姫スレからの分家です
逸話が多い割には実体がわからない帰蝶姫
信長死後翻弄されながらも意地を貫いた於市姫
信忠と禁断の愛を育み、子供まで作っていたらしい???
激動の時代をくぐり抜けた松姫等など
信長父子をめぐる姫様達を語るスレです
姫様だけでなく、ご側室や織田を支えた武将の奥様達などに
ついてもOKですので範囲は限定しませんが、
あくまで信長父子に直接絡んでいる方でお願いしたいと思います。
後は各自の判断に任せます。
このスレも姫スレ同様史実考証、逸話、ネタ等間口が
広いスレなので存分な論議の場にして頂ければと思います
なので長文レスも可です。
※関連スレは
>>2あたりで
2da-
3蛇-
すまんが、このネタはこっちのスレで引き取ってくれ
634 :無名武将@お腹せっぷく
某スレからコピペ
97 名前: 日本@名無史さん
>私の家は信忠の正室の出身である
>塩川氏の流れです。
>秀吉に滅ぼされましたが。
>家伝では信忠には盲目の男子がいて
>塩川氏の下で育てられ
>その人が私の家の始祖とされています。
この話が本当だったとしたら秀信弟の秀則が盲目だったという話はなく、
塩川が引き取ってるところからも、この子が寿々との間の子だと思われ
やはりますますあやしい・・・・・・三法師と吉丸
635 :無名武将@お腹せっぷく :
>私の家は信忠の正室の出身である塩川氏の流れです
いつ塩川の娘は信忠の正室に昇格したんだ?
言い方悪いが塩川家のランクでは正室にはなれん
>>6 おたくは何スレ?
しょっぱなから荒れそうな弾投下いくなよw
>やはりますますあやしい・・・・・・三法師と吉丸
何が怪しいの?
9 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 13:25:11
>>8 >何が怪しいの?
ここんとこのスレの流れを知らんのだな。なんかカワイイぞw
本家姫スレと仁科盛信と松姫スレ読んでみなされ。
>>9さん、
>>10さん
教えてくれてありがとう、どちらのスレも読んできました
久しぶり覗いたからこんな面白いことになっていたなんて
知らなかった(涙)
生母の話は興味深々、実際どうかはわからないけど
松姫が三法師と吉丸を産んだとしたら、
信忠は三法師が生まれたことで松姫を離したくなくなってしまって
どこかにすぐ会える環境を作ってしまったのかな?
それで吉丸もすぐできたとか?
この頃は盛信の元に住んでいたのは確実みたいだから
彼が協力してくれていれば武田方へのごまかしはどうにかなるし…
でも織田方で考えると難しいかなって
>>4 浅井3姉妹もこっちか?
確かに織田つながりだけど・
浅井3姉妹はギリギリセーフでは?
14 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 02:32:06
>>11 灯台元暗しで岐阜城下あたりなら完全に目が届く
範囲内だから何かあってもどうにかできるし、日帰り可能
信忠守役の新五が協力者なら岐阜城下なんて庭みたいなもんで、
知人や友人もいるだろうからツテでちょっとした隠れ家なんて
すぐ見つけてくる。
>>14 要するに、信忠の周りは斉藤家縁者含め美濃衆が多く、
支配権も美濃・尾張だったことが幸いしたということか?
斉藤新五と織田勝長以外で他に協力してそうな有名どころって誰だろ?
>>15 14ではないがそういうことだろ
補足するなら信長は自分の馬廻や弓衆にも安土に一緒に来いと命令を出して
家族諸共連れて行ってる上、佐久間や安藤追放でその与力達は皆信忠の
下に位置づけられてたから一部の信長直属家臣とその所領を除けば
三法師が生まれた頃の美濃や尾張は完全に信忠の支配下で直属の配下ばかりw
信長はある意味とんでもないチャンスを倅に与えてしまったようなもん
要は自分の所領に入国さえさせてしまえばいいわけだし、武田の姫だから
顔を知っている人なんて極極一部、誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せると
俺は思う
>斉藤新五と織田勝長以外で他に協力してそうな有名どころって誰だろ?
前田玄以が抜けてるぞw
直接関わったとすれば長生き説をとってお濃、於市、恒興親子、光秀、河尻、
森兄弟、安藤あたりは外せないかなと…
なぜそこで光秀?
>>16 快川紹喜つながりだと思われ
この坊様の相関図は結構凄い
19 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 00:11:01
快川といえば本能寺の変で光秀の信忠への攻撃の凄まじさは
快川の焼死(自死?)に原因があったらしいな、あくまで説だけど
で、
>>16 その協力者を選んだ理由は?
>>18 快川紹喜が崇福寺にいた頃、青年光秀の師だったつー説はホントなんすかね。
諸国放浪の折には妙心寺派の寺院渡り歩いたって話もあるようですが。
しかし「風林火山」の旗書いたことといい「心頭滅却すれば火もまた涼し」といい、
カクイイお坊様だ。土岐氏の人らしいし武門の烈しい血もあってのことかなぁ。
信長激怒で焼き討ちにあっても信念を貫いたと。
...微妙にスレ違いでスマソ
信長が生涯でまじにビビッたという道三と信玄に
一目置かれる存在であり仲も大変良かったという快川紹喜
信長にとって彼は脅威そのものだったろうな…
六角なんて放置して、快川と仲良くしとけばまた違ったろうに
>>21 そういえばさすがの信長も恵林寺を焼き討ち後、
一時的にかなりヘタレたって話もある。
>>19 16じゃないけど可能性を探っとる時期は三法師誕生〜吉丸誕生の頃な訳で、
天正八年から九年前後の動向。
恵林寺焼討は天正十年四月。実質焼討の指揮者だったとされる信忠に対し、
快川焚殺ゆえの憎しみを光秀が抱いたのだとしたらそれ以後の話。
>>21 六角の生き残り含めあのウザい義昭の幕臣が恵林寺に匿われてたというよね。
信長の脳裏に、例の元亀包囲網の苦悩が思い浮かんだのではないか?
正親町天皇との微妙な確執もかかえてるだけに、
天皇から国師号与えられた名僧に対して含むところもあったんだろうね。
>>23 そうなんだ。知らなかった。よければ詳細キボンn
恒興と滝川は違うんじゃないか?
どちらも信長お気に入りで、どんな事情であれ
信忠より信長だと思うのだが…
仮にこの2人を入れるなら利家や村井だってかなり怪しい
猿なんて喜んで首をつっこみそうだ
>>25 >猿なんて喜んで首をつっこみそうだ
つっこもうとしても、信忠に適当にあしらわられるのがオチ
彼は信雄とは違う
仮につっこんでいて信忠の信頼も厚かったとしたら、信孝や勝家や於市が
清洲会議以降あそこまで反発することはなかったと思うが
>>26 信忠は秀吉ととても仲が良く、凄く信頼していたわけだが・・・
武功厨はこれだから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>24 天正八年から九年前後の信忠の動向について少し調べてみた
可能性を探る参考にしてくだされ
〈天正8年〉
戦関連ではこれといった大きな動きはない
5月…安土
7月〜8月…京都
〈天正9年〉
1月…高天神城攻めの応援
2月…京都で馬揃え
3月〜7月中旬?…3月?信長に大目玉をくらい以後全く不明(家出説・謹慎説等有)
7月下旬…安土
10月…信長と伊勢方面を視察
30 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 09:00:52
>>25 たしか信忠の乳母は滝川出
>>26 秀吉が三法師を抱いてきた時、なぜお前がと皆驚いたという話もあるから確かに信忠とのつながりはあまりなかったろうと思われ
31 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 12:57:56
信忠は信雄より信孝の方をかわいがっていたらしいという説について…
死に際で考えると信孝の方が信忠に気に入られてそうな感じではあるな
>>25 滝川と恒興、別に不思議ではないぞ
滝川は信忠乳母が出た家
恒興は、信忠義母であるお濃の末妹(1説には姪)が長男の嫁、
美濃衆の森長可は娘婿と斉藤や美濃と縁が深い
ついでにいうなら、勝長の嫁というか息子の母も恒興の娘と
言われているし、不思議なことに勝頼の倅を保護したのも池田親子
35 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 12:53:52
他スレや様々な説からみた信長の息子評価
信忠>>>>>>>>信孝>>勝長>>>>>>>>>>信雄
信忠って、そんなに担がれるほどいい武将かな?
宮様を助け出して自身は討ち死にしたという判官的要素はあるけど
実際にはそんなに名将じゃなかった希ガス。
多分生きていても、強権を持つ重臣達に乗っ取られた希ガス。
それと、信雄をあまり卑下するものではないぞ。
羽柴〜徳川間を上手く生き残り、一時は内大臣にまで上り詰めて
結果として家名を残せたんだから。
立ち回りが下手で自害した信孝が結果として、一番評価低いと思うが。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 14:04:57
ここは、妄想でストーリーをでっち上げるスレ?
そうですよ
歴史的考察はあまり期待しないでください
39 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 17:59:39
そもそも三戦板で歴史公証を期待すること自体…
恒興親子といえば、おもしろいことに次男の輝政の娘が大久保長安の次男の嫁になっている。大久保は死ぬまで松姫と親しい間柄、このあたりでも接点がありそうな感じ
>>36 日本史板連中の信雄評価はもっと酷いがなww
信雄は家を売ったも同然、三法師が猿の傀儡になっていようとかまいやしない、こんなおバカをどう評価しろと?
>>40 だったら、信孝同様に切腹して右府の血統を絶てというのか?
現実的に考えてみろ。
取れもしない天下を狙って、信孝のように散るか
屈辱的だが、猿や家康に仕えて家名を残すか
どっちが織田家のためかな?
人生五十年ってパパが言ってたもん
織田関連スレで信雄を擁護するレス初めて見た、さすが三戦板(笑)
つうか、信雄って伊勢攻めの大失敗が理由で
信長に勘当されかかってるじゃん
信長公記にも載ってるから読んでみれ、まじに怒り狂ってるから
この時点で信長はほぼ見限ってたんじゃないのか?
なんせ2回目の伊勢攻めで成功したとはいえ、
信忠とわざわざ視察までしているから
>44
伊勢→伊賀か?
微妙に荒れ気味なのか?
ネタも考証もありなスレだと1に書いてあるので来てるんだが。
信雄はネタ満載でキャラ立ってて面白いよ。
>>44のいうように伊賀攻めも、結局全部お膳立てしてもらってw
成功してたけど、その後の視察で信長&信忠&信澄を迎えるにあたり、
家臣達と争うようにしてその御座所を作ってた、
って話が茶筅丸の軽軽しいイメージにぴた〜りでツボにはまるw
信忠はその点、イイ子ちゃんキャラで面白味は今いちかなぁ。
>>29にあるように天正9年に遅れた反抗期があったらしいことが興味深いな。
能に懲りすぎたのが大目玉の原因と一般的にいわれてるけど、
実際はもっと深刻な父子対立があったんじゃないかと見る人もいるね。
ところで信孝の未亡人って、再婚してんのね。今日知りました。
信長が偉大だったゆえに息子らの評価はやっぱり厳しいわな。
信長の息子らよりお市のほうが知名度高いし。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 12:53:35
前読んだ本で、信長の主な息子達についてこう書かれてたよ
信忠→美濃衆に囲まれて育った-武士気質
信雄→生駒衆に囲まれ育った-商人気質
信孝→坂衆に囲まれて育った-武士気質
勝長→武田衆に囲まれて育った-武士気質
だから信雄と信孝のうまがあわないのは仕方がなく、信長も信忠もかなり嫌気が差していたのでは?といった感じ
あと、甲斐から戻った勝長が期待していた以上に立派に成長、武将の素質も十分に持ち合わせていたのを見抜いた信長が、彼を信忠の直下に組み入れて、すぐ傍の犬山城に置いたのは、ゆくゆくは勝長を信雄や信孝の上にすえる考えがあったのではないかと推測していた
そういえば勝長は津田姓も名乗っていなかったっけ?
うん、津田姓名乗ってた。
ある程度成人した息子は信忠以外みんな別姓宛てがわれるのね。
徹底してるな信長。
>>48 生駒氏の一族で信忠の側に置かれた人っていないの?
51 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 22:01:02
>信忠と禁断の愛を育み、子供まで作っていたらしい???
詳細キボンヌ
>>48 仲も良かったらしいな・・・信忠と勝長
武田攻めもだが、勝長は織田に帰ってきてからいつも一緒なイメージがw
二条城の奮闘を見ると信忠同様かなりの剣の使い手だったみたいだし
この2人が生き残ってたらと思うと残念でならない
>>50 残念ながらというか…勿論一人もいなかったということは無いと思うが
力関係でいえば、斉藤(美濃)氏>>>>生駒氏って感じかなと
それに信雄が養子に出される時に一族は付き添い命じられて
一緒に行ってる。これがある意味幸いしたか?
勝長は、甲斐にいた頃松姫に本当の弟のように世話してもらい
可愛がってもらっていたらしいね
信忠と仲良くなるのも自然なながれかと・・・
そういえば、信忠って当時甲府善光寺にあった本尊を
岐阜に持ってきて寺建てるというわけわかめなことしてる
天正10年信忠名で建立なんだけど、この年にそんな暇いつあったのかと
>>53 そんなもん、結婚準備に決まっているだろうがw
55 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/22 12:44:25
>>16 二条城で信忠と共にした中に、かつて道三の直臣だった人もいたらしいな
名前を思い出せないんだが、道三が対面前にうつけ姿を隠れて見に行った時
一緒にいた人。信長でいうと平手爺みたいな感じだったのかなと
多分、この人も協力者だろうしかなり心強かったろうなと
ところで返事マダ〜?
>>55 それ、猪子高就(兵助)じゃなかった?
例の会見後「わが子孫は信長の軍門に降るだろう」という道三の予言を側で聞いた人。
信長の側近としてずっと政権の中枢にいたんだよね。
あの秀吉ですら気を使って手紙出したり、いろいろ相談なんかもしていたらしい。
最後は二条城で信忠と一緒にアボン。信忠とも親しかったろうね。
でも信長にとって、かつての平手の爺のような立場にいたのは、
道三の側近だった武井夕庵の方じゃないかなー。夕庵の諫言は聞いたというよね。
愛嬌のある爺さまには弱いんだろうね。>信長
信長って正直かなり良い人に思えてきたよ最近。
爺好きというとこでポイント高し
信ヤンの理解者は爺ばっかだからな……
道三や宗滴、信玄、爺じゃないけど親父の信秀、年上に愛されるタイプ?
やんちゃ坊やは爺に好かれるのさ
ところで、丹羽長秀は信広の娘と結婚しているが、
あの当時としてはかなり晩婚じゃないの?
62 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/26 16:15:36
>>61 そりゃ信長がヤキモチ妬いたからさw>五郎左結婚
んで長秀と信広娘の間に生まれた子を信長が可愛がって鍋丸と名付けたって話はホント?
お気に入りはあっちもこっちもお鍋ってどうよ。
きっと鍋モノ大好きだったんだろうな
五徳に鍋に杓に茶筅・・・。
信長のネーミングセンスっておもしろいよね
長男なんて奇妙(笑)
茶筅もいいよな
遠く北の国には天才って名前付けた奴もいるが
68 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 01:22:17
>>62 ヤキモチといえば、信長の光秀いじめはヤキモチじゃないかって話題が
前の姫スレにあったよね(笑
信長って結構ヤキモチやきなのかな?
帰蝶巡ってだったっけ?
そういえば、帰蝶って信長とは再婚だったらしい
72 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/04 00:55:31
頼純って道三に毒殺されてなかったっけ?
お濃が何歳ぐらいの話?
お濃と信長といえば、信長が稲葉山城に忍び込んだ時にお濃をみかけて
一目惚れしたっていう逸話があるそうな
なんやその腐女子ウケのよさそうな逸話は
全く関係ないけど、俺はお濃というと池上希実子が頭に浮かぶ
あんな感じの女性ではなかったのかなと…
>>72 頼純死去が1541年なので・・・6歳ですな
>>77 頼純死去は1547年で
帰蝶生まれたのは1535年とも言われているんだが…
これであれば14歳になる
「〜だったらしい」や「という逸話があるらしい」は
巷説や軍記物から歴史作家が書き出した読み物、
新機軸をん狙った小説家が書き広めた
まあ、そんなことが無かったとも言えないお話・・・だな。
>>80 それを言ってしまうと終わってしまうような
>>1にも書いてあるがここは間口が広いスレなわけであって
いちいち固いうんちくたれる必要があるのかと・・・
それに言葉を濁した書き方する奴が多いのは仕方ないんじゃないかな
確証があるわけではないし、某スレみたくなりかねん
いやさ、でも妄想小説サイトみたいに明らかに妄想ですか?みたいなのを「〜だったらしいよ」っていうのは・・・。
「〜だったといってみるテスト」位にとどめたほうがいいんじゃね?どうかのう。
>>82 松姫スレを見ていると非常に良くわかるよ。
あれも書き方をもうちょっと考えれば荒れなかったんだろうけど…
いや、どちらにせよあのスレは荒れたろ
別に書き込んでた連中も三法師の母説について
本気で信じていたようには思えんが…
ただふざけておもしろおかしく探っていただけじゃないかなと
俺的には結構おもしろい話あったし、調べてるとそれなりに
裏を取れるのもあったから妄想と一笑してしまうのはどうかなと思っているが…
まっ、どっちもどっちで反論する側もかなり問題あったからね
関係ない日本史板にまで火の粉飛ばして、そこで西山家文書は
コバルト小説とばかりのわけわかんね発言してるからね
>>85 妄想と記録からの推察の境目がごっちゃになっちゃってると荒れるかも
三法師母・・・と聞くと胸やけが。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 14:35:21
40代と10代前半
現代なら犯罪もんやねw
やはりしていたのだろうか・・・?
当時の感覚でいえば夫婦関係があったと見るのが妥当かなと
でもな、そうなると信長が濃姫より吉乃の方を気に入ってたと
される理由の後家好き説があやうくなりかねないかなと
>>90 吉乃の方が性技うまかったとか言ってみるテスト
実際頼純に嫁いだのがお濃かはわからんが、嫁いだところで
頼純だってまだ12、3歳の女にあれやこれやと仕込むことは
できんだろ。むしろ信長に嫁いだ14歳の時点で変に巧みな
テクニック持ってる方が怖い
この時代って今より早熟傾向?
>>92 かなりね(笑)
信長関連でなく申し訳ないんだが、北条へ嫁いだ信玄の娘は13歳で流産している
姫様とてテクはある程度なきゃね
信玄も、初婚は12〜3の少女で、流産→死亡 させてたような
当時は年齢云々ってあまり考慮されていないような…
月の障りがあるかないかで判断されていたと何かで読んだ
ことがある。愛姫が政宗と寝所を一緒にするようになったのも
それがきっかけと書いてあったような
当時の性知識って案外進んでいたんだな
99 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/05 19:54:42
利家妻の芳春院なんて12歳にして母だからね。
やっぱり月のモノが始った時点でOKなんだろうね。
>濃姫より吉乃の方を気に入ってたとされる理由
って信長が母の土田御前から愛されなかった分、母性愛を感じさせる女性に惹かれた、
という説をとる小説家や研究者もどきのエッセイストwなどが多い罠。
信長=マザコン設定が好きな人って多いんだな〜とよく感じるよ。
他スレ荒らしのsage知らず腐女子はとうとうここにも登場かよ
信玄の先妻て扇谷上杉氏だったよな
>>95 姫の場合そのテクを誰が仕込むのだろうか?
男なら乳母あたりが担当したろうけど
姫スレでみたような・・・慨視感?
>>103 そんなこと別にいいんじゃね?
この板にきたての椰子かもしれんからね
>>92 早熟もだが、かなり開放的でもあったと思われ
崩れつつはあるけど今の貞操観は江戸時代の影響が大きい
>>98 良いセックルの仕方みたいなものまであったw
(みんながそれを活用してたかはわからぬ)
驚くことに、避妊薬や堕胎薬(!)も当時すでに
あったといわれていてお静が秀忠との最初の子を堕ろした時にも
使われた模様
Hなんて今と同じで、嫁に行く前とかに若侍とかとやっちゃってたんじゃないの?
昔は野外でも頻繁に行われてたそうなので。
今と違ってた娯楽が少なかったから、男女のワクワクドキドキでもないと夜暇すぎるでショー。
いくら早く寝るったってねえ。年頃になれば姫様も性欲出てくるんでない?
ルイス・フロイスも記録の中で嘆いてなかったっけ?
日本の女性は処女性とかを大切にしないとか何とかで
それは庶民に限らず姫も同じことだったみたいなやつ
109 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 00:25:25
>>105 当時の避妊薬や中絶薬はリスクが高そうだ
茶々の最初の男が誰か気になる
漏れは於市の初体験はいつかが気になる
濃姫って途中で死んだか離縁されたんだと思ってたんだけど、
前スレとかで資料を紹介して説明してくれた人たちのいうように
斎藤家没落の後も正室の扱いうけたままなんだかんだと信長に大切にされて
生きてたんだとしたら、本能寺が起こったときどうだったんだろ。
自分の母親方の親族が長年連れ添った夫に謀反って。。。
織田家の中で身の置き所がなかっただろうな。
実家滅亡・子に恵まれず・身内が夫を殺害。凄い人生だ。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 14:28:40
115 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 15:38:00
>>114 ヨーロッパじゃあるまいし、実兄が妹とやるわけないとマジレスしてみる
ヨーロッパは近親相姦多かったの?
