い奴だなー
石虎って自分で歩けないくらいの超肥満体だったらしいいけど
何で暗殺されなかったんだろうね?
そんなデブ殺してしまえよ、ていつも思うよ
やっぱり言われてるほどの暴君じゃなかったのかも
61 :
世界@名無史さん:02/10/20 03:51
やっぱりこの時代で一番のクライマックスは、何と言っても淝水の戦いだな!?
でも、どうしてあの戦いに負けた途端、前秦(符堅)はあーも簡単に瓦解してしまったの?
あの戦いって、前秦は退却して負けた訳だから、戦力的には損害って余り無い気がするけど…
62 :
世界@名無史さん:02/10/21 16:49
>>53 の場の空気余り読めない書き込みで、一気にスレ失速した感が有るが…(苦笑)
(あーゆー物の書き方したら、皆ビビルんと違うの?)
まぁでも、この時代は中華の歴史でも民族と言うのがキーワードが
一番重要だったのは確か何だし、中華の民族に造詣が有る御仁が
住人としているのは心強いね。(
>>57とかもそうかな?)
と言う事で話振るけど、じゃあ以前から中原に普通に雑居してたのなら、
当然だいぶ前から混血は進んでたの?
俺の印象だと、この時代以前と以後で、漢民族の血統がだいぶ変わったって印象だけど
「以前から」って五胡の乱以前から?
それなら「普通に」は「雑居」はしてないと思うが。
ちゃんと居留区みたいのが定められてたじゃん。
文化の相互影響はあっても(中国語の音韻変化とか)やたら混血はしないだろ。
漢末期の戦乱になってからは居留区も糞もないかもしれないけど
やっぱり軍閥配下の騎馬軍団としてまとまって暮してたんじゃない?
ほんとに混ざったのは西晋滅亡後で、遊牧民出身なのに定着して農民になる奴とか
漢人なのに遊牧民化する奴とかでて、あとはごちゃごちゃ。
隋の支配階層は鮮卑化した漢人だとか唐の支配階層は漢化した鮮卑だとかいうけれど
鮮卑化した漢人と漢化した鮮卑はほとんど同じもので差などない。
漢代の漢人や漢代の鮮卑を典型として「漢人だ」「鮮卑だ」といってもしょうがない。
64 :
世界@名無史さん:02/10/21 20:19
まあ、民族っていっても、近代以降の「民族」の定義をそのまま当てはめるのは
どうかと思うよ。
「後漢書・鮮卑伝」を読むと、北匈奴の故地に鮮卑が進出したときに
匈奴の遺民たちが自分たちを「鮮卑だ」と名のって吸収されたことが書かれてる。
この記事だけで言うのもなんだが、「こいつは『匈奴』こいつは『鮮卑』こいつは
『羌』」って感じに、きっちりかっちり「民族」の枠に当てはめて判断するのは
危険じゃなかろーか。
遊牧系の異民族は、けっこう離合集散が激しかったのでは・・・と、折れは
思うんだが。
雑居については、地域ごとに温度差があった・・・くらいの見方でいいんじゃない?
巴テイ(ゴメン字がでない)の李家が蜀に成漢を建てたとき、雑居・混血が進んでた
おかげで漢人の反発も少なかったみたいだし。南なら「諸蛮」の方々と雑居してた
ようだし。たしか陶侃って、蛮の出でしょ?
それと、確か羌族も混血はあったと思ったよ。
1)血筋・遺伝子・人種・レイス
2)言語・文化・風俗習慣・エスニシティ
3)政治集団・帰属意識
この三つが「民族」という近代の言葉を使うとごちゃごちゃになって
はてしもなく混乱するから
>>63では民族という言葉は避けたんだが。
66 :
世界@名無史さん:02/10/21 20:53
曹操や諸葛亮も異民族の足元にも及ばない。
67 :
世界@名無史さん:02/10/21 20:55
>>61 372年に東晋でわずか10歳足らずの孝武帝が即位し、同年7月に
桓温が死んだけど、このときに符堅が攻め込んだら東晋はつぶれたかなあ。
このころの前秦は北魏や涼州に遠征軍を派遣してたけど。
>>66 禿しく同意はするけど、具体的にいわないと大向こうにはウケないと思ふ
>55ではありませんがとりあえず
>>53の江統「徙戎論」の内容について
大雑把で構いませんので教えてください
参考文献でもよいです
70 :
中華@名無史さん:02/10/22 02:51
>67
確かにこの付近の年代は微妙ですよね?
符堅が攻め込むタイミングと言うのも、正にこの時しか無かった感は有りますね。
これより更に20年程経ってしまえば、その桓温の息子桓玄が仕切る
西府軍や、それに対抗する北府軍等、強い軍部が台頭して来ますし、
何と言っても、後の劉宋の初代皇帝武帝と成る、名将劉裕も
実力者として出て来ますからね?
前秦の華北統一が、少しでも前後すると難しかったと思います。
71 :
世界@名無史さん:02/10/22 23:30
>67
うーむ、たぶん無理じゃないかな? この時期は謝安・謝玄親子が健在だったような。
あと、東晋は有力貴族の連合政権だから皇帝が幼少でも国家基盤は揺らがないと思われ。
たとえば土断法の制定は、力量のある貴族たちが主体でやっていたしね。
>70
きみはたぶん45?
俺は55じゃないが・・・、きみの書き込みは色々と間違いがあるぞ。
西府軍や北府軍は、東晋のかなり早い段階から成立していたよ。
西府軍→陶侃の軍団が由来。陶侃死後はユ氏に引き継がれ、さらに桓氏が受け継ぐ。
北府軍→チ鑒の軍団に、李矩・郭黙ら塢主の流兵を加えたものが由来。チ鑒死後は一時
桓温に掌握されたがその死後は謝氏に引き継がれ、劉牢之・劉裕が継承して
いく。
大ざっぱに言えばこんな感じかな。
明日早いんで、「徙戎論」のことはあとで書くよ。
>71
7行目の55は53だと思われ…
>>55だったら、貴方が指摘する色々間違い君に成っちゃうと言う罠(藁
73 :
世界@名無史さん:02/10/23 18:50
74 :
世界@名無史さん:02/10/23 20:00
符堅が敗北したあと、慕容垂は符堅が垂の動向を探るために派遣した副将の
飛龍を殺して、後燕王として独立。
慕容儁の子の慕容沖も皇帝を僭称して西燕が成立。
長安にたてこもる符堅と対立することになった。
75 :
世界@名無史さん:02/10/23 23:04
西晋の州境や国境のかかれた地図ってどっかにありませんかね?
平州、南秦州、南徐州、湘州といった州がどこにあるのか見当もつかないもんで。
76 :
世界@名無史さん:02/10/24 00:10
つーか、この時代にそんなに熱くなる要素があるのか?
どっちかというと、退廃的でウザイ時代なのだが・・・
>73
文面が解り辛くて悪かったな。
漏れは
>>70は間違いだらけのどうしようも無い香具師と言う事を強調したかったのだが?
それを71に、間違ってお前が馬鹿呼ばわりしている香具師に間違ってレスしているぞ?
と指摘しただけだ。
>>76は痛いほど物知らずの典型。とりあえず無視されるんだろうな
79 :
世界@名無史さん:02/10/24 19:04
>>78 じゃあ、無視すればいいだろ。
とりあえず挑発してる段階で既に・・・
この時代は中国がこっぴどく破壊された時代というのは
確かだろ。
80 :
世界@名無史さん:02/10/24 22:20
斉、楚、秦、韓、魏、燕、趙
81 :
世界@名無史さん:02/10/24 22:50
>>80 ???
漢、成、代、趙、燕、涼、魏、秦、蜀、夏、だろ
82 :
世界@名無史さん:02/10/24 23:08
慕容沖は386年に慕容永に殺されちゃうし、
符堅を殺した姚萇は長安で皇帝を自称して「大秦」と号したし、
拓跋部の太祖道武帝が盛楽で即位して代国王を称するし、
本当にこの時期はめまぐるしいね。
国号多い上に昔のと重複してわけわからんです。
84 :
世界@名無史さん:02/10/25 00:30
>81
代、魏は十六国に含まれ無いのでは?
蜀ってなぁに?
85 :
世界@名無史さん:02/10/25 13:38
∧ ∧
./ ヽ / ヽ
/ ヽ___/ ヽ キボンヌ〜キボンヌ〜
/ l___l \
| ● | | ● | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
へ | へ ヽ ./ | < 「徙戎論」まぁ〜だぁ〜〜〜?
\\ \ \\ ヽ/ / \____________
チン \\ .> \\ ヽ
チン \\/ \\ _ |
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / ̄ ヽ / _
\回回回回回/ ̄ ̄ヽ / ̄ ̄ /|
\___/ ヽ____/ / |
/ |
/ |
86 :
世界@名無史さん:02/10/26 13:27
>>84 十六国というのはよく知らないがたぶん「十六国春秋」でとりあげられた国の数。
代や魏ふくめ実際はあの時代は大小あわせて26〜28カ国くらいあったんじゃないのかな
蜀は、前蜀は成のこと。後蜀は405年[言焦]縦が建て413年滅亡した国。
>>75 手元にある中国歴史地図集(「地図出版社」出版)を探したところ、
平州は、北京の真東の渤海湾に面した当たり。
南秦州は、甘粛の仇池の当たり。
南徐州は、建康の下流、鎮江の当たり?
湘州は、長沙の当たり。
ただし、平州などは、王朝によって場所がちょっと変わったりしている。
上記の地図は、10年くらい前に、神田の東方書店で買ったと記憶している。
88 :
世界@名無史さん:02/10/27 18:12
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/joseph/booktoday/bt200204/bt0204main.htm ◆ 三崎良章 『五胡十六国』 (東方書店)
早い話が、西晋の江統の「徙戎論」(元康9・西暦299年)の評価を見ればわかる。従来の通説は、
『晋書』の江統伝や『資治通鑑』の記述「(朝廷)用いる能わず」をそのまま踏襲しただけ、せいぜい
'当時の状況からいって実行不可能な議論だった’というほどのおざなりな説明なのだ。
なぜおざなりかといえば、どうして実行不可能なのか理由の説明がない、つまり根拠のない
放言だからである。
江統は、当時の関中(長安周辺一帯)の人口の半分、すなわち50万人が、すでに異民族で
しめられている現実に注意を喚起し、彼等のあいだに高まりつつある反漢民族感情を指摘して、
その遠からず爆発する危険性に警鐘をならした。そして対策として彼等をすべて関中から外に
移動させよと提言した。
数年後、西晋はその警告どおりに国内の異民族がつぎつぎに蜂起し、その結果十数年後に滅びる。
この提言のなにが実行不可能なものか。この後ほどもない後趙(316年成立)の時期には、
400万人の人間を移動させているのである。これだけでもこの通説なるものが前後の時代の
同様の史実を念頭に浮かべることなしになされた、いい加減きわまる言であるかがわかる。
そのいい加減な論がなぜこれまで通説扱いにされてきたのか、そしてそのいい加減さを
とがめる人間がなぜいないのかは、誰もまともな関心を払っていないからとしか解釈できないであろう。
このいい加減さは、なぜこの時期に「徙戎論」が出現したのか、そして江統がなぜこれほど
正確すぎるほどの予言をなしえたのかをだれも研究していないことからも明かである。
そもそも、江統とはいかなる人物であったかについてすら専門の研究がない。
もし五胡の混乱期が分裂したまま長期安定したらヨーロッパみたいな多民族社会になっていたのかな?
燕、 [慕容族]山東省あたり
魏(代)[拓跋族]河北一帯
夏(漢)[匈奴族]山西方面
趙、 [羯族] 河南方面
秦、 [羌族] 陝西省あたり
涼、 [禿髪族]甘粛省
成(蜀)[テイ族]四川省
こんな感じ?
90 :
世界@名無史さん:02/10/28 16:46
>>89 もしそうなったら、日本はどこの国と関係が深くなっていたかな。
やっぱり燕、魏あたり?
>>90 をいをい、南北朝期は南朝とつながりが深かった史実があるやん。
92 :
世界@名無史さん:02/11/02 23:28
>>91 たしか朝鮮半島との関わりで、陸沿いの航路がとれなくて、南朝に行ったんだっけか?
後代の遣唐使時代みたいに。
まあ、東方書店の「五胡十六国」の序言はあまり好きじゃないが、89みたいな考えは
好きだよ。
……ただ涼州は漢人の張氏が治めてたけど。
>>91 長期安定していたら
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
94 :
世界@名無史さん:02/11/02 23:39
>92,93
ケコーンしる!(w
95 :
世界@名無史さん:02/11/02 23:54
沖縄県那覇市の城嶽遺跡からは、春秋戦国時代の燕の明刀銭が出土しているし、
邪馬台国の卑弥呼は三国のうち魏に使者を送っているし。
>>92 >たしか朝鮮半島との関わりで、陸沿いの航路がとれなくて、南朝に行ったんだっけか?
>後代の遣唐使時代みたいに。
>>95 >邪馬台国の卑弥呼は三国のうち魏に使者を送っているし。
南北朝時代には倭は物理的には北朝との関係を遮断されてはいないと思います。
曹魏と倭は同盟関係(つーか友好関係)にあったわけで
正統が魏→晋→宋と継承されたことを倭が承認していた、つまり
北朝を偽僭の王朝とみていた、ということでしょう
宋以後は国交が途絶えますが、これは山東半島を北朝に奪われ
航路を失ったためです
>>93 >長期安定していたら
いまいち意味がわかりません
>>92 >東方書店の「五胡十六国」の序言はあまり好きじゃないが、89みたいな考えは
>好きだよ。
どうもありとうございます
>……ただ涼州は漢人の張氏が治めてたけど。
え? 李氏じゃなく?
でも鮮卑が「涼」政権たてたこともあるよね。
三崎良章氏がヒソカニこのスレに書き込んでると邪推する縄
99 :
世界@名無史さん:02/11/08 11:20
五胡十六国の分裂のまま五代十国の時代がきて
南北ともに分裂してたら面白かったのにな
>>99 それを言うなら春秋戦国時代のまま分裂して、紀元位から匈奴
3世紀位から他の五胡も絡んで来て、ずっと混沌としていた方が面白いと思う。
日本なんかも、ヨーロッパのイングランドみたいに、もっと大陸との繋がりが
多そう(覇権争いに参入とか)で面白いと思う。
でも余りこの時代に関係無いのでsage ついでに100ゲト!
中国が分裂したままだったら中華思想も育たず
したがってもちょっと普通の国民国家が中国大陸に出来てたんでしょうか?
あんまり関係なさそうなのでsage
102 :
世界@名無史さん:02/11/09 18:31
『日本書紀』の雄略天皇のくだりに、「天王」という称号が使われてるけど、
これは五胡十六国を真似したものかなあ。
当時、日本にどの程度五胡十六国の情報が入っていたのかはわからないけど。
103 :
世界@名無史さん:02/11/19 22:42
高句麗や百済と頻繁に交流してたんだろうし
宋とは直接交流あったんだから
かなり情報はあったと思うけど。
104 :
世界@名無史さん:02/11/20 00:55
雄略天皇(ワカタケル)の時代に中国と交流があったのか?
だって卑弥呼のちょっと後だろ。
105 :
世界@名無史さん:02/11/20 03:33
卑弥呼の時だって、中国と交流あったからこそ
卑弥呼の記録が中国に残ってんだろ。
卑弥呼よりさらに後の時代なら、なおさら交流あったろう。
106 :
世界@名無史さん:02/11/20 11:02
五胡十六国とは直接の関係がないけど、「源氏」という姓は北魏かどっかの
姓をまねしたらしい。
107 :
中華@名無史さん:02/11/20 15:00
>106
北魏の拓跋姓を改姓した元姓の事ですね?
108 :
世界@名無史さん:02/11/20 15:07
金王朝時代の詩人元好問は、北魏王室の
末裔らしいです。
禿髪部が拓跋部と同じ出自であったことから、北魏の国姓と同音で似た意味の「源」を賜ったって話でしょ?
最近よく聞くけど、何かの本でてるのかねえ?
110 :
世界@名無史さん:02/11/20 16:03
清和源氏=清和禿髪氏
112 :
世界@名無史さん:02/11/20 23:33
ドキュン石虎を歓迎する。この時代、こんな奴らばっかじゃない?
113 :
世界@名無史さん:02/11/21 12:59
毎日このスレ上げ続けたら、「五胡十六国のファンは多いんだ」
と勘違いした出版社が「晋書載記」の日本語訳を出してくれるだろうか。
その前に田中某が勘違いして五胡十六国ものの長編を書く悪寒
涼州の張氏って漢人の割に中々勢力保ってられたよね?
そんなに戦争に強かったのか?
強かったと言うより、地政学的意味での「緩衝地帯」だったんじゃないの?
植民地化を免れたアフガニスタンとかタイみたいな
117 :
世界@名無史さん:02/11/22 12:49
>>114 ありえそうだな、下げといたほうがいいかな・・・
中国では石勒を主人公にした小説もあると聞いたことがあるけど、
読んだ人っている?
118 :
世界@名無史さん:02/11/23 12:21
>>116 あのあたり「皇帝」を名乗ってはいるが、実質ウォーロードという感じがする。
119 :
世界@名無史さん:02/11/26 12:35
「石勒萌え」とageおいて、スレの延命を計る。
120 :
世界@名無史さん:02/11/27 14:50
成漢の末代皇帝李勢は、東晋の軍に首都成都を占領された
後、捕虜として東晋の首都建康に送られました。そして、生命
を助けられたうえ、東晋の貴族に任ぜられ長寿を保ちました。
世説新語によると、東晋貴族になった後の李勢は、謝安、殷浩
等といった貴族達と親しく接し、貴族の文化サロンの中心メンバーと
して大活躍したそうです。
無教養な異民族の首領も、何代か帝位を重ねるといつの間にか中国文化に同化して一流教養人になれるのだな
122 :
世界@名無史さん:02/11/28 15:08
成漢は中原に比べると平和だったから、移住してきた知識人とかも多かったのでは。
そういった影響で君主も教養人になれたのだろうけど、
そのぶん軟弱になってしまって、亡国。文武両道の政権ってあったっけ。
123 :
世界@名無史さん:02/11/28 18:14
>121の対極にあるのが赫連勃勃の夏?
124 :
世界@名無史さん:02/11/29 12:22
夏は二十年ちょっとだからな。実質一代限りだし、教養を身につけるヒマは
なかったのでは。
時代は下るが、百年間中国語を喋らなかった元王朝の皇帝が一番かな。
>>124 まあ、モンゴルは世界王朝でペルシャ人がどかどか入っていたからねぇ。
>>124 >>123が言いたいのはその逆で、わざと教養を身につけないヤシがいた
と言うことだろう。
赫連勃勃は東晋の劉裕(宋武帝)が長安を攻略した後、留まらずに
江南に帰った後長安を手中にしたが、文化に染まって弱くなった
先輩達の轍を踏むまいと本拠を移さず統万城に帰った、と(確か)
十八史略にあった。
127 :
世界@名無史さん:02/11/30 14:27
赫連勃勃は、名前も中国式の劉から赫連に変えているよね。
(最初に統万城を都としたとき)
赫連勃勃カコイイ
かくれんぼ?
129 :
世界@名無史さん:02/12/02 13:49
北魏は鮮卑語の使用を禁止しましたが、五胡十六国時代の異民族は漢語
(という言い方でいいのかな?)をどの程度解していたのでしょうか?
130 :
世界@名無史さん:02/12/02 21:27
とりあえず石勒は『史記』が読めなかったようだ
131 :
世界@名無史さん:02/12/02 22:02
後趙の劉淵は匈奴だけど漢王朝の流れも汲むから
「漢」って国号だったんだってね
132 :
世界@名無史さん:02/12/02 22:10
匈奴で劉姓を名乗ったのは誰の代から?
誰かまでは知らないが、後漢中期くらいじゃないの?
匈奴が南北に分裂して以後のことだろう。
134 :
世界@名無史さん:02/12/03 12:34
>>130 『史記』が読めなくて、読み聞かせてもらっていたわけだけど、
原文を読んでもらっていたのだろうか、翻訳だったのだろうか。
>>134 翻訳だったとしたら、どうやって張賓とかの漢人官僚と意思疎通してたんだろう?
いちいち通訳通すのか?
まあ先祖が中原に住み始めた頃から徐々に覚え始めたってのことでいいんじゃない?
鮮卑はいつごろから漢化したんでしょうか?
部族によってバラバラなのかな?
136 :
世界@名無史さん:02/12/03 20:24
>>134 石勒は漢語をしゃべれたと思うよ。出身は上党郡の武郷県だし。
石勒伝には「(石勒は)邑人が洛陽へ行商へ行くのに随行した」ってあるし。
これなら、しゃべれたと考えた方が妥当かな、と思えた。
読み書きはできなかったが会話はできたってところ?
138 :
世界@名無史さん:02/12/04 12:38
レスありがとうございます。
確かに漢語を喋れただろうという状況証拠は多いですね。
長城以南で漢人と雑居していたような部族は、漢語が喋れたと考えるほうが妥当かな?
今でも複数の民族が入り乱れて住んでいるような地域では、
2・3カ国語話せる人はざらだけど、そんな感じかな。
139 :
世界@名無史さん:02/12/04 14:02
前秦皇帝符堅の皇太子符宏は、父符堅の敗死後、東晋に亡命して、
東晋の貴族になり涼州刺史に任じられました。だが、後に政変に巻き込まれ
無実の罪で死罪になりました。以上は、平凡社中国古典文学大系の世説新語
の登場人物紹介を参考して書き込みました。
140 :
世界@名無史さん:02/12/04 14:15
南斉明帝の第六子ショウ宝寅は、西暦502年の南斉滅亡後、
北魏に亡命し、北魏の貴族になり、東揚州刺史、鎮東将軍を経て
尚書左ボク射となり、丹陽郡公ついで斉王に封じられる。しかし、
西暦527年、長安で反北魏の反乱を起こし、皇帝を称し、国号を斉、
年号を建緒としたが、西暦530年、北魏軍に大敗し捕虜になり、洛陽
で斬られる。という南北両朝をまたにかけ波瀾に富んだ人生を送った人
です。
ここは詳しい人が多いみたいなんで質問したいんですが
石勒や符堅の王朝と比べて北魏が統一を維持できた要因って
なんでしょう?
>>141 石勒は曲りなりにも河北を統一していたからな
彼の時代には、分裂の危険性は低かっただろう
後の石虎の時代でさえ、磐石に思える
石虎の嗜虐趣味と後継者の猫の目的な起用さえなかったらもっと長持ちしたと
苻堅は統一をあせり過ぎた、漢人と異民族との融和にもっと時間をかければ良かったと
北魏は自分たちのナショナリズムを維持していた時期は強大だったけど
漢化政策とったら、いきなり(でもないけど)分裂だったからなあ
最終的に勝ち残ったのは辺境出身の武川鎮軍閥
自分たちの生活様式の保持がキーポイントなのでは
>142
それだと後世の隋や唐の長期統一が説明できない。
彼等の開祖も武川鎮系だし、著しく漢化してるよね。
>>143 長年かけて北方系の王朝が続けてきた漢化政策が実っただけでは
普通に唐王朝が純粋な漢族王朝とは思えないし
145 :
世界@名無史さん:02/12/08 00:00
吉川忠夫の『侯景の乱始末記』ってこのスレ的にはどうなの?
