次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5

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1人間七七四年
どこまで信じられるのか。

長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ

>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ

●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
2まとめ:2011/07/03(日) 17:55:10.35 ID:fcz44HVi
日本史板の旧スレ

鈴木眞哉史観を疑う
http://mimizun.com/log/2ch/history/1169129287/
鈴木眞哉史観を疑う 弐太刀目
http://mimizun.com/log/2ch/history/1258360008/
3関連スレ:2011/07/03(日) 17:58:44.10 ID:fcz44HVi
雑賀衆・根来衆
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156845840/
戦国史の研究者を語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1210510597/
静岡大学教授小和田哲男氏について
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160246355/
司馬史観と戦国時代
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152281475/
武功夜話は偽書?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169263287/
【川並衆】前野・蜂須賀を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1166443371/
戦国時代の馬はポニーサイズ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
戦国時代における騎馬武者の実像とは
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245948808/
日本刀
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1241791739/
日本の戦国時代 合戦の虚像と真実
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
4人間七七四年:2011/07/03(日) 18:00:03.76 ID:fcz44HVi
>>1
「本能寺の変に黒幕はいない」を追加しとくべきだったw
5人間七七四年:2011/07/03(日) 19:42:14.80 ID:QsRTvU1a
おつ
6人間七七四年:2011/07/03(日) 20:38:12.63 ID:2AVxR7zE
>>4
それだけは外してOKだろ
7人間七七四年:2011/07/03(日) 22:08:20.58 ID:KleU0utS
>>1
騎馬隊はない
8人間七七四年:2011/07/03(日) 23:11:15.75 ID:z9/j+SBX
>>1乙、大義であった。
9人間七七四年:2011/07/04(月) 07:41:49.64 ID:rumAZBeh
馬は使うけどあくまで移動手段としてだな。
乗ったまま戦うのは正直しんどい。
10人間七七四年:2011/07/04(月) 09:47:56.77 ID:KXSIJS4+
降りる暇がなかったら乗ったまま戦うし、騎馬の方が有利な場合もある。
鈴木だってそれは否定してないだろ
11人間七七四年:2011/07/04(月) 17:33:32.69 ID:yUXkTnMI
箇所によては騎馬戦闘を肯定してうように書き
箇所によっては騎馬戦闘を否定する論理を展開している
これは状況によってどっちにでも立ち位置を変更できるずるい手法

鈴木信者は下の否定論にだけ食いついて知ったかぶる
この責任は鈴木の文章の書き方にある
12人間七七四年:2011/07/04(月) 17:54:01.63 ID:j7TB1C9C
あんなん真に受けてるのは、アレ見て「カッパは実在する」とか「ツチノコは実在する」とか言ってるのと同じようなもの。
13人間七七四年:2011/07/04(月) 18:26:31.45 ID:+dY1td9G
>>11
あれは、僕は「常設騎馬単科軍団」を否定してるのであって、
騎馬突撃や騎馬隊は否定してませんよ。と言ってる訳だ。
もちろん非常に分かり難い文章である意味釣りだが
釣られると桐野みたいに僕の本ちゃんと読んでるのですかと内容証明で送られちゃうw
14人間七七四年:2011/07/04(月) 19:54:57.57 ID:yqbWL3hA
騎馬武者については、関ヶ原の戦いを見ても、戦いは半日ほどで、
江戸→関ヶ原を徒歩で移動など、ほとんどが歩いてばっかり。
鎧一色など重い荷物がたくさんあるのだから、武士なら「馬がほしい」と思うだろう。
たとえ馬に乗ったまま戦う場面がなくても。
15人間七七四年:2011/07/04(月) 21:15:23.94 ID:yqbWL3hA
前スレを蒸し返すとすれば、なぜ無茶な珍説なのか詳しい説が聞きたいとこだな。釣りっぽいが。

>998 :人間七七四年:2011/07/04(月) 01:47:40.53 ID:onB4NoUZ
>本能寺の変に関しては無いけど
>桶狭間に関しては正面攻撃とかいう無茶な珍説掲げて自爆したからな

16人間七七四年:2011/07/04(月) 21:39:26.81 ID:yqbWL3hA
もし桶狭間の藤本説に誤りがあるとすれば、次の2点が怪しいと俺は考えている。

一つ。信長いわく「あの武者、宵に兵糧を使いて…」と、指差した先の敵は、疲れた兵だと説明
したが、藤本説ではこれを信長の勘違いだとする。疲れた家康達は大高城に戻っていたので、
目の前にいるのは疲れていない新手の兵だとする。俺は、信長の言うとおり疲れた兵ではないかと考える。

一つ。
藤本説の定番の地図では、鳴海城の西は海がある。↓こんなふうに。
http://www.sengokushi.com/godume/img/a_013.jpg
でも、実際にはすでに干拓されて、星崎城という城まであった。浜手の道は潮が満ちていたので、
信長は山手の道をかけたのだが、本来は浜通りの道を行くはずだった。だから、鳴海城の裏側などを
通る予定ではなかったのだろうが、中島砦をでたとき、信長の目は、東でなく、南の丸根、鷲津方面を
指していたのではないかと思われることだ。

そのため、丸根、鷲津方面の山際まで進んだら、「旗本はこれなり」と、予想外なことに、東の下方に
義元達がいたので、急遽、東向きに攻撃を変更、という説もありうるわけだ。俺の珍説ではあるが、
信長公記どうりの解釈だぜ、これは。
17人間七七四年:2011/07/04(月) 22:19:23.71 ID:gWsB/0X0
もともとフィクション要素の高い軍記物の記述を一言一句拾って
誤認したかどうかなんて・・・どーでもいいです
18人間七七四年:2011/07/04(月) 22:22:23.38 ID:yqbWL3hA
あげとくか。変な魚がもっと釣れるかもしれない。

19人間七七四年:2011/07/04(月) 23:12:46.88 ID:yT+sEFeN
何漁がやりたいんだ?w
20人間七七四年:2011/07/05(火) 02:12:39.02 ID:Y9QwbXDj
>>13
>あれは、僕は「常設騎馬単科軍団」を否定してるのであって、
>騎馬突撃や騎馬隊は否定してませんよ。と言ってる訳だ。

いやいや、騎馬突撃や騎馬隊を否定する論理を展開してるんだよ鈴木センセはw
一方で実例を挙げて肯定もしてるんだけどね。

そもそも鈴木センセは、“定説”「常設騎馬単科軍団」存在説に噛みついてるようだけど
実際のところ定説としての「常設騎馬単科軍団」存在説なんて存在しないんだよ。
極めて一部の人が主張してるようだけど、そんなものは例外に過ぎない。
ある意味で虚構と戦っているようなもの。
21人間七七四年:2011/07/05(火) 02:15:15.02 ID:R+iwLLxC
>>20
>極めて一部の人が主張してるようだけど、

いつの間にか電波桐野くらいしか主張しなくなったな
もう不毛な論争やめりゃいいのに、お互いしつこいねw
22人間七七四年:2011/07/05(火) 04:14:41.34 ID:kdQfCDv4
騎馬軍団はNHK大河ドラマ(笑)とかで健在の描写だから、
反権威主義の鈴木センセとしては文句付けておきたいんじゃないの?
23人間七七四年:2011/07/05(火) 10:06:52.30 ID:+HpLl/KE
ジジイだからな。
ある年齢時で時間が止まってるんだよ。
司馬遼太郎の最新の学説で片岡千恵蔵のチャンバラ時代劇に難癖つけたりしたかったんだろw
24人間七七四年:2011/07/05(火) 21:44:57.80 ID:FO0y+WOu
電波は鈴木先生だろうにな。
25人間七七四年:2011/07/06(水) 00:09:05.15 ID:/X/H8d2M
「陰謀」論という呼称は、その呼称の対象となった論説に対して、
虚偽ないし風説にすぎないと強調し印象付ける意図で使用される場合がある(レッテル・ラベル)。
ここでは、この呼称の利用者の意図や目的が問題となる。

通説とされる論説、陰謀論とされる論説のいずれにおいても、検証の過程を省略あるいは操作して、
権威主義または反権威主義、ポピュリズム、
あるいは、倫理観、または、自由・平等・国際協調といった理想的概念、感情(恐怖、怒り、民族感情、国家意識から個人の自己愛まで)に
対して訴えかける方式の論説であるときは、それはプロパガンダである可能性がある(報道におけるタブー参照)。

通説がプロパガンダや言論統制により擁護されている場合、権威主義的に通説に依拠して、
「陰謀論」の論者が列記する資料や証拠に対する検証過程を拒否するか省略し、
あるいは自己に都合のよい結果となる事例のみを採用した上で、
「通説と異なる背後関係=>ゆえに陰謀論である=>ゆえに検証を要さず棄却」という論法を採用することが多い。

通説と陰謀論の双方がいずれもプロパガンダに過ぎず、いずれもが事実を表示していない場合もある。

陰謀の存在を語る人間、信じる人間は馬鹿だという雰囲気を漂わせることで、人間の自尊心に訴えかけて言論統制の効果を達成することが可能である。
政府や諜報機関などが、カウンター・プロガンダを用いる際には専門家や大学教授など権威者を利用して、疑惑を消し去るための言論活動を展開させることは常套手段である。
26人間七七四年:2011/07/06(水) 00:13:54.45 ID:/X/H8d2M
この人の本の書き方は、メディアリテラシーが欠如してる層にはすごい受け入れやすい。
27人間七七四年:2011/07/06(水) 00:14:58.51 ID:EU1fIGWp
と、陰謀論者が自分の馬鹿さかげんを盛大に宣伝しております。
28人間七七四年:2011/07/06(水) 00:18:20.72 ID:q6mKDYXL
>>25
聞いてやるから
お前が信じてる陰謀を書いてみろ
29人間七七四年:2011/07/06(水) 08:10:27.25 ID:N67e7CaM
トンキン湾事件は共産主義者による捏造、とか書いておくと左寄りな陰謀論者がわらわらとw
30人間七七四年:2011/07/07(木) 06:15:27.87 ID:P81RcVYB
そこまでいくと流石に板違い
31人間七七四年:2011/07/07(木) 13:22:53.37 ID:RrEPxvtr
>>20
そもそもそんなもんは日本だけでなく
世界的にも近代に入るまで殆ど無いだろ
32人間七七四年:2011/07/07(木) 15:56:11.62 ID:UBBdcAde
中華やローマ帝国みたいな強力な中央集権帝国でしかありえないよなあ
33人間七七四年:2011/07/07(木) 17:56:35.68 ID:afoZMH8/
>>13
だったら鍛えてない在来馬に重荷背負わせて実験して、日本の馬は重武装の武士を
乗せて走れません、みたいなのとかいらないだろ。それと馬上戦闘の否定とかもしてたよ。
34人間七七四年:2011/07/07(木) 17:58:15.51 ID:klT7BdSz
鈴木って今でもそんな尖ったこと言ってんの?
35人間七七四年:2011/07/07(木) 18:01:52.23 ID:P81RcVYB
どっちも歩兵メインでしょw
資料的にハッキリしているのは、実質モンゴル帝国だけではないだろうか。
36人間七七四年:2011/07/07(木) 18:11:14.72 ID:P81RcVYB
35は>>32ね。

>>33
朝青竜乗せたモウコノウマの写真でも引っ張ってこないとパワー無し馬じゃない
って信じない奴も多かったな。
37人間七七四年:2011/07/07(木) 20:53:51.31 ID:nhZZHgBW
>>35
前漢の武帝は対匈奴戦のために大規模な騎兵部隊を育成しているが。
汗血馬を得るために大宛に遠征もしている。
中国は王朝や時代によって騎兵主体、歩兵主体の入れ替わりがあるよ。
38人間七七四年:2011/07/07(木) 22:26:39.49 ID:P81RcVYB
主体が入れ変わるほどじゃないだろw
39人間七七四年:2011/07/07(木) 22:29:37.12 ID:nhZZHgBW
唐や金、清は騎兵主体だよw
それとどちらが主体かは別として「常設騎馬単科軍団」的な部隊の編成は各王朝で行っている。
馬の産地を奪われて王朝が衰える原因になったこともしばしばだ。
40人間七七四年:2011/07/07(木) 22:42:26.53 ID:P81RcVYB
ああ、そういう話ね。
西漢とか例に出すから何かと思った。
唐、金、元、清は騎兵主体と言っても間違いではないな。
41人間七七四年:2011/07/07(木) 22:52:38.73 ID:nhZZHgBW
モンゴル帝国ではなく元となると逆に騎兵主体とばかりも言えなくなるけどね。
まぁどの時代どの王朝にせよ中原や漠北、内外蒙古、東北で作戦するなら騎兵は必須。
碧蹄館で日本軍と戦った李如松の部隊は騎兵主体だったな。
42人間七七四年:2011/07/07(木) 23:04:47.84 ID:P81RcVYB
で、前漢やローマの騎兵話は間違いでしたでいいわけね。
了解。
43人間七七四年:2011/07/07(木) 23:14:13.46 ID:nhZZHgBW
何で間違いになるんだ?
>>20>>32からの流れの話なのに。
44人間七七四年:2011/07/07(木) 23:40:04.89 ID:LJj73eZ3
枝葉の話しは拘らなくていいよ
45人間七七四年:2011/07/08(金) 00:07:58.64 ID:vmy9NZ+o
>>35
帝政前期〜中期にはAlaという属州民の騎兵部隊が沢山存在していた。
そして補助歩兵のCohorsと同じく、Alaはそれ自体が独立した単位。
「歩兵主体」であろうがなかろうがローマ帝国に「常設騎馬単科」の部隊が複数存在していたのは間違いない。
46人間七七四年:2011/07/08(金) 00:54:12.09 ID:wgf0/WLS
ローマの人来たか。
また何のスレかわからない流れになるかな?
47人間七七四年:2011/07/08(金) 01:19:37.71 ID:pQzDeu4N
ローマは時代が違いすぎてなぁ世界史スレでお願い。
4845:2011/07/08(金) 01:50:32.43 ID:vmy9NZ+o
すいません。我慢できずについ書きこんでしまいました。これで消えます。
49人間七七四年:2011/07/08(金) 21:10:28.70 ID:/AeZ6XSC
わたしこそすみませんでした。
50人間七七四年:2011/07/09(土) 00:10:39.01 ID:7Dfsoybx
いえいえこちらこそ。
51人間七七四年:2011/07/09(土) 11:04:05.09 ID:J84E88+r
義を重んじていた上杉謙信だが、
足利幕府が滅亡した後には、
しっかりと領土を拡大している。

幕府の滅亡により、関東管領職への
義理立てが必要なくなったのに、
柴田勝家(信長軍)を破った後は、
関東の征圧を狙っていたという説は誤り。

天下取りのための上洛を考えていた、
という説のほうが自然。
52人間七七四年:2011/07/09(土) 11:17:01.12 ID:HSy5TWpg
正気か、君は
53人間七七四年:2011/07/09(土) 11:18:16.00 ID:5VqxgmmY
主体かどうかは知らんが
ローマにも騎兵部隊はいるだろう
54人間七七四年:2011/07/09(土) 11:21:21.00 ID:/wW1oDve
そもそも日本の戦国時代と一緒で、土地や財産を持っている連中は騎馬での軍役がかかってた>ローマ
55人間七七四年:2011/07/09(土) 11:25:50.20 ID:J84E88+r
信玄が信長を破り続けて上洛を果たしたという結果を出せれば、
全国へ動揺を与えて、敵の離反者、味方になる同調者、
などの様々な要因により、織田家は崩壊していた可能性が高い。

ゲームじゃないのだから、短絡的な判断は駄目だよ。w
十手先ぐらいは読まないと。

上洛には意義がある。
地理的な戦略ではなく、
天下へ武威を示して世間を同調させるには、
必要不可欠だった。
56人間七七四年:2011/07/09(土) 11:28:43.54 ID:qE4BgyCz
ゲーム脳乙
57人間七七四年:2011/07/09(土) 11:56:29.00 ID:J84E88+r
ゲームとは違うのだから、
秀吉は家康を間単に殺せるはずがない。

家康を消した後の処理が大変だと予測していたからこそ
秀吉は懐柔という判断を選んだ。

家康を成敗→忠義に篤い三河武将の蜂起
→東海地方の混乱に乗じて他大名が連携して独立戦争
→戦国時代へ逆戻り

合戦は軍事力だけじゃないよ。
人間の心理なども絡んでいる。
58人間七七四年:2011/07/09(土) 12:17:35.35 ID:J84E88+r
戦国武将列伝
http://www.leed.co.jp/book/b1055.html

大名の口述筆記まで再現していたのは、
この雑誌のマンガだっけ?
他の漫画は、大名が自ら筆を取りすぎて不自然極まりない。
59人間七七四年:2011/07/09(土) 13:41:53.13 ID:0gqUpnNR
>51
>義を重んじていた上杉謙信だが、
そもそも「義を重んじていた上杉謙信」という俗説を疑え。

謙信は関東在住の反北条の諸大名を糾合して包囲網を作り上げて、
長く北条と戦い続けた経歴がある。

北条との戦いをやめて上洛戦を行うなら、
長く共闘した関東の諸大名を見捨てることになる。
彼らは当然、北条との同盟を破棄した武田と組むことになり、
上杉方の勢力範囲が大幅に縮小する。(武田とも北条とも争う必要が出るから必然だな)

>57
秀吉は、ほとんどの大名に対し、戦って滅ぼすという選択肢を「最後の手段」に位置づけた。
秀吉が主導する全国政権の幕下に加わるならOk、というスタンスだ。
北条とか島津とか、戦いになった相手は、単に秀吉の幕下に加わる選択をできなかっただけに過ぎない。
家康の扱いは例外ではなく典型だったんだよ。
あと、小牧長久手の戦いは、戦術レベルでは秀吉劣勢だけど、戦略的には秀吉の方が圧倒的に優勢だっただろ。
信雄・家康連合に味方する武将達を各個撃破して勢力を削ぐ秀吉と、
それを救援に行くことができずに小牧〜長久手の主戦場に縛り付けられて動けないまま、
見捨てざるを得なかった家康の状況を見ろ。
60人間七七四年:2011/07/09(土) 14:52:06.68 ID:J84E88+r
暴飲暴食だった秀吉の晩年はブタ。

質素に自制していた長寿の家康は、
太っているわけでもなく、健康体でしたよ。

デブの家康を想像してる人は、
ドラマの影響だけで語っている。
61人間七七四年:2011/07/09(土) 15:16:53.87 ID:5VqxgmmY
>>59

> それを救援に行くことができずに小牧〜長久手の主戦場に縛り付けられて動けないまま、
> 見捨てざるを得なかった家康の状況を見ろ。

同意ですが。

第2次小牧〜長久手戦とも言える蟹江城合戦は痛かったかと思います。
秀吉というか織田政権のルーツに近い尾張で前田宗家も(戦後ですが)滅びた形だし。
(その後利家の婿になった?)
62人間七七四年:2011/07/09(土) 18:03:34.09 ID:SxqG0wb4
別スレでもいい話題が続くな。みんな薀蓄語りたいんだな。
63人間七七四年:2011/07/09(土) 18:46:44.98 ID:HVPaoWbY
いきなり謙信の話とか意味が分からないよ
64人間七七四年:2011/07/10(日) 06:25:18.59 ID:Um26Yq3Q
寡兵で大軍を破った戦い

1 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 02:13:32 ID:E8ad61KX
桶狭間合戦や厳島合戦のような
劣勢を跳ね返し、大軍を破った戦いを語りましょう。
http://unkar.org/r/sengoku/1166807612
65人間七七四年:2011/07/11(月) 00:04:18.80 ID:i2SHopLT
随分と前のスレですな。
66人間七七四年:2011/07/17(日) 06:17:59.71 ID:soDZIp6f
まあ矢追純一とか五島昇みたいなもんだな。
67人間七七四年:2011/07/17(日) 10:37:46.53 ID:tAsBMOV+
>>60
・・・肖像画
68人間七七四年:2011/07/17(日) 16:22:23.94 ID:WDcfCuRx
>67,60
そういえば、秀吉の肖像画ってガリガリに痩せてるものばっかりだよな。
ふくよかな体こそ裕福さの証、みたいな時代の絵で痩せた姿で描かれてるんだから、
(江戸時代に作られたものではなく同時代の絵だとすれば)みすぼらしいガリガリの姿に加工するはずはない。
本当に痩せてたんだろう。

逆に、家康の肖像画は、丸々と太っているわけではないが、ふくよかな顔で描かれている。
当時の常識でいえば「健康体」と呼べるレベルだろうが、現代の価値観では「デブ」だ。
とはいえ、百貫デブとかコニーちゃん とか、そういうレベルじゃなく、ちょいデブって程度だと思うが。
69 【東電 84.9 %】 :2011/07/17(日) 17:51:22.46 ID:rUAwYDRN
70人間七七四年:2011/07/18(月) 09:16:00.19 ID:kaRlWd4L
豊かさの象徴もそうだけど、
デブが健康の象徴でもあった時代じゃないの?
71人間七七四年:2011/07/19(火) 23:16:54.23 ID:msKDutmR
フィールドワークの藤井尚夫はどうよ?
72人間七七四年:2011/07/21(木) 02:00:26.08 ID:b9Uno/8+
秀吉は明や朝鮮の使節が来ると、体格を立派に見せるために服の下に竹ひご入れて
大きく見せていたそうな。
73人間七七四年:2011/07/22(金) 22:32:23.02 ID:1moA+nZg
曹操の逸話みたいなの無いのかな?w
体格良いのを代わりに出して自分はその横で相手を観察とか。
74人間七七四年:2011/07/24(日) 11:52:34.24 ID:vyQ6+UEz
前田慶次の漫画では、秀吉は裸になると、筋肉隆々のマッチョ。
75人間七七四年:2011/07/25(月) 01:43:23.95 ID:DuK0U9Qa
筋骨隆々だったのはその通りだろうな。現代的なボディビルダー的マッチョではないだろうが。
76人間七七四年:2011/07/26(火) 11:02:31.87 ID:fSrA0TnF
利休はじつは格闘家で、ボディビルダー的マッチョ。武士でもある。僧は切腹しない。
77人間七七四年:2011/07/26(火) 13:29:19.51 ID:n7wXfeuT
信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた (双葉新書)(新書)
跡部 蛮 (著)
78人間七七四年:2011/07/26(火) 14:25:44.11 ID:bE4QyERV
>>77
家康「俺は堺にいたんだが」
79人間七七四年:2011/07/26(火) 20:58:06.68 ID:lD8x2lvT
家康は早朝に堺から本能寺を目指してただろ
80人間七七四年:2011/07/26(火) 22:54:43.81 ID:0/qYNJ8B
>>77
この本陰徳太平記や当代記を史料に使ってるらしいなw
竜馬がゆくや真田太平記を史料って言ってるのと一緒じゃないかw
81人間七七四年:2011/07/26(火) 23:25:52.39 ID:U5/f2wEe
武功夜話を史料に小説を書いてる奴らよりはマシでは?
82人間七七四年:2011/07/26(火) 23:32:47.19 ID:0/qYNJ8B
>>81
でもこの本小説じゃなくて歴史書のつもりなんだろ?ドアウトじゃん。
83人間七七四年:2011/07/27(水) 01:06:27.19 ID:HrFevSlp
>>81
マシなわけないだろ
84人間七七四年:2011/07/27(水) 03:13:05.88 ID:mKGo0m6o
東アジアの兵器革命  十六世紀中国に渡った日本の鉄砲  久芳 崇 著  吉川弘文館

十六世紀末、朝鮮の役での日本の火縄銃などの兵器技術と輪番射撃戦術は中国・朝鮮に大きな衝撃を与えた。
最新の日本式鉄砲が広がっていく経過、それを伝えた日本兵捕虜の処遇、軍事力を背景にした明の新秩序確立過程などを解明。
東アジア諸国の火器技術の刷新と兵器革命の実態を探り、これまで看過されてきた東アジアの「軍拡」の時代を描き出す。


三段撃ち=一斉射撃×3で間違いなさそうだな。
三段撃ちの件はこれで決着かな。
「長篠の戦で行われた」かどうかは知らんけどw
85人間七七四年:2011/07/27(水) 03:14:50.70 ID:mKGo0m6o
86人間七七四年:2011/07/27(水) 03:28:19.74 ID:51U36d9b
>>84
前スレ>451,455でとっくに既出の件
87人間七七四年:2011/07/27(水) 07:30:45.94 ID:mKGo0m6o
あー、そうだったっけ。スマン。
88人間七七四年:2011/07/28(木) 12:17:38.72 ID:R+4QAIcw
石山本願寺の戦いでは、坊主どもとはいえ、本願寺勢は1万人の軍と数千丁の鉄砲の大勢力だった。
攻めてきた一揆勢?を、織田軍は撃退して、柵の中までは追い込んだが
簡単な馬防柵なのに、織田軍はこれを打ち破れず、大将の塙直政は討ち死にしたうえ、
援軍にかけつけた信長まで銃撃されて
足に負傷している。まさに長篠の戦いの武田軍バージョン。
89人間七七四年:2011/07/28(木) 12:21:40.60 ID:lRiOOi0Q
>>88
つーか長篠の戦いの描写はその戦いをモデルにしたとも言われる。
90人間七七四年:2011/07/28(木) 14:56:44.81 ID:pqCWo1xL
自分達がやられた事を自分達がやった事にしたってわけかw
91人間七七四年:2011/07/28(木) 17:03:06.52 ID:HAdnCuZm
戦術なんてそんなものだ
電撃戦なんかはドイツにやられたソ連が反撃時に行っている
92人間七七四年:2011/07/29(金) 08:15:01.81 ID:vAIF72uZ
ハンニバルとナポレオンの戦術も研究された為に敗北した
93人間七七四年:2011/07/29(金) 09:33:09.72 ID:A2i4WtqO
主戦力の無力化と包囲殲滅

ナポレオンは?
戦力集中?
94人間七七四年:2011/07/29(金) 09:39:51.87 ID:chHedNUF
>>93
軍団制とか
95人間七七四年:2011/07/29(金) 09:46:18.77 ID:A2i4WtqO
>>94
なるほど
国民皆兵はフランス革命の所産だよね
96人間七七四年:2011/07/29(金) 17:51:06.08 ID:GYCZMFCA
>>84
あの頃の時代にナッサウのマウリッツだかが三段射撃の様なものを考案してるが、
結局一斉射の弾幕が薄くなるんで効果薄いよコレって結論になってたと思う。
97人間七七四年:2011/07/29(金) 17:56:55.74 ID:uTik07+G
斉射って言っても命令の届く範囲、せいぜい2〜30人の斉射だけどな。
98人間七七四年:2011/07/29(金) 19:35:48.60 ID:fDtGSE7j
鳥撃ちでもサバイバルゲームでも、
各自てんでんばらばらに撃っていると、撃つ対象が逃げてしまって効果が薄い。
「撃つな、撃つな」と、待ってて、充分大丈夫となったら一気に撃つと
効果が高い。
三段撃ちはともかく、撃つ合図をする旗振り武将?(軍配?)はいたと思われる。
99人間七七四年:2011/07/29(金) 19:55:37.99 ID:chHedNUF
足軽大将とか足軽小頭なんかはいた
100人間七七四年:2011/07/30(土) 01:29:18.01 ID:7+lODW8M
>>95
古代中国も古代ギリシャも国民皆兵、というか原始社会や都市国家は基本皆兵
匈奴も突厥もウイグルも吐蕃も西夏も契丹も女真もモンゴルも皆兵
101人間七七四年:2011/07/30(土) 01:32:15.93 ID:7+lODW8M
>>17
軍記物準拠なのは藤本も同じなわけだから
>>16の方が藤本よりマシというか余程説得力あるね
正面攻撃説とか研究者のくせにバカじゃねーの、と思うわ
102人間七七四年:2011/07/30(土) 20:49:06.92 ID:Vr7TOGe0
中島砦の前からの千秋らの突撃および討ち死にの様子を、信長も義元も見ているのだから、
グーグルの地形図で見てみたが…、地図が使いにくくて、俯瞰および望遠ができん。義元の居場所がよくわからない。
103人間七七四年:2011/07/30(土) 21:46:28.04 ID:wvQLW9zd
地形が今とは全然違うから、近代デジタルライブラリーの日本戦史の地図を見たほうが良い
ただし、今川本陣は様々な説がある
104人間七七四年:2011/07/30(土) 22:26:06.33 ID:Vr7TOGe0
>> 102
近代デジタルライブラリーの日本戦史の地図を見たほうが良い というから、探したよ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771063
上記URLの143ページ目にあった。疲れた。やっぱりよくわかんね。
105人間七七四年:2011/08/03(水) 18:17:31.81 ID:qLo8PGXB
信長が言った言葉で「あの兵どもは、夜通し行軍して大高に兵糧入れて疲れた兵だ」というのは
>>104の地図見ると、朝比奈の兵で、まさに疲れた兵だ。
信長はその兵を攻撃するつもりで「山際」まで接近したが、急に東向きの強風が出て
「旗本はこれなり」「東に攻めたまふ」ということなので、急に方向転換か?。
106人間七七四年:2011/08/06(土) 10:14:49.58 ID:OHWXxdIb
「一個人」という今うっている雑誌で、戦国特集やってた。
明智がなぜ本能寺の変を起こしたか?という謎で、怨恨説で見逃せない記載があった。

信長が光秀のドタマを折檻した、という話は作り話だと俺も思っていたが、
フロイスの本と、稲葉家譜に共に載っているというのだ。
稲葉家譜では、殴ったさいに光秀のカツラまで取れておちたという屈辱的な内容。

髪の薄くなった俺は、光秀が内心激怒していた気持ちがよくわかる。
107人間七七四年:2011/08/06(土) 10:27:22.81 ID:OHWXxdIb
稲葉家譜をググってみた。
ttp://blog.livedoor.jp/nobunaga_1534/archives/51361754.html

信憑性にやや難があるとされる『稲葉家譜』に、「本能寺の変」4日前に裁定が下った明智家と
稲葉家の家臣をを巡るある騒動が記されています。

天正10(1582)年5月27日付けで、信長の裁定を伝えるため堀秀政が記した稲葉貞通(一鉄の次男)
宛ての文書には、稲葉家を出て明智家に仕えていた「那波直治を稲葉家に返還する」「当面の扶
持は信長が扶助する」といったことが書かれています。

那波直治よりも前に斎藤利三も同様に稲葉家を去って明智光秀に仕えており、稲葉一鉄・貞通父
子は、立て続けに明智家に家臣を引き抜かれたような形になって、外聞も悪いので信長に返還要
求の訴訟を起こしたようです。

那波直治はこの裁定に従い、稲葉家に戻されたようですが、利三に対しての信長の裁定は、自刃
を命じるものでした。しかし、これは斎藤道三の旧臣で信長に仕え、利三とも親交が深かったと
思われる猪子兵助の取り成しで死罪を免れ、利三は引き続き光秀に仕えることを許されることに
なったようです。(文書の日付を考えると解決したのは本能寺の変前日ぐらいになるような気が
しますが・・・?)

斎藤利三は、義妹が四国の長宗我部元親に嫁いでいる間柄でもあり、上記の件が事実であれば、
四国討伐目前のこの状況で、信長に不満を抱いていた斎藤利三が同じく四国政策に不満を持って
いたと思われる主君・明智光秀に信長打倒をけしかけた可能性も否定できないかもしれません??



信長に強い不満を持つ斎藤利三(あと少しで死ぬところだった)が光秀の身近にいて、
接待の席で折檻されて帰ってきた光秀は、斎藤利三に同調して本能寺の変を決意したか?
108人間七七四年:2011/08/06(土) 12:17:57.44 ID:nnxk/gJA
そもそも接待の席で折檻って話自体後世の作り話で…

まあ当時の稲葉家が有能な家臣がワラワラ逃げ出すような状況だったのを、
「逆臣」明智光秀の邪な引き抜きのせいと責任転嫁したんだろ。
109人間七七四年:2011/08/06(土) 12:32:37.63 ID:et9tL2cJ
×接待の席
○接待の準備についての打ち合わせの席
110人間七七四年:2011/08/06(土) 13:21:33.74 ID:OHWXxdIb
>>108
折檻って話自体後世の作り話、ということについては、軍記物ならそういえるかもしれない。
だが、
ルイスフロイスの「日本史」に載っている点からして、本当っぽい。

藤本氏の本も、怨恨説を重視して一部書き直さなければならんかもな。
111人間七七四年:2011/08/06(土) 13:53:02.30 ID:5DC78O7F
信憑性にやや難があるとされると書いてあるだろ
112人間七七四年:2011/08/06(土) 17:36:13.55 ID:1QS6QGDl
個人ブログ丸写しで何を主張してんだか。
113人間七七四年:2011/08/06(土) 17:51:18.30 ID:W1MWBuWI
>>111
藤本自体が信憑性にやや難があるだろ
114人間七七四年:2011/08/06(土) 22:01:43.29 ID:4p7XLOZa
じゃあ誰なら信頼できるんだ?
完全に正しい研究者なんていない。
それぞれが勇気を出して持論を唱えて、
ぶつけ合って議論して、
それで歴史観が固まっていくんじゃないか。
115人間七七四年:2011/08/07(日) 00:39:08.42 ID:m7k2lqs0
まあ確かに当て馬としてはいいか
鈴木みたいにぐだぐだ言い逃れしないし
116人間七七四年:2011/08/07(日) 01:41:01.59 ID:nLBgtufi
藤本や信長公記を信憑性ないと言っている奴は
桶狭間は簗田がひそかに義元本陣の位置を通報したとか墨俣城はあらかじめ作っておいた部材で
素早く作った、とかの説を信じているんだろ。
117人間七七四年:2011/08/07(日) 02:15:49.13 ID:x8vVnIQA
>116
残念w
その人は信長公記と信長記の区別がついていないだけですw
118人間七七四年:2011/08/07(日) 02:56:05.73 ID:m7k2lqs0
>>116
それは信長記と信長記の区別がついてないだけじゃねーかw
藤本説より橋本説のがよっぽど蓋然性ある、藤本説は無理繰り
119人間七七四年:2011/08/07(日) 09:37:32.37 ID:nLBgtufi
信長記って、甫庵信長記のことだろ。

橋本説って、何だろ?
橋場 日月(はしば あきら)のことだろうか。
120人間七七四年:2011/08/07(日) 11:52:27.98 ID:Yaf95qM8
藤本の本読んでるかも怪しい
121人間七七四年:2011/08/07(日) 12:15:55.92 ID:gCfwc+0Z
橋場w
122人間七七四年:2011/08/07(日) 12:38:51.99 ID:Fdz0JKPo
>>118
信長記と信長記
信長公記と信長記と言いたいのか?
123人間七七四年:2011/08/07(日) 14:53:42.10 ID:m7k2lqs0
>>119>>122
牛一信長記と甫庵信長記だよ
>>119
それそれ、橋本じゃなく橋場w
124人間七七四年:2011/08/07(日) 18:40:03.69 ID:9oYCxffV
あそこまで徹底して考えてはいなかったが、昔から日本刀が戦場で活躍していたとは思えなかった。

戦場に限らず、同技量(これが難しいが)が鎧兜なしで1対1の対決でも槍にはどうかな、と思う。
でもまあこの辺は個人差や得手不得手相性もあるかな、と思う。

戦場、集団戦、甲冑、で日本刀はないわな。(超長いのはまあ別にして)
まして、馬上で対馬上、対徒歩、そりゃないだろと、剣道の真似事していた餓鬼でもわかった。
125人間七七四年:2011/08/07(日) 20:43:42.73 ID:YCCTIHr1
日本の足軽さんたちはフルプレートアーマーの下に鎖帷子着込んだスーパー重装歩兵だからね。
刀も鑓もへっちゃらだよ。
賤ヶ岳じゃこんなのが五時間で約50qを走破。
126人間七七四年:2011/08/07(日) 21:06:06.40 ID:9oYCxffV
重装備悪道でも1時間10Kならなら可能だが5時間はなあ

今の尾根歩きは昔の幹線道路とは言え
127人間七七四年:2011/08/07(日) 21:10:25.45 ID:kANQCpal
>>125
楔帷子なんぞ着込んでいない
128人間七七四年:2011/08/08(月) 00:36:26.66 ID:lHk1XmKm
>>124
白兵戦だと明らかに槍より刀に分があるよ
常時隊列を組んだまま集団戦を行えるわけじゃないから、刀は携行し易いし必須

馬上でも最初の突撃は槍で乱戦になったら刀、槍一本じゃ到底捌き切れない
129人間七七四年:2011/08/08(月) 01:10:36.41 ID:a2+n7pAE
>>127
くさび帷子は痛いな〜
130人間七七四年:2011/08/08(月) 01:52:33.62 ID:J+b9hhBk
くさびかたびらって、
戦国時代の鍛冶屋はどうやって作っていたんだろう?

