1 :
世界@名無史さん :
02/09/16 08:51 世間では白人進出前のアフリカ暗黒大陸のイメージがあり、 未開の土人の住みかだったかのように思われてますが、 実際はガーナ帝国やマリ帝国などの高度な国家すらあり、 アラブ諸国と交易さえしてました。 そのような古代、中世のアフリカの実態や 何故、白人に植民地化されたかについて話して欲しいです。
3 :
世界@名無史さん :02/09/16 09:15
エジプトなどのホワイトアフリカに関していえば、誰も未開の土人の住処とは考えていないと思うが。
>>3 主に中南部のアフリカについて知りたいです。
南アフリカの謎の巨大塔の話しとかも興味ありますし。
5 :
世界@名無史さん :02/09/16 10:33
うーん、この分野はだれもしらないのかな? スレ放棄かな・・・・?
6 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/16 10:36
>4 グレートジンバブエ(本家ジンバブエ)ですか?確か中国やインドネシア産 の陶器などが見つかっていた筈。
7 :
世界@名無史さん :02/09/16 10:56
グレートジンバブエの遺跡はかなり長い間、白人が建造したと 言われてましたよね。シバはここだとか。
8 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/16 10:59
>7 例によって黄金が埋まっているとか。そういえばアフリカの奥地にソロモン 王の財宝が・・・何ていうのは昔の冒険小説の定番でしたね。
9 :
世界@名無史さん :02/09/16 13:32
グレートジンバブエってオカルト雑誌に良く出てくるね。
10 :
世界@名無史さん :02/09/16 13:47
ヌビア王国、エチオピアのアクスム王国、ガーナ王国、マリ王国、 ベニン王国、ダホメ王国・・・ ほかにもあると思う。
11 :
世界@名無史さん :02/09/16 13:51
「新書アフリカ史」(講談社現代新書)なんてどうでしょう。
12 :
世界@名無史さん :02/09/16 14:01
あと講談社から昔出てた世界の歴史シリーズで 山口昌男「黒い大陸の栄光と悲惨」が良さそう
13 :
世界@名無史さん :02/09/16 14:01
で、どんな国家形態だったの? それが正直、想像つきにくいんだよね。
14 :
世界@名無史さん :02/09/16 14:07
>>13 ダホメ王国は日本とよく似た二重王権だったらしい。
なんでこう碌に本も読まないで、安易に他人に知識を求める やつが多いんだろうね。
16 :
世界@名無史さん :02/09/16 20:34
>>15 まあ、それでは話しにならないのでいろいろ話したいんだけどな・・・
17 :
世界@名無史さん :02/09/16 20:52
良スレ
しかし、18世紀までほとんど文字を持たない大陸っていったい・・・ もうね、アホかとバカかと
19 :
世界@名無史さん :02/09/16 20:57
20 :
世界@名無史さん :02/09/16 20:59
イルカみたいなもんだな。
21 :
世界@名無史さん :02/09/16 21:00
アフリカには鍛冶屋や猟師が特殊の能力の持ち主ととされていて、ガーナの アシャンチ古王国はオトゥムフィビという鍛冶屋がその地方の中心のクマチに 王国をつくったのが始まり。
22 :
世界@名無史さん :02/09/16 21:03
>>18 ナイジェリアは記録の点では西アフリカで最も古く、北部のハルサ族が
ジルガムと呼ばれる文字で『カノ年代記』という史書を残している。
内容は11世紀に始まる33代の王たちの業績を記録したもの。
23 :
世界@名無史さん :02/09/16 22:42
>18 単純に英訳や日本語訳されていないだけなのでは?
24 :
棄教者 ◆witdLTi2 :02/09/17 07:41
25 :
世界@名無史さん :02/09/17 09:18
アフリカの歴史に朝鮮人が渡航して文明を授けたのは言うまでもない。
26 :
神奈川藩(相模&南武蔵)藩主ジーモン安房守 :02/09/17 09:21
俺は「アフリカ人」ならベルベル人を希望。 特にネグロイドとほとんど混血していない種族・部族。
27 :
世界@名無史さん :02/09/18 22:34
>>24 黒人ラッパーは語り部に起源をもっているといってみるてすと
28 :
世界@名無史さん :02/09/18 22:40
29 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/18 22:42
>18 稗田阿礼の如き語り部が2、300年は遡ってくれますが・・・アメ リカの黒人が先祖の伝承を頼りにアフリカに行って語り部の話と伝承 の一致から親類が分かった、という話を随分前に読みました。
30 :
世界@名無史さん :02/09/18 23:23
>>29 その伝承とはその人個有の伝承だったのだろうか?どこをどうしたら親戚がわかるのか
よく分からないが、伝承、伝説の類似性なんて普遍的なものだしちょとあてにならん
。
まあそれはともかく、文字に発明云々だけで文明に優劣つけるなというお話。
31 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/18 23:25
>30 まあ胡散臭い話ですが、地名と浚われた時の状況が一致したという話。
>>30 文明に優劣はつけたくはないが、実際に優劣はあるっしょ。
33 :
世界@名無史さん :02/09/19 01:23
エチオピアにはアムハラ文字がありますが、歴史は古いんでしょうか?
34 :
棄教者 ◆witdLTi2 :02/09/19 08:11
アレックス・ヘイリーの「ルーツ」でしょ。
紀伊国屋のBookweb で探してURL貼り付けようとしたが
全部絶版になっていました。
お近くの図書館で探してください。
>>32 韓国>>>>>>>>>>>>>日本
ということでよろしく。
35 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/19 08:17
>34 感謝致します。
36 :
世界@名無史さん :02/09/22 02:44
>>33 古いと思います。何故ホワイトアフリカに組み込まれなかったのか不思議。
34はチョ(以下略)
38 :
世界@名無史さん :02/09/23 17:34
>34 「ルーツ」はTVドラマにもなって、アメリカで大ブレイクしました。 前半の主人公クンタ・キンテの運命に涙・・・ 大きいビデオ屋行けば、こっちでも置いてますよ。お勧めします! 文字を持ってるのは、エチオピアのアムハラ、ティグレなどのセム系民族 (古ギーズ文字、アムハラ文字。アラム文字系)のほか、トゥアレグ族(マリ、 ニジェールなどに住む。古代のガラマンテス族の子孫という説あり)にもフェ ニキア文字起源の独自の文字があります。 ギーズ文字はイエメンにあったサバ王国から伝わったとされ、相当古いと思 います。現在の形になるのはAD4世紀と言われていますが、おそらく紀元前 にまで遡るでしょう。ダアマト王国の成立が前700年頃とされているので、 下手をするとその辺まで遡る可能性があります。 寡聞にして最古の文字資料の年代を知りませんので、推測ばっかりで申し訳 ない・・・
39 :
アフリカ像好き! :02/09/23 18:07
|i;;ii ;iiメソ"i";*;;,* |l!|| ll|リ/i;^* l;l!ll |l|│ / l|il|l l!| ̄\ |:l||| |l|゚ ∀゚)─ l|il|l l!|_/ ハッコウイチウ、ハッコウイチウ、ハッコウイチウ… l|il|l l!|│ \ |;l!l| ||l∧ ∧∩ l|il|l l!| ゚∀゚)/ l|il|l l!|∧ ∧∩ |ill|| ll| ゚∀゚)/ |;l!l| ||l 〈 l|il|l l!|,,/\」,,,,,,,,,,,,,,,, ノ;;i!! !!ヽ" ,
40 :
世界@名無史さん :02/09/23 18:20
ハイレ・セラシエ一世で有名なエチオピアに高度な文明があったという説があるらしいけど ほんとかな、それを黒人さんたち白人優位社会に対抗するための精神的拠り所にしてるって 誰か聞いたことありますかい?
41 :
世界@名無史さん :02/09/23 18:28
42 :
世界@名無史さん :02/09/23 18:30
スレの趣旨と少し違うけど、北アフリカって欧米人(便宜的にこう呼ぶ)の追い出された珍しい地方だと思う。 アルジェからフランスが追い出されたとかいう近代の話しじゃない、 古代は北アフリカがローマ帝国の領土だったり、ギリシャがアレクサンドリアのような都市を作ってたりで、 ヨーロッパの一部みたいな場所だったんだな。 また、カルタゴみたいなヨーロッパふうの国家もあったしね。 同様の事はペルシア以西の中東にも言えるが、イスラム教が存在してアラブ人という概念ができなければ、 北アフリカにはヨーロッパふうの国々が今もあったろうね。
43 :
世界@名無史さん :02/09/23 18:39
ヴァンダル族の血って北アフリカに残っているのかな? 北アフリカまで来た人数は少なかったそうだけれど・・・
44 :
他スレからのコピペ :02/09/24 18:08
>>43 27 :世界@名無史さん :02/09/03 21:22
ヴァンダル族が北アフリカに残した影響って、ほとんどないのかな?
ガイセリックの孫のゲリメルの代に滅んだけど・・・
28 :世界@名無史さん :02/09/03 22:08
>>27 アルジェには近代までヴァンダル人の子孫が残っていて
フランス併合時に優遇されたときいた。
29 :世界@名無史さん :02/09/03 23:35
>>27 ギボンの『ローマ帝国衰亡史6』(ちくま文庫)に、
「好奇の旅人は今日の時代のムーア人部族の中心地においてさえ、北方民族の
白い顔付と亜麻色の長髪を発見している」
という記述があります。
45 :
2チャンネルで超有名 :02/09/24 18:12
>>42 確かに現在のイスラム圏はアラブ人の拡散に因って形成された物だとは思いますが其以前の地中海地方やオリエントがヨーロッパ風とは言い難いのでは無いかと思います。
「ヨーロッパ」と云う物もゲルマン人の拡散に因って形成された訳で。
だからカルタゴもローマも寧ろ古代オリエント(古代西洋)風の国家だったんでは無いでしょうか。
後代の「ヨーロッパ」と「イスラム」のどちらが古代西洋に近いのかはよく分から無いですが。
>>40 ラスタなり。
アフリカだけでなく、カリブ海の黒人にも信じられてる。
赤緑黄のラスタカラー、マリファナ、レゲエが有名。
とりあえずボブ・マーリィーを聴こう。
48 :
世界@名無史さん :02/09/28 03:55
>>7 シバって現在のイェーメンの事じゃ無いんですか?
49 :
世界@名無史さん :02/09/28 08:07
>40 ラスタファリズムやラスタファーライの語源が「ラス・タファリ(タファリ皇子 の意味。ハイレ・セラシエ皇帝の即位前の呼び名)だしね。 最近はジャマイカでもラスタファーライは下火みたいです。英国国教会に戻る人 が多いようです。ジミー・クリフはムスリムになりましたし。 >48 シバ(アラビア語でサバ)はイェメンです。 ただ、グレート・ジンバブウェを見た白人が、差別意識丸出しかつ歴史の知識の ないの丸出しで「黒人にこんな立派な石造建築が造れるはずはない。きっとこれ は聖書に出てくるシバの遺跡に違いない」と喧伝したことがあったのですよ。
50 :
世界@名無史さん :02/09/28 09:57
アフリカが簡単に植民地化されたのは「国民国家」というシステムを持たず、 対立する部族を倒すために各地の部族が争って欧米列強の手を借りたから。
51 :
世界@名無史さん :02/09/28 10:39
アフリカが植民地化されたのはユーラシア大陸から隔離 されていたから。ただそれだけ。
アフリカ人がアホだから それだけ
シャカ・ズールーっていう珍しい例外も有るけどね。
54 :
世界@名無史さん :02/09/28 15:05
ザンジバルってもともと奴隷貿易やってたアラブ人の拠点だよね。 白人がアフリカにやってこなかったらアラブ人がケープまで南下して バンツーネグロは根こそぎ奴隷にされてたと思うな。
55 :
世界@名無史さん :02/09/28 15:28
ブラック・ムスリムって歴史を知らないアフォということになる。 もっとも、アメリカ大陸での奴隷労働ほどひどくはなかったけど、 千夜一夜物語ではもろに黒人差別 (いっぽうフランク人の女奴隷とは寝たいということ)
56 :
世界@名無史さん :02/09/28 15:32
ところで、漫画の類で、 パリのアラブ人街の洋服店の更衣室から 白人女性を誘拐して、好色な産油王国のハーレムに売り飛ばしている 言うネタが有るけど、 あれってやっぱりネタ?
>>56 いままで都市伝説だとおもってたけど、
北朝鮮の拉致問題を知るとあながちネタではなさそうだな・・・
58 :
世界@名無史さん :02/09/28 17:37
マジマジの乱、アホすぎる・・
59 :
世界@名無史さん :02/09/29 00:34
>>29 >稗田阿礼の如き語り部が2、300年は遡ってくれますが・・・アメ
>リカの黒人が先祖の伝承を頼りにアフリカに行って語り部の話と伝承
>の一致から親類が分かった、という話を随分前に読みました。
>>34 氏の指摘する通り、アレックス・ヘイリー『ルーツ』のことだと思います。
ただこの話、実は相当怪しいという研究を目にしたことがあります。
というのも、語り部というのは過去からの言い伝えを忠実に伝えるというよりは、
聞き手に応じて物語を巧みに紡いでいくという場合が多いから。
それを踏まえた上でも、『ルーツ』のあの最終章は文学として傑作中の傑作だと
個人的には思いますが。
60 :
世界@名無史さん :02/09/29 02:24
>59 著者のヘイリーが先祖のクンタ・キンテの出身地で「ミスター・キンテ!」の歓呼 に迎えられるシーンでは、泣いたよマジで。みんなブクオフへGO!
61 :
【^▽^】ネグロ太郎ジョーカー :02/09/29 02:39
ブラック・ムスリムことネーション・オブ・イスラムってマジで阿呆。アラブがブラックアフリカンにしてきたムゴイ歴史を知らんのかなぁ。
>56 ドイツではトルコ人の衣料品店でそうした事件が有り、香港やマカオでは 華僑による日本人誘拐と、有名なダルマ被害が報告されて「は」いる……。 ヨーロッパでは実際に調査もされているが、単なる都市伝説だというのが 結論でした。
63 :
世界@名無史さん :02/09/29 08:23
イスラムは奴隷の存在を容認したので、 奴隷商人は初期の時代から白人奴隷や黒人奴隷の売買にたずさわった。 白人奴隷とは、トルコ人・スラヴ人・ギリシャ人・クルド人・アルメニア人・グルジア人・フランク人などであり、 黒人奴隷とはスーダン・エチオピア・ヌビアなどの出身者である。 これらの奴隷は奴隷商人の手をへてバグダード、ダマスクス、カイロ、コルドバなどの大都市へ運ばれ、 奴隷市場で売却された。 イブン・ブトラーン(Ibn Butlan,1066年没)の『奴隷購入の書 Risala fi Shira al-Raqiq』によれば、 市場で奴隷を買うときには、奴隷商人のトリックにだまされないために、 まず奴隷をよく観察することが必要である。とくに祭りのときが来ると、 奴隷商人はやせた女を太ったように見せかけ、茶色い肌を黄色くし、口臭を取り除き、 青い目を黒目に変え、ブロンドの髪を黒に染め変えたりするからである。 また、男奴隷の購入にさいしては、殴打や叱責に慣れてしまった者を買ってはならないと忠告している
64 :
世界@名無史さん :02/09/29 14:31
>>56 わたしはユダヤ人の衣料品店でというヴァージョンを聞いたことがある。
65 :
アマノウヅメ ◆/knRokaQ :02/09/29 14:43
>>64 エドガール・モラン『オルレアンのうわさ』(みすず書房)じゃありませんか?
1969年に広がったデマで、この手の都市伝説の元祖らしい。
アメリカの都市部ではアフリカ系(アメリカ黒人) とアラブ系との対立が深刻らしい。
我輩は黒人によるアラブ人襲撃のニュースにとても満足している。
ジョーカー、煽りにも荒らしにもなっていない。 もう少し気の利いた書き込みを考えろ。
69 :
世界@名無史さん :02/09/29 21:53
>>67 モーリタニアや スーダンでは、アラブ人と黒人との対立がひどいようですが、
過去の奴隷貿易と関係有るのでしょうか?
もっとも真っ黒い肌でも自分をアラブ人と考えている人々も居るそうです。
70 :
世界@名無史さん :02/09/29 21:55
>>63 ということは、金髪碧眼はアラブ人には必ずしも喜ばれなかったと言うことか?
ローマ人は喜んでいたのだったかな?
71 :
アマノウヅメ ◆/knRokaQ :02/09/29 22:46
>>70 カトリック両王にとどめを刺されたグラナダ王朝のお家騒動の元は、確か
金髪の美少女だったはずですが。捕虜になった城主の姫君かなんかです。
>>69 植民地支配の影響でしょう。
スーダンでマフディーの乱を起こしたのはアラブ人です。
キリスト教に改宗した或いはスーダン以外から移入された黒人と、
もとから住んでいた土俗の黒人との争いではないですか。
各地の民族紛争を見ても分かるように、
植民地支配はあくまでも福利厚生よりも経営が優先ですから。
今に至るまでも民族問題をばら撒いています。
日本に例えれば朝鮮半島に中国人を大量に移入するようなものです。
当然どんな事が起こるかは想像がつくでしょう。
そして多くの宗主国は自分達が原因を作った民族紛争については、
善意の仲介者の顔をして恩着せがましく介入はしても、
謝罪や賠償は一切していません。
そして不要になれば補償も何も無しに放り出します。 アメリカでは黒人が要らなくなってからアフリカに送り返す、 そういう運動を黒人指導者を使ってやっていました。 要するに労働力として不要になれば顔も見たくないから去ってくれと、 そういうわけです。 今のリベリアがそうですね。 クリスチャンの考えることは本当に恐ろしい。
74 :
世界@名無史さん :02/09/29 23:18
>69 アラブ人という概念自体が19世紀の産物で、アラビア語を母語とする人たち位の 括りでしかない。碧眼や黒い皮膚のアラブ人なんて珍しくないです。 モーリタニアやスーダンの問題は、アフリカ諸国によくある国家内の民族対立か ら。奴隷貿易はあまり関係ないと思います。スーダンでは宗教対立の要素もある。 南部の民族はキリスト教徒が多いのに、政権を握るのは厳格なムスリムだし。
リベリアはアフリカでもかなり早く独立したけど、 アメリカ帰りと現地派で仲悪いらしいじゃん。 もう、お前等あほかと。
76 :
世界@名無史さん :02/09/30 02:20
イスラエルと似てますね。
77 :
世界@名無史さん :02/09/30 05:46
アルバニア系のムハンマド・アリー朝のエジプトは スーダンの奴隷貿易を促進したのだろうか?
78 :
世界@名無史さん :02/09/30 05:49
スーダンのマフディーの乱は、 英国が奴隷貿易を禁止したことに対して アラブ人奴隷商人が逆恨みして起こしたのでは?
79 :
世界@名無史さん :02/09/30 05:50
ザンジバルの「ザンジ」というのは、 アラブ人が黒人奴隷をさして言う言葉では?
80 :
【^▽^】クシ太郎ジョーカー :02/09/30 09:18
アラブをサハラ以南から駆逐しよう!
81 :
世界@名無史さん :02/09/30 10:16
82 :
【^▽^】クシ太郎ジョーカー :02/09/30 11:01
>>81 奴らは吾らを売り飛ばして蓄えた財で、
更に商売に手を広げ、我われを搾取し続けているのだ。
また近年ではイスラム過激派のアラブどもがブラックアフリカの
都市部(のアラブ人街など)を
反米テロの拠点とし、ブラックアフリカンは迷惑を
被っている。アラブ・イスラーム リーグはアフリカ リーグの敵だ。
語彙粗雑意味不明
84 :
世界@名無史さん :02/09/30 11:49
>>80 サハラ以南にもアラブは居るの?
ザンジバルに住んでいた、オマンから移住してきて住み着いていたアラブ人は、
タンザニア(タンガニーカ+ザンジバルでタンザニア)独立後、
追放されたらしい。現地黒人に恨まれていたのだろうか?
85 :
【^▽^】棄教者 ◆KIKYO7cg :02/09/30 11:51
>>81 >>83 ジョーカーとまともにやり合ったらだめだよ。
「目には目を、歯には歯を、ネタにはネタを」の精神でよろしくお願いします
86 :
世界@名無史さん :02/09/30 12:57
>>1 おまえ、カルタゴがどこにあったか知ってるか?
アフリカ人=黒人つう〜通念は単純すぎて悲しいよ
87 :
日本@名無史さん :02/09/30 14:45
奴隷売買にしても買う者が居なければ成立たないだろうに、 そしてユダヤ教徒が両属性を利用して奴隷交易で巨利を上げたのは、 アメリカでも周知の事実だろうに、あわれなり、アンクル・トム。 ライスがニヒリストになったのも分かるような気がする。
88 :
世界@名無史さん :02/10/01 20:49
奴隷貿易は未だあるの?
89 :
世界@名無史さん :02/10/03 12:17
あげ
90 :
世界@名無史さん :02/10/03 16:51
>>88 あるよ。例によってアメリカのドキュン小学生が
お金を出し合って奴隷を買って自由にしてあげよう!って運動して
大問題になった。奴隷貿易を肯定するのか!って。
91 :
世界@名無史さん :02/10/03 23:46
黒人がアフリカに来る以前は?
92 :
顔文字の某コテハン :02/10/04 00:01
ネグロイドがアフリカの先住人種です。
93 :
世界@名無史さん :02/10/04 04:46
>>92 先住民はコイサンだろ?
彼らはいわゆる黒人とはかなり形質が違う。
色は黒だが。
94 :
世界@名無史さん :02/10/04 16:57
バンツー諸語は急速に広がったらしい
95 :
顔文字の某コテハン :02/10/04 17:07
西アフリカはニカウさんではなく私の先祖が太古から住んでいました。
96 :
世界@名無史さん :02/10/06 19:11
大きな謎 どーやって、インドネシアからマダガスカルまで 何千キロも中継地点も為しにマレー系民族が植民できたのか? マダガスカルにマレー系民族植民以前の先住民はいなかったのだろうか? 長い航海で疲れていたはずなのに、先住民に取って代われたのか?
モルジブあたりを中継基地にしたんじゃないか。モルジブの住民はシンハラ系 だが、アラブ人とマレー系の要素が混じってるってよ。 先住民に取って代われたのは、稲作を持ってきたため生産力で優越したとの説あり。
98 :
世界@名無史さん :02/10/06 21:02
マダガスカルにはマレー系以外の先住民族(バンツー系?)は居ないのですか?
99 :
世界@名無史さん :02/10/06 21:11
100 :
世界@名無史さん :02/10/06 21:31
100げとっ!
102 :
世界@名無史さん :02/10/07 16:03
103 :
世界@名無史さん :02/10/07 16:46
>>102 現在、ペンギンと言われている鳥は実はかつての「ペンギンに似た鳥」なんだよね。
本来の「ペンギン」は北海に居たオオウミガラスと今は呼ばれている鳥だったんだが、
その鳥が絶滅してしまったため現在のペンギンが「ペンギンに似た鳥」の説明文句が不要となり、
ただの「ペンギン」になっぬんだよ。
104 :
世界@名無史さん :02/10/07 21:51
クアッガというシマウマの一種は南アフリカに居たけど絶滅したね 南アフリカは人種差別でえげつなかったけど、国立公園はしっかりしていたらしい。 ケープ地方は特異な生態系があったらしい
105 :
世界@名無史さん :02/10/10 00:56
エチオピア人はイエメンから侵略してきたので 白人
106 :
ぷらばつきー :02/10/10 19:22
>>96 インド洋にはレムリアという大陸があって、
主にマレー人とキツネザルがそこを通って・・・
>>97 あとセイシェルとかモーリシャスとかチャゴス諸島のとか
もあるし。太平洋ほどじゃないけどインド洋にも中継点となる
島はある。
108 :
世界@名無史さん :02/10/11 21:22
塩金交易ってどうみても黒アフリカのほうが損だよ
109 :
世界@名無史さん :02/10/11 21:31
日本も近代以前は金の輸出国だった。
というより、戦後も日本は金輸出してたよ。菱刈鉱山が現役だったから。 スレ違いかな 金は食えないけど、塩は食える罠。 マリ帝国のマンサ・ムーサにしてみれば、金なんて使ってナンボだったん じゃない?
111 :
世界@名無史さん :02/10/13 18:04
インドの綿織物工業は英国によって壊滅させられたらしいけど、 アフリカに伝統綿織物はあったのだろうか? アフリカには伝統工業はどのくらい残存しているのだろうか? 黒アフリカの民族衣装は派手な色ですが あれは皆ヨーロッパから輸入した生地で作ったものだろうか?
112 :
世界@名無史さん :02/10/14 23:33
残念ながら、大部分の綿布は輸入だと思います。 西アフリカの奴隷貿易の対貨は綿布だったし、東アフリカには戦前の日本が 大量に綿布を輸出していましたので、伝統産業としての綿織物は自給自足 経済の範囲内でしか残っていないと思います。最近になってコートジボアール やケニアで発達してきた近代紡績は除きますけど。 ただ、綿花栽培そのものは、エジプトや南アフリカ、ニジェール川流域諸国 などで盛んです。
113 :
世界@名無史さん :02/10/17 02:52
黒アフリカには文字が全く無かったの? イスラム教になった人間がアラビア語で書く以外には
114 :
世界@名無史さん :02/10/23 22:18
暑いからアフリカの植民地に 白人はあまり移住しなかった?
115 :
世界@名無史さん :02/10/23 22:40
>>114 と、いうより風土病ですね。
眠り病とか。
>113 エチオピアのアムハラ人やマリ・ニジェールなどのトゥアレグ族に独自の文字が あります。 詳しくは38を参照下さい。 >114 温帯の南アフリカを除くと、ケニアのハイランド地方やジンバブウェなどの 高地に白人入植者がかなり入っています。ジンバブウェでは、黒人農家による 白人大規模農場の実力占拠が政治問題化しています。
117 :
世界@名無史さん :02/10/23 22:41
118 :
世界@名無史さん :02/10/24 02:22
>>116 >>117 エチオピアのアムハラ人やマリ・ニジェールなどのトゥアレグ人は、
黒人ではないよ。
黒アフリカには入らない。
119 :
世界@名無史さん :02/10/24 16:49
>>118 いるんだよなぁ、こういう馬鹿。
何で人種と言語をごちゃまぜにするかねー。
たしかにトゥアレグの言語はベルベル系だが、人種的な形質は黒人だろうが。混交によって黒人的な形質が支配的になってんだろ?
120 :
世界@名無史さん :02/10/24 21:31
↑白黒混血 セネガルなどのフルべ民族も黒人ではなさそう
121 :
世界@名無史さん :02/10/25 04:44
↑ そりゃ、確かに混血ではあるが、年々白人の形質は失われてゆく一方でしょう。
122 :
世界@名無史さん :02/10/25 12:43
>>114 あの、アフリカの多くは避暑地として欧州のお金持ちの
別荘とかあるんですけど・・・。
123 :
世界@名無史さん :02/10/25 19:31
紫外線で皮膚がんになるので 白人は居住できないと思われ。 彼らの母国は曇って寒いので、それが鬱でいやなので、 暑いこと自体が嫌ではないと思うが
124 :
世界@名無史さん :02/10/25 20:59
>>123 日差しは中部アフリカより日本の方が強いそうでふよ
>>124 それで真っ黒けの女子高生が発生したのか・・・
126 :
世界@名無史さん :02/10/26 01:18
母国での日光浴の習慣からか、 肌を剥き出しにして夏歩いているブロンド美女が東京にいたりするけど、 もったいないと思う。すぐにシミ・ソバカスだらけになるのに。 オゾン層が減っているせいか、昔に比べて日差しが強くなったと感じる
体で一番肌が美しいのはケツだって話もあるしねェ・・・・・・・
128 :
世界@名無史さん :02/10/28 20:52
メロエは何民族の遺跡?
ヌビア人。エジプトを征服したこともある。
130 :
世界@名無史さん :02/10/28 21:20
>>128 >>129 クシュ王国だっけ?
メロエ文字というまだ解読されていない文字を使用していた。
131 :
世界@名無史さん :02/10/29 15:05
>>129 テーベがエジプトを征服したというのが適切でないのと同様その記述はおかしい。
ヌビア人たちはエジプト文化の範囲で生きているので、エジプト本国が混乱した時、自分らがファラオになろうとするのも当然です。
>>129 は民族という概念を古代や中世にまで持ち込もうとする悪い例。
132 :
世界@名無史さん :02/10/29 19:33
メロエ遺跡はアスワン・ハイ・ダムに沈んだの?
>131 そうかなあ。 ヌビアは確かに長年にわたってエジプトの支配下にあったけど、エジプトの一部 といえるんだろうか。リビア人なんかと一緒で、自らをエジプト人として認識して たかは疑問だし、エジプト人からも同胞としては認識されてなかったような。 中国統治下のヴェトナム人で、中華文明に順応した知識人なんかは蛮族扱いされ なかったものの、ヴェトナム語と独自の文化が総体として保たれてたよね。 全階層のヌビア人がエジプト文化の範囲内で生きてたんだろうか?
134 :
世界@名無史さん :02/10/31 00:51
ヌビアの範囲は ナイル川の瀑布でいったら、どこからどこまでですか? 第○瀑布から第△瀑布までですか?
135 :
世界@名無史さん :02/10/31 01:12
白人支配下(だった)「南アフリカ共和国」がアフリカ唯一の 成功した近代国家だったという現実を直視してほしい。 「白人が有色人種を差別しまくるひどい国」というのが日本人 大多数の印象だろうが、だったらなぜ、近隣諸国の黒人たちが 南アに入り込もうと殺到していたのだろうか。 (メキシコ→アメリカの不法移民のように) 黒人が政権についたジンバブエでは、白人農園主が黒人暴徒に 虐殺されるという事件が続発しているが、政権は多数派である 黒人層の人気取りのために、事実上放置している。 ブラックアフリカ諸国に、まっとうな「国民国家」形成は無理! もういっぺん西欧の植民地に戻したほうがイイ!という極論をも 再検討する必要があるのではないか、と思いまふ。
136 :
世界@名無史さん :02/10/31 03:41
> 黒人が政権についたジンバブエでは、白人農園主が黒人暴徒に 虐殺されるという事件が続発しているが、政権は多数派である 黒人層の人気取りのために、事実上放置している。 本来黒人の土地だったし、 そもそも白人が自分で耕しているわけではない 黒人を労働者として働かせているだろうが 本来只で取り上げられて当然だったのに、 20年間持つことが許されたことに感謝すべきだ 先住民の土地を強奪したうえに、大規模農業をやってる南北米、豪州と比べて、 日本の農家の農地面積の狭さと非効率さを言う香具師は、 アフォ
137 :
世界@名無史さん :02/10/31 06:32
ヨーロッパでは農地を広げることで収穫を増やした 日本では農地に手間をかけることで収穫を増やした この思想の違い(地形の違いに由来するのだろう)も考慮すべきか。
138 :
世界@名無史さん :02/10/31 10:01
>本来黒人の土地だったし、
>そもそも白人が自分で耕しているわけではない
>黒人を労働者として働かせているだろうが
>本来只で取り上げられて当然だったのに、
黒人暴徒は「元地主」じゃない。
森林を切り開いて実り豊かな農地に作り上げたのは白人。
黒人を労働力として使い、現在も雇用しているが、
その黒人労働者をも暴徒は多数殺している。
また、南アの白人はそれこそボーア戦争以前まで遡れる
家系が珍しくないが、対して黒人の多くは周辺諸国で
食い詰めて南アに流れこんできた連中。
古参の黒人は労働者として比較的キチンと働いているが、
新参黒人は職にありつけず、暴徒は主にこういう連中で
構成されている。
古い順で言えば、
白人地主>黒人労働者>黒人暴徒
の順ね。
黒人には土地を取り返す権利がある、と短絡する
>>136 は歴史の勉強が必要。
139 :
世界@名無史さん :02/10/31 10:48
ボーア人の歴史はアメリカ人より古いよ 南アの白人に出ていけっていったらアメ公の立場なし それに白ん坊の頭脳が必要なのは事実だしね>南ア
140 :
世界@名無史さん :02/10/31 10:49
>>138 ところで漏れの読んだ本にはポーア人てッ書いてあったんだけど
141 :
世界@名無史さん :02/10/31 10:56
ってゆうか肌が白いとか黒いとかでアフリカ人かそうでないか ってのは完全な人種差別でしょ。3代アフリカに住み続ければ 白くても立派なアフリカ人よ。 まぁ、深刻な黒人差別が南アフリカにあるのは事実だけどね
142 :
世界@名無史さん :02/10/31 11:34
>森林を切り開いて実り豊かな農地に作り上げたのは白人。 白人じゃなくて、白人に奴隷にされたやつが。 厳密には、バンツーよりも先にコイサンだろうけど。
143 :
世界@名無史さん :02/10/31 11:41
>138 >また、南アの白人はそれこそボーア戦争以前まで遡れる 家系が珍しくないが、対して黒人の多くは周辺諸国で 食い詰めて南アに流れこんできた連中。 それはボーア人の捏造した歴史。 オランダ人到達した頃には すでにバンツー人の首長国が、現在の南アフリカに当たる土地にあった。 ケープ地方はコイサンが先住民族であったといえるかもしれんが、 絶滅させられた。いずれにせよ、白人の「開拓」は 奴隷労働に依存していた。
144 :
世界@名無史さん :02/10/31 11:45
http://www3.aa.tufs.ac.jp/~tkamiya/Xhosa_ethn.html =====================
2-1 アフリカ人とヨーロッパ人の最初の接触
アフリカ大陸中西部に発生し、緩慢かつ大規模に拡散/移動していった
バンツー系アフリカ人のうち、南へ向かったものは(考古学的には諸説入
り交じり、明確ではないものの)、遅くとも紀元3世紀には現在のナタールに
到達し、紀元1000年には現在の南アフリカ地域の東半分の大部分に展
開していたものとされている。アパルトヘイト時代、アフリカーナー歴
史家たちの中には、入植の侵略的性格を希釈し、ヨーロッパ人の土地所有
に正当性を持たせるために「南アフリカ地域へのアフリカ人の到達とヨー
ロッパ人の到達はほぼ同時期であった」あるいは「ヨーロッパ人の方が早
かった」とする説を唱えるものもいたが、これは現在では全く認められ
ていない(5)。この他、植民地支配が始まる以前の16世紀に、南アフリ
カ沖で船が難破し、東ケープの海岸に上陸したヨーロッパ人船員の記
録や、彼らの救出活動を行ったときの記録が幾つか残っているが、こ
れらに基づいた研究によると、アフリカ人たちはこの時期すでに現在と
ほぼ同じ地域に定着していたという(6)。いすれにせよ彼らが、ヨーロ
ッパ人たちがやってくるはるか以前からこの地域に住んでいたという
ことは、間違いない。
145 :
世界@名無史さん :02/10/31 11:48
これらアフリカ人のうち、その居住領域の最南端-- 現在、東ケープと呼ばれている地域--へ定着したの が、南部ングニ諸民族である。アフリカ無文字社会 の常として、その民族の歴史を知るためには「口承による記録」を 頼りにすることになるわけだが、この南部ングニ諸民族のうち、 コーサ人は遅くとも1600年までにカイ川流域において、ツァウェ家を 中心とする首長国(群)を築いていた。また、ウィルソンの調査による と、同じく南部ングニであるテンブ人は、その首長の家系を19世代前ま で遡及することができるが、そこで語られる「記録」には、彼らが、そ の歴代の首長たちのうち、誰の時代にこの地域へやってきたかという情 報は刻まれていないという(7)。これは、この民族が19世代前の時点です でにこの地域に定着していたことを物語っている。
146 :
世界@名無史さん :02/10/31 11:49
一方、西部ケープ地域には、狩猟採集民であるサン人や、牧畜 も行うコイコイ人が生活していた(いわゆるコイ=サン系の諸民族)。 バスコ・ダ・ガマの希望峰「発見」以来、彼らとヨーロッパ人との間に 散発的な接触はあったものの、当時はまだ、互いの社会生活に深 刻な影響を及ぼすようなことはなかった(南アフリカ地域は奴隷 貿易の惨禍を被っていない)。しかし、ヤン・ファン・リーベックの テーブル湾上陸(1652年)以降、ほぼ1世紀半にわたってオランダ東 インド会社が西部ケープ地域を支配することになり、この間、すなわ ち17〜18世紀のうちにオランダ人を主とするヨーロッパ人は、西部ケ ープに住んでいた狩猟採集・牧畜民族のサン人やコイコイ人社会をほ ぼ完全に制圧、破壊していた。彼らの多くはヨーロッパ人社会に奴隷 的身分として組み込まれ、それを逃れたものも、遠くオレンジ川を越 えて移動していった。ただし、半農半牧民族であるバンツー系アフリ カ人は、この時期西部ケープにはほとんど住んでおらず、彼らとヨー ロッパ人との接触は18世紀後半までは殆どなかった。ケープタウンを 中心に同心円状にその勢力を拡大していったヨーロッパ人のうち、イ ンド洋沿いに進んでいったものが本格的にバンツー系の人々と接触す るのは、次のイギリス支配下の時代に入ってからである。
147 :
世界@名無史さん :02/10/31 11:58
柘植 久慶__(自称・元傭兵)著 『ドキュメント南ア共和国 白人政府は悪か 』 並木書房 1990.3 などに惑わされないように、 現実には、独立した南部アフリカ諸国が白人にかなり妥協して 宥和政策をとっていたにも関わらず、南アフリカアパルトヘイト政府が かく乱・破壊工作を執拗に行いつづけていた。
148 :
世界@名無史さん :02/10/31 12:12
>135 >白人支配下(だった)「南アフリカ共和国」がアフリカ唯一の 成功した近代国家だったという現実を直視してほしい。 アパルトヘイト政権では、 白人の公務員・管理職がやたら増えて非効率化 チュウボウは 「みんしゅ主義」が本来、 奴隷の上に君臨する特権階級の間での自由・平等の理念から始まった ことを直視せよ (イスラエルもかつてのUSAも、ユダヤもしくは白人の間だけでの「みんしゅ主義」 もちろん、憲法に差別するぞと書いてあるわけは無いが
149 :
世界@名無史さん :02/10/31 12:29
>148 じゃあさ、WW2後に雨後のタケノコみたいに独立した ブラックアフリカ諸国は、どれだけ「民主的」で「効率的」 だったの? 南アのほうがずっとマシだよ。 内戦を起こしたり、ボガサやアミンのようなDQN独裁者に 支配されたり、「人災」の要素が少なくない飢饉を招いたり。 ウガンダとルワンダの何百万人レベルの大虐殺は、ほんの 8年前の話。
150 :
世界@名無史さん :02/10/31 13:12
151 :
世界@名無史さん :02/10/31 19:14
152 :
世界@名無史さん :02/10/31 19:22
ボツワナ政府は中央のカラハリ砂漠禁猟地区(CKGR)のサン民族 (いわゆる「ブッシュマン」の人々)を追い出しているらしい。 水攻めにされているらしい。
153 :
世界@名無史さん :02/10/31 19:29
コイサンは黄色人種とされている?
