なんですと!
喜連川にいきてぇ
834 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 18:41:54
ネタ投入
豊臣秀長に妻はいたんですか?
検索してもヒットしません。
いない。生涯独身。
大河の秀吉だとそこら辺旨くアレンジしてたな
ねね様に恋焦がれてたっていう設定
837 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 20:24:18
秀長は良い人だ
でも縁談とかは、ひっきりなしに来てたんだろうな
839 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 21:15:49
840 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 22:47:37
智雲院という法名は残されてるようだ。
姫二人の母親もこの人みたいだけど。
おんな太閤記では別所長治に仕える足軽かなんかの娘って設定だった気がする。
秀吉って妹や母ですら政略の手駒として利用したのに、
なんで秀長の姫達には手を出さなかったんだろう・・・
数少ない豊臣の血を引く歳若い女子なのに。(多分茶々達と同年代だよね)
さすがの秀吉も弟の愛娘にまで手を出すのは気が引けたのか。
秀長の娘のうち、ひとりは養女では?
842 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 10:45:23
>>841 スイマセンがソースがあれば
脳内でもかまわないんで
しかし、ホントに史料少ないよなあ>秀長の閨閥
戦国武将の妻本は何冊も持ってるけど、
そういえば秀長の妻についての記載のあるものって無かった。
智雲院・・・って名が検索で当たりましたが、詳細不明には変わりなし。
秀長の墓所とかで聞いてみると良いんだろうね。
面白いから、ここは三戦らしく妄想など交えながら
推察してみよう
例えば、秀吉が迎えに来た時、すでに同じ村の女性が妻になっていた。とか
なんで隠す必要があるのかわからん。
ほすしとかないと
847 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 15:14:07
>>845 確かに隠す理由が思いつかない
>>843 秀長墓所ってどこだっけ?
大和郡山のどこかの寺だったっけ?
848 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/08(土) 11:24:38
>後の美人画即ち浮世絵発生の先駆をなすものといわれる
目の細い、うりざね顔だったのか?
妙心寺雑華院って非公開寺院みたいね(´・ω・`)ショボーン
大徳寺の茶人面、建仁寺の学問面、妙心寺の算盤面・・・
妙心寺ってさすがに多彩な大名家と繋がりを持っているよな。
>>851 大徳寺モナー(織田信長菩提寺総見院、細川氏菩提寺高桐院、毛利氏菩提寺黄梅院などなど)
建仁寺は確かに戦国大名関係の史跡はなかったような
大河のたびに特別拝観で集客する大徳寺各塔頭・・・
「見せてくださる」のは有り難いんだけど、特別拝観料高すぎ
ボランティアガイドさんは頑張ってるんだけど、質問できないし。
昨秋、総見院の特別拝観に出かけたけど、
濃姫の墓所はもうここで決定!という寺側のスタンスであった。
総見院って、織田家の墓ぐらいしか宝物がないんだよね
(大徳寺内では珍しく廃仏毀釈の被害を被った塔頭)
だからそんなに必死にアピールするの加茂
855 :
三条:2006/04/12(水) 05:35:29
↑
ハイハイ、理解してますよー。
>>852 けんねんさん(建仁寺)は興亡が激しかったからね。
俵屋宗達や海北友松の画とかは豊富にあるようだね。
戦国といったら織田有楽の茶室があったのだけど、身売りwを経て
現在は犬山市内に移築されていると聞く。
>>854 その織田家墓所も、一般檀家の墓域にかなり圧迫されてるよねw
大徳寺の塔頭の中で廃仏毀釈のときに2〜3寺つぶされているはずだから
残っているだけでも恩の字かも
妙心寺塔頭の隣華院には上杉景勝夫人の菊姫の最初の埋葬墓もある。
一度お参りしたいと思いつつ、京都に出かけるときと
特別公開の時期がいつも折り合わず、拝観の機会に恵まれない。
859 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 06:45:47
>>856 うちの近くに阿茶局の墓があるが、本当に一般の檀家に切迫せれてるよw
立ち並ぶ普通の墓石にまぎれて立派な宝塔がひとつだけ建ってる。
>>859 うわっ、ご近所さんハケーン
阿茶の法名は「雲光院殿一位尼公正誉周栄大姉」
お姫様でも厳密には奥方様でもないけど従一位はたいしたもんだ。
861 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 07:07:45
秀吉は女好きであちこちの大名の妻に手を出していた。
大名を戦に生かせたり、朝鮮出兵で大名が留守の合間に手を出してたそうだが、
そのなかで細川ガラシャと政宗の妻愛姫は手を出されなかったらしい。何でだ?
