素材の歴史...金属、ガラス、プラスティック、繊維
高校生用質問スレ(1)からの新スレッドです。 本来スレ主となるべき方が、スレッドを立てられないとのことで、代行します。 黄金時代、青銅時代、鋼鉄の時代、ガラスとアルミニュームの時代、プラスチック とセラミックの時代 青銅はなぜ「青」銅なのか、赤銅色とはどんな色を指すのか。 歴史にまつわる様々な素材の話、素材の歴史について薀蓄を傾けてください。
2 :
世界@名無史さん :02/01/02 00:14
青銅は錫との合金だったか?(ちがったらスマソ) 銅はそのままだと脆すぎて使い物にならないからね 確か黄銅鉱なんてのもあったな…
へえ、新鮮なスレですね。おれも知りたいな
じゃ、まず軽いネタを・・・(笑) アショーカ王の錆びない鉄柱について薀蓄を披露してくれ!!
5 :
世界@名無史さん :02/01/02 00:18
おお、やっとスレが立った。では早速。 よく黄金時代->青銅時代->鉄の時代っていう表現で、昔は良かったという意味なのか歴史区分 をしますが、これっていつの時代に言われたんでしょう。 ローマ時代あたりの表現なんでしょうか。 現実には、青銅時代->鉄の時代というのはある程度は現実性があるようですが、金属といえば 金であった「黄金時代」というのは実在したんでしょうか。 あと、青銅時代と鉄の時代はかなり重なっていて、鉄は実用品として磨耗し、再利用され、腐食 して失われるために、祭器などに使われることで伝世された青銅とは異なり、出土しにくいのだ けなのだ、という説を聞いたことがあるのですが、どうなんでしょうね。
6 :
世界@名無史さん :02/01/02 00:24
初期の製鉄は隕鉄にたよっていたので 銅よりレアな祭器として扱われていた ヒッタイトが製鉄を独占していた時代には 金の数倍から数十倍の価値を有していたらしい ちなみにダイヤモンドの語源は鉄に由来するので 鉄を最上位に置いていた時代は 実用化の前段階においてが最も相応しい
8 :
世界@名無史さん :02/01/02 00:34
9 :
世界@名無史さん :02/01/02 00:40
>>6 ヒッタイトが製鉄技術を独占していた時代には、鉄の価格が同じ重量の金を上回っていたとういのは
記録があるようだが、これは技術の独占による価格操作の結果で、隕鉄を使って製鉄していたという
のは俗説か、ヒッタイト以前の自然鉄についてのことだろう。
普通は、ヒッタイトの製鉄技術は砂鉄を使った、日本でいうタタラ製鉄に類似した技法だと考えられて
いる。
>>5 氏が言っている、青銅時代に鉄があったという説も、この製鉄方式が古代に存在したということを
想定している。
つまり、鋳鉄として溶解した鉄を取り出すためには、青銅よりも高い温度の炉を必要とするため、この
系統の冶金技術を使った場合には、青銅時代の後に鉄の時代が到来することなるのだが、砂鉄を使
い、スポンジ状の還元鉄を得るタタラ製鉄技法では、はるかに低い温度の炉で製鉄が可能なため、青
銅時代と平行あるいは先行した製鉄がありうるということ。
エジプトに贈られたヒッタイトの 鉄の短剣は砂鉄で作られていた ただ、当時すでに鋳鉄技術を有していた ヒッタイトはなぜ砂鉄製品を渡したのか
ヒッタイトでの呼称はアムートゥだったかと
12 :
世界@名無史さん :02/01/02 00:57
隕鉄による鉄器は、以外にも銅器より圧倒的に歴史が古い。
13 :
世界@名無史さん :02/01/02 00:59
>>2 う〜ん。なんと言えばよいか、つまり、逆なんだな。
銅そのものは、比較的軟らかくて、ねばりがある金属なんだ。
ねばりがあるというのは、脆いということの反対の性質だと思ってくれ。
でもって、銅はそのままでは軟らかすぎて武器や祭器を造るのに向かないということで、
錫との合金にして硬さを出して使うということなんだな。
もひとつ、銅の融点は1080℃ぐらいだけど、合金にして青銅になると、融点が850℃
前後に下がるんだ。
それで、鋳造による同一製品の量産がしやすくなるってことなんだな。
14 :
世界@名無史さん :02/01/02 01:07
失礼!
>>10 ヒッタイトが鋳鉄技術を持っていたというのには、どんな根拠があるのだろう。初耳だな。
それと、短剣を鋳鉄で造るということは、まずあり得ないよ。
16 :
世界@名無史さん :02/01/02 01:15
鋳鉄の剣なんて石器た竹槍より役に立たないと思われ。
>>13 成る程、曲がりやすいが折れにくいようなものか…
ソフトキャンディーとアメの違いだな(ワラ
隕鉄を精製すると鉄鋼に近い性質の鉄になるらしいが
どうなんだろう?
18 :
世界@名無史さん :02/01/02 01:18
隕鉄にはクロムやマンガン、ニッケルなどが多く含まれている。 溶融せずに整形した場合、現在の高張力鋼やステンレス鋼に近い 性質の特性が得られたんじゃないかと思う。
19 :
世界@名無史さん :02/01/02 01:22
錬鉄か…逝ってくる
20 :
世界@名無史さん :02/01/02 01:23
>>17 隕鉄は、比較的純度が高い鉄ですから、鋳鉄よりも鍛鉄に近いものが出来ると思います。
あと、ニッケルを含む場合もあるので、天然ステンレスってのもアリですね。
おっと、ひょっとしたら
>>4 の「アショーカ王の錆びない鉄柱」もあやしいかな(W
冗談抜きで、隕鉄は錆びずに信仰対象になっていたりしますね。
>>18 それはどうだろう?
「性質」という言葉をどのような意味で使われているのかよくわからないのですが
現在の金属材料は単に組成だけではなく熱処理やら加工調質やら
結晶粒レベルのかなり細かい処理をおこなって性質をひきだしているようです。
バルクでおっこってたものを整形しただけではちょっと無理じゃないかしらん。
22 :
世界@名無史さん :02/01/02 01:48
>>16 いえいえ、支那の青龍刀などは鋳鉄製ですよ。立派に戦場でも活躍しています。
もっとも、短剣などの小物は無理でしょうけどね。
おっと、小物でも、鏃は別ですね。鋳造で量産しただろうと思います。
23 :
世界@名無史さん :02/01/02 02:00
シュメールでの鉄は「AN・BAR」だったか天の金属
24 :
世界@名無史さん :02/01/02 02:05
>>5 黄金時代というのは、ギリシャ神話からですね。
黄金時代:人類は無垢(むく)で、苦悩、不正、悪のない至福の時代
白銀時代:人類が神々の神聖を汚したためゼウスに罰せられる時代
青銅時代:人間同士が殺し合ういわば末世の時代
黒鉄時代:世に悪がはびこり、神々が地上を去る時代
ということだそうです。ただ、記憶では、途中に英雄時代っていうのが入って
いたようにも思うんですが、どうだったでしょう。
あまり白銀時代ってのは聞かないような気もします。
25 :
世界@名無史さん :02/01/02 02:06
>>20 別サイトで例の鉄柱は粉末冶金の炭素鋼だといわれてますが
錆びないならステンレスが妥当な線ではないかと…
26 :
世界@名無史さん :02/01/02 02:18
ヒッタイトや古代中国の鉄器の一部はニッケル鉄、おそらく隕鉄から作られていると考えられている。 だけど、鉄の帝国と呼ばれたヒッタイトの製鉄が隕鉄のみに頼っていたとは考えにくいし、そのような 製造量では、祭器としてならばともかく、武器として装備するのは無理だろうから、少なくとも途中から は粉末冶金、砂鉄を原料とする低温製鉄が行われていたと考えるのが妥当だろうね。 ところで、物性に詳しい人にたずねたいんだけど、隕鉄のニッケル3%程度を含有する鉄というのは、 錆びないものなのだろうか。それと色は黒色でおかしくないのだろうか。
鋳鉄は中国発祥だったか?
>5 24氏とかぶってしまったが、黄金時代>銀の時代>青銅時代>英雄時代>鉄の時代 という順で、時代が堕落するというのは紀元前700年ごろの古代ギリシャの詩人ヘシオドスの作品 「仕事と日々」に出てくる歴史観。これは歴史というよりは文学的表現と解する方が無難だと思う。 青銅使用と鉄使用の時代が重なっていたのは事実。鉄器がさびて残りにくいというのも その通りだろう。これは十九世紀ドイツのR.ベック以来の主に冶金家の立場からの説で 9氏の言うように鉄は鉱石を溶かさず木炭による還元と鍛造により比較的低温(800度ぐらい) でも作ることが出来ることから、合金である青銅よりその製造が遅いということは無いだろう、 という考えを元にしている。これが行きすぎると鉄の方が合金である青銅より早い/ほぼ同時 という説になるが近年の考古化学と呼ばれる科学的考古学の発展によりほぼ否定されている。 (やはり青銅の方が早いらしい)参考:ジョーゼフ・B・ランバート「遺物は語る」青土社 >12 隕鉄製鉄器の内、現在知られている最も古い物はエジプトの先王朝期ゲルゼー墳墓から出土した 小管玉で、紀元前3500〜3300年ごろの物であり、1980年の時点で紀元前3000年以前と見られる 鉄器(隕鉄製)は18しか見つかっていない。ところが銅の使用は遙かに古く、自然銅の使用が 紀元前8500年、銅の精錬が同6000年、スズ青銅の使用も同4000〜3500年には始まっている。 隕鉄は相当のニッケルを含む物が多くさびにくく、そのため残っているのだが、その数は あまりに少ない。従って隕鉄の使用が青銅より圧倒的に早い、などというのは誤りである。 >26 紀元前3000〜1500年のアナトリアや中東産出の鉄器は既に隕鉄製と精錬による物が半々だそうである (ランバートによる)。ましてやそれ以後のヒッタイトの鉄は殆ど精錬によるものだろう。 なお現在残っている隕鉄製の鉄器の内にはニッケル含有量4%程度のもの(ヘキサヘドライト隕鉄) も在るが、隕鉄としてはこのニッケル含有量は最低級であり、アタキサイト、オクタヘドライト のような多量(10%〜30%超)のニッケルを含む隕鉄も多い。 >27 鋳鉄は中国が一番早い。紀元前500年ごろには原始的な熱風炉(高炉)が既に使われていた。
うーんと物性というより材料ですね、これは。
私の理解ではステンレスの錆びない所以(あまり正確な表現ではないな)は
Crの酸化皮膜ができるためであり、Niは単なる添加物にすぎません。
ステンレス鋼において、Niは酸化皮膜の密着性を改善するために添加するのであり
Niそのものは「錆びない」ことにはあまり関与しないのではないかと思ったりもします。
>>26 一概には言えない、としか言えないかもしれない。
隕鉄のニッケル以外の成分も左右するだろうし(Crは入っているのかしらん?)、
なによりもどのような金属組織になっているかがポイントでしょうね。
あと、結晶粒の大きさ、偏析の大きさ。
総合的に考えてみると隕鉄そのものは錆びると思うのだが前の方のレスで
「錆びないので信仰対象となっている」とでていたし。。
韻鉄を元に処理したものは錆びないかもしれない。。。。。。
30 :
世界@名無史さん :02/01/02 09:17
31 :
ベリサリウス :02/01/02 09:33
別に訂正でもあら探しでもないんだけれど。SUSのこと。
SUS(サス。JIS用語、というか機械屋用語)、つまりステンレス鋼は、錆びないの
ではなくて錆びにくい金属なのです。ややこしい言葉で言うと、表面に不働態という丈夫
な皮膜ができるため。
>>29 さんのいう「Crの酸化皮膜」ですね。
SUSと単純に言っても、結晶構造から三種類、細かい規定で分ければ100近い分類が
できるので単純には言えないのですが、錆びにくいけれど条件によってはこの不働態が
あっさり消滅し、逝っちゃいます。海辺に住んでいる人はわかるでしょうね。
それと、残念ながら
>>20 さんの「天然ステンレス」というものはありません。クロムと鉄
との合金が自然では無理なのでしょうかね?
隕鉄がなぜか錆びにくいのは、間違いのない事実です。すいません、手元に資料がないので
理由はかけませんが。存在ずる環境にもよるらしいですね。確かインドの隕鉄のかたまりが
最近の工業化によるイオウ酸化物などで腐食が始まっているとか。ヤレヤレですね。
たしか
>>4 氏の「アショーカ王の錆びない鉄柱」がこれじゃなかったかな。
個人的に興味があるのは、ダマスカス刀(とう)、いわゆるウーツ鋼ですね。何だったかの
木の実の色になるまで熱し、奴隷の腹に突っ込んで焼き入れ・焼き戻ししたいうのは一部伝説
でしょうが、古代においてまれな耐久性(錆びにくい)、強靱さがあったとか。
33 :
世界@名無史さん :02/01/02 12:11
>>33 了解しました。
ステンレスと呼ぶにはクロムが10.5%以上含まれていることが必要なんですね。
でもって、3%程度でもそこそこの防錆効果はあるってことですか。
>>33 >>34 ある限定された条件では3%Crでもある程度の対錆性があるということですね。
これをそのまま
>>33 の韻鉄にあてはめることは出来ないと思いまする
36 :
世界@名無史さん :02/01/02 12:33
37 :
世界@名無史さん :02/01/02 12:41
>>35 錆を防ぐという意味において、成分以外の条件ってなに?
それに隕鉄中には、一般の鋼中に含まれていて防錆に対して
不利なSやPがないから、防錆効果はあると思う。
38 :
世界@名無史さん :02/01/02 13:14
そろそろ機械・工学板に逝った方が…
39 :
世界@名無史さん :02/01/02 13:22
>>38 はじめから工学・理学系と歴史のクロスオーバーを狙ったスレッドなんだから、その意見は
あまりにも偏狭と思われ。
40 :
世界@名無史さん :02/01/02 13:26
繊維の最高峰は絹 金属の最高峰は金
41 :
世界@名無史さん :02/01/02 13:38
>>40 まあ、黄金時代というくらいだから、金属素材の話は「金」からスタートすべきなんだろうが、素材としての
金って、銅や鉄とくらべてバリエーションが少ないというか、話題が少ない気がするね。
ところで、自然金属を利用して器具を作成することを想定すると、おそらく金の利用が一番早かったという
ことだろうけど、金属器の素材による年代測定って可能なんだろうか。
遺物の年代測定による黄金時代→青銅時代の変遷は立証されているのだろうか。
42 :
世界@名無史さん :02/01/02 13:41
紙の最高峰は和紙かな?
いや、別に良いんだけど、成分比だとかのレベルになると歴史板の話題かなぁ…と。
44 :
世界@名無史さん :02/01/02 13:50
>>42 和紙がすぐれた素材であることはよいとしても、最高峰かどうかは、用途によるでしょう。
類似の素材としては西欧の紙ではなく、中国の紙との比較が必要になりますね。
45 :
世界@名無史さん :02/01/02 13:54
>>43 戦乱や政争も突き詰めてゆけば、政治経済板的になる。
歴史とは宗教、科学技術、文学、美術の時系列変化を語るもの
なんだから、あまり神経質にならないように。
46 :
世界@名無史さん :02/01/02 13:57
建築素材の最高峰はコンクリート? それとも石材? 木材?
>>43 信仰の対象になった鉄塊やアショカ王の鉄柱など、錆びない古代の鉄は隕鉄に由来するのか
錆びない条件としては、どのような成分があるのか、隕鉄でその成分比がありうるのかっていう
話題なんだから、いいんじゃないかな。
というか、この手の話は歴史プロパーの連中にはなかなかアプローチできない話題なんだから
むしろ歓迎してROMってもいいと思うよ。
いまのところ、われわれ文系の理解を超えてしまって、何言ってるのかわけわからんというレベ
ルでもないし。
48 :
世界@名無史さん :02/01/02 14:57
>>46 いや、別にこのスレは素材の最高峰を品定めするわけじゃないんで、それぞれに
意義付けなり薀蓄を傾けてくれればよいということで、、、、、
ところで、コンクリートっていつからあるんだろう。セメントだとローマ時代もあったよ
うだけど。
49 :
世界@名無史さん :02/01/02 15:03
>>48 石灰と粘土と砂と石の混合物の建築素材をコンクリートと定義するなら、
エジプトの新王朝時代の神殿や墓に使われている。
50 :
世界@名無史さん :02/01/02 15:07
>>48 鉄筋コンクリートは19世紀後半の発明だけど、コンクリートそのものはセメントと同じく
ローマ人の発明のようですね。
セメントに砂利をいれて、道路や浴場の建設に使われたようです。
ただ、橋梁や建物へのコンクリート利用については、引っ張りに弱いコンクリートのみで
は実用的でないので鉄筋コンクリートの発明以降になるようです。
51 :
ベリサリウス :02/01/02 15:08
提案。
>>43 氏の意見を受けてなんですが。
ステンレス鋼は、歴史的に近代の素材です。機械屋が見てもそうですね。
近代になって発見され、研究され、実用化されたものです。
そのほか、「最高峰の素材」を探ると近世どころか近代にみな集中してしまいます。
世界史板でこの世界、「素材の歴史」を探るのがそもそもの目的なのだから、少なくとも
近代に技術が完成した素材はさけた方がいいのではありませんか?
>>40 氏の指摘などは、いいアプローチだと思いますよ。
だから、そこに対してのレスなんですが。
残念ながら、工学の面からいって素材としては「金」は役にたちません。柔らかすぎて
構造的な強度がない。
この場合の柔らかさとは、銅のような粘りけのある柔らかさで、たとえとしてはバター
の柔らかさではなくて粘土の柔らかさですかね。
RPGなどで「金の剣」などというしろものがありますが、もしそんなものがあったとしても、
棍棒を持った方がまだましでしょう。(w
貴金属としての根本的に錆びない能力と、分子構造から現れる反射率の高さ(つまり
きらきら光る)、それに、たたいて延びる展延性を利用して驚くほど薄い金箔を作れる事
がなければ、誰も見向きもしなかったでしょう。
希少価値から来る、値段の高さが価値の最たるものですね。
貨幣として使う時も、柔らかすぎるから多少銀・銅などを混ぜて合金にしてやらないと長持ち
しません。本物の小判か調べるために歯で噛んでみるシーンが時代劇にありますね?
純金に近かった日本の小判は、強く噛むと歯形がついたそうです。
残念ながら試した経験はありません。(w
52 :
世界@名無史さん :02/01/02 15:18
>>51 「素材」という言葉を建築、構造、機械、器具の素材と定義すれば、
金は役に立たないね。
ただし、神器や装飾品の素材とすれば最高の素材なんだけど。
ただ、このスレの流れは実用機器の素材という意味のようだから、
金はやっぱり不適当なのかな?
54 :
ベリサリウス :02/01/02 15:35
>>22 さんへ。
支那の青龍刀の素材が何かわからないのですが、日本の玉鋼(たまはがね)、つまり
砂鉄を使用したものなのでしょうか。
といいますのは、単純に鋳鉄といった場合、鉄鉱石からコークス(昔は何を使っていた
んだろう?)を利用して製鉄したとすると、炭素分が多すぎて「鉄」にしかならないのです。
炭素分がある一定範囲に入っていて初めて鍛造できる「鋼」になり、構造材として使い
物になるのです。それ以外は炭素分が多くても少なくても単純に「鉄」といいますね。
日本の刀などは、砂鉄から集めた比較的純度の高い鉄に一子相伝の秘術(笑)で炭素
などの不純物を微妙に混ぜて、何百回も熱して折り畳んでたたいて鍛造し、三種類の全
く性質の異なる「鋼」を作り、これを高熱で熱してたたいて張り合わせます。
支那の青龍刀が鋳造でできたとして、鍛造できる素材だったためそれを熱してハンマー
などでたたき、そのあと焼き入れを行ったのではないでしょうか。
ちなみに、鋼は「焼き入れ」「焼き戻し」「焼き鈍し」「焼き戻し」などの熱処理が行われな
ければ、ただの鉄とかわりません。
この技術ができた国が、古代の鉄の文明を築けたのだと言われています。
55 :
世界@名無史さん :02/01/02 16:26
最高の素材 : ムートロン ガンダニウム合金
56 :
世界@名無史さん :02/01/02 16:30
>>54 支那の製鉄は、紀元前から高温炉から銑鉄を取り出すもので、日本のように低温炉による
砂鉄製鉄ではありません。
えっと、基本的なことから整理しておきましょう。
前近代の鉄には、大別して「銑鉄=鋳鉄」と「鍛鉄」があり、鍛鉄のなかに「鋼鉄」と「錬鉄」が
あります銑鉄と鋳鉄は同じもので、溶解しているものが銑鉄、鋳造されたものが鋳鉄です。
銑鉄を精錬して、鍛鉄を得ることができます。
これらは、鉄の中の炭素分の量で分類され、炭素が多いほど硬く脆くなります。
炭素量=硬度に従って、 鋳鉄>鋼鉄>錬鉄 の関係になります。
日本刀の基本的な製法は、錬鉄をはさみ鋼鉄をかぶせて刀身を形成することで、折れにくく
切れ味の高い刀を作ることにあります。また、素材となる鋼材は何度か折りたたんで層化し
ているようです。
で、支那の刀剣すべてが鋳造品であるわけではなく、百錬刀という日本刀の元祖のような製
法の刀剣も存在しますが、なにより武器は量産が必要ですので、鋳造によって刀剣を大量に
製造することも行われました。
この場合、硬度は炭素量が多いために、焼きを入れた鋼鉄程度ありますので十分です。
脆さについては、刀剣の構造を幅広肉厚とし、寸法を比較的短くすることでカバーします。
日本刀の品質については、ここでは触れませんが、製鉄という面から見ると、日本のタタラ製
鉄は低温炉によるもので、銑鉄の量産には向かず、鋼塊を得て鍛錬するという手法を採用せ
ざるを得ませんでした。
しかし、世界的に見れば前近代の武器製造においては、青銅時代の鋳造武器の延長で多くの
鋳鉄武器が製造されていたのであって、鋳鉄では刀剣にならないということはないのです。
57 :
世界@名無史さん :02/01/02 20:21
デムパだがオリハルコンのモデルってあるんかな?
>>36 、37
表現が悪かったようです。
もちろんCrが入ってるのである程度の防錆性はあると思います。
ただ、
>>33 氏のあげたページは現在の工業用材料の成分による耐錆性の結果であって、
それをそのまま韻鉄に適用するには無理があるのではないか言いたかったのでした。
韻鉄と、(同じような成分であっても)工業用材料は明確に区別するべきだと思います。
これ前から気になっていたのですが
空からおっこってきて地べたに鎮座ましましている韻鉄
その韻鉄を加工してつくられたもの
この両者も明確に区別するべきでしょうね。
59 :
世界@名無史さん :02/01/02 21:17
>>58 防錆性に関しては成分以外にはあまりないのでは?
具体的にどういう条件が工業材料のステンレスと異なるために
防錆作用に差異があると言っておられるのでしょうか?
すっかり亀レスになったがまず隕鉄について。これは大きく分けると三つに分類される。 (1)ヘキサヘドライト:ニッケル4〜6%で、カマサイトのみからなる。 (2)オクタヘドライト:ニッケル6〜13%で、カマサイトとテーナイトからなる。 (3)アタクサイト:ニッケル13%以上で微細なカマサイトとテーナイトの集合体よりなる。 ここでカマサイト、テーナイトとはいずれも鉄とニッケルの合金なのだが前者はニッケル4〜6%、 後者はニッケル24〜77%で、これらから作られる隕鉄(1)〜(3)はそれぞれ結晶構造が異なる。 しかも両者とも隕鉄以外ではまず存在しない合金だそうである。(参考:新版地学事典:平凡社) ところで、隕鉄の加工製品の写真を見たのだが、恐らく(1)由来らしいニッケル3%程度の鉄器は 見事にさびている。また窪田蔵郎「鉄の文明史」p.15におけるいくつかの隕鉄の成分表を見ると クロムは含まれているものでもPPM単位でしかないし、コバルト(0〜1%)燐(0〜0.43%)以外の 他の成分も銅が少し多めなぐらいでみなPPM単位である。となると、ある種の隕鉄が錆びにくい としたら、上記の(2)(3)の持つ単なるニッケル合金とは異なる結晶構造面の性質や、落下時に 熱せられて出来た表面構造の違いが関係しているのだろうか(これだと加工品はダメだが)。 >52 素材というのは広く取りうるので、流れによっては宝飾用等の金について語っても良いのでは? >54 前のスレでも書いたが、焼き入れや焼き鈍しなどの技術は銅合金(不純物入りの銅器を含む) の時代から存在した。要するに対象の素材に相転移さえあればこの技術は適用可能なのだから、 意外と古くから在った技術なのである。 あと、56氏も指摘しているが、古代中国の武器は様々な素材と加工技術から作られていた。 例えば、新日本製鐵轄L報企画室編「鉄の文化史」東洋経済新報社、によると紀元前5世紀頃 の鉄手斧は鋳造品でありながら刃の部分に焼き鈍しが施されていたり、河北省長沙市周辺の 紀元前3世紀の墳墓から出土した武器は固体還元から製造された海綿鉄を鍛造して作った錬鉄 を元にしたものだが、それをそのまま使わず刃を高炭と低炭の二つの素材の相鍛えによって作り その部分に焼きを入れたり、過熱徐冷によって炭素を染み込ませたり、といった様々な技術が 用いられている。さらに前漢期になると練炉、排炉と呼ばれる製鉄炉で海綿鉄や銑鉄を造り、 炒鋼炉、反射炉、と呼ばれる炉で銑鉄を脱炭し鋼鉄を作る技術も出現していたそうである。
61 :
ベリサリウス :02/01/02 21:35
>>57 オリハルコン=琥珀(こはく)だとどこかで聞きました。
納得できません!
>>56 ええと、鉄と鋼についての区別は、いろいろ業界によって違いがあります。
鋼(スティール)として使えないものは、工業材料としては、トランスの芯になるフェラ
イトも、炭素がいっぱい入ってまた別な用途(カナトコとか定盤とか)にしか使いよう
のない鋳鉄も、ひっくるめてはいないのですが「鉄」と呼んでしまうんですね。
炭素量も量の多寡だけでは、その後の熱処理方法によったりしますので、一概に
硬さの差にならないのです。
電磁鉄板(鋼板とJISでは呼ぶ)つまりフェライトも、鋳鉄も、相対的に工具用炭素鋼
より柔らかいんです。それに適切な熱処理がされていればなおさら。
もちろん、今時はプレハードン鋼なんてものもありますし、熱処理なしでは鋼とはいえ
ませんけどね。
ただしここで問題。硬さって何? じつは、この定義が曖昧でして。
ぶつけた時原形を保つものと、ひっかいて傷が付かないもの。それに変形して元に
戻る性能が強いもの。どれを硬さの基準とするのか。
JISの規格では、硬さを表す基準だけで3種類。細かく言うと4種類。
ああめんどう。
炭素量が多いだけでは硬いことは硬いかもしれませんが、「強靱」ではないんです。
強靱な鋼を作るには、鍛冶屋の歌にあるように、赤めた(熱した)鉄をひたすらたた
きます。この工程が「鍛造(たんぞう)」でして、その結果鋼は「靱性(じんせい)」を
まします。
日本刀が芸術品と言われる一つの理由に、素材となる3種あるいは4種の鋼を、
何百回となく熱して折り畳んで叩いてという工程を経て、結晶組織を徹底的に鍛え
あげているからなんですね。
溶融温度の違いというのは知りませんでしたが(そういわれると納得できるところが
あるナ)、中国の刀剣類もただ単に鋳造しただけで使っていたのかどうかはちょっと
疑問。ある程度の熱処理と鍛造工程がなければ、ぶん回して人をぶった斬るなんて
ことができるほどの強靱さがあるとは思えないんです。
>>59 >>防錆性に関しては成分以外にはあまりないのでは?
空からおっこってきた韻鉄様が不純物も中間化合物もマクロ偏析もクラックもない均質な
組織ならそうかもしれません。韻鉄、写真でしか見たこと無いので、わからないのですが、
そうなのでしょうかね?
63 :
世界@名無史さん :02/01/02 22:37
金が祭器や装飾に使われたことは理解できるし、輝きや腐食しない特性を利用して、 権威や神秘を表現するのに用いられたといことなんだろうけど、金とならぶ貴金属と される銀はどうなんだろう。 すぐ黒ずんでしまうし、あまり装飾に向かないように思うのだけれど、銅や青銅と比較 しての装飾用金属としてのメリットは何なんだろう。 表面だけはすぐ錆びるけど中まで腐食しないというような特性はあるんだろうか。 あと、ローマ時代は実用金属として鉛が多用され、鉛毒がローマ市民の健康に影響を 与えていたということだけど、近年まで使われていた鉛の水道管とはどう違うんだろう。
64 :
世界@名無史さん :02/01/02 23:45
日本以外にも、金とか銀が流通してた国ってあるの?
65 :
世界@名無史さん :02/01/02 23:49
>>64 だいじょうぶですか?
逆でしょう。文明社会であって、量的にはともかく金銀の貨幣が流通していなかった
国や社会を探したほうが早いというか、あったのだろうかというところですが。
せっかくですから、質問です。
ある程度の文明を持った社会で、金銀の貨幣が存在しなかったと考えられている国
や文明はあるでしょうか。
66 :
世界@名無史さん :02/01/02 23:50
67 :
世界@名無史さん :02/01/02 23:51
晒しage
68 :
ベリサリウス :02/01/03 00:37
>>64 .....コメントなし。勘弁してね。
>>63 メキシコみたいにほとんど銀しかとれなかった所もあるそうです。詳細は詳しい方が
おられると思うのでよろしく。(w
日本では、金と銀とが一緒にとれたのですが、金銀の比率が当時の世界の平均より金が
はるかに多く、金の流出量が一時世界最大になったことがあるそうな。江戸時代のはじ
めだったかな?
また、1600年代には日本の銅が世界的に有名だったとのこと。理由は、銅の中にわ
ずかに残った銀の含有率が非常に高かったから。ま、そのうち国内でもそれに気がつき、
水銀を使った製錬技術によって銅の中の銀をより高い割合で精製できるようになったと
のこと。佐渡金山・岩見銀山ってやつですネ。黄金の国ジパング伝説も、根拠はあった
ということです。
鎖国と共に、輸出は禁止になったようですが、次第に鉱山自体も枯渇してしまったよう
ですね。
あ、
>>63 さんへの返事になってなかった。ごめん。
>65 一応古代ギリシャのスパルタがそうだよ。スパルタ人は自国における貨幣経済の発達を 抑制するため、外国通貨との交換性が乏しく国内でも使い勝手の悪い鉄貨のみを使用した。 それをとりまく古代ギリシャ文明圏は基本的に銀本位制だけれどね。 ただ63氏のなぜ銀は貴金属として(実用品ではないが交換価値はあると)認められたのか、 というのは鋭い疑問だと思う。 考えられるのは金が希少に過ぎて、何らかの通貨材料となりうる金属が必要だったんだろう と思うのだけれど、これは結果論だしね。はて? なお、古典ギリシャ時代においては金銀比価は大体12対1ぐらいだったことは プラトンの「ヒッパルコス」231D、を読むとわかる。後にこの比率は15対1程で 安定するが、鎖国時代の日本の金銀比価がこれとは
失礼! 最後の文は以下の通り。 「鎖国時代の日本の金銀比価がこれとかけ離れていたため、 大損したのは68氏の書いている通り」
71 :
世界@名無史さん :02/01/03 01:19
>>69 でも貿易の決済は金だったよ。
スパルタ。
>71 うん、だから「一応」と書いたつもり。国内では鉄貨だからね。 だけど実は、金だったとは知らなかった。銀だと思ってたよ(汗)。 考えてみると金の方が決済には便利だものね。 ということになると、古代ギリシャは銀本位、という表現も このままで良いのかな?
>>65 李氏朝鮮が金貨銀貨を使わない方針だったようですね。
実際には、朝鮮半島には金銀の資源が存在したにもかかわらず、金銀を産出することが
宗主国の明や清に知られると献納を強要されることを恐れての措置だったということです。
後期になると、銀山などの開発が行われていたようですが。
朝鮮関係なのでsage
74 :
ベリサリウス :02/01/03 09:48
>>63 >>69 銀の素材としての工業的価値なら、半ダースも一気にあげられるんですけどねぇ。
歴史上、銀が貴金属としてなぜそれほど高く評価されたのか、ですよね。
いい指摘だ。なぜだろう?
すぐに思いつきません。貴金属として、比較的にしろ銅や鉄より腐食に強かったのは
確かでしょうが。
展性が高かったとしても、金にかなうわけじゃなし。
75 :
世界@名無史さん :02/01/03 12:12
毒に反応するから、じゃ駄目?
76 :
世界@名無史さん :02/01/03 12:46
>>74 輝きを失わない度合いは、金に次ぐからだと思う。
プラチナは稀少だし、昔の技術では金と分離しにくかったから、
キラキラ輝く金属といえば、金の次は銀だったと思う。
77 :
世界@名無史さん :02/01/03 12:49
ふむ。みな本当にお若いのじゃな。 どこかのスレッドで最高齢者があやめ殿じゃったから、せいぜいが40歳代な のじゃろうの。 いかに本を読んで博識博学でも、その時代に暮らしていなければ実感が湧か ぬということはあるものなのじゃのう。 今の世では、銀色に輝く物は身の回りにいくらでもあるから、昔からそのようで あったように思い込んでしまうのじゃろ。 じゃがな、ほんの半世紀前にはクロム鍍金もアルミ蒸着もまだまだめずらしか ったのじゃよ。銀色に輝くものといえばアルミ箔の銀紙、ニッケル鍍金か洋銀、 白銅そして本物の銀ぐらいじゃ。 銀というと「いぶし銀」というのが日本的な発想じゃが、磨きあげた洋食器など の銀製品の輝きは、それは美しかったものじゃよ。 ニッケルは磨いてもあまりきれいには光らなかったの。光り輝く銀色というのは やはり洋銀か銀じゃった。しかも、洋銀の上に銀メッキした食器もあったが、 メッキがはげた後は輝きがはっきり落ちたことを覚えておるから、やはり銀の ほうがきれいに輝いたのじゃろうな。 その頃のガラスの鏡も裏は銀メッキで、風呂場の鏡などはすぐ黒いシミが付い てしまったものじゃったの。 クロムどころかニッケルもアルミニュームも使われず、洋銀も発明されていな かった頃を考えれば、銀というのは燦然と輝く銀色を独占しておったということ じゃろうの。
78 :
世界@名無史さん :02/01/03 13:16
>>77 日本刀とかは、ちゃんと光ってるようだけど鉄そのものじゃダメなのかな。
あと、50年前にはステンレスとかはなかったの?
79 :
世界@名無史さん :02/01/03 13:23
確かに銀は金以上に神秘的に扱われたりするね 銀の銃弾じゃないと吸血鬼死なないし(ワラ
80 :
世界@名無史さん :02/01/03 13:23
81 :
世界@名無史さん :02/01/03 13:27
82 :
世界@名無史さん :02/01/03 13:27
>>79 砒素や青酸、硫化水素に触れると変色するのを見て、
「邪」を見抜く力を持っていると考えられたんだよ。
83 :
世界@名無史さん :02/01/03 13:33
鉄の場合、刀のように研いで手入れをする物以外は、黒色だろうね。酸化第一鉄だったっけ。 もちろん、手入れがわるければ赤錆で真っ赤というか茶色になって腐食してしまう。
84 :
世界@名無史さん :02/01/03 13:35
85 :
世界@名無史さん :02/01/03 13:52
>>78 鉄については、皆のいうとおりじゃの。一度錆びると、細かい凹凸ができてしまって、全体を
研ぎ上げなければ銀色に輝くというわけにはいかんのじゃ。
ステンレスはな、世の中にはあったじゃろうが、一般家庭にはまだ入ってきたかどうかという
段階じゃが、始めて見たときもなぜかあまり光輝くという感じはしなかったの。
86 :
世界@名無史さん :02/01/03 13:56
ステンレスはクロムが稀少であることと、 溶鋼中にクロムを投じても、クロムはほとんど酸化して 残らないから近代になるまで一般化しなかった。
>>77 ,85
一般家庭でも銀食器セットとかを財産として持ったりしてたんでしょうか?