ほそい針金をつなぎ合わせるといっても、ふいごで溶かしていたら接合部分以外まで溶けそうだし、
溶接はできないし、赤くなった針金をトンカチで叩いて根気づよくつないでいったのだろうか。

ちなみに鉄砲の銃身、バネ、ネジ、引き金の複雑な形状等、鍛冶屋が鉄砲を作るのは
刀と違って、ものすごく高度な技術が必要だったと思われる。
131人間七七四年:2011/08/08(月) 02:11:35.60 ID:P1WXKHNz
このスレのキーワードは、「夏休み」とか「ゆとり」とかか?w
132休み好きゆとり:2011/08/08(月) 02:36:41.50 ID:J+b9hhBk
戦国時代のころの日本って、すごく貧しいから、
動員かけて人数集めたとしても、武士階級ならともかく、
一般農民なんか、武具もなく、食べ物すらろくに持参してなくて、手ぶら同然でやってきて、
せいぜい粗雑な刀くらいしか持ってないわけよ。

そこで殿様?は仕方なく、足軽用のヨロイを貸してやる(お貸し具足というらしい)。
食料もコメを与える。
武器は、弓矢を与えても使いこなせないから、そういう末端の足軽は、武器は刀だけで
あとは大抵、荷物運びさせてるね。
133人間七七四年:2011/08/08(月) 02:44:51.07 ID:lHk1XmKm
大名家にもよるけど、基本2週間は自弁
粗雑な刀くらいしか持ってないフザけた奴は死刑w
134人間七七四年:2011/08/08(月) 10:18:03.26 ID:J+b9hhBk
刀しか持っていなければ、槍や鉄砲に劣るとはいえ、いざとなれば刀を使うしかあるまい。


長篠の屏風では、信長の周りに10人近くが描かれていて、それぞれ武具を持っているが、
全て主人の信長用のもの。荷物持ちだ。この解説も藤本正行氏からだけど。
135人間七七四年:2011/08/08(月) 10:43:12.91 ID:fCVk5+AL
>>134
> 刀しか持っていなければ、槍や鉄砲に劣るとはいえ、いざとなれば刀を使うしかあるまい。

それはそうだべ
主力として装備する武器としてどうだろうか
ということ
136人間七七四年:2011/08/08(月) 13:52:03.84 ID:J+b9hhBk
主力として装備する武器ではあるまい。

北の庄の天守に突入したときとか(柴田めがけて壮絶殺し合い)、
本能寺の本城惣右衛門は、蚊帳の後ろに隠れて、相手を斬り殺したとか。

刀は野戦では最後の首切り用だな。小刀では首をうまく切り落とせない(まぐろの解体の大きな包丁を連想させる)。
137人間七七四年:2011/08/08(月) 14:58:37.85 ID:PUVE//0A
文意というか噛み合ってないというか
文章の不備ということにさせてもらいます
138人間七七四年:2011/08/08(月) 16:50:52.71 ID:qIPg6IHm
唐入りの時に、相手の槍の柄を刀で切りまくったんじゃなかったっけ
139人間七七四年:2011/08/08(月) 17:11:41.54 ID:KZh3DsV6
突っ込み所だらけでこっちが困る
140人間七七四年:2011/08/08(月) 19:13:57.63 ID:lHk1XmKm
まあ鈴木儲だから仕方ない
141人間七七四年:2011/08/08(月) 20:22:01.49 ID:a2+n7pAE
>>136
>刀は野戦では最後の首切り用だな。小刀では首をうまく切り落とせない(まぐろの解体の大きな包丁を連想させる)。

マンガしか読んでないだろw
142人間七七四年:2011/08/08(月) 20:57:42.68 ID:2qYlk57x
>132
個人単位で動員されるような人間は少なくて、
普通は村という組織を代表して参加するんだよ。

で、中世(戦国時代まで)の村は、生活だけでなく軍事行動も全部自前で行うのが普通で、
武器や防具なども村の共有財産として持っているのが普通だ。
鎧も刀も、村が自前で用意できるのが普通。
戦国時代初期までは、武器防具に食料まで村の負担だった。
ただ、その方式が諸条件によって限界に達したから
(粗末な武器を持っていくとか、よくあったらしい)
お貸し具足 とか 兵糧支給とか、大名の負担に切り替わっていったんだろう。

>136
おいおい、骨を切るんじゃないんだから...
143人間七七四年:2011/08/09(火) 03:07:10.19 ID:raJdbRhx
テロリストの首切り動画で案外簡単なんだなって印象になったわ
144人間七七四年:2011/08/09(火) 10:07:48.35 ID:fv+oItCT
義元の首をとった毛利新助は、指を何本か?失ったが、
義元の口かあどをおさえつけて、右手?で刀(小刀?)をもって切るときに
指をかみちぎられたのだろう。
145人間七七四年:2011/08/09(火) 10:08:32.28 ID:fv+oItCT
義元の口かあどをおさえつけて、

義元の口かのどをおさえつけて、

この話も藤本氏の本から。
146人間七七四年:2011/08/14(日) 14:25:23.81 ID:Zfh00kw3
>>142
> 武器や防具なども村の共有財産として持っているのが普通だ。
> 鎧も刀も、村が自前で用意できるのが普通

その頃の調達はどうしてたんですかね? 行商人から購入した?
147人間七七四年:2011/08/14(日) 18:45:39.83 ID:GL15hpCr
>146
離れた場所の定期市まで買いに行くんじゃないか?
定期市の場所まで往復するのに泊まりがけ、なんて僻地の村は少数だろうし。

行商人を待つ必要があるような村の方が少ないと思うんだけど?
148人間七七四年:2011/08/14(日) 20:24:37.86 ID:xpmek830
5、6回も戦に行って首の一つもとった経験があれば
ムラの中ではサムライきどりで調子ぶっこけるだろうな
149人間七七四年:2011/08/15(月) 05:40:15.64 ID:2eF02ab/
水争いとかで隣村とやり合うこともあっただろうから、その辺はどうだろ?
実際に殺し合いにまでなった、ならなかったはよくわからんが。
150人間七七四年:2011/08/15(月) 07:42:35.98 ID:1hRpWyQh
九十九里浜ちかくの水田の水争いについて、ちょっと書かれている。
ttp://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kagaku/kokudo/06.html

細い川しかないのに、数千ヘクタールの水田があるから、すぐ水不足になって農民マジ切れ。
151人間七七四年:2011/08/15(月) 07:51:51.47 ID:1hRpWyQh
ここにもちょっと水争いの話
ttp://www4.airnet.ne.jp/sakura/mizuarasoi3.html
農民一揆?のときは、農民は刀や竹やりぐらいで、飛び道具は持ってないみたいだから
武士は刀さえあれば間に合ったようでもある。
152人間七七四年:2011/08/16(火) 07:56:25.85 ID:rFTLPbfI
ここにも鈴木厨とおぼしきヤツが沸いてるんですが……
ttp://news.goo.ne.jp/topstories/entertainment/126/9f752db0b5ec9ca23673ca7f4cb0808e.html
153人間七七四年:2011/08/16(火) 19:28:13.40 ID:SOKIwX+S
安心しろ、ヰキペヂアやデマッターやブログもトンでも厨だらけだw
154人間七七四年:2011/08/16(火) 22:16:57.52 ID:rFTLPbfI
>>153
結局のところ一番信頼できるのは此処2chだけって事……でいいんですかね、皆さん。
155人間七七四年:2011/08/16(火) 23:10:07.19 ID:jd/vB19j
2chなんて一番信用しちゃならんだろw
156人間七七四年:2011/08/16(火) 23:59:16.11 ID:SX122kkf
専門の本や論文をあたって調べろって話だ
157人間七七四年:2011/08/17(水) 01:10:59.56 ID:tovqbPER
2chはスレ見てると自分があんまり詳しくない分野でもなんとなくどっちが正論かわかる
感情的になるから発狂具合であーこいつが劣勢なのかってのが見えてくる
2ch以外だとそこまで発狂せずに、見た目取り繕いやがるから自分にある程度知識がないとわからん
158人間七七四年:2011/08/17(水) 01:45:54.37 ID:O6cf3+9V
残念ながら、どっちかが正論なわけじゃなく
どっちも間違いな場合が非常に多いという
159人間七七四年:2011/08/17(水) 06:39:15.46 ID:5+UQ8JD0
2chは分野によるな。
まともな研究に基づかない発言が
力を持ってるところもある。
160人間七七四年:2011/08/17(水) 11:23:47.27 ID:H9u3GUfF
陰謀論とか歴史修正主義とか大好きだからな2chは。
ナチス擁護とか一生懸命やってるのがいっぱいいるが、先ず信用しちゃいけない。
161人間七七四年:2011/08/17(水) 15:48:40.33 ID:e1YWgbd6
そういや、鈴木儲のコテハン何人かいたけど全員消えたな。
162人間七七四年:2011/08/17(水) 18:57:49.30 ID:O6cf3+9V
>>160
突然こういうこと言い出す奴がどんな人種か大体想像つくよね
163人間七七四年:2011/08/18(木) 14:54:11.92 ID:WDLi8IRq
脈絡も無く突然そういうことを言い出す人も2ちゃんには多いので…
164人間七七四年:2011/08/18(木) 15:56:29.68 ID:CGSJ7AlL
脈絡の無いスレ=そっち方面に詳しい人が少ない=自分の知識でも無双しやすい

それが鈴木信者の落ち武者の場合はここで報告されちゃったりするけど
165人間七七四年:2011/08/18(木) 18:17:44.28 ID:7lLHNDGJ
>>147
自前で鍛造してたってのは無かったんですかね。
166人間七七四年:2011/08/19(金) 01:47:22.21 ID:gZwOFPTR
普通に城下の鍛冶屋に注文だと思うけど
167人間七七四年:2011/08/19(金) 20:58:04.48 ID:J+1qyrBm
たしか熱田が刀の輸出やってたような
佐治がその辺り関わってたような

ソース忘れたうろ覚えだけど
168人間七七四年:2011/08/20(土) 08:36:04.33 ID:c0FZZOqg
熱田やら品川善福寺やら前島の円覚寺やらは大商社&物流&情報産業だからね
169人間七七四年:2011/08/20(土) 10:12:13.61 ID:ZmnJkiSZ
寺などの宗教勢力は、経済の流通をおさえた大勢力だもんね。
坊主だと思ってなめてかかると、返り討ちに遭う。
佐久間父子の追放のときの書状には「相手が坊主だと思って、信長の威光で退散するとでも思っていたのか」
と、以前、本願寺攻めで死にかかった信長は、厳重注意をしている。

長島攻めでも弟などが死んでいるが、長島は尾張の国の河川流通のかなめだから、これまた大阪本願寺に次ぐ大勢力。
石高があまりなくても、カネがあって武士も雇えるので、大名なみ。
170人間七七四年:2011/08/20(土) 14:10:15.77 ID:PzF4p/Qn
金で雇ってたとか歴史を知らな過ぎだろwww
それに長島桑名一帯の石高はかなりのものw
171人間七七四年:2011/08/20(土) 17:45:40.15 ID:LlM67KMn
数打ちと呼ばれた大量生産品の刀では、
大和のどこかに大手の産地があったような?
172人間七七四年:2011/08/21(日) 02:10:22.41 ID:pFo5IK7X
>>170
武士は領地をもらってその年貢で…というのが一般的だけど、
金で雇ってた武士というか、流通の商売で生計をたてていた武士というのもいるよ。
蜂須賀がそう。河川の流通の仕事をしていた武士。
関ヶ原の石田(近江20万石)とか、大谷(敦賀5万石くらい)も、石高は家康に比べれば
ずっと少ないが、商業や港湾の仕事が大きいため、実際にはかなりの勢力。
173人間七七四年:2011/08/21(日) 02:18:57.49 ID:pFo5IK7X
それに、石山本願寺の僧兵はカネで雇った者だし、
長島は、地元の農民もいるが、武装した凶徒ども(信長公記の表現)は外部から集まってきた連中だ。
石山本願寺と武田の婚姻があって、その夫婦?が長島にいたから、信長を牽制すべく、何か資金や軍事の援助はあったのだろう。
174人間七七四年:2011/08/21(日) 05:12:11.69 ID:imWwVaL0
本当に何も知らないのか
長島の武士は土着の一向宗徒、金で雇われたわけじゃないよ
175人間七七四年:2011/08/21(日) 07:52:59.94 ID:DROU7CMl
だれ

土着の一向宗徒+外部から集まってきた連中 + 派遣
176人間七七四年:2011/08/21(日) 10:08:28.94 ID:pFo5IK7X
>>174
知らないのはオマイだ。恥ずかしい奴だな。

尾張国河内長島と申すは、隠れなき節所なり。(中略)
これに依って隣国の倭人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。

信長公記から書き写したよ。信長公記を引用すると、このとおりの威力。藤本の手法は偉大だな。
177人間七七四年:2011/08/21(日) 10:10:31.17 ID:pFo5IK7X
倭人凶徒 の 倭人は、実際には別のよく似た賎しい意味の漢字。入力できなかった。
178人間七七四年:2011/08/21(日) 15:18:00.32 ID:imWwVaL0
>>176
オマエは本当に何も知らないのな

それは長島に人が集い繁栄を極めていたというだけの話で
信長族の侵略に対抗したのは桑名土着の武士
桑名が隣国なことくらい勿論知ってるよね
179人間七七四年:2011/08/22(月) 01:42:58.16 ID:+vTDsxnd
信長族の侵略に対抗したのは桑名土着の武士
って、ハア?。
長島の一揆勢は、「隣国の佞人凶徒など相集まれり、住宅し、当寺を崇敬す。」と書いてあるだろ。
他から集まってきた勢力だよ。
藤本は、こんなふうに他者の主張と、くだらない論争に巻き込まれていったんだな。
180人間七七四年:2011/08/22(月) 02:34:54.60 ID:0PKfJeot
隣国の佞人凶徒など相集まれり
これが桑名の土着武士を指す事すら理解出来ない無知が
妄想を膨らませ在りもしない虚像を創り上げる、まさに馬鹿の鑑
181人間七七四年:2011/08/22(月) 02:40:03.45 ID:4PlnBPMN
ところで信長族ってナニ?
182人間七七四年:2011/08/22(月) 09:04:39.90 ID:IuYLUynu
隣国って
尾張の隣国?
伊勢の隣国?

どっちでもいいけど
桑名の土着武士って何?
農場領主とその一党?物流業者とその一党?戦闘専門集団?
183人間七七四年:2011/08/22(月) 13:02:01.30 ID:+vTDsxnd
桑名の土着武士だけじゃ足りないだろ。人数がな。
ここでの「隣国」とはどこか?は、信長公記では明記してない。

だが、長島一揆の最後に、織田軍に大損害を与えた反撃時のあと、逃げた先は書かれている。

「川を越え、多芸山、北伊勢口へ、ちりぢりにまかり退き、犬坂へ逃げ入るなり」

北伊勢方面経由で大阪に逃げた、という意味とのこと。

餓死寸前の体でさえ、この移動距離だ。
長島のすぐ隣の桑名出身者で占められていたなんて説は、なんて狭い発想だ。

ググったら、たまたまウィキでひっかかったので転載する。
本願寺の反信長蜂起(石山合戦)に伴って、長島でも門徒が蜂起。更に願証寺が北勢四十八家の
豪族や紀伊の雑賀衆などに檄を飛ばしこれらが長島へと集結した。また、信長によって領地を追
われ長島の地に逃げ込んでいた斎藤龍興や、尾張弥富の服部党、石橋義忠らの非門徒の武士団の
連合軍も一斉に蜂起した。下間頼旦らに率いられた数万に及ぶ一揆衆

桑名の土着武士だけじゃなさそうだ。



184人間七七四年:2011/08/22(月) 13:51:25.37 ID:k3K5O5WW
>>183
おまえは自分で>>172と書いたのを忘れたのか
武士は金で雇われたのではなく桑名の土着武士
構成員全体なら長島周辺の百姓や地縁の無い寺院境内に住む商工民

地縁の無い商工民は同宗派の寺院へ逃げるのが当然
185人間七七四年:2011/08/22(月) 18:43:39.20 ID:4iwr920f
そりゃ、他国国別の土着武士に比べればダントツに「桑名の土着武士」が多かったろうが

応援・義勇軍・傭兵もかなりいたと思うけどな


検証しようもないことをウダウダと「桑名の土着武士」に拘る理由を教えてくれれば
拘りとして理解する気はあるんだけどね
186人間七七四年:2011/08/22(月) 20:56:23.33 ID:DYQSE6Ui
>>176に金で雇ったなんて一言も書かれてないからじゃないの。
187人間七七四年:2011/08/22(月) 23:32:17.02 ID:+vTDsxnd
藤本の本は、他人の説を次々に取り上げて、それに対して、
検証というか批判というか、論争みたいなことを、よくやっている。
小説家の創作説みたいなものまで言及しているので、相手にしなければいいのに、
と俺はよく思っていた。
だが、この2chのスレでわかったことは、アホウの説に反論しつつも、じつはそれに便乗して
自説を述べることができる、というメリットがあるということだ。
188人間七七四年:2011/08/22(月) 23:43:51.54 ID:0PKfJeot
>>185
数の少ない浪人を除けば武士は根本的に地縁血縁の生き物だから
居ても北西部の武士とか近隣の居住かな
寺院に属する人間は遠くからも来たかもしれないけど

「金で雇った武士」という>>187の誤った主張の反証になるね
189人間七七四年:2011/08/22(月) 23:57:09.76 ID:GemgWQBi
長島一揆の主な構成

・願証寺
・桑名、員弁、三重郡の武家(北伊勢四十八家)
桑名〜尾張の輪中の地域にまで及ぶ
・斉藤旧家臣
・海賊衆(大濱etc)
・各地の浪人(三河、伊勢、甲賀、伊賀)

ワラワラ各地から集まったのは事実だが、戦力的には地元の領主層が主力だね。
大田口合戦も願証時から山方衆と呼ばれていた員弁、三重の手勢に後背突かれて、織田軍が崩れたようなので。
190人間七七四年:2011/08/23(火) 02:44:28.34 ID:FEhd1Vwq
それ、地元と呼べるほど狭い範囲かな?

近隣と呼ぶならいいけど。
北伊勢四十八家だって日帰り往復できないほど遠くの武士が含まれてる気がする。

土着ってのは、そこに生活の場を持ってなきゃ違うだろ
家族も一緒に住んでる、戦いが終わったあともそこに住む予定でいる、
そういう人以外は近隣からの応援とか外来者とかだろ
191人間七七四年:2011/08/23(火) 04:57:55.31 ID:ubOKV2QK
おまえの俺様定義なんぞ誰も聞いてないから
192人間七七四年:2011/08/23(火) 08:49:02.16 ID:TMVRE2P4
聞いてるよ
193人間七七四年:2011/08/23(火) 11:07:16.53 ID:rr2cFhzF
土着・近隣・地元

言葉の定義はまあいいとして
それで何が何が主張したいのですか?

混成軍の構成の幅についてですか?


id:0PKfJeot 氏 と id:GemgWQBi 氏 は別の人だよね
194人間七七四年:2011/08/23(火) 18:35:49.56 ID:FEhd1Vwq
菅浦文書に書かれた例からも分かるように、
近隣からの応援ってのは普遍的に広く見られることだと思う。

そういう応援の人たちは、謝礼とか酒食とか、受け取るのが普通なわけで、
それを傭兵などと誤認する可能性はあるんじゃないの。
実際に傭兵が居たかどうか、居たとして多かったか少なかったか、とは関係なく。

だが、傭兵の件は、どうでもいい。
189氏が地元という言葉の意味を拡大解釈してるように思えて気になった。

ところで、念のために書くけど、オレは148-170とか172-189の範囲には一言も書いてないよ。
195193:2011/08/23(火) 19:19:05.74 ID:rr2cFhzF
>何が主張したいですか?

つっけんどんな書き方になりましたが
単純に
構成員の質と割合の何がそんなに気になるんだろう?
という素朴な疑問です。




196人間七七四年:2011/08/23(火) 19:25:11.76 ID:rr2cFhzF
ところで、久しぶりに鈴木氏の本でも読もう、と思って
図書館で「関ヶ原」というのを借りて読んでみたら、
オタク中学生みたいが書くようなひどい内容だった

なんのためにこんな本書いているんだろう?
と、表紙をみたら、武光誠 と言う人だった。

鈴木さんごめん。
197人間七七四年:2011/08/24(水) 00:08:51.46 ID:zxE78dow
以前、日本史板のスレで鈴木の関ヶ原は司馬遼の関ヶ原の影響受け過ぎとかなんとかあったけど、読み比べた人いる?
198人間七七四年:2011/08/24(水) 01:51:49.70 ID:lOSLfOB8
そもそも、小早川が、松尾山にいた大垣城兵を「追い払って」占拠したという文書があることから、
小早川は裏切るも何も、最初から東軍なんじゃね?
家康による小早川への鉄砲射撃も、本当かどうか怪しいそうだし。
199人間七七四年:2011/08/24(水) 20:00:21.84 ID:lOSLfOB8
ここで関ヶ原の確認のために、太田牛一の本を読んでおきたいところだが、
信長公記には載ってない。だが、太田牛一は「関原御合戦双紙」を記している。

でも、この本の内容は、藤本は全く触れていない。現存していないのかもしれない。

敵味方押し合い、鉄砲放ち矢叫びの声、天を響かし、地を動かし、黒煙立ち、
日中も暗夜と成り、敵も味方も入り合い、錣[しころ]をかたむけ、干戈を抜き持ち、
おつつまくりつ攻め戦う。

この一文だけはちょっと有名。

200人間七七四年:2011/08/24(水) 20:10:06.48 ID:lOSLfOB8
関ケ原御合戦双紙は、逢左文庫に現存している模様。

太田牛一の著作「関ケ原御合戦双紙」で、現在は自筆本として「内府公軍記」(大和文華館蔵)、
「太田和泉守記」(名古屋市逢左文庫蔵)が伝わっている。
岐阜市信長資料集編集委員を務める金子拓東京大学史料編纂(さん)所助教がこれら文献を調べた

関ヶ原の戦いの展開を、この本でよく読み直せば、通説とは違った内容があるかもしれない。
201人間七七四年:2011/08/24(水) 21:33:11.75 ID:4AA7ayvX
既に誰か研究してるだろ?
してないなら幾ら何でも怠慢過ぎる
202人間七七四年:2011/08/24(水) 21:46:26.98 ID:OL5NEIqw
太田牛一のなら、近代デジタルライブラリーの「板坂卜斎覚書」内に合戦部分が、
また「朝野旧聞褒藁」にも時系列順に記載されている
203人間七七四年:2011/08/24(水) 22:54:24.03 ID:lOSLfOB8
検索かけてみたが…、
内容わからんかった。
204人間七七四年:2011/08/24(水) 22:59:22.15 ID:OL5NEIqw
205人間七七四年:2011/08/24(水) 23:43:53.25 ID:lOSLfOB8
「影武者 徳川家康」の野々村が登場してるね。
それにしても読みづらくて発狂しそう。

教えてくれてありがトン
206人間七七四年:2011/08/24(水) 23:57:06.68 ID:lOSLfOB8
敵味方押し合い、鉄砲放ち
の場面は、>>204の21ページ右側頁に見つけた。左側の頁にも「押しつ押されつ」の表現あるけどな。

大谷刑部の死ぬ場面はうっすらわかったが(馬上で腹を切る? 22頁右側)、小早川への鉄砲射撃のシーン不明。
207人間七七四年:2011/08/29(月) 10:26:54.24 ID:HOVpIuOc
どうやら、小早川への発砲の記載は、無いらしい…。関ヶ原の戦闘中のページは20ページから22ページまでしかないし。
太田牛一の資料に無いなら、本当に無さそう。
そもそも太田牛一は関ヶ原に参加したかどうかとなると、火花出しておしあいと臨場感はあるものの、聞き書きかもしれない。

小早川へ鉄砲を射って参戦を催促した話は、徳川実紀から引用の天元実記と、黒田家譜にしか無いらしい。
http://tss-website.sakura.ne.jp/bbs/cgi/hq/wforum.cgi?no=2328&reno=no&oya=2328&mode=msgview&page=0
208人間七七四年:2011/08/29(月) 12:48:57.30 ID:MGN8LQKD
591 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/07(金) 22:56:10 ID:
再録

「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」

「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」

「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」

他、
「五本関原日記」とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」

「五本関原日記」に「井伊家慶長記」「聿修録」を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による
問鉄砲を撃ったとしているのが「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」

「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」

「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの

以上「朝野旧聞褒藁」より

以上より

小早川陣への銃撃は二度あったと推定される

一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃

二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃

家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
209人間七七四年:2011/08/29(月) 14:24:11.55 ID:HOVpIuOc
ありゃまあ!、すごい専門家のご降臨に感謝。再録とはいえ有り難い。

小早川って、筑前中納言なんだな。今頃気付いた。
というわけで、太田牛一の本の関ヶ原戦のページをまた読み直してみた。筑前中納言はどこじゃ?。
20ページの左側に「太田和泉守記録にあり」とあるのに気づき、ひょっとして関ヶ原に参戦したのか?!。
その後も読んだが、ああもうだめだ、読みづらくて発狂しそう!
210人間七七四年:2011/09/01(木) 19:26:01.90 ID:5UCCPq3S
ちょっと質問ですが木曽馬との比較対象にサラブレットを持ち出したのって鈴木でしたっけ?
211人間七七四年:2011/09/01(木) 20:41:59.62 ID:lWBLmx5e
藤本って 「鎧をまとう人々」 書いた人か
あれ 結構よかったんだけどな
そんないい加減だったのか-----
212人間七七四年:2011/09/01(木) 21:14:02.13 ID:xedChKp8
>>210 わかんね。
>>211 その本、高すぎ。藤本って優れているよ。最近かいた本は若い頃の勢いが失速してるけど。
213人間七七四年:2011/09/02(金) 00:27:47.26 ID:yGYibvp9
だから藤本先生と鈴木を同列に並べるなって。
絵画史料の活用ではトップクラスの研究家だよ。
214人間七七四年:2011/09/02(金) 08:42:08.40 ID:TGU4h+Iv
>>212
>>213
さんきゅ。
引っ越したときに古いPCやら周辺機器と一緒に本もかなり整理したけどこれは残しておいたんだ。


話は変わるけど、
刀に興味(主に美術品として)があったころ、鈴木説なんて全然知らなかったけど、感覚的に、
「うーん、この武器というのはかなり限定された場面でのものだよなあ、決闘とか、それこそ幕末の京都治安活動とか」
「飛び道具は別にして、集団戦なら槍とか長柄とかがいいだろうし、馬上騎士が標準サイズの太刀なんか振り回したってなあ、
勿論、怪力の豪傑なんかはまた別の長刀やらの類のものも使うんだろうけど」
なんて思っていた。

それで鈴木説を知って、ああやぱりそう考える人いたんだ、と思ったんだが、
データを使っているようでなんか論旨が乱暴な感じがして二冊でやめた。
215人間七七四年:2011/09/02(金) 09:05:33.24 ID:Q4KXaRuN
刀といえば、武田信玄像で目釘の飾りが二引紋であることを
指摘したのは、藤本先生の大功績だろう。
そもそもオイラは刀の目釘に家紋を入れることやサヤにコウガイを入れることさえ
知らなかったくらいだし。
216人間七七四年:2011/09/02(金) 09:39:37.40 ID:eyvuAIRo
メディアスクラム
217人間七七四年:2011/09/02(金) 20:32:45.79 ID:jJJ8APP5
>>210
司馬遼太郎の「坂の上の雲」あたりじゃね?
218人間七七四年:2011/09/02(金) 21:37:17.84 ID:kI6EdSaZ
司馬遼そんなめちゃくちゃな比較やってたのかよ
219人間七七四年:2011/09/02(金) 22:05:06.10 ID:TGU4h+Iv
日本騎兵のときかいな
220人間七七四年:2011/09/02(金) 22:13:50.66 ID:jJJ8APP5
滅茶苦茶な比較と言えば、戦国時代の日本人が白兵戦が苦手だったという事を証明する為に日露戦争の日本兵
(徴兵された農民兵)の話しを持ってきた人もいたらしいw
221人間七七四年:2011/09/02(金) 22:23:23.89 ID:Q4KXaRuN
その比較言ったら、桶狭間の戦いで義元の本陣を知るのに、
南雲機動部隊の例を出して、敵はいつまでも同じ所にいるわけではない、
という例えを出した先生もいるがな。
222人間七七四年:2011/09/02(金) 23:29:07.81 ID:4V5TGJM1
スレチで悪いが信玄像について自費出版でなんかでてたね。
まだ読んでないんだけどうすっぺらいの。
223人間七七四年:2011/09/03(土) 16:50:57.95 ID:CwrEzhq4
自費出版かー。
「出てたね」とか言われても、知ってる人間の方が圧倒的に少ないんじゃない?
224人間七七四年:2011/09/04(日) 01:56:01.37 ID:xgFRhqWj
ググったら、三条の方についての本のことか?
225 【東電 69.6 %】 :2011/09/04(日) 09:47:38.10 ID:DH9/JY+l
信玄と三条の方の薄い本か
義信ができるな
226人間七七四年:2011/09/10(土) 02:31:50.55 ID:W53MTNys
鈴木は研究者というよりはエンターテイナーって
とこだもんなぁ。NHKにからんで本売ったり。
藤本がどうして組んだのか少し意外だった。
武功本のあと別れたかと思ったらしつこく小和田あたりに
からみまくりんぐだもんな。
あれは鈴木の主導なんだろうけど藤本も自分の
説が無反応だったからそこで仲良くなったか。
227人間七七四年:2011/09/13(火) 20:59:14.24 ID:mGUtgE/D
会社の仕事場で、真っ赤に焼けた鉄製品を扱っているのだが、
ふだんは冷ましてから運んだりしているのだが、うっかり、熱いままのものをつかんでしまった。
激痛!。
信長が、焼けた鉄をつかんだ件を思い出した。「信長 火起請」でググるといろいろある。
焼けた鉄を0.1秒でさえ激痛なのだから、持ったまま3歩も歩けば手の肉も焼けるよ。
信長の書状は千通ぐらい現存しているそうだが、直筆はわずか10通ほどだそうで(確実は1通のみ)
たぶん、野口英世みたいに手の平がひどいやけどで、筆記が苦手なんじゃないかと想像した。
ヤケドして痛いからと手のひらを握ったままにしているとそのままくっついてしまうので
治療のためには広げなければならないが、いずれにしても激痛の連続。
228人間七七四年:2011/09/19(月) 10:06:43.88 ID:0KeXvI34
「武田信玄像の謎」を買って読んだ。

藤本節が全開だった。きわめて微に入り細を穿つ内容で、ヨロイの各部品を説明している。
というのは、武田信玄像が鎧をきている絵だから。

良き本である。

欠点といえば2つだな。ひとつは、武田信玄およぼ他の武将の姿絵を解説しているわけだが、
他の武将にいたっては絵がないものが多い。読みながら、???の連続。活字でなくインターネット
上のブックにすべき内容だな。そうすれば画像もモニターでカラーだし。
もう一点は、他人の説への攻撃がまたもや頻発していること。偽書武功夜話のとき以来の、藤本の性格
なのかもしれない。優れた学術ある内容でも、余計な敵を多く作りそう。
229人間七七四年:2011/09/19(月) 12:27:16.88 ID:DLDNO43C
絵がないのは編集の努力不足じゃね?
そういうところで予算削るところあるよ。
230人間七七四年:2011/09/19(月) 22:50:07.98 ID:4lbYA2gw
もういい歳なんだから書いてて血圧上がるようなことやめりゃいいのになw
231人間七七四年:2011/09/19(月) 22:51:13.69 ID:ZqFzbcTx
普通にやってたら本が売れないからな
232人間七七四年:2011/09/20(火) 09:21:43.46 ID:tHOyOwG7
藤本の「長篠の戦い (歴史新書y) 」の新刊本も買った。

桶狭間の新刊本は、読んだもののどうでもいい繰り返しだったが、
今回の「長篠の戦い 」は、ずいぶんと新しい内容が追加されて、

良き本である。

一カ所だけギャグが入っていて笑ってしまった。武田軍を打ち破った直後の信長なんだが、
「信長はフィーバーした」!と、浮かれまくった信長発給文書を次々に紹介しているのだ。
藤本センセーは、じつはパチンコが好きらしい。
233人間七七四年:2011/09/20(火) 11:28:04.08 ID:BoUvTBiD

