1 :
無名武将@お腹せっぷく:
アホ。糞スレ立てんじゃねえボケ。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:40
勝頼はそれなりに常識的な対応をしたと思うが。
ただし、半分の兵で対峙すると決めた以上、常識的なだけでは
勝てないが。
いや、そもそも勝つ気はなかったか。
本願寺でも越前でもいい。誰かを動かし、信長が帰るように仕向ける
までの時間が稼げれば良いのだ。
それまで、こうして正面切って対峙し続ければ良い。
お互い陣を築いて篭ってしまえば、例え二倍の兵があったとしても
簡単に手を出せるものではない。
しかし、信長が有り余る兵力で別働隊を編成するところまでは、
見抜けなかったか。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 06:27
>>1 せめて「PART2」とくらいつけろよ。
だいたい、このスレのタイトル自体おかしいと思う。
野戦陣地を周到に行って準備万端の数倍の軍隊に突撃をかければ絶対、負けるに決まってるだろう。
戦術的に言えば負けて当たり前の戦いだ。
戦略的にはいろいろ考慮できる部分はあるが。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 06:31
信長軍の本陣にピンポイントでコロニーが落ちてくれば
勝敗は自ずと異なったものになっただろう
>>6 騎馬軍団を編成してる暇があったら一機でも多くのモビルスーツを開発するべきだったな。
>>4 別働隊に周り込ませてる時点で司令官として失格というか、常識的な
判断とは言えない。DQNかどーかは知らんが。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 07:25
別働隊に回り込まれたら非常識?
別働隊は意表を突くから意味があるんだろ。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 08:28
>>4 別動隊は信長の発案ではなく酒井忠続の発案だよ。
でも、信長も鉄砲を大量に持った舞台を援軍につけているので、この案を支持したのだろうね。
>>8 鳶ノ砦攻略は良い作戦だが、作戦自体は奇襲・奇策に属するものなので仕方ないだろう。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 08:30
12 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 08:36
「次」だったスマソ
14 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 09:00
当然のことだが、織田側の史料である『信長公記』では信長が
味方に損害を出さずに勝つ方法として別働隊の編成を考案した
ことになっている。
そして、徳川側の史料では酒井が提案したことになっている。
手柄を自分のものとしたいのはどこも同じなので、誰の発案か
という問題はどっちの可能性もある、としか言えないよ。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 09:40
>>8 鳶ヶ巣が攻略されてなかったら退路が確保されてる武田軍はさっさと帰っちゃうじゃんよ。
ところで宝川合戦て本当にあったの?
これがあったかなかったかで長篠の戦いについてもだいぶ意味が変わると思うんだけど。
>>9 意表を突かれる可能性を常に考慮するってのが常識的な司令官かと。
それこそこの点では親父の信玄坊主を見習うべきだった。
>>10 奇襲・奇策の類は大抵の場合、用いる側の英断とその対象となる側の油断が
両立して初めて成立するものだと思うが。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 10:29
>>16 あのさあ、
人間だから誰にでも気を抜く時やミスってもんがあるだろうが、その方がむしろ「常識」ってもんだろ。
信玄親父も村上義清や長野業正や謙信などにやられたし、
家康も三方ヶ原や大阪の陣で突撃を食らったりしてる。
信長に至っては本能寺でそれが命取りになった。
他にも大概の名将と呼ばれてる武将にも一生のうちには何回かポカをやらかしてる。
人間だから、当たり前だよな。
勝頼もこの一回の出来事で非常識な指揮官のレッテルを貼ることはない。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 10:48
ブン!!
>>17 失敗は誰にでもあるってのは同意で、挙げた例も基本的にその通りだと思うよ。
まあ、彼らと比べて見劣りはするけど、別に勝頼の戦歴全体を考慮して長篠の
件があるから全否定、まったくの愚将といいたいわけではないよ。
そうとられていたなら、誤解。
それでも長篠に関しちゃ明らかに判断ミスであり、その責任が基本的に勝頼に
あることは覆しようのない事実ということが言いたかった。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 10:56
武田は順次突撃し、結果的に各個撃破されたとだれか言ってたがどの資料を見ても
両軍とも横幅だけは同じだけあるぞ。 武田は少数の上にそんな陣形だから
小分けに突撃した結果、袋叩きにあったというのは考えられない。
順次突撃したと言うのは単に横並びになった武田の各隊が多少の時間差を置いて
突撃したというだけじゃないのか?
結果的には幅は広いが厚みが無い武田はほぼ全軍を戦闘に投入できたと思う。
少なくともそれだけのスペースはあったことが資料を見る限りは確認できる。
もっともその資料の信憑性を疑えばきりが無いが、文部科学省はその資料を是と
してるからそれを参考にするしかない。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 10:57
織徳連合軍が陣を築いたことからみて長期対陣が可能な体制を取っていた
にらみ合って痛み分けでもよいというお互いの絶妙なバランスを鳶ヶ巣攻略という
奇襲によって崩せたわけでその時点で戦の主導権は織徳連合軍が握ったわけだ。
武田軍はなんとかここで痛み分けに持っていこうと一点集中攻撃をしてみるが余り
効果がないことを知って退却。
ただこれだけの戦だろ。
この戦の退却が後の武田家滅亡直接の原因なわけではない。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 10:58
>文部科学省はその資料を是としてるから
新手のバカ?
23 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 10:59
>22
義務教育の資料集に昔から使ってるジャン。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:01
>義務教育の資料集に昔から使ってるジャン。
真性のようで…
どうぞ続けてくださいw
マーマ、ナッコ♪
ハイハイ、ダッコ ダヨ
∧ ∧ ハ ハ
_ チィ!! (*゚ー゚(゚ー゚*)
(0) ./| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|\ \ ハ ハ | つc_,,0
ヾ|〃  ̄|_____|_| ̄ ~(,,(*゚o゚) 〜O- つ )
""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
幻魔王・織田信長の攻撃は、動作が速すぎて、見
てからでは一閃が間に合わないものがほとんど。
数少ない、「動作を見てからの一閃が可能な攻撃」を
使ってくるのを待ち、それに対して狙っていこう。
地上モードのときは、遠く離れて『踏みこみ突き』を
誘い、一閃を実行するといい。1段目と2弾目のあ
いだにスキがある『コンボ@』に対して、1弾目を防
御し、まわりこうことで2弾目を避けつつ一閃を狙
うという手もある。ちなみに空中モードのときは、
『飛びこみ突き』『回転体当たり』が狙い目だ。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:03
>>24 揚げ足取るならアンタは何を資料にしてるのか聞かせて頂きたいもんだ。
まあ、まともな答えは期待できなさそうだがw
28 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:05
電波君、どーぞ続けて続けて
まともな会話なんぞ成立しないからw
29 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:07
>28
いや、会話しなくていいからアンタの歴史考察の手段を教えて欲しいだけ。
そんなふうに逃げてないで。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:09
いやいや頑張って発信してください
面白すぎるからw
結論:北京で蝶が羽ばたいたため、長篠で台風が起き武田軍は壊滅した。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:11
なんだ・・・ただの揚げ足取りか・・・自分の事何も話せないんだもんな、かわいそ。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:15
揚げ足を取る
人の“言葉じり”や“ちょっとした”失敗を取り上げて、相手を責めるw
さすが文部科学省w
どーぞ続けて続けて
傍からみてりゃどっちもどっち。
春だなぁと、しみじみ・・
35 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:24
さて問題です
連吾川沿いに一体どれくらいの距離で布陣したのでしょうか?
36 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:26
文部省の地図は旧説に基づいた適当なもので
現場を検証すると設楽原には実際にはそんなスペースは無いという話しなの。
実際、信長公記や徳川の記録など信頼できる資料に
武田は隊ごとに順番に突撃してきたと記載されてるんだよ。
さらに言うと確か武田の記録にも、そう書いてあったような。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:27
草原を包んで800里ほど。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:28
たぶんこの400年間に百姓が地形を変えるほど田んぼ作ったんだろうな。
誰一人答えれないでやんの(プ
程度が知れる
40 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:34
街亭だって普通の荒地らしいしなあ・・・
( ´_ゝ`) フーン
42 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:35
今更だけど「武田騎馬軍団」「騎馬隊」という表現も決して間違っていないと思うよ。
確かに騎馬武者だけで編成された部隊では無かったにしろ、
騎馬武者+足軽5、6名で編成された部隊を表現的に騎馬隊と呼び表しても間違いではあるまい。
言葉の表現の問題だ。それが近年、外国の騎馬戦士だけで構成された軍隊を持ち出して、
「武田騎馬軍団なんか無かった」とか「日本には本当は騎馬隊なんてなかった」とかいうのは何かおかしい。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:36
つか、当時の戦争で突撃して白兵戦なんてやるのか?
せいぜい投石や弓の打ち合いじゃないの?
44 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:37
>>43 遠戦説もあるのだが、かなり押し返されてるよ。
たしかにかなり遠戦もしたんだけどね。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:40
>>44 そのへんも含めて思うんだが、当時の日本の軍隊って白兵戦に弱く、
損害が出るとすぐに敗走したよな、追撃戦での被害が一番らしいし。
武田軍って日本に無い白兵戦用の軍隊なのか?
そうじゃないんなら突撃自体がおかしいようなきもする
46 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:40
でもルイス・フロイスは西洋の騎士は騎乗したまま闘うが日本の騎士は
戦闘になると馬から降りて闘うって書いてあるけど。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:42
>>46 フロイスのは西日本の戦闘を見ての表現だしね。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 11:48
関東とか東北には騎馬の突撃の記述もあるからね。戦闘のやり方が西日本と違うんだろ。
ただ、騎馬の比率が最も高かったのは武田ではなく北条だけど、北条騎馬軍団って聞いた事ないな。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 12:00
北条って騎馬も鉄砲も格段に武田や上杉より多いんだよな。
長年てっきり足軽の大群だと思ってたけど。
水軍もあるし、どこにそんな金があったんだろう。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 12:03
>>49 そりゃ土地は肥えてるし経済力は抜群だろ。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 12:05
米経済って事?
金山無いし。
2匹か
>>46 鉄砲の狙撃をおそれての下馬かもしれんな。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 12:24
もしもの話なんだけどね。 騎馬隊が集団で突撃かけてきてそれを鉄砲隊で
迎え撃つとしたらやっぱり的が大きい馬を狙うと思うんだよ。
馬上の人間なんて揺れまくって狙えたもんじゃないよね?
そしたら馬が倒れた後、次の射撃までに馬上の武者が近距離から白兵戦を挑めば
結構いけるんじゃないかな。
まあ馬を捨石にしてまでする価値があるかは疑問だけど。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 12:32
あのなあ、あんな甲冑つけて、いきなり馬上から落ちたらどういうことになるか
想像でもできないのかい?
56 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 12:44
>>55 確か何かの一般向けの本で読んだが
信長は「馬を撃て」と命じたんだよ。
すでに織田の鉄砲兵は数撃ちゃ当たるいい加減な腕では無かったんだが、それでも馬を撃てと命じた。
何故なら、馬を撃つと馬が暴れて騎馬武者を降り落とし、なおかつ周りに被害をあたえるので効果倍増だとか。
>>56 確かに
>>55は落馬という言葉を知らないようだ。
頼朝も落馬して死んだのだが。
57 :
見れなくなる前にコピぺ:03/03/17 12:46
975 :無名武将@お腹せっぷく :03/03/17 06:52
織田の鉄砲千丁説も逆に批判されてるよ。
何故なら戦国時代、武田や上杉ですら7〜10%の鉄砲を持っていたという軍役帳が残っているのに対して、
もしも織田の総兵力d)小説説二万、大兵説三万八千で鉄砲千丁だとしたら、当時としてもあまりにも少なすぎる。元々、総兵力の2%〜5%しか鉄砲を持ってなかったことになる。
しかも信長は長篠の戦いの前に近畿で細川から三百丁、
筒井から百丁というように鉄砲を確認されただけで約九百丁借りている記述があり、
これをふまえると織田の通常編成軍の鉄砲ははじめはほとんど無かったのか? ということになりかねない。
信長公記の「千丁」はあくまで近畿で鉄砲の借用し佐々成正や原田直政に指揮させた直属の鉄砲隊という事らしい。
つまり信長の軍の通常軍役の鉄砲+長篠の前に近畿で急遽集めた鉄砲隊千丁というわけだな。
鳶ノ巣砦攻略の織田勢も鉄砲を四百丁持っていったし、
さらに織田のほかに徳川軍も別に随分、鉄砲を持ってそうだ。
つまり織田、徳川勢はやはり豊富な鉄砲を持っていたらしいんだな。
58 :
見れなくなる前にコピぺ:03/03/17 12:47
977 :無名武将@お腹せっぷく :03/03/17 07:23
>>975 それまでの戦国時代に「鉄砲のみ」が集められた部隊がどのくらい
あったか?という問題だと思うが。
3万いりゃデフォルトで3000挺ぐらいは全体として装備してた
はず。しかし集中運用できたのは旗本鉄砲隊の500挺程度が限度
だった。それを各部隊からの引き抜きで1000挺も増やせたなら、
作戦行動に幅が出てくる。
ちなみに長岡藤孝からは100挺、筒井順慶からは50挺しか
借りていない。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 12:56
>>56 いや、常日頃からスタントマンみたいに訓練をしとくんだよ。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 13:00
凄腕のスタントマンでも身軽な動きやすい格好してるから、バイクの転倒シーンなど派手なアクションができる。
50kgもする鎧を身につけた人間はいかに才能があろうと、そんなアクションはできない。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 13:02
ネタにマジレスすんな。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 13:10
だから鎧も軽いのにするんだよ!
だいたい50キロの鎧って鎌倉時代じゃないんだから。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 13:15
>>56 当時の鉄砲は
鉄砲の音で脅すのが本当の使い方
64 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 13:27
65 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 13:37
>>63 おいおいいつの時代の話だよ。
鉄砲なんてスタンダードになってるし、信長の部隊ともなると錬度も
相当なもんだろ。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 13:47
>>65 おいおい、殺傷距離わずか100Mあまりの鉄砲だぞ。
それに鉄砲なんか手でつくられるから年にわずかしかできないからスタンダードとかあまり言えないぞ。
あんた信長の野望を現実としてとらえてないか?
67 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 13:55
射撃実験を間に受けるめるとは・・
オメデタですね
>>68 じゃあ自分も聞くが、鉄砲が戦場において普及されて以降の、築城様式の変化は
どう説明するんだ?
威嚇が主目的か?
70 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:03
実験や検証などの現実より、伝聞や資料を重視する・・・
典 型 的 歴 史 オ タ の 陥 る 穴 で す ね
71 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:04
スペックどうりの性能を発揮できるなら粗悪品は存在しな(ry
72 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:08
非常に殺伐としたスレになったな。
要するにみんなが実態を知らない、知りようが無いからそれぞれが読んだ
歴史書を主軸に話をするから永遠に話がかみ合わないという好例だな。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:09
>>35 およそ2kmだよ。
二千メートルだ。かなり狭いスペースだと思うが。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:10
>>72 違う。現実と照らし合わせて検証しようという姿勢が欠けている。
旧時代は今とは全然違うんだというファンタジーを作り上げようと躍起。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:13
>確かデフォルト以外に臨時編成の鉄砲隊が千丁という話しは日本史板などに書かれてるよ。
デフォルトの鉄砲はそこそこにしか活用できないだろうが、臨時編成の鉄砲隊集団が千もあったとしたら、
そりゃ十分、勝負を決めるに足る戦力だよ。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:13
>>69 じゃあ聞くがあの時代の新しく建てられた平城挙げてみろ。
それでお前が言うのを納得したる。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:13
だがな、検証するといっても個人の力ではなかなか大変だろ。
下手すりゃ逮捕され・・・
78 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:16
>>66 そりゃ、あんまりな意見だ。
鉄砲は戦国時代にはかなりあったよ。
それに応仁の乱で「てつはう」と言われた武器が使われた記録があり、
確証が掴めない鉄砲種子島渡来説は近年、批判の対象になってるよ。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:18
>>63 「本当の使い方」は言いすぎだが、
馬を轟音で驚かして戦場をパニックにする効果はかなりあったとか。
>>69 野戦と篭城戦を同列で語ろうという姿勢から予想どうりの真性とお見受けした。
>>70 現代の「実験や検証」をそのまま当時の「現実」と錯誤するのは愚の骨頂。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:20
豊臣時代には日本だけで欧州全土と同じくらいマスケット銃があったんだろ?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:27
>>80 当時の「現実」とやらをお聞かせ願おうかw
84 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:36
現実に鉄砲玉に倒れた将兵や鉄砲に貫かれた鎧などいくらでも残ってるが。
そもそも、鉄砲がたいした威力がないのなら、朝鮮水軍のイ・スンシンはどうして鉄砲に貫かれて戦死したの?
>>79 じゃあ馬の前で鉄砲の音聞かせまくって訓練させた香具師とか
居るのかな(´゚c_,゚` ) プッ
86 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:39
伊達政宗は何故、父を捕らえて逃げる畠山の一行に銃撃を命じたんだ。
何故、真田幸村は真田丸からの一斉狙撃で前田利常らの部隊に大被害を与える事ができたんだ?
87 :
ゾウハ(呂→曹:03/03/17 14:40
>>84 あたりどころが悪いかもしくは井伊直政のように傷から病にかかったかでないの?
実際傷から破傷風のような形で死んだ人間のほうが多いと聞く。
88 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/17 14:41
>>86 大被害といっても死傷者と表されており死んだとは書いていない。
おいおい、俺は
>>63じゃないぞ。
単に鉄砲にはそんな効果もあったと言っただけだ。
あくまで、それが主要な役目ではなく、鉄砲は遠距離の敵を倒すためのものだとは思うよ。
それと馬の訓練なんて争点が違う、そもそも馬はそういうのを君権して慣らすなんて無理だろ。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:46
>>88 おいおい、前田利常の部隊は死亡者もたくさん出てるよ。
それは鉄砲に撃たれたからだ。
>>87 鉄砲が殺傷能力も満足になかったら、どうしてあんなに大名はこぞって鉄砲に着目して高い金出して入手するんだよ。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:52
現代の鉄砲でも狙撃用にスコープがついたもので400mだ
スコープなしであれば200m、しかもかなりの鍛錬がなければ当らない
200m先の人間なんてまめつぶみたいにしか見えないからね
92 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 14:53
>>90 死亡者が多くいても火縄銃だけでないでしょ?
>>90 殺傷能力も無く・・・・
じゃ新しい物っていう趣味で鉄砲集めてたわけですか?
それはそれでィイ!
まあとりあえず鉄砲というものが戦国の一般人に余り知られてない
(鉄砲という言葉よりどんな威力がある物っての)
故に恐れられていたんじゃないの?
だから威力があろうがなかろうが・・・
95 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:01
鉄砲は混乱目的が主であった。
実際 一斉射撃→敵の隊列乱れる→長槍隊の突撃 これが定石とされていたし。
つまり90の主張は間違ってる。
また近距離(〜100M には殺傷能力を発揮し崩れた軍勢を立て直す際に敵を打ち払うために役立ったから買ったまでだ。
本当は鉄砲+弓でないと本領発揮とはいえない。
それに鉛球じゃあな・・鉄球ならかなりの殺傷能力あるが。
ってなわけで90の主張は間違いだ。
>>95 >鉄砲は混乱目的が主であった。
実際 一斉射撃→敵の隊列乱れる→長槍隊の突撃 これが定石とされていたし。
そういう話ってどういった資料を読めばわかるんでしょうか?興味があります
97 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:13
戦争自体がいかにして敵を崩すかで、打撃を与えるのが勝利じゃないしな。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:17
>>96 結構あると思うよ、図書館なんかにゃ。
>>97 正しいが射撃のみでは勝利は得られない。
たいがい白兵戦で決定する(もちろん鉄砲の援護とかもあり
99 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:19
>>95 鉛玉の方が威力はともかく殺傷力は上だよ。
比重が重くっ、体内にはいると柔らかさゆえぐちゃと潰れて殺傷力を増し、摘出もしにくいんだ。
俺は貴方の主張には実は近いんだが、
混乱目的:メイン 殺傷目的:サブ
が俺の場合は逆だと言ってるの。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:29
鉄砲装備率を見ればわかるだろ。
そんなサブ兵器に誰も高い金出さないつうの。
一向宗が鉄砲に着目したのも大名に対抗しうるハードだからだろ。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:29
>>100 95だが言ってることはYOUは正しい。
このレスの俺の殺傷能力=貫通力ゆえ
102 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:32
>>100 誰もサブとは言ってない。
だがメインとも言ってない。
他の兵種との組み合わせ如何で威力を発揮できる物だと言ってる。
100のように単体だけを考えるようじゃまだまだ甘い
103 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:33
∧__∧ ナマ言ってんじゃねえよ!
,,, (・∀・ )つ==,,
/ 从 ノ' )ノ
(_∧,ハ ノノノ;:''
(*゚ 0。);:.,.,:;'アジィィィィーーーーーッ゙
∪(ノ(#;:;*:'.,ジィイィーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヽ ,,⊃;:.,シィイィ・・・シィィィイ・・・!?
'∪
104 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:35
>鉄砲装備率を見ればわかるだろ。
>そんなサブ兵器に誰も高い金出さないつうの。
そんな高い金だったの?
106 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:39
まぁ高いわな。
手作りで大量生産できないというのも値段が高い原因だな
107 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 15:41
108 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 16:23
クレヨンしんちゃんの映画で投石でちまちまやってから白兵戦とか
城攻めの時包囲する側が城下の麦刈り取ったりとか
遠距離からの鉄砲が弾かれ、至近では貫通するとかよくできてたと思った。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 16:35
前スレでも指摘されていたが、織田・徳川方は確かに工夫を
凝らしていた。
しかし、約半数以下?の武田方に工夫が見られないことが、
勝頼が責められるポイントになっていると思う。
相手が多勢だったとわかった時点で、何とかできなかった
ものだろうか。
まさか戦場で対峙するまでわからなかったとか、何とかなるとか
思っていたわけじゃあるまい。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 16:36
>>102 当たり前。万能の兵器などどこにもない。
しかし結果的に鉄砲に比重が移っていったのは知ってのとおり。
刀槍弓より優れていたからだ。
>>109 徳川・織田=大軍且つ勝てる戦い方
武田=兵の多さに頼らんでも突撃したら勝つんじゃねぇの?
だってチキンな信長・家康は風林火山見ただけでうんこチビッテそうだし
敗因=舐め過ぎ!
