双頭の鷲・ハプスブルク家の人々

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1カウニッツ
前スレ「ハプスブルクの中で好きな皇族は?」の後継スレッドです。
宜しくお願いします!
2世界@名無史さん:02/07/03 22:07

             ....-―――――- ....... _   ,..-―-... _ /
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3世界@名無史さん:02/07/03 22:08
ハプスブルクスレッド、こんななにいりません。
すでにあるのを有効利用してください。
4世界@名無史さん:02/07/03 22:12
汝ケコーンせよ。
5カウニッツ:02/07/03 22:13
>>2さん、ありがとうございます。。。
6世界@名無史さん:02/07/03 22:18
それでは前スレの続きをば。
フェリペ4世だけでなくカール5世にも庶子がいたはず・・・ですよね。
もしかしてフェリペ2世にもいるのかな?
7カウニッツ:02/07/03 22:45
カール5世の庶子って言えば、
有名なのは1571年のレパントの海戦時の西欧軍の総帥だった、
ドン・ファン・ダウストリアですよね。
フェリペ2世には庶子はいなかったと思うのですが。イメージ的にね。
詳しい方、情報希望です。
ところでカール5世には、ドン・ファン・ダウストリアしか庶子は
いなかったのでしょうか?
8カウニッツ:02/07/03 22:55
カール5世の庶子の件ですが、
パルマのマルガリータと言う、オクタヴィアヌス・ファルネーゼに嫁いだ人物が
家系図に載っていました。
9世界@名無史さん:02/07/03 23:24
双頭の鷲はシャム双生児ですか?
10世界@名無史さん:02/07/03 23:26


      なん          でや           ねん♪

     /;;;;;;/;;/ ヽ;;;\    /;;;;;/;;/ ヽ;;;\     /;;;;;/;;/ ヽ;;;\
     |;;;/V レ  レヽ;;|    |;;;/V レ  レヽ;;|     |;;;/V レ  レヽ;;|
     |;;;| (|。|  |。|)|;|    |;;;| (|。|  |。|)|;|     |;;;| (|。|  |。|)|;|
     |;;;|         |;;|.   |;;;|         |;;|.    |;;;|         |;;|
     |;;;\  ▽  ノ;;;|.    |;;;\  ▽  ノ;;;|.     |;;;\  ▽  ノ;;;|
     |/ノ个ー イ\;;;l.    |/ノ个ー イ\;;;|.     |/ノ个ー イ\;;;|
   ⊂| ̄   ⊂| ̄  );ノ    (__|つ/ _|つ ⊂| ̄_  \_/  _ ̄|つ
     ̄ ̄|    ̄ |         |     |         ̄| /⌒\ | ̄
       /    |         |     ヽ        / 个个ヽ
       ノへへへ 」       丿へへへ)       / ノ/ /ヘノ
      ヽ ヽ ヽ         / / /        彡(_)/
      (__(__)        (__)_)          (_)
11世界@名無史さん:02/07/04 20:54
フェリペ4世はスペイン全土で山のように私生児をつくったとか。
12世界@名無史さん:02/07/04 20:57
>>1
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/967966834/l50
前スレのURLをはっとくのはマナーですぜ。
13カウニッツ宰相、祝電の山です!:02/07/04 21:56
何でハプスブルグごとき成り上がり者がこんなにスレ立てとるんじゃゴルァ!!
神聖ローマ皇帝冠にふさわしいのはわしじゃー!!!
ボヘミア国王オトカル2世より

早速祝賀の使いを差し向けたが門を閉ざすとは何事か!
寒さに凍える我が民を見て何とも思わぬか!!
オスマン・トルコ皇帝スレイマン壮麗帝より

新スレおめでとうございます。
ところでお祝いにきたのに誰もいないとはどういうことですか?
早く帝冠を下さい。どうもこのところからだの調子が・・・。
ハンガリー王マーチャーシュより

大変めでたいことじゃ。
まあヨーロッパ最強の陸軍を擁する我が国と同盟を結んだのだ、
大船に載ったつもりでおるがよい!
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世
14カウニッツ:02/07/05 00:11
>>12さん、マナーを教えてくれてありがとう。
>>13さん、面白いのでまた来て下さい。
15世界@名無史さん:02/07/05 22:36
オーストリアの国旗、
公式のものには双頭の鷲がついてるそうですが、
どうしてハプスブルク家の紋章が今も使われているんですか? 
新スレおめでとうございまする
16世界@名無史さん:02/07/06 01:21
ハプスブルク家の紋章ってハンガリーを完全に手に入れる前から
双頭の鷲だったんですか?
17世界@名無史さん:02/07/07 21:50
age!
18世界@名無史さん:02/07/07 22:00
>16
ちがいます。
19世界@名無史さん:02/07/07 22:14
じゃあやっぱり18世紀以降に双頭の鷲になったんですか?
それとは別に、皇帝の紋章は双頭の鷲でしたよね。
双頭の鷲なのは
17世紀まで〜皇帝の紋章のみ
18世紀以降〜両方
と考えればいいんでしょうか?
20世界@名無史さん:02/07/07 22:14
あげておこう
21世界@名無史さん:02/07/07 22:53
そもそもヨーロッパの人間にとっての「双頭の鷲」というものにはどんな価値があったの?
言うまでもなく、もともと西ローマのアレが元なんだろうけど、
それがどういう経緯を経て中世の欧州の王侯にとって至上価値を持つに至ったのか?
「双頭の鷲」の没落と復権等々を相当知りたいね、ワシは
22PT:02/07/07 23:01
ロシアとビザンツも双頭の鷲が紋章だっけ?
23世界@名無史さん:02/07/07 23:02
アルバニア共和国も国旗が双頭の鷲
王制のときはワシが冠をかぶっていたらしい
24PT:02/07/07 23:04
ゾクー国王は一代の成り上がりだから適当に作った意匠かな?
>23
25世界@名無史さん:02/07/07 23:25
皇帝ってどんな感じだったんでしょうね?
フランツヨーゼフは普通にウィーンを歩いてたなんて読んだけど、
リング通りを歩いていてこんにちは閣下、とか話しかけてもよかったんかなあ

日本では天皇はめったに民衆の前に現れないし、どこかの施設に訪問しました
というニュースをテレビで見るくらいだけど、その映像だって見えないところには
宮内庁の人がいて会わせられる人を選別しているんじゃないかな
26( ´∀`):02/07/07 23:59
ハプスブルグの血統ってもう完全に途絶えたんですか?
27世界@名無史さん:02/07/08 00:40
別スレでガイシュツ
28世界@名無史さん:02/07/08 01:46
もともとローマ帝国の紋章が双頭の鷲で、
東西に分裂した際にそれぞれがその紋章を引き継いだ。
でもって神聖ローマ帝国の紋章としても使われるようになり、
皇帝の地位を独占していたハプスブルク家が紋章も独占した。

ちなみにロシアが双頭の鷲を使っているのは、
ビザンツ帝国の後継者としての自負から。
ロシアの皇帝が最後のビザンツ皇帝の親戚を妻にして、
紋章も引き継いだ。

皇帝を指す「カイザー」と「ツァーリ」は同語源で、
ラテン語の「カエサル」から来ている。
29世界@名無史さん:02/07/09 00:55
スペインのハプスブルク家についてもここで語っていいですか、カウニッツさん?
30カウニッツ:02/07/09 23:10
>>29さん、大歓迎です!
31カウニッツ:02/07/10 18:39
とりあえずageとく。
32世界@名無史さん:02/07/11 00:27
なーんかフェリペ3世って存在感薄いよーな。
この人の治世のスペインが大して戦争してなかったからかな
33カウニッツ:02/07/11 18:35
>>32さん、
確か、オランダ独立戦争の休戦期って1609〜1621でしたよね。
フェリペ3世の治世の丸々後半に当たりますしね。
34カウニッツ:02/07/11 18:49
ある高校生向きの用語集に、
「ハプスブルク家 J オーストリアの王家。1273〜1308、1438〜1806の間、
神聖ローマ帝国皇帝。15Cのハプスブルク朝は自領経営第一主義で、
ドイツ地方の分裂と諸侯の自立は放任された。」
とありました。
でも、1273〜1308と1438〜1453までは皇帝でなくローマ王ですし、
マクシミリアン1世は帝国内をまとめようと一生懸命だった時期もあり、
逆に諸侯の側に責任があると思うのですが……。
35世界@名無史さん:02/07/12 01:27
>>34
その種の用語集は世界史の知識が高校、よくてNHK教育番組レベルなので無視した方がいいかと。
36世界@名無史さん:02/07/12 04:18
日本の世界史の教科書ってプロテスタント寄りなところがあるのかな?
37世界@名無史さん:02/07/12 09:24
過去ログにあったかどうか分かりませんが、
マリア・テレジアの妹ってどういう人たちだったんでしょう?
三人姉妹だったはずですが。
結婚したとしたらお相手は誰でしょう?
38世界@名無史さん:02/07/12 10:46
すぐ下(だとおもう)のマリア・アンナは
フランツ・シュテファンの弟カール(オーストリア軍人)と結婚したが
お産で亡くなったそうな。
39カウニッツ:02/07/13 01:03
>>38
その時、ヴァン・スヴィーテンを紹介したのが私です(てへ)。。。
40カウニッツ:02/07/13 21:52
agemasu.
41カウニッツ:02/07/13 21:56
ageたついでに。マックス殿下は>>38>>39の辺りの経緯は御存知ですよね?
42世界@名無史さん:02/07/13 22:49
>38

二重結婚ですね。
確か、カール6世崩御後の相続順位は
マリア・テレジア
マリア・テレジアの男子
マリア・アンナの男子
マリア・テレジアの女子
マリア・アンナの女子
ヨーゼフ1世の子孫
でしたよね?

あとカール6世崩御前に
マリア・テレジアに男子があった場合は
孫息子が継承者になる予定だったとか…

複雑すぎる継承法で
ちょっと信じがたいんだけど
あくまでもカール6世の女系男子を
ハプスブルク家の後継者の最優位に
したかったようです。

結果論としては大成功だったんだけど
もしマリア・テレジアに女子しかいなくて
マリア・アンアに男子がいてとか
もし二人とも男子がいなかった場合って
どうなるのかな〜と想像してみると面白い(^^)。
(継承法の原則に反するけど
カール6世女系男子の不在を根拠に
ザクセン選帝侯家が継承権を主張したりして
〜ヨーゼフ1世女系男子の長子系ですしね。)
43世界@名無史さん:02/07/15 11:52
マリア・アンナの子供もたしかすぐ死んじゃったんだよね。
ねーさんとことはえらい違いだ・・
44世界@名無史さん:02/07/15 13:19
その子供が長生してたら、マリア・テレジアのところのヨーゼフかレオポルトと
結婚させてそう。あれ男の子だったっけ?
45世界@名無史さん:02/07/15 17:57
>44
そうなると二重いとこ同士で子孫がえらいことになりますなぁ。ゾゾゾ
46世界@名無史さん:02/07/15 19:12
>45

恐ろしいことに、フランツ2世とマリア・テレジア皇后が
まさしく「二重いとこ」でした。
(ハプルブルク・ロートリンゲン家とスペイン系ブルボン家の二重結婚による二重いとこ。)
娘は大丈夫でしたが、息子は傀儡皇帝と、帝位辞退者…
47世界@名無史さん:02/07/15 19:26
娘にも廃人がいたよ。マリア・アンナ皇女は一生
隔離されていたそうな。
48世界@名無史さん:02/07/15 21:55
系図を見ると、だれとも結婚せずに生涯を終えてる娘が何人かいますな。
男から男へ渡り歩いたマリー・ルイーズや
ブラジル国民に慕われたレオポルディーネのような人もいるのにね。(まあ長生きはしてないけど)
息子2人は反対にダラ〜ボヤ〜なわりに長生き。
4948:02/07/15 22:02
つーか写真も残ってる、いかにも虚弱そうなフランツ・カールと
なにやらものものしい肖像画のなかのマリー・ルイーズやレオポルディーネとが
きょうだいってのが信じられない。
5046:02/07/16 11:55
>47、48

ご指摘ありがとうございます。
やはり娘にも被害があったのですね。

どうもマリー・ルイーズとレオポルディーネの印象が強くて
娘達は大丈夫と思ってしまったんです。
(この2人って、48さんが書かれているように
弟達と兄弟とは思えません。)
51世界@名無史さん:02/07/17 16:37
ルドルフ皇太子って父ちゃん母ちゃんどっちに似てる?シシィに似てなくもないけど
フランツ・ヨーゼフっぽさもあるような。つーかタレ眉毛がなさけない感じを醸し出してる。
52世界@名無史さん:02/07/20 01:04
age!
53世界@名無史さん:02/07/20 20:46
>>42

それと微妙に絡むんですが、
プラグマティシェ・ザンクティオン発布後、マリア・テレジア結婚前
(1732〜36)にカール六世が死んでいた場合、神聖ローマ帝国皇帝の位は
誰が相続することになったんでしょうか。
純粋な法律論の問題として、どなたかよろしくお願いします。
後、マリア・テレジアの婚約はいつでしたっけ。
54世界@名無史さん:02/07/20 23:52
プラグマティシェ・ザンクティオン発布後、マリア・テレジア結婚前
(1732〜36)にカール六世が死んでいた場合、神聖ローマ帝国皇帝の位は
誰が相続することになったんでしょうか。
純粋な法律論の問題として、どなたかよろしくお願いします。
後、マリア・テレジアの婚約はいつでしたっけ。
55世界@名無史さん:02/07/21 11:27
>53

神聖ローマ帝国皇帝は世襲でなく選帝侯による選出で決定しますので
皇帝の後継者であるローマ王が不在の場合は
帝位は空位となり、選帝侯による選出により新皇帝が決定します。
実際にカール6世死後、ローマ王が不在のため
帝位は空位となりバイエルン選帝侯がカール7世として即位
カール7世の死後、フランツ1世が即位することになります。
(どちらもハプスブルク家の娘婿です)
56世界@名無史さん:02/07/23 21:39
あげ
57カウニッツ:02/07/24 17:01
ドイツでは長女に祖母の名前、長男に祖父の名前を付けるのが慣例って聞きましたが、
ヨーゼフ2世っていったい……。でも、マリア・テレジア以降、彼女の名前を付ける
皇族が増えましたよね。流石は偉大な国母陛下。
58世界@名無史さん:02/07/24 17:07
1のカウニッツ氏はハプスブルク以外に興味をひかれる分野はないのか?
59カウニッツ:02/07/24 17:21
西洋史なら全般的に興味津々ですね。あまり書き込みませんが、
東洋史も興味はありますね。まあ、日本史・世界史は全般的に好きですよ。
60さま〜ず:02/07/26 01:15
あげ@best.tbs.co.jp
61世界@名無史さん:02/07/26 02:32
カウニッツさんはどんな本読んでハプスブルク関係の知識を得てるの?
やっぱりドイツ語の本も読んでるの?
62カウニッツ:02/07/26 04:23
残念ながらドイツ語はそれほど出来ないので、ドイツ語で書かれた歴史書は読んでません。
見ても地名や家名ぐらいしかわからないです。
63世界@名無史さん:02/07/26 04:40
じゃあ読むのは日本語の本のみなんでしょうか?
それとも英語の本も?
64カウニッツ:02/07/26 23:47
私は研究者でもなければ史学科の学生でもないので日本語の本が、う〜ん…99%ですね。
残りの1%は訳された本の表記に疑問があれば、原書のその部分を参照する程度と言うことです。
個人的にはただの歴史好きですのでそれで良いと思うのですが。
あと、sageで書くのはやめましょうよ。気楽に行きましょ。
65カウニッツ:02/07/27 17:36
知りたいのですが、カール大帝陛下やマックス殿下はどうやってその博識を
みがいたのですか?なんか質問が>>61さんや>>63さんみたいですが……。
6661=63:02/07/27 18:51
>>64
あ、お気を悪くされのでしたらすいません。
色々お詳しいからもしかしたら日本語以外の本も読まれてるのかな〜と思いまして。
67カウニッツ:02/07/27 23:12
>>66さん
悪く思ったなんてとんでもないです。また来て下さいね。
68世界@名無史さん:02/07/28 10:20
朝age
69ハウクヴィッツ:02/07/28 23:03
他スレでも触れた覚えがありますが、ハプスブルク家とロマノフ家の縁組が一回あったようです。
パーヴェル1世の長女アレクサンドラ大公女と、レオポルト2世の七男ヨーゼフ・アントン大公(後のハンガリー総督)です。
不幸にしてアレクサンドラ大公妃は産褥で亡くなったとのことです。
この縁組はどういう事情で成立したのでしょう?
70カウニッツ:02/07/31 12:42
対仏関係の強化じゃないですかね?
71世界@名無史さん:02/08/01 02:15
>対仏関係の強化じゃないですかね?

対仏同盟じゃ?
72世界@名無史さん:02/08/03 12:23
(=゚ω゚)ノあげるぃょぅ
73カウニッツ:02/08/03 17:45
そうですね、フランスに対抗する同盟の意味です。
パーヴェル1世はアレクサンドル1世の父で後に暗殺されます。
74世界@名無史さん:02/08/03 22:39
フランス・ハプスブルク間の友好ってことでふと思ったんですが、
ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの婚姻はどういうなりゆきで行われたんですか?
初期は皇帝側で参戦したこともあるぐらいだから、リシュリュー台頭以前は
フランスって結構親ハプスブルクだったんでしょうか。
75マリア・テレジア:02/08/03 23:06

私は私の最期の日に至るまで、公正な事柄を必ず守護する、

誰よりも慈悲深い女性であり、母でありたい
76スレイマン大帝:02/08/03 23:12
ウィーンを包囲することに決めました。かならずとどめをさします。
77プリンツ・オイゲン:02/08/04 01:55
ハンガリーを奪回することに決めました。かならずイェニチェリを打ち破ります。
78世界@名無史さん:02/08/04 10:12
ここはネタスレじゃないよ(´・ω・`)
79カウニッツ:02/08/04 18:40
(´・ω・`)←ショボーン、可愛い!
80世界@名無史さん:02/08/04 21:57
1848年のフランクフルト国民会議でオーストリアの外交官として活躍した
シュヴァルツェンベルクについて、誰か詳しい話知りませんか?
家系とか詳しい死因とか。
手元のには52年に死んだとしか載ってないので。
81カウニッツ:02/08/04 22:42
超名門です、シュヴァルツェンベルク家。参考にならないかもしれませんが、
手元の資料を見てみます。今でもオーストリアでホテル経営などしてますよ。
82世界@名無史さん:02/08/06 22:20
ヴィンディッシュグレーツ家についても教えて欲しいニョ。
83カウニッツ:02/08/07 02:53
ヴィンディシュグレーツ侯はハプスブルク帝国内の3月革命を鎮圧(ハンガリーはロシア軍と共同)
したことで有名ですし、これまた超名門です。3月革命でプラハとウィーンを鎮圧しました。
84世界@名無史さん:02/08/10 00:55
(=゚ω゚)ノあげるょぅ
85世界@名無史さん:02/08/13 20:37
良スレ保全アゲ。。。
やあどうも。
なんか私まで双頭の鷲使わせて貰っちゃって、なんか悪いねぇ。
87世界@名無史さん:02/08/14 23:22
カール5世の后イサベラはポルトガル王ジュアン3世の妹。
ジュアン3世はイサベラに90万クラウンという莫大な婚資をもたせた。
88世界@名無史さん:02/08/15 10:49
      ,,            ,.. -───--:、
      l゙,ヽ         /::::::::::::::::::::::::::::::::丶
      `、`\      ,〃::::::;ィ:/!:::::/l:::::;:;::::::::ヽ
       \. \     ' i´|::;イ,:rj:、|:::/'rj'く:、!::::::::::i
          \ \     レ'/l.{:::ノ '゙ {:::::ノ i:;l:::_::::|
          \ `'-、_ i'  、__,__,    レ' il:::|
           \  | lト、ヽ,        ,...ノ:::l   あげ!!
               \:| ||、``lヽ、     /:::::::::::::'、
              iノ」,! ', ノ Li゙)_  iヽ;:::::::ヽ,'--'=‐'
                ヽl   il,L,.>',"_,..>:;::::::':、_
                     /   ,)、ヾ,,' y'´,.-='、ー-‐"
                /    ||\ ``''‐'゙-<"ヽ,
                   i       |.| `''-、.,_     !
                l,..................l i_.  l. `''''''''"
               ヽ;7''i'''''i''''─--ニ; 、!
                / /  |  |  lヽ‐'
                 / /  |  |  ! \
89世界@名無史さん:02/08/15 16:07
顔が茄子みたいだよな>スペインハプスブルグ

あれは狂女王か美男王かどっちの血だ?
90世界@名無史さん:02/08/15 16:52
美男王はそれ程でも無かったが明らかに美男王側の血!
91コギャルとHな出会い:02/08/15 16:54
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93世界@名無史さん:02/08/15 23:08
二重帝国って英語でなんていうの?
94世界@名無史さん:02/08/15 23:36
double empire
95世界@名無史さん:02/08/15 23:38
別スレでは
>"Dual Empire" か "Dual Monarchy"
って言われたんだけど、
どっちだろか?
96世界@名無史さん:02/08/15 23:57
>93,95
いずれにしても俗称だから、正解というのはないと思うけど、
どちらかといえば Empire というのは違和感があるなあ。敢えて
“君主国”と訳してる本もあるから、Dual Monarchy というほうが
しっくりくる気がします。
97世界@名無史さん:02/08/16 00:01
じゃあ、

オーストリア=ハンガリー帝国

ってフルで言うとなんていうんだろ?
98世界@名無史さん:02/08/16 00:24
簡単だよ。オーストリア・ハンガリー二重帝国だよ。
99世界@名無史さん:02/08/16 00:39
>>96
正式名称はどんななの?
10096:02/08/16 23:08
>99

手元の本には、
Osterreichish-Ungarische-Monarchie,
オーストリア=ハンガリー君主国、とあります。二重帝国、の呼び方に
ついては、おそらくDualismus、でいいんじゃないかと思いますが、これは
自分には確証がありません。ただ、当時一般的には、帝国および王国、という
意味でカー・ウント・カー(K.und.K)と呼ばれることが多かったようですね。
101カウニッツ:02/08/20 20:44
マリア・テレジアは肉料理が好きだったそうです。
102世界@名無史さん:02/08/21 02:44
俺も好きだよ
103世界@名無史さん:02/08/21 19:34
>>74
>初期は皇帝側で参戦したこともあるぐらいだから、リシュリュー台頭以前は
>フランスって結構親ハプスブルクだったんでしょうか。

皇帝側で参戦したなんてトンデモ本の読み過ぎ!
リシュリュー台頭以前も反ハプスブルクだったと思ふ。
104世界@名無史さん:02/08/22 05:38
(祖父)神聖ローマ帝国皇帝
(伯父)神聖ローマ帝国皇帝
(父)神聖ローマ帝国皇帝
(夫)神聖ローマ帝国皇帝
(息子)神聖ローマ帝国皇帝
(孫)神聖ローマ帝国皇帝
105女帝マリア・テレジア:02/08/22 05:46
(祖父)神聖ローマ帝国皇帝 レオポルド1世
(伯父)神聖ローマ帝国皇帝 ヨゼフ1世
(父)神聖ローマ帝国皇帝  カール6世
(夫)神聖ローマ帝国皇帝  フランツ1世
(女帝)
(息子)神聖ローマ帝国皇帝 ヨゼフ2世、レオポルド2世
(孫)神聖ローマ帝国皇帝  フランツ2世
106世界@名無史さん:02/08/22 13:21
スゲー
107世界@名無史さん:02/08/23 02:21
Age.
108世界@名無史さん:02/08/23 16:02
ほとんど皇帝じゃん
109世界@名無史さん:02/08/25 23:42
マリア・テレジアはブルボン好き。。。
110世界@名無史さん:02/08/27 20:55
だから娘をフランスに嫁がせたの?
111世界@名無史さん:02/08/27 23:52
  ,,            ,.. -───--:、
      l゙,ヽ         /::::::::::::::::::::::::::::::::丶
      `、`\      ,〃::::::;ィ:/!:::::/l:::::;:;::::::::ヽ
       \. \     ' i´|::;イ,:rj:、|:::/'rj'く:、!::::::::::i
          \ \     レ'/l.{:::ノ '゙ {:::::ノ i:;l:::_::::|
          \ `'-、_ i'  、__,__,    レ' il:::|
           \  | lト、ヽ,        ,...ノ:::l   あげ!!
               \:| ||、``lヽ、     /:::::::::::::'、
              iノ」,! ', ノ Li゙)_  iヽ;:::::::ヽ,'--'=‐'
                ヽl   il,L,.>',"_,..>:;::::::':、_
                     /   ,)、ヾ,,' y'´,.-='、ー-‐"
                /    ||\ ``''‐'゙-<"ヽ,
                   i       |.| `''-、.,_     !
                l,..................l i_.  l. `''''''''"
               ヽ;7''i'''''i''''─--ニ; 、!
                / /  |  |  lヽ‐'
                 / /  |  |  ! \
112世界@名無史さん:02/09/02 15:14
このあいだNHKのその時歴史は動いたでナポレオン・ボナパルトをやってたYO!
113カウニッツ:02/09/02 17:32
お久しぶりです、皆さん。

神聖同盟について。。。
神聖同盟は、高尚な信条のもつ魔法の力を信じる人たちからは熱烈に喝采をうけたそうです。
いままで人類のために思いつかれたもののなかで、もっとも偉大かつ有益なものだ、
とゲーテは神聖同盟を歓迎したといわれてます。しかし、この同盟は現実的な政治家たちからは
冷やかに迎えられました。カッスルレーは「一片の途方もない神秘主義とナンセンス」と
こきおろしましたし、メッテルニヒは「声ばかり高くひびき、なかみはカラッポ」と
これまたこきおろしました。

…なぜ突然「神聖同盟」なのかと言うと、九月だからです。(笑)
114(´・ω・`)ショボーン(´・ω・`)ショボーン:02/09/03 01:19
(´・ω・`)ショボーン(´・ω・`)ショボーン
115世界@名無史さん:02/09/03 23:56
>112
ダンジャン公…(´・ω・`)

>113
神聖同盟はロシアのアレクサンドル一世の神秘主義嗜好から出て来たんですよ
ね?カウニッツ様?
116カウニッツ:02/09/04 00:06
>115さん
大体そんな所です。アレクサンドル1世に対するクリュデネル夫人の影響力も大きかったです。
117今、巷で大人気!:02/09/04 16:12
(´・ω・`)
     (´・ω・`)
          (´・ω・`)
               (´・ω・`)
                    (´・ω・`)
118世界@名無史さん:02/09/04 16:13
>115。ダンジャン公?
119世界@名無史さん:02/09/05 22:14
保全age
120115:02/09/08 15:37
>118
冤罪でナポレオンに殺されたのってダンジャン公じゃありませんでしたっけ??
王党派の筆頭だったという。。。
121世界@名無史さん:02/09/08 15:53
エリザベート展どうですか?
122世界@名無史さん:02/09/10 23:21
いいですね。
123世界@名無史さん:02/09/14 22:35
ダンギャン公爵のことですか?
124世界@名無史さん:02/09/18 18:31
しかしハプスブルグ家には愛妻家で子供が10人以上っていうパターンが多いけど、
これだったら戦争がなかったら滅びることなかったのでは?
125世界@名無史さん:02/09/18 20:05
全然滅んでないが ??
126世界@名無史さん:02/09/18 20:56
現当主は立派に欧州議員をしておるもんな
127124:02/09/19 17:58
言葉が少なかったようですね。スミマセン。
いわゆる皇帝を廃位されるまではならなかっただろうという意味で。
128世界@名無史さん:02/09/19 18:57
129115:02/09/21 00:21
>123
遅レスですいませんが、そうだと思います。どこかで「ダンジャン」と読んだ
気がするんですが、確かではないので勘違いかもしれません。
改めてちょっと調べてみたところ、「アンガン公」というのが一般的みたいです
ね。フランス語読みと英語(?)読みの違いなんでしょうか。

130世界@名無史さん:02/09/22 22:50
このスレの人達凄すぎだ罠。。。
131世界@名無史さん:02/09/26 19:53
ヨーゼフ2世の最初の妃、マリア・イザベラは大晦日生まれだ罠。
132世界@名無史さん:02/09/27 13:15
133世界@名無史さん:02/09/28 01:16
>128
>132
リンク先の説明くらい一言つけましょうよ〜。
134世界@名無史さん:02/10/05 19:49
128も132もブラクラじゃないよ!
128は熱狂的なハプスブルクファンのオーナーのサイト。
132はギャルゲーのサイトだよ〜ん。
135世界@名無史さん:02/10/05 20:25
>>128は確かにまともなサイト。
しかしこれを読んでる限り、マリア・テレジアの娘たちの夫には
余りいいのがいなかったような印象を受けるんですが・・・
実際にはどうなんでしょう。

マリア・テレジアも男を見る目がなかったというか。
136世界@名無史さん:02/10/05 21:53
マリア・テレジアは自分は恋愛結婚だけど、子供たちには
情け容赦なく政略結婚させてるからねー。まあ、それが
ハプスブルクの家訓であるんだけどさ。政略結婚である以上、
ひととなりより、血筋を重んじるんだからしかたないでしょうね。

話かわりますが、先週までウィーンにいました!憧れのマリアテレジア
の銅像と一緒に写真をとりました!もちろんカウニッツさんも!
137世界@名無史さん:02/10/05 22:32
美術館見学はどうでした
138世界@名無史さん:02/10/06 05:20
なんか肖像画でうけ口の男性が多いんですけど。
遺伝?
139カウニッツ:02/10/06 21:46
>>136さん、そうですか、ウィーンに逝かれましたか。
マリア・テレジアの銅像は美術史美術館と自然史博物館の間にありますよね。
シェーンブルンにもおそらく逝かれたと思いますが、どうでしたか?
良かったら書き込みして下さいな!
マイナーかもしれませんがカプツィーナー霊廟には歴代ハプスブルク家の人々の棺がありんす。
140136:02/10/07 23:23
美術史美術館はよかったです。ブリューゲルに感激しました!
時間の関係上、自然史博物館には行かなかったんですが、
ベルベデーレ宮殿は行きました!クリムトの「接吻」が見れて
うれしかったです。もちろん、シェーンブルンにも行きました。
が、半分ほどまわったところで、ガイドフォンの電池がきれて(泣)
部屋の由来とかわからなくなってしまって・・・ショック!!
幸い日本のツアーがいたので、ガイドさんの話を少し盗み聞きしましたが。
しかし、シェーンブルンは人が多くて目がまわりそうですね!
141世界@名無史さん:02/10/07 23:28
カプチーナ教会も行きましたよ。マリアテレジアと
フランツ・シュテファン公のひときわ豪華な棺の前
にあった、ヨーゼフ二世の質素な棺がヨーゼフ皇帝
らしいな、と妙に感激しました。しかし、皇妃エリーザベトの
人気はすごいですね!お花の数がすごかった!
142名も無き大帝:02/10/09 10:08
>>129
件の公爵名はアンギャンという土地の名前に由来する。
この当時はコンデ家の嫡子が名乗っていたようじゃ。
アンギャンに「ド(ドゥ)」をつけてダンギャンとなるわけだが
「ド(ドゥ)」をつける読み方をするのも書物によっては多い。
例えばオルレアン公(ドルレアン公)やアランソン公(ダランソン公)
アンジュー公(ダンジュー公)などじゃの。
143hohenzollern:02/10/09 21:30
オットー・フォン・ハプスブルクにあったことがある人いる?
欧州の王に最も近い人らしい。
144世界@名無史さん:02/10/09 22:13
今、東京芸大美術館でウィーン美術史美術館展が開かれてるようですね。
誰か行かれましたか?
で、それに関連して今月の芸術新潮はルドルフ2世コレクション特集です。
表紙のインパクトに引かれて買ってみたのですが、なかなか面白い!
136さんが見たブリューゲルも、多くはこの人のコレクションだったそうです。
興味ある方はどうぞ。
145115:02/10/10 01:00
>142
名も無き大帝様、ご教示ありがとうございます。なるほど、名前に
「ド」を含めるかどうかの違いなんですね。これはドイツ語での
「フォン」に当たるんでしょうか。
これをきっかけに、フランスについても勉強したいと思います。
なにしろフランス語は欧州宮廷の共通語でもありますしね(笑)

>136
ウィーン帰りとはうらやましいですね〜。お話を聞いていると、
自分もまた行きたくなります。自分は、たしか軍事史博物館か
どこかで、フランツ・フェルディナント大公が暗殺された時に乗っていた
車を見て、これが歴史の生き証人か、と感動した記憶があります。

>143
ニ、三年前に某大学で、同氏の来日記念公演会というものがあり、
足を運んだことがあります。表情や話し方は威厳があり、あまり
親しみやすいという印象はなかったように思います。。
しかし、目の前で話をしている人が、ハプスブルク家の後裔なんだと
アタマでは理解していても、実感が伴わなくて、いまいちピンと
きませんでした(笑)


長文スマソです。
146143:02/10/10 01:45
>>115 貴重な情報、感謝致します。
当方は書物(新聞記者の方のエッセイ)で読んだだけでしたが、
とにかく凄い方だという読後の印象がつよく残っていました。
欧州連邦万歳!
147世界@名無史さん:02/10/10 02:53
マリア・テレジアとマリー・アントワネットの往復書簡が岩波から出ましたね。
148世界@名無史さん:02/10/10 18:22
>>115=>>145
公演会があったのは東海大学ですよね。
149カール大帝:02/10/12 18:53
余であ〜る!朕の宮廷も一時の眠りから目を覚ましつつある。
カウニッツ卿の宮廷にも万人が訪れんことを!
150世界@名無史さん:02/10/12 19:15
オットー大公
元オーストリア=ハンガリー2重帝国皇太子。現在90歳。歳の割には
お元気であると思います。1961年に皇位継承権は放棄してしまっており、
その際は当時まだご健在であった、ツィッタ皇后の逆鱗にふれてしまった
そうです。是非ご健在のうちに、ハプスブルグ家家長として欧州統合の
象徴的な存在となってほしいものです。
151カウニッツ:02/10/12 22:02
オットー・ハプスブルク氏は90歳になられたのですか。
ツィタ皇后も長生きされましたが、オットー様も長生きですね。
あ〜もちろん今後もご健在でいて欲しいものです。
152世界@名無史さん:02/10/13 02:42
フランツ・ヨーゼフも長生きだったし、ハプスブルクはときどきとんでもない
長生きが出るのかなぁ? 全体的には短命っていう印象が強いんだけど。
153カウニッツ:02/10/13 22:40
オーストリア皇帝フェルディナント1世陛下(途中退位)もプラハで亡くなるまで、
かなり長生きでしたよね。
154115:02/10/14 16:10
>148
そうです、そうです。行かれましたか?
調べたら、開催は99年の10月でした。

オットー氏ですが、誕生日は11月20日なので、あと少しで90歳ですね。
父帝カール一世は若くして亡くなってしまいましたが…、その分も長生きして
ほしいものです。
ハプスブルク一族で100歳までいった人って、誰かいらっしゃるんでしょうか?
いなければ、オットー氏が第一号になるかもしれませんね。
155カウニッツ:02/10/15 00:27
>>154さん、
ハプスブルク家で百歳まで生きられた方は今までいなかったので、
オットー氏に頑張ってもらって第一号になってもらいましょう。
156世界@名無史さん:02/10/16 23:53
,,            ,.. -───--:、
      l゙,ヽ         /::::::::::::::::::::::::::::::::丶
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                / /  |  |  lヽ‐'
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157世界@名無史さん:02/10/17 00:22
Lothringen!
158世界@名無史さん:02/10/17 23:48
ロートリンゲン(ロレーヌ)?
159世界@名無史さん:02/10/18 00:21
オットーさんの名前
160世界@名無史さん:02/10/18 00:24
>>156
アホ毛が出てますよ
161日本@名無史さん:02/10/18 00:35
>カウニッツ伯さま
恐らくツィタ皇后の98歳という記録がハプスブルグ家,ブルボン家
で最高齢であると思われます。オットー大公に2010年まで生きていただければ
更新可能であるのではないでしょうか?それにしても父君カール1世陛下が
1922年に崩御されていらっしゃるので、仮にオーストリア帝国が残っていれば、
在位80年というという途轍もない記録になるのですね。
162世界@名無史さん:02/10/19 03:50
 明治100年とか言うくらいですから
声を大にして!お祝い申し上げたい。

 仏革命200年祭の折、仏の貴族が大集合して
もうひとつの200年祭が開かれたそうです。
163カウニッツ:02/10/20 21:36
>>162さん、それはコブレンツに集まったフランス貴族の末裔の方達ですか?
164世界@名無史さん:02/10/22 03:18
Non. 1989年7月頃、仏蘭西の貴族が所有している城でした。
東京放送の番組で、篠沢教授が革命ゆかりの地を報告していました。
VTRが行方不明で即答できませんが。
165カウニッツ:02/10/23 22:25
>>164さん、
表現が未熟でした。
革命当時にコブレンツに集まったと言う意味で、
200年祭の時にコブレンツに集まったと言う意味じゃなかったのです。
166世界@名無史さん:02/10/24 18:22
コブレンツってどこよ?
167世界@名無史さん:02/10/24 19:42
>>138
有名です>禿げしい受け口の遺伝
168カウニッツ:02/10/25 00:41
ちょっと記憶が定かではないのですが、受け口(←この字で良いの?)をハプスブルク家に
持ち込んだのは、ルドルフ1世(?)の御后のアーデルハイト(?)だって聞いた覚えが有ります。
それがスペイン・ハプスブルク家のカルロス2世、オーストリア・ハプスブルク家のレオポルト1世
まで影響を与えたのは正直凄いと思います。だって13世紀末から18世紀初頭まででしょう……。
169115:02/10/25 22:57
>166
ライン河沿いですね。ドイツ側ながら、フランスの影響が強いところでしょう。
そして誰あろう、われらが宰相メッテルニヒ侯の生まれ故郷でもありますよ。

>168
ちゃんと由来がわかっているとは凄いですね〜!ハプスブルクの下唇。
メディチ家も、マクシミリアン二世の妹が嫁いでいらい次第に受け口に
なっていきますが、他家の遺伝にも入り込むとは、したたかな生命力と
いうか、しぶといというか…(w
“汝結婚せよ”の真価というべきですね。
170世界@名無史さん:02/10/25 23:06
>>166
ライン川とモーゼル川の合流するドイツ人にとって聖なる場所です。
漏れはそこでたちしょんしてきました。
171 :02/10/25 23:11
つーか、独逸なのに、Cの文字を使っているところがすごい、
172世界@名無史さん:02/10/25 23:24
 数年前、車でモーゼル川の辺りを走りましたが景色がうつくしかったです。
ここのワインがまた最高なんですよね。
 オットー大公に Prosit!
173世界@名無史さん:02/10/26 00:46
>168
よくみるとマリーアントワネット王后陛下も受け口のような気がしますね。
一番有名な肖像画のやつ。フランツ2世以降はそのような印象を受ける人
いないですね。どうして消えてしまったんでしょう?
174世界@名無史さん:02/10/26 17:50
スペインのマルガリータ王女も極端な受け口。
175カウニッツ:02/10/26 23:25
168に書いたことは記憶が定かでないと言った通り、やっぱり間違いでした。以下は正確な事実です。