若干時代がずれるが…
>>145 以下は、漏れ個人の意見。
やたらと南朝マンセーな点を差し引いて見れば、いい本じゃないか?
しかし20〜30年前は、中国史関係の本が百花繚乱でしたな。
それこそ全時代にわたって。いまはほとんど絶版……。
同じ著者の『劉裕−南朝宋の武帝−』(中公文庫)すら……(;´Д`)
他のみんなはどう思ってるんだろう。
147 :
世界@名無史さん:02/12/08 22:11
漏れ的評価ですが…魏晋南北朝の通史でまとまったものって
川勝義雄の『魏晋南北朝』を超えるのなかなか出てこないな
専門家によるともう学問的には古いらしいが…
だったら誰か書いてくれよ!
149 :
世界@名無史さん:02/12/12 01:10
>148 それは岡崎文夫(『魏晋南北朝通史』)です
150 :
世界@名無史さん:02/12/13 13:07
>>149 あれも古色蒼然としてたな。三崎良章『五胡十六国』が出たときは大喜びしたけど、
概論書的でちょっと物足りなかった。続編のようなものが出たらいいのに。
三崎さん、ここ読んでたら書いてください。
(ときどき書き込んでいらっしゃるような気が・・・)
151 :
世界@名無史さん:02/12/20 23:01
ageとこう。
ゲームにしたら三国志より面白そう……
153 :
世界@名無史さん:02/12/21 08:53
>>152 妨害要素が多すぎてとてつもなく難しいものができそうだ。
人民移住しまくりだな、五胡ゲーム
「石虎が洛陽の住民20万を業へ移住させました」
というか、将来同人でも良いから、石勒描きたい
155 :
世界@名無史さん:02/12/21 21:56
人物関係だけあげても物凄くややこしいしなあ……。特に慕容部。
個人的には、もしこの時代のゲームを作るなら、武力100は冉閔にあげたいな。
「戦場における冉閔は、両手に長柄の武器を持ち、騎乗する馬は日に千里を走る赤馬『朱龍』──」
……絵になるよなあ。絵になると思うんだ、漏れは。
三国志のファンの方は「パクリだ! 呂布のパクリだ!」と騒ぐだろうけどね(笑
でも「載記」に朱龍のことはちゃんと書いてあったりして。
>154
石勒を描くんでしたら、なにとぞ張敬との再会シーンを美しく(w
そして、洛陽での大会戦を格好良く。
>>155 実際、五胡十六国時代の人物は三国時代の人物を強く意識していたんだから
パクりといわれるのが当然かも。
157 :
世界@名無史さん:02/12/22 07:58
五胡十六国時代の難しさは漢字変換のめんどくささに象徴される。
三崎良章の『五胡十六国』を読んだんですが、次は何を読めばいいですかね?
なんか全体の動きを把握できない。
自分で年表作ったほうがいいのかな
>>157 そもそも五胡からして一発で出ない
この時代の洛陽って人いたのかなあ?
常にどこかしらに攻められてて、全然落ち着く暇が無いように見える
まだ長安や業βの方がマシだったのかも
…って三国志初期と似たようなものか
160 :
世界@名無史さん:02/12/23 01:04
>158
船木勝馬『古代遊牧騎馬民の国』誠文堂新光社、1989
あうっ、先に書かれてもうた。
漏れも船木勝馬の『古代遊牧騎馬民の国』をオススメする。
特に中盤以降は、慕容部と拓跋部を中心にまとめてあって、とても読みやすいと思う。
162 :
世界@名無史さん:02/12/23 13:55
世説新語など、南朝側の文献を読むと、後趙の石勒は異民族王朝の
君主ではあるけれど、南朝の漢民族貴族から、名君として高い評価を
受けていたようで、好意的な記述が多いです。
163 :
世界@名無史さん:02/12/24 03:40
東洋文庫(or平凡社ライブラリー)から出ている干宝の志怪小説『捜神記』巻七に「西晋の亡国の兆」が集められていますが、当時の流行・風俗がかなり強引に五胡の侵入と結びつけられて記録されており、トンデモ本的な面白さがあります。
(例)西晋の永嘉年間、顔を覆い隠すような婦人の髪型が流行った。
→ 「顔を隠す=顔向けできない」髪型である。
→ 異民族が反乱を起こし、「生きて合わせる顔がなくなった」。
正直ワラタ
164 :
世界@名無史さん:02/12/24 13:16
それにしても、仇池公を世襲した楊氏って、五胡十六国のことを書いた
ほとんどの本で存在を無視されていますね。皆さん、仇池公楊氏のことに
ついてもっと語りあいましょう。
>>155 じゃあ政治100は慕容恪にやって下さい(w
166 :
世界@名無史さん:02/12/25 03:00
初心者は前秦でのプレイ、上級者は仇池でのプレイを推奨。
>>163 宋だか唐だか忘れたが、末期に女性の化粧で泣いているように見せるのが
流行して、それが亡国の兆しだった、ってのもあったね。
戦国史って言うフリーのソフトで誰かシナリオ作ってくれないかな
169 :
世界@名無史さん:02/12/25 16:50
前趙皇帝劉曜の長女は、後趙皇帝石虎の皇后になって石
世という男児を産んでいます。
>>169 石世って石虎最後の後継者ですね(石虎が廃しすぎなだけですが)
なるほど、匈奴の血統を入れようとでも思ったんですかね?
でも、劉曜って2mの大男だから娘もきっと大女だったのかも
母親は誰ですか?もし西晋の羊皇后の娘さんだったら可愛かったかも
まあ石世は10歳で帝位についたあと
>>155の石閔に殺害されます
個人的に戦闘最強は劉曜じゃないかなあと
白眉で赤眼って人間じゃないよなあ
この時代って虞姫や貂蝉みたいなヒロインは創作されなかったんですか?
>>171 石勒の母ちゃん
なんたって仙女らしいからな(w
上にもあるけど西晋恵帝の皇后羊氏
まあ薄幸のヒロイン、こっちは実在
しかし、夫が二人とも亡国の君って史上最強のサゲマンかも
173 :
世界@名無史さん:02/12/26 13:41
石虎の皇后だった劉曜の長女は、夫の死後、我が子石世を
後趙皇帝の座につけ、皇太后兼摂政としていったんは政治権力を
掌握したものの、結局、ク−デタ−で殺害され、彼女の垂簾政治は
10ケ月あまりで崩壊しました。
軽く(でも無いけど)前スレ超えたね?
次の目標は「五代十国スレを超えろ!」ですなw
と思ってたら前スレは186スレ↓まで逝ってた罠
186 名前:世界@名無史さん 投稿日:02/08/20 23:26
>>172 高句麗の王家が「高」氏を名乗ったのは後燕の高雲と姻戚関係を結んだことから。
内容では五代十国スレには及ばないな…
やっぱ斜陽の分野なのか?
「隋〜唐初の動乱期を語ろう!!」スレよかマシでしょ。
「南北朝時代=皇帝の独裁権力強すぎ」なんてアホなこと書くヤツが仕切っとるし。
この時代、臣下によって廃された皇帝が何人いると思っているのやら(苦笑
ハイキングコースを歩いた程度で「登山家です!」と自称する香具師なみのイタさだ。
(あやめ御大のよーな人が「○○の時代はおまかせ!」と言うならまだしもなあ)
現時点では五代十国>五胡十六国>隋唐ってところか?
「三国志演義」「隋唐演義」はあるのに
「六朝演義」「五胡十六国演義」がないのは悲しい。
もしかして実在する?
>178
と思うんだったら、あっちのスレで直接レスしろや。
このスレは、数人根性が曲がった人が居るのが難だな。
と言うか、全部178と言う説も有るが…
>>179 正直無くていいよ
三国志はともかく隋唐は安能さんの読んだけどまったくつまらなかった
多分、本国にはそういう系統の物語は多いと思うけど
みんな三国志演義のクオリティを期待しすぎじゃないのだろうか
一時、朝日で連載してた小説なんだったかなー
砂上の楼閣じゃないけどそんな感じ。
>>182 それは宮城谷氏の「沙中の回廊」ではなかろうか。春秋戦国の。
はよ文庫落ちせんかなー、と思って幾星霜(ちと大げさ)。
スレと関係ないんでsageー。
>179
たしか「東西両晋演義」があったような・・・。
185 :
世界@名無史さん:02/12/28 20:28
中国の大衆向き雑誌に、この時代を扱った小説が掲載されることもあると
聞いたことがあるが。
でも漢民族にとってはあまり気分良くない時代だろうなあ。「三国志演義」のように
中国大衆(漢民族)が「五胡演義」に熱狂するようなことはないよね。
三国志演義は中華ナショナリズムを高揚させるからなあ>>北伐
五胡演義?のアンチテーゼとも取れなくも無い
祖逖の北伐って石勒をとことん苦しませてる
まあ祖逖はかなりの野心家だが、少なくとも諸葛亮よりは勝ち目があったような
祖逖の北伐は中国の教科書にしっかり乗ってた
石勒については詳細な記述が少なかったよ、それだけで中国の教育方針が分かる…気がする
>>183 あ、ほんとだ戦国時代だ。。
晋?とか思って当時流してたから気づかなかった
188 :
世界@名無史さん:02/12/30 22:47
赫連勃勃あげ
189 :
世界@名無史さん:02/12/31 01:25
張重華あげ
190 :
世界@名無史さん:02/12/31 02:48
>>186 少数民族問題はすごく微妙だから、中国政府としては避けて通りたいところだろうね。
もっとも少数民族問題が微妙なのは、日本も含め世界中どの国でもそうだけど。
191 :
世界@名無史さん:02/12/31 08:04
でも五胡の末裔なんて今はもう漢族に同化してるのでは?
・・・冬厨の薫りがするな・・・
193 :
世界@名無史さん:02/12/31 15:44
確かに消滅してしまった民族がほとんどだが。
文革中は異民族勢力は「外敵」とされていて、異民族王朝の研究などされて
いなかったようだが、79年を境に評価が変化したらしい。
by「近年の中国における後趙史研究」市来弘志『東洋学報』第七十五巻
この論文は面白いけれどちょっと古いので、最近の五胡関係の論文情報きぼんぬ。
拓跋 宇文 高句麗
慕容
段
えーと、この勢力の均衡が崩れたのって、いつごろでしょうか?
それと段部の勢力の変遷について詳しい人いませんか?
晋書載記の全訳ってあるの?
今、海外サイトで読んでるんだが、簡・繁共に読みにくい
何かいい本無いかな?
196 :
世界@名無史さん:03/01/04 21:18
明徳の『晋書』で載記の部分訳なかったっけ?
197 :
世界@名無史さん:03/01/05 13:57
>>196 ありがとうございます
今度図書館でも巡ります
石勒が洛陽に行商に行ったとき(14歳)
王衍に人相見られて、見込みがあると評価された話が載ってて驚いた
後に自分を殺す奴を掘り出すなよ
でも何か眉唾っぽいエピソードでもある
身長比較
石虎180cm(デブ)
劉淵190cm
劉曜220cm
みんな取ってつけたように「腕は長く、膝のあたりまで垂れ下がっていた」
劉備かよ(w
鄴
200
201 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■の1:03/01/05 19:27
>194
こちらのスレッド
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1033048238/l50 の >239
に◆美川王◆を登録しましたが
319年に高句麗、宇文氏、段氏らが連合して慕容廆の居城を攻めた時、
離間の計(慕容廆が宇文氏にだけやたらとねぎらい贈り物攻撃)で
疑心暗鬼に至った高句麗と段氏はさっさと兵を引き上げてしまいました
宇文氏の大将・悉独官は「俺一人で攻め取ったろやないか!」と
強がってましたが、結局、慕容皝ら率いる精鋭隊の急襲を受けて大敗してます
この一戦は慕容部を躍進させたターニングポイントの一つだと思います
でもやっぱり大きな転換は、慕容皝の段部征討の際
ここぞとばかりに攻め込んで来た石虎を返り討ちにしたところでしょうか?
あと後燕を立ち上げた慕容垂(前燕の将だった時、宇文氏を滅ぼすのに功績があった)
北伐して、拓跋珪を平城から撤退させてますが
慕容垂が亡くなった後は、後燕は急速に衰退していくので
彼の死がターニングポイントかなあと思います。
段部に関してはまだ詳しくないので、また調べてきます。
202 :
世界@名無史さん:03/01/05 20:09
美川ケンイチ
ネットカジノ広告の改編コピペで五胡ver.キボンヌ
204 :
世界@名無史さん:03/01/06 13:39
五胡十六国時代初期に農民反乱軍を率いて華北を
荒らしまくった斉万年の詳しい評伝があれば、お教え
ください。
>>203 45歳
去年までは大秦天王だったけど、東晋征伐と異民族長安移住で
二年で山東と陝西割れた。一度やってみなよ。
初回のみだけど、前燕に攻め込めば慕容垂(後燕の世祖くらい)貰える。
もらうだけもらって攻め込まずに前涼滅ぼすこともできるし、%#x6ddd;水で撤退か反転に
思い切って賭けてしまえば50パーセントで天下統一になる。(無論前秦滅亡にもなる)
玉璽なきゃ新平の仏寺で夫婦心中すればいいだけ。嫌がらせになる。
呂光でタリム盆地制圧とか五族協和とか色々あるのでマジでお勧め。
うーむ、イマイチ
いやいや力作でした。ありがとうございます >205
(「ヒ水」?のヒの字が見えないのは残念ですが)
オンラインカジノコピペってみょーに五胡の英雄たちにマッチしてると思うのだが
208 :
世界@名無史さん:03/01/09 13:14
打倒劉裕の兵を挙げるも敗北し、南燕に亡命した東晋の皇族
司馬休之は、南燕が劉裕に滅ぼされた後、どのような運命を
たどりましたか?
>>208 何かこういう質問レス、中華民国期軍閥スレとかでよく見るが
同じ人なのかな?
210 :
世界@名無史さん:03/01/09 15:49
209
失脚した中国の軍人や政治家の、失脚後の人生に興味があり、
日本だけでなく中国の資料を調べてみても、どうしても失脚後の
履歴がわからない人物について、専門知識豊富な方や研究者の書き込みが多い
2ちゃんねるに質問スレを書き込んで、教えを乞うているのです。
>>210 なるほど、今までずっと気になってたんです
レスありがとうございます
司馬休之は今サラっと調べましたが
荊州で劉裕に反乱を起こした後、羌(後秦)に奔るとあります
南燕ではないみたいです
後秦滅亡後は北魏の長孫嵩を詣でて降り、その陣中で没すとあります
魏書の列伝に詳しくあると思います、多分
213 :
世界@名無史さん:03/01/10 23:50
人いないねー
空ageも何なんで、
隴上の歌
隴上壮士有陳安(隴上に壮士陳安有り)
躯幹雖小腹中寛(体は小さいと言えども腹の中は寛し)
愛養将士同心肝(将士たちを愛養すること心肝と同じ)
【馬聶】總【馬偏です】駿馬鉄鍛鞍(あしはや、あしげの駿馬に鉄に鍛えし鞍)
七尺大刀奮如湍(七尺の大刀を振るうこと早瀬の如く)
丈八蛇矛左右盤(一丈八尺の蛇矛は左右にめぐる)
十盪十決無当前(十度向かいて十度勝負するも前に当たるは無し)
(ここで陳安は猛将平先と対峙する)
戦始三交失蛇矛(戦い始まること三交で蛇矛を失う)
棄我【馬聶】總竄巖幽(我があしはや、あしげを棄てて、巖の幽に竄る)
爲我外援而懸頭(我の外の援けのために、陳安はその頭を竿の上に懸けられることになった)
西流之水東流河(西に流るるところの水と東に流るる河は)
一去不還奈子何(一たび去りて還らず、君を奈何せん!)
陳安を悼む七言詩です
ひとりで張飛と関羽の獲物を使いこなす豪傑だそうで
この時代こんな怪力武将ばかり(w
陳安は賢者たちを自分の下に積極的に集めようとしなかったために前趙に滅ぼされましたが
本人は士卒たちと苦楽をともにして、たいへん可愛がったそうなので人望はあったそうです
彼の死を惜しんで隴上の人たちはこの歌を作りました
劉曜もこれを聞いて甚く感動して、以後自分の楽団で演奏させたそうです
214 :
世界@名無史さん:03/01/11 10:16
文治主義の前の武断政治ってどういうものなんですか?手持の資料だと何にも分からん…
(^^)
216 :
世界@名無史さん:03/01/11 17:14
>214 五代十国スレの誤爆と思われ
>>217 ほんとだ素で間違った!もう逝ってきます…(鬱
塢
とか書いてみる
220 :
世界@名無史さん:03/01/14 18:36
土断法あげ
221 :
世界@名無史さん:03/01/14 20:48
土断法反対!
自治を守ろう!
223 :
世界@名無史さん:03/01/15 00:35
>219-222 ワラタ
何か寂れてきたな
語ることがなけりゃあ仕方ないか
人物説明でもすれば盛り上がるかな?
中華民国期スレみたいに
前から気に成ってたんだけど、
>>71の徙戎論って、もしかして
>>88の日記丸々コピペしたのがそうなの?
なんか、自分独自の徙戎論についての考え方を持ってそうな書き方だったんで
楽しみにしてたんだけど…
まさかコピペで終わんねぇーだろ?って思って黙ってたんだけど、
結局出て来ずに、レスし損なっちゃったyo!
コピペで済ますんだったら、朝早くったって関係無いと思うけどな(w
226 :
世界@名無史さん:03/01/15 01:31
この時代の萌えるエピソードキボンヌ
みんなで萌えるエピソードを作ろう!
項羽→騅、虞姫
呂布→赤兎馬、貂蝉
似てるのは、
冉閔→朱龍、??
ヒロインと物語。無理があるか(w
228 :
世界@名無史さん:03/01/15 15:34
>>227 そうしたいならそういうスレッドを立てなさい。
戸調式さげ
「匈奴・羯に人理無し」と酷評されている趙、夏両王朝ですが
鮮卑や烏丸とのこの扱いの差は何?
熟蕃ってことなら南匈奴も烏丸も似たようなものだと思うんですが
ただ単にDQN君主の所為ってわけでもなさそうだし
231 :
世界@名無史さん:03/01/17 20:42
あ〜げ♪
室内球技における中国文明の影響
周曷朱(しゅうかっしゅ)…
中国五胡十六国時代に室内戦用に考案された武器、開発者の名前を採って周曷朱とされた
その特色は刃の両端にある極めて弾力性に富む球状の特殊ゴムである
これを打ち 壁や床・天井に反射させ敵を攻撃した
もちろん その反射角度は精妙な計算が必要であった
匈奴羯部族の主要な戦闘兵器で、特に周曷朱の嫡子石勒は高い腕前を誇り、
「城を一日に攻めること三城、常に全うす」と賞された
ちなみに 現代の室内球技・スカッシュの原型がこれであることは賢明な読者の推察通りである
民明書房刊
『室内球技における中国文明の影響』より
それは趨滑襲(w
スゲーワラタヨ
234 :
世界@名無史さん:03/01/22 16:00
匈奴や鮮卑の言語について。
ついでに、あなたの郷土の言語も。
>233
漏れもワラター。石勒伝を読んだ人なら誰もが爆笑するよ(w
このスレ消えそう。
この時代のゲームでれば状況かわるんだろな。
>>237 もし出たら未曾有の展開だな(w
身内を粛正しまくるという…
「五胡十六国」時代メジャー化計画第一弾として
田中芳樹にこの時代を舞台にした小説を書いてもらおう
そ れ だ け は や め て く れ !
無理かもしれんが宮城谷昌光キボンヌ
よ ー し 、 漏 れ 書 い ち ゃ う ぞ !
晋書載記の冉閔のところしか読んだことないけどな。
あと何読めばいいか教えてくれ。5年くらいかかるけどな。
242 :
世界@名無史さん:03/01/31 11:55
宮城谷氏じゃDQNすぎる石勒、石虎は書けないんじゃないの?
世説新語読むと、石崇の評価高いな
こんなヤツでも当時一番の名士だったと思うと、西晋もかなりヤバい国だ
というか世説新語と現実の歴史の評価の乖離具合ってどんなものだ?
>>241 五胡十六国の山場としては
(例)洛陽で対峙しての前趙と後趙の会戦(328年)
石虎が4万の大軍を率いて河東の郡県を攻め、蒲阪を抜く
後顧の憂い(涼州や仇池)を絶った劉曜が精兵を率いて衛関を出発
石虎は恐れて、軍を退却させる
高候で追いついた劉曜は大いに石虎の軍を破り、その将軍石瞻を斬る
石虎は朝歌に退却したが、劉曜はこの戦いで多くの軍資を得た
更に金【土庸】では石生を破り、余勢を駆って洛陽を兵10万で囲んだ
榮陽太守尹矩、野王太守張進たちが劉曜に降り、襄国は恐慌した
遂に石勒自ら親征する次第になり、河南から石堪、石聡、桃豹らを呼び寄せ
石虎の軍を石門まで進めさせた
後趙は成皋に歩兵6万、騎兵2万7千を集めたが、前趙軍は何の備えも用意していなかった
(ここで石勒は有名な「天也!(天の思し召しだ!)」と叫びます)
無類の大酒飲みで、軍中で酒宴を開いていた劉曜は石勒が来たことに慌てふためき
急遽洛西に布陣するも、後趙軍の挟撃を受けその捕虜となるに至り、前趙軍は瓦解した
まあ二転三転する大会戦ですが、最終的には戦の機微を知り尽くしていた石勒に軍配が上がりますた
(劉曜は負け戦が多く、敗走するたびに大怪我を追うことが多かったのはご愛嬌か 皇帝親征多すぎ)
他にも王猛の前燕攻略や前秦VS東晋の淝水の戦いがあります
しかしカタルシスという点ではこの洛陽の会戦が一番面白いと思います
ネタとしては小さいかも知れんが、拓跋珪vs慕容垂の新旧英雄対決も読んでみたい
とりあえず晋書載記の石勒伝をコピってきました。
他に何か読んどくべきですか?
>>245 苟晞
邵續
李矩
王戎(従弟衍)
劉琨
祖逖
王沈(子浚)
王渾(子濟)
王彌
こいつらの列伝は必読
巻59列伝29は八王が丸ごと載ってるから重要
巻86列伝56は張軌の一族、巻97列伝67は異民族についての説明が載っている
載記は一応第七ぐらいまでは読んでおきたい
山東で独立したけど、どっちつかずで結局何時の間にか滅ぼされた曹巍萌え〜
247 :
世界@名無史さん:03/02/03 18:19
岩波は『後漢書』に続いて『晋書』の完全訓読本を刊行しる!
