豊臣秀吉の死後、豊臣秀次が後継者になっていたら?

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912人間七七四年
幼い秀頼一人残す危険性は秀吉も十分認識してたと
思うから、相当な事情があったのかも。
どうも当時豊臣政権に亀裂が生じてて、
特に秀吉と秀長の関係が険悪になってたとも言われる。
秀長の重臣を秀吉が殺したという話もある。

秀長派という派閥が形成され、秀長、秀次、利休と
その傘下の大名衆、伊達などだけど、秀吉の存在を脅かす
ほどになってた
秀長の死をきっかけに“秀吉派”が巻き返しに出たのでは?
秀長=兄を陰で支えた名参謀 見たいな話が好まれるようで
どうもこういう説は不人気なのだが