>1
乙
3 :
NASAしさん:03/07/27 19:31
今度は何を語ろうか?
4 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/07/27 21:34
1さん乙です。
>>3 末期の連絡船フィーバーとかは駄目?
なんかスタンプラリーみたいのが、あった気がする。
7隻全てに乗船すると商品が貰えるみたいな・・・
5 :
NASAしさん:03/07/28 01:11
1さん乙。
良スレだと、単なる「その2」でもイイね。
6 :
NASAしさん:03/07/28 10:06
8 :
まちBBSのスレ:03/07/28 13:41
あぼーん
10 :
NASAしさん:03/08/02 22:39
age荒らし対策保守
11 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/08/04 06:47
商品って何だったのかな?
覚えている方、居ますか?
12 :
NASAしさん:03/08/08 08:59
13 :
名無しの連絡船:03/08/08 18:41
そういえば、外国に売却された津軽丸、石狩丸、空知丸、松前丸、十和田丸は現在、どうなっているの。
数年前にファンが現地まで訪ねていった記事が新聞紙上に大きく出ていたけど。
津軽丸がまだ現役なら乗ってみたいな。
14 :
NASAしさん:03/08/08 20:37
15 :
NASAしさん:03/08/12 21:06
八甲田丸就航記念日AGE
1964年8月12日 14便より就航
当時は夜行急行「北上」に接続する13・14便に優先的に新造船が配船されていた。
10月改正(東海道新幹線開業)では3・4便(元13・14便)は3時間50分航行に変わったので
新造船(津軽丸、八甲田丸)が限定運用された。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
17 :
NASAしさん:03/08/17 08:13
hosyu
18 :
(* ̄д ̄)y─┛〜〜:03/08/17 08:16
19 :
NASAしさん:03/08/17 23:13
こらっ、前スレageたの誰だ?
昨日、長崎のホテルヴィクトリアを見に行ってきた。
さすがに世間でいう「盆休み」最終日だけあって、宿泊客数は多くないと思われ。
しかし、元遊歩甲板の上のベンチでのんびりくつろぎながら、潮風にあたっていると気分の良さ、この上ないでつ。
五島からフェリーや伊王島往復のシャトル船が行き来する長崎港も情緒があってよかったよ。
21 :
NASAしさん:03/08/18 22:07
>>20 ある意味、最も成功している保存連絡船かも知れないですな>ホテルヴィクトリア大雪丸
>>21 でもあそこも経営がヤバイらしいね。
潰れる前に泊まりに行かねばのう。
23 :
NASAしさん:03/08/19 20:43
そろそろ青函連絡船復活の準備した方が良いんじゃないか?
青函トンネル、天井なんか鍾乳洞状態で老朽化ひどいよ。
何よりもトンネルの天井と海底が近いのが怖いよ、あのトンネルは。
25 :
名無しの連絡船:03/08/19 21:36
ホテルヴィクトリアのオーナー会社のハヤシマリンカンパニーは今後、
船舶事業(傭船、ドックetc.)と関連事業(ホテル、ゴルフ場、スポーツジムetc.)に分けて再建を目指します。
以前、新聞には関連事業の内のホテルに関しては、支援企業を探すと載っていた。関連のいくつかのホテルは
売却すると思われ。
これは漏れの憶測だが、すでに大雪丸の改造に30億円以上を投資していることを考慮すると、支援企業を募るか、
関連ホテルを売却して、ヴィクトリアの経営一本に絞り込むことも考えられる。
なんだかんだ言ってもお役所がバックの摩周丸、八甲田丸や超巨大財団法人所有の羊蹄丸とは違い、民間企業としての
経営努力が求められるヴィクトリアの起死回生によるメークミラクルに期待したい。
26 :
NASAしさん:03/08/19 22:19
>>23 青函トンネルについて何にも知らないだろ?
トンネルの天井と海底が近いって…100メートルもあるのにな。
27 :
NASAしさん:03/08/19 23:40
>>26 関門トンネルは海底から20mの深さだぞ。
あまりに浅すぎて海水が降ってくるもんだから
海底に土俵を埋めたという話は有名。
100mならそうそう心配いらないだろ。
土俵を埋めるんですか?
土嚢じゃなくて・・・。
お相撲好きが多いんですかね。
29 :
NASAしさん:03/08/20 00:16
お相撲さんもびっくりした! どひょー!!!
31 :
NASAしさん:03/08/20 05:21
お前らこそ、天井見てみろ。
北海道新幹線できるころにはトンネルはもうおシャカだぞ。
かといって、いまから掘り直しでは20年後だし。この路線は完全に失敗した。
へー、鍾乳石が出来てるとトンネルってダメなんだ(プッ
つかスレ違いだからsageでやれヴォケ
>>31 北海道新幹線できるころには、
20年かかっても、23世紀には間に合うはずだが・・・・・・。
>>23=31だと思うが…。
青函トンネルのことを何もしらんのに一方的に叩くと「厨房」って言われちゃうよ。
キミの論理だと青函トンネルよりりんかい線の台場トンネルの方がヤバそうだな。
なんてったってトンネルの天井〜海底がコンクリートの厚み分だけだし、トンネル内鍾乳石
は20年以上に及ぶ放置期間の間に伸び放題でホンモノの洞窟に近かったからね。
鉄道連絡船ヲタを単なる船ヲタや鉄ヲタと一緒に見るようなナメたマネはよせや。
36 :
NASAしさん:03/08/21 22:05
>27
青函については神が鉄路車板のホッカイドウ鉄道あぼーんスレにいらっしゃいます。
ふざけたタイトルですが、名スレです。
現スレ
>>1に過去ログへのリンクがありますから、ご一読をお勧めします。
>34
素直にヤバくないでつか?対策はしてあるでしょうけど
前スレ埋め立て完了。
乙彼様。
38 :
NASAしさん:03/08/22 01:40
すれ違いでもないでしょ。32と34はカルシウム摂れ
39 :
NASAしさん:03/08/24 03:34
前スレをageた本人です。正直スマンかった。
40 :
NASAしさん:03/08/27 22:31
まもなく、洞爺丸・第十一青函丸・北見丸・日高丸・十勝丸の各船遭難者の五十回忌だな・・・
>>40 この度マンションを買ったんだが、引き渡し日がその日だったりする。
42 :
NASAしさん:03/08/27 22:58
災い転じて福となす。笑う門には福来たる。
43 :
NASAしさん:03/08/31 21:17
初代大雪丸&渡島丸 引退記念日AGE
1964年8月31日 大雪丸(初代) 第31便にて引退
1965年8月31日 渡島丸(初代) 第111便にて引退
因みに初代大雪丸はギリシャ〜キプロス間フェリーとして1991年11月まで生き残ることとなる…。
44 :
NASAしさん:03/09/01 02:15
また乗ってみたいなあ。青森桟橋の長いビニール張りベンチが懐かしい。
文盲のお婆ちゃんの乗船名簿書いてやったのが懐かしい。伯養軒のまずいそばが懐かしい。
>>43 命日は12/6だね。
石狩丸は今、アフリカ航路です。
47 :
NASAしさん:03/09/03 14:38
実は昨日(9/2)、元青函航路補助汽船ひうら丸(現在、石狩港配置)が
定期ドックで函館に来ており、15年ぶりに摩周丸に接近再会、入館者数が
5万人を突破した祝賀に汽笛を吹鳴、摩周丸もこれに応えて汽笛を吹鳴し、
エールの交歓を行ったという一幕もあったそうだ。(北海道新聞記事掲載)
摩周丸と元青函連絡船タグボート、15年ぶりに「再会」 函館 09/03 道新 詳細
一九八八年三月に青函連絡船が廃止されるまで函館港で活躍し、その後、石狩湾新港に移ったタグボート
「ひうら丸」(二百三十七トン)が定期点検のため函館港に入港し、二日に摩周丸と十五年ぶりに“再会”
した。来場者五万人を達成した摩周丸と汽笛のエールを交わした。
ひうら丸は、青函連絡船の函館港での着離岸をサポートする補助汽船として、連絡船の廃止時まで活躍。
八八年四月、連絡船の三等航海士だった沢村政志さん(52)が新たな船長に就任し、石狩湾新港管理
組合の所属となり、同港に移った。
ひうら丸は、これまでにも三年に一度は定期点検のため、函館港に来ていたが、摩周丸に接近する機会
はなかった。しかし、今年八月二十日から再び函館入りすることを知った摩周丸のOBらが、船体を整備
した函東工業などに働き掛け、十五年ぶりのランデブーが実現することになった。
再塗装を終えた、ひうら丸は、十五年前の鮮やかな薄緑と白色の船体を取り戻し、二日午後一時すぎに
リニューアルオープンした摩周丸にゆっくりと接近。同日に入場者五万人を達した摩周丸を祝う汽笛を
鳴らした。摩周丸からも、同日に石狩湾新港への長い帰路に就くひうら丸の無事を祈る汽笛が鳴り響いた。
沢村船長は「ひうら丸は、連絡船の関係者が一目で分かるように当時の船体の色を守っている。摩周丸も、
函館で係船されることで、人々の連絡船の記憶を呼び覚まし、その功績を語り続けてほしい」と話していた。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20030903&j=0041&k=200309035607
49 :
NASAしさん:03/09/11 06:15
1972年当時、十和田丸と摩周丸のプラモが出ていたよね。
(摩周丸はメチャメチャにスケールが狂った駄作だった。)
あのような駄作に高い値段が付いて居る事が不思議でならない。
50 :
NASAしさん:03/09/11 22:09
文藝春秋昭和55年10月号に上前淳一郎氏「洞爺丸はなぜ沈んだか」発表。
当時16歳だった自分は購入して一気に読み尽くした覚えあり(翌年加筆の上、単行本化)
51 :
NASAしさん:03/09/11 22:55
52 :
NASAしさん:03/09/12 14:18
>>51 摩周丸のは知らんけど、十和田丸(旧型)のプラモは確かにあった。
箱の絵が新船なのに、中身は旧船という、ヘンな品だった。(w
どこの模型メーカーかは忘れちゃったが、あまり有名メーカーではなかったような・・・
53 :
NASAしさん:03/09/12 22:05
でも、救命ボートが舷側にズラリと並んだ初代十和田丸の姿も、俺的には結構好きだなー。
54 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/09/15 17:23
55 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/09/16 17:28
自己レス
静教=静岡教材社だったと思います
初代 十和田丸のプラモは、最初はちゃんと初代「十和田丸」として発売されましたが、
津軽丸型の登場に便乗して箱絵だけ津軽丸型にして発売したらしいです。
どっかのホームページに詳しく解説してあったのですが・・・ 画像だけでも保存しておけばよかったな・・・
静教が倒産してしまい、入手困難です。
バンモデリングの青函シリーズが生産中止の今は小西製の製品だけですね、入手可能な青函連絡船の模型は・・・
ちなみに、1/1250は約10p程ですが、完成品で手軽に楽しめるので、今度購入しようかな〜と検討中です。
ペーパークラフトですが、船の科学館で洋蹄丸のペーパークラフトが入手可能だそうです。
どんな物かは未確認です。今度行ったときにでも買って来てみます。
56 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/09/17 14:16
>>52 本家としてはこのままスレを伸ばしたほうが良いと思われ。
もうすぐ洞爺丸台風50回忌age。
59 :
NASAしさん:03/09/19 22:21
>>57 鉄道連絡船も「船舶」です。走る鉄橋では有りませぬ。
60 :
NASAしさん:03/09/24 20:22
49> 俺も組み立てた記憶があるよ。当時のインプレッションを報告。
1.下部船体と上部船体が合わない。(
2.遊歩甲板の形状が船体カーブと違うので
ヤスリ等で大修正が必要。
3.洞爺丸と摩周丸ともに煙突が小さすぎる(特に摩周丸は
禿げしく小さかった(金型のスライドをケチったのが原因))
結論:当時の船を再現する場合に煙突とは非常に重要な要素だもんな。
今でも旧国鉄連絡船は潜在人気が高いのにプラモにないのが不思議だよ。
61 :
NASAしさん:03/09/26 05:49
今日は洞爺丸台風五十回忌。
…北海道は大地震か。
9/26は災害特異日だな。
62 :
NASAしさん:03/09/26 10:40
今宵は、第十一青函丸・北見丸・洞爺丸・日高丸・十勝丸の五十回忌。合掌、黙祷・・・・・・
(-人-)
64 :
NASAしさん:03/09/26 15:52
連絡線廃止の次の正月に「海峡の友」が放送されてましたね。
あのビデオって絶版になっているみたいです。
65 :
NASAしさん:03/09/26 18:45
1954年9月26日 18時39分 遅れ4便青森行 青函連絡船洞爺丸出航…。
乗客1151名、乗組員111名ほか 合計1314名乗船
66 :
NASAしさん:03/09/26 20:58
67 :
NASAしさん:03/09/26 21:06
洞爺丸型に乗客1000人以上とは、おそらくスシ詰めだったのでは・・・?
洞爺丸型は乗ったことないんで、実際は知りませんが。
後の津軽丸型でも、乗客800人で実質満員、定員だとデッキまで人が
溢れてましたからね。大型化しているにもかかわらず。
晩年の青函連絡船では、如何に日曜日とは言えども9月末頃に、乗客千人だなんて
想像も出来ませんでした。
1954年9月26日は日曜日だったようですが、当時の青函連絡船は本当に大動脈
だったんですね。船長も、きっと責任感と善意で、運航再開を急いだんでしょうが・・・
68 :
NASAしさん:03/09/26 21:29
黙祷。事故が風化しつつある。
69 :
NASAしさん:03/09/26 22:06
>>67 この日の洞爺丸は、急行「まりも」と後続の急行「あかしあ」の乗客と、運航を断念した第11青函丸からの移乗客で3等船室はスシ詰だったことは押して知るべしです。
他には、満員で乗船を諦めた客で桟橋待合所(夜半には負傷者救護所になったそうだ)や駅前の旅館はどこも満員だったと思います。
70 :
NASAしさん:03/09/26 22:15
66> 乙。
逃げた方が大勝利か。
さすが28歳3流大学放校無職引き籠もり真由美にそっぽ向かれたオフ全逃げアル中の言うことは違いますな
>71
?どこからおいでですか?
22:26 洞爺丸坐礁
確か津軽海峡を脱出した連絡船は、助かったような・・・。
22:43ごろ 洞爺丸横転
(-人-)
>>72-73 アンチ球団板
28歳3流大学放校...は常駐している基地外
80 :
NASAしさん:03/09/27 02:57
>>64 タイトルは「さらば海峡の友よ」ですよ。
テレビ朝日だったと思います。
81 :
NASAしさん:03/09/27 11:50
49年前の9/27も青空でした。
82 :
NASAしさん:03/09/27 12:36
今日2003年9月27日の函館湾も、秋晴れの良い天気です。
83 :
NASAしさん:03/09/27 20:38
今日、七重浜にある洞爺丸の慰霊碑の前の国道を通ったけど、慰霊碑には幾つも献花がされてたよ。合掌。
84 :
NASAしさん:03/10/02 01:52
お台場の羊蹄丸、国鉄カラーに戻すらしいという話が。
85 :
NASAしさん:03/10/02 08:54
>>84 ソースがあっても信じないよ。
最初に笹川記念館に来た時だって、元の色に戻すって発表しつつしなかったし。
87 :
NASAしさん:03/10/04 00:05
>>86にソース喰わされちまった折れってヴァカ・・・(w
運輸交通板の看板スレは青函連絡船が9隻?
89 :
NASAしさん:03/10/05 11:07
>>88 モノホンが8隻と、マガイモノが1隻だ。(w
連絡線からトンネルになって思ったほど時間が短縮しなかった。
91 :
NASAしさん:03/10/06 11:04
>>90 トンネル区間は別として津軽・江差線区間を改良しなければ
時間短縮は難しいだろうね。
商売的には失敗したが、トンネルに対抗して高速船で青函間を
結ぼうという発想が出て来たのも頷けるかな。
めざましtvが摩周丸から中継
うおおおお! 四本煙突〜。
94 :
NASAしさん:03/10/13 20:14
洞爺丸事件が無かったら、4本煙突も美しい語り草になったのかなぁ・・・・・・
年寄り連中に言わせれば、翔鳳丸型・洞爺丸型・新津軽丸型を較べれば、
4本煙突の洞爺丸型がいちばん良かったって、未だに言うもんなぁ・・・・・・
折れなんか、新津軽丸型しか乗ったことねーよ。それでも今では幸せな部類かも。
サルベージage。
96 :
NASAしさん:03/10/26 20:43
1964年10月26日 初代摩周丸 第11便にて引退。39周年記念AGE
97 :
NASAしさん:03/10/31 19:45
1947年11月2日は、かの洞爺丸が青函航路に配属された日だ。
就航は、1947年11月21日だったという。
船内は暖房完備、洗面所でお湯がジャンジャン使える、
当時の日本の状況では、夢のような設備水準だったそうだ。
98 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/11/05 20:44
臨海副都心のフリーペーパーの「シーサイドストーリー」を読んだら、
洋蹄丸が船体塗装を国鉄塗装に戻すと記載されていました。
12月中旬には塗り替え終わるらしいです。
99 :
NASAしさん:03/11/05 21:52
>>98 「羊蹄丸の国鉄塗装は野暮ったいので、より見栄えのいい十和田丸の塗装にしました。」
101 :
NASAしさん:03/11/05 23:55
102 :
NASAしさん:03/11/07 01:09
なるほど
103 :
NASAしさん:03/11/07 14:01
>>100 「羊蹄丸」の現在の塗装は、ジェノヴァの「国際海と船の博覧会」に日本政府館として
出展したときの塗装のままで、帰国後改装費用がなかったためそのままになっていたんです。
ようやく改装費用が工面できたのかしら。
シーサイドストーリーはフジ・産経グループが出している広報紙だから、そんなに誤った
記事は書かないっていうか、おそらくは「船の科学館」が原稿を書いていると思うので、
大丈夫でしょう。なにはともあれご同慶の至りでございます。はあと
104 :
NASAしさん:03/11/08 16:04
>>100 幼少の頃の記憶と印象だから、絶対の自信は無いけど・・・
羊蹄丸の昭和40年代の船体色は、青函航路晩年の改造客貨船の石狩丸・檜山丸に近い感じの、
そんなにくすんでいない赤(えんじ?)だった。雨天のときにも結構鮮やかな色調に見えた。
青函連絡船の古い絵はがきを見ても、羊蹄丸は結構鮮やかな感じの赤に写っている。
羊蹄丸晩年の色、えんじ色なんだが、劣化を差し引いても少しくすみが強かったように思える。
ドック入りで塗り直すたびに、少しずつ塗色の調合(色度)が変わっていったのかも?
津軽丸や大雪丸なんかも、船体塗色の色調は、劣化以外にも微妙な変化があったように思う。
105 :
NASAしさん:03/11/08 17:50
羊蹄丸の外舷塗色は旧国鉄本社のご意向で「こだま型」電車の色を採用。
ウエストラインから下と煙突のベースがマンセル番号4.5R3.3/9の「深い赤」
船体上部と甲板室、煙突の鉢巻、レーダーポストは2.5Y9/4の「薄い黄」。
国鉄マークは7.5R4/14.5の「赤」。煙突頂部は2.5PB3/5の「黒青」
後部マスト兼煙道は下部が「銀」上部が2.5PB3/5の「黒青」でした。
(古川達郎氏/続・連絡船ドックより)
マンセル記号で決められているので色調はそんなに変わりませんが、
天候や塗料の劣化で見た目には結構違って見えます。
特に晴天の昼間順光と、日没時や曇天では同じ色なのにこんなに違うか
というほど変化します。
「大雪丸」は引渡し時は「5G7/6の明るい緑」と「7.5Y9/0.5の乳白」でしたが
就航後に「2.5G3/5の濃い緑」と「2.5Y9/4の薄い黄色」に塗り替えられたそうです。
106 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/11/08 22:36
107 :
NASAしさん:03/11/09 11:00
昔淡緑と白だった氷川丸が郵船塗装に塗り替えられたのと同様に
羊蹄丸も本来の塗装に復旧!
なにはともあれ目出度いことです。
109 :
NASAしさん:03/11/09 17:24
旧塗装に塗り替えると「赤錆」が目立たなくてよいかも>羊蹄丸
110 :
NASAしさん:03/11/09 23:11
>>104-105 羊蹄丸の色が経年と共にくすんできたのは、塗装の重ね塗りが原因だと思う。
聞いた話なんだが、赤系のペンキってきれいに発色させるのが難しいらしい。
そこで普通は下塗りに白を塗ってから赤を塗るときれいに決まるらしいのだが、
羊蹄丸はドッグ入りの塗り直しでは元々塗られていた赤の上にそのまま赤を塗ったのではないかと思う。
そうすると塗り直すたびに赤が濃くなって、だんだん茶色に近い色になってゆくらしいから
111 :
NASAしさん:03/11/10 08:26
>>110 赤色という色そのものが発色の維持が難しい色なんです。
古いカラー写真とかでも、赤が最初に抜けていって、青や黄色っぽい
色になってしまうでしょ。あれとおなじ。
田舎の定食屋のファンタグレープのサンプルがファンタメロンになって
しまっているのもこれと思われ。
112 :
NASAしさん:03/11/10 21:30
>>111 それは印刷インクの話だぽ。
古いペンキ用の顔料では、色が褪せて白っぽくはなるけどね。
>>110 > 羊蹄丸の色が経年と共にくすんできたのは、
純真(ピュア)だった俺の心がくすんでいったから。
羊蹄丸は何も変わっちゃいないのさ。
ツマンネのでsage
114 :
NASAしさん:03/11/15 09:20
>羊蹄丸
何時の間にか塗装工事がはじまってるYo。
ゆりかもめの中からちらりとみただけだけど、煙突だけ
旧塗装に戻っていて、後部マストの青を濃い青に手塗りで
塗り替えてたYo
115 :
NASAしさん:03/11/20 03:07
あの〜前から気になってたのですが青函連絡船ってナンですか?
インターネットを調べたら、JRが船まで動かしてたんですか?
なんで鉄道会社が船を動かすんでしょうかね?
民間のフェリー会社に頼めばいいのに。
私が知らない時代の話のようですけどね。
116 :
NASAしさん:03/11/20 03:30
最近ではJRの国際航路なんてものもあるわけだが(青春18きっぷ不可)。
鉄道路線網の一部だったんだから国鉄が開設したのは自然な成り行き。
>>115 なんかこういう話し聞かされると自分がとんでもなくジジィになったって気がするなあ。
そういう漏れも無くなる直前に1往復しただけなんだが。もう無くなって15年くらいになるのかなあ。
青函連絡船について知りたいならとりあえずここと前スレに隅々まで目を通すのが手っ取り早いかも。
118 :
NASAしさん:03/11/20 08:36
燃料投下の気もするが、やはり年齢は感じますよね。
青函連絡船の使命は旅客よりもむしろ貨車の航送にあるなんて、
貨物が下火の今ではわからないでしょうね。
旅客だけなら民間でも可能だったかもしれないが.....。
119 :
NASAしさん:03/11/20 09:28
>>118 むしろ逆。
旅客は飛行機。
貨物はトンネルと船。
航送はとくに時間のロスが大きいので荷主が離れたが、
トンネルによる時間の短縮で客が戻ってきた。
現在は江差線・津軽線の単線部分のせいで、容量が不足している。
120 :
NASAしさん:03/11/20 20:39
松前丸のファンネルマークのベースは当初肌色の単色だったけど、途中から他船同様に上下に帯が入った記憶があるんですが合ってますか?
>>119 それは連絡船末期のハナシでしょ。
それこそ
>>115に戻ると「なぜ民間ではなく国鉄が?」という疑問からすると、
その歴史的な背景には「貨物」の重要性があるとおもうが。
122 :
NASAしさん:03/11/20 21:57
123 :
NASAしさん:03/11/20 22:04
青函連絡船が1日30往復も、津軽海峡を行き交っていた時代があった。昭和40年代末。
それでも当時、輸送制限を設けるほど混雑していた。1日32往復化も検討されていた。
青函連絡船が運んでいたもの・・・旅客もだが・・・貨物列車を丸ごと積んでいたのだ。
124 :
NASAしさん:03/11/20 22:09
海上を自走する鉄橋みたいなもんです。
125 :
NASAしさん:03/11/20 22:15
126 :
NASAしさん:03/11/20 22:42
青函連絡船の模型売ってるのかなぁ・・・
127 :
NASAしさん:03/11/20 23:05
函館桟橋第1乗船口に「津軽海峡」の図があって、
小さな木製の連絡船模型が函館と青森の位置に貼り付けてありました。
あれすごく欲しかったです。
自分で作ろうとしましたが、できばえがよくなかったです。
>>123で
1日30往復→1日30便
1日32往復化→1日32運航化
謹んで訂正いたします。申し訳ありません。
129 :
NASAしさん:03/11/21 12:19
131 :
NASAしさん:03/11/21 22:38
いきなり生産中止とな!?