おじさんだとディスコのりで浮かれたと解するけどな
234人間七七四年:2011/09/20(火) 11:54:35.86 ID:dtvn6bF/
元はトラボルタだっけか。まぁ、パチンコ用語として残った以外は
もう死語だしな。
235人間七七四年:2011/09/20(火) 19:13:20.51 ID:FyMRxA0P
おっさん世代に足踏み入れればわかるかも知れんが、ある程度の歳のところで更新が止まっちゃうんだよ。
何の更新だよ聞かれても色々としか答えようがないし、説明のしようもないがw
自覚できれば自力でアップデートできるかもしれんが、自覚できてなきゃそこで止まる。
236人間七七四年:2011/09/20(火) 22:04:40.60 ID:hpIMejUr
>>228
宮島新一のことなら、
頼朝像は頼朝
尊氏像は尊氏
信玄像は信玄
という、旧説ばかりの人だから批判されても仕方がない。
237人間七七四年:2011/09/21(水) 02:21:26.54 ID:chjeUqWE
旧説を強く唱えるのも新説の真偽を問う上では重要なんだよなあ。
罵倒や感情論になっていたらダメだけど。
238人間七七四年:2011/09/21(水) 11:27:13.81 ID:4dKDVhv3
>>236 そうだったのか、それでは仕方がない。


>>237 藤本は、罵倒や感情論ではない。
事実を詳しく明晰に、かつ、引用は正確に、という余波により、他人の説への明らかな攻撃
になってしまうのだろう。
239人間七七四年:2011/09/21(水) 11:30:28.45 ID:hKvUpGeU
攻撃的なのは話題作りたいだけだから
騒ぎになれば本が売れるからね
240人間七七四年:2011/09/21(水) 13:15:59.16 ID:FbT+FuP3
>>238
> 藤本は、罵倒や感情論ではない。
> 事実を詳しく明晰に、かつ、引用は正確に、という余波により、他人の説への明らかな攻撃
> になってしまうのだろう。

それは違うな。自分の説を淡々と述べればいいだけの所でも、不必要に他者を攻撃している。
説の成否はともかく人格として下劣だ。
241人間七七四年:2011/09/21(水) 13:32:49.19 ID:TMxDvV2y
説には反対してもなぜか罵倒しない相手もいるのが面白いところ
242人間七七四年:2011/09/22(木) 00:03:22.47 ID:+vUOx3td
藤本は小和田、堀新は京子おばば、とライバルが決まってるのも
わかりやすいよなぁ。
243人間七七四年:2011/09/22(木) 09:06:54.78 ID:+90ycisx
桐野作人の説を批判してたのは、そこまでせんでもいいと思った。
しかもその批判の内容がよくわからない文体だった。
桐野作人の書いた本は、歴史の本の中では、かなり論理的で良い方。
244人間七七四年:2011/09/24(土) 00:57:50.66 ID:GMxnU/AX
小和田のことを「本も読まずに反論してる」と批判してたが
自分もそういう反論をされてた。
結局こういう人たちは、人の話を聞かないタイプ、というやつで
相手の言ってることをまず理解しようと思わないから話が
かみあわないことが多い。
特に藤本は反論されるとよく答えてるから真面目にみえるが
実は「自分の言うことが理解されてない」というだけなんだよな。
245人間七七四年:2011/09/24(土) 09:29:01.72 ID:y3skfY3q
どうせ読んで理解するなら、
小和田よりも藤本だけどな。小和田は原文から逸脱した誇大読み下しが多すぎ。
246人間七七四年:2011/09/24(土) 18:51:55.81 ID:IR6kUVkT
小和田は本を選ばねばダメだろ。
手広くやってるが自分の研究範囲外は名前貸しただけかと思うような内容薄々。
247人間七七四年:2011/09/24(土) 21:05:34.11 ID:5ni1lJzC
小和田はNHKの考証以後はダメだね。
今でもブコウの擁護してるし。一般の本なんかはアルバイト学生に
書かせるレベルで問題外だ。
248人間七七四年:2011/09/25(日) 00:44:46.54 ID:rODftip3
小和田は、確か、本能寺の変でも、明智は
家康を討つと兵たちに伝えた、という意味のことを書いてあった。
本城惣右衛門覚書では、家康を討つとばかり思っていた、とあるので、
信長でなく家康のつもりだったのは確かだが’(宣教師の文書にも同じものがある)
本城惣右衛門覚書では、てっきり家康だとばかり思っていた、というニュアンスなのに、
小和田は、飛躍して、「家康を討つと欺瞞情報を流した」ということまで
作り上げてしまう。歴史創作が好きな学者であり、内容は、とても使えない。
249人間七七四年:2011/09/26(月) 14:29:58.59 ID:erwwilnn
そういうレベルの小和田なんかほかっておくしかないのに
それを真面目に相手するから藤本あたりも相手されないんだよな。
250人間七七四年:2011/09/26(月) 22:37:11.49 ID:oDj7Q9YN
鈴木なんかと組むから余計に……
251人間七七四年:2011/09/26(月) 23:35:21.75 ID:erwwilnn
マジそう思ったよ。
ブコウのあたりは鈴木との資料交換みたいなのがあったんだろうけど
しばらくたってまた共著出したのには驚いたもんね。
最初の信長の戦争あたりがスルーされたのを相当ネにもってたんだろな。
252人間七七四年:2011/09/27(火) 00:26:27.15 ID:vI5cb7LF
長篠の新刊みたら、藤井と親友だと書いてあった。1975年当時。

藤井は後手必勝(藤井戦国史というブログがある)という説が特色だが、
今では藤本の本には全然触れられていないから、現在ではケンカ別れでもしたのかもしれん。

藤井戦国史では、千秋らが突撃して死んだのは、砦を無断撤退したからであり、
信長がすぐ近くまできたのを知り、気まずくなって、千秋らは突っ込んでいって死んだという。
253人間七七四年:2011/09/27(火) 13:02:05.15 ID:bKuHvrPM
新刊読んでないけど、説が違っても仲は良いんじゃないの

70年代に上山春平のアシスタントみたいな感じで藤井と長篠を案内してたし
(上山著作集に入っててびっくり)、10年前くらいには藤井と石井進とで
関が原関係の対談をしてる
(ちなみに石井進は『戦国軍事学』が面白かったと吉川弘文館の編集者に
話して『鎧をまとう人びと』出版のきっかけを作った人物だそうな)
254人間七七四年:2011/09/28(水) 00:50:30.17 ID:zi7DQRWR
長篠のあとに、秀吉が鳥取城で再現をねらって、陣地を構築したが、
そのあたりは後手必勝の藤井説によく似ているが、藤井の名前は一切でてこない。

藤本の他人批判グセはよくあるものの、藤井に対してはしない、ということが、せめて
友人の証なのかもしれないなあ。
255人間七七四年:2011/10/06(木) 09:36:00.14 ID:wP0i6Qwf
伝・信玄とされる太った絵画は、
家紋が二引両だから信玄ではない、という藤本の有名な説がある。

他人がこれを引用して紹介しているコンビニ本がよくあるが、
家紋が小さく描かれているからなんのことやらわからないうえに、
拡大図でも菱形「の中に 二 が書かれているから、これのことかと一応納得。

でも、刀のツカに糸を巻くとき、XXXXというふうに斜めに巻くから、
その下に描かれた 二(二は○で囲んである)は、◇の中に 二 が書かれたようになっている。

256人間七七四年:2011/10/06(木) 15:09:19.49 ID:5fzCpoFJ
あれは藤本だけじゃなくて黒田とかみんながいろいろ指摘してるね。
マゲの問題とか。
257人間七七四年:2011/10/06(木) 19:06:11.48 ID:wP0i6Qwf
すでに明治時代には指摘されていたのだという。
さらなる根拠や理由が充分にそろったのは藤本の功績。
258人間七七四年:2011/10/07(金) 00:36:23.93 ID:bsrGHk5+
ああやって過激な言い回しでもしないと反応されないからってのがあったんだろう
俺は功罪の功の方が大きいと思うな
ただ、そろそろ人の悪口路線はやめていい頃だと思う
259人間七七四年:2011/10/07(金) 07:19:58.34 ID:2scEvEAf
どうだろうね。
歳を取ってから無駄に攻撃的愚痴悪口を言いはじめるようになる年寄りも多いから。
年寄だから手足はよく動かないから口だけは動く。
この場合は手先で。
アルツハイマーなんかとはちょっと違うけど、老人性のなんとかとそういう症状で多分仕方ないんじゃないのかな。
260人間七七四年:2011/10/07(金) 20:01:46.42 ID:9bK3k4ui
>>258
人の悪口路線はやめていい頃、に同意。
>>259
病気の症状ならまだいいが、単に、自分の意見に反対されるとカッ!となる性格なのだと思うよ。
261人間七七四年:2011/10/09(日) 14:47:09.70 ID:Ui7cKczL
戦国「常識・非常識」大論争! ~旧説・奇説を信じる方々への最後通牒 (歴史新書y) [新書]

ネーミングもひどいw
良識があれば自説に相反する説を唱える人がいても真摯に享受するものだが、
これだけ排他思考に偏った人は話し合いにすらならんからな。
262人間七七四年:2011/10/09(日) 15:53:55.66 ID:Hyw04s7r
個人的には武功夜話がらみだけは攻撃的にやってくれとは思うけどな…
手当たり次第だとなあ
263人間七七四年:2011/10/09(日) 18:13:39.00 ID:fFQx99qc
独善的で排他的ってのもまあなんだ今時流行らんと思うんだが
264人間七七四年:2011/10/09(日) 18:15:34.54 ID:ThMHposN
ゴシップで売る芸能人みたいなもんだ
265人間七七四年:2011/10/09(日) 22:38:03.65 ID:x7VWnv8K
>>261
鈴木 眞哉の本じゃないか。
266人間七七四年:2011/10/11(火) 00:14:59.86 ID:ymTrH9rr
本のタイトルでむせるほど笑ったのは久しぶりだなwwww
267人間七七四年:2011/10/11(火) 00:55:00.13 ID:jAU3wkfo
ここまでくると読者すらバカにした目線で書いてるとしか思えない
268人間七七四年:2011/10/11(火) 12:04:58.58 ID:6p2X6Jg3
東スポの見出しとしては普通じゃなイカ?
269人間七七四年:2011/10/11(火) 15:01:25.85 ID:EXmWggwh
まともに議論できる場から鈴木説を主張する人間は消えたな。
所詮その程度の奇説ww
270人間七七四年:2011/10/12(水) 01:51:01.89 ID:UTvaJfyQ
ニュー即あたりも突っ込み早いから
今だと信者活動拠点としてしては漫画とかゲーム系板がベストなんかな
271人間七七四年:2011/10/12(水) 22:59:29.62 ID:L0pg50r8
鈴木の方が史料の恣意的な引用と解釈によってしか成り立たない奇説だとバレちゃいましたね。
272人間七七四年:2011/10/13(木) 00:18:28.58 ID:MBNSHxGc
> 567 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/07(金) 15:31:59.21 ID:1g5VS36O
> よくわからんが家康存命時に描かれた関ヶ原合戦図屏風で柵に囲まれた敵陣に攻め入る場面では
> ほとんどが抜き身の刀だな。
>
> http://history.harikonotora.net/src/200-61.jpg
273人間七七四年:2011/10/13(木) 13:22:30.12 ID:o/7JNeWh
柵に囲まれた敵陣に攻め入るときは、
すでに敵は総崩れの真っ最中だろう。残って居るのは
飛び道具で重傷を負って動けなくなった奴ばかり、となれば、まずは抜き身の刀で首取りだな。
274人間七七四年:2011/10/13(木) 14:36:05.59 ID:lr3k119k
刀で首取りなんて実際は鈴木も言ってないよ。
首は右手差や脇差しで取ると言ってる。
275人間七七四年:2011/10/13(木) 14:57:30.37 ID:ybZ8RV22
ようつべで首がすっぱり斬られる映像をみたが
首って意外に簡単に切れるもんなんだな
刀を使うまでもないな
276人間七七四年:2011/10/13(木) 20:52:40.80 ID:b5lQV4JG
チェチェン首切り動画かな

処刑人みたいに一撃でばっさり落とそうとすると難しいんだろうけど
かっこつけなければどうってことないわな
動物さばくより楽だろう
277人間七七四年:2011/10/14(金) 01:14:04.99 ID:uauePdnF
生きた魚の首(アタマ)を切り落とすとき、
急にバタバタ暴れると、俺もびっくりする。
首切りには、慣れが必要。数こなさないと。
278人間七七四年:2011/10/17(月) 12:41:06.83 ID:Cozye8KE
理系の金属分野の人から見た日本刀や和鎧の論文とか無いかな?
マルテンサイト変態とか知ってたら日本刀が脆いとか口が裂けても言えないと思うが。
279人間七七四年:2011/10/17(月) 16:28:32.29 ID:iyYwjWkK
そんなマニアックな論文は、ネット上で探すよりは
専門家の本棚にありそう。
280人間七七四年:2011/10/19(水) 23:37:45.74 ID:GZuSqYmQ
熱処理の一般論じゃなくて、具体的に戦国前期のどこそこの刀は〜
みたいな分析があったら面白そうだな
281人間七七四年:2011/10/20(木) 23:09:21.09 ID:E2+qvOu/
>>278
kwsk
282人間七七四年:2011/10/21(金) 00:09:08.36 ID:xV+QnG7+
「刀は抜かない物、己を律する物」
そんな屁理屈は江戸時代の平和な時代に出来たファンタジー。

戦国時代とか遠回りに大勢で槍で突き刺して終わり。
2-3人切れば脂肪で滑って切れなくなるので、7-8本背負って使い捨てにした。
283人間七七四年:2011/10/21(金) 00:13:54.06 ID:njHSLH64
そろそろ藤本の新刊が読みたい。
284人間七七四年:2011/10/21(金) 00:20:12.88 ID:xO1B58ek
太田牛一について書くようなこと言ってなかったっけ
285人間七七四年:2011/10/21(金) 00:23:05.01 ID:nVKMcVLq
>>282
アホか。刀は「打ち物」と呼ばれておる。斬る以上に打撃を与えることが大きな目的だ。
鉄の棒でぶん殴られたらそれだけで人間なんて動けなくなる。そういうことだ。

7本も8本も抱えていくとか、そんな重さで自分が動けなくなるようなあほな事をするか。馬鹿馬鹿しい。
286人間七七四年:2011/10/21(金) 00:35:24.02 ID:xV+QnG7+
日本刀は重さは10kgあるし数人切ったら使い物にならなくなる。
だから戦場では常にサブウェポン。
287人間七七四年:2011/10/21(金) 00:36:32.34 ID:nVKMcVLq
なんだキチガイか
288人間七七四年:2011/10/21(金) 02:56:07.70 ID:7nq/Cq+V
10キロてタングステンか劣化ウランでも使ってるのか?
289人間七七四年:2011/10/21(金) 12:21:25.91 ID:eNriS5Rg
必ずレスが貰える魔法のコピペ乙
290人間七七四年:2011/10/22(土) 00:44:38.49 ID:fDOAmHxI
10キロある日本刀を7、8本背負うわけだな。
291人間七七四年:2011/10/22(土) 00:48:07.79 ID:Y+d6Cgh5
弁慶も大変だな
292人間七七四年:2011/10/23(日) 22:26:54.99 ID:bH6DM4gM
二刀流が流行らなかった理由がよくわかる。
293人間七七四年:2011/11/02(水) 14:21:42.67 ID:qSs3uSG4
500年後のトンデモ歴史家は現代の戦争を指して

戦争での死傷者の9割は砲撃爆撃によるものであり、小銃による死傷者は殆どいない
まして、小銃というのは弾が30発しか入らず
引き金を引き続ければ2秒で撃ち尽くしてしまう欠陥兵器だった
こんなものを戦場で使ったとは思えず、恐らく自決用だったのだろう

とか言ってるはずだよ
294人間七七四年:2011/11/02(水) 21:28:48.24 ID:YOJdNDVs
上の魔法のコピペじゃないが、自動小銃も予備弾倉まで入れりゃ10㌕近くいきそうだよなw
295人間七七四年:2011/11/05(土) 23:47:32.27 ID:AWqFW1yz
世界史板の鎧スレにアホが湧いてたお
296人間七七四年:2011/11/05(土) 23:52:30.11 ID:XTgz9kAK
学問板でやるとはなかなかの勇者だなw
297人間七七四年:2011/11/06(日) 00:21:23.67 ID:cYmz1YGU
つってもあそこ、十年くらい前の知識でストップしてるFランアホ文系ばっかりでっせ
298人間七七四年:2011/11/06(日) 01:00:56.37 ID:z6Uw9AeK
板の守備範囲広すぎて案外穴になってるかもな
299人間七七四年:2011/11/06(日) 01:16:30.23 ID:Sm4xRrXL
単純に過疎
300人間七七四年:2011/11/06(日) 09:11:03.68 ID:hfSGak8T
結局、重い日本刀や鎧を身に付けてたのってあまり戦場で動き回る必要の無い上級武士だけだろ。
301人間七七四年:2011/11/06(日) 11:06:51.74 ID:lpRXsxHF
というアホな事を本気で信じているのが鈴木信者なわけで
302人間七七四年:2011/11/06(日) 11:35:17.91 ID:Sm4xRrXL
ageてるしいつもの釣りと予想
303人間七七四年:2011/11/06(日) 16:18:31.68 ID:lCVMkmlM
当世具足よりも現代の歩兵装備のほうが重い
刀と槍よりも自動小銃と予備弾倉のほうが重い

当時の人間はよほど体格が貧相だったみたいだな
鍛えてるとはいえ女性兵士だってこれらを普通に担ぐのに
304人間七七四年:2011/11/07(月) 00:28:42.64 ID:A9UxDVWA
そんなことも知らないのか
305人間七七四年:2011/11/07(月) 01:48:22.32 ID:3cb3tjhu
>>295
なんかアホすぎる糞コテが湧いてるんだがw
てか大鎧が革製とかアホしかいないのかあのスレはwwwww
306人間七七四年:2011/11/07(月) 01:57:33.87 ID:+Ok7ZlV3
見てきたけど鈴木信者が暴れてるってのはちょっと違うな
307人間七七四年:2011/11/08(火) 20:52:19.05 ID:zeQY4D2o
ウヨサヨやってる奴にもバカにされるのか
鈴木信者は
308人間七七四年:2011/11/12(土) 11:43:02.92 ID:ePMJ9l1t
>>303
かなり知識が偏ってるみたいだが
当時人間の平均的身長は160cm弱。
食料事情もあるから、鍛え上げた現代歩兵(自衛隊含む)の方が、体力は上。

後、(日本)刀を足軽と称される雑兵が持ってたかどうかは甚だ疑問。
理由
1。日本刀は製造方法が面倒くさい、棒鋼からの鍛造整形。超高コスト。
2。製造方法からデメリットとして密度が高く、長さの割に重い。
3。扱いが難しい。一応、武道家と称する人から聞いた話だが、素人がガシっと握って力一杯振ったくらいじゃ巻藁も切れないそうだ。

打撃武器なんて戯言でごまかす向きもあるが、それなら鉄棒で良い。
ゲームでお馴染みのモーニングスターやウォーハンマー等世界的にも流行ってる。
(最上義光も鉄棒は使ってたらしいから)
コストと使い勝手の問題から、刀はそれなりの身分の者しか持てないと思う。

たしか逸話で、細川忠興が買ったのと同じ姿の刀を持って、
チョコチョコっと有名な武芸者から(免許を買ったかどうかまでは知らんが)習ったにわかが据え物切りやって失敗したってのがある。
習ってもこれだから、防具つけた兵相手には使えないだろ
309人間七七四年:2011/11/12(土) 11:47:36.45 ID:XNnnpxm0
農民ですらみんな日本刀を持ってたよ
310人間七七四年:2011/11/12(土) 12:13:58.58 ID:u0/F8+5Z
なんか燃料思いっきり投入してるのがいるな。w
311人間七七四年:2011/11/12(土) 12:33:40.47 ID:yeBNjCGf
>>308
現在登録されてる日本刀の数は250万本。これにGHQによって押収、破棄された物300万本を含めれば戦前の日本には600万本近い日本刀が存在していた事になる。
戦国時代の人口を考えれば成人男性全てを武装できるくらいの数があってもおかしくない。
312人間七七四年:2011/11/12(土) 15:56:00.49 ID:EvFYu9aC
何十本も所持して、
--斬れなくなったら次!
という使い方をした実例もあるから(足利義輝とか)

総計600万本の日本刀を所持していた持ち主はせいぜい100万人ぐらいかもしれん。

あと、308が知ってるか知らないのかは分からんが、
数打ちと呼ばれる量産品の日本刀もあったんだよな。
数打ちの刀は高コストという問題はなかったんじゃなかろうか。
313人間七七四年:2011/11/12(土) 16:03:47.33 ID:S3CNWqDU
ま、308が雑兵物語を読んだことがないのはバレバレだな。
314人間七七四年:2011/11/12(土) 17:12:44.97 ID:mG1KXNcV
イエズス会の宣教師が日本では誰でも刀を帯びているって書いてるじゃん・・・
315人間七七四年:2011/11/12(土) 21:56:20.55 ID:n1+UTIwN
中世の日本は同時代の他国に比べて貧乏だったことにしないと気が済まない人なんだよきっと。
316人間七七四年:2011/11/12(土) 23:01:46.88 ID:7Jan2b18
適当に燃料投下してもらわないとスレ落ちるからなw
317人間七七四年:2011/11/13(日) 02:45:57.73 ID:FHj6kiX+
足軽は皆刀を装備していたが、刀が無い者にレンタルされる御貸刀は粗製乱造ものだった。
318人間七七四年:2011/11/13(日) 02:51:48.75 ID:b1bDEFhx
切れ味が悪い程度ならいいけど刀に頼る事態になってあっさり折れたら嫌すぎるな
319人間七七四年:2011/11/13(日) 02:53:49.88 ID:FHj6kiX+
>>282
剣豪小説家であり武道家の津本陽が、
刀は本当に脂ですぐに切れ味が落ちるのか実験に試斬した。

結果は切れ味は落ちずいくらでもスパスパ斬れ、脂肪で斬れ味は落ちないという結論だった。
到底無理と思われた骨付きの分厚い肉塊も、骨ごと手応えも無く切断できる凄まじい切れ味だったそうだ。
320人間七七四年:2011/11/13(日) 06:33:12.73 ID:dj7bR6OY
当時の平均身長は155弱というとこじゃないか。
160弱というと今とあまり変わらない感じがするが
160前後になってきたのは終戦後ぐらいだろう。
321人間七七四年:2011/11/13(日) 11:08:30.17 ID:kpPxr+Do
日本の歴史上一番身長が低かった江戸時代で
男性の平均身長が157〜158cmだが
322人間七七四年:2011/11/13(日) 14:23:37.76 ID:5QFeiDTN
そもそも日本刀がすぐ油で切れなくなるって話のソースはなんだ?
中国戦線での百人切に対する反論として聞いた話のような気がするん
だけど。それに油がつくと切れないって理屈自体変じゃないか?
323人間七七四年:2011/11/13(日) 15:15:19.80 ID:G7BtqPZL
包丁ってどお?
324人間七七四年:2011/11/13(日) 15:20:40.42 ID:qYG6hQru
>>322
剣豪将軍
実際あの将軍の最期の時も力を振り絞って戦ったけど
実際2〜3人斬ったらもう使い物にならなかったらしい
325人間七七四年:2011/11/13(日) 15:29:27.16 ID:nkWlC04I
魚はけっこー捌くけど、脂の多い魚、例えば養殖鯛の腹周りの脂なんかが
べつたりつくとやっぱり切れんよ。

だから脂が付くと切れないっつーのは判る気がする。ただそれでもう役に
立たないかっつーと、刺身は出来なくても突いたり殴ったりと武器としては
使えるわな。
326人間七七四年:2011/11/13(日) 15:59:58.85 ID:m/KErMgy
>>315
世界の銀の三分の一を産出してた日本が貧乏なら、明以外は全部貧乏になるんじゃないか?w
327人間七七四年:2011/11/13(日) 18:35:10.03 ID:eXWgELe5
貿易の決済に金銀銅の地金を輸出していた、
他に輸出できるような商品はなかったらしいのは事実だが、
逆に言えば、決済に用いるに足だけの貴金属を産出していたんだもんな。

ダテに「黄金の国」伝説を残してるわけじゃない。

まあ、貴金属の地金だけじゃなく日本刀も輸出したとは言うが。
刀としてではなく鉄地金として輸出してただけだ、と言ってるヤツもいたが、
実際んとこ、どうだったんだろうか。
328人間七七四年:2011/11/13(日) 19:18:02.20 ID:kpPxr+Do
>>324
剣豪将軍は相手が甲冑フル装備の鎧武者だからだろ
329人間七七四年:2011/11/13(日) 21:19:48.19 ID:8IhjnLYT
>>325
もし脂が付いて切れなくなるなら
さっと拭き取れば解決じゃないの
330人間七七四年:2011/11/13(日) 21:28:48.23 ID:w6iwTru7
拭き取ってる間に首を斬られるが・・・
アホと違うかお前
331人間七七四年:2011/11/13(日) 21:41:02.00 ID:8IhjnLYT
脂が付くのは敵を斬った後
拭き取る暇もないほど絶えず敵が目前にいるわけじゃないだろ
332人間七七四年:2011/11/14(月) 09:16:43.86 ID:nEEAkicb
>>328
戦国時代なら大なり小なり戦場では甲冑くらいつけてんじゃね?
333人間七七四年:2011/11/14(月) 11:32:36.27 ID:V0WY7PyO
相手も日本刀使ってて何回も切り結んでりゃ
そら刃こぼれはするしいつかは使えんようなるわ。
334人間七七四年:2011/11/14(月) 22:10:38.96 ID:obkG+qcE
結局脂で切れなくなるってのはデマだったわえだ。
335人間七七四年:2011/11/14(月) 23:25:44.95 ID:DRT67aqv
>>334
お前、調理で肉を切った事もないやろ?
336人間七七四年:2011/11/15(火) 06:52:42.38 ID:lFrh2Wre
>>334
足軽一人一人まで所持出来る程乱造した代物なら、人一人切ったら脂以前に刃こぼれすんじゃね?

てか、鉄製かな?w
337人間七七四年:2011/11/15(火) 09:35:38.39 ID:YAGnxBSk
>>336
そんな役に立たないのならそもそも普及しないっつーの。

少しは常識で考えろよ
338人間七七四年:2011/11/15(火) 10:05:47.37 ID:lFrh2Wre
>>337
常識で考えれば
ごく僅か取れる砂鉄あるいは輸入にほぼ頼る鉄鉱の使用量の多い日本刀を、
足軽一人一人に行き渡らす生産力が想像つかんがなw

今川義元が2万の大軍で動いたとしたら、それだけで2万本。
それを骨ごと切れるなんて、刀身を鋼でくるむようなかなり特殊な製法の品物が、
量産出来るなんて思える方が不思議なんだが?
帝国陸軍のゴボウ剣並みじゃね
339人間七七四年:2011/11/15(火) 10:23:40.90 ID:g8tSH+Tn
そんな使い物にならない武器をわざわざ配ってた戦国大名馬鹿すぎだなw
最初から雑兵は刀剣類無しにすればいいのに
340人間七七四年:2011/11/15(火) 10:29:08.50 ID:+QULH3bE
戦国時代になってから一斉に刀を作り始めたわけじゃなく、その500年前からずっと製造されていたのはわかるか?
341人間七七四年:2011/11/15(火) 10:41:35.43 ID:nvyr2Uh/
今度の釣りはしつこいなw
342人間七七四年:2011/11/15(火) 11:08:55.75 ID:+QULH3bE
ググッた所、江戸期の鉄の生産量は年間約1万トンほどだったらしい。
中世の生産量がその10分の1でも、1000トン=100万kg。
そして刀1本が1kg程度。鉄の量よりも刀を作るスピードの方が問題になりそうなんだが。
343人間七七四年:2011/11/15(火) 11:55:07.52 ID:YLMAcBjn
>>340
実際、室町時代には輸出品の一つに数えられてるしなあ。
金銀銅の地金以外の輸出品って、日本刀以外には少なかった気がするんだが。

もっとも、船を安定させるために積む船底のおもり、という説だってあったが、
それだって、帰りの船が積んでるのは銭貨(銅銭)なわけで、
運ぶ価値があるものを積んだことは間違いないと思うんだ。
344人間七七四年:2011/11/15(火) 11:56:37.42 ID:ZweinI28
リサイクルという言葉を知っている
何しろ長篠の合戦場を発掘しても鉄砲玉が殆どでないくらい、回収されているようだし
345人間七七四年:2011/11/15(火) 12:02:14.36 ID:YAGnxBSk
室町中期くらいから日本の男性の成人儀式は、それまでの戴冠(烏帽子)式から帯刀式に変化した。
これは百姓町人も同様で、当時の日本では普通の成人男子なら複数の刀剣を所持していて当然。
346人間七七四年:2011/11/15(火) 12:34:03.20 ID:heHx9Y53
というか、中世の日本が貧乏な国だったという前提で語ってない?
今みたいに資源が少なくなったのは、金も銀も鉄も近代までに掘り尽くしちゃったからなわけで。
347人間七七四年:2011/11/15(火) 16:35:35.96 ID:z9eZjfVz
>>343
硫黄を忘れないでくれ。
348人間七七四年:2011/11/16(水) 19:35:06.36 ID:psrGjeR1
>>335
いくら肉を斬ろうが日本刀は問題なく切れるってのは、
>>319にあるとおり実験までして証明されてるんだよw

鈴木の本なんて高校生で卒業しとくレベルなのにな。
349人間七七四年:2011/11/16(水) 19:40:23.46 ID:Tci8TUMI
ディスカバリーチャンネルとかヒストリーチャンネルとかでうさんくさい外人が
刀で吊した豚肉とかテキトーな振りでスパスパ斬ってるの何度か見たけど
あれ豚が生きてて血が大量に付いたらどうなるんかな
350人間七七四年:2011/11/16(水) 20:17:58.74 ID:DzqklM27
生きた動物での実験は、別な方面からの抗議で潰れそうだなw
試し胴なら江戸時代の記録に幾らでもありそうだが。
351人間七七四年:2011/11/16(水) 21:27:57.16 ID:EIer3m5z
五つ胴とか言って、数人重ねても斬れたとか
352人間七七四年:2011/11/17(木) 08:43:22.37 ID:yT1hPKIq
>>339
その言はゴボウ剣を装備させた帝国陸軍及び帝国陸軍大元帥に対する批判だな。
353人間七七四年:2011/11/22(火) 01:30:44.64 ID:I6Pi0Jv+
鈴木全否定

その時歴戦が動いた 日本の騎馬武者講座
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16213543
354人間七七四年:2011/11/22(火) 02:17:08.78 ID:G4TrwpSO
一部あれだがよくまとまってる
355人間七七四年:2011/11/22(火) 11:00:07.93 ID:lnFGqgw3
このスレのまとめみたいな動画だな
356人間七七四年:2011/11/22(火) 22:41:33.18 ID:RENqXpy9
>>353
とりあえず作った人乙
357人間七七四年:2011/11/25(金) 20:02:45.64 ID:TNZdb2Z/
君子豹変は悪い意味の言葉ではない。
358人間七七四年:2011/11/28(月) 09:56:48.57 ID:lk5cnEIO
そんなに刀が斬れるもんならなんで三島由紀夫の切腹の介錯はあんなことになったんだろうねえ?
359人間七七四年:2011/11/28(月) 10:48:35.60 ID:3OrtQZit
下手くそだったからに決まってるだろ馬鹿だな
360人間七七四年:2011/11/28(月) 13:19:06.34 ID:ZcS9/3oE
「刀」と言っても質はピンキリだし、そもそも使う人間が素人なら何を使おうと斬れないだろ
361人間七七四年:2011/11/28(月) 13:36:22.44 ID:mCydlT6C
刀は打つもの、突くもの
切るものではない
362人間七七四年:2011/11/28(月) 13:38:02.59 ID:3OrtQZit
>>361
それも極論。素人ほどそういう極論にハマるよね。
363人間七七四年:2011/11/28(月) 14:05:14.88 ID:27Bx0YYM
低脳過ぎて釣りだろうけど、突く物なら直刀になってるだろな、
フロイスも日本人は刺剣を使わないといっている
364人間七七四年:2011/11/28(月) 16:03:41.50 ID:sicpE1pd
>>363
もともと曲刀だった日本刀だが、
江戸時代後半までに直刀に近い形に変化してしまい、
幕末期には「ほとんど直刀」がデフォじゃなかったっけ。
完全な直刀にはならなかったけど。

フロイスの時代には曲刀が普通だが、
江戸時代に大きく変化した際に、突きという技法が普及したのではないか?
曲→直の変化の原因は突きではなく、騎乗→歩卒ってのが大きいとは聞くが。
365人間七七四年:2011/11/28(月) 16:06:51.98 ID:3OrtQZit
江戸期の変化は戦術云々より竹刀剣法が広まったことのほうが大きい。
竹刀と同じように真っ直ぐな方が扱いやすい、という話。
366人間七七四年:2011/11/28(月) 17:20:38.59 ID:27Bx0YYM
>>364
江戸時代後期以降の刀は完全に歩兵戦専用
なら突きやすくミートポイントが直線状にある直刀に近い形状になるのも当然
日本剣術は梃子の原理も使うから完全な直剣には無論ならなかったが
367人間七七四年:2011/11/28(月) 17:31:18.81 ID:fZO2HnNA
>>364
反りが浅くなるのは寛文頃の流行で一過性のものだし
再び反りが浅くなるのはグッと時代が下がって
幕末近くなってからの、やはり短い流行に過ぎないよ。
368人間七七四年:2011/11/28(月) 18:47:01.29 ID:9nDFH6p9
>>361
戦国時代に関してはそうだね。
鎧の隙間すら脇引や万智羅といった鉄片で塞いでいる鎧武者相手に、
刀では殴るか肘裏膝裏等を斬る他なく、組討して鎧通で止めを刺すことになるだろう。

鎧武者を刀や槍で鋼の鎧をいくら斬っても突いても効果が少なく、なかなか死なないから
槍や剣術を鍛えてもしょうがない、結局組討になるから相撲を鍛えろ
って言ってた書物があったけど何だっけ・・・?
369人間七七四年:2011/11/28(月) 20:16:15.80 ID:Rzk0kcdx
>>368
気になったんだが
鋼の鎧が話題になる程出回ったなんて、関ヶ原後くらいじゃないか?

