御館の乱と関が原の戦いを引き起こした男
2
3 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 05:55:01 ID:9mL4MWSl
( ´ω`)
( Θ 〜 Θ )
5 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 10:59:40 ID:vD9pHMb3
( /● ω ●\ )
6 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 11:13:53 ID:sWbZdqJo
ね〜笑って!
(●ω・`)
打倒上杉!
7 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 13:29:00 ID:/yx9JR7z
やっと景勝すれがたったか(・ω・)
大いに語ろうぜ
8 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 13:33:48 ID:IgGriT3K
秀吉の妹と結婚していたら会話がやヴぁいな・・・
9 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 13:51:23 ID:o+MO6stc
景勝は秀吉に好意を持っていたのか?
菊姫との間に息子が生まれたらよかったのにな
驚いて死ぬ奴があるか
12 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 19:18:07 ID:E+X4Sl+K
景勝がどっかの庭の縁側みたいなところで、飼っていた猿が
突然景勝の頭巾を奪って、木に登ってから景勝に向かって
お辞儀をした。そのとき景勝がにっこりとほほえんだらしい。
そして、それが景勝が笑った姿を家臣が見た最初で最後だったらしい。
家康公とホントにやりあう気があったんだろうか?
なぜ家康を追撃しなかったのか?関が原の戦いも変わってただろうに・・・。
まぁぶっちゃけ上杉も外様だし、そこまでして肩入れする理由も無い。
家康の大勢力とぶつかったらマジでそこで死ぬ可能性もあるわけだし。
そんな危険を冒すより、せっかくのチャンスだし近くの小勢力を攻めて領土増やした方が良い、
本能寺の時も御館の乱もそうだったが景勝はこういう嗅覚は長けてる。
失敗しちゃったけど。
反徳川であることは間違いないわけで・・・。
仕掛けてきたから戦う、撤退した相手を攻めるのは上杉兵法にあらず。てな所ですかね?
同時代の他の武将二代目と比べて、かなり頑張ったほうだと思う。
家も残ったし。
17 :
堀田道空:2007/01/18(木) 22:35:32 ID:uG8gCv8r
>12
サイボーグみたいな景勝が一度だけ笑ったことがあるって知ってたけど、なるほどそんなエピソードが!
なんか人間味があってホッとした。
猿が媚び笑いしたから、ってこと?
>>15 別に元々は反徳川というほどでもなかった、家康から吹っかけられただけ。
だから帰ってくれたものをわざわざ追う理由も無いし勝てる見込みも無い。
それより近場の小勢力襲った方が得だというだけのこと。
上杉兵法だのは忘れた方がいいかと。
20 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 10:55:13 ID:rU1gafqF
義光は釣り師だな。
庄内領土を争うという低次元の戦いに、上杉をひきずりこんだ。
これが戦後、家康の怒りを買い、30万石の中小大名へ転落する結果になる。
北条氏康のように米沢の防備を固くして動かなければ、70万石程度の
減封で収まっただろう。
21 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 11:05:51 ID:O1STEBkz
そんな情けないこと上杉家がする訳ないだろう
分かってても堂々と立ち向かう
これが上杉クオリティー
>>21 義光に叩きのめされて追い返される方がはるかに情けない。
どうなんだろうね?秀頼から会津征伐の許しを得られてるし、軍資金まで・・・。
家康とは事を構えず、領土拡大目指すしかなかったんだろうね。(ちょっと解せないけど・・・。)
関が原があっけなく終わった不運・・・、減封されたけどお家存続したから正解なのかな。
>>23 直江だけどね。
関が原で、あっさり徳川に付いた奴らより、
上杉みたいな方が信頼できそうな気がするな。
俺は逆だわ、徳川攻めてたらともかく、
帰ってくれたのを幸いにさっさと最上に侵攻してる辺り、賢いとは思うが信頼は出来ない。
27 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 17:12:16 ID:o/17RXc2
まぁ、家残しただけいいじゃん。三十万石になったけど、その後実質五十万石くらいになったんだし。
>>27 吉良の倅が跡を継いで半分にされるまではそれなりに豊かみたいだったからな。
謙信のことはどう思ってたんだろう
誰が?
31 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 10:13:56 ID:MuSujSU/
>>29 どう思ってたんだろうねぇ…
謙信の差し金で実父が殺された、なんて話もあるけどね。
それならやっぱりアナル専門店に行かなきゃダメだよ
33 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 12:30:32 ID:qOCjNUHG
謙信コンプレックス
景勝と菊姫夫婦の血統背景ってすげぇよなと思う。
なんせ上杉謙信の息子(但し義理だがw)と武田信玄の娘の二世カップルなんだから。
男子でなくても良かったのでふたりに子供居て欲しかったなぁ(´・ω・`)
>>34 ロマンがあるな。
すごい子供が生まれそうw
武田が滅びた後も菊姫を大事にして、
菊姫の弟も仕官させてやった景勝はいいやつだ。
しかし菊姫を粗略に扱ったら怖いよなあ…。
信玄に呪われそうw
粗略だったから子が出来なかったんじゃまいか?
37 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 08:18:06 ID:VIz0MLw6
>>31 だったら養子にしないんじゃないか?
自分が頃した男の子供なんて恐くて側に置いとけない。
あーでも秀吉なんか自分が頃した男の身内とか次々側室にしてたっけ。
実父が水遊び中に事故死とかカッコ悪いから暗殺説をでっち上げてみた
39 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 11:37:29 ID:LcfN1MXT
本能寺の変がなければ確実に滅んでたよな
毛利はまだまだ余力があったけど
毛利の方が先に滅んだよ
別に上杉の方が強いと言うわけじゃないけど
信長が先に毛利潰そうと決めたからな
41 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 17:48:05 ID:8dAlBpEb
本能寺がなければ上杉家が先に滅んだと思われ。
根拠としては信濃口から森長可が越後に侵入していて現在の上越市の隣の妙高市(旧新井市)まで攻め込んでいたため。
北陸口は魚津城を落としたところで天然の要害である親不知子不知があるので簡単に進軍はする事は不可能。(街道が整備された江戸時代でさえ加賀藩はこの区間を通るのにかなりの時間と労力を費やしてる)
42 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 17:50:22 ID:o/6BAlo5
>>35 武田信清は米沢でもかなり厚遇されてるし、記録にも菊姫が亡くなる際に医師を手配したり、景勝以下家中皆悲しんだとある。
上野から滝川軍も進んでるな。
奥州から、蘆名も攻めてくるよ
蘆名は信長と親しくしていた
45 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 19:02:03 ID:Zz41tNPr
運も実力のうちっていうだろ
それなりの運が景勝に味方してたんだよ
>>45 ま、そういうこと。
本能寺の変で助かったのも家康に歯向って敗れたのも敗戦後に減封ながらも生き残れたのも、
持って生まれた運命っちゅうやつね。
信長も同じ様に運命だったわけで。
信長の場合、時代によって急成長し、時代によって切り捨てられた感がある。
47 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 04:15:29 ID:2cz4XOaM
関ヶ原前は120万石だったっけ?
佐竹家にも言えることだが家康側についていたとしても、比較的江戸に近い国でそんな強大な大名家を家康が残しておくとは考えにくい。何だかんだ因縁をつけて取り潰したんじゃないかね。
負けて減封は正解だったんじゃないかな。
三成が挙兵しなかったらどうなってたんだろう。
領地全て没収?
49 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 04:42:58 ID:Mqv8IMES
しかし上杉家の信用ってのは当時の戦国では絶大だからね
もともと家康のヤカラ討伐の照準も前田家だったわけだし
家康自身も上杉に対して警戒はなかったと思うよ
上杉は売られた喧嘩は買うけど、自らは進んで戦争をふっかけない
また裏切ったり野心を持たないという精錬潔癖なお家柄だからね。
50 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 04:47:10 ID:bZW9Yc9i
お家のため服従というか家康につくのでは?
それでも大幅減封は避けられないか
伊達さえいなけりゃ
義宣と挟み打ち実現?
51 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 04:55:29 ID:Mqv8IMES
大阪夏の陣で、それを物語る話がある
真田の流したデマで藤堂高虎が裏切ったという噂が広まった
高虎は今まで平然と主家を変え出世してきた大名なだけに当然、強い疑惑を持たれた
その疑惑を払拭する為に藤堂軍は不利な状勢でも豊臣方に果敢に攻め込み活躍したそうだ
しかし同時に多くの重臣を討ち死にさせ、
そこまでしなければ藤堂高虎の負のイメージを払拭出来なかったんだろうね。
しかし上杉家はというと、徳川の攻撃要請の使いが来ても景勝はじめ家臣団は無視し
全員で大坂城を睨めつけてたそうだ
それを使いの者から聞いた家康も、さすが上杉家の者と、ただ笑ってるだけだったそうだ
そこには、上杉家に裏切りなどあるわけないという、絶大の信頼の証しがあったんだろうね
>>49 そんなお家柄存在しない、景勝は長尾の一族らしく裏切りと謀略から身を上げた人物。
むしろそれこそ景勝の魅力なのに、くだらんフィルターかけんな。
53 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 06:52:51 ID:BIHXA4KA
上杉自体が元は長尾景虎が上杉憲政の養子になって継いだだけだからね。
しかも、その上杉憲政を処刑してるんだから、恩知らずとしかいいようがない。
謙信の親父で越後守護代の長尾為景は主君たる越後守護の上杉房能を殺害し
自分が越後守護になろうと京都の公家に贈り物したりしてるからね。
長尾ってのは随分荒っぽいのが揃ってるな。関東管領を三代で二人も殺してるしw
謙信も景勝も為景と同類として見る方が魅力を感じる。
そういえば景勝は御館の乱前までは長尾姓だったって説を読んだんだけど
御館の乱前に謙信の養子として上杉姓を名乗っていたことを示す史料ってあるのかね?
弾正少弼の官位を譲るって書状も自分で捏造したものだし。
政景の血は梟雄の血だったのかもな
56 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 11:11:56 ID:2cz4XOaM
>>54 >弾正少弼の官位を譲るって書状も自分で捏造したものだし。
へぇ〜初耳。
>>56 官位譲渡に関する謙信書状は1620年の景勝自筆の書状と筆跡が同じ(新潟県史)
58 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 12:57:54 ID:2cz4XOaM
>>57 そーなんだ。謙信と違って景勝はそうゆう謀略に長けてそうではあるな。
兼続の存在もあったんだろうけど。
御館の乱の時は、妹だけでも助け出せなかったものなんだろうか。
60 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 16:26:58 ID:y4IN0El5
それもそうだな
でもそれだけ感情を消したということじゃないのか。
でないと、景虎も倒せないしな
自決したんじゃないの。妹さん
お市の方の例からも分かり易いように当時は旦那殺して再婚させるのも
珍しくないから使い道あるものをわざわざ殺そうとしたとは考え難いよな。
助けられれば助けただろう。
>>58 謙信の死亡時でも兼続はまだ16〜7、
いくらなんでも謀略に参加するには早すぎる。
景勝のそばに仕えてた記録が見え始めるのも本能寺直前ぐらいからだったはず。
64 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 17:46:14 ID:kfdArEME
じゃぁ景勝の知恵って事?
それなりに功績が無いとそれこそ何処の馬の骨とも知れないのが
ポっと出てきて直江の名籍嗣ぐとか無理だと思う
兼続本人の功績ではなく例えば信州出身といわれる母親が
信濃衆の取りまとめに一役かったなどの可能性も一応無くはないけど
>>64 じゃないのかな、捏造云々自体あまり詳しくないのでアレだが。
67 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 21:47:08 ID:OYTsKhCH
上杉景勝
68 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 22:16:44 ID:6Gocuth5
>>63 兼続は若い頃から頭脳明晰で、仙桃院に見込まれて景勝の小姓になったんじゃねったっけ?
で、それはどんな史料に書かれてたんだ?
調べて分からないならまだしも調べてすらないってのは無しだぜ?
薪炭吏は世を忍ぶ仮の姿、
実体は忍びの一族であったため
兼豊以前の事蹟は残されておらず
また元服などカタギの通過儀礼に囚われず
幼少時から実戦投入されていたのです
、、、なんつってな
71 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 01:33:31 ID:5LPNx+yX
コイツ、直江がいなかったら何もできなかったんじゃね?
失礼な!
飯も食えるし、子供だって作れる!
73 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 08:22:13 ID:Vr1p/fmD
年収1200万円から年収300万円への転落。
上杉家臣も苦労しただろう。
74 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 15:39:37 ID:HVWEh8tg
でも好意でついてきたんだから仕方ねーだろ
75 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 15:53:12 ID:NRVPOuG8
ついていかなきゃ浪人だから
むしろ会津移封で切り捨てられた
中越国人衆(´;ω;`)かわいそうです
76 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 16:02:09 ID:HVWEh8tg
>>75 >ついていかなきゃ浪人だから
30万石で窮屈するより、他家に仕官したほうがよいのでは?
77 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 16:07:18 ID:NRVPOuG8
全国的に浪人増えてるのに?
せめて最上相手に勝ってれば各大名からの引きも多かったろうけども
村上とか旧臣からの物乞いで食い繋いでたくらいだし
景勝もついてきて苦戦した部下に
報いれないんだから辛かっただろうね。
79 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 02:08:45 ID:esdlG0rU
ついて行ったと言えば、その中に前田慶次もいたんだよな。
80 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 02:10:25 ID:vqqJqBKm
脅迫には屈しないとか謙信のまねごとをしてみたんだよ
>>59 道満丸と憲政爺が降伏の使者に訪れた時に実は華渓院と弟妹も連立っていて
その時に斬られたように思える
篭城方にしてみれば嫡男である道満丸よりも景勝の実妹(これも本当は
姉だと思うが)の説得の方が効果的と思うのが自然なのが1つ
それから正嫡である3兄妹の戒名は伝わっているものの
妾腹の遠山氏女の戒名が伝わってない、つまりその後の行方は
不明としても少なくとも落城時は落ち延びていただろうと
実際、他の多くの例を見ても男児は命運を共にすれども女児は
落ち延びさせることが多かった
勿論華渓院が景虎方に人質として斬られた可能性も完全には否定できないが
鮫ヶ尾城ならともかく御館落城時ではまだ人質としての有用性はあるとみるのが自然だし
ま、何れにせよ空想だがね
笑ったのが生涯一回のみってのは架空のことだろうが、
やはり謙信を意識して振る舞ってたんだろうな。
83 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 15:20:08 ID:esdlG0rU
謙信が昏睡状態に陥った時、景勝にすぐさま本丸に潜り込むよう入れ知恵したのは兼続だっけか?
>>82 いつしか 笑わなく なってしまったんだよ
政景が死んでから笑わなくなった、なんて話も聞いたことあるな。
謙信の命令で殺されたのかもしれないが、
本当に酔って溺れ死んだとすると
ものすごく情けない死に方な気がする。
戦中とかでなく溺れ死んだ武将って他にいる?
まず間違いなく謙信の謀殺正当化の為の捏造だろうけどね、溺死とかありえん。
政景は何かと謙信にとって都合の悪い部分に居る人物だし、家督相続でもいざこざあるし。
しかしそう考えると景勝は謙信を尊敬どころか、恨んでた可能性も高いな。
御館の乱も実は謙信や上杉に対する復讐から来てたとしたら熱すぎる。
>>82 威圧感出すのに一切笑わない必要はないからなあ
実際信長にせよ謙信にせよそういう逸話はないし
普通ならまずある種の精神疾患が疑われるんじゃないかと
PTSDとか適応障害とかもしくは高機能自閉症など
刀剣収集とかアスペルガーボーダー的な印象を受ける
88 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 14:02:52 ID:xobxXN6o
謙信の指図というか宇佐見の単独行動なんじゃね?
89 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 14:36:59 ID:kmDvvVXI
>>85 赤座直保。関ヶ原で寝返ったのに戦後改易、加賀藩に拾ってもらったが
のちに氾濫した川で溺死
90 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 14:58:50 ID:X1HELVVZ
宇佐美なんてとっくにいません
永禄二年の侍衆御太刀之次第で既に琵琶嶋弥七郎の名前が見られますから
宇佐美家文書も偽文書が多く確認されていますし
まぁいずれにしろ謙信本人だろうが謙信の部下だろうか
父親殺された息子からすれば関係ないかと。
92 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 15:37:39 ID:X1HELVVZ
だから暗殺事件自体捏造の可能性が高い
というより逆に暗殺事件を記録する真っ当な資料が一切無いんですよ
なにせ通説で犯人とされた人間自体が当時存在してないんだから
93 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 15:41:35 ID:X1HELVVZ
故に景勝から謙信への恨みは存在せず
景勝政権の謙信に対する冷淡さは
景勝が上田衆の傀儡だったからでは
というのが個人的な憶測です
上田長尾家中には府内長尾への長年の
怨念がありますし
暗殺事件をまっとうに記録してたら舟遊びで死んだなんて話が出てくる訳ねーだろ。
95 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 16:00:53 ID:X1HELVVZ
上田長尾に対する処置の寛大さからも暗殺は考え難いですがね
本来の家法に則るならば継嗣元服まで所領半返しの上で
要地である坂戸城は奉行による城代管理でもおかしくないんですから
山吉豊守死去後の三条城に神余親綱が入ったように
黎明期ならともかくそこそこ国がまとまってくるとそういう過去の存在が一番厄介。
どこの大名も似たようなことしてるよ、信長みたいに隠す事も無く佐久間や林を追い出したみたいなのもあるけど。
97 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 16:38:40 ID:X1HELVVZ
上田長尾といえば景勝の実兄が享年10歳と言われつつも
義景という実名を持っているのは一考の余地があるかもしれませんね
上条政繁室や上杉景虎室との出生順といい、どうも不審な所が多いようで
98 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 16:52:51 ID:+lqBlCsU
存在価値 無し
99 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 17:13:49 ID:xobxXN6o
引き上げた政景の遺体の肩に刀傷があったってのも捏造?
100 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 17:26:37 ID:I9Au12Hz
100(*`_゚)
米沢藩や紀州徳川絡みの2次史料は誇張捏造が多過ぎて
どう判断していいやらわからん
たしか国分彦五郎が死んだというので遺族が遺体確認したら
それが長尾政景だったって話だっけ
それで一体どこから宇佐見定行が出てくるんだろ
国分が政景を斬ったと言われるならまだしも
102 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 23:50:46 ID:G0JfBqSq
>>96 何10年も前の恨みで処罰するとか信長クラスの既知外だけだろw
あ、家康も孕石主水を切腹させたか
俺はセフィロスだけは未来永劫許さないぞ。
>>102 信長の佐久間追放がキチガイじみてるのは否定せんけど、
国がまとまらない時期で、味方が一人でも必要な時期は利用しても、
国がまとまってくると、そういう時期の主要人物が逆に目の上のタンコブになってきて
邪魔になってくると言うのは珍しくないよ。
105 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 06:27:43 ID:S6JEFWmy
まぁこの時期、謙信が政景を消さなきゃならなかった理由がないもんな
106 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:29:47 ID:XhnF/XBz
>>105 たしか、川中島の合戦とか、2度目の上洛の時は春日山の留守を任せてたからなあ。
わざわざ謀殺しなきゃならんような人物にそんなことはさせないだろう。
107 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 13:59:20 ID:S6JEFWmy
>>106 だよね。かつては刃向かってたけどその後はよく仕えてきてた訳だし。
謙信は信長とは違って遠い過去を根に持って処罰するようなタイプじゃなさそうだしね。キレたらその場で勢いで斬っちゃう感じっぽい。神様に『短気を治したい』てお願いした記録もあるみたいだし。
108 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 17:37:38 ID:uZHQqoSN
>>95 景勝元服までは城代管理だよ。>坂戸城
城代は黒金上野介。ちゃんと返してるし通常措置だろうから謀略的とも思わんけど。
109 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 18:46:52 ID:GUg/BMwy
黒金氏って上田衆でしたっけ。
川中島には来てたと思うけど。
ググっても事蹟がひっかからないや。
110 :
こんな名無しでは、どうしょうもないよ。:2007/02/12(月) 21:19:44 ID:PUrMPbtb
>>87 ここにはまだ来てないけど、謙信関連スレ見ているとあっちこっちに
同じ長文を貼っている人が、その界隈の住人だと思われる。
111 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 21:16:18 ID:GxT4lH/X
>>109 府中長尾の旗本格だったはずだが。
城代以後はほぼ上田衆並の景勝旗下
御舘の乱の最中でも安堵したり訴訟事捌いたりしてるから、元々奉行ぽいポジションだったらしい。
112 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 21:50:17 ID:qVMS6h1L
>順位 苗字 人口
>13089 黒金 約460 越後の豪族、出自不詳、上杉家臣。現在、新潟県柏崎市に多い。
これじゃなんもわからんなあ
例によって他国からのスカウト組か?
「黒金」は「鉄」に通ずる気もするけど
・・・サンカだったりして
113 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 03:03:29 ID:Tclbohgf
同一人物なのかは知らんけど、天と地とでは栃尾で拾ったアブレ者だったな。(姓は鉄)
鬼小島と馬廻の双壁みたいな猪キャラ
大河だと伊東四郎がやってたのか…ちょっと見たいぞw
114 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 11:03:46 ID:PDgCI3y1
>>99 その証言をしたとされる国分彦五郎の母は政景の死から71年後の寛永12年に死去。
当時既に元服した息子がいたとすると、年齢的にかなり無理があると思うんだけど
「国分威胤見聞録」が成立したのはいつなんかね?
115 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 21:20:54 ID:cayFGp5K
国分威胤って18世紀末の米沢藩士やん
鷹山改革後期の真っ只中
ぶっちゃけ論外じゃね
116 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 23:24:31 ID:Y0S5bugp
確か昔やってた戦国ものの大河で
28歳頃の景勝さんの配役が
当時50を軽く超えてたであろう里見浩太朗だったりして
腹を抱えて笑った記憶がある。
ちょWWW貫禄ありすぎだっつーの。その28歳WWW
117 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 23:45:06 ID:xTb3/2+N
118 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 00:42:41 ID:fvBHnwXc
子供がいないのに側室を持たなかったのは、
菊姫に遠慮したのか謙信譲りで女に興味なかったのか
119 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 18:43:50 ID:Retjey3L
120 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 21:11:32 ID:ei9QclAR
このスレを眺めて
景勝は愚直といわれてるが謀略家のような感じの印象に変わった。
121 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 23:03:17 ID:wH109bce
米沢藩の史料捏造力は300諸侯一!!
本当は御公儀のほうが上だけど
122 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 00:57:51 ID:efX1xOgV
景勝は悪くないよ傀儡だから悪いのは全部与板衆だよ派のおれが来ますたよ
オキニの長範くんだって米沢奉行になれたのはその死の前年
結局は嫌続以下世代交代するまでなれなかったんだから
それも長年の功績に酬いる名誉職的な感じ
つーか景勝に愛されたのも所謂尻働きじゃなく
能吏としての才覚なんじゃないかな本当は
123 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 02:49:58 ID:vRZtPx5f
景勝自身は暗愚ってイメージはないけど、個人的に父親の死が謙信の策略とは思えず、
景勝が謙信を憎んでいたという説は信じがたかったので(創作だろうが謀反人の息子を養子に
してくれて謙信に感謝してるという逸話もあるようだし)上田衆の傀儡説っていうのは興味深い
書状が捏造なら謙信は景虎を後継者にしようとしてたのかな?
124 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 11:28:52 ID:VUV6uP92
当人が聡明であれど権力基盤を掌握されていれば
傀儡の地位に甘んじざるを得ないからね
足利義輝なんてよく言われるけども
景勝とて春日山で養育されていたわけで
時を経て坂戸に戻ってすぐ全権掌握できるかといえば
一般的な話としても世にそこまで忠節に篤い家臣ばかり
というわけでもなく
125 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 12:33:58 ID:7aP5o8Mc
藩政を私していた与板衆から景勝定勝2代かけて
全権を取り戻したとみれば中々の名君じゃね
126 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 12:58:02 ID:6s3ghjep
直江景綱好きの自分としては樋口を勝手に直江にした景勝はうんこ
127 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 13:38:20 ID:7aP5o8Mc
直江氏の通字「綱」をあっさり捨て去ってることだし
文字通り名実共に樋口の乗っ取りだな
128 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 17:58:03 ID:CgazmHy6
歴史街道の大谷吉継との逸話は感動したな。
小田原合戦後の東北の検地で大谷の不手際から発生した一揆に対して嫌な顔
をせずに兵を出してあげた景勝。「なぜ助けたのか」との問いに
「不慣れな東北で難しい検地を私利私欲なく行っている大谷に男をみたから」
とのこと。
上杉景勝・・・あんたこそ男だよ!
129 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 20:26:09 ID:Iv1++7s1
実は女だがな。
130 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 21:49:45 ID:7aP5o8Mc
ついに来たか景勝女性説wwwww
131 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 23:51:05 ID:Xm8Vip25
もはや何でもありだな。
132 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 00:13:06 ID:9DiPUkqA
368: 2007/02/02 18:43:43 en8DDMLV [sage]
『新潟県史』を読んでたら長尾氏の系図で
景勝が「景虎姪也」になっててワロタw
まさか景勝にまで女性説が?w
133 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 00:18:01 ID:OJU6qwbB
動機としては女謙信が武将になるより女景勝が武将となるほうが必然性があるから
というのも義景が早世し政景が急死したため景勝がいなければ上田長尾は無嗣断絶
謙信が肉親の情でそれを受け容れることも充分有り得る
134 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 00:25:18 ID:j0TL007v
とはいえ片方が女で御館の乱おきるか?
135 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 00:29:32 ID:qNRqMDCi
じゃあいっそ氏秀も女でw
136 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 02:33:45 ID:c+EOuckp
もう上杉は全員女でいいよ
景家も直江も斎藤も女
137 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 02:43:42 ID:4fdBw4Ro
柿崎景家が女だったら超ミステリアスすぎ。
伝承はノータリン猛将なのに、残ってる一級史料はほとんど内政外交関係。
しかも外交ではがっつり成果を出してる。
これで女ってのは妄想ふくらみまくるな。モロにツンデレじゃないかwww
まあ、夫婦一緒に描かれた肖像画が残ってる時点で可能性ゼロだけどな。
138 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 11:29:40 ID:4uiST3iO
上杉全員女って…三毛猫かよ
139 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 16:40:14 ID:hgCY+OoR
140 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 21:22:58 ID:4fdBw4Ro
うはwww
そうかwwwww
子供いるわけだもんなwwwww
141 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 22:30:09 ID:ugAt5zoT
景勝は男色家だったという設定の歴史小説を読んだ事があるのだが
何か史料に記述されて残ってるのだろうか?
そのような話を聞いたことが無いんですけど。。。
142 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 23:56:04 ID:QU6xP/H4
143 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 00:51:01 ID:HNOYswQm
結局このスレもその流れか
144 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 02:29:41 ID:Bt6iIVtM
>>141 兼続とウホッな関係だったんじゃないの?
どの史料にあるのかは知らんが。
145 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 09:00:59 ID:Tyi8zTV4
史料なんて無いよ
謙信からの類推
つーか 兼続神格化企画の一環かも
146 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 12:23:36 ID:SSIaMjir
というか当時の男色は武将として極まっとうな性癖だから逆に、男色が駄目でした、
とでも史料に残らない限り同性との肉体関係もあったと考えるのが普通じゃないか?
147 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 15:31:17 ID:HNOYswQm
男色を嫌っていたという史料が残ってるのは細川忠興?
148 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 17:02:26 ID:Vu0Eg+/D
豊 臣 秀 吉
149 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 01:28:35 ID:t5sXZvNa
150 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 16:20:25 ID:drDlu9vU
150ゲトー
151 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 20:52:10 ID:Qw/8q5f+
上杉景勝は、坂戸城から三の丸の屋敷。
景虎の屋敷は二の丸。
152 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 02:18:08 ID:ykKlgIwR
>>151 それが謙信は跡目を景虎に継がせようとしていたという根拠のひとつにされてたりするね。
でも弾正少弼を景勝に譲ってるってのはどうしてなんだろ?
どこかで『越後を景勝に、関東管領を景虎に』て話も聞いた気がするが…
153 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 03:12:17 ID:8NsvgRhP
実はそれが結構不思議なんだよなぁ。何で屋敷の位置が跡取りの証拠になるんだろう。
江戸城だと跡継ぎは西の丸(綱吉は三の丸)だったりするし、本丸からの距離って
そんなに大事な要素だったのか?
154 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 03:41:54 ID:HyCZMAfp
それは家によって違うだろう
徳川家は規模が違いすぎるので例としては不適切かと。
155 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 04:11:44 ID:ykKlgIwR
謙信は景虎を後継者にするつもりだったって説の根拠って居住地以外にあるのかな?
どう考えても血の繋がってる景勝の方が相応しいと思うんだけど…
まぁ当人たちにもわからなかったから御館の乱が起きたわけだが
156 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 11:22:07 ID:Gxk+4pvi
影虎は軍役課されてなかったけど
景勝は他の家臣と同様に軍役を課されていたっていうのを
どっかで見たような気が
157 :
153:2007/03/12(月) 14:52:17 ID:8NsvgRhP
>>154 それは分かるんだが、春日山城は(少なくとも建築物のレベルでは)確かな
史料や発掘された証拠などが存在しないし、その状況で「二の丸」「三の丸」を
跡継ぎ問題の証左としてるということは、その位置関係が当時は凄く重要な
事項なのかと思ってさ…家によって違うならそもそも証拠にならないんじゃ。
それとも”長尾氏は”代々そういう風習になってた、という事なのか?
>>156 そもそも人質で来てる人間に軍役を課せる戦力があるとは思えないんだが。
158 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 17:16:41 ID:VwCTL+rB
信濃衆や河田氏は余所者だけど軍役有りだな
159 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 17:27:12 ID:VwCTL+rB
軍役を課したかったら上条政繁みたいにさっさと養子から養子に出されるだろうし
160 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 17:31:19 ID:/w3zLpK1
少なくとも畠山義春には軍役がありましたが
上条上杉なんて定憲の死によって何十年も途絶えた名跡を
わざわざ引っ張り出してきたが
実質のところ所領給付の名目でしょう
人質の意味が無くなった点では景虎も
義綱が1968年の能登復帰戦に失敗して上杉を離れた後の義春も
条件としては基本的にあまり変わらないと思われ
161 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 18:02:22 ID:PRujxa3k
上田長尾氏との確執とかが謙信の中にはあったのかもしれない。
長尾政景誅殺説を真実とするとその子景勝を後継にするのは
憚られたのではとも思う。
また、御館の乱でも家臣団の割れ方も真っ二つに近く、家臣団が血縁の景勝を
支持できない理由に謙信の後継指命が景虎と暗黙に示されていたのではと
考えられる。
しかし、一説には謙信はたいへんな姉思いだったともいわれているし、
それ以上に余ほど政景が嫌いだったのではと説得力の無い話をしてみる。
162 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 18:08:51 ID:8NsvgRhP
俺はむしろ逆じゃないかと思ってる。
景勝vs景虎→家臣団真っ二つ、じゃなく家臣団が割れたせいで
景勝の対抗馬としての景虎が担ぎ出されたんじゃないかと。
163 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 20:28:23 ID:jlNwujS7
上杉景勝の男色相手で有名なのは誰と誰?
164 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 20:36:55 ID:0cZ+I68+
景勝は菊姫一筋!!
…だったらいいなあ……
165 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 20:37:41 ID:Y5a+g4nF
>>162 そこまで景勝が本命ならそれこそもっと後継者として行動させてもらえてただろうし、
そもそも謙信も景虎を養子にとる必要性からして無い。
むしろこれほどに近い血縁でありながら謙信存命時にはまるで後継者としての動きが無いあたりが不自然。
謙信が死んで乗っ取りの好機と見て行動したというほうがずっと合点がいく。
166 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 20:47:20 ID:8NsvgRhP
>>165 俺は別に景勝が後継者だったとは思ってないし。
どっちが本命だったかは分からないが、謙信の生前から家臣団の間に
この二人を担いでの対立みたいなのがあったんじゃないかと思ってる。
景勝を先に出したのは、単に景勝の方が景虎より先に後継者になれる
位置や背景にいたから。
167 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 21:26:08 ID:/w3zLpK1
一応養子に先に入ったのは景虎ということになっていますが
それから通説では景勝が義兄ということになってますけども
景勝が1556年生まれですから仮に全て年子とすると
1557年生まれの長女畠山夫人
1558年生まれの次女景虎夫人となり
道満丸が1571年なので12歳で懐妊ということになる
これは当時としても例が無いわけではないがやはり少々苦しい
一方2女の生まれ順が逆という説もあるが
畠山義春が養子に入ったのは畠山義綱能登復帰戦助成の
ための人質とみるのが自然なので1568年で景虎入越が1570年
輿入れで理由なく長幼の序を違えることは考え難く
やはりこの2人は定説通り
となると景勝が末子になると思われます
おそらく義兄を討ち家督を得たという儒教的価値観に反する記述を
米沢藩の公式文書から避けるためではないかと
168 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 21:31:44 ID:8NsvgRhP
ていうか別に景虎の対抗馬として景勝が担がれた、でも構わないんだけどね。
要するに二人の対立から家臣が割れたんじゃなく、家臣が割れたから二人が
擁立されたんじゃないか、と言いたいだけだし。
169 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 21:35:34 ID:Y5a+g4nF
>>168 そういわなきゃダメだよ、意味が全然違う。
170 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 21:36:30 ID:8NsvgRhP
あ、ちなみに
>先に後継者になれる位置や背景
は単純に子供のいない謙信の甥でバックに上田長尾があるなら
狙える位置だろう、というだけ。特に深い意味は無い。
171 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 22:41:41 ID:jlNwujS7
上杉景勝の男色相手で有名なのは誰と誰?
172 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 00:38:49 ID:iNxWXSPn
仙桃院の名が綾というのは、何かの史料に残ってる? それとも創作?
173 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 02:02:48 ID:7u8K+Pz2
>>153 >57 :名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/02/07(水) 11:38:25 ID:bM3EbdZ5
>>56 >
官位譲渡に関する謙信書状は1620年の景勝自筆の書状と筆跡が同じ(新潟県史)
ついでに言えば、本丸を占拠した景勝は、本丸から二の丸めがけて鉄砲や矢を
放っている。素直に考えれば、三の丸より二の丸、二の丸より本丸の方が、高い
位置にあったことになるよね。
血縁についても、景勝が甥なら、景虎は姪の婿。
174 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 02:14:23 ID:n08cFYGt
甥は生まれた時からだが、婿は結婚してからじゃないか?
175 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 02:43:17 ID:7u8K+Pz2
そりゃあそうだが、姪の婿なら単なる養子と言うよりも
立場は強いよ。
176 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 02:48:55 ID:7Zl8kA6/
甥<義理の甥ってこと?
177 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 02:57:14 ID:7u8K+Pz2
そういうことだね。
178 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 05:25:36 ID:XW5eR0Vu
そうなんだ。単純に血の繋がる景勝の方が立場は上かと思ってた
179 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 12:27:07 ID:4nGsoF6J
官位譲渡書状捏造にしても、
政景暗殺事件捏造にしても、
出生順入れ替えにしても、
これほどの稚拙な捏造をいくつもやらなければならないという時点で
家督継承の正当性が非常に疑わしい。
やはりクーデターに近い後継争いだろう。
180 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 13:28:48 ID:XW5eR0Vu
俺の気持ち的には景虎に継がれなくて良かったと思う。
181 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 13:44:16 ID:veB3jaE6
もし、景虎が継いでいたら、上杉家は北条家の傀儡的な位置に置かれ、
後の織田との戦いは無く、逆に武田攻めにあたっていたと思われ、
武田氏消滅後、織田傘下に入り、奥羽攻めに組み込まれたか、
北条と共に織田の次のターゲットとされたか、次第によっては織田軍団の展開が
変わり、本能寺の変が起こらなかった可能性さえある。
たらればにきりは無いのだが。
182 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 14:27:48 ID:cSvXVrwJ
上杉景勝の男色相手で有名なのは誰と誰?