132 :
NASAしさん:03/11/21 23:38
>>130 そこの渡島丸形カコイイ!
2隻欲しいぞ。
1隻は改造客載車両渡船に改造してやる〜!
>>114 羊蹄丸 、おととい見てきた。
前後の煙突、船橋甲板、及びその下のグリーン船室のある甲板までオリジナル塗装になっていた。
いい感じだったよ。来月初頭には塗り終わりそう。
135 :
NASAしさん:03/11/25 23:08
136 :
NASAしさん:03/11/25 23:18
>>136 船籍港の表記は船の科学館に移ってからずっと「東京」だったんじゃない?
>>137 言葉が足らなかった。
感動だべ。「JNR・東京」だよ!
夏のリバイバル運航を思い出しちゃった…
最終日、俺は十和田丸に乗ってた。
140 :
NASAしさん:03/11/26 00:01
全部塗り終わるまでまだ安心はできない
>>135 その写真だって作り物かも知れない。
実物を見るまで信じないよ。
船の科学館には騙されてがっかりさせられた記憶はまだ古くないからね。
>>141 具体的にどう騙されたの?
別に興味ないけど。
143 :
NASAしさん:03/11/27 08:38
>>142 羊蹄丸が船の科学館に来る前にやった青函連絡船写真展で、
科学館側が「羊蹄丸は展示時までに元の色に戻す」と公式発表していたのだが。
でも色は戻ることなくで展示になったって事かな?
144 :
NASAしさん:03/11/27 20:00
そのときの連絡船ファンのショックはそうとうなものだったんだ・・・
145 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/11/27 21:09
>>143-144 その前に、船の科学館が買い取った時に、
「現役当時のまま」保存とか言っていたのに・・・
世界都市博で公開予定→延期(後に博覧会その物が中止)→公開予定の目途がたたない
→政府に目を付けられジェノバ海洋博で日本政府館としてパビリオンとなる(当然、大改装)
→帰国後、整備して船の科学館で展示(塗装はもどらず・・・)
こんな経緯でしたよね?
間違っていたらフォローよろしくお願いします。
146 :
NASAしさん:03/11/27 21:55
年越しイベントとかはあるの?
147 :
NASAしさん:03/11/27 21:59
羊蹄丸ファンネルのJNRマークは最高!
八甲田丸や摩周丸の単なるペイントマークじゃ、今ひとつ本物らしくない(ゴメン)。
羊蹄丸の船籍港が東京であることも、オリジナルそのものが引き立ってラッキー♪
148 :
NASAしさん:03/11/27 22:32
今回の公式発表は‘塗装を変える‘だ
オリジナル塗装に戻すという発表はない
149 :
青森市出身:03/11/27 22:53
>>147 >八甲田丸や摩周丸の単なるペイントマークじゃ、今ひとつ本物らしくない
八甲田丸や摩周丸は昔からペイントだったような。。?気のせい?
150 :
NASAしさん:03/11/27 22:58
疑心暗鬼age
151 :
NASAしさん:03/11/27 23:19
>>149 航路で現役だった時は、連絡船全船、JNRマークは薄鋼板を切り抜いて製作されたものだったよ。
152 :
NASAしさん:03/11/28 08:32
>>145 ジェノバに行った時に取り返しがつかないほどの大改装をされちゃったんだよね。
隣の「宗谷」がほぼ原形を保っているのに、羊蹄丸があんな変わっているなんて辛い。
例え色が戻っても中身があのままなのだからやっぱ見に行かないと思う。
153 :
NASAしさん:03/11/28 16:38
全然青函じゃないんだけど、
どなたか連絡船先進国、デンマークの鉄道連絡船のサイトご存知ですか?
154 :
NASAしさん:03/11/28 21:59
写真がうpされても信用されないなんて、連絡船ファンの笹川記念館に対する不信感は相当なものなんだな。
>>146 12月31日23時から1月1日午前1時まで
「摩周丸からおめでとう!〜汽笛が告げる2004年〜」
という年越しイベントが開催される予定です。
青森、お台場の情報キボンヌ
156 :
NASAしさん:03/11/30 21:54
ホントにそんなイベントやんの?
摩周丸では何年か前から年越しイベントやってたような記憶があるなあ。
>>156 まったく…疑り深いなぁ。
これだから年寄りは頑固でいけん。
159 :
NASAしさん:03/11/30 23:58
>154
だってうpされてる画像れたっちなんだもん
本物は塗装変わってないじゃん
160 :
NASAしさん:03/12/01 00:22
>>159 鉄ヲタには「ウソ電」なんていうのも流行っているからな。
あの技術をもってすればお台場の羊蹄丸の国鉄塗装化なんて朝飯前だろう。
161 :
NASAしさん:03/12/01 21:26
>>160 余談だが、証拠写真はデジカメEメールではなくポラロイドで撮って郵送でよこせ、と言われたことある。(w
162 :
NASAしさん:03/12/01 21:59
>>159-160 粘着するなよ。
「れたっち」とか「あの技術」、「朝飯前」とか厨丸出し。
>>148 発表では「青函連絡船“羊蹄丸”を往時の塗装に復元!」になっていますがなにか?
>>162 とはいうけど「船の科学館」は羊蹄丸船体塗装に関しては前科一犯だから
信用されないという事実は理解してやってやれ。
あんたも前にウソ言った人間を簡単には信用せんだろ?
「船の科学館」は羊蹄丸が来るときにも同じ発表をしつつも、結果はああなった
という前科持ち。その「船の科学館」が同じ発表をすれば信用されないのは当然。
>>163 すげー粘着(w
ネット上に多数存在する報告者も笹川財団の一味だとでも?
>>164 これだけの粘着じゃなきゃ15年前に無くなった連絡船について
熱く語れるわけがないだろう。
ぁーぁ、こいつマターリと粘着の区別も出来ずに切れちゃったよ・・・。
168 :
NASAしさん:03/12/02 01:00
暑すぎるのもいかがなものか
12月だというのに熱いもんだな。
>>163 そんなに信用できないならお台場行って見てくりゃいいじゃん。
俺はここ1ヶ月ほど、毎週見に行ってるよ。
>>170 てゆーか見に行ってない香具師とか、見に行けない事情がある香具師が
信用していないんだろ?
青函連絡船ファンは全員お台場へ気軽に行ける人間じゃないんだから。
北海道や九州の人間もいるかも知れないぞ。
>>171 田舎者は東京人の証言を信じてりゃいいんだよ。
信じられないなら上京して自分の目で確認すればいい。
>>172 言われなくても見に行くよ、正月にでも。
それまでは信じられないって話をしているの。
特にお前さんみたいな東京人の印象を自ら悪くしてる自称東京人の言う事は信じられないからね。
174 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/12/02 19:07
>>174 おまいもファンの端くれなら一番大事なシップの名前を間違うな!
176 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/12/02 22:31
>>175 ホントだ・・・
お詫びに
ペットボトルに入った灯油持って船の科学姦に自爆テ(以下、自主規制
通報!
178 :
NASAしさん:03/12/03 10:02
何か一部の人間のせいで、糞スレと化したな
179 :
NASAしさん:03/12/03 12:55
前スレと雰囲気が全然違う・・・・・・
>>179 何にも信用できない君の功績だね!!
スレの雰囲気を一変させてくれた彼に感謝!!
181 :
NASAしさん:03/12/03 16:52
てか、たかだか塗装の話で急に荒れるとはねえ。
今日、ゆりかもめから羊蹄丸見たら、船体上部のクリーム色を元の白に塗り戻していたよ!
183 :
NASAしさん:03/12/03 19:09
この時期、連絡船はほぼ毎日のように時化の中を走っていたけど・・・
このスレはほぼ毎日のように時化てるね。
185 :
NASAしさん:03/12/03 22:53
青函連絡船のプラモデルが欲しい
186 :
NASAしさん:03/12/04 00:05
荒れてきたらテケミだ
>>186 またそういうヲタ発言を!
ところでテケミは連絡船だけの用語なのかい?
シメラマシ
189 :
NASAしさん:03/12/04 21:44
>>189 23:00からの回を見た。
ヨカターヨ・゚・(ノД`)・゚・
191 :
NASAしさん:03/12/05 19:33
>>189 今しがた見てた。なんか感動しちゃった・・・・・・
192 :
NASAしさん:03/12/05 19:42
ベージュ色になったとこ、また白に戻ったね<羊蹄丸
194 :
NASAしさん:03/12/09 17:31
195 :
NASAしさん:03/12/09 23:09
>>194 ほとんど奇跡に近い存在。
何せ僚船の洞爺丸とあの台風の嵐の夜を共にして、這々の体ながらも生き残った末の、↑に紹介の通りの後の活躍だから。
197 :
NASAしさん:03/12/09 23:10
198 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/12/11 07:50
オークションにバンモデの大雪丸が出てますね、
私は津軽丸と羊蹄丸を持っていますが、まだ作っていない・・・
199 :
NASAしさん:03/12/14 01:03
羊蹄丸の塗装、だいぶ進んだみたいね。やっぱり元の色は似合うね〜。
201 :
NASAしさん:03/12/15 19:44
右舷側はほぼ塗り終わってるね。
今来ると不審船も見れるよ。
>>201 おととい見てきた。年内に塗り終わるそうだ(4本線の人の談)。
羊蹄丸ってサビサビの姿しか記憶になくて、あのクリームとエンジ色のカラーリングに
いい印象が無かったんだけど、結構いい色だね。
>>202 夏はきれいな色がいいけれど、
冬の「吹雪」・「黒い海」には錆だらけの船体も旅愁があった。
204 :
NASAしさん:03/12/16 22:19
205 :
NASAしさん:03/12/16 22:35
>>204 渡島丸型の内の3隻、渡島丸・日高丸・十勝丸は船体色とファンネルの鉢巻が橙色です。
3隻の各船、塗色の違う箇所は、後部煙突マストの塗り分けで、内部色を除外した外部色は、
渡島丸=下半分:銀、上半分:暗灰
日高丸=下半分:銀、上半分:乳白
十勝丸=下半分:銀、上半分:橙
これからいくと、十勝丸ではなさそう。渡島丸か日高丸のどちらかと思われます。
>>204 ここの函館駅周辺の写真を見ると、桟橋に津軽丸形がいるよね。
船楼甲板に自動車が満載されているように見える。
207 :
NASAしさん:03/12/17 23:29
>>204 津軽丸型は十和田丸ですね。
渡島丸型は、おそらく日高丸でしょう。
>>206 航空写真に写っている連絡船桟橋は、貨車航送専用の国鉄有川桟橋です。
函館駅や函館桟橋は、残念ながら写っていません。
自動車12台積みの姿で、12台航送はS47・7・1〜実施でした。(それ以前は8台)
朝日新聞報道によると、羊蹄丸塗り替え完了は26日らしい。
210 :
NASAしさん:03/12/18 09:25
>>209 ありゃ!羊蹄丸の塗装1日でジェノバ塗装に戻ったのか?
一昨日見に行ったときは国鉄塗装に戻って、工事の人も
いなかったんだが、今日の朝日新聞社会面の「青鉛筆」を
見るとジェノバ塗装に逆戻りしてる・・・・
>>206 >>208 失礼しました。
函館桟橋の津軽丸型連絡船、どうも大雪丸か摩周丸のどちらかみたいですね。
213 :
NASAしさん:03/12/20 22:17
>>204紹介の航空写真で、函館ドックが写っている別写真には、初代の檜山丸&空知丸が
枕を並べたように、函館ドック岸壁に係留されている様子が写っていた。その沖合には、
これまた初代の砕氷巡視船宗谷と思われる船影が写っている。
見ていて飽きないですね(w
214 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/12/22 09:10
昨日の読売新聞の江東版にも羊蹄丸の塗り替えの記事が載っていますた。
215 :
NASAしさん:03/12/26 00:05
今日、用事があってお台場へ行ったついでに羊蹄丸を見た。
舳先の塗り分けラインが高すぎるような気がしたのは俺だけか?
216 :
NASAしさん:03/12/26 00:18
あれが正しい。
今までが低すぎた。
217 :
NASAしさん:03/12/26 07:12
>>216 そうでなくて、現役時代の塗装と比べてってこと。
錨が入っている凹みの上の赤の面積が広すぎるように見えただけ。
でも現役時代の羊蹄丸の写真を見ると、船名表示との位置関係はあれでよさそうなんで
俺の勘違いだと思う。
219 :
NASAしさん:03/12/26 17:11
塗装指示は古川達郎氏がじきじきになさって、就航時にしたとのこと。
ペットマークは当時はなかったし、船尾のフェリー甲板もなかったのは
目をつぶるってこと?
220 :
船長に浣腸:03/12/26 21:22
>>219 そういうことだ。
ていうか、終航時に戻すのは塗装だけ。
マークやフェリー甲板のことまで言ってたら
それこそ内部も全部現役当時に戻さなくちゃならないだろ。
船室に関しては摩周丸でほとんど現役当時のまま放置されてるが
一向に一般開放する気配はないらしい。。
221 :
船長に浣腸:03/12/26 21:23
終航時→就航時
羊蹄丸復元塗装完了記念 age
223 :
NASAしさん:03/12/29 13:43
やっぱりオリジナルカラーは良いね。
羊蹄丸は、一時塗り替えられた白色が下地になったのが、鮮やかな仕上がりに幸いしたのかも。
224 :
NASAしさん:03/12/30 11:52
そして2、3年もすれば錆が浮いてきて程よい感じに♪
>>220 アスベスト剥き出しなので期間限定でも公開はできないらしい。
226 :
NASAしさん:03/12/31 23:23
>>225 指摘の通りアスベストが船内活用の妨げで、除去費用に数億円かかるって聞いた。
227 :
東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/12/31 23:55
ゆく年くる年に摩周丸が出てたね。
>>225-226 そのおかげで(?)現在は資材置き場らしいですね、普通船室
あぼーん
230 :
NASAしさん:04/01/11 20:04
3月頃に、函館駅2Fで青函連絡船の写真展が開催されるらしい。
231 :
NASAしさん:04/01/11 20:59
ほう
232 :
NASAしさん:04/01/11 21:16
羊蹄丸の塗装復元の件だけど、復元するのに(特にファンネルでJNRマークを使用するのに)どこからか許可とったんですか?
>>233 きっと未だに国鉄があると思ってるんだろう。
時代に取り残された人なんだよ。バカと言っちゃ可哀想だろ(w
235 :
NASAしさん:04/01/12 13:09
性感連絡線
236 :
NASAしさん:04/01/12 13:14
>>234 法人がなくなると、そこが保有していた著作権も消滅するのか?
>>236 著作権(藁。ロゴマークは別の仕組みで保護されているわけですが・・・
何かは教えない。
238 :
NASAしさん:04/01/12 13:48
>>237 何でも良いのですが、法人が無くなると権利も消滅する訳?
国鉄の場合清算事業団が継承するのではないの?
240 :
NASAしさん:04/01/12 13:53
>>239 ロゴマークも著作物と判断される場合もあるのだが・・・
もしかして、バカ?
242 :
NASAしさん:04/01/12 14:01
>>241 債務債権の類は国鉄→清算事業団→鉄建公団と継承されていますが、何か?
なくなった法人だからと言って、勝手にロゴの類を使用できると考えている方が
ナイーブ(言い方変えればアフォ)じゃないか?
244 :
NASAしさん:04/01/12 14:15
>>234 とりあえず、一番のバカはこいつだな(w
245 :
NASAしさん:04/01/12 14:20
ロゴマークは著作権(Copyright)というよりは商標権(Trade Mark)または商号権(Trade Name)では?
246 :
NASAしさん:04/01/12 14:26
>>245 そのとおり。普通は商標権で保護するのが一般的な考え方。
ただ、デザイン性が認められる場合は著作権でも保護される。
言うまでもないことですが、著作権には登録は不要です。
JNRマークが商標登録されているかは不明ですが、単なる
フォントの組み合わせではないデザインから考えて、著作権が
存在すると考えられるかもしれません。
247 :
NASAしさん:04/01/12 14:33
>>247 っていうか、誰が権利を行使するのか(行使する意思があるのか)というのが問題でしょ。
>>246 登録されてるかどうか確認してから妄想垂れ流せよバカ
250 :
NASAしさん:04/01/12 22:16
JNRマークなら、元青函連絡船の保存船3隻以外にも、
国鉄型鉄道車両の最近はやりの「リバイバル○○」とかにも
貼ったりして使われているね。結構各地で使われているよ。
251 :
NASAしさん:04/01/13 00:37
>248
権利を行使する意思に関わらず、権利というのは存在します。
権利フリーと明記されていない限り、許可を取るのが普通では?
>249
著作権は登録不要なんだか、もしかしてバカ?
>>251 商標のこと言ってるんだろ。
そういえば、「著作権登録します」とかいうインチキ団体がいたな。
どうしてこうバカが沸いて出てくるのだろう…
254 :
NASAしさん:04/01/13 10:45
>>232の質問はもっともだろ。
無くなった公社のロゴを勝手に使って良いと発想する>233、>234はバカだろ。
>>254 無くなった公社だからこそ勝手に使って誰が咎めるというのだろうか?
とも発想できる罠。
商標も資産の一部と考えれば、JNRの資産を引き継いだJRが咎めないとでもいうのだろうか?
とも発想できる罠。
だから登録の有無を調べてみなよ(w
259 :
NASAしさん:04/01/14 12:41
なくなった公社のロゴを無断で使用して、もしJRが異を唱えたら
「じゃあアナタがたは国鉄とイコールと考えてよろしいか?1047
人に対する使用者責任を問いますよ」
という戦術をそのテの支援団体が考え出した。
結果、当たり前とは思うもののJR側は黙殺。蒸し返されるのが
イヤだろうから、国鉄関係は誰が勝手に使用しても何の沙汰も
ないと思う。
>>251 JNRマークの権利の所在については、分割民営時に語り尽くされたと思ってたんだが…
>>251は、どこに許可を取るべきだと思ったの?
国鉄時代のヘッドマークの権利の問題なんかも有名だね。
261 :
NASAしさん:04/01/14 21:59
商標登録されていないから無断使用オーケーというのは、
あまりに危険すぎる考えだよな。著作権の無効は使用者側が
立証しないといけない訳だし、それなら許諾を得るほうが
よっぽど安全と考えるのが、まっとうな社会人だと思うよ。
>>260 語り尽くされても結論がでないのが2chだからな。
262 :
NASAしさん:04/01/14 22:08
このスレのひとは新宿などの大きな駅で自動改札強行突破が横行し不正乗車が横行してることをどう思いますか。
コスト削減のため不正を容認することを正しいことと思いますか。
また、すべての不正乗車をつかまえるのに不正乗車による損失よりも多い経費をかけることを正しいと思いますか。
>>261 で、どこに許諾を求めるべきだと思うのですか?
264 :
NASAしさん:04/01/14 22:35
>>263 もしうちの会社でJNRロゴを使うことになったら、
JR各社か国鉄清算事業本部にまず問い合わせてみるな
265 :
NASAしさん:04/01/14 22:37
>263
どこにも許諾を求める必要は無いと思うのですか?
266 :
NASAしさん:04/01/14 22:38
新宿に限らず横浜渋谷宇都宮・・・
JRってそんな会社
267 :
NASAしさん:04/01/14 22:42
>>260 >JNRマークの権利の所在については、分割民営時に語り尽くされたと思ってたんだが…
どこで語りつくされたのか、すごく気になる。
>>261 さすがに、分割民営化の時には2chは無かっただろうよ。
268 :
NASAしさん:04/01/14 22:42
で、このスレ何のスレ?
現実を新宿西口左端で見なさいってこった。
JR利益にならないことはしないのだ。
270 :
NASAしさん:04/01/14 22:57
JRってのは私企業の利益にならんことはしないってことで
以下通常のスレの戻れ
271 :
NASAしさん:04/01/17 20:16
標権や著作権や肖像権がどれだけの富をうんでいるのか知らないのか?
272 :
NASAしさん:04/01/17 20:38
国鉄の扱いに関してJRはそれどころでない後ろめたいことをしてるんでそれに触れられたくないわけ。
273 :
NASAしさん:04/01/17 21:13
とりあえず、>233、>234がバカというのは決定ですね。
そろそろ隔離スレ作りましょうか?
>>274 このスレ自体が気の向いた時だけ浮き上がる
一種の隔離スレみたいなもんだがねえ・・・
276 :
NASAしさん:04/01/18 00:18
前スレとは雰囲気かなり違うな。。。
あれ?
JNRマークも逆三角形の特急マークも、国鉄は正式な商標等としての採用はしていないはずだが。
これらのマークは車体塗装の一部と同等の扱いになっていたはずだが。
JNRマーク使用に問題があるなら、それ以上に逆三角形特急マーク(一般公募で決まった)も問題だし、
JR車両が国鉄時代の塗装そのものを引き継いで使う事も問題になるはずだし、国鉄関係団体以外が
国鉄時代の車両を国鉄時代の塗装のままで保存するのも問題になるぞ。
(公園のSLも色を変えろって事になるぞ)
151系「こだま」開発時の資料を見るとその辺りの扱いが明記されている。
完全にスレ違いだが、寝台特急の「流れ星」のマーク、あれも国鉄時代からだと思うが、意匠権はどうなっているのかな?
279 :
NASAしさん:04/01/18 01:44
>277
じゃあ、国鉄時代のマークを入れた商品を勝手に使って商売しても良いわけか?
> 151系「こだま」開発時の資料を見るとその辺りの扱いが明記されている。
その資料に、当時の国鉄が商標登録をしないだけでなく、今後著作権も
主張しないと書かれているのか?
>>232-278 いい加減スレ違いの話は止めてくれ。
ここはそんな話をする場所じゃない。
貴様らこのスレから出て行け。
281 :
NASAしさん:04/01/18 02:34
>>277 外部の1色の塗装とロゴマークの話を一緒には出来まい。
> (公園のSLも色を変えろって事になるぞ)
世の中の黒塗りの車両は一切ダメになる(w
それから、国鉄からJRへの車輌の譲渡については、
譲渡元がその塗装で渡しているので、現物に限り
その塗装の使用を黙認していると解釈することが出来る。
例えば飛脚のマークのままの中古トラックが外国で走っている
のと同じ理屈。飛脚は商標登録だが、著作権の場合も
同じことになる。
>>277 これが正解。
国鉄はJNRマーク等を一切商標登録していない。
>>271はそのへんの事情を全く知らないガキだな。
>>281 >飛脚は商標登録だが、著作権の場合も同じことになる。
バカ?
284 :
NASAしさん:04/01/18 10:36
>>282 権利は与えられるものではなく自分から勝ち取っていくものだ
著作権だって、野球のFA権や逆指名権だって人類誕生の時からあったのではない
それを目指して戦ってきた人達がいるからこそいまがあるんだよ
鉄道だってそうあるべきだ
285 :
NASAしさん:04/01/18 10:40
>>284 で?
別に君の独り言に興味はないんだけど。
286 :
NASAしさん:04/01/18 10:44
287 :
NASAしさん:04/01/18 10:46
>>283 分かりやすいと思うけど、それでも分かんないだね。
>>284 そうかも知れんが、現在の法律では著作権は
戦いもせず、登録もせずに作者に与えられる権利、
ということになっています。
>>286 それを旧国鉄の経営陣に言ってやれよ(w
>>287 「飛脚は商標登録だけど」ってところにツッコんでるんだろ。
290 :
NASAしさん:04/01/18 11:14
>>288 鉄道がもっと権利を主張できてたら鉄ヲタももっと前向きに生きれたよね
鉄道が抑圧されているから鉄ヲタも抑圧されておかしな方向に走っちゃう
>>289 飛脚は商標登録されてないんだ。勉強になったよ
293 :
NASAしさん:04/01/18 11:50
バカが集うスレはここですね。
294 :
NASAしさん:04/01/18 13:49
> バカ?