戦国時代に鋼の鎧は珍しいんじゃね(南蛮胴だっけ?)
370人間七七四年:2011/11/28(月) 22:04:56.07 ID:3zTXn2TK
桶側胴や仏胴も一応ある
371人間七七四年:2011/12/01(木) 21:15:45.78 ID:oKn325nw
>刀は、めったに抜きません。だって、美術品ですから。

>平安時代も戦国時代も、戦(いくさ)で最も使われたのは、長刀や弓です。
>武士は腰に刀はさしていますが、それは飾りに近い。実戦で使われることは、ほとんどなかったと言っていいでしょう。
>剣術が発達し、刀で斬り合うようになるのは江戸時代に入ってからです。それまでの刀は、美術品の1つとして扱われていました。
>現在も中世の刀が多く残っているのは、美術品だったから。逆に実戦で使われた長刀や弓は、作られた数の割にはそれほど多く残ってはいません。

東大史料編纂所準教授 本郷和人
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/special/br/index.html
372人間七七四年:2011/12/01(木) 21:23:09.05 ID:T4muH9Ve
戦場に美術品を携帯するとは武士はおしゃれさんだな
373人間七七四年:2011/12/01(木) 21:30:02.60 ID:AYVqT1/r
平安時代の初期と末期の区別もせずに一括して語る馬鹿
374人間七七四年:2011/12/01(木) 21:55:14.87 ID:PRb0ppqa
こういう手合いが時代考証じゃ、次の大河もダメかねー
375人間七七四年:2011/12/01(木) 22:13:56.03 ID:XGLBVPV7
しかし今年は東大の株が下落する当たり年だったとは
376人間七七四年:2011/12/01(木) 23:09:09.00 ID:mxqV29HO
実用品は消費されるもの。
美術品は保存されるものだろ。
本郷さんはなに言ってるんだ。
377人間七七四年:2011/12/01(木) 23:23:34.49 ID:PRb0ppqa
しかし、江戸時代に入ってからの刀の斬り合いって何のことを
言ってるんだろ?

大阪の陣は勘定に入ってるとしても、他は島原の乱くらい?
あとはヘタに刀を抜くとお家断絶もシャレじゃない時代だから、
斬り合いっつーても忠臣蔵くらいでもう幕末まで飛ぶんじゃね。
378人間七七四年:2011/12/01(木) 23:58:33.82 ID:1GvYEPZu
戊辰戦争での白兵戦負傷率は約7%だったかな。
ただのお飾りなら平安から江戸の幕末まで、形状は変化無しで直刀だったんじゃね?
379人間七七四年:2011/12/02(金) 00:12:01.43 ID:JeDCxwwD
あれは死傷率だったかな。
間違えた。
380人間七七四年:2011/12/02(金) 10:13:36.15 ID:6jTRKt5k
>>378
お飾りと直刀の因果関係がわからんw
そもそも、片刃で峰?側と刃側で厚みが違って片側のみ焼き入れしてたら、
大なり小なり反るだろ?


それはそうとして
軍刀で人を切ったことがありそうな世代の爺さんから聞いた話では、
相当に修練を積んだ人間じゃないと何人もは斬れないそうだ。
そういう意味で、大多数ね足軽やなんちゃって武士にとっては、あくまで差し添えだったとしても不思議じゃない。
大体、皮付きの鶏肉はおろか、キュウリや大根でもちゃんと切れないブキッチョの祖先だっているだろw
381人間七七四年:2011/12/02(金) 15:18:57.80 ID:SQXB8Cmw
もう少しお勉強しましょうね
382人間七七四年:2011/12/02(金) 16:14:17.99 ID:TKcjAWhI
>>371
このアホ教授は何故雑兵にいたるまでが刀を装備していたのか
何故平安期中期以降の太刀は反りが入っているのか
何故江戸期以前の刀は刃の幅が広いのか考えたことすら無いんだろうなあ。
こんなんが仮にも日本の最高学府の教授やってるとか信じたくねえな。
383人間七七四年:2011/12/02(金) 16:58:11.86 ID:71XrAYaX
そう目くじら立てるな。
軍事や戦史が教育研究機関から締め出されている日本で
さらにニッチな戦国時代の戦闘なんて同時代研究者でもこの程度の認識。
言い換えれば狭い専門分野の外はさっぱりというごく普通の学者という事。
384人間七七四年:2011/12/02(金) 17:02:06.69 ID:/gVz9QG9
だからこそ鈴木みたいなのが食い込むことができたんだな
385人間七七四年:2011/12/02(金) 17:07:04.38 ID:71XrAYaX
というかニッチ過ぎて鈴木みたいな者と組んで煽りで本売らないと食っていけない
386人間七七四年:2011/12/02(金) 17:19:52.33 ID:rB54HUKI
>>383
逆にこれからの狙い目だったりする
387人間七七四年:2011/12/02(金) 23:53:59.06 ID:JeDCxwwD
何故焼入れとかが行われるようになったのかとか少し考えりゃいいのに。
変化には変化する理由というものがあっただろうに。
388人間七七四年:2011/12/03(土) 17:20:43.02 ID:ZuOHjU2r
極論言えば、使われないなら進化する理由ゼロで青銅の剣のままでいいんじゃないか?
389人間七七四年:2011/12/03(土) 18:04:51.29 ID:Efk2psYd
日本は青銅と鉄が一度に伝わったから青銅を武器としては使わなかったけどね
390人間七七四年:2011/12/03(土) 18:54:45.83 ID:ZuOHjU2r
すごくどうでもいいツッコミありがとう。
391人間七七四年:2011/12/03(土) 19:01:55.59 ID:TmSjE+0N
>>388
バカ?
だよな
392人間七七四年:2011/12/03(土) 19:32:30.73 ID:bS7/FlxE
>>389
最近は異論もある
393人間七七四年:2011/12/03(土) 21:22:25.84 ID:ZuOHjU2r
>>391
いや〜、鈴木信者ほどじゃないけどね。
394人間七七四年:2011/12/03(土) 21:53:14.63 ID:Efk2psYd
>>392
そうなん?
まあ最近は四千年くらい前には日本でも既に農業始めてたみたいだしね
395人間七七四年:2011/12/03(土) 22:49:11.67 ID:SG9Iw4T7
お隣の国じゃ後漢末〜三国時代まで青銅剣が使われていたって説もあったな
396人間七七四年:2011/12/03(土) 23:03:50.24 ID:bS7/FlxE
>>394
農業が始まる(縄文農耕説)→水田耕作(弥生早期)、金属器はまだ無い
→青銅器伝来→鉄器伝来(この時点でも日本列島内では銅の産出なし)
という順序ではあったとか言う...
397人間七七四年:2011/12/04(日) 05:25:53.49 ID:L/yXIuJW
日本での各種鉱山の開発は、やっぱ戦国時代になってから活発になってるよね。
銅の産出ももっと早い時代だと思ってたんだけど。
398人間七七四年:2011/12/04(日) 09:49:47.08 ID:lPkCTaDG
>>397
荒金、長登、吹屋、西浦あたりの銅山はそれなりに古いでしょ。
荒金は記録では八世紀末、西浦は和同開珎の銅山、長登は奈良の大仏の銅山。

ただ、足尾銅山や別子銅山のような有名どころは実質江戸時代から。
399人間七七四年:2011/12/05(月) 05:29:02.37 ID:R9L6CPm5
久々に来たけど、鈴木と藤本は相変わらず通説に打ち砕かれ続けてるの?
400人間七七四年:2011/12/05(月) 08:20:15.68 ID:gS8XRXKr
打ち砕きましたが何か?
401人間七七四年:2011/12/05(月) 10:54:03.61 ID:yrEAY1Tc
トンデモに必死でしがみつく思考回路がよくわからんなあ
402人間七七四年:2011/12/05(月) 21:24:35.70 ID:sBR9nOUE
しかし美術品説ってのは鈴木説以上にろくでもないな。
だったらなんで形骸化もせず、しまいには戦場に二振りかそれ以上
持ち込むようになったり、抜き打ちしやすい形態に移行していくんだよw
403人間七七四年:2011/12/05(月) 21:36:20.27 ID:THo/F49Z
どんだけ頭悪いんだよって思うけど、準教授が馬鹿ってことはないだろうから
戦場がどうだったかとかの話には一切興味なくて真面目に考えたことないんだろう
404人間七七四年:2011/12/05(月) 22:32:21.82 ID:sBR9nOUE
尼のレビュー見るとこの人は女系天皇論者みたいだな。
だから狗HKが重用するわけか。
405人間七七四年:2011/12/06(火) 18:14:54.93 ID:aCDhGaAa
おふらんす風の発音をカタカナにするとイヌアッチイケなのにね
406人間七七四年:2011/12/06(火) 21:34:10.09 ID:lrKMIm2p
本郷準教授、今夜の「さかのぼり日本史」で一席ぶってくれるみたいだな。 

NHK的には小和田みたいなポジションなのかね。
407人間七七四年:2011/12/06(火) 22:26:18.84 ID:lrKMIm2p
ながらに見てたけど、なんで義満が象徴天皇制の創始者、という
結論に至るのかイミフメだったわ。
408人間七七四年:2011/12/07(水) 13:51:28.21 ID:LzFJGywe
アホな極論だな。文献から刀の使用の例を引かれる度に
それは例外、で反論するつもりか?
409人間七七四年:2011/12/07(水) 14:09:03.36 ID:Bm/Pj8OG
>>402
戦国時代の日本は、足軽や雑兵、果ては農民までが全員美術品を所有する
たいへん豊かなじだいでした。明帝国もそれに倣い兵士に美術品を支給しました。おしまい
410人間七七四年:2011/12/07(水) 15:00:42.25 ID:l9SXnmBG
へえ
411人間七七四年:2011/12/07(水) 16:52:26.46 ID:LzFJGywe
>>409
明帝国は度重なる倭寇の美術品押し売りに屈したってことかw
412人間七七四年:2011/12/07(水) 17:52:30.44 ID:HMtM8QSu
使わないのに持ち歩いてたとする鈴木説よりは
戦国押し売り団の主力商品として美術品持ち歩いてた方が筋は通るw
413人間七七四年:2011/12/07(水) 20:13:02.27 ID:mVm4qQer
訪問実演販売っすかw
414人間七七四年:2011/12/08(木) 05:41:14.22 ID:ONhY/pfk
>>413
そうそう
時々、買わない奴を切り捨てたりさw
415人間七七四年:2011/12/08(木) 13:38:10.50 ID:u4ebqFt+
>>406
それねぇ。高橋さんがNHKの言うこと聞かない?
から聞いてくれる人を入れたとしたら小和田っぽくなるよねぇ。
そうして何気に自分の学説主張したりドラマに挿入したり
すると何かおかしな方向にも行ってしまう。
独自の主張があるというのはわかるのだけどな。
416人間七七四年:2011/12/08(木) 14:27:29.76 ID:40UUhySD
物議をかもしているホームページの「王家」表記といい
来年の大河もろくなドラマじゃなさそうだな。
417人間七七四年:2011/12/08(木) 18:48:21.94 ID:bWBcMcI+
確実に糞だな、そのうえファンタジー&ウリナラファンタジーのコンボ
418人間七七四年:2011/12/08(木) 21:06:31.18 ID:40UUhySD
なんかゴタゴタしてるな。

大河ドラマ「平清盛」放送決定記念講演会
高橋昌明(神戸大学名誉教授、時代考証担当)  平清盛 福原の夢

>脚本家は、朝ドラ「ちりとてちん」の脚本を書いた藤本 有紀さんです。
>起用された理由が群像を描くのに優れているからだそうです。
>実際に会ってみると、「アァァ・・・これは大変だ」と思いました。
>才能豊かな方だとは思いますが、歴史のことに必ずしも詳しくない。
>ということで、果たしてどういう事になりますか?
>ドラマ製作者の名前が出てきますが、そのなかに私の名がなかったら、喧嘩別れして辞めてしまったとお考えください。
419人間七七四年:2011/12/08(木) 21:17:35.90 ID:DquYqvIu
いつものように名ばかりの時代考証になるんだろ
いい加減慣れたよ・・・
420人間七七四年:2011/12/08(木) 21:42:09.40 ID:A7UHiOy1
もう大河に期待してる歴史好きなんていないだろ
421人間七七四年:2011/12/08(木) 22:40:03.05 ID:Wmu5ubl6
そういや大河じゃないけど、今夜のクローズアップ現代で
元寇船の発掘を取り上げてたんだが、時代背景の説明で
南宋が滅亡する様子のCGイメージ映像(中国大陸南部が
蒙古の色で一気に塗りつぶされるってやつ)を流してたんだが、
なぜかしっかり朝鮮半島は塗り残してあった。

史実では、南宋滅亡前に高麗は全面降伏しとるんだがなーw

おまけに蒙古は占領した地の兵を次の侵攻の矢面に立たせる
って文脈で、南宋兵が加わっていたことをあたかも新事実であるかの
ように取り上げる一方で、侵攻軍に高麗兵がいたことや船を
高麗でも建造していたことには全く触れずじまい。

やっぱ、半万年の独立国、とやらいう妄想へのNHK的配慮なのかね?
422人間七七四年:2011/12/08(木) 22:46:31.04 ID:8GTlsyW9
チョン公に乗っ取られた犬HKが朝鮮を悪く報道するわけがないだろうが
423人間七七四年:2011/12/08(木) 22:52:47.95 ID:dGW+9i8V
あれ?モンゴルにいやいやながら日本侵略に参加させられて
わざと船脆く作ってやったニダとか言ってたのに独立国なの?
424人間七七四年:2011/12/08(木) 23:01:48.30 ID:bWBcMcI+
NHK停波しろ停波
425人間七七四年:2011/12/08(木) 23:19:23.36 ID:40UUhySD
>>421
そもそも日本侵略をフビライに進言したのはどこの国の王様だって話でね。
426人間七七四年:2011/12/08(木) 23:19:38.43 ID:u4ebqFt+
しもた、見たかったな。新書でモンゴル襲来の本が出てたけど
おもろい?
427人間七七四年:2011/12/08(木) 23:20:49.50 ID:wJl8SlfL
>>421
そんなに気になるならNHKに抗議でもしたら?
428人間七七四年:2011/12/09(金) 00:06:16.63 ID:Nkftpqjh
>>427
何か気に障った?w
429人間七七四年:2011/12/09(金) 00:27:07.45 ID:McdPYiFE
>>415
「王家」という語自体は問題ないだろ・・・
それ自体は中世にも用例は出てくるし、それを踏まえた学術用語としても
ある程度の地位を築いているわけだし。
学術用語としての用例が適当かどうかという論議はあるにしても、
「王」だから反日、というレベルで脊髄反射して発狂しているネトウヨさんには目も当てられない。

そんなことよりも、今はもう修正されてたけど、平滋子の出自が「武家」になってたりとか、
そういう脇の甘さのほうがはるかに問題だろうと。

>>421
宋の場合は国そのものが完全に崩壊して滅亡しているけど、高麗の場合は
王の贈り名が「忠○王」となるなど、傘下に収まったにしても、一応は国として
存続しているからなあ。
430人間七七四年:2011/12/09(金) 06:39:14.19 ID:pykVf0k8
>>429
存続してないよ、集史に高麗王は王ではないとあるし
半島には征東行省が置かれ、通称は高麗省、最上位の役職はモンゴル人
政府高官の大半もモンゴル人、高麗人はキタイ人と同じく使いっぱ
あの時代に高麗国は存在していない、当時の地図にも名前無いよ

というか、おまえは在チョン確定だけどね
431人間七七四年:2011/12/09(金) 07:31:17.58 ID:++5l/ZT+
書き逃げしたり後釣り宣言したりしてる、日本刀への嫉妬に狂った
恥ずかしい鈴木信者の正体が発覚しちゃたなw
通りでトンでもだと周知されたあとも論拠より願望重視で粘着質に書き込むわけだわ
432人間七七四年:2011/12/09(金) 07:53:43.53 ID:IP4dQZ5g
ここで日本刀を持ち出すとはw
流石にチョン
殺陣師が、経験が無いのと舞台では振り回せないから、
芝居に長刀や槍を使わず、本刀のみでやってるのを真に受けてw
挙げ句にいっぱい持ってたから〜ってw
今、捕まってるどっかの通信高校生と同レベルの奴が多かっただけだろ
433人間七七四年:2011/12/09(金) 08:37:09.42 ID:d3DLGUcb
↓みたいなのを見ていると天皇制に対してあれこれ言いたがるのも結局は嫉妬みたいな感情があるんだろうって思っちゃうね。

【韓国】キャッチコピー募集中!「もしもまだ韓国に王室が続いていたら…?」斬新な韓国大ヒット王室ラブロマンス間もなく開幕 [12/08]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1323304606/l50
434人間七七四年:2011/12/09(金) 08:40:37.17 ID:d3DLGUcb
>>432
その舞台では振り回せないってところにまず長物の限界と制約があるよね。
乱戦や狭い場所での戦闘で役に立たない武器ってことだもんな。
美術品だの首取りの道具だのと口やかましく主張するヤツは槍を万能の武器だと
思っているフシがあるな。
435人間七七四年:2011/12/09(金) 10:36:19.61 ID:OxtOHvX6
>>430
真面目な話、なんでモンゴルが宋みたいに高麗を完全に滅ぼさずに中途半端に残したのかがわからない。
それで何かメリットがあったの?
436人間七七四年:2011/12/09(金) 10:45:47.21 ID:ZW+0esNj
無害無益だから
437人間七七四年:2011/12/09(金) 10:58:39.91 ID:TD3crTKT
>>435
高麗王がモンゴル人のケツの穴を綺麗に舐めたから
宋はそれをしなかったから滅ぼされた
438人間七七四年:2011/12/09(金) 15:02:22.85 ID:W9Hlk8ON
>>435
メリットはあったんじゃないか。
海防とか貿易利権とか。
なにせモンゴルは海が苦手。
それと考え方が長〜〜いスパンだから
単純に「滅ぼしちゃぇ」とか短期的に物事
考えなかったんじゃないかな。
事実上いつでも滅ぼせるから。
439人間七七四年:2011/12/09(金) 17:33:15.35 ID:++5l/ZT+
>>435>>438
真面目な話、モンゴルは宋みたいに高麗国を完全に滅ぼしたけど
何でチョンは事実を受け容れられないの?
440人間七七四年:2011/12/09(金) 18:25:09.56 ID:nY8FWxrs
>>435
金や南宋の行政組織や官員や法令は多くがそのまま温存されている
また、朝鮮半島を支配していた行政組織の長官や高官は皆モンゴル人
金、南宋と高麗の違いは、傀儡ですらないお飾りの旧支配家の血筋が残存したかどうかのみ
441人間七七四年:2012/01/05(木) 19:17:06.93 ID:KFw4FSVi
音痴に音痴だって言っても理解してくれないんだよな。
442人間七七四年:2012/01/06(金) 21:28:24.70 ID:o8wIJKHg
正月に超歴史ロマン・大江戸ミステリーとやらいう番組をなにげに見てたら(キー局よりは
大分遅れてるらしい)、関ヶ原合戦絡みの話でかの本郷準教授登場。

で、松尾山の現在の登山道の道幅基準に、これでは4人が並ぶのがやっとだから
小早川勢の隊列が4キロだか6キロだかになるので、小早川勢1万2千を大谷勢6百で
防げたとかいう新説を拝聴w

あと、徳川勢の火縄銃がたったの5百挺とかいうのも出所が謎だったな。

443人間七七四年:2012/01/15(日) 23:03:06.48 ID:9Z60DJUT
>>442
言われてみればそのとおりだな。川中島の妻女山みたいだ。
妻女山の山道は険しくて、大軍の移動は不可能とのことだ。
松尾山の小早川勢は、領地の石高からみて、1万2千もいなかったらしい。
444人間七七四年:2012/01/15(日) 23:06:12.47 ID:9Z60DJUT
肝心の牛一は、関原合戦のなんとか、という本を書いているのに、
これは話題にあまりあがらないところをみると、内容はイマイチらしい。
445人間七七四年:2012/02/12(日) 22:07:45.91 ID:o2v6x/GU
あげ
446人間七七四年:2012/02/12(日) 23:08:23.10 ID:g/8CaeYx
>>444
他にも沢山、史料があるからね>関ヶ原
447人間七七四年:2012/02/16(木) 00:23:14.07 ID:SD5msFnb
上で話題になった清盛だがこんなことに。

【ドラマ/視聴率】NHK大河ドラマ「平清盛」平均視聴率13・3% 第6話で一気に下落★5
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1329289623/l50
448人間七七四年:2012/02/16(木) 10:25:33.62 ID:uUfSERUJ
観てないし今後も観る予定ないから面白いともつまらないともなんとも言えんw
ここじゃ板違いだし。
449人間七七四年:2012/02/16(木) 20:48:07.74 ID:pG/SO882
小汚い格好で暑苦しい演技しててなんか疲れる
450人間七七四年:2012/02/16(木) 21:15:09.43 ID:Wrgh5z/H
王家連呼してたら下がるのは当然
451人間七七四年:2012/02/16(木) 23:15:29.63 ID:wZK5cpTF
初回に建物とか服装とか見た時は、久々にいけるかと思ったけど
蓋を開けたら相変わらずのジャップドラマだった、王家王家うるせーし
452人間七七四年:2012/02/16(木) 23:39:50.31 ID:p1PGGe7Z
今までの大河はそんな風に一回も言った事がないというのに
突然王家を連呼し過ぎる辺り、皇室を貶める以外の何物でもない
453人間七七四年:2012/02/17(金) 14:38:23.42 ID:tepokfH0
天皇さんがうんたらーって叫んだあとに天皇家を指して王家と呼ぶのが違和感
天皇家の犬がー
だとちょっと語呂悪いけど
454人間七七四年:2012/02/17(金) 14:42:05.46 ID:R/wZ2azV
語呂なら皇家でええやん
455人間七七四年:2012/02/17(金) 14:46:41.00 ID:VEoleFzC
>>453
帝の犬とか何たら院の犬とかになるんじゃないかな?

当時の皇族を天皇家とか王家とかで括るには範囲が広すぎないかなぁと思わんでもないけど。
456人間七七四年:2012/02/17(金) 15:41:12.31 ID:URsNApAO
ここまで王家を連呼するのは、チョンは『皇』とか『帝』とか使えなかった劣等感の裏返し
チョンに乗っ取られた犬HKはいずれ皇室を王室に格下げした呼び方に代えたいため
457人間七七四年:2012/02/17(金) 18:53:23.57 ID:va75eu05
>>456
差別主義者が何を言っても説得力なし。
458人間七七四年:2012/02/17(金) 18:54:24.80 ID:kCn2v81o
また気持ち悪い書き込みだらけになってるな。ニュー速か芸スポから出てくるなよ無知のネトウヨは。
459人間七七四年:2012/02/17(金) 19:02:52.12 ID:jK0eaJES
>>457-458
歴史捏造主義者の在チョンは国籍を持ってる国へお帰りw

天皇の一族を王家と呼ぶこと自体は、当時そう呼ばれていたから問題無い
問題は王家の犬という時代背景を完全に無視した、当時としてはありえない誹謗中傷と
宋では日本刀が利器として装飾品として持て囃された史実に真っ向から刃向かい
何故か宋代には作ってもいない宋剣を、銘刀以上に価値ある宝として持ち出していること。

まあ、糞チョン乙としか言いようがない
460人間七七四年:2012/02/17(金) 19:05:44.16 ID:kaxF43qW
ごめんな。俺はお前みたいに気持ち悪いのからのレスは一切望んでないから。
あ、この書き込みにもレスするなよ。気持ち悪いから。
461人間七七四年:2012/02/17(金) 19:22:48.61 ID:rTekAric
日本刀を貶めて飯を食ってる鈴木に縋る儲がどんな国籍の連中かバレちゃったねw
462人間七七四年:2012/02/17(金) 19:33:08.37 ID:KO2UIRSH
>天皇の一族を王家と呼ぶこと自体は、当時そう呼ばれていたから問題無い

しらっとデタラメこいてるなw
463人間七七四年:2012/02/17(金) 20:36:24.51 ID:rTekAric
王家の犬呼ばわりするのは、切支丹相手に「イエスの言い成りになる下僕」
日本人相手にチョン語でチョッパリと罵倒するようなもので、何の効果も無い
464人間七七四年:2012/02/17(金) 21:27:09.87 ID:va75eu05
ネトウヨの差別主義者がなぜここに来るのだ。
465人間七七四年:2012/02/17(金) 22:13:19.72 ID:rTekAric
在チョンに言わせると全世界はネトウヨだからな
466人間七七四年:2012/02/17(金) 22:55:58.78 ID:va75eu05
>>465
お前がネトウヨなのだよ。
467人間七七四年:2012/02/17(金) 23:20:39.40 ID:R/wZ2azV
春休みだけあってあちこちでこんなレスの応酬ばかりだな
468人間七七四年:2012/02/18(土) 03:12:48.27 ID:W98i5PNh
一般的なフィクションならミカドを使うところかな
469人間七七四年:2012/02/18(土) 05:41:21.94 ID:nmr15iYa
天皇自体の呼び名は御門だよね、王はありえない
天皇一族を指して王家は使用例もあるけど、王家の犬云々は在チョン丸出し
宋の宝剣に至っては糞チョン死ねよとしか言いようがない。
470人間七七四年:2012/02/18(土) 09:58:29.93 ID:FjFr4LaM
宋の宝剣っていうと玄天混元剣とか破山剣とかか?w
471人間七七四年:2012/02/18(土) 11:56:58.38 ID:W98i5PNh
ウヨサヨは疲れるから海賊王に俺は成るって言いたいがために相手も王にしていた説を提唱する
472人間七七四年:2012/02/18(土) 12:23:02.82 ID:vlyR/FUI
海賊王家の犬か。
473人間七七四年:2012/02/18(土) 15:00:23.03 ID:lHP6L1tu
もう鈴木・藤本と無関係な荒らししかいねーのかよw
474人間七七四年:2012/02/18(土) 15:45:38.72 ID:e+SbgcIr
鈴木自体が荒らしだけどな
475人間七七四年:2012/02/19(日) 00:01:42.34 ID:cPvi/arn
>>474
鈴木氏は荒らしというか煽り屋だな。
揚げ足取りに終始するところとかも
476人間七七四年:2012/02/19(日) 10:33:42.29 ID:/0xEPBUT
ねらーに受けるわけだw
477人間七七四年:2012/02/19(日) 10:37:30.11 ID:sH2ik164
>>453
そこは普通に朝廷の犬とか宮中の飼い犬とかでええやん。
あるいはお上の犬とかさ。
478人間七七四年:2012/02/24(金) 19:19:56.18 ID:XxF615lE
王家の犬でオッケー。
479人間七七四年:2012/02/24(金) 19:56:00.29 ID:XLWfWHHa
日本に巣食う非日本国籍保持の寄生虫でOK
480人間七七四年:2012/02/25(土) 20:04:20.68 ID:QgPQ5vQB
なんでここにネトウヨがいるんだ。
481人間七七四年:2012/02/26(日) 10:22:26.09 ID:BudT67GS
歴史考証のいい加減さに突っ込んだらネトウヨなんですねわかります
482人間七七四年:2012/02/26(日) 13:34:51.24 ID:XVOeJZQh
>>481
いい加減なのはお前だ。
483人間七七四年:2012/02/26(日) 21:04:38.24 ID:Negy27xO
このスレの半数以上が
タイトルとは無縁の内容だな

>>1 は何してんだ?
484人間七七四年:2012/02/26(日) 22:46:17.04 ID:K3EG6y+u
これに関する鈴木師匠の見解とかないの?
485人間七七四年:2012/02/27(月) 18:33:12.70 ID:mGG2Nbew
鈴木はアホなだけでブサヨとかチョンってわけでは無いからなあ
486人間七七四年:2012/02/28(火) 02:05:38.18 ID:SKFb7trY
ニコニコで戦国動画みてると、したり顔で解説してる鈴木信者がけっこういるなw
487人間七七四年:2012/02/28(火) 02:08:31.97 ID:0igVvK5a
戦国板だってちょい前までは大量に居ただろ
488人間七七四年:2012/02/28(火) 02:39:50.35 ID:gcO1gGr4
最初に駆逐されたのは軍事板かな
489人間七七四年:2012/02/28(火) 08:55:12.50 ID:LRMH0eQy
アフィブログのコメント欄とかにはまだまだいるよ。
あとはニュース系の板。

武道系のところにもいるな。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jyudo/1172343788/724
490人間七七四年:2012/02/28(火) 20:17:32.32 ID:0c1hKzDm
比率の話なのに全か無かで断定しちゃってるのがなんだよな。
491人間七七四年:2012/02/28(火) 21:28:54.96 ID:kxBgiv7x
比率の話という割に具体的な比率を出さない鈴木儲
492人間七七四年:2012/02/29(水) 03:04:35.74 ID:cYkLBNWU
>>487
戦国板の前進である三戦板においては、10年くらい前は鈴木説は常識のように語られてたよなあ。
当時は騎馬武者の「き」の字が出ただけでバカにされる風潮があった。
当時したり顔で語ってたアホなコテハン達は元気でやってるかな?
493人間七七四年:2012/02/29(水) 03:12:23.93 ID:iOPsajJ/
鈴木説自体ネットが広めたようなもんだし
そういうのが2ちゃんで跋扈するのもしょうがなかったわな
494人間七七四年:2012/02/29(水) 03:24:48.63 ID:0qlD11An
>>492
鈴木・藤本説が失墜したのは「騎馬隊」を指定しようとしたあまり、
馬高に対する誤解など馬について無知なことをさらけ出したこと、
軍忠状の研究は実は先行研究があり、それをまんまパクったことがバレたこと、
軍忠状から「遠戦志向」とかいうトンデモを大々的に言い始めて
袋叩きにあったことなどが原因かな。

結局、言い過ぎで墓穴を掘ったわけで、「やり過ぎに注意」というのが教訓として残ったw
495人間七七四年:2012/02/29(水) 07:45:55.04 ID:nnQMeK/p
トンデモ元に「僕が考えた日本の戦国時代」をお披露目されてもな。
496人間七七四年:2012/02/29(水) 13:41:10.67 ID:YwqEGyZR
http://www.marvellouswings.com/Kattyuu/Review/Review.html

◇ 和種馬の体力
和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、
と誤解されていますが、約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく
走り続けられることを確めました。機会があれば何処まで走り続けられるか
確認してみたいと思います。



↑そんな誤解を一体誰が広めたんだ?
497人間七七四年:2012/02/29(水) 15:47:42.83 ID:SFAwFZ0W
NHK
498人間七七四年:2012/02/29(水) 18:30:21.36 ID:pkjsppfY
>>496
しかしそのサイトも、実際の自分達の知見によるという点は評価できるけど、
和馬の耐久力の検証は整地された平坦地である馬場でのものだろうし、
上の鎧の機能の検証にせよ、限定的な範囲でのかなり独善的なものでしか
ないというのもまた事実のような稀ガス。
499人間七七四年:2012/02/29(水) 23:51:36.87 ID:cYkLBNWU
更に鈴木は武道家の人等の発言を騎馬武者不在の根拠として引用してるが
実はその人は「馬上では直槍じゃないと扱い辛い」と言っただけで
「馬上で槍は使わない」=騎馬武者なんて居なかったとは一言も言ってないというオチ
500人間七七四年:2012/03/01(木) 10:12:10.52 ID:SDL5RWcP
>>498
例のNHKの実験に対する最低限の反証ってところじゃないかな?
501人間七七四年:2012/03/02(金) 00:34:17.16 ID:3+GEj3aE
>>494
藤本氏は否定してないと思うんだが
502人間七七四年:2012/03/02(金) 01:14:18.27 ID:fd6kDmRk
否定しているとしか読めない文章と題名と煽り文句を書いておき、
突っ込まれると用意していた逃げ道を出して、
否定してませんよ、よく読んでください(笑)。だから、なお悪いわ
503人間七七四年:2012/03/02(金) 10:08:18.28 ID:AfIjpUSg
鈴木も大鎧が騎乗前提の鎧だとは書いてるんだよ。
にも関わらず別のところでは在来馬はポニーで甲冑武者を乗せるとトコトコとしか
走れず騎乗戦闘など実用的ではなかったとか言い出す。

つじつまがあってなくてもセンセーショナルな主張をして注目さえ浴びればいいってことなんだろうな。
504人間七七四年:2012/03/02(金) 11:37:03.47 ID:bkPzyo+3
その手の自己矛盾だらけなのが鈴木の特徴で
本来、それぞれが並立し得ない相反する論理が併記されてるから
一つの主張に突っ込まれたとき、逃げ道になるという仕組み。
505人間七七四年:2012/03/03(土) 01:05:11.71 ID:/d3mP6au
古くは奈良時代に1万5千騎が参加した騎射の大演習が行なわれてるな。
軍団制が廃れてからは、南北朝期までの400年間、騎射戦が主流だったわけだ。
506人間七七四年:2012/03/03(土) 08:03:37.29 ID:YcM6bo13
騎射用に持っていた矢数は四十本。
手練の武士なら十分足らずで射尽くす。
代替の矢を持ってもどれだけ続けられるのか。
507人間七七四年:2012/03/03(土) 08:42:39.25 ID:IvOEM4/9
>>506
機動力自慢の弓騎兵が停止し続けて射る計算ですか?
508人間七七四年:2012/03/03(土) 10:00:16.14 ID:YcM6bo13
流鏑馬とか見たこと無い?
509人間七七四年:2012/03/03(土) 10:17:35.55 ID:PPK6lm3/
目くら撃ち連射で制圧射撃するわけじゃないし一戦闘で40本ありゃ十分でねーの
鉄砲でも一戦闘で携帯する弾はそのくらいだし
510人間七七四年:2012/03/03(土) 11:29:37.14 ID:YcM6bo13
射ち尽したら白兵戦に移行するだろうしな。
511人間七七四年:2012/03/03(土) 11:45:22.60 ID:IvOEM4/9
>>509
普通に考えりゃそうだよなあ。
流鏑馬とか見てそのペースで射続けるとか勝手に考えてるらしいから。
512人間七七四年:2012/03/03(土) 17:02:09.60 ID:YcM6bo13
そんなに変かね?w
鈴木のバクリ元のトーマス・コンラン氏の南北朝期の軍忠状の研究じゃ、南北朝初期の方が白兵戦での負傷率が高い訳だし。
こっちは南北朝期が35%くらいで後期は20%弱になってる。
鈴木はまとめて戦国時代のは30%程度にしているけど、こっちのを参考にすると20%弱。
騎射メインだろうと言っても白兵戦発生率はそれなりに高くないとなw

