【治部】石田三成総合スレ 10【佐吉】

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1人間七七四年
引き続き語れ

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■関連スレ
石田三成そろそろ大河いいんじゃないの 2挙兵目
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2 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/04(金) 22:40:54.05 ID:N63c0kfj
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3人間七七四年:2011/11/07(月) 10:40:58.94 ID:0gkf2ErZ
過疎
4人間七七四年:2011/11/07(月) 15:06:29.21 ID:zhUbZPTt
毛利厨がいなくなったらこれだw
5人間七七四年:2011/11/07(月) 15:53:52.95 ID:rJIjBwzU
まったりいきましょう。
6人間七七四年:2011/11/07(月) 17:46:55.96 ID:iWcDGWK7
こないだ三成祭り行ったら歴女がいっぱい来てた
すでに三成は義経楠木正成と並ぶ日本三大悲劇のヒーローになったと確信している
地元のおばさんが喜んでいた
それに比べ毛利TERUときたら
7人間七七四年:2011/11/07(月) 18:10:47.59 ID:7V5VZ3qk
義経はともかく楠木正成よりメジャーだろ
8人間七七四年:2011/11/07(月) 18:13:08.84 ID:qjLWvfiz
三成祭りって法要だけかと思ったらいろいろやってるんだね
講演とか聴いてきた?せっかく行ったんならレポしてほしいな
9人間七七四年:2011/11/07(月) 18:15:48.40 ID:iWcDGWK7
楠木正成の故郷に行った事があるがさすがに地元では大スター扱いだけど一般的にはあまり有名でないな、、、
やはりドラマでは太平記のみだからな
民放も太平記をやった事ないし
ちょっと可哀想
楠木の大河もやってほしいけど一年もちそうもない
ただ息子も描けば一年もつかも
10人間七七四年:2011/11/07(月) 18:26:04.56 ID:iWcDGWK7
>>8
残念ながら講演は間に合わなかったからレポできないけどね(笑)
三成祭りはかつては法要のみしかやってなかったんだけど葵徳川が放映された2000年ごろから大々的におこなわれるようになった
とくに昨年は生誕450年なので2日に渡って大々的におこなわれたようだ
ただ肝心な長浜市自体がお金をだしてる感じでは無いみたいなので予算的にすこしきつそう
長浜市は秀吉の作った街だからね
ただもう少し長浜市自体も三成を全面的に押してもいいと思うけどね
長浜城に常設の三成コーナーを大々的に広げるとか豊国神社から加藤清正像を追放して三成像を建てるとか祭神に加えるとか
最近はあの井伊万歳の彦根市ですら石田万歳の風潮になりつつあるのに(彦根城祭りでは井伊隊の行進に続き石田隊も行進させている
ようやく彦根市も空気をよみつつあるのに比べ長浜市と来たら、、、
長浜市石田町では限界があるわ
11人間七七四年:2011/11/07(月) 19:27:40.38 ID:tJLy79zW
あんな糞大河で満足してる暇があったら西川貴教主演で三成大河をやってくれと小一時間。
12人間七七四年:2011/11/07(月) 19:36:42.77 ID:iWcDGWK7
満足していないけどね
それにしても今回の萩原はへたれすぎ
13人間七七四年:2011/11/07(月) 23:36:24.17 ID:j61M/e68
>>6
歴女がいっぱい来たから悲劇のヒーローになるのか
どんな法則だよ
だいたい三成が悲劇のヒーローなわけないじゃん
自分で戦を起こして勝手に自滅して負けただけ
むしろこいつのせいで多くの人間が被害を被っている
14人間七七四年:2011/11/07(月) 23:43:12.52 ID:eGdl5Ly+
いやどちらにしろ豊臣家は取り潰しになってたし
15人間七七四年:2011/11/08(火) 00:01:25.00 ID:6PTAtjZd
↑加藤福島らの馬鹿が徳川に尻尾ふりしなければ曲がりなりにも豊臣の天下は続いたはずだ
ああいうチンピラを大名にするなんて中卒の馬鹿をいきなり子会社の社長に抜擢する基地外的人事
ああいう人間はずっと平社員でいいのにいくつ親戚だからってね(笑)
16人間七七四年:2011/11/08(火) 00:06:45.94 ID:6PTAtjZd
>>13
悲劇のスーパースターと言われる源義経も実際は自分勝手なエゴイスト
実績以上に過大評価を受けてる嫌いがある
楠木も同様にな(楠木は決して天皇陛下万歳という思考では無くただ幕府の政策に不満をもっていたので反乱を起こしてだけ、本人も後世にここまで自分が評価されるなんて夢にも思わなかったかも
17人間七七四年:2011/11/08(火) 00:08:30.76 ID:PL/acCX0
島左近をプレイヤーに、石田三成育成ゲームをだせば売れそうだね
ツンデレを直し大名に好かれるようにして最終的に家康を倒す
育成ゲーム
18人間七七四年:2011/11/08(火) 00:12:18.97 ID:rXBhdHdE
>>10
先日の彦根の城まつりで、彦根市長の挨拶では「井伊直政公(敬称)」、「石田三成(呼び捨て)」だったけどね
パレードの直政役は的場浩司、直弼役は東映かなんかのイケメン若手俳優、三成役は一般人だし

ゆるキャラももちろんひこにゃんが圧倒的人気
いしだみつにゃん?何それ?
19人間七七四年:2011/11/08(火) 00:17:44.82 ID:6PTAtjZd
秀吉が大陸出兵を辞めて徳川伊達らに濡れ衣を着せて攻め込めば天下は安泰だったのにな(北条、足利がやった手段、もっとも足利義満は山名、大内を完全には取り潰さず領地を半分以下にしただけだがな)
実際に伊達が一揆に加勢したという疑惑が持ち上がった時、三成が伊達をつぶそうと秀吉に説得したが逆に秀吉は伊達の派手好きを気に入り厚遇した
天下人なら私情を挟まず徹底的に厄介な存在は排除するのが鉄則
秀吉は天下人の器では無い
一方で悪くても島流しだけで十分な利休を切腹させたり秀吉には?なところが多い
石田三成も相当あのじいさんに振り回されただろう
20人間七七四年:2011/11/08(火) 00:20:14.52 ID:PL/acCX0
秀吉は後年ボケていたからな
まあ有名な為政者も晩年は乱れるのはよくあること
21人間七七四年:2011/11/08(火) 00:27:36.54 ID:6PTAtjZd
>>18
以前の彦根市は石田三成など初めから存在しないも同然の扱いだった事を考えるとパレードに石田三成隊を加えるのはある意味奇跡
すでに彦根市における井伊の発言力は低下してるとおもわれる
実際問題、井伊13代が束になっても石田三成一人にかなわないのが実情
もはや井伊のわがままが押し通される時代ではない
いしだみつにゃんやしまさこにゃんはひこにゃんと違い彦根市は全く関わってはおらず商店街が勝手に作ったキャラ
今後ますます井伊より石田の存在感が増すとおもわれる
そう遠くない時期に石田三成大河があると確信してるけどその時にはすでに石田が井伊を逆転するとおもわれる
そもそも彦根市内の歴史ショップではひこにゃん以外は井伊より石田グッズがはるかに売れてるし
22人間七七四年:2011/11/08(火) 00:34:57.61 ID:PL/acCX0
まあネタ的に三成はいろいろおいしいよな
実際の大名武将としての能力は同時期の人物に劣っていたとしても
関ヶ原で豊臣方の実質大将として戦った事実は思う
また毛利輝元オタがくるかな
23人間七七四年:2011/11/08(火) 00:39:18.55 ID:6PTAtjZd
>>18
つい10年くらい前の彦根市長は井伊直愛
しかも何10年にも渡って市政を牛耳ってきた
彦根市程度のレベルの自治体では昔からの権力者が先祖代々から影響力を発揮してきたと言うが彦根市はその典型
現在の彦根市長の獅子某市長も井伊家とは何らかの関わりがあると見られてるので井伊には敬語、石田には呼び捨ては同然と言えば同然
それを考えればパレードに石田三成隊を加えるのは奇跡としかいいようが無い
大河ドラマ石田三成が放映されれば井伊は完全に日陰扱いかもな(一年限定だけど)
井伊直政ではどうあがいても大河主役は絶対無いし直弼なんざ絶対的悪役というイメージしかないし(桜田門の映画では完全に吉良のごとくの扱いだった)
あきらめて石田三成大河を招致しなさい
24人間七七四年:2011/11/08(火) 00:52:09.42 ID:rXBhdHdE
>>23
大河ドラマ第一作が「花の生涯」(主人公井伊直弼)であることを知らないのか
25人間七七四年:2011/11/08(火) 02:45:36.22 ID:6PTAtjZd

昭和39年の4月から放映
その時点ではシリーズ化する予定ではなかったらしいが好評だったので次の年の1月から12月まで放映される事になり現在にいたる
一時、半年やって9か月やって9か月やるという変則パターンがあったものの不評だったのであくまでも一年通しのパターンで続いている
もっとも最近三年間は11月まで放映され残り1ヶ月は坂の上の雲をやるけどあくまでも特例
いわば花の生涯は正式な大河ドラマとは言えないとも言える
そもそもまともにテープも残っていないようだしあくまでもそういうドラマをやってたかも知れないレベル
はっきり言って幻の大河に過ぎない
いずれにしても井伊直弼のような極悪人が大河ドラマてありえない
そもそも桜田門の映画見て暗殺シーンは誰もが喝采をあびせただろう
26人間七七四年:2011/11/08(火) 02:50:24.12 ID:6PTAtjZd
井伊直弼=極悪人
石田三成=忠義の人
これが現在の一般人のもつイメージ
一部の人間は違うみたいだけどね(熊本とか近江八幡とか彦根[極めてごく一部]とかね)
27人間七七四年:2011/11/08(火) 02:59:38.02 ID:6PTAtjZd
徳川による約260年に渡るプロパガンダ的教育ぜゆがめられた石田三成
明治になったら名誉回復かと思えば天下をとったのが毛利、石田三成のイメージが回復すれば毛利にとっても困るので石田三成のイメージは意図的にゆがめられ続けた
長州の影響力が無くなりつつあった昭和16年くらいに当時の滋賀県知事が石田三成を顕彰してから今年で70周年がたった
まともに見直されてからたった70年とは複雑な気持ちだ
生まれ故郷の近江の小大名のまま終わっても良かったかもしれないのに毛利に振り回されて人格までゆがめられたと思うと腹立たしいな
いずれにしても毛利テルりんがゴミというイメージは解消される事はないけどね
28人間七七四年:2011/11/08(火) 06:15:32.38 ID:gYRfS98C
>>25
屁理屈だな。君が「俺は正式な大河とは認めない」といったところで、
花の生涯は公式認定された大河ドラマ第一作なのだから。
反論に屈したくない気持ちはわかるが、自説に理解を得たいなら、明らかに
自分に誤りがあるときは「知らなかったよ」「あ、忘れてた」という態度も
必要だと思うよ。
29人間七七四年:2011/11/08(火) 07:07:19.04 ID:6PTAtjZd
今考えれば大河ドラマ第1作に数多くの歴史上の人物を押しのけてなぜ井伊直弼が選ばれたのだろうか
その意図を当時のプロデューサーに聞きたいわな
ただ初期の大河ドラマで取り上げられた人物はほとんど二回またはそれ以上大河ドラマ化されている(龍馬、秀吉、忠臣蔵、義経)のに井伊直弼はもう一度大河ドラマという話は聞かない
彦根市自体は招致運動はしてるだろうけど彦根市民はそうでもないと思う
あんな極悪人より忠義の人石田三成の方がいいイメージだしね
それにしてもあの時、大隈重信が彦根城を壊すのを止めなかったらと惜しまれる
30人間七七四年:2011/11/08(火) 14:03:11.59 ID:mt/JBilb
豊臣秀吉の死後、豊臣秀次が後継者になっていたら?

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249144354/912
912 :人間七七四年 :2011/11/08(火) 01:21:05.83 ID:/s2xxt+w
幼い秀頼一人残す危険性は秀吉も十分認識してたと
思うから、相当な事情があったのかも。
どうも当時豊臣政権に亀裂が生じてて、
特に秀吉と秀長の関係が険悪になってたとも言われる。
秀長の重臣を秀吉が殺したという話もある。

秀長派という派閥が形成され、秀長、秀次、利休と
その傘下の大名衆、伊達などだけど、秀吉の存在を脅かす
ほどになってた
秀長の死をきっかけに“秀吉派”が巻き返しに出たのでは?
秀長=兄を陰で支えた名参謀 見たいな話が好まれるようで
どうもこういう説は不人気なのだが


http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249144354/912
915 :人間七七四年 :2011/11/08(火) 08:08:47.53 ID:YG7NxEgN
秀吉の遺言を真っ先(死後数日で)破ったのは三成だけどな
徳川は「家康は伏見城に入り日本の政治を執り行え」と言う秀吉の命に従ったのみ
「家康が、伏見の天守に上がりたいと言ったら上げろ」とも命じてる

秀吉政権下で、自分たちが関与することができた政治の権限が家康にいくと自分たちが失脚するから
「大名間の密約密談は、絶対禁止」という遺言を破り家康排除を画策し、結果負けただけ
31人間七七四年:2011/11/10(木) 20:59:00.17 ID:IPgoKqE/
>>29
井伊直弼はとくに昔は悪役のイメージが強かったから、
大河ドラマでは、長い部屋住み時代の苦労や、開国後の難しい政局で
苦悩する姿を描いて、むしろ視聴者には新鮮だったらしいよ
難しい人物を新しい切り口で描こうとした野心作っていうか
32人間七七四年:2011/11/11(金) 06:36:35.24 ID:jDVmMbBC
直弼て客観的に見ればそこそこ評価できる
プロ野球でいえば万年二軍でクビ寸前で三十手前で初めてレギュラーとった広島の島みたいで
長年の努力が結ばれたというか
ただ安政の大獄はまずかった
とくに吉田松陰
当初の裁判ではただの島流しだったのに直弼の個人的感情で死刑にすり替えしたとか

そのほかにも直弼の個人的感情で殺された者多数
三成より遥かに冷酷な人物といわざるをえない
ただ吉田松陰を死刑にしたのは最大の誤り
彼を師匠と仰ぐ高杉、桂らを怒らせ何が何でも倒幕に走らせたのだから、、
桜田門は因果応報とも言える
子孫が萩まで誤りに行ったけど単なるパフォーマンスにしか見えない
数年前に萩行ったけど滋賀県から来たと言ったら嫌な顔された
石田三成の地元だし井伊は大嫌いだと言ったら表情は変わったけどね(実話)
井伊のせいで滋賀県の評判まで、、、
腹立つ
33人間七七四年:2011/11/11(金) 08:22:13.91 ID:H0jgWpEB
生きた時代が違う井伊直弼と比較して石田三成を持ち上げるのっておかしくない?
わざと悪人と言われた人物を出して石田三成を褒め上げるのは卑怯だよ
比べるなら、ほぼ同世代だった井伊直政と比較して、より優れた点を示してほしい
34人間七七四年:2011/11/11(金) 15:51:33.79 ID:jCPiJiA4
直政じゃ、小者すぎるからだろ。
35人間七七四年:2011/11/11(金) 16:58:41.54 ID:ccvf/tog
と、三成信者は硬く信仰しているのです
36人間七七四年:2011/11/11(金) 19:30:43.60 ID:jDVmMbBC
井伊直政
先祖は井伊谷を治める土豪
今川の家臣だったが今川滅亡後、徳川に仕える
ほとんどの旧今川家臣は家康に嫌がらせを受けなかなか出世できなかったけど直政は別
家康の愛人となって気に入られる
さらに家康はお気に入りの直政のために旧武田家臣の板垣(だったけ?)をつけてもらい井伊の赤備え隊を結成する
ていうか彼自身の能力は?
そして迎えた関ヶ原
福島を差し置いて抜け駆け先陣もとくにこれという活躍できず石田三成隊や宇喜多隊の活躍ばかりが目立っていたのが実状
それでも武功をあげようと島津隊を追走したはいいものの逆に返りうちを喰らい結局島津を逃がす
その島津には約260年後、滅ぼされる皮肉、なおその島津の打倒徳川の戦に味方する鬼畜ぶり
数年後死亡

大河ドラマはとてもとても
37人間七七四年:2011/11/11(金) 20:03:45.09 ID:5g2GUUMf
井伊の関ヶ原1番槍も捏造だしね。
38人間七七四年:2011/11/11(金) 21:31:11.67 ID:jDVmMbBC

えっそうなの?
抜けがけ先陣だけが井伊唯一の功績なのにね
彦根に入ってからは石田の残党いじめしかしていないし
39人間七七四年:2011/11/15(火) 00:17:14.96 ID:48kZ87FG
「皆は一人のため 一人は皆のため」ってのは三成の思想から生まれた言葉なの?
だとしたら今や英語にもなって(One for all,all for one)世界的に有名な言葉になっちゃって、それだけでもすごいと思うんだが実際のところどうなのさ
40人間七七四年:2011/11/15(火) 02:07:13.98 ID:YAGnxBSk
>>39
後世の作り話。

「大一大万大吉」にそんな意味を言い出したのは江戸時代のこと。
それにそもそも、「大一大万大吉」が石田三成の家紋であったかどうかは未だに議論があるところだ。
41人間七七四年:2011/11/15(火) 02:08:41.47 ID:gAiI6+nP
そもそも三成関連の逸話なんて、ほぼ100%江戸時代に出来たつくり話だからな。
42人間七七四年:2011/11/15(火) 06:47:08.62 ID:TwPsNG4R
>>40
でも実際に関ヶ原でその家紋が使われたのは事実だ
一人はみんなのため、みんなは一人のため働けばみんな幸せになれるという意味というのは案外事実なのかもしれない
43人間七七四年:2011/11/15(火) 09:49:17.74 ID:TwPsNG4R
↑何も考えなしに大一大マン大吉という称号を考えるとは思えない
頭のいい人の考えは我ら凡人とは違う
どこぞの脳みそまで筋肉の武将とは違う
平和な江戸時代に譜代大名の子として生まれてきた方が良かったかも
大老として日本を良くしてくれたかも
たとえ足引っ張っられて失脚しても殺される事はないし
44人間七七四年:2011/11/15(火) 13:13:59.09 ID:uu+C+6iJ
三成のテーマ曲は大事マンブラザーズ
45人間七七四年:2011/11/15(火) 15:36:10.68 ID:roZX4xDm
あれ三成が作ったの?石田為久が使ってたわけじゃないんだ?
46人間七七四年:2011/11/15(火) 17:56:50.74 ID:TwPsNG4R
↑俺は地元の人間で石田会館に何度も行ってるけど元々の石田家の家紋の写真も提示してあった
大一は石田三成が考えたもの
47人間七七四年:2011/11/16(水) 01:31:11.30 ID:RaDkVl6r
旗印だろ
48人間七七四年:2011/11/16(水) 06:26:38.55 ID:Om+dGOK6
そもそも46の一行目は二行目の理由にならないだろw
49人間七七四年:2011/11/16(水) 19:03:53.10 ID:AF8CKmHm
歴史読本 今月号 おもしろい
50人間七七四年:2011/11/21(月) 17:31:26.16 ID:vEX20NKr
この人のwiki見るとに官位が侍従ってなってるけど
黒の束帯が許される従四位下・侍従になったという記録って有るの?
極官は従五位・治部少輔じゃなかった?
51人間七七四年:2011/11/21(月) 17:43:44.07 ID:4f8BJ6iT
>>36
歴史を知らないってすごいねw
井伊直政や忠勝は軍監をしていたから関ヶ原は第三列に配置していたんだよ
目立った活躍をする出番が来る前にとっとと西軍が総崩れしたのにw
52人間七七四年:2011/11/21(月) 17:50:22.90 ID:nDKbrrqW
>>51
井伊と松平忠吉は前線中央に配置されて、宇喜多・島津と緒戦から戦闘しています
53人間七七四年:2011/11/21(月) 17:55:02.87 ID:2EHVsT+2
実際は不明じゃなかった?
54人間七七四年:2011/11/21(月) 18:00:53.98 ID:i3dD4PdL
>>50
侍従にはなってないだろ
55人間七七四年:2011/11/21(月) 21:08:35.25 ID:TFkrSwKa
>>52
抜け駆け先陣を果たしたものの結局まともな戦功は無いまま島津が戦中突破を敢行
これはしめたと島津を追撃するも島津お得意のすてがまりにあい井伊直政本人が討たれる有り様
それを聞いた家康は島津追撃を休止させるという結果に
多くの将兵を犠牲にしたとはいえ殿様本人は薩摩に帰還とあっては徳川も開いた口がふさがらない
結局島津はおとり潰しどころか無傷で乗り切る結局に
井伊がアホみたいに討たれた(数年後死亡)ばっかりに島津に手だしできずとは、とほほほほほほ
ていうか井伊って何したん
ただ家康様にけつ貸しただけじゃん
56人間七七四年:2011/11/21(月) 21:14:18.52 ID:i3dD4PdL
>>55
義弘期待の甥っ子、島津豊久を討ち取ってるじゃん
三成は有名武将誰か討ち取ったか?
57人間七七四年:2011/11/21(月) 21:22:58.47 ID:i3dD4PdL
そういえば三成は敗走して洞窟内に隠れていたけど
下痢Pになって自ら捕らえられんだったなw
58人間七七四年:2011/11/21(月) 21:45:48.98 ID:nDKbrrqW
>>55
だから緒戦から最後まで戦っている
後、まともな戦功て何?
59人間七七四年:2011/11/21(月) 22:00:08.28 ID:TFkrSwKa
>>56
あの状態で豊久一人しかうちとれなかった時点で馬鹿の集まりだな東軍
結局石田隊と宇喜多隊と大谷隊の活躍だけが目立った希有な戦いだな
とくに天下取った徳川とその一味には全く戦功がなかったのは情けないにつきる
とくに真田を攻めながらかんぷなきまで敗れた秀忠軍は
60人間七七四年:2011/11/21(月) 22:15:53.94 ID:nDKbrrqW
>>59
そういう目立つ事にしか目を向けないから、日本人は戦闘に強くても戦争に弱い
61人間七七四年:2011/11/21(月) 22:40:35.26 ID:vEX20NKr
>>59
なんか滅茶苦茶だなぁ
石田隊と宇喜多隊と大谷隊の戦功がどれほどのものだったの?
そして徳川軍の戦功が無かったとは?
それと秀忠軍は関ヶ原本戦に急がなければ落とせていたと思うよ
伏見城の戦いでも落城まで2週間は掛かったこと考えるとね
62人間七七四年:2011/11/21(月) 23:08:15.57 ID:Ep4S6uFb
>>59
徳川一味の戦功が無いとかバカか?
軍監として豊臣子飼いの後方にいたが
3600人の井伊隊のあげた首級は、5000人の細川隊があげた首級を上回っている
忠勝隊もたった500人で90以上の首級をあげているのだが
そして蓋を開けてみれば西軍は、三成らしく多くの裏切りにあい
僅か半日も掛からずの決着をみた歴史的惨敗だったね
63人間七七四年:2011/11/21(月) 23:15:22.93 ID:jnEI/kU5
東国無双の本多平八さんには敵が弱すぎたなんて言われちゃったしね、西軍
64人間七七四年:2011/11/21(月) 23:26:15.77 ID:Ep4S6uFb
確か三成に過ぎたる島左近も討ち取られてたよなw
島津豊久討ち取りが戦功じゃないとかアホだなw
石田・宇喜多・大谷隊の活躍だけが目立ったって百歩譲って西軍内でだろ
あとな、戦いは序盤だけが良くてもダメなんだよ
65人間七七四年:2011/11/21(月) 23:35:10.11 ID:vEX20NKr
ところで
石田三成は従四位の侍従になってないでFAかな?
66人間七七四年:2011/11/22(火) 00:48:44.01 ID:Kf+AoKu+
宇喜多隊って最初から後先考えない戦法で挑んできたから
小早川が裏切る前から既に予備兵力が無かったみたい
敗走した時は死傷者二千人越えだったってさ
67人間七七四年:2011/11/22(火) 02:23:57.71 ID:WEpH+5FA
>>61
伏見城は大阪城に次ぐNo.2の防御力を誇る城
むしろたった二週間で落とされたのは情けないに尽きる
大阪陣で大阪城が落とされたのは茶々が馬鹿すぎただけ
真田に全て任せれば落とされずに済んだのにね
それと徳川の戦功ばかりを強調するけど小早川毛利が西軍のために戦ってたら少なくとも徳川軍は撤退を免れなかった
決して威張れた戦いではない
徳川軍自体はチョン成敗には参戦してないから丸10年実戦から遠ざかってる影響は垣間見えた
結局皮肉にも豊臣恩顧の大名たちの奮戦で勝てただけ
おかげで豊臣恩顧大名に莫大な土地(全く雑魚の山内ですら高知県まるごとプレゼントの大盤振る舞い)
徳川譜代大名への恩賞はさほどではなかったのは当然の成り行き
とはいえほとんど活躍してない徳川が領土を大幅アップとはヤリスギ
あくまでも豊臣家の大老という身分なのにね
68人間七七四年:2011/11/22(火) 02:30:56.02 ID:OCaiPjB9
強調するって、自分がああいう挑発してるからじゃん
69人間七七四年:2011/11/22(火) 03:37:48.47 ID:60pnaGmB
>>39
おいおい普通は三銃士知ってたら後世の後付けだってわかるだろ…
三成の思想から生まれた言葉とか失笑
70人間七七四年:2011/11/22(火) 08:04:02.79 ID:MP9OCI59
>>67
おまえ、もうこれ以上自分が無能だという恥を曝すのは止めろよ
71人間七七四年:2011/11/22(火) 08:06:22.99 ID:MP9OCI59
外様に大盤振る舞いは当たり前だろが
72人間七七四年:2011/11/22(火) 08:08:45.41 ID:MP9OCI59
真田に全て任せればって、幸村ヒーロー伝説かw
もう開いた口も塞がらないわ
73人間七七四年:2011/11/22(火) 08:26:50.62 ID:cyLl78rh
ところで家康は関ヶ原の時、家康軍三万、秀忠本軍三万五千
結城秀康軍二万の計八万五千を動員できたんだろ
250万石でそんなに動員できるんかいな
74人間七七四年:2011/11/22(火) 09:15:53.37 ID:vXvSzFbW
忠吉軍三千、井伊軍三千六百、忠勝軍五百も含めれば約十万だね
75人間七七四年:2011/11/22(火) 09:18:41.30 ID:ZzF4nAnB
>>73
秀忠の方は信濃の、秀康は下野や安房の大名を含んだ数
76人間七七四年:2011/11/22(火) 09:31:19.95 ID:SYkDWyYx
>>75
秀忠軍三万八千等から引いてるんでは?
77人間七七四年:2011/11/22(火) 11:12:29.90 ID:f/IRvYkk
秀忠は徳川譜代
家康は準譜代を率いてたんだろ。
譜代らは秀忠を擁立し、
家康が討死するのを望んでいたりして。
岡崎系信康旧家臣団や
旧今川系家臣団なんて
家康嫌いだろ。
78人間七七四年:2011/11/22(火) 11:33:57.90 ID:N01jWj9I
またバカが来た
79人間七七四年:2011/11/22(火) 12:03:53.20 ID:vLN/FASG
なんだ三成は黒の束帯着れない身分の人だったのか
生まれが卑しいから仕方ないか
80人間七七四年:2011/11/22(火) 12:06:21.22 ID:vLN/FASG
やっぱり正則は三成より上位だったんだな
81人間七七四年:2011/11/22(火) 12:32:30.02 ID:ZzF4nAnB
>>73
三人役で七万五千、五人役で十二万五千なので問題無い
82人間七七四年:2011/11/22(火) 12:55:03.13 ID:aBK5WX1u
島津なんとかの賭けとか読んでるニワカさんでしょな。
天正なんとかの乱とかある一族ファンというのは
そこしか知らなくてからんでくるから困る。
83人間七七四年:2011/11/22(火) 21:33:45.85 ID:WEpH+5FA
>>79
子孫をたどれば藤原氏に行きつく名門
石田村の村長クラス
徳川にこわされたけど自分達の先祖を祭る神社を立てられるくらいの名門な
身分が卑しいのは秀吉や福島の事
滋賀県まで来て勉強しなさい
石田三成の悪口を言うのが唯一の取り柄みたいだけど
84人間七七四年:2011/11/22(火) 21:39:58.08 ID:WEpH+5FA
>>77
旧今川家臣団で家康好きな者は井伊くらいなもの
かつて秀吉が仕えていた松下氏なんか家康の下でいじめられて惨めな思いをしていたらしいし
ていうか旧今川家臣団で全うな大名に出世(10万石以上)できたのは家康様にケツを差し出した井伊だけ
かつて今川に辛酸をなめさせられたとはいえ家康てホンマ小さい男だよな
85人間七七四年:2011/11/22(火) 21:52:09.63 ID:6YciGEb3
今川を裏切って滅亡させた武田旧臣を厚遇してるから
今川家臣系は家康嫌いだろ。
86人間七七四年:2011/11/22(火) 23:02:48.59 ID:ozOzwC1o
氏真は好きみたいだけどな
87人間七七四年:2011/11/23(水) 00:15:07.21 ID:059sRgMp
美濃や豊前で10万石を領した奥平は旧今川家臣だけどね。
10万石には達しないが、牧野氏や岡部氏も旧今川家臣。
そもそも安祥譜代や岡崎譜代ですら10万石を超えたのは数えるくらいなのにね。


なんていう風にマジレスしたら負けなんだろうな。
88人間七七四年:2011/11/23(水) 01:04:00.32 ID:O+f0EwWS
三成狂は秀吉の事も馬鹿にしてるんだよな
89人間七七四年:2011/11/23(水) 01:11:38.05 ID:7VWT+WKN
奥平って10万石か
90人間七七四年:2011/11/23(水) 01:11:47.70 ID:tt1BakO9
三成が名門なら秀吉以外の戦国武将はみんな名門だな
91人間七七四年:2011/11/23(水) 05:41:24.41 ID:+Vy5awt7
ちょっとスキあらばわんさかアンチが湧いてきとる
わざわざネットで調べてから(笑)
俺はそういうものに頼らずこれまで蓄積された知識を披露してるだけだけどね
それと今川の家臣団だけどちょっと可哀想だよな
それまで東海一の弓取りと言われた偉大た義元公に仕えていたらまさかの展開に
挙げ句家康のような雑魚に仕えなければならなかったんだから
挙げ句ほとんどが冷遇されて
信長は確かにすごいけど別にてめーに屈服したつもりは無いわって感じ
でも従わざるを得なかった
なんか哀れというか情けないというか
現代で言えば一流の大企業に入社したのにまさかの倒産し中国か韓国の企業に買収されて奴らの手足となって働くようなもん
なんかやるせないよな
92人間七七四年:2011/11/23(水) 06:38:09.07 ID:RHKRgraE
蓄積された知識wwwww
93人間七七四年:2011/11/23(水) 08:08:33.21 ID:n6usXkoU
武功夜話やトンデモ本から蓄積乙
94人間七七四年:2011/11/23(水) 09:48:04.20 ID:Dia0+nnn
今日は三成検定だよん♪
95人間七七四年:2011/11/23(水) 17:24:10.77 ID:XNwQfcr2
下痢で斬首なんだよね♪
96人間七七四年:2011/11/25(金) 07:05:52.90 ID:y8c/AYhA
>>94
わざわざ本スレまで来て石田三成を貶めようとする者がいるけどなんなん
自分かっこいいと思ってるんかな?
一円の徳にもならない三成検定にこれだけ多くの人間が(家康のホーム江戸ですら約80人参加)参加してるししかも女性も多いと聞いている
これだけ三成公が認知されてるのにむなしくないかな
秀吉は批判せず全て石田と茶々を非難する近江八幡(一部)の人間じゃないですよね?
97人間七七四年:2011/11/25(金) 09:12:51.85 ID:hLlGZrWa
女が多いってやっぱゲームでついた腐女子か…
98人間七七四年:2011/11/25(金) 09:32:04.25 ID:r5YBGQkN
嫉妬
99人間七七四年:2011/11/25(金) 10:03:16.78 ID:FoshKiCj
無双や采配やバサラなどの別人三成が頭にこびりついた腐女子は
頭が横に長くて出っ歯なチビで下痢ピーで出頭した
三成が好きなわけではないからなぁ

東京から参加の80人()を喜々として報告する辺り、田舎者だなw
東京なんてのは地方出身者の集まりだろ
それに三成地元在住の三成狂四十超男のオナニースレを本スレと言われてもw
枝スレはどこだよwwwww
100人間七七四年:2011/11/25(金) 10:09:06.79 ID:SYeDiKsH
秀吉は三成を人として好きでは無かったんだろうな
101人間七七四年:2011/11/25(金) 11:37:10.33 ID:a7C5qOKR
またキチガイ毛利厨が暴れてるな
102人間七七四年:2011/11/25(金) 11:43:17.16 ID:fG26fPDD
そういえば他人にいきなりレッテルを貼るのは、議論で勝てないこと認めた行為なんだとさ。

>>101
103人間七七四年:2011/11/25(金) 14:03:34.57 ID:+zx6cdzR
紅林って頬っぺたが赤い人か
104人間七七四年:2011/11/27(日) 18:46:56.78 ID:2WYEEmQC
> そういえば他人にいきなりレッテルを貼るのは、議論で勝てないこと認めた行為なんだとさ。
これもレッテル貼りだな
105人間七七四年:2011/11/28(月) 10:50:26.12 ID:3OrtQZit
というレッテル貼りをされました
106人間七七四年:2011/11/29(火) 16:28:22.59 ID:HP5szgn4
佐和山城を復元して見たいですね、CGでも良いので
107人間七七四年:2011/11/29(火) 17:06:33.34 ID:b28XPhjS
安土よりも実態わからんからなあ。
空想だらけの復元になる。
108人間七七四年:2011/11/29(火) 17:10:31.51 ID:yireXw2S
そういえば例の「治部少(三成)に過ぎたるもの〜」って、本来は「島の左近と百間の橋」で、
「佐和山の城」が入ったのは江戸時代らしいな。

同時代的には佐和山城はそれほど名城と考えられていなかったんじゃないかな?
そもそも秀吉政権下で畿内にそんな強力な城を必要としたのか、という疑問もある。
109人間七七四年:2011/11/29(火) 21:43:49.29 ID:FOfsqZ+9
佐和山城の位置は東方から上方を防衛する上で
極めて重要な位置だろ
110人間七七四年:2011/11/30(水) 08:30:57.30 ID:W98HbzSB
佐和山に登りましたが石碑しか在りませんでしたね
一説には頂上付近を削り山の原型をとどめていないとか
私的には勇壮堅固な名城であったと考えています
111人間七七四年:2011/11/30(水) 09:18:03.93 ID:6d3hSs9E
佐和山城の頂上を削ったのは彦根城が大砲の射程に
入れないようにするためという話があるらしい
112人間七七四年:2011/11/30(水) 10:51:05.72 ID:W98HbzSB
三成公の居城であった佐和山城。
天守が在ったであろう山の頂からの景観は感慨深いものがありますね
113人間七七四年:2011/11/30(水) 18:51:42.89 ID:0HsJ4Mrx
↑ほんの5,6年前は全く誰も登っていなかったけど今現在、土日なら10人くらい常時登ってきている
井伊影響下の彦根市もこれまで佐和山はスルーしてきたけど最近は無視するわけにはいかず観光に力を入れつつある
その佐和山も山麓は井伊ゆかりの寺社ばかりだけどね
114人間七七四年:2011/11/30(水) 20:27:04.13 ID:Za+H4wX+
やっぱりゲームの影響じゃんw
115人間七七四年:2011/11/30(水) 20:30:44.78 ID:RKtgLoKW
佐和山登山の客が増えたから駅に東口が出来たってのは本当の話なの?
このスレかどっかで読んだ気がするけど
116人間七七四年:2011/12/01(木) 11:19:48.56 ID:vOcEYmV3
>>94
おいおい、自分は検定受けに行った者なんだけどな
出発前にうかれてカキコしたら噛みつかれたよ 
あんたの言う通り、周りから一円の特にもならん、と
そう言われながら仲間と行ってきたぜ
難しかったなー 結果まだこないよ
せっかくの佐吉弁当、もうちょっとひねってほしかった
おいしかったけど、普通の幕の内弁当だった
試験中に、にゃんぶに采配で顔なでられてビビった
じゃんけんゲームで結構勝ち残って、思わぬお土産貰えた

関係者の皆さん方、とても親切だった
仲間に「誘ってくれてありがとう」て言われた
おかげで楽しい休日でした
大変だろうけど、来年もぜひやってほしい


117人間七七四年:2011/12/01(木) 11:34:51.19 ID:vOcEYmV3
間違えた >>116は、>>99宛ね
自分にレスしてどうするよw
118人間七七四年:2011/12/01(木) 11:54:30.39 ID:vOcEYmV3
また間違えた >>96です
PCがさっきから固まりまくる
119人間七七四年:2011/12/02(金) 00:57:23.73 ID:R9Df9k8z
>>116
数年前、佐和山山麓で三成クイズ大会が開催されたので参加
優勝者には三万円の賞金!!!
残り三人まで勝ち上がったが惜しくも敗退
三成クイズと言いながら井伊関連の問題なんか出しやがって、、、腹立つ
彦根市内の寺の問題だけどね
オール三成クイズなら優勝してたと思う
ちなみに優勝者は現役女子大生!!!
よけい腹立った(笑)
三万円が、、、、、、
120人間七七四年:2011/12/02(金) 10:54:32.79 ID:OvjtMMr3
>>119
そういうのって面白そうだけど後で「回答が不正確、説であって
学会で認められてない」とかクレームつきそうで、思いつきの企画では
大変なんだろね。
今だとケイタイですぐにしらべて会場からサインも送れる。
でも3万円惜しかったですねぇ。
こないだの三成検定も「佐和山の標高」なんて歴史じゃないでしょうが・・
121人間七七四年:2011/12/02(金) 16:27:23.64 ID:X4zfJKdG
>>120
歴史ではないが、三成公にちなんだ問題ではある。
122人間七七四年:2011/12/02(金) 20:02:21.03 ID:R9Df9k8z
三成検定受けてみようかな
次はいつやるかわかんねーけど
自信はある
123人間七七四年:2011/12/03(土) 03:01:50.90 ID:KngfVwFP
佐和山の標高・・・って確かに三成検定以外では考えられん問題ではありますねw
以前の問題にドラマに関するものもあったと噂に聞いて
自分はそっこうで諦めた 範囲広すぎw
みんなすごいなー
124人間七七四年:2011/12/05(月) 14:37:40.69 ID:HHXOM4V6
今年の優勝賞品は何だったの?
去年は関ヶ原DVDだったと新聞記事で読んだ
125人間七七四年:2011/12/05(月) 20:01:55.00 ID:a/mhEf3S
テスト
126人間七七四年:2011/12/15(木) 09:38:52.39 ID:sK4CDt3w
a
127人間七七四年:2011/12/22(木) 22:41:45.38 ID:aGRrxOUF
>>116
にゃんぶw
128人間七七四年:2012/01/05(木) 12:11:13.10 ID:qSR+Df5z
【芸能】“歴ドル”小日向えり、恋人にしたい武将は石田三成。「頭がよくてクールなのに、豊臣秀吉への忠誠っぷりは胸キュン」
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1325708683/

さすが三成公!
129人間七七四年:2012/01/06(金) 04:30:03.33 ID:B/Yv4aEB
三成検定は受けたくない。

問題つくってるブスが、ドヤ顔で「自分が作った」とツイッターで言ってたので萎えた。
オンライン三成会の女らしいが。

500歩譲って、別に問題を作っても仕方がないとは思うけど、
そういう事を吹聴するのが嫌
130人間七七四年:2012/01/06(金) 09:20:12.49 ID:WmwegUaN
日本人は小説やゲームと史実の区別がつきません
というのがよくわかる風潮だな
131人間七七四年:2012/01/06(金) 23:14:04.15 ID:beqz255M
きっかけは何であれ、興味を持てば
本当はどんな人物だったのかと気になって調べるかもしれないし
堅い事言わんでもいいんでないの?
信長や竜馬を尊敬しているという、いい大人も、実際話を聞いてみると
歴ドルと大して変わらないのだし。
132人間七七四年:2012/01/08(日) 14:56:11.56 ID:JP6m3+80
講談話や後世の作り話を史実のように語る奴も
大河ドラマや時代小説を史実のように語る奴も
信野暮攻略本のコラムや横山光輝の漫画を史実のように語る奴も
バサラや無双を史実のように語る奴も似たようなもんってことさね。
133人間七七四年:2012/01/08(日) 18:41:55.15 ID:RqL76x/v
>>131
大抵の人間はそこまで行かない
小説あたりでとまっちゃう
134人間七七四年:2012/01/10(火) 12:36:53.10 ID:DIfybxpi
>>133
小説あたりでとまらずに、わざわざここまで来るアンタは
大抵の人間じゃ無いってわけか
135人間七七四年:2012/01/12(木) 19:47:12.73 ID:IXHeid6w
剣道も柔道もサムライも文化財も韓国の文化になってしまっている。
泥棒だな。でもマスコミも民主も韓国人だから抗議しない。

もうだめなのか日本は?

http://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_720065&feature=iv&src_vid=RnnLj7ChmL8&v=sW4H2PGj6JU



136人間七七四年:2012/01/12(木) 23:35:20.46 ID:C8AaTdbL
清酒の石田光成と島左近を売ってる店がない
彦根の某酒店では嫌そうな顔されたw
137人間七七四年:2012/01/13(金) 00:29:28.72 ID:n7LbTPN3
>>130
その通り!倭猿は糞
138人間七七四年:2012/01/13(金) 03:11:11.89 ID:LKaZDamD
時代劇が民放からなくなって、歴史好きが少なくなってしまうとしたら、
ますますゲーム頼りになるかもな
NHKで時代劇継承のために、そういうイベントへの取り組みを紹介してた

三成のキャライメージも、ゲームで左右される時代
139人間七七四年:2012/01/13(金) 09:26:54.61 ID:NLjvMPXk
しかしCSでは時代劇が大人気で視聴者が年々増加していくという不思議な現象
140人間七七四年:2012/01/13(金) 19:46:31.58 ID:xjq2XZtb
>>136
彦根市でも石田人気は高いと思うよ
141人間七七四年:2012/01/15(日) 00:17:15.12 ID:xlM2rZnm
>>136
彦根城前の商店街では売られてたし
三成目当てで滋賀に来たと言って普通に歓迎されたよ
彦根市民が日常利用するような店は知らん
142人間七七四年:2012/01/27(金) 22:19:57.15 ID:ZPwfhv2F
横山城見学会が雪のため姉川に変更になった…orz
143人間七七四年:2012/02/02(木) 12:47:34.66 ID:cpeVntqm
三成は在世当時から、女には割りと人気があったらしい

