1 :
名無し野電車区 :
2010/01/20(水) 21:34:21 ID:qryC74Ax0
2 :
名無し野電車区 :2010/01/21(木) 01:55:50 ID:YlSTM78y0
3 :
名無し野電車区 :2010/01/21(木) 20:05:37 ID:xAqeWrfc0
JR東日本 E233系9000番台 209系を改造して作った「Mue-train」の2編成目として登場。 209系は全て房総地区への転用のため車両がないので、E233系をベースに新造することとなった。 IGBT-VVVFインバーダを採用。寒冷地仕様の7両編成で、209系「Mue-train」と同じ装備で、今後は日光線・両毛線などを中心に試験する予定
4 :
ミウナ :2010/01/24(日) 15:46:16 ID:HhVlMAO60
東武鉄道1800系1819〜1826F 当初本線の伊勢崎線向けのみ製造される予定だったが東上線用としても 作られることとなり、1978年に作られた。東上線仕様では冷房装置が 8000系と同様のものになるなどの相違点がある以外は伊勢崎線仕様と 同じだが、8両編成で伊勢崎線用ではないサハ1870型とモハ1880型がある 点が特徴。このため編成はこうなる。 池袋 森林公園・小川町 クハ1810-モハ1820-モハ1830-サハ1840-モハ1850-サハ1870-モハ1880-クハ1860 東上線の快速および全車指定の特急「さだみね」用として作られたものである。 快速は池袋より成増・朝霞台・志木・川越・川越市・坂戸・東松山・森林公園で、 特急は池袋より志木・川越・坂戸・東松山・森林公園となる。 特急フライング東上号の再来とも言われたが都市間連絡の速達性を重視した ものに転換され、池袋〜川越間では当時の国鉄に比べても時間で圧倒しており、 新宿からの西武鉄道にも迫る勢いだった。 しかし有楽町線が和光市より直通運転が開始されると停車駅に和光市も 加えたが、池袋〜川越では急行と指して変わらない所要時間であることや、 志木駅で緩急接続を取るようにしたもののたかが川越で700円の特急料金 取ってまで乗るほどでもないことから地下鉄からの連絡客から特に嫌われ、 利用客が減ったことから2005年に土曜休日のみに変更されて川越まで ノンストップを歌い文句にしたものの2008年に特急が廃止され、この車両が そのままTJライナー用に転身した。しかし今度は車両の老朽化が進んだだめ 座席を通勤用のロングと有料ライナー用のクロスに転換できて使い勝手のいい 50090系に置き換えられる方針で50090系投入後に既に1822・1823・1824・1825Fが 4両編成にされた上で本線に転属され、南栗橋で350系に改造された。なお350系の 車番は353からの続きとなっている。これにより初期型1800系改造の300系および350系 を取替える予定で、次いで1820Fが300系303Fに1826Fも358Fとなった。 最終的には1819Fは359Fにして終了。1821Fは6両編成で残置され、臨時特急の 波動用として南栗橋でモスボールされる。これにより史実の1819Fに相当する 1987年に1827Fが配備されたことになる。
5 :
名無し野電車区 :2010/01/24(日) 23:50:19 ID:A3Hsoktg0
E551系 2015年、増発と多客、そしてラッシュ対応のため常磐線を中心に配備された特急電車 設計の時間を省略す意味を含めてJR西日本の683系と瓜二つの月光型である 10両編成と4両編成の2種類が存在する。またひたちの運用のほかに、 はつかり、スーパー白鳥の運用も多いため、寒冷地帯の保温性を確保するため、非貫通型とされている MT比は10両で6M4T、4両で2M2Tとしている。E653系との連結を念頭に入れてるため3電源対応 冷房装置は50000Calorie 出力は190kw、最高速度は140km/h。設定最高速度は+15km/hとされている
6 :
名無し野電車区 :2010/01/25(月) 20:55:02 ID:k7KXSG6M0
次スレ立てるの早すぎじゃね?
7 :
名無し野電車区 :2010/01/25(月) 21:16:11 ID:2auQZraT0
容量が限界に近いんだよ
8 :
名無し野電車区 :2010/01/26(火) 09:09:56 ID:28hTJEpC0
JR西日本 385系 900番台 次世代振り子車両の試作車 車体を500系のように丸くして、振り角度を10度にまで振ることが出来るようになった 台車は連接車、左右の車輪の独立モーターと、レールへの負荷も下げられている 車体が小さいため、普通車ですら、3列座席。グリーン車に至っては2列である 使い捨てのパラシュートブレーキや逆噴射ブレーキが設定されており、 踏み切りのある区間でも最高150Km/Hまで出すことが可能であるが 曲線区間では使わない機能であり、採用はされない見込み
9 :
名無し野電車区 :2010/01/27(水) 12:20:02 ID:JVAt185x0
DF200-500番台 JR北海道がJR東日本のEF510-500番台に対抗して製造した旅客用ディーゼル機関車。 塗装がEF510-500番台と同様の青色になっている。 寝台特急「北斗星」「カシオペア」、急行「はまなす」の牽引に使用するほか、貨物列車を牽引することがある。 カシオペアの牽引に対応するため電気指令式ブレーキも搭載。
10 :
名無し野電車区 :2010/01/28(木) 12:00:41 ID:qjKHerIUO
ワキ1形300番台(史実改変:旧レキ1改造車は500番台) 1951-53年に特急・急行便用として176両を新製増備した。 車体はワキ1000形と同形。 全車が蒸気暖房貫通配管を併設した他、45両は1959-62年に電気暖房用引き通しも追加された。 荷・貨物及び護送郵便車代用としても使われ、1979年全廃 ワムフ100(暖房貫通車) ワムフ100新製車グループのうち26両に貫通蒸気配管を併設したもの。 1959年以降電気暖房引き通しも追加され、荷・貨物列車で運用。1980年全廃
11 :
名無し野電車区 :2010/01/29(金) 16:52:01 ID:zXjmT6ZRO
115系3200番台 新潟地区に残存していた70系などの旧型国電の置換用と新潟地区において国電型ダイヤを実施するために1982年に登場。(旧型国電の置換時期は史実と異なる。) 基本的な仕様は広島地区に導入された3000番台と同様だが、寒冷地を走るため扉は全て半自動対応となり、ヒーターも強化されている。 車内はロングシートの袖仕切が417系タイプとなった以外は3000番台と同様。 全車が湘南色、冷房準備車として落成したが、1988年より1次新潟色への塗装変更と冷房化が行われ、1995年より車体更新と2次新潟色への変更が行われた。 登場時から全車上沼垂電車区(新潟車両センター)に配置され、他の115系と共通で運用されている。
12 :
名無し野電車区 :2010/01/29(金) 17:31:16 ID:oGAHbZ6CO
313系6000番台 宇部線快速のぞみリレー号専用車両 これはのぞみのN700系化により新山口停車が増えて、廃止にしていた快速のぞみリレー号を復活させて新幹線利用を促すためにJR東海が提供する車両。 性能は中京エリアで使われている313系5000番台に準じているが宇部線のホームの長さの関係で3両編成になっている。 間合いで小野田線や山陽本線(新山口〜下関)にも顔を出す
13 :
名無し野電車区 :2010/01/29(金) 18:20:29 ID:ckZggA+zO
JR九州883系2000番台 特急ソニックの増強を目的に7連×7本を製造。 車体は883系1000番台と同一の日立製作所のモジュール構体システム「A-train」を採用し、 摩擦撹拌方式 (FSW) により製造されたダブルスキン構造のアルミニウム製とした。 前頭部のみ883系0番台とほぼ同一のデザインとし、普通鋼製を採用している。 内装は883系1000番台に準じているが、各座席にPC用のコンセント(一カ所)を新設し、 洋式便所もウォシュレット及び付きの物を採用する等のサービス向上が図られる。 この車両の導入に伴い、ソニックを883系列に統一し、全便7両化及び朝夕の毎時3本化が実現する。 ちなみに885系はかもめ専用となる。
14 :
名無し野電車区 :2010/01/30(土) 23:57:12 ID:6oi6ZeodO
JR九州817系2000番台(※813系亀は投入されないという設定で) 817系の3両バージョン。日豊本線の小倉周辺のワンマン化及び、鹿児島本線の快速等の増強を目的に投入。 1M2Tの3両編成で最高速度は0番台や1000番台と同じ120km/hだが、台車にはヨーダンパが設置される。 内装は従来の817系とほぼ同じ。811系、813系、815系と併結可能。
15 :
名無し野電車区 :2010/01/31(日) 09:44:28 ID:7eUtqQLqO
819系 811系の後継車で九州版新快速「福岡スーパーラビッド」に投入される。 種別は特別快速で、門司港・門司・小倉・八幡・折尾・香椎・吉塚・博多が停車駅で、 土曜休日のみスペースワールドにも停車する。なお博多から大牟田又は荒尾間は 快速に準じた停車駅。 815系に準じた車体だが2ドアで車端部がロングシート以外は全て転換クロスシートと なっており、140Km/h運転を行うため、連結部にダンパーを備える。 編成は3両で、2連結の6両で運転される。なお813 815 817系との連結は不可。 玉突き捻出される811系は大分と鹿児島に転出された。 なお一部福北ゆたか線にも使われ、特急「かいおう」も特別快速に 格下げした上でこの車両となった。