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 08:56:20
ガラシャ夫人は父親がミッチーだからじゃない?さすがに自分が殺した相手の娘には手が出せなかったのかな?愛姫はワカンネ
863 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 12:23:31
ガラシャは秀吉と対面した時、
懐剣ちらつかせて「自分に手を出したらここで自害する」って
秀吉に意思表示したんじゃなかったっけ?
愛姫は伊達家臣達が「会えば絶対手をつけられる」と察知して
秀吉と対面させるのを大反対したんだよ。
あと有名なのはブスメイクでお手つきになるのを未然に防いだ
鍋島直茂室の彦鶴姫か?
864 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/18(火) 13:13:39
愛姫は人質として豊臣家の元に行くことになったものの、実際に秀吉に会うことはなかったって事か?
手の早い秀吉の魔手から逃れられる事できるのかね?
秀吉の荒淫ぶりは事実としてあったのかもしれないけど
中には作り話も混ざっていると思う。
とある武将の妻が小刀を所持してたが、それが秀吉の怒りに触れ武将がどこかに飛ばされるって話を聞いた事がある。
>>865 九州地区では、とんでもな小城の奥方・姫でも
秀吉の好色の犠牲に・・・・なったりしてる。
話の中身は内容は似たり寄ったり。
>>848 >京都雑華院の治長夫人像は二条昭実夫人像(織田信長娘)と龍安寺の細川昭元夫人像とともに三名幅とされ(中略)妻は織田家所縁の者かもしれない。
信長娘、信長妹と並ぶ三名幅・・・。織田家所縁のもの・・・。
流れ的に確答しそうな方がいるんですが。信長姪御の(略
まさかねw
三名幅とは誰が選定したのかが気になる
三名幅web上じゃ見られん罠(´・ω・`)
掲載されている本とかある?
871 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/25(火) 23:32:17
歴読の増刊や戦国女性特集に口絵写真として載ってるが。
ただ治長夫人の絵は未見。
治長が秀吉に仕官したのって茶々が側室になってからだよね?
織田の血筋の嫁なんてもらえるほど出世してたのか?
うーん、やっぱり、茶々・治長カップル以外だとしっくりこない。
>>872 治長夫人が織田の血筋と確定したわけではないのだか?
>>873 三名幅のうち二名が織田家の姫だからその可能性が高いというだけ。
他に記述がない以上、「確定したわけではない」とかいう次元ではない。
ま、憶測だわな
たまにはネタレスも欲しい
877 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/07(日) 23:59:30
ではネタを求めるためにあげてみる。
じゃあ、一番お道具の具合の良さそうな姫ってダレよ
学のある俺様が真面目に答えてやろう。
江戸時代の戯画だけど、
嫁ぎ先の殿様のいちもつが異様に大きいという噂がはいり
輿入れ前に爺が姫様のあそこを虫メガネでチェックする・・
という絵があるぞ。
小少将
姫じゃねーか・・・・
高群逸枝ですらネタにしたスレだからw
魔性の側室ならOKなんじゃない?
しかし朝倉といえば近衛家からもらった姫はどうなったんだ
近衛家関係の論文や本を読んでも離縁後の行方がよくわからんのだがや。