>>116 多いというかなんというか…
当時の王族や貴族達は娘が年頃になると、主に父や兄がまず処女を奪い技も仕込む
要するに、政略の一つにベッドの中も重要視されていたってことかなと
庶民レベルの場合、領民の中で結婚が決まるとそこの領主が花婿より前に
その花嫁とまずやれる権利っていうものまで認められていたとのこと
勿論、全ての国々や各家がそうであったわけではないだろうけどね
>>117 いかにも西欧らしい考え方だなw
東西問わず姫は何かと大変だ
>>117 ん? どっちかというと処女であることを
シーツの血痕で証明させられたんじゃ?>欧州の王侯貴族
初夜権にしても、むしろ処女信仰に契機がありそうだが。
ルクレツィア・ボルジアとかは白い結婚とかしてたしね
121 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 18:21:54
記憶が間違っていなければこういう感じかなと
>>117は国内もしくは同族の権力闘争向けの場合
>>119は外交政策向けの場合
おいおまいら、日本にも近親相姦してた名家があるじゃんか
どことは決して申しあげんが…
近親相姦といえばプトレマイオス朝エジプト
そういえば戦国大名で近親相姦云々ってきかないよな
日本人の方が健全だったということか(笑
>>112 変後の立場はかなり弱かったろうと・・・
信長の側室でもあった信孝の母親を磔にしたぐらいだから、
(お濃達への見せしめって話もある)
秀吉も大事になんてしなかっただろうしね
信雄の庇護の元、信長や信忠達の菩提を弔いながら
ひっそりと暮らしていたのではないかなと…
因みに、岐阜県美濃加茂市に小見殿という地名が付いている場所があって
言い伝えでは昔はそこに立派な館もあったとのこと
変後はそこに住んでいたのではないかといわれております
あれは嘘くさいけどね
127 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 21:59:36
>>117 >要するに、政略の一つにベッドの中も重要視されていたってことかなと
そんなのヨーロッパだけじゃなくて戦国大名家にも言えることでしょう。
床の作法でその家を乗っ取ることも政略の一部
129 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 22:35:49
>>128 つまり戦国大名も西欧みたく娘を仕込んでたってことかい?
初夜権はあくまで封建的建前で行使されなかったとかうんたらかんたら
でも絶対行使した助平は大勢いるはず
>床の作法でその家を乗っ取ることも政略の一部
確かに政略的には有りだろうけど、戦国期には当てはまらんのと違う?
スレ趣旨の信長周辺でいうと、於市・五徳・お犬・龍勝寺殿あたりだろうが
どれもうまくいっとらん
>>131 五徳と龍勝寺殿は仕込み云々以前の問題だから違うだろ
逆に倅は(ry
>>133 日本各地あっちゃこっちゃにあるよ
ためしにググったらイロイロ出てきてワラタ
政略なんだから夫婦仲が良くなきゃ政略にはならないじゃない。
人質って意味もあるだろうけど床の作法のしっかりした姫様が政略で嫁げば夫婦円満、両国安泰。
それくらい戦国大名だって考えないかな?
136 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 21:42:38
そりゃそう考えたって不思議ではない罠
だけれでも、仮に信長が於市を仕込んだ上で浅井に嫁がせたとして
その後両国安泰してたかってことじゃないかなと
一時は安泰してたが結局長政は於市より家を取って
信長を窮地に追い込んでるぞ
137 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 00:56:35
実際に当時の床の作法ってどんなのがあったんだろうか?
この手の話題になってからずっと疑問
それは三戦では話せない。
>>137 そうだな、ひとまずソープに逝ってこいw
戦国武将は、夜伽ぐらいで骨抜きにならんて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多分
骨抜きにされた戦国武将→朝倉義景
142 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 01:38:05
骨抜きにされた戦国武将→浅井長政@センゴク
>>141-
>>142 朝倉も浅井もダメダメじゃんか(笑)
144 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 02:02:55
だから滅んだ
長政も変な意地見せないでそのまま骨抜きにされていれば
良かったものを…
骨抜きにされた天下人→豊臣秀吉
何だかレスしといて、あれだがだんだんと織田家から離れていくw
全然関係ない話だけど、信雄って信長の子供の中では長生きしたせいもあってか
子供が多かったよな、変なとこ親父に似たのだろうか?
勝長も織田に戻って一年もしないで死んでるのにいるんだよなw
兄弟揃って早撃ち名人かよ
148 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 01:54:08
実際勝長って何歳だったのかな?
帰って来た時は14歳だった説もあるんだけど、
仮に14歳だったらこの時代でも父親になるの早すぎない?
中二で子持ち・・・
元服して正式に嫁とる前にてきとーな女とやっちゃったり
ってのはあるんじゃねえの?
>>150 一説によると、その相手は恒興の娘らしい
これが本当ならテキトーな女ではない罠
そういえば信長も14、5歳で庶子作ってなかったっけ?
中田氏すれば子供はできるにきまっとる
勝長の子である勝良は後々加賀前田藩士になってるよ
流れぶったぎりスマソ。
朝鮮出兵で日本に連れてこられた儒者の手記「看羊録」を購入したら、びっくりすることが書かれてたんですけど。
『関ヶ原の前年、家康が秀吉の遺命をたてに淀殿を室にしようとした。しかし淀殿は大野修理と通じ妊娠していたのでこれを拒絶して従わなかった。』
家康はものすごく怒って大野修理を関東に流した。他の記録でも確かに大野は関ヶ原前年に関東に流罪になっている。
秀吉死後に大野修理の子供産んじゃったの・・・?
大坂の陣の時の記録では大野には息子一人と嫁入り前の娘が一人いたそうだがこの姫って、淀殿の子ってことか?
秀吉死後に家康が淀殿を室にしようとしてたってのは他にもきいたことあるが三角関係になってたとは。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/10 20:27:17
うっわお、おもしれぇw 茶々が室になってたらお江どんな気持ちだったのかね?
そういえば家康って出家してる武田松にも食指伸ばそうとがんばっていたんだっけ?
156 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/10 20:32:26
>>154 なぜ朝鮮人がそんなこと知ってるんだ?w
北朝鮮に詳しい日本人ウォッチャーみたいでイヤだな。
>154
の割に、大野修理は関ヶ原で東軍側として戦っている訳だが。
∧__∧
< `∀´ ><秀吉のスキャンダルを記録に残してやったニダ。キョキョキョキョキョ
159 :
154:05/03/10 21:30:34
>>156 姜は儒者としていろいろな大名のそばにいたりしたからそういう政権中枢の話も耳に入ったみたいです。
キリスト教宣教師みたいに色つけて記録を残してたりしてないみたいなのである程度あてになると思うのですがいかがでしょう。
>>157 家康は大野修理を殺した(殺すつもり?)と一応その記録には残っています。ほかの記録にも、討ち果たされそうになったと書いてあるので、状況としては殺されるか逃げ切れるかのぎりぎりのところだったのじゃないでしょうか。淀殿の助命嘆願があったかもしれません。
関ヶ原を東軍で参戦したのは大坂に帰るためにそうせざるを得なかったからかなんなのか・・・・・・東軍参戦の詳細については書かれてませんでした。
ちなみに、看羊録にも秀頼実父は大野修理と書かれてました。
スキャンダルですよ姉さん。
>159
そのとき同時に流罪になったのは大野修理だけじゃないしなぁ。
もしそんな嫌疑だったら修理だけのはずだが?
>>160 明らかに大野と派閥がちがう浅野長政とかも謹慎くらったよね。
あの一連の「家康暗殺事件」は家康のなんらかの企みであって実際暗殺未遂は起こってなさそ。
いろいろこじつけて重要人物流罪。関ヶ原のための軍略かなあ。
お種は大野でも誰でも、世間的に太閤の子として成長して
豊臣秀頼として死んでるんだから、いーじゃん。
儒者は世間の噂の一つを伝聞として書き記しました。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 02:04:23
>>162 書き記す位の噂になってる方がかなり問題だと思うのだが
大坂の陣の時、大野の娘(茶々の娘?)って京に逃がしたらしいから子孫が残ってるかも
165 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 16:49:18
話を蒸し返すようで悪いんですが、ある有名歴史作家が対談の中で、信長は政略結婚だからと濃姫には手を付けなかったって言ってました
実際そんなこと有り得たのでしょうか?
166 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 17:07:44
政略結婚じゃない正妻なんてほとんどいない罠
政略結婚は子供生ませて血の繋がりを深める為なんだし
何にもしないわけにはいくまい
168 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/12 19:00:59
>>165 武功が発見されてからそういう話をする人が増えだしたんだよね
吉乃への寵愛が深く子供も3人生んでいるけどお濃との間には
子供がいない=していないってことにw
果てに、お濃は離縁されたとか殺されたとか出て行ったとか…
大河が出て行った説取り上げたからそれに拍車がかかってしまったしね
武功以降の信長絡みの本読んでいるとお濃の扱いはかなり不憫にも思うよ
政略結婚だからこそ、大事に扱う。粗略にしたら戦になるよ、なんのための
政略だよ。
上杉景勝の正妻は放置プレイで自害したらしいが
まああそこは正妻より側室のほうが身分が断然上だからな
早々と実家潰れて立場無かったし
>>170 スレ違いだが何も放置プレイと決まったわけでもあるまい。
菊姫は上杉家臣団から甲斐御前と敬われ、賢夫人と名高い女性だった。
自害という説もあるが、通説とされているのは病死の方。景勝は深く嘆いたとか。
弟の信清は武田滅亡後、米沢で三千三百石を賜り上杉家中で子孫を遺している。
所詮、愛情の多寡もセクースの有無も当人以外わからん。
が、信長は見渡すかぎり敵だらけ、という状況の天文末年、
道三から借りた兵達のみに本拠の那古野城を留守させて村木城攻めへ。
少なくとも嫁との関係が悪かったら(信頼関係がなければ)あり得ない状況。
前から疑問に思ってたんだけど、
何かの書物に生駒氏は濃姫の輿入れ以前から信長の女だったと書いてあるよね。
(周囲がが美濃にはばれないよう必死で隠したとかなんとか)
なのに子供を立て続けに産んだのは道三死亡の後ですよね。
濃姫輿入れが14、15歳だとすると、道三死亡まで5年以上あると
思うのだけれど・・・。
ということは信長はそんな何年もの長い間生駒氏とは避妊してたということなのかな?
昔でも避妊とか可能なのだろうか。
以上、どの書物がどれだけ信頼できるのかがわからない寄せ集めの知識
なので間違ってるかもしれないけれど、生駒氏との出会いから出産までに
間があるのがずっと不思議なんです。
濃姫(道三)に遠慮した?とか、でも信長そんなヤワな性格かなあ・・とか。
政秀諌死しちゃうくらいやりたい放題の時代だったし。
女房の尻にしかれるタイプでもなさそうだし・・。
詳しい人教えていただけないでしょうか。
「道三に遠慮して吉乃を生駒屋敷で匿った」ということ自体が、武功夜話にしか
出てこないので、そのへんから推測してみよう。
>>172 吉乃とはしばらくの間今で言う女友達的な感覚があったのではないかな?
武功読む限りでは男とでも下ネタ話を平気で話してしまうような女性だったみたいだからさ、
ふとしたきっかけで、そういう関係になっていったのではないかな
斉藤家に関しては少なからず遠慮も多少はあったと思うが、当時の感覚では結婚前に
そういう存在がいてもさして影響ないと思うが…信長が城に連れ込んでうつつを
抜かす位ゾッコンなら話は別だけどね、そのあたりはお濃だって大名の娘だから
承知していたと思う
当時の薬って案外凄くて避妊薬や腐児薬(中絶薬)、陣痛促進剤まであったけど
効果は知らない、避妊してなくても政宗と愛みたくしばらくの間なかなかできなくても
一人目を境に次々できることもあるから俺は不思議には思わない
実は、吉乃とお濃は仲が悪くなかったのでは?という話がある
信長の心を察してか、子供ができない自責の念なのか、彼女が
吉乃を側室にすることを勧めたらしい、実際吉乃死後お濃は
茶筅や五徳も引き取り育てている、一節に嫉妬のあまり奇妙を
引き取れず村井貞勝の家で一時養育したって話もあるが、
嫡男とはいえそれほど嫉妬していた対象の割にはなぜか斉藤家縁の
人間が側に仕えているからこの説はどうも胡散くさい気がする
少しエロ話になるけど、戦国史研究で有名な桑田忠親って人は
著作の中で信長の筆おろしの相手はお濃だったと書いている
>>174 吉乃を城に置いていたとは思えない
平手も黙ってはおらんだろう
>>175 信長は奥手か?
>>170 賢夫人として2度の転封を内助の功で支えたとか言ってる人いるけど
菊姫は会津にも米沢にも足踏み入れさせてすら貰ってないですね
米沢に入れたのは骨になってから
領内慰撫が優先で万が一を考え入国させなかったというのなら妥当だけども
内助の功とか事実を曲げる極度の上杉厨は如何なものかと思いますね
>>177 領内に帰れなかったのは重要人物上杉景勝の正室として
聚楽第や伏見屋敷に留め置かれていたためなのでは。
170に戻るけど菊姫自害説は米沢市史編纂の研究者の説で
菊姫を取材してた楠戸義昭氏が著書の中で紹介した、ことから
広まっていったのじゃないかな。
どこかの過去スレでそのことも読んだと思うけど・・・。
また側室の四辻公遠女だけど、母は家女房との説がある。
そして四辻家は大納言正二位が極官、決して高位の公卿ではない。
>>177 上杉も好きだが厨ではない。
いきなり人を極度の厨呼ばわりする香師の方がよほど厨だ。
菊姫が二度の転封にしたがって内助の功があったなどと一言も書いてない。よく読め。
賢夫人と謳われたというのも上杉家菩提寺の林泉寺等に伝わる話を書いたまでで、
事実を歪曲した妄想ネタなどではない。
輿入れから死去まで25年の歳月があり、うち春日山城で15年以上同居しているのだから、
おのずとそう伝聞される優れた資質をもった女性だったのではないかというまで。
スレ違いだからこの辺にするが、勝手な思い込みで歪曲だの厨だのの書き込みをするな。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 11:40:59
>>177 松姫の次は菊姫か?
そんなに信玄の娘は不幸であって欲しいのかい?
とりあえず姫スレか松姫スレでやることをお薦めする
いると言っただけで別に貴方が言ったとは言ってない
ググるとイパーイ出てくるよそう言ってる上杉厨
>>175 実際吉乃死後お濃は 茶筅や五徳も引き取り育てている
初耳です。信忠が養子というのは聞いたことがあるけど(勢州軍記でしたっけ?)
これも何かの書物からですか?
>>172 174が言うように吉乃について詳しい文書は『武功夜話』オンリー。
生駒氏が濃姫の輿入れ前から信長の寵愛を受けていたという話の原典も武功夜話ね。
で、その武功では濃姫の輿入れそのものが14〜5歳の時(1549年頃)ではなく、
1555〜1556年、道三の死の前年のこと、としている(濃姫20歳すぎ?)。
よーするに、ウチの吉乃様の方が先に出会ってたんだよ!という訳だ。
濃姫の輿入れを14〜15歳の頃というのは、『信長公記』『美濃国諸旧記』によるもの。
ちなみに、信長と道三の正徳寺の会見が1553年、
>>171の言うように信長が道三の兵だけを留守番にして出陣したのが1554年、
こういう緊密な両家の関係を見ると、私見ではやはり濃姫は1549年に嫁いだのではないかと思う。
それから、これも武功の記述ではあるが、
吉乃が最初の夫といわれる土田弥平次を戦で亡くしたのが1556年で、
信忠を生むのが1557年(月日は不明)。
だから、後家になって実家へ戻り、信長に見初められてすぐ懐妊。コレだと思うyo。
もう一つの戦国時代という本のお濃は、信長の影武者になってるyo
実弟殺しのストレスや桶狭間の無理がたたって信長が精神的な病気になってしまい
変わりに彼女が信長として動いていくって内容
日本版則天武功みたいな感じかな
信長公記他から推測した本で、なかなかおもしろい
結構読み応えあるけど、話半分がオススメ
この本では秀勝と勝長がお濃の実子では?となっていたり
本能寺の変の時、信長は二条城で死んだことになっている
明智軍記の今ぞ知りぬ、信長父子は信長(=お濃?)殺せりという文章にも
注目してた
説明ありがとうございました。武功がキーなんですね。
<武功以外の書物で推測できる事実の順番>
濃姫輿入れ->道三援軍->道三死亡->吉乃前夫死亡->吉乃懐妊
<武功を含んで推測できる事実の順番>
吉乃信長と出会う->道三援軍->濃姫輿入れ->道三死亡->吉乃前夫死亡->吉乃懐妊
でいいでしょうか。
・・でも、武功に吉乃が最初の夫を亡くしたのが1556年と書いてあるのなら、
武功の主張する濃姫輿入れ(1555〜1556)の時にはまだ実家に帰って
いないのでは?? わけわかんないですね・・・。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 01:55:06
>>185 おっ仲間ハケーン、俺もその本持ってるw
確かに読み物としてはかなりおもしろいね
家康がその弱みにつけこんで織田家を密かに傀儡していたとかね
ただ、仮に信長がメンヘラーになったとしても
尾張平定済み後で弟達もいるのだから、
何も危ない橋渡ってまでも無理に帰蝶が代わりを
務める必要があったのかと思うけどな…苦笑
>>186 前の姫スレでも誰かが小牧御殿のくだりを使い矛盾点を説明していたけど、
その矛盾点が武功の信憑性を低下させている要因の一つ
188 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 08:57:39
なぜに有名武将の女だった説はこうも多いのかな…
>>186 一応いっておくと、武功夜話は信憑性が低いどころではなく、「成立したのは
昭和以降」とする偽書説まであるシロモノです(自分も偽書だと思う)。
小説のタネ本としてはまあ面白ければいいと思いますが、史料としては到底
使用に耐えないものでしょう。
そのへんを詳しく紹介しているのが
『偽書武功夜話の研究』藤本正行・鈴木眞哉
です。
でもさ、悲しいかなその武功を資料として取り上げてる人が多いのが現実
>>185や
>>187が言ってる本でも武功を引き合いに出しているし、
武功を書いたメンバーの一人が牛一とまで言ってる始末
真贋はともかく、武功の出現で信長小説やドラマでのヒロインが
帰蝶から吉乃になっていった。
>>191 >武功を書いたメンバーの一人が牛一とまで言ってる
それならなぜ牛一が『信長公記』に、それほど愛され、
実際の正室として尊重されたとかいう吉乃のことを、
ただの一言も触れなかったのかと聞きたいよな。
濃姫に関していうなら、
たとえ大河の本能寺で信長と一緒に死ぬ設定になっていても、
「いや、でもアレは史実ではなくてね〜」と目を覚まさせてくれる本や研究家が、
同時期にけっこう世間に出回っていたように記憶している。今でもそうだし。
(自分が子供のころ、それで目が覚めたからさ)
が、吉乃に関しては、
『武功夜話』がいっきにNHKや大手出版社に「史実」認定されて出回ったことから、
いまだにあの信長と吉乃が真実の姿で、
実は濃姫は離婚されて信長に愛されなくて不幸な人だったんだよ、
という話を、さも「史実知ってます」顔で得意気にされてしまうのが鬱だ。
武功から派生して、
明治時代の作成ではないかと言われる(言い回しが明治の頃っぽいと考えられてる)、
久昌寺縁起をもちだして、信長は吉乃を亡くしてからというもの、
小牧山城から久昌寺の方角を眺めては泣いていたんだよ、と熱く語られた日にゃさ・・・
安土城の間取りでは、信長と御台の居間と寝室は仲良くお隣同士
この御台が濃姫だとすると、吉乃の影はどこへやら…(吉乃ファソすまない)
やっぱり死ぬまでおしどり夫婦だったんではないかなって
武功といえば、秀信は総見院に入山となっていて、岐阜城落城後
生駒屋敷にも顔を出したとなっている。少しできすぎてない?
195 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 02:07:42
話が横になるのだが、来年の大河「一豊の妻」では
お濃はどう扱われるのかな?
秀吉とのこともあるしやはり武功よりかな・・・・・・鬱
とんでも大河の利まつでは、出番も少なかったけど
清洲城内の廊下を、お市の侍女のようにつき従っていた濃姫、
竹中秀吉では吉乃が大活躍で出番はあったのか?覚えてないけど。
国盗での松坂慶子濃姫がやはり花だったんだね。
国盗りといえば、大河ではないけど今年の正月ドラマは
お濃ベースの近年稀にみるタイプで嬉しかった
人によるかもしれないけど、お濃と信長はくっついていた方が
しっくりくると思ふ
198 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 00:54:47
でも菊川・・・
もっと魅力的な女優に演じてほしかった
199 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 20:10:49
信長あっての濃姫、濃姫あっての信長
信忠あっての松姫、松姫あっての信忠
父子揃って一途とか言ってみるテスト
>>200 でも美濃衆は信長政権の中枢にまで入り込んで勢力を築いてるよな
信玄がさっさか松を輿入れさせてかつおけば良かったのにな
ついでに、勝頼が長篠なんてバカやらずにいればよかったのにな
203 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/19 13:36:17
>>202 >勝頼が長篠なんてバカやらずにいればよかったのにな
仮に長篠の激突が避けられなかったとしたら、武田の武将達も
自殺行為的に切り込むぐらいなら、いっそのこと勝頼見捨てて
織田方に寝返ってしまえば良かったものを…
>>203 結局武田の滅亡は避けられないじゃんかyo!!!!
205 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/19 16:09:57
悲惨な滅亡の仕方をしたからこそ武田は語り継がれてきたわけであって…
悲惨というより勝頼が自爆を招いただけだろ
207 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/19 21:43:09
そもそも信長が家康に援軍を送ったのがイクナイ
あれは徳川と武田の戦であって両国と同盟を組んでいたなら
織田はどっちつかずの態度をかましてれば良かった
信長は比叡山をやっちまったのが痛い
もう少し辛抱してからやればまた違ったかもしれないな
>>207 武田との同盟は切れていたぞ当時。秘密交渉とはいえ、将軍義昭、本願寺、松永ら
織田と戦っている連中と同盟組んでいるし。三方ヶ原の前に岩村攻撃されているし。
>>208 ところで、比叡山焼き討ちは何が痛いのですか?
来年の大河、もし信長と対になる女性を誰か出すとしたら、
昨今のNHK路線では、
おなべの方か、赤マフラー吉乃か、このどっちかじゃないの。
濃姫はもう決して光を当てられることはなさそうな。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/21 03:30:35
>>209 >>比叡山焼き討ちは何が痛いのですか?
「天台の沙門・信玄」を怒らせたからでつか(w
213 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 01:22:33
>>211 原作では信長御内室のお濃の方云々と最初から出てくるから
久々にお濃に脚光があたるかなと少しながら期待してる
多分、出てきても最初だけな
馬揃えの時はお鍋になってる悪寒w
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 03:40:58
原作は「功名が辻」なのか?