112 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 18:35
>>110 まあな、俺も戦国の世で兵士になるなら鉄砲兵になりたいもんだ。
刀や槍で戦うなんて、まっぴらごめん。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 18:41
>>111 まあ、それまで、あまりにも織田が不甲斐ない闘いをしてたからね。
三方が原で佐久間は配下を一人も殺さないうちに逃亡、平手は討たれた。
そのあとも何だかんだと戦いを避けていた。
そういうのが逆にプラスになるとは世の中、皮肉。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 18:45
>>109 何度もマジレスされてると思うがまさか鳶ノ砦が落とされるとは思ってなかったんだろ。
鳶ノ砦がもし攻撃されていてもしばらくは持つと思っていてそれがあっという間に
落ちてしまったのは計算外。
こうなったときはもう退却しかなく、退却するためにはある程度相手に痛手を負わせ
追撃する気力を削ぐはずだったのだが思った以上にてこずってしまい結果追撃を
モロに食らったと。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 18:57
鳶ノ巣砦というと何かちょっとした砦のように思えるが、
実際は名ばかりのもの。
特に背面は無防備であった。
もう少し、まともに作ってたら防戦もできたろう。
>>112 鉄砲は暴発するよ
防ぎようのない事故死と隣り合わせだから
鉄砲兵になることはあべこべに名誉とされていた
117 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 22:27
>>15 退路が断たれていたとは思わない。穴山信君が真っ先に戦場を離脱した
という話は疑わしいものもあるが、信君が無事帰還できているのは事実。
後備だっただけに撤退となれば一番に退くのはむしろ当然か。
まあそれはさておき、退路が塞がれていたら信君も無事にゃ帰れないね。
鳶巣砦襲撃・長篠城救援に意味があるのは、一つに決戦を経ずして織田側の
戦略目標を達成してしまうということ。そして武田側の戦略目標を
達成不可能にしてしまうということ。これで勝頼が撤退したなら、
むしろ信長は万々歳。何しろいずれジリ貧に追い込めるのは
分かっているのだから、諦めてもらえれば何の苦労もなく最終的な勝利が
約束されたも同じ事。
武田側としては、陣地を出て何らかのアクションを起こさざるを得ない。
撤退か、決戦か、反転して長篠城包囲部隊を助けるか。いずれかの選択肢
を選ばざるを得なくなる。信長の方から仕掛ければ武田側もそれなりに
陣地を構築した形跡もあるので、簡単には勝てない。損害も増える。
だが、勝頼から動くように仕向けたなら、たとえ決戦になっても自分の
陣地が抜かれる恐れはほとんどない。二倍の兵力で鉄砲もかき集めて
守っているのだから当然だね。反転して救援に向かおうとしたなら、
陣地を出た所に背後から襲いかかれる。これも勝利は固い。
だから『信長公記』に「味方を一人も失わないために」別働隊を編成した
と書かれたのだろうね。
鳶ノ巣砦攻撃陥落は、連合と武田が川を挟んで合戦してる際中なんだが
119 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 22:40
>>56 「馬を撃て」と命令したというのは、史料などにある話ではないよ。
どこぞの作家が勝手に創作した話と見るべきだが。
だいたい、戦の時に、しかも陣地を攻めるのに、騎馬武者が先頭を
駆けてくるわけがないでしょう。
鉄砲・弓あたりを先頭に長柄が続き、騎馬武者の出番はさらに
その後ってのが定石では?もしかして足軽の後ろの馬を撃つのかな?
小幡の部隊に限っては「関東衆馬上の巧者にて」騎乗したまま攻めてきた、
とはあるけど、それでもねえ・・・サイズとしてはポニー程度の馬が
鎧武者を乗せたまま空堀を飛び越え柵を押し倒して突入してくる、
というわけには当然いかないだろうねえ。
騎乗のまま攻めて来ると何が違うのか、と考えてくると、やはり速度
だろうね。馬に乗れるぐらいの身分ともなると鎧も足軽よりずっと重い
わけでさ。馬を降りたら、何十キロもの鎧を着ているわけだから、
大して速く走れない。自然、足軽などもその速度に合わせてゆっくり
走るということになるだろう。
しかし重い鎧を着けた武者も馬にのれば足軽が走る速度にあわせられる。
つまり、それなりに進軍速度が上がる。
多少の違いでも、鉄砲の射程圏内を抜けるのに必要な時間がだいぶ
変わるぐらいの効果があるだろう。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 22:43
>>118 鳶ノ巣砦が先だろう。
『信長公記』に「前後より攻められ、御敵も人数を出し候」とある。
後陣である鳶ノ巣砦守備隊と長篠城包囲部隊が攻撃を受けたので、
武田の本隊が動いたということだ。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 22:45
>>66 武田軍ですら永禄〜天正年間の軍役みりゃ10%弱の鉄砲装備率があり、
織田軍も当然同程度以上の装備率があったと思うわけだが。
とすりゃお互い何千挺もの鉄砲が普及していたわけだな。
音でびっくりしてる場合じゃないぞw
122 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 22:47
>>78 応仁の乱で火器といえば、『碧雲日録』に紹介されている「火砲・火槍」
とかじゃなかったっけ。「てつはう」はあった?
眠たくなるスレだな
124 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:09
>>120 「信長公記」の鳶ノ巣攻撃時刻は辰刻
長篠合戦開始時間は日の出の刻
信長公記読んでないだろ
125 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:10
>>115 兵法に曰く、敵の城内を見下ろせる場所への布陣は定石の一つなわけで。
鳶ノ巣山は一つに長篠城の動きを監視する為のものであり(だって本陣は
医王寺だったし)、もう一つに兵糧等の保管場所であった。
背後が無防備だったかどうかは、遺構の残り具合によって色々と言えるから
なんとも言えんが、もともと本格的に戦うための施設だったかどうかは
ちと疑問かな。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:14
>>120 確かにそういう表現もしているがね。記述の順序・流れとして前者を
取るべきだと思うが。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:14
128 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:18
>>126 おいおい、自分で信長公記を持ち出しといて
否定されたら根拠もない史料否定かよ
記述の流れや順序でいえば、鳶ノ巣攻撃がサブで前に書かれ
合戦がメインで後に書かれただけじゃん
129 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:22
>>128 史料否定ではない。牛一自身が「前後より攻められ、御敵も人数を出し候」
と書いたのも事実なんだから。
日の出きっかりに勝頼が攻撃開始していればこちらの記述が嘘で、
こちらの記述が正しいなら日の出というのが大袈裟で、早朝ぐらいと
見るべきということになるわけだが。
両方書いてあるのだから、それぐらい頭回せ。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:29
>>129 お前馬鹿だろ?
>>118で俺が
>鳶ノ巣砦攻撃陥落は、連合と武田が川を挟んで合戦してる際中なんだが
と書いたら
>>120で反論にもなってない記述を持ち出して鳶ノ巣を先に攻撃し陥落させてから
合戦が始まったと言い出す始末
合戦途中で陥落させて、武田の後背を突いても全然おかしくないだろ脳無し
頭回ってないのはお前だな、読解力つけてから出直せ
131 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:38
>>130 >>120のおさらい。
>「信長公記」の鳶ノ巣攻撃時刻は辰刻
>長篠合戦開始時間は日の出の刻
この時点で開始時刻を持ち出したんだろ?
>>130のような反論を
>>120でしていたら立派だったがね。
攻撃開始時刻を持ち出されたのだから、自分のレスは間違いではないと
存ずるが。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:42
133 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:54
昔は不定時だから1575年旧暦5月21日、太陽暦7月8日?の
愛知県だと日の出4時45分頃、日の入り19時10分頃と考えられる。
辰の刻は5時57分〜8時21分の間。辰の中刻は7時9分。
一般に「辰の刻=辰の中刻=午前8時」で押し通しているが、実際はかなり
幅もあるしズレもある。まああまり意味は無いが。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 00:17
>>131 お前は日本語出来ねーのか?
開始時刻を持ち出してるだろ
お前は鳶ノ巣が先という論拠もないがね
>>120 脳無の妄想には付き合えんわ
>>118で鳶ノ巣砦攻撃陥落は、連合と武田が川を挟んで合戦してる際中と主張
↓
脳無しは、『信長公記』に「前後より攻められ、御敵も人数を出し候」とあるとし
鳶ノ巣砦攻撃陥落が先と主張
>>120 ↓
>>124で攻撃開始時刻がわかる記述を出して自論の根拠を主張
↓
脳無しは、「前後より攻められ、御敵も人数を出し候」に固執し
>>129で「早朝ぐらいと見るべきということになるわけだが」と意味不可解な解釈
信長公記のドコにも、これが鳶ノ巣攻撃部隊とは書いておらず、またそれを窺わせる記述もない
なのに自分は間違いでないと主張
日の出より寅卯の方角へ未の刻まで戦った記述は間違いらしいw
辰の刻は6時30分前後から8時30分前後だな、2時間半も幅を取るなんて聞いた事がない
136 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 02:36
で、日の出に固執してるわけかw
少なくとも鳶ノ巣山への攻撃開始が先でなければ「前後より攻められ、
御敵も人数を出し候」が成り立たんのは事実。
辰の刻に攻撃開始という記述と「前後より〜」の記述を踏まえれば
日の出から織田軍本隊が戦っていたというのはオーバーな記述だろう。
「日の出」に固執すれば「前後より〜」の記述が間違いとなるがね。
何故に一方が正しいと言い切れるのか、分からんものだ。
と言ったところで自説以外は全く理解が出来ないらしいので意味無しか。
「日の出」が正しければ勝頼は特別な理由も無くかと言って策があった
わけでもなく開戦したということになるが・・・
日の出から日の入りまでを六等分する方法で計算した場合、夏場は
当然昼間の一刻が2時間を越えるが、それも理解できていないかね。
呆れた奴だな。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 02:37
ちなみに「陥落」と「攻撃開始」を混同したレスをしたというのは確かだw
138 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 04:38
信長公記すら読んだ事ない脳無しの程度が知れるレスだなw
>>136 成り立たんのは事実だとw
脳無しが成り立たんと思い込む為には
1.「前後」の記述が、織田徳川の東側に布陣した武田勢の前衛と後衛の事を指さなければならない
2.1の条件が成立し尚且つ、武田勢を後衛を突いたのが鳶ノ巣を攻撃陥落させた部隊でならなければならない
3.1・2が成り立った上で、武田は後衛を攻められながら、西側の織田徳川の陣を強襲し続けた事にならなければならない
4.これらが全て成り立った上で、合戦が鳶ノ巣攻撃の後から開始しなければならない
脳無しは、「前後」=対陣した武田の前後衛で“思い込み”、「前後」の記述が合戦最初から起こった事と“思い込み”
それの元でしか考えてないのである
この場合の「前後」は、最低でも3通り考えられる
1.「前後」とは対陣した武田勢を前とし、長篠城を囲んでいた部隊を後とする
2.「前後」とは武田の布陣を左から右の事を前後とする
3.「前後」とは対陣した武田勢の文字通り前と後を指す
>日の出から日の入りまでを六等分する方法で計算した場合
脳無しらしいレスだなwこの計算の仕方がいつの時代で
どのようなやり方で行なわれていたかを調べて見るんだなw
脳無しの付け焼刃の知識が滲み出てるなw
139 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 05:59
わしは確かに
>>118の「陥落」を「攻撃開始」と勘違いしたということは
認めるがね。しかし
>>120でこう書いたわけだ。
>120 :無名武将@お腹せっぷく :03/03/17 22:43
>
>>118 >鳶ノ巣砦が先だろう。
>『信長公記』に「前後より攻められ、御敵も人数を出し候」とある。
>後陣である鳶ノ巣砦守備隊と長篠城包囲部隊が攻撃を受けたので、
>武田の本隊が動いたということだ。
何も鳶ノ巣山を陥落させ長篠城を救援した上で本隊の後備に攻撃をかけた
などと言った事は一度も無いんだがなあ。
敵が後方(鳶ノ巣山及び長篠城)に回り込んだのを確認し、
決戦に踏み切ったと考えているわけだ。
だからわしは
>1.「前後」の記述が、織田徳川の東側に布陣した武田勢の前衛と後衛の事を指さなければならない
>2.1の条件が成立し尚且つ、武田勢を後衛を突いたのが鳶ノ巣を攻撃陥落させた部隊でならなければならない
>3.1・2が成り立った上で、武田は後衛を攻められながら、西側の織田徳川の陣を強襲し続けた事にならなければならない
>4.これらが全て成り立った上で、合戦が鳶ノ巣攻撃の後から開始しなければならない
>脳無しは、「前後」=対陣した武田の前後衛で“思い込み”、「前後」の記述が合戦最初から起こった事と“思い込み”
>それの元でしか考えてないのである
などという思い込みは全くしていないわけでね。まあ貴殿こそ勝手に
思い込んでいるのではないかと思うわけだが。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 06:17
で、長篠合戦開始時刻を「日の出」とし、
鳶ノ巣山砦攻撃開始を「辰の刻」としてしまうと、
「前後より攻められ、御敵も人数を出し候」という表現は
変ではないか、と言っているわけだが・・・
鳶ノ巣山襲撃の記事を書き、「前後より〜」と書いた上で、
「一番、山県三郎兵衛・・・」と続けているのに、本隊同士の開戦を
時間的に先に持ってくるのはやはりおかしいと思うがねえ。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 06:49
>>136でも
>少なくとも鳶ノ巣山への攻撃開始が先でなければ「前後より攻められ、
>御敵も人数を出し候」が成り立たんのは事実。
と書いただけで、別働隊が砦を陥落させ長篠城を救援した後に
寒狭川を渡って本隊の後備に喰いついたというような事は
書かなかったと思うのだが・・・
鳶ノ巣山は武田軍にとって立派な「後方」であり、「前後」の
「後」を表すものとして全く問題はないと思うが・・・?
何故に武田軍の本隊が背後を攻められながらも織田軍の陣地を
強襲し続けたなどという話に読み取られるのだ?
142 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 07:07
脳無しは突っ込まれたら“思う”だけ、憶測でしか語れんようだなw
主張もコロコロ変化するわ、読解力もないわ、刻も知らんわ、根拠もない思い込みだけだわ
バカ丸出しだな
>>139-140の内容なんざ全く今までの主張
>>120、
>>126、
>>129、
>>131、
>>136 と繋がらない、何だコイツは?
合戦開始が日の出で、鳶ノ巣が辰の刻でどうして「前後より〜」が繋がらないと
考えるのか説明しても理解出来ないしな
鳶ノ巣攻撃の事を書いて、一旦それを切って「信長は〜」と始まり
鳶ノ巣とは別の地、武田本隊との対陣の記載になってるのに、鳶ノ巣攻撃より後と思い込み
攻撃開始も陥落も最初から長篠合戦の際中と主張してるのに、
脳無しは、「鳶ノ巣が先だろう」から「鳶ノ巣に回りこんだのを確認した」(←はぁ?確認?脳無し爆発だな)
と内容を変えつつ憶測(根拠が無いからなw)だけで思い込みを語りだすw
それに脳無しは「前後」の解釈について具体的に何を指すのか一言も言及無し
>>139の説明では何が言いたいのか不明だが、確実なのは今までの脳無しの主張を否定したと言う事だけ
脳無しだけに、読解力も国語力もないから、わけわからんなw
つか脳無し、
>>136で得意げに持ち出した不定時法の話題はもうしないのかw
143 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 07:11
>>141 脳無し、武田本隊が「前」、鳶ノ巣が「後」ならば
日の出に合戦が始まって、鳶ノ巣攻撃がその後の辰の刻でも何ら不自然ではないが?
鳶ノ巣の記述がどこから続いてるのか、信長公記を読んで出直して来い
144 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 07:16
天智天皇以来定時法が公式なものであり、不定時法は時計が無いだの
なんだのの場合に使うものだった。
不定時法を公式に採用したのは江戸時代。
とかそういう話かな?
中世の不定時法は日の出日の入りで切るものだったが
江戸時代初期には日の出の36分前と日の入りの36分後で切り
江戸中期以降には太陽の俯角が7度21分40秒の所で切った。
とかそういう話か?
145 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 07:22
脳無しは受け売りの丸写しかw
通りでなw
146 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 07:23
>>143 貴殿こそ出直してはどうかな?
思いっきり不自然だろう。
「前後より攻められ、 御敵も人数を出し候。一番、山県三郎兵衛、
推太鼓を打つて懸り来り候」
山県隊が一番手で、前後に敵を受けたのがその前であるという以外に、
どう読めるのだ?
まあ貴殿がいかに独り善がりな読み方しかしないか、ということは
よく分かったが。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 07:28
>>146 なんだ?その作為的な抜粋はw
信長公記を読んでないのがバレバレだぞw
何かの抜粋でも丸写しでもしてるのか?
「能無し」「信長公記」「程度が知れる」・・・・・・・「春」
ま、どーでもいいんですけどね。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 07:50
今度間近く寄り合わせ候事、天の与ふる所に候間、悉く討ち果たさるべきの旨、信長御案を廻らせられ、
御身方一人も破損せず候様に、御賢意を加へらる
坂井左衛門尉を召し寄せられ、家康御人数の内、弓鉄炮然るべき仁を召列れ、坂井左衛門尉を大将として、
二千ばかり并びに信長の御馬廻鉄炮五百挺、金森五郎八、佐藤六左衛門、青山新七息、賀藤市左衛門、
御検使として相添へ、都合四千ばかりにて、五月廿日戌の刻、のりもと川を打ち越し、南の深山を廻り、
長篠の上、鳶の巣山へ、五月廿一日、辰の刻、取り上り、旗首を推し立て、凱声を上げ、数百挺の鉄炮を僮と、
はなち懸け、責め衆を追ひ払ひ、長篠の城へ入り、城中の者と一手になり、敵陣の小屋々々を焼き上ぐ
籠城の者、忽ち運を開き、七首の攻め衆、案の外の事にて候間、癈忘致し、鳳来寺さして敗北なり
信長は、家康陣所に高松山とて小高き山御座候に取り上られ、敵の働きを御覧じ、
御下知次第働くべきの旨、兼ねてより仰せ含められ、鉄炮千挺ばかり、佐々蔵介、前田又左衛門、
野々村三十郎、福富平左衛門、塙九郎左衛門を御奉行として、近々と足軽を懸けられ、御覧じ候
前後より攻められ、御敵も人数を出だし候
一番、山県三郎兵衛、推し太鼓を打ちて云々…
脳無しの為に抜粋してやった
鳶ノ巣と武田本隊との合戦が別件で書かれてるのが理解できるし
記述の順番通りじゃないとおかしいと言うなら、鳶ノ巣は陥落し
鳶ノ巣の武田勢は鳳来寺方面へ敗走した事になる
脳無しが如何に矛盾した事を言って、信長公記さえ読んでいない事を露呈した証明っつー事だなw
150 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 08:33
>前後より攻められ、御敵も人数を出だし候
ここと
>一番、山県三郎兵衛、推し太鼓を打ちて云々…
ここで
意味を切って読むものではあるまい、という問題だろうが・・・
「人数を出」した一番手が山県だろ。どう見ても。
然るに「前後より攻められ」は武田軍の攻撃開始より前に起きた事と解して
問題はないわけだな。
かといって、松平尹忠が討ち死にしていることなど考えても長篠城救援
までがあっという間に終わったと考えるのは実際難しい。
ならば「前後」の「後」は鳶ノ巣山への攻撃、と見て相違あるまい。
と、言うだけ無駄だがな。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 08:44
松平某は織田・徳川方で唯一、討ち死にした主要武将だが、たいした武将でもないよ。
討ち死にしたからといって、そんなに意味はない。
ようやく春厨は寝静まったようで
153 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 09:06
>>150 脳無しは信長公記を読んできてから絡んで来い
>「前後」の「後」は鳶ノ巣山への攻撃、と見て相違あるまい。
そりゃ俺が最初に主張したんだがな
お前が証明しなきゃならんのは
五月廿一日、日の出より寅卯の方へ向けて未の刻まで、入れ替はり入れ替はり相戦ひ、諸卒をうたせ、
次第次第に無人になりて、何れも、武田四郎旗元へ馳せ集まり、叶ひ難く存知候歟、鳳来寺さして、僮と癈軍致す
其の時、前後の勢衆を乱し、追はせられ、討ち捕る頸の見知る分、山県三郎兵 衛、西上野小幡、
横田備中、川窪備 後、真田源太左衛門、土屋宗蔵、甘利藤蔵、杉原日向、名和無理介、仁科、高坂又八郎、
興津、岡部、竹 雲、恵光寺、根津甚平、土屋備前守、和気善兵衛、馬場美濃守
とあり「鳶ノ巣砦攻撃陥落は、連合と武田が川を挟んで合戦してる際中」と言うのを
>鳶ノ巣砦が先だろう。
と攻撃は鳶ノ巣が先だと主張したのだから、これを否定し、それを証明する事だ
「敵の働きを御覧じ、御下知次第働くべきの旨、兼ねてより仰せ含められ、鉄炮千挺ばかり、
佐々蔵介、前田又左衛門、野々村三十郎、福富平左衛門、塙九郎左衛門を御奉行として、
近々と足軽を懸けられ、御覧じ候 前後より攻められ、御敵も人数を出だし候」
これが何を意味するか、特に「近々と足軽を懸けられ、御覧じ候」の文の意味する事だ
反証を提示してくれよw「思う」「だろう」だけじゃなくてなw
脳無しに説明するのは疲れたw
154 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 09:08
>>152 お前本能寺スレでも関ヶ原スレでも憶測だけで語って自演やってたなw
芸がないw
やはり読めないなw
ショボすぎ
>>154 ハァ?誰と間違えてんだ?
ていうか、至るところで叩かれてるんだね、キミw
晒し上げ
158 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 11:25
>>154 お前そんな数文字のレスで釣られるなんてすごい奴だなw
159 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 17:05
.__
|風|
|林|
|火| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|山| | しかと見よ!!!
_∧ .∧(oノヘ| ̄ <
(_・ |/(゚Д゚ )|\ | 御旗楯無、御照覧あれ!!!今日もしぃ狩りだ
<━━||\Ю ⊂)_|√ヽ \___________
(  ̄ ~∪ )^)ノ ;;;;⌒);;⌒)
//\// \ ≡≡ ;;;;⌒);;⌒)
'~ ~'~ '~ (´⌒(´⌒;;
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒;;
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ヒ .|大| /
ヒ .|し| / 良き相手見つけたり!
/ .|ぃ| /
ン || | | < いざ!!尋常に勝負!!
_∧ .∧(oノヘ |者| \
(_・ |/(゚ー゚ { | ̄ \________
|\Ю ⊂)_ √ヽ
(  ̄ ~∪ヽ)^)ノ
.|| || || ||
'~ ~ '~ '~
161 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 17:45
脳無しの釣りw
162 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 18:28
>>153 >脳無しは信長公記を読んできてから絡んで来い
>>「前後」の「後」は鳶ノ巣山への攻撃、と見て相違あるまい。
>そりゃ俺が最初に主張したんだがな
嘘つけw
>120 :無名武将@お腹せっぷく :03/03/17 22:43
>
>>118 >鳶ノ巣砦が先だろう。
>『信長公記』に「前後より攻められ、御敵も人数を出し候」とある。
>後陣である鳶ノ巣砦守備隊と長篠城包囲部隊が攻撃を受けたので、
>武田の本隊が動いたということだ。
まあ君には読めないだろうけどね。
私はどこにも「鳶ノ巣山陥落」が先だとは書いてないよw
「書いてないと思うが」などと言おうものなら「憶測だ」とか言う人間
には意味もわからんだろうが。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 18:28
>とあり「鳶ノ巣砦攻撃陥落は、連合と武田が川を挟んで合戦してる際中」と言うのを
>>鳶ノ巣砦が先だろう。
>と攻撃は鳶ノ巣が先だと主張したのだから、
だから
>>118の「陥落」を「攻撃開始」と勘違いして
>>120のような
レスをしてしまったのだということは認めると何度か書いたが・・・
まあ自分の思い込み通りにしか読めないようなので意味無いが。
武田の本隊が動いた方が後だと主張する根拠は何度も言うが
「前後より攻められ、御敵も人数を出し候」だ。
「後」は当然、鳶ノ巣山への攻撃。
「前」は「近々と足軽懸けられ」だな。これは信長から挑発していた、
という事になるな。
そんなに「日の出」に拘るなら
1.日の出の頃から信長は挑発行為を行っていた
2.鳶ノ巣山が攻撃を受ける
3.武田本隊が攻撃開始
という順序にしておけ。
次スレたってる(^^)
165 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 19:16
>>162-163 脳無しは反論にもなってないw
鳶ノ巣砦攻撃陥落は、連合と武田が川を挟んで合戦してる際中
と言ったのを、鳶ノ巣が先と反論した脳無しは
武田本隊が動いたのは後と今では言うw
挑発行為?はぁ?全然読めてないw
「前後より〜」だけの部分しか知らないから抜粋したやったら
反論にもなってない事書いて、反証も無しw
脳無しの主張の変化w
「鳶ノ巣が先だろう」…日の出の記述は早朝の間違い、鳶ノ巣が攻撃を受けたので武田が動いたw
↓
「鳶ノ巣に回りこんだのを確認した」…「日の出」が正しければ勝頼は特別な理由も無くかと言って策があった
わけでもなく開戦したということになるが・・・
↓
「前」は「近々と足軽懸けられ」だな。これは信長から挑発していた、という事になるな。
その場凌ぎで答えるからズレまくりw不定時法も勘違いw
で前後の後が鳶ノ巣という根拠は?長篠の記述でもう一ヶ所「前後より」と記載がしてあるが
それはどう解釈してんの?