アルブレヒト2世(ドイツ国王でなく、ハプスブルク家内の)、彼はドイツ国王アルブレヒト1世の
四男にあたります。彼の妃にあてがわれたのはヨーハンナ・フォン・プィルトと言う、
スイスのバーゼル西方の小さな町の出身の娘です。ハプスブルク家の発祥の地に近いですね。
で、ヨーハンナ・フォン・プィルトですが、女丈夫としての印象が強い方だったそうです。
女性にしては珍しく下唇が分厚く、有名なハプスブルク家の突出した下唇は
彼女に由来するとも言われているようです。カール5世やレオポルト1世に顕著な、
異常なばかりに突出した下顎の身体的特徴も、ヨーハンナによってもたらされたらしいです。
彼女の産んだ長男はあの名君ルドルフ4世(ハプスブルク家内の)です。
彼はウィーン大学を創建し、シュテファン大聖堂の鍬入れをし「建設公」と呼ばれました。
176世界@名無史さん:02/10/26 23:54
http://www.ken-on.co.jp/oshio/faq/
おまえら大変だ!
お塩のオフィシャルサイトで、ヤシにしたい質問を投票で決めて、答えてもらうコーナーがある!
ここで、「1」という質問に投票だ!2chの力を見せてやれ!!!!
177,:02/10/27 00:18

韓国人の4人に1人は刑務所に服役し、2人に1人は近親相姦で姉や妹にセクハラします
韓国のレイプ発生率は世界一で、毎年数千人の日本人女性が被害にあってます
韓国女性が強姦と暴力に耐えかね外国に逃げるため男はレイプするため日本や台湾に行きます
韓国人は軍隊で鍛えた体で一撃必殺。 気を失うまで殴り続けます。
韓国企業は、食品や化粧品にウンチ、鉄クズ、枯葉剤を混入します
韓国の闇組織は、日本人女性を拉致してレイプショーをしています
韓国内では、17000人の若い日本人女性をセックスの道具として売買しています
http://ex.2ch.net/korea/ ハングル板(韓国)
●鄭明析 →韓国人の強姦魔 カルト宗教教祖。日本人1000人、台湾人100人レイプ
●李東逸 →韓国人の強姦魔 日本人女優Nを強姦未遂で逮捕
●金允植 →韓国人の強姦魔 大阪、主婦を連続強姦 。 被害者100人以上
●金 大根 →韓国人の強姦魔 連続児
178世界@名無史さん:02/10/27 16:59
>>176>>177
うぜーYO!!
179世界@名無史さん:02/10/28 22:08
AGEです!
180世界@名無史さん:02/10/28 23:38
オットーさんは、Servus!
なんて庶民的な、挨拶するのでしょうか?
181115:02/10/29 22:58
>180
ハンガリー語ですか?
ないと思いますよ、天皇陛下が大阪弁話すのと同じくらい(w
182カウニッツ:02/11/01 01:05
マクシミリアン1世:1459年3月22日ヴィーナー・ノイシュタットで生誕
1473年9月トリーアの会見
1477年8月マリアと結婚
1479年8月ギネガテの戦い
1482年3月マリア死去  12月アラスの和
1485年8月ブルグントの内乱を平定
1486年2月ローマ王に選出
1488年1〜5月ブリュージュの俘囚
1489年4〜6月バイエルン問題を調停
183カウニッツ:02/11/01 01:17
1490年3月チロルを譲渡される   12月ブルターニュ公女アンヌと代理結婚
1491年11月プレスブルクの和
1493年5月サンリスの和   8月フリードリヒ3世薨去   11月ビアンカと再婚
1494年9月シャルル8世、イタリア侵入
1495年4月ヴェネチアで神聖同盟成立   3〜8月ヴォルムスの帝国議会
1496年10月リヴォルノの砲撃
1498年7月ブルグント自由伯領へ出兵
1499年2〜9月スイス戦争
1500年4月アウグスブルクの帝国議会
184カウニッツ:02/11/01 01:25
1501年3月「レギメント」発足
1502年9月ナポリのコルドバ将軍へ援兵
1503年12月ランツフートのゲオルク侯死去
1505年9月ケルンの裁定
1506年7月ヴィーンの和
1508年2月トリエントで皇帝宣言   12月カンブレの協約
1509年10月パドヴァ攻略を断念
1511年8月ユリウス2世瀕死の重病
185カウニッツ:02/11/01 01:29
1513年8月テルアンヌ要塞攻略
1515年7月ヴィーン会議
1516年3月ミラノに進軍するも退却   12月ブリュッセルの和
1518年7月アウグスブルクの帝国議会
1519年1月12日ヴェルスで死去
186カール大帝:02/11/01 06:15
>>175
お邪魔かもしれぬがプィルト家についてちと補足させてもらう。
プィルト家は西南ドイツの諸侯の中でもかなりの名門であった。
家系の源流はいわゆるモーゼル家にある。
この家系からは初期にアルデンヌ家(ルクセンブルク伯)が分かれたが
男系は高・低地ロートリンゲン公を名乗った家柄じゃ。
カノッサの屈辱で有名なトスカーナのマティルドもこの家系の血筋を引いておる。
男系は途中で絶えたが最後の公の姉妹のベアトリクスからは
非常に有力な家系が幾筋にも分かれていったのじゃ。
最も有名なのはバール家(バール・ル・デュック)じゃな。
名前の通り当初は伯爵だったが後に公爵を名乗ったこの家系は
神聖ローマ帝国とフランス王国を股にかけた大諸侯の家系じゃった。
187カール大帝:02/11/01 06:24
最近は英国諸侯についての研究が多いためつい興奮してすまなんだ。
もうちと続けさせてもらうがガマンしてほしい。

バール家は後に帝国諸侯はもとより、シャンパーニュ伯やフランス王、
イングランド王、果てはアラゴン王とも姻戚関係を結ぶほどの名門じゃ。
後にこのタイトルはアンジュー系のロートリンゲン公ルネが帯びる。
神聖ローマ皇帝フランツ一世の先祖じゃな。

ところで本題のプィルト家はこのバール家の同族にあたる。
前記ベアトリスクスの子孫というわけじゃ。
この一門には後にヴュルテンベルク家が領地と称号を相続する
メンペルガルト伯家も含まれる。
バール家・プィルト家・メンペルガルト家ともに西南ドイツの有力諸侯だったわけじゃ。
姻戚関係もロートリンゲン公やバーデン家、キーブルク家などと
何度も結んでおる。
初期のハプスブルク家にとっては揺籃の地であるフォアアールベルク経営に
プィルト家の領地相続は非常に重要だったわけじゃ。
188カウニッツ:02/11/01 15:02
大帝陛下、大変勉強になりました。また御気付きの点があれば御教授下さい。
又、用事の有無にかかわらずどんどんおこし下さい。臣は大歓迎です!
後、先程宮廷の方を拝見させて頂きました。書き込みはしませんでしたが。
189世界@名無史さん:02/11/02 21:07
プィルトってどう入力するの?
190世界@名無史さん:02/11/02 21:08
AGE!
191世界@名無史さん:02/11/02 22:35
pulirutoって入力する。
192世界@名無史さん:02/11/03 19:16
プィルト@ホントだ!
193チンコ マンコ:02/11/03 19:25
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194世界@名無史さん:02/11/03 19:31
>>193
通報しますた。
195世界@名無史さん:02/11/03 20:34
馬鹿なやり取りだ
196カウニッツ:02/11/04 21:40
11月2日はマリア・アントーニア(マリー・アントワネット)様の誕生日でした。
すっかり忘れてました。(~O~)/
197世界@名無史さん:02/11/05 20:53
age
198カウニッツ:02/11/06 15:20
このスレッド立ててからまだ一度もふとっちょマックス殿下が来て下さらない。(T-T)/
199世界@名無史さん:02/11/06 19:55
Marie Antoinette の涙、
手紙に涙の跡が残っているのを数年前に
TVで見ましたが、感動しました。
200カウニッツ:02/11/06 23:11
>>199
何か興味が沸きますねその話。教えてもらえませんか?
201199:02/11/07 02:18
”涙の歴史”と言う本
  仏:HISTOIRE DES LARMES (Anne Vincent-Buffault)
の紹介の番組でした。ギヨチヌにかけられる前に
書いた最後の手紙?だったようです。
202カウニッツ:02/11/07 22:53
199さん、どうも。
203世界@名無史さん:02/11/08 17:54
今さらだけど、双頭の鷲ってロマノフ家では?
204世界@名無史さん:02/11/09 16:14
>>203
ロマノフ家でも使っていますが、ハプスブルクでも使っています。
一般的にはどちらかと言えば、ハプスブルクの双頭の鷲の方が有名かな。
205世界@名無史さん:02/11/09 22:13
>>204
んで、もっとも有名なのがローマ帝国の紋章としてですな。
206カウニッツ:02/11/10 00:07
つまり、ローマ帝国の後継者を自認する者が使ったわけです。
ローマ帝国→ビザンツ帝国→ロシア帝国(モスクワ大公国)
ローマ帝国→西ローマ帝国→カロリング朝フランク王国→神聖ローマ帝国→ハプスブルク帝国
207世界@名無史さん:02/11/10 23:06
みんな、本日の23:30〜TBS
見てね。
208世界@名無史さん:02/11/10 23:13
>>206
質問なんですが、昔の地図やら観光関係の写真とか見てると
帝国都市とかも真ん中に紋章を置くという形で双頭の鷲を使ってる
みたいなのですが、これらと皇帝を区別するものはあるんでしょうか、紋章以外で。
209世界@名無史さん:02/11/12 00:33
オットー大公の誕生日は  20-NOVEMBRE-1912 
でよろしいのでしょうか?
210世界@名無史さん:02/11/12 22:36
1912年の11月20日ですから合ってます。
211カール大帝:02/11/13 14:42
神聖ローマ皇帝が双頭の鷲の紋章を用いたのは
ジギスムント皇帝からではなかったかな?
カール四世からだっかな?
それ以前は単頭の鷲を用いていたのじゃ。
双頭の鷲になってからもデザインが微妙に変化していっておる。
(剣を持つなど)
それとビザンツ皇帝の鷲は白地に赤の鷲であったようにも思うの。

212m:02/11/13 14:46
213世界@名無史さん:02/11/14 01:22
ヨーロッパ・ピクニック
214ハプスブルグの起こりとスイス :02/11/14 13:50
215115:02/11/16 00:04
>>206
カウニッツ様、
“双頭”の意味には、東と西ににらみを利かせる、という意味合いもあると
読んだ覚えがあるのですが、本当なんでしょうかね??

>>211
カール大帝様、
そうだったんですか〜。神聖ローマは最初から双頭だとばかり思って
ました(汗
これは勉強不足。カール四世というと、意外に新しいんですね。
と思って、手元の資料に載っていたフリードリヒ三世陛下の肖像画を
見てみたら、紋章の鷲がホントに単頭でした。今まで気付かなかった(爆
奥が深い。
216世界@名無史さん:02/11/16 00:12
「ハプスブルクの受け口」って遺伝病ガイシュツ?
217親切な人:02/11/16 00:16

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218世界@名無史さん:02/11/16 00:50
>>211
それってボヘミア王国に配慮してのことなのかな
219世界@名無史さん:02/11/16 10:45
そう言えばハプスブルク後半のライバルのホーエンツォレルン家の家紋が
「単頭の鷲」だったような・・・
私の記憶違い? あれ?
220カール大帝:02/11/16 11:07
>>218
いや。
ルクセンブルク家の皇帝たちの紋章は
鷲の中にボヘミアが組み込まれておるので
(ジギスムントの場合はハンガリーも)
双頭にしたのは別の理由ではないかの。
215殿の仰る理由か、
あるいは他の諸侯にも単頭の鷲を使う家が多いので
変えたのか…

>>219
プロイセン王、ドイツ皇帝の紋章も
単頭の鷲じゃ。
ホーヘンツォレルン家は王号を帯びる前の
ブランデンブルク選帝侯時代の紋章は鷲ではない。
221世界@名無史さん:02/11/16 11:22
>>220
鷲の前は何だったの?
222カール大帝:02/11/16 12:10
>>221
その当時の領地の紋章の組み合わせじゃ。
図案はさまざま。
鷲も入っていた。
ちなみにホーヘンツォレルンの元々の紋章は
白黒の組み合わせというシンプルなもの。
ホーヘンツォレルン以前の
ブランデンブルク辺境伯(直前はルクセンブルク家だが)
赤の鷲の図案だったと思うの。
外出中ゆえ余の記録室に戻れば詳細がわかるぞ。
223世界@名無史さん:02/11/16 20:01
13世紀にポーランド女王ヤドヴィーカと結婚する予定だったハプスブルク家の王子って
ヴィルヘルムのことですか?
もしリトアニアに婚姻を横取りされなかったなら・・・・・
224世界@名無史さん:02/11/18 22:43
13世紀?
225223:02/11/19 15:37
スマソ、14世紀ですね
226名無し:02/11/19 15:42
 オ−ストリア・ハンガリ−帝国最後の皇太子で、EC,
EUの生みの親といわれるオット−・フォン・ハプスブルク
殿下の近況をお教えください。たぶん、まだ御存命だと思うの
ですが。
227カウニッツ:02/11/19 21:11
>>226の名無しさん。
勿論、オットー殿下は生きてますよ!(笑)
それにしてもタイムリーなレスですね。明日は殿下の90歳の誕生日ですから。
228カール大帝:02/11/19 22:08
>>223
しかしあの時代に
ハプスブルク家がポーランド貴族を統御できたかどうか…
もしできていればハプスブルク家は違った発展をしたと思うの。
>>226
カウニッツ卿の言うように存命である。
旧王家の象徴のようにすらなっておるの。

>>227
貴重な歴史の生証人ゆえに
余も話を伺ってみたいものじゃ。
高齢でいらっしゃるので急がねばな。
229世界@名無史さん:02/11/20 00:25
オットー大公 万歳!万歳!!万歳!!!
230世界@名無史さん:02/11/20 00:28
 伯林の壁は、Dr Otto が壊したそうです。
ところで、Dr Otto の本名は、ものすごく長いそうですが、
ご存知の方いらっしゃいますか?
231115:02/11/20 00:42
>>228

恐れながら、ポーランドに関しては、労多くして…という結果に
陥りませぬでしょうか。

帝国領がバルト海にまで達するという想定には萌えますが(笑)、
いずれロシアとの対立を招き、ただでさえ厄介な民族運動の火種を
さらに抱え込むことになると思うと…むしろ無くてもよい土地では
ないかと愚考いたします。
232カール大帝:02/11/20 02:09
>>230
Otto Franz Joseph Karl Ludwig Maria
これで全部だったかの?

>>231
うむ。
バルト海に到達しても西方への伸張が
減れば発展はなかったであろう。
233115:02/11/20 23:48
【祝】オットー大公殿下・誕生記念日age

>>232
大帝陛下の仰せのままに…
ガリツィアから北はポツダムの王にくれてやりましょう(w

>>230
オットー大公も参画したピクニック計画のことですね?確かに、
壁崩壊へと繋がるきっかけになった出来事ですよね。
汎ヨーロッパ的な思考を、限定的ながら初めて公にした、父
カール一世との因縁を感じたりもします。
234マルティン=ルター:02/11/21 16:07
キリスト信者はひとりのなかに生きるのではなく、キリストのなかに、またその隣人のあいだに
生きている。キリストのなかにとは、信仰によって生きるのであり、隣人のあいだにとは、愛に
よって生きるのである。信仰によって神のなかに入り、そこから出てきて人々のあいだに愛によ
ってもどってくる。しかし、つねに神のなかに、そして神の愛のなかにとどまる。……これこそ
まさしく、精神的で、キリスト教的な自由であり、それは心を罪や律法や戒律から自由に解放す
るものであり、他の種類の自由よりも、天が地より高いほどに勝っている自由である。この自由
を神がわれわれに与えたのであり、われわれはこの自由を正しく理解し保ちたい。

    ---『キリスト信者の自由』より
235アゲ職人:02/11/21 17:22
参上!良スレにつきアゲさせて貰うぞ!
236世界@名無史さん:02/11/22 17:18
age
237世界@名無史さん:02/11/23 19:11
Franz Josef Otto Robert Maria Anton Karl Max Heinrich Sixtus Xaver Felix René Ludwig Gaetano Pius Ignazius durch den Fürsterzbischof von Wien
238115:02/11/23 23:33
>>237
もしかして、オットー大公のフルネームですか?!
すごい…。しかし、シクストゥスだの、イグナティウスだの、ピウスだの、
これはやはりブルボン=パルマ家の…(^^;
カトリックの擁護者にふさわしい御名ではありますが。

>>234
カール五世陛下の温情に仇なす異端者!
と言ってみるテスト。
239世界@名無史さん:02/11/24 00:30
>>238 昔あるさいとに書いてあったものをメモしたのですが、
前半は御芳名で間違いないと思います。
後半の部分は Gaetano ~ sovereignarchbishop? 
 拙者、独逸語が苦手で、不明です。
大帝陛下は独逸語が得意であらせられましたでしょうか?
240世界@名無史さん:02/11/24 02:22
age!
241カール大帝:02/11/24 03:10
>>239
ひぃ。これは長い。
一度本人か娘に確認してみたいものじゃ。
ところで
余も語学は英語すらも苦手なのじゃ。
独逸語は余の妃ができるがすでに就寝中である。
そこで余が思うに・・・
後半のFürsterzbischof von Wienだが
これはウィーン大司教であろう。
durch denであるがdurch gehenが「通り抜ける」
だったと思うので
「洗礼された」あたりではないだろうか。
それ以前は全て名前じゃの。

独逸語を見ると遠き学生時代を思い出してしまうのー。
242世界@名無史さん:02/11/24 17:30
ご令嬢ののバールブルガさん、美人でしたね
2431630年11月27日生まれ:02/11/27 22:51
ジークムント・フランツ大公殿下:ティロル大公、トリエント司教、アウグスブルク司教。
ティロル大公レオポルト5世の子。
244世界@名無史さん:02/11/28 01:15
マリア・テレジアがマリア・アントーニアをフランスへ嫁に出したことは
成功なのでしょうか、失敗なのでしょうか??
245世界@名無史さん:02/11/28 01:53
不憫であったに違いないと妄想
246世界@名無史さん:02/11/28 16:11
>>244-245
凋落気味のブルボン一族に婚姻をさせすぎたのがマリア・テレジアの唯一の失政。
247世界@名無史さん:02/11/28 20:37
>>244
別にマリー・アントワネットだけならそれも良かったんだけどね、
婚約当時の政略としては。
問題は他のブルボン家&その係累にまで、婚姻を広げすぎたこと。
七年戦争で結局シュレジエンを奪回出来なかった時点で、
ブルボン家そのものと手を結ぶ必要はなくなった。
この時点で婚姻政策の再転換の可能性はあったにも関わらず、
彼女はそれを取らなかった。

どうも本人が恋愛結婚だっただけに、王族の結婚における政略的要素の
重要性を十分に分かってなかったような気がするんだよね。
もし夫がフランツでなくて選定侯クラスの有力諸侯だったら、
オーストリア継承戦争自体の様相も随分変わっていただろうと思うのだが、
そういうことに思いが及んでいたようには見えない。
ただフリードリヒ大王憎しで。

晩年、息子のヨーゼフと仲が良くなかったというのも、
一つにはそういうマリア・テレジアの感情的な面に原因があったのかも。
248世界@名無史さん:02/11/30 18:33
感情論なんだけどさ、
自分(マリア・テレジア)は恋愛結婚だったくせに、
自分の子供たちには政略結婚を強いて(当然と言えば当然だが)
しかーも兄弟内でエコ贔屓をして巨額の持参金付きで恋愛結婚認めたり、
晩年子供と仲が良くなかったのも分かろうというものだよね>マリアテレジア
249マリア・テレジア:02/12/01 03:58
っていうか全部フリードリヒのせい
250Frederic the Great:02/12/01 04:09
いや、おれはまあ、あんた同様、神権授受されたわけだから。
悪いのは・・・(不敬神ゆえ省略)
251ヨーゼフ@息子:02/12/01 12:23
母上・・・そう思ってるうちは絶対フリードリヒには勝てませんよ。
しかもそうまで恨みに思ってる割に、実際の兵力は他国のをあてにするし。
ロシアが戦線離脱しても戦えるように、自国で倒せるだけの兵力を
最初から持つべきだったんだ。まったく・・・
252世界@名無史さん:02/12/01 12:34
マリアテレジアは男だろ
253マリア・テレジア:02/12/01 21:07
っていうかピョートルが悪い!
254ギシュクラ・ヤーノシュ:02/12/02 00:50
>223
本来は姉のマーリア様がハンガリー王位と合わせて承継する予定であったのですが、
マーリア様はルクセンブルク家のジギスムント殿と婚約しておられ、ルクセンブルク
家が刀剣騎士修道会、所謂ドイツ騎士団と近しい関係にあったもので、ポーランド
の貴族連から忌避され、マーリア様がハンガリー王位をヘドヴィグ(ヤドヴィガ)様
がポーランド王位を継がれることとなったわけでござる。
ちなみにヤドヴィガさまの婚約者はヴィルヘルム殿下であったやに聞いており申す。
255カウニッツ:02/12/02 23:21
1804年の今日、後にマリー・ルイーズ様の不肖の夫となるナポレオン・ボナパルトの
戴冠式がありました。
256ギシュクラ・ヤーノシュ:02/12/02 23:27
カウニッツ殿
こちらにもお邪魔させていただいておりまする。
拙者のような武弁には奈翁の如き方は男子たるものの夢の象徴のごとくに
思われ申す。
257世界@名無史さん:02/12/03 03:12
奈翁とジョゼヒヌとの結婚は...
258世界@名無史さん:02/12/03 22:02
「モーツァルトは子守唄を歌わない」という推理小説
を読みました。正確にはその本の漫画化されたものを、
なんだけど・・・カウニッツが・・・。
ネタばれになるので、続きはメール欄に書きますが・・・
びっくりな設定でした。
259258:02/12/03 22:05
それから、原作読んでないんでなんともいえないんですが。
「ウィーン体制」をわかっちゃいなかった!まあ、普通に
おもしろい漫画でしたけど。
260フリードリヒ2世:02/12/04 01:04
やはりルドルフを可愛がったのは誤りのようだ。
マリア・テレジアのような愚娘を出すようでは・・・
261カウニッツ:02/12/04 23:35
>>260はホーエンシュタウフェン朝の方ですか?
262フリードリヒ2世:02/12/05 00:59
カウニッツ伯よ、久し振りだな。
>260は前スレからの私ではない、私もホーエンシュタウフェン朝の
フリードリヒ2世帝と推察する。
私の名は同名異人が多いのだか、もし260氏がプロイセンのフリードリヒ2世を
名乗っているのであれば私は以後260氏にまかせてここから去るつもりである。
260氏よ、遠慮せずにフリードリヒ2世を名乗ってくれたまえ。
奇しくも本日はロイテンの戦勝記念日である、偶然にもそれを期して
再びここを訪れる機会を作ってくれた260氏に感謝する。

ところでマクシミリアン・フランツ公は何をしているのだ?
食道楽が過ぎて死んだ訳ではあるまい、不精をせずに出てこい!

263カウニッツ:02/12/06 00:25
フリードリヒ2世様。
コリーン、グロースイェーガースドルフ、ホーホキルヒ、カイ、クーネルスドルフ、ランデスフート。
もう何のことだかおわかりですね。
それと、ロイテンの戦いは1757年5月ですよ。
さらにさらに、ザクセンの総理大臣のブリュール伯が馬鹿じゃなければ陛下は負けてましたよ。
264シャルル・カン:02/12/07 00:19
余であ〜る!
ひ、ヒトラー日記偽造事件で、だ、だまされたワシなんだが、ハプスブルグの美術史
がらみでのぞいたら・・・・。

か、カウニッツ伯様。ろ、ロイテンの対墺戦勝は1757/12/5でた、正しいんだな。
せ、線路をあるけば道に迷わずに駅にた、たどりつけるんだな。
お、大阪から東京まにいくには東海道本線を、あ、歩けば間違い無いんだな
266世界@名無史さん:02/12/07 18:37
>ザクセンの総理大臣のブリュール伯が馬鹿じゃなければ陛下は負けてましたよ。

ってどういうこと? 説明きぼんぬ。
>>258
わ、わしも今日、コミック第1巻だけ読んだんだな。
も、森雅弘?、大昔、魔夜峰雄の表紙文庫で読んだけど、コ、コミックは原作の拡大発展型
オリジナルだな。キャ、キャラに平野耕太が結構入っていたのがええんだな
268シンディ・ローパー:02/12/07 20:30
雁之介はん!
いやえらいとこ見つかってしもうた
270世界@名無史さん:02/12/09 00:00
@ge!
271世界@名無史さん:02/12/10 20:00
昨日、家帰ってテレビつけてたまたま3chで高校の世界史?の番組やっていたんだが、19世紀の三月革命以降に皇帝になったのはフランツ・ヨーゼフ1世だと思うのだが、
番組ではヨーゼフ1世と紹介していた。おいおいあんた本当に大学教授?
ヨーゼフ1世って18世紀初頭に在位数年でしかなかったマリア・テレジアの叔父じゃなかったっけ?
272世界@名無史さん:02/12/11 00:04
×叔父、○伯父
273世界@名無史さん:02/12/11 02:54
>>264
陛下は誰と英語を話されるのですか?
274世界@名無史さん:02/12/14 00:02
>>271
なんて名前の先生?
275世界@名無史さん:02/12/15 00:25
>>271
もしかして、学習院大学の福井憲彦先生じゃ……
276世界@名無史さん:02/12/17 16:17
>>275
そこまで名前出しちゃ〜まずいっしょ。話題変えようよ!
277せんせい:02/12/18 03:02
さて、問題です。
墺、洪 国境にある重要な街を一つあげよ。
278世界@名無史さん:02/12/18 14:50
アレなロシア人
http://nanikaya.jp/itsuki_diary.html


279世界@名無史さん:02/12/18 23:30
プレスブルク?
280ギシュクラ・ヤーノシュ:02/12/19 00:42
ショプロンでござるか?
281277:02/12/19 01:49
Bravo!
282世界@名無史さん:02/12/19 01:54
 このスレの住人の方は、やはり海外旅行通で
Wienは何度も訪問されているのでしょうか?
283カウニッツ:02/12/20 00:35
ウィーン。逝きたいけど……。
284世界@名無史さん:02/12/22 13:38
Maria Augusta von Trapp!
285世界@名無史さん:02/12/25 14:54
13世紀のフリードリヒ美公について詳しい事知っている人教えてください
286285:02/12/25 14:56
しまった14世紀の間違え
287カウニッツ:02/12/25 21:42
アルプレヒト一世の息子でヴィッテルスバハ家の皇帝の対立候補として即位したのと、
後にバイエルンの捕虜になり、約束を守るために自ら再び捕虜になった偉い方です。
嫡子を残すことは出来なかったですが。
288カウニッツ:02/12/31 00:47
世界史板の皆さん、今年も一年間どうもありがとうございました。
また来年も宜しくお願い致します。良い御年をお迎え下さい。

ヴェンツェル・アントン・カウニッツ=リートベルク伯爵
289世界@名無史さん:02/12/31 14:16
ヨーゼフ2世が、モーツァルトを厚遇しなかったのは文化的喪失だったと思う。
290世界@名無史さん:03/01/01 13:41
ギー男爵ってフランスの男爵なの?
291世界@名無史さん:03/01/01 14:22
>290
まだ生きてるの?
292ルドルフ2世@プラハ:03/01/01 19:00
魔術的ルネサンス美術の収集で有名な余だが、カソリックにもプロテスタントにも
与することなく真の「世界帝国ローマ」の精神を貫いた皇帝は余をもって最後とする。

国務?
実務?
そんなものは召使に任せておけ!
余は精神の王として、ジョルダーノ・ブルーノからカフカまですべての異端者を
うけいれる用意があるぞ・・・
293世界@名無史さん:03/01/01 23:47
マリア・テレジアとフリードリヒ2世がケコーンしてれば面白かったのに
294世界@名無史さん:03/01/01 23:59
>293
どうせ別れるような気が(笑)?
子供は生まれないだろうから、IFとしてはかなり面白い。
マリア・テレジアの妹マリア・アンナの家系に帝冠がいくのだろうか?
295世界@名無史さん:03/01/02 10:21
>>294
マリアアンナの旦那は、フランツの弟だから、どう転んでも一緒っちゃあ一緒かな。
本人達の性格云々は別にして、血統的には。
296世界@名無史さん:03/01/02 11:08
2人ともアクが強すぎるかw
297シュヴァルツェンベルク:03/01/02 12:37
元>115ですが、いいかげんHN付けます。

>>288
カウニッツ様、新年おめでとうございます。今年もこのスレの保守をよろしくお願いします。。

>>289
モーツァルトに限らず、死んでから厚遇されるようになった文化人は大勢いますよ〜。
なにしろ、生きてる人間には金を払わなきゃなりませんので(w
それでも、今ではモーツァルトは「ウィーンが生んだ」ことになってますからね(^^;
オーストリア万歳。
298世界@名無史さん:03/01/02 15:06
>>294

フリードリヒの場合、実際の王妃がどうもいまいちな人だったらしいから、
(父親が結婚を勧めた際に「美人ではない」と言い切ってるくらいだし、
頭も良くなかったという話もある)
マリア・テレジアとなら、返ってそれなりに上手くいったんでないのかなあ。
後世の我々はライバルとして認識してるけど、こうなったのは多分に
本人たちの政策の結果だから、別の選択がなされていれば
別の結果になったかも知れない。
キリスト教徒だから、まず離婚はしないだろうし。

というか、まずもってオーストリア継承戦争の様相が変わっていたろう。
七年戦争はほぼ確実に起きてない。
ついでに言うと将来「大ドイツ主義」で統一された可能性もあるし。
子供は・・・一人か二人くらいは出来そうな気がする。
マリア・テレジアの方は多産だしね。
299世界@名無史さん:03/01/02 16:35
でもハプスブルグはカトリックでホーエンツォレルンはカルヴァン派でしょ?
この組み合わせで政略結婚はありえるのかな?

まあもし結婚してたらヨーロッパにもの凄い強国が誕生することになったけど。
ただマリア・テレジアが女帝としての才能は見せずじまいになるんじゃないかな。
全部フリードリヒがやっちゃうでしょうから、ただカール5世の娘、フリードリヒの妻になるのでは。
300世界@名無史さん:03/01/03 01:00
>ただカール5世の娘、

カール6世かな?
301世界@名無史さん:03/01/03 01:38
旦那が鷹揚なフランツだったからこそ、女帝マリア・テレジアが生まれたのだと思う。
万一フリードリヒと結婚していたら彼女は平凡な妃で終わり、プロイセンの台頭
ばかりが早まってオーストリアとしては威光が衰えていきそうな気がする。
302世界@名無史さん:03/01/03 10:18
>>301
一行目は同意。
ただ、オーストリアとプロイセンの関係は、二人がどこに住むかにも寄る。
ウィーンなら、廷臣たちの影響は無視出来ないだろう。
まあ、宗教寛容令が史実より前に出されただろうことは言えるな。
フリードリヒはこの辺無関心というか寛容だったし。

子供が生まれて両者の後を継いだら「オーストリア」「プロイセン」って区別
自体がなくなるから。ハプスブルク家としてどうなるかはともかく、
(というか、子供たちの意識によると思う。「ハプスブルク」にこだわるのか
ホーエンツォレルン的意識も入るのか)
「オーストリア」としてどうなるかはあんまり考えなくていいように思う。
303カウニッツ:03/01/04 00:20
カール6世の寵臣だったバルテンシュタインはフリードリヒ王太子とマリア・テレジアの
結婚を考えていた様ですね。そのために即位後のマリア・テレジアに冷飯を食わされたとか…。
304シュヴァルツェンベルク:03/01/05 15:55

マリア・テレジアとフランツ・シュテファン大公の結婚に際しては、ハプスブルク家とロートリンゲン家は
かつてルドルフ一世より昔には同一の家系だった、という説があり、それがこの結婚によって再び統一
されたのだ、という解釈が御用学者によって出されたそうです。

どこまで信じていいのか微妙な説ですが、ハプスブルク得意の婚姻政策を警戒するイギリス、フランスを
納得させ、自国のプライドも救うためには、ロートリンゲン家との縁組みというのが、ちょうど良い
落としどころでもあったようですね。

>>303
バルテンシュタイン男爵は、しかしロートリンゲンとトスカーナの交換を、フランツ・シュテファン大公に
説得したりもしてますね。その後ヨーゼフ二世の顧問となったりしているのを見ると、そこそこ有能な
政治家だったのでしょうか。
305世界@名無史さん:03/01/07 20:04
ハプスブルク史で好きなのは(好きというのは語弊があるが)1848〜1849年の内乱期
下手すればフランスのように皇帝廃位、諸民族独立〜共和国成立になりかねなかったのだが、よく凌いだと思う
ラデツキー、ハイナウ、イェラチッチのような将帥に恵まれていたから?
ハンガリー化に反抗したクロアチア
ポーランド化に反抗したウクライナ(1846年のクラクフ蜂起失敗)
のような微妙な民族間対立を利用したから?
なぜ凌げたのだろうか?
306シュヴァルツェンベルク:03/01/07 23:57
>>305

三月革命の時期ですね。しかし、ウィーンに関していえば、市外に住む労働者の
暴動の域を脱していなかったのが現状。当時は“コップの中の革命”と揶揄された
そうです。
フランスのような共和制は、到底成立しなかったでしょう。革命の担い手となる
はずのブルジョアジーは、ウィーンでは王朝に依存する形で存在していたので。

民族間の対立を利用した、というのは言えると思います。最終的にウィーンを
制圧したのはイエラチッチのクロアチア軍でしたが、彼らには、それによって
ハンガリーの抑圧を緩和しようという意図もあったので。
307世界@名無史さん:03/01/08 18:59
イェラチッチは今のクロアチアでは英雄のひとりになっていますね
308山崎渉:03/01/11 12:58
(^^)
309世界@名無史さん:03/01/13 22:28
シェーンブルン宮殿で結婚式を挙げたいな。。。
310世界@名無史さん:03/01/14 00:05
    おにぎりワッショイ!!
       \\  おにぎりワッショイ!! //
   +   + \\ おにぎりワッショイ!!/+
                              +
.      +   /■\  /■\  /■\  +
         ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´ー`)
    +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  +
          ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
          (_)し' し(_)  (_)_)
http://www.asahi-net.or.jp/~zi2s-nr/photo/b0055.jpg

311ギシュクラ・ヤーノシュ:03/01/14 01:07
>305
ハンガリー軍を圧倒するためにロシア軍を引き入れることに成功した
ことも大きいと思えます。

>シュヴァルツェンベルグ殿
イエラチッチ将軍は利用されただけのような結果になってしまいました
ね。ハンガリーサイドがクロアチアやルーマニアと連携するような動き
が出来ていれば、東欧の歴史がかなり変わったかもしれません。

312世界@名無史さん:03/01/14 18:24
クロアチアがハンガリーと組することは万が一にもないと思うよ
クロアチアはマジャール化政策に苦しんでいたし特にアンドラーシがハンガリーの宰相になるとね
ハンガリーはクロアチアやスロバキアを属国と考えていた感がある

まあ国は違うが現在のグルジアに似ている
グルジアはアブバジアや南オセチアを属国と見なしたから両民族から反発され紛争化してしまった事にね
313シュヴァルツェンベルク:03/01/15 00:35
>>307
そうなんですか・・・と思って、地球の歩き方などを見てみたら、ザグレブ市内にはイエラ
チッチ広場というのがあるんですね。なんだか興味が湧いてきました。イエラチッチ将軍
は、ハプスブルク史には1848年革命の鎮圧のくだりでしか出てこないので…。
人物像とか、その後の生き方とか、どうだったんでしょうね。


>ギシュクラ・ヤーノシュ様
ハンガリースレ、時折拝見しております。
オーストリアにせよ、ハンガリー(マジャルといったほうがよろしいでしょうか?)にせよ、
あの当時に汎民族的な思想を持てていれば、確かに歴史の展開も大きく違ったことでしょう。

しかし、実際は>>312氏のいう通り、ハンガリーとクロアチアの関係は正しくオーストリアと
ハンガリーの縮小版でしたからね…。>>311のレスは、その反省も込めて、とお見受け
しましたが(w

ひるがえってハプスブルクの側にしても、皇帝をかすがいとした諸民族の共同体…という
構想は、残念ながら神話の域を出るものではありませんでした。

しかし、かつては分離独立を目指した中欧・東欧諸国が、今ではEUへの加盟を目指
しているというのは、何とも歴史の面白いところだと思います。
314ギシュクラ・ヤーノシュ:03/01/15 00:37
>312
パリのポーランド亡命貴族のボスであるアダム・チャルトリィスキ侯の
働きかけでそうした動きが模索され、交渉も重ねられましたが、結局は
上手くいかなかった経緯があります。アダム侯としてはポーランド王国
復活のためにはロシアとオーストリアに対抗できる勢力を作ることが必
要で、ルーマニアあたりまで含めてスラブとマジャールの大連合を組織
しようと考えてのですが、実際実施する段になるといろいろ対立が生じ
たわけです。

クロアチア王国はハンガリー王が王を兼任する形なのですが、ハンガリ
ー側は属領、クロアチア側は同君連合と考える等認識には相当差異があ
ったようです。

スロバキアはマジャール人が定住して以来、今のルーマニア領のトラン
シルバニアと並んでハンガリー王の勢力圏で、北部ハンガリーと呼ばれ
ていました。ここに関しては属国というより自国と考えていたかと思い
ます。
315ギシュクラ・ヤーノシュ:03/01/16 00:13
シュヴァルツェンベルク様

ご丁寧なご挨拶痛み入ります。こちらこそよろしくお願いいたします。
レスが前後してしまいました。ハンガリーサイドの強圧的なマジャール化
とまた帝国内でのスラブ民族の地位向上に向けた動きへの抵抗は大失敗だ
ったと思っています。後理屈でレバタラを言っても仕方のない話ですが、
ドナウ連邦の構想が形をなしていたらと思わざるを得ません。
連携できていればというのはそれ故の書き込みであります。

316桃花:03/01/16 00:31
http://momolin.fc2web.com/
【探し物とくとくページ】
ごめんなさい みんなにみて欲しいから投稿させて下さい
[yahoo] [infoseek] [google]などの検索サイトにて「探し物 とくとく」で検索
タイトル【探し物とくとくページ】を探してね あなたの探し物見つけて下さい
317世界@名無史さん:03/01/18 23:44
 あけましておめでとうございます。
突然ですが、ハビヒツブルクというお城は
まだ、スイスにあるのでしょうか?
今度旅行する時に行って見たいのですが、、、
318世界@名無史さん:03/01/19 03:57
小さいですがありますよ。
319世界@名無史さん:03/01/20 02:36
Danke schoen!
320シュヴァルツェンベルク:03/01/20 20:22
>ギシュクラ・ヤーノシュ様

同時期のドイツ連邦プロイセンと同じ役割を、オーストリアが果たすことができていれば、
“オーストリア連邦”としてのドナウ連邦が実現した余地はあったかもしれませんね。
ハプスブルクのプライドさえ何とかなればですが…。

それ以外の形であれば、オーストリア抜きの、ハプスブルク帝国からの独立を目指した
諸民族の連合、という形だったと思いますが(むしろこっちのほうがありそうではあります
が)、これは王朝の側からすれば容易ならぬ事態なので、死に物狂いで抵抗したでしょう。
泥沼の民族紛争に発展していた恐れもあると思います。

そう考えると、1867年の例の“和協”は、そうした諸民族の横の連帯を妨げる効果も
あったといえるかもしれません。
321世界@名無史さん:03/01/21 18:02
もし大戦がなかったら二重帝国ならぬ五重帝国になった可能性は?
ドイツ人、マジャール人、チェコ人、クロアチア人、ポーランド人・・・
ただどの民族が主導権をとるかの争いや上記の民族以外からの反発も当然考えられるのだが・・・
322世界@名無史さん:03/01/21 18:46
割り込んですみませんが
1846年のクラクフ蜂起〜ガリツィア暴動はハプスブルク帝国の多民族問題を象徴した事件として興味深いです
独立を目指したポーランド人、ポーランド人領主の過酷な搾取に反発しキレたウクライナ人
ウクライナ人の反発をうまく利用したウィーン政府
なんか1848〜1849年の前哨戦って感じがしますね
323世界@名無史さん:03/01/23 04:50
 ユーゴ連邦をつくるにあたって
ドナウ連邦の構想は影響を与えたのでしょうか?
324世界@名無史さん:03/01/23 18:23
第一次世界大戦後に成立したユーゴ王国はフランスの旧同盟国(独・墺・洪)の弱体化とセルビアの大セルビア主義によって作られた人工国家クロアチア人やスロベニア人の求めていた自治権の強い連邦主義は無視された
もともと戦前クロアチア人がハプスブルクの旗の下での連邦制を追及していたが19世紀末、ハンガリー政府の過酷なマジャール化政策に反発してセルビア人等南スラブ人の連邦制にシフトした
325世界@名無史さん:03/01/23 18:53
321>>
可能性はあったかも
各民族が独立してもあの時代では存続は厳しい
対仏封じ込めのため、領土不変を政策にしていたビスマルクはともかく
汎スラブ主義をとるロシアの草刈場になる恐れが
バルカン化は免れないでしょう
かといって超現実主義者のビスマルクがシェネーラーの唱えた独墺合邦に同意はしないだろうが
326世界@名無史さん:03/01/24 00:04
ハプスブルクのライバルって誰だったんやろ
327世界@名無史さん:03/01/24 00:04
誰じゃなく何処か
328シュヴァルツェンベルク:03/01/24 00:18

五重帝国はともかく、三重帝国は実現したかもしれません。ただ、ハンガリーに
続く第三の存在がどの民族になるかは微妙ですが…。

皇位継承者のフランツ・フェルディナント大公はクロアチアとの三重制を考えて
いましたが、これは不安要素であるボスニア・ヘルツェゴヴィナを安定させ、
昔から親ハプスブルク的な“忠良なる臣民”であるクロアチアに報いるという
意味のあるものでした。

じつはクロアチアは、1868年(ハンガリーとの二重制の翌年)に、「小アウス
グライヒ」と呼ばれる協定により、かなり広範な自治権を獲得していたのですが、
完全な三重制はハンガリーの反対により実現されませんでした。
そして後にハンガリー人がクロアチア総督に就いたことで、その権利も失われて
しまった経緯があります。


329シュヴァルツェンベルク:03/01/24 00:38
フランツ・ヨーゼフ帝は、チェコのスラヴ人には、ハンガリーと同じ地位を与えても
よいと考えていたらしいです。(この辺は研究者によって違う見方があるかもですが)

実際、スラヴ人は、貧しいとはいえ、人数的には帝国内最大の勢力でした。
ハプスブルクの皇帝にも、ルドルフ二世や、退位後のフェルディナント一世など、
プラハに住んで親しまれた人物がいます。ヨーゼフ二世のユダヤ人解放令に感謝して、
ユダヤ人地区だったプラハの一角は、今もヨゼホフ(ヨーゼフ区)と呼ばれていたりも
します。

そういうことを考えると、第三の民族にはチェコのスラヴ人にその権利があるように
思うのですが、これもやはり、ハンガリーと、オーストリア政府の反対により実現しません
でした。

二重制の立役者だったオーストリア外相・ボイスト男爵は、「すべての民族を平等に
扱うわけにはいかない」ので、最も生存能力の高いドイツ人とハンガリー人が、最大の
権利を与えられるべきだ、という立場でした。 結局は皇帝もそれに同意し、何度も譲歩
するよりは、苦い薬は一度で済ませようとして、与えられるだけのものをハンガリーに
与えた、というところだと思います。
330世界@名無史さん:03/01/25 20:50
>シュヴァルツェンベルク様

ご返答ありがとうございます
あまりネットをやる時間がないので
たまにしか来れませんがよろしくお願いいたします
確かにチェコ人は食文化をはじめ勤勉さや気質の点で同じ西スラブ語族のポーランド人よりドイツ人に近いと思うので
彼らが体制派に加わればかなり違った歴史を歩んだかも

チェコ人はヤン・フスや三十年戦争での反皇帝的なところクローズアップされがちですが
「カノッサの屈辱」で有名なハインリヒ4世が教皇の扇動によりたてられた対立皇帝ルドルフにほとんどの諸侯がルドルフ側についたにもかかわらず
唯一ベーメン王のみハインリヒ側について奮戦しているように皇帝に忠誠であった時を見落としがちなのが残念です
331世界@名無史さん:03/01/25 21:06
しかし19世紀末のドイツ帝国とオーストリアはあまりにも格差がついてしまいましたね
ドイツは憲法発布の時点で男子普通選挙が施行され
ビスマルクにより労働者側の負担が大きいが(とはいえ日本の現在の保険体制も低所得者や失業者の負担が大きいが)
各種の社会保険が整備され(フランスは1894年にイギリスは1907年にこの制度を模倣している)
少年労働の禁止はすでに1830年代プロイセン時代に(イギリスより10年早い、フランスは鉱山労働に限定)
ビスマルク失脚後も労働者の賃金保障とかもしている

たしかにドイツは議会には予算の承認権のみの立法権のない権威主義的体制であったが労働者にとっては英仏に比べ
住みやすかったのでは?

