1 :
右や左の名無し様 :
04/08/26 14:25 ID:PFomA+XX 1 :亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :04/05/05 13:29 ID:kEY9IT6j
時事的なテーマを扱いながら、日本の民主主義の姿を考えるスレです。
長文や横レス大歓迎。北朝鮮拉致問題が投げつけた日本の国家主権の危機や
自衛隊派遣によってイラク戦争に参加し、外交官殺害や人質等副次的な
問題も起きています。これらを含め日本が抱えている問題を語り合いましょう。
前スレ
民主主義の現在・過去・未来を考える
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1083731391/
2 :
右や左の名無し様 :04/08/26 15:23 ID:0yHxGvz4
小泉総理大臣は閣議の記者会見で、 「徴兵制ってのもいいね。やる価値あるね」 と徴兵制導入に前向きな意向を表明。 細田内閣官房長官は徴兵制復活について、 「全国100万人の引きこもりの社会復帰を念頭に導入で検討中」 と述べ、徴兵対象は20代から30代までの引きこもりになるとの見解を示した。 また、徴兵拒否への罰則は最高死刑になるとの見方も示した。 政府は若者に徴兵制への関心を持ってもらおうと「モーニング娘」を利用。 「浪漫〜MYDEARBOY〜」を徴兵勧誘の歌に。 「平和という無限の情熱がある」 と歌っておきながら、 「さあ行こう、自衛隊・・・」 この歌につられて全国のモー娘萌え萌えヒッキーが大量志願する見通しとなった。
age
4 :
右や左の名無し様 :04/08/26 21:12 ID:iesDV2OU
新スレありが。立てようとしたら立てられんかった。
>>1 新スレ立てていただいたんですね。
お手数お掛けしました。
7 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/08/27 18:06 ID:VEEeFIl1
>なごみ
>官僚は実力主義だからこそ抑制されるべきなんよ。
学歴主義と混同してないか?
>それはおぬしが最も否定してたことでないの??
ぜんぜん。
>結局国民次第と言うことだね。
そう言う話だが・・・・・
>少人数制が金科玉条になったのはフィンランドのせいか。
ちがう。
こちらが元々の伝統的で普遍的な教育。
>「少人数制」ではなく、「子ども一人一人に合った指導を行う」
え?
「子ども一人一人に合った指導を行う」為の「少人数制」だよ。
>最初から選択能力に期待せず、選択肢を増やすことで選択能力を養うしかない。
前スレ
>>536 を読んでおけ。
8 :
右や左の名無し様 :04/08/27 18:22 ID:VEEeFIl1
教育改革は20年前に中曽根総理の基で官僚抜きの有識者のみで行われた臨時教育審議会で決まっていた。 2000年に行われたOECD調査で15才の平均学力の順位では日本は科学、数学は上位にいるが これは応用力が無くてもこの年齢までは高得点がとれるお手本のような科目。 読解力については正解率が低いうえに無回答目立つ。 すでに「その中に答えのある」問題は解答できるが、「自分で答えを書かねばならない」問題は 答えられないわけである。 さらにOECDの調査によると日本の子どもたちの学力は世界トップクラスであるが、 同時に無類の勉強嫌いであると言う事であり、そのままにしておけばこの事が学力低下の原因になります。 ちなみに上位のフィンランドは少人数性を10年前に導入して世界トップに輝いている。 外国からの教育視察団が絶えなくなり「あまりの視察の多さに圧倒された。ふだんの仕事ができないほど忙しい」 教育省の研究機関である国家教育委員会のユッカ・サルヤラ委員長は驚いている。 NHKスペシャルで「少人数授業を徹底し、子ども一人一人に合った指導を行うべきだと言う事は 以前から解り切っていましたよね何故今まで変えようとしなかったのですか?」 という質問に文部官僚がしどろもどろになっていたのが笑えた。 たぶんこいつ 樋口修資(ひぐちのぶもと) (文部科学省大臣官房審議官) 私達は言葉を用いて物事をかんがえています。 物事を分析し、論理的文章を書き、他人と建設的に論じあえる力。 具体的には自分の考えを提示し論証したり、大量の情報の要点を整理したり 情報をわかりやすく伝達する技術はあらゆる言葉を使う上で普遍的な技術だが 日本ではこれらが系統立てて教えられていません。 日本で言語技術の教育が行われなかった背景には言葉で情報を明確に伝達する事を 重んじてこなかった日本の文化があります。 はっきり言わない、察しの文化です。 初等教育で情報処理能力を高めた後、高等教育で自分の能力に見合った方向性を定めるような選択肢を用意する。 選択に失敗しても情報処理能力が高ければ自分の選択の帰結を自分で処理し学びの放棄を防げる。
なごみ氏 前スレのレスは此方でお待ちする。 宜しく。
>>538 >フィンランドは競争力世界一3年連続
近代国家は総力戦。封建国家によるトップのみの能力でなく個々の能力がそのまま国力になるから、国家の競争力と
は国民の競争力によるところが大きい。だから国民が重要な要素に数えられるんだが。
国民に競争力があれば対立する代表者とも対峙でき、正常に機能する。民主主義は実は国民の競争力を前提にしたも
のなんよ。代表者の意思に委ね根拠もなく「よき行政」を期待するのではなく、国民は競争し能力を発揮したときに「よき行
政」は保障されるとするのが民主主義だと思うが。
>>540 >もっともこのシステムは、現場の教師にとって、かなり負担が大きいことも事実である。
例えば教員の数を増やす。少人数に固執しないで中規模のクラスを複数で担うとか。いずれにしてもどこかに負担が行
く。少なくとも教育に重きをおくと等分に国家財政に負担が行くんよね。
しかし、現状日本国家には財源がないんよ。というのもある優先順位が後ろだからね。悲しいかな、真っ先に財源を縮小
されるのが教育なんよ。なぜなら教育とはもっとも結果が出にくいものだから。即効性がないんよ。だから後回しにされる。
俺は教育こそ最優先課題だと思うのだが。
>>541 >競争関係では「負け組」がでて、差別意識が生まれる可能性があることを忘れてはならない。
能力には格差があるんよ。なぜそのことを前提にしようとしないのだ?
習熟度別学習では格差を前提にどんどん振り分けていく。できるグループは常に競争する。そして最後まで残った香具
師が能力的に優秀となる。できる・できないの差別化ではなく、あるのはできる香具師の選抜である。
しかし、現実問題そうなると一握りのできる組と大多数のできない組に分かれることになる。当然できない組はどうなる
のかと言うおぬしの疑問にもなる。そのために選択肢を多様にするのだ。受け皿を多くする。できない香具師はできない
のだからそこでできる香具師に対抗できるほかの選択肢をもたせるんよ。
フィンランドでもそれは否定されてない。高校卒業の共通試験がそうであり、職業訓練校がそうである。もっともそれを初
等教育から持ち込むのはどうかとも思う。それは
>>534 でもいったとおり。
それにしてもフィンランドのサイトはためになった。細かいところでは見解の相違もあるが、基本的にフィンランドは大い
に参考になった。さんくすあろっと。
>>534 を貼っておくよ
534 名前: なごみ ◆WkIINgKQD6 [sage] 投稿日: 04/08/21 23:43 ID:???
<略>
>「互いに学び合いながら、社会的な態度を身につけていくこことが学力なのか」
まず前提としてそれが義務教育なのか高等教育なのかで違うでしょ。義務教育は全体の底上げが目的なので、これで
いいと思う。最初から徹底した格差教育(習熟度別学習)がいいとは思わないし。
しかし、格差(学力差)を否定することには反対だね。問題はできる・できないではなく、受け皿としての多様性がないこ
と。学力で劣る子供にも受け皿を講じるべきでしょ。いずれは能力で選別され、社会的に格差が生じる。その格差を前提
にした受け皿がないから「学びの放棄」になる。
それよりも、もうひとつの「一人ひとりがよい点数をとって、よい学校に行くことが学力なのか」の方が問題なんよ。これ
は格差教育の目的ではない。それが目的となっている時点で高等教育が間違った方向にあるんよ。教育の問題は実は
高等教育にある、というのが持論。
このサイトは基本的に競争主義を否定してるところがミソ。義務教育ではそれでいいが、高等教育をひっくるめた教育
全体となるとそれはどうか。主体的(推測)を死体的としてる。誤植が多いのは説得力に欠ける(げんなるする)。俺も気を
つけないと。
>>550 >吸収し切れなくなっただけでしょ。
だったら、吸収し切れてないのに、なぜ自爆テロが起きるんよ?
「宗教の為に死ななければならない」のが「不自由な状態」ならば宗教はどうやってその行為を正当化できるん?正当化
されなければ宗教のための自爆テロなぞ起こらない。
>こっちあっちってなんだ?
「こっち」とは宗教に傾倒してない俺やお主の立場。逆に「あっち」とは宗教に傾倒してるいわば宗教側の人間。おぬしの
発言には「こっち」の見解しかなく「あっち」に対する認識・理解が少ないと思う。
>それは秩序とか規範とか言わない。
だから、それはおぬしの見解であって、宗教側としてはそこに秩序や規範を持ち出しても問題はない、でしょ?
>普遍的な道理。
道理と秩序はどう違う?また、その違いがどれほどのものなんよ?
>予定説
これはプロテスタントの話でしょ。カソリックは?東方正教会は?おぬしの好きなフィンランドは福音ルーテル派。予定説
で説明できるのはプロテスタント。しかし、カソリックのほうが圧倒的に多いんだけど。
>「規則」が「神の意思」から切り離されたからこそ
じゃ、今は一体誰の意志が働いているんよ?
>現世でのルールを人間が主体的に構築できる作為の契機になった。
宗教自体が人間が構築したものでしょ?宗教もルールである。
>>552 >それも「テロルの正義の前では形無し」
それは人命が地球より重かった場合の話。テロには毅然たる態度を取れば形無しとはならないでしょ。
>二大政党制になれば国民の意志を汲み取った方が選挙に勝つ。
単純に国民の意思決定は二者択一を迫られることになるんだけど。また、その考えは基本的に多数が少数を駆逐する
ことにもなるんだけど。「その中に答えのある」民主党の尻馬に乗るだけで、「自分で答えを書かねばならない」そこからの
独自の展開力がほしいな。
15 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/08/27 23:16 ID:VEEeFIl1
>>12 > このサイトは基本的に競争主義を否定してるところがミソ。
なんかさっきから自分の都合の悪いところは読まなかったふりしていないか?
ttp://www.tcp-ip.or.jp/~mrym/sugie.html 一人ひとりが競争する学習より、お互いに教えあう協同学習の方が、全体の成績がよいことが実証されている。
逆に理解度の異なった子ども混ぜたグループを編成すると、上達の早い子どもは、人に教えることで、
さらに学びが定着し、教わる子どもも学習態度を学ぶことが出来る。
>>13 >だったら、吸収し切れてないのに、なぜ自爆テロが起きるんよ?
アノミーを吸収しきれなくなるから自爆テロが起きると言っているだろうが。
不自由によるアノミー(無規範、無連隊)を吸収するから宗教は正当化される。
宗教の為に死ぬと言うことを正当化できるのはアノミーから同胞を守るため。
>宗教側としてはそこに秩序や規範を持ち出しても問題はない、でしょ?
問題ないよ。
>自爆テロのベースは死すら超越した究極の自由である。これは死を不自由だとする立場の人間からすると非常にたちが悪い。
「不全感」に悩む者は、能力や原則を欠いた自分自身を責めがちであるのみならず、
選択肢の多い環境から、選択肢の少ない──ゆえに迷わずに済む──環境に退却しがちになる。
つまり、不自由だから宗教にのめり込み自爆テロを起こす。
自由であるようで只の自暴自棄だったりする。
16 :
右や左の名無し様 :04/08/27 23:28 ID:EnvhmjAX
だいたい民主主義ってのは資本主義という経済システムになって 発生した政治制度なんだから、もともと競争を前提にしている。 選挙だって結局さまざまな主張の競争だろう。 だから言論出版の自由とかも重要なわけだ。 競争を全否定するなら秩序のある封建制のほうが優れている。
17 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/08/27 23:37 ID:VEEeFIl1
>道理と秩序はどう違う?また、その違いがどれほどのものなんよ?
秩序っていうのは社会などの規則立った関係。
道理とは物事のあるべき筋道。
道理からは秩序も混沌も産まれる。
>これはプロテスタントの話でしょ。
現世でのルールを人間が主体的に構築できる作為の契機
詰まり政教分離のルーツの話なんでその国の共同体の人間が何を信じようが別に関係ない。
>しかし、カソリックのほうが圧倒的に多いんだけど。
アメリカにも狂信者が多いよね(w
どちらにしても『新約聖書』(福音書)には戒律はないよ。
法を作るのは人間。
>>14 >じゃ、今は一体誰の意志が働いているんよ?
市場。
>テロには毅然たる態度を取れば形無しとはならないでしょ。
民主主義の理念に背いた政治家が毅然とした悪を貫くならレジスタンスを組織してこれを倒す。
>単純に国民の意思決定は二者択一を迫られることになるんだけど。
結局、政治家は自分の利益を保持するためには国力を強めなければならず
国力を強めるには近代過渡期を過ぎた現代では民度をあげるしかなく
民度があがれば国民の意志を汲み取った方が選挙に勝つということ。
>国民の民度が高ければ代表者主権とはならない。 民度が低かったら?で、実際の日本は? >参政意欲がなぜ必要悪なんだ? 国民は政治には素人である。少なくとも現状、参政権とは現実的な能力なり実力なりに裏打ちされていない。意欲だけ をして国家を監視、運営するなんて、「現実主義(論理)でないと乗り越えられない所を精神主義(美学)でどうにかしようと 言う程度の低さ」を肯定していることにならん?それでもナショナリズムを必要だと言うのなら、それは必要悪でしょ? >その結果として国家は強大にして肥大化する。 なぜ?「調整の度合いが減れば減るほど」国家は縮小化するんじゃないの?リバータリズムやアナーキズムははこれ がベースなんじゃぁ・・・ >世欲化した人間が多い国 これも良く分からない。世俗化してない人間が多い国家ってどんな国家の?
19 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/08/28 01:06 ID:ln0wCY5j
>>18 >民度が低かったら?
ワイマール共和国みたいになる。
>それでもナショナリズムを必要だと言うのなら、それは必要悪でしょ?
政治家は自分の利益を保持するためには国力を強めなければならず
国力を強めるには近代過渡期を過ぎた現代では民度をあげるしかなく
民度があがれば国民の意志を汲み取った方が選挙に勝つということで
参政意欲は必要悪にはならない。
>意欲だけをして国家を監視、運営するなんて、
おれが否定しているのは『精神主義の護持→政府→自由と平等の保証』であって
『自由と平等の護持→政府→精神主義の保証』ではない。
>なぜ?「調整の度合いが減れば減るほど」国家は縮小化するんじゃないの?
間違えました。
国民社会の肥大でした。
りっくたん すまそねぇ。お主以外にもいろいろなんでね。客人を待たせるのは失礼なのは分かってるが。
上徳は徳とせず、ここを以て徳有り。 下徳は徳を失わざらんとす、ここを以て徳無し。 上徳は無為にして以て為す無く、下徳は之を為して以て為す有り。 上仁は之を為して以て為す無く、上義は之を為して以て為す有り、上礼は之を為して之に応ずるなければ、すなわちうでを払って之につく。 故に道を失いて而る後に徳あり、徳を失いて而る後に仁あり、仁を失いて而る後に義あり、義を失いて而る後に礼あり。 それ礼は、忠信の薄にして乱の首(はじめ)なり。
>>568 >「個人主義」「個人の自立」というものを本当に定着させるためには社会保障を充実させる必要がある
悪いがそうは読めない。そもそもが、スウェーデンのようにあそこまで個人主義や個人の自立を定着させるのが是なの
かということなんよ。
『福祉国家の闘い』より。スウェーデンで100歳になる老人に大学生がこう訊いたそうだ。「貴方の一生で何がもっとも劇的
な変化でしたか?」。二度の世界大戦か、科学文明の発展か、大学生はそんなことを予想していた。しかし老人の回答は
大学生が予想しないものだった。「それは、家庭の崩壊だよ」
スウェーデンモデルってどんなものだが知ってる?個人主義や個人の独立がどういうものの上にたってるか分かってる?
>身分制度が無い社会では、生活水準の良し悪しによる差異だろうな。
それを格差と言わないところがおぬしらしいね。生活水準の差異が社会的にどのような存在であって、どのような影響を
与えるかだよ。それが社会的上下関係。
>一般社会に出てしまえばそのような上下関係は雲散霧消してしまうだろ。
「上下関係といっても上が下を支配するのではない。上と下では格差があるといいたいんよ。」(
>>520 )
>もし仮に私があなたの上司であってその事が判明した場合、あなたは言葉遣いを変えたりとか何らかの対応を取るの
かな?
当たり前でしょ。それが礼儀。
>経済活動は規制を出来るだけ廃して自由にすべきだと主張する新保守主義の悪しき傾向を踏襲していると言う事なの
だろう。
俺がそんなこといつ言った?
>>589 >民間の慈善団体など。
国民ではないわけだ。なぜ国民でない一部の慈善団体を優遇する?
>それとも、子どもに何らかの義務を負わせろ、と言う主張か?
教育を受ける義務だよ。権利には義務が付随する。それを教えないで何が権利だ?
>法は、・・・優先的に保護する
つまり、平等ではないんよ。
>関与しない者は不利益を受けても止むを得ない
関与しても不利益を被ったら?現にそういった諦観の声も強いでしょーが
>家賃を滞納すれば当然契約は解除され追い出されるのだが。
そんな簡単な問題ではないんよ。住居とは人間が生活するうえで必要不可欠のもの(居住権)。それに対し、私人であ
る大家が契約不履行であっても勝手に居住権を侵すことは認められない。つまり追い出すことはできないんよ。行政に頼
んでも非常に腰が重い(民事不介入)。契約上の問題でなく、人権上の問題なんだな。
>正当に居住権を主張できる法的根拠があるのならば、それは合法的な居住な訳で不法占拠ではない。
居住権は法的に確固たる根拠はない。しかし、25条などから類推することも可能。そこが人権の人権たるゆえん。なん
でもありなんよ
>柔道
スポーツと一般社会とを同一視してるのは正直痛い。
>>570 >一回あたりの使用でより多くの便益を得た者が、より多くの負担をすべきと言っている。
これは俺の勘違い。俺のは機会の平等だったな。
>やはり大型バスやトラックは乗用車よりもより多くの便益を得ている事を考えると、妥当な措置だということになる。
どこが妥当かね?便益を基準に考えたら通行料以上の格差があるが。更に中型同士でもマイカーとトラックでは便益
は違うでしょ。これらの措置は条件の平等を前提にしたものなのかな?
俺は単に格差を前提にそれに条件付けして通行料や税金を取りやすくしてるだけだと思うが。大型トラックが通行料を
高く払って何が平等になるの?通行料が一緒になったら大型トラックばかりになるのか?
>もちろんそうだよ。というか、物理的に無いところからは取りたくても取れないからね。
それでもかつては取り立ててたでしょ。本当に物理的に無ければ生活ができない。
それよりも、多少は金銭に余裕のあるものから取り立てたほうが取りやすいわけだ。金銭に余裕の無いものほど必死だ
からね(脱税とかじゃなく、生活そのものに)。
>ただ、そのことは所得に応じた応分の負担をすべき、だとか、高額所得者はそれだけ多くの便益を国家が行うサービス
から得ているのだから、その分だけより多くの費用負担をすべき、という理屈から正当化されうる。
その理屈の根拠を聞いている。俺には取りやすいところから取り立てる詭弁にしか思えないが。どこに正当性がある?
お主は俺よりも国家行政に重きを置いてる。昨今の民営化論議、これは国家行政サービスの軽減化を狙ったものだと
思うが、お主はどう思う?
あっ、以上、さんちゃん宛ね
>>574 >EU統合の必然性
「思惑」だか、「プロトコル」だか知らないが、それはおぬしと意見を同じくする理想に過ぎないんよ。実際には「思惑」や「
プロトコル」以外にもさまざまな要素が絡み合ってEUは成立している。でしょ?
EU統合の必然性とは何か?必然とは経済が国家の枠を超えたという事実だけ。実はそれは政治でも国家でも宗教でも
ない。つまりEU統合の必然性などないんよ。そこに必然性を持ってくるからややこしいことになる。ただし、蓋然性ならあ
る。物事は必然性だけでなく蓋然性でも動く。だから必然性が否定されたところで、EUは存在する。蓋然的にそれなりの
意味をもってね。
「その程度」でなく「それなり」。じゃないとお主はEUの認識を見誤ることになる。見くびったり過小評価したり。一方で過
大評価もね。「それだからこそEUを現実視しなくちゃいけないんよ。」(
>>559 )
>欧州と東アジア
欧州と東アジアの違いは何か?欧州ではソ連崩壊により東西イデオロギー対立が終焉し、そこにEUが収まった。ところ
が東アジアではいまだに東西イデオロギー対立が存在し、理想すら語るのがはばかれている。東西イデオロギー対立中
に欧州でそんな理想を語ったところでどれほどのものになったかな。反省だけならサルでもできるよ。
>>575 >根本的な事
どちらかを無視しろということではないんよ。おぬしの発言は相手国を無視できないから自国を無視しろと聞こえる。そう
ではないでしょーが。
で、主張を伝える・伝えないといった問題でもない。そういった言った・言わないでの争いは絶えないし、そもそも相手が
納得するかは別問題。そのために国際法があるんよ。
>ヘゲモニーと協調 ヘゲモニー自体は悪くない。日本には経済力というヘゲモニーがある。ただ、それをもとに協調を強いるから反発を食ら う。協調は欧州のように『恩讐の彼方に』それこそそれが双方から出ないと成立しない。 当然、日本も東アジアと組むことに必然性はない。だから、あせらず、おもねず、じっくり状況を見て時期をまてばよい。 >未だにドイツは・・・ ドイツが絶対的に正しいとは限らないでしょ。ドイツは戦後、ナチズムを否定することで国際関係を築いてきたし、左派意 識も強い。そのことが右派、特に極右の反発を買ってるという。雇用問題も相俟って若年層を中心に増加傾向にあり大き な社会問題(ネオナチ)になっている。特にドイツでは戦後タブーだったためその動揺は大きい。 個々でいいたいのは絶対はないということ。ではそこでどうするのか? >精算することと忘れてしまう事は大きく違う。 おぬし、清算の意味が分かってる?清算するとは過去にけりをつけること。忘れることじゃないぜぃ。 >其れは相手があっての話しであり日本は其れだけの事をした事実は消し去れないと云う事だ。 戦後半世紀、世代も代わり、時代も変わろうとしてる。いつまで日本を悪者にしたら気が済むのかね? >嫌なことはきれいに忘れ去りたいのだろうが、其れでは教訓になることはあるまい。 おぬしにとって教訓とは「日本が」戦争をしたことであって「戦争」そのものではない。だから(我々日本人にとって)嫌な ことであり忘れ去りたいことだと思い込んでる。だからおぬし自身がいくら否定しようと、自分に都合良く考えるのが間違い とするあまり結果的に相手におもねってる。 それでは絶対に教訓になることはない。いつかは自己撞着を起こす。俺が「大東亜共栄圏構想の残滓という名の残滓」 といった理由が分かる?そういったものすら超えないと協調なぞできない。それこそ、その程度のものにしかならない。
>事実を受け止める度量を持つことが近隣諸国との良好な関係を築く礎となる。
こっちが持ってても向こうが持ってなければ友好もくそもない。なんでかなぁ、そういった地球市民的発想がなんで不惑
を迎えた亀ちゃんの口からいけしゃあしゃあと出てくるのかな。
>意味が分からないんですけど?
意味が分からないのなら、何度でも説明するよ。おれはりっくたんではない。
>>576 >構造が懸念劣化して新たな構造を構築する
という美学のための犠牲は?これがまったく眼中にないようで。戦前の神風特攻、アラブの自爆テロ、おぬしの構造改
革ありき論。似てるではないか。
>何も手を着けず朽ち果てる
というのを対立軸に持っていくから、美学になってしまう。名よりも実を取る。実際には何を取り何を捨てるかだ。そして犠
牲は伴うんよ。
>国家だけでは消化しきれない
だからの、国家統合体。しかし、それが国家の否定になるとは思わんが。
>「共同幻想」
では、新たなポリティにそういったものは必要ないのか?
>「天皇と国民との関係性」 これが日本では本当の意味でまだ築けてないんよ。ある人は奴隷根性という。ある人は天皇を誹謗中傷する。象徴とは 何か、国家元首とは何か、しいては国家とは何か、それが分かってないから簡単に代替案を出せる。存在意義が分かり その価値を知れば一方的に排斥する方向には行かない。 すれ違いだし、この辺にしておこう。 >「日本民族の優位性」 ナショナリズムを警戒する香具師はこれを最も忌み嫌う。しかしだ、これは一方的に否定できるのか?スポーツにしろ経 済にしろ、その他文化や治安の良さまで、ありとあらゆることで競争・比較される。その結果優位な位置にいたら、そこか らおきる優越感はなかなかぬぐえない。では、そもそもなぜ競争するのか?優劣を決めたがるのか? >「国旗や国歌による統合」 っておぬしがもっとも信奉してたんじゃ。象徴天皇に替わって国旗・国歌を象徴とする。今はそれすら超越しての否定でっか? >五輪 EUは欧州各国の統合体。五輪では日本同様、国家単位でナショナリズムが高揚してる。(それにしてもなぜ「日本が」な のかねぇ。日本はむしろナショナリズムはないほうだが) <つつく>
>>23 なごタン
>個人主義や個人の自立を定着させるのが是なのかということなんよ
まあ、「福祉国家の闘い」という本は、(通読したことはないが)かなりバイアスが
掛かっている本だという印象があるから、あまり参考にはならないという気がするが。
前にも書いたが、もちろんスウェーデンにも問題はあるだろうよ。しかし、個人が各
々自分の才能を最大限に発揮し自己実現を図るためには、どうしても個人が自立でき
る社会的環境整備が必要なのであって、そのためには例えば高齢者や子どもの世話と
いった公的サービスを充実させるべきであろう。
>それが礼儀。
いや、礼儀の問題じゃなくて・・・もちろん礼儀は否定していない。しかし礼儀と
いうものは、別に上司に対してだけじゃなくて、同僚や場合によっては部下に対して
も用いるべきものだろ。私が言いたいのはそういうことじゃなくて・・・例が悪かった
な。私が言っているのは、例えば上司と部下の関係というものが会社という組織の中
だけじゃなくて、一般社会においても頭をもたげてくるべきものなのか、ということ
なんよ。もし仮に日本社会においては、そのような関係が会社という組織だけじゃなく
て、一般市民社会においても意味を持つというようなことが未だに残っているとして、
それは健全な社会として温存しておくべき事なのか、という問いなのであって・・・
>俺がそんなこといつ言った?
だったら、経済活動には一定の規制を課す事が必要な場合もあるということなのか?
>>24 >なぜ国民でない一部の慈善団体を優遇する?
ん?また論点を微妙に逸らしていないか?私が言っているのは、西欧においては教
会や修道院などの民間団体が様々な社会福祉活動・慈善事業が活発に行われてきたと
いう伝統があるのに対して、日本においてはそのような背景がないから(日本におけ
るそういった事業は主にキリスト教系の団体によって明治以降に担われてきただろ)、
様々な福祉活動を行うのは中心的には国家だったという話をしているんだが。
>教育を受ける義務だよ。
現憲法はそのような義務は子どもに課していないよな。
>関与しても不利益を被ったら?
だから、企業・団体献金を厳しく制限すべきだとか、もっと過激なものでは企業な
どには政治に参加する権利は認めるべきではないといった主張まである。
>追い出すことはできないんよ。
だから、「法的根拠を挙げなされ!」と言っているんだが。でも、法学の素養が不足
気味のあなたに求めても埒が明かないので私なりに調べてみたよ。で、恐らく貴殿が
言っているのは、借地借家法の26条のことなんだろうな。その条文を一度読んでみて、
それで貴殿が考えているのがそれなのかどうか答えてくれ。
一応どうしてそのような条文が置かれているかという背景を考えると、やはり「弱
者保護」ということに尽きるだろうな。あと、どうも日本においてはやはり大家と店
子の関係は封建的な面が沢山残っていたから(敷金特に礼金というのもその名残だと
言われているが)、そういったものを改善するためにこのような法規制をしたものだと
されている。
>25条などから類推することも可能。
あなたも法学に関しては、れ氏とほぼ同レベルなんだな。
>>25 >同一視
「同一視」なんじゃなくて、一つの「例え」だよ。抽象的に説明すればなかなか理
解して貰えないし、具体例を出せばその事例特有の箇所だけに注目して本筋を見てく
れないし・・・
>便益を基準に考えたら通行料以上の格差があるが。
その通りだよ。あくまでも一つの擬制。実際に各車がどれぐらいの便益をそれによ
って獲得しているかを一々調べるなんてことは不可能だし、効率的でもない。一般的
に小型車よりも大型バスやトラックは大きな便益を得ているであろう、という経験的
な傾向からそのように画一的に料金を決定しているに過ぎない。20歳を超えれば十分
政治的な判断が出来るだろうと擬制して一律に選挙権を付与するのと類似した論理だよ
な。
>通行料が一緒になったら大型トラックばかりになるのか?
はあ?誰がそんなこと言った?
でも、もし仮に全ての人間が理論的に経済便益のみに基づいて行動し、しかも高速
道路の利用者の全員が運搬業者だったら、そうなるだろうよ。当然大きなトラックで
沢山の荷物をまとめて運ぼうとするだろうからね。(経済学者がしそうな議論だな。)
>多少は金銭に余裕のあるものから取り立てたほうが取りやすいわけだ。
てか、税金を支払ったために生活が苦しくなって、結果国が生活保護をしなければ
ならなくなるとしたら背理だろ。
>民営化論議
民営化ねえ。確かに必要なんだろうが、それが結果として弱者や地方の切捨てにな
らないように国が手当てしなければならないだろうな、と敢えて紋切り型のことを言
ってみる。
>技術的な優位性・円の優位性
日本の経済力とは円の優位性ではない。技術的な優位性である。だいたい、借金大国日本でどこに円の優位性が見出
せるのか?俺は技術力がそれを相殺しても余りあると思うからの優位性である(といっても半分は幻想だが)
>ユーロ
これから咲きどうなるものか、俺はおぬしほど分からないのでな。妄想としてるのがいいのか、そうした国際経済に翻弄
されたらいいのか、それよりも(ドル・ユーロとのヘゲモニー争い)よりも、これから先日本がどうするかだよ。それによって
円も変わる。まずは相手にするよりされるようになる
>我々は最早経済も含めて大きな時代の潮流に直面していると云う自覚を持たなくてはいけない
>時代に生きている。日本の今後は何らかのアクション無しには如何ともしがたいのが現状だ。
だからそれだけでは小田原評定でしょ。「日本はその中にあって方向性が見出せていない。確かに舵取りは難しいが、
どうしたらよいのかと言う確固たるものが見つからないのも事実。」(
>>561 )
それでも何かしらのリアクションを言うとBANZAIattackも辞さないことにもなりかねない。権謀術数なんでもありの国際
社会でいかに確実なものを見出すか、国際社会に翻弄され理想にも固執してたら日本はとんでもない事になる。いや、な
らなければ分からないのか、最近そんな気もしてきた。まだまだ余裕がある。余裕があるうちにできるほど日本人は賢くな
い。貧すれば鈍する、富んでもまた鈍する。
以上亀ちゃんあて。
亀ちゃん
>>34 すまそな。れんぞく登校で引っかかってたもので。
さんちゃん
リックたんの次ね。
36 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/08/30 18:33 ID:WHGwVVTf
>all
一律に国民の、民度をあげなければ民主主義の理想は実現できないという前提で話していますか?
>>23 > 大学生が予想しないものだった。「それは、家庭の崩壊だよ」
個人主義とは人間の普遍的な傾向性に基づいた普遍的価値観の否定。
家庭と言う役割分担を破壊することによって人間関係がより濃密になる。
例えば親離れ子離れができている親子の人間関係の方がより親しい関係を築けると言ったもの。
一切の強制がないが故に人間関係を濃密に結び付けようとするわけだが
これはお互いに成熟し自立した個人個人であるから出来るわけで
伝統的な共同性と役割分担にガチガチになった流動的で現実的な関係に対応できない
老人にはショックであろう。
37 :
暇人 :04/08/30 20:35 ID:XoUlHocO
形式的な平等が国民教育の実質的な保障を伴わぬ時に起こる国民の知的水準の低下、そこに起こるであろう「多数決の原理」の矛盾。 民主主義は常に衆愚政治に落ち入る危険性を孕んでいる。
>>10 日本の政治家って、教育を語るときに、学力向上よりも右翼化に興味を示すんだ。
教育指導要領だって、論争の焦点になるのは国旗や国歌とか、連帯性とか、そういったことが
多い。
だから、学力向上のための予算を検討する段階に辿りつけないんだよ。
40 :
暇人 :04/08/31 10:40 ID:007zzjxa
38 教育こそが民主主義を守り、人権を保障してくれる。
41 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/08/31 18:10 ID:b4B0y50T
りっくたん
>>7 >学歴主義と混同してないか?
混同してしまうところに悲劇がある。学歴は実力を測るバロメーターのひとつ。そのことは全く根拠や正当性がないわけ
ではない。問題は学歴偏重主義。根拠や正当性以上に絶対的な基準になってることが問題なんよ。その辺を履き違える
と学歴否定主義になってしまう。
俺はそういうことを言ってるのではなくて、官僚というのは学歴にしろ、自らの持つ政治力にしろ(公僕としては認められ
ないことだけど)、徹底した実力主義・出世競争の末に存在してるということ。政治家が対抗できないのは官僚に比べて
実力がないから。ゆえの「官僚は実力主義だからこそ抑制されるべきなんよ」。
>こちらが元々の伝統的で普遍的な教育。
そうなのか。くわしく。
>「子ども一人一人に合った指導を行う」為の「少人数制」だよ。
だから、日本ではそれが主客逆転してないかと俺は言ってるんよ。
>なんかさっきから自分の都合の悪いところは読まなかったふりしていないか?
いいや。俺は義務教育に関しては協同学習は否定していない。
そのサイトより
・「競争は人を高める」「出来る子ばかりを集めると、もっと出来るようになる」といった根拠のな風潮が広まっている。
・競争主義が広まるのは、子どもや教師への信頼低下も背景にあるといわれている。
競争か協同かで論じてるんだから当然、協同を採る執筆者は競争を否定してるでしょ。最後は非行すら競争主義のせ
いにしてると思うのは・・・俺だけだったりしてw
>>15 >宗教の為に死ぬと言うことを正当化できるのはアノミーから同胞を守るため。
だから、そのレベルでは宗教はちゃんと吸収できてるんじゃないのけ?「正当化でき」てるんだから。それについて俺や
おぬしがどう思うかは別の問題。
>つまり、不自由だから宗教にのめり込み
そのとおり。少なくともそういった面での宗教の存在意義は消せない。人間とは元来、不自由なものなんよ。
>自由であるようで只の自暴自棄だったりする。
自爆テロについて俺やおぬしがどう思うかは別の問題。俺は宗教側の見解を言ってるに過ぎない。
>>16 いったれいったれ。
>>17 >道理からは秩序も混沌も産まれる。
だったら道理も秩序も大して代わらないでしょ。「それは秩序とか規範とか言わない。普遍的な道理。」(
>>550 )と整合性が取れないんだが。
>その国の共同体の人間が何を信じようが別に関係ない。
予定説は宗教を否定してない。したがって宗教とは関係がないのではなく、むしろ関係があるんよ。
>法を作るのは人間。
だったら法が絶対的に正しいとなぜいえるのけ?なんでその法を守らなければならないのだ?
>市場。
その市場に公正や平等でといった概念で待ったをかける公取委や国家はどこから正当化されるん?
>民主主義の理念に背いた政治家が毅然とした悪を貫くならレジスタンスを組織してこれを倒す。
物騒やな。だったら日本よりも南米のほうがよほど民主的なんやね。
>結局、政治家は自分の利益を保持するためには国力を強めなければならず
>国力を強めるには近代過渡期を過ぎた現代では民度をあげるしかなく
>民度があがれば国民の意志を汲み取った方が選挙に勝つということ。
それは近代国家の話でしょ。近代化に成功してしまった国家にはもはや当てはまらないと思うが。
そもそもおぬしや亀ちゃんはポスト近代国家論者だと思ってたが。
>>19 >ワイマール共和国みたいになる。
具体的にどうなるの?わくわく。
>おれが否定しているのは『精神主義の護持→政府→自由と平等の保証』であって
>『自由と平等の護持→政府→精神主義の保証』ではない。
おぬしがいくら否定しても、両者はどれほど違うというの?目的と手段が逆転することは良くあることで・・・
45 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/01 09:04 ID:t0dI6pGv
>>42 > 混同してしまうところに悲劇がある。
というより学歴=実力とならないところが悲劇。
>出世競争の末に存在してるということ。
ドングリの背くらべにしかなっていない所が悲劇。
>そうなのか。くわしく。
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4254/shibun/shohyo/93-nakamura.html >最後は非行すら競争主義のせいにしてると思うのは・・・俺だけだったりしてw
競争主義と競争では全然意味が違う。
人間は自尊心がある限り放っておいても自ら競争を始める。
報を頭に詰め込んで受験戦争に勝ち抜く事が実存的な自尊心まで決定するというのが競争主義。
>それについて俺やおぬしがどう思うかは別の問題。
俺は自爆テロまで追い詰める他者の抑圧(不自由の強制)に問題があると言っただけだが・・・
しかし宗教の為に死ぬ気で戦うと言うのと宗教の為に死ぬと言うのは同じか?
教義に自殺することは良いことと書いてあるなら分かるがそうでないなら
>「宗教の為に死ななければならない」のは「不自由な状態」なのか?
これは明らかに「不自由な状態」だ。
> いったれいったれ。
それ俺に対するレスだッたのか(w
46 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/01 09:34 ID:t0dI6pGv
>>43 > だったら道理も秩序も大して代わらないでしょ。
「大してかわらない」が「厳密には違う」。
私達は言葉を用いて物事をかんがえています。
物事を分析し、論理的文章を書き、他人と建設的に論じあえる力。
具体的には自分の考えを提示し論証したり、大量の情報の要点を整理したり
情報をわかりやすく伝達する技術はあらゆる言葉を使う上で普遍的な技術だが
日本ではこれらが系統立てて教えられていません。
日本で言語技術の教育が行われなかった背景には言葉で情報を明確に伝達する事を
重んじてこなかった日本の文化があります。
はっきり言わない、察しの文化です。
> だったら法が絶対的に正しいとなぜいえるのけ?
誰が法は絶対的に正しいと言った?
> その市場に公正や平等でといった概念で待ったをかける公取委や国家はどこから正当化されるん?
公正や平等は市場原理を守るために必要。
>物騒やな。
政府がそれだけ物騒だったらの前提だがどうかしたか?
> そもそもおぬしや亀ちゃんはポスト近代国家論者だと思ってたが。
民度が高くなればなるほど国家による調整の必要はなくけど。
>具体的にどうなるの?わくわく。
小室直樹氏がヒットラーの様なカリスマ性とスターリンの様に官僚をぶち殺す救世主が産まれるみたいな事を言ってたな。
>目的と手段が逆転することは良くあることで・・・
逆転すると腐敗し自滅するという話は前スレでしただろ。
47 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/01 12:30 ID:t0dI6pGv
>>44 >それは近代国家の話でしょ。
日本は近代国家だがどうかしたのか?
>結局、政治家は自分の利益を保持するためには国力を強めなければならず
>国力を強めるには近代過渡期を過ぎた現代では民度をあげるしかなく
>民度があがれば国民の意志を汲み取った方が選挙に勝つということ。
これは近代化への徹底の過程。
さんちゃん
>>31 >かなりバイアスが掛かっている本
おぬしと違う意見はみなバイアスがかかってる。おぬしというバイアスを除けばよい。
>個人が各々自分の才能を最大限に発揮し自己実現を図るためには、どうしても個人が自立できる社会的環境整備が
必要なのであって、そのためには例えば高齢者や子どもの世話といった公的サービスを充実させるべきであろう。
それをどこまでやるかの話で、俺はスウェーデンまでする必要性はないと思う。
>同僚や場合によっては部下に対しても用いるべきものだろ。
そりゃそうだ。社会に属する以上、自分個人では成立しない。お互いがさまざまな関係の中で生きている。それに対して
うまく付き合っていく必要があるでしょ。
>私が言いたいのはそういうことじゃなくて・・・
何が言いたいのか正直分からん。俺は上下関係を上が下を支配するといった意味で言ってるのではない。上は上、下
は下で格差ができるといってるんよ。そもそも自由競争社会なのだから上下で格差ができるのが前提の世の中でしょー
が。もたげるも何もそれがすべてでしょ。
>それは健全な社会として温存しておくべき事なのか、という問いなのであって・・・
問題の是非が分かってない。お主は人権や民主主義が是とするものまでも否定してると思われ
>経済活動には一定の規制を課す事が必要な場合もあるということなのか?
何度も言っておろ。「秩序から自由は生まれる」んよ。
>>32 >ん?また論点を微妙に逸らしていないか?
それはね、根本からしておぬしが俺の意見を激しく誤解をしてるからだよ
>伝統があるのに対して
伝統が民意なのか?おぬしが民意以上に伝統を重んじるって、おひおひ。しかも静養の伝統を
>主にキリスト教系の団体によって明治以降
かつては仏教が慈善活動をしていた(奈良時代)でしょーが。西欧=キリスト教=慈善活動ではない。宗教=慈善活動。日
本では近世になると社会における宗教性が形骸化してしまった。実は日本ほど宗教性の薄い国家も珍しい。そういった国
家で何が慈善活動なん?
>現憲法はそのような義務は子どもに課していないよな。
だ・か・ら??
お主は憲法に書いてあることが絶対的に正しいと思ってる幸せな香具師だな。頑固に護憲か?
>だから、企業・団体献金を厳しく制限すべきだとか、もっと過激なものでは企業などには政治に参加する権利は認める
べきではないといった主張まである。
なぜ対立軸を外(国民に対して財界)の求める?おれは民主主義内のことを言ってる。例えばおぬしがいくら熱心に支
持しても、その候補者が落ちたらおぬしの意思は反映されない。1:99でまけても49:51でまけても、おぬしと対立する意見
の当選者にはおぬしの意思は反映されない。投票に行けば(関与したら)意思が反映されるわけでは必ずしもない(不利
益)。財界の関与はここではまったくの別次元の話。
>「法的根拠を挙げなされ!」
「お主と法学論争をしたところで何の意味もない。」する気もない。問題は、法ではなく人権。論点をそらしてるのはお主。
もともとの論点からして違う。
>借地借家法の26条
残念。「契約上の問題でなく、人権上の問題なんだな。」(
>>24 )。借地借家法という下位の法学論争ではなく、形式的効
力の最も強い憲法の人権上の問題。
>>25条などから類推することも可能。
あ、訂正しておくわ。憲法22条の間違い。
>あなたも法学に関しては、れ氏とほぼ同レベルなんだな。
目くそ鼻くそを笑う。
>>33 >その通りだよ。あくまでも一つの擬制。
だからさ、その擬制が、おぬしの言うところの「条件の平等」をどれくらい実質化してるかだよ。どれくらい妥当であるのか?
>経済学者がしそうな議論だな。
こっちが吹っかけて悪いんだが、あまり意味がないと思った。たらればの話は意味がない。
>国が手当てしなければならないだろうな
なんだその中途半端な返答は?そんなんだからJRになっても新幹線の駅が増えるんよ、政治の力でね。
そうそう、ずっとレスしようとして忘れた。いずれレスするんで貼っておくよ。 531 名前: 亀哲人 ◆Y/iFN9LABc [sage] 投稿日: 04/08/21 18:09 ID:??? 続き。 >太平洋を挟んで大国がヘゲモニーを争ってるし。 此の意見は些か米国保守派の論調に迎合しすぎている。現実には米国の多くの産業や 政治思想家は治癒動く脅威論の胡散臭さを見抜いており、殊更に対立軸を仕立て上げる 事によって軍産複合体の必要性を煽り、保守派の票田である農産業へのリップサービス と云う側面もある。現在の中国の軍事費は確かに世界二位の規模だが、国家規模を考え れば妥当な水準であり、米国が突出しているだけだ。また、近年来の経済成長に伴って 自信を付けた中国のナショナリズムの高揚があるために、反日や反米感情が突出してる 様に見えるがどのみち収束するだろう。
りっくたん
>>36 >一律に国民の、民度をあげなければ民主主義の理想は実現できないという前提で話していますか?
俺はどうやってその民度を上げるかがこのスレでの最大の関心事。だけど、その解決策が見つかっていない。本当に現
在・過去・未来を考えるのなら、「戦わなきゃ、現実と」。理想を語るんじゃなしにさ。
>個人主義とは人間の普遍的な傾向性に基づいた普遍的価値観の否定。
俺からすれば、何が普遍的傾向性なん?となるが。家庭というのは太古の昔からある普遍的価値観。それを近代以降
いくら人類が進歩したといってもおいそれと否定できるのかね?俺は疑問だね。
>家庭と言う役割分担を破壊することによって人間関係がより濃密になる。
どこぞのフェミニズムに毒されたか?いや、マジで。
>例えば親離れ子離れができている親子の人間関係の方がより親しい関係を築けると言ったもの。
「親離れ子離れ」といった価値観がそもそも家庭という価値観から来てるものでしょ?これはあくまでも家庭という価値観
の中での変化であって、家庭という価値観の否定ではない。
>一切の強制がないが故に人間関係を濃密に結び付けようとするわけだが 近年、家庭という価値観に強制力がなくなってきている。おぬしがそうやって簡単に家庭を否定できるのが価値観が低 下している何よりの証拠。しかし、キレる子供や少年犯罪の凶悪化、親の虐待など家庭問題の各種は、おぬしと逆で家庭 という価値観の崩壊を根拠に挙げる香具師が多い。それでも「一切の強制がないが故に人間関係を濃密に結び付けよう とする」と言い切れる根拠は?詳しく頼むわ。 >伝統的な共同性と役割分担にガチガチになった流動的で現実的な関係に対応できない老人にはショックであろう なぜ、家庭でなく国家がやらねばならないのだ?スウェーデンも出るとはそういうこと(家庭でなく国家による福祉)でせう? 流動化にこだわるなら家庭内で女性にばかりに押し付けてたそういった役割分担の強制をなくせばいい。家庭内で男も やるんよ。そういった社会整備は必要だと思う。育児休暇や介護休暇など(発想として貧困なのは認める)。逆にスウェー デンでは国家がやってる介護職の大半が女性。現実に日本でも介護職には女性がまだまだ多いんだから、家庭内でなく 社会的にも役割分担というのは自然と決まってくるんよね。むしろ流動性は失われてるというオチ。家庭という最小の社会 単位である共同性を否定する根拠にいたっては訳分からん。 以上、おぬしの一連のレスからは、一切家庭が否定されるべき要素が見当たらない。そこまでの平等が本当に合理的 なのか?どこぞのフェミニズムの傾向もある。単なる食あたりならいいが
>>48 なごタン
>おぬしと違う意見はみなバイアスがかかってる。
まあな。以前にも、れ氏に同じような事を言われたような気が・・・
てか、彼も私の提示したソースを「バイアスがかかっている」として取り上げてく
れなかった事があったが。ま、お互い様だよな。
>俺はスウェーデンまでする必要性はないと思う。
誰も日本をスウェーデンみたいにしる、と言っているわけではない。他国の良い面
を取り入れることに躊躇するべきではないと言っているだけだ。
>自由競争社会なのだから上下で格差ができるのが前提
だから、それは何度も言うとおり財産面・収入面での差異(格差と言っても良いが)
しか生じない。それ以外の面での上下関係なんて存在すべきじゃないだろ。
>「秩序から自由は生まれる」んよ。
だったら、少なくとも適正な競争原理の確保のために国家が一定の役割を果たすべ
きだということに関しては、私との間に意見の隔たりは無いと見たが・・・
>民意以上に伝統を重んじるって
誰がそんなことを言った?そういう伝統が客観的に存在するかどうかと言う事だ。
>そういった国家で何が慈善活動なん?
だから、そういった慈善事業があまり行われていないからこそ、国家が医療や福祉
などを担う必要があるという話をしてるんよ。
>頑固に護憲か?
そうすると、憲法若しくは教育基本法などの法律でそういった義務をきちんと明記
しろと?
>>50 >財界の関与はここではまったくの別次元の話。
民意が反映するのは投票によってのみであるとお考えで?
>する気もない。
だって、居住権の問題を持ち出してきたのは、あなたでしょうが。居住権を論じる
限り法学的な議論は不可避だが。
>最も強い憲法の人権上の問題。
えー、それで上掲の条文は読んで頂けたんでしょうな?一応念の為に言っておくが、
大家と借主のような一般市民同士の間では、いきなり憲法は適用されないなんてこと
はご存知でしょう。だから、大家と借主の関係を論じるためには、まずは法律から考
察しなければならないのだが。出来ないのなら、素直に取り下げたら?
>目くそ鼻くそを笑う。
これは一本取られた。参ったぜぃ。反論不能。
>「条件の平等」をどれくらい実質化してるかだよ。
条件の平等を完全に実現するなんてのは不可能。累進税率だって、階段状になって
いて、収入額に完全に比例して税率が上昇する訳じゃないだろ。
>なんだその中途半端な返答は?
そうくると思ったよ。新幹線の駅が増えたりするのは有権者の意識の問題でもある
わけで、別に国家が弱者保護を図ったためにそうなった訳ではなかろう。むしろ、新
幹線の駅が出来たがために、その町の住人が新幹線を利用して遠くの大きい町に買い
物に行くために、地元の商店街が却って寂れてしまった例もあると聞くし。で、その
影で赤字の在来線をJRが手放し地元の自治体などが出資する第三セクターが経営し
なければならなくなったと言う面もあるわけだ。これはJRと言った民間企業の無責任
さを表している訳だが、考えてみれば当然の事で、もともと企業と言うものは利益追
求マシンなのであって公共性などは基本的に考慮しない組織だもんな。ま、民営化さ
えすれば「バラ色の未来」なんて単純な発想は出来ないと言う事だな。
お呼びかな?なごタン
存在意義スレをやはり立てるべきかな。 今や、れ氏の議論相手を殆ど一人で引き受けているような状態だ。
プゥ!引き受けているつもりになっているところがほほえましい。 どこでやるかでも、誰とやるかでもなく、内容がスレタイに沿っているかが問題だろうよ。 天皇スレなんだろう?ここは。ここで別の天皇スレ建てを検討することはかまわんが、重複スレに ならない住み分けの提案こそが必要なのであって、誰がいるかなんてことは関係なかろうが。 だから私は思案している。別に建てる名目が立つかどうか・・・。
あ、ここは天皇スレじゃないか。しかし「廃止しる」があるのだからなぁ。
>>59 いや、あなたは誰かと議論がしたくてしたくてたまらないだろ?
少なくとも私の脳内では、そのような印象があるが。
この板で有力コテが集まってくるスレといえば、存在意義スレしかなかったわけで・・・
存在意義スレに行けば、常にこの板で面白い議論をしていて、それに参加できるという印象が、ここの住人にはあるわけで。
誰かと議論したいというのは事実だが、「相手は選びたい」のも事実。 あなたには放置されたほうがうれしいし、あなたの可笑しな言い分には 突っ込み「だけ」を入れたいのも事実。 ウザイ厨房がレスを返すから、マトモな人が集まらないという可能性もある。 で、2chは重複スレは禁じているんだよ。誰が語るスレかという分類は出来ないのよ。 住み分けと言うのは、なにを語るかという住み分けのこと。 だから「しる」スレで書き込んでいる。かたれるなら「しる」でやればいいし、いやあそこは 感情論だということなら(其れもありだろうから)存在意義すれも建てうるということ。 あなたは物事がわかっていないから、いちいちくだらないことはレスしないほうがいいよ。 なご亀サン問答に専念したほうが・・・。
存在意義スレは立てたほうがいいと思いますぅ!
いいかも知れませんね
じゃおながいします。
66 :
S-RAM ◆nXT9l8d5qU :04/09/02 22:46 ID:QRxWu/XO
あんまり参加していなけど、スレたてに同意しまつ。
67 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/03 22:25 ID:NqtOA1b2
>>53 > 俺はどうやってその民度を上げるかがこのスレでの最大の関心事。だけど、その解決策が見つかっていない。本当に現
>在・過去・未来を考えるのなら、「戦わなきゃ、現実と」。理想を語るんじゃなしにさ。
教育改革の話しは・・・・
>家庭というのは太古の昔からある普遍的価値観。
自我自体が共同幻想なんで普遍的価値観なんて物は虚構でしか無い。
だいたい普遍的価値観なら
>しかし老人の回答は大学生が予想しないものだった。「それは、家庭の崩壊だよ」
なんて事はあり得ない。
育児放棄は家族幻想が崩壊した証拠。
ネコだってゴリラだって育児放棄するということは家族と言う物が普遍性を帯びないあやふやなものだということ。
家族→所属の必然性→濃密なコミュニケーション
ではなく
濃密なコミュニケーション→所属の必要性→家族
豊かになって生きるために身を寄せ合う必要がなくなれば所属の必然性としての家族と言う
普遍的価値だと思われていた幻想が崩壊するのは当然。
>むしろ流動性は失われてるというオチ。
流動の結果、普遍的な流れから介護職の大半が女性ということ。
> 以上、おぬしの一連のレスからは、一切家庭が否定されるべき要素が見当たらない。
そりゃ否定して無いから当然だわ(w
家族も普遍的な流れからの結果の一つ。
68 :
右や左の名無し様 :04/09/03 22:35 ID:NqtOA1b2
69 :
右や左の名無し様 :04/09/03 22:44 ID:2gw0GtOE
□■□ キティガイスクツブタと死ぬまでバトル2 □■□
http://hobby6.2ch.net/test/read.cgi/auto/1093659789/ 重度精神障害者の「スクツブタ」は24時間粘着中!
本物のキチガイだから、ちょっとやそっとのレスでは負けないぞ!
天然の選び抜かれた本物のキチガイぶりをお楽しみ下さい。
くれぐれも頭のいい人は論破しないであげてね
自分がキチガイかどうかもわからない本物なんで注意してね
たった3日で500レス。スクツブタの狂人ぶりがわかるというもの
ゲラゲラ とか ゲラーリ とか劣等脳が発する言葉が炸裂
ばればれのジサクジエンカキコの指摘されて、モノホンだから 気にしないんだ
関西キチガイパワーここに極まれり!
※巣窟を”すくつ”と変換してしまい、それをパソのせいにするという狂った低学歴ブタ(本当)
走行中のフラットに倒したリアシートでデキソコナイのガキがジャンプ。タイヤの空気圧はパンパン、脳はスカスカ。
トヨタ自動車に自らの2ちゃんねるのキチガイレスの削除を頼んだと言い張る有様
さあ、みんなも夢のワンダー動物人間「スクツブタ」と語ろう!
70 :
> 俺はどうやってその民度を上げるか :04/09/03 22:49 ID:xA/ErTWA
549 :民族間憎悪を煽られ利用される日中韓朝のアホ国民 :04/08/15 10:55
http://zenkyoto68.tripod.com/kyoikucyokugo01.htm 教育勅語(原文)
おれ、近頃つくづく思うんだけどよ、おれの先祖ってすげー偉いんだぞ。
おれ様一家はおまいら奴隷国民共をいつまでもいつまでも支配できるようなチョーシステムを構築したんだ。
そんでもって、おれの先祖さまはおまいら奴隷国民共を
生かさぬように殺さぬように特に甘やかさないように上手くうまく支配してカモってきたわけだわな。
犬も魂消(たまげ)るようなおまいら奴隷国民の忠誠心はおれにとってメッチャ都合がいいんだよね。
だからこれからもおれ様一家のために朝早くから布団と職場の間を往復してだな一生汗水垂らして働くんだぞ。
おまいらは放し飼いにしておくとロクなことをしないから、
ま、オヤジとオフクロの言うことは何を言われても良く聞いて、
つまらん夫婦ゲンカなんてするんじゃねぇぞ。
取り敢えずフェミと社民党のオナゴは死ね。
おれ様を尊敬し敬うことを片時も忘れずに朝から晩まで有り難く拝め、拝め。
もしも北朝鮮の不審船が突っ込んで来たりテポドンがふらふら落ちて来るような有事があったら
進んでおれ様の奴隷として真っ先に死ね。
身も心もおれ様に捧げるつもりで死ね。
つまりこれだ「海ゆかばみずく屍、山ゆかばくさむす屍、大君のへにこそしなめ、かえりみはせず」って、
しかし完全にクルクルパアだなあ,おまいらも、ヘニコソシナメだって(Pu。
http://cgi.din.or.jp/~yossiy/cgi-bin/umeboard10.cgi?task=view&mnum=93
りっくたん
>>45 >というより学歴=実力とならないところが悲劇。
すぐそうやって学歴を否定する〜。だったら学歴=実力となったら、それがいいのか?「その辺を履き違えると学歴否定
主義になってしまう。」
>ドングリの背くらべにしかなっていない所が悲劇。
ほとんどの国民は、そのどんぐりにすらなれないのだが。おぬしを見てるとホントに進歩主義が講じて傲慢さを感じる。
なぜ悪しき官僚支配が強化されるのか?―国民が官僚よりも偉いからか??官僚が公僕じゃないからか???
建前や理想でそうだからといっても、実質的にそうじゃないから現実でそうなるんでしょーが。まずはそれを認識すること
だよ。現実を直視すること。
>こちらが元々の伝統的で普遍的な教育。
ちょっと時間がないので割愛。おぬしのソースは参考になるから絶対に熟読するから。
>競争主義と競争では全然意味が違う。
俺はそのサイトの主が競争主義のせいにしてると言ってるのだが。
>人間は自尊心がある限り放っておいても自ら競争を始める。
それはどうかな?競争とは動物的本能である。しかしだ、人間には本能以外に理性がある。理性が競争を否定するんよ。
「金持ち喧嘩せず」という格言をおぬしには返そう。必ずしも競争しないから、適当な競争状態を確保する必要があるんで
しょ。
>報を頭に詰め込んで受験戦争に勝ち抜く事が実存的な自尊心まで決定するというのが競争主義。 東大もそこらの三流大学と一緒だというのか?競争である限り、そこで勝ち抜くことが結果として自尊心の決定になるの は当然でしょ。 それとも何か?お主は教育に一切の競争を否定するのか?そうでないならおぬしの求める競争の定義づけをしてくれ。 競争主義でない競争を >俺は自爆テロまで追い詰める他者の抑圧(不自由の強制)に問題があると言っただけだが・・・ そりゃ問題でしょ。ただし、それはおぬしや俺の考えであって、宗教の側からすると違う(no problem)。 >しかし宗教の為に死ぬ気で戦うと言うのと宗教の為に死ぬと言うのは同じか? 何か言いたいことはわかるような気がするが、それはあくまでも宗教側でないおぬしの考え。殉教という言葉があるが、 宗教側でも同じじゃないと思う。ただしおぬしとは真逆の発想だが。 >書いてあるなら分かるが 書いてないのだから、分からない。つまり自由だか、不自由だかはどうにでもなると思うが。 >これは明らかに「不自由な状態」だ。 っつーか宗教自体が根本的に不自由なんよ。宗教側でないおぬしにとっては当然不自由だろうね。
>>46 >「大してかわらない」が「厳密には違う」。
???厳密にどう違うのけ?具体的に頼むわ。
>私達は言葉を用いて物事をかんがえています。・・・察しの文化です。
これつながってるのけ?文化論にまで飛び火しては収拾つかなくなるよ。
>誰が法は絶対的に正しいと言った?