183 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 14:33:06 ID:+ppfNrhs
ここでピーチクパーチク言ったところで通説が覆ることはまず無いけどな。
なんせ上杉家が今なお存続してんだから。
御当主が認めない限りそれ以上話は進めようがない。
米沢市だって今更そんな話困るだろ。観光収入に響く。
184 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 14:54:43 ID:pp08MVKN
>>183 景勝後継者説って既に通説なの?
そうだと断言してるものの方が少ない気がするからまだまだ議論の最中なのかと思ってたよ。
米沢市民がどう思っているのかは知らんけど
185 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 16:02:06 ID:OnzvqzpC
>>184 そりゃあ府内家累代の名乗りである長尾弾正左衛門尉に基く
弾正少弼の継承というのは有力な物証だったから。
少なくとも一次史料の裏付けが全く無い分割相続説よりは
越相断絶による景虎廃嫡、顕景入嗣及び改名というのは
非常に説得力がある。
一次史料覆っちゃったけどね。
186 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 21:50:51 ID:oL9LKgCN
>>越相断絶による景虎廃嫡、顕景入嗣及び改名
時期が中途半端で俺は違和感ある、この説。
越相断絶から景勝を名乗り始めた時期まで5年もたってるのと、
上杉憲政が景虎を推してる辺りから、残念ながら景勝は
謙信存命時には上杉を継ぐような動きは全く無かったのではないかと思う
謙信が急死してる辺りからもクーデターの方が納得できる。
187 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 22:44:20 ID:XW5eR0Vu
確かに…
上杉憲政は北条氏に関東を追われてる。天文11年には常陸の鹿島神宮に北条氏追討を願った願文を奉納したらしいから北条氏に対する遺恨は相当なものであるはず。
その憲政が北条氏の出身である景虎を推したのはやはり『景虎を後継者に』という謙信の意向を知っていたから、とすれば自然ではあるな。
188 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 22:50:39 ID:oL9LKgCN
それか、北条嫌いの憲政ですら納得するほどに、
景勝を継がせる訳には行かないわけがあったか・・・だな。
最も謙信はともかく仇敵という意味では長尾も北条並みではあるわけだが。
>>173を踏まえて、謙信はトロイカ体制を望んでいたんじゃないのかな。
190 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 23:59:21 ID:7u8K+Pz2
謙信とすれば、上田長尾氏を完全に信用もしてないし、
対等の立場と認めるわけにもいかないが、完全につぶす
には大きすぎる相手で、適当に機嫌を取りつつ(養子に
する)臣従を促すしかなかったと思う。
とりあえず、景虎に家督を譲っても景勝の妹(姉)と縁組
していれば、最低限の協力は得られると考えたのかもね。
191 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 00:15:59 ID:VbfOZrdn
政景の死後とかに潰すチャンスはあったでそ?
192 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 00:31:22 ID:bqwRFcb9
そりゃ無理矢理潰そうとすれば潰せたろうけど、
内憂外患の状況でそこまで同族で争ってる訳にもいかんだろう。
んなことやってたらあっという間に他国につけこまれる時代だ。
193 :
153:2007/03/14(水) 00:39:11 ID:Ci3LwO9m
>>173 良く分からないんだが、より本丸に近い、高い位置にある方が後継者に近いと当時は
考えられていた、と受け取ればいいのか?
単純に位置関係の話だけされても分からん。
なんで官位譲渡の書状の話がここで出てくるのかも分からん。
どうも話がずれてる気がするんだが、二の丸、三の丸に居住していた事が証拠として
挙げられるけどそれは後継者を考える推論に用いて良いものなのか、という疑問だから
この時点では後継者が景勝であるか景虎であるかはあんまり関係ないと思うんだけど。
二の丸への居住には継承の優位性がある→景虎後継者説の根拠の一つ、にはなるが
景虎が後継者→二の丸には優位性がある根拠、じゃそもそも話の順序がおかしいし。
194 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 00:58:47 ID:bqwRFcb9
住んでたところの話はよくわからんけど、
そもそも長尾家の後継じゃなくて上杉家の後継者は誰なのか?と言う話である以上
上杉憲政が推した方だわな、謙信だってこの人の養子だからこそ上杉家を名乗ってた訳で。
さらに官位譲渡が捏造だったとするとそもそも謙信は景勝を後継者候補として見ていたかどうかも怪しい。
195 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 01:03:13 ID:VbfOZrdn
>>192 政景死後は上田の領土はほとんど謙信が直轄地化してたんじゃないの?
196 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 01:06:02 ID:FOzZjJld
戦時の春日山城と平時の江戸城を一緒にしてどーすんの
極端な話、例えば大手門に後継者を配したら真っ先に討たれるでしょ
197 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 01:12:22 ID:Ci3LwO9m
>>196 そこは謝る。単に知識がないからとりあえず有名な城の名前出しただけだから。
別に江戸城はどうだっていい。
198 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 01:20:46 ID:FOzZjJld
憲政が景虎を後見した事実に対する言い訳が
何一つ根拠の無い分割相続説だろうね
関東管領職に実体が無い以上景勝後継説の亜流に過ぎないもの
もしも謙信が景虎を管領職に押し込めるつもりだったのなら
御館の政庁に留めただろうね
それこそ春日山参勤の必要が無いわけだし
199 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 02:07:11 ID:9oEaDDZ6
>>195 政景死後、上田衆は解体され、信濃等の前線に飛ばされている。
血縁の甥とはいえ、その実家に対する仕業をみると、
素直に後継扱いとは言い難い。
200 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 02:21:42 ID:VbfOZrdn
>>199 後継とは上杉家のことですか?
あくまで
>>190へのレスだけど、上田衆がそんな状態だった以上、
そのままほとんど抵抗無く上田長尾の力を削ぐことなんて簡単に出来たと思うんですが。
あえてそれを肉親への温情もあってしなかったのでは?
201 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 02:44:21 ID:bqwRFcb9
そんな甘い話ではなく敵国との情勢下で単純に内乱を長引かせられなかったのと
身内である以上他の家臣への影響も考えた謙信の妥協点と見るべきだろう。
202 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 02:51:09 ID:VbfOZrdn
内乱なんて起こってたっけ?
身内であっても河田長親と長尾景信みたいなのもいるんだけど。
203 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 02:53:18 ID:H0W5ElNI
一般的に本丸への屋敷の近さは家中の序列だよな。
そりゃ、家中の序列から言えば、2の丸>3の丸だわな。
204 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 03:08:21 ID:oTGxp8Zd
>>200 上杉に限らず、他の戦国大名の例をみても敵対的同族を
完全に解体するとか、追放するとかできてないよ。
たとえば、島津氏も最後まで争った薩州家を取り
潰したりできなかった。
薩州家に義久の娘を嫁がせ、その外孫を家中序列で
義弘の上席に置いている。
領地だった出水を本家直轄にできたのも、関が原前後に
豊臣がらみのどさくさでのことだし。
それを考えたら、謙信が上田長尾を存続させつつ、徐々に
力を削ぐ方向にもっていくしかなかったというのも、自然
だと思う。
205 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 03:18:21 ID:oTGxp8Zd
>>193 混乱させてすまんかった。
>>173の前半は
>>152へのレス。
>より本丸に近い、高い位置にある方が後継者に近いと当時は
>考えられていた、と受け取ればいいのか?
そのとおり。
わざわざ、下位の者に上位の者を見下ろす場所に
住まわせるのは、不自然だよ。
206 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 03:22:36 ID:H0W5ElNI
相続について、景勝のが有力だったなら、葬式すぐに春日山城を奪うなんてことする必要ないな。
まってりゃいいわけだし。
葬式中から襲撃準備して武力で本丸奪取して、越後を内乱に陥れてまで家督相続する意味ない。本命だったなら。
むしろ、本命は景虎だったから、こういう無理矢理なやり方せにゃならなかったんだろ。
207 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 03:29:26 ID:VbfOZrdn
>>204 別に一気に解体するとは言ってない。
というかその例なら景虎の家督相続直後の府内と上田の対立と比較すべきでは?
状況は違えど政景の死がその例で言う「どさくさ」に当たるのではないかと。
一度は上田衆をほぼ直轄化してるわけだし。徐々に力を削ぐという割には随分とぬるい気がしますが。
上田のご機嫌を取るなんてレベルですかね?
208 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 23:42:11 ID:oTGxp8Zd
>>207 戦国大名の支配体制を知れば知るほど、謙信の上田
長尾氏と景勝への配慮が見えてくるんだよね。
>上田衆をほぼ直轄化してるわけだし
ここのところなんだが、多分景勝元服まで謙信が領
地・上田長尾の家臣預かったという形をとったんじ
ゃないだろうか。
長い歴史を持っている一族は、血縁・姻戚・利害関
係が複雑で、反乱を起こしたから追放・領地没収・
皆殺しとしなかなかいかないんだよね。
それどころか、機会を見て一度没収した領地を縁者
に返還する例も多い。
ここは、上杉家臣団の内情に詳しい人の解説を希望
する。
209 :
153:2007/03/15(木) 00:08:26 ID:39u4+XPZ
>>205 その意味でいいのね、返答ありがとう。
ただ
>素直に考えれば、三の丸より二の丸、二の丸より本丸の方が、
>高い位置にあったことになる
に関しては、春日山城の場合景勝屋敷の方が高いんじゃないのかな?
正確な高度は分からないけど、天守閣跡から見下ろした時、南東にある
景虎屋敷跡より南西の下がった尾根上にある景勝屋敷跡の方が高い位置
にあるように見えたんだけど。
210 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 00:42:38 ID:S78tjTUX
>春日山城の場合景勝屋敷の方が高いんじゃないのかな?
えっ、そうなの?
211 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 00:45:22 ID:YnNRWYTY
>>208 >戦国大名の支配体制を知れば知るほど、謙信の上田
>長尾氏と景勝への配慮が見えてくるんだよね。
これは同意なんだけど、その配慮が何のための配慮かということで。
少なくともご機嫌取りなんて下手に出たものとは思えないのよ。
追放・領地没収・ 皆殺しなんて極端な話ではなくとも、
上田長尾を上杉家中の最大勢力として残す理由は無かった。
情勢が緊迫していたとはいえ、上田のゴタゴタは
「徐々に力を削ぐ」最大のチャンスだった筈なのにしていない。
先に挙げた例だけど、母方一族の上杉景信なんてのは力を大幅に削られて、
元々家来だった筈の古志衆は河田長親に従って越中の前線に飛ばされてるわけで。
そんなことをあえてしなかったのは、恩を売ろうとしたか個人的感情かで
元々削る気が無かったからじゃないかね。
212 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 13:01:01 ID:crRCGeQ+
>>209-210 高低差では明らかに景勝屋敷の方が高いよ。
本丸からの距離も近いし、高さも本丸より3〜5m低いくらいじゃなかろうか。
それに比べ三郎景虎の屋敷跡は本丸から15m以上低い。距離も景勝屋敷よりもある。
本丸からの距離や高低差や利便性等を考えて屋敷の位置を見ると三郎景虎よりも直江家の扱いの方が上だね。
213 :
仙台藩百姓:2007/03/16(金) 13:36:07 ID:7mlKzq9b
直江屋敷は本丸に次ぐ場所という印象だお( ^ω^)
峯の頂きに沿っていて景観もいいし面積も広いお
景虎屋敷は中腹の土手っぷちで日当たり悪そうだお
214 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 15:48:37 ID:X50asbvQ
そりゃ景虎屋敷は後からの増設だもの
まさか他を追い出すわけにもいくまいに
それから景虎屋敷付近の米蔵は土塁の堅固さから弾薬庫説があるそうですね
215 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 15:51:26 ID:X50asbvQ
216 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 16:36:14 ID:8ZSITWZD
逆に解釈すれば人質として外とのアクセスが悪い場所に置いたようにも見えるな。
景虎に屋敷が与えられたのっていつ頃だっけ?
217 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 18:07:31 ID:X50asbvQ
まあそうとも言えますが
ただ大軍で攻め込むには砦の下をたどる狭い道を通らなければいけないのに対して
落ち延びるのにはなんとかそのまま谷を下れなくも無いと思うんですがどうなんでしょうか
実際御館の時は落ち延びたことだし
むしろ御館からどうやって落ち延びたかが疑問だわ
あんな何もないとこを
218 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 04:59:50 ID:QjQrZwJ6
空文化した管領職の行方が内乱の原因というのは無理あるわな
それだと景虎を担ぐ側のメリットが殆ど無い
それでも上野に勢力のある北条親子や河田伯耆はともかく
阿賀北の加治氏なんて皆無だ
219 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 10:47:50 ID:NYt7sMAn
>>216 越後入国直後、景勝は改名後の天正3年。
220 :
関連スレ:2007/03/20(火) 10:55:35 ID:rgHhVQ+H
221 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 15:18:19 ID:T6HZG7lB
景勝はほとんど笑わないうえ、常に刀に手をかけてたらしいよね。家臣みんなビクビクもんだったろうな…
222 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 18:29:43 ID:IvOnJIOk
実家に帰るまでが落ち延びですから。
まず谷越えだったら歩いているうちに見つかるでしょ。
223 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 05:36:29 ID:TAUm1+FC
謙信が景虎と景勝のどちらを後継者にと考えていたか結局わからないが、
俺は景勝が継いでよかったと思う。
224 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 17:52:27 ID:HRF8k9ow
まあ、微妙だ罠。
実家の北条の動向しだいか。
対北条、対豊臣、対徳川で随分扱いが変わると思う。
225 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 18:24:52 ID:06rZvrAh
>>223 謙信は景虎に関東管領を継がせるつもりだったらしい。
226 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 21:32:07 ID:Se5t7p05
それなら『輝』を偏諱したのではないかと思うけども
もしくは管領上杉の通字である『憲』
『虎』は幼名の虎千代から引きずっていて本人も思い入れがあるようで
署名にも「虎」とだけしたためたものもあるし
景虎以外『虎』を書き出した臣下は1人もいなくて
景虎を譲った元亀元年に謙信を号するようになるなど
公職としてよりも私的な思い入れが感じられる
国人連合の盟主である戦国大名の後継はともかく
府内長尾家の後継者としては見られていたんじゃないか
それゆえの府内長尾一門の支持であり栃尾本庄の支持かと
227 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 01:15:47 ID:VAjUGDgL
>>226 作法として、公方様から拝した「輝」の字を他人にあげて良いの?
228 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 11:47:33 ID:SAPb9GM9
白井長尾輝景が謙信による偏諱かどうかというのは意見が分かれるようですね。
一方政の字はいくつか見られるようで直江景綱も政綱を名乗った時期があったようです。
直江大和が謙信以外の偏諱を受けるとは考え難いので。
229 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 23:47:21 ID:/cf2pKCz
参考までにどうぞ。
足利義晴の時代にも、義の字を受けた武将として、大内義隆、
晴の字を受けた武将に長尾晴景などがいる。
義の字を受けようとする者は、幕府に500貫以上の献金を要し、
諱の下の文字は300貫とされた。
230 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 00:06:25 ID:LHEduT5z
義輝死んでるし
つーかゲン悪くて貰いたくないな
231 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 00:58:05 ID:+ATKKhhY
それを言うなら「顕」だって
232 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 01:09:02 ID:sm75XP72
顕景の「顕」の字は、誰からの諱?
233 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 01:14:17 ID:+ATKKhhY
忌み名じゃないけど祖父の代でヌッ殺した関東管領と被るじゃん。
特に上田は関東管領家との繋がりが深かったらしいし。
そういうのは気にしないもの?
234 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 02:03:34 ID:jzXQBO/L
景勝の「勝」の字は誰からもらったもの?
235 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 10:26:44 ID:Rp9gS/ZW
上杉家中の『顕』と武田家中の『昌』は戦国史上の謎だな。
仏教縁起かなんかなんだろうか。
もしくは裏紋みたく裏忌み名みたいなものがあったとか。
236 :
仙台藩百姓:2007/03/24(土) 11:52:30 ID:FAXpHsAc
237 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 12:24:53 ID:LHEduT5z
それだと上下関係逆だろ
烏帽子親の下の字を上に受けることはあっても逆は無い
甲越は対等同盟なので勝景とするのが自然
つーかそもそも勝頼から貰ってたら1575年の弾正少弼景勝がウソってことになるが
いいのか?
238 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 00:10:59 ID:3LKPdVuq
景勝から「勝」の字を貰ったのは、嫡男定勝と直江の婿の勝吉だけでおk?
239 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 15:06:57 ID:tkeh4SmB
北条高広の次男に北条勝広という御館の時に
北条一族で唯一景勝方についたのがいたハズなんだが
早々に讒言で成敗されてるので事跡がよく判ってない
ひょっとしたら本庄繁長の末子の大宝寺義勝もそうかもしれない
阿賀北本庄氏は身内の上田衆信濃衆以外で最も厚遇された一族なので
尤も本庄氏に復姓した時にさっさと勝の字を捨て去って充長と名乗ってたり
よくわからん
240 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 00:23:55 ID:kiYVKAjo
上杉景勝の男色相手で著名な人物は誰と誰ですか?
241 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 00:39:39 ID:9VqcbEpI
新発田の反乱を平定するのに相当手を焼いたようだが
そんなに相手が手強かったのかな
242 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 00:41:26 ID:MBvrtoPc
織田が強すぎて、その対処に追われていたから。
本能寺で織田の脅威が無くなった後はきっちり平定してる。
243 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 00:59:23 ID:ZfwcdePj
嘘だよそれ
本能寺後も水原満家やら菅名綱輔やら討たれてんじゃん
結局新発田が落ちたのは1587年になってから
244 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 08:44:01 ID:2niPv/LY
景勝の「勝」は柴田勝家の「勝」に由来する
245 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 18:39:09 ID:DmzcB85q
×織田が強すぎるから
〇織田は数が多いから
246 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 19:20:44 ID:fOIXyDFZ
強いと数が増える
弱いと数が減る
247 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 21:08:46 ID:WWstSxuW
本能寺の頃の景勝家臣団てどんなのがいるのだろ?
248 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 22:07:40 ID:fJz5Axsd
本能寺の頃なら御館戦勝処理の頃とあんまかわらんやろ
会津移封頃になると序列上位はもうほとんど上田衆と信濃衆しかいなくなるけど
249 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 03:36:58 ID:WIYs0TWv
>>248 上田・信濃以外の連中はどこ行ったの?初歩的な質問でスマソ
250 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 09:55:22 ID:l6FQTShd
死んだ
251 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 04:04:48 ID:mdcWevLb
>>249 御館の乱であぼーんするなり弱体化するなりしたり、会津に行く時越後に残ったり。
つーか上田・信濃衆に囲まれながら上位に食い込んでる本荘に萌える
252 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 19:23:36 ID:wCHBhhF7
ここはその辺に詳しそうな人がいるみたいだな
色部とか中条とか、揚北の連中とかはどうなったの?
253 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 20:32:09 ID:mM6LUSZd
色部も中条も、歴代当主の墓が米沢にあるぞ
254 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 10:26:42 ID:3yWmQyuN
兼続2009年大河主役決定age
景勝は誰がやるんだろうな。
255 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 10:59:26 ID:QvjOgUn3
どっかで景勝は北村弁護士が適役と書かれていてワロタ
256 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 11:00:06 ID:NdneXNIY
257 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 13:37:14 ID:UctOvMjA
「支える女たち」が強調されてるのが気になるな。
景勝が菊姫の尻にしかれてたらショックだ。
大河で景勝時代の上杉が見られるのは嬉しいが、不安材料多いなあ。
258 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 18:08:27 ID:mZ7LK7cm
としまつの里見景勝は渋かったけど、年とりすぎで違和感あったな。
今度は兼続の少し上の俳優で頼みます。
259 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 18:49:19 ID:xHOZ+Oa4
いつもむっつりしている怖い人だったらしい
260 :
人間七七四年 :2007/04/29(日) 19:36:59 ID:UK9Ac6bh
俺の中での景勝像は的場浩二
的場は大河に頻繁に出てるから可能性はそれなりにあるんではないかな、と
次点で松重豊
彼も頻繁にNHKのドラマに出てるから可能性はあると思う
ただ身長が高いので兼続役の俳優とのバランスを考えると的場より低いかな
大穴で柳場敏郎
寡黙な役は踊る大捜査線でやってるから心配はないが黙っていて周りに恐怖心を与えれるほどの強面ではないのでイマイチ
261 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 00:39:35 ID:7hkdSKtT
262 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 00:40:27 ID:FXMeoxYs
>>257 >景勝が菊姫の尻のしかれてたらショックだ
武田の姫好きなので菊姫も好きだけど、それは見たくないなw
あと、菊姫自害説の採用もして欲しくない。
>>260 松重豊、いいねいいね! 時おり片頬で笑って欲しいぞ。
でも、松重はNHK朝ドラの次期シリーズ「ちりとてちん」で
ヒロイン(風林火山のミツ)の父親役だが。
263 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 08:04:04 ID:f67yRYzX
密かに初代仮面ライダーとか似合いそう
264 :
人間七七四年 :2007/05/01(火) 16:45:39 ID:r2/1PQek
>>263 いくらなんでも歳取り過ぎだ
10年前くらいなら可能性はあったろうけど
265 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 20:32:17 ID:U7vII20h
里見景勝はかっこよかったけど年取りすぎて笑い止まらなかったw
五大老の中でも若輩のはずなのに利家・家康よりもおじさんだった
その割りに直江は青年で慶次は及川だしめっちゃ笑顔だし
かっこよくて演技上手くてよかったけどアレが景勝か聞かれると絶対違う
266 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 22:45:42 ID:CQYfVEAP
>>265 利家が景勝を接待する回の、「何か申せ景勝!」はワロタw
里見さんの演技は決して悪くなかった(むしろよかったと思う)んだけど、
問題は景勝とは違った事だな。
天地人は一年ずっと出ずっぱりだから、ちゃんと「景勝」な人がいい。
クレジットも二番手…いや、お船の次の三番手かな。
267 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 23:12:01 ID:9rzqjVIZ
景勝は肖像画とか人相のわかる記述ないのか〜?
うpして。
教えて。
268 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 23:36:52 ID:g01Oaj4s
カンニング竹山
269 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 15:38:30 ID:6RstoR4N
270 :
人間七七四年 :2007/05/08(火) 16:02:30 ID:DY701VOE
271 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 02:02:52 ID:y+eK0d2f
272 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 22:33:45 ID:gvi3PD2L
age
273 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 23:14:56 ID:zktgOMie
>>363 >>364 子猿の媚びお辞儀であのだらしない吹き笑い、場面かわって秀吉顔面どアップ。
もっとやせてくれれば壮年役から、むりか。
274 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 23:19:13 ID:zktgOMie
275 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 18:19:30 ID:Dc2yPG38
壮年の謙信公→渡辺謙
景勝公→役所広司か豊川悦司
直江兼継→浅野忠信
前田利益→阿部寛
伊達政宗→榊英雄
最上義光→生瀬勝久
こんな感じがいいなぁ
276 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 14:30:35 ID:tsafbE6G
おれはさ やくざの親分、殺人班集めて戦国映画とったら 少しリアリティー出るんじゃないかって思うんだが?
277 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 13:18:24 ID:8p4+9xGP
筆跡が景勝自身のものだから弾正少弼譲は捏造と上の方のレスにあるが、
当の三郎景虎自身が、謙信の死後間もない時期に、
景勝のことを「少弼」と呼んでいる芦名盛氏書状があるよ。
景勝が勝手に自分で名乗った官途ならば、
すでに敵対していた景虎が、第三者宛の手紙にそんなこと書く必然性が全く無い。
それに景勝が官途を譲られたあと、
謙信の生前と考えられる時期に「少弼」と署名した書状も残っている。
したがって新潟県史料の官途譲与謙信書状は景勝の自筆であるにしても、
それは、正当に譲られた事実を明確に残すために書状にしたと考え得る。
…という論文もまたある。
だいたい勝手に捏造した後ろめたいドス黒い書状なら、普通自分で書くだろうか。
278 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 13:36:04 ID:ltyCjfnz
>>277 自筆で書いたら、犯行を自白するようなもんだもんな。
後ろ暗い所があるなら、普通はやらんわなw
279 :
人間七七四年:2007/08/11(土) 12:41:17 ID:j4mDtI8N
景勝に似て無口なスレだなw
280 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 01:06:25 ID:k8jAw8UD
誰がうまいことを言えと言ったwww
281 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 07:55:37 ID:gcJL9os3
家臣ですらめったに喋った事を聞かない、ってのも凄いな。
ある種の精神疾患だったんじゃなかろうか。
282 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 18:49:41 ID:7zQgMoqL
283 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 00:34:44 ID:BZW0thB0
御館の乱直後からすでに直江と狩野の両頭体制なんだっけ?>側近政治
しかし兼続ってば本当に幸運というか。
乱後すぐ信綱事故死で直江継ぐし、狩野もあっけなく病死で20代にして単独執政。
あとはどこまでが景勝の意思で、どこまでが直江本人の意思だったのか、
もはやその境目さえ判然としない状態。
景勝はある意味傀儡ですべて直江が仕切ってた、とイメージしている人が多そうだが、
どうなんだろうか。
肝心カナメの関ヶ原では意見が割れて、なぜか舵取りしてた筈の直江の意見が通らなかった、とされるが。
いろいろ不思議でならない。
284 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 10:50:46 ID:kHhQj/2e
てか無口さだけで精神疾患を疑うってのもよく分からんな。
それとも他に症状としてあてはまりそうなものがあるのか?
285 :
人間七七四年:2007/08/17(金) 13:02:47 ID:lv5FxLC2
>>284 ある種のコミニュケーション障害に当てはまらない事も無いな。
286 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 23:43:15 ID:CqKH5IgH
景勝支持派の大物だった直江信綱、
謙信晩年の側近だった山崎秀仙は殺害され、
上条政繁は追放され、狩野秀治は病死。
直江の目の上の瘤だった人間は次々にみんな消えた。
偶然なんだろうが裏があったら恐い。
とてつもなく直江恐い。
287 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 03:13:03 ID:lrJM8Tn4
謙信周りの人物が消えていってるのは景勝自身の方こそ怪しいな・・・。
そもそもこの人は上杉の名を利用はしても本気で謙信を慕っていたかは若干疑わしい・・・。
288 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 17:58:07 ID:G0Cw/roM
謙信の晩年の側近たちで御館の乱後、数年で消えたのって
河田長親と魚津絡の守将たち、上にも出てる山崎専柳斉のぞくと
あと誰だろ
誰か怪しい死に方した人いたっけ
>本気で謙信を慕っていたかは若干疑わしい・・・。
やはり政景の死には何かしら含むものがあったのかね
289 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 07:28:41 ID:kbpJ86Rq
政景の死自体が事故死か謀殺かも
景勝がそれをどう捉えたかも全く分からんのじゃ
仮定しようも無いな。
290 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 19:22:41 ID:KPFUdZlo
まぁそりゃ景勝に聞いてくるしかないわな、答えそうに無いけどw
政景の死に関してもそうだし、
自分という身内が居るのに氏秀に幼名の景虎の名を与えて後継者としている事も、どう思ったのだろう?と思うし。
謙信の志を継ぐ気であったのであれば景虎はともかく何故上杉憲政まで殺したのだろう?という疑問もある。
291 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 19:53:43 ID:TauJm4iA
軍役帳で政景は家臣扱いだが景勝は一族の第一位にいる事、
弾正少弼は景勝に譲られていること(三郎景虎も認めている)を考えると
少なくとも越後国主の座は景勝の方が優位な気がするが
三郎景虎が後継者扱いってのはどうかね?
292 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:18:31 ID:j7D7OEV7
>>291 あまりツッコんでる人がいなくて今まで不思議だったのだが、
越相同盟が成立するまでの経緯で、北条家は、
氏政の子を謙信の養子とすることを同盟条件として決めて、それ以後、
初めて長尾輝虎(謙信)を「山内殿(山内上杉)」と呼び、
関東管領として認めている。その後、養子は弟の三郎に代わったが、
謙信の姪をその養子にめとらせることも三郎の越後入り前からの約束(上杉文書)。
つまり、何が言いたいかというと、
・三郎を養子にすること
・謙信の姪と結婚させて名実ともに上杉一族とすること
・そのうえで関東管領山内上杉家は三郎が継承すること
この3点は同盟成立までに両家の合意事項として定められていたことなのでは?
しかし、1571年10月の氏康死去、同年12月の越相同盟破棄(甲相同盟復活)
1573年7月の信長による義昭追放(足利幕府の滅亡)・・・
という諸事情の変遷によって、北条家との関係も、管領職の意義も変化し、
謙信にも三郎の扱いについて頭を悩ませるところがあったのではなかろうか。
このまま当初の約定どおりに関東管領を継承させたところで、
もはや有名無実どころか、幕府による正式な役職でもなく、
コストばかりかかって実益を生まないポストであることは本人が誰よりよくわかっている。
293 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:30:35 ID:j7D7OEV7
(上の続き)同盟決裂後、
北条征伐のために謙信が掲げた願文を読むと、氏政のことを、
「父を裏切り弟とその忠義の士(遠山親子)を捨てた」と非難していて、
そこからも謙信が自ら初名を与えた三郎に対し愛情を抱いていたことが推察できる。
では、だから「後継者は三郎」とし、
すべてを三郎に譲るつもりだったかと考えると、今度は景勝の存在が大き過ぎる。
1574年の関東計略失敗によって、謙信の関東方面での力は大きく後退。
同年12月に出家して法印大和尚となり、父の33回忌を盛大に行っている。
その直後1575年1月に甥の顕景を景勝と名乗らせて弾正小弼を譲っている。
(この官途移譲の捏造説はすでに論破されているので却下)
もしも謙信が国主の座もあわせて三郎に与えるつもりであったならば、
ただでさえ家中屈強の上田長尾家を率いる顕景に対して、
こうした処遇をしてやる必要は全くない。
そのまま上田衆の顕景にしておけばいい。
294 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 23:42:34 ID:j7D7OEV7
(また続き)一門筆頭の地位は与えたにせよ、
あくまで景勝は家臣の立場で景虎に仕えさせる予定だった、
と言う人があるかも知れないが、これほどの地位補強をしてやり、
「御中城様」と呼ばせ、家中最大クラスの兵力を持たせておくことは、
景虎を次期当主とするならば非常に危険なことではないのか。
そうなると、国主まで含めて三郎に跡目を譲ろうとしていたと考えるのは
やはり違うのではないか、という考えに傾いてしまう。
要は関東管領職が実際消えたあと、
三郎をそれに代わるふさわしい地位としてどう保ってやるか、
謙信は非常に悩んでいたのではないかと考えるのだが、どうか。
理想は足利幕府復活で関東公方・管領復活、三郎就任、、、だろうが、
それほどの時間がもう自分に残されてはいないことを、謙信はわかっていたとも思う。
さらに、上田長尾と古志長尾の長年の敵対関係を思えば、
うかつに景勝を世嗣指名したところで古志長尾の反発は十分想定されただろう。
長くてスマン、書いてて訳わからなくなって来たが、こう書き出してみると、
御館の乱は本当に起きるべくして起きたとしか言い様がない。
295 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 12:20:12 ID:KErVfZ8w
関東管領は上杉顕定以来官途を名乗らず、四郎・五郎といった仮名で通している。
(謙信は山内上杉を継ぐ前に任官されたから例外)
よって景虎が最後まで「三郎」だったのも、謙信が関東管領職を景虎に譲るつもりだったから
という可能性はある。
296 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 01:45:46 ID:rfZlm+Wr
上のを読んでちょっと気になったのが弾正小弼について、
これは正確には二種類に分別できるんだけど。
一つ目は長尾家が代々自称で名乗っていた弾正(忠、左衛門)と
まだ関東管領になる前の謙信がその自称を将軍に認めてもらって官位の形で確立させた弾正小弼。
為景らが名乗っていた自称の方に関しては景虎(三郎)が名乗る必要性は全くないし、
官位の方を名乗るのであれば全く別の形で改めて朝廷に働きかける必要がある。
弾正小弼・・・というか正式な官位は当たり前だが正式な朝廷からの任官がなければ
本来ならば名乗る事が出来ない役職(自称が多いが)
謙信に関してですら、上杉の姓を継いだ事による蔭位制から認められたに過ぎず、
(弾正小弼は本来多数の人物が名乗れるものでは無いが、謙信が任官された時期は松永弾正小弼がまだいる)
まして謙信個人の意思で誰かに名乗らせる事が出来るような類のものでもない。
逆に景勝は為景の孫であり、父・母共に長尾の縁者なので、
たとえ謙信が認めていなくとも自称である長尾家の名乗りであれば弾正を名乗る資格はあったし、必要もあった。
そして自称で名乗ってる官位で相手を呼ぶこと自体は敵だろうと、当時珍しい事じゃない、
三郎自身が景勝を弾正小弼と呼んでいても、本人が名乗っていたのであればなんら不自然は無い。
だが、たとえ謙信が景勝に弾正小弼を譲る意思があったとしても、朝廷の動きが全くないのであれば
どのみち自称に過ぎず、官位としての意味は持たない。本当に譲る気があったのであれば
あれほど朝廷・幕府を尊重していた謙信がこの事を知らないとも忘れていたとも思えない。
以上の事から景勝が弾正小弼を本当に謙信から受け継いでいたかはかなり疑わしいのだがいかがか。
297 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 13:25:01 ID:2YTZ4qTl
>>296 朝廷からは正式に移譲が認められていなかったんじゃないかと?
謙信の事だから、ちゃんと正式に申し立てているんじゃないか?
298 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 00:59:55 ID:B2mknL1r
>>296 >弾正小弼・・・というか正式な官位は当たり前だが正式な朝廷からの任官がなければ
>本来ならば名乗る事が出来ない役職(自称が多いが)
>謙信に関してですら、上杉の姓を継いだ事による蔭位制から認められたに過ぎず、
謙信が弾正少弼に叙任されたのは1552年
まだ長尾景虎の時代だよ
上杉家の名跡を継いで、上杉政虎と名乗ったのが1560年
なにやら話の展開が途中わかりずらいのだが、要は、
・為景の孫である景勝が、長尾として名乗る資格と必要があったのは
長尾家が代々自称してきた弾正左衛門尉
・景虎は上記を名乗る必要は全くない
・自称の官名を第三者が呼ぶこともあるため、景虎が景勝を書状で
「少弼」と呼んでいても景勝が官途を譲られていた証拠にならない
・朝廷に正式に奏請されて認可されたものでなければ自称と同じ
・謙信が景勝に自身の官途を譲ったとは思えない
…という理解でいいんだよな。
299 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 02:52:04 ID:SACEDOqw
>>298 松永については確かに書き方が悪かったので、訂正します。
松永久秀が足利義輝に相伴衆に任命されて弾正小弼に叙任されたのが
1560年頃、長慶存命の頃。幕府相伴衆として官位を正式に任官されている。(多聞院日記etc)
なので、1552年の時点で長尾景虎への正式な任官があったとするのであれば、
1560年頃に松永久秀に正式に移ってしまった事になるので、認識がおかしくなると言う事。
だからこの段階では蔭位によって家格に対して相当の位階が認められたという解釈。
正式な任官ではないという言葉を使ったので、誤解が生じたかもしれないが、
あくまで謙信に関して言えば正式に将軍・朝廷に働きかけた上で、
長尾家が代々名乗ってきた「弾正」を正式な官位として名乗ろうとしたが、
長尾家は弾正左衛門尉や弾正忠や左衛門などを名乗っていて、そもそも自称・通称なので
細かい分類は難しい。なので蔭位によってまず相当の位階を認めてもらい、
その位階として弾正少弼を名乗れる権利をもった、と言う事だと思う。
当然正式な手順を踏んでいるし、まして自称ではない。
だが、景勝からすれば利用できる名乗りであればどれでも良いわけで。
だからこそ、景勝に譲ったのであればこれらを一切無視して、
一通の書状だけで譲ると言う認識自体を他ならぬ謙信が持っていたとは思えないと言う事。
逆に管領は世襲制なので、本人の意思があれば良い。
300 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 06:25:03 ID:B2mknL1r
>尾家が代々名乗ってきた「弾正」を正式な官位として名乗ろうとしたが、
>長尾家は弾正左衛門尉や弾正忠や左衛門などを名乗っていて、そもそも自称・通称なので
>細かい分類は難しい。なので蔭位によってまず相当の位階を認めてもらい、
>その位階として弾正少弼を名乗れる権利をもった、と言う事だと思う。
蔭位というのは父が正式に叙任された最高の位階までは
その子も叙任されるという律令政以来の制度
(その名残として室町末期・戦国大名では父の最高の官位を子が名乗るのが一般に行われていた)
長尾家の自称していた弾正左衛門尉に対する蔭位という考え方は相当な矛盾がある
>一通の書状だけで譲ると言う認識
父が既に正式に叙任された官名を自ら子に譲る場合、朝廷(もしくは滅亡してるが将軍家)に
どういう働きかけが必要なのか、自分はよく認識してないので、
一般的な例を教えてもらえないだろうか。
301 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 21:44:32 ID:ptHtcLhw
302 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 07:19:36 ID:qA0He/en
>>300 基本的に戦国時代の官名なんて有名無実が多いので、
地方になればなるほどいい加減で、勝手に世襲してしまってたりする場合が多いが、
管領細川家の右京大夫のように、由緒も正しく世襲をしているような場合だと
それぞれがそれぞれで改めて正式に朝廷から叙任されてる。
謙信がそこらの地方大名と同じく、一度叙任されれば
後は勝手に名乗っていけば良いやと言う程度の人物ならともかく
あれだけ朝廷と幕府の権威を重んじた謙信ならば、
官位を譲る事を朝廷に働きかけていて当然だったのではないだろうか?