16 :
anorak? :2010/01/31(日) 14:11:50 ID:4yYBLcFW0
◎JR東日本E109系一般型電車 製造年 1997 車種 クモハE109/E108(M1c/M2c) 特記 JR東のズームカー 碓氷峠自走 ○概説 国鉄が破産寸前の1980年代に東北上越新幹線が開業したが、それらの利益が建設債務と並行在来線の赤字で食い潰されてしまい、経営改善には貢献しなかった、 という教訓から、整備新幹線の建設には、一に建設費への公的資金投入、二に並行在来線の経営分離の自由が認められた。 北陸新幹線高崎・長野区間着工の際、JR東日本は並行在来線の横川・篠ノ井区間を経営分離する事を表明。 JR東が発足当時とは想定外の黒字であった事から、『税金等の公的資金の援助で新幹線という金の卵を手に入れて、赤字の在来線を納税者に押し付けるとは、 そこまで一民間企業を厚遇して良いものだろうか』云々の批判を受け、結局、上下分離で以てインフラを第三セクターの第三種鉄道事業者の保有とした上で JR東が第二種鉄道事業者として運営を継続し、97年秋の長野新幹線開業の際に横川・篠ノ井間が信越本線から新しいJRの地方交通線として分離する事となった。 この上下分離方式は、他の整備新幹線にも波及し、並行在来線の上下分離区間は路線名が変わるが、全区間は外見上JRが一体運営。 新幹線開業後の横川・篠ノ井区間の合理化の一環として、急勾配の碓氷峠(横川・軽井沢間)でのEF63による補機を廃止し、単独自走可能な新型電車を投入。 それがE109系である。車種と編成は、軽井沢←M2c+M1c→横川 同時期の701/E127系(GTO素子のVVVFインバータ制御)を基礎とし、平坦区間での高速性能を犠牲にせず、碓氷峠対策 ―例えば、空転発生時の再粘着をより高める1C1M方式、ブレーキ系と台枠強化、台車はボルスタをレスせず、 故障に強いシステムの二重化:M1cとM2cは単車走行可能、両車設置のパンタグラフを母線で結ぶ、など―を具備した設計。 コスト削減で運転台側台車は主電動機が一個に削減、基本編成は実質1.5M0.5T。 外装は701系にほぼ準じ、ステンレス製、半自動の三扉。内装もロングシート、トイレはM1cに。 97年秋、長野新幹線開業に伴って並行在来線の高崎・小諸区間のローカル運用に就役。 2008年にはGTOからIGBTへの取り替え、並びにクロスシートの設置―それとロングシートを点対称に配置―等の更新が実施された。
17 :
anorak? :2010/01/31(日) 15:26:47 ID:4yYBLcFW0
◎国鉄511系900番台交直流近郊型電車 製造年 1986 車種 クモハ511(Mc) モハ510(M') サハ511(T) クハ510(Tc') 特記 211系寒冷地仕様の交直流版 ○概説 国鉄の分割民営化直前の1986年度に87年春に継承するJR各社の経営強化を目的に日本各地に様々な新車が投入された。 中にはJR発足以後成功すれば量産化される事を前提とした試作車もあった。 その一つが、交直流電車としては当時初の界磁添加励磁制御を採用した511系900番台である。 東北・高崎線上野口の中電用に就役している211系1000/3000番台を基礎に変圧器や整流器等の交流電化区間走行用機器を追加し、 交流区間でも回生ブレーキ使用可能として界磁添加励磁制御の省エネ効果が得られるものとして設計された。 JR各社での量産化の可能性を考慮して予め50/60Hz両対応、耐寒耐雪設備、ドアは半自動機能とステップ付きである。 交直流電車は相対的に高価故に利用客が多い直流区間では113/115系を増結して併結協調運転可能。 外装と内装は211系1000番台に準じ、ステンレス製車体、三扉セミクロスシート、Tc'にトイレ。 塗装は415系1500番台に準じるが区別の為に先頭車貫通扉と乗務員扉が赤く塗られている。 McM'TTc'の四両編成三編成が試作され、分割民営化後の各社の経営環境と地域バランスを考慮して、 かねてから要望があった湖西線・北陸線直通普通列車に就役させるべく京都の向日町の車両基地に配属。 86年11月の国鉄最後の全国的ダイヤ大改正で、京都〜湖西線〜敦賀〜福井の直通普通列車でデビュー。 とは言え、国鉄末期の財政難を反映して三編成しか製造されず、設定された直通普通列車本数も少なかった。 当時の湖西線の直流区間末端であった永原駅以南では113系を増結し、協調運転を行った。 87年4月にJR西日本に承継される。以後、511系は費用対効果の問題で自社のみならず他社でも量産される事は無かった。 界磁添加励磁制御の交直流電車の量産車はJR東日本初の新型特急電車である651系(1988年)となった。 2006年秋の北陸線敦賀以南の直流化と直流電車運行開始以後は、下関の車両基地に転属し、山陽線と九州各線の直通列車に就役し、415系との併結の光景も出現。
18 :
名無し野電車区 :2010/02/01(月) 01:52:49 ID:0+6ZlfTO0
JR西日本キハ189系気動車 老朽化したキハ181系を置き換えるべく製造・・・されるはずであったが、JR西日本の厳しい財政事情を考慮し、会津鉄道キハ8500を 種車に改造し「はまかぜ」に投入した。 会津鉄道で購入後、松任工場にてN40改造及び塗装変更(アーバンカラー化)のうえキハ189に改番。
19 :
名無し野電車区 :2010/02/01(月) 20:44:47 ID:/ko5KOsW0
キハ80系機関更新改造車 キハ181系の投入により第一線から退いたキハ80系であったが、 国鉄の財政状態の悪化により、引き続き地方線区の特急用として使用されることとなった。 しかしながら、スピードアップによるサービス向上と主要機器の故障防止を図る必要もあったため、 登場時から使用されてきたDMH17H系機関をキハ40系で使用されているDMF15H系に交換し、 若干ながら性能向上を図った。 改造は比較的経年の浅い車両が優先的に施工されている。 また、同時にアコモデーションのグレードアップを図った車両も存在する。 キハ52形1000番台 余剰となったキハ80系の床下機器を再用し、キハ52形と共通の車体を乗せた近郊型気動車。 地方線区のフリークエントサービス向上のため投入された。 比較的高い出力と、単行運転が可能であることから重宝されたが、もともと経年が高いため 民営化前後の新型気動車の投入に合わせ運用を離脱していった。
20 :
名無し野電車区 :2010/02/02(火) 22:15:22 ID:TgOKDVtH0
DD51-2000番台 DD51のエンジンをDE10のDML61ZB(1350ps/1550rpm)に換装したもの。 出力向上により、貨物列車の到達時分短縮を図った。
21 :
名無し野電車区 :2010/02/03(水) 13:39:04 ID:i8FlPQD00
山陽電気鉄道6000系 急行・特急列車の山陽車の運用本数を増やすために登場。 5000/5030系とともに、特急運用に就く。5000系はそれまで使用していたモーターの生産終了により60両しか生産されず、代わりに5030系を増備したが、 同編成内に番号が20だけ進んだ形式が存在するなど、5030系を増備するにあたり、附番ルールがネックとなった。最終的に5030系の増備は4両4編成のみにとどまった。 直通特急運転後、特急列車の運用に入る山陽車の在籍数が阪神車に比べて少ないため、休憩する時間が少ない山陽車は何度も折り返して走行、車両の疲労による故障が時々発生し、これが問題になりつつあった。 そこで、山陽車の在籍数を増やし、長距離の走行にも耐えられるよう、特急運用を重視した6000系が登場したのである。 制御装置や電動機などは5030系と同じで、VVVFインバータ制御方式を採用した。 車体は全車アルミ製であるが、帯の色が変わった。 新塗色は基本的にアルミ地に1本の帯、帯の色はクリームとレッド、ブラックを組み合わせたもので、3000系鋼製車の塗色を意識したものになった。 尚3000系については、3066/3638F以前の車両は内装更新を行い、全車普通およびS特急で継続運行される。 3066Fについては、姫路向き先頭車の3638のみ鋼製車故、内装が違うためこの編成のみ3050系アルミ車で唯一内装更新を受けることになった。 6000系はこれまで通りМc-М-Tcの3両編成が基本であるが、特急運用に入ることを予定としていたため、Мc-М-T-М-М-Tcの6両編成で登場した。 形式 クモハ6000形偶数(Мc、神戸・大阪方面向き) モハ6000形奇数(М1) サハ6500形(T) モハ6200形偶数(М2) モハ6200形奇数(М3) クハ6600形(Tc、姫路向き)
22 :
名無し野電車区 :2010/02/05(金) 14:19:29 ID:U+6yugbt0
キハ28形5500番台 キロ28を格下げし、さらに先頭車化改造も行った車両。 キロ時代の2連窓が残っており、更にキハ58系後期車ベースのパノラミックウィンドウタイプの運転台を取り付けたことで異彩を放っていた。 冷房用電源は4VKを搭載。 JR四国に承継されるも1990年に全車廃車された。
23 :
名無し野電車区 :2010/02/06(土) 08:37:31 ID:hyQMLTm50