(さすがに銀の燭台はあるまい)
そいえば「傷だらけの天使」で銀食器をたたき売りする話があったな
88 :
世界@名無史さん :02/01/03 15:55
>>87 戦時中の金属供出で食器類もずいぶんと供出させられたものじゃが、まあ、そこ
はそれ、隠してあった銀食器はそれなりにあったじゃろうの。
じゃが、それも戦災でずいぶんと失われてしまったことじゃろうて。
ブルジョアででもなければ、揃いの銀食器というのはなかなか持ってはいなかった
じゃろ。手入れも大変じゃから、きちんとした女中がいるような家でないと使いこなす
ことはむずかしいの。
中産階級ならば、せいぜいがナイフ・フォーク・スプーンのセットか銀メッキのポット
などの単品もの程度じゃな。
刻印入りの銀製品は、質入などにはもってこいの品じゃで、財産といえば財産じゃ
が、骨董価値があればともかく、銀地金の価値はずいぶんと下がってしまったの。
>84 ローマ時代から毒にんじん除けに使用されたそうです。銀という素材は抗菌加工に も使用されていたはず。
90 :
世界@名無史さん :02/01/03 16:17
毒の検出に使うためには、やはりピカピカに磨きあげておく必要があるでしょうね。 日本みたいに、渋い色の銀食器を使っていたんじゃ変色しても判別できない。
91 :
世界@名無史さん :02/01/03 16:19
>>89 毒にんじん除けってことは、銀食器に毒性を中和する作用があったということですか?
それとも毒を検出する作用があったんでしょうか。
92 :
世界@名無史さん :02/01/03 16:20
93 :
世界@名無史さん :02/01/03 16:25
西洋史だけじゃなくて、東アジア史方面で悪名の高い鴆毒(ちんどく)も銀器で発見できるって ことになってませんでしたっけ。
>91 植物系の毒に反応して黒ずんだ。また杯をかき回せば解毒出来るという 一角獣の角(本当はおそらくイッカクという鯨類の角)ももてはやされ た。
>93 漢の呂后や毛利元就が使用し、「伊達騒動」にも使われたというあれで すか。一角獣とは逆に杯をかき混ぜたら猛毒が出来るというやつ。 初耳かも知れませんが、そんな気もしますね。
96 :
世界@名無史さん :02/01/03 16:56
>>90 表面積が大きい方が反応性がいい。
だから、ピカピカ磨いているより肌を荒らしている方が
毒の検出には効果がありそう。
しかし、いずれにしろ銀は変色する。
97 :
ベリサリウス :02/01/03 20:28
>>77 >>85 >>88 のご老人(藁)。よろしければこの板だけでもコテハンをいただければ
我ら若輩者、これに勝る喜びはござるまいと愚考いたす。ご老人のご意向や如何?
銀はなぁ。工業用の素材として、最低電気抵抗率の導体としてとか、写真フィルムの感光剤
としてとか、用途はあるんですね。でもなぜか私の業界では使わないなぁ。(w
明日会社に潜り込んで資料を当たってみようかな。
金は、電子基板とかコネクタ類のメッキに使われているけどこれは腐食防止用。
一つだけご老人に突っ込みするご無礼をお許し下され。
>銀色に輝くものといえばアルミ箔の銀紙、ニッケル鍍金か洋銀、白銅そして本物の銀ぐらい
ご老人、スズ箔をお忘れでござるぞ。かの銀閣寺の建立の際、金はおろか銀も払底していた
とき、これを張ろうという愚案もあったとか。たしか、平清盛が殿上に上がる際、なめられ
てなるものかと、これを張った竹光を持っていったとの逸話は有名でござる。
98 :
世界@名無史さん :02/01/03 20:36
>>76 金の抽出方法は1000年以上昔に既に発見されてるぞ…水銀誘導すると分離するのは
有名で、奈良大仏の鍍金とかはこの方法で行われている。また、酢酸に入れて解けない
のは金だけなのもかなり昔から知られているぞ…
>>84 銀食器は毒味目的です。ハイ(ヨーロッパの貴族から詳しく事情を聞いた)
99 :
ベリサリウス :02/01/03 21:47
>>98 さん
>>76 が
>プラチナは稀少だし、昔の技術では金と分離しにくかったから
と言っているのは、金・銀の分離ではなくて、プラチナ・金の分離が難しいということじゃないかなぁ?
大仏の鍍金方法は合理的なんだけど、ぞっとする方法ですね。
100 :
世界@名無史さん :02/01/03 22:00
>>97 ふむ。たしかに錫とブリキのことを忘れておったな。
じゃが、錫箔は戦前であってもすでに過去のものじゃったよ。
タバコの銀紙というのが、昔は錫箔じゃったとは知ってはおるが、現物は細工もので残っておったのを見たきりじゃ。
あとは茶箱の内張りくらいかの。
101 :
世界@名無史さん :02/01/03 22:02
102 :
世界@名無史さん :02/01/03 22:08
フィルムコンデンサーの高級品に錫箔を使ってるのがあったと思う。
103 :
世界@名無史さん :02/01/03 22:11
スチール缶の内側のメッキも錫
104 :
世界@名無史さん :02/01/03 22:13
>>101 たしかにピカピカのチューブと鈍い色のチューブがあったけど、あれは光っているのがスズの
チューブで鈍い色のが亜鉛のチューブということでいいのかな。
105 :
世界@名無史さん :02/01/03 22:22
>>99 そいや、白金って装飾用途では日本の消費量が圧倒的に多いんだって。
日本人の美意識にマッチするらしい。
価格は金と同等かそれ以上だけど、控えめな美しさということで。
分離が困難だったてことは、プラチナもクロムなどと同じく近現代になってからの素材ということでしょうか。
>97 清盛じゃなくて忠盛では。 >105 インカ人がヨーロッパ人よりも早く実用化していたものを、スペイン人達が「銀の 紛い物」として捨ててしまったそうです。好みの問題ですかね。
107 :
世界@名無史さん :02/01/03 23:14
>>106 もったいない!漏れにくれ(W
ってことは、ヨーロッバの近世以前の宝物にはプラチナは使用されていないってことでよろしいか。
>107 よろしいです。18世紀頃にようやくインカに追いついたはず。
銀の歴史は前4000年期に遡るといわれる。この頃の用法はもっぱら装飾品だったが、 前3000年期にはイラン、メソポタミア、アナトリアでは重要な交換単位になっていたという。 さて、銀の抽出方法なのだが、これは二段階の工程が存在した。というのは地中海世界や その近辺における銀は方鉛鉱や黄鉄鉱と混じって取れるのが普通で、第一段階ではまず 比較的低温で溶ける鉛との分離が必要だったからである。用いられたのは灰吹き法と呼ばれる 方法で、鉛と銀の合金を開放状態のセラミックの炉で1000度まで熱し、そこに空気を強く 吹き込むことで鉛を酸化鉛にしてしまい、未反応の銀を残すという方法である。 前記ランバートによれば、この第一段階は既に紀元前4000年頃から用いられていたという。 ところがこの中には金が含まれていることが多いため、はなはだ経済効率が悪い。だが金と銀の 分離にはセメンテーションというずっと後になって開発された第二段階の工程が必要だった。 これはエレクトラムと呼ばれる天然の金銀合金に対しても用いられた方法だが、金銀合金を箔にし、 さらに小片に切って坩堝に入れ、塩、シリカ、アルミナ、尿などを加えて融点近くまで熱する。 すると塩素ガスないし、塩酸を発生するので、これを銀と反応させて塩化銀を作り、坩堝に残った 未反応の純金を取り出すという方法である。この第二段階も紀元前二世紀には確立していたという。 なお金鉱石に水銀を用いてアマルガム化した金を抽出し、水銀を蒸発させて金を取り出す方法は ウィトルウイウスや大プリニウスの中に記述があり、アマルガムに関する知識は地中海世界では 既に紀元前五世紀、あるいはそれ以前から知られていた(中国では紀元前三世紀以前から)。 あと白金が最初に金とも銀とも異なる金属として「発見」されたのは(コロンブス以前の)南米 においてで、ヨーロッパ人がその存在を認知するのは18世紀になってからだそうである。 ところで銀が毒物と反応する、というのは科学的根拠がある話なの?それとも単なる迷信?
あ、82(銀の化学反応について)を見落としていたよ。スマヌ。
111 :
世界@名無史さん :02/01/03 23:39
>>109 > 地中海世界や その近辺における銀は方鉛鉱や黄鉄鉱と混じって取れるのが
> 普通で、第一段階ではまず 比較的低温で溶ける鉛との分離が必要だった
それで、金銀精錬の副産物としてローマに大量の鉛製品があったということですか。
>111 うーん、地中海世界に方鉛鉱を初めとする鉛資源が豊富で、鉛の利用も早かったわけだが (おもりや鉛入り青銅用として紀元前3000年紀から)、これを金銀の副産物とのみ、 理解するのはどうだろうか? というのは、盛期ローマは年間八万トン、ピーク時の紀元前一世紀〜紀元後一世紀には 十万トンを超す鉛を製造していたわけで、これは紀元前7世紀ごろの世界の生産量の千倍ぐらい にあたり、その後、人類がこの生産量に追いついたのはやっと産業革命期になってからだ。 だから鉛は金銀製造の副産物でもあったけれど、金銀生産とローマの鉛生産量増加とを 直結させるのは少し無理があるような気がする。(数字は前記ランバートの「遺物は語る」より) むしろローマにおいては鉛は鉛として、それ自体が求められ、その副産物として金銀も得られた という風な解釈が成り立つと思う。金銀の生産量はローマ時代に千倍になった訳じゃないからね。
「PCUSER」をぱらぱら読んでいたら印刷技術の話が載っていて グーテンベルグは 「鉛、スズ、アンチモン、ビスマスなどの金属を溶かして耐久性のある合金を作り、 母型に流し込んで活字を作りました。鋳造を意味するFoundを語源として、Font(フォント) という言葉ができたといわれています。」 て書いてあった。グーテンベルグは金属屋さんだったのですね。 このへんの事情、詳しい方、教えてください
えーとだね、その記事は本当の部分とトンデモが入り交じっている。まず後半の部分、 「鋳造を意味するFoundを語源として、Font(フォント) という言葉ができた」は それなりに正しいのだが、この場合の found の語源はフランス語の fondre であって、 グーテンベルクを語る文脈でなぜこんな話が出てくるのかが不明。ドイツ語はgiessenだものね。 次に前半の、(グーテンベルグは)「鉛、スズ、アンチモン、ビスマスなどの金属を溶かして 耐久性のある合金を作り、母型に流し込んで活字を作りました」という部分についていうと、 まずグーテンベルクの家系は、マインツの都市貴族であり、それ故に貨幣鋳造業という名誉ある 重要な家業を持っていた。ところがグーテンベルクは、祖父母の内、三人までは貴族だったのに 一人だけ貴族でなかったものだから貨幣鋳造業のギルドに入れず、やむを得ずその金属鋳造に 関する技術を生かして活版印刷という新分野に身を投じたわけだ。だから彼が「金属屋」である という認識は間違ってはいないけど、そういう上流階級出身の「金属屋」なんですね。 そして彼は活版印刷に不可欠な印刷インキや、真鍮製の父型、母型から鉛合金の活字を鋳造する 技術を生み出した、とされている(そう書いてある本も多い)のだが、これがいったいどこまで 事実なのか良くわからないのだ。いや、それぐらい彼のことはわかっていないのである。 ましてや、グーテンベルクの使用した活字など残っていないのだから、何でこんなことを断言 できるのかさっぱりわからない。その記事に書いてあるのとは違って初期の活字は極めて摩耗が 激しかっため、すぐ実用に耐えなくなり、その結果、残っていないのである。 ただ、アンチモンの採掘が始まったのは十六世紀であって、それまでは鉛製造の副産物として ガラス加工に使われる程度だったのだが、十五世紀末ないし十六世紀初頭においてリヨンで鋳造 された現存する最古の活字(群)には銅、スズ、と並んでアンチモンが(少量の銀や鉄と共に) 入っている、という事実がある。さらにグーテンベルクは鏡の製造を手がけたことがあり、 素材としてのアンチモンを知っていただろうと思われるので、彼が活字製造に当たってアンチモン を使用してみた可能性は否定できない。ただその可能性は全くの憶測に留まるし、もう一つ 重要なのは、活字金属の強度を決めるのは、鉛、スズ、アンチモンといった「素材の厳密な比率」 であって、素材として何が入っているか、だけでは決定的な影響はなかったということなのだね。 この素材配合の問題は難しく、十八世紀後半になってもまだ解決していなかったほどなのである。 参:リュシアン・フェーブル他「書物の出現」筑摩書房、高宮利行「グーテンベルクの謎」岩波書店
115 :
世界@名無史さん :02/01/04 23:55
ここの話題って、青銅の話から始まって、鉄の話になって銀や錫、鉛って感じなんですが 金の話題は出ないんですか。 世界史関連の金属素材だったら、まず金の話からになるんじゃないかと思うんですけど。 あ、素朴な疑問なんですが、金の場合っていうか、金属一般のことでもいいんですが、 金属そのもので年代って判定可能なんでしょうか。 有機物だと炭素の同位元素の割合とか使いますよね。純粋な金だと無理でも、精錬され た時代を不純物の同位元素で測定するとかってことはあるんでしょうか。
116 :
ベリサリウス :02/01/05 17:03
いやいや、元のネタがそうだったから。(w 金銀も出たと思うんですが、かすった程度かな。 金属そのもので年代を特定することは、原理的にできません。不可能です。多分。(藁 いわゆる炭素同位元素などによる年代特定方法から考えたと思いますが、あれはあくまで 生物的な活動が止まった時から始まる放射能の減衰を測定するものです。 残念。 最後に溶けた時の状態を覚えておいて、そこからの結晶の崩壊あるいは歪み状態で年代が わかる方法を考案したら、最低でもノーベル賞は堅いのでは?
>>116 やはり金属そのものからは、年代測定はできませんか。
ハイテク考古学入門とかいう本を読んだら、有機物については炭素だけでなく酸素の同位体も
年代測定に使われるようになっているって書いてあったように思うんですが、金はダメでも、錆び
から最初に錆びはじめた年代って測定できないですかね。
118 :
ベリサリウス :02/01/06 16:44
同位体による年代測定ってものはね、同位元素の崩壊ってヤツがものすごく正確だからこそ できるんです。錆の進行は、温度・湿度・気圧・雰囲気などの様々なパラメータで時々刻々 ケミカルに変化してしまうものなので、どうにもならないのです。
>>118 > 錆の進行は、温度・湿度・気圧・雰囲気などの様々なパラメータで
最後の「雰囲気」でワロタ!
言っておくが、化学用語の『雰囲気』は英語の『atmosphere』の訳語で、 化学反応が起きるときのその周りの気体のことだぞ。 「窒素雰囲気下で反応させると・・・」とか言う。
>>120 なんだ、専門用語なのか。
ベリサリウス氏の笑かしネタかと勘違いした。
いやいや、さすが世界史板唯一の理系スレだけあって、勉強になりますね。
123 :
ベリサリウス :02/01/07 19:38
ええと、過去スレから、
>>106 >清盛じゃなくて忠盛では。
はい、そのとおりです。ぺこぺこ。オヤジ殿の方でしたね。昔大河でやったっけ。
>>120 さん、どうも。
はいはい、「あともすふぃあ」です。そーか、これは専門用語なんだ。(藁
金・銀を調べてみたら、プラチナの方に目が行ってしまいました。
こっちの方が面白くなったので、ちょっとこちらも。(藁
なんと、正確な意味からすると プラチナ≠白金 なんだそうな。
定義の上のことなので、ややこしいのはご勘弁。
プラチナ=白金族で、これには 白金(Pt)、パラジウム(Pd)、ロジウム(Rh)、ルテニ
ウム(Ru)、イリジウム(Ir)、オスミウム(Os)の6種があり、これに金・銀を加えて「貴金
属」と呼ぶのだそうです。
>>106 >>108 の山野野衾さんに追っかけるネタなんですが、歴史的に見るとこのプラチ
ナ、「シンデレラ扱い」されていたようです。
(幸せなお姫様って意味じゃありませんよ!!)
旧大陸ではその例はほとんど見られていないにですが、かろうじて古代エジプトの工芸
品の周りにへばりついた破片として存在が確認されています。おそらく砂金といっしょ
に産出したのではないかとのことです。
これが新大陸ですと、BC4C〜1Cごろのエクアドルやコロンビアの原住民が、プラチナ
(つまり白金族金属)を装飾品として活用していたとのことで、ここから大きな断絶に入
ります。原住民が、金・銀を含めて、この珍しくもない金属を特に大事とは思わなかった
からのようです。
金を求めてAD16Cごろから南アメリカに侵入したスペイン人は、原住民が「パパス・デ・
プラタ -papas de plata- 」と呼ぶ銀に似た金属を、「プラチナ・デル・ピント -Platina del
Pint- (ピント川の卑しい銀)」と呼んで黄色になりきらない未成熟の金だと考えました。
実を言うと、白金は銀より反射率が悪く、若干くすんで見えます。
1707年スペイン政府は、プラチナを混ぜて量をごまかした金をヨーロッパへ輸出するこ
とを禁じました。つまり、禁じなければならないほどそのような「悪行」が横行していたと
いうことです。1742年の記録では、ジャマイカからスペイン本国に送られた金の延べ棒
は、重量の10%程度が金で残りの芯の部分は「卑しい」プラチナだったという記録が残
っています。そのプラチナがどうなったかって? 怒り心頭の政府の役人が、金を回収し
て残りを捨てるように命じたとか。
白金族の名誉が取り戻せたのは、18C後半のプラチナ研究ブームになってのことで、
工業材料としてもとてつもない可能性があるということもやっとそのころわかったそうです。
ちなみに、金・銀・白金の今日のお値段。
税込小売価格で、金: 1,277円 白金: 2,159円 銀: 22.47円 だとか。
もちろん、1グラムあたりです!
124 :
ベリサリウス :02/01/07 20:19
ああ、なんだ
>>109 のKrtさんの説明にもダブっているじゃないか。
融点は 金-1064℃ 銀-962℃ に対し、白金-1769℃、パラジウム-1554℃、ロジ
ウム-1963℃、ルテニウム-2250℃、イリジウム-2457℃、オスミウム-2700℃ と、
とんでもなく高いので、中世も含めて近代になってもこれを加工するのは至難の
業でした。
1759年、ニューグラナダのスペイン総督は、それまで捨てられていたプラチナを
大量に回収し、本国に送りました。これを元にスペインで展性(つまり叩きのばし
た)プラチナの製造技術が確立したのですが、スペインの秘密主義とナポレオン
の侵攻によってかなりの量のプラチナと共にその技術は失われました。
18C後半から19C初めにかけて、ようやく金細工師らの手によって、粒状のプラチ
ナと多量の砒素を混ぜて熱することにより、プラチナを加工する技術が確立しま
した。しかし、この時点ではまだこれは「プラチナ(つまり白金族金属)」であり、
ピュアな「白金(Pt)」ではありませんでした。ですから、米メトロポリタン美術館に
ある仏人ジャネティ氏の有名なプラチナ製砂糖つぼ(1786年製)は、「合金製」です。
とはいえ、まだこの時点ではプラチナは金に比べて「安い金属」であり、なんと
1800年の初めにはフリントロック銃の「点火孔」や「火皿」に使われたそうです。
確かに、融点が高いし硬いのでこの用途にはうってつけなんですがねぇ。ため
息が出ますな。
白金(Pt)は現代では、装飾品としての用途のほかに触媒金属として使われる
ことが多いです。うちの会社でも、Ptの100分の1以下の細さの白金線が活躍し
ています。ひとつかみをヤミにさばいたらいくらになるだろう? とみんなで胸算
用しています。(藁
>123 さすがにお詳しい。ピント川云々は文献がどっか行ってしまったので助 かりました。ありがとうございます。
なるほどね、実は哲学者カントの人気講義だった「自然地理学」に 白金について「ブラジルのプラチナ・デル・ピントは、白色であるが 極めて溶融しにくい金である」と書いてあるのだが、 このテキストはカントの講義を筆記した多数のノートから作られたものなので この部分がいつ頃の講義の内容なのか、正確なことがわからないんだね。 最も早ければ(ここはその可能性が一番高いという)、1755-59年の記述なんだけど、 とすれば、まあこれが当時の学会における常識だったんだろうと思う。 逆を言えば、この当時は既に卑金属ではなかったともいえるが。
127 :
ベリサリウス :02/01/07 22:36
>この当時は既に卑金属ではなかったとも うーん。解釈が難しいところですね。というのは、金に比べて「卑しかった」だけで、 鉄などより貴な物と考えられていたのかも知れないので。 「Platina」に関して補足。 中南米の現地民語で銀を「Plata」といいます。これにスペイン語の卑小接尾語をつけて 「Platina」と呼びました。 ラ・プラタ川の名前もこの「銀」の意味に由来するのでしょうかね? 1814年ヨーロッパの化学者ベルセリウスが、これにラテン語の金属を表す「um」をつけ、 「Platinum」と正式に命名したとのことです。 さてそこで覚えても全く特をしない豆知識。 日本では「プラチニウム」という呼び方が多いです。これは、たとえば「アルミニウム」も 同じようなもの。ただしこれは英語、イギリス英語なのです。 米語では、「プラチナム」、「アルミナム」が正しい呼び方です。 これで間違えて恥をかくことは、多分この板関連の方ではおられないと思いますが。(藁
128 :
ベリサリウス :02/01/07 22:43
説明不足。 ベルセリウスが命名したのは、ピュアな金属としての白金(Pt)の名称です。 混ざり合った合金状態の「プラチナ」ではありません。 ややこしいな、ホント。
>>127 >ラ・プラタ川の名前もこの「銀」の意味に由来するのでしょうかね? 大きな英和辞書を見るとそうみたいだね。 >1814年ヨーロッパの化学者ベルセリウスが、これにラテン語の金属を表す「um」をつけ、 >「Platinum」と正式に命名したとのことです。 ベルセリウスという固有名は書いてないけど、オックスフォードの辞典を見ると 初出は1812年になっている。(重箱の隅をつつくようで申し訳ないが) これは英語圏で既に言葉だけは出来ていた、ということなんだろうか。 (正確に何を対象として指すのかが曖昧なままで) 後、一つ、わからないんだけれど、スペイン語の「卑小接尾語」って 価値的にはっきり「賤しい」というようなニュアンスがあるのかしら。 私はスペイン語の知識がないのでその辺がわからないんだけれど、 例えば、英語、ドイツ語、その他の「指小辞」diminutive なら、 もっぱら「小さい」こととか「親愛性」を表す語尾なわけで、 あまり「卑しい」という感じはないんだけどね。 で、英語の辞書を引くと、Platina は Plata の Diminutive だとある。 そこのところどうなんだろう。
130 :
ベリサリウス :02/01/08 22:20
さてそこで、何というか、「守備範囲」の話になりますが。 (藁 だいたい自分の守備範囲でないとフォローが甘くなるようです。昨日のカキコも 手元の資料をまとめた物なのですが、白金とパラジウムのビッカース硬さが逆 になろうものなら大騒ぎしたことでしょうが、白金の命名の年月など「ほーなるほ どね」という受け止め方しかされていないんでしょうね。 >初出は1812年 に関しては、まあまそこはそれアバウトに行きましょうや、の世界なのでしょうか。(藁 てなわけで、スペイン語の「卑小接尾語」その他に関してはどなたかのご考察を 待つことにします。どなたかよろしく。 (藁
保全書き込み
132 :
世界@名無史さん :02/01/24 20:43
>>131 つーか、sageで書いても保全にならないと思われ。
で、そろそろ金属の話から離れて陶磁器やガラスの話題にも広げたいんだけど。
陶器と磁器というのは明確に分かれるものなんだろうか。
中間的なもの、どちらとも判別しがたいものというのは存在するんだろうか。
どなたか、詳しい方に解説をお願いがてら、保全あげ。
133 :
世界@名無史さん :02/01/24 22:45
でも、金のネタもキボン。 面白いのをお願い。
>132 定義上、一応明確に分かれるのだが、ストーンウェアという中間的なものが存在する。 陶器:素地に吸水性があり、透光性が無い焼き物で、原料は粘土。 釉薬を掛けたり、焼き締めたりして水を通さないように作る。 どちらもやらないと水を通す「土器」となる。 磁器:素地自体に吸水性が無く、わずかな透光性のある焼き物で施釉もする。 材料は陶石と呼ばれる鉄分を殆ど含まない石英系の粘土に長石、カオリン等を 混ぜて作った「磁土」。 ストーンウェア:粘土と溶けやすい陶石が原料。素地は不透明で吸水性もない。 釉薬は使用したりしなかったり。ドイツのケルンで始められ、 十七世紀後半に英国に紹介され流行した。 (参考:平凡社「焼き物事典」)
>>134 おお、サンキュ!
だが、釉をかけた磁器というのは、どんなものなのだろう。イメージが湧かん。
基本的にチャイナと呼ばれるものは磁器に分類されるということで良いのかな。
>135 chinaは辞書を見ると陶磁器、だが欧米人のイメージとしては 磁器というニュアンスの方が強いだろうね。 >釉をかけた磁器というのは、どんなものなのだろう。イメージが湧かん。 うーん、飯茶碗だって何だって磁器には釉薬がかかっていると思うんだがね。
手元の西和辞典によると、 ラテン語Plattus(平たい)→俗ラテン語Platta(皿・金属板)を経て、 スペイン語Plata(銀板→銀貨・銭のひゆ)→Plata(銀)と変遷する。 ここからPlatina(白金)が生まれ、そのまま英語Platinaへ。 スペイン語はさらにPlatinoに変化。 系図的に言うとプレート(金属板)の分家の分家になるらしい。 スペイン語の縮小辞は、「小さい」という意味に微妙なニュアンスを載せて新語を 作る方法だ。そのときのニュアンスは、かわいいが多数派だが、しょぼいになるこ ともある。しかもこれも、立派な大人を「ちゃん」づけしたら親しみではなく皮肉 になるということだと思えるんだが。まあ、←この一文は信用せんといて。
>>136 なるほど、磁器のほとんどは釉薬がかかっているのか。
陶器の多くは、釉薬がかかっている部分とそうでない部分の差が激しいのと、
底の部分の地肌が出ている場合がほとんどなのではっきりと釉が識別できる
が、全面的に釉がかかっているとわかりにくいということなのかな。
139 :
ベリサリウス :02/01/26 13:13
しばらく長期出張をくらいましてパスポートにいる世界でうろちょろしていました。
消えただろうなと思ったスレが、いまだに生きていますね。 (w
>>137 なるほど、やはり「平たい」と言う意味の言葉から銀という言葉げできて、
そこからプラチナと言う言葉が出来たんですか。
多分、「平たい」という言葉から、「鏡」という言葉もあって、それが途中に
はさまっているようにも思えますね。
>立派な大人を「ちゃん」づけしたら親しみではなく皮肉になる
なるほど(笑)。でも、こういうニュアンスもあるのかもしれないですね。
これだから違う分野の人と話すのって楽しいんですね。
140 :
世界@名無史さん :02/02/06 20:54
ニッケルやアルミニウムは中世には知られていなっかたのですか?
141 :
世界@名無史さん :02/02/06 20:57
ニッケルについては知らないけど、少なくともアルミニウムは中世では 知られていないな。 ナポレオン時代になっても、アルミニウムは稀少な金属だったらしい。
142 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:14
>140
アルミニウムは、金や銅のように、天然にそれだけの形で産しません。
また、イオン化傾向が高いため、鉄のように高熱と還元剤を用いて還元する
こともできません。
アルミニウムは溶融した酸化アルミニウムを電気分解して精錬するんですが、
そのときに結構電力が必要なんですね。アルミニウムが単離されたのは、
1825年だそうな。
http://www.doimekki.com/arumi.htm 上のページ検索する時に「ナポレオン アルミニウム」を検索語にしたのですが、
ナポレオンがアルミの食器を銀食器より珍重していたって話、けっこう有名な
んですね。
ニッケルの単離はちょっと早くて1775年?
143 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:18
アルミナム(アメリカではこう言う)では社名以外ほとんどヒットしないのは、JISの 陰謀だろうか? (w
芸デ板に持ってったら面白そうだ。
145 :
世界@名無史さん :02/02/06 23:33
>>144 あそこでは理解が得られそうにないと思われ
146 :
世界@名無史さん :02/02/07 21:55
オーパーツのネタで、 中国の古い墓から、アルミのバックルが出土した という話が有ったけど
>146 殷の王墓から出たというものの事ですか。真偽のほどからしてよく分かりま せんが、プラチナの例もある事ですし、想像以上に技術水準が高かったとい う事でしょう。 殷の青銅器自体がたいへんな代物ですし。
148 :
世界@名無史さん :02/02/07 23:32
でも、古代あるいは中世の技術水準でアルミは精錬できませんよ。どう考えても。 何か違う金属をアルミと見間違えた...? あれほど反射率が高く、反射スペクトルの幅が広く、腐食に強い物? あ、なんだ! 銀と間違えたんだよ! (w
149 :
世界@名無史さん :02/02/07 23:34
う〜ん。殷というか商代の青銅器がたいしたもんであることは間違いないが、 アルミニウムはなぁ。 単に溶解温度が高いとか、還元方法が複雑といった問題じゃないから、いく ら古代の技術が想像以上に高度であったとしても、次元の違うことのように おもうんだが。 というか、古代にアルミニウムが精錬できたとしたら、それはもう、オーパー ツと同等技術的な飛躍だろうね。
その「どう考えても」がどこまで信用出来るのか、という問題では無いかと 思われます。まあ中国政府の方が信用出来ないとも言えますが。
151 :
世界@名無史さん :02/02/08 13:03
じゃあ、もはや仮想でしかないど、そこでくるくる巻かれた細い銅線が発掘された。 当時の銅加工水準の高さがしのばれる。となったらどうだ?
>>151 あ、そりゃできますって。なんと言っても、この不器用貧乏を絵に描いたようなオイラ
でさえ、三日も必死でがんばるとそこそこのものが作れた。もちろん工場のすみにあ
った廃材の銅クズがあったし、学生のオイラをおもしろがってこき使った職人のおい
ちゃんのおかげなんだけどね。卒研の時の思い出。
もちろん、
>>151 の言っている世界だとすると、まず人と燃料や工具をそれなりに用
意しなければならないし、へたすりゃ銅の採掘から始まるでしょうから、時間と労力
はかかるでしょうね。
でも、可能です。まあ、五分の一ミリぐらいまでの銅線なら、努力と根性でできます。
つまりね、銅という金属はアルミに比べてはるかに手に入れやすいのです。
もし古代にアルミのインゴットが、まずあり得ない偶然の積み重ねで存在したとして
も、それを使い切ったらもう地中から手に入れることはできないのです。
と答えたとしても、だ。
>>150 の山野野衾さんの言われる「物証」に欠けるな。
ちょっとお時間をください。
私ド素人ですが、 アルミニウムの電気精錬って、落雷を利用して〜とかは無理ですか?
>>154 内容じゃなくて、このスレに書き込む考え方が理解されにくいかと思ってね。
科学ネタだからといって、即関連・関心があるとは限るまい、ということ。
誤解があったら勘弁。
アルミ製造のネックになる第一段階は純粋アルミナ(酸化アルミニウム)の製造だよね で、これまた素人考えなんだが、もったいないけどコランダム(ルビーやサファイアは 不純物が在るからかえってダメで無色透明な奴ね。これは純粋なアルミナの結晶だと思う) を粉にして、大量の木炭のある炉の中で加熱したら、アルミナの酸素原子が一酸化炭素で 還元されてしまってアルミニウムが出来ないだろうか? それともこの程度では酸素を離してくれないのかな? なんでも19世紀前半の実験室ではナトリウムで還元したんだそうだけど。 こういう純粋なハロゲン元素自体、電気分解でないと手に入らないんだろうか?
おっと、途中に書いたことを後で消したので変なこと書いちゃってる。 実は蛍石からフッ素が取れないかな、っていう話をずっと書いていて、 駄目そうなのでその部分を省いたんだが、おかげでハロゲン元素の話題が 金属ナトリウムと結びつくような変な形でのこってしまった。 最後の二行無視して下さい。
158 :
世界@名無史さん :02/02/08 23:24
以前、確か電気精錬以外にアルミの精錬法があると聞いたぞ。 但し、コストが高すぎて電気精錬に太刀打ち出来なかったらしいが。
159 :
世界@名無史さん :02/02/10 20:42
>>158 1825 デンマークの化学者H.C.エルステッド、最初の金属アルミニウムの
分離に成功
1845 ドイツのベーラー、化学法によるアルミニウムの分離に成功
(基礎性質明らかになる)
1856 フランスの化学者ドビルにより化学還元法によるアルミ精錬開始
(最初の工場)
1886 米のホール、仏のエルーが電解精錬法を同時に発見
1888 オーストラリアのバイヤーが湿式アルカリ法による製造法を確立
(大量生産開始)
つーことで、化学還元法というのがあったみたいだね。詳細を知ってるヒト、
解説をお願いします。
160 :
世界@名無史さん :02/02/11 15:17
いまや日本の生産量は需要の1%ですか。これも歴史ってやつですね。
162 :
世界@名無史さん :02/02/14 19:53
>中国の古い墓から、アルミのバックルが出土した こいつはトンデモネタだと思いますがね、先日ラジオで「アルミナ」製の装身具らしきもの が中国の遺跡で発見、って言っていたような気がするんですが。 ・・・電波を受けちゃったんでしょうか? どなたかご存じでしょうか?
化学還元法ってのは Al2Cl4 + Na → 2Al + 6NaCl な反応だそうです. よーするに金属ナトリウムでアルミニウムに付いてる 塩素原子をとっぱらってやるわけですね. で,これで問題になるのは古代中国で金属ナトリウムを 作れたのだろうか?ということです. 金属ナトリウムの精製にも600℃の熱と電気分解, 更に完全な水分除去ができなきゃダメです. 水分があるとこの金属ナトリウム,水素を発生しながら 激しく発熱します(理科の実験でご存じな方も多いかも).
164 :
世界@名無史さん :02/02/25 21:54
お気に入りのスレなので、保全あげ。 んで、結局はアルミナムが古代というか中世以前に存在するというのは基本的に トンデモという結論でよろしいか。
165 :
世界@名無史さん :02/02/25 23:18
ですな。 会社でここにカキコできなくなってしまったので、書き込めない。畜生め。
反応の右左の数が合ってないのに今更気づきました(泣 正しくは Al2Cl4 + 6Na→2Al + 6NaClです. アルミナを直で電解するには900℃の熱と電気分解が要るので それよりは幾分条件がマシです. この為化学精錬法が先んじたものと思われます. 保全age
167 :
世界@名無史さん :02/03/18 18:27
金属ナトリウムを得るのには必ず高温での電気分解が必要なのでせうか?
ウワサに聞く2チャンネル初参加 高校生用質問スレも含め....超鈍亀レス 自然銅が利用されるようになったのは農耕が始まった頃と時を同じくします。 トルコ東部のチャユヌ遺跡から自然銅を加工した製品が出土しています。 (NHKの四大文明 メソポタミア でメソポタミア農耕の発祥地として少し紹介 されましたのでこの遺跡をご記憶の方もおられると思いますが) 製品は?なものもありますが、おおむね装身具とみてよいと思います。 一般に 自然銅→純度が高い→軟らかい といわれますが、これは間違って いると言ってもよいと思います。 自然銅は純度が高いといっても(産地によっても違うとは思いますが)9十数% 程度であり、決して高純度な銅とはいいきれませんし、 軟らかい金属というイメージも加工硬化によって、青銅に匹敵する硬さになる ことからこの俗説は否定されます。 蛇足ながら、 ・アルプスで見つかったBC3300年頃の古代人は、銅を鋳造した斧もどきを持って いましたが、これを再現して使ってみたときその実用性に驚いたそうです。 ・北アメリカのホープウェル遺跡から、自然銅を鍛造して作った斧が出土して います。ミシガンでは現在でも自然銅が産出する所があります。もっとも、 北アメリカでは銅を溶解した形跡はなさそうです。 ・銅の色は、ピンクゴールドに近いです。新品の十円玉を思い浮かべてください。 赤銅色は亜酸化銅の色、緑青は塩基性炭酸銅というのは間違いで塩基性硫酸銅 です。ただし、遺跡から出土する緑青は塩基性炭酸銅です。
自然銅に続いて銅鉱石の製錬が行われた時期については確証のあるものが見当た りません。 トルコのチャタル・ヒュユクから出土した銅にスラグ(金属の製錬工程において 生成する酸化物を主成分とする融体の総称)が付着していたことから、この時期 に銅鉱石の製錬が始まったとする説が多いようですが、自然銅も不純物を含む ためスラグができる可能性はあります。逆に酸化銅鉱であっても純度が高けれ ばスラグは生成しません。 銅鉱石としては製錬しやすい酸化銅鉱や炭酸銅鉱が利用されたという見方が一般 的です。なお、炭酸銅鉱は220℃で分解して亜酸化銅になります。亜酸化銅は 一酸化炭素により約150℃以上で還元されますが、低温でできる炭素の酸化物は 二酸化炭素となりますので、700℃以上はほしいところです。 銅鉱石を製錬するようになったきっかけについては諸説がありますが、はっきり 言ってどれも信頼するに値しません。 ご参考 先にあげたチャユヌ遺跡は、無土器新石器時代に属するのですが、石灰岩を焼 いて作った石灰が使われていました。石灰を作るには石灰岩を砕き、850℃位の 温度で数日間焼き、ついで、それをゆっくり冷やして生石灰とします。これに 水を混ぜると粉末になり消石灰ができます。それを建物や床に塗り放置すれば 空気中の二酸化炭素と反応して固まります。日本でいうところの漆喰です。 注) 分かったような書き方をしていますが、間違っているところなどありましたら どしどし指摘してください。
ん なんだこのスレすでに廃屋か 花冷えがするぜ ふェ〜くしョん . . . . ズル sage
銅って鉄に比べて重いので,あれで作られた斧でぶったたかれたら 痛いでしょうね. ところで,随分昔に読んだ本にミイラの乾燥に苛性ソーダの 吸湿作用が使われたという記述があったんですが, 天然の苛性ソーダってどういうところで取れるんでしょうか? ふつうの所だとすぐにどろどろになってしまいそうに思えるんですが.