以外言えないバカがいるな(w
>>277にある通り、国鉄はJNRマークを国鉄の公式な標章として採用していない。
何処にも届け出や登録をしていない。部内用に寸法を決めてあっただけ。当時の国鉄は正式標章として新しいマークを
採用した場合に生じる社章変更・商標登録等の届け出が厄介などの理由でJNRマークを正式な社章や商標としなかった。
これは特急列車の逆三角形マークも同じ。
もし仮にJNRマークが商標などの届け出をしてあったとしても、津軽丸形煙突の物は縦横比の比率等形状が違うため
商標として有効ではなく、「JNRマークに似たもの」でしかない。商標などで権利が発生する物なら簡単に形状を変える
事は出来ないのだ。
逆に煙突の形状に合わせて簡単に縦横比などを変えても問題がないほど立場が曖昧な標章でしかなかったのである。
国鉄が標章(社章)として正式採用し、関係機関に届け出していたのは「工」マークと動輪マークのみ。
もしも仮に、洞爺丸形が生き残っていてそれを原型復元するとなれば「工」マーク使用で問題が出る可能性はあるだろう。
>>279 国鉄時代のマークを勝手に入れた商品が、国鉄の承認なしに勝手に売られていた例は既に国鉄時代からある。
代表例は鉄道模型である。大手玩具メーカーによるNゲージ以外では国鉄車両の模型製品化について、国鉄の承認
なしに製造・販売されていた例は数多くある。無論その中に特急車両も含まれていた。
以上でこの議論を終了したいのだが。
296 :
NASAしさん:04/01/19 21:57
それでもやっぱり著作権があるJNRマークを無断で使用するのは、
自動改札を強行突破するのと同じでよくないことだとおもう。
しかしこれはJNRマークをないがしろにしていた国鉄経営陣にも責任があると思う。
JR各社はいまからでも遅くないので共同でJNRマークを登録商標すべきだ。
やっぱりバカじゃん…
301 :
NASAしさん:04/01/20 00:01
>>297 ぜひJR各社にはそれをオススメします。
そしたら漏れなく国鉄解体時のクビ切り要員の雇用保証
義務が付いてまいりますw
>>297 もう一度
>>295を読んでくれ。
国鉄がJNRマークを社章としての登録や商標登録してあったとしても、津軽丸形煙突に描かれているものは
本来のJNRマークと比較すると、縦横比というマークとして一番重要な形状が違うから「JNRマークに似たもの」
でしかなく、それはJNRマークとして認められないんだよ。
商標っていうのは形状の細部まで縦横比や曲線比率を決めないと登録できないんだからね。
だから貴方の主張通りJRがJNRマークを商標登録したとしても、保存されている津軽丸形煙突のものは商標使用
の対象外になる。
国鉄幹部の責任については筋違いだ。これ以上はスレ違いになるので割愛するが、JNRマーク制定についての
経緯を調べればそれはすぐ分かる事だ。
津軽丸形以外のJNRマークについてこれ以上語りたいなら、申し訳ないが鉄道総合板にスレを建てて論議してくれ。
青函連絡船スレとしてこの場で語るべきJNRマーク論争について、
>>295で結論が出たとするべきだろう。
じゃ、この話題はこれで終わり。
このスレって何のスレだっけ...(´З`)?
304 :
NASAしさん:04/01/20 04:29
そもそも、JR青函航路は廃止する必要があったのかな・・?
存続(共存)させても利用客は多かったはず。
>>304 最大の積み荷である貨物列車が青函トンネルに完全移行したら
残されたのは1便あたり数えきれる程度しか乗ってない旅客だけだよ。
そんなんで青函トンネルと並行でやっていけたと思う?
ま、危険物輸送貨物列車専用に残すって話もあったんだけど。
307 :
NASAしさん:04/01/20 09:12
じゃあ、株式会社JNRでもつくって、あのロゴを登録してしまっても良い訳か・・・
308 :
NASAしさん:04/01/20 21:34
309 :
NASAしさん:04/01/26 20:47
今日羊蹄丸見てきた。感動した。
311 :
NASAしさん:04/01/26 23:37
煽り耐性なさ過ぎ
313 :
NASAしさん:04/01/27 17:11
314 :
NASAしさん:04/01/27 17:36
>>306 危険物は青函フェリーに委託輸送してるね。
315 :
NASAしさん:04/01/27 21:27
大学時代の権利関係についてのレポート作成の時、他のテーマに関心を持っている奴は生き生きと「権利」を主張できるのに鉄道ヲタの俺だけ権利を主張できず愕然としていたのを思い出したよ
もうこんなことは許されない
権利は勝ち取るものなんだから
>>302 アイドルのグッズに「似ている」ものを販売していた人は逮捕されましたよ
>>315 その権利を勝ち取るのは第三者であるヲタのお前じゃねえぞ
317 :
NASAしさん:04/01/27 21:41
>>316 知ってるよ
ファンとして、応援対象には報われて欲しい
>>315 やっぱりバカじゃん。
権利者に意識が無いだけだろ。
もう消えてくれ。
319 :
NASAしさん:04/01/27 21:59
権利者は意識を持て
やっぱり悪い前例を作らないためにもJRはJNRマークを共有の知的財産権として
登録商標すべきだよ。
あのマークが車体のデザインの一部でしかないなんて絶対なっとくできない。
これは自動改札を強行突破するのと同じでことだ。
じゃ、この話題はこれで終わり。
このスレって何のスレだっけ...(´З`)?
昨日、世界の艦船を見てビックリして(思わずオオゥって唸ったよ)
久しぶりに、ここに来たら・・・荒れ放題じゃん
でも、何はともあれ元の塗装に戻って良かった>羊蹄丸
たまには保守。
でも上げない。
325 :
NASAしさん:04/02/11 04:03
函館で摩周丸に再会。昔からの疑問だが、宇高と青函の
この大きさの違いはなんだ。
326 :
NASAしさん:04/02/11 10:11
>>325 距離と需要。宇高は短距離ゆえ中型船で頻発が可能。
大型船だったらフリークエンシーがえらい下がったと思われ。
外洋・内海で装備もだいぶ違うとも思われるが。
しかし、今の青函航路は東日本の一部を除いて宇高連絡船より小さい船しか残ってない罠。
やっぱり需要が少なくなってるね。
>>327 そりゃ、羽田−札幌線の飛行機の便数、トンネルくぐる貨物列車の本数(結構多い)、
快速「海峡」の廃止を考えれば航路の現状は納得だ罠。
航送の需要は大きかったのだと改めて認識。
(旅客は繁忙期を除き、ガラガラだったことが多いな。末期は)
326-328>
空路が運行停止中に「函館→青森フェリー」を使った。
函館の乗り場は良かったけど、青森はさびれてた。
昔の幹線航路とは思えないくらいにヒドかったYO・・。
JR驛からフェリーの連絡バスすら出てなかった。
どんなに赤字でも、市バスは出さないと本当に観光客から見放されるよ!
青森市バスは八戸、新潟、苫小牧、小樽等をみならうべし。
県外旅行者からボッタクルような商法は失敗する。
漏れは東北が大好きだったけど、
ギンガと蒼い杜には二度と乗らない。
>>329 航送使わない「ピン」の旅客がフェリーを使うとは思えない。
需要のないところに市バスは要らん。それこそ税金の無駄。
個人の趣向に市が便宜を図る必要はないだろ。
冷たいようだがヲタ的な狭い視野で公共交通機関を見ないほうがいい。
3セクだって、年に1〜2回しか使わない18きっぱーや北斗星利用者
から取らざるを得ないという事情を考えたら?
地元の人間にしてみたら、定期券代が一気に値上げされたんだから。
鉄ネタも入ってるんでsageとく。
331 :
NASAしさん:04/02/13 11:15
>>330 同意。
現在津軽海峡に運行されているフェリーは道路の一部と考えた方がいい。
国道や高速道路が橋を架けるる時にわざわざ駅に寄るかと問われたらNOだ。
そこに道路交通以外の需要が発生すれば、バスが運行されるだけだろう。
もし青森駅〜函館駅間に船便を経由した需要が多数あるならば、連絡船廃止時
に連絡バスが出来ていただろう。それが無いという事はこの間のフェリーの
ほぼ全てが道路としての需要であって鉄道が運ぶような需要はほぼゼロと言っても
過言でない。
鉄道での旅行者がどうしてもこのフェリーを使いたいなら、主たる需要外の客で
あると認識の上で乗るべきだ。東北本線3セク問題も同じ。
332 :
NASAしさん:04/02/13 14:56
ジェットゆにこんがあったときは連絡バスも出てて鉄道連絡を意識してたらしい。
しかし、鉄道からの利用者はほとんどなかったそうだ。
自家用車重視のフェリーゆにこんも失敗だし旅客輸送自体が厳しいんだろうね。
>>332 ゆにこん?氓ヘ値段高杉。
ゆにこん?�は結構誌杉。
旅客があったかどうかの問題は語れない。
だいたい?氓フ乗り場は旧桟橋だから、直接鉄道から乗り継ぐ方が不自然だと思われ。
青森は昔から「タクシーでどうぞ」でしょ。
東日本ネタなのでsage
>>334 詳しくはあっちのスレで訊いてくれ。
?氓ヘ国内で第二の人生を送っているそうだ。
同型船も多いしね。
?�はどこかのドックにあって未だ売れていないそうだ。
千葉のユニバーサルかな。
特殊な船なので全く買い手なしみたい。
不審船対策に海保と海自が導入した艇の技術的な
見本になったみたい。
で、スレ違いなのでおしまい。
>>334 九州商船のジェットフォイル「ぺがさす2」として
現在は、長崎〜五島(奈良尾、福江)航路に就航中(´ー`)>デス♪
※青函連絡船じゃないけどちょっとした余興として…
337 :
NASAしさん:04/02/14 00:19
所詮、旅客専用航路なんて離島の高速艇以外ムリだろう。
青函航路だって観光客が乗るようなものじゃない。
338 :
NASAしさん:04/02/14 21:40
青函連絡船だって、晩年のフィーバーが起こる前あたりまでは、主として
貨物列車を対岸に渡すために走っていて、旅客なんてついでに便乗させて
もらっていたような有様だったから。その割には船内食堂や喫茶も営業して
いたのは、さすがに伝統の航路。大したもんだが。
繁忙期以外、乗船客は1便あたり100人前後だったように記憶している。
339 :
NASAしさん:04/02/14 21:54
>>330 しかし現状はいくらなんでも交通にお金をつかわな過ぎ
ちょっとぐらい無駄があってもいいと思うけどね
>>339 >ちょっとぐらい無駄があってもいいと思うけどね
あんただけ、消費税40%で納税してください。ちょっとの無駄に使います。
341 :
NASAしさん:04/02/14 22:06
無駄にかねかけた旅行したいなら太平洋フェリーをはじめ採算度外視のクルーズフェリーか、寝台特急列車がおすすめ。
ここはすでに観光とは無縁の航路だよ。
青函航路は残すべきであった。
次は八戸〜函館間がさびれる。
341>おまいは昔の青函を知ってるヤシだな〜・・。
343 :
NASAしさん:04/02/15 00:51
数年先、青森は「単なる通過駅」になる。
宇高がどうなったか勉強すべし!!!
344 :
NASAしさん:04/02/15 03:22
おまいら、
宇高航路を見学しにきなさい。
歴史を大事にしないと、こうなるんだyo.
宇高は遺構が皆無。(と言うか、積極的に抹消した)
345 :
NASAしさん:04/02/15 03:56
もっと井って悪いが、
瀬戸内海航路で努力した職員って、なんだったんだ!!!
オレは讃岐丸の正規の乗員を偶然に見送った。
当時の僕は小学生だったので社会にウトかった。だけど、
あの、乗員の表情はスゴイものがあったよ。
任務を達成した男の顔だった。しかし、
旧讃岐丸が正式に引退したのはその1カ月後。
新聞に写っていたのは、全く別の船員だった。
たぶん、裏を知ってるヤシには解るはず。
オレは宇高連絡船が恥ずかしいと思っていた。
異常に太ったタライ舟だもん。
しかし、歴史的な遺構は絶対に残さないとダメだ。
タライ舟でも何でも良い。どんなに歴史がある航路でも、
数十年で、全てがなかった事にされてしまう。
346 :
NASAしさん:04/02/15 05:26
このままでは数年で青函の全て消え去ってしまう。
でも青函はある程度残ってるだろ。
残すもの越さないも努力次第でまだ何とかなる段階だ。
函館は桟橋の建物も桟橋も船も残ってる。
JR九州船舶事業部のビートルが当初青函、宇高の船員達の力で
運航されていたのはあまり知られていない。
JR四国や北海道からの出向組が航路を支えていたのだ。
348 :
NASAしさん:04/02/15 11:49
349 :
NASAしさん:04/02/15 12:17
>>347 一級海技士免状持ちの宝庫だって言われてたから>JR四国や北海道
350 :
NASAしさん:04/02/15 12:19
>>345 宇高連絡船も、実は船舶技術の粋を集めた優秀船、多かったんですよ。
>>352 観光船になったのもいたが、結局需要が
無くなって売却されたんだっけ。
354 :
NASAしさん:04/02/16 17:16
青函連絡船が残ったのは単に売れら買ったから。
性能過剰な面も大きかったが、最大の理由は、
貨物甲板へのアクセスが後方のみだったこと。
接岸にタグボートが必要になるので、嫌われた。
355 :
NASAしさん:04/02/16 22:12
>>354 タグ来なくても、カニの横這いは出来るんだよ。ただ動きが遅いので着岸に時間がかかるらしい。
まれに操船演習とか言って、タグにお引き取り願って、自力で函館桟橋に着けた船長もいたよ。
356 :
NASAしさん:04/02/16 22:33
「横這い」試験は実際に、津軽丸と八甲田丸で試験が実施されており、記録がある。
右舷プロペラを前進(翼角10度)に、左舷プロペラを後進(翼角13度)に、
さらに舵は面舵(左45度)にして、バウスラスターは右回頭(翼角19度)で、
八甲田丸の右方向「横這い」速度は、約28.5m/min(0.48m/sec)という試験結果。
まぁ、鉄道連絡船という特殊な用途だから
他の用途にするにも改造費がかさむのが敬遠された理由だろうね。
大雪丸は1億2千万。(ホテルシップへ改造)
石狩丸が4億。(カーフェリーへ改造)
十和田丸は改造費込みで20億。(客船へ改造)
摩周丸は去年函館市が購入した価格が3億8千万。(展示船)
あとは8000万位でぼちぼちと売れました。
スクラップにならずに済んだだけでも良かったじゃないか。
358 :
NASAしさん:04/02/16 23:35
>まぁ、鉄道連絡船という特殊な用途だから
>他の用途にするにも改造費がかさむのが敬遠された理由だろうね。
それに尽きるようです。
マルチプル・ギアード・ディーゼル推進(8機2軸)の複雑さも敬遠理由かも。
タグボートといえば、連絡船の接岸時に「xxメーター、xxメーター」ってスピーカーから流れてくるのが家まで聞こえてきていたな、昔。(函館じゃなく有川のほうね)
>>355-356 本当は補助汽船はなくても良かったんだが、労働組合が五月蠅かったというのも
考えられるんじゃないかな。
たたでさえ津軽丸形投入で船員整理をして大変な状況だったみたいだから。
362 :
NASAしさん:04/02/17 16:27
労働組合はひたすらスチームタービンを使い続けろと言ったらしい・・
タグが本当になくても良かったかは疑問。
いつも海面が鏡の様とは限らないから。
それこそ最盛期の効率を考えれば必要だよ。
蒸気タービンには良い点もあるからね。
津軽丸形でも後期に積まれたエンジンは五月蠅いよね。
青函連絡船建造費 \2000000000-
昭和63年青函航路運賃 \2000-
海峡ラーメン一杯 \500-
連絡船の思い出 \Priceless
365 :
NASAしさん:04/02/18 00:09
>>361>>363 青函航路にタグは必需品だったと思う。
着岸時、タグが本船の回頭を助けることで、スピーディな接岸が可能になった。運航時間短縮に寄与。
離岸時に強風などで、本船のバウスラスター推力だけでは足りないときには、タグが引っ張る。
沖がかりした本船の乗組員交代時は、タグがその連絡や移乗に活躍した。
港で何か起きたとき、応援に駆けつけたこともしばしば。救助・漂流物始末・他社船の助力など。
青森港では、青函連絡船のタグが、本船への任務以外にも、ずいぶん当てにされていたというのだ。
連絡船を押すだけがタグの任務では・・・決して無かったのだ!
性能の良いタグを造るため、国鉄ではずいぶん研究もしていた。
推進器には、日本初のフォイトシュナイダープロペラの採用を始めとして、
コルトノズルラダー、ダックペラなど新機軸を次々に採用、操船性能の良い
タグボートを幾多建造し発展に努めたのも、国鉄の優れた功績であったと思う。
366 :
NASAしさん:04/02/18 04:01
明け方に誰もいない摩周丸の舷側に行った。
積雪50センチ以上。とても静かな吹雪だった。
凍えそうになったけど、自分がどこにいるのか見直す事ができた。
367 :
NASAしさん:04/02/18 08:17
板違いで暴れているプロレスのバカがいるよ。
>>365 そのような実情を無視して国鉄が補助汽船を削減しようとしたのは事実。
補助汽船の労働組合員が少なくて当局との折衝も苦労したらしい。
結局は本船の組合員の助力で削減は免れたらしいが。
369 :
NASAしさん:04/02/18 09:54
>>368 何時でも何処でも、現場に関して無知無理解な管理者と現場側の深刻な対立、あるからねえ。困ったもんだ。
370 :
NASAしさん:04/02/18 10:03
>>362 そりゃそうだよ。ディーゼルになりゃ、当時乗組員の中では大所帯だったカマ焚きが
全く不要になるんだもん。失業の不安におびえて、そりゃ必死になるさ。
当局側だって、ディーゼルへの転換教育や余剰人員の配置転換など、頭が痛かったろう。
371 :
NASAしさん:04/02/20 18:40
372 :
後半は怒っています。:04/02/21 04:35
370> 冬の青函航路に乗った時、あまりのピッチングに
ビックリ。横蛇が必要だと思った
東北線や奥羽線はがんばらんかい!
をんどりゃ〜! おまいら旧国鉄線が
どのような末路を辿ったか見にこい。岩手沿岸に見に来い!
東北本線は分断だよ。歴史のある路線がボロボロだよ。
をい、こら、岩手県人。漏れは本当に悲しいよ。
大雪のなかで旅人からぶったくるなよ。
・・スレ違いで悪いが。
373 :
NASAしさん:04/02/21 09:01
東北本線に続いて今度は九州だな・・
しかしなんて線路があるだけましだよ。横軽なんてさあ・・
船の話もすると海の平行在来線問題なんてもある。
淡路島や芸予諸島では橋ができたので平行在来フェリーの廃止が多いがそれでチャリや原付利用者は困ってるようだ。
歩行者はバスに乗ればいいが二輪車で海渡ってた人はもはや身動き取れない。
しかし、こういうのは国レベルで決める話だから地元人が気づいたときにはもうどうしようもないことが多いんだなあ。
374 :
NASAしさん:04/02/21 13:37
プラモデルキボンヌ
375 :
NASAしさん:04/02/21 23:47
>>374 スケール1/150、9ミリゲージのレールを車両甲板に敷いたらアホみたいに売れるぞ。
>>375 昔プラレールに車両航送フェリーがあったような希ガス。
>>375 ものすごく高くなりそうなので車運丸で我慢汁。
…100円タッパにレールを接着して「車運丸」
トミカには、「さんふらわあ」をマネしたカーフェリー(トミカを積める)があった。
379 :
NASAしさん:04/02/26 00:36
>>378 持ってた…
地元に就航しているフェリーと形が違うと両親を問い詰めた思い出…
381 :
NASAしさん:04/02/27 21:21
普通船室のシートがキハ82と同じで、特急に乗った気分が
うれしかったですね。
船独特の汚れた2重窓を見ながら食う、みそ海峡らーめんもうまかった。
いろんなフェリー乗ってけど、青函航路廃止後に似たような気分を
感じさせてくれたのは、下関〜プサンの関釜フェリーだけでしたね。
関釜も、”はまゆう”や”星希”なんて作って今風になったけど。
関釜連絡船と青函は船を共有した時代もあったようですし、お互い国鉄
連絡船の歴史を持ってたのですね。
もしも今の時代に青函が復活すれば、きっと
はまゆうや、大型高速フェリーのゆにこんのようなスタイルになるのですね。
382 :
NASAしさん:04/02/27 22:02
>>381 今ならまだ間に合う。
博釜航路の「かめりあ」に乗って鯉。
船自体は昔の釧路航路の「さろま」だから、青函連絡船とほぼ同時期の
船(1975建造)なんで雰囲気は似ている。
さろまと青函あんまり似てないよ
へ〜、かめりあは元は日本船だったのですか。
Web検索をして、よ〜く見ると青函貨物に似てる、
とくに石狩、檜山の客貨改造後の姿に!!
何度か釜山港で見たことはあったのだが、気がつきませんでした。
386 :
NASAしさん:04/02/27 23:01
まあ、韓国航路はジェットホイルがだいぶ増えてしまったわけだが。
住軽アルミの新製品・調理用アルミホイル
「 ジ ェ ッ ト ホ イ ル 」
レンジクッキングに・焼き物に・ジェットな熱伝導で速攻調理!
青函博の臨時運航が終わり、青函連絡船の次のイベントは海洋博覧会!
行き先はなんとイタリア!台船に乗せられてイタリアに向かうのだが、
羊蹄丸、八甲田丸、摩周丸は同じグループになって!?某カメラマンは大喜びするが…!?
ネタ元わからん人にはスマソ
389 :
NASAしさん:04/02/29 06:27
ばかっ!!
次は青函の番だよ。
どあほ!!!東北線が分断した意味が解らないヤシめ!!
次は九州の幹線が分断される番だよ。
・・目が見えない羽薩摩の大馬鹿どもには笑った。
390 :
NASAしさん:04/02/29 06:29
すまん。あまりに薩摩が情けない!!!
391 :
NASAしさん:04/02/29 07:06
こら、旧鹿児島線沿線の住人。
おまいら、本当に薄情なヤシだよ。
ツケは相応以上に重い。
392 :
NASAしさん:04/03/01 21:20
3月3日〜4月11日まで、函館駅2Fホールに於いて
写真展 「青函連絡船 海峡の記憶」 が開催されます。
393 :
NASAしさん:04/03/04 20:42
津軽丸現役引退から22周年。
あと、昨日は摩周丸火災事故から20周年…。
394 :
NASAしさん:04/03/04 21:46
摩周丸のあの火事はショックだったねえ・・・黙祷
目標!反航する敵輸送艦。距離1000!
>>396 ユーゴ軍は旧大雪丸を撃っちゃったんだよな…
399 :
NASAしさん:04/03/09 23:05
そんなことより、今年はよく考えたら十七回忌じゃないか!
401 :
NASAしさん:04/03/10 08:01
395のアドレスは何丸の画像?
津軽丸?松前丸?
「十三回忌特別企画」で連絡船を扱うようになった某サイトはどうなるのかな?
やっぱ十三回忌のまんまなのかな?
403 :
NASAしさん:04/03/10 12:12
>>401 船体塗色の濃さから津軽丸だと思われる。目撃件数も松前丸より津軽丸のほうが多いようだ。
404 :
NASAしさん:04/03/11 12:53
津軽丸も松前丸は今は何処で動いてるのかな?
空知丸も石狩丸も運航していた会社が倒産して係船してるって言うし・・・
桧山丸は少年少女の船になってから何処に買われたんだ?スクラップになっちゃったのかな?
最近の動向を教えて下さいまし!
406 :
NASAしさん:04/03/11 19:56
407 :
NASAしさん:04/03/11 22:17
>>406 ブリッジ回りの形状は確かに渡島丸形の特徴を色濃く残しているね。
後部煙突も尖った部分を削ればあの形だ。
ただ客室形状が微妙に違うような気もする。
前部船員室部分と後部の客室部を繋げばああいう形になりうると思うが。
詳しい人の鑑定求む。
408 :
NASAしさん:04/03/11 22:45
空知に後ろくっつけたヤツが盗難亜細亜まで戻ってきた。
という可能性はどうでしょう?
410 :
船長に浣腸:04/03/11 22:49
宇高連絡船もこれぐらい情報が多けりゃな〜。
海外逝ってからの画像が全く無い。
うらやますぃ。
>>406 >>405や『連絡線のその後』を読むとその線が濃厚だと思う。
でも、H12年の情報では引き続き係留されているとなっていたから
その写真はそれ以降の改造された状態なのだろうか?
413 :
NASAしさん:04/03/12 23:08
>>411 そうでもないよ |゚ー゚)ノ
何年か前の高松駅取り壊しのニュースの時に
スームイン朝の5分ぐらいのプチ特集でインドネシアの
阿波丸の映像が流れていた。
スレ違いなのでsage
415 :
NASAしさん:04/03/13 12:25
あれから16年経ったのですね〜
皆さん当日は何をしていましたか?