御前らレス番つける! 荒しにみえるぞ。
長篠の記述でもう一ヶ所「前後より」と記載がしてあるが
↓訂正
長篠の記述でもう一ヶ所「前後」と記載がしてあるが
168 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 22:48
間抜けな煽り合いをしている本人達は楽しいんだろうが
他の人はどう思っているのか、そっちが気になる。
つーか読んでないよね。
>>165 だから「陥落」と「攻撃開始」を勘違いしたレスを
>>120の時点で
つけてしまった、とは認めているだろう。何も陥落が先だなどと
主張したわけでは無い。まあ何度言っても無視してるようだけど。
それに意見を変えたことは無いな。いくつか付け加えたがね。
とまあどうせ無視するかそもそも理解もできないだろうが。
「其時前後の衆勢を乱し追はせられ」の「前後」は当然武田軍の
陣構えの事だ。
馬鹿言ってないで記述の整合性の一つでも考えてから出て来い。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 00:15
>>168 やめて欲しいですよ。
日本史板だと、すぐに「三戦板逝け」なんて脊髄反射レスがつく
んだけど、逆にここは「日本史板逝け」と言いたいね。
そんなにこだわりたいなら、日本史板でやれよ。
>>169 陥落の事はとっくに聞いてねーぞ、脳無し
攻撃の事だよ、相変わらず読解力ねーなw
哀れだから、態々
>>153で攻撃だけにしか触れないようにしたのにな、脳無しには無駄かw
>「其時前後の衆勢を乱し追はせられ」の「前後」は当然武田軍の陣構えの事だ。
なんだそりゃ?
「前後より攻められ、御敵も人数を出だし候」の「後」は切り離して表記してある鳶ノ巣の事と言い
「其の時、前後の勢衆を乱し、追はせられ、討ち捕る頸の見知る分…」と続けて書いてあるのは陣構え?
「人数を備へ、右同断に勢衆うたれ、引き退く」も読めてねーし
記述の整合性なら、鳶ノ巣の件は「鳳来寺さして敗北なり」で一旦終わってるんだよ
「信長は、家康陣所に高松山とて小高き山御座候…」で次の本隊との話になってんだよ
脳無しは勝手に話が続いてると思い込んでるがな
「前後より攻められ、御敵も人数を出だし候」から「右同断に勢衆うたれ」となり
「前後の勢衆を乱し、追はせられ、討ち捕る頸の見知る分…」とわかんねーんだろうな
所詮、全文通して読んでない、その場凌ぎの似非野郎だしなw
つか、すげぇごり押し解釈だな、やっぱ脳無し
172 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 00:34
レス番つけろや
173 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 01:45
(・∀・)チンポー!!
つうか厨どもとっとと氏ね
175 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 02:12
レス番のつけかた教えてまんこ
176 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 02:25
信長公記厨が暴れているようですが、
甲陽軍鑑オタの私も加わっていいですか?
177 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 02:36
信長公記厨>>>>>>>>>>>>>∞>>>>>>>>>>>甲陽軍鑑厨
ショボーン
179 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 10:21
甲陽軍鑑厨>>>>>>>>>>>>>∞>>>>>>>>>>>信長公記厨
180 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 10:28
信長公記厨≒甲陽軍鑑厨
182 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 11:06
両軍とも密集状態で大激戦になり前線が10M前進するのに二時間かかったんだよ。
まさに肌と肌とのぶつかり合い。
183 :
チョウセン:03/03/19 14:07
~::::::::::::::::~-=,;;;|`---'" |;:::ヽ;:::\ .|
,/:::::::::::::::::::::::::::::::::/ ,. ヽ;;::i:::> .>.i
i,::::::::::::::::::::::::::::::::/ ヽ/ (, |
\::::::::::::::::::::::::::/ / .:: '\ヽ
\::::::::::::::::/ | ..:::: |.|
ヽ::::::/:/ L..::::::: ./ |
//;:/::::/ .''ニヾ .| |
/ //::::::::| \./i i
/ ヽ;::::::::::i ~-, i ,-'" .|::i .| .|
`-=-,,_ヽ;::::::| `t┴+" / | .|
~-=,, ̄;:::::i | | ヾ. .| i
184 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 14:23
話を戻すが、勝頼が家康本隊を叩こうとして活動していたと
思うのだが、長篠を囲んでいたときに救援軍が自軍の倍以上と
知ったときには、どういう論議になったんだろう。
長篠を落としてそれに拠るか、さもなくば速やかな撤退と
なるのが普通だと思うんだが。
どうして対峙→後方遮断という、みるからに無策といえる
流れになったのだろうか。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 14:39
>>184 そこらあたりは旧説通りだろう。
つまり、織田を侮りきってたのと、
信長、家康を討ち取って抗争にケリをつけたかったんだろうね。
ならばやはり無策としか言いようがないですね。
日露戦争で工夫を凝らして勝ったのに、勝ったという事実だけを
引きずり、敵を侮ってノモンハンで玉砕した旧日本軍みたいだ。
負けたほうが再度戦場に来るからには、工夫をしているとか
準備を入念に整えるとか思わなかったのだろうか。
いや、まだ兵が同数程度ならともかくな…
明智に裏切られた信長が一番馬鹿
三方ヶ原のときは武田の方が約2倍の兵力で、しかも相手を誘い出して
撃破したわけだ。
逆に長篠は兵力が半分なのに、勝てると思ったのかな。
慢心としたらあまりにも…
189 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 17:33
>>185 「旧説」の軍議の様子ってのは結局『甲陽軍鑑』だけどね。
いろいろ問題があるよ。
馬場美濃守の発言の胡散臭さに着目すべし。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 17:41
上杉謙信が北条氏康や氏政の大軍と睨み合い、結局時間切れ引き分け
に持ち込んでいったような展開を狙ったんじゃないか?
むしろどちらかと言えば北条親子を見習うべきだった
192 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 19:08
『甲陽軍鑑』がどうこうだけじゃないよ。
全般的な考察から見ても、武田が戦った動機として、
一番、納得いく。
結局勝頼はDQN
194 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 21:21
その時、歴史は動いたあげ
キック松平キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
195 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 21:22
長篠の戦いやってるぞ
196 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 21:33
新聞欄みたらかいてなかったのに・・・
明日再放送みよ
197 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 21:38
北条攻めの話ね
198 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:16
>>192 納得行くか?
兵力が互角ならこっちのもの、ってレベルじゃなくて、半分以下の兵で
陣城攻めて勝てると思うほどというのは異常だ。
是非その「全体的な考察」とやらを聞いてみたいね。
甲州兵は三河兵の3倍、尾張兵の9倍強い。
つまり織田軍3万、徳川軍8千、武田軍1万5千は、それぞれ
尾張兵3万人分、尾張兵2万4千人分、尾張兵13万5千人分の
戦力に換算できる。
戦力指数としては5万4千vs13万5千だ。
余裕で勝てるに決まっているだろうが。
前スレでさんざんガイシュツの話だ。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:34
>>198 織田は武田の前ではことごとくヘタレな態度を示してきたからな。
三方が原では佐久間信盛は一兵も殺さず逃亡し笑い者になり、その後も織田は何度も武田との対戦を避けまくった。
それに倍する敵に決戦を挑むなんて事は戦国の世ではそんなに珍しくない。
島津は何度もそれをしたし、家康も信長も元就も氏康も武田信虎も何度もやった。
ただし、正確に言うと彼らは単に純粋に小勢で大勢にぶち当たったわけではんなくいろいろ工夫して勝ったのだが。
第二にこの合戦に勝ち家康、信長を討ち取れば武田の暗雲はことごとく晴れる。そのメリットは大きすぎる。
しかし城を攻めるには3倍の兵力がいるという。
戦力5万4千の相手が篭っているなら16万2千の戦力が必要だ。
13万5千ではこれを満たさない。
だから敗退したわけだな。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:42
長篠の野戦陣地は城なみに堅固だったのかな?
確かに川と馬防柵と空堀というかなり堅固な防衛線だしな。
織田の大軍の鉄砲と弓と投石を食らっては突破できないね。
>>202 城なみでなくても大軍で迎撃態勢を整えている所に小勢で来てくれりゃ
普通に勝てるだろ・・・・
無策で正面から勝てると本当に考えていたなら、ネタもネタでは
すまなくなるな。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:52
武田が別働隊を組織して高松山を落とすってのはどうよ
高松山って家康の本陣じゃん。
別働隊どころか全軍で殺到しなきゃ落とせないよ。
208 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:59
むしろ吉田城とかからっぽなんじゃ
209 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 00:01
穴山の不気味
210 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 00:01
しかし織田勢が十八日に武田陣を攻撃した時の家康本陣、古呂道(清井田の南)は落としているよね
211 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 00:02
いや、二俣城が戦略のポイントだった可能性が。
だれもあんな所から援軍が来るとは予想しないと思われ。
そもそも「ころみつ坂の上、高松山に陣を懸け」という表現の
解釈の問題から「18日攻撃説」なんてものが出てきたんだろうが、
そんなものあったのか??
負けた(とされる)織田徳川の史料になくても、緒戦の勝利として
武田側の史料にあってもよさそうだが。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 00:09
奥平に甲州金をあげて買収してはどうだろう
214 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 00:38
奥平貞昌は武田家の下っ端でいるよりも、家康の娘を嫁に貰い
徳川家の幹部となることを選んだのだ。そのために妻も子供も
見殺しにしたのだ。今更カネごときで寝返るものか。
最低でも菊姫か松姫を貰わなければw
215 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 00:42
菊姫、松姫二人とも奥平に送ってかわりに徳川の姫を人質にとって
徳川家康を寝返らせる
216 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 00:50
武田と徳川を天秤にかけるならまだしも
武田と織田を天秤にかけたら織田だなあ
1573年以降信長の領土は爆発的に増えたが武田の領土は大して増えず
2:1だった国力ももはや4:1まで開いている
もはやどうすれば勝てるかではない
どうすれば滅亡を遅らせることができるかだったのだ
句読点を入れずに書いてみました
217 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 00:55
当時の大名達は家臣の機嫌を取るために褒美を与えなければならない。
そのために領土を獲得しなければならない。
領土獲得戦争で手柄をたてた家臣に褒美をやらなければならないという
スパイラルに陥っている。一回挫折して領土拡張がとまってしまうと謀反が続出
する危険をはらんでいて無理な戦争でもしなければならなかっただろう
218 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 01:49
( ´,_ゝ`)プッ
219 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 08:24
べつに織田徳川軍を殲滅しようとしてたわけじゃなくて
そのまま撤退すれば追撃されるのは必至なので
とりあえず小当たりして敵の戦意を挫いてから
撤退しようと思ったら大敗しちゃったとか
そういうのはどうでしょう。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 10:48
追撃されるというより、織田軍を追い払わずに退くことは三河の喪失に
つながる可能性があるからじゃないかな。
長篠城を救援できればそれで帰るという可能性もある一方で
大軍でもって作手・足助・武節など武田側の三河の拠点を、
勝頼退却後にあっという間に落としてしまう可能性もある。
それを許容してしまうようでは外様衆の信頼が揺らぐ。
自分が撤退するのは織田軍の撤退後である必要がある。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 10:48
>>219 撤退が主目的なら、織田軍到着前に動くと思うんだけどなぁ。
諜報活動が不発に終わったか、高天神の時のように到着前に落城させるプラン
に固執して方針転換の期を失ったってとこか。
どちらにしろ織田・徳川のファインプレーというより武田の失策という印象が
強いな。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 11:11
>>216 4:1でも信玄の遺言みたく(?)上杉と同盟できればまだ抵抗可能なんだ
けどな。北条との友好と同時進行っていう難しさと、あとやはりその辺は
信長・家康もぬかりない手を打ってるっていう。
だから、武田も信玄が死ぬ前に手を打っとくべきだった。ちょっと無責任な
死に方しすぎなところある。
223 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 11:29
>>221 結局、勝頼の無能さが浮き彫りになると。
224 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 11:34
>>221 高天神の時は、高天神城陥落後でも信長が来るなら決戦する
つもりがあったのでは?兵力もちゃんといた時だし。
>>222 信玄の遺言なんて信用できませんてw
徳川(後に織田)と同盟組んでる相手を頼れと遺言するほど
ボケてたってんなら別ですが。
225 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 12:11
>>224 事実として真偽は確かに?だがね。
でも、上杉-織田・徳川の同盟のあてにならんものだと思うけど。
そもそも上杉のトップが何考えてるかイマイチ掴めない人間だからなw
人質出されたらあっさり北条と同盟したりしてるし。
少なくとも1550年代とかよりは接近しやすかったと思うんだが、、
226 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 12:23
>>223 同情したくなる戦況ではあるけど、それをさらに自分で悪化させちゃって
るとは思う。
>>224 陥落後でもってのは意味的におかしくない?そっちの方が武田有利なわけだし。
長篠のように陥落前でもってのと勘違い?
漏れが言いたいのは、織田の後詰が到着するまでに落城するかどうかをもっと
シビアに分析しとく必要があっただろうってことでつ。
227 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 14:55
本来は引き分け狙い
ある程度睨み合ってからある程度の条件をつけて両者引揚になるはずだったのが
砦落とされて長期対陣は不利となった武田から動かされたということ
228 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 15:38
>>223 ( ´,_ゝ`)プッ バカがわかったような口きいてんじゃねえよ
228 :無名武将@お腹せっぷく :03/03/20 15:38
>>223 ( ´,_ゝ`)プッ バカがわかったような口きいてんじゃねえよ
↑
こいつの扱い方次第でもっとこのスレ伸びると思いま〜す!
2ch等の常識だろ?
一般社会常識において「ネタ」だから許される悪戯なんてないんだよ。
いつ名誉毀損で訴えられるか分からないでしょう。
それを覚悟でやってるなら既にネタの域を越えている。
2chの常識がネットの常識と捉えてる輩が多いのは少し残念。
>>229 ( ´,_ゝ`)プッ バカだから他力本願ですかw
しょーもないな知障はw
その通りだ
あの戦を理で量るなら彼らのいうことは正しい。
だが正しい理になぜこうもいらだつ?
233 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 17:08
>>225 おいおい。信玄が死んだと分かったときに謙信から勝頼を挟み撃ちに
しようと誘ったぐらい、対武田という点では強固な同盟だぞw
北条との同盟も対武田を第一に据えていたことの証拠。
勝頼と謙信との同盟はそれほど難しい。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 17:25
>>233 一度挟撃をけしかけた事がそれ程までに結束の固さを示すものなのかね。
信玄在世の武田は今川挟撃を徳川と図ったてたような・・
信玄死後も信長は謙信に貢いでるしね。そのへん危惧していたと思われ。
それと現に上杉-織田の結束は武田滅亡を待たずに崩壊しているわけだし。
上杉の戦略方針が対武田最優先というのにも少々疑問符がつく。ていうか、
思うにそれは防衛面ではいえるかもだが、拡張面においてはいえないのでは?
ま、根拠に乏しい推測だがw 領土拡張はあくまで北陸で、武田も含めた越後
以南は歯向かわなければ叩かない、そんな行動則があるような。謙信晩年は特に。
連合しても信長包囲網のごとく結局は撃破されると思っては駄目?
237 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 23:16
>>235 それは謙信が自ら織田との関係を切って1576年から能登侵攻を開始
することを事前に知っていれば役に立つ話だなw
しかもその時ですら背後を固めるために武田・北条と結ぼうという
わけではなかったわけでね。
それどころか長篠の頃では織田と上杉は共に本願寺と武田を敵に回す、
利害の一致した仲なわけだ。
結果論に流されすぎだっちゅうの。
>>236 されるでしょう。最終的には。
>>236 武田・上杉・北条三者が東で結束すれば、毛利・一向宗と連携してかなりの
善戦はできたはず。
>>237 あなたも事後的な事例を多く用いて正当性を主張してるようにみえるが。
それは結果論に流されるとは言わないのかな。
まあ、おれの言ってることが結果論てのは否定しないけどね。
でもって現実性にかける理想論というかねw
ただ、そこの僅かな可能性を考えてみたいっていうか。所詮はいち戦国ファン
なんで。その為に部分的反論をすると
>武田・北条と結ぼうというわけではなかったわけでね。
かといって北陸と比べれば全然攻撃的ではなかったし。
>長篠の頃では織田と上杉は共に
長篠の時にいきなり上杉と手を結べってなことは言ってないわけですが。
>>234 ( ´,_ゝ`)プッ オウム返ししか出来ないテイ脳君か
せいぜいバカをさらけ出してください。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 02:41
>>238 >武田・上杉・北条三者が東で結束すれば、毛利・一向宗と連携してかなりの
>善戦はできたはず。
それが理想ですが、北条家の行動原理は「関東制覇」であって中央と
争うことではないので、これまでは「関東を狙う相手と戦うため」
ということで武田や上杉と同盟もしてきましたが、相手が織田と
なったら早々に結んで関東を安堵してもらうのが一番というのが
ありますからね・・・
御館の乱で北条が熱心に見えないのは既に武田や上杉に見切りを
付けて織田徳川と結ぶつもりだったからじゃないかと
考えてみたり・・・
まあ、状況証拠だけですが。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 09:15
だよねえ。
武田は北条と同盟を結べなんて言ってる人は
例えて言えば北条は小田原の陣の時に徳川、島津、長宗我部、伊達、上杉などといった諸大名たちと
同盟を結べば勝ててたと言っているようなもの。
別に言えば大阪の陣で豊臣は島津、山内、池田、前田、伊達らと同盟結べば勝ててたというよなもの、
つまり俺が何、言いたいかというと、
一つの家が手を組むのに最優先事項になるのは「力関係」とか「自勢力の生き残り、利益」といったものであって、
過去の関係がどうとか言うのは所詮は二の次の問題、
この場合、どう考えても北条は上杉・武田と同盟組むより、織田・徳川と同盟組んだ方が徳だろ。
武田は所詮は落ち目で織田にねらわれてる上杉以外、相手はいなかったんだよね。
お館の乱でも、どうせ意図的に北条は景虎を見捨てたんだろ。
それで武田はバカらしくなって兵を引き講和させようとしたが失敗したというわけ。
242 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 10:15
>>239 ( ´,_ゝ`)プッ オウム返ししか出来ないテイ脳君か
せいぜいバカをさらけ出してください。 池沼必死だな。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 10:18
( ´._ゝ`)
↓次の話題どうぞ
池沼?
245 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 17:15
tete
/ |/ ゙、
/ ゙i
,' ∧ |
| /,/ ゙、ヽ、 ゙、 |
| / /_,.-'" _,.=''_ヽヾ`! i
i / //'、_・.> ‐’'" | ゙i /
ヾ!、|!゙i, ,i iノ {
i! ゙i,' ゙、 _゙__ ., <' ゝ
ー'ノ ゙i、 `=" / !_/
゙'-| ヽ、 _,.-'" |
ノ i i |
ヽ'^i___,,.-'" ヽ ! ヽ、__ri'"゙゙゙)
,.-''r' ミ| | ──-` ,,,.-─ | ゙i〃.〉- .,,_
/ i、ヽ! | | |'" > ヽ、
/ } | | | !-'〉 ゙i
| ゙i`'i └──────‐┘ |'' ゝ |
| 、 >゙'i ______ !-.}, !
! ゙i i、,' | My Home | |r'〉 i i
i | 〉i,'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | } i |
| | {:| _,,. -‐ H / |
| ゙、i| _,,.-'"::::.:.: . : i ゙i,i |
247 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 17:47
つまりさげれば荒らしてもいいと
なんじゃそりゃ
それで良識か!!!
とことん自分に都合のいい考え方だな!!!!!!!!!!!!!!!
もうお前の頭の程度は痴れた
逝って良し
じゃあこれからも自己満足レス続けてください
自分、十分楽しかったので。。。
どうもありがと(はぁと
248 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 18:54
武田オタは「長篠の戦いは接戦だ」と言うけどね
どう見ても正確ではないね。
武田の損害が一万で織田・徳川の損害が六千なんてアホらしい。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 18:55
実際は織田・徳川の損害はごく軽微だったと思われ。
織田側の損害六千は士気の低い日雇い兵が金だけ貰って逃げ出した数だよ。
わざわ2回に分けていうことでもないと思われ
カキコがないな〜
254 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/07 07:19
野比のび太
統率:40 ドラえもんを言いくるめる
武力:20 ジャイアンにいじめられる
知力:40 道具の使い方だけはうまい
政治:50 公的意識は普通?それなりの世界観はある
魅力:75 正義感、思いやりはある
特殊: 射撃 あやとり
255 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/14 06:30
勝頼は知障
256 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/14 10:17
たぶん、織田鉄砲隊で近代戦法とったのに対して、武田は伝統の騎馬隊で臨んだから
だと思う。
もともとネタスレに過ぎなかったのがこのスレの敗因だな。
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
262 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 21:48
高坂を連れて行かなかったから。
上杉なんか有象無象の武将で十分。
高坂がいたら勝ちまではしなかっただろうが大被害を被る前に退却してた。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 21:52
つーか、鉄砲構えてる奴のところ良く突撃できるな
勇敢というか無謀というか・・・
264 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 22:53
前田利家も大怪我したんだから
武田軍も最初は健闘したんじゃないの?
265 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 01:21
偉大なるピケットチャージを知らんのかね?
南北戦争の時代になってもまだ鉄砲に向かって突撃する連中はたまにいたらしいよ。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/06 00:31
>>266 日露戦争では要塞に向かって突撃したもんなw
まあ戦国時代は各領主の自腹なのであまり無謀なことはできなかったと思うが。
268 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/06 00:39
269 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/06 00:42
南北戦争は徴兵制が取り入れられた時期で、ある意味財政を気にせず
兵を使い捨てられた戦争。
270 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/06 00:53
雑賀衆が三段撃ちをやったなんて記録は無いがな。
『陰徳太平記』に二段撃ち(二組による交代射撃)は書かれているが。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
272 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/28 01:12
大変だす
あぼーん
274 :
bloom:03/05/30 21:49
275 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/17 03:01
まぁ普通に陣地をしいてる敵に二分の一にも満たない
兵力で突っ込むんだから負けて当然だよな。
鉄砲うんぬんの話じゃなくてさ。
276 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/17 04:26
今更そんな話をw
277 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/17 05:41
なんで攻めたかは当時の人間しかわからん
279 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/18 03:01
武田なんて山猿に従ってのるのは、行くとこないヲタか
金目当てのDQNばっかだから。
高坂さんさえいればなんとかなるなんて、お茶目なこと本気で信じてるくらいだし。
お前らは、京都信用金庫に立てこもった社長を信じる女性社員ですか?