ことでん1000形 アルナ車輌製・制御方式 界磁チョッパ制御(台車・足回りは京急1500形の廃車品を流用)・マスコンは阪急5100系の廃車品、ブレーキ装置は阪急型HSC-D 琴平線で使用している1080形置換えのために6本導入。2018年に4本、2019年に2本が導入される。 京急800形か1500形を長尾線に導入して、長尾線の併結可能の1250形と600形を琴平線に転属させて1070形と1100形を置き換えた後、 京急のワンハンドル車輌である800形か1500形は琴平線では回生ブレーキの機能停止やブレーキの改造など大規模な改造がかかることやワンハンドル車輌は琴平線では使いづらい理由で京急車の導入を断念すると、 1080形の代替車と琴平線に適合する車輌がどこを探してもないことが分かったことでんはアルナ車輌に新型車輌1000形の設計を依頼、 この電車を走らせるために琴平線の在来車(1200形11本・元名古屋市営の600形4本)のマスコンを阪急5300系の廃車品に交換、さらにブレーキを阪急型のHSC-Dに交換する改造工事に着手した。 ことでんはアルナ車輌製の1000形2両6本の導入と琴平線在来車のブレーキをHLタイプから阪急5100系・5300系の廃車品、ブレーキを阪急型のHSC-Dに交換する改造工事の近代化投資は約10億円。
24 :
名無し野電車区 :2010/02/06(土) 08:41:19 ID:hyQMLTm50
上記の訂正版 ことでん1000形 アルナ車輌製・制御方式 界磁チョッパ制御(台車・足回りは京急1500形の廃車品を流用)・マスコンは阪急5100系の廃車品、ブレーキ装置は阪急型HSC-D 琴平線で使用している1080形置換えのために6本導入。2018年に4本、2019年に2本が導入される。 京急800形か1500形を長尾線に導入して、長尾線の併結可能の1250形と600形を琴平線に転属させて1070形と1100形を置き換えた後、 京急のワンハンドル車輌である800形か1500形は琴平線では回生ブレーキの機能停止やブレーキの改造など大規模な改造がかかることやワンハンドル車輌は琴平線では使いづらい理由で京急車の導入を断念すると、 1080形の代替車と琴平線に適合する車輌がどこを探してもないことが分かったことでんはアルナ車輌に新型車輌1000形の設計を依頼、 この電車を走らせるために琴平線の在来車(1200形11本・元名古屋市営の600形4本)のマスコンを阪急5300系の廃車品に交換、さらにブレーキを阪急型のHSC-Dに交換する改造工事に着手した。 ことでんはアルナ車輌製の1000形2両6本の導入と琴平線在来車のマスコンをHLタイプから阪急5100系・5300系の廃車品、ブレーキを阪急型のHSC-Dに交換する改造工事の近代化投資は約10億円。 ことでん1000形は阪急電車の新型車輌をベースにした車輌で台車・足回りは東急車輛製の京急1500形の廃車品を流用したことでんオリジナルの車輌となる。
25 :
anorak? :2010/02/06(土) 15:58:29 ID:seRO7zIv0
>>16-17 に続く平行世界シリーズ
◎JR西日本203系7000番台通勤形電車
車籍登録年 2008- 特記 元東京地下鉄7000系
車種 クハ203-7000(Tc)モハ203/202-7000(M/M')クモハ202-7000(M'c)サハ203/202-7000(T/T')
○概説
JR西日本は老朽化した103系という低性能電車を大量に抱え、自社の競争力強化と経費削減の為には、せめて京阪神地区だけでも一刻も早くこれらを廃車して
相対的に優れた新しい電車へ置き換える事が望まれていたが、経営体力上、321系の大量投入による達成は困難であり、使用継続せざるを得なかった。
21世紀になって、ついに103系自体が老朽化に起因する故障による輸送障害を頻繁に起こすようになってしまった。
この難局を打開すべく、代わりとなる電車の投入が緊急課題となった。
一方、東京地下鉄では、2008年副都心線の開業に向けて、有楽町線兼用として10000系電車を大量製造・投入、並びに元々十両編成だった7000系の一部を八両化して
副都心線専用するなどに伴って、7000系に余剰車が多く生じた。その中には十両編成(6M4T)九本があった。
そこにJR西は目を付け、103系最老朽車置換え用として東京地下鉄から7000系電車(十両編成九本)を購入した。
中古車にわざわざ新形式をおこすのはもったいないと考えたのか、アルミ車体と電機子チョッパ制御系という事から―何と無理矢理に―203系7000番台と付与された。
購入後、JRの仕様に適合すべく、保安装置や走行性能調整など、改造実施し、4M4Tの八両編成に組成し直した。一見すると、車体帯が橙色になっただけである。
余った中間車は一部電装解除して中間付随車と201/205系の様な先頭付随車に改造した上で八両編成二本に編成、残りは部品取り用に。
大阪環状線用に順次就役させ、玉突き転配で103系最老朽車を置き換えた。 当車両は最終的に八両11編成が配属。
先頭車が独特な形状が故に、利用客の中には、これがまさか東京の地下鉄のお古だとは思えず、新車だと信じ込んでいる人々は少なくないそうだ。
26 :
anorak? :2010/02/06(土) 15:59:42 ID:seRO7zIv0
>>25 に続く平行世界シリーズ
◎JR西日本253Re系特急電車
車籍登録年 2010 特記 JR東の中古
○概説
2009年、破綻寸前の日本航空(JAL)を、外国の航空会社が完全子会社化すべく暗躍していた。
これを察知した日本政府は、元々はナショナルフラッグとしての国策会社であったJALが外国の航空会社に乗っ取られるのを阻止する為に、
JR東日本、東海、西日本の本州三社にJALの買収を、後述の脅威を煽って強要した。
競争力があり且つしがらみのない外国の航空会社がJALを完全子会社化すれば、新幹線との競合路線で航空運賃の大幅な値下げを実施するだろう。
さらに、これを契機に日本の国内航空市場の完全自由化への外圧が益々高まり、貿易制限を回避すべく市場を開放せざる得なくなり、
競争力のある外国の会社が続々と参入することで国内航空市場での価格破壊が始まり、新幹線よりも航空の方が断然格安だと人々の常識となってしまったら、
JRにとっては最大の脅威となる。それは、夜行列車を絶滅に追い込んだツアーバスや土日千円高速の比ではない。
例えば、米国系格安航空会社が政治力で横田や厚木を軍民共用化した上でそこから北海道、関西、中国、九州へ高速バス並みの運賃で就航したら、
格安な航空の方が運賃高い鉄道の客をどんどん奪えば、JRの経営はかなり悪化し、また、建設中の北海道新幹線の存在意義も消失。
そんな最悪のシナリオを回避する為に、JRの本州三社はJALを買収し、完全子会社化した。
この買収でJR各社は設備投資計画を見直しせざる得なくなり、経営体力の弱い西日本は影響大。
新車287系で北近畿地方の国鉄形183系電車を全て置換する計画だったが、縮小し、不足分としてJR東日本から余剰となった253系電車を購入するはめに。
状態の良いものを選んで、JR西お得意の延命工事が実施され、従来の183系を踏襲した三両編成と四両編成に組成し直された。
第一陣が2010年春のダイヤ改正で北近畿地方の特急に就役。287系と共に順次183系を全て置換える予定である。
ポスターやちらしやホームページによる当253系デビューの告知に関し、253Re系として紹介され、このReとは、刷新のrenovationとされ、
単純明快にどっかの中古だと判明するような単語は使わなかった。
余談だが103系老朽車置換用に205系購入の話も進んでいる。
>>24 讃岐の阪急と言いたいのですね、わかります。
ことでん1300形4連車
1070形、1080形および1100形の代替と同時に琴平線・長尾線の車両はブレーキをHSC-D、
マスコンを自動加速用、連結器を電気連結器つき密着連結器に変更し、
1200形は1300形とのトレードのかたちで2編成長尾線に転用することとなった。
(とどのつまりは京急からATSと列車無線の変更程度で運行できる程度に変更された)
(つってもAR-2の整備ができない(設備がない?)からC-1000に交換は必要なわけだけど)
(ちなみに1070形と1100形は全廃という設定。琴平線の必要本数がわかりゃもうちょっと詰めて書けるんだが)
交換・改造作業中の混乱を避けるために朝夕ラッシュ時に必要な4両編成を2編成併結でなく、
1編成によって運転士、交換・改造作業が終わった後に2両編成で運行できるように4連で導入された。
ことでん1500形
整備が面倒な鋼鉄製の車両を処分したい京急と
1人あたりの座席占有幅をまともに増やしたいことでんの思惑が一致し、
MBS-Rとブレーキ方式が違うこともありラッシュ時専用に4連で譲渡された。
車番はそのままで譲渡されたため導入の順番と車番の順番が一致しない。
訂正 ×:1編成によって運転士、交換・改造作業が終わった後に2両編成で運行できるように4連で導入された。 ○:1編成によって運転し、交換・改造作業が終わった後に2両編成で運行できるように4連で導入された。
29 :
名無し野電車区 :2010/02/07(日) 10:30:12 ID:w4aIJcK50
N700 X0編成 特別ユニット 新幹線車両は先頭ばかり保存されているが、これだけでは走行できないため、 リバイバル運転などの用途に0,100系等の、 旧式車両のインターフェースを備えた特殊仕様車 制御信号を読み替えて制御することが可能になっている 16両中、特殊仕様なのは最低限度の数だけで、他は普通のものであるが 塗装の統一のため、青帯が、窓のところに入っている あと、読み換え装置を積み込む予備機器室が大きいため、トイレが1つ少ない リバイバル運転といっても、オリジナルは先頭2両だけになり、 車体断面や窓の大きさが合わないため、テレビの撮影などではすぐバレる