私は高校生でしたので(関東地方在住です)ニュース番組をチェックしまっくっていました。
416 :
NASAしさん:04/03/13 20:51
十七回忌追悼あげ
1988年3月13日。
20時50分・7便八甲田丸が函館に、22便羊蹄丸が青森に着岸。
417 :
NASAしさん:04/03/13 20:58
宇高連絡船内のさぬきうどんが懐かすぃー
418 :
NASAしさん:04/03/13 21:32
16年前の今日も、同じような穏やかな春の1日でしたね。
俺も同時リアル工房、3月10日8便八甲田丸で最後の別れをして、この日は努めて普段通りの生活をした。
夕方と夜のニュースで八甲田丸の様子が出てきたときに、涙がドバッと。
…十七回忌の今日はお台場で過ごしました。
419 :
NASAしさん:04/03/13 22:27
函館駅や青森駅に貼ってあった、青函連絡船が颯爽と航行するシーンのポスター、
「いま、栄光の航跡を刻んでいます。」
いつまでも感無量で見とれていたのを思い出しました。シンミリ・・・
>>418 普段の生活で使っていた訳でもないだろうに。
おめでてーなー
421 :
ノメッシー:04/03/14 01:16
十数年前、羊蹄丸は船に乗ってイタリアまで伊って来ました。らっしんぐ大丈夫ダァー。
423 :
NASAしさん:04/03/14 20:58
>>422 うちの年寄りが幼少の頃、実際に見たそうだ。
あまりの見事さに、子供心にカルチャーショックを受けたそうだ。
ひとつの船室にもベッドが何台かあったそうだが、
ベッドごとに飾り毛布は、それぞれ違う物の形に折ってあったという。
可能であれば、折れも勤めの休日に習いに行きたい。
そして是非、この素晴らしい文化を後世に伝えたい!
>>423 >422だけどRESdd
私は高校の修学旅行(S50後半?)で
特急おおとり←→寝台特急はくつるの連絡便にしか
乗った事がないので、飾り毛布を仕立てると思う夜行便に
縁は無かったです
425 :
NASAしさん:04/03/15 09:28
>>424 飾り毛布は、洞爺丸型の引退とともに終わったみたいです。
津軽丸型の時代は、停泊時間が1時間足らずの運航ダイヤだったので、
時間的に準備は無理だったようです。自分もS50〜60年代に何回か、
寝台室に乗りましたが、飾り毛布には、遂にお目にかかれませんでした。
426 :
NASAしさん:04/03/15 11:51
>>422 先日見に行きましたら、実演展示のほかに、十数種類ほどの色々な折り方の記録写真もありましたよん。
見事だが、もしホテルであんなことになってたら「中の人」がいるんじゃないかとビビると思う。
船の科学館に係留してある羊蹄丸の車両甲板はそのままの状況で残ってて、
見学する事が出来ますか?
429 :
NASAしさん:04/03/15 22:46
431 :
NASAしさん:04/03/15 23:51
>>428 鉄道板の架空車両妄想スレで話題になった。
ひとつは津軽丸形置き換え用のコスト削減を徹底的に追及した連絡船。
もうひとつは渡島丸形置き換えようの高速車両渡船だった。
432 :
NASAしさん:04/03/16 01:35
>>431 結局航送の問題は車両の積み込みと積み卸しに時間がかかりすぎたことだから、
むしろ、現在の方が解決できる。
津軽海峡の高速航行はゆにこん2でも判るように、結構きつい。
現在はフェリーでもRORO型がはやりだが、必要以上にコストを削減すると、
客は離れる。
迅速な積み卸し、適度な速度UP、客室には手を抜かない。でどだ。
433 :
NASAしさん:04/03/16 09:53
>>428 これに乗って津軽海峡を最高27ノットで横断したことあるよ。
いい船だったなあ・・・・・・
>>432 連絡船への貨車の積み込み作業は決して時間がかかりすぎるとは思えない。
あれだけの荷物の積み卸しで50分というのは他の船には真似できないと思う。
それに
>>431の元ネタでは津軽丸形置き換えは設定上「国鉄時代末期」だから
コスト削減は避けられないと見た方がいい。
この時期に連絡船を置き換えたならば、新幹線の例を見るまでもなく質感を
落とさずにコストを削減、それには成功するが技術的に中途半端になるのは
否定できないだろう。
ちなみに渡島丸形置き換えは2002年新幹線八戸延伸時と設定されてた。
435 :
NASAしさん:04/03/16 10:42
函館の摩周丸、青森の八甲田丸、船の科学館の羊蹄丸
あんまりパネル展示とか置かないで、まんまカーペット席や
グリーン席・食堂を残して欲しかったな。
むしろそれだけのほうが、ぼぉっとできる漫画喫茶みたいで
何回でも入場料払って行きたい。
防犯上問題あるのかな。
436 :
NASAしさん:04/03/16 12:15
船は変われど、飾り毛布(花毛布)見れる船はあるぞ
だいぶ減ったけどね
438 :
船長に浣腸:04/03/16 21:37
>>435 摩周丸はリニューアル前の一時期
普通船室の一部とグリーン自由席が見れたんだよな。
まさに当時そのまんま。
今は施錠されちゃっているけどね。
439 :
NASAしさん:04/03/16 22:50
>>436 どこかの離島航路の小さな貨客船で、飾り毛布をやっていたのには驚いた。
ふねきち板の写真投稿で見ただけなんだがw、割と最近のことだったよ。
440 :
NASAしさん:04/03/17 00:31
昔はお客さんだけじゃなく、貨物船なんかでも士官個室のベッドメイキング
にくる司厨手(ボーイさん)が飾り毛布してくれてた。清水とかにある海員学校
今は海上技術短大っていうんだっけ、そこの司厨・事務科の教育で教えてい
たのだろうね。横浜の郵船資料館で展示してるとか聞いた事あるし、昔乗ってた
商船三井客船でも女の子がいろいろ技を持ってた。そこではお客さんだけに
しかやってなかったけど。
郵船とかMOなど、客船や移民船で歴史ある会社だと、折り方にも独自の形
があって、連綿と受け継がれているようだ。
(´-`).。oO( ええ話や
442 :
NASAしさん:04/03/18 02:04
飾り毛布は大阪〜高知間に運航している「大阪高知特急フェリー」の特等室で今でも実施されてるみたいざじぇ
443 :
NASAしさん:04/03/18 10:13
ホテルあたりと違って、何となく硬派なイメージのある船では、
飾り毛布は、もてなしの心を不言実行するみたいな感じでイイね。
2代目渡島丸(昭和53年9月30日終航)と2代目日高丸(昭和59年1月31日終航)と
2代目十勝丸(昭和59年1月31日終航)が、それぞれ最後に運航した便名を調べています。
もしご存知の方がいらっしゃいましたら教えて頂けませんでしょうか?
445 :
NASAしさん:04/03/21 10:45
>>444 ん〜〜、スマン。漏れにはワガンネー。
函館駅2Fの「いるか文庫」たずねてみれば?
446 :
NASAしさん:04/03/21 21:01
洞爺丸とともに運命を共にし海没した客車
マイネフ38−5 スニ73−1 マニ76−91 マニ60−18。
参考までに…。
447 :
NASAしさん:04/03/21 23:13
ちょうど70年前の今日、1934年3月21日夜は嵐のため、函館が記録的な大火に見舞われた日。
このとき、17時30分に函館を出港した青森行の連絡船飛鸞丸が、葛登支沖まで到達したあたりで、
風浪が急速に激しくなってきたので、青森までの続航を断念、函館へ引き返そうとした。
ところが、南西からの強風によって舵効を失い、船首が風上の津軽海峡西口の方向に切れ上がって、
函館へ引き返すことが、不可能になってしまったという。
やむを得ず、そのまま青森へ向かったものの、車両甲板の船尾開口部から波浪が侵入し始め、
石炭庫や操舵機室が浸水、21時頃から操舵不能の状態に陥ってしまった。
急遽、後部3等客室から乗客を避難移動させ、隔壁にドリルで穴をあけて、隣接する操舵機室に
侵入した海水を排出させ、操舵機を応急修理のうえ、操舵可能に復旧した。
機関ボイラー室のほうも、総員配置に料理手や事務職員まで応援して海水をくみ出し、
焚火を助けて蒸気圧の保持に奮闘したという。人事を尽くして、難航6時間あまり、
夜半0時頃、竜飛灯台を間近に視認、1時頃に三厩錨地に投錨、かろうじて危機を脱した。
この間、強風のために、送信用空中線が引きちぎられて、陸上側とは交信不能となり、
飛鸞丸遭難か、と陸上側も大騒ぎになった一幕もあったという。
函館大火の陰に隠れた、青函連絡船難航のエピソードの一つである。
448 :
NASAしさん:04/03/22 00:19
>>447 洞爺丸台風以外では車両甲板が浸水した唯一の例だよね。
その時は排水に成功したから後部開口が問題にならなかったんだろうなぁ。
>>446 > 洞爺丸とともに運命を共にし海没した客車
> マイネフ38−5 スニ73−1 マニ76−91 マニ60−18。
スニ731は第11青函丸積載だったような。
出航直前に積載車両の入れ替えをしているから替わりにマニ3216が入ってるはず。
70番台の荷物車は国電崩れ(電装解除)の形式ですな。
451 :
NASAしさん:04/03/22 09:34
>>448 浸水量自体、飛鸞丸の場合は、洞爺丸の場合と較べて、かなり少なかったみたい。
洞爺丸の場合は、何かの本に、浸水量2百数十トンとか書いてあったように思った。
そんなに多かったら、機関室が水浸しになって、発電機がパァになるの無理無い。
発電機が駄目になったから、それで動く補機類、潤滑油ポンプとかも道連れになって
主機の運転も困難になってしまったのは、何とも無念というか、怖いよね。
>>451 飛鸞丸の時は車両甲板の水は出たり入ったりしていたが、洞爺丸の時は出ていかな
かったというのが正解。
洞爺丸の時は喫水線長と波浪の周期や波高の関係で、車両甲板に打ち上げた水が船首
へ走り、跳ね返って後部開口部に達した時に丁度次の水が車両甲板に打ち上げた瞬間
となってしまい水の量が増える一方になるという悪循環を繰り返した。
飛鸞丸の時は車両甲板に打ち上げた水は、次の水が打ち上げる前に船尾が下がって
排水されてしまい、一定量以上にならなかったと言われている。
453 :
NASAしさん:04/03/22 19:16
テケミ
>>453 > テケミ
厨は言葉を知ると使いたくなるよね。春だし。。。
455 :
NASAしさん:04/03/22 21:59
>>454 忘れられるよりはマシだろ。語り継がれるかも知らん。大目に見るべやw
456 :
NASAしさん:04/03/22 23:34
テケミ
457 :
NASAしさん:04/03/23 01:23
おっ!テケミ:天候警戒見合わせ中だね!
458 :
NASAしさん:04/03/23 01:28
>>458 函館桟橋の巨大待合室が一杯になるよ。なつかしや。
460 :
NASAしさん:04/03/23 12:21
若い乗組員が見合い話を遠慮する際も、「テケミ」とか言っていたんじゃなかったかなw
知り合いの連絡船ヲタは雨宿りのことを「テケミ」って言ってた。
「電車降りたら大雨でさ、駅前の本屋でテケミしてたんだ」
って感じでさ。
間違ってはないけどさ。
462 :
NASAしさん:04/03/23 22:44
テケミ(天候険悪出港見合わせ)という言葉、本来の運航業務以外にも・・・
「今晩、一杯どう?」
このような誘いがきたときに、あいにく信念を固くせざるを得ない事情があったとき、
「今、あいにくテケミ中ですから。」
と、やんわり断る場合にも使われていたと聞いた。
463 :
NASAしさん:04/03/24 00:43
テケミを誰か正しく展開してください。
天候「警戒」じゃなくて「険悪」だよなあ
465 :
NASAしさん:04/03/24 21:45
坂本幸四郎「青函連絡船」の本文には、
「テケミ(天候警戒運航みあわせ)・・・」
と、あった。坂本氏は青函連絡船摩周丸通信長という経歴の持ち主だから、たぶん間違い無いだろう。
466 :
NASAしさん:04/03/29 00:32
>>449 マニ3216は昭和39年3月時点で北見客貨車区網走支区(旭アハ)配置だが…。
洞爺丸搭載の客車は全車廃車になったはず…。
>>466 どんな姿で客車は引き上げられたのかな?
468 :
NASAしさん:04/03/30 20:51
>>467 「道南鉄道百年史 遥(はるか)」(2003年JR北海道函館支社発刊)の50頁に
引き揚げられた「マイネフ38−5」の写真あり。同時に引き揚げられた貨車(ワム級)に比べて
客車は損傷が著しい。
>>469 「いるか文庫」だね。
そりゃあるっしょ。
471 :
NASAしさん:04/03/31 19:31
4月11日までは、
●「いるか文庫」図書特別公開(10:00〜18:00)
連絡船関連の閉架図書(一部)を期間中に限り、自由閲覧とします。
なのだそうです。興味のある向きには、絶好のチャンス!
472 :
NASAしさん:04/04/02 22:40
補助汽船(タグボート)が函館に4隻(ひうら・しらかみ・かつとし・たっぴ丸)・青森にも1隻(ふくうら丸)が居たけど
今何処で活躍してるか分かりますか?
情報お願い致します!
473 :
船長に浣腸:04/04/02 23:34
474 :
NASAしさん:04/04/03 22:48
アメ公の空母が小樽に寄港した際、ひうら丸形のタグが空母のトモを押してたなぁ。
その勇姿を見るがためだけにミリタリー誌買っちまった。
あれもひうら丸だよね?
476 :
NASAしさん:04/04/04 21:14
なんという雑誌?何月号?
477 :
NASAしさん:04/04/05 22:12
>>476 イカロス出版のやつ(J−なんとかってやつ)に出てきたのは知っているが。
確か「J−Wing」だったと思います。
キティーホーク小樽入港時、J−shipsはまだ創刊前でした。
480 :
NASAしさん:04/04/06 21:39
>>476-479 J-Wing 2001年1月号84ページに「キティホーク」を押すひうら丸の勇姿が出てる。
トモではなく船腹中央付近だね。
481 :
NASAしさん:04/04/08 23:13
たっぴ丸は改造されて青森に居るって東日流っていうやつがいってた
ふくうら丸は苫小牧港で働いてましたが、数年前に廃船になったとRM誌に投稿があった。
たっぴ丸かしらかみ丸のどちらかは同じくRMの投稿でかつとし丸・と同じく三重県の業者が買い取った後、
宮城県に移動、海外売却されてたと思う。かつとし丸は四日市で現存してるはず。
484 :
NASAしさん:04/04/12 08:51
>>483 羊蹄丸もここまで再現してくれたら嬉しいぞ。
さらにここを駐車場としてしまえ!
485 :
NASAしさん:04/04/12 12:26
あれ、こんな排列だったっけ?
486 :
NASAしさん:04/04/12 21:34
>>485 現役時代は奇数と偶数番号(1〜9)は互い違いになっていました。
487 :
NASAしさん:04/04/13 08:47
>>484 そこが駐車場になったら、俺は愛車で函館まで行ってやるっ!
青森までが大変そうだけど。
488 :
NASAしさん:04/04/16 20:35
>>482 情報有難う、参考になりました!
たっぴ丸はまだ青森で現役中だよん
>>488 96年頃に売却されたんじゃなかったっけ?
490 :
NASAしさん:04/04/17 22:14
愛媛県の船会社に売られてから、青森に行ったみたい
それって偶然だよね
たまにはあげておく。
GWは、久しぶりに連絡船に会いに行こう。
492 :
NASAしさん:04/05/03 13:35
493 :
NASAしさん:04/05/03 17:04
そういえば昔青函連絡船の無線通信士してたおっちゃんが
同僚(空港の無線施設保守の技術士)にいたなぁ。
中学校の修学旅行ではじめて乗ったフネは松前丸。
あれから31年か…
リアル厨房の頃乗った羊諦丸。船長にサイン貰ったYo!
のちに聞くところによれば、船長は陸に上がって配置転換となり、
ニセコ山の家(これも懐かしいな)の館長になられたとお聞きしました。
(ドキュメンタリー番組でやってた記憶あり)
お元気でいらっしゃるとよいのですが。
496 :
NASAしさん:04/05/19 02:02
>>447>>451-452 遅レスでスマンが、たしかその時の飛鸞丸一等航海士(運転士)は、
近藤平市氏だったという記憶が。。。
(船長不在なので最先任者)
記憶違いだったらスマソ&訂正ヨロ
>>496 近藤平市一等航海士(運転士)が乗っていたのは津軽丸。
船長不在というのは正解。
他の船は座礁もしくは浸水したものの、津軽丸だけが無事に乗り切ったらしい。
498 :
NASAしさん:04/05/19 14:16
あおも〜りっ、あおも〜りっ、あおも〜りっ
↑
連絡船普通座敷席を巡るバトル開始の放送でもあった。
499 :
NASAしさん:04/05/19 16:00
/ \
/あおも〜り あおも〜 り \
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||はつかり 自由席|
|_∧∧_∧ ∧_∧ |
|. Д`);´Д`)(;´Д`) | 青森だ
| ∧_∧ /⌒ ヽ∧⊥∧
|(;´Д`) /| ∧_∧ .(;´Д`) 乗り換えだ
|⌒ ∧_∧(;´Д` ) ∧_∧
|) (;´Д` ) ∧_∧(;´Д` )
| /⌒ ヽ (;´Д` ) ヽ 乗り換えだ
| /| | | |/⌒ ヽ | |
|ノ \\ /|/| | | |\./| | 階段の臨時席はいやだ・・・
| \\ ノ \\./| |\\ | |
|/⌒\し'/ .\\ | |ヽ し'(ノ
| >/ /⌒\し'(ノ > )
| / / > ) / /
| / / つ / / (_つ
| し' (_つ |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゾロゾロ…
500 :
NASAしさん:04/05/19 16:10
6○○もらっとこか
501 :
NASAしさん:04/05/19 16:14
すまん5○○でちた
502 :
NASAしさん:04/05/19 16:23
>>498-499 乗り換えのアナウンスで船の名前を言うのが良かったね。
「今度の連絡船は9時15分出航の十和田丸です」って感じで。
503 :
NASAしさん:04/05/19 17:03
504 :
NASAしさん:04/05/19 18:43
「満員で〜す。臨時便におまわり下さ〜い」と言われた事もあったなあ。
その臨時便は石狩丸で_| ̄|○な気分になったもんだ。
今思えば客貨改造船に乗ったのは貴重だなあ。
505 :
NASAしさん:04/05/19 22:43
>>504 俺は最期まで残った船の中で、檜山丸だけ乗ってないんだ〜!
506 :
NASAしさん:04/05/20 09:23
507 :
NASAしさん:04/05/20 19:34
空知丸に乗った人ってかなり限定的じゃない?
人を乗せたのは有川発着の臨時便かぐらいかな。
ポセイドンラインももうないしね。
>>507 つーか、空知丸に客載設備無いだろ。
純粋な車両渡船なんだから。
乗組員ってのはアリだけど。
509 :
NASAしさん:04/05/20 21:58
>>508 客載設備は無いんだけれど、実は乗組員以外の「其ノ他ノ乗船者」という項目があって、
其ノ他ノ乗船者の内訳は、機関整備員(10名)および添乗員(40名)ということに
なっている。その居住区は、煙突兼用の後部マストの根元、つまり消音器室に隣接して
設置されている。ちょっと五月蠅そうな場所だけどね。
ついでに空知丸Uの最大搭載人員を紹介しておこう。
◎乗組員(最大41名)
甲板部・・・船長1、一航1、二航2、三航1、甲板長1、部員15
機関部・・・機関長1、一機1、二機2、三機1、操機長1、機関検修長1、部員6
事務部・・・事務長1、首席事務係1、調理員3
通信部・・・通信長1、二通1
○其ノ他ノ乗船者(最大50名)
機関整備員10、添乗員40
以上最大搭載人員合計91名
510 :
NASAしさん:04/05/20 22:08
松前から列車で函館に着き、時間があったので駅前で一杯。連絡船の中でも海峡ラーメン
食いながら一杯、ヘベレケ状態で雪の青森駅に降り、接続の「はくつる」車内でもカップ酒。
八戸を出て、さて、もう寝ますかと便所に行き、小用足してる最中に意識を失ってぶっ倒れた。
その後、どうやってベットに入ったのか記憶はないが、目覚めたら郡山だった。
郡山から乗り込んできた車内販売から駅弁買って食った。
511 :
NASAしさん:04/05/24 03:06
507
の方の話題にございます「有川臨時便」ですが確かあれは貨物船扱いの一般旅客船であったと思いますよ。また、取材・乗り組み員などを除いたら純粋に乗れたと考えられるのは昭和四十年代くらいまでの
貨物船に搭載された家畜・小動物輸送の貨車の添乗員ではないでしょうか。貨物専用船にはそういう添乗員の方用の休憩部屋があったともききます。
512 :
NASAしさん:04/05/24 03:29
507
の方の話題にございます「有川臨時便」ですが確かあれは貨物船扱いの一般旅客船であったと思いますよ。また、取材・乗り組み員などを除いたら純粋に乗れたと考えられるのは昭和四十年代くらいまでの
貨物船に搭載された家畜・小動物輸送の貨車の添乗員ではないでしょうか。貨物専用船にはそういう添乗員の方用の休憩部屋があったともききます。
513 :
NASAしさん:04/05/24 03:46
ごめんなさい、同じ記事を二度載せてしまいました。申し訳ありません。
また、何かと情報の少ない渡島丸なのですが、こういうエピソードがあります。
「揺れ方」が変だった、というのです。エンジンを制御する部屋で、椅子があまりの時化で「横に滑っていった」のではなくて「空中をぶっ飛んでいった」のだそうです。船自体も随分変な造りだったのか、渡島丸はよく「ねじれるような揺れ方をした」とのことでした。
514 :
NASAしさん:04/05/24 08:53
>>507 空知丸が就航した頃には、有川発着貨物便を臨時便として客を乗せる事はなくなっていた。
てゆーか、有川発着便に旅客が乗ったのは昭和48年に1日だけじゃなかったっけ?
515 :
NASAしさん:04/05/24 12:31
昔は船が交通の手段で鉄道についで一般的だったんですね。
俺は、青函航路は松前丸・十和田丸・大雪丸・八甲田丸しか経験ない>いずれも小学生時代
高校以降現在まで、観光や仕事では全て飛行機か新幹線だな。
船といえば数年前、八丈島にいくのに「すとれちあ」に乗船しただけだったが、それが青函連絡船に乗って以来の船への乗船となった。
「すとれちあ」も青函連絡船と同じくらいの大きさだったよね?
>>515 【すとれちあ丸】総トン数 3,708t,全長 110.95m,全幅 15.2m,巡航速度 20ノット,旅客定員 1,942名。
【青函連絡船】 総トン数5375t, ,全長:132.0m, 全幅:18m, 巡航速度18.2ノット 旅客定員:1200名。
参考「
【いしかり】 総トン数: 15000t 全長: 192.5m 全幅27m 巡航速度 24ノット 旅客定員: 854名
517 :
NASAしさん:04/05/25 08:59
↑
いしかりって○平洋フェリーですよね?