男から見たら融通の利かず、小憎たらしい奴だろうが
女から見たら、その潔癖さも可愛いとか思われたのかもしれんな
144人間七七四年:2012/02/03(金) 00:15:09.80 ID:aJSMlLk3
ほうほう、出典は何でしょうか。
145人間七七四年:2012/02/03(金) 00:34:24.61 ID:8HE5RLeU
三成が女から人気があったなどという記録は、同時代でも後世でも見たことがない。
三成自身は衆道の方で有名だった節はあるが。
146人間七七四年:2012/02/04(土) 11:16:19.06 ID:rQV9omkQ
衆道って大谷吉継との友情のこと?
147人間七七四年:2012/02/05(日) 01:01:19.08 ID:sTzKvfr8
親父の書状で三成の衆道相手の名前は出てるじゃん
148人間七七四年:2012/02/05(日) 07:05:14.60 ID:M9KYePAV
この人はなんとなくノーマルなイメージだったんだが違ったのか・・・
149人間七七四年:2012/02/05(日) 22:46:22.22 ID:gQu3pAeO
当時は女のみの秀吉の方がアブノーマル
150人間七七四年:2012/02/06(月) 10:50:23.99 ID:qp84FPcK
>>143
ヤンマガのセンゴクの三成なら確かに女に可愛がられてそうw
151人間七七四年:2012/02/06(月) 15:47:02.84 ID:SMDocuag
端的に言うと当時の、特に上流の武士たちの間では、同じはまるにしても

衆道=男らしい。かっこいい。

女色=女々しい。弱々しい。

という意識は間違いなくあった。
男同士だと対等の恋愛だが、女相手というのは、女子供という言葉からもわかるように
一段低い存在を相手にするもので、対等ではありえなかった。(正妻などはまた別)

記録に残っていないものの、秀吉が女色オンリーだったことは、かなり馬鹿にされていたと考えて間違いない。
152人間七七四年:2012/02/06(月) 16:17:06.03 ID:cKqFByAA
武士の嗜みの分からぬ下賤のやつって思われてたのかね
153人間七七四年:2012/02/09(木) 23:19:24.47 ID:8NULl87Q
長浜のイベントのマスコットキャラ「三成くん」と「佐吉くん」が決まったようだ
みつにゃんみたいな目付きでなくてほっとしたw
154人間七七四年:2012/02/10(金) 18:28:07.05 ID:aBDx12Rr
長浜もやっと三成ラブの体制になったようだ
ほんの数年前まで全国的に人気あるのに地元長浜ではさほどって感じだったけどね
大河ドラマの招致運動すらしてなかったし
ただ招致運動してた浅井三姉妹が達成された今、三成の招致運動を徐々に始めると思う
今まで三成大河がなかったのは招致運動が
全くなかったからだが長浜が乗れば青森の弘前あたりも乗ってくるだろうし問題は彦根市だが
彦根市もよりによって彦根城内で関ヶ原関連の博覧会みたいのを期間限定で開催(あくまでも三成が主役、井伊は脇)してたしまた三成セブンという博覧会もこれまた期間限定で開催してたから乗り気の模様
そうなれば井伊涙目だな
155人間七七四年:2012/02/11(土) 00:59:30.79 ID:tMtwCK5X
156人間七七四年:2012/02/11(土) 01:06:13.13 ID:rj+/dEf7
佐和山の天守後にこんな五層の大天守が建てられるわけねーだろ。
しかも白壁に金のシャチホコとか。アホか。
157人間七七四年:2012/02/11(土) 10:36:16.90 ID:1B6pQzmS
佐和山って土壁なんだよな・・・
158人間七七四年:2012/02/11(土) 13:33:51.32 ID:5aGtYdHw
そもそも白漆喰の普及が関が原後、海藻糊の発見以後だからな。
佐和山城が白壁だったら、漆喰の凝固剤として米糊を大量に使ったわけで、三成は質素どころか
恐るべき贅沢をした領主、ということになるw
159人間七七四年:2012/02/11(土) 22:07:37.19 ID:LuRBeRfN
金の鯱はありじゃね?
160人間七七四年:2012/02/11(土) 22:52:57.40 ID:5aGtYdHw
豊臣家の本拠で有る畿内で、豊臣奉行に過ぎない三成がそこまでして君主権威を誇示する必要がなかろう。
161人間七七四年:2012/02/12(日) 00:41:51.56 ID:5AVsNkCZ
可能性がない訳じゃないんだな
162人間七七四年:2012/02/12(日) 00:48:26.31 ID:5AVsNkCZ
金のシャチホコがあった方が面白いと思うだけだが
三成らしいかと言われると??
163人間七七四年:2012/02/12(日) 01:44:58.62 ID:/MKWodnR
佐和山の裏側(国道沿い)にニセ佐和山城がありますが、、、
単なる個人の趣味らしいですが
164人間七七四年:2012/02/12(日) 23:41:18.76 ID:/MKWodnR
ミニ佐和山城いってきた(笑)
なんとほとんど石でできているのでコストはかなり高いと思う
石つながりかい
165人間七七四年:2012/02/13(月) 17:08:18.32 ID:ENSG7cdH
>>161
ただ金のシャチホコの記録は一切ないからなあ。
この復元佐和山城のモデルにした佐和山城攻め図が、実際には伏見城攻めを
描いたものだとも言われているし。
5層の天守から言って俺もそう思う。

というか佐和山行ったらわかるけど、あそこの狭い天守台に、こんな馬鹿でかい
天守立てるなんて絶対無理だぞw
166人間七七四年:2012/02/13(月) 18:38:04.32 ID:y6npC45g
↑そもそも山麓に屋敷を構えてる時点であんな巨大な天守閣を建てるとは思えない
仮にあったとして彦根城レベルの天守閣か
167人間七七四年:2012/02/14(火) 09:09:35.43 ID:WkTFROF5
地元の石屋の宣伝を兼ねてるっぽいな
168人間七七四年:2012/02/14(火) 20:06:33.45 ID:Q/jkWqh8
三成に過ぎたるものは島左近と佐和山の城と唄われた事を考えれば五層の城もありえる
内面はかなり質素らしかったといわれるけどね
169人間七七四年:2012/02/14(火) 22:53:33.23 ID:0/5t9iLc
佐和山は街道が京や大坂へと繋がり地理的にも徳川への抑えとなる要所だから
そっちの意味もあるんじゃね?
三成ごときが城持ちの大名になるなんて〜というのも当然あるだろうし
170人間七七四年:2012/02/14(火) 22:57:46.97 ID:wzx/YyyV
>>168
> 三成に過ぎたるものは島左近と佐和山の城と唄われた事を考えれば五層の城もありえる

その「三成に過ぎたるもの〜」の、同時代に唄われていたオリジナルは

「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と百間の橋」

であって、「佐和山の城」になったのは江戸時代に入ってから。
171人間七七四年:2012/02/15(水) 00:19:45.05 ID:ANg789kO
↑百間の橋は聞いている
ただどちらが先かは知らなかったけどね
島左近と佐和山の城のキャッチコピーが江戸時代からだというなら石田三成とその仲間たちがあの天下様の徳川を相当苦しめたという事を一般民衆から評価されてたのは事実だな
いくら徳川がさんざんねつ造して石田三成を悪人に陥れてもね
そういう事をしなければ政権を維持できない徳川てなんなのて意見だな
日本を徹底的に悪者に仕立て上げて政権を維持してる南北朝鮮や中国を思いおこさせる
172人間七七四年:2012/02/15(水) 00:30:17.64 ID:ANg789kO
佐和山の城のキャッチコピーが江戸時代からだというなら佐和山城が伏見城クラスの巨城という説は疑わしくなったな
そもそも巨城といえる熊本城、姫路城、名古屋城、江戸城、松江城などなどの名だたる城のほとんどが関ヶ原以後という事を考えたら関ヶ原以前に地方大名(ましてや質素倹約の石田三成が)があの情勢で五層の天守閣を建てるとは思えない
ま石田三成が豊臣の名を使って天下普請で全国の大名をこき使ってなら建てられるけどね
ちなみに井伊はどさくさに紛れて天下普請で己の城(彦根城)をたてさせているけどね
173人間七七四年:2012/02/15(水) 08:47:11.13 ID:iQdidqDn
柴田は?
174人間七七四年:2012/02/15(水) 14:46:38.25 ID:C3fWNMLn
過ぎたるものの話題が出たので便乗して質問させて下さい
これらの歌は何に書かれているのでしょうか?
それとも人口に膾炙して伝わったたもの?
175人間七七四年:2012/02/15(水) 17:19:11.06 ID:ANg789kO
柴田と言えば北の庄城は五層の天守閣らしかったけど後年になってから大きな城だったと風潮された可能性は否定できないな
戦後取り壊されたのは惜しいがな
いずれにしても北の庄城と佐和山城は幻の名城であったのは否定できない
176人間七七四年:2012/02/15(水) 17:57:29.03 ID:ANg789kO
>>167
石屋の社長の趣味が高じて個人的に作ったのを知った青年会議所が買い取ったというのが真実
ちなみに石屋の所在地は佐和山城の縄張りを行った島左近の出身地である彦根市高宮
社長にしてみれば高額で買い取ってくれた上、佐和山城の麓においといてもらえて光栄かも
177人間七七四年:2012/02/15(水) 18:07:16.31 ID:CAmZUjrF
佐和山遊園を買い取ったのかと思ったw
178人間七七四年:2012/02/16(木) 19:33:26.59 ID:rJXKWKtV
考えてみれば今、現存する名城のほとんどが関ヶ原以後に建てられた城
日米戦争で燃えた天守閣も含めてね
大阪城ですら徳川の城だし(天守閣は昭和)
関ヶ原以前に天守閣てあまりなかったんだよね
そう考えると切なくなる
179人間七七四年:2012/02/16(木) 19:43:41.40 ID:oa0PlSAP
そもそも天守は、要塞としての城には殆ど必要のないものだからな。
よくも悪くも安定期の産物。
180人間七七四年:2012/02/16(木) 23:24:03.37 ID:Z0rdeur0
大阪城築城後、佐和山と同じ頃に、前田の金沢城、毛利の広島城、宇喜多の岡山城などが立てられてて
どれも五重なんだね。秀長の大和郡山城も五重だったという言い伝えがあるそうだし

このうち広島城と岡山城はほぼ築城当時の天守が第二次大戦まで残ってて写真もあるから
現在の城も外見は大体当時のままなんだろうけど、江戸期の五重天守閣に比べるとちっこい印象だよ
五重といっても、佐和山の上に江戸期の五重サイズを考えるのはちょっと違うのではと思う

ついでに、広島も岡山も築城に豊臣が噛んでて、金のシャチホコ持ってたのも共通してるし
秀吉が絡むと「とりあえず派手に五重!金のシャチホコ!」とかあったのかとw
181人間七七四年:2012/02/16(木) 23:26:16.35 ID:Z0rdeur0
おっと・・・恥ずかし・・・
立てられてて → 建てられてて
182人間七七四年:2012/02/17(金) 04:48:55.78 ID:YA9smCs2
宇喜多秀家は自分はほとんど秀吉の息子という意識をもっていたので岡山城をゴージャスに作り直したのだが宇喜多は豊臣と違ってそれほどお金をもっていなかったので築城の際、家臣たちから相当批判されてた挙げ句お家騒動にまで発展
徳川がそれにつけ込みお取りつぶしを狙ったが石田三成らが一部の家臣たちを追放させる形で解決させた
しかし宇喜多は一部の家臣を追放したので関ヶ原では戦力ダウンを余儀なくされ敗戦につながったのが実状
もし岡山城築城しなければ歴史は変わっていたかもってのは考えすぎか
ちなみにその一部の家臣たちはちゃっかり徳川の家臣として再雇用されて子孫は江戸幕府の旗本などになってるってふざけた話だ
世が世なら打ち首獄門でもおかしくないくらいなのに
183人間七七四年:2012/02/17(金) 05:19:56.42 ID:YA9smCs2
宇喜多と秀吉の関係

宇喜多直家は息子と違って極悪人
数々の陰謀を重ねて大名に這い上がるものの最後は病に倒れ死にかけの状態
当時宇喜多は毛利織田にかこまれていた
毛利に形的についてたものの織田についた方がいいけど毛利から監視されてたしこのままでは宇喜多滅亡の危機
そこで直家のよくできた妻のおふくが愛息(後の秀家)のために行動
当時織田方の武将だった秀吉のもとへ荷物に隠れて会う事に成功(毛利方の厳重な監視をかいくぐり)
そして自慢の美貌で秀吉を虜にし織田との同盟関係を決定的にした
その後の本能寺後の大返しでは宇喜多の兵も参加(さすがに宇喜多全軍をさくのは無理だが)し明智に圧勝、決定的に宇喜多は秀吉の天下とりに大きく貢献した
その後そのおふくの愛息は秀家として元服、実の親父がすでに他界してた事もあり秀吉を実の父親同然としてお慕いしていた
ちなみにおふくは秀吉の側室になり名実とともに親子も同然の関係に
なお宇喜多家には秀吉から家臣が何人もおくりこまれてたのでこれにはもとからいた旧臣たちから反発を受けていた
そんなわけですでにお家騒動の種はまかれていた状態だった
もちろんそういう関係から秀吉の死後、ほかのほとんどの大名が石田か徳川か二者選択をせまられていたのに対しはなっから石田に選択するしかなかったのが実情
ていうかもし石田が挙兵しなくても宇喜多が総大将になって立ち上がった可能性もあるくらいだった
ちなみにもし西軍勝利なら秀頼成人までの間関白就任は当然の流れ
ちなみに宇喜多は前田とは妻が前田の娘という事でかなり深い繋がりがあったのに徳川の脅しにくっし徳川につくという選択
宇喜多としては裏切られた心境だろうな
184人間七七四年:2012/02/18(土) 14:56:54.44 ID:FKa6fHiH
「前田が謀反を企んでる」という家康のでっち上げを淀がそのまま鵜呑みにしたのが原因だろ
185人間七七四年:2012/02/18(土) 14:59:15.00 ID:bbxZO6Sq
家康にも豊臣家にも無断帰国して、でっち上げも何もないもんだ。
186人間七七四年:2012/02/19(日) 01:32:11.56 ID:Akv4mD+7
利長にもう少し器量があれば歴史は動かなかった
ていうか単細胞の加藤福島を自分の親戚だからってほいほい大名にした秀吉が全て悪い
今で言えば中卒の元暴走族の愚連隊のチンピラを子会社の社長に抜擢するようなもの
挙げ句の果てに本社の東大卒のスーパーエリートの専務に対立し本社そのものをつぶさせるようなもの(本社のライバル企業の会長とグルになった挙げ句)
187人間七七四年:2012/02/19(日) 01:39:26.69 ID:ZsZj5Tbz
関ヶ原の時にライバル企業の会長って例えはちょっと違うんじゃないかなぁ。
188人間七七四年:2012/02/19(日) 03:40:15.44 ID:JgL7V/oo
>>186
そもそも今と環境も教育の仕方も違う戦国時代の人間を
今と例えること事態無理があるだろう
それに秀吉は親戚だからといって能力のないやつを優遇したりしてないぞ
だいたい加藤福島石田たちは現場で鍛え上げてきた叩き上げの人間だろ
チンピラでもスーパーエリートでもないし
三成の事を東大卒のスーパーエリートのように思ってるのって
三成の事を本質的に理解してないんじゃないか?
189人間七七四年:2012/02/19(日) 13:40:48.33 ID:WkdqDFwr
加藤福島の方が、秀吉の方針に忠実だぞ。
徳川との融和は秀吉が望んでいた事だ。

三成は、秀吉の『法令』に忠実だった。
それによって生じた徳川との対立は、豊臣家に害を成しただけだ。

『豊臣家』が、自ら定めた『法令』より上位に位置する以上、
どちらを重視すべきかは自明だな。
190人間七七四年:2012/02/19(日) 13:58:13.11 ID:Ek4O55oM
へ?法令より上位って婚姻政策の事?御掟に何て書いてあるか知ってる?
191人間七七四年:2012/02/19(日) 15:42:37.66 ID:WkdqDFwr
違う違う。少し考えろよw

秀吉が定めた法令で、秀吉や秀頼を裁く事は出来ないだろ?
豊臣家は、自ら定めた法令を当然にして超越した存在なんだよ。
近代法治国家ではないんだから当り前の話だが。
192人間七七四年:2012/02/19(日) 15:49:28.03 ID:KwDizbPW
美濃国・関ヶ原で迎えた徳川戦
松尾山の一団の相次ぐ裏切り、宇喜多・小西の精兵も打ち破られ惨敗だった
関ヶ原に響く西軍のため息、どこからか聞こえる「これからは徳川の世だな」の声
無言で撤退し始める将兵達の中、指揮官の三成は独り本陣で泣いていた
豊臣政権下で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できる武将・・・
それを今の西軍で得ることは殆ど不可能と言ってよかった
「どうすりゃいいんだ・・・」三成は悔し涙を流し続けた
どれくらい経ったろうか、三成ははっと目覚めた
どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たい床几の感覚が現実に引き戻した
「やれやれ、撤退して戦略を練らなくちゃな」三成は苦笑しながら呟いた
立ち上がって伸びをした時、三成はふと気付いた

「あれ・・・?味方の兵士がいる・・・?」
陣幕から飛び出した三成が目にしたのは、天満山まで埋めつくさんばかりの友軍だった
千切れそうなほどに軍旗が振られ、地鳴りのように法螺貝の音が響いていた
どういうことか分からずに呆然とする三成の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた
「ミツナリ、開戦だ、早く行くぞ」声の方に振り返った三成は目を疑った
「も・・・毛利さん?」  「なんだイシ、居眠りでもしてたのか?」
「こ・・・小早川殿?あなた東軍に・・・」 「なんだ三成、かってに小早川さんを内応させやがって」
「吉継・・・」  内川は半分パニックになりながらスコアボードを見上げた
1番:上杉 2番:小西 3番:島 4番:毛利 5番:宇喜多 6番:大谷 7番:黒田 8番:佐竹 9番:石田
暫時、唖然としていた三成だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった
「勝てる・・・勝てるんだ!」
佐竹から軍配を受け取り、敵陣へ強襲する三成、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった・・・

翌日、伊吹山で冷たくなっている三成が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った
193人間七七四年:2012/02/19(日) 17:34:38.71 ID:NkTiPWZM
7番黒田って誰だ?
194人間七七四年:2012/02/20(月) 00:06:29.65 ID:yby346qZ
>>191
そもそも「御掟」「御掟追加」は秀次事件によって崩壊の危機に瀕した
政権の支配秩序を再構築する為に敢えて秀吉ではなく、五(六)大老に公布させた物だ。
これを無視しても徳川と融和する事を秀吉が望んでいただなんて何を根拠に言ってるんだ?
195191:2012/02/20(月) 01:04:28.06 ID:ZRKmbphx
>>194
『御掟』の話なんてしてませんけど?
こちらの主張に反論したいなら、こちらのテーブルについてもらわないとね。
>>189>>191を何度も読み返してから出直してきなよw

融和の根拠は単純明快。
自身の後継たる秀頼と、家康直孫の婚姻施策。
他の誰でもない、政権筆頭大老である家康である事が重要。
196人間七七四年:2012/02/20(月) 01:16:27.40 ID:yby346qZ
>>195
大名間の婚姻が駄目だって根拠が何に拠っているのか知っててそんな事言ってるの?
秀頼と千姫の婚姻は法令に反してないの。ちょっとくらい調べようよ。
197人間七七四年:2012/02/20(月) 01:29:55.48 ID:ZRKmbphx
>>196
キミは何の話がしたいの?>>189の主旨が全然わかってないみたいだけど。

大名間の婚姻の話もしてなければ、秀頼・千姫の婚姻が違法だとも
全く言ってないんですけどw
198人間七七四年:2012/02/20(月) 19:47:46.78 ID:fhC0R03t
>>189
秀吉が望んだことは豊臣家と遺児の秀頼を守ることでしょ、何の為に五大老に誓詞を書かせたと思ってるんだ?
豊臣家を潰して秀頼も殺そうとしてる徳川家に加担なんて秀吉が望む訳がないし、福島は保身のために
家康の大阪城攻めの時に秀頼を見捨てたたわけだ
関が原後の論功行賞で豊臣家の蔵入地(秀頼の直轄地)は激減してるし秀吉が生きてたら切腹させられてただろ
199人間七七四年:2012/02/20(月) 20:31:03.00 ID:nLmDcz47
>>198
お前は時系列を全て無視した結果論だけでものを話しているから非常におかしなことになっていると気がつけ。
200人間七七四年:2012/02/20(月) 22:40:01.57 ID:ZRKmbphx
>>198
その通り。
豊臣家を守る事を望んだのであって、法を守る事で豊臣家が害されるのでは全く意味がない。
加藤福嶋が、豊臣家のために徳川との対決を避けたのは現実的な話だ。
これは秀吉の方針に反しない。
紙切れで防げると思っているなら、とんだ甘チャン。

豊臣家の蔵入地が激減した『関ヶ原』を起こしたのは、三成だ。
秀吉自身も家康との対決は避け、下にも置かない対応だった。
それを三成程度が何を分不相応な、といったトコ。
秀吉が生きていたら、切腹させられてるのは三成だ。

大坂の陣の時点で、福島が個人的な動機で大坂入城などしたら、
それこそ愚将の極みだ。名将の評価は与えられていないだろう。
201人間七七四年:2012/02/21(火) 02:11:23.04 ID:e/DZhRa3
正則が保身を考えてるんだったら、正則の弟やら重臣の大坂入城が説明出来ないけどね。
彼らは豊臣から見れば陪臣。正則を飛び越えて、豊臣に殉じる理由は全くない。

常識的に考えて、家臣・領民の事を考えての行動に決まってるだろ。
202人間七七四年:2012/02/21(火) 03:23:03.10 ID:fWs2yc8E
信長、秀吉以外はただのブームでいつも終わるからなw
203人間七七四年:2012/02/21(火) 10:10:18.99 ID:chZNid1j
>>200
秀吉が死んで関ヶ原が起きる前の時点で家康の専横が顕著になり朝鮮出兵の恩賞名目で
蔵入地を諸大名に配りまくってるから仮に三成が戦を起こさなくても家康を殺さない限り
豊臣家の蔵入地が減少し続け弱体化することに変わりはないけどな。
204人間七七四年:2012/02/21(火) 10:39:20.31 ID:Hr4S/SuB
朝鮮出兵の恩賞は、豊臣の蔵入地がゼロになるまで与え続けるのか?w
加えて、石田が挙兵しなければ、西軍700万石が一挙に処分される事もない。
徳川支配体制を加速させたのは三成の責任。
205人間七七四年:2012/02/21(火) 11:07:52.91 ID:tVJxj+ao
>>203
恩賞を与えないと確実に滅ぶがな
206人間七七四年:2012/02/21(火) 12:56:16.07 ID:D6CJLhkB
この当時の豊臣の蔵入地ってどのくらいあったんだ?
250万石より低いんじゃね?
207人間七七四年:2012/02/21(火) 18:21:10.98 ID:FXnUj0bj
>>203
藤野保か北島正元は関が原の論功行賞で豊臣の蔵入地削ったといってたけどな
そもそも朝鮮は豊臣家の戦だったのに、豊臣以外の誰が褒美やるんだよ


>>206
大体200~250だったかな
徳川は100~150
208人間七七四年:2012/02/21(火) 18:32:21.32 ID:02P+vRii
>>203
>朝鮮出兵の恩賞名目で
>蔵入地を諸大名に配りまくってる

kwsk
島津以外で
209人間七七四年:2012/02/21(火) 19:36:38.18 ID:tVJxj+ao
森忠政
210人間七七四年:2012/02/21(火) 20:06:50.41 ID:D6CJLhkB
梶尾もだよな
211人間七七四年:2012/02/21(火) 21:08:25.84 ID:chZNid1j
>>204
三成が挙兵しなかったら上杉を滅ぼした恩賞として蔵入地がゼロになることはないと思うが
関ヶ原後と同じぐらい大幅に減らされるのは間違いないだろ。
それができ、してきた立場に家康はあるからこそ三成は危惧して挙兵したんだし。
212人間七七四年:2012/02/21(火) 21:13:37.40 ID:0WMYRkjA
上杉が滅び、徳川がより大きくなる。
「一挙に処分」が「だんだんと処分」になるだけの話だわな。
213人間七七四年:2012/02/21(火) 21:22:49.94 ID:chZNid1j
関ヶ原で西軍についた諸大名も完全に家康派になってしまう危険性がより高くなるしな。
中国の毛利勢とか特に。
214人間七七四年:2012/02/21(火) 22:27:20.53 ID:AyPJxh3P
>>212
徳川だけが大きくなるわけじゃないでしょ
他にも参加している武将たちにも褒美をあげなくちゃならないし
むしろこれによって不満が出てくるかもしれない
215人間七七四年:2012/02/21(火) 22:29:22.66 ID:0WMYRkjA
>>214
それは好都合。>不満
謀反の疑いありとして征伐すべし。
216人間七七四年:2012/02/21(火) 23:33:45.59 ID:tEemLgDQ
>>211
>関ヶ原後と同じぐらい大幅に減らされるのは間違いないだろ
>>212
>上杉が滅び、徳川がより大きくなる。

確かに、豊臣の蔵入地が激減する可能性はある。
が、繰り返しになるが、西軍700万石を削減する事は出来ないし、
全国が徳川親派に塗り替えられることもない。
潜在的に反徳川と成り得る勢力は、国力を維持する事が可能。
徳川が大きくなる、といっても、史実のように徳川家が400万石になる事は出来ない。

>「一挙に処分」が「だんだんと処分」
どうやって、700万石を『だんだんと』処分するの?
最初の標的である前田家は、頭下げて処分を免れてるけど。
関ヶ原後、家康存命中にそれが可能とは思えないね。
217人間七七四年:2012/02/22(水) 00:06:27.89 ID:M996+Emt
会津征伐に従軍した大名って、豊臣恩顧ばっかじゃん。
豊臣蔵入地が減ったって、徳川が強くなるのでなければ、問題ないんじゃね?
218人間七七四年:2012/02/22(水) 00:38:41.14 ID:TRahHmiU
決めるのは家康だろ。徳川のご恩を受けて徳川シンパになるだけ。秀吉なき後豊臣恩顧なんてほとんど意味ないじゃん
219人間七七四年:2012/02/22(水) 12:20:11.31 ID:THc2w7ly
豊臣恩顧の福島正則だって関ヶ原の論功行賞で大幅に加増されたけど
城の雨漏りの修理で徳川に難癖つけられて結局改易だもんな
220人間七七四年:2012/02/22(水) 13:21:38.32 ID:L1WH6lA7
城の雨漏りって、オマエw
何読んだんだよ?
221人間七七四年:2012/02/22(水) 16:33:17.40 ID:BQ0t8vfl
俺もよく覚えてないが、城の一部が台風だか天災で
壊れたんだよな?んで、改修したら改易にされたんじゃなかったっけ?
222人間七七四年:2012/02/22(水) 21:01:46.17 ID:5H892OAG
福島側の主張弁解は雨漏り修繕だな。
223人間七七四年:2012/02/22(水) 22:10:40.89 ID:agUJjhjA
出典は?
224人間七七四年:2012/02/23(木) 15:14:56.87 ID:0w4TrskG
正則は関ヶ原は言うに及ばず、大坂の陣でも息子の忠勝を大坂城攻めに参加させ
豊臣恩顧の中でも一貫して徳川家に恭順してきたのにあの仕打ちじゃやってられんな
225人間七七四年:2012/02/23(木) 15:40:45.77 ID:oIhSED94
当時の状況で不参加表明なんて出来ないでしょ。無茶を言ってはいけない。
一方で、福島正守(弟)、正鎮(甥)、長門(筆頭家老福島治重の息子)は大坂入城してるけどね。
8万石の兵糧接収黙認もあるね。もしかして知らないの?

伊奈事件もそうだけど、一貫して徳川に最も反抗的な大名だったんですけど。
226人間七七四年:2012/02/23(木) 16:08:16.10 ID:s0A4h2AK
福島が一貫して徳川に尽くしたとは言い難い
奴は中途半端に虚勢を張りすぎている。

一貫して徳川に尽くしたと言えば、藤堂高虎だろう
そして藤堂家は、幕末まで残り成功している
227人間七七四年:2012/02/23(木) 16:22:52.58 ID:oIhSED94
中途半端な虚勢って何?具体的に教えてもらえる?
勿論、逸話や講談はナシでお願いします。

徳川家に媚びる事が成功と言うなら、確かに成功だね。
228人間七七四年:2012/02/23(木) 16:30:17.24 ID:ysuVrSEG
福島スレでやりなさい
229人間七七四年:2012/02/23(木) 16:36:09.80 ID:s0A4h2AK
>>227
>中途半端な虚勢って何?具体的に教えてもらえる?

自分とこの家臣が徳川の伊奈と揉めて
徳川に伊奈を差し出せと3000の兵を出して脅したろう

まさか福島も徳川と合戦するつもりは無かったろうが
まだ天下取った訳でもない徳川の足元見た訳だ。
これが虚勢でないとでも?

230人間七七四年:2012/02/23(木) 16:46:17.30 ID:oIhSED94
まずは、虚勢の意味を調べたら?
意味も知らずに難しい(?)言葉は使わない方がいいねw

関ヶ原の最大功労者という実績がある以上、虚勢には該当しない。
231人間七七四年:2012/02/23(木) 16:53:33.35 ID:pfvMYTW5
きょ‐せい【虚勢】
みせかけの威勢。からいばり。または生殖腺(せいしょくせん)を除去し、機能をなくさせること。
もとは雄の精巣(せいそう)除去をいった。第二次性徴の発現する前に行うと、中性的な体つきとなる。
家畜では、闘争心をなくして群飼育できるようになり、脂肪の適度な肉質になる。

徳川に対して3000の兵をちらつかせたなら虚勢であってるんじゃね
ハナから戦う意志もないのに(みせかけの)、伊那を出せという要求を拒否するなら戦うぞ(威勢)
232人間七七四年:2012/02/23(木) 17:00:25.15 ID:oIhSED94
3000の兵をちらつかせた、という史料は何なの?

福島は、関ヶ原本戦後、家康から洛中警護を命じられた訳だから兵がいるのは当り前。
伊奈の首を要求するために準備した兵ではない。

その福島の通過を拒んだのは、伊奈への連絡疎漏だった徳川方の落ち度。
233人間七七四年:2012/02/23(木) 17:09:50.30 ID:pfvMYTW5
えぇ、そこ?
そこは納得したから虚勢って言葉遊び始めたんじゃないのあんた
最初から史料問題にすればいいのに・・・
234人間七七四年:2012/02/23(木) 17:29:07.77 ID:oIhSED94
そこも何も、本題に入る前段階から『虚勢』の意味を間違えてるんだから。
そんな出鱈目を納得するわけもないでしょ。
だから、こちらもキチンと『まずは』と言ってるし(>>230

ついでに、
>>231
>ハナから戦う意志もないのに(みせかけの)、伊那を出せという要求を拒否するなら戦うぞ(威勢)
福島は、伊奈の首を出さなければ尾張に帰る、と言った話はあるけどね。(出典は台徳院殿御実紀なので一次ではない)
一戦辞さず、みたいな話は初耳。なので、尚更『虚勢』には該当しないわけ。

勿論、3000人ちらつかせて一戦辞さず、という史料があるなら教えて欲しいわけね。
235人間七七四年:2012/02/23(木) 21:20:00.59 ID:s0A4h2AK
oIhSED94が虚勢って言葉の意味を難しい言葉と感じる程度の厨房だと
言うことは解ったし、福島が兵を出した史料すら知らないリア厨か低学歴ってのも
解った。

もう相手にしないw
236人間七七四年:2012/02/23(木) 21:20:35.74 ID:pfvMYTW5
>>234
虚勢の意味が違う?
事実関係はおいといて意味はあってるだろ
事実関係についてお前が考えているものと違うから、虚勢という言葉が当てはまらないといってるんだろ?
具体的に虚勢がどういう意味なのか教えてくれないか
237人間七七四年:2012/02/23(木) 21:22:15.51 ID:pfvMYTW5
>>228
悪い
ID:oIhSED94もこっちいくぞ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1252751655/l50
238人間七七四年:2012/02/23(木) 22:05:27.23 ID:ldYvq+bv
>>237がなんかカッコいいw
239人間七七四年:2012/02/23(木) 23:54:40.90 ID:hCxv/ewc
>>235
『難しい』(>>230)は皮肉のつもりなんだけどな。
福島が兵を出した史料を提示しなければ、只の遠吠えだよ。
福島の兵は、関ヶ原本戦後に家康から洛中警護を命じられたので、いるのは当然。
別に、伊奈の首を要求すべく、特段準備したわけじゃない。

>徳川に伊奈を差し出せと3000の兵を出して脅したろう (>>229
はデタラメだと思うけど如何?違うと言うなら、史料を提示すべき。
240人間七七四年:2012/02/23(木) 23:59:30.35 ID:hCxv/ewc
>>236
『虚勢』の意味は、『実を伴わない空威張り』を指すでしょ。
>>229のどこがそれに該当する?
伊奈事件で福島野強談を可能としたのは、関ヶ原の功績があってこそなのは周知でしょ。

もちろんキミの>>231
>ハナから戦う意志もないのに(みせかけの)、伊那を出せという要求を拒否するなら戦うぞ(威勢)
は、事実関係とかけ離れていて、話にならないけど。
241人間七七四年:2012/02/24(金) 00:35:33.06 ID:qiaby/Kf
242人間七七四年:2012/02/25(土) 01:09:49.86 ID:uoPv4d1s
>>234
>3000人ちらつかせて一戦辞さず、という史料があるなら教えて欲しいわけね。 

どうせソースは原哲夫の影武者徳川家康(原作:隆慶一郎)だろうなw
243人間七七四年:2012/02/25(土) 07:26:24.63 ID:sPIe2A8Z
確かに、あのマンガは脅しをかけてたな。
マンガらしい演出だけど、まさか本当にこれをソースにしたのかねぇ。
244人間七七四年:2012/02/25(土) 09:56:16.22 ID:Hx+8njHH
佐和山城の展示してある佐和山会館てどこ?
リョウタン寺のあたり?
245人間七七四年:2012/02/25(土) 18:18:50.36 ID:U7pFDJzx
↑信号を渡ってすぐ右横の会館の横にあるよ
246人間七七四年:2012/02/26(日) 18:04:02.24 ID:aKxjNyr7
>>245 レスありがとうだけど、…あのあたりは一度行ったきりだから信号が分からないや
行けば分かるのかな
247人間七七四年:2012/02/26(日) 19:00:36.97 ID:zTvvCJUn
あのあたりは住宅地だからすぐ行き止まりになってしまうかも
地元の人に聞けばいい
ちなみにあの住宅地は昔、おばさんが家を購入して半分別荘みたいなもんで夏休みによく寝泊まりしたところだ
朝一番に佐和山登った事もある
248人間七七四年:2012/02/26(日) 22:11:11.17 ID:aKxjNyr7
>すぐ行き止まり
確かに、前回行った時迷ったw 今度は尋ねながら行きますわ
あのあたりは400年+α前なら筆頭家老のご近所さんかな
家臣団の城下町は鳥居本側に遺構が見つかってるそうだけど、リョウタン寺側に住んでた家臣もかなりいただろうな
249人間七七四年:2012/03/03(土) 17:38:57.19 ID:8xMQekUG
>>208で質問したが沈黙したまま

結局
>>203
>朝鮮出兵の恩賞名目で
>蔵入地を諸大名に配りまくってる
はガセか
250人間七七四年:2012/03/03(土) 20:04:11.84 ID:ho1A3f3c
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
251人間七七四年:2012/03/07(水) 09:12:57.31 ID:oOqwJsRR
豊臣家しか見てないから敵が多すぎた。恩顧の七本槍で彼に付いた人いないから
よほど付き合い悪いのか、下戸は敬遠されたのか

大谷、直江、佐竹くらい?親友は。
252人間七七四年:2012/03/07(水) 19:39:35.31 ID:f6OL75lp
>>247
誰も国籍の話なんかしてねえよ
形容詞的に朝鮮人って言ってんだ
253人間七七四年:2012/03/07(水) 22:54:04.09 ID:dpuZTUv3
>>251
三成の仕事は七本槍たちのアラ捜しをして豊臣の支払う恩賞をケチることだから
彼らが三成に付きたがるわけがない
254人間七七四年:2012/03/11(日) 11:18:52.17 ID:FBRk+ZE1
>>253
うがった物の見方をしすぎ
恩賞の多寡を決めるのは大将の仕事
255人間七七四年:2012/03/12(月) 03:14:12.55 ID:csWna3vw
>>129
去年の東京のテスト受けに行ってみたが、甲冑来たポチャ子がそうかな
一緒にテスト受けたけど、始終甲冑がガチャガチャいっててうるさいことこの上なかった


あと一般で某ゲームの濃姫のコスプレ女いてドン引いた
一体何が目的で来たんだ
誰も見て見ぬ降りだったけど、気持ち悪いからやめてくれ

256人間七七四年:2012/03/12(月) 04:51:26.87 ID:csWna3vw
春になったら佐和山登りたいんだけど、まだ雪解けしてないよね?
一度行ったんだけど時間なくて頂上まで行ったら左近の屋敷跡に行けなかったんだけど、頂上からどのくらいで行ける?
そこまで行ったら帰りは彦根に出るより反対側の駅にでるほうが楽なのかな?
詳しい人、教えて下さい
257人間七七四年:2012/03/12(月) 09:46:17.59 ID:jye6Qhwr
>>256
ここで聞くより彦根市の観光局に質問したほうが確実だし早いぞ
258人間七七四年:2012/03/12(月) 13:23:27.49 ID:csWna3vw
>>257
そうか、ありがとう
上の方で佐和山の話題があったからみんな詳しいかと思っちゃった
観光協会に聞いてみるよ
スレ汚し失礼した
259人間七七四年:2012/03/13(火) 22:15:17.45 ID:VMlGDQxg
>>253
恩賞が発生するのはあくまでも戦に勝利して相手を滅ぼした、または相手から領土を削りとったものを戦功のあったものに差し出すという形
結局朝鮮から領土をぶんどれなかったとなればタダ働きは当然の流れ
毛利や島津などの外様大名からは朝鮮征伐に関してかまり不満が出なかったのに加藤らが石田を恩賞をもらえなかったから逆恨みするなんて知的障害でもあるのかいな加藤ら
あまったれるのもいい加減にせんかい
だいたい秀吉のおかげで大名にムリヤリしてもらったのに徳川万歳
まさにアホの軍団だな
260人間七七四年:2012/03/13(火) 23:30:39.66 ID:YLqgqcD1
戦を始めたのは秀吉
261人間七七四年:2012/03/14(水) 01:02:16.10 ID:lEPppg+Q
朝鮮征伐までは仲悪くなかったんだよ。
朝鮮での清正と小西の喧嘩をきっかけにして、小西と親密な三成と清正の関係が悪化した。
それが清正と親密な他の武断派にも波及してしまった。
262人間七七四年:2012/03/14(水) 01:15:24.59 ID:cUZ6iFUI
文禄の役の時から不穏なんだけど
慶長の役の蔚山救援戦の事後処理が駄目押しになった
清正と小西の対立に加えて、これで三成と蜂須賀・黒田の間が決裂
七将襲撃の直接の原因になった
あと、ついでにこの件で吉川と小早川とも本格的に壊れてる
263人間七七四年:2012/03/14(水) 06:21:15.08 ID:MVgI17u4
結局、秀吉が朝鮮成敗をしなければ豊臣政権は安泰だった
ついでに加藤も五奉行に入れてたら豊臣系大名は結束してたので家康に付け入るスキもなかっただろうにな
264人間七七四年:2012/03/14(水) 08:20:48.54 ID:0J0aXh+v
>>259
日本側がまったく戦闘に勝利できずに敗走したのならそれでいいが
現場の武将は戦闘に勝利して武功を積み重ねているのに
石田や小西が自分達のごり押しで講和に踏み切った上に失敗したため領土をぶんどれなかった
また恩賞が発生しなかったのはあくまでも現場側だけであり
三成はもちろん福原・熊谷・垣見など三成と親密な目付連中も朝鮮出兵で恩賞を貰っている
これでは三成と親しくない大名は一緒に戦ってもメリットがないどころか讒言を受けるだけのデメリットしかない
関ヶ原で三成と親しい大名以外ろくに戦う気がなかったのは必然の結果でもある
265人間七七四年:2012/03/14(水) 10:10:55.92 ID:QRHt3DZF
三成らが講和しなければ、そのまま勝てて領土が取れたと?
266人間七七四年:2012/03/14(水) 13:24:34.53 ID:FTGJcuJM
誰かが責任をとる必要があった訳
そうなると秀吉が死んだ後に浮上するのは五奉行
その中でも石田、長束、増田といった連中になる
267人間七七四年:2012/03/14(水) 13:34:48.37 ID:osKnH3Wq
補給追いつかないから戦線伸ばすの止めてもらえないかって書状あったみたいだし
いずれ兵站の面で破綻するのが見えてたからねぇ
268人間七七四年:2012/03/14(水) 14:00:04.14 ID:QRHt3DZF
>>266-267
そうゆうこったね
別に三成らが悪かった訳じゃなし、清正ら朝鮮で戦った連中が悪かった訳でもない
秀吉が悪かったんだが、秀吉が悪いと責任を取らせる訳にもいかず
やり場の無い怒りを三成らに向けただけだ。
269人間七七四年:2012/03/14(水) 22:53:32.79 ID:0J0aXh+v
>>265
朝鮮の南部だけでも取るか少なくとも勘合貿易を勝ち取るくらいなら講和担当者の腕次第で可能だった
どれも出来なかったのなら文治派に不満の矛先が向けられることは免れないだろう
三成が一個でも何かを勝ち取っていれば慶長の役は避けられたのだから
270人間七七四年:2012/03/15(木) 02:07:28.02 ID:KQtg/Bf9
素朴な疑問なんだけど、講和条件が勘合貿易で納得する武断派って
限られてこない??文禄のときは、まだ諸侯もやる気満々だし
慶長は、はじめから消化試合みたいなもんだけど
271人間七七四年:2012/03/15(木) 09:03:12.72 ID:GOynlFrE
秀吉が納得して出兵終了なら別に武断派も文句はないだろ
講和とは名ばかりの降伏だったから秀吉が死ぬまで出兵継続になってしまった
反対を押し切って講和に踏み切った挙句が成果無しの泥沼化なんだから
それなら文禄を続けていた方がやり直しの負担がかからずまだマシなわけで
不満が湧き出るのは仕方がない
272人間七七四年:2012/03/15(木) 11:20:32.11 ID:MMnAPY+j
無茶言うわw
273人間七七四年:2012/03/15(木) 20:52:53.32 ID:2pmdATiT
文禄の役で、仮に南部を切りとれたとしてだ
朝鮮半島にある海外領土を長期にわたって維持するのは無理なんでは?
どの道、利益が出る前に撤兵する羽目になると思うんだが