248 :
世界@名無史さん:03/02/03 18:51
249 :
世界@名無史さん:03/02/03 19:06
五代十国と比べ盛り上がらないのは
やはりこの時代を扱った「演義」物(もしくは平話)がないせいだと思う
晋書注文しちゃった。
中華書局のやつ。
251 :
俺のレスで落ちるかと思った。。。:03/02/11 18:48
>250 適宜内容紹介キボンヌ
252 :
世界@名無史さん:03/02/11 19:20
>>250 むしろ中央研究院漢籍電子文献の漢字の空いてるところ埋めてくれ
253 :
世界@名無史さん:03/02/11 19:41
>253
カネネーヨ
>五代十国と比べ盛り上がらないのは
やはりこの時代を扱った「演義」物(もしくは平話)がないせいだと思う
いやあ、演義モノならあるんだよ。結構高い評価を受けている
『東西晋演義』という明代の歴史小説がある。内容は真面目そのもの。
ただマイナーなだけなんだよ。
>田中芳樹にこの時代を舞台にした小説を書いてもらおう
もう書いたらしい。「宛城の少女」なる『晋書』列女伝を元にした作品だって。
どこから出版されたかしらないけど・・
>無理かもしれんが宮城谷昌光キボンヌ
宮城谷さんも東晋の随筆ならちょっと書いて居るんだけどなぁ・・
(『歴史の活力』文春文庫)
256 :
世界@名無史さん:03/02/12 00:00
魯迅の小説だったと思いますが
中学の歴史の先生が主人公で(タイトル「高先生」だっけ?)
年度途中で転任して三国時代や唐代のネタをいろいろ準備してたら
範囲が「東晋の興亡」から、となっていたのでものすごく萎えた
というエピで始まるものがあります
五胡十六国時代って教師の方もネタなくて教えづらいのかな?
『後三国演義』とかいうのもあったよね。評判わるいけど。
演義ものはいくつかあると思う。
宮城谷って今田横主役の書いてるけどあんまおもろないぞ
宮城谷ってあんま面白いと思ったことないんだけどなぁ
塚本青史(王莽とか霍去病がテーマの小説書いてる)だったら読みたいけど
宮城谷の主人公は名札が違うだけの同一人物
>>260 本当の主人公は親父だったり、ライバルだったりする
文章は読みやすくて好きだが
内容で満足できたのは少ないな
確かに一般人になじみの薄い人物を小説にしてくれるのは嬉しいが
宮城谷は春秋戦国がメインだから、この時代にはあんまり向いてないっぽ
漏れは塚本の方が「?」ですた。なんか読みにくい・・・。
あと、語尾の「〜ワ!」で挫折した記憶が。なぜこれだけカタカナ?(ニガワラ
スマン259、喧嘩を売ってるのではなくて、こういう感じ方をするヤツも
いるってことで勘弁して。
スレの趣旨と関係ないのでsage。
晋書届きましたが、チョコはひとつも届きませんでした
。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン
チョコがないならお肉を食べればいいじゃないか。
>>263 とりあえず、錐で刺して穴があいたチョコ送った香具師は生き埋めな
ごめんなさい。
>>264は意味わかりましたが、
>>265はわかりませんでした。
「人多壽百年、或八九十。國多婦女、不淫不妬」
なんだ、日本人て昔から長生きじゃん。ってゆーか、婦女が多いならチョコくれよ!
>266
王戎じゃない?>265
268 :
世界@名無史さん:03/02/15 17:56
>>266 赫連勃勃です
統万城作るとき、土壁に錐を刺して、サクっと刺さった密度の低い壁の担当者たちを
そのまま壁に練りこんだそうです
ワシもチョコ欲しい
いかにもドキュソな勃勃タソらしいエピソードだね
271 :
世界@名無史さん:03/02/15 23:15
ヴァレンタイン難民は「塢」を作り団結しよう!
「赫連でっか?」
「勃勃でんな〜」
ごめん。。。
>270と>272は壁に埋めろ
このスレ、守備範囲を南北朝全般までのばしちゃ駄目?
いいんじゃないかな? 話題がないし、落ちそうだし……
ただ、個人的には(メール欄)とかっていうのは勘弁してホスィ。
他人の言説をさも自分が考えた意見のように書かれると萎えるのよ。
「それ、○○に書いてあったまんまじゃん! それ剽窃じゃん!」
って感じがしてさー。まして元の言説がミスいっぱい、っていうんじゃね……
他板のコテハンで言えば「トム改め〜」氏みたいに、
「ああ、自力で史書や関連書を読んだりして意見をまとめてるんだな」
と感じられるような自説を展開する人が出て欲しいダスなー。
あと、(メール欄)の所は「作家名」が入ってるんで隠しまスた。
まずは(メール欄)どうぞ。
いやぁ、楽しみダスなー。
ところで、壁とか塢壁とか頻繁にでてくるけど、どういったものだったんですか?
中で人が生活してたの?
都市以外の人はどういうふうに生活してたんだろう?
晋書の志あたりに庶民の生活とかないかな。
中国社会風俗史にのってたような気がした。>庶民の生活
それにしても壁の中の人も大変だな
お前が埋めたから大変なことになったんですよ?
深いネタがあるわけじゃないんだが(w
ミーハー的興味だが、今気になってるのが高歓。
冷徹な戦略家のようでいて、ときどきおまぬけな
ところが曹操に似てるなぁと。
息子も粒ぞろいだし、侯景みたいなやんちゃを飼って
たりするし。それに互角のライバルとして宇文泰がいる
のもポイント高い(高歓には不幸だったが(w)
>282
高歓は、どちらかと言うと「能力値の高い袁紹」というイメージがあるなあ。
高澄や初代の高洋(文宣帝)はともかく、高殷(廃帝)・高演(孝昭帝)・高湛(武成帝)
の代替わりにおける、近親間の不和対立のありさまが、袁家の兄弟たちと似ている気がする。
まあ、アナロジーといえば、北魏末以降は後漢末〜三国時代に酷似してると思うけどな。
たとえば皇帝の廃立を行った爾朱栄は董卓に比せられていたし、「黄天まさに立つべし」
の予言(というか宣伝)に照応する事例としては、「黒衣、まさに王なるべし」という
予言が流行ったことが挙げられますな。ちなみに、この予言を忌んだ高歓は、のちに民間で
黒衣をまとうことを禁止し、為にそれまで黒衣を着ていた僧侶は白衣などを着るように
なったとか。それから、この予言を聞いた宇文泰が自分の字(あざな)に黒の字が入って
いることから、「これはおれが王になるという予言なのだ」と喜んだ、というエピソードも
ある。予言を流したのが宇文泰だとか、予言を聞いて字を変えたという可能性も考えられるが。
ただ、高歓は爾朱一族を滅ぼしたところが栄光の頂点だったように思える。
東魏と西魏に分裂したと言っても、その戦力差は隔絶していたわけで。高歓は自分の麾下に
禁軍十五万のうち十三万五千、爾朱一族の配下、衆百万と号した葛栄の遺衆をことごとく
集めたのに対して、西魏は賀抜岳の旧部下数万と、出帝が連れてきた禁軍の余りと宇文泰の
手兵のみ。当時の西魏は、皇帝がいることを除けば「寄せ集めの叛乱軍」と認識されてたのではない
かと思ってみたり。
その西魏軍と互角の戦いを演じてしまい、再統一のチャンスを逃したというのは、高歓評価の際に
大きなマイナス点になるだろうね。
(以下続く)
(続き)
ちと長くなったか。本当は278にも答えたかったんだが……。まあ、次回と言うことで勘弁な。
で、余談になるが、宇文泰を指導者とする際に、280の子孫が活躍してる。姓名は赫連達(字は
朔周)。ただし、この時は280の悪名を恐れて杜朔周の偽名を使っていたらしい。ちなみに、
「資治通鑑」でこの辺の記述を読むと、作者の司馬光がよほど280を嫌っていたのか、杜朔周の
偽名を採用していたりする。で、赫連達自身はどんな人物だったかというと、280と違って
寛大で面倒見のいい勇将だったようだ。まあ、「周書」の記述がどこまで信頼できるかはわからんが。
……と、ゆ〜ワケだ、277。ひょっとして、こちらが口先だけの厨だとでも思ったか?
頭の悪い書き込みをありがとう。チミもステキな意見を書いてみてくれたまえ(w
ま、折れの書き込みが頭イイとも思わんがね。
>>283-284 おお、レスが付くとは(w
たしかに戦力差は歴然としてますよね。高歓の時代にはまだ宇文泰は
蜀を手に入れてなかったわけだし。それでどうして互角になるかなぁ、と
この辺を調べるたびにいつも思ってしまうんですが。確かに有能では
あったでしょうが、高歓より遙かに宇文泰の方が戦上手だったようにも
感じないし。関中に引きこもって防戦一方ならまだ判るけど。
でもこの時代って、妙に人間臭くって面白い。
高洋は殺人が趣味に見えるんですが、一方で母親には頭が上がらなかったり、
宇文護も母親の手紙読んで大泣きしたり。あと笑えるのが、梁の武帝が
天文見て皇宮から逃げる真似をするくだり。
>>283 どっかのサイトでも似たような話聞いたことある
梁、北斉、北周で南北朝三国志の小説なんかどうかなー、って言ってる話
まあ確かに後世の人間だから、前代の人間に比せられたり、模倣しようと思うことは
全然不思議じゃないんだけどね
北周の面々は蜀漢を気取っていたとか、そんな物か
地味な所では石勒も建国当初は蜀漢を奉じたとか
「われわれはあしたのジョーである、ならぬ劉備玄徳である」か
これじゃあネオ麦だな(w
石勒の親分だった汲桑って概説書とかに出てくるか?
張背督とか公師藩とかはよく見かけるんだが、汲桑のこと書いてるHPって
中国人のとこしか見たこと無いのだが
あまりにも影薄すぎやしないか?
劉夫人にとりあえずハァハァしとくか
知勇兼備の馬賊っ娘…萌える(妄想)
育てたDQNに殺されるのは可哀想だが…
>278
あまり迂闊なことは書けないんだが、壁あるいは塢っていうのは、乱世において
各地に登場する、自衛のために武装した集落と考えて構わない。
現代社会と違って司法の強制力に乏しい(馬と船が最速の交通手段では致し方ない)
わけだから、いったん政治が不安定になれば盗賊は横行するし軍の略奪もある。
時には、飢饉がひどいから「人肉狩り」をして軍が多数の集落を全滅させる例もある。
こうなると、庶民としては頼りになりそうな人間をリーダーにして、自衛せざるを
得ない。ここから生まれたのが「壁」あるいは「塢」で、東晋期の著名な塢主としては
関羽・張飛に喩えられた劉遐、微賤の身から成り上がるも叛乱を起こして陶侃に討たれた
郭黙、劉聡などと対峙した李矩、祖逖と石勒の間で反覆常なき行動をとった陳川などがいる。
ほかにも「行主」というものもある(例:祖逖)が、これは庶民ひきつれて南渡した連中
に限って使われてるのか? これは、他に詳しい人がいたら教示願いたい。
(続く)
(続き)
あと、塢主に関しては戦前に那波利貞氏が「塢主攷」という論文を発表しており、「修正の
必要がほとんどない」と言われるほど完成度が高いので、大学生とかは図書館で調べてみると
いいかもしれない。70ページほどの論文だから、コピーをとってじっくり読む、という手も
ある。まあ、戦前の文章なんで旧字体に難儀するかもしれないが。
……庶民の生活については、あまり分からない。この時代を扱った概説書や専門書を読んでも、
言及しても内容が断片的だからな……。
悪いね。調べてみて、ある程度まとまったら書くよ(多分)。
285&286への返答は次回。
290 :
世界@名無史さん:03/02/23 17:36
>>278 塢堡の系統に属すると思われる建築が今でも江西省の南部あたりにけっこう残っていますよ。
囲屋と呼ばれるものがそれで、周囲を高い壁で囲まれたいわゆる城壁村。
外壁には窓がなくかわりに小さな銃眼が無数にあいていて要塞みたいです。
四隅には防御用の塔(砲楼という)があります。
291 :
世界@名無史さん:03/02/23 18:37
塢は辺境警備の為の砦だよ。
自衛の為に民衆が作ったというのはあまり知らないが・・・
>291
スマソ。これはこちらの言葉足らずだね。
「(1)乱世において各地に登場する、自衛のために武装した集落」の西晋末〜東晋期
に目立って登場したものが「塢」あるいは「壁」ということ。
「(1)」は、時代によって名称が色々と変わっている。たとえば春秋戦国期〜秦代には
「障」と呼ばれたし、あるいは「聚」の字が使われてたりするわけだ。「塢」の字が出るのは
これより後、前漢末期になる。ただ、「塢」の字義が「土壁・堤・土手」と多岐にわたるため、
色々なところで使われていて、「壁で囲まれていればとりあえず『塢』を使う」部分がある。
だから「辺境警備の為の砦」というのはあくまで「塢」の一側面、ということになるようだ。
この傍証としては、三国志の「董卓伝」に登場する「万歳塢」や「呉志」に登場する「濡須塢」
の存在がある。この二つは辺境警備の為の砦ではないわけだから、291の定義からは外れる。
あと、「塢」の字はかなり後の時代まで残っていて、例えば「水経注」の洛水の條には、
檀山塢(城名)、金門塢・一合塢・盤谷塢(地名)などが散見されるので、興味のある方は調べて
みると面白いと思われ。
(続く)
(続き)
あと、塢が自衛の為に作られたという点に関しては「晋書・李矩伝」を、塢が集落性を持って
いたという点に関しては「晋書・魏浚伝」「晋書・郭黙伝」を読んでいただければ──と思う。
うーむ、言葉足らずかもしれん……。「お前の説明はここがわからん」と思われた方は、その旨
書きこんでもらえるとありがたいです、はい。
横レス(スマソ
>290氏
おお、そのようなものがあるのですか。それは明代のものですか?
それとも清代?
「あと」を連続して馬鹿っぽいですな。即興ということで見逃してくだされ(w
>>276 解説多謝。
うーむ、やっぱ晋書を全体的に読み通さないと小説なんて無理かな〜
何年かかるんだろ。
>>292 三国の田疇も塢主って呼ばれてなかった?
西晋期からとは限定できないのでは
でも詳しい解説には感謝
241さんも頑張って小説書いてくれ
五胡よりも南北朝の方がネタありそうだけど
>>295 この時代全体をカバーしようとすると無理があるんじゃない?
誰か一人をメインに据えて、周りを固めていった方が良いと思う。
せっかく冉閔は押さえてるんだし、後は石虎・慕容儁・姚弋仲・蒲洪
あたり(列伝無いかな?)読んでとりあえず何か書いてみるとか。
>>295 石虎の再評価キボンヌ!
赫連勃勃はこのスレでも愛されているが、虎は話の俎上にも上がりゃあしない
意外と良いオジイちゃんだったと思うんだけどなー(孫処刑しているけど)
若い頃は、張飛をもっと乱暴にした感じかな
腹は出てて、髭ボーボー
意外と萌えるな
タイガー・ストーン
奇しくも、五代十国スレにレス数が並ぶようだ
上げるゼ!
今回から語尾を「ですます」でシメます。
>292
いや、「目立って登場した」とは書きましたが、限定はしてませんよ。田疇は「塢主攷」
とか「桃源の夢想」(三省堂・刊)にも出てますけど、三国時代で他に塢主と呼べそうな
人物が魯粛くらいだったので、勝手ながらこの時代は割愛しました。
>241
役に立ってるといいんですが。それと、上にも書いた「桃源の夢想」の第五章は「塢堡と
桃源の地勢学」という、そのものズバリな話ですので、機会がありましたら購入されることを
お勧めします。五年前は買えましたが、いまはどうかな…。
小説に関しては、297氏と同意見です。
ただ、資料としては「晋書」だけでなく「史記」「漢書」「後漢書」「魏書」も必要になる
かと思われます。前三者は上表文や論賛に出る人物(霍光とか白起とか)のエピソードを
知るために欠かせませんし、後者は六朝および五胡諸国の歴史を伝に収め、また巻一(拓跋部
の前史を収録)には五胡諸国との関わりが年表として記されているからです。「史記」「漢書」
については、ちくま文庫から全訳が出ていますが、原文の方も入手した方がよろしいでしょう。
たとえば「塢」が「砦・城」と簡単に訳されてたりするので、細かいニュアンスが伝わらない
からです。全訳はガイドとして使うのがベターかと。……お金がかかりそうですが。
乱文失礼しました。
>285
西魏について言えば、軍事に特化したことが勝因でしょうか……? うーむ、イマイチ
説得力に欠けますね。ただ、東魏がなかなか勝てなかったのは、その図体のでかさも一因
ではないかと考えます。北魏は漢化政策の結果として漢人・非漢人の対立に苦しみましたが、
東魏は北魏の人材をそっくり得た代償に(潜在化はしましたが)対立というデメリットをも
飲みこんでしまったように思われます。あとは、朝鮮半島や北方にも目を配らねばならなかった
ことで、華北再統一のみに力を注げなかったこともあるかと。
>でもこの時代って、妙に人間臭くって面白い。
全く同感です。梁の武帝の話は、まあ、天譴が信じられた時代と言うことで…(笑
ただ宇文護は…晩年の姿はあまり好きじゃないですねえ。仏教に傾倒して寺院造営に国費を
つぎこんだり、外交を無視して自分の母親をダシにした北齊との取引に応じようとしたり、
「老いては駑馬にも劣る」というか。
(続く)
(続き)
他にこちらが好きな人物というと、西魏の宇文測・宇文深兄弟でしょうか。かたや「洋【示古】」
に喩えられる善政の人、かたや宇文泰から「我が家の陳平である」と評された某臣。個性的な
兄弟ですが、宇文測の次のエピソードが好きです。
「宇文測は施すことを好み、妻は公主であったが家には余財がなかった。ある日、宇文測の邸宅に
盗賊が侵入した。しかし金目のものはなく、公主の衣類があるばかりであった。仕方なく盗賊はそれを
奪ったが、役人に捕まってしまった。宇文測は公主の衣類を盗んだ(=帝室に対する不敬罪)ことで
盗賊が死罪になることを恐れ、役人に本当のことを言わず、おかげで盗賊は命を救われた。
これに盗賊は感激して、以後は宇文測の左右に侍り、こののち西魏へ脱出するときも、決して異心を
抱かなかった……」
実話かどうかはさておき、仁徳の人・宇文測と、どこか間の抜けた盗賊の奇妙な絆が、個人的には
ツボでした。誰か小説にしてくれないかなあ。
286氏、申し訳ない。レスは多分今週の末ごろになると思います。仕事もあるので……。
長文乱文、重ね重ね失礼しました。
あと、書きこみ数300突破おめでとうございます>1氏
梁の武帝の話って何ですか?
勉強不足で申し訳ない
>>302 >西魏について言えば、軍事に特化したことが勝因でしょうか……?
守りに走らず、積極的に河南に撃って出たのが功を奏したのでは
ないかなあ、と電波な憶測をしてみる(w
東魏の大軍を河南に引きつけ一戦交えた後関中に逃走すれば、
晋陽からにせよ業βからにせよかなりの長距離遠征になり、兵站に
負担を掛けることが出来る、とか。
宇文測の話は知りませんでした。紹介多謝!
>>305 今手元に本がないので細かいところを間違うかもですが…
梁の武帝が天文を見ると、「皇帝が皇宮を逃げ出す」と出た。
それじゃあ先に逃げてしまえば災厄から逃れられるかしらん、と
武帝は皇宮を逃げ出し、寺に避難した。
その後、北から北魏の皇帝が高歓の専横を恐れて洛陽を逃げ出し
宇文泰の元に奔った、と知らせが入った。そこで武帝は照れながら、
「なんだ、胡人でも天文に応ずるのか」と嘯いたという。
レス番=永嘉元年、懐帝即位おめでとん。
永嘉二年
劉淵、帝位を称す
杉山がやたらこいつを持ち上げてたけど、気持ち悪いッたら有りゃしなかった
あのヒト、もしかして電波?
まともなことも言うんだけどね>杉山
遊牧民族を褒めて漢民族を貶しはじめると止まらなくなるみたい。
「耶律楚材とその時代」は彼の電波丸出し本。ファン必読!
永嘉四年
劉聡率いる匈奴軍が河内を抜く
太守裴整が匈奴に降る
この年、劉淵が崩御
皇太子の劉和が即位するも、弟で大司馬だった劉聡がこれに叛いて帝位を簒奪する
むむむ、遊牧民の国っていつも後継ぎ問題起こってるような…
…まあ、劉聡の場合はこれでベターだったのかな
しかし匈奴の皇帝の晩期は酷いね
どうすればここまで身を持ち崩せるんだ?
まともなのが劉淵だけか(個人的には世間の評価ほど凄い人物だったとは思えないが)
>遊牧民の国の後継者問題
漢民族と違って遊牧民族は男系長子相続という継承方法が
確立されてなかったから…って説を誰かから聞きましたが本当ですか?
遊牧民は末子相続が基本でしょ。
>>276氏
遅レスでスマソ。
囲屋は客家民居の一形態で、客家史の研究者からは「塢」との連続性が指摘
されているそうです。そりゃあそうですよね。
客家はもともと中原からの戦争難民(早いものでは南下は4世紀くらいから
はじまっています)ですから、中原での生活文化を持ち込んだとしても
何ら不思議はないと思います。
んでこの囲屋は江西省最南部にあたる龍南県・定南県・全南県にいまでも
500棟余り残っています。多くは清代の建築で最大の「新囲」は
1828年(道光7年)の建築。長辺93m、短辺83mの方形をしています。
ここまでくると家というより一つの村ですね。
スレ違いスマソ。
役職授与のときに出てくる「王如故」ってなんなんでしょう?
劉聰授勒征東大將軍、……、都督、校尉、王如故。
あー、翻訳があると楽なんだけど、それだと先鞭にならない。
多分、「都督・校尉・王(の位)は故(もと)の如くす」だと思われ。
新しい位を授けると同時に、以前の役職もそのままにしておく、と言うことかな?
なお、征東大将軍の位は安東・鎮東・平東各将軍の上にあるので、これは石勒を
「東部方面軍総司令官」にする、つまり東方について領土の切り取り勝手を許す、
ぐらいの意味に取っても構わないでしょう。自信ないけど。
ひょっとして、劉聡が石勒に対して警戒心を露わにする話なんかが続いてるとか?
241さん、ガンガレ。
316 :
世界@名無史さん:03/02/28 02:40
山川の世界歴史大系『中国史』第2巻の
両晋十六国の章ってこの時代の概観としてはどうなんでしょう?
以前紹介があったフリーソフトの戦国史で五胡時代のシナリオが
あったんでやってみたが、武将や勢力、地理の設定はともかく
城が多すぎだな。せめて州治以外は城レベル1とかにしないと
五胡時代のダイナミックな勢力変遷がなくてつらい。
318 :
世界@名無史さん:03/03/09 22:10
独孤部あげ
>>315 ありがとうございます。がんがります。
ところで八王の乱って五胡十六国に入りますか?
とりあえずそこらへんで、歴史を小出しにして練習してみようかと。
いきなり洛陽の会戦なんか書くと、ぼろ糞言われそうだし。
入ると思うよ。劉淵と慕容カイあたり。
八王の乱は三国演義で言うところの「黄巾の乱」かな
北魏太武帝の統一が大団円になるの?