280 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 00:53
釣れなくて残念。出直しておいで。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:05
二十四将のひとり 奥三河の岩村城 城主 秋山伯方守信友と美濃衆を南下させ
信長本陣の背後を撹乱し その頃合い見計り騎馬隊を投入すれば武田の勝利間違い
なかったはずですぞ。
如何なものか?
282 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:09
信長本陣がどこにいるかわかるはずなかろうが・・・
わかってから美濃衆を南下させても間に合うはずなかろうが。
283 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:10
信長は意表をついて家康の本陣にいたしなw
284 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:11
雨を待てばいーじゃん
285 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:14
>>284 武田軍は包囲されていたわけで、武田が待ってても自滅して終わり。
もし雨ふっても要害にこもる兵に攻撃したって負ける。
それに兵力は織田のほうが二倍〜三倍ほど多いわけだし。
286 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:16
雨とか関係ないな。
別働隊を思いついた信長の勝ち。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:30
長篠の戦いが無かったら勝頼の評価はもと下がってると思うなー。
滅亡の時に二万の兵で徳川なり、北条なりと1戦したら評価されただろうか・・・
長篠のあとでも勝頼は活発に軍を動かしてるけどね。
相変わらず徳川は存亡の危機にあったし。
289 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:39
活発に軍を動かしていてもそれまでの余裕のある動きじゃないだろ。
岩村城救出も間に合わず、景勝を支援し、新婦城をつくり・・・
国力をていかさせただけだろ。
徳川は存亡の危機にあっただろうが、武田には滅亡させる国力は無いだろ。
織田が出てくるだろうし・・・
290 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:42
>>287 どうせ長篠で退いたとしてもジリ貧滅亡だからな。
291 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:51
駿河から伊勢に進行。
兵糧無くてアボーン
292 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 01:53
ナンデトチュウゼンブショウリャクデスカ
293 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 02:00
タタカレルカラデス
294 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 02:09
295 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 02:09
どんなゲーム?スレと関係ある?
296 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 02:11
長島の一向宗が滅ぼされる時武田が動けば良かったのに・・・
297 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 08:38
武田が負けたっていうより、信長が勝ったっていうほう正確じゃねえ
信長=天才
武田=普通の大名
298 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 09:26
倍の兵力がいりゃ普通に勝てるでよ。天才でなくてもな。
299 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 12:10
父 信玄が攻略できなかった高天神城
勝頼が攻略に成功 これは評価できるな。
結局、奥平が寝返った時点で武田の滅亡が定まっていた、ということですな
301 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 19:00
結局信玄の遠征が失敗した時点で滅亡は決まっていた、ということですな。
結局、信繁と義信が死んだ時点で武田の滅亡は決まっていた、ということですな。
303 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 19:06
信繁と義信が生きていたって・・・
信玄が十人いれば天下も統一できたのに…
305 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 19:09
義信は親今川・反織田の筆頭だったから、滅亡が早くなっただけっぽい。
ま、信玄がもっと早く死んで親織田路線のままでいくか、
あるいは2〜3年長生きして徳川家康ぐらい潰してから死ぬか
というのが生き残りの可能性として高いね。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 20:30
徳川つぶしてれば、浅井朝倉もつぶされないから織田の負けでしょ。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/20 04:33
信玄が死ねばどちらにしろ軍事行動がしばらく停滞するので、
浅井朝倉は潰れるだろうな。
308 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/20 19:38
>>307 徳川をつぶせば武田への防護壁が無くなるわけだから、
織田も浅井朝倉に兵を集められんでしょ。
309 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/20 20:52
織田、徳川方勝利の最大の要因は、「鉄砲の大量密集運用」と呼ばれている。
でも確かに鉄砲3000丁は嘘みたいだね。
実際は当時の信長の経済力を考えてもせいぜい1000丁。
けれどはっきりいってこれで十分だった。
何故か?
武田方を壊滅したのは「大量の銃弾」ではなく、
「大量の鉄砲による轟音」が原因だったからだ。
おそらく信長は1000丁もの轟音をもってすれば、
馬が暴れ出して、武田騎兵を混乱状態にもっていく自信があったのだろう。
そしてあとは敵に倍する兵力で圧する。
日本合戦史上、前例が300年ほど前に一つある・・・・・・・
それは、類似する火薬玉による轟音によって大混乱し、
大苦戦を強いられた
鎌倉幕府とモンゴルとの戦い「文永・弘安の役」である。
逆説ネタかよ
井沢は電波だぞ
311 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/20 23:02
312 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/20 23:07
基本的に
>>275の言う通りなんだが、
何で武田勢はそんな無茶な突撃をしたのかが謎だな。
説として
1 若い勝頼が老臣の反対を押し切って無謀にも突撃した。
2 信長、家康がいたので討ち取って一気に戦局を挽回したかった。
3 鳶の巣砦陥落のため、とにかく突撃するしかなかつた。
などの説があるね。
勝頼の評価が低いのは長篠の戦だけでなく
まともな戦いもせず武田が滅亡したのが決定的だと思う
>>312
長篠の前に信長が何度も戦いを回避したので今度こそというのはあっただろうね
「腰抜け」と過小評価してたかも
314 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 01:40
>>309 武田軍でも鉄砲は何十年も前から使われていたのに、んな事起こるわけ
ねえだろボケ。
ということだな。釣りにレスしてしまったのかもしれんが。
>>313 勝頼に限らず、劣勢の大名が攻勢を受けると国人領主がたちまち離反
というのは珍しい現象ではないけどな・・・
>>313 家康も主力決戦を極力回避していたわけで、長篠は千載一遇の好機
だった。国人領主を服従させていくためにも、陣代と蔑まれる自身
の家中での求心力を高めるためにも、撤退というシナリオはあり得
なかったはず。
撤退すれば国人領主の離反はいっそう加速するだけ。
ループ厨ウザイ(´・ω・`)
317 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 02:01
撤退は当然選択肢の一つだっただろうが、仮に次の機会に勝頼が
2万5000揃えたとしても、その時にゃ信長が5万集めるだけ。
信長の方が圧倒的な国力を持っているのだから、勝頼がうまく隙を
ついて攻勢に出たとしても、信長は守りを固めて耐え忍び、自分に
都合の良い状況で圧倒的兵力を出せば、いつでも勝てる状況にある。
勝頼は、不利だろうがなんだろうが勝ちを積み重ねる方法を
模索するしかなかったわけだ。
>>317 家康がどれだけ持ち堪えられるかという点はあるけどね。
長篠の時点で家康はかなり危機的だったわけだし。
319 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 04:11
やはり鳥居強衛門の様な忠臣を持ってたからだでよ
320 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 11:12
岩村城の秋山を西に進ませて城を囲ませたら?
そうすりゃ織田は本拠地が攻められるわけだから
そっちに援軍だすでしょ。
そのうちに勝頼は長篠城を落とす・・・
大動因して城一つじゃ+−、−だろうけどさ。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 13:59
長島攻めに10万の大軍を動員した信長からすれば、
秋山が何千の兵力で来ようが大して問題にならない・・・
323 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 15:08
長島攻めに十万?うっそでぇ!
324 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 15:12
春秋の筆法って言葉もあるが、信長軍の動員力なら可能性もあるしな。
325 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 15:17
可能性あるけど地方に散ってるか現実的には無理でしょ。
327 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 18:21
現実的には無理っと
じゃあどのくらいなんだろ?
328 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 18:22
なにしろ伊賀占領のためだけに6万の大軍を投入する信長だからな。
信長(゚д゚;)コワー
>>328 あれはバカ殿・信雄坊ちゃまが内緒で攻め込み、大惨敗を喫してパパの威光
に傷をつけたからでないの?。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 19:30
332 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 20:41
武田四名臣の責任。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 22:29
334 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 23:42
四名臣に非は無いだろ。
被告席に座るのは時代じゃないか?
336 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 23:48
>>325 >>326 長島には10万ぐらい動員したよ。他に雑賀攻めとかでも10万とか
やってるね。
どちらにしろ数千の留守番がいりゃ秋山が能動的に動くこたできないが。
>>334 勝頼が独断で開戦できるわけがないんだが。
337 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/21 23:55
やはり信玄の寿命が
338 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 00:03
>>336 開戦とは長篠城攻めたこと?
後長島に十万動因した小説はなに(w
あといつの時代の長島攻め?
シゲヲ、シゲヲ、うざい
341 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 00:14
シゲヲ?
342 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 00:20
あ、おれ336じゃなくて338だった・・・
天正二年の長島攻めは、羽柴・明智を除くほぼ全軍が動員され、
その兵力は谷口克広氏によれば7万にもなったという・・・
これだけ余力のある信長相手に、勝頼じゃどう逆立ちしても勝てないな。
344 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 00:37
長篠は三河への出入り口。
裏切る可能性のある奥平より、
弟の仁科あたりを城主にしとけば良かったかも。
w
せめて事の経過ぐらい調べてから書け、
>>344
346 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 00:42
まあ十万は無いよな・・・
最前線に弟を置くわけにはいかないでしょ。
前線の司令官なら有り得るけどね
長篠城主は菅沼氏ですが何か?
349 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 00:45
信玄生きてる時は、
上野方面が内藤。
北信のが高坂。
南が馬場。
駿河が山県だっけか・・・
350 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 00:48
山県=駿河江尻
馬場=松本平
高坂=善光寺平
秋山=伊那谷
内藤=西上野中央部
真田=信濃小県郡・上野草津郡
小幡=上野甘楽郡
小山田=甲斐都留郡
信豊=信濃佐久群
351 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 00:58
長篠の戦いが無くても武田は滅んだでしょうね・・・
長篠の戦いで勝っても(撃退する程度)武田は滅んだでしょうね・・・
菅沼にしても奥平にしても国人だから、先祖伝来の地を守るために
綱渡りしてる訳よ。
転封命じたら間違いなく謀叛起こすだろうな。
だな
そんな身勝手に付き合う必要も無い
>>352 奥平は長篠に封じられただけで、先祖伝来の地ではないよね。
謀叛を起こそうにも武田に寝返るわけにもいかんし、親父(貞能)は人質同然
に徳川に身柄を拘束されていたわけだから。
>>344 武田は大抵、従属した国人連中を先方衆にしとるよね。
国人が転封される例は結構あるけどな。
例えば武田家なら深志城を拠点にするために坂西氏を転封したとか。
>>354 妻も子供も捨てて武田から寝返った男にとって、親父がどれほどの
意味があろうかw
まあ親父がどうでもよくても、ここまでやって武田家に戻るなんて
できるわけもないが。
357 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/26 19:01
問題は武田が裏切る原因を作ったってことだな。
( ´,_ゝ`)プッ
359 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/26 20:02
信長は調略の名手だから武田家は内部分裂しそうにさせて、
勝頼はそれを防ぐためには家中統一のため攻めまくってたって事でしょ?
そうすりゃ、武田家の国力は消耗するし、どうせ、攻められるのは徳川領。
織田家の被害はそんなになし。そういう風に流れるように調略していたんだろうし。
勝頼は信長にさんざん引きずりまわされた揚げ句、設楽原に引っ張り出され、
叩き潰されたってことでないのかね?
信玄死後、誰が後を継いでも手詰まりの状態で勝頼が継いだ訳で。
勝頼が武田家継承→滅亡へ向けて一直線!!
てなことか。わからんけど。
360 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/26 20:04
初代スレ立てた人です。
前スレでも言ったけど武田には乾坤一擲の決戦をする必要があった。
ご存じの通り織田は商業によって、武田は農業によって支えられている(簡単に言えば)
その為武田は生産力を高くするには領土を拡張するしかなく、時間が経過すればするほど不利になる。
三方ヶ原では3万の軍勢を集めることが出来ていた。
3年程後のことだから状況は変わっていた(やっぱ越後辺りも気になった)とも考えられるけど真の狙いは織田を誘き出すためだと思う。
1万5000がギリギリなのかな?
長篠城も小城だし簡単に落とせそうだったがこれも誘き出すため。
自分の憶測だけど忠次さんの奇襲は勝頼にとって分かってたことだと思う。
だけど砦に兵力を廻せば主力同士の対決でますます不利になる。だから見捨てた。真相はこんな感じと思う。
とまぁこんな感じで武田は不利な状況で戦ったが奮戦し、連合軍1000ぐらいを討った。
然し信長もミスらずに戦った。
敗因は小手先(?)の合戦よりも以前の方(政策)にあると思う。
やはり武田の所領が東過ぎ、お隣が強かった。そして勝頼の家督相続のギクシャクが出遅れになったかもしれない。
長篠で勝ってればね
形勢もだいぶ違ったでしょう
あの時に勝つ可能性は少しもなかったのですかね?
362 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/26 23:27
ない、と断言してみる。
長篠で織田軍を退却に追い込めたとしても、最終的にはジリ貧滅亡という
シナリオは変わらない。信長を討ち取れない限りは。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 00:17
ない、と断言していいだろう。
365 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 00:24
勝つ可能性=信長が別働隊を思いつかない
366 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 00:40
>>365 長篠城をサッサと攻略…苦しいか、それでも。
367 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 00:43
勝頼、やはり家康と決戦したかったのか、三河に入ってからも
吉田城の家康を挑発したりして随分無駄にしたからな。
さっさと落とすことに専念してたら長篠は落とせたかも。
368 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 00:54
鉄砲の威力も知らないわけじゃなく
敵の兵数も倍近い
勝頼も配下の将も百戦練磨。
武田方は特に策もなく惨敗。
一体何があったんだろうか。
369 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 01:03
「戦略的撤退」は基本的に後で勝てるだけの態勢が整えられる
という見込みがあってこそ成り立つもの。
勝頼にとって、家康相手ならまだしも、信長相手には残念ながら
そんな見込みが全く立たない。
どんな機会での決戦になるのであれ、勝頼は自軍不利の状況でしか
信長とは決戦させてもらえない。
よって、勝頼にとって取り得る策は限られてくる。
信長が出てくる度に後退を余儀なくされてのジリ貧滅亡か。
不利な決戦しか有り得ないのならここで伸るか反るかの勝負をするか。
家康と信長を一度に討ち取ろうというのもかなり虫がいい作戦の
ように思われるが…。
371 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 01:09
信長が西で三好と戦ってる間に三河を削って少しでも国力を上げる
のが当初の目標でしょ。あわよくば家康と決戦ってとこまでは
考えていたかもしれないが。
信長が早々に戻ってきたのでさあ大変。
長篠のが落ちれば信長撤退 家康断念なのに
それを繰り返して織田徳川同盟消滅
これが一番いいかと
373 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 17:48
諏訪の人間に忠誠は誓えぬ!
甲斐武士の意地にござる。
ここがそれがしの死に場所!みなの者着いて参れ!
374 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 19:05
勝頼が目指すのは上洛ではなく保身だったら評価もかわってただろうに・・・
問答無用で叩かれそうだがw
376 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 20:11
攻めてきたら領地で1戦すればよろし。
中山道から攻めてきてくれたらしめたもの。
377 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 02:07
>>373 国人領主なぞ強い者に従って生き延びるだけの連中ばかり。
勝頼は最後次々に叛かれたが、あれは“勝頼だから”ではなく
“織田との戦力差が歴然だから”だね。
>>376 優勢な奴に領地深く攻め込まれたら部下が次々寝返って滅びます。
自分が優性なら「戦略的撤退」含め選択肢は多いがね。
信忠が攻めた伊那口って中山道とはズレとるん?
379 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 02:44
岩村から飯田の方に出る街道で、東山道とは違います。
380 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 09:20
>>377 武田の領地は広いです。史実のように後ろから北条に攻められ
なければ信のは山が多いので基礎が勝頼を翻弄したように撃退
すればよろし。
勝頼が人格的に駄目だったんじゃねぇ?
ボンボンのごろつき2世で、しかも妾の子じゃな。
ちなみに、今でも松本・諏訪の人間は世知辛くて、長野ん中でも嫌われてる。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 15:27
>>381 妾の子?
>ちなみに、今でも松本・諏訪の人間は世知辛くて、長野ん中でも嫌われてる
だから再評価してあげようぜ。
383 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 15:44
>>381 >ちなみに、今でも松本・諏訪の人間は世知辛くて、長野ん中でも嫌われてる
山梨のほうではどうなの、評価はあんまり上がってないようだけど。
384 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 18:54
>>381 善光寺平の連中の方が評判悪いわ!
やつら寺にへばりついて生活してきたから辛気臭いんだよ。
>>381 「妾の子だから…」を理由にしていたら戦国の世は語れません。
むしろ妾の子の方が多いんじゃないの。
386 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 20:00
今の世でもカリスマ初代の後を継ぐのって大変なのに
あの時代、すんなり受け継ぐてのはとっても大変なことだったろうね
>>386 勝頼の武田家中での立場は、信玄の嫡孫・信勝が成人するまでの「陣代」に
過ぎなかったわけで、諏訪出身のよそ者という点を考え合わせても、大名
と言うには最初からかなりのハンデを背負っていたんだよね。
にもかかわらず、信玄の死後、あの国人勢力の寄合所帯のような武田家を、
あの広大な領土を実に9年間も保ち続けることができたという点に、勝頼
の非凡さを見出したいのだが。
勝頼 = 優れた武将
信玄 = 天才
信長 = 神
禿鼠>きんか頭>神>天才>優れた武将
ってこと?
>>388 的を得たご意見。
でも、信長=神になろうとした人、じゃないの??。
ちなみに大河『秀吉』での渡信長は「神が死ぬか!」と言って自決した
んだけどw
信玄を狙撃したのは漏れですが何か?
当たった弾は俺だ
393 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 03:16
>>387 勝頼が「陣代」に過ぎないという話は、甲陽軍鑑と胡散臭い手紙が一通
あるぐらいで、ろくな根拠の無い話。
勝頼の発給文書など調べれはちゃんと君主として活動してます。
甲陽軍艦は恨み節が随所に混じっているからな。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 03:21
>甲陽軍鑑と胡散臭い手紙
これでは信憑性が低いな。
『甲陽軍鑑』だね、失敬。
397 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 03:23
川中島の義信突出も義信が自害に至る伏線として作られた話?
川中島は、例の啄木鳥戦法含めて創作って説濃厚
ただ、だからといって実際はどうだったかは誰も分からない
400 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 13:23
まあ、とにかく武田方の炊煙を見て謙信が出陣を見切ったなんて馬鹿げてるよな。
謙信でそこ気付くなら、信玄が気付かずそんな事してたなんてナンセンスだろ。
>>400 それは後になってからだから言えることで、
当時それに気づいていなかったとしても仕方ない。
バブルの最中は誰もが土地の値段が上がると信じていたが、
(今となってはナンセンスだが)、
これがおかしいと言った人間が何人いる?
いたとしても、まわりの多数派を説得できるか?
まあ普通に考えたら武田の別働隊の動きを偵察やら間諜やらで知った、てとこでしょうね。
炊事の煙がどうとかってそんな話は中国やらなんやらにもいっぱいあるわけだし後世のこじつけでしょうね。
403 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 17:45
おい、おまいら
お屋形様がタイーホされますた
上杉の間諜部隊ってだいぶ有能だったらしいっす
405 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 22:28
裏かいて、
待ち構えてる武田本隊へ全軍挙げて突撃する。
でも越軍と武田本隊はそんなに兵数も変わらないんでしょ?
別働隊防いでる間に本隊を壊滅するのも
賭けとしては難しいと思うんだけど。
406 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 22:36
ちょっと待て。
ここは長篠のスレじゃないか。
407 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 00:42
なるほど正論だ。
しかし。
空 気 嫁
409 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 08:20
>>385 いや基本的には正室の子が後継者です。
正室の男子が居ないか、もしくは居ても不具などで家督を継げない場合に側室の子が後継者になります。
武田勝頼の場合は誰もが後継者と思っていた義信の唐突な廃嫡という事情と
勝頼が諏訪家の跡取りと思われていた事が問題だなあ。
410 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 08:48
411 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 08:49
412 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 09:13
>>1 「長篠合戦 武田の敗因」というスレタイトル自体どうかな?
戦術的には負けて当たり前の戦いなんだしさ。
むしろ、何故、このような必敗の戦いをしなくてはいけないという課程の考察の方が面白い。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 09:45
>>410 盲目の次男って「龍芳」のことでしょ。
確か龍芳は還俗して信濃の海野氏に養子に入ったんじゃなかったかな。
でも、武田氏滅亡の際に自害した。
勝頼タンは、こんな人生の可能性もあったんじゃないかな
武田家崩壊のとき上杉を頼る 上杉の客将になる
本能寺の変 穴山の死を知り1人ほくそえむ勝頼タン
混乱した信濃に勝頼が派遣される
が、味方につける工作が失敗して越後に戻る
秀吉の時代になり、秀吉に召される 信濃二万石を与えられる
朝鮮出兵で武功をあげる 鬼勝頼と呼ばれる
秀吉の死 家康が上杉討伐に向かう
この時、信勝と相談して勝頼が豊臣側、信勝が徳川側と分かれる
勝頼「どちらが勝っても武田の名は残るか」
関が原で勝頼敗走
家康に許されて信勝のもとに身を寄せる
信勝は信濃3万石を与えられる
後年は土地の開墾、治水を整備する 領民に慕われる
和歌、漢詩をたしなむ 「定説武田家」を著す
享年75歳
「懐かしむ 武田の旗も 通りすぐ 露過ぎ去りし 甲斐の跡地へ」
418 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 16:01
勝頼、聞こえていたら君の生まれの不幸を呪うがいい
君の父上がいけないのだよ
なんか、武田家はゴッド・ファーザーみたいに、
貧者の哀しい成り上がり物語って感じがしてきた
信玄が死ぬ瞬間は君島一郎とかと同じ心境だったろ
421 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 16:50
>417
>穴山の死を知りほくそえむ
ワラタ
でもとりあえず勝頼が臣従するってのが想像できないW
422 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 16:56
すべて晴信君が悪い
>>417 穴山の死を知り1人ほくそえむ勝頼タンは
「坊やだからさ」
と呟きながら杯を傾けていた。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 18:53
>>412 360 :無名武将@お腹せっぷく :03/06/26 20:04
初代スレ立てた人です。
前スレでも言ったけど武田には乾坤一擲の決戦をする必要があった。
ご存じの通り織田は商業によって、武田は農業によって支えられている(簡単に言えば)
その為武田は生産力を高くするには領土を拡張するしかなく、時間が経過すればするほど不利になる。
三方ヶ原では3万の軍勢を集めることが出来ていた。
3年程後のことだから状況は変わっていた(やっぱ越後辺りも気になった)とも考えられるけど真の狙いは織田を誘き出すためだと思う。
1万5000がギリギリなのかな?
長篠城も小城だし簡単に落とせそうだったがこれも誘き出すため。
自分の憶測だけど忠次さんの奇襲は勝頼にとって分かってたことだと思う。
だけど砦に兵力を廻せば主力同士の対決でますます不利になる。だから見捨てた。真相はこんな感じと思う。
とまぁこんな感じで武田は不利な状況で戦ったが奮戦し、連合軍1000ぐらいを討った。
然し信長もミスらずに戦った。
敗因は小手先(?)の合戦よりも以前の方(政策)にあると思う。
やはり武田の所領が東過ぎ、お隣が強かった。そして勝頼の家督相続のギクシャクが出遅れになったかもしれない。
とあるね。
425 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 19:03
426 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 19:10
>>419 おまけにそのセリフの似合う香具師もいない。。。
427 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 19:11
>>425 漏れもニュース見てビックラこいたぞ!