司馬潦なら、信長の妻は濃姫で決まりじゃないの。
本能寺で一緒に死ぬんじゃなかったかなー
>>215 おっしゃるとおり原作は司馬の功名が辻だそうでつ
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 00:13:40
大河ドラマ板見てきたら、吉乃=和久井映見で話題になってたよ。
司馬の原作がどうあれ、NHKではやっぱり濃姫は出ないか、
利まつみたいにちょっと素通りしてみましたw程度だろう。
制作Pの意向も大きいだろうし。
前半吉乃、後半お鍋じゃないの。晩年は乱丸がベッタリかも知れんがなー。
楽しみなのはもうお市だけさ〜。
吉乃含めた側室抜きで正月ドラマ作ったテレ東はある意味神だな
テレ東>>>>>>>>>>>(武功支持という越えられない壁)>>>>>>>>N○K
>>218 原作に吉乃のかけらもないんだから出しようがない。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/25(金) 00:55:49
>>219 その理論でいくと来年の大河も吉乃は出ない事になる
原作は信長の岐阜入城から始まる関係上、
結婚前の話があまりつくれないから
岐阜入城までを10話ぐらい創作で作るそうだ
なんで原作に沿う路線を取ったとしても、それは岐阜城以降の話
最悪、一豊が生駒の屋敷に出入りしていた関係で秀吉ととかもなくはないかも
原作はもう古いから、その部分は史実に沿って脚色しました、
ってことで生駒屋敷で吉乃さまを囲んで盛り上がる展開になりそう。
お濃は会話の中でちょっと出てくるだけとかね。
吉乃が和久井映見っていう噂はホントなのかな。好きな女優さんだけに複雑だ・・・
お寧をやって欲しいんだけど。
223 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 02:49:42
>その部分は史実に沿って脚色しましたってことで
生駒屋敷で吉乃さまを囲んで盛り上がる展開になりそう
これのどこが史実?
>>222 吉乃役和久井映見っていいね。
和久井おねはないだろ。おねってそんな美人なイメージないよ。利まつでの酒井おねは正直「え?」と思った。
225 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 04:26:08
和久井は、多産系の体つきではない。
むしろ、濃姫むき。
おまいは和久井の何なのだ
227 :
217:2005/03/26(土) 11:44:36
お騒がせしてスマソですが、配役はあくまで2ちゃんの噂です。
その噂が本当なら人気のある女優だし(私も好きだ)、
ますます濃姫の影が薄くなって鬱、と思ってつい書き込んだ。
それにしても、お鍋の方もなかなかドラマには出て来ないね。
緒形Jr.の時の若村麻由美は美しかったけど。
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 01:53:23
武功のおかげで信長が一生の内で最も愛した女性はあくまで吉乃なんだろ
てか、大河に関してはもう引っ込みつかないだろ
そもそも、帰蝶の不遇な扱いに拍車をかけたのも大河なわけだから
でも、信長と婚儀の件以降あまりにも影の薄いお濃は、やっぱりそれなりの存在だったのではなかろうか。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 13:59:04
愚問なんだがお濃と信長の間には本当に本当に
子供がいなかったのだろうか?と思う時がある
信忠と勝長、実はお濃との子だったのではないかと…
根拠のないただの妄想を言ってみる
232 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 14:23:37
>>230 濃姫は子供を生まなかったことが、後世影が薄いといわれる理由だろう。
平穏無事な夫婦生活だったから記述されないだけで、
陰で、信長を精神的に支えていたのかもしれないではないか。
例の、壷事件では、存在感を示している。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 16:08:33
結果論みたくなるけど信長父子周辺の女は、
結局変後の秀吉にとって都合が良かった存在の影が色濃く残された感じがするよ
>>230 でも信長の妻妾で一次史料に残っているのって、
例の山科家日記の信長本妻の壷事件&お鍋への平家物語貸出の記事、
崇福寺のお鍋の文書、結局それぐらいじゃないの?
「信長御台」についての記事がほかの一級史料にも散見されるけど、
これを濃姫とは比定できない、という意見が大半で、
結局史料に名がない=影薄い、説が濃厚なんだよね。
吉乃も武功が出回るまでは思いっきり影薄かったんだけどね。
まぁ朝廷から官位を貰ったお寧みたいな訳にはいかんよね。
よく子供のない正室としてお濃とお寧を比べる人がいるけど、
そもそも大名同士の政略結婚で正室として迎えられた前者と、
ゼロからスタートして二人三脚で豊臣家を作り上げた後者を、
同じような閨閥関係として考える方に無理があると思う。
史料厨ウザw
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/27(日) 23:39:11
>231子供産めない体質だったとか
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 00:31:25
>>235 お鍋が、山科言継ぐから平家物語を借りて読んだの?
興味深いな。
>「信長御台」についての記事があるが、濃姫と比定できない
離婚・死別、または再婚したという記事が存在しないなら、
最初の結婚がずっと続いていた、と考えてもいいんじゃないんですか?
影が薄いというよりも、安土城の大奥で、一般の家臣の前に姿を現すことが少なかったために、
文書に記述されることも少ないと思います。
北政所との比較で言えば
北政所は秀吉が天下人となって以降も人質の謁見や人質への贈答品の交換に立ち会ったりしてる。
秀吉関連の女性で言えば淀殿も当主である息子・秀頼と同席し豊臣を差配してる。
・・・それが後世悪口言われる原因にもなったんだけど。
こうして秀吉関係の女性が結構表に出ているのに対し
信長関係の女性は表に立って出ている人が見受けられないわね。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 12:47:43
>>240 >>信長関係の女性は表に立って出ている人が見受けられないわね。
その点で例外的なのが、妹・市ですな。
信長の母、妻、娘たちを差し置いて、喪主になったりしている。
柴田との再婚も、自分の意志かららしい。
>>241 さすがお市様・・・!
信長の付近にいた女の中じゃかなり目立つ存在
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/28(月) 23:09:44
>>241 確かに、信長の息子もたくさん生き残っているのに、妹が喪主ってのは、不自然だね。
秀吉に対抗するためだろうが。
>>243 うん、確か清洲会議で三法師を抱え込んじゃった秀吉に対抗するために、
信孝がお市を説得して勝家に嫁がせて、
秀吉が取り行った信長の葬儀に張り合うかのようにお市喪主の葬儀をして、
という経緯があったって考えられてるんじゃなかったけ。
>>241 お市が自ら望んだ再婚だったの?だとしたらカコイイな。
信長亡き後の織田家を勝家とともに支える気持ちがあったんだろうか。
お市は秀吉のもとに行くくらいなら、という気持ちで勝家のもとに嫁いだのでは?
清洲会議ではお市の行動はかなり重要だね。
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 02:42:13
お市には、兄に協力して織田家の天下取りに貢献したという自負があったと思う。
そして、秀吉に横取りされるのを座視していられなかったんだろう。
信孝ごときに説得されて再婚するとは考えにくい。
自分の意志だと思う。
武功夜話(w)にもそう書いてあったはず。
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 13:56:21
>>229 帰蝶の不遇な扱い・・・
でも本能寺には連れて行っているし、戦闘の中を日野城(だったか?)まで逃がしたし、
不遇というわけじゃないと思う。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 14:42:44
229が言いたいのはそういう意味ではないと思うが…
信長×吉乃がベストカップルだとおもっている私はNHKに汚染されているのですか?
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 17:44:41
腐女子よ、さらばじゃ
信長お濃の黄金の日々はいずこ
山岡信長だとずっと黄金期
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 23:14:19
>>249 NHK大河から信長×吉乃最高!になった人はやっぱり多いんだろね。
今度の大河もきっとその路線だろうから、楽しみがあっていいっすね。
自分は帰蝶は正室として尊重もされたし夫婦仲も良かったと思ってるから、
また秀吉や利まつのような扱いになるのはツライけど。
ねねとお市を誰が演じるのかが楽しみ。
坂氏やお鍋も出て欲しいかな。いろんな側室を綺麗な女優さんで見たい。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/07(木) 17:53:22
濃姫&信長で武功みたいな文書が出てきたらどうするんだろうなw
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 14:05:07
濃姫つながりで、池田元助のかみさん話なんだが
元助死後、彼女は秀吉の紹介でよりによってあの義昭と
再婚させられてたそうな(しかも確か側室)
信長と義昭の関係を見てきながら秀吉の野郎、何考えてんだ(怒)
>>255 ある意味やりたい放題だったからな>>>秀吉
輝政や養徳院は、内心さぞ悔しかったろう
残っている数通の秀吉から養徳院への手紙では、
この戦に勝ったら尾張一国を恒興に与えるとごますってみたり
恒興や元助が戦死した時は長いお悔やみ文を書いたりと
秀吉の必死さがかいまみれておもしろい
これからは恒興をみるつもりで自分を見て欲しいと図図しい
お願いまでしているのも奴らしいといえば奴らしい
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 17:41:38
秀吉という男は、北条討伐が成功した後
信玄や謙信が早くに死んでくれてよかったよ
まっ、仮に生きていたとしても自分の傘持ちだろうけどと
ぬかし話相手の坊さんを呆れさせた勘違い大馬鹿野郎
>仮に生きていたとしても自分の傘持ちだろうけど
うわっ!最悪
>>258 景勝や昌幸がその話を聞いていたらどうなっていたろう?
>>255、
>>257、
>>258 松姫スレにいた痛い妄想さん達ですか?
正直ウザイんですが・・・
信長が大嫌いだった人に池田の関係者を再嫁させたり、
当主でもない女性に領地の約束したりするなんてありえません
それに後家も出家してたんじゃないの?子供もいたし
信玄や謙信の話もただの冗談話か後世の作り話でしょ?
そういう記録があるなら教えてほしいわ、マジで
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 03:59:39
関八州古戦録知らんの?(笑)
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 16:18:11
>>261 お嬢さん
妄想と決め付ける前に自分で調べてみよう
>>262 天徳寺了伯に語った話だろ。
でも、関八州古戦録の知ったかくらいで笑うなよ(笑)
265 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 19:01:14
てか
>>261の反論の仕方もかなり痛いものがあるぞ
>>265 いや、結構松姫妄想は痛いよ。
支持してる人数人だろ。
普通261の言ってるふうに思うんじゃね?
ちょっと待て
今回の件は松姫のくだりは全く出てきていないにも関わらず
なぜわざわざ松姫スレを絡ませるのか俺ははなはだ疑問に感じる
以前、日本史板や他スレにまで飛び火させたのも反論者側
そして今回も同じような感じだ。正直、ここまですると
かなりの悪質さをも感じているけどな
確かに
>>261のように思う人がいても不思議ではないだろうが
きちんと調べもしないのに己の知ってる範囲でしか判断してないような
書き方をしているから
>>265みたいなことを言われてしまうのではないかな?
因みだが、知人に戦国史研究してる奴がいるから之助後家のことを聞いてみたところ
この文章がそれにあたると言っていた
・多聞院日記(1591年5月11日)
「去月廿六日商山様ヘ関白ヨリ祝言在之、信長ノヒサウノ虎福女也」
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 20:03:35
一言も池田とか元助なんて書いてないのになんでそれが元助の後家になるわけ?
義昭も名前出てきてないじゃない
こじつけもここまでくると立派だわ、本当に
その自称研究者もかなり痛い妄想好きよね、仲良く絶対あり得ないような妄想しあってればw
>268
商山様というのが足利商山(昌山)で義昭のことだな。
友人の研究者が、
大学の先輩が、
ある大学の教授が・・・。
いい加減にしろやまじで
272 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 22:50:06
>>267 どこか他スレでも同じような事を書き込んでない?
だ・か・ら!
おまえらいい加減ヤメレ、仲良くできんのか仲良く
姫スレ系はマターリ進行推奨
>>268 あり得ないような縁組だが、AD1591頃の秀吉なら
そういうことしかねないぞ
秀吉は織田家にたいしての忠義なんてかけらもないからな
三戦板以外の板で妄想するとちょっと恥ずかしい。
三戦自体が恥かくからねえ。
三戦自体恥といわれたらおしまいなのだが。
278 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:50:47
なんでもかんでも妄想にしか見えないのかね・・・
多聞院日記すら否定かよ
>>267 その多門院日記の「信長ノヒソウノ虎福女也」の部分・・・
ヒソウノは「秘蔵の」? 虎福女ってその女性の呼称なのかな。
教えて下さい。
>>279 267ではないけど直訳するとこうなるかな
「(日付省略)商山(義昭)へ秀吉から結婚話があった。
(相手は)信長秘蔵の虎福の娘なり」
ひさう=秘蔵・虎福女=虎福の娘
織田家って将軍家の敵だったから、
信長の死んだ後も敵であり続けるのは無理だから
手打ちってことじゃないかな?
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 14:24:38
濃姫が死後に、どこのお寺からも引き取りを拒否されたと
書いておるサイトがあるのですが、これについて知ってる方
いらっしゃいます?
サイトはぐぐったらみつかったよ。一寸面倒だったが。
濃姫に関してはさんざんここでも日本史板でも話が出ているが
ともかく史料の少ない人で
その死に際して何かあったなんて書いてあるものもなかったように思う。
一番確実なのは、そのHPの管理人さんに基の資料が何なのか聞いてみることです。
他にご存じの方、フォローよろしく
284 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 22:59:37
濃姫は没年や享年、死に場所や墓所のありかさえ不確定で
色んな推測がされてるのに、どの寺からも引取拒否・・・
なんて生々しいお説を書くからには、
さぞや驚愕ものの文書等を保持してるに違いありません。
286 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 21:56:42
age
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 19:55:18
hosyu
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 12:45:37
保守ネタ投入
結局信長は何人娘がいて信長死後はどうなったのですか?
信忠には娘はいなかったの?
289 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 19:13:37
>>288 諸説はあるが、「寛政重修書家譜」によると12人
内訳は、実の娘10人・養女2人
【実子】順不動だが、五徳・冬・秀・振・永・鶴
名前不詳で、三の丸殿・報恩院・徳大寺実冬室・万理小路充房室
【養女】龍勝院殿(菊?)さごの方
死後は、それぞれ。
信忠の娘は、系図にはあるが詳細は全くの不明。
塩川家に引き取られた形跡含め、記録がない。
290 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 22:54:04
>>289 彼女たちのその後をたどっていけば
とりあえずスレの保守は出来そうだな(汗
信忠の娘が養女にやられた塩川家って?
>>290 養女にやったなんて、どこに書いてある?
>>290 大河キャスト発表もあるから、話題には困らないだろう
特に、原作に出てこない岐阜入城前のフィクション部分が、
お濃か吉乃かは、注目だね
>原作に出てこない岐阜入城前のフィクション部分
例によって愛の巣・生駒屋敷で、
吉乃と信長を囲んで藤吉郎&少六その他近習たちが桶狭間に向けて大活躍〜w
お寧や千代も出入りしてみたり・・・てな展開じゃないのかと。
もはや武功がここまで史実認定されてる以上、NHKでお濃の出番はないんじゃない。鬱。
294 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 01:15:17
>もはや武功がここまで史実認定されてる以上
戦国史研究で有名な某O教授からして、武功支持派だもんな
著書織田家の人々(だっけな?)の吉乃の部分で、
吉乃死後は、城から久昌寺のある方をいつも眺めていたと
お約束のくだりを書かれたときゃ〜・・・もうね・・・苦笑
誰かも言っていたけど、もし、帰蝶版の武功みたいな史料が発見されたら、
おもしろいことになりそうだね。
295 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 01:23:38
そんなこといったら吉乃や帰蝶というのもなw
いちいち斉藤道三娘、生駒家宗娘ってめんどくさ杉。
吉乃って呼称は確かに前野家文書による創作の可能性もあるだろうけどねw
通称でいいんじゃね?みんな分かってるんだからさ
>>294 悲しいくらいに終わっとるよな・・・>某O教授
信長周辺の著述に限ったことではないが。
>297
当の生駒家には全然違う名前が伝わっているから、吉乃は前野家文書の創作だろうなぁ。
類。
>>294 その文章には既視感が・・・・、前にも書いてない?
>>303 294と似たような内容を以前書いた記憶があるが、私は294ではない。
>>290 塩川家は摂津衆。摂津多田で一党を率いて勢力があった一族らしい。
信忠の側妻になった娘の父・長満は信長上洛後に従うようになり、
野田・福島攻めにも参戦。
荒木村重や池田恒興の麾下で活躍。本能寺の際には秀吉と合流し、
山崎の合戦では先鋒をつとめる。
ただ、その後の秀吉政権下での一族の詳細は不明。
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 10:58:41
勝頼の母である諏訪御寮人の母は、小見氏と本に書いてあったのですが、
この小見氏って、濃姫の母である小見の方の小見と同じ家なのでしょうか?
もし、そうなら勝頼って濃姫は勿論ですが、
従兄である光秀とも血縁関係ってことですよね?
>>305 私はあまり詳しくないけど、
諏訪御寮人の母は、小見麻績(小笠原長時家臣)の娘で、
濃姫母の小見の方は、明智光継の娘といわれてます。
なぜ、彼女を小見の方と呼んだのかまではわからないけど、
おっしゃるとおり、同じ小見氏だったとしたら、
小見の方の母親は小見氏出身だったのかもしれないね。
吉乃は武功の呼び名だから、武功否定する人は吉乃とは言わない
それでは、今後このスレでは
武功支持派は吉乃、否定派は於類と使い分けるなんてどう?
309 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 22:42:20
>>307 武功夜話に関しては、「もともとは実録として史料価値が高かったのに、
大幅な内容の手直しや加筆など、何度か手を入れられてその価値を失っていった本」
という谷口克広氏の論が妥当だと思っているけど、
ここでも何度か出てきた藤本・鈴木両氏による「偽書武功夜話の研究」を読めば、
生駒屋敷でのエピソードや、墨俣一夜城など、いわゆるドラマになるような
美味しい話の数々がいかに創作めいたものであるか、納得させられてしまう。
吉乃とのエピソードも含めてね。
ゆえに信長が側室・生駒氏娘を、吉乃と呼んでいたとは思えない。類でしょ。
でも武功夜話の大々的な流布によって世間一般ではもう吉乃で通っている。
於類と書いたところで、それ誰、と聞かれることも多いと思う。
これからも吉乃と書くさ。
>>300 んで、301への回答は済んだということでOK?
311 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 02:18:02
>>305 小見の方は、帰蝶と光秀の母(つまりこの2人は異父兄妹)と、
○切は言ってるぞw
>>305 検索すればすぐわかると思うけど、諏訪ご料人母の実家である
小笠原家臣の信濃麻績氏は青柳氏から改姓した家だそう。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 15:46:18
314 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 12:13:51
岐阜市の不動というところには、濃姫の墓と言い伝えられてる
場所があるよ。寺内ではないんだけど。
埋葬されているのは遺髪のみで、遺骨とかではなく、
そこの墓石からも、生没年はわからなかったとのこと。
短命説を取る人の中には、これを引き合いに出す人もいるけど、
出家した時に、剃った髪の毛を大事に取っておく人もいたみたいで、
分骨みたく遺髪だけを埋葬したのかもしれないと、彼女については
未だループ状態。桶狭間の戦いあたり?に結核で亡くなったと
書いてある文献もあるらしいのだが、その後の文献に出てくる御台は
誰ぞやとか、壷事件と【しうとめ】記述もあってますます謎は深まっている。
>>314 >桶狭間の戦いあたり?に結核で亡くなったと書いてある文献もあるらしい
そうなんだ。できれば詳細キボン
316 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 22:20:50
>>314 凄い情報ですね!濃姫に関してそんな文献があったとは、、、
本当に詳しく教えて欲しいです。
御台・姑・養華院、、、これらは一体全体誰なんだ???
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 01:52:29
「織田信長との霊界通信」というのがあるのだが、
そこで「正室濃姫の最期」を信長が語っている。
これがまたあまりにも爆笑物で、おもろいぞ。
※諸々の関係上、内容はそのままに表現等を少し変えてある。
詳しく知りたかったら、「別歴読本・89年5月号」を読んでくれ
―濃姫の最期は?
信長:「わしが、首を斬った」
―いつ?どこで?
信長「二十二歳の時、清州で」
―なぜ?
信長:「おいおいにわかる」
―墓はどこ?
信長:「ない、わからないように消した」
―どんな妻だった?
信長:「良い妻であったが、口がやかましく、出すぎることもあった。
可愛くよそおうふりをしながら、内心は夫を叩くような反対な面もあった」
―妊娠したことはある?
「嫁いできて二年後に懐妊したが、落馬で流産してしまった」
「あいつは、馬乗りによくついてきたのだが、そらが災いしたようだ」
仮にこの霊界通信とやらが真実なら、桶狭間以前に死んだというのは、
あながち嘘ではないということになるのだが…
まずあり得ないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
318 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 02:10:22
>>317 禿ワロスw
乗馬で流産って、北の国からかよ!!!
319 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 16:26:26
桶狭間あたりで死んだと書かれている文献については、
知らないけど、江戸時代の文献にお濃が早い時期に死んだと
書いてあると力説している椰子を、どこかのサイトで見かけたことがある。
他のサイトにも書いている椰子はいたけど、書名まではなぜか書いてない
んだよなw
で、濃姫短命説を唱える人の中には以下の文献を、出す椰子がいる。
ソースが「濃陽諸士伝記」という史料価値的には低いものなんだけど、
ひとまず、おまいらの意見も聞いてみたい。
時期的には、義竜死後あたり
「その頃義竜の息女馬場殿とて、容儀世に優れける故、
信長、妾にせばやとて、竜興へ談ぜられける。
竜興申さるるは、信長は故道三の婿なれば、信長妻の為に姪なれば、
其の妻死後に遣し難し」
>>319 >竜興申さるるは、信長は故道三の婿なれば、
>信長妻の為に姪なれば、其の妻死後に遣し難し
この文章からして、竜興は信長に馬場殿を渡すことを断ったみたいだな
仮に信長妻死後なら、信長との関係を踏まえた上で、
むしろ、信長の希望通り喜んでやったと思うぞ…
それに、妾としてだろ?正妻が存在していたから妾じゃないのか?
斎藤家(一色家)の娘を妾としてというのだから、
正妻もそれなりの身分なのは、推測できる。
そして、信長は道三の婿の関係から、(馬場殿は)その妻をもって
姪にもあたるからと、竜興は理由も言ってるわけで、
文面的に断ってる感じから、これらを総合的に考えれば、
馬場殿は、あんたのかみさんの姪にもあたるわけだから、
道三の娘であるかみさんが死んでもいないのに、
(叔母としての心情からも)その姪を妾としてやれっかよって
感じではないのか?
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 19:48:03
竜興、なんかかっこいいぞ
それにしても、義龍の娘を側室にしたいとは、
やはり信長と帰蝶って仲が良かった感じがするな
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:41:05
>信長妻の為に姪なれば、其の妻死後に遣し難し
ということは、濃姫が死んだら差し上げる、、ということ?