154 :
世界@名無史さん :02/10/31 20:11
>>153 されてないだろ。肌の色が黄褐色だからといって
黄色人種に分類されるわけじゃない。
>>153 遺伝子学以前の人種分けの学説は全て破棄したほうがいいと思うぞ。
156 :
世界@名無史さん :02/11/01 00:54
遺伝子の問題ではなく「文化」なんだと思う。 アメリカ黒人のほとんどは白人その他との混血で 純粋なアフリカ系は1割ぐらいしかいない、とか。 でもメンタリティーやアイデンティティーは実に見事に 「黒人」だ。良い部分も悪い部分も。 白人(ちうかプロテスタント)並みに勤勉で禁欲的で 労働に人生を捧げ尽くすような「文化」が、アフリカにも 存在したら、ヨーロッパの植民地にされることも無かったし まして現在の惨状は無かっただろう。 遺伝子や肌の色の違いとは無関係に、勤勉な文化を持った連中と 持たない連中が接触したら、特に戦争や征服などしなくても せいぜい100年程度のスパンで、後者は前者に支配されるのが 歴史の必然なんだよ。 それを克服するためには、自ずから勤勉禁欲文化を 育てなければいけない。現在のブラックアフリカ諸国の ように、外国や国際機関の援助にぶらさがっているようじゃ、 千年経っても無理。
157 :
世界@名無史さん :02/11/01 06:41
ピグミーはどうなの?
158 :
世界@名無史さん :02/11/01 07:09
>>156 禁欲と勤勉なら日本にもあった。
ヨーロッパの特異な点は、膨張主義文化に2重に支配された点であろう。
すなわち資本主義とキリスト教である。
159 :
世界@名無史さん :02/11/01 07:17
禁欲ってHを我慢すりゅことでしょ?
私は節約とかの意味に取ったんだけど。。。
161 :
世界@名無史さん :02/11/01 07:28
>>159 マラで考えるんじゃない、ハートで感じるんだ!!
162 :
世界@名無史さん :02/11/02 00:51
ジンバブエは「都市」文明だったといえるのでしょうか?
163 :
世界@名無史さん :02/11/02 00:55
164 :
世界@名無史さん :02/11/03 00:49
人類の起源って、黒人なのに、 なぜ、白人、黄色人に分かれたんじゃ?
165 :
世界@名無史さん :02/11/03 08:06
別に欧州白人が奴隷化を始める以前から、アラブ人はせっせとサハラ砂漠を 横断して黒人を捕らえては奴隷として売買してきた。千夜一夜物語あたりに も黒人奴隷とアラブ婦人との情事は頻繁に出てくる。なので黒人の奴隷化は なにもここ数百年の話でなく人類文明が始まった頃からの話し。 北アメリカでの黒人差別が声高く叫ばれるが、一般的に北米都心部のゲット に行けば、勤労意欲皆無の黒人が沢山いる。ましてや、勤労意欲が有る黒人 な黒人社会から白人化と見なされ、黒人間からも差別されるという歪な構造 が存在する。結局負の遺産の連鎖で90年代の米国好景気も黒人層は所得を 伸ばせず、ヒスパニックにさえ抜かされてしまった。今に至っては黒人若年 層の就職先は陸軍の末端歩兵くらいしかない。軍に至っても、パイロットや 潜水艦乗務員等、相当の知識が必要な部隊での黒人は皆無。 南アメリカでは一見スペイン人やポルトガル人入植者との混血が進み、ムラ ートと呼ばれる中間層が形成されていて一見人種差別が無い様に見えるが、 貧困層は圧倒的に黒人やムラートが多い。余りに混血が進行している為、一 般家庭でも生まれる子供の髪の形状を気にし、黒人形質が顕在化する事を怯 える風潮がある。
166 :
世界@名無史さん :02/11/03 11:12
>>162 どうなんだろうねぇ?
推定人口忘れたから何とも言えん。
人口が多ければ必然的に都市の要素が増えるからな。
それはさておき、石の宮殿の設計思想は周囲のごく普通の村と同じらしいね。そこから発展したのは明白だとか。
167 :
世界@名無史さん :02/11/03 13:31
人種で一番劣ってるのは、黒人というわけだ。
クロンボは焦げすぎ シロンボは漂白しすぎ 黄色人種、ひいては人類の王たる 我々、日本人こそが世界を導く使命を有するのだ
169 :
世界@名無史さん :02/11/03 20:20
>>167 グレートジンバブエや、トンブクトゥのイスラム大学、メロエ王朝を知らないのかと小一時間…。
170 :
世界@名無史さん :02/11/03 23:18
黒人の社会的劣位は遺伝子というより文化的問題。 歌ったり踊ったりおしゃれしたりして、今日一日を楽しく 生きよう、という文化と 定時に出勤してつまんない仕事でも一生懸命して倹約して お金をためよう、という文化が 資本主義社会の中で競争したら、前者はいつまでたっても 貧乏でDQN。後者はどんどん金持ちになるのは必然でしょ。 それじゃダメだ、とがんばった黒人はパウエルやライスみたいに 白人中心のエスタブリッシュメントのメンバーになるがごく少数。 大多数は、それでいいや、と努力を放棄して「黒人」(カッコ つき)であり続ける。スラムの団地に住み、ラップを聴いて、 ストリートバスケをして、フライドチキンを食って一生を終える。
↑というのがアメリカ黒人の実態。 ブラックアフリカ諸国の悲惨な現状からすれば、せめて このくらいにまで向上してほしいものだが、そのアメリカの 国力を支えているのは白人エスタブリッシュメント。 やっぱアフリカはもっぺん植民(以下略)
172 :
世界@名無史さん :02/11/04 12:22
そうゆう意味では、現代アメリカ文化って、黒人起源の多いよね。
173 :
世界@名無史さん :02/11/04 16:23
文明批評の分野ではさんざ既出な話題なんだろうけど、 アフリカの気候・生態状況そのものが、近代国家運営には向いていないんだから。 ヨーロッパに赤道が通っていたら、コーカソイドとネグロイドの世界的地位が逆転していたでしょう。 ホモサピエンスには、さほどの能力差はないでしょう。
アフリカで日本領になった地域があったら面白かったのにな。 どうなっていたかとても興味深いよ、 台湾のようになるのか韓国のようになるのか南アのようになるのか今のままなのか。 教育を行いインフラを整備し地元民による志願兵軍隊を組織訓練しても、 >171の黒人は黒人という通りになっていたのか。
176 :
世界@名無史さん :02/11/04 18:10
>>175 マダガスカルはマレー系ですけどね。
王朝が滅ばされたのが明治の初めですから、「IF史」的にはおもしろいかも。
177 :
世界@名無史さん :02/11/04 21:59
逆説的に言えば、黒人の文化はあまりに魅力的すぎる。 だから、ひとたび自分を「黒人」と意識した人間が他の 文化に「改宗」するのは難しい。 端的には音楽。黒人起源の音楽は文字通り世界を席巻した。 現代のポップミュージックから黒人的要素を取り除いたら ほとんど何も残らない。 他にも舞踊、ファッション、いわゆるライフスタイル全体 としても「黒人であること」は「白人になること」とは 比べ物にならないくらいカッコイイし快適。 黒人以外でも黒人になりたい連中はいくらでもいるほど。 例外はマイケル・ジャクソンぐらい。 ・・・スレ違いになりそうなので、このくらいにしときます。
178 :
世界@名無史さん :02/11/04 22:47
>>177 その黒人文化も、「努力してエスタブリッシュ化した黒人」に
担われているのじゃないかな〜。大部分の黒人は芸術家に
なれずプー。
>例外はマイケル・ジャクソンぐらい。 白人の嫁さんもらって必死に白人社会に溶け込もうとして、 結局失敗したO.J.シンプソンも追加。
180 :
世界@名無史さん :02/11/05 12:31
マイケル・ジャクソン氏は白人に変身した代償に太陽の光を浴びることができなくなったんですよね。
181 :
世界@名無史さん :02/11/05 13:49
>>177 そんなの駅前に群がってるDQNくらいだろ?
黒人の文化なんてカッコイイとは思えない。
182 :
世界@名無史さん :02/11/05 13:51
>>177 つーか、白人になりたくてしょうがない黒人の方が多いと思うが。。。
まぁ、黒人の活躍できる分野ってのはスポーツや音楽みたいに、相当な実力が ないと成功しないところが多い。 だから一部の幸運な黒人が黒人全体のイメージを良くしているわけだが。 大多数の黒人は、商売をやっても成功せず、低賃金な単純な仕事についている わけだけど、結局それも失敗して犯罪に手を染めてブタ箱送りってパターン だわな。 アフリカの土人が文明社会に適応できるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
184 :
世界@名無史さん :02/11/05 15:17
>182 その「白人になりたい」が、 「白人のようにフロンティアを開拓したい」とか 「白人のように人類の進歩発展に寄与したい」とか 「白人のように、劣等な有色人種どもを啓蒙指導したい」 とか、ゴーマンかつノブレスオブリージの香りが するものなら、なるほど正しく白人的である。 しかるに実際は、 「白い旦那のようにクロンボをあごでこき使って 自分は楽しく遊んで暮らしたい」 という、正しく黒人的な願望(笑)だから。 実際、ブラックアフリカで白人に替わって権力を 握った黒人が最初にやったのがコレ。
アメリカの黒人同士ってお互いニガー呼ばわりしてるよね 白人から言われたら目茶怒るけど
186 :
世界@名無史さん :02/11/05 16:40
リベリアか・・・
人種優劣論は人権板とかでやってほしい。だっておもしろくないんだもん。 学問的じゃないし。 ところで、マダガスカルの話が何度か出てるけど、マレー系の入植後、いつ頃 までインドネシア本土との交流が続いてたんだろう。完全に交流は絶えてしまっ たのか、それとも植民地化された頃まで続いてたんだろうか。ネットで探しても なかなか書いているものがない。詳しい人いない?
188 :
世界@名無史さん :02/11/11 00:31
インド洋貿易にはポルトガルが荒らした頃、マレー人も参加していて 東アフリカの港に来ていた、 という話を何かの本で読んだような気がする
>>168 >クロンボは焦げすぎ
>シロンボは漂白しすぎ
>
>黄色人種、ひいては人類の王たる
>我々、日本人こそが世界を導く使命を有するのだ
アメリカのアジア系主義者がよく、
「自分たちの肌色はゴールドだ。ゴールドスキンを誇ろう」
と言うね。
いつも思うんだが、
なんでアジア至上主義者なのに白人の有利な土俵(皮膚の色)で勝負しようとするのかな。
東洋の文化自体が伝統的に肌の白さに美点を置くんだから、白人に対して黄色い肌を誇ろうと言うのは滑稽だろう。
広い意味で白人文化の手の中で踊っているだけじゃないか。
どうせなら、白人の作り出した肌の色による人種分類法じたいを破棄して、
東洋人の有利な土俵(毛の薄さ、幼形成熟)で分類を再編成すればいいのに。
肌の白さと同じで、毛の薄さや幼児的性質はどの地域でもだいたい美点とされてるし。
肌の色による人種分類法自体、科学的なDNA分類法以前のいい加減な分類法なのに、
なぜそれを中途半端に引きずって、その中で勝負しようとするのだ?
190 :
世界@名無史さん :02/11/12 22:53
>189 19世紀ならともかく、現代の白人は「白い肌」を美点だと 思っているかなあ? 少なくともオージーは「褐色」に憧れて肌を焼きまくってるよ。 その結果、社会問題になるくらい皮膚ガンが蔓延しているが。 「美しさ」というのはまさにDNAではなく文化の問題だけど 外観の美しさで白人が一番だと思っている白人って、日本人が 思ってるほどいないと思う。 アメリカじゃ「金髪グラマー大好き」=「低学歴・下層階級」との 偏見があったりするし(笑)
191 :
世界@名無史さん :02/11/15 02:55
オーストラリア先住民には、黒肌と金髪が両立している人が居られます?
192 :
世界@名無史さん :02/11/15 03:04
つうかあと50年もしたら 遺伝子操作で自分の子供の人種を 選択できるようになるだろ そしたら世界中のカラードは9割方白人を選択するだろうな 特にアメリカのカラードは100%白人にするだろう
193 :
世界@名無史さん :02/11/17 10:45
皆結局は無い物ねだりなんだよ… 自分には無いから欲しがってるってだけ。 他人の芝生はいつだって青いんだから。
194 :
世界史@名無史さん :02/11/17 11:12
>>192 そうなったら人類の大半は高緯度地域での居住を余儀なくされる。
赤道付近で生活するうえで一番進化しているのは黒人でしょ。
195 :
世界@名無史さん :02/11/17 11:50
>>190 そういや、ローマ人を支配下に置くようになったゲルマン人の
男はゲルマン女はガミガミやかましいので、ラテン女を好んだ
とか読んだことあるな。もっとも、人種的特徴とは関係ないだろうが。
196 :
世界@名無史さん :02/11/18 00:36
素朴な疑問 白人男は本当に黒人女の体に萌えるの? 混血は単に白人女がいなかったから?
197 :
世界@名無史さん :02/11/18 07:17
>>196 ネービーさんのお相手は羊ですからね。
穴があれば良いのだと思う。
198 :
世界@名無史さん :02/11/18 07:20
大航海時代の時、難破したポルトガル船員たちがアフリカ沿岸に流れ着くと 黒人たちに捕らえられて食べられてしまったらしい。黒人恐るべし。
199 :
世界@名無史さん :02/11/22 02:58
アフリカ人自身が自分で外の世界に移住することは無かったのだろうか?
200 :
抜かずヌルハチ :02/11/22 09:43
>199 5万年ぐらい前にアフリカから出てった連中がいた。 これが実に「アフリカ人以外」の人類全員のご先祖さま。
201 :
抜かずヌルハチ :02/11/23 00:01
だとしたら、白人黒人アジア人インディアンその他問わず全人類が アフリカに対して何らかの「権利」を主張できるかも。 だって、もともとアフリカに住んでいたのに追い出された、とも いえる。追い出した連中の子孫が、現在のアフリカ人である、と。 ある種の思考回路を持った連中にとっちゃ「ウマー」かもな。
202 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー :02/11/23 00:04
しかし、南アの治安の悪さ、どーにかならんの? 特に黒人男によるレイプ。その被害者の大半の黒人女性だけど。 確か昨年は1歳か1歳半の女児が同じ黒人に犯されたらしい。
203 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー :02/11/23 00:07
訂正:大半の⇒大半は
204 :
世界@名無史さん :02/11/23 00:12
ガキに挿入するとエイズが治るという凄まじい迷信があるそうだからな。 ボツワナはエイズキャリアのほうが、国民の中では多いんだって。 ぷんぷん臭いそうな大陸だ。
205 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー :02/11/23 00:15
>>204 アフリカの黒人の間では、その迷信がかなり流布している
ようですね。スティーブ・ビコとかも何の為に闘い、
死んでしまったと思ってんだ。>南ア黒人
206 :
世界@名無史さん :02/11/23 00:18
★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ヨリ目かツリ目★ ★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★肌が茶色い★ ★男なのにあまりヒゲが生えない★歯が大きい、または出っ歯★ ★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★頬骨が強く張っている★ ★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★面長だが、ずんぐりとした瓜実型★ ★絶壁頭★ 以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
207 :
抜かずヌルハチ :02/11/23 00:21
>202 アフリカ全体を見れば、南アの治安は「最高」レベルだよ。 治安以前のDQN国が林立しているのが現在のアフリカ。 植民地時代のほうが(以下自粛)
>>200 つまりアフリカ人の引篭りは、五万年前からなのか、いや引篭りが残っただけか。
そりゃあでていかんだろうな。
209 :
世界@名無史さん :02/11/23 00:23
ゾマホンが言ってたっけ。「ベナンにはホモいないよ!」って。 エイズがそんだけはやるからいるんじゃねえのかやっぱしw
210 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー :02/11/23 00:25
>>207 あれで「最高」レベルとは・・・
エチオピアとかも相当酷いようですね。
211 :
世界@名無史さん :02/11/23 00:27
マイク・ベルナルドはベルギー系か?あいつ南ア出身だったよな。 旧宗主国はどこだっけ。
212 :
世界@名無史さん :02/11/23 00:40
世界の危険・紛争地帯体験ガイドというちょっと前の本があったけど。 あれ読むとほんとアフリカはどこもかしこもひどいね。救いようがない。 でもそれをひっくるめて一番やばいところは北朝鮮だった(w
213 :
世界史@名無史さん :02/11/24 21:19
食人に関しては別スレ「世界食人史」見れば分かるが中国も凄いぞ。日本人も戦中 東南アジア人を捕まえて食べていたと言う記録があるしね。食人をしないのは宗教 「キリスト教やユダヤ教etc」の影響を受けた地域、民族だけじゃない?
214 :
世界@名無史さん :02/11/24 21:41
正直、南アよりチュニジア、カメルーン、ガボン、ザンビアあたりのほうが 治安いいだろ?
215 :
世界@名無史さん :02/11/24 22:32
世界の危険・紛争地帯体験ガイドより危険度ランキング (☆x5はこの世の地獄) ☆☆☆☆☆ シェラレオネ ☆☆☆☆☆ ブルンジ ☆☆☆☆☆ アルジェリア ☆☆☆ コンゴ(旧ザイール) ☆☆☆ リベリア ☆☆☆ ナイジェリア ☆☆☆ スーダン ☆☆☆ ウガンダ ☆☆ ルワンダ これからが楽しみな場所(1998年現在) モロッコ スペイン領セウタ スペイン領メリヤ セネガル 赤道ギニア 中央アフリカ ケニア アンゴラ 南アフリカ
216 :
世界@名無史さん :02/11/24 22:57
バックパッカー本を読むと旅慣れたバックパッカーもアフリカ諸国では かなりの確率でスリ、強盗の被害にあうようです。 「日本人旅行者は狩られる立場のいわば草食動物なのです」。
217 :
世界@名無史さん :02/12/02 11:24
コンゴってもはや国じゃないよな。 国連から除名すべき。
218 :
世界@名無史さん :02/12/02 11:51
>>218 そういえばそうだね。
でも、よくは知らないが、ソマリアは統一されていた時期ってあるんじゃない?。それに、共産主義勢力もあったんでしょ?
コンゴは独立も意味も知らないまま、部族ごとに独立しる!とか言って勝手にベルギーから分離した。
遅ればせながら、本国も独立の準備をさせようとしてたのに。
アフリカの趨勢を読めずに遅れたベルギーにも非はあるが。
221 :
世界@名無史さん :02/12/03 00:26
やっぱり 黒人は、動物ですね
222 :
世界@名無史さん :02/12/03 00:30
223 :
世界@名無史さん :02/12/03 00:36
アフリカは忘れよ。 エイズでいずれ絶滅する。
224 :
世界@名無史さん :02/12/03 00:51
モノモタパ王国は高度な官僚制国家だったとアラブ人が描写してた、と何かの本 で読んだが、本当なの?
225 :
抜かずヌルハチ :02/12/03 00:57
正直なところ、日本はアフリカに植民地や利権を持たずにやってきて 良かったと思うよ。単なる「援助」なら金の問題で済む。 「旧宗主国」として移民を受け入れる、なんたらの話になったら 大変なことになる。EU諸国が直面している問題だが。
226 :
世界@名無史さん :02/12/03 01:05
ゾマホンみたいのが大挙して押し寄せてくるのか。北朝鮮のやつとどっちが ウザイかな。
227 :
世界@名無史さん :02/12/04 13:06
餓死人口って、アフリカばっかり? これで、人口調整でもしないと。
228 :
世界@名無史さん :02/12/04 13:08
229 :
世界@名無史さん :02/12/21 08:20
age
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ Λ_Λ | 君さぁ こんなスレッド立てるから | ( ´∀`)< 厨房って言われちゃうんだよ | ( ΛΛ つ >―――――――――――――――――――‐< ( ゚Д゚) < おまえのことを必要としてる奴なんて | /つつ | いないんだからさっさと回線切って首吊れ | \____________________/ (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (∩∩) (∩∩) (∩∩) (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (∩∩) (∩∩) (∩∩) (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (∩∩) (∩∩) (∩∩)
231 :
世界@名無史さん :03/01/03 01:28
<<225「旧宗主国」として移民を受け入れる、なんたらの話になったら 大変なことになる。EU諸国が直面している問題だが。 日本も旧宗主国として大変なことになってます。
(^^)
(^^)
アメリカ黒人が社会的地位を向上させられず、 アジア系ヒスパニック系にも抜かれるようになったのは、 家系という概念が希薄だからだと思う。 世界の主要な宗教の開祖の中で、 コーカソイドでないことが確実なのは孔夫子だけ。 (シャカの人種は、モンゴロイド説とコーカソイド説がある) アメリカ黒人がイスラムやキリスト教に惹かれず、儒教徒になっていれば、 社会的地位はすいぶんマシになっていただろう。
235 :
世界@名無史さん :03/02/11 16:54
>234がイイこと言った! ただね、儒教では華夷秩序からくる「民族間・国家間の序列関係」という 概念もあるのが気になりますな・・・まあ黒人の徳に白人が教化されて師弟の礼を尽くさせるべし、とか?
236 :
世界@名無史さん :03/02/23 12:56
>>235 横の関係を構築できない儒教なんぞを国際交渉の場に持ち出したら
今のアメリカ以上に反感を買うのは時間の問題だわな。
所詮は日本すら有効に秩序に組み込めなかった程度の代物。
237 :
いち社会人 :03/03/02 00:08
ここは詳しい人が居そうなので・・ 微妙にスレ違いなのをお許しください。 いわゆるビアフラ戦争について。 80年頃、ビアフラ戦争について、世間で言われているように 飢饉で200万人以上死んだというのは、ビアフラ側の宣伝に よるもので、実際にはそこまでひどくはなかった、という話を どこかで読みました。 この話自体、ナイジェリア側の宣伝工作の可能性もありますが、 ビアフラに関しては、どうしても左よりのバイアスがかかった記事 が多く、真贋の見極めが難しいです。 通説の200万人の餓死というのはどの程度の検証が なされているのでしょうか。 国家による宣伝戦略について考えるとき、1つのモデルケース となるような気がするのですが。
ムルアカとか腹立つ。 あいつが日本で落とした種がこれから一生この国に生きつづけるかと思うと反吐が出る。 あんな馬鹿に股開いた女の顔が見たいわけだが・・・・
239 :
世界@名無史さん :03/03/12 23:06
240 :
世界@名無史さん :03/03/12 23:21
最近(19〜20世紀)まで、国家があることに驚いた。 20世紀までハン国があったこと以上に驚き。 しかしエチオピアの革命は惜しい。 このスレのびてほしいなぁ。
241 :
世界@名無史さん :03/03/13 01:25
10年ぐらい前のソマリア内戦のニュースを見て思った。 「日本でいえば戦国時代じゃん」 放置しておくのがいいんだよ。 今の先進国といわれる国々だって昔は戦争を繰り返して、 それで最適な政治システムを構築して自力で発展してきたんだから。 人間なんてそう簡単には滅びやしない。
>>241 ソマリアはアラビア半島に近いアフリカの東端にあたり、
紅海への入り口を抑えられる場所なので、放置したくない国は多いだろう。
あそこを敵性国家に抑えられると、スエズ運河を利用するのも安心できなくなる
243 :
世界@名無史さん :03/03/13 05:02
>ムルアカとか腹立つ。 >あいつが日本で落とした種がこれから一生この国に生きつづけるかと思うと反吐が出る。 >あんな馬鹿に股開いた女の顔が見たいわけだが・・・・ 気持ちはわからんでもない。ちなみに子どもの名前は「宗男」だってさ。 馬鹿すぎ・・(ゾマホンも辻本清美のファンだったしなぁ)
244 :
世界@名無史さん :03/03/13 07:40
>>241 やってる事はどの国も辿ってきた道ではあるのだが、問題は、使っているのが近代兵器なのだな。
(^^)
保守
247 :
世界@名無史さん :03/03/15 11:45
>>244 アフリカの場合、近代兵器+エイズがあるね。
まあ、それをいうなら中世ヨーロッパにだってペストがあったんだけどさ。
南部アフリカの一部じゃ、大人三人につき一人がHIVに感染しているらしい。
エイズで両親を失った孤児はまともな教育も受けられず、社会不安の原因になりかねない。
248 :
世界@名無史さん :03/03/16 16:07
最近、アフリカ系アメリカ人の学者が「アフリカ中心主義」というのを唱えていますが・・・ 例えば、古代エジプト文明は黒人がつくった、とかいう類の話です。 こういうのは当のアフリカ諸国ではどう受け止められていますか?
249 :
世界@名無史さん :03/03/16 16:54
>>248 もしアフリカ人学者自身が言ってるんなら「健全」なんだけどねえ。
昔のイングランドがカトリックぼろくそに言ったり
日本が皇紀2600年!神国!とか言っちゃったり
韓国がウリナラマンセーだったりするようなもんでしょ。
そういう「健全」があってこそ、それがほんとに健全なんかどうかが疑える。
「やし酒飲み」を書いたチュツオーラなんか、
ちょっとピジンで書いたからって「アフリカの恥ずかしい言語状況晒すなボゲェ」と
西アフリカ中のインテリから集中砲火浴びた時代もあったんだよ。
アフリカのアフリカ人が過剰に欧米を意識するような状況は昔からあったけど、
欧米のアフリカ人が過剰にアフリカを意識してもいるんだねえ。
250 :
世界@名無史さん :03/03/16 17:13
しかしスレタイと関係ない話ばっかだな・・・ 「白人進出前のアフリカ」つってるだろ>漏れ含めall ポルトガル人がアルギンやらヴェルデ岬諸島やら到達するまえの西アフリカは マグレブ諸都市(ベルベル人)←→エジプト(アラブ人) ↓↑ サハラ(特にトゥアレグ族) ↓↑ 西スーダンのステップ騎馬帝国(黒人) ↓↑ セネガル流域・ギニア湾の諸国家(黒人) という形でイイ感じに内陸ネットワークが構築されてた。 ベニンなんかほっとけば封建社会化とかして 強国になってたかも知れないのにもったいない。
251 :
世界@名無史さん :03/03/16 17:35
当時からアラブ学者に動物扱いされていたアフリカ黒人に そこまでの甲斐性があるとも思えないが。 国民の生活水準は相応の地方分権を促進するだけの向上を見せていたのか。
252 :
世界@名無史さん :03/03/16 17:49
>当時からアラブ学者に動物扱いされていたアフリカ黒人 動物扱いしてたのは甲斐性うんぬんでなく、 単に経典の民でなかったからでないの? まあ便宜的に首長クラスは教化されてはいたが。
253 :
世界@名無史さん :03/03/16 22:09
アラブ人は長年黒人を奴隷に使っていた。 スーダンでは、今も対立して内戦している。
254 :
どーせなら :03/03/16 22:50
アフリカ黒人進出前の南アフリカについても語ってホスィ
255 :
世界@名無史さん :03/03/16 22:50
黒人以外にもスラブ人、トルコ人なんかも奴隷に使ってたけどね。 つうか日本人奴隷の記録もある。
256 :
世界@名無史さん :03/03/16 23:01
中央アフリカでクーデター発生。
257 :
世界@名無史さん :03/03/17 06:01
15世紀ギネーについて言うならば、王権は経済力の上に成り立つものでなく、 むしろ宗教・政治的な色彩の濃い祭祀王だった。 日本で言えば大王と豪族のような関係、ヨーロッパで言えばローマ時代のゲルマン首長と従属民か。 ともに中国やローマといった文明中心の周縁に位置していたことも似ている。 ただし、マリやソンガイのようにサハラ以南では貴重な騎馬兵力をもって サバンナを広く緩く制圧した交易帝国の例もあるから一概に何とも言えない。 ただ個人的には、一般的な西アフリカの王権は非常に脆弱であることから、 部族的伝統が色濃く残ったドイツ王権のような発達の仕方をしたのではないかと思う。 イスラム影響下にあるので聖権は俗権と未分化のままで、またそれが都合良かったのだろうが。
259 :
世界@名無史さん :03/03/17 19:25
ttp://www.worldtimes.co.jp/ 中央アフリカでクーデター
【ヨハネスブルク16日長野康彦】中央アフリカからの報道によると、同国で十五日、
政府反乱軍によるクーデターが発生した。反乱軍は首都バンギを制圧。パタセ大統領は
隣国のカメルーンに現在避難している。
クーデター発生当時、パタセ大統領は隣国のニジェールを訪問中で、大統領不在中を
狙って反乱軍が行動を起こした模様だ。
現地に入ったBBC記者らの報道によれば、反乱軍は空港や大統領府を制圧し、
フランソワ・ボジゼ前将軍が全権を掌握しているという。
中央アフリカではパタセ大統領派とボジゼ前将軍派との政権争いが続いていた。
みんな昔のアフリカには興味ないのね・・
261 :
世界@名無史さん :03/03/17 21:02
>>257 祭祀って、具体的にどんなことやってたんですか?
日本やマヤ・アステカ・インカなどの王権と比較するのも面白いかもね。
262 :
世界@名無史さん :03/03/26 13:00
伸びておくれ 1900年代まであった国についてかたってくださいますか? エチオピア以外でなんだっけ・・・ カムボー王国かなにか
263 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 :03/03/26 13:34
264 :
世界@名無史さん :03/03/26 14:20
コンゴ王国は19世紀末に完全滅亡したね。 実質的には17世紀末に滅んでいたけど。
(^^)
この前「南アフリカの歴史」って本を読んだ。 ”白人進出前”について書かれたのは40Pほどだったけど、狩猟民族であるサン族 (ブッシュマン)の平均労働時間が週に15時間だって書かれててぶったまげた。 ほかにも、遊牧系のコイ族(ホッテントット)や農業民は文化的に貧弱で、サン族 の方が芸術的に優れてただとか、農業民の方が栄養状態の良さのため肉体的に 頑健で、狩猟民のサン族の方が貧弱だとか、色々世間の認識と正反対の事が書かれ ていた。 白人進出前のブラックアフリカは狩猟民、遊牧民、農業民がそれぞれ入り交じってて、 それぞれの暮らしの比較が偏見なしに出来る。 人類文化史を学ぶ人間は白人進出前のアフリカを学ぶべきだ。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
268 :
世界@名無史さん :03/05/20 09:50
ahurika
269 :
世界@名無史さん :03/05/20 11:08
中央あふりかはどうなったの。独裁化してるの
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
皆様始めまして。AIと言います。皆様の何方かアフリカ中心主義についてご存知の方 教えて下さい。どうぞ宜しくお願いいたします。
274 :
世界@名無史さん :03/06/26 01:09
まずはパブリック・エネミーあたりから聞きたまえw しかしグリフ教授の語るアフリカ中心史観はすごいです。
275 :
世界@名無史さん :03/06/29 18:32
所詮は土人。 勝手に共食いしてれば良いんだよ。
277 :
世界@名無史さん :03/07/01 15:44
>”白人進出前”について書かれたのは40Pほどだったけど、狩猟民族であるサン族 >(ブッシュマン)の平均労働時間が週に15時間だって書かれててぶったまげた。 アフリカ諸国が近代化できないわけですね。
279 :
世界@名無史さん :03/07/01 18:11
俺は週1時間労働でもいやだよ。
280 :
世界@名無史さん :03/07/01 18:25
日本人だったら現代より江戸時代の方が労働時間が多いんじゃないか。 識字率も英国よりずっと高かったらしい。 だからスムーズに近代化できた。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
>>280 いやいや、そんなことはない。勤勉を美徳とする道徳がはじめて生まれた
のは江戸時代だが、まだまだ力が弱かった。明治初期の外人の観測には、
日本人は自分から働こうとしないし時間は守らないし、とみるものがあった。
だからいいのか、だから悪いのかは見た人の価値観に左右されるようだが。
勤勉を美徳と言われて庶民まで疑わなくなるのは、大正になってからだろう。
近代化の過程そのものであり、またその結果でもあるということだ。どの国も
似たようなものさ。道徳は偉い人がおしつけるものだが、その偉い人が守って
ない道徳をおしつけることはできない。
284 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/09/25 23:57
285 :
世界@名無史さん :03/09/26 00:21
286 :
世界@名無史さん :03/09/26 04:37
ヨーロッパ民族というのは白人種であるが、白人種というのは人類最初の被差別民族だった
というのが私の考えである(高野信夫著「黒人→白人→黄色人」がその基礎になっている)。
白人の祖先は、黒人から生まれたアルビノ、白子だった。黒人たちのあいだにアルビノの
白い子たちができて、気味悪がられ、差別され隔離されたと考えられる。白い肌は劣勢遺伝と
され、混血した場合でも発現が難しい。したがって、隔離されて白子以外の人々と性交渉をし
ないということが続かないかぎり、白人種が成立しないはずだ。
嫌われた彼らは、やがて北方へと追いやられたのであろう。さもなければ、アフリカの肥沃な
土地からヨーロッパの寒冷な痩せた土地に自発的に行くわけはない。ヨーロッパ人には、その
差別された恨みがあり、それが一神教と結びついたのだと思う。
http://smallbiz.nikkeibp.co.jp/free/RASHINBAN/20021108/102238/
287 :
世界@名無史さん :03/09/27 00:31
酋長とか部族対立というのは白人が持ち込んだ概念じゃなかったかな。 昔はむしろいろいろな種族が入り混じって生活してたのをむりやり白人が分離して、支配しやすいように対立構造を押し付けたという説もある。
288 :
世界@名無史さん :03/09/27 07:31
>>287 インドの州境みたいに国境を言語別に再編成しろと?
>>283 大多数は苦労多いわりに報われないもの
米国もブッシュみたいなの大統領にしたとこ見ると下り坂だな
>>183 でも、米国でもドミニカ、ジャマイカ出身のウェストインディアンは平均所得を上回っているそうだ
ちなみにパウエル国務長官はジャマイカ系
セネガルの国民もムリード派の教えに従い勤勉というし
仮に大航海時代以来、ブラックアフリカを完全に隔離して 白人やイスラムの干渉無しに「独自の歴史」を歩ませたとしても 今よりマシな「国家」を建設できたとはとても思えん。 人口も10分の1以下じゃないの?
290 :
世界@名無史さん :03/09/30 11:59
扶養者が減って大助かりだ。 白人は余計な事をしてくれた。 しかしHIVの感染拡大で、 アフリカ黒人国家が自力で養える程度まで人口が減りつつある。
291 :
世界@名無史さん :03/09/30 14:29
>>287 一神教はもともと被差別者の宗教だった。
ヨーロッパ人もまた、被差別民族だったから一神教のキリスト教が
根付いた。
韓国にキリスト教が流行るのには理由がある訳ね
292 :
世界@名無史さん :03/09/30 14:44
>一神教はもともと被差別者の宗教だった。 は理解できないこともないが、 >ヨーロッパ人もまた、被差別民族だったから一神教のキリスト教が >根付いた。 は変。 ヨーロッパ人と総称しているが、 当時のヨーロッパはローマ市民、それらの子女、奴隷労働者、異民族などなど さまざまなグループが混在しており、その何を指すのかはっきりしない。 そもそもローマ帝国における被差別民族って何? 意味不明。 帝国高級官僚や商人など、高い地位のキリスト教徒が増えたことが 弾圧の一因でもあったわけで。 この場合は宗教が差別の原因になったわけだから全く逆だね。
アフリカ贔屓の連中はアレコレ妄想をたくましくしているようだが 現在のブラックアフリカ諸国が全体にダメダメで、多少なりとも マシなのが今なお白人ががんばってる南アその他の少数国家だという 事実は、事実として認めるべきだろう。 「植民地時代の傷」とか、半世紀も経てばもはや説得力ないわな。 そんなごたくを言い続けている限り「白い旦那なしでおらたちだけじゃ 何もできねえだ」と泣き言を並べているに等しい。
294 :
世界@名無史さん :03/10/15 00:47
アフリカ人は現生人類の基本。 それがなんでここまで落ちぶれたのか、世界史的考察が必要だと思う。 よってアゲ
基本=最も原始的、だからじゃないのか?