とりあえず章回小説風に各回のタイトルから決めてみましょう
むしろ禿髪樹機能の乱あたりから始めてもいいかも
晋の統一って短すぎたよな
>>321 タイトルはやっぱ演義風がいいな。
第一回「賈后が陰謀を巡らし、西晋鳴動す」とか。
歴史の流れがほとんど出てこないので、一回が十行以下で全八回ぐらいになりそう…
歴史じゃねぇぞゴルァ!ってなりそう。
志怪とか伝奇みたいなかんじで。
冉閔のくだりだけでも数十行で3回はいけると思うんだけど。
>>324 ウソ混ぜろ
とにかくウソつけ
史実7割、虚構2割、ハッタリ1割で行け
ハッタリの種類としては
劉淵が何故か劉禅の親戚
などが存在する(そもそも劉淵が呼韓邪単于の子孫という確証が無い)
とにかくインパクトあるハッタリを
王猛がリアルに仙人だったとかなら尚良し
ああ、ライトノベル化しそう
八王の乱から永嘉の乱の直前までです。しかも、歴史的登場人物ごく少数。
>>326 冉閔が一薙ぎで三十人ぐらい吹っ飛ばしたりですか?(w
後半の主人公は勃勃たん
>>328 勃勃、拓跋珪、劉裕で強引に三国志
あ、やっぱ無理有るな
劉裕はこのスレ的にセーフ?
331 :
中華@名無史さん:03/03/12 23:23
>329
十六国のうちの南燕滅ぼしたりしているし、個人的には問題無しだと思いまつ。
ネタ有れば、ドゾー
332 :
世界@名無史さん:03/03/13 01:07
拓跋と禿髪って本は音は同じだったのかな。
>330 んじゃ小ネタの元として『神仙伝』『捜神記』も参照しないといけないな
(^^)
板移転完了カキコ
>>317 能力値が10段階評価なので、正直味気なさ過ぎる
やっぱ100段階で評価した方が雰囲気出るのかな
まあALLゼロの恵帝に乾杯
しかし全体的に政治低めなゲームだ
苛政がまかり通った時代だから、その背景を上手く描写してるとも言えるが
三国志9買ったせいで何もできず。
とりあえず新武将で冉閔を作り、呂布から赤兎を奪って脳内で朱龍と改名。
338 :
世界@名無史さん:03/03/25 14:17
下がりすぎだな、上げとこう
正直、宇文部はほとんど中原に影響を与えていないと思うんだが
宇文部の建てた王朝ってあった?
339 :
世界@名無史さん:03/03/25 14:31
↑というとんでもない間違いをしたことを平に謝ります。
西魏を乗っ取った「北周」のほうでした。
341 :
338ではなく339:03/03/25 14:36
重ね重ね・・・
342 :
世界@名無史さん:03/03/25 14:48
シネ
343 :
世界@名無史さん:03/03/30 21:35
十六国春秋あげ
1回だけ書いた。
激しくつまらない余寒
文才なくて吐露非狩古鬱
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
348 :
世界@名無史さん:03/04/21 20:18
age
『馮道 乱世の宰相』 著・礪波 護 中公文庫
読んでみた。
罷免、失脚、投獄、処刑されずに登用され続けるって凄いですね。
鬱山車の禹。首吊ってきまふ
352 :
世界@名無史さん:03/05/04 04:28
なんで十六?
354 :
世界@名無史さん:03/05/04 07:55
16カ国あったから
355 :
bloom:03/05/04 08:21
356 :
世界@名無史さん:03/05/05 22:22
この場合「五」「十六」という数字にはあまり意味はありません
三崎良章『五胡十六国』東方書店、第二章、参照
358 :
世界@名無史さん:03/05/09 02:00
川勝義雄『魏晋南北朝』
今月の講談社学術文庫新刊あげ
359 :
世界@名無史さん:03/05/10 22:55
『魏晋南北朝』買いますた
>>358 あのー、かなり物足りない内容だったんですけど…
361 :
世界@名無史さん:03/05/21 22:29
>360 昔読んで面白いと思ったんだがなぁ
どのあたりが物足りないんでしょうか?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
363 :
世界@名無史さん:03/05/27 07:42
age
364 :
世界@名無史さん:03/05/27 07:49
366 :
bloom:03/05/27 08:20
367 :
世界@名無史さん:03/05/27 09:09
>>358 平凡社東洋文庫のものと同じものかな?
だとすれば、あっさりしすぎて物足りないのには同意。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
369 :
世界@名無史さん:03/05/28 21:29
age
370 :
世界@名無史さん:03/05/29 03:05
>367 平凡社東洋文庫に入ってるのは岡崎文夫『魏晋南北朝通史』(それも内篇のみ)
こないだ講談社学術文庫で出たのは講談社『中国の歴史』のうちの一巻
371 :
世界@名無史さん:03/06/02 23:08
このまま落とすのは勿体無いな
東晋王朝から正式に単于というか、まあ単于なんだな
そういうのに認められてたのは、段部と慕容部だけだったのか?
結構、初期の五胡諸族は晋に対して腰が低いような
372 :
世界@名無史さん:03/06/06 18:45
五胡諸族から見れば、中原の統一王朝は
文化の高い大国と思われていたからだろうな。
それが、いくつかの動乱を経て、ハッタリと分かって
徐々に認識が変わっていったんですな。
まさに、新たな時代への序曲に相応しい時期かと。
面白そうなので前スレ読んで流れをつかんできます
374 :
中華@名無史さん:03/06/13 19:25
考えて見れば、この時代って、中国の歴史上でもTOPクラスの、殺伐とした時代だと思いますけど、
そんな中、逆に中国史上でも上位に入るであろう、融和主義の符堅と言う人物が登場した、
って言うのも、何か面白いですね。
久し振りにageて見ます。
375 :
世界@名無史さん:03/06/20 12:06
バイトの塾講で世界史を教えている者ですが、素人の質問です
慣例にならって「東晋は南朝に入れない」と教えていますが、正直このことにはあまり意味がないように思われます(そのせいか生徒もよく間違えます)
東晋王朝とその後の南朝の諸王朝との間にはどのような違いがあるのでしょうか?
何らかの違いを考えなければならないとすればそれは何でしょうか?
>>375 ガイシュツだけど、北部の諸王朝からも正当な中華王朝として見られていたというのが
大きく違うんじゃないか?
統一前の最終目的と見る(遺晋)と、宗主とみなして臣属を
続ける(大晋)の、2グループに分けられます。>十六諸国
劉裕が東晋を滅ぼした後の南朝は、もはや宗主と見られず、
討ち滅ぼすべき簒奪者の敵国の認識しかないです>北朝諸国
政治的には別系統として見るべきですが、文化的には系統的な
繋がりがあります。それゆえに「六朝文化」と呼ばれてますし。
>>375 あくまで私的な考えですが、
1:東晋は根っからの南朝ではなくて、統一王朝の亡命政権的存在だった。
2:東晋代、華北に統一政権(北朝)が存在しなかった。
3:南の諸王朝と違って、皇族司馬氏は軍閥出自ではない。
4:南史に東晋が入ってない。
5:東晋や五胡十六国は晋書に含まれている。
6:五胡十六国には東晋の中華王朝の正統性をことさら否定する者がなかった
って辺りを思いつきました。
>376-378 ありがとうございました。参考にします
380 :
世界@名無史さん:03/06/29 16:59
前仇池と後仇池に詳しい人いる?
青海省東部あたりに盤踞してた小国家らしい。
381 :
世界@名無史さん:03/06/29 18:31
>>380 当主の名前が、飛龍や難敵とか、DQNなネーミングというイメージしかないな
個人的には、長安から朧西に拠っていた司馬氏の勢力の方に興味があるなあ
382 :
世界@名無史さん:03/06/30 13:30
後趙が崩壊してから、前秦が建国されるまでの華北全般の様子って、
よくわかんないですね。
一時的に東晋の勢力がかなり広範囲に進出してたようだけど、
なんであっさり撃退されたのかな?
383 :
世界@名無史さん:03/07/01 13:41
>>382 前秦が統一するまでは、前燕が東晋勢力を掃討しながら
遼西から進出してきてますね。
あっさり撃退されたと言うより、牢固たる階級社会である東晋朝廷よりも
旨みを吸える華北諸政権に鞍替えした感じ。
当時は、どの華北諸政権もかなりの人手不足でしたし。
慕容垂は詐欺師姚萇のほうがよっぽどいいやつだ
385 :
世界@名無史さん:03/07/02 08:42
どうも後趙が崩壊した時点では、慕容鮮卑もテイ族も、たいした勢力じゃないように
思えるんですよね。東晋が気合入れてたら、前燕、前秦が大国になることも
なかったんじゃないかなと。
383氏の見方が正しいとすると、前燕も前秦も、晋の不満分子の漢族が、
蛮族の武力を利用してプロデュースしたということになりますか。
鎌倉幕府の大江広元みたいなものか。
そうすると王猛あたりの人物像も変わってきますね。
386 :
世界@名無史さん:03/07/06 17:51
中行説や王猛・崔浩は大江広元の大先輩
大江広元(大河ドラマで演じた岸田森の顔を思いだしてしまうがw)は
当然『晋書』や『北史』を読んでただろうな
>>385 仮にそうなってたとして、その数年後に東晋は存在したでしょうか?
>>388 朝廷の軍隊が弱いから、地方軍閥に簒奪されてた可能性高いね。
桓温や桓玄より早くなったかも。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
391 :
世界@名無史さん:03/07/16 18:49
中国軍事通史(題字江沢民)なるものを大学の図書館で発見
いや、もう題字だけで借りること決定
とりあえず、両晋南北朝ってところ借りてきて読んだけど
慕容烙の評価が高かったのと
石勒が中国史唯一の奴隷皇帝っていうのが印象に残った
少数民族出身者では第一位の将軍という評価も、意外で面白かった
でも内容は少々端折ってるなあ、この本
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
ハッキリ言って北魏などの多民族国家では匈奴の方が漢族よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜い漢族は匈奴のストレス解消のいい的。
匈奴は有名な武人・貴族を多数輩出してるし、漢族はかなり彼らに見下されている。
(匈奴は鮮卑には頭があがらないため中華料理店などの漢族系店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、漢族の女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○両でどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける匈奴の男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない漢族は滑稽。
このスレには、どうやらコピペ改造職人さんが、常駐(定期ROM)して居るらしいですね。
ひょっとして
>>393氏は
>>205氏?
>393です。漏れの改変コピペは
>>205さん(当然別人)ほどのセンスはありません。
>>392さんが折角「五胡十六国」向きの絶好の素材を提供してくれたのにw活かせず残念です。
397 :
世界@名無史さん:03/07/29 01:15
ヤバイ。匈奴ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
匈奴ヤバイ。
まず人埋める。もう埋めるなんてもんじゃない。超埋める。
坑殺とかっても
「白起五人ぶんくらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ衆数百万。スゲェ!なんかもう数える気とか無いの。何部落とか何塢壁とかを超越してる。計測不能だし人満杯。
しかも親父の妻妾も嫁にしてるらしい。ヤバイよ、義母プレイだよ。
だって普通は漢人とか継母に萌えないじゃん。だって自分の異母弟との仲がどんどん冷めてったら困るじゃん。生まれた子とかが異母弟と兄弟とか困るっしょ。
子供生まれて、赤ん坊のときは父親扱いだったのに、成人したときは兄貴呼ばわりされたりとか泣くっしょ。
だから漢人とか義母と通婚しない。話のわかるヤツだ。
けど匈奴はヤバイ。そんなの気にしない。密通しまくり。末子相続者が父親の愛妾たちと結婚するとしてもよくわかんないくらい年遠い。ヤバすぎ。
結婚っていたけど、もしかしたら多人数プレイかもしんない。でも多人数って事にすると
「じゃあ、異母兄弟たちの義理の父親ってナニよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと超デカい。身の丈約9尺。メートル法で言うと207cm。ヤバイ。デカすぎ。戟受け止める暇もなく死ぬ。怖い。
それに超何も無い。超ガラガラ。それに超のんびり。匈奴が民族移動してフン族になったとか平気で出てくる。匈奴=フン族て。小学生でも言わねぇよ、最近。
なんつっても匈奴は馬力が凄い。徙民とか平気だし。
うちらなんて流民とかたかだか禿髪樹機能(←読めねえよw)が出てきただけで上手く扱えないから度遼将軍遣わしたり、塢壁置いてみたり、分割統治策使ったりするのに、
匈奴は全然平気。五胡異民族を遊牧民のまま扱ってる。凄い。ヤバイ。
とにかく貴様ら、匈奴のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ匈奴を出て行った石勒とか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。
まぁ…パロディ路線もホドホドにな。当たり外れも大きいし。
徙←これ表示できたんだ、感心したよ。標準機能だと「し」から変換不可能だか。
それより、五胡十六国の国盗りシミュレーションゲーム希望。
石勒プレイで奴隷から流賊を経て天王をなぞってみたい。
ひっそり李雄プレイとかがいい
400 :
世界@名無史さん:03/07/29 20:33
>>399 山場が羅尚との対決ぐらいだな
以後25年、平平凡凡と暮らすのかー
ときどき、二股外交を仕掛けてくる楊難敵をチクチク苛めて暇つぶし
後趙滅亡後とか前秦滅亡後とか、どう考えても小勢力に分裂しているのに
北伐を仕掛けない東晋でヘタレプレイしたい
401 :
世界@名無史さん:03/07/29 20:34
鮮卑系の北魏朝などでは、皇帝が即位するとその生母は殺されるって本当
ですか?
402 :
世界@名無史さん:03/07/29 20:59
>>401 宣武帝の皇后、胡氏は孝明帝生んだけど、殺されなかったよ
まあ、北魏滅亡の遠因がこの時の恩情にあったわけだが
それ以外は、普通は生母は殺害され
代わりに皇后が太子を育てるというのが、北魏の伝統…だったはず
代の領土の広さって、どのくらいだったんだ?
蒙古高原まで進出してたのだろうか
>402
回答ありがとう。
やっぱり本当だったんだね。
どっかのサイトで、孝文帝が熱心に漢化政策を推し進めた原因の
一つに、彼が幼少時代に生母を殺された事がトラウマとなり、鮮卑
の風習を酷く憎んでいた事があった、と言うような事が書いていたの
で気になっていたのです。
ので
404 :
世界@名無史さん:03/07/30 11:25
>>403 同じ鮮卑系の慕容氏や段氏や宇文氏や乞伏氏などには、
後継者の生母を殺す慣習が見られない。
読み方が似てて、血縁が近い禿髪氏にも見られないので、
なぜ拓跋氏だけそんな風習が伝えられたのか不思議だよ。
405 :
世界@名無史さん:03/07/30 15:55
北魏の皇室の家訓・家風のようなもので、鮮卑の風習だったわけではないのであろう
406 :
世界@名無史さん:03/07/31 13:09
DQN道武帝に仕業です
407 :
世界@名無史さん:03/07/31 22:04
劉裕って漢朝の血をひいていたって本当ですか?
楚の元王の末裔ってことにはなってるけどねえ・・・
>>407 〜の子孫ってのは話半分に聞いておくが吉。
特に成り上がり者は
唐室の祖先よりも怪しげな話だ
411 :
世界@名無史さん:03/07/31 23:35
この時代で有名な漢王室の子孫は劉昆か
中山靖王の子孫らしいが…
甘寧の子孫とか、江南で反乱起こしてたな
ぶっちぎりで素性が怪しいのは、実は匈奴漢って説もあるな
劉豹とか、突如勢力を伸ばしたらしくて
匈奴の王族でもなければ、漢の血を引いているわけでもない、という話
真偽の程は定かではないけど
前漢の中山靖王って子供100人以上作って兄にあきられた人物じゃん。
劉備の頃でも怪しいのに、ますます眉唾モノだよ。
匈奴のような遊牧民族は、内部抗争と離合集散が激しいしねぇ。
勝手に屠各部を名乗ってる可能性ありだな。
中山靖王の生まれ変わりが徳川11代将軍家斉だということははっきりしている
414 :
世界@名無史さん:03/08/01 18:12
劉昆って誰ですか?
415 :
世界@名無史さん:03/08/01 18:44
>>414 劉【王昆】だな、スマソ
でもこの人は賈謐の二十四友の一人だから、劉備と比べれるレベルではないだろう
あれがレアケースなだけでは?
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
417 :
世界@名無史さん:03/08/02 18:06
>>411 <<甘寧の子孫とか、江南で反乱起こしてたな
くわしくそのお話お願いします。興味津々
>417
418が言ってるのは、たぶん甘卓のことと思われ。甘寧の曾孫ですな。
江南で起こった「陳敏の乱」で名前が出てくる。最初は江南貴族の
顧栄たちとやむなく陳敏の下にいたけど、結局は司馬睿側について
陳敏を殺した──という記憶がある。
曾祖父さんとは違って果断な性格じゃなかったようで、巫の言葉に
惑ったあげく、王敦に殺害された。
うろ覚えなんで間違いがあるかもしんない。詳しい人、書き込み求む。
419 :
世界@名無史さん:03/08/02 23:20
甘卓以外にも三国時代の子孫が活躍した話ってないんですか?
(司馬一族は除外)
420 :
世界@名無史さん:03/08/03 00:59
雅楽にでてくる蘭陵王は北斉の高長恭だとききますが、生没や逸話など詳しいこと知ってる方おしえてください。
421 :
世界@名無史さん:03/08/03 01:11
五胡十六国スレで語って良いのはせいぜい北魏までだろう。
>422
そうだな。すまん。
南北朝まではいいんじゃないの?
専用スレッド立ってないし
>>419 一応有名なのは諸葛誕の孫にあたる諸葛恢。
426 :
世界@名無史さん:03/08/03 22:52
age
南北朝も五胡十六国の延長にあるし、魏晋南北朝と言われるほど
文化的な繋がりがあるから、多少は及んでもいいかと。
隋唐代は完全な別個として扱おう。
428 :
世界@名無史さん:03/08/06 18:37
この時代第一の名君は誰だと思いますか?
429 :
世界@名無史さん:03/08/06 18:44
>428 「いない!」と断言
430 :
世界@名無史さん:03/08/06 19:04
ご意見有難うございます。いろんな見方があるんですね。
私個人では無学ながらも愛嬌と向学心がある石勒でしたけど、
皆さんが挙げられた君主についても勉強してみようと思います。
名君とは言い難いが赫連勃勃タソもキャラが立ってて捨てがたい
素人な質問ですみません。
南匈奴人が劉姓を名乗っていたことは知っているのですが、三国志に出てくる異民族の名前って
一般的に姓名が無いように思うのですが五胡十六国の頃って慕容氏・石氏など漢人以外でも姓があるのが普通になってるように思います。
漢人以外にも姓を名乗るようにさせた政策とかあったんでしょうか?
もともと北方人たちには姓が無く、部族の大人や
勇者の名を冠していたと云います。
彼らが姓を名乗るようになったのは北魏高祖の姓族分定の頃からでしょうか。
ちなみに慕容や宇文、赫連なんかは部族名。
また、古くから漢族と交渉を密接に持っていた民族にはこれ以前から
漢人風の姓を名乗っていたのもいますね。羌の楊氏や烏丸の王氏あたり。
匈奴の単于が劉氏を名乗ったのは血の繋がり(王昭君ね)を主張して
漢を相続するという形式をとるためです。
しかし漢を相続して中華を支配するという考えからして彼らがそれまでの
匈奴とは変質しているように思われますね。
むかしから外来語は当て字だったんだろう。麦当労みたいな感じで・・・
安禄山もアレクサンドロスからきてる説もあるしね
>>437>>438 ありがとうございます。
ぶっちゃけこの時代に詳しくないので、通史的ないい本ないですか?
川勝義雄「魏晋南北朝」を読みたいと思っています。
あげてしまった…すみません。
別にsage推奨じゃないので、気にキナイ!>436
通史の方ですか、断代史の方じゃなくて?
そういや五胡十六国のみ扱った本って日本ではほとんど見かけないねぇ。
>>439 買いやすいところだと、「魏晋南北朝」「中国文明の歴史4」はよろしいでしょう。
ただし、わりと古い本の再版ということはお忘れなく。
あと、代表的なところでは東洋文庫の「魏晋南北朝通史」
図書館で借りるなら、世界歴史大系の「中国史〈2〉―三国〜唐」がよいでしょう。
443 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ :03/08/12 22:51
>419
東晋の桓温は
曹爽と共に処刑された桓範の子孫だという説がある。
>>442 >買いやすいところだと、「魏晋南北朝」「中国文明の歴史4」はよろしいでしょう。
どうもありがとうございます。早速注文しました。
あと東方選書『五胡十六国』
>444 「中国文明の歴史4」と「魏晋南北朝」は川勝義雄執筆部分が大きく重複
東洋文庫の「魏晋南北朝通史」を今読んでいるんだけど
漢文の部分がどういう内容なのかがサパーリ分からない。
白帝社の司馬炎とダブル部分は意味が分かるんだけど、殆どが読み飛ばし状態。( ゚д゚)サビスィ
日本語な部分も読解にスゲー苦しむ・・・
448 :
世界@名無史さん:03/08/20 17:13
川勝『魏晋南北朝』(講談社学術文庫)は、初出時とどこか違ってる
ところはありますか?
>448
殷仲堪をからかった言葉遊びの訳で「めくら」が「盲人」になっている(苦笑)
なんか金[土庸]城に送られてシボン、ってパターンがちらほら見えるようなんですが、
金[土庸]城ってどこにあるんですか?
牢獄なんですか?仮面されて幽閉されてる双子の片割れとかいないんですか?
よく知らんけど、洛陽の中だよな。
鉄仮面伝説かよ。
>>450 金[土庸]城は都の西北だったと思う。
曹魏の明帝によって建てられた城だね。もともと離宮みたいなもんだったのでは。
北魏の洛陽遷都の時は、皇帝の仮住まいだったから
劣悪な環境ではなかったと思うけど、どうなんだろうか。
ソースは東洋文庫の『洛陽伽藍記』だが、今手元にないので確認できず。
453 :
世界@名無史さん:03/08/24 17:20
宇文泰 後藤真希
高歓 松浦亜弥
候景 藤本美貴
454 :
世界@名無史さん:03/08/24 17:22
>453 ×候→○侯 でしょ
最後はゴマキが笑うってこと?
456 :
世界@名無史さん:03/08/30 00:58
最後に笑うのは楊堅=安部なつみ
煬帝=安倍麻美
蕭銑は誰に当たるの?
ソニン
陳後主は?
461 :
世界@名無史さん:03/08/30 13:44
新垣かな
麻叔謀は?
って全然五胡十六国から離れて逝ってるけど
463 :
世界@名無史さん:03/09/05 00:15
清談、玄学、仏教
これらを理解するための本ってないですかね?
清談=世説新語
玄学=さあ?
仏教=経典
>>464 >仏教=経典
(´・ω・`)ショボーン
>464 玄学=王弼か何晏の著作
>仏教=経典ワロタ
「この時代の仏教」なら『高僧伝』『魏書釈老志』とか
平凡社の中国古典文学大系に入ってる『仏教文学集』?が面白いのでは?
情報、どもです。
魏書、注文しちゃた。
日本語で世説新語、抱朴子でも読んでみようかと。
あと捜神記は必須だな
なんだか読むべきものが、ものすごい勢いで増えていってる(;´Д⊂)
この時代を語るには基本。ガンガレ!