303 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 13:17:14 ID:0F3+3E5j
300です。官途の譲与について当時の通例がわからないままで申し訳ないが、
たとえ他家の一般的な例とは違っていたとしても、謙信ならば、
必ず朝廷か将軍に働きかけるはず、と言いたくなる気持ちはわかる。
そして、現存している史料にはそうした動きを示す内容のものがない。
従って、ではやはり景勝の弾正少弼の名乗りは自称なのだろうかと考えてみると、
普光寺文書の中に、次のような景勝の書状が残されている。
「御懇札具令披見候、随而今度従、上様御幕なと被下、官途させられ候、就之祝儀之趣祝着之至極〜」
これは景勝が「御幕」「官途」を与えられたことに対し、
寺が贈った祝儀への礼状と目されている。この書状は2月4日付けであるらしく、
1月11日に譲与されたとする従来の説と時期的にも矛盾しない。
こうした史料が残っている以上、朝廷・足利家への手続きについては不明ながら、
少なくとも、景勝に譲与されたことが何らかの形で知らされた存在があることになる。
つまり、謙信に景勝への譲与の意思がなく、全く景勝の自称であった、という考えは
まず成り立たない、とするのが妥当だと思う。
それでも朝廷に認可を得ていないならば(たとえ周辺には告知したとしても)、
謙信には本当に譲る気などなかったのだ、と言われたら、それはもう答えようがない。
一時的に仮称させた、とでも考えるべきなのか(関連史料散逸の可能性もあるが)
いずれにせよ、これまでの研究者たちの論考でも
(上記の書き込みはそれに大きく基づくものです、念のため)
朝廷への奏上について論じているものは無かったように思うので、
そこが大きな論点だと思われるならば、調べていかれるとよいのではないか。
304 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 13:28:00 ID:0F3+3E5j
なお、296で、景虎の書状について、
自称の官名でも、そう呼ばれる例があるため、景虎が景勝を「少弼」と書いていても
それが譲与されたことの証にはならない、とのことだが、
確かに戦国末期、私称した官名を第三者が呼ぶケースはままある。
ただし、弾正少弼譲与は現にこうして家督継承の正当性に関する大きな論点であり、
それが謙信死後、景勝が勝手に名乗ったものであったならば、
すでに敵対関係にあった景虎が、
共同戦線を呼びかけている他国の大名に、それを使うだろうか?
(まして先方も「少弼」が景勝を指していると理解していることが前提になる。)
また、越相同盟が結ばれる過程で、北条家が最もこだわった点は、
謙信を「山内上杉家(関東管領)」として認めるか否か、という点で、
氏政の血縁を養子として送り込むなどの諸条件を定め、同盟がほぼ固まって、
初めて、それまでの「長尾」から「山内」へと宛名を変えている。
相続に関連する相手への呼称は、非常に重要で、慎重な姿勢がとられることがわかる。
こうして考えると、景勝の僭称をそのまま景虎が認めて使ったものとは到底思えない。
天正3年、春日山城内で(おそらく三郎たちも列席する形で)
官途譲与の披露のようなものがあったのではないだろうか。
305 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 13:44:34 ID:0F3+3E5j
連投すまん。自分の考えは>>292-
>>294にも書いたとおり、
三郎景虎の山内上杉家、関東管領継承は、
1570年、越相同盟締結時からすでに既定路線として認知されていたものであり、
その後の諸事情の変化と謙信の死によって、実際の相続まで至らなかった、
ただし、越後国主としての家督相続に関しては、
1575年、官途の譲与をはじめとする様々な権威づけ、地位の補強などから、
景勝を想定していたのではないか、つまり井上氏以来の
後継者2人説に結局のところ落ち着いてしまう。
謙信は倒れる前に、雲に乗って昇天する自身の肖像画を描かせるなど、
何か予感めいたものを感じていたのではないかと言われている。
景虎と景勝を上記のような状態で両立させておくことは双方にとって非常に危険であり、
一体何を考えていたのか、全くもってわからない。
実はこの義兄弟2人の仲が非常に良く、まさか抗争が起こるとは予想もしなかった、、、
なんてことは、ないだろうな多分
306 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 16:05:03 ID:AbH0M7fG
三郎景虎には景勝のように自分で従える軍も所領もないので
戦にはなるまいと謙信は思ってた…とか?
景虎が関東管領に、景勝が越後国主になって内乱も起きず上手く治まったとしても
北条との同盟が無ければ景虎はろくに権力の無い半隠居状態になりそうだよねえ。
謙信は自分がこんなに早くにポックリ逝くと思ってなくて
三郎景虎の処遇を決める前にうっかり死んじゃったのが一番ありそう。
どうしたら乱は防げたかね。
307 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 23:02:55 ID:qA0He/en
>>302 普光寺は上杉景勝・直江兼続らの生まれ育った土地、長尾政景お膝元、坂戸城傍の寺、言わば身内。
結局、1575年の譲渡に関する記録は全て景勝自筆のものばかりというのは
やはりどう考えても鵜呑みには出来ない。
またそれ以前に弾正少弼は上でも言ってる通り、上杉の姓を名乗る前から名乗りだしてる官位であって
上杉の家督とは直接関係無いし、謙信や景虎がこだわったとする記録も無い。
つまり弾正少弼が「家督継承の正当性に関する大きな論点」であるとする考え方自体が
景勝側からの一方的な視点ではないかと俺は考える。
そもそも謙信が「朝廷か将軍に働きかけるはず」としているのは、
あわせて言えば「大名家の家督相続と、朝廷内の役職は別」と言ってるものであって、
(だからこそ朝廷から許してもらう必要があり、それが形骸化すればするほど朝廷の権威は失墜する)
そこに上杉家の家督問題を混ぜてくる事はおよそ謙信ならば考えられないと言う事。
308 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 00:16:25 ID:PJB95YpT
普光寺文書も後付けの創作だと?
譲られてもいない官途を譲られたことに捏造して後世に残したいなら、
わざわざ自分で書状など書かず、寺への礼状など回りくどい手紙にせず、
もっと巧妙な方法はいくらでもあると思うのだが。
鵜呑みに出来ないと言われても、上杉家の編纂の手が入ったことが確実な史料ならともかく、
寺に残った一次史料を、信憑性についてどうこう語り合う能力は自分にはないので、
うさん臭いのと思われるならば傍証を集めて論考していかれてはどうかと。
それに景虎の書状は?307からすると、景虎が少弼と手紙に書いたのは
譲られた弾正少弼が重要性をもたないから気にもしなかった、ということ?
弾正少弼はまだ家督相続して間もない謙信が、越後国主としての権威を得ようと
莫大なコストをかけて得た官途じゃなかったか。
もっとも弾正少弼を譲ること=家督を相続させること、とは考えていないが。
(922からもう一度読んでくれ)
あくまでも、まず越相同盟以来の、景虎による山内上杉家継承が存在して、
では国主の座も合わせて全て譲ろうとしていたのか?と考えると、
景勝のあの時点での地位と兵力はネックになる、景虎後嗣説も景勝後嗣説も難しい、
結局妥当なところで2人説と考えざる得ないのではないか、と言っているまで。
どうやら景虎が後継者であったとお考えのようなので、
重要でないとおっしゃる弾正少弼譲与などに捕われず、ご自分の考えを1から展開してはどうかと。
では。ロムに戻ります。
309 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 00:19:45 ID:PJB95YpT
>(922からもう一度読んでくれ)
すまん292だった。なんか疲れたわ
310 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 02:01:16 ID:k3dMBqK8
>>308 景虎が後継者とも思ってない、またこの期に及んで越後国主と山内上杉を分割しようとしていたのであれば
何故景勝に上杉の姓を名乗らせる必要があったのか。と言う別の問題も出てくる。
そもそも分割して2人説なんてわざわざ内乱を誘発するようなのは馬鹿げてる。
この時点では結局謙信は後継問題に関してあまり動いていなかったと見るのが自然であり妥当だと考える。
景勝が謙信死後に弾正少弼を自称しているのであれば自称してる官位で呼ぶのは珍しくない、
正式な官位であればいずれにしろ朝廷から叙任される必要がある上に、
別に景虎が上杉家を継ぐために名乗らなければいけない必要はないため。
311 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 14:14:35 ID:5mtK+cFu
三郎は兵を持っていなかったので、
謙信は後継争いなど起こるとは思っていなかった。
しかし、景信などが三郎を担ぎ上げて兵を貸し、
北条も介入する事により、
謙信が予期しなかった後継争いが
起こる羽目になったに一票。
312 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 21:53:01 ID:bCJNJGTg
単に謙信がどっちつかずで、景勝も謙信の生前にあまり後継者として地固めをしてなかったと言うのでは
いまいちどちらも冴えない、が俺はそうは思わない。
謙信は後継問題にあまり手をつけないうちに急死してしまっただけで、
景勝はその隙を虎視眈々と狙っていて、事が起こった際には素早く状況を見抜き
見事に上杉当主の座を奪い取った戦国末期の戦国大名だったというのに一票
あの時点では後継などではなく単なる親族代表だったのではないかと思う。
313 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 11:10:40 ID:9YYoRDMr
>>310 主家の姓を名乗るなんて例は、ごまんとあるだろ?
領地を兄弟一族で分割した例も、その後に仲間割れした例も珍しくないぞ?
北条家を語るスレでもそうだが、三郎派は基本的な所を押さえずに発言する癖があるから注意した方がいい。
314 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 16:35:04 ID:sbUd1Lta
>>313 「景虎が後継者だと思って無い」と言う言葉からはじまるレスに対して、三郎派と言うのはいかがなものかと。
強いて派閥を分けるなら、謙信後継者未決定派、とでも言って欲しいんだが。
そこから既に間違ってるだけに突っ込んでるところも見当違い過ぎて
はっきり言って反論する気が起きない。
315 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 06:26:02 ID:k58T55lO
上杉家を語るスレでいわれてる、林泉寺の件はどうなんだろう
景勝が何らかの手を加えたとしたら
景勝のイメージが変わるんだけど(もちろん悪い方に)
316 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 09:02:14 ID:Rpfk2+Ep
意味わからん。
景勝が何かした根拠もなしに話す意味は?
317 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 21:04:16 ID:whZWYuWm
>>314 どこを間違ってると思っているのか知らないが、
>>310の越後国主と山内上杉の分割が、
内乱の誘発で、なかったはずだというような発想には、
根拠が弱いと言えるだろう。
織田、徳川、豊臣、毛利、伊達・・・・も、
次男以下にも分け与えている。
そして、謙信後継者未決定派、か。
まあ、戦国時代は、実力が無ければ生き残れない乱世だったわけで、
当初予定の後継者が、実力がないと判断されれば、
他の兄弟に変更されるという事も、他の時代よりも多かっただろう。
謙信自身も、実力が備わっていたから、兄の後を継いだわけだし、
武田、今川あたりでも、実力が備わっていなければ、後は継げなかった。
謙信にも、その考えが無かったとは言い切れないだろうが、
血筋、家臣団の大きさ、弾正少弼などを考えれば、
通常は、景勝が越後を継ぐべき人物であったと考えられるだろう。
三郎景虎正当説や、謙信後継者未決定説も、
完全に否定するには至らないだろうが、
全体を納得させたり、一般論とするには、やはり根拠が弱いだろう。
318 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 23:13:25 ID:Yk1lMwKp
>>317 謙信自身の意思を示す物が無いのに、その結論は強引過ぎる。
弾正少弼は朝廷になんら動きなし。そもそも上杉家の家督に関係する証拠もなし。
受け継いだ証拠もなし、これで信用するのはどう考えても不可能。
後継者未決定が一番客観的だとしか思えない。
まぁだからこそそこからのし上がった景勝だと思うわけだけど。
あと分割して2人説がありえないとしたのは、「頭首が2人」と言うのがありえないと言う意味、
土地を分けようとも分家が増えようとも、頭首を2人以上にする奴などいない。
そして〜以降は俺のレスと接合点を見出せないのでレスできない。
319 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 01:02:21 ID:kA82ByEI
しかしなあ、後継者を考えてなかった、
家督相続に向けた下準備とか環境づくりに動いてなかった、ってあるんだろうか
前にも書かれてるが、死の1カ月前に自分の法体の肖像描かせて
辞世としか思えない対句を詠んでるんだし
(死期を知っていたかのよう、と高野山の坊さんに驚かれてるし)
予想外のポックリで実際は未決定、未公表だったのはそれはもちろんそうだけど
320 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 01:56:58 ID:cSTX589x
>>319 そもそも後継問題を気にするぐらいの一般的な大名家の頭首としての自覚があるのであれば、
まず妻帯を禁じて子供を作らない時点で明らかに異常なわけで。
それでも後継だけは気にした、というのはもちろんありうるけど、
それだけにそれならばはっきりした記録が無ければ、一般的な大名からの類推は難しいと思う。
321 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 07:31:50 ID:HUD6Vsns
俺景虎出奔時に政景と謙信で密約交わして
政景と仙桃院の子を跡継ぎにする代わりに
上田長尾は謙信に忠誠を誓うとと約束していたから
謙信自身は子を作らなかった派(妄想だけど)
322 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 09:56:50 ID:wNaJCrRv
>>320 逆にいえば当時の上杉周辺って、妻帯せず子供無しな上に後継者問題ノータッチの
ままでいられるような状況だったのか?
謙信が周囲の思惑も意見も完全に無視できるほどの独裁敷けてたなら話は別だが
妻子いません後継者も決まってません、じゃ家臣や同盟者にはきついだろ。
323 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 23:52:30 ID:cSTX589x
>>322 きついだろうな、でも実際問題妻子もいないし、御館の乱も起こった訳で。
324 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 23:58:23 ID:kzamFkmb
そこらへんも謙信が無能っていわれてる中の1点だな。
325 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 01:00:21 ID:N7AHL+S9
謙信が後継者を明言していなかったのは従来ずっと言われて来た通りで、
気になるのは内意として誰かを想定していたのか、いなかったのか、という点。
きつい、と言うか、家臣達はいずれ謙信が死去したら養子の誰かが跡を継ぐものと思ってたはず。
対関東政略に関しては景虎、家中統制に関しては景勝、
いずれも謙信にとっても上杉家中にとっても大事かつ有益な養子な訳で。
北条氏とのゆかりが深い関東方面の諸氏は、
景虎が関東管領職とともに上杉家の家督を継ぐことを望んでたろうし、
上田衆は当然、景勝が継ぐことを望んでいただろう。
上田長尾と宿怨の古志長尾では絶対に景勝擁立は阻止したいだろうし、
北条の子を跡目とするには抵抗を感じる勢力ももちろんあったろう。
水面下で両派いろいろ画策もあったんじゃないかと思う。
個人的には、謙信が政権後期に寵用した晩年の側近たちが大多数景勝派に属していて、
謙信の官僚機構を初期景勝がそのまま継承していたということから、
少なくとも景勝が後継者として、謙信の身近にいた彼等には
受け入れられる素地が作られていたのではないかと思っている。
脳内で誰かを想定していたのか、していなかったのか、と考えて妄想するのが楽しいわけで。
326 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 02:08:55 ID:6qlOiRW2
謙信はそもそも景勝の事をどう思ってたんだろう?
小さい頃は優しい手紙やかな手本なんかも残ってるし、
可愛がってた事がよく伝わってくるけど。
政景が死んでからはどうだったんだろう。
327 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 02:19:12 ID:Wr+ztgLJ
>>325 内意でも誰かを想定したのであれば隠す必要性が無いよ。
いやむしろ、後継者を決定したのであれば御家の安泰を意味するので政治的に積極的に宣伝すべき。
それをやってこそ初めて御館の乱のような事を避けることに繋がる。
側近らは単純に自分の立場を守るため、景勝の動きに乗っただけではなかろうか?
素地が出来てるなら、余計に後継者だと宣言しない理由が無い。
まして憲政が景虎の方へとついた事で、側近らは関東の外圧をより一層感じた可能性もある、
そこでいっそ上杉家の簒奪を画策した景勝の策に乗ったとする方が俺としては合点がいく。
憲政の殺され方も非常に不自然だし。
328 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 06:54:56 ID:Z1WsQp0M
逆に返せば謙信政権で重用された家臣から見たら
三郎景虎に付いて勝たせても自分達に有利にはならないと思われたわけだ。
謙信政権内で三郎景虎と景勝のどっちが信頼されてたかわかるな。
329 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 06:55:17 ID:dbMI4nrs
>>326 政景の死ってのが、実は景勝にとって痛そうな感じだな。
政景が生きていれば、すんなり景勝が後継者になり、
政景が仙桃院と共に裏で支えて、
内乱が起きる可能性は小さくなっていたかもしれない。
しかし、政景がいなかったために、若い景勝には任せられないとして、
景信などが、景勝に従おうとしなかったとも考えられる。
330 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 21:40:07 ID:yxiJ7Wgv
>>327 後継者は未決定、でも景勝が上杉家を継いだのは纂奪、っておかしいだろ。
謙信が何も残せずにポックリ逝き、後継者不明ってのは皆が言ってることだが、
本当に何の動きもなく、白紙だったと思っているならば、
どちらも上杉謙信の養子であった以上、
景勝にも景虎にも等しく正しい権利があり、纂奪だの、のし上がっただの、
あたかも不当に継承権を盗み取ったかのように言われるべきことではない。
ミスリードしたいのか?と思ってしまうよ。
>まして憲政が景虎の方へとついた事で、側近らは関東の外圧をより一層感じた可能性もある、
>そこでいっそ上杉家の簒奪を画策した景勝の策に乗ったとする方が俺としては合点がいく。
事実の経時的な流れを誤解してるよ。謙信の死去が3月14日、
謙信の側近たちが景勝を擁して諸将宛てに書状の発給や受け取りをしているのが3月末以降、
景虎が春日山城を出て憲政のいる御館に入ったのがそれから1ヶ月以上たった5月13日。
憲政が景虎についたと目されるのは、その5月の御館入城以来。
(3月末までに憲政が景虎方につくと公的に旗幟鮮明にしたなら話は別だが、その事実はない)
側近たちからすれば景勝派として活動している最中に景虎が御館に移り、
憲政を敵に回す状況になったのであって、憲政の動向に左右された訳ではない。
また、憲政がついたことで関東からの外圧を強く感じたと言うが、
(関東のどの範囲の、どういった外圧を言っているのか知らないが)
ならばいっそ関東の覇者北条家という巨大なバックをもつ景虎につこうと思うのが自然じゃないのか。
ちなみに、前管領だった憲政が景虎についたことを知り、
やはり景虎を担ぐべきだったと彼等が考え直したのであったなら、
初め景勝に属すと言いながら後で景虎に転じた人たちも実際にいるので、
乗り換えが不可能な状況だった訳ではない。
だいたい彼等の目に「簒奪」と映ったのならば、なぜそんな画策に乗るのか。
官僚という言葉を使いはしたが、吉江資堅、竹俣慶綱、鰺坂長実など、
いずれも謙信の信頼厚い上杉家きっての武将でもある人達なんだがな。
331 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 22:50:51 ID:Wr+ztgLJ
>>330 簒奪と言う言葉が嫌いならそこはどう変換しても良いよ、俺の好みなので。
ただこの言葉は正当な継承権を持ってる同士でも使う言葉だよ、
正しい権利があるとか無いとかは全くの見当違い。
どのみち謙信生存中に後継を決定していなかった事が明らかである以上、その時点で正当も不当も無い。
その後は奪い合いである事に違いは無く、景勝がそこで見事に勝ったことも変わらないので、
それ以上の意味は無い。
332 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 23:31:33 ID:Z1WsQp0M
纂奪は当主が亡く同格の正当後継者同士での争いの場合は使わない気がするが。
333 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 17:12:07 ID:LtC//36a
”好みで使ってるだけ”なら変な解釈でフォローはしない方がいいわな。
334 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 20:15:44 ID:mTHVKlqA
匿名で書き込むなら、言葉は正しく使ってもらいたい。
335 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 01:56:47 ID:lmBvuv+j
それにしてもこの時期の景勝の動きは凄い。
謙信の死後にわずか数日で春日山を制圧して優位な体制を築き、
家臣を従えて、更にその金銀で外交も抜かりなくこなしている。
これらの一つでも狂えば御館の乱はどうなっていたかわからない。
結局、後継に関しては謙信は考えていたかどうかすら怪しいが、
この見事な動きを目の当たりにすれば、家臣からすれば些細な事だったのではなかろうか。
もともと嫡流も本家も分家も長尾も上杉も越後も関東もあったもんじゃない家になってる訳で。
336 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 07:03:01 ID:83s650oO
>>331 見当違い?そのままお返しする。
嫌いだから突っ込んだ訳ではない。本当に簒奪した者は簒奪者と呼ぶべきだ。
歴史上、互いに正統な全く同等の権利をもち、その権利を主張して戦い、
勝利して継承者となった者で簒奪者と言われている著名人に誰がいるのかね。
一般には、簒奪といえば何らかの圧力によって地位を奪うこと、
その地位を継ぐ資格が無いと見なされている者が強引に就くことを指すようだが。
後継者問題は白紙とする君の言うところの景勝はこれに該当しない。
だから書き込むときは君の方が変換するべきだろう。
結果的に景勝の動きが見事で勝利したことには変わりないのだから、とは言っても、
そこに至る発端に、不当な匂いを感じさせる言葉を使うのであれば、
やはりミスリードを誘うものだと思うよ。
337 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 16:14:05 ID:IWU7VrNI
景勝にとっては面白くはないだろうけど、
関ヶ原と大坂の陣の間に何かドラマがあったなら、
もっと面白かったかな。
共に戦ってきた旧臣たちの死別は、
また1つのドラマだっただろうけど。
338 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 10:29:32 ID:AvXsN8QP
根本的に見てみると
生きている間に、家督相続しなかった戦国大名は、武田信玄と上杉謙信の
両名ぐらいしかいないんだな・・・・・・
どういう理由があるんだ?
そこに「御館の乱」や「信玄後の武田家の迷走」があるような気がする。
339 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 19:06:53 ID:S4shE4/i
馬鹿が使う言葉のソースは決まって「俺様ルール」
簒奪…君位を奪うこと
乗っ取りが簒奪で、下剋上が簒立
340 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 21:29:21 ID:4eP/NyAj
>>338 伊達も政宗と弟がそうじゃないか?
織田信長も嫡男と同時に死んだが、これは含まれないのかな?
341 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 22:22:16 ID:c3aN3VRJ
上杉景勝は関東管領の役職についてどう思ってたんだろう?そういえば。
342 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 00:02:26 ID:QxxB4Yav
自分がなれるなるなら、なりたかったんじゃないかな。
なれば、名実ともに上杉家の第一人者ということになる
わけだし。
どの大名だって、名目上とはいえ自分より高い官位
・官職、幕府の役職を一族や家臣に名乗らせるわけ
にはいかかない。自分がなれないのなら、もういら
ないって態度だったんではなかろうか。
珍しい例としては、島津家。
島津義久が当主だが、分家筋の義虎・忠辰に薩摩守を
名乗りを許している。本来、薩摩守護である義久を差
し置いて、薩摩守を名乗ることが出来たのは、いくつ
も例外的な条件を満たしていたからだ。
・義虎・忠辰の系統は、薩州家と呼ばれ初代から
代々薩摩の守を名乗っていて慣例化していた。
・分家筋とはいえ、最後まで守護の座を争った
本家に次ぐ有力者である。
・義虎は、義久の娘婿であり、忠辰は外孫であり、
島津渦中の序列はかなり高かった。義虎の序列は、
義久の次で義弘の上、忠辰は、義久の最有力後継
候補だった。
343 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 00:45:13 ID:G4fmoQSd
344 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 03:27:20 ID:vYHcd3PW
政宗も18歳で家督受け継いでるな、確か。
345 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 11:07:42 ID:v18Y27G9
>>344 それなのに家督争いは起こるわけか。
戦国時代だと仕方ないのかな。
346 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 18:15:51 ID:w8hNHMvN
長男でも愚鈍なら、その主に仕えて滅んだとき自分達も死ぬか路頭に迷うし
優秀な弟がいたなら、そっちに継いでもらった方が安心だし
家督争いになるのは仕方ないかもなぁ
謙信が生前に景勝・景虎どちらを世継ぎ認定してても
謙信死後には、家督争いが起きたかもしれない
347 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 05:50:46 ID:SXnRpifp
>>338 北条氏康、今川義元の2者も先代が現役のまま死んで、その後に家督相続じゃない?
珍しくもなく、いくらでもいると思うぞ。
それこそ名目上は譲ってても、実権は掌握してるのが大半だし。
348 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 13:28:03 ID:oa07+GRg
氏康は景虎が関東侵攻する直前に家督を氏政に譲り渡しています。
内部からの反発や圧力をかわすためだったらしいが。
349 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 18:59:48 ID:9IvvDjhL
氏綱のことだろ
350 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 20:35:21 ID:s5/O7ezw
351 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 21:44:45 ID:/Wk4UWJe
>>347 >>338の言いたいのは、先代が死ぬ前に後嗣がしっかりと定まってる状態を
指してる様に思うんだが。
珍しくもないとか、ましてやいくらでもいるとかは言い過ぎに思うわ。
352 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 01:43:45 ID:rVm/K6Te
風林に卯松が出るらしいぞ
353 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 21:41:52 ID:5YjhRV8i
>>350 349じゃないけど、氏康が氏政に、じゃなく、氏綱が死んだときに氏康はまだ家督を継いでなかっただろってことだろう。
>>351 だったら、家督相続なんて書かないと思うが。
最も、「家督相続」が定義じゃないのなら、実権は握り続けてる=後嗣がしっかり定まってはいないというケースが余計に増えてしまう。
後継争いやらが勃発したところでは、ほとんどしっかりと後嗣が定まっていなかったってことになってしまう。
というか、「後嗣がしっかり定まってる」の定義はなに?
名目上の家督の相続、実権は握り続けての隠居が当たり前だった中で、
先代の生存中に次代当主が名実ともに独り立ちして、当主の役割をになってる中で死んだ大名なんて、明らかに稀だろ。
ちなみに今川家は、氏親→氏輝→義元→氏真と、3連続で先代の死後に家督相続。
354 :
板谷宿:2007/09/29(土) 10:04:45 ID:8oUzhBsg
上杉憲政殺害の正式な史料は存在するのであろうか?。
355 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 00:52:31 ID:TnFabZXC
>>352 それは嬉しい
謙信との絡みがあればいいな
356 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 03:12:04 ID:kVFK/p3f
>>353 今川義元は桶狭間の時には家督は氏真に譲ってたんじゃなかったっけ?
357 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 09:48:11 ID:QUhcrKak
>>355 景虎が卯松のいろはの手習いを見てやってる場面があるらしい。
相変わらず脚本が細かくていいな。
358 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 17:46:43 ID:+rjZZQwK
359 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 17:47:10 ID:hCDKxV1V
360 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 06:05:20 ID:Qx3Yipt9
関ヶ原の戦いが長引いて、もし上杉と伊達がガチンコで戦争したらどっちが勝ってた?
361 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 06:42:06 ID:tltZCrV/
最上が勝つ
362 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 13:45:24 ID:TZPYvW2q
おれ様は今まで笑った事なかったが秀吉の猿顔にはワラタwww
363 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 03:15:49 ID:b/y/OjpT
364 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 09:01:50 ID:y/DPAyA/
>>363 今川家の家督がどうこう言ってるだけなんだから戦国時代なくてもよくね?
365 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 18:02:24 ID:99nNqjRJ
関ヶ原の対立にもかかわらず、景勝は家康と終始仲がよかったってのは不思議な話だな。
家康も景勝を、関ヶ原後も元五大老として江戸城なんかでも石高以上に待遇しているし。
個人的には気の合う人間だったのかな?
366 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 18:10:05 ID:Tlfh8JJs
景勝は家康より秀忠と気が合ってたような印象が。
367 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 02:26:46 ID:brbQuAfu
童貞野郎共よ押忍、押忍、
全く上杉厨共の書き込みを見てると情けなくって涙が出てくる。
30代になったいい無職がまだ「デカマラの六尺謙信公」とか言ってデカマラの六尺謙信公を求めてひた走る
この健気さにうっとりだ。
アホかこの童貞が!
いずれ謙信公が女狐と結婚したら後悔するぜ
男ならもっとビシッ!とズリ道を極めろってんだ!
俺はその為に毎日1000回のゼンズリを欠かさない。
「オッス!!オッス!!」と気合を入れながらデカマラを振り下ろす度に菊門にギュッ、と力を込める。
こうして鍛え抜かれた俺の性根は「衆道」なんて立派なシロモンとは対極を成す、まさに「男の極み」だ。
そのあまりのデカマラっぷりにご近所じゃあ“デカマラの毘沙門天”って呼ばれてる。
そんな俺だが、俺でさえ家を出たくなるほどの形のいいデカマラの六尺謙信公の出現を心待ちにしている。
勿論、最悪のアウェイを味わいたい命知らずの衆道彼も受付中だ!
毎週金曜14時頃はだいたい衆道の結婚相談所&出会い系の衆道サイトにいる。178*74*48角刈りにねじり鉢巻がユニフォームだ。
俺のほぼ不可能な衆道&糞尿離れ!離せるもんならハナしてみやがれ!!
この書き込みに勃起した包茎ミニマラ上杉厨房もオレと一緒に
ズリ道極めようぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
368 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 05:04:54 ID:eEcyytoG
ホモ野郎はイヤだ!!。
369 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 05:09:55 ID:eEcyytoG
367>>
おい、ホモ野郎。お前の下品な書き込みのせいで、景勝につぃて
真面目に語っていた方々がいなくなってしまったじゃないか。
370 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 07:48:43 ID:m+wFFfo2
謙信亡きのちに北条打倒に燃えて立ち上がり、秀吉の元で謀を巡らし千里の外で勝利を決する稀代の策謀家。
家康と北条が最も恐れた天才軍師渡瀬繁詮は秀吉の関東政策の頭脳として仕えて
その智略で危機に陥った自分の兄弟たちを救援すべく佐野・宇都宮・佐竹・上杉を動かし北条包囲を形成し北条始まって以来の最大の危機に叩き落とし小牧長久手の戦いに北条が援軍を送れないようにした鬼才の持ち主。
371 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 15:01:28 ID:Hly4l8NY
367さん感動したっす
是非とも赤いふんどしをつけた私に突撃してください
372 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 16:04:51 ID:eEcyytoG
そのような事は上杉家には無縁の事。
衆道連中にとやかく言われる事はない!!。
373 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 20:37:58 ID:Hly4l8NY
367さんは兄貴です 衆道大いに結構ではないですか!
私に一番槍をお願い致す
374 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 00:39:53 ID:xsDDuKZj
>>361 最上か・・・それはどうかなぁ
てか佐竹はこのとき何してたんだろう?
375 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 15:52:41 ID:/dmmim/9
菊姫のwikipediaひどいな。景勝関連のアンチでもいるんだろうか。
どうしてあそこまで
・菊姫と景勝の間に愛はなかった
・景勝は衆道家で菊姫を遠ざけた
事にしておきたいんだか。
上杉年賦に菊姫の死について
「公(景勝)ヲ始メ奉リ、諸士ニ至ルマテ悲歓カキリナシ」
とあると最初のほうの記述にあったのが、いつの間にか「公」が消されて
「(諸氏が)悲歓カキリナシ」に改変されてたんだが、
今手元で確かめられないんだけど、どちらが正しいかったっけ。
あと、病床についた菊姫のために景勝が
「洛中の名医を招いたり諸山の高僧に祈祷させるなど」したと
最初のほうにはあるんだけど、それもいつのまにか消えてるし。
これも史実だっけ?
376 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 09:50:42 ID:3FF0UqB3
景勝関連のアンチがwiki荒らしているのは一部では有名な話で、数年前から度々問題になっているよ。
上杉本スレにもちょこっとあったけど、細かいところまでいじくってて必死だしなぁw
菊姫や景勝本人だけじゃなくて一部の景勝家臣のも荒らされてるね…
377 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 17:13:43 ID:Zuand71Y
上杉本スレでちょっと話題になってた時にwikiの履歴見に行ったけど
本当に必死な人(人たち?)がいるみたいだな
修正が一語一句、微に入り際に入りって感じで悪意むき出し
なんつうか、凄い憎しみを感じた
なんで何百年も前の人物に対してそんな気持ちになるのか不思議に思える
378 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 19:39:29 ID:BLuH89/Y
荒らしの中の人は上条の生まれ変わりなんじゃないかと思う。
379 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 20:15:37 ID:dtKsnHhK
Wikiの編集合戦て、随分小さいスケールに生まれ代わっちゃったなオイw
380 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 17:16:39 ID:EE0Y4G/u
377>
上杉景勝のwikiも、菊姫を編集した輩が編集していたが、俗書の風説を
根拠に男色家にしていた。そして、反男色説を称える輩と編集合戦をやっている。
見る度に、「男色家だ」になっていたり、「男色禁止令を発布している景勝
が男色家なわけない」と変わっている。たしかにスケール小さいね・・・。
381 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 01:24:39 ID:V83EZSYV
腐が妄想を垂れ流してるだけだろう
382 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 02:38:54 ID:jI8j/eJC
その菊姫ネタを書いてるのは「天地人」の作者かもしれない・・・
383 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 00:58:21 ID:RUNhRMl9
>>382 ありえないとも言い切れないことを言うのはやめてくれ((( ;゚Д゚)))
384 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 13:48:18 ID:UYfkHYX4
Wikiの記述も本来は多少の事は問題も無いのだろうけど、
大河を控えた状況で、間違った方向にイメージを持って行かれるのは問題かな?
ディレクターが一般視聴者がネットで急遽仕入れたような知識に、
合わせようとするかもしれない、というのは心配のし過ぎだろうか?