昔、船内催事でピアノ弾いておりました。きそもきたかみも乗りましたが、ここは連絡船のスレなので、このくらいにしておきます。
518 :
NASAしさん:04/05/25 10:40
>>513 渡島丸Uのことと思うけど、渡島丸型連絡船は津軽丸型に較べると、一見重心が低そうで、
時化には強そうに見えるが、実は揺れがかなり激しいということを、乗組員から直接聞いた
ことがある。
だから、青函連絡船が荒天で欠航するような時は、客貨船の津軽丸型よりも貨物船の渡島丸型
のほうが先に止まることもあったのだそうだ。
素人の漏れにはよく解らないが、船にはGMとかいう値があって、津軽丸型のほうが渡島丸型
よりも望ましい数値であったという。
519 :
NASAしさん:04/05/25 11:57
>>518 重心が低いことを「ボトムヘビー」って言うのだけど、このような状態の船は時化に強く転覆しにくい分
慣性の法則上、揺れよく拾ってしまうから乗り心地はよくないらしい。
もっとも、これは設計ミスというより渡島丸型はあの広い露天甲板に国鉄コンテナを積む予定だったのだけど。
520 :
NASAしさん:04/05/26 14:28
渡島丸の話は私が元・乗組員から聞いた話しだったのですが、続いてあまり知られていない日高丸についてです。
五十九年二月で廃船の際、入札に来た○商岩井なのですが、当初は「ヘリの搭載船にする」という案があったらしいです。
広い甲板上に格納扉を設け、ヘリは貨車甲板に格納するというものでした。結果的にスクラップになりましたが、そういう話もあったそうです。
521 :
NASAしさん:04/05/26 20:12
>>520 へえ〜。ヘリ搭載型に改造して何に使うつもりだったんでしょ? まさかDDH・・・なわけないよなw
>>521 某国では日本の中古フェリーを軍用輸送船にしているところもあるんで
あながち的外れた話しでもないかと。
523 :
NASAしさん:04/05/27 01:33
それは次は十勝丸でいきますか。
台湾でスクラップ売却の際に、軍艦改造ってはなしかかがあったんです。
もっともちゃんんと計画自体が頓挫したっていうおちはついていますが。
あー青函連絡船にのりたいなぁ。
未就学児のころから、10年くらい毎年乗って帰省してたよ。
小学校にあがってからは、都内からひとりではくつるかゆうづるにのって、
親よりひとあし先に祖母宅へ行ってた。
はくつるかゆうづるから乗り継ぐと、羊蹄丸と八甲田丸にあたるときが多かった気がする。
乗り合わせた子どもたち10何人かで、船中で鬼ごっこしたこともあったっけなあ。
その際は迷惑だったであろう。すまん。
心残りは、シャワールームを使ったことがないこと。
子ども心になんかあまりきれいじゃない感じがしたんだよね。
525 :
NASAしさん:04/05/28 10:34
>>524 青函連絡船のハウス部分は、船体の復元性能を良くするために、非常に軽量構造に、
メチャ鉄板うすくしているから、プロムナードデッキを走ると、階下の普通船室では、
それはもう、ドタバタにぎやかでしたねw
修学旅行シーズンの風物詩でした。走り回る生徒達と五月蠅いとカンシャクをおこす爺様。w
526 :
NASAしさん:04/05/29 17:14
>>516 太平洋フェリーの船ってデカいんですね……。定員の少なさも優等船室が多いからなんでしょうか。
527 :
NASAしさん:04/05/29 18:26
>>526 パブリックスペースが多くとってあるのかもしれんね
528 :
NASAしさん:04/05/30 19:34
青函連絡船って半分はイス席じゃないですか。
それに航行時間もたった4時間ですし。
だからあれだけの小さな船に1200人も詰め込めたんですよ。
津軽丸形より小さい十和田丸(初代)に至っては1470人でしたし。
529 :
NASAしさん:04/05/30 20:46
宇高連絡船に至っては、航行時間1時間なので、ほとんど椅子席で、
青函連絡船より二回りも小さい船体に定員2350人でしたからね。
ま、列車でいえば、長距離寝台客車と短距離通勤電車の違いみたいなもんでしょう。
530 :
NASAしさん:04/05/31 00:40
私も小六の時にデッキを駆け回った覚えがあります。今から十七年も前の修学旅行の時の話です。私は十和田丸にあたることが多かったですね。
最後まで桧山と石狩にはめぐまれませんでした。桧山は現在インドネシアのフェリーということですが、長きに渡って岡山の玉野造船に係留されておりましたね。
貨物船シリーズネタ第四弾、ということで再びネタを。結局これも計画自体が頓挫したのですが、阪神大震災の時に応援船として神戸沖に係留し、被災者の避難船にしようという話がありました。
結局、行政から正式なオファーがなかったためにこれは中止になったのです。
それとですが、どなたか「WE LOVE INDONESIA」と表記された現在の桧山丸の就航航路など、詳細お分かりの方いらっしゃらないですか。
また、フィリピンドリームが閉鎖して現在どうなったかお分かりの方、情報をいただけませんでしょうか。
531 :
NASAしさん:04/05/31 09:56
石狩・空知が売られたポセイドンラインっていつ倒産したの?
532 :
NASAしさん:04/06/01 18:27
age
533 :
NASAしさん:04/06/01 18:37
534 :
NASAしさん:04/06/01 18:49
536 :
NASAしさん:04/06/02 12:29
>>535 記事は見たが、さっぱり判らん・・・(鬱
.
>>535 よくは読めんが、今年2月に高千穂丸が入って代わりに石狩丸がお払い箱になったということでよろしい?
石狩丸のほうが船齢若いのにね。
538 :
NASAしさん:04/06/04 21:46
>>537 青函船のマルチプルギアードディーゼルの複雑さやメンテの煩雑さが嫌われたのかも
539 :
NASAしさん:04/06/05 00:41
連絡船のエンジンって普通の船のエンジンとは違うの?
主機が8台もあるから複雑なのかな?
そういえば檜山丸はマラッカ海峡で見かけられたみたいだけど、詳しいこと知ってる人っている?
>>539 ロイズレジスターのオンライン検索では「Rising Star III 」(種別:RoRo)になってる。
つーか、オンライン検索で個人年間使用料金が1390$なんて高杉…_| ̄|○
541 :
NASAしさん:04/06/05 12:04
>>539 主機が8台もある8機2軸だから、通常の2機2軸にはない各種装備もあるわけで。
たとえば、ひとつは、主機負荷を自動調整する制御装置。
メチャ頑張る機関と怠ける機関が出てくるので、足並みを揃えて公平に負荷を分担させる
ように燃料制御をするシカケ。結構複雑で取り扱いには知識(勉強)が欠かせません。
寝台の浴衣ってどうよ。
板状になってて着るのに苦労。
543 :
船長に浣腸:04/06/06 20:54
545 :
NASAしさん:04/06/07 07:02
八甲田丸って就航時と終航時との塗装が違うけど、いつ変更したの?
546 :
NASAしさん:04/06/07 08:57
>>545 就航直後。
津軽丸形の塗装を造船所に一任したら、羊蹄丸まで全部同じ色になってしまう(松前丸とほぼ同じ)
事が判明して慌てて塗り替えさせたらしい。
547 :
NASAしさん:04/06/07 18:48
>>546 っていうことは摩周丸も松前丸みたいな色で就航したの?...津軽丸もなんだよね?
548 :
NASAしさん:04/06/07 19:07
一番最後で製造時期の違う十和田丸以外ははじめはおんなじ色だったはず。
津軽丸と同じ色だったと思うけど。
シンボルマーク前に船舶カラーも制定したんじゃなかったっけ?
就航時 変更後
津軽 にぶい青 灰青(s42)
八甲 うす緑 黄 (s44)
松前 緑 うす緑(s44)
大雪 うす緑 暗緑(s41)
550 :
NASAしさん:04/06/07 22:21
>>547 摩周丸と羊蹄丸は一度緑系の色に塗られたけど、就航前には塗り替えられた。
551 :
NASAしさん:04/06/11 03:52
「名門、此処に堕ちる」ですな。
函館どつく提携の名村造船所 パナマ法人、筆頭株主に 台湾系企業? 2004/06/10 09:28
経営再建中の函館どつく(函館)の業務提携先である名村造船所(大阪)の筆頭株主が、
パナマに税務上の本社を置くセグラグループになったことが九日までに分かった。
同グループは今年二月四日に設立し、船舶の建造、購入、用船などが主な業務で、
関係者によると経営陣は台湾系という。
同グループは会社設立後、名村造船株の買い付けを開始。関東財務局に提出した株式の
大量保有報告書によると、三月三日付で名村造船所の
発行済み株式総数の6・15%に当たる二百三十一万四千株を保有し、従来の筆頭株主だった
UFJ銀行の百八十三万一千株(株式総数の4・86%)を抜き、筆頭株主となった。
その後も株式の買い付けを進めているという。
名村造船所は、設備投資の資金調達を目的に、五月二十七日付で第三者割当増資を行い、
六百二十九万九千株を新たに発行すると発表。増資後も株式保有数で二位のUFJ銀行は
全株式総数の4・8%を保有するにとどまり、筆頭株主はセグラグループのままだ。
名村造船所は「セグラグループとの交渉がないため、同社についての情報がなく、
コメントできない」としている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20040610&j=0024&k=200406105225
552 :
NASAしさん:04/06/12 19:19
宮島連絡船が座礁!
554 :
NASAしさん:04/06/16 23:13
87'連絡船フィーバー
イメージソング!!
9月30日までの毎日、各連絡船にあったイメージソングを随時流し、お客様に楽しんでいただきます。
摩周丸…霧の摩周湖 大雪丸…雪国 羊蹄丸…小樽の人よ 十和田丸…津軽平野
八甲田丸…海峡 石狩丸…石狩挽歌 檜山丸…江差追分
北海道ダイヤ(JR北海道発行道内時刻表) 1987年8月号より。
555 :
NASAしさん:04/06/22 22:10
フ━━━( ´_ゝ`)━━━ン
557 :
NASAしさん:04/06/24 18:30
>555
いまも八甲田丸って係留されてるんだね
みんなも見たら良いのでは?
まずはHPで予習だ!
558 :
NASAしさん:04/06/25 23:37
age
青函航路と言えばイルカが定番だな。
, '´)
, -─-'- 、i_
__, '´ ヽ、
',ー-- ● ヽ、
`"'ゝ、_ ',
〈`'ー;==ヽ、〈ー- 、 !
`ー´ ヽi`ヽ iノ
! /
r'´、ヽ
`´ヽノ
560 :
NASAしさん:04/06/26 08:39
>>555・557
漏れもあのHP見たけど、面白かった?
自分はちょっと不満かな
みんなはどう思った?
561 :
NASAしさん:04/06/26 10:00
>>560-561 ではどんな連絡船サイトをお望みで?
何処があなたたちのオススメか教えてよ。
564 :
NASAしさん:04/06/27 11:19
>>561 どんな風に不満ですか?
漏れは満足だったけどな
>>564 ここはサイトの品評会スレじゃないのでsage。
この流れだと個人叩きに発展するのは過去の歴史が示してる。
566 :
NASAしさん:04/06/28 22:31
>565
それもそうだ!
自分もそう思いまんにゃわ
567 :
NASAしさん:04/06/28 23:34
7月17日から8月22日まで「青函ジョイント夏フェスタ」開催。
摩周丸・八甲田丸両船で海の日に合わせてイベント開催。
568 :
NASAしさん:04/07/04 00:13
7月17日から8月22日まで「青函ジョイント夏フェスタ」、摩周丸の方は汽笛を難なく鳴らすだろうが、八甲田丸は改装工事の際にとってつけた偽物のため幻滅である。
また、当方音楽で飯を食っているので、汽笛の和音・音色による船の判別可能。
津軽・八甲田・大雪・摩周・羊蹄・十和田・桧山・石狩は家にもろもろの資料あり。
空知については資料があれどやや信憑性に欠ける部分あり。
どなたか松前・渡島・日高・十勝、そして正確な空知の汽笛の資料お持ちの方いらっしゃらないですか。
また、大雪の汽笛は今でも現役当時と変わらぬ音色で、羊蹄についてはあとからとってつけた偽物です。
570 :
NASAしさん:04/07/04 12:01
さようでございましたか。ならば私の不勉強ですが、ただし八甲田丸の汽笛は、ド、ミ、ではなく、
下からファ、シ♭、レ、ファが正解です。ちなみに摩周丸は、ファ、ファのオクターブ奏法です。
余談・・・津軽丸は下からレ♭、ファ、ラ♭、レ♭です。
>>570 絶対音感がある奴が羨ましい。
着メロで汽笛の音とか作っちゃったりするの?
572 :
NASAしさん:04/07/05 19:23
仮に和音自体は再現できても、船によって異なる「音色」自体の問題(津軽丸は固め、とか十和田丸は
やわらかめ、とかがあるので)着メロでは難しいでしょうね。
いろんなシンセ買って音を加工していかないとダメ。
573 :
NASAしさん:04/07/10 17:42
青函連絡船の汽笛(エアホーン)は、低いほうが130Hzで高いほうが165Hzのハーモニックホーン(宇高もおなじ)。
この汽笛は既製品(大阪の伊吹工業製)で、船によって音程が違うはずはないのだが、もと乗組員によると、船によって微妙に音程・音色が違い、汽笛で船名がわかったという。
同じ船でも日によって違ってきこえる。音程が変わるのは風の影響が大きい。気温によっても違う。湿度によっても違うといわれる。
三重や四重に聞こえることもあるが、管は2つしかない。なにかに反射した音がまじっているのだろうとおもうが、ひとつの管がオクターブ奏法している可能性はある。
エアホーンとは別に霧笛用のモーターサイレンがあり、こちらは単音だった。エアホーンの下についていて、ラッパがエアホーンより大きい。
1985年の法改正で汽笛の許容音域がせばまり、連絡船のエアホーンも低いほうの管の音を少し高くしたが、高いほうはそのままだったので、きれいにハモらなくなってしまった。
現在の摩周丸のエアホーンは、復元修理の際、低い管の音程をもとにもどした。八甲田丸は新品。大雪丸は現役時代とおなじなので音程がずれたまま。
羊蹄丸の汽笛はエアホーンではなくモーターサイレンだとおもうが、現役時代とおなじものなのかどうかは知らない。
574 :
NASAしさん:04/07/10 18:00
>>573 すげー!
勉強になりました。
末期の連絡船の汽笛が微妙にもの悲しく聞こえたのは、
気のせいではなかったのかも知れない。
それと後年、遠方(湯の川)で聞き取りにくくなったのは、
ハモらなくなったせいかも・・・。
575 :
NASAしさん:04/07/11 02:23
572の音楽家としてひとこと。ならば
通常二音としかないとされている汽笛に対し、十和田と大雪とのC、Cmと気象状況にもかかわらずとしても、常にメジャー、マイナーと
その音の柔らかみ、固みを保っていた各々の船の汽笛に対して説明が付かない。いくらなんでもこれは度が過ぎる。一番説明が付かない
のはド、ド♯にピッチベンドをかけた石狩丸のことである。メジャーとマイナーの判別くらいいくらなんでも船にあったとしたも、通常
ではあり得ない鳴り音をしていた。石狩丸の場合、一体どう説明を付けるのか、私にも分からない。ただ、十和田に関してはいつどのよ
うな条件下でも鳴音に変化はなかった。強いてあったとすれば八甲田くらいで(八甲田が一番変化が激しいです)、音程で増一度程度の
変化は存在した。他の船には極端な音の変化はなかった。
従って、晩年に「汽笛を聞けば何丸か分かった」という乗組員の逸話は事実。
絶対音感の無いヤツラがデタラメ書いてるな。
7月19日の海の日にちなみ、かつて本州と北海道を結んだ青函連絡船の
函館港で活躍したタグボートの仕事ぶりを記録した映画を上映します。
1.名 称 海の日記念映画会
2.期 日 2004年7月10日(土)〜7月19日(祝)
3.時 間 7月10日(土) 2回(13:00・15:00)
11日(日) 3回(11:00・13:00・15:00)
7月17日(土) 2回(13:00・15:00)
18日(日) 3回(11:00・13:00・15:00)
19日(祝) 3回(11:00・13:00・15:00)
(交通博物館)[
http://www.kouhaku.or.jp/event/moyosi2004-16.html
578 :
NASAしさん:04/07/14 12:08
スレ汚しですいません、どうしても思い出せない連絡船用語がありまして。
乗船券とは別に何か札のようなものを書いて箱に入れた記憶があるんですが、
あれは何というものですか。母が「のりぼ」って言ってたような気がして、インターネットで
検索しましたが見つかりません。
それと、駅と桟橋をつなぐ長い廊下のこと、何か名称があったような気がしますが
思い出せません。
>>函館港で活躍したタグボートの仕事ぶりを記録した映画を上映します。
タグボートに痛い思い出。(^^;;;;;
函館到着の際、もう吹雪に近いというのにヲレは船尾方向の外のデッキで
ボーっとしていたら、いきなりサーチライトがピィカァァァ!!タグボート!!
あ〜、綺麗だな〜と思った次の瞬間、耳がキ〜〜〜ン。
・・・だってタグボートのホーン、あんなにデカイ音だとは・・・。
>>580 でかいというか、音圧が高いのでは・・・。
>>580 まあ、トロンボーンの朝顔を覗き込んだら耳元30センチでいきなり吹かれたって感じに似てるよな。
>>578 『ノリボ』ではなくて『ノリホ』だと思われ。客には関係ないが。
「のりほ」は車掌が乗客数などを記載する書類で、全国的に
使われるJR業務用語。駅の上屋の柱などに「のりほ入れ」が
ついていたりする。
「のりぼ」は連絡船の乗客から派生した用語で、「ぼ」からも
わかるように乗船名簿の事。特急列車の洗面所などに束にして
ぶら下がっていて、車内で記入しておくと乗船時に箱に入れる
だけでスムーズに乗れる。旅客船では乗船名簿への記載が
必須なので、書いてないと乗船前に記入のために足止め食らう。
なお、普通船室用とグリーン船室用で紙の色が変えてあった。
>>585 我が家に当時の乗船名簿(無記載)が白・緑とも数十枚あります。
記念にパクってきたものです(w
家族旅行、小中高の修学旅行、大学受験、帰省など折に触れ連絡船に乗りますた
青森駅の自販機で初めて250mlの缶コーラを見たときは
同じ値段で何故少ないんだと不思議だったな 函館は350mlだったから
589 :
NASAしさん:04/08/03 18:19
>587 逆の立場ですが・・・
俺はガキの頃、青森駅でわざわざ入場券を買って、当時連絡船内でしか入手できなかった北海道産のファンタレモンを買ったものです。
コカ・コーラ製品は生産拠点で色々違うって事をその時認識したのでした。
当時は始発のはつかり2号と同時刻発の白鳥が「よーいドン!!」するのかどうかを見に行ったり・・・。
昔の青森駅は異様な勢いがありました。子供心にあの荷物を運んでホームをぶいぶい走っていた3輪車に乗りたいと思っていた頃が懐かしー。
>>590 列車もそうだが、連絡船の場合荷物も大きくなっていた(昔ね。)ので、
当たり前に入っていたし、最後の可動橋を外す前にアナウンスもされていた。
592 :
NASAしさん:04/08/04 02:04
>>590 君のカキコの「(ry」に少しだけ優しさを感じた。
少しだけ。
>>590 漏れの叔父さんなんて、見送りで船内に入って、話に熱中のあまり、
そのまま乗っていってしまったことあったよ。
船内の案内所で売っていた切符は、硬券が多かったな。
594 :
NASAしさん:04/08/05 00:27
乗組員が他船の同僚の所へ遊びに行ってて、うっかり
時間になっても降りなかったからそのまま出港してしまった
事があったとか。遊びに来ていた方は函館まで往復すると
自分の船の勤務に間に合わないから、港内にいるうちに海
に飛び込んで、泳いで自分の船に帰ったとか。
595 :
NASAしさん:04/08/05 08:53
>>594 …で、そのまま行方不明って話じゃなかったっけ?
596 :
NASAしさん:04/08/05 10:23
>588
同じ所で企画した連絡線ペーパークラフトってどんな感じだったんでしょうか?
ご存知の方教えてください。入手出来ないかな?
>>596 津軽丸形の設計者が監修しているから出来は良い。
スケールは500分の1。
函館駅2Fの「いるか文庫」で販売してます。
情報どうもです。早速問い合わせてみます。
>>595 たしかそうだった。通信士だった人が書いた連絡船の
歴史の本で見たと思う。
600 :
NASAしさん:04/08/08 20:32
age
602 :
NASAしさん:04/08/12 00:07
八甲田丸就航40周年記念日 1964年8月12日〜1988年3月13日
603 :
NASAさん:04/08/17 00:25
ヨーロッパの石狩丸、インドネシアの檜山丸の写真&ビデオを持っている方へ
うpキボンヌでつ
604 :
NASAしさん:04/08/22 22:39
青函連絡船が現存していたら、「深紅の大優勝旗」は連絡船で津軽海峡を渡ったのだろうか?
ていうより、そうして欲しかった。オリンピックの聖火も津軽丸や大雪丸が運んだのだから。
605 :
NASAしさん:04/08/22 23:03
>>604 せめて名古屋から船で、と言うのも無理だろうね。
飛行機で帰道、これが一般的。
新千歳空港の半分は苫小牧市なのに無理を言うな。
でも、はるみタソに報告には行くだろな。
>>607 せめて津軽海峡上空を青森から函館へ向けて飛んでもらおう。
>>609 航空・船舶に書くのも気が引けるが、伊丹から新千歳なんだから、
新潟・男鹿半島・津軽半島・函館というコースは普通だろ。
函館牛乳の所にある「函館VOR/DME」を通過したんだろよ。
>>604以降
それより、「深紅の大優勝旗の北海道上陸」が青函連絡船があるうちに
実現できなかったのが悲しいね。
たまには浮上
バンモデリングの1/700青函連絡船
新作出ますたよ。おまいら。
614 :
NASAしさん:04/09/08 16:48
洞爺丸颱風の真実について「通過したと思ったら後から来た」と言われるが、
今回のように、函館に最接近後、渡島半島の山々を越えられずに急に減速。
北風を巻き込んで再発達したのなら、説明できそうな気がする
来る9月26日は、洞爺丸海難事故からちょうど50年になるんだね・・・・・・
618 :
NASAしさん:04/09/14 12:19:00
突然の質問すみません。
自分は青函連絡船等の船は縁がなく乗ったことがないのですが、
一般的にどの位の波の高になる揺れると感じるようになるのでしょうか?
もちろん感じ方は個人差があるとも思いますが・・・
619 :
NASAしさん :04/09/14 14:09:19
大潮の時期、乗船は難儀だった。
船がせり上がり、乗船のタラップがすごい傾斜になっていた。
足元が滑りやすい日は、手すりにつかまって何とか下船した思い出がある。
大きな荷物を背負っていた常連のおばあさんたちも必至な顔で乗り降りしていた。
今日から函館新聞で洞爺丸台風のことやるみたいだね。
初っぱなから、当時の乗組員の証言が悲痛に聞こえるね・・・。
青函OBも高齢化してきている。証言を集めるなら早くすべきだ。
622 :
NASAしさん:04/09/20 22:48:22
宇高連絡線(高松)も高汐時の連絡橋の仰角は,、ほぼ30度あった。
新型船就航時の頃にはメインの連絡橋が使えず、一等(今のグリーン)の
細い連絡橋を使ってた事も多かったよ。
今になって考えれば、現在ほど発注仕様書が明確じゃなかったんだろうな・。
>>621 年に数人は連絡船関係者の訃報記事を見るからね。
終航当時の船員でも若手はまだ現役だろうけど
全盛期を支えたサロンクラスの人たちは…
「洞爺丸転覆の謎」著者・田中氏も、「わが青春の青函連絡船」著者・坂本氏も
ここ4,5年で鬼籍に入られている。
「洞爺丸台風50年」が節目としてのラストチャンスじゃないか?
624 :
NASAしさん:04/09/20 23:20:18
オレは昭和中期生まれだが、青函航路、宇高航路、旧国鉄の歴史が確実に
消え去って行くのが身にしみる。
スレ違いだが、年配の方に大戦中の歴史も
次世代に伝承してくださる事を切にお願いします。
625 :
NASAしさん:04/09/22 10:10:58
函館新聞の記事がいいな。<あくまでも記事よ。洞爺丸事件の。
この新聞の質の高さは何処から来るのだろう。
青森生まれの36歳です。八雲に親戚がいて小学生の時よく連絡船にのりました。乗り換えは急行すずらんでした。(なつかしー)
大シケのときによく当たりまして、私は船酔いに無縁だったのですが周りの乗客はみんな酔いまくっていました。
トイレにいけばゲ●が波にのっていったりきたり、始めてもらい●ロというのを知ったのでした。波が窓から上から下まで見える(表現がむずかしい波の高さ10mかな?)のは子供心に恐怖な物でした。
627 :
コメンター:04/09/22 23:36:52
高山本線の下呂駅
青函・宇高・宮島は乗ったが仁堀はのる機会がなかった。
>>628 青函連絡船のスレでなにも大函フェリーを引き合いに出さなくても・・・
大間航路は船も小さいし時化の時の揺れは連絡船の比じゃないのはオレも体験してるけど・・・
揺れに関してはスタビライザーの付いた石狩・檜山・十和田が
比較的おとなしめだったらしい。
当初は津軽丸形設計時にスタビライザーを全船装備する案もあったが
国鉄総裁の判断でスタビライザー無しになったそうだ。
>>630 なんか立ってられないどころか、座ってられないほどの揺れだったんだってね。
>>631 津軽丸型の建造費は当時で1隻18億円だったそうだが、スタビ装着は
更に1億円上乗せになるとかで、当時、東海道新幹線工事費用の大幅増で
財政的に苦しかった国鉄としては、断念せざるを得なかったとか。
十和田丸に青函連絡船初のフィンスタビが装着されたのは、
就航してから15年後のことだった。
634 :
NASAしさん:04/09/23 23:50:44
青函の話では「青森 ホタテ釜飯」が良く出てくるけど、
あれって、いつごろからあった駅弁なの?