450、463、465、467、469、ついでに241です。
魏書が届くはずだったのに、昼寝していて持って帰られました(´・ω・`)ショボーン
石勒は乞活の李ツと上白で戦い、撃ち破って李ツを斬り捨てた。捕らえた敵
兵はことごとく坑殺するつもりである。石勒は、これから殺すことになる者ひ
とりひとりの顔を憶えておくために、捕虜を馬上から眺めた。そこで、見知っ
た顔を見つけ、怒りで腹が熱くなった。
「あなたは郭季子ではないか」
石勒は郭敬に言葉を吐きつけた。この人は、戦う相手が誰であるかわかって
いながら乞活に留まったのか。
郭敬は地に頭を叩きつけて謝罪した。
「もうしわけない」
弱々しい声だった。なつかしい声でもあった。途端に昔が懐い出された。生
活に困窮した時、この人の助けがなければ、どうして今の自分があろうか。
石勒は一瞬でも郭敬を責める心をもってしまったことを恥じた。そして、馬
を下りて彼の手をとった。涙が流れた。
「今日、あなたと会うことができたのは、天の仕業でなければなんだと言うの
でしょう」
郭敬は上将軍に任ぜられ、捕虜だったものはすべてその配下となった。
即席で書いてみました。
改行にシパーイしました
肝心の晋書載記が日本語で読めないのは残念
474 :
ty270410:03/09/17 22:37
晋書を日本語訳しようというサイトがあったような気がする.
見つかったらまた投稿する予定!
少し脱線するが,晋書の東夷志がもう少し良く書いてあると
よかった!
475 :
ty270410:03/09/17 23:50
>>468 激しく同意。個人的には『山海経』もつけたいですが。まあこれらも庶民レベル
で日本の文化に影響を与えたものですし個人的に読んでおいて損はありません。
『世説新語』もそうですが、単なる教養としても重要。
中公版世界の名著の『中国の科学』の巻に入っている「晋書天文志」も
なかなか楽しいです
なんかやたらと日食が多い気がするんですけど、ほんとに日食ですか?
>>478 晋書帝紀には「日有蝕之」が60回出てきますね!
日付を見るとどれも「晦」か「朔」になってるからほんとの日食のことでしょう。
この時代はどんな気候だったのですか
異常気象が社会不安に影響してたりはしないのでしょうか
>>479 やばい、日蝕が新月の時だけだって初めて知った_| ̄|○
でも、永嘉六年(312)二月の日蝕って、ニュージーランドから南米にかけてらしいんだけど、どうやって知ったんだろう?
>>481 かつて研究室でちらっと読んだ本からの受け売りなのだが、
どうやらヤツラは「計算上の日食」をも記録していたらしい。
(
>>478への返答でもあります)
というか、軌道計算だかから日食を割り出し、
中国では観測できない日食も知っていたのだそうだ。
うろ覚えなので間違いならゴメンなさい。
483 :
世界@名無史さん:03/09/21 23:10
>>480 漢が寒冷気のピークで、あとは唐までは気温は徐々に温暖化していったと聞いたことが
唐代の美女図とか、比較的薄着だし
異常気象については、中国は毎年どっかが豊作だと、別の地域は凶作だったりするからなあ
斉民要術でも、そうならないようにリスクを分散するように穀物を栽培すべき、と書いてある
要術の記述で面白いのは農業奴隷の記述だな
経験積んだ奴隷は、必ずしも借地農より地位は低いとはかぎらなかったようだ
石勒の奴隷時代も実は存外、苦労してなかったのかも(家畜飼育に慣れてたおかげで)
>>482 どもです。
日食のリスト作って晋書とくらべてみたんですが、見えてないものまでほとんど一致してました。すげぇ。
>斉民要術
またまた新しい書名が。しかも面白そう。
ところで皆さん史学ですか?
うん。そうだった。
ところで晋書「載記」なんて初めて聞くような分類名なのは
「世」が使えなかったからかねぇ?
486 :
世界@名無史さん:03/09/22 00:02
487 :
世界@名無史さん:03/09/22 00:04
>>484 要術は農業書だよ(北魏、カシキョウの撰)
華北の天水畑作農業について詳しく記述されています
個人的には天野元之介博士の著書などから触れていくのが良いと思います
訳本は農林省の研究所から出てるけど
農政全書の勉強のついでに、斉民要術に触れてみて
その結果、五胡〜南北朝に興味を持った農業経済の学部生です
そういえばこの時代に書かれた「孫子算経」という算術書に出てくる剰余定理が
「Javaによるアルゴリズム事典」にかかれていたなぁ。
この時代の文献の日本語訳は平凡社の『中国古典文学大系』に
割と入ってたような
『洛陽伽藍記』とか『水経注』『神仙伝』がそうだし
『捜神記』以外の志怪小説は東洋文庫版『幽明録・遊仙窟』に収録されてるし
490 :
世界@名無史さん:03/09/22 08:48
>>485 後漢書班固伝には彼が「列伝、載記二十八篇を作し」ってありますね。
これが一番古い事例かなぁ。
てすと
劉琨
段匹磾
段匹テイの[石單]の字はシフトジスのタグ文字では出ねえって。
表示されないなんて、ヒッデイ名前だ。
その字は・・・
漢でもけっこうな重要人物の名前になってるので困るッス。
495 :
世界@名無史さん:03/09/24 20:39
>>495 イエス。
金日テイ。
匈奴休屠王太子から厩番。そして漢の政権の中枢へ突如踊り出た人物・・・、
ってここは関係無いスレでした。失礼。
馬日テイもおるでよ〜
孫炎曰「もし劉宣が漢の武帝の時にいたなら、金日成を超えるだろう」オイ
そういえば王羲之とか、名前の最後に「之」がある人が結構いるけど、どんな意味があるんでしょうか?
>>498 なんでしょうねぇ?
「之」には「これ」、「の」、「行く」、「おいて」や調子を整えるための助字、
などの用法があるようですが・・・。
助字?
なお金日テイの「金」は休屠王が祭っていた「金人」から取ったです。
鳶が鷹を生む。
仇池から楊大眼が出る。
500get
五石散でマターリ
>502 肌が傷つきやすくなるのでゆったりした服を着ましょう
504 :
世界@名無史さん:03/09/29 17:55
>>498-499 純粋に漢文として考えると、末尾の「之」は「子」と同じ語気詞で意味はない。
帽子・餃子・男子・女子などの「…子」と同じ。
人名の場合は「…之」と表記される場合が多いが基本的に「之」でも「子」でも同じ。
ただし、この時代に「…之」という名前が多いのは、北方遊牧民の言葉で名前の下に添える敬称が
漢語化した後も変形して残ったものという説もある。
つまり北朝〜唐代の中国語は漢化した鮮卑の言葉(鮮卑訛りの中国語)が標準語で、
生活文化もかなり北方民族のものが混ざりこんでいたという…。
もっとも純粋な漢文としても解釈可能なので、どう考えるべきかは人それぞれだが…。
蜀漢の郭攸之もこの一種かな?
中国歴史地図集って使えますか?
懐に余裕があるうちに…
>>506 全7冊か8冊だかあるやつですか?
それだったら有用ですよ。東洋史の研究室には大抵置いてありますし。
508 :
世界@名無史さん:03/10/04 23:43
NHKの「その時歴史が動いた」で中国史シリーズやるらしいですが
五胡十六国時代(or南北朝時代)を是非取り上げて欲しい
マイナーかな?
>>508 視聴者がついていけんだろ。有名なのがいないのが厳しい。
510 :
世界@名無史さん:03/10/05 05:39
>>484 日食の表ってWebにあるのでしょうか?それとも書籍で天文災異
の年表があるのでしょうか?
今日の「その時、歴史が動いた」ではシ巴水の戦いを取り上げます
話題でも振るか。
『乞活』とはなんなんでしょう?
>>514 「乞活」、初耳単語です。何なんでしょうね。
ちょっと見た所、正規軍ではない軍事集団って感じはしますが。
その妻子についての記述もあるし、民衆の自衛組織か何かでしょうか?
晋書東海王越伝の以下の記録が参考になりそうです。
召田甄等六率,甄不受命,越遣監軍劉望討甄.
初,東嬴公騰之鎮鄴也,攜并州將田甄、甄弟蘭、
任祉、祁濟、李ツ、薄盛等部萬餘人至鄴,遣就穀冀州,號為乞活
文字化けするかも、中央研究院のコピぺなんで空字有ります失礼。
活キルヲ乞フ集団ナリト。
517 :
世界@名無史さん:03/10/09 23:30
「その時歴史が動いた」で取り上げてもらえそうな五胡十六国ネタ
1.八王の乱から永嘉の乱へ … 劉淵・劉曜を中心に
2.石勒の生涯 … 何と言っても数少ない人気キャラなので
3.シ肥水の戦い … 符堅と謝安を中心に
4.劉裕と赫連勃勃の長安争奪戦
5.北魏、華北を統一す … 王猛の悲劇を織り込む
どれか一つでも実現してくれたら受信料払ってもいいです
↑王猛じゃなくて崔浩でした。
風邪で熱っぽいせいかとんでもない間違いをしました。もう寝ます
>4.劉裕と赫連勃勃の長安争奪戦
むしろ劉裕の覇道全体を書いて欲しい。
桓玄、慮循、【言焦】縦に南燕・後秦…
随分と戦ってるよなあ。
>517
南北朝でやるとすれば
○北魏・孝文帝の洛陽遷都
○梁・武帝と侯景の乱
○北周・武帝から隋の南北統一
あたりがネタとしては取り上げやすいかな?
遅レス。
>>167 東漢の外戚・梁冀の妻である孫寿が元ネタかな
522 :
世界@名無史さん:03/10/17 02:57
北魏って晋からの正統をどう引き継いだつもりなのかな?
禅譲では宋にいっちゃったし、放伐もできてないよね。
523 :
世界@名無史さん:03/10/17 12:28
魏も初期こそ西晋を引き継いだと認識しているが
後期には曹魏を直接継いだと認識しているんじゃなかったっけ?
孝文帝の頃に五行の徳(水徳とか土徳とかのね。)を変更していたはず。
そういう場合の引き継ぎって、どうやって建国神話をでっち上げたんですか?
ごめん、なんか勘違いしてたかも。
後期になっても西晋を正統扱いしてるみたい。
ただ北魏朝が曹魏のことを相当意識していたことはあるみたい。
国号もそうだし代国の建国も曹魏の建国年と同じにしているし。
526 :
世界@名無史さん:03/10/23 09:41
昔、杉山正明の著書に安禄山の禄山という名前が、ロクサーヌ(光明)というイラン語だか
ギリシャ語だかに由来しているという説を読んだ記憶があるんだが
石勒の勒という名前も、もしかしたら同系統の名前ではなかろうか?
諡号も明帝だったし
子音が共にL字音だし(昔も一緒とは限らんが)
しかし、勒という字には馬の口にくつわを食ませるという意味もあるから
もしかしたら、単純に馬牧の仕事から名前をつけたのかもしれない
まあ、とりあえず保守
527 :
世界@名無史さん:03/10/23 10:45
>>526 安録山はアレクサンドルじゃなかったか?
528 :
世界@名無史さん:03/10/23 11:12
>>527 安録山の安はたぶんパルティア(安息)からきているのではないかと。
アレクサンドロス大王の妻の名前がロクサネー。
どちらも中央アジア系だな。
石勒のもとの名前。
晋書だと[勹背]
魏書だと匐勒
小説的にはソグドだと面白い。
ペルシア人だけでなく、アラビア人もローマ人もギリシャ人も姓みたいな
ものはなくて、特に区別する必要のあるときには家長の前を属格でひっける。
大体、子が公の場に出る頃には、父親が家長になっていることが多かったから
父親の名前がひっついてる。
>>526 石勒の石氏はシベリアのエニセイ川あたりのなんとかいう部族の名を意訳したものだとか。
>>528 安録山の安は安国=ボハラの安。
>>531 今のイラン人も姓はないよ。イラン人にきくと「姓はある」といいはるけど、
よくきくと「姓」の定義がこっちと噛み合ってない場合が多い。
イラン人じゃなくてイラク人だけど、サダムフセインの名は
フセインでなくサダム。フセインというのはサダムの親父の名。
ビソラディソみたいなもんですな
アラブ系だけじゃなくてモンゴル人もそうだって聞いたことある
535 :
世界@名無史さん:03/10/26 01:25
名字があるのは定住生活の農耕民族だけで
移動生活の遊牧騎馬民族には本来名字がない、という説は本当でしょうか
536 :
世界@名無史さん:03/10/26 10:06
>>535 東アジアでは本来漢人以外は姓が無かった。
後で漢人を真似て姓をつくったが。
537 :
世界@名無史さん:03/10/26 12:42
古代のギリシア人にも姓はない。
「クサンティッポスの息子ペリクレス」などと父親の名前をつけて
区別していた。
538 :
世界@名無史さん:03/10/26 17:13
この時代の女性って好きですか?
540 :
世界@名無史さん:03/10/28 06:50
>539 会ったこともないし知り合いも親戚もいないので判断不可。
東晋だけどユ皇后とか?
>>539 慕容覇の段夫人とか?
この時代は皇后とか、サクサク殺されてるねぇ
権力持ってないと甚だ危険な世の中だったんだろう
賈后とかも、ちょっと同情の余地はある
王渾の妻鍾氏とか。
>>543 皇太后なのに反乱軍にリンカーンされちまうんですよね、明帝ユ皇后・・・
ユ皇后って字出ないのか…
>545
まあ、兄貴が全て悪いということで…。
蘇峻「恨むならおのれの兄を恨め! 寒門を冷遇したおのれの兄を!」
という心境ですかねー…。
548 :
世界@名無史さん:03/10/31 19:21
兄貴が全て悪い…。
苻堅の寵姫、前燕皇帝の妹清河公主も…。
絶世の美(少)女なのに後の弟の暴れっぷりに霞んで生死不明。
殺されたのか?
庾皇后。
550 :
世界@名無史さん:03/11/08 13:46
あ
551 :
世界@名無史さん:03/11/08 15:56
北魏の昭成帝の皇后は慕容皝の娘。
この女性が生んだのが道武帝の父親。
道武帝の皇后は、道武が中山に慕容宝を攻めたとき、取り残されて
北魏に連行された宝の末娘。
552 :
世界@名無史さん:03/11/08 16:09
>>539 北魏の高宗の文明皇后は非常に聡明な女性だったといわれている。
彼女は北燕の馮弘の孫。
高宗が死んだときは自分の身を火に投じて後追いしようとして
家臣に止められる。
高宗の子の顕宗が即位すると政治の実権を完全に掌握。
顕宗の次の高祖も彼女の傀儡だった。
554 :
世界@名無史さん:03/11/18 01:04
この時代の中国で、西欧のような封建社会が成立しなかったのはなぜ?
西ローマ帝国滅亡後、各地にゲルマン人の国家が成立したときの状況と
似てるのにね。
支配者が遊牧系の民族だったから、とかどう?
556 :
世界@名無史さん:03/11/18 17:09
>>555 でも、だんだん漢族に同化していっているしね。
ゲルマン人も最初は半農半牧だった。
ヨーロッパに攻め込んだフン族・アヴァール人・マジャール人も
最後には同化したし。
ゲルマン人の場合はラテン的な古典古代文化と完全に同化するんじゃなくて
ヨーロッパ文化に「ゲルマン的文化」という新たな要素を持ちこんだのが
ちょっと違うと思います
五胡の諸民族は中国文化に何らかの新要素をもたらすことができたのでしょうか?
たいていの本では「漢族に同化」と切り捨てられていますが
558 :
世界@名無史さん:03/11/19 07:23
北朝・隋唐は、ヨーロッパ的な封建社会まではいかなかったけど、
秦漢にくらべればかなり地方分権的な国家にはなったんでないの?
都市国家の連結という秦漢帝国とはちがって、都市の周囲に農村ができたり。
あと衣食住や音楽などの文化も秦漢帝国と隋唐帝国ではちがいはあると思うけど、
そのちがいはかなりの程度、五胡や鮮卑との混合でうまれたものでしょう。
極東の場合は、隋唐帝国の隣に封建社会(日本)ができたって感じだけど。
559 :
世界@名無史さん:03/11/19 07:33
>>557 東ローマ帝国の場合は同化政策と献金を巧妙に組み合わせて蛮族を同化。
西ローマ帝国の場合、ローマにやってきた蛮族を待っていたのは金も
無ければ同化も望まないセナトル貴族だけだった。
教会の司教も、蛮族に対する偏見という点では一般住民となんら
変わりがなかった。
こういう事情がゲルマン人を古典古代文化に完全に同化させなかった
のかもね。
560 :
世界@名無史さん:03/11/19 07:41
>>558 そうすると、同じく隋唐帝国の隣にあった朝鮮半島やベトナムに
封建社会が生まれなかったのはなぜなんだろう。
西欧の封建制は、ローマ末期の恩貸地制度と、原始ゲルマンの
従士制度が結合してできたもの。
日本の場合も、未開の部族社会に、律令という高度に発達した法概念
を持ち込んで生まれたもの。
同じく未開で、中国の隣にあった朝鮮半島やベトナムでも同じような
制度ができてもよさそうなものだけど。
北朝は封建的な体制もあったと思うよ。
例えば爾朱家みたいに「領民酋長」として
封土?と領民を持っているのも居たわけだし。
ただトップ=皇帝の権力がヨーロッパのトップ(誰?法王?)と比べて
比較にならないくらいに大きかったと。
562 :
世界@名無史さん:03/11/19 13:18
>>561 神聖ローマ皇帝ってのは、専制君主というより諸侯の中の第一人者、
という感じでしたからね。
それと、ヨーロッパでも、最初は皇帝権のほうが教皇権よりずっと
強かったんです。
その後、聖職叙任権闘争が始まって、教皇の権力が強くなる。
中世史上有名な、グェルフとギベリンの争いですね。
>>560 朝鮮とベトナムは秦漢時代に中国の郡県だったことが関係あるかも知れないね。
彼らが中国から解放された時は土民の酋長が県侯に叙任されて群小勢力として半独立した。
それは中華皇帝を中心とするピラミッドの底辺に位置付けられていたことにかわりない。
完全な独立国家に成長する過程で群小勢力が統合されて統一勢力になった。
日本も一見似たようなものに見えるけど、日本の場合は実はそういう意味では最後まで
統一国家は作らなかったのではないか?国造・県主のような豪族は郡司として実体はかなり保存され
そのまま武士階級の母体になっていった。それでも統一国家のような外見をもったのは
民族王朝としての天皇制の存在が大きいと思う。朝鮮やベトナムの場合、かつて中国の郡県だった
ので、権威のある民族王朝が存在せず、社会統合の権威としての王及び政治システムは中国のそれ
をコピーしたものにしかならなかった。
ヨーロッパの場合、ラテン圏(仏伊西)とゲルマン圏(英独)どっちが封建制の本場なのかな?
565 :
世界@名無史さん:03/11/19 17:39
>>564 ゲルマン圏+北西フランスが封建制の本場ではないかと。
イベリア半島の場合、カタルーニャを除いて北西フランス型の封建制が
根付かなかった。
(これはもちろんレコンキスタのため)
イタリアの場合、シチリアをはじめとする南部は王権が強く、ビザンツや
オリエントの王権に近かった。
北部の場合、封建領主よりも自治都市国家の支配が目立つ。
聖俗の2つの楕円世界といわれる西欧よりは、
ビザンチン世界のほうが中国に近いだろう。
西欧世界は東にビザンチン、西と南にイスラームと
強力な対立文明があったから中国世界とは比較しづらいと思うが
567 :
世界@名無史さん:03/11/19 17:47
ttp://www2.big.or.jp/~yabuki/doc3/as930901.htm 大谷は典型的な封建制として「ゲルマン文明とローマ文明の双方の
影響を受けていたライン河、ロワール河に挟まれた地域」を想定したが、
ヒンツェ自身も結論的には、「大規模な文化融合という歴史的現象」の
生じた地域として、この地域と日本をあげるに至った。この点で、
ヒンツェ、朝河、大谷の封建制理解には共通項がみられる。西欧は
地中海文明の反文明であり、日本は中国文明の反文明であった。
これこそが典型的な封建制を生み出した国際環境なのであった。
>>560-567 つまり日本というのは
ゲルマン圏+西北フランス(またはライン河、ロワール河に挟まれた地域)に相当し、
朝鮮やベトナムというのは
イタリア南部に相当する、という感じですな。
>>557 この時代の前後の料理には「酥(にゅうあぶら≒バターか?)」などを初めとして、乳製品が多かったような
でも中国農書とか読むと、「中華民族は生理的に乳製品を嫌う」と言った記述が多い
現代中華料理には受け継がれなかったみたいだから、隋唐ごろには消えたのかな?
斉民要術は南朝系の宮廷料理の系譜を受け継いでいるらしいから
南朝でも遊牧的な要素がだいぶ入り込んでいたようだ
この時代の徙民とかって遊牧民族特有の行動みたいなイメージが強いなあ
土地にしがみつく人民を100万とか強制移住させたりしないでしょ、古代のころは…
はしりは董卓か?
なんか難しい話ばかりだな(´・ω・`)
>土地にしがみつく人民を100万とか強制移住させたりしないでしょ、古代のころは…
うーん、中国の史書にある数字をそのまま信用していいか迷うなあ。
中国の場合、「俺が真実と信じる歴史が正しい歴史なのだ!」的に書き換えちゃう気が。
現在伝わってる史書は古くて北宋時代…ナショナリズムの高まりと共に改竄されてる
可能性は無いのかな。
例えば「後漢書」の隗ゴウ伝の賛、本来「隗王」とハンヨウは書いたのに、「隗ゴウ」に
直されたこととか。
>>569 >人民100万
これは水増し済みの数なんで571氏の言う通り信用しない方がいいよ。
太古から現在まで水増しした数を報告して差額を懐に入れる悪習が上から下っ端まで常態化してる国なんで。
もちろん、史書にもそのまま載せられる。徴税人口とか戦果数もしかり。実数は割り引いて測るしかない。
573 :
世界@名無史さん:03/11/28 19:08
>>557 この時代の胡族の王達が仏教に傾倒したのはなぜ?
それと、この時代を境に中国人の宗教観がかなり変わっているように
思えます。
漢代までは天・地・人三者によって世界が構成されていて、
天上の雲気に神々が住んでいて、イ器を廟堂に備え、明器(副葬品)を
墓に埋め・・・
>>573 石勒は呪術の有用性っていう、モロ俗っぽい理由があるけど
石虎の場合が謎だ←東晋の貴族たちも、なぜ石虎が仏図澄に傾倒しているか不思議がっていた
そう言えば、石勒の母親は山谷に葬られてるよなあ
石勒自身も、望んでかどうかは知らないが谷に死体投げ込まれているし(そういう風習でもあるのか?)
石虎も死体は墓から掘り起こされ、川流し…
ロクな扱い方されてないな、この一族
もともと儒教の宗教的な魅力はかなり弱かった。だから
仏教が存在しないか本格的には流入してなかった頃から
天師道や太平道など正統儒教からみて邪教なのが隆盛になった。
そこに呪術的な理論や演出では天師道や太平道よりダントツな仏教がきたわけで
異民族からすれば漢人文化マンセ−な宗教よりは同じ異民族系の仏教の方がなお良いし、
アニミズム意識が仏教の呪術的な側面に反応したってのもあるんでそ。
576 :
世界@名無史さん:03/11/29 20:51
>>574 仏図澄は神通力や予言に長けていたとされているね。
三国志・項羽と劉邦・モンゴル時代に続く「五胡十六国時代」ブームを
日本で起こそう
本当は春秋戦国と三国志をたして3倍したくらい面白い時代なんだがなぁ
文学作品で有名どころが弱いってだけでこんなに知名度落ちるんだもんなぁ
誰か文学板(創作板?)にネタふりしてこないか?