議会制民主主義の元祖であるイギリスが、 いまだ王を元首とし、貴族院があると言う 古い形式を保っているようなものか。
297 :
世界@名無史さん :03/10/22 00:42
「天は自らたすく者をたすく」だっけ? アフリカには福沢諭吉はおらんのけ?
298 :
世界@名無史さん :03/11/08 05:30
age
299 :
世界@名無史さん :03/11/08 12:39
曽野綾子がなんかで書いてたが、貧乏が極限まで行ってると何もできない。 まず食糧を自給自足させよう、てんで、土人に畑を作らせて芋か何かの苗を 植えさせる。そうすると収穫の前に泥棒が入って、根こそぎ持っていかれる。 泥棒を防ごうと広い畑をフェンスで囲えばべらぼうな金がかかるし、見張りを おけばそいつが泥棒を手引きして、見張りの給料+盗品の分け前をゲットする。 畑作るより泥棒するほうが楽で儲かると思えば、誰も畑を作らなくなる。 民主主義とか人権とか以前に、最低限のマナーとルールを確立する必要がある。 キリスト教でもイスラムでもなんでもいいから、ちゃんとした宗教を叩き込むなり 教育を徹底するなりして、泥棒は右手を斬り落とすとか刑罰も厳しく行い、 畑を耕す苦労が正しく報われるようにしてから、初めて芋の苗を配るべきだ、と。 でなけりゃ、どんなに援助を注ぎ込んでも、ザルで水を汲んでるようなもんだ、と。
300 :
世界@名無史さん :03/11/08 12:51
>>299 白人進出前のアフリカには、そういうルールというか、
社会規範は無かったのか?
もしそういうものが無かったのなら、どうやって王国を成り立たせて
いたのか?
301 :
世界@名無史さん :03/11/08 14:23
>>300 王国なりのマナーもルールも当然あったんだろう。奴隷制や宦官なんかと一緒に。
ヨーロッパ人による植民地化で、それらがいったん全部チャラになった。
その後も基本的にチャラになったまんまなんじゃないか。
で、民主主義とか人権とかの観点から、「悪い」奴隷制や宦官はそのまま
無くしといて、「良い」マナーやルールだけちゃんとしろ、と取捨選択
してんのが実は無理で、王国まるごと復活させなければ、王国のマナーも
ルールも帰ってこない。
その代替として、宗教(曽野の場合はカトリック一番)が有効だし、
日本財団の援助で小学校作ってガキどもを躾けるところからやって
いかねば、ちうことなのでは。わしはそう理解してるが。
302 :
世界@名無史さん :03/11/08 14:28
追記。 最近何かと取りざたされる「女子割礼」なんかもそうだよね。 女の子のクリトリスを切り取ってしまうアフリカの伝統儀礼。 野蛮だからやめさせろ、というのが欧米人の本音なんだろうけど こうした風習も実は社会のマナーやルールと密接にかかわっていて 廃止すると、また一段と無規範状態になってしまうのかもしれない。
303 :
世界@名無史さん :03/11/08 15:13
>>302 ユダヤ教徒やムスリムの場合、割礼を行うのは男性に対してだけど、
アフリカ人の場合女性に対しても行うんだよな。
女子割礼について、女性の性欲を抑えるためだとか、
アフリカの創世神話と深くかかわっているとか、
いろんな説があるらしいね。
304 :
世界@名無史さん :03/11/08 16:06
>>303 子作りに必要が無く、ただ快楽のためだけにある器官は
必要ない、という観念も背景にあるようで。
男性の割礼も理由は似ているね。
社会秩序の維持や生業に専念させる意味もあるのかな。
ローマ帝国崩壊後のヨーロッパに「中世」をもたらし、「近代」へのゆりかご としたのは、キリスト教だった。 植民地→独立→無秩序化となったブラックアフリカも、宗教でもなんでも いいから何らかのシバリで一定期間の停滞期を経て、社会が安定するのを 待たないと「次」へはいけないのかもしれない。 かってのソ連がもっともっとがんばって、アフリカ諸国を東欧並にがっちり 共産化しといてくれたら、今はもっとマシだったかもしれない。
自己レスだが、よく考えるにそれも違う。 アフリカが今さらヨーロッパや日本のような歴史的な道筋を辿れるわけなど ないのだから、まったく違う、アフリカ自体の伝統に立脚した、独自の道を 模索すべきだ。 ブラックアフリカ諸国の「国家」としての資格をいっぺんチャラにし、 国境をとっぱらって、植民地化以前の状況を再現してもらう。 勝手にやらせたら相当数の追放やら虐殺やらがありそうなので、国連軍なり 多国籍軍のコントロール下で、半世紀程度かけて行う。 で、新たに出来上がった「民族分布」に沿って国境線を引き直す。 何やるにしても、その上で・・・だろう。 現実問題としては、絶対無理だろうけど。
アフリカって国家規模での社会学実験とかに凄い向いてそうな気がするんだが。 ゴルゴにそんな話があったが。
308 :
世界@名無史さん :03/11/27 00:44
オリンピックの陸上競技同様に、政治経済その他の種目でも 「アフリカンパワーは人類の基本」と一目瞭然に示してほしい。 やればできるんだろ? いや、マジで。
309 :
世界@名無史さん :03/11/27 20:04
白人がやってくる前のアフリカでは、戦争や略奪についてどう考えられてたの? ズールー族は、戦争の決着をつけるのに殺戮ではなく、テリトリーの転配を 行っていたというのは本当?
310 :
世界@名無史さん :03/11/28 01:05
>>309 戦争は戦争、略奪は略奪だろう。
犠牲者数は、戦争の規模や使用された武器レベルによるだろうが
本質に変わりは無いはず。
「白人が来る前は虐殺など無かった」との主張があるとしたら
歴史というより「神話」。ユートピア思想の変種でしかないと
思うよ。
十分理解できるが、
>>310 戦争にもルールがありうる。
慣習によって戦争の仕方が色々ありうる。
>>309 の事はわからないけどな。
別に「白人が来る前は虐殺など無かった」との主張ではないと思うぞ。
最後の「十分理解できるが、」は書き損じ。削除してね。 ユートピア思想…より古くは「楽園」思想。キリスト教的にはエデンの園だよ。 今自分たちが生きているのは罪悪と汚辱にまみれた世界だが、それとは別に 誰もがハッピー100%の無原罪の世界がある(あった)という夢想。 「白人進出前のアフリカ」がそうだった、と夢を仮託したい人たちもいる、 ということね。でも、実際は無かった、と。ごくフツーに戦争したり、 略奪したり、虐殺したり、被征服民を奴隷にしたりしていた、ということ。
どうやって削除するんだ!!!
>ごくフツーに戦争したり、
>略奪したり、虐殺したり、被征服民を奴隷にしたりしていた、ということ。
いや、それと
>>309 のような事があったかは別だろう。
実際、部族間の対立が文化的に決められた方に従う
戦争によって決着される事例は報告されている。
もっとも、戦争ってより戦争ゲームとでも言うべきかもしれんが(死者が出る事も多い)
また、フツーに戦争と言っても、それなりの秩序の上で行われるのが常だ。
315 :
さらに追記 :03/11/28 01:31
欧米のアフリカ学者の一部には「白人原罪論」としか言いようのない 一種の自虐思想にどっぷり漬かっている連中がいて、いろんなレベルで 盲説を並べ立ててるわけよ。 ひとつひとつ慎重に吟味して、マユに十分ツバつけていかないと、 巻き込まれてしまうぞ、ということ。
吟味せずに肯定するのもいけないだろうが、 吟味せずに否定するのもいけないだろうが。
正直ダホメ王国が ダメポ王国に見えた
318 :
世界@名無史さん :03/11/28 16:53
19世紀にシャカ大王が出てくると、訓練の行き届いた軍団の指揮官になって、 絶滅戦を行ったらしい。 それまでの戦争は儀式的というか、一定の限度があった。
>それまでの戦争は儀式的というか、一定の限度があった。 別にアフリカに限った話ではないだろ。
320 :
世界@名無史さん :03/11/29 10:42
要するに「ちゃんとした戦争」すらできないほど未開だった、ということだろ。 アフリカとは違うが、例えばニューギニア高地人の「戦争」なんて、隣村同士が 1週間わいのわいのやったあげく戦死者ひとり、てなこともあるらしい。 「死人がでたらやめる」ということなのか、葬式のほうがおおごとだから、 戦争やってる暇が無くなるのか。 イングランドのフーリガン同士の抗争のほうがずっと「戦争」に近いし 死傷者数も多いよ(w
>>320 バカ? ある程度閉ざされた環境では戦争は儀礼化するもんだぞ。
同族との戦争と、異種族との戦争とでは、やりかたが違うだろ。 同族というか、戦争していないときには仲間、対立点以外では相互理解が可能と している間では、そんなに無茶なことはしない。 「白旗上げて武器を捨てたら殺さない」とか「毒ガスみたいなものはお互いに 使わない」とか、文明人同士にもあるだろ。 それの形が、その文化圏毎に違うだけのことだ。 ニューギニア高地の部族抗争が、こっちから見ればお祭りかスポーツみたいに 見えても、当人たちは必死な戦争だろうて。
>>322 だから、そう言う話をしてるんだろ?
そこに
>>312 みたいな見当はずれの突っ込みが来たから混乱してるだけで。
古代ほど皆殺しが多い気がするが。
>>324 誰も古代ほど紳士的なんて話はしてない。
326 :
世界@名無史さん :03/11/30 16:59
>>320 そのパプアニューギニアでも、近年は銃が出回るようになって、
一度に10人以上が死ぬ「戦争」も珍しくなくなったらしい。
以前は人死にが出たところで「ビッグマン」と呼ばれる長老同士の
手打ちで休戦になったが、最近は長老の権威下落とあいまって
「先にたくさん殺っちまったもん勝ち」となっているとか。
こうやってどこの未開人さんたちも等しく「グローバル」になっていく
というわけでつね(w
327 :
世界@名無史さん :03/11/30 19:56
>>326 よく「文化に優劣は無い」とかいう人がいるけど、
戦争において、銃を使う文化と弓矢を使う文化が同じ価値を持つ、
なんて主張する人はいないな。
328 :
アフリカ太郎 :03/12/01 01:40
私、アフリカ詩の専門家ですが、何か?
329 :
世界@名無史さん :03/12/01 08:22
>>327 そうだね。極端な平等思想というのはDQNだよね。
>>328 ローマ字の音写でいいから、何か一つ有名な詩と、
その日本語訳を書いてみて。
330 :
世界@名無史さん :03/12/01 09:02
UMMO UMMO DO DO UMMO!
331 :
世界@名無史さん :03/12/01 09:04
ノーベル文学賞を受賞したナイジェリアのウォレ・ショインカぐらいしか知らんな。
白人進出前のポエムを教えてくらさい。
333 :
世界@名無史さん :03/12/01 09:58
>>332 文字を持たない文化の場合、時代によってどんどん変化していっている
可能性があるんじゃないのかな。
334 :
世界@名無史さん :03/12/01 20:22
サハラ以南にもムスリムは多い。 婚外性交を厳しく禁じるイスラムの信徒の方がエイズにかかりにくいはずだが、 その辺どうなっているんだろう? サハラ以南ではイスラムも緩くなっていて、やっぱりみんなエイズ感染してるのか、 それとも、イスラムの戒律がそれなりに守られていてムスリムの感染者は少なく、 将来的にはサハラ以南アフリカではムスリムだけ生き残る趨勢にあるのか。
335 :
世界@名無史さん :03/12/01 20:35
ケニアの国教会はホモに厳しい。 アフリカを一神教が救う。
>>331 ナイジェリアの作家エイモス・チュツオーラは邦訳が何作かある。
『やし酒飲み』『ブッシュ・オブ・ゴースツ』など。
G.G=マルケスやJ.ドノソあたりが好きならお奨め。
337 :
世界@名無史さん :03/12/02 00:06
そろそろ結論出そうぜ。 「白人進出前のアフリカは未開な土人の暗黒大陸だった」 ということでいいのかな? そして白人に見捨てられつつある今のアフリカは再び 「未開な土人の暗黒大陸」に戻りつつあるということで。
>>334 娼婦がいる。
それに、エイズの感染経路は性交渉だけでなく、不潔な(殺菌する金がない!)医療器具や
割礼、刺青、親愛のための儀式として互いの血を交換するために傷口をなすり合う、といった
習慣からもある。
サハラ以南のアフリカでエイズが流行っているのはこれらが原因。
白人の定義は? ギリシャ人が白人とすると、マケドニアによるエジプト奪取とプトレマイオス王朝が 初進出か?
340 :
世界@名無史さん :03/12/02 23:46
スレの主旨からすれば、 アフリカ=おもにサハラ以南のブラックアフリカ (地中海沿岸の北アフリカは除く) であり、 白人=大航海時代以降のヨーロッパ人 であろう。
341 :
ty270410 :03/12/03 00:28
イブン・バトゥータの大旅行記に14世紀前半のニジェル川上流の王国と インド洋沿岸地方についての記述がある. 最近出た家島彦一『イブン・バトゥータの世界大旅行』平凡社新書 はおすすめ!
エチオピアはホワイトアフリカ?ブラックアフリカ?
>>342 復刊ドットコムって硬い本の復刊まともに取り合ってくれるの?
なんか漫画ばっかしか復刊されてないみたいだけど
売れると判断したら復刊してくれるのではないかな? 漫画ばっかし復刊されるのは、皆漫画しか読まないからであって
346 :
世界@名無史さん :03/12/04 11:25
>>322 19世紀のヨーロッパ諸国の戦争というのは、ある意味「国家間の決闘」かな。
決闘にルールがあるごとく、戦争にもルールがあるということで。
話は変わりますが、白人がトウモロコシを持ち込むまで 彼らは何を主食にしてたのですか?
348 :
世界@名無史さん :03/12/04 21:31
キャッサバ? と思ったが実は南米原産だし、米はアジア、 小麦は中東やヨーロッパからの外来作物。 ほんと、それ以前は何食ってたんだろ?
>>344 マジな話、硬い本じゃ100人も集まらないからだと思われ( ´Д⊂ヽ
>>347-348 主にモロコシ(ソルガム)。
それと10世紀頃に来た、後にマダガスカルに定住するインドネシアからの移住民が
バナナをもたらした。
ニジェール流域では、8〜9世紀頃にイバード派のイスラム商人から米がもたらされた。
エチオピアでは、エンセーテ・バナナという葉の葉脈からでんぷんがとれる植物がある。
>>348 スーダンでは、ソルガムとともにクシュ王国時代から小麦がさかんに栽培されてた。
キャッサバは、…どうだったかな。確か、10世紀にインドネシアから有毒な品種が、
後に白人が無毒な品種を持ち込んだような。
351 :
世界@名無史さん :03/12/05 00:36
352 :
世界@名無史さん :03/12/05 00:39
タイプミスった。 ×ソルダム ○ソルガム
353 :
世界@名無史さん :03/12/05 00:40
キャッサバが16世紀以前にアフリカに来るとはとても思えん…
355 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/12/05 21:37
>>351 どうやらタロイモと間違えてたっぽ。あと、インドネシア人が渡来したのは4世紀頃でした。
米も、調べるとニジェール原産種のらしいので、1〜4世紀になります。m(_ _)m
あとスーダン原産のトウジンビエ・シコクビエとテフという穀類の一種、アフリカ原産の
ヤムイモを忘れてた。
そして4世紀にタロイモや東南アジア原産種のヤムイモがインドネシアから。
まとめると、
西アフリカ(ニジェール流域)・・・米、ヒエ、ソルガム、キビ、ヤムイモ、タロイモ
スーダン(ナイル流域)・・・・・小麦、ヒエ(原産地)、ソルガム(原産)、ヤムイモ、タロイモ、バナナ
エチオピア・・・・・・・・・エンセーテバナナ、ヒエ、ソルガム、テフ(原産?)、キビ
コンゴ〜モザンビーク沿岸・・・・・・・・ソルガム、キビ、ヤムイモ、タロイモ、バナナ
リンポポ川以南・・・・ソルガム、ヒエ、テフ
ちなみにテフというのは、ヘロドトスが当時のエジプト人の主食だったと著述しているオリュラ
もしくはゼイアという穀物のことではないかといわれています。
356 :
世界@名無史さん :03/12/05 22:00
白人以前のアフリカでは、 黒人王国同士の関係はどうなってたの? 例えば、交易とか、戦争とか。
nation間もしくはestate間の決闘 でない戦争があったのか? 346のいう“国家”が何を指すのかはわからんが、19世紀のヨーロッパと言及している ところかみると、近代国家のことか? ともかく、近代国家間の戦争でなくても、ちゃんとルールがあるわけで、 鎌倉時代なら、準備ができたら法螺貝吹いて、そろそろ始めるかというときに 鏑矢を射て、戦闘は一対一で名乗りを上げて返事があってから行う、 引くときにはそこその地位の老兵の首を負け側が差し出して本日の戦闘は終わりという、綺麗な形が あるのだが。
358 :
世界@名無史さん :03/12/06 11:47
>>357 20世紀になってからヨーロッパでは戦争を起こした国を「懲罰」しようという
考え方が生まれてきた。
懲罰というのは対等の者同士の戦いという考えの否定だし、
ソ連のような国が連合国に入っていると、占領された国は悲惨なことになる。
(ソ連はドイツ・日本のようなファシズム国家に対しては国際法というルールを
適用しなかった)
359 :
世界@名無史さん :03/12/06 18:42
アクスムのかなり詳しい歴史がネットで読めたりする。英語だけど。
360 :
世界@名無史さん :03/12/06 20:09
白人進出前のアフリカでは、女性の役割というのはどういうものだった のだろうか。 現在のアフリカは男尊女卑的なイメージがあるが。
>>358 戦争をするには、攻め込む側にも、受けて立つ側にも、
自分の側に理があって、敵方が悪なんだから、そんなこと言ってたら
国際法自体が意味をもたんわな。
アラブ人も白人
363 :
世界@名無史さん :03/12/07 14:51
コーカソイドだがホワイトではない。
364 :
世界@名無史さん :03/12/07 15:04
ブラックアフリカに対してホワイトアフリカって言うだろ。
365 :
世界@名無史さん :03/12/07 17:00
でも、アフリカってそれほど国が沢山作られていなかった気が・・ 有名な所が、古い所でクシュ・アクスム。中盤でガーナ・ベニン・エチオピア・マリ・コンゴ・モノモタパ。新しいところでソンガイあたり・・・ まぁソンガイ王国があったころは16世紀ですからポルトガル人が大航海してますが・・・ 実際、国その
366 :
世界@名無史さん :03/12/07 17:02
>>358 ヨーロッパというよりアメリカ合衆国じゃないか?
全権大使じゃなくて大統領自ら講和会議に出るようになったのもウィルソンからだな。
懲罰のための戦争ならば春秋時代の中国にいくらでも ありますがな。因に中越紛争も懲罰目的だったりする。
368 :
世界@名無史さん :03/12/07 20:14
>>367 中世のヨーロッパで、国王が従わない諸侯に対して戦争するときも
懲罰のための戦争といっていいかな?
369 :
世界@名無史さん :03/12/11 00:49
>>360 「男尊女卑」は人類の基本。
政治経済から戦争まで男性原理で動いている。
でも家庭内の実権を握っているのは女性。
この二重性で石器時代からうまくやってきた。
ちなみにアフリカに多い母系制社会においても
権力を持っているのは男性。
父系では父→息子に継承されるのだが、母系では
伯父→甥に継承される。
370 :
世界@名無史さん :03/12/16 21:28
現在のアフリカでは、 「同性愛は、西洋人がアフリカに持ち込んだ」 と誤解している人が多いが、 白人進出以前のアフリカでは、同性愛に関するタブーはそれほど強くなかった。
371 :
世界@名無史さん :03/12/16 21:45
日本神話では最初から男女の神がありここでは平等。 しかし女が先に声をかけるという結婚の儀式の結果奇形児を生み、 男が先に声をかける方式に換えて健全な子を産んでいるから、ここは男尊女卑といえる。 聖書では最初から男尊女卑。最初に男を作り、そのあばら骨から女を造る・・・
372 :
世界@名無史さん :03/12/16 22:52
>>371 アダムには、エヴァより先に、リリトという名の妻がいたという別伝が
ある。
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/antiGM.html アダムは力づくでリリスを自分の下に横たわらせ、男性優位の社会で
良しとされている例の「宣教師流の体位」をとらせようとした。
イスラム教徒たちは、性交は男性が上の形で行わなければならないと
強く主張していたから、「女を天にし、自分を地にする男は、
呪われてあれ」とまで言った [註2]。カトリック教会筋も、男性上位
以外の性交姿勢は、すべて罪であると言った [註3]。しかし、
リリスはイスラム教とでもカトリック教徒でもなかった。彼女は
アダムの粗暴な性行為を冷笑し、アダムを罵り、彼のところから
逃げ出して、紅海の近くに住みついてしまった。
>>372 の異伝は後世のものだが、それは聖書で
男と女を作った、といったん記述されたあとに、肋骨の話がもう一度語りなおされているから。
374 :
世界@名無史さん :04/01/10 02:15
白人が来ようが来るまいが アフリカはアフリカだった ということでいいのかな?
>>372 あー、だからあのシーンは騎乗位だったんだな・・・
376 :
世界@名無史さん :04/01/10 02:40
ハッ! 深いな・・・・あ、いや含蓄がねw
>282 殺すぞキサマ。
378 :
世界@名無史さん :04/01/18 18:29
アフリカのシイルック族の王は、最初にこの国を創った英雄ニイカングの霊が つぎつぎに新王に宿っていき続けているとされる。 王が死ぬと霊魂はその肉体を離れ、新しい王が即位式の椅子に座ると、そのときに 霊魂が身体に入って、王は震えて新しく霊魂を受ける。 日本の天皇霊と比較してよく似ている。 天皇の即位後に行われる大嘗祭では、神饌供進と物忌みとによって神霊(天皇霊) が新しい天皇の身体に付着するとされているから。
379 :
世界@名無史さん :04/01/23 01:50
>378 というのは実は折口信夫が想像120%で言ってることで、 大嘗祭の儀礼については他にもさまざまな解釈がなされているのだがな。
380 :
世界@名無史さん :04/02/01 21:38
>他にもさまざまな解釈 どんな解釈があるの?
処女とせっくるするとエイズが治る。
382 :
世界@名無史さん :04/02/14 01:59
>381 それ信じられている地域、相当多いと聞いた・・・由来は何なんだろう。
383 :
世界@名無史さん :04/02/14 02:34
ttp://www.worldtimes.co.jp/ 少年の目くり抜いた4人逮捕−ナイジェリア
【ヨハネスブルク11日長野康彦】
西アフリカ・ナイジェリアからの報道によると、今月、同国北東部の
バウチ州で、十三歳の少年の目をくり抜き重傷を負わせた男性四人が
警察に逮捕された。目は魔術に使うためだったとしている。
イスラム教徒が多数を占める同州では、州法もイスラム教のシャリア。
男性らの有罪が確定すれば、「目には目を」の戒律が適用されることになる。
384 :
世界@名無史さん :04/04/04 07:37
くろんぼage
>>369 インドあたりには女尊男卑の部族がいたような。イヌイットなんかはかなり男女平等だと思うし。
あとひとくちに「男尊女卑」と言ってもその実態は多様。
例えば古代ギリシャの男尊女卑と近代韓国の男尊女卑はかなり違うと思う。
386 :
世界@名無史さん :04/04/17 23:23
ブラックアフリカで航海民族っていましたっけ? 海に面していても、あまり船で交易した民族の話を聞かないのですが・・・ あっても東アフリカでアラブ人・インド人と交易したくらいかも知れませんが、 あれですら海上交易の主役はアフリカ人だったかどうか・・・
>>386 イドリーシーも、「ザンジ(黒人)は自分の船を持たず、オマーンやその他の国々からの船を
用いてる」と書いているな。
西アフリカでは、サハラ貿易が黒人王国の富の源泉だったので南下する動機は無い。
確かに見当たらないし、航海技術が発達する理由など何処にも無いわな。
ただ、15世紀にキルワはイエメン・ラスール朝から亡命してきたスルタンの要請に応じて
艦隊を派遣したことがある。なので、まるっきり海に出なかったわけでもないようだ。
388 :
世界@名無史さん :04/04/18 10:51
19世紀になると、現リベリアのクル人が初めは船員として、のちには沿岸 交易の担い手として登場するが、ちょっと時代遅すぎだな・・・ キルワやマリンディは港市国家と言ってもいい時期があったから、沿岸警備 以上の艦隊はあっただろう。 その後ポルトガルやオマーンに芽を摘まれたみたいだが。
エリュトゥラー海案内記(
>>342 )によると、東アフリカ海岸の諸都市は、各種武器および
ガラス器・少量の葡萄酒や小麦を”商売としてではなく、住民の機嫌をとるために”輸入
したという。後世のスワヒリ諸都市の輸入品も、やはり陶磁器や更紗などの贅沢品だった。
対してアフリカ側の輸出品は象牙や金、鉄鉱や奴隷など。象牙のような奢侈品はともかく、
貨幣の材料である金や、鉄鉱(アフリカは露鉄鉱床が底なしにある)・奴隷の重要度を
考えれば、アラブ商人の側としてはせめて船を出すのは、自分でやらないわけには
いかなかっただろう。
例の170はキルワ年代記を読める環境にあるのかい? 面白そうなんで、これはと思うトピックがあったらうpプリーズ。 とりあえず現代の話題になるが、Kilwa kisiwani と Kilwa Masoko と Kilwa Kivinje の関係を教えてくれ。
>>390 別に読めねぇよヽ(`Д´)ノウワァァン!!
儂のキルワのあたりの参考文献は、
・朝日新聞社 『海が創る文明 インド洋海域世界の歴史』 家島彦一 著
なんだが、これをよーく読み直したら「ラスール朝スルタンが軍事・経済援助を求めた」
とは書いてあったが、事実としては「キルワは資金を贈った」とまでしか書いてない。
なので、
>>387 最下段はせいぜいこの程度が正しかった。皆スマン。
× >スルタンの要請に応じて艦隊を派遣したことがある。
○ >スルタンが艦隊派遣を要請したことがある。
イスラム国家論研究会4月例会 東アフリカ沿岸部のキルワという都市についてのアラビヤ語年代記に 関して、ポルトガル人来航記事について、年代記とポルトガル史料を比較 することで、年代記の特徴や叙述の意図について論じていただく予定 です。 大勢の方々の御参加をお待ちしています。 記 日時:2003年4月26日(土)午後1時30分〜5時 会場:東京大学(本郷)文学部アネックス会議室 報告者:西野 太郎氏(中央大学・院) 題目:「『キルワの慰めの書』の史料的価値 −ポルトガル来航記事を中心に−」 コメンテーター:栗山 保之 氏(跡見学園女子大・講師) おっと思ったら去年じゃねえか!
アフリカ人自ら船で交易に乗り出した例としては、 一応、ギニア湾岸の諸王国が沿岸沿いに交易していたのが数少ない例か。 しかしそれすらもブラックアフリカ内のみの交易圏・・・ アジアやヨーロッパを目指した形跡はないようで。
ジンバブエの遺跡、白人の中には絶対に認めたがらない人もいるようだね。 「黒人がこんな高度な建造技術持っているはずがない!」と。
>>394 正しくは、孤立してて特異っていうか、周辺に似たような巨大建造物もないし
周辺の黒人達もそういう巨大建造物を築くような文化傾向がみられないという
のが外来起源説の根拠らしい。
もっとも、「黒人が〜」な見解は、西アフリカの泥のモスクやらヌビア人のピラミッド
やら、そもそもジンバブエの城塞自体が「城門が存在しない」、つまり余所の城壁
と根本的に機能や建造の動機が異なる(目隠しや富と権力のモニュメントという説
が一般的)ジンバブエ人オリジナルのもので、しかも建造・拡張が18世紀まで続い
ていたという事実をみれば、顧みる価値もないことは確か。
396 :
世界@名無史さん :04/05/05 10:25
ソンガイ人って今もいますよね? マリやチャドみたいに国は作らないんでしょうか?
397 :
世界@名無史さん :04/05/06 00:44
ソンガイ人は、マリ国民あるいはニジェール国民として、特に迫害も 受けずに普通に暮らしてる。居住域がニジェール川沿いに細長いし、 バンバラ人やハウサ人などと混住しているから、ソンガイ人だけで国を 作るってのは非現実的だろう。 現在のマリやチャドも多民族国家だしな。というか、西欧流の民族国家 をアフリカにあてはめるのはちと無理かと。 ちなみに、ブルースミュージシャンのアリ・ファルカ・トゥレはソンガイ人。 ライ・クーダーと組んだ『トーキング・ティンバクトゥ』は94年のグラミー 賞を取っている。日本でも4枚ぐらいCDが出てる。
存外人
399 :
世界@名無史さん :04/05/16 13:57
アフリカの遺跡を見たヨーロッパ人は、ローマ人がここまで来て作ったんだ、と思ったそうだね。
400 :
世界@名無史さん :04/05/16 14:26
>>367 史実から言えばはそうだが、別次元で考えるべきでは?
401 :
世界@名無史さん :04/05/16 23:08
>>399 ひどいのになると「ユダヤの失われた十支族の末裔が建てた都」ってのまで出る始末。
402 :
世界@名無史さん :04/05/16 23:20
アフリカにユダヤ教徒ってどのくらいいるの?
プレスタジョアンの国ってホントにあったの?
404 :
世界@名無史さん :04/05/17 08:54
昨日、TBSの世界遺産で、ゴレ島が取り上げられてたね。
405 :
世界@名無史さん :04/05/17 18:16
>>402 アフリカのユダヤ人:
1.セファルディム
(1)16〜17世紀にイベリア半島を追われ、エジプト、リビア、マグリブ
3国に移住した者の子孫。
(2)近代になってオランダやイギリスから南アフリカに移住した者の
子孫。
2.ミズラヒーム
古くからアラブ圏に住むユダヤ人で、アラビア語を母語とする。カイロ、
チュニジアのジェルバ島、モロッコのフェズなどに居住。
3.ファラシーム(ファラシャ)
古くからエチオピアに住むユダヤ人。イスラエル建国後ほとんどが
出国した。 なお、ヘブライ語教育を伝えながらもキリスト教を信仰
するファラシャムラと呼ばれる人々がゴンダール地方に2万人暮ら
している。
ttp://www.melma.com/mag/42/m00001142/a00000063.html 人口は、モロッコに5千〜2万人(幅あり過ぎ)居住していることが分かっ
た他、ネットでは調べつかず。詳しい人調査キボンヌ
406 :
世界@名無史さん :04/05/28 22:30
ナイジェリアは人口は日本とほぼ同じだが、民族数は250以上で400種類以上もの言語があるそうな。 人口1400万人のカメルーンですら200の言葉があるという。これでは教育がたいへんである。 逆に、それなりに人口が多くて一国一言語の国は、日本、韓国、北朝鮮ぐらいだろう。 ケニアも約40〜50の言語があって、一人の人が3,4言語を使い分けることも珍しくないそうです。 これなら黒人のマシンガントークも納得がいく。 それにしても、これだけ密集した地域に何百という言語があるのは、始皇帝のような暴君が過去に出現 しなかったためなのだろうか。それだけ古代のアフリカが平和だった証拠なのだろう。
407 :
世界@名無史さん :04/05/28 22:58
>>406 沖縄も明治初期までは谷ひとつ違えば言葉が通じないくらいで
小さな島に何百という言語(琉球語の派生語ではあるが)が存在した
408 :
世界@名無史さん :04/05/28 23:35
>>403 『アルヴァレス エチオピア王国誌』ではエチオピア王国、
1486年にジョアン・アフォンソ・デ・アヴェイロがジョアン2世に
報告したところではベニン王国であると考えられてたらしいが。
409 :
世界@名無史さん :04/05/29 18:33
チャドで発見された最古の人類 サランヘスとナイジェリア・中央アフリカ・ カメルーンに住んでいるチンパンジーとの関係は?
410 :
世界@名無史さん :04/05/31 01:36
アフリカ学会age
アレクサンダー以前のアフリカか…
412 :
世界@名無史さん :04/06/02 01:37
古代エジプトの記録でヌビア以外に ブラックアフリカの土地・民族について記しているものってありますか? 紅海沿い諸国くらいかなあ・・・
>>412 古代エジプトとは違うだろうが、BC120年ごろのプトレマイオス朝で
エウドクソスという人物が、アフリカの角を越えて南の、アフリカ東
海岸を探索している。
414 :
世界@名無史さん :04/06/04 02:04
そういえば「プント」はソマリア一帯でしたっけ?
最古の記録はエジプトの航海記だった記憶が。
>>413 のエウドクソスの航海なのかな。
乳香・没薬交易で昔は名高かったそうだが。
415 :
世界@名無史さん :04/06/04 04:13
>>412 一応、リビア海岸部やヌビアの西方の遊牧民等ともかかわりはあったようだが。
416 :
世界@名無史さん :04/06/04 07:18
>>412-413 フェニキア人がアフリカ南端を西から東に越えたと自称する記録で「太陽を左手に見ながら進んだ」
(=太陽が北に見えた)というのを、その当時地球が丸いことを認めなかったギリシャ人が
「やっぱりフェニキア人は嘘つきだ」とまとめた、という小話を聞いたことがある。
けど、ソースを調べていないので本当かどうかは知らない。
417 :
世界@名無史さん :04/06/06 20:43
ハンノの探検航海の時かな?
>>416 それ、ヘロドトスが記したエジプト ネコ王の探検隊の話。
419 :
世界@名無史さん :04/06/08 03:51
>>414 プント=ソマリア説は、プントからの物品が海路だけでなく陸路でももたらされていることから、今では否定的だが。
ソマリアどころか、エチオピアあたりとも付き合い無かったしね。
420 :
世界@名無史さん :04/06/17 21:29
>419 あんなに歴史の古いエチオピアが隣にいながら接触なかったのか・・・ 紅海の要衝なのにな。海洋貿易で栄えた様子でもないし。長い間何してたんだろう?
421 :
世界@名無史さん :04/06/25 04:26
>>420 エジプトの南にはヌビア人がいたんだから、エチオピアと通行しないのは当然だろ。
それでも、ヌビア人を随分南方に追いやったんだけどね。
つーか、エチオピアが歴史に登場するのって、新王国以後じゃないの?
423 :
世界@名無史さん :04/07/02 00:33
>>421 紅海でエリトリア直行、という経路もあったかも。
424 :
世界@名無史さん :04/07/03 15:14
425 :
世界@名無史さん :04/07/04 04:00
確か、ヌビア人からピグミーを送られたという話があったはず。
426 :
世界@名無史さん :04/07/04 11:43
さらにギリシャへも贈られたね。 ピグミーが披露したコーラスの美しさに驚嘆したとの記録があった記憶が。 西洋の多声合唱の起源とする説まであるがまあさておき、 南北にブラックアフリカと交易するルートとしては: ・大湖地方〜ナイル川上流ルート ・紅海〜アフリカの角ルート ・サハラ縦断〜ニジェール川〜ギニア湾岸ルート などがあったのではと思われ。
427 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 19:50
西アフリカの人間がアメリカ大陸と交易していたという説がある。 東アフリカの場合、インド洋の島々にアラブ人が来航する以前に黒人が自ら航海してきて居住していた形跡が無いらしい。 マダガスカルの黒人的要素は、マダカスカルに移住してきたマレー系が奴隷としてアフリカ大陸から拉致してきたためとか。
428 :
世界@名無史さん :04/08/06 06:33
hosyu
みなさんアフリカ黒人のことを見下していますそれは大きな間違いです。 知能に先天的な差は無いのが現在の定説です。 アフリカはヨーロッパが進出する前からも高度な文明を築いていました。 今アフリカが悲惨な状態なのは彼らが劣っているのではなく、アフリカの 土地がやせていることと、ヨーロッパがアフリカを植民地化して国境を 機械的に画定したために1つの国にいくつもの民族が混在することになり 争いが起こり国の発展が妨げられたからです。 黒 人 が 劣 っ て い る と い う 考 え は や め ま せ ん か ?