それに比べオーストリアは1907年になってようやく男子普通選挙、ハンガリーではついに普通選挙は施行されなかった
なんかここまで格差ができると悲しいですね
332世界@名無史さん:03/01/26 01:24
>>331
もしオーストリアにビスマルクがいたら・・・と考えると興味深いですね。
ヒットラー化していたかもしれませんが。
333世界@名無史さん:03/01/26 21:50
よく言われていることだが、
ドイツだけじゃなく、
(同じ民族とはいえ)オーストリアでもあれほどヒットラー万歳で受け入れてしまったのは、
革命でハプスブルグを追放してしまって
自分達のアイデンティティーが失われてしまったことに気がついてしまい、
その心の隙間に付け込まれたせいだ と言うね。
334世界@名無史さん:03/01/28 18:07
ただ19世紀のオーストリアの文化は世界的にも一流であったことは確か
音楽はもちろん
絵画はクリムトやエゴン・シーレ等など
建築も他に例を見ないほど独創的だし
これらはドイツにも負けていないと思うのだが
食文化も南ドイツ郷土料理をベースにして
ハンガリー・ラテン・スラブのそれぞれがミックスされているね
335世界@名無史さん:03/01/28 21:30
>>332

それ以前に「大ドイツ主義」による統一が達成出来そうな気が。
ハンガリーの独立も、「統一ドイツにとってお荷物だ」とかいって
意外とあっさり認めそう。
336シュヴァルツェンベルク:03/01/28 23:26
>>33
ご丁寧にありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。
スラヴ人に対する強圧的な態度には、やはりビーラー・ホラの戦いがずっと尾を引いて
いたのでしょうか。あるいは、1848年の革命騒ぎで、ウィーンで暴れた下層民の大半が、
ボヘミアからの流民だったということも、印象を悪くしたのかもしれません。

ドイツ帝国については、後発の利を存分に活かした形ですよね。ただ、イギリスが100年
かかってやったことを、ドイツは10年で成し遂げた、というような意識が、後の自信過剰に
つながったように思います。

>>332
「オーストリアのビスマルク」は、すでに数世紀前に出てしまったということでしょうねえ。
つまりカウニッツ伯がそうだったと思います。(そうお思いになられませんか、カウニッツ様?(w

19世紀の段階で、オーストリアを建て直せる人物がいたとしたら、それはルドルフ皇太子
以外に思い浮かびません(涙
フランツ・ヨーゼフ帝の在位はあまりにも長すぎました…
337シュヴァルツェンベルク:03/01/28 23:28
>>322
遅レス&連続ですいません。

ポーランドについては、クラクフ蜂起の鎮圧で芽を摘まれてしまい、1848年の
“諸国民の春”にはガリツィアはかえって平穏だったと言われますね。
しかし、ロシアとプロイセン領では、ポーランド文化への弾圧が加えられたのに対し、
ガリツィアはまだ恵まれた立場にあったと思うのですが、どうなんでしょう。
このへんはポーランドスレで聞いてみたほうがいいかもしれませんが。
レンベルク(現リヴォフ)大学などは、19世紀も終わりには、ポーランド民族主義の牙城
のようになっていたといいます。

ポーランド人はガリツィアの絶対多数勢力ではなかったですが(4割程度)、
帝国側としては、分割統治の原則で、ポーランド人を手なずけてガリツィアを支配させ、
安定させようとしていたようです。ハンガリーのマジャル人と同じ構図で。
それを体現したのがターフェ伯の内閣で、チェコ人とポーランド人に様々な権利を切り売り
して、懐柔策を取りました。その結果、ターフェ政権は15年という異例の長期安定政権と
なったものの、それらの譲歩は結局のところその場しのぎで、被支配民族を完全に
満足させるには至らず、長い目でみれば、究極の目的=独立への欲求を
かえって強める結果になってしまったようです。問題先送りのツケ、というとどこかの国
みたいですが(w
338カウニッツ:03/01/29 23:59
シュヴァルツェンベルク殿、私ごときをビスマルクに例えて戴き恐縮の限りです。
オーストリアのビスマルクの称号は、偉大なオイゲン公のほうが相応しいかと存じます。
本当は文官としての私の功績と、武官としてのプリンツ・オイゲンの功績が相俟って
初めてビスマルクとの比較になろうかと……。ターフェ伯の名が出るとは流石ですね。
このスレもレベルアップしましたね(笑)。そこで私の錆付いた記憶を正して頂きたいのですが、
ハプスブルク帝国の1848年の革命時に、6月にプラハを鎮圧してくれたのは、
シュヴァルツェンベルク殿の親戚のヴィンディッシュグレーツ殿で良かったですかね?
そして御二人とも爵位は侯爵でしたかな?
339世界@名無史さん:03/01/30 13:26
シシィさんは今で言うADHDであったという気がしてならない。
340330:03/01/30 17:19
シュヴァルツェンベルク様、お久しぶりです
ターフェの懐柔策はともかくパデーニの言語令はどうでしょうか?
ハプスブルク史家はいちおうに危機だと異口同音書いていますが
自分は連邦制帝国?の第一歩だとおもうのですが・・・
あと書名は忘れましたが(新書タイプだと思いますが)
オーストリア帝国の軍隊問題を取り上げていた書で
将校の民族比率を書いていた表に注目しました
ドイツ人が比率のトップであることはいうまでもありませんが
(かといって絶対多数でない)
アウグスライヒ直後は第二位にマジャール人なのですが
19世紀末(だったと思う)には第二位にチェコ人が浮上していました
他に帝国軍の将校は自分の言語の他に他民族の言語が話せないといけないとか
まあ他民族の兵士を統率するには当然だと思いますが
それにある民族で構成された部隊は自民族の地域には配属されず
輪番で各地に移転していったとか苦労がうかがえますね
341世界@名無史さん:03/01/30 17:28
一般にオーストリア軍の評価は低いですが
1848〜1849年三月革命期や普仏戦争の助戦線である対イタリア戦線では
めざましい戦果をあげている

墺伊戦争での陸戦でのアルプレヒト大公やリッサの海戦で歴史的勝利を挙げた
テゲトフ将軍など将帥も優れていたと思うのだが
342シュヴァルツェンベルク:03/01/31 00:31
カウニッツ様
勿体無いお言葉…、畏れ入ります。不肖の身ですが、今後ともご指導のほどを
よろしくお願い致します。
外交の手腕にかけては、閣下の名が消えることは決してないでありましょう。しかし、
もう少し時代がずれていれば、閣下とオイゲン公子が並んで活躍されるという雄姿を
目にすることができたかもしれませんね…。

さて、お伺いの件ですが、プラハ鎮圧は、確かに義兄のヴィンディシュグレーツ殿に
間違いございませぬ。爵位もフランツ一世の御世より侯爵と聞いております。
私の姉のマリア・エレオノラが嫁いでおりましたが、可哀そうな姉上は、そのプラハの
暴民の手にかかって無残にも…。   勝ったとはいえ辛い戦でございました。

当家の爵位につきましては、「公爵」としている邦語文献もございますが、これは
おそらくクルマウ公爵位も有していたためと思われますので、シュヴァルツェンベルク
の名では侯が正確と存じます。
かく言う私ことフェリクスの生誕地もクルマウの領地でありました。チェコ語でチェス
キー・クロムルフと申すそうでございますが、城館は今も残ってございます。
343YP:03/01/31 01:41
モンゴル人の知り合いとオーストリアの雑貨屋行った時、
「オーストラリア、オーストラリア」と嬉しそうに連呼するからめ
ちゃんこ恥ずかしかった。
お前は小学生かよっ。てな感じで。

ところで、存在するのかも存じあげませんが、
ペスト柱のミニチュアって日本で手に入るのでしょうか?
344世界@名無史さん:03/01/31 18:12
シェネーラーといえば1882年に「リンツ綱領」でガリツィア・ブコヴィナ・ダルマチアの
分離自治化を唱えましたね
もちろん彼は民族主義者なので真に他民族の開放を唱えたのではなく
真意は前出の3地域とクロアチアを含むハンガリーを分離し残部をドイツ帝国に併合するという意図があったため
むろんチェコ人とスロベニア人が支配化に編入されてしまうが
これは汎スラブ主義者がスラブ人のためにハンガリーとルーマニアは犠牲にならねばならぬという思想に似ている
シェネーラーの思想は青年時代のヒトラーに強く影響していると言われますね
実際、第二次世界大戦前のドイツの領域は前述のシェネーラーの望んだ領域に合致する
(ユーゴ侵攻後、スロベニアのドイツ領編入で完成するが)

実は社会民主党もしだいに民族色を強めていきますね
1899年の「ブリュン綱領」でアドラーが連邦制を主張していたのに
1913年にはバウアーが帝国を解体しオーストリアをドイツに併合することを主張している

ハプスブルクに忠誠を誓っていたのはルエーガー率いるキリスト社会党のみだったんでしょうか?
345bloom:03/01/31 18:16
346世界@名無史さん:03/01/31 18:31
ルドルフ皇太子の生存していたらのifはなかなか興味深いですが

私は18世紀初頭のヨーゼフ1世が長生きし嫡男を残していたなら・・・
というifに興味があります
彼自身、有能であったという意見がありますし
もし長生きしてくれればカール6世がスペイン・ハプスブルクの王位に即位した可能性が強い
カールは東インド会社を設立したり重商主義的なところがあったので前近代的な植民地主義のスペインを改革し立て直した可能性もあったのでは?
そしてマリア・テレジアがスペイン女王に即位、危険なフリードリヒ大王は隣にいないのでのびのび統治できる
むろんブルボン朝とは戦わなければならないが

オーストリアの方はたとえヨーゼフ1世の嫡男が無能だとしても
オイゲン公、カウニッツ、ダウン将軍がいるから安泰…
とはいっても後者の二人は採用しなければ登場しないが…
347YOSHIKI:03/01/31 19:02
おい、お前ら! 新スレたてたぜ。  名前は    

★★YOSHIKI様のピアニストを撃て!!★★   

だぜ。 このスレでは世界最高のピアニストのオレ様が
お勧めのピアニストについて熱く語るぜ!
お前らのお勧めのピアニストについても色々書いて
音楽に関する情報を提供しろよ!
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次期総理に向けて始動したぜ!
石原は「自分に代わって■慎太郎クローン■が首相になって
大日本帝国を再建する。」といっているらしいが、本当かよ?
詳しくはこのHPに書いてあるぜ。
そして巨大地震を起す■謎の巨大コンドーム=神■の
謎を知りたければ、このHPを見ろよ!
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm


前スレはここだぜ。
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/musicnews/1038739531/l50

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★******★ ★ ★ ★ ..
348シュヴァルツェンベルク:03/01/31 23:30
>>340
バデーニの言語令!に問題があったとすれば、それは発布したことよりも、一度出して
おいて撤回してしまった点にあると思います。
寝た子を起こすな、式の考えからすれば、言語令に伴う混乱は確かに“危機”だった
でしょうが、>330殿のおっしゃる通り、民族問題と真剣に取り組もうとすれば、当然
ぶつかる抵抗、必要な痛みだったとポジティブにとらえることもできると思います。
皇帝もバデーニを支持していたのですから。

その後の問題としては、帝国がその衝撃に耐えられたかどうか。患者が手術に耐えられ
たか、という話になってくると思いますが、それにしても、民族問題を解決する(少なく
とも解決に導こうとする)具体的な政策努力として、バデーニ言語令ほどハッキリしたもの
はないと思います。だからこそドイツ人側は猛反発したのでしょうが…。

あと、余談ですが、ハンガリーとの和協はアウス・グライヒ( Ausgleich )なのです。これ
は、私も昔まったく同じ読み違いをしていたのですが(語呂がいいし、“Reich”が関係して
いるに違いないと思ったので)、ドイツ語で gleich は「同じ」という意味なので、それを
知っておくと間違えないです。
349カウニッツ:03/02/02 23:18
>>346さんも私と同じ考えを……。
350340:03/02/04 17:45
シュヴァルツェンベルク様
スペルを見て納得。お恥ずかしい

パデーニの言語令を出した当時のオーストリア議会のドイツ人の政党の議席配分はどのようになっていたんですか?
民族連盟所属の政党がドイツ人政党で一番多かったのでしょうか?
王朝支持のキリスト教社会党が第一党じゃなかったのですか?
第一党っていってもスラブ人政党を含めると少数になるでしょうが・・・

351世界@名無史さん:03/02/04 18:36
マリア・テレジア女王支配下スペイン、オーストリア・ハプスブルク同盟対「対ハプスブルク大同盟」
なかなか面白い話だ
352ギシュクラ・ヤーノシュ:03/02/08 01:52
シュヴァルツェンベルク殿
チェスキー・クロムルフ城は素晴らしいですな。先日TVでバロック劇場
の復元に関する番組をやっておりましたなぁ。私もも一度は訪れてみたい
と思っておるところです。
353マリーアントワネット:03/02/08 01:59
パンがなければケーキを食べればいいじゃない
354カウニッツ:03/02/08 04:18
皆さん、何時もありがとうございます。
最近、書き込んでいませんが近く、有意義な話題を書き込みますので御容赦下さい。
それにしてもこのスレがもっているのは心有る皆さんの御蔭です。
重ねて感謝致します。まあ、堅苦しい事を書いてしまいましたが、気軽に来て下さい!
355世界@名無史さん:03/02/08 22:26
どうでも良いことかもしれないのですが
墺国には未だにハプスブルク家人入国禁止法があるのでしょうか?
356シュヴァルツェンベルク:03/02/09 02:29
>>350=340
しばらく間が空いてしまいましたが。
帝国議会の議席配分については、あまり詳しくは存じておりません。ただバデーニ
時代に選挙法改正があり、その時はじめてドイツ人が少数派に転落しています。
(定数425のうち202) 機会があればもう少し調べてみます。
ところで、ルエーガーのキリスト教社会党は“王朝支持”だったのでしょうか。

>>352
ギシュクラ・ヤーノシュ様
私は一度現地を訪れる機会があったのですが、冬季だったので閉館中という目に遭いまして…。
いずれ雪辱を晴らしたいと思っております。やはり気候のいい時期に訪れたいものですな。
357世界@名無史さん:03/02/09 11:31
なんで、フランツ−ヨーゼフ一世は、フランツ二世ではなかったの?
358世界@名無史さん:03/02/09 11:37
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359世界@名無史さん:03/02/09 11:54
すいません、19世紀末−20世紀初頭のオーストリアの社会
(特に貴族社会)について詳しく書かれた本って何かありませんか?
360世界@名無史さん:03/02/09 17:46
>>355
悪名高き「ハプスブルク法」ですね。あるじゃなかったかな。
なし崩し的に法的効力がなくなってるかも知れませんが。
(オットー公の息子さんはEU統合時のごたごたの際に東側国境からさーーっと(w
 入国しちゃったらしいので)
361ギシュクラ・ヤーノシュ:03/02/09 22:12
>356
城主を締め出すとはけしからんですな。
城内で熊を飼っておられるのは貴家の時代からですか。
それともロジュンベルグ家の時からでしたっけ。
362世界@名無史さん:03/02/11 04:41
>>360 Danke schoen!
363シュヴァルツェンベルク:03/02/11 21:23
>>361
いやはや、何ともお恥ずかしい。しかし、君主国では往々にしてそういうことも起こり得るものでして(w
熊はおそらく観光用?ではありますまいか。

>>357
革命騒ぎ後の帝国再興のために、ヨーゼフ二世の改革の精神を受け継いでいただきたい、という
願いを込めて、その名を加えられたのですが…。しかし、“フランツ二世”とお呼びしたほうが
むしろ相応しいという感は否めないところでありますが…。

364世界@名無史さん:03/02/15 21:15
1859年のいわゆるイタリア第2次独立戦争の戦史少し調べたんですが
オーストリア側の駐伊司令官のハンガリー人のギュラーイ将軍はコネで
司令官の地位を取ったどうしようもない無能な軍人ですが
オーストリア側が勝てるチャンスはあったみたいですね
戦前、オーストリア軍ではフランス軍が到着前にサルディニア軍を攻撃する案があったそうです
ギュラーイの優柔不断で実行されなかったが、もし実行されたなら・・・
またソルフェリノの戦いではオーストリア軍右翼ガエタ湖畔にいたベネディック将軍の第8軍団2万1000が
サルディニア軍4万5000を破っていた
もし戦果を拡大しフランス軍の背後に侵攻したら・・・

もしこの戦争に勝利していたならその後のイタリアの情勢はどうなっていたでしょうか?
ロンバルディアはオーストリア支配下のままでモデナ・トスカナのハプスブルク家、
パルマのブルボン家は安泰?
ナポレオン3世の権威は落ち、プロイセンのドイツ統一政策に拍車がかかったかも
365シュヴァルツェンベルク:03/02/18 23:25
1859年の対ピエモンテ=サルデーニャ戦というのは、結局のところ、半世紀後の
対セルビア戦(世界戦争!)と同じ構図なんですよね。名誉や体面から強硬策に出る、
最後には相手が退くだろうと目論むが、そうならずに敗れる、という展開も同じです。
その意味で、ソルフェリーノは 「王朝の没落を初めて予感させた戦い」 だったという、
作家ヨーゼフ・ロートの言葉は極めて暗示的と言えるでしょう。

ギュラーイ将軍という人物は、フランツ・ヨーゼフ帝の副官グリュンネ伯爵の信望厚かった
というので、守旧派の将軍だったのでしょう。(機関銃のような“軽率な”銃は、わが軍には
似合わない、と言ったのは、確かグリュンネ伯だったと思います。)とはいえ、敗戦の責めを
ギュラーイ個人に負わせるには酷な面もあると思います。おそらく、オーストリア軍は動員が
間に合わず、誰が指揮していても、マゼンダの戦いより前に攻撃に出るのは難しかったでしょう。
確かにその計画はあったようですが。
366シュヴァルツェンベルク:03/02/18 23:28
ルードヴィヒ・フォン・ベーネデクは、ソルフェリーノよりも忌まわしい、かのケーニヒ
グレーツの総司令官になる人物ですね。北イタリアに留まっていられれば、あのような
目に遭わずに済んだのでしょうけれども…。皇帝も酷なことをなさったものです。

ソルフェリーノについては、確かに、もう一押ししていればオーストリアに勝機があったと
いう見方がされますね。しかし勝ったとしても、クリミア危機いらいの青息吐息の財政状
況では、それ以上の戦線拡大は望むべくもなく、やはりそこで休戦とせざるをえなかった
でしょうけれど。
モデナ、トスカナの大公国はとりあえず無事であったはずで、イタリアの統一にはしばらく
ブレーキがかかったでしょう。しかし、重要なのは、ナポレオン三世をイタリアから切り離し、
ピエモンテを孤立させる、オーストリア主導によるヴィッラフランカ会談を行うことが出来たか
どうかにかかってくると思います。軽率に戦端を開くような外交能力では、そうした交渉は
望み薄かもしれませんが、あの三世皇帝のこと、意外と簡単に乗ってきたかもしれません。
367マウリキウス:03/02/20 19:04
ビスマルクがやったようにベルギーやライン左岸の宗主権・領有を認めるようなポーズを取って?
368シュヴァルツェンベルク:03/02/23 21:52
>>367
そうですねえ、しかし、オーストリアには餌にできるような領土はありませんが…。

いずれにせよ、“汝結婚せよ”のオーストリア家が、安易に戦争に走るというのが
そもそもの間違いだったのでは、とは思いますが…。
369joiっ子:03/02/24 05:44
初レスです。私はエリーザベト皇妃が大好きです
去年日本に(シシー)エリザーベト皇妃の絵画が来ていましたが
とにかく美しいかったです。その後ブタペストまで彼女を見に行って来ましたが
皇妃はスミレの砂糖漬けが好物だたらしいです・・
370世界@名無史さん:03/02/24 13:08
>>368

それ以前に、その結婚政策そのものが王朝国家の代物だしね。
時代が変われば手段も変わるのは仕方ない。
ただ、「ハプスブルク家かく戦えり」という本によると、
当時のオーストリア軍は装備や戦術がかなり旧式だったらしい。
意識が追いついていかなかった、ということだろうね。
371世界@名無史さん:03/02/26 18:20
対セルビア予防戦争といえば「豚戦争」が激化した際
参謀総長のコンラートが計画して実行しようとして
ドイツに止められたことがありましたね
372ギシュクラ・ヤーノシュ:03/03/01 22:40
>370
以前、リッサ海戦のテゲトフ提督に興味を持って調べたことが
ありましたが、大勝したかの海戦でもオーストリア軍の装備は
劣弱で、普通の手段では勝てないと判断した提督が使った奇策
が衝角突撃だったそうです。艦の補強に古レールをつかったり
したと聞きました。
373世界@名無史さん:03/03/02 22:04
>369
私もエリザベート皇后の容姿は好きです。あくまで容姿だけ、ね。
初めはなんて不幸な可愛そうな女性がいたのだろうなどと思いましたよ。
でもね、ある日。
アンタ帝室のお金使って遊び歩いてちゃイカンよなどという不敬極まりない気持ちを
抱いてしまったのですよ。正直そう思ってる人って本当にいないのかとかんぐってしまう。
本当にそういう人いないの?
窮屈な生活に耐え切れず自由を求めたというのはお話としてはロマンティックですが、
皇后の役割を放棄してたというのは当時の人々から見たらとんでもない人だったはず。
エリザベート関連の本はかなり読んだのですが、そろそろ姑のゾフィー大公妃の
名誉回復になるようなアンチシシィ本が出て欲しいと思ってます。
ゾフィー大公妃気にも多くのそして許しがたい欠点はあっただろうけど、エリザベート
ばかり被害者っていうのもねぇ・・・。
374373:03/03/02 22:06
× ゾフィ大公妃気にも
○ ゾフィ大公妃にも

スマソ。間違えた。
375世界@名無史さん:03/03/03 00:31
>>373
正直、大公妃にも彼女なりの言い分はあったろうと思う。
育児に関してもエリザベートが大公妃の反対を押し切って
子供を旅行に連れていって、死なせたせいもあるだろうし。
(ただ、当時はまだ子供がよく死んだので、エリザベートに
全責任を押しつけて第二子を取り上げたのはどうかと・・・)

だけど、他方でその頃の&後のハプスブルク家見てると、
あんまりフランツ・ヨーゼフ側を支持する気にもならんのよ。
別に外遊がいいとか悪いとかでなくて。
ルドルフが死んだ後で皇太子になったフランツ・フェルディナント
だって、外遊が多かったらしいしね。
貴賎結婚だったとは言え、自分の妻が国内では「侯爵夫人」
止まりなのに対し、国外では皇太子妃として扱われるから、
ってのが理由だったそうで。
ウィーンの宮廷が、彼らにとってもいづらかったのは間違いない。

はっきり言って、フランツ・ヨーゼフがハプスブルクで
事実上最後の皇帝になってしまったことから来る悪印象が、
逆にエリザベートの人気を高めている一因でもあると思う。
更に言うと、ゾフィが政治的にドイツ第一主義だったことも。
376シュヴァルツェンベルク:03/03/03 01:52
>>370
>時代が変われば手段も変わるのは仕方ない。

仰る通りですが、かといって当時のオーストリアの対外政策として、戦争が望ましい
手段だったとは思えません。あるいはサルデーニャがしたような、クリミア戦争への
便乗介入のような、大目的があってのことならわかるとしても、軽々しく戦争という手段に
走りすぎたと思います。

結婚や踊る会議に代わって求められるのは、繊細で注意深い外交だったでしょう。ないもの
ねだりですが…。

>>371
セルビアとの貿易戦争ですね>豚戦争
コンラートがセルビアにも手を出そうとしていたというのは存じませんでした。
イタリアへの予防戦争をしきりに主張して、危険視されていたのは記憶していますが、
そもそも軍人にそんな口出しをされるようになったのも、外交当局がしっかりしていなかった
からです。

オーストリア市場から締め出されたあとの、セルビアの新たな輸出先はドイツ帝国だった
というので、ドイツに止められたとしても無理ないことですね。
377世界@名無史さん:03/03/03 09:01
>>373
シシィの奇行は彼女一人の責任というより、彼女の家系や
親の教育に問題があったと言うべきではないでしょうか。
シシィの兄弟姉妹は殆どが、程度の差こそあれ鬱病を病んだ
らしいし、また、王妃になりながら私生児を生んだり、不倫駆け落ち
したり、シシィを真似るようにヨーロッパ各地を放浪したりと
シシィ以上にドラマチックではた迷惑な生涯を送った人が何人か
いるので。

なまじ父マックス公の先進的で自由な教育を受けたばかりに、
バイエルン公家の子供たちは結婚後に父から受けた教育と、
婚家の貴族的価値観との板ばさみに遭って皆それぞれに
適応障害に悩み苦しんだのではないでしょうか。
378世界@名無史さん:03/03/03 09:40
>373
結構同意!
私もエリザベート関連の本は目に付く限り読んだけど、
何がイヤって、我が子を差別してたこと。
そりゃ自分の手で育てられないから愛情が湧かなかった、てのも
分かるけど、末のマリーヴァレリーしか愛さなかったらしいし、
孫までも、そのヴァレリーの生んだ孫を溺愛してたって。
次女のギーゼラなんて、器量が悪いことまで母親に言われて
かわいそう、と単純に思った。
要するに、自分を律することの苦手が女性だったのだと思う。
嫌なことは嫌、したくないことはしない、可愛い子だけ可愛がる、、、
こんな人が一人いると、周囲はたいへんだっただろうな。


379世界@名無史さん:03/03/03 12:04
>>376

確かに、フランツ・ヨーゼフ時代は外交面が貧弱だったんだろうと思う。
カウニッツやメッテルニヒといった一級の人物がいた頃に比べると、
この時代のオーストリアは、余りにも人材が目立たなさすぎる。
(そう言えば、貴方は1848年のフランクフルト国民会議で
オーストリア代表として活躍なさったそうですが・・・)
ただ、当時の感覚だと、いくら外交がしっかりしていても
軍事面も強化しなければ外交自体の効果が限られる、つまり
「足元を見られる」ようなこともあったように思う。
380世界@名無史さん:03/03/03 14:05
>373
激しく同意。
優しそうな人に見えるけど、結構乱暴な面もあったらしいね。
召使に対する態度とか。
あと378の言うように子どもをあからさまに差別してたってのは
凄く嫌だ。
最愛のマリー・ヴァレリーを手元で自分の好きなように教育するっていうのも
ちょっと聞いただけではいい話のように思えるけど、
かなり自分勝手な思い込みによるところも大きいみたい。
最近読んだ本の中では、自分勝手な旅行費用には皇帝から
たっぷりお金せびりとっていたわりには、自分の個人財産は
しっかり溜め込んでたんだってね。
いつの日か帝政が倒れてスイスに亡命するという
未来のために・・・ということらしいが。
今でこそ美貌の皇后として人気高いけど、漏れが当時生きていたとしたら、
国母陛下としてあがめる気には絶対ならん。
「一人で死にたい」って言ってて本当に一人で死んだし、
好き勝手やってたんだからいい死に方なんじゃねーの位にしか思わんよ。
381世界@名無史さん:03/03/03 15:22
>>380
うんうんそうだね。
シシーよりアンタの方がずっといい女だよ。
382世界@名無史さん:03/03/03 15:25
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383世界@名無史さん:03/03/03 18:12
19世紀の話題が盛り上がっているところすみませんが
創世記のハプスブルク家のことについて質問です
ルドルフ1世はメジャーなのでどんな歴史書見ても記述がありますが
子のアルブレヒト1世は父王の偉業を継ぎ皇帝位を世襲化しようとしていたらしいのですが
具体的な方策はあったのですか?
このころの皇帝権威は辛うじて「帝国平和令」で形式的な帝国裁判所があったぐらいで
立法権や司法権が各領邦諸侯に付与されて
皇帝位を獲得しても家領拡大の道具と(後の金満ブルゴーニュ公があこがれた)形ばかりの権威ぐらいしかないと思うのですが
それともアルブレヒトは家領を極限まで拡大し他の諸侯に文句を言わせないほどに権力を増大したかったのか
アルブレヒトは対立候補のナッサウ公ルドルフに破り、かつ善政を施したと言われますが
詳しい史料ないですね
あと1308年にヨハンに暗殺されますがヨハンにはなにか意図するものがあったのでしょうか?
アルブレヒトには既に3人の男子がいたし・・・
384世界@名無史さん:03/03/04 18:21
ナッサウ公ルドルフ ×
     アルドフ ○
385シュヴァルツェンベルク:03/03/09 08:35
王朝初期の頃についてはあまり詳しくないので、他の方にお譲りいたします。

>>372
ギシュクラ・ヤーノシュ様
遅レスで申し訳ありませんが、自分もそういう話を聞きました。フランツ・ヨーゼフ帝は
陸軍に重きを置いていましたが、その陸軍でさえ、>>370氏の指摘にもあるように
お世辞にも強力とはいえず、海軍は推して知るべし、の状態だったようです。

元をただせば予算不足が原因で、三月革命後の自由主義時代いらい、議会で軍事
予算が大幅に圧縮されたこと、またアウスグライヒ後は、ハンガリーが、オーストリア
との共通帝国軍に金を出すのに猛反対したことなどに由来します。

実際のところ“リッサの奇跡”は、イタリア側の失策による自滅の感が強いのですが、
見上げるようなテーゲットホフ提督の銅像は、今もプラーター前のロータリーに置かれ
ています。
386シュヴァルツェンベルク:03/03/09 09:06
エリーザベト皇后について、意外と批判的な方も多いのですね。さすが世界史板、と
言うべきでしょうかw
ちなみにゾフィー大公妃は、最初フランツ・ヨーゼフ帝の結婚相手に、プロイセン王
フリードリヒ・ヴィルヘルム四世の姪を考えていたらしいですね。あの、神聖ローマ帝国の
復活を夢見ていたような国王との縁組みが実現していたら、後の展開がどうなっていたか
気になるところです。

>>379
果たしてあれを「活躍」といえるのかどうか、ですね。当時のシュヴァルツェンベルクは、
ゴーロ・マンの言葉を借りれば 「大ドイツ的、というよりもむしろ“最大ドイツ”的」 思想で
もって、ハプスブルク家主導による、イタリア、バルカンから全ドイツに及ぶ “七千万人
の帝国” の実現を主張したのですが、それがどこまで本気だったのかどうか。
本当にハプスブルク家の底力を信じていてのことか、あるいは無理とわかっていて、
国民会議をぶち壊すためのネタだったのか…。

軍事面に関しては、その「足元を見られる」のが嫌さに戦い、むしろ弱さを露呈してしまう
パターンが多いんですよね…。挑発されてすぐ熱くなるのは、余裕がない証拠のようにも
思えます。
387ギシュクラ・ヤーノシュ:03/03/09 21:43
>385
プラータのテゲトフ像は見に行きました。
軍事博物館へテゲトフの資料を求めて出向いたら、海軍部門が改装中で、
しかもテゲトフ関連の本も入手できず腐っていたら、係りの方が、テゲト
フの像と海軍省の建物について教えてくれたので見ることができました。
陸軍省の巨大なリンク沿いの庁舎に比べ、海軍省の建物は運河の向こうの
こじんまりした建物です。

そういえば、木造艦で突撃かけたら、ぶつけた方が潰れて、落っことした
艦首像がイタリアのトリエステの海事博物館に展示してあるという話も
聞きました。
388Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/03/09 21:59
>>387
建物に、海軍省は、イストリアやダルマチアの町々の紋章が並んでいて、
良い建物ですね。

マールブルクに、テゲトホーフの生家跡を見に行きましたが、ただの
ビルになっていました。
389世界@名無史さん:03/03/10 09:12
>>386
ちょっとスレ違いになってしまいそうな話題ですが…。
>エリーザベト皇后について、意外と批判的な方も多いのですね。さすが世界史板、と
>言うべきでしょうかw
いや、おそらく、批判しているのは一人(>>373=378=380)でしょう。

世界史好きの女性の中には、ときどき>>373のようなタイプがいます。
美貌・高い身分・自由奔放な性格と三拍子揃った「シシィ」にコンプレックスを
持つが、まぁたいがいの女は、女の魅力ではシシィの敵ではない(w
そこで、彼女を厳しく批判したり、彼女と不仲だったソフィ大公妃の方を
贔屓したりして、自らのプライドを保とうとする…という心理があるようです。

なので、お世辞でも>>381のように言われると、満足して叩きをふっつり止める
訳です。
シシィの如く、不安で居場所を求めてさ迷い歩く女性を「シシィ・シンドローム」などと
呼ぶそうですが、こういう女も一種の「シシィ・シンドローム」なのではなかろうか?
390世界@名無史さん:03/03/12 23:39
>>389
一人じゃないよ。私も>>373に同意。
シシィー関連本結構読んだが、読めば読むほど同じような疑問が噴出。
こんな嫁ではフランツ・ヨーゼフが気の毒じゃ、と思った。国家の大変な
時によく自由にさせてもらえたものだ。でもフランツ・ヨーゼフはシシィー
にべた惚れだったんだよね。惚れた者の弱みってやつだね。
391世界@名無史さん:03/03/13 08:57
>>390
>一人じゃないよ。私も>>373に同意。
つまりあんたも、
「シシィよっかアテクシの方がずっといい女やん」
と内心思っているクチだってことですね。
392世界@名無史さん:03/03/13 11:15
シシィネタになっているので、お邪魔します。
先日、シシィの展示会へ行って来ました。
そこでようやくフランツがシシィを選んだ理由が
分かりました。
(シシィのお姉さんは、母親似(=母親の異母姉の
ゾフィ皇太妃にも似ていた)だったのね)

悲しかったのは、父親似のシシィの晩年がどことなく
母親似になっていた感じがしたことです。
彼女のデスマスクを見て、「あれ?ゾフィ皇太妃に
何となく似ている」と感じた時、「あれほど顔を隠した
シシィ。美にこだわり永遠の麗人でいたかった人の哀しみ」を
かいま見たような気がしました。
私見ですが、彼女の愚かさ(后妃としての役目を放棄した等)と、
美への執念が、今なお人を惹きつける魅力の源なのかも、と
思います。
シシィは欠点すら美化されている分、愛されやすい方かもね。
393山崎渉:03/03/13 12:42
(^^)
394世界@名無史さん:03/03/13 15:01
シシィ展、待ってたんですよ〜。やっと東京に来てくれる(戻ってきたのか?)。

4/17→4/29 東京大丸「大丸ミュージアム」
だそうです。 

東宝ミュージカル「エリザベート」も来年再々演の噂。
シシィブームが再燃するかもしれませんね。
それに合わせて、フランツ・ヨーゼフやハプスブルク本なんかが
出版されるといいなと願っています。

>>392
シシィの姉さまヘレーネの画像がありました。
http://rzbs4.bibliothek.uni-regensburg.de/portrait/images/1024x768/graph_slg/gf/b_0049.jpg
http://www.kaiserin-elisabeth.net/bhelene.jpg
http://www.clubs.nl/ClubsData/128970/incoming/Helene,%20sisi%27s%20zus%2002.jpg

決してブサイクではなく整った顔だと思うんですけど、真面目そうで、
華が欠けている感じですね。
ゾフィーのような母親が息子の嫁にと考えそうなタイプの典型かな(笑)。
395392:03/03/13 19:56
>>394
ヘレーネの画像を見ました。
教えてくれて、ありがとうございます。
やっぱり、目元が母親似のような気がする。
もしフランツがヘレーネを選んだら、遠慮無く
「マザコンですか?(ハート)」と思うと思う。

追記:シシィ展は良かったよ〜。(札幌住人なので)
ウエスト50センチがとても羨ましい。(涙)

 スレ汚しして、失礼しました。
396世界@名無史さん:03/03/13 20:51
>>395
394です。シシィ展良かったですか〜。ああ、早く見たい!
言われてみると確かにヘレーネは、顔立ちも雰囲気も、母ルドヴィカや
ゾフィー皇太后を思わせますね。
若き日のゾフィー様
http://www.kaisergruft.at/kaisergruft/sophie.htm
http://worldroots.com/brigitte/royal/gifs/franzjosef5.jpg
若き日のルドヴィカママ
http://worldroots.com/brigitte/royal/gifs/ludowika.jpg

「皇妃エリザベート−ハプスブルクの美神」という本を読んでいたら、
フランツ・ヨーゼフ帝が、彼とは正反対の性格を持つシシィを
選んだ理由について、
「彼が心の奥底で、帝国の束縛に反抗する"分身"を必要としていた
ことを想像させる」と書いてありました。
彼もまた無意識のうちに帝国統治の重圧や母ゾフィ−の管理から
逃れたく思っていたからこそ、シシィのような自由気ままな女性に
憧れたのかもしれません。
その点、母ゾフィーの面影を留めたヘレーネが伴侶では、とても
心からくつろぐ気分になれなかったというところか(笑)。
397世界@名無史さん:03/03/15 05:06
age
398世界@名無史さん:03/03/15 19:44
>389
普通に考えて、皇后としての役目を放棄している時点で
批判されてもしかたあるまい。
過剰にハンガリーに肩入れして、マジャールを増長させ
てしまう原因の一つにもなっている。
歴史的事実から判断すれば、好意的でいられる方が不思
議に思えるが・・・。
399世界@名無史さん:03/03/17 11:06
エリザベートはDQN女
エリザベートはDQN女
エリザベートはDQN女
400世界@名無史さん:03/03/17 13:11
ん? シシィ叩きキャンペーン中なんでしょうか。

>>398
反面、ハンガリーからは現在に至るまでエリーザベトは
大変尊敬され、愛されていますよ。共産主義政権時代
でさえも、ブダペストにエルジェベト橋等彼女の名は残
り続けたし、ウィーンの彼女の棺にも、ハンガリー語で
書かれたカードが添えられた花束が耐えません。

皇妃の役目放棄と言われがちな諸国放浪ですが、ナポ
レオン三世に省みられなくなったフランス皇后ウジェニ
ーも、ルドルフ皇太子死後の妃シュテファニーも、同じく
旅に明け暮れる生活を送りました。
当時の旅とは、宮廷に居場所がない高貴な女性の逃避
手段という側面も持っていたのかもしれませんね。

>>好意的でいられる方が不思議に思えるが・・・。
彼女が愛されていなければミュージカル「エリザベート」
があれ程の人気を集めることはなかったでしょう。
エリーザベトの抱えていた問題は、現代女性にとっても
決して他人事ではなくリアルなものだということなのでは
ないでしょうか。
だからこそここ2chでも、上の>>373のレスのように、
「シシイ大嫌い。ゾフィー母后がかわいそう」
なんて、まるでエリーザベトやゾフィーが彼女の知り合い
ででもあるかのような、微笑ましい意見が熱く語られるの
でしょう。
401世界@名無史さん:03/03/21 01:27
保守アゲ
402軽やかに指摘:03/03/23 01:46
エリザベート←素人
エリーザベト←玄人
403ギシュクラ・ヤーノシュ:03/03/23 15:14
>388
テゲトホーフ提督にお詳しい方にお会いできうれしく存じます。
マールブルクというと今のスロベニアでありましたか?
出来れば一度訪れてみたいと思っております。

提督は確か雨の中を歩いて帰宅して風邪をこじらして逝去され
たと聞いたことがあります。自分の理解者だった皇弟陛下を失
った虚無故であったのでしょうか。
404Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/03/23 15:22
詳しいと言われる程は知っていません。すみません...