便乗して兼継と景勝について書かれた小説や、
「戦国の裏話」みたいな文庫本を出版しようとする連中が、
Wikiで確認するなんて事も、考えられなくはない気はするのだけど。
385 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 13:50:22 ID:nMW1B5wC
大河便乗商法のクズ本はよくWIKIの文章がそのまま使われたりするしな
386 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 02:13:38 ID:F0pwRFkI
>>384 >ディレクターが一般視聴者がネットで急遽仕入れたような知識に・・・
「はい、楠戸義昭氏の「戦国女系譜」を読んで
菊姫の嫉妬から病気→アボーン説を小説に取り入れました」
By火坂
なーんてねw
387 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 23:50:20 ID:HKQFCfuJ
某新選組研究者まで、大河便乗で戦国の女本を書いたりしてるよな。
自分に書かせてくれたほうがよほどマトモだ。
388 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 21:01:36 ID:TMJuVdtH
上杉幕府
征夷大将軍!景勝
大都督兼続
389 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 01:05:50 ID:O0Ox5kXL
脚本家も正直あまり物を知ってる人じゃないし、下手したら
参考文献ウィキと原作だけとかもありそうで怖い
390 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 13:23:23 ID:j1UEqjx9
この方は無口だったんですか?
391 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 14:15:07 ID:JrY8j8C9
……………………………………………………
これくらい無口。
392 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 19:58:55 ID:JvuiJ+m8
家臣でも「殿様は聾唖」だと思ってた人間がいたくらい。
393 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 23:36:31 ID:/pn3h4SQ
ゴルゴ13「……」
景勝「…………」
ゴルゴ13「………………」
景勝「……………………」
ゴルゴ13「………………用件はなんだ?」
景勝「……………………………………」
ゴルゴ13「……………………………………」
394 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 01:17:22 ID:oHx+LMYQ
>>393 直江「......................」
本庄「.......................」
清野「……………………」
藤田「……しからば申し上げ」
ターン!
ゴルゴ13「……」
景勝「…………」
かくして、藤田信吉は討たれ、上杉討伐はうやむやのううちに終わった
395 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 18:41:13 ID:lbydcvhz
でも意思表示ははっきりする人だよな
でなきゃあそこまで喧嘩買えないだろうし
396 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 01:36:50 ID:VG8lX5Dd
秀吉に下って大阪城に出てきたとき、あんまり喋らないので、道中の接待した連中に「おまえら景勝殿を
不機嫌にさせるような事したのか?」と秀吉が聞いた事もあったそうで。
397 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 14:47:45 ID:cfhQ7zmr
親父殿がどう思っていたか興味あるね、どうなんでしょ?
398 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 00:01:02 ID:mcPMwy1b
風林火山に卯松登場。
仙桃院に見守られながら、政虎にイロハの手本を書いてもらう姿が可愛かった
399 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 11:53:40 ID:hKGP71BY
景勝は謙信の妖気溢れる姿にびびっていたw
400 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 17:25:03 ID:Qc+rGhcY
だが普通に、はい、と返事していた
401 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 15:27:15 ID:200DjTGp
あぁ・・・風林火山テストで観れんかった、悔しい。
402 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 23:19:20 ID:WydIHevY
まだ明日の昼があるぞ。再放送。
403 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 15:19:26 ID:tepsji2P
401じゃないけど見逃した再放送、忘れずに見た
かわいかった
イロハ手本って、あのよく見かける片仮名のやつ以外に、もう1つ、
漢字用のも確かあったよな?
「い」と読む漢字べきを「伊」「井」、、、といっぱい並べて書いてあるやつ
あれ見たとき甥っ子へのただならぬ愛を感じたんだが
あと晩年の「家中名字尽手本」、あれもなんか不思議な手本だよな
景勝のために作成したと言われてるけど、実際どうなのかね
404 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 01:49:23 ID:jeLj3QBF
風林の最終回に桃姫と一緒に再登場。
叔父さんがKYな一騎駆けをしている頃、
二人で毘沙門天に祈りを捧げてました。
405 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 16:16:54 ID:izhgvF0S
でも無言でした
406 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 16:40:03 ID:leB4Lzuk
兼続=妻夫木
これで景勝候補もだいぶ絞られるかな
407 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 18:01:26 ID:YxaZ5TTh
まさかの坂口?
408 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 22:34:21 ID:H+xegv+i
かっつ渇にしてやんよ〜♪
だからちょっと覚悟をしておきな〜♪♪
409 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 12:09:52 ID:OIVSseF1
瓦のような扁平な顔、太い首をもったごつい醜男、
こんな原作設定がいかされた配役だったら悲しくて見てられない。
景勝自身の肖像画は、上杉博物館所蔵の鎧姿はありがちなオッサン顔だけど、
公家風の水干着て烏帽子付けてるおそらく若い頃の姿の肖像ではすごく端正な顔だ。
両親そろっての肖像画も、父母どちらも整った顔立ちしてるし。
無口で無愛想だったのと、美男として有名な三郎景虎や兼続の煽りを受けて、
必要以上にブサ認定されてしまうんだろうか。
あと、謙信と兼続の熱いファンって景勝どうでもいいみたいな人が多いのかも知れない。
火坂みたいに。
容姿以外でも、岐路に立った場面での変節とも受け取られかねない決定はすべて景勝の役回りw
とにかく松録とかのキモブサ系が配役されたら、火坂とNHKへの恨みがつのりそうだ
410 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 12:56:19 ID:3sL5z5Ff
今年の卯松は政虎に手習いしてもらったり可愛がられてる様子で
ママから「叔父上のためにお祈りしなさい」とかエピソード盛り込んでもらえたのにね。
(子役の子がガクトにびびってたのが丸分かりだったのが残念ながら)
再来年で景勝落としされたら泣ける。
411 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 15:11:06 ID:PSmymcYC
景勝は謙信の威風を慕うのみの凡将。
だから兼続の補佐が功を奏したんだろう。
しかし秀吉がナンタラ評価した、家康に楯突いたと言ってもなぁ‥。
秀吉は人垂らしだから好評することで他の武将も手名付けたし、
家康に対してなんか開き直りじゃないのかな?
412 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 15:30:13 ID:yN2hal/w
そんな餌に(ry
413 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 17:22:12 ID:fdcvyMbl
>>409 醜男設定ってどこが出所なんだろうね。
烏帽子姿の肖像は、眼光は鋭いが、むしろ兼続よりも端正な印象を
受けるし、両親や謙信が家臣2人を伴った肖像など、親族もわりと
細面だし。
謙信はともかく、兼続を魅力的に描くには、景勝の魅力の描写が
出来ていないと生きないと思うんだけど。景勝が佐竹義重に宛てた
書状とかは熱いと思うんだけどなあ・・・
414 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 17:58:05 ID:ebiIKiNk
無口で笑わない、とっつき難そうなイメージからじゃね?
気難しそうな顔はよほど美形(顰みに倣う、レベルの)じゃない限り
普通他人に良い印象は与えないものだろう。
415 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 18:21:09 ID:4sIXVHWd
景勝の書状は意外に熱いよなw
416 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 23:23:59 ID:7k9NtJr1
景勝のそんなところが好きだw
417 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 00:23:47 ID:OqKpScDT
あの書状はぜひ大河で再現してほしいなあ。
絶対感動する自信があるw
418 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 00:25:03 ID:z32oPOt2
無口の割りに人当たりはよかったらしい。この時代の大名には珍しく、
生涯、性格が合わないという理由での敵らしい敵は作らなかった。
419 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 22:16:25 ID:pTuGn6am
再来年、田比の旗がテレビにはためくのかと思うとニヤニヤしてしまう。
…兼続美化のために陥しめられまくらなければいいなあ…。
仮にも主人公が生涯仕える主君なんだしさ…。
420 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 01:02:52 ID:bClQSdcD
同意、多少の美化は仕方ないにしても今年の山本ぐらいに抑えてくれたらいいんだけどな。
421 :
人間七七四年:2007/12/25(火) 01:23:01 ID:4+pKa2dW
家康追撃をするかしないかで
景勝と兼続の意見が割れる所が
うまく出来てたらいいな。
422 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 00:51:20 ID:mejvqPgX
あの家康反転時の主従の意見割れって、信憑性の高い史料で確認できるんだろうか?
直江状(に類するもの)等を状況証拠に見立てた講談の類い?
それまで主従の意思がどこからどこまで同じなのか違っていたのか、
よくわからんほど一心同体と言われた二人があの決定的な岐路でなんで割れるのか。
前から不思議なんだけど。
迎撃の準備中、関東討ち入りに関する意見調整とか全くしてなかったんだろうか。
どっちにしても、「天地人」の景勝は酷い。
いきなり何の脈絡もなく(という風にしか読めない)熱く涙を流し始め、
敵の背後を襲ってはいかん、と兼続を説得し出したところで、
本屋で立ち読み中、あやうく声あげて笑うとこだったw
同じ理由で兼続と割れるにしても、藤沢周平の景勝は納得のいく描写だったのにな。
あの景勝もいかにも越後人らしい、無骨な土臭い男の設定だったが、
それでも対家康への演説のシーンとか、魅力炸裂の深みのある人物造型だった。
今度の駄作とは雲泥の差。
423 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 01:26:23 ID:BjYDekXJ
>>422 今更「民のため云々」と抜かしたような。
たしか一夢庵風流記では「家康相手にするつもりだったのに、今更
結城のガキ相手にやれるかよ」みたいな理由だったと思ったが。
でも、天地人は兼続とお船とあと一部いがい皆小物orロクデナシみたいな
書き方だった。
424 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 01:58:17 ID:avaU+/pQ
425 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 13:22:24 ID:59FaTNYJ
景勝がメインで出て来る小説でいちばん好きなのは高橋直樹の「影」
「戦国繚乱」という文庫に入ってる短編
あのなかの本気で殴り合って思わず兼続の首を締め殺そうとしてた景勝が好きだw
直江の態度がもの凄くて、主従が仲悪くしか見えないんだが、
よくよく考えればあんな喧嘩ができるのは単なる家臣じゃねーよな、と納得
いっさい無かった直江側の心理描写が読みたかった
良きにつけ悪しきにつけ、大河原作もああいう個性のある濃いキャラなら良かったのに
426 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 18:31:43 ID:veHflMep
不識庵謙信の影とかいうんじゃなかったっけ。
427 :
人間七七四年:2007/12/30(日) 01:06:25 ID:PybvIqoc
>>425 あれ面白いよな。自分も好きだ。
景勝も兼続もすごいキャラが立ってる。
428 :
人間七七四年:2007/12/30(日) 08:05:42 ID:x3cF+YI4
422>
まさにその通り。俺も爆笑したよ。
天地人の景勝は、義の言葉に弱い単細胞として描かれていて不快だ。
429 :
人間七七四年:2007/12/30(日) 08:28:37 ID:qn31tpxK
>>425 あれほんと素晴らしい出来だよね
短篇なのに異様な生々しさとドロドロしたふいんきに包まれてる。
豹変した景勝が上杉景信を追い回すシーンとか使者による妹惨殺とかが脳裏にこびりついてるよ。
それでいて最後は良くも悪くも威厳溢れる大名の風格を景勝は手に入れるんだし
430 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 01:05:14 ID:HdEOsGqv
やっぱりみんな読んでるね。
本当にあんな短編なのに、
登場した時の里芋を猿にやってた景勝と
最後の名実ともにお館様になった景勝は別人のよう。
その過程が何の破綻もなく緊張感をもって描かれてる。
しかも、兼続との主従の仲の良さを示すような台詞なんて何一つ無いのに、
猿に別れを告げる景勝のことをわかってて見守るシーンがさり気なくあるんだよね。
力のある小説家っていうのは、凄いもんだね。
431 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 01:45:12 ID:EH2ui59m
「不識庵謙信の影」は好きだ。
>>429も書いてるけど、景信を追うシーンは圧巻だな。
あと、猿ネタがこんな風に使われるなんてある意味感動だった。
ついでに景勝ものでは、小説じゃないけど、
司馬遼太郎の「街道を行く」も好きだな。
なんで司馬遼太郎は、景勝の小説を書いてくれなかったんだろう。
432 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 08:28:15 ID:fsHMVRXs
司馬は上杉に興味ないね。時代を主導して分岐点を作ったり、
それを象徴する人物にしか興味ないんだよな。
433 :
-:2007/12/31(月) 13:05:53 ID:JQ2yso62
長曽我部盛親は書いてるのにな
滅びの美学?
434 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 16:11:35 ID:AVi2dQg+
まぁ司馬も、書いて文句言われるならまだしも書かなかった事まで
何でと言われたら困るだろうさ。
435 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 21:43:38 ID:azh5hNfw
司馬も謙信については「天と地と」を超えるものを書く自信もなかったし
必要性も感じなかったんじゃないかな?
司馬の表現したい世界は既に天と地との中に表現されていると思うし。
436 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 00:17:38 ID:AjAUv4w7
長宗我部や山内一豊は坂本龍馬を描くときに得た知識が司馬ん中でたまってて、
いいように熟成して生まれたわけで、いうなれば「竜馬がゆく」の派生作品だな。
437 :
-:2008/01/01(火) 15:04:14 ID:yX9g7LSO
景勝、生涯で一度しか笑わなかったんでしょ?
お目通りの叶った大同芸人とかまじ怖かったろうな
自信のある芸披露しても、無言の景勝に真顔で見つめられる…
438 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 18:03:02 ID:O4gZovKf
でも一人になると思い出し笑いする景勝。
439 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 23:17:55 ID:suEyAm5+
アンサイクロペディアの景勝の項目に笑った
440 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 00:32:32 ID:62M/T9iy
>>425 来年の今頃、テレ朝がドラマ化している悪寒
441 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 00:44:23 ID:a0fUK0LB
あんな暗い短編をテレビ化するはずがないw
442 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 00:52:31 ID:I8EVOs5K
どっか、つーかNHK大河で「群雲、関ヶ原へ」映像化してくれんかなあ、そろそろ個人に絞らず群像劇でもいいだろう。
でもあの景勝はちょっと颯爽としすぎかw
後半の、江戸討ち入りを論ずる重臣会議のシーンとかかなりのお気に入りなのだが
443 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 01:31:53 ID:+LA973RS
>「群雲、関ヶ原へ」
あれは名作だ。地味な扱いに慣れきってる景勝好きの自分としては、
格好よく書かれすぎててちょっと恥ずかしくなったほどだw
景勝に限らず、一人一人のキャラクターがしっかり立たせつつ
あれだけ大勢の登場人物をちゃんと書き分ける筆力はすごいと思う。
ずっと絶版で読めなかったけど、この前光文社で復刊して嬉しい。
444 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 03:09:29 ID:VxrTX0rB
地味だったり堅実だったりな点が好みで
贔屓にしている人物が、
いやに美化されていたりカッコよすぎたりすると
何だか妙にガッカリしたりするもんだよな。
445 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 14:58:27 ID:zJ0r5NMP
テレ朝「天と地と」では名前のみの登場。
あんな糞作品でも名前が出てきただけで
ちょっと嬉しくなる俺はやはりおかしい
446 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 15:01:11 ID:HywI5XjW
景勝の名前出たんだ。後で録画確認しよう。
あまりドラマの評判良くないみたいだな。
447 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 15:31:24 ID:zwClbA7Z
謙信が童貞捨てようとすると毘沙門天が出てきて怒られるドラマだったよ
448 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 19:27:45 ID:ScLxJeoR
景勝が息子に出した「みかんありがとう」という手紙があると聞いたんだけど、
その文書は覚上公御書集とか上杉家文書か何かに収録されてるの?
見てみたいんだけど、年代とかもわからないんで探せなくて。
知ってる人いたら教えてください。
449 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 03:47:29 ID:VFV6otPd
産声以外は生涯一言もしゃべらなかったらしいね。
死んだときも死後3日目になって死臭で周りが気付いたんだって。
450 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 13:58:18 ID:JlYNFU/S
>>448 その書状、自分も確認したくて図書館行こうと思ってるんだけどそのままになってる。
上越市史の上杉氏文書集は手元にあるけど、それには載ってないな。
やっぱり新潟県史の文書編、東大出版会の上杉家文書、越佐史料、歴古、
あたりシラミつぶしにするしかないのかな。
しかし巻数が膨大で素人にはキツイ・・・
覚上公御書集がやっぱり一番てっとり早いのかね。
臨川書店から2巻で出てるらしいが、発給文書ぜんぶ載ってるのだろうか。
451 :
448:2008/01/15(火) 00:21:35 ID:rgZHX03+
>>450 ありがとう。
越佐史料は天正12年までの史料だから、年代的に載ってないと思う。
原本は米沢にあるらしいけど、簡単に見に行けないんで、
何かに載ってたらと思ったんだけど……。
452 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 14:47:22 ID:PXC5HJwa
無口でも大事な事は喋ったんでしょ?
453 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 18:50:01 ID:/oGvis2p
その分、筆まめじゃなかったっけ?
454 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 09:08:28 ID:vDpnNQ8C
喋らなかったというより笑顔を見せなかったとか。
現代でもムッツリしてる上司は少なくないけどね。
455 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 15:45:33 ID:KuKk/TzQ
>>448 みかんの話はよく聞くが俺も見た事がないなぁ。
代わりといってはなんだが干し柿の手紙なら上杉博物館にある。
幕府から枝柿(干し柿)と酒を拝領した定勝が米沢にいる景勝に送った事に対して景勝が定勝に送った礼状が。
「枝柿と樽酒が無事手元に届いたぞ。その方も元気そうでなにより。なにかあればまた相談してきなさい。それじゃまた。」
現代風にするとこんな感じかな?
年未詳で日付は11月13日(旧暦)。
>>452 マメもマメ。
マメさに至っては謙信以上かもしれない。
幼少時代に学問を習っていた雲洞庵や定勝に対しては優しい文面の書状が多く残っていて景勝の優しさが滲み出てるね。
456 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 09:28:20 ID:JfgrqJHu
そうなると、従来の景勝像を見直す必要があるね
457 :
ぼくらはトイ名無しキッズ:2008/02/24(日) 10:43:46 ID:nJv9LNmr
458 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 12:30:30 ID:2IWcygSY
>>457 まあ、確かに当時の大名としては珍しいくらい女性の影が無い人だしね
とはいえ、その表現はどうなのよ?
459 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 14:06:33 ID:wkyY24Nx
一瞬、女より男のちんぽが好きという意味かとオモタ…
460 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 21:04:12 ID:nJv9LNmr
ごめん、紛らわしかった?
そういう変な意味じゃないんだ
461 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 15:33:37 ID:jCx/XnC4
>>457 やや情緒不安定なところのある於菊御寮人に代わり、お船が上杉家の奥向きを取り仕切り〜とか
信綱は毛並みこそいいが武将としては凡庸な男で〜とか、
言いたい放題だなあ…。
本当に火坂は兼続とお船と謙信くらいにしか興味なくて、後は雑魚だと思ってるんだろうか。
462 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 16:50:43 ID:PjZdA2l7
>>461 そもそも於菊御寮人の具体的な性格を表すような逸話自体が無いし、信綱も
御館の乱直後の景勝政権の中枢にいた人なんだけどな・・・・
463 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 19:27:16 ID:2YQbc3Hw
米沢の親戚は怒り狂ってたよ
464 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 02:02:50 ID:CtTONYq9
>>461
原作としては「密謀」か「北の王国」のほうがふさわしいような、、、。
465 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 06:45:28 ID:WDl+GPFD
原作は、新潟県と米沢の商工会議所のバイアスがかかった上杉史観。
実際は、戦術面でも、最上と伊達に手酷く叩かれた負け犬指揮官だがね。
466 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 06:57:13 ID:U8mS5jhF
アホ宗必死w
467 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 11:08:19 ID:xoe0O4s3
政宗と言うと、関ヶ原の発端となった上杉征伐も、この景勝が旧領越後での勢力を回復しようとして
影響下にある越後の土豪を扇動して一揆を起こさせるという政宗のやったことをそのままコピーした
策動をして、それに怒った堀家が家康に訴えたところから始まるんだよな。
ただ景勝や直江には、政宗のように「駄目だと思ったらきっぱり諦める」勇気はなかったようだが。
468 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 13:58:00 ID:RNIlMD//
>越後の土豪を扇動して一揆を起こさせるという政宗のやったことをそのままコピーした
>策動をして、それに怒った堀家が家康に訴えたところから始まるんだよな。
全然違う。
調べてから書き込め。
越後から会津に移るにあたり上杉家は1年分の米を徴収していった。
秀吉の命では半年分の徴収 としていた。
堀家は違法だと抗議し半年分を返す様要求したが結果は返してもらえなかった。
この事を切欠に上杉家に恨みを持つ様になったというのが定説である。
ただ、上杉家の会津への移封では石田三成が同行しているのだが、この事件に関してどちらかに処罰や警告を行ったという記録はない。
移封に関する責任は現場監督である石田三成についてまわる。
一方的に偏った処遇を行えば必ず問題になる。
だが、この事で石田三成が秀吉や他の五大老等に問題視された形跡はない。
469 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 14:33:05 ID:z73QNIUn
堀がアホなだけ。
470 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 18:13:26 ID:cFkISAKn
借米書直江に握られて返済要求されとるしな
471 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 22:12:47 ID:ERkGLV/i
>>464 風野真知雄の「われ、謙信なりせば」……いえ、なんでもないです。
472 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 23:42:31 ID:CtTONYq9
>>471 風野真知雄って誰だろ?
と思って検索してみたらおおっ!本庄繁長を主人公にした小説を書いてる!
だったら景勝の描写も面白いのではと思いました。「われ、謙信なりせば」
読んでみます。
473 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 00:46:47 ID:pIQiBvdp
「群雲、関ヶ原へ」の景勝は格好いい。
474 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 18:21:21 ID:mA4nN2YE
>>473 これも読んだ事ないな。
書評だと裏の主役は景勝だと書かれてますね。
475 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 22:52:02 ID:tiPp0H8Z
>>474 家康−景勝の大老対決を縦軸に
石田−福島の豊家内乱を横軸に
その他大物小物の有象無象が枝葉について形を成す
そんな関ヶ原小説です。
岳氏は人間臭い小悪党の描写が抜群にうまいので
景勝はかっこよく書かれ過ぎて損しているきらいがあります。
476 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 23:47:53 ID:mA4nN2YE
>>475
そうなんですか。景勝を扱った小説自体貴重ですよね。
上杉景勝という人は戦国大名としてはかなり独自の行動をとっているので
そういう人物を小説の題材にする小説家もユニークだと思います。
477 :
人間七七四年:2008/03/13(木) 16:06:53 ID:zeeqNXSf
岳宏一郎か。
この人の小説読んだことないが 今度読んでみるか。
478 :
人間七七四年:2008/03/13(木) 19:30:23 ID:LhL/kv7e
景勝が出てるのは「群雲、関が原」へぐらいだけどね。
あとは出ても文章の端にちらちらという程度。
ただ、新刊(つうても旧作の改版だけど)の解説に、今年中に「群雲、大坂城へ」が出るそうなので、
そこではきっと出番があるだろう。うん。
479 :
人間七七四年:2008/03/14(金) 01:07:23 ID:vMPcJq3z
>>478 まじか!!!!
すげーたのしみなんだけど!
480 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 01:00:54 ID:ioOXeWwS
岳宏一郎は最近出た群雲、賤ヶ岳へ、も読んだが、ちょっと異様なくらい景勝びいきだな。
481 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 12:55:58 ID:UDJNeYpz
謙信はあんま評価してない口ぶりなのに、異常に景勝は褒めちぎるよなw
まあたまにはこういうくすぐったいぐらいの評価もいいかな
482 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 14:43:14 ID:vOtnAQe+
学研M文庫で近衛龍春書き下ろしのヤツが来月出るぞ。
483 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 18:35:10 ID:ioOXeWwS
しかし景勝びいきの立場で読んでも、しれっと
「敗北を知らない上杉軍団」とか書かれると。何かの嫌味か?って勘ぐってみてりもするw
484 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 02:04:03 ID:1Khqkx0b
「群雲、大坂城へ」って、前に新聞連載されてたんだね。
無事日の目を見ることになって嬉しい。
485 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 15:41:49 ID:SFR7RWsn
景勝は大老の中ではあとからなったから末席?
486 :
人間七七四年:2008/04/06(日) 14:11:23 ID:CV1UOWpZ
上杉家スレがまた荒れてる。
信長とか秀吉とか政宗とかなら
ファンが多いかわりにアンチも多いだろうと思うんだが、
彼らと比べて熱烈なファンが多いとも思えない景勝のアンチの人は、
一体なんでそんなに(悪い意味で)情熱的なんだろう。
487 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 00:00:13 ID:0n3fxNa3
お門違いの山形最上なんかより栃木の徳川に攻め込んで欲しかったなあ。
488 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 20:24:30 ID:Nvuzq8qU
そしたら前田利益が戦死、直江も首と胴が泣き別れだったろうな。
489 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 21:06:29 ID:Nvuzq8qU
関ヶ原の時、上杉家がとれた最良の策は〔何もしないこと〕だろう
その後、直江の得意技〔言い訳〕で家康に謝れば戦後の仕置も
もちょっとマシなもんに成ったな・・・。
そうしなかった景勝はやっぱその程度の人物ですな。
490 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 23:08:08 ID:aIFx3MNP
家康が120万石の外様大名を残す訳ないよ(伊達政宗でも60万石程度だし)
直江状の時点で、取り潰しか大幅減封は免れない。
でも、あそこで家康に反旗を翻したが故に400年後も
こうやって語り続けられていると言えるのでは
491 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 03:07:27 ID:AbV+JWHD
wikiの景勝関連の項でやたらと景勝と清野が熱烈な
衆道関係で愛し合ってたと主張してる人はなんなんだろ
客観的になれとう意見を押しのけて何度も何度も
景勝の男色は公然の事実、みたいに編集し直してるのが怖い
景勝が清野大好きのホモじゃないと嫌だって人がいるのかな
492 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 04:31:03 ID:E4Hg/6wW
そうかもしれない。そういうのが好きなんでしょう。
でも、できればホモ扱いは止めてほしい。
景勝はそういうのとはまたちょっと違う気がするけど。
493 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 05:38:53 ID:OB4hVqZw
養父と同じく男色家だったゼッ!!!
494 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 05:40:27 ID:E4Hg/6wW
ちょっちょっと...orz
495 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 07:53:37 ID:mu+q1OA3
まぁやってたと思うけど
戦国時代の武士が衆道やってたなんて、わざわざ書くほどのもんでもないしな
景勝に限らず、武将の悪口を言う時にホモホモ言うやつは
戦国時代に飛ばされて掘られてしまえ
496 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 08:02:59 ID:A291MLyv
100万石以上を持ちながら義を棄ててヘタレ前田のような真似をしてたら謙信公に申し訳がたたない。
勝負に負けたら潔く降伏する清さといい実に気持ちがよい。
497 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 08:17:13 ID:p+HsMTpo
前田は義を果たそうとしたら豊臣に裏切られたんだろ
常識的に考えて
498 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 08:41:16 ID:HI0OJ5E+
上杉家は豊臣家に義理立てするような事は無いだろうに。
関ヶ原の上杉の行動はは義とかそんな物じゃ無い。徹頭徹尾上杉家自身のための行為だ。
499 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 10:04:24 ID:A291MLyv
過程はどうあれ一度は臣従した身。そして五大老として天下の政治を預かる身であった以上は天下の不正は見逃せず。
一度は義理を通せたゆえ関ヶ原の敗報により天命を悟ったのちは臣従した明朗な行動は戦国の遺風を忘れた一般大名ごときには真似できない見事な進退。
500 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 10:14:40 ID:HI0OJ5E+
なんかものすごい変な日本語だな
501 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 11:18:05 ID:7bqLWCow
_,,:-ー''" ̄ ̄ ̄ `ヽ、 :..
,r'" .. .. : : ::ノし )(::: :.`ヽ. ビキ . : :
__,,::r'7" ::. ノ( ⌒j(⌒) (:::::::...ヽ_ ビキ : .
゙l | :: ⌒. .::: ::: :: .. . .⌒:: :... ゙) 7 ::.
| ヽ`l ,/\,,_::..、,;_、_...:::_,,,ノ\ /ノ ) , : ;
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〉"l,_l "-ー:ェェヮ;::);;;;;f';;_-ェェ-ニ,, ゙レr-{ . ::
| ヽ"::::''_;:'" ̄´.::;i;;;;;;i,..`'' ̄`:;_ .::r';' } . : :
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. |_i"ヽ;:...::::::/::.゙'''=-='''´`ヽ::.....:/i l" < 学研M文庫ヨロピク☆
.|:.:.::゙l :::i ,-==' '==::、..:i .::,il".::|'" \__________
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'" |:: : ..`''-、`'ー--─'";;-'''"... : : :| ::
502 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 23:18:33 ID:qcROvl59
嫌いじゃあないけど。
関ヶ原の時何がしたかったの?
503 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 16:41:57 ID:EdxpICo1
売られた喧嘩を買った。
504 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 17:35:16 ID:OT+DMdkT
>>503 買ってねえじゃん。
喧嘩を売った相手の家の3軒向こうに喧嘩しに行ってるし。
505 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 20:37:35 ID:BOhqj6O3
売られたケンカを買ったけど、相手が去っていったから領土拡大に勤しんだ。
実に戦国大名らしい清々しさだと思われ。
506 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 08:25:16 ID:5SAhL3Iq
>>505 なるほど。敵が後ろをみせて逃げていくのを追撃するのは卑怯者だしな。
それよりはさんざん上杉を慕っていたフリをしながら裏で家康に通じていたオベッカ野郎で卑怯者どもを討ち正道をただす事こそ義であろう。
507 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 09:25:29 ID:QOBAf4Vi
売られたケンカは買うが退去する敵には興味ないって事
508 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 19:02:47 ID:l0E7IqPS
509 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 21:18:43 ID:qinw2JiA
なに言われようとも耐えるしかない
只、景勝は明らかに状況判断を間違っていた
関が原で天下が一日で決しようとは思ってもみなかったのだろう
510 :
人間七七四年:2008/04/16(水) 17:42:25 ID:td8PJ+Jd
まあ一日で決するなんて家康すら思ってなかったろ
しょうがないさ
511 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 00:13:18 ID:sTd3Qp9y
意外と景勝のしたたかな計算が働いていたんじゃないか。
東国まで家康の軍勢を引っ張ってきた時点で戦略的な目的は果たせた
わけだし、危険を冒すより戦力の温存を図ったほうが得策と判断した
んじゃない。
512 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 02:26:32 ID:IC0pgzGw
一時的に引き付けただけじゃ駄目だろ。
せめて関東から西進出来ないようにしないと。
大減封くらっても生き残れるならOK、としたら良い選択だな。
後ろ向きだが。
513 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 12:17:28 ID:kQXcphp0
>>496-497 前田は東西どちらが勝っても生き残れる様に兄弟が東西に分かれた。
真田と同じ方法な。
まつと寧々の関係から見て寧々の息のかかった武将(浅野、加藤、福島、黒田)の多くが東軍についたので前田としてははじめから東軍につく予定だったと思われ。
西軍に豪姫の旦那宇喜田秀家がいたのと西軍が勝った時でも家が存続できる様にしただけ。
良くいえば賢いやり方で悪くいえば卑怯なやり方。
まぁ、家を存続させるという意味では一番無難な方法だとは思う。
結果がどうなれ家臣や領民も混乱せずに済むし。
514 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 14:14:32 ID:m1X9YiMX
神視点から景勝を批判するやつに何を言っても無駄
誰も関が原が1日で終わるとは思っていない以上は
上杉自力で徳川と戦えるように勢力拡大のために
最上侵攻というやり方は間違ってない。
そもそも徳川方も読み間違えていたから
秀忠の遅参が生じたわけだし
黒田如水も息子に怒ったわけだ。
伊達も両天秤かけて明確に東西どちらにつくか迷ってるうちに
決着がついてしまってる。
明らかに石田・毛利の失態・過失だろう。
515 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 17:37:23 ID:b9HPW2rp
上杉も東西に別れた
東軍に上杉入庵(上条政繁)
で東西どっちも残った
小さくなったが
宇喜多も東西に別れたが
どっちもつぶれた(東軍に坂崎直盛)
516 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 18:06:12 ID:m1X9YiMX
上条政繁は別に関が原を前に上杉生き残り策で分かれたんじゃないだろ・・・もっと前に畠山再興で出奔したんだろ。
517 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 14:31:28 ID:X8UQChyz
上杉には代替となる人物がいなかったんだよな。
景虎と争わなきゃならなかったし男兄弟いなかったから賭博打つ真似は出来ない。
跡継ぎからして安心できない状況だったし消極的にならざる負えない
518 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 23:48:06 ID:O6dgq9Vr
519 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 00:33:11 ID:ZU3hlNwj
村上国清とか
武田信清とか
畠山景広とか
上杉生き残りに使えそうで使えない
駒が多い
520 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 03:22:08 ID:JmiIXrHO
>>514 大将としての戦略面では景勝の取った選択肢は悪くないと思う。
あの状勢で無理に関東攻めても下手すると家康本隊抜きでも
秀忠・秀康の兄弟タッグとぶつかる危険性もあったわけだし利があるようには思わない。
ただ山形へは直江兼続を行かせるべきではなかったな。
対最上戦はちょっとひどい、景勝自身が行けばもう少しマシだったのではないか。
521 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 12:47:36 ID:JPE4z6YZ
山形の件は志村伊豆守が激賞されるべきで景勝や直江が無能だとは言えない。
義光も撤兵を通じて戦線の整理縮小をして整理再構成する英断をしてるのはさすが伊達からの従属から脱して3万石程度から身を起こし60万石近くまで拡大させて死んだ英傑だと言える。しかも石高の低い出羽でこの膨張率はすごい。
越後から転封したばかりで会津の兵はまだ士気が低い状況で全軍で毎日のように強攻して無駄に被害を拡大しても無理矢理落城させる方法を取らなかったのは愚将でなく直江の上手さを表していると思う。熟した柿は労せずともじきに落ちるのを待つ。
最上は家康の上杉征伐にあたり最上領にやってきた南部や安東や戸沢や二階堂や小野寺を歓待し食料を貸出しており
最上自体の食料はかなり心持たない状況だったはずで籠城は長くは持たない状況だったはずだから。
最上義光は戦国有数の知略家であるのは間違ないし関ヶ原があんなに早く終わるのも予想外で明らかに毛利・石田の失策。
最上を滅亡させてしまえば翌年の東北は西軍一色に塗り潰せた可能性は高く、堂々と関東へ攻め込めたので上杉主従の大戦略自体は悪くない。
522 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 13:02:36 ID:Q1QUAMfo
>>519 男系血筋が守護大名クラスの人間ばかりだな
523 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 13:05:19 ID:bE3+q1vT
伊達政宗は上杉にびびりまくっていたよな
524 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 20:52:43 ID:RFGIVSaJ
525 :
人間七七四年:2008/04/20(日) 22:30:17 ID:WR+YBZUN
茶化したいお年頃なんだろ
526 :
人間七七四年:2008/04/21(月) 10:42:47 ID:26GchMew
>>520 まー景勝も新発田戦を見る限り戦上手といいがたい部分はあるけどなw
士気の面では大いに違ったかもしれんね
527 :
人間七七四年:2008/04/21(月) 12:44:27 ID:UhnRAR9u
謙信が本庄を攻めた時の籠城戦もいたづらに人的損耗を避けるためムリヤリ強攻しまくって強引に攻め落とそうとしなかったから時間くったが新発田も同格並みの勢力持ってるから仕方がないでしょ。
だいたい昔の揚北衆の反乱は芦名とか伊達とか大宝寺とかが背後で直接支援したり和議斡旋してくれたりしてたが
新発田には遠く離れてて直接支援もしてくれない織田くらいしかいなくて完全に孤立した袋のネズミ状態で急いで無謀な犠牲を増大させて無能と罵られながら落城させる必要性はない。
ちょうど新潟市の埋め立て事業を平行してやって田畑の拡大って言う行政もしてたわけだし。
これで揚北衆を攻める際の補給線まで整備できた大事業だったから以後の揚北衆は独自性や半自立性を完全に失ったわけだ。
ゲーム厨は早く落城させた方が優れてるとか主張するからほんとにくだらない。
世の中には優先順位ってものがある。
528 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 07:28:23 ID:3VPDqIrp
あんた、いい事いうじゃないか
529 :
人間七七四年:2008/05/04(日) 02:37:05 ID:kPJoTwqJ
いいかげんウィキを荒らすアンチ景勝なんとかならんのか
家督は纂奪
清野盲愛
直江は謙信の寵童、景勝とは関係薄し
この3点に関しては絶対に譲れないらしくw
執拗に言葉をこねくり回して出典や説の根拠すら示さずに妄想を垂れ流しとる
2ちゃんかブログと完全に勘違いしてる
ミーハーの多い歴史系に関しては本当にウィキは害悪だな
530 :
人間七七四年:2008/05/04(日) 03:00:04 ID:kPJoTwqJ
菊姫は家中で景勝よりも敬愛されていたのに景勝のせいで自害
四辻氏が景勝の最愛の女
上記にこの2点が漏れていた
・・・本当に何なんだ?たいして目立ちもせずファンも少ないだろう景勝に
どうしてあそこまで粘着質なアンチがつくのか不思議でならない
しかも後年の新発田関連や関ヶ原周辺のことについては全く関知せず
ひたすら青年期の景勝と謙信・直江が絡んだ性愛関係にこだわっててキモすぎる
531 :
人間七七四年:2008/05/04(日) 22:52:24 ID:JNOFjDIf
家督簒奪はあながちウソでもないだろう
憲政殺しちゃったんだから
532 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 00:01:21 ID:CstUP3Xl
>>531 少し前にさんざん上杉本スレでやり合ってたの知ってるよな>憲政と家督に関する件
決定的な史料がない
人によって解釈が違う
それを2ちゃんならともかく、ウィキで史実として記述してる阿呆がいるのが問題
あまりにも粘着質で編集合戦が凄まじく、
呆れ果ててもうそんな気違いみたいな奴相手にしたくないので放置してるが
533 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 02:15:20 ID:y9EWZFM4
>>532 >少し前にさんざん上杉本スレでやり合ってたの知ってるよな>憲政と家督に関する件
自分が見てたからって他の人も見ていた前提で話をされても困る。
534 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 02:26:37 ID:HMzF5Git
どっかのスレで景勝が愛してたのは清野タンだけなの!