絶対的に正しくないのならなぜ法は守らなければならないんよ?法の中身でなく、法そのものの性質の問題。悪法も法
なり、でなぜ法は正当化されるんよ。
>公正や平等は市場原理を守るために必要。
じゃ、市場の意思じゃないでしょ。市場の原理を守ってる国家の意思とならんか?
>政府がそれだけ物騒だったらの前提だがどうかしたか?
「レジスタンスを組織してこれを倒す」のが物騒だといってるのであって、「民主主義の理念に背いた政治家が毅然とした
悪を貫く」政府与党が物騒なら日本はとっくに物騒じゃないの?
>民度が高くなればなるほど国家による調整の必要はなくけど。
だからどうやって民度をあげるんだよ?
>ヒットラーの様なカリスマ性とスターリンの様に官僚をぶち殺す救世主
これは民度が高ければ否定できるのか?
>>47 >日本は近代国家だがどうかしたのか?
日本が近代「国家」の域を脱してないというのなら、なぜ「国家自体が必要無くなる。」(
>>478 )と言い切ったのだ?そも
そもの対立軸はこれだったわけで、単なる理想を語られたとなると、俺はおぬしの国家観をどう捉えたらよいのだ?
>これは近代化への徹底の過程。
これはおぬしの国家観を聞いてからね。
75 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/04 14:17 ID:wZJ4yzZX
>>71 >だったら学歴=実力となったら、それがいいのか?
もちろん。
>なぜ悪しき官僚支配が強化されるのか?
民度が低いからでしょ。
>必ずしも競争しないから、
理性があるから本能より自尊心の問題なんでしょ。
>>73 > 東大もそこらの三流大学と一緒だというのか?競争である限り、
>そこで勝ち抜くことが結果として自尊心の決定になるのは当然でしょ。
東大がクリエイターを生み出さないと言うのはなぜかと言えば
ハイティーンの優秀な生徒達が試験戦争を繰り広げるというというのは先進国では当たり前の事で日本はむしろ甘い方だが
試験戦争の外の世界、つまり「社会関係」の中で それがどういう意味付けを持つかと言う事を明晰に意識出来る様な生育環境が
子どもとコミュニケーしョンがとれない教師の自己満足的にされた評価により
学校的な価値の物差しの外側で自尊心を抱くチャンスを推奨されるどころか、むしろ徹底的に抑圧され、
尊厳を貶められ学歴が子どもを計る唯一無二の物差となってしまう様な日本の受験戦争で勝ち抜いても
想像力なんて育たない実力なんかたかが知れている。
むしろ人格障害になっている恐れすらある。
ストーカーのルーツが東大生だって知っているか?
筑波大学付属駒場高校や東京学芸大学付属高校のエリート達が「東大意外に進路はあり得ない。」というので
なぜかと聞けば「それは成績が良いから」と答えたそうだ。
このモチベーションの低さをどう思う?
ただ最近の少子化のおかげで子供の自尊心を昔みたいに徹底的に抑圧しなくても大学に行けるようになったので
今の大学生は昔程は惨く無いそうだ。
76 :
右や左の名無し様 :04/09/04 14:40 ID:wZJ4yzZX
>>72 >宗教の側からすると違う
違わない。
自爆テロをする必要性が産まれない。
宗教の為ならただテロをする叉は戦うだけで酔い。
> っつーか宗教自体が根本的に不自由なんよ。
人間関係自体が抑圧であり不自由だがこれはフリーダムでは無いと言うこと。
問題はリベラル(責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないこと)
かそうでないかということ。
これは宗教によって違う。
>>79 ???厳密にどう違うのけ?具体的に頼むわ。
だから秩序とは社会などの規律だった関係。
道理っていうのは物事のあるべき筋道。
社会だけに集約されないし無秩序になる筋道も道理。
> 絶対的に正しくないのならなぜ法は守らなければならないんよ?
手続きをして変えることも出来るし革命を起こして勝てば官軍。
なぜ守るかと言えば個人の目的の達成は、それが長期的なものであればあるほど、
他から干渉を受けない自由と、 さらには他者の協力を多くの場合に必要とする訳で
そのために法がありそれを守る事によって個人の目的が達成しやすくなるから。
>じゃ、市場の意思じゃないでしょ。市場の原理を守ってる国家の意思とならんか?
市場の意志じゃ無くて原理。
市場だけでは無く人間の行動原理にあわせて自由と平等は守られるべき。
>日本はとっくに物騒じゃないの?
恐慌になって無いからまだ大丈夫でショ。
さんちゃん
>>55 >ま、お互い様だよな。
俺は違うぜぃ。バイアスの一言で片付けたことはない。何をして俺はその立場を取らないかを説明してるつもりなんだが。
>他国の良い面を取り入れることに躊躇するべきではないと言っているだけだ。
それを表層的だと言っているんよ。良いところだけをとって悪いところを捨てる。理屈では可能だが、現実的に可能だと
思うかえ?むしろそれらは表裏一体で切り離すことができないことが多い。切り離せるならとっくに当事国がやってる。ハ
イリスクハイリターン、ローリスクローリターン。良い面はひっくり返せば悪い面なんよ。おいしい話には裏がある。木を見
て森を見ずといったほうが正しいか?
>それは何度も言うとおり財産面・収入面での差異(格差と言っても良いが)しか生じない。
「生活水準の差異が社会的にどのような存在であって、どのような影響を与えるかだよ。それが社会的上下関係。」(
>>23 )
果たして「差異しか生じない」と看過してよいものかどうか。俺は財産面の格差は絶対的でないにしても社会的にかなり
のウェートを閉めるものだと思うが。
>それ以外の面での上下関係なんて存在すべきじゃないだろ。
財産面の格差はただ存在するのではない。その格差には能力や才能に蓋然的に裏打ちされてる。競争社会がなぜ合
理的かといえば、人間には才能や能力といった格差があるからなんよ。それに従えば競争社会は合理的なわけ。むしろ
格差がない(平等)のは、自由に対する制約・調整を担う国家における扱いのみ。それをして上下の格差がないなんて本
末転倒。ほんとに世の中平等だと思ってる?
>私との間に意見の隔たりは無いと見たが・・・ そのレベルではね。俺はかなり前からその一歩も二歩も先のことを話してる。おぬしが国家主義者だったことを勘違いし て俺が謝ったでしょ。その段階のことを今頃になって・・・。 国家が必要なのはわかった。じゃあ、どれくらい国家の必要性を社会に認めるかだよ。その程度の認識に違いがある。 民営化論もその一端。とっくにそっちにシフトしてると信じてたが。 >誰がそんなことを言った?そういう伝統が客観的に存在するかどうかと言う事だ。 >だから、そういった慈善事業があまり行われていないからこそ、国家が医療や福祉 などを担う必要があるという話をしてるんよ。 分からん。客観的に見て日本ではそんな伝統がないのに、なぜ慈善活動が正当化されるん? こっちの意図を少しは汲みとってほしい。ループってる >憲法若しくは教育基本法などの法律でそういった義務をきちんと明記しろと? 当然。 >民意が反映するのは投票によってのみであるとお考えで? 財界の意思と国民の意思が対立しないとお考えで? >えー、それで上掲の条文は読んで頂けたんでしょうな? 読むまでもなく知ってるし、俺はそのことを相手にしてない。 >一応念の為に言っておくが、 おぬしさ、勝てると思ってるでしょ?とんでもない落とし穴が待ってるよw。おぬしは現実をしらなすぎる。人権派弁護士 に足元すくわれるぜぃ
>いきなり憲法は適用されないなんてことはご存知でしょう。 なぜ人権や憲法を持ち出すかがまったく分かってないな。最初からそんなことは分かりきったことなんよ。逆に考えてみ。 人権や憲法を持ち出す香具師とは一審で結審することはないんよ。憲法が適用されるところ(最高裁)まで行くことが前提 なんよ。つまり長期戦。そのコストを考えたら安易に裁判なんて持ち出すことが現実的ではない。 おぬしみたいに普通考えてるとおりにならない。だから厄介なんよ。 >出来ないのなら、素直に取り下げたら? おぬしにはちょっと難しかったかな?物事とは学校で習ったことがすべてではないんよね。↑で言ってることもわざと小 出しにしてある。そうそうコストといっても金銭だけじゃないぜぃ。 >これはJRと言った民間企業の無責任さを表している訳だが この場合、民間企業とはならないと思うが。新幹線の駅を作るのはJRの意思だけではない。 >むしろ、新幹線の駅が出来たがために、その町の住人が新幹線を利用して遠くの大きい町に買い物に行くために、地 元の商店街が却って寂れてしまった例もあると聞くし。 そんな話は初耳だよ。モータリゼーションとか大型資本の地方進出とかは聞くが。 >もともと企業と言うものは利益追求マシンなのであって公共性などは基本的に考慮しない組織だもんな。 そもそも新幹線の駅を作ること自体が公共性を考慮したものなんだが。おぬしさ、おれがなんでわざわざJRをもちだしてるか分かってる?
高速道路ができて地元が廃れたのはよく聞くが 新幹線ができて地元が廃れたなんて聞いたことがない。
通過されるだけの町か 駅のある町かでだいぶん変わるんでしょうね
82 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/06 21:38 ID:YJyNYyc1
>>76 で道理と言ったが摂理と言った方が的を得ているので訂正する。
「個人の自由には自由にならない社会的前提が存在する」という認識は
社会学の学問常識であるが現代の社会システム理論の水準では稚拙すぎます。
初めに規則ありきといった考えは二千年前にイエスによって否定されています。
ユダヤ教では戒律を守った人間が者達が救われます。
しかし食うや食わずでその日暮らしをする人間に戒律を守る余裕はありません。
戒律を守れる人間は初めから救われている人間に限られてしまいます。
もし神が全能ならば予め救われる人間だけ救うという事はあり得えません
社会システム理論では自由を認めれば秩序はなり立たないと言った考えを
自由と秩序のゼロサム理論と言って徹底的に否定します。
要は社会的秩序が信頼可能である程人々は自由に振る舞え
人々が自由である程結果的に得られた社会的秩序は信頼可能だと言う事です。
こうした批判はデュルケルムや経験論哲学者ヒュームにもあります。
諸個人が人間として生存するための条件は、それ自体が社会的なものであるのが自然の摂理。
規則が最初に無く自由な状態でも人間は自らが生き残るために社会的秩序をつくり出す。
だいたい最初に規則が無ければ人間は秩序を造りだせないというなら
人類創世以前に規則があったことになる。
戦後教育が自由を重視しすぎたから教育現場も社会もむちゃくちゃになったと言うウヨ厨的な考えや
子供は判断力がないから保護されるべきといったサヨ厨的な考えは
社会科学的無教養として笑ってやりましょう。
83 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/06 22:04 ID:YJyNYyc1
>>43 でなごみの
> だから、そのレベルでは宗教はちゃんと吸収できてるんじゃないのけ?「正当化でき」てるんだから。それについて俺や
>おぬしがどう思うかは別の問題。
「アノミーを吸収しきれない」を「アノミーを吸収していない」ってとこから議論する価値を感じなくなったんで
だらだら議論してもしょうが無いんでまとめてみる。
宗教はアノミーの吸収装置。
自爆テロは崇拝する宗教を選択できない不自由のためアノミーを吸収しきれなくなるからおこる。
信者個人の価値観や心情は無神論者からは理解できないが自然の摂理から
人間の行動原理は理解できる。
自爆テロのベースは死すら超越した究極の自由ではなく。
「不全感」に悩む者が、能力や原則を欠いた自分自身を責める選択肢の多い環境から、選択肢の少ない
ゆえに迷わずに済む『死』に退却しただけの暴走である。
宗教に傾倒する者が心情的にそれは違うと言っても自然の摂理は変わらない。
科学的に責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないことは自由(リベラル)である。
後
>>67 で書き忘れたこと
個人主義と家族の崩壊は直接関係なく崩壊の原因は結果と目的が逆転したための家族の腐敗が原因。
自我とは種々の集団における他者たちとのコミュニケーションを通じて形成されるもので
家族とコミュニケーションを通じて肯定され、承認されて尊厳を獲得してきた人は
自分が自分であることにとって家族は必要不可欠な存在つまり家族の存在が自我の一部だから
心情的に家庭を簡単に切り捨てたできない。
>>67 >教育改革の話しは・・・・
だからしてるんでしょ。ただ、おぬしと立脚してる視点が違いすぎるんよ。
「だからボトムアップ式に切り替えた訳で・・・」(
>>41 )。そう簡単に切り替わるものではないし、現実的に日本の教育制
度はトップダウン式。そこに真逆のボトムアップを持ち出すから現場が混乱する。
俺が教育改革は高等教育からと言ったのは、現状トップダウンだからだよ。上が変われば下が変わる。下が変わっても
上は変わらない。
>自我自体が共同幻想なんで普遍的価値観なんて物は虚構でしか無い。
おひおひ、だったら「個人主義とは人間の普遍的な傾向性に基づいた普遍的価値観の否定。」なんて言うなよ。虚構だ
ったら普遍的な傾向性に何の根拠もないんじゃあ・・・。だいたい自我のない個人主義って何なん?さぱーり・・・。
>だいたい普遍的価値観なら ・・・「それは、家庭の崩壊だよ」 なんて事はあり得ない。
伝統とは様式や傾向が継承されることによって形成される価値観。その価値観にあれば普遍性を帯びる。
>育児放棄は家族幻想が崩壊した証拠。
崩壊しても、そこに新たな価値観(例えばおぬしの言うところの個人主義)が生まれることは必然ではない。秩序の反対
は混沌。つまりは秩序が崩壊すればそこには混沌しかない。個人主義に行く道理がない。
>ネコだってゴリラだって育児放棄するということは家族と言う物が普遍性を帯びないあやふやなものだということ。
だったらそういった猫やゴリラは個人主義になったのか?崩壊とは混沌であり秩序はない。
>濃密なコミュニケーション→所属の必要性→家族 当然。家庭(家族)というのは固定的な価値観では縛られない。家庭の内部における個人という自我が家庭をも流動化 された。しかし、個人が家庭を崩壊させてしまうとどうなるか?所属というアイデンティティと自我とが調整がつかなくなる。 対象となる所属が大きくなるとそれに応じてコミュニケーションも淡白に拡散してしまう。 スウェーデンの老人の発言とは家庭が崩壊したことによるコミュニケーションの希薄性についていってるものだと思うが。 >豊かになって生きるために身を寄せ合う必要がなくなれば所属の必然性としての家族と言う普遍的価値だと思われて いた幻想が崩壊するのは当然。 やっぱり、お主は何かにはまってる。普遍性を否定しながら、実は普遍性を最も信じてるのはお主。当然w、混沌の中に も道理があると思ってるでしょ。崩壊しても道理が何とかしてくれると思ってるでしょ。 >流動の結果、普遍的な流れから介護職の大半が女性ということ。 だったら、家庭という価値観を無碍に貶めなくても結局は一緒でしょーが。実は流動化とは家庭が国家制度になっただ けで、その実はなんら変わってないんよ、スウェーデンの場合。流動化とは男女比率が、それなりの均衡を保ってこそ流 動でしょ。おぬしの流動化とはそんなものなのか? >そりゃ否定して無いから当然だわ(w 確かに。家庭は崩壊した、このことには肯定も否定もしてない。お主は現状をただ追認してるだけ。 >家族も普遍的な流れからの結果の一つ。 だったらなぜそれが崩壊したのか?その崩壊がどう影響するかだよ。それがないから、崩壊しても新たな価値観が形 成できると思ってしまう。新たな価値観が崩壊させたと思ってしまう。両者に脈絡がないし、根拠もない。
>>75 >学歴=実力・・・もちろん。
俺はそうは思わないね。学歴はあくまでも評価基準のひとつであって、それ以上でもそれ以下でもない。実力とは学歴
以外にも経験や(学歴ではかれない)能力など総合的なもので評価されるべき。だいたい学歴=実力ではおぬしの忌み嫌
う競争主義以外の何ものでもなくなってしまう。
>民度が低いからでしょ。
その民度をあげるにはどうしたらよい?そもそも民度が低い国民がどうやって自らの民度を挙げられるんよ?
>理性があるから本能より自尊心の問題なんでしょ。
では、金持ちけんかせずとはどういうことかね?
>東大がクリエイターを生み出さないと言うのはなぜかと言えば
それは高等教育に問題があるからでしょ。東大を創造力を必要とする教育環境に変えればいい。受験戦争とは(高校を
含めた)ボトム側の都合ではなく、大学というトップ側の都合で存在する。おぬしがボトム側でいくら一所懸命想像力を養
ってもそれがトップで活きなきゃ意味がないと思うが。
>なぜかと聞けば「それは成績が良いから」と答えたそうだ。
これを変えるにはどうした良い?おれはいくら高校でクリエーティブな教育をしても彼らはなびかないと思うわ。やつらは
トップ側でしか見ていない。
>今の大学生は昔程は惨く無いそうだ。
その分脆いが。
>>76 >違わない。
「これは宗教によって違う」のに?自爆テロもリベラルも、要は宗教次第ってことでしょーが。
>社会だけに集約されないし無秩序になる筋道も道理。
その道理があるという根拠は?道理がないという状態は起こりえないのか?
>手続きをして変えることも出来るし
変えるまでは守らなくちゃならない。悪法も法なり。その強制力はどこから来るのか?
>革命を起こして勝てば官軍。
革命権なんて物騒な権利は認められてないし、勝てなかったらどうなるの?
>なぜ守るかと言えば個人の目的の達成は、それが長期的なものであればあるほど、
他から干渉を受けない自由と、 さらには他者の協力を多くの場合に必要とする訳で
そのために法がありそれを守る事によって個人の目的が達成しやすくなるから。
なんて他人行儀的な意見だろか。
目的を達成するためには他に対して干渉を恐れては達成できないし、達成された目的は協力者のものではなく、あくま
で自己のもの。法は守るものではなく、利用するものなんよ。守って達成できるなら正直者が馬鹿を見るなんて事は絶対
に起こりえないわけで。利用するから達成できる。
>恐慌になって無いからまだ大丈夫でショ。
本当に大丈夫なのか?そこまで落ちないと分からないというのけ?おれは底が見えない。恐慌になっても不安だな。
89 :
右や左の名無し様 :04/09/07 02:14 ID:GzyrD7lk
90 :
tohtoshi :04/09/07 20:11 ID:iwlZmgPR
皆が信じている政治や経済学は、社会組織の原理を研究して起った科学的な方法で確立された思想
の結果ではなく、人間の自己保存の本能から発達した利己心に基づく感情の結果であり、歪みや
矛盾もあり欠陥を含んでいる。それは今のような立憲政治体制や共和政治体制は「自由、平等、
博愛」という当時の反動思想であり愛念に乏しいと言える。しかし今までに社会機構を根本から
改造して、個人や団体における真の安心や平和と幸福を実現させる方法が判明しなかったのです。
そこで多くの人は、多少の疑問や矛盾を感じながらもほとんど完全な機構だと誤解してしまった。
国政や自治体に携わる政治家や官僚の皆さんの人格や人生観(生き方)が政策には如実に反映されるか
ら、正しい学問と教育を確立して立派で高い人格や徳を備えた人物を育成し揃えることが大切だろう。
真の平和と幸福に至るには人類の邪悪な心から愛念へ意識改革を行わないと無理だろう。
この出典は
ttp://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/ 心を鎮めて世界平和の祈りを捧げよう。
りっくたん
>>82 >道理と言ったが摂理と言った方が的を得ている
道理も摂理もおぬしが言わんとしてることは一緒でしょ。摂理がないという状態は起こりえないのか?本当にそれは摂
理なのか??
以下昔のコピペに切り口を変えてレスしてみる。
>現代の社会システム理論の水準では稚拙すぎます。
日本では民度が低いんでしょ?おれはおぬしの考えてる理屈ほど現実の世の中の水準は高くないと思うわ。
>初めに規則ありきといった考え
お主は、規則が道理だの摂理だのになってるだけだと思うわ。
>戒律を守れる人間は初めから救われている人間に限られてしまいます
それが予定説なんじゃないの?
>もし神が全能ならば予め救われる人間だけ救うという事はあり得えません
なんで?宗教における神の全能性を否定したいのか、すべての人間が救われない不合理を排斥しようとしてるのか。意
図が読めない。すまそな、頭悪いんで。
>社会システム理論では自由を認めれば秩序はなり立たないと言った考え
俺はそうではない。自由は秩序から生まれるんよ。秩序が成り立たない自由は認められない。これは秩序と自由は切り
離せないみたいなこと言って否定したはずだが。そのあとどうなったっけか。
>要は社会的秩序が信頼可能である程人々は自由に振る舞え これは俺の考えに近いと思うわ。 >人々が自由である程結果的に得られた社会的秩序は信頼可能だと言う事です。 これが分からない。そんな社会秩序があるのなら具体的に教えてよ。 >諸個人が人間として生存するための条件は、それ自体が社会的なものであるのが自然の摂理。 それっておぬしが「普遍的価値観なんて物は虚構でしか無い。」というのと矛盾しないか?摂理って普遍的価値観じゃないのけ? >規則が最初に無く自由な状態でも人間は自らが生き残るために社会的秩序をつくり出す。 その秩序はどういったものなん?おぬしの思う自由で平等が前提の秩序か?だったら封建社会なんてありえないでしょ >だいたい最初に規則が無ければ人間は秩序を造りだせないというなら人類創世以前に規則があったことになる。 だからアダムスミスの言う自然状態がそうでしょ。規則があったかどうかの事実は別としてそう仮定したところで成立して る。これは宗教も一緒。 >戦後教育が自由を重視しすぎたから教育現場も社会もむちゃくちゃになった これはあたらずも遠からず。自由の裏には秩序が、権利の裏には義務があるのに、前者のみを強調しすぎた。いや、後 者を軽視しすぎた。結果、社会がむちゃくちゃになった。昨今になって現れたのは教育というのは浸透しそれで成立する のにそれだけ時間がかかるからで、戦後といっても戦前世代が健在だった頃にはそれでバランスが取れてた。彼らがリタ イヤして晴れて日の目を見たのが昨今。戦後世代がようやくスタンダードになったのが昨今。で、この惨状。 俺は厨ではないが、厨というのなら反論を期待。
>子供は判断力がないから保護されるべきといったサヨ厨的な考え これはさんちゃん。彼にいってやれ。 >社会科学的無教養として笑ってやりましょう。 おぬしも笑われてるかもよ。俺は笑われようとかまわない。いろんな意見を知り、自分の意見を形成していくことのほうが 楽しいから。笑う香具師はたいてい相手にならない。自分というのが解ってたらとても他人は笑えない。 たぶん、まったく違ったことを書いてるかも。 <つつく>待っててね。
>>83 >自爆テロは崇拝する宗教を選択できない不自由のためアノミーを吸収しきれなくなるからおこる。
ひとつ教えてくれ。宗教がアノミーを吸収できなくなったとき、つまり自爆テロをするときには信者は宗教からは開放され
てるのか?宗教という選択肢を捨ててるのか?
>「不全感」に悩む者が、能力や原則を欠いた自分自身を責める選択肢の多い環境から、選択肢の少ないゆえに迷わず
に済む『死』に退却しただけの暴走である。
それは自殺でしょ。自爆テロはただの自殺ではない。それを混同してるだけのよーな気が。おぬしの自然の摂理なんて・・・
<<これをたたき台にしたい>>
>科学的に責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないことは自由(リベラル)である。
秩序から自由が生まれるとする俺に対するあてつけか?しかも唐突で文脈が読めない。
>崩壊の原因は結果と目的が逆転したため
その原因と目的を具体的に。
>自我とは種々の集団における他者たちとのコミュニケーションを通じて形成されるもの
最も身塚で最も最小の社会集団である家庭とうまくコミュニケーションがとれずに何が自我だ?
>心情的に家庭を簡単に切り捨てたできない。
おぬしさ、なぜ同族会社が多いかわかる?
<おわり>やっぱり連続投稿引っかかった
>>95 >最も身塚で最も最小
これ、変だな。訂正しまつ。どうでもいい?
「もっとも身近で、もっとも小さな」
>>77 なごタン
>俺は違うぜぃ。
自分だけは違うってか。「選民思想」だよな。
>おいしい話には裏がある。
そんなことは百も承知だが。自由を大きく保障すれば、それに呼応して犯罪が増え
たりする。問題は自由を出来る限り大きく保障しつつも、いかにして犯罪を抑制す
るか。犯罪が増えると困るから自由を導入するのは一切認めないなんてことでは、進
歩は無いわな。
>俺は財産面の格差は絶対的でないにしても社会的にかなり
>のウェートを閉めるものだと思うが。
それは否定していないだろ。例えば大リーガーは飛行機で移動するが、マイナーの
選手はバスで移動するという。もちろん累進課税や社会保障によって不当に大きすぎ
る格差は調整すべきだが、財産面での格差を完全になくすべきだとまでは主張していない。
>客観的に見て日本ではそんな伝統がないのに、なぜ慈善活動が正当化されるん?
正当かどうかという議論をしているのではない。日本では慈善活動を民間団体が行
うという伝統が殆ど無かったところ、そういった事業は社会において必要なのだがキ
リスト教系の団体を除いた多くの民間団体にそのような活動を期待することはできな
かったから、国家が担う必要性が大きかったという話をしている。
>当然。
とりあえず、私は反対だと答えておこう。
時に、学校教育法11条で教師が生徒に対して体罰を加える事を禁止しているが、こ
れは実効性があまり無く実際は「しつけ」の名の下で事実上体罰が為されているのが
現状である。で、この「体罰の禁止」をより実効たらしめる為に、罰則を設けるべき
だという議論が一部にあるが、どう思う?また、昨今「しつけ」という名目で親が子
どもを虐待して死傷させる事件が後を絶たないので、これに対する対応策として親が
子どもを叩いた場合にも一定の限度を超える場合には刑罰を課す事が出来るようにす
べき、という議論もある。この国にはこういった悪弊がまだまだ沢山残っているのだ
が、このような悪弊をなくすためにも、また特に私は子どもの人権が守られるべきだ
という立場から、そろそろそういった法的な措置も考えるべき時に来ているのではな
いかと思うのだが。
>財界の意思と国民の意思が対立しないとお考えで?
対立すると思っているから、特に少数者・弱者の利益を守る為にも、財界が政治に
関与する事に対しては制限を課すべきだということになるのだが
>勝てると思ってるでしょ?
いや別に。勝てるとも負けるとも思っていない。ただ、もう少し実のある議論をし
たいと思っているだけ。
>>79 >憲法が適用されるところ(最高裁)まで行くことが前提なんよ。
だから、法学についてド素人だといわれる。当然の事ながら、憲法は地裁レベルか
ら適用されうるし、憲法判断も行いうる。
>新幹線の駅を作るのはJRの意思だけではない。
いやそうじゃなくて、採算の取れないローカル線を容赦なく廃止するのは、まさに
経済利益優先の企業の論理であって、そこには公共性なんて存在しないという話をし
ている。沿線住民の便益を考慮せずに利潤追求に走っている企業の「公共性」なんて
発想はないだろ。まあ、利潤追求活動をした結果、その活動が一般市民の役にも立つ
という効果をもたらして、結果として「公共性」に貢献するということはあるだろうが。
>そんな話は初耳だよ。
↓まぁ、新幹線についての問題点はこのサイトに書かれている。
http://2.csx.jp/users/trclub/rakubun4.htm 新幹線には功罪両面があるだろうが、少なくとも新幹線が地域住民にとって必ずし
も歓迎すべきものとは限らないということはいえるだろ。
99 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/08 03:49 ID:MyGM00zo
>>84 >現実的に日本の教育制度はトップダウン式。
>受験戦争とは(高校を含めた)ボトム側の都合ではなく、大学というトップ側の都合で存在する。
え?
能力別に人間を選別したいという産業というトップ側の都合で存在するんだよ。
能力の基準が生産性から創造性に変わったんだけどトップダウン式に一律に改革できそうもないんで
現場の教師に任せてトップダウン式に改革が始まるようにしたと言うのが愛知県犬山市のHPに書かれている訳だが
論点をそらす悪質さと言うか読解力の無さが萎えるな。
>学歴はあくまでも評価基準のひとつであって、それ以上でもそれ以下でもない。
まあね。
でもその後の実力主義の世界がドングリの背比べになら無くなる所に救いがある。
>虚構だったら普遍的な傾向性に何の根拠もないんじゃあ・・・。
自我は共同幻想であって価値観も幻想。
客観的な人間としての本質と主観的な自我を同列に並べられない。
これも視点をずらす悪質さと言うか読解力の無さが萎えるな。
だから反論になってない。
>これが分からない。そんな社会秩序があるのなら具体的に教えてよ。
社会的秩序は自然的無秩序の状態に個人が責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がない
自由(リベラル)である状況で万人の万人に対する戦い(抑圧)を通じてお互いが妥協点を見つけた事の結果だが。
>いろんな意見を知り、自分の意見を形成していくことのほうが楽しいから。
基本的に語義をずらして揚げ足をとっているだけなんで議論になってないんだよな。
いちいち言葉の意味を説明しているだけでこちらは全然楽しく無い。
101 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/08 20:03 ID:MyGM00zo
>>85 > 当然。家庭(家族)というのは固定的な価値観では縛られない。
つまり家庭とは普遍的価値感では無く流動的価値観ということね。
価値観は普遍的に流動的だよ(w
本能に従うことがそのまま自己保存の方法でもあるような動物と違って、
人間は「現実原則に従う自我と快感原則に従うエスとの対立」あるいは分裂状態にあるところに
その根本的原因があります。
人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、
自己や種族の保存どころか、自己や種族の破滅に陥る(「人間は本能が壊れている」)ため、自然的に無秩序である。
だから、それ(快感原則に従うエス)を抑圧し、環境との折り合いをつける為に
自己や種族を保存をするための「自我」を形成する。この自我が「共同幻想」である。
諸個人が人間として生存するための条件は、それ自体が社会的なものであり
個人の目的の達成は、それが長期的なものであればあるほど、他から干渉を受けない自由と、
さらには他者の協力を多くの場合に必要とするために自我を持った人間は
個人が責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がない自由(リベラル)な状況で
万人の万人に対する戦い(抑圧)を通じてお互いが妥協点を見つけ社会的秩序を形成する。
社会システム理論では自由を認めれば社会的秩序はなり立たないと言った考えを
自由と秩序のゼロサム理論と言って徹底的に否定します。
要は社会的秩序が信頼可能である程人々は自由に振る舞え
人々が自由である程結果的に得られた社会的秩序は信頼可能だと言う事です。
こうした批判はデュルケルムや経験論哲学者ヒュームにもあります。
だいたい最初に規則が無ければ人間は秩序を造りだせないというなら
人類創世以前に規則があったことになる。
又、不自由は(従って自由は)三類型に分けられる。
第一は、選択肢が端的 に不在だという不自由。
第二は、選択肢は存在するが特定の選択が抑圧されるという不自由。
第三は、選択肢があり、選択抑圧もないが、選択能力が不在で選べないという不自由。
この三種類の不自由が極限に達した時アノミー(無規範)が生じる。
102 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/08 21:21 ID:MyGM00zo
『福祉国家の闘い』より。スウェーデンで100歳になる老人に大学生がこう訊いたそうだ。「貴方の一生で何がもっとも劇的 な変化でしたか?」。二度の世界大戦か、科学文明の発展か、大学生はそんなことを予想していた。しかし老人の回答は 大学生が予想しないものだった。「それは、家庭の崩壊だよ」 濃密なコミュニケーション→所属の必要性→家族 である 家庭(家族)というのは固定的な価値観では縛られない。 家庭の内部における個人という自我が家庭をも流動化する。 豊かになって生きるために身を寄せ合う必要がなくなれば所属の必然性が無くなると コミュニケーションが希薄であった場合個人が家庭を崩壊させてしまう。 所属というアイデンティティと自我とが調整がつかなくなる。 対象となる所属が大きくなるとそれに応じてコミュニケーションも淡白に拡散してしまう。 スウェーデンの老人の発言とはコミュニケーションの希薄性による家庭の崩壊を表している。 伝統的(伝統では無い)な共同性と役割分担に頭がガチガチになっってしまった為に 流動的で現実的な関係に対応できない脆弱な自尊心を持った老人にはショックであろう。
>>79 >そのコストを考えたら安易に裁判なんて持ち出すことが現実的ではない。
そういう問題は確かにある。それこそ、以前は法的な手続きを採るのが面倒で高価
だから、アウトローな人たちに借主を立ち退かせるのを依頼していたなんてことも横
行して、借主を保護しようという趣旨で置かれていた法が却って借主にとって酷な状
況を惹起する遠因となっていた訳だ。だからこそ、昨今の一連の司法改革は訴訟手続
きをなるべく簡便・迅速・安価に利用できるようにして、市民の裁判を受ける権利を
より実質的に保障しようというのが趣旨の一つだ。実際、最近は比較的低額の民事訴
訟については1日で結審し、弁護士を立てなくても本人が訴訟を行いやすくし(もち
ろん弁護士や司法書士のアドバイスを受けることが必要な場合はあるだろうが、アド
バイスだけなら費用は安く抑えられる)、訴訟費用(具体的な金額は失念したが)もか
なり抑えられていると聞く。権利を実現するためには、実体面だけではなく手続きも
充実させる必要があるということだよな。
ブリテン島のスコットランドが家族を大事にすることで知られているようですね
>>97 >問題は自由を出来る限り大きく保障しつつも、いかにして犯罪を抑制するか。
結局、俺は自由と抑制のバランスになってしまうが。おぬしのこれは妙案があっての発言でしょ。それがないのに主張だ
けされてもねぇ。
>犯罪が増えると困るから自由を導入するのは一切認めない
そんなこと俺がいつ言った?本当に自由でありたければ犯罪が増えようと自由は導入されるでしょ。そうやって自由は
認められてきたんよ。一切認めないなんて場合によってはおぬしのほうだよ。
>進歩は無いわな。
進歩の美名の下、壮大な実験につき合わされるのはゴメンだよ。最初からペテンにかけようとしてるな。騙されないぜぃ。
進歩とは理念や理論が先行したら成功しない。あくまで地道な現実的な諸変化の積み重ねが結果的に進歩となる。
>例えば大リーガーは飛行機で移動するが、マイナーの選手はバスで移動するという。
だからスポーツと社会一般を一緒にするなと。特殊なんで面倒だ。
>もちろん累進課税や社会保障によって不当に大きすぎる格差は調整すべきだが、
不当というのはどこに基準がある?お主は金持ちでないからそういったことがいえるんよ。つまり貧乏人の考え。
>財産面での格差を完全になくすべきだとまでは主張していない。
おぬしさ、この前から同じことばっかり言ってよくも飽きないな。もう分かったからもう一度
>>77 をこぴる。
果たして「差異しか生じない」と看過してよいものかどうか。俺は財産面の格差は絶対的でないにしても社会的にかなり
のウェートを閉めるものだと思うが。
仮に不当に大きすぎくても、この財産面の格差はそのまま社会的格差となっている。マルクスが私有財産を否定した理 由が分かってないな。財産権の格差を制約つきでも認めるということは格差を容認するに他ならない。 論点がずれてるのではなく、論点はすでに違うところに行ってるんよ。ループってても仕方があるまい。 >正当かどうかという議論をしているのではない。 正当性こそが重要だろう。正当性がないところで国家が勝手にやってるとなればそれは慈善ではなく、偽善である。だか ら日本では慈善事業が成立しないのだが。 >そういった事業は社会において必要なのだが それをどこまで認めるかだよ。議論が一向に進展しない。お主は原則論ばっかり。 >キリスト教系の団体を除いた多くの民間団体にそのような活動を期待することはできなかったから おぬしは社会的に宗教という存在意義は認めてる?で、日本にそれが期待できない理由は? >国家が担う必要性が大きかったという話をしている。 過去の話しか?で、現状のそれ以上担う必要性がどこまであるのか? >学校教育法11条 だからそういった末端の法律にどこまでの正当性がある? >で、この「体罰の禁止」をより実効たらしめる為に、罰則を設けるべきだという議論が一部にあるが、どう思う? 体罰は絶対悪ではない。そこに教師と生徒のコミュニケーションが不足してるからこその問題。
>これに対する対応策として親が子どもを叩いた場合にも一定の限度を超える場合には刑罰を課す事が出来るようにすべき、という議論もある。 これも同様。しつけも絶対悪ではない。親と子のコミュニケーションの不足である。 >この国にはこういった悪弊がまだまだ沢山残っているのだが、 出た出た。国家悪ともいうべき自虐主義。問題は人間対人間という私人間であるのに、それを国家に押し付けてしまう。国家ではなくそこに住む国民の問題なのに。 体罰にしてもしつけにしても過度に常軌を逸脱した刑法犯に匹敵する事例を持って過敏に規制するのは反対だな。それよりも、一つ一つの事象を個別化し、それに見合った権利義務を考えたほうがよい。 >また特に私は子どもの人権が守られるべきだという立場 それが少年法でしょ。おぬしもさすがに昨今の少年法改正論議を知らないわけではあるまい。 >法的な措置 国家が法的に担うということはそれだけ、私における自由が項によって制限されるということ。すべて教師が親が悪いのか?生徒が子供に咎めはないのか? だから子供の権利を主張する香具師はそれに付随する義務に無頓着だといっている。 仮に権利に付随する義務を押してそれがどのような悪弊になるのだ?まったく、基本からして認識に違いがありすぎる。 「子供は判断力がないから保護されるべきといったサヨ厨的な考えは社会科学的無教養として笑ってやりましょう。」 国家の存在意義を認めてるところは俺と近いと思うが、その実は国家を過信しすぎている。国家による制約は最終手段であって極力回避すべき。それでもなおそれを望むというのならそれだけ自由が 制約されるという事実を認識しないととんでもないしっぺ返しを食らう。国家の強制力に他も無ということはそれだけ国民の自由を脅かす脅威になるということがまったくない。だから都合よく国家を持ち出せる。
>>98 >対立すると思っているから
だったら、「民意が反映するのは投票によってのみであるとお考えで?」の答えは?民意と対立しない何の反映があると
考えてるのら?
>ただ、もう少し実のある議論をしたいと思っているだけ。
議論では可能だよ。でもそれは理論上の問題であって、現実的な実践の場では必ずしもそうではない。むしろ不毛にす
ることが相手の狙いだったりする。
>当然の事ながら、憲法は地裁レベルから適用されうるし、憲法判断も行いうる。
末端の法律ではなく、憲法にまで争点が移ったら最高裁まで行くということ。言い方がまずかったな。本当にとことんま
でやりあうのなら最高裁まで行く。憲法裁判所がない以上、最高裁が憲法の最終判断をするということだった。
賃貸人であるのに居住権など主張する香具師は行き詰った上での戯言ではない。最初から確信犯である。地裁の判断
を不服として控訴してくる。非常に微妙な問題でそこをついてくる。だからたちが悪い。
>採算の取れないローカル線を容赦なく廃止するのは、まさに経済利益優先の企業の論理であって、そこには公共性な
んて存在しないという話をしている。
採算が取れないということはそれだけ公共性に乏しいということ。だから当然の帰結なんよ。誰も乗らないローカル線の
維持がどれくらいかかるか知ってるのか?モータリゼーションの浸透によって、公共性は鉄道だけの時代はすでに終わ
ってる。民営化の目的もここにある。ローカル線にはおぬしの思う公共性がない。
おぬしの発言は公共事業にしがみつく利権団体の発言に近いな。ま、決定的に違うのはそれが建前か本音かというとこ
ろだが。お主は本音だ。
>沿線住民の便益を考慮せずに利潤追求に走っている企業の「公共性」なんて発想はないだろ。 それは住民の便益に公共性が認められた場合。そこには住民の便益がイコール利潤になる。問題は公共性が乏しい 場合だよ。住民の便益が利潤にならなかった場合。三セクの惨状を見ればそこまでの公共性がないのは明らか。 >利潤追求活動をした結果、その活動が一般市民の役にも立つという効果をもたらして、結果として「公共性」に貢献する ということはあるだろうが。 何をいい気になって自分に酔ってる?そんなことは戦前から実践されててもはや頭打ちだよ。 どうも論点が把握されてないようだから補足する。 新幹線は公共性と利潤を目的としてる。しかしだ、実際に公共性がないところに利潤など存在しないんよ。で、問題はど こにあるのか?箱物行政だよ。 新幹線の駅は政治に利用されてる。駅ができるとこうなると青写真を描くが、実際に公共性がそこまでない。従って利潤 もない。あるのは駅を建設する利権だけ。新幹線に乗ってても、新○士・掛○で人が降りるのをほとんど見ない。岐阜○ 島は大○○睦の肝いりでできたというのは有名な話だが、その頃と体質は全然変わってない。東北・上越・山形・秋田・長 野新幹線は本当に必要だったのか?北陸・九州新幹線など本当に必要なのか?公共性とはなんなのか? で、そんな政治利用されるJRはJRは純粋な民間企業か?が今の論点。 レスはしばし待て。
>>109 賃貸人→賃借人。
論点が拡散してきたので。テーマを絞る。
・格差について:これはおぬしと一番やりたいところだが、お互いに共有してる点があまりに少ない。だから、論点が拡散
してしまう。これははずせないが、まずは外堀を埋めたい。
・自由と平等、その他抑制と調整、社会保障・社会福祉:これが最終的なテーマだろうが、到底結論は出まい。大体格差
の認識からして違いすぎる。当分先だな。
・教育:正直避けたい。りっくたんと混同する。そっちに割愛ね
・国家の存在意義:候補B
・居住権:候補A
・JR:候補@・・というか、すぐ片がつくと思う。
@からA、Bと行きたい。そこまでいけばかなり共有点も出てこよう。全部返事くれてもJRしか返さないんでよろしゅう
りっくたん
>>99 >能力別に人間を選別したいという産業というトップ側の都合で存在するんだよ。
こっちが「え?」だよ。いきなり産業まで持ち込むなよ。当然産業まで拡大したそうなるぜぃ。産業がトップかどうかは置い
といて。俺はあくまで教育におけるトップとボトムで見てた。
>能力の基準が生産性から創造性に変わったんだけどトップダウン式に一律に改革できそうもないんで
産学連携とかインターンシップとか教育から先のニーズにその可能性を見るが。可能性が少ないのはそれだけ改革が
難しいということ。
>現場の教師に任せてトップダウン式に改革が始まるようにしたと言うのが愛知県犬山市のHPに書かれている訳だが
そうは読めなかった。頭悪いんでたんと引用してほしい。
そもそも
>>41 では「だからボトムアップ式に切り替えた訳で・・・」。当然ボトムアップ式の改革だと思ってた。
>でもその後の実力主義の世界がドングリの背比べになら無くなる所に救いがある。
はて?実力主義の世界がドングリの背比べにならないというのがわからない。勝ち組と負け組が二極化されるということ
か?低いところで争わないでどんどんレベルアップするということか?それ以外だったりして
>客観的な人間としての本質と主観的な自我を同列に並べられない。
どう違うのか具体的に頼むわ。俺は客観などないというのが信条でね。客観は必ず何らかの主観が入ってる。
読解力のなさというよりおぬしの主観の偏狭さがなせるわざだな。
>社会的秩序は自然的無秩序の状態に個人が責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がない
個人がその責任を持たなかったら?実際に社会秩序の崩壊はこれがきっかけなのだが。
>自由(リベラル)である状況で
はっきり言っていい?常にリベラルである保証はないんよ。人間分かっててもできないことがある。ましてや、分かってな
い香具師が多い昨今、リベラル自体が性善説でしかない。
>万人の万人に対する戦い(抑圧)を通じてお互いが妥協点を見つけた事の結果だが。
俺らは見つけられた妥協点をただ鵜呑みにしてるに過ぎない。どのような過程を経てそれが見つけられたのかはいくら
分かろうとしても所詮はバーチャルなんよ。妥協の産物ではなく、当然の前提と見てしまう。
>基本的に語義をずらして揚げ足をとっているだけなんで議論になってないんだよな。
それはお互い様でしょ。
>いちいち言葉の意味を説明しているだけでこちらは全然楽しく無い。
俺は面白いよ。まったく異質の意見をいかに自分と相手を対比できるかだよ。ただ、俺の言わんとしてることが一向に伝
わらないんでループになってるが。
>>101 >価値観は普遍的に流動的だよ(w
この場合、その流動性をも流動化できるのかということ。つまりは家庭という価値観そのものを流動化できるのか?
>諸個人が人間として生存するための条件は、それ自体が社会的なものであり
ここだよ。その条件が成立しなくなりつつある。お主は家庭を幻想といったり流動化させ無価値に等しい扱いをしながら、
社会については幻想といいつつこういった変な先入観がある。
リベラルであれば社会が成立するのなら、家庭だってリベラルであれば成立する。
>>102 >スウェーデンの老人の発言とはコミュニケーションの希薄性による家庭の崩壊を表している。
だから、それがなぜ社会性の崩壊に行き着かないんだよ?コミュニケーションの濃密性が家庭になくて社会にある道理
はない。
>流動的で現実的な関係
これを具体的に。家庭でなく国家との関係というとでしょ。小さい単位と大きな単位でどちらが濃密になれる?
>脆弱な自尊心を持った老人にはショックであろう
逆でしょ。自尊心が強固だからショックなんよ。自尊心がなくなるから脆弱になる。俺はそういう上司上役を何人か知っ
てる。金のため生活のため彼らは自尊心を捨てたのだ。
脆弱であったら文句は出ない。皮肉もいえない。当然ショックもない。
>>104 議論に参加するつもりはないが、先の借地借家法の改定は、借主の保護が貸主に余りに不利
だったため改定され、貸主の解約を容易にしたという評価が一般的。
だから「借主にとって酷な状況」というのは「賃貸借契約の契約更新や解約、立ち退き」と
いう事象には全く当てはまらないんだなぁ。
無論、小額訴訟における敷金返還請求案件は、借主が敷金を支払っているわけだから、借主に
メリットはあるんだけれども、「立ち退き」に関しては「貸主」に相当「酷な状況」だったんじ
ゃない?
また競売物件についての短期賃借権を認めないという改革も(競落して所有者になった)貸主に
有利な改革だわさ。はっきり言って現代の借地借家関係で「借主の不利」は敷金など預けた金員
の返還だけであって、其れ以外はいまだ「貸主」に不利じゃないかなぁ。
まぁ貸主善意の又貸しの借家人は不利かもしれないが・・・。
>>99 >能力別に人間を選別したいという産業というトップ側の都合で存在するんだよ
能力別に人間を選別したいとするのは産業に限らないし、当然の要求だ。
産業はトップではないがエンドユーザーではある。
エンドユーザーが人材の選別を、他責において(ブランドに依存する)行うから
受験戦争になる。選別される側からすれば、ブランドさえ手に入れれば良いことになる。
言い換えれば、競争相手が出来るだけ少ない、競争相手との能力差が出来るだけ少ない
或いは見分けにくい間なら、少ない努力で競争相手を出し抜いてブランドを
手に入れられると考えるからだ。
採用担当者としては、無印の良品と思って選んだ結果が不適合品で
あれば採用の責を問われるが、ブランドものならそれが欠陥品であったとしても
直接使用者の責(良品を与えたのに活用できない)或いはブランドを
発行したもの(教育機関)の責に出来るから当然ブランド志向になる。
そして教育機関は、手っ取り早く試験に合格する知識の効率良い植え付けに専念する
ことになる。
他責を難詰し、自責を逃れる風潮の当然の帰結なのだ。
>>102 >スウェーデンの老人の発言とはコミュニケーションの希薄性による家庭の崩壊を表している。
社会としては家庭などというものが存在する必要は全く無い。社会として望ましいのは
家庭など言う無用なバッファを介さず構成員が社会に直属することである。
スウェーデンの問題は家庭の分解に当り、家庭に負わされていた、良質の次世代を育てる
という機能の適切な代替機能が社会として用意できていないことにある。
コミュニケーション能力の養成は家庭だけにしか出来ないというものではない。
逆に不適切な家庭はコミュニケーション能力を減退させるだけだ。
老人が家庭の分解をショックと受け止める位、家庭の代替機能が用意されていない
ということになる。
家庭を分解し全体主義社会へ移行すべきとする、世界的な要求に対する
社会制度の組み換えの失敗例だ。
117 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/10 23:53:37 ID:E+ilVcPl
「個人の自由には自由にならない社会的前提が存在する」という認識は非常に幼稚です。 だいたい最初に規則が無ければ人間は秩序を造りだせないというなら人類創世以前に規則があったことになる。 本能に従うことがそのまま自己保存の方法でもあるような動物と違って、 人間は「現実原則に従う自我と快感原則に従うエスとの対立」あるいは分裂状態にある (「人間は本能が壊れている」)ところに その根本的原因があります。 人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、 自己や種族の破滅に陥るため、自然的に無秩序なのです。 この自我が人間の「確かに持っている普遍的な壊れた本能(快感原則に従うエス)」に対して 環境との折り合いをつけ自己や種族を保存をするためその場の共同体内のコミュニケーションを通じて 形成される「内輪だけが持っている確かな物では無い共同幻想」とされる。 諸個人が人間として生存するための条件は、それ自体が社会的なものであり 個人の目的の達成は、それが長期的なものであればあるほど、他から干渉を受けない自由と、 さらには他者の協力を多くの場合に必要とする。
118 :
右や左の名無し様 :04/09/10 23:55:14 ID:E+ilVcPl
他者から肯定され、承認されて尊厳を獲得してきたひとは、自分が自分であることにとって 他者や社会は必要不可欠だからそれらから疎外される事を恐れ責任感や罪悪感が産まれる。 個人が責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がない自由(リベラル)な状況で 万人の万人に対する戦い(抑圧)を通じてお互いが妥協点を見つけ社会的秩序を形成する。 それを具体化した物が規則であるが環境や所属する共同体が変わった場合それに対応して 個人が折り合いをつけるためにも自由(リベラル)は大切である。 又、不自由は(従って自由は)三類型に分けられる。 第一は、選択肢が端的 に不在だという不自由。 第二は、選択肢は存在するが特定の選択が抑圧されるという不自由。 第三は、選択肢があり、選択抑圧もないが、選択能力が不在で選べないという不自由。 この三種類の不自由の内どれかが極限に達し折り合いが付けられなくなった時アノミー(無規範)が生じる。 要は社会的秩序が信頼可能である程、人々は自由に振る舞え 人々が自由である程結果的に得られた社会的秩序は信頼可能になると言う事です。
119 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :04/09/11 01:40:43 ID:LxSrvH/V
軍事経済のリスクは雪達磨式に膨らみ、既に米国の国債赤字を発行限度額にまで押し上げている。
戦争はもともとハイリスク・ノーリターンなのである。
それにも関わらず米軍主導の経済運営を一体どこの国が望んでいるのかである。
表向き米軍に逆らわないのは単に米軍が世界最大の軍事国家であり、資本主義経済の利権を独占しているからであり、ひとたび世界に目を向ければそれこそ奴隷文明のハイリスクが渦巻いているのである。
軍事経済はそのリスクの切れ端に過ぎない。
実に狭い価値観の中で我々は背後から突き動かされているに過ぎないのである。
米国が我々のアイデンティティーを弾圧し、軍事経済を正当化してきたのなら、そこに最初から正義などあろうはずもなかったのである。
【米国主導の奴隷文明、すべてのリスクは弱者から被る】沖縄・琉球民族
http://homepage3.nifty.com/darkelf/
>>117 >人類創世以前に規則があったことになる
それで良いのだが。人類が規則を作り出したのではない。
人類は規則を発見し、規則と認識しただけだ。
>本能に従うことがそのまま自己保存の方法でもあるような動物と違って
人もまた動物の一部であり動物と異なるものでは無い。
>人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、
>自己や種族の破滅に陥る
現在も尚、まわりとの絶え間ない衝突を繰り返している。
ということは、未だに自己の快楽原則にそのまま従っていると言う事を示しているということにしかならん。
121 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/11 11:27:23 ID:wkuVXkve
宗教はアノミーの吸収装置。
自爆テロは抑圧されて崇拝する宗教を選択できない不自由が生じるために
アノミーを吸収しきれなくなるからおこる。
信者個人の価値観や心情は無神論者からは理解できないが自然の摂理から人間の行動原理は理解できる。
自爆テロのベースは死すら超越した究極の自由ではなく。
アノミーを吸収している状態では自爆テロをする必然性は産まれない。
宗教の為ならただテロをする叉は戦うだけで良いからだ。
抑圧されて吸収しきれなくなったアノミーが宗教によって方向付けられスーサイド・ボム(自殺爆弾)となる。
「不全感」に悩む者が、能力や原則を欠いた自分自身を責める選択肢の多い環境から、選択肢の少ない
ゆえに迷わずに済む『死』に退却しただけの暴走である。
宗教に傾倒する者が心情的にそれは違うと言っても自然の摂理は変わらない。
科学的に責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないことは自由(リベラル)である。
>>95 > ひとつ教えてくれ。宗教がアノミーを吸収できなくなったとき、つまり自爆テロをするときには信者は宗教からは開放され
>てるのか?宗教という選択肢を捨ててるのか?
俺は客観的にその人は人間として自由(リベラル)かどうかという話をしているだけだ。
開放とか捨てるとかではなく退却しているだけだとしか言えない。
122 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/11 11:37:00 ID:wkuVXkve
>>120 人間は「本能に従うことがそのまま自己保存の方法でもあるような動物」ではなく
「現実原則に従う自我と快感原則に従うエスとの対立あるいは分裂状態にある動物」で
明確に前者とは異なるがどうかしたか?
>ということは、未だに自己の快楽原則にそのまま従っていると言う事を示しているということにしかならん。
HNをいれ忘れて解りにくいかもしれんが
>>117-118 でセットね。
それは不自由からくるアノミーだって話しをしているんだよ。
さんちゃん
>>104 >アウトローな人たちに借主を立ち退かせるのを依頼していたなんてことも横行して、
地上げ屋と勘違いしてない?や○ざは利権で動く。未払い家賃なんて小さい小さい。だいたいアウトローって・・・
>借主を保護しようという趣旨で置かれていた法が却って借主にとって酷な状況を惹起する遠因となっていた訳だ。
すごい展開だな。だったらそんな法律いらないじゃん。
>弁護士を立てなくても本人が訴訟を行いやすく
実際にそういった人は増えたの?制度がある以上ゼロではないと思うが、おぬしが声高に言うほど機能してるのかな。
>アドバイスだけなら費用は安く抑えられる)、訴訟費用(具体的な金額は失念したが)もかなり抑えられていると聞く
「そうそうコストといっても金銭だけじゃないぜぃ。」
>>79 この答えは何だと思う?
れれれのれたん
>>115 >「賃貸借契約の契約更新や解約、立ち退き」という事象には全く当てはまらないんだなぁ。
契約更新や解除は末端の法律で対応できる。しかし、立ち退きは憲法で言うところの居住権に関する問題。
>「立ち退き」に関しては「貸主」に相当「酷な状況」だったんじゃない?
それは今でも変わらんよ。
125 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/11 13:04:27 ID:wkuVXkve
>>124 憲法に居住権があるかどうかは知らないが、昔は立退き料を出しても立ち退いてもらえなかったら
(貸主が他に居住するところがない場合を除いて)・・・昔は「大家といえば親も同然」という価
値が多少はあったが、今は純粋な経済活動と捉えられるようになったということかなぁ。
まぁ追い出されたらすむところがないほどに交通の便も悪くなし、貸家が少ないわけでもないから
ねぇ。不動産は借地借家にしても売買にしても流動化が経済的には求められる中で、借地を
非常に嫌う(返って来ないと言う事実と、借地権が底地権を上回る評価になって地域が多いなどの
理由)という現実があるから、それが借地法の改定の動機だろうし、ついでに借家法も整理したとい
うのが国土交通省の本音じゃないかなぁ。
【拉致問題】 拉致「日本にも責任」示唆 朝鮮総連 [09/11]
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1094890490/l50 _∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_
デケデケ | |
ドコドコ < 日本人に責任転嫁キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!! >
☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _|
☆ ダダダダ! ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
ドシャーン! ヽ オラオラッ!! ♪
=≡= ∧_∧ ☆
♪ / 〃(・∀・ #) / シャンシャン
♪ 〆 ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
|| γ ⌒ヽヽコ ノ ||
|| ΣΣ .|:::|∪〓 || ♪
./|\人 _.ノノ _||_. /|\
ドチドチ!
日本人の朝鮮への差別が拉致問題の原因だということです。
>>127 中国との国境付近のキノコ雲も日本のせいにされかねんな
金将軍様を頂くテ^−ハンミング マンセー わらわせよっはははいたいいた 醴醴醴醴]['. : `:゙{[醴醴¶ 層醴醴蠶[l' .、,,..______、 _____. ';゙(}醴醴† 濁醴醴鏖《' 'f『゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚閂昃'!! . -忌『『『『門愬タ!i'゙(i層躑 ..f[醴醴醴』' _. ...`:゚'.: (Jl}~゚ .'.^'゚(li、.'僧歉 . ‘體醴醴廴,。r、':'`‘「.... _,gg豐齟籬gjljl;ilド .:゙l:','。;i,g豐醯踰gz.(.(.( i.j|]「 . ;tqi_゚゚¶醴†` } ii填閇゚゚゙゚゚゚゚゚『『摂'''^' . .::、'ヌ}們゚゙゚゚門門轡埣l゙(|遁 . ゙}}' ゙マl'. ¶$. ` . . !!!!!!!!!!!''''^ .. . . il。゙(`゙゙'゚''''''?ヘ'''''`` ''、ii濬 、 !) .:..jg_゚[Ii;. . _, . `?)j、 . ._,(,(:ア ′、(|『゜.'゚li' . 丶、.,,__.,.,___v!゚` . '''?テliuv- ..、...、r!i゚(.(0i .,゚''' -. ' .、.;,(jIj.....__,._._..,xs,iiu_,..,,I詬i;。.、....、... .(i゙(I `` _._,(ii.lI}l゚(゙'ヲ増嚇jg]獅嬲叛l゚(}}IIID,;';゙;iiIi;ii゙(| 、 ::.ミ浴?゚(. . ``'゚タ'゚''''゚''''.!''.(lI泪||I}i.[(l}}Il゙(} 一' . :゙(}l}シ.、;;、....、,,__.,uu,。,,,,,ggggj_j,(I}'゚(勿l.[(','i}ソI. . . ' .(.(.(.()l瘟尸゚゙゚゙゙゙゚゙゙゙゚゚゙゚゚゚゚゚゚゚層鬱浴)).'';ミi.(,(l;ミ. . . . . ::、.、..:.(,(:、''゙゚『咐':'・!・ f負鄂、.:'.(.(>.(,(3i゙(}|I' '、.. .、:.、'.:、'.'.'.、.(`' . : : : : ー;;,(,(i','i.(.(.(.(.(lIIIIIiIIIl゚
れれれのれたん
>>124 >憲法に居住権があるかどうかは知らないが、
憲法22条。
>まぁ追い出されたら
これが人権侵害なんだってば。
>それが借地法の改定の動機だろうし、ついでに借家法も整理した
すまそな。さんちんにも言われてるけど、法律には詳しくないので。
最後に参考サイト
http://akutoku.cocolog-nifty.com/828/2004/02/post_10.html 別にここの受け売りではない。うちの懇意にしてる不動産屋さんからも聞いたことがあった。居住権を主張する香具師は
たいていがインテリ崩れ。某大学の講師や元○通マンなど。しかもそういう香具師に限って支払い能力がない。支払い能
力があるという香具師には必要ないというのはけだし名文句だね。
>>116 (りいくたんあてだが)
<下段>
>社会としては家庭などというものが存在する必要は全く無い。社会として望ましいのは家庭など言う無用なバッファを介
さず構成員が社会に直属することである。
何をもって望ましいと言い切る?