>>417 面白いですな、
武田の家名とプライドが邪魔をするだろうが、
仮定としては面白い。
430 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 22:17
晴信君=晴信+信君
少し変更してみました
武田家崩壊のとき上杉を頼る 上杉の客将になる
本能寺の変 穴山の死を知り1人ほくそえむ勝頼タン
混乱した信濃に派遣される 海津城城主となる
北条討伐 上杉の指揮下で活躍する
北条降伏 氏政の死を知り1人ほくそえむ勝頼タン
上杉家臣から豊臣直臣となる 秀吉死す
徳川が上杉討伐の時、信勝と相談して勝頼は石田側、信勝は徳川側になる
勝頼「どちらが勝っても武田の名は残るか・・・・・」
関が原の戦い 勝頼敗走 家康に許されて信勝のもとに身を寄せる
信勝は諏訪3万石を与えられる 勝頼は隠居し「道糞」と号す
後年は土地開墾、治水整備と領民に慕われる
漢詩、和歌を嗜み 「武田家譜長」を著す
享年75歳 辞世の句
「懐かしむ 武田の旗も 通りすぐ 露過ぎ去りし 甲斐の跡地へ」
勝頼の死を惜しみ諏訪では毎年7月1日に勝頼祭りが行われます
432 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 22:40
真田のもとに逃れてれば431の可能性あったかもな。
しかし本能寺の変がおこらずに、上杉ごと滅亡すると
思うが・・・
433 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 22:41
>>471 大久保長安の弟子になって長安の死後流罪ってのはどう?
434 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 22:42
氏真でさえ、生き残れたんだからな。
彼もうまく立ち回れれば良かったんだけど...
436 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:05
氏真だだから生き残れたってのもあるけどな。
少なくとも親の仇の前で蹴鞠をみせるなんてことは
勝頼にはできないだろ。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:07
劉禅、氏真は保身術にかけては最強
武田家崩壊のとき大久保長安を頼る
勝頼は名を大久保勝長と改めて再起の時を待つ
しかし、出世欲にかられた長安が勝頼を信長に渡す
勝頼「おのれ長安末代まで祟ってやる」と言い残し 勝頼切腹
信長は長安の才を認め、生野銀山の管理をさせる
信長の直臣として本能寺に移動
光秀に討たれて、ア〜ボン
旧武田家臣団を大量に吸収した徳川家にとっては勝頼の扱いはちと困るというか微妙っぽい。
六角は信長に敗れた後
武田を頼り 秀吉の時代、秀吉に使えている
上手く生き延びてるな わりとこういう人は多い
勝頼の妹が上杉景勝の嫁さんだから、
上杉頼るってのも全くないわでもないかも。
442 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 19:00
>>441 しかし女子供をつれて山道を行くのは辛いだろう。
だから真田のもとではなくお山だのところにいったんだろうし。
443 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 19:25
>>442 まず武田のすべての基盤は甲斐にあり、甲斐を出るのは武田の滅亡にも等しかったんだよ。
ましてや武田は甲斐の誇り高き名家だしな。
そして、真田が小山田と同じ尊をしない保証はどこにもなかったよな。
真田なんて信玄の代になって従った信濃の豪族にすぎないし。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 19:33
>>443 それはわかるが・・・
信濃ならば織田と徳川北条を一つにまとめることができ、
軍もまとまらず仲間割れが起きたかもしれない。
445 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 20:37
>>437 計算づくではなく、
天然ボケだと思うが。
446 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 20:55
>>444 真田は織田、北条とメールのやり取りをしてたから、
勝頼が来たら突き出されるだけだと思うが。
あの状況で真田を信用して頼れる香具師はいないだろうよ。
448 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:08
信長が馬場信春の首を見て、
あっぱれと褒めたのは馬場の戦場での働きぶりが
見事だったからですかね?
真田を頼ろうとした、って事実だっけ?
昌幸が自分の城なら織田軍をかなりの時間防げるから、
そこで状況の変化を待とう、と進言したんじゃなかったかな。
勝頼はその言に頷いたが、小山田も同じことを進言してきた。
結局、武田との友好関係が長い小山田を勝頼は信用してしまったわけだ。
北条への道中に小山田の領地(岩殿ね)があっただけ、と聞いたけど?
452 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 23:28
降伏した小山田をバッサリ斬るところが
信長の凄いところだね。
話題がループしてるね。
小山田が斬られたのは降伏したにも関わらず勝頼をわざと見逃したから。
とどっかで出てたな。
昌幸は自分の城へどうぞといいつつ、
用意のためとか言っていち早く勝頼一行から離脱。
その前あたりから信長と連絡とってたから、
自分とこ来たら仕込んどいた刺客で、
勝頼の首とって信長から領土安堵って筋ってのが真相。
455 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 23:45
>454
そんなことしたら、
昌幸は信長に首はねられるんじゃないのか?
信長が諏訪に来たときに昌幸は馬を贈っている。
で、信長は昌幸に礼状を送っている。
信長は畿内とか問題あったから、
恭順してくれる武将は、ひとまず厚遇していた。
若い頃なら切っていたかもしんないが。
457 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 02:08
>>443 それを言ったら武田家は一度は甲斐を失いながら復活を遂げた
過去があるわけだが。単純に逃げ切れなかっただけだろう。
>>451 すでに駿東への侵攻を開始していた北条家を頼ろうと思うわけないよ。
天目山を越えて北に逃げて佐久に入り、信豊と合流した上でさらに
越後を目指すつもりだったんじゃないか。
>>456 逆だと思う。若い頃の信長なら、嫌々ながらでも許しただろうね。
で、余裕が出てきたら、林を追放した時みたいに何十年も前の話を
蒸し返すw
>>444
真田は信用できないかと
>>453
小山田は勝頼を見逃したから切られた
知らなかった 小山田はそんな理由だったのか
小山田以外で殺された奴は、武田家以外にいますか
459 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 03:54
小山田信茂に特別な理由があって斬られたわけじゃない。
甲斐にいて信長につかまった武田の旧臣は全部斬られてる。
穴山梅雪は降った相手が家康で命拾いしたな。
>>453 そうだったんだ....てっきり小山田って勝頼、裏切ったから殺された思って
たよ。やっぱり武田の立派な忠君だったんだね。ちょっと見直した。
>>459 逍遙軒は府中で斬られ、信豊は下曾根覚雲斎により謀殺。龍宝も自害して
いる。
信長による武田の残党狩りは執拗を極めたようで、本能寺の変後に一揆が
起こったほど。
>>458 WEB上で見付けた信長公記によると、
一条右衛門大輔、清野美作守、朝比奈摂津守、諏訪越中守、武田上総介、
今福筑前守、小山田出羽守、正用軒、山懸三郎兵衛子、隆宝らだそうですよ。
一条右衛門大輔は信玄の弟で、右衛門大夫を称した一条信龍、
正用軒は、逍遥軒と号した信玄の弟・武田信廉。
隆宝は、信玄の次男・竜宝でしょうかね。
武田で上総介を称したのは、信玄の弟・信基くらいですよね。
山懸三郎兵衛の子は、昌景の子。誰?w
今福筑前守は、今福浄閑斎の二男。
諏訪越中は、頼忠の兄・頼豊。
朝比奈は信置でいいのかな。信置は駿河守らしいんだけど。
清野は、高坂の苗字と村上の家老などに見られますね。
>>462 龍宝は海野家の名跡を継ぎ、海野二郎信親と名乗っており、彼自身は
武田家滅亡の際に自刃したが、子孫は江戸幕府にあって高家に取り立
てられている。
また、七男・信清は上杉景勝に匿われ、こちらの子孫も現存している
らしい。
464 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 08:14
>>457 武田が前に甲斐を失った時とは状況が違うからね。
それにその時も天目山で滅んでるわけで勝頼が天目山へ行こうとしたのは武田復活の願かけとも言われてる。
>>453 >>460 その話しはまだ確定してないよ。小山田マンセーの大月市の研究者の説でもあるしね。
それに仮に見逃したとしても、イコール「忠臣」「裏切らなかった」とも言えないわけで、
「見逃した」「情けをかけた」程度じゃないかな。
465 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 08:25
まず上杉のとこまで逃げるのが難しい。
信濃の武将や民は甲斐以上に信用できないから極めて危険。
それに勝頼は新府城を出る時、城内に居た千人の人質の忠・不忠を調べ、
うち不忠と判定された九百人の人質を虐殺したので、信濃への逃避は考えてなかったろう。
まず木曾の母と妹は城門まで引きずり出され逆さハリツケ、
残りの人質は人質曲輪に追い込んで枯れ草を積んで焼き殺したという。
もはやヤケクソになっていて生き残りとすか考えてなかったろう。
血の誼で北条にまず逃れ、さらに越後に梯子、後々秀吉、
ってなら可能性がありそうだけどなぁ。
それでも、関ヶ原で西軍について再興した家をまた潰しそうだけどねw
468 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 13:07
>>467 北条は織田・徳川と組んで武田を攻めてるんですけど・・・
弟の上杉景虎を殺されてるしさ・・・
いや、そんなこと知ってるよw
でも、戦国期だとそんなに変じゃないと思うけどな。
長年争ってた相手へ急に降伏したり、
第三者に滅ぼされてそれまで敵対してた相手に逃げ込んだとか、ね。
景虎の件は次弟たちに主原因があるっしょ。
470 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 13:41
極論、勝頼の人心掌握術に問題があったのではなかろうか?
仕事の能力はあるが、他人から好かれない上司っているだろ
丁度あれと同じような気がする、我侭で自己中で愛嬌がない、と。
家臣を捨て駒程度にしか考えてなかったのでは?薄情者だったんだろうと思う
穴山が裏切った(というより見限った?)時期だって長篠の戦いの後という
事実から判断すると、もうあの時点で徳川に寝返るしか武田を残す方法は無い
とジャッジしたのではないか?
また、穴山だけならその非はこいつだけに
転嫁できるが、木曽が初めに裏切ってる時点で最悪なのは木曽なんじゃないのかあ??
責任度:勝頼>>>木曽>>>穴山>>>小山田では?
471 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 14:09
長篠の敗因?そりゃ兵力差でしょ。
1万5千で3万の相手に策もなしに突っ込んでいったら
そりゃ負けるに決まってる。
しかも相手は攻めてくるのを見越して万全の対策してたんじゃね。
無謀というものです。
472 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 14:13
そう、勝頼は家臣団を捨て駒としか思ってなかったからこそ
そういう無謀を平気で命令できる薄情者・冷血漢
まるで戦国時代のブッシュみたいな香具師だ
諏訪に逃げれば良かったんじゃね、勝頼。
地元なんだし。
北信濃は、鉱山送りとか女が強姦されたりしてっから、
反武田勢力強いから、そこ通って越後行くのは無理だが。
>>470 借り物の話になるが、
木曾が寝返ったのも、勝頼が高天神城を見殺しにしたからだものな。
>>473 虎に食われに行ってどうするよw
ネタなのか、電波なのか…
475 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 16:07
穴山信君が勝頼の妹?を嫁にくれと言った事があったそうだが
益々、信君に権力を握られるのを恐れた?勝頼が
それを断ったので、信君は仕方なく信玄の娘と結婚した
みたいな話を聞いた事があるのだが誰か詳細を知ってる人いるかい?
これが本当だとすると、この事実も信君と勝頼のミゾを
決定的に深くした重大要素であるとオモワレ
476 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 16:33
そもそも信玄存命の折りから信長に負けると決まっていた。
地の利もあろうが余りにも鉄砲で出遅れた。いや富国政策だ。
それを騎馬軍団を信仰の対象にすることで慰めてはいたが
義信廃嫡するにあたって家臣の結束が乱れて尚、自分の余命も
気付きながら己のカリスマ性に頼り上洛の野望に負けた。
そんな信玄に重臣達は夢を見、軽んじられていると悟った勝頼は
父以上に戦勝する事で信頼を勝ち取るしかなかったんではないか。
哀れやわ。そんな事は創業2代目の立場にある奴にしか解らんよ。
重臣共も残らず討ち死にを覚悟しそれに従ったのは、勝頼の苦悩に
気付いたからではないか。遅すぎた。遅いのは無能以下だ。
そもそも、”御旗・楯無に云々”、の言う仕組みはそれに頼る必要が
あった為で、穴山、小山田の外交権すら封じ込める事も出来ず
当然、兵農分離すら進める事ができなかったカリスマ・信玄は所詮、
秀吉曰くの”侍大将レベル”だったんじゃないか。
戦は戦場へ赴く前に勝敗は決まっている。采を持たせりゃ信玄は最高級
だろうが、それだけでは成らぬ時代になっていた事に気付かないでいた。
そんな見かけだけの偉大な父を持った勝頼は、武将を全うしただけ立派やわ。
だいたい、主君に忠誠を尽くす武士道なんて江戸時代のもんで、
戦国時代の国人衆なんて、どこも我が儘放題。
信玄は勝ち続けて領土やら金塊とかを与えられてたから、
求心力があっただけ。
そういう家臣団を引き継いだ勝頼も、戦い続けるしかなかった。
わけだな。
478 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 17:58
秋山駿という批評家が長篠で勝頼が突っ込んできた理由を
徳川が内応を約束してて、期待してたからというんだが、
このオッサン、武田が攻めたのは徳川の領土と知って言ってんのかね。
479 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 17:59
動員兵力の差。
480 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:12
>>476 あまりにくだらないネタだから誰もつっこんでないな(w
481 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:17
>>471 最近では双方、その半分程度の兵力ではなかったかという説の方が有力だけどね。
どっちにしろ野戦陣地を作り数倍の兵力で待ちかまえる軍勢に対して突進するのは無謀。
鉄砲についてもいろいろ言われてはいるけど、史書の記述でも暴威を奮ったのはまぎれもなく事実らしいね。
482 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:18
何十回目のループだろうね。
483 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:22
>>474 高天神城の件がどうこうでなくてもいずれは木曾は裏切ってたろう。
484 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:25
岩村城救出に間に合わなかったのはいたいよな。
東美濃随一の堅城と秋山信友を失ったのはいたい・・・
485 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:28
>>484 間に合わなかったという問題ではないと思われ。
それよりも秋山たちをさっさと退かせた方が良かったのでは?
486 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:31
>>485 しかし信長本国の一部を武田が取ってることは政治的にも
大きいだろうし、信長軍は力攻めにてこずり結局兵糧攻め
を行っている。
兵糧がつきての落城だから、援軍をもう少し早く出して、
包囲を解かせればよかったと思うがな〜。
岩村城は力攻めでは用意に落ちない城なんだから。
487 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 19:01
しかしさあ、本拠からの近さや地力の差からいって岩村城を保持し続けるのは無理だろう。
488 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 19:20
>>486 援軍を出して包囲を解かせるだけでなく兵糧も入れないと意味がない。
状況から言って岩村城近辺の領地なんて兵糧供給源にもならなかったろ。
489 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 20:38
岩村を救援しようと出兵して途中で待ち伏せされたら長篠と同じ
運命かもしれん
490 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 21:04
>>489 長篠の戦と決定的にちがうのは、岩村城を敵の背後につけ、
長篠城が武田の背後にないこと。
これは決定的に大きいと思われ。
岩村城を橋頭堡と考えたいのは判るが、
西に突き出すぎているから、どんな名君でも維持は難しかっただろうね。
>>490 その通りなんだけど、長篠より前に進んだ勝頼の考えを今以って納得できぬ
492 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:10
なんにせよ、救援できないのは救援できないなりの理由があったからで
上杉の魚津城同様、保持は無理だったでしょ。
493 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:12
信友と勝頼に確執があってわざと見捨てた可能性は?
494 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:12
救援できなかったのは、中山道に雪が残っていた為。
495 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:13
>>493 長篠の戦いのダメージがあるのにわざわざ救援に向かってるから
それは無いでしょ。
なんでも確執に結びつけるのはどうかと思うよ。
>>491 その結果が“長篠の七面鳥撃ち”とは…。
でも、前線からわりと離れた地点で戦死者が多いよね。やはり追撃戦
で討死した武将が多かったわけね。初歩的な確認だけど。
川を挟んでの戦いだったために、鉄砲が有効だっただけっしょ。
無謀に挑んで自滅し、崩れた武田勢を織田方が追撃して撃滅、っと。
ありふれた戦いだよね。規模は大きいけど
498 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:30
無謀に挑んで自滅なのか・・・
敵に追撃されないように本隊を逃しつつの撤退だったのか・・・
499 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 23:01
結局信玄謙信が信だ時点終値・・・
500
501 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 23:15
>>472 武田家で、しかも老臣が勢ぞろいしてる長篠の段階で、勝頼にそんな
強制力はありゃしないよ。
>>476 電波過ぎてコメントのしようがねえな。
>>492 長篠後、どうにかこうにか態勢を整えなおして出陣したが、
この年は峠が早々と雪に埋もれて信濃美濃国境を超えられなかった。
>>496 機関銃でもないのに七面鳥なんざならねえよ。
502 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 00:38
やはりどうしても気にかかる点が、長篠を指揮して実質的に権限を掌握して
大失敗したのは勝頼なのだろうか?という点なんだよね
穴山あたりが実はやりたがっていたという説もあるし、大の反対派で
勝頼までもが突っ込もうとしたのを刀を突きつけて止めたという説もあるし
信玄亡き後なだけにやはり勝頼はお飾りに過ぎなかったのか?
それとも勝頼の大作戦だったんだろうか?
503 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 00:42
長篠の戦をやりたがっていたってのはどの時点なのか気になるところだけどね。
長篠城囲んでて織田が援軍にきた時点でか、砦を奇襲されて
囲まれた時か・・・
504 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 00:45
信君は勝頼の叔父にあたる肉親関係にあったんだから
可愛いいもんだろいくら負けようがさ
実権握れないからって駄々っ子みたいに裏切ってんじゃねーよ
なんだよこのバカ叔父はよ
といっても平将門や源義経の様なケースもあるからつっこめないかw
505 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 00:54
義経みたいなヘタレと一緒にするんじゃない
506 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 00:58
>>503 長篠城を前にしての緊迫した空気はもの凄いものであったろう
その緊迫した空間の中で取り交わされた会話や重臣達の表情、心理的葛藤
を読み解く手がかりがあれば
しかし、それでもやはり推測の域を超ええないのか
百戦錬磨の戦のプロ集団が全員で
単純な大誤算をした契機って一体なんだったんだ?
鉄砲の重要性についても理解は十分あった筈だろうし
507 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:10
血が繋がっているからってだけじゃ安心できない。
朝倉景鏡とかの例もあるしな。
>>506 鉄砲は戦全体から見て大したファクターではないだろうよ。
大軍が陣城を構えている所に攻め込んで勝てる道理が無い。
508 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:19
>>506 恐らく織田襲撃の情報が遅れたんじゃないかと。
急いで城の囲みをといて迎撃体制を引く。
兵の差を地の利の不利も心得ていたでしょう。
しかし背後に敵を抱えている時点で撤退が出来なかったんじゃないかと。
それならば一当てして敵がひるんだところを誰かが殿になって撤退する。
しかし一当てすれど鉄砲の小円で戦況見えず、突撃の繰り返し。
もういいかと思い撤退したら無傷の織田が追撃。
二倍以上の敵におされ長篠城、砦からも襲撃され壊滅・・・
509 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:19
>大軍が陣城を構えている所に攻め込んで勝てる道理が無い。
そんなものに、
武田が真正面から攻撃を仕掛けた理由と過程が全くわからないのが
不思議でみんなそれを知りたいわけで。
510 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:21
>>509 田舎者なので世間の常識が通用しなかった?
この時期の鉄砲って、そんな威力ねんじゃね?
512 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:23
>>510 世間の常識ってのは戦争戦略戦術には入らないでしょ。
513 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:28
>>512 しかし島津の場合九州の兵一人は上方兵十人に値すると信じ、
その根拠に基づいて秀吉に勝ち目のない喧嘩を売ったんだから
武田が同じ判断をした可能性もあるかと。
514 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:28
>>510 勝頼自身が戦後に書いた書状で「相手が陣城に籠ったので敗北した」
と書いている。つうか城攻めを何度と無くやってきた武田軍に
わからないはずがない。
515 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:30
>>513 秀吉からすりゃはるかに弱小であろう紀州惣国一揆ですら簡単には
従わなかったわけで、別に一人で十人に勝てると思って反抗した
わけじゃあるまいよ。
九州統一を目指してあと一歩まで来たのに秀吉に水を差されて
ハイそうですかと言うわけにはいくまい。
516 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:32
>>513 武田も織田もいらみあっていたけど、織田の別働隊の働きによって
武田背後の砦が落とされ、撤退か攻撃か迷った挙句、このまま撤退
しては被害もでるし、織田武田の国力差はますます広がってしまう
から、乾坤一擲の不利な状態で攻撃をえらんだんでしょう。
517 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:33
つーか過去スレ見れないのか・・・
この議論前もやったんだけどなー。
518 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:37
>>516 >>517 長篠の戦闘に関してはそれでも良いのだが、長篠の全体の戦役自体
をはじめてしまった問題が残っているからね
519 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:39
この戦を「着手時期(長篠城に向かう事を決定)」と「待機時期(睨み合い)」
そして、「突撃時期(最終攻撃命令)」の3段階に分けてそれぞれの時期に
最も決定的な発言権を持っていた人物を特定して考慮していくと
長篠の戦いの一連を武田サイドでプロデュースしていた
人物が浮かびあがるのではないだろうか?
失敗後から勝頼に責任を押し付けたとも考えられるし、あるいは
実際に猛将勝頼自身がプロデュースしたのかもしれないが、
どうも穴山あたりに乗せられた気がしないでもない。
520 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:39
信長は21日には陣城から部隊を繰り出して勝頼を挑発してた。
ただし勝頼もそれなりの陣地を構えて迎撃に徹するつもりだったから
簡単には応じない。
そのうちに鳶巣山攻撃が始まった。
521 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:41
>>518 それはなぜ武田が長篠城を攻撃しに出兵したってこと?
522 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:41
>>518 徳川に後詰する可能性があるのは信長で、その信長が西で三好と
戦ってる間に、奪取された長篠城の奪還を図るのはごく普通の
戦略だろう。「全体の戦役自体をはじめてしまった問題」なんて
あるかい?
523 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:46
>>520 その時点でもう武田の負けはきまっているとは思うけど、
織田は決戦してもしなくてもどっちでも良かったんだろうね。
524 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:46
>>521 >>522 信長が近くに来た時点で睨み合いをする必要がなかったのでは
ないかと。そのまま長篠は放棄して回廊の奥に引きずり込み、
見方の要塞に引き付けて反撃する、という手があったのではと。
ちょうど南北朝時代の脇屋義則の大河原城の戦いのように。
525 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:49
>>523 信長はむしろ、最初は決戦せずに追い返して済ませるつもりだったはず。
>>524 回廊の奥ってどこさ?
526 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:50
>>524 しかしそれでは織田は誘いにのってこない。
それではせっかく大軍を引き連れてきた意味もなく
そうほう撤兵。
これでは武田の出兵の方が損であり国力の差が開く一方で、
織田をおびき出す為にあえて不利な条件で戦を選んだんじゃないの?