景勝は直江なんか興味ないの!って騒いでた人いた気がする
アンチよりむしろ景勝と清野をホモにしたい腐女子なんじゃね
そんな奴が存在するのかは知らないが
535 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 04:35:24 ID:OaJP9X3C
Wiki、景勝の項でも御館の乱の項でも
当然のように上杉の正当後継者は景虎って書いてるが
いつのまにそんな史料が見つかったんだ
まじで粘着アンチがいるのかねー
536 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 07:36:14 ID:uMi3Jl4f
537 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 12:21:21 ID:A9TE7MlL
ところで最近出た近衛氏の景勝の小説、そこそこ面白かったが、
やっぱり菊姫自害説を取っててげんなり。
まあ彼も三郎びいきだしな……
538 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 12:24:11 ID:dtdM/U5/
景勝が出てるBL小説があるらしい
539 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 13:00:54 ID:U0dk8O+4
家督簒奪に関しては、議論があって当然だが
直江が謙信の寵児とか菊姫自害とかは議論にも値せん
540 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 13:38:35 ID:V+Xt7yR5
>>535 三郎景虎の項目もいつのまにか嗣子にして後継者扱いになっててワロタ
同盟時に養子になって姪を娶った、景虎の名を与えられた、
それ以外の後継の根拠になる史料出典なんぞ何も示さず(無いから当然だが)
二の丸にいたことも確証はないし、逆に景勝に与えられた有意な処遇については微塵も触れず
履歴で編集者の他の項目見てみたら明らかにアンチ景勝
噂にきくミラオタとやらだろうか?
一方で清野寵愛説への激しいこだわりは、
謙信×兼続の布教で必死な腐女子とも予想される
ノートで個人サイトと勘違いするな、と何度冷静に諌められても
懲りずに繰り返し繰り返しせっせと編集して完全にWikiを私物化
あそこまでいくと、もう景勝に取り憑かれた病気なんだと思うしかない
ある意味愛だよな
541 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 13:44:42 ID:jyS0iAtC
>>537 ありがちな主人公マンセー小説よりよほど出来はよかったと思う。
逆境に耐え抜いた奇跡の凡人という感じで好きだ。
>>538 まさかとおもうが山風の「くノ一紅騎兵」のことか。
542 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 13:48:06 ID:y9EWZFM4
543 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 13:49:16 ID:dtdM/U5/
544 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 19:11:17 ID:rV1H3s6O
>>533 >>532みたいな自分が知ってるから他人も知ってる、という思いこみはオタクによくあること。
545 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 19:44:29 ID:24/LG3ib
>>541 くノ一紅騎兵ぐぐって吹いた
しかし読んでみたいな
絶版なのか
546 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 21:34:06 ID:gG56r8Cc
>>544 532だがオタクですまんなw
ちょうど憲政と家督絡みの話で少し前の本スレがほぼ毎日age状態
一気にスレが伸びる状態が続いたもんだから
531もそれを読んでて書いたのかと思ったよ
確かに思い込みだな
上杉家を語るスレ、100レスぐらい前に遡れば見れるよ>542
>>545 景勝はアホの子みたいでかなり微妙>くノ一紅騎兵
兼続の変態っぷりに笑った
それこそ奥羽永慶軍記大好きなアンチが涙流して喜びそうな展開だよ
叛旗兵は読んだ?そっちの方が長編だし面白いと思う
隆慶一郎の一夢庵風流記の兼続とタメをはる男前
山風はかなりの謙信・兼続ファンだったはず
そういや海音寺潮五郎も兼続のことは凄く評価してたな
池波正太郎は景勝に好意的な作家だった
近衛氏の新作は三郎小説の印象がいまいちで手に取る気がしない
547 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 22:23:47 ID:Tg0XP6Lq
>叛旗兵
くノ一紅騎兵ぐぐった時にこっちも気になった
明日出かけるんで探してこようと思うよ
大河近くなったら関連書籍増えるかね
548 :
542:2008/05/05(月) 22:28:52 ID:y9EWZFM4
>>546 どうも。景勝が憲政を殺したのを不自然に思っていたが、なるほどこういう見方もあるのね。
549 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 23:10:51 ID:qdUXpmSx
>>543 真田幸村とできてる奴だろ
こないだ客が持ってきて気になったから調べてみたら
あんまりの事にふいたww
550 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 00:20:05 ID:f//yPRa6
「幸村殿、なんとか(タイトル忘れた)」ってやつだな
551 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 00:25:19 ID:hdeJrKxI
大きな声では言えないが読んだ
552 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 01:18:52 ID:jluKcnhZ
>>546 叛旗兵の兼続も相当な変態軍師だとおもうよ ‥酒見三国志的な意味で。
>>545,547
ちくま文庫 山田風太郎忍法帖短編全集10 「忍者六道銭」
わりと簡単に探せると思う
「叛旗兵」の廣済堂文庫は置いている店には置いている。
ない所にはない。
553 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 22:47:20 ID:R7EiI1jL
叛旗兵探したけど無かったぜ
くの一〜はちょろっと流し読みしてみた
いやあ直江は面白い奴だな
554 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 12:17:07 ID:c4GdBun2
大河では多分微妙なキャラなんだろうな
555 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 18:20:40 ID:MkbwWd5X
大河はまったく期待してないな。
原作がどうしようもないし、脚本家はスイーツ脳らしいし。
わかりやすい功績もないし、慶次のように漫画やゲームで上げ底された人気もない。
地味に渋く淡々と描いてもらえれば御の字だが、
主君にもたまには花を、ってことで無駄に強引な展開にもってったりして、
ますますアンチがファビョって暴れるものと諦観してる。
556 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 18:37:02 ID:E5XJ584S
見ない事には分からない。
557 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 19:07:15 ID:+0k0GhvK
>スイーツ脳
こういうことを書く方が恥ずかしい
558 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 03:18:21 ID:mj6Wn78y
>>537 亀レスで申し訳ないのだが、
近衛ってPHP文庫wの「織田信忠」でも
ひたすら松姫焦がれで三法師母には邪険な信忠・・・
なんて昼ドラ調の(すまん昼ドラ)設定を書いてたぞ。
そういう単純な男女間の相克を書くのが好きなんだと思う。
559 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 03:58:31 ID:ZqpWMVnC
>>557 しかし、それ以外の言葉が思いつかん位脚本家があほな事言ってたのもまた事実。
脚本書くに当たっての下調べについてのインタビューで、兼続がどうとか戦国時代がどうとか言う以前に
「昔ってお風呂がサウナみたいだったんですね〜」なんて言っちゃってる人だぜ?
>>558 話としてはそのほうが面白いのかもしれんがね。
ただ、菊姫が最期自害してしまう話の展開の作品のなかで
まともなのというと(嫉妬に狂いファビョて自害でない)、
『花に背いて』くらいのもんだよなあ。
何気にあの作品は武田信清にもスポットが当てられていたりする。
↑
上杉スレでも話題になってたが、この話の出展は「上杉家編年文書」なる資料の中の
藤林年表というものらしいんだが、聞いたことあるひといる?
560 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 09:40:43 ID:86jH1ZZ4
「花に背いて」は良さそうだから読んでみたいんだけど、
どこにもないんだよなあ…。密林にもないし。古本屋を探すしかないか。
561 :
558:2008/05/12(月) 04:05:03 ID:L3xQBT7A
>>559 自分は菊姫自害説をはなっから信じてない者だけど
この説の出どことろが >藤林年表 ということは
何年か前の史板か戦国板で自分が書き込んだことがある。
自分が何で読んだかというと、
女性史についての著作が多い楠戸義昭氏の「戦国女系譜 巻之二」
この中の「上杉家の女たち」という章の菊姫の項で
「菊姫 子供なく自殺した景勝の正室」とタイトルがつき
米沢市史編纂に携わった方から取材した話という展開で、
「菊姫自害説」を紹介しているんだよね。
その件はさておき「戦国女系譜」は、古書店にときどき出るものだし
謙信母の虎御前の墓の写真や仙桃院のあの肖像画像も出てるので
興味のあるぶんには「読み物として」お薦めです。
自分としてはちょっとねぇ・・・な説だけど
小説家としては楽に話がまとまるし拝借しやすいネタなんだろうな。
562 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 11:57:31 ID:6/P8pBfU
>>561 まあ、年譜にある「弟が駆けつけ、夫も手を尽くしたが甲斐なく死去」という話に比べれば、
小説などのネタとしては面白いからな。ちょうど四辻氏も同時期に亡くなってるし。
ただ、池・矢田両氏が編集した『上杉氏年表』とかもそうだが、まともな学者の書いた本でこの説を言ってるのは
見たことが無いんだよな。『上杉景勝のすべて』とか『戦国女系譜』とか、そういう系の
本でしか見たことが無い。『上杉氏編年文書』なる史料も所々引用されているのは見るが、
活字化されているのやら(『国書総目録』という本に載ってれば、所在などがわかるんだけど)。
郷土史家かあ・・・。郷土史家って結構アレな人が多いんだよなあ。
563 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 20:33:50 ID:U/nRb3dJ
楠戸氏も、「〜すべて」の編者の花ヶ前氏も郷土史家だな…
564 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 21:09:19 ID:UEEON1Kb
『〜のすべて』は微妙だな…
微妙な郷土史家もそうだが、小説家の小説を載せるなと言いたいw
まあ、新人物○来社って時点で微妙だけどな
565 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 21:20:07 ID:6/P8pBfU
>>564 『〜のすべて』シリーズは本当に微妙なのが多い。
まんま小説だったりとか、郷土史家の中でも俗説垂れ流しとかを何の批判もなく載せてたりする。
ただ、一部の章は結構出来がよかったりするんだけど、玉石混交だな(石のほうが多い)
ただ、『〜のすべて』シリーズは結構痒いところに手が届くチョイスなんだよなあ。
同じ企画で、吉川弘文館とか岩波あたりでやってくれたら、また違ったと思うんだが。
参考までに日本史板より転載
S級
A級 岩波書店 東京大学出版会 吉川弘文館 名古屋大学出版会
山川出版社
B級 校倉書房 未来社 みすず書房 ミネルヴァ書房 平凡社
塙書房 柏書房 思文閣 有斐閣 京都大学学術出版会
法政大学出版局
C級 青木書店 大月書店 日本経済評論社 勁草書房 清文堂
刀水書房 御茶の水書房
――――まあここから出せば恥ずかしくはないわなの壁――――
α級 岩田書院 同成社 ぺりかん社 ゆまに書房 法藏館
明石書店
β級 国書刊行会 名著刊行会 原書房
γ級 日本図書センター 錦正社 芙蓉書房
――――ちょっといろんな意味で留保が必要だわなの壁――――
Ω級 解放出版社 部落問題研究所 新日本出版社 展転社
新人物往来社
566 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 22:29:02 ID:X20Sb9tk
景勝の史伝は少ないね
児玉彰三郎氏の本はよかったのだけど、一般発売してくれないかな
567 :
558:2008/05/13(火) 01:04:35 ID:u0h6f+YI
>>562 たびたびすみません、558=561です。
菊姫は伏見屋敷で病没したわけだけど、「信清も看護にかけつけ
景勝も優れた医師を招き手を尽したけれど薬石効なく死亡。
家中のものみな哀しんで妙心寺に手厚く葬った」のが通常ですよね。
来年の糞大河(楽しみにしている人、すみません)の内容はさておき
期待してるのは、「京の冬の旅」キャンペーンでで妙心寺内の
菊姫の仮埋葬の塔頭が特別公開されたらいいなぁ、ということです。
当時の塔頭は廃絶して、当時とは異なる塔頭に継がれているのだけど
そこは通常非公開塔頭なんですよね。
伏見区内の各大名邸の配置図とかも家で行方不明になっているので
大河を機に最入手しやすくなると嬉しいんだけど。
568 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 09:31:27 ID:4/L9EnfQ
wikipediaの御館の乱を見たら
やたら物語調なんだがなんだあれ。
569 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 09:41:55 ID:1x5qJrH9
570 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 11:01:41 ID:3Q8n4E1/
wikiっていえばさ、上条政繁のとこで
「これに激怒した景勝は、実姉である政繁夫人とその子供たち全員に対して、十年近くもの間座敷牢に幽閉した」
と書いてあるんだけど、ソースがなにか分かる人いるか?
571 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 23:05:59 ID:co+VZhBS
wikiの景勝に関する記述は真面目にソース求めても無駄だと思う
wikiによれば謙信は景虎が正当後継者であると明言したらしいよw
今度はどんな編集してるかと思うと見るのが毎回楽しみな自分がいるw
572 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 02:36:39 ID:hu2Prvuf
>>570 何年か前の「歴史読本」の仙桃院の記事に載っているのは見た。
もとの資料は何だろう?
573 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 09:26:18 ID:dh7wukp0
また藤林年表とやらか?w
574 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 18:15:05 ID:j5v/Ajbo
>>571 畠山側の資料なら殊更悪く書いてあるのもあるのかと思って、ちょっと気になった
そんな説もあるかもしれないが、断定して書けるようなネタじゃねーだろと…
今見たら、その話に「要出典」を付けて、御年譜の記述について書いてくれてる人がいるな
景虎っつーと、
上条の「主君」の項目が、「主君 上杉謙信→景虎→徳川家康」になってるんだけど
これもミラージュオタとやらの陰謀なんだろうかw
>>572 ありがとう、歴史読本2005年2月号かな
http://www.jinbutsu.co.jp/rekidoku/0502m.htm 記事を書いた「水沢龍樹」を検索すると、いかにもクソそうな小説しかヒットしねーな…
575 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 20:29:50 ID:hu2Prvuf
そもそも畠山景広(上条政繁の長男)って、後年も上杉家に仕えていたはず。
連休中に林泉寺に行ったら、あたらしいやつだったけど畠山家とその分家二本松家のお墓があったぞ。
(ちなみに、直江、武田、水原、吉江といった重臣たちのお墓もあった)
『上杉家編年文書』なる史料も岩波から出てる『国書総目録』に載っていない。(正式名称は別にあるのか?)
日本にある史料はこれに当たれば、いつ誰が書いて、活字化されてるか否かなどがわかる
史学を志す人には必携の資料なんだがなあ・・・
576 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 20:49:24 ID:fnMNq7zJ
?
上条政繁って御館の乱では景勝派じゃなかったっけ?
上条政繁とは別の上条が景虎方にいたことがあったのか?
577 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 21:25:53 ID:hu2Prvuf
>>576 上条政繁は景勝方だよ。で、後に妻子を置いて出奔するんだけどね
578 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 22:33:02 ID:8174ZCk3
ミラヲタの脳内では上杉家は景虎が継いだと確定してるからなー。
ウィキペディアの謙信の項も山内上杉継いだの景虎と書いてるし。
579 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 23:25:15 ID:j5v/Ajbo
おお、「主君」の項目、景勝に修正されとる
修正してくれた人乙です
580 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 23:44:53 ID:ONbGGwKI
景虎萌えな腐女子が対立してた景勝憎しでアンチ編集してるってこと?
小説に影響されて妄想と創作のみでwiki編集するとかさすがにねーだろ
ミラヲタってのはそんなヤバい集団なの?
581 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 23:48:24 ID:hu2Prvuf
>>580 おいらがこないだ米沢の林泉寺で会った人はそうでも無かったよ。
一部の過激派だけだと信じたい。
ミラオタというか、それすらも超えた景虎原理主義者とでも言った方がいい気がする
582 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 23:54:20 ID:KeyuBYgQ
>>580 ヤバイなんてもんじゃない触れるな
今は知らんが10年くらい前の上杉祭りは酷かった
でもミラヲタのお陰で米沢は一時潤ったっぽいが
去年の今頃、菊姫と兼続夫妻、信清モロモロの墓参りに
林泉寺行ったら寺の人にまでミラージュ薦められて
(何で寺でホモエロ描写ある小説売ってるんだよ)
売りつけられそうになってガックリきた
583 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 00:32:16 ID:AYz0lN1X
>>582 俺がこないだ行ったときは、邦憲氏も出入りする部屋でお茶と漬物と羊羹をご馳走になったがw
まあ僧侶の世界ってのは男色あるから・・・って、フォローになってないな
584 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 00:40:06 ID:e3A+Wz9b
ミラージュファンなぁ…
昔、史跡にパーラメント供えてた人たちだろ(小説の設定で、景虎の好きな煙草らしい)
上杉関連の本に書いてあった
585 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 01:40:48 ID:CY7MmyFE
八王子市民なんで北条氏照も好きなのだが
年若い子女に「わー、炎ミラのファンなんですかぁ」と言われ
応対に困ってしまったことがある。
586 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 01:36:43 ID:tAZ6heZO
林泉寺の入り口(山門)の所に石柱で「直江兼続 武田信清 菩提寺」みたいな感じで
兼続とともに信清が2大名物みたいな感じになってるのは何故だろう・・・w
仙桃院や菊姫、水原や吉江、後年の上杉鷹山の側室・お豊の方の墓所もあるのに、
信玄の子という以外これといった事績もない(失礼)信清が・・・?
587 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 07:54:02 ID:ImxUhvpX
まさにその「信玄の子供」だという点だけだろう。
親の七光り、そんだけ信玄のネームバリューがでかいってことさ。
588 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 10:41:05 ID:bjZIy8Iz
清和源氏と、血筋も良いからな
かつての謙信と信玄の子同士は仲がよかったと
なれば一般人にとっての意外性はあるだろう
589 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 20:00:03 ID:RE0rL2PY
なんで、景勝は1611年に甘粕備後守景継を切腹させたんだ?
教えてくれ!!
590 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 20:13:37 ID:tAZ6heZO
>>589 初めて聞いたが、ウィキペ見るとそう編集されているな。
ウィキペ編集した人によると『米沢市史』に載ってたそうだけど、
出典はなんだろうね。『年譜』とか当時の書状とかに載っていることなのか?
591 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 23:36:33 ID:0qF2ubIN
上杉神社だったかな? 甘粕一族がキリシタンになっていたために討たれた
といったようなことが書かれていたのを見た覚えがある。 それが景継のことかは
わかりませんが
592 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 23:47:41 ID:tAZ6heZO
>>591 甘糟右衛門の一族。一説には景継の次男とも・・・とのこと。
キリシタンといえば、四辻氏の縁者の山浦玄蕃もいたな
593 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 20:22:47 ID:ZdjcYZ5x
>586
大久保長安との繋ぎ役?
後に幕府に呼び出され
尋問うけたが逃げ切った
龍芳の家系は島流しだが
594 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 14:30:14 ID:LA+WFh8L
>>583 ただ実際に長安と信清がつなぎをとっていた形跡がないみたいだし、
竜芳の子や実了(信清の舅)が連座したといっても、大久保長安の
庇護を受けていたという以上のものではないので、単に巻き添え食った
だけだろうなあ。本当に、景勝の妻の弟というポジション以上のものは
なかったと思う。
確か、直江父子がこの事件の際に書状をやりとりして、本多正信にも
つなぎをとろうとしていた。
595 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 16:03:40 ID:ChZKgb8w
近衛龍春の「上杉景勝」は暗すぎる。読まないほうがいいかも。
「三郎景虎」で資料を資料集めたからもう一冊書こうかなって
おもって書いたんでしょう。お館の乱だけで3分の2使ってるもの。
三郎はお館で終わったから仕方ないけど、景勝はそれからでしょう。
大河 やっぱり兼続は全てにおいて満点だ!になるんでしょうか?
見るのが辛い・・でも見たい
596 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 17:24:54 ID:sTx1+Nuz
あの小説は資料提供者の名前を見れば、
御館で景勝が不義だとする黒幕がわかるなwww
「上杉景勝」の景勝、ずっと景虎を妬んでグチグチ文句言ってる感じだったが
「上杉景虎」での景虎もずっと景勝のこと羨んでウダウダ言ってた
「なぜ御館様はわしではなく景虎ばかり戦に連れて行くのか」みたいなセリフ、
「上杉景虎」で景虎も、景虎の部分を景勝に変えて似たようなこと言ってたしw
近衛龍春は周囲に振り回されて屈折した性格に育つ主人公が好きなのかも
「川中島の敵を討て」みたいに
謙信とかの大物を描くのは苦手みたいだね。
苦境にあり、運命に翻弄された無念さを描くのはなかなか。
書評ありがとw
読まんで済むわw
御館で景勝が不義ってどんな設定なんだ
謙信の意中は本当は景虎にあって云々、という例のミラヲタみたいな設定?
謙信が跡目を明示せず没したので、
遺言を捏造して力付くで本丸占領。
そして景虎との仁義無き戦いを繰り広げる。
斬新さもなんもないよ。
売上あげたくてミラオタを媚びてるんだな
何かの後書きで三郎景虎が主役の小説に「炎の蜃気楼」があるのを
不明にも知りませんでしたみたいなこと書いてたような
>謙信の意中は本当は景虎にあって云々
作中では謙信が景虎を景勝と政繁で支えろって明言したらしい
なんというか、作者は景虎が好きなんだろうなと思う小説だった
「上杉景虎」を景勝側から見た作品としてはこれはアリだが
普通に景勝が主人公で活躍してる小説と思って読むのはオススメしない
御館の乱でも動いてるのはほぼ兼続で、景勝は報告受けて頷いてるだけ
途中だけ読んだら兼続が主人公と勘違いするかもしれんw
それで景虎を後継者と明言したとかwikipediaに書く馬鹿が沸いてるのか?
>>603 >作中では謙信が景虎を景勝と政繁で支えろって明言したらしい
それで実際はなんで政繁が景勝派になったのか、
なんで天正年間に謙信が景虎の地位を補強しておいてやらなかったのか、
納得できるストーリーになってるなら読んでみたいが、
そうでないなら立ち読みする必要すらなさげ
606 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 10:44:30 ID:h3/ibh9i
普通に考えると、景虎のほうが年長だからか?ってなるんだけど
米沢市のサイトひでえな、ありゃ
死んでまで直江がしゃしゃり出てるってのもなァ…
上杉の城下町というより直江の城下町じゃねえか
608 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 11:23:03 ID:ZxkaE38Q
米沢市のサイト 本当にひどい。
まさか直江の米沢に上杉家が転がり込んだなんて思ってないよね?
世間が変に直江を持ち上げててもお膝元の米沢くらいは
景勝の評価正しくして欲しい。
来年は直江大河だから直江プッシュしてるだけで
もしこれが鷹山大河なら鷹山をプッシュするのさ
田舎の都市ではメディアに注目されるのはまたとない
チャンスの重要な町おこしになるんだ、大目に見てやれよ
610 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 13:02:02 ID:cdRIOebT
直江プッシュはもちろん当然のことだし楽しみだよ
ただ、功罪の罪の部分だけすべて景勝のせいにして語り継がないでねwって感じ
あの原作で、かつ時代考証が花ケ前らしいから
ドラマではきっとそうなってしまう可能性大きいけど
よくも悪くも直江に力を持たせすぎちゃったもんね
612 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 10:31:26 ID:3+KMKAAT
>よくも悪くも直江に力を持たせすぎちゃったもんね
偉大な先代を持つ跡取りの辛さからじゃない?
何かと言うと「先代は・・」なんて老臣が一杯居たから
景勝は直江に非難の矛先を向けるようにしたのでは?
あまり家臣が当主を非難しすぎるのは家を纏めていきにくい、
直江なら「あの若造が・・」「生意気だ」なんていわれても
まぁ仕方が無いで済む。
きっと景勝の指示で直江が動いてたと思いたい。
だっていくら優秀でも謙信がなくなったとき19歳ですよ。
江宮隆之の「直江兼続」では手取川の闘いでは兼続が軍師ですよ。
どうしてそう言う考えが浮かぶんだろう?
だれかも書いてたけど岳宏一郎か高橋直樹あたりに景勝主人公で
書いてもらいたい。父政景は謙信に殺されたんじゃないって設定で。
>>612 兼続が凡庸だとまでは思わないけど、
そんな兼続に対抗できるような人物が家中にいなかったんじゃないか?
米沢三十万石なんて、やはり陪臣の身分では尋常じゃないよ
越後十何将とか二十何将とか言ったりするけど、どれだけハッタリかは有名だ
大封を持ちながら、よほど人材難だったのかもしれないよ
凡庸だろ・・・
25000率いて最上5000にフルボッコってのは徳川秀忠並
内政にも特に目立った功績は無いし政治家としても凡庸の域を出ない
御館、新発田の乱で人材難ってのはあるかもしれん
>米沢三十万石
えーと、それはネタだったはず・・・
>>614 最上侵攻はわずか2週間の戦いで相手は決死の覚悟で最終防御ラインの要害にこもって抵抗した
これで凡庸扱いなんてアホで短絡的な人間だな。
しかもフルボッコなんてされてないし。
>>616 わずか三週間で部将の上泉討ち取られたり4000の別働隊が撤退するほどの打撃を受けたり本陣近くまで追い詰められたり。
フルボッコは言いすぎかも知れんが武将としては落第だろ。
新発田戦でも結構いいようにやられてるし。
ここは景勝スレですよー
619 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 16:14:34 ID:gOQgWg6i
9/15に長谷堂に布陣開始(関が原決戦同日
9/29関が原敗報が届く
10/1に撤退開始
わずか2週間ですね。
また上山には直江は関係ない篠井康信、横田旨俊らの別働隊だね。
さらに言うと長谷堂城の戦いについては当時の良質の史料がほとんどないので軍記講談レベルの話ばかりなんで、その史料価値のないものを持ち出して兵力や被害の根拠にしての直江批判するアホは基地害ですね。
620 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 16:16:57 ID:gOQgWg6i
新発田の乱はそもそも兄の新発田長敦の死去に伴いせっかく家督相続を認めてやったのに
兄の功績を弟の重家が誇って過度な褒美を要求したのが原因(その背後には信長や葦名盛隆がいた)
また上杉家は本能寺の変後も葦名配下の津川城の金上盛備や
魚津城を攻略した佐々成政や北条氏直との対立で真田昌幸の支援をしていた。
揚北衆も同じ揚北衆同士なので士気が低く協力的ではなかったし上杉景虎を支持の残党も多かった。
(本庄は謙信生存時に葦名の支援を受けて謀反してるし、色部長真の正室は重家の妹)
また新発田側は新潟湊〜新発田の大湿原地帯の地の利を押さえ、豪雨になると上杉側が孤立する始末。
そのために治水開墾し開発をしながらの長期戦になっていたのでしばしば兵糧不足に見舞われていた。
このため新発田攻略が極めて戦略的な行動になっていき日本海経由の支援と蘆名家の津川経由支援の遮断と
新潟湊の開発と新発田までの水上交通と水利権を奪い、耕作地が広がり
新潟の自由往来が可能となり新発田の乱を最後に謙信存命時からのたびたびの揚北衆の謀反と
半独立の気風が完全に無くなり上杉家臣として被官化されていき中央集権化され上越・中越・下越の独自性が消え統合された。
狩野秀治ってドラマ原作に出て来るの?
大河では二頭体制の時期もちゃんとやって欲しいんだけどな
御館の頃からいきなり単独執政みたいになってたらワロス
北村一輝か・・・
直江兼続…妻夫木聡(80年生 171cm)
上杉景勝…北村一輝(69年生 177cm)
兼続より背が高くてイケメンな景勝ktkr
624 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 08:22:49 ID:ydMDy9KJ
北村のイメージ+花ヶ前考証+時事ネタおにぎり
で景勝ヒール確定オワタ
626 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 09:23:51 ID:f8KbySDu
北村一輝できまりみたいですね。
ところで恥ずかしながら彼の作品どれも見てない・・・
脚本家に「こんな景勝は嫌だ。もっと存在感を!」なんて
わがまま言えるひとかな?
主役を食っちゃうほどの人だったらいいのだけど。
北村ってことは謀将景勝なのかな?
個人的に大好きな役者だ
時宗の時に平頼綱やってたろ?
629 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 13:23:50 ID:Edbanbsn
なるほど
まったく笑わなかった人間だけに
怖い&何考えてるかわからん北村は良いかも…つか無言で厳つい顔だと北村は怖すぎねーか。
決まってみれば北村一輝いいかもね
演技も悪くないと思う
誰のことかと思ったら夜王のセイヤか
これは直江完全美化が決定したね
NHKはまた糞大河をつくるのか
大河が主人公美化なのを今更叫ぶなよw
635 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 16:37:28 ID:Edbanbsn
勝頼や氏政や信長・秀吉・家康・三成・昌幸・幸村・義光・慶次・勝家・利家・成政・一益・長可・義宣などは誰になるんだろう。
景勝スレなのに直江美化して嘆くのはなぜ
直江の失策が全部景勝の所為にされかねんからじゃない?
講談や娯楽番組を純粋に楽しめない
頭の悪いヤツがいまだにいるんだな。
真に受けてしたり顔で語る阿呆が多いからな
http://www.nhk.or.jp/niigata/2009taiga/cast/cast2.html >兼続の主君。越後国上田長尾氏当主・長尾政景の次男として生まれ、叔父である上杉謙信の養子となり、上杉家を継いだ。
>兼続とは対照的に、極度に寡黙で気難しい印象を与える性格。
>常に冷静で正確な判断を下し戦国の混乱した状況の中でもその態度は一貫して変わらなかった。
>兼続とは幼い頃から常に二人で行動してきたため、その絆は単なる主従関係をこえていた。
>また、才走り、時として行き過ぎてしまうことのある兼続を押さえる役割も果たした。
設定だけ見るとカッコイイけど
マシになってると願いたい
小説は火坂の人間性からして読む気にならん
>>638 創作ものの影響舐めちゃいかんよ。
慶長出羽合戦の敵方だった最上義光なんて、フィクションの影響もろに受けて未だに悪いイメージ強いし。
「極悪非道で云々」とか作り話を元に銅像建設に反対運動とかされたりしたからね。
>>641 まあ、登場人物の説明みると、景虎さんなどもだいぶ設定はマシに
なっているっぽい
>>642 義光は残ってる書状とか見ると印象変わるしね
あの原作読んで
「こんなくだらん原作の大河で謙信やれるか!!」
となって、渡辺謙は蹴ったのだろう
645 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 21:33:43 ID:r7dgkvXf
大河ドラマ「天地人」新たな出演者発表!!
上杉景勝(うえすぎかげかつ)…北村一輝(きたむらかずき)
お船(おせん)…常盤貴子(ときわたかこ)
初音(はつね)…長澤まさみ(ながさわまさみ)
樋口惣右衛門(ひぐちそうえもん)…高嶋政伸(たかしままさのぶ)
お藤(おふじ)…田中美佐子(たなかみさこ)
樋口与七(ひぐちよしち)…小泉孝太郎(こいずみこうたろう)
泉沢久秀(いずみざわひさひで)…東幹久(あずまみきひさ)
上杉景虎(うえすぎかげとら)…玉山鉄二(たまやまてつじ)
華姫(はなひめ)…相武紗季(あいぶさき)
菊姫(きくひめ)…比嘉愛未(ひがまなみ)
仙桃院(せんとういん)…高島礼子(たかしまれいこ)
上杉謙信(うえすぎけんしん)…阿部寛(あべひろし)
http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_tenchi.html
>>645 ありがとう。読みにくい名前が多いなと思っていたんだw
>>644 アホか。
やる前から既にスケジュールびっしりで不可能だったんだよ。
それを知らない原作者と視聴者が騒ぎ過ぎただけだ。
渡辺謙は夏から映画の撮影で中国ロケ、大河撮影開始時期と完全にぶつかる。
例え本人が出たいといっても100%無理。
この板にミラって言葉がでていてびっくりした
伝説の最悪集団だからな
651 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 01:00:33 ID:KcC3z/or
炎の蜃気楼スレがないのは片手落ちよね?
ね?
652 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 01:11:37 ID:3OB5UyfS
こっちじゃなくて景虎スレで聞けよw
景勝スレに沸き出すKYミラージュファン
さすが、場を弁えずに史跡で奇行しまくってただけあるなw
北村一輝の景勝様は、本当に来年一年間は喋らないし笑わないの?
猿を見て笑うシーンくらいか
つまり秀吉を見て「やべえあのジジイマジおもしれえ顔プププ」ですね
657 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 17:08:01 ID:+2wcF9n8
なんかまたwikiのアンチ景勝が必死になってるなあ
男色云々がノートの方で一蹴されたからお決まりの家督簒奪(笑)に切り替えたようだ
658 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 21:38:17 ID:zcQc6uK4
>>657 そういうふうにしか見れないから、景勝厨って言われるんだよ
659 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 21:45:37 ID:ChYWvZ+K
「降伏の強要」ってなんだ?
660 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 21:50:26 ID:+GXAUfTT
661 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 22:01:31 ID:+2wcF9n8
>>658 編集履歴見てみろよ
悪意があるのは明らかだろ
降伏の強要とやらもだが
わざわざ「景勝一代で」没落したとか嫌みったらしく追記したり(これはまあ事実だが)
「家督の簒奪に近い」という見方も「ある」から「少なくない」としてさも多数派意見のように振舞ったり
なんだろうねこう言葉の端々まで捉えて悪いほう悪いほうへと導こうとするのは。なんかの怨念にでもとり付かれてるのか?
662 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 22:02:19 ID:zcQc6uK4
「男色云々がノートの方で一蹴されたからお決まりの家督簒奪(笑)に切り替えたようだ 」っていう時点でもうおかしいよね
657の中では勝手に家督簒奪の記事追加した奴=男色厨にしちゃってるけど
なんでも男色厨のせいかよ
663 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 22:06:44 ID:+2wcF9n8
ああ、そういうことが言いたいのであれば、確かにそれは俺の短慮。浅はかに同一視してしまって済まなかった。
664 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 22:17:21 ID:+GXAUfTT
長尾上杉には今も昔に劣らず敵が多いなあw
665 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 22:25:12 ID:ChYWvZ+K
何が何でも降伏を強要したって言いたい奴がいるみたいなんだけどさ
そもそも「降伏を強要」って日本語の意味がわかんねーよ。
降伏しろ!って言われてる状態で降伏しなきゃ死は
分かりきったことだろ?