30 :
名無し野電車区 :2010/02/07(日) 13:23:42 ID:9117P7zz0
東武60000系・70000系 50000系の後継車として製造される次世代通勤車両で、 70000系はロング―シート、60000系はLCシートを搭載。 東上線へは10連、伊勢崎線・日光線・野田線などへは4連・6連を導入。 正面の中央に貫通扉を配置し、 60000系と本線系統用の70000系は先頭に貫通幌が設置可能な構造とした。 全体的に東京メトロ16000系をベースとしており、大型硝子製の仕切りや荷物棚を採用。 70000系は各ドア上部に17インチワイド液晶による案内表示機を設置、 60000系は50090系と同じくLEDだが各ドア上部と車端部に設置した。 これからも60000系は6050系車体更新車の代替として、 70000系は8000系の代替として増備が進められる。
31 :
名無し野電車区 :2010/02/07(日) 19:11:03 ID:1rpFQi9P0
クモワ105 JR西日本で105系を改造して作った電動貨車。 両運転台で、保線用である。
32 :
名無し野電車区 :2010/02/07(日) 22:04:32 ID:q8VdNpXv0
国鉄 北海道総局 キワ8000 妻線で試験運用していたキワ90の試験結果、やはり2軸では力不足であることが結論づけられた。 しかしながら、貨物気動車の有効性は立証できたとして、キハ22系列の足回りとワキ8000のボディを 載せた同形式が試作され、札沼線で試験運用が開始された。 結果はなかなかよく、更に一部列車増発としてキワ8000に旧型客車2両を牽引させた混合列車も運転 されるようになった。 しかしながら、沿線の宅地化による乗客増と、列車の高速化、そして根本的に直行貨物以外の全廃により そもそも貨物列車としての使命がなくなり、昭和57年に廃車となった。 沿線の鉄道ファンからは、貨車が客車を引くユーモラスな姿を「キワモノ」と称し、それが全国的に広まり 現在一般的に使用されるようになったのは、あまり知られていない話である。
33 :
名無し野電車区 :2010/02/09(火) 10:30:52 ID:i3XNRu+70
長野電鉄3000系 特急用として1000系を導入されたとはいえ、旧小田急当時からの 宿命のハイデッカー構造であるがゆえにバリアフリーでの問題点が 露呈した事や制御機器を一応交換したとはいえ登場から50年たっても A特急用として残存する2000系の完全引退を図るため当初小田急より 7000系の譲渡を申し出るも断られた。しかしおりしも京成電鉄が空港 Bルート運用に使われる新型スカイライナー配備により現行のAE100型 が余剰が生じることから譲渡を申し出たもので、長野駅が地下駅である ことから地下鉄乗り入れを考慮した非常口装備があったことも決め手となった。 編成は3両とし、真ん中の中間を抜き取り、長野方となる付随車に同じ運転台を くっつけるものでAE101と111とAE131が種車となった。1435mmの京成電鉄と 1067mmの長野電鉄とで軌間が異なるため台車は付随台車は種車のFS043を 狭軌化して使用し電動車は東急電鉄1000系のを流用する。この車両の導入で 長野電鉄初のVVVF車となる。改造は日本車両・東横テクノ及び 長電テクニカルサービスで施工する。 100系は過去にもあったためこの形式が2代目となる。これにより2000系 AとD編成は廃車される予定だがA編成に関してはD編成の機器で復元 させた上で小布施駅構内のながでん電車の広場に静態保存される予定。 同じく特急ゆけむりとして使用するが後ろにライナーと冠したゆけむりライナーとなる。 編成 湯田中 屋代・長野 モハ3101-モハ3102-デハ3103 (旧京成AE131-AE132-AE133+AE138) モハ3111-モハ3112-デハ3113 (旧京成AE101-AE102-AE103+AE108) モハ3121-モハ3122-デハ3123 (旧京成AE111-AE112-AE113+AE118)
34 :
名無し野電車区 :2010/02/10(水) 19:11:25 ID:pbiXlES+0
京成3900形 3050形ベースの車体にAE100形から流用したモーターと台車を搭載した車両。 形式は空番となっていた3900形となった。 3050形と同じく飛行機が描かれたデザインを採用、 但しカラーリングは赤と青を逆転させたものとなる。
35 :
名無し野電車区 :2010/02/11(木) 12:37:03 ID:zP1yeXf+O
名鉄5200系(2代目) 3ドア車増強に伴い、5300系の台車未更新車4両3本12両を改造した車両。 車体は5000系と同じ車体で新製した。 ちなみに5000系は4連だが5200系は2連として増備された。 これは5000系のみの6連運用が新設される為であった。 床下機器は全て流用されたが台車未更新の為に流用されず、台車は1800系・1850系と同じのを取付られた。 なお1000系列と5000系列との連結が可能。 これにより朝の一部特急が8連化された。 2両6本12両が増備された。
36 :
名無し野電車区 :2010/02/11(木) 16:18:33 ID:z0Y/ybtg0
阿武隈急行7000系 阿武隈急行が投入した701系ベースの車両。 1000番台がベースで、制御電動車のAM7000形と制御車のAT7000形でペアを組む。 製造当初はロングシートだったが苦情が多く後にセミクロスシートに改造された。
37 :
名無し野電車区 :2010/02/12(金) 01:15:52 ID:731VMWhF0
クモハ153 国鉄で153系をローカル線の普通列車に転用するため、モハ153を先頭車化改造したもの。 塗装はクハ153と変わらないが運転台が165系ベース(貫通幌枠の形状が異なる)のため違和感があった。 紀勢本線に投入され、JR西日本に承継されたがわずか2年後の1989年に廃車された。
38 :
名無し野電車区 :2010/02/12(金) 11:54:36 ID:Le+5N7Sr0
筑前うさぎ阻止
39 :
名無し野電車区 :2010/02/13(土) 02:00:39 ID:MSxJPyPn0
クハネ582 余剰となったサハネ581を先頭車化改造。 419系や715系のような切妻型運転台を接合したため「食パン特急」という愛称がある。 前面窓上に種別幕はなく、代わりに前面窓下にヘッドマークが取り付けられている。 クハネ583と同等の定員を確保するためドアが乗務員室の直後に取り付けられている。
40 :
名無し野電車区 :2010/02/13(土) 13:36:24 ID:L4BHr+o70
国鉄サロ711形 国鉄の北海道用交流電車711系のグリーン車。 711系は快速・普通列車の他、急行運用も考慮して車体構造は急行形に準じたものとされ、 グリーン車も製造された。なお、グリーン車は旭川電化の1969年に登場した。 サロ455をベースに、北海道用として座席ごとの二重窓とし、回送用運転台や車掌室、 業務用控室、便所・洗面所・冷水器を設置、定員は48名である。 近郊形サロではあるが、当初から急行への運用を前提としたため、車内はサロ455同様の フルリクライニングシートとし、AU13E冷房装置も当初から設置されている。 但し、普通車の冷房化は考慮していないため、冷房電源用MGは自車専用の20KVAである。 1969年の旭川電化に伴う札幌−旭川間の電車急行「かむい」の登場と同時にデビューし、 Tc−M−Tc+Ts−M−Tcという編成で運用された。日中時間帯は急行のみで運用され、 朝夕ラッシュ時は普通列車にも運用された。 その後、1971年には札幌−旭川のノンストップ急行「さちかぜ」が登場し、サロも組み込まれた。 しかし、その後は1975年の特急「いしかり」の登場で「さちかぜ」は廃止になり、 1980年代以降、急行「かむい」の相次ぐ特急格上げでサロは次第に余剰気味になっていった。 1984年には休車が出始め、1986年の電車「かむい」の消滅でサロとしての運用はなくなった。 その後は711系3ドア化の対象に真っ先に選ばれ、運転台取り付け・固定セミクロスも併せて行われ、 クハ711形500番台に改造された。なお、冷房装置は711系普通車の冷房改造が予定されていたため、 そのまま存置された。 その後は普通列車などに使用されたが、老朽化のため2000年に731系と置き換えられる形で廃車された。
41 :
名無し野電車区 :2010/02/13(土) 21:28:43 ID:paM6VIV8P
JR西日本キハ187系紀勢本線仕様 これは岡山地区や山口地区で活躍してる陰陽連絡特急車両をベースに紀伊勝浦・新宮〜名古屋の気動車特急ワイドビュー南紀に乗り入れるために製造された。 振り子特急でもあるためにオリジナルのワイドビュー南紀より速度が早くなるのであった。
42 :
anorak? :2010/02/18(木) 20:32:39 ID:Z7deb7Jz0
>>26 に続く平行世界モノ
◎JR九州479系電車
製造年 1994 車種 クモハ479(Mc) 特記 14/24系客車牽引
○概説
JR九州は競争力強化の為に昼行特急の増発と高速化に力を入れているが、東京発着の寝台特急は実質的旅客専用では無い機関車牽引の客車列車が故に
高速化に対応出来ないのみならず昼行客へのサービスが陳腐の上に他列車との格差が大きい事でも営業施策上お荷物的な存在と化した。
JR北海道は1991-3年に道内完結夜行を機関車牽引から寝台客車を気動車の編成に組込む事に切換えた。
そこでJR九州は東京発着の定期ブルートレインを下関以遠の九州に限って動力車を機関車から電車に切換えて列車の加減速度の向上を図った。