527 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:52
国力で絶対的に勝る信長は自分が不利な条件で決戦する必要は全く無い。
自分が有利な時だけ戦って確実に勝っていけば必ず武田家を滅ぼせる。
信長にゃそのぐらいの判断力はあるだろうね。
528 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:53
逆に国力で絶対的に劣る勝頼は状況を選べる立場に無い。
信長と戦えるのであればとにかく戦って勝つ。
その積み重ね以外に逆転の方法は無い。
529 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:54
>>525 例えば大島城とか。脇屋義則の場合埼玉北部で挙兵した兵が
鎌倉の足利勢を伊那谷まで引きずり込んで北の諏訪、南の井伊と
連係し足利勢の補給路などを断ち勝利した。長篠付近の条件も
似たような感じだから出来ないことはなかったと思うが。
530 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:55
結局勝頼のおかれた状況では長篠の戦には勝てない・・・
つうわけで秋山信友を進めさせて、織田を長篠城にこさせなければよかったんだよ。
といってみる。
531 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:57
>>529 信長なら勝頼が退いた土地を着実に領国化していきますw
信長はむしろ本願寺なんかを気にしていたのであって、勝頼が退いたら
自分もさっさと帰るだけだね。
勝頼がそれを実行してても単なる丸損。
532 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:59
>>531 長篠の戦ごろなら武田は常勝部隊だし、引いた土地もそう簡単
に領国かできないと思うけどね。
上杉謙信の関東のようになると思われ。
533 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:02
>>532 大島まで勝頼が撤退したら、三河にゃ寝返り得意な山家三方衆しか
残らんw
家康が無事三河を取り戻してオシマイ。
534 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:02
勝頼初めとした武田軍団は闘わないで逃げていればよかった
そうすれば本能寺の革命が起きてあひゃ!!!
どいつもこいつも焦り過ぎだ
535 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:04
雨が続いてて、決戦の日は不幸にも雨が上がってたという話の真実性は?
柵が出来あがる前とか色々策を練ってる間に、
、鳶巣攻撃によって決戦せざるを得ない
状況に追いこまれたのが敗因でしょうか。
結局織田徳川に戦の主導権を渡してしまったことが。
536 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:04
>>534 ネタだろうけど、武田が滅んでなきゃ本能寺の変もおこらなかっただろ。
537 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:06
>雨が続いてて、決戦の日は不幸にも雨が上がってたという話の真実性は?
『改正三河後風土記』に書いてあるんだったかね。
書かれた時代からすると信用できるようなものでもないが、
旧暦天正3年5月21日は太陽暦で7月8日ぐらいになるから
雨が降った日もあるかもしれないとは言える。
539 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:06
540 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:07
>>535 織田徳川は決戦してもしなくてもよかっただろうからね。
結局被害を最小限にするには逃げるしか無かったでしょう。
しかし、高坂が7000の兵でむかえにきてるからその兵もあれば・・・
541 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:07
>>536 横槍入れてすまんが、なぜだ解説してくれ
542 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:08
>540
高坂が7千?嘘でしょ??
543 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:09
>>541 織田信長は武田を滅ぼし、東の脅威を除いて自らも毛利討伐に向かい、京都に
よった途中に明知にうたれたわけだからね。
544 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:09
>>533 ヘタレの家康だけが相手なら三河ぐらいいつでも取りかえすことが
できる。もし信長が引くようならそのまま長篠奪回戦を再開すれば
良い。織田の大軍を三河、信濃山中に引き付けておくだけでも世間
の情勢は確実に反信長方の有利に展開していくと思われ。
545 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:11
「北への備え」で置いておかれた高坂がそれを放棄して迎えに来たら
むしろ不自然。この年謙信は春日山を動いて無いから、守備を放棄
できるわけがない。
軍装など持って少数で迎えに出たことはあるかもしれないが、
七千は大袈裟だろう。
546 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:13
>>544 信長には信濃くんだりまで追いかけて行く理由が無いんだけどね。
勝頼が退くなら長篠城の後詰という目標を達成できてそれで終わり。
勝頼が引き返してからまた出てくるのは勝手だが、そしたらまた
信長が出て来るだけw
んなこと繰り返してりゃ経済力に劣る勝頼が先に息切れするだけでね。
547 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:18
>>546 織田、武田。個別に見れば経済的には織田の方が有利だが、信長
包囲網全体で見れば織田の方が不利になる。まあ結局武田も、信玄
存命中の朝倉もそういった全般をみて判断はしていないのだろうか
ら、それが敗因ともいえるかもしれない。
548 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:19
549 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:19
>>545 高坂は海津城より長篠に向けて出撃。ガラ空きになった北信濃は、上杉軍
の怒涛の進撃を退けられるはずもなく…長篠以前の問題やんけw
551 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:22
>>547 勝頼のころは浅井朝倉足利六角残党北畠残党も滅んでるし
もっとも重要な婚姻予定だった長島も滅んでるから包囲網
なんてあってなきが如しじゃないか?
552 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:26
新興勢力の織田はまだまだ支配力は弱く勢力圏でもすぐに反乱
が起きる余地は残されている。一向一揆や六角の残党の伊賀、甲賀
もまだ侮れないし、松永なども信長が長期戦に入れば何を仕出かす
かもわからない
1575年の時点では毛利とも上杉とも敵対してないから
包囲も何もあったもんじゃない。
554 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:30
>>552 長期戦に持ち込むつもりなら、一目散に長篠城を陥落させるべきだった
のでは?
556 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:32
>>552 信玄在世のころなら包囲網とも連絡が取れていて長期戦武田有利
だけど1575年ではカッコに撃破されて終わり。
557 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:35
558 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:36
丹波の荻野直正達が戦っている。光秀も、秀吉も長篠に来ている
以上畿内の押さえは無いも同然。信長の戦い方は幾つかの戦線から
兵を引き抜いて主要な戦場に投入して有利な状態を作り、各個撃破
していくことだから主戦場以外は手薄になる。信長の予想に反して
主戦場での戦いが長引けば作戦の変更に迫られる
560 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:38
そのまえに戦いを長引かせることができないでしょ。
又連絡をとってれば兵の分散を行えるけど、連絡の無
いばらばらな動きでは無理。
561 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:39
秀吉は長篠にいたが光秀はいないだろ。
つうか前年の長島攻めで7万だか8万だか言われてるのに、
3万ばかしの動員で手薄になるわけもなし。
>>558 そもそも長引かせないための戦力集中だろうからね。
563 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:49
みんな日本史板へ行ったのだろうか・・・
564 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:59
>>561 直前に本願寺戦で兵を動員しているので大軍を召集できる状態では
無かったので兵力が少ない。三万でも無理して集めてきたらしい。
また丹後で一色と戦闘中の細川などから鉄砲隊を引き抜いている
から各戦線とも守勢に入っている。連戦で召集が多すぎると当然
出兵拒否が多くなり最悪謀反多発の可能性あり、織田はかなり台所
事情が苦しい。とくに播磨方面で毛利方の宇喜多に織田方の浦上が
追い詰められており、滅亡寸前だった。
565 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 03:01
>>564 その前に長篠の戦が長期化するわけがない。
>>564 それ以前に勝頼の方が召集拒否されてるけどねー
たしかに武田側がそもそも長期戦を維持できるだけの
体力があったのか疑問だな。兵農完全未分離だし。
>>564 石山本願寺攻め 1575年 4月 本願寺孤立策 攻戦 野戦・攻城戦 10万 不明 優勢 -
越前一向一揆帰討戦 1575年 8〜9月 越前一揆攻略 攻戦 野戦・攻城戦 10万以上 1万数千 優勢 勝利
三河赴援出兵 1575年 3月 足助城防衛 防戦 籠城戦 不明 2万余 劣勢 -
三河長篠の戦い 1575年 5月 三河防衛 防戦攻撃 籠城戦・野戦 3万5000 2万余 互角 勝利
美濃岩村城攻撃 1575年 6月 東美濃回復 攻戦 攻城戦 3万余 3000余 優勢 -
美濃岩村城攻略 1575年11月 東美濃回復 攻戦 攻城戦 3万余 3000余 優勢 勝利
これ見る限り、同時期に兵けっこう出してるし、
たとえ苦しくても、3万くらいならけっこう余裕っぽくない?
569 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 03:17
そもそも織田軍だって専業兵士なら動員に苦しむはずねーじゃんw
570 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 03:17
つーか農繁期とかの問題?
572 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 03:20
それ以前の問題だろ。
573 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 03:24
なんの問題かようわからんが、
兵の出し方からして
>>546だったと考えるのが普通っぽい
576 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 03:31
織田に長期戦は無理だ。伊那谷の冬は寒い
577 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 07:20
考えてみれば、信長は桶狭間の時
義元の移動中に攻撃を仕掛けているね 情報を正確に取れたかは分からんが
陣地を構築してない
その辺の駆け引きは、さすがに心得ている感じ
まあ、結局は信長と勝頼では器が違うという話になってしまうわけだが。
>>578 移動中じゃなくて、小山の上で陣どって首実検してたぞ。
>>580 義元首の確認はその場でしただろうが、
首実検は清洲ですると触れを出したんじゃないか?
んでもって翌日首実検(チンチョーコーキヨリ)
義元が首実検してたって事?
>>581 桶狭間合戦の直前に鳴海城の方面でちょっとした前哨戦があった。
信長の部下で佐々と千秋というもんが今川勢に討ち取られた。
昼過ぎ、桶狭間山で陣を張った今川義元はそこで二人の首実検をした。
>>582 なるほどね。
しかし首実検にしろ昼弁当にしろ、
直接移動中じゃないとしても、それを長篠の信長の戦陣と比べるのは
ちょっと違うような気がする。
佐々と千秋の戦闘は独断なのか、信長の命令かは不明だね
これはかなり重要だと思う
585 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 15:29
このスレレベル低すぎ
586 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 15:37
587 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 16:13
>>583 今川がどのような備えをしていたかは桶狭間の論点の一つでね。
安直に長篠の信長の陣と比べちゃうのもちょっと違う気がするよ。
丸根・鷲津ほか、五つの砦って桶狭間の前に作ったものだったよねぇ。
そうだよ。それが桶狭間の直接の開戦理由。
>>589 前年に砦作って、その砦の二つが今川の大高城を牽制するようになったんだよね。
578は
義元みたいに陣地を構築していない移動時は強襲も効果が高いが
勝頼は堅牢な陣地につっこんで云々
といいたいんじゃないのかな
>>592 だろうね。
結局根拠いい加減過ぎ。
いったいどこで陣地を構築してない移動中なんて思ったんだろ。
築城程の戦野陣地>>>止まってみた陣営・陣形>>>道を移動中(無防備)
てなもんだろ
昼弁当でも移動中でいいじゃん
もう少し、日本語を使ってくれないかな
>>594 おまえそりゃ、武田の敗因なんてなんでもいいじゃん、って言ってるようなもんだぞ。
>>598 長篠を語るスレだから、
今川の行軍上の小休止を移動中だと言うことは
武田の敗因などどうでもよいということである。
ということか?
長篠の織田は、そこを戦場とすべく築いた築陣
今川は、そこを戦場とすべく構築した陣ではなく、行軍上の行軍一時停止
両者はちがうだろ
>>601 行軍上の一時停止じゃないって。
小さな山に陣取ったんだって。
信長公記より、だね。
信ちゃん最強!!
>>602 いや、だから、一時休止でもそれくらいの陣たてはするって。
今川が織田の強襲を察知する前に、そこで織田を迎え撃つべく築陣したわけじゃないだろ。
小休止で陣をはったら、どうらや敵が突っ込んできて織田のようだ、迎え撃ったら負けた。
これが桶狭間だろ?
別に小休止だからといって、行軍中の陣形のままで止まるわけじゃないよ。
長篠の築陣とは意味が違うよ。
義元が信長の強襲を予定しての築陣だとすると、それは新しくて面白そうだが。
>>606 だからさぁ、 どの程度の陣だったかってのを印象で決めちゃいかんよ。
ちゅうか言ってる事コロコロ変わってるだろ。
長篠の織田は、そこを戦場とすべく築いた築陣
今川は、そこを戦場とすべく構築した陣ではなく、行軍上の行軍一時停止
これを言っているだけだが
復習のお時間です
578 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:03/07/03 07:56
考えてみれば、信長は桶狭間の時
義元の移動中に攻撃を仕掛けているね 情報を正確に取れたかは分からんが
陣地を構築してない
その辺の駆け引きは、さすがに心得ている感じ
まぁいいさ、桶狭間が、今川と織田の両者が指向した戦だというのは、
それはそれで本当なら面白い。
>>592 それを言いたかったのです
桶狭間の戦いは織田が鳴海城、大高城を包囲していて
救援に来た今川1万、織田2千という戦いでした
長篠は、武田が長篠を包囲して
救援に来た織田、徳川4万と武田1万5千の戦い
多少違うかもしれませんが比較してみたのです
>>609 勝頼って578みたいなヤツだったのかな
614 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 22:56
ところで歴史に詳しいみなさんの就いてる業種なに?
615 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 22:57
穴山と木曽と小山田
大嫌いな順に並べ替えて
ちなみに漏れは
バカ穴>木曽>小山田
617 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 23:02
>616
なぜでつか?
完璧な裏切り者でつよ
618 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 23:04
裏切りは男の美学
裏切りは戦国武将の勲章
622 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 23:26
まあそんな裏切り者集団なら
いっそのことやりたい放題やって
木っ端微塵に壊滅させてやった勝頼様は素敵☆
諏訪の仇はきっちりと武田で返させて戴きます
長篠は使命感と復讐心から有得ないミスを
計画的に引き起こしたそんな勝頼様は確信犯だっちゃ☆
623 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 23:42
勝頼は密かに秘策を練り続けていたのであった
そう、長篠にしようと、ふふふふふ
度重なる出兵で疲弊させ、領土拡大という証拠でもって反対派を黙らせ
あと一歩だ、そうあと一手、あと一手でこの憎き集団を・・・
よくも俺の母君を、よくも俺を側室の子なんていう状態に
へへへ 諏訪をなめやがって へへへへ 残念だったな信玄さんよぉ
そして有能な家臣どもめ 諏訪をなめるなよ
624 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 23:49
圧倒的な人数的大差
鉄砲
織田徳川の包囲網
条件は最高だ、けけけけけ、ここで突撃を指令すれば間違いない
確実に勝てる俺は。 へへへへへ
どれだけこの日を待ちわびていたことか
そしてこの瞬間を・・・氏ね、織田いや、武田家め
キエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つらい立場なんだろうな勝頼は。
つねに領土拡大で内政的矛盾を解消しなくてはいけないんだから。
信玄は親父の追放の演技で何とかごまかしたけど。
>信玄は親父の追放の演技で何とかごまかしたけど
???
具体的にきみの視点を書いてもらわんと客観的な意味が伝わってこない
627 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 01:22
>>623,624
面白い発想だねw
本当に勝頼が一人胸中でそんな事を目論んでいたらそれこそ信玄以上だよ
628 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 01:24
>>606 とりあえずだな、長篠に行けば織田武田双方の築陣跡はありありと
残っているが、今現在桶狭間とされる場所のどこを訪ねてみても
そんな痕跡は何もない。
義元はただ単純に戦況が良く見える場所として一時的に桶狭間山に
登っただけだ。時間的にもマトモな築陣などする暇は無いはず。
高所からの攻撃は通常の攻撃よりも遥かに勝る。加えて信長あるいは
善照寺砦や中島砦の部隊が攻めてきても5000もいれば数的にも有利。
よほどの不運がなければ負けるはずがない状態だった。
630 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 01:34
所詮は「境目」の領主である木曽の立場は理解できるし、
勝頼本隊が信濃に展開している間、勝ち目の無い時間稼ぎを
強要された穴山信君の立場にも同情できないではないし、
なんだかんだ言って松姫が逃げるのはスルーしてたようである
小山田信茂も憎めないな。
631 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 01:40
>>629 why?
ちなみに俺は
木曽>穴山>小山田
木曽が裏切らなければ穴山だって裏切らないかもだろ
>>628 今度は痕跡かよ(w
痕跡のない古戦場なんていったい日本にいくつあると思ってんの。
それから陣というものをもっと勉強しようね。
いや、梅雪はどっちにしろ徳川に寝返るタイプだよ。
小山田は仕方ないと思うんだ。
>>632 お前は義元が信長をここで迎え討とうと築陣したと思っているのか?
信長が出てきて強襲してくると今川はよんで作戦したと思ってるの?
>>634 漏れは632じゃないけどね、元々のレスが問題だから。
そこから見直した方がいいぞ。
636 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 02:33
普通に考えて楯を並べるぐらいの備えはしたかもしれんが、
「陣」と呼べるような物は作っちゃいまい。
「陣立て」という表現をしているから、軍勢の配置とかそういう事を
言ったんじゃないのか。606は。
「陣地」という意味の「陣」ではなくて。
>>606は言ってることコロコロ変えてるようにも見えるが
基本的に578以降日本語のおかしい連中が多いようなので
議論してもしょうがないと思われる。
>>639 質問に極端も糞もないだろ。
>>628がまともな築陣ではないというのに、
>>632は否定的なレスをつけているので、
もしかしたら
>>632は堅牢な陣だったといいたいのかもしれない。
堅牢な陣だった場合、今川は信長を迎え討つ戦場予定地と策定したのかもしれない。
それはまるで長篠での織田の築陣の様に。
このような意見は始めて見たので、本当にそう思っているのか聞いただけだ。
なんで否定的なら、堅牢な陣だと思うことになるの?
その辺の理屈が極端なのよ。
>>642 いちいち本題じゃないとこでうるせーよ
おまいはどんな陣だったと思っているの?
>>643 本題じゃないからどーでもいいじゃん
長篠に移ろうよ
おお、長篠スレだったな。
ちなみに俺は、まぁ桶狭間の陣自体の程度はどうでもよいんだけど、
信長の行動をよんでたとか、それでも負けたってのは、
いろいろ面白いと思うよ。
別に陣跡がなくても、姉川みたいに厚く陣立てしてもいいんだし、
それでも負けたって場合は、それはそれで面白い。
長篠で勝頼が織田を突き破ってもおかしくないといえるかもしれない。
646 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 03:18
摺上原合戦と同じだろ。桶狭間は。
>>646 もしかしてそれって気象条件に左右されたってこと?
この頃の鉄砲の威力で、こんなに殺せるのか?
河合継之助のガトリング銃じゃないんだぞ。
前込め式で。
ガトリング砲と違って、何丁も持っていくし
千人位やられた段階で、やばいって思わなかったのか武田軍は。
野戦築城で築かれた陣内に突入しさえすれば
一番前にいるのは鉄砲隊なんだしいっきに勝負をかけられると思ったんだろ。
たとえ信長んとこに行くまでに多くの敵部隊がいたとしても
陣に突入した時点で崩れるだろうと読んだんでしょうな。
何かレスを荒らしたみたいで申し訳ないです(-_-)
信長は防御網を構築してない義元に強襲した
勝頼は防御網を構築した織田、徳川に攻めた
と言うのを言いたかっただけです
654 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 21:23
そのなぜ攻めたか?
と言うのを再考するスレなんだよ。
それなのに、信長は天才で勝頼はバカで結論ずけられたらさ・・・
さて、原点に戻ろう
なぜ無敵で最強の勝頼騎馬軍団が脆くも崩れたのか
657 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 22:08
なんどめのループだよ・・・
ここは信玄死後信長に勝つことができたかを語った方が。
長島いっきとさっさと婚姻して助けりゃよかったんだよ!
織田、徳川は長篠城から少し離れた設楽原に布陣
勝頼は、長篠からおびき出されたかたちになるのか
659 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 22:39
迎撃のために布陣するのをおびき出されるっていうのか?
おびきだされるってのは、砦を攻撃されて包囲された後の
ことだと思うが。
ていうか、おびき出されたなら、なぜ勝頼はおびき出されたかを皆延々語ってる訳だが。
おびき出されたと言うのは
信長の理想とする形になったということです
別働隊の鳶の須山奇襲
勝頼突撃
と言う流れになるのかと
662 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 22:56
撤退してたとしても追撃で被疑うけてただろうからね。
それなら一当てしてから撤退しようって思ったんでしょ。
勝頼は戦いたかった それだけ
戦闘前の書状にも『勝てる』と書いてるし
重臣も勝てると思ったんじゃない
664 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 23:00
>>663 戦闘前の書状に「負ける」なんて書くバカがいますか?
>>662 それなら織田が来る前に撤退するしかない
撤退しなかったから、戦う決心は最初からあったのか
666 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 23:05
>>665 織田が来る前といっても問題はいつ織田の援軍がきたか
しったかなんだよな。
それに敵が来る前に撤退したら武威が落ちるから、堅陣
しいて両方兵をひくっていうのが武田の理想だったので
はないか?
織田もずっと東にいるわけにはいかないだろうし。
突撃有るのみ
>>666 それだと突撃に踏み切った理由がますます分からんな。
勝頼
「囲まれた上に、敵は築陣も済ませたようだな・・・しばらく睨み合いしとくか・・・」
数刻後
「ぬぅおおおおー!我慢できーん!突撃じゃ蹴散らせー!!」
670 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 23:24
>>668 膠着状態にもっていこうとしたが、長篠城の包囲軍が攻撃され、
鳶の須山も占領され、囲まれた形になってしまた。
これなら攻撃するしかないだろ。
織田勢が馬防柵の内側に裸の美女を並べたのに違いない。
それを見たさに武田勢は撃たれても撃たれても接近を止めなかった。
673 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 23:29
671=669=667
勝頼もあれだけ裏切られると人間不信になるわな
やけくそか少しでも恨みを晴らしたいのか
人質を皆殺し
小山田にも裏切られるなんて・・・・
せめて信勝を逃がす方法ぐらい考えろよな
675 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 23:42
結局勝頼を落とし入れなきゃ納得できないわけか・・・
つか674。昨日か一昨日日本史の勝頼スレいたやつか?
文がにてるんだよな。
>>670 鳶ノ巣山の戦いと設楽原の戦いは、5月21日の朝とほぼ同時に行われた。
鳶ノ巣山を攻められたから信長へ攻撃に向かったという訳じゃない。
文というよりコロコロ言う事が変わるところがにてる
>>675 勝頼スレがあるのか・・・・しらなかった
オレじゃないよ
679 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/04 23:58
680 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 00:00
>>676 後方で砦が落ちて燃えている。
兵が同様している。ひくか・・・
いや対陣しているのにひくことはできないだろう・・・
戦うしかないのか・・・
ってなぐあいかな。
なぜ柵を打って川向こうにいる織田に、態々出向いて対陣したの?
682 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 00:12
684 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:20
>>648-650 鉄砲で死んだわけじゃない。追撃で殺された。
信長は築城+鉄砲で武田軍の攻撃をひたすら防ぎ、敵がついに
諦めて退却に入ったところで追撃して戦果を上げた。
685 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:21
鉄砲の威力にケチをつけるわけじゃないけど、実際には織田の土木
技術が勝利をもたらしたと表現した方がいいのでは?
そうだよ。てかずっと前にそういう結論でたけど何回も話題がループしてるから。
689 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:28
土木もそうだけど結局は兵数の差と地の利でしょ。
戦略でも戦術でも負けてたわけだから、長篠の戦の状態
じゃあ信玄でも勝てないよ。
691 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:31
692 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:32
最近日本史板でもゲームの話が出るようになったのね・・・
>>685 意味分からん。
長篠を攻略中なのに、なんで待ってる敵に向かっていくことになる?
一番最初の疑問に戻っちゃっうぞ。ループしてるだけじゃん。
長篠城を落とせや、サッサと!
695 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:38
>>693 長篠城を攻略中に攻撃されたらもっと被害こうむるだろ。
>>695 相手は柵立てて防備してるだろ。
柵から出たところ攻撃するなら分かるが、柵まで態々出向いて対陣てのはどういうこと?