274人間七七四年:2012/03/15(木) 22:34:55.36 ID:jty6K0aG
もしくは現地で独立化して影響力及ばなくなるとかそんな感じだなw
275人間七七四年:2012/03/16(金) 00:52:02.88 ID:YkY2lyti
言葉通じない土人だもんな、支配するのは難しいわな
朝鮮の領土をくれてやると言われても大名は嬉しくないだろうし
276人間七七四年:2012/03/16(金) 11:50:11.57 ID:rkWFyI5g
>>259
試しに蔚山役の論功行賞についてでも調べてみるといいよ
三成ら奉行の讒言の理不尽さ、賞罰の不公平さにびっくりすると思うから
朝鮮役の万事がこんな調子じゃ、前線で戦っていた諸将に恨まれるのは当然
277人間七七四年:2012/03/16(金) 20:59:26.09 ID:YNxM2ZW/
蜂須賀家政は三成を襲撃していいレベル<蔚山救援戦
救援に駆けつけて勝ったのに、なぜ追撃しなかったかと怒られて、
なぜか領国の阿波に謹慎になったでござるという…
つか実際に七将で襲撃したけど
278人間七七四年:2012/03/16(金) 21:08:36.19 ID:CTAw7PfZ
>>277
この家政と黒田長政こそが7将による石田三成襲撃事件の主役といっていいかな。
279人間七七四年:2012/03/16(金) 21:34:41.90 ID:YNxM2ZW/
七将襲撃の中心は蜂須賀・黒田というのがこのごろの定説
残ってる書状からこのふたりが中心になって動いたとされてる

豊臣恩顧内での対立の原因はいろいろあるから
すべてが文禄・慶長の役で説明できるわけではまったくないけど
七将襲撃に関しては、蔚山の事後処理が直接の原因だったと言われている
280人間七七四年:2012/03/17(土) 20:36:28.77 ID:H4qPIJK5
ていうか加藤が調子に乗って補給もままならないのにただひたすら戦線を拡大したのが最大の敗因
現実を考えて京城で地盤を固めて落ち着ければ良かった
朝鮮土民たちは朝鮮王朝の悪政に嫌気さしていたので善政をしいていれば問題なかった
いずれにしても加藤の身勝手さは石田で無くても腹立つと思う
281人間七七四年:2012/03/17(土) 23:41:56.38 ID:LsS7pVFw
いや当初の目的は明征服なんだから間違ってないと思うよ
282人間七七四年:2012/03/17(土) 23:47:20.44 ID:kdCw5YwY
最初の目的からして、後世から見ると唐入りは誇大妄想すぎるよな
もちろん当時としては、天下統一したばかりだし、経済的にも拡大期で
海外進出への機運が高まってたんだから、
沸騰した時代の雰囲気のなかではアリだったんだろうけど
283人間七七四年:2012/03/18(日) 03:01:20.86 ID:qy8E4h75
>>276
小西は加藤の上陸航路を朝鮮側に漏洩しているし
石田は蔚山城で加藤に無謀な突撃を要求したり救援した武将を徹底的に貶めているし
慶長の役では文治派として加藤を戦死に追い込むことで講和につなげようという考えがあったのは間違いない
だけど方法が卑怯すぎるのと周囲の武将にかける迷惑が大きすぎるため結果的に自分達の立場を悪くした
加藤を殺したいなら武断派が石田にやったみたいに直接的に襲撃した方がマシだったろう
284人間七七四年:2012/03/19(月) 18:14:30.43 ID:t6JZBLCV
↑とはいえ石田に同情する声も無くはなかったわな
正直、当初こそ戦意は高揚してたものの途中からは完全に嫌気をさしていた空気だった
一部の大名だけがやる気まんまんみたいな感じ
一方で毛利らは技術が優れた現地人を拉致して朝鮮に残っているより遥かにいい待遇で雇い入れるなどしたたかな部分もある
むしろそれ目的で積極的に参戦した感じはいがめない
実際、毛利テル(女の腐ったようなあほキッカーは別として)や島津や上杉、宇喜多とか石田を目の敵にしてたわけでない
いずれにしても豊臣あっての加藤らが徳川にすりよったのは正直理解しがたい
ちなみにとある一般人が当時、徳川にすりよる事に呆れ、石田を同情する文を残しているとか
285人間七七四年:2012/03/20(火) 07:48:15.26 ID:I2ib73TJ
朝鮮て徳川家康を英雄としてとらえ秀吉、加藤が悪魔という認識
400年も昔の事をいまだに持ち出して
ほんま最低の国だな
伊藤を殺した単なるテロリストやただ単に日本人に嫌がらせしまくった女子が英雄に祭りあげられてるし
逆に外国に媚びたとされる人物は最低扱い
まともな国では無いな
286人間七七四年:2012/03/20(火) 10:24:12.34 ID:GLRJ08zH
>>280
加藤隊の戦線拡大が最大の敗因?お前ちょっと勉強不足にも程があるぞ
別に加藤の突出によって日本軍の戦略に不都合が生じたわけでもないのに
逆に加藤が長征しなかったら二王子は捕らえられなかったわけだし
287人間七七四年:2012/03/20(火) 13:24:07.09 ID:GLRJ08zH
>>284
朝鮮の技術者目的で積極的に参戦とか、それマジで言ってんのか?
何より「とある一般人が文を残してる」とか言いだす神経が信じられない
徳川にすりよるだの何だの、現代人視点で間抜けな批判をする前にもうちょっと勉強してくるべきだな
288人間七七四年:2012/03/20(火) 22:04:43.63 ID:I2ib73TJ
↑実際、萩焼や伊万里焼など数々の焼き物の里はこの朝鮮成敗以降に誕生したもの
たとえ結果的にだとしてもな(笑)
とくに朝鮮成敗に積極的に参戦した大名が多い西日本でな
そういう事実はどう説明する?
それと徳川にすりよる加藤らの行動を批判する文が残されてるのも事実
289人間七七四年:2012/03/20(火) 22:11:57.84 ID:I2ib73TJ
>>286
熊本人は帰りな
だいたい補給もままならないのにええ格好して突撃を繰り返すあほ加藤など石田に限らず見限るのが当然だ
ましてや海の果ての外国
普通に考えて京城でどっしり構えて南部を完全に支配する
善政を行ってな
そして朝鮮王朝がどうしょうもない糞政権だと喧伝して民衆を完全に日本人化するべきだった
秀吉にもう少し現実を見る目あったらね
あほ加藤をあのような重大な役を任せるなんて人を見る目が落ちたな
290人間七七四年:2012/03/20(火) 23:04:08.72 ID:GLRJ08zH

>>289
アホはお前だな。加藤隊の咸鏡道進出はなにも清正の独断ではなく
漢城評定で決まった八道国割に基づく作戦行動なんだが。そんなことも知らなかったの?
オランカイ侵攻にしたって満州方面からの明侵攻は不可能、と早々に判断して撤退してる
小西みたいに敵に惨敗して敗走してきたんならともかく、
清正は前線の駐屯部隊まできちんと収容した上で漢城に帰還してるし
朝鮮の二王子という外交上の重要なカードまで連れ帰ってる
清正の作戦行動は日本軍の戦略になんら悪影響を与えていない
それを文禄の役最大の敗因とか、何をどう考えればそういう結論に至るのか理解に苦しむ
291人間七七四年:2012/03/21(水) 13:24:02.69 ID:X/abYj7/
>>288
徳川に擦りよる加藤等を批判する文とやらの詳細を教えてくれ。
出典は何?
292人間七七四年:2012/03/21(水) 15:42:53.42 ID:Zpp0XPfc
>>288
朝鮮に出兵したのは主に西日本の諸大名なんだから
西日本にそういう焼き物が多いのは当たり前だろ。バカか?
293人間七七四年:2012/03/22(木) 07:02:16.66 ID:/BOHZjvo

むしろ焼き物の技術者目当てというのは的外れではないだろう(笑)
たとえ結果的にとはいえな
母国ではまともに待遇でなかった彼らを高待遇で迎えいれてくれた事に彼らはそれに応えて数多くの優れた焼き物を作ってくれたのは日本人として嬉しいけどね
294人間七七四年:2012/03/22(木) 07:07:07.10 ID:/BOHZjvo
朝鮮出兵は焼き物戦争という表現をしてた学者がいるくらいだから的外れではないだろう
それとむやみにアホ呼ばわりするのはあまり好ましくない
故郷の大英雄を誇りたい気持ちはわからなくもないが加藤スレに帰りな
295人間七七四年:2012/03/22(木) 08:54:12.42 ID:hQAvozuQ
>>294
いやその学者がアホその物
日中15年戦争などと呼ぶキチガイと同じ類の人間
296人間七七四年:2012/03/22(木) 12:29:57.81 ID:kbs1fSK+
焼き物技術wwwww
297人間七七四年:2012/03/22(木) 13:17:38.61 ID:xRxJeGiB
生糸以前の日本の主力輸出品をそんなに笑うもんじゃない
298人間七七四年:2012/03/22(木) 19:05:33.60 ID:Uy++yl4P
>>294
残念だったな。俺は清正大好きだが長州人だw
清正好きが漏れなく熊本県民とか凄い固定観念だな
三成好きは漏れなく腐女子だとか言ってるようなもんだぞ
299人間七七四年:2012/03/22(木) 22:19:52.18 ID:unWd8TsP
今号の文藝春秋に、千利休の末裔が、千利休が殺されたのは石田三成のせいだって書いていた。
300人間七七四年:2012/03/23(金) 00:53:38.01 ID:Vd0rDICZ
>>299
去年の糞大河を丸飲みしてんだろ
301人間七七四年:2012/03/23(金) 09:52:48.59 ID:67VlMYZM
だろうな。
有名人の子孫てロクなのがいねえw
302人間七七四年:2012/03/23(金) 14:16:23.76 ID:R+vs/RUi
長宗我部の子孫が書いたっていう「長宗我部」って本も、基礎資料が土佐物語というひどい本だったなw
303人間七七四年:2012/03/23(金) 14:46:15.55 ID:St9Hg4Zy
>>301
夏目漱石の外曾孫だかは酷かったなw
304人間七七四年:2012/03/23(金) 21:05:35.30 ID:L1xMOt9w
豊臣政権の戦犯は誰かと問われれば、秀吉が挙げられ他にはいないというのが最近の流れかな
305人間七七四年:2012/03/24(土) 00:05:24.00 ID:HllFMg8/
朝鮮の清正と関ヶ原の三成は何気に立場が似ているんだよね
やる気なし・敵とグルになるような連中に悩まされながら秀吉の命を守るため果敢に敵に突撃していくあたりが
三成だって大坂の許可も取らず現場判断で大垣城を放棄して関ヶ原に突っ走ったんだから清正を批判できる立場じゃないわな
本来なら性格的に似た者同士なんだけど対朝鮮・対家康の立場が逆だっただけだ
306人間七七四年:2012/03/24(土) 01:42:52.93 ID:VQ/NQuOx
輝元から大垣を出て戦うななんて指示があったなんて初耳だな。
307人間七七四年:2012/03/24(土) 13:23:00.00 ID:HllFMg8/
むしろ輝元から大垣を出て関ヶ原で戦えなんて指示があったことが初耳だな
308人間七七四年:2012/03/24(土) 15:05:13.11 ID:VQ/NQuOx
は?戦略的理由なんかで事前に「城を出て戦うな」などの指示がある場合はあるが、
それ以外は現場の状況に合わせて戦うのが基本なんだけど。
309人間七七四年:2012/03/24(土) 20:32:12.87 ID:3WaItu55
だからといってじゃあ周りに相談せずに勝手に行動していいわけではないし
少なくとも西軍の主力である毛利家に相談するべきだったろう
輝元がいなくても秀元や広家はいたわけだし
こういった行為が不信を招き結果的に西軍が負けた原因だと思う
310人間七七四年:2012/03/25(日) 01:41:35.54 ID:2QnUNeEA
>>308
三成が朝鮮でも武断派らに対してそういう態度でいたなら一貫性はあるが
自分が戦う時だけ現場の状況に合わせてでは単なる自分勝手でしかないということ
関ヶ原に勝とうが負けようが三成は自分が直前の戦役で強いた基準を自分で守れなかったのだから
加藤たちを非難できる立場じゃない
311人間七七四年:2012/03/25(日) 03:04:32.04 ID:b9rK49Zk
>>310
はぁ?自分たちが戦う時だけ?何言ってんの?
別に関ヶ原での行動について三成がそう主張してるだなんて言ってる訳じゃないぞ。
それともお前俺が三成だとでも思ってるのか?
あのな、城に篭って戦うのか、城を出て戦うのかなんてのは特別な理由があって
指示が出ているような場合でもなければ現場の判断で行うのは当たり前の行動なわけ。
「敵が目前にいるんですが、どうしましょう」だなんて一々遠くの総大将にお伺いを
立てながら戦うのがルールだとでも思ってるのか?
つーか、そんな例があるのなら是非提示して欲しいもんだが。
312人間七七四年:2012/03/25(日) 16:14:09.35 ID:boSddDYB
>>309
毛利キチガイ乙w
そもそもヘタレ毛利が大垣城への支援にビビって
福島らを避けて南宮山で引きこもり始めたのが原因だろw
あのままじゃ、備中高松城の清水宗治や
鳥取城の吉川経家みたいに
三成らが城兵の命と引き換えに切腹になるだろうがw
毛利には自分かわいさに盟友見殺し前歴あり過ぎだろwww
313人間七七四年:2012/03/25(日) 18:21:37.18 ID:Q94+6Hoq
毛利に何か恨みでもあるのかよ・・・
314人間七七四年:2012/03/25(日) 18:53:52.75 ID:0AzK3jhe
うん
駿河に追いやられたからな
315人間七七四年:2012/03/25(日) 21:49:40.88 ID:378uyLxN
毛利厨に連敗中だからだろ
316人間七七四年:2012/03/25(日) 22:10:17.99 ID:DfLjx6rL
>>299のコラム読んできた
秀長とともに朝鮮出兵を止めようとしたら三成に恨まれて陥れられたんだと

最近は利休切腹に三成が関わっていないという説が広まってるように思ってたけど
年配の人にとってはそうでもないんだろうか
317人間七七四年:2012/03/26(月) 01:58:59.17 ID:wtBtr/PF
子孫が書いてる本や記事はたいてい地雷。
318人間七七四年:2012/03/26(月) 19:56:50.21 ID:e0YjPSu9
>>317
子孫といっても、学者とか専門家とかじゃないからね。
ただ、子孫でないとしゃべれないようなネタもあったりするので、そこは
侮れない。『長宗我部』にしても、家に伝来している史料の話とかは
子孫ならではのものだと思うしね。
319人間七七四年:2012/03/28(水) 01:11:23.77 ID:3NZTPO7g
ねんがんのひこねへ行ったんだが
佐和山ってミステリースポット的な扱いなのかと思ったらそんなことないのな
パンフ用意されてるしなんか立派な案内板がぼこぼこあるし意外だった 
320人間七七四年:2012/03/28(水) 21:09:50.08 ID:s/TZm7py
↑近年、彦根市も石田人気にあやかって力を入れてる感じ
321人間七七四年:2012/03/28(水) 21:24:16.26 ID:s/TZm7py
結局井伊じゃ客呼べへんからな
彦根城はともかくな
322人間七七四年:2012/03/28(水) 22:58:39.87 ID:0XtRzQsn
立派な案内板?そんなの出来たのかw
323人間七七四年:2012/03/29(木) 11:02:05.89 ID:Mh5RRR5v
整備されて観光しやすくなるなら有難いけど変な天守建てたりするのは勘弁
324人間七七四年:2012/03/29(木) 17:08:51.58 ID:Dl/YR2C7
昔、一夜城とかいって佐和山城跡にでっかい城の絵がかかってたことあったなwww
325人間七七四年:2012/03/30(金) 14:26:35.12 ID:LNUmLPCa
彦根城のすぐ側だからいい加減な城を建てはしないだろうけど、へんに整備とかもして欲しくないな
当時の様子を再現出来るなら兎も角、登りやすくするための登山道作ったり公園にしたりはイヤだ
模型はご愛嬌だから何でもいいよ
326人間七七四年:2012/03/30(金) 18:58:25.18 ID:zWfHpDss
>>323
淡路島の洲本城は笑った
327人間七七四年:2012/03/31(土) 14:45:42.15 ID:gxtj/V21
それを言い出したら伏見城なんて…
場所も大きさも全然違う
遊園地の一部として作られたからなぁ
328人間七七四年:2012/03/31(土) 21:28:25.69 ID:fqHCCSoS
↑墨俣城の悪口はやめてもらおう
329人間七七四年:2012/04/04(水) 23:19:42.68 ID:djLcGeoi
佐和山は寺の私有地なんだっけ?
国の史跡指定はされてないのな
滋賀は史跡多いし無理もないのか
330人間七七四年:2012/04/05(木) 06:58:51.62 ID:10Ubj5FD
↑信長の安土城も寺の持ち物だよ
お金まで取るようになった
331人間七七四年:2012/04/05(木) 21:05:58.85 ID:QVclfvvO
>>285
>>まともな国ではないな
え?朝鮮がまともだった事って有史以来一度でもあった?
ちなみに中国のホワイトカラー間では家康の小説が人気らしい
332人間七七四年:2012/04/05(木) 21:41:21.33 ID:8VSbAx9I
>>330
城址で金とるんか?
333人間七七四年:2012/04/05(木) 21:49:55.84 ID:wb4dU7ge
見学者の通路とかなんやらとかなにかと維持費がかかるからな
荒れるまま放置しておくわけにはいかんし
334人間七七四年:2012/04/06(金) 00:10:34.29 ID:OFZiBZG6
荒城の月で有名な城跡も有料でつが何か。
335人間七七四年:2012/04/06(金) 19:19:15.06 ID:LM8EfvYp
>>330
せっかく行ったら門番みたいなのがいてお金とってたな、そこはやめて近くの安土城の天守閣が再現してあるとこ行った
336人間七七四年:2012/04/07(土) 08:44:09.62 ID:8c3/QpbF
>>335
とはいえそこまで行ったなら登った方がいい
かつて信長が見た光景を追体験できるよ
そういえば清洲城、岐阜城と江戸時代になって信長嫌いの家康に取り壊されていた城が近代になって復興してるのに安土城だけまだなしとは
滋賀県民として恥ずかしい
337人間七七四年:2012/04/07(土) 09:02:52.98 ID:R2Ps+p69
まるで日本人になりすましのチョンみたいな言い方だな(笑)
338人間七七四年:2012/04/07(土) 12:31:25.03 ID:y9pyEPOe
>>336
安土は模擬天守なんか作っちゃいかんだろ
339人間七七四年:2012/04/07(土) 14:21:10.83 ID:LUK4Dmn0
全国の城のほとんどが模擬だろうが
なんで安土だけがアカンわけ?
340人間七七四年:2012/04/07(土) 14:59:04.31 ID:ne61Mnbg
鉄筋コンクリートの城がいいのか?名古屋、清州と行ったけどガッカリだわ広島もだった
341人間七七四年:2012/04/07(土) 15:23:00.94 ID:OrdDtAS9
小さいことを気にするなよ
342 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/07(土) 22:30:13.99 ID:QC/XXMb6
4月10日発売の週刊日本の100人が三成さん
343人間七七四年:2012/04/09(月) 00:46:25.79 ID:dcy70peu
>>339
だって安土だぜ?
344人間七七四年:2012/04/10(火) 11:12:25.59 ID:1FtuzqAQ
日経の新聞小説酷いな
長浜市石田町を敵に回すと怖いぞw
345人間七七四年:2012/04/12(木) 01:33:30.66 ID:Jhrru+Rt
>>344
いまだに石田三成叩きで飯食ってる人間がいるのかって感じ(笑)
気にもしてないわ
346人間七七四年:2012/04/12(木) 06:15:35.86 ID:zqNGTpqA

石田三成の衆道相手では誰が一等著名なのですか?




347人間七七四年:2012/04/12(木) 06:18:51.60 ID:Jhrru+Rt
考えてみれば明治になっても石田三成の名誉は回復せず昭和になってようやく回復したって信じられんな
明治と言えば毛利島津が政権を握った時期だな
石田三成が名誉回復すれば毛利は叩かれるのであえて意図的に石田三成の名誉回復しないように手をまわしたといわざるを得ない
昭和と言えばようやく毛利島津の影響がかなり薄くなった時期
決して無関係でない
毛利にとって自業自得なのにね
348人間七七四年:2012/04/12(木) 10:10:07.26 ID:NYy+sPJY
石田の何を評価しろというのかよくわからん。
349人間七七四年:2012/04/12(木) 12:43:12.20 ID:D14eZ1E4
江戸時代に作られた悪評イメージがそれだけ強かったんじゃないかな
わざわざ名誉回復するメリットを感じる人(権力)もなかったんだろうし
歴史が物語から社会科学になってやっと正しく評価されたってことだろう
明治になって簡単に評判回復してたら忠臣奉国の良い宣伝材料にされてそうだから、遅くて良かったとも思う
350人間七七四年:2012/04/12(木) 15:18:19.85 ID:Ahz1TZS/
歴史とは勝ったほうが都合のいいように書き記すものですなあ
するってえと、三成が勝ってりゃ徳川とかもうボロカスに書かれてたんだろう
ってことは負けちゃダメってことだな 
351人間七七四年:2012/04/12(木) 16:31:36.81 ID:mM8+Ocqe
家康は勝ったが、その行いは後世粉飾不可能なまでの悪行三昧。
因縁つけまくり天下を取ったが
天下人としてあるまじきやり方だったことは否定できない。
家康の天下の取り方はむちゃくちゃだよw
動かなくても千姫の爺として、五大老筆頭として
采をふるえたのに強引なまでに天下を強奪してしまった。
352人間七七四年:2012/04/12(木) 16:41:31.35 ID:D14eZ1E4
それが物語
353人間七七四年:2012/04/12(木) 19:47:36.94 ID:Jhrru+Rt
>>351
平安時代における藤原家みたいな感じ
表向きは豊臣の天下だけど実質徳川みたいな感じ
ただ家康が死ねば徳川は廃れるのは間違いない
策謀家の三成だけに家康死後は徳川解体に陰謀の限りをつくしそう
まず秀康、秀忠を分裂させて、、、
354人間七七四年:2012/04/12(木) 19:51:06.26 ID:FLE4EWlX
勝った方が正義だからな、三成が天下獲った世の中も見てみたいな。現代は変わってるだろな
355人間七七四年:2012/04/12(木) 19:55:34.16 ID:gf2dHmCt
関ヶ原本戦で勝っても毛利上杉の二巨頭体制に
移行するだけじゃね?
356人間七七四年:2012/04/12(木) 20:01:05.30 ID:Ahz1TZS/
そういえば毛利輝元が大将になってたんだよな
三成と輝元のあいだでまたなにかあったのかも・・・
やっぱ家康が勝ってたほうが日本のためにはよかったか・・・
357人間七七四年:2012/04/12(木) 21:51:57.85 ID:Jhrru+Rt
>>355
仮に西軍が圧勝したとしていくら直江とは親友といってもいつか対立しそう
それが世の中
358人間七七四年:2012/04/12(木) 22:29:27.34 ID:YdBkqIf2
>>353
三成は策謀家じゃないだろ
ただ単にその場の思いつきで行動しているだけじゃね
西軍挙兵や人質の件や関ヶ原本戦も良く考えてやったとは見えない

>>354
三成を擁護している人間が三成が天下獲った世の中とか言ってるあたり
三成の事を忠義のために挙兵したのではなくただ自分の権力保持のために
挙兵したと認めたのも同然じゃね
359人間七七四年:2012/04/12(木) 22:40:19.38 ID:8ZTeZUPU
三成は自分が権力を持つことこそ豊臣への忠義と本気で考えている部分があるから
関ヶ原に限らず反対派をぶっ潰しに行くことは(本人の頭の中では)豊臣のためになる素晴らしいことになる
360人間七七四年:2012/04/13(金) 13:29:09.55 ID:zsJikULO
少なくとも三成には石田幕府を設立される意志はないだろう
あくまでもせいぜい摂政レベルで国を仕切ろうとしたまでだ
豊臣を頂点に出来れば大名というカテゴリーを取っ払って極めて中央制限的な政治を目指した感じがする
もちろん仮に関ヶ原で圧勝しても彼の思いどおりに事は運ばないだろうがな
毛利島津あたりが徹底的に味方しなかったのは三成のそういう部分を恐れたかも知れない
361人間七七四年:2012/04/14(土) 00:00:04.90 ID:PZnTR+GB
>>351
後世粉飾不可能なまでの悪行三昧をしたのは秀吉だろ
秀吉の行為が天下人としてあるまじきやり方だったことは否定できない
朝鮮を攻めなくても日本の天下人として、秀次を消さなくても関白一族として
采をふるえたのに強引なまでに天下を破壊してしまった
もちろん秀吉を幇助していた三成の罪も許されるものではなかった
家康は秀吉の尻拭いをさせられた被害者でしかない
362人間七七四年:2012/04/14(土) 06:06:48.96 ID:5J3S7Vqr
三成は秀吉のしりぬぐいをさせられた
だろ
家康はただの火事場泥棒
朝鮮からの撤退も石田たちが指揮したし
頭のない(ずるがしこいだけ)家康にそんな芸等はできない
363人間七七四年:2012/04/14(土) 08:37:30.87 ID:VCjeg8QS
勝った側の作った歴史より、負けた側の主張する歴史のほうがはるかに胡散臭いわな。
客観性一切無く言い訳と自己正当化ばかり。
364人間七七四年:2012/04/14(土) 09:40:58.23 ID:brjE7fjg
秀吉死後に三成が出てきたんなら三成がただの尻拭いで間違いないが実際は秀吉政権成立前から支え続けてる訳で共犯が主犯が死んだから責任の一部被っただけだろ
>>362
火事場泥棒だろうがズル賢いだけだろうが自分に与えられた状況を利用して最大限の利益を獲得した家康は有能
365人間七七四年:2012/04/14(土) 09:56:52.57 ID:VCjeg8QS
そもそも火事場泥棒の手k着を間違ってるからな>>362は。

実際には火事場泥棒をしようとしたのが三成で、それを成敗したのが家康だ。
366人間七七四年:2012/04/14(土) 12:31:44.88 ID:PZnTR+GB
>>362
朝鮮からの完全撤退は秀吉の名声を傷つけることになるため
たとえ秀吉が死んでも三成たちだけでは実行不可能だった
そこで秀吉の名声なんて無視して行動できる人間として家康が必要になり
家康が朝鮮からの完全撤退を提案して他の大老・奉行が追従する形で撤退が行われた
だから朝鮮からの撤退は家康の功績であって三成の功績ではない
367人間七七四年:2012/04/14(土) 12:51:30.73 ID:Y3O1nVNS
秀次事件なんて、自分の実力を過信して対立して結果殺されたってだけの話じゃねーかw
信康事件と一緒。悪行三昧とか頭が悪いにも程がある。
368人間七七四年:2012/04/14(土) 14:48:27.04 ID:A11Cl47u
毛利厨ってやっぱりキチガイだなw
輝元擁護するために
三成を貶す思考パターンは変わらないんだなwww
369人間七七四年:2012/04/14(土) 15:59:19.74 ID:VCjeg8QS
与謝野馨氏 関ヶ原で石田三成敗北は囲碁やらなかったから
http://www.news-postseven.com/archives/20120414_101399.html
370人間七七四年:2012/04/14(土) 17:29:41.67 ID:brjE7fjg
構図は似てても結果も後の影響も全く違うからなあ信康事件と秀次事件
数少ない親類であり有力な味方だった秀次家を文字通り根絶やししたことによる豊臣家の弱体化
後継者秀次の為に秀吉自身が付けた筈の秀次配下の文官、役人の処刑にゆる豊臣政権の弱体化
東軍を構成した大名の多くはかつての秀次派だし
371人間七七四年:2012/04/14(土) 18:12:02.52 ID:Y3O1nVNS
秀次残したまま死んだときの結果も分からないのに完全な結果論でしかないな。
つーか、一体誰が結果や影響の話したんだよ。頭大丈夫か?
372人間七七四年:2012/04/15(日) 02:14:22.63 ID:CV3S57gb
秀頼に後を継がせたいがために秀次の死だけで収められそうな問題を無理矢理拡大して妻子から家臣にいたるまでぶっ殺した事はまさに悪行ですね
一方、家康は長男と正室だけを殺し後はイビりと加増ケチりで済ませた
373人間七七四年:2012/04/15(日) 02:29:12.72 ID:Hc6Dkf2H
本人と妻だけなら悪行じゃなくて、他の人間殺したら悪行なのか?スゲー理屈だなw
秀次は他大名と個人的な繋がりを持って自身の権力強化に努めた訳で、
秀吉が自分の死後、その影響力をなるべく排除したいと考えるのは自然な考えだ。
現当主の処分というのは秀吉にとってもそれだけリスクがあったという事。
悪行だとか頭の悪い事言ってないで、当時の状況を良く理解した方が良い。
374人間七七四年:2012/04/15(日) 04:02:35.00 ID:PhXL0IGN
>イビりとケチリ
この家康魂は現在まで日本人に流れてるよな
375人間七七四年:2012/04/15(日) 09:17:28.94 ID:CV3S57gb
>>373
家康のしたことは悪行じゃないとは言って無いんだけど?規模が違うよねって話
影響力?秀次とその男児が死んで秀次家を断絶させれば影響力も糞も無いがな
側室も政権を支えた文官、役人達も殺す理由にはならない
376人間七七四年:2012/04/15(日) 14:13:40.54 ID:Hc6Dkf2H
>>375
> 家康のしたことは悪行じゃないとは言って無いんだけど?規模が違うよねって話
お前、>>372で秀吉のは「まさに悪行」で、対して「一方、家康は」って否定してんじゃねーか。
で、何?規模が違うと何なの?
秀吉は悪行で家康はちょっと悪行って言いたいの?w
「謀反」で処分された人間の家臣でその処分に異議を唱えた者や
関係を持とうとした大名との繋がりである側室を残しても影響が全く無いとかお目出度いな。
377人間七七四年:2012/04/15(日) 17:36:43.30 ID:ItPF/cKG
つーかさあ、そもそも信康事件の実態は未だに謎なんだが。
徳川家の事情というのもあくまで仮説にすぎん。
信長の強要という線も全く否定されたわけではない(というか織田家圧力の否定論の根拠が
信長公記の時点でw)

なので信康事件に関して、思い込み前提で議論進めるのはどうかと思うぞ。
378人間七七四年:2012/04/15(日) 18:16:50.11 ID:Hc6Dkf2H
そら三河物語よりは当代記や信長公記の方が信用できるわな
379人間七七四年:2012/04/15(日) 19:14:10.78 ID:ItPF/cKG
三河物語に嘘だらけと言われた信長公記を、信用できると言われても
380人間七七四年:2012/04/15(日) 19:24:22.75 ID:6DMKcjLX
そういう返しってだがのように自説の信頼性を下げるだけ
381人間七七四年:2012/04/15(日) 20:01:27.45 ID:Hc6Dkf2H
>>379
それは甫庵の信長記
382人間七七四年:2012/04/19(木) 18:51:40.18 ID:McY9FLgr
>>381
>>甫庵の信長記
そんな但書きは無い。
信長公記盲狂信者が泣きながらそう主張してるだけ。

大久保は世に出回ってる信長記は捏造だらけと言ってるだけ。
あの信長記は間違ってないとか書いてないのだから
太田の信長記も当然含まれる。
383人間七七四年:2012/04/19(木) 19:50:34.42 ID:Euor2ZgY
なけなしの知識で当時10歳だった大久保が志賀の陣を書いて
その後唐突に「そういえば今信長記って流行ってるけどあれ嘘っぱちだよね」と話し出すアレですか
384人間七七四年:2012/04/19(木) 19:58:34.90 ID:ozqURuq1
徳川には元織田家も山ほどいるんだから、その連中からいくらでも取材できるだろ。
385人間七七四年:2012/04/21(土) 14:12:52.74 ID:PKko6Dz2
秀吉や秀次の政治に関しては、いまだ大半が軍記からの想像でしょ。
例えば秀次の不行跡は記録が『多聞院日記』や『兼見卿記』にあるあると
2ちゃんで書かれてても実際に調べると
秀次の罪状に関する公家や朝廷の公式な記録は何一つない。

『大かうさまぐんきのうち』の比叡山狩猟の件も信用できない。

文禄2年(1593)の6月8日に女人禁制の比叡山に女人を引き連れ、殺生禁断の地で狩を行い、
止めようとした僧たちの塩酢の器の中に獲った鹿肉を入れたとあるが、

山科言経の日記『言経卿記』では、
秀次はその日に山科らと聚楽第の山里で琵琶法師の平家物語を聞いてる。
(山里町という山里茶亭を由来とする町名があることからおそらく聚楽第の茶亭)
つか、仮に山里が聚楽第でなかったとしてもそういう事実があれば
山科言経が日記に残してない方がおかしい。
秀次の母親の日秀が秀次供養するために建てた瑞龍寺に
村雲の寺地と「瑞龍寺」の寺号、寺領1000石を与えたのは他でもない後陽成天皇だぜ。
そんな不道徳なことを本当にやってたら天皇がわざわざそんなことをするはずがない。

秀次が「殺生関白」と呼ばれてるのは、『大かうさまくんきのうち』が、
正親町天皇の諒闇中なのに狩りをした秀次を批判する京童の落首を引用しているが初出だよ。
庶民を虐殺したから「殺生関白」と呼ばれてるわけではありません。
しかしこの落書も同時期の記録にその落首が残ってないから信憑性を疑われてる。

【信長公記】の著者である【太田牛一(秀頼に仕えていた)】がデッチあげてデタラメを並べて秀次を悪く書いてるだけ。
三河物語で大久保から信長記はデタラメと叩かれた著者の太田は金をもらって捏造する売文家です。
しかし織田チョンは、あれは太田牛一が書いた信長記だけは除いて批判したものに違いないと
なんら根拠なく妄言を吐く朝鮮脳で白昼夢を主張するキチガイ
逆に川角太閤記では秀次に落ち度はなく、秀吉が老いて耄碌して三成の讒言を真に受けて
秀次を殺したと正反対の内容を書いているなど、所属する立場や思想信条から相手を悪く書く対立が見え
とても史実とは思えないデタラメが横行してます。
(実際には秀吉が耄碌していたとは思えませんし、讒言をしたとする三成の介入も一次史料から証明できません)
ちなみに謀反人の場合は斬首であり、自刃のような自害による名誉を守る行為は許されません。
つまり秀次は名誉の死であり、これを自ら選択したのであれば、恨み腹で秀吉一族に怨念をかけたことになります。
秀吉や秀次の政治に関しては、相手を中傷するために落書など平気でデッチあげてます。
386人間七七四年:2012/04/21(土) 14:13:17.77 ID:PKko6Dz2
漁夫の利を得た利家の陰謀と考えるのが一番分かりやすいです。

南部根元記には秀次が奥州の仕置きを終えたので平泉を見た
そして最上へ向かい義光がもてなし奉り息女いこまの方を秀次公に参らせる
と書いていてその記述には平泉に寄っているなど書かれており
後世の研究調査から平泉中尊寺には秀次軍令書などの文書が納められていることが発見され
秀次の平泉訪問も事実と確定され南部根元記の記述が極めて事実に基づかれているとされた。
そのため義光の方から進んで駒姫を秀次に差し出したのも極めて事実に近いとされる(伊達成実記とも合致する)
南部は秀吉からの武装解除の一環としての一国一城の破却令により天正20年6月に
領内48城中→破却36城の上で存置12城が許されたとされる。
戸沢は角館の1城のみを残して33城を城破りをしているため南部は破格の待遇である。
前田や蒲生と入魂していたからであろうか。利家は氏郷亡きのちの蒲生家存続にも尽力して
秀次・利家・蒲生・南部・浅野らが日本海から奥羽に影響力を行使しているのがわかる。
そして利家や氏郷らは南部と組んで津軽や安東を田舎者と名護屋陣でいじめていた。
のちに困り果てた津軽の働きかけで親しくなるように浅野が仲介してきたが拒否し
前田などが津軽を辱めたので浅野なども津軽に関して何も言わなくなったと記している。
前田家文書には秀吉→関白宛の文録元年5/18に
来年正月の2月頃に3万を率いて兵庫より乗船し秀次が朝鮮へ渡海する命令がある。
南部信直→織笠但馬守に年不詳9/20で秀次公来年高麗国へ出陣。暦明け候はば上洛と記され
南部も前田騎下として秀次とともに朝鮮へ行く予定だった。
どうやら何らかのこともあって秀次&前田&南部の朝鮮渡海は中止となったようだ。
秀次と親しくなることで朝鮮渡海しないで済むような状況があったのだろうか。
ちなみに黒田如水が朝鮮出兵を自ら申し出るように秀次に忠告したと言う。
文禄4年7月秀次自害と同じ頃、津軽が浅利を支援し戦闘開始されており
安東は進退に窮していると知らせがあり、また最上の小野寺侵略の岩崎合戦が開始される。
伊達と最上が秀次と共謀の罪があるとされたので、世上暗澹なこともあり信直は娘が
安東実季の弟に嫁ぐ予定だったが(利家斡旋らしい)安東から連絡もないし延期した方がいいとしている
このことから当時の奥羽がかなりの混乱下にあり秀次との謀反連動の疑いが強い。
(秀次は伊達や毛利に大金を貸していた。また利家も伊達に金を貸している)
奥南旧指録附載には南部利直は前田&浅野と先代以来親しかったので東軍の立場を鮮明し
最上に加勢したが領内和賀一揆のために最上出羽守に相断り帰陣し一揆を討ったと記されている。
利家は柴田を見捨てただけでなく、親しかった秀次をまったく弁護せず死刑を放置
(その時期の利家は京にいて早世した娘の与免と婚約者だった浅野幸長ばかり擁護、家康は江戸にいた)
利長は姉妹の豪のダンナである秀家を見捨てるなど
有軍を裏切って肥え太る術だけで加賀百万石を築いた天下一の泥棒大名。
ちなみに利家夫妻はお拾いと秀次娘の婚姻仲人に決められていたし
秀次が死んだ後、利家は秀次と親しかったこともあり秀次の伏見の邸宅を貰い、秀次の家臣の一部も併合してる。
利家は秀次の死によって秀頼後見役にのし上って、秀吉亡きのちは事実上の天下人になっていた。
387人間七七四年:2012/04/21(土) 21:39:13.01 ID:9wyGR1jl
スレ汚すな うせろ
388人間七七四年:2012/04/27(金) 18:16:04.37 ID:cnMf2CAD
利家って秀吉の大親友というだけで大大名にしてもらった小物
そもそも秀吉の天下とりに大きく貢献した黒田がたった中津数万石という事を考えれば利家にあきらかにやりすぎ
389人間七七四年:2012/04/27(金) 18:36:29.40 ID:y6NPW9uw
まあ秀吉の親友ってのも後付け設定だけどな。
390人間七七四年:2012/04/27(金) 18:55:55.32 ID:9ZvygNXA
利家の寝返りはおっきかったと思われ
391人間七七四年:2012/04/27(金) 19:58:53.20 ID:R3E9GJ/y
官僚がどんなに実務をこなそうが功績は代議士先生の物
392人間七七四年:2012/05/04(金) 16:22:06.90 ID:6lDLovdt
>>389
前田は秀吉の無二の大親友というのは間違いない
もっとも秀吉が天下取ろうかという事になってから前田は完全に秀吉に取り入ろうとした感じだけどね
前田て実はたいした武功なんかないんじゃねえのかな
槍の又三とか言われてたけどただと槍働きだけで出世できるもんじゃないしな
せいぜい山内や堀尾や田中レベル
80万近くなんて明らかにやりすぎ
その結果があれとは秀吉も見る目ない
393人間七七四年:2012/05/04(金) 16:29:48.60 ID:AYz/tMhP
前田なんかに大領やるくらいなら蜂須賀や前野あたりの尾張時代からの譜代にやりゃよかったのにな
394人間七七四年:2012/05/04(金) 16:32:39.56 ID:GaGL5wUB
>>392
まちがいない言われても、証拠がないがな。
真偽不明の家が近所でした、くらいの話しか。
395人間七七四年:2012/05/10(木) 14:45:31.47 ID:rsWCUM/T
>>394 自分の娘(豪姫)養女にくれてやったり色々あるだろ
396人間七七四年:2012/05/11(金) 21:58:38.71 ID:XNRw3cok
秀次事件は三成も秀次は無罪だと主張したとか言われてる時あるけど
その場合前野みたいに自殺させられなかったのってなんで?
397人間七七四年:2012/05/12(土) 01:58:54.21 ID:+EvAnCCm
アンチ豊臣スレ、アンチ三成スレと化している・・・↓
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1255151293/
398人間七七四年:2012/05/18(金) 21:37:30.03 ID:WSO4mNCC
三成はとくに手柄もないのに口先だけで出世した嫌われ者
卑怯な方法で多くの人を蹴落としていたのだろう
そんなやつがリーダーじゃ敵の2倍3倍の戦力でも負ける
399人間七七四年:2012/05/19(土) 20:41:13.48 ID:QgkJ8RYY
まあ評価はできないよな、負け男だし。

でも好きだぜ。
400人間七七四年:2012/05/21(月) 19:30:33.10 ID:nYtPZ6CB
>>398
さりなクズ野郎
三成公の半分の脳もないだろ
401人間七七四年:2012/05/23(水) 20:56:21.07 ID:uOFjeZwl
三成が挙兵しなければ、家康の専横は続けど、秀頼個人はもう少し長生きできた
402人間七七四年:2012/05/24(木) 22:24:06.83 ID:KNZGcNPB
伏見城跡に行ってきた
本丸に明治天皇陵が作られてるから治部少丸あたりも立ち入り禁止で木が生い茂ってた
付近の道から伏見の町が見下ろせる場所があって木がなかった当時は伏見の町が一望できたと思われ
ここで秀吉最後の勤めをしてたんだなーと感慨に耽っていたが
よく考えたら関ヶ原の時には自分で攻めて焼いたんだよな
直接攻め手の中にいたわけじゃないけど
やっぱ戦国武将ってのは激しいもんだ

豊公伏見城之図っていう大名屋敷の地図を買ってみたら
治部少丸の他に石田治部少輔邸が二つもあった
403人間七七四年:2012/05/26(土) 18:31:55.17 ID:faJvUfK2
細川家は豊臣政権下で羽柴を名乗っていた。
大坂陣ののちに家康から羽柴姓は止めろよと言われたらしく
元和3年には羽柴姓を名乗らなくなった。
つまり豊臣政権の権威は大坂落城まで存続し、
豊臣恩顧大名に家康は羽柴姓を止めさせることができなかった。
404人間七七四年:2012/05/26(土) 18:33:02.01 ID:faJvUfK2
これも三成の威徳と奮戦ゆえだろう。
405人間七七四年:2012/05/26(土) 18:55:59.92 ID:UBUMVVuC
えっ
406人間七七四年:2012/05/26(土) 21:41:12.02 ID:qcKWgzVz
石田三成が東軍に寝返ったら
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1338013450/
407人間七七四年:2012/05/28(月) 20:17:11.06 ID:6OdFZsLU
群雲、関ヶ原へ
が、面白い。
しかし、上杉景勝を、評価しすぎな、きらいがあるな。
実際、景勝って有能な人物だったのかな??
408人間七七四年:2012/05/28(月) 20:19:10.79 ID:hPwzDujF
無能じゃないけどめちゃめちゃ有能ってほどでも。基本ひきこもり体質だし、家中の構造改革を行えたのは
関ヶ原後だし。
409人間七七四年:2012/05/29(火) 00:01:31.49 ID:aa6+VWys
天下を狙う何人かに比べなければ十分に有能だろ
410人間七七四年:2012/05/29(火) 07:44:28.83 ID:53LKSf1K
上杉景勝は愚直だと本で書かれてたけどね。
毛利輝元は、凡庸だと。
411人間七七四年:2012/05/29(火) 10:13:34.04 ID:9cs+jb4o
景勝は本能寺とか会津征伐とか幸運としか言いようがない生き残り方をしているな
412人間七七四年:2012/05/29(火) 12:40:34.16 ID:bYJBMVeL
本能寺は幸運だったけど
そこまでの状況でいえば御館の乱で家中二分&武田北条伊達芦名がこぞって敵方で国内に出兵
その後天正8年中ごろまで内戦が続いて新発田が放棄
同時にこの隙に北陸に9倍もの圧倒的大軍で迫りくる織田に対して越中中部で2年も食い止め
と十分敢闘してるから死線につぐ死線を自力で克服した普通に名将
413人間七七四年:2012/05/29(火) 23:05:56.66 ID:HglBl3Rg
上杉景勝は本人が書いた書状を読むと
伝承と違って頭のいい人だったんだろうなという印象を受ける

三成は字が汚い
414人間七七四年:2012/05/30(水) 00:47:10.27 ID:NRsUL2X2
汚いというより雑
今でも多く文字を書く人にありがち(最近は事情が変わってきてるか…)
415人間七七四年:2012/05/30(水) 00:59:43.93 ID:NRsUL2X2
連投ゴメン
『群雲、関ヶ原へ』は面白いよね
景勝が殆どしゃべらないのにやたらカッコいいし関ヶ原の描写も秀逸
図書館で借りて読んだけど再販しないかな
416人間七七四年:2012/05/30(水) 05:11:32.68 ID:L6yPSIeS
>>414
三成は家康以上に莫大な量の書状を書いてるとおもう
関ヶ原の敗戦でほとんどすてられたとおもうけどね
なにしろ真田が石田の書状をスパイに見られないように常に家臣たちに寝ずの番をはらしてまで守ったというくらいだから他の大名はことごとく捨てたと思う
上杉ですらね
そういうわけで歴史というのは公平に評価されていないと思う
家康は莫大な書状をだしたから勝てた
逆に石田はあまり書状をおくらなかったから負けた
その説は誤りだろ
417人間七七四年:2012/05/30(水) 06:59:04.84 ID:4pMcy+Lb
つーか

> 家康は莫大な書状をだしたから勝てた
> 逆に石田はあまり書状をおくらなかったから負けた

そんな説あるの?聞いたこと無い。
418人間七七四年:2012/05/30(水) 08:40:38.82 ID:W/PIHf93
>>416
ならなんで負けたの
だいたいこれって416の憶測だろ
それにこの話は家康が三成より倍近く書状をだしたから勝てた話だろ
言い換えれば家康の半分くらいの量の三成の書状は残されたわけじゃん
中には都合の悪いものは捨てられているかもしれないけど
ほとんど捨てられたのは間違いだろ
419人間七七四年:2012/05/30(水) 09:12:34.31 ID:4pMcy+Lb
なんで負けたかって言えば、そもそも秀吉から政務を委託された正当な大老であり、豊臣家を蔑ろにしていたわけでもない
家康を討つことには大義名分が少なく、家康が会津討伐に向かうため畿内を離れたというチャンスに機械的に
反応してしまい、自陣営の体制を構築する前に挙兵してしまったこと。

実態としては、明智光秀の本能寺の挙兵に近いものがあった。
会津征伐に飛びつかず、もっとじっくりと待つ必要があったと思うよ。勿論その場合は家康も着々と体制がためをしてくるが、
そこは政治力の勝負だ。
むしろ政治力の勝負を諦めたために関ヶ原がおこったとも言える。
420人間七七四年:2012/05/30(水) 10:03:23.12 ID:V9/oIxDE
上杉見捨てたらその時点でアウトだと思うが
421人間七七四年:2012/05/30(水) 11:56:48.78 ID:R6ttlPAp
その辺を調べているが、東軍に対して三奉行や輝元は悲観的過ぎ、三成は楽観的過ぎる
422人間七七四年:2012/05/30(水) 12:05:49.76 ID:i1/wZ5wd
別に家康は関白になる気はないのだから放っておけばいいんだよ
関白になりたければ秀頼本人が朝廷に参内して自分が天皇を補佐で切る立派な人間であると証明すればいいだけのこと
秀頼が関白になれなかったのは大坂に引き篭もり関白に必要な朝廷参内をやらなかったからであって
あくまで責任は秀頼自身にあり家康にはない
関ヶ原も大坂の陣も秀頼の資質を棚に上げて関白を失ったことを家康に責任転嫁したため発生した無意味な戦だった
423人間七七四年:2012/05/30(水) 23:42:35.50 ID:/wxBmbgK
まあどうでもいい話だが
この時代で弟の方が高給ってのはお兄ちゃんとしてはどういう気分なんだろうな?
(豊臣さん家なら別に珍しくないのかな〜
424人間七七四年:2012/05/31(木) 01:31:00.71 ID:WyxadVXi
この流れで思い出したが三成はなぜ景勝に
「景勝様」と諱ド直球&様付けで宛て書きするのかが凄く気になった。
しかも直江を通さずに景勝直宛で書状送るなよ。
よっぽど仲が良かったのか…
425人間七七四年:2012/05/31(木) 02:07:26.67 ID:p4rglDWb
>>423
当時は長子相続は崩れてたし儒教も広まってないんじゃなかったっけ?
江戸以降の影響が残ってる現代日本ほど気にしてなかったのでは(もしかして宇宙兄弟?)