その電車が479系である。形式は4+7+9=20系へのオマージュ。
客車列車の両端に電車一両を連結するプッシュプル方式の運用なので当初車種はMcのみ。
走行システムは同期の813/883に準じるが一両の定格出力が1000kwで過負荷使用前提。
片運転台だがその反対側の車体後位に回送運転台、客車連結の為に双頭型両用連結器。
車体は費用対効果の観点から787系に準じた車長20mの鉄鋼製、車体後位にステップ付き乗降扉一つ、後のクハ783-100類似の貫通形先頭形状。
交直流車の上に客車への電源供給も担って一両に各種装置詰め込み過ぎた結果機械室を前位に設置。塗装は青紫が基本。内装は787系に準じ、トイレ付き。
当電車によるプッシュプル方式の対象となる各14、15、24、25形客車に当電車用制御回線及び緩急車に電源選択装置の追加を施行。
95年の春のダイヤ改正でED76等の電機に代わってMc479電車が東京発着の寝台特急、さくら、はやぶさ、富士号の九州内動力車に就役。
下関か門司から客車編成両端に当電車が連結して終着までプッシュプルで走行。
同駅で電源車含む客車数両を分離して当電車二両込みで15両(2M13T)以内に収まる様に並びに途中の編成分割と短縮でもプッシュプルに組成し直される。
上りも然り。
これでダイヤ上柔軟性生じ改善されたが、依然と最高速度の差で昼行特急の追抜きは在る。
後の寝台特急の衰退に伴い当車の本来の活躍が狭まり、余剰車は485系のモハの代替車に転用され当系列にて485系を種車にT'cとTが登場。
本来の寝台特急運用だが定期全廃後は開放寝台がゴロンとシート化した臨時あさかぜのみ。
43 :
名無し野電車区 :2010/02/18(木) 21:05:48 ID:hgZc8xKc0
321系1000番台 321系の増備車。 0番台車では従来の引きとおし線方式と併用されたデジタル伝送システムを本格的に採用している。 奈良線、大和路線に投入され、103系を置き換えている。
44 :
名無し野電車区 :2010/02/18(木) 22:36:47 ID:P/NP4FWWO
JR九州821系 ・導入の背景 九州新幹線全線開業に伴い、特急「有明」と「つばめ」が消滅した鹿児島本線。 そこで『打倒西鉄!』を目的に、博多〜大牟田・荒尾に特別快速を設定する事にしたが、 811系や813系ではインパクトに欠けるという事で、豪華で高性能な車両を新造することになった。 ・性能 2M2Tの4両編成で、セミアクティブダンパと車端ダンパを設置し乗り心地を改善するとともに、時速130km/h運転にも対応。 ・車体 815系や817系をベースとしたアルミ製で、日立製作所のモジュール構体システム「A-train」を引き続き採用。そして車体をキハ200系みたいに真っ赤に塗装。 行先表示器は、バス用の大型LEDを止めてフルカラーLEDを採用。 ・内装 車端部がボックスシート(大型テーブル付き)で、扉間が転換クロスシート。柔らかめのクッションを採用して座り心地を改良。 貫通扉は、ガラス製で、自動ドアとなっている(東京メトロ10000系等と同タイプ)。 また、間接照明(阪急9000系列等と同タイプ)を採用し、LCD案内装置も導入した。 ・導入後 博多〜大牟田・荒尾に特別快速「レッドライナー」(現行の「有明」と同じ停車駅と同じ所要時分)の運転を開始。当面は毎時2本の運転で様子を見る模様。 噂によると、今後はリクライニングシートの指定席の導入を導入して組み込む事も検討しているとか・・・。
45 :
44 :2010/02/18(木) 22:40:23 ID:P/NP4FWWO
あ、メトロの10000系は、自動ドアではなかったなw まぁ、あんな感じの貫通ドアを採用って事で勘弁して下さい。
46 :
anorak? :2010/02/20(土) 00:14:40 ID:4zhaMux20
>>42 に続く平行世界モノ
◎国鉄165系1000番台
製造年 1976-7 車種 Tc M M' Ts 特記 A-A基準
○概説
1972年、総武線東京・錦糸町間開業。この都市地下線―東京トンネル―に対応したA-A基準仕様の113系1000番台と183系が新造されたが、
優等料金を徴収する列車種を特急へと一本化するという国鉄の長期経営戦略に従って急行電車は新造されず、東京駅発着は特急列車のみになった。
ぼったくりの批判を恐れてか急行は全廃せず、多くは不便な両国駅発着のまま。
この露骨な特急誘導には苦情が多発、結局、76年、東京トンネル走行可能な165系1000番台が新造された。全車A-A基準仕様でTcにATCを搭載。
特急統合方針は堅持されたので、車両の想定寿命中、急行使用は短期で、いずれ普通用格下げという前提で次の様に設計された。
便所はTcとTsに集約、洗面所はTsのみ、Tcに洗面所の代わりに小便所。座席は原則従来通り。
Ts車自体は急行運用消滅後に485系特急電車のサロへの改造転用を前提としたので外見上はTs481そのもので従来のTs165とは異なる。
M自体はMcへの改造転用を前提としたので外見上はMcそのもので運転台該当部分は運転関連装置と仕切りが部分省略されデッキの一部となっている。
Tc,M,M'のデッキは拡大され、客室との仕切扉は、後の50系客車と同様に従来よりも拡大された両引戸となり、デッキ寄りは一人がけのクロスシート。
基本編成はTcM'MTsM'MTc。落成次第房総地区へ投入され、既存の153/165系は玉突きで78年の紀勢線部分電化開業用にと転属させられた。
77年に当車両は東京駅発着の房総急行として就役したが、急行としての活躍はわずか五年程に過ぎなかった。
82年のダイヤ改正―上越新幹線の開業で余剰となった183系1000番台の房総への転属―で全て特急格上げに伴い
当車は次の改造を受けて各地へ転属。Tsは485系の先頭車へと改造され、MもMcへ改造され、McM'Tcと編成し直され、TcからATCを外した。
86年秋の国鉄最後の全国ダイヤ改正―福知山線と山陰線福知山・城崎間電化開業―で全車が当路線に集結し、普通と臨時急行に就役。
87年春にJR西日本に承継以後、中国地方のローカル運用や、一部はリクライニングシートに取り替えて臨時夜行などの波動用に就役。
47 :
名無し野電車区 :2010/02/20(土) 02:09:04 ID:7e92a5fy0
JR西日本419系1000番台 1000番台を名乗ってはいるものの、同系車の715系1000番台とは 意味合いがまったく異なり、こちらは485系を種車としたものである。 北陸特急のスピードアップで、485系が余剰となったが、 それを他線区に転用しようとしたところ、中古のボロはけしからんと非難ごうごうであった。 かといって、415系800番台のような直流車の改造はコストがかかって割に合わないということで、 なんと485系をそのまま近郊型に改造する方策が取られた。 583系改造の0番台と違って、既設ドアはそのまま生かし、各車2ドアを増設(増設分は幅1000mmの片開きドア) し、3ドアとなった。 既設ドア部分は、デッキ仕切りのドアを撤去の上、入り口を拡張し、増設ドア部分はもともとデッキを設置せず、 全て押しボタン式半自動ドアとなっている。 車内は、ドア隣の部分を2人がけロングシートとし、各ドア間のロングシートに隣接するクロスシートは、 各ドア間中央向きに固定され、その他のクロスシートはそのまま回転機能も残っているが、 リクライニング機能は停止されている。 ギア比は0番台と揃えられ、0番台と運用は分離されているが、併結運用がいくつかある。
48 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 12:40:48 ID:JDMnxKhe0
JR北海道 713系 函館本線に残る50系客車を改造し、電車化するために50系を電車化した車輛 4両1ユニットとし、全車3ドア化と冷房化を実施した。 クハ713:オハフ51を改造 便所側車掌室を撤去し、デッキスペースを拡充した。 モハ713:オハ51を改造 サハ713:オハ51を改造 電装なし クモハ713:オハフ51を改造 便所及び便所と反対側の車掌室を撤去 50系客車投入の目的であるラッシュ時8連の運用そのままで、昼間は混雑する マリンライナーに4連で投入することにより、混雑緩和とマリンライナー増発に寄与した。 走行性能は721系の足回りを使用しているため、非常に高い。 現在、4連×8が区間快速いりかりライナーを中心に運用されている。
49 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 13:38:40 ID:sUvKApV+0
>>48 JR九州のサイリスタ位相制御車が「900番台」を名乗るのに対し、客車改造の本系列が「0番台」を名乗るという奇妙な事例となっており、
特に2chはよくネタにされているらしい。
50 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 15:58:10 ID:vPsjFCgH0