つまり濃姫が生きている、その濃姫が死ぬことを願うわけではないから
側室に差し出すことは未来永劫ないってことだよね。
この文章のどこがあれで濃姫短命説が出て来るのだろう?
>信長妻の為に姪なれば、其の妻死後に遣し難し
楠戸義昭が著書『風雲児信長と悲運の女たち』で、
この文章を、妻であった濃姫が死んだとはいえ、
姪である馬場殿を側室にやるわけにはいかない、
という意味に解釈して濃姫短命説の根拠にしてたような気がする。
本屋でざっと立ち読みしただけだからうろ覚えだけど。
でもこの記事が事実だったとして、
>>320の言うように本妻が生きているからこそ、妾に望んだと考えるのが自然だな。
濃姫がまだ存命なのに姪を妾には出せない、という文意の方が的を得てると思う。
それ以外の濃姫短命説論者の根拠って、なんだろう。
信長公記に婚姻成立以後の記事がないから?
ところで、その文書の信憑性自体はどんなもんなのよ?
325 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 03:02:09
>>324 >>319が書いているとおり、濃陽諸士伝記自体はあれだな・・・w
お濃からの報告を信じて、道三が重臣3人を惨殺したという
ほへ?話もこの文献が元。成立は江戸時代と言われている。
濃姫短命説の根拠は、ざっとググッってみたらこんな感じ
・何回か出ている結核で死んだという記述が書いてある文献がある(しかし文献名不明)
・記録がない
・武功でお類を正妻としているのは、濃姫が死んでいたからこそできたこと
・総見寺の記録にも、正妻は生駒氏と書かれている(ほんまかいな?)あたりから、
尾張に来てまもなく死んでしまったが、道三の手前秘密にしていた。
その内、道三も死んでしまいあやふやに(これはまずあり得んと思う)
酷いのになると、短命もなにも婚約はしたが、結局嫁いで来なかったのでは?
なんていう人もいる。(信長公記は無視かよ!)
326 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 10:02:44
>>325 >総見寺の記録にも、正妻は生駒氏と書かれている(ほんまかいな?)
そんな記録があると言われてるとは全然知らんかったよ・・・
誰がどの記録を指して言っていることなの?
総見寺の記録って、例の信長御台養華院殿の記述があった、
織田家の過去帳とはまた別の記録があるのでしょうか?
総見寺にそのような記録があったら、
研究者はとーっくの昔に発表してるのではないでしょうか。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 13:13:36
学識者の意見ではないけど、馬場殿の妾記述に関しては、
その頃は正室である(苦笑)吉乃が生きていたから、
妾として望んだって推論たてる人もいる。
例の壷事件も、書かれている信長本妻は、実は馬場殿ではないかと
推測する人もいる。根拠は父道三を討った義龍関係者に、
お濃がそこまでやさしくなれるかってことが根拠。
329 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 15:13:56
歴史上最も名のある人物の妻なのに、なんでこんなに史料がないのか???
家康・秀吉などくっきりはっきりしてるのに、、、もどかしいなあ〜もお〜。。。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 15:37:23
お濃関係の記録は、光秀や信忠同様、
後世の人間にとってなんかの事情で都合が悪くなるから、
消されたんだろ…多分ね。
本能寺や二条城で、お濃に近い人間がほぼ壊滅してるから余計闇の中
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 15:47:22
愛知万博で名古屋へ行ったら大須で信秀の墓を偶然みつけた。一人で入ってるっぽかった。
奥方も息子も入って無くて驚いた。繁華街に突然あるし。
>>331 あの時代は一人で入ってる方が普通 寂しげだけどね(´・ω・`)
とくに織田一族は信長がああいう死にかたしてUPダウンの激しい生涯送った人が多いから・・・
愛知で死んでない人も多いし。
>>332 レスありがd。墓地ではなく商店街のすぐ横にヒソーリあったのが印象的だった。
大河ドラマで信長役の高橋英樹が信秀役の千秋実の葬式シーンで、
位牌に灰を投げつけたのを思い出し、感慨深かったよ。
あの寺って昔はもっと広かったが、
戦争の後いろいろあって、今の大須の商店街ができたと聞いたが。
信秀の墓を移転しないのは(・∀・)イイ!
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 18:31:02
子供を産めなかった女の扱いが酷いのはむしろ当たり前では?
それが濃姫でも例外じゃないだろうし。
当時から、子をなして初めて女に価値が生まれるという風潮なんだからさ
発言権なんて無いに均しいだろうし、肩身が狭い思いをしながらひっそり死んでいったと思われ
一概にそうもいえないぞ
北政所みたいなのもいるし
濃姫の場合は政略ケコーンで
しかも実家があぼーんしてるのが痛い。
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 00:29:30
>>336 前スレで信忠が濃姫の養子だったっていう割と信憑性のある説が語られてなかった?
だとしたら政略結婚するような身分のある女性にとっては、
自分は産めなくても腹は借り物的な面もあったんじゃないの。
逆に子供を産んでも影響力も発言権もない女もいっぱい居たと思うけど。
信長の26人の子供の母親だってハッキリしてない人達がいっぱい。
総見寺にある、あの養華院殿のお墓が本当に濃姫のものだとしたら、
五輪塔の立派なもので、お鍋の方の墓石とは比べものにならない。
もちろん子供を産めることが何より。
でも正室として全うして安土殿と呼ばれたのが彼女だとするならば、
あの墓や戒名を見るかぎり肩身が狭かったとは思えない。
また信忠が養子だったとするならば、
信忠の側近には弟(異母弟?)がいたり美濃衆が多かったり、
養母に具体的などんな発言権があったのかはわからないけど、
それなりに相談にあずかるような場面もあったのではないかと。
本能寺でその信忠まで一緒にあぼんが痛い。
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 20:10:12
みんなミステリアスな女に弱いんだなw
しかし、御台所・正室・養華院、みな別人だとしても共通しているのは
みな子がいなかったという事だ。そうだろ?
>>340 >御台所・正室・養華院、みな別人だとしても共通しているのはみな子がいなかった
ワロタw
みんな別人でみんな小梨・・・
言継卿記の「信長本妻」、
今井宗久の書状や総見寺の名簿の「信長公御台」、
みんな当時の一級史料に出てくるこの女性は、帰蝶でないなら一体誰なんだろ。
永禄の末年ごろ以降に、
あらたに御台所と呼ばれるような正夫人と再婚したのだとしたら、
それこそ言継卿だの他の公家や寺院の日記に残っててよさそうなもんだけど。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 13:49:35
まじ、誰なんだろ。
俺はお濃以外考えられないんだがな…
それから、俺、岐阜行ったことないから教えて欲しいんだが、
岐阜城?岐阜城近く?にある歴史資料館みたいな所の信長系図に、
斎藤家女との間に娘がいる表記があるって本当?
違うものを調べていた時、どっかの日記でふと見かけたのだが。
この系図見たことある人いる?
神社仏閣史跡等にくっついてる資料館って
わりといい加減な系図や「ただの伝承」みたいなものの
展示も多いぞい。
344 :
342:2005/05/26(木) 12:31:57
>>343 返事thx!それじゃあ、その系図もかなり怪しいってことか。
今まで寺社や史跡の案内を、根っから信じていた俺っていったい…
345 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 05:14:48
時代劇板でこんなもん見っけw 新説?
62 名前:名乗る程の者ではござらん :2005/06/03(金)
藻前ら肝腎の事を忘れているぞ。
明智光秀公は斉藤道三候の息子で、
お濃の方の兄だったことが証明されておるぞよ。
鹿島昇先生と佐治芳彦先生の著作をキチンと嫁。
この二人の功績は師である高柳先生を超えているぞ。
だからこそ、藍より青い、脚本をキボンヌ!!
光秀の前半生は謎に包まれてるのに、んなの証明されてたら
新発見どころの騒ぎじゃないな
349 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 22:07:49
光秀は信長の義兄にもなるってことか…
義龍の立場は?
>>351 明智光秀を大河ドラマにスレ
意見してやってくれ
あれって同人の人々と同じ香りがする。
何を言っても聞く耳を待たないんじゃないかな。
>>353 だいたい時代劇板でやたら「この武将を大河にしろ」「キャスティングはこうで」
と言う香具師はまちがいなく厨だからな。
去年の『新選組!』で新選組厨が大暴れし、スレ乱立させて他の時代劇板住人を圧迫、
その結果隔離板として大河ドラマ板が独立したのは有名な話。
えーと、北条厨、島津厨、浅井三姉妹厨とかね。
時代劇板はともかく大河板はニワカが多くて苦笑。
「天と地と」を大河に!(石坂浩二の立場はどうなる)
「坂の上の雲」で北条早雲を!(箱根の坂だろ)・・・なありさま。
一言いうと黙れジジババだもん。
スレ違いスマン
大河といえば、リアルでは松坂濃姫も知らんのですが、
その昔、かの高橋幸治が今や伝説の信長を演じた「太閤記」には、
濃姫は出ていたのですか?出ていたならどういう設定だったのでしょう。
司馬原作の国盗りの松坂慶子が大河初の濃姫登場だったのかな。
ご存知の方はいらしゃいますか?
吉乃にとって代わられたのは「秀吉」からでしたが・・・
「武田信玄」のときの麻生裕未はえらい綺麗だった。
>>356 さすがに太閤記は見ていないので「配役宝典」を開いてみたら
稲野和子という女優さんらしい。
「配役宝典」はあの作品でこの人物を演じたのはこの俳優、
という調査をした歴史&時代劇ファンには楽しいサイトです。
ただし、濃姫の欄は作品名と女優が何行かズレてたのでご注意を。
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:09:17
大河ドラマ話で盛り上がっているところを、ぶった切って誠に申し訳ないが、
馬場殿くだりについて、書かれている本を見つけたから、読んでみたのだが、
>>319には続きの部分があって書いてあり、これを読む限りでは、
むしろ、彼女は生きていたっぽい。
【続きの部分】
「況や妾などとは、緩怠過ぎたる申し分、当家は齋藤の家督とは雖も、
種姓土岐の嫡流にて、天下の当家たり。彼は今勢に乗じて、其昔を忘れ、
斯様の雑言申す條、返す返すも奇怪なり」
【それに対する信長の返答】
「憎き者の申し分なり。いざ押し寄せて攻め滅ぼさん」
竜興の奇怪なりと信長の憎き申し分。
濃姫が、死んでいたら両者ともこんなこと言うかなと思うのだが…
なして、その文面が死亡説の根拠に繋がるのか、ますます不思議
319氏のとつなげて読んでも、生きているからこそのやりとりに
漏れは読める。
360 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 21:25:50
「其の妻死後に遣し難し」
ようはこの一文なんだろうか。
「叔母にあたる濃姫の死後とはいえ、妾として遣わすなどとんでもない」
「叔母にあたる濃姫が死んだ訳でもないのに、しかも妾として遣わすなどとんでもない」
前者は濃姫死亡説になり後者は濃姫生存説になると。
どっちにしても史料的価値の低い「濃陽諸士伝記」で決め付けられるのは納得いかんが、
濃姫死亡説とりたい作家などにとっては格好の材料なんだろうさw
361 :
濃姫:2005/06/10(金) 12:55:08
私をこちらの板に導いてくれたのは、どなたなのかしら???
どこからですか?
363 :
濃姫:2005/06/11(土) 02:21:36
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 03:06:45
366 :
濃姫:2005/06/11(土) 06:54:32
あら、こちらでの会話は、どちらにも偏らず論議してらっしゃるのね♪
第一印象はそんなところね。良いところね♪
全てのレスを読んでみるわ♪
あっそうそう、濃姫が生まれた所は、鷺山城と岐阜城という意見があるらしいのだけれど
どちらの意見に賛同する方が多いのかしらね???
確か、道三が稲葉山城を手に入れて、
大改修を始めたのが1539年頃だったと思う。
お濃が生まれたのが、1535年と言われているから
鷺山城の方ではないかな?(もし違ってたら、訂正ヨロシコ)
368 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 12:31:28
山城入道が隠居した方の城
370 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 16:39:38
鷺といえば、白鷺城
>>370 激しく誤爆である。潔く腹を切れと命令する吉宗であった・・・
372 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 19:54:21
濃姫は鷺山殿と呼ばれていたでしょ?織田家でわ。。。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 20:57:38
>濃姫は鷺山殿と呼ばれていたでしょ?
このソースは何だっけ。これも『美濃国諸旧記』だっけ?
変なスレたてたオカマバーのママがこっちにやってき来たのか・・・。
375 :
濃姫:2005/06/12(日) 14:42:09
うん、やっぱり「鷺山城生まれ説」に賛同する方が多いのね〜。
367>>
間違えてましたね、私。
その頃は、岐阜城ではなく、稲葉山城って呼ばれていたみたいね。
「稲葉山城生まれ説」ってどの史料からなのか、知ってみえる方。
教えて下さいませんか???
私の調べ方が悪いのかしら・・・。出てこないの〜〜〜。
>>373 そうだよ。
>>375 稲葉山城生まれ説って、多分作家の創作が説みたくなっただけじゃないかな。
彼女が織田に嫁ぐ前の経歴はよくわかっていない。
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 20:46:18
>>375 母の小見の方が住んでいた場所が、あんたの生まれた場所
378 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 23:02:37
今日、信長とほぼ同時代の戦国大名、佐竹義宣の側室に、
「岩瀬御台」と呼ばれた女性がいたということを初めて知ったのでカキコ。
今まで、漠然と御台=正室・本妻、と考えていたんだが、
佐竹氏側室の例を見ると、戦国末期・安土桃山期の頃には(江戸時代と違って)、
側室であっても「御台」と呼ばれるケースがあったということなのだろうか?
だとすると、信長関連の史料に散見される「御台」も必ずしも正室とは限らず、
側室を指している可能性があるということになってくる。
たとえば『武功夜話』(真偽はともかく)に出てくる「御台御殿」、
これも、今までは、側室である生駒氏のための御殿ならば、
「御台(正室)御殿」という呼称はおかしいと思っていたが、
その考えを改める必要があるということになる?
(↑『言継卿記』に、生駒氏の死後に「信長本妻」が登場すること、
また、生駒氏の戒名が嫡男の生母でありながら「院殿」ではないこと、
等々の傍証によって、生駒氏があくまで側室であって、
正室に格上げされたことがないのを前提とした話です)
379 :
連投ごめん:2005/06/16(木) 23:07:28
「養華院殿要津妙玄大姉・信長公御台」
この戒名で伝わっている女性が濃姫なのではないかと言う人も多いが、
養華院殿は「御寵妾」という記述もあるため、濃姫ではないと反論する人も多い。
仮に「御台」の呼び名が側室にも使われるのであれば、
寵妾であったことと矛盾しないことになってくる。
ただ、その場合、戒名の位の高さ、墓石が信長の墓と同種の五輪塔であることにより、
この寵妾・養華院殿が相当な地位にあったことになる。
信長の子供を3人産んだ愛妾で、実質正室のような働きをしたと語られ、
その子供たちと共に葬られているお鍋の方ですら、墓石は自然石の簡素なもの。
この格の開きを考えると、信長の後宮における寵妾・養華院殿の存在は、
お鍋殿よりもさらに上をいく高みに居た女性であったということになる。
公家の娘なら、その高貴の血によってそうした扱いを受けるのも不思議はないが、
時は天正年間、それこそ三条西家の娘のように確実に史料に残った筈と想定されるので、
残っていない以上、その線は薄いとも考えられる。
正室という身分によらず、尊貴の血によらず、それでもお鍋以上の扱いを受けた女性。
・・・もし養華院・信長公御台が側室であったとするならば、非常に愛され、
かつ、信長死後も丁重に待遇された女性ということになるのだろうか。
とりとめなく長くなって申し訳ない。あんまりネタにもなってないような・・・(汗
御台所という言葉が正室を指すものなら、
どうしてこうも道三息女否定説がハバをきかせてるのか不思議だと常々思ってたもんで。
ところで、養華院殿=安土殿、は確定できるのだっけ?
>>378 前の姫スレでも出た話で、武功拾遺の方なんだが、
4月に小牧殿という人が、既に移り住んでいるという記述があるから、
考え直すこともないと思うが…
武功でも、お類が病気と知って彼女の為に工事を頼んだと記述されているから、
(この時点で小牧御殿は完成している)
お類のための御殿なら、どう考えてもおかしな話だと思うのだが如何か?
養華院殿は「御寵妾」という記述については、お鍋と混合しているのでは?という
人もいる。実際、混合している記述をしているサイトや本もあるとかないとか(苦笑)
仮に、お濃とは別に実際そういう女性がいたとしたら、それこそ記録が残っていても
よさそうなもんなんだが…
お鍋についてだが、彼女は信長の死後、秀吉に協力的であった女性
(と書くと言いすぎかな、スマン)、少し誇張して書かれていても、
不思議ではあるまい。
お濃否定説が、ハバをきかせているのは、記録が少ない上に、
大河で最もらしく、武功支持説を取り上げ続けていた影響かと思われ
381 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 22:26:16
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 22:38:11
>>381 ほへー、情報ありがと。
和久井映見か・・・以前、吉乃役で配役予想されてたな確か。
本能寺で死ぬ設定てのは個人的に微妙。
ま、利まつでも吉乃が赤マフラーで安土城にいたんだから、五十歩百歩な訳だがw
しかしアレだ、武功夜話を「史実」と信じて疑わない人たちが、
物凄いアンチと化しそうな設定だな。
司馬原作は古いから生駒氏のこと知らなかっただけ、とか言い出しそう。
(ホントは知ってたけど史料として怪しいので取り上げなかったのが真相らしい)
にしてもお市・・・大地真央好きなだけに、なんとも・・・
来年の2ちゃん大河板の荒れようが今から目に浮かぶw
とりあえず公式見てくる。
稲森の着物姿がまたみてぇぇぇ!!!
>中村一氏の妻。夫の一氏に惚れて惚れて惚れ込んで、心底から信じきっている。
>千代やいとらとよくおねの元に集まり話し込んで行く。
>好奇心旺盛で城下にたつ噂の出元は100%としだと言っても過言ではない。
>このドラマは千代・一豊夫婦、堀尾夫婦、中村夫婦、そして秀吉・おね夫婦、4組の夫婦の物語でもある
公式見てきたけど、中村一氏のこのコメントが妙に気になった
4組夫婦って、利まつみたいな感じなのか?
・・・もしそうなら鬱だ
>武功夜話を「史実」と信じて疑わない人たち
そんなのいるの?
じゃあ、国盗りの濃姫主流の作り方にも文句言いそうなのかね?
そしたら「信長燃ゆ」なんて大変な問題作に違いないw
武功夜話の真贋云々は別にして、
創作の世界を楽しめない人々は了見が狭いよな。
>>385 いる。
正月の国盗りの濃姫に憤慨し、
史実どおりに吉乃メインでなければおかしい、とネチこく書かれたブログを見たw
津本や遠藤、秀吉や利まつの武功設定から入った人には、
信長と吉乃の純愛ラブラブじゃないと納得いかん人も多いのではないかと。
売れ線ではない信長小説こまめに漁るのは信長オタだけだろうだし。>信長燃ゆ
オタはすでに誰がお相手になろうが免疫ついててネタとして楽しむだけだわな。
しかしお市は小雪でみたかったよ。
>>386 というより、きっちりと検証されていないのに、
ここまで武功=史実みたくされれば、反発も出るのではないか?
創作として楽しめなくしてるのは、武功支持者自らが招いても
いるような気もする。
390 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 02:02:44
>>387 腐女子だから仕方ないとはいえ、吉乃が死んだことで
比叡山焼き討ち等の残忍性が生まれていったって、
ある意味、凄い解釈の仕方だなw
生駒が、明智側についたらどうのって部分には、正直目眩がした
へー、そういう妄想する夢見がちな人たちは
緒形信長(この信長についての賛否はともかく)のときの吉乃が
「私は子を産むだけの道具」といって病床で泣いてたシーンなんて
とんでもなーい史実捏造になるんだろうね。
>>381 情報アリガト。
俺は、ギリギリまで期待しないことにしている
濃と信長の黄金の日々を、大河で再び見たいが、
あそこまで吉乃路線をとった某国国営放送のことだ
なんか罠があるかもしれんぞ。
考証が某Oだったりしたら、どうひんまがっても
おかしくないからね。
原作どおりであることを祈るが、本能寺に関しては、墓のこともあるから、
今回は、公記どおり「女、苦しからずや」で落として欲しいかなと。
>>387 両方ともワロタ、おかしすぎて腹痛ぇ〜
>>390 津本説だな。>吉乃が死んだことで比叡山焼き討ち等の残忍性が生まれて
「下天は夢か」当時の津本のハジケっぷりはすごかった。
信長は吉乃の産んだ信忠と信雄にしか織田姓名乗らせなかった、とか真面目に語ってるよ。
小説の中では、お鍋の方は完全に死んだ吉乃の面影を重ねて愛した吉乃2号扱い。
真に受けた?橋田スガコ先生が、その時歴史は動いた系の歴史番組で、
信雄が伊賀侵攻の失敗を許されたのも吉乃の子だったからね、とか話し出す始末。
それらがさも史実のように語られていたNHK。
自分も>392さんと同じであまり期待しないようにしてる。
信長に名目だけの妻にされながら健気に生きた設定かも知れんてw
せっかく演技派とされる和久井だから、それなりに出番は作ってあげて欲しい。
>>393 信長の寵妾は、代々吉乃と言う名がつけられたって
どうどうと書いているサイトもあるからね・・・
多分、そのあたりから派生したのだろうw
華岡青州の妻の主役として評判が良かった和久井をキャスティングしたのだから
きちんと正室っぽく描かれるんじゃないの。
「利まつ」で田中美里お市の侍女のように廊下を歩くような扱い、
「秀吉」での抹殺状態扱いはまずないでしょう。
吉乃路線とはまたオーバーだな。
396 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 12:45:27
中には、吉乃路線といわしめてしまうぐらいに
嫌気がさしている人もいるということで…
要は、人により受け取り方は様々
397 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 18:37:58
で、おまいらは
マツケン元嫁が市をやることには、誰もつっこまんのか?