>>424
その書状について詳しく教えてくだされ
426人間七七四年:2012/05/31(木) 05:45:15.78 ID:NNSJLX5s
もし小山で福島が西につくと公言してたら家康唖然だったな
石田と徳川どちらについても恨みはしないと公言してたから無理に引き止められないし
福島に同調する大名も多くいそう
ほんま福島は単細胞だわ
そんなに石田が憎ければ徳川滅ぼしてからでも遅くないだろうに
427人間七七四年:2012/05/31(木) 05:48:33.64 ID:NNSJLX5s
>>423
石田ブラザーズの事?
元々三成をスカウトしたら三成が私のお兄さんも仕事できますよって秀吉に進言しただけだろ
兄はおまけ
仕事できたから堺奉行をまかさせられたからよほど有能だったんだろうけど
428人間七七四年:2012/05/31(木) 09:44:46.76 ID:UItZOQ6r
>>426
だから小山評定前から家康は正則に対して調略をしていました
429人間七七四年:2012/05/31(木) 10:30:44.01 ID:NNSJLX5s
>>428
あの単細胞の事だから急に心変わりする可能性も否定できなかったよね
430人間七七四年:2012/05/31(木) 10:33:56.93 ID:UItZOQ6r
>>429
正則が単細胞ならそうでしょうな
431人間七七四年:2012/05/31(木) 11:53:07.39 ID:ledDlWY9
>>426
憎いとか以前に福島が西についたところで尾張まで補給も援軍も来ないから
福島もプロの軍人としてそういう状況はきちんと理解しているので
何の支援もない西について孤立死するなんて論外でしょ
秀信は戦の素人だからそれを理解できずに西について孤立無援になってボコボコにされてしまった
432人間七七四年:2012/05/31(木) 14:01:31.72 ID:pJanUdKw
小山の時点で、石田の味方をしなければいけない理由が皆無。
石田が豊臣を代表するものではない。
433人間七七四年:2012/05/31(木) 14:07:10.04 ID:pJanUdKw
小山の時点で、石田の味方をしなければいけない理由が皆無。
石田が豊臣を代表するものではない。
434人間七七四年:2012/05/31(木) 19:25:12.20 ID:Pm6DDhDL
単細胞ってどっちかというと石田に当てはまる言葉という気がするわ
435人間七七四年:2012/05/31(木) 20:45:19.34 ID:NNSJLX5s
↑てっ単細胞のくず野郎が言ってます
436人間七七四年:2012/05/31(木) 21:39:09.68 ID:G2kbsDLn
地元の国友鍛冶屋が家康の大砲製造w
437人間七七四年:2012/05/31(木) 23:45:16.20 ID:WyxadVXi
>>425
どれ、と言われても上杉家文書に三成が上杉家送った書状は
複数収録されてるから見てみたらいい
三成→景勝は「景勝様」と書いてるから相当浮いてる
石田増田の上杉家担当コンビの連判状もいくつかあるが
長盛単独で「景勝様」と書いてるのは一枚だけ
三成はかなり初期のころから「景勝様」と書いてるから超違和感
438人間七七四年:2012/06/01(金) 03:16:17.90 ID:eNvCORoZ
>>437
ありがとう探してみる
直江すっ飛ばしてるのは興味深いな
439人間七七四年:2012/06/01(金) 07:03:39.76 ID:uFq3eUmI
>>436
三成側にはそれ以上の大砲、鉄砲を供給している
商売とはいえ三成に相当な援助してもらっていながら道理に反するけどな
一応家康は正規軍だから仕方ないかも
440人間七七四年:2012/06/02(土) 01:13:04.15 ID:abvKO7pd
>>434
全体の状況を観て、
「常に勝ち馬に乗る」とか、
「強い人の顔色ばかり気にして機嫌を取る」なんて、
目先のカネにしか興味が沸かないタイプには、

三成の価値観は理解しづらいw


三成は自分が世話になった人間を裏切れない人間で、
「戦国の勢力争い」を考えても、
不利だろうが、「恩義や縁を捨てるような行動はしたくないし、嫌い」なんだろう。

そういう不器用な筋道の通し方、行動に、
共感を得ていたから、追随していった勢力も在ったはず。
毛利を大将にして天下を二分するなんてほどの、
味方を集めるのが、
40ソコソコの男に出来たんだから、
偏屈な男だろうがなんだろうが、
共感を得ていた筈なんだよw

「世話になった人間を裏切ってまで、、、」って考えは、

家康の統治の「邪魔」でしかない。
だから、三成の評価は低く見積もってしか残せなかった。
441人間七七四年:2012/06/02(土) 01:28:56.78 ID:MqdqJvpA
> 三成は自分が世話になった人間を裏切れない人間で、

浅野長政「へー」
442人間七七四年:2012/06/02(土) 02:47:40.82 ID:C9rQBMpB
結局やったことは豊臣の寿命を縮めただけだったけどなw
443人間七七四年:2012/06/02(土) 07:08:15.62 ID:/nZ19j6W
関ヶ原の敗戦で徳川の天下を確定させてしまったわけで。
主家を巻き込んで大博打を打った三成を高く評価なんて出来るわけない。
444人間七七四年:2012/06/02(土) 09:38:57.29 ID:z0rdoP93
>>440
>三成は自分が世話になった人間を裏切れない人間
七将に襲撃された時に保護してくれた人間を殺そうとしているのにか

>恩義や縁を捨てるような行動はしたくないし、嫌い
人質をとって自分の味方になるように脅迫しようとしていたのにか

>共感を得ていた筈なんだよ
大半の武将は従わないと殺されるから仕方なく味方になっただけ

そもそも毛利を大将にできたのは恵瓊さんのおかげ
その恵瓊さんは別に三成のために行動したわけではないし
445人間七七四年:2012/06/02(土) 09:56:46.28 ID:GEqIVFT4
保護はしてないだろ
家康の事だろ?
仲裁はしたんだろうが、その代わり隠居迫られてるし
446人間七七四年:2012/06/02(土) 09:59:12.10 ID:6ZEqH5Ka
>>419
またキチガイ毛利チョンの捏造か。
合議で政権運営する約束を破って
前田や上杉を謀反人に仕立て上げ
島津や毛利や宇喜多らの家中の争いを喜び
北政所を大坂から追放し
勝手に大名へ加増を加えるなど
専制独裁者そのものの家康を
ムリヤリ擁護www
447人間七七四年:2012/06/02(土) 10:29:24.78 ID:MqdqJvpA
>>446
お前は無知で馬鹿で勉強したことないから知らないんだろうけど、
そもそも合議の結果何かを決定するのは家康の役割だし、
前田は豊臣家にすら無断帰国したのだから謀反を疑われて当然だし
上杉も穏便に処理しようとした家康の提案を蹴って、武装して割拠状態になったのでこれも謀反とされて当然
島津や毛利や宇喜多の家中の争いを喜んだ?そんな証拠は一切ない。というか介入すら最低限だ。
北政所にいたっては自分から西の丸を家康に譲ってるし
大名への加増は三成ら奉行衆もそれこそ「合意」してる

アホ向けの小説だけの知識だと、こうやって恥をかくんだよ?気をつけようね
448人間七七四年:2012/06/02(土) 10:29:36.65 ID:/NkdIgxC
>>446
大教祖司馬によるとウンコたれ狸は人真似で天下盗んだゴミだそうな。手本にした秀吉が天才だったのが三成の運のつきだったな。
449人間七七四年:2012/06/02(土) 11:44:13.16 ID:RdfaT6Ll
>>446
ついさっきまで秀吉という専制独裁者が君臨していた政権において
合議を破った専制独裁者という非難そのものが馴染まないんだよ
秀吉自身は一度も合議による政権運営なんてしたことがないから
普通の大名からすれば誰も見たことがない体験したことがないものを破ったと言われてもピンとこない
それに三成の家康批判は一歩間違えれば秀吉批判にも取られかねない危険な主張だ
三成が家康に名前を変えて秀吉の専制独裁を批判していると受け取れば豊臣のため三成を討伐することに何も問題はない
450人間七七四年:2012/06/03(日) 01:28:07.84 ID:E28JA7uK
>>449
>>446

合議制で行うことを大事にするように、
秀吉の生前から言われていたよな。
決裂はあり得るから仕方ないが、

家康は明らかな禁止事項を破っていたよw
禁止されている行為を犯していて、

論議の余地は無いわけだ。

養子で姻戚関係を結ぶなとされていた筈。

周囲の人間は家康の顔色を伺って、非難しない輩ばかりだったが、
三成は非難した。
451人間七七四年:2012/06/03(日) 01:32:48.87 ID:P4o9dyjQ
>>450
> 家康は明らかな禁止事項を破っていたよw
> 禁止されている行為を犯していて、

何を禁止されてて、何を破っていたのかきちんと説明してくれないかな?
まあ司馬遼太郎程度の知識しかないお前の思い込みだけの話だろうけどさw
452人間七七四年:2012/06/03(日) 05:37:33.35 ID:hvaYVqck
>>447
素晴らしい徳川史観(笑)
まさに勝利者によって作られた歴史を鵜呑みにしてるわけだな
453人間七七四年:2012/06/03(日) 05:46:57.92 ID:TNSQXuXa
>>451 >>452
いつも仲が良くて結構だが、ののしり愛は他所でやってくれよ
これだから年寄りは…
454人間七七四年:2012/06/03(日) 07:42:46.44 ID:P4o9dyjQ
>>452
勝者によって作られた歴史というと、薩長の作った徳川暗黒史観のことですね。
洗脳されてる人間って、自分が洗脳されていることに気が付かないんだなあ。キミみたいにw
455人間七七四年:2012/06/03(日) 07:52:40.20 ID:Y+ltBNWP
レッテル貼るのに気が済んだらさっさと説明してあげたらどうだ?
456人間七七四年:2012/06/03(日) 09:10:07.34 ID:kVlZXyqr
実際、内府たかいの条々で
家康の背信を13条に渡って
列挙しまくってるからなw
それに対して家康は言い訳や反論すらできずに
沈黙してるのが現実w
457人間七七四年:2012/06/03(日) 10:01:08.44 ID:NfGuZePj
>>456
謀反人の言い分など鼻紙でポイですよ
458人間七七四年:2012/06/03(日) 11:39:59.86 ID:9u/UeMOR
謀反人達に反論して、同じ土俵に上がる必要はないしな。
この場合、沈黙は金。結果は歴史が証明してる。
459人間七七四年:2012/06/03(日) 11:48:02.19 ID:fmLz3RpE
>>456
言い訳も反論も必要ないよ
三成に家族を人質に取られて脅迫されている状況にもかかわらず多くの大名が家康に協力し
小早川・吉川・脇坂・京極など三成から直接脅迫を受けていた連中さえ家康側について反対多数で否決したことが全て
これによって西軍の主張がデタラメであることが証明された
だいたい日本に帰りたいから偽講和で豊臣を明や朝鮮の家臣にしようとした連中が他人の背信を主張するなんてギャグにもならないだろ
460人間七七四年:2012/06/03(日) 23:50:48.79 ID:nlGP2dxT
関が原戦役において
一度たりとも大義名分を掲げなかったのが家康。
つかそんなもん無いから掲げようがないわけだが。
461人間七七四年:2012/06/04(月) 01:08:50.14 ID:8iRunpDt
自らが正統であるのは言うまでもないから
西軍は「反逆」の一言で切り捨てている
462人間七七四年:2012/06/04(月) 02:49:15.58 ID:aQHthJKr
謀反人・三成に連なる西軍は確かに大義名分が必要。
家康には全く必要ない。
463人間七七四年:2012/06/04(月) 03:24:04.72 ID:6yJEegL7
家康に付いたほうが得だという利害で集まってるわけだから大義名分と次元が違いますが。
464人間七七四年:2012/06/04(月) 03:27:30.89 ID:cK0i+Vh9
何を言いたいのか、意味がわからない。
465人間七七四年:2012/06/04(月) 03:28:57.37 ID:hkfmH9On
下総山内一豊の陣所に千代からの文が届く

山内一豊「決断のときじゃ。(中略)毛利が二つに割れておる。石田様の義をとるか徳川様の利を取るか。これまで迷いに迷っておったが、山内家存続の為には利をとるしかあるまい。これより徳川様にお味方致す」

大河ドラマ的にはこうなるw
466人間七七四年:2012/06/04(月) 05:32:48.74 ID:Oyy2nBwt
>>463
得というのは大義名分も含まれるんだよ常識的にね
467人間七七四年:2012/06/04(月) 06:21:06.27 ID:kgG8tXRB
勝手に大名へ加増って三成もやってるんだよね
もっとも三成じゃ実力がないから口だけの空手形に終わったけどなw
例えば真田昌幸への信州+甲斐への加増の約束とかそれこそ違反だろ
結局三成だって自分にとって得になる相手・自分の味方を増やすためには同じことをやるわけだ

まあこれだけなら徳川も石田もどっちもどっちって話だが
特に酷いのは小早川への関白就任の約束だな
自分が関白を決める権限があるとかどこまで思い上がってんだよ
朝廷までも無視してこれは専横どころの話じゃねえぞ
468人間七七四年:2012/06/04(月) 22:47:11.75 ID:6mTXlek2
秀吉を勝手に日本国王に冊封させたり関白の手形を平気で出したりと
三成のやってることは関ヶ原までの家康より遥かに悪質なんだよね
しかも三成は自分のやったことが背信行為であるという自覚がゼロであり
自分は豊臣に何をやっても許されると本気で思っている
加藤や福島といった秀吉の股肱の臣たちが真っ先に三成を討たざるを得なかったのも仕方がない
469人間七七四年:2012/06/05(火) 00:11:23.94 ID:GmKOXudp
そいつらなあ
関ヶ原終わった後に改めて九州組とかで力合わせて家康に戦いを挑むとかしたらかっこよかったのになあ
加増ワーイヽ(^o^)ノで終了だし
逆に三成の行動力すげーなと思ってしまう
470人間七七四年:2012/06/05(火) 00:22:28.64 ID:qGs5+FUg
家康に戦いを挑む意味がわからない。
もう少し勉強した方がいいのでは?
471人間七七四年:2012/06/05(火) 05:47:12.38 ID:XcZujnfS
ていうか秀吉は朝鮮なんか攻めてなんかいないで徳川伊達に濡れ衣を着せて滅亡させた方が良かったんじゃね
ねだやしはあえてせず家康政宗本人は殺した上で岡崎10万石とか宇和島10万石だけ残してやって
そう足利義満方式でね
北条をほろぼせたから徳川くらい楽勝でしょ
472人間七七四年:2012/06/05(火) 05:58:13.24 ID:5uhaNHpG


  結果論

473人間七七四年:2012/06/05(火) 07:12:00.96 ID:3dRgDDy8
織田信雄ごとき滅ぼそうとしたら1万も大損害だして8倍もの兵力比で一年いっぱい苦戦するような雑魚じゃ
徳川・北条連合になんて到底勝てるわけない
北条にかったのだって7.5倍もの圧倒的兵力差があったってだけの話だし
474人間七七四年:2012/06/05(火) 07:17:06.88 ID:5l4V0dU5
小牧長久手の時なんて徳川領国は春頃から特政連発で疲弊しまくってた状態&北条の変身と
上杉の信濃侵攻で秀吉圧倒的有利な条件で、家康は8000しかつれてきてなかったもんな
しかも夏にはそのうち半分を返して織田・徳川で一万足らずだったし
こんな兵力比で長久手・戸木・松ノ木・蟹江・長久保・神戸と敗戦続きってどんだけ雑魚なんだよと
475人間七七四年:2012/06/05(火) 07:19:29.28 ID:FIEBViT4
それどころか毛利輝元にすら敗戦している件
476人間七七四年:2012/06/05(火) 07:23:36.21 ID:U8976GFK
小田原合戦なんてほとんど上杉・依田・真田・佐竹里見結城宇都宮らが北条方兵力が集中してた
下総や上野などの諸城を落としてくれたから勝てただけ
豊臣軍は忍城1000や韮山500に大苦戦し小田原1200に手も足もでず
一柳・堀尾嫡男が戦死するほど
477人間七七四年:2012/06/05(火) 07:25:29.41 ID:WabzGDov
秀吉より戦下手な武将なんていないだろ

・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・三木城攻略に2年も費やし、当時竹中重治と双璧といわれた谷を戦死させる
・ 熊見川で宇喜多、大友、南条、河野等にボロクソに負ける雑魚毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、 光秀軍よりも多い損害を被る
(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの
法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で後ろから襲って反撃され、逆に撃退される
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの信雄・家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に2〜3万で攻めて散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条に対し まともに倒せず
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・わずか500しか兵がいない伊豆韮山城を3万で攻めて3か月近く手間取り、重臣一柳直末を戦死させる
・わずか300程度の伊豆山中城攻防戦で重臣始め大多数の被害を出し大苦戦する
・わずか1000ほどしか兵がいない忍城を3万で攻めて落とせない
・わずか1000程度の小田原城に手も足も出ない
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
478人間七七四年:2012/06/05(火) 07:48:59.84 ID:WabzGDov
家康なんか天正11年からの特政連発&木曽小笠原真田石川水野の離反と天正大地震の影響で
領内めちゃめちゃになったせいで従わざるをえなくなっただけだからなあ
しかもそんな状況で秀吉は母と妹人質にださなきゃならないほどヘタレぶりだったし。
まあ毎度の事だけど
479人間七七四年:2012/06/05(火) 08:21:17.64 ID:YIQyybNw
秀吉なんて運だけで天下取ったようなもんだからな
織田家臣だから当主の能力&恵まれた運や状況で織田家が膨張して
大きく勢力拡張
山名&荒木&尼子残党&毛利の中途半端な介入でぐちゃぐちゃになってた播磨に運よく派遣されて
戦わずして味方が多く集まって信長が光秀に殺されて光秀が主殺しの汚名負ったから味方が多くあつまっただけ
毛利宇喜多上杉大友佐竹なども味方で対柴田戦でも勝家が雪に閉ざされて動けず佐々も対上杉で動けず
勝豊と勝家が不仲で信雄と信孝が不仲で稲葉が味方で前田や金森不破が戦の途中で兵を引いたから勝てただけ
480人間七七四年:2012/06/05(火) 08:37:28.67 ID:xIfcJEpj
今日は通院日か。措置入院にでもしてもらえw
481人間七七四年:2012/06/05(火) 10:06:54.12 ID:HkHcu1V1
>>467
>>勝手に大名へ加増って三成もやってるんだよね
家康は会津征伐以前から勝手に加増やっちゃってるじゃんよw
>>小早川への関白就任の約束
それ単なる軍記のネタじゃねぇかwww
>>468
ソースはよ。
>>473
>>堀氏のアンチ徳川馬鹿論文にその後のうわさでは3000人ばかり…
>>というのが顕如日記にあると書いているが嘘そんな記述はどこを探しても見つからない
無知なくせに「どこを探しても見つからない」などとほざくアホぶりを晒してるなw
つか出典元すら明示してあるのに、こいつ最強のアホちゃう?アンチ秀吉過ぎてマトモな思考すらしてないな。
「其外軍兵一万余討死則敗軍、然共筑州覚悟堅固之故」の真横に「已後ノ沙汰ハ三千討死ト云々」って
キッチリ書いてあるんだがw
噂レベルの話の場合は顕如日記には雑説と書くが、この文にはそんなことは書いてない。
>>書いていない。長久手町史資料編・愛知県史史料編と探して>>もそんな記述はないし
>>文中ではなく真横に書く時点で書き足しているのがミエミエ
プププ原文をあたらずに書いてない宣言とか捏造歪曲キチガイ織田チョンの無能さの証そのものw
書いてるものは書いてるwwwそれをも否定するとかアホすぎwww
482人間七七四年:2012/06/05(火) 11:57:43.17 ID:YIQyybNw
○長久手合戦の戦死者は1万人以上
4/9織田信雄書状 一万人
4/10家康書状一万人
4/11家康書状一万人
4/13北条氏政・氏直書状1万人
5/2小早川隆景書状一万人余り
5/3織田信雄書状一万五千人
5/7織田信純書状一万人
家忠日記1万五千余り
顕如日記1万人余り
イエズス会年報1万人
フロイス日本史一万人
当代記2万人
池田家履歴略記・兼山記2万人
戦死者池田親子・森長可・木下祐久利ただ兄弟白井藤丸蟹江勘衛門大村定平
佐藤又座衛門鯨藤治今井長可今井長三郎秋田伝十郎生駒半座衛門香西又市
梶田喜八朗吉田甚内川越次郎河合助之丞岡田善衛門今鵜善衛門村岡十内長谷川伝三郎
森鳥八蔵片山喜平次阿部弥一衛門秋田嘉兵衛片桐与三郎梶浦兵七朗竹村小平太

また長久手合戦参加者の家記・家譜・合戦記なども全て1万人かそれ以上としてる
3000人としてるのはない。
アンチ徳川のアホ堀によれば顕如日記のその後の噂では3000人というのが正しいそうだが
文中に書かずに真横に書いてる時点で書き足してるのがミエミエ
ちなみに
家康が諸大名あてではなく身内にあてた書状や敵対勢力の毛利方の書状でも一万人戦死とでており
3000といってるのは顕如日記の「その後の沙汰(噂)」という所のみ
483人間七七四年:2012/06/05(火) 13:11:01.96 ID:HkHcu1V1
>>482
それ全部、家康方の吹聴してた捏造戦果。
小早川隆景も情報元を尾張の犬山の高尾又兵衛尉なる者が昨日やってきた時に聞いた「世上如風聞」と書いてるし
むしろ顕如はのち落ち着いた後に情報収集の結果として
正確な数字を書きいれてる。
484人間七七四年:2012/06/05(火) 13:17:19.12 ID:HkHcu1V1
>>477
おいキチ害、それもソースくれよ。
485人間七七四年:2012/06/05(火) 13:24:18.38 ID:Cv4hsx10
>>483
秀吉側に都合いい戦果だけ史実扱いして
圧倒的に多くの史書に残ってる戦果だけ捏造とか妄想も大概にしとけこのボケ
486人間七七四年:2012/06/05(火) 13:33:45.88 ID:83Netc8f
加筆ミエミエの真横の己後の沙汰は三千計死と云々
これのどこが正確な情報収集なんだ糞カスが
487人間七七四年:2012/06/05(火) 13:36:24.79 ID:n6V4CZXw
長久手の戦いの戦死者は2万くらいだろ
織田・徳川方は最初は1万と書いてたけど後に正確な情報収集の結果2万におちついた
だからこそ8倍ほどもの圧倒的兵力がありながら眼前の織田方を叩き潰せず1年無駄にした
488人間七七四年:2012/06/05(火) 13:41:23.69 ID:CGpwUmSC
顕如日記の数はただ秀吉が敗北をひたかくしにしたから
異常に少なく見積もられてるだけだろ
実際諸大名あてに大した事はないだのなんだのいいつくろってたしな
489人間七七四年:2012/06/05(火) 13:44:24.35 ID:HkHcu1V1
チョンさん自演気持ち悪いよw
週休2日なのでだいたい4日置き程度で書き込みしてるが
その都度、リアルタイムでやってくるチョンさんw
つか24時間体制で自宅警備してるとしか思えんw
仕事でアンチ秀吉行為をやってるのかい?
490人間七七四年:2012/06/05(火) 13:45:23.51 ID:cyZjEstC
つーか京以西は完全に秀吉側の情報のがいきやすいんだから
家康の誇大喧伝の結果とか馬鹿かと
491人間七七四年:2012/06/05(火) 13:46:17.46 ID:U8976GFK
秀吉厨死ね
492人間七七四年:2012/06/05(火) 13:46:48.72 ID:HkHcu1V1
>>477
おいキチ害、それもソースくれよ。
493人間七七四年:2012/06/05(火) 13:48:16.35 ID:U8976GFK
>>492
無知乙
494人間七七四年:2012/06/05(火) 13:50:23.71 ID:HkHcu1V1
つかそもそも顕如日記にそんなもん書いていないと
見得を切っておきながら
都合が悪くなると、そんな発言するんですかw
さすがチョンさん。自分の発言も忘れちゃうニダねw
495人間七七四年:2012/06/05(火) 13:51:33.11 ID:83Netc8f
愛知県史資料編にはのってるが長久手町史資料編にはのっていない
原文はどうか知らん
496人間七七四年:2012/06/05(火) 13:55:48.07 ID:CynL8ZWz
秀吉厨は無知な上に妄想垂れ流ししかできないカス
死んでくれ
497人間七七四年:2012/06/05(火) 16:33:32.21 ID:HkHcu1V1
>>477
おいキチ害、それもソースくれよ。
498人間七七四年:2012/06/05(火) 17:01:57.68 ID:wWrQ6v2t
ソース要求するまえに、おまえ自身が無知で何も知らないから申し訳ないが教えてくださいって姿勢は無いのか?
499人間七七四年:2012/06/05(火) 17:20:29.16 ID:HkHcu1V1
無知で何も知らないから申し訳ないが教えてください
500人間七七四年:2012/06/05(火) 18:41:09.70 ID:CynL8ZWz
・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める→定説
・三木城攻略に2年も費やし、当時竹中重治と双璧といわれた谷を戦死させる→兵庫県史通史編
・ 熊見川で宇喜多、大友、南条、河野等にボロクソに負ける雑魚毛利にボロクソに負ける→毛利家日記、荻藩閥閲禄、相曾寺書状
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される→毛利から書状がなかったっけ
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる→これは知らん
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する→定説
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、 光秀軍よりも多い損害を被る
(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの
法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )→日本戦史山崎役・小早川家記
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で後ろから襲って反撃され、逆に撃退される
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる→定説
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる→3/3柴田→填島げんばあて書状
・わずか16000〜17000ほどの信雄・家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる→常識
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される→小牧陣始末記
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される→一次資料
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に2〜3万で攻めて散々手こずる→一次資料
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条に対し まともに倒せず
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・わずか500しか兵がいない伊豆韮山城を3万で攻めて3か月近く手間取り、重臣一柳直末を戦死させる
・わずか300程度の伊豆山中城攻防戦で重臣始め大多数の被害を出し大苦戦する
・わずか1000ほどしか兵がいない忍城を3万で攻めて落とせない
・わずか1000程度の小田原城に手も足も出ない
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
501人間七七四年:2012/06/05(火) 18:58:05.77 ID:xIfcJEpj
向精神薬ちゃんと飲んでるかwww
502人間七七四年:2012/06/05(火) 18:58:40.65 ID:wWrQ6v2t
>>499
姿勢っていってんだろ?
そもそも、こんなのもシラネ絵なら教えたところで理解できないw
503人間七七四年:2012/06/07(木) 08:59:42.67 ID:ntNPUBP7
実際、一万討死なんて非現実的過ぎるアホな数字だよな。
いかに家康らが不利な状況だったかがわかる
必死な政略的宣伝工作かがわかる。
しかも不必要なまでにしつこく長期間にわたり吹聴して、
同盟諸将に繰り返し書き送って決起を呼びかけ、
秀吉の背後を襲うように言ってるからな。
504人間七七四年:2012/06/07(木) 09:06:25.21 ID:ho/5hvcu
お前の馬鹿げた妄想なんぞ知らん
顕如日記の書き足し以外の史料はすべて一万かそれ以上で共通してるわけで
505人間七七四年:2012/06/07(木) 09:09:51.40 ID:5cc/IypN
顕如日記の数はただ秀吉が敗北をひたかくしにしたから
異常に少なく見積もられてるだけだろ
実際諸大名あてに大した事はないだのなんだのいいつくろってたしな
506人間七七四年:2012/06/07(木) 09:12:14.39 ID:NKbnyzXv
秀吉の書状なんてデタラメハッタリ誇大喧伝しかないからな
そんな秀吉が負け認めてるんだから相当な損害だったんだろう
秀吉厨は外交喧伝目的満々の諸大名あて秀吉書状をそのままソースにする馬鹿
507人間七七四年:2012/06/07(木) 09:13:22.50 ID:lliKHp8X
長久手の戦いの戦死者は2万くらいだろ
織田・徳川方は最初は1万と書いてたけど後に正確な情報収集の結果2万におちついた
だからこそ8倍ほどもの圧倒的兵力がありながら眼前の織田方を叩き潰せず1年無駄にした
508人間七七四年:2012/06/07(木) 09:14:33.09 ID:KusJHBR9
秀吉なんて運だけで天下取ったようなもんだからな
織田家臣だから当主の能力&恵まれた運や状況で織田家が膨張して
大きく勢力拡張
山名&荒木&尼子残党&毛利の中途半端な介入でぐちゃぐちゃになってた播磨に運よく派遣されて
戦わずして味方が多く集まって信長が光秀に殺されて光秀が主殺しの汚名負ったから味方が多くあつまっただけ
毛利宇喜多上杉大友佐竹なども味方で対柴田戦でも勝家が雪に閉ざされて動けず佐々も対上杉で動けず
勝豊と勝家が不仲で信雄と信孝が不仲で稲葉が味方で前田や金森不破が戦の途中で兵を引いたから勝てただけ
509人間七七四年:2012/06/07(木) 09:16:06.25 ID:98dukwAW
それどころか毛利輝元にすら敗戦している件
510人間七七四年:2012/06/07(木) 10:17:23.92 ID:ntNPUBP7
24時間自宅引きこもり生活保護自演チョンさん
ID変更自演連レス投下とか
かなり気持ち悪いですwww
511人間七七四年:2012/06/07(木) 10:56:00.50 ID:KLykTK8S
秀吉が過大評価されるのは徳川時代の講談とプロバガンダの影響だろ。
一時的に政権持ってただけの奴を天下人だわなんだわと奉るからこうなった。

実際公家とかが名目上諸大名を従わせてるのと同じで天下なぞ取っていない

秀吉は対柴田戦時自領600万石に加え宇喜多、毛利、上杉、信雄も味方で稲葉、勝豊、前田も味方につけられた。
この状況で前田が兵を引くまで均衡を崩せず、しかも撤退中の佐久間盛政や柴田勝政を背後から大軍で襲撃して逆に撃退されるってどんだけ戦下手なんだよと。



512人間七七四年:2012/06/07(木) 11:01:49.80 ID:bVWUw9Iu
秀吉のデタラメハッタリ誇大喧伝

3月26日⇒佐竹
尾張表で過半は存分に任せられ(秀吉の思うように)候⇒実際は犬山城主が伊勢に出ており
留守なのを居留守泥棒的に池田・森が奪っただけ
和泉で根来・雑賀・玉木・湯川その他一揆3万の砦を岸和田船番者が切かかり首5000討ち取り
敵城を残る所なく乗っ取り紀州表まで攻め込んだ⇒3万も集まるはずもなく
しかも紀州一揆はこの後も健在。実際は攻めて来たのを撃退しただけ

4月8日秀吉⇒毛利輝元

伊賀伊勢を平定した⇒戸木も長島も桑名も浜田もしっかり残ってるのに平定wwww
尾張の過半を平定した⇒まだ北部で足止め。過半はおろか4分の一も制覇できていないww
紀州表まで攻め込んだ⇒そんな事を裏付ける史料はないww撃退しただけw
 
日付不明
秀吉⇒大御ちさま
加賀の井で池田の弔い合戦で歴々10人ばかり討ち取った⇒死んだのは三人だけwww(家忠日記、細川家記その他合戦参加者の家記・家譜・合戦記)
小坂なんて書状でもしっかり生きてるのが確認できるのにwww

5月9日 秀吉→毛利輝元
小牧表で10町・15町に陣を張り野戦を挑んだが家康が小牧山から一切出ない
→小牧山は普請も施されていない無防備な陣(三河物語他)
周辺をガチガチに秀吉方砦で固めて野戦するのにこの上ない環境
それで野戦を挑んで1万人戦死して大敗したのに家康が取り合わないって…
付け城を三箇所申し付けた→あれ?あなた4/8丹羽宛で小牧周辺をガチガチに砦普請で囲ったっていってましたね

加賀野井城で大将分采女後藤・楠・峰・千草・あげき・小坂・林・加藤・渡辺といった大将分10人討ち取った
→千草・加藤など一部除いて皆生還しています(家忠日記・兼山記・細川家記など)

6月4日 秀吉→佐竹義重
伊勢一国平定した→間宮の反撃にあって苦戦し戸木も相変わらず陥落せずw長島・桑名・浜田はいうに及ばず…
4月13日に犬山城を攻め崩した(笑)wwwww→いやはやこれは笑うしかないwww
家康が小牧に陣を張ったので数度に及び合戦を挑もうとしたが取り合わなかったので仕方なく尾口・羽黒・楽田という3箇所に
付城を築き2万を入れおいた→無防備な小牧山に対して7倍もの圧倒的兵力差を生かして周辺ガチガチに砦で固めて短期決戦挑んだら1万人も戦死者出す大敗。
なのに家康が取り合わなかったから仕方なく砦普請して軍勢をいれおいたって…
加賀の井で大将分10人討ち取り→三人を除いて生き残ってる
尾張東方3郡西方2郡がこちらの物になり、2郡のみ残す所になった→犬山と楽田、加賀の井、奥等西部・北部の一部を攻め取っただけ
で尾張の大部分wwww これが本当なら防衛どころじゃないwww
木曽川を切りかけ長島・清洲辺りを悉く洪水で溢れさせ、侍、土民・百姓まで餓死させ
家康はなすすべなくなる→そんな芸当ができるならマジシャンだわwwwwギャグがすぎるだろwwwwしかし秀吉はこれをあたかも真実のように一日今の躰と在ると語るwww

9/8秀吉→丹羽、前田  9/9秀吉→あて先不明
信雄御料人・家康総領子、石川実子、織田長益、滝川雄利実子を出し尾張において
懇望してきたが許さなかった→織田信雄の主張によれば間逆で秀吉が懇望してきたが
断ったといってるがどちらが正しいんですかね
で、
11/11織田信雄が懇望してきたので結ばれた
11/13
家康が懇望してきたので同意してやった

なぜ9月時点での懇望を断ったのに11月では容認??????
明らかにデタラメ


513人間七七四年:2012/06/07(木) 11:09:06.11 ID:G1TzeprK
豊臣軍135000が、織田家で最も無能な信雄22000相手に敗走、大苦戦。
戦国最弱の豊臣軍。
柏井にいる一柳宛書状に『小牧を出た軍勢が小幡に到着したら知らせるように』と書いてるから
一応家康軍の小牧山からの移動は把握していたと思われる
しかし秀吉が動き出すのは長久手での敗報を聞いた後
すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに軍事的才能がなさすぎる
秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
あんな糞作戦立てた秀吉の完敗だろ
わずか20町ほどの距離にある自軍の6分の一以下の家康軍に対してあの醜態晒した
100パーセント秀吉の戦術的大敗だろうが
6倍以上兵力差あり秀吉軍は家康の5倍以上もの被害出し装備などは当然
畿内持ってる秀吉>>>>貧国ばかりの家康 だから
戦闘能力でいえば家康は秀吉の30倍以上上手だろーな
秀次の補佐役で木下兄弟がつけられ戦死してるな

秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。

>>500
柏井にいる一柳宛書状に『小牧を出た軍勢が小幡に到着したら知らせるように』と書いてるから
一応家康軍の小牧山からの移動は把握していたと思われる
しかし秀吉が動き出すのは長久手での敗報を聞いた後

すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
514人間七七四年:2012/06/07(木) 11:27:59.58 ID:ntNPUBP7
織田チョン君は本格的にキチガイだなw
515人間七七四年:2012/06/07(木) 17:06:38.76 ID:ntNPUBP7
>>500
おいキチ害、それの明確なソースをキチンと書けよ。
516人間七七四年:2012/06/07(木) 21:50:49.84 ID:4P8HssA6
群雲、関ヶ原へ
岳 宏一郎著
これは、面白かった。
司馬の関ヶ原より遥かに濃厚。
三成が、写実的に描かれてた。
517人間七七四年:2012/06/10(日) 10:03:08.33 ID:pbm2jmY4
前々から思ってたが
やっぱりアンチ秀吉・三成の病人チョンが
生息してるのが判明したな。
518人間七七四年:2012/06/10(日) 12:57:35.24 ID:oDukMYUR
何を今更
おっとこんな事言ってると湧いてくるかな?
519人間七七四年:2012/06/10(日) 13:42:10.33 ID:hq3lC83N
秀吉が過大評価されるのは徳川時代の講談とプロバガンダの影響だろ。
一時的に政権持ってただけの奴を天下人だわなんだわと奉るからこうなった。

実際公家とかが名目上諸大名を従わせてるのと同じで天下なぞ取っていない

秀吉は対柴田戦時自領600万石に加え宇喜多、毛利、上杉、信雄も味方で稲葉、勝豊、前田も味方につけられた。
この状況で前田が兵を引くまで均衡を崩せず、しかも撤退中の佐久間盛政や柴田勝政を背後から大軍で襲撃して逆に撃退されるってどんだけ戦下手なんだよと。

