137 :
世界@名無史さん:02/04/01 23:41
>135は田村実造&船木勝馬&三崎良章三先生に謝罪しる!
139 :
世界@名無史さん:02/04/02 22:49
140 :
世界@名無史さん:02/04/02 23:17
>139の専攻は何時代なのか小一時間問い詰めたい
142 :
世界@名無史さん:02/04/07 18:51
143 :
世界@名無史さん:02/04/07 19:33
東晋って司馬師(司馬昭の兄)の子孫だよな?
144 :
世界@名無史さん:02/04/07 19:50
司馬師って子がいないから司馬昭の子を養子にしたんじゃないの?
145 :
三戦板住民:02/04/10 00:13
三国時代の有名人の子孫って、このころどうしてんのかな?
甘寧の子孫の甘草は東晋に功があったと聞いたが。
146 :
世界@名無史さん:02/04/10 02:09
香田晋逝ってよし!
147 :
世界@名無史さん:02/04/10 22:58
甘草ってどこに出て来るんだ?
晋書には見えないようだが
148 :
世界@名無史さん:02/04/10 23:21
>143
司馬師の弟、ろうや王司馬ゆう(人+由)の孫が東晋初代皇帝元帝だよ
149 :
北朝こそ中華:02/04/10 23:26
我等は東晋の事を「偽晋」
それに続く諸王朝を
「島夷」と呼んでおる。
偽晋の初代は、その母がとある武将と密通して産んだ子なのじゃ。
(と『魏書』には記されている)
東晋と五胡十六国との関係は西ローマ滅亡後の東ローマ帝国とゲルマン諸国家との関係のようなものですか?
152 :
世界@名無史さん:02/04/18 00:42
拓跋部あげ
153 :
世界@名無史さん:02/04/18 00:57
>>151 過疎スレにsageレスすんなよ・・・
何の意味があるんだ
154 :
世界@名無史さん:02/04/18 15:39
>>144 というより、司馬昭が兄の死後、自分の次男を兄の養子ということにしたそうです。
ちなみに司馬昭は、司馬家は本来兄が本家だとして、長男の司馬炎ではなく、兄の
養子にした次男に後を継がせようそしたそうですが、司馬昭の死後司馬炎が家督を
奪ってしまったそうです。
って6日後にレスされてモナー(苦藁) >153
んじゃ、原則としてage進行って事で
156 :
世界@名無史さん:02/04/19 01:36
>>144 その次男って誰?八王の乱にでてくる司馬冏(←漢字難しい)の父親、司馬攸でいいの?
五胡時代、戦闘はどのように行われていたのでしょう?
鮮卑や匈奴はどのくらい漢民族化されてたか気になります
一騎討ちとかは三国志演義とかの中だけですかね
>>158 >一騎討ちとかは三国志演義とかの中だけですかね
そうでしょうね。三国志演義の続編である「続三国志」では彼らは一騎打ちしていますが。
(「後三国志」ではありません。図書館にある「通俗二十一史」の一部です。劉淵が劉備
の子孫となっていますが、「隋唐演義」より史実に近いです。漢文体ですがなんとか読めます)
ただ、全然なかったわけではなく、前趙の平先と反乱した陳安の一騎打ちはあったようです。
具体的な戦闘はよく分かりませんが、この時代は匈奴側は馬や弓を主体とし、晋側は歩兵や
防御用の車などを使っていたのではないでしょうか。確か、馬隆という武将が異民族をそれで
討伐しています。
匈奴は劉淵・劉曜などはかなりの学識があったみたいですが、石勒をみれば分かるとおり、一応
部族の長の息子なのに文字が読めないところをみるとまだまだ漢民族化はすすんでなかったので
はないでしょうか。
皆さん、能力値の話は止めましょう。林彪さんともこの時代の武将のことでちょっとむきに
なったことがあったので。
>>159 王浚と劉【王昆】ですか。
結果論過ぎました、アレは。
今思うと、二人とももうちょっと強くてもよかったかも……。
一騎討ちしようとして?捕まった武将とかいませんでした?
うう、これだけじゃ分からないか。
161 :
世界@名無史さん:02/05/06 23:24
>158
学研の「戦略・戦術・兵器事典 中国編」を読めばいいと思われ。
素人の当て推量よりか遙かに参考になるさ。
>>161 わかりました、感謝
今度買ってみます
お金ないけど
この時代の大虐殺はどんな武器を使って行われたのだろう?
それとも昔ながらの地面の裂け目への坑殺だったのかな
163 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:54
蘇峻は晋軍に猪突しようとして落馬して殺されたのでは?
>>161 学研の「戦略・戦術・兵器事典 中国編」がまさに素人の当て推量なのでは?
165 :
世界@名無史さん:02/05/14 09:08
>>164 え?あれってそんなに適当なの?
本屋でちょっと気になったんで立ち読みしたら、
結構まともなことかいてあるなあと感心した漏れは逝ってよし?