直接民主制よりも間接民主制のほうが多く採用されてるように、バッファがないとリスクマネジメントのかけらもない。た
だの性善説。世の中そんな理想的ではない。
>コミュニケーション能力の養成は家庭だけにしか出来ないというものではない。
かといって家庭の代替機能が存在しない以上、安直に存在意義を否定するべきではない。
>逆に不適切な家庭はコミュニケーション能力を減退させるだけだ。
そういった場合には家庭の機能を補完すればよい。施設や行政による保護など。しかしそれは例外。例外をして原則を
否定するとは本末転倒。
りっくたん
>>121 >俺は客観的にその人は人間として自由(リベラル)かどうかという話をしているだけだ。
>開放とか捨てるとかではなく退却しているだけだとしか言えない。
だからそれはあくまでもリベラルというおぬしの主観だと言ってるでしょ。おぬしがリベラルから解放されないように自爆
テロする香具師も宗教から開放されないんよ。
>>113 >日本でもバンバン流動化しているが・・・
「なぜなら結婚生活は非常に現実的なものであり、それなりに真面目に実質的に取り組まなければならないからだ。」
江戸時代は恋愛と結婚は別物だった。これははじめて知ったが、かといって結婚からくる家庭という価値観が流動化し
崩壊して無意味なものになっていたわけではない。むしろ現実的に実生活に密着したものとして家庭があった。俺はこう
理解したが。つまり家庭そのものの価値観がなかったわけではない
<つつく>
■「別の生き方があり得る」「別のイメージがあり得る」と口で言うのは簡単だ。現に「別の時代には」「他の文化圏では」と
いった相対化が巷に溢れる。しかしここは「現代」の「日本」。「現代」の「日本」に「別の生き方があり得る」かどうか。それ
だけが問題だ。
ちょっと長いんで斜め読みしたが、「別の生き方があり得る」と宮台たんは言い切ったのだろうか?
■結論。(1)社会は例外なく、感情的安全を保障し、それによって「子供の社会化」や「成人のパーソナリティ安定化」を果
たす非流動的な場を必要とする。(2)「典型家族」がそれを提供できなくなった今日、「変形家族」にそうした場の供給を期
待する以外あり得ない。
■かつて存在した家族形態と、どんなに違って見えようとも、感情的安全を保障できるような非流動的な場──それ故に
「子供の社会化機能」と「成人のパーソナリティ安定化」機能を果たし得るような場──である限り、それを健全な家族そ
のものだと見做す他ない。
■即ち、「自明な家族から、再帰的な家族へ」──。
結局、自明的であっても再帰的であっても家庭であることには変わりない。つまり家庭という価値観内の流動化であって
家庭そのものの価値観がなくなるわけではない。
「豊かになって生きるために身を寄せ合う必要がなくなれば所属の必然性としての家族と言う普遍的価値だと思われてい
た幻想が崩壊するのは当然。」(
>>67 )
所属の必然性がなくなるといってる以上、お主は家庭そのものの価値観がなくなると主張されてるように思うが。
<おわり>
134 :
右や左の名無し様 :04/09/13 00:13:46 ID:/VDg8fJL
突然ですが、ここは詳しい方がたくさんいらっしゃると思うので質問させて もらいます。(おそらく、初心者のレベルの質問です) 1950年に警察予備隊が創設されますが、アメリカの意図は何だったのですか? 警察予備隊はタテマエは「警察の補助」だけど、ホンネは「小規模の軍隊」 ですよね。 でも、アメリカは日本を非軍事国にしたかったはずで、それならどうして軍隊み たいな警察予備隊の創設を命令したのですか。民主主義の方針と矛盾してませんか。 アメリカは日本の警察予備隊に何を期待したのかをしらべたところ、日本に駐留し ていた米軍が朝鮮に出兵することで少なくなるので、その間の日本国内の治安を維持 するのが目的だというようなことが書いてありました。 その日本国内の治安って何を指していたのかが分からないんです。 共産国が日本国内に攻めてくることを想定していたのでしょうか。それで国内が戦場 になったら、米軍は朝鮮に出兵していて日本にいないから、自分たちの力で戦って治安 を維持しろ、ということが想定されていたのですか。 また、「アメリカが日本に期待していたのは、ロシアとか中国などの共産主義国家の浸透を阻止する防波堤としての役割だ」とする表現を見かけました。アメリカは日本にどうなって欲しかったのかがよく分からないんです。自分たちの味方(民主主義国)でいて欲しい。 けど、民主主義の理念(戦争放棄)を無視してでも軍事力をつけて、対共産主義国の戦力 になっても欲しい、と考えていたのでしょうか。 つまりは、戦後の民主主義の理念(戦争放棄)は挫折したという理解で正しいでしょうか。 一応ネットで検索しましたが、抽象的な言葉ばかりで、噛み砕いてなくてよく分か らないんです。 今卒論を書いている最中ですが、これらのことがわからず、先に進めません。 (専攻は国文学です)詳しい方教えてください。
>>106 なごタン
>自由と抑制のバランスになってしまうが。
もちろんそうだが、問題なのはどちらにより重点を置くかという事。今回のテーマ
でいうなら、福祉制度を充実させ個人主義を徹底させつつも、それによる弊害を如何
に抑制させるかという事になるわけだが、その弊害を恐れるあまり個人主義の導入に
慎重になりすぎるのは、やはり妥当ではなかろう。
>進歩とは理念や理論が先行したら成功しない。
そう言い切る根拠は?日本の戦後の改革も「軍国主義から平和主義に」「天皇専制か
ら民主主義に」「国家主義から人権尊重主義に」という「理念」にも続いて制定された
憲法の下で行われたのであろう。
>お主は金持ちでないからそういったことがいえるんよ。つまり貧乏人の考え。
失礼だよな。当たっているだけに。w
どういう基準で不当かどうかを決定するのは、まさに政治家と行政官僚が専門家の
立場から決定する事だろ。で、その判断が正しいかどうかは、最終的には国民が判断する。
>正当性こそが重要だろう。
正当かどうかということよりも、国家の存在目的たる国民の人権を保障するという
目的を達成する為に必要になるということだ。つまり、直接的には憲法25条が国家に
福祉活動を営めと命じているという事になるんだろうが、ひいては国民が憲法制定と
いう過程を経て国家に要求しているという事だ。従って、あえて言うなら人権保障と
いう憲法が定める国家の目的達成に必要な活動であれば、正当性が付与されると考え
て基本的には構わないだろう。
>日本にそれが期待できない理由は?
現実にそのような活動をしている組織があまり無かっただろう。
>体罰は絶対悪ではない。
人権尊重主義というドグマに立っている私としては体罰には反対すべきなのかもし
れないが、正直言うと体罰は場合によっては必要なのではないかと考えている方なの
だ。しかし、実際は「体罰」に名を借りてかなり酷い「虐待」とでも呼ぶべき行為が
行われている現状を見るにつけ、やはり一定の範囲で処罰すべきなのではないのかと
いう意見にも傾聴の余地があると思う。
>>108 >しつけも絶対悪ではない。
「絶対悪」だとは言っとらんが。まぁ、親による子どもに対する懲罰に対して公権力
が刑罰権の行使という形で介入するのは、家庭内の問題に公権力が口出ししてくると
いう点で、教師による体罰を処罰の対象とするのとは異なる問題があるわな(この違
いを指摘してくれるかなと思っていたのだが)。
>国家ではなくそこに住む国民の問題なのに。
「国家」とは言っとらんだろ。「国」にある問題が存在するといった場合は、その国
内の社会において一般に広く見受けられる現象或いはその国に住んでいる国民の一般
的な性向を示す。貴殿は国語力にも問題があるのか?
>それが少年法でしょ。
議論の流れからいって少年法は関係ないだろ。w
ここでは、子どもの人権を守る為に子どもを親や教師による酷い虐待から守らなけ
ればならないということ。
>子供の権利を主張する香具師はそれに付随する義務に無頓着だといっている。
ギムギムと何とかの一つ覚えみたいに叫んでいるが、一体どんな義務を具体的に子
どもが負うべきと考えているんだ?もちろん、例えば授業中に騒いだり私語をしたり
して他の生徒の「授業を受ける権利」を侵害するような行為は慎まなければならない
といった義務は言うまでも無く負っているが、貴殿が言っている義務は更にそれ以上
のもののような気がするし。
>民意と対立しない何の反映があると考えてるのら?
そんなのいくらでもあるだろ。政治献金然り、メディアによるアナウンス効果然り、
デモ行進や座り込みなども政治に事実上の影響を与えるだろう。
>でもそれは理論上の問題であって、現実的な実践の場では必ずしもそうではない。
何が言いたいのかさっぱり・・・
「現実的な実践の場」って何だ?裁判の事か?裁判というものは基本的に議論の場
ではなく、両当事者がお互いに意見を言い合い、それを第三者たる裁判官が傍観して
中立的な立場で両者の言い分のどちらが正しいかを判断するものである。
>末端の法律ではなく、憲法にまで争点が移ったら最高裁まで行くということ。 別に憲法上の争点じゃなくても最高裁に行く時には行くし、憲法上の争点でも両当 事者が納得すれば、地裁レベルで終わる事も珍しくない。それに賃貸人と賃借人の争 いで憲法がいきなり直接的に適用されることは無い。憲法22条も国家と私人の関係で しか適用されない。むしろ賃借人が賃貸人に対して主張するような私人間における権 利は憲法29条2項が、その内容は法律によって決定すると定めている。 >ローカル線にはおぬしの思う公共性がない。 むしろローカル線にこそ「公共性」はあると思うよ。 この国には未だに医者がいない地域や弁護士がいない地域がある。私は法学が専門 なので弁護士についての話に絞るが、現在そういう弁護士がいない地域に弁護士を派 遣するシステムが置かれている。本来は国が行うべき仕事だと思うのだが、この国の 政府にはそこまでの意識が無く、やむなく日弁連が行っている。こういった地域では、 法律事務所を開設しても採算が取れないので、あえて事務所を開設する弁護士は少な いわけだが、こういう地域での住民でも弁護士を必要とする場合はあるわけだ。だか ら、日弁連が弁護士過疎の地域への勤務を希望する弁護士を募って赴任して貰い、ま た同時に基金も作って、その基金から弁護士過疎の地域に開設された法律事務所には 一定の援助を行っている。利潤追求という発想からは出てこないシステムだよな。こ ういうのを「公共性」と呼ぶのだろう。ま、単なる利潤追求を「公共性」と強弁する 貴殿には理解できないかもしれないが。 >東北・上越・山形・秋田・長野新幹線は本当に必要だったのか? まぁ、恐らくこの中では東北新幹線の仙台までの区間を除いて要らないだろうな。山 形・秋田新幹線は在来線を利用するタイプだからまだ良いとしても、それ以外はフル 規格の新幹線はいらないだろう。
>>123 >未払い家賃なんて小さい小さい。
だからだな、古いマンションをぶっ壊して新しい店舗付きのマンションを建て直し
たいと考えた土地の所有者がだな、その古いマンションに居座っている住人を追い出
すために、そういった人たちを使ったなんていう話はバブル全盛期にはあったというぜ。
>だったらそんな法律いらないじゃん。
だから改正されたんだろ。借主をやたらに保護しすぎると、今度は土地や建物の所
有者がそれを貸すことに躊躇してしまって、結局部屋や家を借りようとする人が良い
物件を見つけにくくなってしまうという帰結をもたらすわけだ。だから、もし仮にあ
なたが言っているように借主を強度に保護しすぎている法律があったとしたら、それ
は実は借主にとっても利益にはならないのだが。
>実際にそういった人は増えたの?
少額訴訟が利用された事件の数は平成11年の1月から10月までの統計では8292件
のようだ。審理時間は20分以内で終わる事も結構あるらしい。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/law/
上のほうで居住権の侵害がどうたらと言ってるが 国家や公務員がそれをしてはいけないだけで 国民は別に憲法を守る義務はないので、貸主が借主を不当に追い出さない限り 何の問題もないはずだと思うのは小生だけか? どこがどう憲法問題に発展するのか意味不明。
>>130 十分な立退き料を払っても追い出せなかったという事実があるわけで、しかも契約の更新は
借地についてはほぼ無条件で認めるしかない。永久に立ち退かせられないことは、問題だった
だけですよ。(其れが改定されただけ。妥当だしょ)
十分な立退き料を支払っても追い出せなかったんだから、人権なんぞと関係はない罠。
>>134 誰も答えてないので、私が答えよう。
>アメリカは日本を非軍事国にしたかったはずで、それならどうして軍隊みたいな
>警察予備隊の創設を命令したのですか。民主主義の方針と矛盾してませんか。
占領当初主要なポジションを占めたのは、ルーズベルトの息が掛かった若い
ニューディーラーの将校だった。彼らは理想主義的なリベラリストで、其の理想型を
日本で実現しようとした。其れが日本国憲法に結実した。だが、同一政権であっても
必ずしも一枚岩ではない。その後ニューディラーから現実主義者(フランシス・フクヤマが
良く此の表現をするが)に主要スタッフが移行してから後、占領政策と極東戦略に変化が
見られた。特に米国内で吹き荒れた「レッドパージ」が顕著になり、共産主義への危機感が
増大して理想よりも現実的な対応の必要性に迫られた米国政府は、対共産勢力と対峙するには
日本の軍事力の必要性を感じた為、警察予備隊が結成された。是が主要な背景。
>その日本国内の治安って何を指していたのかが分からないんです。
当時は日本国内でも共産勢力が力を持ち、労働争議をはじめとして多種多様な左翼勢力が
力を振るっていた。そうした勢力をバックアップしていたのがソ連と中国の共産党だった。
1947年に社会党政権が樹立されたのを見ても、左翼は充分な力を持っていた。
補記。 同一政権でも同じ意見を持たない事例は、現在のブッシュ政権を見れば解るだろう? パウエルとチェイニーは中東政策だけでも全く違った意見の持ち主だ。
>>142-143 本音を言えば、「こんな」憲法は近年改定されるだろうと思っていたら、改定されなかった。
こんな・・・実験的な理想論基本法の意味。
さんちゃん
>>137 >むしろローカル線にこそ「公共性」はあると思うよ。
医者や弁護士がローカル線か?
JRの話をしてるのに弁護士の話にすり変えられたらたまらんぜぃ。
>ま、単なる利潤追求を「公共性」と強弁する貴殿には理解できないかもしれないが。
それはJRの話の場合でしょ。
JRがなぜ民営化されたのか?公の保障がある状態(国鉄)をいかに軽減するか。無駄な公共性をいかに省くかが利潤
追求になった。それができるのはモータリゼーションの発展という代替手段、選択肢が生じたから。ベクトルとして公⇒私
弁護士の場合、公の保障がない状態(日弁連)をいかに充実させていくか。必要性の高い公共性をいかに充実させるか
当然私⇒公となり、おぬしの言うように利潤を抜きにしても国家政府が充実させるべき問題でもある。
前提としてる問題が違うのだから、それに対する考え方も違うのは当然、ということが理解できてなかったか?それとも
お主は国鉄民営化に反対だった?お主、小泉嫌いでしょ。郵政や道路公団を民営化しようとするから。
>要らないだろうな。
そんなものをつくるJRは民間会社か?そこに利潤の追求があるのか?
146 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/14 00:54:42 ID:RMl0lo0L
>>133 > 所属の必然性がなくなるといってる以上、お主は家庭そのものの価値観がなくなると主張されてるように思うが。
俺は
>>67 で
家族→所属の必然性→濃密なコミュニケーション
を否定しているが
濃密なコミュニケーション→所属の必要性→家族
を肯定している。
何処が家庭そのものの価値観がなくなると主張しているのだ?
っていうか無意味な挙げ足取りは止めろ。
>>145 >それができるのはモータリゼーションの発展という代替手段、選択肢が生じたから。
これは確かに大きいな。最近は夜行列車の廃止が相次いでいるらしいが、この背景
にも夜行バス路線の充実があるらしい。ただ、第三セクターの路線が赤字になっても
何とか存続させていこうとしているところがあるということは、やはり地域住民の足
として一定の役割は依然負っているという事だろう。その意味では公共性はあるとい
うことだろ。
>そんなものをつくるJRは民間会社か?
国営じゃないんだから一応民間会社だろ。ただ、かなり特殊ではあるが。
148 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/15 00:24:13 ID:3mj4AtQV
>>134 >民主主義の理念(戦争放棄)は挫折したという理解で正しいでしょうか。
二重に間違いです。
戦争放棄は民主主義の理念では有りません。
戦争放棄に日本が挫折した訳でもありません。
敢えて挫折したというなら日本(或いはその同盟国)のみを悪とし
この悪さえ取り除けば世界は平和になると妄想を逞しくした連中が挫折したのです。
日本の戦争放棄は『相手が交渉の手段に戦争を用いず平和的に振る舞う』という
条件下でのみ成立するものであって、この条件を満たさない相手にまで
無制限に適用されるものではありません。
今後日本が戦争の一方の当事者になることがあるとすれば
それは日本ではなく、相手に一方的に非があるのです。
相手の人命が全て失われ、全てが焦土と化しても、そのことについて
日本が責任や負い目を感じる必要はまったくありません。
もし戦うことが避けられなければ心置きなく全ての相手を殲滅し
焦土にすべきです。全ては相手の自己責任です。
りっくたん
>>146 >濃密なコミュニケーション→所属の必要性→家族
当然。
>>85 でも俺も同意してる。
>何処が家庭そのものの価値観がなくなると主張しているのだ?
だったら、家庭の価値観はどこにあるんよ?コミュニケーション以外に何の価値観があるのだ??
「豊かになって生きるために身を寄せ合う必要がなくなれば所属の必然性としての家族と言う普遍的価値だと思われてい
た幻想が崩壊するのは当然。」(
>>67 )
おぬしの「家族と言う普遍的だと思われてた幻想」って家庭そのものの価値観でしょ?
そもそもスウェーデンモデルって家庭そのものの価値観がないから離婚率が高くなるわけで。
>っていうか無意味な挙げ足取りは止めろ。
>>88 でもいってるでしょ。おぬしのベースが見えてこないって。逆に何が揚げ足なのか聞きたいところだぜぃ。訊いたと
ころで同じコピペのオンパレード。そういったほうがよほど無意味でしょ。
さんちゃん
>>147 >その意味では公共性はあるということだろ。
訂正するよ。「ローカル線にはおぬしの思う公共性がない」(
>>109 )は俺の誤解。おぬしの思う公共性はあるんよね。後
から言うのもなんだが「ローカル線にはおぬしが思うほどの公共性がない」んよ。なんだかお主は「公共性」が天下ゴメン
の印籠であるかのように思ってない?そんなことはないよ。それもバランス
おぬしの論からいくと、僅かでも公共性のあるものは須らく維持すべしとなり、どんどん公共性の下、維持するものが肥
大化してしまう。それが土建(公共事業)国家と揶揄される日本の一面でもあり、赤字国債が700兆円。国鉄も33兆円あっ
たわけだ。おぬしの言う公共性とは借金で首が回らなくなっても維持されるものなのか?そこで考えようよ。今はその時期
に来てるんよ。
>国営じゃないんだから一応民間会社だろ。ただ、かなり特殊ではあるが。
「これはJRと言った民間企業の無責任さを表している訳だが、考えてみれば当然の事で、もともと企業と言うものは利
益追求マシンなのであって公共性などは基本的に考慮しない組織だもんな。ま、民営化さえすれば「バラ色の未来」なん
て単純な発想は出来ないと言う事だな。」(
>>56 )
これを受けての発言だったら整合性に欠けるわな。お主は特殊を一応でも民間企業と同一視するわけだ。で、民間企
業は・・・となる。守旧派の発想だ。
俺はまったく逆だね。特殊だから特殊を前提に他の民間会社と同一視はしない。むしろ特殊を浮き彫りにしてJRをより
他の民間企業に血被けようと考える。
で、その特殊とはな〜に?(考えてることが全然違ったりして)
血被け(ちかずけ)⇒近付け(ちかづけ)
kitaiage
>>148 りっくたん
>それこそなごみの主観じゃ無いの?
俺の主観っておぬし本当にわかってる?
>
>>121 の前文を論理的に否定してからそう言うなら解るけどね。
俺はね、おぬしの主観を否定してるんじゃないんよ。解ってないねぇ。何でもおぬしの主観で物事を判断しようとするそ
の姿勢を否定してるんよ。
俺は、おぬしの立つリベラルな主観でも、宗教側の主観でもない。ただ、自爆テロに関しては宗教側でのことなので宗
教側に立って言っている。宗教側のことは宗教側でしか分からない。おぬしが言う自然の摂理がどうであれ、リベラルで
捉えるか宗教性で捉えるかで行動は変わってくる。以下、
>>121 >抑圧されて吸収しきれなくなったアノミーが宗教によって方向付けられスーサイド・ボム(自殺爆弾)となる。
宗教によって方向付けられるにはアノミーが宗教と関係付けられねばならない。つまり方向付けられた瞬間に吸収され
るんよ、宗教によってね。
>「不全感」に悩む者が、能力や原則を欠いた自分自身を責める選択肢の多い環境から、選択肢の少ないゆえに迷わず
に済む『死』に退却しただけの暴走である。
退却や暴走と捉えるのは死(自殺)を肯定的に捉えられてない証拠。平和日和見主義じゃないんだから、「自爆テロは
許されない」では物事は解決しないよ。
>宗教に傾倒する者が心情的にそれは違うと言っても自然の摂理は変わらない。 おぬしに宗教の何が分かってるのら?お主は無神論者じゃないのけ??宗教が自然の摂理に集約されるのが道理な ら宗教紛争はとっくに解決されてると思うんだが。 >科学的に責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないことは自由(リベラル)である。 だから、それはリベラルな主観に立ったおぬしの考えに過ぎないんよ。おぬしに足りないのは自分以外の主観に対する 理解。ここでは端的に宗教に対する理解。やっぱりだめだわ。おぬしもマインドコントロールされてるからねぇ。 >宮台たんのこらむより ■以上をまとめると、選択前提には三種類があります。第一は「選択領域」。第二は「選択チャンス」。第三は「選択能力」 です。 宗教に傾倒するものはどれに該当するん?そもそも宮台はんはたぶん、いや間違いなく宗教を前提にこれは書いてな いんだけどね。 >「この楽しみ少なき世界」を嘆きつつ「神に導かれること」に期待をつないで「殉教者」の道を選ぶのである。 「神に導かれること」とは自爆テロが宗教に吸収されるということではないのけ?実際にどれくらい期待できるのかどうか ではなく、ね。
>青年は、昨日と同じ絶望的生活を過ごすよりは、自爆攻撃のチャンスに飛びつくのは、当然といえば当然で、私だって そうするだろう。 おぬしにとって自爆テロはチャンスではなく、単なる自暴自棄でしょ。 >追いつめられた人間が取る手段はテロしか残っていない。特に、もう未来に希望が見いだせなくなった人間は自爆テロ にいってしまう そうではないと思う。宗教のために死ぬのだから宗教に見返りを期待してのものでしょ。それが現世であるかあの世であ るのかの違い。テロとは選択肢がないのではない。なくなったら人間何もしないものだ。何もできなくなる。 何かおぬしと話し合ってると、自爆テロって軽く感じてしまう。ってゆーか宗教が絡むと厄介なんよ。 日本でも神風特攻隊があったという人がいる。しかし、もともと日本にはそこまでの宗教性がなかった。だから戦争が終 わると波が引いたようにそれが否定される。 自爆テロをするイスラムでは、日本みたいな付け焼刃の宗教性ではなく、もっと生活に根ざした深いものである。自爆テ ロがなくなって(沈静化)も宗教性は残る。宗教性が残る以上、自爆テロが否定されることはない。
なごみは論理のすり替えが生命線だな
>>149 >全ては相手の自己責任です。
じゃ、相手がこちらに対してどんな事をやってきても構わないということだな?
捕虜は皆殺しにされ、無差別絨毯爆撃を行われ、核兵器をばんばん打ち込まれても一向に文句は言わないということだよな?
更に民間人を殺すのも構わないのか?
というか、こんなことは第2次大戦で日本が既に行った事だが。核兵器以外は。
日本兵に捕虜を皆殺しにするほどの労力と 絨毯爆撃をするほどの物資があったとは驚きでつ!
>>159 能力の許す範囲でやったということだよ。
それだけのことをやる能力があればやっていたはずだということ。
目的を完遂したとはいっとらん。
> 日本が既に行った事だが。 > 日本が既に行った事だが。 > 日本が既に行った事だが。 > 日本が既に行った事だが。 > 日本が既に行った事だが。
>>161 じゃあ、「やろうとしたが能力不足で貫徹は出来なかった。しかしかなりのことはやった。」
これなら文句はないだろ?
それなら何にでも当てはまるだろうが馬鹿w
いや、こういったことを既に日本がやったということを認めるのならば別にそれで良いのだが。 ま、捕虜皆殺しなんて野蛮なことをやったということは、日本にしか当てはまらないと思うが。 民間人虐殺も日本とナチスのが有名だよな。
ほーいつ日本軍が捕虜を皆殺しにしたのかね? 民間人虐殺?もしかしてそれは「南京大虐殺」とやらの中共政府のプロパガンダのことかね?
166 :
右や左の名無し様 :04/09/20 01:41:38 ID:PxScpZMp
サヨクは悪である。 サヨクは戦前、天皇陛下を殺害しようと謀略を企てたり、、コミンテルンや敵性国家ソ連と通じて、 日本の共産主義化(革命)を企んでいたのだ。この革命に楯突くものは皆殺しである。 実際に天皇陛下を暗殺しようと実行に移した者もいる。 だからサヨクは弾圧されたのだ。サヨクが戦前に弾圧されたのには、充分な理由があったのだ。 そしてサヨクは戦後、戦前・戦中の復讐を誓い、 右翼や普通の愛国者を徹底的に駆逐しようと様々な活動を為した。 戦前は暗黒の時代でしたとか言ってる者を調べてみたらよい。ほとんどが社会主義者・共産主義者である。 このようにサヨクはほとんど「日本そのものに対して」強い敵意を抱いていたのだ。 サヨクにとって、この国が「日本」であろうと「中国」であろうと「朝鮮」であろうと、 そんな国名や、国に関わる歴史や文化などどうでもよかったのだ。 「共産主義・社会主義国家であれば」良かったのだ。 だからサヨクは、資本主義・民主主義である国は許せないのである。 「日本」の瓦解を理想としたことは、サヨクの性質から考えて当然のことだったのだ。 国を破壊するために、サヨクは教育に力を注いだ。 公共心・愛国心の破壊するために個人主義を台頭させ、ゆとり教育にみる教育レベルの衰退など 日本を担う子供を作らないことを前提として愚民化教育を徹底した。 その結果を見よ。 親が子供を虐待し、何の理由も無く子供が親を殺す。 他人は敵であり、個人や人権はいかなる時も優先される。 最近顕著になってきた特殊な犯罪は全てサヨクの教育の成果なのだ。 国民は選挙に興味を無くし、日本がどこへ向かうのかサヨク以外は誰も分からない。 国の借金は700兆円を超え、年金は崩壊、少子化に歯止めもかからない。 サヨクが革命を起こすために、この国を衰退させたのだ。 サヨクは悪であり、日本国民の敵である。現在の治安悪化がそれを示している。
167 :
右や左の名無し様 :04/09/20 03:21:21 ID:PxScpZMp
サヨクが行った売国、反日行為 @愛国心の喪失 捏造の歴史を、幼くて真実を知らない子供たちに教え、「日本は残虐な国であった」と洗脳する。 その結果子供たちは、親や先生にまた日本人に対し敬意を失い、愛国心が育たなくなる。 ↓ サヨクにとって愛国心が一番の敵である。愛国心を持つ人は他人を助けようとする。 それが革命を目的とするサヨクには一番邪魔なものなのだ。 国の事を考える者がいると、サヨクの革命は常に虐殺を伴うため、邪魔をされることは必至である。 A公共心の喪失 個人の人権を高らかに唱え、個人主義を横行させる。 何をしても自由であり、他人の迷惑より自分の権利を優先させる考えを植え込む。 これにより子供たちは公共心を失い、非協力的で、利己的な人材に成長する。 ↓ サヨクにとって、革命を邪魔されるのが一番たまらないのである。 公共心の無い個人は、サヨクの活動にも関心を示さないため好都合なのである。 また訳の分からない個人主義を横行させることは愚民化に繋がり、 国の事を(他人のことを)意識しない人間が多いほど、革命は成功に繋がる。 あなたのお子さんや友達、またあなた自身に思い当たることはありませんか? 近頃のニュースは痛ましいものばかりではありませんか? 若い親が子供を殺し、子供が親を殺していませんか? サヨクはエセ人道主義を用い、私たちを洗脳しようとしているのです。
168 :
右や左の名無し様 :04/09/20 08:49:47 ID:pHaHJ+xi
>>164 一般市民の虐殺といって、まず思い出すのは、
中国人の歴史において数々繰返されたもの。
最近ならアメリカ軍の無差別爆撃 と、ヒトラーだな。
米軍は捕虜を大切に扱ったなんて
GHQの宣伝を信じてたら大バカよ。
アメリカ軍は太平洋の島々で
日本兵に対して、さんざん蛮行を繰返したからね。
ソ連なんかは指摘するまでもないよね。
169 :
通りすがりです。 :04/09/20 11:43:29 ID:c1zpsyDm
>164 様 民間人、一般市民の虐殺なら、(くどいですが、子供も赤ん坊も母親も老人もです。) アメリカが日本に落とした、2つの原爆、アメリカによる日本本土の無差別絨毯 爆撃による日本人一般市民約100万人の殺害があります。 此れは戦争犯罪とも いえると思います。 一般市民の殺害を計画実行してるからです。 164様はご存知なかったのでしょうか?それとも故意にさけてるのか? 何故か私達日本人はこのことをはっきり自覚できません。 白人の冷静に計算された 大規模日本人虐殺で、私達の想像を超えると言うか、米国占領軍に上手く洗脳 されちゃったんですかね。 私は日本軍の虐殺事件が絶対無かったとは思ってません。でもすぐにかっとなる 日本人は白人がやったような冷血虐殺計画の実行は到底出来ないように思います。 この板は民主主義に関する板でしたね。話がそれました。 なんか上手くいえませんが、この世は強者が世界を支配するんでしょうね。でも 戦争に負けても日本はほろびませんでしたが、戦争が無くても日本が滅ぶことは あるかもしれません。 日本語と日本人が消滅すれば、日本も自動的に消滅です。
170 :
右や左の名無し様 :04/09/20 11:48:08 ID:PxScpZMp
サヨクの典型的な自虐史観の植え込みが
>>164 です。
皆さん、よく
>>164 をみて下さいね。
こうやって、普通の愛国心や公共心を失わせて、
世の中が殺伐とするように仕向けているのです。
これがサヨクの本性です。
171 :
右や左の名無し様 :04/09/20 12:05:15 ID:wRzMTlTD
従軍慰安婦や南京大虐殺など日本が蛮行を行ったことは明らかなのだが。 日本軍に虐待された連合軍の捕虜からは、確か損害賠償訴訟も提起されているんじゃなかったか? 実際だからこそ、天皇がイギリスやオランダに行ったときに抗議行動があったのだろ。
事実を事実として認められない人のスレはここですか?
174 :
右や左の名無し様 :04/09/20 15:52:03 ID:KL6i6Pw0
まあ、事実かどうかはともかくとして、日本が戦時中に行ったと歴史上考えられている事を書いただけでサヨクと決め付けるのはどうかと思うね。 ましてや革命を達成するためという意図がある云々なんて・・・ 議論には適さない人間であることを自ら証明しているよな。
南京大虐殺があった証拠を提示してください。m9( ^,_J^)ノ<提示してください
>>171 南京大虐殺は中国の捏造です。
従軍慰安婦は強制ではありませんでした。
連合軍も日本人の捕虜を酷く扱いました。
英蘭は戦時中に日本軍にケチョンケチョンに蹴散らされた恨みです。ok
177 :
右や左の名無し様 :04/09/20 16:16:19 ID:/5abAkH9
為政者は、規制緩和とか郵政民営化とか消費税引き上げなどと、経済建て直しのために いろいろ言っているが、700兆の赤字をなんとかしようと連中は本気で思っているのか? 答えはNoである。 なぜなら、恐らく地球はあと100年もたないと一部の有識者が知ってしまったからだ。米国に 追従するのも当然である。彼らと同じで弱者には厳しい政策が多い。庶民の日常品・食料品に から搾取する消費税は「ニッパチの法則」という2割の富裕層におけるトランプの「大富豪」 というゲームみたいなものだ。彼らには、なぜか極めて吝嗇家で二面性を持つ人間が多い。 サディストである。消費税は高級なものに多くかけ、食料品等は5%でも多いと知るべきだろう。 景気回復と連呼するなら、いくらでも規制緩和できる分野があるではないか。 なぜ鉄道は最終電車が12時台なのか? オールナイトで運営すれば街の飲食産業やレジャー産業も 数倍活気が戻る筈である。労働時間が長い日本人サラリーマンが、仕事終わりにゆっくり飲める ようにもなる。ドンキホーテは24時間営業で伸びた。他にもさまざまな方法があるが、未だうわもの 作り・無意味な公共事業ばかり・・・・消費税率10%とか・・・・もうアフォかと・・・・諦観・・・・
178 :
右や左の名無し様 :04/09/21 00:02:55 ID:6OLYL+Bk
>>177 サヨクの自称「進歩的文化人」が日本を縛っているんだよ。
あまり私有財産が増えると、自己の主義に反するからね。
一流大学ほど、全共闘時代の亡霊が学府に潜み、
今も学生の洗脳を行っている。
そんな官僚が日本を動かしている。
だから自民が政権を握っていても、サヨクは滅びない。
こういうロジックなんだ。
>>151 なごタン
>おぬしの言う公共性とは借金で首が回らなくなっても維持されるものなのか?
そこが難しいんだよね。もちろん程度問題であって、どんなに赤字になっても借金
が増えても絶対に維持されるべきだとは言い難いが、しかし地元住民の足であるとい
う面を考えると、そうそう企業の論理で合理的に整理すべきだという事にもならない
と思う。今夏の水害で福井県にあるJRのローカル線の橋梁が流出し寸断されてしまう
という事があったが、地元では再開を願う声が多いのだが、復旧には相当の費用が掛
かるみたいで、ただでさえも採算を取ることが難しい赤字線の為にそれだけの負担を
JRはしたくないみたいで、どうもこれを機会に廃止にしようとしているらしい。まだ
曲折はあるだろうが、こんな事をまかり通らせるのはやはりまずいのでは?
>その特殊とはな〜に?
JRのような日本の交通動脈とでも言うべき役割を担っている企業が、一般の普通の
民間企業と同一になるわけ無いだろ。電力会社やガス会社もそうだが、このような企
業は国民生活に重大な影響力を持っているわけで、当然一定の特殊性は帯びる。
180 :
右や左の名無し様 :04/09/21 02:35:27 ID:SBilWw3M
南京大虐殺はありました。 アメリカ軍がイラクで一年半以上も戦っていても 死者はたったの2万人にもなりません。 なぜか、人に優しい軍隊だからです。 劣化ウラン弾などは実は装甲貫徹力が優れているため 戦車などの兵器だけに穴を開け、人には殆ど害はない人道的 見地から作られた兵器です。こうした人道を考えた戦争 をやる軍隊しか戦争をやる権利はありません。 日本軍は決してそのような人道的軍隊ではなかった。 6週間でなんと40万人も殺した。これを1年半に直せば なんと500万人以上も殺した計算になります。 それは一振りで100人の首をはねるような残虐兵器を使ったから でしょう。今の兵器は人にやさしく殆ど死人は出ません。 それは民主主義の国アメリカが開発した兵器だからです。
ま、戦闘行為の中でやむなく人が死ぬということと無抵抗の市民を容赦なく銃殺することとを同じレベルで語ること自体がおかしいのだが。
182 :
右や左の名無し様 :04/09/21 12:20:24 ID:bLasPmXV
そういうこと。アメリカ軍は戦闘行為中の人以外は 殺したりは絶対しない、人道的配慮の行き届いた 軍隊です。殺されるやつはよほど酷いことやってる テロリストだけです。
184 :
暇人 :04/09/21 14:57:14 ID:erdOhY0D
>>180 一振りで100人の首をはねるような残虐兵器
ぷっ そんなもんあるわけないだろが!あれば戦争に負けるはずがない。
マどっちにしろ君が代日の丸に悪罵投げつけられるのが 嫌だからって、キャンキャン吼えてたってしょうがない ってこった。民主的で人道的で犠牲者が遥かに少ない 戦争を実地でやって見せなさいってこと。 そうすりゃオオ!!昔の日本軍とは違う、まるでアメリカ軍みたいに いい軍隊だ、って認識が改まるから。
>>179 >このような企業は国民生活に重大な影響力を持っているわけで、当然一定の特殊性は帯びる。
何でも民営化したがる米国も、電力会社を民営化した為に停電騒ぎを起こして
問題になった事があったね。あちらは刑務所まで民間会社が賄い今回のイラク戦争でも
多くの民間会社が参入していた。物事には限度があるだろうと云う見本のような国だ。
>>180 >人に優しい軍隊だからです
優しいのはWASP専用。人=WASP。
戦線にいる米軍兵士のどれほどがWASPなのだろう。
ほとんど傭兵に近いものではないのかな。
188 :
右や左の名無し様 :04/09/22 23:38:21 ID:GI9WGkro
中国の理屈は 妊婦を殺した→腹の中のこどもを殺した→その子供も子供を造からその可能性もつぶした ってな感じでカウントしたら30万人なんだろ?どーでもいいけど
おれは、むしろどうしてそんなに南京大虐殺が無かった事にしたいのかが分からない。 それとも南京大虐殺があったことは認めるが、中国側が主張している犠牲者の数は多すぎるということなのか?
冤罪を訴えることは至極当然のことです。
191 :
右や左の名無し様 :04/09/23 00:22:29 ID:arJRlJYM
>>189 ウヨはね、なかった事にしたいんじゃなく
なかった事を「あった」と言われてるから怒ってるんだよ。
当時の日本軍は規律が良かった事は間違いない。
万単位の虐殺なんて、計画がなければありえない。
当時の日本軍に住民虐殺などする動機も計画もなかった。
当時の南京は国際都市(外国人の目もある)
松井大将は日本軍として恥かしく無いように攻略する事を考えていた。
南京虐殺を声高に叫ぶ連中は、
やがて、北朝鮮賛美の連中と同じ扱いを受けることになるな。
>>191 それだけじゃあ「なかった」と断定するには弱いよね。
だから、「あった」とする主張もあるし「なかった」とする主張もあるというペンディングの状態で構わないんじゃないの?
どうしてそう「なかった」と頑なに考える必要があるのか、「あった」と主張すること自体を批判するのか、ということ。
>>192 の暗号の意味を教えて。
中国式の暗号なのかな。
194 :
右や左の名無し様 :04/09/23 01:43:33 ID:arJRlJYM
195 :
右や左の名無し様 :04/09/23 01:49:58 ID:xP6Oarc2
住民を便衣兵と間違えて、2人か3人銃殺しただけだったとしても、 「南京大虐殺」になるのか?
196 :
右や左の名無し様 :04/09/23 08:14:32 ID:aGde4eZd
でもヤッパリ分からない。住民殺すことってそんなに 悪いことなのか。戦争なんだから敵国の住民殺すなんてこと 当たり前のことだろ。むしろそれをいい悪いということが悪い。
197 :
暇人 :04/09/23 11:18:22 ID:dmag84Dn
「戦争から煌きと魔術的な美が遂に奪い取られてしまった。アレクサンダーやシ−ザーやナポレオンが、 兵士たちと危険を分かち合いながら、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する、そんなことはもうなくなった。 これからの英雄は安全で静かで物憂い事務室にて、書記官たちに取り囲まれて座る。 一方、数千という兵士たちが電話1本で機械の力によって殺され息の根を止められる。 これから先に起こる戦争は、女性や子どもや一般市民全体を殺すことになるだろう。 やがてそれぞれの国には大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる。 人類ははじめて自分たちを絶滅させることが出来る道具を手に入れた。 これこそが人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である」 【ウィンストン・チャーチル 「世界の危機」より】
>>196 ならば、原爆も無差別絨毯爆撃も全然構わないということでOK?
ジュネーブ条約などの戦時法もいらないと?
あんなもの屁のようなもんだろ。 じゃアメリカやロシアが実際に守っているのか。 あんなもんがなまじあるから 隠したり、逆にゲリラ掃討の理由になるんだ。 戦争になったら何でもありはしょうがない。 どうせやるヤツはやる。
_______ | ̄\ \ (´´ | |: ̄ ̄ ̄ ̄:| (´⌒(´ | |: .:| ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡ | |: .:|≡≡(´⌒(´⌒;; (´⌒(´⌒;; ズザーーーーーッ _____ /:\.____\ |: ̄\ (∩゚Д゚)\ < 200 GET! |: |: ̄ ̄ U ̄:| バタン !! _______ | ̄\ \ | |: ̄ ̄ ̄ ̄:| | |: .:| | |: .:|
>>199 完全に遵守しているとまでは言わないが、かなり尊重はしているんじゃないか?
国際社会の目があるからな。
そうじゃないなら、イラクでももっと好き放題するところだろ。
>>198 >原爆も無差別絨毯爆撃も全然構わないということでOK?
全く構わない。
>ジュネーブ条約などの戦時法もいらないと?
戦争もゲーム。ゲームにはルールは必要。
しかし、ルールは常に破られる。ルールを無視するに足る別の理由を
提示し納得させられれば良い。予め定められたルールに定義されて
いないことについては何をやっても構わない。
同じに見える現象でも、ルールに定義されている範疇になければ
どんなことでも出来る。
さんちゃん
>>179 >そこが難しいんだよね。
難しくしてるのは実はお主自身なんよ。なぜJRは民営化されたかよ〜く考えてみよう。民営化の意義とは何なのけ?
>もちろん程度問題であって、どんなに赤字になっても借金が増えても絶対に維持されるべきだとは言い難いが、
問題は赤字という事実には相応の負担がどこかにいくということ。程度とは公共性ではなく財政面が優先してるからの
民営化でしょ?
>地元住民の足であるという面を考えると、そうそう企業の論理で合理的に整理すべきだという事にもならないと思う。
だったら地元住民が相応の負担をして維持すればいいんよ。地元住民は全体から言っても圧倒的少数である。少数の
ためになぜ大多数の国民が特に大都市圏の住民が均等に負担しなくてはならないのか?
「地元住民のため」という大義名分の下どれほどの無駄な公共事業が行われているのか解ってる?おぬしが言う公共
性は本当に必要不可欠で代替案もなく無駄もないのけ?
>ただでさえも採算を取ることが難しい赤字線の為にそれだけの負担をJRはしたくないみたいで、
鉄道の場合、路線バスや自家用車など代替手段があるのである。その中で鉄道になぜ固執するのか?
JRが路線バス事業等一切の負担をしないというのならまだしも、何が何でも鉄道というのは贅沢なんじゃないの?
>どうもこれを機会に廃止にしようとしているらしい。
越美北線だっけ?そこまでして維持するに足る鉄道路線なのか?お主、鉄研(鉄ちゃん)でしょ?
>まだ曲折はあるだろうが、こんな事をまかり通らせるのはやはりまずいのでは? むしろこういったことをよ〜く考えもしないで脊髄反射的に「まずい」というほうがまずいんじゃない? >JRのような日本の交通動脈とでも言うべき役割を担っている企業が、一般の普通の民間企業と同一になるわけ無いだ ろ。 俺はむしろJRが普通の民間会社じゃないことが問題だといっているんだが。おぬしは・・・逆だね。 >電力会社やガス会社もそうだが、このような企業は国民生活に重大な影響力を持っているわけで、当然一定の特殊性 は帯びる。 だからといって行政が一民間会社に過度に影響力を持ってたら民営化の意味がない。なんのために民営化するのか? そしてJRは完全な民営会社といえるのか? はっきりさせよう。、おぬしは民営化に基本的に反対でしょ?なぜ地方で自民党議員が議席を確保できたか解ってる?
205 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/26 12:14:42 ID:WoIvVwWr
>>154 > 宗教によって方向付けられるにはアノミーが宗教と関係付けられねばならない。つまり方向付けられた瞬間に吸収され
>るんよ、宗教によってね
最初は吸収されている訳だがしだいに吸収しきれなくなっていく。
つまり方向付けられたときは吸収されているが自爆テロを実行しいている時にはアノミー状態な訳。
> 退却や暴走と捉えるのは死(自殺)を肯定的に捉えられてない証拠。
それは退却や暴走を肯定的に捉えられてない証拠(w
>そうではないと思う。宗教のために死ぬのだから宗教に見返りを期待してのものでしょ。それが現世であるかあの世であ
>るのかの違い。テロとは選択肢がないのではない。なくなったら人間何もしないものだ。何もできなくなる。
選択能力が無いか選択チャンスが無いって事だろ。
「自らを殺してはならない。神はお前たちに慈悲深くあられる。罪深く、不当にもそうしたことをする者があれば、
われら(神)は必ず地獄の業火に投げ込んでやる」
『コーラン』四章二九−三〇
この規範をやぶっているんだから完全にアノミー(無規範)だろう。
死ぬ気で戦うのでは無く死ぬことが前提となった攻撃はアノミーだよ。
同胞の女子供を巻き込んでいるんだからかなり酷いね。
>いや間違いなく宗教を前提にこれは書いてないんだけどね。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=50 ■これらの違いは、例えば、生きづらさを抱えた人々が宗教教団に入る場合に、その教団
が提供できる方法の違いに相当する。すなわち、「革命」や「世直し」を提供する、「出
家」や「世捨て」を提供する、「修行」や「自己修養」を提供する、という違いだ
206 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/27 00:40:29 ID:upcOs3jC
>>150 >そもそもスウェーデンモデルって家庭そのものの価値観がないから離婚率が高くなるわけで。
離婚は家庭の分離や離脱を意味するがそれが直接家庭の崩壊となる訳では無い。
たとえ一家離散したとしても家庭の消滅でしかない。
家庭の崩壊といえばドメスティックバイオレンス、アル中、非行、ビジネスライク、アダルトチルドレン
といった形であらわれる。
その結果として離婚する事はあるが家庭そのものの価値観がないからというのとは違う。
>>27 なごみ氏
遅レス御免。
>必然とは経済が国家の枠を超えたという事実だけ。実はそれは政治でも国家でも宗教でもない。
以前から何度も指摘しているはずだが、どうしてこの様な平板な捉え方しかできないのだろう?
欧州では中東からの人口流入が盛んであり、此の事が例えば文化面で云えば英国の料理に
影響を与え、フランスでは教師のスカーフ問題等を生み出した。勿論この現象は自然発生的で
意図的で作為的な現象ではないが、欧州の文化や宗教面に大きな影響を与えており、先のEU憲法
制定時にも「キリスト教」の字義を前文に含めるか否かの議論とも無関係ではない。欧州企業の
国境越えの文脈に、こうした中東移民が労働力として機能しており、是等は密接に関係している。
>「その程度」でなく「それなり」。
それなりでもその程度でも、云い方はどちらでも良いだろう。問題は EUがそうした国境の枠を
越えた共同体として機能するだけの体制足るかどうかなのだから。
対立を危惧する余り、共有できる価値観を狭めれば得られる利益も限られる。もっと大枠で考え
共有できる価値観を広げれば得られる利益は拡大する。そうした意識がなければ、米国が持つ、
圧倒的で暴力的ですらあるグローバリズムには対抗できまい。
>東アジアではいまだに東西イデオロギー対立が存在し、理想すら語るのがはばかれている。
思うに東アジアの対立概念は、東西のいわゆる左右思想による対立ではない。寧ろ如何にも
アジア的な体制的な対立であり、思想は其の体制維持の「言い訳」でしかない。はばかれる
とは具体的に何を指す発言なのか不明だが、少なくとも危機意識があり問題提起に意欲的な
連中によって(例えば、アジア太平洋諸国による「ボゴール宣言」等)行動を起こしており、
中国もベトナムももはや左翼政権ではあるが、資本主義経済でもある事実からすれば黒点と
なっているのは北朝鮮だけだ。
>>206 >家庭の崩壊といえばドメスティックバイオレンス、アル中、非行、ビジネスライク、アダルトチルドレン
>といった形であらわれる。
原因と結果の倒錯。
ドメスティックバイオレンス、アル中、非行、ビジネスライク、アダルトチルドレン
といったものによって家庭が崩壊する。
ところで家庭とは何?家庭なるものが担う役務とは?
その役務は家庭なるものでなければ担えないものなのか?
そんことはある訳もなかろう。
家庭などいうものは必須の存在ではないのだが。
逆に現代社会においては家庭と称される機構は有害無益な存在でしかないのだが。
209 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/09/27 22:49:18 ID:sJLMRNZd
>>208 >原因と結果の倒錯。
混ぜこぜにしてしまったので分かりにくかったかもしれなしが
ドメスティックバイオレンス、育児放棄、いきすぎた躾、無関心、ビジネスライクといった原因から
アル中、非行、アダルトチルドレン、引きこもり、摂食障害(過食嘔吐)、自称行為(リスカ)
という形で家庭の崩壊があらわれるが原因となる行為の原因は結局結果となる要素だったりするんで
原因と結果を混同しても仕方が無い。
>ところで家庭とは何?家庭なるものが担う役務とは?
>>67 を読むべし。
>逆に現代社会においては家庭と称される機構は有害無益な存在でしかないのだが。
根拠が無い。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=151 を読んでね。
個人の尊厳のベースを作り上げるのに必要な小さな共同体が家庭。
決して血縁とかそう言う物に縛られた所属の必然性から生じる物では無い。
家族がいても家があっても家庭が無いなんてざらにある。
>>203-204 >だったら地元住民が相応の負担をして維持すればいいんよ。
負担はしているだろ。ローカル線は大都市圏と比較して運賃設定は高めだよ。特に
東北新幹線が延伸した為に在来線である東北線の盛岡〜八戸間をJRが切り離したため、
第三セクターが経営を受け継いだわけだが、運賃がかなり高くなって、特に定期運賃
が数倍になったらしいよ。
都会VS地方という構図では捉えるべきではないと思うが、原子力発電所の問題など都
会が地方に負担を強いている面もあるわけだから、地方の為に都会が一定の負担をす
るべき部分もあるんじゃないか?平等の観点からもね。
>俺はむしろJRが普通の民間会社じゃないことが問題だといっているんだが。
ステートアクション理論なんて議論は貴殿は知らないんだろうな。
>>210 >原子力発電所の問題など都
>会が地方に負担を強いている面もある
原発は地方に何の負担も強いていない。
危険があると騒ぎ立てることで過分な利益だけを受けているのが現実。
>地方の為に都会が一定の負担をす
>るべき部分もあるんじゃないか?平等の観点からもね。
都会がそんなものを負担すべき理由は何も無い。
逆に現在の都会の諸問題は、地方から都会に稼ぎに出てくる者が
都会を一時的な稼ぎ場所とし、都会を使い捨てにしていることが原因。
すでに都会は不平等な負担を必要以上に強いられている。
>>211 前段:原発に負担がなくて騒ぐことにより一方的に利益が得られるならば、もっとあちこちの自治体から誘致合戦があってもいいよな。
原発の誘致合戦なんて聞いた事ないが。
それに原発に負担が伴わないなら、原発関連の新しい雇用が得られるたりメリットがあるから、むしろ見返りの利益なんか要らないから原発を歓迎するという自治体も出てきても良さそうなものだ。
でも実際はそんな自治体はないし、国も原発は安全だと言いながらも実は一定のリスクが伴うことをどこかで認めているから、そういう箱物を作ったりする訳だろ。
後段:地方から稼ぎに出てくる者を雇う事業者がいるということは、事業者にとってもそういう労働者を雇う何らかのメリットがあるということだろ?
別に一方的に出稼ぎの労働者が利益を得ているわけではない。
りっくたん
>>205 >最初は吸収されている訳だがしだいに吸収しきれなくなっていく。
自爆テロが行われるようなところで宗教に吸収されない状態というのが起こりえるのか?日本じゃないんだぜぃ。
>つまり方向付けられたときは吸収されているが自爆テロを実行しいている時にはアノミー状態な訳。
方向付けと実行でどこが変わるのだ?前提としてお主は宗教というものがわかってないんじゃない?世界でもっとも宗
教性の希薄な日本と同じようにとらえてない?
実行されたときにはそこでは宗教が崩壊してるというのけ?だったら自爆テロなどしないよ。起こるはずもない。
>それは退却や暴走を肯定的に捉えられてない証拠(w
>>121 でおぬしは肯定的にとらえてたとでも言うのけ?
>選択能力が無いか選択チャンスが無いって事だろ。
それらは誰が与えてくれるのだ?
>この規範をやぶっているんだから完全にアノミー(無規範)だろう。
>死ぬ気で戦うのでは無く死ぬことが前提となった攻撃はアノミーだよ。
>同胞の女子供を巻き込んでいるんだからかなり酷いね。
あのさ、コーランが唯一絶対の一つの解釈でしか成り立ってるのならまだしも、解釈次第でどうにでもなる。
お主や多くの人がこのように思ってもだ、当人が違うと言ったらそれまでなのだよ。
>いや間違いなく宗教を前提にこれは書いてないんだけどね。
おひおひ、それは選択前提の話でだよ。ほかのコラムをいきなり持ち込まれてもねぇ。
>>206 >離婚は家庭の分離や離脱を意味するがそれが直接家庭の崩壊となる訳では無い。
だからそれでは「離婚→家庭の崩壊」でしょ。俺は「家庭の崩壊→離婚」
お主が「濃密なコミュニケーション→家庭」と言った同様のこと。
>たとえ一家離散したとしても家庭の消滅でしかない。
じゃ、どこに家庭が残存するというのだ?
>その結果として離婚する事はあるが家庭そのものの価値観がないからというのとは違う。
だから、お主の思う「家庭そのものの価値観」とは?
亀ちゃん
>>207 >以前から何度も指摘しているはずだが、どうしてこの様な平板な捉え方しかできないのだろう?
どっちが平板なんだか。
EUは確固たる方針や指針があってそれに向かって動いてるのではない。現実に突きつけられた課題ををどう対処する
かに終始してる。ひとつの方向というには図体がでかすぎる。乗り越えるかではなく、どう対処するか。つまり落としどころ
を模索してるに過ぎない。
お主の思う宗教や国境はそう簡単には乗り越えられるものじゃない。それを簡単に乗り越えられると信じてるおぬしこそ
平板な理想ばかりで現実がないんじゃ・・・。
>是等は密接に関係している。
だから、俺は蓋然としては認めてるんよ。だけど、必然になるとはとても思えないのだよ。宗教や国境がなくなるのにど
こに必然があるのかね?少なくとも
>>207 には見当たらないが。
>それなりでもその程度でも、云い方はどちらでも良いだろう。
いや、「その程度(否定的)」にたいして「それなり(肯定的)」。このニュアンスこそ肝要なのだが。
>問題は EUがそうした国境の枠を越えた共同体として機能するだけの体制足るかどうかなのだから。
足り得なかったら?足りえる必然も提示できずに一方的な結果ばかりを求めてもねぇ。俺は、選択肢に国境が残る可能
性は否定できないと思うが。まして宗教にいたっては。
>対立を危惧する余り、共有できる価値観を狭めれば得られる利益も限られる。もっと大枠で考え共有できる価値観を広げれば得られる利益は拡大する。 それではあまりに節操がなさすぎる。対立は外とするのは世の中の鉄則。内に対立を抱え込んだらそれこそ悲劇であ る。価値観は広げると同時に価値観そのものの価値を減じさせる。価値観のないところで営利をむさぼるとその国家は滅びる。 >そうした意識がなければ、米国が持つ、圧倒的で暴力的ですらあるグローバリズムには対抗できまい。 問題はそこまでの価値観をかなぐり捨ててまで対抗しようとする者(国民)がEUにどれくらいいるかということ。俺は意外 に少ないと思う。宗教(キリスト教)はまだまだ欧州にとって大きい。特に昨今では重要なファクターだ。民族意識や歴史 認識に裏打ちされたに根ざした国境もね。 >思うに東アジアの対立概念は、東西のいわゆる左右思想による対立ではない。寧ろ如何にもアジア的な体制的な対立 であり、思想は其の体制維持の「言い訳」でしかない。 そうだね。同意するよ。それだけに厄介なんだが >はばかれるとは具体的に何を指す発言なのか不明だが、 それだけ望み薄ということ。現実に起こりえないことを口にするのが憚れる。 >少なくとも危機意識があり問題提起に意欲的な連中によって(例えば、アジア太平洋諸国による「ボゴール宣言」等)行動を起こしており、 東南アジアを含めた東アジア全体のキャスティングボードを握るのは中国だよ。日本では内から足を引っ張る香具師がいるしね。 それに危機意識と問題意識があったら解決するならとっくに解決してるよ。 >中国もベトナムももはや左翼政権ではあるが、資本主義経済でもある事実からすれば 安直過ぎないか?資本主義であれば酔いという根拠はどこにある? >黒点となっているのは北朝鮮だけだ。 どうやら米国は韓国にも見切りをつけたらしい。北朝鮮問題はうやむやにされる可能性も出てきた。
さんちん
>>210 >負担はしているだろ。ローカル線は大都市圏と比較して運賃設定は高めだよ。
鉄ちゃんのおぬしに言うのもなんだが、JRは大都市圏、ローカルを問わず運賃は距離で算出されるんじゃないのけ?