年齢的にみても、濃と市は逆だと思うのだがな。
それに旭なんて、松本明子だぞw
泉ピン子の旭も見てますから・・・w
充分許容範囲です。
>>397 いや、つっこんでる人いるから。ほんの少し前のレスぐらい読んだら。
確かに年齢的には市と濃の役者は逆だが、大地真央の煌びやかさに期待。
戦国一の大輪の華!って感じでいってくれと。
(でもホントは鈴木京香のお市が見たかった)
旭姫なんてむしろ松本明子で可愛すぎw
>>394 >信長の寵妾は、代々吉乃と言う名がつけられたってどうどうと書いているサイト
代々吉乃って何それ・・・利まつの頃のギャグじゃなくて?
400 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:30:05
>>399 気になったから調べてみました。多分このサイトじゃないかなと思います。
ここでは説としてるけど、そんな説自体初耳なんですが、
この説を知ってた方いらっしゃいますか?
ttp://www.geocities.jp/kimkaz_labo/ikoma.html それより気になったのは、大手小町というサイトでの発言なんですが、
こんな番組やっていたとは知りませんでした。
この番組を、ご存知の方いますか?
NHKが、ここまで前野家文書を史実みたく取り上げたとは、
にわか信じがたいのですが本当なんでしょうか?
>ずっと前のNHKの番組で見たのですが、
>本能寺の変後、濃姫は滋賀県のお寺で尼として生涯を終えたそうです。
>番組は信長の側室の吉乃についてで、仲睦まじい2人の様子を手紙に残していたお坊さんの
>「信長公、吉乃殿に深く惚れられ」っていう一節が紹介されたり、
>病気になった吉乃への信長の思い遣りのある手紙も公開されてました。
>吉乃が死んだ後、信長は吉乃のお墓の見える天守閣にのぼって、涙していたことも
その番組は、
>>393が言ってる番組のことだよw
スレ違いだけど、病気見舞いの手紙と言ったら、
こうさまという女性に、戦場からですら見舞い文を送った
勝頼の右に出る椰子はいないと思うよ。
しかも、あの長篠からというからこれまた驚きなんだけどね
(そんなだから負けるんだヴォケ泣)
402 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 02:23:25
勝頼は、側室の具合が心配なあまり、戦に集中できず采配ミスって大敗
信長も、側室の具合が心配なあまり、美濃攻略に没頭できず時間がかかったと
なんだ、側室に骨抜きにされた朝倉と、さして変わりね〜じゃんw
>>402 なんかムカツク・・・
しかし、なぜか笑ってしまう
>>400 その手紙自体が明治になって書かれた可能性濃厚と噂の手紙ではw
>>402 吉乃のために美濃攻略に没頭してなかったんだ、へぇ〜そうだったんだ。
じゃやっぱり比叡山焼いたのも吉乃が死んで孤独になったからなんだ?
405 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 10:24:33
>>401 勝頼の見舞い文ってどんなこと書いてあるの?
406 :
401:2005/06/22(水) 15:41:32
>>405 ほい
此ほとは御をとつれも候ハす候
きけんいかか候や、これのみこころもとなふおもひまいらせ候
うんきの事に候、あひたゆたんなくようじようもともにて候
さいわい、ほういんそこもと候、間うちおかす御もちひ候へく候
又、ここほといつかたもそんぶんのままに候
なかしのもほんいほとあるまじき候
心やすらかるべく候
なを、このほときけんいかかいかか、きかまほしく候
くはしく返事まち入まいらせ候
かしく
ミかハ なかしのより かつ頼
かいにて
こうさまへ
まいる
返々 ちかき此ハきけんいかか御いり候や、あさ夕あんしいりまいらせ候
かならすかならす、ゆたんなくくすりをもちい、申候てもっともにて候
くハしく申たく候へ共、とりみたし大かたならす候あひだ さうさう
407 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 18:48:59
で、
>病気になった吉乃への信長の思い遣りのある手紙も公開
これはどんな文なの?
お寧へ宛てた手紙以上にインパクトあると思うんだけど、
そういう手紙があることすら知らなかったよ。
>病気になった吉乃への信長の思い遣りのある手紙も公開
これはマジだったら大発見どころか、超発見だと思うが
武功で吉乃と呼ばれてる実在さえ疑わしい人物の存在を証明でき、
なおかつ「病気になった吉乃への」と書いてあることから、彼女が何と呼ばれているのかがはっきりと証明されるぞ
もし吉乃とでも書いてあるなら、武功偽書説は木っ端微塵になりかねんぞ
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 22:40:16
410 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 22:42:26
>>397 で、おまいらは
マツケン元嫁が市をやることには、誰もつっこまんのか?
年齢的にみても、濃と市は逆だと思うのだがな。
秀吉では頼○美○子がお市をやって、あのショック以来免疫ができたw
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 23:17:22
>>402>>404 >信長も、側室の具合が心配なあまり、美濃攻略に没頭できず時間がかかったと
吉乃像を生み出した聖典「武功夜話」によりますと、
美濃攻めの期間の信長は、
美濃攻めのほかにも犬山攻めだの築城引越しだのと多忙で、
吉乃とはすっかり疎遠になっていました。
(あ、でも他の女たちとの間には子供がポコポコ産まれてますよv)
生駒家から使いが来て、初めて、吉乃が重症になっていたことを知り、
見舞いに来て詫びてるんですよ。死の前年のことです。
で、お城の新しい部屋に迎えて不自由ない余生を送らせてあげたと書いてあります。
功名、お市より淀殿が永作ってのが不満だ。
どんなキャラになるのやら。
そしてお市との年齢の釣り合い上、信長が変なオサーンだったらどうしようかと。
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 00:14:30
ここ、来年の大河板にたつであろうアンチスレ予告版みたく
なっているのは気のせいか?
ドラマなんて一作ごとに違う俳優が演じるわけなんで
自分のイメージに合わない役者が演じるのも毎度のことで・・・。
その自分のイメージなんてのも、子供の頃に見た大河や時代劇ドラマで
見かけた俳優の雰囲気が根強く残っていたりするわけだ。
>>412 確かにw
しかし来年のアンチスレの荒れっぷりは凄いことになりそうだな。
415 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 09:03:06
>>414 キャストアンチだけでなく、
>>388に書かれているような人も
ネチネチとやってくるだろうな・・・激鬱
緒方信長スレ見ればわかる
>>330 もしかして本能寺の首謀者側として加担してたから史料から抹殺されたんじゃ……
と妄想。
ま、実際はそんなことなく、単に歴史上で影薄いだけの人なんじゃないかしらね。
色々文献調べるとここでたまにネタになってる短命とは考えにくいな。
同時に道三没後は信長との関係も薄くなってる人の様にも見える。
417 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 10:50:42
だが、よくよく考えてみると、
信長周辺の女で、ある程度記録が残っているのって、
結局、秀吉にとって都合良かった人ばかりのような気もするが…
お市ですら、実体はよくわかってない
>>416 某BBSで、変の黒幕は秀吉&生駒家路線の妄想話が
盛り上がっていたことがあったよ。
ほかの妄想話は大丈夫だったが
なぜか、これについては削除されてしまったけど…
濃姫って、案外マムシの娘というイメージからはほど遠い、
夫に従順で、おっとりとした箱入り娘だったりな。
だから、記録もされない。
420 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 22:10:32
脚本家サイトより
>信長とお市は近親相姦的愛情で結ばれており、お市は信長のために、浅井に人質のような形で嫁に行き、
>浅井の情報を信長に流します。
>妹のお市も、妻のお濃も、信長にとっては、女というより、政を行う上での片腕のような存在だったと思います。
>秀吉とおねも人情味のある愛すべき夫婦というより、主人公夫婦から見たら、ヤクザの組長と姉さんのような、ちょっとコワイ夫婦です。
>斉藤道三の下で育った幼なじみの光秀とお濃は、未だに淡い想いを捨てきれず、信長を頂点に、緊張感ある三角関係も展開します。
>他にも、千代と一豊のまわりには、浪費癖のある同僚の妻(杉田かおる)などもおり、戦国時代の不妊治療もあり、カミサンの悪口談義もあり、
>歴史的新解釈と、現代的な要素の強い大河ドラマになると思います。
どうやら、同人大河っぽい…
>>420 >斉藤道三の下で育った幼なじみの光秀とお濃は、未だに淡い想いを捨てきれず、
>信長を頂点に、緊張感ある三角関係も展開します。
そういえば、突然のように始まる光秀いじめは、ノブのやきもちって話が、
前の姫スレで盛り上がったなw
それにしても、濃と市についてはこのスレ住人の好みのツボに、
はまっているようないないような・・・
大石ってこのスレチェックしてるのか?もしかして?!
422 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 22:34:55
信長やきもち話は、妄想ギャグ話としてなら笑える。
しかし、リアルでやられると、正直笑えない。
そして、同人ネタの餌食になり、八○みたいな電波が現れる悪寒
大石様
>信長とお市は近親相姦的愛情で結ばれており
腐女子に餌を与えないでください。
>光秀とお濃は、未だに淡い想いを捨てきれず
ひろ子(光秀妻)オタがお濃アンチにまわりそうw
本能寺で一緒に死ぬ設定でも蘭丸オタが暴れそうw
>信長とお市は近親相姦的愛情で結ばれており
萌えられるかどうか、信長の俳優次第だな。大地さんは好きだし。
唐突にスマンが、こんなお市さんを見つけてきたのだが
_,,,,,,,,,,__
,.ィ'",ィ `' 、
. /_ / __,,, ',
//..、 ̄.,、、ゝ .',
i.F‐'゙ `'ー‐',. l
!| `‐、 ,.、 ',
||,,,,_ , _,,,,,, | |7}. ', 久々にわろうた
||. ̄ ,' ´ ̄ リ!|/ ', げにいみじきすれのたつのも今はむかし
!.', i,_っ l!| ヽ
. l ', _,,_ | l \ あたらしき人まいりこれりども
| ヽ `゙´ , ヽヽ 程しらぬものばかりなりて いとこうじけり
ヽ. ヽ、 ,.ィ ヽ,
/,、ri个`,゙゙゙゙´ //ヽ ,、
// | ||| | ',',\ / / // /\
・・・何故か貼られていたのが同サロン板なんだなあ・・・
来年の大河の展開と共に嫌な予感が(w
426 :
借金返済中:2005/06/24(金) 00:13:51
このスレを、大変参考にさせていただいてます。
皆様に喜んで頂けるようがんばっていきたいと思っています。
何か、リクエストがありましたらどうぞ。
お待ちしています。
>戦国時代の不妊治療もあり
ってことはエチー場面豊富気味なのかな
放送できるんかい?
当時の不妊治療には、祈祷、温泉療法、動物(何かは忘れた)の糞を
煎じて飲む等があったそうだ。
>>421 市の女優の年齢からして、信長、光秀も50前後だろうが、
中年の三角関係なんて正直見たくないな・・・
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/25(土) 18:54:05
大河で久々に、濃姫が主要人物になると喜んでいたのに
信長を頂点として、光秀と三角関係設定だなんて…
素直に喜べなくなった
432 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/25(土) 19:10:16
>>431 そんなにドロドロしないんじゃない?淡い想いらしいし。
お市との近親相姦的設定のほうが微妙。
長政の中の人が好きな俳優だけに。ラブラブ夫婦じゃないのか・・・鬱
濃は本能寺で死ぬ設定てのがなー。ツッコミの嵐だろうなー。
個人的には生き残って、清洲会議も秀吉も、その後の動向も軽くスルー、
お市を心配しつつも世捨て人のように清々と生きて、
たまに信雄とかと会って静かに微笑んでるような設定にして欲しかった。
433 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 01:17:20
なんか昼ドラみたいな内容だねw
でも一般人からみれば、濃姫は変で信長様と共にというのがうけるだろうね。
少なくともここの住人には許しがたいことかもしれないけど。。。
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 02:45:42
気味な噂として松浦亜弥がこれに出るってさ。
ジャニーズも2人は決定。
>>432 >そんなにドロドロしないんじゃない?淡い想いらしいし
緊張感漂う三角関係と書いてあるから、ドロドロ路線かと
光秀の前で、わざとお濃を犯すなんてことをするかもなw
日曜8時にありえんw
>>433 別に許し難い!なんて偉そうに思わないけど?
何だかなー、小説をさらに脚色したテレビ娯楽なんだから、
いろいろと説はあっても決定打のない没年不詳の濃姫が
どう活躍したっていいんじゃない。
438 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/26(日) 23:38:48
レイプされる和久井たん(*´Д`)'`ァ'`ァ
信長が松方弘樹や中村敦夫だったらどうするよ。
今回はそういう年代の俳優を起用する設定なんだな、と思うだけ。
441 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/27(月) 02:14:52
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/27(月) 12:07:09
>>231 すごい遅レスだけど、歴史年表サイトでは次男勝長と
記述しているところがあるよ。
・1582年6月21日(天正10年6月2日)二条城にて信忠自殺。
次男勝長も討死。
もともとは、慶大の教授が趣味で入力していた歴史データらしいけど、
この教授、何をもとに次男としたのだろうと気になった。
いちよ、参考文献一覧を見る限りでは、それなりの考証も
しているようなんだけど・・・
>>442の書き漏れ
でも、勝長がお濃との子かどうかまではわからない。
司馬遼太郎に謝れよって感じの脚本だな……目眩してきた
>>444 まぁまぁ。
光秀とお濃の淡い初恋の思い出〜みたいな設定ってそもそも御大が創ったもんだし。
国盗り要素を包括ってことに過ぎんでしょ。
お市との近親相姦的愛情ってのが腐女子に媚びてるようで微妙な気がするが、
それも一興さ。
とにかく信長役にカコイイ40代きてくれ。
446 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/28(火) 00:49:30
ナベケン以外に誰がいるの?信長様は。。。
謙さんの信長は、また見たいけどさ、
今回のような設定の信長はやって欲しくない。
それに、謙さんが信長だと、津川不破・江守義元・柄本羽柴・榎木長政
もいるわけだから、上川一豊は完璧に食われて、誰が主役なんだか
わけわかめなドラマになると思う。
と言っても、信長生存時の一豊はそういう存在だから仕方無いけど…
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/28(火) 20:51:06
エロゲーでないのかな戦国時代で姫とできる設定のやつ。
ありませんかね?野望のエロゲー・パロディー版みたいなの。
449 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/28(火) 22:54:43
【地方】体育倉庫でセクースの兄妹補導……岐阜
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news7/1116905919/l50 岐阜県警美濃署は26日夜、域内の公立小学校の体育倉庫でわいせつ行為に及んだとして
小学6年生の男子児童とその妹の4年生の児童をを補導したと発表した。
調べによると、2人の児童は「夕方帰宅する前にカギを開けておいて、7時頃に侵入した。
妹の持っていた漫画を見て2人で思いついた。」などと話しているといい、
計画的な意図があったことも考えられる。
児童が侵入した体育館の一角は警報装置が作動する場所ではなかったが、
通行人から同体育倉庫内から人の声がするとの通報があり発覚した。
何で2ちゃんのスレのアドレス貼って、釣りだと思われないと思えるのだろうか?
それとも面白いとでも思ってるのだろうか?
何が楽しいのだろうか?
>>450 さては釣られたか?
放置すりゃいいだけなのに、そうやって相手するから付け上がる
,. ‐''三ヾ´彡シ,=`丶、
/'".:=≡ミ_≧_尨彡三:ヽ、
//.:;:彡:f'"´‐------ ``'r=:l
/〃彡_彡′,.=、 ̄ ̄ ,.=、 |ミ:〉
'y=、、:f´===tr==、.___,. ==、._ゞ{
{´yヘl'′ | /⌒l′ |`Y} 諦めたら
゙、ゝ) `''''ツ_ _;`ー‐'゙:::::l{ そこで試合終了ですよ
. ヽ.__ ,ィnmmm、 .:::|!
,.ィ'´ト.´ ´`"`"`゙″ .::::;'
イ´::ノ|::::l \ "' :::/
::::::::::::|:::::l ヽ、 ..:: .:::/.、
:::::: ::: |:::::ヽ ヽ、.......::::/..:::/!\\
::::::::::: |::::::::ヽ ``''‐--ァt''′ |!:::ヽ:::\
:::::::::::::|::::::::::::ヽ、 /i|iト、 |l:::::::ヽ:::::\
:::::::::::::|::::::::::::::/:ヽ、 ∧|i|i|i|〉. ||::::::::::ヽ:::::::\
亀だけど、
>>418 >某BBSで、変の黒幕は秀吉&生駒家路線の妄想話が盛り上がっていたことがあったよ。
秀吉黒幕説はよく語られるけど、生駒家がどう絡んでくるという妄想だったの?
吉乃の兄じゃなくて親正の方なんだよね?
なぜこの妄想だけが削除されてしまったのか、
その某BBSとやらがどこの板だったのか気になるな。
457 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/04(月) 00:03:11
公式サイトを再び見てきたけど、人物紹介が前より詳しくなっていたよ。
お市と長政は、ラブラブ夫婦だと思う(長政の説明を読む限り)
で、最期は勝家自刃後に三姉妹を逃がして自分も死ぬ設定。
お濃・信長・光秀の三角関係は、信長と光秀が発表になっていないから、
よくわからなかったが、光秀が信長に臣従する場面をみて、
かすかに驚愕したりするそうだ。
最期は、自刃を覚悟した信長の前に薙刀を持って現れ、明智軍と戦い、
信長の妻という誇りを全うして死ぬという、一昔まではお馴染みの設定。
今回はお濃だけに限らず、お市の最期もツッコミの嵐になりそうだw
みんな自分が今までに見た・読んだ映像や創作物の中で
印象深かったり好みの設定があるんだろうが、違う設定、
違う視点と考えることは出来ないのだろうか・・・・。
>最期は勝家自刃後に三姉妹を逃がして自分も死ぬ設定
勝家に刺されて死んだ方が、なんか絵になるような・・・
>>458 出来ない椰子はできないし、出来る椰子はできるかと。
461 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 00:22:56
来週のトホホ人物伝で、ここが祭りになるかもage
今から楽しみだウヒャヒャ
吉乃の話らしいが・・・
>>461 このスレ住人は、それなりに免疫ついていそうだから
祭りにはならないと思うがなw
鼻からこんな番組見ないか、見てもあまりの痛さに、
失笑して終わりそうだ
それにしても、桶狭間で勝利できたのは、
吉乃のおかげだかなんだかっていう予告を見て閉口
公式サイト見てさらに閉口・・・
桶狭間でがんばった連中に失礼すぎだし、義元も浮かばれね〜
>桶狭間でがんばった連中に失礼すぎだし、義元も浮かばれね〜
禿しく同意
465 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 03:06:11
桶狭間を勝利に導く力があるなら、
なぜ美濃攻略はすんなりできなかったのかなと・・・
あの番組のPは、多分、濃が嫌いなんだろうな。
前回の信長特集では、戦国一の仮面夫婦だったしね。
>なぜ美濃攻略はすんなりできなかったのかなと・・・
そりゃ吉乃が病気でパワー不足だったから、というオチかと思われ。
て、思わずあんなアフォ番組の公式見にいっちゃったよw
>吉乃に出会って天下取りを目指した信長を襲ったトホホとは?だってさ。
立て続けに3人も子供産ませちゃって病に臥せってしまい、
そのせいで死別することになってトホホ・・・なんじゃないかと妄想する。
どっちみち金曜の夜じゃ見れんし録画するまでもない。見て笑った人がいたら報告よろ。
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 12:15:31
トホホ予想(妄想)
吉乃・・・奇妙を強引に取り上げ(結果、同情した信長が御殿を作り正妻に引き上げた)&病没
信長・・・本能寺の変を起こした光秀はお濃の従妹ってことで、彼女が黒幕の一人説
それにしても、同局の正月ドラマは国盗りをやったというのに、なんか矛盾してんなw
468 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 21:08:55
あるプログより
これがまじだったら・・・凄い発見だよな?!
>関係ないけど、私の先祖は内藤家です。
>前橋(群馬県)から酒井家が姫路城主として派遣されてくるときに一緒についてきた三番家老です。
>定かではありませんが、古くは織田家(かの有名な織田信長の家?)の臣下だったとも言います。
>ちなみに、我が家には根強く残っている言葉があります。
>ちょっとカッコイイ言葉だと良かったのですが、なんと、濃姫の本名は「おなべ」だった、ということ。
>本当かなぁ?「帰蝶」だろう、というツッコミはいりませんよ。
>それぐらい知ってます。
470 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 21:30:21
>>468 お鍋は、信長の後期の愛妾。
たぶん、その伝承は、濃姫とお鍋を混同しているんじゃないかな。
>>470 混同している可能性が高いが、本名と言うところが気になるな。
仮に勝介の家なら、間違うことはまずないとも思う。
酒井家家老の家にそういう伝承があることも興味深い。
う〜む・・・・・・・・・・・・・・・・ワケワカラン
472 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/10(日) 00:28:12
もし、仮に於濃の本名がおなべだったとしたら、
信長の愛妾は、代々吉乃と言う名が受け継がれたのではなく、
実際は、おなべと言う名が受け継がれたのではないかな?
これだと、おなべと言う名が実質2人いることになるから、
養華院が御愛妾記述されている?のも、説明がつくような気が
しなくもない。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/10(日) 00:57:14
なんだ、結局のところ無双みたくラブラブ夫婦だったみたいじゃんw
よりによって、酒井関係者の家で根強く残っているというあたりに
ロマンを感じる。
正室だった通称濃姫(本名おなべ)と、
小倉氏の嫁だった側室通称おなべと、2人のおなべが居たということ?
なべなべなべ・・・
ロマンはロマンだがよくわからん
>472いや、代々愛妾に通し名があったとかいう話自体さるサイトのファンタジーなのでな。
本当もどかしい〜!!
人形浄瑠璃の祖だったお通って人のお墓があるお寺でも、
お通は濃姫に仕えたっていう伝承があるんですが、
詳しいことまでは不明とのこと。
酒井家家臣やお通の墓所(かつての駿府城下)どちらも家康に
関係しているのって、なんか不思議でおもしろいです。
>>472 そもそも、「吉乃」って名前自体が武功夜話の創作でしょうに。
477 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/10(日) 12:57:33
信長はお鍋のことを、おなべではなく、小倉って呼んでいたらしい。
>>475 詳細キボン
鍋といえば、丹羽長重の幼名が鍋丸だったのは何か関係ありますか?