520人間七七四年:2012/06/10(日) 13:49:30.97 ID:5CXd0xEK
本物はageるんで、お前は偽物
521人間七七四年:2012/06/10(日) 23:07:29.61 ID:+wQHPgqX
挙兵しなければ19万石のまま生き残れたような
522人間七七四年:2012/06/14(木) 22:52:31.09 ID:BQ1uAtf3
隠居のままなら滅亡せずにすんだだろうに
523人間七七四年:2012/06/15(金) 18:57:33.68 ID:/x4Zz7kc
三成の生年月日って分からないのかな
ネットで旧暦3月って書いてあるのは見るんだけど
524人間七七四年:2012/06/15(金) 20:01:58.15 ID:ckJvoUmm
関ヶ原の最中に、大砲数門をもって東軍を迎撃したのは大したものだと
おもったなぁ。。。
あれでもっと攻めとけばよかったのにと思うよ。
525人間七七四年:2012/06/15(金) 20:07:50.82 ID:SOUk2O/k
> 関ヶ原の最中に、大砲数門をもって東軍を迎撃
三成の大筒で戦果があったなんて記録は一切ないけどな。
526人間七七四年:2012/06/15(金) 21:59:19.95 ID:wMv4YQg5
大筒が出てくるのは
TBS関ヶ原
527人間七七四年:2012/06/15(金) 23:08:07.35 ID:5+pg5xNi
この時代野戦で大砲使うなんてことあったの?
528人間七七四年:2012/06/15(金) 23:26:54.19 ID:wMv4YQg5
TBS関ヶ原(原作:司馬)

三成隊から大筒が放たれる
家康「(余裕の表情で)やるの〜三成」
529人間七七四年:2012/06/16(土) 00:10:05.57 ID:UxMRQptD
葵徳川さん台でもあったぞ
530人間七七四年:2012/06/16(土) 00:29:54.06 ID:BusQnrKx
ドラマばっかかよw
531人間七七四年:2012/06/16(土) 00:52:59.65 ID:k0CodOrb
大坂冬の陣

徳川方の大筒の射程>>>>>豊臣方の大筒の射程

ソースは「葵 徳川三代」の説明w

そんなに優秀な大筒なら最初から使って真田丸とかを砲撃しろよw
532人間七七四年:2012/06/16(土) 01:55:38.02 ID:k0CodOrb
>>529
ドラマ好きでもあるので調べてみました。

「葵徳川三代」
三成「すいさんなり黒田長政、不忠もの細川忠興。今こそ天誅を加えん。それ!」
--------------------------------------------------------------

※ソース不明↓

石田隊本営がある笹尾山にすえつけた大筒5門を
使用したのである。
大筒は砲身約1m、射程2km。突撃してくる東軍に対し、抜群の
効力を発揮し、たじろぐ東軍を石田隊は押し返し、東軍の前線
は100mも後退した。
ttp://bit.sakura.ne.jp/tuwamono/kassen1/sekigahara1p/sekigahara2.htm

現実は・・・ただの鉄の玉か、あるいは「石弾」だったらしい。
533人間七七四年:2012/06/16(土) 03:07:19.49 ID:k0CodOrb
石田三成の忍城攻めと大筒の弾道
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3935.html
534人間七七四年:2012/06/16(土) 22:29:47.63 ID:k0CodOrb
「北政所は家康と親しく、子飼いの加藤清正、福島正則らを徳川方に属させた」と尤もらしく書かれるが、後年の俗説のようです。

大谷吉継の実母・東殿は北政所の側近。

北政所は、関ヶ原の合戦の前(慶長5年7月)に宇喜多秀家の出陣式(豊国神社)に列席。(『梵舜日記』)

石田三成の三女である辰姫は慶長3年(秀吉の死の年)、北政所の養女となっています。

一説には小西行長の母ワクサ(洗礼名:マグダレーナ)も側近。

関ヶ原の際、西軍寄りと見られる行動を取っている。
・北政所側近の孝蔵主が大津城開城の交渉にあたっている。
・北政所の甥である木下家の兄弟の多くが西軍として参加し領地を没収されている。
535人間七七四年:2012/06/17(日) 02:51:02.80 ID:8thyFY+r
>>534
小早川の裏切りはただ単に小早川の石田への逆恨み
もっと言えば小早川家臣の暴走
いずれにしても裏切り者の末路はろくなものではない
後世の創作でしかない
なお石田と共謀したと言われてる淀の方だが徳川とは親戚なので豊臣は安泰だと思っていたようで石田らには冷たい対応
石田=おね
徳川=茶々
というのが真相だろう
ドラマではいい加減考えを改めてほしい
そもそも茶々は石田らに軍資金を一銭もださなかったくらいだし
豊臣家滅亡は自業自得
536人間七七四年:2012/06/17(日) 04:39:53.02 ID:iDsNmHDm
ドラマの話になりますがw

>>535
>茶々は石田らに軍資金を一銭もださなかったくらいだし

葵徳川三代にも描かれていました

三成が軍資金を求め、片桐が「此度は豊臣家の家臣同士の争い」と一蹴
537人間七七四年:2012/06/17(日) 07:31:28.18 ID:tWRdVoi2
そもそも北政所は秀吉死後政治的影響力を喪失していたという説が強い
538人間七七四年:2012/06/17(日) 10:02:20.71 ID:3DqgQJH8
そりゃ豊臣に石田の身勝手な暴走に付き合う義理なんてないからなあ
539人間七七四年:2012/06/17(日) 10:59:03.17 ID:BFh2HE5n
家康が大坂の陣で打ち込んだ砲弾もただの鉄の塊だしな。
あれがちゃんとした火薬入り砲弾なら冬の陣の時点で豊臣滅亡してる。
540人間七七四年:2012/06/17(日) 11:41:38.35 ID:tWRdVoi2
>>539
言っておくが榴弾(炸裂弾)が本格的に使用されるようになったのは、19世紀に入ってからだぞ。
それまではとても信用のおける兵器ではなかった。
541人間七七四年:2012/06/17(日) 11:50:06.13 ID:g/YozGNQ
>>536
豊臣側への事前報告もなしに突然武力蜂起して軍資金よこせというのも身勝手な話だからな
家康だって会津征伐をすること自体はきちんと事前報告をしていた
そのうえ大坂の人質は自分のものなどとやりだせば豊臣家が距離を置きたがるのは当然だよ
542人間七七四年:2012/06/17(日) 15:11:21.15 ID:+XziE+N3
片桐が豊臣家の家老となったのは関ヶ原以降。
秀吉は族生的紐帯による武家の支配を志向していた訳で、
関ヶ原以前の豊臣家は豊臣政権とイコール。
家老(年寄り)は奉行や大老の事。
軍資金を渋ったのは増田。
543人間七七四年:2012/06/17(日) 15:41:28.69 ID:tWRdVoi2
>>542
私的な家としての豊臣家と豊臣政権は、家康の豊臣家への対処の例を見てもわかるように分かれていたよ。
豊臣家と豊臣政権の関係は、室町幕府の将軍家と管領の関係とほぼ同じ。
544人間七七四年:2012/06/17(日) 18:11:37.29 ID:8thyFY+r
増田はすでに家康に買収されていた
東西どちらについても安泰になるようにな
だが結果はお取つぶし
同情はできない
545人間七七四年:2012/06/17(日) 18:33:09.91 ID:Bu7ZWjWd
>>543
家康の豊臣家への対処?何それ?
関ヶ原以前に家康が豊臣家を別家扱いしてんの?
546人間七七四年:2012/06/17(日) 20:47:51.84 ID:tWRdVoi2
>>545
豊臣政権の政治決定はその責任も含めて五大老五奉行という政治機構にあり、豊臣家は主家として
それを従える立場ではあるが、政府を主催しているわけではないだろ?
547人間七七四年:2012/06/18(月) 08:08:40.44 ID:Nrg/cA8m
>>546
ん?俺のレスは
> 家康の豊臣家への対処の例
これの具体例を聞いてんだけど、答えてくれないの?
でね、五奉行・五大老ってのは遺言覚書にあるように、
本来は「豊臣家の年寄(家老)」なわけ。
有力大名や一族には豊臣姓・羽柴氏を、織田旧臣には主に羽柴氏を
功績のあった者には主に豊臣姓を与えたのは
豊臣政権の支配原理がこういった族姓的紐帯に基づく物だったって事。
だからこそ家康は関ヶ原以後、片桐を豊臣家の家老に置き、
自らは源姓とし、豊臣家との分離を計ったんだろ。
548人間七七四年:2012/06/20(水) 07:14:11.27 ID:iOKRINfS
↑正式にいうと徳川は源氏とは全く関係ないどこの馬の骨レベル
石田は藤原家の血筋も引くという噂もあるが徳川は明らかに捏造
家康の何代か前に成り上がった一族にすぎない
家康の生国の三河は源氏の足利がかつて力をもっていた土地であり吉良家がその足利源氏の血筋をひいてたらしくその吉良の養子になる形で源氏と名乗っただけ
その吉良にたいしてはずいぶん先の話だが醜い仕打ちを加えてるよな徳川は
549人間七七四年:2012/06/20(水) 07:18:07.23 ID:8Ljv13Qw
>>548
おまえ新田源氏ってものを理解してないだろw
550人間七七四年:2012/06/20(水) 07:48:43.60 ID:1HdwEKIH
>>517
豊臣政権憎しの基地害在日が
自演で事実を捻じ曲げて嘘書いてるよね。
事実と嘘を見極める力が試されてるw
551人間七七四年:2012/06/20(水) 07:56:45.96 ID:iOKRINfS
>>549
東北の役で功績がありながら陸奥の守を改易された源義家、その息子たちは大不満
長男は逆切れして天皇に逆らい滅ぼされたので次男が家督を継ぐはずだったが争いにまきこまれて結局三男が源氏の後継者になった
その後継者になれなかった次男には二人の息子たちがいて足利、新田と別れた
自分たちこそ嫡流という意識をもっていたようで後の室町時代につながっていく
552人間七七四年:2012/06/20(水) 08:00:03.56 ID:iOKRINfS
>>550
今も韓国人、在日は豊臣に恨みを抱いているという
そんな在日が秀吉が作った大阪に大量に住んでるってどういう気持ちなんだよね
今では大阪では秀吉は神様扱いなのにね
気に入らないなら大阪からでてってほしい
553人間七七四年:2012/06/20(水) 08:25:13.85 ID:1HdwEKIH
最近は、熊本城に続いて大坂城も朝鮮人の技術者が
作ったとか言ってるからね。

観光収入目当てに大坂もそれを否定しないで営業してんじゃね?

韓国人観光客誘致の営業優先で大坂も熊本みたいに
ボシタ踊りを出すのは、朝鮮民族への侮辱ニダ!
ボシタ”の語源は朝鮮を滅ぼしたって理由ニダ!
日本で使用禁止ニダ!
なんて熊本みたいにクレームを受け入れたりしなきゃいいけどな。
554人間七七四年:2012/06/20(水) 09:36:51.43 ID:5LuQ2C8D
徳川の出自

松平親氏は関東(あるいは信濃国浪合村)で鎌倉公方(あるいは斯波氏)の軍勢に
敗れ、足利氏の追捕を避けるために父・有親とともに相模国の時宗総本山清浄光寺
に入って出家し、徳阿弥(とくあみ)と称したとされる。「乞食僧」「一種の賤
民」と表現される場合もある。しかし、清浄光寺での落髪が語られるようになるの
は「武徳大成記」成立後の元禄期以降であることが、煎本増夫により明らかにされ
ており、後世になってから作られたものと考えられる。実際には、諸国を遍歴する
職人であったという見方もある。

>「乞食僧」「一種の賤民」
555人間七七四年:2012/06/20(水) 19:39:10.64 ID:W84QbEn3
何の話してるんだか
556人間七七四年:2012/06/20(水) 21:08:28.04 ID:uaVKPJ0h
俺、>>547だけど、そもそも家康の出自の話なんて全くしてないんだけどな。
家康は好きじゃないけど、何でも良いから取り敢えず貶したいってのにはウンザリだ。
557人間七七四年:2012/06/20(水) 21:18:03.52 ID:TZDXs30V
>>547
>豊臣政権の支配原理がこういった族姓的紐帯に基づく物だったって事。

石田・小西・大谷といった西軍の首謀組の多くは姓・氏の享受をされていない
貰っていない連中が貰った連中を下に敷いて豊臣の代表を名乗るという矛盾した状態になっていた
それに彼ら文治派と抗争を繰り広げていた武断派も加藤・福島を筆頭に姓・氏の享受をされていない者が大半だった
つまり豊臣の族姓的紐帯に基づかない連中が豊臣政権で幅を利かせて権勢を争うという
君の言う支配原理とはかけ離れた状態が豊臣政権の実態だった
豊臣姓・羽柴氏の付与による支配なんて実体のない無意味な議論に過ぎないよ
558人間七七四年:2012/06/20(水) 23:31:01.32 ID:uaVKPJ0h
>>557
福島は秀吉生前に羽柴氏を下賜されてるぞ。
つーか、当たり前の事なんだけど、豊臣姓・羽柴氏下賜ってーのは
主に外様に対して行われてるわけ。
後に朝鮮出兵なんかの恩賞として与えられる事が多くなってくると若干状況は違ってくるが、
上洛・臣従と同時に羽柴氏下賜、
秀吉の計らいで叙位・任官を受けると同時に豊臣姓の下賜というのが基本的な流れ。
西軍の中心人物でも、一族である宇喜多や外様の毛利・上杉・島津・立花なんかは
豊臣・羽柴のどちらも下賜されてる。
559人間七七四年:2012/06/21(木) 01:18:12.11 ID:WwYckqRx
>>552
秀吉が大坂を作ったわけじゃないから。
もともと難波宮以前から何度も都になってた。
都が海に近い場所だと中国とかに攻め込まれたらやばいから奈良に移った。
560人間七七四年:2012/06/21(木) 08:16:57.73 ID:9uL1S39e
> 都が海に近い場所だと中国とかに攻め込まれたらやばいから奈良に移った。

日本史に無知無能の馬鹿乙
小学生かよ(笑)
561人間七七四年:2012/06/21(木) 08:26:30.27 ID:pVzDl/w8
>>559
>秀吉が大坂を作ったわけじゃないから。


大阪の人は今でも秀吉に大いに感謝していますが・・・
562人間七七四年:2012/06/21(木) 08:29:53.42 ID:WuXIvCID
>>547
その理屈だと、最大の外様(一応朝日は貰ってるか)の家康に与えてないとおかしいな
が、そんな署名、豊臣家康なんてものあったか?
563人間七七四年:2012/06/21(木) 09:12:51.69 ID:pVzDl/w8
564人間七七四年:2012/06/21(木) 12:56:27.44 ID:WuXIvCID
別に息子の事は聞いてないんだけど?
565人間七七四年:2012/06/21(木) 13:16:13.70 ID:pVzDl/w8
103 :人間七七四年:2012/05/31(木) 18:32:28.65 ID:I1zqicVC
ところで秀吉に豊臣姓を与えてやると言われて
拒否した奴はいるの?


104 :人間七七四年:2012/05/31(木) 19:05:36.00 ID:U93rpzZ1
家康が拒否したとか云われるが 実際には豊臣を使用している

秀吉が生きていた時は拒否したヤツは居なかったんじゃないかなぁ
秀吉が死んだアトは家康や秀忠や徳川家臣一同が使わなくなったようだけど
566人間七七四年:2012/06/21(木) 15:19:24.40 ID:WuXIvCID
だからその具体例を
567人間七七四年:2012/06/21(木) 19:48:22.10 ID:ipzwI2r5
話逸らす前に>>547の質問に答えてやればいいのに
568人間七七四年:2012/06/22(金) 05:04:18.58 ID:KHvxmqi5
>>560
ただ単に海に近ければ災害にあう可能性が高いしね
例えば福岡でなく盆地の大宰府に九州の都を置いているし海岸は危険という認識でしょう
569人間七七四年:2012/06/22(金) 05:37:20.17 ID:TNoYNlKe
話逸らす前に>>547の質問に答えてやればいいのに
570人間七七四年:2012/06/22(金) 08:33:21.50 ID:mRESTLb2
>>567
逸らしてると思うなら、お前が話の流れを理解できてない証明だから
無理にそこに加わらなくていいよ
571人間七七四年:2012/06/22(金) 10:21:05.83 ID:TNoYNlKe
私には安価ついてないから偽物とばれてたかwww
ちょっと悪ふざけしてみた、すまん
572人間七七四年:2012/06/23(土) 08:51:29.94 ID:5GDGhYRP
秀次の家臣団で、秀次を擁護した恩義に報い
のち三成に忠節を近い関が原に散った若江八人衆
573人間七七四年:2012/06/23(土) 12:38:35.77 ID:PcOeOnyf
逆に秀次と親交があった大名はほぼ全員が三成によって殺されたと考え
一斉に東軍について三成征伐に協力しました

どっちの認識が正しいんですかね?
574人間七七四年:2012/06/23(土) 14:27:32.70 ID:6HtTLQ3l
そもそも若江八人衆に、秀次個人への深い忠誠などあるわけがない。
575人間七七四年:2012/06/24(日) 20:41:36.64 ID:hQNgaE4G
伊達成実が秀次事件に関して仕組んだの三成だよねー的なことを書いてるってどこかで聞いたが
どんな書かれ方なんだろ
576人間七七四年:2012/06/24(日) 23:40:41.68 ID:KqzebzKT
>>574
在日毛利キチガイ乙
577人間七七四年:2012/06/25(月) 05:10:37.25 ID:NU9//b9t
>>575
基地がい伊達の子孫?がまともな事書くはずねーじゃん
信用する人間ているのかな
578人間七七四年:2012/06/25(月) 22:35:07.19 ID:ZaKQUt12
いやおれも信用する気はないんだが
当時三成が周りからどう見られていたかっていう点に関しては参考になるかなと
579人間七七四年:2012/06/26(火) 16:05:31.41 ID:50zkZR/r
>>575
ネット調べたら伊達成実は伊達の家臣
いずれにしても三成から見たら全くの部外者なので真実を知る由も無い
580人間七七四年:2012/06/26(火) 19:34:29.04 ID:YiFriZCK
ネット調べたらて
581人間七七四年:2012/07/01(日) 18:29:51.33 ID:GaqMfI/6
こいつの専横ぶりのせいでみんなが迷惑して東軍についた諸大名だけでなく
関ヶ原での西軍武将からも島津はじめ殆どからめっちゃ嫌われてたのは
当時の一次史料読めば明らか。
全くつまらぬ男もいたものである。
582人間七七四年:2012/07/01(日) 18:59:25.32 ID:FtJvQonb
本日のつまらぬ男 >>581
583人間七七四年:2012/07/01(日) 19:22:51.67 ID:GaqMfI/6
なんだ、反論出来ないのか。
まったくつまらぬ信者もいたものである。
584人間七七四年:2012/07/01(日) 19:24:45.53 ID:KxrjUzET
嫌われてたとする一次史料を早く出せよ。
585人間七七四年:2012/07/01(日) 19:27:03.59 ID:s+tMA5bx
>>583
その言葉遣いしたいだけでしょwwwwwww
586人間七七四年:2012/07/01(日) 19:53:21.24 ID:GaqMfI/6
>>584
このスレでも今まで散々提示されてるだろ。
587人間七七四年:2012/07/02(月) 00:08:38.01 ID:P6BGp2h6
一次史料と記録を追えばいかにこいつがクズだったかよくわかる。
588人間七七四年:2012/07/02(月) 06:54:26.06 ID:mBaZ/dSB
一次史料や記録とやらを引用して自分の考えを書けよ
つまらぬ男とかクズとか言う前にする事あるだろ
三成アンチがしたいだけなら三成を嫌った武将とやらのスレで三成がいなかったら〜とか言ってりゃ良いんでないの
三成スレで三成アンチとか1人を殺す為に兵を率いちゃう七将に似たものを感じるよ
589人間七七四年:2012/07/02(月) 08:41:39.21 ID:vwFfe52L
つうか秀吉や三成の中傷好きの
いつもの在日毛利厨でしょ。
最近は秀吉憎さのあまり
家康や信長を必死に褒めまくって
絨毯爆撃コピペしまくって
いろんな板のスレが崩壊してる。
590人間七七四年:2012/07/02(月) 21:35:55.19 ID:wtaOsm0V
毛利てるりんほどつまらない武将はいない
591人間七七四年:2012/07/04(水) 15:51:26.56 ID:aJ1gEUKI
ねねと仲良かったのって、近年のゲームや漫画の創作じゃなくて史実だったんだな。
誰だよ、ねねが三成嫌ってたとか最初に言い出した奴。
592人間七七四年:2012/07/04(水) 19:16:52.11 ID:8ksc+vYB
↑家康じゃね
593人間七七四年:2012/07/04(水) 20:40:03.13 ID:4MRpO2lH
そんな事言い出したのはどう考えても関が原後の北政所とその周辺ですありがとうございます。
594人間七七四年:2012/07/04(水) 22:20:11.26 ID:aJ1gEUKI
マジで?ソースは?
595人間七七四年:2012/07/04(水) 22:24:42.85 ID:NOApbOmJ
三成がねねと不仲で、淀と密通してた方が都合が良い人を考えればわかるはずだ
596人間七七四年:2012/07/04(水) 22:35:33.04 ID:1kx3bqQp
北政所もよく娘ほっぽり出さなかったな
597金吾秀秋:2012/07/05(木) 00:01:55.04 ID:RB4EPH8V
>>595
(´・ω・`)よく俺が黒幕だってわかったな
598人間七七四年:2012/07/05(木) 11:56:21.78 ID:Y2e09dZt
>>589
戦下手糞なくせに天下人になった秀吉は卑怯スレを見ると
在日は重症っぷりが怖いくらい。
三戦板や歴史ゲーム板や日本史板や大河板や歴史難民板も
信長や家康や輝元をマンセーして秀吉や三成を貶しまくってコピペで埋めつくして過疎化させてる。
599人間七七四年:2012/07/05(木) 12:02:18.09 ID:Y2e09dZt
しかも武田や上杉や伊達や島津をageするレスを
前戯として最初にコピペする
しょーもない工作をしてから
一気に秀吉・三成を貶す50レス以上を
1日中かけて猛爆撃する様式美wまで備えている真性池沼火病患者。
600人間七七四年:2012/07/05(木) 12:41:22.67 ID:IHWSvOgF
そういう考えなら、良い話悪い話スレも該当するな
601人間七七四年:2012/07/06(金) 06:09:00.34 ID:xX2le2Vu
被害妄想って病気なんだよ。悪化する前にカウンセリング受けたほうがいいぞ。
602人間七七四年:2012/07/06(金) 18:06:06.91 ID:KHHTmsye
ルイスフロイスだってこいつがいかにクズだったか書いてる
603人間七七四年:2012/07/06(金) 18:13:35.61 ID:MftwlKhI
葦名、佐竹>田村>伊達>相馬、白川、最上>石川、二階堂>猪苗代>大崎、葛西>>>>>>>>秀吉

織田家中でいえば
柴田、滝川、明智>佐々>佐久間、丹羽、細川、森(父)、蜂谷、稲葉>原田、川尻、日根野、金森、前田、池田
>>>>>>>>>>>秀吉
こんなもん

長久手の戦いは単なる局地戦ではなく天下を揺るがす大事件だったのは
戦いの後京で数日間騒乱が起きた事や丹波の赤井氏など国人が蜂起している事
それまで短期決戦一辺倒だった秀吉が一転して楽田周辺の施設を堅固に普請させ
長期戦の構えをさせてる事からも一目瞭然
池田親子に加え、ねねの親類の木下兄弟・森長可他1万人戦死

結局あの戦いの後も木造、奥、松の木、蟹江など各城郭で苦戦、敗戦して
結局84年一杯使いながら兵力比7倍で尾張口すら突破できないとか
弱いにもほどがある
しかも相手は家康ではなく織田家で最も無能かつ権力もクソ弱い信雄とその領国
ちなみに捏造でいえば信長や秀吉の方が遥に酷い。
83年に滝川が降ってない時期にもう城を明け渡したと嘘ついたり
84年に伊勢南半分すら完全には平定してないのに伊賀伊勢全て平定したと言ったり
紀州の敵勢が攻めて撃退しただけなのにもう既に国内に攻め込んで多数討ち取って平定目前だと言ったり
尾張の小幡城にノータッチなのに2の丸まで攻め落としたと言ったり奴のいう戦果は滅茶苦茶
秀吉が外様大名系にいう戦果ははじめから嘘っぱちと疑ってかかった方がいい。

徳川が捏造したなどとアホみたいな妄想を毎回語る馬鹿は消えろ
長篠の戦いも本当は武田圧勝だったけど徳川が捏造して織田徳川圧勝だったとかそういう話でもするか?
604人間七七四年:2012/07/06(金) 18:15:11.06 ID:zALkvFQj
秀吉が過大評価されるのは徳川時代の講談とプロバガンダの影響だろ。
一時的に政権持ってただけの奴を天下人だわなんだわと奉るからこうなった。

実際公家とかが名目上諸大名を従わせてるのと同じで天下なぞ取っていない

秀吉は対柴田戦時自領600万石に加え宇喜多、毛利、上杉、信雄も味方で稲葉、勝豊、前田も味方につけられた。
この状況で前田が兵を引くまで均衡を崩せず、しかも撤退中の佐久間盛政や柴田勝政を背後から大軍で襲撃して逆に撃退されるってどんだけ戦下手なんだよと。

605人間七七四年:2012/07/06(金) 18:16:50.35 ID:6JU7269k
豊臣軍135000が、織田家で最も無能な信雄22000相手に敗走、大苦戦。
戦国最弱の豊臣軍。
柏井にいる一柳宛書状に『小牧を出た軍勢が小幡に到着したら知らせるように』と書いてるから
一応家康軍の小牧山からの移動は把握していたと思われる
しかし秀吉が動き出すのは長久手での敗報を聞いた後
すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに軍事的才能がなさすぎる
秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
あんな糞作戦立てた秀吉の完敗だろ
わずか20町ほどの距離にある自軍の6分の一以下の家康軍に対してあの醜態晒した
100パーセント秀吉の戦術的大敗だろうが
6倍以上兵力差あり秀吉軍は家康の5倍以上もの被害出し装備などは当然
畿内持ってる秀吉>>>>貧国ばかりの家康 だから
戦闘能力でいえば家康は秀吉の30倍以上上手だろーな
秀次の補佐役で木下兄弟がつけられ戦死してるな

秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。

>>603
柏井にいる一柳宛書状に『小牧を出た軍勢が小幡に到着したら知らせるように』と書いてるから
一応家康軍の小牧山からの移動は把握していたと思われる
しかし秀吉が動き出すのは長久手での敗報を聞いた後

すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
606人間七七四年:2012/07/06(金) 18:19:05.30 ID:tabn6KoA
戦国屈指の凡将毛利輝元に大敗した秀吉w

史料総覧  毛利氏の軍、羽柴秀吉等と播磨上月城下に戦ひて、之を破る、
萩藩閥閲録
晋叟寺文書
毛利家日記
[参考]備前軍記
[参考]浦上宇喜多両家記
[参考]陰徳太平記
[参考]御答書
[参考]總見記
[参考]柏崎物語
【管理番号】020100216456
【編/冊/頁】10編911冊179頁
【綱文和暦】天正6年6月21日(15780060210) 3条
【綱文】 毛利氏の軍、羽柴秀吉等と播磨上月城下に戦ひて、之を破る、

晋叟寺文書
天正6年8/21
今度播州上月之城従芸州被催候処、
自京都為後巻信長代官羽柴、荒木被差出、去六月21日来之、鉾盾削、就中為
虎御粉骨之被合戦於鑓下、彦六兵衛遂討死、其他京勢数多討死、
成田五郎左衛門尉秀綱(花押)
晋叟寺 衣鉢閣下

荻藩閥閲禄巻91林平八
敵敗軍太慶候、上月もはや一着候、依去21日合戦之時、与二事別抽粉骨之由候、
輝元 御判

巻115の2湯原文左衛門
桂左衛門大夫書状披見候、其元長々在番辛労之段無計候、上月表之事敵悉敗軍候、此の節之儀候条、
其表之事堅固之儀可肝要候
天正6年六月二十八日湯原弾正忠殿 
輝元 御判
天正10年5/4小早川→冷民少
如仰鴨城之儀逆意之者在之付、羽柴自身至外構詰寄、終日雖及防戦候、甲丸以堅固
之上合力即切崩、敵数多討捕之、大利得之事、
天正6年8/10毛利輝元→児玉
去六月二十一日両軍互下合終日防戦之時、敵数多討捕、
7/7輝元→児玉
去月21日於羽柴陣麓合戦之時、其方事頓懸付之由、心懸神妙候
天正7年4/20輝元→児玉
去年上月合戦之時、其方同道仕者共辛労之通、
天正6年7/2吉川・小早川連署状
一筆到啓上候、去21日合戦於羽柴陣麓合戦之時、児玉小次郎鑓に被相之無比類
被仕候、自盛重・隆重茂被加御褒美候様、
天正6年6/26輝元→児玉
態申遣之候、今度合戦勝利之段大慶候、小次郎事、無比類心懸宴神妙之至候、
6/26輝元
去23日之書状被見候、21日之合戦勝利之段大慶候、上勢与初之儀候二如此之仕合、
…中略  昨日之注進ニ敵陣悉敗北之桁由候、誠以大利之段、更々無申計候、於今者上月之儀は
一着不可有程候、申越候通路銘々可及返事候へ共、
以上児玉家文書
607人間七七四年:2012/07/06(金) 18:23:34.41 ID:Rrv3SaIi
秀吉は宇喜多・南条・大友・尼子・河野などに蹴散らされまくった雑魚毛利にも大敗した雑魚

毛利が宇喜多や南条に足を取られた隙に居留守泥棒的に鳥取・三木を掠め取ったいいが
備前・美作方面に出兵すると大苦戦
元々中国東部は尼子残党山名荒木別所などのゴタゴタで調略が有効に効きやすい
絶好の相性の場所だからなんとかなっただけ
>>606
秀吉はヘタレ毛利が上月を攻め落とし織田軍を蹴散らしたのに
安芸からの兵站の長さを理由に退却する雑魚っぷりを披露し
毛利つかえねぇwwwwとみた南条・宇喜多が離反し
毛利は数倍の国力がありながらこいつらに大苦戦。
その隙に織田方は兵糧切れの三木・同じく織田方に裏切ろうとした山名が米を売るなど物資貧困状態の鳥取などを
火事場泥棒

この頃毛利は宇喜多に数倍の国力差がありながら加茂崩れ・辛川合戦で大敗するなど苦戦しまくり翻弄されまくり備前はおろか
備中・美作でも劣勢だったがこの窮地を救ったのが鳥取を火事場泥棒した秀吉が宇喜多方に歩調を合わせ参戦してきた事で
宇喜多は戦闘ゴミレベルの秀吉のせいで忍山・祝山攻防などで大敗し窮地に陥る
備中高松の時も、秀吉は宇喜多単体で翻弄しまくっていた毛利に対し「うわwwwこえぇwwww」と
膨大な金銭や人員や時間を犠牲にし雨が降らなければ失敗していたであろう水攻めという博打に打って出るが
気概0のヘタレ毛利にはこの策が功を挺し廻りが離反だらけで劣勢な中、単独で宇喜多・羽柴を撃退するなど功を上げていた清水宗治を見事に見捨て、高松は落城。
608人間七七四年:2012/07/07(土) 02:07:25.35 ID:BorWi7jP
ここ三成のスレだよな。なんで秀吉の話してんのさ。

>>602
フロイスさんの場合、キリスト教への対応がかなりウェイト占めるからなあw
609人間七七四年:2012/07/07(土) 04:12:18.51 ID:+khD908Q
そもそもフロイスは秀吉disりまくりだからなあ。その奉行の三成がdisられるのは当然
610人間七七四年:2012/07/07(土) 10:06:23.81 ID:pPMzIIJI
キリスト教を禁止したから秀吉への目は厳しいけど
秀吉を信長より優秀だと褒めてる部分もある。
611人間七七四年:2012/07/07(土) 10:23:39.46 ID:Mg2A4ZRS
フロイスはむしろ秀吉マンセーだろ
秀吉を罵倒しだすのはキリスト教を禁教しだしてからで
それまでは小牧長久手の戦いは織田方城主が偽りの降伏をして騙まし討ちで勝ったとか
他史料には全くない捏造記事ばかり載せてるし
他にも長島も桑名も浜田も戸木もしっかり残ってるのに伊勢一国平定したとか
秀吉の捏造歪曲フィルターがかかった戦果とかがそのまま事実のように書かれてるし
612人間七七四年:2012/07/07(土) 10:34:00.25 ID:Bt4T/e/v
イエズス会年報とか日本史とか看陽禄とか外人が書いたのは
京以西の秀吉の捏造歪曲フィルターがかかった情報ばかりがかかれててデタラメばかりで
糞講談並みの信憑性しかないからな
613人間七七四年:2012/07/07(土) 10:42:57.85 ID:TOx15kzZ
秀吉厨死ね
614人間七七四年:2012/07/07(土) 11:52:41.05 ID:pPMzIIJI
またキチガイ在日君の自演大会www
615人間七七四年:2012/07/13(金) 14:42:31.12 ID:L2Rw1g3n
三成が仮に家康についたら誰が挙兵してただろうか?
やっぱ宇喜多辺り?
616人間七七四年:2012/07/13(金) 17:10:29.53 ID:rf3Ug6Rg
毛利と宇喜多が組めばあるいは
617人間七七四年:2012/07/13(金) 18:38:43.80 ID:L2Rw1g3n
関ヶ原も実質中心人物は宇喜多秀家で三成はそれに
呼応したに過ぎないって説もあるんだがどうなんだろう?

あと>>534も北政所の周辺が三成寄りだったことはわかるんだが
北政所自身と三成のやり取りは残ってないみたいだし
618人間七七四年:2012/07/13(金) 18:45:38.96 ID:sgF9zvxW
そりゃ手紙とかの物的証拠は全部消してあるだろ
さいつ様が残してたのが奇跡みたいなもん
619人間七七四年:2012/07/13(金) 19:40:38.47 ID:oMNspJbW
>>617
古文書からは全く伺えない>秀家主導
620人間七七四年:2012/07/14(土) 03:44:56.44 ID:Qs42n92Q
>>615
むしろ三成につかれると家康としては置き所に困っちゃうよな
東海道軍に置いたらどんなトラブルが起こるか分からないし
秀康と一緒にするとグルになって何するか分からないし
中山道軍で厳しい監視下に置くくらいしか方法がないだろう
621人間七七四年:2012/07/14(土) 07:24:50.00 ID:Swfj2+QG
家康にとって大切なのは大大名の統制であり、いくら畿内とはいえ20万石程度の三成なんて全体状況が固まれば
それに従わざるをえない存在。
三成の存在感ってその程度のもんだぞ?
622人間七七四年:2012/07/14(土) 08:18:00.18 ID:+zI+rSTj
家康にとって存在感がそれほどなくても
三成が入ることによる各々の指揮の低下とかそれこそ統制とかは気になるかもしれない
623人間七七四年:2012/07/14(土) 08:37:10.52 ID:Swfj2+QG
三成が家康に従うということは、家康の統制下に入るということだから、家康は七将襲撃事件の時
彼らを押さえ三成の身柄を守った前例があるだけに、家康はいわゆる反三成派と三成を
和解させることはできただろう。
それが三成にとって良い結果に成るかどうかは別として。
624人間七七四年:2012/07/14(土) 08:44:21.71 ID:tEAPMXjK
どうでもいいけど日本史板の石田三成スレ見たが、レベル低いなあそこ。未だに俗論がまかり通っているし。
こっちのほうがずっと議論が深い。あれでも学問板かと思った。
625人間七七四年:2012/07/14(土) 09:54:18.74 ID:FQBR0N6F
>>622
各々の志気って・・・それこそ後世の俗説に振り回されすぎ。
626人間七七四年:2012/07/14(土) 11:24:54.72 ID:+zI+rSTj
>>625
別に三成が嫌いだから家康についたってやつを鵜呑みにしてるわけじゃないよ
それこそ一番槍対決とかの感じで良くも悪くもちょっとした影響くらいは出るのかなー程度のもん
でも>>623でわりと納得
627人間七七四年:2012/07/14(土) 12:30:12.55 ID:FQBR0N6F
ああそういうことね。納得。
628人間七七四年:2012/07/14(土) 12:34:09.75 ID:ejfBTaqs
>>624
あの板は日本史全体が対象で「広く浅く」だからね。
戦国時代に特化したこの板の方が深くて当然。
629人間七七四年:2012/07/14(土) 13:08:03.67 ID:FQBR0N6F
あっちは古代や中世は割と議論が盛り上がってるんだが
630人間七七四年:2012/07/17(火) 19:42:32.08 ID:xVDmr3UO
なんか色々調べてたら、三成さんが仕官〜秀吉死亡までに
行ったとされる業績のうちどれが本当でどれが創作かわからんくなってきたぞ。
兵站で活躍したってのも司馬の創作ってなら、天正期の合戦の殆どに従軍してるが
一体何やってたんだろうか?ただの政治秘書?
それとも秀吉の合戦の殆どに従軍してたってのも創作?
631人間七七四年:2012/07/17(火) 20:11:13.20 ID:7lLjNfJY
>>630
戦時は武将。平時は政治秘書。別に役割が分化してたわけじゃない。
その時期その時期にちょうどいいポジション御役目を与えられただけ
632人間七七四年:2012/07/17(火) 21:01:33.35 ID:e6NnbmXy
あの時代に政治か合戦片方しかやってないやつなんざいないだろ
633人間七七四年:2012/07/18(水) 00:52:30.67 ID:Eum75SiZ
書状や記録追っていくと浣腸とかもやってたみたいだしな。
634人間七七四年:2012/07/18(水) 19:42:42.58 ID:K3/uJJZy
映画「のぼうの城」のCM動画をようつべで視た
野村萬歳の成田長親はともかく、上地雄輔が石田三成ってどういう冗談よwwww
635人間七七四年:2012/07/18(水) 19:52:02.94 ID:8BmSGQo3
ついでに三成の部隊が赤備えなんだよなwなんだありゃ
636人間七七四年:2012/07/19(木) 00:19:13.37 ID:EAseXDIL
寺のお茶汲み小僧をスカウトしてんだから秀吉も最初から武勇は期待してなかっただろ。
637人間七七四年:2012/07/19(木) 01:12:08.49 ID:/XNCM8V9
そのお茶汲み話自体が創作なんですけど
638人間七七四年:2012/07/19(木) 21:59:13.43 ID:oUa73r7V
>>630
よく言われる兵站の名手とか太閤検地を立案したとかは後世の捏造とみていい
実際のところ何故三成がこれほど飛びぬけた出世をしたのかはよく分からない
というか当時の人間の多くも分からなかった
武断派が三成を言葉巧みに讒言を繰り返す奸臣とみなしたのも裏を返せば
彼らですらそう考えなければ出世の理由が分からなかったからともいえる
秀吉なりの考えがあって出世させたのかもしれないがそれをきちんとアピールできなかったのが豊臣の致命傷になったとも考えられる
639人間七七四年:2012/07/19(木) 22:43:06.14 ID:yeeeIzAX
あのさ、正直、自分は武断派が好きで三成はどっちかというと嫌いなんだけど、
石田が豊臣政権下において飛び抜けてオールマイティな官僚であったのは
職歴から否定しようもないわけで、飛び抜けた出世を遂げても不思議でも
なんでもねぇよwww
ましてや、同時代人にも理由がわからなかったとかありえんわ

天正14年の堺奉行を振り出しに、
諸大名との外交面では、島津・佐竹(のちに毛利も)の「取次」を担当し、
博多の都市整備を町割奉行として担当、豊臣直轄領の代官、京都所司代を歴任
立案したかどうかはともかく、太閤検地や人掃令・刀狩令も
日本各地で実際に実施したのは石田や浅野長政だった
軍政面では、文禄・慶長の役には奉行で派遣されているわけで、
重要事項の決定・変更には三成の同意が必要で、秀吉への最終的な報告も
三成が行うという非常に強い権限を与えられた(だから、武断派と齟齬が起こった)

これだけ多様な役目をひとりで果たしえたのは豊臣政権の人材のなかでも稀で、
他にはせいぜい、浅野長政くらいでしょうに
640人間七七四年:2012/07/19(木) 23:11:04.58 ID:WAHDVVyx
飛び抜けた出世といっても従五位下だけどな
641人間七七四年:2012/07/19(木) 23:17:47.90 ID:WAHDVVyx
そして五奉行では中軸だろ
642人間七七四年:2012/07/19(木) 23:38:09.11 ID:yeeeIzAX
「飛びぬけた出世」というのは>>638の表現を引用したんだけど、
三成程度の分限から、短期間に豊臣政権の主要政策を担う中心的な
官僚になった、というのは個人的には「飛び抜けた」と言ってもあながち
間違いでもないと思いますけどね

むしろ、僕の主旨は>>638のように「三成の豊臣政権における能吏としての
実績を疑うのは暴論だ」ということです
643人間七七四年:2012/07/20(金) 01:44:44.74 ID:K/mmeJv3
>>640
豊臣恩顧の大名のうち、いわゆる子飼や古参(山崎以前からの織田系の寄騎
や直参)の官位は、ほとんどが従五位下どまり
石田個人の事情じゃなくて、全般的な傾向というか官位昇進の天井がある
織田政権下ですでにそれなりの地位にあった蒲生や池田(別格として前田)
などの織田系の大名や外様の方が、豊臣政権では官位は上になる
644人間七七四年:2012/07/20(金) 04:46:38.59 ID:bis/4Eyx
>>642
実績ではなく史料から導き出される実態と俗説の違いって話だろ。
お前の中では俗説を受け入れることが実績を認めることになるのかよ?w
645人間七七四年:2012/07/20(金) 15:18:10.10 ID:we6XbcIa
在日のキチガイが生息してるから
三成についてちょっとでも長所を書くと
すぐクソレスで埋まるなw
646人間七七四年:2012/07/20(金) 16:33:16.03 ID:f3syGlBv
>>644
んじゃ、お前が「三成は重要なポストを歴任したし、職務に関する発給文書
もたくさん現存してるけど、でも全然実績がないお!」という
「悪魔の証明」のような実態解明をすればいいんじゃね?
史料も読んだことないやつに限って、こういうこと言い出すんだよな

以下、>>644が史料にもとづいて「俗説」とやらを修正し、
「実態」を解明してくれるそうです。さぁ、どうぞ、どうぞwww
647人間七七四年:2012/07/20(金) 16:58:00.37 ID:1+V2IgD8
あ、典型的な頭に血が上った馬鹿のキモイ反応だ。おお怖い怖いw
648人間七七四年:2012/07/20(金) 17:03:07.11 ID:f3syGlBv
>>647
うーん、一行煽りなんて、それこそ典型的な馬鹿の反応なんだから
反論は論理的にしたらいいのに
無知の上に無恥の上塗りって、自分でも恥ずかしくない?
んじゃ、以下で頭に血を上らせずに、冷静に証明してくれるんだよね
649人間七七四年:2012/07/20(金) 17:04:55.27 ID:aW4Ydwhs
秀吉が死んでなきゃ1599年から福島正則と一緒に
再び司令官として唐入りに参戦するよう命じられてたんでしょ?
本当に何の功績も無かったらこういう事を任されないと思うんだが。
650人間七七四年:2012/07/20(金) 17:35:44.76 ID:bis/4Eyx
だから三成の「実績」なるものは、補給や検地なんていう技術屋としてものではなく、それこそ秀吉の意向を
公儀の政策として諸大名に周知させ展開する高等政治の面だよ。

上杉や島津などの取次として豊臣公儀と大名の利害調整をしたり、東北などでは秀吉の代官として豊臣公儀を代表して
紛争の処理をしたり。
そういうのが三成の「実績」だろ?