京王6030系電機子チョッパ試作車 1984年に登場した都営乗り入れ用の6000系最終新造車で電機子チョッパを搭載、 8両固定編成であった。 界磁チョッパ2連と併結相性が悪く、10連運用に入ることが少なかった。 2007年に9030系へ置き換えられて廃車されている。 京王7030系 上記の試作車の結果を踏まえて作った7000系の都営直通仕様、 京王で唯一の電機子チョッパ量産車である。同時に軽量ビートステンレスも試験的に採用した。 当初は8コテだったが、後に中間車を組み込み10コテとなっている。 日中の都営直通は8連基本だったが、この系列が入る運用のみ10連で運用されていた。 2006年より京王車の都営直通が10連基本となり、9030系と共通で終日運用されている。 バリアフリー改造は全編成施工済みだが電機子チョッパのままの編成も現存する。 一部編成はVVVF化を完了し、最終的には全編成がVVVF車となる予定。 京王6000系VVVF試作車 1985年に登場したVVVF試作車。併結相性等の試験を行うため5+3編成で製造された。 2両以外では最後の6000系新造車である。 その後もしばらく運用されたが、試作インバータの部品調達が困難なため、 2002年に他の6000系の中間車を転用し、9000系と同等のIGBT-VVVFに交換した。 全車VVVF化、バリアフリー化の観点から、2006年に足回りはそのまま9000系と同等の車体に更新され、 9709Fと改番された。 京王7020系(忠実とは異なる) 7000系増備車で軽量ビートステンレスとVVVFを正式採用した車両。 インバータは東急9000系と同等である。 最初から10コテで製造された、これにより1986年度をもって6000系は製造終了となった。 界磁チョッパ車はIGBT-VVVF改造が行われいるが、7020系は元からVVVFなので今のところ対象外である。 バリアフリー改造は行われた。
51 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 16:02:47 ID:vPsjFCgH0
京王7040系 1991年に製造された7000系ワイドドア車。 最初は6000系の5ドア車が考案されたが、 今更普通鋼鉄の6000系を増備しても車体が長持ちしないことや、 ドアの位置が異なることから没となり。 7000系のワイドドア車を製造した、 5両編成4本。 6000系と併結してはしる関係上、VVVFは採用しにくく。 今更界磁チョッパ車を新造したくもなかったため、 主抵抗器や主電動機などを5000系から移植した界磁添加励磁制御となった。 後の7000系増結車も5000系機器流用の界磁添加励磁制御となっている。 しかし朝ラッシュ時に駆け込み乗車が増え遅延が増大し、 かえって逆効果であった。 そこで本線運用から撤退させ6両2本・4両2本に組み替えを行い。 前者(7741F・7743F)は相模原線内各停運用に、後者(7742・7744F)動物園線ワンマン用とされた。 二本づつだか片方は予備車であった。 2006年相模原線内各停の全列車8両化に伴い7741Fの中間車を転用し7743Fを8両化した(同時にVVVF化実施)、 ワイドドア予備車が無くなったので7743F検査時はノーマルドア車が代走し対応した。 7741Fは余剰となったがオールステンレスのためか廃車にはならず若葉台で留置されていた。 7040系は廃車対象にはならず7742F・7744もVVVF化が実施された。 デワ600形は普通鋼でステンレスの7741Fが余剰となったため、 そこで7741Fをデワ700形に改造し、 デワ600形を置き換えた。今後も相模原線及び動物園線で運用は続く。
52 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 16:05:12 ID:Tnkc3ss20
713系100番台 国鉄が1985年に製造した713系のマイナーチェンジ版。 台車が205系と同様のボルスタレス台車であるDT50/TR235に変更された。 やはり九州に投入されたが2両編成3本のみで製造が中止された。
53 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 16:57:11 ID:0770DYBI0
JR北海道 キハ170・171形 学園都市線電化で余剰となったPDCキハ140系のうち、下回りが新造だった キハ143形に735系電車同等のA-Train規格形3扉アルミ製車体を載せかえ MAハイブリッド車としたもの。 キハ170が両運転台、171が片運転台となっている。 主に札沼線北海道医療大学以遠への直通および函館本線余市〜札幌間の運用に就いている。
54 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 21:15:48 ID:OQOCzZEa0
200系動態保存車 E5系の投入と、それに伴うE2系の新潟転属により余剰となった200系をイベント用に整備した車両。 10両編成1本が存在する。「想い出の〜号」など、イベント列車で使用されるほか、 北海道新幹線への入線も想定されている。
55 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 21:44:26 ID:sUvKApV+0
JR東日本 E261系急行型電車 JR東日本が185系の置き換えと共に、いわゆる「新特急」の見直しを図り、廉価で利用できるようにするため「急行」に格下げするという異例の事態に対応するために久しぶりに製造された急行型電車。 編成は10連(6M4T)と5連(4M1T)。10連の中間2両はグリーン車。 車体はE233系をベースにしたステンレス製2ドアデッキ付き20m車体。ドアは乗降時間の短縮のため、E233系と同じ両開き1300mm幅。 座席は高速バスや自動車に対抗するため、急行型ながら特急型のE257系と同じ2-2配列・970mmピッチの座面スライド機構付き回転式リクライニングシート。グリーン車は1000mmピッチ。 車椅子対応トイレを1両おきに搭載。 電装品などの主要機器はE233系をベースとしている。 パンタグラフはシングルアームタイプ。電動空気圧縮機はスクリュー式のC1600S。台車はDT71系ボルスタレス台車(ヨーダンパ付き)。 制御装置は日立2レベルIGBTによる1C4M2群制御。主電動機はMT75(140kW)。CFRP継手中実軸並行カルダン駆動。ギア比1:6.06(16:97)。 山岳区間への乗り入れを考慮し、ブレーキチョッパ装置を搭載する。 起動加速度は2.5km/h/s、最高運転速度は120km/h(130km/h準備)。 5R車は4M1Tとなっているものの、消費電力などの観点から通常は実質的に2M3Tとして扱う。
56 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 21:52:01 ID:OQOCzZEa0
>>55 「Suica自由席急行券システム」・「Suicaライナー券システム」稼働に向け、
全座席の天井部にR/Wが設けられている。
57 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 22:46:02 ID:JDMnxKhe0
JR北海道 キハ251系 新千歳空港とニセコ地区を結ぶ急行「スーパーらいでん」新設に伴い、キハ201系の座席を 簡易リクライニングにした車輛 飲料の自動販売機を設置したほか、KITACAによる自由席急行券システムの導入により 首都圏グリーン車のような改札省略が可能になった。 なお、同システムはSUICA、ICOCAにも対応し、道外客がホーム券売機で入力したデータが 使用できるようになっている。 急行「スーパーらいでん」はことのほか好評で、来年には帯広方面への急行「スーパーまりも」 と、洞爺方面への急行「スーパーとうや」が増発される予定である。
58 :
名無し野電車区 :2010/02/21(日) 23:38:26 ID:t/rG7xJ3O
713系1000番台
国鉄末期に仙台地区に投入。耐寒耐雪構造で、車体や内装(車端ロング+扉間転クロという構成)は117系100番台等をベースとしており、前面は非貫通。
走行性能は713系100番台(
>>52 )に順じており、ボルスタレス台車(DT50/TR235)を履く。
2M2Tの4両編成。
当初は仙山線の快速や福島〜仙台の快速に使われていたが、現在では、磐越西線の快速専用となっている。
59 :
名無し野電車区 :2010/02/22(月) 06:21:37 ID:Bls9zAMc0
クハ419-100番台 クハネ583を419系に改造。 ドアの位置が異なり、定員が若干多い。
60 :
名無し野電車区 :2010/02/22(月) 11:00:04 ID:Bls9zAMc0
営団2200形 営団地下鉄で1500NN形を先頭車化改造したもの。 1981年製と比較的新しく、廃車にするのは勿体無いと判断し01系に準じた運転台を取り付けることとした。 3・4号車に1500N形を組み込んだ6両編成2本を組成した(オールMとしたため加速度が3.5km/h/sと異様に高かったという)。 また冷房化やブレーキ装置の交換(自動空気ブレーキ→電気指令式ブレーキ)、CS-ATCの取り付けも実施した。 SIVを搭載したためポイント通過時の瞬時停電が無くなった。 1993年以降は6連2本のみという希少な存在であり、「黄色い電車」では唯一東京メトロに承継されたが2006年に廃車されてしまった。 東京メトロ01系7次車 上記の営団2200形を置き換えるために製造した01系の最終形態。 05系13次車のようにアルミダブルスキン車体に変更された。 また純電気ブレーキにも対応している。
61 :
は ◆UQYKeFInIJKA :2010/02/22(月) 17:45:57 ID:l2rNiMgj0 BE:136177193-2BP(1004)
62 :
名無し野電車区 :2010/02/22(月) 18:03:11 ID:1mKVaCB2O
>>60 制御装置は?