彼も、母と妻は織田一族ですし。
鍋だらけ
480 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/10(日) 23:13:37
信長は側室や娘に台所用品の名前をつけるのが好きだったと、
何かで読んだ。だから鍋が何人いても可笑しくない。
481 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/10(日) 23:15:34
昔、信長はお鍋のことをちんげと呼んでいました。
482 :
475:2005/07/11(月) 00:00:06
>>477 ttp://www1.e-machisite.net/shirai/joururi%20towa.htm 彼女については、ここのサイトに詳しくのっています。
結構凄い方だったようです。
私は地元が静岡なので、以前実際にお寺にも行き、彼女についてのお話も
聞いてきましたが、同じ美濃出身ということもあってか濃姫と大変仲が良く、
信長も気に入っていたそうです。
しかし、残念ながら濃姫と於通の関係でお寺に伝わっているのは
この位とのことでした。
それから再びお通のお墓参りに行った時、先客できていたご老人の方に、
お濃さんとお通さんに関してなら、この家の人が詳しいかもしれないと教えて頂き、
日を改めて、その時教えて頂いたお宅にも伺ってみたのですが、
大変驚いた顔で、なぜ、そのことを知っているのかと聞かれ、
お墓での事情を説明したのですが、申し訳ありませんが家の決まりで
いかなる人でもお話することは一切できないと断られ、
その件では、もう来ないでくださいとまで怖い顔で言われてしまいました(泣)
なぜ、そこまでかたくなに秘密にしているのかはわからないんですが、
酒井家家臣の家に根強く伝わっているという濃姫の本名がおなべみたく、
何か凄いことが伝わっているのでしょうかね?
その後、何回かお墓に行っているのですが、そのご老人とはあの日以来
お会いしていません。今思えばあのご老人は何者だったのか?
なぜその家のことを知っていたのか?とか摩訶不思議な体験です。
483 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/11(月) 00:16:17
>何か凄いことが伝わっているのでしょうかね?
於通は信長とお濃の娘
漏れは信長とお市の娘に一票!
>>482 田舎なんてどこもそんなもんだよ。
よそ者には決して言わない。同じ集落の人間でさえも
同じ系統の家にしか言わないとか、家族であっても
長男にしか伝えないとかさ。
でも、そうやって理由を言ってくれるだけ良心的な家だと思うぞ。
>>482 史学者は何回もそういう涙を飲んでいるとかいないとか…
487 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/11(月) 12:33:48
482が紹介したサイト見てみたけど、於通の墓の写真、心霊写真っぽくない?
墓石に打掛をきた髪の長い女性が写っているように見えるのは俺だけ?
子供を抱いているようにも見える。
このスレで浄瑠璃姫の名前をみるとはおもわんかった
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 16:12:06
というより、本を書いたり歴読みたいなところに投稿している椰子は
史料だけでなく、自らおもむくような調査もしているのかと・・・
瓢箪から駒で、意外な場所から一級史料が見つかったりして?!
菩提寺に必ず行って線香たむけるし
地元図書館に足を運んで
郷土資料コーナーや市誌類には目を通すよ。
492 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/15(金) 19:46:31
トホホ放送日age
現地の周辺の寺とか行って、古文書拝見させてもらい
活字化した結果、結構な発見だったというのは多々ある
>>490
>>492 見てみたけど、酷すぎ。
おつやの方がお馬鹿な感じにしか描写されていないから、
あれでは、処刑されて然りな展開。しかもご坊は7男になっているしwで、
もう限界。俺の報告は以上。
>>466 吉乃がもう少し長生きしていたら、
信長は天下統一できたかもしれないってオチだったよwww
武功マンセー派意外には、精神グロ番組
まじに吐き気した
496 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/15(金) 21:04:40
>吉乃がもう少し長生きしてたら、明智光秀は信長にとって必要ではなかったwwwww
あの時代の、それも吉乃クラスの階級の女性は、いくら本人に資質があってもさほどの教育は受けさせてもらえなかったし、
だいたい吉乃に鉄砲や城の設計の才能があったとは思えん。
第一、公卿や朝廷との交渉なんか吉乃には無理。
まあ、せいぜい吉乃はそのきれいな髪を鬘屋に売って、お金にかえてあげればいいんじゃないの?
所さんたち自体が笑いながら進行してる娯楽番組に何をwww
自分も笑いながら見てたけどな。
「おつや」という呼称、そう呼ばれていたらしい程度の伝承だし
スタッフが歴読とか読みながら脚本書いてる姿が浮かぶような
ネタ番組だし、武功マンセー派の胸中は知らんが、
彼らだってブツブツいいながら見てたんじゃない?
今日は時計コレクターの人がなかなかいい味出してて面白かったな。
498 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/15(金) 22:55:45
ああいう番組の中のドラマに出てくる俳優さんって、どんなクラスの俳優さんがやっているの??
「その時歴史は」でもそうだけど、大河の俳優さんよりも、カッコよく、本物くさく見える時があるw
>>498 その時歴史…は、顔がはっきり映らないことが多くない?
吉乃役の人、綺麗だった
500 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/16(土) 00:55:00
別に吉乃から教えてもらわなくても、世情には通じてたと思うよ>信長。
なんかアフォらしさにも程があると思わされたバラエティ番組だった。
所詮はバラエティですから。
502 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/16(土) 02:51:27
>>501 そうとらえずに、あれが史実だと信じる人もいるのが現実だからな…
ドラマではないのだから、これはあくまで一説ですぐらいの配慮が、
番組側には必要だろう。
見れなかったのだが想像以上にスゴイ内容だったみたいね。
>吉乃がもう少し長生きしていたら、信長は天下統一できたかもしれない
>吉乃がもう少し長生きしてたら、明智光秀は信長にとって必要ではなかった
所詮ネタ番組だから、の一言でこういう妄想をテレビで垂れ流すのも許されるのが現実か。
しかし吉乃ネタってNHKしかり、よくこういう番組で、
何も知らん人が捉えようによってはアレが史実かも、と信じてもおかしくないスタンスで語られるよね。
やはり子供3人連続で産んだことが何よりも最強なのかな。
だから信長にとって最愛の女性で、
影響力も凄かった賢い女性だった筈、と信じられているということなのかね。
おつや編の信長はブサだったけど(ついでに遠山夫人も微妙・・・)
吉乃編の信長は颯爽としててなかなかエエ男だったぞ。
吉乃役も綺麗な人だったしな。
遠山夫人の逆さ磔の木材はやたらしょぼかったけど
マニアの人には嬉しかったのだろうか・・・
505 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/16(土) 17:06:42
安土城のプラモ欲しいぃ!あれ3千円以上のヤツだよね?
506 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 01:46:57
今回のトホホは、番組自体がトホホだって意味だったんだろ
ところで、このスレには史学を専攻している人もいるようだから、
聞きたいんだけど、この番組で國學院の教授が、信忠と信雄しか
織田の総大将になっていないとか云々をボード使ってまで説明したり、
桶狭間で生駒家が活躍したから、一生一切を免税する書簡を与えたと
その書面を出したりしていたけど、学会でこのあたりはどう認識されているの?
織田の名は、信忠と信雄しか使えなかったと書いてある本もたまに見かけるし。
>>506 史学専攻ではないし、学会に詳しい訳でもないが
信長が生きていた頃なら、織田姓の使用は信忠のみで
強いていうなら、他の信長の息子の中では津田姓もあったが
勝長ぐらいなものかなと思う。
>>506 ど素人だが、桶狭間後に生駒家に与えられたのは、
「諸荷物馬1匹分の関税の免除」(生駒氏文書)。
一生一切を免除って書簡がどこにあるのかと聞きたい。
>信忠と信雄しか織田の総大将になっていないとか
四国方面軍の総大将に指名された信孝の立場はどうなるんだ?
副将は丹羽長秀と津田信澄。いざ出航、という時に本能寺の変だったけど。
>織田の名は、信忠と信雄しか使えなかった
吉乃マンセー小説家が書いた萌えネタを未だに信じてる香具師が多いってことだね。
しかしその國學院の教授って誰なんだ?
ああいう歴史(トホホでもな)番組では、局側が
「今回はこういう視点で進めていくので、こういう話をして下さい」と
ある程度指示してくる。NHKでも同じこと。
歴史学の先生達はこんな番組は見ないので、問題にならないんじゃない?
歴史知ってるモノほど、トホホなんてバラエティ感覚で見てるもんだろ。
笑って聞き流せばいいのに。
見たことないけど、本当にトホホな失笑モノお馬鹿番組のようですね。
「この番組は妄想を膨らましてストーリー制作したものです」って一言入れときゃいい。
511 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/17(日) 14:54:20
>>509 工作員乙!必死だなw
それなりに史学の道を歩んできたであろう学識者が、局側の支持だからと言って、
史実に目をつぶるようなコメントをしたのは、問題だと思うけどな。
513 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 01:40:55
このスレへと誘導されたから来てみた。
茶々の話なんだけど、彼女は北之庄城落城直後に秀吉を避ける為に出家した方が
いいのではと思ったけど、妹や家臣の事考えたらやはり無理だったのだろうか?
それ思うと秀吉マジ最低かなと。でも自分なりに茶々が秀吉の側室にならなくて済む方法を
考えたんだけど、ねねに直談判するってどうだろ?
ねねとしては側室増えてほしくないだろうし、茶々の境遇はあまりにも気の毒。
だから大蔵局を交渉役にしてねねに会わせてもらって秀吉の説得をお願いする。
失敗しても城内でねねを味方につけられるし。
ところでねねと茶々って本当は険悪な仲じゃないって見方が強まってるんだよね?
自分的にもそうであってほしいけどさ
>>513 茶々は、案外と復讐のために自ら秀吉の側室になったんじゃないの〜?
於市も、茶々に何かを託したのかもしれないし…
で、最期は見事に目的を達成w
515 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 03:11:54
天下人の嫡男を産んで、将来は権力を振るうのが目的―だったに決まっておろうが
権力を振るうって言っても、所詮正妻>側室の図式がまかり通っている時代
淀もそのあたりは理解していたと思われ
517 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 09:32:42
実際、北政所と淀殿の対立ってなかったんでしょ?
>>517 関ヶ原での動向に関しても、最近は従来の、
北政所=東軍、淀殿=西軍という単純な図式ではなかったと云われ始めてるね。
>>513 しかし>北之庄城落城直後に秀吉を避ける為に出家ってのも、
若い身空で気の毒すぎる・・・秀頼の娘なんかもそうだけども。
死の直前のお市が三姉妹の身の保全を秀吉に頼んでるよな。
せめて命が保たれれば、という意味だけでなく、
主家の血筋の娘をそれにふさわしく遇して欲しいという母として一縷の望みもあったろうに。
秀吉最低だよ。
で、側室にした経緯については、寧々にしたってその点では強く干渉出来なかったと思う。
主筋の娘、高貴な家の娘を側室にして取り込むことで、相対的な自分の地位も高めて見せる、とか。
そいういう考えもあっただろうし。出自が強烈なコンプになってる男だけに。
ってか信雄って北畠だろうに。
そんぐらい調べればすぐにわかると思うが
>519
???
このスレ住人の殆どは調べるまでもなく知ってると思うのだが・・・>北畠信雄
そしてトホホを何の気なしにへぇ〜〜、と見てる人達は信雄の姓わざわざ調べやせんやろ。
結果、信長は吉乃の子にだけ織田姓名乗らせたんだってよーラブラブー、
という信長×吉乃萌え!がさらに一般に広まるという・・・ま、今さらだわな。
>>520 それを史学部教授ともあろう人間が、公共の電波を使って
まさしく電波発信したから、511氏は問題提起をしているわけで…
國學院の史学部では、まじにあの話を取り上げたり、研究レポート材料に
したりしているのか?
國學院の講師だったと思ったが・・・
國學院とはいえ流石に主流の説とまではいかないんじゃないか?
523 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 13:42:21
姫妄想板に張り付いてないで
直接テレ東に意見なり苦情なりしてみればいいのに。
525 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/18(月) 14:30:35
>>511 番組内容の放送主旨に沿って、発言をある程度指示される、
という事は聞いたことがある。
下山治久氏もそのようなことを何かに書かれていたよ。
でも、NHK出演時の話だがな。
>>523 いや、別に苦情だの面倒いことするほどマジに怒ってる訳じゃないので、念の為。
三戦板なのをいいことにブー垂れてるだけとゆーか。
確かにあの阿呆馬鹿番組に釣られるのもどうかと、釣られる自分もアホの1人とは思うが、
なにしろ、『武功夜話』マンセー由来の電波発信っぷりは、
今回に限らず、ゆんゆん〜wゆんゆん〜wゆんゆん〜wと凄いものがあるので、
お約束のよーにツッコミ入れずにはいられんと言いますか・・・
気に入らん流れだったらスマヌ。スルーよろしこ。てかさすがにこの話題もそろそろ秋田わ
亀だが
>>473のおバカ級単純思考と素直さが妙に羨ましく感じた夏の夜
ところで、あの番組中の「戦国時代、カステラはワサビ醤油をつけて食べてた」って話、ほうとう??
何でも砂糖が金よりも高かった時代なので、カステラは砂糖を入れず、今の卵焼き感覚で、
酒の肴にしたり麩のかわりに味噌汁に入れたりしてたそう…
この話を母にすると、母は眉に唾つけてしまったw…
「吉乃」に関する話はウソでも、せめて「カステラ」は真実であってほしい(別に理由はないが…)
>>528 全くのデタラメという訳ではないけど、当時(厳密に言えば現代も)のカステラには
大きくわけると砂糖(水飴)使用と不使用、固い・固くないがあったから
(勿論、砂糖使用やわらかいものは高級品、両方だと超高級品)
そのカステラにより、ワサビ醤油付けたり付けなかったりと言った感じかと。
530 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/21(木) 11:56:34
ここにも置いていきますね
織田(神戸)信孝の母の話。彼女は無念の磔をくらう。
ああ、夫(信長)はどうしてこの恩知らずの鼠(秀吉)めを重用したのか。
夫の一周忌も終わってないというのに、刑場の露と消えねばならぬ我が身。
この時、磔にされたのは坂氏だけではなかった。信孝の娘冬姫と信孝の乳母も、一緒に処刑されている。
場所は、安土城の馬場。三人の女は、裏切りの見せしめに鳥居型磔柱に、股を大きく開かされた大の字姿
に縛り付けられていた。好色な秀吉は、この無残な仕置きを直接あれやこれやと指図していた。
勿論、女達の着ている刑衣は、裾をめくり上げられ下半身を丸出しにされた。
半年前まで、天下人信長の側室で権勢を誇っていた美女も、秀吉の毒牙にかかり孫と一緒に串刺
しの刑に処せられたのだ。
一説には、この坂氏に恋心を抱いていた秀吉が、こっぴどく肘鉄砲を食らわされた腹いせに、な
らば竹槍でも、くされマ○コに食らえと言ってやったそうな。9才の幼女まで串刺しにする理由
がどこにあるのだろうか、酷い事をするものである。地獄に落ちろ猿秀吉。
そして、この事件は後年こう評された 。
・・天下は、天下の天下なり。
関白家の罪は、関白家の例を引きて行はるべきこと、尤も理の正当なるべきに、
平人の妻子などのやうに、今日の狼藉、はなはだ以って自由なり。
行くすゑめでたかるべき政道にあらず。
ああ、因果のほど、御用心候へ。
世の中は、不昧因果の小車や、善し悪しともに、めぐりはてぬる・・
真か嘘か、大阪城が炎上し豊臣家が滅亡したその日は、数十年前信孝が恨み真髄の辞世の句を残し、
野間の寺にて無念の切腹をした日付けと同じだったとも言われている。
秀吉って、子供に串刺し刑するの多いよな,,,
信長ですら斬首なのに。マジにサイテーな野郎だ
532 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/21(木) 21:27:14
だから、子供ができなかったんだろうね。
因果応酬ってやつ。
信長が死んだ後の彼は、出世という坂ではなく自家滅亡という名の坂を
上っていたのかも・・・
ふ〜ん、だから何だよ?
>>531は俺だが、他は俺ではない。
>>518 天秀尼→優れた尼として東慶寺に名を残す。
茶々→息子、秀頼は愚鈍扱い、本人も憎い秀吉の元に行ってもついてきてくれた
治長や大蔵局といった人々共々悪人扱い。血筋も残らず。↑の天秀尼が優れてることや
お江与の血筋(特に茶々の養女の完子姫)が広まったことがせめてもの救い。
秀吉に嫁いで後世でまでこんな扱い受けるなら出家の方がまし・・。
関ヶ原といえば茶々の一番の味方である治長って東軍だよね。
茶々がどんなに三成と親しくても治長より優先は無理あると思う。
茶々の話といえば大坂の陣のとき徳川の人質要求に対して淀殿がきれて
受け付けないって描写多いけど本当は彼女は要求を受け付けようとしてたけど
秀頼達が止めたって説もあるよね。本当だったら正しいかどうかは別として
人質話といえば旭姫をかなり強引な政略結婚をさせ、悲しい晩年を強制させたのに
なーんの成果にもならんかった秀吉に比べれば人間性は評価できるよね。秀頼。
淀殿や側近の傀儡ってイメージも見直せるし。
天秀尼の東慶寺寺住持としての活躍は、天樹院・千姫の後ろ盾あってのもの。
>>536 千姫結構いいお母さんだよね。ところで家康や秀忠が死んだ後還俗させる計画とか
考えた事とかないのかな。その頃には大坂の遺恨もないだろうし、尼萌え(笑)の
家光なら丸め込める可能性ありそうだし。無理あるかな。それに千姫自身再婚しても
夫と息子に先立たれる憂き目にあってるから無理に結婚させる事がいいって
訳じゃないって事も理解してそうだしね。千姫も縁切り寺を取り持ってるんだよね。
しかも東慶寺の役割をなくさない様駆け込み制度はやらないという気遣い上手。
しかし、天秀尼に先立たれた時どう思ったんだろ・・。
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/28(木) 15:05:47
ハセキョーがガラシャ役に決定記念age
>>1 姫ではないけど、信長乳母の養徳院に興味がある。
目だった活躍がないから影は薄いけど、信長・秀吉・家康と
天下盗りレース3人共に大事にされた女性っていうのも珍しい
オッパイときいて飛んできますた
>>539 「おちちさま」か「おおちちさま」とかよばれてたんでしたっけ?>養徳院
今ではこっぱずかしい敬称だが、当時の感覚としては誇らしかったんでしょうか。
ちなみに信長の乳母をしていたばっかりに彼女は信秀にヤられてしまったらしい。
夫がありながら信秀の娘を産んでいた、はず。誰か詳しいフォロー頼む。
思い付きで書き込み。信長の乳母ってことは池田恒興の母親?
543 :
542:2005/07/28(木) 17:29:44
うははっ!自己解決
信秀のお手がついたのは夫の死後じゃなかった?
ちなみに美濃・池田荘の池田家の総領娘で、夫の恒利は婿養子らしい。
545 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/30(土) 01:53:15
恒利は婿養子だよ。元は伊勢氏?の出とか・・・
(元助の先妻?が伊勢氏(信長養女)なのもこの関係かららしい)
養徳院が信秀側室になり子供を生んだ云々は諸説があって確実なことはわかっていない
恒利が死んですぐに出家したって話もあるけど、彼女が輝政宛に出した遺言書の中に
信秀のことも書いてあることから、側室だった可能性はかなり高いとのこと
ただ、側室に上がったとしても年代が不明で、旦那生存時なのか死後なのかまでは不明
恒興も、実は信秀庶子という話もあるそうだ(ほんまかいな?)
546 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/30(土) 02:50:24
>元助の先妻?が伊勢氏(信長養女)なのもこの関係かららしい
元助っていつ誰と再婚したんですか?初耳です。
伊勢氏女のとの間には、確か由之っていう一人息子もいたと思います。
あと、前の方のレスに、多聞院日記に義昭に再嫁したと書かれているという、
信長秘蔵の娘、虎福の女なりが、彼女みたいなことも書かれていますよね?
その時は、対立した義昭だけに手打ちでは?って話になっていましたが、
元助再婚なら、元助が離縁したという話はないことから彼女は死んでしまった
つまり、この虎福の女というのは別人ってことになるのでしょうか?
>>546 之助再婚については池田家の記録をどこまで信じるかだぽ
池田家雑記集(だったと思うぽ)の之助小牧での戦死のくだりのあたりに
後妻記述があるぽ。相手は、塩川伯耆守の娘だぽ。
信忠側室の塩川の娘の姉妹と思われるぽだけど、彼女に姉妹がいたという
話はないぽから、まさか・・・てなことも妄想できるぽだけど、
それから、寛政家譜でも後妻の記述はないぽから、なんでこんな記述が
池田家の記録に残って今に至るのか最大の謎だぽ。
その塩川家を、秀吉の命とはいえ攻め滅ぼしたのは輝政という説もあるぽから
池田家のこの記述を信用すると、もうわけがわからないぽ〜!!
548 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/30(土) 15:59:26
また池田家に残る記録か・・・
長篠での鉄砲3000論争も、信長公記池田写本が根本原因だしな
>547
塩川伯耆守の娘が元助の妻というのは「荒木略記」にもあったぞ。
550 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/30(土) 16:40:19
不思議な話ですね、塩川の娘を後妻に迎えたなら、池田家はなぜ家譜に載せてないのでしょうか?
側室扱いならまだわかるのですが、正室なら後室や継室で載ると思いますけど・・・
家系図に載せるなら家格が良い方を優先にするだろ、池田クラスの大名家なら特に
>>551 でも、輝政のところでは中川の娘はちゃんと記載されているぞ。継室で督姫。
その理論なら、中川の記載なんて省かれないかな?
>552
中川家は大名として残ったから、さすがに省かなかったんじゃないの?
まっ、その程度だったんだろ塩川家っていうのは。
荒木謀反の時の対応で、信長に褒美はもらったものの、娘が信忠の息子を生んでも、
元助に嫁いだとしてもパッとしない。摂津衆では、高山・中川に続き3番手的なイメージ。
あげくの果てに、秀吉に滅ぼされる。
>554
>あげくの果てに、秀吉に滅ぼされる。
と見せかけて、実は塩川氏の子孫は池田家に仕えている。
>>555 それがどした?そういう事例は他の家でもあるよ
557 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 23:51:40
功名が辻の三次キャスト発表
信長・・・館ひろし
光秀・・・坂東三津五郎
家康・・・西田敏行
・館と大地で近親相姦的兄妹愛
・館と坂東と和久井で緊張感ある三角関係
どちらもイメージが浮かばないw
そのキャストだと信長と光秀の仲をお濃が嫉妬するって感じに思えてくる
漏れは逝ってヨシですか?