172 :
世界@名無史さん :02/03/28 20:44
中央アフリカ、東アフリカの乾燥地帯には、湖の水面に苛性ソーダが 浮かんでいるところがあるそうな。 古代中国では、青銅の斧で生け贄の首を刎ねていたそうな。
材料物性板へ(・∀・)カエレ! すんません、誰も言ったことのないセリフを言ってみたくて…… というか,>38機械・工学板じゃなくて……
174 :
世界@名無史さん :02/05/11 13:20
そういや「アルカリ」の語源はアラビア語でしたなあ。
175 :
世界@名無史さん :02/05/30 23:46
あげとく
176 :
世界@名無史さん :02/05/31 00:18
ゴシック建築に用いられたステンドグラス(例:シャルトル聖堂のバラ窓)は、 現代では再現不可能だという話を聞いたことがあるのですが、それは本当なので しょうか? 本当だとすれば、それはなぜなのでしょうか?
177 :
世界@名無史さん :02/05/31 00:22
>>172 青銅は融点が鉄より低いし鋳造するのに楽だから。
当時はそれしか技術的にできなかったんだから仕方がない。
別に重い(比重:鉄−7.87 銅−8.93)から使ったんではない。
178 :
世界@名無史さん :02/06/01 12:14
>>171 というか、銅、まぁ青銅器でしょうが、同一サイズのものと仮定して、銅の斧でも鉄の斧であっても
どちらも同じくらい痛いんじゃないでしょうか。
179 :
世界@名無史さん :02/06/01 12:17
銅の斧は切れ味が悪い。したがって一刀両断安楽死させることが出来ず、 鉄の斧でやられるよりもずっと痛くて苦しい。
180 :
世界@名無史さん :02/06/01 12:35
どうなんでしょうね、銅製品も焼きいれができると聞いたことがあるように思うんですが、ある程度 の硬化はできたんでしょうか。 鋼鉄や鋳鉄に比べて、早く切れ味がなまることはあるでしょうが、研ぎたての場合は同じのように 思いますがね。 それと、古代中国での斧は王権の象徴でもあったので、単純に切れ味や技術上の都合だけで素 材が選択されていたかはわかりません。 象徴としての「玉斧」は玉製ですから、実用性は全くありません。斧が王権の象徴となったのは反 対者の首を切るということに由来するようです。 ですから、実際に首切り用に用いられた斧が、当時の祭器の素材であった青銅でわざと作られて いたという可能性もありますね。
181 :
世界@名無史さん :02/06/01 13:22
>>176 さぁ、どうでしょ。
中世のガラス素材を完全に復元することは難しいのかもしれません。不純物を含むガラス素材に
当時の材料で染付けを行い、数世紀にわたる褪色や変色を経て、現在の色合いを出しているわ
けですから。
あと、ガラスは完全な固体ではないので、重力による変形やひずみも加わっているでしょうね。
ただ、現代の技術で、見た目は中世のステンドグラスを再現することはできるようです。
182 :
世界@名無史さん :02/06/01 14:12
>>180 銅及び銅合金(黄銅とか青銅とか)は、「焼入れ」はできません。あれは鉄・鋼
のみの金属的性質です。
ただし、硬化させることはできます。簡単に言うと、衝撃を与えたり圧力をかけ
たりすることで硬化するのです。一般的に、今の銅合金は圧延工程、つまりプ
レス工程を経ていますので、硬化した状態です。
とはいえ、研ぎ上げた状態の銅合金も確かに鋭くはできますが、しょせん硬度
的にはしっかり焼入れされた炭素鋼の比ではありません。
ただ、話題になったような戦闘用の「斧」であれば、用途は敵の戦闘力をそぐ
ことですから、でかい棍棒に刃が付いたと思えば、青銅であろうと鋼であろう
と打撃を受けた相手にとってはたいした違いはないのでは? (w
それと、鋼は錆びます。よほど保存が良くなければ何百年も持つ代物ではあ
りません。だから、古代の青銅兵器が残っているからと言って、必ずしも鋼の
技術がなかったとも言い切れないような。
特に「王権の象徴」などであったなら、すぐ錆びてしまうような「強いけれど卑
しい」鋼などでは作らなかったんではないでしょうか?
>>179 でもね、全身筋肉の死刑執行人が斧を振りかぶって振り下ろしたイメージを
考えると、斧の材質が鉄だろうが銅だろうが結果にかわりはないように思い
ません? (w
183 :
世界@名無史さん :02/06/01 14:29
首切り役人は普段から体鍛えていたのかね?
184 :
世界@名無史さん :02/06/01 14:41
>181さん レスありがとうございます。
186 :
世界@名無史さん :02/06/01 20:57
>>176 ステンドグラスの素材ガラスのことは知らないけど、ローマ時代に着色ガラスによる工芸が高度に
発達して、現代の技術でも復元困難なものがあるという話は聞いたことがある。
結構、ローマのガラス工芸は人気があって、レプリカの需要もあるけど、現在の素材や工具を使っ
てもレプリカ作成に応えられないということのようだ。
この場合の復元困難は、単に素材の問題ではなく、加工手法や複雑な細工による模様の問題の
ようなので、単純な色ガラス素材であるステンドグラスの話題とはちょっと違うかも知れない。
187 :
世界@名無史さん :02/06/01 21:19
>>184 素材とは直接関係ないけど、苦しまないように上手に首を切ってもらうために、首切り役人に
金を渡していたんだね。
「私の首はこんなに細いし、あなたは上手なようだから、、、」ってのはアン・ブーリアンの最後
の言葉だったかしら。
188 :
世界@名無史さん :02/06/01 21:36
ジャック・ケッチという首切り役人はチップをもらったので かえって緊張して、斧の一撃どころか二十回の打撃でようやく首を斬った。 切り口はもうボロボロだったそうな。
189 :
世界@名無史さん :02/06/02 00:05
どんどん素材の話からはずれちゃうけど、ギロチンが人道的だという主張の根拠は、へたくそな 首切り役人の斧よりずっとましってことなんだね。 あれだと、一瞬で絶命するから見た目の残酷さに比べて、実際の苦痛は少ないのかもしれない。 こまったな、素材ネタを振っておかないと、ただのアラシになっちまう。 そろそろ、プラスチックの話題に入っても良いのではということで、プラスチックのこと○○樹脂と か言いますよね。 あの「樹脂」ってもともとどんな意味なんでしょう。松脂みたいなものを想定してるのか、あるいは ゴムのような樹液から作られる物資のイメージなんでしょうか。 天然の樹脂というのはプラスチックに類似した外見や性質を持っているんでしょうか。どなたか、 ご存知の方、、、、ひょっとして琥珀が樹脂なのかな。
190 :
世界@名無史さん :02/06/05 22:39
樹脂ってゴムからきたのでは。ゴムに硫黄をたくさん加えて加硫するとエボナイトになる。 エボナイトの棒を布でこすると静電気が発生して紙切れを吸い付けると何かの本にあったような。 って、実物を見たことがない。今でも使われているのかな。 琥珀は樹脂の化石? 琥珀はずいぶん大昔から使われてきたらしい。
191 :
世界@名無史さん :02/06/11 06:33
アスファルトって樹脂なのかなぁ。 これも古くから利用されてますね。日本でもヤジリの接着に使われていたとか。
192 :
世界@名無史さん :02/06/11 08:46
アスファルトは石油! 琥珀は松脂の化石だから、一応樹脂、、、かな??
193 :
世界@名無史さん :02/07/05 22:20
>192 石油だったの? 泥みたいなもんだと思ってた。
保全age 関係ないかもしれないけど 江川達也「BEE FREE!」の中で、 無人島に流されたさくら組が技術開発競争やる話がおもしろかった。
195 :
世界@名無史さん :02/07/13 23:23
>>193 タンカーで運んできた原油は石油化学プラントで各種炭化水素に分離されます。
軽いのから石油ガス、ナフサ、ガソリン、軽油、重油、ときて一番重いのがタール。
これがその「泥みたいな」やつで、アスファルト舗装の原料になるはず。
昔は天然のタール(瀝青)が沸き出している沼地なんかがよくあったそうです。
ガリア戦記でよく出てくる瀝青はこういうとこから採取したのかな。
アスファルトってアラビア語の「硫黄」からきてるのかな?
砂糖はsugar(英)とかsucre(仏)と言うが、スペイン語ではazucar(アスーカル)と呼ぶ。
このazucarは、冠詞alの残滓が残っていることからわかるようにアラビア語由来らしい。
で、硫黄って英語じゃsulfur/sulphurだけどスペイン語ではazufre(アスーフレ)っていうのね。
だから硫黄もそうなのかなと思った。
196 :
世界@名無史さん :02/07/13 23:31
>>189 とりあえず、手元の史料で見た「樹脂」の定義です。
樹脂:レジンとも言う。英名 resin。不明確でかつしばしば高い相対分子
質量を有し,応力を受けると流動する傾向を示し,通常は軟化又は溶
融範囲を有し,かつ通常は貝殻状に割れる固体,半固体,又は凝固体
の有機材料。広義にはこの用語はプラスチック用の基盤材料であるいく
つかの重合体を明示するためにも使用される。
ようするにプラスチック、つまり可塑性のある有機材料の中で、比較的粉っ
ぽくもろい、つまり逆説的には可塑性の低いものをさして言う言葉と思えば
いいんでしょうか。
このへんは「業界」ごとに定義が違うでしょうね。
197 :
世界@名無史さん :02/07/13 23:37
>貝殻状に割れる なんか詩的な定義だなあ。 上の定義だと蝋もレジンの一種だね。
198 :
世界@名無史さん :02/07/13 23:42
>>195 えっと、瀝青=タールなんですが、タールは有機物を熱分解して得られる粘着性の残留
物の総称ですから、チャン、コール・タール、石油タール=アスファルトなどを含みます。
古代から知られ、メソポタミアのジッグラトなどの煉瓦の接着用に使われている瀝青は
天然アスファルトだと思います。
んで、アスファルトを特定して指す場合は「土瀝青」と呼ぶようですね。
あの懐かしい試験管で割り箸乾留してできるのもタールでしたっけ。 木タールと木炭と酸と木ガス・・・だったかな。 コールタールは石炭を蒸留して得られるんですよね。
200 :
世界@名無史さん :02/07/14 00:10
ちょっと話題からずれるかも知れないけど、アメリカの一般人は合成樹脂製の物をみんな まとめて「プラスチック」と呼ぶみたい。 理由はわからないけど、なぜか日本人は一般人であってもプラスチックの素材名を日常的 に使う傾向があって、外国から見ると不思議なんだそうです。 例えば、 発泡スチロール、ポリタンク、ポリバケツ(ポリエチレン製タンク、バケツ)、塩ビパイプ(塩化 ビニール製パイプ)、ウレタン・クッション(ポリウレタン製クッション)、セロテープ(セロファン 製粘着テープ)など まぁ、最近はエンジニアリング用プラスチックが多くて、素材名を表に出さない場合が多い ようですけど、ポリ・カーボネイト製ヘルメットとかポリプロピレン製食器とかはあまり専門的 でない人でも使いますよね。 現実問題として、ポリエチレンや塩化ビニール製のものは、プラモデルなどのスチレン系用 の接着剤などが使えないという問題があるので、区別せざるを得ないということもあるんで しょうけど。
201 :
世界@名無史さん :02/07/14 00:18
>>200 つーか、貝殻状に割れるというイメージや日本人的に細かく分類しても「プラスチック」で
くくられてるということで、日本人がプラスチックと言った場合は、狭い意味では、プラモデ
に使われるポリスチレン系の樹脂を指すことになるのでわ。
>>201 >狭い意味では、プラモデルに使われるポリスチレン系の樹脂を指すことになるのでわ
ええと、そんなこというと技術屋の方々に火をつけられますYO。 (w
JIS K-6899 によると、基本的な単独及び天然プラスチック材料だけでCA(セルロース
アセテート)からUP(不飽和ポリエステル・・・ガレージ・キットに使う「レジン」ね)まで63
種類。この中には皆さんの手近にあるPET(ポリエチレンテレフタレート・・・ペットボトル
など)や、PVDC(ポリ塩化ビニリデン・・・ラップに使う)も含まれます。
また,皆さんが叩いているであろうパソのキーボードは,ABS樹脂(アクリロニトリル/ブ
タジエン/スチレン重合体)これは複合材料。いやはや奥が深い。
つまり,プラスチックと一言で言っても、JIS規格に載っている基本的なヤツだけで相当
な種類があります。その上に、エンプラ、つまり工業用のハイレベルなエンジニアリング
プラスチックがごそっとあります。
こいつらがみんな,近代になってできた66ナイロンを作る技術が引き金になったのだと
言うことはご存じでしょうが,歴史的になぜ古代や中世にこの技術が発祥しなかったの
かは考えてみると不思議ですね。
プラスチックの定義を言うと、JIS K-6900 より
プラスチック(名詞) 英名 plastic。
必須の構成成分として高重合体を含みかつ完成製品への加工のある段階で流れに
よって形を変え得る材料。
同様に流れによって形を与え得る弾性材料はプラスチックとしては考えない。
いくつかの国、特にU.K.においては、公式の見解は現在、用語「プラスチックス」を
複数形はもちろん単数形として使用することの選択の自由も許されている。
つまり,ゴム類はプラスチックではない、と言うことですな。JISの定義に従えば。
203 :
世界@名無史さん :02/07/16 00:16
JISなんかどうでもいいような気がする。
204 :
世界@名無史さん :02/07/16 00:25
でもね、日本の工業の基本はJISだよ
ぜーんぶ取り仕切っているんだな
これをはずして考えるわけにはいかんのさ
たとえ世界史板でもさ
ま、カタい話になるから、JIS中心の話はやめた方がいいかも。
>>202
205 :
世界@名無史さん :02/07/16 19:56
弾性を示す高分子エラストマーはプラスチックではない?? エボナイトに変わる合成樹脂として現れたのがベークライト だったと思う セルロイドなども結構古かったのでわ
206 :
世界@名無史さん :02/07/18 00:54
>>202 > ゴム類はプラスチックではない
でも、最初の合成樹脂であるエボナイトは天然ゴムに硫黄を加えたものでは。
207 :
世界@名無史さん :02/07/26 21:44
>>205 > セルロイドなども結構古かったのでわ
つーか、セルロイドが世界最古のプラスチックだったと思う。
たしか、ビリヤードの玉に使われていた象牙の代替素材として懸賞付きで開発された
歴史があったのでは。
208 :
世界@名無史さん :02/07/27 13:36
>>207 おお そんな話聞いた記憶がある。
>>206 ゴムと硫黄が化学反応しているので別の物質。ゴムではない。
髪のパーマネントは硫黄?の化学結合を利用しているからもう髪ではない???
209 :
世界@名無史さん :02/07/27 14:21
210 :
世界@名無史さん :02/08/04 14:14
別スレッドで鋼鉄からアーマーの話題が出てます。 あっちはイングランドの製鉄が中心テーマなので、装甲の歴史をこっちでふってみます。 ハーペイ鋼とかクルップ鋼とか、ご存知の方に薀蓄をお願いしたいですが、むしろ草創期 の装甲の歴史を知りたいですね。 まぁ、現代のチョバム装甲はちょっと置いておくとして、装甲の歴史は南北戦争のモニター VSメリマックから始まるということでいいのかな? 戦車の世界ではまだ開発競争が続いているようだけど、新造の水上艦ではもう装甲はして いないんでしょうか。
211 :
世界@名無史さん :02/08/04 14:27
>>210 > 装甲の歴史は南北戦争のモニターVSメリマックから始まるということでいいのかな?
戦闘艦の装甲のことを言っているのなら、鋼鉄装甲の実用起源はそうかも知れないけれど
歴史的には木製装甲の時代が長かったし、十分な実用性があったよ。
戦列艦の木製装甲は通常の艦載砲の攻撃をしのぐことができたので、艦砲射撃で相手を
沈めるのはむずかしかったはず。
マストを倒したり、火災を発生させたり、接舷して切り込んだりという戦闘が主体になってい
たと思う。
212 :
世界@名無史さん :02/08/04 14:52
うろ覚えだけど、近代初期の木造船から鉄鋼船への移行時に、軍艦は遅れたという話を 読んだ気がする。 イギリス海軍が保守的で、なかなか新技術を受け入れなかったということと、特に砲撃に 対する耐久性が問題になっていたんじゃなかったかな。 ホーンブロアに出てくるような32ポンド砲なんかだと、木造船に木製装甲を施した艦艇の ほうが耐久性があるようだ。 艦載砲が急速に発達して射程距離や威力を増したことで、旧来の木製装甲が無力化し、 鋼鉄船の採用と艦体の大型化が進んで、装甲艦のイメージを一新する形でモニターが 出現したという順番だったと思う。
213 :
世界@名無史さん :02/08/04 14:54
織田信長の安宅船ってあるけど、あれは木造船に鉄で装甲したってことで いいのか。効果はあったんだろうか。
イギリス海軍が蒸気機関や鋼鉄製装甲に対して保守的だったのは それまで木製帆船で築き上げてきた海上での戦力優勢を 白紙に戻さなければならないかもしれなかったから 鉄張安宅船は対砲撃よりも焙烙対策が主だった 当時の日本で砲装を施された戦闘艦はほとんど存在しなかった この艦は木津川封鎖作戦用に建造されたいわば特務艦で、 戦闘艦としては著しく汎用性に劣っており、 作戦が終了するとすぐに解体され、 資材は琵琶湖の堅田水軍に対抗すべく建造された小型哨戒艇に 転用されている
215 :
世界@名無史さん :02/08/04 15:38
>>214 > イギリス海軍が蒸気機関や鋼鉄製装甲に対して保守的だったのは
> それまで木製帆船で築き上げてきた海上での戦力優勢を
> 白紙に戻さなければならないかもしれなかったから
まぁ、気持ちとしてはわかるけど、制海権を確保するための海上戦力を
旧来の木造帆船の戦列艦のままにしておきたいと願っても、フランスや
ドイツなどの他国が採用してしまえばダメってことにならないのか?
それと、装甲と船体はもともと分離しているよね。木造の船体に鋼鉄製
の装甲をおこなった艦は実在するのだろうか。
>>215 長期的に見ればまさしくその通り
しかし、既に圧倒的な優位を確立している側が、
ものになるか怪しい新機軸をわざわざ採用する必要性は薄い
挑戦的な新技術の開拓者となるより、
既得権益を維持していくほうがはるかに効率的であり、
他国で新技術が実用化してはじめてその技術を
採用すれば良かった
事実、蒸気推進機関と鋼鉄製装甲を最初に実用化したのは、
イギリスの海上での優位を画期的な新技術を盛り込んだ新型艦で
覆そうとしたフランスだった
1850年、ナポレオンは950馬力で13ノットを発揮し、
1858年、ラ・グロワールは舷側に4.5インチの装甲を備えていた
しかし、その都度イギリスは海軍予算を増額し、まず比較的容易に技術で追いつき、
物量ではフランスを凌駕する生産能力によって追い抜いている
結局、新技術でイギリスの優位にたつという野望が現実的でないと悟ったフランスは
海軍予算を削減することになる
217 :
世界@名無史さん :02/08/05 21:29
木製の装甲って、材質はどんなものだったんだろう。 硬い木とういことだと、オーク材あたりかな。 それとも、木の厚さで防御して、硬さは求めなかったのだろうか。
装甲の定義如何の問題はあるが、船の外部に貼り付け敵からの攻撃に耐える為の 構造材ではない物、という風に考えるなら、まずBC250年頃、あのアルキメデスが シラクサ王の為に作った船に導入したものが知られている。これは頑丈なロープを 編んだマットを真鍮の鎖でつり下げ固定したもので、これは飛び道具と当時の海戦 における主要な攻撃手段であった衝角攻撃から船を防護するための「装甲」だった。 のみならずこの船シラクサ号は、周囲を鉄製の手すりのようなもので囲まれていた らしいが、これが装甲と言えるほどの縦の幅を持っていたかどうかは不明である。 同時代のもので更に有名なのはカタフラクトスと呼ばれる装甲船であろう。 これは衝角攻撃と飛び道具に備えるために分厚い舷側板と甲板を備えた船で、 大きなカタフラクトスを作るためにはガレー船15隻分の資材を必要としたという。 中世においても何らかの装甲が船に取り付けられたことはあったらしい。 文献で残っているものとしては、ヴァイキング達の船に関するものがそれで、 当時の叙事詩からは彼らの船の側面が鉄で被覆されていたことが読みとれる。 これが具体的にどの程度のものだったかは不明だが、本当なら彼らの海上での 強さの一因がここにあったことは容易に想像できる。 近代に入り、海戦には「砲撃」という新しい要素が付け加えられるようになった。 だが艦砲が使われるようになってもなかなか鉄製の装甲艦は生まれなかった。 というのは16世紀以後、1820年代までは、艦砲の砲弾は炸薬の入らぬ実体弾か、 射程の短い臼砲で打ち出す爆弾(bomb)しかなく、威力や命中率が小さかったため、 装甲艦への欲求が低かったのと、そもそもナポレオン時代において戦列艦の側面は 厚さ殆ど2フィートに達するオーク材で作られており、これが実質的な「装甲」 の役割を果たしていたからである。 またのみならず当時の全鉄製船には軍艦としては致命的な弱点があった。即ち、 鉄製船固有の磁石を狂わせるとか、錆びるといった技術的な難点が、当時は未解決 だったからである。それどころか1838年に英海峡で起こった暴風雨に耐えたのが 鉄製汽船ギャリー・オーエンだけだったことがわかるまで、鉄は肋骨材としては ともかく、船体外板の材質としては木よりも弱いとすら思われていたわけで、 こういった理由で鉄製艦さらには鉄装甲艦への欲求は抑えられていた。
さて鉄を装甲として使う、というアイディア自体、イギリスでは十九世紀初頭から ウィリアム・コングレーヴなどによって提案されてはいたが、このアイディアは 長らく無視され、実用化されることはなかった。ところが1824年にフランス陸軍の ペザンにより炸薬弾を撃てるカノン砲が開発されて以後、艦砲の威力が著しく増加 することによって状況は徐々に変わりだした。 新艦砲の力を実証したのが1853年のシノペ海戦でトルコに圧勝したロシアであり、 翌年のクリミア戦争で英仏はロシアの炸薬弾に対する対策を迫られることになった。 最初に解決を見出したのはフランスで、鉄装甲をした浮砲台を作って戦果をあげると、 戦後にはこの実績をふまえ、蒸気艦ナポレオンを改装し120ミリの装甲で水線部以上を 覆って作られた世界初の装甲艦を1859年に竣工させ、グロアールと命名した。 これに対抗して1861年にはイギリスも装甲艦ウオーリアを送り出し、これ以後装甲艦が 海軍の主力艦になっていく。これが後の戦艦である。(米モニターは1862年) なお、初期においては装甲と船体は別だったために、たしかに木造船に鉄製装甲が 付けられた船もあった。例えばグロアール自体がそうだったし、我が国の例でも 幕末から明治にかけて導入された軍艦の内フランス製コルベット「東」(あずま)や イギリス製コルベット「龍驤」などがその範疇に入る。 あと軍への蒸気船の導入が遅れたのは、初期の低圧蒸気機関の信頼性や性能が不十分で、 しかも大量の燃料を積まなくてはならなかったことや、当初の主流だった外輪船の場合、 単に非効率だっただけでなく、敵の攻撃に対しても脆弱であったこと、などにもよる。 本格的な蒸気化には高圧で安定した機関と優秀なスクリューの実用化が不可欠だった。 さて、一旦、艦に鉄装甲が導入されると、あとは艦砲の威力との追いかけっこである。 モニター対メリマックの対決や、リッサ島沖海戦のころまでは威力、命中率の面で 砲の性能よりも装甲力が上回っている観があったが、その後艦砲の性能向上は著しく それに対抗する装甲版の性能も、より高いものが要求されるようになって行った。
グロアールやウオリアーの装甲板に用いられた鉄はまだ単なる錬鉄で、モニターや メリマックの装甲も鉄道レール材を利用したものだったが、1870年代になると進歩した 大砲の威力に対抗するため鋼鉄が使われるようになり、さらに1880年代にはいると 錬鉄の上に鋼鉄を重ねる複合装甲が主流となった。装甲厚も漸次増大し、主力戦艦では 最も厚い部分では400ミリから500ミリ台に達し、中には600ミリを超す艦さえ出てきた。 しかしこれはいかにも重すぎたため、さらなる材質の進歩が求められるようになった。 こうしてニッケルを含むニッケル鋼鈑が生まれ、さらには高度の熱処理を用いながら ニッケル鋼鈑の表面を浸炭させることによって作られるハーヴェイ鋼鈑(錬鉄の二倍、 鋼鉄や複合装甲の一倍半の強度を持っていたという)が1891年に、さらに94年には ハーヴェイ鋼鈑の加工技術を用いながら材質にクロムを加えることで、より深い所まで 浸炭を可能にすると同時に、複雑な熱処理でハーヴェイ鋼鈑の弱点だった背面の弱さ をも克服したクルップ鋼鈑(複合装甲の二倍以上の強さを持つ)といった優れた鋼鈑が 誕生していった。我が国においても20世紀に入ると、これらの新世代の鋼鈑を参考とし 更に発展させた装甲鉄が作られた。即ちニッケルクロム鋼の表面を硬化させたVH甲鉄、 モリブデンを添加したMNC甲鉄、銅を入れて弾性を上げたCNC系甲鉄などである。 ただこのような強靱な装甲を用いても、装甲だけで相手艦の砲撃を受け止めることは 船に許された重量の限界からして不可能であり、艦船設計者の苦労は許された重量内で 装甲板の配置場所や形状に工夫をこらし、さらには巧みに隔壁を設けたり、可燃物や 船のライフラインを打撃から遠ざけることにより貫通時のダメージコントロールを行い、 少しでも沈みにくい船を作ることにあった。ジュットランド海戦時、及びそれ以後の ドイツ海軍の設計思想、及び第二次大戦以後の米海軍の設計思想がこれである。 第二次大戦後は航空機の発達や、小型艦がミサイルで艦砲の射程外から攻撃できる ようになったこともあり、戦艦や装甲巡洋艦のような艦種が衰退したため、艦船を直接 装甲で防護するという思想は後退し、ASMや速射砲、CIWSなどで敵ミサイルを撃墜したり、 あるいはチャフなどによりソフト・キルをはかることが防空手段の主流となった。 従って、砲の威力の増大と装甲板の進歩とを巡るドラマはこれ以後、専ら戦闘用車両を 舞台にして演じられることになるのである。
220への訂正 × ASM ○ SAM
222 :
世界@名無史さん :02/08/08 22:13
>>219 > なお、初期においては装甲と船体は別だったために
というか、艦船の主装甲というのはずいぶんと後まで船体の上に張り付ける形態だったと思うけど
どうなんだろう。
例えば、金剛あたりでも船体と装甲は完全に分離しているよ。外見上は平面になるように船体側
で凹凸を付けてるので、改装時などの装甲をはずした状態でないと気が付かないだけじゃないか
な。
現代では、装甲そのものがあまり重視されないから、船体と一体化している場合もあるかもしれな
いけど、船体構造に必要な材質と装甲に必要な性質は一致しないんじゃないかと思う。
223 :
世界@名無史さん :02/08/09 16:43
イランの民族叙事詩『シャー・ナーメ』完成者、トゥース近傍の人フィルドゥースィーは 散々苦労して、叙事詩を献呈したガズナ朝のスルターン・マフムードから 正当な報酬を受けることになった。 その報酬とは6万ディーナール(金貨のこと)相当分の“藍”で購われたという。 なぜ藍だったのだろう?不思議。 ちなみに報酬の使者がトゥースの郊外に着いた時フィルドゥースィーは、 村の門から出棺される所だったらしい。
>>222 君は「主装甲」という言葉を使っているので、私が言おうとしていること(装甲全般の
構造)と認識のずれが出てくるかもしれないが、一応私は以下のように考えている。
まず、鉄装甲が現れて以来の艦船の船体と装甲との大まかな関係をまとめると、
(1)木製、の船体に鉄帯を巻く(グロワール、りゅうじょう)。
(2)鉄製(初期においては木製のも)の船体外部(あるいはバルジ部)に装甲板を接着。
(3)装甲板が(バルジ部分以外の)船体構造の内部にも入り、構造と一体化していく。
という順を踏んで進化していると思う。
問題は、(2)から(3)への変化が何時起こったかだが、これが良くわからないのだ。
私が219あたりを書くのに参考とした文献は、世界の艦船1976年4,5月号(軍艦の防御(1)(2))
及び同1978年8月号(ドイツの海軍)、同1982年3月号(軍艦工学入門(1))あたりなのだが、
これらの号の記事によれば、防御力を重視したドイツ艦の場合、ジュットランド海戦時の
装甲艦(デアフンリンガー)でさえ、断面図を見ると舷側や司令塔、砲塔、甲板以外にも
機関室や弾薬室を守るための装甲板が、船体内中心部付近にまで水平に設置されると同時に、
石炭庫を内と外とに仕切る形で、艦の幅の外側1/3程の部分にも垂直に防護鋼鈑が入っており、
これらの内部装甲が船体構造と無関係だとは考えにくい。(世界の艦船78年6月号92p参照)
ちなみに同誌91pには、「金剛」級に範をとって作られた英艦タイガーの断面図もあるが、
デアフリンガーに比べはるかに貧弱とはいえ、一応機関室を防護する水平の防護鋼鈑が
見られる。(ただ25ミリと薄いし、全体的にスカスカしているという印象が拭えないが)
だから(2)から(3)への進化は防御力重視国(ドイツ)と攻撃力重視国(イギリス)の差はあれ、
だいたいこの前後だったのではないかと思える。もちろん第一次大戦後は各国がジュットランド
の教訓をかみしめて防御重視に設計方針をシフトするわけだが、(3)への転換を一番強く行った
のはやはり、ヴェルサイユ条約で建艦に様々な制約をうけることになったドイツだったようだ。
例えば有名なポケット戦艦ドイッチュランドだが、1万4千トン弱の船体に28センチ砲を積み、
26〜27ノットの速度を出すため、重装甲は最初から不可能であり、当時信じられていたほど
防御力が高かったわけではないにせよ「構造的には装甲材を極力船体の構造材の一部として
取り入れ」る(世界の艦船76年5月号62p石橋孝夫「装甲艦物語」)といった努力を払うことで
敵巡洋艦より強く敵戦艦より速い艦として通商破壊戦に打って出ることが出来たのである。
225 :
世界@名無史さん :02/08/10 15:03
素材といれば、天然ゴム(イソプレンゴム)の話題を、 コロンブスがアメリカ大陸を発見した時、インディアンの子供たちが ゴムマリにして遊んでいたのが歴史の初登場とか。北米インディアンは 玩具にしか使っていなかったようだ。文字がないから素材としての利用 法を継承していくのが困難であったのか。 このゴムの発見によって、樽の密閉度が高まり、胡椒の品質を落とさず、 欧州まで運搬できるようになったと思うのだが、どうでしょうか。 オランダがインドネシアを植民地にして、プランテーションで天然ゴムを 大量生産し、ダッチワイフを作ったのかな。
226 :
世界@名無史さん :02/08/10 18:12
>>225 実際にオランダ人が開発したか、あるいはインドネシア現地に存在していたものを採用した
のかは知らないが、ダッチワイフの原型は藤(ラタン)で編まれた筒状の枕を大きくしたよう
なもの。
この中空の枕状のものを抱いて寝ることで、通風を確保し、熱帯での就寝時の蒸し暑さを
軽減するものだ。
今日のようなビニール製やゴム製のあやしいダッチワイフは、別にインドネシアとは関係が
ないと思う。
・・・・・ネタにマジレス、、、ちょと恥ずかしい。
227 :
世界@名無史さん :02/08/29 15:02
>>227 おお、サンキュ。なにしろ、大昔の高校時代に教師が言っていた青銅も焼入れ硬化が
可能という話を、そのまま信じていたので、あらためて調べなかった。
まんざらウソでもないのね。
229 :
世界@名無史さん :02/08/30 14:40
このスレに関係あるかどうかわからんが、錬金術とはなんぞや。 あれをすることになにか意図はあるのか。誰かおせーてくれ。
230 :
世界@名無史さん :02/09/11 02:20
231 :
世界@名無史さん :02/09/11 05:55
233 :
世界@名無史さん :02/09/11 22:29
最古の布がトルコのチャユヌ(8400-7500cal.BC)から発見されている。 鹿の角で作られた柄に麻布を巻きつけていたらしい。 チャユヌはアナトリアにおける最古の農耕遺跡として知られているが、 亜麻の種はチャユヌ以前の遺跡からも発見されているらしい。 小麦の栽培に先立って亜麻の栽培が行われていたのだろうか。
234 :
世界@名無史さん :02/09/12 21:41
金の歴史は意外と古くないようだ。最古の金製品が出土した遺跡は ブルガリアのバルナ集団墓地で、紀元前4600-4200年頃。 合計で5.5kgだそうだが、純度は23.5ct.(約98%)と高純度。 新石器時代の人は金を崇めてはいなかったようだ。
ブルガリア?東欧の? そんな時代に随分辺境という感じがするけど、 高度な金属精錬技術を持った集団がいたのでしょうか?
236 :
世界@名無史さん :02/09/13 20:37
『石器時代文明の驚異』よりコピペ(少しアレンジ)。 >バルカンの銅山は前五千年紀までさかのぼる。このために、べオグラードの 140km東南東にあるルドナ・クラヴァの銅山は、マリヤ・ギンブタスによれば 少なくとも7000年前(BC5000年頃)のもので、深さ20mもの垂直の坑道があるし、 鹿角のつるはしも見つかっている。 1972年、E,N・チェルヌイフはブルガリア中部のアイブナール銅山 (前五千年紀のなかば(BC4500年頃)までさかのぽる)を発掘したが、このとき 見つかった坑道は、長さは100mを超え、深さは20mにも達するものだった。 この本の題名は戴けないが、これは日本の出版社の厨房がつけたようだ。 バルカン半島における同時代の遺跡から、製錬が行われていたかどうかについ ては知りません。 金については砂金など自然金として産するので、これを熔かすだけでよい。 製錬の必要は無い。ただし、ルツボを使ったとすれば、これは断熱材でもある ので、高温を得るのは結構大変。 蛇足ながら、鉱石から金属を得るのは製錬、得られた金属の純度を高めるのが 精錬(区別しない人もいるので一応念のため)。 砂金の純度は高純度〜低純度までさまざま。金の精錬が行われるようになった のはもっと後。
>>236 あらら 文章が少し変。アルコール不足か
金属遺物の出現順序 銅→鉛→銀→金→鉄。
銅と亜鉛の合金である黄銅はローマ時代に貨幣として使用されていたように
古いが、金属として亜鉛が認知されるようになったのは中世頃。
水銀はその鉱石である辰砂と共に自然水銀として産することがあるので、
相当に古くから知られていたと思われるが不明。
辰砂の初現はチャタル・ヒュユク(6500-5700BC)。
238 :
世界@名無史さん :02/09/26 21:38
sa
239 :
世界@名無史さん :02/10/05 20:01
黒曜石の中にはグリ−ンオブシディアンと呼ばれる透明な緑色の物があり、 これは場合によっては宝石に準ずる扱いを受けるぐらい綺麗なものだ。 といっても所詮ガラスで、宝石扱いされるには硬度も希少性も足りないため 精々のところ飾り石として用いられるだけではあるけれども。 とはいえ、僅かにオリーブ色がかった繊細な緑色の石を きちんとカットした物はとても黒曜石とは思えない魅力がある。 小指の爪ぐらいのカット石が二、三千円ぐらいだと思うので、 石が好きな人なら手に入れてみるのも一興かと思う。
241 :
世界@名無史さん :02/10/05 22:26
>>240 とてーも魅力的なんだが、それってカットした後はタダのガラスと素材的に差異が
あるのか?