営団が抵抗のまま存置はないね。
東西線の5000系みたく添加励磁化?
北綾瀬の6000は地下走らないから例外。
63 :
名無し野電車区 :2010/02/22(月) 20:03:45 ID:IEUOqDol0
クロハ718-1901 E531系の投入により余剰となったクハ415-1901を改造し719系に編入したもの。 運転台機器及び基礎ブレーキ装置の交換を行い、719系と併結できるようにしている。 また、座席を回転式リクライニングシートに交換したうえで 2階部分はシートピッチを広げ、グリーン室としている。 磐越西線での運用のため、車体側面の帯は黒色と赤色に変更された。 1両のみの在籍であるため、故障、検査の際は郡山総合車両センターの485系が代走する。
64 :
名無し野電車区 :2010/02/23(火) 12:08:06 ID:EnuWWkbj0
EF510形600番台 JR西日本がJR東日本のEF510形500番台に対抗して作った電気機関車。 基本的な仕様は500番台と変わらないが、車体がトワイライトエクスプレスに合わせてダークグリーンになっている。 「トワイライトエクスプレス」や「日本海」の牽引に使用される。
65 :
名無し野電車区 :2010/02/23(火) 15:56:59 ID:d35il+nO0
313系10000番台 JR東海でJR西日本の223系6000番台に対抗して313系を211・213・311系性能固定化改造したもの。 原番号+10000した上で貫通扉と乗務員室扉に青色(オレンジ色にしなかったのは帯の色と同一になってしまい目立たないため)のテープを貼っている。 211系はMT比が2種類ありそれによって加速度が異なる(2M1Tが2.5km/h/s、1M1Tと2M2Tが2.1km/h/s)であるためそれに合わせて3両編成で2.5km/h/s、2両編成と4両編成で2.1km/h/sとしている。 また定速制御機能が無効化されている。 現在のところ11000・11100・11600・12300・12500・13000番台がある。 これにより211・213・311系と共通運用が可能になり、乗務員の負担が軽減された。
66 :
名無し野電車区 :2010/02/25(木) 17:18:13 ID:woxb4Kbg0
国鉄203系200番台 営団東西線直通車の10両化を目的に製造された。 基本構造は100番台を基本としているが、千代田線直通用と一部仕様が異なる為200番台とされた。 また編成は三鷹区の設備の関係で6+4の分割編成となっている。製造当初、車体の帯は黄1号であったが、後年青22号に変更されている。 置き換え対象は103系1200番台のみで、301系は本区分番台の投入による編成削減で余った在来車をバラし、他の7連に組み入れることで10両化された。 2003年に301系がE231系800番台が置き換えられた際に大きな動きはなかったが、2010年度からE233系2800番台に順次置き換えられる予定となっている。 なお、捻出された103系はM'cが松戸区のMcと組んで加古川線電化用に転出、他の形式は常磐快速線に転用された。
67 :
名無し野電車区 :2010/02/26(金) 21:24:48 ID:H3V6JmuV0
JR西日本 265系急行形電車 20XX年、JR西は経営環境の変化により、急行列車を復活させる 方針に転換。それに伴い改めて製造された急行形車両である。 基本編成は4両単位だが、最短は2両から編成可能。列車の受給 にあわせた柔軟な編成が可能である。 下記4車種が製造 クハ265 両渡り制御車。客用ドアは運転室直後に一つ、3-4位側車端部にトイレと洗面所。定員は64人。補機類を集約して装備 モハ265 車端部に二枚扉を備えた中間電動車。定員72人 サロハ265 グリーン合造中間付随車。G室12名、普通室40名でドアはG室普通室の間に一カ所。 クモハ265 下り方制御電動車。 まず手始めに「きのくに」と「但馬」に投入。また、ライナーで残っていた「はんわライナー」「やまとじライナー」も急行化(「紀ノ川」「大和」)され置き換えられた。
68 :
名無し野電車区 :2010/02/27(土) 00:36:42 ID:9nEyNVF70
583系700番台 国鉄末期、寝台列車の需要の低下と共に寝台列車の削減に伴い 余剰となりつつあった583系を寝台電車を座席車に改造した形式。 グリーン車は3列席、普通車はフリーストップ式リクライニングで シートシートピッチは985mmと当時としてはハイクラスなアコモデーションとなっていた。 改造車は主に常磐線特急ひたちに充当され、基本8両と付属4両に分割される編成が組まれた。 基本編成に組まれた5号車・サロ580はサシ581から改造され、半室を売店・車販準備室としていた。 651系、E653系の投入と共に今現在は定期運用から外れ、 大半が廃車となったが、サロ580を再びサシ581に戻し、 往年を思わせるサロ2両、サシを組んだ13両編成 「みちのく」編成が1編成勝田車輌センターに所属している。
69 :
名無し野電車区 :2010/02/27(土) 18:15:26 ID:9nEyNVF70
JR東日本E653系 久々に製作された急行形電車。国鉄457系以後、急行形車輌の新製は 基本的に行われなかった。常磐線急行においても、451・453系の置き換えは 新車では行われず、初期型483・485系が充てられた。 しかしこれ等の特急形車輌も経年20年を超えており、廃車は時間の問題だった。 先にひたちが651系に置き換えられたが、このときわ用E653系は 151系こだまに対する153系東海の位置と通じるものがある。 編成はモノクラス7両を基本として付属4両編成となっている。 汎用性もあり、60Hzにも対応しており、今後、使用線区の拡大が予想される。
70 :
anorak? :2010/02/27(土) 18:21:54 ID:yszkzpXW0
>>46 に続くモノ
◎国鉄0系新幹線電車寝台車&911形100番台ディーゼル機関車
特記 夜行寝台新幹線
○概説
1986年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で東海道山陽新幹線に寝台列車が一往復でデビュー。
下りは東京を20時45分頃に出発し、新大阪に0時前に到着、8時頃には博多に到着、というダイヤを実現する為に、
上下共に山陽区間を深夜に騒音振動対策でmax.70km/hで走行し、しかも保線の関係上深夜走行区間は実質的単線非電化とした上で
ディーゼル機関車で牽引。
この寝台新幹線用にと0系の寝台専用車と911形100番台DLが製造された。
前者は、既に85年から100系が量産されているのだが、国鉄の厳しい財政状況では未知数の寝台新幹線に新車を投入するのは困難である故に、
車体だけを新造して廃車若しくは余剰となった0系の発生品を再利用する方針となり、0系に属する。
車種は、先頭車の81/82形(Mnc/Mnc')、中間車の85/86(Mn/Mn')、ビュフェ及び障碍者・高齢者用寝台室との合造車95(Mnb)を基本。
一編成10両の全電動車で、車体は100系に類似、先頭の連結器収納部はDL牽引の為に開閉、三編成が製造。
寝台車は全て個室で、障害者・高齢者用を除き一人用で、全編成モノクラス。
定員を増やす為に普通個室は、カプセルホテルに類似し、二段重ねで、便所と洗面台無し。後の在来線のソロの原形となる。
障碍者・高齢者用は介護者用の補助寝台を上段にした二段寝台、各車端に便所と洗面台を設置、95に障碍者対応。
95の車体半分がファストフード店の様なビュフェ兼ロビーで、シャワー室も二つ設置。
後者DLは、911形0番台と違い、DD51の廃車発生品の転用でmax.100km/hに低下、防音対策、電車への給電用発電機の容量強化、計三両。
87年4月にJR東海と西日本に承継。