430 :
世界@名無史さん :04/08/09 21:11
>429 すまんが黒人種の先進国を一つでも良いから挙げてくれ。
433 :
世界@名無史さん :04/08/15 00:02
先進国になれるかどうかは、先天的な知能の差ではなく文化の差だろ。 上でも出てたけど、いかに勤勉を美徳とすることが出来るか。 修道士のような生活。質素倹約を良いとする心。
赤道ギニアがギニア湾の海上油田の石油採掘で毎年60〜70%の驚異的な経済成長を遂げているいうから、 ギニア湾岸の石油生産国に注目するか。
436 :
世界@名無史さん :04/08/15 05:29
と言うか、中世はヨーロッパが暗黒でイスラム、漢字文化圏どころかアフリカよりも遅れていた。 ヨーロッパは産業革命までまたないと小麦などの反収が古代を超えないのである。大航海 時代もジパングや中国、インドに豊かな文物があると知らされたが、オスマントルコの領内を 通れないので(勢力、経済もろもろでイスラム圏に負けていたから)大回りしていたのが 実情。で汚いやり方で原住民などを騙し、南米、インドや中国をなどを侵食して大きくなっただけ。 ルネッサンスは単なるアラビア語文献を必死こいて翻訳していただけだが、古代ギリシャやローマは 偉大な文明を残したが、断絶がある、アフリカはイスラム商人や印橋、中国人などと交流があった。 ヨーロッパは隣の大陸なのにずっとアフリカが大陸だと気付かなかった。またヨーロッパとアジアが 同じ大陸だともずっと気付かなかった。
437 :
世界@名無史さん :04/08/15 05:59
なんだかんだで宇宙へ先に飛び出したのは白人w
西ヨーロッパにようやく商業が生まれ出した10世紀 コンゴ上流に住むルバ人はインド洋との貿易で、 ガーナ帝国はサハラ貿易で、 カネム王国はガーナからクシュの東西及び地中海から熱帯雨林諸王国との南北貿易で、 ジンバブウェではグレートジンバブウェの原型都市がインド洋のアラブ、スワヒリ人との貿易で それぞれ栄えていた。 地中海沿岸はともかく、他のヨーロッパはルネッサンスまでは世界的に見て後進地域だったからねえ。 ルネッサンス以降徐々に世界レベルに追いつきやがて抜きん出始めるのが16世紀。 アフリカの衰退の理由としてはサハラの砂漠化やアラブの侵入等の要因で民族移動が 絶えなかった事により国家が安定し難かった事、 富を蓄積させるのに適した穀物が無かった事が原因ではないだろうか。 白人支配下でも商品作物だけで食料作物の栽培を行っていないので単に白人の経済ブロックに 都合の良い産業構造にされていただけで豊かになったわけではない。
439 :
世界@名無史さん :04/08/16 08:42
≪WANTED≫ ◎\___◎\________/|___/| |  ̄ | ̄ ∧_∧  ̄  ̄| |無職最高党| (´∀` ) 無 職 最 高 党 | |_____|_,,,(__,,,,)__________| ,/ // . | | | | ∩ ∩| ,/ ∧_∧ //∧_∧ | | ∧_∧ ∩ | | ∧_∧// | _.,/ (´∀` ) //(´∀` ) | | ( ´∀`)//| | ( ´∀`)/.| | |/,,,,,へ ⊂ ヽ .// / ノ/ | | / /| | | / | | ,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//|_/ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | |~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄ =。|┃ |━━━━━....| |______: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,,,,,,,,む,,,し,,,ょ,,,く,,,党,,,,,,,,,,,, [| ._|]:::::::::::::::::::[二二il:] ,-―-、 | | . [| |====== ;...........| /,  ̄ヽ | |. | /,  ̄ヽ | {| ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(◎)|':|''''|.''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(◎)|:|''/ ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞ_ノ  ̄ ____∧___________________ | | お酒飲んででわっしょい!・・・・・・・・・ |________________________
440 :
世界@名無史さん :04/08/16 08:56
441 :
世界@名無史さん :04/08/16 09:00
ルネッサンスの頃、イタリア(ヨーロッパでもっとも進んでいた)でさえ衛生状態が悪くて、人口が4割 減ったりしているし。人口が減って、親からもらう資産が増え資産の蓄積につながり、またいろんなと ころから輸入しないといけなくなったりしてのが、いろんな文化など入るようになった。 アフリカは奴隷として取られたりして疲弊したのも大きい。
442 :
世界@名無史さん :04/08/17 09:34
443 :
世界@名無史さん :04/08/17 09:47
やっぱり、機械時計や顕微鏡、天体望遠鏡の発明あたりからヨーロッパ中心になった気がする。
444 :
世界@名無史さん :04/08/17 09:52
>>440 19世紀は世界人口の35.5%が中国人だったわけね。
445 :
世界@名無史さん :04/08/17 13:47
>>442 一人当たりで低くなるのは知っているよ。これは欧米側の出した資料。実際は東洋的には
価値があるが、西洋的には価値のないものは無視される。しかしこのサイトが示している以上に
ヨーロッパは豊かだっただろうな。ヨーロッパ国内では大したものが取れなくても世界中から収奪
していたのだから。
>>443 産業革命とその後の発展が大きい。
>>444 ルネッサンスの頃でさえ、ヨーロッパでは衛生状態が悪くてばたばた人が死んでいったからな。
また食糧事情も悪かったし。
446 :
世界@名無史さん :04/08/17 19:03
>>445 >また食糧事情も悪かったし。
西洋の食糧事情が悪かったのは、アジアと違いヨーロッパに主食になる植物が少なかったから。
実際、欧州が爆発的に発展したのは大航海時代に米大陸が発見され、ジャガイモやトウモロコシ、
カボチャなどの野菜が、伝わったのが大きい。これが東西逆転のカギだ。
447 :
世界@名無史さん :04/08/17 20:41
納得!! 米の自給率低下が心配だな・・ 日本だけじゃない。極東全体だぞ!
448 :
世界@名無史さん :04/08/18 02:54
>>446 新大陸発見程度じゃ逆転されないよ。ヨーロッパが台頭する前に4つの大国があった。
中国、インド、イスラム、ロマノフ(ロシア)。中国、インド、イスラムの3つの大国を食い物
にして漸く逆転したのだよ。これは19世紀に入ってから。そもそも新大陸は100年も前に
中国人らも航海しているし、ヨーロッパが大航海したのはインドや中国、日本に大産物、
富があると思われていたが、オスマントルコが邪魔で回り道しないといけないから
、当時のヨーロッパ人はバカだったがそれでもインドに行くのにオスマントルコを通った
法が近いぐらいの知恵はあったろう。大航海の頃はカリブ海についてインドと思ったぐらい
だからそれぐらいの知恵、知識もないバカだったのかも知れないが。
449 :
世界@名無史さん :04/08/18 03:00
アヘン戦争もその頃はイギリスは世界の富を支配していたと思われるが、実際は漸く豊かになって 中国じゃ全然贅沢品ではなかった、絹、茶、陶器などをほしくなったが、イギリスからは中国に売れるような ものは何一つなく(銀貨を最初は売っていたがすぐ枯渇)、それでインド人を騙してインドにアヘンを作らせて 売った。 ヨーロッパ史観に毒されて、ヨーロッパが進んでいたように思わされているが、実際は全然違う。ヨーロッパ は先進地域も破壊してい言ったし、騙していった。モンゴル帝国が文字も持たなかったのに中国を支配したように 野蛮な方法で征服し、歴史を塗り替えてったのだよ。
450 :
世界@名無史さん :04/08/18 03:18
>>448 >新大陸発見程度じゃ逆転されないよ。
蒸気機関や水素気球、電気の発明時点で、逆転はスケジュールに入っていたと思う。
>そもそも新大陸は100年も前に中国人らも航海しているし、
これはまだ仮説の段階だぞ。それを言うなら、ヴァイキングの航海も指摘しないとならないだろう。
>>449 >ヨーロッパ史観に毒されて、ヨーロッパが進んでいたように思わされているが、
中国史観に毒されないことを警告するよ。
451 :
世界@名無史さん :04/08/18 04:00
452 :
世界@名無史さん :04/08/18 04:35
>>448 「オスマントルコ」という表記はヨーロッパ史観。
西欧人がオスマン帝国をOttoman Turks, Turkish Empire と呼んだことからはじまる。
最近では「オスマントルコ」は「オスマン帝国」と表記する。
453 :
世界@名無史さん :04/08/18 05:58
>>450 蒸気機関の発明は18世紀後半な、確かにまだ逆転していなくて19世紀に逆転する
スケジュールには乗っていたかもな。電気などに関しては日本でも同じ頃に平賀源内
が発明している。あと科学に関しては、微分・積分は日本のほうがニュートンより早いし、
日本より早くインド人が見出している。
>>451 ヨーロッパ史観で他のとこで発明したものも自分の手柄にしているからな。古代ローマや
古代ギリシャの文化、文明をヨーロッパは全く受けついていなくて、イスラムが翻訳し、また
イスラム商人が世界的に交易する中で文化を高めていたが、イスラム教ではアラビア語で
お祈りしないといけないのもあって、アラビア語文献が多く増えた。それをひたすら翻訳しま
くったのがルネッサンスだ。紙が中国で作られ、それがモンゴル帝国のイスラムへの進出
などでイスラムにも伝わった。イスラムはこれは金になるとヨーロッパには教えなかった。
ヨーロッパでは紙が使われるようになるのに東アジアより1000年くらい遅い。印刷技術もだ。
近代印刷技術はグーテンベルグから始まるといわれるが、これも東洋からずっと遅く伝わった
印刷技術でやっていたが、まどろっこしいやり方を改良したもの。中国では印刷は大量印刷
でなく印字をそろえる、美的センスのためだったのと、文字数が多いのもあってグーテンベルグ
の方向へは発展しなかった。
ヨーロッパの大学は古い歴史を持つがいずれも神学がメインで、これは現代ならタリバンが
やっているより怪しい学問だし、イスラムの宗教者の養育の流れを汲むもの。中世のヨーロッパ
では魔女狩りはやるし、愛の告白が腋臭をたっぷりしみ込ませたリンゴを与えて食べさせること、
これは有毒なのだが、それにも気付いていない。モンゴル時代にアフリカ、アメリカを含む
世界地図を完成させているが、ヨーロッパはずっと遅れた後も、アフリカが大陸だと思って
いなかったし、アジアとヨーロッパが同じ大陸だとも思っていなかった。
454 :
世界@名無史さん :04/08/18 06:01
グーテンベルグの最初の印刷はたった200部、日本ではその800年ぐらい前に 一部100万部の印刷をしている。出版物、識字率など全然違う。 そもそもヨーロッパが中南部アフリカに進出したころはまだアフリカのほうがヨーロッパより 文化、文明など優れていた。ヨーロッパでは戦争ばかりやっていたから、その分野で秀でていた だけ。
455 :
世界@名無史さん :04/08/18 06:05
ヨーロッパのやり方は例えば特許などにも現れる。漢方にしろ中南米にしろヨーロッパ人が 知らない薬は多いが、現地人らはそれがどうやって作られる(どの薬草をどのように配合すれば 良い)か知っているが、特許などはとっていない。それを分子レベルで分析しただけで特許を取り、 中南米などから特許料を取ろうしているのが連中のやり方。そして、その薬自体も自分らが見出した と言い出す。
456 :
世界@名無史さん :04/08/18 07:15
>>453 >蒸気機関の発明は18世紀後半な、
ニューコメンの蒸気機関発明は1705年だ。もっとも2000年前にギリシャのヘロンが発明してるが。
>電気などに関しては日本でも同じ頃に平賀源内が発明している。
これはオランダから取り寄せた文献から作成したらしい。
>あと科学に関しては、微分・積分は日本のほうがニュートンより早いし、
ニュートンの功績で微分・積分はほんの一部だぞ。
457 :
世界@名無史さん :04/08/18 07:17
>>453 >ヨーロッパ史観で他のとこで発明したものも自分の手柄にしているからな。
それは中国や日本、韓国も同じだろ。後から文献だけが出てきた捏造臭い発見・発明なんて、
中国や日本のほうが多いよ。
>ヨーロッパでは紙が使われるようになるのに東アジアより1000年くらい遅い。
ヨーロッパは紙の原料が少ないし、ヨーロッパ人は羊皮紙を愛して紙の普及を遅らせたのさ。
因みに、フランス人がハチの巣をアイディアに木材パルプの製紙方法を考案したのは18世紀前半だ。
458 :
世界@名無史さん :04/08/18 07:19
中国人が1人いるのか。
459 :
世界@名無史さん :04/08/18 07:51
>>453 >ヨーロッパ史観で他のとこで発明したものも自分の手柄にしているからな。
中国人なんか、中国将棋(シャンチ)の起源をインドとは絶対に認めないらしいよ。
因みに鄭和の世界一周説はイギリス人学者の主張だぞ。かなり捏造臭いけどね。
460 :
世界@名無史さん :04/08/18 08:04
>>454 >そもそもヨーロッパが中南部アフリカに進出したころはまだアフリカのほうがヨーロッパより
>文化、文明など優れていた。
物的証拠は?
>ヨーロッパでは戦争ばかりやっていたから、その分野で秀でていただけ。
少なくともアジアが植民地化される以前には、あらゆる分野でヨーロッパのほうが秀でていたよ。
>>453 >電気などに関しては日本でも同じ頃に平賀源内が発明している
こんなこと(平賀源内が『発明した』)言う人初めて見た。どの文献に書いてあったの?
462 :
世界@名無史さん :04/08/18 08:14
>>453 >ヨーロッパ史観で他のとこで発明したものも自分の手柄にしているからな。
起源捏造なんて中国人や朝鮮人も当たり前なのだが、日本の近代科学がほとんど欧米の模倣なんで、
科学史も欧米の科学史がそのまま模倣されたのさ。
463 :
世界@名無史さん :04/08/18 10:25
>>456 現代のような蒸気機関をジェームズ・ワットが発明したのが18世紀後半。
江戸時代、庶民の間ではパズルみたいな算数・数学の問題を解くのが流行っていて、
それを額縁に飾っていた。それは結構レベルが高い。ニュートンクラス。額縁に
飾っていたものは大量に残っている。行列などはヨーロッパ人が見出すよりかなり
前に作り出されている。
>>457 朝鮮人は捏造が好きだし、中国人は中華思想で発想するが、日本に関しては
文献だけじゃない。現存する期日がはっきりした世界最古の印刷物は日本製で
100万部すられたが、今でも完全な形で1万部残っている。グーテンベルグの
最初の印刷物は10部くらいしか残っていない。それより古いと朝鮮が言っている
物はあるが、期日がはっきりせず。また日本製より必ずしも古いとは言えない。
草で書物を作っていたヨーロッパ人が、草製だと折るとすぐ破れてしまう。
朝鮮人はとうかして欲しいな。今でもマスコミでさえ、日本への悪意が一杯で
民族のプライドをくすぶることと日本を貶すことに必死。しかし民族のプライドを
燻ろうにも大したものがないから歪曲、捏造になる。で日本側の情報と違うこと
に対して日本は歪曲していると喧伝する。日本の出版界の規模は韓国の20倍
以上で(韓国は実用書の類が多い)、中には歪曲しているものがあるが、もっとも
歪曲しているものでも韓国のメディアが報道しているものよりまし。
>>460 イギリスでは茶も絹も陶器も出来なかった。だからアヘン戦争を仕掛けた。
中国にとってイギリスから欲しいものはない。イギリスには中国に欲しいものは
沢山。また日本の浮世絵は大量に生産され、今で言う新聞の折込広告ビラ紙
みたいなものだが、それがヨーロッパでは宝のように思われた。
464 :
世界@名無史さん :04/08/18 10:31
>>462 西洋の近代用語の多くはアラビア語だったりする。アルコールとかもそう。アルは
アラビア語の定冠詞。西洋で錬金術が流行ったのはアラビア語の文献を翻訳しま
くったあと。
医学の世界には外科など切りまくる西洋医学もあるが、東洋医学もある。名前は忘れたが、
アメリカの西洋医学の権威が東洋医学の優秀性を認め、学会に広めようとして総スカンク
を食らった。また日本ではあまり知られていないが、インドの医学も東洋とも西洋とも
違うもの。ヨガもインド医学の幅広い分野の一つ。
465 :
世界@名無史さん :04/08/18 10:38
>>460 今は東南アジアは日本文化の影響をもっとも強く受けているが、その前は少し中国があるが、
もうちょっと前はインドの影響が強かった。中国の影響はせいぜいベトナムまで。印橋が東南
アジア、アフリカへと交易してその文化が伝わっていた。アフリカはまたイスラムとの交流も
ありその先端の文化を吸収した。
十字軍がイスラムに遠征していた頃の話。
医学におけるイスラム医学者とヨーロッパの医者の違い
十字軍において、イスラムの医学者とヨーロッパの医者が出会ったことがある。ちょうど、
イスラムの医学者が患者を診ていた。患者の1人である若い男性は足に切り傷を負っていた
ので、傷口を消毒し、治療した。また、若い女性も病気にかかっていたが、こちらは食餌療法で
快方に向かわせたという。
ヨーロッパの医者はイスラムの医学者をどけると、切り傷を負っていた男性にこう聞いた。
「1本で生きるのと、2本で死ぬのはどちらがいい?」1本で、と答えた男性に、医者はオノを
持ってきて傷のある足めがけて振り下ろした。男性は残念ながら即死した。一方の病気に
かかっていた女性に対しては、頭を切り開いて塩を塗り込んだ。もちろん、女性も亡くなった。
医者曰く、「悪魔がいなくなった。」だそうである。
中世におけるイスラム文化とヨーロッパ文化は、これだけ差が開いている。この差は、ルネサンス
以降から縮まって行くはずなのである。
http://history.noblog.net/blog/g/
466 :
世界@名無史さん :04/08/18 10:42
日本は西洋の優秀性を認め、それを吸収したが、大航海に出た頃のヨーロッパは
アフリカなどの優秀性がわからずひたすら破壊しまくった。
当時の差がわかる文献などは多いよ。
アフリカは決して「暗黒大陸」ではなかった。
むしろ、ヨーロッパよりずっと繁栄していたのである。錬金術や占星術、魔女裁判などに
夢中になっていた点からいえば、ヨーロッパ人はまったくアフリカにひけをとらなかった。
15世紀のヨーロッパでは、迷信的なキリスト教徒が、疫病から逃れることができると信じて
しばしば教会の境内にある墓地に集まって踊っていた。同じ頃ドイツでは、一日平均2人の
“魔女”が火あぶりの刑に処せられていた。
これほどのでたらめを信じていたというのに、ヨーロッパ人は、自分たちは高貴で感受性に
富み、模範的な人間であると自負していたのである。ヨーロッパから遠く離れ、異なった文化
を持つアフリカのイメージは、このような人々によって作られたものにすぎない。
http://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/08_19thC/08-08_africa.html
バナナ野郎は醜いなぁ・・・。 テメェの面をもっぺん鏡でよく見てみろっての。
468 :
世界@名無史さん :04/08/19 01:08
ここは近代ヨーロッパの後進性を語るスレですか? そろそろ本題のアフリカに返らんか? しかし、アフリカスレはどこもアフリカネタだけではレスが増えないのが現状。(哀)
469 :
世界@名無史さん :04/08/19 04:37
>>463 行列ぐらいでニュートンクラスなんて持ち上げるなよwww
470 :
世界@名無史さん :04/08/19 04:40
471 :
世界@名無史さん :04/08/19 04:50
>>465 >十字軍がイスラムに遠征していた頃の話。
なんで十字軍の時代まで遡るんだろうね。結局、この男は何が言いたいんだ?
ヨーロッパの劣等性を主張して自己満足がしたいだけじゃないの。
これじゃ醜い水掛け論になるだけだよ。
472 :
世界@名無史さん :04/08/19 05:05
グレート・ジンバブエの遺跡以外で、 サハラ以南のアフリカを代表する建造物といったら何があるだろう? グレート・ジンバブエの遺跡にしても、 テオティワカン遺跡やマチュピチュ遺跡あたりと比較すると 石を積み上げただけのようでレベルが低く感じるのだが。
473 :
世界@名無史さん :04/08/19 12:10
>>472 テオティワカン遺跡は復元、で不正確なのではないかと言われている。
>>469 行列だけでなく、微分・積分なども日本が早い。ピタゴラスの定理とかヨーロッパでは
名前がついているが、日本では名前をつけていないだけで日本のほうが早く見出して
いる定理が多い。そもそもニュートンは人の手柄を自分の物にしていた疑いがかけられている。
まぁ人の手柄を自分の物にするのはアングロ・サクソンらしいのだが。
474 :
世界@名無史さん :04/08/19 12:25
>>473 微分・積分も何度も言うなよ。
>そもそもニュートンは人の手柄を自分の物にしていた疑いがかけられている。
日本や中国だったら神格化したまま批判はタブーwww
>>473 メロエのピラミッド群と、アラビアから技術導入したキルワの宮殿やモスクあたり
しか浮かばんね。
熱帯が多いアフリカには石造都市は不向きなんじゃないかな。東南アジアでも
アンコールぐらいしかなさげだし。ジンバブウェは高原で温帯だから石造でもOK
だったのかも。
泥+木材の都市・建築だったら、西アフリカのジェンネやトンブクトゥがあるね。
476 :
世界@名無史さん :04/08/19 13:17
>>473 >行列だけでなく、微分・積分なども日本が早い。
ライプニッツとたった10数年違いだが、行列も微分・積分も関孝和の功績ですね。
たった1人いるいないで偉い大違いですよ。英国セントアンドリュース大学の教授が選んだ
17世紀を代表する歴史的数学者100数十人で、アジアから選ばれ数学者はその関孝和と
インド人の2人だけで、中国やイスラム世界からは1人もいません。日本はアジアでも別格だったわけだ。
でも関孝和の功績を持ち上げたって、インド、中国、朝鮮がヨーロッパに実力で逆転されたのは明白ですよ。
ヨーロッパ人が中国やインドより先に、行列、微分積分を発見した事実は変わらないのだから。
繰り返し言うが、アジアが植民地になる以前からヨーロッパの自然科学は中国を越えていた。
>>476 「英国セントアンドリュース大学の教授」はそんなにえらいの?
よく知らないもので・・・
ちなみにヨーロッパの科学がはやくからアジアを越えていたのは確かだと思うし、
科学的発見を正当に評価しようという社会のあり方の違いが大きいですね。
東アジアの学問ってのはどうも倫理とか修養とかに傾きがちなところがあるね。
学問的真理が社会的道徳から独り立ちしづらい雰囲気があったものだろう。
理系とか数学とかって今でも冷たい学問ってイメージがある気がするけど、
昔の町社会の風当たりって今よりきつかっただろうな・・・
478 :
世界@名無史さん :04/08/19 14:00
>>472 マリ・ジェンネの大モスク。
ナイジェリア・カノの城壁(わずかに残る程度)
タンザニア・キルワ都市跡
エチオピア・ラリベラ石窟教会群
エチオピア・ゴンダール王宮群
…etc
個人的にはラリベラ教会群が最も見ごたえがあった。
まあそれにしてもアジアや中南米の遺跡に比べたら、見劣るのは否めないが。
479 :
世界@名無史さん :04/08/19 14:30
日本の微分・積分は捏造臭いがな。中立国には検証のしようがないから困るだろう。
480 :
世界@名無史さん :04/08/19 15:50
>>473 >ピタゴラスの定理とかヨーロッパでは名前がついているが、
>日本では名前をつけていないだけで日本のほうが早く見出して
>いる定理が多い。
あのー、ピタゴラスは日本で言えば縄文時代後期の人なんですが、
それとも最近、縄文式土器にピタゴラスの定理を刻んだものでも
出土したんですか?
481 :
世界@名無史さん :04/08/20 03:23
>>476 アングロサクソンの得意の手だろう。如何にも世界中から調べた振りして自国を持ち上げる
ためにやる。
ヨーロッパが中国を越えていたのもごくわずかにあっただろう。しかしヨーロッパは日本が
評価するまでインド哲学を正当に評価していなかったし、漢方も評価していなかった。
ヨーロッパの医学は無茶苦茶だった。それがルネッサンスでアラビア語文献を必死に翻訳し、
人体実験しまくってすこしずつ知見が増えた。
ヨーロッパの史観で見れば、ヨーロッパより遥かに進んでいたアフリカが暗黒になるように
歴史はむちゃくくやに語られる。
別に関だけが偉大だったのではない。多くの人間の関与で見出された定理や概念も多い。
しかしそれらに名前がついていないために功績が判らないだけ。
今でも工業技術は日本がトップだが、スイスが技術認定している。こういうのが得意か
どうか。
482 :
世界@名無史さん :04/08/20 03:43
>>481 >アングロサクソンの得意の手だろう。如何にも世界中から調べた振りして自国を持ち上げる
>ためにやる。
またまた人種偏見に凝り固まった妄想君が現れたよ。中国人や韓国人を棚に上げて
アングロサクソンの得意の手と決めつけるところが偏見なんですよ。
>ヨーロッパが中国を越えていたのもごくわずかにあっただろう。
少なくともガリレオ、ケプラーが誕生したころにはほとんどの自然科学で中国を越えていたよ。
>しかしそれらに名前がついていないために功績が判らないだけ。
印刷物は日本が世界最多だったんでしょ。西洋だって埋もれた功績は多いんだよ。
ジョージ・ケイリー以前にグライダー飛行した伝説は航空史では扱っていない。
483 :
世界@名無史さん :04/08/20 04:13
>>477 >「英国セントアンドリュース大学の教授」はそんなにえらいの?
偉かったとしても、人種偏見のある人間には説得力がないようですね。
484 :
世界@名無史さん :04/08/20 04:19
>>477 >「英国セントアンドリュース大学の教授」はそんなにえらいの?
偉かったとしても、ニュートンすらボロクソにこきおろす人には説得力がない。
485 :
世界@名無史さん :04/08/20 07:59
ズレタこという教授は、向こうの大学にもいるよ。
とりあえずスレッドとずれた事を延々と捲くし立ててるような人間は真っ当な人間じゃない。
487 :
世界@名無史さん :04/08/20 18:34
>>473 よく勘違いしてる人がいるけど、関孝和は微分積分を発明してません。
和算の円理と呼ばれる問題は関以降に定積分といっていい段階にまでいき
ましたが、それはニュートン、ライプニッツよりもあとです。それに日本
には積分はあっても微分はありません。
488 :
世界@名無史さん :04/08/20 23:03
>>481 les cons, ca osent tout
c'est meme a ca qu'on les reconnait
(Michel Audiard)
489 :
世界@名無史さん :04/08/21 00:54
私はニュートンをこき下ろしていない。一部の業績を認めるが、全部の業績を認めるわけには
いかないだ。
>>487 まだ捏造厨が出てきたな。微分・積分がわかっている香具師なら、微分と積分は表裏一体
であることが判るはずだ。片方がわかっていて、もう片方がわかっていないことはありえないし、
セントアンドリュースもインドや日本の数学者を認めているのは、彼らがニュートン以前に微分・
積分を見出していたからだ。
>>482 ガリレオは特別・別格の存在。日本の関孝和が別格ではないのと話が違う。日本では庶民の
間で和算が広まっていた。ガリレオの業績は絵画を除くと同時代の人間には全く理解されていない。
理解されるのに100年は待たないと行けない。
医学・薬学だけ取り上げても違うのが明らかではないか。現代において出さえ、西洋医学では
治療不可だが、東洋医学では治癒に成功する例など多いし、もっと単純な病気でも東洋医学
では副作用に悩むこともない。西洋史観で見れば、中国に劣ることはないだろうが、逆に中国
史観で見れば、西洋に劣ることはないになるぞ。アフリカでも同じ。アフリカには偉大な文化、
文明が沢山あった。しかし魔女狩りをやっていたヨーロッパに暗黒呼ばわりされ、それが定着
したのだろうが。
490 :
世界@名無史さん :04/08/21 01:48
487ではないけど。 >まだ捏造厨が出てきたな。微分・積分がわかっている香具師なら、微分と積分は表裏一体 >であることが判るはずだ。片方がわかっていて、もう片方がわかっていないことはありえない じゃあ数学の素人にも分かるように説明してくれ。 例えば、微分と積分が表裏一体ってのは、近代数学の考えじゃないのか?という疑問がすぐに湧く。 本当にあり得ないのか?和算の理論的枠組みの中でも両者は明確な形で表裏一体のものとして 扱われてたの?
491 :
世界@名無史さん :04/08/21 05:39
>>489 >セントアンドリュースもインドや日本の数学者を認めているのは、彼らがニュートン以前に微分・
>積分を見出していたからだ。
セントアンドリュースは江戸時代の和算の検証なんかできないだろ。日本人の主張を盲信してるだけだよ。
それに評価してるのは行列とか微分以外の功績だろ。
>ガリレオは特別・別格の存在。日本の関孝和が別格ではないのと話が違う。
>ガリレオの業績は絵画を除くと同時代の人間には全く理解されていない。
中国との比較でガリレオ、ケプラーを引き合いに出したのに、なんでまたまた関が出てくるんだ。
ガリレオがいなくても、コペルニクスやブラーエがいただろ。望遠鏡も彼の発明じゃない。
異端審問で抑圧・阻害されてただけで、ガリレオやケプラーなんて氷山の一角だよ。
日本人は、中国人ではなくヨーロッパ人から地球儀を見せられ地球が丸いと教わったんだよ。16世紀に。
492 :
世界@名無史さん :04/08/23 07:02
>>491 それは違う。モンゴル帝国時代に世界地図が描かれている。ヨーロッパ人はアフリカが大陸とも
知らなかったときにだ。日本はそれを入手している。大航海時代もインドや日本を目指して
大回りしたのがヨーロッパ人。カリブ海についてインドだと思ったのがヨーロッパ人。そりゃ
散々侵略したあとならおぼろげな世界観は描かれるが、日本はすでに知っているよ。
ヨーロッパとアジアの比較がしたけりゃスレッド建てろ。 その程度もできない臆病者が他のスレで偉そうに捏造合戦してんじゃねえよ。
アフリカの南端を回って大西洋からインド洋に出ること、回教徒は知ってただろうし、 元は回教徒やマレー系の勢力を介してアフリカ大陸の概形を知ったのだろう。
>>436-492 r=-;:、 ここはお前らの交換日記じゃねえんだ
.__ i笞jb! チラシの裏にでも書いてろ
:::::iヾ::::ハ な!
>>494 No、アラビア人の縫合船ダウでは、喜望峰の嵐を耐えて越える
ことも到達することもかなわなかった。
中世イスラムにおける”万能人”の偉大な一人アル・ビルニーは
喜望峰が存在することを断定していたが、それでもやはり
「その穴(喜望峰)を見た人は一人もいないが」と認めるしかなかった。
さらに、まず確実に彼より有名であろうイドリーシーはプトレマイオス説
に従ってアフリカ南端を、存在しない”未知の南方大陸”と
つなげてしまっている。
496 :
世界@名無史さん :04/08/26 11:28
アフリカの宗教事情について語りたいです。 エチオピア正教とか、セネガルのムーリッド派とか、土着の宗教とか。
497 :
世界@名無史さん :04/08/26 16:14
ムリッド教団―セネガル 聖者(マラブー)アーマド=バンバを開祖とするセネガルに土着化したイスラム教の1派。 バンバは「労働は祈りに通じる」と説き、始めはフランス植民行政府の迫害は受けるが、 行政府がその理念を植民地経営に利用できるとにらみムリッド教団との協調を選択、 次第にセネガル各地に広まる。 バンバは三度流刑に処せられているが、船上での礼拝を禁じられたため、 海面に敷物を置きその上で礼拝をする奇跡を起こし伝説となっている。 イスラムでありながらこの教団が異彩を放つのは以下の点。 まず、同国中部でバンバ終焉の地トゥーバを聖地とし、信者はメッカへではなく、 トゥーバへ向けて礼拝する。さらに偶像崇拝が禁止されるイスラムにも関わらず、 バンバの肖像は街中や家庭、装身具などいたるところに見うけられ。 現セネガル大統領でやり手として注目を集めるアブドライ=ワッドも 私人としてムリッドであることを公言している。 「西アフリカの優等生」セネガル、 その根幹にはムリッド教団が強い影響力を持っている。 さあ、補足・修正していって、語ってあってくれや。 これでようやくスレタイ通り本題に返れるかな? いや、これは白人進出以後だった!ショボーン
>494 紀元前600年ごろエジプトのネコ2世の支援を受けたフェニキア人が アフリカ一周を果たしたと言う記録をヘロドトスが残している。 >496 アフリカのキリスト教というと、エチオピア正教の他にコプト教も忘れちゃいけない。
499 :
世界@名無史さん :04/08/26 20:58
>>497 >いや、これは白人進出以後だった!ショボーン
でも白人以後のアフリカについて語るスレがないからなー
>>498 聖書のコプト語訳というのが古代から存在していたんだっけ?
500 :
世界@名無史さん :04/08/26 21:05
世界@名無史さん :04/04/24 12:08 イスラム教は、ムラーヒド朝の征服とともに11世紀頃セネガルに入ってきて、急速に浸透した。 主な宗派として、マグレブ系のカドリヤ派、ティジャンヌ系とアマドゥ・バンバが創始した ムーリッド派、リマム・ライが創始しダカール周辺のレーブ族間で流行っているライエヌ派がある
501 :
世界@名無史さん :04/08/26 21:06
世界@名無史さん :04/04/25 13:10 ムリッド(ムリーディーヤ)教団は最初カーディリーヤ教団の一部だったのが 後に独立したもの。 アラビア語でムリードとは、スーフィー教団への「新規加入者」「弟子」 という意味。 ムリッド教団の独自性は、この厳格な師弟関係を通して、霊的な活動 のみならず、現世的な労働が強く推奨されること。
アマドゥ・バンバのムリーディー教団はフランス植民地政府が導入した落花生栽培を 教団の説く教えに適うものとして奨励することで、フランス植民地当局との協力関係を築いて、 さらに信者を獲得していったんだからな。 ハーッジ・ウマルのトゥクロール帝国やサモリ・トゥレの帝国やスーダンのマフディー国家みたいに 仏英に徹頭徹尾対抗して滅亡していった勢力に比べれば現実的な対応だったのかもしれんが。 イギリスの軍門に下って英国支配下のもとでの特権の維持を許されたソコト・カリフ国の場合にしても、 国家の創設者のウスマン・ダン・フォディオの思想からすれば程遠いな。
503 :
世界@名無史さん :04/08/26 22:36
そういえば、今週月曜日(?)NHK「歴史でみる世界」は アフリカの植民地化だったね。 アフリカの抵抗形式は3つに時代区分されるとか。 詳しく覚えてないけど 〜20世紀初頭 武力抵抗 20世紀前半 呪術・宗教等精神的抵抗 20世紀中盤〜 国民意識の形成と労働運動 って感じだった(?)。 武力抵抗の所で槍や弓による前近代的抵抗としか触れていなかったのが残念。 時間の関係かも知らんけど、サモリの外交戦術や近代兵器(といっても銃どまり) による組織的抵抗とかにも触れて欲しかったな。 それよりも京大の松田さんのしゃべりがたどたどしくて、そっちのほうが気になった。
松田センセがTVでおっしゃってることは、執筆者の一人として入っている 講談社現代新書の『新書アフリカ史』の内容とあまりに似ていて思わず苦笑してしまった。
505 :
世界@名無史さん :04/08/26 23:12
>呪術・宗教等精神的抵抗 アフリカで、呪術師がサッカーの相手チームに呪いをかけるという話を 思い出してしまった… 鶏や羊の血・マジックパウダーなどを使うらしいね。
506 :
世界@名無史さん :04/08/27 00:06
>>503 >槍や弓による前近代的抵抗
ダホメー王国とかが奴隷貿易で手に入れてた物って
銃火器が一番多いって常識だと思うんだけど
>499 そう。紀元2世紀頃から聖書が訳されていった。 アレクサンドリアのディダスカリア神学校はその頃のキリスト教神学の中心地だった。 そしてカルケドン公会議でカソリックと決別する事になる。 エチオピア司教はアレクサンドリア大司教から派遣されていたので、そういう意味では エチオピア正教はコプト教の一派と言う見方もできる。 但しエチオピア正教ではゲーズ語訳が進められ、やがて正式に採用される。
508 :
世界@名無史さん :04/08/27 13:07
>>506 ダホメー王国といえば女性兵士(アフリカのアマゾネスとよばれた)
ダホメーの制度は面白い。 元々ダホメーの宗教ではマウと言う姉であり妻である女神とリザという弟であり夫である男神とが ダンという大蛇の手助けを得て世界を創造する。 そして二人の子供である鍛冶の神であるグ(オグン)を使ってリザが世界を拓き、 マウはそれを指示するというのが彼等の神話。 その為ダホメーでは大臣から兵士に至るまで、実務者である男と看視者である女がペアになって行動する という制度になっていた。 例えば何か命令があると男がそれを実行し、その結果をペアの女が確認してからでないと報告できない。 政治的権限としての男と宗教的権限としての女と言っても良い。 その為男と同数の女性兵士が居る事になる。 この宗教はヴードゥー教の元の一つになっている。 ヴードゥー教と言えばゾンビだが、これほど誤解されている物も無いだろう。 ゾンビは本来社会的制裁の一種だ。 テトロドトキシンによって仮死状態にし、しかる後に呪術で蘇生させる。 この呪術の正体は蘇生自体の効果ではない。 テトロドトキシン中毒は元々単純に死ぬか自力で蘇生するかの二つに一つ。 蘇生した場合も仮死状態によって前頭葉に損傷を負い、いわゆるロボトミー手術と同じ状態、 つまり自立的な意志の欠損を招く。これに呪術を用いる事で、文化的な条件付けによるゾンビ化を生む。 要するに本人が子供の頃から聞かされていたゾンビになったと信じ込む事で、より完全な 「意志を持たぬ動く死体」になるのだ。 そしてゾンビは奴隷として売られる事で環境を変え、回復しないようにして死ぬまで働く事になる。 言い換えれば外科的ではなく内科的な手段によるロボトミー化がゾンビだ。 成功率がどれ位かは知らないが、西アフリカは薬物、特に毒薬に関しては非常に進んでいたようだ。
510 :
世界@名無史さん :04/08/27 16:58
トントン・マクートが逮捕した市民をゾンビ化して強制労働に使っていたって本当ですか。
511 :
世界@名無史さん :04/08/27 18:28
>>509 >政治的権限としての男と宗教的権限としての女と言っても良い
なんとなく邪馬台国を思わせまつね。
512 :
世界@名無史さん :04/08/27 18:51
ttp://www.diplo.jp/articles04/0408-3.html トンブクトゥの至宝
トンブクトゥで相次いで古い手稿が発見されている。なかには13世紀
までさかのぼるものもあり、アフリカ全体の歴史を紐解く重要な史料と
して浮上している。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の支援の下、
1万5000点がすでに発掘され、目録が作られた。この神秘の町のどこか
の物置箱の中や屋根裏部屋の片隅には、いまだに8万点が手付かずの
まま眠っている(1)。これらの貴重な文献は、13世紀から19世紀に
かけてのニジェール川流域地方(2)の精華である。それが今、風化や
密売人による略奪の危機にさらされている。
>>505 トーゴの首都ロメ郊外にある小さなマーケットでは、
今でもサルのミイラや蛇の燻製、牛やヤギの角や頭蓋骨など
呪術用品が売られてるよ。さすがに買う気はおきなかったけど。
>>506 だからその常識について触れられてなかったんよ。
あれを見るのは高校生がメインでしょ。
ほとんどの高校生はそんな常識知らないから、
松田さんほどの人がそんなこと言ってたら、
高校生は未開で前近代的抵抗しかなかったと信じ込んじゃうよ。
銃火器を用いた、サモリの抵抗やアドワの戦勝も伝えて欲しいものだ。
>>509 これ読んで、以前担当してた取引先を思い出したよ。
そこでは営業マン1人につき、女性事務員1人つけるという体制だった。
事務員は概ね若い女の子で、営業マン達はいいとこ見せようとはりきり
他社に比べやる気の違いを感じた。
事務員が多くて人件費がかさみそうだが、ペアになることでお互いの
仕事内容を知り尽し、無駄をなくすことにより結果的に経費削減に繋がり、
人件費も経営を圧迫するほどのものでもないという。
なによりも営業マンの頑張りのおかげで、業績は好調だそうな。
って、このスレとは何も関係ないね。スマソ
アフリカ人同胞をヨーロッパ人に奴隷として売り飛ばした引き換えに手に入れた銃火器でヨーロッパ人に抵抗した場合は都合が悪いから。
515 :
世界@名無史さん :04/08/28 01:20
サモリの資金源は金とやはり奴隷であったわけだが、 当時ヨーロッパでは奴隷貿易が表向き禁じられていたから、 サモリは隣国に奴隷を売り飛ばし、それで牛を得て 牛を英国に売るという三角貿易で、銃火器を入手していたという。 アドワの勝者、メネリク2世率いるエチオピア軍の主な資金源は、 コーヒーを始め、象牙、皮革、金etcだそうな。 さらにイタリアを牽制するフランス・ロシアからの銃器提供もあったという。
詩作をやめてエチオピアで武器商人してたアルチュール・ランボーとメネリクの取引ではメネリクの交渉術の老獪さにランボーの方は大損こいてたっけ。
517 :
世界@名無史さん :04/08/28 06:51
>510 その可能性も無いとは言い切れないと思うが、ハイチとヴードゥー教に関しては、 政治的な理由からアメリカがかなりでっち上げて邪悪なイメージを作っているので、 それを割り引くと怪しいと思う。 そもそもハイチにおいてはゾンビは中央のコントロールが利かない地方などで 自治組織としての秘密結社が処罰としてよく使った手段。 政府組織であるトントン・マクートなら他の手段もたくさん持っているだろうから 無理にゾンビ化をさせる必要はないと思う。 すれ違いなのでこの辺で。
池本幸三・布留川正博・下山晃共著『近代世界と奴隷制〜大西洋システムの中で〜』によると、 ダホメの奴隷貿易は国民生産の2.5%に過ぎないらしい。 言われているほど奴隷貿易と銃の入手が重要な要素では無かったようだ。
520 :
世界@名無史さん :04/08/28 17:20
アフリカのグリオ(口承詩人)は、古代ギリシアのラプソードスのようなもの ですか?