つーような話はさておき、サヌカイトはかなり偏在しているために石器時代の交易
関係を知るための手がかりにされているね。
これは、色彩などの外観で同一産地のものであるかを判定するんだろうか、それと
も成分的に分類するんだろうか。
>>241 前半の段落は意味不明だが、これは私に対する質問かね?
普通の常識があれば、いかなる石にせよ、カットすることによって
素材的な変化など起こらないのは自明だろうとおもうのだが。
ただ、宝石や飾り石の類はその石の光学的性質に相応しい
カッティングを施されることで大いに美的経済的価値を増すのは当然だ。
243 :
世界@名無史さん :02/10/06 00:18
>>240 そういえばモルダバイトという隕石と云われる天然ガラスもありましたね。
>>241 サヌカイトのことは知りませんが、黒曜石は産地で成分が異なるなど交易の
手がかりとして利用されてますね。
また、表面の水和層の厚さから年代の推定もされていると聞きました。
>>243 そうだね、Schuman,Walter: Gemstones of the World によると
モルダヴァイトはテクタイトグループに属し、恐らくは隕石に
ヒットされた後、溶けた岩石から形成された、とある。
しかしこの本(言い忘れたがこの本は良書でたしか翻訳もされているハズ)
の写真を見ると、この鉱物も綺麗な緑色のものがあるね。
というより私が所有している奴、もしかするとこっちじゃないか
という気がしてくるほどだ。たしかに「グリーンオブシディアン」
っていわれたんだが、ひょっとして騙されたのかも(鬱)
245 :
世界@名無史さん :02/10/12 12:30
あげ
246 :
世界@名無史さん :02/10/12 12:50
247 :
世界@名無史さん :02/10/12 13:15
ガラスって、基本的にはベース素材が同じで、含有物が違うんでしょうか。 それとも、ベースとなる素材が違う何種類かのガラスが存在するんでしょうか。 あと、ガラスは厳密には固体ではなく、何百年もたつと重力で変形するって 聞いたんですが。
248 :
世界@名無史さん :02/10/12 13:22
古い聖堂の薔薇窓のガラスが重みでゆがんでいるってのは聞いたことがある。 そういや水ガラスというのがあったなあ。 歴史的にどういう利用法をされてきたんんだろうか。 コルダイト火薬がどうの、という話は聞いたことがあるが(そんなんばっかしだな
249 :
世界@名無史さん :02/10/21 07:46
250 :
世界@名無史さん :02/10/21 07:50
日本のガラス工芸技術は、 古墳時代にあって、あと江戸時代まで断絶しているような気がするのですが
251 :
世界@名無史さん :02/10/21 21:11
>>250 そだね。正確には奈良時代までガラス工芸があったみたいだけど、
そのあと、安土桃山時代に西欧系のガラス工芸技術が入ってくる
まで、空白時代が続いてるね。
だけど延喜式に毎年ガラス玉を進上させる、みたいなことを書いてあるから、 平安時代まで(少なくとも九世紀前半までは)作っていたはずだけどね。
訂正: ×九世紀前半 ○十世紀前半
254 :
世界@名無史さん :02/10/23 19:38
>>247-248 ガラスは、結晶構造はしていない。だから変形する。
また、ガラスというものは完全な意味での凝固点がない。
つまりどういうことかと言いますと、ガラスというのはどろどろの度合いが温度が下がった
ことによって非常に高まった、液体と考えていただければよろしいかと。
夜店で売っているアメ細工と同じようなものですな。
無茶を言うない! と突っ込みをされそうですが、高速度カメラでステンドガラスを年に一こま
ずつ撮影していくと、数千年たてば液体状に変形していくのがおわかりになるはず。
おそらく数万年たてば水(ガラス)たまりになってしまうのでしょうが、まだそこま
での確認はされていません。(w
ネタのようですが、真実でございます。
結晶構造がないから光を通すんだ、というのは漏れも聞いたことがある。
256 :
世界@名無史さん :02/10/23 21:38
>>255 でも、ダイヤモンド(もちろんCの単結晶)は光を通すよ。
257 :
世界@名無史さん :02/10/23 21:43
>>254 つまり中世のステンドグラスは、じわ〜っと流れ落ちているということか。
なんだかホラーチックだね。
258 :
世界@名無史さん :02/10/23 21:49
もし不老不死になれたら、一度じ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと座って ステンドグラスが流れ落ちるのを眺めてみよう。
259 :
世界@名無史さん :02/10/23 22:00
トンボ玉の製作技術は日本列島にあったの? アイヌから交易で入手した青玉は?
260 :
世界@名無史さん :02/10/23 22:44
>>247-248 古代ガラスと中世ガラスでは、大まかに分けると
ガラスにまぜる「灰」の構成が違うと昔習った。
たしか1200年頃を境に古代型のガラスは姿を消し、中世型のガラスが
とってかわる、という要旨の研究論文がLRMF(ルーブルの地下にあるラボ)
にあったよ。
「灰」の成分はどう違うんだったか・・・。
シダの葉を焼いたものがどーのこーのという位しか覚えてません。
物性の講義ノート探してみる。
261 :
ベリサリウス(=254) :02/10/23 23:04
海岸の砂浜の非常にきれいな白いものを選んで、800度ぐらいで熱すると、運が良 ければガラス成分が分離します。 歴史的に見て、温度の高い加熱炉を持った海岸地方の民族なら、ガラスを発見する可 能性は十分あったはずです。日本の焼き物も、表面はある種のガラスですし。 うちの会社の別な部署では、パイレックスガラスと石英ガラスをくっつけたチューブ を作っています。前者は約400℃、後者は約800℃で柔らかくなりますが、この 接合の様子は見ていて飽きません。 ガラスそれ自体、偶然にしろ一度製法が発見されたあとでその技術が忘れられたなど、 この様子を見ているととても信じられません。疑うわけではないんですが。
262 :
世界@名無史さん :02/10/23 23:19
うーん。シャルトルなど、中世ステンドグラスの中心地は 一概に海が遠かったし。当時の技術・情報伝達速度は 小説『薔薇の名前』にある程度だったんかなと思う。 宗派、修道院間でのライバル意識や秘密主義もあっただろうし。
263 :
世界@名無史さん :02/10/23 23:23
中世のガラスは、ヴェネツィア産ではなかった? 高い金を払って陸路延々と運んだのではないの? ステンドグラスが多くあった地方が必ずしも産地だったというわけではないと思うヨ。
264 :
世界@名無史さん :02/10/23 23:44
>>263 いや、一概にそういうことはいえませんです。
聖遺物箱や儀式用品のガラスなど、小さめの貴重品は輸入可能だし、
ローマ等、異教徒時代の遺物を流用ということもあったけれども、
ステンドグラスに関してはほぼ現地主義だったようです。
大きめの修道院や教会には付属の工房があったので、そこで制作するか、
よそから職人を呼んで作るか。
ところで材料はどっから来てたんだろう・・
266 :
世界@名無史さん :02/10/25 19:04
ビー玉・ガラス玉はいつから有ったの
267 :
世界@名無史さん :02/10/26 01:13
おもちゃとしてのビー玉はいつからなんだろ。 装飾品としてのガラス玉は古代エジプトにはあったよ。 宝石の代わりに台に嵌め込むやつ。
268 :
世界@名無史さん :02/10/26 17:37
昔は金のメッキ法としてアマルガムが使われたとか、水銀を使って金や銀を回収したとか 聞いたので調べてみたら、何と室温では水銀に金はほとんど溶けないではないか! 化学大辞典によると溶け込む量は20℃で金が0.13w%、銀は0.04w% 容積で見ると金も銀も似たようなものか 水銀って金や銀を良く溶かすみたいな話はウソだったみたい
269 :
世界@名無史さん :02/10/27 23:24
え、溶かす段階では常温じゃないのでは?
270 :
世界@名無史さん :02/10/31 01:28
金と銀の価値は、 昔は銀のほうが高かった というのは本当?
271 :
世界@名無史さん :02/11/01 22:10
プラスチックは樹脂(木のヤニ)をモデルに発明したの?
272 :
世界@名無史さん :02/11/01 23:37
>>271 確か、最初のプラスチックであるベークライトは、石炭酸にいろんなものを
混ぜて何ができるか実験をしている時に偶然発見されたような。
その後、カイガラムシから取れる樹脂であるシュラックの代用品として
商品化されたらしい。
273 :
世界@名無史さん :02/11/02 00:36
>>272 それが商品化されたのはいつ頃の話でしょうか?
274 :
世界@名無史さん :02/11/02 00:42
275 :
世界@名無史さん :02/11/02 00:43
[カイガラムシから取れる樹脂であるシュラック]というのは、 何に使用する物ですか?
276 :
世界@名無史さん :02/11/02 00:46
277 :
世界@名無史さん :02/11/02 00:47
>>274 おおサンクス。これからリンク読みにいきます。
>>270 金と銀の相互比価の問題だが、全地球的には当然金の方が銀よりも希少なので
金だけを産出する地域でも銀産出地域との交易さえあれば金の方が高価になる。
この状況を具体的に述べると、BC3700年以前のエジプト(金産出国で銀産出希少)
において金銀は等重量で交換されたが、これ以後は銀産出地域である西アジアとの
交易が密接になるにつれ銀の流入が増えて金が高価になり、メネシュ王(BC2950?)
の時代には金1に対し銀2.5で交換されるようになった。その後中王国(BC2000頃)時代
には金1銀2、第20王朝には銀1.7にまでなるが、金より高くなることはついになく、
新王朝時代には逆に金1に対して銀7〜7.5にまで金銀比価は開いたという。
他方銀産出地域であるメソポタミアでは、BC2100年頃、既に金1に対して銀7〜15
の比率であり、その後BC1750年(ハンムラビ王の時代)に一時、1対6になったが、
再び1対13ぐらいになっていったという。(参:湯浅赳夫「文明の血液:貨幣から見た
世界史」新評論 p.36f.)。即ち歴史的に、銀>金という明確な記録はないらしいのだ。
なお古代ギリシャのアテナイ(産銀国)においては概ね1対12の比率だったことは、
伝プラトンの「ヒッパルコス」における「彼の金は銀の十二倍の値打ちがあるのに」
という記述から明かである。(cf.231D)
281 :
世界@名無史さん :02/11/02 14:59
>>275 昔の蓄音機レコードの“つなぎ”に使われてます。
あと、プラスチックではナショナルがラジオのボディに使って
みたものの、木製ボディに比べて貧相なのでプラスチックラジオ
は人気が無かったそうです。
282 :
世界@名無史さん :02/11/03 17:49
>>269 鉱石から金銀を抽出する場合、煮たのかな。
鍋に水銀を入れ弱火で加熱する。次いで鍋に鉱石を入れかき混ぜる。
って、鉱石は浮いてしまうでわないか!
283 :
世界@名無史さん :02/11/09 13:15
284 :
世界@名無史さん :02/11/19 22:03
>>283-284 このスレは世界史板の数ある良スレの中でも出色だとは思うよ。
だけど、空ageってのは如何なものか。
286 :
世界@名無史さん :02/12/03 20:42
age
えもちゃんは、こんなことまで知ってるの ?
中学校総合学習第七班 ?
RED ?
まだいっぱいあるけど、いくつあたってる ?
まーどっちにしろ、ためになってるからいいけどね。
>>202 基本的にはあってるが補足として
有機化合物であり、(天然高分子か、合成構文鹿の違いが在るが)
炭素をその骨格とした高分子物質であり
可塑性を持つ物(最終の状態では固体だが作る過程において
熱及び圧力によって流れの現象を経て作られ力を加えて形をつけた後は、
その力を除いても変形しない性質を持った物)
歴史については
>>209 を参照したほうが早いな
(ナノテクとかはなぜか関西圏のほうが強い、、、なぜだろう)
エンプラは、まあうちの場合MMAが縁深いでつ、、
293 :
世界@名無史さん :02/12/15 20:07
>>292 〃∩ _、_
⊂⌒( ,_ノ` )y─┛~~
`ヽ_っ| ̄ ̄| カチャカチャ
MMAってなんじゃらほい?
294 :
世界@名無史さん :02/12/21 12:49
>>293 アクリル・・・・・メチルメタアクリレート
296 :
世界@名無史さん :02/12/27 11:11
繊維について詳しい人はおりませんか? 麻とかジュートとか。
297 :
世界@名無史さん :02/12/27 14:57
麻と亜麻の区別がいまだについてないんですが。麻の一種が亜麻でいいんかいな? 亜麻布=麻布?
>>295 MMAだけではメタクリル酸メチルであり、正確に
アクリル樹脂を指す場合はMMA樹脂ですね。(細かいな俺)
299 :
世界@名無史さん :02/12/27 16:55
>>299 うっ、そうだった
サルも木からおち(ry
(こんなことしてる場合じゃないな、、、来年にゃ取引先バンバン
海外移転だってのに、、、)
301 :
世界@名無史さん :02/12/27 17:17
子供の頃 「機械の起源」に真剣に悩んだ. 機械を構成するあらゆる部品は同じく機械で作られる. その機械を作るには・・・、で終わりなき疑問.
302 :
世界@名無史さん :02/12/27 17:34
303 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/27 17:43
>>301 機械ってどの範囲までですか?
刃物が機械ではなくて、荷車が機械なら、機械ナシで機械を作るのは可能ですが。
>>299 分かりやすいサイト教えてくれてthx。
学んでくるよ。
305 :
世界@名無史さん :02/12/28 17:11
306 :
世界@名無史さん :02/12/28 18:41
>>299 苧麻(ラミー)、亜麻(リネン)が衣料用の二大麻で、
その他にロープ用としてマニラ麻、サイザル麻、大麻、
コーヒー袋とかの麻袋用としてジュ−ト、
紙用としてケナフがあるのね。
307 :
世界@名無史さん :02/12/28 18:53
>>306 麻というと地中海地方では亜麻を、インドは黄麻、東洋では大麻を指すそうです。
くれぐれも栽培なさらないようにご注意を。
308 :
世界@名無史さん :03/01/02 14:03
309 :
世界@名無史さん :03/01/02 19:27
>>308 いや、なかなか面白いですね。特に#10734の化粧板ですか、デザイン的にも
ん千年の昔のものとも思えない垢抜けた意匠だと思います。
ところで、化粧と言えば、まだ化粧品の素材の話題って出てませんよね。
日本では化粧用の白粉に鉛が使われ、鉛中毒になったりしていたと聞いたこ
とがありますが、化粧品の原材料って何が使われてきたんでしょう。
確か、エジプトではアイシャドウの材料にトルコ石だかを粉末にしたものを使っ
ていたという話も聞いた気がするんですが、どなたか詳しいかたいませんか?
口紅の材料ってなんだったんでしょう。
310 :
世界@名無史さん :03/01/03 01:05
具々ってみたら >エジプトが原産地といわれる紅花 ファラオの遺体を包む布に紅花染めが用いられ、 とあったから紅花かも >308のサイトでは孔雀石(マラカイト)、方鉛鉱、軟マンガン鉱が化粧材料として 挙げられていたが、輝安鉱(stibnite)はなかったのか stibniteの語源はギリシャ語のstimmiで、これにはアイシャドウの意味もある ということだったが・・・・
世界初の鉄を使用した国は?
塩について述べてくれますかお前ら
315 :
世界@名無史さん :03/01/08 22:07
>>314 sageながらネタ振りとは奥ゆかしい、、、、、
というか、リーマンはもともとはサラリーマン、給与を意味するsalaryの語源
がsaltで、ローマ時代に塩で兵士の給与を支払ったことに由来するとか読ん
だ記憶があるのだが、本当のところはどうなのだろうか。
塩ねえ。塩の利用は人類発祥より古いというか、 象だって地面に析出した塩を舐めているというからなぁ。 ヒトが内陸に深く進出していくには塩の補給は欠かせな かったはずだから、塩の生産・交易ルートも有史以前からと思われ。 だけど、形の残らない産物だから、埋蔵資料から辿るのは困難だな。
塩の税については中国やフランス等全世界で(無論日本も) ひどいときには国家をひっくり返すぐらいの抗争を引き起こした、、、
古代エジプトはアフリカ内陸の岩塩を貿易で入手していたらしいな
(^^)
>>313 の下側のURLで
>冶金学者に言わせると、青銅の融点は約900度に対し、鉄鉱石の融点は、それより300度も低いという
とあるのは間違い。まっとうな冶金学者ならそんなバカなこと言うか。W)
そもそも鉄鉱石を溶かしてどうするちゅうねん。W)
誘導されてきますた。 いや、おもしろいでおます(書き込めるネタがないけど…)。
古代イスラエル王国の繁栄は死海の塩を切り出して売ったことによるとも言われてるよ
死海は有名だがアナトリア東部のヴァン湖も塩水湖。 メソポタミアの農業が衰退したのも塩のせい。 内陸部には結構塩があったとオモワレ
325 :
世界@名無史さん :03/01/30 14:21
塩商人という職業があった事が塩の重要性を示している。
326 :
世界@名無史さん :03/01/30 16:57
「塩鉄論」。古代中国の経済政策学書。塩と鉄の専売の得失を論じた。
327 :
bloom :03/01/30 17:09
328 :
世界@名無史さん :03/01/30 19:39
石炭の液化技術は何故実用化されないの?
330 :
世界@名無史さん :03/02/04 13:23
それはたった三年間で閉鎖されてしまったからであって、 そういう工場は本来何十年も操業して元を取るものだろう。 原油が輸入されて値崩れしたらおじゃんになって当然。
332 :
世界@名無史さん :03/02/04 16:55
>>331 石炭の代金を無視して仮に30年操業しても、1キロ1万円だよ。
とても実用にはならなかった。
333 :
世界@名無史さん :03/02/13 19:23
石炭の液化(人造石油)はww2のドイツでけっこうな規模 (数十%はいってたような)で生産しているよ。 技術があればもっとまともな値段になっていたと思われ
ドイツの人造石油調べてみました。 「石油製品の1/3、資料によっては石油製品の1/2」 「ルーマニア油田を失ってからは75パーセント」 をしめるという資料がありました。ばらつきがみられますが かなりの量を占めていたことは間違いないようです。 とくにガソリン、ディーゼル油は比率が高かったらしい
トルコになんで塩水湖が多いのかと思っていたが、5400万年前の海進でトルコの 大部分が海に被われたのが原因ということのようだ。
人造石油がコスト的に石油に敵わないのは、採掘コストの段階で勝負がついて しまってるだろうね。天然ガスから人造石油という方法はあるんだろうか。 しかし、素材の歴史というテーマからは、だいぶはずれるな。
>>天然ガスから人造石油という方法はあるんだろうか。 もちろんありますよ。
人造石油よりも水素のほうが安そう。 ヒストリーチャンネルでやってたんだけど、塩の生産量のうち食塩に使ってる のはたった4%だってね。
満鉄の中央研究所でやってたのはオイルシェールからの抽出だっけ? 人造石油は対象外だったかな?
342 :
この板、展開が早い :03/03/12 01:10
保全age ついでに、昔なんかの本で青銅も製法によっては鋼並みの強度と切れ味を持たせることができたと言うけど、ホント? 確か、紀元前後の中国でだったっけ?
(^^)
>>342 青銅の焼き入れ硬化については、誰かが書いていたな。
出来るということだ。
木材はここで語っていいのか?
346 :
例の170 :03/03/20 22:05
語って、イヤむしろageて。
>>344 焼き入れだったのか。
漏れは銅:錫の配合比率とおもてたよ。
347 :
木材といえば :03/03/20 22:23
船舶に使われた木材というのは、結構贅沢なものだったみたいだね。 甲板を厚いチーク材で仕上げてある例も多かったようだし、帆船の全盛期には オーク材などの材料になる巨木が枯渇してしまったようだ。 古代では、レバノン杉の消滅がやはり舟材に使われたからだという説があるよ うだけど、フェニキア人が使ったのかな。
西ヨーロッパでは、既に15世紀頃から木材の枯渇が起きていたようです。 当時最強と謳われたベネチア海軍でしたが、近隣での材木供給が 枯渇すると、 旧ユーゴ西部のアドリア海に面したダルマーチア植民地から 輸入するように なりました。一方でイタリア本土に残ったナラ林を保護 するも失敗。 16世紀末には既製の船を輸入し、装備するしか なかったようです。 ジェノヴァでも、造船用のナラ材の価格が1460年以後の約100年間で 11倍に跳ね上がり(これは同期間のインフレ率を上回る値)など 木材の枯渇が発生していました。
イギリスで材木不足が深刻化したのは、17世紀の半ばです。 特に戦列艦のメインマスト用の材木の不足は顕著でした。 それ以前は国内のサセックス産ナラ材を調達していましたが、はやい ペースで進行する伐採のため、国内での供給は限界に達しました。 木材需要を満たすためには、輸入に頼らざるをえません。 16〜17世紀にはノルウェーやデンマーク、それにロシアの 港から、大量のモミやナラが搬出されています。 また、18世紀中頃には、イギリスがロシアから土地を買い取り、 そこの樹木を伐採したあとで売り払う、といった事も行なわれました。 これらの材木は英国海軍のために伐採、貿易されたものです。
木材の過剰伐採による枯渇と、産地の移動…現在もそんなに需給変動は変化してないんですね。 一応、ニュージーランド産ラジアータパインみたいに、「伐採・更新」のサイクルが確立したところもありますが。
先日の新聞で、ヒッタイトとは別系統という高度な製鉄技術の記事があった。 柄が鉄芯で強化された青銅剣。実用的には見えなかったけど… >347 ギルガメシュ叙事詩のフワワの森。フェニキア人誕生以前から切りまくってたよ。 むかし地球大紀行でヨーロッパの開墾の歴史をやってた。 エフェソスはかつて港町だったのに、今は海岸線まで6kmもある。山を丸裸にした から、流出する土砂で埋もれてしまった。 ヨーロッパと北海道の風景は似ているけど、どちらも以前は森に覆われていた。 修道士が暗黒の森に侵入すると牧神パンに出くわしてパニックになる…
352 :
世界@名無史さん :03/03/21 11:12
西欧の用材でナラというのはOakの訳だと思うけど、どうもオークとナラが同じ 材木とは思えないんだな。実際にはどういう対応関係になってるんだろ。
353 :
世界@名無史さん :03/03/21 12:12
>351 宣伝でつか? 中近東文化センターで今やってる「誇大イランの非法…」の目玉でつね
354 :
世界@名無史さん :03/03/24 21:39
>352 オーク=樫+楢の総称、のようです。 ちなみにブナはbeech。
355 :
世界@名無史さん :03/03/24 21:40
>>349 の続き
英国海軍のもう一つの重要な木材調達先が北アメリカでした。
17世紀末以降、英国海軍の戦艦は北米でつくられるようになり、
18世紀中には、北米で建造された軍艦が、全軍艦の三分の一を
占めるまでになりました。
しかし、1775年頃には北アメリカでもメインマスト用の材木が確保
できなくなりました。理由は簡単で、伐採のスピードが半端でなかった
ためです。植林への無関心も災いしました。結果として、英国海軍は
質の劣る合成材マストで我慢するしかなくなりました。
その後のアメリカ独立戦争では、主要な木材供給源を絶たれた英海軍は
苦汁を嘗めました。そして、ナポレオン戦争の時代には、カナダに頼るしか
なかったという次第です。
358 :
世界@名無史さん :03/04/05 01:19
古代から延々と使われてきた木材の消費大国として不動の地位を築いて いる日本ですが、神社の神木などに用いる樹齢数百年という大木は全世界で 枯渇しつつあり、こういった木材の価格は上昇している... という話を聞きましたが、関係者の方のお話を聞きたいです。
360 :
世界@名無史さん :03/04/05 08:34
>>359 > 古代から延々と使われてきた木材の消費大国として不動の地位を築いて
> いる日本ですが、神社の神木などに用いる樹齢数百年という大木は全世界で
> 枯渇しつつあり、こういった木材の価格は上昇している...
んー。
古代からの木材の消費大国と言っても、大量に海外から輸入するようになった
のは主に戦後のことでしょうね。
つまり、古来から消費大国であったとともに生産大国でもあったということです。
で、神社の神木というのは、諏訪大社の御柱のような例を除けば、普通は樹齢
を経た立木で、そこに自生しているもののことですから、あまり売買や譲渡の対
象にはなりませんね。姫路城の大修理に地元神社の神木を提供しようとした例
があるという話を読んだ記憶がありますが。
諏訪大社の例祭で使われる柱材も、特定の森林内で選定される慣例ですから、
輸入するわけにはいかないでしょう。
ここで言う神木は、寺社建築などで用いられる大型の木材のことを指しているん
でしょうか。
まぁ、巨木は確かに少なくはなっているでしょう。トム・クランシーの小説に日本
の神社建築用の杉材(シーダ)をカナダから輸入するシーンがありました。
>>359 南宋には、日本産の材木が輸出されていたとか。
すいません。文章が下手でした。 古代から最も身近な素材として利用されてきた材木 近年では木材の消費大国になった日本 でした。ただ木材の質に一番こだわるのは日本人でしょうね。
船に使う材木は水を吸って腐ると駄目だし、日光にさらされるし、強度要求されるし… 詰まった材質の(成長が遅い)ものが要求されるんでしょうな
奈良や京都の古寺では数百年後の改築に備えて木を植えたという話がある。
365 :
世界@名無史さん :03/04/07 13:55
最古の石油精製・天然ガス実用化は中国の四川省だと ニーダムの著書にありましたが・・・どうなんでしょう? 竹の送油管を組んだ製油所が漢代から稼動し、竹筒に栓をして販売していた、とありますた。
366 :
アマノウヅメ ◆4cna7XPsQo :03/04/07 14:23
>>359 さん
ただの神社やその所有地に生えている年季の入った木材と御神木を一緒にされちゃいけません。
御神木は宝物で、下手すると罰が当たるので寺社の建替え用の木材と、御神木は扱いが違います。
御神木は枯れるまでそのままですが、建替え用は必要な時は使います。
春日大社の杉は御神木指定のようですが、こちらは切り売りはしないものの
雷などで裂けた木は一般入札だそうです。
367 :
世界@名無史さん :03/04/08 00:15
>>365 精製までは分からないけれど、天然ガスについては「蜀の陰火」として
古くから存在は知られていたようですな。
普通の火「陽火」を近づけると発火する、目に見えない存在なので
陽火と対を成す存在「陰火」「寒火」と呼ばれていました。
ガス井から竹のパイプラインを引いて暖房や産業用の火力に用いていた例は
山西省や四川省で見かけられます。
,rn
r「l l h. / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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\ \. l ; r==i; ,; |' .人_
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\ ノ ハヽ |_/oヽ__/ /\
\ / / / |.
y' /o O ,l |
369 :
世界@名無史さん :03/04/08 00:25
戦列艦とか、部材によって木の種類を変えてるようだが、素人にはさっぱりわからん 舵に向いた木材とか、マストに向いた木材とか、いろいろ細かく使い分けてるらしいんだが
>>367 「竹」って、使い勝手の良い天然素材ですよね。
天然の円筒しかも、軽くて丈夫。
古代東南アジアの「船」の原材料にもなりましたし。
371 :
世界@名無史さん :03/04/09 21:55
>>370 んー、船の材料と言われると、ちょと考え込んでしまうでつ。
ありはイカダの材料でしょう。
東南アジアから古代の人々が海流に乗って島々に移住した
時に竹のイカダが使われたのではないかという推測もあるよ
うです。
パピルスくらい細くて柔軟なら船の材料として使えるでしょう
が、竹ではやはり束ねてもイカダにしか整形できないと思い
まつ。
幕末の金銀比価の真相については、 佐藤雅美『大君の通貨』が詳しく検証している。 結論だけいうと、実は当時の日本でも金銀比価は 15:1 くらいで、国外の比価とほぼ同じだった。 しかし、この時期に使われていた天保一分銀は、 幕府が通貨発行益を得るために銀の重量を1/3に減らしており、 貨幣に含まれている銀の3倍くらいの名目価値を持っていた。 要するに天保一分銀は秤量貨幣ではなく、 幕府の信用によって価値が支えられた 「紙幣に近い位置づけの銀貨」だったわけである。 しかし、この点を諸外国は理解せずに、 天保一分銀を秤量貨幣として扱い、同量の銀と交換させた。 この結果、外国人が手持ちの銀貨を天保一分銀に交換すると、 購買力が3倍に増えて、日本の物品を激安で購入できるようになった。 この3倍増の購買力で購入された主な商品は黄金だったので、 「日本の金価格は外国の1/3」という錯覚が生じることになった。 本当はもっと複雑で判りにくい話なんだが、大筋こういうことで、 「日本の金銀比価が外国と大きく違っていた」というのは史実ではない。
>371 NHKでやってたな。スンダランド水没の時に使ったのではないかと。 竹で足場を組んで高層ビルを作ったり、B29を落としたり、現代でも現役!
375 :
世界@名無史さん :03/04/14 23:43
錬金術ってただの詐欺だったのですか?
>>375 「詐欺」というか…「意欲」は真剣な人たちも多かったような。
マイセン磁器も、錬金術士を監禁して製造法を考えさせたと聞きますし。
>>375 当時は出来ると信じていた人がいたし、
化学反応の一端でも知れば、ひとつの錬金術といっても
よいでしょう。色が変わったり、さびにくくなったりと、
金ではないけど銀くらいの価値はあるでしょう?ナイカナ
>>375 詐欺というには、まず、当事者が実現不能であることを認識して
いることが必要でしょう。また、不当な利益を得ようとする作為が
あることも前提ではないでしょうか。
だとすれば、多くの錬金術師は鉛から金を作ることは可能だと信
じていたと思いますし、真剣に多くの労力と知識や技術をつぎ込
んでいると思います。
その結果として、近代化学の基礎となる知見が多く得られたので
すから、一律に詐欺と考えるのは違うのではないでしょうか。
もちろん、錬金術師の中には、単純に人間の欲を突いた詐欺を
承知で行った者も含まれているとは思います。
379 :
世界@名無史さん :03/04/15 00:06
錬金術って、「金」を製造する、あるいは生育する事は、どちらかというとサブテーマ だったんじゃないでしょうか? 本当に望んだのは「不老長寿」あるいは「不死薬」ではないでしょうか? ケミカルな発達に貢献があったのは事実ですが、冶金学とか物理学には縁のないものだ ったと思いますよ。
賢者の石とかな。確信犯的な詐欺師たちの中でも、 ロココ時代のペテン師たちなどは非常に魅力的な人物が多いけど。
381 :
世界@名無史さん :03/04/15 00:10
>>380 >ロココ時代のペテン師
ジョセフ・バルサモとか?
そうそう。 サンジェルマン伯爵なんてこの板にスレまで立ってるし。
炭素繊維万歳!! これが未来技術の力だ!
384 :
世界@名無史さん :03/04/15 22:28
すみません、製鉄の起源以前に隕鉄を利用した例が世界各地で あるようですが、どのくらいの技術力があれば可能なのでしょうか? 火力や物性知識などいろいろ必要とは思いますが。 他の金属を知らない文明でも可能なことでしょうか?
385 :
世界@名無史さん :03/04/15 23:03
>>384 できるでしょう。
ただし、経験知識は備わっているとしてですがね。
あと、必要なのはできるだけ良い炭、できれば石炭(まぁコークスとは言うまい)。
それにふいごですな。
あとは場所とやる気でしょう。
餅鉄は扱いが簡単? 最近、隕鉄で刀を作った刀匠がいたね。
387 :
世界@名無史さん :03/04/16 23:28
簡単とは言えないと思う。
388 :
世界@名無史さん :03/04/17 00:31
実際、現在、隕鉄は砂漠とか極地とか、人間のあまり いない地域以外では、あまり見つからない。 つまり、古い文明地では、見つかり次第、かたっぱし から資源として使われてしまって、残っていないのだ。 ホメロスのイーリアスだったか何だったかで、ごく少量 の鉄を「これだけあれば一生使える」みたいなセリフが あり、これは、青銅器時代だったギリシャでも、隕鉄由来 の少量の鉄が、槍の穂先とか刀の刃などの補強に使われ ていたことを意味しているのだそうな。
389 :
世界@名無史さん :03/04/17 01:14
完全に溶かすのではなく軟らかくなる程度の温度で 叩いたりして加工したのでしょうか? 石炭なしだとどの位まで高温が出せるものなのかな。 鉄器文明がついに訪れなかったメキシコやアラスカ(!)でも 隕鉄から鉄器を造ったくらいだから・・・薪とふいごでも工夫次第で可能?
(^^)
391 :
世界@名無史さん :03/04/17 11:56
保全あげ
392 :
世界@名無史さん :03/04/17 15:43
神社の御神体になって残っている隕鉄ありませんか? メッカの黒石も隕鉄ですか?
393 :
世界@名無史さん :03/04/17 22:13
>>392 カーバ神殿の岩ですな。「エデンの園から墜落してきた」そうな。
日本でも「星」が付く地名は隕石の落下地点を、
「星」が付く名の神社は回収した隕石・隕鉄を祀ってあることが多いそうです。
394 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/17 23:09
マレーの短剣「クリス」は、隕鉄もしくはニッケル鉄を使ったナイフだそうだけど、 ニッケルをどうやって加工したんだ? ただ鉄に隕鉄(ニッケルイパーイ)を混ぜただけ?
395 :
世界@名無史さん :03/04/17 23:16
>>394 ニッケル成分の多い隕鉄もあるはずなんだが...
>>359 薪とふいごでは、鉄を精製する熱を得るのは無理だろう。
少なくとも、できのいい炭(備長炭?)がないと、1600℃以上の熱は得られないと思う。
397 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/17 23:28
>395 いや、漏れの言ったのは ニッケルをイパーイ含んだ隕鉄をただの鉄に混ぜて作ったのか? という意味なんだが・・。 >389 砂鉄なんかだと割合低温でも出来たみたい。
398 :
kotosurenomi :03/04/19 00:04
炭素繊維万歳
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
400 :
世界@名無史さん :03/04/22 22:07
天然樹脂や蝋についてはどうでしょ? 合成樹脂発明以前の素材でプラスチックに最も近いものといったら何でしょうかね。
401 :
世界@名無史さん :03/04/22 22:14
漆、松脂、粘土、アスファルト・・・・・
402 :
世界@名無史さん :03/04/22 22:18
石膏〜漆喰もかな。 「プラスチック」の語源が「石膏=プラスター」なくらいだしね。
403 :
世界@名無史さん :03/04/22 23:25
「可塑性の plastic」ってのが一般的な語源だと思っていたが? 形容詞のくせに名詞化してしまった哀れなヤシ。
404 :
世界@名無史さん :03/04/23 00:38
そうそう、
>>400 氏よ。
「琥珀」と「膠(にかわ)」と「鼈甲(べっこう)」 もあるね。
405 :
世界@名無史さん :03/04/23 01:47
琥珀は変形できる素材なのかな。 曲げたり溶かしたり、のような。
炭素繊維マンセー
407 :
世界@名無史さん :03/04/23 06:17
琥珀は松脂が化石化したもの。変形はしない。 鼈甲は海亀:タイマイの甲羅。
408 :
世界@名無史さん :03/04/24 00:14
>>407 とすると、石膏も変形はしないからその範疇ではないということになる。
しかし、熱硬化性プラスチックは成形後は必ずしも変形しない。サーリン樹脂なんか
そうじゃなかったかな。
そのあたりが、区別の難しいところだ。
琥珀は変形しないと言っても、程度問題だし。(熱と圧力で多少変形するよ)
鼈甲は暖めると変形する。であるから、プラスチックの仲間だといえるか。
409 :
世界@名無史さん :03/04/24 00:31
そうですね。 その代わりに石膏は型に流し込んで自由に形を作れるので半分合格、かな?