美味しかったけど、なんか割り切れないものが・。
635 :
NASAしさん:04/09/26 02:43:58
洞爺丸台風50年age
改めて犠牲者の皆様のご冥福をお祈りします。合掌
636 :
NASAしさん:04/09/26 02:56:33
ああ・・・。50年か。
絶対に悲劇を風化させてはならない。
同じく合掌。
どこかのスレで見たんだけど、洞爺丸の慰霊碑が20年前に修繕されて以来手付かずらしい。
もともと函館市に寄進された物らしいのだが、存在場所が隣町の上磯町の為
現在まで正式な管理者が函館市なのか上磯町なのかはたまたJRなのかはっきりしていないらしく
20年前の修繕も地元の石材店の好意によるものだったとのこと
つ菊
638 :
NASAしさん:04/09/26 03:24:12
政府は「航路があったこと」すら忘れさせようとしている。
慰霊碑は絶対に守ってほしい。確実にタイタニックを凌ぐ惨事。
本州在住の自分には祈ることしかできない。
639 :
NASAしさん:04/09/26 03:42:43
>>637 ttp://www.kahoku.co.jp/news/2004/09/2004092501003083.htm 管理者不在の慰霊碑にひび 洞爺丸事故の風化に懸念
1954年9月、台風のため北海道・函館湾で青函連絡船5隻が転覆、1400人以上が犠牲になった「洞爺丸事故」。現場を望む上磯町の海岸にある慰霊碑は管理者不在の状態で、汚れやひびが目立つ。
26日の事故後50年を前に、遺族は事故の記憶が慰霊碑とともに風化することを懸念している。
高さ4・5メートルの慰霊碑は、事故の翌年、遺族会が「悲劇を忘れないために」と建立。青函連絡船が発着していた函館市に寄贈した。
ところが、立っているのが隣の上磯町であることからか、函館市は管理について「不明確」としており、連絡船を運航していた旧国鉄のJRや上磯町も「分からない」と口をそろえる。
慰霊碑は約20年前、地元の石材会社が自費で表面を補修して以降、手付かず。潮風にさらされ、汚れや細かなひびが増えた。
>>638 同意。悲劇は忘れてはいけないと思う。それを語り継ぐ為に慰霊碑は守ってほしい。20年間補修していないってどうゆうことだろう?
亡くなった1400人に申し訳ないと思わないのか?自治体もJR北海道も真剣に考えてほしい。
スレ違いだけど紫雲丸事故も忘れられようとしてる。
楽しいはずの修学旅行が一瞬で悲劇になる。そんな悲しいことはないよ。
640 :
638:04/09/26 03:50:27
>>639 全く同感。でも、オレは祈るしかないよ。
来年、函館と高松に行った時に慰霊碑に花をあげてきたい。
過去、青函船舶鉄道管理局で刊行した、洞爺丸台風海難記録をせめて復刻再版できないもんかねえ・・・
>>641 昭和40年に刊行した海難誌のこと?
それとも昭和30年刊行の「台風との斗い」?
後者激しくキボンヌ
小僧の頃、塾をサボッては夜の安方市場で連絡船の発着を見ていた。かなり船から近いし、夜は人通りが無かったので俺にとってはベストスポットだった。
何度かサボっているうちに気付いたんだが、週に一度位の頻度で初老の女性が花束を海に投げていた事を思い出した。
当時、昔の事故のことは知っていたので、誰かを亡くした人なんだろうなーと感慨に耽り周囲を見渡して一服・・・ 何時も3時間近くそこにいたけど飽きなかったな。
50年前のちょうど今ごろが修羅場だったんだよな・・・(-人-)
22:26 洞爺丸 七重浜に座礁
646 :
NASAしさん:04/09/26 22:41:17
黙祷…
22:43 洞爺丸 七重浜沖600m地点で横転・沈没。
合掌
合掌
649 :
NASAしさん:04/09/26 22:55:40
(=゜ω゜)ノ黙祷
あぼ〜ん
今年78の俺のじいちゃん、当時大雪丸の乗組員でした。
この船は結局木古内沖まで行って助かったんだよね。
じいちゃんは当日は入院してて乗務はしてなかったんだけど、養成所時代の
友人が戦争の時の空襲、そして洞爺丸台風と何人も亡くなったそうです。
そして生き残った連絡船時代の友人も高齢化のためか、付き合いも減り、
知らないうちに亡くなってる事も多いと今年の夏帰省した時に言ってました。
623氏も言ってますが、今が節目としてのラストチャンスでしょうね。
今日で50年、自分が生まれるずっと前の話ですが、やはり特別な思いが
ありますね。
そして第六真盛丸からSOS
しかし函館海上保安部からの応答はなく…。
石狩丸船長が青函局宛に打電。
「第六真盛丸の報によれば、洞爺丸転覆の模様。漂流者多数」
>>652 ご存じの人は多いと思うけど、事故当夜は函館海上保安部の送信アンテナも
暴風で切れちゃってたんだよね。それで港内にいた連絡船石狩丸に乗務中の、
通信士坂本幸四郎氏が、第六真盛丸からの執拗なSOSに辛抱ならずに応答して
しまったため、洞爺丸転覆の事実を初めて国鉄が知ることになったという訳。
655 :
NASAしさん:04/09/27 23:17:00
十勝丸:船内消灯、エンジン不能、全員防水に奮戦中。
浸水多大、電気が消え沈没中。本船に近寄るな。
オレ、これ聞いた時には泣いたよ。
656 :
NASAしさん:04/09/27 23:28:45
十勝丸・・・沈没。
>>654 実際のところは七重浜駅長が漂着者からの報告を受け転覆を知り
鉄道電話で報告してるんで、全く知らなかったというわけでもない。
局の方でも洞爺丸が座礁した時点で救援のために現地へのバスの手配は始めていたというし。
十勝丸は、沈没直前に「意気軒昂」とも打電してきていたんだよな。泣ける・・・
659 :
NASAしさん:04/09/29 02:03:34
私の叔父は沈没前日まで洞爺丸にボーイとして乗船していたが、間一髪危機を真逃れた。
一方、私の祖父母の隣の家の主人はたまたま乗船して溺死。
運命とは分からないものであすね。
別件
音楽家として何度か表記させていただいていますが、摩周丸の汽笛は下から順に
ミラド♯ミ、であることを先日現地で確認、よって前回のファファ、のオクターブ奏法
であるとの発言を撤回させていただきます。
660 :
NASAしさん:04/09/30 21:36:37
>>660 かなり昔にガイシュツ。
あまりに昔な事なので歴史が一回りしてしまったようだ。
>>660 音は聞き分けられるよ。ヤ○ハ音楽教室のガキでもね。<って言うか奴ら結構優秀。
俺が思うにさ、長年の保守・修繕で個体差が広がっていただけなんじゃねぇの。
663 :
NASAしさん:04/09/30 22:22:37
>>662 そうかぁ・・。オレは通常の和音なら大丈夫だが、
布教和音となると全くダメだよ。特に汽笛系はダメだ。
旧国鉄の蒸気機関車は五音らしいがオレは解析できないよ。
664 :
NASAしさん:04/10/02 01:02:22
>長年の保守・修繕で個体差が広がっていただけなんじゃねぇの。
そんなことが起きるとは到底考えられないのですが。
ちなみに汽笛は和音だけでなく音色の違いもあったりするのでガキがこれを解析するのは
簡単にはいかないはず。十和田はトロンボーン系が強いし、羊蹄は一番下の音が
ストリングスがかっている。桧山は十和田より軟らかくて軽めのトロンボーン。
また、下の表記にあるSLの五和音ですが、闇雲にコードを重ねるだけでは表現不可で、
ピッチベンドを(要は演歌で言えばしゃくりあげみたいなの)使えば再現可。実際に
私が作った音が現在通信カラオケで配信されています。
ただ、うまく再現するには、かなりのコツがいります。
665 :
NASAしさん:04/10/02 02:04:09
↑ おー、すげー!!
そういえば、鷲羽丸(昭和45年引退)の汽笛は、かなりピッチが高かった。
やはりピッチベンドがかかっていて、冬の夜中に聞くと泣いているような
悲しい音の汽笛だったな。洞爺丸型の汽笛も同じような音色だったのでは。
668 :
NASAしさん:04/10/05 22:39:49
もう少し進めば『十勝丸』を出せますな(T-249)
669 :
NASAしさん:04/10/21 20:58:05
海底探せば貨車とか出てくるかな。切り離したアンカーとか。
もう深く埋まってると思うけど
>>669 日高丸のアンカーはあるかも知れないけど、他は引き上げたんじゃないか?
戦時中に轟沈させられた連絡船はそのままかもね。
671 :
NASAしさん:04/10/21 22:42:42
戦後は鉄が不足していたのでサルベージ可能な船の多くは、ことごとく引き上げたと聞いたよ。
日本の沿岸では深度沈没の旧海軍潜水艦まで引き上げたとか。
オレは海底に眠ったままの青函連絡船は皆無と思うが・・・。
だれか、正確なサルベージの記録を持ってないだろうか。
七重浜海岸をほじくれば洞爺丸のパーツの一つや二つ出てくるんじゃないか?
>>670 津軽丸、第三,四青函丸はまだ引き揚げてないはず。
日高丸の錨は第十一青函丸と一緒に引き揚げてる。
松前丸や飛鸞丸は昭和26〜8頃に引揚解体されている。
674 :
671:04/10/22 00:34:55
>>673 まだ海底で眠っている連絡船があるんだ・・。
オレは横浜の人間だけど、海王丸の「機関停止、描走」を聞いた時は
条件反射で洞爺丸を思い出してしまった。
船自体まだ沈んでるのがあるのか・・・
近所の八甲田丸とか見に行くけど、そこに展示してある模型で洞爺丸の形を知ったよ。
煙突2本だと思ってたら4本なのね。
>>675 うぁぁ。。。。
昭和は遠くなりにけり。
677 :
NASAしさん:04/10/22 01:23:33
洞爺丸のシルエットがメチャメチャにきれいなのが悲しいよな。
沈没事故がなければ、別の意味で歴史に残った船だったのでは。
>>677 別な意味で津軽丸型も決して不格好ではなかった。
といっても個人的には貨客改造船がスマートで好きだったけど。
でも、洞爺丸の四本煙突の「工」には萌えるな。
679 :
NASAしさん:04/10/22 01:55:46
そうそう! オレンジ色の煙突に真っ赤な「エ」のマーク。
すごい存在感があった。廃船直前に乗ったけど黒煙もすごかった。
今では、どこを探してもあんな船はないよ。
船乗りではありませんが、船が大好きな人間です。
私も海王丸の座礁ニュースで走錨が原因と聞いて、洞爺丸を思い出しました。
あの事故の後、大雪丸の福井船長が荒天時のアンカー使用は危険であって、
踟躊(ちちゅう)航法で乗り切るべきという持論を展開したと思う。
現に、大雪丸が福井船長から引き継いだ真鍋船長の踟躊(ちちゅう)航法で
生還している事実は重い(二等航海士が知内の涌元錨地が
南西風をしのげる場所と提言したらしい)。
ただ、大雪丸は機関部の尽力で、主機関が生き続けていた結果の生還だったのも否定できない。
海王丸座礁を見て、荒天の難航時、機関長の職責の重さは船長と同じなんだと理解できました。
681 :
NASAしさん:04/10/22 16:53:55
さすが4本巻いてるだけはあるね。
確か洞爺丸は他の船とは違い、貴賓室があって昭和天皇陛下の北海道
御行幸の御座船だったんだよな。
他の船には貴賓室は本当になかったんだろうか?
683 :
NASAしさん:04/10/22 21:56:37
オレは素人だが、いろんなサイトを見ると、アンカーって
以外に役にたたないみたいだな・・。
技術者は、もっと良い係留方法を考えて欲しい。
684 :
NASAしさん:04/10/22 22:26:53
ちっぽけな人間が小手先で何をしようと、大自然には
逆らえないという事だな。
685 :
NASAしさん:04/10/22 22:50:50
青函連絡船は「旅客運搬専用の青森〜函館航路」として
一日2往復程度は残してほしかったよ。
旅客にとってフェリーは不便だし、海峡線は高すぎる。
十分に乗客は乗ると思うが。
海峡線ですらガラガラの現状で採算が取れるとは到底思えん
687 :
NASAしさん:04/10/22 23:32:52
スレ違いでスマソが、JRは高すぎるんだよな。
鉄道の長所は「高速大量輸送」だろ。
厳しい言い方をしてスマンが、北海道が冷え込んだのも
国鉄時代の値上げが大きな原因だと確信しているよ。
688 :
NASAしさん:04/10/23 03:25:45
港湾設備も、補助汽船も、無線局も自前で用意してたから
経費がかさんだんじゃないかな。当時の国鉄の「安全輸送
第一」の精神から言えば当たり前なのだろうけど、単純に船舶
運行だけに徹したら結構採算は合うんじゃないだろか。
かつては内航といえども旅客船は船員の配置数を外航船
並みにしないといけなかったけど、今はかなり制限がゆるい
から人件費もスリム化できるぞ。
青函トンネルが当初の予定通り、新幹線として開通していれば、
連絡船は貨物専用便として残ったかもしれない・・・
なんて記事を昔、読んだ希ガス
>>685 ジェットフォイルゆにこんは早くて便利だったのにあっさり消えたけどね
691 :
NASAしさん:04/10/24 03:12:54
青森、函館とも、フェリー乗り場が旅客にとって使いにくすぎるんだよ。
直通バスなんか皆無に等しいので、タクシーしかないし。
航路は旧連絡線バースを使うのが前提だな。
オレは列車の狭いシートよりも絶対に連絡船の雑魚寝を選ぶ。
692 :
691:04/10/24 04:08:54
連続カキコでスマン。
オレは海峡線は貨物専用にして、旅客は連絡船にしてほしい。
旧バース使用なら、むしろジェットフォイルに乗るヤシだって多いと思うが。
海峡線が前後の津軽線、江差線との兼ね合いから未だに「地方交通線」扱いなのが不思議だ。
実態に合わせるなら前後の線区含めて正式に津軽海峡線に改名し、「幹線」扱いになって当然なのに。
何故に手を着けないんだろう。
694 :
NASAしさん:04/10/24 04:52:06
ええええ! あれが地方線っ?! 運賃が異様に高いと思ってたが。
盛岡〜八戸と言い、自分で自分の家を壊すようなことをやってるな・・・。
>>693 幹線にすると賃率が下がって収入が減る。
束はそのくらい何ともないがコヒには無理な話だ。
>>693 当時は「瀬戸大橋は幹線だが、津軽海峡は両端が地交線
だから仕方ないんかなー」と思ってた。
だが今では地交線のみに接続する幹線(宮崎空港線)の
形態もあるのだから、津軽海峡線も扱いを変えたらいいよね。
地交線なのは、もしかして運賃を割高に取るための方策なのかな?
697 :
NASAしさん:04/10/24 05:04:07
滅茶苦茶だな・・・。こんなことをするから
北海道がヤバくなるんだよ!
そういえば、学生時代には気楽に連絡船で函館に行ってたけど、
もう、長い間北海道に行ってないよ。
698 :
NASAしさん:04/10/24 05:28:02
禿げしくスリムになったJRとNTTの再国有化をキボンヌ。
道路公団より数倍良い組織になるはず。今の状況こそ異常だ。
699 :
NASAしさん:04/10/24 09:14:29
ジェットゆにこんは駅の近くから出てたよ。
八甲田丸のある横辺りから。
冬場の欠航率が高くて信頼性が低いから船に乗る人が少ないんだよ。
700 :
コメンター:04/10/24 18:52:56
おいおいコメンターよ、いくらネタが無いからってそんなカキコしかできんのか?
702 :
NASAしさん:04/10/25 17:55:41
>>693 津軽線と江差線に海峡線旅客列車通してるのはあくまでも暫定措置だからね。
703 :
NASAしさん:04/10/25 21:49:00
>>696 >だが今では地交線のみに接続する幹線(宮崎空港線)の
>形態もあるのだから、
地方交通線設定当初からそのような形態はありましたが何か?
(筑肥線)
704 :
691:04/10/25 21:54:03
>>699 しらなかった。ユニコンはフェリー埠頭から出てたと思い込んでた!
なにせ、連絡船がなくなってから北海道に行かなくなったもんな・・。シロウトでスマソ。
連絡船が残っていれば、間違いなく毎年二回は夜行便で北海道に行ってただろうが・・。
連絡線が無くなってから北海道が遠くなったよ。
705 :
コメンター ◆j05JleoTJE :04/10/25 22:02:14
>>701 コメンターは連絡船乗ったことないからこういう糞レスしか付けられないんだよ
706 :
NASAしさん:04/10/26 00:11:15
まあまあ、いつものように、おめーもマターリといくべ。
>>705 コメンターですらネタに窮するほどなんだな…このスレ。
708 :
NASAしさん:04/10/26 01:28:39
>>702 えらく長い暫定措置だ。
末期の国鉄首脳部や政治家は流れに流されるだけの馬鹿者だった気がする。
怒りがこみあげてきたよ。客も離れて当然だな。
もう一度青函連絡船で、ゆっくりと北海道に渡りたい。
懐古趣味はないが、青函だけは「昔のほうが良かった」と言い切れるな。
一度だけ贅沢ぶっこいて寝台客室で寝たけど熟睡できて(゚д゚)ウマーでした
それって、今では「超贅沢」だよ。
でも、オレは青函連絡船のカーペットのほうが好きだ・。
連絡船寝台はB寝台より安かったです。
それって、昭和47年前後に運賃が変わったのでは?
ウロ覚えでスマン。オレは子供ながらベッド料金をとられた記憶があるが。
713 :
NASAしさん:04/10/26 06:07:29
>>703 筑肥線は1983年まで博多駅に接続していたし、
山本〜虹ノ松原も分断されてなかったよ。地交線
制度の施行は1981年からでしたよねぇ?
709です。今となっては記憶が曖昧ですが、\2400〜2500位の料金で利用できたと思います。
あと車の航送も一度しましたが、あの高い甲板まで地上側をエレベータで昇降したのか
スロープで昇降したのかは忘れました。 寝台、航送ともに1987年の帰省利用でした。
子供でも寝台を一人で使用する際は、全額必要です(列車の寝台も同様)。
ただし、親(などの大人)の寝台で一緒に寝る場合は不要。
ちなみに、(つきそいがいれば)子供運賃さえいらない幼児であっても、
寝台(および指定席)を一人利用する場合は、運賃のほうも子供運賃が必要。
>>714 青森はスロープ、函館はエレベーターだったはず
また余震・・・中越地方の方々、お見舞い申し上げます。
日本海縦貫線経由の貨物って滞っていたりしないのかな?
多分、磐越西線経由とか中央本線経由で迂回するのかも知れんが・・・
昔なら連絡船で代行輸送とかしたかもしれませんね。
>>718 過去の代行輸送だと
・東京−函館
・宮古−函館
・青森−室蘭
があるな。
過去には酒田や新潟、仙台、八戸にも寄港してるから
やろうと思えば出来たと思われ。
ちなみにフェリーの方は新潟航路平常運行中。
720 :
NASAしさん:04/10/29 01:48:30
船内にあったゲーム機で3千円使って親に殴られた。
娯楽室で、連れ合いとと麻雀をやったなあ。
723 :
NASAしさん:04/11/04 01:39:35
オレは演歌大嫌い人間だが、
昨年の冬、早朝のだれもいない雪に埋もれた青森駅を見て、
「上野発の夜行列車降りたときから、青森駅は雪の中」という歌詞を
思い出したよ・・。それにしても、さびれたな青森駅。
元日の夜に帰省のため東北道を走り、AM2:00過ぎフェリーターミナルに着いた。
朝7:30頃まで船が無いと知り、だったら朝一のはつかりで行こうと考えて
ターミナルに車を残し、タクシーで青森駅に向かった。
連絡船時代の函館駅は24時間開いてたから青森駅も開いてるはずと思ってたら
しっかり閉まってた。
結局正月2日の早朝3時間ほど、青森駅の扉の前で開くのをじっと待ってた。
あの時、寒さとともに今更ながら連絡船は無くなったんだと実感した。
725 :
NASAしさん:04/11/05 22:01:00
>>724 正月でなければ駅正面300mに
朝三時から開いてる朝市があったのにな・・。
でも、後で思い出すと旅行中のトラブルは良い思い出になるよ。
726 :
NASAしさん:04/11/06 05:25:03
連絡船があった時代のほうが良かったよ。
長距離列車に接続する深夜便なんかは、
本当にホッとした。
>>725 724です。駅前の白木屋は開いてたんだけど、オレ酒飲まないから行かなかった。
あまりにもヒマだったからアーケード街を用も無いのに1往復したけど。
728 :
NASAしさん:04/11/07 02:47:49
>>727 正月だったのはついてなかったな・・。
駅正面から200m直進右側の「新鮮市場」と言う朝市は早朝三時ころから
開いているよ。暖房も効いてるし、ゆっくりできる休憩所もあるんだが・・。
オレも早朝のフェリーで青森に着いたが、タクシーの運ちゃんが
「青森駅は閉まってるから、ここに池」と東北弁で教えてくれた。
タクシーの運ちゃんとは良く話すべし。
729 :
船長に浣腸:04/11/12 21:53:37
730 :
NASAしさん:04/11/12 23:53:54
>>729 正直、四本煙突の摩周丸が欲しくてスマンかった・・。
摩周丸イイね。
後は津軽丸型最強の幸運船(多分)の大雪丸がホスイ。
そいえば…初代大雪丸って売却後に地中海で撃沈されたという噂を聞いたのだがどうなんでしょうか?
733 :
NASAしさん:04/11/14 06:10:21
今月号の雑誌「旅」に讃岐丸後部甲板にあったうどん屋の写真が出ていた。
納入業者のコメントも良かった。。
さっき、ニュースでひうら丸の姿が出ていたよ。
ファンネルのカラーは変わっていたけど、
船体の色はそのままだったよ・・・懐かしいなぁ〜。
735 :
NASAしさん:04/11/14 15:00:45
>>732 情報ありがd!
それにしてもなつかしい・・。さっそく画像をDLしました。
洞爺丸型はモノクロのショボイ写真しか持ってなかったので、
実船の迫力と優雅さが良くわかる画像に感激しています。
大雪丸の長寿に驚くとともに、大改造後の下品な姿だけは辛かったです。
736 :
NASAしさん:04/11/16 22:46:21
さすがに1/150のモデルはないですよねぇ。
控車を連ねた貨車の入換をやってみたいというのがNヲタの希望なんですが。。。
全長で約1mですかぁ。やっぱり船はデカイなぁ。
739 :
NASAしさん:04/11/28 09:02:51
連絡船って甲板にキャンバーついてる?やはり平甲板ですか?
>>739 客室・車両甲板→ノーキャンバー。
上甲板→ほんのちょっとだけついてる。船尾の方はシアーが付いている。
ただし、戦時中の青函丸5−12は工程簡略化のために全甲板ノーキャンバー。
来年は車両航送80年。車両航送にはおもしろいネタがたくさんあるが、
ワシ的には自動連結器かな。
車両航送ができても、北海道と本州の車両の連結器が違っていては話にならん。
北海道はアメリカの技術で鉄道建設したので最初から自連、それにたいして本州はネジ式。
国鉄の自動連結器一斉取り替えは有名な話だが、
それに連絡船がからんでいることを知る人は少ない。
北海道もそのままというわけにはいかず、連結器位置を上にあげる工事を前もって行った。
それにしても、本州が北海道に合わせたというのは、痛快ではないか。
沖縄の本土復帰のときも、自動車の通行を沖縄の右側通行にあわせればよかったのに、
と思う。
743 :
習志野No.:04/12/01 21:05:40
>>742 本土もGHQが占領している時に右側通行にする構想が
あったんだが何故か中止になったんだよ
(関係ないけど普及率の高すぎで
商用電源の50/60hzが統一出来なかったのは痛かった)
沖縄の本土復帰時沖縄に限って米ドルを
引き続き使用可にすべきだったんだよな
日本では、車などが左側通行、歩行者が右側通行である。かつては人も馬・車も
道路の左側を通っていた。これは、侍が刀を左に挿しており、擦れ違う時に刀が
触れないようするためと言われている、戦後、GHQが、アメリカ合衆国と同じく
車が右側通行、歩行者が左側通行の対面交通とするよう指導した。しかし、日本の
道路設備は左側通行に適するように作られており、これを右側通行にするには
多額の費用が必要となることがわかった。そのため、車は今まで通り左側通行とし、
歩行者のみ右側通行とすることとなり、1950年頃から実施された。アメリカ
合衆国の施政下にあった沖縄県では、1978年まで車が右側通行だった。
ソース:
http://ja.wikipedia.org/wiki/道路
そーいや、青函航路は鉄道に合わせて左側運行だったんだよね。他社便も。
746 :
NASAしさん:04/12/04 12:04:34
>>745 連絡船が廃止になってから、いつのまにか青函航路も右側通行になってた。
でも、青函博のときの復活運航のときは、羊蹄丸も十和田丸も左側通行してた。
747 :
NASAしさん:04/12/04 20:46:14
宇高は右側通行だった。狭い日本でこんなのありかヨ・・。
748 :
NASAしさん:04/12/04 22:30:54
左側通行というより、上下で完全に別航路になってなかったか?