>>514 それは彼らにとってもジレンマだったようで、ウィリアム・ボズマンというオランダ人が
1700年ガーナのエルミナから出した手紙でこれらのことを述べている。
・自分たちが銃器をアフリカ人に提供していること
・それが自分たちに対する反乱に使われること
・だからといって、銃器を売るのを禁止しても個人の密貿易で流れるので無意味
>>499 どうしよう、「アフリカはまた欧米の植民地になった方が良いだろ」は1000まで逝ったし、
夏が終わったら次スレ建てようか。
522 :
世界@名無史さん :04/08/30 02:02
>>521 建てて欲しいが、植民地と限定して欲しくないな。
他人のスレにけちつけまくってるんだから 自分でスレ立てんなよ
>>495 何も、陸地の果ては海路でみつけなきゃあらんて法は無いわな。
例えば、本邦では間宮林蔵が陸路で樺太が島だということを証明している。
525 :
世界@名無史さん :04/09/01 11:17
730 :世界@名無史さん :04/04/25 15:28 ティジャーニーヤ教団は、アルジェリア生まれのアフマド・アッ=ティジャーニー が創始したスーフィー教団。 ティジャーニーヤ教団は預言者の直接的な指示によって形成されたもの であり、したがってそれまでのスーフィー教団の系譜にはつながらない と主張し、教団員には他のスーフィー教団への参加、ならびに存命中の 聖者や聖者廟への参詣を禁じる。 731 :世界@名無史さん :04/04/25 19:06 ティジャーニーヤ Tijaniya
526 :
世界@名無史さん :04/09/01 23:08
test
527 :
世界@名無史さん :04/09/04 17:46
BBCワールド アフリカの素顔: サッカーは呪術で勝つ サッカーは呪術で勝つ Football Magic サッカーワールドカップで前回、フランスチームには何が起きたのか? 世界最高レベルともいわれるフランスチームだが、トーナメント中、1点も 得点をあげられなかった……。アフリカでは、ある力が働いていたと考える 人たちがいる……。それは呪術の力だ。セネガル人の呪術師が、10ヶ月の間 フランスチームに呪術をかけ続けた。番組は、南アフリカとセネガルへ赴き、 アフリカのサッカーと呪術を調査する。 9月4日(土) ★ 23:10〜24:00 9月5日(日) 06:10〜07:00、18:10〜19:00 9月6日(月) 03:10〜04:00
528 :
世界@名無史さん :04/09/04 22:53
講談社現代新書「新書アフリカ史」では、広大なアフリカ大陸を4つの文明世界に 分けて叙述している。 @ナイル川流域(特に上流のヌビア) Aニジェール川流域(マリ帝国、ソンガイ帝国) Bザイール川流域(コンゴ王国) Cザンベジ・リンポポ川流域(グレートジンバブエ、ヌタパ王国) 単純化しすぎるのは危険だが、スッキリまとまっていると思う。
529 :
世界@名無史さん :04/09/04 22:55
エチオピア高地の王朝は@に入るのかな。
興味深いテーマではあるが、このスレはちょっと難しいのでは。 通常の分類ではアフリカに入れない北アフリカやイスラム圏の 東アフリカを除けば、白人進出前のアフリカには文献的な史料 がほとんど存在していないと思うぞ。
531 :
世界@名無史さん :04/09/05 01:42
>>529 んー、ヌビア以外は自生的に生まれたものを紹介してるので、エチオピアと東アフリカは除いてあるだろう。
昔読んだが、載ってなかったと思うぞ。
東アフリカ→東アフリカ諸都市 ここは多少触れられていたと思うが。
533 :
世界@名無史さん :04/09/07 17:34
ヌビア人は、いったんキリスト教に改宗してから、14世紀以降しだいにイスラーム化 していった。 周囲の国がイスラーム化していく中で、エチオピアがキリスト教信仰を保つことが できたのはなぜ?
現在のエチオピアの人口(6000万人弱)のうちで約三分の一はムスリムですが。
535 :
世界@名無史さん :04/09/07 21:25
>>528 カネム王国とかは
@ナイル川流域(特に上流のヌビア)
Aニジェール川流域(マリ帝国、ソンガイ帝国)
どっちなんでしょうか?
537 :
世界@名無史さん :04/09/08 00:54
チャド湖水系まではAに入るんですかね。 文化的にもAのほうが近いと思われ。
>>533 エチオピアでも徐々にイスラム化は進行したが、その速度が緩慢だったので、
今に至るまでキリスト教が残ってるってだけ。
イスラム化の速度が遅かった理由については、政治・経済の中心が内陸高地
に位置したこともあり、地域内物流をイスラム系商人に全面的に依存することが
なかったのが大きいと思う。
アクスム王国が滅んだ後もずっと中心地が紅海沿岸に置かれていたとしたら、
どうなったかわからんような。
>>529 ,531
確かめたが、青ナイル源流域ということでざっと軽く載っていた。
>>537 確かそう
>>533 ,538
港湾都市の支配をキーシュやイエメンなどから渡来したイスラム商人に握らせず、
インドとの海外貿易を自らの手で直接行ってたというのも大きい。
あとは、ついぞ支配階級がイスラムに改宗しなかったというのもあるだろう。
それより大きな要因は、ソロモン朝の王権と軍隊が共に強かったからではないだろうか。
東方見聞録でも、アバシュの王がアデンのスルタンを撃破したとあり、14世紀初めの
アムダ・セヨン王や15世紀のザラ・ヤコブ王はライバルのアダル国など周辺のイスラム
諸国家をことごとく打ち破り、多数のムスリムら異教徒を逆に改宗させている。
540 :
世界@名無史さん :04/09/09 20:16
>>539 ポルトガルの支援を得てイスラム勢力を撃破したこともあったね。
>>540 16世紀オスマン朝の援護を受けたアダルのグラン将軍との激戦だな。
グランとの戦いは1何年にも及び、王の領土や服属国も殆ど征服され、
ポルトガルの援軍も破れ指揮官のクリストヴァン・ダ=ガマ(ガマの四男)
も頸を斬られたが、ポルトガルの120名の敗残兵+ガラウデウォス王
率いる6000程のエチオピア兵の連合軍が1543年ワンナデガ丘陵で
油断してたグランに奇襲をかけ討ち取ることでようやく国土を回復できた。
もっとも、その後1559年アダルはヌル王の指揮下ガラウデウォス王を
敗死させてしまう。
まぁこのアダル国も、エチオピアは耐えられたオモロ人の侵入で滅んでしまうわけだが。
542 :
世界@名無史さん :04/09/13 00:34:34
アフリカでは、中央集権的な統一王朝がなかなか出来なかった。西欧的な見地から 見れば、それは「歴史がない」という解釈(ヘーゲルなど)につながった。 それに対抗して、「アフリカにも王朝があった」の例として挙げられたのが、マリ 帝国、ソンガイ帝国。これはアフリカ人の自己主張でもあったわけだが、そもそも 「王朝」など必要なのかどうかという根本的疑問も生じる。
543 :
世界@名無史さん :04/09/17 16:38:18
文字が無ければ、文化の蓄積が有り組織化された社会であっても、どうしても「野蛮」と見られてしまうのが悲しい。
544 :
世界@名無史さん :04/09/18 05:26:50
>>429 「知能に先天的な差は無い」ことはないと思う。
いろんな複数の黒人と接するとどうしてもそう思う。
あと、高度な文明が発達しなかったのを
気候、土地のせいにすることはできないでしょう。
少なくとも、黒人は白人に劣等感を持ってる一方
根拠なく黄色人種を見下している。
お互いに見下しているゆがんだ構図があり、
こっちだけ差別思考をなくすのは難しい。
545 :
世界@名無史さん :04/09/18 09:27:49
ジョン・エンタイン『黒人アスリートはなぜ強いのか?』(創元社)で、 人種間の身体能力の違いについて論じられていたが、知能についてはどうなのかな?
546 :
世界@名無史さん :04/09/18 09:32:38
>>544 激同。
北米海外生活版を読んでみろ。
しかも、留学先の大学の黒人教官も、東洋人を差別しやがるし、黒人
優越主義のトンデモ学説を掲げる。
中国では、黒人留学生は排斥の対象。韓国では、肉便器も、白人しか
眼中にない。
547 :
世界@名無史さん :04/09/18 09:47:45
フィリピンをはじめとする東南アジアでも黒人は差別される。
548 :
世界@名無史さん :04/09/18 09:50:20
>>547 お互い様だなw
実際、黒人米兵が悪さするから、仕方がない。
549 :
世界@名無史さん :04/09/18 10:53:49
南アフリカでは、黄色人種を差別するのは白人ではなく、黒人。心底馬鹿にしきって いるよ。 なにが反アパルトヘイト運動だか。
550 :
世界@名無史さん :04/09/18 14:59:24
>>549 インド・パキスタン・バングラデシュなどの南アジアでもそう。
特に上流階級。
551 :
世界@名無史さん :04/09/18 15:07:02
インド映画でも、中国人とか馬鹿にしている。 ま、白人様が世界の頂点に立つのは仕方がないな。 屑白人は邪魔だが・・・
552 :
世界@名無史さん :04/09/18 18:14:04
インド人は英国のアフリカ植民地政策下請けしていた?アフリカで嫌わているの?
553 :
世界@名無史さん :04/09/18 18:55:40
>>552 そうです。
ウガンダでも、アミン将軍のとき、追放されました。
554 :
世界@名無史さん :04/09/18 19:35:19
インド人は、世界中どこに行っても雰囲気が変わらない。特にターバン巻いた シーク教徒は目立つ。 あれじゃ、差別してくれと言ってるようなもの
555 :
世界@名無史さん :04/09/18 21:27:38
差別を口実に日本人に成りすますチョソよりは遥かに潔いと思われ。
お前ら板の名前も読めんのか( @u@)
557 :
世界@名無史さん :04/09/19 00:12:20
なんだかんだ言っても、アフリカが無かったら地球はつまらない。 アフリカ人がいないと寂しい
第一、アフリカがなければ人類が誕生せんやろ。
559 :
世界@名無史さん :04/09/19 02:44:06
白人進出後はアフリカは奴隷の産地
→白人進出前のアフリカは中東向けの奴隷の産地
紀元前はアフリカ南部はエジプト向けの奴隷の産地
文明発祥前はとくに見るべき土器もない後進地域
少なくとも中南米でモンゴロイドが単独で興した文明のような
個性的な遺跡と比べられるものはなく、いくつか見つかっている遺跡も
エジプト文明の模倣か、あるいはエジプト人そのものが作ったか、
よくてもそのときだけ突然変異的に生まれたわずかな優秀分子が
一瞬花を咲かせたものでしょう。
要するに、エジプトのすぐそばで
ネグロイドが5000年かけて発展させた最終形がマサイ族のような文化で、
>>170 の言うようにネグロイドの文化がキリギリス的な今を生きること
重視であるならば、
白人進出前のアフリカへタイムスリップしても、
注意深く観察しなければ気が付かないような変わらない文化があるだけだろうし
5000年間変わらぬ生活を選んだ彼らが
今後突然近代文明を操り近代国家を作っていく可能性はないに等しい。
昔ながらの草原やジャングルへ返してやったほうが彼らも幸せなのかもしれない。
このように思っている人は多いのでは?
560 :
世界@名無史さん :04/09/19 05:59:02
実はアフリカ中南部の広大な地域は、 内部同質性が高いバンツー諸語が広く分布している バンツー・エキスパンションといって、 ある時期にバンツー語民族が急速に拡大したと言うことか つまりコイサン系の民族をカラハリ砂漠にまで追いやってしまった
561 :
世界@名無史さん :04/09/19 08:23:23
バンツー系言語と、アラビア語ので接触により生まれたのが「スワヒリ語」 ということだ
562 :
世界@名無史さん :04/09/19 12:29:03
アフリカでは土地の私有制が発達しなかった。
563 :
世界@名無史さん :04/09/20 06:17:37
でも、所有してる牛の数が多ければ、土地の占拠率も高くなるわけだから、土地の私有と見れなくも無い。
564 :
世界@名無史さん :04/09/23 20:28:21
>>559 ブラックアフリカには文字、車輪および回転原理を応用した道具、梃子の原理を
応用した道具、大家畜に引かせた犂、建造物におけるアーチ、釉のかかった土器
がほとんど取り入れられなかった。
565 :
世界@名無史さん :04/09/23 21:29:37
独自の文化はヒョウタン、ゴマなどの農作物だけ?
566 :
世界@名無史さん :04/09/23 21:57:02
音楽とダンスが現代世界に与えた影響は大きいけどね。
>>564 古代からエジプトや地中海地域と接触があったはずなので
車輪や犂耕は知られていたものの、なぜか
広まらなかった/或いは根付かなかった・・・不思議だ。
567 :
世界@名無史さん :04/09/23 22:04:08
その一方で、青銅や真鍮のロストワックス法による加工、馬と馬具、 ある種の衣服やかぶりもの、鉄砲(16世紀以降)、イスラーム(7世紀以降)、 日乾煉瓦や版築の技法などは広まった。
アフリカって熱帯雨林の焼畑農法でしょ。 熱帯雨林の土壌ってとっても薄くて耕す事ができないから焼畑しかできない。 文化と言うのはその土地の自然環境に合わせて発達するのだから、 自然環境を無視してヨーロッパと違うと言っても意味は無い。
569 :
世界@名無史さん :04/09/28 11:40:01
>>542 >そもそも 「王朝」など必要なのかどうかという根本的疑問も生じる。
ナイジェリアのイボ人は、ヨルバ人のように王国をつくらなかったねー
リネージ、村落共同体、氏族のいずれの水準における会議でも、各社会単位を
代表する家長の出席のもと、長老格の家長による議事進行によって合議制に
もとづく決裁がおこなわれた。
>>566 ,568
ニジェール川流域でも犂耕は定着しなかったの?
あの辺にはなんとなくあるような気がしていたが・・・ネットのソースでは確認
できず・・・
571 :
世界@名無史さん :04/09/28 12:57:42
ニジェール川流域というと、交易に従事していた人々も多いね。
572 :
世界@名無史さん :04/09/29 11:42:14
イスラム文明の影響受けたところ以外のブラックアフリカに「都市文明」はあったのですか?
573 :
世界@名無史さん :04/09/29 13:01:42
>>572 グレート・ジンバブエや、ニジェール河畔のジェンネ・ジェノ。
574 :
世界@名無史さん :04/09/29 13:03:09
575 :
世界@名無史さん :04/09/29 13:41:51
>>573 ジェンネはスーダン様式最大級のグランモスクがあるぐらい、
思いっきりイスラム文明の影響受けてます。
>>572 ヨルバやエドの都市国家群はどうよ。
イフェ、イウォ、オヨ、オショグボ、オグボモショ(以上ヨルバ)、ベニンシティ
(首都住民はエド族だが、支配領域はヨルバなど他民族居住地を含む)あたり。
個人的にはコンゴ王国の首都あたりがどうだったかも気になるな。
577 :
世界@名無史さん :04/09/29 16:05:10
>>576 コンゴ王国の首都ムバンザ(のちにサン・サルバドルと改称)の
ことだよね?
578 :
世界@名無史さん :04/09/29 17:55:25
アラブに奴隷と金と鉄を輸出して塩と武器とイスラム教を買うってのはソンだったろう・・・
579 :
世界@名無史さん :04/09/29 20:32:17
>>576 ヨルバの都市って、職人のほかに農民が大勢住んでいたというのが
変わっている。
580 :
世界@名無史さん :04/09/29 21:47:22
>>573 グレート・ジンバブウェって、人口が1万人くらいだったらしいじゃん。
しかも、都市住民といっても、兼業農家みたいなヤシが多かったようだ。
581 :
世界@名無史さん :04/09/29 22:09:48
>>580 中世ヨーロッパ並み(^∀^)
日本なら○○町クラス
582 :
世界@名無史さん :04/09/30 04:00:43
583 :
世界@名無史さん :04/09/30 05:23:06
そんな小さな半農都市でさえも、ヨーロッパの白人には「黒人が都市 を作った」ということ自体が信じられず、グレートジンバブエの起源 としていくつかの伝説が生まれた
584 :
世界@名無史さん :04/09/30 10:54:59
>>580 そのせいで、ヨーロッパ人は
「これは都市ではない、村落だ」
と考えた。
585 :
世界@名無史さん :04/09/30 10:59:18
サハラ以南アフリカが文明の発達や人類の進歩に貢献することはなかった
587 :
世界@名無史さん :04/09/30 15:14:17
588 :
世界@名無史さん :04/10/01 04:29:32
589 :
世界@名無史さん :04/10/01 05:59:52
10/7 木 20〜22時 ハイビジョン特集、泥の街ジェンネ NHK−hi で放送予定 チェック汁!
>>580 「兼業農家」だったら、江戸時代の日本の都市も似たようなものかと。
武士は挙って家庭菜園をつくっていましたし。
592 :
世界@名無史さん :04/10/06 11:58:32
アフリカは農耕民も牧畜民もいるのに、 農作業に牛などの家畜を使おうとしなかった。
593 :
世界@名無史さん :04/10/06 23:49:39
古代エジプト人は黒人だろう。 俺は旅行で先月エジプトに行ったんだが、カイロから南に行くほど、 住民が黒人ぽくなることに気がついた。 ルクソール(古代エジプトの都テーベ)観光の際、住民もついでに観察したんだが、 ほとんど黒人みたいだった。農村で働く人、土産物屋のおっさん、子どもたち等、 なんかここはアフリカだと実感させられる容貌だった。 まだアスワンなどさらに南のヌビア地方ではないのに、黒人色が強かった。 北のアレキサンドリアやカイロとは明らかに人種が違うという印象を受けた。 ルクソールは上エジプトの中心地で、 古代エジプトは南の上エジプトが北の下エジプトを併合する形で誕生したのだから、 南の黒人ぽい人種がエジプト文明の担い手だったのではないかと最近思う。
594 :
世界@名無史さん :04/10/07 01:18:38
>>593 ちょっと違うかもしれないが、アフリカで、いわゆるハム系とか、
セム系とかいて、言語の系統からすれば、中近東と近そうなんだが、
DNAなどの系統からしても、基本的にアフリカ直系らしいのだが、
さらに、エチオピア人も黒いのだが、でも、なんかむかしから、
コーカソイドとかいう話があるので、逆にいえば、今の中近東の
セム系とかの人たちがいつから白くなったのか、っていうのが、
問題な気がする。アラビアなんかも、ハプロタイプMがいっぱい
だから、出アフリカ南回り系だし。
案外、アラブ系が白くなったのってば最近の話?
595 :
世界@名無史さん :04/10/07 02:33:34
見方が変われば印象も違うもんだね。 私は逆を行ったが(つまり北上)、それまで黒人ばかり見慣れてきていたせいか、 エチオピアから既に黒人とは思えなかった。 エチオピアは民族の博物館といわれるだけはあり、 漆黒のガンベラ人などもいるが、多数派のオロモ人やアムハラ人は それまで見てきた黒人とはだいぶ印象が異なった。 黒というには違和感のある褐色の肌、縮れてはいるがストレートにもなる髪質、 高い鼻、薄い唇など。肌の色だけで黒人と分類するのは不適当と感じた。 かといってアラブ系でもない。彼らは忌み嫌うが、 アビシニア(混血)という語がもっとも適当かも知れない。 さらに北上しスーダンに入ると、ここはもう完全なるアラブ人の世界。 カルツーム以北はブラックアフリカ世界とは全く似ても似つかなかった。 スーダン人はカイロ辺りのエジプト人と比べれば、やはり肌色は濃いが、 体型や顔立ちはアラブ人そのものといった印象。 黒人もちらほらと見かけるが、アラブ人の中にいると返って目立つほど。 まあでも以上のことは、単なる旅行者の主観に過ぎず、 DNAなどの系統をきちんと踏まえたものではありません。 余談だが、カイロで黒人さんを見たとき、隣にいたエジプト人が あれはアニマルだ、といって笑っていたのが印象的だった。
596 :
世界@名無史さん :04/10/07 04:20:05
DNA的には白人、黒人、コーカソイドの違いはないよ。個人差はあるけど。
597 :
世界@名無史さん :04/10/07 21:13:00
598 :
世界@名無史さん :04/10/07 22:04:42
おそらく白人が来るまでは平和な高い精神文明を築いていたんだろう。 白人が来てから部族や酋長が作られ、人工的に戦うように仕向けられた。おそらくそういうことだろう。
599 :
世界@名無史さん :04/10/07 22:43:59
>>596 とはいえ、DNA的にみても、系統はいくつかあるし。
たとえば、出アフリカの南回り系は、アラビア半島、インド南部、
そして、オーストラリア、パプア・ニューギニアなどなど、概ね
黒い人たちばかり。メラネシアもこの系統が強い。
一方、南回り系も、後に北回り系にインド北部かひまらやかその
あたりで合流しているので、その一部は日本にも。
アフリカは、比較的、古い種族が多い。とくに南部。
600 :
世界@名無史さん :04/10/07 22:47:52
>>599 マダガスカルの住民は、東南アジアから陸伝いにアフリカに来たの?
それとも海路でアフリカに到達したの?
601 :
世界@名無史さん :04/10/07 23:19:47
>>600 マダカスカルの人々は基本的に、メラネシア系。
文化からしても、ポリネシアなどと同じで、腰蓑つけて、
腰をゆするようなダンスがあったり、言語もオーストロネジアンだし。
あれだけの海洋民族だから、陸路はあり得ないでしょう。しかも、
マダカスカルへの移民は、ごくごく最近(1000年たっているん
でしたっけ?)だし。
603 :
世界@名無史さん :04/10/08 02:26:42
ソマリア人て、肌は黒いけど顔立ちはセム系ぽい人が多いね。
604 :
世界@名無史さん :04/10/08 18:09:52
とりあえず白人進出前のアフリカは高度な文明を築いていたことに異論は無いな?
605 :
世界@名無史さん :04/10/08 18:44:45
文字文化と石造建築物都市の両方が揃っていないと、 後世への弁明が出来ず侮蔑されるのね。
606 :
世界@名無史さん :04/10/08 18:46:11
イヌイット語も、アノラックとかイグルーという語が世界に広まっている
607 :
世界@名無史さん :04/10/09 06:33:58
砂漠化する以前のサハラにも黒人文化圏が栄えていたようで。 アtッシリの壁画以外にも居住跡が多く残っているしね。
608 :
世界@名無史さん :04/10/09 16:49:36
609 :
世界@名無史さん :04/10/13 17:37:22
タッシリ・ナジェールの壁画を描いたのは、フルベ人の祖先ですか?
610 :
世界@名無史さん :04/10/13 18:51:33
夏休みの工作
ヌク文化ってなに。
613 :
世界@名無史さん :04/10/13 21:33:45
日本語で手淫文化のことだな。
>>609 まあ未詳。
脂臀らしき女性像が描かれていることからコイサン人説もあったりで。
アフリカというと、ゾマホンかニカウさんを思い出す。
616 :
世界@名無史さん :04/10/17 23:57:55
コイサン人はモンゴロイド?
>>612 ナイジェリアのヌク(ノク)村から最初に発掘された、BC500〜BC200ごろの鉄器文明。
鉄器と石器の併用や、青銅彫刻で知られる後のイフェ文化との類似が指摘される
見事な人頭のテラコッタ、他文明の影響の希薄さなどが特徴。
西アフリカ最初の鉄器文明と知られていたが、実際の西アフリカの鉄器使用は
さらに遡れたらしい。
>>616 ネグロイド
618 :
世界@名無史さん :04/10/21 15:44:08
メンギスツ・ハイレ・マリアムの“マリアム”は、聖母マリアのことでつか?
<<596 大嘘こくな 黒人同士の遺伝子自体無茶苦茶はなれてるのに
嘘じゃないだろ。 人種を特定できるマーカーがない、ってのと、人種内の遺伝的ダイバーシティーが大きいのとは別のことだよ。 ただし、黒人に多いアイソザイムパターンってのはあるらしい。 HeLa細胞の他の培養細胞へのコンタミを確認したのはその手法だったと聞いたよ。
621 :
世界@名無史さん :04/11/03 15:53:30
黒曜石ならきれいに剃れるが・・・大西洋側で採れたっけ?
623 :
世界@名無史さん :04/11/03 17:46:21
624 :
世界@名無史さん :04/11/03 20:05:49
625 :
世界@名無史さん :04/11/03 20:07:25
最近流行のルイボス・ティーって、コイサン族が飲んでいたお茶 なんだって。
626 :
知らなさすぎた男 :04/11/06 01:52:31
このスレの真面目な住民にお奨めな本が以下、 「熱帯アフリカの都市化と国家形成」グレアム・コナー著 河出書房新社 たぶん、日本語で読めるアフリカ都市文明を扱った最強の本。ただし、価格が 6500円とバカ高いのが問題。漏れは図書館で借りた。内容は眠くなるくらい 専門的(いわゆる考古学ってやつ)。 古代アフリカ都市文明圏をナイル川上流、エチオピア、西アフリカサヴァンナ、 西アフリカ熱帯森林、東アフリカ諸都市、ジンバブウェ周辺の6つに分類して いる。 17世紀のロアンゴ(現在のコンゴに存在した)を描いたヨーロッパ人の絵には ちょっと驚く(おぉ町じゃんって感じ)。 アフリカ史で小説化すれば結構面白いかもしれない。
627 :
世界@名無史さん :04/11/06 01:59:47
ソコト帝国建国者、ウスマン・ダン・フォディオに興味がある。 イスラム聖戦運動を起こして一大帝国を建設するも、晩年は 農村に隠棲して著述業に専念し、書物に埋もれて生涯を終わった という。 ソコトって国たしかあったよな。彼の著作の翻訳なんてでねーかな。 無理だな。
628 :
世界@名無史さん :04/11/07 19:31:20
629 :
世界@名無史さん :04/11/07 23:39:59
何年か前に見たベニンの青銅美術には驚いたーよ。超写実的。 間違いなくヨルバの金属加工技術は江戸時代の金属加工技術を凌駕していた! もしかしたら、古代ギリシア人がナイジェリアに到来? アメリカ黒人音楽もヨルバ音楽が起源なんだってね。 ヨルバ マンセー ところでヨルバ人?ヨルバ族?
>>629 アフリカ好きとしてはとても嬉しいカキコだが、一応突っ込ませてくれ。
ヨルバやエドの鋳造技術は確かに高いといっていいと思うが、江戸期日本と
比較して鍛金や彫金の技術ははるかに劣る。レベルの比較ってあまりしない
方がいいかもね。
また、鋳造技術の由来に関しては、ギリシア由来というよりはエジプト・ヌビア
地域の技術が伝播し、その後長い時間をかけて独自の進化を遂げたと解釈
するのが妥当と思われる。
最後に、アメリカ合衆国の黒人音楽のうちジャズにはヨルバなどの要素が
認められるとされているが、ブルースについては現マリなどニジェール川上流
地域の音楽との類似性が指摘されている。新大陸全体でいえば、ブラジル
北東部の音楽にはヨルバ・ダオメー等の他、現コンゴやアンゴラの要素も
見える。ルーツは様々らしい。
「人」と「族」の使い分けって、決まりは特にないような・・・
631 :
世界@名無史さん :04/11/08 15:23:44
現在のウガンダ共和国にあったガンダ王国。 この国では、王(カバカ)の下に、総理大臣(カシケロ)がおり、王国全体を統治 するための評議会もあった。各地の領主は、王から位階を授けられ、王の官僚 として人民を支配した。 ちなみに、ウガンダにはいまでも「王党派」が存在するそうでつ。
632 :
世界@名無史さん :04/11/08 23:36:22
>631 ウガンダは共和国になる直前まで、名目的にはガンダ王国であったとか。 いわゆる間接統治ってやつですね。外交などの権限は奪われるが、国内 的には従来通りの統治を(干渉を受けながらも)行ってきたという。 共和国革命はいわば日本の明治維新にあたるのかもしれない。 評議会といえば、ガーナにあった(実は今もある)アシャンテ王国など も有力首長の評議会の権限が強く、英米諸国に融和的な王が罷免された こともあったとか。この国は女性の権限も強かったと聞いたことがあり ます。 考えてみればアフリカって、植民地支配を受けたのは100年にも満たない 期間なんですね。下手すりゃ50年くらいか。以外と短い。 1950年代の独立当時は、植民地化以前に生まれていた人が多数いたんで はないでしょうか。
633 :
世界@名無史さん :04/11/09 00:48:12
>>632 >アフリカって、植民地支配を受けたのは100年にも満たない
>期間なんですね。下手すりゃ50年くらいか。以外と短い。
確かにインドなどと比べると短いですね。
634 :
世界@名無史さん :04/11/09 00:56:23
そーいやブルンジも独立当初は王国だったな。 国王ムワンブツァ4世が諸派を調停する形で国家を運営していた。
635 :
世界@名無史さん :04/11/09 01:03:31
ヨルバの青銅像にはびっくりするね。デッサン力なんかは 高度だと思うし、様式美も素晴らしい。何しろ金属であそこ まで表現できるとは。ブロンズとかなら分かるけど。 確か、粘土で型を作って、そこに溶解した金属を流し込んで 作るのかな。 あれだけの青銅像を作れるということは、専門の芸術家がいて、 その芸術を愛好するパトロンが存在したということ。たぶん、 ベニン王国などの支配者階級がそうだったのだろう。 一般に古典期というのは写実表現は無いものと思われているけど そうでもない。日本の運慶などを想起すれば分かる。 ヨルバ美術のギリシア起源説なんて唱える人もいるそうだけど 根拠なんてあるんだろうか。 一度、ナイジェリアに行ってみたい。 アフリカンミュージックにも興味はあるな。
636 :
世界@名無史さん :04/11/09 01:16:36
歴史とは関係ないけどティンガティンガ絵画が好き。 「光と風のゼブラ」とか。華麗で爽やかで、かつポップ。 世界を席巻しうるアフリカ独自の絵画だと思う。 あと、ウスマン・ダン・フォディオの思想は知らないけど、 彼の多分主導した聖戦は西アフリカ全般に及ぼした破壊的 影響もあるかとは思うので、評価はしづらいかな。 ヨルバランドの内戦も彼らの聖戦による影響があるようだし。
637 :
世界@名無史さん :04/11/09 01:23:46
http://www.apt.co.jp/nishi.html 知られざる西アフリカの美術展
アフリカ大陸のなかでもとくに豊かな美術の歴史を誇る、西アフリカの美術の
大展覧会。アフリカ美術史のはじまりを証言するといわれるノク文化のテラコッタ、
圧倒的な神々しさが美しいイフェ王国のブロンズ像、ギニア湾地域における金の
重要性を物語る装身具のかずかずや、金取引に使用された錘、仮面や人物像などの
木彫作品など、独自の文化的背景をもつ美術品200点あまりが一堂に展示される。
出品作品はみな象徴表現や信仰の複雑な体系において独自の意味を担う歴史と
文化の語り手であり、展覧会を訪れる人に強烈なメッセージを伝えつづけるだろう。
↑以前、こんな展覧会があったな。
,
639 :
世界@名無史さん :04/11/09 19:53:08
エキティパラポ戦争について語ろう。
640 :
世界@名無史さん :04/11/10 00:27:44
エキティパラポ戦争について語れる人なんて 2ちゃんレベルでいるかしら。 オヨ王国崩壊後のヨルバランドの覇権を握ったイバダンとその 反対勢力間との戦争のことだよね。1775年頃から15年続いたとか 批判を承知で言うと、ヨルバランドの植民地化についてのみは 多少イギリスに理解を示せる点もある。 まあ、でも俺もまだまだ無知だからな〜
641 :
世界@名無史さん :04/11/10 11:01:39
>>640 >ヨルバランドの植民地化についてのみは多少イギリスに理解を示せる点もある。
それはなぜ?