410 :
世界@名無史さん :03/04/24 10:23
しかし、ローマではアスファルトを飲用水道の水漏れ防止に使っていたんだってね。 ぞっとする。
411 :
世界@名無史さん :03/04/24 10:27
>>410 日本でも30年位前までは、コールタールやピッチタールを
水道管の継ぎ手の水漏れ防止に塗ってたよ。
412 :
世界@名無史さん :03/04/24 10:28
>>410 航海の時の水樽はタールで防水していたよ。
つい半世紀前までは。
413 :
世界@名無史さん :03/04/24 23:00
>>410 なんでぞっとするの?
別にひどい害がある訳じゃないし。
鉛管に比べれば、かわいいものじゃない?
414 :
世界@名無史さん :03/04/24 23:03
日本では縄文時代に接着剤として使ったきり アスファルトを利用した様子がないが・・・ 縄文時代以後途絶えてしまったのだろうか? 接着と防水の他に用途って何かありましたっけ?
415 :
世界@名無史さん :03/04/24 23:11
武田信玄の「信玄堤」の固定にタールが使われていなかったっけ?
416 :
世界@名無史さん :03/04/24 23:13
おお!現代の道路の舗装と同じだ!
幕末の公卿、山科言成は日記「言成卿記」の弘化三年の仁孝天皇の葬儀に関する箇所で、 入棺の際、先に棺桶の外蓋を閉じてから瀝青(天然アスファルト)を懸ける、と書いている。 これは防水塗料兼接着剤としての用法だろうが、恐らく有職故実に則って行われたであろう この式次第は,かなりの歴史を持つのではないかと思われる。
418 :
第20軍団兵 :03/04/25 03:30
>385 石炭をそのまま製鉄に使うと硫黄分が鉄に含まれてもろくなるのでは? 鉛管は日本でも水道管に使われてる部分があるって話を聞いたことがある。 (朝1番の水を飲むのは健康によろしくないらしい) しばらく流しておけば問題無いらしいけど。
419 :
世界@名無史さん :03/04/25 03:51
アスファルトって石油を精製した後に残るカスみたいなもんでしょ? そんな昔から石油って精製されてたの?
420 :
世界@名無史さん :03/04/25 07:08
>>419 地表に「燃える土=アスファルト」が露出しているのを採取してくるだけ。
「燃える水=灯油X軽油X重油」も同様にしみ出しているのを採取する。
ガソリンはしみ出した時点で揮発しているので使いようがない。
421 :
世界@名無史さん :03/04/25 12:36
>>419 要は、精製なんかしなくても原油を放置しておけば、
揮発成分が蒸発した後にはアスファルトが残る。
サンクス
423 :
世界@名無史さん :03/04/28 03:37
>>420 産業革命以前に石油を精製した例ってありますかね?
古代には原油のまま灯火用に燃やしていたけど、利用法はそれ止まりでしょうか。
424 :
世界@名無史さん :03/05/06 00:27
テレビの水戸黄門で新潟の百姓が「ランビキ」で原油を蒸留する方法を考え付き、 それを聞いた悪代官が産油で私腹を肥やそうと彼を狙うのを黄門一行が阻む、ってな 話がありましたが・・・・ネタですかね?
>>423 伝統的に石油は安価な灯火、燃料用油として使われてきたのだが、実はそれ以外の
石油の重要な用途は薬用だった。主に外用薬(創傷用)としてだが飲用もされたらしく、
(癪、結核用)渡来薬品として江戸時代前半にオランダから入ってきている。
なお、この薬用としての石油は宋代の中国の本草書にもあり、歯や毛が抜けたりするのを
再生させるとしてレプラなどに使われた。これは鎌倉時代の文献にも見えるという。
もちろん日本でも主用途は安価な灯火用だったが、どちらの用途にも危険な低沸点成分や
悪臭成分を除去するため蒸留や加熱により精製されて用いられたようである。
>>424 これも根も葉もない話という訳ではない。一般的には嘉永年間に石油業者西村家の
使用人がランビキで焼酎を作る要領で始めたのが我が国における蒸留法による
石油精製の始まりだとされているが(それ以前は鍋で煎じて低沸点成分を飛ばしていた)
甚だ信憑性は低いものの、慶長一八年(1613)真柄仁兵衛なる人が越後の柄目村で
石油を採取しランビキによって灯油を製造したという伝説があるそうだ。
(参考:宗田一「渡来薬の文化史」:八坂書房)
428 :
世界@名無史さん :03/05/06 15:02
日本で石炭や泥炭の利用・採掘が始まったのはいつのことですか?
429 :
世界@名無史さん :03/05/06 15:43
記録としては15cから有るみたいだよ。 実際採掘して製塩業に使用するようになったのは18c後半から。 福岡、小倉なんかの地方大名が採掘を独占してたみたいだね。
430 :
世界@名無史さん :03/05/13 01:53
やはり当時から産業用の燃料に使ったのでしょうか? 製鉄などにまず使われそう。
>431 酒の肴程度にならまぁイケルかも。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
435 :
世界@名無史さん :03/05/24 20:59
保守しとく
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
>436 氏ね。
保守あげ 山崎某のおかげでDAT落ちの可能性があるもんで。 日本に泥炭というのは存在したかな。
>>438 あるはずですよ。
北海道で昔、ダルマストーブなんかに使ってたと聞いた覚えがあります。
御多分に漏れず、採算が合わなくなったから採掘されなくなったのでは。
440 :
世界@名無史さん :03/06/02 21:51
日本のウィスキーも泥炭使ってるのかなー クセがないから飲みやすいといえば飲みやすいが
441 :
世界@名無史さん :03/06/03 00:46
弥生時代500年繰り上げに関する各板のスレで、重藤遺跡とやらの 話がでてきてるんだが、これは一体どうなっているのか? 中国より早いってどうなってるんだよ。
442 :
世界@名無史さん :03/06/03 01:15
弥生タソの骨が発掘されますた
443 :
世界@名無史さん :03/06/03 01:18
444 :
世界@名無史さん :03/06/03 01:20
やよいタン(;´Д`)ハァハァ は鉄の掟
445 :
世界@名無史さん :03/06/03 04:23
>443 製鉄
鉄器の起源は難しいという説がありますよね。 金製品や青銅器などは、腐食にも強く、祭器などにも使われるし、 副葬品などとして出土するので年代を測定するのも割と楽だけど 鉄器は再利用されるか、腐食して消滅してしまうために出土例が 少ないし、年代を特定しにくいということらしいね。 で、中国の場合はいきなり高温を必要とする鋳鉄が出現するんだ けど、常識的には発見されないだけで、それ以前にもより低温での 製鉄法による鉄器が存在したんじゃないかとも言われている。 だから、日本での最古の鉄器のほうが中国のそれより古くなるから といって、ただちに日本のほうが先に鉄器を生産していたと断言す ることはないと思う。
447 :
世界@名無史さん :03/06/03 22:11
オリハルコンは超硬度を誇る浮遊金属
449 :
世界@名無史さん :03/06/03 22:31
450 :
世界@名無史さん :03/06/03 22:47
>>446 砂漠地帯では隕鉄の回収が容易だから、隕鉄の利用から鉄器が
始まったっていう説もあるね。 シュメールでは鉄は、天の金属って
いわれてたくらいだから。 ひょっとしたらそういう形での利用は、
青銅器などより古いかもしれん。 錆びて消えてしまうので証拠が
残ってないのが難点だが。
451 :
アマノウヅメ ◆4cna7XPsQo :03/06/03 23:06
>>447-449 オリハルコンって、漫画やゲームにやたら出てくるけど、初出はプラトンですよね。
アトランティスがどうのこうのという。書名を忘れてしまったんですが、どなたか教えてください。
今度図書館に行ったとき読みたいので。
452 :
世界@名無史さん :03/06/03 23:11
>>451 通りすがりですが、「テイマイオス」という作品のなかで言及されて
います。 ただしこの作品は、プラトーンの真正の作品ではないと
言う説が有力です。
453 :
世界@名無史さん :03/06/03 23:19
くりてぃあす も忘れるな
>450 テグジュペリの「人間の土地」の中に、砂漠の中の台地に不時着したテグジュペリが 星空の下であたり一面に隕石が落ちてるのを発見する、という幻想的な一節がありますね。
>>452 古来から「ティマイオス」はプラトンの真作中の真作、というか、
これと比較して他の作品の真偽を決定する基準作品として扱われてきた歴史がある。
(例えばプラトンの著作の真贋に厳しいゾーヘルやユーベルヴェークですらそうした)
そもそもアリストテレスがプラトンの作だと言っているのに疑う根拠は何かね?
これが真作でなかったらプラトンに真作はないぐらいだよ。
それとオリハルコン(オレイカルコス:ορειχαλκοs)は「クリティアス」
(「ティマイオス」の続編的な性格を持っている)には出てくるが(114E,116C〜D,119C)、
「ティマイオス」には出てこないんじゃないだろうか?
>>451 ということで、アトランティスの方に興味がおありなら両方読んでみて下さい。
ティマイオスの頭の方(ティマイオス(人名)の語りが始まる前)まででも結構。
ただ、西洋ではこの「ティマイオス」は中世まではプラトンの最重要著作と見なされ
キリスト教神学に絶大な影響を与えてきた本なので全部読んだ方が良いと思いますが。
×「ティマイオスの頭の方」 ○「ティマイオスの方は頭の部分」
458 :
世界@名無史さん :03/06/04 03:46
>>456 452 ですが、単なる記憶違い。 一応原文でむかし読んだんだけど、
何となく文章の感じが他のとは違ってたもんでね。
真贋が逆転してたんだろう。 もともとプラトンは嫌いだったので
注意不足でしたわ。 ともかく訂正ありがとう。
>>458 いや、こちらもちょっと嫌みな書き方をしてしまったかもしれない。失敬。
だが、458は語学的なセンスがあると思う。
「ティマイオス」はプラトン後期の作品で、彼がイソクラテス等の影響を受けて
文体が変化した時期のものだとされている。センスのある人なら、
初期や中期の作品の文体と比べて違和感を感じるのも当然かもしれないね。
461 :
アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/06/05 00:05
>>452 >>453 さん
krtさん
ありがとうございました。私の若い頃は「プラトン全集」なくて。
学校の図書館になかっただけかもしれませんが。
462 :
世界@名無史さん :03/06/05 01:44
どなたか、バクダット電池について詳しい方はいらっしゃいますか? 検索したのですけど、出てこなくて・・・。 何に使われたのでしょうか? よろしくお願いします。
463 :
世界@名無史さん :03/06/05 02:12
>>462 「オーパーツ」+「電池」で検索すればドサーリですよ〜
ほぼすべてバビロニア電池壺のページと思っていい位多いですよ
メッキに使ったんでしょ?ピカピカしてるのってかっこいいよ
465 :
世界@名無史さん :03/06/10 01:54
ガキの頃読んだ古代史のなぞみたいな本に書いてあったな インドのデリーに紀元前から錆びずに建っている鉄柱があるというのを思い出したけどどうなの?
466 :
世界@名無史さん :03/06/10 01:56
>465 アショカ・ピラーならガイシュツだったような。オーパーツ系では有名ですよん
>>463 ありがとうございました。
うーむ、電気でメッキですか・・・。
>>467 ただ、忠実に再現したら、「メッキはできない」そうですが…。
「お祈り壺」が真相だそうです。
469 :
世界@名無史さん :03/06/25 03:15
骨角器って現代でも十分有用な素材だと思うのですが、 多くは印鑑や装飾品に留まっていますよね。 安価さ、丈夫さ、耐久性(さびない+かびない)などけっこう優れものと思うのですが・・・ 解体後の家畜の骨などは(ニクコプーンやダシ用など食用を除くと) 近現代では素材としては使われていないのでしょうか。
>>469 家畜じゃない動物で骨に類するものなら象牙が…
471 :
世界@名無史さん :03/06/26 01:02
「象牙以外の素材には譲れない」という工芸品は今でも多いですよね。 ウシやブタの骨って精肉後はただのゴミになってしまうのだろうか?
トンコツラーメンとかいうじゃん 出汁をとるんだよ 昔、カルシウム剤として牛骨のタブレットを売ってたけど 狂牛病騒ぎがあったから今はどうなのやら
(´-`).。oO(水牛の角はハンコの素材なんかで有名だよね・・・。)
>>471 >ウシやブタの骨って精肉後はただのゴミになってしまうのだろうか?
肥料や飼料とかにも使われるけど、
利益は出ないからゴミといえるでしょうね。
たしか、ピアノの鍵盤が象牙からウシ骨になったような・・・。
そういえば、北海道のサロマ湖の周りでホタテの貝殻の山を見ました。
あれもどうしようもないよなぁ・・・と思いました。
ただ、埋めても害にはならないでしょうけど。
骨や角は麻雀パイのような遊具の他、裁縫道具やナイフに使われることがある。
原始時代においてはもちろん、金属利用以前の文明水準にあった民がこれを利用したが
こういったものが現在でもおみやげ的な工芸品として販売されているのはご存じだろう。
だが文明世界でも骨製角製のナイフが用いられる。例えば以下のバターナイフなどに。
http://www.paddington.gr.jp/coll/039g.htm これは美しさの問題も大いにあるけれど、別の実用的な理由もないわけではない。
たとえば非常に感覚が敏感な人は、金属で切られた物に残るわずかな金属臭を察知し、
これを気にする人がいる。そういった人は骨や角で作ったナイフを評価するだろう。
これはキャビアなんかを食べる場合に、金製以外のスプーンを忌む人がいるのと
(金に比べてイオン化傾向が大きいので金属の味がするという)同じことだと思う。
そう言えば昔、シートンの「狼王ロボ」だったかで、餌に毒を仕込む際に、金属臭が
つかないように骨製のナイフで肉を加工した、という話があったような記憶があるのだが。
たしかロボ君はこんな策略には引っかからなかったんじゃなかったろうか。
キャビアは貝殻のスプーン使わない?
477 :
世界@名無史さん :03/06/29 15:47
ボンビーなので食べたこともないんでつ・・・
>>476 そうか、それこそ貝殻とか骨角製のスプーンもありだね。
まぁ、キャビアってのはデリケートなものらしく、
昔、イラン製のキャビアの缶詰のパッキンの材質が悪かった時には
食通は、缶を開けても全部は食べず、真ん中だけ食べて
パッキンの味と臭いの付いた周辺部は残すもんだった、なんて言われたが、
ここまでくると話半分かもしれない(笑)。
479 :
世界@名無史さん :03/06/29 17:41
>>477 キャビアって、海外だと安いものなんですよ。
小ビンで500円くらいです。(臭いがつくので缶詰ではなくてビン詰め)
これって、日本でも手に入らないのですかね?
輸送費を考えても、1000円ちょいで買えるはずなんですけどね。
481 :
世界@名無史さん :03/06/30 10:01
>>480 海外ってどこよ?
少なくとも英国やアメリカだと日本の価格と変わらないよ。
それと、アメリカでもヨーロッパでも、粒の小さい魚の卵は
全部キャビアだからね。たらこもキャビア。
オショートル、セブリュガ、ベルガなんかのキャビアが
そんなに安い国なんか見たことない。
パッキンの話題が出たところで だれかパッキンについて(材質、構造、歴史)について語れる人いませんか? 軍事関係の話なんかも出そうですが...
483 :
世界@名無史さん :03/06/30 10:09
俺は黒髪の方が好きだなー。 日本人のパツキンもネイティブのパツキンも萌えない。
貝殻は石灰岩みたいなものだから、その気ならセメント原料になるだろう。 ただ石灰岩の値段が安すぎて(今の日本で自給できる唯一の鉱物資源) 使っても損するだけ。埋めても無害、土壌改良材には使えるかも。
貝殻並べて銀の鈴 綺麗な姉やも御揃いだ
>>481 あれ?一般的じゃないかな?
オーストラリアのウルールワースでノルウェー産(だったような・・・)の
キャビアが子ビンで6.95ドルだったと思ったけど・・・。
まがいものなのかな?
また、明日にでも確認しますね。
ロシアで買ってきた黒海のキャビアの缶詰は禁制になる前のもので、
10年くらい経っていたヤツだったから、においがきつかったです。
>>482 どうだろう、思い浮かぶところ、コールタールや
松脂が液漏れ防止に使われていたけど・・・。
自動車のオイル漏れ防止のパッキンは長い間コルクでしたね。
驚く無かれ、80年代の日本車にもゴムじゃなくて、
コルクが使われている事があった!!
486補足。 ドルって、オーストラリアドルだから、だいたい$1が70円位です。
489 :
世界@名無史さん :03/06/30 21:37
>>487 いやいや、コールタールや松脂というのはパッキンそのものではなく、パッキンを補強する
水漏れ防止剤というところでしょうな。
帆船時代の甲板や舷側の隙間を埋めるパッキンは「まいはだ」つまり木皮あるいはそれを
をほぐした繊維が主体ですね。
作業的にはまいはだを詰めて、さらにコールタールや松脂で固めるということでしょう。
機械に使用されたパッキンやシールの起源というこなら、やはり蒸気機関に使われたもの
が一番早いんでしょうかね。
それ以前に揚水ポンプなどにも皮革と油脂を使ったパッキンが使われていたと思いますが。
>>489 じいちゃん家の井戸のポンプの弁(と言うか、パッキンと言うか)が皮でした。
今だったら、完全にゴムだろうと思われる部品です。
水質が悪くて、飲料水としては使えないのですが。
491 :
世界@名無史さん :03/06/30 22:49
ポンプの弁の部分じゃなくて、ピストンに付けて、シリンダとの間の 気密性を保持するのがパッキンだね。 弁はゴムでも大丈夫かもしれないけど、ピストンのパッキンはゴム じゃ難しそうだ。
492 :
世界@名無史さん :03/06/30 23:00
>>486 悪いが、ノルウェー産のキャビアってのはチョウザメの卵じゃなくて、
スケトウダラの卵です!
493 :
世界@名無史さん :03/06/30 23:03
>>486 悪いがノルウェーにはチョウザメはいません。
それは、スケトウダラの卵、つまりタラコです。
タラコウマー
495 :
世界@名無史さん :03/07/01 10:03
秋田〜青森のトンブリは?
食い物の話題はこのスレじゃないだろ。ここで扱うのは素材までだな。
498 :
世界@名無史さん :03/07/01 22:28
>>224 装甲を船体に組み込んだのは日本海軍の軽巡洋艦「夕張」が最初じゃなかったっけ?
>>492 ,493
ぐわっ!!
あれはまがいものだったのか!!
騙されたぜ!!
教えてくれてありがとうです。
>>498 なるほど、夕張で実現した、軽構造式軽巡洋艦(駆逐艦の構造で装甲を持つ)が
防御板を船体の構造材としても働かせるという設計思想の元祖だというのは定説のようだね。
例えば、世界の艦船79年8月号「日本の軽巡」においても、そのことが強調されている。
曰く「(夕張は)防御に関しても大きな特徴があり(中略)防御鈑を完全に船殻の一部として
取り込んだ最初の例である」(酒井三千生「日本軽巡の系譜」p.81)
また「船殻構造、防御配置についても斬新な着想が取り入れられているが、最も著しいのは、
防御鋼鈑を船殻構造の一部に取り入れるよう設計されたことで(中略)かかる防御構造は、
日本海軍の巡洋艦の設計に広く採用されたことはもちろん、広く各国海軍にも採用されており
夕張はこの面でも先鞭を付けた」(梅野和夫「夕張」p.102-3)、という風に。
だがジュットランド海戦を論じた英艦艇研究家バイウォーターが「ドイツのドレッドノート型
戦艦は艦内を多くの区画に分かつ装甲隔壁あり、装甲甲板あり、防御甲板あり。舷側のアーマー
(甲鉄)は、これらを連結して艦を一つの装甲函とせり、さながら「浮かべる砲台」の如し」
(内藤初穂「軍艦総長平賀譲」中公文庫p.50)と評したこの「一つの装甲函」が、構造材として
全く役立っていなかったのかという疑問、即ち夕張以前には(完全にではなくとも)部分的に、
防御鋼鈑を構造材として用いようという発想すらなかったのか、という疑問は残る気がするね。
>>116 > 金属そのもので年代を特定することは、原理的にできません。不可能です。多分。(藁
すんげぇ亀レスになるのはすまなんだが、
石英などの年代測定なら以下の方法がありますな。
まぁ確かに彼の言う通り金属は無理なのですが、
どうも年代測定となると炭素を用いた方法ばかりしか話題にならないと思って。
熱ルミネッセンス法およびフィ ッショントラック法
ttp://www.cyric.tohoku.ac.jp/japanese/report/No.31/31-7.html >錆びから最初に錆びはじめた年代って測定できないですかね。
>>58 氏あたりが触れているのは、多分Weathering Steelという物ですな。
現在は、橋げたの鋼材などに用いられております。
炭素鋼などにCrやPなどを微小添加(数at.%程度)すると、熱的に安定なGoethite層が得られます。
WetheringSteelやステンレスなどの保護性皮膜は、
粒径数十nm(1nm = 10^-9m)の微細粒子の層と、もっとBulkyな層の2層構造から形成します。
Goethiteは有名な赤錆ですが、Lepidocrocite成長による鋼材に対する侵食を抑制する…
すなわち、さびを以ってさびを制すという機構をもちます。
しかし、保護性皮膜の層成長変化は数十年でサチりますから、数百年〜数千年までの年代測定に寄与できるかは大変疑問です。
ちなみに、NaCl過多の雰囲気においてはWetheringSteelが機能しないという問題は、現在においても解決なされていません。
NaClが多いとAkaganeiteというさびが得られるのですが、これが熱的に不安定で鋼材をどんどん侵食してしまうのです。
>>134 陶器と磁気の定義については正しいと思いますが、現実には陶器、磁気、土器といった分類について、
中国と日本と西洋では統一した定義が存在しないという事も補足しておきます。
中国で陶器と呼ばれるものは日本では土器と呼び、そしてその定義において「釉薬を用いず800℃以下の低温で焼成する」ですな。
で、微粒子のサイズってのもあるんですけれど。
殷の青銅器文明が卓越していた...って話はどういった内容のことなのですか?
個人的に仰韶文明の黒色文様を扱っているのですが、
その色素が数nm程度の微粒子でないと分析結果の説明の付かないんですな。
天然環境あるいはその当時の焼成方法にそんなことが可能なのか、識者に問いたくあります。m(_ _)m
503 :
世界@名無史さん :03/07/07 01:03
せっ器(ストーンウェア)と ボーンチャイナ(骨粉入り)も加わるかと。
「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉はもともと「雄弁の方が優れている」という意味だったと聞いた事があります。
何でも、この言葉ができた当時は銀の方が価値が上だったからだと言うのですが、
>>280 では古代ギリシアでも金>銀だったとあります。
一体どういうことなのでしょうか?
505 :
世界@名無史さん :03/07/14 09:44
確かに太古においては銀の方が貴重だった。 金は砂金という形でそのまま金属として自然に存在するが、 銀は精製技術がないと製造できないからね。だから、青銅器 時代にはまだ銀の方が高価だったはず。 でもアテネ時代には既に金の方が高価だったと思うが?
>>504 「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉は、古代においては金よりも銀の方が値打ちがあり、
この意味も「金でしかない沈黙よりも銀である雄弁の方が優れている」という意味だった、
とかいう話をよく聞くので、検索してみたんだが、いや、出てくるわ、出てくるわ(笑)
で、その話というのはみな、古代ギリシャの雄弁政治家デモステネスが民衆にむかって、
「市民諸君、君らも私のようにように大いにしゃべりたまえ、沈黙は金の価値しかないが
雄弁は銀の価値があるのだ」と言ったことに由来するとか。
はっきり言ってこれは「ヨタ話」ではないか思う。まずデモステネスが活躍した前四世紀
アテナイにおいては、金と銀の比価は13:1 とか 12:1 ぐらいで金の方が値打ちがあった。
これは280でも引いた一次資料、伝プラトンの「彼の金は銀の十二倍の値打ちがあるのに」
(ヒッパルコス)(231D)という記述から明かであるし、研究者も前述の湯浅以外にも
「ギリシャの古典期に至る数世紀間、金と銀の価値比率は6:1から8:1の間を変動していた。
ヘロドトスの時代(前5世紀)のギリシャでは、それはおおよそ13:1であった」アンドレイ
・アニーキン「黄色い悪魔:資本主義と金」大月書店、等と見解は一致している。
第一ヘシオドスですら時代は金、銀、青銅、英雄、鉄と次第に堕落するとしたではないか。
またデモステネスが○○と言った、の○○の部分については、私が見た範囲ではこの話を
載せているサイトには出典が書いていないし、一番ありがちなプルタルコス「英雄伝」の
デモステネスの項にもそんな話は載っていない(誰か出典を知ってたら是非教えて下さい)。
で、やっとあるサイトで見つけたこの話の出元らしきものに言及しているのが以下である。
ttp://www.interq.or.jp/www1/ipsenon/p/kk6.html >『時代考証百科』『銭の歴史』等の著者、八剣浩太郎氏の説を紹介しませう。
>たぶん人類が、自然状態に遊離していて目についた最初の金属は金だったのでせう。
>銀は方解石の中に結晶体で埋まっている自然銀でも精練して成分を遊離させなくては
>いけない。金に比べて銀の産出量が世界史的に少なかった。
>特にヨーロッパではコロンブス以前まで東洋からの戦利品で大半をまかなっていた。
>古代ヨーロッパでは、金よりも(磁石の作用を受けない)銀が尊ばれ、ギリシア史第一の
>雄弁政治家デモステネスは、「市民諸君、君らも私のようにように大いにしゃべりたまえ
>沈黙は金の価値しかないが、雄弁は銀の価値があるのだ」と、名セリフを吐いた、
>というわけです。ところが、これが室町時代末期の日本に伝わり、のちの江戸初期に
>一般通念化したときには、「沈黙は金、雄弁は銀」として、銀より金を上位にしたのです。
>ま、物言えば唇寒し徳川政権、ということなのでせう。
相変わらずデモステネス話の出典は不明だが、この説の他の部分はトンデモである。
>>109 で既に書いたように、銀の精錬はすでに紀元前4000年ぐらいから始まっており
(参:ジョーゼフ・B・ランバート「遺物は語る」青土社)エジプトのような例外的に、
金産出国で銀をあまり産出しない所はあったものの、このエジプトですら銀産出地域
との交易がなかった、あるいは細った時以外は、常に、金の値>銀の値であった。
(第一王朝以前、及び新王国初期において金と銀の値が同じ位だったことはある
>>280 )
また欧州にもギリシャやドイツのような銀産国が存在し、これらの地域の経済を支えた。
新大陸の貴金属の流入は、これに先立つ時代、東方への銀流出とガーナからの金流入で
しばしば10:1位と、金安銀高だった金と銀の比価を金高銀安に傾けただけである。
(さらに金と比較して磁石の作用をうけない云々も変な話のようにみえるのだが)
なお東京堂出版の北村孝一編「世界ことわざ辞典」は「雄弁は銀、沈黙は金」について
これはタルムードに用例がある古い諺でここから世界各国に広まった、としているが
タルムードなら成立も四世紀(エルサレム)ないし五世紀(バビロニア)だろうし、
これの沈黙、雄弁関係の元ネタになったといわれる「ベン・シラの知恵」も前二世紀で、
内容的にも、口は禍の元、的な戒めが多い(旧約外典偽典2:同書28章:教文館)。
そして確かに同様な諺が各国にあり、意味も常識通り(沈黙>雄弁)である。例えば 「しゃべる者は銀をつかみ、黙る者は金をつかむ」(ギリシャ) 「雄弁が1ルピーなら沈黙は2ルピー」(ヒンディー) 「口にした言葉は銀、口にしていない言葉は金」(ロシア) 「愚者の心は口にあり、賢者の口は心にある」(各地) それゆえ今までの説明から、沈黙>雄弁、従って金>銀を前提としているのが 普遍的な発想であることがわかるだろう。つまり日本でだけ、諺本来の意味とは 異なった受け取り方をされている、という話がおかしいことはこれでわかると思う。 だからもし「沈黙は金、雄弁は銀」という諺が、沈黙<雄弁、かつ、金<銀だと いうのなら、銀>金(同等ではダメ)であった時代を明確に特定し、その時代に 確かに「沈黙は金、雄弁は銀」という諺があったことを示して欲しいものだと思う。 またはデモステネスが何か特別な文脈でこう言ったということをきちんと説明するとか。 なのに新聞のコラムや、経済史(日本経済史)の大学教師のHPにも、典拠も挙げず 「本当は意味が逆で、デモステネスが云々」と、得意げに書いてあるんだものなぁ。
確かに、 金>>>>(超えられない壁)>>>>銀 でなければ、アルキメデスによる浮力の発見のエピソードは成立しませんもんね。 アルキメデスは前3世紀だからさらに時代が下ってしまいますが。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
起きてろ!馬鹿もん!
Krtさん、お答えありがとうございます。 銀>金という話は、ウェブ上だけでなくいくつかの書物にも言及されているので、 それなりに信用の置ける話だと思っていたのですが、とんだ思い違いだったようですね。 で、これが嘘だとすると、そもそも「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざが いつ、どこで、どういう意味合いで使われだしたのかが謎になってしまいます。 どこかに信用できる資料があればよいのですが・・・・・・
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
>>513 探すのはかなり難しいような気がするな。というのは、もしこれが引用句なら
それなりの辞典類があるから楽なんだけど、諺じゃそうも行かない。だから
The Oxford Dictionary of Quotations とか、Thesaurus of Quotations: Penguin
あたりには当然載っていなかったわけだ。
あと、アネクドートでは?と思い、The Oxford Book of Literary Anecdotes とか
ピエール・ベールの「歴史批評辞典」(法政大学出版局)にデモステネスの項目
がないかと探してみたんだが、残念ながらそんな項目自体がないんだ。
もちろん日本語の人名辞典のデモステネスの項目にはそんな話はないしね。
まあ、タルムードの内容について学問的に詳しく解説してあるような本があれば
手がかりが得られるかもしれないけれど、私はそっちのほうは疎くてね。
一度質問スレで聞いてみると良いかもしれないよ。
>>515 ガーン 道は険しそうですね・・・。
とりあえず、デモステネスの話は眉唾、とだけ覚えておきます。
ありがとうございますた
517 :
世界@名無史さん :03/07/21 09:06
良スレなのであげ。
518 :
世界@名無史さん :03/07/21 18:42
放射性鉱物の利用はいつごろからでしょうか? 原理が分からなくても、蛍光塗料の原料として利用できそうなんだけど。
519 :
世界@名無史さん :03/07/21 18:59
んー、夜光塗料と呼ばれる、蛍光塗料に少量のラジウムを混ぜたものが 実用化されたのは1908年頃、量産されるようになったのは1920年頃なん だが、それ以前に原理的なことはキューリー夫妻によって解明されている ね。むしろ、身体への悪影響の発見が遅れたということのようだな。 つーか、ラジウムの発見、抽出そのものがキューリー夫妻の業績だから、 それ以前に放射性物質の利用、応用というのは考えにくいが。
>519 そうですか、 やはり人間が放射線を知覚できないので、利用できなかったのですね。
>>520 そういうことだけじゃなくて、自然鉄とか自然銅のように、天然状態で利用可
能な放射性物質というのは存在していないからというのも大きいだろ。
キューリー夫人伝を読めば、大量の原料から苦労してごく少量のラジウム
を抽出している。
522 :
世界@名無史さん :03/07/22 02:58
不思議とウラン鉱脈の近辺に住む先住民には 近付いたり掘り起こすことに厳しいタブーを課している民族も多いのが不思議・・・ オーストラリア北部のアボリジニ(アーネムランドにウラン鉱あり) 米国南西部のプエブロ系諸民族(やはりウラン) 太古に放射能被曝した実体験からだったりする?
523 :
世界@名無史さん :03/07/22 10:29
>>522 原理はわからなくても、掘り起こしたことによって
病人が多発したりしたら学ぶだろ?
コバルトの語源はコボルト、ニッケルの語源は(悪魔の)ニックだ、という 話を思い出した(ともに鉱夫が鉱毒にやられたのをこれらの悪霊のせい にした)。
錆びない鉄柱の作り方は、鉄柱をたたいてたたいてたたいてたたいて たたきまくれば、硫黄や銅など不純物が表面にでてきて それが防護幕の役目を果たすってことでOKだっけ? それとも、純度が100%に近い鉄は錆びない、だっけ? あとひとつ、シックス・ナインって言葉は99.9999%(9が6つ) という、限りなく純度が100%に近いことを表わす言葉と もうヒトツの意味があるってことでOK?
フランス貴族の末裔で実家だか別荘が城の語学の先生に聞いたのだが、銀食器に関する説明の傍らに プラチナは不吉な金属という意味合いもあったそうな。
527 :
世界@名無史さん :03/07/28 19:18
金属といえば、湯の花も金属を多く含みますよね。 金属器時代以前でも何か利用できたのでは? 鉄・銅などが採れますよね。
528 :
世界@名無史さん :03/07/28 20:13
>>525 >あとひとつ、シックス・ナインって言葉は99.9999%(9が6つ)
テン・ナイン(99.99999999%)だろが!!
>528 シックス・ナインもテン・ナインもイレブン・ナインもあるよ。 どれも完璧に近いことを表現する言い回し。
それでは、テレサ・テンは、 10人目のテレサと言う事でオッケー?
じゃあブルースリーは三人目のブルーだな。
532 :
世界@名無史さん :03/08/03 02:13
ざっとこのスレ初めから読んでみたんだけど古代の製鉄における浸炭法に言及が ないのが意外。シンガー編の「技術の歴史」にはたしかエジプトで行われていた と書いてあったような(うろおぼえ)。
プラチナが不吉というのは?
534 :
世界@名無史さん :03/08/14 22:55
>533 初耳。そう言われているの?
畜生だまされたぜ、というわけで 劣った銀とされてそういう名が付いたのは知ってるが。
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
537 :
世界@名無史さん :03/08/18 07:40
ヨーロッパ人が初めて南米でプラチナを見たときも 「銀もどき」と見なされ捨てられてたそうな・・モターイナイー
>537 でも後で(つっても数百年後だけど)残土捨て場を掘り返してちゃんと回収したらしいよ。
プラチナは加工が難しいもんね。 昔の人は何か銀みたいなものが含まれているのに気付いてもどうしようもなかったからムカついたんじゃない?
プラチナの話はこのスレの105-130あたりでかなり論じられているのだが。
541 :
世界@名無史さん :03/08/31 04:29
このスレでいいかな? 古代エジプト。ローマでは小便を洗剤に使って洗濯をしたという。 また、古代の満州民族、北米インディアンは小便で髪や顔を洗ったという。 本当に尿は洗剤として使えるの?きれいに洗えるの?