降伏命令を拒否はわかるんだけどさ、
降伏を強要って日本語として意味が分からん。
666 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 22:30:59 ID:UD2CZCL0
とにかく悪意は明らか。
史料的な裏づけも取れていない事項を百科事典に繰り返し記述できる神経を疑う。
667 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 22:44:42 ID:huREBxjo
謙信は美形の養子たちと男色関係にあったが、
ひとり美形ではない景勝とのみは男色関係はなかった、、、
という記述まであったことを思い出してしまった。>ウィキ
あれはワロタ
668 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 22:52:16 ID:bel50dFl
669 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 22:54:21 ID:EKRKaO/9
何それワロタwwwww
一番近い甥を齧る必要はないけどな。
671 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 00:46:46 ID:rZxdTMpj
672 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 01:17:42 ID:lq7uVfiT
673 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 01:23:55 ID:CNIach3X
御館の乱も、景勝と景虎どちらを後継者にするつもりだったかは
謙信のみぞ知る、って状態のはずなのに中立に編集すると
「景虎が正統後継者の可能性が高い」「景虎が優位にいた見方が強い」って感じで
即座に景虎贔屓に上書きされてるね……これがミラヲタってやつなのか?
674 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 10:15:35 ID:bdchlUeu
古志長尾等が景虎についたのしても上田長尾憎しでついただけで仮に景虎側が御館の乱で勝っていたとしたら今度は景虎が邪魔になって排除してたんじゃね?
全く長尾の血が入っていないんだから。
よそ者を当主に担ぎ上げてもその内不満が出るのは明らかだろ。
景虎をとっとと隠居か自害に追い込んで長尾の血を受け継いでいる道万丸に継がせてたと思うんだが。
どちらにしても景虎はいい様に扱われて用が済んだらお払い箱だった気がする。
675 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 11:06:10 ID:7BobjJB/
そしたら景信の親族が新たな上杉家当主になったかも。
でもそれはそれでまた内乱を招いたり、
武田や伊勢氏のつけいる隙を与えることになるんだよなあ。
676 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 11:26:07 ID:X7c0OZIc
長尾の血っていっても道満丸の長尾の血は
上田長尾の娘の血だべ?
よそ者の景虎はイヤだけど
上田長尾憎しで反景勝なら道満丸が当主になるのも嫌だろw
北条家が後ろ盾についてる景虎を自害に追い込むなら
道満丸も一緒に殺されるわ。
677 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 12:33:52 ID:bdchlUeu
>>676 道万丸まで殺せば北条に敵対してしまう。
北条の血を受け継ぐ道万丸が継げば北条も認めざるを得ない部分が出来る。
678 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 14:27:27 ID:83W8CDW9
>>676 反上田長尾として動いてても、根絶やしにしたい訳ではなく、
「上田長尾が権力の中枢を掌握する」のが嫌だったわけで
上田長尾を下して、擁立した景虎-道満丸までいけば、自分達の天下だと思ったんじゃね?
679 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:01:01 ID:bpOYzG6E
結局謙信は自分が死ねばたとえ跡取りを決めていても
越後は乱れる国と思っていたんでしょう。
自分の力で纏めろ!景勝にこう言いたかったのでは?
姉思いの謙信は景勝に譲りたかったけど古志長尾等に遠慮があったかも。
680 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:49:05 ID:dwWuKDh6
御館の乱が有っても何とかなったけど
新発田の乱で一気に追い詰められた
あの論功行賞は謙信も予想外だったと思うよ
681 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:51:45 ID:A8cxfblu
>>680 あそこで三条あたりまで新発田に渡したら巨大な勢力になり過ぎて上杉本家がやばくなる。
682 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:02:42 ID:Aa9inz7S
主君である上杉景勝を補佐し豊臣秀吉から山城守・山形30万石の贈与などの
引き抜き行為を幾度も断るなど忠義に厚い名将直江兼続。
『最上義光記』には「直江は近習ばかりにて少も崩れず、向の岸まで足早やに引きけるが取って返し。
追い乱れたる味方の勢を右往左往にまくり立て、数多討ち取り、この勢に辟易してそれらを追い引き返しければ
、直江も虎口を逃れ、敗軍集めて心静かに帰陣しけり」とある。この撤退戦は後世まで語り草になった。
最上義光は兼続を「上方にて敗軍の由告げ来りけれども直江少しも臆せず、心静かに陣払いの様子、
(中略)誠に景虎武勇の強き事にて残りたりと斜ならず感じ給う」と評し、
家康も兼続が駿府を訪れた時「あっぱれ汝は聞き及びしよりいや増しの武功の物」とおおいに賞賛したという。
家康は武家として正々堂々と戦い、西軍が負けたら清く敗北を認め主家を守る為に
すべて自分の責任なので煮るなり焼くなりすきにしてくれと言い放った兼続に惚れこんだ。
本能寺の時の毛利が秀吉を追撃しないのと同じように卑怯なマネをしなかった上杉家を評価し
逆に毛利の卑怯な真似を怒り、毛利本家改易にして吉川広家に1〜2ヶ国を与える予定だったので慌てた吉川が泣いて嘆願し許してもらった。
のちに輝元へ広家が超長文の言い訳弁解を書き連ねた吉川広家自筆覚書案を提出したのであった(岩国にこの見苦しい書が晒してある)
また家康が一番憎んだのが佐竹義宣であり武門に有るまじき振る舞いに家康は
「勢を見て兵をおこし敵となるは武の常なり。勝敗もまた命なるときは咎むべきにあらず。
しかれども義宣はその心両端を持して家を全うせんとす。われこれをにくむ事景勝に過たり」と断罪したと言う。
政宗はまったく評価されず100万石も反故にされ逆に厳しく和賀忠親を上洛させろと脅迫され
追い詰められた政宗は福島表での軍功に逸り失敗。
5月に入ってなんとか上杉領に火をかけてきましたと家康に報告するのが限界で家康の機嫌がまったく良くならず
ついに和賀を5/24に松山国分寺で自害させて証拠隠滅を図る見苦しさ。
勝手に自害しましたとの報告に家康は不快がったという。
兼続が亡くなった際には上杉景勝から銀50枚、徳川秀忠から銀70枚が送られ惜しまれた。
683 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:19:04 ID:dwWuKDh6
>>681 謙信だったら松任城を懐柔したように
様々な好条件を新発田に提示したんじゃないかな
景勝(あの頃は信綱や秀仙ら、重臣の発言力が大きかったかも)って
新発田に三条に代わる恩賞くらい提示したんだろうか?
安田が切腹するくらいだから、かなり強引で歪な論功行賞だったのでは
まったく歩み寄ろうとしなかったという
避けて通れない道とはいえ、あの時点での情勢下では許される事じゃない
こういった情勢判断や周旋能力が謙信(及び、謙信時代の重臣)より遥かに劣っていた為
有能な家臣を数多く失ってしまった
684 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 20:16:00 ID:8aAh7Twd
あれで新発田に三条やら褒美やった挙げ句に葦名&信長と手を組んで謀反されたら上杉死亡確定だったんだから
あれは間違った選択ではないだろ。
褒美をやり虎に翼を与えたら上杉内で新発田の発言力が上がり中央集権や被官化の流れから思いっきり後退する事になる。
むしろ本庄や色部らが敵にならなかったのは景勝側の政略ゆえだろう。
685 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:24:19 ID:o2tGu0/x
>>680 >あの論功行賞は謙信も予想外だったと思うよ
そぉかあ?
三条城主だった重臣の山吉豊守が死んだ時、謙信は豊守の弟に家督相続を許したものの、
三条城を取り上げて半領分しか与えてなかったよな?
代々長尾に忠実に従った名門の山吉なのに
五十公野城主から新発田城主になれただけマシなもん
686 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:01:06 ID:3AN7BsG1
>>676 上田長尾と古志長尾って血統的にかなり近いらしいぞ
古志長尾って2系統あるような気もするけど気がするだけで根拠は無い
687 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:11:52 ID:Vy1yNbvX
>>674 上杉家の相続に、長尾の血とやらにはあまり意味が無いだろう
既に上杉の血は消えているわけだし
養子が多いし、既に義理の家系
688 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:17:00 ID:3AN7BsG1
>>685 そして謙信が新発田の婿に与えていた三条奉行の職を景勝が召し上げたんだよな
筑前30万7000石の小早川秀秋に恩賞無しで博多だけ召し上げたようなもんだ
そりゃ怒るわ
689 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:55:37 ID:o2tGu0/x
新発田の妹婿?
じゃあ五十公野城主にならずに、ずっと三条奉行やってりゃよかったのになw
690 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:05:43 ID:Ku5a9k9r
強引でも集権化はしないとな、もっと上手くとは思うだろうが、佐竹みたいに上手く出来た所が稀な例
ほっといて毛利みたいになっても困るし
691 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:30:17 ID:8aAh7Twd
豊臣政権からむりやり中央集権化させて支配を確立させて石高チェックの竿を入れる…佐竹に従わない常陸豪族達を暗殺しまくった虐殺の南方三十三館謀殺は卑劣な騙し討ちだからな。
あれ失敗して一揆や反乱が起きてたら佐々成政みたいに改易されてただろうね。
秀吉は実力を試していたからね。
もし新発田の乱を契機に揚北衆への支配力がアップしてなかったら上杉も同じような虐殺をしてたかもな。
逆に安定していた上杉は色部だったかが秀吉政権の信頼を受けて雄勝郡だかに駐屯して奉行みたいな事してなかったっけ?
最上と小野寺で帰属が別れた地域にいて秀吉から最上が「内意を受けたから明け渡してくれ」「小野寺が住民を横手城に移したのが納得できない」とか言ってなかった?
色部が「正式な話がまだ来てないから渡せない」「横手に隠居しただけじゃないのか?」みたいな返事をしてたような。
692 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:48:30 ID:3AN7BsG1
>>689 そりゃ辺鄙な支城よりは三条の水運利権のほうが美味しいもの
当然でしょ
結局は鉄の婿の甘粕近江守が美味しくいただいちゃったわけだけども
なぜか山吉ではなく
693 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 00:08:56 ID:iDfg6seg
>>684-685 重家に金一万両(分割払いでいいから)と長尾(か上杉)出身の嫁、
あと竹に雀紋でもやれなかったかな?
謙信時代によく働いてくれた名将だけに残念
重家への対応が響いて安田・竹俣・中条・そして多くの加賀衆を犠牲にしてしまった
信綱・秀仙は親父実綱や謙信の信任を笠に着て
傲慢な感じがして嫌いだ
694 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 00:19:46 ID:IZxQtZJs
ゆえに山崎直江は粛正されたとも見ることが出来るな
景勝や兼続主導じゃなくて、上杉家という巨きな空気に
695 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 00:23:45 ID:fkVrUYbi
つまり愛の戦士兼続が毛利を操って悪武将信綱と腐儒者秀仙を成敗するというドラマになるわけね
696 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 00:24:22 ID:aaDAJIF4
>>692 三条奉行とはいえ
三条の水運利権の大半は、三条城主の神余親綱のもんなんじゃねーの?
697 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 17:51:39 ID:nMSf9oQM
生涯、猿でタダ一度笑ったんだったら秀吉がギャグしたら笑うかな
698 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 19:36:36 ID:YZJC7mYy
三条町にわざわざ直に奉行を任命するというところが
町の規模のさることながら水運を重視した故だと思うんだけど
699 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 21:34:46 ID:Qd/pZ4nW
>>693 謙信死後の春日山に3万両で勝頼に1万石あげた後は自派作りや景虎派切り崩しや軍事費でほとんど使っちゃったんじゃない?そん時にすでに新発田らにもバラ巻いてるでしょ。
700 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 21:35:25 ID:Qd/pZ4nW
訂正
勝頼に1万両
701 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 21:39:10 ID:YZJC7mYy
その1万両の支払いが滞って武田にはよ払えと督促されたなんて話があるらしいね
本当かどうか知らんが微笑ましい
702 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 22:59:12 ID:Ez06bDaQ
真偽はともかく武田も必死だったろうからなぁw>1万両はよ寄越せ
703 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 23:46:53 ID:Qd/pZ4nW
新発田が褒美が満足できないから謀反って理由は実際どうなんかね。
謙信時代の本庄なんかも感状はたくさんもらったろうけど褒美とかあんまりもらってなくね?
コキ使われて本庄も謀反したけど鎮圧されて息子を人質に出して謙信政権での地位も失うみたいな。
褒美って言ってもたいがいが所領安堵や上杉家紋の旗の使用を許すとか良くて名家相続でしょ。
越後常識から考えて新発田が不満に思う理由がわからん。本庄が武田に煽られ、新発田は葦名&信長の働きかけじゃないかな?
武田侵攻での織田が木曽や穴山や小山田を切り崩したりしたようにさ。
704 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 00:36:08 ID:PilOPtn1
>>703 なら秀吉が仲裁に入ったときに降参するんじゃね?
705 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 01:08:40 ID:mf4BVDfF
>>703 さんざん働かしておいて感状一枚とかなw
>>704 お互い戦死者が沢山出て領土も荒れて焼かれて
その頃にはもう修復不可能だろ、お互いに
706 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 01:17:40 ID:gwnABJG+
血染めの感状とか
感状の内容が「私はあなたの武功を一生忘れない」
これら最高の名誉を現すものを貰えば越後の諸将はだいたい満足してたっしょ。
707 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 02:06:28 ID:5M8zv6Pe
本庄の謀反って真相は分かってないんでしょ?
川中島の戦術を巡って愚痴り友達だったw長尾藤景を、謙信から殺せと命じられ、
「次は自分かも」と疑心暗鬼になった説
もともと奉行風を吹かす藤景とは仲が悪く、口論が昂じて殺してしまい、引っ込みがつかなくなった説
川中島で軍功を挙げたのに、中条よりも下という位置付けが変わらず、揚北の雄として苛立っていた説
いずれにせよ揚北衆は誰も付いて来ないわ、金山を召し上げられるわ、嫡男を人質に取られるわ、
支族の色部より下になってしまう結果に
新発田の場合は、大して活躍してない連中がアホみたいに優遇されたのを見て
その理不尽さに怒り
さらに取り成してくれた安田が切腹したんで遂に爆発
この新発田に限らず、毛利秀広とかいう国人も秀仙や信綱を斬殺してしまったくらいだし
あの不当な論功行賞を受け入れられない国衆は、実際多かった
708 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 02:37:28 ID:l4AVZ8tH
新発田だって諸説あるんでしょうが
何で新発田の件だけ、断定調かつ物語風に語り出すんだよ…
709 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 02:53:27 ID:gwnABJG+
そこだけ粘着して悪意ある恣意的解釈をするアホが登場するわけですよ。
710 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 03:01:55 ID:fFk7qrUE
wikiがまた凄い事になってるなw
ここで話題にしたからではないだろうけど……
711 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 06:15:53 ID:eusak+Pu
ミラオタ必死すぎw
712 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 06:50:12 ID:d7P24vIT
編集に待ったをかけることはできないの?
ウィキ見てないけど
713 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 06:56:08 ID:5M8zv6Pe
>>708 『安田顕元は再三に渡って景勝に取り成しを申し入れたが聞き入れられず、
重家らに対して申し訳が立たず
終に一通の諌書をしたためて自刃したという。』
この悲劇を聞いた、重家は
「さても御館一乱に我々味方に集まりける故に館方(景虎勢)次第に弱りて、景勝も本意を達し給う。
尤も新発田、五十公野を賜りし事なれど、三条ばらにくらぶれば物の数に非ず。
今度の勲賞はさして忠なき者共大所を賜る。
か様の事なれば我等に対し、安田、もだし難く思い害身せり。
此末とても頼もしき事なし、所詮城に立籠もりて五年も十年も国中を悩まし、此恨みを解散すべし。
敵わぬ跡にては自害して、屍を戦場にさらし北越の人々に名を残さん。」
と、乱に到るまでの理由を重家自身が書き残してるようだ
一方で繁長の乱は、こういった明確な理由が分からない
繁長が謀反(?)を起こした理由は何か?
あまりにも漠然とし過ぎていて、本人も明かしていないので、勝手に推測するしかない
だから新発田の乱とは比べ物にならないくらい「諸説」の数&幅が大きく広がってしまう
714 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 07:45:13 ID:D7Vny9vr
謙信は景勝と景虎のどちらを後継者と見ていたか分かってない、
上田長尾・後北条家のバックを見て勢力図が分かれた派と
景虎が謙信から可愛がられた唯一の後継者!
景勝なんて謙信から全然特別扱いなんてされてないんだから!派で
編集合戦になってるなw
715 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 08:29:37 ID:Dau0HmbO
wiki景勝ひどいなw
ミラヲタとガチホモに荒らされすぎwwwwwwwwwwww
716 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 12:45:03 ID:7UFTO3Xa
>>713 その言の通り本懐を遂げたんだから見事なもんだ
しかも来年には越後一国に留まらず日本全国に名が広まるんだから
武門の誉
717 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 13:56:46 ID:Kga432+f
>>713 それ出典はなに?そこまで細かく書かれると軍記みたいな気がするんだけど。
本庄は単に信玄の調略以外の理由はないでしょ。
同じように新発田は葦名&信長の調達でしょ。
だから本庄は最上に庄内狙われたが景勝側だったんでしょ。
だって本庄繁長は景勝側で功績あげたのに景勝に御館の乱のあとに嫡男を廃嫡処分にされた恨みはあるんじゃないの?新発田の仲間になってもいいくらいでしょ。
新発田は信長の補給支援を受け取りたいから新潟を奪ったんでしょ。
718 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 14:06:30 ID:7UFTO3Xa
>>717 >>704 津軽と九戸の明暗を分けるほどの秀吉の御墨付きを
わざわざ向こうから転がり込んできたのに蹴り倒したわけだ
武門の誉
719 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 14:18:38 ID:Kga432+f
九戸→和睦に応じて開城→騙されて皆殺し
新発田は単に戦国の常識を知ってて騙されなかっただけ。
720 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 14:18:53 ID:c+pLHTnE
>>713 >『安田顕元は再三に渡って景勝に取り成しを申し入れたが聞き入れられず、
そんな誰でも知ってるような事を改めて、しかも本の引用らしきもの
そのまんま載っけられてもねw
「書き残してるようだ」ってなんだそのいい方
わっざわざ口語訳にしなくていいから書状と収蔵先言えば?
…つーか、利権で動いてても、兵を動かす上で普通「建前」ってもんがあるからなぁ
謙信の願文然り
721 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 14:22:37 ID:c+pLHTnE
つうか三条三条言うけれど、
三条関連の書状で重家妹婿の名前が出てるのって、
景勝と三条城主・神余との間の書状のやりとりの奉行役としての1通しか見当たらないし
>>692で、重家の五十公野時代の五十公野城主の座より、三条奉行のほうが美味しいといってたが
そこまでの権力があるように見えないし
三条城主は山吉・神余・甘粕と他に常にいるし、三条付近の土地は山吉と山吉家臣(山吉旧臣)だらけ
>>692に貶されて書かれるほどにショボい五十公野城主から新発田城主になれたんだから
かなりのランクアップと見ていいw
722 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 14:42:10 ID:7UFTO3Xa
成人していた重家が実兄の遺領を相続するのがそんなにランクアップなのか?
別に戦功があったわけでもないのに
縁も所縁も無い城持ち大身国人当主の座を2つも拝領しちゃった一家のほうが
「かなりのランクアップ」じゃね?
723 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 15:03:06 ID:7UFTO3Xa
>景勝と三条城主・神余との間の書状のやりとりの奉行役
つまり三条嶋ノ城に従属してたわけではなく御館直轄の独立した地位だったわけだ
当然だけど
石見銀山奉行が浜田藩から独立してたようなもんで意味が無ければ奉行なんて置かない
724 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 15:35:32 ID:c+pLHTnE
ランクアップはランクアップだし
上田衆の浸透と、他の国に比べて遅れている越後の近世化を狙って番城化を進めたい景勝に
実子がないことにいちゃもんつけられずに、兄の遺領を減らされることなく綺麗に相続できただろ
つうか別に水運なんちゃらの利権の絡んだような書状じゃないけどな
宛名も「吉 喜・北 下・三 道」宛で、一人で神余を担当してるわけでもない
まあ、奉行を置いてるなら、意味があって直轄としておいてるんだろうが
謙信・景勝が掌握してる直轄の機関であればこそ、
奉行本人の利権なんてたかが知れてるわな
725 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 15:59:11 ID:7UFTO3Xa
そうね奉行に過ぎない大久保長安の権益なんてたかがしれてたよね
長安は貧乏をこじらせて餓死したんだよね
726 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 16:34:21 ID:c+pLHTnE
嫌だねえ貧乏とまで言ってないのに
そもそも奉行は奉行でしょ
奉行の腕を見込まれれば出世できるかもしれんが
大久保長安の晩年、死後もなんだかなぁ…
727 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 19:09:26 ID:/xgVajVO
奉行なんてピンキリ、大久保長安を例に出す事でよけい説得力が無くなる
728 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 19:15:58 ID:7UFTO3Xa
三条町奉行がキリであるソースは?
キリだったら代官置いときゃ充分
事実石見銀山奉行所は産出量落ちたら大森代官所に格下げされた
729 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 19:23:47 ID:7UFTO3Xa
大体恩賞が適正だというのなら新発田が叛乱したということで失政だし
新発田が目障りなのでわざと冷遇したってなら5年も鎮圧できず家臣何人も殺したということでやっぱり失政なんだよ
水原菅名上野みんな目障りだったので叛乱鎮圧を名目に無茶な陣払いでわざと殺した
っつーなら流石は名宰相と言うより他ないが
だがしかし尊敬はできんなあ人として
730 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 19:49:57 ID:uCPApma9
>三条町奉行がキリであるソースは?
キリまでとは思わんが、ピンとはでは思えんな
なぜなら、どう見ても重家妹婿が重臣じゃないからだろ
知行地の正確な位置不明、それなりの城も館も伝わってなく、特に活躍してる形跡もなし
奉行の重要度によって、それなりのランクの奴が就くだろうが
つーか、むしろ重家妹婿が三条奉行として華々しく大活躍してるソース出せよ
>大体恩賞が適正だというのなら新発田が叛乱したということで失政だし
得な方に着くための裏切りなんか、謙信時代でも、上杉以外の陣営でもよくある話だろ
>水原菅名上野みんな目障りだったので叛乱鎮圧を名目に無茶な陣払いでわざと殺した
>っつーなら流石は名宰相と言うより他ないが
>だがしかし尊敬はできんなあ人として
つーか、何で宰相の話になってんの?w
731 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 20:32:07 ID:cXV9J+vW
皆さん 詳しい〜〜〜
小説でのことしか知らないから恥ずかしい。
どんな本を読んだりしたらいいのか教えてください。
お願いします。
景勝のこともっと詳しく知りたいです。
732 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 20:36:49 ID:oIWgQVTc
俺なんて太閤立志伝しかプレイしてないぜ。
733 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 20:54:20 ID:9U4bwP7p
>>731 高志書院の上杉氏年表から着手して、
各項目のソースにあたればいいかと。
734 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 21:18:48 ID:Kga432+f
>>729 荒木や明智が謀反したからって誰も信長の失政とは言わんよ。
しかも鎮圧できないどころか親子揃って殺され別の家臣に家を乗っ取られたが。
中央集権化と主君が取り立てた奉行衆の権力を強化するのは当たり前。
有力国人を被官化する為に権力を削ぐ行為はどの大名も通る道だから。
為景が失権し晴景もダメ。北条や武田の侵攻の危機を利用して謙信が無理やり越後統一させたから挙北衆は独自性を持ったまま。その歪みのツケを景勝の代で払ったようなもん。
武田なら信虎時代に甲斐国人を統御しようとして追放されたりしてるわけだから景虎を使って上田衆の追放劇だってありえたわけだし。
織田の調略を前にして勝頼も景勝も家臣統制に苦労してる。
735 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 21:40:48 ID:ogzvB5/t
>>734 だいたい同意。大名の集権化って戦国時代を通して厄介な問題なんだよね。これに失敗して赤松や尼子なんかは
滅んだようなもの。
736 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 21:47:31 ID:7UFTO3Xa
737 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 21:59:40 ID:Kga432+f
>>736 パワハラって…戦国時代なら当たり前でしょ。下手したら切腹を申し付けられるくらいなのに。
738 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:02:42 ID:7UFTO3Xa
>>730 将と官吏の理解がごっちゃ
執政者は権限を保持する代わりに身代は慎む
逆に大身の者は名を遇する替わりに政道からは遠ざける
封建政治の常道
これを蔑ろにした室町政権は常に弱体であったし
徹底していた頃の江戸幕府は強固だった
論功行賞後の外様各個撃破と合わせてだけど
739 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:04:38 ID:7UFTO3Xa
それ選ぶのかよ
軍団配置とかいろいろあるだろ
それくらい自分でひいて
740 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:18:32 ID:zMhU+73e
おまいらせっかく揚北衆スレあるんだから使ってやれよw
と言いたいが景勝の話題でもあるし難しいとこだな。
自分は小説のみのニワカなので話に加われんが。
741 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:19:55 ID:9U4bwP7p
小さなことで争うな
742 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:19:57 ID:6tXvzZA7
俺なんて太閤立志伝と無双しかプレイしてないぜ。
743 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:21:05 ID:PYhWqU3A
>>738 はぁ?
謙信重臣の奉行衆の顔ぶれ思い出せよ
全員城持ち大身、奉行もやらされる上で戦にも思いっきり連れていかれるけど?
>執政者は権限を保持する代わりに身代は慎む
その通りだったら三条奉行なんてますます利権が薄いが?
さっさと三条奉行が利権でウハウハなソース出せよ
744 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:29:21 ID:7UFTO3Xa
>>743 だからそれが可能なのは論功で遇せる所領があるうちなんだってば
謙信は結局北陸に版図を求めたし
太閤は大陸に狙いを定めた
大勢の流れに分かれ領土拡張に限界がある戦国末期にそれをやると軍が弱体化するのは当たり前
ましてや論功行賞の不公平は致命的
軍団組織は自腹なのに戦功を立てるインセンティブが働かないもの
745 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:38:37 ID:PYhWqU3A
成功するかしないかの話ではなく
謙信が奉行をどのように選定してたのかって話をしてるんだろ
三条奉行の話してたんだから
746 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:40:36 ID:7UFTO3Xa
それから感状がただの紙切れというカキコがどっかにあったけど政治力学を無視しすぎ
事あるときは発給者が後ろ盾となる証明であるということ
だから発給者の力が強ければ強いほど効力を発揮するし
逆に蔑ろにするような事があればたちまちその意味を失う
武田勝頼が急速に滅びたのもそのため
747 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:43:53 ID:7UFTO3Xa
>>745 またそこに戻るのか
権限持たせないのなら奉行なんて置かないの
奉行も立派な執政官ポストなんだから
代官で充分
748 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 23:04:21 ID:PYhWqU3A
またそこに戻るのかもなにも、レス読んでんのかな
都合の悪いことには答えないし
あーつかれた
749 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 23:14:07 ID:/xgVajVO
他人の話を聞く耳持たず、もしくは意図して話をずらして自分の主張のみ繰り返す
2chにはよくいる手合いですね
750 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 23:21:43 ID:Kga432+f
守護がいまの領地を安堵するから軍役に応じろだろ。
感状でその都度安堵してもらってるに過ぎないし、その延長が先祖代々の土地相続を認める。
軍役を果たしたから領地くれではない。
むちゃで過度な要求を果たして相当な犠牲でもあれば金をあげたりするだろうが。
関東管領の下の上野国守護代だった白井長尾氏だって領地増えたりしてないだろ。
751 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 00:23:26 ID:jXLnk7ci
だからこそ上野は諸勢力の草刈場になったわけですね
奉恩制度の確立した頃から見れば毎年毎年数度行軍に借り出されるということ自体無茶で過度な課役なわけで
それはカネよこせコメよこせ土地よこせになりますわね
特に関東は長年にわたって戦乱が激しく疲弊も著しく
752 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 00:30:32 ID:jXLnk7ci
それにしても関東諸侯への睨みを利かせるための鎌倉公方が
率先して戦乱を興すんだから何やってんだか
753 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 01:14:16 ID:VlOWMpY4
>>751 いえ、白井長尾景仲・景信と言った名守護代がいたので上野国は
バッチリ治まってました。
景春が守護代職を伯父に取られたのが原因で謀反したのが上野国大乱の直接理由です。
754 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 15:23:49 ID:YK8Hg/lo
その後も恩賞問題と言うよりは関東管領職の後継を養子や実子で擁立しあって争ったのが上野国の混乱が長く続いた理由だからなぁ。
上野国守護代職も自派管領擁立成功と共に白井→総社→足利と移っていったような。
しかも古河公方の後継擁立争い派閥とも絡むからもうわけわからん。
地位は家格で限界がほぼ決まってたしな。総社も足利も領地が増えたようには思えんし。
敗者に養子を送り込んだり
家督相続をめぐって兄弟が争い敵対派閥に行く事はあるだろうが。
この時期に領地を拡大させてる人間って豊嶋一族を滅亡させた太田道灌くらいだろ…不遜な振る舞いが多くて謀反を恐れた扇谷当主上杉定正に暗殺されたが。
755 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 17:25:38 ID:XK77fl/V
>>720 願文って建前なの?
書状とかなら大義名分を謳う宣伝効果があるだろうし
結束を固める意図が有るだろうけど
寺社に納めてしまう願文だと人の目に触れないんじゃなかったっけ?
神に願い&誓う行為だけに、かなり本心が込められてるのでは
謙信の願文だって建前以上に殆ど本心だと思う
756 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 23:13:26 ID:BqpApyqB
先ほど某番組で
来年の景勝役の人が必死に壁紙を貼っていて何とも言えない気持ちになった
757 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 11:12:37 ID:YDl10/be
>>755 寺社に納めるときには、主だった家臣は立ち会うんだろ。
758 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 11:57:00 ID:RiGqxNgx
759 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 15:36:24 ID:dwtcR0gW
>>755 願文に書いたようなことが、出兵の大義名分として家臣達に伝えられてるんじゃないの?
760 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 20:46:07 ID:9lSBmJO2
謙信に限っては建前だけじゃないな。
武田の悪行を書き連ねたあれは感情的過ぎるwwwww
761 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 21:05:18 ID:ZyOT2Csi
足利尊氏のケースもそうだけど、何か(決起など)をするにあたって
寺社に参詣したり願文を納めたりするのは、それだけで決意表明というか
内外へのアピールになるから馬鹿にはできない
762 :
人間七七四年:2008/06/16(月) 22:51:32 ID:CkID5BWZ
封建制と中央集権化との狭間で苦しんだ大名たち、
信長や秀吉が天下を取った理由。
その辺りも大河で見せてくれればいいな。
763 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 17:33:22 ID:dZ/fxnTC
「天地人」の脚本家にこの本も読んでくれって勧めるとしたら何?
私は「密謀」と「群雲 関が原へ」と少ししか出ないけど「真田太平記」
くれぐれも「天地人」だけ読んで脚本書かないでね!
764 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 18:10:09 ID:fu8mvJ6t
どうせ篤姫の成功から教訓を得て作られるから
原作も関係ないよ。女性視聴者が満足するように
さらに改編されるから。
765 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 18:49:15 ID:f6L9gZLY
常盤貴子「今の感覚で演じても大丈夫」
766 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 00:32:36 ID:88UP5NEP
767 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 01:12:26 ID:9mCXCre4
>>764 脚本家の選択からしてそうだからな、
風林火山と同じイメージで見ると痛い目は見るだろうな
768 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 02:14:38 ID:DdV5CX5L
>>767 原作の選定から・・・
愛=LOVEって認識だろうし
769 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 02:37:33 ID:jl1pAiap
770 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 10:05:54 ID:pHqPq0oO
直江は本当に景勝に天下を取らせようとしたんだろうか?
771 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 10:47:10 ID:gC6FDnxw
それはないと思うな。豊臣による秩序を支えようとするのと同時に、
上杉家の権益を高めたかっただけじゃないの。
772 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 11:36:43 ID:xmMseLYo
>>771 秀吉の死後、豊臣権力は急速に求心力を失い、戦国の復活かと言うような相貌を見せた。
基本的にあの時期の上杉は戦国的な意味での「割拠」の準備を始めたと見るべきだと思う。
773 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 08:55:56 ID:A7NW6O48
やはり景勝は越後に未練があった。
会津と越後で充分と思っていたのでは?
774 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 09:47:18 ID:p/QwfqnQ
なら越後に兵を向ければいいのに・・・
775 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 10:24:18 ID:cA0x6aWy
>>774 越後に入る前に東の脅威を抑えておきたかったんだろ。
776 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 10:44:23 ID:p/QwfqnQ
>>775 奥羽慶長合戦の最上勢およそ合計8000。上杉25000。会津待機組含めると40000。脅威になるかね?
単に半飛び地状態の庄内地方が不安だったんじゃないの?
777 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 13:33:35 ID:2L0Xtorl
三成の挙兵のタイミングが悪すぎてあぁなったんだろ。
三成も佐竹に旧北条領はぜんぶやるとか言えないのかね。
778 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 13:48:31 ID:kns2gv6i
>>776 一番はそれだろう。
いわゆる「朝日軍道」だって庄内平野と会津・米沢が飛び地になってた
から必要だったわけだし。
779 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 20:39:19 ID:t0MyoYEQ
菊姫は良かったね、結婚相手が景勝で。
武田信玄の娘は皆 父の謀略の駒となり(戦国の姫だから仕方ないか?)
不幸な最後となったが
菊姫は愛されてたのでしょう。
景勝の父 政景も側室が居なかったし、きっとそう言う血筋なのね。
780 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 23:19:58 ID:VPj/KIIu
>>777 そんなことしたら佐竹が第二の徳川になるだけだろうに・・。
781 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 23:40:22 ID:fwNULUfx
なーに勝つまでは空手形を切るだけよw
家康だって毛利領安堵って大坂城を明け渡すまでは言ってたしなw
782 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 15:49:35 ID:h1MbL46j
静岡大学の小和田先生は
・・・「三成・兼続密約説」は最近では否定されている
景勝は独断で家康に反発した・・・
って言ってますが何となくうなずけます。
挟み撃ちなんて言う割には三成の挙兵のタイミング悪すぎる。
783 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 16:05:34 ID:1BGQrYxZ
>>782 三成の挙兵も宇喜多の先走りで拙速に挙兵せざるを得なくなったりしたからなんともなあ。
784 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 16:08:37 ID:zo7IBbyu
>>782 >>景勝は独断で家康に反発した・
そもそも勝てると思っていたのか?
西軍決起がなけりゃ天下の軍に総攻めにされて
一巻の終わりだろうに。
785 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 16:15:04 ID:1BGQrYxZ
まあ家康も良く、伏見城でニヤニヤしていたから三成の挙兵を予測しそれを利用した天下取りの構想が
既に出来ていた、なんて言われる事があるが、家康は戦が始まると機嫌がよくなる超武闘派の人だから、
あれは単純に「戦が出来る〜♪」って喜んでただけだろうな。
786 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 16:53:08 ID:8CY6zfBa
白石城から甘粕を引き抜いて白河に向かわせてたし白河で決戦する予定だったんでないか。
佐竹が横合いを突くみたいなシナリオはあったと思う。関ヶ原の小早川秀秋ポジションの佐竹だったが…ところがシナリオが変わっちまったから佐竹が迷った。
津川口は旧臣蜂起で堀が、丹羽が前田と足止め。
伊達も西の湯原城もしくは南の福島面方面になぜか向かわないでストップして南部領で反乱起こして最上領にいた諸将を撤退に追い込み米沢口を牽制したので安定。
この辺りを見ると大谷・丹羽・上杉・佐竹・伊達は結託して家康に壮大な罠をくんでたようにしか見えんのよ。
むしろ宇喜多・石田らの挙兵は早すぎるから大谷は今しばらく待てと言ったんでないかな?