>特に東北新幹線が延伸した為に在来線である東北線の盛岡〜八戸間をJRが切り離したため、第三セクターが経営を
受け継いだわけだが、運賃がかなり高くなって、特に定期運賃が数倍になったらしいよ。
鉄ちゃんのおぬしに言うのもなんだが、こっちが問題にしてるのはJR内における大都市圏とローカル線の悪平等につい
て。第三セクターになったらJRから切り離されるので今までのように大都市圏の収益が赤字ローカルの補填に使われる
こともない。それが問題だといった。
だいたいやねぇ、運賃が何倍もなったというのならそれだけ今まで恩恵を受けてたわけで、今までのことを感謝こそされ
ど、ローカル線は割高だから平等にしろは、ちとまずいんじゃないの?
>都会VS地方という構図では捉えるべきではないと思うが、原子力発電所の問題など都会が地方に負担を強いている面
もあるわけだから、地方の為に都会が一定の負担をするべき部分もあるんじゃないか?
あのね、論点がまだ分かってないのけ?弁護士の話もそうだが、ここでは原発はまったくの別問題でしょ?おぬしみた
いに、公共性の下何から何までごっちゃにしてとらえちゃったら民営化の意義は何なんよ?
だからずっと訊いてるでしょ。お主の発想は民営化に反対の守旧派のそれではないのけ???民営化の意義がどこに
も感じられない。
>平等の観点からもね。 俺さ、おぬしとやりあって本当に良かった。平等も人それぞれ。違うことが分かったから。場合によっては自由を認めろ よりもたちが悪い。 >ステートアクション理論なんて議論は貴殿は知らないんだろうな。 はぁぁ?ステートアクション理論は「普通の民間会社」が私的行為に対して適用されうるべきものでしょ。「普通の民間会 社じゃない」のにステートアクション理論だなんてありえないぜぃ。ましてステートアクション理論によって「普通の民間会 社じゃない」ことが当然だなんてどこからでてくるの?
219 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/03 08:20:07 ID:m8DAoYRd
>>213 >
>>121 でおぬしは肯定的にとらえてたとでも言うのけ?
どこにもアノミーがいけないことだなんて書いて無いよ。
>あのさ、コーランが唯一絶対の一つの解釈でしか成り立ってるのならまだしも、解釈次第でどうにでもなる。
だからアノミー(無規範、無連体)なんだよ。
只の個人の思い込みで連帯性が無い。
死ぬ気で戦う(ジハード)として自爆テロは暫定されているけど
選択肢があり、選択抑圧もないが、選択能力が不在で選べないという不自由から
「自らを殺してはならない。神はお前たちに慈悲深くあられる。罪深く、不当にもそうしたことをする者があれば、
われら(神)は必ず地獄の業火に投げ込んでやる」 『コーラン』四章二九−三〇を破ってしまい
無く死ぬことが前提となった攻撃をしてしまう。
もう一度言う
「解釈次第でどうにでもなる。」という考えに連帯性も規範性も無い。
>>宮台たんのこらむより
>■以上をまとめると、選択前提には三種類があります。第一は「選択領域」。第二は「選択チャンス」。第三は「選択能力」
です。
>宗教に傾倒するものはどれに該当するん?そもそも宮台はんはたぶん、いや間違いなく宗教を前提にこれは書いてな
>いんだけどね。
>>214 >おひおひ、それは選択前提の話でだよ。ほかのコラムをいきなり持ち込まれてもねぇ。
他のコラムでも内容は不自由の類型学を宗教に当てはめたものだがどうかしたか?
>俺は「家庭の崩壊→離婚」
それは「アル中、非行、アダルトチルドレン、引きこもり、摂食障害(過食嘔吐)、自称行為(リスカ)離婚」
ということか?
父さんやお母さんが離脱しても家庭は残るぞ。
>だから、お主の思う「家庭そのものの価値観」とは?
「濃密なコミュニケーション→家庭」
>>215 なごみ氏
>EUは確固たる方針や指針があってそれに向かって動いてるのではない。
確固たる方針・指針とは何を指しているのか解らないが、基本骨子は「欧州ガバナンス」
と云う考え方で貫かれている。確かに米国肥大化の危機感や東欧の自由化、中東との関係性等
外部要因が大きな影響を受けているが、経済から始まって政治的にも統合するためには
国家を越えたグランドデザイン無しには実現できない。
ところで、とかく日本と比較されるドイツはEU統合に向けて何をしてきたか?
先ず欧州各国に農業補助金を拠出し、各国の農業生産をバックアップしている。
また、ブラント元首相がワルシャワに於いて、ユダヤ人被害者の記念碑にひざまずき
許しを請うた。こうした目に見える行動抜きに、戦争で傷つけられた欧州各国に刻まれた
ドイツアレルギーを払拭する事は出来まい。
>お主の思う宗教や国境はそう簡単には乗り越えられるものじゃない。
特殊性の強い宗教が固定的に浸透しており、其の融和性に水を差す様な宗教指導者がいる場合
君の指摘通りだろうと思う。実際に例えばバリ島の特殊な宗教観等は同じインドネシアでも
ムスリムとは融和せず独自の宗教観によって現地の思想を形成している。
>俺は蓋然としては認めてるんよ。だけど、必然になるとはとても思えないのだよ
其れは事象「だけ」を捉えて考えているからだろう? 其れに私は宗教と国境が無くなる
等とは発言していない。それらは統合されても残るだろう、ただその意味するところが
変わっていくだろうと云っているんだが。例えば同じキリスト教でも、中世の其れと
現在の其れとは大きく違う。中世では国家権力に大きな影響を与え、法律や人々の正確にも
影響力を行使していたが、現在では信仰は極めて私的な行為に限定されている。
EU憲法前文に「キリスト教」と云う字義を入れなかった結果を見ても其れは明らかだろう。
続き。 >「その程度(否定的)」にたいして「それなり(肯定的)」。このニュアンスこそ肝要なのだが。 「其の程度」は客観的な認識。「それなり」は主観的な認識。私はそう捉えているが? つまり「其の程度」とは彼らが目指しているものを基準値として見た場合、其の程度の実現性 しか得られなかったと云う認識を意味している。 >価値観のないところで営利をむさぼるとその国家は滅びる。 別に価値観が喪失すると云っている訳ではない。欧州としては米国やアジアなどの 対立軸は依然として残るのだから、価値観が喪失するのでもなく、拡散するのでもない。 寧ろ対立軸を寄り鮮明化する必要性を考えれば、欧州の枠組みを優先させなければ 米国のグローバリズムに飲み込まれアジアの経済に振り回される。大同小異だよ。 >問題はそこまでの価値観をかなぐり捨ててまで対抗しようとする者(国民)が >EUにどれくらいいるかということ。 フランスの農民がマクドナルドを襲撃した事件を知らないのか? 東欧は経済的な苦境を脱するためにEU統合に期待している。 問題になるのは恐らくは中東迄の融合だろう。フランスは欧州中東融合まで視野に入れているが 反対意見は殊の外多い。特に地理的、宗教的な理由からイタリア等は反対を表明している。 >現実に起こりえないことを口にするのが憚れる。 そうした諦めの意識が物事を前進させる妨げとなる。世の中、何が起きるか解らないよ。 特に国際情勢ではね。個人が抱く認識を大きく上回るのが国際社会だ。
続き。 >東南アジアを含めた東アジア全体のキャスティングボードを握るのは中国だよ。 インドかも知れないよ。中国はまだ信用できない。勿論影響力の大きさは無視できないが。 >資本主義であれば酔いという根拠はどこにある? 良いとは云ってない。ただ、資本主義化すれば軍事活動よりも経済活動に力点が移行し 貿易の関係性からも軍事行動は取りにくくなる。現在中国は大幅な軍事費拡大をしているが 一定水準を過ぎれば落ち着くだろう。特に生産業による輸出が命綱だから、貿易相手を 無視することは中国は出来ない。 >北朝鮮問題はうやむやにされる可能性も出てきた。 元々ラムズフェルドは北朝鮮問題には余り関心を示していない。 民主党政権が出来れば、そうした傾向は加速化されるだろう。
>>217 なごタン
>JRは大都市圏、ローカルを問わず
都市部と地方では運賃にかなりの差があるよ。特に定期運賃がね。たとえば30km(
東京〜横浜間ぐらい)の6ヶ月通勤定期だとJR東日本の幹線では¥69,550なのに対
してJR北海道の地方交通線では¥96,770だよ。都心部は地方と比較して一般的に比
較的高収入なことも考え合わせるとこれはかなりの差でしょ。
>こっちが問題にしてるのはJR内における大都市圏とローカル線の悪平等について。
そうなの?私は地方が負担を強いられているかどうかということが主論点だと思っ
ていたんだが。
>地元住民が相応の負担をして維持すればいいんよ
ってあなたが言っていたからね。負担はちゃんとしているだろ、ということ。
>ローカル線は割高だから平等にしろは、ちとまずいんじゃないの?
国としては全国的に均衡ある発展を目指す必要があるだろ。地方が住みやすくなら
ないと益々都心部への一極集中が進むよ。都会の人間は地方と比べて極めて発達した
交通媒体による利便を享受しているわけだから金銭的な負担ぐらいはするべきでは?
>平等も人それぞれ。
機会の平等+条件の平等が絶対不可欠である事がようやくお分かり頂けた?
>ステートアクション理論は「普通の民間会社」が私的行為に対して適用されうるべき
違うでしょ。一定規模以上の企業に対しては国家と同視して憲法を直接適用して個
人の人権を侵害しないように他の企業とは区別して特別の規制を課すことを可能にし
ようということを試みた理論だよ。例えば、一定規模以上の企業に対しては特定の思
想を持っていることを理由として契約の締結を拒む事を許さない、として営業の自由
を制限したり契約自由の原則を修正する理論である。
224 :
右や左の名無し様 :04/10/04 18:51:49 ID:UpI62WSp
自称・民主主義の集団って、なんのことはないユスリ、タカリが多いんだよな。
>>212 >原発の誘致合戦なんて聞いた事ない
何にもご存じは無いようで。
>国も原発は安全だと言いながらも実は一定のリスクが伴うことをどこかで認めている
何をやってもリスクは憑き物。リスクと利益のバランスは妥当かと言うこと。
>地方から稼ぎに出てくる者を雇う事業者がいる
事業者もまた地方出身者。事業者にとっては都市も地方もどうでも良いこと。
事業にとって有益でさえあれば双方どうなろうと知ったことでは無い。
>一方的に出稼ぎの労働者が利益を得ているわけではない。
地方にとり出稼ぎ労働者の利益など知ったことでは無い。
地方は地方そのものの益になれば良い。
地方にとり出稼ぎ労働者は売った娘と変わらない。
言い分は娘の稼ぎは俺の稼ぎ、俺に寄越せってこと。
売った娘なんか生きようが死のうが知ったことかってね。
この頃では売った娘が食う物は俺が作ったもの、もっと寄越せなどと言う始末。
手前で食わせられなくて売った癖に娘の稼ぎまで宛てにするなってこと。
りっくたん
>>219 >どこにもアノミーがいけないことだなんて書いて無いよ。
だったら何でアノミーを持ち出してきたん?
>だからアノミー(無規範、無連体)なんだよ。
アノミーが吸収できなかったら宗教じゃないというのけ?
>只の個人の思い込みで連帯性が無い。
だったらなんで自爆テロが連鎖的に起こるのか?アノミーと言っても規範や連帯が全くのゼロとゆーことはあり得ない。
>死ぬ気で戦う(ジハード)として・・・無く死ぬことが前提となった攻撃をしてしまう。
これは単に選択肢の問題ではない。解釈論なんよ。指導者はこのコーラン条文からでも自爆テロを正当化できるよ。
問題はお主がどう思うかではない。信者がどう思うかである。お主の中にコーランという規範もなく、イスラム教とも連帯
(縁も縁)もない。お主が部外者なんよ。この認識が全くないね。
>もう一度言う
>「解釈次第でどうにでもなる。」という考えに連帯性も規範性も無い。
その考えだと、突き詰めれば民主主義にも連帯性や規範性がないということになるのだが、お主は解ってるのかね?
もっと言うと、この議論自体も連帯性や規範性がないということにもなるのだが、お主は解ってるのかね??
ニヒリズムはよく陥る思考の落とし穴。そこから脱却するのはお主次第。じゃないと理屈っぽい男になって女の子から嫌
われるぜぃ。
>他のコラムでも内容は不自由の類型学を宗教に当てはめたものだがどうかしたか? これは俺が浅はかだったな。お主ほど宮台たんを読み込んでもいないのに勝手に「宗教を前提にこれは書いてない」 なんて断定してしまった。これはまずかった。訂正する。 でもほかのコラムを後出しじゃんけんで出して「どうかしたか?」は面の皮が厚いというか、こっちにそこまでの理解を 求めようとするのは無理があるぜぃ。 悪いが、俺は宮台たんのコラムを読み込むほど時間に余裕がないんよ。すまそな。あまり長い引用は避けたい。 >父さんやお母さんが離脱しても家庭は残るぞ。 形式的にはね。問題はそこにコミュニケーションが残るのかでしょ。そもそも離婚はコミュニケーションの希薄による家庭 の崩壊からきてるのだから、離婚したらコミュニケーションもくそもあるまい。 お主はそれを婚姻制度からの離脱であり、契約の消滅ととらえてるようだが、だったらなんのために結婚するのだ?で、 スウェーデンではその消滅した家庭をどこに持っていっているんよ?? >「濃密なコミュニケーション→家庭」 スウェーデンの老人はただ単に家庭という形式が崩壊したと言ってるのだろうか?
>>220 >先ず欧州各国に農業補助金を拠出し、各国の農業生産をバックアップしている。
その各国を生産性の低い農業国に止め、工業国とならないようにするため。
>ユダヤ人被害者の記念碑にひざまずき
>許しを請うた。こうした目に見える行動
ひざまずき許しを請うて見せた。
目に見えるからといって真実である保証は無い。
鰐の涙かも知れないではないか。
>特殊な宗教観
宗教観などと言うものは他から見れば全て特殊で異形なもの。
融和しないことを一方的にバリ島側の責とするのはそれこそ偏見。
ムスリムの側にも同じ程度の責がある。
世界各地で軋轢を生じているムスリムの側にこそ
責があると考えるの常識人であろう。
>キリスト教でも、中世の其れと
>現在の其れとは大きく違う。
根本的には何も変わっていない。変わったのはキリスト教側ではなく
社会の側が変わり力(経済力とその力で掌中に収めた軍事力)をつけたから
キリスト教の力を必要としなくなったばかりか邪魔になり始めた。
変わったのは社会の側。力の衰えたキリスト教は(金に)取敢えず
生き残りを掛けて迎合しているだけ。再び支配者になろうとしない保証はない。
229 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/07 02:55:25 ID:yrKyfmOi
>>226-227 >イスラム戦士は(国家ではないが)宗教のために死ぬのがまとも。主らの意見と真逆なわけで、だか
>らこそたちが悪い。
これが自由の為に戦うと言う事と矛盾しないと言う事を言いたいだけだが?
> 「宗教の為に死ななければならない」のは「不自由な状態」なのか?
宗教の為に生き、死ぬ危険を犯し戦うのが自由。
死ななければならないというのはアノミーということで否定。
>確かに宗教に傾倒してないお主や俺にとっては宗
>教は不自由でありなぜ存在するのか分からない。
これが
>>205 で否定。
>秩序から自由は生まれるんよ。俺が思うに
これが
>>117-118 で否定された訳だ。
>、自爆テロは不自由ではなく自由なんよ。
これは
>>205 と219で否定。
>人間は死というものは逃れられない。それこそ不自由である。しかし、死を秩序
>とすると、死からの開放が自由となる。カルト宗教が集団自決するのもそのへんでしょ。自爆テロのベースは死すら超越
>した究極の自由である。これは死を不自由だとする立場の人間からすると非常にたちが悪い。
これはリベラルとフリーダムの取り違え。
俺が言いたいのは不自由だから宗教に傾倒し信仰の妨害や貧困などの不自由からのアノミーが
自爆テロを引き起こすと言う事。
230 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/07 03:37:20 ID:yrKyfmOi
>>227 >離婚したらコミュニケーションもくそもあるまい。
それは夫婦間の問題で子供や祖父とは関係ない。
>スウェーデンではその消滅した家庭をどこに持っていっているんよ?
本当に家庭が崩壊しているかどうかはアダルトチルドレンの占める割り合いで解る。
分離結合をくり返しているだけなら崩壊とは言わない。
老人個人の主観がどうかしたか?
家庭は元から無かった為に身を寄せあう必要が無くなって一家離散したかも解らないのに
本当に家庭の崩壊かどうかわからんだろ。
統計学的な分析結果を求む。
アダルトチルドレン(トラウマ・サバイバー)とは?
ttp://www.09chan.com/~adultchild/acod/ > 日本人口の約70%は何らかの形でアダルトチルドレンではないか? 】という統計も出ており、
>これから深刻な問題となってきます。
>そして、アメリカでは、ある統計を取ったところ、95%がなんらかの形でアダルトチルドレンであるといわれています。
幼少期に個人の尊厳が犯される様な個人主義の不徹底から家庭の崩壊がおこる訳で
個人主義が家庭の崩壊の原因である訳では無い。
>>230 >夫婦間の問題で
家庭の最小構成は片親と成体になるまでの子供による一時的な集団だから
祖父母を家庭に含む必要はない。子が成体になれば家庭は解体され
同時に子と親は敵対競合関係に変化する。
子が成体となる前に親子の集団が解体されれば家庭の崩壊である。
だが、家庭に子の育成を任せず社会として成体となる前の子供を
育成出来るなら家庭という一時的な集団が存在する必要は全く無い。
家庭に夫婦の両者を存在させる必要もないから
原理的には夫婦の離婚は家庭の崩壊原因とはならないが
経済的理由から家庭を崩壊させることはあり得る。
夫婦が離婚することにより、夫婦のどちらも単独では
子を育成できない、つまり家庭が崩壊するケースはある得る。
>アダルトチルドレンの占める割り合いで解る。
アダルトチルドレンなどというものを正確に同定できるのかね。
何に占める割り合い?アダルトチャイルドだったら完全崩壊かね。
存在する必然性が無い家庭という一時的な集団を作らせなければ
崩壊することは無い。
アダルトチャイルドの存在は、家庭の不存在を示すものであり
崩壊の指標ではない。
>家庭は元から無かった為に身を寄せあう必要が無くなって
無かったのなら身を寄せ合っている者自体が存在しない。
無かった集団は離散も崩壊もしないのは当然。
亀ちゃん
>>220 >確固たる方針・指針とは何を指しているのか解らないが、基本骨子は「欧州ガバナンス」と云う考え方で貫かれている。
それが宗教の垣根を越え、やもすれば中東イスラム圏すら抱き込むというお主の理想に近いものなん?ガバナンスは
当たり障りのない抽象論にすぎないと思う。具体的には何も描かれていない。だからヘゲモニー争いがあるし長期的視野
もないまま一気に東欧を取り込んでしまったんよ。
>確かに米国肥大化の危機感や東欧の自由化、中東との関係性等外部要因が大きな影響を受けているが、
そう。悪く言えば、外的要因からなんよ。内的に必要性に駆られてではない。とりあえずで東欧を取り込んだ時には時期
尚早だと思ったのは俺だけではあるまい。
>経済から始まって政治的にも統合するためには国家を越えたグランドデザイン無しには実現できない。
んなことは誰だって解ってるよ。問題はそういった白い広大なキャンバスに何をどう描くかでしょ。理念だけで物事が成
功するのならEUはとっくに成功してる(もしくは、成功が約束されてる)。まかり間違ってもその程度で終わるはずはない。
>ところで、とかく日本と比較されるドイツはEU統合に向けて何をしてきたか?
正直言おう。ドイツはクレバーでうまかった。日本が馬鹿正直で下手だった。それだけである。
>ブラント元首相がワルシャワに於いて、ユダヤ人被害者の記念碑にひざまずき許しを請うた。
筑紫たんや亀ちゃんが泣いて喜びそうな行動だよねぇ。でもね、ユダヤ人にいくら謝罪しても各国の戦争によるドイツア
レルギーは払拭されないぜぃ。なぜなら、両者は根本からして別次元の問題だからね。
ユダヤ人差別はナチスドイツだけではなく、欧州全体に潜在的に存在してきたものなんよ。当時も今もね。いくらヒトラー
が個人的な感情で虐殺しようともあそこまで徹底的に実行できるものではなかった。そこにユダヤ人差別の根深さがある。
ヒトラーは利用したんよ。全体主義の人身御供にね。全体に奉仕する個のストレスをユダヤ人差別に挿げ替えた。
でだ、ドイツの一連のユダヤ人差別への謝罪行動は周辺国にとってどれほどのものなのか?残念ながらほとんど何の 足しにもならない。あくまでもユダヤ人向けのパフォーマンスであり、周辺国とは無関係なんよ。 むしろドイツアレルギーを別次元のユダヤ人差別への謝罪という高度な問題に昇華して周辺国に文句を言わせないと いうしたたかさ感じる。最近の過度な演出にきな臭さを感じるんよね。絶対に裏がある。 うがった見方だが、これができるのがドイツのドイツたるゆえん。だから二度の世界大戦による敗北でも関わらず現在も 欧州のキャスティングボードを握っている。日本は、一度の敗北で骨を抜かれ今も周辺国の影におびえている。周辺国に とってドイツは食えない。日本はおいしすぎる。もっと計算しようぜ。 >其の融和性に水を差す様な宗教指導者がいる場合君の指摘通りだろうと思う。 どの宗教・宗派でもそういった香具師はいる。キリスト教にもイスラム教にも天皇教にもその他カルト(オウムはそれを 内包していたから地下鉄サリンに至った)にも。なぜそんなことが起こるのか?融和とかそういった変化がすべてプラスに なるとはならないからさや。必ず得する者と損する者が現れる。損する者のよりどころが極端な宗教なんよ。バリ島でな ぜ反政府的宗教がはびこるのかよーく考えようぜ。 >それらは統合されても残るだろう、ただその意味するところが変わっていくだろうと云っているんだが。 俺も全く変わらないとは言っていない。だけど、お主に比べて大差ないと思ってる。 >現在では信仰は極めて私的な行為に限定されている。 それは解釈論だよ。だけど、政教分離にしてもどのくらい私に限定されてるといえる?俺からすれば公私の区分なんて 厳密には無理なんよ。でもこれは非常に厳密な問題なんでしょ? >EU憲法前文に「キリスト教」と云う字義を入れなかった結果を見ても其れは明らかだろう。 入れなかったからといって全くキリスト教が無視されるということにはならない。宗教とはそもそも社会を構築するベース となるものだから、単に字句を入れなかったから字義がなくなるなんてことはない。
>「其の程度」は客観的な認識。「それなり」は主観的な認識。私はそう捉えているが? 主観客観の話はやめよう。 >つまり「其の程度」とは彼らが目指しているものを基準値として見た場合、 その基準値というのが、お主の基準だと言ってるんよ。なぜなら具体的且つ明確な基準などどこにもないのだから。壮 大な実験なんよ。 >別に価値観が喪失すると云っている訳ではない。 「価値観のないところで営利をむさぼるとその国家は滅びる。」というのはケ小平によるところの戦後日本観、つまり日本 に対する強烈な皮肉だったんだが。国家財政は破綻寸前。高齢化社会に対するなんら有効な手立ても打てずどこに価 値観が行ってしまったのだろか。 >欧州としては米国やアジアなどの対立軸は依然として残るのだから だから中東(イスラム圏)は懐柔できるということか?アジアとは東アジア(日本や中国)のこと?? >価値観が喪失するのでもなく、拡散するのでもない。 欧州は中世から現在にかけてキリスト教という価値観から拡散したともいえる。しかし、欧州が欧州であるにはやはりキ リスト教なんよ。つまり拡散しても喪失しないためにはキリスト教しかない。宗教としてというよりも宗教性や社会性におい てね。なのに、イスラム圏でも融和が可能かえ? >寧ろ対立軸を寄り鮮明化する必要性を考えれば、欧州の枠組みを優先させなければ 欧州の枠組みはキリスト教以外に何がある?また、対立軸を内包した場合どうなるか? <今回は長いぜぃ。覚悟しいや(要約するのが正直しんどい)>
>フランスの農民がマクドナルドを襲撃した事件を知らないのか? 世界で米国に反旗を翻せる気概を持つ国家は少なくないが、その中で唯一実力を持ってるのがフランス。ディズニーラ ンドも失敗した。米国に対する敵愾心は相当のものだろう。でも、かといって首相官邸に車が突っ込んだのと同様、非合 法は却って反感を買う。 >問題になるのは恐らくは中東迄の融合だろう。 俺はこれがどうしても看過できない。それはこの一連レスの端々から感じられるでしょ。 >そうした諦めの意識が物事を前進させる妨げとなる。 前進されるのは理想ではなく現実。現実を知らずに何を前進させるというのだ?現実を知り、分を知り、諦めもし、悩み 悩んで、それでもなお前進するべきものならば、物事は前進する。させるのではなくするもの。 >世の中、何が起きるか解らないよ。 それこそ解らないと諦めてる他ならない。実際には解らないのではなく見えていないだけ。現在の積み重ねが未来であ る以上、現在を知ることが未来を知ることになる。 >特に国際情勢ではね。個人が抱く認識を大きく上回るのが国際社会だ。 かつて「国際情勢は複雑怪奇」といって辞任した首相がいたよな。そんなのでどうやって生き残る気だ? 国際情勢の前には圧倒的弱者でありもっとも悲惨で割を食うのが個である国民なのだが、他力本願でどうする??そも そも他力本願であるのを否定するところに民主主義の存在意義があると思うのだが、不思議なことに妙なところで俺以上 にナシオン的だなぁ。
>インドかも知れないよ。中国はまだ信用できない。勿論影響力の大きさは無視できないが。 信用できるのか裏切られるのか、それ次第で大きく情勢が変わってくる。その意味でのキャスティングボード。=無視で きない大きな影響力のことだったんだが。 >ただ、資本主義化すれば軍事活動よりも経済活動に力点が移行し貿易の関係性からも軍事行動は取りにくくなる。 資本主義化すれば軍事費は相対的に肥大化する。ひとつは資本主義は競争原理に根ざしていること。米ソ対立に見ら れるように対立は軍事拡張に至る。勿論軍縮の目もあるが、それは結果的に対立を崩壊せしめた。「落ち着く」なんてまず ないよ。 もうひとつは戦争は最もおきな消費行為であること。資本主義の肝要は消費にある。しかし、消費する対象がなくなれば (人口が多いといってもそこで市場が成熟してしまえばのび白はなくなる)破壊しかなくなる。近代は戦争抜きには語れな い。戦争という破壊があって発展があった。 >特に生産業による輸出が命綱だから、貿易相手を無視することは中国は出来ない。 だから、戦争はそんなこと考えていたできない。理性的な戦争などは実際にはほとんどない。先の日米決戦(太平洋戦 争)のように圧倒的格差がない限りね。それでも米国はどこまで理性的だったか? >元々ラムズフェルドは北朝鮮問題には余り関心を示していない。 >民主党政権が出来れば、そうした傾向は加速化されるだろう。 ラムちゃんや民主党がどうこうというより(つまり米国側でなく)韓国国内においてあんな左派政権ができたことが大きい のではないかと。先の韓国核開発問題も左派政権ゆえの失態である。韓国は最近日本以上に馬鹿正直である。勤続疲 労で疲れてしまったのか?このままでは韓国は本当に北朝鮮に取り囲まれてしまう。 <おわりぃ>
237 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/08 22:02:13 ID:HgMbpviJ
>>321 変な文章だから直してやる。
家族の最小構成は片親と成体になるまでの子供による一時的な集団だから
祖父母を家族に含む必要はない。子が成体になれば家庭は解体され
同時に子と親は敵対競合関係に変化する。
子が成体となる前に親子の集団が解体されれば家族の離散である。
だが、家族に子の育成を任せず社会として成体となる前の子供を
育成出来るなら家族という一時的な集団が存在する必要は全く無い。
家庭に夫婦の両者を存在させる必要もないから
原理的には夫婦の離婚は家庭の崩壊原因とはならないが
経済的理由から家庭を崩壊させることはあり得る。
夫婦が離婚することにより、夫婦のどちらも単独では
子を育成できない、つまり家庭が消滅するケースはある得る。
アダルトチルドレンは家庭を崩壊させ崩壊した家庭からアダルトチルドレンが育つ。
(家庭が原因で無い場合もある)
ちなみに崩壊とは壊れると言う事で消滅するという訳では無い。
ttp://www.09chan.com/~adultchild/acod/ > 上記のように、どこにでもある【 良いご家庭 】にこそ、
>現在ではアダルトチルドレンになりやすいという統計も出てきています。
>その統計を取った結果、次のような事実があったのです。
>それは、【 機能しない家族の中で育った子供(大人)】という意味です。
>>家庭は元から無かった為に身を寄せあう必要が無くなって
>無かったのなら身を寄せ合っている者自体が存在しない。
家族がいても家庭が存在しない事はある。
ttp://lian.webup.co.jp/yuu/okiniiri/coram/2002/07.htm >そこには、共稼ぎをしながら身を寄せ合って協力し合わなければ、
>生きて行かれない社会が見える。
>>237 >崩壊とは壊れると言う事で消滅するという訳では無い。
ヤレヤレ、ショウガネェナ〜。
何かが崩壊すれば、その何かの残骸が残り消滅はしないさ。
でもな、残っているのは元の何かそのものではないだろう。
元の何かの役目は全く果たせないガラクタが出現するのさ。
つまり元の何かは完全に消滅してしまうのさ。
家が崩壊し出現したガラクタの山を指して誰も家とは呼ばないのだよ。
家庭も同じことで、家庭を構成していた要素が残存していても家庭とは呼べないのさ。
>家族がいても家庭が存在しない事はある。
法律上だけの家族であって機能的には家族ではない。
その伝で行けば、家庭が存在しても家族は存在しないこともあるな。
何を家族とし、何を家庭と呼ぶかは言葉の定義付けの問題でしかないのだ。
定義付けを宣言し、その宣言が広く承認されてからでなければ
何を言おうとそれは個人の妄言にしかならないのさ。
>>232 なごみ氏
>それが宗教の垣根を越え、やもすれば中東イスラム圏すら抱き込むという
>お主の理想に近いものなん?
私の理想ではなく、EU諸国の政策の話し。其れに私は手放しに「拡大EU」を評価している訳では
無い。中東を庭先と考え、其処で好き勝手をする米国に対する嫌悪感が見え隠れするし、
そうした思い上がった感受性で捉えている連中がいることもわきまえている。ただ、「拡大EU」が
もたらす影響はネガティブな要素だけではない。欧州側の出方次第ではキリスト教圏とイスラム圏
という米国が打ち出した短絡的な対立概念を緩衝させる可能性もあり、相互の利益と理解をもたらす
ポジティブな可能性もある。中東にしても石油が枯渇すれば、現在の在り方を維持するのは困難で
あり利害が一致すれば一気に進展するだろう。そうなると現在の米国一極集中は崩壊し、拡大EUが
対立軸として浮上してくる。こうなる前にアジアは取り残されることの無い様、環境を整備する
必要があるだろう。
別名「ソラナ・ペーパー」「ソラナ・ドクトリン」(単独覇権主義を打ち出したアメリカの
「ブッシュ・ドクトリン」に対抗させる意味の命名)とも呼ばれるこの戦略は、従来は東欧や
バルカン半島までだったEUの影響圏を一気にアラブ世界からアフガニスタンまで
拡大しようとする非常に野心的なものだ。
http://tanakanews.com/blog/0401311438.htm
続き。 >とりあえずで東欧を取り込んだ時には時期尚早だと思ったのは俺だけではあるまい。 いずれにしても東欧が崩壊した時点で、西側は冷戦の精算を余儀なくされたのは仕方あるまい。 時期の早い、遅いの問題ではないと思う。 >まかり間違ってもその程度で終わるはずはない。 新しい試みには必ず不確定要素がついて回る。其れが歴史のうねりを作るんだよ。 とはいえ、描くグランドデザインは国によって、或いは指導者個々人によって違いがある。 最大の不安要素はEUに突出した指導者が不在な事だ。シラクは策士だが力業に頼るきらいがある。 ブレアにはそうした指導力はない。強いて云えばベルルスコーニ・イタリア首相(EU議長国)の 力量と調整能力に委ねられているのが現状だ。 >正直言おう。ドイツはクレバーでうまかった。日本が馬鹿正直で下手だった。それだけである。 まあ、この部分は同意するよ。日本は狡猾さが足りない。 >ユダヤ人差別はナチスドイツだけではなく、欧州全体に潜在的に存在してきたものなんよ。 そんな事は云われずとも知っているよ。ナチスの対ユダヤ政策を極限まで無視したのは、 欧州のユダヤ差別があったからだ。だからこそ欧州は後ろめたい。其れはドイツだけの問題では なく、欧州の問題だからね。だからこそ(パフォーマンスに過ぎるにしても)ブラント首相の パフォーマンスは無いよりは遙かにましな事だ。
続き。 >でもこれは非常に厳密な問題なんでしょ? 厳密に判断するのは不可能だ。だから法学界では目的効果基準と云う概念が生かされている。 慣例と宗教は不可分なものである以上、儀礼的行為に一切の宗教性を排除することは出来まい。 とは云え政教分離規定を蔑ろにして良いわけではない。 >単に字句を入れなかったから字義がなくなるなんてことはない。 いや、是は非常に重要な事だよ。入れ込むことでキリスト教に拘束されることが回避できた。 入れ込めばキリスト教の枠組みからは一歩も踏み出せず、中東との連携も不可能になる。 >「価値観のないところで営利をむさぼるとその国家は滅びる。」 つまりは国家の枠組みが有ろうが無かろうが、価値観の喪失は起きると云う事だろう。 枠組みの拡大が価値観を喪失させる訳ではない。 >だから中東(イスラム圏)は懐柔できるということか? 其れは先にも書いた通り、相互の利益と理解によるだろう。 >アジアとは東アジア(日本や中国)のこと?? 其処が難しい。地域的に考えれば「東アジア」「南アジア」「東南アジア」となろうが、 オーストラリアとニュージーランドも視野に入れるべきかも知れない。 経済的にはアジアと中東との接点が大きいから、欧米の枠組みに入れるのは無理がある。
続き。 >宗教としてというよりも宗教性や社会性におい >てね。なのに、イスラム圏でも融和が可能かえ? 発想のレンジが狭いねえ、キリスト教徒イスラム教は兄弟宗教だよ。 ユダヤ教と対立しても切り口を変えれば融合は充分有り得る。 >欧州の枠組みはキリスト教以外に何がある?また、対立軸を内包した場合どうなるか? 地域性。 >非合法は却って反感を買う。 フランス人はそうは考えないんだよ。王室を転覆させ、パリコミューンの歴史もある。 発想が違う。チェチェンゲリラにしても、先の学校占拠事件迄は非合法テロをしながら 国際世論は同情的だった。狭い価値観だけで判断すると見落とす事も多い。 >俺はこれがどうしても看過できない。 欧州と中東の関係を遡って勉強して下さい。歴史を見れば愛憎綯い交ぜな関係性が見えてくる。 >現在の積み重ねが未来である以上、現在を知ることが未来を知ることになる。 其の通りなんだが、化学変化の様にある接点がどの様な結果をもたらすかは予想できない。 予想できない結果に対応するには柔軟な思考が必要。思わぬ結果にたじろがない為にね。
続き。 >無視できない大きな影響力のことだったんだが。 うん、其れは解るよ。大国である中国を無視することは出来ない。ましてや隣国だ。 人民元次第では日本経済にも大きな影響を与える。私が云いたかったのは、組む相手として 中国かインドかと云う選択肢。果たして中国と組んで日本に利益はあるか? >資本主義化すれば軍事費は相対的に肥大化する。 其の公式は軍産複合体によるマッチポンプ体質を持つ米国にしか当てはまらない。 驚異的なペースで軍事費を拡大させた中国も、拡大を収束させているよ。 >もうひとつは戦争は最もおきな消費行為であること。 是も米国のスタイル。最新兵器を使用する為に戦争をする、在庫一掃のために戦争をする。 余って役に立たない軍備は日本に売りつける。 戦争は破壊行為だという概念がEU発足のきっかけになってる事位は憶えて於いて損はない。
>試みた理論 おぬしが違うというほど今回の議論に影響するものかね?ス〜は、あくまでも解釈論のひとつであり、おぬしがどれほど にこの理論に陶酔しようと、現実に日本でどれほどの拘束力があるん?<ス〜に対する現実性への疑問> でさ、JRはス〜にあてはまらないという俺の考えには一切触れてないが、どーして?<JRにス〜を当てはめることの整 合性への疑問> ついでに、答えてほしい。お主が意外に保守的で戦後スタンダードのオトシゴなのは分かったが、散々それを指摘してる 「公共事業に群がる守旧派の考え方」というのにどうしてスルーなん?鉄道にこだわるのも分からない。鉄ちゃんの感傷 からなら、もう何も言うことないのだが。
誤爆したのでもう一度送るよ。
さんちゃん
>>223 >都市部と地方では運賃にかなりの差があるよ。
だから?俺は分相応の負担をしろといってる。おぬしの言う条件の平等。
>特に定期運賃がね。たとえば30km(東京〜横浜間ぐらい)の6ヶ月通勤定期だとJR東日本の幹線では¥69,550なのに
対してJR北海道の地方交通線では¥96,770だよ。
東日本と北海道は別会社。算定方法が違う。また、大都市近郊区間といって都市部では特定区間の運賃が安い。利益に応じた還元をしている。
さらには品川−横浜間は京急という競合相手がいるため必然的に割り引かざるを得ない。
詳しくないんで鉄ちゃんにつっこまれたら立つ瀬ないが
>私は地方が負担を強いられているかどうかということが主論点だと思っていたんだが。
逆。俺はJRに関しては都市部が還元されない負担を強いられてるといってるのだが。お主最初から読みなおせ。
>負担はちゃんとしているだろ、ということ。
だったらそれでいいじゃないか。それに飽きたらず赤字路線を断固維持しろだとか、運賃を都市部と平等にしろとかその負担を他人に押し付
けてどうしたいのら?
>国としては全国的に均衡ある発展を目指す必要があるだろ。
そんな必要は、ない。というか、そんな角栄的発想はとうに時代遅れである。大体その財源はどうする?都市部は発展
しなくていいのか?都市部のような発展が本当にハッピーなのか?
>地方が住みやすくならないと益々都心部への一極集中が進むよ。 地方分権は地方が身の丈に応じた発展を目指すということ。みんながみんな都市部になることではない。あと、別に都 市部がすみやすいから一極集中が進むのではない。そこんところを読み違えるととんでもないことになる。 >都会の人間は地方と比べて極めて発達した交通媒体による利便を享受しているわけだから金銭的な負担ぐらいはする べきでは? だから、都市部でも相応の負担はしてるって。利便があるということで一極集中し、利用過多になってる。利便のみを享 受してるのではない。それに伴うさまざまな影響も享受している。本来なら都市部の利潤は都市部のこういった問題に使 われるべきだが、地方へ補填もしてる。都市部はそれだけ利潤に応じた還元を受けてないことになる。そういうことを考え たらむしろ割が合わないのは都市部。地方はたいした営業努力もなしに都市部の依存してるに過ぎない。 「利便性」のみで考えるのではなく、もっと総合的に考えるよろし。 >機会の平等+条件の平等が絶対不可欠である事がようやくお分かり頂けた? うん。自由と一緒でどこまで絶対不可欠とするかが個人によってまちまち。実力社会ならば俺は最低限の機会の平等 さえあれば後は必要ないと思う。お主はそこにさまざまな条件付けをつけ実力以外の援助に頼ろうとする。昨今のフェミニ ストと同じで自分の実力がないのにごちゃごちゃうるさい連中と一緒だな。お主は失敗してのたれ慎でもまだ「条件が悪か った」と思うタイプでしょ。 自由は許容するもの。平等は調整するもの。主体が社会でありその皇位主体が国家(行政)である以上、費用対効果 で考えなければならない。国家が何かするということはコストとして税金に跳ね返ってくるから。許容する自由と調整する 平等、どっちがコスト高だと思う?俺がたちが悪いといってる忌みが分かる?
>試みた理論 おぬしが違うというほど今回の議論に影響するほどのものかね?ス〜は、あくまでも解釈論のひとつであり、おぬしがど れほどにこの理論に陶酔しようと、現実に日本でどれほどの拘束力があるん?<ス〜に対する現実性への疑問> でさ、JRはス〜にあてはまらないという俺の考えには一切触れてないが、どーして?<JRにス〜を当てはめることの整 合性への疑問> ついでに、答えてほしい。お主が意外に保守的で戦後スタンダードのオトシゴなのは分かったが、散々それを指摘してる 「公共事業に群がる守旧派の考え方」というのにどうしてするーなん?鉄道にこだわるのも分からない。鉄ちゃんの感傷 からなら、もう何も言うことないのだが。
248 :
右や左の名無し様 :04/10/12 00:11:36 ID:oitTlG3h
santiは低脳で必死だが、それを論破できないなごみも大したことはない。
>>248 そういうなら君が論破してくれる?
それとも、その「大したことない」なごみタンを論破するのが先かな?
こんな事核から「必死だ」っていわれるんだろうな。w
250 :
右や左の名無し様 :04/10/16 01:08:16 ID:BhLaWbVV
251 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/19 18:21:23 ID:XPl9/ELq
なごみは逃げたのか?
求めてもすぐに与えられるとは限らない。逃げる・・・なんて傲慢な響きだろう。
253 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/19 21:12:39 ID:XPl9/ELq
>>253 ひょっとして、某国に・・・。
こわっ。
りっくたん
>>229 >>イスラム戦士は(国家ではないが)宗教のために死ぬのがまとも。主らの意見と真逆なわけで、だか
>>らこそたちが悪い。
これはどこからの引用だひ?勝手に話を創作されても困る。というか呆れる。
>これが自由の為に戦うと言う事と矛盾しないと言う事を言いたいだけだが?
よく解らない。おぬしは「自由の為に戦う」戦士なのけ?
>宗教の為に生き、死ぬ危険を犯し戦うのが自由。
それはおぬしの考え方。死んでしまったら元も子もないという考えね。
>死ななければならないというのはアノミーということで否定。
殉教や生贄などもアノミーかひ?宗教は死を相手にした商売だぜぃ。逆の逆が真になることも容易に察しがつくでしょ?
だいたいさ、おぬしがあっさりと切り捨てられる位のものならば宗教などとっくになくなってるよ。なんでもありなのが宗教
であり、それが宗教の怖さなんよ。おぬし、宗教と棲み分けられると思ってるでしょ?
>これが
>>205 で否定。
>これが
>>117-118 で否定された訳だ。
それに対する反論を経て今に至ってるんでしょ?違うのけ?なのに、ここまでの一連のレスはとっくに終わった過去のレ
スを流れを無視して勝手に当時に戻って懲りずにまた「否定」してるだけ。冒頭で「
>>226-227 」と銘打ったからには正確に
そこから引用して反論してくれ。俺も暇ではないのでこれでは正直付き合いきれない。
>これはリベラルとフリーダムの取り違え。 だからさ、それはおぬしの考えならば、の話なんよ。日本に宗教性がないことはリベラルorフリーダムのどっちだひ? >俺が言いたいのは不自由だから宗教に傾倒し信仰の妨害や貧困などの不自由からのアノミーが 自爆テロを引き起こすと言う事。 宗教に傾倒する不自由と信仰の妨害や貧困などの不自由は別物かね? なんだがぜんぜん話が進まない。この辺が限界かな。
>>230 >それは夫婦間の問題で子供や祖父とは関係ない。
おぬし、もしかして、大家族の崩壊による核家族化が件の老人の発言と思ってない?
>本当に家庭が崩壊しているかどうかはアダルトチルドレンの占める割り合いで解る。
俺も否定しないが、あくまでも参考地のひとつに過ぎない。というか、どこかかみ合ってないな。
>分離結合をくり返しているだけなら崩壊とは言わない。
おぬしが既婚者なら解る。所詮は結婚したとしても配偶者は他人だよ。それをつなぎとめるものの一つが、婚姻でしょ?
それが流動化してしまって果たして何の意味があるのか?スウェーデンで離婚率が高いのは婚姻に意味がないから。こ
れは実質的な崩壊と読んでも差し支えあるまい。愛のために結婚する?
>老人個人の主観がどうかしたか?
おぬしの主観もどうかしたか?おぬし『福祉国家の闘い』読んだ?今更だけど。
>家庭は元から無かった為に身を寄せあう必要が無くなって一家離散したかも解らないのに
>本当に家庭の崩壊かどうかわからんだろ。
だったらおぬしは「解りません」と宣言することが先でしょ。
258 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/20 01:18:22 ID:rgdxptoh
>>255 >これはどこからの引用だひ?勝手に話を創作されても困る。というか呆れる。
前スレの
>>481 と
>>517 だが
責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないことは自由(リベラル)である。
人間は自由を失うとアノミー(無規範、無連帯)を引き起こし暴走する。
イスラム教徒の自爆テロは信仰の自由を奪われる危機感からおこる。
もともと貧困や迫害等、望み無き不自由な人生を生きる者のアノミーを
カリスマに自己同一化する事によって吸収しその信念を実践することによって
人びとを単一の共同体へと統合し社会を形成するのが宗教である。
だが信仰の自由が奪われそうになると一気に溜まりまくったアノミーが吹き出す。
ジハードとは一般に聖戦と訳され,イスラム世界の拡大、または防衛のための戦いをさす。
殉教の志の元、死ぬ気で戦うことはイスラム教徒の義務である。
だが「自らを殺してはならない。神はお前たちに慈悲深くあられる。
罪深く、不当にもそうしたことをする者があれば、われら(神)は必ず地獄の業火に投げ込んでやる」
『コーラン』四章二九−三〇 という教義もある。
この規範をやぶっているんだから自爆テロは完全にアノミー(無規範)である。
同胞の女子供を巻き込んでいるんだからかなり酷い。
自殺否定の教義を知らない、叉はしることができない為に選択肢があり、選択抑圧もないが、
選択能力が不在で選べないという不自由からアノミーを引き起こして
自爆テロを引き起こすという側面もある。
教義は解釈次第でどうにでもなると言う者もいるがそれでは連帯性がない。
自爆テロはアノミー(無規範、無連帯)である。
デュルケムによると、あらゆる宗教思想に共通する基本要素は「聖と俗」の分離である。
つまり、世界は「聖」(sacre')と「俗」(profane) というふたつの領域からなると考えられているという。
当然「聖」に宗教の本質がある。そして「聖」とは社会の象徴的表現だというのが、デュルケムの主張だった。
つまり宗教とは、ある「聖なるもの」に関連した信念と実践のシステムであって、
それを支持する人びとを単一の共同体へと統合するものだとした。
ttp://archive.honya.co.jp/contents/knomura/lec/lec59.html
>>258 >われら(神)は
複数の神がいるのかい?そいつぁ知らなかったぜぃ。
260 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/20 18:46:41 ID:rgdxptoh
>>257 母子家庭や父子家庭は家庭じゃ無いと?核家族以外家族じゃ無いと?
■ことほどさように「家族への疎外」という際、「家族に執着しない別の生き方があるのに、
家族に執着するよう差し向けられている」「別の家族イメージを抱けるのに、特定の家族イメージに拘るよう差し向けられている」
との含意を持つ。これを「物象化」とも言う。
■各国では、単身赴任家族・週末婚・共働き子有り夫婦・共働き子無し夫婦・片親家族・事実婚・娘家族同居
・子連れ再婚がますます拡がりつつある。欧米ではシングルマザーから生まれる子が1/3を超えたし、
一部では養子を貰う同性愛家族も急速に拡がってきた。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=151 他にも離婚した二人が近所に住み母親が娘を養育するが彼氏とデートの時は
前の夫に留守番と子供の面倒を頼むといった離婚しても信頼関係が続き家庭が崩壊しないという例もある。
養護施設や精神障害者の自立支援施設も子供が成人化する為の一種の家庭として作られている。
家庭崩壊とは社会から家庭へと疎外された人たちが家庭を維持しようとしてもめちゃくちゃになってしまい起きる。
昔であれば骨肉の争いであり,現代では親から当然(?)与えられるべき承認を欠いたため、
親や他人に永久に過剰適応し続けるアダルトチルドレンが家庭崩壊によっておきる現象だ。
>それをつなぎとめるものの一つが、婚姻でしょ?
>それが流動化してしまって果たして何の意味があるのか?
元々無意味な幻想であって濃密なコミュニケーションによる成人のパーソナリティーの安定化に価値が生じる。
人々はコミュニケーションを通じて現実を付加価値化・虚構化しないと生きていけない。
だから解り合えない人間が解りあったフリをしている様に振る舞う。
ところでスウェーデンのアダルトチルドレンはどれくらいいるのかな?
『福祉国家の闘い』は読んで無いが家庭崩壊したという老人がいると言う話しかしてないよな。
現実にどのくらい家庭崩壊していると言う話は出てきているのかな?
昨日のつつきだぜぃ(連続投稿で引っかかった)。 >日本人口の約70%は何らかの形でアダルトチルドレンではないか? 】という統計も出ており、 >これから深刻な問題となってきます。 >そして、アメリカでは、ある統計を取ったところ、95%がなんらかの形でアダルトチルドレンであるといわれています。 個人部屋が子供の独立心を却って奪ったという話があるよな。家族と接せす個人部屋に引きこもる(「引きこもり」ではな い。あくまで状況的に)。社会的に成熟していく過程で対価族というのがその第一歩。そこで経験地が少ないから社会的 に成熟しない。こういうのを個人主義のはき違えというのだろーね。個人部屋は米国の生活様式。 俺も一人じゃないと寝られないたちで寝つきが悪いのよ。ちなみに米国でもアダルトチルドレンが増えてるから個人部屋 で失敗したというのではなく、物事の本質を見極めず表面だけ猿真似してもだめだということ。米国も日本も病巣は似てる はず。 >幼少期に個人の尊厳が犯される様な個人主義の不徹底から家庭の崩壊がおこる訳で >個人主義が家庭の崩壊の原因である訳では無い。 幼少期であろうとなかろうと尊厳を過度に侵されることはあってはならない。っつーかさ、個人主義を徹底しても家庭は崩 壊してるぢゃん。スウェーデンでは実質的意味がなくなってるんだから。(むしろおれはこっちのことを言っているんだが。)
262 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/20 20:45:04 ID:rgdxptoh
>>261 >>260 を読んで少し内様を変更するとかしたら?
>スウェーデンでは実質的意味がなくなってるんだから。
それは核家族に実質的意味がなくなってるってことか?
でもそれは家庭の崩壊じゃ無くて変質だよな。
家庭は崩 壊じゃあない。
りっくたん
>>261 ”わざと”だよ。敢えてこのまま送ったんよ。だって
>>257 で俺が指摘した通りじゃん。ま、またレスは遅くなるから(すまそ
な)じっくり俺のレスでも読み返してこっちのイワンとしてることをもう一度的確に把握してほしいな。少なくとも勝手に持論
を展開するのはやめてくれ。最初といってることが一緒なんで、堂々巡りだぜぃ。今までの議論をすべてを無にされてあ
まりに空しい。いくら2chといえどね(見返りは期待してないが)。
おぬし、れたんとはいろんな意味で真逆だね。
ヒント:老人は核家族化で老人があぶれたから家庭が崩壊したと言ってるんではないんよ。そもそも大家族や核家族と
いった形態の変質を言ってるのではない。もっと本質的な家庭そのものの崩壊である。おぬしが言ってるのは形態のこ
と。そこがまったく理解されてないようで。
264 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/20 22:51:59 ID:rgdxptoh
>>263 >もっと本質的な家庭そのものの崩壊である。おぬしが言ってるのは形態のこ
>と。そこがまったく理解されてないようで。
だからおれは
>>260 で離婚と程度で家庭の本質である濃密なコミュニケーションによる
子供の社会化機能と、成人のパーソナリティ安定化機能の崩壊は直接関係ないから
離婚によって家庭が崩壊しているかどうかは解らないと言っている。
家庭の本質である子供の社会化機能と、成人のパーソナリティ安定化機能の崩壊は
ドメスティックバイオレンス、育児放棄、いきすぎた躾、無関心、ビジネスライク、アル中によって
アダルトチルドレンが増加する事によって解る。
俺が形態の事を言うのは子供の社会化機能と、成人のパーソナリティ安定化機能が残っていれば
婚姻と言う価値観が流動化して家庭が変質しても崩壊とは言わない。
社会制度としての婚姻の崩壊と言うなら解る。
老人が自分の持っている家族観が崩壊してショックだと言っているだけで
他の成人のパーソナリティ安定化機能を選択する事を拒んでいてもそれはスウェーデンの家庭の崩壊とは言わない。
老人が家庭だと思っている価値観が崩壊したに過ぎない。
>>264 >子供の社会化機能と、成人のパーソナリティ安定化機能が残っていれば
>婚姻と言う価値観が流動化して家庭が変質しても崩壊とは言わない。
夫婦の共同作業でも成就できなくなりつつある。
離婚して一方だけになれば、子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能
なんてものは残りようが無い。真っ先に切り捨てられ消失してしまう機能なのだ。
女の社会的活動(勤めに出て与えられた仕事を機械的にこなすことが
社会的活動だなどとはとても思えないのだが)などと叫ぶ連中が
公的保育施設の拡充などを判で押したように述べ立てるのが
結婚していてさえ、子供の社会化機能など消失していることを示している。
濃密なコミュニケーションを望むなら必然的に長時間の接触時間が必要だが
その時間を子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能には
割くことは不可能になっているのだ。
既に婚姻と言う社会制度は期待していた機能を失い、無意味なものになっている。
女はただの孵卵器でしかなく、男は受粉器に過ぎない。
何れも家庭の機能ではなく、唯の生理機能を担っているだけである。
個人の要望として個人に残されていた、子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能は
個人が自らそれを捨て去ることを望んでいる以上個人のもとして
残して置くいわれは無く社会で行うべき時が到来しているのだ。
266 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/21 00:36:25 ID:jHLebhRj
>>265 >濃密なコミュニケーションを望むなら必然的に長時間の接触時間が必要だが
>その時間を子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能には
>割くことは不可能になっているのだ。
濃密なコミュニケーション空間が子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能となるという話だが・・・
>子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能は
>個人が自らそれを捨て去ることを望んでいる以上
リビドーとかエロスといった根源的欲求があるかぎり
子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能は
個人が自らそれを捨て去ることを望むような事は無い。
人は濃密なコミュニケーションを望む為に社会から家庭に疎外される訳だ。
相変わらず家庭と家族を混同してる。
>>266 >濃密なコミュニケーション空間が
空間だけ存在しても中がカラッポでは何の意味もなかろうが。
>根源的欲求があるかぎり
>子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能は
>個人が自らそれを捨て去ることを望むような事は無い。
それは妄想でしょう!
根源的欲求の充足は望んでもそれから派生する諸事は望んではいないようですがね。
>人は濃密なコミュニケーションを望む為に社会から家庭に疎外される訳だ。
人は社会が要求する濃密なコミュニケーションに疲れ果て家庭に逃避する。
家庭でのコミュニケーションを濃密に保つ余力を持たない。
言い換えれば、最早個人の手中に家庭は無いのだが。
>家庭と家族を混同してる。
家族を血縁と捕らえるなら世界は一家皆兄弟だ罠。
そして家庭のものと約束(約束は破られるのが常なのだが)されていた
子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能などいうものは
社会システムの一部に組み込む方が効率的で効果的な時代になったのだ。
子供の社会化機能や、成人のパーソナリティ安定化機能を満足する能力を
家庭の主導者の全てが持ち合わせている訳ではないし
持ち合わせていたところでトレーニングはされていない以上何も出来はしないのだ。
268 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/21 01:36:33 ID:jHLebhRj
>>267 >空間だけ存在しても中がカラッポでは何の意味もなかろうが。
濃密なのにからっぽ?
>言い換えれば、最早個人の手中に家庭は無いのだが。
↓
それが家庭の崩壊って事で
その結果として
↓
>社会システムの一部に組み込む方が効率的で効果的な時代になったのだ。
↓
そこが家庭となるわけ。
っていうか家庭も社会システムの一部。
269 :
右や左の名無し様 :04/10/21 02:07:12 ID:9+UF4Bkk
>>245 >東日本と北海道は別会社。
ああ言えば上祐、だな。じゃ、同じ東日本で比較するが、同じく30kmの6ヶ月通
勤定期で都心部を走る幹線ならば\69.550で、農村部の地方線では\81,650だ。まあ、
北海道との価格差ほどの極端な格差はないものの、決して小さくはない格差が存在す
るよな。本来ならば、このような格差は存在しちゃいかんだろ。またあなたが言って
いるように他の私鉄との競争も都心部にはあるから、運賃は比較的低く抑えられてい
る。かように、都心部では十分恵まれているだろう。
>赤字路線
赤字路線でも、その地方にとっては重要な移動手段なのであって、単純に採算が取
れるかどうかだけで廃止するかどうかを決定するべきではないと言ってるんよ。
>都市部のような発展が本当にハッピーなのか?
そうはいっとらん。地方は地方なりの発展の仕方をすればいいとは思うが。
>自由は許容するもの。平等は調整するもの。
いや、自由は必然的に「公共の福祉」による調整を必要とするんよ。自由が自由で
あるためには、調整が為されなければならない。そうでなければ形式的な「自由」に
しかならないのであって、本当の意味での自由ではない。
>JRはス〜にあてはまらないという
JRにもそのままあてはまるって誰か言ったか?俺が言っているのは、一定規模以
上の大きさを持っていて、しかも国民の生活に深く関わるような企業に対しては国家
と同視して人権尊重義務を課されるという議論が有力に主張されているということ。
つまり、民間企業とはいってもその業態や規模によって法制度上において様々な扱い
の違いが存在しうるのであって、全てが同じである必要は無いということ。
>どうしてするーなん?
別にスルーしているわけでもないが、それ程重要な論点だとも思えなかったので。
其れで何だったっけ?俺が民営化に反対かって?別に反対ではないが。国営でも民営
でもそんなことはどうでもいいんよ。重要なのは、国民生活に深く関わり、社会一般
に重大な影響を及ぼしかねないような企業に対しては必要な法的規制は行うべきだと
いうこと。
>>239 亀ちゃん
>私の理想ではなく、EU諸国の政策の話し
もちろんその心算だよ。理想といってるんだから、「中東を庭先と考え、其処で好き勝手をする米国に対する嫌悪感が見
え隠れするし、そうした思い上がった感受性で捉えている連中がいること」を以って俺はお主に異を唱えてるわけではない
よ。「ただ、・・・」から先の、おぬしが言わんとしてること自体に違和感を覚えている。おぬしの理想自体にね。
>ただ、「拡大EU」がもたらす影響はネガティブな要素だけではない。
むしろ俺はお主がポジティブ過ぎると突っ込んでる心算なのだが。
>欧州側の出方次第では・・・
理論上はそうだよ。でも実際に欧州がそこまで譲歩する(少なくとも出方を考える)に値するほどの価値がどれくらいある
というのけ?欧州はそこまで落ちぶれたのけ??