542 :
世界@名無史さん :03/08/31 07:22
543 :
世界@名無史さん :03/08/31 07:33
飲尿療法はあっても食便療法は無いからね。
>541 尿に含まれるアンモニアに漂白作用があるのです。 ので、古代ローマの洗濯屋さんの店先には必ず小便桶が備え付けられていた。
545 :
世界@名無史さん :03/08/31 13:52
話題の蒸し返しになるんだけど、数日前の朝日新聞の夕刊に、錆びにくい 新しいコンセプトの鉄の話題が出ていた。 ステンレスとは違って、錆びないのではなく、表面が錆びると内部に進行し ないというタイプで、特に塩害に強いので、防錆塗装をしないで屋外用に使 用できるというものだけど、体積比3%のニッケルを鉄に混ぜるらしい。 隕鉄にニッケルが含まれていることは珍しいことではないというか、一般的 な状態なので、前のほうで話題になっていた隕鉄が錆びにくいという説は正 しいことになるな。
546 :
世界@名無史さん :03/09/07 22:24
アルミみたいですな。 鉱石から鉄を精錬する技術はアナトリア高原発祥で全世界へ伝播したようですが、 さらに古くから始まっていた隕鉄の利用は世界各地で 個々に始まったみたいですね。四大文明以外でも行なわれましたし。
547 :
世界@名無史さん :03/09/07 22:30
>>547 陳瞬臣の「耶律楚材」全3巻を参照してください。
549 :
世界@名無史さん :03/09/07 23:18
別スレで、明代の日本の輸出品目に大量の日本刀があったという話から、 輸入する側は刀剣としてではなく、鋼材として輸入したのではないか、とい う話が出ている。 日本刀ってのは、芯が軟鉄で外側が鋼鉄という複合素材で構成されている ようにも思うんだが、その手の物を素材として流用できるものなのだろうか。
550 :
世界@名無史さん :03/09/08 00:05
551 :
世界@名無史さん :03/09/08 09:29
>>550 金属製の仏像は、普通は銅で作って金メッキするものなんだが。
552 :
世界@名無史さん :03/09/08 21:29
>>550 まぁ、中国では鋳造用の鉄は不足していなかったと思うので、この場合は
鍛造用の鋼鉄材として再利用可能だろうかということなんだけど。
553 :
世界@名無史さん :03/09/09 00:35
>>550 大仏そのものではなく、大仏建立の釘やかすがいなら
刀狩の際の方広寺大仏で使っている。
刀狩そのものは、農民戦力の削減、朝鮮侵攻の武器集めという見方もあるが、
刀剣から作った釘は建築物にかなり使われているはず。
刀から作った釘は鉄が層になっているので、表面が錆びても
中まで浸透しにくいから長持ちし、補修の際も表面を削ってそのまま再使用する。
>553 今じゃあ逆に古い寺の解体のときに出た古釘で刀打ってるらしいでつな。
555 :
世界@名無史さん :03/09/16 01:26
隕鉄ってどのくらいの頻度で手に入ったんだろう? またよく見付かる地域なんてあるのでしょうか・・・森林よりは平原、とは思うけど。
ゴメン、雷管についての成り立ちって聞いて良いかな? 何時に発明されて、いつ頃普及したのかなどなどです。
>>556 信管(fuse)じゃなくて、雷管(Primer)についてだよね。
パーカッションロック小銃の特許は1807年に出願されてますから
小銃の雷管は19世紀前半には普及していたということですね。
んで、雷管の元になる雷汞(らいこう)こと雷酸第2水銀が発明され
たのは1774年のフランス、合成が始まったのは1800年イギリス
のハワードによるもの、小銃の雷管の原型になるセントボトル・ロッ
クと呼ばれるものを発明したのはスコットランドの牧師フォーサイス
で1806年のこと。
1822年に、アメリカのジョシュア・ショウが小銃の雷管として完成さ
れた形のパーカッションキャップの特許を取得してます。
一方、爆薬用の雷管はノーベルが1867年頃にダイナマイトの発明
と併せて発明してます。
爆薬用の雷管の登場が遅いのは、非黒色火薬系の爆薬の登場前
には雷管の需要があまりなかったことによります。火を付ければよ
いので、信管で足りるということですね。
558 :
世界@名無史さん :03/09/17 21:11
>>557 おお、丁寧な解説ありがとうございます。
結構、後の時代なんですね。
>>558 調べたら、こんなんでした。
しんかん ―くわん 0 【信管】
弾丸の装薬や爆薬を爆発させるための起爆装置。
「着発―」「時限―」
らいかん ―くわん 0 【雷管】
火薬類の起爆点火装置。
雷汞(らいこう)・窒化鉛などの起爆剤を
金属容器につめたもの。
560 :
世界@名無史さん :03/10/04 20:40
アルミニウムって、電気精錬以外に抽出する方法ってないのでしょうかね。 明礬から加熱や化学反応などで取り出せ・・・ないから電気なんだろうけど。 別府温泉の明礬泉の湯の花がアルミそっくりのメタリックな光沢だったのを思い出しますた・・・
保全書き込み
562 :
世界@名無史さん :03/10/13 19:09
酸化アルミニウムことアルミナから還元でき・・・ないんだろうな。
アルミって、電気精錬発明以前にもあったような・・・。 誰か補足プリーズ!!
錬金術の粋を集めて作りますた>アルミ
>>563 アルミナの融点が高すぎるので電気精錬のときには氷晶石を混ぜるのですが、
それが発見される前は食塩だか苛性ソーダだかを電解して金属ナトリウムを作り、
それでアルミナを還元していたそうです。
566 :
世界@名無史さん :03/10/26 21:38
やっぱり電気分解しかないのね・・・
567 :
世界@名無史さん :03/11/01 00:22
薬品還元のほうは危険な作業なので現在ではほとんど電気分解のようですね。
>>555 石器時代までは利用法がなく放置されていた。ずーっと大昔から降ってきていたもの
なので、水の流れた跡などに沢山あった。(比重差で流れ残る)
鉄器時代になると、利用価値の近いことがわかって見つかりやすい場所の隕鉄や自然
金属はことごとく採取されて鋳潰されてしまったため、現在ではなかなかみつからない。
569 :
世界@名無史さん :03/11/07 18:47
なるへそ!鉄器時代以前は叩いて加工していたのかな。
570 :
世界@名無史さん :03/11/19 23:01
打製石器の延長線上だったのかな、加工の発想は。
>>545 惜しい!保護性皮膜が出来る事による防錆効果を持った鋼材-Wethering Steelのコンセプトは、約50年くらい昔からある。
それは炭素鋼にCrを混ぜる方法が取られていたのだが、その方法だと塩害に弱いんだ。
多分その記事の新しい発見は、「添加剤にNiを使った」…という事だろうなぁ。
572 :
世界@名無史さん :03/12/14 21:09
b
573 :
夜 ◆1suARs6s5o :03/12/25 04:57
お初、なんでか男女板からリンクに乗って来ました^^;。 わりと地域とは無関係に進んでるんですね、鉱山のあるなし なんかはまた別スレで語るべきなんでしょうが。 (中国の鉄ってどこから来てるかな〜、などのルートの話など をしてたことがあります。) 染料、なんてのはいかがでしょうか? イスラエル民族が紫だったかの染料で儲けてたとか、ちょっと 聞いたことがあるよーなないような、話混ざってますかも……。
575 :
世界@名無史さん :03/12/28 20:10
フェニキアの貝紫は有名ですね。染料の貴重であった古代西欧社会では、フェニキア人が 貝の色腺(主にアクキガイ科のパープル腺、フェニキアではシリアツブリボラでしたか・・・) から抽出される紫(6-ジブロムインディゴ)を染色に利用し、ローマをはじめ地中海諸国へ輸出 して多大な利益を上げたそうです。紫は染料の中でも特に手に入れにくいものでしたから (というのも貝紫の抽出には多量の貝を必要とするため)、古代ローマでは「帝王紫」といって 一部の王侯貴族以外に着用を許されなかったというのは有名な話。 日本でも吉野ヶ里遺跡から見つかった弥生時代の絹が同様の技法で染められていたとか。 なお、紫色が珍重された背景には、染色技術の独占や材料の希少性のほかに、貝紫は 一度染めると色落ちしにくかったことによるともいわれます。
576 :
世界@名無史さん :03/12/28 20:16
(補足)ちなみに貝紫は1gを抽出するのに約3000個の貝のパープル腺を要し、 ローマ時代には貝紫1gを金20gと交換していたそうな。すっげ・・・
577 :
世界@名無史さん :04/01/03 19:28
紫色に「高貴な色」というイメージが洋の東西にわたって 伝わっているのは、そういう貴重さも背景にあるのかも知れませんね。
日本でも紫は高貴な色なんだが、中国では皇帝の着衣は黄色 じゃなかったかな。
579 :
世界@名無史さん :04/01/03 19:51
>>578 日本でも天皇陛下の正装は黄櫨染御袍という濃い黄色の衣装だね。
黄色は中央の色だからでしょ。
>555 氷の上だと良く見つかるんだけどね。 今でも南極の平原で隕石拾いを。
>>578 でもほら、紫禁城なんて言葉もあるし中国でも紫は
特別な色なんじゃないの?「紫微垣」と言う星が名前の由来らしいけど
583 :
世界@名無史さん :04/01/23 21:59
人名だと趙紫陽くらいかな。
584 :
夜( ゚ー゚) ◆1suARs6s5o :04/01/29 07:04
>>507 > >古代ヨーロッパでは、金よりも(磁石の作用を受けない)銀が尊ばれ、
良く判らないね。
金はBulkでは非磁性体なんじゃないの?
586 :
椎名ハガネ :04/02/01 11:32
ハガネのうた 私の名前を 御知りに成り度いのでせう でも今思ひ出せ無くて 哀しいのです 働く私に名附けて下さい 御呼びになつてだうぞ御好きな樣に 鉄で鉄さえも切る 私に 似合ひの名を 赤白い炎は 焼入れの合圖でせう 光放つのがさめるのは 寂しいですか 汗を拭ひて顏を上げて下さい 雪ぶかい山奥で生まれます 変わらない切れ味を 貴方に 御屆けします 私が憧れて居るのは 人間なのです 泣いたり笑つたり出來る事が素敵 たつた今私の名が判りました 貴方が仰る通りの「和鋼(ハガネ)」です 美しい切れ味を 職人さんへ御屆けします 切りませ 何も語らず
587 :
世界@名無史さん :04/02/01 18:55
↑斬るビルの主題歌にいいなあw
588 :
世界@名無史さん :04/02/09 13:27
ガラス以前に透明で加工が容易な素材ってありましたっけ? まあ氷はおいといて。
589 :
世界@名無史さん :04/02/09 17:02
>>588 記憶だけで書くので、具体的な年代などフォローを願うが、
焚き火の後天然ガラスが固まっているのから発見され、
西洋ではガラス器による有機化学が発達し、
中国は陶器を使った無機化学が発達したと化学史でやったような。
従って、ないと思う。
590 :
世界@名無史さん :04/02/09 17:11
ただし加工が「容易」かは難しいトコだけど。
>>588 岩塩は? 全然透明じゃないと言われるとその通りだけど…。
あとは黒曜石も透明といえば透明。
593 :
世界@名無史さん :04/02/09 20:42
ガラスだって、透明に作るにはそれなりの技術がいる。 不純物の多い天然ガラスは不透明。
>>588 ふぉ。どのような用途を想定しておるのか知らんが、天然の素材で薄板ガラスの
代替となるものとしては雲母があるの。
今はどうか知らんが、昔の高級石油ストーブの燃焼確認用の窓には耐熱ガラス
の代わりに雲母の薄板が使われておったものじゃよ。
>>592 黒曜石も天然ガラスの一種だが。
石英ビーズは…あれも原始的なガラスか?
596 :
世界@名無史さん :04/02/10 02:44
あぼーん
598 :
世界@名無史さん :04/03/16 17:54
a
599 :
世界@名無史さん :04/03/28 17:18
名前のせいで全部が真っ黒と思われそうな黒曜石。 種類によっては色つきや半透明のガラス状のもあるそうな。
600 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/04/01 21:35
>>599 ティオティワカンが繁栄したのは、綺麗な(緑色)黒曜石の産地だったから…という説もあるそうです。
こくまろの日は黒曜日であったという説をつくったそうです。
602 :
世界@名無史さん :04/04/14 21:16
石器の使命は終えても 今なお宝石として現役なのはすごいよな。
603 :
世界@名無史さん :04/04/17 14:16
>588 透石膏(Selenite)。フランスには10m以上の透明な板状結晶を産出するところが あって、1方向に完全な劈開があるため割って板にできる。昔は板ガラスの代わ りに使った。(堀秀道 楽しい鉱物図鑑1) 雪花石膏(Alabaster)。半透明で色々な色がある。サンピエトロ寺院の祭壇の 後ろにあるステンドグラスは雪花石膏だったと思う。
604 :
世界@名無史さん :04/04/28 01:28
age
606 :
世界@名無史さん :04/05/22 11:36
過疎板ですが「材料・物性板」もよろしくお立ち寄り下さい・・・
607 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/05/24 21:51
608 :
世界@名無史さん :04/05/26 18:26
蛍石は?透明ガラスの代用に出来ないのですか?
609 :
世界@名無史さん :04/05/30 05:47
精密レンズに今も現役っしょ。 大きさに限度があるものの、カメラに詳しい人はみんな蛍石の名を知っているはず。
610 :
世界@名無史さん :04/05/30 06:29
塩を熔かして型取りしてガラスの代用にする構想があったらしいですが?
611 :
世界@名無史さん :04/06/02 04:57
>>609 それは古いキヤノン・ユーザーだけ。詳しい人が知っているのはEDガラス。
613 :
世界@名無史さん :04/06/10 22:40
塩って熱で溶解したっけ?
>>614 するよ。かなりの高熱が必要になるけど。
>>614 塩化ナトリウムの融点は、800.4℃沸点が1467℃。
岩塩の結晶はなかなか美しいのが多いのですが、湿気の多い日本の気候では、潮解
してしまいます。でも、塩の窓ってナメクジよけにはよさそう。
融解した塩は、陶芸用の揮発釉(素地に塗布するのではなく焼成中に窯に投入し、
それが蒸着して釉となる)である塩釉として使われています。
塩釉は所詮土管や植木鉢用の釉だけれども、還元焼成で様々な色調を出すことが
できます。しかし、焼成中に塩素ガスを放出するなかなか危険なものであるらしい。
15cにはドイツで使われていて、16〜17cにはイギリスに伝えられている。
それを昭和の初めに浜田庄司が益子に伝えたので、見た目はいかにも「民芸調」で
すが日本では新しい技法です。
すいません。↑は、61ではなくて603のまちがいです。
618 :
世界@名無史さん :04/06/30 18:24
>610のように単独でガラスのようには造れるものなのでしょうか?
619 :
世界@名無史さん :04/07/02 01:05
耐水性は大丈夫だろうかw 溶けまいか・・・
620 :
世界@名無史さん :04/07/03 23:59
映画「キル・ビル2」で岩塩製の弾丸でショットガン撃っていたが、あれは実在するの?
621 :
世界@名無史さん :04/07/04 11:48
小説では登場することがあるが実際にはどうなんだべ? 「被弾者の体内で溶けて消えるため証拠が残らない」という設定で用いられているが。
金 こがね 銀 しろがね 銅 あかがね 鉄 くろがね 古代日本では金属のことを単に「かね」としか呼んでいなかった。 漢字が入ってきて初めて区別するようになった。 偉大なる中華文明が入ってくるまでは 日本では金属は単にキラキラする綺麗なモノというだけで 各種金属を言葉で区別するのが必要なほど活用されていなかったのだよ! ポンニチ人というのは中国化されたアイヌみたいなもんだ!
623 :
世界@名無史さん :04/07/04 17:45
鉛 あおがね もあるよ。
>>619 ほっとけば潮解しますな。コーティングして耐水性を上げるのかなぁ?
625 :
世界@名無史さん :04/07/05 01:19
626 :
世界@名無史さん :04/07/17 17:39
日本で岩塩って採れますっけ?
もっぱら天塩だったと思うがそもそも岩塩の採れる土壌じゃ なかったような
岩塩ができるためには、海からの湾や内海がゆっくりと干上がって塩分が濃縮され、 それを洗い流す雨や流水が無いことが条件。 日本列島のできあがる過程で乾燥気候だったことはないので日本で岩塩を求めることはまず無理。
629 :
世界@名無史さん :04/08/05 21:57
age
630 :
世界@名無史さん :04/08/05 22:40
塩専売といえば中国。 王朝も左右しました。
631 :
世界@名無史さん :04/08/06 08:04
ところで、太陽熱エネルギーの活用は、30年以上経っても、なぜ進歩しないのでしょうか? 石油の方がコストが低いからでしょうか? だとしたら、今日の価格高騰は朗報ですね。
何がどう進歩していないと思うのか、具体的に要領よく述べよ。
>>631 構造が単純(鏡で集めて焦点を暖める)なだけに、進歩させようがないんじゃないかと。
つーか、30年どころじゃなく2000年くらい進歩してないんじゃないか?
30年前と比べたら相当に進歩してると思うよ。 ソーラーハウスは随分見かけるよね。 日本では電力各社による電気供給が発達してるけど、 太陽電池発電システムが安く製品になったので、低緯度の発展途上国の田舎には ODAなどでこれがたくさん設置されているのだが。
訂正 太陽電池発電システム→太陽光発電システム
最近の太陽光発電システムというのは耐久性はどうなんでしょう 破壊がなければ半永久的に利用できるんでしょうか?
フロンとマイクロタービン使う太陽光発電だと要メンテ。
>>637 いや、普通の太陽電池を使うシステムの話だけど、一見してメンテフリーに
見えるけど、実際のところはどうなのかと。
紫外線をモロに浴び続けても発電効率は低下しないものなのかという疑問
なんだけどね。
ところで、このスレはsage進行なんですか?
>>638 紫外線ではそれほど劣化しない。人工衛星用の太陽電池パネルの劣化の原因は放射線。
640 :
世界@名無史さん :04/09/02 08:11
良スレあげ
641 :
世界@名無史さん :04/09/07 18:42
前のほうのレス「透明な素材」で思い出したのだが、 うちの瓶入りニカワが日なたに置いといたせいで固まってしまった。 水につけて溶かそうとしたがもう遅く、全く溶けなくなってしまった。 逆手に取ればこれで型取れば自在に色々な物が作れないだろうか?
アイヌ語では鉄を「カニ」といい、金を「コンカニ」、銀を「シロカニ」という。 いずれも大和言葉の「かね」「こがね」「しろがね」が訛ったもの。
643 :
世界@名無史さん :04/09/07 21:54
>>642 >大和言葉の「かね」「こがね」「しろがね」が訛ったもの。
アイヌ語が訛ってるのか、今の大和言葉が時を経て変化したのか
わからないよ。言葉は地方に行くほど中央の古い形が残っているから。
644 :
世界@名無史さん :04/09/07 22:02
>>641 飲み薬のカプセルで同じヘマやりますた・・・
あのカプセルの原料はゼラチンか。膠と似た成分になるのね。
646 :
世界@名無史さん :04/10/03 23:25:03
保守
昨夜の世界の絶景選番組でチチカカ湖の岩塩造りホテルが登場してました。 床も壁も塩湖から切り出した岩塩のブロック。さらには椅子・ベッド・テーブルまで岩塩! 乾燥地ならではの趣向ですな。衛生面は抜群だろうなw
>>649 昨夜の番組は私も見ました。料理の調味料はもちろん「塩」かな?
なおチチカカ湖ではなく、ウユニ湖では?
うひゃあ・・・ウユニ塩湖でした。逝ってきます・・・ チチカカ湖は葦浮き島のほうじゃんか・・・
652 :
世界@名無史さん :04/11/10 21:03:44
レンガって中国には古くからありますよね(いわゆる日干しレンガ) 万里の長城の映像とか見ると火で焼いたレンガのように見えますが これはいつ頃始まったのでしょうか?(日干し・焼きそれぞれ) レンガという建築材料ががなんで日本に入って城造りに生かされなかったのかと ふと疑問に思ったもので。 石切って運んで・・・って手順よりは簡単に規格化された建築材料ができそうだと思うのですが。 (朝鮮半島に伝播して職人がいたら、秀吉の時代に陶工達みたいに引っ張ってくるだけの価値はありそうだと 思うのですが、半島の城は土製だったのでしょうか)
>>652 支那には古代、おそらく周代あたりから「磚」と総称される
レンガやタイルが存在するけど、あれは日干しレンガじゃ
なく、焼いていると思うよ。
城壁などを作る場合は日干しレンガではなく、版築と呼ば
る工法が採用されていたはず。
日干しレンガも版築も降雨量の多い日本では活用が難し
いだろうね。
654 :
世界@名無史さん :04/11/10 23:08:01
>>652 明治時代から日本でも大都市ではレンガ造りの建物がはやりましたが、
関東大震災の時、倒壊して信用をなくしました。
ひょっとしたら新しいもの好きで建てられたレンガの建造物が天正地震
(1586年)で倒壊したのかも。想像ですが。
朝鮮遠征中に石田光成と加藤清正が喧嘩して、 加藤清正が現場放棄で秀吉に謹慎させられるときに、 地震が起こって地震加藤
天正地震は朝鮮遠征の前だから、 大陸からレンガ造り建造法をもってくるのは難しいのかな・・・
あるいは南蛮人か琉球経由とか?
658 :
世界@名無史さん :04/11/11 20:17:02
あるいはベラルーシ人かシベリア経由とか?
659 :
世界@名無史さん :04/11/11 20:32:33
信長が作ったキリシタンのセミナリオはなんで作られたか証明できないはずだが パイプオルガンがあったというから、レンガ造りということもありうる。
考えてみれば古代に大陸から伝わっていてもおかしくないんだよね・・・ 須恵器や瓦屋根などと一緒に、という可能性は?
661 :
世界@名無史さん :04/11/12 02:56:42
レンガ建築が日本になかったのは地震や台風が多いからということ?
662 :
世界@名無史さん :04/11/12 03:12:28
古代にもレンガで建物造ってみたけどおそらく地震でぶっ壊れたかと。 瓦はすっかり定着しているから、レンガだけが普及しなかったのは地震のせいでしょう。
煉瓦は日本中どこでも作れるけど、セメントをどうすんべかが問題だと思う。
664 :
世界@名無史さん :04/11/12 13:00:19
いっそ漆喰でも使っては? 掟破りでローマセメントとか?
665 :
世界@名無史さん :04/11/12 13:05:24
煉瓦建築や石造建築だと壁構造になっちゃうから、 窓が大きく取れないよな。 ギリシア建築みたいな柱構造の石造建造物を建てるのは、 巨石が必要になってくるから、コストも掛かるし、 石材が乏しい日本にではつらい。 壁構造の建築なら小さな石や煉瓦でも作ることは可能だけど、 窓が少なく風通しが悪いから高温多湿の日本の夏はつらい。 窓は極めて少ないから昼間でも松明や灯油などで照明が 必要になるから夏はさらに暑苦しくなるし、エネルギーの無駄。
若い頃フランスとイタリアを旅行したとき、やたら目についたのが石灰岩の露出だった。 もしセメントが必要なら、どこでもすぐに作れそうだ。 しかし、日本では石灰岩地帯は限られている。今なら鉄道やトラックでどこへでも 運べるけど、昔はそうはいかないだろう。 地震のないところでは、泥で煉瓦をつないでもいいが、日本では・・・ 「漆喰」で? 漆喰も石灰岩が原料。セメントよりは少量で済むし、湿気の多い日本では保存が利く。 しかし煉瓦のつなぎには弱くてなりえない。
やはり、ちゃんとした柱が無いと耐震性に劣るのかな・・・ レンガ造りだと、日本の風土でメリット無いのか
668 :
世界@名無史さん :04/11/13 12:46:04
うーん、そんなにレンガって地震に弱いのか。 城の石垣のほうがよっぽど強そうですね。 (ときどき地震で崩れるけど)
669 :
よろずこ :04/11/14 11:15:14
日本は雨が多いので、作業性を高めるために、まず屋根を作る必要がある。 今の木造建築のように柱を立てて、屋根を乗せて、、、というのは気象条件から見ると 合理的なのだ。 レンガを積んで壁面を作って、それから、屋根を作って、、、 では、工期が長くなりすぎる。 普通の民家の話ね。
670 :
世界@名無史さん :04/11/15 12:42:20
日本での東京駅など一見煉瓦造りの建物はほとんど鉄筋コンクリートに煉瓦を貼ったもの。
671 :
世界@名無史さん :04/11/15 12:50:49
>>670 東京駅は戦後の再建だけど、関東大震災後の江藤新平の都市計画に
沿って建てられた数少ない建築物である、旧法務省はどうなん?
672 :
世界@名無史さん :04/11/15 12:55:08
旧法務省、日銀本店、旧警視庁など建物に入ってみれば内側はコンクリートの壁。
673 :
世界@名無史さん :04/11/15 21:09:53
俺の小さい頃、小学校の近くにあった煉瓦積みのサイロが台風で崩れたことがあった。
単純な煉瓦作りの場合、自重だけの接合で問題外。 セメント使っても、引っ張り強度はないに等しいし、接合力も弱い。 煉瓦に穴をあけて鉄筋でも通せば別だけど、そんなことするのなら 素直に鉄筋コンクリートにする罠。
675 :
世界@名無史さん :04/11/21 19:44:27
鉄筋どころか、鋼材も造れなかった古代ローマで、 コンクリートと煉瓦の相性の良さを用いて、大型の建築物を造った 当時の技術者の水準て凄いなと思うぞな。壁が多いけど……。 対角線で煉瓦を切断して、それを積み上げて外枠を形成して コンクリートを流し込み、乾く前に平らな煉瓦で蓋をして 早期の水分の蒸発を防ぐ。 それらを土台に→煉瓦で外枠形成→コンクリート流し込み→ 平らな煉瓦で蓋……以下設計した高さになるまで繰り返し。 コールドジョイントの問題も解決できるから、全体の強度も 増します。大きな窓を開けるわけにいかないから、通気性も 悪く、外光も差し込まないけどね……。 この工法のおかげで、それまででは考えられないような自由度の 高い建造物が造れるようになった訳だ。
676 :
世界@名無史さん :04/11/21 19:45:13
鉄筋どころか、鋼材も造れなかった古代ローマで、 コンクリートと煉瓦の相性の良さを用いて、大型の建築物を造った 当時の技術者の水準て凄いなと思うぞな。壁が多いけど……。 対角線で煉瓦を切断して、それを積み上げて外枠を形成して コンクリートを流し込み、乾く前に平らな煉瓦で蓋をして 早期の水分の蒸発を防ぐ。 それらを土台に→煉瓦で外枠形成→コンクリート流し込み→ 平らな煉瓦で蓋……以下設計した高さになるまで繰り返し。 コールドジョイントの問題も解決できるから、全体の強度も 増します。大きな窓を開けるわけにいかないから、通気性も 悪く、外光も差し込まないけどね……。 この工法のおかげで、それまででは考えられないような自由度の 高い建造物が造れるようになった訳だ。
677 :
世界@名無史さん :04/11/21 19:45:53
鉄筋どころか、鋼材も造れなかった古代ローマで、 コンクリートと煉瓦の相性の良さを用いて、大型の建築物を造った 当時の技術者の水準て凄いなと思うぞな。壁が多いけど……。 対角線で煉瓦を切断して、それを積み上げて外枠を形成して コンクリートを流し込み、乾く前に平らな煉瓦で蓋をして 早期の水分の蒸発を防ぐ。 それらを土台に→煉瓦で外枠形成→コンクリート流し込み→ 平らな煉瓦で蓋……以下設計した高さになるまで繰り返し。 コールドジョイントの問題も解決できるから、全体の強度も 増します。大きな窓を開けるわけにいかないから、通気性も 悪く、外光も差し込まないけどね……。 この工法のおかげで、それまででは考えられないような自由度の 高い建造物が造れるようになった訳だ。
678 :
世界@名無史さん :04/11/21 19:47:20
鉄筋どころか、鋼材も造れなかった古代ローマで、 コンクリートと煉瓦の相性の良さを用いて、大型の建築物を造った 当時の技術者の水準て凄いなと思うぞな。壁が多いけど……。 対角線で煉瓦を切断して、それを積み上げて外枠を形成して コンクリートを流し込み、乾く前に平らな煉瓦で蓋をして 早期の水分の蒸発を防ぐ。 それらを土台に→煉瓦で外枠形成→コンクリート流し込み→ 平らな煉瓦で蓋……以下設計した高さになるまで繰り返し。 コールドジョイントの問題も解決できるから、全体の強度も 増します。大きな窓を開けるわけにいかないから、通気性も 悪く、外光も差し込まないけどね……。 この工法のおかげで、それまででは考えられないような自由度の 高い建造物が造れるようになった訳だ。
679 :
世界@名無史さん :04/11/21 19:48:22
鉄筋どころか、鋼材も造れなかった古代ローマで、 コンクリートと煉瓦の相性の良さを用いて、大型の建築物を造った 当時の技術者の水準て凄いなと思うぞな。壁が多いけど……。 対角線で煉瓦を切断して、それを積み上げて外枠を形成して コンクリートを流し込み、乾く前に平らな煉瓦で蓋をして 早期の水分の蒸発を防ぐ。 それらを土台に→煉瓦で外枠形成→コンクリート流し込み→ 平らな煉瓦で蓋……以下設計した高さになるまで繰り返し。 コールドジョイントの問題も解決できるから、全体の強度も 増します。大きな窓を開けるわけにいかないから、通気性も 悪く、外光も差し込まないけどね……。 この工法のおかげで、それまででは考えられないような自由度の 高い建造物が造れるようになった訳だ。
680 :
世界@名無史さん :04/11/21 19:48:58
>>675-679 よほど強調したかったんだろうか、確かにローマに鉄筋はないが、
コロッセウムなどは、石材を金属の鎹(かすがい)で接続している。
おそらくは青銅製だと思うが、石材とレンガ、モルタルだけであれだ
けの建築物を建造したわけではない。
682 :
世界@名無史さん :04/11/23 23:11:36
いやいや単なる送信ミスだよ。 誠に申し訳ない。 コロッセウムの基礎はどうなっておる? 二十世紀のダムの湖底のように、鋼材を埋め込んでセメント流し込み というふうに強化できるわけではないから、そのへんが不思議だ。 なにせあの重量を支えるのだから。
683 :
世界@名無史さん :04/12/20 00:45:57
ところですみませんが、弓などにかつて使われた 動物の腱ってどこかで手に入りますかね? 精肉店で? もも肉か手羽先を干せばいいのだろうか・・・
684 :
世界@名無史さん :04/12/20 01:49:56
この間コロッセオにいってきたけど、前にもいったことあるけど、 煉瓦の部分が古いんだってね。
685 :
603 :04/12/20 01:57:07
686 :
683 :04/12/21 16:36:49
>685 ありがとうございます。 食材店あたりで見てみますね。
>>684 つーか、同じレンガでも、いかにも正確に構成されていて、一目で
堅牢なことがわかる部分が古代の建築部分で、見るからに稚拙、
素材もお粗末な、レンガなのか瓦の破片なのか判断に困るような
つくりの部分は中世の補修跡だったりする。
それと、もともと構造物の芯になる部分がレンガ製で、表面が比較
的薄い大理石で覆われていたんじゃなかったっけ?
688 :
世界@名無史さん :04/12/29 14:25:02
アンデスではインカ以前から白金精錬技術があったようですが、 鉄より融点が高い金属をどうやって加工したのでしょう? しかも鉄すら使われていなかった文明で・・・ 石炭知ってたのか、あるいは叩き狂って鍛造?
>>688 たぶん、白金精錬技術は持っていなかったと思います。
白金族相互の分離精錬ってかなり難しいですし、外見上は白金として
通用するので、自然白金の白金塊や砂白金を溶解加工したのではな
いでしょうか。
で、貴金属の中では最も融点の高い白金を溶解した火力はなんで得
たのだろうという疑問ですよね。詳しいヒトどうぞ。
>>689 白金は鍛接できるんじゃないのかな?
大昔、白金の板と線をバーナーで加熱したものをハンマーで叩いて接合して
白金電極を作った記憶がある。
ローマ帝国には透明ガラスをつくる技術があったと聞きますが 中世にガラスの技術が衰退した後に 再び透明ガラスを生みだしたのは15世紀のベネチアなんですか?
692 :
世界@名無史さん :05/01/14 16:53:34
>>690 鍛造よりさきに地金を作るための精錬が問題。
693 :
追加 :05/01/14 17:05:14
ローマ帝国以後最初に透明ガラスが使われた建築物って何ですか? 窓ガラスが庶民の家や、アパートなどにも使われるようになったのは いつ頃ですか?
>>692 白金は自然白金(他の白金族の元素を含む)のかたちで産出
689氏のレスにある通り、精錬の必要は重要ではない。
問題は、大きな加工形状をどうやって作ったのかという事。
695 :
世界@名無史さん :05/01/15 01:31:22
中世ヨーロッパでは、庶民の家の窓は豚の膀胱の膜を貼り付けていたというな。
保守カキコ
ついでに
>>687 > それと、もともと構造物の芯になる部分がレンガ製で、表面が比較
> 的薄い大理石で覆われていたんじゃなかったっけ?