そんで毛利を大将にしてからと三成を説得して時間稼ぎしようとしたら輝元がその気になってすぐやってきたみたいなw
787 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 20:03:00 ID:La2cnQ2f
挟み撃ちを狙ってたら786さんの言うように
>この辺りを見ると大谷・丹羽・上杉・佐竹・伊達は結託して家康に壮大な罠をくんでたようにしか見えんのよ。
むしろ宇喜多・石田らの挙兵は早すぎるから大谷は今しばらく待てと言ったんでないかな?
だと思うけど、
景勝はやはり西軍など当にせず自分の意地で家康と対戦するつもりだったのでは?
佐竹とは謙信以来の結びつきがあるので頼りにしてたと思うし
最上は家康 景勝の顔色伺ってたのでいくらでもこちらに付かせる算段は
あったと思う。伊達も上杉佐竹最上が一緒になったら付かざるを得ないだろうし。
あぁ 家康が白河まで軍を進めてたらなぁ 景勝と家康の戦 どうなっていたか?
788 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 22:11:49 ID:8CY6zfBa
いや俺は挟み撃ち狙ってなかった派だよ
宇喜多が暴発した為に蟄居してた三成が主導権を握りたくて急いで立った(もしくは三成らは家康の工作に引っかかった)
彼らが上杉の家康撃破作戦に便乗したので戦略が破綻し上杉は迷惑だった。
その理由。
三成挙兵時ってあくまで三成などの個人的挙兵だったから大坂方から家康に和解斡旋の依頼もきていた。
だから福島らは小山で家康に付いて三成を討つのに同意した。
それが福島らがUターンして尾張に着いた頃には大坂方が三成に同調して奉行達による家康弾劾状が出された為に家康は江戸から動かなくなって福島らの動向を見極めるように変化した。
上杉対徳川からいつの間にか豊臣対徳川になっており福島らの裏切りを警戒した家康だったが三成討つべしの武断派は岐阜城を攻撃したので豊臣臣下同士の三成対徳川の戦いに変化した。
豊臣恩顧の大名が家康を大挙裏切りだろうと思った淀だったが状況が予断を許さなくなった時点で淀が動揺し心変わりしてしまい秀頼の出馬を拒否したので毛利本隊も大坂を出陣しなくなった。
789 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 00:06:35 ID:WGaFSyVK
示し会わせたなら三成挙兵のタイミングは上杉が戦火を開いて、
家康が容易に退けなくなるようにしてからだよなあ
それ以前に白河まで押し出して野戦なんて手を取るかな?
新城の建設わざわざ取り止めてまで。
密約はあったけど、お互いがお互いを信用してなかったので三成はさっさと立って、
上杉は野戦に賭けたのかも。
790 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:11:25 ID:QmInds9g
関ヶ原の写真集で景勝家康双方の戦略を解説してたけど
詳しい事は忘れてしまった
覚えてるのは、家康は景勝に主導権を握られていたんだと
家康は景勝の動向が読めず、その思考は江戸で彷徨っていたようにしか思えない
家康にとってこの時期が一番苦しかった(佐竹の動向も含めて)
それだけにもう少し景勝が南下する振りだけでも見せていれば
家康も秀忠も西へは戦力を傾けられず
その隙に三成らが勢力を拡大しつつ、結束を固めつつ、江戸へ迫れたんじゃないか
ここで例え、家康が会津征伐を決意しても
景勝が当初目論んでいた「待ち」の戦術は成功する可能性が高く
??城を攻めた徳川軍は上杉軍の迂回攻撃によって撃破されていただろう
結果として景勝は政治的視野が足りず、敗者になってしまった
なんて事が書かれていたよ
791 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 01:22:32 ID:sAyQLnQG
>>790 江戸期の軍学者的な、卓上の空論臭がプンプンするなw
792 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 03:49:00 ID:FgmWcYLN
>>790 政治的視野と言うか戦略的視野じゃね?
挟撃策が成功していれば少なくとも関ヶ原よりは有利な条件で決戦ができただろうし。
ただ待ちの戦術が成功して・・・のくだりは怪しい。普通に押しつぶされていたんじゃないだろうか。
793 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 06:29:21 ID:QmInds9g
>>791 よく分かったな
この解説をしてる人(名前は忘れた)も
景勝が目論んでいた構想は東国太平記などの軍記物から考えるしかないんだと
しかし軍記物だからといって馬鹿には出来ず
書かれてる内容は、なかなかどうして現実的な戦術であり、成功例も実に多いんだそうな
>>792 対する家康の構想は関東平野の入り口にある『!!城』を包囲した上杉軍を
徳川軍が展開できる平野部から一気に襲い、これを壊滅する作戦だった
そんな家康を景勝はとっくに見抜いていたので、上杉軍は南下しなかった
景勝は『??城』で徳川を待つ、必勝の戦法で待ち構えていた
上杉がこの膠着状態を維持しつつ、南下する振りをしていたら
家康は佐竹への不安もあって、動きたくても動けなかっただろう〜という話だった
なぜ佐竹を家康は不安視していたかも、みっちり解説してあったけど忘れた
この景勝と家康お互いの構想を図入りで、順序立てて詳しく説明されてるんだが
『??城』と『!!城』の名前すら覚えてない
794 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 06:51:13 ID:NZSHA7kv
うろ覚えの本の内容の解説とか長々とされても
795 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 15:06:13 ID:XOAHriuy
良かれ悪しかれ景勝は上杉家、謙信の家の意地って言うのを
守り抜きたかった。三成とは対家康という共通項はあっても
手を携えてって気持ちは無かったと思う。
景勝28歳 お館の乱に勝ったものの越後の統一できない最中に
織田軍に攻め込まれ魚津城陥落直前に佐竹義重に送った手紙
「私、景勝は良い時代に生まれたものです。
弓矢を携え、わずか越後一国の兵をもって日本六十余州の大兵を支え
ついに一戦に及ぶのです。
たとえ滅亡する事になっても死後の良い思いでとなり、景勝の羽振りは
はなはな不相応なほどとなりましょう。つまり過分な死後の名聞を得るわけです。
もしまた死ぬところを免れて一生を得ることが出来たならば、私は日本無双の
英雄となりましょう・・・・」
家康を迎え撃つ時もこの時と同じ気持ちだったんでしょう。
でも一生のうちに二度も日本統一を目前に控えた男に領国に進軍され
あわやって言う時に二度とも相手が引いていくなんて
不思議なめぐりあわせ。景勝も三度はないとおもって
この後はおとなしくしたんでしょう。というか、もう家康の相手にもなれなかったんだけど。
796 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 15:30:38 ID:hk4CorD1
むしろ武田滅亡、上杉滅亡寸前という状況を義重はどんな想いを持っていたのかしりたい。
797 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 18:54:38 ID:hk4CorD1
ちなみに義重と勝頼って1歳しか年齢差ない同世代なんだよな。
798 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 20:29:38 ID:Hlp5N9sz
>>795 なんか特攻隊の手紙を読んでるようで胸にくるものがあるね
まさに武士だね 佐竹もその意気に感じるものがあったろうね
799 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 00:05:46 ID:A9rXzuB8
>>795 兵卒や部将ならこれで良いかもしれんが、大将のする覚悟じゃねえなあ。
800 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 00:24:39 ID:zRucSyhg
>>799 本来なら滅亡は120%だったんだからこの覚悟で当然じゃないの。
勝頼みたいには逃げないよって言ってんだし。
801 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 03:55:59 ID:pLnlXfZb
>>799 武田滅亡&魚津城玉砕を考えればこの決意は当然。
802 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 09:21:37 ID:5Om49uV+
謙信の代から上杉・佐竹の仲は良好。
家康は嫌だったんだろうね、景勝が会津にいって
佐竹と隣国になったことが。
803 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 10:17:33 ID:8gasgsJ3
>>799 西は柴田が、南は森が、東には滝川が、北に新発田がと万事休す状態だ。
特に森長可は春日山まで直線距離で15kmくらいのところまで侵攻。
この段階で降伏したとて殺害されるのは目に見えているし、逃げたとて落ち武者狩りで捕まり殺害されるのは目に見えている。
景勝の心意気は立派だが、それ以上に家臣の維持というか忠誠心が立派だ。
これだけ追い詰められれば武田家の家臣同様に織田方に寝返る家臣が続出しても不思議ではない。
新発田以外これといった寝返りがなく最後まで織田に抵抗を続けた家臣のおかげで時間稼ぎが出来て結果景勝を救った。
魚津城の将兵の篭城も決して無駄死にではなかったって事だ。
804 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 23:32:34 ID:Fp2HFQvZ
特に加賀の国人衆が魚津と松倉で奮戦してる
やはり手取川で上杉が得た物は大きかった
805 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 23:46:56 ID:RP6sv+Dg
手取川で加賀を防壁化出来てなかったら、
本能寺の前にタイムアウトだったね。
謙信がもう少し生きていれば、
北陸での門徒虐殺も防止できたかも知れないが。
なんにしろ景勝はこの窮地を乗り切った。
『死なんとすれば生き』の洗礼を受けて男をあげたわけだね。
これを画期に彼の覚悟の強さは、愚痴の多かった謙信を越えた。
806 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 02:12:53 ID:2Cha6OTd
関が原でも上杉は挙国一致体制って感じで家中を統一できてたしね。
毛利なんて吉川広家の内通とか分裂気味だし
佐竹も家中統一できなかったから傍観だし。
当主がブレない迷わないってのは素晴らしいね。
807 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 02:30:01 ID:L8e7nbkC
>>806 > 関が原でも上杉は挙国一致体制って感じで家中を統一できてたしね。
藤田信吉追い出した上でな。つーか、関ヶ原中ですら家中が統一できてたって決め付けるのは
かなり微妙なような。
808 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 03:38:52 ID:ONx9igEf
白石城も伊達への内通で落ちたしな。
809 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 04:52:43 ID:YQyzfRRG
別に追い出したわけじゃないだろう
意見が主流にならず出奔しただけだろ
現に関ヶ原後も藤田は家康相手に景勝を弁護してかばってて
追放された恨みから上杉を悪く言ってないので自身の意志だろ。
白石城が内通ってなにそれ誰が内通したの?
810 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 06:08:03 ID:smNPK8P0
偉大なる父の二代目はゴミの法則を見事に覆しているよな。
実父がそれほど偉大でもないが、
熾烈な家督争いと滅亡の危機を切り抜けて、
たいしたもんだよ。
811 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 09:11:09 ID:neEM2lKd
戦国時代の偉大な武将の二代目
武田信玄・・・勝頼
織田信長・・・本能寺の変で死んだ信忠以外の息子達
豊臣秀吉・・・秀頼
徳川家康・・・秀忠
上杉謙信・・・景勝 立派ジャン!!
812 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 09:33:56 ID:cAYjVzbZ
813 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 09:56:03 ID:rFZTrqkR
秀忠は関が原遅参とかあるけどねえw
814 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 10:41:58 ID:0aY3r6Ly
なんという景勝妄信スレ・・・・・
815 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 10:47:00 ID:L8e7nbkC
>>813 景勝には関ヶ原惨敗改易とかあるけどねえw
816 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 10:59:10 ID:2mKANCGF
信忠は死んだのが惜しかったな
まあ生き残られてると上杉的には困るんだがw
817 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 11:04:57 ID:rFZTrqkR
818 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 11:09:56 ID:L8e7nbkC
>>817 判断を誤り
大局を見失い
家を滅亡の淵に立たせた。
君の論法が通るなら関ヶ原の毛利も輝元の失態ではない。
結果責任も含めて大将の責任だよ。
819 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 11:41:37 ID:TCsQ7LZb
景勝は別に判断を間違えたわけじゃない
こうなる事もあると分かってた。それは家康も同じ。
勝負は時の運。
負ける確率高くても曲げられない意地があったから
家臣も百も承知で付いてきてる。藤田のように国抜けしようと思えば
出来たけどしなかった。
家臣を召し放さずに米沢三十万石に行きたい者は全員連れて行った
これも責任の取り方の一つ。
820 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 11:48:12 ID:kum8VI4i
例えば景勝が家康に与して今までの石高をそのままに更なる加増を受けていたら、後々徳川は上杉をそのままにしていただろうか…。
結果的に米沢に移されてよかったんじゃないかね。
821 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 12:25:42 ID:uiJb07J1
上杉に好意を寄せていた秀忠の時代なら問題なく済んだだろうが家光以降は例え禄高を維持したとしても苦労しただろう。
家光は実の弟を自害に追い込み、結城秀康を祖とする越前福井藩は当初68万石だったが最小時は25万石まで減らされている。(最終的には32万石)
前田家を見れば一目瞭然だ。
秀忠の娘を嫁がせた後も隙あらばケチをつけて釈明の連続だ。
三代藩主前田利常の奇行は有名だろ?
江戸城内の庭で立ちションはするわ、大名家の集まる待合部屋でイチモツが痒いといって見せびらかせるなど。
実際にどこまで奇行をしたかは不明だが江戸滞在中は加賀にいる時より愚かな人間を装っていたのは本当だ。
また領地を三つに分けて本家の禄高を減らして幕府の警戒を少なくする努力もしている。
結果、前田家は本家と分家を合わせて明治維新までお咎めなしで済んだがそれは結果論。
822 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 12:29:32 ID:L8e7nbkC
なんでも結果論で済ませば楽だよね。
でも実際は、その時その時の事態にきちんと対応できたかどうか、ってだけの問題なんだ。
823 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 13:22:06 ID:p6NHUzbe
結果的に三十万石に減封になったとは言え
あの時家康に対してはああいう対応しか景勝というより
上杉家はとれなかったのでは?
保身で家康の言うままにしていたら、今度は家臣を納得させられない。
あの時でも「謙信なら・・」っていいだす老臣は多かったはず。
景勝の意地 上杉の意地 他に対応の仕方無かったのでは?
824 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 14:20:23 ID:YQyzfRRG
家康が関東近くで120万石+東軍参加で恩賞30万石でも上杉がもらうような事になったら明らかに前田100万石以上に危険視されるし滅亡確実だから選択肢としては間違いなかった。
良くても大減封で西国飛ばしだな。
関ヶ原時点では勝てる可能性があったのに纂奪しようとする老獪な家康に一度も反抗する事なく臣従するなんて謙信以来の武を誇る景勝自身も家中の大半も潔しと想わなかったんだろ。
勝算がなければ盲目じゃないから臣従してただろうが。
825 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 14:40:36 ID:a1wlwpxX
つまり家康に与したら滅亡すると予測して
わざと負けて生き残ろうと行動した訳か
いやぁ〜すごいなぁ〜わ〜い
826 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 14:48:10 ID:PobyrumF
827 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 15:06:27 ID:Vha0mN1F
逆に前田ほど卑屈にならねば大身として生き残れないとなれば
馬鹿なんだと後世で言われようが景勝のように生きたい
828 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 15:43:00 ID:L8e7nbkC
景勝のような生き方は個人としてはかっこいいのかもしれんが、組織の長としては下等の一言に尽きる。
あの強烈な自尊心の持ち主の信長だって、信玄や謙信には卑屈なまでに這いつくばった。政治的にそれが
必要だったからだ。
一騎掛けの武者の美意識で大名をやってどうするよ。
829 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 15:56:27 ID:YQyzfRRG
利を求める企業組織とは違う。商人じゃない。
もし組織の長として失格なら米沢に多くの家臣が慕って付いて行ったりせずに出奔してたろう。
現代人の資本主義的利己主義感覚は当てはまらない。
逆に関ヶ原で卑屈な態度だったら家臣が離反してたろう。
830 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 16:01:48 ID:L8e7nbkC
卑屈な態度取ったくらいで離反する家中ってどうよw
831 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 16:15:24 ID:rFZTrqkR
ID:L8e7nbkCは多様性を理解できないんだな。
卑屈でも生き残ることを是とする武人がいていいし、
損得を投げ打って前に進む武人がいてもいいんじゃないの。
ただし前者は後世から嘲笑われるリスクを伴う。それだけでしょう。
景勝が一騎駆けの武者の美意識というが、
本当にそうだったらそれこそ関が原の時に
「謙信を超えるぞ」とか言い放って関東に出張って滅亡してたでしょ。
もし景勝が大名失格というなら、
御館の乱、対織田、対豊臣、秀吉死後の身の振り方、大坂攻め、
それそれで大名らしい判断とやらを教示して欲しい。
>>830 ゲームみたいにフラグが立って直接その場で離反するわけじゃない。
が、全体として舐められて統率が難しくなることぐらいは理解できるだろう。
組織には様々な人がいるんであって、あんたみたいに組織の保身だけ考えろという人もいれば、
そんなんじゃついていけねぇって思う人もいるわけ。
実際、ついていかないわけじゃないけど、そういう不協和音は必ず何か組織に悪影響を及ぼす。
組織らしい組織に関われば現代でも誰にでも経験はあること。
832 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 18:49:25 ID:kum8VI4i
『武士は二君に仕えず』みたいな武士道的思想が出来上がったのってもっと後の時代で、この時代保身の為に立場を変えることは割と普通にあったらしいよね。
そんな中、家康の恫喝に対して意地を貫いた挙げ句減封されて、そして家臣達もほとんどが出奔せずに米沢まで付き従っていったっていうんだから、それはそれで凄いものがあるね。
833 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 19:20:54 ID:L8e7nbkC
>>831 > 卑屈でも生き残ることを是とする武人がいていいし、
> 損得を投げ打って前に進む武人がいてもいいんじゃないの。
> ただし前者は後世から嘲笑われるリスクを伴う。それだけでしょう。
逆逆。嘲笑われるのは「後者」。
判官びいきとはその裏に「でも滅んじゃってお気の毒だけど馬鹿だったんだねえ」と言う感情が内在する。
(むろん上手く世渡り出来ない庶民自身に投影した親近感も)
利口な人間は卑屈なことをしても、利口であるということそのものが生き方の指針として尊敬の対象になる。
愚鈍は観賞する分には一種の美しさを持つかもしれないが、指針にはならない。
> 御館の乱、対織田、対豊臣、秀吉死後の身の振り方、大坂攻め、
> それそれで大名らしい判断とやらを教示して欲しい。
つーかさあ、信長の「陪臣」でしかない秀吉に頭下げて従うことが上杉家にとって恥ではなく、
家康に従うのは恥だ、って言うのはどういう感覚なの?先ずそこが解らん。
近世大名とは家中と言う形でのある種の法人である以上、大名には組織を維持発展させる義務がある。
藤田の対徳川恭順路線を排除してまで対徳川戦に打って出た景勝には、結果責任であっても情勢を見る目、
判断力で問題があったと断ぜざるを得ない。これはリーダーとして当然受けなければならない批判だ。
この判断の誤りで迷惑をこうむったのは景勝ではない。組織の構成員である家臣たちだったからだ。
そしてこの敗北による負担を支払ったのも景勝ではない。家臣たちだ。
それをある種のロマン主義で正当化するのは、変だ。問題の本質をゆがませている。
834 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 19:22:29 ID:pllSHVQS
あれ?アンチスレ?
835 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 19:56:09 ID:smNPK8P0
だめだ、こいつ。
全部がダメだ。
景勝の方針を批難するなら代案を出せよw
836 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 20:26:54 ID:0jRAjZVD
揚げ足取りみたいでゴメン
>つーかさあ、信長の「陪臣」でしかない秀吉に頭下げて従うことが上杉家にとって恥ではなく
陪臣というのは家臣の家臣 つまり信長の陪臣は加藤清正なんかを言う。
秀吉からみれば直江が陪臣のようにね。
それにあの時期もう信長いてないし。
>藤田の対徳川恭順路線を排除してまで対徳川戦に打って出た景勝には、結果責任であっても情勢を見る目、
判断力で問題があったと断ぜざるを得ない。これはリーダーとして当然受けなければならない批判だ
これは一般論でこと上杉家中には当てはまらない。
個々の家の家風というのがあり上杉家はそれが顕著だった。
だから家康にあの時点で不利であろうと対抗するのが正しい判断だったと思うよ。
837 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 20:26:58 ID:C3ZdpN0Q
>>833 >つーかさあ、信長の「陪臣」でしかない秀吉に頭下げて従うことが
どういう理屈で秀吉が信長の陪臣なんだ?
直接の家臣だろ?
838 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 20:28:58 ID:2cmPqeBH
三成が挙兵したときなんで家康を追撃しなかったのか
あそこで足止めでもしてれば西軍の勝率がちょっとは上がったろうに。
なぜ最上なんて攻めたのかねぇ。他力本願な火事場泥棒としか思えない。
839 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 20:46:55 ID:YQyzfRRG
勝てる可能性があるから関ヶ原で立ったんだろ
そもそも上杉家の家内での合意や支持の大半が開戦だったから家康と叩かったはず。
いくら主君であっても大半の合意が無ければ家中混乱し足並みが揃わず毛利みたいに分裂するだろ。
家康(豊臣恩顧武断派軍)の追撃するも何も、のちの中山道侵攻軍の秀忠(忠誠心高い徳川譜代直属軍)や結城・蒲生・那須・里見らが宇都宮に常駐し、柵や堀を改修し強化しまくってるんだから
追撃しても停滞し追撃効果はまったくない。
それより孤立した庄内の安全保障の確立を目指すのは当たり前。
840 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 21:19:37 ID:kum8VI4i
>>833 『秀吉に従うのは恥ではないが家康に従うのは恥』ってのは違う気がするってゆーか当時の上杉を取り巻く情勢を考えれば秀吉への従属はやむを得ないと思う。
家康の時は
>>839と同じく、勝てる可能性を見い出していたからじゃないかな…
841 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 21:23:04 ID:N68Ynq4v
西軍東軍各10万程度の戦力が、たった一度の野戦であっさり趨勢が決するとは普通思えんし、
まず庄内確保ということで最上攻めるのは間違いではないかと。
家康追撃しようとしても他の人が書いてるが結城秀康始め備えはきっちりされてるし、
何より白石落とした伊達ほっといて即追撃というのは余りにリスクが大きい。
842 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 00:13:48 ID:slnpkwQm
景勝と三成はお互い連絡とって挙兵したわけじゃないからなあ。
むしろ三成が景勝の「反乱」を利用した。
843 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 00:33:42 ID:Q48jCzri
は……?
844 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 00:57:22 ID:d+dTXFas
>>750 新発田兄弟の功績→勝頼へ大金をばら撒き和睦を整える・加地秀綱を急襲して降伏させる。
景虎派だった新発田長敦と堀江宗親を内応させた安田顕元の切腹の理由が
論功の不平等と言うが、死去した新発田長敦のことではなく
景虎敗死の決定的な状況を作った鮫ヶ尾城の堀江宗親の領地没収のことではないか?
堀江宗親は御館の乱で1万の軍で駆けつけたと言われ、景虎の相模への脱出の手引きをしたと言う。
それだけに景勝の怨みも強く景虎派壊滅寸前での寝返りは武田を裏切った小山田のようなもの。
新発田重家の同族の加地秀綱の助命&領地安堵をしてあげた。結果、新発田重家の乱では与党。
長敦の妹婿で越中国湯山城の城代長沢光国の小姓から謙信に抜擢され三条の町奉行長沢義風
三条城城主の神余親綱の破滅は山吉景長が三条城内の旧臣に内応を誘い反乱が起きて殺害されたので別に功績はない。
山吉景長が兄の死去による遺領と家の名跡の安堵の例(家中筆頭の軍役数だった山吉豊守の死去)
上杉家のしきたりによれば15歳までは領地没収(元服後に改めて登用)の決まりであったが、
山吉家の長年の貢献などが考慮され、領地半減の上に三条城から木場城へ移るという処置だった。
三条城は神余親綱破滅ののちに甘粕長重が城代となり成人した山吉氏に戻ったわけでもない。
新発田の場合は兄弟間の相続で成人でもあったので新発田本家の相続と
五十公野の跡目に妹婿の長沢義風が大抜擢され相続の世話をした。また同族の加地氏を与力に付けた?
三条の奉行だった長沢義風の三条の水利権を持っていたが取り上げられた?
三条城まで新発田に渡したら揚北衆最大の勢力になり脅威になると思われ。
三条城や栃尾城の攻略メインは景虎討伐後に攻略へ増援した上田衆であり
新発田の言う忠なき者共大所を賜る(上田衆で三条城を得た甘粕長重らを指している?)
また新発田重家の乱を鎮圧後の本庄や色部らもそれほどの恩賞はもらっていない。
信長に煽られた新発田重家は欲深いだけではなかろうか?
そもそも領地の安堵する為の軍役で謙信時代も多くの労役をしてきながら大体は感状をもらって終了が多い。
845 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 01:43:29 ID:PW20WxRc
>上杉家のしきたりによれば15歳までは領地没収
これって没収されない場合もあるよね
同時代くらいだと、河田岩鶴丸は幼少で城将は無理と戻されたようだけど、父の旧領安堵だし
しきたりの載ってる物と、
なんかほかの例とか、対応のしかたに区別あるんだったら教えてくれ
846 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 02:23:44 ID:sPQ+5yS6
直属の被官だけじゃないかな
847 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 09:13:26 ID:CWvF4WTF
景勝は常に謙信のように、謙信ならどうしたかなんて
思って生きてきたように言われてるけど、そうかな?
もっとしたたかな人の様に思える。
謙信ブランド上杉ブランドを最大限利用し、お館の乱以降
弱体化した上杉家を実力以上に見せようとしてた。
直江の活用も主人が前面にでるより切れ者の家臣を使い
陰に隠れることによって神秘性が増すし・・・ちょっといいように考えすぎ?
でもずっと」謙信の影を意識してじゃかわいそうだし。
848 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 09:39:03 ID:uu1cW6kY
>>847 うん。謙信を意識してはいたと思うけれど、さすがに模倣はしなかったと思う。
849 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 09:53:31 ID:qp16dtCp
>>842 連絡は取り合っていた。
その時の兼続から清野経由で景勝に宛てた書状が残っている。
慶長5年8月6日付で家康迎撃のため現在の福島県須賀川市にいた兼続の下へ佐竹の使者が訪れている事も書かれている。
会津にいる景勝の元に三成の使者が書状を持って訪れている事を知り、その書状への返答は自分がすると書き記している。
ただ、会津と上方で家康を挟み撃ちするものだったかは書き記されていないので不明。
850 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 09:53:59 ID:hb3zIo1B
851 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 10:45:27 ID:edVBm5/G
手紙なんかの資料を現代文で読める本
紹介して下さい。上杉関連中心でお願いします。
852 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 13:50:10 ID:I6GXQMAv
>>851 上杉博物館の図録とか買えば?
とくに「国宝上杉家文書図説」はミッシリ載ってる
現代語訳のほか、古文書の写真・翻刻・読み下しが載ってて、勉強にもなると思う
通販できるから簡単に手に入るし
853 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 14:47:37 ID:WtYKm5lT
851です。
ありがとうございます。調べます。
854 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 23:29:14 ID:JDuGql+P
御館の乱での行動を見ると、かなり計算高く狡猾な印象を受ける
855 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 23:31:57 ID:slnpkwQm
計算高く狡猾でない人間は戦国大名なんてやってられんよ。
どれだけ冷酷で酷薄で人でなしになれるかが試されているようなポジションだ。
856 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 23:48:44 ID:yZkTWP0b
でもよく言えば、冷静な現状分析力と果敢な行動力の持ち主。
御館の乱での行動は、そのまま待っていたり、話し合いとかになったら
自分が不利だと冷静に状況を判断し、先手必勝で本丸占拠で金銀・弾薬を
押さえ果敢に行動。
857 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 00:19:44 ID:umxy5fbP
御館の乱での行動を見ると、かなり計算高く狡猾な印象を受ける
858 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 00:20:31 ID:umxy5fbP
あれ? タイムアウトしたんじゃないのか
二十カキコになってしまった
傾いた直江を表に立てて悪謀を裏で張り巡らしていた悪人説を挙げてみるかね。
860 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 09:50:55 ID:lIyB8p5m
悪人説もそれはそれで面白い
今度の大河は配役からしてヒール系になりそうな気もする
でも、当然のように語られる謙信の葬儀翌日の本丸占拠って
軍記物以外の史料で裏とれてるんだっけ?御年譜とか?
自ら旗本(上田衆)率いて戦闘モードで占拠したって言い切れる根拠あるんだろうか?
景勝が一週間後に出した書状では、
「謙信の遺言だから実城へ移るよう家臣たちが説得するので移った」とあるらしいし、
謙信が晩年に重用してた、おそらく謙信が倒れた前後、その周囲にいたと考えられる
吉江や三条信宗、竹股といった人たちが先導した結果のような気もするのだが・・・
同じく謙信の側近だった飯田長家、河隅忠清が2ヶ月後に金銭目録を作成しているようだし、
景勝とその側近というより、
謙信の側近が積極的にいちはやく行動したとも考えられるのでは。
861 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 10:00:30 ID:u5BS+Fya
>>859 悪人説とまでいかなくても、何でも兼続のお陰っていうのはもう止めてもらいたい
862 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 13:32:32 ID:ax/B3eyw
謙信の側近は景勝推しか。
863 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 14:45:08 ID:9HrdiGDr
力学的な要素もでかいんじゃないか
直江が景勝支持なら春日山の側近はみんなそうなる
上田嫌いの古志郡と北条領に近い奴らは当然結託
864 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 15:29:27 ID:3JT04jyO
単に古志の反乱だろ。。
865 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 15:59:58 ID:9HrdiGDr
古志だけの反逆だと一部北陸の静観派が意味不明、
古志周辺の連中の動きも不自然な気がする。
どちらにも何らかの正当な理由があったのでは。
866 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 16:46:32 ID:3JT04jyO
織田軍との攻防で
後継問題に介入してないだけだろ。
867 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 17:05:00 ID:s5jhaOGe
景虎は越相一和以来、「山内上杉家の跡目」という暗黙の了解が
家臣たち、とくに北条と縁故の深い家臣にとっては大きかったんじゃないか
決裂後も、すでに妻子が有り
上野領有との絡みもあって越後に置かれたが
権力基盤になる直轄軍すら与えられなかったことなどを含め
軍に関与した痕跡が同盟決裂後にまったく無いことから、
少なくとも国主権力の継承者として謙信が景虎を目していたとは考え難い
結局、由良とか、北条と上杉の間を行ったり来たりの連中をのぞけば
景勝が当主となることが受け入れられない反上田派が
微妙な処遇のままとどめ置かれていた景虎を担ぎ上げて旗頭にしたのではないかと思う
景虎が5月に御館に移るまでの約2ヶ月が反上田派の糾合の期間になったのでは
神余親綱なども最初は景勝に誓うそぶりを見せていたのに
結局は栃尾の本庄とともに景虎派となったが、動きを見せたのは5月入ってからだった筈
868 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 17:11:06 ID:s5jhaOGe
何だかわかりにくい文になってしまった>867
>結局、由良とか、北条と上杉の間を行ったり来たりの連中をのぞけば
そういう人達は当然はじめから、家督は景虎に譲られて欲しいと思っていたろうから
始めから景勝が後継ってあり得ない、ぐらいの気持ちだったろうという意味だった
でも北条高広なんかは春日山の景勝の奉行連へ報告書送ったりしてるし、
よくわからんな
869 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 19:23:19 ID:7yHNqgyE
r‐、 r‐、
/ ー───‐' ',
/ ',
/ ', じー
/ ● ● ',
l l
l o 丿
ヽ、 ー'`ー _, イ
じ ー──── ' ´ ゙ー'
誤爆ごめん。
872 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 19:33:51 ID:Ddw+aZbP
873 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 22:57:43 ID:EIqdLv3l
>>867 ・・・・・それはちょっと景勝に都合の良すぎる見方だな
むしろ景勝は迅速に動いて、まず内外共に支持者が多かった景虎を揺さぶって
有利に持ち込みたかったのだろう
874 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 14:35:35 ID:jnOzbwvi
越後にして見れば北条(とその力が目当ての周辺)が
首突っ込んでくるのは目に見えてた訳で、
国内は景勝派の方が多い感じがするな。
875 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 23:11:07 ID:rgWZl3Tj
いや、国内でも五分五分だったでしょう
ただ、景勝の用意周到な先制攻撃を見て、旗色を変えたような国人もいれば
堀江みたいに土壇場で景虎を裏切る奴も出て、結果景勝が勝てたわけだ
876 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 03:42:17 ID:4Uxj3jCn
五分五分だったら、わざわざ国外勢力招き入れないわな
877 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 05:00:18 ID:eVwVR/jo
景虎派は明らかに(北条武田の支援要請)邪道な策を用いて景勝と戦っているのに、
なぜかこれについて景虎側が内部で揉めた形跡がない。
それだけ窮地にあったのか、憎悪が深かったのか。
両者が勢力拮抗していたと見れば前者はなく、
景勝側に対する相当な不満が根底にあったとせねばならない。
そしてそれは景虎派に古志長尾以外の将が散見されることから、
上田の存在そのものへの反発が主要な原因ではないと見るべきである。
だとすると、景勝支持層が何らかの暴走行為を働いた結果との見方が強まる。
878 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 06:46:32 ID:O3QarPg5
> 景虎派は明らかに(北条武田の支援要請)邪道な策を用いて景勝と戦っているのに、
国外の勢力を頼ることの何が邪道なのか分からん。
同盟破棄した敵国北条の力の借りてるが、
景虎派的には、景虎が勝てば北条との同盟は回復する予定だったんだろうし。
>そしてそれは景虎派に古志長尾以外の将が散見されることから、
景勝派も上田長尾以外の将が散見されるだろ。
つーか諸将も親兄弟で景虎派景勝派バラバラに別れてたりする所もあるしな。
>上田の存在そのものへの反発が主要な原因ではないと見るべきである。
ほぼ利害でしか別れてないと思うが。
>だとすると、景勝支持層が何らかの暴走行為を働いた結果との見方が強まる。
なんだその理屈は…。
879 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 08:55:12 ID:fuy/SkAA
外部の勢力を内部に教導して内紛に介入させるなど
金甌無欠の越後からしたら充分邪道でないかい?
上田も古志も乱を主導したけれど
相互対立の図式のみにとらわれると
見えるものも見えなくなるんじゃないかな。
880 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 10:23:42 ID:sC7ewre+
>>879 邪道ですよね。
景虎派は北条が乗り込んできたらどうなるか考えなかったのかな?
って言う前に同盟が破綻した時北条を捨てて越後に残った景虎が
北条を頼るのが情けない。
北条にとって景虎は単に人質要員。弟だからって助けに来るんじゃない。
チャンスが向こうからやってきたぐらいに思ってたよ絶対。
881 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 10:44:49 ID:72vGRK+o
景虎なんて反上田のただの飾りで実権なしだろ
882 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 10:47:52 ID:fuy/SkAA
援軍が氏政じゃなくて謙信であっても国を乗っ取られる危険はあるわけですから、
越後にかつての仇敵の旌旗を立てさせるのはありえない。
もちろん
>>878氏みたいにこれを禁じ手と見ない人が景虎派の多勢を占めていた可能性はあるけど、
実際にこういうことを楽観視して受け入れた結果、滅亡したり植民地化された国の例は際限がないね。
883 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 10:52:18 ID:O3QarPg5
自分を捨てた北条を頼る景虎も何だかなーとは思うし
北条の息子なんかよく担ぎ上げる気になるなぁ、北条の属国になる未来が見えてるじゃんとは思うが
国内の争いごとに国外の勢力が手助けするは、どこでもごく普通にある事だろ。
国外の勢力が同盟者や血縁の手助けをすること自体は、「邪道」という程ではない。
越後が金甌無欠?