いまだに何も書いてない…
もうすぐ一年たつな。
漏れは
>>241なのだが。
580 :
世界@名無史さん:03/12/06 00:53
ブァカッ!てめぇが犯人かよ。早く書け。
コミケで私が売りますのでひとつよろ。
581 :
世界@名無史さん:03/12/08 18:35
554年、梁の元帝・ショウエキは西魏軍の侵略に絶望し、24万巻の書画書籍に
火を放って焼身自殺を図る。
文化財にとっては悲劇。
582 :
世界@名無史さん:03/12/08 19:23
アレキサンドリア大図書館の焼失に匹敵する秀樹だな
(秀樹は悲劇のまちがいだけど面白いからそのままにした)
583 :
世界@名無史さん:03/12/08 23:31
悲劇間隙あげ
584 :
世界@名無史さん:03/12/09 01:08
早くも唐代においてすら魏晋南北朝時代の絵画は希少であったらしく、
名画の伝存は、
「漢魏三国の名画はもはやこの世から消滅した。晋の顧ト之、宋の陸探微、
梁の張僧ヨウの首尾完全な作品は希代の珍宝である」
といった惨憺たるありさまだった。
やはり梁元帝とか唐太宗とかが泉下に持ってったのか。
おい李世民!自分のわがままで王羲之の真筆あの世に持ってくんじゃねーよ!
>587
ゴッホの「ひまわり」事件とおんなじだよな(w
589 :
世界@名無史さん:03/12/13 16:29
590 :
世界@名無史さん:03/12/26 10:24
保守あげ
日本人の恥
592 :
世界@名無史さん:04/01/11 21:19
ひさびさに上げてみる
死にそうなスレ
594 :
世界@名無史さん:04/01/23 23:29
五代十国と比べてイマイチ盛り上がらないのは
この時代をネタにした演義小説がないからだな
いやコーエーがゲーム化しないからだ
596 :
世界@名無史さん:04/01/24 08:18
597 :
世界@名無史さん:04/01/24 09:05
西晋って何であんなに急に弱体化したんでしょうか。
最初から弱かったとか
599 :
世界@名無史さん:04/01/24 13:25
最盛期は司馬仲達の時代で、建国した時は既に・・・
⊂(゚Д゚,,⊂⌒`つ≡≡≡<600げっつ!
やっぱゲームは統一だけじゃつまらん。
仙人を目指す、詩人として名をあげる、経典を翻訳して仏教を世に広める、商人として財を築く、
みたいな目的で遊べたらいいなぁ。
兵戸に編入されるとか、
人買いに攫われるとか、
皇后になったけど侵入した賊に(略)とか、
いろんなイベントが!
>>597 八王の乱以外に理由があるかなあ
まあ、後漢末期よろしく甘粛から陝西、四川にかけては異民族が蟠居して反覆常無き状態ではあったし
やっぱり、後漢と同じく異民族討伐で名を上げる勇将もいるにはいたが(苟晞や李矩とかか)
関係ない話だが
石勒が江南地域に進出するかどうか、逡巡していた時期(311年頃)
部下の将軍の多くが、建康攻略を唱えたりしていたが
当時の江南地域の荒廃ぶりは、杜預をして原始農耕状態に帰している
(曰く「火耕水耨をして、流民たちをとりあえず農業に従事させなければならない」)状態から判断するに
…まあ、それ以上に当時の淮南地域における農業の主力が歳易直播水稲作だったことを考えると
とても北方地域でやってきていた匈奴軍団では、勢力の安定なんかあり得ない状況ではあるのは確か
(遊牧民族統治下にあっては家畜の大規模な運用が畑作と深く結びつく形態に、この時代移行しつつあったが
降水量が多く、夏場の雨季に繁茂する雑草の中耕除草は未だ畜力運用などとは結びついていなかったために
江南地域における農法段階は、どうも後世の稲作生産地の姿からは程遠いものがあると思われる)
このとき謀主張賓が河北経営を進言する場面は、北魏の崔浩らが南征を諌める状況とオーバラップしているようにも
見えなくも無い(いや、張賓の方が先だけど)
しかし、政治的(特に食糧生産性)判断から江南侵略は激しく下策であったことは、この時点では明らかだと思われる
武力とか知力とかで数値化するのはだめだ。局面ごとに活躍できる特殊能力を五段階ぐらいのレベルで。
「翻訳家」だと仏典を効率よく翻訳できたり、「慷慨の心」は感動的な詩が作れたり。
戦争は兵数と士気だけで十分。コマを単純に動かすだけのほうがCOMが利口になる。
外交を充実。停戦ラインの交渉したり、歳幣を送ったり、敵の皇后や側近を買収したり。
みたいなゲームを誰か作ってくれ。
「儒家の才能」とか評価低そうだな
むしろマイナスだったりして
「当意即妙の受け答え」の才能はかなり評価高いと思われ
たんに領土ひろめるだけでなくで五胡+漢で6つの文化が互いに敵対しあって
広まったり狭まったり、条件が揃うと複数の文化が融合して新文化が生まれたり。
文化次第で、手持ちの君主や武将の能力値や忠誠が激変してしまうので、
プレイヤーは自国領内の文化情況に常に注意しなければならない、とか。
609 :
中華@名無史さん:04/01/29 18:21
>>597 司馬炎が、呉を滅ぼして天下統一した直後に大幅な軍縮を行なったからでは?
恵帝紀以降しか読んでないんだけど、軍縮ってどのくらいやったの?
なるほど
紀伝体は面倒だな
613 :
世界@名無史さん:04/02/14 01:54
この時代から映画化するならどの時期のどの国だろう。
614 :
世界@名無史さん:04/02/14 07:32
北魏分裂から北周・北斉の成立、隋の文帝による中華統一までを詳細に描いて欲しい。
615 :
世界@名無史さん:04/02/14 11:53
やっぱ南北朝のほうがこう、華がある感じはあるなあ。
五胡十六国のほうは飛びぬけた存在がいれば絵になるかもしれないがなあ・・・
やっぱ符さんちじゃね?
石勒でしょう >615-616
李雄を主人公にしたらNHKの正月時代劇みたいな「癒し系」ドラマになりそう
618 :
世界@名無史さん:04/02/14 18:22
619 :
世界@名無史さん:04/02/14 18:49
13日午前11時ごろ、さいたま市大宮区大成町3でトラックを運転
していた会社員男性(30)が、前を走るワンボックスカーにクラクショ
ンを鳴らしたところ、ワンボックスカーが停車。男性は降りてきた3人
組の男にナイフを突きつけられ、ワンボックスカーで連れ去られた。
男性は約7時間半後、東京都渋谷区代々木神園町ですきをみて逃
げだした。その際、ナイフで足を刺され重傷を負った。警視庁代々木
署は強盗と逮捕・監禁容疑などで3人組の行方を追っている。
調べでは、男性は車に押し込まれた際に現金約1000円の入った
財布を奪われた。男性はワンボックスカーがのろのろ運転していたた
め、クラクションを鳴らしたという。3人組は、いずれも30〜40歳で、
中国語のような言葉を話していたという。【鈴木泰広】(毎日新聞)
[2月14日13時47分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040214-00001048-mai-soci 2 :番組の途中ですが名無しです :04/02/14 15:18 ID:3/KAv8ZB
2じゃなかったら馬路死ぬ
>>617 今年の大友宗麟はいい出来だった
成漢の李氏はかなりマターリしたペースで緩やかに滅亡していったから
草創期の独立闘争はかなり熱いものがあったけど、それとのギャップで何とも言えない雰囲気が
李特か誰かが後主に文句言っていたが、自分とこも同じことやっちまうンだよな
しかし、成都が混乱のどつぼに陥っているときに
ひたすら一族で殺しあって、羊皇后を廃后しまくっていた(詳しく数えたことは無いが)晋の朝廷も情けないよな
永嘉元年時点での、晋の実効支配領域がどのくらいだったのか気になる
呂光=大友宗麟説
>>616 「符」と「苻」を間違うやつ結構多いな。
そきょもうそん
きっぷくこくじん
かくれんぼつぼつ
とくはつうこ
>>623 西方じゃ赫連氏だけ昌とか定とか急に漢人風なんだよね
ぼようばくごばつ
たくばつじゅうよくけん
いかにも異民族なわけわかんないエスニックな名前は
カッコイイし、萌える。
普通の中国風の名前はダサイ。
さばくかんってどうよ。
ぼようとよくこん
ぶっとちょう
くまらじゅう
ブトチョンガ
クマラジーヴァ
専門外なのでよく分かりませんがたいていの本にはそう書いてありますね
例えば三崎良章氏の『五胡十六国』では
その国名の由来となり始祖とされる吐谷渾は前燕の慕容カイの庶兄云々
魏書には明記されてるけど、だからといって実際そうだったとはとは限らないよね。
慕容一族ってのは自称だったのか?
ていれい
こうしゃ
てつろく
じゅうぜん
ふよ
こうくり
ぼかんとん
さて、久々に何か書くか。
おながいします。
>>618の本が出てたので買ってきた
最初の方で北魏を扱ってます
641 :
世界@名無史さん:04/03/05 00:11
礪波護の『馮道』読んでると、五代の後漢・後周交代期に
慕容彦超って人物が登場するけど慕容一族の末裔なんでしょうね
唐代の貴族にも北方系っぽい姓の人が多いし
643 :
世界@名無史さん:04/03/12 00:37
『周書』を編纂した令狐徳フン(草冠+分+木)も北方系でしょうか?
>>645 そのスレは三戦板にある。扱いにはご注意を。
647 :
世界@名無史さん:04/03/29 16:54
この時代ってチベット系が元気に暴れた珍しい時代でもあるね。
あとは唐代の吐蕃もすごかったけど。
648 :
世界@名無史さん:04/03/29 18:07
確かに異民族が跋扈した時代ではあったけど
だからといってそれで華北地域が荒廃したようにも見えない。
元々中国人にとって、皇帝なんてのは地主みたいなもんでしか無いから
北方との国境のタガが無くなって、むしろ遊牧民族との交流が増えて
面白い時代だったのではないか。
>>648 認識不足。
誇張ではあるけだろうど、中原は無人の野になったといわれている。
中原から長江流域に逃れて定着した人々が開拓して南朝の繁栄の基礎になったんだが。
650 :
世界@名無史さん:04/03/30 17:31
後漢末から打ち続く動乱の影響で華北のあちこちに「塢」が増えてきた。
この塢に所属してる人々から中央政府が徴税するのは不可能である。
中央政府や史書に記載されてる人口や戸は「中央政府が徴税可能な公民」という
条件が付く。だから「塢」の私民は含まれてない。
それゆえに五胡諸政権や北朝歴代が財政にいろいろと苦労してる訳で、そのような
状態を「中原は無人の野になった」と嘆いたと。
長江流域の発展にはほぼ同意。いままでほったらかしだった眠れる地産もあったしね。
651 :
世界@名無史さん:04/03/30 19:34
まあ日本の偉大な歴史から考えるとシナの歴史は無人の荒野で
あって中華民族というのは滅んで大日本帝国がその後継者であると
いうことでファイナルアンサーだな。
652 :
世界@名無史さん:04/03/30 20:23
待ってました! いよっ天王!
653 :
世界@名無史さん:04/03/30 20:35
まあ支那の首都南京を攻略し陥落した時点で
中華民族は大和民族に征服されたわけだ。
つまり天皇は皇帝となり、国号は大和から和と号したわけだ。
ちなみにちゃんころ共和国に日本は降伏していない
したがって支那の大地は当然日本領土。
>653は石虎
655 :
世界@名無史さん:04/03/31 01:16
北斉の高氏、北周の宇文氏、隋の楊氏、唐の李氏などは、漢族or鮮卑族?
656 :
世界@名無史さん:04/03/31 01:26
いうまでもなく朝鮮の下層民がたてた。
これは俺だけで無く我が民族の歴史関係サイトでも
再三主張されている事である。
朝鮮は世界帝国をたてたというなによりの証拠だ。
疑う人は失礼ながら民族差別について日本人は反省していないといえる。
657 :
世界@名無史さん:04/03/31 02:20
658 :
世界@名無史さん:04/03/31 02:25
五胡十六国時代の後趙の石季龍の太子、石邃は荒淫残虐な男だった。
美しい尼僧を誘拐しては強姦して殺し、死体は羊や牛肉と共に煮込んで賞味した。
隋末期の諸葛昴と高贊は互いに富や権勢を誇りあっていた。
ある日高賛が諸葛昴を宴席に招いた。食卓には十歳くらいの双生児の煮物が
頭、手、脚と別々の大皿に盛られていた。満座の客は吐き気を押さえるのが
精一杯だった。
数日後、今度は諸葛昴が高賛を招いた。お気に入りの愛妾を高賛に侍らせて
酒をつがせようとしたが、彼女が訳もなく笑ったのを見て叱りつけて退がらせた。
しばらくして、彼女は胡座をかいたままの姿で蒸し肉と化し、特大の銀皿に
乗せられて再び宴席に姿を現せた。頬には白粉がのり、あでやかな刺繍入りの
衣装を着せられている。諸葛昴は自ら太股の肉をほぐして高賛に取り分けた。
満座の客が卒倒する中、諸葛昴は平然と乳房の肉を美味そうに喰ったという。
659 :
世界@名無史さん:04/03/31 02:28
そういう記述の信頼性ってどれほどあるのかなぁ。
白髪三千じょうの國だから誇張ありまくりなんじゃないのかなと。
>>658
660 :
世界@名無史さん:04/03/31 02:32
たとえば蒸し肉の話だけど、胡座をかいたまま短時間で蒸し肉なんて
芸当が容易くできるのだろうか。
ちょっとありえないとおもうんだけど。
尼僧云々や食人の習慣はありえると思うが、蒸し肉ともなると
眉唾だと思うのだかなぁ。
編纂するのは後生の王朝であってかくのごとく打倒されて
天命はわが朝になったというのが主旨なんだし。
661 :
世界@名無史さん:04/03/31 02:47
>>659-660 当時の人から見ても珍事だったから、わざわざ記録されたんでしょう。
このような事が世間一般に普通だったら記録するほどじゃないから後世に残らない。
「火の無い所に煙は立たない」と「悪事千里を走る」の格言があてはまるかと。
662 :
世界@名無史さん:04/03/31 02:54
出典は何?
663 :
世界@名無史さん:04/03/31 14:43
南朝の斉と東魏を簒奪した北斉は、どちらも国号が「斉」ですが、何か関係があるのですか?
664 :
世界@名無史さん:04/03/31 18:21
>どちらも斉
当時の斉地(山東半島)の領有状況を見ればわかります。
南朝は梁代の混乱時に斉地を失ってますので。
どちらも血縁関係はまったくありません。
斉万年の斉ってなんだろ
666 :
世界@名無史さん:04/04/01 01:34
五胡十六国について詳しく知るのに最適な本って何かありますか?
取り合えず三崎の「五胡十六国」じゃない?
それと船木勝馬の「魏晋南北朝史」とか。
山川の『世界歴史大系・中国史A』の「両晋十六国」の章はどうなの?
あと船木氏の著書は『古代遊牧騎馬民の国』だったと思うが。
>>668 あ〜ごめん、間違えた。恥ずかしぃ。
山川は読んでないから判らないけど
三崎さんの方が詳しく書かれてるんじゃない?
>663
国号を決めたのは、五行説によるものだと思ったけど。
五行相生説(木→火→土→金→水)の方。
間が火徳、曹魏が土徳、晋が金徳、劉宋が水徳。
斉は木徳だから。だから、北斉・南斉ともに木徳の国だったりする。
ちなみに北周も木徳。
で、梁が火徳で陳が土徳、隋が火徳で唐が土徳。
陳の後主が「隋がこちらを滅ぼせるものか」とうそぶいた背景には、
もしかすると「火徳の国は土徳の国には勝てない」というのも
あったかもしれない(明記はされてないけどね)。
あと、古代の周は火徳の国とされてる。
これは五行相勝説(水→火→金→木→土)によるためで、五行相生説が
採用されたのは後漢以後の話。一応、北周との違いの背景ということで。
あと、664氏の話だけど、山東半島を南朝が失ったのは劉宋時代、明帝が
前廃帝を殺して即位したときの大乱(晋安王の乱)の時だね。
徐州刺史・薛安都らが北魏に降伏したことをきっかけに、山東半島は北魏領
になってしまったわけで。
以後、国境線は淮河周辺に下がっちゃう。で、そのあたりに青冀二州が置かれて、
そこが最前線ということになります。
長くてゴメン。
間→漢です。ごめんなさいすいません。
672 :
世界@名無史さん:04/04/04 03:09
673 :
世界@名無史さん:04/04/04 21:21
劉裕って漢王室の子孫なんですか?
674 :
世界@名無史さん:04/04/04 22:21
僭称だろ
675 :
世界@名無史さん:04/04/04 22:33
500年続いたから、ゴミみたいな宗族は大勢いただろ?
源平以前の、○○王、みたいなもの。
清少納言も、そんな皇族と結婚していたらしい。
漢の楚元王劉交の二十一世の孫と僭称してます。
劉裕は彭城の人で、彭城は楚の都だとかゆってるね。
677 :
世界@名無史さん:04/04/05 04:09
南朝の斉(と梁)の帝室も蕭何の末裔を名乗っていますね
679 :
世界@名無史さん:04/04/05 05:49
南斉と梁って同じ一族ですか?
あと、劉宋以降の南朝の王家はすべて漢民族なんですか?
681 :
世界@名無史さん:04/04/06 03:52
>>680 系図確認してきました。
南斉を建てた蕭道成(高帝)の曾祖父の弟の玄孫にあたるのが、梁を建てた蕭衍(武帝)なんですね。
ちょっと感激です。
ところで、南朝最後の陳を建てた陳覇先って、集英社の漫画「世界の歴史」では、北方系の異民族みたいな格好で描かれていたのですが、彼は漢民族ではないのですか?
682 :
世界@名無史さん:04/04/06 03:54
>>681訂正
× 漫画「世界の歴史」
○ 漫画「中国の歴史」
たぶん、こっちだったと思います。
>>677 面白いスレの紹介サンクス。
電波説を擁護してきました。
684 :
中華@名無史さん:04/04/06 15:26
>>681 >ところで、南朝最後の陳を建てた陳覇先って、集英社の漫画「中国の歴史」では、
>北方系の異民族みたいな格好で描かれていたのですが、彼は漢民族ではないのですか?
それは陳覇先では無くて、宇宙大将軍だと思われます。
自分もその漫画を所持して居るので間違い有りません。
685 :
世界@名無史さん:04/04/06 16:02
宇宙大将軍って?
>>686 石虎・赫連勃勃に続いて魏晋南北朝DQN大賞(北狄部門)にノミネート決定?
検索したら
簡文大驚曰:「將軍乃有宇宙之號乎?」
って出たんですが、ここの「乃」ってどういうニュアンス?
>>688 「意外にも。なんとまあ。」(角川「新字源」の助字解説より)あたりじゃないかと。
690 :
世界@名無史さん:04/04/06 19:29
691 :
世界@名無史さん:04/04/06 19:53
南朝・梁の系図を見たら、後梁ってのがあったんですが、これなんですか?
しかも、何故か隋とも系図が繋がっているみたいなんですが。
西燕が十六国に含まれない理由は?
694 :
世界@名無史さん:04/04/07 03:59
そもそも「十六国」の定義がハッキリしない。
十六国春秋を編成した崔鴻に聞いてみておくれ。
>誠に申し訳ございませんが、大変残念なご報告があります。お客様のご注文内容のうち、
>以下の商品については入手できないことが判明いたしました。
> 越智 重明 (著) "晉書"
_| ̄|○
>694
「三十国春秋」って史書もあったらしいからな。
すごい基準だ……。
>>695 ページ数少ないのでどっか図書館で借りてコピーすれば\1,000以下で済むのでは
…なんて露骨な著作権法違反は絶対しちゃダメですw
二回にわけてコピーすればいい。
ただし「別の研究課題ができて偶然同じ本の別の場所を必要になった」
という顔してないとダメだけど。法の拭け道ですな。
700 :
世界@名無史さん:04/04/11 15:20
西燕とか16国に含まれていないからね。
前仇池・後仇池・冉魏も含まれていない
>>699 いい機会だから、思い切って図書館で「書写」にトライだ!
>>703 中華書局本で晉書と魏書持ってます。
注釈の部分が読みたくて…
やっぱ全コピかな。部分的に自分で訳してみたりはしてるんだけども。
>>703 変なソフトインストールされそうになった
(簡体字表示するためのソフトなんだろうけど)
明徳出版社『晋書』の抄訳ってたいして内容がなかった気がするけど。
中華書局本もってるんだったらそっちで充分じゃないの?
>>705 台湾中央研究院は繁体字(要BIG5)だよん。
明徳出版社のあのシリーズは、和訳はあくまでおまけでメインは書籍解題じゃないかね。
>>695 復刊ドットコムへ再版依頼しようかな?
しかし、あそこはいまだに侯景の乱始末記が復刊されてないから
まったくアテにならんかも。
>>708 侯景の乱始末記くらいは古書店まめに回ってたら見つからない?
>>705 普通にMSのサポート
変なソフトは、こっそりとインストールされるもんです。
669 名前:名無しさん@事情通 投稿日:04/04/14 17:56 ID:hlnxbrL3
06年大河ドラマ『五胡十六国』 初めての中国史!
このレスつけた人は正直に名乗り出なさい
>>711 無理がありすぎ。日本とのつながりがほとんど無いから視聴率とれんぞ。
おそらく、このスレと板じゃなくて別板の方が犯人じゃないか?
まずは「その時歴史が動いた」で取りあげてもらうことから始めよう
714 :
世界@名無史さん:04/04/16 20:09
苻堅は朝鮮半島に仏教が伝わった当時の王様だから
あながち繋がりが無いではないかも。
皇室騎馬民族飛来説とかも絡めれば
いい線いくんじゃないの?
それにしても苻氏と慕容氏って
シャイクスピア悲劇みたいね。
715 :
世界@名無史さん:04/04/16 20:11
シャイクスピア・・・ぷぷぷ
ェだェ!
とりあえずアニメで。
717 :
世界@名無史さん:04/04/16 22:22
姚興と鳩摩羅什の心の交流を描く一大感動巨編。
赫連勃勃役には竹内力。
718 :
世界@名無史さん:04/04/16 22:29
いいね!
日本をうまくからませられないかね。「埴輪は見ていた!」・・・ダメポ
>>717ワロタ。なぜに脇役(それもDQN系)から決定?
東晋ユ太后は誰がやるのでしょう?
721 :
世界@名無史さん:04/04/21 23:48
722 :
世界@名無史さん:04/04/22 21:28
「天王」から「天皇」が来た、ってのは宮崎市定が書いてたな
723 :
世界@名無史さん:04/04/23 02:37
>>722 「天王(てんわう)」から来ているから、「天皇」は、「てんくゎう」と漢音で読まずに、「てんわう」と呉音で読むって説だね。
しかし、常識的に考えて天皇号の成立が大宝期よりも前に遡るのならば、呉音で読んでいても何の不思議もないから、直接結び付けるのはどうかと思うよ。
もっとも、全く影響がないとは言わないけどさ。
724 :
世界@名無史さん:04/04/24 03:51
>>713 まあ、日本人にも知名度がある王羲之か陶淵明あたりをメインテーマにしない限り、この時代の中国史を取り上げるのは無理だろう。
725 :
世界@名無史さん:04/04/25 20:56
劉淵が中国に侵略してたときのオルドス地方は誰が治めてたの?