マールブルクは、スロヴェニアではマリボールと言います。
低地シュタイヤマルクの主都でした。

どうってことない、と言ってしまえばそれまでの町です。
戦災に遭っているので、テゲトホーフの家のような貴重な
??建物も失われています。

それでも、郊外のビラはユーゲントシュティールで美しい
し、都心の建物もきちんと修復されているものもあります
(全体としてはまだまだの感あり)。

わたしがグラーツにある提督のお墓に行った時は雨でした。
それで、傘を持って無かったので風邪ひきました(笑)。

テゲトホーフの墓に来たと言ったら、墓地の受付の人が
連れて行ってくれましたよ。お花も、新しいのが献じて
ありました。
405400:03/03/24 10:45
>>402
エリーザベト←標準ドイツ語発音
エリザベート←バイエルン・オーストリア発音
406世界@名無史さん:03/03/24 23:33
>>405 畏れ入りやした
407ギシュクラ・ヤーノシュ:03/03/25 01:14
>404
御謙遜をおっしゃいますな。
情報感謝です。
お墓にもお参りしたいと思っています。

風邪には御用心、拙者ただいま悪性の風邪で
悩まされておりまする。
408Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/03/25 13:30
御墓参りですが、WW2以前のオーストリアでは結構有名なお墓だった
のでは、と思っております。
何しろ、一番有名(?グリーベンがありますが)だったべデカーに、
「グラーツには退役軍人が多く住む」なんて説明の次に「テゲトホーフ
提督の墓は数キロ郊外にある」という文があるのですから。。

今、プラーターシュテルンの銅像の意味を知っている人って、地元
の人でも少ないかも?(あの辺は外人が多いようですし)
409ギシュクラ・ヤーノシュ:03/03/27 01:19
>408
銅像はハトの休憩所化してました。
望遠レンズで全身像を写そうとしている私を
通行人が怪訝な顔で見ていたのを思い出します。
今や海なき国ですし、有名な提督というと後は
レパントのドン・ファン・デ・オーストリアぐ
らいしかいないのでは・・・。
410Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/03/27 02:32
>>409
ははは。あそこ、エビ?とか、美味しそうなのがいますよねぇ、台座部
分。

ハトではなく、犬の落とし物を、あの芝生で踏んでしまいました。
銅像を見上げていたためであります。

実はわたくし、ベルヴェデーレにあるテゲトホーフの絵を見た事があり
ません。いつかはもうでたいと思っております。

書いたかも知れませんが、プーラにあったテゲトホーフの立像が、今は
ヴェネツィアにあるとオーストリア人(君主国マニア)に聞きました。
疑っているのですが、何か御存じありませんか?
(マールブルクにあった胸像は、今でもあの町のどこかにあるようです、
現地で買ったガイドブックに胸像の写真がありましたから)

411世界@名無史さん:03/04/02 03:09
このスレの住人でオフ会開きたいYO!
412ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/06 22:29
>410
手持ちの本には銅像の件は書かれていませんでした。
博物館に錨が展示してあるとかいう記事はあるのですが。
また、情報があれば書き込みます。

413世界@名無史さん:03/04/06 22:36
テーゲットホッフ提督を知ってる方がいっぱいで嬉しいです。
「世界の艦船」とかにはいまだにテゲトフとか書いてあって泣けてきます
414ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/07 00:28
>413
すみません、私もテゲトフ提督と書いてしまってます。
415あぼーん:03/04/07 00:29
             ∩
        ∧_∧   | |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       (  ´Д`)//  < 先生!こんなのを発見シマスタ!
      /       /    |
     / /|    /      \  http://saitama.gasuki.com/saitama/
  __| | .|    |         \
  \   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\     \_____________
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  ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
     .||              ||
416金正日:03/04/07 00:34
   ,rn                 
  r「l l h.                / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | 、. !j                | 
  ゝ .f         _      |  
  |  |       ,r'⌒  ⌒ヽ、.  │  http://www.saitama.gasuki.com/korea/
  ,」  L_     f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ. │   こんなのあったニダ
 ヾー‐' |     ゞ‐=H:=‐fー)r、)  | 
  |   じ、     ゙iー'・・ー' i.トソ   | 
  \    \.     l ; r==i; ,; |'  .人_ 
   \   ノリ^ー->==__,..-‐ヘ___
     \  ノ ハヽ  |_/oヽ__/     /\
      \  /    /        /  |.  
        y'    /o     O  ,l    |
417世界@名無史さん:03/04/11 17:55
>>ギシュクラ・ヤーノシュ様
いえいえ、こちらこそ余計なこと書いてすみません。
ちなみにギシュクラ様が書き込みされた日が提督の命日ですよね。
謹んでリッサの英雄を偲びたいと思います。
418山崎渉:03/04/17 09:34
(^^)
419ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/19 17:38
>410
プーラにあった像というのはこれでしょうか?
ttp://free-pu.hinet.hr/ADIP/Teget.htm

あとリッサ海戦に関するホームページ
ttp://www.lissa.net/orleans/LIsola_di_Lissa/lissab.html
420Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/04/19 17:51
>>419
ですかねぇ....amazonでPulaの昔の写真集を買えば判るんですけど、
何しろ、クロアチア語が解りませんで。

プーラの丘のてっぺんにありました。
421山崎渉:03/04/20 04:33
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
422ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/21 01:38
>420
今年、クロアチアへ行くかもわかりません。
プーラにも行けたらなぁと思ってますが、今でも軍港でしたっけ。
423Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/04/21 20:51
>>422
おお、いらっしゃいますか。
ホテルリヴィエラでしたっけ、ゼツェッシオン風の黄色いホテルが
意外に安いです。お薦め(ウェブで見ただけですけど)。

http://www.amazon.de/exec/obidos/ASIN/3851641086/qid=1050925750/sr=1-6/ref=sr_1_2_6/302-1539092-7212000

この写真集のシリーズ、大好きです。
前回の旅行では金が無くて、ブコヴィナの写真集を買ったらお金が
なくなりました。amazon.deは送料がバカにならないので、注文
できません(amazon.co.jpで注文可能なドイツ語文献には含まれ
ていません)。。
424世界@名無史さん:03/04/23 22:16
いつからテゲトフ・スレになったんですか?
ハプスブルクに対する不経済だ!
エリザベートたん、ハァハァ
425ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/23 22:50
>423
情報感謝です。クロアチアの情報は少ないので助かります。

>424
ラコーツィ・スレとかコッシュート・スレならともかく
帝国の忠臣であったテゲットホーフ提督についてです
からお目こぼしあれ。
426世界@名無史さん:03/04/23 23:04
>425
ギシュクラさん、ブラボーです。
テゲトフ提督なら、問題ないですよね。
ところで提督の最終階級って何なんですかね。
日本語だと資料によってまちまちなんですよね・・・
427ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/23 23:51
>426
私はそんなに詳しいわけではないですが、Vice-Admiralと書いてあるの
を見ましたから海軍中将かと思います。
手元の資料といっても大したものではないので詳しい方にご教示いただき
たいです。

428ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/23 23:55
マールブルクのテゲットホーフ提督の生家ってここでしょうか?
ttp://mario.uni-mb.si/vodnik/yuascii/slovenska.htm
429Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/04/24 02:46
ここにあるように、リュブリャーナ銀行ですが、面白くもなんとも無い
ただの安っぽい建物でした。

雰囲気ある場所を想像していたので、がっかり...
430世界@名無史さん:03/04/29 23:11
age!
431名無し:03/04/30 01:09
ハプスブルグ氏って今どこに住んでるの?
432ヨハン・シュトラウスU:03/05/06 22:14
ウィーンの森の物語
433ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/06 22:22
>431
ご当主は確かスイスでは。
434世界@名無史さん:03/05/07 17:32
435世界@名無史さん:03/05/08 07:11

双頭のバイブ
436ヨハン・シュトラウスT:03/05/09 02:25
ラデツキー行進曲
437ヨーゼフ・ロート Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/05/09 14:31
ラデツキー行進曲
438世界@名無史さん:03/05/09 15:50
もし、ルドルフ皇太子が自殺しなけりゃ、第一次世界大戦は起らなかったのかなあ。
フランツ・フェルディナントがサラエボで暗殺されなかったらどうなった?
439世界@名無史さん:03/05/10 20:55
フランツ・ヨーゼフ1世って気の毒な人だなあ。
440世界@名無史さん:03/05/10 20:56
そうかなあ、どのあたりが?
基本的に自業自得じゃない?
441世界@名無史さん:03/05/10 23:31
フランツ・ヨーゼフ1世って、王権神授説を信じてたんでしょ、20世紀になっても。
そりゃルドルフと衝突する罠。
確かに自業自得。
442世界@名無史さん:03/05/11 12:06
フランツ・ヨーゼフ1世の周りの人の方が気の毒。
ルドルフ、何がかなしゅうて自殺したんじゃ。
マクシミリアン、何でナポレオン3世にそそのかされてメキシコまで行って殺されなあかんかったんじゃ。
フランツ・フェルディナント,なぜみんな彼ら夫婦がサラエボ逝くのをとめなかったんじゃ。
フランツ・ヨーゼフ1世君、あんたはちょっと長生きしすぎた。
443世界@名無史さん:03/05/11 12:11
もし、ルドルフ皇太子とフランツ・フェルディナントの2人がフランツ・ヨーゼフ1世より長生きしてたら今でもオーストリア・ハンガリー帝国は健在だったかもしれない。
444世界@名無史さん:03/05/11 15:23
なんか疫病神のような言われようだなフランツィ。
445世界@名無史さん:03/05/11 15:39
フランツ・ヨーゼフ1世は、周りの人が死にすぎ。
呪われてるんじゃないか?
446世界@名無史さん:03/05/11 15:42
たしかにその分本人が長生きしているところを見ると、
呪われてるというか人の寿命を吸い取る力がありそう。
447世界@名無史さん:03/05/11 15:58
「双頭の鷲・バイブブルク家の人々」って読んじゃいました。

スミマセン
448世界@名無史さん:03/05/14 12:47
どんな内容?
449世界@名無史さん:03/05/14 20:28
調教する話じゃないの?
まあ、フランツ・ヨーゼフはエリザベートを調教し損ねたわけだが・・・
450世界@名無史さん:03/05/15 12:09
フランツ・ヨーゼフは弟、息子、甥の調教もし損ねた。
451世界@名無史さん:03/05/15 12:12
ところで、フランツ・ヨーゼフの死後、皇帝になったカール1世はどうよ?
オットーのお父さん。目立たないけど、ハプスブルク家最後の皇帝だけど。
452世界@名無史さん:03/05/15 21:32
>>451
何とか帝室を再興しようと必死だった。
でも最後は大西洋の離れ島で不遇の死を遂げたんだよね。
453久々のカウニッツ:03/05/15 22:32
>>452さん。マデイラ島ですね。
ハプスブルク家の最盛期には、マデイラ島は勿論のこと、東西両岸もハプスブルク家の
領土でした。皆さんにお聞きしたいのですが「香具師」の読みと意味を教えて下さい。
454ハウクヴィッツ:03/05/15 23:42
>>453
はっきりわかりませんが、ヤツ→ヤシと表記する人が出てきて、ヤシを漢字変換して「香具師」といっているようです。
455Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/05/16 19:29
>>452
メイドへの賃金も払えなかったという...

デスマスクの写真、あります。
456452:03/05/16 22:01
そう、マデイラ島。
今旅行会社のパンフレット見ると、南国で、
風光明媚ないい所だね。
でもやっぱり元皇帝の終焉の地としては寂しすぎる。

しかし、>>453-455さんは、そろいもそろってかっこいいコテハンですね。(笑
カウニッツって、「ベルサイユのばら」では、アントワネットに
「がりがりじじい」なんて呼ばれてたけど、
実際は有能な政治家だったんだろうな。
457ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/18 00:44
453・454・455・・・オールスター総出演ですね。
カール帝の遺骸もいいかげんにウイーンに帰してあげてほしいですね。
いつまでも離れ島ではさぞお寂しいことだと思います。
458カウニッツ:03/05/19 00:27
>>457
ギシュクラ・ヤーノシュ様。
全くですな!カール1世帝の遺骸はウィーンのカプツィーナー教会が一番ではないかと…。
459452:03/05/19 01:13
>>458
ウィーンのカプツィーナー教会に行ったことがあります。
周りの市街地の喧騒が嘘のように、
ここは静寂、厳粛…。
歴代の帝室一族の棺は壮観でした。
カール1世帝は、いつここへ入れるのか。

カウニッツ様は、スレ主なんですね。
前回は、失礼しました。
460ハウクヴィッツ:03/05/19 22:37
エリザベート皇后の姉妹

カロリーネ・テレーゼ・ヘレーネ(1834〜1890)トゥルン・ウント・タクシス侯爵夫人
マリー・ゾフィー・アマーリエ(1841〜1925)両シチリア王妃
マティルデ・ルドヴィカ(1843〜1925)トラーニ伯爵夫人(両シチリア王家)
ゾフィー・シャルロッテ・アウグスティーネ(1847〜1897)アランソン公爵夫人
461ハウクヴィッツ:03/05/19 22:58
ゾフィー大公妃の同母姉妹

エリザベート・ルイーゼ(1801〜1873)プロイセン王妃(フリードリヒ・ヴィルヘルム4世妃)
アマーリエ・アウグステ(1801〜1877)ザクセン王妃
マリー・アンネ・レオポルディーネ・エリザベート・ヴィルヘルミーネ(1805〜1877)ザクセン王妃
ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ(1808〜1892)エリザベート皇后の母君


462世界@名無史さん:03/05/21 18:09
とりあえず、「ハプスブルクの栄光」で検索してみ
ここで中東半端にしゃべってるよりためになりまっせ
463山崎渉:03/05/21 21:48
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
464カウニッツ:03/05/22 01:42
随分下がってるな〜……
465世界@名無史さん:03/05/22 04:41
宰相カウニッツ様
今一度のテコ入れを
466世界@名無史さん:03/05/22 16:47
あげ
467ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/24 00:01
カウニッツさま
先日、シュトラウスのジプシー男爵なるオペレッタを観に出かけ申した。
舞台はマリア・テレジアさまの時代で舞台は今はルーマニアの一部にな
っておりますテルメシュヴァール(ティミショアラ)でござった。

主人公はテレジアさまの為にスペインへ出征すると申して恋人を残して
出征しておりもうしたが、プロイセンのけしからぬ王が侵攻してまいっ
たおりにスペインでも戦があったのでござりましょうや?
468カウニッツ:03/05/24 01:48
オーストリア継承戦争の時に同じブルボン家の誼でスペインの軍隊も出征して来ました。
が、スペイン領での戦闘はありませんでした。ただ、オーストリアの同盟国のイギリス海軍と、
フランス・スペイン海軍の間で戦闘はあったのかも知れないです。
469ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/24 22:13
カウニッツさま
拙者のおぼろげな記憶でもスペインでオーストリア軍が戦闘する
ような状況はなかったかと。シュトラウス殿の思い違いか、ある
いはプロイセンを刺激するようなことを避けたかのいずれかでご
ざろうな。プロイセンとの戦ではマジャール騎兵がベルリンを襲
撃するなど戦果を挙げておりましたな。
470カウニッツ:03/05/26 00:22
ハンガリーやクロアチアの騎兵(軽騎兵)は勇敢で頼もしいですね。
オットー・トラウン将軍が早い時期に勇敢な戦死を遂げなければ、
マジャールの兵を有効に活用してフリードリヒを破っていたかも知れません。
残念です。
471フリードリヒ2世:03/05/26 00:56
カウニッツ伯よ、相変わらずの多方面の活躍に敬意を表する。

ヤーノシュ将軍よ、オーストリア継承戦争では貴公の流れを汲むハンガリーの軽騎兵は
補給路を脅かし、また効果的な遊撃を掛けてくる無視できない存在であった。
いくら追い払ってもすぐまとわりついてくる薮蚊のようにな。
気に障る言い方だろうが、これが私流の賛辞だと思ってもらいたい。


472Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/05/26 20:42
>>470
以前、1848年の革命騒ぎをあつかった本(後書きが一番感動的な本)を読んだのですが、

泣く子も黙る赤マント、

かっちょええーーーーと思ってしまいました。
473カウニッツ:03/05/26 23:45
ハンガリー出身の近衛連隊の制服も「かっちょええーーーー」ですね。
474ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/27 00:32
フリードリヒ2世陛下
最高の誉め言葉と承ります。
ベルリンを襲撃したハディク・アンドラーシュ殿やコーリンの戦いで勇戦した
ナーダシュディ・フェレンツ殿といった将星が陛下の心胆を寒からしめたと伝え
聞いておりまする。

拙者自身は元々はチェコのフス派の残党を率いており、ヤノシュ・フニャディ
殿と幾たびも戦を繰り返した身ゆえ、マジャール騎兵の恐ろしさは身をもって
体験いたしておりまする故、陛下のお言葉は実感できまする。
>>473
ハンガリーの騎兵の赤いギャリソンキャップ持っています。
F.J.I.となっていますが、ホントはK.I.が欲しかった。。

実在しているんですかね?<K.I.タイプ
476カウニッツ:03/05/27 22:07
>>475さん。どうやって手に入れたのでしょうか。自分も欲しいですね。
477ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/27 23:50
カウニッツ殿
拙者はブダペストの骨董店でフサールの装束一式をみたことがござる。
ところで、未だにハンガリー軍にはフサールがいるようでござる。
勿論、式典向けなのでござろうが、3月15日の式典のパレードで隊列
を組んで参加いたしておりますぞ・・・。

この式典が何を記念しているかはこのスレではタブーかもしれませぬ
なぁ・・・。
>>477
激しくほすぃ.. あと、深夜ながら、ドライ・フザーレンで飯喰いたい。

でも、一番ほしいのは実はフォン・マッケンゼンのかむっている、キャプテンハングック、
もとえ、ハーロックのコルバックであります。

>>476
ギャリソンキャップを買ったのは、実は某オークションでですた。ひょっとして、ここに
おられる方々に、その出品者がおられるかもしれません。貴重なものを感謝します。

行進に参加しながらも、着ている服が王朝時代のものだとは、矛盾ですね(笑)
...あ、鎮圧軍の役をするのだろうから、市民に石投げられたりするのかな?

小生は、フザールにも是非いて欲しいですが、海軍も希望します。あと、実は国号が
戦前のものに戻るとか。
479山崎渉:03/05/28 14:55
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
480ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/28 23:18
>478
1848年の独立戦争の記念パレードでして、騎兵はコッシュート
軍なのだと思います。そういえば、革命の発端になったカフェ・ピ
ルバックスの跡に立つピルバックス・パンジョーというホテルのレ
ストランには革命軍の帽子やら、サーベルや騎兵の突撃の様子の画
などが展示してあります。
481ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/28 23:33
>478
フォン・マッケンゼン将軍の装束というとこれでござるな。
ttp://www.pzaufkl.de/mackensen.htm
482ヤゲロー派:03/05/30 22:26
ハプスブルクに乗っ取られた……
483世界@名無史さん:03/06/02 22:02
カスティリャ・アラゴン王家は正式にはなんと言う家名なのですか?
484名なしのゴンベイ:03/06/02 23:03
トラスタマラ王家。
アルカサル-王城(青池保子)のエンリケの子孫たちです。
485世界@名無史さん:03/06/06 22:41
>>484
Thanks.
486レオポルト1世:03/06/09 00:04
今日は朕の誕生日、活発なレスを期待する!
487世界@名無史さん:03/06/09 17:30
ハプスブルグ家は受け口が多いらしいけど、
マリー・アントワネットも受け口だったの?
知ってる人いる?
488世界@名無史さん:03/06/09 17:32
ハプスブルクの栄光に来て下さい!
京城に行っておりました。
姫とはお別れを致しました。

非常に悲しい。。

スレ違いスマソ
>>489
ん?
ヴィンデシッシュグレーツ将軍や他の将軍たちは
日の出とともに戦争をおっぱじめた
ほっぷ、ほっぷ、ほっぷ!
いかん、タイプミスです。。


ところで、ヴィンディシュグレーツ、他スレでわたしも使っていますが、
これからも使い続けて宜しいですか?
493ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/11 01:10
>489
元気をお出しなされよ。
494***:03/06/11 03:54
>484 :名ないしのゴンベイ :03/06/02 23:03
トラスタマラ王家。
アルカサル-王城(青池保子)のエンリケの子孫たちです

エンリケの末路は結局どうなったんでしょ。漫画でしか知らない。
495***:03/06/11 03:57
オットー・フォン・ヴィンディッシュグレーツって
「最後の皇女エリザベート」の一番初めの旦那ですね。
好きなんですか?
496490:03/06/15 23:40
Reichsprotektor様、どうぞヴィンディッシュグレーツの名を使って下さい。
私はまた他のを考えます。
>>496
いえ、ここでは使いません。
実は、判る人がいなさそうなんで(笑)、やめようかと思っていたんです<ヴィンディッシュグレーツ

スロヴェニグラデツ、いらしたこと、ありますか?
498490:03/06/16 22:50
そんなに知ってる人がいないんですか、「ヴィンディッシュグレーツ家」を?
ハプスブルク帝国の超名門貴族ですよね…。
スロヴェニグラデツとはヴィンディッシュグレーツ侯爵の御領地のことですか。
名前からして昔のチェコスロバキアの一部でしょうが…。
僕は海外行ったことが高校の修学旅行の韓国のみなんで…ショボーン。
>497・498
拙者の名前ならともかく、ヴィンデシュグレーツ家の場合
そんなことはありますまい。
地名は思い当たるところがあるような・・・。
500会議は踊る:03/06/17 01:16
軽やかに500GETでございます!
>>498
スロヴェニグラデツはスロヴェニアにあります。

元々はその辺に領地もあったのでしょうが、多分その後移動していることと
思いますよ。

...と思ったら、ロンプラ@1995年版にはヴィンディッシュグレーツがこの町
を支配していたと書いてあった!!

慌てて検索。
http://www.slovenj-gradec.si/default.asp?MenuID=126
Windischgratzとなっていますが、まぁ英語綴りしたんでしょう。

彼らのお城は
http://www.slovenj-gradec.si/default.asp?MenuID=126
ベーメンにあったみたいですね。
http://pages.prodigy.net/ptheroff/gotha/windischgratz.html
ここを見ると、Tachauという名前が何度も出てくる。チェコ語ではTachov
というらしい。
地図を見ると、限り無くバイエルンに近い。

ということで、彼らがヴィンディッシュグレーツにいたのはずっとずっと昔、
バイエルンから来てすぐの間(ヴィンディッシュグレーツと名乗り出した
頃まで?!)なんでしょうね。

502須永朝彦:03/06/17 02:58
少年の日に緑もて縁どりし神聖羅馬帝国版図
503フリードリヒ大王:03/06/20 20:53
ナポレオンと朕がもし同時代の人間であったらどっちが勝つかの…。
504カウニッツ:03/06/25 00:57
Reichsprotektor様。元気になられましたか?
「ヴィンディッシュ=グレーツ家」についてはありがとうございました。
教えて頂きたいのがもう一つあるのです。それは「シュヴァルツェンベルク家」です。
アルフレート・フォン・ヴィンディッシュ=グレーツ将軍の義弟であるせられる
フェリクス・フォン・シュヴァルツェンベルク宰相などが有名ですよね。
宰相のハプスブルク帝国に対する功績?(プロイセンに対する強攻策は溜飲が下がる気分です)
はもっと評価されて良いと思いますね。
505世界@名無史さん:03/06/30 22:13
>>もちろん、大王さまです!
ニコチャン大王様!
506カウニッツ:03/07/04 23:58
>>505逝ってよし。
507フリードリヒ2世:03/07/06 01:32
>>506
カウニッツ伯よ、貴公に品の無い2ch用語は似合わぬと思うのだが、如何かな?

508カウニッツ:03/07/08 23:51
>>507
暫く留守にしてたらフリードリヒ陛下がおみえでしたか。2ch用語似合いませんかね〜?
509世界@名無史さん:03/07/09 05:33
スペイン大国のカルロス一世までハプスブルク家だったそうですが
なぜそこまで彼らは権力をもっていたのですか?
不思議です、事の背景を詳しくおもしろく紹介してる
サイトなんかあればいいんですがね・・
510世界@名無史さん:03/07/11 00:25
シュヴァルツェンベルクはvonではなくzuでございましょう。
511世界@名無史さん:03/07/11 22:50
シュヴァルツェンベルクはvonではなくzuでございましょう。
>510
何語で表記するかでござろうな。チェコ語であればzuでござろうし、
ドイツ語であればVonでござる。
いずれも何処そこのという意味でござる。
因みにハンガリー貴族の場合は地名の語尾が変化するのでござる。
我が主、マーチャーシュのフニャディ家はフニャドの領主でござるし、
ズリーニ家はクロアチアのズリンの領主でござる。彼の地ではズリン
スキー家で通っておいででござるな。
513カウニッツ:03/07/12 00:37
ギシュクラ・ヤーノシュ様の言っているように何語で表記するかによりますね。
カウニッツ殿
貴殿の活躍が記述されている「ハプスブルクとハンガリー」
H・バラージュ・エーヴァ著 成文社
という本が出版された由にござる。
コルヴィナ文庫に入ってきたら、主に頼んで読ませてもらう
ことにいたそうと思っておりますぞ。
515山崎 渉:03/07/12 12:37

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
516山崎 渉:03/07/15 12:38

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
517ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/15 22:41
カウニッツ伯
上記のような輩はヴィーナーノイシュタットに収監すべきですぞ。
518世界@名無史さん:03/07/15 23:06
皇妃エリザベートの直系の玄孫の、マクシミリアンロートリンゲン君
ネットで画像は無いけど、テレビで見たら超美形だった 去年では16歳だった
影のある目の潤んだ薄幸の美男子で、エリザベートの自殺した長男に
そっくりでした。長男の写真と自画像見たけどそっくりだね。
100年経ってもあんなに似てるのはすごい
叶姉妹の妹がおっぱい丸出しの衣装で挑発してたけど、マクシミリアン君は
眼中に無くて、必死にエリザベートの後を継ぐという大事な任務を
誇り高く喋っておられました
あーーー、もう一回顔見たい
きっと、いいなづけがいるんだろうなー
でも背は低かったよ そこはエリザベートに似なかったんだね    
519カウニッツ:03/07/16 00:26
>>518さん!何ですと〜!!そんな番組をテレビでやってたのですか!!!
詳しい情報希望です。
520ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/17 00:37
おやハンガリースレと同じ内容が書かれてござるな・・。
と思ったら大帝陛下の宮廷にも同様のものが・・。
マクシミリアン殿はそれほどの美少年でござるか・・・。
521世界@名無史さん:03/07/21 20:00
カウニッツ様

番組そのものは、日本各地で開催されている
「皇妃エリザベート展」のPR番組で
叶姉妹の妹さんがエリザベート縁の地を訪れるというもので
その中でマクシミリアンさん一家が管理している邸宅
(カイザー・ヴィラだったかな?)を訪問してという
部分がありました。
なお、マクシミリアンさん自身はご両親が貴賎結婚のため
オーストリア大公ではなくハプスブルク伯爵の称号を持つそうです。
(エリザベートの末娘マリア・ヴァレリーの子孫ですので
ハプスブルク一族としては傍系の方ですね。)
522世界@名無史さん:03/07/22 10:45
>>521さん、ありがとうございます!
523世界@名無史さん:03/07/23 18:50
マクシミリアン・サルヴァトール Maximilian Salvator
称号
ハプスブルク伯
生没年
1984年12月28日〜
生地
Salzburg(ザルツブルク)

オーストリア大公マルクス・エマヌエル・サルヴァトール・フランツィスクス・デ・パウラ・スタニスラウス・グレゴリウス・ヨーゼファット・フローリアン・マリア・ヨーゼフ・フーベルト・イグナティウス(1946,4,2-)

ヒルデ・ユングマイル(1955,8,6-)
524カウニッツ:03/07/23 19:09
522は私です。
ギシュクラ・ヤーノシュ様。「ハプスブルクとハンガリー」は私も楽しみです。
ヴィナー・ノイシュタットに収監するのではなくプロイセンの兵隊王に鍛え直して貰います。
>>523さん、ありがとうございます。でも父上は名前が長いですね。

525世界@名無史さん:03/07/25 17:51
しかしいまだに貴賎結婚の掟が生きているとは、ハプスブルグ、恐るべし。
526  :03/07/27 20:43
>89
まもなく「茄子 アンダルシアの夏」という映画が公開される・・・・
527世界@名無史さん:03/07/27 20:50
ハプスブルグ面様といわれる特殊な顔立ちしてたんだろ?
528ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/27 21:48
>527
誰がでござるかな?
近代に入ってからはその手の顔立ちの方は
おられましたかな?
529カウニッツ:03/07/27 22:07
レオポルト1世陛下まではハプスブルク家の人々は下唇や顎に顕著な特徴が
見られましたが、ヨーゼフ1世・カール6世陛下を経て、マリア・テレジア
女帝以降になりますとそのようなことは無くなりますが。
530世界@名無史さん:03/07/27 22:39
どなたかマクシミリアン・サルヴァトール君の
お父上の名前の解説をしてくださいませんか。

どれが名前でどれが洗礼名でどれが姓なんでしょう。
531フリードリヒ2世:03/07/28 16:15
哲人王って私の事ですか?
532ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/30 00:35
>530
恐らくは全てお名前ではないかと思い申すが・・・。
ここまで長いとは・・まるで冗談のようでござるなぁ・・。
533世界@名無史さん:03/07/30 11:28
その漫画は漏れも愛読している。
で、ちょっとお聞きしますが、
漫画の中にエンリケは庶子なんで王位継承権がない、と言われているシーンがある。
でもエンリケの息子が王位を継いだということは、庶子の息子であっても
正式な婚姻による子は相続権があるということですか?

庶子は王位相続権そのものは泣くとも、王位相続権を伝えることができるということ?

>>532
マクシミリアンさんの姓がサルヴァトールであるところを見ると、
一応、「サルヴァトール」が姓なんでしょうなあ。
534533:03/07/30 13:09
漫画というのは、>>499さんの書いている青池保子の「アルカサル-王城-」
のことです。

庶子は王位相続権そのものは泣くとも、→庶子は王位相続権そのものは無く
535世界@名無史さん:03/07/30 15:16
>530 >532
姓はハプスブルク=ロートリンゲン。サルヴァトールはトスカーナ系ハプスブルク家の人によく付けられる名前。
536530:03/07/30 20:01
そうなんですか(^^;)
では、マクシミリアン君の正確な名は
マクシミリアン・サルバルトール・フォン・ハプスブルグ=ロートリンゲン
で、お父さんは
オーストリア大公マルクス・エマヌエル・サルヴァトール・フランツィスクス・
デ・パウラ・スタニスラウス・グレゴリウス・ヨーゼファット・フローリアン・
マリア・ヨーゼフ・フーベルト・イグナティウス・フォン・ハプスブルグ=ロートリンゲン
なんでしょうか。

「デ」は冠詞だということぐらいはわかりますが、
あとの意味をもうちょっと教えてもらえませんか。

それからロートリンゲンというのは、確かマリア・テレジアの御夫君の姓だと
思いますが、マリア・テレジアがこの方と結婚したので、ハプスブルグ家は、
ハプスブルグ=ロートリンゲンと名乗るようになったのでしょうか。
537世界@名無史さん:03/07/30 20:31
ハプスブルクサイトで「Verschiedenartig Organisation」って
ありましたね。
消えているようだけれど、移転先をご存知の方いらっしゃい
ませんか?
538523:03/07/31 16:39
マクシミリアン・サルヴァトール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン、その通りです。
マルクスというのは、第2次ウィーン包囲の際にポーランド王を呼びに行った救国の英雄、司教マルクス・ド・アヴィアーノから取られたものだと思われます。
実際、オーストリア皇帝カール1世の子供達は、オットー大公を除いて皆マルクス・ド・アヴィアーノという名前がついています。
デ・パウラ、というのもイタリアかスペインの聖人だと思われます。
他の名前は、ヨーゼファットなどは珍しいですが、普通にある名前です。

ハプスブルク=ロートリンゲン家はマリア・テレジアとフランツ・シュテファンの子供達から始まります。
539世界@名無史さん:03/08/03 00:48
>>537
俺も知りたい。
540ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/08/05 00:59
サイトの一部が残っているだけのようでござるな。
ハプスブルグ関係のサイトは他にも良い内容のところが
あり申したが、閉鎖になっているところが多く寂しゅう
ござる。
541世界@名無史さん:03/08/05 09:50
なんかの本に外でマリアテレジアが子供に授乳してる絵があったんですけど
あの時代って一国の女帝が外で、しかも人がいっぱいいる中で堂々と授乳してたんですかね?
なんか低脳な事聞いてすいません
542世界@名無史さん:03/08/05 17:17
レーオポルト一世の作品です。視聴も出来ますよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000007N83/qid=1060071128/sr=1-2/ref=sr_1_0_2/249-8187235-6516327
543世界@名無史さん:03/08/05 17:31
ハプスブルグの趣味は悪いと思うのは漏れだけ?
美的センスが田舎者な気がするんだ・・・・・・。
544カウニッツ:03/08/11 23:03
>>543さん、ルドルフ2世は高く評価されていますが…。
545_:03/08/11 23:19
546世界@名無史さん:03/08/15 23:16
お盆あげ
547EinigenNichtTrennen:03/08/16 00:09
Uncrowned Emperor: The Life and Times of Otto Von Habsburg
Gordon Brook-Shepherd
548世界@名無史さん:03/08/19 23:24
コテハン復帰期待アゲ!!
549カウニッツ:03/08/24 02:35
何とか1000まで行きたいものです。皆さん、話題を見つけましょうか。
550世界@名無史さん:03/08/24 02:37
一番すきなのはオットー・ハプスブルグ。
草の根民主活動とヨーロッパ統合に尽力した。
カウニッツさま
ハプスブルグ家のようなメジャーな話題のスレッドが伸びぬというのは
解せぬ話でありますな。拙者も及ばずながら協力させていただきますぞ。

>550
オットー大公は人物でござるな。ベルリンの壁崩壊の際もオーストリア
とハンガリーの交渉のお膳立てをしたのは大公だったそうで・・・。
世が世であれば名君と呼ばれたことでございましょうな。
552カウニッツ:03/08/24 22:39
>ギシュクラ・ヤーノシュ様
オットー・フォン(←大公殿下は「フォン」は使いませんでしたっけ?)・ハプスブルク氏は、
先祖のハプスブルク家の君主の支配した「中欧」のみならず、全ヨーロッパ的視野に立って
物事を考えて来られた本当の政治家であると私は思います。ナチスから命を狙われたり、
父君のカール1世陛下の早世による若き時分で一族の長になった御苦労をも他人に感じさせない
素晴らしい人物でもありますね。
553世界@名無史さん:03/08/25 07:23
>>541
フランスなんかセクースから出産まで全部が衆人環視の前で行われていた

それでノイローゼにかかってショッピング三昧にはしったのが娘
554カウニッツ:03/08/25 20:07
>>553さん。
マリア・アントーニア様の名誉に関わる事なので、もっと正確に記して下さいね。
言葉が乱暴ですし……。
555555:03/08/25 20:27
ゴウゴウゴウ
カウニッツさま
我が主の宮廷で聞いた噂ではホルティ提督がその死の直前に
面会を願ったのを快く受けたそうでござる。我が家にかつて
仇をなした人物でさえ受け入れ許す、その度量には感嘆いた
しもうした。流石は中欧きっての名家のご当主でござるな。
557カウニッツ:03/08/27 23:06
ギシュクラ・ヤーノシュ様。
それはカール1世陛下の最期のことですよね。
カウニッツさま
いえ、ホルティ提督が亡命先で臨終を迎えんとした際の
話だそうでござる。
カール帝のご最期の折には、まだかの提督はそのような
心境ではなかったと思いますぞ。
559カウニッツ:03/08/27 23:27
ギシュクラ様。
これはお恥ずかしい……。勘違いをしてしまいました。

>カール帝のご最期の折には、まだかの提督はそのような
>心境ではなかったと思いますぞ。

確かにそうでした。
カウニッツさま
いや、拙者とて主の宮廷で人づてに聞いた噂話でござる。
かの提督も亡命の身になってかつて己の行ったことの意味に
気がついたのでござろうか・・・。
それにしてもカール帝のご遺体はいつになれば先祖や家族とと
もに眠ることができるのでござろうか・・・。
観光でかの家の人々をネタにして儲けるのであれば、そのぐら
い認めても問題はありますまいに・・・。
561シャルルマーニュ:03/09/01 15:28
カール大帝として世界史板に君臨してきた余ももう歳じゃ…。
宰相のカウニッツ伯に後任を推挙されたい。他の者も自由に議論すべし。
562カウニッツ:03/09/01 20:51
大帝陛下、なにかありましたか?
後任は陛下がご指名下さい。スペイン継承戦争やオーストリア継承戦争みたいなのは嫌ですので。
出来れば陛下に復活して欲しいのですが。
563ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/09/01 23:38
大帝陛下!なんと弱気なことをおっしゃるのです。
陛下なればこそ、拙者も主に懇願し、宮廷の門の守りについて参りましたものを・・・。
なんと、情けなきお言葉を仰るものかな・・・。
なにとぞ退位の儀ばかりは思いとどまってくだされ。
564Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/09/04 18:10
おひさしぶりであります。
いろいろありまして、今は別の彼女が出来ましてございます。

晩秋あたり、所領の巡回にガリツィエンに参ろうかと思っておりまする。
565ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/09/04 23:29
>564
禍福はあざなえる縄の如しと申します。
悪きことのあとには良き事がござるもの。
よろしゅうございましたなぁ。
拙者も心から祝福させていただきますぞ。

晩秋の中欧の風情は良いものです。
モハーチの古戦場にて渡る鳥の群れを飽かず眺めた
ことや、トランシルバニアの町々を霜を踏みつつ
訪れたことを思い出しました。
566カウニッツ:03/09/06 00:40
Reichsprotektor様、良かったですね〜。シェーンブルンでお祝いしましょう。
されど、モーツァルトのオペラにもある「コシ・ファン・トゥッテ」は良い教訓になりましょう。
因みに、「コシ・ファン・トゥッテ」=(女はみんなこうしたもの)です。
ガリツィエン、モハーチ、トランシルバニア…、行きたいな〜。。。
567世界@名無史さん:03/09/08 18:06
544の方もふれていらっしゃるルドルフ2世の評価とは
いかがなものなのでしょうか?
政治的手腕はイマイチという通説もありますが、
彼の蒐集熱には一目おくものがあるのではないかと。
568世界@名無史さん:03/09/12 23:07
ガリツィアの小さな町のカフェでフランツ・ヨーゼフの肖像画がいまだに飾ってあって、
感慨深かったなあ。
569世界@名無史さん:03/09/13 23:01
ルードルフUとマティアス皇帝とフェルディナンドUて従兄弟って本当でつか?
570カウニッツ:03/09/14 01:17
そうです。ルドルフ2世(兄)とマティアス帝(弟)は語学の天才マクシミリアン2世の
息子です。フェルディナント2世はマクシミリアン2世の弟の子で彼らとは従兄弟にあたります。
年齢の差から意外と思われるかも知れませんが…。
571世界@名無史さん:03/09/15 11:18
>>512
>チェコ語であればzuでござろうし、
>ドイツ語であればVonでござる。

をひをひ、zuもドイツ語だって(w
572世界@名無史さん:03/09/15 11:26
>貴賎結婚の掟

といえばオットーの息子カールの嫁さんは
ドイツの財閥ティッセン家の出身だろ?
これって貴賎結婚と違うの?
573世界@名無史さん:03/09/15 11:32
ブルボン家がスペインで「保存」されてるように
ハプスブルク家もオーストリアで「保存」できんもんか?(w

ついでにヴィッテルスバハ家をバイエルンで「保存」するのはいいが
ホーエンツォレルン家は絶対に復活させなくていい。ウザすぎる(w
>571
確かにドイツ語でもZUは使いますな。
傭兵風情の知識ゆえ御寛恕あれ。
ザクセン選帝公の称号などはZUでござったな。
語学に堪能な方とお見受けするのでご教示賜りたい
のだが、チェコ語の場合はドイツ語から影響を受け
ていると思ってよろしゅうござるかな?