というか、ヨルバランドの都市国家の角逐について、もう少し詳しく教えてほすぃ。 イバダンがそんな強国だったとは知らんかった。てっきり植民地化以降の 新興都市だと思ってたよ。
643 :
望月克哉氏の論文より :04/11/10 14:03:43
オヨ王国崩壊後、19世紀半ばにイバダン王国が最盛期を迎え、イレ・イフェを 含む広大な地域を支配することになった。 これらに加えて、北部から移動してきたフラニ人の圧力もあり、地域住民の居住や 勢力関係が流動化し、ヨルバランド各地へ大挙して移動するものが現れた。 ヨルバ人発祥の地とされているイレ・イフェにもこの時期、旧オヨ王国を 追われた人々を中心とする「避難民」が大量に流入することになった。 イレ・イフェとそこに居住するイフェ人の上に君臨したのはオォニと称される 最高首長であり、これに連なる伝統首長層とともに住民を支配した。流入した 「避難民」もまた、その支配の下に組み込まれ、農耕のための土地を付与される 者もあった。 しかしながらヨルバランドの混乱が続くなか、交易の中心であったイバダンの 支配をめぐり旧オヨ王国の末裔となる人々との勢力争いに敗れたことで、イフェ人 の間には「避難民」に対する反感が生じた。
644 :
望月克哉氏の論文より :04/11/10 14:07:34
オォニはこうした「避難民」のさらなるイレ・イフェへの流入を制限すると ともに、これら帰還すべき土地を失った人々の定住地を新たに設けて、 その指導者に首長位(名前はOgunsua)を与えたのである。 この地域がモダケケ(Modakeke)と名づけられ、「避難民」もこのように 称されるようになった。これが19世紀半ばの状況である。
645 :
フルベの聖戦 :04/11/11 01:08:33
>640さん エキティパラポ戦争の年代が100年ずれています。エキティパラポ戦争は 19世紀後半のことです。 >ヨルバランドの歴史について知っていること えー。講談社 世界の歴史6黒い大陸の栄光と悲惨によりますと、 ヨルバランドの覇権をオヨ国が握ったのが14世紀くらいだそうですから、 結構古いですね。周知のとおり、ヨルバ人はアフリカのギリシア人とでも 言おうか、芸術に優れ、音楽、神話、吟遊詩人など様々な技芸に卓越した 人々ですが、これもギリシア的と言いますか様々な都市国家に分かれてお りました。 このうち、ヨルバの教皇ともいうべき、精神的に不可侵な中心がイフェ、 軍事的に覇権を握っていたのがオヨです。イフェがアテネでオヨがスパル タですか。18世紀半ばには隣国ダホメーとの戦争も終了し、オヨの覇権 の元、平和な時代であったそうです。 しかし、19世紀前半にオヨの内紛といわゆるフルベの聖戦の影響でヨル バランドは戦国時代に入ります。
646 :
フルベの聖戦 :04/11/11 01:20:13
1817年にオヨの配下にあったイロリン(笑)が反乱を起こし、 ヨルバランドの動乱時代が始まります。イロリンはフルベの聖戦 で知られるフラニ人の指導者を招き、フラニの力を借りてオヨを 追いつめます。フラニ人は大挙してヨルバランドを襲撃したらし く、ヨルバランドは荒廃し、オヨの旧都(オールド・オヨ)は放 棄されます。で、オヨを追われたオールド・オヨの遺民たちは別 の拠点によって再起したようですが、それがイバダンやアベオク タ。特にイバダンは強力で一時は6万人が居住し、以後の内戦で は中心的な役割を果たしたようです。
647 :
フルベの聖戦 :04/11/11 01:32:54
ちなみにエキティパラポとは反イバダンを標榜する 連合勢力にちなむ名前だそうです。ヨルバランドの 動乱は1877年からの16年間がその頂点に達し たそうで、最盛期はヨルバの全都市が巻き込まれた とか。ヨルバの精神的中心地イフェも1881年か ら13年間に渡って王がいない大空位期となったと いうことです。 皮肉にもイギリスの内陸部への進出により動乱は終 結しました。イフェは1886年に、イバダンは1 893年にイギリスと条約を結んで保護領となり、 最後に残ったイロリンも1897年にイギリスに軍 事力で占領され、唯一アベオクタのみが独立を維持 されます。
648 :
世界@名無史さん :04/11/11 01:35:10
>>640 っていうと他の植民地化には理解を示せる余地はないというの?
649 :
フルベの聖戦 :04/11/11 01:42:34
それまで覇権を握っていた存在が弱体化すると 群小相争う状態になるのは歴史では良く見られ る現象ですが、日本の戦国時代もそうですし、 考えてみればギリシア都市国家同士も仲が悪か った。しかし、ヨルバの戦国時代はいかにもタ イミングが悪すぎたと言うところでしょうか。 欧米植民地勢力が牙をむき出しにするまさに、 その直前に始まってしまいました。 オールド・オヨの崩壊がなければ、あるいは ウスマン・ダン・フォディオがいなければ歴 史は変わっていたかも知れません。ナイジェ リアも全く違う国になっていたかも。
650 :
世界@名無史さん :04/11/11 10:39:08
>>635 ヨルバ人が、上エジプト〜ヌビアにあたる地域から来たというのは本当ですか?
ヨルバ人そのものがではなくて青銅器文化や鉄器文化が伝播した、ということでは。
652 :
世界@名無史さん :04/11/11 14:42:00
日本以外のアジアの国のアフリカ研究ってのはどんな状況なんだろ。 日本で紹介されるのは欧米人のアフリカ研究がもっぱらだけど。
653 :
世界@名無史さん :04/11/11 23:24:30
ヨルバ人自身も、祖先は東方から来たと信じていませんでしたっけ。 始祖オドゥドゥワも、東方からやってきてイフェに降臨した っちゅう話が、残っとるそうです。 何かこの手の東方起源伝承は、このあたりの民族が共通して伝えている そうで、ヨルバに限らずハウサ人もそうらしい。 しかし、ヨルバは人気だな。 せっかくナイジェリアなんだから、実はヨルバ人より人口が多いハウサ人や、 ナイジェリア3大民族の1、イボ人のことを語ってやる 神はいないのか。イボ人にゃ都市も王もなかったそうだが。
654 :
世界@名無史さん :04/11/12 00:27:27
イボ人と言えばビアフラ内戦 イボ人は教育熱が高く、実はエリートが多い。 白人進出前でしたね、すまん
ブルース・ウィリス主演の映画「ティアーズ・オブ・ザ・サン」見ました。 そうと知らずに救出したナイジェリア難民一行の中に、イボ族の王子がいた、 と知ってブルース隊長も奮起する話でしたが、実際にも精神的な象徴的存在って いるんでしょうか?
656 :
世界@名無史さん :04/11/12 00:51:57
653>神秘な神話体系を作り、新大陸大衆文化にも影響を与えたと言われるヨルバに 人気が集中するのは仕方ないかと 650>何か気になるんですが、最古の黒人王国クシュ〜メロエ朝が滅びたのが紀元4世紀 頃でサハラ以南最古の王国ガーナの成立が紀元4世紀頃というのは偶然なのか、 奇妙に符号すると思われ。西アフリカ諸民族にはヨルバ、ハウサはもとよりいにしえのマリ 王国などにも東方起源伝承があるそうですが、もしかしたら滅亡した王朝の民がはるか サハラを超えてこの地に文化を伝えたのか。
657 :
世界@名無史さん :04/11/12 02:32:14
イボ人の社会では、リネージ、村落共同体、氏族のいずれの水準における会議でも、 各社会単位を 代表する家長の出席のもと、長老格の家長による議事進行に よって合議制にもとづく決裁がおこなわれた。 彼らの伝承には、祖先がニジェール、ベヌエ両川の合流地域付近の北方から移住し、 イボ人が故郷と呼ぶアクワ・オルルに定着したとするものと、 チュクゥという創造主が瞬時にしてイボランドを形成したとするものがある。
658 :
世界@名無史さん :04/11/12 03:02:23
ナイジェリアの作家チヌア・アチェベはイボ人だよね?
659 :
世界@名無史さん :04/11/13 12:59:13
>657 いわゆる伝統的な部族社会、無頭社会ですよね。 部族社会といったら野蛮人といったイメージだけど、 実は伝統的なそういう社会も組織は結構複雑で、意外と洗練されていたり する、という話を聞いたことがあります。変な王様を 戴くのに比べたらよっぽど平和的だし、民主的。 アイヌのチャランケ制度なんかも最初に聞いたときはへーって思った。
660 :
世界@名無史さん :04/11/13 13:28:30
>658 そうです。「崩れゆく絆」で有名なアチェベはイボ人です。ちなみにショインカ(アフリカ 最初のノーベル文学賞受賞者)はヨルバね。 アチェベさんはナイジェリア政府が勲章をくれるというのにあえて政府を批判して 受賞を拒否したとか。 >659 イボ人は伝統的に多元主義を尊重し、イボ人の裁判のプロセスでは「判決にどちらかの勝利を含まれている必要はない」 らしいです。白黒はっきりさせてコミュニティの多元主義的な原則に反するくらいなら、むしろ彼らは積極的に中途半端な判決 を受け入れるとのことで、日本人に似ているような。 イボ人はナイジェリア三大民族の1つになっているくらいで、人口密度も昔から 高かったのですが、なぜかそれほど都市化せず、王が君臨することもなかったということで 逆に民族学者の注目を集めているそうです。 ハウサは7王国、ヨルバはベニンやオヨを建設したというのに。
661 :
世界@名無史さん :04/11/13 13:31:14
>656 滅亡した王朝の民がサハラ砂漠を越えてきたのか、すっげ〜燃える。
662 :
世界@名無史さん :04/11/13 14:41:21
「バントゥ哲学」って、ヨーロッパ人がつくったもの?
よくクロマニョン人とかからホモサピエンスに進化していく図があるけど なんで黒人じゃないんだ?みんな白人っぽいよな?
>>663 白人優越史観だから。
…というのを聞いたことがあります。
クロマニヨン人がトルコあたりで足踏みしてたのは、彼らが黒人でビタミンDが作れず 日照の少ない高緯度地方に進出できなかったからという説もあるね。 一方ネアンデルタール人は金髪碧眼だったと。 この説を唱えたのが日本人というあたりが事情を物語ってるような。
666 :
世界@名無史さん :04/11/16 21:53:11
アフリカの諸王国に関する口承伝承には、植民地時代にアフリカ人自身によって 内容が変えられたものもあるらしい。
667 :
世界@名無史さん :04/11/18 00:21:25
エジプト人は黒人だったという説が唱えられたこともありましたな。 何でも、古代エジプト人はクシュ人の肌の色について何も書いていない、つまり 相手が黒人と言うことについて何も意識していない、とか。 ヘロドトスの記述、クシュ人とエジプト人は明確に区別できない、とかがその説の根拠 のようです。 ただし、クシュの王都に残された壁画では、クシュ人自身は自分たちをエジプト人 よりも黒く書いているそうで。真相は。 う〜ん太古の人々は肌の色なんて特に意識しなかったのかな。
668 :
世界@名無史さん :04/11/18 00:58:50
ネアンデルタール人は複雑な言葉離せないので絶滅したという。NHKで
669 :
世界@名無史さん :04/11/18 01:18:23
>>668 うそ。現在いえるのは、ネアンデルタール人の母音の数が少ない
ということがわかっているだけ(これもいろいろな考え方がある)。
寒い地域にいたから、母音が少なくなった(口があかないからだろう)。
だって、ご先祖にあたるホモ・エルガスター、エレクトスは、基本的に
現代人と同じのどの形をしていたことがわかっている。
ネアンデルタール人はのど仏の位置が高かったそうだが?
671 :
ユダ ◆o3FO2oJm9Q :04/11/18 18:49:46
民族別IQの平均値 アシュケナージ系ユダヤ115〜117 日本人105〜107 白人95〜100 黒人80〜90 このスレの皆様へアシュケナージ系ユダヤのIQは日本人より遥かに高いです。 ユダヤ人は世界一優秀な民族です。 最大値でもアシュケナージ系ユダヤ人>>>日本人です。 アシュケナージ系ユダヤ人の研究者の頭脳に比べたら日本人の頭脳はエテ公並です。 米軍の調査ではアシュケナージ系ユダヤのIQは日本人より遥かに高いです。 現実を見ましょう。アシュケナージ系ユダヤに日本人の頭脳は敵いません。 アシュケナージ系ユダヤの平均IQは117では世界ダントツで一位です。 ユダヤ人は人類の科学、芸術、文学の発展に大きく貢献しておりアメリカのノーベル賞受賞者の 40%近くがユダヤ人です。近年のアメリカの大繁栄にはユダヤ系アメリカ人の影響が大きい証拠です。 アメリカのノーベル賞受賞者の40%がユダヤ系といわれています。 反ユダヤの烙印だけは絶対に避けること。そしてユダヤ人に日本国籍を取ってくれるように働きかける事。
672 :
世界@名無史さん :04/11/18 19:01:15
ネアンデルタール人の唯一の子孫が日本人で 後にヤプーと呼ばれます。
673 :
世界@名無史さん :04/11/24 00:18:48
ネアンデルタール人とクロマニヨン人が混血して ユダヤ人となったというDQN仮説が唱えられたことも あった。提唱者はユダヤ人(””)。いやマジで。 ソース>「世界不思議百科」コリン・ウィルソン しかし、ネアンデルタールだなんだって白人進出前でも遡りすぎじゃ・・・ 650、656>そういうのって興味あります。何か物証は残っているのでしょうか
674 :
世界@名無史さん :04/11/24 01:52:24
■ あの実力サイト、「株式日記と経済展望 」が、ニュー議の911スレ削除騒ぎを取り上げて
いた!株式日記も、朝鮮邪教が言論弾圧に動き出したと、看破している。2チャン運営が
創価統一だと、知性のある人物ならわかるということだ。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu80.htm (私のコメント)
私は宗教学者でもなくキリスト教信者でもなく聖書も読んだこともない。だから専門家の見解を受け
売りするしかないのですが、アメリカ、韓国、日本と、カルト宗教団体の連携が出来上がって政界を
乗っ取ろうとしている。それに対して報道機関はすでに骨抜きにされて、口は封じられた。インター
ネットに対してもいよいよ言論弾圧の手は伸びてきたようだ。
私のサイトへも脅迫が来たのは先日述べたとおりですが、副島氏のサイトも嫌がらせで創価学会の
BBSを閉鎖する。さらに「2ちゃんねる」のサイトも創価学会や統一教会がらみのスレは停止になる
ものが相次いでいるようだ。運用者の中に彼らの手先がもぐりこんだようなのだ。阿修羅でも次の
ような書き込みがあった。
675 :
世界@名無史さん :04/12/02 01:04:59
いつのまにかdat落ち、アフリカって人気ないなあ
676 :
世界@名無史さん :04/12/03 00:31:23
世界史シリーズって奴を見渡してもアフリカ史が項目にあることはほとんどないからな。でも盛り上げたいなら何か話題を振ってくれ
677 :
世界@名無史さん :04/12/03 02:18:36
南部アフリカの岩壁画なんてどーよ?
678 :
世界@名無史さん :04/12/04 01:36:06
コイサンの描いたやつか。 コイ人やサイ人こそほとんど語られることがない可哀想な人々。 アフリカの真の先住民(だったっけ?)だというのに 我々モンゴロイドに近い存在(実は肌の色が薄いらしい)だというのに 岩壁画には動物だけでなく、銃をもった白人を書いたものも発見されている らしい。
679 :
世界@名無史さん :04/12/04 01:41:15
タッシリなどサハラ砂漠の先史時代の岩壁画に 脂臀の女性像が多数描かれているのがあり、これがコイ人・サン人の祖先とも。 かつてはブラックアフリカ全域に住んでいたかも知れないのにね・・・
680 :
世界@名無史さん :04/12/04 08:41:55
アフリカの有名な岩壁絵画群は2ヶ所。タッシリ・ナジェールなどのサハラ砂漠に残された絵画、 そして南部アフリカ(ジンバブエから南アフリカ)の絵画群ですね。サハラの絵画群は多様な民族 によって書き続けられたようですが、南部アフリカのはコイ人・サン人(旧称ブッシュマン)によ って残されたと考えられています。しかも、南部アフリカの絵画はつい最近まで描き継がれてきた もので、もはや絵による歴史です。銃を持ち馬に乗った白い人(ブーア人でしょう!) の絵まである。
681 :
世界@名無史さん :04/12/04 23:11:39
絵は下手な文献以上の歴史の証人になるからな。 サハラ砂漠が草原だったことも岩壁画から分かること。 まあ太古の報道写真といったところかな
682 :
世界@名無史さん :04/12/04 23:51:11
>>678 ニカウさんがいたじゃん
あれだけ世界に名を売ったのに砂漠に戻ってた
家から薪を拾いに行ってそのまま死亡
59歳くらいと見られるって報道にワロタよ
683 :
世界@名無史さん :04/12/05 14:05:57
かつて「ブッシュマン」という映画が公開されたことがある。内容は忘れた。 ブッシュマンが差別用語ということで、後にはタイトルが「コイサンマン」に変更されてた。 どっちもどっちだ。
684 :
世界@名無史さん :04/12/08 22:09:15
南ア共和国の白人(アフリカーナー)には、コイ人やサン人の血が混じってる。
685 :
世界@名無史さん :04/12/08 22:13:16
南インドのトラヴィタ人じゃ?
686 :
世界@名無史さん :04/12/08 22:17:24
ガマよりも前に喜望峰にアラビア人もしくはインド人が航海してきたことはあるの?
687 :
世界@名無史さん :04/12/08 22:52:23
奴隷として連れてこられた
688 :
世界@名無史さん :04/12/08 23:22:30
南アフリカ人がインド・アラビアを攻めて奴隷狩したんか?
>>686 実際にはザンベジ河口あたりが南限では。
690 :
世界@名無史さん :04/12/09 07:07:46
ハウス名作劇場のプッシュベイビーの舞台ってどこだっけ? キリマンジャロが出ていた気がする そういや、キリマンにロケット発射台作る計画は頓挫したのかな
691 :
世界@名無史さん :04/12/09 21:16:56
南アフリカのインド洋沿いの地域ではモザンビーク海流が、 大西洋側ではベンゲラ海流が流れていたため、イスラム商人やヨーロッパ人は なかなか接近できなかった。 1488年に、バルトロメウ・ディアシュ率いるポルトガル船隊が喜望峰に到達。
692 :
世界@名無史さん :04/12/09 21:28:57
ちなみに喜望峰は、現在の名前に改名されるまでは「暴風峰」と 呼ばれていた。
694 :
世界@名無史さん :04/12/10 00:11:33
スーダンのフンジュ・スルタン国やダール・フール・スルタン国を建国した 連中は黒人? それともアラブ人と黒人との混血?
695 :
世界@名無史さん :04/12/10 00:14:31
黒人って何であんなに馬鹿なんだろう。 民度低すぎ。
696 :
世界@名無史さん :04/12/10 12:47:33
>>694 北アフリカは厳密に黒白区別できないことが多い。白人と思えても黒人の
血が混じっていたり(北アフリカ諸国はエジプト含めてそうだと思う)、
逆に黒人とされていても白人の血が混じっていたりする(エチオピアとか)。
まあ、アメリカや新大陸の黒人みたいなもの。俺らが見ると黒人そのものに
見えるけどね。
千年以上の昔から盛んに交易で黒白往来していたんだから、混じらない方が
不思議とも言える。
っちゅうーか、ナイジェリアにまで先祖は白人との混血と言われている人々
(フラニ人など)がいるくらいだから。
コイ人、サン人のモンゴロイド説というのを聞いたことがあるが、ホンマか。
連中、肌の色が薄くて、頬骨が張っているらしい。
697 :
世界@名無史さん :04/12/10 13:41:47
>>694 外見はともかく、彼らの意識としては「アラブ」だったらしい。
「フール」はチュニスのバニー・ヒラール族の血を引く、れっきとしたアラブ
であると主張していた。
698 :
世界@名無史さん :04/12/10 18:05:27
>>697 でも、自称を全部認めてしまうととんでもないことになりそうだな。
マリ王国の王族も、先祖はムハンマドの弟子の一人で、クルアーンの
朗唱を最初に行った人として有名なビラール也とか称していたらしいし。
どうみても黒人の一派に見えるプール人(フールじゃないよ、ナイジェリア
北部からマリにかけて分布する民族)も自称は白人らしいし(今は知らぬ。
ムンゴパークの探検記とかではそうだったようだ)
699 :
世界@名無史さん :04/12/10 19:06:38
>>696 エチオピアに白人の血ぃ?
アベベとかテレビで見たけど、どうみても黒人にしか見えんぞ。
アベベだけでない。今の長距離界はほとんどエチオピアの運動会
状態だけど、やってくる選手は誰でもどっからどう見ても黒人だ。
白人の面影なぞ微塵も感じないのだが。
アメリカ黒人などよりよっぽど立派?な黒人に見える。
DNA分析でもやったことはあるのかな。
700 :
世界@名無史さん :04/12/10 19:31:06
700
皮膚の色だけじゃなくて、顔立ちや毛髪や背丈もよく見ろよ。
702 :
世界@名無史さん :04/12/10 20:21:06
>>698 そーいや、フンジュ・スルタン国が18世紀初頭以降弱体化すると、
地方、特に北部州の住民が、自分たちはアッバース朝の子孫だと主張しだし、
フンジュ政権側は、自分たちは実はウマイヤ朝の末裔である、という宣言を
遅ればせながら発した。
703 :
世界@名無史さん :04/12/10 20:25:24
704 :
世界@名無史さん :04/12/10 20:40:24
エチオピアの歴史を担ってきたのは、アムハラとティグレという、二つのセム系 民族である。 セム系の人々は、数千年前にアラビア半島から紅海を渡ってエチオピアに移住して きたとされる。 言語・人種的には、アラブ人やユダヤ人と同じ系統に属する。彼らは、アビシニア人 と呼ばれることもある。アムハラとティグレで、総人口の約36%を占める。 アムハラ人とティグレ人は、自分以外の諸民族を、おおまかにふたつのカテゴリー に分類している。ひとつは「ガラ」、もうひとつは「シャンキラ」である。 ガラにはオロモとその近縁の諸民族が含まれる。オロモは言語的には、かつては ハム系と呼ばれていたクシ系に属する。クシ系は、セム系と同じくアフロ−アジア 語族の下位区分である。 「シャンキラ」と呼ばれる人々には、エチオピアとスーダンおよびケニアの 国境地帯の、サバンナ低地に居住する諸民族が含まれる。言語的には、アフロ− アジア語族ではなく、ナイル−サハラ語族に属する。 ちなみに「シャンキラ」とは差別用語であって、日本語の「黒ん坊」や、英語の 「ニガー」と近いニュアンスを持っている。 もうひとつの意味内容は、アムハラ語で「バリア」と呼ばれる奴隷である。 つまり、エチオピアにおいて、「シャンキラ」と呼ばれる人々は、地理的に だけでなく、社会・文化的にも国家の周縁に位置づけられているのである。 彼らにとって、エチオピアの過去の栄光の歴史は他人事でしかない。
705 :
世界@名無史さん :04/12/11 00:16:52
私にはイベリア半島の人々には黒人の血が流れているんでは
と感じることがある。これって極端かな。
ナポレオンもピレネーを超えるとアフリカが始まるなんて言っていたし。
ところで、以外と黒人と白人って似てると思いませんか。
http://home.att.ne.jp/zeta/siriki/sub2.htm このページの下段には有名なマリのミュージシャン、
サリフ・ケイタの写真があるんですけど、分かりますか。誰がサリフ・ケイタか。
彼はアルビノなんですよ。
706 :
世界@名無史さん :04/12/11 00:42:56
>>705 イベリア半島はモーロ人(北アフリカのイスラム教徒)に支配されていた
から、可能性はあると思う。
>サリフ・ケイタ
確かにぱっと見ると白人に見えるね。
>>698 フルべ(プール、フラニ)は白人から見れば「黒人」だろうが、周辺に住んでる他の集団に比べれば、
皮膚の色も白いし、背も高いし、顔付きも違う。
708 :
世界@名無史さん :04/12/11 08:52:36
>>705 えええ〜。色を抜けばこうなっちゃうの。
サリフ・ケイタって名前は聞いたことがあるが、本当にマリの人か。
モンゴロイドを脱色してもこうはならんよな。
白人と黒人の起源について疑惑が・。
このページに紹介されている”グリオ”ってやつも面白い。現代に生きる
吟遊詩人にして、語り部か。ロールプレイングゲームの賢者みたいだ。
サリフ・ケイタは正真正銘マリの人。というかマリ皇帝を出したケイタ家の一員。 ミュージシャンを目指した時点で勘当されたが。
710 :
世界@名無史さん :04/12/11 13:23:32
佐藤次高『マムルーク』(東京大学出版会)に、 イブン・ブトラーンの『奴隷購入の書』の内容について紹介されていて、 黒人奴隷についても、肌が黒いことに対する極端な差別感はみられない。しかも この書には、「ザンジュの子供であっても、白人(ビード)との婚姻をくり返して 三代をへれば、黒人は白人となる」と記されている。これはイスラム世界に おける社会的な同化の慣行をしめすものとしてきわめて重要である。一滴でも 黒人の血が残っていれば、いぜんとして「黒人」と認定される現代のアメリカ 社会とくらべてみると、イスラム社会が早くから異民族の受入れに先進的な 社会慣行をつくりあげてきたことが知られるであろう。 と書いてあるが、日本のイスラム研究者の一部には、近代以前のイスラム社会を 美化しすぎる傾向があるように思う。
711 :
710=711 :04/12/11 13:43:07
マスウーディー、バクリー、イドリーシー、トゥーシー、イブン・バットゥータ などの黒人のついての描写は、 「ガレーノスによれば、黒人たちには10の特性がある。すなわち縮れ毛、 薄い眉毛、大きな鼻腔、厚い唇、突き出した歯、強い体臭、黒い目、 しわの多い手足、長い陰茎、大いなる陽気さである。最後の点について 彼は、黒人たちは知能が足りず、知性が弱いがゆえに、陽気さが彼らを 支配しているのである、と説明している」 「黒人たちには結婚の習慣がないので、子どもたちは自分の父親を知らない。 彼らは人を食べている。ザンジュは色が黒く、鼻がぺちゃんこで、縮れ毛で、 理解力や知性をほとんど持ち合わせていない」 などといったひどい内容。日本ではヨーロッパ人の黒人に対する偏見に ついてはよく語られるけど、アラブ人・ペルシャ人・トルコ人の黒人に 対する偏見についてはあまり語られないね。
712 :
世界@名無史さん :04/12/11 18:55:44
>>711 確かにアラブ人の黒人への偏見もひどい。地域によっても違うと思うけど。
イブン・ハルドゥーンほどの知性ですら、黒人への見方は完全なステレオタイプ。
でも、ビラールとかいう黒人の聖者がイスラム教にはいるし、黒人をどう思っていたのか
結構図りかねる所もある。
昔のギリシア人はあまり黒人を差別していなかったように思えるんだけどね。
アキレスと闘うエチオピア王メムノーンは偉大な勇者として描写されている。
あ、あとアーサー王伝説で黒人と白人の混血騎士がいたような気がする(肌の色はまだらだったような)。
713 :
世界@名無史さん :04/12/11 21:08:59
中世ヨーロッパでは、キリスト生誕のときに訪れた東方三賢人の一人、バルタザールは 黒人とされていた。
714 :
世界@名無史さん :04/12/11 21:15:09
イブン・バットゥータ:「私は、黒人たちの教養のなさや白人に対する 無礼な態度を見て、つくづくこんなところにまできたことを後悔した」 イブン・ハルドゥーン:「黒人は本質的に人間的資質に乏しく、ものいわぬ 動物に極めて近い。彼らは…一般的に軽率で、非常に情緒的であり、 メロディーを聞くとすぐに踊りたがる」 トゥーシー:「ザンジュが動物と違うのはただ彼らが両手を地面から 離している点だけである…多くの人々が、黒人よりも猿のほうが学習能力に 優れ、知性的である、とみている」
715 :
世界@名無史さん :04/12/11 21:20:58
バクリー:「スーダン人〔黒人〕たちは人間よりも動物に近い。彼らは もっぱら物欲に興味を持ち、しばしば食人をおこない、ほとんど羞恥心を もたない」 イドリーシー:「スーダン人はもっとも堕落した人々であるが、子どもを 生む能力はもっとも優れている人々である。彼らの生活はまるで動物の ようである。彼らの生活はまるで動物のようである。彼らは食べ物と女 への欲求以外になんの関心も示さない」
716 :
世界@名無史さん :04/12/11 21:27:43
717 :
世界@名無史さん :04/12/11 23:17:02
>>714 イブン・バットゥータのは先入観による偏見て感じだけどね。
マリ王国に到着直後は文句言いまくりだけど、最後になってマリ王国の総評
を行う段では治安に優れていて、不正が少ないとこだと評価している。
アラブのアフリカ人への論評はほとんど伝聞等に基づくのが多い気がする。
一時資料はイブン・バットゥータとレオ・アフリカヌスくらいか。
思うに、彼らが日常的に接するアフリカ人はほとんどが奴隷だったのが、
ここまで偏見がはびこった要因じゃないだろうか。召使いは主人には自己主張
できない存在だから。
あと、着衣を着るか着ないかの問題が大きいかな(特にアラブは)。
イブン・バットゥータもアフリカ人女性が裸を隠さないことについてえらく
攻撃していた。気候の違いなんだけどな。
718 :
世界@名無史さん :04/12/11 23:42:43
あまり知られてない事だがユダヤ人のIQは日本人より遥かに高いです。 IQの順位は 一部の白人(ユダヤ人)>>東アジア人>白人>>>中東人=東南アジア人>ネイティブアメリカン>>>黒人 こでが正しいです。
719 :
世界@名無史さん :04/12/11 23:47:07
「千一夜物語」には、黒人奴隷とエッチする場面がいくらでも出てくるな。 当然チンチンが大きい、という意味で。
720 :
世界@名無史さん :04/12/12 00:16:42
15世紀までは、ヨーロッパ人には黒人への偏見てあまりないんじゃ なかろうか。大航海の目的は黒人王プレスター・ジョンを求めるため だったわけだし。16世紀に入ってもコンゴ王国の王とは兄弟王という 関係を結んで国使の交換や手紙のやり取りもやっている。 あと、アーサー王関連の騎士の中には確かに混血の騎士がいましたね。 名前は忘れたけど結構強かったはず。
というか、近代(産業革命-帝国主義)以前のヨーロッパ人には、 非キリスト教徒に対する蔑視や素朴な自文化中心主義こそあれ、 人種に基づく差別は希薄だった(皆無というワケじゃ勿論ないが)。 いつの時代のどの地域での話だったか忘れたが(確か入植開始 初期の北米だったと思う)、例えば、白人奴隷(スラブ人やアイル ランド人)と黒人奴隷を娶わせて夫婦にすることは、あたかもイス ラム圏でなされるそれが如く、普通に行われていたという。 そしてこれが変わるのが近代以後。いわゆる「人種の発見」だな。
722 :
世界@名無史さん :04/12/12 10:07:21
現在のスーダンの知識人の中には、スーダンのアラブ化・イスラーム化が、 フールやフンジュという、元来「非アラブ」のアフリカ人によって促進された ことを取り上げて、そこに「アラブとアフリカの融合」「他社に寛容なスーダン 独特のイスラームのあり方」といった、肯定的な要素を見出そうとする人が いるそうでつ。
723 :
世界@名無史さん :04/12/12 21:22:29
「非アラブ」によるイスラム化は別に珍らしくもなんともないが、自発的イスラ ム化と言う意味でもトルコやインドネシアがそうだし、アフリカに限ってもベル ベル人のムラービト朝、西アフリカなんか全部そうだ。 スーダン独特な点なんて全然ないのではないかね。 まあ、現在ダルフール地方でアラブ系民兵(政府がバック?)と在来系住民との 対立抗争がひどいから、特にそう言いたくなるんだろうが。 アメリカよ、イラクなんてところにちょっかい出してないで、スーダンをなんとか しろよ。自衛隊もだ。イラク侵略なんぞよりよっぽど感謝されるぞ。 スレ違いすまん。もう何も言わない
724 :
世界@名無史さん :04/12/12 22:06:54
アラブ人って黒人にとってはいつも奴隷狩りしてた悪者だったのか?
725 :
世界@名無史さん :04/12/12 22:10:15
1994年のルワンダ大虐殺の際、ラジオが、 「ツチはエチオピア起源だからルワンダから出て行け」 と繰り返し放送していたとか。 ヨーロッパ人によって唱えられた「ハム仮説」(大湖地域の支配層は北方から やってきたハム系の人種であるという説)が、現在ではツチの外来性を示す 「論拠」として使われているとは…
726 :
725=726 :04/12/12 22:24:05
「紀元後第二千年紀北方牧畜民南下説」の根拠のひとつに、バンツー系 諸語を話す集団が製作したと考えられているウレウェ土器が、紀元後 第二千年紀に入って、急速に他のタイプの土器(縄で作られたせ施文具で 回転施文されたもの)にとってかわられたことがあった。 新たなタイプの土器はそれ以前のものよりも技術的に劣っており、これが 北方地域の特徴を有することから、この土器に転換する紀元後第二千年紀 の初めにその製作者が北方から大湖地域を征服し、彼らの技術を広めたと 考えられた。
727 :
725=726=727 :04/12/12 22:27:05
しかし最近では、それ以前の時代に比べて土器の質が落ちたのは、北方 文化の影響というよりも土器の使用が広がって大量生産が行われるように なったためだという説が出てきて、土器の変化をそのまま北方の牧畜民 侵入に結びつける論調は薄れている。
728 :
世界@名無史さん :04/12/12 23:34:27
太湖地域の王国群は征服王朝と思っていたけど、新しい説が 出てきたんだね。 ん、でも遊牧民は良くあちこちで征服を行い、帝国を作るけど、 被支配民族に比べて総じて文化程度は低い(遊牧民の方、すまん)。 モンゴルもトルコも、あとアラブ人なんかも蛮族って言ったら蛮族。 よって、支配階級が被支配階級の文化を学び取るまで、一時的に文化 レベルが下がるのは良くあることだと思う(ローマを支配したゲルマン 人なんかもろにそーだなー)。 土器の質が低下した真因は不明だけど、野蛮な遊牧民が土着の農耕民を 支配したということで説明はつけられやすいと思うけどなー。 土器の使用が広まったんなら、むしろ名工は増えないのかな。
729 :
世界@名無史さん :04/12/12 23:41:08
>>725 ツチ人ってナイロート系でしょ。セム-ハム語族にいつなったの。
ナイロート系って有名なマサイ族なんかと同じ人種。背が高くて
手足が長い。体つきも全然違う。
ハム系って古代エジプト人なんかがそうで、セム系の親戚、つまりは
コーカソイドだと思ってたんだけど。
滅茶苦茶なこと言ってたんだなー
730 :
世界@名無史さん :04/12/13 00:08:25
ジョン・H・スピークがナイル川源流探検記で、大湖地域の支配層「ワフマ」 は、「ガラ」あるいは「アビシニア人」であり、その根拠として彼らの 「身体的特徴」を挙げていた。すなわち、大湖地域諸王国の支配層はエチオピアで 一般的な長身痩躯の人々であるから、これらの王国は彼ら「ワフマ」のエチオピア からの侵入によって築かれたと彼は考えたのである。 当時のヨーロッパ人の人種観である「ハム仮説」では、あらゆるアフリカの 文明はコーカソイドの血が混じったハムによって伝播されたと考えられ、その 祖地はエチオピアだとされた。
731 :
世界@名無史さん :04/12/13 00:13:21
「ハム仮説」については1960年代以降、そのヨーロッパ中心主義的 イデオロギー性が暴露され科学的根拠を失ったが、植民地期には教会 関係者や行政官を通じて広く流布され、アフリカ人に対してもこのような 歴史教育がなされた。
732 :
世界@名無史さん :04/12/13 00:38:02
>>730 根拠は「長身痩躯」だったのかい。そら、エチオピア人も長身だが・・・。
マサイ族の長身痩躯は全然違うぞ。たしか、あの当たりって平均身長
世界一の民族がいなかったか。
体に熱を貯めないために長身痩躯化したと聞いたことがある。
733 :
世界@名無史さん :04/12/13 00:46:58
>>724 アラブ人の奴隷狩が激化するのは、19世紀。オマーンがザンジバルに
遷都してからだと言われている。ヨーロッパ人探検家がアフリカ内陸探検に
乗り出した時期とちょうどかぶった。
それ以前はきちんと地元の支配者から奴隷を購入していた。奴隷貿易は
アフリカ人自身にも(少なくとも支配者階級には)応分の責任がある。
19世紀以後の白人はアフリカに災疫しかもたらしていないけど、それ以前は
アフリカもそれなりの利益をアラブ人等の白人から受けていたんだけどなぁ。
スワヒリ地域の文明化はアラブ人の平和的な協力も結構あったと思うし。
まぁアフリカにとってアラブ人ってやつは腐れ縁。
734 :
世界@名無史さん :04/12/13 13:38:12
>>723 >アラブ系民兵(政府がバック?)と在来系住民との 対立抗争がひどいから
モーリタニアでも「アラブ・ベルベルVS黒人」という構図がなかったっけ?
ザンジバルっていまのタンザニアだっけ? オマーンってアラビアのオマーンだよね…? アラビアのオマーンがあの島に首都もってて、 それでタンガニーカとザンジバルは全然別の歴史をたどったと? 折れ歴史はまったく知らないんでスマソ。
736 :
世界@名無史さん :04/12/13 16:41:57
737 :
世界@名無史さん :04/12/13 17:08:09
>>724 マンサー・ムーサー王は逆に、カイロで白人のトルコ系奴隷を購入し、
マリに連れ帰っている。
あと、奴隷は贈答品として使われる場合もあった。
マンサー・ムーサー王も、トレムセンのイブン・シャイフという男の
使者に対し、金貨・衣服・男女の黒人奴隷を贈っている。
738 :
世界@名無史さん :04/12/13 21:53:05
ルワンダをはじめ、大湖地域の諸王国には封建制が成立していたというのは 本当?