いわゆる良質な史料から三引出されるのは、三成はケチな技術屋官僚としての実績の持ち主ではなく、
政府中枢での政権運営においての、中心人物の一人としての実績の持ち主であって、だからこそ俗論的な三成評価は間違いだと
考えるのだが。

被害妄想満載の条件反射で他人に噛み付くんじゃなくて、少しは言葉が指し示しているものを理解する
努力をしようぜ、ID:f3syGlBvは。
651人間七七四年:2012/07/20(金) 18:14:58.50 ID:f3syGlBv
>>650
失礼ですが、言葉が指示する意味を理解する能力が足りないのは、
あなたの方ではないかと思います

まさに、今あなたが長々と長文で書いてるのが、
端的に豊臣政権における石田三成の「取次」としての重要な機能なわけで、
(んなもん、それこそ近年の豊臣政権の研究で言い尽くされてるわけで)
だからこそ、すでに>>639で、
>諸大名との外交面では、島津・佐竹(のちに毛利も)の「取次」を担当し
と書いてわけです

ただ、その事実と、三成が、取次をふくめて非常に多様な役目を担当した、という
こととどのように矛盾するのか、正直、関連性がわからないですね

取次だけ担当した豊臣政権を担当した大名は他にも多くいますが(特に初期)、
石田(や浅野・増田)のように、それ以外にも検地や軍政での
中心的な職務を担当しえたオールマイティな官僚は少なかった、という主旨です
わかります?
なんで、僕が好きじゃない三成の擁護をしなくちゃなんないのか、
複雑なんですが
652人間七七四年:2012/07/20(金) 18:30:04.20 ID:bis/4Eyx
何だかものすごい勢いで話が噛み合ってないなw
多分三成に関して似たような考えを持っているようなんだが、
それとは別の方面で熱くなっているようでw
653人間七七四年:2012/07/20(金) 18:43:35.15 ID:f3syGlBv
>>652
僕は正しい(?)2ちゃんねらーとして「煽られたら、煽り返すべし」を
信条にしているので、何というか作法というものです

実のところ、あなたが仰るように、豊臣政権にける三成の意義については
おそらく似たような見解なんだろうとは思いますけどねw
654人間七七四年:2012/07/20(金) 18:47:48.38 ID:PZBIxJmt
実に三成らしい和気藹々としたスレだな
655人間七七四年:2012/07/20(金) 19:10:37.13 ID:e6n+AjS+
>>653
つまりお前のレスは煽りでしかないと
まともに会話する気はないと
自分から自分のレスを無価値ですなんていうもんかね普通
656人間七七四年:2012/07/20(金) 19:39:29.42 ID:dYJTcrP7
そんなこと全然言ってないだろ
657人間七七四年:2012/07/20(金) 19:43:39.75 ID:dYJTcrP7
ごめん、途中で送信してしまった。

「三成は嫌いだけど評価するよ」のひとのレス自体は、
内容も論理展開もまともな良レスだと思うけどなぁ。
あおられたら、あおり返すよっていうのは書き方というか
ある種のポーズなわけで。
無価値だとか言ってるわけではまったくないし、曲解もいいとこだろ。
658人間七七四年:2012/07/20(金) 19:59:36.86 ID:e6n+AjS+
煽りレスに価値があるとは言えないわな
その目的は煽る事であって他には無いんだから
659人間七七四年:2012/07/20(金) 20:04:00.71 ID:dYJTcrP7
内容に関わる話題も提供できないで、つまんない挙げ足とるだけの
レスにも価値は全くないんじゃないのかなぁ。
その目的はおとしめることだけで他には無いんだから。
660人間七七四年:2012/07/20(金) 20:09:18.77 ID:6/1IJzRj
>>643
家康の家臣即ち豊臣の陪臣である井伊直政は聚楽第行幸の時点で既に従四位下だから
官位としては4階級も上だったんだね
661人間七七四年:2012/07/20(金) 20:40:14.50 ID:VPBOBNol
>>660
秀吉にしてみたらライバルの家臣を取り込んであわよくば分裂させようという魂胆だから井伊をあの位置につけただけ
けっして井伊を評価してのものでは無い
自分の子飼なら位は抑えても裏切る事は無いがライバルの子飼いなら位を与えてあわよくばという思いだろ

662人間七七四年:2012/07/20(金) 20:41:51.18 ID:TiqYXLmY
>>661
>けっして井伊を評価してのものでは無い

どうでもいいがそれはお前の妄想だよな
663人間七七四年:2012/07/20(金) 21:03:32.67 ID:YzV+HDMv
三成は飛びぬけた出世をしたでもなく豊臣姓を与えられたわけでもなく
関ヶ原で家康に挑んだから過大評価されてる部分もあるんだな
664人間七七四年:2012/07/20(金) 21:34:23.15 ID:LJWIiJiP
秀吉は朝鮮で戦っている武断派には何の恩賞も出さない中で三成だけ領地倍増の話を持ちかけたりしているからな
そんなアンバランスな厚遇をされたら武断派もぶち切れて殺しに来るだろうし
領地を取られそうになった秀秋も関ヶ原で裏切って襲い掛かるのも仕方がない
三成は許されない程の飛び抜けた厚遇をされた故に身を滅ぼす羽目になった
665人間七七四年:2012/07/20(金) 21:58:21.72 ID:92SApxCY
その怒りが秀吉に向かわないのは何でだったんだろ
666人間七七四年:2012/07/20(金) 22:31:49.06 ID:LJWIiJiP
直接口にしないだけで秀吉にも怒りがあったからこそ政権交代が達成された
ただしあくまで名義は三成にしておいた方が都合がよかったので
奸臣三成を豊臣のために成敗してあげたという形式を取っただけだ
667人間七七四年:2012/07/21(土) 07:50:11.94 ID:RVIhATuE
名将達が、感情論を根拠として三成を排斥した事に違和感を持つけどね。
小説的には、その方が面白く描けるんだろうけど。

諸大名が『秀吉晩年の老害→最大実力者・家康による社会安定を期待』
すれば、反徳川の三成は危険分子だわな。
上杉や毛利のように地方覇権を伸長したい輩もいたわけだし。
668人間七七四年:2012/07/21(土) 08:00:08.65 ID:ijSPW+5s
秀吉死後の豊臣政権内の家康対反家康派の対立と、三成に対してのいわゆる七将による排斥運動は
本来それぞれ別の事柄だが、事態の進行により結果的にそれらが結びつき、関ヶ原へと至った。

三成は七将に対処するため反家康派と、七将は三成排除のため家康と結んだ、というわけで、
状況によっては逆に三成が家康と、七将が反家康派と結びついてもおかしくはなかった。

ぶっちゃけ政治的偶然の産物だな。関ヶ原も。
669人間七七四年:2012/07/21(土) 08:33:08.49 ID:n2NONPUT
>>659
くいついてるおめえが一番価値ねえよ
670人間七七四年:2012/07/21(土) 09:47:25.68 ID:HfEnl6K+
>>660、661、662
豊臣政権はいわゆる武家官位制をつうじて、外様大名の統制・序列化を
行ったんだけど、その際に官位で実質的な意味があるのは、
三位以上のいわゆる公卿から
毛利、上杉、小早川、宇喜多レベルの大身の外様(もちろん徳川・前田は
別格)がこれに該当し、三位以上でも清華成りさせるかどうかが、
ひとつの序列化のポイントになる

んで、従五位や従四位程度の低い官位は、もととも数自体が多いし、
このレベルだと実質的には政治的な意味のない箔づけだから、
ぶっちゃけ井伊直政程度の陪臣に大盤振る舞いしても問題ないというのはある
つまり三位になれるかどうかが、官位昇進の場合ものすごく重要
豊臣政権に限らず、昔からそうだけど
671人間七七四年:2012/07/21(土) 10:23:43.64 ID:6InDO35U
>>670
そもそも>>660は「飛び抜けた出世」と書かれた三成の官位と比べただけでそんな話はしていなくね?
ちなみに徳川家臣の井伊に関しては
織田系大名や三好や京極、長宗我部と同じ官位で豊臣政権内では独立大名扱い
当時の秀吉がここまでしなければならない徳川やその重臣というのがポイント

聚楽第行幸
http://blog.sasakitoru.com/200602/article_23.html
昇殿を許されているのは四位の朝臣までで、行幸での歌会では和歌を詠じている
672人間七七四年:2012/07/21(土) 10:33:10.64 ID:yEPsNaKQ
>>670
つか、宇喜多は秀吉の養子だからだろうが
673人間七七四年:2012/07/21(土) 11:00:04.51 ID:6waw7OYe
養子だからという以上に、宇喜多・毛利は早くから秀吉に協力的で、
いわば豊臣政権の樹立に貢献したんだから、いろんな面で厚遇されてる。
個人的に、官位で特に厚遇されてると思うのは毛利かな。
宗家の毛利輝元だけでなく、陪臣の小早川隆景、毛利秀元がともに
三位で清華というのは破格の待遇だよね。
秀元は既に宗家を継ぐ可能性もなく、両川でもないのに参議に上らせた。
妻は秀長の娘だけど。ここは陪臣といっても毛利一門だけど、それでも凄い。
吉川広家は四位の侍従だから、これは妥当なところだけど。
674人間七七四年:2012/07/21(土) 11:54:49.35 ID:sxTLoH15
つーか、そもそも直政が四位になったのは関ヶ原後だろw
675人間七七四年:2012/07/21(土) 12:16:52.62 ID:6InDO35U
>>674
聚楽第行幸前に従四位に叙位された事は一級史料として残っているからw
寛政譜とかにあるのは間違いなw
676人間七七四年:2012/07/21(土) 12:29:00.75 ID:sxTLoH15
>>675
その一級史料って何?
677人間七七四年:2012/07/21(土) 12:39:21.61 ID:6InDO35U
ちなみに織田親族、織田系大名の池田輝政や前田利長、丹羽、蒲生、細川
大友、京極、長宗我部といった有力大名20人と同日付で四位に叙任されている
そもそも四位以上の黒束帯が昇殿許されてんだからさw
678人間七七四年:2012/07/21(土) 12:46:10.94 ID:sxTLoH15
昇殿は五位からだろ。で、史料は何よ。
679人間七七四年:2012/07/21(土) 12:47:49.54 ID:6InDO35U
>>676
禁裏御所の旧記 
天正16年4月付

まあこれ以上はスレチなんで
680人間七七四年:2012/07/21(土) 12:51:44.35 ID:6InDO35U
>>678
聚楽第行幸の昇殿のことだろ
681人間七七四年:2012/07/21(土) 12:55:30.06 ID:sxTLoH15
禁裏御所の旧記???何それ?
そんな訳の分からない表現じゃなくて史料名を聞いてんだけど。
682人間七七四年:2012/07/21(土) 12:58:28.11 ID:6InDO35U
>>681
は?
手紙類とか禁裏御所の旧記に対して史料名とか何言ってんの?
で、そちらの関ヶ原後の史料名は何?
683人間七七四年:2012/07/21(土) 13:04:37.71 ID:yEPsNaKQ
後陽成天皇から出題された「松」のお題で詠んだ和歌が残っているのは四位からだよな
684人間七七四年:2012/07/21(土) 19:26:08.31 ID:Zbdr1mkO
つか、井伊直政の話はほとんど三成に関係なくない
まぁ直政が好きな人なんだろうけどw
従四位程度は結構多いんだし、徳川家の陪臣のなかでは高いのかもしれないけど
初めからスレ違いなんだから、井伊スレでやればいいのにと不思議
685人間七七四年:2012/07/21(土) 19:32:29.24 ID:3RnWHn+Z
要は三成ごときは徳川の家臣より官位は下だという事だろ
それに必死に反論している三成厨がいるからw
686人間七七四年:2012/07/21(土) 19:35:52.62 ID:wWBUJrik
つーか井伊直政はかなり特殊な存在で、秀吉の時代家康の家臣ではなく独立大名として待遇されてたからなあ。
官位が高いのもそのため
687人間七七四年:2012/07/21(土) 20:00:58.76 ID:rScsqEaf
聚楽第行幸の昇殿ではないけど行列についてまとめた論文があった
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/3072/1/HirodaiKokushi_90_1.pdf

確かに特別な扱いで侍従以上の大名行列に参列してる
他の家臣はそれぞれの大名に供奉している形か
この時代の武家官位は侍従は従五位じゃなくて従四位相当だね
スレ違いになるからこの辺で
三成も秀吉に供奉し行列には加わっているようだ
688人間七七四年:2012/07/21(土) 20:50:34.47 ID:oMvrzmEc
官位相当は従五位下だよ。
同時期に隆景と広家が五位侍従を貰ってる。
689人間七七四年:2012/07/21(土) 21:09:58.52 ID:6InDO35U
官位相当とかまあどうでもいいのだが
天正十五年八月十八日
木下勝俊、池田輝政、前田利長、織田長盛、織田信包、織田信秀、井伊直政、京極高次、森忠政が侍従に任じられ

天正十六年四月十一日
木下勝俊を除く上記8名と筒井、大友、丹羽、長宗曽部、蜂須賀、蒲生、細川などの21名の大名が従四位に叙任されている
690人間七七四年:2012/07/21(土) 21:14:07.28 ID:6InDO35U
全部で21名の従四位叙任
691人間七七四年:2012/07/21(土) 21:32:37.91 ID:oMvrzmEc
官位相当ってのは先ず、位階ありきね。
位階の昇進があって、その後に官職。もちろん、同時に貰う事も多いけど。
692人間七七四年:2012/07/21(土) 21:40:03.80 ID:B1IKR1hf
石田のWikipediaの官位に従四位下・侍従とか記されてるがあれ叙位されてなくね
ちゃんと消しとけよw
693人間七七四年:2012/07/21(土) 21:47:21.86 ID:6InDO35U
そもそも朝臣というのは「名字朝臣」といって四位の者につくものでして…
694人間七七四年:2012/07/21(土) 21:51:18.26 ID:6InDO35U
>>671のURL先参考にして貰えばわかると思うが
695人間七七四年:2012/07/21(土) 22:10:27.69 ID:6+dLLYfm
>>691
従五位→侍従→従四位下
696人間七七四年:2012/07/21(土) 22:35:06.18 ID:oMvrzmEc
>>695
そういう事。
従五位下になって侍従になるって事で、それが官位相当ってやつ。
697人間七七四年:2012/07/21(土) 22:43:40.10 ID:B1IKR1hf
結局>>696は何が言いたい訳?侍従になった後に従四位下になるでいいのだろ

石田は三成検定でも出題されてるように従五位下・治部少輔が生涯官位だよな
698人間七七四年:2012/07/21(土) 23:13:55.32 ID:oMvrzmEc
>>697
いや、だから逆だって。
位階に相当した官職が与えられるのが官位相当。
位階が先で官職が後。
699人間七七四年:2012/07/21(土) 23:26:26.64 ID:ceIbeqyk
行幸に参列した侍従の大名衆の殆どが従四位下に叙位されてんだから別にいいじゃん
700人間七七四年:2012/07/22(日) 00:32:08.53 ID:e3xCHhiA
単純に間違いを指摘しただけだ。
井伊が四位だろうと五位だろうとどうでも良い。
701人間七七四年:2012/07/22(日) 00:46:08.56 ID:LKCNmUkZ
>>700
どのレスの何が間違ってんだよ
三成厨以外特に間違ったレスなんてないぞ
702人間七七四年:2012/07/22(日) 10:43:01.69 ID:e3xCHhiA
>>701
だから、侍従の官位相当は従五位下で、従四位下じゃないって事だよ。
そのくらい理解しろよ。
703人間七七四年:2012/07/22(日) 10:53:22.26 ID:ApIbPtVM
>>702
侍従の官位相当の話を持ち出したのは >>688からでID:oMvrzmEc=ID:e3xCHhiAだろ。
「官位相当」なら>>702だが
>>687は官位相当なんて話はしていなく、行幸に参列した侍従の大名の殆どが従四位を叙位されているから
従四位相当だねという話をしているだけで。
勿論中には侍従という官職を兼ねているが五位の者もいる。
>>695の「従五位→侍従→従四位下」とはそういう事。
704人間七七四年:2012/07/22(日) 11:01:36.61 ID:e3xCHhiA
>>703
だからな、俺は>>687
>この時代の武家官位は侍従は従五位じゃなくて従四位相当だね
っていう部分が間違ってるって指摘してるって言ってんだよ。
これは分かるな?

で、官位相当っていうのは先ず位階を得て、それから官職。
だから後から位階が上がったって事と官位相当は関係ねーの。
官位相当っていうのはそういう「決まり事」を言うのであって
侍従の人間に四位が多いとかそういう問題じゃねーの。
705人間七七四年:2012/07/22(日) 11:22:47.48 ID:LKCNmUkZ
>>704
>>703の言ってることを少しは理解しろよ
706人間七七四年:2012/07/22(日) 11:28:22.50 ID:e3xCHhiA
>>705
いくらなんでも具体的に指摘出来ないのならレスはしない方が良いな。
707人間七七四年:2012/07/22(日) 12:15:14.07 ID:sNKAZc9g
>>687は紛らわしい書き方をして>>688はそれを勘違いして
どっちもどっちだ
708人間七七四年:2012/07/22(日) 17:14:15.15 ID:4aSZDjxo
>>692
侍従は公家成大名だけど、三成は最後まで諸大夫成大名のはずだから
最終官位は従五位下治部少輔だあね
709人間七七四年:2012/07/22(日) 21:24:51.54 ID:iJNWD4jO
諸大夫成は「昇殿」が許されない
黒の袍が着れるのは四位以上からで五位の袍の色は緋
その隔たりは大きい。要はそういうことよ。
はい、この話はおしまい。
710人間七七四年:2012/07/23(月) 19:38:28.26 ID:EbboTVQ5
なんかこう、マターリ進行出来ないのか?このスレは。
戦国時代板が出来る前の三戦板時代の三成スレはもっと落ち着いたスレだったのに。
711人間七七四年:2012/07/23(月) 21:04:46.34 ID:RTOeP59m
個別の武将スレは結構どこも定期的に荒れてるかんじ
あるいは単に過疎化して住人いないか、ひたすら武将に萌えてる馴れあいスレか

まぁ、一時の関ヶ原スレ化した頃に比べれば、
三成スレはこれでも落ち着いた方だと思うw
あの時は、吉川広家と南宮山に乗っ取られ、
「毛利輝元こそが関ヶ原の真の首謀者」の連呼で
三成が蚊帳の外状態が続いたし
712人間七七四年:2012/07/23(月) 22:48:40.19 ID:TGtXEBwq
test
713人間七七四年:2012/07/24(火) 07:31:50.28 ID:sVYpADw8
なる程
豊臣政権内で下である諸大夫成の三成は殿上人ではなかったのか
714人間七七四年:2012/07/24(火) 18:54:34.59 ID:FWby35/N
そもそも一時の三成持ち上げ自体が、何の根拠もない小説や与太話がベース。
同じ敗軍の将でも、一次史料で功績が数多く残ってる今川義元や武田勝頼と違い
こいつはマジで一級史料では何の功績も残ってない。
むしろ、秀次事件始めとする政争も文禄・慶長の讒言も全部クロでしたというオチ。
信者の言う徳川史観とやらが正しいと結論せざるをえない。
715人間七七四年:2012/07/24(火) 19:28:34.39 ID:416JyzDA
>>714
長年の徳川政権にかかればどうにでもねつ造されるだろ
現代社会でさえ中国朝鮮がねつ造しまくってなにかと日本を攻撃してくるくらいだし
ともあれアンチくんはとっとと去れ
気持ち悪いんだよマジで
716人間七七四年:2012/07/24(火) 19:31:07.98 ID:416JyzDA
>>709
単なる飾りでしかない朝廷の官位なんぞ全く意味がない
そもそも桃山時代に御所で政治なんぞ行われていないのに何を一生懸命議論してるのか
そんなに石田三成人気が妬ましいのか毛利くん
717人間七七四年:2012/07/24(火) 19:34:50.31 ID:gthLpY0h
出たでた。都合の悪いことは全部徳川史観w

だから何が徳川史観でいつどうやってどんなふうに捏造されて、その捏造主体は誰なんだよ?
そこをはっきり定義し説明しろよ。そうやって正体不明の「トクガワシカン」で逃げないでさw
718人間七七四年:2012/07/24(火) 21:04:08.25 ID:FWby35/N
結局、確かなソースだとみんなから嫌われる小物だった
という評価が覆らないのでレッテルを貼るくらいしか出来ないのが三成信者
719人間七七四年:2012/07/24(火) 21:16:10.29 ID:HN6bv5Sn
>>716
その朝廷の官位に拘ったのが秀吉の豊臣政権でしてね
公家と同じ待遇の殿上人の公家成と地下人である諸大夫成には明確な差があるわけですよ
他の大名の家臣とまったく変わらない身分ですね
720人間七七四年:2012/07/24(火) 21:24:17.17 ID:FWby35/N
最前線の現場で必死に戦ってる将をだしにして出世
ありもしない失態を、妹婿共々半ボケの上司にいいつけて
自分は上司に気に入られてご褒美もGET、遠くで戦ってる将は釈明もできずに処分
完全に小賢しいスネオ
721人間七七四年:2012/07/24(火) 22:59:44.11 ID:FWby35/N
四大老五奉行が結束して家康を詰問した時も大きなチャンスだったのに
三成がしゃしゃり出て結束を乱しぶち壊しにした
722人間七七四年:2012/07/24(火) 23:31:47.55 ID:73T9nBl2
豊臣家から見ても、石田は謀反人なわけで。
徳川史観とやらで捏造する必要なんてあるのか?

石田が豊臣家を代表する立場・存在なら別だが。
そんな事実は全くないよな。
723人間七七四年:2012/07/25(水) 00:18:32.98 ID:Fe5QTGXN
五奉行の中でも四番手だからな
秀吉も深層ではコイツを信用していない
724人間七七四年:2012/07/25(水) 07:32:54.57 ID:t5V/wsx0
>>723
> 五奉行の中でも四番手だからな

お前知障だろ(笑)
725人間七七四年:2012/07/25(水) 08:11:57.98 ID:yz5GR6yB
チョンって生活保護受けてるから毎日書き込みできるんだろうな。
726人間七七四年:2012/07/25(水) 08:27:27.29 ID:JetuZ+/G
そういう低次元なレッテル貼りばっかで
ちっとも反論出来ないんだなお前ら三成信者は。
727人間七七四年:2012/07/25(水) 08:40:32.47 ID:Fe5QTGXN
反論出来るような史料も無ければ知恵も無いですから
728人間七七四年:2012/07/25(水) 16:58:54.79 ID:6B6bW18I
>>726
376 名前: 人間七七四年 投稿日: 2012/07/25(水) 09:02:16.42 ID:yz5GR6yB
行政・統治実態・軍組織整備などを無視して
国力とか持ち出す時点で
織田厨の頭はゲーム脳

ID:yz5GR6yBの目的は推して知るべし
729人間七七四年:2012/07/25(水) 19:50:17.67 ID:nvdbb6x2
三成の功績を書き記し残せても、
讃える褒めることは出来ないのが、徳川の時代。

資料が無くても当たり前で、
保存がバレたら疑われて命が危ない。
730人間七七四年:2012/07/25(水) 20:12:12.55 ID:JetuZ+/G
はい言い訳きたー。
同時代から既に酷評する史料は山ほどあるのに。
731人間七七四年:2012/07/25(水) 21:03:57.44 ID:JetuZ+/G
信者さんは、まずは当代記をはじめとする一次史料を読め。
その上で軍事行政双方で何の功績もない(よく知られるものは殆ど小説の創作)
どころか忍城攻め(この辺は成田記や関八州古戦録が詳しい)はじめ切腹ものの失態もしてる
三成が豊臣政権内で問題が起こる毎に加増されてるのと
七将襲撃事件や関ヶ原の東軍の面子が唐入りや秀次事件絡みである事実をよく見ることだ。
732人間七七四年:2012/07/25(水) 21:04:34.89 ID:EysdGnnr
無いものをあったとするならば、その証明をしないとね
カルト宗教と一緒だぞ?
733人間七七四年:2012/07/25(水) 21:50:25.79 ID:JetuZ+/G
無いものをあったと捏造してるのは三成信者。
有名なのだと碧蹄館の作戦を立案だなんていう噴飯ものの電波。
未だにWikipediaに載ってるがいい加減書き直さないとな
734人間七七四年:2012/07/25(水) 22:05:23.50 ID:9ULme5W5
ついでに官位の従四位下侍従も消しといてくれw
735人間七七四年:2012/07/26(木) 00:39:52.17 ID:69/h0t2e
徳川家にとって、三成ってそんなに忌むべき存在なのか?
その理由がわからんし、過大評価としか思えないんだが。
736人間七七四年:2012/07/26(木) 01:20:17.14 ID:+r0rI2R0
むしろ依然として人気があった秀吉の晩年の失政の数々への
フォローとして淀殿や大野治長と並んでスケープゴートにし易い立場だったって感じ。
737人間七七四年:2012/07/26(木) 01:28:03.07 ID:+r0rI2R0
この場合人気ってのは太閤記とかそういう講談的な意味での話ね
738人間七七四年:2012/07/26(木) 06:27:37.38 ID:tkKQMCCS
秀吉人気というのは江戸期に太閤記などで再生産された面が大きいけどな
739人間七七四年:2012/07/26(木) 12:34:24.55 ID:+r0rI2R0
うん、だからその再生産する際に晩年の失政のスケープゴートにされたんじゃね?
740人間七七四年:2012/07/27(金) 00:27:49.69 ID:nmli+mn3
前提となってる「三成関係は一次史料が残っていない」
というのがよくわかんないんですけど。

豊臣政権期の行政・軍政に関わる三成の発給文書や
三成宛の諸大名の書簡類は、存在自体がないことになってるんですか?
豊臣政権期の行政を知るうえでも、三成個人の行政・軍政面での
業績を知る上でも不可欠で、当然ながら一次史料で大量に残ってるんですが、
そういうのは全部無視ですか?

>>731
>信者さんは、まずは当代記をはじめとする一次史料を読め。
>その上で軍事行政双方で何の功績もない(よく知られるものは殆ど小説の創作)

つか、豊臣政権の行政を扱った日本史の論文で、三成の具体的な業績や
重要性を「何の功績もない」なんて否定するようなまともな学術論文て、
実際のところあるんですか??寡聞にして知りませんが。
それとも、三成に関する日本史の論文や研究書、あれはぜんぶ嘘か講談なんですか><?
741人間七七四年:2012/07/27(金) 01:29:41.17 ID:g06JeLPa
本当に三成個人の業績なのか?

まず、キミの知る論文では三成個人の業績をどう評価してるんだ?
その内容次第では、そもそも否定する論文の必要がなくなるわけだが
742人間七七四年:2012/07/27(金) 04:42:44.65 ID:xF7ha0GU
本当の「個人の」「業績」という文意が、正直よくわからないし
ここにこだわると不毛な議論になる嫌な予感がするんだけど
仮に、豊臣政権において、ある特定の行政・軍政職務の担当者として
名前が明記され、実際にその政策を実施し、それが文書として現在も残り、
所蔵されている(=一次史料で裏づけられる)ということなら、
三成に関しては、もろもろの奉行職、取次職に関して「業績がある」
と言えるでしょうね

例えば、太閤検地に関しては、奉行として担当した三成の作成した検地帳や
花押入りの検地尺が、実際に史料として島津領や佐竹領をはじめとする
各地に残ってるわけで、
太閤検地そのものの歴史的意義については、戦後史学のなかで
それはそれは長い論争があるわけで、評価は様々ですが、
石田三成が、いわゆる太閤検地の中心的な実施者であったことを
否定するような研究はないはずです
そりゃ、実際に現場で升で測量するのは下級の担当者ですけど
それをいうなら、実際に大坂城をつくったの秀吉じゃなく大工さんになるわけで
743人間七七四年:2012/07/27(金) 10:41:54.54 ID:ztMqjs9a
というか本当に三成個人の業績なのか?って言ってるのは個人でないとする裏づけがあるの?
否定する論文が必要ない云々言ってるけどあるなら純粋に教えて欲しい
読みたいから
744人間七七四年:2012/07/27(金) 10:42:01.79 ID:jRhPcAqd
何の功績もない=三成がニートという意味ではないだろ
三成にも並みの奉行として実績くらいはあるだろうが
西軍の実質大将を気取ってもいい程の実績はない
三成の功績という話題で検地の方にいってしまうことがその証明でしょ
745人間七七四年:2012/07/27(金) 11:48:00.45 ID:hK4ZWBTx
論文を元に判断することの欠点は
「書き記してある資料を基にしか」出来ないこと。

三成を嫌ってたと書かれた資料は多い。
「三成を一目置いていた」と書かれた資料がないから
三成を無能とするのが多い。

徳川家の世で三成を褒められる訳が無いんだから、
捨てるか、褒めないのが当たり前なんだけど。

論文は想像では書かれないからw

豊臣の実力者なんだから
なにかしら良い面はあっただろう。
40歳で世の中動かすんだから、
筋道を守るとか信じられる魅力か何かがあったんだろう。

家康からすれば、「三成は非道な奴」でないと困ったんだろう。
746人間七七四年:2012/07/27(金) 12:15:06.65 ID:UQC6FR2k
秀吉の遺言により家康が全ての権力の頂点に立ち自分が蔑ろにされたことで
権力を取り戻したいがために関ヶ原を起こし玉砕した
呼応したのは家康に権力が集中するのを防ぎたい者だけ
747人間七七四年:2012/07/27(金) 15:37:10.74 ID:htUOZ74i
内政面は兎も角、軍事面では秀吉の中国攻め〜唐入りに至るまで全ての合戦に従軍してるんだが
賤ヶ岳の際に浣腸した記録が称名寺文書に残ってるのと
小田原征伐で「こんな城水攻めしろとか無茶ぶりしすぎッスよ勘弁して下さいよ」
って書いた本人の書状が残ってる以外には本当に謎だよね。
唐入りに関しては幸州山城攻めに加わった以外は特に前線に出てないみたいだが。
748人間七七四年:2012/07/27(金) 15:39:41.60 ID:03fKgh1b
関ヶ原の三成は西軍美濃方面軍司令に過ぎない気がする
749人間七七四年:2012/07/27(金) 15:55:01.73 ID:htUOZ74i
なまじ処刑されてるから中心人物扱いされてるけど
別に世間で言われてるような「身の程を弁えずにしゃしゃり出てた」印象は無いなあ。
美濃方面だって総大将は宇喜多さんじゃないの?
治部殿は小西さん同様、身分が低いから戦後処理として潰しやすかった。
750人間七七四年:2012/07/27(金) 17:09:57.35 ID:03fKgh1b
宇喜多は元々、伊勢方面
751人間七七四年:2012/07/27(金) 20:40:44.26 ID:03fKgh1b
ちなみに関ヶ原における宇喜多の地位は名目上は兎も角、実際は三成以下
小早川同様に神棚
752人間七七四年:2012/07/28(土) 11:23:19.27 ID:sss7Ekhj
>>745
>徳川家の世で三成を褒められる訳が無いんだから

なぜ?三成は豊臣家から見ても謀反人だし、実際西軍は非公認だ。
別に、徳川家にとってタブー視される存在でもなんでもない。
それこそ、キミの妄想では?
753人間七七四年:2012/07/28(土) 11:27:15.24 ID:1QLSuGI0
つーか>>745 は大日本史とか知らんのか。
754人間七七四年:2012/07/28(土) 12:00:23.02 ID:qZfVxznP
えと、増田が軍資金出し渋ったから西軍が公認じゃないとか言ってんじゃないだろーな?
当時の豊臣家って一体何を指して言ってんの?
755人間七七四年:2012/07/28(土) 12:08:22.16 ID:sss7Ekhj
豊臣家は豊臣家だw
756人間七七四年:2012/07/28(土) 12:13:16.89 ID:qZfVxznP
>>755
だから、誰を指して豊臣家って言ってんの?
当時、奉行や大老が「年寄」若しくは「おとな」と呼ばれ、
豊臣家の家老だったわけだけど。
他の何かが「豊臣家」としての意思を表してたとでも思ってるの?
757人間七七四年:2012/07/28(土) 12:24:39.00 ID:m1+/StD4
秀吉の遺言により家康が豊臣政権の執権者だったんでしょ
あと淀や秀頼も三成が謀反人であると認めていなかったっけ?
758人間七七四年:2012/07/28(土) 12:45:52.66 ID:qZfVxznP
>>757
> 秀吉の遺言により家康が豊臣政権の執権者だったんでしょ
そんな馬鹿な。豊臣秀吉遺言覚書にそんな事は一言も書いてない。
家康は伏見で「諸職御肝煎」に命じられているけど、
これが「政務を任された」などと意訳され、それを見た馬鹿が勘違いしただけ。
実際には長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場ってだけ。
政権としての重要な決定については別途定められてる。
当然、当時淀殿に豊臣家を代表するような権限は無いし、
759人間七七四年:2012/07/28(土) 12:47:07.97 ID:qZfVxznP
途中で書き込んでしまった。
七歳の秀頼が謀反人だと認めるとか意味不明。
760人間七七四年:2012/07/28(土) 13:01:32.96 ID:m1+/StD4
はぁ?
761人間七七四年:2012/07/28(土) 13:02:59.08 ID:nuDeGR2Y
7歳の秀頼の出馬を要請したのは三成で断られたのもの三成
762人間七七四年:2012/07/28(土) 13:22:18.23 ID:TVnUrg7T
>>753
黄門様は割とアンチ江戸な人ですしお寿司。
あと黄門様の三成評は大日本史じゃなくて桃源遺事な
763人間七七四年:2012/07/28(土) 13:23:59.01 ID:m1+/StD4
>>758
9条と10条を抜き書きしてみろよ
政務を任されているのは家康だ
764人間七七四年:2012/07/28(土) 13:39:41.39 ID:qZfVxznP
>>763
あのなぁ、だから九条は所謂二頭体制についてで、
家康と利家の確認を取る事、十条は>>758に挙げた通り。
どこにも政権運営を家康に任せるだなんて書いてねーよ。
765人間七七四年:2012/07/28(土) 13:50:46.21 ID:nuDeGR2Y
>>764
二頭体制って家政は利家、政務は家康に任せるってことだろ
何事も2人の意見次第で決めよという
766人間七七四年:2012/07/28(土) 14:09:53.48 ID:m1+/StD4
>>764
自分で言ってんじゃん、二頭体制だってw
秀吉や前田が死んで庇護者が誰もいなくなった三成なんてガラにもならんわ
767人間七七四年:2012/07/28(土) 14:43:41.86 ID:m1+/StD4
当時の豊臣家=秀吉の遺言により家康の総意なら豊臣家からみての謀反人は間違いなく三成だ
三成は驕り高ぶっていた権勢を取り戻したいがために家康の付け入る隙を与えてしまった
768人間七七四年:2012/07/28(土) 15:54:14.62 ID:qZfVxznP
>>765
> 二頭体制って家政は利家、政務は家康に任せるってことだろ
違うに決まってんだろw
利家の家政ってのは十一条にある大坂での惣廻御肝煎の事で、
家康の政務ってのは十条にある伏見での諸職御肝煎の事だと思うけど、
ここで言ってるのは二人の職分についてで、
利家は秀頼側近の相談・調整役で家康は伏見での相談・調整役。
その事と九条の何たる儀も内府・大納言殿へ御意を得〜ってのとは当然別の話。

二頭体制ってのは大老・奉行が定められているが、実際の政治決定は
五奉行の決定に際して家康・利家の承認を得たり、
家康(利家)について利家(家康)と五奉行が確認するといった事が定められている
事が多いのでそう呼ばれている物だ。

利長が逼塞する事で結局この体制は崩れてしまうが、
秀吉死後の起請文で、政治決定は大老・奉行の合議によるものとなっており、
戦争当事者の徳川・上杉を除く全員の合意による決定は豊臣家の決定として何ら不備は無い。
769人間七七四年:2012/07/28(土) 16:41:06.44 ID:1QLSuGI0
>>768
浅野長政も関わってないんだが
770人間七七四年:2012/07/28(土) 16:46:49.23 ID:qZfVxznP
浅野も家康暗殺の疑いで逼塞させられてんだろ。そんな常識知らんのか。
771人間七七四年:2012/07/28(土) 16:53:28.39 ID:1QLSuGI0
家康のやったことを不法だとするのに、家康が行った逼塞は有効なのかw
また偉い理論だなあw
772人間七七四年:2012/07/28(土) 17:11:58.80 ID:qZfVxznP
>>771
前田、浅野、石田は少なくともその時点では処分を受け入れてしまっている訳で、
それを覆すのに当人が主張しても意味は無い。
だからこそ内府ちかひの条々では上記処分に言及しており、
当然石田はそれに連署していない。
773752:2012/07/28(土) 23:03:56.93 ID:sP0c1tLV
何の話をしてるのかよくわからんが、

>>徳川家の世で三成を褒められる訳が無いんだから

>なぜ?三成は豊臣家から見ても謀反人だし、実際西軍は非公認だ。
>別に、徳川家にとってタブー視される存在でもなんでもない。
>それこそ、キミの妄想では?

これはこれでいいんだろ?w
774人間七七四年:2012/07/29(日) 01:12:14.98 ID:kftCXEbV
まぁ豊臣家が公認してれば、関ヶ原は豊臣VS徳川ってことだよな
そんな論調は存在しない
775人間七七四年:2012/07/29(日) 02:31:39.57 ID:gzj5OZvJ
大老奉行制なんて秀吉が死ぬまで何の試運転もされておらず
実際に運用しなければ分からない判例など何も積み重ねられていない
要するに上記の政治決定方法の是非については個々人が脳内で勝手に解釈しているレベルでしかない
三成たちが二頭体制抜きで自分達で決定できるという妄想を抱くのは当然の欲求であって参考にならない
現代ならば最高裁判所で争うところであろうが当時はそれが関ヶ原だったというだけの話だ
776人間七七四年:2012/07/29(日) 09:12:01.69 ID:JoldGJHM
だから「豊臣家」なるものは大老・奉行と別に存在してるわけじゃないって言ってんだろ。
政治決定方法が脳内で勝手に?秀吉の遺言にきちんとあるって説明してんだろ。
777人間七七四年:2012/07/29(日) 09:14:57.39 ID:tx/p/5Ok
>>758
忘れた頃に『御肝煎』の議論が再燃するな。

>家康は伏見で「諸職御肝煎」に命じられているけど、
>これが「政務を任された」などと意訳され、それを見た馬鹿が勘違いしただけ。
>実際には長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場ってだけ。

ソースは?識者の解説でもいいや。キミの個人的な解釈なら勘弁してくれ。
778人間七七四年:2012/07/29(日) 09:22:56.99 ID:tx/p/5Ok
>>776
違うぞ。
五奉行=年寄は、秀吉と緊密な主従関係で結ばれた豊臣家の家老だが、
五大老は、秀吉と血縁関係や情で繋がった大大名。秀吉の死の目前で
『御奉行五人』として豊臣政権の『国政の執権機関』として位置づけられた。

つまり、五奉行は豊臣家家老の位置づけだが、豊臣家の家老ではない。
豊臣政権の国政執行機関だ。
779人間七七四年:2012/07/29(日) 09:23:31.03 ID:tx/p/5Ok
780人間七七四年:2012/07/29(日) 09:24:41.24 ID:tx/p/5Ok
連投スマン。自己レス。
>>778
× つまり、五奉行は豊臣家家老の位置づけだが、豊臣家の家老ではない。
○ つまり、五奉行は豊臣家家老の位置づけだが、五大老は豊臣家の家老ではない。


781人間七七四年:2012/07/29(日) 10:20:31.10 ID:JoldGJHM
>>777
先ず、十条で書かれてるのは家康が伏見で諸職御肝煎だって事と前田と長束が留守居だって事だ。
伏見では前田と長束が留守居として日常業務を行っており、家康はその「御肝煎」って事。
そもそも訴訟の取り扱いは十人衆、財政は五奉行が家康・利家の請取りを貰う、など
重要な決定事項は別途定められているのに、伏見の肝煎ってだけで
政治決定権が全て家康にあるような解釈が出鱈目なだけ。
ちなみに、「諸職御肝煎」についてだけど、これを「最高責任者」だと解釈するなら、
五奉行・五大老の「諸職御肝煎」である宇喜多は豊臣政権のトップって事になるw
>>778
五奉行は五大老の事を「奉行」と呼んでるけど、家康等は五奉行の事を「奉行」と呼んでるんだよ。
お互いが相手をただの執行機関である「奉行」に過ぎない、と主張しているって事。
ただ、これって俺が言ってる豊臣家の意思=大老・奉行の総意では無く、
豊臣家の意思=五奉行の決定って言ってる事になるんだけど、分かってる?
782人間七七四年:2012/07/29(日) 10:30:02.04 ID:bQCh8446
とにかく秀吉は、いわゆる五大老五奉行(五人のしゅ 五人の物)の権限分担や仕組みを全く指示せずに死んだ。
そうである以上、彼らは実力で自分の権限を設定せざるを得ない。

豊臣政権というのはそれまでも仕組み、組織のはっきりしない政権だったが、その曖昧さ(秀吉の独裁運営には
都合が良かった)の弱点が秀吉死後一気に出てきたのだと見るべきだな。
783人間七七四年:2012/07/29(日) 10:57:49.51 ID:gzj5OZvJ
>>776
遺言にどう書かれていようとそれはしょせん紙の上のことに過ぎない
現実に運用すれば乖離が発生し解釈の争いが出てくるのは現代の憲法を見ても一目瞭然だ
三成たちは家康を排除して政治決定が出来るという解釈をしたがるし
家康は自分が筆頭として政治決定を握るという解釈をしたがるのは当然であり
これらは別に遺言違反でもなんでもない
内府ちかひの条々だって現代風に言えば「〜が憲法違反だ」と裁判に訴えたというレベルでしかなく
訴えたから家康の行為が遺言違反だと確定するわけでもない
そして法解釈の争いに決着をつけるのが関ヶ原という裁判だったというだけだ
結論からすれば家康が勝訴したのだから家康の解釈が正しい
後で家康が幕府を作ったり秀頼を倒したことは別の問題であってこれには関係ない
784人間七七四年:2012/07/29(日) 11:22:15.52 ID:tx/p/5Ok
>>781
ちゃんとポイントを抑えてくれるかな。
「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758
のソース、もしくは識者の解説を求めている。

奉行の呼称云々の話もしていない。
五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関。
>>756>>776の認識は誤りだと思うが。

>豊臣家の意思=五奉行の決定って言ってる事になる
ならない。五奉行は行政実務担当。豊臣家の意思決定機関ではない。
現に、増田等が西軍に参加したところで、豊臣家=西軍ではない。
キミは、関ヶ原が徳川家VS豊臣家と主張してるんだったっけか?w
785人間七七四年:2012/07/29(日) 12:14:29.47 ID:JoldGJHM
>>784
だからソースは豊臣秀吉遺言覚書だよ。説明してんだろ。
「何に対して」→同条で前田と長束が留守居ってなってんだから当然それに対する物。
「どういった権限」→宇喜多の例を挙げてるよね。
で、そもそも家康が独断で政治決定を行えるような権限があっただなんて
主張してる研究者なんて聞いた事ないんだけど。

呼称の話をしてない?何言ってんの?
> 五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関。
これって阿部氏の主張が元だと思うけど、その根拠がその「呼称」なんだけど。
ただ、それについては堀越氏が逆に五奉行を「奉行」だと呼んでいる物があり、
互いに相手を「奉行」と呼んでいたって言ってんの。

> ならない。五奉行は行政実務担当。豊臣家の意思決定機関ではない。
自分で家老って言ってんじゃんw
家老(年寄)ってのは当主に次ぐ家臣団の最高職であって、
当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事なんだけど。
っていうか、
> 五奉行は行政実務担当。
これじゃ、「奉行」って事で、上で言ってる「家老」ってのと矛盾してんだよ。
786人間七七四年:2012/07/29(日) 12:49:38.32 ID:tdX13OnZ
どうのこうの言っても現実では奉行は浅野石田は失脚
大老も家康以外は問題ありの状態になっちゃったからねぇ
787人間七七四年:2012/07/29(日) 12:54:49.01 ID:tx/p/5Ok
>>785
であれば、キミは勘違いをしている。
浅野家文書・豊臣秀吉遺言覚書第十条では、留守居の責任者を徳川家康とし、
前田・長束は家康の留守に就く事としている。

キミは、大老が豊臣家に属するとしているだろ?(>>756>>776
『五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関』
なので、その認識は誤っていると言ってるんだよ。
繰り返すが、五大老は豊臣家の家老ではない。

>当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事
初めて聞いた。簒奪目的の家臣は別として、それは暴論でしょ。

>「奉行」って事で、上で言ってる「家老」ってのと矛盾
別に矛盾しないよ。言ってみれば、家老は職階、奉行は職名。
788人間七七四年:2012/07/29(日) 13:34:05.72 ID:JoldGJHM
>>787
だからさぁ、一体どこに「責任者」なんて書いてあるんだよ。
「諸職御肝煎」については説明したんだけど。
で、お前前田と長束が徳川家康の留守を預かるって思ってんの?
留守って秀吉(秀頼)に決まってんじゃねーか。
何で伏見城が家康の城になってんだよw

> なので、その認識は誤っていると言ってるんだよ。
だからな、
> 『五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関』
これは堀越氏に否定されてんだよ、って教えてあげたはずなんだけど。

当主が不在、若しくは幼君である場合、家臣団の合議によって家の運営は行われるのは
当然で、家老ってのはその長。まさかこれが初耳だって言いたいわけ?
ってか、だったら誰が家の意思決定をすると思ってんの?