749 :
NASAしさん:04/12/04 22:40:16
宇高も左通行だったがそれが原因で紫雲丸を沈めてしまったので右通行に直した。
750 :
NASAしさん:04/12/04 23:00:45
>>748 紫雲丸以降の話だけど、島や岩礁の多い岡山側は
完全に別航路、香川県寄りになるほど上下航路の距離が縮まっていたよ。
高松到着前の15分は上下便の距離は800m程度だったな・・。
>>748 別航路とも言えるが、左通行だったことは確か。
東日本F他も連絡船廃止後、国際ルールに則って右になったから。
しかし瀬戸内での反則は危険だなぁ。
でも津軽海峡も縦と横でルールが違っていたのか。
晴天の函館→青森昼行便では、通常より下北半島寄りのコースを通って船内放送で仏ヶ浦の案内とかしてたこともあったね。
753 :
船長に浣腸:04/12/06 03:33:43
初代大雪丸命日age。(1991/12/6)
クロアチア紛争の最中、ユーゴ陸軍の指揮下でホンジュラス国旗を掲げ
クロアチアへ向けて航行中爆発を起こし沈没。
754 :
NASAしさん:04/12/07 00:28:06
波乱の一生。
黙祷。
755 :
NASAしさん:04/12/08 02:46:12
旧青函の花形、生き残りが東欧で沈没か・・・・。
756 :
NASAしさん:04/12/10 09:15:27
我ながらアホな夢を見た。
北海道へ旅行へ行った夢なんだが、函館フェリーターミナルでぼ〜っと船を
眺めていたら、東日本フェリーの塗装に塗られた津軽丸形が入港してきた。
係員に聞いたら「次の青森行きがあの船だ」って言うんでその後の予定を
全部キャンセルして慌てて飛び乗ったって夢だった。
汽笛を鳴らして出航したところで目が覚めた。
あの塗装の津軽丸形、夢とは言えキモかったよ〜
759 :
NASAしさん:04/12/11 23:02:32
東日本じゃなくて、白い船こと九越フェリー塗色の津軽丸形なら、けっこう美しそうだがな。
青函連絡船を偲んでフェリーに乗ってみたんだがやはりぜんぜん違うな
船のサイズも違うし、青森函館の入出港場所も違うんだからもうあったり前の話なんだが
なんかかなり微妙な気持ちになったので、八甲田丸に寄ってから帰った
同じ航路なのに悲しいぐらい違う。
別物だよ。
762 :
NASAしさん:04/12/13 22:12:01
フェリーの青函航路の実態は貨物航路だからね。旅客省力化は止むを得ない。
まあ、晩年の青函連絡船も旅客が少なくて、実態は貨物航路だったのだが、
航路の長い歴史と伝統が、極端な旅客省力化を許さなかったのでは?
目が逝っちゃってる
765 :
NASAしさん:04/12/14 17:59:33
>763 シブガキ隊も。。。。
767 :
NASAしさん:04/12/15 21:12:27
いずれにしても前世紀のことだ。道理で漏れも歳をとった筈だ・・・
>>763 本田美奈子は現役なんだよな。
しかも「本田美奈子.」なんてドットまで付いて改名してるし。
ちなみに函館シーポートプラザの開業イベントのゲストは天童よしみ。
もちろん超どマイナー時代のドサまわり営業。
あんまり関係ないのでsage。
青函連絡船の生きていた時代に現在の本田美奈子が予想できた人は
居なかったのでは・・。一発屋とか言われていたのが
今ではクラッシック系の歌手だもんなー・・。スレ違いでスマソかった。
770 :
NASAしさん:04/12/27 20:11:42
772 :
NASAしさん:04/12/28 09:17:38
>>770 GJ!
よ〜し、父さん摩周丸で金門橋くぐっちゃうぞ〜。
>>757 本当にネタを使いおったな!
怒っているんじゃないよ、ウケてるんだよ!
>>773 ありがとうございます。
数こそ多くはないですが、結構反応が見られて嬉しかったり。
作った甲斐があったもんです。
後日サイトのにもうpしますので改めてワロテくれ。
>>774サン
次ぎやるなら海保か海自塗装の奴をキボン
>>775 その塗装にするなら津軽丸型よりも渡島丸型の方がいいのでは?
上部甲板に艦砲やスパロー載せればそれなりに格好良いと思う。
こんど余剰になっているバンのキットで作ってみるかな〜
又は津軽か松前で北で軍艦に改造されてしまった物を作るのも面白そう・・・
このスレの主旨から脱線してしまった話でスマソ
くりゃー!ミサイル搭載はやめれ〜・・。
>>778 よく日本の商船の払い下げを使った軍艦が外国にいますね。
>>520の言うようにヘリを搭載すると言うのも面白いのでは?
連絡船の塗り替えかぁ。
他社フェリーの塗装も良いけど、鉄道車両と同じ塗装とかはどうかな?
国鉄特急色は羊蹄丸で採用されたから除外して、新幹線0系とか湘南色とか…
じゃ大雪丸は200系か?
…って時代が合わないやん!
摩周丸の初期の塗装はスカ色?
おんどりゃー!伝統スレをウソ電化するなよ〜!
摩周丸に2本ラインいれて「訓 練 船」って入れましょう
じゃあ、今でも連絡船があったら
ド ラ え も ん が 船 体 に 描 か れ た り す る の だ ろ う か ?
この前羊蹄丸見に行ってきた。
船尾のマリンシアターで津軽海峡冬景色をBGMに
青函連絡船の活躍や哀愁、最終便の出航などムービーが流れていて
人目もはばからず泣いてしまった。その後20回ぐらい見て帰ったよ。
>>788 以前羊蹄丸のシアターで八甲田丸のグリーフ席で流していた
みちのく銀行提供のドキュメンタリー映画流していたな。
いつも思うのだがあの映画のビデオどこかで手に入らないだろうか?
>>789 鉄道部品屋やヤフオクにたまに流れる。
一時期ン万円の値が付いたそうだが。
>>790 そうですか・・・
流石にンマソ円のものだと手が出ませんね。
792 :
788:05/01/21 17:41:42
>>789 え、よく判らんけどみちのく銀行提供のVTRなの?>羊蹄丸のシアター
だとしたら俺も欲しいなぁ。
それと羊蹄丸のシアターに行った人しか判らんと思うけど
シアターの椅子が当時の車両の2列席なのよ、
で、程良くスプリングが抜けていて実に気持ちよく座れるw
マジでおすすめ。
>>792 赤いグリーソ?
緑のサジキ?
摩周丸なら自由席グリーンと普通席座席が
コンプリートで残ってるんだが…
794 :
788:05/01/22 15:56:53
>>793 結構前の事で記憶が定かでないのだが
赤い椅子席だったと思う、いい感じのヤレ具合がたまらんよ。
シアターの両脇には貨車牽引の為のディーゼル機関車と
客車が静態保存されてるから雰囲気は満点だよ。
ちと残念なのはエンジンルームとがちょびっとしか見えない事かな。
氷川丸はエンジンルームの見学が出来た気がするんだけど…違うかな?
795 :
NASAしさん:05/01/23 02:27:32
>>794 >氷川丸はエンジンルームの見学が出来た気がするんだけど…違うかな?
エンジンルーム通り抜けができますな。ボタンかレバーか動かすと、
ズゴゴゴゴと床が振動するシカケがあったような。ブリッジにおられる
クチパク熊ヒゲキャプテンとあわせて、ぜひ見学ドゾー
>>792 グリーン席を使っているのは車輌甲板後部のスクリーンのことでしょ?
みちのく銀行提供のムービーは船内中央にある大きな劇場でやっているよ。
八甲田でも同じものが放映されていたけど、劣化してまともに見れるものではなくなってしまった。
これはD・V・Dかした方がいいなw
>>795 氷川丸のエンジンの汽缶室は変なシカケのせいでゆっくり見れない。
嵐か何かの航行を再現しているんだが雷のシーンで照明を暗くしたり点滅させるのは非常に萎える。
同船の歴史上なんか戦没者の幽霊がでてきそうで怖いな・・・
まあ現在の八甲田丸のエンジンルームも廃れているので恐怖感は同じくらいなのですけどねw
てか八甲田のエンジンルーム、シリンダーの部品が盗まれてるよな・・・?
あんなもん持って帰ってなにするんだろう?
799 :
NASAしさん:05/01/24 22:00:23
>>797 盗まれてたの? あのヘッドカバー外れてたの。
漏れ的には、気筒当たり4弁だったんだー!と喜んでいたんだが・・・orz
>>797 展示用に外してるんだろ。
摩周丸が公開できないのは十和田丸の部品取りでかなり持って行かれたから。
801 :
NASAしさん:05/01/25 00:57:20
今の時期の摩周丸は最高。(特に日没後)
函館に泊るなら絶対に決死隊で行ってみれ。
下手すると函館山の夜景よりすごい。
函館駅から徒歩8分だよ。
ところでさあ、青函トンネルを新幹線化するのなら、貨車航送の為に鉄道連絡船ふかーつさせた方がいいと思うけど、どうよ?
803 :
NASAしさん:05/01/25 02:46:44
東日本フェリー乗場を旧青函乗場に移転せよ。
それで明確に真価がわかるだろ。
北海道をダメにしたのはバカ役人だ!
>>802 3線軌もしくは4線軌化して共用でしょう。
深夜帯に集中するかもね
>>802 再びノロノロ航送に戻せと?
貨物を航空路&フェリーに取られますよ。
>>803 街中にトレーラー&トラックの行列を走らせるのですか?
今の場所にフェリタミがある理由を知らないとは・・・。
>>804 3線軌ですよ。
新幹線とコンテナのすれ違いを想定した対策を
JR総研とJR北海道で始めています。
>>803 その乗り場で投入したジェットフォイルは失敗しましたが。
>>806 あれは他に比べて高過ぎたからですよ。
それに見所がある津軽海峡で、
原則としてシートベルト着用ではね。
>>797 あれは盗まれたのではなく展示用に開けられているだけだと思う。
オープン当初から毎年行っているけど最初から無かったよ。
しかし車輌甲板の展示車輌に関してはプレート類と一般展示室の記念オレンジカード類が強奪されているのはたしかだ!!
本当にああいう事を平気でする香具師らの気が知れないよ。
正直犯人見つけたら津軽海峡に沈めてやりたい紀文だ。
>>803 確かに今のフェリー乗り場は駅から少し離れていて少し萎えるな。
でもバスやタクシーでごった返す駅前に一般車と大型車が増えたら大変な事になるな。
ところでジェットフォイル乗り場の建物ってまだ使っているの?
この前行ったとき岸壁には海保の巡視艇が接岸されていたけど
>>803 理由を述べよ。
だいたい、フェリーなんてクルマと一緒に乗る人が多いでしょ。
それを駅前に作っても意味はないと思われ。
青森発大間行きはあそこから出てたっけ?
>>800 津軽丸・八甲田丸・松前丸・十和田丸の主エンジンは、
ボア220mm×ストローク300mm、V16、排気量18万2千cc、1600ps@750rpm、重量11ton
羊蹄丸・摩周丸・大雪丸の主エンジンは、
ボア260mm×ストローク400mm、V12、排気量25万5千cc、1600ps@560rpm、重量22ton
そもそも摩周と十和田は積んでるエンジンがぜんぜん違うぞ?
後者はDF50と姉妹機ののMAN社製。
摩周はB&W。
これでは部品取りにはならないと思うけど。
>>810 別にエンジン本体ばかりが部品取りの対象じゃないんだが。
船を動かすにはいろんな機械が必要なんだよ。
>>810 確かに摩周丸はエンジンは残っていますがその他の部品の多くがJD号の部品取りの餌食になってしまったようですよ。
摩周丸の機器類はJD改造の際に移設されたそです。
某所の記事で読んだから間違いないと思うけど・・・
>>795 レストンクス、エンジンルーム見れるのなら行こうかなぁ。
子供の頃行ったきりで記憶がもう無いので。
>>796 すまん勘違いしてた、シアターは2箇所あったっけ、
漏れが言ってたのは船尾のシアターの事です。
中央部にもシアターがあったけど時間が合わなくて見れなかったんだ
お勧めっぽいのでもう一度見に行こうかな。
2年程前に函館に行く機会があったので摩周丸を見に行こうとしたら
改装工事で見れなかったので悔しい思いをした事がある、
摩周丸のそばにあるレストラン?も撤退してガラガラだったし。
でもその時船体に再塗装している風景が見れて良かったな…
そういえば八甲田丸ってオープン当時レストランと物産の売店もあったよな〜
そこで海峡ラーメン食べた覚えがあったが、今では函館のみになりましたか・・・
>>814 摩周丸も今は飲食の営業はしてない。
当初は展望サロンの所がレストランだったんだよね。
今でも厨房は残っているので軽食ぐらいでも復活キボンヌ。
海峡ラメーンは札幌のJRコヒ本社そばの店(桑園駅高架下)でも食えまつよ。
816 :
NASAしさん:05/01/26 20:49:41
函館の海峡ラーメンはハーバービューホテルの建物の1階。朝市側。
懐かしの蒸気機関車 鉄道ファンVol.2 と言う食玩で連絡船物が入るらしいですね。
写真見た感じでは可動橋と連絡船の車輌甲板の一部が再現されていました。
車輌は機関車一両のみがついてくるのですが控え車がついてこないと萎えるな
>>817 連絡船の後端だけでもついてればいいのに。
見本写真では機関車が直接可動橋に乗っていたのに萎え〜
>805
>街中にトレーラー&トラックの行列を走らせるのですか?
今の場所にフェリタミがある理由を知らないとは・・・。
シャッター通り化した新町がトラックやろーで賑っていい事じゃん。
いまどきあそこら辺に住んでる人間なんて駅周りのマンション連中位なもんでしょ。
昔の賑わいを知っている漏れとしては現状は見るに耐えない程の閑古ぶり・・・
>>819 > 昔の賑わいを知っている漏れ
ほぅ!おいくつですか?
821 :
NASAしさん:05/01/29 00:25:20
822 :
NASAしさん:05/01/29 00:25:48
18歳ですが、なにか?
823 :
NASAしさん:05/01/29 00:32:17
>>821 大改造されているけど、まぎれもなく青函連絡船の姿。
こういうのは逆に辛い罠。
今日も赤城山にしがみついてる姥桜の海老沢!
コラ、謝罪のかわりに空知丸を買いとれ。
819です。
ゆうづるはくつるにほんかいあけぼのきたぐにつがるとわだはつかりみちのくはくちょういなほくりこまetc...
全部フル編成(もち昼特急は食堂車営業)青森到着時に連絡船の連絡案内があった頃に
鉄+連絡線小僧をしてました。マスコットマークが付いた時は全て撮るのに必死こいたり、車両船が改造されたときは「あんな形ありえねー」って思ったもんです。
これでだいたい判るのでは?おまけとして・・・当時の好物は松木屋の大食堂で食うチャーハンでした。カネ長のCMソングもいまだに覚えてたりして・・・
地域限定で御免!
>>824 40代か…
廃止から17年も経てば年寄りばかりだ。
826 :
NASAしさん:05/01/30 14:45:20
>>825 しかたねーよ。
青函連絡船が走ってたのは、前世紀の昭和という時代までなんだから。
漏れも齢取ったもんだ・・・・・・
安方のボーリング場(3〜4F)の中から駅(連絡船)の様子が良く見えた。
タグとのやり取りや、あと何メーターで接岸かの係員のコールまで聞こえたっけ・・・
親がボーリングをしている間中、見ていた記憶がある。青森駅ホームの立ち乗り荷物車も懐かしいなー。
すげー飛ばしていたあれって正式名称あるの?
>>817-818 あんな中途半端な物作るくらいなら、食玩クラスの物で「青函連絡船コレクション」を作って欲しい。
函館・青森限定で売れば結構良いと思うのですが・・・
勿論シークレットは津軽・松前の北朝鮮仕様
>>829 いいね。食玩の内容も「青函連絡船の歴史」なんてどうだろう?
1.青函連絡船のはじまり「比羅夫丸」
2.車両航走のはじまり「翔鳳丸」
3.悲劇の女王「洞爺丸」
4.無煙化の先駆け「十和田丸」
5.青函連絡船黄金時代「津軽丸」
6.さよなら青函連絡船「羊蹄丸」(JR化後)
シークレット
元祖車両渡船「第一青函丸」
進駐軍専用船「第十一青函丸」
改造客載車両渡船「石狩丸」
831 :
NASAしさん:05/01/31 22:16:26
>>828 やっぱり「ターレー」or「ターリー」だろw
>>829-830 漏れもそれを激しくキボンヌ!!
チョロQ以上に売れると思います。
個人的希望は6のさよならは羊蹄丸と八甲田丸のどちらが入っています。
結局脳内妄想になってしまうのだが、本当に誰かやってくれないかな〜
船関係は軍艦か豪華客船しか売れない
>>833 ウォーターラインシリーズを見れば一目瞭然だな。
クレーンよりも売れないかもな。
835 :
NASAしさん:05/02/01 01:46:48
青函、宇高はたくさんの日本人の思い出が詰まってる。
連絡船は生命線だったからな。
売れるとか売れないじゃねーよ。
四国でも北海道でも「連絡船欠航」で
野菜や肉の価格が五倍にもなった。
ド田舎にとっては生命線だったんだよ。
国鉄連絡船。
摩周・八甲田・羊蹄・大雪の土産限定で販売汁
そうすれば来場者増も狙える罠
某メーカーだって中世の帆船というギャンブル的なジャンルの物を食玩化しているし(売れていなけど)
なんでもやってみないと分からんよ
>>835 そうそう、毎朝ED75(1000番台)の重連に引かれてカッ飛んで来る高速貨物のブルーのコキ10000編成を見るたび、
「あー、この列車はかっちょいいー。はつかりやゆうづる何かよりよっぽど使命感が溢れてる。」なんて小僧心に思ったよ。
あれって連絡船に乗って海を渡ったんだよね?板違いだったらスマソ。
838 :
NASAしさん:05/02/03 00:12:33
ニュースで「学生を乗せた大型旅客船がオホーツクで危機」というのを
報道してたが、詳細を聞くと旧大雪丸ぐらいラッキーな船だ。
海を舐めすぎ。エンジンが一機生存していてよかったな。
>>838 漏れも見たよ
VTRみると恐ろしいくらいの揺れていたな。
洞爺丸の時も船内はあんな感じだったのかと思うと・・・
>>839 紀伊水道で沈没した南海丸もそうだった。
>>838 大雪丸は台風ではラッキーでしたけどその後の運命は・・・
842 :
NASAしさん:05/02/05 02:06:04
うちに青函連絡船内で販売していた磁器製の入れ物に入った釜飯弁当の、磁器の容器が残ってます。
蓋には、青函連絡船乗船記念と凹字で書いてあります。
デザインはアイヌ調で、薄い青色です。
おそらく33年くらい前のものです。
懐かしい。。。
843 :
NASAしさん:05/02/05 02:45:19
冬のオホーツク海を若者満載で東進かよ。奢りすぎ。
函館か青森に寄港して日本の船舶史を学んで帰れ。
大事故にならなかったのは幸運だったな!”
>>843 もし車両甲板みたいな穴があったら間違いなくアウトだったよ
845 :
843:05/02/06 01:56:43
>>844 エンジン4基のうち3基が死亡だもんな・。
車両甲板の浸水がなくても、エンジンが全部死ねば
船首を立てられなくなって転覆だった。画像を見たかぎり、
船舶の傾斜許容角度(50度)ギリギリまで行ってたからな。
>>845 どこの記事だろ…
最近そんなニュースは聞かないんだが…。
有給取ったので北海道旅行行ってきた、当然目的は青函連絡船の見学。
前回は入れなかった摩周丸をまず見てきた。
船内に入ると小さい液晶テレビで青函連絡船の誕生、洞爺丸の沈没、青函連絡船の終航と3つのVTRが見れた、
映像は非常に綺麗だが内容が短かった。
洞爺丸から遺体が引き揚げられ遺体の傍で号泣している家族を見て、スマトラの地震で死亡した遺体と被ってブルーになった。
それと最終便の出航時に乗客の蛍の光の合唱で涙しているシーンを見て目頭が熱くなった。
その他ロープ結び体験コーナー、青函連絡船の歴史等のフロアを見学。
解説員の方が来てくれて説明や当時の事を話してくれたりと非常に好感が持てた。
ブリッジの見学中にまさかエアホンが鳴る(スピーカーから)とは知らずに思いっきり押してビビッたのは自分だけではないだろう、
それと無線室でムスカ大佐の真似をしてモールス信号を打って遊んでたのも私だけではないと思う。
あと冬季間はプロペラが展示されてる屋外展望室には行けないのね、悲しい。
もう一箇所、青函フェリーを乗り継ぎ八甲田丸も見てきた。
一通りの展示物を見て来たが、やはり車両甲板とエンジンルームが一番目を引いた。
貨車と気動車が展示されており、状態も非常に綺麗だった。
エンジンあまりにも小さいので普通に驚いた、でも8機あると爽快な眺めだね。
どうせならバウスラスター室とかも見てみたがったが贅沢かな?
長文orチラシの裏日記スマソ
849 :
NASAしさん:05/02/07 01:06:29
今の時期の摩周丸は最高だよ。日没後に
防寒着と長靴装備で彼女と行ってみれ。
カメラも忘れずに!
摩周丸を撮影するとしたらどこがオススメですか?
>>848 津軽丸型連絡船は、「エンジンを小さく」するのに設計で非常に苦心したそうなのですよ。
当時のエンジン業界技術では、エンジン2台だけだと必要な出力を確保しようとすれば、
エンジンが機関室天井につっかえて、ピストン抜きのメンテなど全然不能で困ると。
その結果のメインエンジン8台。穏やかな時の通常の航海では4〜6台使用。
>>850 遊覧船の上
ともえ大橋の上
緑の島
望遠レンズがない写ルンですじゃ山頂からの撮影は厳しいゾ…
>>851>>853 dクスです。
当方200mmが限界ですので函館山は断念した方が良さそうですね。
今度、あさかぜ・さくらの乗り収めと絡めて
長崎のホテルシップヴィクトリアに泊まって来ます。
これで国内にいる津軽丸形連絡船完全制覇となります。
次は改装後にまだ訪れた事の無い摩周丸再訪でしょうか?
フィリピンはさすがに・・・(笑)
大雪の次は津軽に乗らなくては全制覇とは言えない
完全制覇には北朝鮮に行く必要があるわけだが
>>857 もう北朝鮮にはいないぞ。
空知丸型ならインドネシアやギリシャへどうぞ。
SEA SERENADE(空知丸)は最近売却されて
韓国船籍になったのでもしかしたら南朝鮮には行かねばならないかもな。
>>859 南朝鮮なら近いし寒流ブームで行くのも簡単ニダ
でも航路が分からないなorz
津軽は第三国で買い手を探しているらしいが、日本で4隻目の保存船としてどこか買い取ってくれないだろうか?
>>861 そこ、翻訳サイトを通して読んだら訳が分からない。
御存知の方は多いと思うが、景福丸は青函航路で活躍後、函館桟橋傍でホテルシップになった。
現在の函館駅前のハーバービューホテルの先祖に当たる。
貨物船の壱岐丸も、青函航路で活躍した。猛吹雪のため上磯沖で座礁したこともあった。
何れも、洞爺丸型や戦後竣工のW型・H型連絡船の就航までの重要なつなぎ役だった。
買うわけないじゃん
もう老朽船なんだよ それもロクなメンテナンスもできない北朝鮮籍の船を
買うところなんてない 船は係留させるだけでもとてつもないコストがかかる
摩周丸は一番大事な彼女を誘え。
だれもいない雪の桟橋先端で最高の笑顔を撮ってやれ。
50ミリ以下のレンズを使え。思いっきり近寄って最高の写真を撮れ。
最高に可愛い写真が撮れる。
どんなに大好きでも、恋人が死んだらもう会えないんだよ。
>>864 多分日本に来る途中日本海沿岸で座礁して廃船にされてしまうのがオチ
>>865 てーか、摩周丸自体が俺の彼女なんだが。
>>868 船も鉄道もリアルな女も、40歳前後が一番いいんだよ!