575世界@名無史さん:03/09/16 07:29
>>574
てゆーか、逆に聞きたいのだが
なぜチェコ語だと思ったのかな?
だいたい、あんた名前からするとハンガリー人だろ?
576ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/09/16 22:27
>>553の方の内容

王室の出産は生まれてくる赤ちゃんを取り替えられるのを避けるため
隣室で待機するのが基本でして、王妃様といたしましても自覚をもう
少しお持ちになられていてくださいますれば……。
577ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/09/16 22:36
>>573の方の内容を受けて、
 WW1の発端はハプスブルグ家ゆえに、WW1後、オーストリア
は細かく分割されてしまい。WW2において、ヒットラーにつけ入る
隙を与えてしまったという話をどこかで聞いたような。
>575
またも大間違いをいたしておるので予め陳謝させていただく。
全く、傭兵風情が調べるとろくなことにはならぬ・・・。
お恥ずかしいしだいでござる。
いい加減なことを書くなと主からもきついお叱りを受け申した・・。
と申すはZUの件でござる。
ボヘミア貴族の場合はzuではなくzだけでござった。
全くお恥ずかしい次第でござる。

で、拙者のことでござるがハンガリーでの呼び名がギシュクラ・
ヤーノシュで元はボヘミアの小貴族の出でござる。
ヤン・イスクラと申せばお判りになる方もあるいはおられるやも
しれませぬな。
579571=575:03/09/17 07:27
>>578
ふーん、おら、チェコ人で知ってるのは兵士シュヴェイクだけだよ(w
>>577
ありゃドイツが戦争をそそのかしたって聞いたぞ。
ま、戦争をおっぱじめたのはオーストリアだし、
どうせ、二重帝国はガタガタだったから、
戦争がなくたって分裂は必至だったな。
まったく、ハンガリー人のくそったれが!
580世界@名無史さん:03/09/17 18:50
>>579
WW1はいろいろな不幸な要因で始まったもの。とりあえず
http://ww1.m78.com/honbun/sarajevo%20assassination.html
http://ww1.m78.com/honbun/diplomacy.html
でも見てきましょう。
581ケーフェンヒュラー元帥:03/09/18 22:44
ageじゃ。
582カウニッツ:03/09/21 16:38
ギシュクラ・ヤーノシュ様。
確か、反ハプスブルクでトランシルバニアの大貴族であった、
サーポヤイ・ヤーノシュと言う人が16世紀に居たと思いましたが、
御親戚か何かなのでしょうか?
583世界@名無史さん:03/09/21 16:52
脳から直接コンピューター操作が可能に?
http://www16.brinkster.com/aliceandwebern/a.htm

★★YOSHIKI様のピアニストを撃て!!★★
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=perform&vi=1046163268&rm=100
カウニッツさま
ハンガリーの場合、姓・名の順番で表記するのでござる。
拙者の場合はボヘミアでの呼び名ヤン・イスクラがハンガリーでは
何故かギシュクラ・ヤーノシュになるのですな。
で、ヤン=ヤーノシュでござる。
サポヤイ家はマーチャーシュ王どのに取り立てられた貴族でござる。
言ってもせんなきことながら、拙者がマーチャーシュ王に返納した
スピシュの城がかの御仁の本拠となりもうした。
スピシュ城の麓の教会にサポヤイ殿の父君のお墓がござる。
サポヤイ・ヤーノシュ殿はモハーチ戦の時に戦場に参陣せず、王の
陣没後、ハンガリー王を名乗った御仁ですな。流石に、ハプスブル
グ家に単独で対抗することは出来ず、トルコの支援を受けて王位を
維持する結果となりもうした。
王になりたいという野心は武門の生まれなら誰しも持つものでござ
るが、かの御仁の場合をどう考えるのか難しいところでござろう。
585Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/09/21 23:11
ガリツイエンではなうて、セルビアとモンテネグロへゆきたい
今日この頃であります。

コトールの守備隊に遠戚がをりまして、ひさしぶりにそのもの
と酒を飲んだ後、モンテネグロに参り、宮殿にて記帳、それか
ら山を越えてベオグラードへと。。

ベオグラードにをりますセルビア美人のドラガナにも、2年振り
に会うてみたくなりまして。何にしても、今の仕事を片付けねば...

ところで自分は以前ツエトニクといふベーメンの少将から彼の
大礼服をお借りしたことがございました。シユヴアイクのお手
伝ひのミューラー婦人は、シユヴアイクがジャンダルメリーに
しよつぴかれたあと、うちのお手伝ひとなつたのだが、何しろ
ミスが多く、ある晩、自分の大礼服にスープをかけてしまつた。
急用があり、ツエトニク少将に大礼服をお借りしたのですが、
内ポケツトの刺繍は確かvon Zednikとなつてをりました。
名前はチェコ(の業種名!)なのに、半分はドイツ系でした。
586世界@名無史さん:03/09/22 21:57
  >>356
近代のスラブ人に対する処遇はそんなに悪いものだったのでしょうか?
参政権まであったとなると、教育や官吏就任などで一定の配慮はなされたのでしょうか
587カウニッツ:03/09/22 23:51
ギシュクラ様とReichsprotektor ◆z4Op9cXCnM様からレスがついてますね、嬉しいな。
588世界@名無史さん:03/09/23 16:39
オットー以外にも、
欧州で現在活動しているハプスブルグ家構成員はいるんですか?
589Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/09/23 21:13
>>588
テレビ司会者とかいますよ。
カメラ博物館を居城でされておられる方もいらっしゃいますな。
カメラ雑誌で見て驚き申した。
591世界@名無史さん:03/09/24 11:35
テレビ司会者は王政復古とかされても困るだろうな
592世界@名無史さん:03/09/24 13:11
イラク旧王家もイギリスの金融業者だ
593ayaya:03/09/27 07:17
ここまで読了。

ずっと読んでみましたが、カタリーナ・シュラットについての記述が無いので少し。

カタリーナ・シュラット:
−エリザベート公認のフランツ・ヨーゼフの愛人。
−ヨーロッパ中漂浪の旅をしていたエリザベートが自分の代わりにと紹介した女性で女優。
−エリザベートを熱愛していたはずのフランツ・ヨーゼフが愛人を持つとは… 
−フランツ・ヨーゼフは非常に気前良く彼女にお金を与えたらしい。
−ところが次第に彼女はエリザベートがしていたような旅と賭博に明け暮れようになった。
−それでもフランツ・ヨーゼフはお金を与え続け彼女の自由にさせていた。

結論:
フランツ・ヨーゼフは ladies man のようです。

写真を検索しましたが日本語では無し。
独語・英語のサイトを探そうにもスペルがわからなく断念。

-----------------------------------------
役立つサイト:
ハプスブルク家 Habsburg
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/habsburg.html
ハプスブルク=ロートリンゲン家 Habsburg-Lothringen
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/habsburg-lothringen.html
Reichsarchiv 〜世界帝王事典〜
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/index.html
594世界@名無史さん:03/09/27 12:09
英語ならキャサリン・シュラット?
595ayaya:03/09/27 22:45
>>594
スペルがわかりました。 Katherina Schratt のようです。
(しかし肖像画は見つからず)

>>593 の文章はフランツ・ヨーゼフは「女に甘い」と書けばよかったと反省。

フランツ・ヨーゼフは母ゾフィーの思うように育てられ、
エリザベートにはいいようにあしらわれ。
カタリーナ・シュラットも増長させるような何かがあるように見受けられます。

------------------------------------
このページにはフランツ・ヨーゼフとエリザベートの写真がたくさんあります。
http://www.geocities.com/kaiserinsisined/franz.html
http://www.geocities.com/kaiserinsisined/sisiqueen.html
エリザベートの肖像画
http://www.fortunecity.com/victorian/dadd/1258/Bios/diamant.jpg
596世界@名無史さん:03/09/27 23:24
というか、愛人という比較的自由な立場であっても
(或いは愛人であるからこそそれなりに)、ハプスブルク家の
色々なしきたりに我慢できずに変になった可能性がある。
エリザベートは一応王家の出身だから最低限のことは心得ていたろうが、
カタリーナが女優ってことは平民の出身だろうし・・・。
597世界@名無史さん:03/09/28 07:40
そういえば、即位直前で暗殺されてしまい、皇帝になれなかったフランツ
フェルディナンド大公の子供たちはどうなったのでしょう。
598世界@名無史さん:03/09/28 17:53
>597
何かの番組でフェルディナンド夫妻の悲劇を特集するとき
オーストリアの田舎で静かに生活してるの孫たちへのインタビューしてるシーンが
放送されたことがあるな。静かに生活してるのはお歳がお歳だがらと思うが。

祖母の身分が低く皇位継承権を否定された家系なのが幸いして革命後も財産没収や
国外追放を逃れたようだ。
599世界@名無史さん:03/10/02 00:04
フランツ・フェルディナント皇太子の子孫はぶっちゃけ裕福な暮らしをしてるのかな。
600ゴノレゴ:03/10/04 20:44
今だー!600ゲット!ズサー!
601世界@名無史さん:03/10/04 21:36
>599
まあ貴族なら勘定のかの字も聞かずに買い物ができた帝政期とは
比ぶるべきもないだろうけど、裕福なことは裕福でしょう。
602世界@名無史さん:03/10/04 22:21
>599
まあ貴族なら勘定のかの字も聞かずに買い物ができた帝政期とは
比ぶるべきもないだろうけど、裕福なことは裕福でしょう。
603世界@名無史さん:03/10/07 17:38
604ハプスブルク・エステ家:03/10/08 20:14
は今でもありますか?
605世界@名無史さん:03/10/13 15:09
age
606世界@名無史さん:03/10/13 15:52
>604

男系血統的には断絶しているものの
「家」としては現ベルギー国王の娘婿でもある
オーストリア・エステ大公ロレンツが継承しています。
ちなみに女系だとバイエルン王家が継承者となり
現オーストリア・エステ大公家は放棄しないなければ
モデナ公爵は二つの家系が継承を主張していることになります。
607世界@名無史さん:03/10/14 14:54
モデナ公爵家は誰から始まるの?
608世界@名無史さん:03/10/14 14:58
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609世界@名無史さん:03/10/14 23:33
>607

ハプスブルク家のモデナ公爵?

だとしたらマリア・テレジアの息子とエステ家の女子相続人の
結婚で誕生したフランチェスコ4世が初代のはず。
(初代といっても、その息子のフランチェスコ5世が
イタリア統一戦争で亡命したので、実際には半世紀弱しか
続かなかったんだけど。)
610世界@名無史さん:03/10/16 22:14
ハプスブルクの人らの家族は愛情深い。スバラシイ
他国の家族なんて兄弟王位争いしてるのに。
やっぱり、近親婚で配偶者が同家出身・濃い血族だからだな。

私は、ルイ14世妃の妹、マルガリータが好きです。
611世界@名無史さん:03/10/16 22:19
私はカクテルのマルガリータが好きです。

>テーマが違いすぎるのでsage.

612世界@名無史さん:03/10/16 22:20
エリザベート皇妃ってよく「ハプスブルク一の美女」とか
言われますけど、彼女はヴィッテルスバッハ家であって、
外からの嫁ですよね。【ここ、納得がいかない】
それとも、ハプスブルクと血がつながっていたのかな?
でも、そーゆーこと言ったら、ルイ王朝だってハプスブルクの血が
入っているのに。
613カウニッツ:03/10/20 23:57
>>612
そうですね、太陽王は母も妻もスペイン・ハプスブルク家の人ですしね。
614カウニッツ:03/10/22 23:51
寂れてきた…。(T0T)/
615世界@名無史さん:03/10/23 00:52
カウニッツのがりがりじじい
カウニッツ殿
おひさしぶりでござる。大帝陛下の宮廷のほうにおり申した。
ところで、この日曜日の世界文化遺産はハンガリーの大平原
でござるぞ。
拙者の居城スピシュも文化遺産になっておるのでござるが、
いつ取り上げてくれるのでござろうか・・・。
617カウニッツ:03/10/24 01:50
>>615さん、ベルばらの読みすぎです。
618Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/10/24 02:47
ごぶさたです。

オーストリアの友人が、来週からウィークデーはブダペシュトで働くそうです。
建築士なんですが、現地で長期滞在(?)と。。


わたしにはうらやましいのですが、彼女には面倒くさいようです。
「なぜライタ川の向こうにいくのよ!」
619世界@名無史さん:03/10/24 08:19
>>610
>他国の家族なんて兄弟王位争いしてるのに。
>やっぱり、近親婚で配偶者が同家出身・濃い血族だからだな。
近親婚を繰り返すが故、遺伝的に危険な状態もあった。
ロマノフ朝のニコライU世の子供は血友病だったし。
620世界@名無史さん:03/10/24 08:23
↑ニコライU世じゃないかも…ただロマノフもハプスブルグ家の
濃い血族をひいているが故に、いろんな病気を抱えていた。
621世界@名無史さん:03/10/24 12:33
ロマノフ家にハプスブルク家の血が流れていたのですか?
622アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/10/24 12:55
>>621
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/romanov.html
どこかでハプスブルグの血が入っていると思いますが、調べてください。
赤い字をクリックするとその人の血統にとびます。
>>619
ニコライ2世の皇太子は血友病ですが、ハプスブルグではなくイギリスの
ヴィクトリア女王からの遺伝です。
本来、ハノーヴァー家には血友病はないはずなので、どこから来たのか
調査中とのことです。
623世界@名無史さん:03/10/24 13:46
>>621
直に縁組したのは>>69くらいか。でもこの二人は子を残していない。

ところで、マリー・ルイズの伝記を読んでいたら、
「ルイーズの祖先の一人にメアリ・スチュアートが」
という一文を見つけたんですが、どういう繋がりがあるんでしょうか?
エリザベス・スチュアートの子孫だというのは何となく解るんですけど。

624アマノウヅメ ◆4cna7XPsQo :03/10/24 17:16
>>623
ナポレオンの皇后になったマリー・ルイーズですか?
それなら、メアリー・スチュアートの子孫です。
メアリー・スチュアートの子のジェームズ6世(イングランド王では1世)の娘のエリザベスが
プファルツ選帝侯のフリードリッヒ5世と結婚しその孫のエリザベート・シャルロッテが
ルイ14世の弟のオルレアン公の後妻になり、そこで生まれた同名の娘がロートリンゲン公の妃です。
その孫がマリア・テレジアと結婚したフランツですから。
メアリースチュアートは1人しか(不義の子はまだいるようですが)子供がいない割には、子孫が多く
ヨーロッパの大抵の王侯にはメアリー・スチュアートの血が流れています。
625アマノウヅメ ◆4cna7XPsQo :03/10/24 17:18
↑トリップ違うけど、かたりじゃありませんよ。
なぜか、デスクトップ使うとこの番号になります。
626世界@名無史さん:03/10/24 17:32
>>624
なるほど、フランツ・シュテファンの方に彼女の血が流れてたの
ですね。ありがとうございます。
627ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/10/24 23:11
Reichsprotektorさま
ガリツィアへは行かれたのでござるか?

ライタ川の向こうという言い方はウイーンの方らしい物言いで
ござるなぁ・・。クリスマスのウイーンというのも良いもので
ござろうなぁ・・。

アマノウヅメさま
かの高名なるアマノウヅメさまでございましょうや?
お目通りがかない光栄でござる。
我が主に土産話が出来申した。
628世界@名無史さん:03/10/25 01:57
婆まだいたのか
629世界@名無史さん:03/10/25 14:39
そういえば今日は世界ふしぎ発見でハプスブルク家についてやるね・・・
630Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/10/25 15:00
>>627
しまった、ギシュクラ・ヤーノシュさまはあちらの方でしたな(w
お赦しを...


ガリツィアには未だ。。このところは忙しくて、一寸。
その上、南の方に心を奪われまして。トリエストからポーラ、リッサ、
さらにコトールへ、海軍の軍艦に載せてもらって旅をしてみないか、
と知り合いの将校に誘われまして。。
631世界@名無史さん:03/10/25 18:16
>>629
うそお。やったあ。
土曜日はセーラームーンしかみないつもりだったからな。
きょうは世界不思議発見もみるぞ。
632世界@名無史さん:03/10/25 21:47
今見てます。
633ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/10/25 22:15
>630
オーストリア・ハンガリー海軍の史跡めぐりでござるな。
そのような旅をしてみたいものでござる。

>631
拙者の記憶ではレポーターの石川嬢はデビューがトランシルバニアの
レポートでござったな。あのような上品で美しい方が帝国を紹介して
くれるのは嬉しいものでござる。叶姉妹とかは勘弁願いたいものじゃ。

634世界@名無史さん:03/10/25 22:33
>>633
あのレポーター良くなかったよ。
食べるときおそるおそるだったし。
ゴクリと飲み込む音がするのも、いかにも不味いものを食べてるような音。
唯一美味しそうに食べてたのはザッハトルテだけ。しんじられん。

あと、ツィタが皇位を捨てなかったのはどうしてですか?なんて馬鹿な質問するし。
フランツヨーゼフが戦争をはじめたのを、「この書類が多く人の命を奪うなんて
皇帝は想像していたでしょうか」なんて発言するし。はあ?ってかんじ。
戦争はするべきだろ!不当な仕打ちを受けたんだから。
それに皇位を追われたのは戦争に負けたからで、本当は退位する必要
なんかないんだよ。
635カウニッツ:03/10/26 00:03
ゲッ!世界不思議発見見逃しました〜……。朝刊見たとき絶対観ようと思ってたのに!
ショボーンショボーン(T0T)/
636ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/10/26 00:16
>634
貴殿の女性の好みにとやかく言うほど無粋ではござ
らん。ただ、質問は台本がそうなっているのでござ
ろうよ。レポーターの彼女がどの程度イニシャチブ
がとれるのか・・拙者の乏しい知識ではわからぬと
ころでござるな。

「戦争はするべき」という意見には拙者は素直に同
意しかね申すな。当時の国の状況を考えれば金も無
く、軍は弱体でまともに戦のできる状況ではなかった
はずと思い申すが・・。
637世界@名無史さん:03/10/26 00:22
フェルディナンドには皇位継承権はなかった
638世界@名無史さん:03/10/26 00:23
>>636
好みとかいう問題じゃねえだろ。もう出さないでほしい。
あんたは贔屓してるのかもしれんが。
639世界@名無史さん:03/10/26 00:26
殺された皇太子ってフランツの息子なんだっけ?
だったら、絶対戦争はするべきだね。
親の怒りと、偉大なハプスブルクの誇り。わかれよ。
640 ◆RlujhF6VrA :03/10/26 00:56
>>639
いや、殺されたのは甥のフェルディナントだった。
子供のルドルフの方はとっくに自殺してる。エリザベートより先に。
その自殺も親に原因があったらしい。
しかもフェルディナントと皇帝の仲は決して良くなかったし。
結婚問題で対立し、しかも政治的見解の相違もあった。
プライドだけで戦争しかけたようなもんだ。

正直、あれ見ただけで分かった気になるのはどうかと思う。
マリア・テレジアに関して、厳密には違うような説明もあったし。
病院建てたのは息子のヨーゼフ二世だよ。
641山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/26 01:00
ルドルフ大公の「自殺」については1983年にもなってからツィタ
が「暗殺」だったが、真相の究明は第一次大戦で中止されたと語った
そうですね。
642世界@名無史さん:03/10/26 01:17
モーツアルトチーズ
643世界@名無史さん:03/10/26 02:12
>>640
>しかもフェルディナントと皇帝の仲は決して良くなかったし。
>結婚問題で対立し、しかも政治的見解の相違もあった。
>プライドだけで戦争しかけたようなもんだ

墺政府はユ−ゴ政府に対し、犯人の引渡しを要求してますし、
自国の要人がテロにあった以上、何らかの懲罰を行わないと
大国としての立場は失われます。

ユーゴがロシアに救援を要請せず、また、ロシアが動員を下さ
ず、また、ドイツが「ロシアが動員を下命した場合、総動員を行い
、それと同時に充足した部隊からベルギーを突破してフランスを
目指す」というケッタイな作戦計画を持ってなければ、このいずれ
かの条件が満たされなければ、単にオーストリア軍がユーゴを粉
砕して終わりだったのです。

あくまでも、第一次大戦は「ドイツがベルギーを侵略して」始まった
のです。

詳しくはこのサイトをご覧ください。
『第一次大戦』http://ww1.m78.com/
644世界@名無史さん:03/10/26 02:17
>>643
そうだよねえ。
こんなことを簡単に見過ごしてしまってはねえ。
645643のだぶるぷれー:03/10/26 02:41
>>643
訂正
×ユーゴ→セルビア

>>644
そうですね・・・。日本はできてませんが・・・。
まぁ、スレ&鼬害なのでこのへんで。
646Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/10/26 03:16
>>633
以前、ラントシュトラッセあたりの古書店で
「Almanach fur die k. und k. Kriegsmarine 1918」
という本があって、閉店後だったんで恨めしくウィンドーを後にしたものです。
メモによれば、140オイロでした。版元はPola。

そういえば、ギシュクラ・ヤーノシュさまはミッテ近くの海軍省ビルを御覧に
なったことはおありですか?もし御覧になっておられないようでしたら、ミッテ
のすぐ近所(ミッテ裏の広場に建物の裏面が面しています)なので御覧あれ!

建物の壁面に4面、ぐるりと、イストリアからダルマチア、カッタロ湾に至る
港町の名前と紋章が填められています。

同じメモによれば、正面左から右手へ順番に、Triest、Pola、Fiume、Zara、
Ragusa、Pirano、Rovigno、Cherso、Lussin Piccolo、Muggia、Lesina、
Capodistria、Sebenico、Spalato、Lissa、Cattatoという具合です。
(トリエステ、プーラ、リエカ、ザダール、ドゥブロヴニク、ピラン、ロヴィニ、
ツレス、マリロシニ、ムッギア、フヴァール、コペール、シベニク、スプリト、
ヴィス、コトール)
>>643
ただ、その前からのセルビアに対する政策や、皇太子暗殺後の葬儀の逸話を
ききますと、やっぱり一発打たせて大義名分を得た、と見えてしまうんです
よ。。

セルビアも、オーストリアには恩義があったはず。なんで無謀な戦いを挑ん
だのでしょう(若年人口が激減しましたよね)。

セルビアは結局80数年でもとのセルビアに戻った訳ですが、奴らの覇権主義
に振り回された(ヤツらの覇権主義が利用された)歴史を見ると、80数年間
ボーっとしてくれていたならなぁと思わずにいられません。
648 ◆RlujhF6VrA :03/10/26 09:30
>>643
当時の国際情勢から、その一連のことが
読めなかったとは思いづらいんだが。
実際、イギリス・フランスは必死になってオーストリアと
セルビアの戦争を止めさせようとしている。
あと、オーストリアは同盟国だったドイツに対し、自国を
支持してくれるように頼んでもいる。
これにドイツは「ロシアが介入すれば」という条件で同意した。

結局「氾スラヴ主義」と「氾ゲルマン主義」というのがあって、
特にセルビアの方の「氾スラヴ主義」にはロシアが強く
関与していたからね。
ロシアとしては日露戦争で極東進出が不可能になった結果、
バルカン半島に進出する道を選んだんだが。
この氾スラヴ主義、90年代のユーゴ紛争でも尾を引いている。

>>647
「葬儀の逸話」って?
ちょっと詳しく知りたい。
649世界@名無史さん:03/10/26 09:51
>>643
皇太子もボスニア訪問をやめときゃよかったのに。
子供たちが残されて、皇位継承権がないせいで、資産没収や追放の
憂き目を見なかったのは、災い転じて福となす、だが。
>>648
カール・クラウスに「人類最後の日々」という本があるらしいのですが
(池内紀の冊子内での翻訳によります)、その中で式典長の電話の中に
「埋葬三等、禁煙厳禁」という表現があります。

これが事実なのか、皇帝側の皇太子側への意地悪を意味するのかどうか、
カール・クラウスの作り物の文章ですから正確な事実とは違うと思いま
すけど、同時代の人がそういう文章を書くほどだったということで。

トリエストの広場で馬車に二人が載せられてウィーンへ向けて出発する
動画を見た事がありますが、葬儀そのものではないですけども、やっぱり
質素だと感じました。
651世界@名無史さん:03/10/26 23:45
>>634
>あのレポーター良くなかった...
石川紗彩さんのことですね。まあ”紗彩”なんて音訓読みの区別も知らぬような日本中
どこでも群生してる勘違い女の事は置いておいて、番組ではフランツヨーゼフと
エリザベートが、相愛の夫婦のように伝えていたが、本当のことなのかな。
世界ふしぎ発見! 第846回 2003/10/25(土) 21:00〜21:55
栄光のハプスブルク家 食卓に秘められた皇妃たちの運命
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery_1.html
>>633さんのいわれている石川嬢のミステリーハンターデビューは、これですね。
ヨーロッパの故郷(ふるさと)、マラムレシュへ行こう! 2003/01/04
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mysterysp2003_2.html
652世界@名無史さん:03/10/27 00:21
>639
ちゃんと確認して書き込めよ。
というか、知らない奴がいた方が驚きだ・・・。
653世界@名無史さん:03/10/27 01:14
>643
>このいずれかの条件が満たされなければ、
>単にオーストリア軍がユーゴを粉砕して終
>わりだったのです。
そんな仮定は全く意味がない。
粉砕されるユーゴとは?


654世界@名無史さん:03/10/27 01:20
すまん、君自身で訂正してるのを見落とした、セルビアのことか・・。
しかし、セルビアの背後にロシアがいるのは自明のことで
皇帝自身が最後通牒の案を見てロシアが黙ってはいないだ
ろうと言ったぐらいだ。
君の仮定は全く意味がないように思うが?
655世界@名無史さん:03/10/27 01:56
> ドイツが「ロシアが動員を下命した場合、総動員を行い
> 、それと同時に充足した部隊からベルギーを突破してフランスを
> 目指す」というケッタイな作戦計画を持ってなければ
ドイツの立場から言えば、ロシアが動く時は
露仏を一気に厄介払いできる千載一遇のチャンスと考えていたので、
それほど変な作戦計画ともいえないのでは。
戦前にはむしろロシアをたきつけてるくらいだし。

まあ実際にはフランスを落とせずに二正面作戦になっちゃったんだけど。

Reichsprotektorさま
軍事博物館でテゲトフ提督のことを質問いたしたところ、係りの方から
プラータの提督像と海軍省のビルを教えてもらい申した。
街の紋章まで気をつけて見なかったのが残念でござる。いずれ再訪した
折にはゆっくりと見たいものでござる。内部は公開はされておらぬのが
残念でありますな。

本の情報感謝いたし申す。拙者の書庫には「Ende einer Seemacht」
なる本がござる。軍事博物館の売店で購入いたしたものだと記憶いたし
ておりますぞ。

>643
当局から止めるように言われておったそうでござるな。またセルビア当
局も暗殺の陰謀を察知して通告したにも関わらず情報がオーストリアサ
イド内部でちゃんと伝達されなかったとも聞き申す。

>650
ゾフィ妃の棺の前に女官の扇を置いた(妃でなく女官扱い)とか、非常に
簡素な式だった、外国の要人に列席を見合わせるよう要請したとか書かれ
ており申す。生前に犬猿の仲だった侍従長のモンテヌオーヴォ侯のなる御仁
の報復だそうでござるよ。

>651
マラムレシュでござったか、トランシルバニアと勘違いいたしており申した。
658世界@名無史さん:03/10/28 00:13
フランツヨーゼフって
息子もころされて嫁もころされて
あと、ほかにも殺されたか自殺だかされたんだよねえ。

それと、第一次世界大戦の原因になるのは
また別の、彼の親戚が殺されているのか?
>>658
弟さんがメキシコで。
あと他にもいましたね...行方不明だったような<海軍の将校だったか提督だったか

>>656
ネットで探したら180オイロ!で売っていました。
高いなぁ、やっぱりラントシュトラッセ価格は庶民価格です!

http://www.cosy.sbg.ac.at/~zzspri/travels/vis/99VISalt1.html
ヴィスに慰霊碑が残っているらしいです!
660          :03/10/28 11:21
マリア・カロリーねって好きだな。
661シュヴァルツェンベルク:03/10/29 23:17
ここしばらくネットから遠ざかっておりましたが、久々に書かせていただきます。
以前にも増して活発な議論に花が咲いているようで安心いたしました。
さて、じつは私事ながらこの年末にウィーンとブダペストを訪れる機会がございまして、
しばらくぶりに宮廷に伺候して参ろうかと思うのですが、恥ずかしながらブダペストを
訪れるのは今回が初めてなのです。

そこで、ギシュクラ様や、旅慣れていらっしゃる様子のReichsprotektor様などにお伺い
したいのですが、ブダペスト(ペシュト、と書かれているのは流石ですね >618 )の見どころ、
特に王朝関係の旧跡などがありましたら、お教え願えますでしょうか?お手数でなければ、
ご教示のほどをよろしくお願いいたします。

ウィーンの海軍省の建物はぜひ見てまいりたく存じます。過去に陸軍省と軍事史博物館は
訪れましたが、海軍省は思い至りませんでした。
海軍は、マクシミリアン大公が手塩にかけて育てられたのですよね?
662シュヴァルツェンベルク:03/10/29 23:19
>>657
ギシュクラ様
宮内大臣モンテヌオーヴォ侯は、かのボナパルトに嫁がされたマリア・ルイザ(マリー・ル
イーズ)妃の孫に当たり、つまりフランツ一世陛下の血流の御方なのです。ボナパルトの
没落後、マリア・ルイザ妃はパルマ公領を与えられましたので、その関係で、イタリア語名の
モンテ・ヌオーヴォを名乗られたようです。
フランツ・ヨーゼフ帝の信任厚かったそうですが、宮廷内の序列に大変うるさく、貴賎結婚を
敵視しておられたので、そのような振る舞いに出たのでしょう。
しかし、そうした仕打ちが、逆にウィーン市民に大公夫妻への同情と哀れみを呼び、セルビア
憎しの感情を掻き立てた、と読んだ記憶があります。
>>661
シュヴァルツェンベルクさま、

海軍省ですが、正確な場所がお伝えできません...
ミッテ近くの、Henslerstrasse、またはStelzhaimergasseの角です。

記憶では、前者とSparefrohgasse、およびVordere Zollamts-strasse
に囲まれた街区にたっています(街区丸まる一つを使っています)。

白い、何の変哲も無い1890-1900年頃のデザインの建物ですが、腰壁附近
に先述のようにイストリアとダルマチアの都市の紋章がありますので目には
つくと思います。

ブダペストですが...王宮の丘はマストとして、地下鉄1号線で英雄広場へ
行き、わが皇帝陛下のお姿を拝見し、西駅、東駅を見てウィーンを思い出す。。

...すみません、学校に1896年刊の写真集の抜粋コピーをおいて来ておりま
して、今手許にありません。べデカー1911年版も学校で、今は1922年しか
ありませんので、明日確認して書きますね。
664643のだぶるぷれー:03/10/31 03:00
>>654
たしかにフランツ=ヨーゼフ帝はそういう意味の事を述べてますし
イギリス政府もまず、ロシアの了解を得た上でセルビアに対して
交渉を行うべきだと言ってたようです。
 露仏同盟は双務的義務は薄いと考えていたようで、1908年の
ボスニア危機の際、フランスは不介入を通告しましたし、1911年の
第二次モロッコ危機でもロシアは同盟の不適用を通告しました。
 ところが1914年の危機の際にはいずれの国もそのような行動をとら
なかったっていうのは不思議なことと思います。
 実際、当時誰の目にもあくまでも墺帝国はセルビアに対し、限定された
戦争(この場合はそれ以外の国と事を構える気がないという意味)のみ行
うとしか見えなかったのです。
 実際、あくまでもニコライ2世は墺に対する部分動員のみを行う気でした
が、軍部が「総動員でなければ、開進を行い得ない」という圧力によって総
動員を下命したのです。

当時の独首相ベートマンはあくまでも墺−セルビア戦争に関与するだけの
つもりでしたし、墺のベルトヒルドはすでに交戦が始まっていると嘘をついて
総動員の裁可を受けています。実際、ウィルヘルム2世はベオグラード占領
を受け、そこで収めるべきだと提言していますが、ベートマンもベルトヒルドも
蹴ってしまいました。ウィルヘルム2世は7月23日の墺政府の最後通牒で
一件落着になるものと判断していますし、その行動も有名なメモワールとは
全く裏腹のものです。

 実際のところ、シェリーフェン計画一本槍で、いつ如何なる状況においても
ロシアが総動員を下命すればすぐにそれを受けてベルギーへ突入するという
ドイツ参謀本部の融通の利かなさは特筆すべきものがあると思います。
>>655さんに対する答えとなりますが、ウィルヘルム2世はモルトケに東部国境
に動員した部隊を貼り付けるだけにできないか下問しています。
実際にイギリスはドイツのベルギー中立侵犯によって戦争を始めていますから。
665 ◆RlujhF6VrA :03/10/31 15:29
>>
当時、シュリーフェン計画の存在は半ば公然の秘密で、
その行動は予想されたものだった。
そういう前提からすれば、そもそもロシアが部分動員に留めておけば
ドイツがベルギー国境を突破することもなかったと言えるわけで、
ドイツだけを非難するのはどうかと思うが。
666643のだぶるぷれー:03/10/31 18:12
>>665
そうです、逆に言えば確かに「ロシアが総動員をおこなわければ
第一次大戦は起こりえなかった」わけです。しかしながら、ドイツ
参謀本部や政府のシェリーフェン計画一本槍というのは、異常と
言わざるを得ません。
 ありとあらゆるシグナルが「墺とセルビアの小さな戦争」でしか
ないと言うことを示しており、ドイツが東部国境に軍を貼り付ける
とプランが取られないのは、当時の関係者にしてみれば驚きで
しかなかったでしょう。

 堂々巡りの議論になるのですが、そもそも何故、ロシアの了解
を取りつけなかったのか?それが最大の謎でしょう。仲介ならば
フランスでもイギリスでも取ってくれる状態だったのにです。
667シュヴァルツェンベルク:03/11/01 02:37
>>663
Reichsprotektor様
早速のレスありがとうございます。しかし、1911年版のベデカーとは!垂涎モノです。
ブダペストは、19世紀末〜20世紀初頭にかけて飛躍的に拡大・発展したと伺いますが、
まさにその時期の貴重な資料ですね。自分も現地で古本屋探索をしてみたいものです。

>>664
643のだぶるぷれー様
第一次大戦についてはそれほど詳しくないのですが、オーストリア、というよりフランツ・ヨーゼフ
帝について言えば、自国が残念ながら二流国家の地位になってしまったという現実を
認めることができなかったのだ、という指摘があります。
要するに、ヨーロッパの大国として、パワーゲームを乗り切れるだけの実力が失われて
いたのに、自国の力を過信して開戦に踏み切ったのだと。
皇位継承者を暗殺されたのに何もしないわけにはいかない、という名誉の問題も大きかったと
思います。この辺はもう政治の領域の問題ではないでしょうが。
あと、開戦時のオーストリア外相はベルトヒルドではなくベルヒトルトです。

ドイツ(の参謀本部)にとっては、サラエヴォ事件は、シュリーフェンプラン実現のいい口実に
すぎなかったように思います。しかし、ドイツ軍部のシュリーフェンプランへの執着は、自分も
不思議に思います。わずか数十日でフランスをノック・アウトするという計画の壮大さに
目が眩んだのでしょうか。
「八月の砲声」も復刊されたと思ったので、これを機に読んでみたいと思います。
>>667
すみません、今日もブダペスト、調べていませんでした...一寸忙しくて。。

古本屋、安いところと高いところがいろいろありますね。
高いところは...わたしが買い物したところの中ではAnnagasseのLoecker。
でも商品をきちんと保管している感じです。

それに対してわたしが毎回欠かさず行くところ(内緒にさせてください、
ごめんなさい!)は....ゴチャゴチャ。どこに何があるのか把握してなさそう。

わたしは細部の歴史には詳しく無いので、「ベルヒトルト」と読んで、全然綴り
が違いますけど、『ペ』ルヒトルトゥスドルフ Perchtordsdorfを想起しました。

ヴィーンのすぐお隣のこの村には、ヴィンディッシュグラッツ生まれのフーゴー・
ヴォルフの晩年の家が残っていたりします。わたしはワインはダメなんですが、
ワインでも有名なので、都心から電車で40分の田舎も楽しんでみてはいかがでしょう!?
シュヴァルツェンベルグさま
ウイーンのお屋敷へお戻りでござるか・・。
ブダペストの紹介は拙者が承りもうした。
先ほど館へ帰還したところ故、本日のところは御寛恕賜りたく存ずる。

Reichsprotektorさま
ウイーンの近郊でござればカーレンベルグの丘の眺めも良いものでござる。
もっとも真冬に出かけるというのはお勧めいたしかね申す。
他にハンガリー領に入ってしまい申すがショプロンという街もこじんまり
とした美しい町でござるぞ。
>>669
ネム、っじゃなくてナイン!!!