夏を建国した人たちの先祖?
726 :
世界@名無史さん:04/04/25 22:54
鮮卑か柔然じゃない?
匈奴鉄弗部かね。
彼等は何時頃からあそこに居たんだろう
匈奴鉄弗部は、劉虎・劉閼陋頭・劉悉勿祈・劉衛辰…と、結構前からあの辺にいるような気がする。
白部鮮卑とかいうのもいなかった?日六延とか。
オルドス地方が「実質」中国領になったのは北魏から?
支配民族は別として。
漢の武帝からじゃないか?
「実質」は五原とか雲中とかの郡県が置かれたあたりかもしれん。
後漢末に南匈奴の連中を内地に移住させたあたりからまたおかしくなるけど。
いちおう秦の始皇帝もオルドス征服には成功してるけどな。
731 :
世界@名無史さん:04/04/27 02:24
オルドスって今でも内蒙古自治区になってるけど、やっぱり漢民族が定着できない場所なの?
雨が少ないから農耕に不向きだし
その割りに遊牧には適した土地だから
漢族が土地を確保しても遊牧民が攻めてくるし
733 :
世界@名無史さん:04/04/28 01:11
あれ?後漢三国時代の勢力図見るとオルドスの所は空白になってるよ?
領土じゃないんじゃない?
仮に領土だとしたら、どこの州に属するんだ?
并州か雍州か涼州のどれだろうか。
それとも黄河以北は担当外なのかな>オルドス地方
三国時代のオルドスは鮮卑か匈奴の領地じゃないの?
736 :
世界@名無史さん:04/04/29 02:54
オルドスって何で漢字表記しないの?
>>736 現在は漢字表記すれば「鄂爾多斯」になります。
何かを書くとき、いちいち鄂爾多斯では読みにくいこともあるので
簡単にオルドスと表記しております。
「鄂爾多斯」e入er上duo平si平
古くは河套じゃないのか。
そういや遊牧漢族っていなかったのかな?
鄂爾多斯ってもろ当て字やん
>>740 今の内蒙古には暮し・生活形態はモンゴル人みたいな遊牧で
言葉と姓名は中国人ってのがかなりいるようでつ
どうでもいいけど内蒙古出身の力士蒼国来の本名は恩和図布新だって。
なんて読むんだろう?
たぶん文語で
engke-tübsin
だと思う。それぞれ平和、安定の意味。
744 :
世界@名無史さん:04/04/29 21:24
オルドスって何語だ?
つーか後漢時代には殆ど匈奴領といってもよくね?
モンゴル語。
テントの宮殿がordoで、その複数形がordos。
746 :
世界@名無史さん:04/04/30 17:14
△←オルド
△△△△△△
△△△△△△←がオルドスね。分かった。
↑分かりやすい説明だw
ってマジかよ?!
黄河の湾曲部がオルドスと呼ばれるようになったのは、15世紀頃に
モンゴル族のオルドス部が古くから「ボル・トハイ」と呼ばれた地に
移住したのが始まり。ボル・トハイの意味は褐色の湾曲地。
それ以前は、漢族が「河套」と呼んでいた。五胡十六国時代はこの名称。
最近は民族対策の影響でこの古名「河套」が復活しつつあるらしい。
晉書、惠帝紀、訳してみた。
>>752 ・「羣后」は「諸侯」の意。
「祖先の加護や宰相の補佐を頼みに、小さい自分も諸侯の上に身を託す事が出来た」
・「夕タ若氏v 夕べにタ若として(なや)む
「タ若」=恐れ慎む 「氏v=「病」
・「三事股肱、惟社稷之重」
「社稷」を強調する構文 目的語+「之」+動詞 三事の股肱、惟だ社稷をこれ重んじ
「股肱の臣はとにかく社稷が重要であるとして」
754 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/05/17 08:14
>>164、
>>380 魏書読んでたら、あの北魏の名将・楊大眼が、
あのド地味王国w仇池の出身だと知ってビックリしたぞ。
「楊大眼,武都氐難當之孫也」 《魏書 楊大眼傳》
・・・って、
>>500で既に触れられてたか。
>>498-499、
>>504 昔何かで読んだのでは、「五斗米道と関係がある」とか何とか。
ソースは思い出せないので、もしかしたらデタラメかもしれん。(汗
ただ、親・子・孫・それ以降と平気で何代にも亘って「○×之」と通字
を踏むこの形式は、祖先の諱を極度に避ける伝統中国にあっては、
確かにかなり異例。詳細・定説をご存知の方、ご教授を切に希望。
756 :
世界@名無史さん:04/05/22 06:38
757 :
姉妹スレage:04/05/26 00:26
758 :
世界@名無史さん:04/05/26 05:21
759 :
世界@名無史さん:04/06/01 16:12
基本的な質問ですが晋が「南」渡して出来た国なのに
なんで「東」晋って言うの?首都の位置関係だけの話ですか?
宋の場合は「南」宋って言うのに南に遷った事実を認めたくなかったんですか?
と、燃料投下してみる
歩き出す方角の違いではないかと思う。
晋の長安や洛陽から建業へ行くには、一旦東へ向かって歩き出し、
やがて南へ方向を変える。
それに対して、宋の開封から杭州に行くには大運河を南下する。
その最初の一歩の方角の認識ではないかと私は思う。
江南ともいうけど、江東ともいうよな。
むかしの中国人の地理認識・方向感覚って、いまの正確な地図を
持ってる人間のものとは別物だと思う。
日本列島だって東西より南北に長くて、
朝鮮半島の南、会稽の東、暹羅(シャム)に連なるって認識だっ
たんだから。
呉地方はれっきとした江東ですよねえ。
そういや、三国志の孫策も江東の小覇王と呼ばれてたっけ。
もし、江陵に逃れてたら南晋と呼ばれてたかもね。
763 :
世界@名無史さん:04/06/02 02:38
今更だが
>>160の
船木勝馬『古代遊牧騎馬民の国』誠文堂新光社、1989
をネット本屋で探してみたらどこもなかった
絶版ぽい?
古書店で探すしかないんだろうか?
教えて黄髯碧眼の人
>759
東晋だろうが南宋だろうが自称じゃない。
所詮方位をつけるのは後の世の人よ
「後」金も後代の人が命名したの?
766 :
世界@名無史さん:04/06/05 16:37
>>765 おそらく最初から後金。
建国当初は金の再興という意味あいでそれなりの理由があったが、太祖没後、いつまでも後金だと体裁が悪いから清に替えたらしい。
スレ違いの解答なのにありがとうございます
しかし王朝名で「後」を自称するのは珍しいのでは…
日本の天皇の名だけど「後」醍醐天皇みたいなもんでしょうか
>766
そんなわけ無いでしょ。後はもともとは無い
清にしたのは漢人への配慮。金では対立感情をあおるだけだから
>>768 「清」にしたのは「さんずい」にある字を選んだから。
五行相克説では「火徳」の次は「水徳」。
そして、敵である「明」は火徳の王朝。
「火には水」の発想から、「さんずい」のある字を選んだ。
民族名を「女真」から「満洲」に変えたときにも、「さんずい」のある字を選んだ。
だから「満州」という表記は、不正確。
水分が半分ほど蒸発している。
ソースは
講談社現代新書972「中国の大盗賊」
少なくとも「漢人に配慮して清にした」ってことはないと思うが・・・。
>水分が半分ほど蒸発している。
ワラタ
771 :
世界@名無史さん:04/06/06 23:46
___________
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//j/三三三三三三三三三三ヾ、
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── |::||::::::::::::: \___/ |j 少しは感謝して肉をちょうだいよね!
ヽ\:::::::::::::::. \/ ,ノ
 ̄`ー―---oo-――'"0
司馬衷と共に、苦難を乗り越えていくスレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1079605085/l50
誰?>劉曜
前趙のは劉耀だから違うし・・・
日偏の「劉曜」で合ってるよ。
『晋書』巻一百三戴記第三劉曜を見よ。
っていうか「劉耀」なんて誤字ってる資料があるのか?
761←中国では万暦帝期までは日本は南北逆の認識があったからじゃないの?
朝鮮では15世紀まで日本地図が逆に描かれてますよ。それなら九州を機軸にして
反転させたら会稽の東でシャム方面にまで行くのではないでしょうか。
万暦期の日本認識もかなり笑えますよね。
たぶん焦って古い書物ひっくり返して調べたんでしょうね。
秀吉に関する事は当時の日本人にもよく知られてなかったでしょうけど
認識的に鎌倉政権あたりの認識しかなかったみたいですね。
あと、劉曜で正しいですね。
776 :
世界@名無史さん:04/06/09 22:32
満州語では、「金」も「清」も発音が同じらしい。
しかし、満州族の王朝のせいで
>>771みたいな「玉すだれの冠」かぶった皇帝がいなくなったのは寂しいよ。
清王朝の皇帝画像と、それ以前の漢民族王朝の皇帝画像くらべると、どうしても後者が偉く見える。
あのすだれは皇帝本人にしてみれば邪魔だったろうなあ。
明代の皇帝も玉すだれみたいなの被ってたの?
明代の皇帝ってあの烏帽子?みたいなの被ってるイメージがあるが
780 :
世界@名無史さん:04/06/09 23:10
「玉すだれ」は「べん冠」が正式名。
即位式とか正月の儀式などの時かぶる。
明代の皇帝もそういう時はかぶっていた筈。
>779
明の洪武帝の肖像画(美化されていないほう)で、あの玉すだれ冠被っていたよ。
782 :
世界@名無史さん:04/06/09 23:46
五代十国の南漢って、ドジな国だな。
前漢以来、千年も中国の支配下にあった北ベトナムに独立されちまった。
>782
書き込むスレ間違ってませんか?
ここは五代十国とのスレ違いには敏感なインターネットですねw
五胡十六国の翟魏って、可哀想な国だな。
このスレで名前出たことあったっけ?
>>785 あの辺りになると国というか唯の叛乱勢力といえばいいのか…
まあどっちもあまり変りはないのだが。
しかし翟魏よりは蓋呉の方が強そうだわな。
787 :
世界@名無史さん:04/06/10 15:22
>>785 翟魏って、漢族だけの国家を目指して自滅した国だっけ?
既に五胡が流入している現実を否定したかったんだろうな・・・
788 :
世界@名無史さん:04/06/10 15:26
>>787 失礼!
「冉魏」と勘違いしてた!
丁零(トルコ系遊牧民)の翟遼が建てた国だね。
丁零族三万八千戸と、小規模ながら中原に自立した国。
>>784 よく混同される
予備校で教えてるけど「五代十国と五胡十六国は違うんですか?」と
聞いてきた生徒がいた
うーん、翟魏って前秦崩壊後のどさくさまぎれに成立した印象があるから、
自分には独立国とは思えないなあ。いや、自分の主観に過ぎないけど。
仇池国の方がまだしも存在感ある気が・・・。
791 :
世界@名無史さん:04/06/11 01:03
>>790 つうかあの頃は独立国と叛乱軍とその辺をうろついている武装集団の間に
本質的な差は無いんじゃないか?量的なさの問題であっという間に潰されるのと
一応天下国家を目指せる物との差は有るんだろうけど。
>>789 五胡十国と五代十六国と反対におぼえてる同級生もいたな。
頭がともに「五」なのは漢字に弱い香具師にはちょっと気の毒w
五なんとか十なんとか、くらいに覚えてるんだろうな
なぜ五胡でなぜ五代かと教えればもうちょっと違うと思うんだが。
六朝だから五回王朝が変ったから五代とか、とんでもない間違えをおかしたりして。
>>793 高校生にそこまで要求してもね…
高校生の内歴史、特に中国史に興味が有るのがどれほどいることやら
>789
五胡十六国 四世紀 司馬晋の統一の後
五代十国 十世紀 唐の後
って教え方だとわからないって事?
五胡十六国 三国志の約四十年後
五代十国 三国志の約六百年後
ならわかってくれるのかな?
よほど歴史好きの高校生じゃない限り、受験勉強でいやいや暗記するんだから
「五」と「十」だけで何となく覚えていて混同するのは仕方ないと思われ
日本史で言うと戦国時代以前の室町時代って感じなのかな?
不人気の度合いでは
人気ないし仕方ないね
俺も大学はいるまで、どっちも頭の中に入ってなかったよ
テストにも試験にもでないもん
朱全忠だけは覚えたかな・・・なぜか
>つうかあの頃は独立国と叛乱軍とその辺をうろついている武装集団の間に
>本質的な差は無いんじゃないか?量的なさの問題であっという間に潰されるのと
>一応天下国家を目指せる物との差は有るんだろうけど。
たしかにそうかもしれない・・・・。
「載記」を読むと、後秦とかも「単なる大きな流賊集団」の時期がありますね。
前秦の復興もけっしてノーチャンスじゃなかったというか。
あとは、地政学的な問題でしょうかね? 河西回廊を根城にした「五涼」のような。
792〜798、横レスになってゴメン。
今度は仇池関係のものでも訳してみようかと思って、楊大眼に手を出したが上手くいかない。
軍主とか統軍とか、志に説明のってない。
>>797ですが、漏れ的には五胡十六国時代は歴史のダイナミズムを感じる
面白い時代だと思ってるんですが…
まあ三国志萌えの素人にはお勧めできない時代なんでしょうか?
802 :
世界@名無史さん:04/06/11 22:48
>>801 三国志には演義があるからね。
あれが無ければ三国志も五胡十六国も同じ様にマイナーだったんじゃないかな?
>>800 中央研究院で通典を検索したらこんなの出てきた。参考になる?
雄烈、恢猛將軍翊副都督諸開府東西閤祭酒及參軍事、諸曹行參軍三等下州功曹、倉曹、
中兵參軍事四中府功曹、倉曹、中兵參軍三等中州主簿、諸曹參軍事二府司馬・事府丞
左右備身五職三等鎮錄事參軍六寺丞祕書郎中著作佐郎太子侍醫太子騎尉太子騎官備身五職
(都將、別將、統軍、軍主、幢主是也.)
下同.三等中郡丞三等中縣令
( )の中が注。ここに統軍と軍主が出てきてる
>>803 演義は「春秋演義」から「中華人民共和国演義」まで全時代あります。
ダントツの人気が「三国志通俗演義」だということです。
>>803 ありがとうございます。
読んでみます。
しかし何だって日本ではこれだけ「演義=三国志演義」なんだろうな。
他の演義物って成立年はどれ位なんだろう?
ほかの演義の質が悪すぎるからだろ。
蔡東藩なんて中国でも評価されてないだろ。
三国志以外の演義ものってあまり話題に上らないよな
せいぜい隋唐演義くらいかな
>>795 単純に16の国が争いました、5代の王朝が現れました、で良いと思うけど。
>>795 西洋史に興味あるなら、ゲルマン民族の大移動に絡めて説明すれば
面白いと思う。時代的にも近いし、大帝国が崩壊するサマも似てる。
西燕って結局何だったんですか?
とりあえず、段随と慕容凱の出自を教えてください。
段部って扱い小さいな
台風の目が上に北らコンビニに行こう。
>>809 三国演義がこれだけ広まったのって三勢力の争いが一番おもしろくてすっきりしてるし
話の時間の長さ的にもちょうど良い分量であるからではない?
段部は五胡時代の裏方
>>815 ほかのヤシも指摘しているが、
三国演義は三勢力に収斂する前のほうが人気あるし、おもしろい。
五胡十六国だって作り手の力量や構想がしっかりしていれば面白いものが
できるはず。
張重華ってかっこいい名前だよな
819 :
世界@名無史さん:04/06/23 18:35
五胡十六国には三国志に見られる「善=劉備=蜀VS悪=曹操=魏」という
ストーリーの核となる対立がないのが厳しいんじゃないかな。
中心に据えられる陣営が無いと言うか
>>818 舜の名前真似たんだよ。もともとは「瞳が二重」という
意味だとか。
中心に据えられる陣営…慕容氏じゃないか?
前燕〜後燕〜北燕
けっこう格好いいキャラ多いよ。
822 :
世界@名無史さん:04/06/23 21:54
水滸伝に出てくる慕容彦達って子孫なのかな?
823 :
世界@名無史さん:04/06/23 22:58
>>821 確かに中核に据えることが出来るのは慕容なんだけどね。活動時期も長いし。
ただあそこは垂死後以降がちょっとさ…
北は一貫した勢力がないからどうしても主人公(勢力)を
設定するのは難しい。いっそ南朝のクサレ貴族どもの
冷ややかな視点で語らせて、南朝のダメダメさも浮彫りにする
という作戦はどうか?
>>823 最後のぐだぐださはちょっといい加減にしてくれと言いたくなる
或る程度一貫性があるのは、
慕容・拓跋・東晋・仇池くらいだが、
拓跋と仇池はあまりにも華がないということで。
三国時代220-280
五胡十六国時代304-439
819の「中心に据えられる陣営=善役主人公」としよう。
三国志演義は後漢末期も含めても100年を越えない。主人公は劉備と諸葛亮の2代。
ところが、五胡だけで135年にも渡り西晋末期も含めると150年に達してしまう。
善役主人公だけで何代も頻繁に代わる演義物は相当難しい題材と思われ。
符堅は主人公のひとりになれると思うが、晩年がイマイチかな。
すまん、漢字間違えた。
827の符を苻に訂正よろしく。
一ヶ所に視点を置くんじゃなくて、群像モノでもいいんじゃないかな。
劉曜vs石勒とか、苻堅と王猛とか、赫連勃勃のDQN物語とか。
那珂通世『支那通史 中冊』(岩波文庫)を見ていたら
竹かんむりの「符堅」と誤字っていた。
かほどの人でも間違えるとは、根が深いのね。
正直ネットで間違い多いのもしょーがない気がする。
正しくは草かんむりの「苻堅」。
831 :
世界@名無史さん:04/06/24 19:45
どうせ苻堅の苻なんて借音なんだろうから苻でも附でも符でも府でもいいんでない?
なんていったら人毎に書き方変っちゃうから駄目だな。
>>829 視点がちょろちょろ変ったら感情移入が難しくなるんじゃないかな?
三国志の場合は講談師に合わせて大泣きするくらいの感情移入度だからな
っと、いい忘れてたけど胡漢春秋様
>>812のお仕事乙です。
俺も暇になったら何か訳そうかな?
ん? 苻氏は始め蒲氏だったのを、「艸(くさ)付なる、まさに王なるべし」という
予言があったのと、苻堅が生まれたときに「艸付」の字がその背にあったことから
苻の姓を名のったんじゃなかったっけ? うろ覚えだが。
中華書局の標点では「艸付應王」となってるようですが。
草に予言文が付いてるって、インドまでアガスティアの葉を見に行ったのかと思ってしまったw
しかし、この五胡十六国ってのはとにかく血なまぐさい、
後の南北朝とあわせて中国史上最悪のDQN時代なんじゃないだろうか?
同じ戦乱の時代でも、三国にしろ五代十国にしろここまでひどくはない。
その辺もすかれない理由なんじゃないのか?
>>836 うーん、冉閔や赫連勃勃はDQNだし、南北朝でも太武帝の南征やら南朝の
殺人皇帝ども見てるとひどいもんだけど、
中国史上最悪かどうかは分からん。
規模的には明末清初の杭州十日、嘉定城のほうがでかいかもしらんし。
太平天国も結構痛い。
軍閥混戦、内戦、反右派斗争、文革と…
近現代は云うまでもなく痛いことが多い。
五胡十六国や南北朝のほうが妙な気兼ねなく喋れていいかもしらん。
好かれていないのは、取っつきがややこしいから一般に理解されてない
だけだと思う。
血生臭いのに拒否感がある人にはもちろんお勧めしないけどね。
唐なり宋なり明なり清なりの盛時に逝ってくれとしか。
>>837 杭州じゃなくて揚州十日記じゃないかと…
三國志10が盛り上がってるな…
しかし、皇帝になる条件が都市数だと冉閔プレイができないじゃないか。
840 :
世界@名無史さん:04/07/06 16:57
あげとくか
三戦板の「三国時代のその後」スレが落ちています
わざわざ報告乙
新スレ立っても報告やリンクいらないよ
一応ホシュ
遺晋
846 :
コピペage:04/07/22 22:52
おまいら朗報だ! 第5巻はいつごろの発売かな?
-----------------------------------------------------------
277 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/07/20 08:28
中国の歴史 講談社 全12巻
編集委員 礪波護・尾形勇・鶴間和幸・上田信
1 神話から歴史へ(神話時代〜夏王朝) 宮本一夫
2 都市国家から中華へ(殷周 春秋戦国) 平勢隆郎
3 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) 鶴間和幸
4 三国志の世界(後漢 三国時代) 金文京
5 中華の崩壊と再生(魏晋南北朝) 川本芳昭
6 絢爛たる世界帝国(隋唐時代) 気賀澤保規
7 中国思想と宗教の奔流(宋朝) 小島毅
8 疾駆する草原の征服者(遼 西夏 金 元) 杉山正明
9 海と帝国(明清時代) 上田信
10 ラストエンペラーと近代中国(清末 中華民国) 菊池秀明
11 巨龍の胎動(毛沢東VSケ小平) 天児慧
12 日本にとって中国とは何か(環境・開発・人口の中国史 世界史の中の中国 他)
尾形勇・鶴間和幸・上田信
葛剣雄・王勇・礪波護
2004年11月 3・11巻発売、以後05年1月より1巻ずつ配本
講談社が約30年ぶりに「中国の歴史」を出します。学説も執筆者の顔ぶれも
大きく変わっていますが……期待できるでしょうか?
----------------------------------------------------------------
なんか、こういうのって南朝ばっかり詳しいような気がする。
848 :
世界@名無史さん:04/07/23 03:06
川本先生か。まあ期待できるかな
849 :
世界@名無史さん:04/07/23 13:14
川本先生は世界史リブレットの著者ですね
一応五胡十六国・北朝史が御専門みたいなので期待してみる
というか、神話時代〜夏王朝だけで1巻書けるのかよ。
龍山・良渚・黄帝・舜・ケツ王の話と、魏晋南北朝が同じ分量というのもちょっと
複雑な気分・・・いや考古学や神話学をバカにしているわけではないが・・・
ちなみに30年前の『中国の歴史』全10巻の構成は以下の通り
(サブタイトルはうろ覚え)
1.原始から春秋戦国
2.秦漢帝国
3.魏晋南北朝
4.隋・唐
5.五代・宋
6.元・明
7.清帝国
8.近代中国
9.人民中国の誕生
10.目で見る中国の歴史
原始から春秋って凄いな…
三十年前って殷の存在が確認されていないんだっけ?
>>852 iいくらなんでも存在は確認されてるだろうw
その巻は学術文庫から出てるけど殷代の記述もある(夏の時代はなかったと思う)
>>853 うみゅ。殷墟の発掘は1928年、大規模な発掘は1950年代以降に何度もあるからね。
855 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/07/23 21:18
時代配分と担当者と大学の間には因果関係があるんだろうか?
東大なら一巻まるまる使えるとか。
857 :
世界@名無史さん:04/07/23 23:04
金文京って誰?
金先生は三国時代史の研究者というより三国演義の研究者って感じだが
再版の講談社学術文庫のやつも早く全巻出てほすぃ〜。
>>860 「人民中国の誕生」の巻がちょっと厳しいんじゃ…
でも中公文庫はもっと古い人物往来社版『東洋の歴史』を全部出してるから
何とも言えないが
862 :
世界@名無史さん:04/08/02 10:34
匈奴族が二十万人も大虐殺された、というのは本当?