凱旋門やコロッセウムの外周などは表面を大理石と彫刻で覆ってい
るが、芯になる構造部分は中心にコンクリートを流し込んだレンガ製
のはず。
697 :
世界@名無史さん :05/02/03 18:46:31 0
ササーンガラスとかビザンチンガラスとか透明硝子は色々あったよ。 ササーンガラスのものなら正倉院とかにもあるじゃない。
・古代の望遠鏡などで使われるレンズの生成の仕方 ・古代のコンクリートの生成の仕方 この二つが知りたいのですが、誰か知っている人はいませんか。
>>698 ふむ。古代の望遠鏡というのは、ちと難しい注文じゃの。望遠鏡の発明そのものが
17世紀と考えられておるのじゃから、古代というわけにはいかんじゃろ。
単体のレンズであれば、ギリシャ時代にも凸レンズの拡大能力が知られていたよう
じゃから、古代のレンズの製法ということじゃろうかの。
レンズに使用可能な天然素材であれば、水晶がまず挙げられるの。宝飾品などに
加工するための研磨技術が存在すれば、水晶の結晶から球面凸レンズを製造す
ることは難しいことではないじゃろ。
コンクリートのほうは、古代ローマが多用したことは、このスレッドにも書かれておる
ことじゃが、まず石灰と砂でモルタルを作り、水とさらに砂利などの骨材を混合した
ものじゃから、基本組成は現代のコンクリートとそれほど違うわけではないじゃろ。
では、石灰をどのように製造したかということであれば、自然に産出する石灰岩を焼
くことで生石灰を得ることができるのじゃから、それほど困難な技術ではないの。
700 :
世界@名無史さん :05/02/08 00:35:11 0
小学生の時に五円玉の穴に水を一滴たらして凸レンズや凹レンズを作っては 即席望遠鏡で遊んでたよ。視界狭すぎだけどねw
>>700 うーん。五円玉&水レンズだと、顕微鏡は可能だろうが、望遠鏡は苦しいのでは。
702 :
世界@名無史さん :05/02/08 22:35:41 0
ガラスで飾り玉を作る技術は古代日本にもあり、それほど難しくは無い。 鉄の管の先に溶けたガラスをつけ、吹いて容器を作る技術は、古代ローマにあった。 しかしこの技法では板ガラスを作ることは出来ない。板ガラスがどうしても欲しいときは、 吹いて作ったガラスの容器を熱いうちに切り開き、伸ばして何とか平らな板ガラスにした。 当然これでは大きな板ガラスは作れない。中世に発展したステンドグラスは、この小さな板ガラスを何とか工夫して 窓にはめ込むための工夫でもあった。 ルネッサンス期以降、熱いガラス種を鉄板の上に流し、鉄のローラーで麺生地のように引き伸ばす技法が開発され、 これによって板ガラスが簡単に作られるようになったという。 ちなみにガラス発見の伝説だが、 フェニキャだかギリシャの貿易船の船員が浜に降り立ち、野営の準備をはじめた。 しかし浜には竈に使えるような石が無かったので、船から積荷のソーダの塊をおろし、 それで竈を築いて煮炊きを始めた。と、炎のせいで浜の砂と灰とソーダが融け合い、 ガラスができた、という。
>>691 ガラス製造に関して高い水準を誇っていたローマ帝国滅亡後、西欧地域における
ガラス製造の技術がしだいに低下していったのは確かだが、決して技術そのものが
地上から消え失せたわけではないよ。帝国東部地方(シドンとアレキサンドリアが中心)
のガラス製造技術はイスラム圏やビザンチンに受け継がれ、結果としてガラス製造は
イスラム世界の主要産業にすらなったのだし、そもそも透明度が高く耐熱性に優れた
ガラスの実験器具が製造可能だった事(後者は硼砂の添加といった新技術による)が、
この地で化学の雛形が生まれた理由の一つでもあったわけだ。
また欧州地域でもローマ帝国滅亡後に全ての技術が失われたわけではない。
西欧中心の観点からは「ガラスの暗黒時代」と表現されることもある中世前期だが、
西方の旧産地(ラインラント、ロワール、ノルマンディ)に残ったり各地に移住したり
した技術者集団の手で、工芸史的に「フランクガラス」と呼ばれるエキゾチックな形態
の製品のみならず、機能的でシンプルな実用製品もローマンガラスの延長線上の技術を
用いて造られていたし、吹き板ガラス製造などでは相当高度な水準を保ってすらいた。
これらの技術的伝統が、(東方の技術を吸収した)ルネッサンス期のイタリアからの
技術導入によりヨーロッパ各地の近世ガラス産業を発展させる基盤となったのである。
なおヴェネツイアのガラス製造にしても15世紀をエポックとするのはどうだろうか。 当地でのガラス製造の起源は古く、既に982年の文書には「ガラス製造業ドメニコ某」 なる署名が発見されている程で、1224年にガラス製造法の慣習を破った多くの職人が 処罰されたことなどもあってか、1268年にはガラス同業組合も結成されている。 ここから判るようにヴェネツイアガラス産業の本格的隆盛は概ね13世紀以後なのだが これは(通説とは逆に)中世においてはヴェネチアの方がスパイを用いて「先進地」の ドイツ方面から吹き板ガラスに関する多くの技術情報(あとで説明する円筒吹きにより 大型板ガラスを得る技術)を得たり、さらには第四回十字軍のコンスタンティノープル 征服時や、その後のイスラム世界の変動の煽りを受けて東地中海から流出したキリスト 教徒ガラス技術者を受け入れたりした技術政策の結果である。ヴェネツイアは彼らに 高給を与えると同時に秘密保持のためムラノ島に閉じこめ、島外脱出は死刑をもって 禁じるという囲い込みを行い(13世紀末)それによる技術独占で巨富を得たのである。 それでも技術者は他国からの高給の提示や身分保障による勧誘で流出していったし、 さらにはヴェネツイアと並ぶガラス製造技術を持ちながら職人を外部に遍歴修行させる 習慣を持っていた半島の反対側の小都市アルターレ出身の職人によって、新しい世代の ガラス技術もまた、15世紀以後には欧州各地へと拡散していったのではあるが。
>>693 ステンドグラスに関しては、ラヴェンナのサン・ヴィターレ教会の窓にはめられた
バル・アイ・グラスと呼ばれる円盤状のものは6世紀のものとされているし、完全な物
では1065年制作のアウグスブルク大聖堂の「予言者オセア」を描いたステンドグラスが
古いことで有名だろう(1)。あとドイツ方面では、完全品ではないが9世紀から10世紀に
かけてのものと推測されているキリストの顔の部分を描いたステンドグラスの破片が
Lorsch僧院の発掘作業現場で見つかっている(2)。
それ以外の純然たる窓ガラスとなると少し難しい。ヨーロッパ以外なら北斉(550-577)
の魏収の選述による「魏書」「西域伝」の大月氏国の項に、
「(北魏の世祖大武帝の時に大月氏の人が商売で京師に来て)自らいう、能く石を鋳て
五色の琉璃を為ると。是に従いて、礦を山中に採り、京師において之を鋳る。既に成る
ところの光沢は西方より来るものよりも美わしき、即ち詔して行殿を作らしめ、百余人
を容る。光沢は映徹し、観る者は之を見て驚嘆せざるはなく、以て神明の作るところと
なす。これより中国の琉璃は遂に賤(やす)し、人またこれを珍とせず」(3)とあるので
これが本当なら、5世紀前半に大月氏の技術者がきてガラスを製造し建物の窓ガラス等
が作られ一般にも普及したためガラスが珍しい宝ではなくなった、ということになる。
まあ、これら「西域伝」や漢代〜六朝の文献(4)に散見する、窓ガラスが当時中国で愛好 されていたという記述に関しては考古学的実証や、ガラス原料及び製品の供給元だった中東 におけるローマングラスやササングラスの実体解明が待たれるところであろう。イスラム期 になれば、少ないながらモスク用等に窓ガラスが作られていたこと(5)、また少なくとも 7世紀以後にはサマルカンド周辺の西トルキスタンなどでも窓ガラスを含む実用ガラス 製品が盛んに作られていたことは考古学的にも確認されているのではあるが(6)。 ヨーロッパの場合、7-9世紀の物と思われる発掘ガラスに窓ガラスらしいものがあるし、 さらには7-10世紀の北西ヨーロッパの一部修道院には窓ガラスが使われていた明確な証拠 (一番早いものは英国のMonkwearmouthとJarrowの修道院の設立者、聖ベネディクトゥスが 675年にノルマンディの技術者に出した窓ガラスの注文記録)が発見されている(7)。 ただ発掘されたものには幾分色の付いたガラスが多い。これはある意味当然で、完全に 無色のガラスが一般の窓ガラスなどにも使われるようになったのは、原料中の不純物の色 に応じその補色を出す物質を添加することで無色化する技術が生まれた17世紀以後のこと だからである。(ただクリスタルガラス製造時に二酸化マンガンを添加し脱色したり、 ボヘミアにおける材料を吟味したカリガラスによる無色化への努力はそれ以前からある)
なおヨーロッパで窓ガラスが庶民の家にまで普及した時期は地域により随分差がある。 一番早かったのはイングランドで15世紀にはガラス工業が発達していたこと、また全般に 大陸に比べ豊かだったこともあって1560年代には農家にも窓ガラスが普及していたという。 (ただスコットランドでは17世紀後半時点でも一般家屋に窓ガラスは普及していなかった) これについで早かったのはドイツの先進的な地域で、モンテーニュがドイツ旅行をした時 (1580年代)村のどんな小さな家でもガラス窓の無い家はないことに彼は驚いている。 17世紀前半になるとフランスにもガラス窓は普及し始めるが、これはロワール川以北の 地でのことであり、それ以南の地域とは著しい落差があったらしい。それゆえこの時代は 南仏やジュネーヴへ行った北仏人が、どんな上等な屋敷でも窓ガラスの代わりに油紙を 使っているのに驚く番となる。例えばリヨンでは1779年になっても窓にはしばしば油紙が 使われていたそうだし、これがバルカンともなると、ベオグラードでは1808年になっても 窓ガラスは珍品だったというから(8)驚くのも当然のことかも知れない。 とはいえ、17世紀の時点で大きなガラスをショウウインドウに使うような贅沢が実現 していたのはロンドンぐらいで、これを観た同時代のパリジャンは驚嘆したらしい(9)。
>>698 古代に望遠鏡はない。
>>699 氏の言うとおり、基本的にこれは16世紀末〜17世紀初頭の
発明品である。ただ古代や中世に光学やレンズに関する知識が無かったわけではない。
例えば紀元前5世紀のギリシャ喜劇、アリストパネースがソクラテスを風刺したことで
知られる「雲」の一部分に、主人公ストレプシアデースが裁判を避けるために書類を
焼いて抹殺する方法を思いつき、ソクラテスに自慢する次のような場面がある(10)。
ソークラテース:どういう方法だ。
ストレプシアデース:薬屋の店でほらあの石を、
見たことがあるでしょう、綺麗な、透き通った、
火を付けるのに使う。
ソークラテース:火つけ水晶のことだな。
ここで火つけ水晶と言われているのはヒュアロスという発火用の水晶製の凸レンズの
ことで、この語は後にはガラスの意味も持つようになった。従って古典期のギリシャ人
は少なくとも集光作用を持つ凸レンズを知っていたわけである。
それ以外にもプリニウスの「自然誌」は医療上の焼灼の為に水晶レンズを使うことを記述 しているし、セネカは水を満たしたガラス球で文字を拡大してみることができることを 述べている。高名なプトレマイオスの「光学」もガラス容器中の水のレンズ作用について 書いており(11)、こういった古代の科学を継承したイブン・アル=ハイタム(965-1039)の 光学理論は13世紀にラテン訳され、西欧の光学理論に深い影響を与えることになった。 また西欧でも12世紀から13世紀にかけ光学やレンズの性質の解明の試みが始まっており、 この流れとアル=ハイタムの理論を受け継いだロジャー・ベイコン(1214-94)によって 望遠鏡に近い能力を持った機械が当時作られた可能性はあるらしい。 ただこれは実体の良くわからぬ孤立した試みで、遠方の物を鮮明に拡大してみせる 光学装置に関する文献が複数表れるのは16世紀も後半になってからであり、ガリレオが 天体望遠鏡に用いることになる凸レンズと凹レンズの組合せによって遠方を見る工夫も ジャンバティスタ・デッラ・ポルタ「自然魔術」第二版(1589)には既に見えるという。 またレンズの使用による視力改善(メガネの作成)も試みられ、老眼鏡は遅くとも 13世紀末、近眼鏡は15世紀半ばには作られていることが同時代人の証言からわかる。 なおこれらのレンズの作成には普通の板ガラスを円く切り取り、研磨剤を使って機械や 手で磨くという基本的には現在とも共通する技量と根気の要る作業が必要だった(12)。
>>702 古代ローマには吹き板ガラスのみならず、型を使って鋳造する板ガラスもあった(13)。
というか、むしろこれがガラス成形の古いやり方であり、吹きガラスの技法こそが
ローマ時代のシリアで発明された新技術だったわけだ。ただこれは17世紀のフランスで
確立した、銅の型に鋳造し銅製のローラーで延ばすことで簡単に大型の板ガラスを作る、
という洗練された方法からはほど遠いものではあったが、それでもこの方法で作られた
ガラス窓がローマ時代にあったことは確かである。当時この方法では必要以上に分厚い
ガラスしか作れなかったのだが、大きさに関しては身体全体を映し出す人の背丈ほどの
鏡すら存在したことをセネカが彼の「自然研究」において記録しているという(14)。
それともう一つ、吹き板ガラスでは非常に小さな物しか作れなかったわけではない。
確かに近代のローラー鋳造のものには及ばないが、円筒吹きと呼ばれる、十二世紀の
ドイツの修道僧テオフィルスの技術書にも書かれている、ガラスを長いシリンダー型に
吹いてから切り開く技法によって、40-60p角程度のものならば作れたのである(15)。
ステンドグラスが作られた時代には既にこの技法が存在したことは確実であり、従って
以上のことから、ステンドグラスは小さなガラス片しか作れない状況において窓を作る
ための苦肉の策だ、というのは当たらないと思う。
711 :
Krt :05/02/12 19:48:21 0
<註> (1)週刊朝日百科「世界の歴史」50:E-317 (2)Halliday,Sonia et Lushington,Laura:Le Vitrail:Seghers:1976:p.13 (3)由水常雄:「ガラスの道」中公文庫:p.200f. (4)由水「ガラス入門」平凡社p.74f.によれば「西京雑記」「漢武故事」に窓や扉にガラス を使った建物の話、「拾遺記」「世説新語」に窓ガラス、ガラス屏風の話があるという。 ただ「漢武故事」等の窓ガラスに関する記述は時代的/技術史的に信じ難い内容も多く、 外部世界の史料と比較の上での慎重な検討が必要なものであると考えられている。 (5)Liefkes,Reino(ed.):Glass:Victoria & Albert Museum:1997:p.28 (6)由水 ibid.pp.227-236 (7)Tasson-Brown,Veronica:Early Medieval Europe AD400-1066:in Tait,Hugh(ed.) :Five Thousand Years of Glass:British Museum:1991 p.109f. (8)F.ブローデル:物質文明・経済・資本主義「日常性の構造1」みすず書房:p.400 油紙以外にも羊皮紙、テレピン油を塗った布、石膏の薄片などが使われていた。 (9)ブローデル:物質文明・経済・資本主義「交換のはたらき1」みすず書房:p.66 (10)アリストパネース「雲」765-769:高津春繁訳:岩波文庫:p.88f. (11)ジョゼフ・ニーダム:中国の科学と文明:第二十六章:物理学:(g)光学: (5)レンズと点火レンズ:(iii)点火レンズとレンズの光学的性質 (12)初期の望遠鏡とレンズについては、技術の歴史5:筑摩書房:pp.186-194を参照。 (13)Raguin,Virginia Chieffo:Stained Glass:From Its Origins to the Present :Harry N.Abrams,Inc. Pub.:2003:p.32f. (14)S.ギーディオン:建築、その変遷:古代ローマの建築空間をめぐって:第三章 第七節「壁の穿孔」(3)ガラス窓:みすず書房:p.267 なお、ポンペイの浴場の脱衣場には100×70pという巨大なガラス窓があったが、 ここに嵌められたガラスの厚さは1.3pもあったという。由水「ガラスの道」p.79 (15)由水:「鏡の魔術」中公文庫:p.61
712 :
世界@名無史さん :05/02/12 21:21:15 0
これを読めというのか・・・
乙。
出典を明らかにしているのが凄い。2chでこんな書込みが見られるとは。
715 :
世界@名無史さん :05/02/13 00:09:00 O
うほっ やっぱりkrt氏はいいなぁ
716 :
世界@名無史さん :05/02/13 01:02:03 0
>>714 krt氏はいつもこんな感じですよ。博識ではあやめさん、山野氏と並ぶ。
たまにしか来てくれないのが「玉に瑕」ですが。
>>715 携帯でこれだけのレス読んだんですか…。
Krt氏もすごいが、あんたもすごいと思う。
どうもお褒め頂いて(?)ありがとう(笑)
で、ちょっと訂正を。
>>706 の第二節の三行目に「聖ベネディクトゥス」と書いたが、
これでは有名なあのヌルシアの聖ベネディクトゥスと混同されてしまうかもしれないね。
「聖ベネディクト(ゥス)・ビスコップ」と細かく特定すべきだった。
彼はノーサンブリアの人でブリタニアの宣教者であると同時に旅行家でもあり、
それゆえ大陸の学芸の優れた導入者でもあった人。その経歴に関しては
M.D.ノウルズほか:キリスト教史3:平凡社:pp.79-82 に詳しい。
もう一つ、
>>708 の火つけレンズだが、これも古典期のギリシャ以前から存在した。
この水晶製の道具は、遙か以前のエジプトの発掘品からも出てくるんだそうである。
ただレンズの「集光」ではなく「拡大」作用に対する関心が当時どの程度あったのか、
ということに関してはまだまだ謎ではあるのだけれど。
719 :
652 :05/02/24 22:27:40 0
720 :
世界@名無史さん :05/02/24 22:41:46 0
明治の文明開化期には首都圏に次々と煉瓦建築が作られたが、 これらは震災で大半があぼーんしてしまった。 地震に対して脆弱なことが露呈し、以後煉瓦建築は廃れた。
明治の話しているのではないのですが・・・。 ま、廃れた理由は同じとは思うけど。
湿気も関係あるかもね
723 :
世界@名無史さん :05/02/28 21:02:44 0
柴又帝釈天の参道で火打石が売られていたが、脇に「火打石は、打てば炎が出る石ではありません」との張り紙があった。 実際、火打ち石だけでは火はつかない。そして難しい。 火打石(石英)と火打金、そして火口(ほくち)と付け木がワンセットになって初めて火がおこる。 石英などの堅い岩で硬鉄を打つと火花が散る。この火花を植物の綿毛や襤褸を炭化させて作った火口に落とすと、 小さな赤い火が起こる。これに薄く割った板の先に硫黄を塗った「付け木」を近づけて息を吹きかけ、 初めて火が起こる。 よく時代劇なんかでは火打石を数回打っただけで炎が上がっているが、これは間違い。 火打ち道具でそんなに簡単に火が起こせるなら、マッチやライターの発明の必要が無い。
724 :
世界@名無史さん :05/02/28 21:18:22 0
うちのほうでは、昭和30年代まで贈答のお返しに必ず付け木を乗せていた。 その習慣が無くなっても母(亡)はお返しのことを「付け木」と言っていた。
725 :
世界@名無史さん :05/02/28 21:21:01 0
726 :
世界@名無史さん :05/02/28 21:22:49 0
付け木についている硫黄、音がイオウ、イワウ、祝うに似ているから、 贈答に付け木を乗せたというね。 また、落語「王子の狐」に登場する王子の料理屋、「扇屋」の土産の玉子焼きの折り詰めには、 必ず付け木をつけていた。硫黄の匂いを狐が嫌うので、ばかされ用心のためだとか。 現在はマッチで代用しているが。
うーむ。そもそもガラスというのは、素材は何なんだ。 自然界に存在する金属を溶かして平らにするとできるのか? どこかで電気がないとガラスの加工はむずかしいとか書いてあったのだが…… ちと、そこら辺、事情に詳しい人頼む。
天然ガラスなら人類は原始時代から使ってるぞ
729 :
世界@名無史さん :05/03/02 20:37:32 0
ガラスの主成分は石英だっけ? 天然ガラスっつうと黒曜石かな。
730 :
世界@名無史さん :05/03/02 20:48:31 0
はあ?ガラスが金属?どっからそんな発想がでる? ガラスの原料は砂だよ。それに灰などを混ぜて高熱に熔かし、 急速に冷やすと出来る。 黒曜石は「天然のガラス」ね。ガラスの破片のように破片が鋭いので、 古代の利器の大切な原料だった。 また、石器時代さながらの暮らしをしていたオーストラリア先住民は、 白人が残したガラス瓶のかけらで石槍ならぬ「ガラス槍」を作っていた。
まあ添加する意味での材料なら金属も含まれるやもしらん
>>727 難しい!
普通のガラスは、素材的には珪酸塩や炭酸塩などの化合物で、
原子の並び方が結晶構造をもたない(非晶質の)液体のような固体といえば良いのかな。
同じ珪酸塩でも結晶構造を持つとガラスとは言わない。
しかし結晶化ガラスというものも存在する。
また、素材のことではなく、結晶構造のことを『ガラス』ということもあり
非晶質の金属でもガラスと表現(グラスメタルetc)することがある
>>732 ×原子の並び方が結晶構造をもたない・・・
○結晶構造(原子の並び方が規則的でない)をもたない・・・
とりあえず「アモルファス」でぐぐってもらおうではないか
735 :
世界@名無史さん :05/03/08 11:17:09 0
「ステンの包丁」? 誰がそんなもん使うか! 錆だらけの包丁なんて・・・
736 :
世界@名無史さん :05/03/08 11:54:38 0
>>735 ステンレスを略したつもりと思われます。
しかし、包丁は刃は鋼に限ります。いくら高級品でもステンレスは切れ味が悪い。
いまどき、本物の和包丁はよほど老舗の刃物屋にしかないんですが、都心に行くと
包丁のことは忘れてしまい、5年も買い換えそこないました。
737 :
世界@名無史さん :05/03/08 14:58:59 0
セラミックの包丁やはさみが一時もてはやされたけど、 今売られているのだろうか。 と疑問を持ちながらも、写真フィルムカット用セラミックはさみを買ったことがある。 当時2500円。 バッカじゃないの、と言われたけど。
農業・園芸用ではセラミック刃のはさみ類が今も売られているよ。 泥汚れや水濡れによるサビの心配がないしね。
ステンレスの刃物は100年くらい前からかな
>>739 刃物に使われるマルテンサイト系のステンレス・スチールは1913年の
発明だから、まだ100年はたっていない。
ステンレスの刃物がポピュラーになったのは、第二次大戦後。
古代の明かりの素材って蝋燭とか油だけ? あとはカンテラとか。 そういえば蝋燭ってなぜ燃えるの? 蝋を燃料にして燃えているのか?
人類最古の照明、たいまつを知らんのかね・・・
>>741 油と同じで、蝋は気化しないと燃えない。
だから芯が要る。
a
745 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 00:59:24 0
何をいうか。 人類最古の照明は「焚き火」じゃないか。 「松明」は、「持ち運びできる照明器具」の最古。
746 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 02:40:04 0
人類最古の照明は山火事じゃないかよ
747 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 02:42:31 0
人類最古の照明はハゲ頭じゃないかよ
748 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 12:12:50 0
月明かりの立場は・・・
749 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 17:19:24 0
マーク・ボラン&T・REX ♪メタル・グルー♪
750 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 17:27:00 0
太陽が最古の照明であろうが・・・
751 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 20:28:04 0
>>741 古代どころか16世紀くらいまで、照明はほとんど松明ですよ。
蝋燭なんて大変な高級品で、実用品じゃない。お寺で使うもの。
752 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 22:22:57 0
西洋には獣脂蝋燭があるが、日本は櫨蝋蝋燭しかないから本当に高価だったな。 それよりも安価な油の灯明でも、庶民には高嶺の花。 仕方なく炉の明かりで暮らした。
753 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 16:04:02 0
そこで早寝早起きですよ。
754 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 19:32:53 0
魚の油は安価だったみたいですね、しかし臭いので行燈の臭いに 耐えかねて火を消して寝たと記録にあります。
>>日本は櫨蝋蝋燭しかないから そうなの。江戸期に行灯とか普及していたでしょ。 『白鯨』は鯨蝋(げいろう)を取る話なのだけれど、 西洋では鯨の前は何を原料にしていたのだろう? 百科事典には、「蜜駐」と書いてある。
>755 行灯の光源は油の明かりなんだが・・・
757 :
世界@名無史さん :2005/03/27(日) 17:41:01 0
古今東西の灯用植物については: 「燈用植物(ものと人間の文化史 50)」(深津正・著/法政大学出版局・刊) に詳しいですよ。
西洋では、鯨蝋の前は獣脂蝋燭だったはずだよ。もしくは蜜蝋か。
760 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 00:59:07 0
プロジェクトXのたたら製鉄見て感動したわけだが・・・ どうせニダー国が、「タタラはウリナラ起源ニダ!」と 主張するんだろーな・・・
>>760 如何だろう?向こうに良い原料があるかどうかだな
(なんとも言えないが・・・)
記憶モードだが、
日本にはチタン含有量が少ない砂鉄があって、
火力が小さい低温でも(青銅の技術の延長で)砂鉄を還元できたからな
762 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 19:44:02 0
763 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 19:46:01 0
764 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 01:53:17 0
>>765 ルビーなどは、早くから合成技術が確立していて、大粒の結晶が
作られていたね。人工か天然かは不純物の混入状況で判定する
ことが多いらしい。つまり、工業素材としては完全に人工ルビーの
ほうが優れていて、天然ルビーは単なる希少価値しかないという
状況になっている。
ダイヤモンドの合成については良く知らないが、ダイヤモンドも色
の付いたものがあるから、天然か人工かは不純物や結晶構造の
乱れなどで判定するようになるんじゃないかな。
ダイヤモンドも工業素材としては人工物が天然物を上回るのは確
実だろう。
だけど、ダイヤの場合はルビーと異なって、宝石としても透明で形
が整った結晶を上質としてきたから、人工ダイヤモンドのほうが外
見上、宝石としても上質ということになると、混乱するだろうね。
767 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 06:31:58 0
ある王様がダイヤモンドをいくつか溶かして大きなダイヤモンド1つを 作ろうとし、るつぼに入れて炉に入れたら、 燃えて無くなってしまった。
768 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 10:00:02 0
>>766 ダイヤの元素は石炭と一緒だが、ルビーとサファイヤはコランダムで結晶化
していないコランダムは汚い石だが硬度9だから、性質が違うんじゃない?
769 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 10:12:35 0
人口ルビーはレーザー用が主用途だから、超高純度が必要。 人工ダイヤモンドはダイヤモンドカッター用だから、硬ければそれでよし、純度は重要ではない。
ただあの記事に載ってるCVD法は従来の人工ダイヤでは安価に作るのは 難かしかったクラリティ(透明度・傷などの品質)においても本物と 同等以上を実現できるらしい。また、大きさについても現在は2カラット程度 がやっとだが、理論的にはさらに上も狙えるとか。 まだ発売前(今夏予定)だが、ゆえに業界は脅威を感じてるらしいよ。
771 :
603 :2005/04/07(木) 23:31:56 0
>>765 CVD(Chemical Vapor Deposition)合成ダイアモンドについては、下記で詳細に。
http://www.gaaj-zenhokyo.co.jp/researchroom/kanbetu/2005/kan_2005_03-01.html 紫外線蛍光において、特徴的なオレンジ蛍光が見られるとか。
残念なのは、調べたサンプルの内、無色は1つだけで、他はブラウン系の色
を帯びているとのこと。宝石として上質とは言えないようです。
アポロダイアモンド社によりますと、宝石質CVD合成ダイアモンドの製造は、
当初年間5,000〜10,000ctを目指し、その後生産量を増やす予定
であるようです。
一万キャラットというと大変な感じですが、その全てが宝石用ダイアモンドの原石
であるとしても、世界の天然宝石用原石の年産の0.0001%です。
また、CVD合成では、厚みを出すのに時間が掛かるので、ラウンドブリリアント
カット用の原石を作るのは大変です。金星探索船パイオニア号の窓とかに使うには
経済的でいいと思います。
772 :
603 :2005/04/07(木) 23:32:22 0
世界のダイアモンド原石の生産量は1年間に約一億キャラットだそうです。 それは、約20dです。その内宝石用として使われるのは、だいたい20%で すので、4dです。しかし、カットすると60パーセント以上(ラウンドブリリ アントカットの場合で)減ってしまいます。それで、カットしたダイアモンドは 1.6dにしておきます。(800万キャラットぐらいかな。)ダイアモンドの比重 は3.52ですから、世界の1年間のカットしたダイアモンドを不可能だけど隙間なく 詰め込んだとすると、0.45立方メートルぐらい。ブルージュのダイアモンド博物館 の展示の0.4立方メートルとほぼ似たような数字を得ました。 宝石用20%というのは、中〜上等な宝石の場合(上等な物は10%未満)で、 その下の40%の石も頑張ってカットして、通販などで?売っているそうです。 昔は、下位75%は工業用に使っていたそうですが。その、40%の石のカット 歩留まりは相当低いでしょうし、カットしても価格はかなり低いものと思われます。
773 :
603 :2005/04/07(木) 23:32:59 0
もうひとつの興味は大きさかな。 皆知ってるとは思うけど、10カラットのダイヤは1カラットのダイヤの10倍の 値段ではない。もしも10だの20だのダイヤが費用も期間もさほどかけず にできるようになったら大変なことになるかも。
デビアスの馬鹿げた支配が終わることを考えれば、人工ダイヤの品質向上は いいことではないかと。
776 :
世界@名無史さん :2005/04/09(土) 14:21:34 0
すでに開発妨害工作くらい裏で始めていそうだ<デビルス
>>776 開発妨害っていうか、特許押さえようとするんじゃないのかな
779 :
世界@名無史さん :2005/04/14(木) 23:15:32 0
デビアスの手が及んでいないダイヤ鉱山はあるのでしょうか? サハやカナダなど比較的新しいところはそう?
マリネラ
781 :
世界@名無史さん :2005/04/22(金) 01:22:46 0
宝石でなく工具としてのダイヤの利用はいつごろからでしょうか? 宝石としての利用より古いのでしょうか。
782 :
603 :2005/04/24(日) 01:46:41 0
>>781 プリニウスの博物誌にこう書かれている。
アダマスがうまい具合に砕けると、殆ど眼にも見えない欠片に崩れて
しまう。その欠片は、宝石の彫刻家から多くの需要があり、それは工具
の中に挿し込まれる。というのはそれはどんなに硬い物質にも難なく孔
を穿つからである……
ということは、ローマ時代から工具として利用されていたようです。
ギリシャの文献にあるadamasは、征服不可能なものという概念をあら
わしてはいるものの、主に鋼鉄のことを指していて、あと、アリストテ
レスの弟子のテオプラストスという人がダイアモンドに言及しているら
しいのですが、よくわかりません。後のプリニウスの時代には「アダマ
スはたんに宝石のなかだけでなく、人間の所有するあらゆるもののなか
で、最大の価値をもっている」とカットもされていないはずのダイヤモ
ンドを絶賛しているのは、ダイヤモンド崇拝国のインド商人に俗信付き
で売りつけられたかららしいです。
783 :
603 :2005/04/24(日) 01:47:50 0
「最も古くは紀元前2世紀にはダイヤモンドが彫刻用の工具として使
われた」※「ダイヤモンド その神話・魅力そして現実」p.12 砂川一
郎監修 三洋出版貿易1980 とあります。
そして、紀元前4世紀とか7世紀とかにインドで発見された石と書かれ
ていることもあるけれど、これには文献の裏付けはありません。
まあ、以上に硬い石→呪術的な力→宝石!その後で工具という感じが
します。
ダイヤモンドの宝石以外の用途は、ダイヤモンドによるダイヤモンド
の研磨(大昔から)と、ガラス切りとしての用途(15世紀頃から)が
古いのですが、工業用の用途が成り立ったのは、南アの鉱山で大量に産
出するようになってからです。そして、第二次大戦中に工業的な潜在能
力がたくさん見つかり、今ではシリコンウェハーをスライスしているの
もダイヤモンドです。
冷戦の終結により、それまで備蓄していた軍需用ダイヤモンドを大量
放出しているため、総務省統計局統計データを見ると、
ttp://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/0505.pdf 1位で桁違いに多くをアメリカ合衆国が、9位にフランスが鉱業生産?
しているのが興味深いです。
784 :
603 :2005/04/24(日) 02:19:13 0
785 :
世界@名無史さん :2005/05/04(水) 14:34:57 0
でも不思議だね。貴金属や宝石って発展途上国や僻地に不思議と集中している気がする。 いや、地下資源に頼らず勤勉に働いた地域が発展したせいか?
平地に普通は鉱「山」は無い。 現に都会になって住民が住んでる下を掘って探すのは温泉くらいのもの。
現代における産業としての地下資源採掘って、 どんな程度の位置づけなんだろうか。 例えば、シリコンバレーの地下にダイヤの鉱脈が見つかったとして、 ハイテク企業を他所に移転させて、露天掘りやるのと、 そのまま放っておくのとでは、地元にとってはどっちが得か。
788 :
世界@名無史さん :2005/05/11(水) 11:36:23 0
トルコの遺跡から世界最古の鋼、製鉄の起源見直しへ
トルコのカマン・カレホユック遺跡で出土した紀元前18世紀(アッシリア植民地時代)の鉄片が鋼(はがね)
だったことが、岩手県立博物館の赤沼英男・上席専門学芸員(文化財科学)の分析で判明した。
これまで世界最古とされてきた紀元前14〜12世紀(ヒッタイト帝国時代)の鋼を約500年さかのぼる発見。
従来、世界で初めて高度な製鉄技術を確立したのはヒッタイト帝国だと考えられてきたが、アッシリア期の
鋼が確認されたことで、製鉄の起源は根本的な見直しを迫られることになりそうだ。
同遺跡は中近東文化センター(東京都三鷹市)が1986年から発掘調査を続けている。分析された鉄片は
2点で、幅はいずれも約1センチ、長さは約1〜2センチ。紀元前18世紀の建物跡から94年に出土した。
これらの資料の組織を約1000倍に拡大して観察したところ、強じんな鉄である鋼と確認された。また、蛍光
エックス線分析によって明らかになった炭素の含有量(0・1〜0・3%)からも、鋼であることが裏付けられた。
鋼は、鉄鉱石から不純物を取り除いただけの普通の鉄よりも高度な技術が必要とされ、これまで確認されて
いた最古の鋼は、同遺跡で出土した紀元前14〜12世紀のものだった。
ヒッタイト帝国の首都ボアズキョイで、鋼のことを示すとみられる「良質の鉄」と記した粘土板文書が発見
されている。この資料からも、ヒッタイトが鋼を作る技術を開発、独占していたとの考えが一般的だった。
今回の発見について、中近東文化センターアナトリア考古学研究所の大村幸弘所長は「メソポタミアから
やってきたアッシリア商人が、優れた冶金(やきん)技術をヒッタイトに伝えた可能性が出てきた。ヒッタイトと
鉄との関係を根本から考え直す必要がある」と話している。
◆カマン・カレホユック遺跡=トルコの首都アンカラの南東約100キロに位置する、基底部の長径約280
メートル、高さ約16メートルの楕円(だえん)形の遺丘。紀元前約2300年から、アッシリア植民地時代、
ヒッタイト帝国時代などを経て、オスマン・トルコ時代まで約4000年間にわたって集落が営まれた。
http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/kokusai/20050511/20050511i501-yol.html
三笠宮も行ってたよな>カマン=カレホユック
うひゃ。世界史の定説を覆す大発見やん。アッシリアが巨大帝国を作れたのは 鉄器のおかげもあるということになるのかな?
791 :
世界@名無史さん :2005/05/11(水) 19:35:48 0
中近東辺りがはげ山だらけなのは、製鉄用の燃料として山林を切り払ったのが原因?
材木用、農地開墾、戦争、過放牧、その他もろもろでしょうな。
>>790 本土じゃなくて植民地で発見ってのも気になるな
保守
795 :
世界@名無史さん :2005/05/28(土) 14:32:48 0
もったいないからあげ
>>793 万年属国のウリナラ起源説のあれを連想?
∩___∩ | | ノ\ ヽ | / ●゛ ● | | | ( _●_) ミ j 彡、 |∪| | / ∩ノ ⊃ ヽ ( \ / _ノ | | .\ “ /__| | \ /___ /
798 :
世界@名無史さん :2005/06/11(土) 11:12:49 0
日干し煉瓦があるくらいだ、焼成する土器の発明以前に 日干し土器が先に存在しててもおかしくないかも。
799 :
世界@名無史さん :2005/06/11(土) 11:54:47 0
無理。 日干し煉瓦は雨に弱い。 もし日干し土器があったとしてそれは煮炊きに使えない。
800 :
世界@名無史さん :2005/06/11(土) 12:12:53 0
水に濡れるとすぐ崩れてしまう日干し土器のもろさに嫌気がさし、 くやしまぎれに焚火に投げ込んだ・・・ 翌朝見るとそこには・・・ なんて発祥だったりしてなw
ロビンソン・クルーソーがそんな展開で土器を焼き始めてたな。
802 :
世界@名無史さん :2005/07/03(日) 13:37:30 0
ラピタ式土器がメラネシアまで広がっていたのに ポリネシアに拡散移住した集団からは土器文化が途絶えてしまったのは、 途中に珊瑚礁の島が多く、石灰質の砂ばかりで粘土がほとんど存在しない島が多かったからとも言われている。 タヒチやハワイなど火山島もあるが、ここにたどり着くまでの数世代のうちに 土器作りは忘れられてしまっていた模様。
そこでシャコ貝の殻製鍋ですよ。
804 :
世界@名無史さん :2005/07/17(日) 00:48:56 0
しかし貝鍋は容積が小さいし、ニ三回使えばすぐにダメになるからねぇ。
なるほどね。それで包み焼き料理が発達したわけね。
一昔前は洗面器ぐらいのシャコガイは結構あちこちにあったらしい。 耐久性はあれだが。
>787 瀬戸市が住宅地の下の陶土をほるかどうかでもめている。
808 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 23:35:33 0
東日本では瀬戸産の陶磁器が流通していたので、陶磁器を「せともの」という。 西日本には唐津産のすり鉢が流通していたので、すり鉢を「かがつ」という。 中国産の磁器は西欧で大評判だったので、磁器を英語でチャイナと呼ぶ。 日本産の漆器は西欧で大評判だったので、漆器をジャパンと呼ぶ。
809 :
世界@名無史さん :2005/07/22(金) 01:54:07 0
同様に、磁州が名産地だったんで「磁器」と呼ばれるようになったの?
【磁器】 かたく焼けしまってカラス質化し、吸水性のない白色の焼き物。石焼き。 多く磁州(今の河北省磁県)の窯に産したからいう。
なを、【陶器】の項目はこの辞典には無し。
812 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 19:48:34 0
今をときめく石綿、古くは新石器時代の土器に、粘土と一緒に練りこまれた地域もあった。 強度と耐火力の補強に役立てたようで。 他には古代にどんな使われ方をしたのだろう。 未発達な技術でも、わりあい採掘や加工が容易だったのかな。
813 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 20:01:54 0
814 :
世界@名無史さん :2005/08/14(日) 17:22:19 0
hosyuage
815 :
世界@名無史さん :2005/08/15(月) 23:11:58 0
日本における中国式のガラス製造は、大陸から弥生時代に伝わり、 室町初期まで続いて断絶したらしいですが、その辺の詳しいことご存知の方、お教え下さい。
816 :
世界@名無史さん :2005/08/16(火) 16:26:04 o
正倉院にある「白瑠璃瓶」が確か、国産ガラスらしいよ。
817 :
保守あげ :2005/09/05(月) 08:47:26 0
|┃三,.、 ,r 、 |┃ ,! ヽ ,:' ゙; |┃. ! ゙, | } |┃≡゙; i_i ,/ |┃. ,r' `ヽ、 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |┃.i" ゙; < 夏休みは終わったぞ! |┃:!. ・ ・ ,! | なんとか生き延びたか! | (ゝゝ. x _,::'' \____________ |┃= ,::`''''''''''''''"ヽ. |┃ | r'; |┃ ゙';:r--;--:、‐' |┃≡ ゙---'゙'--゙' ガラッ
818 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 04:51:46 0
age
819 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 00:38:42 0
820 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 03:48:46 0
>>816 国産ガラスらしいよ。
国産ガラスらしいよ。
国産ガラスらしいよ。
国産ガラスらしいよ。
国産ガラスらしいよ。
国産ガラスらしいよ。
国産ガラスらしいよ。
アルメニアだろ
822 :
世界@名無史さん :2005/10/20(木) 23:06:10 0
保守
823 :
世界@名無史さん :2005/10/22(土) 22:38:30 0
日本は、鉄に比べるとガラスの生産は大したことがないよね。
>>823 日本でガラスと言えば、江戸時代に職人の間で急速に普及した眼鏡を忘れてはいけません。
825 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 01:49:04 0
マッチの発明は1816年、フランスのデスロンによるもの。市場化されたのは1833年ころである。 何にでも擦り付ければ火がつく簡便な「黄燐マッチ」。童話「マッチ売りの少女」や、西部劇で 靴底や石に擦り付けて発火させるのもこのタイプである。 しかし黄燐は毒性が強く、触れれば肉や骨が腐る。マッチ工場では職工が黄燐の粉末を吸い込み、 鼻骨が壊死する職業病が蔓延し、しかも黄燐は52℃で自然発火するので、 火災の危険性も大きい。ポケットに入れていたマッチが自然発火し、脚を切断するほどの 火傷を負った例もある。 のちに毒性の無い「赤燐」が発見され、現在のマッチはこれで作られている。 ただ、箱に塗ってある薬が擦り切れたら、火をつけるのが大変。
826 :
世界@名無史さん :2005/10/27(木) 14:17:26 0
>>825 ふむ。間違ったことが書いてあるわけではないが、いささか誤解されやすい記
述じゃの。
まず、現在のマッチは安全マッチと呼ばれるものでの、初期の赤燐マッチとは
大きく構造が異なっておるのじゃ。
つまりの、初期の赤燐マッチはマッチの頭に赤燐を使用することで、黄燐マッチ
の弱点をカバーしたのじゃが、現在の安全マッチはさらに進んでそもそもマッチ
の頭には燐は全く含まれておらんのじゃよ。
今のマッチの頭は塩素酸カリウムなどの酸化剤とガラス粉などを膠、松脂など
で固めたものじゃ。
発火用の赤燐はの、マッチ箱の横板に塗ってある薬のほうに含まれおるんじゃ
よ。あの赤茶けた色が赤燐の色ということじゃ。
>>825 石壁こすって着火するマッチって今でもどこかで売ってる?