<欧州は今ポジティブになる必要はまったくない。待ってればよい。>
>キリスト教圏とイスラム圏という米国が打ち出した短絡的な対立概念
決して短絡的ではないと思うが。元からあった対立概念を米国が煽ってるに過ぎない。米国が煽りをやめても対立概念
は消えることはない。
>相互の利益と理解をもたらすポジティブな可能性もある
パレスチナ和平を見れば分かるように、言うは易し行うは難し。分かっちゃいるけどできないこともある。お互いの利でく
っつくことはあっても、分かり合えるようになることはまず無理だろう。あまりに現状の理解がない。しかしだ、お互いに利
があるいわゆる蜜月関係も長くは続かない。
>中東にしても石油が枯渇すれば、現在の在り方を維持するのは困難であり利害が一致すれば一気に進展するだろう 中東は今しかない。原油価格の高騰にしても影響力のある今しか相手にされない。枯渇すればジ・エンド。それが分か ってるから中東諸国も必死なんよ。後のことなど考える余裕などない。 むしろ、原油がなくなれば争いごともなくなり中東情勢は沈静化⇒欧州と接近するかもしれないと見えてるが。そうなれ ば中東を取り込むことがそれほど脅威であることもない。 <中東は遅かれ早かれ斜陽化する> >こうなる前にアジアは取り残されることの無い様、環境を整備する必要があるだろう 残念ながらその可能性は殆どないよ。こういった理想を実現化するには仔細にとらわれては到底不可能。それこそ『恩 讐の彼方に』、大局的な共有・一体感がなければならない。現状、東アジアではそれは望むべくもない。それこそ戦争責 任や靖国参拝を問題にしてるうちは国家統合体構想自体が絵に描いた餅に他ならない。 真、これは欧州におけるドイツも一緒なんだが。 <東アジアは間違いなく取り残される> >非常に野心的なものだ 外野ではいろいろ言えるのだ。内部である程度現実と対峙してこそビジョンが見えてくる。俺からすれば、野心的過ぎて こうもうまくいく世の中だったら世話はない。このすれも閉鎖だよ。
>>240 >いずれにしても東欧が崩壊した時点で、西側は冷戦の精算を余儀なくされたのは仕方あるまい。時期の早い、遅いの
問題ではないと思う
時期というのは決して小さい問題ではない。こっちも犠牲を払うのである。時期を選び時機を見極めることにより、安く買
い高く売るのが競争社会を息抜きコツである。
あと、「余儀なくされた」のはどっちか?もしも西側だと言うのらおぬしは交渉や駆け引きに対してまったく見る目がないと
正直思わざるを得ないが。
>新しい試みには必ず不確定要素がついて回る。其れが歴史のうねりを作るんだよ
ソ連は散々引っ掻き回した上で・・・。無闇に失敗を恐れる必要はないが、恐れる以上に軽んじては決してならない。壮大な実験につき合わされたら堪ったも
のではない。
また、不確定要素が歴史のうねりを作るのなら社会科学は存在意義はない。ま、経済学は無用の長物と言う香具師も
いるから、不確定要素の強い学問は得てしてそうなるのだが。
>とはいえ、描くグランドデザインは国によって、或いは指導者個々人によって違いがある
バラバラだからよいという見方もある。それだけ方向性が多様であるから理性的に結束していればさまざまな含みを持
たせることもでき、失敗したときの修正も利きやすい。
>最大の不安要素はEUに突出した指導者が不在な事だ
突出した指導者はやがて独裁化していく。間違いない。
>ベルルスコーニ・イタリア首相
前の首相時代にはイタリア北部の独立を訴えていたが。時代が変われば人はこうも変われるということか。
つつきはあさってかな。すまそ
>>268 >そこが家庭となるわけ。
>っていうか家庭も社会システムの一部。
漸く解ったようだな。
家庭なんてものを個人に任せておく必要はないのだと。
国家が家庭ならば、個人の家族なんてものを考えることも不要なのだよ。
各個体は社会国家の直属物なのだ。
そして、社会国家を家庭などと呼ぶ必要もないのだが。
276 :
右や左の名無し様 :04/10/23 18:33:18 ID:3It1W/Ko
>>274 子供の社会化機能と、成人のパーソナリティ安定化機能をもった
非匿名的な濃密なコミュニケーション空間が『家庭』
だから国家は家庭になり得ない。
って言うか家に人間が含まれないように人間に人は含まれない。
民族や国民の共同体(ネイション)や’くに’(カントリー)なら解る。
>民族や国民の共同体(ネイション)や’くに’(カントリー)なら解る。 未だにそのような旧弊に囚われた考えでいるとはね。
>>240 (約束だからね。なんとかセーフ?)
>だからこそ欧州は後ろめたい
そこが狙いだとうがってみると、ドイツのドイツたる所以が見えてくる。交渉の妙というかしたたかさというか。
>其れはドイツだけの問題ではなく、欧州の問題だからね
ドイツはうまく挿げ替えた。でも、これでドイツアレルギーがどれくらい払拭できてると思うかね?
>だからこそ(パフォーマンスに過ぎるにしても)ブラント首相のパフォーマンスは無いよりは遙かにましな事だ。
枯れ木も山の賑わいか?枯れ木は枯れ木、パフォーマンスもパフォーマンス。残念ながら
>>220 でお主が言ってるよう
な有効な解決策にはなんら寄与しないぜぃ。むしろあったほうが根本的な原因追及の妨げになり邪魔であることもある。
小泉純ちゃんのパフォーマンスにいまだに踊らされてる国政を見たら分かるでしょ。本質はどこにあるんよ?
おぬしがパフォーマンスに何を見てるのかは分からないが、パフォーマンスはひとたび鍍金がはがれると却って醜態を
さらけ出す。
>>241 >とは云え政教分離規定を蔑ろにして良いわけではない
文脈から察するに、結局、おぬしの言う政教分離とは目的効果基準ではなく非常に厳密なものなんじゃないの?
>入れ込めばキリスト教の枠組みからは一歩も踏み出せず、中東との連携も不可能になる。
ま、試金石はトルコだね。現状トルコのEU入りは相応の反発もあり、枠組みがどうなるのか。今のままではトルコはどう
なるのか、今回落ちたら再び目がないのか本当にはっきりしない。
俺としてはどちらにせよ明確にし、状況に応じて改正すればいいという考えだが。それのほうが指針が大きくぶれず中途
半端にはならない。多様といってもどこまで遊びというか含みを持たせるべきなのか。本当に何でもありならば憲法など
要らない。「方向性」と「指針」の使い分けに俺の意図を汲んでくれ。
EU憲法を日本国憲法のようにしたいのなら別だが。
>つまりは国家の枠組みが有ろうが無かろうが、価値観の喪失は起きると云う事だろう だから、それ(価値観の喪失)が結果的に国家そのものの枠組みを喪失させる(滅亡)ということ。あってもなくても変わ らないのなら存在意義はな=国家という価値観の喪失に他ならないわけ。日本がやってきたことはまさにこれなんよ。 >枠組みの拡大が価値観を喪失させる訳ではない 枠組みが拡大すれば価値観も拡散する。しかし、拡散したらその価値観は希薄化する。あまりに希薄化すると価値観そ のものが維持するに値しなくなる。つまり実質的な喪失。 >発想のレンジが狭いねえ、キリスト教徒イスラム教は兄弟宗教だよ。ユダヤ教と対立しても切り口を変えれば融合は充 分有り得る。 そーゆーおぬしには近親憎悪という言葉を贈ろう。俺からすれば同根だからたちが悪いということなんよ。もはや、切り 口を変えればすむほど単純な問題ではないんよね。 >地域性 何をいまさら。ドラえもんのエンディングじゃあるまいにし"僕たち地球人"?お互いがお互いを認め合える??差異は地 域性の元集約できると? お互いが地域性の枠の中で収まるのなら最初から問題にしないよ。キリスト教とイスラム教という対立軸(たとえ同根だ としてもだ)を内包した場合、安穏と「地域性」と言ってのけるおぬしの感覚についていけないぜぃ。 >フランス人はそうは考えないんだよ。 おぬしの思うようにも考えてなかったりして。なぜなら俺もおぬしもフランス人ではないから。 >王室を転覆させ、パリコミューンの歴史もある その後は?レジスタンスとは後から正当化されることはあってもやってる時点では非合法なのである。で、非合法が天 下を取ったとき、それが民主的であればあるほど、また元が弱者であればあるほど、必ず内紛が起きる。かならず反発が ある。反動も起きる。歴史を見るとはそういうこと。現在の価値観で見るのは危険というか安直というか
>発想が違うんだよ。チェチェンゲリラにしても、先の学校占拠事件迄は非合法テロをしながら国際世論は同情的だった フランスがそんなに人道的ならイラク戦争後の利権争いに出てこれないはず。平気で核実験などできないはずだ。イス ラムスカーフ問題も信教の自由の点からも寛大なはずだ。 おぬしはフランスの本性が見えてない。人道問題をうまく利用してるんよ。本当に人道的なら国際情勢うまくわたってゆ けない。チェチェン問題はロシア政府に対する反発もあろう。そういった複合的要素が絡んでの世論なんよ。しかもあくま でも世論はデータの一つに過ぎず、なんら説得力があるわけでも拘束力があるわけでもない。 >狭い価値だけで判断すると見落とす事も多い 俺は少なくともおぬしのように人道的だけでは見ていない。世の中理性的でない不合理の塊であることも重々承知の上 論じてる心算。人間、嫌いなものは嫌いである。異質なものは排除したがる。これは理屈じゃない。 ま、おぬしはフランス人より理想主義者で人道主義者だってことだわな。 >歴史を見れば愛憎綯い交ぜな関係性が見えてくる 愛憎劇は悲劇で終わる。おぬしが何でそこまで自信があるのか分からない。進歩主義者が世捨て人にならないように。 >予想できない結果に対応するには柔軟な思考が必要。思わぬ結果にたじろがない為にね。 これは間違い。柔軟さが必要なのは対応力なんよ。交渉・外交力。こっちの本性を容易に見せないパフォーマンス力。 焦っててもいいんよ。焦りを包み隠し、うまく対応していれば。おぬし追い詰められたことない?そのときに必要なのは柔 軟な思考能力よりも柔軟な対応力。機転の利かせ方だ。時間を稼げば上京が見えてくる。 人間の思考は発想には限界がある。それはお主が言うとおり「個人が抱く認識を大きく上回る」こともしばしばだ。だけど それで諦めてはならないということであって、思考が柔軟であればいいということではない。柔軟であるということはそれだ け決断に乏しいことでもある。 >果たして中国と組んで日本に利益はあるか? ・・・ない。かといってインドは・・・。それならば米国と組む手もあると思う。
>其の公式は軍産複合体によるマッチポンプ体質を持つ米国にしか当てはまらない。 それは、それは。でさ、軍事産業以外に大量消費できる魔法の産業形態でも誕生したのかい? >驚異的なペースで軍事費を拡大させた中国も、拡大を収束させているよ。 中国は今後どうなるのか不透明すぎる。 >是も米国のスタイル。最新兵器を使用する為に戦争をする、在庫一掃のために戦争をする。余って役に立たない軍備 は日本に売りつける。 米国がなぜこのスタイルであるのかをもっと検証することが必要でしょ。これ以外に方策があればそっちのほうがよいこ とくらい誰だってわかってるよ。リスクや犠牲が大きすぎるからね。 俺は軍事産業云々という米国の構造・体質よりも、現職の大統領としての資質・能力のほうを問題だと思う。あれは正直ひどい。 >戦争は破壊行為だという概念がEU発足のきっかけになってる事位は憶えて於いて損はない。 ついでに、EUはNATOと別組織だということも覚えておこう。EUは軍事問題を消化しての組織ではないということをね。つ まりEUはきっかけはどうあれ、軍事問題にはなんら有効な手段は講じられないと見るべきだ。 (END)
りっくたん
>>258 >前スレの
>>481 と
>>517 だが
お主、しつこいとか細かいとか言われたことない?そんな前のこといちいち問題にしてたらぜんぜん議論が進展しないじゃないか。そもそもどういった絡みでレスしたかもわからん。絡みというか議論の流れに関してはおぬしは本当に無頓着だからな。
以下、俺もレスしたのは一度や二度じゃないが、おぬしが分かってくれないようなので、再度仕切りなおしたいがOK?
283 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/25 09:19:01 ID:VLo5jIjK
>>282 俺が議論の過程を一つの文章にまとめて仕切り直さないと議論が進まないだろうが。
今まで前スレの
>>481 と
>>517 がデタラメだと言う事を議論していた訳で
あれは勘違いでしたと素直に認めればそれで終わり。
>>481 >ただし、イスラム戦士は(国家ではないが)宗教のために死ぬのがまとも。主らの意見と真逆なわけで、だか
>らこそたちが悪い
>>517 > 「宗教の為に死ななければならない」のは「不自由な状態」なのか?確かに宗教に傾倒してないお主や俺にとっては宗
>教は不自由でありなぜ存在するのか分からない。しかし、宗教は秩序なんよ。秩序から自由は生まれるんよ。俺が思うに
>、自爆テロは不自由ではなく自由なんよ。人間は死というものは逃れられない。それこそ不自由である。しかし、死を秩序
>とすると、死からの開放が自由となる。カルト宗教が集団自決するのもそのへんでしょ。自爆テロのベースは死すら超越
>した究極の自由である。これは死を不自由だとする立場の人間からすると非常にたちが悪い。
これはデタラメだろ?
自爆テロは背信行為で自由を侵害されたために吹き出したアノミーだ。(
>>258 )
やれやれ、こいつぁ少し時間がかかりそうだな。この期に及んでまだ俺の考えをデタラメといってるようじゃ・・・
そもそも、死後の世界を予定している宗教は、概ね「死後の世界での幸福」が 至上の価値観であるから、現世の価値観で語ること自体が無意味である。 回教の自爆テロでは「彼らは死後に天国に行く」という「回教の本質的教義」 における「至上の価値観」に基づいているのであり、「彼らにとって」それは 宗教でもなんでもなく「真実」であるわけだ。 日本のように宗教教義を「建前であり信心のひとつ」と考えての論理構築は 実態を把握できないだろうね。
286 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/25 12:36:06 ID:VLo5jIjK
>>284 このHPにどう反論する?
ttp://www.socius.jp/lec/17.html 一方、フランスの社会学者デュルケムは、宗教現象の原点を「聖」つまり「聖なるもの」においている▼2。
デュルケムによると、あらゆる宗教思想に共通する基本要素は「聖と俗」の分離である。
つまり、世界は「聖」(sacre)と「俗」(profane)というふたつの領域からなると考えられているという。
当然「聖」に宗教の本質がある。そして「聖」とは社会の象徴的表現だというのが、デュルケムの主張だった。
つまり宗教とは、ある「聖なるもの」に関連した信念と実践の体系であって、
それを支持する人びとを単一の共同体へと統合するものだとした。
というのは、現実に体験するさまざまな苦難をどう意味づけるか、またそこから救済されるにはどうしたらいいのか、
救済された状態とはどういう状態なのか――これらを合理的に説明するのが宗教の世界像なのである。
なぜ自分は幸福なのかを説明し、幸福であることを正当化してくれる論理を「幸福の神義論」(Theodizee des Gluckes)といい、
なぜ現世において信仰者がいわれなき苦難にあい、逆に不信心者が幸福を享受するのかを
合理的に説明してくれる論理を「苦難の神義論」(Theodizee des Leidens)という。
いずれにせよ〈知の合理化〉によって構築され宗教的世界像は〈転轍手〉として人間の行為を方向づける▼6。
りっくたん
>>283 >俺が議論の過程を一つの文章にまとめて仕切り直さないと議論が進まないだろうが。
実はおぬしは「議論」を全然まとめていないんよ。自分の意見だけを、こっちの意見を一切考慮せず完全に黙殺して、ま
とめてるにすぎない。
ひどいもんだぜ。こっちが言わんとしてることが少しでも分かってたら(洞察力)こうはならない。
>あれは勘違いでしたと素直に認めればそれで終わり。
はっきり言っていい?おぬしの意見は正しいよ。道理にはかなってる。でも、すべてにおいて正しいとはならない。道理
が一つであることはない。こう言いたいんよ。それがおぬしの勘違い。
因みに、この議論はどっちが正しいとか道理にかなってるとかではなく、つまりは「終わり」はない。双方の意見が自分
の中で相互理解できればよい。
>これはデタラメだろ?
他人を知るのは難しいが、自分を知るのはもっと難しい。その典型だなぁ。その傲慢さ、意固地さに若気の至りを感じる
よ。
人間は自惚れやすい。でも、実社会に出て俺も変わったんだなぁとおもう。俺はおぬしのような押しの強さはないが、お
ぬしよりも強い何かを持っている。その何かは教えてあげない。
>自爆テロは背信行為で自由を侵害されたために吹き出したアノミーだ。
それは一つの意見(考え、道理)に過ぎないと何度も言っておろ。どうせまとめるなら俺の意見をまとめてみ。
りっくたん
別に逃げるわけじゃないからね。自爆テロ以外にも家庭崩壊があるし。
>>258 辺りは週末にレスするよ。
週末まで暇でしょ?その暇つぶしを提供したまで。お主に必要なのはおぬしの凝り固まった発想の転換だよ。
289 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/27 21:25:37 ID:62sOqxWz
>>287 >自分の意見だけを、こっちの意見を一切考慮せず完全に黙殺して、
>>299 で考慮して否定しているだろが。
なごみの指摘が無ければ
「自らを殺してはならない。神はお前たちに慈悲深くあられる。
罪深く、不当にもそうしたことをする者があれば、われら(神)は必ず地獄の業火に投げ込んでやる」
『コーラン』四章二九−三〇 という教義なんて調べようとしなかったぞ。
>それは一つの意見(考え、道理)に過ぎないと何度も言っておろ。
人間の行動原理(摂理)の話をしている訳で主観的意見(考え、道理)に集約されるようなものでは無い。
何よりなごみは語義が定まっていない
広 辞 苑 を 買 え
自分の個人的主観をただ喚いているのでは無いなら
せめてソースぐらいあげろ
さんちゃん
>>270 >ああ言えば上祐、だな。
これは重要なことだぜぃ。JRはなぜ分社化したのか?そこまでおぬしの頭は回ってないのかもしれないけどね。
>本来ならば、このような格差は存在しちゃいかんだろ。
だったらなぜこのような格差があると思う?そこから考えてみ。
>かように、都心部では十分恵まれているだろう。
だからさ、それは運賃ということだけ。利便性があるということはそれ相応の負担を強いられる。しかも、恵まれたことに
よって生じる利益を無関係の地域に補填してるのだ。こんな不合理な話はない。
>赤字路線でも、その地方にとっては重要な移動手段なのであって、単純に採算が取れるかどうかだけで廃止するかど
うかを決定するべきではないと言ってる
じゃ、どうやって決定するのだ?国鉄がそうやって赤字を増やし続けたのも事実でしょ。
俺は別に採算だけで判断しろとは言ってない。むしろ採算を度外視しろというおぬしをいさめてるのであって、鉄道以外
にも代替手段があるのだから維持経費のかかる鉄道以外にシフトチェンジするのがよいといっている。その中で採算は
すべてじゃないにしても重要なファクターだ。
>地方は地方なりの発展の仕方をすればいいとは思うが。
だったら都市部を妬むなよw。
>いや、自由は必然的に「公共の福祉」による調整を必要とするんよ。 俺の言いたいことが理解できてないよーで。だいたい、おぬしのレスが自由に関しては述べてても平等に関しては触れ てないところにおぬしの浅はかさがある。俺は自由と平等の比較において表現している。おぬしは片方しか触れてない、 つまり比較できていない。 自由は規制緩和に見られるようにもともと自由であったものを規制するという概念に立つ。それを緩和=許容することに よっておぬしの言うリベラルが成立する。どこまで緩和=許容するかは調整になるのだが、本質は自由の調整ではなく規 制の調整である。 一方、平等とはもともと不平等であったものを平等にするという概念に立つ(ここ重要よん。もともとは平等じゃない)。し たがって不平等と平等の中でどこまで平等にするか、それが調整になる。平等は本質からして平等・不平等の調整なん よ。 ま、相変わらずうまくまとまってないんで(自由と平等の違い)、おぬしのレスに期待するよ。 >JRにもそのままあてはまるって誰か言ったか? じゃあ、なんでステートアクション理論を持ち出してきたのら? おぬしはJRにはステートアクション理論をそのままじゃないにしても積極的に当てはめようとしてるように思うが。 俺はまったく逆で、JRは民営化されても実際には国策会社の面がまだまだ強く、無駄な投資を余儀なくされてる。現実 的にはステートアクション理論以外での規制やしがらみがお多すぎる。ステートアクション理論自体は結構なことだが、 日本はまだまだ規制やしがらみが多く、さらにステートアクション理論でがんじがらめにするのはどうかなという意見。 <JRにス〜を当てはめることの整合性への疑問> 分かる?無駄な新幹線を政治的思惑で建設しその維持負担を押し付け、一方でステートアクション理論だか知らない が、人道的に採算の合わない赤字路線まで維持しろといちゃもんつけられて、JRはそんなに社会的に不自由な会社なの か?それが民間企業といえるのか?
>国家と同視して人権尊重義務を課される 誰が課すんよ?民間企業の自己努力に任せるのか? あとさ、民間企業はそんなに人権尊重してないのけ?半世紀前の人権至上主義以前の話ならともかく。労組もあるし不 正を隠すと雪印やMMCのように倒産寸前まで行く世の中だぜぃ。 さらにさ、民間企業が人権尊重してないってことはそれだけ人権ってものの存在意義が絶対じゃない(ほかのど折で動 いてる)ってことなんじゃないの?それをなんとかしようっておひおひ・・・ >民間企業とはいってもその業態や規模によって法制度上において様々な扱いの違いが存在しうるのであって、全てが 同じである必要は無いということ。 だから、銀行は金融経済の要だから何度も何度も損失補てん(もちろん血税です)しろという理論ですか?そごうやダイ エーは規模が大きく倒産すると影響が大きすぎるから血税を使ってでも立て直すという理論ですか? 一方で中小企業はどんどん倒産し食うや食わずの生活をしてる人もいます。人権尊重義務を謳うのなら民間企業より も自らに課すことが先だと思います。 >重要なのは、国民生活に深く関わり、社会一般に重大な影響を及ぼしかねないような企業に対しては必要な法的規制 は行うべきだということ。 法規制がただだと思ってない?社会的に影響を及ぼすほどの企業を規制しようということはそれだけ費用がかかる。右 肩上がりで国家財政も積極投資できた時代ならともかく、今は緊縮財政をしてでも本当に必要なことかを考える時代でし ょ。それをかんがえないでまだ、かつての国家統制社会よろしく規制を強化しようとする。ま、守旧葉はそこに利権がある からそう主張する(建前)のだが、おぬしは本当にそれがよかれと思ってる(本音)。 だいたいその肥大化して兄弟になった国家を誰が操縦するんよ。小泉順ちゃんやブッシュjrじゃ俺は危険極まりないと 思う。 さらに言えばそうやって管理統制された社会が健全だと思うかね?人権も行き過ぎると人権侵害になる。自由じゃない し、平等でもない。 おぬしは国家主義の傾向があるが、それでは国家自体が無制限に肥大化してしまう。<ス〜に対する現実性 への疑問>
りっくたん
>>289 >
>>299 で考慮して否定してるだろが。
>>299 ってどこだ?前スレならそう書いてもらわないと(前後関係もわかりやすくね)
>人間の行動原理(摂理)の話をしている訳で主観的意見(考え、道理)に集約されるようなものでは無い。
だからさ、お主がいくら摂理だと喚こうが、俺からすれば意見に過ぎないといっている。
>何よりなごみは語義が定まっていない
どこ?あったら順次訂正するよ。
>広 辞 苑 を 買 え
正直、俺の表現不足もあるだろうが、おぬしの理解不足もあると思う。
おぬしと議論するのはいいんだが、細かすぎる。2chだし(学会の研究発表ではない)大目に見てもらわないと。
持論を性格に展開するのも能力なら、相手が何を言いたいのか把握するのも能力だぜぃ(レッテル貼りではない)。
>せめてソースぐらいあげろ
ソースがないとだめか?だったら週末な。それまでによいのを探しておく。
でさ、俺が言いたいこと理解できてる??
294 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/28 00:28:03 ID:jIN8lQI4
>>293 >大目に見てもらわないと。
あのねえ。
文章のみでコミットするのが2chな訳。
表現不足が叩かれるのは当たり前。
誤解を招くような書き方もNG。(もちろんそれは俺にもあるから何度も文章をまとめ直すしソースも示す)
しかも俺達はなれ合いをしているんじゃなくて公的に何が正しいかを議論しているの。
だから
>だからさ、お主がいくら摂理だと喚こうが、俺からすれば意見に過ぎないといっている。
という公的に何が正しいかを求めようとしない俺の主観は変わらないと言う話は独り言と変わらない。
そのくせ
>おぬしの理解不足もあると思う。
と自分の言い分に理解を求めるという甘えがあったりする。
だいたい民主主義の話をするスレで
>人間は死というものは逃れられない。それこそ不自由である。
とか人間は全知全能じゃ無いから不自由とか言う次元の話を言い出す所がデタラメ。
そこをリベラルとフリーダムを混同するなと指摘しているのにそれはお前の主観だと言い出せは
議論にならないのは当然。
なぜならなごみは民主主義(リベラル・デモクラシー)の話をないで因果的自由(フリーダム)の話をしているから。
295 :
ザコ改 :04/10/28 03:45:53 ID:???
294の意見に禿同。 大体、「人間は死というものは逃れられない。それこそ不自由である。」 などと政治論に持ち出すな。終末点に向かい、存する限りの投機的的存在である人間、 と仮定したならば、実存的人間はその点で自由なのだ。不可避な終末を得ぬものは すでに実存ではありえないんだよ。 君の意見は19世紀ドイツ的終末論にすぎないのさ。まさに 20世紀において国家社会主義の根幹をなした考え方じゃあないのさ。因果的自由 を持たぬ人間。故に超越的絶対者を求むる、か。ああ第三の門が開かぬために 絶対者を希求せよか。
デュルケムの話が出ていたが、欧州は中世においての聖職権と俗権 の闘争があったことが大きいね。 絶対王政確立の中で、王権に代表される世俗権は教会のヒエラルヒー を圧倒していった。ゆえに聖と俗の分離がなしえた。 欧州と異なり、イスラム原理主義が根付く背景にはこの流れが不完全であるのが問題だ。 アタチュルクの改革の主眼は聖俗分離とそれにもとづいた近代化であるしな。 デュルケム思想自体、産業革命の時代背景に基づいた思想なんで、サルトル あたりが好きな俺は嫌いなんだけどね。
>>294 >公的に何が正しいかを議論しているの。
「公的に正しいもの」が存在する前提に立っている時点で、多分なごタンとも
私とも、議論はかみ合わないだろうね。
所詮自由といったって「どこかまでの自由」所詮平等といったって「ある範囲の中での
平等」・・・其の妥当性を示せないんじゃ話しにならないように思うよ。
妥当性というのは「妥当と思われる判断のよりどころ」の提示から始まるわけだ。
そこが出てこないと、何をいいたいかなど理解しようもないんじゃないの?
だから、その前提から導かれる摂理なんぞ、其れはオマイにとっての摂理で
あって・・・と、前提を是としていない、なごタンは言うわけだよ。
私も同様な感じがするからあえて・・・。お邪魔様。
298 :
ザコ改 :04/10/28 19:54:58 ID:???
>>297 政治論の展開の中で、根本になければならぬのは
向かうべき方向性であり「あるべき姿」だ。
それは国民の最大公約数が益を受けうる政治にほかならない。
言い換えればリックたんが言っている、公的に何が正しいか、ということである。
この前提を欠いた思想はお話にならない。
こんなこと、基本じゃないか。
りっくたん
>>294 >文章のみでコミットするのが2chな訳。
仮に、おぬしの言う「公的に何が正しいかを議論」したいのなら、それだけでは不足だね。自分の意見をうまくまとめるの
も必要だが(おぬしにはそれしかない)、相手の言わんとしてることを理解し洞察できるようにならないとね(おぬしにはこ
れがまったくない)。
たかが2ch(文章でしかコミットできない場末の掲示板)、されど2ch(そこから以下に議論っぽいものにできるか)。2ch
の限界にするのではなく、そこに接してるおぬしの限界もあると思わないか?(もちろん自戒を込めて)
>表現不足が叩かれるのは当たり前。
叩くのは別にかまわん。順次訂正するししてきたはず。それでも足りないのなら指摘してくれということ。
>誤解を招くような書き方もNG。
だからさ、やらかすことあるでしょ。学会の研究発表じゃあるまいし、そこまで禁止しようにもねぇ。ま、俺は指摘されたら
すぐに訂正する。相手がこうとったのねと理解したうえでね。
最初から精巧緻密でレベルの高い議論をしようというのが無理なはなし。俺はその道のプロではない。
>しかも俺達はなれ合いをしているんじゃなくて公的に何が正しいかを議論しているの。
「この議論はどっちが正しいとか道理にかなってるとかではなく、つまりは「終わり」はない。双方の意見が自分の中で相
互理解できればよい。」(
>>287 )
俺は何も正しいという結論には至らないと思ってる。だったらなぜ議論をするのか?正しいとされる何かを多く認識した
いから。だから、おぬしの意見は間違ってないといっている。大変に参考になっている。
>という公的に何が正しいかを求めようとしない俺の主観は変わらないと言う話は独り言と変わらない。 おぬしからすればそうかもな。俺は何が正しいかなんて求めてないから。俺はおぬしと議論してて有意義だ。だからレス してる。俺からすればおぬしの態度が独り相撲うを取ってるようにしか思えない。ま、こっちは独り言でも十分に理解でき るんだが。 >自分の言い分に理解を求めるという甘えがあったりする。 お主がこっちの意見をまったく理解してないようなんで、探りを入れてるんよ。結構長い間やり取りしてるんだから俺の 表現不足だけでは片付けられまい。当然おぬしの洞察力・理解力不足もあろう。 理解するのはおぬし。こっちとしてはお主に理解してもらおうということではなく、理解できなきゃ話にならないでしょ、とい うこと。さて、甘いのはどっちだ? 理解できないのならそれまで。ま、俺は来るもの拒まず去るもの追わず。理解したければいくらでもレスはするよ。 相手の意見を理解しないでどうやって論破する気なん?おぬしは持論が完璧に説明できたら相手が勝手に降参すると いう究極のナルシスト思想の持ち主か? >だいたい民主主義の話をするスレで ここまで引っ張ってきてそれはないでしょ。ま、まったく無関係だとは思わないけどね。 >とか人間は全知全能じゃ無いから不自由とか言う次元の話を言い出す所がデタラメ。 そもそものきっかけすら忘れたが、今のテーマは民主主義ではなく、宗教。いささか脱線黄身なのは認めるが、今まで の流れを無視していきなりデタラメとは横暴な!どっちがデタラメなん?
>そこをリベラルとフリーダムを混同するなと指摘しているのにそれはお前の主観だと言い出せは議論にならないのは当 然。 だから、そもそもリベラルとフリーダムを区別するほうがおかしいといっている。そう考えるのはリベラリズムに立った場 合だけだぜぃ。ま、「公的に何が正しいかを議論」にならないという指摘は同意だよ。 >なぜならなごみは民主主義(リベラル・デモクラシー)の話をないで因果的自由(フリーダム)の話をしているから。 イスラム国家(社会)がどこまでリベラルデモクラシーか?自爆テロをリベラリズムで語ること自体がおかしいんよ。 明日ね。俺は別にソースがなくてもいいとは思うんだ(データならまだしも考え方なんだし。十分条件であって必要条件 だとは思えないな。)が、ソースを例示しておぬしの意見に反論するよ。
ざこたん
>>295 >大体、「人間は死というものは逃れられない。それこそ不自由である。」などと政治論に持ち出すな。
それは政教分離に立った話。政教一致のいすラス社会などでは通じないぜぃ。
>終末点に向かい、存する限りの投機的的存在である人間、と仮定したならば、
そう。あくまでも仮定の話。
>君の意見は19世紀ドイツ的終末論にすぎないのさ。
前々世紀の遺物か?それから人間はどれくらい進歩したのかな?しかも仮定の話で断定されてもねぇ(発想の転換に
過ぎない。発想の転換は確かに大きいが、転換前を否定できない)。
>まさに20世紀において国家社会主義の根幹をなした考え方じゃあないのさ。
宗教にはそういった側面もある。弱者救済。これは個人レベルでは無理。だから今日もなお宗教は存在する。社会主義
も広く宗教だからねぇ。
国家社会主義がなければ現代のような社会は構築できなかった。さまざまな社会保障や労働条件・生活環境の向上は
実は民主主義でも資本主義でもない。社会主義から発生したものなんよ。
国家社会主義をどうこう言うよりもまず、国家社会主義がなぜ20世紀を席巻したのかを知ったほうがよいと思うよ。
>因果的自由を持たぬ人間。 俺のこと?仮にそうだとして(そうだとは思わないが)、そういった人間がいるという事実に対してその香具師が間違って るとどこまでいえるのかね? イスラム社会ではそういった香具師が多いと思う。そこではリベラリズムなどは通用しない。俺はそのことを指摘してる。 俺がどーこーということではない。 >故に超越的絶対者を求むる、か。 かもな。ナシオン主権を支持するものとしてはそれは100%否定できない。 >ああ第三の門が開かぬために絶対者を希求せよか。 悪いがどこの文言か知らん。厚顔無恥でも聞いてみる。誰の言葉?
れたん
>>297 >・・・なごタンは言うわけだよ。
頑固頑迷なおぬしにすら(失礼)分かってはるのに、なんでりっくたんは・・・
>私も同様な感じがするからあえて・・・。お邪魔様。
邪魔なときは言うよw。りっくたんをなんとかしてくれ。というわけで援軍希望。
ざこたん
>>297 >政治論の展開の中で、根本になければならぬのは向かうべき方向性であり「あるべき姿」だ。
イデオロギー対立が崩壊したことによって向かうべき方向性がより鮮明になるrと思いきや、逆の不透明な閉塞感が立ち
込めてるように思うのは私だけ?
そんな中政治論が「あるべき姿」をなお強く求めるのならば、ますます国民の政治離れは加速するだろう。国民は「ある
べき姿」ではなく「今ある姿」しか見る余裕はないから。痛みに耐えても効果がないのなら「あるべき姿」など絵に描いた餅
に過ぎない。せつな的民主主義(衆愚政治)は加速していく。
>それは国民の最大公約数が益を受けうる政治にほかならない。
それは理想だよ。なぜなら民主的決定は多数決。民主的政策は最大公約数。同じようで実はまったく違うものだから。
>言い換えればリックたんが言っている、公的に何が正しいか、ということである。
そんな理屈で民主政治が行われるなら衆愚政治には陥らないよ。イラク派兵は正しいのか?年金改革は正しいのか?
景気政策は正しいのか?郵政民営化は正しいのか?そもそも民主主義は正しいのか?
>この前提を欠いた思想はお話にならない。こんなこと、基本じゃないか。
はい。基本からしてお話になりません。おぬしは民主主義の欠点を10言ってもなお民主主義を支持なさいますか?
306 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/29 00:55:38 ID:+ijmAJoh
公とは共同体と共同体の間を示す空間であって 公的に正しいとはキリスト教徒であろうがイスラム教徒であろうが無神論者であろうが ある状況から共通にみられる傾向であることからそれが普遍的だとみられること。 民主主義の自由とは個人が責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないということ。 この自由の語義を基準にこのスレで話をしている訳。 『シーザーを理解するためにシーザーである必要はないそうでなければあらゆる歴史記述は無意味であろう。』 【発言者】荒巻大輔 【意味】世界は偉人たちの水準で生きるわけにはいかない 【備考】ウェーバーは「直接的理解」を「説明的理解」と切り離して考察しようとした。 なごみが >確かに宗教に傾倒してないお主や俺にとっては宗 >教は不自由でありなぜ存在するのか分からない。 というのは見当違い。 何故ならその宗教を選択するかしないかは個人の自由だから。 イスラム教徒が俺達から理解できなくても彼等はそれを自由意志で選択した訳である。 イスラム教がどんなに不自由でもそれを選択するのは自由意志である。 このスレでの自由の語義はどの不自由を選択するかの自由であって なんでも思いどおりの自由では無い。 宗教がどんなに不自由であろうと >イスラム戦士は(国家ではないが)宗教のために死ぬのがまとも。 であろうと >主らの意見と真逆なわけで、だからこそたちが悪い。 と言う事は無い。 > それは政教分離に立った話。政教一致のいすラス社会などでは通じないぜぃ。 政治論で話をすれば間違い無く通用しない。 だがキリスト教では、地球(人間世界)が宇宙の中心であることが絶対の真実であろうと 地球が太陽の周りを回っていることには変わりが無いように科学的に話しをすれば通じようが通じまいが関係ない。 公的には地動説が正しいのだ。
ごみたんは都合のいいとこだけ取り上げて上げあしとりだーね。 君の仮定が許されねば論の展開なんぞできないのでわ? ゼミのディベートどうやってるの????
308 :
ザク改 :04/10/29 01:18:31 ID:???
>>政教分離に立った話。政教一致のイスラス社会などでは通じないぜぃ。 それこそステレオ的イスラム観だ。まったく知識不足。 政教一致の政体を取ってる国は中東においてはイランが有名だが、 パキスタンは政教分離。スンニ派が多数の イラク、エジプト、リビア、サウジ等々政体はいろいろだが 宗教は分離されている。宗教指導者が民衆に対して影響力 をもっているが、あくまで政治とは分離されている。20世紀以降 のイスラム国家の近代史をもう少し学ぶ必要があるな。 君の論に当てはまるのはイスラム原理主義国家だ。 しかし、タリバン統治下アフガンのような政教一致のイスラム国家など 現在、極めて異例なんだ。まったくもって、事実と異なる意見で 酷すぎる。イスラムに関して、薄い入門書でもいいから よんでごらん。
しかし、ごみたんの反論のとおりとするならば、 僕のいる院は教官以下崩壊だわ。 一日中何学んでるのかわからなくなる。 308でかいたとおりのこともわからん君は一体、、。 ゼミメンバーとここをROMったが、リックたんの論がまともという意見 が多かったので、一応書いとく。あと、どう考えてもごみたんの意見は 論展開が矛盾しているよ。論は現状認識とそこから推定、推定の検証 とすすめるべきなのに、イスラムに関しては現状誤認、推定については「推定でしょ?」 というスタンス、、。 自説の証明のために論の整合性がつかなくなっている。 マインカンプじゃあるまいし。
310 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/29 01:44:55 ID:+ijmAJoh
>>302 民主主義とは国民が自分の生活の中から制度づくりをしている過程であって(完成された)状態では無い。
ここが民主主義の急所だ。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=98 ■必要な概念理解は何か。日本では公的部門と言えば政府部門。成熟社会以降の欧米では
公的部門は政府部門と市民(NPO)部門からなる。NPOはれっきとした公的部門だか
ら寄付は控除され、税金は政府に納めても好きなNPOに収めてもいい。
■なぜ政府だけが公的部門でないか。複雑な社会では、政府が集権的に公共性や公益性を
判断するのはコストも錯誤可能性も大きい。だから民間に公共性や公益性への模索活動を
委ね、先の「寄付投票」や「税金投票」で淘汰する。
■政府部門とNPO部門は共に公的部門であって敵対関係に入ることはありえない。多く
の国は猟官制だから、政権交代を機に前者から後者に、後者から前者に人材とノウハウの
移動する。
■最後はメディアに触れる。大量破壊兵器という大義の消えたイラク攻撃とその支援につ
いて、米国を含めて全ての国で重大な正統性問題が起こった。ただ一国、日本のみが例外
で、これまた国辱的だ。
■正統性とは何か。マックス・ウェーバーによればこれは自発的服従契機。法的なことに
限らず、資格ある者が正しき手順に則り決定を下すことにより、内容に疑義あれども誰も
がこれに服従せんとするとき正統性が機能する。
■内容の正しきことすなわち正当性justificabilityは、正統性legitimacyの一部。内容的に
正しき決定にも自発的に服従しうるが、自発的服従契機にとって内容的正しさは不可欠の
条件でない。その意味で正統性は正当性よりも服従チャンスの調達蓋然性を高める。
■日本のみが正統性感覚の欠如を露呈する原因の一端がマスコミにある。役人や政治家の
発言を官報よろしく垂れ流す記者クラブ5系列16社体制だ。この者どもは、周囲の奇異の
目を余所に、政府のケツを舐めてサマーワにも記者クラブ的報道管制を敷いた。
■「マスコミは第四の権力」(立法・行政・司法のチェック&バランス機関)が聞いて呆
れる。この「政府ケツ舐めメディア」ぶりを証明するのが、現地入りして取材する者らへ
の「立場可換の想像力(同感可能性)の不在」という異常現象だ。
311 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/10/29 10:01:25 ID:un/sas4E
>>306 なごタンからのお誘いもあったので、ちょっとだけ。
「人間としての普遍と言うものがある」と言うことに同意する。この同意が
しかし、あなたの思っているほど広範囲であると言うことは証明できない。
なぜなら、各民族や宗徒は、其れを自らの特殊な価値序列ではなく、「真理」
と考えているからである。
「個人が尊重されなければならない」という前提も、其れは社会秩序の中の
個人である。社会秩序と言うものが現世のものである以上、現世より来世を
重要と思うものは社会秩序の維持を求めない。したがって自爆テロが起きる
のである。
また、個人が尊重されることが個人の幸福に寄与するとしても、自己の幸福
より自己の所属する家族共同体の幸福・あるいは未来の子孫の幸福をより
重要視する価値観を持つものは多数存在する。なぜなら、人は死ぬものであり
残余が少ない人にとって、自己の幸福が最優先されない場合があるからである。
このさまざまな価値の多様の中から、どのような価値を優位と考え社会秩序を
形成するのかを語る・・・これが思想である。
貴殿が現在ただいまの個人を優位な価値としているわけだが、其れが普遍でな
いことは上記の二つの例で理解可能だろう。
地動説とは太陽を中心に見ているから地動説根のであって、相対的に中心がな
い宇宙においては、何処にも特殊な位置が存在しない=中心がないが、
現代的な「公的に正しい」把握であって、地動説も正しくはない。
まさに貴殿の個人の自由・個人の尊厳を優位化地租することと、地動説が
全くリンクしているねぇ。
これはなるほど悲惨なスレだな。 (リック、れ)と(ごみ)の基礎的な知識レベルに 差がありすぎ。議論にならねぇよ。
>>310 あ〜ついでに
>民主主義とは国民が自分の生活の中から制度づくりをしている過程であって(完成された)
>状態では無い。ここが民主主義の急所だ。
と
>人間としての普遍と言うものがある。
を足すと、すなわち進歩主義である。
「世界中の人類」および「将来の人類」のすべてにおいて適用される「完成された制度」
を予定し、そこに進まなければならない・・・とする思想である。
これが宗教でないとしたら、宗教は存在しない。
まだ見ぬ未来の人類と、把握しきれないさまざまな価値観を持つすべての人類に「適用
される制度・価値序列が存在する。」と言い切るのであるから、鬼子母神である。
まぁ概ねこの議論の行く末は「擬制だ」という一言が出るんだろう。しかしながら
擬制であるとするならば、其の擬制適用の妥当性の根拠、よりどころ(由来)を提示しなけ
ればならないハズであるから、其れがない場合単なる言い逃れである。
たかが現代の、たかが人間の脳内からひねり出されるものが「真理・完成された其れ」
であるはずはない。其の存在を確信するものは宗教信徒にしかいないだろうなぁ。
314 :
右や左の名無し様 :04/10/29 18:54:51 ID:3TFe7hRZ
315 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/10/29 19:11:30 ID:un/sas4E
も一つ、ついでに(と言うか突込みどころが多すぎ)
>>306 >イスラム教徒が俺達から理解できなくても彼等はそれを自由意志で選択した訳である。
>イスラム教がどんなに不自由でもそれを選択するのは自由意志である。
これもまぁ、相当にひどい認識・・・というか日本人が陥りやすい認識だなぁ。
毎度書くけど、宗教を信じている人は「りっくタンも含めて」宗教を信じていると言う
自覚などないと思ったほうが良い。つまり、真実であり真理であると「確信」している
のであって(りっくタンもそうだろう)、其れが宗教だとは、思っていないのである。
したがって、「選択」などしていないんだよね。日本人は信心を選択するわけだ。
進められて入信することはよくあるわけで、しかし真実と確信している人は、実は
あまりいない(建前だけ)。
回教を信仰している人と言うのは、其の回教社会において形成された秩序の中で
育った人たちであり、ムハンマドの大天使からの言葉と、其の解釈権者の言うことは
真実だとして作られた社会秩序の中で、何事かの選択の価値観も、其の中で作られた
人々・・・なわけで、それは米国人の一部が「福音を世界中に知らしめ世界が其の指
し示す価値にコミットするよう(たとえ武力をつかってでも)変えていくことが正義
だ」と思っていることと同じであり、りっくタンが「制度づくりをしている過程であっ
て」と思っていることとも、同等である。
自分が考えていることは真実真理(公に正しい)であり、ほかの人が信じていること
は「迷信である」が、迷信を信じることも其の人の自由だ・・・と考えるなら、相当に
ゴーマンだろうし、相対化のできない人なんだろうなぁ。
>日本人は信心を選択するわけだ。 どうしても、この人は「日本人だけは特別だ」と思い込みたいみたいだね。 以前図らずもS−RAMが「重婚はヤだ」と、それが特定の宗教の価値観に基づく発想だという意識もなく言ったことに象徴的に現れているように、 多くの日本人も既成の価値観に囚われているのは他の民族と何ら変わらないのであって、日本人だけが特別に価値観に中立な民族などということはありえないのである。 いや、むしろ日本は欧米のような多様な価値観が並存しているような社会よりも、イスラム圏に近いかもしれぬ。
>>290 なごタン
JRの話はそろそろ切り上げないか?正直言ってあまり面白くない。スレタイの「民主主
義」とも関係ないし。
>利益を無関係の地域に補填
それは高速道路の話だろ。しかし、考えてみれば採算部門で挙げた利益で不採算部
門を維持するなんてことは別にJRに限ったことではないだろうが。
>採算を度外視しろ
そんなこといっとらんだろ。相変わらず読解力に問題があるみたいだな。採算もも
ちろん大事だが、住民の足という面も同じくらい或いはそれ以上に重要だと言っている。
>もともと自由であったものを規制する
そこがあなたの赤坂見附じゃなかった浅はかさだよ。れれれのおぢさんと同じよう
なことを言っているが(ひょっとして受け売り?)、調整しない自由なんてありえる
か?それが本当の意味で自由といえるのか?
というか、平等であれ、自由であれ、それらを憲法に書いて国家に保障させなけれ
ばならないということ自体からも、それらが国家による調整を必然的に必要としてい
ることは明らかなのだが。
>民間企業はそんなに人権尊重してないのけ?
民間企業が自発的に人権尊重していると思っている時点でアウトなのだが。むしろ
これ迄私的自治の原則が声高に叫ばれ、企業による人権侵害が野放しにされてきた経
緯があり、今後は人権規定を大きな企業には直接的に適用していくべきだという主張
もあるぐらい。雪印の事例はまさに民間企業が人権尊重なんて眼中にないことの好例
だろ。企業が労働者や消費者の人権を侵害した場合に、国家や社会によって既成を受
け違反した場合には制裁を受けるという状況を設定することによって、辛うじて企業
による人権侵害を防止することが可能になる。
>(ほかのど折で動いてる)ってことなんじゃないの?
だから問題なんだよ。何度も言っているだろ?企業は利益追求マシーンだって。企
業も社会の中で活動する社会的な存在である以上、企業に対して社会において一般に
重要とされているものを遵守・尊重させるのは当然の事。
>血税を使ってでも立て直すという 誰がそんなこと言った?労働者や消費者更には一般市民の利益を保護するために、 企業の営業の自由や財産権には必要な調整を行うべきということ。 >管理統制された社会が健全 思想や表現活動が管理統制される社会は健全とは到底いえないが、財産権や営業の 自由には「公共の福祉」による制約を課すことは、むしろ健全な社会を実現するため には必要なことだ。
>>318 >思想や表現活動が管理統制される社会は健全とは到底いえない
そんなことは無いだろう。社会である以上その社会にとって
不都合な思想や表現活動が管理統制されるのは必然の成り行きだ。
それがイヤなら社会を作らないことだ。
320 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/30 02:49:44 ID:B/3sJKQK
>>311 >現世より来世を重要と思う
イスラム教が来世を大切に思うなら自爆テロなんかしない。
これは
>>258 に書いた。
>毎度書くけど、宗教を信じている人は「りっくタンも含めて」宗教を信じていると言う
>自覚などないと思ったほうが良い。
もう一度
>>306 を読んでくれ。
>『シーザーを理解するためにシーザーである必要はないそうでなければあらゆる歴史記述は無意味であろう。』
>【発言者】荒巻大輔
>【意味】世界は偉人たちの水準で生きるわけにはいかない
>【備考】ウェーバーは「直接的理解」を「説明的理解」と切り離して考察しようとした。
「説明的理解」=本人に宗教を信じているとか選択したとか言う自覚がなくても客観的には選択した事には変わり無い。
321 :
右や左の名無し様 :04/10/30 03:08:55 ID:B/3sJKQK
>>313 >そこに進まなければならない・・・とする思想である。
進まなければならないのでは無く必然的にそうなるという模型構築。
言い方を変えればいくつかの公理(前提)を要請してそこから導き出された法則。
この問題に対するヒュームの解答は、諸個人が人間として生存するための条件は、
それ自体が社会的なものであるという洞察にもとづいている。
人間は喜びを求め、苦しみを避けようとする動物であるという限りにおいて、
ヒュームの人間観はのちの功利主義者たちと軌を一にするものである。
だが、ヒュームによれば、人間は単に快苦の感覚を受動的に受け取る存在ではなく、
人間として最大の喜びは、ある目的に向かって精神と身体を活発に活動させることに存するのである。
そして、何ものかがそのような活動の目的になりうるためには、
それが社会的に認められた有用性をもつ必要がある。
そのうえ、目的の達成は、それが長期的なものであればあるほど、他から干渉を受けない自由と、
さらには他者の協力を多くの場合に必要とする。
社会のなかで生きる人間の物質的な生活条件は、このような諸個人の活動の協調と、
その成果の交換と流通によって成立する。
ここにおいて、各人の利益は、自由な活動と他の個人との協力を可能にする社会秩序の維持に一致する。
そればかりでなく、各人は、他の諸個人が、社会的に有用な目的を目指して等しく
自由に活動することを必要とするのである。
ttp://www.ritsumei.ac.jp/kic/~tit03611/ncom.html 人は何故生きようとするか?生存本能は何故あるのか?リビドーは何故あるのか?それはどんな力に刺激されるのか?
科学でで理解するには限界がある。
神の領域は科学の臨界点のの先にあり宗教(根源的偶発性処理機能)はその先の世界である。
アインシュタインは、スピノザの神(理神論)に傾倒していた。
>>320 自殺と自爆テロを同列に語る時点で、すでに勝手な客観に陥っている。
少なくとも、自爆テロを行うものは「これは自殺ではない」と思っている。
回教とて一神教であり、クリエーターで唯一絶対神である神を信仰しているのだから
神から与えられし生命を「神の許しなく」殺害することは禁じられる。
(自他を問わない)。自爆テロは、シナイ山の麓でモーゼがイスラエルの民を大量虐殺
したことと同様に「神が許したもうた事」という把握なのである。
>客観的には選択した事には変わり無い。
選択した自覚のないものにとって、それは
「選択したものでは無く必然的にそうなるという模型構築。
言い方を変えればいくつかの公理(前提)を要請してそこから導き出された法則。」
じゃないのかね。
>>321 の「人間観」・・・すなわち
>人間として最大の喜びは、ある目的に向かって精神と身体を活発に活動させることに
>存するのである。
という前提が共有されていない場合に、其の人たちにとって「必然であり法則」として
自爆テロが位置付けられている。
つまりあなたの『摂理とか必然とか法則』は其の人間観が共有されている範囲でのみ
有効であるに過ぎず「人類普遍」ではない。
そもそも
「人間における最大の喜び」というとき、その人間とは、現世の死ぬまでの意識体とし
ての「人間」なのか、死後の「魂としての幸福をも含む」のか、輪廻転生する「識」
としての主体をも含むのかによって「最大の喜び」は違ってくるだろう。
で、「最大の喜び」が「客観性を持たない」のであるから、所詮は「必然でも摂理でも
ない」ということだよ。
つづき
で、「人間として最大の喜びは、ある目的に向かって精神と身体を活発に活動させることに
存するのである。」などの前提から導かれる「それ」を、制度の根幹となる摂理とする
場合、「前提の検証などできないけれども、とりあえず其れを正しいとして」構築するしか
ないわけで、こういうことを「擬制」という人もいる。
だから、
>>313 で擬制に触れている。
「検証不可能である何かしらの前提を、正しいとしなければ社会秩序は構築できない」
ならば、其の前提の由来、なぜ其れを前提として正しいとするのかのより所というものが
提示される必要があるわけで、それがEUの「基督教に由来する人間中心主義」であったり
「人類が普段の努力で勝ち取ってきた自由」であったりするわけだ。
ここに注目できる人は「客観性がある」わけで、「前提を無条件に確信する人」は、
宗教家である。りっくタンは書き込みを見ている限り、後者だね。
>>321 ついでに言うと
「アインシュタイン」は「美しくも単純な法則」が宇宙を支配していると信仰
していたわけで、このことと、造物主の存在は緊密な関係にある。
したがって「神はサイコロ遊びをしない」ともいうし「統一理論」に全精力を
傾ける。物理学はマクロとミクロの中から「神の一撃=神の存在証明」を探す
行為でもある。すなわち論理的に証明できない事象がこの宇宙を支配している
なら其れこそが神の存在証明となるからである。
しかしながら、ビッックバンさえ、神の一撃ではなく確立の揺らぎの範疇であ
ることが説明され、サイコロ遊びがミクロの場面でもマクロの部分でも其の都
度・其の場面で必要とされてしまった。
現代では、宇宙は「客観的傍観者=人間」が存在しない限り認識されず、認識
されないものは存在しないという理屈で、「人間」をして宇宙発生の理由であ
ると考える説さえ存在する。
神が造物主であり決定者であるなら、まさに多神教であり、入り子構造の其の
区画ごとに神がサイコロを振っているから、まさに曼荼羅こそが宇宙を示して
いるという考えにいたる。仮に曼荼羅をアインシュタインが知っていたなら、
さいころあぞびを肯定し、さらに宇宙の構図が早く理解された可能性もあるか
もしれない。
相当な妄想癖だな。
とりあえずひとつ貼っておく。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-116.htm ▼イスラム教における自爆テロの意味
<略>
しかし、神から授けられた(という)御言葉集の『コーラン』や、預言者ムハンマドの言行録である『スンナ』といったイスラ
ム教徒の聖典(シャリーア)においては、自殺は禁止されている。このことは、昨今、パレスチナにおいて、毎日のように敢
行されている自爆テロという行為と相矛盾するのである。イスラム教では、一般的には戦争は禁止されている。ただ、自分
たちのイスラム信仰共同体(ウンマ)が外部の勢力によって攻撃された時に、これ(ウンマ)を守るために、自衛するための
戦争は肯定されている。つまり、すべての戦争ならびに戦争によって発生する人殺しの目的としては、信仰共同体を守る
こと以外には許されていないのである。そのひとつの戦術として「自爆攻撃」という手段が生じる。これを「殉教」と称する。
PLOの主流派であるアル・アクサ(殉教教団)なども、こういう神学的な論拠から、若者に自爆テロを勧めるのである。した
がって、イスラム共同体が被害者意識を持つかぎり、いくらアメリカやイスラエルが、「テロ封じ」という大義名分を立てて
も、自爆という殉教者をなくすことはできないのである。
<略>
俺はイスラム教をよく知らない。だけど、知らないことを知っている。自分の定規で推し量れないことを知っている。
おぬし(ら)もイスラム教を知らない。だけど、知ったような振りをしてる。自分の定規で測って勝手にわめいてる。
宗教性が強いところで反宗教的な自由など許されるはずがないでしょ。当たり前だよ。
>>307 >ごみたんは都合のいいとこだけ取り上げて上げあしとりだーね。
はぁ?俺の言いたいことが理解できてないからそうなるんよ。被害妄想。こっちのあげあしでもとってみれ。
>君の仮定が許されねば論の展開なんぞできないのでわ?
誰が仮定することが許されないといった?俺は、俺のもおぬしのも仮定であるという認識が必要だといいたかったんよ。
俺も仮定。おぬしのも仮定。その仮定が正しいかの検証もなされないまま、勝手に仮定しても砂上に楼閣を建てるよう
なものだよ。
>ゼミのディベートどうやってるの????
俺は学生さんではない。ゼミのディベートは好きだったぜぃ。他のゼミ生からは論敵として好かれてなかったが。
教授から「発想が柔軟、論点も的確に捉えてる。しかし、勉強不足。勉強すれば素晴らしかったのにもったいなかった」
と最後の送別会で言われる。惜しいことをした。
ざこたん
>>308 >政教一致の政体を取ってる国は中東においてはイランが有名だが、
「政教一致」とは革命後のイランやアフガンの旧タリバン政権など俗に言うイスラム共和制とよばれる宗教が政治に極
度の介入してる状態を限定して言うのではない。基準は国教をその国家が定めているかである。
>パキスタンは政教分離。
パキスタンも国教をイスラム教と定めてる。
>スンニ派が多数のイラク、エジプト、リビア、サウジ等々政体はいろいろだが宗教は分離されている。
アラブ諸国の殆どはイスラム教を国教(または事実上の国教)として扱っている。
>宗教指導者が民衆に対して影響力をもっているが、あくまで政治とは分離されている。
どれくらい分離されてるのかな?
分離してたらイスラム指導者が独自の政治力を持つこともあるまい。
>20世紀以降のイスラム国家の近代史をもう少し学ぶ必要があるな。
おぬしは政教分離について学ぶ必要があるな。政教一致が民主主義の敵ではない。英国は国教会が国教であるし、北
欧ではキリスト教福音ルーテル派が国教。政教一致も甚だしい。だけど誰も反民主国家だとは言わないでしょ?
>現在、極めて異例なんだ。
政教分離について誤解してる香具師はおぬしだけではない。だから異例のことではないが、院生としては・・・。
>まったくもって、事実と異なる意見で酷すぎる。イスラムに関して、薄い入門書でもいいからよんでごらん。
お主が読んでるイスラム関係の本を教えてほしい。あと、お薦めの入門書もね。
>>309 >僕のいる院は教官以下崩壊だわ。
一つだけ忠告しておくよ。2chで素性をばらすのはよくない。どこでどのように見られてるか分からないからだ。
忠告ついでに言っておくと、俺は仕事柄、大学の教授や研究施設の研究員とかにお会いすることも少なくない(異分野
だが)、そのことを踏まえて言うと、彼らはよく言えば専門馬鹿。悪く言えば世間知らずだ。
院生だと素性がばらしたところで実態を知ってるものにとっては大したことはない。俺もそんなところだと見ていた。逆
に醜態はさらせなくなったね。
「学者に政治の何が分かる」(亀井静香)
>ゼミメンバーとここをROMったが、リックたんの論がまともという意見が多かったので、一応書いとく。
俺も論理だって説明してないことに気づいたよ。亀ちゃんやさんちゃんれれれのれたんと馴れ合ってたんでその辺が
いい加減だったな。まだ殆ど手をつけてないが、近く公開するよ。これで少しは論としてまともになるかなぁ?