>>694 話がループするが、長篠城をおとりにして織田勢を誘き寄せ陣地で
迎え撃って撃破した。崩れる織田勢を追撃して戦果拡大中に織田の
陣地に引きずり込まれて引こうとしたときに、鳶の巣山陥落。
698 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:43
>>696 撤退するための攻撃か、
1戦しようと思ったかの
どっちかじゃないか?
この前スレの1は後者派だったけど。
699 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:56
>>676 『信長公記』を読んでたら「前後より攻められ、御敵も人数を出し候」
とか書いてあったよ。
700 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:56
>話がループするが、長篠城をおとりにして織田勢を誘き寄せ陣地で
>迎え撃って撃破した。
何それ?
702 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 03:03
織田勢がおびき出されて撃破されたなんてこたあないだろ。
確か、長篠の前の先鋒戦では武田が勝ってるよ。
と言っても、その事実は闇に葬られているが。
>>702 十八日の有海原の戦闘です。織田方の参加武将は丹羽、滝川、羽柴
徳川等です。
705 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 03:10
闇に葬られたのではなく細川藤孝宛書状を誤読した人間が
言い出したこと。
「鉄砲放押詰」とあったのを「鉄砲を放ち、押し詰めた」と呼んだだけ。
(しかもそう読んでも織田勢の敗北にはならないしw)
普通は「鉄砲放(てっぽうはなち=銃手の事)を押し詰めた(配備した)」
と読み、20日に細川家の鉄砲隊が到着したので、それを配置したぞ
と書状を書いただけ。
706 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 03:12
>>705 違う、違うぞ。何も分かってないようだな〜。
707 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 03:13
書状にあるのは20日ではなく18日でした。訂正。
708 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 03:13
>>706 君こそ与太話を鵜呑みにし過ぎだな。
勝った側の勝頼が何も言わないのはおかしいじゃないかw
709 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 03:15
信長公記って時々ちぐはぐしてんだよなぁ
710 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 03:16
711 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 03:16
だいたい当時は「設楽原」の名称は無く、あの一帯は全てが「有海原」。
「ころみつ坂」を登った所に開けているのが「有海原」なのであり、
断上山から高松塚古墳のあたりを「ころみつ坂の上の有海原」と
表現する事に何の不自然も無い。
『信長公記』は「ころみつ坂の上、高松山」に家康が布陣したと
書いている。普通に読めば「ころみつ坂の上の高松山」なのだが
高松山が断上山南端部の古墳丘であるとすれば、ころみつ坂の上
と呼ぶには遠すぎる。その北側に布陣したという秀吉・長秀・一益
も「あるみ原に上った」と書かれており、設楽原ではない。
有海原は設楽原よりも東である。
信長後記は都合の悪い大敗は書いてませんよ。
715 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:09
それほどの大敗ならば武田側が書くよ。
勝頼自身、20日にも書状を出してるけど何も言っちゃいない。
>>714 批判するなら具体的に。
建設的な意見を言おう。
>>716 言うまでもねぇ〜だろうが。簡単な事よ。
>>717 貴殿は期待できそうですな。
いずれにしても無知に過ぎない私に是非とも教えてくだされ。
あの陣には羽柴秀吉が居た。
死んだ信長や主君でもない織田家に別に配慮する必要がない太田も、
秀吉には配慮がいる。だからその部分は負けたと書かなかった。
勝頼公記(ショールイコウキ)を読めば分かる。かもしれない。
それはともかく、前スレで行ってたのは
>>705だったのかぁ。。。
まず、信長公記には長篠の戦いの前後が書かれていないんだよ。
肝心の18、19日辺りの出来事が掲載されていないのだ。
この辺りで連合軍と武田軍による戦が始まり、
太田牛一が信長公記に書く事を避けざるを得ない程の
敗戦があったと推測される。
これが闇に葬られた緒戦だと思われる。
勝頼が書状に書かなかったのは別に驚くべき事ではないから。
722 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:30
勝頼自身が20日に「何事もなく対陣となった」と書いているのに、
「織田方には極めて都合が悪い敗戦で、武田方には記録する価値も
無い勝利」なんていう戦があったとするのは不自然極まりない。
723 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:30
現在の地名
高 設 信 有 こ
松 楽 玄 海 ろ
山 原 台 原 み
地 つ
坂
_ ↓
/ \ __ ____
/ \__/ \_/ \
当時の地名
+−−−−−−−有海原−−−−−−−−+こ
高 ろ
松 み
山 つ
坂
_ ↓
/ \ __ ____
/ \__/ \_/ \
>>721 いや、それが載ってないのです。18日の次は21日。
725 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:31
>>725 だから武田や徳川の史料が一切書かないのは何故だ?
「昔の資料は不自然な点が多い」だけで済むなら全て妄想でいい。
728 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:36
>>724 『信長公記』に日付の無い記事なんていくらでもあるだろ。
まさか長期の城攻めでも毎日の日付付きの記録がなきゃイカンのか?w
信長に18日に布陣してから大して動きがなかったからだろ。
勝頼が出てきて、別働隊を送り出して、決戦の21日となった。
それ以上に何が必要だと言うのか。
729 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:36
>>724 20日ならちょっとだけあるよ。19は無いけど
>>728 たいした動きがないからと考えるならば、
都合が悪いからともとれるじゃないか。
732 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:39
733 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:40
信長は20日の時点で「敵の構えは節所である」と細川藤孝に
書き送ってるし、武田軍の布陣跡にもかなりの築陣の痕跡が
残っていることを考えると、織田軍が18日に布陣して陣城を築いたのに
対して、勝頼は19日には移動を終えて築陣を行い、20日の時点では
それが完成していたものと思われる。
734 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:42
>>731 その場合は太田牛一以外の誰かが書く可能性が十二分にあるのだが。
何故誰一人として書かないのだ?
>>732 戦況が動いた事を記す非常に重要な部分が「ちょっと」で「意味無い」ですかw
736 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:43
>>731 その後に大敗したからじゃないのだろうか?
737 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:44
動いてないから『ちょっと』なんだろ。苦しいな、お前。
いやいや、19日だけすっぽり抜けてるアヤシイってのは面白いと思うよ。
しかし勝頼まで何もなかったと言ってるんじゃあ、それを覆すほどの威力はない。
もっと何か出してくれくれ
739 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 04:47
>>737 長篠城を囲んでいた武田勝頼が寒狭川を越えて信長の面前に現れたのに
戦況が動いてないんですか?苦しい解釈ですね。
>>738 「何もなかったと言ってる」じゃなくて詳しく書いてないの。
戦況が有利としか。
つまり、この中には緒戦の事も含まれているとも取れるが。
信長と家康が後詰として出張ってきたが、何事も無く対陣となったと
ちゃんと書いてるよ。
信長・家康後詰めとして出張候といえども、指せる儀無く、対人に及び候
敵、行の術を失い、一段逼迫の體に候の条、無二に彼の陣に乗り懸け、
信長・家康両敵共、此度、本意を逐ぐべき儀、案の内に候。
>>738 そうなんだよ。俺もこの辺は面白いと思った。
で、太田牛一の「信長公記」には長篠の戦い全般に関して
非常に細かい日付を交えて戦況が書かれているにも関わらず、
何故か19日の記述が抜けているんだと。
18日から20日までの曖昧さも同じ。
此処に何か連合軍に取って都合の悪い事があったと思われるが、
残念ながらそれを裏付ける程の物はない。
誰かこの辺に詳しい奴はいないのか??
745 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 05:12
>>741 本当に「何事もなく」ですか?
何かあった時に信長が良く使う誤魔化しではなくてか?
747 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 05:42
>>746 勝頼書状は
>>742-743 信長書状は
「去る十七日、牛久保と云う地より人数押し出し候。長篠との間三里余に候。
敵の備えは節所たりといえども、十八日、鉄砲放を押し詰め候。通路も
合期すべからず候。却て擒り候。此の節、根切り眼前に候。」
話をまとめてみよう
・信長公記等に19日は特に書かれていないのは怪しい
これは良いとして、これだけで「実は織田側の襲撃を撃退していた」とするためには、
・少なくともその日に戦があったという誰かの記録
が必要で、
>>740の説明の「詳しく書いてない・有利と書いてある」の内容次第となる。
または織田側の記録としての
>>705が、やはり戦があった証拠だと論破すればよい。
あれ、撃退じゃなくて、攻撃して蹴散らしたんだったっけ?
明日までにいろいろと調べて来るわ。
その上でまた議論に参加しようと思います。
751 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 17:15
太田牛一は移動のあった日や戦闘のあった日は日付入りで書いてるけど、
何もしてない日では記録のしようがありませんね。
752 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 18:17
穴山と小山田の両禿がこのころすでに織田に内通していたんだよきっと。
結局、織田につながってた武田家臣って誰?
754 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 19:00
穴山は白だと思ふ 何故なら強右衛門を
捕らえたのは、穴山配下の河原弥太朗
穴山が内通していたのなら強右衛門を見逃すはずでは?
755 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 19:13
強右衛門が喋っちゃうのを知ってたんだよきっと。
756 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 19:52
755は、強右衛門が「援軍が来る」と喋って武田を不利にすると知っていた、だと思われ
759 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 02:03
強右衛門は城内に戻ろうとする前に狼煙で合図してるからなー
>>751 ちゃんと、ログ読んだ?
何もないはずがないだろう。
もしや、信綱が?
確か、すねえもんに策を与えたのはこいつだぞ。
762 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 03:46
>>752 このアホンダラ!!!
小山田隊は長篠で一番犠牲者を出してるんだぜ。
無知ほど罪な物はないアンタの事さ!
763 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 14:58
>>760 勝手に「あった」ことにするなよw
武田軍が移動してきて、その背後が手薄になったから信長が別働隊を
送り出した。これ以上は何もないよ。
764 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 18:44
小山田の子孫必死だな(w
まあ、こいつの薄汚さは天下に隠れのないところだが
766 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/06 22:10
オレあまり勉強してる訳じゃないけど、威力偵察みたいなものは記録されないの?
767 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 02:32
穴山も小山田も、国人領主として当然の選択をしたまでで、責められる
理由はないわい。
それなら美濃三人衆始めいくらでも挙げられるっちゅうねん。
768 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 05:01
>>763 だったら勝手にない事にしないの、ボウヤ!
ココ、ロクな奴がいないな。馬鹿ばっかり。
ちゃんと考えてレス付けろよ!
>>768 記録するべきものはなかった、でいいだろう。意固地だな。
>>767 家臣と一族では裏切りの卑劣さが違いますが、、、
変わらんだろう。
一番信用できるのは血だが、一番信用できないのは兄弟親族だ、という話も聞くだろ
773 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 06:07
>>772 理屈ではそうかもしれないが、時は戦国。
774 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 11:59
>>773 戦国だから、尚更、親族でも裏切ると思うんだけどな。
さらに滅亡寸前の主君に従えば、自分だけでなく部下や家族や領民が大量に死ぬんだけどな。
だから俺は関ヶ原や大阪の陣ででお家のために東軍について大名は責められないと思う。
武田家、滅亡寸前に寝返った連中も同じ。
いや、単に人間の違いということだろ。
裏切りを何とも思わないのもいれば、それを潔しとしないのもいる。
みんながみんな高橋招運や山中鹿之助だったら、彼らの名が後世で
高潔に響く事もなかったろうしね。
オレは自分の親ほど信じられん存在はいないが。
777 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 12:56
777外道
778 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 16:21
もし完全にはなから裏切るつもりならもはや長篠前の段階や
勝頼が就任した時点あたりから寝返ったり
あるいは勝頼を密かにひっそりと毒殺しようと企んだりしないか?
裏切るというより、もうダメだこりゃって思っちゃったんじゃないの
779 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 19:14
>>762 裏切り者が家臣第一か?
自己保全だろ。
780 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 19:22
スレちがいだが
>>775 まず山中鹿乃介が忠臣だというのは戦後の研究で変わってきている。
まず、鹿乃介の尼子再興運動は最初からおかしかった、本来の主君である尼子義久が安芸に軟禁されているのを放置し
濡れ衣とはいえ主家に謀反を起こしたとされる尼子新宮党の遺児を元服させ尼子勝久として再興運動を行ったこと。
さらに毛利の大軍に攻められ降伏した時、勝久に切腹を勧めて切腹させたのに
自分は生きて毛利に仕えようとした点などがあげられる。
高橋招運についても大友家への忠誠というより、
背後の城を守る実子、立花宗茂を守りたかったというのが奮戦の動機とも思える。
まあ、武士の主家への忠誠心とかいう思想自体が江戸時代に入ってからものだし、
そもそも、戦国時代の勢力なんてのは豪族連合とも言える形態で主家と家臣の関係は対等に近かったんだがな。
781 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 19:27
あと、穴山家と小山田家は信虎の代に
木曾家にいたっては信玄の代に
武力を背景とした武田の傘下に入ったにすぎない。
というか彼らは武田家の同盟者というくらいの認識はあっても
配下とか家臣という認識は無かったと思われ。
ゆえに裏切りとも言いにくい。
782 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 19:29
>>778 そんなとこだね。
裏切りというより離脱にすぎないだろ。
783 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 19:41
>>781 信玄の家臣だとは思ってたろうけど、
勝頼には確かに対等意識しかなかったと思う。
784 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 23:45
>>783 なんで?若いから?側室だから?頑固だから?
>>782 木曾や穴山、小山田他って新府に侵攻したっけ?
でないとすれば、まさに離脱という言葉が似合うね。
787 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:02
穴山は江尻から家康の道案内
788 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:05
>>785 木曾は武田一万の兵を撃退したし、新府は穴山が裏切ったから
使えず自ら焼いたんじゃないっけか?
道案内程度で裏切り者呼ばわりなら、真田幸隆も裏切り者としてこきおろそうか。
木曾は武田1万を撃退してるから
かなりの決断だったと思うよ
木曾なんて千ぐらいかな
792 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:44
>>790 東美濃の連中を中心とした織田の援軍がすでに木曽に入っていたし、
武田軍の方は1万もおらんかったやろ。勝頼本人は諏訪にいたままだし。
793 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 01:55
つまり、こういうことでは?
木曽穴山小山田初め家臣の大半は勝頼の連れてきた諏訪家臣が気に入らんと
もっと漏れらを重視して大事にしろよと、メラメラ。
まあそれでも仕方あるまい上司だし
長篠でまさかの大敗
なんだよこいつむかつくくせにバカじゃねーかよ
もうこいつとの悪因縁を切ろう!!!
長篠で、というのは有り得ない。時間が経ちすぎ
木曾と穴山は武田崩壊前だから
かなりの決断だと思う
俺らはどうなるか史実を知ってるから、織田につくのは当たり前と思うけど
小山田の裏切りは完全に状況が分かってからw
796 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 08:48
小山田の裏切りが遅れたのは人質にされていた老母を助けるだめだったとも言われている。
新府城を出た勝頼一行に同行させられていたのだが、協力者の手引きにより土壇場で奪還できた。
ちなみに木曾の人質に出していた母親と妹は逆さハリツケにされて処刑されてしまい、
穴山の出していた人質は裏切る前にうまく連れ帰したらしい。
797 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 08:57
>>792 いや、確か、木曾は武田の討伐軍を自力で撃退したはずだよ。
武田側の総大将が武田信廉なので弱かったんじゃない?
それに木曾も地形などの地の利を生かしたんだろう。
798 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 09:11
しかし、真田は運が良かったなあ。
裏切り者の汚名か滅亡の運命だったのだが、
うまく、勝頼が小山田の方に行ってくれたのが幸運だった。
勝頼が自分のとこに来たら、
やはり織田と北条と手紙のやり取りしてただけに裏切ったろうと思われる。
仮に勝頼を受け入れた場合も滅亡は必至だしなあ。
>>781 アホか!穴山は武田氏の一族だ!
ちゃんと調べてから書き込め。この知恵遅れが!
800 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 10:14
>>796 木曾義昌の弟も処刑されたはず。
後は木曾一族の息子も。
801 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 10:16
802 :
781ではないが:03/07/08 10:22
803 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 11:26
>>801 しかし、当時の武田の大将で強そうなのは勝頼と真田昌幸くらい、
真田が総大将というのも立場的になんだし、勝頼も新府城を動きがたい状態だったので、
信廉か信豊に行ってもらうほかはなかったんじゃないかな?
804 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 11:31
805 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 11:42
>>790 兵力動員が1万石あたり250人という算定法は正しくなく、
実際は無理をすれば一万石あたり4、500人動員できたらしいし、
木曾の石高が5万でも2500はかき集められたはず。
806 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 11:44
やっぱせいぜい二千かな?
木曾の石高って何石?
808 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 12:29
木曾も娘婿、小山田の母は信虎の妹
小山田は織田に贈り物でも送れば状況が変わったかもしれん
木曾は人質を見捨てたし
少数で武田と戦ったし
木曾にとっては1世1代の戦いだよ
穴山は直接的な戦いが無いし、そこら辺は世渡り上手
小山田は・・・・・・
世渡りランキング
穴山>>>>>木曾>>>>>>>>>>>>>>小山田>>>勝頼
ランキングって不等号で表すものじゃねぇよな。
812 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 18:25
勝頼を世渡りランキングにいれるのおかしくないか?
穴山信友は信虎の弟。穴山は元々、武田氏の一族です。
814 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 18:43
>>803 強そうなのは方に仁科や一条がいるが、
この二人は自分の城から動きにくいだろうしな。
816 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 22:06
穴山は「勝頼の娘を息子の嫁にしてくれ」という約束を反故にされたことで
マジギレしたのではないか?
信玄は血縁関係を結びまくる事で
木曽や穴山・小山田と同盟関係を維持してきた傾向が強いが
それに対して、勝頼はそれを断るという行為は
明らかに仲間や同盟関係者に対してすべき行為ではない
>>810 >少数で武田と戦ったし
織田軍が味方につくのだから少数ではないだろ
しかも、木曽氏は世渡り上手というより、冷酷というイメージがある。
穴山氏はむむもう仕方あるまいという感じで、小山田氏も同様の感があるね
818 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/09 01:08
>>793 よく勝頼が連れてきた諏訪の家臣団が、という人がいるけれども、
史料上、要職にあったと認められるのはいずれも信玄以来の甲斐出身の
重臣に連なる者達や、かつて信玄が勝頼につけたこれまた甲斐出身の
武将、そしてこれまた信玄時代から竜朱印奉者を務めた真田昌幸。
819 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/09 01:09
>819
yada
>>815 いや、そこのページが間違っているんですけど。
>>816 穴山の子孫か?勝頼の娘はまだ若いから断ったんだよ。
それか、もしくは信豊の子と結婚が決まっていたのよ。
だから、梅雪はかってにキレたんですよ。
823 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/09 08:12
>>822 いや別に子孫ではないが、穴山が勝頼と不仲になった主原因が気になる
当初から勝頼が気に食わなくて裏切るつもりなら結婚させようとは思わないだろふつうは
若い結婚でもやはり穴山もNO2なんだからそこらへんは勝頼も信玄の時同様に
親類衆には配慮すべきところではないかとオモワレ
そうすれば、穴山の協力的姿勢を引き出せるし、態度ももっと変わってきていたのは
必然であろうとオモワレ
ただ問題は、穴山が自分の子に武田を継承させたがっていたであろうからそこが
一番のネックになったんだろうが、それは穴山の野心も理解できる故になんとも
825 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/10 01:37
勝頼の娘たって死んだ時が三歳だから、穴山信君が縁談持ちかけたなんての
は1歳とか2歳ってことになるだろ。生まれてまだ間もないようなの相手に
結婚の相談なんてありえないと思うが。乳幼児の死亡率高いんだし。
826 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/10 04:48
>>825 確かにそうだよな
ことによって、穴山は木曽や小山田の勢力を強く意識していたとか
あるいは、勝頼との乖離を感じていて、それをふせぐために言った
比較的適当な発言であったのかねぇ?
というよりやはりむしろ信勝への継承を防止する目的だったのか
謎だ
こうなってくると何でもかんでも『甲陽軍鑑』の「悪意ある創作」
に思えてくるな・・・
他に根拠のある話ならいいけどね。
_,ヾゝー'"'"'"ー、,; ,.:-‐―‐-.、_
,ラ 、_ ヽ,、 / \
イ r-'ー゙ "ー‐、, ミ/ ヽ
i! ,! i! ミi ,ハ i
,j i /ニ=、 ,r==、i ,,ハ ,ノヽi! ゙'レ>ヾ-、 ,!r'
i V <(・)>i i!(・)>゙!,i !!イ(・)) <.(・)>゙ i /!i
゙!ji! ., j .i_ /j i 。 。, ト-'
,ィi:. ;" ー-‐' ト' .! ,.=、 / ̄ ゙̄ー-、_
__ノ !ハ : 0 ; ,/ _,.-‐''\ ゙='' ,/
/ \\  ̄ ,// ゙ー-‐‐"
/ \.゙ー-イ ,/
♪ 自説に都合のいい時だけ『甲陽軍鑑』信用する奴
なんでだろ〜 なんでだろ〜
まあ嘘ばっかりってわけじゃないんだけどね・・・
まあ普段は『甲陽軍鑑』からさんざ引用しておいて、都合が悪くなると
「それは創作だ」と決め付けてしまう人もいるし、扱いが難しいね。
長篠スレなので長篠ネタに絞ってみると、合戦前の軍議の様子は
あからさまに変だけど、合戦の内容そのものは、脚色は多そうでは
あるけれども、勝頼自身が書いた書状などとも合致するもので、
概ね事実を伝えていると考えられたりもするね。
>>824 同族から養子を取ってるから同じ血筋なのは確かだが、
おかしいな〜、信友は信虎の弟で合ってるはずだが。
いろんな本にそう書かれてたんだけどね。
何でこのサイトだけ??
833 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/10 06:27
>>815 根本的に勘違いしてないか?
信君の母は信玄の姉で、ようするに信玄の従兄弟。
穴山氏自体が武田の一族だ。
>>832 信虎の娘(南松院)を嫁にもらってる穴山信友が信虎の実弟というのは
有り得ないですよ。
>>833 別に815は間違ったこと言って無いと思いますよ。
有りえなくはないですよ、昔は従兄弟同士で結婚してますしね。
ただ、このケースの場合は実弟ではないようですけど。
いくらなんでも弟に娘を嫁がせないよ〜
穴山信綱という立派な親父もいるのに〜
>>833 信友ー南松院(信玄の姉) → 梅雪ー見性院(信玄の次女)
それはつまり(武田)信「縄」と(穴山)信「綱」を混同した人間が
いるのではないかと。
>>387 だから、実弟ではないから嫁がせたと言う事で終了。
>>833 信君は信玄の姉の息子だから、従兄弟ではなくて叔父と甥の関係だけど。
従兄弟なのは勝頼の信君だろ・・・
勝頼の信君→勝頼と信君
843 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/10 06:42
844 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/10 06:44
845 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/10 06:55
一部の人、勝沼信友と混乱してないか?
そっちは確か信虎の弟なはずだが。
ああ、その線もあるかもね。
ぉぅぉぅぉぅ、いきなり凄いことにw
整理すると、
信虎 ┳ 信玄 ┳ 勝頼
┃ ┗ 見性院
┗南松院 │
│ │
穴山信友 ━ 信君 のはずでつ。よろ。
>勝沼信友
なるほど。それは有り得ますね。ぐぐったところ、勝沼信友は信虎の次弟。
ただ、勝沼信友は1535年戦死(妙法寺記)、穴山信君が1541年生なので、
勝沼信友=穴山信友 は有り得ないようですね。
つまり、「信友」と聞いて信虎の弟を思い浮かべた人と、
穴山家の方を思い浮かべた人がいたと。終わり。
850 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/10 07:26
「信友」って信虎の息子にもいるからややこしい。
853 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/10 23:09
花魁淵で遊女を口封じのために切り捨てたり
武田の金脈だった金山閉鎖の時に工夫も諸共土砂で埋めてしまったり
という伝説が残っていて
特に花魁淵の方は今でも有名な心霊スポットになっているみたいだが
あれを指揮して実行したのって勝頼本人なのか???