いろいろ侵入してると思うが
越後では充分邪道とか、越後が金甌無欠だとか
過剰に美化されるのも好きじゃないなあ、もちろん不当に貶されて叩かれるのは嫌だが
884 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 10:55:48 ID:O3QarPg5
最近のレスでいうと、
>>877の
景勝支持派が何か非道を働いたとでも言いたげなこのレスとかが嫌だな
>それだけ窮地にあったのか、憎悪が深かったのか。
>両者が勢力拮抗していたと見れば前者はなく、
>景勝側に対する相当な不満が根底にあったとせねばならない。
>そしてそれは景虎派に古志長尾以外の将が散見されることから、
>上田の存在そのものへの反発が主要な原因ではないと見るべきである。
>だとすると、景勝支持層が何らかの暴走行為を働いた結果との見方が強まる。
885 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 11:00:50 ID:fuy/SkAA
結果として外敵の駆逐に成功しているので元寇を退けた日本を例に金甌無欠の美称を使った。
反省はちょびっとしてるw
他国の勢力を呼び招くのは
>>883で言うように「どこでもごく普通にある」話だけれど、
上杉が北条と武田の二つを同時に入れるのはさすがにごく普通にある話とは明らかに違うでしょう。
何十年の彼らの侵略に立ち向かってきた彼らがこれを率先して導き入れるのを
当人らが邪道と思わなかったとは考えにくい。
それほど景勝の陣営を憎むか恐れていたんじゃない?
886 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 11:03:41 ID:fuy/SkAA
>>884 感情でいうならこの乱自体が不愉快な乱だよ。
結局はどちらにも正当性が感じられず、釈然としない跡目争いなんだからw
俺は景勝が勝利するためなりふり構わず戦ったのは正しかったと思うけど、
そのやり方に「おいおい、それはちょっと違うんじゃないか」と思った将が景虎を立てて戦ったのも正しいと思う。
でもどっちもやり方は汚い。そんだけじゃないかい?
887 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 11:18:16 ID:Pha2DWQV
既に織田と交戦状態の上杉なんて、北条にしてみれば火中の栗。
頼まれたって拾いたくねーよ。
景虎も北条一門ならそこんとこ弁えているべきだし
古志衆が上田憎しで勝手に盛り上がってただけじゃないか。
古志衆抜きで景虎だけなら充分景勝との妥協点はあったはずだ。
謙信―政景の前例もあり、仙桃院の仲立ちも望める。
ただでさえ一門衆は少ないし、未婚の景勝にとって甥は人質要員にもなる。
憲政を殺したのは本当にもったいなかった。
888 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 11:35:06 ID:O3QarPg5
>>885 そら、兵力が足りないから、わざわざ遠くから国外の力を頼ったんだろうよ
武田が金で買収できる奴で良かったな、ほんと
>何十年の彼らの侵略に立ち向かってきた彼らがこれを率先して導き入れるのを
景勝だって武田と一気に親しくなるじゃん
>>886 >そのやり方に「おいおい、それはちょっと違うんじゃないか」と思った将が景虎を立てて戦ったのも
そんなお奇麗な理由で景虎を担ぎ上げるとは思えんが
889 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 11:59:07 ID:HIqp+9OZ
>>885 越後では為景の時代に関東管領軍を侵入させてるしな
上田長尾も管領軍に協力した
中条藤資も伊達軍を越後に呼び込んで散々荒らし回ったし
景虎側に付いた連中(柿崎・北条毛利)は小田原北条と関わりがあった
所謂交渉したり、越相同盟時には協調し合ったり、人質として過ごしたり、贈り物を貢ぎあったり
その妥協と融和の意識が、双方の家に残ったとも言われてる
御館の乱あたりだと上杉・北条・武田は、川中島合戦頃ほど憎悪し合ってない
890 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 12:26:49 ID:1tKy+rR4
>>880 北条が乗り込んできても、北条の植民地になるわけじゃないと思うがなあ。
というか北条にそこまでの力はない。
氏政も景虎に疑問をもっていたから、援軍を送らずに、
景虎が負けたわけだしね。(関東でもめていたから、国力的に無理だったのもある)
それに景勝とて上野を事実上武田にわたし、金を貢いでいるわけで、
この件で批判されるとしたら、景勝だと思われ。
景虎は武田にも結構厳しい対外的には強硬派
だからこそ、国人衆の支持が得られた。
891 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:03:22 ID:8WphZp7z
そして武田相手に強硬に出て
武田の支援を失って越後を追い出されるわけだ。
景虎の対武田の態度は失策だったと思うがな。
892 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 15:50:29 ID:5YAz3cNn
津本陽だったか新田次郎だかの小説で
お館の乱時に同盟国の北条が勝頼に対して影虎の支援要請してくるんだけど
「北条ごときが名門上杉を乗っ取る気かよ?( ´,_ゝ`)プッ」
って思いっきり小馬鹿にしてて嫌悪感丸出しだったのが爽快だった
どう考えてもよそ者が越後を継ぐべきじゃないとは誰でも思うし納得だ
勝頼の性格からしても武を重んじるからヘタレ北条より上杉の武威を素直に
認めてたと思うなぁ まあ影虎さんも兄に見捨てられてかわいそうには思ったが
893 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 16:36:31 ID:ZfrYdNhH
御館の乱で景勝景虎どっちか悪いかとかいう話になると真っ先に
「さっさと正統後継者決めなかった謙信が悪い」と思うのは自分だけかw
まあ謙信が宣言しても、結局跡目争いは起こるような気もするけど
894 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 16:49:26 ID:1tKy+rR4
>>891 そのとおり、景勝は全てを捨てて、家督を継ぐことに成功した。
景虎はそこまで思いっきった策を取れなかった。
勝った後のことを考えたのか、ケチってしまった。
まあ全て捨ててしまったので、その後滅亡寸前にまで追い詰められるんだけどさ。
下手すれば、武田よりも速かったかもしれないし、
そうならなくても、信長ももう何年か生きているか、
秀吉がもう少し、容赦がなければ、確実に滅んでいる。
>>893 謙信が病死なら、そうなんだけど、謙信は急死だからね。
責任がないとはもちろん思わないが、
後継者をきめ、養育する時間がなかった。
信玄にしても、後継者は孫にして、勝頼は代理だったからな。
895 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 17:21:54 ID:yk0qKf5P
>>894 > 信玄にしても、後継者は孫にして、勝頼は代理だったからな。
スレちだが勝頼は正式に家督を継いでいる。
896 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 17:27:45 ID:4tQcBil3
古志の後継者に河田長親を継がせようとしたり
謙信はけっこう慎重かつ繊細に自分の後継者のことで
悩んでいたと思うよ。
もう少し様子を見ないと・・・気軽に後継者決めてしまうのも危険だったんじゃないか?
897 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 17:29:12 ID:nlWpkUU6
>>893 思う思うw
弟と家督争い起こした信長なんかは子を、子供の頃から嫡男とその他を誰が見ても明確に序列を付けて、
次男も三男も他家に出す徹底ぶり(乗っ取り自体も目的だろうが)
織田と争いの状況が違うとはいえ、謙信も兄と争ったんだから、自分の後継者に関しても少しは気を使っておけとw
>>894 別に「全てを捨てて」ると言われるほどでもないと思うがw
あの時期、滅亡寸前にまで追い詰められるのも、武田に金を貢いだからではなく
謙信の代からケンカしてた織田の上杉包囲網のせいだし
織田からすると、武田から滅ぼしたかったようだから
やっぱり武田の方が滅亡が早いと思う
898 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 17:38:46 ID:6sLXVm8w
>>893 思うよね絶対。でも決めてても乱はあったとも思う。
国人気質が強い越後は謙信で纏まってたし、それを一番知ってたのも
謙信本人。あえて決めなかった?
景勝はこれで実力で越後を自分の物にしたという自信が付いたのでは?
何もしないで家督を譲られたぼんくら二代目にならなくてよかった。
犠牲は大きかったけどね。
899 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 18:45:28 ID:1tKy+rR4
>>895 それって信玄死後じゃなかったっけ?
>>897 嫡男以外を養子に出すのは、どこでもやっている、
北条にしろ、毛利にしろ、武田にしろ、長宗我部にしろ、
謙信の場合は、子供がいなかったのも大きいけど、
信頼できる腹心を、上杉一門の当主にしたりして、
自分の死後問題になりそうな勢力を、固めるのに生前動いている。
だから後継者は、その後の話だったのではないかと。
地盤を固める前に、後継者とか決めたら、生前でも後継者争いで、
派閥対立がおきかねないし、そうやって派閥対立が起こることを恐れていたのかもしれない。
それで大変なことになったのは、三国志の呉だな。
>別に「全てを捨てて」ると言われるほどでもないと思うがw
いや勝つためには、全てを捨てる覚悟もあったし、
褒賞がろくにえられず、子飼いのものだけにしかやれずに、
結果新発田など揚北衆の一部が、離反したように、勝つためが全てだったと思うがなあ。
国庫が空になってしまったから、褒美やれずに、家臣が離反してしまったわけだしね。
越中方面は見殺し、上野は武田に事実上割譲、越後北部には恩賞もろくにやれずに、反乱する新発田と、
それを傍観する揚北衆。
ほとんど全て捨てていると思うけどなあ。
900 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 18:59:03 ID:1tKy+rR4
まあケチって、負けてしまった景虎はそれ以前の問題なんだけどさ。
901 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 19:18:02 ID:xaFJlrvW
>>899 揚北衆は新発田の乱時は傍観してないでしょ
本庄も色部も積極的に新発田を攻囲してる
902 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 19:52:25 ID:8WphZp7z
景虎は「金も領地もくれてやる」なんて武田にいったら
それこそ景虎派から離脱しそうな連中ばっかりで
言えない雰囲気だったんじゃないかと思うんだけどな。
やっぱ基本の地盤が景勝と景虎では違うんよ。
景虎も最終的に北条家に逃げ戻ろうとしてしまった訳だし。
景勝だったら負けたら春日山城で死ぬしかないだろう。
903 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 20:06:51 ID:1tKy+rR4
>>901 ろくに先端開いてないじゃん。
だからあれは傍観というんだよ。
>>902 周辺に逃げ場所がないからなあ。
武田とよろしくやった後なら、武田に逃げれるかもしれないけど、
そのときは勝頼も見捨てそうだな。
904 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 20:34:32 ID:8BcJd4Vm
>>899 だからその、どこでもやってる「後継者とそれ以外を最初から区別して育てる」普通のことを謙信はしてないんだろ
本庄氏記録だと本庄方は御館の乱の時に景勝から金もらってるなぁ
後世の編纂物だから本当かどうかまでは知らんが
905 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 21:45:39 ID:eVwVR/jo
>>904 上杉姓と弾正の官名を与えて軍役の筆頭に名前を記させて、
これを差別化と見ないのは無理がありますよ。
906 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 21:57:18 ID:dA9PXSOG
しかしいろいろ考えるに全て憲政にこそ、悪事の
元凶があるようにおもえてきた。
1.謙信に酒をがんがん飲ませて早死にさせた。
2.旧山内上杉家臣を長尾上杉家臣団に馴染ませられなかった。
3.関東管領職を第一に考え、謙信に後継者選考を急がせるべきだった。
4.関東から関東管領を追い払った北条方に肩入れをする形になった。
しかし氏真以上の暗愚に見えてしょうがないなぁ。氏真ならジュビロに
入って今川家の財政に少しは貢献できたろうけど…。
907 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:05:20 ID:wWwETqlZ
>>906 関東管領職を第一に考え、三郎景虎を後継者に押したんじゃないの?
1,2なんて聞いたこと無いなぁ
むしろギャグで言っているのか?
908 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:05:57 ID:1tKy+rR4
>>905 ンなこといったら、幼名与えて軍役免除にしたのも、差別化じゃん。
909 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:19:51 ID:8WphZp7z
軍役免除って家臣と領地が無かっただけだろ…。
景勝の軍事力を増大させておいて
景虎には軍事力を持たせずに差別化って。
910 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:22:22 ID:+WBCan39
>>908 景虎の名乗りを与えたのは同じ寅年だったからという話をどっかで見たが、なんか可愛いw
軍役免除にしたっていうのはなぁ・・・
景虎後継者説の人は、軍役与えず、(つまり自ら率いる直轄軍なし)
丸ごと謙信の軍を譲り渡すつもりだったから、と言うのを散見するのだが、
謙信のようなカリスマにして始めて束ねることができたあの軍を、
ろくに陣頭に立たせたこともない三郎に束ねられると思っていたのだろうか?
すごいことだよ、それ。
何か事が起こったときに盾になる直轄軍も持たないのに。
景勝の方は、はじめ後見をつけて上田衆を率いて派遣軍の将を勤めさせ、
後年には謙信みずからの陣に一緒に連れて行き、という経緯があるから、
なんかそれなりに鍛えてたんかな、という見方にもなるんだがな。
911 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:26:44 ID:8BcJd4Vm
>>905 そこらへんは
上杉姓は景虎もだし、絶対
「弾正の官名を与えたとの書状は景勝の筆跡で景勝自作!」
「軍役を与えられていない景虎こそ真の後継者!」とか言い出す現代の景虎派が現れるからw
個人的な意見としては
軍役帳を見ると、景勝だけ「様」付きで、一門衆と明確に差を付けられていて、養子としての地位が伺われるし
後継者だったら、今後兵を率いなければならないのに、まったく戦に出されない人(景虎)が後継者とは思わんし
上杉の後継者は景勝だと思うんだがな
912 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:31:12 ID:wWwETqlZ
>>911 そういうおまえさんは現代の景勝派ということだなw
軍役が無いから後継者ではないというのは暴論でしょう。
軍役が無いから後継者であるという見方もできるが
どっちにしろ水掛論にしかならん・・・・
913 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:48:17 ID:8BcJd4Vm
>>912 景勝派だよそりゃw
つーかここ、景勝スレだしね?
軍役が無いから後継者ではないってのが暴論なら
軍役が無いから後継者ってのも暴論だろ
なんで「軍役が無いから後継者であるという見方もできるが」とか、言い方がソフトになってんだよw
914 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:50:07 ID:k2IBAtcI
軍役が無いから景虎が後継者、と言うから
反論されてるだけだろ。
915 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:50:10 ID:eVwVR/jo
>>908 景勝の権力補強は先に述べたように明らかだけど、
景虎のは越相決裂後の処遇を放置と見ることも出来るから、
一概に優遇とは言えないんだよ。
ただし、積極的に景虎の権力を解体していないのも事実。
だから両者体制だと思うんだ。
>>911-912 そこなんですよ。
景虎の権力は補強も解体もされず、釣り合わせるように景勝の基盤を固めている。
ただし顕景をわざわざ景勝にして、景の文字を上位に持たせて景虎より上にしていない。
ここに何かあるんじゃないですか。
916 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:54:11 ID:t71yl6JI
今川の惨状を見てて後継者に戦を経験させないというのは無いと思うがな
917 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 22:56:07 ID:dA9PXSOG
>>907 おいらも聞いた事は無い。
2についてはウィキペの「旧山内上杉家臣に北条氏との
関係を重視する意見もあって、憲政は景虎を支持した。」
という記述から思っただけ。
家督を謙信に渡してから20年近い月日が流れているのに、
今更山内上杉家臣かよ、と思ったんで。
それに三郎景虎支援も、謙信が死んだから言い出したと
したらそれじゃあ遅いだろうという事。
酒飲みの妄想である部分はは大きいけど、最期の一言以外は
ギャグだけじゃないお。
918 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 23:03:59 ID:k2IBAtcI
武力を家臣達に評価されて国主の座を勝ち取った謙信が
軍事力を持たない兄と一門中最大の軍を直轄軍として持つ弟を
並べておいたらどうなるかぐらい想像しないわけが無いと思うよな。
919 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 23:17:01 ID:eVwVR/jo
>>918 んだね。
だからそれを阻止する体制を準備していたが、
ギリギリのとこで直江夫人や景勝らが景虎排除に動き、
妥協なき内紛になったのかと思うのです。
920 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 23:52:14 ID:k2IBAtcI
そういや山吉氏の兵は豊守の死後後継の弟が15歳になってなかったから
半分が謙信預かりになったんだろ?
その兵の一部を景勝に任せてしまってるらしいが
大人になったら返す国主預かりの兵を
後継にするつもりのない子の親衛隊に使ってしまっていいものなのか?
921 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 00:38:43 ID:rBiozWDC
良いと思うよ
もし家督継げなくても一門の重鎮になるだろうし
922 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 01:06:04 ID:Qskn/Hfg
だからやっぱり後継なんですよ。
二人とも。
923 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 02:01:32 ID:OrEqFl9k
しかし父の政景は国人衆の7位に抑えられたというのに、
景勝の飛躍っぷりは凄いな。
上条上杉氏なんて過去何人も関東管領を輩出してる家格なのに、
その上条を継いだ守護職畠山の子よりも上位に置いて、
しかも特別に1人だけ「様」付けだもんな。
股肱の上田衆たちにとっては、当時感慨深いものがあったんじゃないかね。
924 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 02:06:44 ID:PGZyDVcz
>>923 こういう事を聞くと
やっぱり後継は景勝と決めてたんじゃないかと思う
>>903 天正十年に新発田城へ本庄・色部が攻め入って城下を焼き討ちにしたり
味方の城に自分の兵や兵糧を運び入れたりはしてる
ただ本能寺の変後だから、議論してる内容とはズレてしまうか
925 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 08:48:26 ID:PqnYoI26
こんな事今更ながらですが
やっぱり、よく言われるように
景勝は越後国主 景虎は関東管領職なんじゃない?
憲政と一緒に関東に帰すつもりだったのでは?
926 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 12:08:48 ID:lk6CIUUd
軍役が無いというのは、寺や他家に入れられるというのと同じで、
軍役がある方に実権もあると考えるのが自然だと思う。
あと景虎という謙信の昔の名前を与えたのは、
昔の謙信同様に、No2であるという意味も込められていたと考えられる。
もちろん景勝が戦国時代の国主に相応しくなければ、
謙信が晴景から家督を引き継いだように
景虎を立てるという意味も含まれているとも思う。
927 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 13:10:41 ID:lym/e5Mo
自然に考えれば後継は景勝になるんだよ
謙信が景虎をいきなり後継者だなんて言ったところで皆が付いてくるわけがない。
928 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 13:18:41 ID:8/lRsCp5
景虎のみを後継者とする説はかなり弱いよな
御館の乱の国内の分裂具合があまりに激しから出てくるだけの話で
929 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 14:08:43 ID:rBiozWDC
>>927 自然に考えて景勝 であるなら
こんな内乱起こらないよw
930 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 14:18:29 ID:Mr4Skmzz
自然に考えた連中が景勝派で
上田長尾憎しと北条家に目を向けたのが景虎派と思えば
何も問題ないなw
何せ景虎には北条武田葦名が付いてるし。
931 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 14:41:01 ID:S5jQ7FXE
景勝当主反対派の利用できそうな旗頭が
景虎しかいなかったんじゃないか?
同じような立場の政繁は景勝支援に回ってしまった。
上条上杉家を継いでても
上杉家を継ぐことには特に問題になるとは思えん。
春日山城占拠とかいう話も
「家臣の勧めによって」景勝が本丸に入ったのなら
景勝が本丸に入り春日山城は景勝後継ムード、
反発した連中が出て行って御館に篭ったという可能性さえある。
932 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 15:02:13 ID:f1JLPO1W
933 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 15:36:13 ID:e+rskHOL
934 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 16:02:57 ID:S5jQ7FXE
>>932 そうか?無理やり占拠したのなら
春日山城内での大きな戦闘も無く
景虎が妻や幼児を連れて脱出できるとは思えんが。
935 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 16:45:41 ID:x+chTbck
でもどう考えても、お館の乱で与六が活躍したなんて
思えないんだよなぁ
実城の金蔵を抑えたのも勝頼と交渉したのも・・・
そんな事ないよね。
936 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 18:45:00 ID:ltgU4E1v
937 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 20:05:31 ID:d5hy/ErI
>>914 そりゃ景勝が軍役が筆頭だから、特別扱い。
という暴論への反論だよ。
軍役を免除にしたのも、特別扱いとなるんだよ。
>>909 一門の重鎮とされただけかもしれんよ。
村上だって、軍役は多く、上杉一門に入っているし、
彼と立場は似ていると思うがな。
逆に景虎をどっかの上杉一門に養子にいれて、
固めるつもりだったのかもしれない。
>>911 養子に入った時期が遅く、まだだっただけかもしれない。
そして逆にそういう立場だから出さないこともある。
元親の初陣は20過ぎてから、後継者だからといって、初陣が速いとは限らない。
938 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 20:09:03 ID:d5hy/ErI
>>927 そうじゃなかったから、クーデターまがいのことをして、
春日山城を乗っ取ったわけでしょ。
意識も回復しなかったといわれているのに、遺言とかいってねw
景勝を後継者にするつもりだったら、新たに養子にいれるのか。
という疑問もある。
939 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 20:28:30 ID:S5jQ7FXE
>>938 意味が分からん。
景勝は普通に謙信の養子だろ。
940 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 20:33:05 ID:d5hy/ErI
景虎の間違いです、すみません。。。
941 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 21:16:02 ID:dj+3Dala
>>937 軍役帳に唯一「様」付けは特別扱いだろ。
「景虎は特別扱い、だけど、景勝は様付けでも特別扱いじゃない」ってのも暴論だなぁ
>養子に入った時期が遅く、まだだっただけかもしれない。
養子に入ったのは元亀元年だろ。どこが遅いんだ
数え25才で戦に連れていかれない後継者ねぇ…しかも上杉で
942 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 23:27:30 ID:K+63uZYZ
>>930 おまえさんの言う「自然」ていうのは完全に景勝びいきの前提なんだな・・・
軍役とかもそうだけど、景勝も景虎も違った意味で特別扱い。まぁ
それはいいとしても、自然に当主になれる立場だったら、御館の乱を
起こす必要はそもそもないわけで・・・・
943 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 23:31:06 ID:f1JLPO1W
それこそ「自然」に考えれば、御館の乱は景勝一派のクーデター以外の何者でもない。
どっちが継いでも勝者は政景。
945 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 00:31:53 ID:dCDB4dkR
全部謙信が悪い
946 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 01:49:54 ID:z1ypclV4
>>943 930本人じゃないからよくわからないが、それまでのレスで景勝の優遇が語られていたから
まだ自然という意味がわかる気もするが、
君こそクーデター以外の何者でもない、とまで言い切れるのはどうしてなんだ?
武力で実城占拠したと何をもって確定できてるの?
後期の謙信を支えた政権の主流派がみんな景勝方で、晩年いよいよ厚遇された立場で、
クーデターも何もないだろと思えるのだが・・・
機先を制するために迅速に実城に入っただけと考えるのもアリでしょ。
明らかに自分が当主となることに抵抗する勢力が見込まれてる以上は。
以下は少し不謹慎な想像だが、
謙信は古志の景信が死去したら越後国主の後継を景勝に譲るつもりでいたのでは。
若年期から自分を支えてくれた叔父とも言われる景信の存在は格別なものだったろうし。
先に痛恨の急死になってしまったが。
景虎、関東管領職についてどう考えていたかは、ちょっと想像がつかない。
関東管領職の次代への構想って何かあったんだろうか。
二者分権説にも納得できるようなできないような。
947 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 01:59:43 ID:9H4fJ14t
>>946 > 後期の謙信を支えた政権の主流派がみんな景勝方で、
勝ち残ったものたちが都合の良いように歴史を書き換えましたからね。そう思うだけ。
948 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 02:16:09 ID:z1ypclV4
>>947 思うのは自由です。ただし晩年の謙信の側近たちとその動向に関しては、
一つの史書に誰かが記したようなものではなくて
(つまり改竄しようとすればできる類いのものではなく)、
多人数の、おびただしい数の当時の書状がそれを客観的に証明しているのであって、
都合よく書き換えられる種類のものではないですよ。
ただ、後期の謙信を支えた政権の主流派がみんな、という言い方は適切でなかった。
北条高広や景広がいたね。謙信もだいぶ気を遣っていたし。
949 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 03:42:12 ID:IOstKuma
上杉家中が真っ二つになってしまうぐらいの内乱だ
側近が云々ではなく、守護時代からの因縁や利害が深かったんだろう
950 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 08:55:37 ID:Tj1XYak2
為景時代やもっと前から溜まってきた越後の因縁が、謙信の死によって吹き出ただけだと思う。
景勝か景虎かじゃなく、上田と古志の代理戦争。
951 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 10:34:56 ID:fB1sRn/2
>>950 結局謙信が逝った後は乱が起きるのは避けられなかった。
膿を出し切ってよかったんじゃないか?
新発田の反乱以降は団結してたし。
会津に行くまで四半世紀近く景勝が越後を支配したが
今でも新潟の人は越後=上杉に誇りを持ってるんじゃない?
(上越の方だけかな?新潟県人じゃないので分からんが・・)
景勝も謙信に劣らずいや謙信以上にいい領主だったんだろうと思う。
952 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 10:38:59 ID:9H4fJ14t
>>951 > 今でも山梨の人は山梨=武田に誇りを持ってるんじゃない?
> (甲府の方だけかな?山梨県人じゃないので分からんが・・)
> 勝頼も信玄に劣らずいや信玄以上にいい領主だったんだろうと思う。
953 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 12:24:46 ID:7elZ1H7n
影勝って関東官領は名乗ってないよね?
あくまで「上杉」姓をと考えると不思議な気がするんだけど。
タイミング的に適当な時期が無かったというのは分かる気は
するんだけどなぁ。どーなんだろ。
954 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 12:30:14 ID:zpa+Zp+s
名義ばっかで実権なんかないし現実的に状況を鑑みて関東まで出張るの無理だしーって感じじゃない
故意かどうかはともかく憲政も死んだし、上杉姓だけ美味しくゲットみたいな。
955 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 13:44:04 ID:kwPaNHGv
>>951 上越…旧上越市(謙信マンセー)
中越…旧栃尾市(謙信マンセー)
旧与板町(兼続>>>>兼続室>>>井伊氏>>>景綱>>>>>超えられない壁>>>>>信綱)
旧六日町(兼続>>>景勝>>>政景)
956 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 13:56:18 ID:IOstKuma
上杉の人間を殺して上杉を名乗るというこの皮肉
957 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 13:58:25 ID:Y1WDGhH8
だがそれがいい
958 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 14:06:59 ID:vAHA7TyN
上杉姓を景勝にくれたのは憲政じゃなくて謙信だけどな
959 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 15:45:40 ID:E9/uGP1A
景虎に直属の兵が与えなかったのは、結局北条との縁が切れてなかったからだろうな
謙信的に考えたら、そんなのに危なっかしくて兵なんか与えられんだろ
兵を持ってるのに軍役免除なら、それは特別扱いだが、
兵を持っていないのに軍役なんか掛けられるわけない
すなわち軍役「免除」されてたわけではない
960 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 18:52:13 ID:7elZ1H7n
>>955 さすがにマンセーとはいかないけど、新発田市では
重家は敬意を持って遇されている感じがするなぁ。
名前が直結していることが最大の理由かもしれないけどね。
961 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 19:32:09 ID:vgS9Ifof
下越…旧新発田市(堀部安兵衛>溝口氏>重家)
旧村上市(イヨボヤ>>>>>小和田氏・内藤氏>>>繁長)
962 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 20:35:30 ID:StvE/SMf
>>961 確かに村上はイヨボヤ関連で青砥武平治がトップだろう。
上越市柿崎区は景家だな。
963 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 23:36:54 ID:ygmbrgoC
>>959 何が危なっかしいんだよ?
危なっかしいってのは、対抗者である景勝からの視点か?
964 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 00:26:39 ID:hf5iPxSJ
>>963 謙信的に考えたらとあるだろ。
>>959は景勝は関係ない話を仮定してるだろw
北条とドンパチやってる謙信からすりゃ、親北条勢力を内部に作ったら
外交や軍事戦略が制限されるだけじゃ済まなくて危ないだろ。
後継者との外交政策の違いで国が傾く例は上杉北条両家のすぐお隣りさんにあるし。
965 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 01:15:32 ID:bARGxiXA
いや、謙信から見れば景勝だって危ないだろ
上田長尾はずっと対立関係にあったんだし
養子として取り込んだのは、そういう過去を拭う意味もあったんだろうがね・・・・
966 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 03:07:05 ID:XVwYNDXl
政景を降参させた後の謙信と政景は、険悪な間柄ではない
政景に春日山の留守を守らせてたりするし
967 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 03:33:46 ID:hf5iPxSJ
上田と謙信が険悪なんてのは都市伝説に近いよ。
百歩譲ってそうだとしても政景は死んでるし。
968 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 07:19:53 ID:sXyN6VnQ
父の政景は謙信に降伏した後は一門衆ではなく家臣扱いだったが
謙信が遠征に出ている間に春日山城を任されたり
謙信出奔時には「政景を中心にして皆で決めろ」と名指しされ
そのうえで謙信の説得に当たっており、
不穏な行動と言えそうな行動は一切取ってないし、
謙信も政景の忠誠に不信感を持ってたなら
とてつもなく危なっかしいことをしてる事になる。
景勝の代になると上田長尾は一家臣から一門筆頭にまでなり
ますます増強されていくことになるわけだ。
伝説や講談の類ではともかく実際の行動を見ると
謙信が上田長尾を危険視していたと見るのは難しい。
969 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 08:54:43 ID:h+gtrYst
最近の投稿読んで思ったこと。
来年の大河は是非 兼続以外の家臣と景勝の姿に重点を置いて
欲しいと思ったけど100%無理ですね。残念・・・
ちょっと癖のあるいい味出してる家臣多いのになぁ
970 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 09:12:01 ID:5bBQraCq
兼続マンセー原作だから無理だお
景勝好きには辛い1年が待ってるお
監督に期待。
971 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 10:03:36 ID:/YfwFNmd
(´・ω:;.:...
972 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 10:33:33 ID:HjGytytm
原作は、上杉ファンはおろか、兼続ファンからも毛嫌いされてるようだからな
読んでないから疑問なんだが
原作は、上杉にたいして思い入れのない人なら面白いのか?
973 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 10:36:41 ID:wYO0yP9Y
>>972 上杉に思い入れが無くても普通につまらない。
974 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 10:42:52 ID:LmmtzA+u
>>972 原作は歴史に興味のない人向け。
興味を繋ぎとめるために知名度の高い幸村や利休を引っ張り出している。
歴史に疎い素人はワクワクするかもしれない。
史実を知っている人から見ると「なんだこれ?」状態。
俺の視点では皆がいうほど兼続マンセーにはみえんけどね。
ただ、やたらと何処にでも顔を出す。まるで『利家とまつ』のまつみたいに。
家を取り仕切る家老にそんな暇があるかっての。
975 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 10:53:32 ID:i/RbaxGS
いわば芸能人冠婚葬祭界に於ける長門裕之のような
立場というわけだな。
976 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 13:48:41 ID:lZhWyFeK
お船が主役の1人なら
景勝や幸村の大坂の陣までは作ってもらえるんだよな?
977 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 17:47:52 ID:34QWm29j
>>968 講談では決まって謙信と上田側が険悪が定番だよね
「東国太平記」「北越太平記」辺りも実は宇佐美定祐が作者だって言われてるだっけ?
978 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 18:41:24 ID:yNDZrbr1
979 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 18:59:56 ID:FbiOsN2x
>>978 関連スレ2つめの景虎スレいらね
最近の流れでウンザリした
それ入れるんなら、謙信か家臣のスレ入れた方がマシ
つか3つめの上杉スレ以外特にいらない
980 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 19:01:36 ID:SVsGULQJ
981 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 19:11:37 ID:yNDZrbr1
>>979 隔離・誘導のために入れてみました
ラノベの話とか真面目に相手したくないですし。
982 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 19:33:40 ID:4ag/fcXO
景勝の信者って独善的なんですね
983 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 19:35:49 ID:/o7BeHW7
>>972 米沢市民から見ても残念ながら三流小説家だ
ほんとに残念だけど
だから脚本に期待したいが・・・・・・・・・・・・まあ観光の一助と割り切るさ
984 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 19:39:00 ID:FbiOsN2x
>>981 ラノベのファンが迷い込んでるっつーより
>>982みたいな
やたらめったら好戦的な暇人がわざわざ乗り込んできてるだけだと思うんだ、うん
985 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 19:56:01 ID:stTev9KR
>>983 米沢市民から何か声を上げてもらえませんかね。
「あのままドラマにされたら上杉の恥だ」とか。
NHKに市民からの苦情が殺到したら少しは原作以外の
上杉本や正しい資料見る気になるかも・・・ならないか〜
986 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 19:59:08 ID:SVsGULQJ
今更遅いんじゃ?
987 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 20:03:02 ID:yNDZrbr1
988 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 20:05:42 ID:4ag/fcXO
>>984 景勝びいきの人が好戦的だったから
こっちも好戦的に応じてるだけ
景虎信者=ミラオタ とか決め付けて隔離対象にするのは
好戦的じゃないのかい?
989 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 20:08:26 ID:yNDZrbr1
990 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 20:21:29 ID:FbiOsN2x
>>988 景虎が好きだったら景虎スレにいればいいだろう
わざわざ景勝スレに来て
「景虎は特別!景勝とは違う」主張やら、講談なんかをソースにして文句ばかり書き込んで
笑顔で接してもらえると思ってんのか?
991 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 20:41:03 ID:SVsGULQJ
>>988 「こっち」って自分が景虎信者って分かってるんですね
景虎信者の代表の方ですか
あなたのいるべきスレはここでは無さそうなので
「上杉景虎」でスレタイ検索でもして移動した方が精神衛生の面でもよろしいかと
992 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 22:07:09 ID:JBjPvyYE
景勝肖像画、
どう見ても下級武士・・・
993 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 22:14:08 ID:hf5iPxSJ
景勝の肖像画は後世の想像画だから
994 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 22:27:07 ID:cTOv96V7
最近の流れは正直ついていけんのだが、
>>992みたいな煽り方をするから、
「景虎オタ=ミラージュオタ」と言われてしまうんじゃないのかね
『正伝直江兼続』に載ってる景勝の肖像画見た人いるかな?
イメージよりかなり端正なつくりでむしろ引いた覚えがw
(すんません、藤沢の密謀から入ったもんで)
995 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 22:40:32 ID:sXyN6VnQ
政景と仙洞院の肖像が二人とも割りと端正だから
景勝も端正だったのだろうと思う。
背が低いのは謙信もそうだから遺伝だろうなあ。
謙信と似ていたとも言われるが…
実の甥だから他人と比べればそりゃ似てるか。
996 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 22:44:33 ID:DA/dRI/j
997 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 23:21:07 ID:FTN1qCkQ
>>996 ごめん、どこ所蔵のものかわからない。
あの本、引用参考文献も巻末に一覧形式なんで。
少なくともよく出回ってる上杉博物館の鎧姿や青い直垂姿のやつじゃなくて、
お公家さんみたいな水干着てるやつ。
唇が真っ赤で目がつり目で大きくて、
なんか妙に肉感的で、シブ地味なイメージと違う!と思ったのでした。
(あくまで個人的なイメージっすよ)
まぁ生前のものじゃないでしょうが。
998 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 23:30:19 ID:yNDZrbr1
>>989 いまさらながら
うえすぎかげか2
にすればよかった。
999 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 00:45:27 ID:wlUrKnVu
>>995 >>996 政景と仙洞院の肖像が、水干を着ている?
有名な二人並んだ肖像のことなら、政景は小袖袴に裃の上だけ、
仙洞院は小袖前結び・立膝座りのものなのだが。
これとは違うものなのか?
夫妻像が本に載る場合は、二人の部分しか載らないことが多いけど、
全体的には二人の上に阿弥陀如来像、
二人の戒名はもちろんだが、他の近親者の戒名、
夫妻の間には華渓院やその子供たちの戒名が書き込まれている。
これは米沢の常慶院蔵のものだけどね。
1000 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 00:52:57 ID:Jio36clJ
1000なら景勝が一瞬笑う
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
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/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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