ショプロンではなくエーデンブルクでございますですよ。
投票の時にハンガリー人が大挙襲来しなければ...ヨーロッパピクニックも
もう少し東寄りで起きたことでしょうね(笑)
(実は見たことがないんですが...)

もしもシュヴァルツェンベルクがブダペシュトの帰途にショプロンに寄ら
れるなら、ついでにアイゼンシュタットにもどうぞ!多分その時分には
エスターハーズィーさまもお屋敷に戻られているはず。

ところでシュヴァルツェンベルクさま、あのお屋敷からの城内区の眺めは
すばらしいでしょうね。

エ?露助が邪魔ですか?
ウィーンとブダペシュトの間の見どころとして...

行ったことはないのですが、これ、すごそうですよ。
http://groups.msn.com/HungariansOnTheNet/someofmypictures.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=641

TatabanyaのBanyaとは鉱山という意味があるそうで、工業都市で
殺風景らしいのですが、山の上にこんなトリ(トゥルルTurul)がいます。
ハンガリーを建国した人のおばあさん?だったかを生んだらしい。
1896年の建国1000年祭にこのトリをおっ建てまくったようです。

672世界@名無史さん:03/11/01 03:53
中世の国王の初夜って皆に囲まれて見られてたんだって?
ちゃんと棒が壺に入ったか確認のために。
673世界@名無史さん:03/11/01 04:47
中世はポルノがないから
それみてハアハアしてたのかな
Reichsprotektorさま
確かに、ショプロンは元々はオーストリア領でござったな。
数年前に、拙者は滞在したことがござるが、美しい良いと
ころでござるよ。

>露助が邪魔
噴水で隠そうとしてござるがなぁ・・・。
あの噴水は歩道の方まで水を飛ばすので困り者でござるよ。

タタは訪れたことはござらぬが、見所として城もござる。
あとジェールの街も拙者としてはお勧めでござる。

さて、この鳥でござるが、アールパード家の伝説に出て来る
トゥルルなる鳥でござるな。
アールパード家の祖先のエメシェという女性の夢の中に出てきて、
彼女は子供をはらみアールモシュ(夢の子)という子供を産み落と
ござる。このアールモシュの子孫がアールパード家ということに
なるそうでござる。
この像に良く似たものがブダの王宮にもござるし、トゥルルは今
自由橋と呼ばれておるフランツ・ヨーゼフ橋の飾りにもなってござ
る。

シュヴァルツェンベルグさま
では、ブダペストをご案内申し上げることといたし申そう。
二重帝国の面影を残す場所とのことでござるな。

まず、王宮でござるが、第二次大戦で廃墟と化したため再建
されたものでござる。内部は博物館と美術館じゃが、歴史絵
画の面白いものが見られるし、博物館も帝政時代の遺品がい
ろいろ見られ申す。前庭から見る市内の景色は絶景でござる
ぞ。王宮の丘ではあとマーチャーシュ教会、軍事博物館あた
りはご覧いただきたいものでござる。
ドナウ川にかかる鎖橋(クラーク・アダム橋)も必見じゃ。
市内に戻って川沿いに歩けば国会議事堂でござる。ここは
観光ツァーを手配せねば内部が見られぬのが残念なところ
でござるが、華麗な内装とホールに展示されておる聖王冠
は必見でござろう。この界隈には民族博物館や建築家レヒ
ネル・エデンの代表作の郵便貯金局、聖イシュトヴァーン
大聖堂、国立オペラ座もござって見所は多い界隈でありま
しょうぞ。
地下鉄の1号線はヨーロッパ大陸初の地下鉄でこれは是非
乗って欲しいものござる。これに乗って英雄広場に向かい
かつての博覧会のパビリオンであったヴァイダフニャド城
(トランシルバニアのフネドワラにあるフニャディ家の居
城「ヴァイダ・フニャド城」を模したもので正確には博覧
会後に本式の建築に改築されておりもうす)や動物園を見
物、あるいはセーチェニ温泉で入浴、そしてブダペスト随
一のレストランと言われるグンデルで食されるのもお勧め
でござる。
ところでReichsprotektorさまが英雄広場で皇帝陛下の像を
とお書きになっておられるのでござるが、現在はハプスブル
グ家関連の像は一体もござらぬ。元々は右翼の我が主マーチ
ャーシュの隣にはフェルディナンド1世陛下、カール3世陛
下、マリア・テレジア女王陛下、フランツ・ヨーゼフ陛下の像
がござったのじゃが恐れ多いことに1919年に撤去破壊され
てしまい申した。
今はトランシルバニア侯ボチカイ・イシュトヴァン殿、同ベト
レン・ガーボル殿、クルツ軍の総帥テケイ・イムレ殿、ハプス
ブルク家への大反乱(ハンガリーにとっては独立をかけた戦い
でござったが)の指導者ラコーツィ・フィレンツ2世殿、そし
てコッシュート・ラヨシュ殿の像が建ってござる。
しかし、一人分数が合い申さぬなぁ・・。
拙者もボケ申したか・・・・。
>>676
はい、それを意識して書きましたよ<破壊

あのトリ、ゼムンの記念碑のあたまにも付いていました。
アドラーとは何か雰囲気が違いますね。
>677
貴殿ほどの方でござれば当然で、ござろうなぁ。
シュヴァルツェンベルグさまも当然お判りとは存ずるが、
いろんな御仁が見ておいで故、あえて書き申した。
ご気分を害されたのであれば、拙者に罪がござる。
申し訳ない、御寛恕願いたく存ずる。

トゥルルは一応、遊牧時代の鷹狩に使った鷹だと
言われておるそうでござるが、拙者には怪獣の類
に見え申す。因みにかの鳥が持っている剣は「ア
ッチラの剣」と言われるもので、マジャール人を
パノニアへ導いたと言われておりもうす。

ところで、先ほどから銅像の数があわず悩んでおり
申す。コッシュート殿の像のところは元々空きだっ
たのでござろうか??

>>678
あ、いえいえ、すみません、さっきは腹痛で雪隠に参りまして、
その後は電話がありまして、短い書き込みになってしまいました。。

たしか全部で14体の銅像ですよね。。

一寸三てみます。
なんかまだ腹痛です。。。ウウウ


記念碑の銅像の数をネットで検索したんですが、どうも出て来ません。
そんな中、面白い写真が見られるサイトを発見しました。

ttp://www.idg.hu/expo/hosok_tere/vem/gallery.html

個人的にはボスニア連隊の軍楽隊がフェズ冠っているところがイイ!

ウィーンの友人に、当時は銅像が13体だったかどうか確認して欲しい
とメールを出しておきました。いつ返事があるか判りませんが、連絡
あったら書きますね。

おやすみなさいませ。。
681カウニッツ:03/11/02 04:08
このスレが良き交流の場になってきて嬉しく思います。
今後も宜しくです。
682643のだぶるぷれー:03/11/02 15:48
>>667
あの後、いろいろ調べてみたのですが、フランツ・ヨーゼフ帝や
文官は総動員ではなく、4パターン用意されていた部分動員計
画のうち、南部国境向け部分動員を用意していました。ロシア軍
部が総動員をかけたのは鉄道インフラが貧弱で、部分動員用の
鉄道ダイヤが用意できなかったためです。また、小モルトケをは
じめとする参謀本部は「すでに用意された兵力を東部に派遣する
鉄道ダイヤは混乱を惹起し、国民経済に対する影響が大きすぎる」
というリクツで不可能とされました。東部戦線と西部戦線の間で最も
兵力の移動を繰り返したのはドイツなので、その気になれば作戦案を
準備できたと思います。

現在ではすっかり明らかになっているのですが、サラエボ事件はセルビ
ア軍部が関与したテロと言うのは当時から確実視されていました。
セルビアは1903年の国王夫妻暗殺事件などで、当時欧州一の野蛮国と
見られていました。墺が何らかのアクションを起こすのは無理もないこと
でしょう。現在でもラングーンのアウン・サン廟爆破事件で政府首脳を多数
暗殺された韓国は当時の全大統領は日本・アメリカ両政府に北進の承認を
求めましたが、アメリカは東西バランスの変化と、先制攻撃による開戦は国
際法上の侵略に当たるとして引き止めました。韓国ですら斯様な反応とな
るのです。いわんや「腐っても大国」だった墺は無理からぬところだと思います。

う〜スレの空気にそぐわない議論かも知れない・・・。
683世界@名無史さん:03/11/02 21:49
>>682
第一次世界大戦の起源を詳しく教えて!
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1027259599/
をつかうのはどうよ? にしても、WW1関連って
http://ww1.m78.com/ を見ろで終わっちゃうことが多いんで
なかなか盛り上がらないですな。
>>683
そんなんあったのかw。いや、私も詳しくは・・・って
やっちゃってるもんだしw。では以後ROM専の名無し
にもどりますわw。
685シュヴァルツェンベルク:03/11/03 03:18
>ギシュクラさま
ブダペストの名所について丁寧にご教示いただき、感謝に耐えませぬ。ありがとうございます。
市内探訪の際には、是非参考とさせていただきます。
王宮はやはり戦災を免れませんでしたか…。先の戦争で、市街戦で橋が落とされたとは聞いて
おりましたが。
グリルパルツァーではありませぬが、ナショナリズムの果ての野獣性たるや、斯くの如しと
申すものですね。

地下鉄は自分も興味がありました。王朝時代に造られた一号線と、共産政権時代の二号線では
大層なギャップがあると伺っておりますので、乗り比べてみたいと存じます。

英雄広場の像につきましても、詳述いただきまして恐れ入ります。
ところで、記念碑の建立に関してですが、1897年に独のヴィルヘルム二世がフランツ・ヨーゼフ
陛下と共にブダペストを訪問した際、市内に国の偉人の像が少ないという指摘があったのが
きっかけで、記念像の設置ラッシュが起こったと伝え聞いております。
1919年に撤去された皇族方の像も、この機に建てられたものでありましょうか。

トゥルルなる鳥については初めて知りました。Ungarnの歴史ももっと学ばねばなりませんなぁ…。
686シュヴァルツェンベルク:03/11/03 03:19
>Reichsprotektorさま

お身体の具合はその後いかがでございましょうか?
ウィーンでのわが上屋敷への逗留は、同行者に却下されましたw ベルヴェデーレ上宮よりの
眺めで満足しておきたく存じます。
それにしても、ロシア人には、民に愛されるわが黒・黄軍を見習ってほしかったものですね。

現ショプロンの帰属投票の際には、公正でない部分もあったのでしょうか? 確かに、
文化的にはオーストリアに近い街とは思いますが…。
ブダペスト〜ウィーンの道すがらですので、エステルハージ侯へのご挨拶も兼ねて、是非足を
運びたいところでございます。

>>680のサイトは貴重な写真が沢山ありますね!よくお見つけになられましたなあ。
個人的にはアウエルスペルク首相の御写真を興味深く拝見いたしました。
あと、以前お話のあった海軍省の位置について、現地で買った地図を引っ張り出してきて
通りの場所を調べてみたのですが、ミッテ駅のすぐ隣りあたりなのですね?探してみます。
この場でお教えいただかなければ、知らずに通り過ぎるところでした。ありがとうございました。
>>シュヴァルツェンベルクさま

ああ、なんと....今頃気付いたのですが、
>>670
の中ごろ、シュヴァルツェンベルクさまに対して尊称を忘れております....ううう。。
大変な非礼をいたしました。御容赦下さいませ。。

「海軍省」、そして「セントイシュトヴァーン」で思い出しました。
カッタロには戦艦セント・イシュトヴァーンが沈んでいます!
ttp://www.sportesport.it/wrecksCR008.htm
これによると、艦船銘版はプーラの博物館に展示されているようです。
み、見たい、激しく見たい!

ヴィルヘルム2世陛下....そういえば陛下と皇太子殿下は仲がおよろしかったと伝え聞きます。
陛下は黄禍論の強硬な主張者。一方、皇太子殿下はカイゼリンエリザベート号で日本へいら
した上、ベルヴェデーレには日本のものを展示するお部屋があったとか(表面的な情報だけ
ですが)。
お二人は、対日的な点では温度差がなかったのでしょうか?

>>643さまも、何か皇太子殿下の対日観に関するエピソードなど御存じありませんか?

>>カウニッツさま
ところでカウニッツさまは凄いお時間のカキコでいらっしましたが、
ひょっとして「時差があるエリア」におられますか?
688世界@名無史さん:03/11/03 19:00
>684
HN自体が君の書き込みにレスした二人は「アウト」だと言いたいんだ
ろうが、「ればたら」は無意味だとここのスレの住人は思っているのだよ。
689世界@名無史さん:03/11/03 19:04
ヤフオクにマリア・テレジアでてるぞ!
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/61812827
Reichsprotektorさま
御体をいとわれよ。季節の変わり目は風邪をひかれる方も多うござる。
休日はゆっくり休まれたのでござろうか?

シュヴァルツェンベルクさま
帝政時代の雰囲気を味わえる場所でござるが、王宮を出ると隣の丘が
ゲレルトの丘でござるが、この頂上にある堡塁「ツィタデラ」はハン
ガリーを監視するために帝国が築いたものでござる。丘を下ればゲレ
ルトホテルがござる、これは大戦中に完成した温泉リゾートホテルで
今もハプスブルグ家ゆかりの方が宿泊されるとのことでござる。温泉
だけでも入浴できるのでお勧めでござる。レストランも美味でござる
が上階の方が格式高くお値段もそれ相応とのことでござる。
ホテル前にある橋は元はフランツ・ヨーゼフ橋と呼ばれておりもうし
た。橋の装飾をご覧くだされ。橋を渡ると中央市場がござる。ここも
帝政期の建物でお土産探しにはお勧めでござる。
あとお勧めといえば国立博物館、ここの入り口の向かって左側の階段
横の張り出しの上で革命詩人のシャンドール・ペテーフィが「立てマ
ジャール人よ」という詩を群集に対して朗読したという場所でもござ
る。もちろん内部の展示も必見でござるぞ。
あと地下鉄のアストリア駅よこのホテル・アストリアも古のホテルで
ござる。またブラハ・ルイザテール駅付近は今改装中のカフェ・ニュー
ヨークや劇場の建物等がかつての繁華街の姿をしのばせ申す。ただ、
この界隈はあまり治安が良くないと聞くので気をつけられたい。
他ではドナウ川沿いの散策はお勧めでござるし、ヴィガドーやドゥナ
パロタでオペレッタなぞご覧になる、あるいはブルシュマルティ広場
のカフェ・ジェルボーでケーキを食すというのもお勧めでござる。
是非、堪能してくだされ。
Reichsprotektorさま
沈船に関する面白いサイトでございますな。
セント・イシュトヴァーンの遺品はブダペストの軍事博物館にも
展示してござる。また「Hungarias only and ill-fated Dreadnought」
という本に海底の同艦の写真などもでてござる。
ちなみに沈没地点はカッタロではなかったと記憶いたすが・・・。
ご紹介のサイトではヴィリブス・ウーティニスの残骸も海底に眠ったまま
と書かれてござるな。
>>691
ギシュクラ・ヤーノシュさま、
...そうですね、読み直してみるとMolat Islandというところのようです。
ネットで検索すると、Vis辺?とか(恥...)

ハンガリーの軍事博物館にはいったことがありませんでした
(実は存在を知りませんでした...)
http://www.militaria.hu/
ハンガリー語、表示すらされません。。(泣)

治安といえば...板違いになりますが、その昔(実は一度しか行ったことがありません)
ブダペシュトで贋警官にあいました。贋だというのは判っていても、周りを囲まれて
は仕方ないですよね...場所は今地図をみますと、オクトゴンのすぐ東ですが、「I am
from Yugoslavia....ユーに道を教えてあげるよ」「セルビア人にここの道が判るのか?」
というやり取りを歩きながらしただけで、その直後に警察(贋)が現れ、なぜか財布
チェック(笑)

ジプシー顔(セルビアと混じったジプシーか?)の贋警察はわたしの財布を調べた
あと(仲間と「これだけ持ってないよ....」と会話していた雰囲気)、「トロリー
バスが通っている道を行きなさい、裏道は危険だ」とアドバイスがありました。

本で見た説教強盗そのものですね。

トラムでもジプシーに取り囲まれ、荷物を捕られそうになりましたが、ハンガリー
人に「混んだトラムには乗らない、乗ったら奥に行くの!良い?」とアドバイス
を受けました。いろんな思い出のある町です。ショプロンやコマロムに行く時に
は、もう一度訪れたいです。

お気づかい、感謝いたします。論文を仕上げないとならず、昨晩は徹夜でした。
これが終わったらダルマチアでセントイシュトヴァーンだ!と思いながら、がん
ばります。
693カウニッツ:03/11/04 17:33
Reichsprotektorさん、たまたまです。因みに、住んでいるのは東京です。
694シュヴァルツェンベルク:03/11/05 00:03
>>カウニッツさま
ごぶさた致しておりました。復帰のご挨拶をまだしておりませんでした。今後ともご指導のほどを
よろしくお願いいたします。

>>687 Reichsprotektorさま
いえいえ、本来ならばduで呼び合うのが慣わしというもの、お気になさることはありませぬ。

戦艦イシュトヴァーンは↓こちらで合っておりますでしょうか?
ttp://www.warship.get.net.pl/Austro-Wegry/Battleships/1912_Viribus_Unitis_class/_Szent_Istvan_photos.html
沈没場所はプレミューダ島(Premuda Island)となっており、調べたところ現クロアチア領の沿岸のようです。
しかし魚雷艇に沈められてしまったとは…

>>690 ギシュクラさま
何から何まで、恐縮でございます。ツィタデラは、そうしますと割と新しい建造物ということに
なりましょうか?トルコとの戦いで用いられたのかと思っておりました。
カフェ・ニューヨークが改装中とは残念です。ウィーンのツェントラル、ベルリンのロマーニッシュと
並ぶ都市文化の中心だけに、訪れてみたいと思っておりましたが…。
帝国時代とは名前の変わってしまった場所が多いのはやむを得ないところと存じますが、
エリーザベト皇后の名は橋や広場に残されているようで嬉しく思います。
気になりますのは、王宮の北側の“モスクワ広場”なる名前w
元は何と呼ばれていたのでしょうか…
>>694
シュヴァルツェンベルクさま、お言葉、ありがとうございます。
昨晩は南ボヘミアのOrlikにある御親戚のお城の写真を見ておりました。

セント・イシュトヴァーンを沈めた魚雷艇ですが、ググッてみましたら、
> preserved at the Vittoriano Museum in Rome.
ttp://college.hmco.com/history/readerscomp/ships/html/sh_059600_mas15.htm
とのことで、ローマは行ったことがありませんが、一つ興味が出て来ました。
>>693
カウニッツさま、
わたしは東京の"ファヴォリーテン"に住んでおります。
時差は、体内で発生して居ります。。
697カウニッツ:03/11/05 23:35
Reichsprotektorさん、僕は東京のホーフブルクに住んでます。
シェーンブルンは山梨にあります。
698カウニッツ:03/11/10 00:24
マリー・アントワネットとマリア・テレジア【秘密の往復書簡】
パウル・クリストフ 編
藤川芳朗 訳

を最近読んでます。他にも読んだ方、読んでる方いませんか?
あと、この本についての感想希望です!
シュヴァルツェンベルクさま
我が主とハンガリー料理を食して参り申した。
久しぶりに堪能いたしました。

さてトルコ戦当時のブダでござるが、我が主の残した王宮はこの戦い
で廃墟と化し申した。先の戦災で王宮が灰燼に帰した折に地下から
我が主やそれ以前のルクセンブルグ家、ヤゲヴォ家時代の遺構が発掘
されており申す。王宮を訪れられた際は博物館の地下展示を是非ごら
んあれ。
ゲレルトの丘のツィタデラはコッシュート殿らの革命軍が敗北した後
帝国がハイナウ将軍に築城させたものでマジャール人からは憎悪の対
象となっており申した。今は一部がホテルになったおったように思い
申す。この場所から眺める景色は最高ゆえ、是非足を運ばれるように
お勧めいたしますぞ。


Reichsprotektorさま
銅像の件でござるが、フェルディナンド1世陛下、カール3世陛下、
マリア・テレジア女王、レオポルド2世陛下、フランツ・ヨーゼフ陛
下の像があったそうでござる。これで数が合いもうした。お騒がせ
いたして申し訳ござらぬ。

カウニッツさま
まだ読んでおり申さぬ。なかなか興味深そうな内容でござるな。
700 ◆RlujhF6VrA :03/11/10 11:23
>カウニッツさま
その本面白いですか? 何か愚痴が多そうでアレです、引いてます。

それはそうと「ハプスブルクとハンガリー」読了したんで感想でも。
というかカウニッツさまとヨーゼフ二世って、実は意外と仲良かった?
って感じなんですが。
「ヨーゼフ二世をアンリ四世に、自分を彼の腹心であるシュリ(ですっけ)
に見立てていた」って辺り特に。
この辺どうお考えでしょうか?
701カウニッツ:03/11/10 20:54
アンリ4世−シュリ公
ルイ13世−リシュリュー
ルイ14世−マザラン
ですので、シュリ公で間違い無いでしょう。ヨーゼフ陛下との関係ですが、
マリア・テレジア女帝が夫のフランツ・シュテファン(フランツ1世)陛下の崩御の後、
ヨーゼフ帝と共同統治の体制をハプスブルク領内で採りますが、
そのあたりからカウニッツはヨーゼフ2世の方に女帝の方よりウェートを置いていた様です。
それは何よりも、ポーランド分割に表れています。女帝が自分の矜持が許さないと言って
拒んだのに、ヨーゼフ帝とカウニッツは国力のバランスと言う観点から、強引に女帝から承諾を
取りつけたという点です。私としてはヨーゼフ帝側の考えも無理も無い気がします。
フランツ1世が亡くなられた時、マリア・テレジア女帝は意気阻喪されてその後も全盛期の
活力を取り戻せなかったのと、理性より感情に走る様に見えたのも、カウニッツがヨーゼフ2世に
与するようになった理由だと考えます。
702カウニッツ:03/11/10 20:57
マリー・アントワネットとマリア・テレジア【秘密の往復書簡】
パウル・クリストフ 編
藤川芳朗 訳
ですが、この本を読むと、いかにマリア・テレジアがハプスブルク家とブルボン家との
同盟を大事にしていたか伝わってきますよ。
703世界@名無史さん:03/11/11 02:08
閣下
このようなものを発見いたしましたが、買うべきでしょうか?
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/61812827
704シュヴァルツェンベルク:03/11/12 00:19
ギシュクラさま
ルクセンブルク家にヤゲヴォ家とは…。当地が昔から、いかに要衝の地であったかが
わかりますなあ。
ところで、英雄広場の銅像の、カール三世陛下とはどの御方でありましょうか??

カウニッツさま
「秘密の往復書簡」、以前途中まで読んで、まだ読了しておりません(汗
墺仏関係に加え、ヨーゼフ二世陛下のパリ訪問、イタリアの分家との諍い、ナポリ王妃の
出産の話題など、当時のハプスブルク一族内の出来事が、書簡の節々に伺われて
大変興味深く感じました。

ちなみに自分のお勧めは、史書ではありませんが、ヨーゼフ・ロートの「ラデツキー行進曲」という
小説です。
主人公は、下級貴族トロッタ家の、祖父、父、息子の三代で、彼らの視点から帝国の衰退が
描かれていく作品なのですが、他にも、王朝への忠誠と、自民族の独立を語る息子たちとの間で
苦悩するクロアチア人の大尉や、「電気とニトログリセリン(要するに科学の進歩)によって、我々は
没落してゆくのですよ!」と叫ぶポーランド人の伯爵など、二重帝国の旧秩序に属する人々が、
為す術もなく時代の波に押し流されてゆく様子が鮮やかに描かれています。

筑摩書房から出ていた文学全集の、ロートとホーフマンスタールの巻に収録されていたはずですが
(確か柏原兵三氏の訳でした)、残念ながら絶版で、現在入手困難かもしれません。大きな大学図書館には
あると思われます。
また、一部抜粋が、池内紀氏の編による、ドイツの世紀末T・ウィーン(国書刊行会)に収録されています。
帝国末期にご興味のある方には、是非ご一読をお勧めしたいところです。
705世界@名無史さん:03/11/12 19:04
age
シュヴァルツェンベルクさま
皇帝陛下としてはカール6世陛下とお書きすべきでござったかも
しれませぬ。ハンガリー王としては3世陛下でござる。
ルクセンブルグ家とヤゲヴォ家はナポリのアンジュー家のご出身
であらせられるラヨシュ1世陛下のお嬢様の嫁ぎ先でござる。
ポーランド王位はヤゲヴォ殿とご結婚あそばされたヤドヴィガさ
まが、ハンガリー王位はルクセンブルグ家のジギスムント殿と結
婚されたマリアさまが承継されておいででござる。
お二人とも若くしてなくなっておられ、それぞれの夫君が王にな
られたのでござるが・・。
領邦議会の選挙にいってまいりました。
所領がシュタイヤマルクですから、山を越えて汽車で行かねばなりませぬ。。


横レスですが、ロートはわたしもすきです。
あるいは、池内氏の名訳(名調子?)の故もあるかも知れません。

ラデツキー・マルシュは英語版を読み始めたんですが、途中で諦めました(笑)
飛ばし読みで行き当たったお父さんが亡くなるシーンが、余りにも悲しかった
のも理由です(言い訳)...

『皇帝の胸像』がすきで、いつかロパティーン村にも行ってみたいと思っています。
708カウニッツ@トリビア:03/11/14 23:33
トランシルヴァニアはジーベンビュルゲンの英語読みです。
当たり前ですが、ジーベンビュルゲンは現在大半はルーマニア領です。
709カウニッツ:03/11/14 23:38
>>704,707 ヨーゼフ・ロートの「ラデツキー行進曲」は有名ですね。
カウニッツさま
トランシルバニアはラテン語起源で意味は「森の彼方の国」でござる。
マジャール語のエルデーイ、ルーマニア語のアルデアルも意味は同じ
でござるな。
一方ザクセン人の方々の言われるジーベンビュルゲンはかの人々の住ま
った「7つの都市」の意味だそうでござる。
その7つの街がどこなのかは諸説あるそうでござる。
拙者の城の居室の壁にはかの地で購入した7つの街の紋章の描かれた皿
を飾っておりますぞ。
7つの町。。
筆頭はクラウゼンブルクでしょうか。
クロンシュタットも入るでしょう。
ヘルマンシュタットも間違いない。

あと4つ...
トランスライタニアにはさっぱり足を踏み入れる機会がないので、判りません。
なぞなぞの答えを教えて下さいませ!
712カウニッツ:03/11/15 01:13
ギシュクラ・ヤーノシュ様、Reichsprotektor様。
708で私が書いたことは間違いと言うことになりましょうか?
カウニッツ様、

Siebenbuergenの英語読みはシエベンブエァジェンとでもなりましょうか...

Transilvania= Trans + silva ボーイスカウトの頃のコンパスがSilvaという
名前でしたが、森のマークが入っていたように記憶しています。その、向こう、
という意味になります。どちらから見て「向こう」なんでしょうね。。
ちなみにハンガリー王国領を指す「トランスライタニアTrans-Leithania」
という言葉は、ウィーンからみて「ライタ川の向こう側」という意味になって
います。

ジーベンビュルゲンはSiebenbuergen、7のsiebenにBurgの複数形Buergen
が組み合わさって7つの城塞都市。

「大和国」と、「豊芦原瑞穂国」の関係とおなじで、意味するものは同じでも
文字通りの意味は別、という感じでしょうか。。
714カウニッツ:03/11/15 23:11
難しいですね。。。ゴメンナサイ。もう少し教えて下さい。7つの城塞都市のこととか。
715シュヴァルツェンベルク:03/11/16 23:17
Siebenburgenの7つがどの街かは私も知りたいです。

ギシュクラさま
>>706 なるほど、そういうことでありましたか。
そうしますと、皇帝カール五世陛下がハンガリー王カール二世、金印勅書のカール四世が
同一世?と思いましたが、前回ご教示いただいたルクセンブルク家のジギスムント殿というのが、
カール四世のご子息のようなので、カール四世陛下はハンガリーの王冠は戴かれていないことに
なりましょうか??

Reichsprotektor さま
「皇帝の胸像」は涙なしには読めませぬなぁ(TT
ロパティニー村は、確かロートの出身地のブロディの近くということだったはず。
「祖国の喪失者」というテーマも合わせて、ロート自身の姿が投影されておりますね。
「ラデツキー行進曲」では、トロッタ家の老執事が亡くなる場面も印象深く覚えております。
ロート自身の葬儀には、オットー大公も参列されたと聞きました。
....7つはわたしも判りません。。


シュヴァルツェンベルクさま、
それらしき名前はブロディの北西30kmほどのところにあるのですが、
ネットには殆ど出てこないし(テキストのみ)、宿はなさそうですし...
伯爵のお城に泊めていただけないかなと(笑)

ブロディについては、ネットサーフしていたらユダヤ人の人が昔の
地図を描いて載せていて、それをノートに貼付けて準備しております。

大公御自らとは...
717ハウクヴィッツ:03/11/16 23:36
クラウゼンブルク=コロジュヴァール=クルージュですね。

>>711
そういえばロシアにクロンシュタットがありましたね。
718ハウクヴィッツ:03/11/16 23:45
>>715
皇帝カール四世・五世陛下はハンガリー王とはなっていないはずでございます。(弟君フェルディナントはハンガリー王)
ハンガリー王カーロイ一世陛下はアンジュー家出身です。
ギシュクラ殿がおっしゃるようにジギスムント陛下はマリア女王陛下と夫妻共同統治の形で戴冠なさっております。
カウニッツさま
補足させていただいたまでで他意はござらぬ。無礼の段、御寛恕下さる
ようお願い申し上げまする。

Reichsprotektorさま
ジーベンビュルゲンの7都市は諸説あるそうでござるな。
ザクセン人の移民が作った都市は7つにとどまらぬ故でござるが・・。
拙者が耳にしたことがあるのは
ビストリツァ(Bistritz)
ブラショフ(Kronstadt)
クルジ・ナポカ(Klausenburg)
メディアシュ(Mediasch)
セベシュ(Muhlbach)
シビウ(Hermannstadt)
シギショアラ(Schassburg)
というものがござる。
因みに居城の居室の絵皿はシギショアラを訪れた折に購った物
でござるが、クルージナポカが抜けて、ドイツ名Reps(レプス)
という街が入ってござる。
3ヶ国語表記の地図で見るとシギショアラからブラショフへ抜ける
途中の街で今はRupeaと呼ばれているところのようでござるな。

あの界隈はザクセン人の移民の多かった地域で、拙者もビエルタン
を訪れたおり、地元の老人がドイツ語で会話をしておるのを耳にし
たことがござる。
そういえば、ハーメルンの笛吹き男の伝説では消えた子供たちは遠く
ジーベンビュルゲンの洞窟から現れたとか言う話であったように記憶
いたしており申す。
>>717
ハウクヴィッツさま

はじめまして。
ロシアのは、軍港でしたか?

>>719
ギシュクラ・ヤーノシュさま、
なるほど...4つしか知りませぬ(笑)やっぱりライタ川の向こうは要勉強です。

すると、ハーメルンは集団就職だった訳ですね。。(拉致、だったのかも知れませんが)
Reichsprotektorさま
どちら側から見ての剣でござるが、恐らくはパノニア平原側から見て
だと思い申す。オラデア=ナジ・ヴァラード=グロースヴァルダイン
からクルージ・ナポカ=コロジュヴァール=クラウゼンブルグに抜ける
街道に「キーライ・ハーゴ(王様峠?)」というそこそこ険しい峠が
ござって、そこを超えるとトランシルバニアだと聞いたことがござる。

ハウクヴィッツさま
トランシルバニアの地図をみておりもうすと頭が混乱してしまい申す。
ストラスブルグなぞという地名もあるそうでござる。

シュヴァルツェンベルグさま
ルクセンブルグ家がハンガリー王位についたのはナポリ・アンジュー
家のカーロイ・ローベルト陛下(1世)、ラヨシュ1世陛下と続いた
系譜が男子が無く、ハンガリー王位をマリアさま、ポーランド王位を
ヤドヴィガさまが継がれ、マリアさまとルクセンブルグ家のジギスム
ントさまがご結婚あそばされたことによるものでござる。
残念ながら王位継承に当たっては国内が内戦状態となり、マリアさま
もジギスムント殿も一時それぞれ幽閉されるといった辛酸をなめられ
た末の即位でござった。苦労が祟ったのかマリアさまはおいたわしく
も若くしてみまかられてしまわれており申す。
この時点でジギスムント殿がハンガリー王位につかれたのでござる。



Reichsprotektorさま
なにやらチャット状態になっておるようでござるな。
クロンシュタットは軍港でござるな。
かの地もドイツの移民の方が多く居られたようで、
探検で有名なクルーゼンシュテルン殿や日露戦争当時のウラジオ艦隊
司令のフォン・エッセン殿といった名前を思い出しもうす。
723カウニッツ:03/11/17 23:26
そうなんです、ハプスブルク家内で、スペイン系はカール5世の系統、
オーストリア系はフェルディナント1世の系統と1522年の時に決められたので、
1526年のモハーチの戦い後、オーストリア・ハプスブルク家にベーメン・ハンガリーの
王冠は継がれていくので、カール5世はベーメン・ハンガリーの王位にはついてないのです。
1556年まではカール5世が一族の長であったのは確かですが、この年に急に
ハプスブルク家が分立したわけではないのです。
ギシュクラ・ヤーノシュさま、

ドイツ人はあちこちにおりますな。
もっとも最近は国に戻る人も多いようですが。。

カウニッツさま、

ヴィソカのお城は最近は滞在されていますか?
ボヘミアに行く機会がありましたら、お庭を拝見しとうございます。
725カウニッツ:03/11/21 23:23
どうぞ。喜んでお迎えしますよ。
726世界@名無史さん:03/11/22 13:33
>>719
>ハーメルンの笛吹き男の伝説では消えた子供たちは遠く
>ジーベンビュルゲンの洞窟から現れたとか...
消えた子たちの後日譚があったとは。出典は何ですか。
727Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/11/22 19:19
途中まで入札する気でしたが、
あっさり予算制約を超えました。。

ttp://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/bid_hist?aID=f11474881
Reichsprotektorさま
ハンガリーにもドイツ人の集落が残っておりますな。
知人の住まう街がそうでござる。

>726
拙者は阿部謹也先生の著作にて読んだ覚えがござる。
729Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/11/23 04:24
>>728
ドイツ人を指す、「ネムツキ」という言葉は、自分達じゃ無い(人じゃ無い!)
というスラブ系の言葉ですが、ハンガリーのネーメト首相の「ネーメト」という
のはネムツキと関係ありませんかね?
もちろん、マジャールはスラブ起源ではありませんけど、ヴィシェグラドという
名前が残っていたりするなど、関係が深そうなので...
730世界@名無史さん:03/11/23 09:02
age
731Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/11/23 15:06
>>725
その後、あちこちを検索したのですが、カウニッツさまのお城はあまり
ヒットしません。ヴィソカの他にはどちらにお持ちだったのでしょう?
(各貴族のウィーンと所領の館をセットで回ろう!と思っていた時期も、
短いながらありました。とても無理でしたが(笑))
Reichsprotektorさま
NemetまたはNemeth(本当はeの上に点がつきます)でネーメト、
意味はドイツ人でござるな。
スラブ起源の言葉なんでありましょうや?
二輪のライダーでイムレ・トートなる御仁がおりもうすが苗字のトート
はスロバキア人の意味でござるな。
ヴイシェグラードは完全にスラブ系の言葉でござろう。マジャールの言葉
であれば城はヴァールでござる。

それにしても各貴族の館とおっしゃられるが彼のエステルハージ殿のご一
族の屋敷はオーストリア・スロバキア・ハンガリーと一体いくつあるのか
わかり申さぬ。うらやましいかぎりでござるなぁ。
733カウニッツ:03/11/24 00:10
ギシュクラ・ヤーノシュ様。
エステルハージー家について。
60の城と440の村を領有していたみたいです。
734シュヴァルツェンベルク:03/11/24 01:27
>>718 ハウクヴィッツさま
>>721 ギシュクラさま
>>723 カウニッツさま

遅レスになって申し訳ございません。ハンガリー王の地位についてお教えいただき
ありがとうございます。
カール五世陛下が一度全ての王冠を戴いたものとばかり思っておりましたが、存命中に
分割統治がされていたのですね。お恥ずかしい。。。
改めて自分でも調べましたところ、カール五世が有していた称号というのは、1519年時で

「ローマ人の国王であり、崇高なる皇帝であり、カスティリア、レオン、両シチリア、エルサレム、
グラナダ、ナバラ、トレド、バレンシア、ガリシア、マジョルカ、セルビア、サルディニア、コルドバ、
コルシカ、ムルシア、ハエン、アルガルベン、アルヘシラス、ヒブラルタル、カナリヤ諸島および
大西洋の国々の王であり、オーストリア大公、ブルグントおよびブラバント公爵、バルセロナ、
フランドル、ティロルの伯爵、ビスカヤとモリナの君主、アテネおよびネオパトリア公爵、ルシ
ジョンとセルナダの伯爵、オリスタンおよびゴリシアの侯爵」(長い!)
だそうで、確かにハンガリーには触れられておりませんね。
フランツ・ヨーゼフ一世に至っては称号は百以上あったと申しますが…。

Reichsprotektor さま

ネーメト首相といえば、ピクニック計画の成功とベルリンの壁崩壊に、大きく貢献された
御方でありましたね。
ところで、イタリア語でドイツ人は「テデスキ」と言いますが、これも「ネムツキ」と何か
関係があるのでしょうか??語源が気になります。
735Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/11/25 06:39
ずっとアクセス制限をくらっていました。

もう家をでないとなりませんので、昨日見つけたサイトをはるだけに
します、お返事はのちほど。。
ttp://www.tabibito.de/ukraine/j-lwow.html
ttp://www.tabibito.de/ukraine/pics/j-slide33.html

ずっと辿っていくと、日本人は1ヶ月までビザ無しになったと書かれているのですが、
本当ですかね?!

736Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/11/25 18:13
>>732
ギシュクラ・ヤーノシュさま、
やっぱり...
トートがスロヴァキア人、ですか。
それはひょっとして、「憶病者」とか「田舎者」という侮蔑語なのでしょうか。

スラヴで「自分達と違う」ということは、実はかなりの侮蔑語であるように
感じます。少なくとも、余り友好的には思えません。

隣国とは、やっぱり仲が悪いものなんでしょうか。。

図書館で1911年に出されたUngarnという写真集を借りてきているのですが、
目立った城館(=立派なもの)はことごとくエシュテルハーズィのものでした。
ガランタのお城が一番気に入りました。

>>734
シュヴァルツェンベルクさま、
もう御出発されたかと思っておりました(笑)来年、でしたね?
称号ですが、セルビア王国が復活した後はどうなったのでしょう。。
テデスキ、存じません。イタリア人にはドイツ人をジャガイモ野郎と放言しそうな
気位の高さは感じますけど(笑)
737世界@名無史さん:03/11/25 21:54
               

               ↑
Reichsprotektorさま
イムレ・トート選手の場合は姓ですからどうということもないのでござるが
スロバキア人に対して「トート」と使うのは好ましくないと友人より聞き申
した。
ガランタと言えば今のスロバキアでござるな。元々エステルハージ家はスロ
バキアに本拠があったと聞いたことがござる。
739シュヴァルツェンベルク:03/11/27 23:02
>>736
もう間もなく、12月初旬に出立いたします。無理して休みを取りました
ので、色々やることに追われております。
なお、帝都での滞在は、畏れ多くも皇帝陛下の恩情に浴することと
相なりました。
ttp://joho.nta.co.jp/hotel_info.asp?code=VIE&hotelID=032

セルビア王位は、バルカン戦争のあとでオブレノヴィチ家の
ミラン公に譲られたものと存じます。オーストリアに恭順の意を
示されておりましたので。
残念ながら王朝はすぐ途絶えてしまいましたが…。
シュヴァルツェンベルクさま
お気をつけて旅をなさいますように。
良き思い出が増えることをお祈りいたしておりますぞ。
741世界@名無史さん:03/11/29 17:21
シュヴァルツェンベルク侯、土産話を期待しておりますぞ。
742シュヴァルツェンベルク:03/11/30 19:31
皆様、私事にもかかわらず、いろいろお教えいただきまして、厚く御礼申し上げます。
感謝の念に堪えませぬ。
この場で学んだことを無駄にせぬよう、見聞を広めてまいりたいと存じます。
つつがなく帰朝の折には、是非ご報告に上がらせていただきます。それでは、
しばし Aufwiedersehen!
743カウニッツ:03/12/01 00:16
シュヴァルツェンベルク様。
テロなど世上不安定な現状ですので気をつけて行ってらっしゃいませ。
レス等を見ますに比較的安全な地域と思われますが。
御報告楽しみにしておきます。
オーストリアにはシュヴァルツェンベルク家の末裔が経営されているホテルが有ると聞きます。
泊まられるのも一興かと…。
744カウニッツ:03/12/01 00:18
743の「世上」は「世情」の誤りです。すみません。
745世界@名無史さん:03/12/01 16:47
保守点検age
746カウニッツ:03/12/03 23:24
オブレノヴィッチ家について知りたいのですが…。
本来ならカール大帝陛下の宮廷にて伺うべきなのですが、何分陛下は御隠れになったままで…。
747Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/04 10:49
いかん、乗り遅れてしまった。。

シュヴァルツェンベルクさま、御無事をお祈りいたします。。

>>739
セルビアのブタ商人、オブレノヴィチですな。
カラジョルジュを殺し、セルビアを乗っ取り、また乗っ取られ....

セルビアといえば。
http://www.yu4you.com/items/sr/video/item_431.html
みたいですが、セルビア語が解らない。。
748世界@名無史さん:03/12/06 00:26
シェーンブルン、ヴェルデヴェーレ、ホーフブルク、すべてが懐かしい
749カウニッツ:03/12/06 00:29
ベルヴェデーレですか?
750世界@名無史さん:03/12/08 17:06
ベルベデーレとはオイゲン公のお城でつか
751カウニッツ:03/12/10 00:28
ベルヴェデーレ宮殿は偉大なプリンツ・オイゲンの建てさせた宮殿です。
その後、ハプスブルク家の所有になりました。確か、上宮と下宮が有ったような気がします。
752グントラム:03/12/10 19:16
余の子孫がこんなに栄えるとはのぉ
753Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/10 22:25
フランツ・フェルディナント大公殿下もお住まいでしたね。
754age:03/12/12 18:03
age
755カウニッツ:03/12/12 23:50
>>753
シェーンブルンとベルヴェデーレの対立なんて言葉もありましたっけ。
756Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/13 13:21
オーストリアでは官庁街ってのはなさそうですよね?

ドイツだと「ヴィルヘルム通りでは」というのが、「官僚側では」という
意味だったようですが。
757カウニッツ:03/12/14 23:50
旧プロイセンのユンカーって、今は如何しているのですかね〜?
758世界@名無史さん:03/12/16 14:13
某スレで見たのですが、どんな論文書いてるのですか?
759758:03/12/16 14:15
>>758はReichsprotektor ◆z4Op9cXCnM さんに対して。
760Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/16 16:09
>>758
都市計画(専門)の論文です。

朝、提出しまして、あとは修正と審査会です。
761758:03/12/16 17:09
Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM さん、レスありがとうございます。
762758(名古屋):03/12/16 18:21
アゲ
763世界@名無史さん:03/12/16 18:28
下らん。
764シュヴァルツェンベルク:03/12/17 00:45
しばしのごぶさたでありました。二重帝国首都めぐりから無事戻ってまいりました。
皆様のおかげもあり、幸い天候にも恵まれましたので、楽しい旅をすることが
できました。この場を借りて、再度御礼申し上げます。

ギシュクラさま
王宮の丘からのブダペストの眺めは最高でした!マーチャーシュ教会、
歴史博物館、国立博物館、国会議事堂、英雄広場、アンドラーシ通り界隈等々
一通りのところには足を運べたと思います。
あとは何といってもドナウ川沿いの夜景はすばらしいものでした!
トカイワインとグヤーシュも堪能してまいりましたが、意外にも魚が美味だったのです
が、これはやはりバラトン湖があるからでしょうか。

Reichsprotektorさま
ウィーンの海軍省の建物、無事発見して見てまいりました。陸軍省の右横の道を
進んで、橋を渡ってすぐのところでした。壁にはリッサのプレートもあり、感慨深い
ものがありました。
ところで、ついでのレスで恐縮なのですが、オーストリアの官庁街というとバルハウス
プラッツになると思われます。王宮のすぐ隣りの、首相府(宰相官房)と外務省の
ある広場です。
あと、オブレノヴィチ家について、自分の記憶違いかもしれませんが、豚商人だったのは
カラジョルジュのほうではございませんでしたっけ?

カウニッツさま
ベルヴェデーレ宮殿は美術館になっておりますね。自分は今回は行きませんでしたが、
かわりに隣りのシュヴァルツェンベルク宮殿(笑)に行ってまいりました。
ここがおそらく一族の方が経営されていると思うのですが、建物を利用したホテルと
レストランになっております。
ホテルは非常に良いお値段ですので、足を踏み入れたのはレストランだけですが、
庭園を見渡せて非常に良い雰囲気でございましたよ。
ウィーンに行かれる機会がありましたら是非おすすめいたします。

とりあえずご報告まで。
765カウニッツ:03/12/19 22:42
シュヴァルツェンベルク様、旅行記、楽しく読ませてもらいました。
766シュヴァルツェンベルク:03/12/21 23:14
カウニッツさま
長々と申しわけありませんでした。
あまり世界史と関係ない話が続いてしまいましたが、セルビアの
オブレノヴィチ家について調べ直してみました。

ミロシュ
 1780年生まれ。セルビア北部の町、ルドニクの公
 1815年4月、トルコに対するセルビア人の反乱の指導者
 ナポレオン戦争の収束後、ロシアからトルコへの圧力もあり
 1830年、セルビア自治公国が成立、ミロシュは世襲公に。
 しかし専制を敷いたため人望を失い、1839年退位。のち復位(1858年)

ミハイロ
 ミロシュの次男。兄の早逝により 1839年セルビア公。
 しかし父いらいの独裁を改めなかったため1842年失脚。
 アレクサンダル・カラジョルジェヴィチが台頭するが、その失脚により、
 先に退位して国外亡命していたミロシュ・オブレノヴィチが復位(1858年)
 その死後(1860年)ミハイロが復位。
 野にあった二十年のあいだに、「彼は何も学ばず、何も忘れなかった。」
 ふたたび独裁が敷かれ、反対者への報復と粛清が行われた結果、1868年暗殺。
767シュヴァルツェンベルク :03/12/21 23:16
ミラン
 ミハイロの又従弟。
 露土戦争に伴うベルリン会議の結果、セルビアはロシアからの援助を期待
 できなくなったため、親オーストリア政策へ転換。
 その結果、1882年にセルビア王の称号を認められる。
 同年ブルガリアと開戦するが敗れ、民主憲法の成立と国王権力の制限を
 受けて退位。

アレクサンダル
 1889年 13歳で即位。摂政会議による統治を経て、17歳で成人を宣言。
 民主憲法を廃止し、引退していた父を軍総司令官にするなど専横を敷く。
 人望を失い、1903年、周囲の反対を押して宮廷の侍女を妻としようとするに
 及び、王宮に乱入した青年将校らに殺害される。これによりオブレノヴィチ家断絶。
 一時、公位にあったアレクサンダル・カラジョルジェヴィチの子、ペータルが
 新たに王となる。(以後カラジョルジェヴィチ王朝〜1945年)

…どうも暴君を出してばかりの家系ですね。
手元の資料はセルビア専門のものではありませんので、もっと詳しい方がおられれば
補足をお願いいたします。

Reichsprotektorさま
論文お疲れ様でございました。
都市計画、と申しますと、オスマンのパリ改造や、リングシュトラーセ建設などにも
お詳しいのでしょうか。
768カウニッツ:03/12/22 01:18
シュヴァルツェンベルク「公爵」様、オブレノヴィチ家について勉強になりました。
感謝です。以前、シュヴァルツェンベルク「侯爵」と書きましたが、「公爵」にまで
なられていたとは…。失礼致しました。
769Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/23 02:44
シュヴァルツェンベルクさま、
おかえりなさいませ!

>>767
すごい、こんなにひどいとは。。いつも、英語で断片的に読んでいただけ
なので、日本語で見るとすごいですね。。

カラジョルジェヴィチとオブレノヴィチの争いも。
不思議なのは、ミラン・オブレノヴィチの像がカラジョルジェヴィチ家が復権した
あとも残ったこと。まぁ、独立のシンボルではあったのでしょうが。

オスマンの話も、リンクのはなしも、そしてセゲド(セゲディン)の復興都市計画も、
大体(概要は)判りますよ(笑)

都市計画史は趣味でもあり、部分的には専門テーマでもあります。

シュヴァルツェンベルクさま
つつがなくご帰還されたとのこと、なによりでござる。
ブダペストをお楽しみいただけたようで、拙者も喜ばしく思っておりますぞ。

Reichsprotektorさま
お疲れさまでござる。セゲドの都市復興と申すと大洪水で破壊された都市の
復興でございましょうや?
771Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/23 20:11
>>770
左様で。
洪水のあと、有名なエドゥアルト・レヒネルによるプランが計画されました
(実は、完成した町と彼のプランを比較していないので、どのくらい実現した
か、知らないのですが...)。ブダペシュトの郵便貯金局や工芸博物館(美術館)
を作った人物ですね。

興味を持っているのは、ライバッハの震災以前の状況。それから、大火以前の
ブレスト・リトフスク。このあたりは完全に趣味です(笑)
772Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/23 20:12
申し忘れました、
あたたかいお言葉、ありがとうございました。

提出した暫定版には結論がなかった(笑)ので、あわてて直しております。。
773世界@名無史さん:03/12/23 20:21
突然ですが皆さん
創価学会についてどう思いますか?
興味ありましたらあなたの意見をお聞かせください
YAHOOチャットの政治カテゴリのユーザールームに
創価学会YAHOO支部という部屋があります
ただ今そちらで熱い議論を繰り広げております
マイクを使ってボイスで討論もしています
YAHOOにログイン後ご入室ください
心よりお待ち申し上げております
以上、宣伝でした
拙者はレヒネル・エデンと彼の御仁のお名前を記憶いたしており申した。
拙者も主の普請道楽が伝染したのか建築を見るのは好きでござるが、エデ
ン先生の建築はちょっと悪趣味建築かと・・・。
775腹減った…:03/12/24 18:23
そろそろ夕飯だ。
776世界@名無史さん:03/12/24 19:14
シシィ様、お誕生日おめでとうございます。
777カウニッツ:03/12/24 19:36
エリーザベト様の誕生日って、クリスマス・イヴだったのですか。
778:03/12/25 15:15
FEVER!
779世界@名無史さん:03/12/25 22:58
また体重増えちまつた。鬱。
780Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/26 18:26
>>774
エデンと言う名前が、ドイツ名ですとエドゥアルト、となるらしいです。
わたしも、エデン・レヒナー、あるいはレヒネル・エデンと最初に認識しました。

悪趣味とはもうせ、あれがマジャールの民族様式と信じていた訳ですからねぇ。。
マジャールの民族意識の顕現と思い、生暖かく見守ってあげて下さい!

そろそろ年末ですね。

>780
彼の御仁の思いは判り申す、日本においても伊藤忠太先生が
日本建築のルーツを求めて西域を旅されておられましたな。
その成果が築地の本願寺とか京都の伝道院とかな訳ですが・・・。
782Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/27 02:41
>>781
ですね。
井上章一さんによれば、エンタシスも、かの時代に日本文化に権威を求めた
末の妄想だったとか。

レヒネルのモチーフ(牛、とか)も、ほとんどが非マジャールであると
近年は判明しているようです。

レヒネル作品を見に、ケチけメート、サバトカやセゲドにいってみたいものです。


783カウニッツ:03/12/28 23:45
年末保守age……。
784世界@名無史さん:03/12/29 19:21
マジャール=アヴァール?
785カウニッツ:04/01/02 22:38
遅くなりましたが、皆様、本年も宜しくお願い致します。
2004.1.2. ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯爵
Reichsprotektorさま
お二方とも大真面目にやっておいで故、笑うというよりも時代の悲しさの
ようなものを作品を見るたびに感じてしまい申す。同時代のオットー・ワグ
ナー殿は過去ではなく未来へ進まれたのを見るとよけいにそのような印象を
受け申す。
レヒネル作品を訪ねる旅、よろしゅうござるなぁ。是非実現して下され。

>784
アヴァールとマジャールは違う民族でござろう。

>785
カウニッツさま
ご挨拶が遅れ申した 。本年もよろしくお願い申し上げます。
787Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :04/01/04 12:40
みなさま、あけましておめでとうございます。
年末にコンピュータのシステムがおかしくなりまして、入れ替えてもだめだったので、
新品を一台買うことになりました。新型に旧型OSを入れまして、なんとか同じ
環境に戻すのに3日。。。

ヤーノシュさま、
レヒネルはブダペストしかみたことがありません。
実は、今日の新聞にこんな記事が。
ユーゴ“再興”の夢、セルビア男性が新国家建設運動
ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040103id25.htm

ハンガリー王国、サバトカでの動きです。機会があったら、ここと、あと
東ドイツのDDRホテルにいってみたいものです。
788世界@名無史さん:04/01/07 21:35
カウニッツ様、今年も宜しく。
789カウニッツ:04/01/13 01:02
どうやら私は「公爵」にまでなっていたようです。ちょっと嬉しいかも…。
790シュヴァルツェンベルク:04/01/13 01:35
カウニッツさま、挨拶が遅れ申しわけございません。
新年および公爵位おめでとうございますw

ところで、シュヴァルツェンベルクの家は Felix Furst
(u はウムラウト) となっておりましたので、フェリックスの時代
(-1852年)までは侯爵でよろしいかと存じます。公爵になっていると
したらその後でしょうか。

では、今年も皆をお導きくださいますよう、よろしくお願い致します。
791世界@名無史さん:04/01/20 00:20
保守点検age
792世界@名無史さん:04/01/22 03:26
792get
793摂政:04/01/22 16:27
カウニッツ君久しぶり。
794ハウクヴィッツ:04/01/22 18:14
>カウニッツ殿、ギシュクラ・ヤーノシュ殿、シュヴァルツェンベルク殿、Reichsprotektor殿

しばらく遠ざかっておりましたが、久々にお邪魔させていただきまする。
795宰相:04/01/24 05:07
摂政って?
796kreuzer:04/01/25 15:56
ハプスブルク家の傍系が製造している、ワインの銘柄をご存知の
方おられますか?
797カウニッツ:04/01/26 17:27
>>790>>794
シュヴァルツェンベルク様、ハウクヴィッツ様、ありがとうございます。

私もしばらく留守にしていましたが、そろそろ復帰する予定なので宜しくお願いします。
798世界@名無史さん:04/01/29 13:43
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< パンがないならケーキを食べればいいのに
                 \_/   \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< ケーキケーキ!
ケーキ〜!      >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
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              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
799世界@名無史さん:04/01/29 22:26
ウルトラマンの長兄を思い出す。フランツヨーゼフの母
800世界@名無史さん:04/01/30 00:30
>>798
ワラタ。800GET!
801世界@名無史さん:04/01/30 13:42
agemasu
802世界@名無史さん:04/01/31 16:21
>>799
ゾフィー…ね。
803カウニッツ:04/02/04 22:51
エリーザベト皇后の実の伯母にして姑でもあった、ゾフィー大公妃殿下。
確かに肖像画によっては、あの…その…>>799さんの意見も分かるような。。。
>>798は秀逸ですね。
804世界@名無史さん:04/02/04 22:52
肖像画がじゃなくて名前がでしょ。
805  :04/02/04 22:54
>>803
若干「より目」、ということでしょうか...
ガリツィアもブコヴィナも当分先になりそうな今日この頃です。
806カウニッツ:04/02/04 23:13
>>805さん。ガリツィア?ブクヴィナ?はて、コテハンの方ですか?
>>804さん。いえ、「黄昏のウィーン」と言う本に載ってる肖像画が印象に残っていて…。
と言うか、ウルトラマン自体殆ど知らない者でして。
807カウニッツ:04/02/04 23:17
>>806、「ブクヴィナ」じゃなくて「ブコヴィナ」ですね。
>>805さん、Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM様かシュヴァルツェンベルク様か
ギシュクラ・ヤーノシュ様とふと思いまして。
808ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/05 00:20
カウニッツ殿
拙者ではござらぬ。Reichsprotektor殿ではありますまいか??
ウルトラマンの長兄がすぐにわかった拙者は・・・。
あ、ハンドルを消したままでしたね..

いろいろありまして、大変な状況におります。落ち着きましたら、また。。

810ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/05 23:55
Reichsprotektor殿
寒き折、風邪などめされぬように。
くれぐれも御身大切に。
811世界@名無史さん:04/02/06 18:41
>>810

俺が昔、好きな子にした電話の内容なんであんたが知ってるんだ?
812カウニッツ:04/02/06 19:21
>>811は誤爆ですか?
>>810
お言葉、ありがとうございます。
いろいろつらい毎日です。
814ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/07 00:27
>811
拙者の配下には密偵もおるのじゃよ・・ワハハハハ。
とでも言っておきましょうか。

Reichsprotektor殿
明けぬ夜はござらぬぞ。
「艱難辛苦汝を玉にす」でござる。

「斥候よ、夜はなほ長きや?」
教養課程の頃に読んだ文章を思い出す今日この頃です。

もう一度、朝もやの中、トリエステの坂道を上っていきたい...
そのために、頑張ります。
ウィーンより久しぶりに連絡がありました。

その後、どなたかが書かれていた気もしますが、ブダペストの英雄広場の像の
話です。

!! I have found something about the monument in Budapest − at last.
I think you wrote about the milleniums monument: it was built 1896, but was
not completed until 1929. The purpose was to commemorate Hungary's Millenium
Celebrations.
After WWII the statues of the Habsburg Emperors ( Karl III, Maria Theresia,
Leopold II, Franz Joseph ) were replaced by Hungarian freedom fighters.

こんな具合で、この書きぶりですと、君主国が崩壊した時点ではモニュメントは
完成しておらず、皇帝達の像が撤去されたのは戦後のことになります。

事実かどうか判りませんが、もしも仮にこれが事実だとしたら、ハンガリーが
王国を(王不在のまま)名乗り続けていたことと合わせ、戦間期ハンガリーは
実はハプスブルクの色彩を消そうとはしてなかったのか、と思えてきます。

どうなんでしょうね。
817カウニッツ:04/02/12 00:18
この時期はウィーン観光の日程のあるツアーも安く行けますね。
大抵、ブダペストやプラハ、ベルリン等の観光もセットで、時間さえあれば行きたいですね。
818カウニッツ:04/02/15 01:14
カール大帝はもう旅立たれてしまったのだろうか…。
819ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/15 01:35
Reichsprotektor殿
拙者の方が悪性の風邪に倒れる始末でござる。
拙者の居城は山中にあるので冬は冷え込んでこたえ申す。

英雄広場の雑煮関して拙宅にブダより到着した「HeroesSquere 
Budapest」なる本を見たところ
1919年にマーチャーシュ王より右にあったハプスブルグ家の諸王
(ハンガリー王としてだそうな)銅像を撤去している写真が掲載
されておりフランツ・ヨーゼフ陛下の像などは不敬を極めること
でござるが、破壊されて無残な姿で横たわっておるような有様で
ござった。

820ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/15 01:36
その後の像の運命でござるが記述を良く読んでみると赤色革命が
終って後、おそらく1920〜1年だと思い申すが像は元に戻さ
れ、フランツ・ヨーゼフ陛下の像は再度鋳造されたとのことでござる。

で、これらの方々像が撤去されたのはおっしゃるとおり第二次大
戦の敗戦後だそうで、拙者が以前書いたことは間違いでござった。

1945年に
フェルディナンド1世陛下→トランシルバニア公ボチカイ・イシュトヴァーン殿
カール3世(皇帝としては6世)陛下→トランシルバニア侯ベトレン・ガボール殿
マリア・テレジア陛下→上部ハンガリー・トランシルバニア公テケイ・イムレ殿
レオポルド2世陛下→トランシルバニア公ラコーツィ・フィレンツ2世殿
フランツ。ヨーゼフ陛下→ハンガリー共和国摂政コッシュート・ラヨシュ殿
にそれぞれ置き換えられたとのことでござる。
もっとも英雄広場も市街戦の被害を受けておりマリア・テレジア陛下より右の
方々の像は建物もろとも崩れ落ちていたようでござる。

貴重な情報を感謝するとともに、誤った記述をしたことをお詫び申し上げる。

821ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/15 01:36
カウニッツ殿
拙者はウイーンに2週間連泊したことがござるが、未だ見ていないところは
山とござる。行きたいものでござるなぁ・・。
すると、やっぱり革命騒ぎの後には「君主なきハンガリー王国」としての誇りというか
建前が戻った、ということでしょうか。

摂政がいたとか、国名が王国だったとか、不思議がいっぱい!

わたしはプラーターシュテルンの近くの、ホテルプラーターシュテルンという安宿
が好きで、これまで12日くらい泊まっています。

韓国や中国の人が多く、新婚旅行などでも質素で好感もてます。

次にいく機会があったら、Heros Squareは買い、ですね。
よろしければISBNなど教えていただけたらうれしいです。
(同様のものに、Schlossfreiheitというベルリン城前のヴィルヘルム1世の像がありまして、
同名の本で撤去中の写真が載ったりしています。やはり革命騒ぎの時に壊されたりしたのです
が、戦間期は修復されていました。戦間期にはますます興味が出てきます。)
823ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/15 17:08
Reichsprotektor殿

「Heroes’ Square Budapest」
Andras Gero著 Corvina出版

ISBN 963 13 2930 5

でござる。

コルヴイナ出版は直販のお店がビロシュマルティ広場にあり申す。
カフェ・ジェルボーを正面に見た場合ですと左側のビルの2階で
ござる。
他にも興味深い書籍を多数出版しておられる出版社でござる。
我が主の文庫の名を使い、社章がフニャディ家の家紋である「指輪を
咥えたワタリガラス」ということで贔屓にしていただければ拙者も
嬉しく思い申す。

拙者はカ作家のカフカ殿が定宿にしておられたという古いホテルでに
泊まっておりました。
824シュヴァルツェンベルク:04/02/15 20:57
ギシュクラさま
英雄広場の銅像の件、詳細をお教えいただきありがとうございます。
一度破壊して再建されていたとは…。やはりクン・ベーラの革命政権への
恐怖と嫌悪が大きく、反動を呼んだということでしょうか。

ところで、かの人の名前はクン・ベーラでよろしかったでしょうか?
マジャル語は苗字が先とは知りながら、資料によってベーラ・クンとなって
いるものも多く、確証が得られておりませぬ。
バルトーク・ベーラの御名前から察して、多分ベーラが名前だろうとは思って
いるのですが…。

先だってのブダペスト訪問の折、ジェルボーと広場には足を運んだのですが
コルヴィナ出版には全く気づきませんでした・・・。ヴェレシュマルティ広場は
ライトアップされて、クリスマスの屋台が出ていて非常に楽しゅうございました。

古書店では、アンドラーシ通りの入り口というか起点というか、エルジェーベト広場から
歩いて向かって左側の角に、フクロウの看板を掲げた店がありまして、そこが
とても面白かったです。ドイツ語のものも多く、店員の方も親切でした。
目立つところでしたので有名なお店ではないかと思います。
825シュヴァルツェンベルク:04/02/15 21:24
Reichsprotektor さま
何やらご心痛のようで居られますが、お気を強くお持ち下さいませ。
“いずれ時が経てば、どうしてこんな苦しみがあるのか分かるようになりましょう”
(チェホフ「三人姉妹」)

「トリエステの坂道」は須賀敦子でしょうか?あの方の余韻のある文章が
とても好きです。
過去に訪れたのはヴェネツィアまでですので、トリエステやライバッハにも
機会があれば行ってみたいものです。

戦間期の中・東欧については自分も興味があります。その中で一つ、
チェコ、ポーランド、ルーマニア、ユーゴスラヴィアとフランスの間で結ばれた
「小協商」という同盟がありましたが、これは自分はナチ・ドイツに対する
1930年代の政治史のなかで理解していたのですが、じつは本来は
“ハンガリーの報復”に備える共同防衛を目的としていた、と読んで、
周辺国の対ハンガリー観が伺えて興味深いものがありました。
826ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/15 23:34
シュヴァルツェンベルク 殿

マジャール式の表記だとクン・ベーラだと思い申す。
クンというのはモンゴルに追われてハンガリー王国に流入したクマン人の
ことでして、彼らが住んでいた地域にはクンなんとかという地名がござる。
クマン人を母親とし、先祖の宗教に立ち返り国王に対する十字軍が出動し
そうになったアールパード家の青年君主ラースロー4世陛下の通称は「ク
ン・ラースロー」と呼ばれており申す。
さて、このクン・ベーラなる御仁の場合でござるが、拙者の聞き及ぶとこ
ろではクマンの系統ではないそうでござるな。

ラースロー4世陛下と申さば、かのマルフィフェルトの戦でハプスブルク
家のルドルフ1世陛下の援軍としてボヘミア王のオットカル2世殿を相手
に奮戦したのでござるが、あまり知られていないのは寂しきことでござる。

ブダの王宮の博物館の歴史絵画の展示には真紅の戦衣をまとい、戦場でル
ドルフ1世陛下と握手を交わす、颯爽たる姿の絵がござる。もちろん、後世
に描かれたものでござるが、機会があればご覧くだされ。
ギシュクラ・ヤーノシュさま、

スペイン風邪(??)はどのようなお加減ですか?
(大正デモグラフィという本を読んだのですが、ヨーロッパでは悪い事は
全部スペインのせい、という風潮があるとか?!)

ISBNの件、ありがとうございました。googったり、あるいはamazonで
探したりしましたが、ネット経由では入手はできなさそうです。
もう一度行く事があったら探してみます!

ところで、カフカ氏の定宿というのはどちらですか?
わたしはカフカ氏が詩の朗読をしたプラハのホテルに泊まった事があります。


シュヴァルツェンベルクさま、
お言葉、ありがとうございました。あと2月弱、頑張ってみます。
トリエステは坂道を上っていくと小さなお城があって、そのお城の脇に公園
がありました。その公園にはその「涙という名前の町」がイタリアに「戻った」
ことを記念した記念碑がありました。数時間しかおりませんでしたが、睡眠
不足の目には痛いほどの青い青いアドリア海が見えました。
市役所のすぐ脇にソーセージ屋があって、そこでサンドウィッチを買って、
市役所の時計台の下でかじったのが懐かしいです。

ライバッハ、良いところです。トリエステから列車で行きましたが、急に
気温が下がりました。
828カウニッツ:04/02/16 19:59
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< パンがないならケーキを食べればいいのに
                 \_/   \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< ケーキケーキ!
ケーキ〜!      >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /

829カウニッツ:04/02/16 20:07
面白いですね、このAA。ageるついでに使わせて貰いました。
ギシュクラ様。マルヒフェルトの戦いでルドルフ陛下にハンガリー王が加勢されたとは
存じて居りましたが、アールパード家のラースロー4世陛下のことでしたか。
またまた勉強になりました。
830世界@名無史さん:04/02/16 20:11
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ヴァロワがだめならブルボンを担げばいいのに
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< ブルボンブルボン!
ブルボン!      >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
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831ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/17 00:16
Reichsprotektor殿
いやはや酷い有様でござる。配下の将も半数は寝込む有様で、拙者も
熱で半分ボケたような有様でござる。こんな時にトルコ軍でも押し寄
せた日には落城は必至じゃ・・・。

カフカ殿の常宿にされておられたホテルはグラーベンから少し入った
ところにあるホテル「グラーベン」でござるな。真向かいがキャバレー
というロケーションはいかがなものかとは思い申すが、趣のある建物
ではありますな。

アドリア海は目に痛いほどの青でござるな・・。
昨年、ドブロブニクから北上するルートで旅をいたしたが、また、訪れ
てみたいと思いますぞ。

カウニッツ殿
あの戦のきっかけもハンガリー国内の大貴族の騒乱で一方がオットカル
2世殿に援軍を頼んだこともきっかけの一つであったはず。
ラースロ4世陛下に関しては邦文のホームページで面白いものがござる。
一度検索されることをお勧めいたしますぞ。
832レリン ◆0UjkSmThNE :04/02/17 02:06
>>82
 

 私は別に業者でもなんでもないんですが(笑)、古本が気にならないんでしたら
このサイトを利用されてはどうか、と思います。
 ttp://www.bookfinder.com/

 その本を扱っている古本屋は何軒か引っかかりますし、その他珍しい書籍も発見で
きます。
 
833カウニッツ:04/02/17 21:23
レリン ◆0UjkSmThNE 様、貴重な情報ありがとうございます。
Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM 様も感謝されると思いますよ。
私も皆様に感化されてか、久しぶりにハンガリー史の本を引っ張り出している今日この頃です。
それにしても現地情報や何やら、皆さんお詳しいので頭が下がります。
私も今年中にはドイツ・オーストリア・ハンガリー・チェコ・スロヴァキア・スペインの各国を
自分のプランで(ツアーやそのオプション等でなく)歩きたいと思って居ります。
時間さえ取れれば何とか…。レリン ◆0UjkSmThNE様、また来て下さいね。
>>832
レリンさま。はじめまして。
そのサイトははじめて知りました。

Ostpreussenで検索したら、沢山ヒットしました!
...一寸心配なのが、多分アマゾンと同じで個人間でのやり取りになるんだと
思うのですが、言葉の問題が...杞憂だとは思うのですが。

一度、試してみたいと思います。

ありがとうございました。
>>833
カウニッツさまはいつ頃?
(わたしも未定のままです...)

先日、ボヘミア・モラビア総督領憲兵の略帽を、チェコの友人に買っておいて
もらうことに成功致しました。

ttp://www.militaryshop.cz/noron/webgen/stranky/index.html

WW1のところには、ルカーシ中尉が着ていた服が見えます。
おそらく、カール
...途中で送信されてしまいました...

不敬罪になってしまいますな。。
837ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/17 23:44
レリン殿
情報、かたじけなく存ずる。
ハンガリーの出版社は重版をかけることはほとんどないそうですので
欲しい本となれば新品にこだわるべきではござらぬ。
ああ、しかし悪いサイトをご教示いただいたものでござる。
会計方の小言を山ほど聞く破目になりそうじゃ・・。

カウニッツ殿
是非、おでかけなされ。拙者もボヘミアへ行きたいと思って
おるところでござる。

Reichsprotektor 殿
「こすぷれ」でござるか?夜中に密かに「ぜぶらーまん」に
化けたりしておられるのではありますまいな・・・?
例えば、こちら。
ttp://www.militaryshop.cz/noron/rakhul/h1.jpg
ttp://www.militaryshop.cz/noron/rakhul/h2.jpg

タルヌフにあった、槍騎兵第2連隊、その名も「シュヴァルツェンベルク侯爵」。
ポーランド人とチェコ人から編成されていましたが、彼らはドイツ系オーストリア人よりも
背が高いので、かっこ良かったでしょうね。

ttp://www.militaryshop.cz/noron/modhus/h1.jpg
ttp://www.militaryshop.cz/noron/modhus/h5.jpg
こちらはテメシュヴァールとグロースヴァルダインにあった軽騎兵第1連隊「皇帝」。

ttp://www.militaryshop.cz/noron/husar/h1.jpg
ttp://www.militaryshop.cz/noron/husar/h4.jpg
そしてこちらはミスコルツにあった軽騎兵第15連隊「フランツ・サルヴァドール大公」。

こういうのを冠ってバルに出てみたいものですが...日本人はダメかな?
839レリン ◆0UjkSmThNE :04/02/18 21:15
 皆様再び失礼します。

実は度忘れして大切なことを書き忘れてしまいました。

ttp://www.libri.hu/

これはハンガリーの大手オンライン書店ですが、ここで例のGeroの本が新品で手に入
るようです(しかも送料含めても ttp://www.bookfinder.com/ で検索にかかる古書店
が提示する金額よりも安く購入可能)。

 私自身ここを利用したことがないのでサービス等はなんとも言えませんが、皆様の
御参考になれば、と思います。
 
 それではまた。   
840世界@名無史さん:04/02/18 23:09
レリン ◆0UjkSmThNE age
Reichsprotektor殿
テメシュヴァールと申さば、オペレッタのジプシー男爵の舞台で
ござるな。拙者も観劇したことがござるが、日本人がマジャール
騎兵の扮装をすると残念ながらあまりカッコのよいものではござ
らなんだ・・。
レリン殿
情報感謝いたしますぞ。
リブリは本屋には何度もおじゃましたことがござるが、
サイトは存じませなんだ。
しかし、これは全てマジャール語でござるな。
>>841
マジャールは"オリエント"の血が流れていると自称しているはずですが、ね(笑)

体格が少し違いますよね。
元はアジア系とはいえ、原型を留めてませんからなぁ・・・。
845世界@名無史さん:04/02/23 23:11
agemasu
846秀逸:04/02/24 18:30
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ヴァロワがだめならブルボンを担げばいいのに
                 \_/   \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< ブルボンブルボン!
ブルボン!      >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
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              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
847世界@名無史さん:04/02/24 18:31
>>846くどい!
848世界@名無史さん:04/02/24 20:59
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< シュライヒャーがだめならヒ*ラーを担げばいいのに
                 \_/   \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< ヒ*ラーヒト*ー!
ヒ*ラー!      >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
849世界@名無史さん:04/02/24 23:26
>>848うざい!
850世界@名無史さん:04/02/27 21:52
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< カール大帝がだめならカウニッツを担げばいいのに
                 \_/   \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< カウニッツカウニッツ!
カウニッツ!     >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
書き込みがないかコピペされるんだろうか...


ところで、カウニッツさま。
わたし、カウニッツ様のお城を訪れたこと、ありました。
Austerlitzのお城です。あちらは、どちらのカウニッツ様のお城になるんでしょうか。

Reichsprotektor殿
このような輩はヴィーナーノイシュタットの監獄に収監すべきでござるな。
アウステルリッツとは有名な三帝会戦の古戦場ですな。

>>852
古戦場近くに、Kaunitzさまのお城があるのです。バロックスタイル。
執事さん達がお昼休み中だったところ、友人がごり押しして見学させて
いただきました(失礼を...

お庭の石造がきれいでした(ソビエト兵慰霊碑は場違いな感じでした)。

あまり多くを記憶していないのですが、意外に思ったのはチェコ人が
ドイツ兵や露西亜兵、そしてオーストリア兵の服装をして戦争ごっこ
する様子でした。毎年やっているらしく、来年の100周年には各地の
「連隊」が参加するようです。
Kaunitzさまのお城が再び兵站基地になるのかも?!!

Wiener Neustadtの監獄よりも、Bruennのシュピールベルク監獄とか
Teresienstadtの方が厳しそう...後者にはサラエボ事件のプリンツィプ
も収監されていたそうです(そして前者は某映画監督の苗字に...)


Reichsprotektor 殿
ヴィーナーノイシュタットを思いついたのはハンガリーの独立を企てた
ズリーニ家・フランコパン家のご当主が処刑されたのがこちらだったも
ので・・。クロアチア太守を輩出した名門もこれで断絶してしまいもう
した。ズリーニ家のご令嬢はテケイ・イムレ殿に嫁いでムンカーチの城を
守った女傑ズリーニ・イロナさま、そのご子息はハプスブルグ家に兵をあ
げたラコーツィ・フィレンツ2世殿・・・ハプスブルグ家にとっては反逆
者の系譜でござるなぁ・・・。
この事件でナーダシュディ家もご当主が処刑、領地没収になっており申す
が、こちらは後に復活しておりますな。
ヤーノシュさま、

ううう、実はハンガリーのお話は全く知りませんで...
【3日しか滞在した事がありません。】

ヴィーナーノイシュタットではマティアス・コルヴィヌスのお墓??がある教会があった記憶が
あります。

ハンガリーの勉強をせねばなりません。丁度、誠文堂新光社の「世界地理風俗体系」の中欧を入手
したところなので頑張ります(笑)
Reichsprotektor殿


ナーダシュディ家の当主はマリア・テレジア女王の御世にマジャール騎兵
を率いてプロイセン王相手に奮戦してことで知られており申す。

ところで、ヴィーナー・ノイシュタットに我が主のお墓があるというのは
真でござるか?ハプスブルグ家のスレでは鬼門筋の名でござろうが、我が
主はウイーンを攻略し、逝去したのもウイーンでござるが・・・。
この話題は拙者の居城ですることといたそう。

ここはカウニッツ卿のサロンでござるから、一応、ハプスブルグ家に関連
のある話に限定いたしたく存ずる。
857世界@名無史さん:04/03/01 03:06
age
858カウニッツ:04/03/02 00:34
★もしハプスブルク帝国が崩壊しなかったら★スレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1044550464/l50
の議論はロムってて面白いですね。


859カウニッツ:04/03/02 00:40
>>851、Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM 様
「どちらのカウニッツ様のお城になるんでしょうか」
と言いますと、カウニッツ家と言うのはそんなに複雑な家系なのでしょうか?
勉強不足ですみません。一応言えるのは、アウステルリッツの所領は、「カウニッツ=リートベルク」家領です。
860カウニッツ:04/03/02 00:50
>>856、ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 様
何時も興味深い話、ありがとうございます。直接ハプスブルクに関連していなくても、
全然構いません。存分に御教授下され。しかし、最近、ハンガリー・スレが見当たらないですね。
拙者の城は下の方にござる。
カウニッツ卿もお立ちよりくだされ。
>>859
カウニッツさま、

いえ、そのレスを頂戴したかったのです。
そうですか、カウニッツ=リートベルク家ですか...検索しましたら、

http://www.kaunitz-rietberg.novy-jicin.cz/militaria/uniforma_pluku.htm
二重帝国陸軍歩兵第20連隊の名前が「カウニッツ・リートベルク」でした。

http://www.findarticles.com/cf_dls/m0293/n451_v113/20575400/p1/article.jhtml
帝国宰相Wenzel Anton von Kaunits=Rietbergさまもアウステルリッツに
お住まいでした。

留守宅にお邪魔していたとは存じませんでした(ナポレオンの展示ばかりが
記憶にあります。パンフレットはなかったと記憶しています)。。

http://www.slavkov-austerlitz.cz/
こういうお城です(って、お住まいの時もあるんですからご存知ですよね(笑))
検索をしておりましたら、こういうところがヒット。
http://www.iarelative.com/czech/sea0300a.htm

My great grandfather, Isidor Kaunitz, came from Bouzo(sp?) Roumania in the
late 1880's to New York. We are curious about the Hapsburg Kaunitzs and
when the jewish line of Kaunitzs started.
カウニッツ様のところでは領民が領主様をお慕いして苗字を勝手に拝領すること
があったのでしょうか...(それとも、その地方出身ということでルーマニアへ
移ってからカウニッツ様のお名前を頂戴したのでしょうか。)

http://www.jewishgen.org/cemetery/e-europe/czech-pr.html
Cesky Brod近くにKounice (Kaunitz)という村があるようです。
ひょっとすると、ここが、カウニッツ様のご先祖の町で、そこから出た領民も
同じ苗字を名乗ったのでしょうか...