559 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 17:54:33
>>558 公式サイトにある人物紹介の信長を読む限りでは、
孤独な信長を理解しているのはお濃だけと書いてあり、
お濃も同じように書かれているところからみると、
信長とお濃の黄金の日々を光秀が妬くパターンかと…
それにしても、NHKは極端杉だな〜
560 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 20:01:32
・司馬が原作
・坂の上の雲制作(発表済)絡みでの司馬関係者への配慮
・某名家にある文書(一次史料レベルらしい)公開か?他
これらの理由から、極端過ぎというよりそうせざる負えないという怪情報もあるのだが…。
おかげで制作サイド内は軽く分裂状態らしい?
>>560 その文書って前野家文書じゃないんだよね?
あれは一応、武功夜話として既に出回ってるし・・・一次史料じゃないしw
一次史料レベルってことはちゃんと信憑性のある当時の日記や手紙ってことなのかな。
なんなんだー気になるな。濃姫否定説につながるような文書だったら鬱
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 00:09:45
>>561 お濃否定説につながるような文書でしたら、今回みたいな設定にはまずならないと思いますよ。
実は、要約ですが「戦国時代研究で有名な教授達が本能寺を囲んだのは明智軍ではないということを
10年以内には立証できる」というソース不明の怪コピペが、少し前に出たことがあります。
偶然といえば偶然なんでしょうが、これと何か関係しているのかも???
そうなると、教授達はこの文書や内容について何かご存知なのかもしれないですね
話は変わりますが、キャスト発表会見の仲間さんかわいかったですね。楽しみです。
563 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 00:26:30
そんなことより和久井タンが館にあんなことやそんなことを
やられてしまう件について
564 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 01:11:13
>>561 前野家文書ではなく、有名な公家の家に残る日記や書簡みたいだよ。
唯、何かの調整で?手間どってもいるらしいけど。
怪情報を教えてくれた人に、このあたりはうまく茶を濁された。
調整が必要な程の公家系統の家か…
その話が真実なら、公開もかなり本格的なモノになるだろうね
さて、どの大学が大発見になるかもしれない史料を手にするかだな
ソースは言えないんだけど発表が慮られている重大史料・・・
○○から聞いた内密の情報なんだけど・・・
2ちゃん名物
568 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 14:17:37
そういえば、数年前に京都で中世が中心の書物が見つからなかったっけ?
>>567 大雑把にいうと、諸家とのつきあいを壊さないための気配り。
名家は名家なりにいろいろと大変という話はよく聞く。
その史料の噂が本当だとしたらドキドキ
本能寺の真相に迫るものになるのかね。
いつぞやのようなドキュソ文書じゃないことを祈るばかり。
>>569 返事ありがとうです。
なんとなく意味はわかったけど、公開したぐらいでつきあいが悪くなるとは思えないけど。
それでつきあいが悪くなったとしたらそれまでだっただけだし…
もう何百年とたっているのだから、現代まで気配りする必要がある?
有名な名家でテレビ局に影響を与えるような家なら、もち露会館にも出入りしていて、
中でも位が上の方だろうからなおさらに思う。
572 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 23:01:41
霞会館って出入りしてるとすごいの?位なんてまだあるの?
>>572 俺は別にすごいとは思わんが、中にはそういう人もいるみたいだよ。
露会館自体興味ないから、中で位階が存続しているかは知らない。
574 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 00:01:20
というよりあの会はある意味別世界であられますからw
昔の栄光を引きずっておられる方もまだいらっしゃるし。
旧華族の序列みたいのは未だに根深く残ってるということを
維新の元勲華族のご子孫から直接聞いた事はあるけど、
中世文書の発表によって差しさわりが生じるかも?・・・なんて
歴史の上での重大事件というより、諸家の名誉に関することとか?
でも2ちゃんでいう「発表できない重大な史料」は多いけどな。
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 13:15:37
>>575 名誉に関することだから調整とかいうのが手間取っていると思われ
公開されて笑う家有り、泣く家有りなんだろう。
そこまで慎重にすすめているなら、今上天皇と姻戚関係の家も含まれているのかもしれん。
なんとなくだが、この家は摂家や清家クラスの匂いがする。
577 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 15:28:51
>>571 確かにそう思っても不思議ではないと思う。しかし現実はそう単純ではないみたいだよ。
田安徳川家当主の徳川宗英さんが書いた本
【徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話ー敵将ライバル編ー・文春文庫】の
まえがき部分で、そのあたりの思いを少し書いてあるから読んでみるといいと思う。
侯爵を賜った田安徳川家当主でさえ、今までの良いつきあいだったのが
書くことでつきあいがわるくなってしまうかもしれないと不安がっているよ。
(宗英さんはこの部分で、家康と武田遺臣についてを引用していておもろかった)
内容的にはそんな驚くことは書いていないけど、さしあたりない内容でもまえがきに
こういうことを書くのだから、実際はかなりの気使いを必要とすると思う。
濃姫と光秀と本能寺に関しての確かな記録が
書かれている日記であることを祈るのみ
こーんな文書があるんだぞー、の噂だけでないことを祈ります。
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/09(火) 00:40:18
>>565 手中に収めそうなのは、江戸か都か公達あたり
駿河もおこぼれ頂戴するか
だが、公開されたとて俺達が読めるようになるのは当分先さ
俺はヒロやアヤやノリが行った学校しか思い当たらん。
功名、五徳は出るかね
信康事件を出すなら出ると思う。
585 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/21(日) 23:55:24
利まつには築山殿、信康親子は出てきても徳姫は出てこなかったからなぁ。
原作では家康の正室エピなんてカケラもない。
信長の妻女も同じこと。
無理やり絡めて話が糞になるパターンは利まつで懲りていて欲しい。
国盗り原作を絡めて濃姫と光秀の初恋エピが入るぐらいだからね、
確かに信康事件をやるなら少しは出る可能性もあるかも。
ただ、最近ではあの母子処分への信長の関与は疑問視されているし、
やる可能性のが低いかなー。話が散漫になって広がりすぎるだろうし。
>>587 >>最近ではあの母子処分への信長の関与は疑問視されている
そうなの? 詳しくキボンヌ
大河ドラマの歴史考証はただ一応お願いして、名前を載せてるだけだよな。
歴史の諸説について真贋論議して映像化する、なんて
時間の掛かることはしないだろ。
如何に面白く映像化するか、配役した豪華俳優陣に不満をもたせず
見せ場を用意してさしあげるか・・・、こんなモノだろう。
590 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/02(金) 21:27:54
何かおもしろい話ないの?
今のところ特になし
>>590 おもしろいかわからないけど、今日からおんな風林火山の再放送が
始まったことぐらいかな。残念ながら信長周辺の女性は出てこないけどね。
番宣乙
あれ?金沢碧とかいう女優さんの濃姫が一瞬だけ出てなかったっけ>おんな風林火山
リアル厨房の頃に見たので記憶が定かではないですが。
>残念ながら信長周辺の女性は出てこないけどね
女が出てくるような信長ではないと思われ
妻と言えども、下手すればその場で首を飛ばしかねない
怖さと冷たさと狂っていく様が、この信長のウリ
597 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 00:16:14
比叡山焼き討ちを非難したお濃さんの首を、おのれ〜と言いながら
首を絞め上げていたのはこのドラマ?
隆大介・・・
影武者ではあんなに素晴らしい信長だったのに、
このドラマではえらいショボく感じたなー
冷酷な設定の信長も好きなのにこのドラマは魅力薄だった
エンディングで姫様がたが扇持って舞い踊っていたのが印象深い
役名まではわかりませんが、キャスト表では金沢碧さんという
お名前は確かにありますね。
>怖さと冷たさと狂っていく様が、この信長のウリ
ごもっとも(笑)でも今日の家康との会話の場面で、
龍勝寺殿死去の話になった時、一瞬視線を下にして悲しげな
表情に変わったように見えたのですが・・・気のせいかな?
それから、比叡山の関係で濃姫が首を絞められるのは、
私の勘違いでなければ役所さん主演の武田信玄(TBS)だったと思います。
>>598 原作のレベルからして別だから仕方ない。
影での信長と同レベルの信長をこれでやると他が食われる。
主役はあくまで姫と息子だから、バランスで見ても俺は丁度良い。
最近の信長に比べればはるかにマシだし、来年の大河や今秋のフジも
期待できそうにないから、自作の隆信長と戦場場面集で我慢してるさ。
601 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 13:07:56
フジテレビで何かあったっけ?
大奥は知ってるけど
>>601 日本の歴史(仮)って番組
配役宝典によると、信長は杉本哲太がやるらしいよ
603 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/03(土) 18:37:02
>>600 >自作の隆信長と戦場場面集で我慢してるさ。
おぬし、なかなか通な楽しみ方をしておるではないかw
>>588 >最近ではあの母子処分への信長の関与は疑問視されている
亀レス失礼。
通説では、信康と不和になった五徳が、信康の粗暴な行状、
築山殿の武田との内通疑惑などを書状にして信長に送り、
立腹した信長が母子を切腹に追い込み、家康はその一連の事態に涙を呑んで耐えるしかなかった、
という展開になっている。
が、最近では、信康処分の真の原因は、徳川家臣団間の対立と分裂に端を発し、
信康の切腹という処断を下したのはあくまでも家康自身であり、
信長の意思が反映された結果ではない、という見解が強まりつつあるらしい。
上記通説のソースになっているような「神君家康」のプロパガンダ的、
信憑性の薄い三級史料などではなく、当時の一次史料を見ていくと、
浜松の家康が、
岡崎の信康とその家臣団である岡崎衆との親密化を防ぎ、
関係を断ち切ろうとしている痕跡があるとのこと。(長いのでいったん切るよ)
つづき
浜松と岡崎、反武田と反織田。
当時、徳川家臣団は外交方針・政策をめぐって深刻な軋轢や対立を抱え込んでおり、
家康は、嫡男信康の支持者たちに強い警戒感を抱いていたと考えられ、
また、当時、父子間での抗争など珍しくもない。
こうした背景のなかで、岡崎衆(信康方)の家康に対するクーデター計画が発覚。
家康は岡崎城に乗り込み、自分の直属の旗本で城を固めて信康を追放。
家康が信康の切腹について、信長にコンタクトを取った際、
どういう話の持ちかけ方をしたのかはハッキリしないようだが、
いずれにせよ、話は徳川家内の家臣統率に関する範疇であって、
つまり「信康切腹に信長の積極的な介入はなかった」と見るのが妥当だといわれている。
ちなみに五徳は信康の死の翌年に岡崎を去り、近江八幡市に居住。
いぜん「岡崎殿」と呼ばれていたらしいね。
本能寺後は信雄の実子格で秀吉のもとへ人質になった時期もあり。
信雄の改易後は生母・生駒氏の実家の小折村へ移住、
その後、関ヶ原の年には京都へ移住。さらに30数年を京で過ごして死去。
見星院香岩桂寿大姉という法名がなんとも味わい深い気がするな。
晩年、生涯を振り返りつつ夜空の星を見上げている尼僧のイメージというか。
ヘェーヘェー
>>604 おお!丁寧に。サンクスです。
なるほど、ですが、
信康切腹を信長の命令にしたのは、徳川による捏造なのかな?
信康が、盆踊りの百姓を弓で射殺したり、坊主の首に縄かけて馬で引きずった話も、徳川の捏造なのかな?
息子にどんな教育したんだよ?>家康、てことになるのだが・・・。
もしかして、例の13カ条の信康の非を、信長に知らせて切腹の了解を取ったのは家康だったりして(w
これで、信長の残酷伝説がひとつ消えるのかな。
光秀をいじめた話も後世の捏造らしいし、最近では、比叡山焼き討ちも考古学的に否定されているようですね。
天下統一の目的のためには悪にも徹する信長に魅力を感じるんだけど、、、。
609 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 23:37:06
再来年の大河は【風林火山】に決まったが
>>560が言っていた一次史料と思われる文書公開の甲斐情報って
これにも何か絡んでいたりするのかな?
2年続けて戦国時代という前例は珍しくないけど
何かタイミングが良すぎな気がする。
何も絡んでないだろ。
国民作家井上靖の生誕100年もあるらしい。
「風林火山」一世を風靡した小説だし
三船敏郎主演の映画は名作として名高い。
ただ、井上靖ファンの自分としても
「何で今ごろ」感はあるけどな。
>信康が、盆踊りの百姓を弓で射殺したり、坊主の首に縄かけて馬で引きずった話
こういう逸話のソースになってるのが『松平記』『三河後風土記』など。
信康が実際にそんな暴れん坊だったのかどうか?はわからんね。
上記のソースは一次史料でもないし、史実捻じ曲げが多いとされる信憑性の薄いもの。
筆者までは知らんが、もし、信康事件当時、岡崎衆と対立する立場の家臣、
もしくはその一族や、反信康勢力と関係の深い香具師が書いたものなら、
やっぱり捏造の可能性が高いんでは。
また、信康の具体的な言動は記してないまでも、
>>604の一連の通説の原典になってるのが、
天下のご意見番などと云われる大久保彦左衛門の『三河物語』。
ようは、東照大権現マンセー!!若君切腹なんて外聞の悪いこと、
全部信長とその娘のせいだから!よく読んで憶えとけよ、って感じのオトボケ史料かと。
>信長の残酷伝説がひとつ消えるのかな
だね。悪に徹する信長に魅力を感じる気持ちもわかるが、良くも悪くも虚像がデカ過ぎ。
魔王的魅力が薄れてイパーン人に近付くのが嫌な信長ファンもいるかも知れんけど、
実像を探っていく研究者が増えてくれた方がいいかな。
来年は濃姫好きと吉乃好きのバトル必至で
再来年は三条夫人好きと諏訪御寮人好きのバトル必至に
なりそうだねw
2年連続で大河板は凄い状況になるだろうな・・・orz
>>612 確かにw
でも「ドラマだから」「原作の小説がそうだから」という言い分で、
現在明らかになってる(と考え得る)人物相関を全く無視っていう姿勢はどうなんだろうな。
以前、誰かも書いてたような気がするが、いっそアホ丸出しで、歴史系ドラマにも
「このドラマは歴史的事実を脚色し、
ストーリーや人物解釈にオリジナル設定を加味したものです」とか
テロップでも入れといてやった方が、変な思い込み厨も勘違い史実厨も沸かないような気が
そのテロップは利まつあたりから入れて欲しいと思っていたよ。
杉本苑子の作品後書きにあったんだけど、
名前が伝わってない歴史女性に杉本は名前を創作して執筆。
その杉本が創作上つけた名前が当該地域の公的な史跡案内板に
記されるようになっていた。
小説やドラマの影響の大きさに驚くとともに憤慨していたよ。
>>612 司馬の原作には濃姫も登場しないし
執筆された年代上吉乃なんてカケラもいないけどね。
「風林火山」は三条と由布姫の会話場面がある。
小説上やドラマ上の扱いで、なんで熱くなれるのか不思議だよ。
616 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/06(火) 02:06:21
いろんな人がいるからね。
でもさ、三条夫人に関しては感情的にくだらんことを言う人は別としても
彼らの言い分はわかる部分があるよ。彼女に関してきちんとした記録があるにも
関わらず世間の評価は小説・ドラマ>>>史料だからw
所詮ドラマ・小説と割り切る人がまだまだ少ないのもまた現実なり。
617 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/06(火) 02:11:21
信長の息子ってどうなったの?
信長が死んだら息子が継ぐだろ普通
そのぐらいググレ
>>615 いや、だからこそ「司馬原作は古いから、吉乃の存在を知らなかっただけ、
史実どおり吉乃を出してほしい」という武功(利まつ&秀吉)信者も居るのではないか、と。
そういや功名原作では1行しか出てこないよね、濃姫。
しかも清洲から岐阜への引越し場面だけ。これも、大石が原作どおりの設定してたら、
小牧山じゃないのかよ、プ、とか言い出す香具師がいたりしてww
自分もドラマはドラマとして楽しめばいいと思うが、
>>617のカキコも最もだな
自分は戯曲を書くものだけど
作品の中での登場人物の選択は自分の構築した創作世界や
あらすじ、描きたい事跡を考えて省略したり、
何か狙いを強調したい場合に行動させ易い創作人物を創ったりする。
小説は歴史再現ドラマでは無いんだけど
その事を理解できない想像力の乏しい奴が増殖してるよな。
勉強してる人ほど、そこがわかっていて区別が容易なので
創作に寛容だったりする。例外もいるがな。
621 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/09(金) 00:26:26
織田好きから見た三条夫人についての率直な意見を述べよ
信玄のかみさん。
もし、この人が長生きしていたら武田家ってどうなっていたのかなと
思うことはある。末期の分裂状態もまた変わっていたかもしれない。
>>622 ありえない。息子・義信は殺されてるし。
家臣に影響力もなかっただろう。
う〜ん…ありえないと断言してしまうのもどうかなと。
少なからず、家督相続と穴山に関して言えば影響あった鴨。
>>621 彼女のご子息が信玄殿と激しく対立したあげくお亡くなりになったおかげで
信玄殿死後、家督の相続でしこりを残し、結果武田は弱体化し、
彼女の娘婿殿その1は、上杉家督争いで勝頼の引っ張りだしに成功。
武田との縁斬りの大義名分を手にいれ、険悪の仲になってくださり、織田家と
縁続きになりたいと、自ら書状をよこされ、その2殿も、勝頼を舐めてかかって
くれていたおかげか長篠ではさっさと兵を引き上げてくださり、討伐時も見事な
時期に寝返ってくださったおかげで、さした苦労や損害も受けず武田家を
滅亡に追いやることができました。
故に、三条の御方には心からとても感謝しております。ハイ。
626 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/09(金) 11:47:03
正妻腹の嫡男は大事にしろってことだね
そういえば、信長も義信事件を非難していなかったっけ?
無実の罪で殺したとか何とか
628 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/10(土) 00:21:25
>>627 それは武田討伐を正当化するためのただの言い訳
>>627 そういう敵対した相手の事跡を色々とくさすのは
信長に限らず普通にみんな言うものではないのか。
630 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:50:12
>>622 末期の分裂状態は何ともいえないが、彼女が生きていたら
信長は、朝廷との軋轢を抱えていた関係からすんなりとは
討伐に踏み切れなかったかもしれないかな…?
あくまで妄想の域だが。
転法輪三条って信長の朝廷政策に何か深い関わりや影響を持つ家だったのか?
織田の武田討伐の意思を左右し得る存在とは思えんのだが
632 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:27:22
確かに朝廷との縁が遠のいてしまったのは武田にとっては痛い
龍勝寺殿院が死んでしまっていたのもな〜
彼女も生きていたらまた違った一人かもね
龍勝寺殿が生きていたら、というのは言えるかも知れないな
彼女が信長と勝頼の間に立って働いてくれれば、
まぁ臣従ぐらいで済んだ可能性もありか
龍勝寺殿って信長の姪だっけ?血縁は明らかなんだろうか?
ここんとこスレ違い気味なんで強引に持っていくw
>>631 630さんの妄想の論拠は、多分転法輪三条というより
三条夫人個人と朝廷の関わりってことなのかなと思う。
義信が死んだ時は正親町天皇の皇后から、病気に倒れた時は
朝廷からそれぞれ使いの人が見舞いで下向したり、
どういった経緯かは不明だけど彼女の位牌には菊紋が使われていたり。
だからといって信長の意思を左右するような直接的な影響にはならないかもしれない。
でも、彼女が生きていて武田家と朝廷のつきあいも変わらないままでいたら
信長というより朝廷側がまた違う対策を打ったかもしれないかなって。
ド素人考えなのでいじめないでくださいm(__)m
>>633 龍勝寺殿
岩村遠山氏の一族で苗木勘太郎の娘
で、勘太郎の室が織田信秀の娘だったらしい
ただし、例によって生没年不詳で婚礼の時期もわからず
産後の肥立ちが悪くて信勝を産んだ4年後に亡くなったらしいね
636 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 23:08:20
>>635 武田サイト情報によると
結婚=永禄八年十一月
没年=永禄十年九月十六日
法名=龍勝寺殿華萼春榮大禅定尼
>>633 >まぁ臣従ぐらいで済んだ可能性もありか
それは勝頼が信長にごめんなさいする時期にもよると思う。
浅井みたいな前例もある訳で・・・
勝頼・盛信・信廉ヴァージョン黄金杯てな結末も考えられる。
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/13(火) 01:52:19
龍勝寺殿は美人?勝頼との仲は?
美男・美女が多い織田の血を引いているなら間違いなく美人だと思う。
子供の信勝も色白な美男だったというし、戒名からもそんな感じがする。
勝頼との仲は小説では仲が良かったと書かれているものが多いよね。
逸話だからソース不明だけど、彼女が亡くなった時の勝頼の嘆きようは
凄かったみたい。
北条夫人とも仲いいイメージだし勝頼って奥さん思いなんだね。
勝頼の肖像画って珍しく北条夫人と信勝が一緒。その絵の勝頼はかっこよかった。
640 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/14(水) 11:01:06
>>638 華萼春榮っていい響きだね。
戒名は故人を偲びやすいように人柄とかを文字で表すともいうから
春榮というあたり華やかな人だったのかもな。
華萼ってどういう意味?教えてエロい人
642 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 01:13:45
>>632>>633 確かに彼女の死の影響は大きいかもわからんね。
彼女が死ななければ、信忠と松の婚約もなかっただろうから
信忠は別の女を正妻にしてもっと早くに子供も生まれたろうに。
そうすれば仮に信長や信忠が死んでしまったとしても、家督争いも
また違った結果が出たかもしれない。
結局、武田は織田の足を引っ張り続けた。
643 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 01:23:52
>結局、武田は織田の足を引っ張り続けた
その根本原因を最初に招いたのは信長だろうがw
信玄だって騙されてるじゃねーかよ。
親ばかぶりなんぞ発揮せずに、さっさか嫁に出しとけば
武田だって家ぐらいは残せたかもしれないだろ。
信忠って嫡男なのに敵家になった武田の婚約者を思い続けて正妻を空席。
庶子ならまだしもよくこんなこと許されたよな。今の感覚で言えば
一途で素敵だって思えるけど当時の感覚、ましてや信長や家臣達からして見れば
「嫡男のくせに我侭」って思われるだろ。
それは松姫にも当てはまるんちゃうかな。
ところで、信忠は信玄でいう源助同様に美男だからと
小弁を農村から拾ってきたり
甲府善光寺の本尊かっぱらって岐阜に善光寺を
建立しようとしたりと、何気に若かりし頃の舅予定者と
似たようなことをしているから笑える。
女はやはり親父に似たような男を選ぶもんなんか?