854 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/10 23:59
>>853 ある人によれば、「花魁淵の伝説は事実とは認められないが、花魁淵には
凄まじい怨念が渦巻いている」らしい。
工夫を埋めたなんてのは完全な創作。黒川金山は17世紀中頃までは
採掘の痕跡がある。最盛期は16世紀に終わっていたけれども。
だいたい武田家の金堀衆が佐渡開発などで活躍したとされているのに、
その前に埋められててどーするよ・・・
856 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/11 01:01
>>854 信玄が死んで勝頼の代になってからは信玄の代に使いすぎた経緯もあって
武田の資金源は枯渇してきていたという情報がある故に
そのときにごく一部の金山が閉鎖されたてしまったという説
を聞いたことがある
857 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/11 01:19
>>837 いるんだわ、それが
伊達と長曽我部の系図調べてみ・・・
恐るべし戦国時代
859 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/11 01:59
>>856 『甲斐国史』には、黒川金山の最盛期は慶長年間に灰吹き法が
導入されてからである、と書かれているしね。
(それ以前は鉱石を砕いて水にさらし、金の粒を集めて溶かし固めていた)
中山金山あたりだと、発掘の結果としては、最盛期はむしろ17世紀に
なってからだったという話もあるし。
勝頼の代に本当に金山が枯渇していたかどうかは、疑わしい部分があるよね。
金山が枯渇したという話だって、天正五年の、「黄金出来無きの間」も
金堀衆の特権を認めて欲しいという一通の書状だけだしね。
それだけなら、鉱脈を一つ掘り終えて、次の鉱脈を見つけるまでの
「つなぎ」というだけの意味で、その後も採掘が順調だった可能性も
普通にあるよね。
しかもその特権は金を掘っていたからではなく、戦で活躍したから
与えられたものだったし・・・
(戦での活躍で手に入れた特権が、金の産出によって左右されるというのは
変な話で、この文書自体の信頼性を問う人もいるね)
いずれにしろ甲斐の金山はよく分かって無い部分が多すぎる。
穴山家が自分で所有する金山に対して鉱石の切り出しを支持した
文書なんかは残っているのに、武田家そのものと甲斐各地の金山の
間にはそのような文書が全く無い。
戦で活躍したから特権を与えたとか、そういうのはあるけど、それはどうも
金の産出自体とあまり関係が無いわけで。
上杉謙信は国内の金銀山を自分では所有していなかったという話が
最近は出て来るようになったけれども、信玄も国内の金山を自分では
掌握していなかったという可能性も考える必要があるだろうね。
武田信玄が、甲州金などの形で金の流通を促していたという事実は
あるけれども、それはあくまでも民間での金の使用をスムーズにすることで
経済の発達を促す目的のものだったのかもしれないね。
>>857 伊達は実元だな。兄・晴宗の娘を娶ってるね。
長宗我部は… あぁ、なるほど…
それって親子ほども歳が離れちゃうわけですな。ハァハァ
家康と祖父清康の年齢差34、広忠死んだときまだ長親生きてるし
徳川一族の生殖能力恐るべし
863 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/11 04:19
秀吉なんか自分の養子とやりまくり
保守
866 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/14 23:41
age
867 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/14 23:42
868 :
京都所司代:03/07/14 23:45
869 :
京都所司代:03/07/14 23:47
俺は勝頼は不幸だと思うよ、家来が信玄マンセー
だったからやりにくかっただけ。二代目の重石にやられただけ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
872 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 07:09
age
873 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 11:42
武田神社にお参りに行け
875 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/21 20:53
age
876 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/27 13:07
武田勝頼が西方面に出兵して失敗だったのだから、
ここは北条方面に出兵するっていうのは?
東海道方面は家康は動けてないし、西は木曽を前線
として持ちこたえると。
>>876 単に兵力が分散され弱体化するだけだと思われ、織田・徳川と講和できれば
可能かもしれないが。
あぼーん
879 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/09 19:40
age
880 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/13 05:23
共産主義になった翌日、私はブラウザを開いて2chにアクセスした。
まだ夜10時にもなっていないのに、サーバーからのレスポンスがない。
当局によって、閉鎖されてしまったのだ。
「人間が憎しみあう時代は終わったのだな。」
2chで叩かれた斎藤さんが、ほっとしたように独り言をつぶやいた。
「これからはヒッキーは世間にさらされる時代なんですよ」
普段は話をしない靖子(ヒッキー暦10年)がディスプレイに向かって暗くつぶやいた。
2chネラーは行き場を失って、黒光りする練炭を購入した。
「漏れはもう不要だ。もうだめぽ。」
七輪の準備を終えた悲しい表情でヒッキーは言った。
青空のなかをツバメが横切っていった。
んま穴山信君もうらぎったとはいえかなりきつく諫言したらしいではないか
結局長島を助けないのが勝頼のミスですよ。
無理だよ。
884 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/13 22:59
時代についていけなかっただけだろ
日本だってアメリカに宣戦布告したんだから
釣りですか?
あぼーん
887 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 09:48
資本主義になった翌日、私は妻とともにキューバへ向かおうとした。
天候の良い10月だというのに、成田空港は閑散としている。
職員は卑屈な作り笑いを浮かべ、持たされた携帯電話がまるで
牛の鼻輪のように太陽光を反射していた。
「労働者が休暇を楽しめる時代は終わったんだよ」
昨日まで国営企業である日本航空に勤めていた斎藤さんが、吐き捨てるように
私たち夫婦に言った。
「ええ、でも私たちは人民旅行証明書を持ってるんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻の靖子が、党が勤労者のために発行した証明書
兼クーポン券を振りながら優しく言った。
「証明書の判子を御覧なさい。共産党千葉県委員会はもうありませんよ」
通りがかりの髪の長い中年男がそう言ってほくそ笑んだ。
職員たちは私たちの証明書を一瞥し、軽蔑の眼差しを向けた。
「あんたらそれで飛行機に乗るつもり?」
職員はすぐに向こうから来たブルジョワらしき男に卑しい作り笑いを浮かべて
応対を始め、私達は取り残された。
青空のなかをアメリカ帝国主義の軍用機が横切っていった。
>>887 サッサとキューバなり北韓なり行けや。
こんなところでコピペしとらんで。
ぶた
890 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/23 00:40
>>887 25日に待望の万景峰号が入港しますので、それに乗って「痴情の楽園」に旅立たれると
良いでしょう。お友達があなたの持参する外貨を待っていますよ。
なんで無謀な突撃をせざるをえなかったか?
そこが知りたい
なんで無謀な突撃をせざるをえなかったか?
そもそも武田家は十分早く鉄砲を実戦運用してる(川中島で300丁)。
当時は鉄砲をまず撃ちかけ、銃弾なり轟音に敵がひるんだところで突撃というのが基本だった。
実戦運用で鉄砲の役割を知ったと思った武田家は、
相手の鉄砲に対してはひるまず密集突撃というのを基本作戦とし、それで勝ってきた。
長篠においても、突撃で破れると考え、また柵を破った箇所もあったりと、
基本作戦で十分いけると思われたので、突撃を幾度もやってしまった。
しかし織田の鉄砲数と、その兵力の厚さは、多少柵を破られても突撃部隊を消耗させ撃滅した。
みたいな事が昨日読んだ本に書いてあった。
895 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/23 17:26
>896
omaeona
犯行予告キタ━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(・ )━(∀・ )━(・∀・)!!
通報しますた。
つーかネタ尽きたんでそろそろ・・・
900 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/25 14:09
終了記念!!900AGE!!
宣戦布告
>>901 ネタを振るのがある意味、戦線布告なんじゃないの?
振り込んでくれる香具師待ちか?
903 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 02:41
保守
904 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 02:45
905 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 14:37
もういいでしょ・・・
906 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 14:43
信玄の「負の遺産」が勝頼を「自己破産」にまで追い込んだ
それでいいんじゃないの?
はい、もう店閉めるよ
信玄の負の遺産ってなんだよ。
908 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 16:56
まあ、結局は信長と争ったと言う事でしょうね。
時代の流れにそった、生き方をしないときついわなぁ〜。
909 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 17:06
910 :
牛尾 幸清:03/08/31 17:17
いや、ただ勝頼が武力バカだっただけじゃ・・・・・・・・。
911 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 17:42
>>910 はぁ?なにいってんの?何が「勝頼は武力馬鹿」だと?
全くもって909の言うとだな。勝頼だって信玄と負けず劣らず
評価されてたんだぞ
次期社長と言われていた義信さんが更迭され、ベンチャー子会社の社長だった勝頼さん
が急遽、本社に戻され・・・。
オーナー会社とは言いながら、普通はモメるよね。
913 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 18:17
勝頼の代になっての拡大政策は…
914 :
勝頼大好き:03/08/31 18:21
どうぞご自由に・・・
916 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 02:42
まだやってんの?
918 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/14 04:38
age
>>914もまた何処かで見たような文章を繋いだだけか
921 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/28 00:08
age
922 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 23:41
捕手
923 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 23:54
\`
, ‐'´ _ ヽ | ー十
∠ -‐,'´‐' ´ i レ ⊂ト
, ‐'´ _ , l
∠ -‐'/,.ィ /|. 、 |
| ー十 /// /|/::::l !ヽ. ト、 、 | / !!
レ ⊂ト /" / ./ , /| /、!_::u:ヽ|_,,ゝ!-ヤヽ. | \
! /l ./l /`l/ 、..」 l|_,,. -‐' ´\l、 |
l/ i./ l/ ====、 __ :====:::::| |⌒i ヽ ・
/ !! / lヽ、.__。,/;: ゙゙ 、。_ ,ノ::::::| .|ニ!.!. ヽ
\ l ::/;:::::::v / j:::| ト_l | `ゝ ・
l /;::::::::::__::) _, ‐'´ ::::|.L_ノ `‐、 鶏肋鶏肋
・ i`ニ---──── '7:::::|| ト、._ ヽ、
,.へ〈~ ; ヽ______,.ノ:::/:! |. T  ̄``''‐ 、.
・ , -‐- 、.._ ヾ、ミヽ〜′___ ::::/:: !. 、! |``''‐ 、. ``''‐ 、
,.‐'⌒'''‐- 、 )/ヾど! ヽv ̄ ̄::::::::/::: | | ! ``''‐ 、
/ ̄`''‐、.._,ノi"⌒i. |. ヽ:::::::::::/::: l 、!. |
{,.'⌒'''‐- 、 ノ .l: ! |. l ヽ/ |::: U l ,! .|. |
/ ,、._,.イ__,ノ:: / ! | .| ト、. | ,ィ / |. |
. / ,ノ::::::::::::/::::: i. / レ'W | |,','`,ー-‐,レ' W,| | |
924 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 07:41
age
要はさ、戦車があれば一撃だったよな!!
戦車一台で一点突破よ
後は騎馬隊の突入でけちらす・・
はぁー
何言ってんだか
926 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/22 00:31
age
927 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/05 20:41
age
928 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/05 21:38
嗚呼!
今ちょうどディスカバリーChで武田の騎馬軍団が
やられている・・・・
929 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/05 22:36
それは何の番組?
影武者?戦国自衛隊?
ディスカバリーで「武士の魂」
外国人から見た日本人&日本刀のお話
なかなか面白かった。
ま、武田の騎馬軍団が新兵器の鉄砲にやられるシーンなんだけど。
ディスカバリーも、それならチェリニョーラでも特集すればいいのに。
932 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/15 11:24
age
933 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 07:48
age
934 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 08:38
ネタ切れみたいね
結果からいうと、やっぱり鉄砲3段かな・・・・・
あとは、勝頼が重臣達の話しを聞かなかった・・
聞き入れようとしなかったのも痛かったな。
それは作り話。まだんなこと言ってるか!
937 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 02:11
激しくガイシュツの話だろうが、なぜ武田軍がわざわざ設楽が原まで出向き、しかも決戦を挑んだか。
そこで武田軍を動かした「勝算」の内容が知りたい。
まさか集団自殺願望にかられたわけじゃあるまいし、
「重臣達の話を聞かなかったというのは作り話」「勝頼筋肉馬鹿説も作り話」
ということであれば、武田軍が何を思って戦さに臨んだのかを説きたまへ。
938 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 02:16
>>937 信長と勝負できるのは、信長有利の状況以外に有り得ないからです。
939 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 02:27
>>938 長篠での戦機を逃せば、そこから先はそれ以上に武田軍に有利な状況は二度と訪れないから、
不利でも何でもいちかばちか長篠で決戦を挑むしかなかったということかい?
940 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 02:32
>>938 それって他のスレでも話題になってたけど、
長篠の合戦の状況をうまく説明できないやつが必ず言うことなんだよな。
あのままじゃどっちみちジリ貧で滅ぼされるから不利を覚悟で突っ込まなきゃならなかった、っていうの。
武田軍がそこまで先を読めてれば、もう少しマシな手段(織田家と外交して家名を残すとか)を選んでたような気がする。
にもかかわらず長篠で戦ったのは、やはりあの状況で成算があると踏んだからじゃないのか?
「どっちみち滅ぼされた」のひとことで片付けちまっていいものかね?
>>940 難癖つけるだけならサルでもできるわボケ
>>941 難癖?
勝頼愚将論に対して「そんなものは講談師の作り話」と片付けるのは通の意見で、
それに疑問をもつと難癖か?
俺の疑問にまともに答えようとしたやつをこの板ではまだ見ないが。
他人をサル呼ばわりするならサルではないところを見せてみたらどうだ?
人間の片鱗をな。
>>941 むかついたんでもう一言。
どこがどう難癖なのか説明してみろ。
>勝頼愚将論
ぎゃはははははw
それこそ「勝頼は武田家を滅ぼしたから無能」だの
「勝頼が無能だから武田家が滅んだ」だの
じゃあ「勝頼が有能なら武田家は滅びなかった」が真になるのか
という問題にも答えられぬ逆も対偶も心得ぬ論理のろの字も知らぬ
アホどもの理屈。
難癖を難癖といわれて難癖で返すアホの典型。
よし、まんまと釣られたな!おまいたち甘いヨ?
勝頼が継いだ時点でどの道、滅亡は回避出来ないよ
>>944 「勝頼が愚将だから武田が滅びた」→「勝頼が愚将でなければ武田は滅びなかった」(逆)
逆は常に真であるとは限らない。対偶の場合と違って。
そんなことはわかりきっている。俺はそんなことを問題にしているのではない。
あんたそこまで言うからには長篠の合戦についてひとかどの見識はもってるんだろうな。
直接の議論を離れたつまらん理屈をこねてないで、
>>940の問題に直に答えてみたらどうなんだ。
それともただの「煽り」か?
948 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:07
>>946 それは「勝頼だから」か、それとも例えば「信玄が生きていても」か?
>>940 確かそうだと思う。
勝てると疑わなかったから戦いを挑んだ。その結果は(ry
950 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:09
952 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:11
>>947 >長篠の合戦の状況をうまく説明できないやつが必ず言うことなんだよな。
などと言い、
>にもかかわらず長篠で戦ったのは、やはりあの状況で成算があると踏んだからじゃないのか?
などと言うのであれば、
自分でその「勝算」とやらを考え給へ。
「時間が経てば経つほど兵力差が開き勝ち目がなくなるから
最初のチャンスを逃さなかっただけである」
と言われて
「純粋に局地戦として勝算があったはずだ」
と答えるのであれば、その「勝算」とやらを納得できる形で
考えるのは君の役目である。
953 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:11
>>940 俺もその部分については賛成する。
いくらその後のジリ貧状態が予想されたからと言って、目の前の合戦に勝ち目がなければやらないだろう。
遠い未来はそこまではっきり予想できないだろうから。
絶対に武田軍には何らかの(それもけっこう高度な)勝算が長篠の時点でなければおかしい。
義信が死んで勝頼が光景者になった
既にこの時点から滅亡へのカウントダウンははじまっていた
既に語りつくされているが、小説で言う佐久間の裏切りや、
または織田重臣クラスの裏切りの約束を取り付けたなど、
信長の策略にまんまと誘い出されたと思う
956 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:15
>>954 したり顔でそう言うのは簡単だが、物事はそんなに簡単じゃないと思うぞ?
957 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:16
>>954 それは勝頼が悪いのか?
じゃあ勝頼はただの猪武者?
958 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:16
>>955 とりあえず佐久間のネタは江戸中期以降にしか出てこない話だから
無視すべきだろう。
てか、誰か次スレたててちょ
961 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:18
所謂「義信派」の戦略では、今川に与力し、織田と上杉を敵とするので
あるから、信玄の戦略以上に泥沼の消耗戦に引き込まれて早々に
滅亡するのではないかと思う。
962 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:19
>>955 俺もそう思う(事の真偽はもちろんわからないが)。
武田軍に「勝てる」と思わせる、何かよほど強い要素があったはずだ。
それをみんなに聞いてみたいと思っているのだよ。
俺としては作り事と言われている「離間の計」説は案外真実じゃないかと思うんだ。
柵の内側から裏切り者が出れば、内外呼応して大軍を混乱に陥れるのは武田の騎馬隊をもってすれば不可能ではないだろうから。
つまりは普通に太郎が継いで、四郎は諏訪の当主で終える
これがアライブ
>>962 武田の騎馬隊などと言ってる時点で(ry
>>964 織田と上杉を同時に敵に回そうという当主では
とてもじゃないが勝ち目なぞ無いだろう・・・
武田の騎馬隊なら空も飛べるはず
968 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:22
勝頼がDQNだったとしても、信玄子飼いの名将ぞろいなのが武田家。
彼らが付き従っていた長篠でいくら勝頼がトチ狂った命令を出しても、重臣達が押さえたと考えるのが自然。
なぜなら、信玄のあとを継いだばかりの勝頼に、重臣達の意見をはねのけるだけの力があったとは考えにくいから。
だとすれば、やはりそうした名臣達もそろって長篠での決戦に賛成したということになる。
その理由は何だろう?
兵力差、また、武田軍にすれば城攻めに近い状況を考えると、
織田の重臣に誘いをかけており、それを信長が逆手に取ったという説はそれなりの説得力をもつ。
第一、武田軍の長篠の戦いが始まるまでは口論なんてないよ。
勝てると思っていたんだよ。口論は後世の作り話。
970 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:24
>>965 またそれか。
むやみやたらと通説に牙をむき、根拠を尋ねられると「お前は素人」呼ばわり。
議論をする気があるのかないのかまるでわからんぞ。
>>968 常識的に考えて、調略ってのは戦略的に優位にある方が行うから
効果があるんであって・・・
あの長篠の局面で調略をかけようだとか思ったり
相手が誘いにのったと信じ込んでしまったり
するような阿呆がいるんかいな?
その「名将ぞろい」とやらの武田家で。
>>986 同感。
仮に本気で勝頼が<無謀な突撃をかけよ!>と命令してもだ、
歴戦のツワモノ揃いの武田軍が聞き入れるはずないと思う。
山県、馬場、内藤が付いてた訳だし。
973 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:27
>>970 何?
騎馬隊の話がしたいの?
いくらでも付き合うよ?
とりあえず、当時の指揮系統と軍役と各種兵器の装備率と
戦闘隊形あたりから話さないといけないんだけど。
何か聞きたいことがあるのかな?
騎馬隊の話は無視
975 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:32
>>971 戦さが始まる前の優劣はもちろん大事だが、
「裏切れば戦さに勝てる可能性があり、しかもその戦さの勝者が戦後の天下を握りうる」
という状況であれば、たとえ戦前には勢力に差があっても裏切りに応じる武将はいてもおかしくない。
長篠の合戦はそういう性質の戦さだったと思うんだけど。
976 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:34
>>973 悪いが騎馬隊の話そのものがしたいわけじゃない。
ただせっかくだから武田軍の騎馬隊がよく聞くような強力なものだったかどうか
教えてくれるとありがたいけど。
978 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:35
長篠の戦いが武田に不利な状況であったと考えれば考えるほど、
じゃあなぜ武田軍はわざわざ戦いを挑んだのか、という疑問は強くなるよね。
979 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:36
>>975 そう?
信長にすりゃ、長篠で負けた所で一寸の領土すら失わないし、
まして自身の戦略的優勢は全く揺るがないでしょ。
それこそ、信長自身が死にでもしない限りは。
980 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:39
>>976 「武田軍が強かった」というのは、軍法・統制・指揮・戦術などの点で
優れていたということであり、戦術が当たれば勝つけど外せば普通に
負けてます。
まして騎馬隊なんてものは「武田家独自のもの」としては存在しません。
981 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:39
勝ち目があると思ったから戦った
これしかない
982 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:40
>>979 信長が死ねば確かにやばかっただろうね。
でもそうじゃなくとも、あの狭い場所では背走を始めた大軍は武田軍の格好の餌。
いくら信長でもそれだけの敗戦になれば兵力的にはこたえるでしょ。
さらに、「織田軍が半分以下の武田軍に負けた」という事実はもっと痛い。
反織田という姿勢をはっきりさせていなかった諸侯がいっせいに立ち上がる恐れがあるから。
そういう意味では、急激に成長しすぎて孤立気味だった織田軍にとって、
戦後のことまで考えたとき、長篠はけっこうリスキーな合戦だったんじゃないかな。
983 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:41
小山田信茂が廿里合戦で少数ながら北条氏照軍を破った時のように、
迂回戦術が成功すれば勝つ可能性も少なからずあったでしょう。
「勝ち目」として考えていたのは迂回戦術。これ。
ただし失敗すればもれなく負けるけど。
984 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:41
江藤
985 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:42
>>980 それはわかるよ。
質問の仕方が悪かったみたいだね。
問題は、その軍法云々が長篠の合戦の状況で発揮されえたかどうか。
それが発揮できた状況なら、やっぱり「武田の騎馬隊」は強いわけでしょ?
信雄や信孝では勤まらんし、信忠でも厳しいな
987 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:44
そうだな。江藤がいなかったからだ
988 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:44
>>983 迂回か。
正面に柵があって鉄砲の銃口が待ち構えてるんだから、そりゃ誰でも考える罠。
でもそれぐらいのことは織田軍も当然予測していたはず。
となると、迂回戦術+αがないと、
>>981が言うような「勝ち目」までは出てこない。
その+αが織田家の重臣引き抜き作戦だったんじゃないかと思ってるんだけど。
989 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:45
>>982 武田軍が東に逃げようと思えば正面と右が川で左が山で一本道しかないけど、
織田軍が西に逃げようと思えば大した障害物は無い。
経済力ありまくりの織田家に兵の損失は武田家ほどには響かない。
990 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:45
仮に織田軍が負けて逃げ出してたら、うまく逃げられたのかね。
実際に負けた武田軍は追撃されてボコボコにされてるが。
991 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:46
江藤
小山田隊は最強ですから( ̄ー ̄)ニヤリッ
993 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:46
>>989 なるほど。後ろに控えてる逃げ道が違うと。
しかしそういう障害物のない場所だと、武田軍は追いかけやすいとも言えるんじゃない?
もちろん織田軍が逃げ始めてるという前提で。
994 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:47
江藤
995 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:47
後は逃げればいいのに立ち向かって死んだり、、、
誰?江藤って?
997 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:48
江藤
998 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:49
江藤ha江藤
999 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:49
ラストサムライ
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