まあ、城塞等の防御設備の進化と優劣や野戦発生率、軍の規模拡大による戦闘参加率の変化とか素人には分かりかねる要素も多々あるだろうがな。

鈴木風に書けば、騎射メインの源平合戦の白兵戦での負傷率は、戦国時代のそれの約二倍。
そういうこと。
513人間七七四年:2012/03/03(土) 17:11:24.16 ID:PPK6lm3/
日本語で
514人間七七四年:2012/03/03(土) 17:47:47.15 ID:ICeLPw3q
滅茶苦茶だなw
源平合戦と南北朝期じゃ違うだろうにw
515人間七七四年:2012/03/03(土) 17:55:47.66 ID:/d3mP6au
騎射から馬上打物に戦法が変化したのはなんでなんだろう?
戦国時代に至っては、騎射は廃れほぼ馬上槍が騎馬武者の武器になっている。
516人間七七四年:2012/03/03(土) 18:11:39.31 ID:d3IfXbpH
弓が改良されていっぱい引き絞れるようになったせいで
軽装の足軽に射させた方が遠くまで届くし威力もデカいって気付いたからだよ(´・ω・`)
517人間七七四年:2012/03/03(土) 18:27:34.90 ID:IvOEM4/9
あ、やっぱりおかしい人だったのか。
518人間七七四年:2012/03/03(土) 20:04:40.69 ID:ho1A3f3c
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
519人間七七四年:2012/03/03(土) 20:13:52.41 ID:TE2YPdzM
>>515
騎射に比べれば、馬上打物の方が技量がいらない
520人間七七四年:2012/03/03(土) 21:15:47.36 ID:hhgwi742
平安末期に既に盾突戦が頻繁に行われていて
歩射も多かったんじゃなかったっけ?
521人間七七四年:2012/03/03(土) 22:23:10.66 ID:ks7O67HQ
>>518
臭いぞ、包茎
522人間七七四年:2012/03/04(日) 09:44:42.05 ID:kQ5tqNoU
なんのネタ?
523人間七七四年:2012/03/04(日) 15:40:38.64 ID:SLYAa+tI
>>519
これもサラブレッド厨の馬鹿が広めようとして失敗した俗説の一つでしょ
馬上で刀剣を扱うには相当な腕力がないと無理だと、近藤氏が言うように
打物騎兵にも狩猟を基本とした騎射とは別次元の技量は必要だから
524人間七七四年:2012/03/04(日) 15:58:24.32 ID:LPu6nWpV
>>515
そこが一番の疑問だわ。
社会基盤が変わって、動員兵力と歩兵の割合が増えたから
打物騎兵や長槍がメインになったのはわかるけど
弓騎兵自体は補助部隊としてその後も生き残りそうな気はするんだがなあ。

>>516
源平の頃には既に歩兵にも弓持たせて矢の撃ち合いしてたけどね。
525人間七七四年:2012/03/04(日) 16:11:37.38 ID:/pMioptG
弓騎兵の補助部隊とは機動力を生かした軽弓騎兵とかだろうけど
機動力を有効に使える地形自体が少ないからな
526人間七七四年:2012/03/04(日) 16:16:02.84 ID:/pMioptG
というか騎射自体は戦国時代も頻度は少なくなったとはいえやってるから
別に弓騎兵自体が死んだわけではないと言えるんじゃね
527人間七七四年:2012/03/04(日) 17:02:40.02 ID:kQ5tqNoU
鉄砲の技術輸入元であるヨーロッパの16世紀後半はピストル騎兵全盛期だったみたいだね。
騎射は騎射でも鉄砲の騎射が。
528人間七七四年:2012/03/04(日) 18:32:21.78 ID:F+0kAjhF
「雑兵物語」の騎馬突撃の話しのところじゃ槍刀鉄砲弓矢混成の騎馬隊になってたな。
戦闘単位としての弓騎兵は廃れてしまった形になったけど、流鏑馬笠懸犬追物と騎射ものはその後も一応は残った形だよね。
529人間七七四年:2012/03/04(日) 21:07:40.50 ID:hwB1rn7l
>>526
家康が三方ヶ原の退却の際に騎射で敵を打ち倒したとかなら知ってるが
他にどんなのがあるだろうか?
530人間七七四年:2012/03/04(日) 21:11:01.49 ID:hwB1rn7l
http://www.nishinippon.co.jp/jigyou/art/emaki/images/jpg/eg_2.jpg

この真如堂縁起が描かれた大永四年ころはまだ騎射は一般的だったのかな?
それとも過去の合戦(応仁の乱)ってことを意識して騎馬武者に弓を持たせてるんだろうか?
531人間七七四年:2012/03/04(日) 22:03:57.81 ID:z1dbpBgd
一般的には南北朝期に騎射→歩射への変化があったとされる。
これは城郭などの防御側の発達への対応が大きいとも。
532人間七七四年:2012/03/04(日) 22:42:17.03 ID:edQ4OzF6
>>529
しかみ像は右手に篭手を付けていないので、騎射をしたという証拠となる
533人間七七四年:2012/03/04(日) 23:03:36.79 ID:hwB1rn7l
鎌倉期の楯突戦。歩射にならざるを得ない。
http://blog-imgs-16.fc2.com/t/e/i/teitodennoumou/20071207163240.jpg

>>532
なるほど。でも三方ヶ原の家康以外に戦国後期で史実性のありそうな
騎射エピソードってないものかね?
534人間七七四年:2012/03/05(月) 06:12:48.11 ID:CTcSNKr4
撤退中の騎射ってパルティアン・ショットってわけじゃないよなw
535人間七七四年:2012/03/05(月) 07:01:55.77 ID:inTcJ4vX
>>534
流鏑馬は元々、パルティアンショットの訓練だったらしいぞ。
536人間七七四年:2012/03/05(月) 08:30:32.99 ID:UvarPcWC
北条時宗もパルティアンショットの使い手だったしな
537人間七七四年:2012/03/05(月) 13:15:16.84 ID:xc2IOreR
>>534
立ち塞がる武田兵を射ったとあるから前方に向かった射ったでしょう
538人間七七四年:2012/03/05(月) 13:40:47.32 ID:j7OAs/RI
>>535
後ろ向きに射る流鏑馬なんてあるの?
539人間七七四年:2012/03/05(月) 13:51:38.66 ID:1hfdUHya
今自分たちが見れる流鏑馬は江戸時代に再興されたものがほとんどで
室町までの姿とはだいぶ違うらしい。犬追物や笠懸みたいな実技じゃなくて神事でもあるし。
540人間七七四年:2012/03/05(月) 20:25:42.24 ID:j7OAs/RI
>>539
で、パルティアンショットのように後ろ向きに射る流鏑馬はあるの?
541人間七七四年:2012/03/05(月) 20:42:09.15 ID:1hfdUHya
しらんけど神事になる前の軍事訓練時ならあったんじゃね
542人間七七四年:2012/03/05(月) 20:59:06.39 ID:j7OAs/RI
なんだ、結局何一つ根拠はないのか。
543人間七七四年:2012/03/05(月) 21:05:00.63 ID:1hfdUHya
どうでもいいけど535じゃないよ俺
544人間七七四年:2012/03/05(月) 21:27:52.53 ID:b5Aa95YC
>>539
流鏑馬神事は江戸中期以降の再興が多いというね

難易度でいえば、笠懸>歩射>流鏑馬
だという
545人間七七四年:2012/03/05(月) 21:31:07.63 ID:NK5xLR5k
>>542
鎌倉期の絵画資料だと明らかに後ろを向いて矢を射っているとか>流鏑馬
546人間七七四年:2012/03/05(月) 21:48:40.76 ID:zeGrHeL7
>>540
おし‐もじり[:もぢり]【押捩】-日本国語大辞典
〔名〕犬追物、遠笠懸けなどで、馬上でからだを後方にねじ曲げること。
また、その姿勢で矢を射ること。
*太平記〔14C後〕八・四月三日合戦事「あひの鞭を打ちて、押しもぢりにはたと射る」

武技としてあるんだから、流鏑馬は犬追物、笠懸より儀式的な要素の強いとは言え、
やってても特に不思議じゃないだろ。

ちなみにオレも>535じゃないぞw
547人間七七四年:2012/03/05(月) 21:50:14.92 ID:zeGrHeL7
おっと、脱字

×儀式的な要素の強いとは
○儀式的な要素の強いものとは
548人間七七四年:2012/03/05(月) 22:01:55.50 ID:j7OAs/RI
>>543
そりゃ悪かった。

>>545
その史料の名前を教えてほしいわけだが。

>>547
でも的はどんな風に設置するんだ?
こっちもパルティアンショット的な戦法を日本の武士が行ったことは別に否定してない。
ただ、流鏑馬でやったと言われると具体的にどうなのか気になるわけよ。
549人間七七四年:2012/03/05(月) 22:33:54.48 ID:qbbPtKDb
時宗のはたまたま的を通り過ぎちゃったから後ろに射ただけだろ
550人間七七四年:2012/03/06(火) 09:08:21.57 ID:++e78+uq
551人間七七四年:2012/03/06(火) 09:29:36.98 ID:++e78+uq
552人間七七四年:2012/03/06(火) 10:53:38.85 ID:6rspkhEm
>>550
それを書いている近藤先生の『弓矢と刀剣』という本が手元にあって
押捩りの記述はあってもその訓練法は書かれていないことも確認してある。
P183〜P184の「さまざまな騎射」。

こっちが聞きたいのは流鏑馬で後方に射る訓練とはいったいどのようなものか、
それを示す史料はあるかということ。

でもどうやら>>535の飛ばしみたいだな。「らしい」とか最初から逃げ道作ってるし。
553人間七七四年:2012/03/06(火) 15:55:09.81 ID:RL77yoMh
まあ、後ろ向きに射抜いた記録が散見される以上は少なくとも
「和弓は馬上では大陸の弓と違って真横、それも左向きにしか射られない糞仕様」
という「通説」は完全に誤りだと言うことはわかるな。
俺もわざわざ好き好んでパルティアンショットしてたとは思わないけど。
554人間七七四年:2012/03/06(火) 16:07:17.01 ID:gJ9SjGSj
>>553
そんな通説あったのかよ
555人間七七四年:2012/03/06(火) 18:04:25.67 ID:5+yL6dto
通説かどうかは知らんけど、俺もそんな感じの記述を読んだことがある。
556人間七七四年:2012/03/06(火) 18:29:46.54 ID:GxzCJKfP
大坂夏の陣図屏風
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/18/The_Siege_of_Osaka_Castle.jpg

下部中央にパルティアンショットの騎馬武者が描かれている

その他、騎馬戦闘や刀で戦闘する様子が多数描かれている
557人間七七四年:2012/03/06(火) 18:45:22.17 ID:b7ynnlCZ
>>556
近接戦闘だともう完全に刀が主兵器だな
558人間七七四年:2012/03/06(火) 20:17:00.04 ID:6rspkhEm
その屏風は長政時代に描かれたのだから
合戦がなくなって久しい泰平の世の人間が想像で描いた合戦ってわけではないしね。
あんまりじっくり見たことなかったから騎射があったことは完全に知らなかった。
つか、よく見つけたもんだ。
559人間七七四年:2012/03/06(火) 20:24:26.85 ID:kTSCmm68
この画像サイズが大きくて見やすいな
560人間七七四年:2012/03/06(火) 20:43:32.63 ID:aDqn2egL
>553
それって弓道の型から外れてるから駄目って話ってだけじゃない?
弓術ならそれなりにいろんな射ち方があると思う
561人間七七四年:2012/03/06(火) 21:39:27.47 ID:k+PBAVe3
>>553>>555
通説でも何でもない。15年以上前に馬鹿が垂れ流したただの珍説
近藤氏らによって完全に一蹴されてる
562人間七七四年:2012/03/06(火) 22:03:06.08 ID:5+yL6dto
>>561
そうか、ありがとう。
裏も取らずに鵜呑みにするもんじゃないね。
563人間七七四年:2012/03/07(水) 01:17:20.94 ID:8FbG+aDl
>>561
と言うか普通に考えて「じゃあなんでそんなクソ仕様の弓を使っていたのか」って疑問に思い当たらないのかな。
564人間七七四年:2012/03/07(水) 08:34:59.13 ID:EfJTpZU4
刀は戦闘に必要のない美術品とか言われて納得するような人もいるようだからねw
565人間七七四年:2012/03/08(木) 21:50:31.36 ID:aEzm1LlQ
鈴木信者というか日本刀貶せればなんでもいいみたいなのが軍板にいるわ。
そういや我らが鈴木も防衛庁出身とかでまんざら無関係というわけでもないな。

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1317279982/l50
566人間七七四年:2012/03/08(木) 22:33:06.58 ID:ECx7x0q7
こう言っちゃなんだが、所詮は2ちゃんだしなw
567人間七七四年:2012/03/08(木) 23:49:11.25 ID:rXdgE1kV
訓練用の安全道具の否定からの派生のせいか
なんか歪な流れだな
568人間七七四年:2012/03/09(金) 00:35:21.82 ID:/taBiBz+
防衛省の人間は基本的に反日属米売国だし
569人間七七四年:2012/03/09(金) 10:51:30.24 ID:4ZdEcZvj
普通に考えりゃ一本じゃ足りないから二本になったんだろ。
いらないなら無くなるわな。
570人間七七四年:2012/03/09(金) 11:06:48.30 ID:9bSJpHyb
刃物を複数持つのは世界的にもごく普通ちゃ普通
571人間七七四年:2012/03/09(金) 11:12:47.73 ID:xutQ4l4K
よくもこんなアホなカキコができるな。軍板ってのは知ったかが多いのか?

751 :名無し三等兵:2012/03/09(金) 06:59:52.78 ID:???
足軽に日本刀は不要なのさ
秀吉は短槍を持たせて突くより振り回せと教えた
普段は百姓、毎日修練積んでるわけじゃない
最強の足軽になりてぇと思った足軽がいた=武蔵は日本刀での戦闘を極める
572人間七七四年:2012/03/09(金) 11:18:07.42 ID:9bSJpHyb
軍板はID無いから適当なこと言って煽るのが仕事の人が常駐してる
573人間七七四年:2012/03/10(土) 19:43:32.63 ID:5+KAS7a0
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
574人間七七四年:2012/03/10(土) 20:57:34.08 ID:PjNzrYtX
喜連川は無知なキチガイ管理者が粘着して気に入らない人間を片っ端から
冤罪で無期限ブロックするから触らぬが吉
575人間七七四年:2012/03/12(月) 00:29:58.98 ID:3T34Ul0S
というか西洋でもイスラムでも中華でも
鎧着てた時代に切れ味の良さに主眼を置いて作られた
言ってみりゃ打刀と同じ目的で作られた刀剣があるのに
なんで日本刀だけ鈴木説みたいな珍説が出てくるんだろうね?
やっぱ大戦中の軍刀と日本刀に関するいろんな話(真実かデマかわからんが)も背景にあるんかね?
ほらよくネットで見かけるじゃん。「うちの祖父から聞いた話なんですが実は日本刀は云々」みたいなの。
和包丁や日本の冶金技術の高さを考えると日本刀がポンコツだったとは思えないがね。
576人間七七四年:2012/03/12(月) 02:08:56.98 ID:k4LMrrhX
漢字廃止計画とかやってたろ米占領軍が、それの一環
577人間七七四年:2012/03/12(月) 08:16:20.22 ID:ynT+RP3Q
初期の軍刀がゴミレベルだったのは事実だろ
578人間七七四年:2012/03/13(火) 06:50:01.06 ID:Y7SQL1SC
明治〜昭和の軍刀と戦国時代に何の関係が?
579人間七七四年:2012/03/14(水) 15:18:50.04 ID:kV2Jn7DI
さあ?
火繩銃と三八式歩兵銃くらいには関係あるんじゃね?w
580人間七七四年:2012/03/14(水) 15:23:28.14 ID:gOeel7V3
ちゃんと殿をつけろ
581人間七七四年:2012/03/15(木) 05:52:33.25 ID:UL1dW9o0
鈴木儲がゴミレベルだったのは事実だろ
582人間七七四年:2012/03/15(木) 14:49:12.68 ID:fD4xG8np
まともな人間はゴミなんて幼稚な批評はしない
583人間七七四年:2012/03/15(木) 14:50:04.66 ID:f0QIPCPK
子供のケンカがはじまるのかw
584人間七七四年:2012/03/15(木) 16:25:24.29 ID:5WfoR8PT
あんまりカリカリしてるとハゲるぞ
585人間七七四年:2012/03/16(金) 19:42:15.46 ID:vvMjS80l
上のクロスボウのスレといい↓といい、真剣は木刀に劣るなんて言説を最近よく見る気がする。
何かの漫画にでも出たのかな?

木刀って真剣よりも怖いよな
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1331889016
586人間七七四年:2012/03/16(金) 20:43:43.70 ID:9tiX+6YN
おまえvipなんて見てるのか
悪いこと言わないからやめとけ
587人間七七四年:2012/03/16(金) 20:46:27.30 ID:5ZZCDHye
vipだのニュー速系だのにはよく日本刀のスレが立つな。
業者のアンケートスレなんじゃないかと思うけど。
588人間七七四年:2012/03/16(金) 20:54:29.23 ID:9tiX+6YN
それにしちゃ垂れ流されてる知識がお粗末過ぎるだろ
589人間七七四年:2012/03/16(金) 22:19:12.05 ID:5ZZCDHye
>>588
業者ってのは刀剣商とかじゃなくて転載目的のアフィブロガーのことよ。
スレタイで「日本刀ってどうなの?」とか釣っておいて誘導したレスを
さらに自分の都合のいいように編集してブログに転載するだけのお仕事です。
590人間七七四年:2012/03/16(金) 22:45:05.23 ID:7nW6vYgj
本当に木刀やただの鉄棒のが刀より強いんなら、少なくとも雑兵や足軽クラスは
間違い無く刀を打つより遥かに製作コストが安くて済む木刀や鉄棒を携帯してただろうがw
そうじゃない時点で刀は少なくとも木刀や鉄の棍棒よりは遥かに役に立つ武器と見なされてたって事だろw
それともシグルイの権佐右衛門が持ってるカジキマグロでも使ってたのかよwwww
591人間七七四年:2012/03/16(金) 22:58:30.01 ID:qtH2ljfz
>590
きっちり訓練積んだレベルなら木刀や鉄棒でも殺傷力は出せるけど
普段農耕やってる人間にそれをやれといっても無理w
そんな訓練をしなくてもそれなりの殺傷力をもてるのが刀剣のいいところだw
592人間七七四年:2012/03/16(金) 23:25:15.96 ID:7nW6vYgj
しかもキッチリ訓練積んだ人間なら尚更木刀や棍棒使うより
刀使った方がより効率的に人殺せるしなw
593人間七七四年:2012/03/17(土) 00:16:59.84 ID:Qa6GQjEh
普段農具を使ってる同じ程度の能力の農民に刀と凶器になる農具を持たせて戦ったとして
どちらが勝つかって話だよな
594人間七七四年:2012/03/17(土) 00:24:23.19 ID:grxf51d4
秀吉の刀狩りとは一体何だったのか
595人間七七四年:2012/03/17(土) 01:56:30.67 ID:RBJC/svb
>>593
まぁ、鍬や鋤の重量のある打撃を御貸しのナマクラ刀でしのぐのは至難の業だろ。
逆はアリだろうが。
596人間七七四年:2012/03/17(土) 01:59:06.90 ID:74hlz0N3
引っかけられただけですぱっと斬れて出血するってのはかなりきついと思うのだが
剣道やってて鍔迫り合いになったときとかこれ真剣だったら勝ってもズタボロだなー
ってよく考えたわ
597人間七七四年:2012/03/17(土) 02:09:59.70 ID:grxf51d4
そもそも実際の日本刀の扱い方って剣道とはまるで違うそうな
598人間七七四年:2012/03/17(土) 02:12:10.76 ID:Qa6GQjEh
>>595
余裕だよ、刀って鉄で出来てるからねww
599人間七七四年:2012/03/17(土) 02:22:14.86 ID:RBJC/svb
>>598
雑兵物語には御貸刀は鍋弦のように曲がると書いてあるわけだがw
600人間七七四年:2012/03/17(土) 02:31:52.86 ID:74hlz0N3
鋤や鍬だと最初の一撃で仕留められなければ
軸棒にそって刀滑らされると指斬り落とされて負けだな
601人間七七四年:2012/03/17(土) 08:22:45.21 ID:EiUdf+NF
だけど刀を抜いた人間相手に思い切りのいい一撃を振り下ろすというのも度胸の必要なことだと思うけどね。
その「重い一撃」にはそれなりの予備動作も必要なわけだし。
602人間七七四年:2012/03/17(土) 09:02:10.67 ID:ygtTVxkz
>>599
折れないように柔らかく作っているんだろう
603人間七七四年:2012/03/17(土) 09:03:53.57 ID:grxf51d4
>>599
鍬や鋤の一撃を受け止めたらそうなったの?
それとも無闇やたらに力任せに甲冑に斬りつけてそうなったの?
604人間七七四年:2012/03/17(土) 09:18:16.23 ID:6f/yOTG/
人に聞く前にまずggれ

ttp://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg516.html
>刀を抜て敵の手と足をねらつて切めされい。
>真向をぶてば、鈍物は鍋の釣の様になるべい。
605人間七七四年:2012/03/17(土) 09:31:43.95 ID:ygtTVxkz
装甲の隙間を狙え、基本ですな
606人間七七四年:2012/03/17(土) 09:53:35.75 ID:EiUdf+NF
現代と戦国〜江戸の農具にどれだけサイズの違いがあるかはともかく、
これ見る限りでは標準的な鍬の柄は三尺。

定寸の刀が刃渡りニ尺三寸+八寸なので単純な長さでは互角だが、重心の関係上刀のように
柄の端を両手で持つ持ち方が難しく、長柄のように持つ事になる鍬は実際のリーチでは劣るんじゃないのか?

http://www.nagainokuwa.com/kuwa/
607人間七七四年:2012/03/17(土) 10:43:00.45 ID:grxf51d4
>>604
甲冑相手に無闇やたらに真ん前からぶったたいたらダメですよってことだろ?
そんなん当たり前じゃん、何のための糞重い鎧着てるんだよw
608人間七七四年:2012/03/17(土) 15:14:00.41 ID:vLUXAffZ
>>606
柄長3尺(90cm)のは一番小型のものと書いてあるわけだがw
609人間七七四年:2012/03/17(土) 20:10:09.69 ID:EiUdf+NF
>>608
3.2尺が一番多かったから大体の意味で書いたんだが。
刀の方だって足し算すれば三尺一寸になるけど端数で競ったってしょうがないし。
610人間七七四年:2012/03/18(日) 11:35:20.59 ID:5NqUAVpj
>>609
そもそも参照するサイトを間違えてるだろ。

使った経験がないのだろうが、柄長90cmの鍬なんかは中腰の
細かな作業用やら家庭菜園やら用で、立ち姿勢で田畑の耕作に
使うようなのは当然1mを超える。

ttp://www.hounen.com/engei/engei-07.html
611人間七七四年:2012/03/18(日) 12:49:05.35 ID:62j2u44E
おお、確かに本職用と書かれた鍬はどれも一メートルを五ミリも
越えてるものばかりではないですか。
612人間七七四年:2012/03/18(日) 14:10:28.95 ID:FyefHfRA
まー慣れてようが戦闘向きではないのは確かだ
倒れた鎧武者にとどめさすにはよさそうだけど
613人間七七四年:2012/03/18(日) 15:27:34.79 ID:5dBt3h8O
>>611
もしかして韓国人並に数字に弱いのかな? >一メートルを五ミリも越えてるものばかりではないですか
614人間七七四年:2012/03/18(日) 16:48:01.18 ID:V+34L8HD
実戦で役に立つなら実戦に投入されてるだろ。
いちいちこういうこと書いてやらんと何一つまともに理解できないのか?w
615人間七七四年:2012/03/18(日) 20:01:26.10 ID:DLPcaB3o
刀を没収された江戸時代の百姓一揆と違って
室町時代の土一揆では殆どの農民が刀などを装備してたのを考えても
農具のが刀より役に立つってのは無いだろう
616人間七七四年:2012/03/18(日) 22:58:39.93 ID:J6Z4x9GX
>>614-615
なんで御貸刀vs農具という流れすらも読解できないのに
上から目線なんだよw
617人間七七四年:2012/03/19(月) 05:08:19.45 ID:D5sQuySM
御貸刀はあったが、御貸鋤&/or御貸鍬&/or自前の鋤鍬での戦争参加は無かったってのが史実だろ?
618人間七七四年:2012/03/19(月) 12:07:35.52 ID:88X+ALV9
農具は論外だが竹槍なら
619人間七七四年:2012/03/19(月) 13:31:15.29 ID:vOA/LwOr
あれ意外にバカにできないんだってね>竹槍
620人間七七四年:2012/03/20(火) 08:02:13.41 ID:3g1qQ0Ku
明智光秀が竹槍で…ってのは、江戸時代にできた儒教的な要素と仏教的な因果応報譚を混ぜ合わせたお話しなんだろうかね。

竹槍で落ち武者狩りとかどうなんだろう?
621人間七七四年:2012/03/20(火) 08:49:10.28 ID:DkRnLwtW
落ち武者ってのは戦いに疲れ果てて疲労困憊だから
百姓の竹槍程度でも簡単に負けるらしい
622人間七七四年:2012/03/20(火) 11:40:11.58 ID:3g1qQ0Ku
勝てる勝てないの話しじゃなくて、江戸時代の百姓なら竹槍しかないだろうが、戦国時代のは他にも選択肢あったんじゃねーのって話し。
623人間七七四年:2012/03/20(火) 22:42:12.14 ID:yfQ7cepS
竹槍と農具がガチで戦ったらどっちが勝つ?
624人間七七四年:2012/03/20(火) 23:35:53.26 ID:gcVhx78f
プッ、知るかよ…(呆)
625人間七七四年:2012/03/21(水) 00:25:07.08 ID:k8m2M/Kv
簡単な槍くらいなら農民でもこさえる事が出来ただろう。
わざわざ竹槍なんか使わなくても。
合戦があった場所に行けば槍の先端部なんていくらでも落ちてるだろ。
626人間七七四年:2012/03/21(水) 02:02:46.44 ID:FBESue8d
>槍の先端部なんていくらでも落ちてるだろ

バカ丸出しだぞw なんで矛じゃなく鑓なのか考えてみような。
627人間七七四年:2012/03/21(水) 08:05:19.42 ID:s/1oHk8j
鑓は折れませんって?
なんで替えの鑓が用意されるのか考えてみような。
628人間七七四年:2012/03/21(水) 08:31:25.20 ID:UPZIzV/y
足軽の長槍なんて使い方からみても折れまくり前提でしょw
日本刀の戦場での使用方法のひとつに槍の穂先を切り落とすってのがあったわけだから、激しい戦闘が行われた場所なら、そうやって破損させられた槍の残骸見つけることもそう難しい話しではないだろうかと。
629人間七七四年:2012/03/21(水) 10:35:28.08 ID:H1/IgiYH
日本の槍はソケットでくっつけるタイプじゃなくて挟み込むタイプだからね。
630人間七七四年:2012/03/21(水) 13:07:48.27 ID:FBESue8d
>>627
折れないとは言うておらんが、替え鑓のある名のある武士ならともかく、足軽が鑓が
途中で折れたら単なる棒棒と化した手元の柄と、鑓先(しかもかなりの柄付き可能性大)の
どちらを持ち運ぶかを考えてみような。

>>628
切り落とされないために鑓は茎が少なくとも刀身と同等、普通は2〜3倍あるわけだが。
袋鑓や茎の短かった鑓の発生初期ならともかく、茎ごと刀で切り落とすなんてのは非常に
困難だし、そもそも刀で鑓と渡り合うなんてのはすでに危機的な状況だろ。
631人間七七四年:2012/03/21(水) 13:10:20.38 ID:FBESue8d
>棒棒

大事なことなので、じゃなく単なるペーストミス。
632人間七七四年:2012/03/21(水) 14:06:05.29 ID:s/1oHk8j
http://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/054/

>流祖・佐々木哲斎徳久は槍の名手であり、関ケ原の戦いにおいて、九尺の槍を使い激戦中槍先が折れ、柄をもって奮戦。



持ち運ぶのは棒棒ですね、わかります。槍足軽だって穂先がついた短い鑓でなく
号令に合わせて叩く戦術のために長い柄を選ぶだろうよ。
633人間七七四年:2012/03/21(水) 14:22:59.47 ID:FBESue8d
うむ、>>632は何尺か足りない棒を持って、同輩の鑓襖の列から一人進み出て
勇敢に戦った足軽が前世なのはよくワカッタ
634人間七七四年:2012/03/21(水) 14:35:26.04 ID:kBRjxao5
>>631
ちょっと一杯やりたくなるじゃねぇかw
635人間七七四年:2012/03/21(水) 14:39:38.01 ID:F4eaYp3o
>>633
長さが足りない棒持って、槍衾に混じって形だけ振ってるけど届かないってのは実際ありそうじゃね
636人間七七四年:2012/03/21(水) 14:50:15.58 ID:FBESue8d
>>635
それはあるなw じゃ、632の前世はそれということで。

しかしまぁ、手柄もあげずに鑓先だけ無くして帰りゃ、殿様なり御館様なりに
どやされるのは必定なので、三八式歩兵銃ほどじゃないにせよ、鑓足軽も
折れた鑓先は探して持って帰ったんじゃないかね?
637人間七七四年:2012/03/21(水) 14:58:52.63 ID:gbl1YI+d
武器も自前だったりするから怒られはしないじゃね。自分が損するだけで。
638人間七七四年:2012/03/21(水) 15:16:44.64 ID:FBESue8d
>>637
一領具足みたいなのじゃなく、御貸しの揃い鑓の話ね。
639人間七七四年:2012/03/21(水) 15:55:10.81 ID:s/1oHk8j
>>636
お前の説だと鑓を折った足軽は少し柄のついただけの穂先を持って何してるのかね?
武器無くしたことを怒られるのを防ぐため穂先を持ってそのまま本陣に撤退?
それと槍の折れた足軽はすべて探して回収?
一刻を争う戦場で何バカなこと言ってるんだ?つかいきなり前世とかわけわからんこと言い出して
なんか薄気味悪いわw
640人間七七四年:2012/03/21(水) 21:31:59.54 ID:FqQjEy77
>>625の話が議論になるほどの話とも思えんのだがw
要は戦場稼ぎと同じ要領だろう?
問題があるとすれば、他の戦場稼ぎの縄張り絡みの利権争いだろうがな。
641人間七七四年:2012/03/23(金) 23:59:18.45 ID:Vd0rDICZ
農民だって争い事はあるわけだから、竹槍なんかよりちゃんと刃物の付いた槍の方が良いに決まってる。
刃物部分を戦場とかで拾ってそれを適当な棒に繋ぎ合わせた簡易な槍が存在してもおかしくない。
642人間七七四年:2012/03/24(土) 00:15:01.14 ID:fl4hPyXn
当時は武器も自弁が原則。
農村でもちゃんとした武器を山ほど持ってた時代。
643人間七七四年:2012/03/24(土) 01:17:52.23 ID:bUQ5Oc/6
で、刀は没収されたが槍は没収されてない
644人間七七四年:2012/03/24(土) 08:36:46.35 ID:sbmYM6C0
つーか刀狩りも嘘だぞ。あれはあくまで表面上だけの話で、豊臣末期や江戸初期の一揆や村同士の紛争でも、
普通に刀、槍、鉄砲で武装しておる。
645人間七七四年:2012/03/24(土) 08:59:52.41 ID:dpTKRXsO
フロイス『日本史』
・関白のこれらの役人が徴収した刀・脇差・槍・鉄砲・弓・矢は、長崎の村で発見されただけでも、
刀剣が四千振り、槍が五百本、弓が五百張以上、矢は無数、鉄砲三百挺、および鎧百領以上(に達し)、
有馬領からは、一万六千以上の刀剣と、その他無数の武器が(徴収された)。
646人間七七四年:2012/03/24(土) 09:20:04.12 ID:sbmYM6C0
>>645
そりゃ天草一揆の結果としての武器没収だろ。
それにそれだけやっても島原の乱じゃみんな武装してるし。
647人間七七四年:2012/03/24(土) 13:48:08.44 ID:a/kwAmV9
貴様は関白の二文字が読めぬと申すか
648人間七七四年:2012/03/24(土) 17:02:11.77 ID:sbmYM6C0
>>647
天草国人一揆 :天正17年(1589年)

秀吉が関白位を秀次に譲り太閤となる :天正19年(1591年)

何か問題が?
649人間七七四年:2012/03/24(土) 17:32:42.30 ID:fl4hPyXn
天草一揆だと島原の乱の別名になっちゃうからな
勘違いする人も居るだろう
650人間七七四年:2012/03/24(土) 17:45:05.34 ID:fl4hPyXn
話がずれて来てるけどついでに言うと
研究者が刀狩に「農村の武装解除」という言葉を当ててるから勘違いされるわけで
(勘違いしてる研究者もちらほら居るけど)
武装権を剥奪されてる訳ではないので、
実態は「農村の軍縮」であった。とすれば理解しやすいやね
651人間七七四年:2012/03/24(土) 18:17:05.46 ID:dpTKRXsO
>>648
問題があるとすれば、フロイスはこの段において秀吉が関白ではなかった1592年のことであろうが
関白と呼んでいることと、>>645の武器没収が>>646のいう天草一揆の結果ではないってことかな。

中央公論社版フロイス日本史の182〜183に載ってるからちゃんと自分で見てみるといいよ。
652人間七七四年:2012/03/24(土) 18:17:50.78 ID:dpTKRXsO
日本史の12巻ね。失礼。
653人間七七四年:2012/03/25(日) 07:53:27.18 ID:TCC+JbNa
まあ、その辺は主観と後付けも混じっているだろうから細かいツッコミいれても…w
654人間七七四年:2012/03/26(月) 11:36:42.76 ID:DwWnvvex
>>644
江戸中期以降も数十万丁の鉄砲が民間にあったよ
主に農家の防獣駆除でね。
対馬藩など百姓に火縄銃を持つよう奨励していたところもある。
655人間七七四年:2012/03/26(月) 12:13:45.45 ID:0wygUEzh
>>654
必要に応じて藩から貸し出される鉄砲もあったんじゃなかったっけ?
656人間七七四年:2012/03/26(月) 19:00:27.10 ID:xgEBtwIE
幕末の幕府領だと逆に領民から猟師筒を借り上げる例があったそうな。
657人間七七四年:2012/03/28(水) 11:14:31.86 ID:lDDfOlAu
幕末あたりだと鉄砲も武士の「習い事」になっちゃってそうw
658人間七七四年:2012/03/28(水) 20:00:37.64 ID:ZbrdIg8I
>>654
ごんぎつねも鉄砲で撃たれて死んだしな
659人間七七四年:2012/03/28(水) 20:31:01.25 ID:4b5S4iXW
ちゃんと伝統のある火縄銃術は作法とかキチンと決まってるもんな。
今、日本各地にある火縄銃隊のほとんどは観光用に「復活」させたもんだけど。
他所の火縄銃術をコピって、僅かな資料から付け足してオリジナルと主張。
660人間七七四年:2012/03/28(水) 20:32:13.72 ID:JasWW2Fc
ごんぎつねと泣いた赤鬼の話はやめろ
661人間七七四年:2012/03/28(水) 23:10:20.22 ID:mwVDf6KF
意外と藤木氏の『刀狩り』は読まれてないんだな。
662人間七七四年:2012/03/28(水) 23:47:50.38 ID:lDDfOlAu
小中学校の時に間違った歴史教え込まれるからねw
そこで止まっちゃう。
厳密に言えば、子供向けに分かりやすく端折ったものなんだろうけど。

他にも世界史のカノッサの屈辱とかマグナカルタとか。
663人間七七四年:2012/03/29(木) 00:00:05.05 ID:930OAexi
>>657
武士の修めるべき七武芸(だっけ?)のひとつに入ってたりする。
664人間七七四年:2012/03/29(木) 00:56:23.53 ID:5b5Hm32w
鉄砲も武芸百般のうちの上位だっけか。馬上弓と馬上槍が最上位だった記憶があるが。
665人間七七四年:2012/03/29(木) 03:03:26.36 ID:xzs8aSIy
弓は源平以来、鑓は戦国以来の伝統だしな。