>>862 冉魏?非漢人がいっぱい殺されたらしいね
五胡十六国でDQNランキングを作成したら冉閔のベスト5入りは堅いだろうか
五胡十六国DQNベストファイブといえば…
石虎
冉閔
赫連勃勃
あと誰がいたっけ?拓跋珪もランクインするかな?
苻生じゃインパクト弱いか…
慕容一族は人格者が多そう
明の皇帝なんかと比べると意外とDQNは少ないんじゃ?
869 :
世界@名無史さん:04/08/10 20:39
禿髪一族・・・
蕭衍じじ
871 :
世界@名無史さん:04/08/10 23:31
劉曜も相当な悪じゃないか?
872 :
世界@名無史さん:04/08/11 15:36
劉聡のが明らかにドキュソだろ。
873 :
世界@名無史さん:04/08/11 15:52
赫連勃勃が築かせた城、統万城が内モンゴルに今でも残っている。
この城は石灰を混ぜた土を搗き固めて堅固な城壁にしてあるのだが、
築城の際、役人は槌と釘を持って城壁の硬さを検査した。
もし釘が一寸でも城壁に打ち込まれれば、現場責任者は「手抜き工事!」ということで
処刑されたという。
>>873 NHK「大黄河」のオルドスの回に映像があったな。
統万城跡に住んでる爺さんがいて、なんかほほえましくて笑った。
赫連勃勃って、統万城の四方の門に
「朝宋門」「招魏門」「服涼門」「平朔門」って名付けたんだよね。
やる気満々だね。実際はともかく。
城壁に埋められたってのは作り話ですか?
儂を貶めるための作り話だ
>>877 漢族じゃないのにそんな画数の多い難しい字をよく知ってますね
>>878 まあ俺も漢の末裔と言えないこともないからな
>>879 貴方の部族鉄弗部は拓跋部の訛りだと言う説が在りますが本当ですか?
あんまり気軽に話してると壁の中に埋められるぞw
882 :
世界@名無史さん:04/08/20 02:08
晋の国の最後の皇帝は匈奴族に捕まって豚小屋に監禁されて残飯食わせられ、
首輪つけられて強制労働させられたうえに惨殺されたそうだね。かわいそうに・・・
これだからドキュソの匈奴は・・・
>>880 ちょっと待った。匈奴鉄弗部と鮮卑拓跋部が同族という説があるの?
拓跋部と禿髪部が同族って話は聞いたことあるけど。
884 :
世界@名無史さん:04/08/20 10:37
ところで315年に代が、東晋から正式に認められて封じられたそうだけど、
何故東晋は認めたの?遠すぎて攻められるわけでもないし、
鮮卑が、晋から認められなくちゃいけない理由もないし……
賄賂美女多数を・・・
>>883 同族であるという説ではなくて、代々通婚を繰り返すうちに同化が進行していたって話みたい。
で、他所から見たら「あいつらはタクバツだ」と言っていたのが訛ったとか。どの程度信じられるんだろう。
>>884 拓跋部の当時の首領だった猗盧が、山西省に残っていた
晋の勢力である劉根(木偏じゃなくて王偏)を助けた事による褒美と言った所かな。
ちなみにこのとき劉根は山西省北部の地の住民を尽く他所へ移してその地を猗盧に与えているけど
このことが拓跋部の南進の基礎になったみたい。
>>886 なるほど、ありがとー
ちなみに、陳留王に封じられた元帝の一族がどうなったか知りませんか?
ずぅっと後の晋書に「陳留王 曹○(忘れた)が亡くなって、なんとかが継いだ」
っと書いてあったもので。
>>887 今ちょっと調べてみたけど元帝の子孫がどうなったのかは晋書を見る限り良く分からないね。
ただ陳留王は元帝の後をついだ?曹操の玄孫の勵→子の恢→子の靈誕という系譜は確認できるみたい
889 :
世界@名無史さん:04/08/20 23:29
>>888 あれ?
となると、陳留王家は途中で一族の人間から選ばれたってことかな?
それとも、曹奐は曹操の孫だから、玄孫の曹勵とやらは
曹奐の孫にあたる…のかな?
確か曹奐は八王の乱の真っ最中に五十歳半ばで死んだから、孫が居てもおかしくない。
それに西晋の滅亡と陳留王家の存続が比例しているなら、時代は合うな。
そういえば陳留王家っていつまで続いたんだろう?東晋になっても、仮の王として建康
に居てもおかしくないと思うんだが……
曹霊誕の陳留王位継承は383年だね。
孝武帝紀の肥水の戦いのすぐ後に出てくるから目に付きやすいのか。
891 :
世界@名無史さん:04/08/21 11:48
すげぇ、陳留王家は百年以上続いたのか。
陳留王家がいつまで続いたのか興味があるな。
そういえば山陽公家は、永嘉の大乱で皆殺しにされたんだっけ?
分家を立てなかったのかな?
892 :
世界@名無史さん:04/08/21 22:18
AGE
893 :
世界@名無史さん:04/08/22 21:09
五胡のうちの羌族は、殷代の羌族と同じですか?
倭王の使者の司馬曹達って、子孫かな
896 :
世界@名無史さん:04/08/23 01:26
飛鳥時代の代表的な仏像彫刻師である止利仏師は
司馬の鞍作部の首(おびと)という氏族の出で、
百済系渡来人とされている。
897 :
世界@名無史さん:04/08/24 00:22
五胡っていうけど、
実際テイ族政権だったのは、成都だけだよね…
>897
その成漢を建てた氐も、正確には
氐とは別種の「巴氐」と言うらしいが。
匈奴に対する羯みたいなもんか?
つーか、氐族政権ならちゃんと
符健の前秦があるじゃないかい。
899 :
世界@名無史さん:04/08/24 02:09
あ、あれは鮮卑に雇われていたテイ族だったんだ
初めて聞いた。
ってか全然テイ族って存在感ないよね。
五胡十六国だけど、二胡で十分じゃねぇのか?(鮮卑、匈奴)
>>894 殷代の羌が嵩山付近から追っ払われて陜西に逃げた。
そこで周と仲良くして都市民化したのが姜姓諸族。
牧民生活を続けた残りの羌は秦に追っ払われて甘粛・青海に逃げた。
そこで原住民と混血して後漢代に暴れ回った。
漢民族に懐柔されて中原に移り住んだ連中の子孫が、
五胡十六国で暴れた羌。こいつらは後に漢化して消滅。
甘粛・青海に残った羌は徐々に漢民族やチベット人に
吸収されていくが、最後まで残った羌が今も四川省に
住んでいる羌族。
ちなみに西夏人も羌の一派タングート(党頂羌)。
雲南省の納西族とか彝族も、南下していった羌と
原住民族が混血した形成された民族。
>>900 吐谷渾や西夏の話も絡めたほうがええんでわ?
吐谷渾は鮮卑だよ
>903
前から思ってたんだけど、
いわゆる「河西鮮卑」って、本当に鮮卑なの?
いや、最初の頃の禿髪とかは別にしても、
吐谷渾あたりになるとかなり怪しい感じなんだが。
多分に建国神話/氏族発祥伝説的というか。
905 :
世界@名無史さん:04/08/24 08:47
オルドスで暴れて、北魏の拓跋珪と北燕に討伐された劉顕ってのは
やっぱり劉淵の子孫なの?
吐谷渾=鮮卑慕容氏出身の根拠は、
・「慕容カイの兄が自分の部衆千二百を連れて
甘青に移住した」という晋書・四夷伝の記述
(後世の史書はこれを踏襲)
・代々「慕容氏」を名乗っていた
ということだけで、言語などの資料があるわけではない
(あっても鮮卑自体の言語が不明だからあんまり意味は
ないが)。
これを積極的に否定する材料はないから、鮮卑出身説は
おおむね支持されている。「慕容カイの兄」という話は怪しい
かもしれないが。
4世紀はじめに、鮮卑の若羅と抜能が河西に侵入して
撃退された、という記録もあるし、それと同じ頃に置かれて
いる吐谷渾の甘青移住も異常な話ではない。
吐谷渾は「阿柴虜(貲虜)」という別名を持ってる。
実はこちらの名前の方が由来は古く、「後漢のはじめに
匈奴の奴婢が河西に逃亡・定着し貲虜と呼ばれた。
大胡(匈奴)、丁令、羌が雑居していた」(三国志・魏志=
魏略<散佚史料>を引用)とある。
これだと鮮卑ではなくなるが、「西遷した吐谷渾が、原住の
阿柴虜を支配し、後に両者が同一視され阿柴虜=吐谷渾と
されたのだろう」という説が優勢。といってもたいして証拠が
あるわけじゃないけど。
908 :
世界@名無史さん:04/08/26 09:13
>>906 >鮮卑の若羅と抜能が河西に侵入して撃退された
「若羅と抜能」じゃなくて、「若羅抜能」という単独名じゃないの?
党項も拓跋姓ぢゃなかったっけ?
西夏王家は拓跋姓を名乗っているが、歴史上出現当時から
党頂「羌」の拓跋氏として現れる。
鮮卑と関係づけて考えるならば、
鮮卑拓跋部→吐谷渾拓跋部→党頂拓跋氏
という流れも想定できるが、一般には「拓跋姓を
僭称して北魏の後継を主張した」という説が優勢。
なによりも西夏語はチベット・ビルマ系言語である
ことが判明しているから、その起源を北方に求めるのは
難しい。
王家の祖先は鮮卑拓跋部だが、のちに党頂羌を支配して
支配層は被支配層に同化した、と考えられないことも
ないが、その仮説を証明できるほど詳しい史料はない。
911 :
世界@名無史さん:04/08/27 01:34
ねぇ、どうでもいいけどタクバツがどうとか世界史にもでてこない、あるいは一行で
片付けられる人物を何レスも話し合ってて楽しい?
912 :
世界@名無史さん:04/08/27 01:51
鮮卑ってモンゴル語しゃべってたの?
>>912 鮮卑はその名の通り、サビル族で、シベリアと語源を同じくする。
>>913 あはは、おもしろいね
それで、鮮卑の着ていた民族衣装が
背広になったんだったっけ
915 :
世界@名無史さん:04/08/27 16:14
古代漢語は日本語とほとんど同じだって本当?
916 :
世界@名無史さん:04/08/27 17:59
東胡=ツングース
党項=タングート
って何か似てる・・・
>>915 もちろん!だから古代日本の文献はみんな漢字で書いてあるんだ。
タクバツを人物名だと思ってる911は痛いな。つーか笑える
919 :
世界@名無史さん:04/08/27 21:11
>>918 別にそんなこといってないだろ
>タクバツがどうとか世界史にもでてこない、あるいは一行で片付けられる人物
↑↑↑↑
要するに、タクバツは一過程に過ぎないってこと。
920 :
世界@名無史さん:04/08/27 23:14
鮮卑の容貌に関する記述ってある?
このスレ最初から読めば、何処かに書いて有る。
おまいら目ぇ窪んでるから眼病なんかその窪みに小便入れて治せって言われたのは羯族だったっけ?
>>922 正解
後趙のとき羯族の孫珍という人物が崔約に眼病の治療法を尋ねたところ
崔は
>>922のように言って嘲った。
立腹した孫は石宣(石虎の太子)にこのことをチクったので
石虎の息子のなかで最も濃い容貌だった宣は激怒し崔父子をあぼーん。
晋書載記にある話らしい(川勝『魏晋南北朝』)。
>>923 その崔約ってやっぱり清河の崔氏なのかな?
魏昭成帝に関する記述で、仰向けに寝るとオパーイが地面についたって記述はそんな意味なんだろう?
---------------------------------------------------
<原文>
太子・事孫珍問侍中崔約曰:「吾患目疾,何方療之?」
約素狎珍,戲之曰:「溺中則愈.」珍曰:「目何可溺?」
約曰:「卿目[目宛][目宛],正耐溺中.」珍恨之,以白宣.
宣諸子中最胡状,目深,聞之大怒,誅約父子.
《晉書》〈載記 卷一百六 載記第六 石季龍上〉
---------------------------------------------------
<訳>
太子・事の孫珍が侍中の崔約に質問した。
「目を患ってしまったんだが、どうすりゃ治るだろう?」
元より崔約は孫珍と慣れた仲であったので、
おちょくって「小便に漬ければ治るだろう」と言った。
孫珍が「何故に目に小便を?」と問うと、崔約は答えて、
「君のベッコリ凹んだ眼窩なら、小便も溜め得るだろうよ」と。
孫珍はこれを恨んで、石宣に告げ口した。
石宣は石虎の諸子の中でも一番バタ臭い顔立ちで、
もちろん目の辺りはベコッと窪んでいたから、
これを聞いて大いに怒り、崔約親子を誅殺してしまった。
---------------------------------------------------
927 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/08/29 02:14
石宣って、平井堅みたいな顔してたんだろうかね。
928 :
世界@名無史さん:04/08/29 02:49
鮮卑はトルコ系かもって人に言ったら怪訝な顔されたけど、
実は結構当たってる?
929 :
世界@名無史さん:04/08/29 03:02
>>928 トルコ系かもしれないって説はずいぶん昔からあるんだが…。
言語的にはトルコよりモンゴルに近いらしいよ
その石宣も最後には親父に惨殺されるんだよな
932 :
世界@名無史さん:04/08/29 09:44
晋書かなんかに、劉禅の子の劉なんとかって人を見た人の話がのってたんだけど
劉なんとかは何処に匿われてか知ってる人います?
匿われたというか普通に安楽公位を継いだんじゃないの?
934 :
世界@名無史さん:04/08/30 15:51
五胡十六国時代の原因は、晋の皇族の力が強すぎたこと、
武帝の行った軍縮が原因だと聞いたんですが、
なぜ武帝はここまで軍縮を行って、皇族に大権を持たせたんでしょうか?
935 :
世界@名無史さん:04/08/30 17:04
新しい王朝は、よく前の王朝の悪いところを反省して政策を行う。
曹魏が曹丕以来一族の力を削ぐような政策を取ったため、結果的に重臣達が
力を持ち、乗っ取られてしまった。
皇族に力を持たすのは一長一短で、王朝としては強くなる場合が多いが、
反面王位争いが激しく国は荒れる場合が多い。
晋の場合はその王位争いが激しすぎたために一気に崩壊を迎えたという例。
936 :
世界@名無史さん:04/08/30 17:51
というか、司馬炎が大盤振る舞い好きな性格だったのと、
司馬一族の権力志向が悪い方に働いただけだろ。
元々外戚によって担がれたような政権だから、それに対抗するという面も有ったと思う。
938 :
世界@名無史さん:04/08/30 19:37
晋の外戚って誰だよ?
王氏?楊氏?賈氏?
大土地所有の進展への牽制
地方官の軍閥化への牽制
皇族の権限強化の目的にこれらは?
前者は隋唐に至ってまでもの問題だし、
後者は刺史に軍権を与えた結果、地方割拠を招いた後漢への反省とか。
曹丕の皇族抑圧は良く言われるが、
やってることは秦漢以来の皇室宗家-諸侯王の関係の基本からは外れていない
むしろ曹植を殺さなかっただけ、後代の皇位継承問題を見る限り曹丕は甘々さんだ
皇族の序列化をしっかりやっとかなかったことで「俺が俺が」という現象を産んだこと
(北魏なんかも六鎮の乱辺りに慌てて対処したくさい)
一族の結束を信用したという不用心
それに皇帝というのが文明圏の長(古代型)から一族の長(中世型)に変質したとか
思いつくままに言ってみる
940 :
世界@名無史さん:04/08/30 20:15
西晋と東晋では王族の待遇が変わったか?
>>940 兵権を与えて要地に出鎮させることが無くなった・・・と思う。
942 :
世界@名無史さん:04/08/30 21:55
その辺は学習したんだろうな・・・
いきなり反乱続出だったけど。
943 :
世界@名無史さん:04/08/31 01:00
っていうか、東晋にーの王族ってほとんど聞かない。
ロウヤ一族強すぎ。いくら亡命政権とはいえ、なんでこんなに東晋の権力を握れたんだ?
944 :
世界@名無史さん:04/08/31 01:15
>>943 司馬睿に南へ逃げるよう勧めたのも、
江南に人脈が無い司馬睿の代わりに豪族たちとの交渉の窓口になったのも王導。
東晋が成立すると仲父と呼ばれている。
しかも、従兄の王敦は軍部の実力者。
擁立の功と皇帝を凌ぐ名望に加えて軍事力まで持ってたら、余裕で権力握れる。
東晋でも文武の高官になった皇族はわりといるんだが、
いかんせん貴族と軍閥の方が印象の強い香具師が多くて目立たない罠。
945 :
世界@名無史さん:04/08/31 01:31
にーの王族って何ですか?
946 :
世界@名無史さん:04/08/31 13:03
ーの王族だよ
947 :
世界@名無史さん:04/08/31 15:41
『ムーラン』(木蘭?)というディズニー・アニメは中国で上映禁止されたそうです。
漢族とモンゴル族との民族対立を煽ると政治判断されたせいでしょうか?
でも、あの男装の女戦士伝説は五胡十六国時代ということにされているので、
「華木蘭」が男装・従軍して守ろうとした国自体が、北方民族王朝だったはずです。
ディズニー映画は全世界で金史すべき
949 :
世界@名無史さん:04/08/31 16:26
中国は鮮卑をまだ異民族視してるのか。
今の中国人なんて半分以上鮮卑の血が流れてるんじゃねえか?
ディズニー映画が世界に出ずになんの楽しみが?
951 :
世界@名無史さん:04/08/31 16:49
952 :
世界@名無史さん:04/08/31 17:05
北周初代皇帝孝閔帝宇文覚.
先祖は遼西地方にいた鮮卑族とされる宇文氏の族長。
つまり木蘭は鮮卑族王朝の為に従軍したのだということになる。
953 :
世界@名無史さん:04/08/31 17:50
正史には韓木蘭という人物しか見えないようだが・・・
別人だよね?
木蘭伝説はいろんなバージョンがあっていつの時代かよくわからない。
北周時代との説もあるが、北魏、唐代、などいろいろある。
いちばん古いので北魏。まぁどれでも鮮卑王朝にはかわりないけど。
だから、敵対した北方遊牧民ってのはたぶん突厥なんだろうけど。
ストーリ−にもいろんなバリエーションがあり
遊牧民の王の后に迎えられるというパターンもあるらしい。
>北周初代皇帝孝閔帝宇文覚
一瞬、「あれ、初代?」と錯覚するほど影が薄いお方だ
>>955 初代皇帝なのに「閔」の字があるのは、この人くらいだろう。
確かムーランの台詞で、「フン族が攻めてきた!」と言ってなかったか?
だとすれば匈奴か。
ちなみに、台湾ではちゃんと放映されていたよ。今の台湾にとっては、フン族がそのまま
大陸なんだろーな。
このスレがとうとう950超えをするとは! ちょっと感慨深いですね。
ちなみに次スレって、どれ位で立てたらちょうど良いんだろうか?
今位から決めた方が良いかな?
980踏んだ人が立てる。位が丁度良いですかね?
>>957 ディズニーの「ムーラン」で「フン族」といってるのは匈奴じゃなくて
文字通りアッティラ王のフンでしょ。
英語圏にわかりやすくしてあるんじゃない?
他にスキタイ人・トルコ人・モンゴル人なんかも元の意味に無関係に
騎馬民族全般をさすことがある。とくに欧米圏では。
961 :
世界@名無史さん:04/09/01 11:39
そもそも遊牧民族は、農耕民族に対してそんなに悪者だったの?
木蘭ルージュ
>>961 略奪の面を強調すると悪者だが、交易者としての顔を考えると
農耕民にいろいろな物産をもたらしたわけだから一概に悪者だったとは言えない
963 :
世界@名無史さん:04/09/02 16:15
北匈奴=フン族ってのは、もう確実なんですか?
>>961 異民族だからといっていつでも攻めてきたりしていたわけではないだろう。
五胡十六国時代はいろんな民族が雑居していたわけだし。
ちょうど今のドイツとかフランスと似た状態だったんじゃないかな。
柔然=アヴァール説は?
敵対していた2勢力のうち、片側(漢族)の言い分だけ聞いてれば
もう片側(北方民族)がとてつもない悪者に見えるのは当たり前だ。
記録を残した者勝ちってことだな。
967 :
世界@名無史さん:04/09/02 22:34
遊牧民族側の言い分というのは・・・?
平和に馬交易を望んでいたのに、王朝政府側が統制で締め付けてきたので止む無く・・・とか?
>963
実は私も気になっています。
さる試験にて、その文中に匈奴=フン族は定説である
というような記述があり、それに驚きました。
いつ定説になったのかと?
この問題で積極的に研究なさっている方は日本にいらっしゃるのかな?
>>967 冬営地に帰ってきたら勝手に漢人が農業やってたんで追っ払った
交易したいのにいけずされた。
>>967 気候が悪くて牧草の育ちが悪いから、仕方なくと言うのもある。
チンギス・ハンの大遠征もモンゴル高原が
大冷害に見舞われて食えなくなったから始まったらしい。
>>969 「漏れ達にも穀物安く分けてくれよ!ウアアアアーン!!」
ってとこですか?
972 :
世界@名無史さん:04/09/03 18:39
973 :
世界@名無史さん:04/09/05 21:39
>>944 王導を一部じゃ「晋の諸葛亮」と呼んでいた人もいたらしい。
974 :
世界@名無史さん:04/09/06 00:42
「前秦マンセー」
「石勒萌え〜!」
次は?
「慕容垂カコイイ!!」
【壁に】赫連勃勃【埋めろ!】
このスレも延びたなぁ・・・
「冉閔(゚A゚)イクナイ」
−−−−−−−−−− 冉閔 −−−−−−−−−−−
>980
乙梅
984 :
世界@名無史さん:04/09/08 12:49
北匈奴=フン族ってのは学会で証明されているの?
誰か教えてけれ
自然科学じゃないんだから証明だけがすべてではないだろう。
なんらかの関係があることは推定されてるって言い方じゃ納得できないのか?
>984
匈奴自体が、匈奴民族じゃ無くて、多数の遊牧民族に拠る連合集団。
と言う説が有るし、フン族も、同様に民族連合集団だったと言う事みたいなので、
真偽を解明するのは余計難しいんじゃないですかね?
でも、逆に、匈奴連合時代に居た部族が、組み合わせが多少変わって
フン連合にも居た。と言う可能性はだいぶ高いと思いますが、どうなんでしょう?
梅
>984
いま、フン=匈奴関係にチャレンジしてる研究者はいるのかな?
もう研究課題としては下火なのかな
988 :
世界@名無史さん:04/09/09 20:12
フン族はアラビア系の民族だと思うんだがなぁ
北匈奴が壊滅したのは後漢の話なんだから、アッティラ登場までには
数百年もある。この間に中東諸国に同化しないでヨーロッパにたどり着いたとは到底思えん
1000になるまで夜釣りでも見物しましょか
帰りなんいざ 田園まさに荒れんとす
北匈奴は中央アジアで悦般国を建ててしばらくいて、そこから
フン族が西へ分かれ出たんでそ。
アラブ系が場所がちがいすぎるし、何かそれらしい歴史記述でもある?