> 別に矛盾しないよ。言ってみれば、家老は職階、奉行は職名。
じゃあ何か?家老ってのは実務担当者程度の権限しか有して無いとでも思ってるのか?
789人間七七四年:2012/07/29(日) 13:59:04.11 ID:xiCdRbje
そもそも秀吉在世時から豊臣家において、「奉行」の権限も職域もきちんと定義されていない。
事実から言えば奉行はあくまで秀吉の意志を実行に移す使いっ走り、あるいは秘書官に過ぎず、
彼らが主体的に豊臣政権の意思決定に関わったことはなかった。

そういった秀吉の時期からの慣例で考えれば、奉行は政権の意思決定に関わるものではなく
奉行衆自信がどう考えようが、彼らは行政技術者に過ぎない、と捉えられても仕方がないし、
実際「大老」はそう考えたと推測できる。
790人間七七四年:2012/07/29(日) 14:02:54.28 ID:JoldGJHM
>>789
だからお互いが相手を「奉行」って言ったんだよ。
791人間七七四年:2012/07/29(日) 14:15:27.95 ID:tx/p/5Ok
>>788
第十条の初文そのものと、宮部継潤作成・豊臣秀吉遺言覚書 第二条にあるよ。
・「伏見ハ内府御座候て、諸職被成御肝煎候へと御意候、・・・」
・「・・・、内府『惣』様御留守居候事、・・・」

なので、それを否定するキミの
「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758
のソース、識者の解説を求めてるんだが?キミは全く提示してないよ。

堀越氏は否定してないよ。

『当主が幼君だと家老が代表するという事』が初耳w(>>785
意思決定は個別様々だろう。少なくとも、関ヶ原で豊臣家が旗幟を西軍としなかった
のは、増田・長束等の奉行が決定したことではない。

職階と職名の違いを調べた方がいいよ。
同じ職階で、違う職名なんて普通にあるよ。
792人間七七四年:2012/07/29(日) 14:15:42.27 ID:xiCdRbje
>>790
だけど、そもそも秀吉が死ぬまで使いっ走りに過ぎなかった三成ら「秀吉奉行」たちが、
秀吉が死んだ途端「実は使いっ走りじゃない」と言っても説得力はないだろ。
みんな彼らが使いっ走りであることを見ていたんだから。
793人間七七四年:2012/07/29(日) 15:12:20.53 ID:JoldGJHM
>>791
全く根拠になってないよ。
> ・「伏見ハ内府御座候て、諸職被成御肝煎候へと御意候、・・・」
諸職御肝煎は「責任者」とはならないってのは説明した通り。
> ・「・・・、内府『惣』様御留守居候事、・・・」
前田・長束が一番、その他一人が二番、家康が全体的にって事であって、
当然序列を表す言葉じゃない。
もちろん、この中に伏見の留守居=全ての政治決定権があるなんて内容は一切見当たらない。

そもそも家康が独断で政治決定を行う権限を持ってたって主張してる研究者って誰よ?
俺はそんな人は知らないんで、それを否定も何も無いんだけど。

> 『当主が幼君だと家老が代表するという事』が初耳w(>>785
俺のレスにきちんと答えられて無いんだけど。
当主が自らの意思を決定出来ない場合に、家臣団がその家の意思決定をするのは
当然だと思うんだけど、これを否定する理由は何?
> 意思決定は個別様々だろう。少なくとも、関ヶ原で豊臣家が旗幟を西軍としなかった
だからその「豊臣家」なるものが別個に存在していると思ってるのが間違いだって言ってんの。
豊臣政権と豊臣家が分けられたのは片桐が家老として置かれた関ヶ原後の話。
それまでは豊臣政権=豊臣家だ。

> 堀越氏は否定してないよ。
阿部氏が主張したのは「五奉行」=「年寄」で、「五大老」=「奉行」だったって事。
で、奉行ってのは実務の執行機関だから、国政レベルの権力の執行機関だったって言ってるわけ。
で、それに対して堀越氏が五大老は五奉行の事を「奉行」って言ってるわけで、
お互いが相手をただの実務担当だと主張したって言ってんの。

> 職階と職名の違いを調べた方がいいよ。
> 同じ職階で、違う職名なんて普通にあるよ。
「おとな五人」「御奉行五人」と同じ条文に分けて書かれてんだけど。
794人間七七四年:2012/07/29(日) 15:41:15.60 ID:JoldGJHM
>>792
> みんな彼らが使いっ走りであることを見ていたんだから。
例えば島津が
「江州沢山ノ城主石田治部少輔、太閤公ノ為股肱ノ臣其勢威無比肩人〜」
って言ってんだから、みんながただの使い走りだと思ってただなんてのは無理があるな。
取次にしても単純に奏者としての物と御指南としての物がある訳で、
前者は使い走りに近いけど、後者はもっと上位の権限を持っている事になる。

とは言え、家康方は五奉行を「奉行」と言っており、そこには「ただの使い走り」という
意味合いがあったと思うけどね。
795人間七七四年:2012/07/29(日) 15:50:25.76 ID:tx/p/5Ok
>>793
>諸職御肝煎は「責任者」とはならないってのは説明した通り。
いや、誤魔化さないでさ。まずは、
「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758
ソース、もしくは識者の解説を提示してくれ。何度も言わせないでもらえるか?
少なくともこの条文をもって、『伏見において、家康が国家の政務を委ねられた』とする識者は明確にいる。

>伏見の留守居=全ての政治決定権があるなんて
>家康が独断で政治決定を行う権限を持ってた
いやその前に。そもそもこんな極論を誰が主張したんだ?レス番で教えてもらえるか?

自分の発言に責任持ちなよ。そもそも>>785でしょ。
>当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事なんだけど。
家臣団が、幼君だからとこれを差し置いて『代表する』というのがおかしいと言っている。

> それまでは豊臣政権=豊臣家だ。
なわけないでしょ。政権を構成する五大老は豊臣家ではない。

>お互いが相手をただの実務担当だと主張したって言ってんの。
本当によく誤魔化そうとする人だ。こんな話はしていない。
『五奉行は豊臣家の家老であり、五大老は豊臣政権の国政執権機関』
要約しているが阿部氏はこれに触れており、堀越氏はこれを否定していない。
五大老は豊臣家には帰属しない。キミの>>756>>776は誤った認識。

職階、職名の話はいいや。会社務めになればわかるよ。
796人間七七四年:2012/07/29(日) 17:00:03.48 ID:JoldGJHM
>>795
だから何度も言っているように、ソースは同文。
俺が主張してるのは>>758で言っているように
「政務を任せられた」と意訳されている物を>>758のように
「豊臣政権の執権者」だったと勘違いしているという事。
お前が証明すべきは
> 『伏見において、家康が国家の政務を委ねられた』とする識者は明確にいる。
こんな事じゃなくて、「家康は豊臣政権の執権者」だったという事。

> いやその前に。そもそもこんな極論を誰が主張したんだ?レス番で教えてもらえるか?
え?じゃあ何か?家康にはそんな権限は無かったって言いたいの?
そうすると西軍が非公認って事の根拠に家康が豊臣政権の執権者だった
って挙げている>>757は全く無意味って事になるんだけど。

幼君を蔑ろ?意味が分からない。
本人に意思決定する能力が無いのに他にどうしろと?w

> なわけないでしょ。政権を構成する五大老は豊臣家ではない。
こりゃまた驚いたけど、五大老は豊臣家の家臣じゃないって言いたいの?
少なくとも秀吉は「家」による統治を志向していた訳で、
家康以外の大老は豊臣姓・羽柴氏を下賜されてるし、
家康も羽柴氏を名乗っていた形跡があり、当然豊臣姓も下賜されたと考えられる。

「国政レベルでの権力を執行する機関」ってのは、
この場合の「奉行」に対する説明って事は分かるよね?
で、堀越氏は「奉行」という呼称は必ずしも五大老に対する呼称ではなく、
お互いが相手をそう呼んでいたって言ってるわけ。
それは相手をただ命令を奉じて執行するだけの機関だと主張してるって事。

> 職階、職名の話はいいや。会社務めになればわかるよ。
あんまり幼稚な煽りはやめた方が良いな。恥ずかしいよ。
797人間七七四年:2012/07/29(日) 17:32:01.95 ID:tx/p/5Ok
>>796
だから何度も言ってるわけだけど。
豊臣秀吉遺言覚書第十条のどこをどう読んだら
>「諸職御肝煎」=長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場(>>758
になるの?原文をソースに持ってきても意味ないでしょ。キミの訳の根拠を聞いてるわけだから。
繰り返すけど、この条文をもって『伏見において、家康が国家の政務を委ねられた』とする識者は明確にいる。
一般的・普遍的な認識をキミが否定する以上、証明責任はキミにある。

キミは本当に卑怯な人だな。
こちらが主張していない極論を、さも主張したかのようにソース要求するから、
そのレス番を求めただけだ。(>>795
誤魔化さなくていいから、レス番を示そうよ。それとも、嘘つきだったのかな?w

>五大老は豊臣家の家臣じゃないって言いたいの?
またこちらが言ってもいない事を、堂々と押しつけてくるね。
五大老は豊臣家ではない。誤りがあるとすれば宇喜多秀家だね。それは認める。
五大老は豊臣政権の国政執権機関だ。これは阿部氏も主張している。

本当に同じ事を何度も言わせないで欲しいな。
相手をどう呼称していようがどうでもいい話。
五奉行が豊臣家の家臣であり、五大老が豊臣政権の国政執権機関であること。
堀越氏はこれを否定しているのか?イエスかノーで答えてくれ。
そして否定しているというのなら、掲載文献を教えてくれ。
こちらが読んだ堀越氏の主張は転載文だが、答えはノーだ。

この程度は煽りのうちに入らないよ。短気なんだね。
798人間七七四年:2012/07/29(日) 17:44:54.51 ID:tx/p/5Ok
>>796
追記。なんか「政務を任された」のトーンが随分変わってないか?w
ネガティブな表現だったのが、いつのまにかポジティブだね。
本当に卑怯だな〜。

>>758より
>家康は伏見で「諸職御肝煎」に命じられているけど、
>これが「政務を任された」などと意訳され、それを見た馬鹿が勘違いしただけ。
>実際には長束と前田が日常的に行っている業務の相談役のような立場ってだけ。

>>796より
>「政務を任せられた」と意訳されている物を>>758のように
>「豊臣政権の執権者」だったと勘違いしているという事。
799人間七七四年:2012/07/29(日) 17:46:26.74 ID:VCUHvvem
>>790
家康が奉行なら利家や輝元も奉行になる
でもいくら三成が紙の上の文言を振りかざして威張ったとしても現実として利家や輝元の後ろ立てがなければ三成は何もできない
三成の自分は年寄でもう一方は奉行だなんて主張は完全に現実と乖離し破綻しており説得力がない
というか本当に三成は関ヶ原でも自分は年寄で輝元は奉行と呼んでいたのか?
そこまでいったらただの馬鹿だよなw
800人間七七四年:2012/07/29(日) 18:00:04.82 ID:xiCdRbje
『とりわけ、秀吉が自らの死後の豊臣政権の存続をどのように構想していたかを示すとみられる「豊臣秀吉遺言覚書」
というべき史料が注目される
(略)
全11条であるが、6条目までは家康・前田利家・徳川秀忠・前田利長・宇喜多秀家、そして上杉景勝・毛利輝元らに対し
秀頼の取り立てを要請している。第7条では五奉行たちが連携して秀頼を盛り立てるようにと命じている。
第8条では、五奉行は蔵入地などの算用を行い、家康・利家の検閲を得ること、第9条では何事も家康・利家の
御意を得て行うこととしている。
第10条では家康は伏見城にあって政務をとること、第11条では利家は大阪城にあって秀頼を補佐することを、それぞれ
命じている。

このように先の秀次事件の際には家康と輝元とが重視されたのであるが、臨終に際しては、主として家康と利家に
後事が託されたのであった。とりわけ、政務を託された家康が置かれた立場は重要で、まさに五大老の筆頭として
豊臣公儀を担うことになったといえよう。宮本義巳氏はこの様な「遺言覚書」に基づく統治の仕組みを、「秀吉遺言覚書」体制
と呼ばれている。

慶長3年(1598)8月18日、秀吉は伏見城中で波乱にとんだ63年の生涯を閉じた。その死の前後から、家康と五奉行、
とりわけ三成との不和が表面化し、権力闘争が激しくなっていった。あらためて起請文が交わされたが、
とりわけ9月3日付の五大老・五奉行による連署起請文は「十人連判の誓紙」と呼ばれて重視された。秀頼を尊重することは
もとより、相互に隔意が無いよう誓っているが、「諸事御仕置」については「十人の衆中多分に付て」、つまり
五大老・五奉行の多数決によって決めるとされている。明らかに「遺言覚書」で政務を任されたはずの家康の裁量権が
制約されていて、宮本氏は三成の画策があったのではないかと推測されている』

本多隆成『定本・徳川家康』(p179〜180)
801人間七七四年:2012/07/30(月) 00:46:24.86 ID:ZT9T8G/S
>>785
>家老(年寄)ってのは当主に次ぐ家臣団の最高職であって、
>当主が幼君である以上、豊臣家を代表する立場なのは当然の事

三成がこういう自信(というか願望)を持っていたのは事実だろうね
それを粉々に打ち砕いて否定したのが七将事件なわけ
豊臣家老・家臣団の最高職を自負する三成が今までリンチされずにすんだのは「大老」たる利家の威光のおかげ
リンチされそうになったのを助けてもらえたのは「大老」たる家康の威光のおかげということになり
三成は紙切れを盾に威張っていただけで実際は何の力も権威もないことが白日の下に晒された
この事件によって三成側が奉行・家康側が大老であることが確定したと言っていい
三成だって返り咲きをするためには毛利・宇喜多という大老の力にべったり依存するしか道はなくなったわけだしね
結局のところ自身の力を持たない奉行が大老の方を奉行に落として自分達が年寄と称することに無理があった
802人間七七四年:2012/07/30(月) 02:15:21.92 ID:axd9py7B
そうか?
豊臣家の親族でもないし、官位も従四位下だっけ?
豊臣家を代表するのは、身分から言って常識的に無理だろ
豊臣政権の実権を握りたい、ってのならわかるが
803人間七七四年:2012/07/30(月) 07:29:32.05 ID:gq5YWqnU
従五位下って上で言ってた
804人間七七四年:2012/08/01(水) 12:01:06.40 ID:eEuNM3+T
豊臣を統率する格も実力も足りないのに秀吉の遺言を盾にすれば
奉行が豊臣を支配できると勘違いしたのが三成の過ちでしょ
805人間七七四年:2012/08/01(水) 21:05:59.12 ID:Kxp4w1sj
>>804
なんだよ「勘違い」ってw

勘違いな訳がないだろw子供かよw

三成は石高も無いんだから武力を頼りにするなんて出来ない、
あるのは、
「縁」と「筋道」と「約束に対する信義」だろ。

それを家康は、「人の感情」と「武力」と「約束の無視」で、
「三成嫌いを理由に、「取り決めを破りたい人」達」を集めていった。

世の中は約束を守る人だけでないことは判るだろw

武力が頼りの世の中を背景にして、
単純に「武力と好き嫌いだけ」で戦った家康。
武力を使わずに、
「約束事を強調して豊臣を守ろう」として守れなかった三成。
それだけ。

あとはそれぞれ個人の好き嫌いだろう。
武力を持たない「嫌われ者の三成」に半分の人間が付いた事に意味があるんじゃないか?

頑固だが「道理を持っている者」と、
「武力」で解決できてしまえば、約束も破る人達の争い。
806人間七七四年:2012/08/01(水) 21:23:46.57 ID:wvbgrGnv
>>805
いろいろとツッコミ所満載だなw
「失った自分の地位を守ろう」と「バカな戦」をしたのが三成
取り敢えず「半分の人間が三成に付いた」わけでは無いなw
807人間七七四年:2012/08/02(木) 02:13:59.64 ID:RhgWuOw+
>>805
なんだよ「好き嫌い」ってw

好き嫌いな訳がないだろw子供かよw

秀吉の老害で、豊臣家は求心力を失っている。
豊臣家を守る、なんて既にナンセンス。
毛利だって、心底は豊臣家なんぞにはなく、自国領域の拡大。
上杉も五十歩百歩。速攻土下座は戦乱長期化の見込が外れたから。

そもそも豊臣家の事を本当に考えるなら、挙兵は下策。
秀吉の敷いたレール通り、徳川と緩やかに融合するべき。
挙兵は三成自身の政権返り咲きを企図しただけ。
808人間七七四年:2012/08/02(木) 03:16:02.49 ID:9z5LUOcW
徳川と緩やかに融合なんて出来ないよ。
自国領域の拡大と権力拡大を目指してる家康が相手なのだから。
歳だから尚更だったよ。

三成の挙兵が下策かどうかなんて負けたから後付けしてるだけで、簡単に判断できない。
不確定要素が多すぎた戦だよ。

政権返り咲きを企図なんていらない。
大義名分があるのは豊臣側だから。

自国領域の拡大を家康みたいに勝手に振舞って行うのが平気な武将か、
西軍の大名の様に、大義名分を探して理由をつけて戦うかなんだよ。

豊臣の為に、嫌いな三成を東軍について討つ馬鹿もいたけどw
809人間七七四年:2012/08/02(木) 03:44:15.44 ID:cQGjNxrM
>>808
> 三成の挙兵が下策かどうかなんて負けたから後付けしてるだけで、簡単に判断できない。
> 不確定要素が多すぎた戦だよ。

不確定要素が多いのに挙兵するのを下策という
810人間七七四年:2012/08/02(木) 07:26:26.47 ID:GQOxv+Kb
>>808
>大義名分があるのは豊臣側

どっちも豊臣だろ
811人間七七四年:2012/08/02(木) 09:07:05.09 ID:MJBy1zgR
よっぽど家康が嫌いなんだねえ
812人間七七四年:2012/08/02(木) 17:13:27.37 ID:Szpun+CE
徳川は豊臣に歯向かう上杉を公儀として征伐に赴いてる
それを後背から弾劾状送って宣戦布告した西軍
西軍が公儀として活動してたのかな?
813人間七七四年:2012/08/02(木) 17:41:27.15 ID:pS50AroW
所詮は軍事政権同士の争い。
そこには正義も悪も無い。
あるのは勝者と敗者だけ。
814人間七七四年:2012/08/02(木) 23:43:01.68 ID:PRnS8ZCS
>>808
徳川家の領域が拡大したのも、権力が極大化したのも、
全て関ヶ原の勝利によるものだよ。

不確定要素が多い挙兵である以上、これは結果論ではない。
イチかバチかの愚策。主家である豊臣家を巻き込んだ三成の罪は重い。
福島・加藤の方が、余程豊臣家の事を考え、現実的な対応をしていた。
815人間七七四年:2012/08/03(金) 00:43:59.69 ID:bte5McKz
時間が経てば三成は更に不利になるからねぇ
816人間七七四年:2012/08/03(金) 02:19:38.06 ID:iFkiKF/+
関ヶ原は豊臣VS家康じゃなくて豊臣VS豊臣ですやん
817人間七七四年:2012/08/03(金) 16:14:41.36 ID:ZBFHdhAC
いや、後世の史観では豊臣対徳川だよ
戦後は実質家康の政権が確立して豊臣家は一大名に叩き落されたからな
818人間七七四年:2012/08/03(金) 16:57:24.52 ID:sv95C2Gl
いや、家康対反家康
豊臣は日露戦争の清の如く、当事者なのに何も出来ず
819人間七七四年:2012/08/03(金) 19:03:31.22 ID:+VVH5/ul
>>808
自国領域の拡大を勝手に振舞って行ったのは毛利とか上杉とか西軍大名の方だよ
家康は関ヶ原前も関ヶ原戦役時も別に自国領域の拡大などやっていない
関ヶ原後に三成を討伐した恩賞として豊臣から貰ったに過ぎない
820人間七七四年:2012/08/04(土) 13:29:09.46 ID:mTxuNpeA
豊臣家にとっては、家康が死ぬのを待てば良かっただけ。
ただしその場合、三成が政権中核に復帰出来る可能性は低い。

三成=忠義の人、なんてとんでもない勘違い。
821人間七七四年:2012/08/05(日) 23:51:05.81 ID:AbtaXUJb
権力志向で挙兵したのなら評価出来るんだが、
豊臣家のために挙兵だと、只の浅慮じゃね?
822人間七七四年:2012/08/06(月) 15:34:02.62 ID:tz1N1KuO
三成が要職を外されてから、

時が経てば経つほど、挙兵の際の仲間は減っただろう。
西軍は、数が優先順位としてあっただろう。
嫌われてるからこそ、家康をのさばらせると不利になるばかり。
大名達は領地拡大の混乱を狙っているんだから、
三成の命令に「効きめを持つ今のうちに挙兵」と言う選択は外れていない。
権力志向はどの程度か、知らん。
823人間七七四年:2012/08/06(月) 23:19:02.38 ID:AkvVEMJk
笹尾山まで仏郎機砲五門どうやって牽引したんだろ
824人間七七四年:2012/08/06(月) 23:38:53.33 ID:5kZicKjO
軍記には大筒としかない
825人間七七四年:2012/08/07(火) 08:42:04.90 ID:8X+fb7wT
抱え筒みたいなのでも、大筒って記述するのかな?
826人間七七四年:2012/08/07(火) 09:22:34.80 ID:h7t6ROmx
実用的な抱え筒は三〇匁程度が限界
それ以上は置き筒になる
827人間七七四年:2012/08/07(火) 19:17:32.86 ID:8X+fb7wT
>>826
や、別に抱え筒でも置き筒でもいいんだけど、「大筒」って記述されるのはどのサイズから?
828人間七七四年:2012/08/07(火) 19:48:13.25 ID:h7t6ROmx
置き筒なら大筒、抱え筒なら大鉄炮
サイズで言うなら20匁以上
829人間七七四年:2012/08/07(火) 20:08:15.81 ID:MKrFIbp7
まあ関ヶ原で三成が使ったという「大筒」は、現代人がイメージする大砲とは別物だろうね。
830人間七七四年:2012/08/29(水) 23:45:38.09 ID:vqhoLObH
831人間七七四年:2012/08/30(木) 05:56:55.53 ID:tFvJch7s
そんなもんだろな
832人間七七四年:2012/08/30(木) 15:32:24.10 ID:FDehaGiZ
833人間七七四年:2012/08/31(金) 00:38:44.17 ID:FaO6I8CU
来月行ってみようと思っていたが実は難易度高い山なのか?
備中松山城とかよりは楽?
834人間七七四年:2012/08/31(金) 07:59:40.08 ID:VY1J2o8S
>>833
佐和山で遭難なんてある意味奇跡的な芸当だぞw アホが迷子になっただけだろ。
835人間七七四年:2012/08/31(金) 11:35:50.87 ID:MLbL2xlK
豊臣家は家康が死ぬのを待てばよかったっていう馬鹿が多いな

家康が豊臣家の一忠臣として余生を過ごしてくれたとでも思ってるの?

836人間七七四年:2012/08/31(金) 12:44:10.31 ID:+0Nn7adA
そもそも家康を招聘しなければいけないほど政権運営に失敗した時点で諦めろということ
三成だって政権中枢にいて失政に誰よりも深く関わっていたのだから
偉そうな顔で批判できる立場じゃない
むしろ三成こそ真っ先に批判されてクビになるべき人間なんだよ
家康はあくまで豊臣の失政を受けて天下を立て直しただけに過ぎない
837人間七七四年:2012/08/31(金) 13:56:17.82 ID:MLbL2xlK
>>836
え〜っと・・・本物の馬鹿ですか?
「豊臣家は家康が死ぬのを待てばよかったっていう馬鹿」の話をしているのに
「そもそも家康を招聘しなければいけないほど政権運営に失敗した時点で諦めろということ(キリッ)」
って・・・論点がズレまくっていることに気づかないの?
しかも秀吉が家康を政権に取り込もうとした時点の情勢で諦める?正気?

ちなみに石田三成はどういった政策に深く関わっててどんな失敗をしたの?
秀吉の命令を覆すほどの権限を持っていたの?
誰が偉そうな顔で誰を批判してるの?
838人間七七四年:2012/08/31(金) 14:46:46.29 ID:+0Nn7adA
豊臣政権は関白を粛清しその後も朝鮮出兵にのめり込み政権運営を誤った
だから家康を招聘せざるをえない状況に自ら追い込まれて五大老五奉行という中身のない飾りで自分の失政をごまかしていた
三成はもちろん他の奉行も含めて全員が後継体制の失敗や外征の失敗について奉行として責任を取り辞任しなければいけない身なんだよ
家康の寿命を待つべきとか戦うべきとか以前の問題なんだ
豊臣に日本を統治する資格がないのだから政権を返上するべきという次元の問題なんだよ
839人間七七四年:2012/08/31(金) 16:04:24.17 ID:MLbL2xlK
>>838
うわ、やはり真性ですね
論点がズレてるって指摘してるのに、さらに「次元」を超えてずらしちゃったw
これでは話になりません。

現代の政党政治ならともかく戦国時代の天下取りを命題としている戦国大名に
「政権運営に失敗したから政権返上するべき(キリッ)」って、とても面白い意見ですね。
じゃ領地経営に失政があった全ての戦国大名は領土返上して出家すれば良かったですね。

戦国大名が子孫のために身内を粛清したら領土返上ですかぁ?
戦国大名が領土拡張のために戦をしかけたら領土返上ですかぁ?
失政のあった戦国大名が死んだら家老全員後継ぎ見捨てて辞任すればいいですかぁ?



ちょwww腹いてぇっすwwwww
840人間七七四年:2012/08/31(金) 16:43:03.14 ID:aFOMRCOA
必至に煽ってるほうがバカっぽいけどな
841人間七七四年:2012/08/31(金) 21:20:36.55 ID:+0Nn7adA
三成は家康が死ぬまで待つなんてことをせず自爆テロを敢行しスピーディな政権交代を実現してくれた
上杉や毛利と直接戦うことは手間がかかるが石高の小さい石田一派なら半日で終わる
そんな半日の戦で上杉や毛利を含めた日本中の敵に事実上勝ったことにできるなんて誰にでもできることじゃない
三成はまごうことなき奸臣だったけど政権交代の礎になったことだけは評価できる
そういう意味では>>835のいうことは正しいだろう
豊臣は家康が死ぬまで待つべきではなかったことが正解であることに疑う余地はない
842人間七七四年:2012/08/31(金) 23:34:00.52 ID:2dSpdj6y
奸臣同士の権力争いだから豊臣がほぼ中立を保ったのは正しい
843人間七七四年:2012/09/01(土) 12:27:14.22 ID:yz93v5nt
結果論から理屈こねてドヤ顔してるオナニー野郎が多いな


844人間七七四年:2012/09/02(日) 07:19:01.02 ID:tueiYhiJ
そもそも三成にそこまでの権限はないだろ。
845人間七七四年:2012/09/02(日) 07:20:51.13 ID:kgb/ru0/
三成は秀吉の腰巾着でしかなかったしな
846人間七七四年:2012/09/03(月) 14:56:04.14 ID:FCAP/jJ1
奸臣の意味すら理解できてない人に歴史を語らないでほしい
847人間七七四年:2012/09/04(火) 20:42:56.64 ID:Bk1+zn+R
最近、三成は豊臣恩為と言うより権力の中枢で腕を奮いたい人だったのかなぁと
思うようになったよ。見出してくれた恩はあるだろうけど。
大一大万大吉の意味が一人が万民のため万民が…で合っているなら
いかにもプライド高い高級官僚が好みそうな言葉だし

家康が新たな国造りを任すって口説いてたらどうなっただろう
自尊心が満たされて逆に大人しく隠居するかも
三成のエピソードでアスペを疑いたくなる事があるけど
三成がもし徳川配下だったらそれほど人に嫌われなかったのかなとも思う
三成がやらかしても「三河武士ならしかたない」で済まされそうだし
848人間七七四年:2012/09/06(木) 08:03:34.22 ID:vYItEPND
すべてを武将の個人的性格とか人間関係で解釈しようとする、
典型的な歴女の発想にひくわ
849人間七七四年:2012/09/06(木) 13:54:10.81 ID:dO9L3WLj
本多正信は嫌われてたみたいね
850人間七七四年:2012/09/08(土) 10:46:29.58 ID:A/bKsF+2
家康が死ぬまで待てばいいに決まってるじゃん。

関ヶ原であれだけ権力・親派が増大しても、豊臣家を滅ぼすのに14年かかってる。
関ヶ原がなければ何年かかるんだよ。関ヶ原勝利以上に短期間で、同等の権力を
取得する方法ってあるの?
どうせ、ただの架空戦記になるだけだろうけど。
851人間七七四年:2012/09/08(土) 10:50:01.93 ID:gwfigv0G
>>850
大坂の陣スレ見てると家康は豊臣を滅ぼす気は無かったけど秀頼が暴走してああいう残念な結果になったように見える
852人間七七四年:2012/09/08(土) 11:10:07.96 ID:A/bKsF+2
であれば、なおさら関ヶ原は起こすべきではなかったって事だね。
853人間七七四年:2012/09/08(土) 12:40:30.89 ID:y/SDSlzF
家康が天盗る気満々で宇喜多、前田、上杉に次々難癖つけていった史実を知らない情弱ばかりだな
ましてや2ちゃんのスレの意見こそが真実とかすげーレベル低いな、ここのスレ
854人間七七四年:2012/09/08(土) 12:47:04.13 ID:xlZ/MM+g
>>853
お前みたいなのを創作物に根拠した「軍談講談脳」という。
フィクションとノンフィクションは違うんだよ。
855人間七七四年:2012/09/08(土) 14:04:57.58 ID:SbZoaQ+a
三成タイプの忠義者が一番やっかい。
基本頭も良くて有能で、忠義心も厚いけどその方向性が決定的
に間違っている。
どんなに努力しても方向間違っていたら意味ないどころか
マイナスになっちまう。
856人間七七四年:2012/09/08(土) 16:31:25.35 ID:A/bKsF+2
三成の忠義心を示す逸話すらない件。
職務への忠実とゴッチャにしたらイカン。
857人間七七四年:2012/09/09(日) 16:22:33.79 ID:JhTRgzNj
三成が行動を起こさなくとも徳川VS上杉は発生したんだろうが
上杉はどこまで戦うことができただろうなあ
858人間七七四年:2012/09/09(日) 16:52:54.90 ID:s0m+J6Z3
逆逆。上杉征伐が発生したから三成が動いたんだよ・
859人間七七四年:2012/09/09(日) 22:48:17.58 ID:JhTRgzNj
あー、日本語変か
「三成が行動を起こさなかったら徳川VS上杉が直接対決したんだろうが」で
860人間七七四年:2012/09/09(日) 23:19:57.99 ID:s0m+J6Z3
三成が動かなきゃ上杉は周りから一斉に責められてフルボッコになったか降伏したかのどちらかだよ。
多方面作戦のできるような家じゃないし。
861人間七七四年:2012/09/10(月) 00:53:17.85 ID:d+CckkYG
>>853
例えば北条がライバル御家人を次々と排除して将軍を傀儡にしても鎌倉政権が崩壊したとは言わない
同様に徳川がライバル大老を次々と排除して秀頼を傀儡にしても本来ならそれほど騒ぎ立てることではない
会津征伐など鎌倉でいうなら梶原景時の変や比企能員の変くらいのことでしかないのに
それを三成が過剰に反応したため政権が崩壊する羽目になった
862人間七七四年:2012/09/10(月) 09:11:47.66 ID:+S7+SmUO
>>861
いずれの例えも立場・状況・規模等まったく違います
もっと歴史を勉強してから書き込みしようね
863人間七七四年:2012/09/10(月) 09:17:23.02 ID:/iCxmnVj
>>862
相変わらずお前は薄ら馬鹿だな。本質的には一緒だろうが。
他人に勉強しろというのなら先ずお前が、関ヶ原以前の段階で家康が豊臣公儀を超越しようとした証拠を示せ。
どんな同時代史料を見ても、関ヶ原まで、家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡は一切存在しない。
864人間七七四年:2012/09/10(月) 16:05:16.70 ID:+S7+SmUO
>>863
面倒だけど返してあげるね

関ヶ原まで家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡が存在しないからってそれがどうしたの?
まさかそれが家康に野心が無いことの証明になるとでも思ってるの?
君レベルの強度の馬鹿でないなら、政権の中枢というおいしい立場を利用して、
忠臣面して居座り続けて内部から切り崩してから天下を狙う程度のことは誰でも考えつくんだよ


理解できる?
865人間七七四年:2012/09/10(月) 20:11:40.46 ID:sFRMAy4h
>>861
鎌倉幕府のそれは政権与党内の派閥争い。
政権までは揺るがない。

豊臣政権のそれは連立政権の大政党同士の戦争。
政権存亡の危機。
866人間七七四年:2012/09/10(月) 23:11:40.02 ID:l6o3jEla
可哀想なぐらい頭悪い人がいるね…
867人間七七四年:2012/09/11(火) 00:01:34.52 ID:MsuA7c9H
>>864
>家康に野心が無いことの証明
という話ではないんじゃない?
『家康は豊臣政権を瓦解させる方針だったか』という事でしょ。
よく読み直した方がいい感じ。

>>865
キミは論外な感じ。
868人間七七四年:2012/09/11(火) 01:18:45.61 ID:xiWelquH
>>864
君の言う政権中枢というおいしい立場は大老だけで5人、奉行も含めれば10人いるわけ
忠臣面して居座り続けて内部から切り崩してから天下を狙う程度のことは誰でも考えつくならば
三成を含めた他の9人も考えつくのだから所詮は同じ穴のムジナでしかないんだよ
豊臣公儀から離脱しようとした形跡が存在しないことが野心が無いことの証明にならない?
それなら三成たちだって野心が無いことをまったく証明できないわけで
結局のところ三成の行動はコップの中の権力争いを脱することが出できない
むしろ自分の権力争いを政権守護と言い張る三成こそ忠臣面した居座り行為に過ぎなくなる
そもそも三成の敗因の一つが自分の蜂起が権力闘争でない・政治的野心でないことを三成自身が証明できなかったことにあるのだから
869人間七七四年:2012/09/11(火) 01:58:09.89 ID:XJLzk/lE
関ヶ原前の時点で、豊臣公儀から家康が離脱できる/あるいは
わざわざ否定する可能性って、実際問題としてあるか?
秀頼が存在する上に、形骸化しつつも五大老・五奉行制が
豊臣政権の意思決定機関として存続してるんだから、普通に無理だろ
むしろ家康自身の権力基盤が豊臣公儀の大老という地位に多くを
負ってるのは明白なんだから

関ヶ原後の時点でも、家康は諸将に知行朱印状を正式に文書で発給できなかったわけで
(可能なら、もちろんそうしている)、豊臣公儀が存在する以上、
正式な手続きとしては「大老である家康が取次いで、秀頼様から拝領」
という形式しかとれないので、それを避けるため口頭での知行宛行になった

要するに、秀忠の代までは、徳川家の権力基盤が脆弱だったから、
既に存在する豊臣公儀を離脱できなかったというだけの話であって、
もっと早期に豊臣政権を解体する手段があれば、そらやってるだろ
870人間七七四年:2012/09/11(火) 06:14:46.56 ID:SCxuiUSr
それは話があべこべ
権力があったから義昭を擁して、織田信長は上洛したのか?
権力があったから義氏をよして、北条は関東支配を目指したのか?
権力があったから天皇を擁して、秀吉は全国支配にのりだしたのか?
871人間七七四年:2012/09/11(火) 12:00:36.46 ID:xiWelquH
>>869
>正式な手続きとしては「大老である家康が取次いで、秀頼様から拝領」という形式しかとれないので

というか関ヶ原前の家康の行動だって全てそういう正式な手続きを踏んでいるのだから豊臣政権としては実は何も問題はないんだよ
三成は豊臣政権の正規の手続きにケチをつけて俺達の許可が秀頼の許可より優先されるという無茶苦茶な主張をしているだけだ
自分達の発言権が弱まって野党みたいになったから武力蜂起して正規の手続きを無効化なんて謀反以外の何者でもない
それを豊臣を守るとかいうデタラメで誤魔化そうとしたって失敗するのは当然だよ
家康の内心がどうであろうと三成が謀反人であることに変わりないんだよ
872人間七七四年:2012/09/11(火) 15:13:40.17 ID:oX1PZ0pr
西軍は兎に角「秀頼様のために」と書いているが、家康はそういう文言は一切無い
こうなると胡散臭くなるのは前者だな
873人間七七四年:2012/09/11(火) 16:05:58.21 ID:kKf10xE2
>>867
「家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡は一切存在しない」という主張が、なぜ『家康は豊臣政権を瓦解させる方針だったかどうか』と読みとれるの?
家康が離脱したら佐竹あたりを新大老に迎えて豊臣政権を維持させればいい
いずれにしても>864は「内部から切り崩してから天下を狙う」って記述しているのだから、野心にしろ政権瓦解にしろあてはまるのでは?

>>868
君が薄っぺらな知識しか持たず文章の表面上の言葉遊びしかできない、読解力も常識ものない馬鹿だってことを教えてあげるよ
@天下を狙う力がある家康という立場だから内部から切り崩すのに好都合で「おいしい」ということが理解できていない
A家康が筆頭大老として「政務」という中枢を任されていたからおいしいという知識がない
B豊臣政権内部での家康に野心がないことの証明云々の議論をしているのに「家康の立場なら誰でも思いつく(考えたとしても不思議ではない)」ってことを読み取れない 
C他の9人の野心の有無については全く論じていないのにわざわざそれを持ち出して、的外れな講釈を得意気にダラダラ垂れ流すオナニー体質
D三成以外の奉行職連中が野心?そりゃ野心がないことは証明できないけど想像力だけは無駄に豊かすぎるだろw
確かに馬鹿には説明が山ほど必要だから面倒だなw
874867:2012/09/11(火) 22:36:17.26 ID:j1TWcUIu
>>873
「家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡は一切存在しない」が主張ではないでしょ。
「家康が豊臣公儀から離脱しようとした形跡は一切存在しない」から、
『徳川がライバル大老を次々と排除して秀頼を傀儡にしても本来ならそれほど騒ぎ立てることではない』(>>861
つまり、この議論の本質は>>861
秀頼を傀儡として、徳川が天下を握っても
@豊臣家は滅亡しない。
A豊臣政権は維持される。
なので、三成が豊臣家にとって最大のガンだったって話じゃないかい?
875人間七七四年:2012/09/12(水) 01:33:17.15 ID:bJShrljH
ところが当の本人が釣られて、話がどんどん逸れてる罠
876人間七七四年:2012/09/12(水) 11:30:15.73 ID:P0qanGdK
>>873
・天下を狙う力がある家康が内部に招聘されたのは秀吉が直々に決めたこと
・家康が筆頭大老として「政務」という中枢を任されたのは秀吉が直々に決めたこと
・「家康の立場なら誰でも思いつく」のに筆頭大老にしたのは秀吉が直々に決めたこと

秀吉が家康を筆頭大老にして政権中枢に据えることを決めたのだから三成も勝手な行動は慎むのが当然だろ
それを「きっと家康のような立場になったら誰でも天下を狙う」なんて妄想で武装蜂起するとか許されるはずがない
家康は会津征伐も含めてきちんと豊臣家の許可を取りながら政治活動をしている
三成たちの妄想でそれを取り消そうとするのは謀反でしかないんだよ
877人間七七四年:2012/09/12(水) 13:04:39.95 ID:ivripdGl
三成の妄想は当たっていたという事だけど、でも彼が武装蜂起しなかったら
当然関が原の戦いが起こる確立は低く、豊臣家が力を削がれ逆に家康の力が増大する事
もなかったのかもしれない。
勿論家康の事だから別手段を講じたかもしれないけど、あんな短期間には上手くいかんだろうし。

878人間七七四年:2012/09/12(水) 14:05:55.63 ID:DjTSmT1x
>>876
その論法だと、家康にもブーメランで同じことが言えるわけで

秀吉が石田・浅野らを五大老から相対的に独立性の高い五奉行に指名して、
五大老・五奉行をあわせて政権の意思決定機関として制度化したわけだから、
たとえ奉行の裁定が不当であろうと不服であろうと、それは公儀の決定として
正統性があるわけよ
それに対して、実力行使で石田に兵を挙げた七将襲撃は、
まさに豊臣公儀に対する謀反であって、家康は、本来、大老として
豊臣公儀の枠組を維持するために、七将を処断すべきだよな
んで、黒田や蜂須賀は、そもそも裁定に従って、大人しく領国で蟄居するなり
襲撃したんだから謀反人として切腹してろ、って話にならんかね?