鉄炮は、島津みたいに士筒を持つような例外を除いては下士、雑兵の
領分という意識が幕末に至るまでは普通じゃないの。
666人間七七四年:2012/03/29(木) 03:09:19.51 ID:+dDRRvpH
砲術流派もいろいろあるけど戦国期の実用に間に合ったのはどれくらいあるんかね
667人間七七四年:2012/03/29(木) 08:58:19.90 ID:kGc99C1+
>>665
『雑兵物語』にも「持筒」は出てくる。
668人間七七四年:2012/03/29(木) 18:31:18.39 ID:Hhu/3HTZ
鉄炮は足軽の武器というも、戦国時代の間違った認識の良くある例だな
669人間七七四年:2012/03/29(木) 19:54:09.12 ID:VCSQt/J6
>>662
西欧史に関しては学校で教える95%が間違ってるしな
670人間七七四年:2012/03/29(木) 22:24:52.30 ID:YAJE7KrI
プレートアーマーも実戦用の奴はもっと軽かったしな。
671人間七七四年:2012/03/29(木) 23:18:24.88 ID:6+iZQ4Zr
>>666
稲富流
672人間七七四年:2012/03/30(金) 10:21:00.31 ID:UrzH78mY
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg516.html

雑兵物語
持筒  筒平

此おれがひつ擔だ鉄炮は、自分ではじくべいとはおもわぬ。
旦那の御手筒だ所で、口薬入も首にひつかければ鞘がよごれて、
旦那の襟にひつかくる時慮外だ。
673人間七七四年:2012/03/30(金) 10:43:11.59 ID:H5cI9xU1
侍筒とも言うが
足軽用の鉄砲より大口径で破壊力重視
674人間七七四年:2012/03/30(金) 23:58:31.88 ID:wZk+ETaS
>>66
騎馬組のいわゆる騎士身分も装備品に鉄砲を持っていることは多いよ
平井山合戦では、別所方の近習150騎が馬上から10mの距離で一斉射撃し
秀吉方の騎馬150〜160人を撃ち落したとあるね。
675人間七七四年:2012/04/01(日) 07:37:39.58 ID:d8D05ZGy
播州三木にも騎馬鉄砲があったということか。
676人間七七四年:2012/04/02(月) 08:52:48.88 ID:wWMJddC5
鈴木説はニュース系のところではまだまだはびこってるな。
死体の首を取るのにあんな長いモノを腰に差していったのか。

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1333238455/

421 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/01(日) 13:46:42.51 ID:ZUL1dFJH0
実際、戦国時代でも刀なんて死体の首を切る以外ではまず使わなかったらしいじゃないか
677人間七七四年:2012/04/02(月) 09:55:52.88 ID:sOnKEmEO
νカスや嫌儲はアフィ糟を嫌いながらその実アフィ糟に踊らされるバカばっかだからしょうがない
678人間七七四年:2012/04/04(水) 14:43:14.16 ID:bu/FRUmm
B層ってやつかね
679人間七七四年:2012/04/15(日) 21:02:52.61 ID:5ejUnpSf
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1333289289

ここにもいるよ。刀と槍に拳銃と自動小銃ほどの差なんてないってのに。
680人間七七四年:2012/04/15(日) 23:47:14.53 ID:mgM8Kbd0
無理に現代兵器に対応させればアサルトライフルとカービンかSMGくらいの差かな
まぁ差というか使いどころが違う
681人間七七四年:2012/04/16(月) 02:10:35.32 ID:e9cxLw53
>>679
すげー。こんな天然モノは久々に見た
682人間七七四年:2012/04/16(月) 06:39:54.65 ID:BiP4wWAP
そもそも武士の使う手槍と太刀はそこまでリーチに差がないしなあ。
大太刀だと手槍より長かったりw
683人間七七四年:2012/04/16(月) 08:49:10.14 ID:URTJD1L9
何が強いかは、結局は誰が強いかになっちゃうから不毛なんだよな。
「ボクが考えた最強武将ランク」とかにしかならんわなw
684人間七七四年:2012/04/16(月) 10:39:05.71 ID:e9cxLw53
>>682
そもそも刀は鎧に対して無力と言う一方で、刀より
鋼の部位が少なく細い槍が有効とする理屈がわからない。
そもそも鎧が切れないから刀は役に立たないという理屈がわからない。
685人間七七四年:2012/04/17(火) 14:30:11.96 ID:CZw1EhxB
刀で斬れない貫通できないものは、槍でも斬れない貫通できない。
所詮は動物最弱クラスの人間だもの。
686人間七七四年:2012/04/17(火) 17:30:42.02 ID:sA/PFRdj
太刀は、斬る、突く、殴るとなんでもできる万能兵器なんだよな。
そもそも足軽の使うような長槍は実際の乱戦になると役に立たない。
ちゃんとした侍は、槍を使うにも短めの手槍を使ったことからもそれはよく分かる。
687人間七七四年:2012/04/17(火) 17:34:08.46 ID:9GC83tUL
持ち槍と手槍は違うもんだぞ
688人間七七四年:2012/04/17(火) 18:17:30.78 ID:EbGvjHfA
>>687
なんか雑兵物語の足軽の口調みたいで笑ってしまったw
689人間七七四年:2012/04/17(火) 19:09:07.96 ID:poSTkfpr
乱戦になったら槍ではなく刀を使うべえ
690人間七七四年:2012/04/18(水) 16:34:01.84 ID:anWr8Z/s
『武功雑記』
・刀のそりよきころなるはあたりつよし、高麗陣に加藤肥後守、軍兵どもの
てきをきりあぐみたる時、肥後守いさましめて、馬上にて幾人きりたをし候や、
かぞへみよと申さるに、刀の直なるにてはあたりよはくて敵たをれず、
そりたるにてはきれずといへどもたをれぬはなし
691人間七七四年:2012/04/19(木) 04:13:32.65 ID:y+9nf5sh
>>515
騎射は、人数が多く、戦闘の激しい時代になると身を護る実用性が低いから、
廃れたんでないか?

那須与一のような当たらなそうな的を、
「願掛け」して神に祈り、
当てることで、
神のご加護を証明する。
自分達は加護を受けているんだ、と雑兵を味方に付けて煽る。

鎧兜を目立たせて戦場に出るのも、
勝てば神の加護と正当性として現れてくるから。

謙信はソレが行き過ぎて自らが「毘沙門天」だと言ったらしいね。
俺が神だから先頭で突っ込んでも死なないってこと。
692人間七七四年:2012/04/19(木) 07:01:51.74 ID:1BHgm9bA
大陸みたいにだだっ広い平野部で戦やるならモンゴルみたいな集団騎射戦術も生まれたのかも知れんけど。
日本で平らな土地あったら、まずは田んぼにしそうだがw
693人間七七四年:2012/04/19(木) 07:23:52.86 ID:ozqURuq1
>>515
>>691
端的に言うと、

・馬上騎射は実際には先ず馬を狙っていたのだが、南北朝期には馬鎧が普及して、人間の鎧の進歩もあり
致命傷を与えにくく成ったこと。
・そしてその影響もあって、騎射はそもそも、馬の機動力を利用してある程度敵に接近して攻撃する兵種だったが、
ダメージを与えにくくなると太刀、薙刀、持ち槍などの「馬上打ち物」を使う騎兵にカウンター攻撃を食らうように
なった。一回射るとどうしても隙ができるしね。
・さらに遭遇戦から要害をめぐる戦いに合戦内容が変化し、弓も攻城戦のためのより強力なものが求められ
馬乗で射つには適さなくなっていったこと。(弓射の徒歩化)

まあざっと上げると騎射の減少はこんなところが理由とされているな。
694人間七七四年:2012/04/19(木) 12:55:11.06 ID:npOL24N5
端的に言ゃ、まず合戦参加兵力の増という量的な問題で、それに加えて末尾にあげた
城砦の発達による戦闘様式の変化だろ。
695人間七七四年:2012/04/28(土) 14:32:57.88 ID:pp3brItj
いくさ(戦)といえば、野戦を連想しやすいが、
実際のほとんどは城攻めだろ。
696人間七七四年:2012/04/28(土) 23:00:03.94 ID:PNZNASJF
野戦は攻城戦の前哨戦だから切り離して考えるべきじゃない。
697人間七七四年:2012/05/01(火) 07:08:36.64 ID:6GkF+hk0
鈴木真哉先生って日本史界の織田信長ではないか?

合理的思考を武器にこれまでの胡散臭い通説(講談・小説由来)を次々と撃破し、
新説を広めていく

古いやつら(斯波・斉藤・今川・武田・浅井・朝倉・比叡山・本願寺・上杉・毛利・・・)
を次々と撃破していった織田信長のようだ

日本史界の天下布武・天下統一は鈴木真哉先生によってなされるであろうと思う
698人間七七四年:2012/05/01(火) 07:41:45.65 ID:ftkgtx62
こういう露骨な釣りが来るのも、いかにもGWだな。暇なんだなあ。
699人間七七四年:2012/05/01(火) 08:08:16.46 ID:TB+tvX3l
信長は旧勢力に次々と革新的プロテクノチュート軍団(笑)を撃破されて
死んでいった天才的革命クラスの戦下手
700人間七七四年:2012/05/01(火) 11:04:07.79 ID:iOv/PzzR
プロテクノチュートってなんだ?エスペラント語?
701人間七七四年:2012/05/01(火) 15:36:07.34 ID:2TClR7vx
豚モモ肉のハムじゃないか?
702人間七七四年:2012/05/01(火) 17:23:24.62 ID:2Ubj52zc
>>697
確かに負け戦が多いのは共通しているな
703人間七七四年:2012/05/01(火) 19:48:58.23 ID:kX72XzrT
いいからセンゴクスレに帰れよw
704人間七七四年:2012/05/06(日) 00:29:20.10 ID:gBEmUnDC
こっちのスレだと騎馬武者否定説唱えてる人目立つな。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
705人間七七四年:2012/05/06(日) 08:27:40.99 ID:cXPQZM+p
>>704
お前はどういう目をしてるんだ?
706人間七七四年:2012/05/06(日) 14:18:26.17 ID:gBEmUnDC
>>705
>>226以降の流れ。
707人間七七四年:2012/05/06(日) 14:38:40.26 ID:nEp3BZYu
三〜四年くらい前まではまだそんな感じだったんじゃね?
あらかた論破されて消えたみたいだけど。
拘っている人なんてもういないでしょ。
708人間七七四年:2012/05/07(月) 11:57:43.21 ID:+/coc1a7
今じゃ鈴木説が出ると速攻でツッコミが入るようになってきてるからなw
709人間七七四年:2012/05/07(月) 13:08:15.47 ID:6+H2jp22
・体高が平均130cm
・蹄鉄や去勢の習慣がない
・明治時代の騎兵隊設立までの経緯
・外国人の「日本の馬は軍事用に向かない」系の記録
・集団運用の訓練をした記録がない

以上の理由により日本に騎馬隊は存在しない
ってのが鈴木信者の根拠だったな。
あとなんかあったか?
710人間七七四年:2012/05/07(月) 14:50:40.44 ID:MWQU8A8z
騎乗した侍だけを抽出し従わせる権限が大名にも無い
711人間七七四年:2012/05/07(月) 23:41:17.81 ID:1yGjCPR2
ルイスフロイスが日本では馬から下りて戦うと言ってる
712人間七七四年:2012/05/08(火) 02:53:37.84 ID:3svO5PpS
馬は臆病な生き物で火縄銃の音を聞いたら暴れだす
713人間七七四年:2012/05/08(火) 06:15:39.32 ID:LSLmcgwL
もうことごとく鼻で笑うネタばっかりだなw なんでこんなのに説得力があると思っちゃったんだか。
714人間七七四年:2012/05/09(水) 00:08:01.70 ID:/4IcNFa2
そりゃ現代人にとっちゃ馬=競争用のサラブレッドだもんw
715人間七七四年:2012/05/09(水) 11:13:18.51 ID:uI48WYY3
戦前の車が特権階級の持ち物とか、お抱え運転手が普通とか、車道が非舗装とか今の若人には理解出来ないしな
ましてやそれが四百年以上前となると
716人間七七四年:2012/05/09(水) 11:32:57.08 ID:7SXxCHhZ
洋書→翻訳物の前近代の軍事史関係の書物でも、軍馬をサラブレッドと書
いているのもあったりする。
原書にそう書いてあるのか、翻訳者が間違えているのかはわからないが、
それだけを読むと16〜17世紀にも現代と同じサラブレッドが存在していた
のかと思わされる。
717人間七七四年:2012/05/09(水) 11:49:39.55 ID:+wtecscM
洋軍事書翻訳は誤訳の宝庫w
718人間七七四年:2012/05/09(水) 21:45:24.46 ID:vO8vbmYF
>>712
マスケット銃が同時代の欧州にはあって、欧州では騎兵があったよ、と言ったら、
鈴木信者に、マスケット銃の音は、火縄銃に比べて遥かに小さく、無音に近い、と反論された。
マスケット銃って、サイレンサー付きだったんだろうか。
私にはとてもそうは思えないのだけど。
719人間七七四年:2012/05/09(水) 23:37:07.34 ID:jnMBblIO
反論がおかしなヤツは確かにいたな。
鈴木も参考として引いている宣教師の報告に日本刀の活躍がいっぱい出てくると
教えてやったら、イエズス会は商人だから日本刀を商品として扱ってたんだろ、
だから売るために大げさに書いてたんだ、みたいなこと言われて唖然としたわw
720人間七七四年:2012/05/10(木) 00:40:24.23 ID:L6RC471Y
>>716
だからサラブレッドの足の脆さ舐めんなって。
サラブレッドを軍馬にするだなんて、マラソンランナーに
キックボクシングやらせるようなもんだぞ。
721人間七七四年:2012/05/10(木) 02:17:24.48 ID:4ogxsfHj
そもそもサラブレッドそのものが18世紀に競馬のためだけに作られた、小回りすら利かないという品種
ヨーロッパでもっぱら用いられた軍馬は、もっとでかい
722人間七七四年:2012/05/10(木) 08:07:27.46 ID:3Za1V0RJ
>>721
巨大な軍馬はフルプレートアーマーが登場した後だろ。
馬に乗るのにロープで引き上げてもらわないと駄目なレベルの。
あんな奇形化した鎧をまとうのが前提の騎士なんて実戦性がまるでない。
723人間七七四年:2012/05/10(木) 08:32:54.26 ID:Bs/j0ppz
日本のものより小型の北欧の馬を駆る騎兵が名を馳せてる時点で
日本の馬がサイズ的に騎兵に向かないなんてのは成り立たないわけで。
724人間七七四年:2012/05/10(木) 20:57:25.59 ID:L/pvefck
>>723
余り強く言うと、日本の馬は虚弱云々に転がりそうだしな、対応がつらくなってくる。
ユーラシア大陸に名をはせたチンギスカンのモンゴル騎兵が乗っていた馬も、日本馬と大したサイズ差はないのだが。
更に西部劇に出てくる馬も、史実重視だとポニーが主役で、日本馬と同サイズなのだが。
日本人より体格が大きい西部劇時代の白人がポニーを主に乗っていたのに、
日本馬に日本人が乗るのは無理、というのはありえない、と私には思えるな。
725人間七七四年:2012/05/10(木) 21:02:24.31 ID:L2SdEhXm
まだ、722みたいな馬鹿がいるんだなw
こういう奴が必死で鈴木は馬鹿と言ってるんだから笑えるw
726人間七七四年:2012/05/10(木) 22:59:14.40 ID:g/J4N0lY
お、久々に絶滅危惧種が姿を現したな。
どうせ尻尾撒いて逃げ回ることしか出来ないんだから
ひっそり暮らせばいいのに
727人間七七四年:2012/05/10(木) 23:55:56.22 ID:JQ5ooD7Y
>>724
というか日本馬は大陸から移入した蒙古馬。
もともと日本にいた野生馬は数十万年前に絶滅し、弥生時代に再び人為的に入ってきた。
728人間七七四年:2012/05/11(金) 00:01:40.68 ID:6gbDb5D/
魏志倭人伝に日本に馬おらんって書いてあるからそれ以降の持ち込みだよ
729人間七七四年:2012/05/11(金) 00:19:21.43 ID:6nngprm1
海外のフォーラムで、騎馬戦闘は無かったってセンゴクが引用されてたw
海の向こうでは戦国時代の情報不足で、長槍足軽すらほとんど知られていない。
備で列を組んで戦っていたことはまったく知られていない。
ほんとにひでえなと・・・
730人間七七四年:2012/05/11(金) 00:41:49.75 ID:y+gdF2rD
それでもまあ、16世紀に日本という国が存在した事を
認識してるだけ向こうの連中のなかではマシな方だよ。
冗談抜きで、日本が150年前にいきなり石器時代から近代に超進化したと信じてるアホも多いし。

センゴクは所詮、底辺DQN御用達雑誌で連載してるからなあw
731人間七七四年:2012/05/11(金) 00:49:30.62 ID:6gbDb5D/
鈴木の海外進出チャンス?
732人間七七四年:2012/05/11(金) 01:08:30.34 ID:dJEQD8+h
10年前の日本でも備は殆ど知られていなかった
wikiに項目ができてからじゃない?備が知られるようになったのは
733人間七七四年:2012/05/11(金) 01:31:49.78 ID:vilRTV4f
まあ40年より前は学者ですら電波飛ばしてたんだしな
外国の歴史に関しては今でもお花畑史観と暗黒史観で電波飛ばしまくってるがw
734人間七七四年:2012/05/11(金) 01:59:49.63 ID:y+gdF2rD
>>732
不勉強で済まないが、備について詳しく書いてある一次史料って何があるかな?
ウィキペの記事には出典が記されてないから。
735人間七七四年:2012/05/11(金) 02:35:30.38 ID:6nngprm1
>>734
備は各大名、藩によって編成は異なるから
個々の軍役状や陣立で知ることができるよ。

例えば1577年に北条氏直が岩付衆にあてた御朱印状(出典:歴史群像アーカイブ)。
このとき宮城四郎兵衛個人に届いた着到状では、
騎馬8騎(含本人)、槍17人、歩者4人、旗持4人、鉄砲2人、弓1人連れて来い、と動員が割り当てられてるんだが、
備を編成する段階では、武田氏と同様に一旦バラバラに解体され
槍600、騎馬500、歩者250、小旗120、鉄砲50、弓40、と兵科ごとに奉行が割り当てられ編成されてる。
736人間七七四年:2012/05/11(金) 03:20:25.93 ID:y+gdF2rD
おお、レスとんくす。
737人間七七四年:2012/05/11(金) 07:47:31.51 ID:QjvCTjEH
地味に騎馬の比率がすごいことになってるな
738人間七七四年:2012/05/11(金) 09:03:15.55 ID:dJEQD8+h
>>734
前橋藩「日本近世国家史の研究」
彦根藩「赤備え」
尾張藩「名古屋城並尾張藩国防の研究」
739人間七七四年:2012/05/11(金) 15:14:30.95 ID:GcFl8uGn
>>729
漫画ソースってvipの厨房並みかよww
740人間七七四年:2012/05/11(金) 15:18:25.52 ID:UuWEQ4yL
そのセンゴクも最近じゃ馬に乗って刀振り回して戦争してるシーン多いけどねw
741人間七七四年:2012/05/11(金) 18:05:16.73 ID:c0MzwOs8
昔の戦争って兵隊が各種工具や炊事道具を持ってないとダメなんじゃないかと思ったりもするんだが・・・

専門にやる連中を連れてきてそいつらに持たしてんの?

・ノコギリ 木を切って柵・盾・はしごを作る
・スコップ 炊事用や便所用の穴を掘る 堀を掘ったり埋めたりする 山城を築く
742人間七七四年:2012/05/11(金) 18:14:23.15 ID:GcFl8uGn
それは荷駄隊の仕事では?工兵的な任務もあったらしいし。

蜂須賀家はこんな工具兼用の刀を持たせて陣地攻略に
役立てたようだけど。
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/furusato/020507.htm
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/furusato/image/0507F.JPG
>海部刀を振りかざした蜂須賀軍は敵の陣地をなぎ倒し、
ふところ深くまで斬り込みました。
蜂須賀軍は、斬り合う刀で敵の要塞の壁や
柵の破壊もおこないました。
海部刀は、まさに戦のなかでその力を最大限に
発揮するよう、つくられていたのです。
743人間七七四年:2012/05/11(金) 18:20:42.33 ID:FpwYnF0T
基本的には人夫(陣夫)の仕事だな
必要に応じて足軽はもちろん武士でも手伝うが
744人間七七四年:2012/05/11(金) 18:46:26.78 ID:CHpnVP36
基本は夫丸とか非戦闘の労役要員だわな
745人間七七四年:2012/05/11(金) 19:11:40.40 ID:y+gdF2rD
>>741
武田の金堀衆なんかが有名だけど、そういう工作専門の部隊もあったよ
746人間七七四年:2012/05/11(金) 20:08:50.87 ID:ogYn6bCV
そういう工兵部隊を最初に組織したのは今川氏親かな?
747人間七七四年:2012/05/12(土) 03:41:12.87 ID:droUnnNW
>>740
センゴクは初期以降は極論を避けて軌道修正してるよな
748人間七七四年:2012/05/12(土) 04:25:11.62 ID:WrGQwVRb
鈴木に踊らされたな
749人間七七四年:2012/05/12(土) 07:06:02.72 ID:icOZBnF2
鈴木説が誤りなら、じゃあ誰の説が正しいのかね?
750人間七七四年:2012/05/12(土) 07:30:38.13 ID:9mVx6n/W
東スポさんは見出しに「カッバ発見!」とか書いてるけど、本文意訳する
と「カッバなんかいねーよw何本気にしてんだよマジウケるwww」とか
草はやして喜んでるようにしか読めなかったりする。
まあ、見出しだけ読んで本気にする人がおかしいだけなんだが。

絵描きとして当時の絵画資料漁れば、自然と疑問に感じてしまうんじゃな
いかな?>センゴクの作者
751人間七七四年:2012/05/12(土) 07:36:11.58 ID:1JFeruxf
> 鈴木説が誤りなら、じゃあ誰の説が正しいのかね?

「誰」とか言ってる時点でダメだわ。思考を人任せにしてる。
戦国史研究の主流説を丹念に自分で調べろ。
752人間七七四年:2012/05/12(土) 20:46:48.70 ID:BP072O82
>>750
当時の人間が記した文献にも出てくるしねえ。

『信長公記』
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、
蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、
馬上より数多切り捨て候なり。
753人間七七四年:2012/05/13(日) 11:55:50.51 ID:cqaUAUq5
うんぽ 2011年05月16日 08:03
また血油で切れなくなると言うが
そういったときは一度鞘に刀を納めることによって解消する
数人切ったら素早く一度鞘に刀を納め
抜き様にまた切りつける

居合いで抜き身の刀が死に剣だというのは
抜いて一度切りつけた刀をそのまま使うのは
刀の切り味を損ね死んだ刀になるという意味もある

現代の人を切ったことの無い人間は言葉を哲学的に捕らえ
勘違いしている
剣術とは如何に効率よく人を切り殺すかといった
いたって単純なものである
754人間七七四年:2012/05/13(日) 13:20:24.84 ID:axcV8hnD
そもそも血脂で云々が真実なら槍や薙刀だって
血脂ついて斬ったり突き刺したり出来なくなるんちゃうんかと。
755人間七七四年:2012/05/13(日) 16:46:51.08 ID:w7Q4s7/v
鞘の中で刀が触れるのは切っ先とハバキの部分だけだぞ。
納めたくらいで血なんか取れるかよ。
756人間七七四年:2012/05/13(日) 17:15:50.92 ID:AHxSSwgY
つーか、血に汚れたまま鞘に納めたら、血と脂が刀全体に延ばされて、かえってひどいことになるよね。
757人間七七四年:2012/05/13(日) 18:25:03.17 ID:xbErnPV6
ああそうだな、叉焼を切った包丁と同じ様なことになるな
>>756は刺されたらふつうに大怪我するが
758人間七七四年:2012/05/13(日) 19:38:12.79 ID:I1Y8GKen
鞘に納める前に、血や脂はぬぐうのが普通と思っていたが。
759人間七七四年:2012/05/13(日) 22:13:19.67 ID:axcV8hnD
剣豪なんかが人斬った後に懐紙で刀拭くのも時代劇の創作なのですかっと。
760人間七七四年:2012/05/14(月) 09:45:03.45 ID:NLSL/lsp
刀は血や脂ですぐ錆びるんだよな。百人斬りなんかも斬ってる最中に錆びてくるから
実際は無理らしい。

49 :おたく、名無しさん?:2012/04/29(日) 16:46:50.59
日本刀って手入れをおこたらなかったら
20人ぐらい斬れるらしいななまくら刀ならすぐ
さびてつかいものにならなくなるらしいが
それと血油で斬れなくなっても手入れすれば
また斬れるようになるらしいな
でも百人切りはむりらしいさびるから
761人間七七四年:2012/05/14(月) 16:29:08.25 ID:cK9JxKjg
ネタ振りもいいけどさすがに連発されるとなぁ
762人間七七四年:2012/05/14(月) 16:56:36.64 ID:RKuDsma0
人間の血ってすごいですねえ・・・
763人間七七四年:2012/05/14(月) 17:03:21.44 ID:hAJjWPbG
硫酸かなんかが循環してるんじゃね
764人間七七四年:2012/05/14(月) 17:20:01.84 ID:uevJcaQ8
実験で何回でも斬れてたって何度も言われてるじゃんw
765人間七七四年:2012/05/14(月) 17:23:50.59 ID:RLlht0cO
見た目ど真ん中ストライ〜クのソープ嬢を妊娠させたくてたまんねぇ
嫁にして子供産ませてぇ〜
766人間七七四年:2012/05/14(月) 22:08:20.46 ID:0/1AESzc
人間「キシシャー」 こんな感じ
767人間七七四年:2012/05/15(火) 00:12:05.80 ID:aetGWdAo
つまり総合すると、瞬く間に刀を錆びさせるような血がついた刀も
そのまま鞘に納めると不思議なことにまた元の切れ味になる、というわけ。
768人間七七四年:2012/05/15(火) 03:11:26.89 ID:jimb5Nta
>>767
そもそも数時間程度で錆びるなど物理的にありえんからな・・・
769人間七七四年:2012/05/15(火) 04:42:15.13 ID:Ogg6pt2E
とりあえず、釣られやすいのが多いのはわかる。
770人間七七四年:2012/05/15(火) 08:45:49.94 ID:5i+5nnSQ
調べてみると元スレがアホばかりだから別に釣りってわけでもなさそうだな。
771人間七七四年:2012/05/16(水) 02:15:57.06 ID:tMrT0nmD
世界史板の鎧スレがアホの宝庫でござる
772人間七七四年:2012/05/16(水) 20:25:25.89 ID:7YQu4pYZ
また鈴木さんが本を出しました。

ttp://www.yosensha.co.jp/book/b100757.html
773人間七七四年:2012/05/16(水) 20:32:03.53 ID:tMrT0nmD
むしろもう誰かが「鈴木眞哉を斬る!」って本でも出した方がいんじゃね?w
774人間七七四年:2012/05/16(水) 20:54:43.45 ID:maRbswRy
立ち読みするかw
煽り屋としては優秀だよな
775人間七七四年:2012/05/16(水) 22:38:37.48 ID:rveLLyxN
確かに全盛期はね。
今は煽り屋としても正直出がらしじゃない?
776人間七七四年:2012/05/16(水) 23:11:04.64 ID:G8LmGvRA
おんなじ主張繰り返すだけだからね
777人間七七四年:2012/05/17(木) 05:31:07.01 ID:guXktNPf
年寄は何度も同じ話ばかり繰り返すよね
778人間七七四年:2012/05/17(木) 15:14:07.16 ID:TPyUrx5g
刀の切れ味を落とすために油を流したりするシーンって何?
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/otaku/1332316430/

63 :おたく、名無しさん?:2012/05/17(木) 11:22:01.33
肉屋で買った肉を実験の検証に使うのはおかしくないかな?
食肉とされるものの全ては血抜きされているもので
生物を実際に切るのと条件が異なる

時代劇等で相手の刀の切れ味を落とすために油を流したり
するシーンがあるが理にかなっていると思う
カッターナイフでリスカしてる知人がいるんだが
血を拭かずにほっとくとすぐ刃が錆びていた
779人間七七四年:2012/05/17(木) 15:15:08.57 ID:MiYy4jIx
さすがにもういい
780人間七七四年:2012/05/17(木) 15:41:30.91 ID:s5K1xAE6
そもそも血や油で切れ味落ちる厨は
刀身に溝があるのは何のためだと思ってるんだよw
781人間七七四年:2012/05/17(木) 15:51:36.14 ID:MiYy4jIx
穴あき包丁と一緒で刺さった肉から抜きやすいようにだろ
血や油が関係あるのか?
782人間七七四年:2012/05/17(木) 17:58:45.55 ID:arNZ7xX5
鏃や刃物に溝を刻むのは血抜き目的
783人間七七四年:2012/05/18(金) 00:29:11.09 ID:FIg6zqhx
脂厨も大分減ってきたようだな。

「日本刀は人の油で切れなくなる」など デマに騙される人が増えたのはネットの大衆化が原因
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1337241285/
784人間七七四年:2012/05/18(金) 17:01:35.39 ID:0MtzHvau
フロイスさんは日本の馬を酷評したけど、同時代の西洋の馬ってどんな感じ?
まさかグスタフアドルフのちっこい馬が基準ってこともないだろうし
スペインやフランスではもう少しデカい馬が産出してたんかね?
785人間七七四年:2012/05/18(金) 17:03:03.25 ID:3DKM1AwS
酷評してないけど
786人間七七四年:2012/05/18(金) 17:27:40.32 ID:0MtzHvau
「我々の馬は大きく美しいが日本の馬ははなはだ劣っている」
「我々の馬は走っていてもぴたりと止まるが日本の馬はひどく暴れる」
787人間七七四年:2012/05/18(金) 17:29:56.24 ID:3DKM1AwS
ああ、そこら辺ね、他のところも読めば分かるけど
フロイスさんフィルターきついからあまり真に受けても
788人間七七四年:2012/05/18(金) 17:58:56.12 ID:0MtzHvau
フィルターというと?
789人間七七四年:2012/05/18(金) 18:11:04.35 ID:SapKiZvq
府中城内だけでも少なくとも30000丁の鉄砲がある
790人間七七四年:2012/05/18(金) 18:22:05.61 ID:ZA0HUwD+
ネット時代になって
情報を取捨選択する必要があることには
みんな気付き始めたんだけど、

それでも誰か100%正しいことしか話さない人間がいるからそれを探す
という前提の人が多いよな
791人間七七四年:2012/05/18(金) 19:10:04.49 ID:mBUfNfS/
「鈴木説が誤りなら、じゃあ誰の説が正しいのかね?」みたいな人がいるからなw
792人間七七四年:2012/05/18(金) 19:40:53.91 ID:bYkU+Jpv
750 :人間七七四年 [sage] :2009/06/20(土) 01:07:18 ID:6UuzqP+c
中世の軍馬の大きさは、長い間議論の主題であった。伝説によれば、騎士の馬は頑丈な軍用馬であり、
これは、現代の荷馬車用の馬と同じぐらいの大きさがあったことを意味するが、そのような馬の遺物は
十四世紀以前には発見されていない。中世後期以前の考古学遺跡から出土した馬の遺物は、体高は、
せいぜい一四二・二センチであった。

J.クラットン=ブロック『馬と人の文化史』

752 :人間七七四年 [sage] :2009/06/20(土) 13:22:02 ID:6UuzqP+c
おまけ

 ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)は、彼自身体重が決して軽くはなかったが、王国全域にいる馬
の大きさや体力を改良することに特別な関心をもっていた。彼は一五三五年、実質上の土地所有者は、
一三二センチかそれ以上の雌馬を最低でも二頭は飼わなければならないという布告を出した。そして
一五四一年には、イングランド中部および南部の州の所有地では、一四二センチ以下の種雄馬の放牧を禁じた
793人間七七四年:2012/05/18(金) 20:22:01.29 ID:mBUfNfS/
つか、日本刀を使った事件が起きたからあちこちのニュース系の板で勝手な日本刀うんちくが
聞けて面白いww

http://is.2ch.net/?ie=SJIS&q=%93%81
794人間七七四年:2012/05/18(金) 21:26:04.50 ID:3DKM1AwS
>>788
基本的にフロイスも西洋人至上主義者であり、日本人に嫌悪感を持っていたことと。
ヴァリニャーノのフロイス評にあるように誇張癖のある人物でことと
最大のところは「蛮地」である日本を教化すべく派遣された、
宣教師という立場で書かれた報告書の記述であること等に
公平な第三者とはとてもいえる人物ではないので注意して読んだ方がいいよということやね
そもそも少年時代にアジアに移り住んだフロイスのヨーロッパ評も何処まで信用できるか
795人間七七四年:2012/05/18(金) 22:04:41.55 ID:bYkU+Jpv
614 :S字型金具 :2011/02/19(土) 01:31:36 ID:hlQDpnLA
1548年(天文17年)、ゴアの聖パウロ学院長ニコラオ宣教師がインドに来た日本人(アンジロー)から聞き取った『日本の世俗的な事柄について』のインド総督宛ての報告書。