739 :
世界@名無史さん :04/12/15 02:09:50
United States of Africa
740 :
世界@名無史さん :04/12/15 21:31:03
>>735 17世紀後半から18世紀のオマーンはなかなかの強国ですよ。
16世紀にインド洋の制海権を握ったポルトガルを、17世紀には
実力で叩き出しています。
17世紀のインド洋ではポルトガルvsオマーンが抗争を繰り返し、
オマーン船がポルトガル船を襲撃したり、東アフリカやインドの
ポルトガルの拠点を襲撃したり、ポルトガルが逆襲をかけたり、
もう大変だったようです。最終的には1698年に東アフリカでのポルトガル
最後の拠点フォート・ジーザス(モンバサ)が陥落し、インド洋の制海権を
オマーンが奪っています。で、東アフリカはオマーンの勢力圏に入ると。
スレ違いだな
741 :
世界@名無史さん :04/12/15 21:59:37
東アフリカ沿岸部におけるアラビア、ペルシア交易が開始したのは10世紀 ごろといわれるが、これにより沿岸部にはまずアラブ人が流入することに なった。交易では沿岸部住民や、さらに内陸の住民が、奴隷として輸出 された。ムスリムでないことが住民を奴隷にする根拠のひとつとされた ため、住民の間でイスラームへの改宗が急速に進んだ。交易関係の深化 にともなって、共通語としてのスワヒリ語が生まれる一方、アラブ人と 沿岸部ムスリム女性との婚姻もすすんだ。こうして、沿岸部にはスワヒリ人 という新しいエスニックなカテゴリーが形成された。
742 :
世界@名無史さん :04/12/15 23:54:33
>>738 封建制に"似た"システムの国家が多かったのは事実です。
現ウガンダにあったンコーレ王国の例ですと、国家はいくつかの地方に分かれ
各地方の首長は王の任命によりましたが、その任命を得たり、さらに高い地位を得る
ためには個人的に王と契約を結ぶ必要がありました。
その契約とは、軍事的義務に服す、さらに一定期間王に牛を提供する、という誓約を
行うことです。これに対し、王は彼の牛に保護を与える約束をします。
土地を媒介とする封建制というより、牛を媒介にした封建制ですね。
これらの国家(ブガンダ、ブニョロ、ンコーレ、ルアンダ、ウルンディ、キジバ)は
バンツー系農耕民をナイロート系牧畜民が支配するという2層構造をなしているのも
特徴で、牛は支配者階層にとって、財産そのものなのです。
743 :
世界@名無史さん :04/12/16 00:02:36
大湖地域でもっとも有名な国家はウガンダの名称元にもなり、 スタンリーの探検記にも出てくる旧ブガンダ王国でしょうが、 ウガンダ内には他にもブガンダのライヴァル、ブニョロ王国や ンコーレなどの王国もありました。 ルワンダでは14世紀にバンイギィンヤという王朝が始まり、植民地 支配で名目的なものになりながらも、1961年(独立前年)まで一応存続 しています。
744 :
世界@名無史さん :04/12/16 00:21:18
ところで、ルワンダといえばツチ人、フツ人の対立で有名になってしまい ましたが、元々はナイロート系牧畜民の支配はゆるやかなもので(農耕民側は 政治権力へ参加はできなかったが、牧畜をするな、多少奉公しろ、とかその程度 の支配)、支配する者−支配される者間に対した対立はなかったようです。 それが、対立が激化したのは植民地支配時代の歴史教育の影響と言われています。 植民地の行政官がルワンダ封建社会説を唱え、その説に沿って(つまり封建的支配を 強化する方向で)王国の支配を強化する政策が採られたり、「ツチ人が支配してきたと ルワンダ王国」という歴史を教育していった結果、ツチ人ーフツ人間の関係が疑似カースト 的に強化されていき、現在のような状況にまで至ったという背景があるようですね。 一般的にアフリカでは強力な支配ー被支配関係というのは極めて希ですので。
745 :
世界@名無史さん :04/12/16 00:45:09
アフリカ人は遺伝的に分散が最も高い。 コーカソイドは遺伝的に分散が低い。 ヨーロッパの発展とアフリカの停滞は、 これで説明が付いてしまうんだろうか。
746 :
世界@名無史さん :04/12/16 00:47:43
×コーカソイド→ヨーロッパ人 インドの停滞も、中国の停滞も、 異人種間の交流が発展を止めたと説明できてしまうんだろうか。
747 :
世界@名無史さん :04/12/16 00:49:58
ヨーロッパの遺跡や旧約聖書などでは、 しばしば「皆殺し」を連想させるの記述が見られるという。 アメリカ大陸やオーストラリア大陸でも、 果してインドや中国のように、 平和的に混血した場合には今現在のように発展できたんだろうか。
748 :
世界@名無史さん :04/12/16 00:51:45
メルティングポット論が語られなくなって久しく、 イスラエルの暴走が止まらない今、 翻って無責任に混交を求める理想主義者に突き付けられた疑問かもしれない。
749 :
世界@名無史さん :04/12/16 01:12:31
良く考えれば初期アラブルネサンスも、 その担い手は急速に生活圏を拡大したプロトアラブ人だった。 文明が発展するというのは、 あるいは均質な固体群による新たな進化の一部なのかもしれない。 それが停滞する理由の一つは、 某選民主義一神教徒が怖れるように異質なものの混入なのかもしれない。
750 :
世界@名無史さん :04/12/16 01:14:34
某選民主義一神教徒がもたらしてくれた、 偽善と不審と隠蔽とプロパガンダの世界で、 真実を見極めようとするには勇気が要る。
751 :
世界@名無史さん :04/12/16 01:18:06
アメリカにおいても民族融和論を吹聴しつつ、 本国では徹底した差別を展開していた民族も居る。 この場合は民族融和論そのものが罠だったと考えるべきなんだろうか。 善良なクリスチャンが罠に懸って没落に近付いていたと、 現実を見定め騙され難い人達が助かったと、そういうことなんだろうか。
752 :
世界@名無史さん :04/12/16 01:28:47
しかし時代が変わりつつあると言う事だけは確かなようだ。 時代が変る上で、某選民主義一神教徒と、 その礼賛を繰返した彼等に連なる人達は大きな役割を果たした事になる。 生育するはずだった融和の植物を、 彼等の自家撞着に塗れた偽善で抑え付け、枯れさせたのだから。
754 :
世界@名無史さん :04/12/16 17:14:38
コモロには、5世紀ごろにバントゥー語族とオーストロネシア語族が住み着いて、 さらに11世紀ごろにはペルシアのシラジ人やアラブ人が移住して先住民と 混血。このときにイスラームも広まった。
オーストロネシア語族! そういえばジョハールってそれっぽい響きですね。
756 :
世界@名無史さん :04/12/18 00:20:02
>>740 思いっきりスレ違いだが、あの”オマーン”がそんなに強かったとは
始めて知った。当然、艦隊は大砲を装備していたんだよな。
ポルトガルがディウの海戦でイスラム艦隊を撃破したことは知って
いたけど、その後の展開なんて良く知らんかったから。そのままポルトガル支配が続いていたと思っていたら。
サッカーのテストマッチで相手を見る目が変わりそうだ。
757 :
世界@名無史さん :04/12/18 11:58:04
>>756 アフリカから中東やヨーロッパを見ると、まったく違う世界像が見えてくるよね。
視野を広げるという意味では、日本人にもっとアフリカ史を知ってもらいたい
と思うよ。
759 :
世界@名無史さん :04/12/18 12:48:11
日本語で読める初心者向きのアフリカ史の本って何ですか? 講談社現代新書の「新書アフリカ史」とか? 70年代後半に出た講談社世界の歴史で山口昌男が書いたアフリカ史も良さそうですが
>>755 「ジョハール」はアラビア語「ジャゥハル/جوهر」の訛りでは?
761 :
世界@名無史さん :04/12/18 19:15:55
17〜19世紀には、コモロ諸島はインド洋交易の中心地となり、特に18世紀からは マスカレーニュ諸島への奴隷供給によってスルタンたちは繁栄した。しかし、 コモロ諸島は一人のスルタンによって統治されていたわけではない。グランド コモロ島は12のスルタン領に分かれており、最高位のスルタンとして「ンティベ」 という地位があったが、島内が統一されていたわけではなく、スルタン間の 紛争が絶えなかったという記録がある。
762 :
世界@名無史さん :04/12/18 19:25:42
>>759 岡倉登志『二つの黒人帝国』(東京大学出版会)
岡倉登志『エチオピアの歴史』(明石書店)
岡倉登志『アフリカの歴史』(明石書店)
峯陽一『南アフリカ 「虹の国」への歩み』(岩波新書)
763 :
世界@名無史さん :04/12/18 20:46:53
>>759 『世界の歴史第6巻 黒い大陸の栄光と悲惨』山口昌男 著(講談社 昭和54年)
全25巻ある世界の歴史シリーズの一巻。正に名著
興味深いエピソードも満載。読み物としても面白い。
ボルヌー帝国イドリス2世の治世、ヨルバの政治体制、
シャカ王やモシェシュ王といった”南アフリカのナポレオン達”、
ウスマン・ダン・フォディオの戦い、サモリ・トゥーレの抵抗 など。
史記のようにドラマチックな事柄が満載なのだ。
764 :
世界@名無史さん :04/12/19 00:02:16
『新書アフリカ史』(講談社現代新書)は名著だよなぁ。一番手に入りやすいし。 変わった所では 『黒人王、白人王に謁見す』(山川出版社)。ヨルバの1王が大英帝国を訪問する 話。ま、大した本ではないかも。 『ザンジバルの笛』(未来社)オマーン支配以後のスワヒリ世界について手軽に 知りたければ、これかな。
765 :
世界@名無史さん :04/12/19 00:36:12
イブン・バットゥータ『大旅行記8』(東洋文庫)ではマリ王国に 旅する所があります。あまり、読みやすい本ではないけど。 マリ王国に騎兵がいたり、グリオがその時代に既にいたりと興味深い。 グリオについて調べると以外とマリ王国とかが引っかかってくる。
766 :
世界@名無史さん :04/12/19 01:30:42
マリ王国といえば金のイメージが強いが、 タカッダーの銅鉱山はすでに13世紀には開発され、銅は14世紀にはマリ王国の 重要な輸出品になった。
767 :
世界@名無史さん :04/12/22 23:09:16
>>763 シャカ王といえば『闘神伝説シャカ・ズールー』のことかな。
最初見たときはお釈迦様かと思ったけど。でもすごい題名だから(笑
>>765 グリオって言えば、グリオ出身のミュージシャン多いね
サリフケイタ、モリ・カンテ、ユッスー・ンドゥールも母親だかがグリオ
だったはず。マリ王国以外の系統のグリオもいると聞いたことがある。
768 :
世界@名無史さん :04/12/23 01:20:00
769 :
世界@名無史さん :04/12/23 09:13:48
>>768 グリオは検索したら出てきますよ。アフリカの吟遊詩人です。
『闘神伝説シャカズールー』とは映画ですよ。TV映画。
ちょっと大きいレンタル屋さんへ行ったらあるかもしれません。全3巻。
”製作期間4年。制作費2300万ドル。45週にも及ぶアフリカロケ。6000人のエキストラ。
1986年度アメリカTV映画。19世紀初頭、南アフリカに強大なズールー王国を築いた偉大なる
シャカ王。その数奇な生涯を歩んだ男の大河ドラマ。”だそうです。
1巻「戦王誕生」、2巻「魔剣復活」、3巻「野望終焉」、て
各巻の題だけ見ればRPGみたいだ。
翻訳がアホなだけなんじゃないかw
771 :
世界@名無史さん :04/12/23 15:18:41
>>767 おれも最初題名の背表紙を見た時は仏教映画かと思ったw
原題は「SHAKA ZULU」とシンプルなのに、なして”闘神伝説”なんて
分けのワカラン文句をさらにくっつけたのか。おかげで何の映画か分かりにくく
なったw
何か、シャカ王はある軍事的革命によりズールー王国を築いたそうだが、
その軍事的革命とは”人を殺すこと”だったw
って何かの解説(この映画の解説)で言っていた気がする。
いや、多分ガセだろな
772 :
世界@名無史さん :04/12/23 16:19:26
>>767 サリフ・ケイタはグリオ出身じゃありません。
彼は何と王族です。ミュージシャンを目指して実家と
対立したと聞きました。
三笠の宮とか秋篠の宮とかがミュージッシャンを目指した
ようなもんでしょうか。そりゃ、猛反発を受けるだろうな。
773 :
世界@名無史さん :04/12/23 17:30:21
三笠宮のトモさんは若い頃、ラジオのDJもやってた。
774 :
世界@名無史さん :04/12/23 19:38:52
このスレの前の方にも出てきたけど、(サリフケイタ=マリの王子)説。それって自称?他称? マリ王国ってとっくの昔に滅びてなかったっけ。 ガーナ王国→マリ王国→ソンガイ王国→モロッコ→?→植民地ちゅう流れは俺でも知ってるが。 何でマリの王子が未だにいるんだ? いや単純に知りたいだけだけど
>>771 ガセっす。
シャカ王の軍事的革命は3点。
1つは槍の使い方。従来のズールー族の戦闘法は古代ローマ軍に似ていて、投げ槍主体。
しかし、シャカは槍は投げるよりも刺突する方が強いと考え、槍ぶすまを作って突撃する
戦術を採用する。
槍の長さも接近戦を考え、長槍から短槍に改良させています。
次は陣形。「牛の角」という戦術を考案。 これは”胸”という名の精鋭部隊を中心に”角”という名の部隊を正に 牛の角のように並べ、角が相手を挟み込みながら牽制し、胸が突撃する というもの。いわゆる鶴翼の陣と言ったら分かりやすい。 3番目は戦士階級の創設。 それまで戦士と一般人との区別はなかった。それを新たに戦士階級を 創設し、彼らに一定年齢になるまで結婚を禁止し、さらに戦士達に日 常的に軍事教練を施した(そのための戦士階級の創設)。 まわりが旧態依然の部族的戦闘法の中、ここまでやったら無敵だったで しょうね。いわゆる軍事的天才であったことは間違いない。
>>774 サリフの出身民族であるマリンケをはじめとし、バンバラやスス、ソニンケ
などのニジェール川近傍の民族には緩いカースト制度のようなものがあり、
例えばケイタという氏族(ジャムー)は高貴な家柄とされている。というのは、
マリ帝国の建設者スンジャータ・ケイタがこの氏族から出ているから。マリ
帝国が滅んで支配者が代わっても、氏族制度はずっと続いてきて今に至る
わけ。
しかし、インドのバラモンに農夫も貧乏リーマンもいるのと同じように、ケイタ
氏族出身者でも農夫も貧乏リーマンもいる。サリフの父親は農夫で、狩猟も
していた。(ちなみにスンジャータは伝承では「偉大な狩人」と呼ばれている)。
そういう意味では、サリフは「王子」ではないでしょう。
一方、この地域では音楽や口碑伝承を司る人(いわゆるグリオ)、鍛冶など
特殊な技術を必要とする職業は賤業視されていて、ニャマカラと呼ばれる
集団が担っていた。クヤーテ、ジャバテ、シソコなどの氏族出身者がニャマ
カラを担っている。サリフが勘当されたのは、その辺が理由。
なお、今はシソコ一族から大富豪が出たり、名門トラオレ氏族からミュージ
シャンが出たり、かなり流動的になってきているのも事実。
778 :
世界@名無史さん :04/12/23 21:57:21
>>775 いわゆる「ムフェカネ」(衝突)の時代ですな。
この被害を受けたバスト族の王モシュシュ1世は山岳時代タバ・ボシウ(現マセル
近郊)に逃げ、要塞によって国を守りました。
1835年以降、南アフリカのボーア人のグレート・トレック(大移動)により再び
国境をおびやかされたため、王はイギリスに保護を求め、1843年にイギリスの
保護下に入り、1868年には正式にイギリス保護領となりました。
その後1871年に一時ケープ植民地に併合されましたが、1884年には再度イギリス
保護領になりました。
シャカ・ズールーの話はアフリカ近現代史スレでやりませんか?
780 :
世界@名無史さん :04/12/23 23:53:01
マリ王国は実は結構しぶとく後世まで残っています。 ソンガイ王国はマリ王国の版図の多くを支配下におきましたが、マリ王国の息の根 までは止めませんでした。マリは小国となりながらも17世紀までは残存します。 マリ王国が崩壊するのはその17世紀、配下のバンバラ人の反乱によってです。 ただし、マリ王家自体は反乱下を生き残って、王国発祥の村落に逃れています。 王家から一豪族に転落したわけです。で、その後のことは知りませんが、アフリカでは 未だに多くの王家が続いていますので、現在でもマリ王家が存続している可能性は 充分にあります。
781 :
世界@名無史さん :04/12/23 23:59:37
釈迦図留は最強のマザコン。 母さんが死んだら大泣きしてキレたらしい
782 :
世界@名無史さん :04/12/24 00:08:58
>>778 シャカ王はあまり好きになれないなー。悪い意味で南アフリカのチンギス・ハーンっと
呼びたい。いや、結構似てると思う。
俺はモシェシュ王の方が好きだ。本当の王者の徳を体現した人物はこっちだと思える。
ベチュアナランド、バストランド、スワジランドもイギリスに保護を求めた。 ところで、ローデシアのマタベレとマショナの反乱について語りませんか?
まあ、一人で南アフリカの歴史を引っかき回したんだから ある意味偉大な男だったんだろう。 織田信長だってチンギスハーンだって曹操だって歴史にはめ込まれたら偉大だろ。 こいつは一人で南アフリカに民族大移動を引き起こした。 是非はともかく、真似してできることじゃない
>>777 >マリ帝国の建設者スンジャータ・ケイタがこの氏族から出ているから
この言い回しは微妙。ケイタ氏はスンジャータを伝承上の始祖としている。スンジャータ
誕生時以前にケイタ氏族が存在したのかどうかは未詳だと思う。
サリフが生まれたのがマリの旧都ニアニの近くで、その辺りのケイタ氏が帝室の直系
子孫と目されてるのは事実だけど。
また、シソコはニャマカラに入るんだろうか。シソコ氏はジェリ(音楽及び口碑伝承を
職とする)でもフィナ(イスラーム関連伝承の披露を職とする)でもヌム(鍛冶)でも
なかったような気がするが。詳しい人降臨キボンヌ。
786 :
世界@名無史さん :04/12/24 12:38:40
マリの旧都ニアニって、どこに存在したかまだはっきりしてないはずだが。 ただ、サリフ・ケイタ自身、俺は貴族って言っていたな。 今まで貴族は音楽によって生計を立てるものではなかったが、俺は音楽家 となった。そのように時代は変わってゆくのだって。 ミュージシャンを目指した時に受けた圧力は大変だったんだろうね。
787 :
世界@名無史さん :04/12/24 12:51:26
歌舞音曲に携わるものはどこでも差別されたんだな。 現代は・・・
788 :
アフリカ遠足人 :04/12/24 14:00:00
サリフ・ケイタ『PAPA』の日本板CD解説から抜粋。 サリフ・ケイタは1949年、西アフリカのマリ共和国の首都バマコの郊外の村の かつてのマディンカ帝国の王家の血筋を引く一家に生まれました。 音楽の好きなサリフは子供のころからミュージシャンを目指しましたが、 音楽はグリオ(マリの音楽家)のものがやる仕事だと考える父の反対にあい、 いったんは教職につこうとしました。しかし視力に恵まれなかったので教師にはなれず、 またアルビノ(先天性白皮症)である彼はアルビノをめぐる地元の偏見にも苦しめられました。 ・・・ アフリカでよくある詐欺。 信頼する君だけにトップシークレットを教えるよ。 僕は今は落ちぶれているけど、実は王家の末裔なんだ。 今度王家の莫大な遺産が転がり込んでくることになったんだけど、 セキュリティーのため外国の銀行口座と準備金$○×▲□が必要なんだ。 君に遺産の◎@%を渡すから至急用意してくれないか? ・・・ アフリカではいまだ多くの王家が存在する。 また村の酋長レベルでも王を名乗るから、自称王族が腐るほどたくさんいる。 現代マリではケイタ姓も鈴木さん並(?)に多い。 サリフ・ケイタ氏を疑うようだが、 アフリカ人の自称王族・貴族は眉唾と考えた方がよい。
偉大なシャカの陰に隠れているけどタバーボシウで専守防衛に努めたモシェシュは良いね。 どっかの大統領にも見習って欲しいくらいだ。 攻撃されて撃退した後、わざわざ撃退した相手に牛を送って和平を呼びかけたエピソード など、この時代の王様らしくない所がある。配下の内で復讐を唱える者がいると、それは 犠牲者に対する冒涜になる、と説き伏せたという話もある。
790 :
世界@名無史さん :04/12/24 19:55:39
はいはい。サヨは死んでいいよ。 拉致家族の気持ちを一回でも考えたことあるのかね。
791 :
世界@名無史さん :04/12/24 20:00:40
>>790 家族会の横柄で尊大な様子を見たら、同情なんかできんな。
ヒゲの兄貴は定職につけ。弟が帰ってきたのに、まだ運動に寄生してるのか?
792 :
世界@名無史さん :04/12/24 20:10:04
右翼アフォダラ教と左翼バカチン教の宗教対立だろ。 ほっとけ。
794 :
世界@名無史さん :04/12/24 21:43:29
グリオってその知識を生かして、ある時は王様の片腕となり、また ある時は紛争の調停を行い、歌一つで戦争を収めたこともあり、民 から賢者と敬われるリアルでは普通ありえない(正にRPGの賢者)ような 存在と思ってたんだけど。差別されてるの? ま、上のはちょっと極端な話だけど、グリオは王の助言者みたいな役を担っていた ことは確かなはず。社会的地位は高いとおもてたんだけどな。 鍛冶屋も社会的地位は高いと思ってたんだが、モシ王国じゃ、喧嘩してる 間に鍛冶屋がハンマーを置くと、そこで喧嘩は止めなきゃならぬしきたり があると聞いたことがある。あと、やっぱり王の側近として仕える鍛冶屋 がいるとか。土から金属を生み出す鍛冶はアフリカでは神聖視されていたと。
795 :
世界@名無史さん :04/12/24 23:54:02
>>791 お前ら在日には家族会が邪魔なんだよなw
工作乙。
796 :
世界@名無史さん :04/12/25 06:01:17
>>789 モシェシュ王の先代、モトロミ王がそもそも偉大な男であったらしい。
モシェシュ王ほど資料が残っていないのであれだが、本来王の血統ではなかった
(地方の副首長の息子だった)モシェシュを後継者に見出し、彼に帝王学を
教えたとか。
曰く、正義に片寄りがあってはならぬ、平和は戦争に勝る、呪医の施術に頼るのは
愚かである、だって。
モトロミ王自身が、力に寄らず、政略結婚や雨乞い師としての名声によりバスト
ランドを広く支配していたという。
797 :
世界@名無史さん :04/12/28 16:36:14
レソト王国(旧称バストランド)って現在においても世界でも希少な王政で、国家元首の名前が 何とかモシュシュだけど、これってもしかして。 バストランドはアフリカのスイスって呼ばれているらしい。山岳地帯のようで。
798 :
世界@名無史さん :04/12/28 17:07:49
>>794 http://homepage2.nifty.com/afrique/music/djari.htm ここにちょっとグリオ(ジャリ)のことが書いています。
>かつてはそうしたジャリのみが音楽を演奏し、歌を歌っていた。ほかの家系のものが
演奏したりすることは「卑しいこと」とされ、結婚も同じ家系のもの同士しかしなか
った。ちょっと「差別」された存在なのだが、彼らの機嫌を損ねると、先祖の恥とか
を人前で歌われてしまったり、極端なときには呪いの歌を歌われることもあった。彼ら
の言葉には「力」(あるいは呪術)があるとされているので、機嫌を損ねるわけにはい
かない。そればかりか、王の代理として交渉にのぞむこともあり、中には敵方の気を損
ね殺されてしまうものもいたという。そこまでいくと「影武者」のような存在でもある。
というようなことだそうで。基本的に人を誉めるのが仕事みたいなので、
一般人から見れば腰巾着と思われていたのかも。
799 :
世界@名無史さん :04/12/28 22:27:01
800 :
世界@名無史さん :05/01/02 02:04:36
バントゥー系アフリカ人は、いつごろ南アフリカにやってきたの? 先住民であるコイ人やサン人との関係はどういうものだったのか?
バントゥー Bantu アフリカの赤道地帯から南部にかけて広大な地域に分布する、 たがいに親縁関係にある言語。約6000万の人々によってもち いられている。バントゥー語を話す人々は、もともと現在のカメ ルーンあたりにすんでいたが、徐々に南に移動してアフリカ南 部に達したと思われる。約2000年間つづいたこの移動は、人 類の歴史上最大のもののひとつである。移動の原因は不明だ が、バナナ(南アジアが原産)などの外来の作物を導入し、効率 のよい食料生産ができるようになった結果、人口が増加したこ とによるものだろう。
(つづき) バントゥー語系諸族は、初期に東バントゥーと西バントゥーとい う2つの言語集団にわかれた。東バントゥーは現在のジンバブ エとモザンビークをとおって南アフリカに達し、西バントゥーはア ンゴラやナミビア、ボツワナ南西部に達した。 現在、バントゥーという語は、人々の集団よりも言語学的な語族 としてつかわれることが多い。バントゥーに由来する言語でもっと もひろく使用されているのはスワヒリ語である。これはアフリカ東 海岸で5000万の人々によって、リングア・フランカ(ことなる民族・ 部族が商業や交易にもちいる共通語)として使用されている。 バントゥー語族に由来する言語集団には、東バントゥー語派に属 するショナ、コーサ、キクユ、ズールーや、西バントゥー語派に属 するヘレロやトンガの言語がふくまれる。 (C) 1993-2003 Microsoft Corporation. All rights reserved.
803 :
世界@名無史さん :05/01/04 23:58:30
他の大陸でのインド・ヨーロッパ語族の移動みたいな感じかな。 一番イメージしやすいのはゲルマン人の移動だけど。 多分、アフリカで最も広範囲に散らばってる人々だよね。
804 :
世界@名無史さん :05/01/05 00:15:27
基本的に、アフリカでも、新石器文化とか農業が始まった段階で、 語族が形成されたようだから、まあ、世界どこでも同じで、語族 形成は、紀元前7000年とかそれ以降になるんで、、。 いや、そんだけ。
805 :
世界@名無史さん :05/01/05 00:19:09
語族の形成に農業とかが必要なのだろうか? 生んで増えて分かれていけば勝手に語族が形成されそうだが。
必須ではないでしょう。 北米大陸西海岸は農耕が普及しなかったが、語族の超密集地帯だったしね。 漁撈と海獣狩猟のおかげで大人口が定住できたことと、 山岳がちな地勢で言語集団が細分化されやすかったことも影響したのかも。
807 :
世界@名無史さん :05/01/05 00:32:54
>>805 えっと、まず、かなり推測に頼っている部分があることは
おことわりしておくが、。
狩猟採集民が近代まで残ったところを調べると、基本的には、
部族ごとに言語が全く異なるような状況がある。それこそ、
家族単位で全く違う言語が通用しているような状態。
おもに、オーストラリアのアボリジニの研究とか、あるいは、
アメリカ大陸の狩猟採集民などの研究で明らかにされている。
彼らの多くは、自分たちの言語だけでなく、近隣部族の言語を
複数こなし、一般的な交流においては特別な問題はない。
近隣部族の間では互いに文法的な類似性もあったり、あるいは、
語彙も次第に共通なものになるなどするのだが、特に広範囲な
共通語ができるというものでもなく、一般には、あるところで
言語が共通化しても、別のところで、また違う言語が生まれるなど
して、いわば、均衡状態にあるようだ。
狩猟採集民は、移動生活をしていて、農耕民は定住生活なので、どうも
農耕民が土地に貼り付いているように見えるが、実際には、農耕民
の移動度のほうが高く、それは、人口が爆発して、新たな農地を獲得
するために、一族がどんどん分裂して開拓をする、ということらしい。
狩猟民は、たしかに季節ごとの移動などはあるが、そうとう長い時間
だいたい同じ地域にとどまっているので、拡散度はそれほどではない。
そんなことからも、農耕民が誕生して、それが拡散していく過程で、
語族が生まれたと考えられている。
808 :
世界@名無史さん :05/01/05 00:39:34
>>807 の続き
ついでに、定住生活を始めると、季節ごとの移動がないわけで、
結果として、子供の運搬という問題から解放される。アフリカの
移動生活をしている人々は、一般に女性の出産が数年に一度という
ことで、子供が一人で歩ける5、6歳にならないと次の子供を妊娠
することがない。また、初潮年齢も16歳とか遅いので、生涯の
出産回数は2回から3回。よって、人口爆発なんてことはなく、
ほぼ、人口は一定に保たれる。定住生活では、出産回数が極端に
増えるので、人口は爆発し、どんどん人口密度が高くなるし、
また、農地をもとめての拡散もどんどん起こる。もちろん、農業に
よる食料生産が飛躍的に向上するはずもないので、頻繁に貧困で
飢餓状態に陥ることになる。新石器時代以降、人類の体格はかなり
縮小し、脳容積も小さくなるなどの影響が出ていることが明らか。
新石器文化が始まってから、おびただしい数の民族が、この中で
滅びていったことは間違いない。人口抑制のための社会的ルール
とかが宗教的なものと結びついて整備されたりした一部の人々
だけが、生き残ったということだろう。これらは文化的なことだから、
特定の言語と結びついた宗教、社会習慣などと絡んでいて、これが
うまく機能した民族だけが生き残ったということになるのではないか。
これで、多くの言語が消滅し、特定の言語だけが勢力を伸ばした理由
にもなると思う。
809 :
世界@名無史さん :05/01/05 00:43:36
>>806 あ、私のいっているのは、大語族ってことね。
小さい、家族単位とか、部族単位の語族は、むしろ、狩猟採集民
時代の名残です。
唯一の例外は、農業が非常に早い時期に成立したパプアニューギニア
ですね。あそこは、山岳地帯なので、農業が成立したあとも、小さい
語族が大量にあって、いまでもそうです。
810 :
世界@名無史さん :05/01/06 20:54:44
ナミビア北部にあったクワニャマ王国について語ろう。 1917年に最後の王マンドゥメ・ンデムファヨが南アフリカ軍に殺されて以来、 歴史の中から姿を消した。
812 :
世界@名無史さん :05/01/08 05:44:31
クワニャマは、現在のナミビア北部とアンゴラ南部にまたがる地域に暮らす 人々で、オヴァンボと総称される集団のひとつである。 クワニャマを含めて、オヴァンボの人々が王国という政体をもつようになった のは、17世紀頃のこととして推定されている。 王は、宗教的祭祀をつかさどる者として、土地に雨と豊穣をもたらし、生者と 死者を媒介して、民を守るべき存在だった。王の力は、具体的には、その手中に ある「土地」によって表された。祖先からあずかった土地は処分可能な財産では ないが、王が継承するものは「土地」であり、そのなかには、そこに暮らす 人間と代表的な財産である家畜(牛)が含まれていた。王は忠誠を誓う人々に 土地や家畜を分配し、彼らを庇護した。同じようにして生まれた周辺の王国と 密接な交渉を持ちながら、クワニャマも王国としての体制を整えていった。
813 :
世界@名無史さん :05/01/09 23:26:42
財産が牛中心とか、王への忠誠←→家畜等の分配、という関係は ウガンダなどの大湖地域の国家を連想させますね。 何か国家成立の過程で影響を受けでもしたんでしょうか。 地図で見たら所在は太平洋側に近いけど、権力構造は東アフリカ的のような。
814 :
世界@名無史さん :05/01/10 00:32:03
815 :
世界@名無史さん :05/01/13 05:24:14
昔、ニジェール川の西側にオヨ王国というのがあった。 ヨーロッパ諸国の進出で沿岸貿易がさかんになると、奴隷狩りとその輸出を 行い、銃や弾薬を手に入れた。 16世紀末、オロンポト王は騎兵隊を作り、強大な軍事王国となってダホメ王国と アジャ王国を隷属国とした。オヨ王国の隆盛は1世紀以上にわたり、その間にも 奴隷貿易で利益を得ていた。 しかし18世紀後半に王位についたアビオドゥンは、軍事力を強化せず、もっぱら 自らの富の集中に心を奪われて、国力を衰退させる原因をつくった。豊かな 経済状況が腐敗を促し、権力争いから内乱へいたるきっかけをつくったのである。 北東から強力なイスラム国家であるフラニ王国が勢力を伸ばすと、オヨ王国は 文字通り内憂外患の状態に陥り、国力が衰え、19世紀半ばには解体・滅亡。
816 :
世界@名無史さん :05/01/15 19:24:53
西アフリカのマンディンゴ(マリンケ)は、マリ帝国の末裔なの?
817 :
世界@名無史さん :05/01/16 01:09:29
ブラックアフリカでは航海民族ってほとんど聞かないけれど、 海上交易などはどの程度あったのでしょう? 東アフリカ沿岸などだとアラブ人等が来航する一方だった観がなきにしも。
>>794 、798
ジャリなどのニャマカラが畏れられたのは、彼らが強い呪力を持っていると
思われているから。王や貴族の腰巾着なためではないよ。
社会の一定層に軽蔑と畏怖が同時に向けられることは珍しくない。日本でも
かつての犬神人や供御人なんかはそうだった。
821 :
世界@名無史さん :05/01/17 02:03:57
>>815 白人の前に破れた有色人種の王国は
武力維持で劣っていた気がするね
反対に白人の優位性はその残虐性維持のねちこさだ
822 :
世界@名無史さん :05/01/17 12:51:07
やはり白人>黄人>黒人という図式は動かしようがないのかもな 白人 自ら革新的な社会を作る力がある 黄人 それを模倣したり、自らの力で自前の社会を作るだけの能力はある 黒人 使われるのが専門
823 :
世界@名無史さん :05/01/17 14:39:32
中国 長命で最大勢力の文明、文治重視で武力が弱体化しやすい。 モンゴル 人類史上最大の帝国を築き営んだ民族。現在休眠中。 インド 中国に次ぐ偉大な文明地域、異民族の侵入に弱い。 ムスリム バグダッドを中心とした西側世界の中心。欧米と戦闘中。 ロシア 西北アジアの大国。モンゴル帝国の志を継ぐもの。 アフリカ 人類発祥の地。欧州蛮族に荒らされ、復興中。 南欧 アフリカや中近東文明を継ぐもの、ゲルマンの侵入に弱い。 北欧西欧 かつては蛮族だったが、この300年間、機械文明で勢力拡大。 英米 北欧の海賊系王族に率いられた強盗国家。世界に災悪を巻く。
824 :
世界@名無史さん :05/01/17 14:42:51
中南米 南欧の侵入者を歓迎したために虐殺され、現在は米英に被搾取。 北米 自然と調和した地域だったが英国の侵略者により虐殺され滅亡。 豪州 自然と調和した地域だったが英国の侵略者により虐殺され滅亡。
アフリカは復興中のところと衰退中のところが入り乱れてるでよ。
826 :
世界@名無史さん :05/01/17 20:39:43 0
マンディンゴって、リベリアでは嫌われているらしいね。
エチオピア君主を別にすると アフリカで「諸王の王」みたいな称号を帯びたのって マリのKankou Moussaだけかな?
>>826 リベリアやシエラレオネに住むメンデ人は、金交易が盛んだった中世、
マリンケ商人(ジュラ)の拠点を中心にマンデ語化した人々の末裔と
いわれている。
マリ帝国崩壊後にモシ族などによってマンデ語圏との繋がりを断ち切られ
て以来、ニジェール川流域との交流は激減した。今では、マリンケや
バンバラとは全く別の民族として認識されているはず。
829 :
世界@名無史さん :05/01/21 14:43:19 0
西アフリカのガーナ、マリ、ソンガイや東アフリカ沿岸部についての本はたまに見かける けど、ヨルバ諸国やダホメーなどの歴史について載ってる本はほとんど見かけたことがない。 このスレは勉強になりますなあ。 ところで、皆さんはギニア湾岸諸地域の歴史をどうやって勉強してるんですか? 英語文献を読んでるの?
830 :
アフリカ遠足人 :05/01/21 19:29:33 0
自ら足を運び、博物館等を訪れ、書籍を購入する。 しかし、英語仏語共に出来ないので、 ほとんど開くこともなく本棚に並ぶだけ。Orz
831 :
世界@名無史さん :05/01/21 23:42:01 0
コートジワールのジュラってどんな集団?
832 :
アフリカ遠足人 :05/01/22 00:02:34 0
商人集団。 マリ帝国の商業活動の担い手だったワンガラが南下し、 マリ南部からブルキナファソ西部、コートジボワールに分布した者たち。 長距離貿易や綿布の機織、イスラムの護符作りに従事し、 行く先々にコロニーを形成、バンバラ語の一方言を共通語として広まる。 一部で民族として解釈されることもあるが、 実際は商業上の共通語を介する多民族からの寄せ集まり。
古代アフリカを扱ったイラスト付の本があるんだけど その中でベニン王国の首都のイラストがあった。 アフリカの他の王国みたいに 麦わらの丸小屋じゃなく、平屋立ての建物 が大通りに何kmにも渉り並んでいたようだ。 イスラム圏の建築に近いがどこか違う文化をイラストからは感じた。 王宮には 長屋風の主殿の上に小さな尖塔がついていたり 複数の建物がいくつか並んでいて 割りと独創的で豪華に見えた。 今は犯罪都市みたいだけどベニン王宮の史跡とか残っているかな?