>>それは松姫にも当てはまるんちゃうかな。
確かに。盛信が何度も松姫に結婚話を持ちかけてたのに全部断ったらしいし、
勝頼が強引にどっかに嫁がせることもできたはずだよな。やけに黙認されてるな、この二人。
>>何気に若かりし頃の舅予定者と 似たようなことをしているから笑える。
初めて知ったよ。確かに笑えるな。
善光寺は戦国時代にはすでに絶大な信迎を集めていたので、
それを利用したい権力者によってご本尊は諸国を移転している。
信濃〜甲府〜岐阜〜尾張〜、家康によって再び甲府
秀吉によって京都、そして再び信濃へ。
649 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 11:29:45
>>645>>647 両家共に家臣たちはひとまずおいといて、実際信長や勝頼が2人について
どう思っていたのかだね。この点については本家前スレでも議論になったが
確か信長も勝頼も織田と武田が和睦する最後の切り札として暗黙の了解だったの
ではないかという方向で話が進んでいたような…。戦国時代の謎の一つかもね。
>>646 その理論だと本能寺の変がなければ、イカレだした暴君親父を数年後には
追放した可能性もアリかもしれんね。
まっ、信虎と違っておとなしく追放されているような親父ではないのだがw
本能寺の変首謀者に信忠説っていうのもあったな、そういえば。
厨房じゃあるまいし、舞道具を取り上げられただけで父殺しを
やるとは到底思えないけどさ。
ただ、信忠の思考ベクトルが実父より義父や義兄の方向に
向いていたとするとar・・・(ry
651 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/15(木) 22:55:14
首謀者は秀吉て何度言えばわかるの?このばかちん
652 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 01:23:05
昔の話題で申し訳ないけど、本能寺の変黒幕妄想に関して
史板でこんなコピペ見つけたw
332 :勝手な妄想:2005/09/02(金)
俺の母ちゃんは父上自らが望んで正室になったんだぞー
兄ちゃんは父上とソリが合わない形だけ正室の美濃女の養子だし、
滅ぼしたとはいえ、大好きな武田の姫と影では怪しい仲だったから
武田攻略にも弱腰で、一時は信孝が代わりを務めているような
ヘタレだから、遠慮なく北畠を皆殺しできた俺の方が
跡目にふさわしいんだよ。伊賀も壊滅できたし。
それにさ、父上は父上で自ら躑躅が崎館を再建しろなんて意味不明な
厳命を出しているし、兄ちゃんは兄ちゃんで、滅ぼした家の
大好きな姫に自分の許に来るよう早くも呼んだっていうし
長いこと武田の人質だった勝長も、織田とはほとんど縁が無かったくせに
生意気にも尾張に城をもらっているし、これで勇猛な武田遺臣まで
引き入れちゃったら、次の織田政権に俺や生駒衆は出る幕なんて
もうないじゃん。だから思い切ってやっちゃったって感じかな・・・w
653 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 02:41:14
おんな風林火山、、再放送してるって誰か言ってたけど、
何曜日、どの局でやってるの?
>>653 毎週金曜日・CSのtbsチャンネルで。
時間は16:00〜(再は翌金4:00〜)
って約30分後には再放送が始まる時間だ・・・。
今日は2回続けて見るかな、塩絶ちと塩送りもやるし。
>>649 いや。追放せずとも数年後には隠居したかも。
もしくは息子に追放されるなんて信長のプライドが許さないだろうから
お気に入りの茶道具持って自ら出て行き、再建した躑躅が崎館で
富士山を眺めつつ、金平糖を茶菓子に大好きな茶を啜る日々・・・
なんてねw
656 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/16(金) 20:20:24
>>654 サンクス。
って、、今日だったんだ・・・もう遅い(>_<)
そう落ち込むな、12月までやるから次の金曜日まで待て。
そういえば今日はお濃が出たぞ、台詞上だけだが…
のぶ、家康の前で惚気てやんのw
昨日たまたま見たけど、俺も15で濃と結婚したからと笑いながら
話してる信長に驚きつつも何か新鮮な設定でおもしろかったよ
濃姫がその場にいればもっと良かったのに〜
>>650 婚約解消させられた事とか、許婚の家滅ぼされちゃった事とかもあるからね…。
ピ○コは嫌だw
昔、お江を演じているのを見た時も萎え萎えでチャンネル変えた
確か岩下志麻が主役で淀殿をやったドラマだったかな
濃姫役者さんでは、麻生裕未が好きだった。とても綺麗(松坂慶子のは残念ながら未見)
キム宅の信長で、中谷美紀が演じたのもなかなかだったが
あのドラマで麻生裕未が吉乃だったのにモニョったなぁ
まぁ原作に思い入れがあるので、あれは何よりキムの信長に眩暈がしたが・・・
そういや利まつで吉乃を演じた森口瑶子も、以前に民放で濃姫やってたらしいね
何だか「武功夜話」のメジャー化以来、
信長周辺の女性で濃姫にふられてた役どころが吉乃へ移っていったって印象がしたもんだ
今度の和久井映見がどんな感じになるのかがとりあえず楽しみ
662 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/17(土) 14:57:48
>>661 テレ東12時間ドラマの「豊臣秀吉天下を獲る!!」ね。
ちなみにその時の吉乃は高島礼子。脚本は長坂秀佳
竹山なんか足元に及ばないくらいの吉乃マンセーぶりだよ。
吉乃を持ち上屋敷に置いていたげるだけならいいが、それと反比例するように濃姫の扱いが酷い酷い。
濃姫がウザくてたまらない信長は、彼女を騙して城から追い出してしまう。
邪魔者がいなくなり、今まで別の屋敷に置いていた愛人吉乃を城に呼び、
吉乃を新しい正室にする。もう一緒に敦盛を舞ったりするラブラブぶり。
家臣たちもみんな吉乃様マンセー。
吉乃を信長最愛の人とする作品は嫌いではないが、これにはさすがに閉口してしまった・・・
あ〜昨日見ればよかった。
お濃さんのことで笑いながらノロケる信長見てみた〜い!
隆大介さんの信長だからますます見た〜い!!!
ビデオやDVD出てないの?
>>356-357 亀レスですが・・・
いままで信長役者を多数見てきたが、NHK大河「太閤記」の
高橋幸治が一番よかった。 姿もいいし、声も凛々として。
孤高の人と言う感じがよく現れていた。
高橋幸治の後に信長なし。
ただ、本能寺の最後の日に濃姫(稲野和子)と同室で布団が
並べて敷かれてあり、二人とも白い寝巻きを着ていたのは
少し違和感が。
記憶が不確かだが、濃姫が勇敢に長刀を取って戦って、
庭に倒れたのを黙ってしばらくじっと見て、それから信長は
部屋に入って切腹したと思う。
その後、炎が。
もちろん、吉乃何ぞは出てこなかった。
>>662 すごかったんだねぇ
「吉乃さま最愛の女性キャンペーン」の一環のようなドラマだ
武功夜話マンセー派による国営民放メディアそれぞれでの努力はそれなりに実ったよね
>>664 おお、NHK太閤記、伝説の信長を見てらしたとは羨ましい〜
本能寺の濃姫の設定、山岡荘八の小説と同じだったとは
ますます見てみたくなりました
大河ドラマだと徳川家康の時の記憶がうっすらと・・・
あれも倒れた藤真利子の濃姫を役所信長がじっと見て、奥へ入って切腹
ある意味1つの様式美ですね
最近の大河、酷い扱いが続いてたけど来年はどうやら様式美復活で嬉しいかぎり
松坂慶子濃姫サイコー!「な自分なので、別に吉乃派ではありません。
でも、近年の吉乃中心に脚色された映像の理由として・・・
・子を三人も産んでるのでたぶん一番愛されてた女なのだろう・・・
(政略婚の正室よりも側室のほうが愛されてたような描き方は
他の武将でも良く設定される事)と、ドラマ的にわかり易い。
・知れ渡ってたきた濃姫逸話に比べ新鮮な展開と味付けができる。
ドラマの制作側は武功夜話の内容がどーのなんて理屈は考えないよ。
劇的なストーリー展開にうってつけの女が現れた!
都合よくラブラブ映像を脚色しよう!・・・・こんな程度だよ、きっと。
そして、直近の既往作がそうだから、それに習えで吉乃中心驀進。
ところで、美内すずえの「虹の戦」なんて、知ってる人いるかなー?
うーん、そうだね
いかにも作りやすく、わかりやすいドラマになる
正月の国盗りや来年の大河で、ここのところ少し濃姫メインが続くが、
やっぱり今後も、武功夜話の破壊力で吉乃中心驀進路線が展開されるでしょう
津本の下天とか、遠藤の男の一生とか、
ドラマ化できそうな吉乃ヒロインの原作いっぱいあるし
少なくとも同時期に側室だった坂氏とか、冬姫の母とかは全く度外視が続くはず
で、「虹の戦」、以前ブックオフで見つけて即購入
あの信長はキュートだったなー
絵がアレだけど
>>667-
>>668 はいはい、武功工作員乙!せいぜいがんばれw
>>652 コピペにレスしても仕方ないんだが、何気に理屈が通る妄想でワロタ
特に後半は言われてみればって感じ。
勝長が戻り信長の勝長への親ばかぶり的な待遇、そして
信忠直下寄力になったことで上3人の微妙なバランスが崩れ始めたと
しても不思議ではないしな…
>>655 隠居はともかくも、中国や四国と朝廷諸問題が済んだら甲府辺りに移った
可能性は考えられなくはないかも。武田の拠点という場所も信長にとっては
いろいろと含むとこあるだろうし。
671 :
667:2005/09/18(日) 03:16:58
>>669 「国盗り物語」の濃姫が好きで「虹の戦」が好きだって言ってるのに、
なんで武功工作員?
内容のない馬鹿スレするなよ。
吉乃がドラマで脚色しやすい理由をそれなりに考えて書いただけだろ。
>>670 牛一も信長公記にそのくだりを丁寧に書き残すぐらいだからね。
尾張の城を与えて、津田姓を与えて、鷹も与えて、形だけとはいえ
織田当主である兄貴直属与力。武田の人質だった労を労う気持ちもあったの
だろうが、はっきり言って織田と縁が薄く、織田軍団内でもこれといった
功績がないにもかかわらず(ある訳ない)ここまでしたのだから
そこそこ功績もあり他家の養子でもあった上2人はそりゃ焦るよw
>>667 虹の戦、知ってるよ。何気に美内さんって
歴史物書くの上手いと思う。
遅レスだけど
>>634 前読んだ本能寺の変に関する対談の中で、武田討伐時に近衛や土御門の公家衆が
信長に同行した背景には、武田家の滅亡だけは避けさすように的な示唆を
天皇から密かに受けていたのではないかと史学者が論じていたよ。
確か三条家(夫人も)や快川国師と天皇のつながりについても、その語りの中で
少し触れていた。それと俺の自論なんだけど、朝廷は武田と織田の軋轢に関して
全く動いていなかった訳ではなくまずは佐竹を利用したのではないかなと思う。
>>672 >織田軍団内でもこれといった功績がないにもかかわらず(ある訳ない)ここまでした
確かに。そこは不思議。犬山とはいえ尾張は織田の基本地盤。
息子であっても、10年以上も不在で敵国から帰ってきたばかりの人間を
置くことに家臣団からも反対意見は出なかったのだろうか。
それにしても、長いこと手許にいた訳ではないのにここまで信長が厚遇した
勝長の母親ってまじに誰なんだろうな。この人ではなかろうかという
推測の域にすら全くに近いほど出てこない。秀勝でさえ出てきているというのにな。
城介も源三郎も母親は多分お濃だろ。
だから、美濃衆も新五も城介側近になっていたのだろうし
源三郎も尾張に城をもらえた。家臣たちも文句の言いようがない。
正妻腹同士だと、自分と信勝のようにいらぬ兄弟争いを引き起こし
家を弱体化させる恐れもあるから、どちらも妾腹扱いにしておいた。
そしてさらに、信勝の二の舞を踏ませないためにも、
源三郎は嫡流が途絶えるのを防ぐ意味もかねて岩村へ養子に出した。
一族のゴタゴタを見てきた信長ならそのくらいは考えても不思議ではあるまい。
と、まるで見てきたように言ってみるテスト。
信長と濃姫の子。蝮の血も引く訳か…。歴史ロマンだな〜。
いや〜、さすがに城之介生母は生駒氏ではないかと思う
ただ、『近江國輿地志略』には信長が上洛した折、近江柏原成菩提院で
「御台所」と共に宿泊し、御台所が「平産」したという逸話があるらしいね
上洛=1568年。いわゆる壷事件の前年。
御台所が正室を指すと断定できれば、勝長の母は濃姫という可能性もマジあるんだがなー
まぁ、あくまで妄想、つうかネタの域
>>675の補足って感じだけど
↓
濃姫に子供が生まれないので信長は生駒氏所生の奇妙○を継嗣として定めていたが、
時ならぬ正室の妊娠にビックリ。今ごろかよ!
すでに奇妙○は織田の嫡子として濃姫との養子縁組を済ませており、
将来の側近として美濃衆や道三の血縁まで周囲に配し、
織田家の正統プリンスとして自他ともに認め、特別待遇で育てられている。
家督相続における兄弟間の血の抗争が身にしみている信長は、
正室所生で美濃斎藤氏の血をひいて生まれる弟が兄を脅かすことのないよう妊娠を隠し、
上洛の同行にかこつけて、夫婦してわざわざ寺院に宿泊、
こっそりと出産(信長が側でソワソワしながら待ってるの図)
誰か近しい信頼のおける家の娘を侍女に迎えて「生母」ってことにしておいて、
あくまで側室出生の子として奥でヒソーリと養育。
元亀3年、東美濃の名族で岐阜と東接する防衛上の要衝、恵那岩村の遠山へ養子に出す。
んが、その後、叔母のおつやさんが武田へ人質に出してしまって信長は激怒したのだった!
・・・なんて〜w
678 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/18(日) 21:13:26
妄想やネタと言い切ってしまうのは惜しい程に筋がとおるな
>>675と
>>677。
誰かこの路線で論文や小説を書いてくれないかな。
ごめん、ageてしまった。
なるへそ、坊と言う名は寺で生まれたからだったのか!
何にしても濃姫の消息が重要点。
坂氏なんて不明点が多い女性なのに、
息子のためなのか禁裏と親王家に献上品を送った記録が残っている。
泣かせる母心だった・・・。
坂氏って信孝の母だっけ
秀吉に磔にされて殺されたんだよね
「秀吉の野望」という本を借りてみたら内容は坂氏の生涯だった。
作者(阿井景子、いわゆる「○○の妻もの」専門作家)と
主役の知名度の無さからこういうタイトルがついたのか・・・と推察。
>>330 後世の人間にとって都合が悪い記録……
まさか道三死後は用済みだと殺されたとか。
685 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 20:49:41
>>684 330がいってる、記録を消した人とは、秀吉のことだろう、たぶんね。
道三死後もお濃は生きていますた。
美濃衆をまとめるためにも、殺すわけがない。
んー、でも根強いよね
>>684のように、道三死後は用済み→→→ヌっ殺したor離縁した説
『言継卿記』の信長本妻の壷事件のくだりにしても
その本妻が生きているかどうかわからん、濃姫以外の女性と考えられる、
という方向の論に持ってかれるし、
『氏郷記』の北の方にしても、その北の方=正室が濃姫とは確定できない、とされるし、
今井宗久の書状にしても「御台」という記述だけだはそれが濃姫とはいえない、とされ
安土殿の痕跡にしても「御寵妾」の記述もあるから濃姫とはいえない、と各方面で言われ。
結局「信長公御台斉藤道三息女が云々」といちいち明記されてる新史料が出ないかぎり、
消息不明で、邪魔者か日陰者っぽいような印象は変わらんのかなー
もっとも『勢州軍記』には信長御台道三息女が信忠を養子にした、とあるけど
あれは軍記モノだから、の一言で片付けられてるのか、
雑誌等の女性史特集で取り上げてるの見たことないよ。ある?
687 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 01:17:05
>>686 『言継卿記』の壷事件のくだりに出てくる「本妻」が、
どうして濃姫以外に読めるのか理解に苦しむのだが、
その人は、誰だと言っているんですか?
>>686 >雑誌等の女性史特集で取り上げてるの見たことないよ。ある?
なんかでチラっと読んだ記憶があるから、自分としては全くないとは
言えないと思うのだが、確かこんな記録もあるが軍記モノだからなんたらと
軽く扱いで適当に流されておしまい扱いだったような。行数も2〜3行程度。
特に歴読は武功よりの話が多く感じることもある。
女性史特集ではないが、信長の子供達特集でここ数日ここで話題になっている勝長や
娘の永の部分でも、最終的にはそれってこじつけちゃう?と思うような内容にも関わらず
どちらも生母は生駒家ないし関係筋みたいな感じで結論づけていて苦笑した。
それから、直接お濃とは関係しない話で恐縮なんだが、お濃邪魔者扱いに関して
違う側面から見て思ったこと。といってもさした内容ではないし、反論というほど
しっかりした考証にならないと思うから適当に流していただきたい。
ここのサイトを見て思ったことなんだが、本当に信長がお濃が邪魔者故殺したというのならば
その信長に忠実だった池田家が、なぜ後年までもその齋藤家の関係者をここまで取立てたのだろうか?
ttp://www.kct.ne.jp/~kshimizu/saito.htm
>>687 義龍女の馬場殿でお濃の姪にあたる人らしい。
これについての詳細は、前の方でも語られているから
それを読んでくだされ。
>>688 確かに齋藤家の血筋は池田家で大事にされたっぽいね。
元助の子孫は池田三家それぞれの家老に収まったともいうし、
そのサイトによれば新五の子孫も確実に残ったみたいだから、
蝮も草場の陰でさぞほっとしていることだろうね。
それにしても、新五の子供が池田家の許で石付き家臣として、
召抱えられていたとは知らなんだよ。
おもしろい情報教えてくれてありがとさん。
というか、また池田かよ・・・
あそこの家には信長関係についてどれだけの情報があることやら
もう正直に持っているかもしれない情報や古文書を洗いざらい全部
公開してけれ〜おながい泣
>>690 そうだよな。考えてみればもっとあって然るべきな家だもんな。
>>560にある文書公開という怪情報や
>>576がいうみたく文書公開する家が
もし今上天皇と姻戚関係で摂家絡みというなら、摂家によっては池田も
絡んできそうだから何かくると漏れは勝手に期待しているw
692 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 20:43:48
>>689 確かこのスレだったか、
信長が、義竜の娘を側室に要求して断られた話は、読んだ覚えがあります。
名前は馬場殿だったかな?
馬場殿が「本妻」だったとすると、その姉妹(義竜の娘)は15・6人もいたのだろうか?
確か、義竜は30代で病死したのだと思うが・・・・。
まあ、あの「女兄弟」は信長の姉妹だという読み方もありえるけど。
斎藤新五郎って実名長龍は嘘臭いんだよね
利興としているサイトもあるが文書で確認出来てるのか
子が義興ならそれっぽいが
八切ネタに流れそうな悪寒w
>>691 一つ訊ねるが池田に絡んでいる摂家とは何家?
>>692 めんどくさがらずに前の方のレスもきちんと読もうな。
696 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 00:46:47
>>馬場殿が「本妻」だった
は、DQNの珍説。
>>695 内基がいた家。内基の息子(養子)の嫁が有楽斎の孫で
その息子の代の嫁が家康の外孫ではない方の輝政の曾孫。
へぇ〜、そうだったんだ。
内基の後を継いだのは、一條が絶えるのを心配した後陽成天皇が
養子にさせた自分の息子で、その系統に2代に渡って
織田と池田から続けて嫁に入ったっていうのは、かつての信長と朝廷の絡みも
あるからおもしろいね。
一条家といえば前から気になっていることだけど
弧岫録にある義龍夫人(一条氏女)の一条氏は摂家の一条?
それとも土佐や甲斐の一条?
>>699 義龍は朝廷に近づこうとしていたっぽい節があるから
その線でいけば摂家の一條じゃないかな。
その女性が死んだ時も葬儀のために京から坊さんを呼んでいるし。
土佐はよくわからないけど、甲斐の一条に関してはその葬儀後におきた
快川と義龍の宗教対立で快川が一時犬山に出奔→義龍急死で美濃に戻る
→甲斐の恵林寺へとなっていく経緯から可能性はかなり低いと思われ。
701 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 16:25:03
>>541 確か、慈徳院も同じでしたよね。嫡子の乳母をしてて…。
702 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 03:25:32
親子そろって嫡子の乳母を側室にした訳か…
703 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 01:52:17
今日法事で富士宮市の某寺に行ったら、蜂須賀と大きく書かれた竹製の花生けが
立ててある齋藤家の墓を発見して何か萌えな気分だったw
その周りには桔梗紋の墓も多数存在していて(家名忘れた)不思議な感じがした。
へー興味そそるな。宮なら余裕で行ける距離だから明日にでも確かめに
行ってみよう…。よければ寺名と簡単な行き方をキボン
705 :
703:2005/10/03(月) 13:46:51
>>704 日蓮宗の寺で久遠寺。着くまでほとんど寝てたから詳しい行き方はよくわからない。
役立たずでスマソ
706 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 14:41:25
久遠寺があるのは身延山。ネタ確定w
富士宮は地元なもんで言わせてくれ。
あの久遠寺は富士山麓の日蓮宗五大寺院(富士五山)の一つとして結構有名。
五山は他に大石寺・北山本門寺・下条妙蓮寺・芝川の西山本門寺があり
西山本門寺は信長の首塚があることでも有名。
あと、五山ではないけど富士宮には同じ日蓮宗古刹の寺で妙覚山大泉寺という寺があって
この妙覚山というのは、あの妙覚寺と同系統だったからとも云われている。
(ここの檀家から聞いた話)
余談だけど、知人の家(遠藤)も菩提寺は久遠寺なんだが、この家の古文書によると
もとは美濃にいた家だったらしいよ。
スレ趣旨から外れた話でスマソ。
708 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 17:33:48
信長って日蓮宗の坊さんを処刑してなかったっけ?
浄土宗の坊さんに論破されたとか何とかで。
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 22:41:21
>>708 論破された坊主が、相手を切り殺そうとしたからじゃないかな?
いいかげん目覚めなさい