ほんじゃあ、具体的にどんな戦闘が行われていたのか教えてくれ。
166 :
世界@名無史さん:02/05/14 10:06
>>165 適当とは言わないが。
「6年の科学」にある「こんなに速い!新幹線特集!」みたいなもので、
よくも悪くも素人向け。
巻末の参考文献なんかも図鑑・一般向け歴史書なんかが多くて、
はっきり言ってそれらの図書を自分で読んだほうがよっぽど面白い。
(あわよくば、さらにそれらの巻末の参考文献から研究書へと進むのも可)
あくまであのシリーズは、一般書をアホでも解るように噛み砕いて
綺麗なイラストをつけただけの入門絵本と心得るべし。
167 :
世界@名無史さん:02/05/27 18:00
とりあえず保全ageといきますか。
>>165 いや、きみは逝ってよしじゃないよ。これは、164氏のほうに明らかなミスがある。
なぜわかるかっていうと、
>巻末の参考文献なんかも図鑑・一般向け歴史書なんかが多くて
と書いてあるから。「戦略・戦術・兵器事典 中国編」には、巻末に参考文献は
記載されてないんだよ。たぶん164氏は、新紀元社の「武器と防具 中国編」と
間違えたんじゃないかな。こっちは巻末に参考文献があるし、タイトルも似てる
(?)しね。
で、くだんの「戦略・戦術・兵器事典 中国編」について言うと、比較的良質の本
かと。特に、
・入手が容易であること
・中国語を習ってなくても読めること
という条件をつけるなら、最適の部類に入るんじゃないかな。
正直に言って、164はあまり読書家ではないような気がする。中国の出版事情を
知っているなら、「巻末文献を参考に探せ」とは書けないよ。あっちは絶版するの
早いから(十年過ぎればほぼ入手不可)。
南涼の禿髪氏って何かの当て字なの?
それともスキンヘッドの部族?気になります
169 :
世界@名無史さん:02/06/07 00:19
>>168 恐らく北魏の拓抜氏と同じ語源(方言差か何かで違う字を充てたの?)だろう。
ちなみに子孫は漢風に「源」という姓を賜っているが、これも「元」とは発音も意味も近い。
なお、実際鮮卑の多くの部族はスキンヘッドだったらしいが、拓抜部は漢族から「索頭賊」とも呼ばれていたように、弁髪を結っていた。
だから妄想を逞しくすれば、同族の中でスキンヘッドのグループをダブルミーニングでこう書いたのではないか
とか言ってみるテスト。
171 :
世界@名無史さん:02/06/30 22:52
この時代に隣国の高句麗が絡んで来たら、勢力図的に見ても、
高句麗にも華北統一のチャンス有りな感じにも見えるけど、
そう言った絡みって無かったのかな?
ところで高句麗と後燕との関係は?
高句麗の王族が後燕の王やってなかったっけ?
173 :
慕容名無しさん:02/07/06 22:58
あげてみよう
174 :
世界@名無史さん:02/07/07 00:23
禿髪は被り物の名前だよ。
被った時に坊主に見えるからそう呼ばれたんだと思うけど・・・
禿髪氏の先祖の母親が禿髪の上に子供を産んだからそう名付けられた
と晋書にあるよ。
175 :
世界@名無史さん:02/07/07 02:01
発音はタブガヂュエ氏だっけ?→拓抜
黄帝の子孫を剽窃させるなんて・・・李世民はなんちゅうことしてくれるのよ
中華文明外の民族は比較的ちょん髷(辮髪)が多いよね
誰かこの関係について考察した人とか知らない?
176 :
世界@名無史さん:02/07/07 15:53
中国人も髷してたと思うけど・・・
177 :
世界@名無史さん:02/07/07 18:03
>>176 なんと言うか、その・・・前頭部剃ってるじゃん
女真とかもだけど
中国人は剃らないよね
だから辮髪令に反抗したわけだし
178 :
世界@名無史さん:02/07/07 20:05
極寒の北方で髪の毛を剃る必要って感じないけどな・・・
だからたいてい毛皮の帽子かぶってるよね
180 :
沮渠名無しさん:02/07/11 19:11
あげてみよう
181 :
世界@名無史さん:02/08/02 16:24
>>178 それは日本の月代と同じ。
頭を守るためかぶとをかぶるが、その時髪があると擦れて痛むからなのだ、
同時代の日本の侍と同じ事を満族もしてたわけ。
182 :
世界@名無史さん:02/08/02 16:40
183 :
世界@名無史さん:02/08/11 03:08
↑
ジョークでしょ?
>182 超既出
185 :
世界@名無史さん:02/08/20 17:12
つ〜かさ
どうみてもU2の最高傑作はWARだろ
>>172 高句麗の王家が「高」氏を名乗ったのは後燕の高雲と姻戚関係を結んだことから。