犯人はヤス
「なつかしの青函連絡船洞爺丸」が出来たらぜひ乗ってみたい。船の形は当時のままだ。
もちろん、エンジンも当時のものを再現。ただ、エンジンに関しては、最新版の蒸気タービンに換装され、ボイラーも
重油焚きに換装されてる。計器類は最新型を使用。レーダーや救命用具も最新型。
車両甲板後部開口部はそのままなので、両舷に排水溝を設け、海水が浸入しても急速に排水出来るようにした。
また、機関室やボイラー室や電気室などの扉は水密扉に変更。車両甲板下の客室の扉も水密扉となっている。
問題の角窓は厚さ2センチの強化ガラス製の丸窓になっている。煙突は以前のまま巨大な煙突を4本使用している。
ただ、ボイラーが最新型なので、煙は少ししか出ない。ニセの煙突である。
速力は22ノットにアップしている。(換装されたエンジンを積んでるから。)スクリューは可変ピッチプロペラを使用。
舵はよく効くように前後2枚舵になっている。車両甲板には貨車ではなく、電車を積み込む。とはいっても電車の場合は
7両しか積めない。もちろんパンタは折りたたんでから船内に積み込む。
>>872 洞爺丸型は出港時の禿げしい黒煙と
巡航寺のエンジンの静かさが魅力だった。
>>872 御存知かも知れないけど、洞爺丸型の生き残り、初代の羊蹄・摩周・大雪の3姉妹は、
昭和35年頃、ボイラーが石炭から重油焚きに改造されて煙が出なくなったんだよ。
船尾にも水密扉が付いて、総トン数が5200tクラスに改測されたけどね。
>>874 オレは昭和42年ごろ、いつも函館バースで
連絡船を見ていたが、出港時の洞爺丸形の黒煙は
かなり黒かったよ。十和田丸よりも何倍も力強くて
一番カッコ良かった。
>875
昭和42年だったら、洞爺丸形はもういないっしょ。
日高丸や十勝丸だったんじゃないかい。
この2隻は昭和44〜45年に廃船になるまで石炭焚きだったはず。
>>876 記憶違いだったのか・・。
黒とオレンジと赤の高い煙突が四本だったよ。
船体がライトグリーンと黒がいたのは確実に記憶に残ってる
>>877 ビンゴ!
船体が黒なら間違いなく日高丸、十勝丸。でも、洞爺丸と基本的なサイズや
塗装は一緒だし、ギリギリのタイミングで良いものを見られたんですね。
しかし、「日高丸」の名前の正しい読みを知ってる人も減ってるんだろうな。
漏れも幼少の昭和44年、七重浜の海水浴場から、4本煙突でモクモク煙を吐く、
黒っぽい連絡船を見たものだ。あとになって、それが日高丸か十勝丸と、知った。
あのとき、地球は丸いんだなあ、との実感もあった。船影が水平線に彼方に隠れて
しまうんだけど、あの連絡船、船影が見えなくなってもモクモク煙を出し続けていた
から、相当時間が経っても、ああまだあの空の下にいるんだな、と判ったもんだよ。
880 :
船長に浣腸:05/02/24 21:33:46
RJの長声一発、DVD化されたんだな…
というわけで早速かってきて見てみた。
DVDになってもあの感動は変わらない…
最終便の函館出航のシーン、アレは何度見ても泣けてくる。
特に最後のワイヤーを外した瞬間。
乗客も
見送りの人も
マリンガールも
事務掛も
桟橋職員も
みんな涙したあの瞬間は
17年経っても色褪せることがない。
>>882 これならHOの貨車の航送出来そうですね。
ぜひ可動橋も製作キボンヌ
884 :
NASAしさん:05/03/01 19:40:07
>>882 すげー。
でも、波一つ無い水面に連絡船は似合わん。w
885 :
NASAしさん:05/03/01 22:06:19
今日のプロジェクトXに出たのは何丸でつか?
プロジェクトSEXにの青函トンネルって前にも放送しましたよね。
いい加減使いまわしをやめろと言いたいよ。
次ぎやるなら津軽丸Uを作った男たちの物語をやって欲しいな。
あの船だって一種の大プロジェクトだと思うのですが・・・
>>887 > いい加減使いまわしをやめろと言いたいよ。
再放送はいけないですか。そうですか。
まぁね、青函連絡船の場合。
最初の二隻以来、運行している事が日常な訳で、
あらゆる面で「X!!」と言うほどの革新的な進歩はなかった。
・・・と言ったら怒られるので、通常進歩の範囲内だったわけで。
もちろん細かいところでは新技術は惜しみなく投入されたし、
船内での感動秘話が絶えないのもしっているけど。
たんたんと運行し続けたことが「青函連絡船」だと思うな。
使いまわしか・・・
それがNHKクオリティーだから仕方がない
NHKで青函連絡船特集やってくれないかな?
結構前に引退後の連絡船の特集でJD号と摩周丸の車両甲板が出ていたのが有ったけでアレを再放送汁
録画していたけど今では見るも無残に間違えてAVを上書録画してしまった!!
確実に国鉄連絡船は「プロジェクトX」の題材になるな。
・・・左寄りのNHKでは堀越技師や零戦はやらんだろうな。
>>887 どうか生きているうちに…
青函連絡船に関わった人たちの高齢化が著しいからね。(このスレも含む)
特に最盛期のサロンクラスの人たち。
年に数回はお悔やみ欄にOBの名前が…
ああああ・・・・・。
某国営放送! 再放送で制作費をケチルな。
民放じゃ、考えられない。ネタは山ほどあるのに。
国営放送は無能者の集団かよ。
>>886 そうじゃなくて、国鉄きってのトンネルマンが北海道へ渡るシーンだ。
NHKでプロジェクトXをやってるよ。
洞爺丸台風の損害は
連絡船 五隻
総死亡者 1430人
だってよ・・。
苦笑するしかなかったぜ。アホが・・・。
50年もたてば歴史のリセットは可能。
戦争の記憶もそうだが、
らち被害者も歴史に埋もれて行く悪寒が・・。
>>891 連絡船を運用されていた方々が減っていくことは残念で仕方ありません。
そう言う方々と交流をもって後世に受け継いでいって欲しいものです。
最近邦画で大和やらローレライやら映画化しているんですから「洞爺丸」も是非映画化して欲しいですね。
実際洞爺丸の1/1のセットを作れば迫力のあるものができると思うのですが・・・
>>897 Nスペ(N特)やリポート番組では結構取り上げられていたのに、
最近はサッパリかな?トンネルが当たり前になったしなぁ。
洞爺丸事件は沈んだ船ばかり取り上げられるけれど、
生き残った船も少しは取り上げて欲しいな。
899 :
NASAしさん:05/03/03 17:36:33
>>898 確かに・・・
生き残った船はなぜ生き残ったか?
この点を含めて考えないと見えて来ない物もありますし・・・
>>898 映画化か〜
タイタニック日本リメイク版か?
でも船首のお立ち台でバカップルがイチャイチャするシーンは不可。
暴風で(ry
>>898 生き残った船でも、第十二青函丸と大雪丸以外の記録を見てみたい。
「台風との斗い」には入っているんだろうけど。
洞爺丸台風を描いた映画が存在しないのが不思議だよ。
世界の海難史でも2番目の悲劇(しかも近世)なのに。
犠牲になった連絡船はもちろん、生き残った連絡船のすべてに
痛々しい悲話があるもんな・・。
仮想戦記も良いけど、こういうのを映画にしてほしいな。
でも、ミッドウエー海戦並にたくさんの船の模型が必要だし、
制作費用はバカにならない。映画じゃなきゃ制作不可能だろうな。
まずは、映画監督に「洞爺丸はなぜ沈んだのか」を読んでほしいよ。
>>904 でも、フィクションだからな。
ジャンルは推理小説だし・・。
>>904-905 しかも登場する船は津軽丸U型
撮影当時は洞爺丸型が生き残っていたはずなのだが
洞爺丸台風の映画化は無理だろう。
悲劇の始まりの第11青函丸の沈没ですら映像化できないはず。
タイタニ
909 :
NASAしさん:05/03/06 01:48:13
ポセイドンアドベンチャー
ポセイドンはメチャメチャな映画だった記憶が。
転覆してた船の船底に穴を開けたら
どうなるかは小学生でもわかるはずなんだが・・・。
沈没が一隻だけなら映像化も容易だけど、
大型船が大量に沈没だもんな。
映画を作るなら、関係者が生きているうちに
正確な歴史の記録を残して欲しい。
でも、今の映画業界には無理だと思う。
数年前に、NHKのドラマで再現されたはずだが。
再現されたのは登場人物が乗っていた洞爺丸の客室だけだったみたいだが。
あまり知られていないが昭和29年頃に「あぁ洞爺丸」という映画が存在していたらしい。
ソースは連絡船廃止記念の切手に付いてきたパンフに写真と一緒に出ていた。
流石にTUTAYAには置いていないが・・・
大和の映画なんか作る暇があるならウヨサヨ関係のない洞爺丸を作って欲しいよ。
やはりリメイクキボンヌ!!
914 :
NASAしさん:05/03/07 23:33:01
>>914 そうそれでつよ
洞爺丸沈没50周年に残り少なくなりつつある証言を元にリメイクして欲しいな。
>>913 同感。大和の出る映画や書籍は非常に多い。
洞爺丸事件は「日本人の歴史」として映画化をキボンヌ。
スレ違いだけど戦艦扶桑と山城の2隻も忘れられそう。
この2隻は、敵戦艦群(戦艦6.重巡4.軽巡4.駆逐艦30.魚雷艇38)に
殴り込んで轟沈。各鑑とも乗員1600人のうち生存者10名だよ・・。
ある意味で大和より壮絶な最後だよ。
歴史のあるスレを
郡司板にしてしまうところだった。
猛反省・・・。
今夜の「歌の大辞テン」は昭和63年のヒット曲だ。
最近あの番組は、当時の出来事などを簡単に紹介するようになった。
一瞬でも連絡船の最期が出るのではと期待している。
>>921 多分青函トンネルと瀬戸大橋の開業が紹介されるだけで、連絡船廃止の場面は出ないと思う。
そう言えば昼ドラで青函連絡船の元船長が主人公のドラマのシリーズがあったよね。
JD号や摩周丸が出てきて漏れ的にはハァハァだったのだが・・・
>>912 「数年前」の「NHK」の「ドラマ」だったら「新十津川物語」かなあ?
富田靖子扮する主人公が、夫と東京?へ出る時に洞爺丸で罹災する、という
設定だったけど、とても「再現」と言えるレベルのものではなかった。
船員が客に「沖へ出ます!」 客「こんな台風の中、出航するのか?」
船員「台風の場合は沖へ出た方が安全なんです!」…なんてやり取りが
あったり、沈没の時も壮年の旦那が水に飲まれて死んで、奥さんと幼少の
子供が生き残っていたり…。
風一つない七重浜を、打ち上げられた(という設定だとは思うが)母子が
呆然と歩くシーンも、坂本氏の著作や「なぜ沈んだか」を読んだ人間には
あまりに非現実的に思われた。もっと壮絶な夜だったはずなのに。
なんかやりきれない感じだけが残ったよ。こんな風に思われているんでは、
闘った船員達もかわいそうだ、と思う。
924 :
NASAしさん:05/03/09 19:03:52
>>923 漏れも「なぜ沈んだか」は読みました
台風の中船を守ろうと闘った職員の方々の努力を知り涙しました。
エビ様の放送局は歴史の事実をろくに知らないで偽るのが好きみたいですね。
>>922の言う船長シリーズ漏れも好きですね。
現金輸送車の強奪の回が一番すきです
925 :
NASAしさん:05/03/09 22:49:43
>>現金輸送車の強奪の回
こないだちょうど再放送してた。英樹も英ちゃんもフッサフサやね
変な人がきてしまった。
>>926 たぶんそう。
>>924 ああ漏れも見たよ
シーアンカー室に隠れるなんて連絡船の構造をうまく使ったトリックだった。
これ見てからシーアンカーを見てみたけど羊蹄丸のは塞がれているし八甲田のは草が生えている、摩周丸は健在?
>>928 撮影時は健在。
現在はリニューアル工事の時にふさいでる。
連絡船ネタとは微妙にスレ違いだが、あのシリーズって、なんであんなに
会社転々としてるんだ?w しかも一航とコンビでw
船長と一航と揃って抜けられたら、会社も困ると思うんだが。
いくらドラマでもそりゃないでしょ〜、と思う。
中身は嫌いじゃないけどね。
ちなみに、原作として名前が出てくる「今井泉」さんは、最後は宇高の
船長で引退した人だよね? 終航時のTV番組にはよく登場していた。
高橋英樹とはまったくタイプの違う、丸顔・禿気味の、笑顔が人なつこい
穏和な印象の人。現役時代から?だったか、作家活動をしていたはずだ。
たしか青函にも長く勤務していたと記憶している。シーアンカー室の発想
なんて、さすが本職船員だと思う。
もとが四国出身で、故郷の近くの宇高に転籍したんじゃなかったかな?と
思うが、間違ってたらフォローおながい。
>>931 どこかで見覚えのあるお名前だと思っていたんだが、ビンゴ!今井さんは、昭和56年
8月に、松前丸船長として、台風15号の荒天下、海峡を渡った話を道新の連絡船本に
寄稿してた。その三ヵ月後に宇高航路に転勤したそうだ。最後の部分を引用してみる。
双方の航路とも63年の春には終焉を迎えることになっている。宇高航路については、
”陸蒸気が走ればかご屋は無くなる”と諦めもつくが、青函航路はいささか思いが残る。
25年海峡で働き一日として同じ海はなかった。夕暮れて肌色にふちどられる山々の稜線、
蜃気楼、夜の虹、いるか、荒波、霧堤、吹雪、海の要素は全て備わっている。トンネルの
十分の一でも投資があれば、海の持つ優しさや厳しさを、トンネル通過に見合う時間で
安全快適に味わえる連絡船も可能だったろうに・・・。
私の古里は宇高航路につながる土地である。下水で川を失い、小山は宅地に変わり、
2度と還らぬ姿に変貌させられている。今、青函連絡船に同じ想いが重なってくる。
(高松市・元松前丸船長・宇高航路勤務)
うお〜 早速のフォロー、サンクス!
おれもその本見たことあるよ。「25年海峡で働き一日として同じ海はなかった」
っていうフレーズ、とてもよく印象に残ってます。誰の文にあったかまでは
憶えてなかったけど、そうか、この人の文章だったんだな。名前を出した
本人が言うのは変だけど、これは少し意外でした。でも、そう言えば、TV
番組出演時も同じようなことを言ってらした気がします。
坂本幸四郎氏の「青函連絡船ものがたり」なんかもそうだが、海峡で働いた
人たちの文章、って、海と船に対する愛情みたいなものがあって、外部の
人の書いた文章とは肌触りがまったく違うんだよね。
仕事しながら、海峡の様子を肌で捉えているからだろうか。とくに船長なんて
それが出来なければ仕事を全う出来ない場面もあるわけだし。
>>933 もちろん編集の腕もあるだろうけど、
この時代の国鉄職員は世間のエリートだもの。
>>934 その中でも船舶は「船員」だから
各種手当てが付いて他の陸上部門より
かなり羽振りは良かったらしい。
制服だって船舶のは陸より遙かに良いのを使ってる。
>>935 昔の函館で結婚相手と言えば
日魯(ニチロ)
函館ドック(函館どつく)
国鉄青函局(JRコヒ函館支社?)
が人気だったそうだから。
当時の現実を語れる人間登場・・。
説得力ありすぎ。
そして今年も、
忘れじの『あの日』がめぐってくる。。。。。。
>>938 そう・・・。
あの年のこの日、、たった1日だけの海上と海底を巡る切符があった。
禁止されていた五色の紙テープも1日だけ復活。
17年前になるのか。歳をとったもんだ。
941 :
NASAしさん:05/03/13 10:26:03
今、連絡船のビデオ見てます。なんか、ゆったりしていい時代だったよね。
真っ暗なトンネルに1時間近く閉じ込められるのと、広々した船でくつろぐのと、どっちがいいんだろ?
速いばっかりがいいことなのかな?
想いを馳せにお台場の羊蹄丸にでも逢いにいってくるかな。
この日を記念して海峡の貴婦人達に敬礼!!
どんよりした空模様の中、函館港沖でですれ違った、
数時間前にお役御免となった空知丸の汽笛
下り最終便の八甲田丸がタグボートのカラー放水に見送られ
出航していった光景は忘れられない
私は上りの最終便羊蹄丸を、ごったがえす函館港周辺ではなく、入舟町の
函館漁港で見送りました。静かに見送る方が合っている気がして。
夕陽は、その前便の檜山が桟橋を離れる頃(これは旧桟橋で見送りました)
まで出ていたけど、羊蹄が港外へ出て来た時には、もう雲に隠れてしまって
いました。それでも、空も海も少し色の残った薄暮の海峡へ、ゆっくり
消えていく羊蹄を見送って、ああ、ここでよかったな、と思いました。
17年前の、そろそろその時間が近付いて来ましたね。
945 :
941:05/03/13 15:55:24
お台場の羊蹄丸、見に行ってきました。船内で上映してたビデオ、ずいぶん長い作品だけど充実してました。市販してくれないものか。
途中から季節はずれの雪が降ってきて、まさに「津軽海峡冬景色」。涙雪か?
946 :
NASAしさん:05/03/13 16:07:48
947 :
NASAしさん:05/03/13 20:11:43 ID:??? BE:124006098-
俺は廃止前は修学旅行で改造船の石狩丸檜山丸にしか乗った事がなかった。
で青函博の臨時運行時に十和田丸だったかのグリーン指定席にやっと乗れたんだよなぁ。
でそのとき海峡ラーメンも食べた。
今でも時々青函フェリーに乗ってその名残を楽しんではいるがやっぱり青函連絡船にまた乗りたい。
青函フェリーは貨物船だからなあ・・・・・
もう17年も前なのか。
開業一番列車のはつかりで函館から青森へ行って
連絡船で函館に戻って日本海に乗って帰ってきた。
連絡船は激混みで接続列車の指定を持ってる人優先とか言ってたけど
日本海の指定でも乗せて貰えたなぁ、反則っぽいけど。
950 :
NASAしさん :05/03/14 23:03:21
>>947 オイラは定期運行には乗れなくてガッカリしていたが
臨時運行するのを聞いて大喜びしたのをおぼえている。
しかも普通席だと18きっぷで乗れたたから、
片道 海峡線 羊蹄丸・十和田丸で1往復半もしてしまった。
また函館側、十和田丸のくつろぎ券買って、一泊したけれど
エンジン音がうるさくてほとんど寝られれなかった。
海峡ラーメンなつかしいねー。なにげに海峡どんも好きだった。
>>950 食堂も良いけど、船内で売っていた弁当も好きだった
掛け紙が連絡船のイラストになっていてgoodだった
そういや、臨時運行の時って弁当売っていたのかな?
952 :
NASAしさん:05/03/14 23:53:10
たぶん、かなりエロくても
判明不能のはず。
普段の視点と違うからなー(汗)
それに、拡大に耐えないし・・。
>>952 判別不能だけど、いい写真だ。なつかすぃ。
町並みも。
>>952 3番目の、「函館駅&函館どっく 昭和51年頃」の写真、
ドックにいる2隻はどうやら初代空知丸、檜山丸みたいだ。
>>952 函館駅のはガイシュツ。
このスレの上の方か前スレかのどっちかに答えはある。
どうせなら有川を出せ!
957 :
NASAしさん:05/03/15 11:10:00
>>951 紅しゃけ弁当、私も大好きでした。深夜便は食堂が営業してないので弁当と味噌汁、よく買いました。
シンプルだけど船内で調整したため、ほっかほかでおいしかったです。
959 :
NASAしさん:05/03/15 20:31:23
>952
青森はふくうら丸とたっぴ丸
やっぱり地元はスゴイな・・・。
あの写真から、ここまで解るとは絶句!
と、弁当のほうもコメント付けとかなきゃ。
『あらまき弁当』→『紅じゃけ弁当』だった筈です。
連絡船では弁当あんま食べなかったけど、深夜便で着いた函館駅ホームの
立ち食い蕎麦屋から湧き上がる湯気が今でも忘れられませんねぇ。
青森の3岸にいるのは?
長さや船橋の位置から言って、渡島丸U型ではないので、これも
旧空知・旧檜山あたりなのかと思うけど。…どっちだろ?
この角度の写真じゃ、うちの乏しい資料では判別不能。
詳しい人、教えて!
>>963 青森3岸の船は、後ろにちっこい煙突が付いているように見えるので
石狩丸II(十和田丸Iから改造)ではないのかと思ってみたり。
青森の3岸にいるのは、旧空知丸か旧檜山丸のどちらかなのは、間違いないと思われ。
1岸・2岸にいる津軽丸U型よりも少し全長が短いのと、上甲板配置が、判断材料。
函館駅写真の函館2岸に1隻たたずむのは、摩周丸Uと思われ。
微かに見えるファンネル色と後部マスト色から判断した。
函館ドック写真のドック岸壁係船の2隻は、旧空知丸&旧檜山丸で間違いなかろう。
函館2岸にいるのは、大雪丸Uと思われ。これもファンネル&後部マスト色から判断。
この写真に、なんと巡視船初代宗谷が写っているではないですか! 懐かし〜♪
有川桟橋、1隻は十和田丸Uで間違いなかろう。
もう1隻は、船体形状と後部マスト色から渡島丸Uと判断する。
>>964 青森3岸の船は、ハウス形状と船尾扉付近の見え方に旧空知&旧檜山の特徴あり、
どうやら石狩丸U(旧十和田丸から改造)ではないと判断する。
後部の煙突らしきものは、通風筒と思う。旧空知&旧檜山の特徴でもある。
青森の1岸の船は、八甲田丸と思われ。これもファンネル&後部マスト色から判断。
2岸の船は、判然としないが羊蹄丸Uのような気がする。後部マスト色から推察。
函館ドックに係船されてる2隻は十勝丸と渡島丸じゃないの?
ちょうどこの時期減船してたような。。
ちがうか・・。
78年10月だったな、係船は。
970 :
NASAしさん:05/03/19 00:38:38
連絡船のシャケ弁の話は聞いた事があるよ!
自分は食べられなかった・・。もっと話が聞きたい。
>>970 あのシャケ弁とアサリの味噌汁は、青函連絡船の定番だった。懐かしいねえ。
食堂非営業の深夜便なんか、弁当売りの前に長い行列が出来てたからなあ。
中身は荒巻紅鮭の切り身と梅干し弁当というシンプルなものだったが、
何度喰っても飽きなかったな。船内食堂で作ってるから温もりも残ってたし。
アサリの味噌汁も家庭風な感じだったが、美味いって言う人は多かったなあ。
連絡船の船内食堂で作る”みそ汁”は旅客に非常に評判が良いんです。でも作り方に
秘訣があるわけじゃないんです。内幕を暴露しますと、ただ水にみそをといてハイミーを
パッハと入れるだけのことなんです。でもおいしく出来る理由は大量に作るからなんです。
家庭で 4、5人分作るのとケタが違います。多いときは500人分も作ることがあります。
「『家族に、連絡船で売ってるようなみそ汁を作ってくれ』といわれたんです。飲んでみると
確かにおいしいんです。これ、どうして作るんでしょうか」ある日、客の小母さんにこう
聞かれました。でも、まさかハイミーパッパ、という訳にも行かず、「これはね、企業秘密
なんで教えることが出来ないんです」と言葉をにごしておきました。「そうなんでしょうね」
と小母さん帰っていきました。
これは『栄光の航跡』所載の、弘済会の調理長藤沢稔さんの裏話(笑)。
あの味噌汁は確かにおいしかった。具のうまみを生かすシンプルな作り方と
大量仕込みの相乗効果だったんだな。なるほどねえ。
連絡船で売っていた、あの荒巻弁当は、道産子の郷愁をそそる味でもあった。
今のコンビニのシャケ弁とは、何かひと味違う気が、どうしてもするんだよ・・・。
>>972 そのまま転載かよ・・・
芸がないなぁ。
>975
ネタでなくてソースなんだから、そのまま天災イイじゃんかw
連絡船には給湯器があったから、
お茶の二煎目がいただけました。
978 :
970:05/03/19 21:42:45
>>971 以下さん、話をありがd!
連絡船の船上でラーメンも弁当もみそ汁も食いたかった。
今さら悔やんでも遅いけど・・。(号泣
980 :
NASAしさん:2005/03/22(火) 00:48:49
宇高にも同じ物があった。
樹脂パネルにアルミサッシって、
今でも専用(特注)機械の特徴かも。
ところで現存する津軽丸型4隻のうちで陸に固定されていない船ってどれくらいなの?
確か八甲田丸は固定されていて曳航不可と聞いた事があるんですけど・・・
摩周丸は陸に繋いであるけど確かに海に浮かんでいるわな
固定:大雪・八甲田
係留:摩周・羊蹄・十和田
でいいと思う
>>983 煙突の「塗装」をJNRにした時も船籍は函館のママだし。<大雪
985 :
NASAしさん:2005/03/24(木) 02:26:41
>>984 それは船ではなく、モニュメントになったからだよ。
これから東北.北海道が一番美しい季節だな・・。
18切符の使える学生がうらやましい。
>>984 大雪丸って長崎でホテルになってるのだろ?
ファンネルマーク戻したのか?初耳だが…
摩周じゃないのか?
ぬるぽ
いまのヴィクトリアの画像ではJNRには見えないガッ
>>986
そろそろ新スレか?