>イスラムに関しては現状誤認、推定については「推定でしょ?」 というスタンス、、。
イスラムに関して事実誤認をしてるのはどっちかな?
推定については俺はイスラム専門家ではないので、押しが弱かったりする。ゆえの表現上の問題。
>自説の証明のために論の整合性がつかなくなっている。
具体的に。持論を展開する際に補足するからさ。
>>312 雑魚たその連れ?
れたん
俺の論で決定的に整合性のかけてる部分手どれくらいある?
さんちゃん
すばらく忙しいんでレスは遅れる。おぬしにはほんとにすまそな。
>>324 >曼荼羅をアインシュタインが知っていたなら
知っていたんじゃないか、恐らく。曼荼羅は別に日本にしかないものじゃないし。
知っていたけど、それで宇宙の真理を明らかにすることはとてもできないと思って却下したんだと思う。
>>330 >俺の論で決定的に整合性のかけてる部分手どれくらいある?
うーん、なごタンの全体像って良くわからんから、良くわからん全体像との
整合性を聞かれても、わからんとしか答えようがない。
問題は(私の場合もそうだけれども)、議論相手が意見の相違の「核心」
を捉えきれないから、全体像と其の核心(私の場合で言えば和の理念と
その和からはみ出た部分の振る舞いとしての霊的権威)にまで、話が
及ばない・・・核心に関して質問できない相手・・・にしか出会えない
ことだろうね。だから、貴殿の主張核心の話がわからん。
「われ思うゆえに我あり」と「アートマンの否定」なんて話しは到底無理で
しょ。「無常の思想であり、縁起の思想であり、無我の思想である仏教が日本
に深く根を下ろし、絶対神の思想であり、永遠の魂の思想であり、独善的排他
主義の思想であるキリスト教が日本に根を下ろすことが出来なかったのは、
日本人の根本的人間観が和の思想のそれであったからである。人間は皆凡夫で
あり、それゆえ誰も自己の正義や価値観を他人に押し付ける権利をもたない、
また他人の意見が自分と違うからといってそれを排斥してはならない、むしろ、
皆和して衆議によって得られる理によって共同体を運営せよ、というあの十七
条憲法の和の思想が日本人の根本的人間観・社会観であったからである。」
という
http://www.j-world.com/usr/sakura/index.htmlあたりの話は 、
到底ここでは無理かも。
333 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/31 13:46:46 ID:TPpOQXov
>>322 >自殺と自爆テロを同列に語る時点で、すでに勝手な客観に陥っている。
>少なくとも、自爆テロを行うものは「これは自殺ではない」と思っている。
「自らを殺してはならない。神はお前たちに慈悲深くあられる。
罪深く、不当にもそうしたことをする者があれば、われら(神)は必ず地獄の業火に投げ込んでやる」
『コーラン』四章二九−三〇
ここには、自殺とは書いて無く自らを殺してはならないと書いてある。
教義は解釈次第でどうにでもなると言うがそれでは連帯性がない。
自爆テロはアノミー(無規範、無連帯)である。
しかし「神が許したもうた事」というのは恐ろしい解釈だな。
コーランにそう書いてあるなら解るがGodは予言者以外とコンタクトをとらないものだ。
予言者で無い者が勝手に教義を解釈する背景には教義を知らないという不自由からくるアノミーがある。
>選択した自覚のないものにとって、
「説明的理解」=本人が選択したとか言う自覚がなくても客観的には選択した事には変わり無い。
>という前提が共有されていない場合に、其の人たちにとって「必然であり法則」として
>自爆テロが位置付けられている。
それをアノミー状態という。 (
>>117-118 参照)
殉教しようとする意志でさえ精神と身体を活発に活動させることだからね。
334 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/31 13:48:12 ID:TPpOQXov
以上で
> つまりあなたの『摂理とか必然とか法則』は其の人間観が共有されている範囲でのみ
>有効であるに過ぎず「人類普遍」ではない。
これを否定。
>>323 >ここに注目できる人は「客観性がある」わけで、「前提を無条件に確信する人」は、
>宗教家である。りっくタンは書き込みを見ている限り、後者だね。
>>313 >「世界中の人類」および「将来の人類」のすべてにおいて適用される「完成された制度」
>を予定し、そこに進まなければならない・・・とする思想である。
>これが宗教でないとしたら、宗教は存在しない。
>>321 で
>人は何故生きようとするか?生存本能は何故あるのか?リビドーは何故あるのか?それはどんな力に刺激されるのか?
>科学でで理解するには限界がある。
>神の領域は科学の臨界点のの先にあり宗教(根源的偶発性処理機能)はその先の世界である。
と書き込んだが「完成された制度」を予定し、そこに進まなければならないとは書いていない。
ただ俺個人の宗教性は否定しない。
>「検証不可能である何かしらの前提を、正しいとしなければ社会秩序は構築できない」
>ならば、其の前提の由来、なぜ其れを前提として正しいとするのかのより所というものが
>提示される必要があるわけで、それがEUの「基督教に由来する人間中心主義」であったり
>「人類が普段の努力で勝ち取ってきた自由」であったりするわけだ。
ようやくマトモな方向に議論が(w
なごみと議論しているとスネ−クマンショーの警察だ!!・・・だぁーれぇーーーーみたいで(w
335 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/31 14:10:20 ID:TPpOQXov
時間が無いのでソースを投下
【下位システムへの分化の利得と、癒合の阻止】
■とはいえ類似点も重要です。一単位で複数の機能を包括的に担うより、
単位ごとに異なる機能を分掌した後に連帯した方が多くの富を分かち合えるとの発想は、
「分化と統合による遂行能力performanceの上昇」という、機能的分化の機能(利得)を言い当てています。
■即ち、システムが自らの存続に必要な機能的達成を下位システムに委ねる必要は必ずしもないが、
下位システムをあえて分出することの利得は機能的な遂行能力の上昇にあります。この遂行能力の上昇は、
生き残り戦略上有利で、近代社会の圧倒的強さを帰結します。
■機能的に分化した近代のシステムは、他よりも多くの人口を養えて、他よりも高度な技術を達成でき、
他よりも人々の雑多な要求に応じられ、他よりも人々の多様な行動や内面を許容できます。
だから近代社会は他の社会を打ち負かし、また人々は近代化を選びます。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=177&catid=7 >>332 ttp://www.j-world.com/usr/sakura/japan/wa_and_kojin.html 和の思想と個人主義(人権思想)がこの点で共通しているのは、考えてみれば当然のことといえるかもしれない。
なぜなら、いかなる共同体社会であろうとも、それをいかに運営するかにという基本的方針を定めようとすれば、
共同体内の個人や集団の闘争を制御しなければならないからである。
和の思想も人権思想も、結局、個人を不当な攻撃から護るためのものである。
それは、文明社会が野蛮社会から区別されるための最低条件であるからである。
個人主義と和の思想が共有するもうひとつの大切な共通点は、
衆の同意によって共同体運営の方針決定がなされなければならない、
という民主主義あるいは衆議思想と深い関わりを持っていることである。
個人主義は(攻撃の対象となる)個人を神聖化することにより、和の思想は(攻撃しようとする)個人を非神聖化することにより、
(個にたいする不当な攻撃の禁止という)同じ目的を達成しようとするのである。
>>334 こりゃ重症だわさ。否定できていないことを「否定」といわれても・・・。
まず、回教について常識的な説明から。
無論、基督教にも当てはまる部分はあるのだが、貴殿は「教義解釈権」というものの
理解がないと思われる。貴殿が「ここには、自殺とは・・・アノミーがある。」と
書いているところに其れは如実に反映されている。
はっきり言えば、其れはあなたの『解釈』に過ぎない。で、回教徒にとって貴殿の
解釈など「何の意味もない」し、自分の解釈も、「何の意味もない」のである。
ここを無理解だから、そういうことがかける。
宗教の歴史とは解釈権の正統性の歴史であるとも言える。カトリックを解釈権者から
除外する運動こそプロテスタントだろうし、回教内の宗派問題もそこに集約される。
血統が正統性を得られるのかという問題でもある。
いずれにしても、回教は「ムハンマドが大天使から直接預言を聞いた」という位置付
けである。すなわち、基督教のように使徒が書きとめた経典よりも重い。したがって
解釈権の範囲は狭く、だから非合理的である。解釈は「宗教指導者」だけが可能なの
であり、信者の解釈件など一切認めないのが回教の基本である。
だから、解釈権者である宗教指導者が「神の許しがある行為だ」といえば「神が許し
たもう自爆テロ」なのである。こういうことをまず基礎知識として持つ必要がある。
あとは誰かが紹介してくれるであろう回教の本でも読んでくれ。
でさ、そのような回教の社会において「宗教指導者は絶対的権威」があるわけだ。 なぜ宗教指導者が必要かといえば、経典が想定していない事象(例えばテレビの発明) ガあるからに他ならない。テレビを見ることは戒律に違反するかどうか・・・これを 決定できるのは宗教指導者だけ、なのである。 こういう社会において、大統領が選ばれたとして、それが宗教指導者と同一人物である にしても、違う人物にしても「政教分離」は無理なんじゃないの? ということをなごタンは言っているんだろうし、私も同意するなぁ。 回教を学ばなければ現実に社会生活を送れないわけだよ。彼らにとっての社会生活と いうのは「回教の戒律を守りながら現世を生きることに他ならない」わけだ。 宗教教育をしないと、社会人は育成できない罠。 無論他教を信じるものにとっても、其の教育は必要なわけで、なぜなら回教価値が秩 序となっているからだ。回教の教義にコミットした国政運営こそが、彼らの幸福なわ けで、女性の地位も回教教義によれば、低いだろう。(結構大切には扱われていると 私は思うが、男女平等ではない罠) そういう国民の大多数の価値序列にコミットしなければ、国民は幸福に生活できない わけでしょ。男女同権だから、肌をさらして自由に闊歩させれば、宗教指導者でも 教義に反することは許せないわけで、政府はつぶれる罠。
>>335 前段:そういうコピペは良いから、貴殿の立脚点を示そうよ。
後段:だから何?日本人と基督教徒において共通するものがある以上の
何も語っていないよ。というかそこは私は前々から紹介し、隅々まで読んでいるし。
339 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/31 15:29:00 ID:TPpOQXov
出かける前にちょっと一言。 ここでイスラム教の倫理とイスラム共同体の道徳を混同すると混乱が生じる。 >いずれにしても、回教は「ムハンマドが大天使から直接預言を聞いた」という位置付 >けである。すなわち、基督教のように使徒が書きとめた経典よりも重い。 予言者が大天使から直接預言を聞いた(倫理) 宗教指導者が指示した(道徳) 経典より大天使の言葉が重いのは理解できるが一介の宗教指導者の場合はどうだ? 神が許したか? 本人達にはその自覚が無くてもこれはイスラム教とのアノミーである事には変わり無い。 もう一つこの議論はイスラム教が不自由だからアノミーを起こすのでは無く 外部(アメリカとか)の束縛・強制などの危機感からアノミーが生じているという前提で進んでいます。 例えばイスラム教徒にアメリカと対当に戦える他の選択肢があっても自爆テロは起きるだろうか? 裕福なイスラム教徒は自爆テロを行わないのか? イスラム教徒がなごみの言うように宗教のために死ぬのが当たり前ならこう言った疑問は起こらない。
>>339 >イスラム教徒がなごみの言うように宗教のために死ぬのが当たり前ならこう言った
>疑問は起こらない。
なら、
>一介の宗教指導者の場合はどうだ?
といわれても、宗教指導者に従うのが当たり前なんだから、疑問は起きないはずなん
だが・・・フゥ。なぜそこで疑問が起きるかといえば、それが「あなたの宗教観」と
違うからだとしか思えない。あなたの宗教観など「どでもいい」のであって、
私が言っていることは、回教という宗教の一般把握である。
一番困る人たちというのは「自分の価値観は宗教ではなく正当であり論理帰結だ」と
思い込んでいる人で、回教徒にとっても「宗教指導者に従い、回教の戒律を守ること」
は「宗教ではなく正当であり論理帰結だ」と考えていることを想像できない人である。
イスラムが不自由なのは基督教徒の比較であって、回教徒はそのように考えていない
わけで、だから不自由であることは宗教解釈権者の権威が高くなる以外の何の要因にも
ならないわけです。「外れた現象」が当該共同体としての評価だとするなら、其の共同
体の範囲というものが提示されないと議論にならないわけで、「自覚」という点では
「ジャストど真ん中」と把握され、彼の所属する宗教共同体でも同じですよ。
それをアノミーと評価したところで無意味でしょうよ。
>>336 >信者の解釈件など一切認めないのが回教の基本
回教に限らん。教義を持つ宗教は全てそうだ。
というよりは、これが教義なのだと言える者以外の者が
勝手に解釈することは許されていない。
しかし、解釈を許されていない者が解釈しそれを広めるから
○○派などと称する分派がゾロゾロと出来るのだな。
力さえ持てばどのように解釈することも自由
その解釈を人に押し付けるのも自由ということでしかない。
力を持たない者共は否応無くその誰かの解釈に従うしか
生きる道が無いというだけのことだ。
342 :
右や左の名無し様 :04/10/31 21:54:01 ID:mih2+iMY
宗教が「従う」「従わせる」物ならそうなるでしょう 一人一人が一人思考する修行者であるべきです 一介の巡礼者になることです 巡礼に議論があってはなりません 出会うすべての者たちへの礼拝の行なのです
343 :
右や左の名無し様 :04/10/31 23:55:01 ID:M8iDftdx
>>340 論点がずれている
自爆テロが当然の行為ならリックが言うとうり
豊かであろうがアメリカに対抗できる戦力を持とうが自爆テロは当然の行為となる。
回教徒が協議を理解できないために解釈を指導者に任せるとういう道徳と
協議である戒律が何なのか勝手な解釈が許されない倫理を
同列に考える事は回教徒にとっては回教からのアノミーでしかない。
だがそれは回教の価値観と回教徒の価値観にギャップが生じる事をアノミーと呼ぶ場合に限る。
死んでも守りたい何かが回教の戒律ではなく共同体内の道徳だったら
アノミー以外の何者でもないよ。
だいたいコーランに戒律より指導者の言うことを聞くべしと書いてあるのかね。
>>343 何を言っているのかね。アノミーであるという評価をすることの意味を
問うているのはわかるだろう。
「回教徒全体」という共同体範囲から見れば「アノミー」ということはできる。
しかし、自爆テロを行う当人の宗教共同体から見れば「ジャストど真ん中」で
あってアノミーではない場合に、アノミーと評価して何事かを語る意味が
ないだろうといっているのだよ。
で、もう一つは、其の所属宗教共同体がアノミーダと評価したところで、結局
彼らが共有する道徳規範は「彼らの宗教指導者と彼ら自身」が作るものであり
回教徒全体が共有するそれに収斂しなければならないとは言えないだろうよ。
結局は「国の規模」には一定のボリュームが必要であって、其のボリュームを
統べる権威(宗教でも経済でもなんでもいいが)というものが存在しないと、
混乱が終結するのは、闘争・戦闘の結果でしかありえないということ。
>>342 宗教もいろいろ
ちょっと誤解されそうなので訂正 其の所属宗教共同体がアノミーダと評価したところで ↓ 其の所属宗教共同体そのものが、回教全体から見てアノミーであると評価したところで
346 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/01 22:47:17 ID:OdQZjGe1
>>344 理解できた。
>宗教指導者に従うのが当たり前なんだから
この前提があればアノミーじゃ無いね。
ここで何故、戒律がおざなりになって宗教指導者に従うのが当たり前なのかという疑問が生じる。
後、例えばイスラム教徒にアメリカと対当に戦える他の選択肢があっても自爆テロは起きるだろうか?
裕福なイスラム教徒は自爆テロを行わないのか? という疑問は消えない。
もともと貧困や迫害等、望み無き不自由な人生を生きる者のアノミーを
カリスマに自己同一化する事によって吸収しその信念を実践することによって
人びとを単一の共同体へと統合し社会を形成するのが宗教である。
だが、イスラム教では戒律を守った人間が者達が救われる。
しかし食うや食わずでその日暮らしをする人間に戒律を全て守る余裕はない。
戒律を全て守れる人間は初めから裕福な救われている人間に限られてしまう。
今度は選択肢は存在するが特定の選択が抑圧されるという不自由のためアノミーが生じる。
そこで宗教指導者が共同体内の道徳を正当化する為のネタとしてイスラム教の戒律を使いアノミーを吸収する。
ここで共同体内の道徳を守る事がカリスマと自己同一化する事となり神が許したもうた事となる。
自己責任によってなされた試行錯誤の結果、共同体から肯定され、承認されて尊厳を獲得してきたひとは、
自分が自分であることにとって共同体は無くてはならないから
共同体が他者に土足で踏みにじられた場合に個人の尊厳を犯した事となりアノミーが生じる。
そのアノミーを宗教指導者がジハードとして方向づける事で吸収するが相手が強大だと
攻撃選択肢が端的 に不在だという不自由からまたアノミーが生じるが
これも宗教指導者が正当化する事によって吸収しきれるか?
敵を殺す事は不可能と言う不自由から無差別自爆テロで身内を殺すという無連帯(アノミー)が生じる。
敵が秩序を求めれば無差別自爆テロで秩序を破壊する事によって無規範(アノミー)状態を作る。
アノミーが信仰となりカリスマと同一化する事となりテロルの正義が成り立つ。
>イスラム戦士は(国家ではないが)宗教のために死ぬのがまとも。主らの意見と真逆なわけで、だか
>らこそたちが悪い。
というなごみの言い分はやっばりデタラメだな。
347 :
右や左の名無し様 :04/11/02 07:52:38 ID:l4AK5Ak3
>>346 >戒律がおざなりになって宗教指導者に従うのが当たり前なのかという
いや、「戒律に従う」=「戒律を解釈する宗教指導者に従う」です。
宗教指導者というのは「教義の解釈権をもつ人」であるから
貴殿の言うような「現実」と「書いてある教義」に齟齬が出る場合において
(例えば貧困から戒律を守りきれないとか、TVの出現とかの場合に)「書いて
ある教義」をどう解釈すればいいのかの決定権をもっているということなん
だよ。で、それは継続的な整合性を求められるわけだ。
(回教において貧困から守ることのできない教義というものがあるかどうか
はわからないけれども、文面表現上そのように捉えることができるものはあるだ
ろうな。)
無論、生活環境や経済状況というものの影響というのはないわけではないだろう
けれども、実際にアルカイダにしても「他国に出張してまで」テロを行っている
わけで・・・。彼らのとってはイスラム圏というのは、神が与えし特殊で聖なる
土地だろうね。実際石油というものがあるのだから、プロミスランドとしては
西岸よりは適しているね。モーゼよりはムハンマドのほうが、正しい預言をその
部分においては表現したかもしれない。
いずれにしても彼ら一神教は、神から与えられし国土を奪われ他民族の悲惨な歴
史を知っているわけだから、回教国としてのアイデンティティにもとづく、宗教
的エリアの防衛には必死になるだろうね。
>>349 >結構参考になるね。
「参考になる」どころか、思いっきりそれに立脚して立論しているんだろ。(w
説明しているだけだし。
352 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/02 23:29:30 ID:6jCrjrkL
>>348 >宗教指導者というのは「教義の解釈権をもつ人」であるから
>貴殿の言うような「現実」と「書いてある教義」に齟齬が出る場合において
>(例えば貧困から戒律を守りきれないとか、TVの出現とかの場合に)「書いて
>ある教義」をどう解釈すればいいのかの決定権をもっているということなん
>だよ。で、それは継続的な整合性を求められるわけだ。
>>346 の
>そこで宗教指導者が共同体内の道徳を正当化する為のネタとしてイスラム教の戒律を使いアノミーを吸収する。
と矛盾しません。
リンク先の「殺せ!と神が命じるとき」の
>被告人として裁かれている信者・元信者たちには、私が知るかぎり、交通事故などの過失犯を除いて、
>ほとんど前科がない。オウムに関わる前は犯罪とは無縁であり、むしろ人を傷つけることを恐れるタイプだった彼らが、
>いくら教祖の命令とは言え、どうして殺人まで犯すことができたのか。
なぜかと言えばアノミーがあるからなんだが。
日本は子どもから見れば社会は学校であり、学校は社会全体の出店みたいなものになってしまい
家・地域・学校と言ったそれぞれ違う物差で子どもを計るといった
多様性を持った社会が無くなり教育システムが学校に『画一化』されている。
だから、子どもとコミュニケーしョンがとれない 教師の自己満足的にされた評価が
子どもを計る唯一無二の物差となってしまい学校的な価値の物差しの外側で自尊心を抱くチャンスが
推奨されるどころか、むしろ徹底的に抑圧され、尊厳を貶められたために選択能力が極端に低く不自由である。
受験戦争の外の世界、つまり「社会関係」の中で それがどういう意味付けを持つかと言う事を明晰に意識出来る様な
生育環境が学校化という画一化された日本の社会には無い。
さらにバブル経済崩壊、年功序列と終身雇用制度の崩壊がおき自尊心のベースが崩れるとアノミー状態になる。
後は、ドラックのイニシエーションでマインドコントロールして信者の出来上がり(w
>>352 >教育システムが学校に『画一化』されている。
学校教育は極めて効率化され理想的な状態になっている、と言うことだな。
354 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/04 00:24:32 ID:a8Q4A5jO
>>353 学校教育は極めて効率化されただけの状態になっている、と言うこと.
後は
>>8 >>41 >>75 を読んでくれ。
そう言えば貼った本人が言うのもなんだが
>>335 の「和の思想と個人主義」はツッコミ所満載で面白い。
個人主義とは「個人の獲得は公共の美徳」という
社会全体、経済全体の事なんか少しも気にしないで
消費者は自分の効用を最大にしようとし、企業は自分の利潤を最大にしようとし
そのためにだけ全力をあげて努力した結果、市場機構がうまく働いて
最大多数の最大幸福が達成されて社会全体が良くなると言うもの。
和の精神の独善主義を捨てて、自分と違う意見を持つ者に対して寛容でなければならない、
というものはない。
>共同体内の個人や集団の闘争を制御しなければならないからである。
こういった前提は無いというか社会や国家が共同体であるという前提が間違い。
社会の中で同じ方針や思想を持った者が集まって共同体が形成される。
つまり西洋にも伝統的相互扶助の関係である和の精神と同じ道徳はあるのである。
その為にはロックの自然状態を実現する倫理が必要となる。
人間は「生命」「身体」「自由」を平等に所有し
身体を自由に動かす事によって得られたリソースはこの人の所有となる。
要するに資本主義があって始めて個人主義が実現する訳であって
>>332 でれが
>無常の思想であり、縁起の思想であり、無我の思想である仏教が日本に深く根を下ろし、
>絶対神の思想であり、永遠の魂の思想であり、独善的排他
>主義の思想であるキリスト教が日本に根を下ろすことが出来なかったのは、
>日本人の根本的人間観が和の思想のそれであったからである。
と言ったがただそれは日本の風土や気候、島国であるといった地政学的な背景が
安定した共同性を保証できたという前提があっただけである。
>>352 >と矛盾しません。
だから、矛盾しようと矛盾しなかろうと、アノミーと捉えたところで
意味は無かろうよ。「継続的な整合性」の元に出された「論理的帰結」である
と彼らが理解している限り、その宗教教義解釈のロジック自体を批判しない
かぎり、その「アノミー」は常に噴出すものなんだから。
アノミーと評価して意義がある場合というのは、まさにオウムのように、
「継続的整合性からの帰結ではなく、現実の宗教解釈者としての都合から
要請された帰結」である場合であって、その部分においてオウムと回教は
同列ではない。
まさにこういう部分の無理解が、自己の信仰するところの【西欧的民主主義】
を論理といい、回教としての「論理的帰結」を「信仰」とか「アノミー」と
評価するゴーマンにつながるわけだ。
>と言ったがただそれは日本の風土や気候、島国であるといった地政学的な背景が
>安定した共同性を保証できたという前提があっただけである。
これは散々存在意義で史実を持ち出して論証してきた通り、全くの「思い込み」
にすぎない「妄言」である。
無論、どこの国煮の地理的な優位性はあるが、だからといって他国の侵略が無かった
わけでもなく、奈良時代やそれ以前の国防および外交についての史実的に証明される
さまざまな行動も有り、また明治維新運動の際に他国の応援を要請していれば分割植
民地になった可能性も否定できないわけで、まさに「妄言」である。
んで、りっくタンの宗教的確信というものは、例えば >人間は「生命」「身体」「自由」を平等に所有し >身体を自由に動かす事によって得られたリソースはこの人の所有となる。 などという部分だね。こんなことは「神から作られし人間という意味で平等である」 という宗教的確信を、「神」→「自然状態」に置き換えたに過ぎないことは、あから さまであるほど、誰にでも理解できよう。 「生来的に所得した能力」が平等であるという前提に基づいている時点で「宗教的 確信」に過ぎないでしょうよ。誰が其れを平等と確定できるのかなぁ。 道徳的扶助精神が同じだからといって、そのロジックが同じなわけではない。 その意味で「家族愛」とか「余裕があるときの弱者扶助」は「人類普遍」であると 考えてもかまわないけれども、実際に日本的に考えれば、「神から与えられし平等 な其れを駆使して得られたものは自己の所有」というよりは「賢愚併せ持つ私が、 みなの協力を得て社会的に有益なことを行い、そこに社会が共感してくれたから こその所得」であるから、「仲間や社会に還元する」というほうが、共感は得られるし かつ実際に社会現象で見てみても「利益に挙がった時点で、会社を簡単に手放すオー ナー」と「自己の私的財産などもすべて抵当に入れて会社と一蓮托生のオーナー」の 比率は、後者は日本では非常に多いよね。 で、有意義な話したる「擬制の由来・根拠の話」に戻さないと、だめなんじゃないの?
一言で言うと、りっくタンのほうが突込みどころは満載ナわけで その自覚が無いということがまさに宗教的であり、かつ相対化できていないなァ と思う次第である。 さまざまな価値観の実態というものを知るとき、まさに物理学が今示している通り 「特別な場所や特別なものは無い」ということであり、すべては対等同等に、神の サイコロ遊びの結果と言う意味で「すべてが特別な場所であり、すべてが特別なも のでもある」ということを理解したほうが良いなぁ。 これは自他・客観と主観という意味合いだが、「他国もわが国も特殊ではない」 わけで、その意味で他国との関係性において「特別な地位につく」事は無く対等 でなければならないだろうし、その意味で世界統一の真理などないと思い定め、 しかし、まさに私が日本人である以上「私にとっての日本はスペシャルナ場所で ある」と思うのである。 りっくタンは「西欧民主主義」が世界や人類にとって「真理」という「特別なもの」 であり、わが国は貴殿にとって「他国と同じ普通の場所」に過ぎないのではない のかァナ。そこが私との違いだと思うよ。 だから、スペシャルなさまざまなわが国の法律や憲法は、わが国において普遍的と 認められる由来が必要と私は考え、あなたは「人類の普遍」だからすべての人類に 適用させ、そのことにおいて日本の特別ではないと考えている。
358 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/05 04:29:15 ID:GeaIMH5I
>>355 >その宗教教義解釈のロジック自体を批判しない
>かぎり、その「アノミー」は常に噴出すものなんだから。
宗教的には戒律があるだけで柔軟性に欠ける分「アノミー」は常に噴出する可能性を秘めているが
宗教指導者がリベラルに解釈を変える事でそれは回避できる。
俺が批判しているのは宗教では無くその「リベラル」な選択肢を奪う共同体を土足で踏みにじる敵。
あと、精神病者や精神傷害者がわりとそうであるようにアノミーを引き起こしている本人に自覚があるかどうか疑問。
>無論、どこの国煮の地理的な優位性はあるが、だからといって他国の侵略が無かった
>>348 でれが言うような
>いずれにしても彼ら一神教は、神から与えられし国土を奪われ他民族の悲惨な歴史を知っているわけだから、
と言うような国土を蹂躙されるような事は間違い無く無い。
>>356 > 「生来的に所得した能力」が平等であるという前提に基づいている時点で
キリスト教にもそんな妄想は無い。
予定説の様に救われるもの救われないものが予め分けられていると言うように
元々、現実とは差別的なものであるからわざわざ人為的に差別する必要は無いと言う事。
>道徳的扶助精神が同じだからといって、そのロジックが同じなわけではない。
それは
>>354 に書いた。
>共感は得られるし
倫理というのは心情的、経験的にそれが正しいと認識するには困難だが
科学的、叉は一神教的神の視線から普遍的に正しいとされた規範。
経験的、心情的正しいと学び取った規範が道徳。
「自己の私的財産などもすべて抵当に入れて会社と一蓮托生のオーナー」が正しいとも言えないというか
ワンマン経営や家族の役員化等、閉鎖的な環境の為新しい思想や技術は入ってこないために腐敗の源泉となりうる。
359 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/05 05:23:45 ID:GeaIMH5I
>>357 ここに一つのリンゴがあるとする。
赤に対する色覚異常の人がそのリンゴを見たとき灰色に見えているのかも知れない。
だが、正常な人が見ればそれは赤に見える。
この違いは、人がその対象を見るとき、自己の肉体を媒介としてしかその対象を捉えることが
出来ない事による。
極端に言えば、私が赤と認識している色が他人にとって同じように見えているとは限らない。
ただ単に同じ対象に対して、赤という言語上の記号を与えているに過ぎないと考えることが出来る訳。
こういうのをクオリアと言う。
ここで既に一つ世界統一の真理があると言える。
れが言っているのは世界統一の価値観など無いと言う事。
科学的検証に基づいた民主主義に「西欧」なんて頭につける所が既に間違い。
>わが国は貴殿にとって「他国と同じ普通の場所」に過ぎないのではないのかァナ。そこが私との違いだと思うよ。
国を広辞苑で調べると国家、国土と書いてある。
近代の国家 は「国民国家」と言って国家が、国民の共同体(生活や文化を含めた相続財産)を
守るための機関です。
私にとって国民の共同体(生活や文化を含めた相続財産)はスペシャルです。
国や憲法なんていう無味乾燥なものをスペシャルだと言うあなたとは確かに違う。
日本ロマン主義とかそっちの人達って賢くって
伝統的共同体を生きる人間は日々生きるのに用いる作法が伝統そのものだから
伝統と言う概念は近代化を通さないと見い出せないって良くわかってたんだよね。
近代を徹底する事によってしか日本が日本である事は出来ない。
三島由紀夫的に言うと伝統は洗練。
長い年月掛けて無駄をそぎ落として残った 芯だから観念化するって事。
幕末の思想家の佐久間象山的に言えば「東洋道徳西洋芸」。
360 :
右や左の名無し様 :04/11/05 05:35:47 ID:C/77aEQ5
議会で議論を尽くす 様々な議論を交わした結果、政策を実行する 政策が失敗した場合、意見が分かれた場合は、国民に問う この様々な議論を国民が公平に知り得る事ができる常態、 1人1人の票が公平に反映される選挙 これが民主主義だと思う
>>358-359 だからさー、「リベラルな選択肢を奪う」事が宗教そのものでしょうよ。
また逆に「リベラルな選択肢がなければならない・・・奪っている」と
あなたが思うことも宗教である。
貴殿の信仰
>リベラルな選択肢がなければならない
>科学的検証に基づいた民主主義に「西欧」なんて頭につける所が既に間違い。
>国や憲法なんていう無味乾燥なもの
>近代を徹底する事によってしか日本が日本である事は出来ない。
貴殿の信仰との矛盾
>長い年月掛けて無駄をそぎ落として残った 芯だから観念化するって事。
>私にとって国民の共同体(生活や文化を含めた相続財産)はスペシャルです。
>国土を蹂躙されるような事は間違い無く無い。
おっしゃる通り「間違いなく」外交政策や軍事力や防衛政策の結果無かった
のである。
>>361 のつづき
わが国が、長い年月掛けて無駄をそぎ落として残った 芯である観念に基づいて
構築された社会秩序がある。そこには価値序列が存在するに違いない。
国民の共同体(生活や文化を含めた相続財産)は、その価値序列に基づいて
無駄(とその序列において認められるもの)を殺ぎ落とし、必要(とその序列に
おいて認められるもの)を残してきた。またそれは現実による研鑚でもある。
したがって、価値序列や規範も変化しつづけながらそれでも残った「芯」が存在
する。
人の社会は当然に複雑である。現代の物理学においても「確立でしか証明できない」
はずの三つ以上の物体の相互干渉が、現実社会においては無数の干渉作用をして
現実が成立している。この社会において「科学的検証」は所詮確立の世界でしか
ないわけで、ある一定の方向を指し示したとしてもそのこと自体が干渉作用の一部
を構成し、指し示した方向を維持することは困難である。
単純に言えば、統計的回答は存在するが未来を予測できない株価と同等である。
そういう中で「科学的検証を得た結論」ならば当然に統一理論出しかないわけで
世界統一理論に基づいて「各国がスペシャルな位置を確保する」ならば、各国の
「科学的検証と対立する価値序列」はいったい「誰の手で」放棄されるべきなのか
という言及が必要である。そこを頼む。其れと擬制は無関係ではないだろう。
363 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/05 11:08:33 ID:GeaIMH5I
>>361 >だからさー、「リベラルな選択肢を奪う」事が宗教そのものでしょうよ。
内面的信仰心は束縛・強制などで身につくものでは無く自発的なもの。
>>340 でれが言うように「自分の価値観は宗教ではなく正当であり論理帰結だ」という
内面的信仰心があるから宗教に加わる。
俺の言っている事に矛盾は無い。
むしろ、個人が責任をもって全てを判断し行動しなければならないと言った時点で
強制となりリベラルでは無くなる。
>>306 でも言ったが選択的自由とは自分の価値観に従ってどの不自由を選択するかの自由。
>価値序列や規範も変化しつづけながらそれでも残った「芯」が存在する。
確かに存在するなら
>ある一定の方向を指し示したとしてもそのこと自体が干渉作用の一部
>を構成し、指し示した方向を維持することは困難である。
というように「それ」を失わないように法的に定める必要はない。
>「科学的検証と対立する価値序列」はいったい「誰の手で」放棄されるべきなのか
放棄?
むしろ教育改革とか取り戻そうとする動きの方が多いような・・・<<41みたいに。
>近代日本のなかで見えなくなった「教育の原郷」を探す、という目的から、江戸期の村の習俗、小さな
>共同体内部での自発的な文字学習のあり方がいわば理想化され、それがいかに近代
>公教育の中で抑圧されていったかという図式が描かれるのだが、それは本当に妥当な議論なのだろうか。
>
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4254/shibun/shohyo/93-nakamura.html 近代を徹底する事によってしか日本が日本であるとは例えば合理化の為に年度の変わりを欧米に合わせて9月にしたとする。
4月の桜の中での入学式といった様な風情は無くなるが逆に桜の咲く寸前には彼岸から死者が訪れて我々と交流するといった
桜の美しさが感受性に触れてこれから新しい世界が始まるという 日本人としての「共通感覚」を 濃密に体験出来る訳だ。
我々は天皇を忘れてもこの「共通感覚」は忘れる事は出来ない。
>>363 「選択的自由とは自分の価値観に従ってどの不自由を選択するかの自由。」
が人類全員にとって価値があるといっているわけでしょ?
その根拠は?合理的で科学的な根拠。その根拠の前提に宗教的確信がないやつ。
頼むよ、其れが議論の「芯」なんだからさぁ。
365 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/05 12:55:18 ID:GeaIMH5I
>>364 国民の共同体(生活や文化を含めた相続財産)を守るための機関である国家が
その目的を遂行し存続する為には人類全員の「自分の価値観に従ってどの不自由を選択するかの自由」は絶対条件。
何故なら他者の自由を犯された者はアノミー状態になり秩序を犯し
他者の生活や文化を含めた相続財産を破壊するから。(
>>117-118 参照)
自分は自分、他人は他人と無関係な者同士は必要以上に干渉しない共生ルールが必要。
>>117-118 は矛盾をはらみすぎていて問題外。
なぜなら、人類創世以前に秩序が存在していたことなど当然至極であるからに
他ならない。したがって、自然的無秩序状態など単なる妄想。
「猿社会にも秩序は存在する。」
あ・・・もしかして人間は神によって創世されたと思っているのか?
というか自然状態などは、結局そういうことなんだよ。人が他の動物と異なる
特殊な生き物であるという信仰から出ているね。
367 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/05 14:38:44 ID:GeaIMH5I
>>366 すまんそれは書き間違え。
後で正しいのを貼りなおす。
>「猿社会にも秩序は存在する。」
ちなみに猿社会には自然的秩序がある。
人間と動物を分けるものは何か、というと、それは理性である、とカントは考えました。
動物は本能に支配されて生きている。
けれども人間は、理性を持つことで、本能から自由になっている。
カントは、経験( 実験、観察 )から私達は現実に存在するものを捕まえ、理解する。
それらは、外部にあるものに思えるが、実は私達の理性の中にある枠組み、生まれながらにもっている共通の形式
( 時間、空間、原因と結果の関係、頻度、仮定形、選択A or B の形、相似、比喩、対称形、同値関係 など )
で整理されて捕まえられている、といいました。( 「内部が 外部を決めている」 意訳。)
ここに魚を捕る網があるとします。この網で捕れる魚の大きさは、捕る前から分かります。
それは「網の目よりも大きいもの」であるはずです。
また、赤いサングラスをかけて、隣の部屋に入っていくとします。そこに何があるかは分かりませんが、
「赤いもの」が見えることは、前もって分かります。この網の目の大きさやサングラスの色が、先天的な「理性の枠組み」です。
動物に広く見られる、親が自分を犠牲にして、子の命を守ろうとする行動も、遺伝子を保存する、
という観点から見ると、より若い種族を助けることが合理的であり、
自己保存的(自己犠牲的ではなく)である、というわけです。
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~suugaku/toukouronnbunn/okuda001.htm
368 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/05 14:49:04 ID:GeaIMH5I
「個人の自由には自由にならない社会的前提が存在する」という認識は非常に幼稚です。 だいたい最初に規則が無ければ人間は秩序を造りだせないというなら人類創世以前に規則があったことになる。 本能に従うことがそのまま自己保存の方法でもあるような動物と違って、 人間は「現実原則に従う自我と快感原則に従うエスとの対立」あるいは分裂状態にあるところに その根本的原因があります。 人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、 自己や種族の破滅に陥るため、自然的には無秩序なのです。 この自我が人間の「確かに持っている普遍的な壊れた本能(快感原則に従うエス)」に対して 環境との折り合いをつけ自己や種族を保存をするため共同体内のコミュニケーションを通じて 形成される「内輪だけが持っている確かな物では無い共同幻想」とされる。 諸個人が人間として生存するための条件は、それ自体が社会的なものであり 個人の目的の達成は、それが長期的なものであればあるほど、他から干渉を受けない自由と、 さらには他者の協力を多くの場合に必要とする。 他者から肯定され、承認されて尊厳を獲得してきたひとは、自分が自分であることにとって 他者や社会は必要不可欠だからそれらから疎外される事を恐れ責任感や罪悪感が産まれる。 個人が責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がない自由(リベラル)な状況でこそが 環境や所属する共同体が変わったり失敗した場合でも万人の万人に対する戦い(抑圧)を通じて お互いが妥協点を見つけたり反省したりして社会的秩序を形成する事ができる。 又、不自由は(従って自由は)三類型に分けられる。 第一は、選択肢が端的 に不在だという不自由。 第二は、選択肢は存在するが特定の選択が抑圧されるという不自由。 第三は、選択肢があり、選択抑圧もないが、選択能力が不在で選べないという不自由。 この三種類の不自由の内どれかが極限に達し折り合いが付けられなくなった時アノミー(無規範)が生じ秩序が崩壊する。 要は社会的秩序が信頼可能である程、人々は自由に振る舞え 人々が自由である程結果的に得られた社会的秩序は信頼可能になると言う事です。
>>367 まぁ其れは推論として
>人間と動物を分けるものは何か、というと、それは理性である、とカントは考えました。
>動物は本能に支配されて生きている。
>けれども人間は、理性を持つことで、本能から自由になっている。
という前提を是とした場合に成り立つということでしょ?
で、個人にスポットを当てての推論だよね。何で個人にスポットを当てる必要があるの?
370 :
右や左の名無し様 :04/11/05 21:09:48 ID:GzPlzTXe
http://blog.livedoor.jp/buschiba/archives/8313109.html 新規参入は迷惑。オリックス宮内会長激白
今週発売の『週刊東洋経済』10月23日号にオリックス宮内会長のインタビューが掲載されました。
大まかな内容は先日日経新聞に掲載されたもの(当ブログの該当記事はこちら)と同じですが、今回はより詳細な内容となっています。
聞き手の質問も経済誌とは思えないほど突っ込んだものです。
「一人退出して、一人入れば(球界全体の)赤字総額は変わらない」
「(新規参入のルールが)不透明でもいいのではないか。誰にも迷惑をかけていない」
「参入禁止なんていっているわけではなく、我々のクラブはこれ(セ6パ5のみ)でいいと思っている」
「抵抗勢力との批判は笑止千万」
「新規参入は迷惑」
「新規参入は球界の改革をストップさせる」
彼の言葉を我々はどう受け止めればよいのでしょうか。
371 :
右や左の名無し様 :04/11/05 21:27:37 ID:rw7pG4Nu
「正論」12月号 p.140
農学博士の代議士が現地で観察した北朝鮮農業事情
−民主党衆議院議員 鮫島宗明
----------------------------------------------------------------------
>私は八月十三日から二十一日まで、
>日本を代表する農学者三人ともども、北朝鮮を訪れた。
>
> (大幅に中略)
>
>なお、今回の訪朝にあたり、民主党の衆議院議員として、
>北朝鮮の日朝交流団体である「朝日友好親善協会」の書記長と会見した。
>書記長とは、民主党と朝鮮労働党の交流に向け努力することで合意した。
>これをきっかけに両党の交流が始まる可能性がある。 (了)
*鮫島議員のHP(
http://www.gotty.co.jp/samejima/ )で写真付きのリポートを確認できます。
----------------------------------------------------------------------
民主党は北朝鮮の手先になりました。
民主党支持者は自動的に売国奴認定されます。
372 :
右や左の名無し様 :04/11/06 02:10:53 ID:ze60xZ2K
人類創世以前の規則は理性だったのではないでそうか? つまり規則は理性から生じるものだと思います。
373 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/06 04:35:19 ID:k0+55//v
>>372 いや、人類創世以前の規則は本能でしょ。
社会形成以前の規則(みたいなもの)は理性。
>>369 れ
人間と他の動物の違いは例えばボールが転がってきた場合
動物はボールのみに興味をもつが
人間はどこからボールが転がってきたかにも興味を持つ。
ここで理性の存在が明かとなる。
>で、個人にスポットを当てての推論だよね。何で個人にスポットを当てる必要があるの?
人間社会は個人個人の関係で成り立っているが・・・・・・
>>373 うちの犬は、食べ物が上から落ちてきたとき、何処から落ちてきたのか興味深そうに
その方向を見ているが・・・。
で、2001年宇宙の旅じゃないんだから、ある日突然理性が宿ったということはない
だろうよ。虫の集団社会が本能のみに基づいているとしても、犬や猿については
わからないし、原人にいたってはどうなのかなぁ・・・ということだね。
>人間社会は個人個人の関係で成り立っているが・・・・・・
ん?国際社会も人間社会の一部だが、国と国との関係で成り立っている。
米国は州と州の関係で成り立っているんじゃないの?
リックタンなんかが言う「科学的検証」の「前提」は、宗教的核心に彩られている。 というか「科学的であるはずの共産主義」は破綻したのに「賢愚併せ持つ人間の脳内 論理」がいまだに「科学的検証を得た真理である」などとして「人間社会の規律を構 成するものだ」と真に確信しているなら時代錯誤or妄想じゃないのかなぁ。 自然状態の中から、ある日突然に「理性を得た」というには、まさに旧約聖書の神話 だろうし、個人が社会を構成しているというのもまさに人を神が作り、家族や社会集 団を人が作ったという宗教的神話からくる「個人尊重」に他ならない。 何処からが本能的行動で、どこからが理性であるかなど、「誰にもわからない」わけ で、「社会の秩序」というものが「個人を尊重する中からしか生まれない」というの も単なる思い込みでしかないよね。 事実「個人の尊重よりも共同体の維持継続を願う」というものが、「家族共同体維持 継続」であれば、種の保存本能であるかもしれないし、それならば蟷螂でさえ種の保存 のための自己犠牲などやっているわけだ。 仏教が言う諸行無常であることを確信する必要もないが、わからないことはわからな いとする仏陀の説法はそれなりに説得力があるわけで、この世に「真理なるものがあ る」かどうかなどわれわれの社会生活において考慮するに値するかどうかから、考え 直してみることも重要じゃなかろうか。 考慮しなくとも、皆が党派心を捨てて話し合えばよりよい結論が出るであろう期待に 基づいて、過去の経験を生かしながら、専門的知識も駆使して検討し決定すれば、 真理云々を考慮しなくとも別にかまわんだろうよ、と私は思うなぁ。 神のつくりし真理にかなう必要性は、考慮したい国が考慮すればいいことだ罠。
376 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/06 12:42:36 ID:k0+55//v
>>374 >うちの犬は、食べ物が上から落ちてきたとき、何処から落ちてきたのか興味深そうに
>その方向を見ているが・・・。
そりゃ、今まで餌をあげる時に主人と接している訳だから当たり前。
パブロフの犬ってやつ。
>というか「科学的であるはずの共産主義」は破綻したのに
本当に共産主義を理解しているのか?
共産主義は循環論で資本主義と一切矛盾しないと聞いたが。
ブルジョア階級の打倒という必要条件を絶対条件と勘違いした為に破たんしたんじゃないのか?
国民総中流化した日本こそ共産主義じゃないのか?
>ん?国際社会も人間社会の一部だが、国と国との関係で成り立っている。
>米国は州と州の関係で成り立っているんじゃないの?
マクロからミクロ単位まで視点を移していけば結局個人に行き着くがどうかしたか?
>「社会の秩序」というものが「個人を尊重する中からしか生まれない」というの
>も単なる思い込みでしかないよね。
動物と人間を明確に区別できなくても
>>368 を論破できないのに何を言っているの?
個人を尊重すると言う事は人間の自然状態に一番近い状態を作ると言う事。
その結果、個人を尊重した空間は以前よりは秩序が保てるようになったという事実がある。
仏陀が言うようにわからないことはわからないとする仏陀の説法はそれなりに説得力があるわけで
それが何故かと突き進めば人間の理解の限界を超えるのは当然。
とは言っても
>基づいて、過去の経験を生かしながら、専門的知識も駆使して検討し決定すれば、
>真理云々を考慮しなくとも別にかまわんだろうよ、と私は思うなぁ。
その結果が民主主義だが・・・
>>376 一段目:私には「犬の心情を理解できる超能力」はないが・・・。
二段目:共産主義は破綻していないといっているの?
三段目:結局個人に行き着くとして、だからすべての社会において【必ず個人が
最優位である】という根拠にはならんと思うが・・・。町内会は意思決定においても
イエ単位が最小単位だし。
四段目:いや、だから、自然状態なんてないじゃん。あなた、あるいはそういう社会契
約説を信奉する人たちの脳内以外にはないでしょ?
>その結果が民主主義だが・・・
日本型の・・・17条憲法の人間観を元にした衆議主義・・・であって、西欧民主主義
じゃないよね。
378 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/06 13:39:38 ID:k0+55//v
>>377 >一段目:私には「犬の心情を理解できる超能力」はないが・・・。
パブロフの犬で検索してみなさい。
> 二段目:共産主義は破綻していないといっているの?
共産主義が破たんしたのではなく共産主義の不理解による自称共産国家の破たん。
>町内会は意思決定においてもイエ単位が最小単位だし。
イエの中の人間関係の最小単位は個人だが・・・・
>四段目:いや、だから、自然状態なんてないじゃん。
第二に、規範というものが現に存在すること、人々が規範によって判断し行動するということ自体
実証分析の対象となるべき事実に他ならない。そのように考えるならば、
近代社会契約論はたしかに近代社会科学の原型となっているのである。そして「自然状態」概念を備えた近代社会契約論は
ことにこの第一の点において、近代社会科学の出発点としての地位を主張しうるのである。ありもしない絵空事としてときに
憫笑の対象ともなったこの概念は実は、そのそもそもの出発点から、
あくまでも現実の社会のありようを説明するために自覚的に導入された方法的理論装置だったのである。
論者によってニュアンスの違いはあるが、しかしいずれの場合にも「自然状態」とは
論者たちが問題としている現実の社会から、何かを引き去った、何かを取り除いた仮説的状況である。
ttp://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/kan.htm >日本型の・・・17条憲法の人間観を元にした衆議主義・・・であって、西欧民主主義
>じゃないよね。
科学に西洋も東洋もない。
>>378 一段目:単なる仮説ね。
二段目:別にどっちでも良いけど、結局人が論理的に国家運営をするとそうなる罠。
三段目:だからそういう階層的な理解も可能であって、個人があくまで主役という
必然性はない罠。(擬制ということ以上にはならんことだわさ、個人の絶対尊重なんて)
四段目:
>自覚的に導入された方法的理論装置だったのである。
だから擬制に過ぎないということでしょ?その擬制に過ぎないことを、擬制を取り込む
由来とか理由も述べないなら「信仰」だし、由来や理由を述べるなら「議論になる」。
>科学に西洋も東洋もない。
おっしゃる通りで、だから西欧民主主義など科学ではない。無論17条憲法に基づく
日本型民主主義も然り。科学に基づく秩序など、信頼にたるものではない。
・・・本スレ二段目に戻る。
>>397 >科学に基づく秩序など、信頼にたるものではない。
西欧民主主義は元々科学ではないし。
十七条憲法は階層主義であって民主主義ではないし。
何かの存在そのものが秩序の一部でしかないし。
科学もまた宗教と同じく秩序の部分を解析して見せることは出来ても
秩序を作り出すことは出来ず、まして秩序を維持することなど到底出来ないし。
人は全て、それぞれが勝手気儘に振舞っていれば良いと云うのが結論だな。
381 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/06 18:28:13 ID:k0+55//v
>>379 >二段目:別にどっちでも良いけど、結局人が論理的に国家運営をするとそうなる罠。
というか人はコンピュータではないので完全に論理的に国家運営する事は非常に困難→四段目へ。
>三段目:だからそういう階層的な理解も可能であって、個人があくまで主役という必然性はない罠。
>>354 の 消費者は自分の効用を最大にしようとし、企業は自分の利潤を最大にしようとし
そのためにだけ全力をあげて努力した結果、市場機構がうまく働いて
最大多数の最大幸福が達成されて社会全体が良くなるというのもあるが
>>359 で説明した様に人はその対象を見るとき、自己の肉体を媒介としてしかその対象を捉えることが出来ない。
相手を理解しようとする時相手の態度に自分の経験を当てはめているだけで「直接的理解」している訳ではない。(
>>306 参照)
結局、相手を通して自分を見ているだけで個人の世界観の中には自分しかいないという現実がある。
個人個人の世界観中に自分しかいないんだ人類にとって個人意外に主役はいない。
得に共同体から肯定されず、承認もされず自己責任によってなされた自由な試行錯誤もできず
社会の中で尊厳を獲得出来なかった人はそこを自覚できるようになり利己的になって無規範になる(心理傷害)→四段目へ。
>四段目:
>だから擬制に過ぎないということでしょ?
擬制に基づいた結果は資本主義経済の発展と言う形で実証されている(
>>359 で論理的に説明している)。
これが無いロックの時代ではただの擬制(フィクション)でしかない。
>科学に基づく秩序など、信頼にたるものではない。
まあ、そこで論理を倫理(人倫の道。 実際道徳の規範となる原理)とする感受性が必要になる。
社会システム理論的に言えばただそれを「真理」というだけで、自らが体験していないことを
あたかも自らが体験したしたかの様に受け入れる為の、特殊な動機付けと期待形成の装置が必要。
民主主義ではキリスト教が聖徳大使の時代では仏教と天皇制がそれだった訳だが
現代に十七条憲法を持ち出しても特殊な動機付けや期待形成なんて無理。
社会が完全にアノミー状態になった時に新たなカリスマが表れるか
個人が自らの感受性を基に特殊な動機付けや期待形成をし自由に試行錯誤して行く意外に無い。
>>381 正確に言うなら
>資本主義経済の発展と言う形で実証されている
ではなく「資本主義が発展した区域においては、実証されている」ということ。
其れを全区域に適用可能というのは、いささかどころか、相当に疑問だすなぁ。
>個人の世界観の中には自分しかいないという現実がある。
だから、我思うゆえに我ありってことでしょ?で、其れを別に否定もしないけれども
「制度・秩序・意思決定システム」において個人絶対尊重に結びつけるためには
其れは其れで論理飛躍している。
誤解があると困るんだが、「個人の尊重」は別に否定しないよ。しかし「制度とか秩序」
において「最大限尊重しなければならない」という理由にはならんでしょ。
なぜなら、他人を必要としない人間というものは、彼が人間であるかどうかさえ自覚でき
ないハズなんだから・・・ねぇ。
ヒトは、生物学的には未熟児で生誕する。家族共同体などの中で「ヒト」になるための
時期を過ごすわけだね。其の中で【私個人が尊重されるべき最大の存在】と感じること
が、そもそも特定の共同体の価値序列に過ぎないものだわさね。
つづくヨン
つづき >現代に十七条憲法を持ち出しても特殊な動機付けや期待形成なんて無理。 まぁ、理由も根拠もなく「無理」といっている時点で、まぁ知らないのだろう とは思うわけだが、それ以前に「17条憲法の人間観に基づく」と私は 申しあげているのであり、其の人間観が「西欧民主主義における人間観」と 大きく異なる以上、民意調達のための議論でさえ、前者が「多数の意見を 調達したうえで、全員一致の可能性を探る」ために行われるに対して、後者は いわゆる「真の討論に基づいた論理的帰結の模索」のために行われる。 したがって、前者が、説得と譲歩を要請し諍いのない議論を求めるのに対して、 後者は、徹底的な矛盾の追及を議論に求めるわけだ。 まぁ、「17条憲法の人間観に基づく価値序列」というものは強烈であって だから、あなたも、「民度が低い」と思っている。 実は民度が低いんじゃなくて「論理的帰結など初めから求めようとしていない」 からであり、「そんなの建前ジャン」と思い定めているからなんだよ。
で、例えばよ、資本主義社会というものについて考察してみるよ。 そもそもプロテスタント以前の基督教戒律からすると「他人に金を貸して金利を得ること」 は、基本的に戒律に反するわけだ。それは回教でもユダヤ教でも、戒律には反する。 がしかし、金融機関なくして資本主義は発展しない罠。 だがここに、ユダヤ教において、非常に便利な部分があった。ユダヤ教はご存知 の通り「ユダヤ人を拘束する戒律」である。したがって「異教徒」に金を貸し利息を得る ことは戒律に反しない。ここに西欧資本主義における金融の可能性が生まれた。 だからいまだに米国の金融はユダヤ教徒にその実験が握られている。 十戒という映画などは彼らの資本力で作られたわけで、キリストの映画などはごく最近の 者を除けば「せいぜいロックミュージカルの例のあれ」ぐらいで、資金をつかった映画 製作もされていないわけだ。 例の「金を返せなければ肉をいただくという悪徳商人」もそれはユダヤ教徒であり、 正義の主人公は最後に、商人に改宗を迫る。という物語である。 日本においては「金を貸し金利を取る」ということについての忌避は何もない。 このように資本主義が発展すること自体が、「宗教的戒律と関係する」のであって、 それは全世界共通に発展できるというものでもない。
385 :
右や左の名無し様 :04/11/06 19:40:58 ID:k0+55//v
>>382 >誤解があると困るんだが、「個人の尊重」は別に否定しないよ。しかし「制度とか秩序」
>において「最大限尊重しなければならない」という理由にはならんでしょ。
>>368 に書いたが・・・
>なぜなら、他人を必要としない人間というものは、彼が人間であるかどうかさえ自覚でき
>ないハズなんだから・・・ねぇ。
これは人格傷害>> 381で説明済み。
アノミーと人格傷害が秩序をぶち壊すからそれを防ぐ為に「個人の尊重」は制度的に絶対。
>ヒトは、生物学的には未熟児で生誕する。家族共同体などの中で「ヒト」になるための
>時期を過ごすわけだね。其の中で【私個人が尊重されるべき最大の存在】と感じること
>が、そもそも特定の共同体の価値序列に過ぎないものだわさね。
だからどうした?