いつもながら、脱線で済みません。
864カウニッツ:04/03/02 02:34
Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM 様
>>863「いつもながら、脱線で済みません。」
とんでもないです。いつもいつも勉強させて頂いて居ります。
今後もその博識をこのスレでも伝授されて下さい。

>>861、ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 様
カール大帝陛下の宮廷のdat行きを、陛下のご帰還迄我々で阻止せねばなりませんね。

ふとっちょマックス殿下。もし居られましたら、一行レスでも良いので、
書き込んで下さいませんか?「親愛なるヴェンツェル」は心配でなりません。
865カウニッツ:04/03/02 16:42
ハンガリー・スレが見付からない。(T-T)/~~~
867カウニッツ:04/03/02 18:04
Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM 様、どうもです!
868カウニッツ:04/03/03 00:46
ハンガリー関連ですが、1335年のヴィシェグラードでの会談は、対ハプスブルクでした。
前にそう書いて批判されたのですが…。
詳細:時・1335年、場所・ヴィシェグラード
参加者・(ハンガリー王カーロリイ・ローベルト)(ポーランド王カジーミェシュ3世)
(ベーメン王ヨハン)
会談の内容・ハプスブルク家の経済封鎖に対抗する措置を講ずるなど。

カウニッツ殿
拙者の城の広間にてお話もうしあげましょうぞ。
それにしても批判というのは拙者の仕業でござろうか?
カウニッツ殿
カール大帝陛下の宮殿に参内して参リ申した。
話題の方向の修正が必要のように思い申す。
871カウニッツ:04/03/08 01:18
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 様。
批判と言いますか、ヴィシェグラードの件を以前書いた時「ハプスブルクとは関係ない」
「その時期、ハプスブルクはそれ程脅威ではなかった」と指摘されまして、その時は
頭の中でヨーロッパの勢力図を思い出して確かに皆さんのご指摘通りだと納得した次第です。
ところが某書を手にとって読むと、>>868で書いたようなことが記してあったので、
懲りずにそうだったのかと書き込んだ次第です。特に誰それに以前批判されたとか、
やっぱりそうじゃないかとか、その様な事を問題にしようと思った訳ではないんです。
ここからは冗談ですが、ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 様は武門の出。
文官である私が戦いを挑むのは無謀と言うものです。どうかお気を御鎮め下され。(笑)
最終的には、ハンガリースレでギシュクラ様が御教授下さったレスで再び納得させられた
次第です。しかしボヘミアのヨハン王の話、目頭が熱くなりました。マクシミリアン1世
陛下のお義父様を思い出しました。
カウニッツ殿
いや、拙者が恐れるのは、拙者が調子に乗って無礼なことをしたのでは
ないかということでござる。
ハンガリースレでも書き申したが、カーロイ陛下にとっては国境線で
諍いを繰り返す愚を避けて、3国を団結させてオーストリアに当たろう
と企てたのでござろう。
10年にも渡って不毛な内戦を経てきたお方だけに無用な戦は避けたか
ったものと推察いたす。
ご子息のラヨシュ1世は大王と呼ばれるものの父君と異なり戦を好む
性格でハリチだのナポリだのと出征を繰り返して国を疲弊させてしまい
もうした。

ヨハン王の最後についてはよほど見事なものであったようでござるな。
フロッサールの年代記でござったか、古に邦文に訳された文章で読むと
平家物語の武将の最後のようでござる。
873カウニッツ:04/03/08 02:13
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 様。
御安心下さい。無礼なことなどされておりません。
何時も親切・丁寧なレスに感謝しているくらいです。
大帝陛下の宮廷に相応しい方向転換の件、御任せしても宜しいでしょうか?
874カウニッツ:04/03/10 00:11
クリミア戦争時、オーストリア帝国はどのような態度・外交の方向性を採れば
良かったと皆さんは思いますか。
私はブオル・シャウエンシュタイン外相のごとき反露主義者の考えは理解できません。
1849年のハンガリー制圧時にロシアは援軍を出してくれましたし…。ただ経済的に
西欧方面に依存していたので難しいところでもありますね。どうでしょうか?

875世界@名無史さん:04/03/12 19:46
Agemasu!
876カウニッツ:04/03/13 19:58
自分で書いて自分で答えるのもなんですが、人情的にはロシアにつくべきだと思ったのですが、
国益といずれくる「汎ゲルマン主義」と「汎スラヴ主義」の対立よりくるロシアとの対立を鑑みて、
最初の段階からイギリス・フランス側に加担してしまうのが最善かと思われます。
中立は最悪、途中参戦もあまりよくないとも思います。レスが付かなかったので、
自分で書いちゃいました。この話題はこれで終りにしましょう。
877カウニッツ:04/03/16 01:02
ハンガリーの都市の中でブダペストは頭抜けて人口が多いのですね。古い資料ですが、
ブダペスト 203.8万人     ペーチュ 15.7万人
ミシュコルツ 19.0万人     セゲッド 13.3万人
デブレツェン 17.3万人     ヂェール 11.0万人
(1973年当時)だそうです。。。
>>877
密度で見ると、どうなんでしょうね?
旧ハンガリー王国としてみると、案外3番手くらいの都市は沢山沢山
ありそうな感じもします。。

分離して90年弱、それ以前の方が長かったですから、バランスも
残っているかも?(とはいえ、国が分裂すれば普通は新しいバランス
が作られるものですけど)


私事ですが、本日(昨日)午前、論文審査会が終わりました。
2日完徹で望んだものの、無事に発表できました(24時間前は涙目
でパワーポイント作っていました)。完全に生活リズム、崩れて
います...
カウニッツ殿
やけにブダペストが多いですな。
帝国時代だとポジョニ(ブラチスラヴァ)とかカッシャ(カシャウ)
などが大都市であったように思い申すが・・。
どこかに当時の人口の資料があったように思うのじゃガ、さてどこへ
しまったのやら。

Reichsprotektor 殿
無事に終られたと聞き拙者も安心いたし申した。しばし休んで鋭気を
養われよ。されど、学びの道に終わりなし、また次の登るべき山が控
えてござる。一層精進されるよう祈念いたしておりますぞ。
880カウニッツ:04/03/17 00:42
Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM 様。
御疲れ様です。私も生活リズムが乱れて居りまして……。御互い新年度に向けて、
健全で規則正しい生活をおくれる様に修正していきましょう。(余計な御世話?)

ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 様。
先程ハンガリー・スレに御邪魔させて頂きました。
881世界@名無史さん:04/03/18 16:30
みなさま、お言葉、ありがとうございました。
このスレを訪れるのが、息抜きになっておりました。感謝致します。

>>880
いやいや、ごもっともです。図書館や役所は普通の時間ですからねぇ。。(笑)
日が沈みかけてから活動を開始しても、情報が集まりません。

>>879
年次が不明ですが、Hickmannという教授の示した図版がありまして、
ハンガリー王国領ではブダペストが57万、セゲドが8万8000、サバトカが7万5000、
デブレツェンが6万5000、ポジョニが6万、Hodmezoe Vaserhely(どこだ?!)が
5万7000、ケチケメートが5万、アラドが4万5000、グロスヴァルダインが4万3000、
アグラム(ザグレブ)が4万、コロジュヴァールが3万8000、Csaba,とFuenfkirchen
(どこですか?!)が3万5000、クロンシュタットが3万4000、Makoとカシャウが
3万3000、Szentes(?)が3万2000、ミシュコルツとFelegyhaza(?)、フィウメ
(リエカ)とショプロンが3万1000、Czegled、Nyiregyhaza、Stuhlweissenburg
が2万8000、ソンボル、ヘルマンシュタットが2万7000、BekesとZentaが2万6500、
ノヴィサドが2万5000、エセック(オシエク)が2万1000、ヴァジュディンが1万1000
....という具合です。

ほんとは密度でみたいところですよね。。


>>881
さんがご紹介くださった本ですが、国勢調査という項目に非常に興味があります(笑)
国勢調査は政策立案の基本ですが、あの時代ですから、軍事的な要素よりも福祉的
要素に軸足をおいた調査とそのデータ利用になっていたのではないかと勝手に想像
しております。
Reichsprotektorさま
うわー地名の嵐だ・・。

Makoはセゲドとアラドの間にある今は小さな町ですね。
これがカシャウ(コシュツェ)と同程度の人口があった
とは信じられません。

Nyiregyhazaはニレジハーザ。ウクライナ国境に近い
町です。ここの合唱団はよく来日しますね。

Zentaは「ゼンタの会戦」で有名なところですね。

あとの地名も調べておきます。
トランシルバニア・スロバキア・クロアチアは複数
言語表記の地図を所有しているのですが・・。
884シュヴァルツェンベルク:04/03/21 23:51
皆様、このところご無沙汰しておりまして申しわけございません。
>881さんご紹介の本は面白そうですね。古本屋で探してみますw

Reichsprotektor さま
一ヶ月も遅レスで申しわけありません(汗
>835,838
でご紹介のヘルメット、格好いいですね!
先だって渡欧の折、ウィーン一区の裏通りにて骨董品屋めぐりをしたのですが、
その時にもこういう品が色々ございました。不勉強ゆえ、部隊名などは不明でした
が…。
しかし、同じ形の略帽で、正面に「FJ」という刻印のあるものと、「K」とだけあるものが
あり、それは皇帝陛下の御名前ではないかと思いました。
シュヴァルツェンベルク家の名を冠した連隊もあったのですね。古くからある
連隊だったのか、あるいは私フェリックスの伯父にあたる、ナポレオン戦争の英雄、
カール侯を記念しての命名だったかもしれませんね。

また、
>882
の国勢調査のデータですが、ブダペストの人口推移は 1890年に50万人、
1900年に73万3千人とのことですので、1890年代前半あたりの資料と
思われます。しかし詳細ですね!

>カウニッツさま
クリミア戦争のお話、リアルタイムでレス出来ませんでしたが、これは非常に
難しい問題ですね。英仏側で参戦すれば、帝国はガリツィアで対露戦を
戦わなくてはならなかったでしょう…。
結果、クリミア戦争は“クリミア”にとどまらないことになったかも
しれません。それを物理的に助けるのは、英仏には無理だったでしょう。
そしてフランスの支配者はあのナポレオン三世。
帝国が戦争で疲弊したのを見計らって、ピエモンテと組んでミラノあたりに
手を出してくる可能性も…。
このへんは考えると面白いので、いずれまたレスさせていただきます。
>>883
ヤーノシュさま、
おそらく、ハンガリー王国が広大な版図をもっていた当時と比べて、セゲドとアラドの
間を行き来するひとの流れが激減したんでしょうね。<Mako

Fuenfkirchenはペーチですた...聞いた事あるなぁとは思っていたのですが(笑)
Csaba、Szentes、Felegyhaza、Czegled、Szekes-Fehervarは今でもハンガリーの町
みたいです。

ググっていましたら、↓こんなサイトを偶々発見。
http://bankjegy.szabadsagharcos.org/emergency/city/index.shtml
これはなんだか判りませんが、藩札(というか市札)のようなものか。

>>884
シュヴァルツェンベルクさま、
F.J.がフランツヨーゼフ1世陛下、K.がカール1世陛下、です。

不思議なのが、I がない理由。善良なる兵士シュヴェイクではF.J.I.という帽章を
Fuer judische Interesseと皮肉っていましたが、作者の捏造だったのでしょうかね。。
シュヴァルツェンベルク どの
近日中にボヘミアのお城にお邪魔する予定でござる。

Reichsprotektorさま
ああ、フィンフキルヘンはペーチですね。ハンガリー関係の書籍を
読むときは頭が混乱してしまいます。Stuhlweissenburgはセーケ
シュフェヘルヴァール(Székesfehérvár)です。ハンガリー王の
戴冠が行われる町でオスマン軍に破壊されるまでは多くの王の墓所
のある教会があったところですね。
887カウニッツ:04/03/23 01:34
シュヴァルツェンベルク様。

>ナポレオン戦争の英雄、カール侯を記念しての命名だったかもしれませんね。

カール侯とは、オーストリア皇帝フランツ1世陛下の兄弟でアスペルンの戦いで
ナポレオンを破ったカール大公のことですか?
>>886
王の墓所があったんですか。オラデアにもお墓があったということを先日のお話
で知った訳ですが、ずいぶんあちこちにお墓がある印象です。これも、戦場を
駆け巡った王様が多かったためなんでしょうか。。

(ベーメンは、オーリクのお城なんですかね?)
889カウニッツ:04/03/23 02:14
Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM 様。
>>888。キリ番ゲット、おめでとうございます!
>>889
伯爵様、どうも(笑)

賞はカウニッツさまのお城を順番に訪問できるツアーですかね?!

ここ数日、妙にガブロンツ・アン・デア・ナイセ(ヤブロネツ・ナド・ニソウ)に
行きたくなっています。ガリツィアでもブコヴィナでもなく、おとなしいベーメンに...
891カウニッツ:04/03/23 02:38
ナイセ…。1740年、プロイセン軍の侵攻に長期にわたって英雄的に持ち堪えたナイセ。
ナイペルク伯爵が無能でなかったらナイセはいえシュレジエンはハプスブルク領の
ままであったのに…。
892世界@名無史さん:04/03/24 06:07
オーデル・ナイセ線って昔聞いたような。
>>892
>>891
そう、その2つあるうちの、西側にあるナイセ川沿いになります<ガブロンツ

カウニッツ伯爵さまの仰るナイセは、東側にあるナイセ沿いになります。
894世界@名無史さん:04/03/24 15:28
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< カール大帝がだめならカウニッツを担げばいいのに
                 \_/   \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< カウニッツカウニッツ!
カウニッツ!     >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /

またそのコピペですかい。。
896世界@名無史さん:04/03/25 07:49
読売ニュースより
------------------------------------------------------------------
人類の脳を増大させた遺伝子発見
 人類の脳が大きくなった原因につながる遺伝子を、米ペンシルベニア大などの研究チ
ームが突き止めました。
 この遺伝子は類人猿の強じんなアゴの筋肉を作る働きがありましたが、人類ではその
機能を喪失、アゴの力を弱め、脳の大型化を可能にしたと見られます。
------------------------------------------------------------------

 これを読んでハプスブルクを連想した俺って.....
897世界@名無史さん:04/03/26 04:26
>896
むりもない
898カウニッツ:04/03/26 23:57
バロック的秩序の権化であった仰々しいカール6世は、プロイセンの統治者が手を差しだしたとき、
この父帝の御世に王族に加えられた者を無視してかかったとされています。
>>898
そんなことがあったんですか...
まぁ、オーストリアからすれば、ホーエンツォレルンなんぞ、おかしくて相手に
できなかったのでしょうね。

それを考えると、のし上がっていたヴィルヘルム2世がフランツ・フェルディナントと
一緒に狩りに行ったりするのを見て、そりゃ、彼のおじさんなんかは不満だったで
ことしょうね。彼も、古い権威主義的な人だったそうですから。
900\[・ム・ ] 共産主義を飽くまで排撃する:04/03/27 00:13
共産主義即ちコンミュニズムというものには、私は絶対に同情を持っていない。
共産主義はもし仮にドイツで行われたとしたら、現在ロシアで行われているのとは全く異なった結
果を生じたであろうと思う。
共産主義は、要するに、一種の国家社会主義に他ならぬのだ。
901カウニッツ:04/03/27 00:23
\[・ム・ ] 共産主義を飽くまで排撃する 様。
キリ番ゲットおめでとうございます!
902カウニッツ:04/03/30 02:01
マリア・テレジアの計らいで、ハプスブルク家の人間しか入れない、カプツィーナ霊廟に
葬られた、シャルロッテ・フクス伯爵夫人と、フランツ・フェルディナント大公との結婚を
反対された、ゾフィー・ホテク伯爵令嬢。どちらの身分が高いのでしょうか?

903世界@名無史さん:04/03/31 17:36
ゾフィー・ホテク伯爵令嬢は皇太子夫人になると同じにフランツ・ヨーゼフ帝から
ホーエンベルク公爵夫人に叙爵されていたよね。
904(`ρ´):04/03/31 23:45
オルバース爆動か!?
905カウニッツ:04/04/01 02:06
>>904
意味が判らないです。
カウニッツ殿
家格のことを仰せでござるか?
残念ながら拙者では判り申さぬ。

ホテク伯爵家はボヘミアでは相当に古いお家と耳にしたことが
ござるが、ハプスブルク家の嫡男となるとつりあわぬのでござ
るな。うるさきことでござる。

ttp://www.bk.fh-hannover.de/bk/projekte/M11/uw/chotek1.htm

ココを見ると、外交官の娘でヴュルテンベルク王国の王都で生まれたようですね。
いろいろ見ると、先祖にはアウアースペルク家からお輿入れがあったりして、
それなりなんですが、やっぱり王様の娘とか、最低でも大公、あるいは公爵
の娘でないと不釣り合いなんでしょうね。
909Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/04/02 11:40
もしルドルフが生きていて、フランツ・フェルディナントが
ただの「大公」だったら釣り合ってたんでしょうかね。
少なくとも、史実ほど不釣り合いということはなさそうですが。
>>909
国持ちの大公(たとえば、ヘッセン大公とか)と違って、問題はそれほどでも
なかったかもしれませんね。
ルクセンブルグ家の神聖ローマ皇帝にしてハンガリー王であったジギスムント
陛下の奥方(マリア女王が身罷って後)はスロベニアのツィリエ伯家の出身の
バルバラ・ツィレイさまでござったな。
兄君のウルリク殿はハンガリー王国にもオーストリアにも多大な影響力を有す
る強大な力を有した御仁ではあったにせよ、当時、身分違いなどと言うものは
おらなかったでござろう・・。
ルドルフ1世陛下にマルヒフェルトで合力したラースロー4世陛下の母君など
は異教徒のクマン人の姫君でござった・・。
時代が下るにつれ、ややこしきことが増えるものでござるな。それと共にお家
の活力も失われたように感じられてなりませぬ。
912カウニッツ:04/04/04 22:17
ポーランド分割に対するマリア・テレジアの見解。
「あらゆる分割は提案の根拠において不正であり、そしてわれわれにとっては有害である。
私はこの提案を遺憾に思う、そして人前に出せないくらい恥かしいことであるといわざるを得ない。」
(シュテファン・ツヴァイク)
913世界@名無史さん:04/04/04 22:24
            _| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○        _| ̄|○_| ̄|○
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_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○            _| ̄|○        _| ̄|○_| ̄|○

「只自分に対する絶望のみが道をひらく、その他に手はない。」    稲垣足穂


914世界@名無史さん:04/04/04 22:48
_ト ̄|○
915カウニッツ:04/04/06 00:25
>>913>>914
意味が不明です。
しばらくアク禁でした。。

>>911
ヤーノシュさま、
ツェリェの伯爵は、あの辺では一番所領が大きかったので、
「ただの伯爵」とは看做されなかったのかも知れません。。
(近所の、例えばゲルツ伯は領土が狭かったと記憶しております)

あるいは、「 フン、国持ちじゃなきゃ嫁はもらわん/嫁にはやらん」
といえるほど、皇帝位が安定してなかったのかも知れません。
想像ですが。。

長い時間かけて、誰もいない道を辿り(途中、火事のあとを見たり...)、
漸く伯爵のお城に到着し、そこからツェリェの町を見下ろしたのを
思い出します。お金がなくて、ザウアークラウトとパンをかじりながら
餓えをしのぎました(笑)



タルホは昔読みました。鼻眼鏡?だっけかな...
917世界@名無史さん:04/04/06 23:08
クマン人の詳細キボンヌ
918世界@名無史さん:04/04/06 23:22
Reichsprotektorさま
ツィリエに行かれましたか、羨ましゅうござるぞ。
神聖ローマ皇帝と申してもジギスムント陛下はマリア女王と結婚
した時点からクロアチアの大貴族ホルヴァーティ家の反乱騒動とか
ハンガリー貴族の反乱(確かシクローシュの城に軟禁されたことが
あったはずでござる)等、ハンガリーでは大貴族の跳梁跋扈に悩ま
されておられましたな・・。領地を質入したり散々苦労をされてお
られもうした。あの時代の皇帝陛下はハプスブルグ家の最盛期の如
き力は持ってはおられなかったでござろう。

ツィリエ伯の最後の御仁は拙者と同時代のウルリク殿でござるがベ
オグラードでフニャディ・ヤーノシュ殿の長男ラースロー殿と諍い
の挙句殺されるというのは、感心しませぬなぁ・・・。

>917
クマン人の話はハンガリースレの方でお願いできまいか?
彼らに関する話題はハプスブルグ家とは関係がござらぬも
ので・・。そこここをハンガリースレ化するのは本意では
ござらぬもので・・。
920ハンガリー人:04/04/08 16:22
921世界@名無史さん:04/04/10 21:23
東欧史研に来なさい!
>921
拙者のような素人には無縁の場所でござろう。
>>919
高校一年の時、選挙で選ばれる(という表現でした)というのが
非常に新鮮でした。

ポーランド王も選挙と習いまして、「おお、万世一系というのは
欧州ではないんだな」と感じたものです。

フニャディ・ヤーノシュの長男に殺されたんですね。ここで、
ゼムリンの時のお話につながってきました。

ツェリェで買った町の歴史の本を読みなおしてみますが、なんで
またツェリェの伯爵の勢力がそんなに強くなったんでしょう。
非常に疑問でした。オーストリアから南下する道の途中、
スラヴォニアにもダルマチアにも、イタリアにも抜ける事が
できるとしても、不思議で。そんなに豊かそうにも見えない土地
でしたし。。
>917
お役に立つかどうかは判り申さぬが、ハンガリースレをご覧下され。

Reichsprotektor殿
エルケルのオペラの「ラースロー・フニャディ」がこの事件を題材
にしており申す。ウルリク殿はベオグラードでトルコ軍と戦闘中の
フニャディ・ヤーノシュ殿の援軍として出陣したはずなんでござる
が、フニャディ殿は疫病で陣没しておりトルコ軍追撃は沙汰止みと
なったのでござるな。で、元々ガライ家・ツィレイ家対フニャディ
家・シラージ家ほか中小貴族という対立の図式が表面化して、ウル
リク殿がフニャディ一族の本拠ヴァイダ・フニャド(フネドワラ)
の城をラースロー殿に明渡せと言ったとかで諍いになり、ラースロ
殿の臣下に殺されたとか聞き申した。

ツィリエの伯爵については全く無知でござる。
ご本に書いてあることなぞご教示賜れば幸いでござる。
オーストリア史を読むとウルリク殿はウイーンの宮廷にも
相当な影響力をもっていた由にござるな・・。
925世界@名無史さん:04/04/14 16:41
「ハプスブルク」の綴りを教えて欲しいぞな・・。
926世界@名無史さん:04/04/14 16:59
Habsburg
927カウニッツ:04/04/15 00:42
マルセル・ブリヨン 著 『ウィーンはなやかな日々』
津守健二 訳 音楽之友社
読まれたことの有る方いらっしゃいますか?
カウニッツ殿
拙者は未見でござる。
どのような内容の本でございましょうや?
929カウニッツ:04/04/15 22:30
ギシュクラ様。
いえ、私も未読なんですけど、ウィーン会議関連の書籍の参考文献に載っていたので、
気になりまして。未読と言うか手元にも無いんですけど…。
930カウニッツ:04/04/20 22:35
そして誰もいなくなった……。
なんて嫌ですよ〜(ToT)/
拙者はおりますぞ、ただ、呼んでおらぬ本について
何も言いがたいもので・・・。
引っ越しと論文の手直しで多忙でして...今日も4時間昼寝(夕寝)に戻って、
今、学校に戻ったところです。。

933カウニッツ:04/04/23 01:13
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 様。全く仰る通りでした。流れが読めてなかったです。

Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM 様。御忙しいところ、何時もありがとうございます。

連休はボヘミアへ出陣いたすので、しばらくご無沙汰いたす
ことになり申す。シュヴァルツェンベルグ殿の居城にはお邪
魔いたす予定でござるが、おいででござろうか・・。
935カウニッツ:04/04/25 00:39
ギシュクラ様。羨ましい限りです。私も今年中には「ハプスブルク帝国三大都市」の
ウィーン・プラハ・ブダペストには行く予定ですが、物価は最近どうなのでしょうか?
>>934
ヤーノシュさま。
うらやましい限りで...
就職活動を放り出して、シュレジエンとガリツィエンを彷徨したいものです。。(泣)
お気をつけて、楽しんでいらしてください!

カウニッツ伯さま。
どうなんでしょうね、EUに入るとはいえ、EUROは当分導入されませんし、
EU加盟も随分前から日程が決まっていたのですから、いきなり大きな変化が
降り掛かるという感じでもないでしょう。あがっていたとすれば、じわじわ、
こ春にかけて進んだ筈。。(「最近」が、いつを基準にお話されたのかにも
よるでしょうけども(笑))



カウニッツ殿・Reichsprotektor殿
ここ数年、訪れるごとに物価が上がっているように感じますな。
ウイーンの物価はもとより高かったのでござるが、ハンガリー
も以前ほど割安感はござらぬ。クロアチアはオーストリアと変わ
らぬ感じで、ハンガリーの感覚で訪れた拙者は面くらい申した。
>>937
クロアチアは結構しますよね。
ホテルなんか、かなり高い。。

もっとも、難民の人々が帰還したでしょうから、大分空きはできた
ようなきもします。

何はともあれ、お気をつけて。
>938
明晩より出陣いたす故、今宵からしばらくサロンにはご無沙汰
いたすことになり申す。
シュヴァルツェンベルグ殿がお見えになられたらお城にお邪魔
するのでよろしくとお伝え下され。
ヤーノシュさん、着いた早々にチェコナショナルチームサポーターに
手荒い歓迎されるんでしょうか...
941カウニッツ:04/04/29 11:08
ギシュクラ様。もう行ってしまわれたと思いますが、良い御旅行を!
シュヴァルツェンベルク侯には、私からお伝えしておきましょう。

Reichsprotektor様。サッカーの話ですね。

25日から庶務が忙しく、今日まで留守にしておりましたが、今晩からはちょくちょく現れますので、
宜しくお願い致します。
942世界@名無史さん:04/05/06 06:18
朝age
カウニッツさま、

わたしは明日閉め切りの論文で大変です...
ほぼ完成していますが、怠け者なんで、ホントにギリギリにならないとダメなんです。


で、今頃ヤーノシュさまはベーメンだなあなんて思いながら、
ベーメンメモ帳を引っ張りだしてリベレツだなんだと眺めております。
EUになっちゃったんですよね、ヤーノシュさまの御滞在中に。<チェコ

シュヴァルツェンベルクさまもどちらかにご旅行されていそうな雰囲気。。

う、うらやましすぎる...(w
944カウニッツ:04/05/07 23:37
私も、ギシュクラ様やシュヴァルツェンベルク様達が羨ましい!
私事ですがウィーン旅行の前に国内旅行の予定が入ってしまいました。。。
5月10日から22日まで京都のほうに行って来ます。
本当はその分のお金をウィーン・ブダペスト・プラハの三都旅行の方にあてたいのですがね。
945カウニッツ:04/05/08 00:24
今、トカイワインを飲んでます。気分だけハンガリー♪
946シュヴァルツェンベルク:04/05/08 01:17
カウニッツさま、Reichsprotektor さまを始め、皆様方、しばらく顔を出せず、
不義理をいたしまして申しわけございませぬ。
四月中は政務に追われておりました。

そして、何ということか、ギシュクラさまは既に渡欧されてしまわれたのですね…。
出立に際してご挨拶も出来ず、礼を失しましたこと真に面目ありませぬ。
しかし、この時期は気候も大変よろしいと思われるので、羨ましいかぎり。
お戻りの際のお土産話を楽しみにしております。

お寄りになる城は、フルボカー/フラウエンベルク城でありましょうか?
かの城はシュヴァルツェンベルク家の隠居住まいで、私ことフェリクスの父も
余生を過ごしたゆかりの城にございます。

私は、残念ながらこの休み中には国内しか参りませんでした。この時期の渡欧は
かなりの予算となってしまいますし、時間も十分取れませんでしたので…。
ですので、余計にギシュクラさまが輝いて見えますw

>>945
カウニッツさま、もしやWBSのハンガリーワイン特集をご覧に?w
横レスです。

>>945
シュヴァルツェンベルクさま、

学校の別のフロアにウッジからの留学生がおります。
先日エレベータ前で出会ったときの第一声、「EUニハイリマシタ!」

で、彼からWBSの特集について教えられました(普段は終電で帰宅する
生活パターンです)。「チェコはハッピーだがポーランドは苦しんでいる
って描き方で気に喰わない」などと言っておりましたが、ハンガリーの
IT企業の時にも「チャンスとピンチは表裏」と指摘はありましたし、
一応公平に見ているんですかね<テレ東


お城はトジェボニュかも知れませんよ?
948Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/08 10:32
EUに入るとパスポートも変わるそうです。
国の名前が入るところが「EU」になるそうで。
その留学生の場合、正式には更新後からだと思いますが、
やっぱりその辺から意識が違うんでしょうね。
>>948
今度、詳しく聞いてみますね!




ヤーノシュさま、そろそろご帰国?、お出迎えage !
950Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :04/05/08 19:44
カウニッツさまも羨ましい。。

わたしは当分行けなさそうです。来月あたまから某国で4ヶ月ほど勤務
することになりました。そこの食べ物は苦手なのですが...(汗


さっきはagってなかったですね....


城に帰還いたしもした。
皆様の暖かきお言葉、ボヘミアのカフェで拝見させていただいたので
ござるが、書き込みは出来申さなんだ・・。

Reichsprotektor殿
サッカーのサポーターには遭遇せなんだが、アイスホッケーの応援は
凄まじいものがござった。TV中継の時間ともなれば街から人影が消
えるありさまでござる。

シュヴァルツェンベルク殿
例のクマがいるチェスキー・クロムルフやドジェボニュ、オルリーク、
ズビコフのお城にお邪魔いたし申した。
突然の訪問でご家来衆には大変ご迷惑をお掛け申したことをお詫び申
し上げるとともに、皆様のご親切心より感謝いたしており申す。

Ryuju殿
EU入りの日はターボルにおり申したが、周辺の町も含めメーデーの
イベントがあったぐらいで、ことさらにEU入りで何かが変わるという
風ではござらなんだ。ボヘミア在住の知人も特にイベントはなかったと
言っており申した。プラハでは何か祝いがあったのかも知れませぬが、
それよりアイスホッケーの方が関心が高いようでござった。
ブダペストでは結構盛大に祝っていたそうで、鎖橋やエルジェベート
橋に盛大な飾りつけをしていたそうでござる。
国によって温度差があるのでござろうか・・?
カウニッツ殿
何時頃のお出かけでございましょうや?

Reichsprotektor殿
論文は無事に完成されたようでなによりでござる。
某国が何処なのかは判り申さぬが、食が合わぬのは
困ったことでござるな・・・。
953カウニッツ:04/05/10 09:16
では、行って来ます!
皆様、スレの保守頼みますぞ。
954Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :04/05/10 09:34
カウニッツさま、
いっていらっしゃい!


ヤーノシュ様、
お帰りなさいませ!おもどりをお待ちしておりました。
トジェボニュ、やっぱりいらっしゃいましたか!
壮大なお墓、見てみたいものです。
ホッケーは一時期の巨人戦のような感じでしょうか。。(その頃を知りませんが)

食べ物は、 辛 い ものが有名なところでして、短期ではあるんですが、
一寸...近日中にプロイセンの王立工科大学の願書を出してみようと考えております。
(帝都の工科大学は独逸語の能力が非常に厳しく問われることになっておりますので)
おかげさまで論文(短いものです)は投稿を終えました。ありがとうございました。
955世界@名無史さん:04/05/10 09:37
おまえら学校はどうした?
956Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :04/05/10 12:28
>>955
学校からですが、何か?(w
957世界@名無史さん:04/05/10 15:53
会社からですが何か?w
マリアテレジアの娘たち(アントニアのぞく)
のエピソードキボンヌ。

カウニッツ殿
つつがなきご帰還を祈念いたしますぞ。

Reichsprotektor殿
いや巨大なお墓は見てござらぬ。今回はフス
戦争当時の城の廃墟を見るのが目的でござって、
宿に向かう途中にカフェに立ち寄ったついでに
拝見させていただいた程度でござる。

しかし、シュヴァルツェンベルグ殿のご一族は
一体いくつのお城を持っておられたのでござろうか・・。

>955
傭兵隊長風情に無縁のものでござるな。
959世界@名無史さん:04/05/14 15:00
 大公女ゾフィー
作詞わたくし 作曲菊池俊輔 歌ここに集うみなさま’04

ハプスブルクの大公女は
息子のチャンスを逃さない
フランツィやマクシィのお母さん
一番偉い大公女
助けて!  ゾフィー ダメな旦那を
いびって! ゾフィー 生意気な嫁を
強いおかんだ ゾフィー ゾフィー!
ハプスブルク家 ナンバーワン!
>959
正直笑い申した。
しかし、不敬罪で逮捕されますぞ。
トランシルバニアの冬は寒いですぞ・・・。
961シュヴァルツェンベルク:04/05/15 00:00
カウニッツさま、道中の無事をお祈りしております。

ギシュクラさま
無事のご帰還、お喜び申し上げます。
Reichsprotektor さまご指摘の通り、トジェボニュの城においでとは、
う、羨ましゅうございます。
シュヴァルツェンベルク家の墓の教会は、交通の便がよくなかったように
思いますが、一度でいいので墓参に訪れてみたいものです。。
しかし、フス戦争の遺跡が今に残っているというのもすごいことですなあ。

城は今ではすっかり国有財産にて、お気遣い御無用にございますw
リヒテンシュタイン侯がうらやましいw

Reichsprotektor さま
ごぶさたいたしております。
EU 新加盟国は、労働力が安い→企業誘致が進む、という見方が多いようで
ありますね。実際、アイルランドなどは、かなり成功を収めていると伺って
おります。
ポーランドは、失業率が高い(20%?)という報道を聞くと大変そうに
聞こえますが、立地的にはかなり有利ではないかと愚考いたします。
欧州の今世紀の首都と言われるベルリンにも近く、国土も広うございますので。

>>957
以前この場でも話題に上った、マリア・テレジアとマリー・アントワネットの
往復書簡の本に、他の皇女がたの話題も出てきておりました。特に、ナポリ王国に
嫁いだマリア・カロリーネ王妃の名前は、出産の話題に関してよく登場しており
ました。女帝の子のなかで最も女帝に近い性格であったそうで、アントワネットさま
の良き姉であったようです。
962世界@名無史さん:04/05/15 00:19
スコットランドに「フランツ・フェルディナンド」という、なかなか注目株の
ロックバンドがおります。

http://allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=UIDCASS80312120753572910&sql=B3tkmu3laan2k

バンド名は勿論フランツ・フェルディナンド大公から取られたそうです。
シュヴァルツェンベルク殿
チェコスロバキア独立時や共産政権時代にフス戦争の遺跡の発掘を
やっておりますのでな。ターボル派の最後の砦であったシオン城や
らヤン・ジシュカの家の跡だのはその時の発掘の成果だと思いますぞ。
それ以前は口にするのも憚られる異端の暴徒という扱いでござった故。

>962
ハプスブルグというよりハンガリースレの範疇の話題でござるが、ハン
ガリーには有名なマーチャーシュ王の傭兵軍団「フェケテ・シェレグ(
黒軍)」の名を冠したパンクロックバンドがござる。
964世界@名無史さん:04/05/20 20:30
保守ageします
965カウニッツ:04/05/21 06:16
昨日、予定より早く、京都の方から帰ってきました。
それにしても雨の日が多かった。う〜ん、残念。
また宜しくです。
カウニッツ殿
雨が多い不順な天候でござったなぁ・・。
残念なことでござる。
いよいよボヘミアですね!>カウニッツさま

わたしは本日引っ越しがありまして、部屋ががらんと..してないな、
長年使った机とベッドを処分する事になっていまして、布団は倉庫
に預けてしまったので(荷物は倉庫に預けます)、本日は研究室
から持ち帰った寝袋です。寝袋でベッド...床の上には資料やらゴミ
やらが散乱。。

寂しいし、不安です。
旅行に行く前の晩の気分です。。

こんなヨワッちいことを言っていますと、傭兵隊長どのに怒鳴られて
しまいそうですな(笑

2月遅れの春愁です。
Reichsprotektor殿
いやいや、不安な気持ちは拙者も充分にわかり申す。
新たな旅立ちには不安はつきものじゃが、何をする
にもそれに打ち勝っていかねばなり申さぬ。
お心を強く持たれよ。
未来は貴殿に開かれており申すぞ。
969世界@名無史さん:04/05/22 20:52
本日はアスペルンの戦いの日(2日目)です。
カール大公と我が軍の勝利を祝い、
勇敢に戦った両軍の戦死者に哀悼の意を表しましょう。
970ライヒシュタット公:04/05/23 17:25
父上が負けましたがなにか?
971世界@名無史さん:04/05/27 08:31
おお、ナポレオン2世登場か。
972世界@名無史さん:04/05/30 10:58
今日は日本ダービーがあります!
973シュヴァルツェンベルク:04/05/30 21:20
ウィーンのウラニア・ホールの前にアスペルン橋というのがありますが、
これは戦勝記念で名づけられたのですかねえ。

ところで、そろそろ次スレの時期ですね、カウニッツさま。
974世界@名無史さん:04/05/31 08:39
ハプスブルク家ヲタの人には悪いけど。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1044550464/325-
975世界@名無史さん:04/05/31 17:55
>>974

ハプスブルク家は聖なる王家。ダンピエール重甲騎士団がフェルディナント2世を救ったのでも
明らか。なめるな!

>974
申し訳ないが拙者は仮定の話にはさほど興味はござらぬ。
マルフィフェルトでオットカル殿が勝利していたら、ある
いは我が主が長命で、かつ嫡出子がいたらとか言い出した
らきりがござらぬ故・・。

>975
あまり奇跡など信じぬ方がよろしゅうござるぞ。
強運の家系であることは間違いござらぬが。
977世界@名無史さん
>>975
そのとおり!ハプスブルク家こそが聖なる唯一の王家。
ここに集う臣民が、神君ルドルフの戴冠式に十字型の
雲が現れたことや、マクシミリアン1世のマルティンスヴァント
での奇跡、そして20世紀においてもカール1世が福者に
選ばれていることを知らぬとは言わせぬぞ!