私が日本の情報について閣下に送付した第一の文書においては、甚だ簡略にですが、私はその土地において行なわれている宗教と神の礼拝に関する主要な事柄のみをいくつか書き認めました。
その他の世俗的な事柄は、私の職業にそれほど相応しくなく、また必要であると私には思われないため、余り熱心に知ろうとしませんでした。
しかし、閣下が、私が前述の世俗的な事柄に関して質問するように私に命じていますので、私はたくさんの恩義を受けている方に従わない訳にはまいりません。
閣下の質問、日本人の間に、戦いが行なわれるかということについて、彼(アンジロー)が言うところによると、 ・・・・・
日本には、鎖帷子、胸当、兜、頤甲及び腕章があります。
彼等はまた腿や脚部に鉄でできた具足を付ける習わしがあります。
彼等は、エスピンガルダ(小銃)、弓、矢及び槍を持っています。
彼等はまたたいそう幅が広くてかなりの長さがある一種の鉾をも所持しており、それは私達のものと同様に柄に付いています。
彼等は私達が片手や両手で剣を持っているように、小刀と大刀とを帯びています。
彼等には卵型の革製の盾はありませんが、その代わりに金属の薄片で被われた革を常用しています。
それは左肩の上に、そしてその箇所に楯の代わりに結び付けられます。それは長さ三パルモ(66cm)、幅はそれよりも少し短くなっています。そして、左手は戦闘のために空いています。
これらの日本人が戦争に赴く時には、土着の兵士(現地人兵士)は各々胸当、兜及び革のあの手楯のようなもの、刀、槍、弓矢を持っていきます。
彼等は武器を運搬するのを手伝う小者一人、あるいは、私達の間に見られるように、彼等の地位に応じてそれ以上の数の小者を連れていきます。
この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。
そして敵を幾人か殺した時には、その首を斬って大将のところへ持っていくのが習わしです。そして、首を持参することができない時には、勇しさの証拠及びしるしとしてその耳を切り取って持っていきます。
日本の馬は、私達の馬と同じほどの大きさでがっちりしており、フランスの馬に似て太い脚を持っています。領主達は自分達の牧場に飼育のために数え切れないほどの雌馬を持っていることを誇りにしています。
日本の船はすべて小型であり、その最大のものでもカラヴェラ船ほどであり、丈が短く、私達の船とは別の様式です。すべての船は櫂で漕ぎ、ござ帆を持っています。あの土地に見られる強い風の時には、投錨する度毎に帆柱がおろされます。
日本の商人達はシナ人達と取引を行なっています。彼等は日本からシナに銀、武器及び硫黄や扇子をもたらし、シナからは硝石や多量の生糸を持ってきます。また同様に陶磁器、水銀及び麝香の固まりをも持って来ます。
日本人達はまたシナの下方、東にあるコレー(高麗)と呼ばれる別の人びととも取引を行なっています。
彼等はそこにも銀や貂の皮を持っていきますが、それは、同島にはそれが多量にあるからです。彼等はまた扇子をも持参し、朝鮮からは綿布を招来してきます。 ・・・・・
この島のいくつもの地方に大量の銀があり、僅かではありますが、金山も幾つかあります。また多量の銅、鉛、錫、鉄があり、鋼鉄も非常に豊富にあります。また水銀若干量と硫黄がたくさんあります。 ・・・・・
796人間七七四年:2012/05/18(金) 22:08:32.89 ID:PygDFtWK
>彼等はまたたいそう幅が広くてかなりの長さがある一種の鉾

これは薙刀のことかな
797人間七七四年:2012/05/19(土) 00:36:30.80 ID:B+G0rVDs
>>793
腕切断くらいは素人でもできるのね
798人間七七四年:2012/05/19(土) 00:49:32.17 ID:doqifoRr
>>795
16世紀半ばの時点ではまだ騎射や馬上での野太刀が現役だったのか
799人間七七四年:2012/05/19(土) 04:27:22.36 ID:6dqDmCBe
>>798
真柄さんみたいに馬上野太刀使いは居たようだよ
800人間七七四年:2012/05/19(土) 08:24:51.22 ID:DLvapdDs
>>798
騎射は信長公記とか三河物語にも載っている程度には現役。
この人は関東についての報告も受けてるのかなって感じで
ザビエルたちとは違うね。
801人間七七四年:2012/05/19(土) 13:28:53.83 ID:5zjZgNq0
> 日本の馬は、私達の馬と同じほどの大きさでがっちりしており、フランスの馬に似て太い脚を持っています。

やっぱり当時のヨーロッパも日本と似たようなものか
802人間七七四年:2012/05/19(土) 13:46:24.10 ID:doqifoRr
直接日本に行ったわけでもない宣教師が他人からの又聞きだけで
ここまで正確に当時の日本について書けるもんなのか。
特に鎧の袖が盾の役割を果たすだなんて実際に日本の合戦を見ないと絶対わからない。
彼に色々教えたこのアンジローって日本人は確か人殺して海外逃亡した人だったと思うが
これだけ詳しく色々語れるって事は、実際に戦場に出た経験がある武士身分の人だったんだろうか?
803人間七七四年:2012/05/19(土) 15:07:06.85 ID:+baJzwx6
あの辺りにいた日本人なら十中八九倭寇じゃね
804人間七七四年:2012/05/21(月) 02:55:25.83 ID:9jLVQnPI
そもそも相馬野馬追みたいな大規模な馬の訓練を
彷彿とさせるような神事が現代まで伝わってる時点で
「日本に騎兵はなかった(キリッ」なんて詭弁以外の何者でも無いな
805人間七七四年:2012/05/21(月) 03:18:08.23 ID:W5u0WOqi
>>804
馬追い
http://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E8%BF%BD%E3%81%84
1 牧場で、放牧の馬を柵(さく)内に追い入れること。また、野生の馬を柵内に追い込んで捕らえること。

馬追いとは馬を狩ることだ

犬追物の親戚のようなもんだな
806人間七七四年:2012/05/21(月) 06:04:03.44 ID:kEsG4ml9
のまおい【野馬追い】
http://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E9%A6%AC%E8%BF%BD%E3%81%84

こっちだろ
どこの三国人だよ…
807人間七七四年:2012/05/21(月) 08:27:02.01 ID:W5u0WOqi
>>806
野馬追の検索したらすぐに分かることなのにわざわざそんなリンクを引っ張ってくるって
アホか?
808人間七七四年:2012/05/21(月) 10:33:05.41 ID:vbA8gq1c
>>807
つまり>>805のヤツは野馬追の検索すらまともにできなかったカスってこと?
809人間七七四年:2012/05/21(月) 16:03:06.68 ID:BQFhRrJt
結局鈴木説信奉者って、ライトユーザーが多いな。
鈴木以外の本は大して読んだこと無いんじゃないか?
810人間七七四年:2012/05/21(月) 19:08:53.08 ID:vbA8gq1c
>>809
では取れたて天然モノをどうぞ。
でも多分この手のヤツは鈴木の本すらまともに読んでないと見た。


http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1337375940/

740 :名無しさん@12周年:2012/05/21(月) 19:00:28.47 ID:wTnUNvqr0
日本刀の端的な殺傷力より
ピストルの射撃やナイフや包丁の携帯性隠密性を携えて
かつ相当の殺傷力がある方が怖いけどな、
秋葉通り魔のアーミーナイフなんて気づかれないうちの一刺しで人が死ぬ

>>720
合戦の主力は一に投石、二に弓矢、三に槍、刀は合戦後の敵の首獲り用
屋内戦が多い幕末京都と、弾切れのあった同時期には携帯性の優れる刀は活躍したけれど
現在は軍用ナイフしか使ってないでしょ、多対多の近接戦なんて想定する意味ないから

もし刀に対抗したいなら、刀を持つより三叉の方がいい
811人間七七四年:2012/05/21(月) 20:18:27.86 ID:9jLVQnPI
>>805
元々はその馬を仮想敵としていかに集団で追い詰めるかの訓練として行ってたんだってさ。
812人間七七四年:2012/05/21(月) 20:32:00.30 ID:7flgOHbx
三叉ってなんだ?
813人間七七四年:2012/05/21(月) 20:55:03.81 ID:9jLVQnPI
さすまたのことじゃね?
814人間七七四年:2012/05/21(月) 21:17:28.68 ID:O6gbCy1P
ミツマタとサスマタを間違えたのかw
815人間七七四年:2012/05/21(月) 22:18:22.23 ID:9jLVQnPI
もしくはトライデントの事かな?
816人間七七四年:2012/05/21(月) 22:18:23.33 ID:4YLaMOFE
ヨーロッパの農民が持ってるピッチフォークだろ
みつまただし、戦争でも使ったらしいし
817人間七七四年:2012/05/22(火) 01:23:34.14 ID:l3Qs9wUT
そういう意味では、槍はやっぱり刀に対しては有利だったんだろうなあ
818人間七七四年:2012/05/22(火) 04:20:14.34 ID:YFeDZE40
集団で槍衾作られたら近づくのは困難だしね
長槍隊も互いの肩が触れる位の間隔で並んだそうだ
819人間七七四年:2012/05/22(火) 06:18:04.55 ID:nuw9LNVV
>>817
槍のほうが刀より安上がりなんだよ。作るのも比較して簡単jだし。
820人間七七四年:2012/05/22(火) 08:34:35.07 ID:1ehzRm9f
原始時代からあったと推定される武器だからな。>槍
821人間七七四年:2012/05/22(火) 08:52:45.45 ID:4Cd4qDZQ
>>816
カキコのバカさから言ってたぶんそういうのは知らないだろうと思う。
素でさすまたと間違えてるよ。
822人間七七四年:2012/05/22(火) 12:45:22.10 ID:awQpMeID
>>795
これ、原文をネットで見れる?
823人間七七四年:2012/05/22(火) 13:06:28.97 ID:4Cd4qDZQ
多分↓これに入ってる。国会図書館なら読めるよ。アンジローは薩摩の下級武士だから
軍事に関して色々知っててもおかしくない。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/25/pub_kaigai-iezusu-genbun-01.html
824人間七七四年:2012/05/22(火) 17:15:16.93 ID:Khjlyyip
モンスーン文書とその続編を1冊5480円にしてくれ
そしたら買うのにw
825人間七七四年:2012/05/22(火) 19:33:11.17 ID:lgC1FgSt
なんかまた新書出してたねぇ。
826822:2012/05/23(水) 13:30:44.46 ID:G1qASGMF
>>823
ありがとうございます。ただこれを見るのは大変そうだ…
827人間七七四年:2012/05/23(水) 16:30:18.09 ID:eEkAoerG
素人でも腕を切り落とせる日本刀って怖いと思うの
828人間七七四年:2012/05/24(木) 22:40:20.50 ID:PKu8Lqz0
829人間七七四年:2012/05/24(木) 23:00:50.52 ID:4+4hjbf4
404 Not Found

この記事は存在しないか、すでに削除されています。
830人間七七四年:2012/05/25(金) 19:46:14.70 ID:fDLQ0FCv
この記事か?数字一緒だし。

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4202640.html
831人間七七四年:2012/05/31(木) 11:37:33.41 ID:g3GwZj+Q
>>827
あれマグロ包丁だってさ
832人間七七四年:2012/05/31(木) 13:25:39.76 ID:nRmNST3Y
日本刀持った武道家とかよりは、マグロ包丁もった
解体職人の方が手並みは鮮やかだろう、とオモタ
833人間七七四年:2012/05/31(木) 22:30:35.06 ID:iQmU+f/l
日本刀下げに武道家下げですか。
834人間七七四年:2012/06/01(金) 00:20:04.76 ID:NuxpP/+7
>>832
そりゃマグロ解体の手並みは鮮やかでしょうな。
835人間七七四年:2012/06/08(金) 20:33:38.53 ID:l5g8O86i
西股総生 著 『戦国の軍隊 − 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢』
http://shop.gakken.co.jp/shop/order/k_ok/bookdisp.asp?code=1340530400
http://shop.gakken.co.jp/goods_img/book/jpeg/4054053041.jpg

ここに組衆編制が東国から起きたって実証的に書いてあるけど・・・

騎馬武者
騎馬隊
騎兵
騎兵隊の定義って何ナノ科ね?

そこがはっきりしないから、みんなで、正しいことを言っているのにもめてる感があります。
836人間七七四年:2012/06/08(金) 23:58:49.42 ID:UybD+u7K
騎馬隊はなかった関係は
正しいことを言っているのにもめてるのではなく、
正しいことを話題作りのために煽りとミスリードで粉飾するから揉めた。
837人間七七四年:2012/06/09(土) 00:02:49.55 ID:tz6i3GaP
この本は評判いいんじゃなかったっけ。
藤本の仲間系じゃなかったかな。
838人間七七四年:2012/06/09(土) 05:16:07.14 ID:qbOkXxfl
備の一兵科として、鉄砲組・長柄組等と並んで「騎馬組」は存在した。
>>735の岩付衆だと馬上500騎とかなりの規模だ。
馬廻衆も、百騎単位規模の例は信長の母衣衆や三木合戦の別所氏などちらほら見る。

ただし諸大名ごとに武装の種類・サイズ・色などの統一を図ることがあったとはいえ、
到底近世欧州のような騎兵隊ではない。
中世騎士や共和制ローマの騎士のように、個人的な従者を引き連れた前近代的な騎馬隊だった、ということじゃね。
839人間七七四年:2012/06/09(土) 07:47:57.51 ID:crxXeW/p
まあ東国諸国には騎馬兵だけを集めた”騎馬隊”は確かに存在した。
もちろん運用や形態などは近世欧州の騎馬隊とは似て非なるものだが。
840人間七七四年:2012/06/09(土) 08:31:59.83 ID:z+qrJG8V
まあ近世ヨーロッパ的なあり方が騎兵のすべてじゃないってことでしょうね。
841人間七七四年:2012/06/09(土) 10:20:51.73 ID:30eFIkA6
たまに戦国時代の軍隊の編成でさえ、鎌倉時代や南北朝時代のイメージ
(各武将の私兵の寄せ集めで兵科毎の分類をしていない)
で語る輩がいるからなあ。
842人間七七四年:2012/06/09(土) 11:26:09.75 ID:wAv3FkIr
大きく間違ってはいないのがまたw

兵科ごとに分類したのは一部の制度的に進んだ東国の戦国大名くらいで、
織田も含めて西日本の戦国大名は、近世に入るまで、軍役で集まった兵士の、兵科別の再構成は
行なっていなかったようだからな。
843人間七七四年:2012/06/09(土) 12:48:35.30 ID:lWpwzGva
うーん、東国で引き合いに出される岩付衆の編制は「これ一回限り」とあるので、
常に行っていたかは正直疑問
844人間七七四年:2012/06/09(土) 14:24:47.47 ID:xpOatshj
>>838-839
近世前期(17世紀)の西欧諸王朝の騎馬隊と同じだよ

おまえらが言ってるのは近代以降の騎兵隊
845人間七七四年:2012/06/14(木) 03:46:44.57 ID:Luuti9m7
253 名前:名無しさんといっしょ[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 03:07:05.68 ID:C+gb91QG
>>243
>>鎧着けた侍が銃撃戦ってコレはホントに時代劇か?って思わずツッコミそうになったけど
戦国時代には火縄銃はかなり普及してる。
あの時代鉄砲を一番保有していたのは日本とも言われている。
元々日本は遠距離で戦う傾向が強くて、今の大河の清盛の時代だと主力は弓兵で
どちらの時代においても刀は首と獲るときか接近戦に持ち込まれたときにしか使わない。

まあテレビで良く見るような時代劇か?と言う意味なら
そうかもしれないかなともいえるくらい画期的な演出の回だったと思う。
846人間七七四年:2012/06/14(木) 05:59:37.17 ID:yFktksR5
>>845
> 戦国時代には火縄銃はかなり普及してる。
> あの時代鉄砲を一番保有していたのは日本とも言われている。

ウソウソ。東アジアではもしかして一番多かったかもしれんがヨーロッパの大国やオスマントルコには
まったくかなわん。

> 元々日本は遠距離で戦う傾向が強くて、今の大河の清盛の時代だと主力は弓兵で
> どちらの時代においても刀は首と獲るときか接近戦に持ち込まれたときにしか使わない。

これも嘘。源平の時代も戦国時代も戦い「始める」のは遠距離だが、とどめを刺すのは刀剣での突撃。
刀が首取りの道具とか、鈴木信者かよw
847人間七七四年:2012/06/14(木) 07:21:41.86 ID:3MfnJJSj
>>845
晒すんなら、ついでにどこのスレか教えてくれ。
ツッコミに行くから。
848人間七七四年:2012/06/14(木) 09:09:08.53 ID:7ju3ldCi
文章でぐぐってもここか日本史板の鈴木スレにしかいけんぞ
849人間七七四年:2012/06/14(木) 09:17:10.53 ID:8cQmUeUX
実況スレか何かか?
850人間七七四年:2012/06/14(木) 09:52:28.36 ID:GvjlpPt7
おそらくNHKの実況スレだな。

>>846
実際のところ鉄砲はどんだけあったんだろうな?
常備軍の数ならスペインの3倍以上いたみたいだが。
851人間七七四年:2012/06/14(木) 11:26:01.63 ID:GvjlpPt7
でも、源平や鎌倉に関しては
「長ったらしい名乗りを上げてから一騎打ちをしていました。集団戦の概念が無かったので元軍に一方的に敗退しました」
ってふざけた言説がまかり通ってた時代よりはマシになったんじゃない?
852人間七七四年:2012/06/14(木) 11:50:05.49 ID:mHzKj2xh
正確な数はどこのもわからんのよ。
人口だって多い人の説と少ない人の説のじゃ倍違うし。
16世紀当時、ひとつの戦場に10万人以上動員することができたのは、西か
らオスマン朝、ムガール、明、日本の四ヶ国だけ。
ヨーロッパ諸国あたりは一万人以上動員の記録もあまり多くない。
853人間七七四年:2012/06/14(木) 18:37:14.27 ID:qxDdgOnO
>>846
16世紀末のスペインや仏王国の総兵力が8万〜9万
火縄銃やモスケットの装備率が3割前後
大大名なら一家で上回っちゃうレベル、白人コンプも程々にな
854人間七七四年:2012/06/14(木) 20:06:39.17 ID:GvjlpPt7
保有「数」はわからないけど、保有「率」ならスペインやイングランドのが上だったよ。
16世紀末期の行政記録から全軍の半数〜3分の2くらい鉄砲装備してたのがわかるよ。
因みに常備軍はイングランドは8万、スペインはヨーロッパに展開してた保有戦力全て足して15万。
まあ、兵力に関しては日本は九州+毛利だけで普通に15万はいくっぽいけど。
855人間七七四年:2012/06/14(木) 20:31:53.99 ID:OoOaTfW4
>>854は無知故に誤った思い込みで装備率を弾き出しているね。
16世紀末のスペインで言えば、中核のスペイン兵イタリア兵部隊の
火縄銃・モスケットと槍兵の比率が4:5、正規兵と雑兵の比率が2:1
全てひっ包めた全軍の3割が火器装備、槍兵と雑兵が3割強。

英王国の常備軍は1万5千程度、傭兵を含めて最大6万5千
スペイン王国が同じく最大限9万弱、当時は既にドイツが別個の国として分家。

よって>>854の主張はどちらもまちがい
856人間七七四年:2012/06/14(木) 20:36:36.46 ID:7ju3ldCi
大阪の陣の伊達勢ってかなり鉄砲装備率高くなかったっけ?
857人間七七四年:2012/06/14(木) 20:38:38.95 ID:hYPisjty
編纂物の記述らしいからなんとも
858人間七七四年:2012/06/14(木) 20:41:50.02 ID:OoOaTfW4
ちなみに英王国の軍は歩兵の火力でスペイン軍に劣り、更に火器装備率が低い
仏王国は火砲はスペインより豊富で火縄銃・モスケットは同程度
西欧諸王朝のどれをとっても、織田・豊臣・徳川以下、最盛期の島津や毛利と同じ水準。
859人間七七四年:2012/06/14(木) 20:48:29.09 ID:piVKyHKy
>>854
エリザベス1世期のイングランド軍の武器庫には、マスケット3000丁程度しかなかったらしい
860人間七七四年:2012/06/14(木) 23:52:29.77 ID:jkWsBVpX
1588年4月当時でスペイン軍の歩兵戦力だけでも134,000人に達している。
騎兵や砲兵、非戦闘員は含めない数字だ。フランドル方面軍だけでも歩兵56,265人 騎兵3,650騎の計59,915人を擁している。
対して1588年当時無敵艦隊を迎え撃つイングランド軍も大規模な動員を行なっていて、
トレーニーバンドで動員された兵力は歩兵79,798人、騎兵5,461騎。
歩兵の装備は、ビル10,967人、ロングボウ14,209人、パイク21,178人、キャリバー28,742人、マスケット4,702人。
銃装備率は歩兵の42%で、騎兵も大半がピストル以上の銃を装備している。
これ以外に、低地地方に派遣したベテラン兵と女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵が加わる。
861人間七七四年:2012/06/14(木) 23:57:29.45 ID:jkWsBVpX
860は>>855に対しての書き込みね。

あとスペイン歩兵の兵力はあくまで常備軍で民兵は当然含まれてない。
862人間七七四年:2012/06/15(金) 00:03:50.03 ID:dPj16A4J
>>857
856の話は繰り返し出てくるけど、朝鮮役に参戦した諸家は間違いなく
銃の装備率は上がってるけど、半島での実戦経験のない伊達家に
そんな先見の明があったのかどうかはやっぱり疑問だわな。
863人間七七四年:2012/06/15(金) 00:18:16.68 ID:vLx7eQxM
日本はろくに兵科も分けず、傭兵も非戦闘員もごっちゃだし
兵力の記録も誇張ばかりだから、実質動員できる兵力は多分スペインより少ない。
864人間七七四年:2012/06/15(金) 00:28:22.82 ID:ChUWGyde
>>860>>863
>これ以外に、低地地方に派遣したベテラン兵と女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵が加わる。
いや、加わらない。
低地諸国の反乱に加担したライチェスターは成果が上がらず
オランダ地方の民衆からも反感を買って、スペイン艦隊が小競合いと嵐と
天候不順で大きな損失を出した一連の軍事行動の時には英国へ引き上げている。

スペイン艦隊との戦いに参戦した英王国艦隊の戦闘員は約30000万人
そのうち火器を装備していた歩兵は、スペイン軍の8000人に対して
半分に近い5000人弱でしかなく、艦隊の半数前後14500人は水兵から構成された。

一方のスペインも低地諸国から英上陸の為に集めた兵が27000人、留守の守備隊が22000人
これは当時のスペイン軍の大半を占め、攻勢が頓挫しスペインと和平していた
仏王国に対する伊、西本土は8000人、6000人と少なく、艦隊の水兵8250人を含めた31000人
これらを総て合算しても94000人、反乱と遠征を行った時期の最大限の数字で
当然ながら、一時雇用の傭兵や雑兵が大量に含まれていて
英遠征の戦闘員で言えば約11000人が雑兵。
865人間七七四年:2012/06/15(金) 00:33:11.06 ID:ChUWGyde
>>863
西欧の中では最も進んでいたスペインですら、日本と違いろくに兵科も分けず
大量の傭兵と雑兵がごっちゃ、兵力は渡海遠征して行われた朝鮮征伐と比べても
半分にも満たない兵力でしかない、しかも譜代の軍が大半の日本と異なり
未だに傭兵が多くを占めていた。

瞬殺された李朝軍に比べれば遥かに進んでいたが
日本と比べてしまうと足下にも及ばない。
866人間七七四年:2012/06/15(金) 00:43:04.44 ID:2knrW5DN
>スペイン艦隊との戦いに参戦した英王国艦隊の戦闘員は約30000万人


日本の比じゃないな。これはもう日本側分が悪すぎるわ。
867人間七七四年:2012/06/15(金) 00:46:30.24 ID:ChUWGyde
はいはい、反論出来ないならしなくていいよw
868人間七七四年:2012/06/15(金) 00:52:48.21 ID:2knrW5DN
まあ実際大阪の陣の時代には全国でどれくらいあったんだろうね?
北条宗哲が永禄四年三月二十四日、大藤式部丞に出した書状には
配備した鉄砲五百丁をもって敵の軍勢を堀端へ寄せ付けてはいけない、というような
指示が出されているから割と早い時代(長篠合戦の14年前)からそれなりの量があって
運用されていたらしい。
869人間七七四年:2012/06/15(金) 00:53:44.49 ID:88+o0qGF
>>864
>いや、加わらない。
加わるよ。少なくともティベリーに4,000人の低地地方派遣軍がいる。
あと、女王の親衛隊、貴族、聖職者の義勇兵はそもそも国内から出てないから居ないはずがない。
人数も正確にわかってるしね。
>スペイン艦隊との戦いに参戦した英王国艦隊の戦闘員は約30000人
それは、海軍の水兵と、それに乗船した陸兵の話。
30,000人という数字が正しいかは知らないが
>>860で挙げたのはあくまで陸上で迎え撃つ兵士。主にイングランド南部に配備された。
ケント州だけでも7,124人が動員されてる。
ケント州兵の銃装備率は、約36%。
>一方のスペインもry)
スペイン人部隊と、スペイン軍を勘違いしてるのだと思う。
スペイン人歩兵部隊は1588年当時、アルマダに4個テルシオ+独立32個中隊の約18,000人。
フランドルに4個テルシオ8,712人、イタリアに3個テルシオ7,000人、アジアに5,000人、
スペイン本国に多数の独立中隊29,000人、アメリカに8,000人の約76,000人。
>>860でも書いたとおり、フランドルには56,265人の歩兵がいた。
そのうちスペイン兵は8,712人に過ぎない。
ちなみにフランドル方面軍の出身地構成は、
スペイン人8,712人
イタリア人5,339人
ブルゴーニュ、アイルランド、スコットランド人3,278人
ワロン人17,825人
ドイツ人19,925人
守備兵1,180人(人種は不明)
870人間七七四年:2012/06/15(金) 03:05:49.98 ID:CMAbvQ22
スペイン人部隊ではなくスペイン軍、想い込みで錯誤しているのは>>869

まず英王国軍の4000人というのはライチェスターに歩兵5000人騎兵600人と
多数の王国公認略奪兵を率いさせデーンハーグへ送った部隊の成れの果てで
オランダの住人に嫌われ、スペインが英遠征を計画する何年も前に帰国している。

また英遠征と低地諸国鎮圧には当然多数のスペイン兵とイタリア兵が動員されている。
1580年に起きたポルトガル王族の反乱ではフェリッペ王自ら親征したが
内戦中の低地諸国からは勿論フランダースからも兵を集めず
数か月掛けてスペイン内のみで準備してもその数は18000人でしかなかった。

1580年の段階での低地諸国戦線の同地方人の兵士18000人は、カトリック側の封建諸侯が
反乱を起こした新教側のオランジュ公に対抗して自前の金で徴募した自前の軍であって
スペイン軍の数には当然入らず使えない、パルマ公の指揮権もゲント合意に縛られた物。
それ以外の歩兵25部隊と騎兵12部隊が西軍で数は約31000人、うち約16000人が伊・西出身。
仏王国軍で積極派のアンジューが死んだ後は講和し、その結果として
イタリアとフランダースの兵を回せるようになり英遠征が企図された
当然ながらスペイン本国と伊には守備兵はあまり居らず合わせても1万を少し超えるに過ぎない。

結論、>>869は同じ物をいくつも重複して数えてしまっている
871人間七七四年:2012/06/15(金) 03:23:37.41 ID:uyfxqFMj
当時の人口から考えて
日本の3分の1程度だったイングランドはともかく
イベリア半島と属領を足したら日本と同じかそれ以上のスペインは
10万以上の常備軍がいても不思議ではない気はする。
872人間七七四年:2012/06/15(金) 04:31:44.75 ID:CMAbvQ22
傭兵は武士と違って維持費高いからね
その上、オスマン帝国や大明や日本と比べ行政組織も未整備
それでもスペインと仏は行政機構の整備して16世紀の100年で
徴税能力と国家財政規模を3倍に増やしてはいるけど
873人間七七四年:2012/06/15(金) 05:37:49.29 ID:88+o0qGF
>>870
重複してないよ。
だからわざわさ1588年の時点と特定してるわけだ。

はっきりしてるのは、1588年4月29日の時点でのフランドル方面軍約60,000人、これにはアルマダに乗船した兵士は一人もいない。アルマダに乗船した兵士はスペイン人とポルトガル人しかいないからだ。

本国兵にしても、カタルーニャと併合間もないポルトガルにいた兵士が中心。アメリカ、アジア、イタリアにいた兵士は、重複するわけがない。

具体的にどこのどのテルシオが重複してると言いたいんだ?
重複してると自信をもって言うなら言えると思うが?
874人間七七四年:2012/06/15(金) 13:21:59.68 ID:vLx7eQxM
これでまた1つネトウヨの嘘が発覚したね。>日本の方が動員兵力多い
875人間七七四年:2012/06/15(金) 13:24:15.16 ID:wYrZcV96
ニダ付け忘れてるぞ
876人間七七四年:2012/06/15(金) 15:19:14.82 ID:vLx7eQxM
大体、イングランドなんてこれより100年前に
日本が小競り合いしかやってなかった時代に
タウトンの戦いで両軍合わせて10万の軍勢が激突してるのに
常備軍が一万くらいしかいなかったとか頭悪すぎ
877人間七七四年:2012/06/15(金) 16:30:05.36 ID:XAdBEzwF
>>873
いや、重複してるよ。
英遠征時の中核部隊火縄銃・モスケット兵8000と装甲槍兵10000はスペイン人12000、伊人6000、他に雑兵約13000。
フランドル軍は仏王国との戦争当時24000人、英遠征時は8000人残留、伊半島の守備隊は6000人。本土に8000人。
低地諸国からは、遠征を準備出来た兵が27000、諸侯の義勇軍18000と西軍4000は残留。

ここまでに総ての本土軍が含まれ、欧州での総兵力は約85000。 完
878人間七七四年:2012/06/15(金) 16:54:48.04 ID:XAdBEzwF
>>876
長島の一向一揆軍は30000人、たったの1国のそのまた一部にも拘らずね。
全国統一した日本軍なら200万人の常備軍を備える事など造作も無かっただろうねw
879人間七七四年:2012/06/15(金) 17:00:47.10 ID:vLx7eQxM
しかし、実際の野戦では関ヶ原くらいの規模が限界。
しかもあれは後世に算出した数で荷駄隊などの非戦闘員含めての数な上実数は更に少ないという。
更に戦国オールスターとも言える朝鮮侵略軍で漸く戦闘員が10万に届くかという所。
880人間七七四年:2012/06/15(金) 17:01:42.03 ID:vLx7eQxM
そもそも一向一揆は殆どが非戦闘員の農民
881人間七七四年:2012/06/15(金) 17:20:36.21 ID:WDFQUWBu
>>880
そんなわけねーだろ。そもそも当時の農民は武装してるし、むしろ戦闘のプロですらある。
882人間七七四年:2012/06/15(金) 17:33:48.20 ID:XAdBEzwF
>>879
関ヶ原の軍勢数に夫丸や口取りなどの非戦闘員は含まれない。
>>880
タウトンの戦いは殆どが非戦闘員の農民。

在チョンの願望捏造史観は要らない
883人間七七四年:2012/06/15(金) 17:55:47.96 ID:XAdBEzwF
>>880が常備軍だと願っている雑兵は
長篠後の勝頼や北条氏が出した防衛戦限定の民兵動員令と一緒で
当然常備軍でもなければ戦慣れや訓練を受けた農兵ですらない
一時的に掻き集められた徴募の烏合の衆というのが現実。
884人間七七四年:2012/06/15(金) 18:02:30.57 ID:88+o0qGF
>>887
何度も言うが、昨日から出している数値は、1588年のもの。もし文句があるなら、対仏戦やその他の時ではなく1588年当時の兵力を出せよ。

あと、重複した部隊はどの部隊だ?わかるんだろ?

あと、1588年4月29日のパルマ公の報告によるフランドル方面軍の総数を否定する具体的な史料は何?

こちらは当時の一次史料の英訳から出してるから、それ以上のものを出してくれ
885人間七七四年:2012/06/15(金) 18:12:32.60 ID:vLx7eQxM
>>882-883
ソースは?
886人間七七四年:2012/06/15(金) 18:16:25.11 ID:xVheIxNm
非戦闘員が覚悟決めて抜刀して切り込むだけで大名家の一門や家来衆にも
かなりの被害が出るんだな。



其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、
伐り崩し、(織田家)御一門を初め奉り歴々数多討死。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
887人間七七四年:2012/06/15(金) 18:19:43.01 ID:D6V7pQwL
死兵だから仕方ないね(´・ω・`)
888人間七七四年:2012/06/15(金) 18:22:35.66 ID:88+o0qGF
>>884>>877宛ね。
失礼。
889人間七七四年:2012/06/15(金) 19:19:06.09 ID:8lrPXNao
>>884
何度も教えた通りその数字はまちがい。
1588年に英遠征を実行した時の軍勢配置が>>877。英遠征の雑兵は約11000

重複していないと言い張るなら、英遠征軍に参加した旗隊
低地諸国からの英遠征に加わる準備をしていた旗隊
本土・伊半島・フランドル・低地諸国に残留した旗隊を書き出せば済む話
無理だけどね、>>884が本土の部隊と錯覚している部隊と英遠征の部隊が
多数重複しているから。

パルマ公は書状を送った時点で遠征を知らず、むざむざと4月25日にカレーで
英軍と講和してしまい艦隊の艤装を解き、英軍はまんまと防衛の為に帰還した。
8月4日にパルマ公が報告した軍勢はフランダース人とドイツ人の傭兵(雑兵)を含めた
遠征軍27000と残留する4000人がスペイン軍の総てで、マンスフェルトを初めとする
フランダース諸侯の18000人は防衛の為だけの民兵に過ぎず
ゲント合意により対新教以外での指揮権は認められていない。

こちらは当時の一次史料から出してるから、それ以上のものを出してくれ
具体的な書簡群名と、どこの図書館の蔵かを書くか
二次史料の書籍でも具体的な書名なら英訳でも原本でも構わないよ
当然言い出しっぺなのだから快く実行してくれるはずだ。
890人間七七四年:2012/06/15(金) 19:23:54.87 ID:8lrPXNao
>>885
長島の一揆勢を農民だとする定義を出せば
それをタウトンの戦いに適用して即大半を非戦闘員の農民だったと
定義出来るから、定義を出せばいいよ、ブーメランだけどねw
891人間七七四年:2012/06/15(金) 23:07:31.38 ID:88+o0qGF
>>889
スペイン公文書1587-1603
278頁 1588年4月29日報告
288頁 1588年5月9日報告
あなたが出した数字は、スペイン公文書1587-1603の何日付の何頁?
一次史料を持っているなら同じものを見ているだろうから、教えてもらえればすぐにわかる。
流石に量が膨大なの頁数か日付を教えてもらえると助かる。
892人間七七四年:2012/06/15(金) 23:43:44.08 ID:OJslx1AI
>>891
>スペイン公文書1587-1603
日本語じゃ曖昧だから、載せてる英訳の二次資料名か
書簡集のそのままのタイトルで書いてね、発音記号無しのラテン文字でいいから。
モンスーン文書、書簡集の日本語訳ならそれはそれでいいけど。
893人間七七四年:2012/06/15(金) 23:45:43.48 ID:88+o0qGF
>>890
タウトンで動員された兵士は、一応武装が定められてる。
武装が基準を満たしてない者は兵士として扱われないからね。
大半はロングボウ兵とビル兵だ。
894人間七七四年:2012/06/15(金) 23:52:50.09 ID:88+o0qGF
いいけど、その前にそちらの言う数字は公文書の何日付けのものか、おしえてくれ。

もし、その日の報告書にそちらの言う数字があったなら謝る。

あと、一次史料を持っているなら1587-1603の部分でどの公文書かわかるはずだが?