所属する共同体が多元的であれば一つの共同体が崩壊しても個人のパーソナリティーは安定できる。
ここを強制的に一つに縛り付けるとそれが崩壊した時に個人のパーソナリティーも一緒に崩壊する。
>>383 >「真の討論に基づいた論理的帰結の模索」
これは西欧民主主義における人間観じゃあない。
キリスト教をルーツとする個人主義とは隣人愛と戒律無しが二本柱であり議会政治が民主主義だというのは大きな間違い(
>>354 )。
> 実は民度が低いんじゃなくて「論理的帰結など初めから求めようとしていない」
>からであり、「そんなの建前ジャン」と思い定めているからなんだよ。
これが俺だけかという問題。
アノミーを引き起こしている奴なんか得にそう思うだろう。
只、歴史の授業では特にこの部分を協調する必要性はある。
でも日本人全員の感受性を引き付ける事は不可能。
論理的な表現による納得と感受性から来る表出による動機付けは別問題。(
>>363 内面的信仰心)
詰め込み教育では無くそれを知ったという感動があたかも自らが体験したしたかの様に受け入れる動機付けとなるから強烈と感じる。
386 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/06 20:33:45 ID:k0+55//v
>>384 コテハンいれ忘れたが385も俺
初めに戒律ありきといった考えは二千年前にイエスによって否定されています。
ユダヤ教では戒律を守った人間が者達が救われます。
しかし食うや食わずでその日暮らしをする人間に戒律を守る余裕はありません。
戒律を守れる人間は初めから救われている人間に限られてしまいます。
もし神が全能ならば予め救われる人間だけ救うという事はあり得えません
新約聖書にこれをしろ、あれをするなとは書いて無い。
予定説とは、現世でどのような努力(戒律を守る等)を重ねようと天国に行けるわけ
ではなく、ただ、天国行きは神が予定しているのみというのが基本テーゼである。 だから、誰が天国に行けるか誰にも分からない。
しかし、天国に行ける人間にはその「兆候」があるに違いない。
それは、一つには「勤労」だったりするのだが、この「兆候」が抑圧となる。
「戒律を守る」→「天国に行ける」という因果律ではなく、「戒律を守る」→「天国に行ける兆候の現われ」>←「天国に行けるっぽい」
予定説的な拘束なのである。
それどころか、「規則」が「神の意思」から分離されたからこそ、現世でのルール
を人間が主体的に構築できる作為の契機になった。
イエスの説教からパウロが採りだした「隣人愛」(カリタス)の教義は、
親や故郷の親しき者を愛する自然感情をエゴイズムとして退け
異民族や異教徒を愛せよと言うことで脱共同体的な機能を果たした。
キリスト教信者は信仰心から心情的に理解できない、感情移入できない異民族や異教徒に
身財を投げだして施しをした。
仏教の慈愛と違う所は内面的な良心や感情とは関係無い所です。
これが同じ共同体に属さない人間、民族も違えば、作法も違う、場合によっては言葉も違う人間が
自分の所属する共同体から離脱して一つの社会に所属し直す契機となった。
>>385 ども、りっくタンは自己の矛盾に無関心だよな。
一段目は、「個人というものの尊厳を共同体において最大限に価値上位に置く」
という説明に、何らなっていないよね。
個人のパーソナりティが確実に存在するからといって、そべての共同体で
そう(上記「」内)する必然性はない罠。事実町内会はそんな必要もなく共同体
として維持されているわさ。もう少し言えば、区分所有権法における管理組合は
議決権を、財産(実質的には区分所有する占有面積)で割り振っているね。
二段目:いや実態として「真の討論」が議会としての姿じゃない。英国の議会は
其れ其のものだし、マニュ何とかという政党公約システムもまた、論理的帰結を
国民と契約するんでしょ?そこに譲歩妥協をメインとした姿はない罠。
日本において選挙公約が重視されないのは、基本路線というものはあるが、少数
違憲もよく効き、全員一致が望ましいから、常に議論というのは「譲歩妥協」を
前提に持っている。それは「ヒトが賢愚併せ持つ存在」であるから、絶対とか真理
とか、契約などより、相互譲歩による全員一致がよりよい結果をもたらすであろう
期待があるからだよ。一方西洋では「国民との契約・・・神の前でのそれ」がより
上位価値であり、固定的契約をするためには、「矛盾のない提示」が必要で、それ
は基本的に、譲歩妥協を前提にはしていない罠。
三段目は個人的干渉だろうから、考慮に値しない。
>>386 まぁよくそういう基督教のプロパガンダを公然とかけるもんだわさ。
じゃぁ、どうしてかのユダヤ教(ジュド)の(ベニスの)商人は「貸し金業を
止め改宗するように」要請されたんだろうね。
389 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/07 11:47:05 ID:wKS2Bkas
>>387 >一段目は、「個人というものの尊厳を共同体において最大限に価値上位に置く」
>という説明に、何らなっていないよね。
そう言う説明は一切して無いから当然。
「個人というものの尊厳を公共において最大限に価値上位に置く」 という話をしている。
>事実町内会はそんな必要もなく共同体として維持されているわさ。
あくまで公共のルールである法律にそっての上でね。
>日本において選挙公約が重視されないのは、基本路線というものはあるが、少数
>違憲もよく効き、全員一致が望ましいから
政治家と官僚に限る話で国民の意志を反映していない罠。
国民をおざなりにして何処に全員一致がある?
政党公約に国民が同意したからこそ過半数の意見が一致したと言える訳で
それをおろそかにすると官僚の腐敗と知的エリートの根絶を招く。
『全ての人は自由にどんな契約も結ぶ事ができる』というのがデモクラシーの平等の根源。
そこを無視して玉虫色になれば国民は奴隷と変わらない。
「ヒトが賢愚併せ持つ存在」だからこそ契約は文字どおり守らなければならない。
そして政党は微に入り細をうがって選挙公約を説明しなければならない。
>三段目は個人的干渉だろうから、考慮に値しない。
個人の尊厳は一切犯してはならないと言う事だね。
>>388 隣人愛が協調されたのは19世紀以降。
>じゃぁ、どうしてかのユダヤ教(ジュド)の(ベニスの)商人は「貸し金業を
>止め改宗するように」要請されたんだろうね。
そこには、強制が無い。
390 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/07 11:56:41 ID:wKS2Bkas
>れ
一応基礎知識として。
平成12年度 新聞会主催懸賞論文・小説〈論文の部〉
「個」と「公」論再考
ttp://homepage2.nifty.com/jinichi/thesis2.html#3rd ポリスが政治共同体であることはいうまでもない。その内実というのは、ソキエタス=キウィリス
(政治的市民社会)である。ポリスの運営に実質的に関わるのは経済的特権階級のオイコス(家)の家長
であった。彼らはアゴラ(広場)に集まり、オイコスの利害を超えたポリスの利害に関して議論した。
こういった、ポリス的政治共同体の内においてはオイコス(家)という私的領域を超えたポリスにおけ
る公的領域が存在していたことは確かである。しかし、外的には明らかに万人に開かれたものではな
く、閉じた共同体に他ならなかった。
しかし、この古代から中世にかけてのソキエタス=キウィリス(政治的市民社会)に根ざした、古代
ギリシャ=ローマにおける「公」の概念は18-19世紀に大きな構造転換を図られることになる。という
のは、商業圏の発達により、もはや、ポリスという閉じた共同体に収まらないブルジョワジーが商業
経済を担うという状態が顕在化するようになったからである。そういった時代背景とあいまって、市
民社会の観念がソキエタス=キウィリス(政治的市民社会)的「公」からビュルガーリッヘ=ゲゼルシ
ャフト(経済的市民社会)的「公」のことをさすようになるのである。
ここにおいて、商業経済の主体をなす個々のブルジョワジーが他者を侵害しない一定の規範を見出
すコミュニケーション的空間を市民社会と呼ぶようになるのである。この空間は、もはやポリスのよ
うな政治共同体的空間ではなく、共同体的カテゴリーを超えた、共同体の〈間〉に他ならない。
人はそれぞれ、多様な共同体に属しているといってもいい。しかし、これが、ひとたび経済的主体
になれば、共同体云々を論じるのはもはやナンセンスである。こういった、社会思想史的背景を踏ま
え、近代における「公」=パブリックの概念とはソキエタス=キウィリス(政治的市民社会)的「公」
ならぬ、ビュルガーリッヘ=ゲゼルシャフト(経済的市民社会)的「公」を指すのが社会科学の常識と
なったのである。
>>389 上段:いずれにしてもそういう説明になっていないでしょ?
中段:全員一致を求める≠全員一致がある
譲歩妥協の余地の問題。こういう現実から目をそらしているから、日本の価値序列
が見えないんだよね。だから、「真理とか論理的帰結」とかあなたが言っている。
後段:強制がないということが、其のことについて関係あるのか?
というか擬制について其の受け入れの由来を早く説明しなきゃ、なごタンとの議論と
同じでしょう。あなたが「のらりくらり」しているだけで有効な議論にならん。
392 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/07 12:07:23 ID:wKS2Bkas
>>388 なんとなく流してしまったがそのプロパガンダが
>自分の所属する共同体から離脱して一つの社会に所属し直す契機となった。
という話なんだが.
>>391 >というか擬制について其の受け入れの由来を早く説明しなきゃ、なごタンとの議論と
>同じでしょう。あなたが「のらりくらり」しているだけで有効な議論にならん。
キリスト教の事かな?
それとも日本の話?
>>390 「集」と「私」が考慮されていない罠。
個の中にも「公」はあるわけで、私の中にも「集」はあるんだよ。
「公と個」・・・ここがまさに「宗教的確信」に基づいている人間観だわなさよ。
基督教においては、まさに貴殿が言うようにペテロ(パウロ)が発展させる過程に
おいて「公としてのローマ人」と「個としての基督教徒」という図式があるわけ
で、そこを無理解だから、わからないんだろうと思うよ。
彼の内心の信仰は全人格的でなければならないわけで、その意味で「私としては
基督教徒で、公的にはローマ人」という把握はできないわけだよ。
そこで、「個人としては全人格的に基督教徒であり、公的エリアのけるローマ人と
しての私は、個人とは切り離された存在として」把握される必要があるわけだ。
ここに「公と個は対峙できる両極としての把握」が可能だとする論理が受け入れら
れるわけだよ。
実は人間には「公私の区別」「個集の区別」はあるけれども「公人としての個人と
私人としての個人は、一体として個人」じゃないかなぁ。少なくともと知事の青島
のように「自衛隊は個人的には廃止すべきと思っているが、都知事としては災害救
助などで協力を申し入れます」なんてことは矛盾だよ。
>>392 後段:あなたの其の論理的帰結なる宗教確信を、わが国においても真理・理念と
すべき由来や理由だよ。
395 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/07 19:00:58 ID:wKS2Bkas
>>393 >彼の内心の信仰は全人格的でなければならないわけで、その意味で「私としては
>基督教徒で、公的にはローマ人」という把握はできないわけだよ。
ん?
「私としては基督教徒で、公的にはフランス人」という把握は出来る。
>「自衛隊は個人的には廃止すべきと思っているが、都知事としては災害救
>助などで協力を申し入れます」なんてことは矛盾だよ。
これは個人の考えに公私の立場で矛盾がありますと言う意味だからわざわざ突っ込む事でも無いし
前段とは関係ない話だよな。
>>394 安政の開国条約において日本は屈辱的な治外法権を押し付けられた訳で
国内産業の死活を握る輸入関税率も自主的にきめる事は出来なかった。
この不平等条約は日本国民の憤激の的であった。
明治政府は、明治四年に岩倉使節団を欧米に派遣して不平等条約改正の交渉に当たらせた。
欧米諸国の答えは、一人前、つまり「資本主義になって出直してこい」と言うにあった。
(小室直樹「悪の民主主義」から抜粋)
欧米人が非文明な野蛮地域とみなした地域では国際法は適用されず住民を皆殺しにしても奴隷にしても合法だった。
中国等の文明も高く前期資本が発達している「国」は資本主義が発達していない
半主権国、半独立国として扱われた。
日本は自給自足ができる国なんで経済的な理由で開国する必要は無かったが
黒船にびびった日本人には国防の為にはアメリカに拮抗する程の軍事力を作る事が日本の根本国策となった。
学校教育では禁欲的プロテスタンティズムを二宮金次郎に当てはめ手本とし
勤勉、正直、刻苦勉励、勤倹貯蓄、好学、労働を自己目的とし自らを救済する手段とする資本主義者の手本とした。
>>395 一段目:馬鹿も休み休み言いなさい。というかここまで宗教オンチとは・・・。
二段目:だから其れは「個人=私」であり「公とは別のもの」という前提があるからに
他ならないと言っているんだが理解できないのかなぁ。強張っているよね思考が。
三段目:別に資本主義と民主主義はリンクしていない罠。中国に資本主義はあるし。
そんなことは全然理由にならんだろうよ。なぜなら、そういう不平等条約の破棄、つま
り対等な国になるために何をしたのかといえば「明治憲法を作った」んだろう。
で、其の憲法で、十分に資本主義は発展し、世界一流の経済国にはなっただろうよ。
具体論になると考慮に値しないことばかりだね。
民主主義の現在・過去・未来を考えるpart2
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1093497950/l50 でも、多少触れているけれども、そもそもおかしいのは
「家族の一員としての自分」「国家の一員としての自分」「公務員としての自分」
「たった一人でウンコしているときの自分」は、内部で対立はするかもしれないが
其の内部対立において、どっちを優先すべきかなんてことは、意味のない議論だろ
う。この「自分(自己)」というのは「公私」の「私」とは違うわけだ。
「個としての決定」と「集としての決定」が有るにしても「集(家族の一員である
とこでの家族そして)」の決定を「自分(自己)」が行うことも有りうるわけで、
「公としての自分」や「集としての自分」も含めた「自分(自己)」がなにごとか
を決定するのは当然なわけである。
問題は「集(団)」の行方が、「集としての自分の自己決定」と対立したときに
どうするのかという意味で、自己決定優先というような表現になるのだとは思うが
其れは全く認識が誤っているのであって、其の対立は「能力・環境というファクター」
と「自己決定」の対立である。
個の問題にしても「私は宇宙飛行士になる」と決めたとしても「能力・環境というフ
ァクター」において実行可能でないことはあるわけで、ただそれだけの話である。
399 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/09 20:43:29 ID:wY26eGYT
>>396 ん?
キリスト教徒でアメリカ国籍でホンダの社員
イスラム教徒でパキスタン国籍でホンダの社員
科学主義者で日本国籍でホンダの社員
日本で公とかパブリックっていう概念が、ほとんど理解されていないのはなぜか、
つまり、田舎のおやじの発想なんです。つまり、日本のパブリックっていうと、
せいぜい世間様なんです。確かに西洋の歴史を見ても、ギリシア時代なんかは、
あるいは、中世なんか、そういう感じでよかったんですが、18世紀、19世紀以降のパブリックっていうのは、
そういうものとは全く別のものに変わりました。どういうことかというと、
今の日本なんかも中世のヨーロッパと同じような感覚でパブリックと考えている。
それは、要するにみんな同じ、つまり、パブリックっていうの共同体なんです。
自分の属する共同体の作法に従うことがパブリックなんです。
ところが、18世紀、19世紀以降の市民社会のパブリックは、それとは違うパブリック。
そうではなくて、簡単に言えば、同じ共同体に属さない人間、民族も違えば、作法も違う、
場合によっては言葉も違う人間が一つの社会で共存するために必要なルールや創造力の領域を
パブリックと呼ぶわけです。ぜんぜん違うでしょ。
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/6503/txt14.html そして、今回私が最も強調したい相違点として、「共同性」を担保とするメディアを愛国心・愛校
心・愛社精神・仲間意識などに求めるのに対して、「公共性」のそれは、人と人との〈間〉における
事柄・関心事への意識に求める。いいかえれば、「公共性」は「共同性」のように所属の必然性をア
イデンティティに求めるような空間ではなく、アイデンティティに依拠しない、多様な価値観を持っ
た共同体を超えた「間共同体的」コミュニケーション空間なのである。
ttp://homepage2.nifty.com/jinichi/thesis2.html#3rd
400 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/09 20:57:05 ID:wY26eGYT
>>399 続き
アイデンティティ(同一性)の空間ではない公共性は共同体のように一元的・排他的な帰属(belonging)
を求めない。公共的なものへの献身、公共的なものへの忠誠といった言葉は明白な語義矛盾である。
公共性の空間においては、人びとは複数の集団や組織に多元的にかかわること(affiliations)が可能
である。かりに「アイデンティティ」という言葉をつかうなら、この空間におけるアイデンティティ
は多義的であり、自己のアイデンティティがただ一つの集合的アイデンティティによって構成され、
定義されることはない(注7)。〔強調は、橋爪〕
>三段目:別に資本主義と民主主義はリンクしていない罠。
資本主義=民主主義では無いがリンクしない訳無いだろう。
>>389 の 『全ての人は自由にどんな契約も結ぶ事ができる』というのがデモクラシーの平等の根源。
『全ての人は自由にどんな契約も結ぶ事ができる』と言うのは全ての財について
その所有権に関する売買契約を双方の合意によって結ぶ事のできる市場が存在すると言う事。
これはロックの自然法を動機付けする擬制である「禁欲的プロテスタント」「二宮金次郎」教育があって
一般化しシステムとして起動する。
しかし
>>391 で>というか擬制について其の受け入れの由来を早く説明しなきゃ、
と聞くから二宮金次郎の話をしたのだが
>対等な国になるために何をしたのかといえば「明治憲法を作った」んだろう。
ってなんだよ(w
資本主義の擬制は明治憲法なのか?
>>399 そのパブリックというのはイスラム圏でも欧米や日本みたく通用するのか?
402 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/10 01:18:08 ID:ToV2TLuy
403 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/10 04:54:39 ID:ToV2TLuy
>>396 >別に資本主義と民主主義はリンクしていない罠。中国に資本主義はあるし。
>そんなことは全然理由にならんだろうよ
国家に国民がいなくては政府そのものが成り立たなくなってしまうから
国民国家は主権者である国民に仕えているのであり国民に奉仕するのは結果として当前。
時の政府の政策に刃向かう国民の命をも無条件で救済する義務が政府に求められる。
政権を取った者は逆らう者達とも共存しなければならない宿命を持ってしまうというパラドックス
を持っているのが公的空間である国民社会です。
国家は民衆の主張を受け入れざるを得ない。
その結果で生まれる政府は、国民全体の意向で、国民のための政治を行うために社会政策を行うことになる。
天皇も「子々孫々の繁栄に勤めよ」と言っている。
議会の成否は、国民の代議士に対する信頼にかかっている。
臣民の権利のなかに、言論、出版、政治活動の自由が認められていた。ただし「法律ノ範囲内ニ於テ」であるが。
自由討論は議会が機能しうる為の必須条件であり「議会内の言論の自由」を大日本大日本帝国憲法第五十二条で謳っている。
議会内の賛成の多数は自由な討議によって獲得する。
これが無ければ政治家は只の木偶となり国会は機能を停止し国民の信頼を失い立憲政治は機能しない。
戦前の日本の政府は軍部大臣現役制が癌になっていたため論理的に機能しなくなってしまう危険性を孕んでいた。
軍部大臣が辞職すれば内閣は解散してしまう(天皇の大権すら阻害できる)ので軍部が政治をコントロールする事が出来るからだ。
軍部大臣が現役で無くなればポストについた途端に軍人では無くなる。
高級将校は官僚だから役人根性コチコチなんで大臣を暗殺してまで政策を阻止しようなんて思わない。
さらにいくら政党が腐敗して民衆の信頼を失い民意が軍部に傾いてもその対象は青年将校であり
軍閥や高級将校は政党同様腐敗し君側の奸として暗殺の的になっていた。
404 :
:04/11/10 05:33:34 ID:???
>>399 >キリスト教徒でアメリカ国籍でホンダの社員
基督教徒でローマ市民はそういう意味じゃない。というか宗教オンチだね。
【適切なほかの例】
回教徒の公明党員・仏教とのユダヤ時・自由主義の中国共産党員・・・
パブリックに目覚めていない田舎の親父の何処が悪いのかさっぱりわからん。
アイデンティティに依存しなければ、国家自体が不必要でしょ。
世界は一つ、人類は皆兄弟、国境のない世界・・・お花畑思想だよね。
>>400 後段:君の言っていることの意味がわからない。
というか、デモクラシーの基本に基づいて資本主義が成立しているなら、
其のデモクラシーを受け入れる理由と資本主義は全く無関係だ罠。
貴殿は全然何も語っていないよね。なごタンをのらりくらりとか言う割に、自分自身が
のらりクラりだわさ。擬制を受け入れなければならん理由と言うのは、民族の自決
と言う発想から言えば、其の民族においてその犠牲を受け入れなければならない理由
に他ならないだろうよ。
406 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/11 21:07:49 ID:IBznlB1H
>>405 >貴殿は全然何も語っていないよね。
そりゃそうだ(w
そっちが何も語って無いんだから。
>>388 でれは
>まぁよくそういう基督教のプロパガンダを公然とかけるもんだわさ。
と言っているだろう。
>>392 dで俺は
>なんとなく流してしまったがそのプロパガンダが
>>自分の所属する共同体から離脱して一つの社会に所属し直す契機となった。
>という話なんだが.
と答えている。
>>393 >彼の内心の信仰は全人格的でなければならないわけで、その意味で「私としては
>基督教徒で、公的にはローマ人」という把握はできないわけだよ。
ここで話がループする。
パウロが「隣人愛」という教義を使ってプロパガンダ(思想の宣伝)をしたと既に話をしている。
これはキリスト教の布教活動であって経済的市民社会(ゲゼルシャフト)を実現する為では無いと言う事は
既に大前提であって「私としては基督教徒で、公的にはローマ人」なんて事をパウロが実現しようとした訳では無い事は
お互い承知しているはずなのになんでまたその話をするのか?
れは結局何も語っていない訳だ。
>>406 >そっちが何も語って無いんだから。
語りようにも語れない罠。何度も言う通り、貴殿は、貴殿言うところの「科学的帰結」
が「擬制である」ことを認めているわけだ。
で、私は常々言っている通り「日本国民」が日本国の社会秩序を選択するにあたって、
信頼に足りる【擬制】は、過去から継続された価値序列・常識・慣習に基づくもの
であると言っているわけだ。悪しき慣習があるとも認めた上で、現実に研鑚され継続
されたものは信頼に足りると言っている。
貴殿の「科学的帰結」という擬制は、其れを民族的に単一である日本人が、社会秩序の
根拠たる価値序列として採用するにあたって、なぜ其れを信頼に足りるとして採用でき
るのか其の由来なり根拠を示すように求めている。そこを提示しないんだから、議論に
なりようもない罠。
で、パウロの話しと言うのは「個と公」はキリスト教的分別だと言っているわけだよ。
ちなみに、回教徒は「個も公も宗教的共同体も個人の日常もすべて」分別されない宗教
戒律の一端」だろ?仏教徒においては「私が解脱する」という思想と「大乗に乗って解
脱する」という思想は有るが「個と公」なんて分別はしないよね。
日本神道においては「公的領域」と「私的領域」というものがあって、公的領域では
「党派心(私的集団の利益)」を捨てなさいとしているわけ。
だから其の所属とか個人とか言う発想自体普遍ではないよといっているわけで、そうい
うところに貴殿の理解が及んでいないわけでしょ。
経済的市民社会なんてことは、西欧において成立する概念だよ、共同体からの離脱なん
て発想もキリスト教的概念だよと言っているんだけど、其れがわからないんだろうね。
408 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/11 21:30:08 ID:IBznlB1H
>>405 >アイデンティティに依存しなければ、国家自体が不必要でしょ。
ん?
国民議会に参加して自分たちのためになるように政府を動かそうとする
参加意欲を一緒にもつという意味で互いに同感可能な「我々国民=共同体のような」である、というだけで
本質はアイデンティティに依存しない経済的市民社会でありバラバラの共同体だからこそ
人々が自由に振る舞うためには、いろいろな条件が必要になる訳で
何か問題のあるやつがいたら警察が捕まえてくれるとか、他国の機能集団との経済的摩擦とかを解決する必要がある。
その為の様々な信頼関係を支えるのが公共財である国家でしょ 。
>世界は一つ、人類は皆兄弟、国境のない世界・・・お花畑思想だよね。
その考えは公共の概念を必要としないが・・・・
> 回教徒の公明党員・仏教とのユダヤ時・自由主義の中国共産党員・・・
これも二つの相反する共同体に一度に所属できないと言う話で「公」とは関係ない。
>其の民族においてその犠牲を受け入れなければならない理由に他ならないだろうよ。
そりゃフィクション(擬制)ではなくノンフィクション。
国防の為に資本主義を取り入れなければならない国家のノンフィクションを
田吾作が自分の問題として捕らえる為のフィクション(擬制)はなんだったのかと言う話をしているんでしょ。
つづき いいかね、「共同体から離脱する」という発想は「離脱する主体(個の場合は個人だな)」 と共同体は、別のもの・・・と言う基本的な概念が必要。 其れはパウロが体言している「共同体におけるローマ市民として義務(宗教行為も含む) をはたす、ローマと言う共同体に所属する私」と「個としてキリスト教を全人格的に信仰 する私」が別の主体として想起されるからこそ「共同体に所属する私と、それから離脱で きる私」が観念できる。 共同体の中で社会生活を送りそこで宗教戒律を体現する人・・・にとって、其の共同体は 自己と別個の離脱できる其れではない。 マンズそこからわかっていないべさ。 日本人はそれを「私的領域」と「公的領域(建前の領域)」ということで容易に理解 できるわけだよ。しかし西欧の其れとはずいぶん違う発想だが、似ているから知っているつ もりになるわさ。だから西欧民主主義をきちんと勉強なぞすると「イラダチ」が生まれる罠。 「田舎のじいさん」発想だとか言い出すわけだ。其れはそもそも社会とか概念とか言うもの のとらえかた、似てて非なるものだからと思って美奈代・・・みなよ。 あんたが勉強してきた其れは「西欧の価値序列に基づいた概念」から発想されているので あって、日本の其れは「似ているけれども違う」わけだ。 で、違うなら、其の違う日本的価値序列に基づく社会秩序のほうが「田舎のジジイ」も 含めた私たちにとって、幸福ジャン。
>>408 >これも二つの相反する共同体に一度に所属できないと言う話で「公」とは関係ない。
じゃぁ、基督教徒でローマ人も相反するね。基督教徒という共同体とローマ人という
共同体は相反するでしょ?相反するよね。本来一度に所属できないよね。
同じことジャン。基督教徒だけがそれを、基督教徒という共同体ではなく、個人の信仰
としたんでしょうよ。回教なら、其れは出来ないわけですよ。わかります?
411 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/11 21:57:19 ID:IBznlB1H
>で、私は常々言っている通り「日本国民」が日本国の社会秩序を選択するにあたって、
>信頼に足りる【擬制】は、過去から継続された価値序列・常識・慣習に基づくもの
>であると言っているわけだ。悪しき慣習があるとも認めた上で、現実に研鑚され継続
>されたものは信頼に足りると言っている。
民族的に単一である日本人というのも擬制。
「民族」は近代的意味での「国家」を成立させるためにヨーロッパにおいて疑似的・人為的に創出されたもの。
国民は共通属性の産物ではなく政治の産物であり国民の擁護者が出現しその宣伝や教育が成功して、
人々が自ら宣伝された区分での国民であると自覚した時国民はその地域に生まれる。
江戸時代後期・末期、明治3年以降の法制化を通じて、日本人が国民意識を持つようになっていった訳で
それ以前の江戸時代にはそのような国民意識は存在しなかったというのは歴史的常識。
日本における「民族」はフランスと同様に身分制に基づいた封建秩序をぶっ壊すために、明治期に導入されたと見るのが普通。
近代以前の日本人は村や身分に基づいた共同体の一員であるとしか意識していなかったが
日本の昔からあった日本神話をネタに使い、伝統的幻想である家幻想、血縁幻想を採り入れ
さらに水戸学をネタに使い「一君万民」「天皇の赤子」という教義の基、日本人は皆身内、日本人は皆共同体
と言った感受性を作り上げ村的共同体から離脱し国民共同体に人為的に所属しなおさせた。
>>410 >共同体は相反するでしょ?相反するよね。本来一度に所属できないよね。
パウロの目的は布教活動な訳で「公」の実現じゃ無い。
マンズそこからわかっていないべさ(w
>其の違う日本的価値序列に基づく社会秩序のほうが「田舎のジジイ」も
>含めた私たちにとって、幸福ジャン。
それを守る為に日本的価値序列の外(公)に西欧の価値序列を持ってきた訳でしょ。
>>395 >>359 で既出。
マンズそこからわかっていないべさ(w
412 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/11 22:22:20 ID:IBznlB1H
>>405 経済的市民社会的「公」を解りやすく説明すると
>>399 で書いたように
>キリスト教徒でアメリカ国籍でホンダの社員
>イスラム教徒でパキスタン国籍でホンダの社員
>科学主義者で日本国籍でホンダの社員
って事があり得る訳で。
同じ会社(機能集団)で利益を得る為に違う共同体、国籍の人間が働く訳だ。
外国人が日本で働き企業と個人が利益を得る為には信頼関係を築く為のルールが必要だし
異なる共同体の人間同士がお互いを侵害しない様に信頼関係を築くルールも必要。
外人が給料をちゃんともらったり日本で稼いだお金を故郷で使う為のルールも必要だし
企業が輸出や輸入をする時に損害を受けないで利益を出す為のルールも必要。
こういった想像力が無いからパブリックに目覚めていない田舎の親父はダメなんだよ。
多吾作は迷惑だから田舎に閉じこもって出てくるな(w
このスレにはトンデモ君がいるな(藁
>>405 >世界は一つ、人類は皆兄弟、国境のない世界・・・お花畑思想だよね。
即ち詰り、和の思想はお花畑思想という事だな。
>>411 いや、だから、存在意義スレで言っているように「天皇制に批判的な網野氏」さえ
「起請文などの論証」から江戸時代どころかそれ以前に「農民のレベル」まで
「日本と言う国についての認識があった」というのが、歴史的常識。
大体だなぁ、日本国と言う認識もなく租税が徴収されていたなんて言う事自体が
間抜けなわけだ。平安時代にすでに「奉幣をして全国の神社との関与を示し」
かつ仏教政策における護国神社と言う発想での神仏習合状況を作り出していった
わけで、其れが地方と朝廷の正当性を持つ関係性として形成されるわけだ。
新たな神社仏閣が建立され、あるいは修復されるなどして、全国の天神地祇と朝
廷の関係を構築し、そこに租税が絡められて運営されている国家において、まさに
民衆から調達される租税の行方が何処なのか知らされないし、其の地域の神仏の
由来も知らされない、暦や農耕技術、作法などの由来もわからない・・・と言う
想像ガで切る人は、相当頓珍漢な歴史オンチだね。
で、後のことはあきらめた。君は人類普遍をとき私は普遍などないと申しあげている。
あなたの論理の構成自体が「西欧的概念」であることを指摘しても理解できないらしい。
>って事があり得る訳で。
ありえても普遍じゃない。
>ルールも必要。
だが、ルールと言うのはつまるところ価値序列で形成される。
(例示:日本的価値での歴史書は韓国では祖先への誹謗中傷として損害賠償の対象に
なりうる)同一のルールは構築できないと言う前提が私には有るがあなたにはない。
其れはパブリックなどと言うものではない。国内は秩序によってルールが構成され
国際社会におけるルールは、価値序列が異なるから、実質的な力関係による。
なごタンへ 貴殿の評価である「理解しようとしていない」は正解であった。
417 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/12 22:59:50 ID:IuweFFcS
>>413 俺もそれをいつか突っ込んでやろうと思ってたよ(w
>>415 >「起請文などの論証」から江戸時代どころかそれ以前に「農民のレベル」まで
>「日本と言う国についての認識があった」というのが、歴史的常識。
民族国民意識の話とは違うが・・・・・
どちらが話を理解しようとしていないやら・・・・・・
日本と言う地域、叉は大地としての「国」という認識はあった訳だ。
> 大体だなぁ、日本国と言う認識もなく租税が徴収されていたなんて言う事自体が
>間抜けなわけだ。平安時代にすでに「奉幣をして全国の神社との関与を示し」
その国が日本国だってのも間抜け。
国(くに)は、古代の日本での、律令制下の行政単位。
のちに律令制が事実上機能しなくなっても、地域区分を表す単位として明治時代初期まで用いられた。
現在でも「旧国名」として、都道府県の別名や、都道府県内の地域名として用いられることがある。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD >(例示:日本的価値での歴史書は韓国では祖先への誹謗中傷として損害賠償の対象に
>なりうる)同一のルールは構築できないと言う前提が私には有るがあなたにはない。
韓国も同一言語、同一人種なんで法律が共同体の道徳の影響を受けやすい。
前も言ったが民主主義は過程であって完成されたものでは無い。
マリファナが日本とアメリカ以外の先進国で合法化されたように近代化が進めばそぎ落とされるルールはある。
>で、後のことはあきらめた。君は人類普遍をとき私は普遍などないと申しあげている。
あー俺は「普遍的価値観なんて有り得ない訳でそれを無理矢理一つにまとめようとしたり
他者の価値観を侵害しない為の普遍的ルールは有る」と言う話をしているだけだが。
418 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 00:40:56 ID:zTrPi2sy
>>415 >国際社会におけるルールは、価値序列が異なるから、実質的な力関係による。
もっとも。
日本は鎖国しても自給自足でやっていけるが軍事力を外国と拮抗する様なモノにしないと植民地化されてしまう。
国防の為、軍事力を得る為に豊かになろうとする。「近代化」しようとする。
そのために西洋の価値序列を輸入して憲法を作り国民国家化し資本主義を導入し
外貨を獲得しなければいけない。それゆえに換金作物に作付けを換える。
すなわち一次産品を輸出して得た外貨で「近代化」する。抽象的にいうと流動性から収益をあげようとするが
国際市場で買い叩かれて構造的貧困に陥る。
それに気付いて後戻りしようにも、土地には農薬がぶち込まれてスカスカ。 つまり伝統的な自立経済圏を支えるインフラはズタズタ。
だから永久に近代的システムに従属しつつ「構造的な貧困」に甘んじるしかない。
419 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 00:53:28 ID:zTrPi2sy
日露戦後の重工業化と都市化は、とりわけ都市部の住民に、周囲が知らぬ者ばかりという環境を強いた。 ここにあるのは、軍事力を背景とした経済的覇権追求というより、 「幸せになるために近代化しよう」いう「自発性」です。 自立経済圏やそれに結びついたコミュニティー的なライフスタイルが現に存在して、 「グローバリゼーションによって失われるものがある」という痛切な感覚を抱いているという事実です。 グローバリゼーションによって破壊される伝統があるという感覚であるとも言える。 日本の昔からあった日本神話をネタに使い、伝統的幻想である家幻想、血縁幻想を採り入れ 「一君万民」「天皇の赤子」という教義の基、日本人は皆身内、日本人は皆共同体 と言った感受性を作り上げこの痛切な感覚を吸収する。 敗戦後アメリカの戦後政策により天皇制的な感受性が解除された上に政治的自由を手に入れ 日本人は貧しさも手伝ってアメリカ的生活という豊さを欲望する様になる。 都市化や環境整備が進み自然に対する驚異が薄れ神道的感受性も薄れる。 70年代に達して「豊かな生活」が実現され『奥様は魔女』みたいなアメリカ的価値観の虚構性に気付き 国民共通の国家目標をすでに達成した後の社会では、個々人の価値観が多様化し共通的価値観の共有が、 もはや困難になると階級所属を意識しないで済むが何をしても自由だけど、何を見ていいのか、 何を楽しめばいいのか分からないという別の痛切な感覚がにじみ出る。 エネルギー安全保証、食糧安全保証、技術的安全保障──今日ではIT安全保障──、文化的安全保障などの観点から 近代化(民主主義・進歩主義)を回避して日本的価値序列に基づく社会秩序を手に入れるなんて事はノーテンキな事は出来ないが それを徹底する事によって日本は日本である事ができると言う事はありうる(<<359)。
>>416 なごみに続いてれにも白旗揚げさせるとは、リック・ドキュソは本物かもしれない。
421 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/13 09:18:51 ID:nNlXHVWZ
>>417 一段目:其れは貴殿が網野氏などの最新の研究結果を知らないからに過ぎない。
二段目:これも最近の研究結果を無視した、古い考え方である。
三段目:進歩主義に私は与しない。
>>418 政治の話は政治板でどうぞ。
>>419 以下同文
423 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 10:49:44 ID:zTrPi2sy
>>421 > 一段目ヨ二段目
近代以前の日本人は生まれた場所にいた者たちと死ぬまで一緒にいるが如きムラ的共同体を生き
村や身分に基づいた共同体の一員であると言う事がアイデンティティーの中心であり
ヨーロッパ程では無いが他の身分やムラの人間とは連帯感を持つ事は少なかった。
つまり日本に住む人というものはあっても日本人と言うアイデンティティーは存在しなかったってこと。
「国」は古来よりあるローマ帝「国」とかの「国」では無く、いわゆる近代的な意味での「国家」(国民国家や民族国家って奴)を意味する。
「日本には日本の国家観が有るからそのままで良い」なんて言っていたら半国家として他国に植民地化されてしまう。
英語で「民族」とはnationだけど、日本語に訳せばその他にも主に「国民」「国家」の意味があるとされる。
つまりは何を言いたいかと言うと「民族」は近代的意味での「国家」を成立させるためにヨーロッパにおいて疑似的・人為的
に創出されたものであるということ。フランス革命の歴史を見るとよくわかるのだけど、それまでの身分制に基づいた
封建的秩序をぶっ壊わし、「自由で平等な人間」という概念を作り、それを用いて国内で最高にして国外に対して
独立な「主権」を持った「国家」を作らなにゃならなかったわけだけど、その概念を作るためには今までの封建的
価値観に変わる何らかの根拠を示さなければならなかったわけ。だからみんなが「同一民族」=「フランス人」で一緒
なんだから「平等な人間、平等な国民」で当たり前だろ、というフィクションを作った。
つまり「我々の国では誰もが努力すれば成功する、誰にもチャンスはある」といった「みんなが等しく同じ民族」
という発想が無ければならない訳で身分制度が有る限り「日本人という民族」は存在しない訳だ。
徳川綱吉の母親が八百屋の娘であったように武士と庶民の連帯がまったく無い訳では無いが「農民」と「えた・ひにん」の
対立が有ったり特権が存在する様な江戸時代以前に「民族(nation)」は無かったって事。
平安時代についても源氏物語の「須磨」の章に「土民」についての記述がいくつか出てくるが、あの記述は明らかに人間としての描写ではない。
まるで、馬か犬でも書くような文章である。彼らはまともに言葉を理解することも出来ない訳で国民意識なんてある訳が無い。
424 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 10:54:19 ID:zTrPi2sy
>>421 > 三段目:進歩主義に私は与しない。
>
>>418 >政治の話は政治板でどうぞ。
>
>>419 >以下同文
これは逃げだな(w
【結論】
近代化(民主主義・進歩主義・国際化)を回避して日本的価値序列に基づく
社会秩序を手に入れるなんて事はノーテンキな事は出来ない。
れもドキュンも暇だな、おい!
>>423 史実と異なる認識の指摘
>近代以前の日本人は生まれた場所にいた者たちと死ぬまで一緒にいるが如きムラ的
>共同体を生き・・・
日本告の江戸時代を想起すれば分かるが「農民は人口の90%以上」という古臭い
誤りに基づいている。もうそんな時代遅れを言う人はいないかと思ったが・・・
もっと流動的でダイナミックな流通(ヒト・モノ・カネ・ジョウホウ)があったのだよ。
まぁ、五公五民が成立する非輸出国家において、農民が80%いると想起できる時点で
アフォだ罠。人口の40%が非農民だったならばダイナミックな流通がなければ、人口は
減少するだろうが史実は維持微増だわさ。そういうマルクス史観の残骸をいまだ引きず
っている人は、少ないんじゃないの?と言うか久々に見たなぁ。
「百姓=農民」という誤解に基づいた古臭い江戸時代認識だよ。
>日本に住む人というものはあっても日本人と言うアイデンティティーは存在しなか
>ったってこと。
網野氏の研究によれば、単一ではないが共通の日本民族としての認識は、村落農民のト
ップレベルまで、日本国と言う統治機構や五機七道と言う全体像を内包して浸透していたと
している。
で、西欧の其れと日本の其れを同列にかたってもいたし方がない。
彼らは宗教なるものでまとまり、人種的に近いわけで、かつ言語的にも日本の
津軽弁と鹿児島弁よりも近いわけでしょ。そういう中に形成された国家と、日本のように
海に囲まれ、「大陸・半島の価値観から独立し、大陸・半島と言語的に全く乖離する個別の民族」
としての国家が、同列に語れると思うほうが 花 畑 。
私は網野さんのように、きちんと資料を研究し 「日本は単一文化民族ではない」「天皇が支配する農耕民族ではない」 「瑞穂の国日本の否定」「天照さえ東国では絶対でも最高でもない」 「天皇号と日本国名の成立以前は列島の歴史とするべき」というような結論を 出していることに全く敬意を払うし、其の通りだなぁとおもう。 で、奈良時代からのダイナミックな物流とか、列島と半島を鳥瞰すれば様々な交流が 有ったことは当然と言う分析も妥当この上ないとおもう。 数冊の本で、日本の海運(海洋民)の存在が非常に大きいことに驚いた。 日本は農民を権力が搾取簒奪してきただけの国でもないし、各大名において其の領地に縛り つけた閉鎖的領地の複合体でもない。奈良時代からの税を見ても日本全国の特産物は朝廷に 集められているし、其れは海運が発展している証拠でもある。 海運が発展していれば当然に半島との交易なども存在していたわけで、物流が可能な程度の 船舶があると言うことは、当然に兵士の運搬も可能と言うことで国防もリアルに必要である。 そういう中で、一つの独立国家として奈良から江戸時代までを見るとき、物流がダイナミッ クに継続していることは当然至極で、街道があり港湾がある中で人が移動不可能なわけがな い。事実街道には茶店があり茶屋が有り旅籠がある。参勤交代の武家だけが通行しているわ けがない。お伊勢参りもある。とりあえず非農民が40%前後存在し、大阪江戸を中心とした 消費地に対して物流を行っていたということである。 そうでなければ、300もの自治体に分割され、其の中に天領が入り組んだ江戸時代の日本国 が、経済的に発展し封建社会を破壊する原動力になるはずがないということも言える。 そういう中で、それでも継続してきた日本独自の価値序列に基づく社会秩序の国が現存して いるのであり、手に入れる必要など毛頭ないのである。
やれやれ、また網野かよ。網野崇拝者だな、れは。
>>428 イヤ、彼の思想的なものというのは「肌に合わない」わけだが、マルクス史観の残骸
の壊滅には、「反天皇」たる彼の言説が適当だし、説得力がある。
熊谷氏など持ち出しても、しょうがないからねぇ。
430 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 12:22:04 ID:zTrPi2sy
>>426 >で、西欧の其れと日本の其れを同列にかたってもいたし方がない。
西洋と同一の国民国家化によってそれ以前の国家観が失われると言う話は
>>418-419 でした。
海に囲まれ、「大陸・半島の価値観から独立し、大陸・半島と言語的に全く乖離する個別の民族」
としての国家は 花 畑 だった訳だ(w。
花畑のままではセイタカアワダチ草に侵食されてしまう(ww
ダイナミックな物流があっても近代以前の日本人は生まれた場所にいた者たちと死ぬまで一緒にいるが如き
ムラ的共同体を生き村社会意識を持っていた事には変わり無い。
むしろ隣国の人間との交流が有ると認識していたと考えるのが妥当。
村社会の構成員の特徴
ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub2-35.html 1.お上の下に自分たちの社会があると信じている。
2.自分で考えた価値観を持てず、所属する「村」の決定した価値観に従う。
3.自らの判断を偽り、自己主張を慎むように装う。自ら考えず、目立たず、物言わずを信条とする。
4.「村」の掟やしきたりにのみに従って全ての問題の解決を図ろうとする。
5.自分たちとは異なる様々な観点を認めずに否定的に関わる。すなわち、異質をつねに排除しようとする。
6.自分の所属する村のみに通用する物差しがあり外部の物差しを認めない。
7.遠くにいる人間とのコミュニケーションが苦手である。
8.議論を嫌い陰口を好む。
9.強迫的横並び志向を有する。
ヨーロッパにしても同じ事で近代以前は日本と同じように言語や文化、慣習、宗教などを共有するグループであり
古代ギリシャ=ローマのポリスの様に政治共同体が国家として機能していた。
ギリシャ=ローマにおける「公」の概念は18-19世紀に大きな構造転換を図られることになる。という
のは、商業圏の発達により、もはや、ポリスという閉じた共同体に収まらないブルジョワジーが商業
経済を担うという状態が顕在化するようになったからである。そういった時代背景とあいまって、市
民社会の観念がソキエタス=キウィリス(政治的市民社会)的「公」からビュルガーリッヘ=ゲゼルシ
ャフト(経済的市民社会)的「公」のことをさすようになるのである。
ttp://homepage2.nifty.com/jinichi/thesis2.html
>>430 だから、貴殿の思っている近代以前の日本象が古すぎて
>国家は 花 畑 だった訳だ
などと言う結論自体が、無知の証明になっているんだよ。
で、46歳のお医者さんの言説に、何か意味があるのかいな。
んで、後段のサイトは「よしりんの戦争論」についての小論文か・・・。 そういう出自のものであっても別にかまわないけれども、そこにそう書いてある 以上でも以下でもない罠。と言うか様々なサイトの記述をコピペするのが好きな 人がもう一人いたけど、まぁはっきり言えばパッチワーク的であって、 主張を構成する事実を「サイトの記述」に求めるのは当然だし結構だが、 主張そのものをそういうもの頼られても・・・。 ・・・
433 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 13:02:02 ID:zTrPi2sy
>>431 >だから、貴殿の思っている近代以前の日本象が古すぎて
むしろ西洋と日本の国家観が違うというあなたの考えが古すぎる。
共同体とは、生活空間や生活時間を共有し、そのこともあって、
同じものを同じように体験しているであろうと互いが思いあっている人間の集団である。
言語が同じとか交流が有る程度では共同体と言えない。
言語が同じ事によって生活空間や生活時間を共有していると感じるには他の言語を用いる共同体を
身近に感じる事、つまり対象があってそれに対して我々の共同体とようやく認識できる。
これはせめて新聞が無いと不可能。
カリスマをと擬制を通じてまるで生活空間や生活時間を共有している様に感じる必要が
国民国家形成の為のネイションを形成する為の連帯感を作り上げる必要が出てくる。
それ以前に民族意識があるなら天皇制なんて必要無いだろ。
俺は天皇制を否定しないぞ。
>で、46歳のお医者さんの言説に、何か意味があるのかいな。
2.自分で考えた価値観を持てず、所属する「村」の決定した価値観に従う。
5.自分たちとは異なる様々な観点を認めずに否定的に関わる。すなわち、異質をつねに排除しようとする。
6.自分の所属する村のみに通用する物差しがあり外部の物差しを認めない。
これを打破しないと生活空間や生活時間を共有している同じ日本人という感覚は産まれない。
434 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 13:46:54 ID:zTrPi2sy
網野善彦が間違っているのでは無くれが脳内補正している可能性は十分に有ると言うか
それしか無いだろうと思い調べたらいきなりこんなモノが(w
明治時代までは、一般庶民が「日本」という言葉を用いることはほとんどなく、
クニといえば郷里のことだった。
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/Amino.html 網野善彦『「日本」とは何か』(日本の歴史00)小学館 2000
>>415 の
>いや、だから、存在意義スレで言っているように「天皇制に批判的な網野氏」さえ
>「起請文などの論証」から江戸時代どころかそれ以前に「農民のレベル」まで
>「日本と言う国についての認識があった」というのが、歴史的常識。
と思いっきり矛盾する。
こんな事もかいてある。
古来から天皇家に支配される単一民族国家という神話は、明治以後に作られた「富国強兵」のためのイデオロギーであり、
戦後の企業が「農村型」の組織を維持する上でも大きな役割を果たした。しかし、グローバル化や情報ネットワークの拡大は、
こうしたイデオロギー装置を無効にしつつある。もともと国民国家という制度は、
十七世紀の欧州で軍事境界線を決めるために作られた法的な虚構にすぎない。
多様な人々が国境を超えて自由にコミュニケーションを行うサイバースペースは、
むしろ国家に支配される前の「原初的な」社会に近いのである。
これは
>>411 の俺の意見と矛盾しないぞ(w
435 :
右や左の名無し様 :04/11/13 13:48:37 ID:beAy9HYf
>>427 >各大名において其の領地に縛り
>つけた閉鎖的領地の複合体でもない。
部分的にはそのようなお国もあったな。
薩摩なんかその典型だろう、余所者を見分けやすくするために
意識的に言語まで管理していたらしいな。
その癖植民地まで経営していたしな。
高価値の特産物を持っていた国は特産物をまもるために
関所を設け領地への人の出入りを厳しく制限していたしな。
>>433 ん?何を語りたいか知らないけど「打破しなければならない」という論証はか
かれていないから、考慮するに値しない。
>>434 そのサイトは前に見たよ。少なくとも
>明治時代までは、一般庶民が「日本」という言葉を用いることはほとんどなく、
>クニといえば郷里のことだった。
と言うようなことを書いている部分は、其の本には「ない」罠。
起請文における定型文「日本国中の天神地祇」と庶民が使っていて事実がある罠。
三枚起請という落語で検索でもしてみれば?
>>436 確かに・・・しかしそれでも物流は有った。というより、幕末になぜ薩摩が有力藩
になったかと言えば、明らかに貿易による経済力でしょうよ。
輸入した其れは、大阪江戸の消費地域に送られていた。
というかまぁ、WEB上の情報のコピペだけで判断できる其の感性に、まぁ 其の人の器量が現れている罠。 実際に読んでいないヒトが、明らかに其の引用をしている部分(ページなり第何章と 表示されて引用であることが明確なもの)ではない、筆者のまとめなのか自説なのか さえ分からない部分を根拠に、ああだこうだいえることが、まぁ不誠実だ罠。
439 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 17:19:02 ID:zTrPi2sy
>>437 >起請文における定型文「日本国中の天神地祇」と庶民が使っていて事実がある罠。
それが日常化している根拠がない罠。
網野善彦が日本人という民族意識を当時の人間の誰もが持っていたといっている記述が見つからない罠。
この場合日本人と言うものが確立されていた「説明的理解」ではなく
特例では無く誰もが同じ日本人という「直接的理解」していたと言う事が解る「説明的理解」が必要。
>ん?何を語りたいか知らないけど「打破しなければならない」という論証はか
>かれていないから、考慮するに値しない。
前段にかいてあるだろ。
共同体とは、生活空間や生活時間を共有し、そのこともあって、
同じものを同じように体験しているであろうと互いが思いあっている人間の集団である。
2.自分で考えた価値観を持てず、所属する「村」の決定した価値観に従う。
5.自分たちとは異なる様々な観点を認めずに否定的に関わる。すなわち、異質をつねに排除しようとする。
6.自分の所属する村のみに通用する物差しがあり外部の物差しを認めない。
隣村の奴は同じ共同体の人間では無いということになるから「同じ日本人」という意識は無くて「違う日本人」という意識しか無い。
ttp://www.nagano-cci.or.jp/tayori/634/ts_634.html しかし、読めば読む程、国家と言うものが確立されておらず曖昧なものだったとしか感じないが・・・・
>>437 >定型文「日本国中の天神地祇」と庶民が使っていて事実がある
日本国中と言い、或いは書いたからと言って、日本を現在認識されている
『国家』として認識していたことにはならない。
しかも定型なのだ。枕詞の意味を考えてみようなど言う庶民はいなかろう。
同じ単語だからといって、認識内容まで寸分違わぬなどと思わない方が良い。
庶民には箱根の向こう程度でも十分異世界なのだ。
>>439 だからさー根拠がないのは貴殿のほうで
>それが日常化している根拠がない罠。
>特例では無く誰もが同じ日本人という「直接的理解」していたと言う事が解る「説明的理解」が必要。
根拠:日本の歴史00
で、
------------------
貴殿ご提示のサイトから
網野 これまでの封建制のとらえ方自体が、崩れてしまいます。自給自足で土地に農民を縛り
つけて地代を取るという今までの定説は成り立ちません。海民は縛りつけられる土地を持って
いないし、当時の人々の生活は交易を前提にしていたのです。
貴殿の書き込み(
>>423 )
>近代以前の日本人は生まれた場所にいた者たちと死ぬまで一緒にいるが如きムラ的共同体を生き
>村や身分に基づいた共同体の一員であると言う事がアイデンティティーの中心であり
-----------------
442 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 18:01:54 ID:zTrPi2sy
>>441 >根拠:日本の歴史00
だからそれに本当に書いてあるのか。
どう書いてあるのか説明しなきゃ議論にならん。
>で
場所じゃ無く[生まれた場所にいた者たち]というそこに存在している共同体の事を指しているがどうかしたか?
>>440 の
> 日本国中と言い、或いは書いたからと言って、日本を現在認識されている
> 『国家』として認識していたことにはならない。
> しかも定型なのだ。枕詞の意味を考えてみようなど言う庶民はいなかろう。
もあるし。
>>442 >だからそれに本当に書いてあるのか。
>どう書いてあるのか説明しなきゃ議論にならん。
ん?そこまで甘えられても、私は貴殿に何の義務もないわけで。
本屋で立ち読みでもすれば?または図書館で借りてでも読めば良いじゃん。
其れまで保留と言うことにして。人に甘えるより其のほうがよっぽど自立して
いる罠。
二段目:だから其れはどういう史実的根拠に基づいているわけよ?其れを説明
しなきゃ議論にならんがね。史実的根拠をどっかの書籍名なりサイト名なり
で、示してくれよ。
三段目:イヤ、だから史実的根拠は示したわけで、其れを知らない人は単純に知らない
だけで、反論にも何にもなっていないわけでしょ。国家として認識していたかもしれ
ないし認識していなかったかもしれないが、網野氏が示した史実的根拠では、
「日本人意識」はあったと結論付けていてそれは「統治機構とか日本国の全体像」
を理解した上での認識だったとしているし。
444 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 19:39:16 ID:zTrPi2sy
>>443 >「日本人意識」はあったと結論付けていてそれは「統治機構とか日本国の全体像」
>を理解した上での認識だったとしているし。
とりあえずは「日本人意識」があることはあり得ると思う。
だが「皆同じ民族・国民意識」を支える連帯があったとは思えん。
日本人と非日本人の区別を考えると、非血縁的社会なので「血」の同一性ではないし
非理念主義的な社会なので「理念」の同一性でも無いし、統計調査によれば制度的な国籍の同一性でも無い。
同じ窯の飯を食うと言った事実性や、政策的な宣伝が積み重ねる既成事実の詰み重ねが
「同じ日本人」の境界をその都度形成する(宮台真司)
日本人と言う空間は非常におぼろげな空間でれが
>>407 でいうような>民族的に単一である日本人という表現は不適切。
>で、私は常々言っている通り「日本国民」が日本国の社会秩序を選択するにあたって、
>信頼に足りる【擬制】は、過去から継続された価値序列・常識・慣習に基づくもの
>であると言っているわけだ。悪しき慣習があるとも認めた上で、現実に研鑚され継続
>されたものは信頼に足りると言っている。
まあ、俺が言っている事をまとめると情報が乱流する現代において肉体的実感のない【擬制】が
動機付けとなって社会秩序を形成する事なんて有り得ないし信頼に足りない。
過去から継続された価値序列・常識・慣習が政策的な宣伝が積み重ねる既成事実の詰み重ねなら
生き残る為に一番強い西洋の価値序列を受け入れ民主主義化・近代化し長所を生かし個人主義を熟知徹底し
個人の能力を最大限にのばそうとする事によって民度を上げ国際競争を勝ち抜く力を身につけ
何が国民の利益になるのかを徹底的に計算した上で、戦略的に振る舞い「子々孫々の繁栄」を図り
国民的な問題となる様な事件や問題を論理的、科学的に理解・解決することによって信頼に足る社会秩序を作り上げ
危機管理能力を身につける事が「日本国民」が信頼に足りる日本国の社会秩序を選択する事となる。
>>444 >だが「皆同じ民族・国民意識」を支える連帯があったとは思えん。
誰も「皆同じ」と言ってはいないわけで「皆同じ」である必要などないし
現代でも「皆同じ」ではない罠。「連帯」があった?「連帯」は今あるかと
言えば疑問。今もないものが江戸時代という情報量が圧倒的に少ない時期に
有るなどと誰も主張していないし・・・。
「おぼろげな空間」であるからと言って「民族的に単一である日本人」という
意識が存在しないと言うことはない。「おぼろげな空間」と言うのは、境界なり
外延がはっきりしないと言う趣旨じゃないの?ど真ん中はおぼろげなじゃない
わけだし。(まぁ確率論的な点の集合を想起したほうが懸命じゃないの?)
>個人主義を熟知徹底し
と言う部分だけが、極めて不自然に見えるね。個人主義を熟知徹底しなくとも
個人の能力は伸びる罠。というより、どちらかと言えば全体主義的な色合いの強い国
のほうが、個人の(しかも国家の必要性に応じた)能力は伸びる傾向にあるような。
生き残る為に一番強い西洋の価値序列を、必要な範囲で受け入れ、必要な範囲で民主主
義化・近代化し長所を生かし、個人の能力を最大限にのばそうとする事によって民度を
上げを上げ国際競争を勝ち抜く力を身につけ何が国民の利益になるのかを徹底的に計算
した上で、戦略的に振る舞い「子々孫々の繁栄」を図り 国民的な問題となる様な事件や
問題を論理的、科学的に理解・解決することによって信頼に足る社会秩序を作り上げ 危
機管理能力を身につける事が「日本国民」が信頼に足りる日本国の社会秩序を選択する事
となる。
で別に良いじゃん。個人の分に応じた希望を叶えながら、常識や慣習も大切にしながら
、そういうことは出来るでしょ。
ということで、一番聞きたかったことの回答と其れへの反論も出来たし 当分中座しますよ。
447 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/13 20:49:25 ID:zTrPi2sy
>>445 > 「おぼろげな空間」であるからと言って「民族的に単一である日本人」という
>意識が存在しないと言うことはない。
水の中にインクを落として何処までがインクで何処までが水だと言う次元を単一と括る事は出来ない。
>「連帯」は今あるかと言えば疑問。
もちろん「連帯」を形作る参政意欲なんてモノはほぼ無い。
下手をすれば国会で議会内の賛成の多数を自由な討議によって獲得しようとしていた大正の方が
自由を履き違えてややじを喚き散らし議会を破たんさせてしまった上に
官僚の傀儡となった選挙マシーンがて出来上がった文章を読み上げるだけの現代より民主的だったりする。
>と言う部分だけが、極めて不自然に見えるね。個人主義を熟知徹底しなくとも
>個人の能力は伸びる罠。というより、どちらかと言えば全体主義的な色合いの強い国
>のほうが、個人の(しかも国家の必要性に応じた)能力は伸びる傾向にあるような。
他者の侵害によって個人主義の徹底は簡単に頓挫する。
全体主義的な色合いの強い国でのびる能力は生産性。
近代過渡期を迎えた国で必要とされる代三次産業に適応できる開発力、想像力の域は伸びない。
後、個人主義と利己主義の区別がつかない、叉はリベラルとフリーダムの区別がつかない状況が有る以上
個人主義を熟知徹底は重点的徹底的にしなければならない。
>>446 リック・ドキュソの価値と言えばあの、れ に敗北宣言させたことだな(藁
>>447 >個人主義を熟知徹底は重点的徹底的にしなければならない。
その個人主義に徹しきれない香具師には退場いただこうという個人主義原理主義。
>>448 そこまでの価値すらない。多分れは敗北宣言してないと言い張るだろうし。
このスレのコテハンの言ってることは自分の脳内のみ有効。現実社会では否定された者たちの脳内オナニーだから
450 :
右や左の名無し様 :04/11/14 07:48:17 ID:hyDIliay
感冒腸管「国籍不明潜水艦がまた領海入って来ました・・」 水疱瘡タン「領海入った??? 事故かも知れないしぃ〜 事実関係調べないとぉ〜」 感冒腸管「では、どの段階で自衛権発動に賛成するんだ・・」 水疱瘡タン「領海に入ってもぉ〜 相手が何もしないのだったら親善訪問かも知れないしぃ〜 その辺は国会で憲法9条との関係できちんと議論しないとぉ〜」 感冒腸管「本土に接近、ミサイル発射の兆候があるので自衛権発動。」 水疱瘡タン「早すぎる〜 早すぎる〜。日本に向けてのものか吟味しないとぉ〜」 感冒腸管「ミサイルが発射された。自衛権発動が遅れ、ミサイル撃墜ならずです。 核ミサイルは東京にあと五分で着弾だ。」 水疱瘡タン「こういう情況こそ、憲法が認める自衛権発動の時機です。」 感冒腸管「アホ〜! もう間に合わん。お前と一緒にアボ〜ンされたくない。」 水疱瘡タン「ところでホントに東京に着弾するの・・・」 「えっ ホントなの。 何で早く出撃して撃沈しなかったのぉ〜。銀行でお金下ろすヒマもぉ・・・」 着弾 痔エンド。 あの世から 日本国民の皆様 ご唱和願います。「平和がいい 平和でいい」
>>447 一言だけ。
>想像力の域は伸びない。
他国への能力の流出は、国益には反する罠。
>>448 そなの?