828 :
世界@名無史さん :2005/10/27(木) 14:48:51 0
>>827 アメリカには、まだ愛用者が多いというよ。
829 :
世界@名無史さん :2005/10/27(木) 14:59:27 0
マッチ、モア、燃すと
830 :
世界@名無史さん :2005/10/30(日) 16:29:52 0
>>823 金魚鉢、風鈴ぐらい。たいしたものはない。
不思議なのは中国ガラス。ほとんどが透明地でなく不透明の磁器風。 玉製品を模倣することにしか興味がわかなかったのかな。何だかもったいない・・・
832 :
世界@名無史さん :2005/10/30(日) 16:37:26 0
その昔、アスベストは火炎布として広く愛されたのじゃ
とんぼ玉だっけ? そんなのはあったね。
834 :
世界@名無史さん :2005/11/01(火) 22:06:33 0
中国 磁器 日本 漆器 ヨーロッパ ガラス?
835 :
世界@名無史さん :2005/11/02(水) 05:23:32 0
ヨーロッパ 蓮のエンブレムの自動車
>>833 アフリカでも人気があった。三角貿易のときの交換品のひとつ。
837 :
世界@名無史さん :2005/11/05(土) 18:25:26 0
>>812 古代エジプト ミイラを包む布
古代ギリシア・ローマ ランプの芯、建材
838 :
世界@名無史さん :2005/11/05(土) 18:56:37 0
昔の人も中皮腫で死んでったのかな?病名は解からないまでも。
アスベストと病気との関連については気づいていたらしいな。 そもそも古代ギリシャで採掘は、奴隷の仕事。 古代ギリシャの奴隷制度は、過酷な強制労働というものではなかったが、 その例外は鉱山の採掘とよく言われるな。
840 :
世界@名無史さん :2005/11/14(月) 00:19:44 0
皆さんも聞いた事があると思いますが、ギリシア火という兵器の事です。 この武器は、タンクから出ているホースから何らかの液体を相手にかけると 液体が発火して攻撃するという物なのですが、この液体の原料がよく判っていません。 一応、原料の候補として挙がっているのが、 ナフサ、硫黄、松脂、生石灰、油等なのですが、これらを混合後は、液体が自然発火するものなのでしょうか? また他に自然発火する為に必要な材料などはあるのでしょうか? このギリシア火は製法が極秘であり、東ローマ滅亡とともに製法が失われている為、 現代でも製法は謎といわれております。 もし、これら材料等ご存知の方がおられましたらご教授ください。
841 :
世界@名無史さん :2005/11/14(月) 00:28:38 0
んー、逆に聞きたいんだけど、ギリシャ時代にナフサが手に入る可能性が 本当にあったの? 本当に古代にナフサ、粗製ガソリンが分溜製造、保存できたのなら、それ だけで十分に効果的な兵器ですよ。 松脂とか硫黄とかは添加物で、悪臭や粘着性を持たせようとしたんでしょ うかね。現代のナパームのように。 自然発火、自動発火したというのはどうかな。ガソリンの場合は小さな火 でも引火するから、自然発火の手段にこだわる必要もないような。 ガソリンをホースで噴射するとういのなら、自然発火するような調合は危 険すぎて使えないと思う。 現代の火炎放射器も、先にガソリンを噴射し、その後に着火しているよ。
ま、仮にナフサが生産できたと仮定すると、噴射する場合は自動発火は不 要というか、噴射後に手元で着火すれば、あたかも自動発火したように見 えるし、例えば黄燐などを使うのは危険すぎます。 また、瓶などの容器に入れてカタパルトで投擲する場合を考えると、例え ば現代のガソリンを使った火炎瓶の場合は、液体側に硫酸を、発火薬とし て塩素酸カリウムなどの酸化剤を使います。 古代にも硫酸があったことは知られているし、酸化剤として天然の硝石も 利用可能ですので、材料としては一応揃いますね。 ただ、繰り返しですが、本当にナフサがあれば点火方法は無理に自動着火 にしなくても十分兵器になります。瓶の外側に点火した火種を付着させて おけばいいですから。 やはり疑問はナフサ、粗製ガソリンを古代に製造できたのだろうかという 点に収斂しまね。
843 :
朱由檢 :2005/11/14(月) 01:54:09 0
>>840-842 ギリシャ火という呼称自体が十字軍がつけたもので、
ビザンツ側はギリシャ火とは呼んでいませんでした。
なぜなら、この兵器はレバノン出身の建築家カッリニコスが、
673年亡命時に紹介したイスラム教圏の兵器だったからです。
アラビア半島には地表に重油が噴出している天然の油田があり、
焼夷兵器は比較的早期に発展したと考えられています。
ただし、注意が必要なのはナフトという単語です。
イスラム教圏では可燃性原料全般を指すため、
重油やガソリンのみならず、火薬などもナフトと表記され、
しばしば研究者を悩ませています。
ギリシャ火もナフトとありますが、
実際に何を指していたかはわかりません。
さて、ガソリン燃料の兵器といえば代表格は宋の猛火油櫃でしょうか。
これは現在は殺虫剤に使用されているスプレーの応用で、
霧状に噴出したガソリンに火をつける兵器です。
844 :
世界@名無史さん :2005/11/14(月) 12:05:44 0
ちょっと調べたが、専門家があれこれ研究しても確たる結論は出ていない問題 なんだな。 そもそも、ナフサと書いてあるが、現代日本で言うナフサではなく、ギリシャ 語のナフサ、アラビア語のナフトで、むしろ現代語のナフサの語源になった単 語じゃないか。 ナフサがあればギリシャ火を作るのが簡単なんじゃなくて、ギリシャ火のよう な効果を示す石油分留成分をナフサと呼んだというのが正解だろうな。
845 :
世界@名無史さん :2005/11/14(月) 12:17:28 0
ふと思ったのだが、何故日本ではカタパルトのような城攻めの道具が伝来しなかったのだろうか?
伝来しなかったんじゃなくて地形的に運用に値しなかった。
>>845 城郭スレで話題になっていたような気がするが、
日本の城がカタパルト攻めにむかない、平地が少ないので移動等が不便、
だったやうな。
それを言えば、攻城用の大砲もほとんど使用されなかった。 知られていないわけではなかったが、大阪城攻めに使われたのも 大砲ではなく大筒(鉄砲を大型にしたもの)を曲射使用した程度。 大規模に使われたのは、島原の乱鎮圧時に島原城攻撃の艦砲射撃 をオランダ船に依頼した時くらいか。
運べないのなら現場で作ればいいじゃない (マホメット2世)
850 :
朱由檢 :2005/11/14(月) 23:12:59 0
弩 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A9 日本
日本で知られるもっとも古い弩としては、弥生時代に作られた小型の弩の木製の
銃身に相当する臂(ひ)の部分が島根県の姫原西遺跡から出土している。律令軍
制においては制式兵器として用いられ、9世紀の866年には肥前国の一部郡司らが
日本の国家機密である律令制式の造弩法を新羅の一部軍事勢力に洩らして合同
し、対馬を奪取するという企てが事前に発覚して阻止されたことが記録されている。
また11世紀の1062年には前九年の役において安部氏側が厨川柵の防衛に弩を用
いており、これも本来は朝廷側の城柵に設営されていた律令制式の弩を安部氏側
が接収したものを用いていた可能性がある。
しかし10世紀に武士が誕生し、武士を基盤とする国衙軍制が成立すると、弩の使用
は廃れて消滅に向かった。主として少人数のゲリラ的な襲撃戦を主体とした田堵負
名層の反受領闘争鎮圧の任に当たり、長弓を用いた騎射による騎馬追撃戦を主体
として戦った武士によって、大軍団の歩兵による迎撃戦に適した弩は武士の家芸と
しての武芸には向かず、兵器として採用されなかったためであろう。
852 :
世界@名無史さん :2005/11/14(月) 23:39:46 0
弩、石弓とカタパルトは違うやろ。 弩は巨大な弓だが、カタパルトは梃子の原理を使って石なり油壺を投げる物だし。
853 :
朱由檢 :2005/11/15(火) 00:04:24 0
>>852 カタパルト(カタペルテス)は太矢や石弾を機械的な仕組みで打ち出す兵器で、
射出器、もしくは弩砲と訳すのが正しいです。
攻城戦に初めて使用したのはアレクサンドロス大王と言われていますが、
当時のカタペルテスは大型の弩であったと考えられています。
詳細は、こちらでどうぞって、あれ? 戦場の兵器〜スレはもう落ちたのか。 うーん。ちょっと素材の話題からそれすぎなんで、「銃・火砲の歴史」 あたりでどうでしょう。この手の話題はこのスレにとってはレスが伸び すぎるもんで。
855 :
世界@名無史さん :2005/11/15(火) 00:16:02 0
じゃあスレに即した話で。 日本ではカタパルトで火を点した油壺を投げ込むようなことは無かったが、 火矢は盛んに使われた。 しかし矢の飛ぶ勢いで、火が吹き消されるような事は無かったのだろうか? 吹き消されないような、特別な調合の燃料を塗っていたのだろうか?
>>855 残念ながら、あれは単にボロ布などを矢の先端に結びつけ、油に浸して
火をつけるだけで、ギリシャ火ほどの秘密ではない。
ポイントはある程度揮発性のある油と布などの組み合わせ。実験すれば
すぐ理解できる。気化した油の炎は風で消えるが、炭火状になった布の
燃焼は促進される。
矢が目標に到達して停止した段階で、再度油分に着火するという単純な
原理。
857 :
朱由檢 :2005/11/15(火) 01:04:18 0
>>856 日本の火矢は鏃の形が(ry
近世に入ると火薬を(ry
村上水軍などの水軍衆は“焙烙火矢”と呼ぶ(ry
なんかやっぱり板違いな話題なんで(ry
858 :
世界@名無史さん :2005/11/15(火) 01:08:20 0
石油と言えば、古代エジプトでは、防腐用に、ミイラに巻く包帯はアスファルトに ひたした物を使っていた。あのノアの箱舟も、外側をアスファルトで塗っていた。 これが西洋史における、石油利用の始まり。 日本では、縄文時代、石器の刃を木の柄に付ける際、アスファルトを接着剤に使っていた。 時代は飛んで天武天皇の御世、越の国が「燃える水と燃える土」を献上した、という記録がある。 燃える水は言うまでも無く石油、燃える土は天然アスファルトのことである。 江戸時代、越後の国では地面から自然に湧き出す石油を灯火に用いたり、 天然ガスを竹筒で屋内に引き込んで照明や煮炊きに使っていた。
859 :
世界@名無史さん :2005/11/15(火) 02:16:38 0
石油といえばメソポタミアではジッグラトの下の方にアスファルトを塗っておき 洪水による侵食を防いでいたらしい。 今でもイラクでは地面から沸いて出るアスファルトを舟などに塗って 浸水を防いでいるとか。何かの番組で見た記憶がある。
【^▽^】応仁の乱について語る【^▽^】 32 :日本@名無史さん :02/07/24 17:47 応仁の乱で鉄砲が使用されたという説は学会でも認められてきているね。 33 :日本@名無史さん :02/07/24 17:53 鋳銅製の銃なら存在したみたいだよ ほとんど使い物にならなかったらしいけど 34 :火砲進化論 :02/07/24 18:48 命中率が低かったらしいね。鉄砲の時は 威力にも驚いてるけど命中率の方が 脅威的だったらしい。飛ぶ鳥を落とす ということから鳥銃と呼ばれたとか。 45 :日本@名無史さん :02/07/28 13:46 火砲って言えよ。火薬を使った兵器は元寇以来流入してる。 ただ役に立たなかっただけだ。 命中率が高く実用レベルになった種子島銃以前は、石火矢 とかそういう類の特殊な用途の限られる武器だった。 主に焼き討ち用だな。 47 :日本@名無史さん :02/07/29 14:50 よく燃えるようになー。燃えると明るいから 夜襲にもってこい。迷惑極まりないが。 48 :日本@名無史さん :02/07/30 14:39 焼いたら賠償しないといけないので・・あんまり有意義な兵器ではなかった。 東大寺を焼いた松永とか法外な再建資金を要求されてる。値切ってる 松永もなんだが・・・ 51 :日本@名無史さん :02/08/01 14:30 火砲が応仁の乱で投入されたのは常識。 52 :日本@名無史さん :02/08/01 19:26 石火矢だけどな。京都の人、大迷惑。燃えるやんか・・・。 53 :日本@名無史さん :02/08/02 15:02 焼き討ちしちゃダメだよね。御所の修理とか大変。 寺院系は寄付とか勧進名目とかで賠償。
861 :
世界@名無史さん :2005/12/04(日) 21:38:15 0
>>860 改良を試みた者は日本ではいなかったのかな?
862 :
世界@名無史さん :2005/12/04(日) 22:25:38 0
>>859 ダウ船にも航海途上で浸水したときの予備防水材として
船に積み込まれたらしいね。
そういや種子島とそれ以前に伝来していた鉄砲は何が違って性能が上がってるんでしょう。 どっちも銃身にライフル(溝)がないからそのあたりの改善が原因ではないですよね。 鍛造(種子島)と鋳造(ですよね?中国製のやつは)で工作精度が違うとか火薬の配合とか?
864 :
世界@名無史さん :2005/12/08(木) 23:12:49 0
質問です。 東洋の墨は、松の根を焚いた煤や灯明の油煙をニカワと練り合わせたものですが、 西洋のインクはどうやって作るのですか?
タンニンという物質がある。木の皮や虫がつくった木の瘤からつくられる 酸の一種で、もともとは皮革をなめすために使われたもの。 日本では没食子とか、五倍子とか呼ばれる漢方薬の素材が該当する。 この植物性の物質と鉄分などを反応させると、ブルー・ブラックインク等 の金属インクが出来る。 紀元前3世紀頃から知られているインクの製法で、基本原理は今日の インクと同じものだが、それ以前のエジプトなどでは墨と同様に煤や糊 から造った黒色のカーボンインクを利用していた。
タンニンと鉄を反応させる? それ、お歯黒の造り方と同じじゃないか。
867 :
世界@名無史さん :2005/12/11(日) 02:25:10 0
平安時代、三河の国だかにインド人が漂着した。 彼が綿の種子を持っていたので、各国に種を配布したが、栽培技術が未熟で すぐに種を絶やしてしまった。 このことは実に残念ではないか。綿の生産が盛んになるのは江戸時代になってからだからな。 それまで日本には綿のたっぷり入った蒲団も、着心地のいい安い布もなかった。
868 :
世界@名無史さん :2005/12/11(日) 02:27:47 0
当時は、何処で綿を栽培していたの?
絹はありました
>869 絹は高いから、庶民はそう気安く着れない。 麻は風通しが良すぎて、冬は辛いし。
871 :
世界@名無史さん :2005/12/11(日) 02:43:40 0
そこで紙子ですよ。 中世の日本以外で、紙の服を着ていたところはありますか? あればお教え願います。
絹は確かに庶民は縁遠かったと思うが、木綿も貧乏な町民や 中級以下の農民には結構厳しかったと思う。
874 :
世界@名無史さん :2005/12/11(日) 03:14:47 0
紙おむつが普及している所すべて
875 :
世界@名無史さん :2005/12/15(木) 04:14:58 0
麻には、「濡れても脱ぎやすい」という特性がある。 そのため、農村では好んで仕事着に使われた。 朝の草刈で朝露まみれになっても、すぐ着替えられる。 北海道のアイヌが樹皮から取った繊維で織った「アツシ」も、やはり濡れても脱ぎやすい。 そのため猟師の作業衣として重宝された。海に落ちたときにはすぐ着物をぬがなければ溺れるから。
漁師か。何のことか一瞬分からなかった
877 :
世界@名無史さん :2005/12/17(土) 21:47:52 0
878 :
世界@名無史さん :2006/01/07(土) 17:42:59 0
祝4年おめ!
土の素材は何?
SiO2 60〜65% 、Al2O3 10〜25% 、Fe2O3 5〜10% 、ほかいろいろ
881 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 15:45:13 0
age
882 :
世界@名無史さん :2006/02/08(水) 09:44:01 0
ステンレス・スチールを「ステン」と短縮するのはやめてくれ!!
街を歩いていたら、無印良品でクロモリ自転車というのを売ってた。 アルミ自転車、ステンレス自転車と並んでいたから理解できたが、 普通の人にも通じる呼称なのか?
884 :
世界@名無史さん :2006/02/09(木) 10:11:18 0
金属のことはよくわからんが、 クロム・モリブデンのこと?>クロモリ
紛らわしいから、ユニクロというのも使わないで欲しいもんだ。
886 :
883 :2006/02/11(土) 22:59:25 0
>>884 正解。正確にはクロームモリブデン鋼ね。
今日、同じ店の前を通ったら、前回は単に「クロモリ自転車○○円」となって
いたのが、ちょっと説明がついてた。「強度の高いクロームモリブデン鋼をフ
レームに使用しています、、」やっぱり解らない人が多かったみたいだな。
日本軍の鉄兜に使われてたんで、却って年代が上の人間の方が認知度高いかも>クロモリ
888 :
世界@名無史さん :2006/02/21(火) 12:21:56 0
889 :
世界@名無史さん :2006/03/11(土) 20:37:42 0
llコ , ‐-ll、 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜l _ l〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 .. ,! . ̄ l 「l /漢 ̄ ̄二二二二`γ_、 三二― (`ハ´) ,`~ソ 三二― <春暁の次はここも掘るアル 新潟的可燃氷田 `ー―――――一'´ #######
890 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 14:10:34 0
最近は寺の屋根とか鳥居もチタン製が多いんだよな。 チタンは高いけど、酸性雨にもビクともしないから 補修費考えると経済的だそうだ
最近はSteelでも耐腐食性が高い家が増えてきたはず スチールハウスとか。 ってゆうか歴史じゃないなorz
ペンキが進歩したからな
893 :
世界@名無史さん :2006/03/30(木) 17:31:55 0
>>891 鉄はメッキをすることで耐食性を高めている。
軟鋼に錫メッキをしたものがブリキ、亜鉛メッキをしたものがトタンだ。
逆に鉄の純度を上げると錆びにくくなるという話を聞いたことがありますが、 これ正しいの? インドの錆びない鉄柱がそうだという話だったような。
895 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 09:24:27 0
隕鉄がそうだっけ? ニッケルとの合金に近いのが大半とも聞くけど。
896 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 13:30:12 0
897 :
世界@名無史さん :2006/04/11(火) 15:17:21 0
898 :
無鉛 :2006/04/24(月) 23:02:17 0
昨日、TVの旅番組で奈良の大仏様を放送していました。大仏様を見ていて思 い出したのですが、大仏の表面を金メッキするときに大量の鉛が消費され鉛 中毒で奈良の都が覆われ平城京が短命で終わったと何かの本・文献?で読ん だ記憶があるのですが、どなたか当時の大仏の金メッキ手法と鉛中毒につい て知っていましたら教えてください。
899 :
世界@名無史さん :2006/04/24(月) 23:49:25 0
金メッキだったら鉛じゃなくて水銀だった筈。 金と水銀の合金(アマルガム)を作って仏像に貼り付け、 あとで加熱すると融点の低い水銀は蒸発し、金だけが残ってメッキ完成。 ただ水銀は毒なので、作業員は水銀中毒の危険にさらされていた、ということだったと思います。 でもさすがに平城京一帯に中毒が広がるってのは……。
杉山二郎説ですね。吉城川の流れが注いだ佐保川の飲料水が汚染された可能性を論じたもの。 私も流石に大袈裟じゃないかという気がしました。 しかし、このスレももう四年経ちましたか。
901 :
世界@名無史さん :2006/04/25(火) 16:35:40 0
水銀の害を言ったら建築物の赤い塗装に使ってた丹の方が問題ありそうに思えるんだけど どうなんだろう。
902 :
世界@名無史さん :2006/04/25(火) 19:42:07 0
>>900 いえいえ、杉山二郎の「大仏以後」で展開されている大仏公害説は銅精錬の廃液に
よる重金属公害を主張しているのであって、水銀アマルガム法による鍍金作業での
公害発生には触れていません。
大仏の鍍金に50トンの水銀が使われ、すべてが水銀蒸気として平城京に流れたこ
とが、水銀中毒発生につながったと主張しているのは、白須賀公平という人ですね。
>>901 少量の丹は薬としても使われていたね。飲みすぎれば有毒なことは確実だけど。
昔の赤チンも水銀化合物だったはず。
奈良の地形をよく知らないけど、盆地など重い気体が滞留しやすい地形だと空気
中に放出された水銀蒸気のほうが危険だと思う。
>>900 実は私、このスレッドの1です。
「る」さんの代りにスレ立てしたんですが、もう4年、ずいぶんと長持ちしましたね。
904 :
世界@名無史さん :2006/04/26(水) 03:28:15 0
大仏メッキのころは、東大寺大仏殿の建築はあらかた完成していたはずだから、 大仏殿の中に大量の水銀蒸気が充満していたはず。
905 :
世界@名無史さん :2006/04/26(水) 06:51:13 0
大仏開眼法要は露天でやったんでは?
906 :
世界@名無史さん :2006/04/26(水) 13:10:25 0
>>643 アイヌ語で白いはレタラ、赤いはフレ。
完全に日本語からの借用だな。
しかも色の区別を行わずに、固有名詞として理解してたんじゃないの。
907 :
世界@名無史さん :2006/05/20(土) 15:45:01 0
プーチン大統領、世界最大のチタン製造会社を国有化。 これで需給はどうなるのかな。 実はここ何年間か航空機製造ブームでチタン需給が逼迫し 一番余力のあった日本の製造会社は今大もうけしている。 だが旧ソ連時代のロシアは航空機どころか潜水艦(α型)まで チタンで作ったことがあるチタン先進国なんで 国営化して製造力を強化したりすると一気に需給が崩れる可能性もある。
908 :
世界@名無史さん :2006/05/20(土) 15:52:16 0
ある日突然私企業が国営化される国は民主主義国家じゃねーな。 プーチン皇帝の暴走がとまらんなぁ。
ミグ25とかが鉄の塊だったことを考えると旧ソ連がチタン合金をそんなに作ってた というイメージはないなあ。いやま、過去の話かもしれんがチタン先進国などと いうと、なんだか違和感があるかなとw
旧ソ連=ロシアは昔からチタン製造及び加工の先進国なんだが。 高価で製造の難しい金属チタンを何につかうのかというのは戦略的な問題で、 対SR71超高空偵察機、及び対爆撃機用の特殊な戦闘機であり ドッグファイトなんか考えていないため素材もスチールで済むミグ25より 水中で40ノット以上の速度をもち、900メートル?潜れる α型攻撃型潜水艦の方が優先されただけ。
911 :
世界@名無史さん :2006/05/27(土) 17:47:59 0
>>907 欧米との関係が悪化してきたら、
チタン輸出制限とか、需給が更に逼迫する可能性も危惧されてるけどね。
あとチタンの品質は日本が世界一。
ロシア製のはやや劣るので、ジェットエンジン等クリティカルな部分には使われていない。
912 :
世界@名無史さん :2006/05/27(土) 18:04:47 0
ジェットにんぢん空飛ぶにんぢん
チタンとチタン合金の区別がついているのだろうか?
日本はスポンジはいいけど、 合金は今一歩だったか。
つか日本が品質世界一というのにケチつけるわけではないが、いわゆるF15などの 戦闘機のチタンはアメリカ製じゃないの?
どうなんだろうね。 アメリカに輸出したスポンジチタンが 民間航空機にしか使われてないのか、軍用にも使ってるのかはわからないな。 いずれにせよスポンジから合金作るのはアメリカ側だし、合金の組成も機密だろうな。
チタン合金の製造コストの約半分は電気代といわれる。 電力コストの高い国では、当然、コスト高となる。
アルミみたいだな
>>918 チタン精錬にはアルミニウムの更に倍くらいの電力が必要とのこと。
920 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 22:08:55 0
保守を兼ねて: 今だとネオジムみたいな希土類を使った強力な磁石があるけど こういう強力な磁石製造の歴史と将来像について語って欲しい。
常温超伝導が実現すれば、電磁石が一躍脚光を浴びて モーター時代が到来するかも。
現代はすでにモーター時代という事もできるが、自動車などでなぜ主流でないかといえば 電池の問題が激しく大きい。ちなみにモーターそのものは効率としては現在でも内燃 機関など比較にならぬほど高効率。
100年前の自動車の黎明期にも、本命は電気自動車だと考えられていた。 低回転時にトルクが出ない内燃機関は本来おエンジン特性としては自動 車に向かないため、トランスミッションやクラッチが追加されている。 ガソリンを燃料とする自動車が主流になったのは、>922氏の指摘どおり、 効率的な小型軽量大出力の電池が発明されなかったことが大きい。
そうだよね。分かりやすい一つの例としては鉄道を考えればいい。鉄道はほとんどが モーター駆動だろ?いうまでもなくモーターが動力としていろんな意味で非常に 優れているからだ。で、なぜ鉄道で発達してるかといえば自動車と違って外部から 電気を供給でき、使いにくい電池など不要だからだ。
燃料電池でエネルギー面だけを見ればある程度解決するかもしれないけど、 事故ったときの安全性を考えると辛いですな。 ガソリンも非常にやばいけど、それ以上にやばい…
926 :
世界@名無史さん :2006/07/25(火) 13:48:18 0
青銅は錫との合金だったか?
927 :
世界@名無史さん :2006/07/26(水) 07:07:32 0
>>923 エジソンは電気自動車の実用化に熱心だったらしい。
928 :
世界@名無史さん :2006/08/07(月) 21:22:24 0
>>927 ヘンリー・フォードは友人のエジソンの勧めで、まずは電気自動車を開発
しようとしたが、バッテリーの問題が解決できず、仕方なく当時の産業廃棄物
(灯油を精製する際に出るが、揮発性が高すぎて物騒で有効活用できなかった)
に近いガソリンを使用したエンジンに逃げた、ってのは有名な話だとい思うが。
929 :
世界@名無史さん :2006/08/07(月) 22:34:19 0
930 :
世界@名無史さん :2006/09/04(月) 07:53:07 0
age
931 :
世界@名無史さん :2006/09/11(月) 14:01:32 0
今日、定期健康診断に行ってきた。 で、思ったんだが、 @硫酸バリウムはいつ頃から飲み始めたんだろう? Aトイレに流した硫酸バリウムは回収する必要は無いほど潤沢な資源なのだろうか。
>>931 おまえはケツから出たバリウムをそんなに飲みたいのか。
長期的にはそうなるなw まあそれを言ったら、水ものめんし、息すらできないが。
>>931 1.1896年に死体に注入してX線撮影したのが始めらしい。
2.Yes
935 :
世界@名無史さん :2006/10/09(月) 17:17:46 0
>>926 そう。
そういえば東京・オリエント博物館で
「古代ユーラシアの青銅器」展が始まったね。
936 :
世界@名無史さん :2006/10/14(土) 08:45:16 0
937 :
世界@名無史さん :2006/10/14(土) 14:32:09 0
2ちゃんでいきがる気概
938 :
世界@名無史さん :2006/10/15(日) 17:55:11 0
えいえんとか言うとすっかり忘れてた別なものを思い出してしまうな。 まあここではちょっと言えないがw
えいえんはあるよ
ここにあるよ
見つけたぞ。 何を? 永遠を。 それは海に溶ける太陽だ。
宇宙の海に溶ける超新星
944 :
世界@名無史さん :2006/10/22(日) 08:31:37 0
環境省はヘタレである
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/atom/1130250450/l50 1 :名無しさん :2005/10/25(火) 23:27:30
今回発効された環境税であるが、ヘタレである。
1)ガソリンや軽油に当面課税しない方針。
一番無意味にCO2を排出してるのが運輸部門であり
ガソリンと軽油だけに課税するならともかくそこだけ課税しないのでは
1000%無意味である。
2)税収は全額を温暖化対策に充当。
ド阿呆めが、財政破綻で日本円が紙屑になりかけているのに
全額を対策費とは日本国民として恥ずかしくないのか。
30兆円の税収(石油輸入時にリッター当り100円でOK)
を全額一般予算化するぐらいの事は考えられないのか!
945 :
世界@名無史さん :2006/10/22(日) 08:33:46 0
57 :名無電力14001:2005/11/13(日) 15:09:49
温暖化しているのか? 研究中。可能性はあるかも。
温暖化は人為的なものか? 研究中。可能性はあるかも。
CO2が原因か? 研究中。可能性はあるかも。
温暖化すると何か問題発生するの? 可能性としてはある。
温暖化で良いことってないの? 良いこと? それは言わない約束。
このことから環境省が導き出した結論……
「問題発生の可能性があるから、予防対策のため特別会計の税金取りますか。
我が省の洋々たる未来の為に……」
環境省が獲得した予算は無駄遣いされるか?
無駄使いされてます。変な装置にキャラクター。
http://www.env.go.jp/press/file_view.php3?serial=7110&hou_id=6298 我が国にとって、より予算配分すべきリスク対策が別にあるのでは?
あります。耐震補強などの地震対策が全くできていません。
やがて確実に起こる大地震の被害が甚大で死者も多数出るのは知っている。
しかし、環境省としては、起こるかどうかわからないけど、
一部の科学者と狂信者が熱心に勧める温暖化の方が
省益を拡大できそうなので、そちらに予算が欲しい。地震は違う省だし。
946 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 22:11:09 0
ポリスチレンのペレットって、何度ぐらいで溶けるの?
材料物性板で尋ねたほうが早いかと。
948 :
世界@名無史さん :2006/10/29(日) 16:51:13 0
技術】オーストラリア、世界最大級の太陽光発電所を建設へ
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1162102728/ オーストラリアは世界最大の石炭輸出国で、国内の電力源も石炭とガスが主力。
先進国に温室効果ガス排出削減を義務づけた「京都議定書」の批准を拒否している
ことなどから、地球温暖化を懸念する環境保護派の批判の的となってきた。
一方で、人口が集中する東部を中心に、新築家屋はエアコン付きが当たり前となり、
電力消費量は増加の一途をたどっている。全国電力市場管理会社(NEMMCO)の
年次報告書によると、シドニーを中心とするニューサウスウェールズ州では、
2010−2011年ごろに需要が供給を上回る見通し。ビクトリア、サウス
オーストラリア、クイーンズランドの各州ではさらに早く、2008年ごろから
供給制限を強いられる可能性がある。
政府の発表に、環境団体などからは歓迎の声が上がる一方、「太陽光発電所が
できても、石炭が主要な電力源であることに変わりはない」(ニューサウス
ウェールズ大のリチャード・コーキッシュ氏)、「石炭への依存を断つためには
長期的なエネルギー政策が必要」(国際環境保護団体グリーンピースのダニー・
ケネディー氏)といった批判も寄せられている。
ソース/CNN
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200610290004.html
まあオーストラリアは太陽光や風力とかに向いてそうな土地柄だよな
10年ぐらい前は、うちの大学でも太陽光発電を研究している研究者は 大勢いたけど今は皆無。これ以上、変換効率が上がらないんだよ。
変換効率なんぞよりもまずなによりも1にコスト、2に耐久性とかメンテナンスだと思うが
953 :
世界@名無史さん :2006/11/04(土) 20:29:17 0
日本の戦国から江戸時代までの金銀の産出量と 大航海時代の南米の金銀の産出量はどっちが多いの?
954 :
世界@名無史さん :2006/11/04(土) 21:30:32 0
>>951 加えて光電素子は太陽からの直射紫外線にさらすと10年持たない。
砂漠に設置した場合、砂嵐による損傷も大問題となる。
955 :
世界@名無史さん :2006/11/04(土) 21:47:18 0
双子の姉妹だから。
957 :
よろずこ :2006/11/05(日) 22:28:48 0
石見銀山 佐渡金山 は 違うぞ。少なくとも1bitecode内では処理されたくない。!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
958 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 06:14:04 0
>>956 金も銀も見たこと無いの? 誰が見ても区別つくよ。
釣りかなあw
960 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 15:09:35 0
戦前にはセロファン、セルロイド、フィルムや化学繊維以外に、高分子製品としてはどんなものがあったのだろうか?
961 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 15:29:23 0
エボナイト、ゴム
962 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 20:29:06 0
>>956-959 まあ、金と銀は平行して産出することが多いのだが、当然のことながら金銀の比率は
鉱山によって大きく違い、ほとんど金の出ない銀山もある。
幕末に日本国内の金銀の交換比率が国際標準と大きく違い、金の流出を招いたこと
は有名(実際には、当時の銀貨が秤量価値と額面が乖離していたことも原因だが)。
つまり、日本の金銀鉱山の金と銀の比率は、世界の標準からすると極端に銀が少な
目だったということ。
宝石の場合、原石を見ても大したこと無かったりするものがあるが、 だれが気づいたのだろうか?
964 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 22:45:35 0
>>963 普通は、原石を割った断面が美しく輝くので宝石であることを認知できる。
965 :
世界@名無史さん :2006/11/10(金) 20:16:10 0
ほっとくと落ちるのか?
967 :
世界@名無史さん :2006/11/30(木) 22:16:42 0
プラチナが金よりも価値が高く評価されたのはいつから?
このスレ見て思ったんだが 人間が便利になったのってつい最近の事 なんだなぁって・・ でもずっと未来の人間にとっては今の時代は 全然便利でもないんだろうけど・・
>>967 触媒としての工業用需要が高まってからだから、20世紀からじゃない。
まあ、今だって変にありがたがって装飾品に好んで使うのは日本人だけらしいが。 海外では単なるレアメタルの一種。もちろん金なんぞより希少価値は高いがね。
971 :
世界@名無史さん :2006/12/11(月) 07:06:27 0
972 :
世界@名無史さん :2006/12/11(月) 23:47:11 0
太陽電池改良ニュースなんて毎年の ようにきくけど、どうせ普及はしないんだろ?コストその他の理由で。 石油枯渇とかそういうことでいつかはするかもしれんが、コスト安以外の技術改良で普及したためしがない
974
なんか・・・スレの使命はもう果たしきった感が
1 名前:代理人 投稿日:02/01/02 00:10 高校生用質問スレ(1)からの新スレッドです。 本来スレ主となるべき方が、スレッドを立てられないとのことで、代行します。 黄金時代、青銅時代、鋼鉄の時代、ガラスとアルミニュームの時代、プラスチック とセラミックの時代 青銅はなぜ「青」銅なのか、赤銅色とはどんな色を指すのか。 歴史にまつわる様々な素材の話、素材の歴史について薀蓄を傾けてください。 2 名前:世界@名無史さん 投稿日:02/01/02 00:14 青銅は錫との合金だったか?(ちがったらスマソ) 銅はそのままだと脆すぎて使い物にならないからね 確か黄銅鉱なんてのもあったな… 3 名前:社会人 投稿日:02/01/02 00:16 へえ、新鮮なスレですね。おれも知りたいな
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