834 :
アフリカ遠足人 :05/01/23 22:57:40 0
ニュートンムック古代遺跡シリーズ『古代アフリカ』のことですか? 私の手元にもありますけど、ちょっとヨーロッパ風のイメージですね。 でもこの屋根も、この絵からではイメージがしにくいですが、結局藁葺き屋根です。 史跡は残っているかどうか分りませんが、ナイジェリア中部ジョスという街に 国立の野外博物館があり、そこで似たような建物を復元しています。 それらはやはり藁葺きです。ダホメーの王宮群なども 板や鉄板等で補強しているところもありますが、本来は藁葺きです。 私の見た目には、大西洋岸やギニア湾岸等の沿岸部は高床式の角型木造家屋が多く、 内陸部は土壁のサークルハウスが多いという印象でした。
835 :
世界@名無史さん :05/01/23 23:02:43 0
ベニン王宮はイギリス軍に荒らされました。 王宮の美術品(有名な青銅美術)も持ち去られ、2束3文で 叩き売られたりしたようです。今は残ってないんじゃないですか。 アフリカでも平屋の建築は上流階級ではわりとあったと思うし(ポイント的にね)。 まあ、そういうのはイスラム圏の丸写しでしょうけど。 トンブクトゥとかのニジェール川沿いの古都の建築は土製だけど箱形の白塗りの家が むしろ基本。ハウサ人の家屋もハウサコンパウンドといって屋根も壁も土製の方形の建築。 カノなどのハウサ人の古都は巨大な土塁(2〜3階建てくらいの高さ)で都市が囲われて いて、結構な城塞都市です。
836 :
アフリカ遠足人 :05/01/23 23:45:42 0
すみません、言葉足らずでしたが、
トンブクトゥやジェンネあたりのニジェール川流域地方は、
>>835 さんがいうように土壁方形平屋ばかりです。
そこからやや南下すると土壁方形と円形藁葺きとんがり屋根交じりの集落になり(ドゴンなど)
さらに南下すると土壁円形、沿岸部では木造方形となります。
カノにはいまも一部城壁が残っていますが、復元された門と
いわれなければ分らないような荒れた絶壁ぐらいです。
内部には活気あるスークもありますが、トタン屋根ばかりで昔の面影はありません。
前述したジョスの野外博物館にも復元されたカノの城壁がありますが、
3階建てくらいのかなり立派なものです。
円錐形の日干し煉瓦を積み上げて泥で固めた様子が垣間見られ、
結構忠実に再現されていると思います。
837 :
世界@名無史さん :05/01/25 01:52:08 0
コーサ語、スワジ語、ズール語、ソト語、ツォンガ語、ツワナ語、ンデベレ語、ヴェンダ語 ってどのくらいの違いがあるの? 日本語の方言ぐらい?
アフリカ遠足人様 解説ありがとうございます。 麦藁の方がアフリカ文化らしいですし、 ダホメーの王宮群が一見してちゃっちく見えるのも屋根がトタン板だからで 藁葺きにしたら(後、電柱が近くに立っていなかったら) 私はいいと思います。 ベニン王宮も何十年後、治安が安定すればぜひとも復元してほしいです。
久しぶりに「藁」が本来の意味で使われてるとこ見た。
841 :
世界@名無史さん :05/01/29 21:36:53 0
ラスタ エチオピアにあった、高度文明に誇りを持って黒人達は 白人優位社会への対抗手段としてると上のレスであったけど、 そんなもの幻想にすぎない。今でもその文明が続きアフリカ諸国 が先進国の言うのなら凄いがとっくの昔に終焉した文明を心の 支えにしても、黒人達の置かれた現状は変わらない。 むしろ、成功した黒人そう、パウエルやらスティービーワンダーみた いになるにはどうしたらよいかのか、考えたほうが黒人の地位向上 に繋がるのでは? しかし黒人達って成功した黒人を毛嫌いしてる んだものこんなではいつまでも下層階級から抜け出せない。
842 :
世界@名無史さん :05/01/29 21:40:58 0
そういえば、成功した黒人というのは同じ黒人どうしの付き合い よりも白人との付き合いを重視すると言うがこれも白人階級に 上手く溶け込むためなのかな?
成功するためのステップとして、白人達と上手く付き合う必要があるからではないでしょうか 成功した後は、社会的地位や経済力で同等の階級には白人が多くなると言う事もあって 成功した黒人は白人との付き合いを重視するのではないしょうか
それよりも句読点の打ち方を学習する必要があるのではないでしょうか 黒人の心配よりまずは自分が下層階級から這い出す努力を始めるべきではないでしょうか
845 :
世界@名無史さん :05/01/30 01:15:10 0
まあまあ。彼はラスタについて語りたいのかな。 まあ、どう見ても白人進出後のカリブ海の話になっちゃうけどね。 新大陸の黒人文化の基層には大なり小なりアフリカの影が見え隠れするのが興味 深い。ラスタ、ブードゥー、サンテリア、カンドンブレなどね。 私個人としては、特にヨルバの影響がすごく強いことに興味があるのだが。 カンドンブレではヨルバ語まで使われると聞いたことがあるし。 ビバ!アシェーポップ
846 :
世界@名無史さん :05/01/30 02:51:17 0
アメリカでも黒人が成功すればするほど黒人問題が深刻化してる なにしろ成功した黒人は黒人街から抜け出していくから 黒人街はますます才能のない貧しい者ばかり
奴隷貿易時代の末期にヨルバ系が大量輸入されたため 比較的時代が新しいこともあって風化せずに現在まで色濃く残ったようで。 キューバではヨルバ系の末裔を「ルクミ」と称しているあたり、 やはりアフリカ色を色濃く保っている存在だったのかな。
848 :
世界@名無史さん :05/01/30 10:44:45 0
サイト巡りをしていたら、最近では白人でもラスタやサンテリアの信者が 増えてる、って書いてあるな。 サンテリアやカンドンブレは同じ神様を信仰していて、そのルーツはヨルバ の宗教(ジュジュと言う)にある、と書いている。ルクミとはヨルバ語で仲間 という意味らしい。何かヨルバの文化が高度なので、ヨルバ文化が広まり、今 まで残ったって書いてあるが。 ブードゥーはちょっと複雑で、色んな要素が混じり合っているらしい。ヨルバ、 ダホメ、コンゴの文化の複合らしい。あるサイトではダホメをヨルバのサブグループ 扱いしていた。そういうもんか。 OBIの秘密、という日本人ヨルバ教信者のHPまであった。日本人にも信者がいるらしい
849 :
世界@名無史さん :05/01/30 17:32:36 0
850 :
世界@名無史さん :05/02/06 23:54:30 0
グレート・ジンバブウェを築いたのは、ショナ人の先祖ですか?
851 :
世界@名無史さん :05/02/08 03:26:41 0
アフリカの神様は総じてアジア人顔なのは、なぜ? 暗黒時代に、当時の先進国アジア(中華圏)との接触が有ったのだろうか?
>>851 具体例を画像つきで
それに暗黒時代なんて失礼しちゃうわ
853 :
世界@名無史さん :05/02/08 15:45:24 0
アジア顔ってなんだよw
>>852 例えばガボンのプヌー、画像は見当たらないけど
たしか、ルーブルにも祭祀用マスクは置いてあったと思う
>>853 >アジア顔ってなんだよw
アジア人顔って書いてあるじゃん…
所謂のっぺりとした一重で色白、兵馬俑の中にいる感じ
>のっぺりとした一重で色白 間違えた… マスクや造形にしてしまうと、一重に見えるけど 所謂、細い目で色白
とりあえず、自分で向こうのサイト調べてみた。 アノ手のマスクは、色白は先祖の象徴としての白と、半眼につぶっているだけ>>細長い目だそうです。 祭祀や祭りに使われていて、神様みたいなもんだよと向こうの人に説明されたのでてっきり神様だと思っていたけど どうも、アフリカ人という事でした… いろいろ画像を見たけど、髪型とか、髷(中華風)結ってるみたいなのが多くて、ひょっとしたら昔交流が…と早とちりしてしまいました スレ汚し失礼しました。
857 :
世界@名無史さん :05/02/11 09:47:08 0
中国商人は南インドまでは頻繁に来航していたが、アフリカまで行った のは三宝太監鄭和の遠征のときぐらいじゃないかな。 マレー系の人々が10世紀頃まで断続的に東アフリカに渡来したことは あるが。いうまでもなくマダガスカルへの移民団の一部。彼らがアフリカ 本土に木琴やさまざまな農作物を伝えた。
>>854 にとって、インドや中東の人はアジア人ではないのか?
859 :
世界@名無史さん :05/02/12 01:37:46 0
イスラエルだってアジアだぞー
>>858 確かに、言われてみればその通りだけど
ただ自分的にはちょっと違うな…
向こうで教育を受けたからかもしれないけど、asiatieueってのを訳すところのアジア人に
一般的にインドや中東の人やイスラエル人のイメージは、ないから…
厳密には有ると思うんだけど、イスラム教徒(musulman)/インド人(indian)/juif(ユダヤ教徒)と呼ぶ事が多いので
(確かにアジアと呼ばれる土地にみんな住んでるけど、文化圏が違うから)
asiatiqueだった…orz
でも、西アジア人・インド人のことをさして「アジア人」と称することもおおいんじゃない? もともと「アジア」の起源はギリシャあたりからみたトルコとかシリアとかのことだし。 折れたちのことは、「ユーラシア人」とか「中国人」とか言われる。
863 :
世界@名無史さん :05/02/13 17:09:01 0
英語では、中国人や日本人のことは「オリエンタル」と呼んでいたんだよな。 アメリカで「オリエンタル」が差別用語だというので「アジア人」と言い換える ようになった。
>>862 たしかに、中国人ってのはアジア人の意味で使われる事が多かった
地理的にアジア(asie)と言う意味では、含まれると思ったけど、アジア人(asiatique)とは呼ばない>>トルコ/シリア等
トルコ系の人に「俺の顔アジア人みたいってよく言われるんだ?」って言われた事も有るし(ただ、自分からしてみればどう見ても向こうの顔)
まあ、この辺はその国の文化や関わり、また学術的・通俗的等で変わってくるのだろうけど…
あと、大事に事言い忘れた… 864の最後の行に有る様に、だからといって、みんなの感覚が間違ってるって訳じゃなく あくまで>858の疑問に答えてただけです
>向こうで教育を受けた どこ? それによっても違ってくるんじゃない? フランス?
867 :
世界@名無史さん :05/02/18 23:53:56 0
白人がやってくる前のケニア・タンザニアはどういう状態だったの? 沿岸部はアラブ人がやってきて商業を営んでいたけど、内陸部については 資料がない…
868 :
世界@名無史さん :05/02/19 00:00:30 0
マサイが遊牧生活を営んでおりました・・・ って単純化しちゃうとステレオタイプかな。 確か西アフリカとは違って広域支配の王国みたいなもの は成立していなかったと思うけど。 でも、アラブ人(やスワヒリ人)は内陸にも入り込んで商売してたんだよね。 だからスワヒリ語が内陸でも広まっている。布が通貨代わりに使われていたという
869 :
世界@名無史さん :05/02/19 00:23:01 0
870 :
世界@名無史さん :05/02/19 08:47:09 0
>>867 17世紀ごろ以降だと、ケニアやタンザニア内陸部には、マサイやカレンジン
(現ケニア大統領モイの出身民族)のような牧畜民のほか、多数派である
農耕民(キクユ、ルオ、カンバ、スクマ、マコンデなど)が居住していた。
ウガンダ、ルワンダ、ブルンジのような大湖間地域では、このスレの700台
でも出ているがガンダ(ブガンダ)、アンコーレ(バニャンコーレ)、ニョロ
(ブニョロ)などの王国が発達した。これらの王国は中央政府と官僚制を
持っていた。
しかし、その西南方向にあたるケニアやタンザニア内陸部では、降水量が
少なく農業生産性が劣るせいか、政治体制の高度化はあまり進まず、首長
を戴く部族制を維持し続けた。
なお、現在と同じ民族分布になったのは大体16〜17世紀ごろであり、それ
以前は民族移動が活発だったので、それ以前の状況については、わずかな
考古学史料に頼るしかないので、非常に限定的なことしかわかっていない。
>>870 の8行目 ×西南 ○東南
今のケニア政府は明らかに牧畜民側に肩入れしていて、カレンジン民兵の
農耕民殺害を見て見ぬ振りをしたり、こっそり支援したりしているので、
キクユをはじめとする農耕民側は相当頭にきているようだ。
872 :
世界@名無史さん :05/02/19 12:48:39 0
ザンジバルを支配したオマーンのスルタンというのは、現オマーンの王室? それとも、先祖は同じでもザンジバルを支配していたのは別系統の家系? オマーンのスルタンがザンジバル征服後、オマーン系(→現王室)とザンジバル系に 分裂して、別々の王家になったみたいな。
873 :
世界@名無史さん :05/02/19 14:13:06 0
>>872 オマーンの現王家(ブーサイード朝)は、1741年に支配を始めています。
ザンジバルがオマーンから独立したのは、1861年です。
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/tanzania.html 1832年にはスルタンのサイード・サイド王が王宮を建設し、首都を
ザンジバルへ移したほど。当時のザンジバルは喜望峰回りの東西貿易の
重要拠点だったほか、黒人奴隷や象牙の輸出港としても栄え、奴隷を
使って丁子(グローブ)の栽培も盛んになり、スルタンに大きな富を
もたらした。
1856年にサイード・サイド王が死ぬと後継者をめぐって宮廷では
内紛が続く。イギリスの調停というか介入で、サイド王の2人の息子が
オマーン本土とザンジバルを分け合うことになり、61年にザンジバル
はオマーンから独立した。
オマーン本土系は負け組のようで、結果的には勝ち組になったな。 ザンジバル系のスルタンはイギリスから独立後、追放されたようだし。
875 :
世界@名無史さん :05/02/19 17:02:07 0
876 :
世界@名無史さん :05/02/19 20:31:49 0
ケニアのコースト州には、バントゥー系の言語を話す一団が17世紀に南ソマリア から移住して6つの集落を築いたという口頭伝承がある。 彼らはガラ系牧畜民からの襲撃を避けるために、丘陵地帯の周囲から見えにくい 森の中にまわりを囲んだ集落を築いた。
877 :
世界@名無史さん :05/02/19 21:13:17 0
15世紀頃にナイル系牧畜民の大規模な南下(民族移動)があったらしい。 大湖地域の諸国家が勃興したのもその頃と考えられているし、 16世紀頃はスワヒリ諸都市が頻繁に内陸民の襲撃を受けたことが資料で 分かっている。一時のスワヒリ諸都市の衰退はポルトガルの圧迫の影響 だけでなくて、そういう背景もあったらしい。
878 :
世界@名無史さん :05/02/20 15:12:44 0
キリスト教布教以前、西ケニアの人々は、祖霊(オムサンブヮ)を媒介として 最高神の存在を信じていた。家長の小屋のそばには、三つの石を置き真ん中に オルオヴォの木の枝を立てた簡単な祠が建てられていた。 キリスト教が西ケニアに入ってきたとき、宣教師がまず行ったことは、まず この祠を破壊することであった。一族の祝福と災厄をつかさどる祖霊は、 邪魔者として抹殺されたのである。さらに聖書のマラゴリ語訳の過程で、 偶像という意味の言葉に、祖霊を意味するオムサンブヮという単語を無理やり 当てはめた。
879 :
世界@名無史さん :05/02/24 22:24:42 0
オマーンから独立したザンジバルはタンザニアに併合され、 今はイスラム過激原理主義者の震源地となっているらしいが 俺の独断と偏見ではタンザニアの内陸部の方がテロリンが 巣食うにはよさげな感じ。
880 :
世界@名無史さん :05/02/24 22:42:01 0
>>879 ザンジバルは外国からの観光客も多そうだ品。
ところでタンザニアの内陸部の産業は何?
シニャンガのダイヤ鉱山が有名かな。 あとはかのキリマンジャロコーヒーは大地溝帯が主産地だろうか?
ナイロート系は基本的に牧畜民で、バンツー系は農民と見ていいのか? 東アフリカの基本構造は、内陸部はバンツー系の農民とナイロート系の 牧畜民が部族社会を形成しており、バンツー系は時に王国を形成する場合も あった。海岸部はアラブやシラージが交易都市を点で支配していた。 これでいいのか?
ちょっとスレ違いになってしまうが、タンガニーカといえば
ニエレレの社会主義政策と農業が思いつくけど。。。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/tanzania/ 1.主要産業 農業(GDPの約50%を占める)、メイズ、キャッサバ、米、豆類、コーヒー、綿花等
(また、規模は小さいが、鉱業では金やダイヤモンド生産、工業ではサイザル麻・タバコ等、農産物加工がある。
観光業も年々伸びており、有望視されている。)
(ザンジバル)コプラ、やし油
2.GNI 96億米ドル(2002年:世銀)
3.一人当たりGNP 280米ドル(2002年:世銀)
884 :
世界@名無史さん :05/02/25 13:42:35 0
885 :
世界@名無史さん :05/02/25 14:02:28 0
タンガニーカのニャムウェジ人商人は、アラブ人が内陸キャラバンを 送り出した1811年以前に、すでに独自のキャラバンを組織していた。
886 :
世界@名無史さん :05/02/25 21:18:48 0
ズィンバブエは東アフリカに入るのか? かのグレートジンバブエ。 なぜ、いつだれが建国したのか、なぜ滅んだのかなど謎だらけ。 ムーのネタにされてもおかしくない。
887 :
世界@名無史さん :05/02/25 21:32:25 0
888 :
世界@名無史さん :05/02/25 23:28:28 0
オランダが植民する以前に南部アフリカなんて社会区分あるのか? 地域で言えば、リンポポ川・ザンベジ川流域のバンツー系 諸部族の社会を指して南部アフリカと言っているのだろうが。 海岸部はスワヒリ文化圏に含まれるか、その影響を強く受けている 地域だし。内陸部は、他の東アフリカと同様に海岸部との交易や 牧畜をミックスしたバンツー系の部族国家だろ。東アフリカと区別する メリットがあると思えない。牧畜の比重が高いとか、アフリカの外れで 孤立的とかの特徴はあるが。
>>886 ジンバブエ遺跡なんてただの石ころの家だろ。
ニグロでもあのくらいは作れるだろ。ニグロを文化的に
劣等だと侮辱するから、グレート・ジンバブエ都市遺跡のような
ものは作れないとの先入観があるだけだろ。
大した道具もないイースター島の住民ですら、巨石を使った
遺跡を作れたのだし。ジンバブエ遺跡くらい、鉄器を使用していた
ニグロが作れても全然不思議ではない。ニグロを舐めすぎ。
891 :
世界@名無史さん :05/02/27 12:48:43 0
892 :
世界@名無史さん :05/02/27 13:05:19 0
893 :
世界@名無史さん :05/02/27 15:01:17 0
>>886 グレート・ジンバブエの衰退に関しては、商業ルートの移動や、人口集中に
よる環境破壊などの説がある。
グレート・ジンバブエが滅んだあと、ムタパ国とトルワ国が15世紀に興り、
ザンベジ川下流域とリンポポ川中流域の交渉圏を活動の舞台とした。
894 :
世界@名無史さん :05/02/27 15:12:33 0
最近よくニュースになるトーゴですが、 あそこはヨーロッパ人がやってくる前はどういう状態だったのですか?
895 :
世界@名無史さん :05/02/27 15:16:47 0
896 :
世界@名無史さん :05/03/01 21:02:23 0
グレートジンバブエの遺構からは、中国製陶器が見つかっている。
897 :
世界@名無史さん :05/03/01 23:05:21 0
>>892 どう解明されてきたというのか。
環境悪化説など、どんな地域の文明でも挙げられている、いわば枕詞のような仮説。
未だにジンバブエに秘められている謎は大きいと考える。
もしかしたら、15世紀に勃興したその2国がジンバブエを滅ぼしたのかな?
>>893
898 :
世界@名無史さん :05/03/03 00:21:05 0
南部アフリカにおける最初の国家形成は、リンポポ川渓谷のトウツェ遺跡。 トウツェ人は河川のまわりに村を作り、牧畜を行っていた。 川をやや下ったところにあるシュロダでは、9世紀の集落がみつかっている。 ここでは複合農業+象狩りが行われていた。 シュロダの近くには10〜11世紀の村「K2」がある。1075年ごろ、K2社会は すぐ近くのマプングブエの丘に移る。
南部アフリカをリンポポ・ザンベジ川流域以南の地域と定義するなら、 そこで文明をになった部族はバンツー系。バンツー系諸部族到来前は、 コイサンの人々が、狩猟採取の生活をしていた。 カメルーンあたりで芋とか作ってた農耕民のバンツー系の祖先が、 故地か大湖水地方あたりで、牧畜と鉄器技術を覚え増殖しつつ南下してきた。 東アフリカの他の地方と違って南部アフリカは、トリパノゾーマ等の 風土病の害が少なかったから、牧畜を伴う大規模な社会を形成することができた。
900 :
世界@名無史さん :05/03/03 14:40:48 0
900
901 :
世界@名無史さん :05/03/03 17:13:34 0
902 :
世界@名無史さん :05/03/05 14:40:59 0
バントゥー諸語の拡大について、「ムハンマド後のアラブ」という比喩に暗示 されているような、単一集団による急速な拡張過程としてバントゥー拡大を 捉える説は最近退けられている。 バントゥー諸語の拡大過程に関しては少なくとも北部・西部・東部のバントゥー 諸語に分けて考える必要があるという。 紀元前第二千年紀に拡大を開始したバントゥー系言語は、祖地から熱帯雨林北辺 を東方に進んでヴィクトリア湖付近に至る。この範囲の諸語が北部バントゥー 諸語である。北部バントゥー諸語が広まった地域の中で、ガボン東部からコンゴ 北部にかけてとウガンダ西部がそれぞれ西部バントゥー諸語、東部バントゥー 諸語の祖地になり、そこから南方へとそれぞれの言語が・文化が拡散していった。
903 :
世界@名無史さん :05/03/05 14:43:53 0
農耕を生業とするバントゥー系言語話者の居住地は、周辺の狩猟採集民 も含めた地域住民が交流する、いわば当該地域の社会経済的結節点に なりやすかった。これによって、彼らの言葉であるバントゥー系諸語は その地域のリンガ・フランカとしての地位を獲得し、結果的に急速な 伝播につながったというものである。
904 :
世界@名無史さん :05/03/05 14:48:24 0
製鉄とウシ牧畜と雑穀栽培の技術を携えていたことも 大拡散を推し進めた要因でしょうね。 車輪や文字はなぜブラックアフリカに広まらなかったんだろう。 紀元前にはすでにどちらも接していたはずなのにね。
905 :
世界@名無史さん :05/03/05 23:50:54 0
バナナは東南アジアで栽培化された作物であるが、紀元前にアフリカに到達し、 大航海時代には、中南米にも伝播し、現在では全世界の熱帯地域において 重要な作物となっている。 ザンジバルはアジアからのバナナの伝播の入り口に当たる。 ザンジバルのバナナに関しては、遅くとも12世紀にはすでに重要な食料で あったことがアラブの地理学者・イドリースィーの記録に残されている。 今日でもザンジバルはモロゴロ州と並んでタンザニア東部で有数のバナナ 生産地とみなされている。
906 :
世界@名無史さん :05/03/06 00:08:38 0
907 :
世界@名無史さん :05/03/06 00:19:39 0
東南アジア・インドとブラックアフリカの農作物交換は先史時代からみられる バナナやヤムイモ栽培はアジアからアフリカに伝播しているようだし 逆にモロコシなどの雑穀栽培や胡麻、スイカはアフリカからアジアに伝播してるようだ 交易目的か植民かわからんが、アジアからアフリカへ、アフリカからアジアへと 紀元前から活発な交流があったことは事実のようだ
>>902-903 バンツー祖語の話者が、鉄器製作の技術を取得し、高い農業生産力を持って
いたなら、急速に増殖し広まったとしても疑問ではない。狩猟採集民や
生産性の高いバナナやタロ・ヤム栽培・牛の牧畜を知らなかった農耕民は、
森林や疎林地帯にまばらにしか住んでいなかったはず。
未開のまばらにしかすんでいない少数部族は、日本で言えばアイヌのようなもの。
部族単位で生活していたアイヌは日本人に同化されたわけだが、日本語は
日本人やアイヌにとってリンガ・フランカとしての地位にある、と言うのは馬鹿げた議論。
農耕技術に劣りまばらにしか生活できない劣等部族をバンツー系諸部族が、
絶滅・駆逐していったと解釈するのが自然。人間なんて食料生産さえ順調に行えれば
いくらでも増える。アイヌのように多少の同化はあったろうが、基本的には
ハイテク集団のバンツー祖語の話者が、赤道以南の人口希薄地帯を占拠して
いったと考えるべきだろう。
東アフリカの牧畜民は馬を使わなかったんだろう。 サハラには馬は伝播していたのだから、東アフリカの 牧畜民が馬を使っていたとしてもおかしくない。 馬を使った方が扱える家畜の数も増えるのだし。 牛中心なのも疑問。アジアではヒツジやヤギが中心だし。 牧畜が牛中心であることや馬を使わないのはどうしてなんだろ?
>>910 北米大陸へ伝播した馬が原住民に狩猟され尽くして絶滅したのと同じ現象が起こった可能性がある。
ウマを含む奇蹄目が全世界的に衰退傾向にある生物であり、ウシ・ヤギ・ヒツジを含む偶蹄目が
現在も繁栄してるのが関係してるのかもしれない。馬は意外と貴重な生物。
羊やヤギは高温多湿に弱いので、サヘル以北でないと飼育は難しい。 インドや東南アジアの主要な家畜が牛と水牛なのと同じ。
東アフリカのサバンナは多湿ではない。温度も西アジアに比べて高くない。 現在ではヤギやヒツジも飼ってるし。 東アフリカ、南部アフリカの草原は、遊牧民が暮らすには格好の環境だと思うが? なぜ東アフリカや南部アフリカには、ユーラシアのように馬を使って畜群を高度に管理する 遊牧民が育たなかったのか?
シマウマって乗れるの? キリンは無理かな。
915 :
世界@名無史さん :05/03/07 09:23:50 0
>>913 スーダンのアラブ系はラクダに乗ってなかったっけ?
916 :
世界@名無史さん :05/03/07 17:27:45 0
日本人は「新しい物好き」「外部のものを取り入れるのが大好き」だけど、 アフリカ人は日本人とは対照的だな。
917 :
世界@名無史さん :05/03/07 17:45:26 0
日本人が外部のものを取り入れてきたのは内部のものにろくなものが無かったから。 別に好きなわけじゃない。
「日本」と「アフリカ」を比較するのは、「ヨルバ」と「アジア」を比較するよーな
もんです。無理あり杉。
ニジェール川流域やスワヒリ海岸の人々は、それなりに北方のイスラーム文化を
受け入れて自分達の技術水準を上げていっている。ヨルバの冶金技術も、おそ
らくメロエなどから伝来したものだろう。外来技術や文化を一切排除している
ような部族・民族はないよ。
>>913 実際に馬の飼育が盛んだったのは、むしろ広義のスーダン地帯なんだよねえ。
ボルヌ王国やソンガイ王国には騎兵隊があった。
ただ馬の遊牧という生活スタイルは、成立しなかったが。
919 :
世界@名無史さん :05/03/07 19:28:47 0
920 :
世界@名無史さん :05/03/08 21:30:05 0
ボルヌ帝国の王アブー・アムル・ウスマーンは、マムルーク朝のスルタン、 ザーヒル・バルクークに、 アラブ人(ジュザーム族)による奴隷狩りをやめさせ、奴隷がムスリムだと わかった場合は自由にするよう要請する手紙を書いている。
921 :
世界@名無史さん :05/03/09 19:56:32 0
>>914 シマウマは家畜化の条件を満たせないらしい。
キリンは乗れても血圧が高すぎて馬の様な使い方は無理。
922 :
世界@名無史さん :05/03/12 00:14:07 0
923 :
世界@名無史さん :05/03/18 00:56:11 0
バナナの他に新大陸からもたらされたキャッサバも、アフリカ社会に大きな 影響を与えているね。 キャッサバは水がなくても他の根菜作物や穀物より良く成長することができる。
924 :
世界@名無史さん :05/03/18 02:47:18 0
シマウマは背骨がやわいので乗れません 背骨の頑丈さは ロバ>ウマ>シマウマ
925 :
世界@名無史さん :05/03/21 00:17:51 0
かつてはシュメールにもロバ騎兵隊があったっけね。 ロバは東アフリカ原産だが、ご当地では荷役だけの用途だったのかな?
926 :
アフリカ遠足人 :05/03/21 01:06:46 0
>>925 さん
いや、東アフリカでのロバは荷役用だけじゃないですよ。
エチオピアでは現在でも性欲処理に…(ry
927 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 19:12:54 0
ウォロフ人がたてたジョロフ王国についておせーて。 セネガルあたりにあったらしいけど。
928 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 22:01:28 0
「チェド」という映画名で検索するよろし。 この映画の舞台がジョロフ王国。 国民をイスラム教に改宗させようとする王さんと それに対して反乱を起こす群衆(これがチェド)との闘争がテーマ。
929 :
世界@名無史さん :2005/03/27(日) 22:36:23 0
植民地化される前のアフリカにも市民社会(に似たもの)が あったってホント?
930 :
世界@名無史さん :2005/03/28(月) 00:24:52 0
931 :
世界@名無史さん :2005/04/18(月) 00:52:33 0
age
駱駝って使い勝手いいのか?砂漠以外では普及しないけど。
933 :
世界@名無史さん :2005/05/03(火) 13:18:45 0
ボビー・オロゴン(ナイジェリア出身)、なんとヨルバ族なんだね。
首都アブジャの市街地中心部の設計は丹下健三。
935 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 20:04:36 0
旧首都・ラゴス
936 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 10:09:27 0
あと少しで1000だ! 逝く所までいこう
ある歴史ゲームに、バントゥー族のナンディ女王とオムガペ王 というキャラが登場したんですが、実在の人物ですか?
938 :
狭霧 ◆RURUUhzYPk :2005/06/13(月) 00:39:42 0
>>937 ナンディ女王はズールーのシャカ王の母親です。
939 :
世界@名無史さん :2005/06/13(月) 00:52:17 0
確かにズールーはバントゥーの1部だが。ナンディは子供のシャカともども 離縁されましたんで、女王であったことはないです。 あっ、シャカが大王だったときも存命だったか。でも、女王とはよべないな。
マンサ・ムサってペルシャのシャーハンシャーを意識した称号だったのかな?
.
942 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 12:03:45 0
age
943 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 14:53:07 0
《新刊情報》 アフリカ「発見」 日本におけるアフリカ像の変遷 藤田みどり著 岩波書店 ISBN4-00-026853-8 C0322 信長の黒人従者彌介から明治の地理教科書,戦前のエチオピア・ブームや ターザン映画まで,日本人のアフリカ・イメージはどのように作られて きたのか.翻訳やメディア,社会現象が照らし出す日本人のアフリカ認識は, 近代日本がその第一歩から抱えた自己認識のありかを鮮やかに炙り出す. 豊富な史料が語る「空白」から「暗黒」への道のり.
944 :
世界@名無史さん :2005/09/01(木) 20:09:53 0
age
さげ
946 :
世界@名無史さん :2005/09/14(水) 23:59:55 0
無知極まりないな。例えば南アフリカでは白人の方が先に進出していた。 ニグロ(イド)をイギリス人とユダヤ人が大量に連れて来たんだよ。 南アフリカにいたのはブッシュマンとかニグロとは違う人種で、極めて 数は少ない。
947 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 00:01:20 0
あとな、高度な文明があったといっても文字がなかったのは 大きい。 文字がなかったから文明がなかったと言っても言いすぎではない。
948 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 00:12:21 0
949 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 00:13:17 0
ズールーって、ブロードウェイ版ライオンキングのセリフ&歌の言葉だね。 シャカ族とかそっち系なん?びっくり。 べっしも。
951 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 10:29:34 0
952 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 23:46:56 0
>>946 はどこへのレス?
コサやズールーの祖先は遅くとも16世紀頃には
現在の南ア地域に到達していたと読んだが。
もちろんそれでも西半分はカポイドの世界。
953 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 22:13:14 0
AGE
954 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 23:23:51 0
アレキサンダーやナポレオンのような 強烈なカリスマと軍事的天才・各分野の有能は部下 を率いてアフリカを統一するような英雄が現れる 可能性は・・・・ アメリカを含めた欧米の干渉軍を撃破して(妄想・・妄想・・) 10年で統一
アメリカがソマリアで失敗したときがチャンスだったかもね 軍事的才能と外交力に優れた天才が・・・って無理ですから
フランスあたりに全土を征服してもらう形で統一するほうが よほど現実的&マシな統治が望めそうというのが悲しいところだ罠。
<非地中海世界のヨーロッパ(一部)の場合> 古代 征服と統治(される側) 中世 混乱と殺戮 近代 征服と統治(する側) <アフリカの場合> 古代 征服と統治(される側) 中世 混乱と殺戮 ←今ここ 近代 ???
958 :
世界@名無史さん :2005/11/08(火) 18:00:34 0
エジプトなどのホワイトアフリカに関していえば、誰も未開の土人の住処とは考えていないと思うが
オナニーしてたら教科書にぶっかかった
960 :
世界@名無史さん :2005/12/20(火) 20:27:35 0
アフリカあふりかアフリカあふりか
961 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 13:55:59 0
話題がないっすね。 ここまであまり出てなかったと思いますが、日本アフリカ学会ってどうなんでしょ? 各民族の歴史研究なども上がっているようですが。 白人以前のような歴史は考古学以外には少ないですかね。
962 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 02:07:58 0
963 :
世界@名無史さん :2006/01/07(土) 13:52:55 0
ブラックアフリカでコブウシが飼われるようになったのは比較的最近? コブウシは南アジア起源と聞いたが、するとインド洋交易でもたらされたものか。 しかしサハラの壁画に「牛の時代」としてさらに古い有史前からいたようだし、はてさて?
964 :
行殺 ◆KINOKO.5cU :2006/01/15(日) 22:51:50 0
>>1 お答えしよう。
ガーナ帝国やマリ帝国のような人権も平和もクソもない前近代的封建国家しかなくて、イスラムのような好戦的な連中としか付き合ってなかったから、
植民地にされたんだよ。
奴隷制っていうのはアフリカとイスラムでさかんに行われていて、アメリカ大陸はアフリカから奴隷を「買った」だけ、。
それなのに「白人が黒人を捕まえて奴隷にした」なんてデタラメがまかりとおっている
日本軍の「従軍慰安婦」と全く同じ構図だね
965 :
世界@名無史さん :2006/01/15(日) 23:05:49 0
黒人とセックスしたら誰もその味を忘れられず 征服したくなるからだよ。
>>964 最初はアラブ人から買っていたんじゃなかったっけ?
最初から自分で狩ってたの?
967 :
行殺 ◆KINOKO.5cU :2006/01/16(月) 23:22:36 0
>>966 最初から最期までアラブ人やイスラムに改宗した黒人酋長から買ってました
白人は奴隷狩りなんて野蛮なことはいっさいしていない
>>967 どちらの史料を参考にされましたか?
よろしければ手元の史料をご紹介下さい。
>>964 秀吉が激怒した日本人奴隷は誰から買ったんだ?
970 :
世界@名無史さん :2006/01/17(火) 16:40:03 0
あの世界で大ヒットしたドラマ「ルーツ」で、 主人公のクンタ・キンテが白人に奴隷狩りされる場面があるけど、 実際は白人はアフリカ内部では直接奴隷狩りしてなかったわけだよね。 あのドラマもアメリカ白人の自虐史観から生まれたものだろう。
971 :
世界@名無史さん :2006/01/18(水) 23:45:20 0
自国民を奴隷として叩き売るのはヨーロッパ白人だって盛んにやってたんだが。 販売相手は主にイスラム諸国。ヴェネツィア商人儲かってしょうがなかったですよ。 往事はヨーロッパの輸出品目の1位が木材、2位が奴隷という時代もあったんだが。 自らの過去を忘れてアフリカ叩きですか? あ、日本人も奴隷を売っていたな。そういえば
972 :
世界@名無史さん :2006/01/19(木) 13:51:56 0
973 :
世界@名無史さん :2006/01/21(土) 02:50:10 0
35 名前:行殺 ◆KINOKO.5cU [] 投稿日:2006/01/20(金) 22:08:18 じゃっぷるしねぷる しねぷるめっぷる ほっぷるそっぷる ぷりぷれぷるぬる じゃっぷれしねぱれ しにぽろもぱれ うにりくぬねりく じゃっぴりしにぴり じゃっぷるしねぷる じょっぷるしのぽろ にゃっくゆうでぷつ なっぷるもろくる じゃっぷりしねぴゃり にゃっぴゅりゅちにゅぴゅる にっぽろくのかろ まっぷるもむれぬ まっむむみめむむ っぱっぽれもれもれ なっくつうぢつる かっくくこりきろ
974 :
世界@名無史さん :2006/01/21(土) 13:45:58 0
>>917 いつの時代のことを言ってるのかわからんが
戦国以降の事なら、日本人の本来持ってる好奇心だよ。
976 :
世界@名無史さん :2006/01/22(日) 11:44:02 0
どうして黒人ってあんなにセックス強いの?
あげ
978 :
世界@名無史さん :2006/02/05(日) 00:47:35 0
ちんちんが大きくてなおかつセックスに強かったために、 そのことだけで女たちに認められて子孫を残せた男たちの子孫がアフリカに残ってそのまま黒人になった。 ちんちんが大きくなかったりちんちんのパワーが無くて セックス以外に何か強みが無ければ種付けさせてもらえなかった男たちの子孫が ちんちん至上主義の女たちに嫌気がさしてアフリカから出て行って白人や黄人になった。
980ですが次スレどうしましょう? >974 戦国時代に日本人奴隷が輸出されていた。 それを知った秀吉が激怒したり、 (主に切支丹が売っていたのでキリスト教規制の一因とも言われる) 遣欧少年使節団が世界各地で目撃してショックを受けたり、 ブラジルで俺は奴隷じゃねぇぞゴルァ!と裁判した日本人の記録が残ってたりする。
981 :
世界@名無史さん :
2006/03/07(火) 14:07:31 0 ああげげ