ちなみに英訳されたのは1899年のもの。編者は…わかるよね?
895人間七七四年:2012/06/15(金) 23:59:15.47 ID:88+o0qGF
Simancasのスペイン公文書ね
896人間七七四年:2012/06/16(土) 00:35:14.34 ID:MWup8n5Y
>>879
唐入りはオールスターどころか
九州の中堅大名達+小早川&宇喜多くらいしか実際の戦いには参戦してないぞ。
897人間七七四年:2012/06/16(土) 01:20:24.31 ID:S483dnlU
小田原攻めで豊臣方21万、北条8万
関が原で東軍7万、西軍8万
朝鮮の役で16万
大坂冬の陣で徳川20万、豊臣10万
といったところだろう
898人間七七四年:2012/06/16(土) 01:32:44.27 ID:S483dnlU
まあイギリスは清教徒革命の各会戦の動員兵力の少なさを見ると、
よくマーストンムーアで双方合わせ4万人動員できたなと感心するわ。
こいつらのNew Armyは大砲がある上、ピストル騎兵とパイク兵は日本の備の騎馬組、長柄組を上回るだろう。
マスケット銃は正直微妙すぎるが・・・
899人間七七四年:2012/06/16(土) 01:50:01.82 ID:MWup8n5Y
戦国以前の兵力については誇張も多いけど(例えば奥羽合戦とか太平記とか)
源平の合戦(大きい戦いで双方5〜6万程度)とか
弘安の役の幕府軍(九州軍4万、長門軍2万、幕府本隊6万の合計12万)とか
筑後川の戦い(南朝方4万、北朝方6万)とか
応仁の乱(細川方16万、山名方11万)とかは当時の人口から考えて割と妥当な数字だと思う。
900人間七七四年:2012/06/16(土) 02:06:22.46 ID:MWup8n5Y
>>898
日本も幕末の戊辰戦争なんかは戦国時代の規模が嘘みたいに兵数少ないよね。
西南戦争はそれなりに多いけど。
901人間七七四年:2012/06/16(土) 05:26:34.01 ID:gpEec/Wi
>>898
ピストル騎兵はまずドイツとスペインで普及して仏にも広がったけど
英軍の普及はもっと後だよ、艦船は大陸諸国と違い戦闘専用の最新鋭の大型船を建造し
大砲も破壊力は弱いが長射程の軽量砲が主体で海戦に最適化されてるけど
陸上戦力は微妙の一言、空き巣狙いで沿岸部を略奪した時も少数の相手に結構負けてる。
902人間七七四年:2012/06/16(土) 06:40:43.82 ID:MEQFHb/L
>>900
そりゃ兵器弾薬の数による。
あの当時すでに新鋭の武器を持っていないものは兵隊として役に立たなかった。
銃弾の的をたくさん集めてもしょうがあるまい
903人間七七四年:2012/06/16(土) 09:34:10.35 ID:9w9fswZR
長州征討でアホみたいに動員している。
そして役に立たなかったからそれ以降は極端に言えば洋式ライフルの数+抜刀隊だけが
まともな戦力として数えられるようになったからな
904人間七七四年:2012/06/16(土) 11:42:21.98 ID:9HV4NDsB
>>889
結局、あなたが言う一次史料って何だったんだ?
公文書以外に正確な数字がわかるものってよく分からないんだが。
イングランド側の公文書か何か?
905人間七七四年:2012/06/16(土) 11:56:30.74 ID:9HV4NDsB
>>901
イングランドでは、1588年の時点で騎兵の15%がピストル騎兵だよ。それ以外の騎兵にもピストルを装備したものが結構いる。
906人間七七四年:2012/06/16(土) 12:56:52.13 ID:OGl9BuAi
お前らそろそろこっちでやれよ。


【同時代】欧州、オスマン、中国、日本の兵たち【比較】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288455624/l50


いや個人的には興味深いんだが、さすがに残り100を切った状態で
スレ違いのことが続くのはちょっとね。鈴木さん藤本さんも怒ってるよ。
907人間七七四年:2012/06/16(土) 13:40:06.62 ID:MWup8n5Y
すんげー今更だが、スレタイの字間違ってるな。
鈴木真哉じゃなくて鈴木眞哉だよね。
908人間七七四年:2012/06/16(土) 13:46:48.95 ID:wUGsP73S
結局嘘ついてたのは>>864の方だったか。
まあ頻繁にID変わってる時点で怪しかったけどさ。

>>906
まあ、比較したら日本の武士のあまりのしょぼさに泣けてくるよな。
どう見ても16世紀末期の日本は戦術でも装備の質でもヨーロッパより100年くらい遅れてる。
まあ、それ以前は300年くらい(鎌倉末期〜室町時代で11〜12世紀のヨーロッパレベル)遅れてたから
少しはましになったが。
909人間七七四年:2012/06/16(土) 14:05:51.56 ID:9HV4NDsB
>>908
何日か前から煽ってる奴だと思うが、お前に>>864を罵る資格はない。
自分自身は史料も出さず、人の書き込みに便乗してるだけのお前には。
>>864は若干挑発的な書き方だったが、内容は結構正しいことも多い。
多分、史料の読み方が少し違ったんだろう。
どっちにしろ、ちゃんと数字を出してきただけ議論できる。
お前は、ひとつでも史料や数字が出せたのか?

>>906
申し訳ないね。
910人間七七四年:2012/06/16(土) 14:16:31.10 ID:MWup8n5Y
そういや日本でも三木城攻防戦で、馬上で鉄砲撃ち合った記録が無かった?
911人間七七四年:2012/06/16(土) 15:36:57.94 ID:gpEec/Wi
>>908
一気呵成に勝敗を決する日本勢の戦術は
だらだらと砲撃による睨み合いと小競合いを繰り返していた西欧諸王国の2世紀以上先を
5人10人、20〜30人の小部隊を基礎として自在に運用出来た諸大名の軍編成は
区切りが大きく硬直した隊列を保持し展開するにも1日掛けるのが日常的で
下士官と士官の数が少なかった西欧諸王国の半世紀くらい先を
装備も、工夫された火縄銃を量産し支給防具や武具を量産していた日本が少し上だよ。
>>905
スペイン軍は16世紀末には大半の騎兵がピストル装備だから
それに比べると普及は遅れてる、まあ馬上ピストル自体が結構微妙だけど。
912人間七七四年:2012/06/16(土) 15:47:11.41 ID:9w9fswZR
当たりもしないピストル撃って活躍した振りするだけのピストル騎兵。
まぁ射程が違うから落ち着いて対応されればどうしようもないんだけど。
913人間七七四年:2012/06/16(土) 17:11:57.36 ID:9g2W8RxO
槌と金床理論ぐらい知っとけ
914人間七七四年:2012/06/16(土) 17:15:06.91 ID:9HV4NDsB
スレ違いだけど、もう残りも少ないので使い切ってしまったほうがいいかと思うので書き込みます。
許してね。
次のスレでは書き込みません。

>>911
>5人10人、20〜30人の小部隊を基礎として自在に運用出来た諸大名の軍編成
正直、戦国時代の軍編成はまだまだ研究段階だからそんなことは言えないと思うが?
あと、
>下士官と士官の数が少なかった西欧諸王国の半世紀くらい先を
何をもって多い少ないとするのかわからない。
戦国時代の軍隊の士官比率って何%と考えてるんだ?
1575年の上杉家軍役張から見ると、騎馬を全て士官と考えれば10.3%。
対して1571年のフランドル軍の4つのスペイン人テルシオの士官比率は6%。
騎馬兵をすべて士官とみなしてこれだから、実際どっちが多かったかなんて言えないと思うが?
因みに、1596年のフランス侵攻時は11%に達してる。こんなに多くてどうするんだろう。

>>912
ピストル騎兵のピストルは飛び道具ってより、ランスの代わりだからね。
10mも有効射程があれば十分だよ。重騎兵のランスやパイク兵をアウトレンジ出来て威力も高い。
逆に歩兵の銃兵の射撃や軽快な騎兵の抜刀突撃には不利だから、こちらが主体になると廃れていった。
915人間七七四年:2012/06/16(土) 17:19:14.97 ID:MWup8n5Y
てか、カラコールがあまりのネタキャラっぷりだったから
アンリさんの頃からサーベルでの騎兵突撃が復活して
それがグスタフさんの三瓶戦術に繋がっていくんじゃなかった?
916人間七七四年:2012/06/16(土) 17:27:27.10 ID:MWup8n5Y
>>911
それより昨日の話はどうなったんだぜ?
俺は史料持ってないから議論に加われないけど。
917人間七七四年:2012/06/16(土) 17:29:42.62 ID:UJe5Hj+n
ピストル騎兵
対重装騎兵◎(速度勝ち、コスト安い、射程勝ちで完勝できる)
対マスケット×(射撃兵科としては無意味)

結果重装騎兵とともにパイクが要らない子になった
 
918人間七七四年:2012/06/16(土) 17:37:54.20 ID:9HV4NDsB
>因みに、1596年のフランス侵攻時は11%に達してる。こんなに多くてどうするんだろう。
計算し直したら10.8%だった。

>>915
ピストル騎兵は重騎兵やパイク兵には有効だったけど、騎兵本来の突撃力を失ってしまったんだね。
だから、重騎兵を駆逐した時点でカラコールは不要だったんだろうけど、中々変えられなかったんだろう。

16世紀末の各国軍の銃装備率は35%から45%に達していて、17世紀初めにはパイク兵との比率を逆転する部隊も出てきてる。
こうなってくると益々、ピストル騎兵の出番は無くなるんだけど暫く続いたやり方を変えるというのは中々難しいんだろう。

このへんの話は、火器の誕生とヨーロッパの戦争って本に書かれてなかった?ちなみにこの本Amazonで今買おうとするとえらい高いな
919人間七七四年:2012/06/16(土) 19:52:34.29 ID:bHaUrnqH
>>914>>918
軍末端での下士官は、永禄年間の北条家の編成が14人当たり1騎
16世紀末のスペイン軍の編成が、火器兵槍兵共に24人に1人の下士官で
時代の遅い16世紀末で比較しても、日本と比べ下士官の割合が少ない。

その頃の西・仏軍の主力は火器装備率4割5割になるけど
一時雇用の雑兵も依然多く均すと3割強程度。

>>916
孫子曰く軍を囲むには空きを残せって言うじゃん、言質も取れたし浜松城は囲まなくてもw
920人間七七四年:2012/06/16(土) 20:02:29.29 ID:MWup8n5Y
いや、そういうことじゃなくて
あんたら二人の意見の食い違いは一体どこから生まれたのかな〜って。
見たところ読んでる史料は同じっぽい感じだし。
921人間七七四年:2012/06/16(土) 20:12:29.16 ID:MWup8n5Y
日本の鉄砲の比率に関しては結局どんくらいだったんかな?
銃騎兵なんかは三木城攻防戦の一例や伊達さんのアレを除くと
あまり一般的ではなかったみたいだが。
922人間七七四年:2012/06/16(土) 20:50:13.61 ID:9HV4NDsB
>>919
>16世紀末のスペイン軍の編成が、火器兵槍兵共に24人に1人の下士官で
12個中隊編成のテルシオの場合、士官定数は159/3000で5.2%、10個中隊編成のテルシオの場合、137/3000で4.7%。
ところが、これは定数上の数字で実際はもっと多かったようだ。
上でも書いたとおり、1596年のフランス遠征でのテルシオは4,910人中530人が士官だった。
これは、10.8%に達するし、1601年のフランドル方面軍のあるテルシオでも10.8%。
1622年のテルシオオブロンバルディアでは12.6%。

>その頃の西・仏軍の主力は火器装備率4割5割になるけど 一時雇用の雑兵も依然多く均すと3割強程度。
フランス軍の編成は手元にないからすぐにはわからないが、スペイン軍は定数上で46.6%、実数はこれ以上。
比較的陸軍の軍備が遅れていたイングランドでも>>860で書いたとおり、33,444/79,798でおよそ42%。

>孫子曰く軍を囲むには空きを残せって言うじゃん、言質も取れたし浜松城は囲まなくてもw
それは、ちゃんと勝ってる側が言うこと。
逃げ回っているうちは、ただの敗走だぞ。そちらが一次史料を出せば対等になる。
出せてない時点で、脱糞して敗走した家康と同じ状態だぞ。
まぁお互い煽っても何も生まれないし、せっかく興味を持ってくれてる人もいるからスレが終わる前に
一次史料の名前を出してくれ。
923人間七七四年:2012/06/16(土) 21:06:42.76 ID:9HV4NDsB
ついでに言うと、あーだこーだ煽ったてただの時間の無駄。
せっかくこういったことに興味を持ってるなら少しでも新しい知識が欲しくなるものじゃないか?
あんたがもし面白い史料を持ってるなら興味あるし、調べてみたい。
スペインの公文書は、量が膨大だから読めばいろいろ出てきて面白いぞ。
同時期のイングランド側の公文書と比較すると、お互いどういった情報をどう分析してたのかといったこともわかるだろう。俺はまだ、そこまで調べてはいないが。

それにこんだけスレ違いなネタを続けて、正直迷惑してる人もいるだろう。
それでも、この話題に多少なり興味を持ってくれている人が居るみたいだから
せめてどういった資料を見ているのか教えてあげるのが礼儀じゃないか?
924人間七七四年:2012/06/16(土) 21:23:34.62 ID:9HV4NDsB
>>921
正直、戦国日本で装備まで分かっている詳しい兵数がのった史料がほとんど無いから
一般的な装備率を出すのは難しいと思う。
比較的、史料が残ってる北条家でも何人かの武将の着到状から推測に留まっている。
上杉家軍役張は、1575年時点での全軍が載っているという意味でよくまとまっているけど弓がいないなど謎が残る。

あと、一体どこから出てきたのかわからないが歴史群像の大阪の陣190頁に
夏の陣の伊達勢の兵数が載っていて、それによると騎馬628、鉄砲3,420、槍1,360、弓100とある。
もしこれが本当なら、少なくとも伊達勢の戦闘員に対する鉄砲比率は60%を超えてるね。
925人間七七四年:2012/06/16(土) 21:53:57.24 ID:bHaUrnqH
>>922
あーあ、大人しくしてればこれ以上突っ込まないでやろうと思ったのにw

>>894-895に関して、何度も言った通り英語訳か日本語訳された物や
スペインで公文書集として出された本ならその書籍名を
素の書簡集なら元のままの表記を書いてくれと言ってるよね
16世紀後半に限ったって公文書集はいくつも出されてるのだから。

あとフェリペ2世関係の公文書集はマドリーとサラマンカの所蔵の物が多い
シマンカスはフェリペ2世と関係薄いから公文書集出すほど所蔵が無く
フェリペ2世やパルマ公関連でシマンカスに所蔵されてる公文書集が出される事は無い。

ちなみに俺「も」公文書集は持ってないからそこは安心していいよw
926人間七七四年:2012/06/16(土) 22:09:38.52 ID:bHaUrnqH
>>922
フェリペ2世時代後半の歩兵の基本編成は火器兵8(192):槍兵9(216)
雑兵の割合は金と戦況の見通し次第だけど大体全軍の1/3。

給与面での待遇上の下士官扱いと実際の役割は別
脱走や損失や補充不足で下士官の割合が上がることはあっても
スペイン軍の歩兵部隊の制度は24人毎に1人の下士官を置くもの
その上の下士官も含めると割合は上がるが、それは戦国大名の軍隊も同じ。
927人間七七四年:2012/06/16(土) 22:16:59.46 ID:9HV4NDsB
>>925
British History Online にシマンカスの全文があるよ。
見てご覧。
そこの、1587-1603の1588年4月29日のものを見たらフランドル方面軍の総数が載ってるよ。
ちなみにこれはパルマ公が一ヶ月にフランドル方面軍にいくらの資金が生じているか報告したものね。
他にもいろいろあるので興味があるなら見てみることをおすすめする。

二次資料というか、16世紀のスペイン関連の本でもシマンカスの文章は引用されてるよ。
正直、出どころのわからない数字も結構あって一次史料を見つけるのはかなり困難だから
シマンカスの公文書を見つけたときは嬉しかった。
あなたは一体何を見ていたわけ。別に公文書集じゃなくてもいいので知りたいんだが。
928人間七七四年:2012/06/16(土) 22:18:42.85 ID:MWup8n5Y
>>924
その話は知ってる。
多分、島津家文書とかも島津義弘とかの編成が載ってると思うんだが
あれは実物読むのは結構面倒な手続きいるっぽい。

>>925
その手の記録は英訳版とか結構気軽にネットのデータベースで見れなかった?
俺は英語苦手だからパスするけどw
929人間七七四年:2012/06/16(土) 22:54:19.39 ID:9HV4NDsB
278. Statement from the Duke of Parma to the King, showing the Cost of Maintenance for a month of the Army in Flanders,
including infantry, cavalry, mercenaries of all nations, artillery, navy, stores, &c. ;
together with a Statement of the Strength of the Forces at the last muster of 29th April 1588 :―
Spanish Infantry.
Crowns.
8,718 men in 89 standards62,239
Italian Infantry.
5,339 men in 59 standards35,225
Burgundian, Irish, and Scotch Infantry. (fn. 4)
3,278 men in 29 standards20,591
Walloon Infantry.
17,825 men in 144 standards79,341
High German Infantry.
11,309 men in 50 standards86,691
Low German Infantry.
8,616 men in 34 standards51,195
Light Horse (Italian and Spanish).
3,650 men in 41 standards38,631
Castles.
Antwerp 600 men, Ghent 350 men, Charlemont 230 men = 1,180 men
Statement from the Duke of Parma to the King, showing the Cost of Maintenance for a month of the Army in Flanders,
適当にコピーしたので見にくいかもしれないけど許して。


930人間七七四年:2012/06/16(土) 23:03:12.75 ID:S483dnlU
>>901
NewArmyの頃の英軍は槍を捨てピストル騎兵になってるよ
戦国時代はまだデミランサーだけど
931人間七七四年:2012/06/16(土) 23:05:11.70 ID:9w9fswZR
戦国時代の軍制は豊富に資料の残ってる島原の乱から
大坂の陣、関ヶ原、豊臣諸役、北条武田軍役と逆算していけばその姿は明確になっていくだろう
ただし戦史の地位が低い(と言うか学問じゃないらしい)日本じゃ
まともにやってる学者ので文献には頼れない
ちょっとづつ調べてはいるがなかなかはかどらないな
932人間七七四年:2012/06/16(土) 23:05:26.66 ID:S483dnlU
>>924
騎馬が少ないのは攻城戦ってことも加味したほうがいいかもね
933人間七七四年:2012/06/16(土) 23:10:58.59 ID:9w9fswZR
>>924
たしか伊達のは伊達の後世の編纂物が出典。名前はど忘れした。
934人間七七四年:2012/06/16(土) 23:11:52.89 ID:9w9fswZR
>>932
夏の陣だぞ
935人間七七四年:2012/06/17(日) 00:19:14.48 ID:nU8Lpmv9
結局>>925はどの史料を見てたの?原文とか見せて欲しい。

>>931
個人的には尼子経久とか北条早雲が活躍してた
15世紀後半〜16世紀初めの編成についても色々知りたいな。
更に言えば南北朝〜応仁の乱もだけど流石にスレチか。
936人間七七四年:2012/06/17(日) 01:11:03.64 ID:6OAS1qAQ
>>927
おーいいね、ありがとう

>16世紀のスペイン関連の本でもシマンカスの文章は引用されてるよ。
いや、あまり引用されないよ。
まずシマンカスの文章というのが意味不明、シマンカスは文書を所蔵している文書館の名前。
そして王室に関係する書簡や文書は主にマドリーやサラマンカの図書館・文書館所蔵で
スペイン王国本の参考史料にはそれらの出した公文書集が多く引用される。

低地諸国に展開する軍の情報が精緻な割に、前後や周辺の情報を知らないのは
てっきり戦史関係の書籍に局部的に詳しいい情報が乗っていて
それを論拠にしてると思っていたけど、これは勘違い。ただまあ、結論は同じで
何度も云う様に、そこにワロン人と書かれてるフランダース人の兵18000は低地諸国戦線における
対新教のみの条件、ドイツ兵も雑兵。

一番のネタ本は「スペイン黄金の世紀の虚実2 」「ブローデル歴史集成1」
937人間七七四年:2012/06/17(日) 01:48:38.22 ID:6OAS1qAQ
途中で有耶無耶なままになっていた西軍の総兵力も
全軍が低地諸国に出張った鎮圧軍から英遠征へ転用する予定だった27000人と
リスボンから出航した英遠征軍31000、低地諸国、フランダース、本土、伊半島に残した
守備隊4000人、8000人、8000人、6000人に含まれる、これは上の2冊からの数字。

低地諸国の軍が41000から32000へ減っているのは
遠征の前後に略奪三昧で評判の悪いイタリア兵を伊半島へ戻し留守番にした事と
パルマ公が英軍との講和によって一時雇用のドイツ人雑兵を整理した結果。
結局>>927の勘定だと平時の常備軍と英遠征・反乱鎮圧部隊のうちの常時雇用分が重複。
938人間七七四年:2012/06/17(日) 01:57:32.04 ID:TVTFi9yI
もうウザイ。スレチの話題はいいかげんにしろや。
939人間七七四年:2012/06/17(日) 02:05:12.68 ID:Sz2cOiQZ
最近は芸スポネタ振り→鈴木叩きのループしかやってないスレだ
薀蓄のある人に好きに使ってもろーとけ
940人間七七四年:2012/06/17(日) 02:08:44.87 ID:TVTFi9yI
薀蓄自慢につきあう義理はない。
941人間七七四年:2012/06/17(日) 02:13:04.02 ID:6OAS1qAQ
あまりにスレ違いと思いつつ続けちゃってごめんちゃいw
自重します。
942人間七七四年:2012/06/17(日) 02:45:19.96 ID:nU8Lpmv9
私も個人的に色々知りたいという理由で煽っちゃってすみませんでした
943人間七七四年:2012/06/17(日) 09:43:10.40 ID:I7L15ooP
なんだお前らいきなり素直になりやがって



>>931
それすごく興味深そうなテーマだな。そういう本読みたいわ
944人間七七四年:2012/06/17(日) 10:37:32.11 ID:7qcK1aKE
やっぱり怒られちゃったかw
>>936、937
色々言いたいことはあるけど、取り敢えずここでお開きでw
こちらの資料は上記のBritish History Onlineの他は、
The Army of Flanders and the Spanish Road, 1567  1659
The Grand Strategy of Philip II
ospray seriesのいくつか
1588年のスペイン軍はテルシオサイトのこの一文からとった

In 1588, an exceptional year when the monarchy was using all his resources for the english invasion, the Spanish had 4 Spanish Tercio in Flanders (8720 men), 3 Spanish Tercios in Italy (7000 men),
5 Spanish Tercios with 32 independent companies in the Armada (18 000 men), some 29000 men in independent companies to garrison Spain, Portugal and the North African presidios (garrisons),
at last with have some 8 000 men with the Armada of America and 5 000 men in Asia, well in total we find some 134 000 men of which 76 000 are probably Spanish or Portuguese.

スレ住民には本当にご迷惑おかけしました。
945人間七七四年:2012/06/17(日) 21:02:40.00 ID:sjdGvl46
いや、マジな話本当に迷惑だったよ。スレ違いだと言われても誘導先全く使わず
ここまで無駄にスレ消費するとはね。
946人間七七四年:2012/06/18(月) 00:13:54.45 ID:R8nhKEDM
つかお前ら博識だな。
みんな戦国以外にかじった分野ってある?
俺は古代カルタゴとモンゴル帝国、ナポレオン戦争はかなり執心したな。
947人間七七四年:2012/06/18(月) 00:56:18.82 ID:CbfFk/kX
またスレチのネタ振りかよw 荒らし扱いされたくなけりゃ
自重しろ。
948人間七七四年:2012/06/23(土) 20:11:08.24 ID:YTQPZzWv
次スレも「真」哉で行くのか?
949人間七七四年:2012/06/23(土) 20:40:41.23 ID:ngUm5mEl
過疎ってるし、いらんだろ。
950人間七七四年:2012/06/23(土) 21:50:05.72 ID:Xbf9xxB9
次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1309683242/

鈴木眞哉史観を疑う 参太刀目
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1288138555/


合流しようかと思ったらあっちも次スレの時期だった
951人間七七四年:2012/06/23(土) 23:48:36.89 ID:YTQPZzWv
>>949
じゃあバイバイだな。なんかスレ違いの話題も多かったし。

>>950
合流ってことでいいんじゃない?藤本氏の話題も大分少なくなってたから。
952人間七七四年:2012/06/24(日) 07:52:30.84 ID:i74paTz0
つっても未だに鈴木説自体は健在だからなあ。
953人間七七四年:2012/06/24(日) 07:57:15.36 ID:iqNQHlhI
「日本刀は戦場で使われたし騎馬でも戦いました」
くらいのド直球なスレタイならどんどんお客さん来そうだけど、
煽るのが楽しいだけでレベルの低いスレになりそうだな。
954人間七七四年:2012/06/24(日) 22:03:08.24 ID:FoLBkLQj
お前ら新スレほしいのかいらないのかはっきりしろよ。

>>953
それだと一時的に人は来てもすぐ廃れそうだな。
955人間七七四年:2012/06/24(日) 22:29:10.03 ID:5jf7RkM+
イラネつっても勝手に立ってまたループしてるよ
956人間七七四年:2012/06/25(月) 02:07:09.67 ID:iqWMEKIk
しゃあないから新スレ

次々と珍説・妄言を垂れ流す鈴木眞哉について
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1340557514/
957人間七七四年:2012/06/25(月) 21:03:47.89 ID:idaFkuId
なんで藤本正行を外したのか
958人間七七四年:2012/06/30(土) 12:25:10.04 ID:febJPb1g
嫌儲見る限りまだまだこのスレは必要だと思うわ。
959人間七七四年:2012/06/30(土) 21:47:07.53 ID:Nn8Wh2Df
こりゃひどいな。

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1341014191/

339 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/06/30(土) 11:04:56.78 ID:M0Zfq0ib0
槍と刀剣では槍のほうが圧倒的に有利
東西問わず槍の種類が豊富なのはまあそういう事
安いし手入れもほとんどいらないし軽いし速いし力も強い
刀剣では馬上の敵に致命傷すら与えられないからな

また元寇の時に日本刀は蛮刀(青竜刀)に文字通り太刀打ちできなかった
大陸の刀は打撃武器だから重い
その重さに勝てなかった
斧と剣でやったら斧のが勝つだろう
棍棒と剣でも棍棒のが勝つだろう

素人同士が剣と短剣で戦っても短剣が有利だろうな
刀剣が有利な相手は素手くらいのもの

410 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/06/30(土) 11:49:54.22 ID:M0Zfq0ib0
>>401
検死だよ
関が原が終わったあとで転がってる遺体を医師が調べたんだよ
有名だろ
刀傷は一太刀二太刀だよ
全遺体中でだ
960人間七七四年:2012/06/30(土) 22:49:36.11 ID:bGUHSJwM
釣りレスをいちいち持ってこられてもな
961人間七七四年:2012/07/14(土) 19:37:54.98 ID:erags2jT
新スレ落ちてらw
962人間七七四年:2012/07/15(日) 00:22:26.53 ID:5LFHeYzS
タイトルがクソスレ臭しかしなかったからな。建てた奴才能無いわ
963人間七七四年:2012/07/15(日) 11:41:24.68 ID:uowk1SXf
あれはひどかった
964人間七七四年:2012/07/23(月) 22:01:52.53 ID:OwxbdqXh
桶狭間で、織田軍は、情報を仕入れて奇襲をかけた
という説は、もう絶滅したかと思っていたら、
数日前のバラエティー番組でもろに再現フィルムでやってた。夜7時からの
有名?番組。タイムスリップして、武将が記者会見を開いたりする番組。

バラエティーだから、それでべつにいいけど。
965人間七七四年:2012/07/23(月) 22:56:20.67 ID:26EptZ1w
桶狭間については、信長公記がなぜか年代がめちゃくちゃに書かれているのと
信長記がアレなせいでわかりにくくなっているよなぁ。

桶狭間が起きたのは1560年で信長はすでに尾張を統一して上洛し
将軍に謁見している尾張の国主なのに、なぜか信長公記では1552年と書かれていて、
その時の信長の勢力に合わせた兵力を持つように描写されているし。

んで、信長記ではそんだけ兵力少なければ、当然奇襲だったでしょって感じで
書かれていて…
966人間七七四年:2012/07/24(火) 07:36:42.58 ID:UI0Zkepp
首巻の記述はかなりアヤフヤだしねぇ。
桶狭間も文献史学の手法みたいなのに
耐えられるとは思わないけど、なぜかどえりゃぁ
細かくみんな検証してるわなぁ。
967人間七七四年:2012/07/24(火) 14:47:05.57 ID:GfaPs2Sj
『甲陽軍鑑』なんかでも桶狭間は小勢の信長軍が二万の義元軍に
勝ったとかあるわ。奇襲説はかなり流布してたんじゃない?
968人間七七四年:2012/07/24(火) 17:19:08.42 ID:06HEpbvc
>965
斉藤を無視して全軍を今川に回せる根拠を教えてくれよw
969人間七七四年:2012/07/25(水) 07:01:49.69 ID:bCFleot2
信長公記は、その時代に生きた太田がリアルタイムで書いていった記録だけど、
首巻は、あとになってから、信長が若い頃の話のメモをまとめ書きした形式だろ。

つづり間違えちゃったんだよ。時間列が狂っちゃった。だから、

「信長公記」が桶狭間の合戦年を「天文21年」(1552年)と「記述を誤っている」ことに対して、
単に「永禄3年(1560年)の誤り。後世の加筆であろう。」

ということにされてしまってる。

970人間七七四年:2012/07/26(木) 00:37:49.95 ID:fm1Qo0Ez
>>967
そりゃ、信長記では奇襲って描写されているんだから、江戸時代初期には奇襲説は広く
流布されていたでそ。

>>968
斉藤への抑えの兵を残しておいたとしても、それでも信長公記に書かれている動員兵力
では少なすぎるわけだが。
971人間七七四年:2012/07/26(木) 00:42:29.42 ID:7uT4Rbk/
そもそも信長公記には動員兵力なんて書いてないだろ
972人間七七四年:2012/07/28(土) 11:29:46.97 ID:DkQ9hBrE
桶狭間の話はいつも荒れるんだが
正面にしろ奇襲にしろ実際は兵数にはそんなに差はなかったんだろう。
それだけのこと。
勝ったほうが大げさにいうのは当然だしまさか45000を信じて
いるのはいないだろうし。
奇襲というのはなんかそれらしくて逆に卑怯とかいう
イメージにもなるしそんなに褒めた今風の意味もないかもしれない。
973人間七七四年:2012/07/29(日) 18:42:33.57 ID:wGYadxZ0
当時の家老らが、織田軍は兵数が少ないのを気にしているだろ。
今川軍は、45000と過大な数だと思っていたのは一つ。
一騎がけの道(狭い道)を信長が行こうとしたのを、家老たちが、引き留めている。敵から丸見え
なのもあるが、兵の数が優勢ならとめるわけがない。劣勢なのだから、とりすがって止めようとするだろう。
敵が攻めたら引け、敵が引いたら押せ、という訓示は、やはり劣勢。でもこの表現からは
そんなに少数でもない。
前線での兵力は五分五分でなく、4;6ぐらいか。
974人間七七四年:2012/07/29(日) 18:46:37.65 ID:wGYadxZ0
でも、このあと、熱田神宮の御加護があるからな。
黒煙あげて走り出す描写を見ると、この時点で
優勢、勝てる!と兵たちが思っているのがわかる。
熱田神宮の御加護つまり、ものすごい追い風、風雨があったことが勝因。明白ですね。
975人間七七四年:2012/08/10(金) 10:37:25.96 ID:B1T2Bpzu
藤井さんは六角氏の援軍が兵力に加わってたんじゃないかって推測してたぞ。
976人間七七四年:2012/08/17(金) 21:59:07.55 ID:3wSh/+SY
それはなんとも奇抜な意見。遠路はるばるご苦労様です。
977人間七七四年:2012/08/17(金) 22:07:43.08 ID:3wSh/+SY
http://blog.sasakitoru.com/200602/article_59.html
桶狭間の戦いと六角氏
 永禄三年(一五六〇)五月二十日の桶狭間の戦い(田楽狭間の戦い)で、
六角氏が織田信長方に援軍を出して協力したという記事が『江源武鑑』にある。
そのときの六角義秀軍功状(17)が『甲賀郡志』に紹介されている。
前年信長が上洛した時に密約ができていたのかもしれない。
『六角佐々木氏系図略』や沙々貴神社本、さらに『江源武鑑』によれば、
この義秀が徳川公に相当する人物である。

  去月八日於清州織田上総介加勢池田前田両将差越處、同十九日
  三尾之境於桶羽佐間為下知、義元四万余騎乗崩之働不可勝計、
  為其賞甲賀之内二千貫之所、別有目録、仰付候上者、専可抽
  忠義者也、仍如件、
    永禄三年六月五日 義秀(花押)
        馬杉丹後守殿

 この書状によれば、永禄三年(一五六〇)の桶狭間の戦いで、義秀は
甲賀武士の池田氏や前田氏を織田信長方に派遣している。『江源武鑑』では
六角義秀が池田恒興や前田利家を援軍として派遣したと伝えている。
たしかに旧家に伝わる義実直状や義秀直状には偽文書と判断されるものが多く、
この文書も慎重に真偽を判断する必要がある。
978人間七七四年:2012/08/17(金) 22:14:54.86 ID:qM2zftlZ
何一つ信じられる内容がないじゃないか。
手伝い戦で頑張ったから、二千貫の恩賞って高すぎるだろ、常識的に考えて。
今川の4万の軍勢ってのもどう考えても軍記物の影響だし。
979人間七七四年:2012/08/17(金) 23:24:31.13 ID:tQPxsk4K
江源武鑑(笑)って言いたいんじゃない?
980人間七七四年:2012/08/19(日) 00:49:49.90 ID:H+xnRFsV
>>978 二千貫の恩賞って高すぎるだろ
とのことで、調べてみた。

要約
記録に残っていて確認できる範囲になりますが、朝廷に献金した金額ランキング。
1 織田信秀 四十万疋 天文十二年(1543) 内裏修理
2 大内義隆 二十一.四万疋 天文四年(1535) 即位費
3 大内義隆 十万疋 天文六年(1537) 不明
4 三好長慶 六万疋 弘治三年(1557) 大葬費
5 今川義元 五万疋 天文十二年(1543) 内裏修理
ぶっちぎりのトップは信長の父親である織田信秀で、彼は何と「ライバル」である
今川義元の10倍近い金額を献金しています。
「四十万疋(=4千貫)」っていくらだよ??ということになりますが、
石高に換算しますと、おそらく2万石相当の収入を一度に献金したことになります


手伝い戦で、1万石の恩賞を与えた、というのは、高いな。
981人間七七四年:2012/08/19(日) 01:34:27.91 ID:oZD7bVla
池田恒興や前田利家が甲賀武士って笑うところか?
982人間七七四年:2012/08/19(日) 08:44:37.55 ID:6Ddg7qZA
まぁ、そこは同姓同名の人がいないとも限らないから、あえて突っ込まなかった
983人間七七四年
まぁそのブログは戦国界隈で今一番アレな事で有名なところですし