でも、どう考えても家康は七将にそんな裁定できんだろ?
当然、徳川家の利害に反するんだから
つまり、豊臣公儀という「タテマエ」を家康にせよ、石田にせよ、
のちの毛利にせよ、使えるときには最大限使ったという身も蓋もない話であって、
形式論で石田なり毛利なりを謀反人認定したって、そらできるけど、
それで何か生産的な議論になるのか、という疑問な
879人間七七四年:2012/09/13(木) 00:53:43.51 ID:5CfD8tZD
ブーメランなのは七将であって、家康ではないな。
880人間七七四年:2012/09/13(木) 01:04:31.74 ID:mvAmOyst
七将を処断する権限があって、実際に裁定したのは大老の家康じゃん??
豊臣公儀の大老なんだから、もちろん責任があるわけでー
881人間七七四年:2012/09/13(木) 01:17:10.12 ID:5CfD8tZD
公儀大老の裁定で、七将を不問に付した事に何の問題が?
問題なのは、七将であって家康ではない。

家康の裁定が公平性を欠く云々は別の話。
882人間七七四年:2012/09/13(木) 01:52:12.75 ID:7m07uJlG

論点すら理解できず三成を貶める結論に持ってく

何が何でも涙目で三成を貶める結論に持っていく

内容スカスカアホ丸出しの自作自演を繰り返す蛆虫が一匹

今日も虚しい自慰を繰り返す

明日も虚しい自慰を繰り返す



この虚無で汚く粘着質な魂魄は

当時佐和山領内の道端で

三成に踏みつぶされて

一顧だにされなかった

蛆虫の転生に相違ない
883人間七七四年:2012/09/13(木) 01:56:59.02 ID:mE1kC0eY
無駄に改行入れるのは蛆虫以下
884人間七七四年:2012/09/13(木) 03:00:39.95 ID:1I3LVF7E
>>880
朝鮮における偽講和などの小細工に目をつぶってやる代わりの三成蟄居処分でしょ
七将を処断しろと言うなら今度は襲撃理由である朝鮮での三成の行動にも大老として裁断を下さねばならない
ブーメランとして戻ってくるのは三成であって家康じゃない
だからこそ三成も家康の処分を受け入れざるを得なかったわけで
885873:2012/09/13(木) 14:08:22.64 ID:MncVE5Xy
>>874
>>876
だーかーら、俺は三成の挙兵が誤りか否かなんて事は一言も論じてないし、
そんなことは聞いてもないことがまだ分からないのか?
関係のない論点から手品のようにどこからともなく三成叩きの結論を引っ張り出してくる
気持ち悪い粘着アンチ思考が見事にシンクロしているが、もしかして同一人物か?
886人間七七四年:2012/09/13(木) 23:11:27.81 ID:GaqHRUuK
何を論じてるのかもわからんけどね
887人間七七四年:2012/09/13(木) 23:59:00.92 ID:RBSFuUZm
さすがにキモいな三成ヲタはw
888人間七七四年:2012/09/14(金) 12:29:29.36 ID:+rVnUZuw
挙兵するにしてもこれまで豊臣のために勇敢に戦ってきたという信頼・実績を積み重ねてきた人間でないとね
当時の三成は安全な場所に隠れている・すぐに諦めて講和に走るというイメージが強い
東軍はもちろん西軍大名の多くも三成の経歴が信用できなかったのだろう
そういう意味でも「三成が」挙兵したのは誤りと言える
889人間七七四年:2012/09/14(金) 14:39:11.35 ID:9Pht+VQ6
>>888
おまえ面白いなw

>>885のレスの中から「挙兵」という言葉だけを抽出して浅い知識で石田三成叩き

空気読めない、
文章読めない
会話できない、
これは人間社会で通用しないわwww
890人間七七四年:2012/09/14(金) 20:18:03.21 ID:kRYENnV/
襲撃理由である朝鮮での三成の行動

これソースは?
891人間七七四年:2012/09/14(金) 22:15:44.19 ID:x15ENDsM
公儀と関ヶ原の謀反人認定の話が、イマイチよくわかんない
これさ、西軍が勝ってれば、事後的に、ふつうに東軍が豊臣公儀から
謀反認定されてるよね?
たとえ、家康の上杉征伐が公儀として形式的に正しい手続きを
踏んでたとしても、だよ

要するに「三成は関ヶ原で一発で負けたから、馬鹿!」というなら
非常によく分かるし、まったくそう思うんだけど
「三成は公儀に背いた謀反人なんだよ!(ドヤ)」といわれても
だから、それが何なの?重要なの?と思う自分がおかしいのだろうか
勝ちさえすれば、そんなもん、後からどうとでも理屈つけられる程度の
曖昧なもんじゃないの?
「近代的な法制度じゃないんだから、どうせいい加減に運用できるんだし、
勝てば官軍に豊臣公儀はもれなくついてくるだろ」というのは、
やっぱりおれの中世への偏見なのでしょうか?
892人間七七四年:2012/09/14(金) 23:28:39.40 ID:wyQNPyWv
会話ができない方と会話するのはやめませう


>>891
あなたの意見は正しいと思います。
関ヶ原直前の形骸化した豊臣政権は半ば家康の都合で動かされていたと思います
結果だけ見て三成公が謀反人と言われてもね・・・
893人間七七四年:2012/09/15(土) 00:07:13.00 ID:fg19uC2/
形骸化も何も秀吉が豊臣政権の形を提示せずに死んでるんだから、何が形骸化かすら
誰にもわからんっつーの。家康派家康の考えの豊臣政権を、三成は三成の考えてる豊臣政権を
それぞれ勝手に追求したにすぎん。
894人間七七四年:2012/09/15(土) 02:36:09.63 ID:FKAMS9uG
>>890 和睦云々の話じゃないかな?
ほとんどが行長のせいだけど三成も絡んでるからね

特に清正は三成の失言で蟄居まで命じられてる
895人間七七四年:2012/09/15(土) 08:20:37.02 ID:GtYKT4op
>>891
西軍が勝てば、東軍は西軍から謀反認定されるかもしらんが、
後世の史実研究によって、三成が謀反を起こした事実は結局確定する。
家康が勝者であっても、秀吉死後の法度違反が正当化出来ていないのと同じ。

>>892
『結果だけ見て三成公が謀反人』ではない。
惣無事令に明確に違反しており、『三成の謀反』と見倣す史料も存在する。
896人間七七四年:2012/09/15(土) 12:27:41.20 ID:o1kbcThM
惣無事令ってのは私的闘争の禁止であって、二大老及び三奉行という
「豊臣公儀」という形で発した家康討伐は当然これに当て嵌まらない。
石田・大谷が挙兵したと思っていた時点では「むほん」だと言ってたけどね。
また、三奉行の連署によって内府ちかひの条々が出されたというのは
法度に背いた物は誰であっても切って良いという、五奉行に与えられた
権限に依拠している物だと思われる。
897人間七七四年:2012/09/15(土) 16:33:29.68 ID:4+jmXeNz
時系列で説明すればハッキリする。

蟄居の石田、大谷の挙兵は、惣無事令に抵触する明確な謀反。
二大老三奉行はこれを処する事もなく徒党を組む。
つまり西軍は、謀反人を核とする非合法組織。
この組織が発した『内府ちかひの条々』が正当性を有するはずもなく、
五奉行の権限依拠云々は全く意味のない話。
898人間七七四年:2012/09/15(土) 16:47:53.72 ID:o1kbcThM
内府ちかひの条々以前に石田・大谷が挙兵?一体何の話だ?
899人間七七四年:2012/09/15(土) 17:37:23.74 ID:B5pwwuHK
7月12日:三成らが挙兵。「無断で」関所を設け会津征伐参加の諸将を追い返す
      →三奉行は、三成らの動きを豊臣講義への反逆行為として徳川家康と毛利輝元に三成らの鎮定を要請

7月17日:毛利輝元大阪城入城。「内府ちがひの条々」を発する


ここから見れば三成の挙兵が三奉行の許可を得ていない、不法なクーデターだったことは明らかであり、
「内府ちがひの条々」も三成派の軍事的脅迫により発せられたものにすぎないことが分かる
900人間七七四年:2012/09/15(土) 19:27:25.94 ID:PRyhF64c
三成と輝元は共謀しているし、その上で輝元を大坂に招聘したのが三奉行
901人間七七四年:2012/09/16(日) 00:07:55.96 ID:kIpZJxOG
ソースは?推測はなしで頼む。
902人間七七四年:2012/09/16(日) 00:36:02.16 ID:j4/tKzHJ
>>900
前者は七月二十一日付松井康之等宛細川忠興書状、後者は七月十二日付毛利輝元宛三奉行書状
903人間七七四年:2012/09/16(日) 00:53:43.91 ID:kIpZJxOG
>>902
>三成と輝元は共謀しているし、その上で輝元を大坂に招聘したのが三奉行

知識不足で申し訳ないんだが、七月二十一日付松井康之等宛細川忠興書状には、
三成と輝元が事前に共謀していた事が明確に書かれているの?
何と書かれているのか、解説をお願いしたい。
904人間七七四年:2012/09/16(日) 08:42:35.40 ID:j4/tKzHJ
>>903
「急度申候、石田冶部・輝元申談色立候由、上方より内府へ追々御注進候、」
905人間七七四年:2012/09/16(日) 09:35:53.80 ID:4fYcZY39
>>904
その原文は7/21付でしょ。
既に毛利は大坂城に入城しており、『石田冶部・輝元申談』じているのは当り前。
どの部分から、7/12以前に石田・毛利が共謀していた事実がわかるのか?
906人間七七四年:2012/09/16(日) 09:38:45.50 ID:j4/tKzHJ
>>905
七月二十一日に宇都宮にいた細川忠興が出した書状だよ
電話やメールがある時代じゃないんだが
907人間七七四年:2012/09/16(日) 09:42:59.38 ID:4fYcZY39
確かに、忠興は宇都宮にいる。
しかし、三成挙兵の7/12以前に石田毛利が共謀していた
証明にはならんのでは?
908人間七七四年:2012/09/16(日) 09:59:28.75 ID:j4/tKzHJ
十二・十三日付の大坂からの書状が二十日に家康の元に届いて以降、書状は届かなかったそうで
909人間七七四年:2012/09/16(日) 10:20:48.55 ID:4fYcZY39
よくわからないんだけど。
君の話では、7日間〜8日間で大坂からの書状は到着するわけでしょ。
伏見城包囲(7/18)も、7/24には家康の元に届いている。

であれば、7/21付の書状(>>902)も、石田挙兵(7/12)後で十分届くはず。
910人間七七四年:2012/09/16(日) 10:24:51.01 ID:4fYcZY39
>>909
追記。
伏見城包囲は、口頭通知だけど。
911人間七七四年:2012/09/16(日) 10:54:47.18 ID:j4/tKzHJ
>>909
『慶長記』に家康が江戸出陣した以降、大坂から書状は届かなくなったとあります。
912人間七七四年:2012/09/16(日) 11:37:48.28 ID:4fYcZY39
>>911
何が言いたいのかわからないんだけど。
書状が届かなくなった事が、なぜ石田・毛利の共謀証明になるのか
意味がわからない。
913人間七七四年:2012/09/16(日) 13:17:07.15 ID:j4/tKzHJ
>>912
つまり忠興書状にある三成・輝元の共謀という情報は、大坂で12・13日までに記された書状からもたらされたことになるから。
914人間七七四年:2012/09/16(日) 13:43:18.95 ID:4fYcZY39
>>913
伏見城包囲(7/18発)のように、口頭で情報がもたらされる(7/24着)場合は?

915人間七七四年:2012/09/16(日) 14:24:41.25 ID:j4/tKzHJ
>>914
そういう口述の使者があったという記録は確認されていない
後、鳥居の使者は軍記でしか確認できない
916人間七七四年:2012/09/16(日) 14:45:26.01 ID:4fYcZY39
>>915
それを言うなら、忠興のもとに届いた石田・毛利共謀の書状はあるのかい?
どうやって忠興はそれを知ったのさ?

面倒くさいので、自分でも調べたが、
>石田冶部・輝元申談色立候由(>>904
これを、石田毛利の共謀と訳しているものなんかないぞ。キミだけじゃないのか?
大抵は、『石田の決起に毛利が加わった』としているぞ。
917人間七七四年:2012/09/16(日) 15:52:44.81 ID:j4/tKzHJ
>>916
鳥居の使者が来たという旨を記した書状はありません。

光成準治「関ヶ原前夜」より
「慶長五年七月の反徳川闘争の決起は、少なくとも三成・吉継・輝元(恵瓊)という、
(中略)計画的な行動であったと結論づけることができよう。」
918人間七七四年:2012/09/16(日) 16:11:34.88 ID:4fYcZY39
>>917
鳥居の話は例示だから。
伏見城包囲を受けて小山会議を開催した以上、情報入手経路はあるだろ?
ただし、そんな書状はないし口頭の可能性だって否定できない。

光成の著書を出したのなら、話は早い。
『石田冶部・輝元申談色立候由、上方より内府へ追々御注進候』(>>908
を何と解説しているか、知っているはず。当該著書の79ページね。

光成準治「関ヶ原前夜」より
「二十一日の江戸出発まもなく、三成らの決起に輝元が加わったという情報が伝わり、(後略)」
光成は、当該書状については三成・輝元の共謀と解説していない。

キミの論拠は、「7/21付松井康之等宛細川忠興書状」ではなく、光成の受売りって事ねw
919人間七七四年:2012/09/16(日) 16:42:04.37 ID:j4/tKzHJ
>>918
『慶長記』には編笠の紐に組み込まれた密書が届いたとあるね
後、山内一豊からも密書が来ているようだし

いや、二十一日付書状の情報が大坂もたらされたされたことからの類推だけど
920人間七七四年:2012/09/16(日) 16:51:48.67 ID:tqDO7pmr
つーか、光成氏が論拠としてるのは、安国寺や秀元の行動が独断だったとは考え難い事、
輝元の上坂が早すぎる事だろ。
921人間七七四年:2012/09/16(日) 17:01:18.40 ID:4fYcZY39
何にせよ、
922人間七七四年:2012/09/16(日) 17:02:37.98 ID:4fYcZY39
>>919
何にせよ、「7/21付松井康之等宛細川忠興書状」は三成・輝元共謀の証明には
ならんよ。

光成の著書読んでるなら、わかりそうなもんだが。
923人間七七四年:2012/09/16(日) 17:59:10.60 ID:j4/tKzHJ
>>922
うん、共謀しているということに納得してくれるなら、それでいいや
924人間七七四年:2012/09/16(日) 18:10:57.57 ID:p5rWoTrl
安国寺はどうかわからないけどな

輝元が安国寺から報告を受けていたら…
まあこれも推測だからしかたないけど

輝元もまあ…とりあえず西軍のまとまりのなさが致命的
何人内通者いたんだよwwって話だ
925人間七七四年:2012/09/16(日) 18:29:41.04 ID:KuKmg76B
西軍も小山評定みたいなものを開催するべきだった
大老や奉行以外も発言できる評定の中で家康につきたい者はついて構わないと言っておけばいいのに
豊臣の権威で抑えつけて逆らったら人質にした家族を殺すぞという脅迫一辺倒ではまとまるはずがない
三成の器量のなさが多くの内通者を生む羽目になった
926人間七七四年:2012/09/16(日) 19:33:10.50 ID:AV5MHttA
大坂奉行らが輝元を12日に招聘してるのを知った細川が21日に輝元や三成が…と書いてるだけだろ。
大坂奉行に三成は入ってないから
完全に忠興が三成への個人的怨恨から尾ひれを付けて讒言してる。
三成を捕縛した家康も忠興が三成を恨んでるの知っていたから、
三成捕えたからもうすぐこちらに来る。
忠興殿と捕縛された三成を一緒に観察しようぜ!とゲスな小人書状を出してる。
927人間七七四年:2012/09/16(日) 19:40:48.92 ID:AV5MHttA
細川家は余程、三成を嫌っていたようで、
玉の自刃も三成が捕縛に来ると言う風聞だけ。
大坂にはいもしない三成の虚名だけで混乱してる。
928人間七七四年:2012/09/16(日) 19:55:44.93 ID:AV5MHttA
ただ玉付の侍女の回顧だから、
三成の名前自体は、
当時は出ていなくて、
完全に後知恵なのかも知れんが。
929人間七七四年:2012/09/17(月) 12:35:43.78 ID:7uuyLpZp
輝元の勢力が挙兵しなければ
誰も無謀な蜂起はしなかっただろうね。
豊臣潰したのは毛利だよな。
930人間七七四年:2012/09/17(月) 20:42:08.58 ID:LDzO/HCs
>>926
たしかに忠興は三成をこの輝元と奉行挙兵の乱に巻き込みたくてしかたがないって感じだな。
21日書状でも、
こうなることはかねて申したることと書いていて、
忠興がだいぶ前々から証拠も無いのに、
家康へ三成は謀反するすると讒言を続けていたのがわかる。
931人間七七四年:2012/09/17(月) 23:29:29.07 ID:BZS8iX6L
三成による関ヶ原主導を否定したがってるアホがまだいるんだな。
Subしか考えられんがw
932人間七七四年:2012/09/18(火) 07:08:00.55 ID:/2FH1V+s
当時の三成は家康方として前田の南下を牽制する立場だったから忠興も讒言してなんとか三成を殺したいと思っていたのだろね。
三成が大谷を誘う逸話なんてのも作り話で、
実際、朝鮮で抜き差しならない関係になった小西行長と島津義弘と清正らの対立が関係してる関係から読み解くべき。
小西の兄と三成の兄は河内と和泉の蔵入地の管理をして親しい間柄だったのがわかっており、
小西の挙兵→忠興の讒言→三成が止むを得ず小西に同調という流れだろう。
家康は小西も徳川派にしたくて懐柔しようとしても、
小西はあくまで秀頼様を立てた上で公儀の命として家康に従う立場を貫いている。
そのために九州取次ぎの役割を庄内の乱を契機として
家康に買収された寺沢に奪われるようになっていく。
家康の権威を背景に寺沢が九州諸大名を統制する中で、
関ヶ原の戦いが勃発してしまい、
九州で小西に味方する勢力が極端に少なくなる。
まさかの島津忠恒まで様子見は大ダメージ。
さらに小西は1600年初頭に大坂にいっており、
兵は九州から連れてきてないため、
関ヶ原の戦いでは大阪城から与力の貸与を受けている。
清正が関ヶ原の戦いの詳報が来るまで小西領を攻められなかったのは、
小西配下の朝鮮出兵の猛者どもが在国してたから。
933人間七七四年:2012/09/18(火) 09:46:32.33 ID:U0mcXu0B
>当時の三成は家康方

まで読んだ
934人間七七四年:2012/09/18(火) 22:13:14.79 ID:sIhAznQy
家康に反した敗北者だから、
賊徒小西行長の書状は消されてほとんど無いと定説として語られ続けてきたけど、
本格調査すると実は500通以上あったとか面白いよね。
いかに定説が信用出来ないものかがよくわかるし、
別に家康の敵の書状を消さないとヤバイなんて思考も、
後世の人の考え過ぎにすぎないのがわかる。
935人間七七四年:2012/09/19(水) 08:14:13.12 ID:klF8K+yM
7月24日付 中川秀成宛 松井康之書状
20日に下国したそうですね。在国なら大慶なので心添えください。
上方の情勢は中川平右衞門に伝えました。
毛利殿と奉行衆が仰せ合わされ、
内府に御謀反された。
伏見は鳥居が堅固に守っており、
大津宰相は家康に別心無い。
新しい情報あったら教えて欲しい。
こちらも伝える。

などと書かれており、
忠興家臣の松井は中川に正確な情報報告において、
輝元と奉行が談じたと書いてあり、
三成は全く関係ないのがわかる。
忠興は憎しみの余り三成を首謀者にしたがっていた。
936人間七七四年:2012/09/19(水) 14:32:14.57 ID:+RcS0YEQ
蟄居していたとはいえ「奉行衆」に三成が含まれているのでは?
937人間七七四年:2012/09/19(水) 16:04:12.25 ID:BTScMKrs
7月15日の上杉景勝宛島津義弘書状に
「輝元(毛利)・秀家(宇喜多)を始、大坂御老衆(三奉行)・小西(行長)・大刑少(大谷吉継)・冶部少(石田三成)被仰段、」
とあるから彼らが中心人物だろ
938人間七七四年:2012/09/19(水) 23:45:12.23 ID:qJvtOTWf
>>937
奉行が大坂へ輝元を呼ぶ儀式をやるのが12日で
それ以前の段階で輝元と奉行たちは挙兵の謀議をしているのは
間違いなく、輝元もいつでも軍が大坂へ出撃できる体制で
待っていた。
おそらく宇喜多の戦勝祈願の1日あたりには計画が動き出している。
15日の段階で初めて三成がやむなく謀議に参加したということ。
939人間七七四年:2012/09/20(木) 00:24:35.58 ID:pvEVzq+C
>>938
>それ以前の段階で輝元と奉行たちは挙兵の謀議をしているのは間違いなく、
ソースは?妄想戦記ではなく史料で頼む。

つか、光成氏主張の美味しいとこ取りして、曲解すんのはヤメなよ。
940人間七七四年:2012/09/20(木) 12:32:44.60 ID:kj9dHzol
輝元「安国寺が勝手にやったことにしなきゃ改易になっちゃうよ!」
助命された小西の嫡男が首謀者の輝元を頼ってきました。
輝元「うわ、超迷惑!俺は小西とも接点ねーことにして、嫡男ぶっ殺せよ!改易されんだろ」
一方、島津は秀家を匿い、バレると助命活動をするのであった。

輝元ひたすら必死に首謀者であることを隠蔽しようとしてる情けなさw
941人間七七四年:2012/09/20(木) 15:28:18.54 ID:3kFtB6U6
加藤清正は、関ヶ原合戦の地の9月24日の時点で「天下之様子」は「関ヶ原表之合戦」では
「輝元方敗軍」と報じている。
これは事実上、西軍は毛利軍である事が明々白々である。
942人間七七四年:2012/09/20(木) 18:25:07.99 ID:pJGVK/jC
輝元が総大将なんだから「輝元方」になるのは当然だろ?
それからは総大将=首謀者かは解らんさ
943人間七七四年:2012/09/21(金) 14:30:13.15 ID:ykEBDlkv
>>938
小西は宇喜多の元家臣で、
宣教師も小西と宇喜多の友情を記録してるから、
小西と宇喜多が関ヶ原決起に当初から関わっているはず。
そもそも小西と宗は朝鮮において、
明との日本側外交全権大使のような役割で、秀吉にも報告をしまくってる。
小西は講和を目指し、
清正は講和をぶち壊そうとしていて、
秀吉への報告も食い違いが生じて対立してるわけで、
武断派と小西は明確に対立してる。
ただ小西は家康とは対立してはいない。
対立してるのは毛利と宇喜多。
この2家は家康の会津征伐を前に領国へ帰るなど、
警戒心を緩める策謀をしてる。
また利家が生きていた時の宇喜多は強気だったように、
単独では挙兵するような勢力ではないし、人望もない。
やはり家康に対抗できるのは戦力、発言力、年齢的に考えても輝元が首謀者だろう。


944人間七七四年:2012/09/22(土) 14:45:38.42 ID:i0jPvCi2
あまり知られてないが、
7/26付けの家康→田中吉政書状において、
家康は田中による佐和山城への働きへの注意として、
地下人を呼び戻すなどと書いてる。
輝元らの挙兵を隠蔽して、
フェイクとしての嘘情報操作である三成挙兵を前田利長らが家康に出したため、
それを盲信した家康は、簡単に田中らが佐和山城を攻略して、
この乱が終結すると事実誤認しているのがわかる。
佐和山城攻撃など白昼夢。
まんまと騙されている家康
945人間七七四年:2012/09/22(土) 18:12:05.22 ID:/3atuCBe
妄想は妄想板で。もしくはカウンセラーの先生へ
946人間七七四年:2012/09/23(日) 07:07:23.13 ID:1K/1tj8+
>>932
三成が大谷を誘うってのは講談話。
実際は、樽井で大谷が病んでいるって話と、
三成挙兵の噂を組み合わせた妄想。
忠興あたりが盛んに三成が家康を裏切ると吹聴していたのが風聞化したのだろう。
その風聞をうまく利用したのが輝元ら挙兵組。
家康側にいた三成は何時の間にか選択の余地が無くなっていた。
947人間七七四年:2012/09/23(日) 12:22:06.31 ID:IROJyB8P
三成挙兵の風聞って
完全に思考の指定をさせる謀略だよな。
忠興はもっと評価されていい。
でもその話が大きくなって
風聞を事実と誤解してガラシャ自刃って言う・・・
948人間七七四年:2012/09/23(日) 15:41:15.67 ID:LbDXkq/u
忠興ってなんでそんなに三成のこと嫌いだったの?
949人間七七四年:2012/09/23(日) 16:58:15.78 ID:AcMsKtZ/
>>948 朝鮮出兵だろうな
950人間七七四年:2012/09/23(日) 19:50:36.35 ID:nHJyWx79
細川家自体が元々は、
秀吉と同格くらいな意識な上に、
武功で出世したというより優秀な吏僚として出世して、
自分に指示出すのが面白くないんだろ。
忠興はどっちかと言うと父と違ってすぐキレる脳筋タイプだからな。
こうなってしまったのも初陣で武功を立てて、
信長から自筆書状貰ったり、
武功を褒めて丹後やる時に、
信長が父ではなく、お前にやると持ち上げた結果だな。
織田は武辺者重視、
吏僚軽視だったからね。
まあ信長はDQN不良だから、統治や官僚機構について全く無知だから。
951人間七七四年:2012/09/24(月) 08:55:15.88 ID:WudP9/PY
実際、豊後杵築城にいた松井康之宛書状を見ると、
忠興と九州にいた如水は、大坂での変事に備えて打ち合わせしてた
っぽいし、
隣国中国の輝元の蜂起を想定して会津征伐に出現したんじゃないか。
清正にしても如水と協調してるし、
如水は毛利支援の大友軍が来ると杵築城救援に出撃してるし。
九州を奪い取って第三勢力に成り上がるために
彼らは大乱を欲していた。
しかも如水に至っては毛利領へ攻め込むなんて書状もあるし。
952人間七七四年:2012/09/24(月) 23:08:52.10 ID:wI0IE/K6
事前の打ち合わせっていっても、具体的な内容は
細川の飛び地には周りの西軍が攻めてくるだろうから、
築城名人の如水に城の防備の補強指南を頼んだというもので
同じ東軍で、大友が共通の敵だから派兵したんであって、
別に忠興と如水の間に、九州で共同戦線を張るような遠大な密約はない

つか、丹後の本城自体が落城してるんだから、細川が西国で
どうこうしようにも、何もできんわけで
杵築城が最後の細川領だから、ここが落ちると細川は領国をすべて失う
非常に不名誉な状態になるので、松井から援軍を依頼されて派兵しただけなのよ
953人間七七四年:2012/09/25(火) 21:31:49.74 ID:O/gAuJcq
杵築城は二の丸まで落ちて落城寸前だったし
あと二日、援軍が遅ければ大友にボコられてのは確実だしな
黒田の親父の方に、運よく助けてもらっただけで
忠興が九州で大乱を欲していたとか、どう考えても
細川を買いかぶりすぎ
954人間七七四年:2012/09/26(水) 09:56:12.94 ID:/g2KjYk+
それはそれで今度は細川過小評価ではないだろうか。
7/21書状には如水とかねて申し合わせてきたこととして、
丹後戦線では宮津集結、
豊後戦線では状況をみて如水の城へ集結と言う話が登場する。
これをかねて申し合わせてきたことなのだから、
ほとんど思惑通りではないだろうか。
そもそも父の幽斎が武士らしくなく、降伏したことに立腹して忠興からしたら、
それこそ想定外の恥晒しでしかなかったのでは?
忠興は父とは違うって感じで、父とは常に対立というか嫌いって感じが出てて、
父を軽蔑する思春期の特徴を持ったままに大人になったような男だから大人気ない気質で野心ありまくり。
まあ忠興は養父の細川輝経を慕っていたのかも知れないが、
自分は幽斎の細川とは別家でもっと名門細川だからと差別化してるし。
また、8/18の松井書状では清正が杵築城に兵糧と玉薬を入れてくれたと書いており、
如水も先書の如く、当城へ万事御心付けしてくださってるとあり、
如水と清正の後援を受けているのがわかる。
有事を願望し手立てを事前に講じていたと思われるが。

だからこそ亀山城まで到達し親子連れ再開の時に、
何事もなく帰陣は目出度いと声をかけた父に、
中興がシカトしてた。
幽斎はお前は下城したことに腹を立ててんだろ?
年寄って命惜しくなったんじゃねぇよ!
だいたい三度も勅使を受けるまで下城しなかったのは俺くらいなもんだろ!と言い返してるし。
ちなみに9/21書状では、
宮津下城がそうとう面白くなかったのか、
ヘタレなのに籠城するなんて奇特なことだな〜wって思ってたら、
籠城中の武者達が比類なかったようですねぇ?
逃げ落ちたってんだから、もう憎いどころかワロタわw
なんて書状を宮津籠城衆に出してんだから。
まあ家康が但馬やるとか書状出してたのに裏切ったためか、
大坂滅亡まで羽柴を名乗っていて、
大坂滅亡後には松平の名前を断ったし。
関ヶ原後は長政と険悪になり嫌がらせ合戦したり、
天下一気の短い人物と呼ばれていたらしく
けっこうめんどくさいわなこの人。
955人間七七四年:2012/09/26(水) 10:26:42.35 ID:/g2KjYk+
>>937
それどうなんだろ。
詳しいことは三成が申すと書いてるが、
あくまで書状案でしかないので、
上杉には該当書状が届いてないから、
そもそも三成は関わってない事実を義弘は知らないで書いてたので結局、三成が詳しく述べる事態が来ず出されなかったように感じるし、
義弘も三成は味方だと騙されていた可能性も排除できないね。
宛先が景勝 人々御中って書いていて、
五大老の景勝を呼び捨てとかあり得ない無礼な内容。
さらに言うと、秀頼様のための挙兵に上杉も同意の由と承った。拙者もその通りに候
などと書いていて、
これじゃ三成と上杉が事前謀議していたように見えるし、
いろいろと問題点がある内容なんだよね。
956人間七七四年:2012/09/26(水) 19:42:19.13 ID:B1M59ZuD
読みにくすぎて読む気が起きない改行をどうにかしたほうがいい
957人間七七四年:2012/09/26(水) 20:11:20.14 ID:pil7LoIm
確かに勅使3回まで耐えるのは凄いな。
志賀の陣の義景が一回、
本願寺教如が2回だもんな。
3回は神レベル
958人間七七四年:2012/09/26(水) 21:51:08.13 ID:e6kmqjyr
>>954
うーん、かりに細川家が事前に積極的な計画を立てていたら、
いくらなんでも、もう少し兵力を九州にあらかじめ割いとくでしょ??
そうじゃないと、かえって忠興が野望ばかり大きくて、
できもしないようなザル計画を立てた馬鹿に見えちゃうんだけど。

実際にはあまりにも寡兵で、杵築は落城寸前だったわけで
のちに東軍に参加した鍋島とも違って、石垣原の大友撃退後にも
松井は、清正や如水と合流して有意な軍事活動を展開したわけでもない。
前提として、九州で細川家が動員できる兵力は、
そもそもほとんどなかったとみる方が、まあ妥当だと思う。
石高的にも、本戦と宮津に相当数動員して手いっぱいなんだから、
九州に残せる兵力なんて、もともと非常に少ないわけだし。

清正にせよ如水にせよ、東軍として劣勢にある細川を見捨てず
協力しただけであって、基本的に九州での細川は防戦するのが
精一杯だった。これが、やはり現実なのではないかと。
959人間七七四年:2012/09/26(水) 23:07:05.70 ID:ELFAq/le
松井がなぜか杵築にいた時点で準備万端でしょ。
960人間七七四年:2012/09/26(水) 23:22:25.25 ID:e6kmqjyr
何の準備が万端なのか、よくわからないな。
討死覚悟の防戦の準備というならわかるけどね。
でも、それはあくまで拠点の防戦であって、細川が何かそれ以上の
軍事的な計画を九州でもっていた、という話とは全く別物ですね。

六万石の飛び地領があるんだから、松井クラスの城代くらいおいても
別に不思議はない。
領国がある以上、寡兵でも城を捨てて逃げるわけにも、速攻で降伏する
わけにもいかないんだから。
961人間七七四年:2012/09/27(木) 20:42:58.00 ID:/ffAfVkr
まあ、忠興が大乱を待望してたっていうなら
九州で西軍の城のひとつでも落としてないと、説得力がないわな
留守城を落とすのだって、相当の兵力と技量がないと簡単ではないのよ

三成スレですれ違いなのになんだけど
962人間七七四年:2012/09/28(金) 00:37:26.80 ID:BUe6Mi8d
>>959
あぁそれ前から不思議だったんだよね。
なんで杵築にたまたま来てたんだろうねあれ。
しかも西軍蜂起したら、そのまま滞在して
客将なのに細川軍九州現地司令官やり始めてるもんな。
やっぱ忠興に事前に言い含められてたのかねぇ。
963人間七七四年:2012/09/28(金) 02:07:08.60 ID:xKg6kxVV
たまたまも不思議も何もなくて、家康から6万石加増される
→慶長五年の春:細川くんが新領を検分するために豊後を訪問
→その際に松井・有吉の両名を城代に任命したというだけの経緯な。
城代なんだから、そらそのまま現地に残らざるを得ないわ。

あと大前提として、杵築には、籠城時に300人しか細川兵がいないんすけど。
これで細川くんは九州で何を、一体どうするつもりだったのか・・・
本気で何か企んでいたなら、むしろとことん問い詰めたいですねw
つか、どう考えても忠興厨の誇大妄想としか思えないんだけど!
964人間七七四年:2012/09/28(金) 12:41:54.44 ID:3yYNexUO
→慶長五年の春:細川くんが新領を検分するために豊後を訪問
→その際に松井・有吉の両名を城代に任命したというだけの経緯な。


上記の一次史料は?
965人間七七四年:2012/09/28(金) 22:49:41.87 ID:iCUiXwCZ
あのさぁここは三成スレだし、あまりきついことは言いたくないんだけど、
どのみち自分で読めもしない一時史料を偉そうに要求する前に、
まず大分県史の中世編あたりで、杵築の大友〜細川領の初歩的な概要くらい
読んだらどうなの??

この手の制度的な話は、どの県史にしたって絶対載ってるわけですよ。
県史は、一時史料に基いて書かれた学術書なんだから
該当箇所をさがせば、出典の史料は脚注に記載されてるわけで。
文脈もわからず、自己流で書簡や一時史料を斜め読みして、
珍説を展開するより、基本的な概要を知ってから書き込んだ方が
ずっと生産的だと思うんだよね。

県史類は、日本史のある大きめの大学図書館や公立図書館に行けば
たいてい備えてあるんだから、自分で事実関係を調べる手間を惜しむなよ。
966人間七七四年:2012/09/29(土) 11:12:30.62 ID:78yEc26P
>>965
忠興は別にどうでもいいが、とりあえず偉そうに県史だの学術書だの能書きを垂れる前に
「一次史料」くらいまともに書けるようにならないとな
1レスに3回も「いっとき史料」なんて書いてちゃうっかりミスの領域を超えているぞ
967人間七七四年:2012/09/29(土) 12:08:05.65 ID:qCpn53yy
2chで五時を指摘するほど無意味なことはない
968人間七七四年:2012/09/29(土) 12:26:03.17 ID:78yEc26P
>>967
それが人を見下した偉そうな能書きレスじゃなかったり
態とやただのうっかり誤変換ならな
969人間七七四年:2012/09/29(土) 22:25:26.46 ID:DzBsKXC+
なんだよ、結局一次史料の無い真偽不明のネタ話かよ…
970人間七七四年:2012/09/29(土) 23:07:42.39 ID:U6Cko9Cl
まぁ一次史料は同時時代史料ってだけだからな。
内容が事実でなくても、その時代の史料なら一次史料になる。

一次史料か否かのみで、真偽判断は出来んよ。
971人間七七四年:2012/09/30(日) 00:41:12.47 ID:/ldgK4Z5
>>この手の制度的な話は、どの県史にしたって絶対載ってるわけですよ。


あーぁ、こんなデタラメ願望書いてる時点でもうね、こいつアホだろ…
972人間七七四年:2012/09/30(日) 01:49:41.90 ID:LGukS5Pl
柿って健康に悪いの?
973人間七七四年:2012/09/30(日) 07:04:05.41 ID:YNYTcld8
柿、特に干し柿はむしろ痰の薬だというのは有名な話。
というか干し柿の話自体後世の創作だから。
三成の最期についての記録は一切ない。
974人間七七四年:2012/09/30(日) 11:33:17.87 ID:8C+H+NvQ
そもそも喉が渇いて干し柿を勧めるなんて無茶苦茶な話だな。
毛利が前線で指揮をとらなかったのと、三成が軍勢を分散させて私怨であちこちの城を攻めさせて兵が決戦時にそろわなかったのが敗因だな。
975人間七七四年:2012/09/30(日) 13:10:23.76 ID:8Am/VBJA
私怨でとかソースは?
そもそも三成があちこちへの派兵の指揮をしてたとするソースは?
せいぜい、兵力不足で三成の手勢を美濃へ派遣せざる負えなかった大垣方面くらいしか把握してないだろ。
普通に考えて西軍総大将の輝元が総指揮をやってただろうし。
976人間七七四年:2012/09/30(日) 20:18:06.83 ID:8C+H+NvQ
加藤清正が大和一国をいただければ西軍に参加すると申し出たのに蹴ったのも痛かったな
清正が西軍につけば上杉征伐に従軍した連中もずいぶん西軍になったろうに。
増田は勝利後に加増して移封したってよかった。
977人間七七四年:2012/09/30(日) 20:20:07.85 ID:YNYTcld8
>>976
アホか。そしたら増田が即座に西軍離反して畿内大混乱するわ。
978人間七七四年:2012/09/30(日) 20:22:10.09 ID:8C+H+NvQ
輝元は大阪城に籠りっきり。
指揮をとれる状態じゃない。
携帯電話や無線、GPSがある時代ではない。
輝元はチャンスとばかり神輿に乗ったが、家康に対しても二股外交やっていた。
前線の三成は官位が低いので大名衆に上から指示を出せないという状況。
官位が低い彼は気の毒だった。

979人間七七四年:2012/09/30(日) 20:24:38.96 ID:8C+H+NvQ
私怨の田辺城なんて軍事的価値も低いのに1万5千の軍勢を割いて2か月攻め続ける等、大きなマイナス。
西軍は兵力を四方に分散したのが敗因の一つだろう。
980人間七七四年:2012/09/30(日) 20:28:05.39 ID:8C+H+NvQ
>977
口の悪い子供は相手にしたくないのだが一言
加増で移封なんてのは頻繁に為されており、喜んで加増されて移動してるだろ。
離反するわけない。
どうも短絡的だな。
981人間七七四年:2012/09/30(日) 20:29:40.96 ID:YNYTcld8
それは加増の地が確保されてから言うことだ。
982人間七七四年:2012/09/30(日) 20:31:39.64 ID:8C+H+NvQ
もちろん勝ったらの話だろう。
戦いに勝利せずにできるわけないし、望むべくもないのは加藤清正だって当然思っているだろう。
常識だな。
983人間七七四年:2012/09/30(日) 20:54:45.90 ID:BOs6a0/N
>>979
あれは烏合の衆だから、関ヶ原に来ても役に立たなかったよ
984人間七七四年:2012/10/01(月) 08:32:48.46 ID:tda9e3RX
>>980
ついでに言うと、家康の関東移動について、ひでえ扱いだなって当時の手紙が残ってる
985人間七七四年:2012/10/01(月) 10:41:38.41 ID:/gF0+TJJ
>>983
西軍自体が最後まで烏合の衆を脱しきれなかったのが敗因
986人間七七四年:2012/10/01(月) 18:58:19.12 ID:J4sCjdbf
東軍は内府がでてきてまとめているから烏合の衆じゃなかった。
西軍は安芸中納言が大阪城に籠り、官位で数段劣る三成が指揮をとっていたから烏合の衆だった。
全ては毛利輝元が悪い。
乗り気で神輿にのっておきながら、負けた時のために家康に二股外交をしていた。
987人間七七四年:2012/10/02(火) 00:31:16.51 ID:ojqaHlC5
>>973
だったらNHKとかに柿エピソードの使用をやめるように言うべきだな。
最近の三成登場大河では必ず柿のエピソードがあるじゃん。
あれのせいで柿農家は凄く迷惑してみんな三成が大嫌いなんだよ。
988人間七七四年:2012/10/02(火) 08:19:48.83 ID:u3XbitRB
何言ってんだこいつ
989人間七七四年:2012/10/02(火) 12:20:56.90 ID:DfED3+Dh
>984
家康は関東管領(関東総奉行)として加増のうえ関東に移った。
家康は秀吉と縁戚で、信頼すべき者として関東に移ったとみても良いんじゃない?
そのせいで関東管領で秀吉と北条征伐後も約束された上杉が会津(東北総奉行)に移され、反秀吉・反家康化した。

990人間七七四年:2012/10/02(火) 12:37:59.52 ID:u3XbitRB
家康が関東管領だか総奉行だかとして入ったというのは聞いたことないが
当時の人間の認識として、ひでえ扱いだと言ってるわけ
後世の、パンピーの、ぬるま湯日本で育ったお前がどう見るか、それは知ったことじゃない
991989:2012/10/02(火) 12:40:15.58 ID:DfED3+Dh
秀吉死後に関東回復を狙う上杉、佐竹と被官の真田、伊達、最上、協力者前田が関東乱入を企てるも、
直江と仲が悪かった藤田信吉が豊臣公儀に密告。
その結果、前田は恫喝に屈服し人質を差出し、最上は離反。伊達は二元外交日和見に徹する。
佐竹は人質差出しを蹴って上杉とともに立ち上がる。
真田は軍勢率いて上杉と共同戦線はろうとするも、長男の信之が裏切って家康に走り昌幸の計画を漏らす。
バレたのでそのまま上田に戻って籠城。
      ↓
毛利輝元を担いで西軍挙兵
      ↓
三成、上杉と共同歩調を取ろうと上杉被官の真田に手紙を出す(漏れるとやばいので黙ってた。こめんね)
   上杉、真田、早く言えと怒るも西軍敗北。その後も10カ月戦闘継続。
      ↓
上杉が関東乱入したら一緒に向かおうと思ってた伊達も上杉が不利になったので反上杉色を明確化
      ↓
上杉降伏。佐竹降伏。
      ↓
上杉大減俸→景勝談(書が残ってる)「(徳川の親戚の北条を滅亡させたのは上杉の意見なのに)、減俸ですましてもらって悪いね」
      

992989:2012/10/02(火) 12:42:47.93 ID:DfED3+Dh
>990
五大老(官位と勢力、配置を見ろ)、各地方の公儀への取り次ぎ役だった
上杉が会津に帰っている時は伊達が東北各大名の取り次ぎ、意見聞きの「代理」を任命されている。

こういうのも知らないだろ

993人間七七四年
>>992
関東管領ではないわな
そういう制度的なもの言ってるのに、”実質はそうだった”みたいなこといわれてもな?