>>449 自分がそうだからと言って・・・略
452 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/14 10:56:51 ID:keX9RiWR
>>452 それは、個人主義を徹底する中での、一部の「全体主義的体質」の企業で
起こるんだろうよ。国中が全体主義的であれば、個人の選択肢は考慮されない
わけだから、流出などしない罠。
と言うか普通にそんなことは分かるだろうにも係らず、くだらない反論ばっか
だから「理解しようとしていない」と評価されちゃうんじゃないの?
454 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/14 18:20:04 ID:keX9RiWR
>>453 脱北者やコマネチとかテルミン博士の話をしろと。
>>406 で
>自給自足で土地に農民を縛てつけて地代を取るという今までの定説は成り立ちません。
と
>生まれた場所にいた者たちと死ぬまで一緒にいるが如きムラ的共同体を生き
に矛盾が有るとか
>>406 で
>パウロが「隣人愛」という教義を使ってプロパガンダ(思想の宣伝)をしたと既に話をしている。
>これはキリスト教の布教活動であって経済的市民社会(ゲゼルシャフト)を実現する為では無いと言う事は
>既に大前提であって「私としては基督教徒で、公的にはローマ人」なんて事をパウロが実現しようとした訳では無い事は
>お互い承知しているはずなのになんでまたその話をするのか?
>れは結局何も語っていない訳だ。
と指摘したにもかかわらず
>>406 >>409 ときて
>>410 >
>>408 >>これも二つの相反する共同体に一度に所属できないと言う話で「公」とは関係ない。
>じゃぁ、基督教徒でローマ人も相反するね。基督教徒という共同体とローマ人という
>共同体は相反するでしょ?相反するよね。本来一度に所属できないよね。
これだけみっともない事を喚いておいて
>くだらない反論ばっかだから「理解しようとしていない」と評価されちゃうんじゃないの?
だって(p
理解しようとしていない人が、理解してくれないと嘆くのは、・・・略。
456 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/14 19:05:42 ID:keX9RiWR
>>306 の
>『シーザーを理解するためにシーザーである必要はないそうでなければあらゆる歴史記述は無意味であろう。』
>【発言者】荒巻大輔
>【意味】世界は偉人たちの水準で生きるわけにはいかない
>【備考】ウェーバーは「直接的理解」を「説明的理解」と切り離して考察しようとした。
この後に
>>311 >各民族や宗徒は、其れを自らの特殊な価値序列ではなく、「真理」と考えているからである。
>>315 > 毎度書くけど、宗教を信じている人は「りっくタンも含めて」宗教を信じていると言う
>自覚などないと思ったほうが良い。
>>322 >少なくとも、自爆テロを行うものは「これは自殺ではない」と思っている。
>>336 >回教徒にとって貴殿の解釈など「何の意味もない」し、自分の解釈も、「何の意味もない」のである。
>ここを無理解だから、そういうことがかける。
>>344 > 彼らが共有する道徳規範は「彼らの宗教指導者と彼ら自身」が作るものであり
ここまで理解力が無いと致命的だな(プ
って言うか本来、議論ってモノは客観的に物事を捕らえる事を前提にするものだが
クオリアを根拠に対象が理解できないみたいな事を言い出せば「俺とお前だって会話出来ているか怪しいだろ」って話になる。
正直、れは「あ」ってどう発音しているかどうかも怪しい。
457 :
右や左の名無し様 :04/11/14 20:34:24 ID:QS7mFEZk
これで「れ」が敗北したという形が出来たな。
458 :
傍観者 :04/11/14 23:55:31 ID:???
れとしては、リック・ドキュソが何を喚こうが屁でもないと思う。大量のレスのやり取りの割に 二人の議論は全然噛み合ってない。というか、リック・ドキュソのレスが的を射てない。れの言 ってることが理解できていないのか、それともハナから相手にしてないのか。
459 :
右や左の名無し様 :04/11/15 00:57:36 ID:phu0Ft1L
結局、視点の問題なんだよね。 りっくタンが語っているのは、「本人の意識としては」、外部から見た客観を語っている わけだ。外部から見た客観であろうから「アノミー」なんてものが出てくる。 私が言っているのは、その「外部から見た客観」と言う立場自体を相対化できていない ということ。 りっくタンが生まれ育ちし環境と、その環境において勉学した結果得た、彼としての客観性 と、自爆テロを実行した当人や其れを推し進めた人たち(周囲の人や宗教指導者など)の もつ客観性は、同列じゃないの?と言っているわけですよ。 そこが伝わらないと言う印象だな。(二度ほど読み返した結果)。
461 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/15 22:02:56 ID:vue2grlB
>>460 > 私が言っているのは、その「外部から見た客観」と言う立場自体を相対化できていない
>ということ。
2ch上で手に入るだけの情報を駆使してできる限りの推論をたてる事によって「なごみ」の妄想を否定する以上
別にそれ以上相対化する必要も無い罠。
っていうかその視点じゃ「2ch自体相対化できない」「日本語自体相対化できない」と後退すればする程底が抜けて行く罠。
結局理解しようとしていないだけでしょって事。
>>456 で
>クオリアを根拠に対象が理解できないみたいな事を言い出せば「俺とお前だって会話出来ているか怪しいだろ」って話になる。
>正直、れは「あ」ってどう発音しているかどうかも怪しい。
と言った意味を考えてみな。
リック・ドキュソはれが「あ」と発言してることすら「あ」と認識できないらしい。 ここまでくるとデムパを通り越してカルトだな。れを超えたと思う。
463 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/15 23:26:05 ID:vue2grlB
>>461 んー、わかろうとしていない人間が迷い込む「○○症候群」だな。
視野と言うより、「視座」といったほうが良いかもしれない。
例えれば(まぁ2chにおけるたとえ話が概ね的をいないことを承知の上で)
宇宙と言うものを考えてみる。貴殿のものの言い方は、この宇宙の外から、宇宙を眺め
その客観を語ろうとしているように見受けられる。視座は宇宙の外である。
私は、その貴殿のその「客観を客観であるとする確信は、一体何を拠りどころにしてい
るのか」と問うている。
私は、地球の日本と言う場所に視座において、そこから宇宙を観察する。私の客観は、
私の現在いる場所において観察し検証できる客観である。したがって、宇宙のすべてを
「見渡せない」と言う自覚がある。自覚が有るから、観察結果からの結論を実行するに
は、慎重さと節度が必要であるとする。結論の適用の範囲も限定される。
相対化とは、自分の視座を見定めるために行う「客観への疑い」のことであろう。
「あか」は「あか」であって、其れは「三種類の波長に反応する知覚」の存在有りて認識
され、四種類の知覚を持つ異なった客観において「同じ赤」ではない。
白でさえ、太陽光の光の波長と知覚のレベルにおいて白であり、現在太陽がやや黄色味
を帯びて見えると言うことは、太古の太陽はもっと白かったと言うことを証明する。
太古の太陽の全反射を白と認識すると言う点において、白は客観でもなんでもない。
しかし経験的に白であろうと認識する者が多数あるから、そういう意味で白は白である
といえるし、其れは客観的である。全盲の視覚障害者において光は客観でもなんでもなく
単なる概念である。三種類の光線波長に別々に反応する知覚を持つものだけに、白とか
赤が認知されるということを踏まえた上での「客観性」と、白色と言う概念の客観は異な
る。(光の三原色の全反射と言う意味での概念)
465 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/11/16 19:52:00 ID:uayYa6Zz
>>464 >んー、わかろうとしていない人間が迷い込む「○○症候群」だな。
お前が解らないようにしているんだろ。
だから、政治思想にそう言った感覚を持って来る事が阿呆だって話をしているんだよ。
好みとか感覚の話しているんじゃないんだから。
結局、俺は「れ」健常者どころかが人間かどうかも理解できない訳だから。
そうであるかもと疑ってさえいたりする(w
ア ホ ク サ イ 奴 (w
リック・ドキュソはれを健常者と見ていない。しかし、れが健常者であるかどうかは おまいが決めることでも決められることでもない。従ってそこにはクオリアは 成立しない。 というか、相手の言ってることの根本から理解できない偏狭さではれよりもでむ ぱと言われても仕方がないであろう。
>>466 > リック・ドキュソはれを健常者と見ていない。しかし、れが健常者であるかどうかは
>おまいが決めることでも決められることでもない。従ってそこにはクオリアは
>成立しない。
クソアホだな(w
正しくは
れが健常者であるかどうかは俺が決めることでも決められることでもない。
そこにはクオリアは成立するからだ。
いい加減気付くも何もツッコミが空振り(w
語義をきっちり理解しようね(プ
って言うか自作自演御苦労。
携帯から違うIDで書き込んで別人だとか言い訳しなくてもいいから(w
今までれを養護した奴なんていなかったのに突然現れたんですぐ解ったよ。
じゃ俺は別の板の別のスレに行くから。
やっといなくなったか。
469 :
右や左の名無し様 :04/11/17 00:56:18 ID:aEVONfkd
リック・ドキュソ れ part1を見たいのだが、良い方法は知らないか?
自作自演という「証明不可能な断定」をする人が、まともな論者であるわけがない。 というか、自作自演でもないし・・・。
>>465 >>464 の書き込みを「好みとか感覚の話し」と考えるんだからどうにもならない。
論理の前提(仮説の設定)は、いったい何によっているんだね。
ひたすらに言っていることは、リックタンの「論理的帰結」というものについての
疑義である。
近代化というのは「科学的合理性の追求」ということである。(完成されていない
という意味において追求であろう)。
科学的合理性とは、何らかの「前提」を置き、其の元で「推論」し、導き出された「命題」を
「検証」する振る舞いによって得られる。
人の社会や規範に関して、「検証」はいかなる手段で行われるかといえば、概ね統計と実
験であり、新たなことをはじめる場合、統計を用いることは不可能だから、科学的合理性
は「実験主義的」である。
「推論から命題にいたる部分」が確かなものであるとしても、前提の妥当性・・・すなわち
どのような仮説をおくのかは、つまるところ、経験的に妥当と思えるという程度であり、直観
というようなものに頼らざるを得ない。
複雑で、原因と結果の関係の要素が無限に近い現代社会において、検証が的確でなく
実験主義的にならざるを得ない中で、「不可逆な社会」において適用させるためには、前提
(仮説の設定)が、信頼に足りる必要があるということである。
其の信頼とは、不確実であるが、其の地域、其の国において現実の中で研鑽され継続した
常識とか慣習というものとの関係以外に、何か提示できるのかということを、散々リックタンに
は質問している。
まぁ、自作自演などと言い始めた人には伝わらないだろうけれども・・・
これはれが自作自演していないと言っていることも事も 「証明不可能な断定」という罠では? あとれの視点は政治思想というより日本史板だよね。
473 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/17 21:15:28 ID:CNRMJ606
>>472 ???「私はやってない〜♪、潔白だー!」と「私は」断定できる。
私の断定は「妄想でも予断でも推定でもなく」、事実である。
リックタンの断定は、単なる推測を事実と断定している点で、其の性格は
全く異なる。(私が虚偽を書く可能性があるという意味で証明不可能なこ
ではあるが・・・私の断定は私内部において根拠はある。)
私はやっていないという「私の内部における確証」があるから、「やっていない」
と書き、主張することは許される。(証明はできない)。和つぃ以外の人にとって
私がやっていないであろうことは、過去の言動(積み重ねられてきた事実に基づ
く確信)でしか推測できない。推測しかできないから、虚偽である可能性を全否定
はできない。したがって、其の推測に基づく行動には、節度が必要である。
彼は、彼の内部でさえ何の確証もないことを断定している。
すなわち、彼の「論理的帰結・科学的論理」と同じように、証明不可能な推論を
「真実である」と断定しているに過ぎないのである。そして、ではそれがなぜ
信頼できる推測(仮定)なのか、説明さえできない。
全く同じことである。結局説明不可能な推論を、何の客観的証明もないまま
彼は断定しているのである。其の断定が「彼の情緒」に基づいているだろうコトは
もはや明白である(推論)。
ついでに、日本の事象を基にしないで日本の政治思想が語れるという発想が
私には理解不能である。というか私は歴史を語るのではなく歴史的事象が示す、
価値序列についてしか語っておらず、価値序列の優劣こそ思想じゃないの?
474 :
右や左の名無し様 :04/11/17 23:52:58 ID:GRg3o7f6
リックタンも近代化しないと植民地化されてしまうという 日本の事象を元に民主主義を語っている。 それをそうでないと言うところからレタンが誠実ではない事はよく解る。 っていうか何でそんなに必死なの(w
>>473 >彼は、彼の内部でさえ何の確証もないことを断定している。
「れ」が「リック」の言う通り人格傷害なら奴の
>私はやっていないという「私の内部における確証」
も全く信用出来ない罠。
しかし,2chは自由な掲示板なんで「やっていない」と書き、主張することは許される。(証明はできない)
こういう時は・・・・・・・
スルー汁(w
476 :
右や左の名無し様 :04/11/18 01:47:22 ID:ooEwrsM6
>>467 >そこにはクオリアは成立するからだ。
だったらなぜリックが「れのことを健常者と理解できず疑ってる」態度はクオリアではないだろ。決められないのがクオリアなんだから。
だいたい人間の思想を物理的科学的物差で見ようと言うのが無理がある。
赤というのは思想的には共産主義のことをさすが、何が真のアカか誰が証明できるんだ?
リック以外で誰か説明してくれ。リックだと理解できない。
れの擁護はしてないんだが。
>>466 のどこで擁護してるんだか。(むしろ俺はれを攻撃してれのボロを突っ込むのが今までだった。そのためにはれの言ってることが多少は理解できないとな。おまいは酷い。れはボロを出さずただへきえきしてるだけじゃないか。)
477 :
右や左の名無し様 :04/11/18 07:29:32 ID:lNKPNO8S
此の前の平壌会談後 特別機で大きなコンテナ4個が日本に持ち帰られた。 こんな荷物があること事態 不自然である。 その中に 人間が入っていた可能性があるのでは・・・・・
>>476 >だったらなぜリックが「れのことを健常者と理解できず疑ってる」態度はクオリアではないだろ。決められないのがクオリアなんだから。
疑う事は出来ても証明する事は出来ないと言う事。
確かにれは解離性健忘性を引き起こしている傾向が有ると俺も思う。
>>478 健忘症については、「自覚がない」とだけ言っておく。(自覚のある健忘症はない)
しかしながら、2chにおける発言において、その兆候が推測できると言う意味で
あるなら、文字媒体で記録できている事実があるわけで、そこを「矛盾」として
提示すればいいことである。
概ね、(今までの経験からすれば)そういう的確な指摘が議論を膨らませる。
なぜなら、2chでのこういう議論は「基本的なこと」における相違に終始され
深まりがない・・・事が多いからだ。「基本的なことをとりあえず仮にでも」同意し
相手の土俵に立った場合に「でも」矛盾することを提示していかなければ、
なかなか議論は深まらない。
無論、的確でない場合も多い。そこには「思い込み」が介在している。
>>481 ん?それは健忘症ではなく、意味が不明。ある前提に立った言説が、その前提に懐疑
しているものへの何らかの論証になるわけがない・・・と言う意味が分からんのか?
例えばローマ人と基督教徒・・・と言う話題だとする。りっくタンは単に「教義の宣伝」
であって、其れを実現しようとしたのではないと言う。
私ははそんな話はしていない。パウロ(ペテロ)の意思云々は別として「公的な立場
としてのローマ人」と「個人として全人格的に信仰する基督教徒」を彼は内在している
わけで、そのような人間観(公的な立場と異なる個人と言うものが存在するという、
人間の内的分類)は、そこから派生している。「個と公論」の「個と公」と言う分別の
前提自体が、キリスト教的な人間観を前提にしているんじゃないの?
と指摘しているのであり、その前提について全く懐疑していないりっくタンは、その意味で
頓珍漢であると言っているわけですよ。
本質的な問題で言えば「生死」というのは極めて個人的な分類をされるわけだが、自衛官
でも警察官でも、その極めて個人的な生死を賭して公務を行っているわけで、そこにある
国民への忠誠心は個人的と公的を分別できるはずもない。
パウロ(ペテロ)は、キリストとローマ皇帝のどちらに忠誠を発露するのかと言う意味で
それはまさに矛盾に満ちている。それを「公的場面での振る舞い」(ロー、マ帝国の神に
敬意を表しローマ皇帝に忠誠を誓う振る舞い)は「公的な振る舞い」であり「私的な自分」
は全人格的に基督教徒であるという「内心の分裂」は、日本の「建前と本音」(死にたく
はないが、公務としての義務を果たすなど)とはべつの人間観である。
>>482 これは宮台真司の本が元ネタらしいんでリックの言い分は良く解る。
さかのぼって読んでみると
>>391 でリックはキリスト教の布教活動で隣人愛の教義を持ち出したと言っている。
あくまでそれが契機でありパウロが他の宗教に対してメタ的な立場をとる事によってキリスト教の浸透度を高めようとしただけで
キリスト教とローマ皇帝に二重帰属させようとした訳では無い。
>>386 >キリスト教信者は信仰心から心情的に理解できない、感情移入できない異民族や異教徒に
>身財を投げだして施しをした。
>>400 > アイデンティティ(同一性)の空間ではない公共性は共同体のように一元的・排他的な帰属(belonging)
>を求めない。公共的なものへの献身、公共的なものへの忠誠といった言葉は明白な語義矛盾である。
>>399 >そうではなくて、簡単に言えば、同じ共同体に属さない人間、民族も違えば、作法も違う、
>場合によっては言葉も違う人間が一つの社会で共存するために必要なルールや創造力の領域を
>パブリックと呼ぶわけです。ぜんぜん違うでしょ。
>>386 > キリスト教信者は信仰心から心情的に理解できない、感情移入できない異民族や異教徒に
>身財を投げだして施しをした。
>>482 >日本の「建前と本音」(死にたくはないが、公務としての義務を果たすなど)
これと同じ事。
読み返していたらアタマが痛くなってきた。
れとリックの視点の違いはこれだな。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=128&catid=7 ■社会学者の中にも人格システムと心理システムを混同する向きが多いのですが、人格システムは社会システムと同じく、
行為という観察可能な要素からなる可能的な纏まりですが、心理システムつまり「心」には観察可能な要素が皆無で、
完全に想像的なものです。
■内側からそこに属するか否かを境界設定する働きを示すのがシステムです。
私たちが日本社会と言うときにそういう働きが想定されているので、社会システム概念が適用されます。
宮台真司と言うときも同じ働きが想定されるので、人格システム概念が適用されます。
■その意味で人格概念(ないし人格システム概念の適用対象の存在)は普遍的ですが、
しかし「心」の概念(ないし心理システム概念の適用対象の存在)は普遍的ではありません。
政治思想や宗教システムについて語る時の視点は「人格システム」。
文学や芸術、趣味、味覚、恋愛、信仰心等を語る時の視点は「心理システム」。
というか、宇宙の話まで持ち出しても理解できないヒトがいるんだね。 観察可能な・・・と言う場合、一体誰がどのような視座で・・・と言っているわけだよ。 基督教徒の行為や意図の考察・・・と言う場合、以下同文 政治思想や宗教システムを「人格的システム」で語ることができると言うう場合、 その観察される要素を誰が分類するの?分類と言うのは「人間観」がなければ 出来ないでしょ?行為を要素に分けて観察すると言うのは、ある特定の人間観が 普遍だとした上で「普遍性を持つ」わけでしょ。 普遍であるかどうか疑義があると言う私に其れを持ち出すんだから・・・。 ヒトはその観察において普遍的要素を持っていると言う前提があると言うこ とだしょ。その普遍的要素がどのようにして創出されたかと言うことを提示しなければ 普遍性は検証できないでしょ? そういう疑義・懐疑と言うものを私は述べている。西欧のそういう分類や要素提示や創 出は、西欧の人間観に基づいて行われているわけで、其れを検証しないまま普遍という とき、多分間違うと思うよ。
>>486 >観察可能な・・・と言う場合、一体誰がどのような視座で・・・と言っているわけだよ。
基本的には統計学でしょ。
後は歴史的な事実。
>>486 ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=47&catid=7 ■こうした概念化によって、環境に開かれることで内部的に閉じたシステム、
あるいは、環境に開かれることで上方ならびに下方に開かれたシステム、
さらには、システムの全体的作動があって初めて同一性を維持できる部品、といった観念が与えられました。
■この種のシステム概念は、ロボットと違って「一度バラして組み立て直すと元通り動く」
ということのない生物有機体を記述する目的で、70年代以降に洗練されました。以前のシステム概念は、
太陽系を要素間の均衡として記述するような、質点力学的な枠組でした。
■古い機械論的な枠組を均衡システム理論、新しい有機体論的な枠組を定常システム理論と言います。
前者は、初期状態の設定以降は外部とエネルギーや物質の出入りがなくなる孤立系の状態を、
フィードバックを通じた無限波及の結果として記述するものでした。
■後者は、対流や流体の渦のように、外部とエネルギーや物質の出入りがある中で相互依存する要素からなる全体の同一性が保たれるような、
非孤立系の秩序を記述します。前者を採用する経済学と違って、社会学は後者すなわち定常システム理論を採用するのでした。
■さて、秩序を「無限波及の落ち着き先」という観念と互換的に用いる(ゆえに秩序概念に固有の負荷がない)均衡システム理論と違い、
定常システム理論では今まで無定義で使って来た秩序概念自体が問題化します。そこでは統計熱力学的な秩序概念が用いられます。
■前回予告したように、定常システム概念と統計熱力学的な秩序概念を同時に理解して初めて、
70年代以降の社会学が、定常システム理論に依拠することの認識利得を、正しく理解することができます。
そこで今回は「秩序とは何か」を分かりやすくお話しいたします。
最初から読んだ方がいいかな。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=60&catid=7
>>487-488 社会システムも人格システムも、行為を要素として成立させようとしているですよね。。
行為は当然にその都度異なるわけで、物理的に同一ではないわけです。
その行為を要素に分類しながら観察することで、その行為の意味として同一であろうという
ことにより定義されるので、その行為の意味と言うものが相互において了解されている必要が
あるわけでしょ?
行為というものの意味付けは、人間観にかかわることで、人間観が異なればその意味の
間主観的了解は無意味なのではありませんか?と言っているのですが・・・。
人格システムは行為の意味まで言及しないでしょ。 行為の意味を言及するのはは心理システム。 リンク先で説明されているよ。 人間の行動原理は基本的に無意味。 そこになんらかの意味付けをするのはが心理システムでは?
>>489 行為はその都度異なる訳で物理的に同じではないという視点が人格障害的。
セックスはセックスであり体位や腰の動かし方や時間違っても
片方がオナニーと思っていようが子供を作る意志が無かろうがセックス。
行為ではなく言葉の意味にお互いの了解があればそれでいい。
言葉の意味を疑いだすと人格障害の傾向があると言える。
これは境界性人格障害になる過程を調べれば解る。
492 :
476 :04/11/18 23:08:46 ID:0oEcuw5I
>>491 >言葉の意味を疑いだすと人格障害の傾向があると言える。
>これは境界性人格障害になる過程を調べれば解る。
体位や腰の動かし方はセックスの方法におけるバリエーションだが、オナニーの代用とか子供を作る意志がないとかは純粋なセックスと言えるのか?セックスの定義としてそれが受け入れない人もいると思うが。そいつらは人格障害か?
493 :
476 :04/11/18 23:12:11 ID:0oEcuw5I
>>491 >行為ではなく言葉の意味にお互いの了解があればそれでいい。
逆なのではないか?片方が勝手にオナニーとか子供を作る意志がないとか
思ってるわけで、お互いの了承のない単なる行為に過ぎないとおもう。
494 :
476 :04/11/19 01:15:09 ID:4siH5sRr
>>478 >疑う事は出来ても証明する事は出来ないと言う事。
証明できもしないのに疑ってるわけだ。その疑いの根拠はどこにあるんだ?
リックがれを健常者と見ていない(疑ってる)ことにクオリアはどこにあるんだ?
よみかえしたら
>>467 でリックは「れが健常者であるかどうかは俺が決めることでも決められることでもない。 」をクオリアの成立しない「そこに」と
みて反論しているよーだ。が、俺は「ック・ドキュソはれを健常者と見ていない。」ことに突っ込みを入れてるわけで、そのことが察せられれば成立しない「そこ
に」はどれをさすのか解るだろ。
りっくは議論ができない。頭は悪くないがゆえに脳内のお花畑ができてしまった典型だなw このままじゃりっくもやがてれの二の轍を踏むぞ。思想の
違いこそあれ、視野が狭いのは一緒だからな。
>>359 ここで既に一つ世界統一の真理があると言える。
りっく派よ。ついでにこのカルトの宣伝文句がクオリアであるということを証明してくれw
セックスとはこの場合「性交」を意味する。
それ以上叉はそれ以下の意味付けをするのは心理システム。
現実に性交してはいないのに他人に対してあれはセックスだったから責任を取れとか
実際に性交したのにあれはオナニーだから俺には責任は無いとか言い出すのは
人格傷害の疑いがある。
>>494 破たんしていて読めない。
流石にれも書き込まないな。 お勉強しているのか逃げたのか。 お勉強しているなら結構面白いコテハンになると思う。
>>496 何を書き込ませたいか知らないけれども、書かなければならんような
レスはないわけだし、いつまで続けてもおんなじでしょ。
>>489 >行為というものの意味付けは、人間観にかかわることで、人間観が異なればその意味の
>間主観的了解は無意味なのではありませんか?と言っているのですが・・・。
■目の前で行われている野球のゲームを考えてみます。社会システム理論は、
これを内部的作動により境界の維持(自己維持という)を行うシステムとして記述します。
一見、行為を要素とする関係が、複雑性の低い状態を自己維持する態様を記述すれば足りそうです。
■ところが、行為がその行為である、行為と行為の関係がその関係である、といった要素や関係の同一性は、
物理的な記述によっては与えられません。物理的なシステムにはあり得ないことです。
例えば火星人が地球に降り立って野球を観察する場合を想定してみます。
■火星人には個体の物理的な行動や個体間の行動連鎖が見えます。
ある個体から球体が投げ出され、別の個体が棒状の物体で打ち返し、右方向に走り出す。
こういう記述を幾ら積み重ねても眼前の野球の記述になりません。火星人が行動の「意味」を知らないからです。
■すなわち社会システムの要素や関係の同一性は、物理的ではなく意味的なものです。
だから社会システムの秩序──確率論的なありそうもなさ──とは、「有意味な行為の間の有意味な関係」が本来ありうるよりも
ずっと少ない場合の数しか取らないということです。
■火星人が眼前の野球ゲームを記述できるようになるには、時間がかかります。
火星人は、言語の習得と似たプロセスを辿りつつ、行為の意味や、行為と行為の関係の意味を掴めるようになります。
かくしてようやく社会システムとしての野球ゲームの記述に至るのです。
■社会システム理論では、同一性が物理的に観察されるものを行動、同一性が意味的に記述されるものを行為と呼びます。
社会システムの要素は行動でなく行為です。行為の意味的同一性は、野球なら野球のゲームを、
内側から生き得る内的視点に対して与えられます。
■すなわち火星人が眼前の野球ゲームを記述できるようになるとは、プレイヤーが何をしているかが分かるようになることであり、
プレイヤーの視点を取れるようになることです。
野球を例にしましたが、家族を、企業を、教団を、記述できるようになる場合も同じです。
ということかな?
な?
>>496 君。
>>498 のように無意味な記述を書いてくるだろ?
社会システムの要素と言うのは行動ではなく行為だといっているわけだね。
で「行為の意味的同一性は、野球なら野球のゲームを、 内側から生き得る内的視点に対して
与えられます。」と「行為の意味的同一性」というものを想定しているわけだよね。
そうすると「野球ゲーム」のように明確な目的があれば(とはいってもヤキューとベース
ボールは違うとガイジンは言っているわけだけれど)ともあれ、社会と言うものを観察するとき
その行為の意味と言うものは「ヒトはこういう目的で行動する」という前提に基づいて
推測されるに過ぎないわけでしょ?つまり「人間観」というものが介在しているわけですよ。
で、その人間観が異なるなら「意味的同一性」の「同一である」という合意が、成り立たないと
言うか、崩れるでしょ?と言っている私に、
>ということかな?
と書いているところが痛々しいわけで、レスなんぞする気が失せるわけですわ。
>>499 ■均衡システム概念を採用していた70年代まで、社会システムの要素は行為だとされました。
ところが定常システム概念を採用するようになるにつれて、社会システムの要素はコミュニケーションだ、
社会システムはコミュニケーションから成り立つと言われ始めます。
■誤解されがちですが、こういう意味です。行為は別の行為との意味的な関係でしか意味を持ちません。
投球という行為は、打撃という行為を後続させうる限りにおいてのみ投球です。逆に打撃という行為は、
投球という行為を先行させうる限りにおいてのみ打撃です。
■社会システム理論に限らず、システム理論では、選択と選択との時間的な接続をコミュニケーションと言います。
人文諸科学でコミュニケーションというと、メディアで繋がれた送信機と受信機を挟む二人の間でメッセージが伝わることを言いますが、
違う概念です。
■システム理論のコミュニケーション概念を使えば、行為は必ずコミュニケーション(選択接続)において
意味を与えられるということになります。ロビンソン・クルーソーのように一人ぼっちの離れ小島で摂る食事はどうか。
結論的にはやはり同じことになります。
■ハイデガーの用在性の概念がヒントになります。バットがバットという用在(道具)なのは打撃行為を潜在させるからです。
同じく一人摂る食事が食事なのも「食休みしてから運動しろ」といった忠告などを(本国に帰れば)後続させる可能性を潜在させるからです。
■社会システムの要素たる全行為は、潜在的な(先行的・後続的)選択接続の可能性の束によって有意味性を与えられます。
社会システムがコミュニケーションから成り立つとは、選択接続の潜在的可能性によって同一性を与えられる行為を要素とするという意味です。
【意味の機能とは何か】
■これを踏まえて「意味とは何か」を機能的に記述します。第一に、意味は「示差的」です。
それゆえに第二に、意味は「二重の選択性」を与えます。それゆえに第三に、意味は「否定性」を帯びます。
それゆえに第四に、意味は「選び直し」を可能にします。
501 :
476 :04/11/19 21:52:37 ID:SbH3gqBd
>>495 >現実に性交してはいないのに他人に対してあれはセックスだったから責任を取れとか
>実際に性交したのにあれはオナニーだから俺には責任は無いとか言い出すのは
>人格傷害の疑いがある。
性交したことが証明されたら責任は問われるし、したことが証明されなければ責任は問われない。行為そのものの責任であって「性交」と言う言葉の意味
の了解(性交のないセックスはセックスか、オナニーはセックスか)の上で発生する責任じゃないだろ。。。
逆に言えば、証明できるものは純然たる行為のみであり、それ以上のお互いの了解は証明できない。
その「それ以上の了解」についておまいは証明できないのにそれをして「人格障害」と言い切っている。なぜならそこにはクオリアが成立するからだという。
俺は証明できないのからそこにはクオリアは成立してないと言ってる。成立してるのなら証明してみろよと。証明できないのに疑うことにクオリアは成立するのか?
>>498 「行動」と「行為」の違いではない。
しかも野球と言う最初からルールが成立してる球遊び(クオリアの成立が前提)から行為の意味を導きだしてるところが痛い。究極的にはルールを知らない火星人が行動としてしか理解できなかったように、行為というものもクオリアが成立してないと証明できない。
れたそ
ちょっと野暮用があって暫く見てなかったが、
>>416 の結果は残念だな。最初はいい感じだったのにね。
ざっとしか見てないが(長いよ)、れたその日本人観以外は概ね同意だよ。
>>501 >性交したことが証明されたら責任は問われるし、したことが証明されなければ責任は問われない。
それなのに 現実に性交してはいないのに他人に対してあれはセックスだったから責任を取れとか
実際に性交したのにあれはオナニーだから俺には責任は無いとか言い出すのは人格傷害の疑いがあると言う事。
>その「それ以上の了解」についておまいは証明できないのにそれをして「人格障害」と言い切っている。
誰も言い切っていない。疑いが有ると言っているだけ。
疑う事は出来てもクオリア(主観的体験が伴う質感)は証明出来ない。
証明できるものは純然たる行為のみであり、それ以上のお互いの了解は証明できない。
また、何故疑いを持ったかもクオリア(主観的体験が伴う質感)なんで証明出来ない。
っていうかクオリアの意味を逆に捕らえているだろ(w
お勉強しようね(w
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria.html 後、携帯電話で書き込むのは良いけどちゃんと改行しようね。
なごみタンは海外出張にでも行っていたのかな?
505 :
476 :04/11/20 00:36:28 ID:???
>>503 >人格傷害の疑いがあると言う事。
人格障害にしろその疑いにしろ、「赤」と同様に質感として皆が同じものとして認識できているのかということ。赤は光学的には定義がある。そこから共
通の質感が導きだせる。しかし、人格障害には科学的な定義付けがどれほどのものでしかもそこからどれほどの共通の質感が導きだせるのか?
「赤」には「これ」といった質感があるが、人格障害にはそれがない。質感がないものにクオリアがあるのかということ。
>何故疑いを持ったかもクオリア(主観的体験が伴う質感)なんで証明出来ない。
クオリアを証明しろと言ってない。人格障害がクオリアとして成立してるかということ。
506 :
476 :04/11/20 00:47:45 ID:???
>疑う事は出来てもクオリア(主観的体験が伴う質感)は証明出来ない。 だからなぜ疑うことができるんだ?お舞いの勝手な妄想か? >証明できるものは純然たる行為のみであり、それ以上のお互いの了解は証明できない。 だったらなおのこと「現実に性交してはいないのに他人に対してあれはセックスだったから責任を取れ」とか「実際に性交したのにあれはオナニーだから 俺には責任は無い」とか言う人の人格についてはとやかくいえまい。人格は行為ではない。
>>505 >は光学的には定義がある。そこから共通の質感が導きだせる。
人がその対象を見るとき、自己の肉体を媒介としてしかその対象を捉えることが出来ないからそれは無い。
極端に言えば、私が赤と認識している色が他人にとって同じように見えているとは限らない。
色盲の人間には緑色や灰色に見えているし個人個人で彩度や明度等質感は異なる。
ただ単に同じ対象に対して、赤という言語上の記号を与えているに過ぎないと考えることが出来る訳。
リンク先をちゃんとカラーの画面で見たかな?
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria.html >>502 それって
>>406 とか
>>454 とか
>>456 >>483 でひっくり返されている。
>>499 > で、その人間観が異なるなら「意味的同一性」の「同一である」という合意が、成り立たないと
>言うか、崩れるでしょ?と言っている私に
■例えばカメレオンの皮膚は、置かれた環境次第で色が変わる。しがし、色が変わりやす
いという性質自体は変わらない。同じく尻軽女は、絶えず男を取り替える。しかし、男が
変わりやすいという性質自体は変わらない。つまり変わりやすさが変わらないということ。
■生物の構造という場合、骨格や臓器配置などの比較的変わりにくいものを指すのですが、
「それに比べるとカメレオンの皮膚の色は変わりやすい」などと素朴に言うのは明らかに
ミスリーディング。そこで、構造とは関数のことだという理解が拡がっていったわけです。
■諸変数の値は変わっても(1)諸変数の変域や(2)諸変数の間の関係は変わらない。カメレオ
ンの色が変わっても(1)変わり方の幅や(2)どんな時にどう変わるかは変わらない。これを構
造と呼ぶ。骨格も内臓配置も結局は、要素の絶対位置でなく位置関係を構造と呼ぶのだと。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=38&catid=7 個人個人の人間観が違っても人間としての構造は変わっていないんで「同一である」という合意が成り立つ。
>>502 日本人観なんか書いたかなぁ?
おかえり。サンチャンがさびしそうで哀れだから、お相手をしてやってくれ。
509 :
右や左の名無し様 :04/11/20 10:34:13 ID:u62MpTyh
>>508 >日本人観なんか書いたかなぁ?
なごみから見れば日本人観かもよ(w
人間としての構造が
>「ヒトはこういう目的で行動する」という前提に基づいて
>推測されるに過ぎないわけでしょ?つまり「人間観」というものが介在しているわけですよ。
と同列の視点でしょ。
目的は違ってもそこに同じ構造が見えてくる。
行為の意味と言うものが相互において了解されている必要が有る領域を外から見ると
社会システムの要素たる全行為は、潜在的な(先行的・後続的)選択接続の可能性の束によって有意味性を与えられているという構造が見える。
「ヒトはこういう目的で行動する」という前提に基づいて推測される訳では無く
「目的を人が持つのはこういう構造である」ということを「人々の多種多様な目的に基づいた行動」を前提に
統計学的な視点で論理的に推測する訳であり個人の「人間観」というものが介在する事は許されない。
>>509 個人の人間観が介在する余地が有るなんて議論をしていないんだけど・・・。
と言うかその程度の読解力しかないようなので・・・。
ついでに
>>507 の色盲のヒトの知覚の認識は間違っているから調べなさい。
>色盲の人間には緑色や灰色に見えているし
と言う断定は間違いと言うか、誤解だよ。一般的な症状としては「赤」に対する
知覚が弱いから「緑の中の赤」を判別しにくいわけで「緑に見えている」わけで
はない。
511 :
右や左の名無し様 :04/11/20 12:15:09 ID:u62MpTyh
>>510 >個人の人間観が介在する余地が有るなんて議論をしていないんだけど・・・。
>>499 で
>で、その人間観が異なるなら「意味的同一性」の「同一である」という合意が、成り立たないと
>言うか、崩れるでしょ?と言っている私に、
と言っているが?
>社会システムも人格システムも、行為を要素として成立させようとしているですよね。
これは行為の同一性から人格システムが同一で普遍的であると言う事が導きだされる。
>>486 の
>その普遍的要素がどのようにして創出されたかと言うことを提示しなければ普遍性は検証できないでしょ?
とは逆。
その普遍性を支える有機体論的な枠組である定常システムが存在し
さらにその上に別のシステムが存在する。
もちろん上位のシステムが崩壊すれば下位のシステムの普遍性も失われる。
システムの定常性とは、無限波及的均衡に達すれば得られるものではなく、複雑性の内外落差を維持するという永続的な課題に答えるべく
内部的作動を永続させる、あるいは内部的作動を永続させるべく複雑性の内外落差を永続させるという、
ありそうもない動的メカニズムの中で、辛うじて浮かび上がってくるものだということなのです。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=47&catid=7 >「赤」に対する知覚が弱いから「緑の中の赤」を判別しにくいわけで
それは色弱。
赤緑色盲とは違う。
512 :
右や左の名無し様 :04/11/20 12:28:21 ID:u62MpTyh
あれ? 赤緑色盲と色弱は同じなのか? 私は目を擦ると茶パツの人が緑色の髪の毛に見える時がある。
>>511 ある社会学論内部においての疑義と、その社会学における論を構築する前提への疑義
の区別がつかないの?
で、視覚障害に関しては多少デリケートであるから、どうしてもその例示でなければ
説明が困難な場合以外、避けるのが賢明だろう。
514 :
右や左の名無し様 :04/11/20 15:06:15 ID:u62MpTyh
>>513 社会学の場合、社会関係がもたらす社会的属性、あるいは社会的属性がもたらす社会関係に
全てを還元する科学だから論を構築する前提である「人間観」が異なれば
「意味的同一性」の「同一である」という合意が、成り立たないと言う事かな?
社会システム理論の場合「人間観」自体が有りそうも無い状態である事を示すのが基本スタンスで
社会学とは違う物ですよ。
全体は部分の総和をこえるとする思想はアリストテレスに遡り
システムが内側から世界を体験するという思想はドイツの動物学者ユクスキュルに遡り
均衡システムの状態を連立微分方程式の解として記述する思考はニュートン力学に遡り
エネルギーや物質の流れの中に生じる定常性(を維持する定常システム)という思考は1950年代以降の生物学に遡り
目に見えない物が見える物を規定するという潜在性の思考はフロイトに遡り
ロボットと違って全体が死滅すると部品も死滅するオートポエイシス的システムについての思考は70年代以降の生物学に由来する様に
社会学の外側に多くの源泉を持ち社会学論内部に修まる物では無いです。
>>514 えー「一般理論」の適用範囲は、どこまでですか?と聞いているわけで
べつに、システム論なり社会学が無効だと言っているわけではない。
何処の社会にも秩序があり、と言うことは「観察されるべき意味をもった行為」が
統計的に可能な程度の要素に分類される同一性をもって存在はしているでしょう。
516 :
右や左の名無し様 :04/11/20 20:38:55 ID:u62MpTyh
>>515 >>486 の
>観察可能な・・・と言う場合、一体誰がどのような視座で・・・と言っているわけだよ。
は?
>そういう疑義・懐疑と言うものを私は述べている。西欧のそういう分類や要素提示や創
>出は、西欧の人間観に基づいて行われているわけで、其れを検証しないまま普遍という
>とき、多分間違うと思うよ。
これもどう言う事?
>>489 >その行為を要素に分類しながら観察することで、その行為の意味として同一であろうという
>>499 >で、その人間観が異なるなら「意味的同一性」の「同一である」という合意が、成り立たないと
>言うか、崩れるでしょ?と言っている私に
それらに対する否定として
基本的に社会システム理論は地域に根付いた人間観に基づいたものでは無いと言う事を
>>514 で説明したわけです。
たまたま両者がどこかで偶発的に同じシステムの中に入った為に意味は噛み合っていなくても
行為は噛み合っている為に同一に見えるだけと言う事まで言及するのが社会システム理論です。
社会学の場合西欧の人間観に基づいて発達してきているので決して普遍的と言えない部分が有ります。
だから
>えー「一般理論」の適用範囲は、どこまでですか?
社会システム理論は「一般理論」の適用範囲以下でも以上でも無いです
>>516 いや、だからさー、これで最後にするけど
>>514 で示したそれが、なぜ普遍的であると確信できるのかと
聞いているわけで・・・。
というか、何階言っても理解できないぐらいに、あなたは「確信に満ち
ている」わけだが、其の自覚もないの?
518 :
右や左の名無し様 :04/11/20 21:30:45 ID:u62MpTyh
リックはアノミーを「無規範・無連帯」と訳していた所に問題があるような。
■デュルケームは、自殺の原因は一般的にアノミーすなわち「どうしていいか分からない
状態」に由来すると見なしたが、「金持ちが急に貧乏人になるケース」と「貧乏人が急に
金持ちになるケース」とでは、直面するアノミーの種類が違うと考えた。
■五十年後、社会学者ロバート・K・マートンが、前者を「機会のアノミー」、後者を「目
標のアノミー」と名づけた。機会のアノミーは「手段のアノミー」とも言うが、金持ちが
急に貧乏人になると、今まであった機会(手段)が失われ、追い込まれることに相当する。
■目標のアノミーは「目的のアノミー」とも言うが、こういうことだ。貧乏人はいつも金
持ちになりたいと思い、何か問題があると自分が貧乏だからだと考える癖がある。それが
急に金持ちになると、目標が失われ、問題の帰属先も失われて、追い込まれてしまう──。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=50 基本的に人は本人に自覚が有ろうと無かろうとアノミー(どうしていいか分からない状態)
により重力に引き付けられるように人間の本能の側面側へ追い込まれる。
リビドーとは生への本能(性の本能)であり、結びつける力を意味し、何かをしようとする力となる。
デストルドーとは、無への本能(死への本能)であり、破壊する力で規範も連帯も破壊する。
リビドーとデストルドーが均衡を保っている常態が生き物にとって自然常態とすれば
この均衡常態がアノミー(どうしていいか分からない状態)によってリビドーの何かをしようとする力が消滅し
デストルドー側に傾いて行くのを止められない事によって規範も連隊も破壊して最後には死に至る。
だから間接的にはアノミーは「無規範・無連帯」とも言える。
でもそれは自爆テロを起こす本人がアノミーを引き起こしていても全く「無規範・無連帯」と言う訳では無いと思う。
人間はもう少し複雑に出来ている。
>>517 >
>>514 で示したそれが、なぜ普遍的であると確信できるのかと
誰も膨大な社会システム理論が地域性や人間観が影響する事は無いとは言ったが普遍的であると確信しているなんて言って無いが・・・・・
そうであるなら議論しようとする意志さえ浮かばない。
私が普遍的だと言ったのは人格システム。
■例を挙げると、私たちが日本社会と言うとき、可能な行為(コミュニケーション)総体を、
日本社会に属し得るものと属し得ないものとに差異化します。
私たちが宮台真司と言うときも、可能な行為総体を、宮台真司に属し得るものと属し得ないものとに差異化します。
■この差異化を、認識する私たちが勝手になすものと言うより、日本社会自身が日本社会に属し得る行為とそうでない行為を境界設定し、
宮台真司自身が宮台真司に属し得る行為とそうでない行為を境界設定するが故のものと見做すとき、システム概念が適用されます。
■宮台という人格(パーソナリティないしキャラクター)が宮台に属しうる行為の総体だとして、行為がそこに属しうるか否かを
(他者や自身が)境界設定する場合にエンパセティカル(同感的)に想定されるのが、「心」、すなわち、心理システムという実体です。
■社会学者の中にも人格システムと心理システムを混同する向きが多いのですが、人格システムは社会システムと同じく、
行為という観察可能な要素からなる可能的な纏まりですが、心理システムつまり「心」には観察可能な要素が皆無で、完全に想像的なものです。
■内側からそこに属するか否かを境界設定する働きを示すのがシステムです。
私たちが日本社会と言うときにそういう働きが想定されているので、社会システム概念が適用されます。
宮台真司と言うときも同じ働きが想定されるので、人格システム概念が適用されます。
■その意味で人格概念(ないし人格システム概念の適用対象の存在)は普遍的ですが、
しかし「心」の概念(ないし心理システム概念の適用対象の存在)は普遍的ではありません。
コミュニケーションの中で「心」なるものが一切主題化されない社会があり得るわけです。
■例えば臨床心理学や精神医学が取り扱う「心」という概念はさして自明ではありません。
部族共同体からなる原初的社会では、一つのものを誰もが同じように体験し、同じように体験するがゆえに同じように行為する、
という慣れ親しみ的な信頼(第11回)があります。
■そうした社会では、たまに予想外の振舞いをする輩が現れると、狐が憑いた・神が降りた等と理解され、儀式的な共同行為を行って、
俗なる時空から聖なる時空へと切り離す形で無害化します。そうした社会には人それぞれに「心」があるという観念はあり得ません。
■ところが社会が複雑になると、コミュニケーションの相手が予想外の振舞いをしがちになります。
期待外れの頻度が高まると、一方で「宗教からの法の分出」が起こり(「法とは何か」で詳述)、
他方で「人それぞれに違った心がある」という帰属処理が始まります。
■かくして「心」という概念が生まれます。社会の複雑化がさらに進むと、
コミュニケーションは一層不透明になって期待外れの頻度が上昇し、他人ばかりか自分の行動も自分自身の期待から外れがちになります。
こうした段階で歴史的に誕生するのが「個人性」です。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=128&catid=7 だんだん民主主義の話に戻ってきた(w
521 :
右や左の名無し様 :04/11/20 23:09:08 ID:u62MpTyh
>>519 >誰も膨大な社会システム理論が地域性や人間観が影響する事は無いとは言ったが普遍的であると確信しているなんて言って無いが・・・・・
しまった
一瞬不変と不変を混同してしまった。
社会システム理論に修まらない地域性や人間観の文脈があれば普遍性は疑われる訳だけどそうではない。
またその他の科学的理論に社会システム理論を覆す物が有れば普遍性は否定される訳だけれども
基本的に人類学、宗教学、民俗学、心理学、精神医学、社会学、物理学、哲学、科学哲学、物理学、工学、
といった実験や調査、計算、統計をくり返してきたいろいろな科学が隣接する学問と交流する中の一つのグループとして
社会システム理論が出てきた訳でそれをひっくり返す様な物が出てこない限り消極的に普遍的だと言える。
>>508 その心配には及ばないよ。
れ氏との不毛な議論をしなくてよくなって、せいせいしているぐらいだから。
それに私生活でも最近は結構忙しいし。
また、他の板でもナナシの身分で遊んでいるから。
しかし「一般理論」という言葉の概念からすると 「あるサンプルから統計的に検証される事象」は「何かを一般化できる」という 前提があるわけだよね。だから「学問」であり「理論」であるんだろ?
れたそ
>>508 >日本人観なんか書いたかなぁ?
>>332 。日本人には特有の価値観があると言うのには同意だが、それが「和の思想」であると言うのには同意しない。
まだりっくたそ?とやり合ってるみたいなので、最後までおながいね。俺は諦めた。
>サンチャンがさびしそうで哀れだから、お相手をしてやってくれ。
何から再開したらよいのだろ。
>>525 あぁ、そこのこと?どうも妥当な表現ではなく誤解を生むなぁ、そりは。
修正しておくよ。
日本人の根本的人間観が和の思想「を示した17条憲法の第十条の」それで
あったからである。人間は皆凡夫で あり、それゆえ誰も自己の正義や価値観
を他人に押し付ける権利をもたない、
また他人の意見が自分と違うからといってそれを排斥してはならない、むしろ、
皆和して衆議によって得られる理によって共同体を運営せよ、というあの十七
条憲法の和の思想「の根拠となった17条憲法の第十条の示す」日本人の根本
的人間観・社会観であったからである。
「人みな心あり。心おのおの執るところあり。かれ是とすれば、われ非とす。
われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。
是非の理、たれかよく定むべけんや。
あいともに賢遇なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきごとし。」(10条より)
つまり、誰も特別な存在ではないとしたわけだな。
で、しかしながら「特別な存在と見えるものは現実社会で稀に発生はする」わけで
其れを神とし、あるいはダークサイドを怨霊として御霊化する神道が其れを補完し
「ヒトは皆特別な存在ではない」ということを維持すると言う関係になっていると
私は思っている。ここに天皇の霊的権威と価値観の象徴・・・と続くとすれ違いで
ある。
サンチャンについては、とりあえず、
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1100709075/l50 な状況であるから、
ヨロピク。
将門を首都の鎮守とする神道の心を支那がわかったなら 九段の廟への閣僚公式参拝に異議など唱えられないわな 靖国の森の近くにもビルの谷間に将門を祀る築土神社が
528 :
476 :04/11/21 22:54:43 ID:???
>>507 >人がその対象を見るとき、自己の肉体を媒介としてしかその対象を捉えることが出来ないからそれは無い。
光学的には、空間を飛び交う電磁波の波長で色は捉えられる。「赤」は約700nm。測定器でこの波長が出たらそれは「赤」である。
自己の肉体以外も対象を認識することは可能。
>私が赤と認識している色が他人にとって同じように見えているとは限らない。
その他人にしても「赤」は「赤」だろ。「赤」と決定するのはおまいの肉体ではない。リックと同じこと言わせるな。
れたそ
>>526 その「和の思想」自体に同意しかねると言っているんよ。まお主とはいつ
でもやりあえるからねぇ。
それよりもりっくたそに専念した方がいいよ。彼、重症だわさ。
530 :
476 :04/11/21 23:17:57 ID:???
>>507 >色盲の人間には緑色や灰色に見えているし個人個人で彩度や明度等質感は異なる。
色盲は最初からクオリアが成立してない。彩度や明度は光学的基準。個人個人ではそれらを意識せずそれを当たり前のこととして認識する。「赤」は「赤」。
自己の肉体以外で捉えることができないと言いながら、個人個人の違いの説明に自己の肉体以外の基準を持ってくるところが痛い。
そういう説明が不可能と言ってたのはおまいじゃなかったか(プゲラ
>ただ単に同じ対象に対して、赤という言語上の記号を与えているに過ぎないと考えることが出来る訳。
同じ対象からは同じ質感が生じる。記号を与えてるのはおまいではない。
スレ主の亀タンがどうして出てこないんだ?
>>529 保守的な思想のヒトとの議論はやってみたいよね。
輪の思想に同意をする必要性はないんだけれども、仏教思想という別体系の思想を
学んだ時期に、その仏教思想と全く異なる人間観が提示されていると言うことは
つまり「日本独特の価値観」が自覚され、表現されたものだとおもうよ。
したがって日本における伝統的な価値観を形作る人間観は「第十条の其れ」では
ないかと仮定して考えると、神道や日本仏教とつじつまが合うんだよね。
>>531 ヤフーの掲示板は「すれ(トピ)主」という概念があるらしいが、2chでは
スレを立てたヒトが誰であるかは問題にしないらしい。つまり「スレ主」という
概念がない。みんなで使うみんなの自由な掲示板。
>>530 人間の肉体的基準から「普遍性を導き出す」という試みと言うのは、言語とか文化
にかかるそれぞれの特殊性を均そうとすることだと思うのだが、均そうとするこ
と自体が、何らかの誘導を意図していると私は思う。
533 :
右や左の名無し様 :04/11/22 12:30:53 ID:ePxq5E5R
>>530 クオリアが成立してもそれを実感出来ないということでしょ。
別に何も否定していないよ。
534 :
右や左の名無し様 :04/11/22 13:25:37 ID:ePxq5E5R
>>532 普遍性を導き出せばそうでない部分も明らかになるので
言語や文化にかかわる特殊性も導きだされますが何か?
で国家が共同体ではなく間共同体的な公空間にある
国民とその財産(文化も含む)システムっていうことは解ったよね。
>>534 いや、だから、その「導き出されます」という確信の根拠を
散々聞いているんですけど・・・。というか完全に回廊に入っていますよね。
特殊性を考慮されるとき、その特殊性というものは、一体何によって
特殊であると判定され、何によって一般であると判断するんですか?との問い
と考えていただいても結構なんですが。
>システムっていうことは解ったよね。
そう主張されていることは理解しましたが、あなたがそう確信できる根拠は
示されていませんよね。というか国もいろいろだと思いますよ。
なぜ国家が独立を維持しなければならんのかは、その国ごとに動機は違うわけで
動機が違う一体のものが、そういう定義を同一にするという確信は、一体何処から
でてくるんでしょうね。
はっきり言えば「人間と言うものはこういうものだ」という確信から導かれる論理
ジャないでしょうかね。違いますか?
536 :
右や左の名無し様 :04/11/22 15:02:08 ID:ePxq5E5R
>>520 に書いた。
それと植民地化を避けるために明治維新ご近代化のために
西洋の価値序列を輸入して国民国家化した話はリックがしたが
どうかしたか?
>>536 質問の意味がつかめないようなのですが、
>西洋の価値序列を輸入して国民国家化した
と言う話をりっくタンがしたことが、何か関係が有るのでしょうか。
西洋の価値序列を輸入したとたんに「国家とは何か」が決定されるんですか?
まぁその静養の価値序列とはいかなるもので、其れを輸入した証拠は何かを
語っていただければ「輸入なる概念」の正体は分かるでしょうから、それを
お願いできますか?
で、
>>520 に書いたとおっしゃいますが「慣れ親しんでいるがゆえの信頼」は
日本においてどのような事象で説明できますか?
538 :
右や左の名無し様 :04/11/22 15:51:30 ID:ePxq5E5R
国家(ステイツ)というシステムと国民(ネーション)をあわせて国民国家。 これが西洋から輸入された価値序列をだが。 国家(ステイツ)の運営方針である憲法と 国民の共同体(ネーション)を運営する法律 と分化されていることからも客観的にみて同じ物では無い事は解る。 ところで普遍性のみつけかたは理解出来たかな?
>>538 それって、どこが「序列」なんだ?
で、国民国家という価値を輸入したと言うことは、日本国のどういう事象
をして証明できるわけ?「帝国憲法の発布」かな?
というかレスNoのアンカーさえもない上に「追求されまいがための」
極めて曖昧な抽象だけ書いていたんでは、誰に対するレスかもわからんなぁ。
最終段の質問にも回答はないし。
540 :
右や左の名無し様 :04/11/22 16:35:02 ID:ePxq5E5R
序列は間違いでした。 ところで現代の日本の国家が共同体ならその根拠は? 現代の日本の国家が機関でない根拠は? 過去では無くて現代だよ。
541 :
右や左の名無し様 :04/11/22 18:03:58 ID:HLFbd+br
ステイトは「機構としての国家」、ネーションは「国民の共同体(生活や文化を含めた相続財産)」です。 近代の国家 は「国民国家」と言って国家が、国民の共同体(生活や文化を含めた相続財産)を 守るために存在しています。 国家の体制、国家のあり方を定めたものが憲法です。 国家権力の在り方、意思決定の為され方、国民に対して行使されうる権力の限界、 国家と国民との関わりについてなどのとりきめです。 これは、わが国はこのように国家を運営するのだという、国全体としての意思表示であり、 このように運営される限り国民は政府の用いる権力を正当なものとして受け入れるという証であり、 このように運営される為に国民は不断の努力によって公権力を維持・制御するという表明です。
>>537 > で、
>>520 に書いたとおっしゃいますが「慣れ親しんでいるがゆえの信頼」は
■かくして、単純な社会の「信頼」は、面識圏でのコミュニケーションの履歴が与える「自
明性=慣れ親しみ」を基礎とするのに対し、複雑な社会の「信頼」は、違背可能性を先取
りした「分化した予期構造」を基礎とする、と連載第八回で述べた意味が明確になります。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=88&catid=7 ■生活世界は信頼に満たされています。信頼は根拠のない循環です。自分は刺されないと根拠なく信頼し、知らない人に文句を言う。
偶々刺されなかった「ので」再び刺されないと信頼し、また知らない人に文句を言う。その繰返し。信頼に出発点の合意はありません。
■現に信頼は時折破られます。それを誰もが知っていて、でも信頼する。そこには法的メカニズムも効いています。
もし何かあってもたいていは(!)強大な物理的実力に支えられた法システムを呼び出せると、我々は信頼する。
むろんこれとても確実ではありません。
■問題は、根拠のない信頼が、いつ何どき人が信頼しなくなるかも分からないのに、曲がりなりにも継続するための、絶えざる条件です。
信頼は偶々破られなかったという事実性と共にあります。出発点で譲渡したり合意すれば信頼が担保される…わけがありません。
■信頼が典型ですが、私たちのコミュニケーションは、コミュニケーションの中で確認していないどころか、
そもそも論理的に確認できない前提に支えられています。 この前提が如何に維持されるか。
それが「社会秩序は如何にして可能か」への、今日的な答え方です。
■自然権譲渡や共有価値を持ち出し、出発点で課題を解決する、均衡システム理論的「合意モデル」から、
永続的に解決することのない課題を抱えながら、不確定性の中で辛うじて自己を維持する、
定常システム理論的「信頼モデル」への転換の意味がそこにあります。
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=25&catid=7