デビュー直後は不動産バブル好況と重なって在来線の寝台特急よりも高額にも拘わらず切符が取れ難い人気列車に。
が、しかし、バブル崩壊で利用客減少、競合する航空と宿泊施設に価格破壊も起き、斜陽に。
性能上のぞみ増発の高速化に対応出来ず、深夜運行の高コスト対僅かな乗客故の採算性悪化を理由に99年秋のダイヤ改正で寝台新幹線は、
九州ブルートレインよりも先に全廃。0系Yk編成と100系X編成と共に引退、廃車、81/82が保存。
寝台新幹線は伝説(タブー)になった。
71 :
anorak? :2010/02/27(土) 18:37:19 ID:VsEY8hc40
>>70 に続く平行世界モノ
◎JR西日本&JR九州585系寝台特急電車
製造年 1999 車種 クハネ/サハネ585(Tnc/Tn) モハネ585/584(Mn/M'n) 特記 285系の交直流版
○概説
1999年、凋落の関西・九州寝台特急へのてこ入れとして285系(98年登場)自体の交直流電車版を新造し、2000年春に就役させる事が企画された。
それが585系である。当車は285系を土台とし、分割併結対応の先頭車などの車体形状は同じ、費用対効果及び将来の改造し易さの観点から同じ鉄鋼製。
当車の付随車は、交流区間対応以外は285系そのものであり、Tnc/Tn585はTnc/Tn285に対応し、用意される個室寝台の種類などの接客装備も同じ。
電動車に関して交直流なので当時の技術では1M方式に収まらず、高速列車の高密度時間帯にダイヤのスジを引く事若しくは回復運転を考慮して、
MM'ユニット方式を採用し、編成中のM比を高めた。
Mnに主制御装置を集約、M'nに主変圧器や主整流器などの電源機器を集約し、シングルアーム型パンタグラフを搭載。
Mn585の接客装備はMn285-0/3000と同じソロとミニラウンジとシャワー室、M'n584にはMn285-200/3200と同じノビノビ座席とシングル。
「大阪←TncTnMnM'nTnc」の五両一編成を基本編成とし、三編成連結の最大十五両編成を可とする。
車体形状を除く当車のデザインコンセプトは老舗旅館!故に塗装は老舗旅館をイメージする漆色などの茶系統色で、それは後のE655系に影響を与えた。
2000年春のダイヤ改正で、客車列車に代わり、明星(京都〜西鹿児島)、あかつき(京都〜長崎)、彗星(京都〜南宮崎)でデビュー。
各列車は五両編成で、京都〜門司間では三列車が併結の、いわゆる三層建て列車となる。
就役直後、寝台の供給量が減った上に新車効果で指定券が益々取り難い人気列車となった。
これでは盆暮れ正月などの繁忙期に対応出来ない為、従来の客車列車を使った救済用の臨時夜行急行が運行される程だった。
が、しかし、それは一過性だった。デフレ下の他の競合の低価格化の影響で夜行列車衰退に歯止めが掛からず、
2005年以後、救済用臨時の運行が消滅する程に明星あかつき彗星の利用客は減少。
2010年の春のダイヤ改正で585系の明星あかつき彗星は繁忙期のみの季節臨時列車に格下げされる。
72 :
名無し野電車区 :2010/02/27(土) 18:39:15 ID:QELydP+R0
サハ454 455系の売店付きサハ。 サハ164とほぼ同一の構造だが3箇所のドアのうち物資積卸用ドアにはステップが無い。 1983年にクハ455-800番台に改造されたが、売店側に運転台を取り付けたためドア位置が変則的になっている。 JR東日本に承継されたが、使い勝手が悪かったせいか1994年に701系に置き換えられ廃車されている。
73 :
名無し野電車区 :2010/02/27(土) 20:00:59 ID:9nEyNVF70
サロ188 信越特急あさま用にサシ481を改造したグリーン・ラウンジ車 ラウンジはビュッフェタイプのカウンター席で名物信州そば・峠の釜飯などがあった。 長野行き新幹線開業により特急あさまもその使命を終え、本車も運用を外れ、 サロ188−1形が碓氷峠の鉄道記念館に展示されている以外は廃車・解体となった。
74 :
名無し野電車区 :2010/02/28(日) 06:48:33 ID:w6zwO30y0
サハE500-1000番台 E501系の6ドア車。 構造はサハ208とほぼ同じ。 2007年3月の上野口撤退後もそのまま連結されていたが、2009年にサハ209改造のサハE501-100番台に置き換えられ廃車された。
75 :
名無し野電車区 :2010/02/28(日) 22:36:01 ID:/1Gi9aiH0
50系500番台客車 上野口長距離列車置き換えの為に50系客車に冷房及び方向幕を取り付けた形式。 110キロ運転にも対応しており、上野口ではEF81が牽引していた。 旧型客車から当形式への置き換えの際に、これ等の列車は全区間快速運転となり、 最高速度110キロへのスピードアップと相まって所要時間の大幅な短縮が図られた。 東北本線上野〜一ノ関間1往復と上野〜福島2往復、常磐線上野〜仙台3往復に充当された。 50系化されたとはいえ、10両編成の客車列車の威容は十分に 上野口の長距離鈍行の雰囲気を醸し出していた。 しかし、上野口でも115系、415系などの国鉄型電車が去り、 231系、531系など新車が投入されると当形式の列車もダイヤ上で逼塞要因となっている。 EF81共々、当形式も30年近い経年を経ており、最後の活躍の時期が近づいている。
76 :
名無し野電車区 :2010/03/01(月) 10:59:04 ID:KubQPaWa0
まだ走ってんのかいw
77 :
名無し野電車区 :2010/03/03(水) 19:51:42 ID:6xupP13p0
78 :
名無し野電車区 :2010/03/03(水) 20:53:43 ID:S4goCuKo0
717系 東北方面、主に仙台地区用に製造された近郊型電車。 仙台地区におけるサービス向上、スピードアップを目的に製造された。 両端扉の旧型客車、急行形気動車の運行による通勤時における遅延が目立ち始めた仙台地区では 新たな近郊型車輌の投入が必要となった。当時の国鉄の財政状況から、 新製は難しく、常磐線急行で使用された451系電車の電装品を再活用した。 その為に60ヘルツには対応していない。また直流への変換スイッチも交流側で固定している。 一方で電動機をMT54に換装し抑速ブレーキを付加させた為、走行性能は455系と同等となっている。 6両編成6本が製作され、全て451系からの改造車である。 中京・関西圏の117系と同様の構造で、転換クロスシート装備の2扉車である。 主に福島〜小牛田間の快速列車「あぶくま」を中心に運用された。 しかし経年は足回りは40年を超えており、新製された車体も20年を超えている。 E721系の勢力拡大に合わせて当系列の退場の時期も近づいている。
79 :
名無し野電車区 :2010/03/03(水) 21:04:16 ID:sJTcBroW0
>>75 に便乗w
オロ50形500番台
旧型客車から50系化されたのと同時にグリーン車の連結が企画・検討され、当時東海道線や横須賀・総武線で使用さ
れていたサロ110形1200台と同等の設備を持つオハ14形から改造された。シートモケット(外観色もw)が青から赤に変更
されたのと、一部座席(+荷物置き場)を撤去して専務車掌室が設置された。
なお、SUICAグリーン券システム投入時に読取装置も設置された。
80 :
名無し野電車区 :2010/03/03(水) 21:47:24 ID:faIOi0Wh0
さらに便乗 50系3800番台 JR西日本が50系客車にN40延命工事を施工したもの。 専用色をまとったDD51とともに山陰本線京都〜下関間を結ぶ列車で使用されている。 列車の多く走行する京都〜城崎温泉間、米子〜出雲市間で快速運転が 実施されているが、そのほかの区間は各駅停車となり、往年の客車鈍行列車の雰囲気は十分である。 が、頭端式ホームを擁する京都駅での入れ替え時分短縮のため、 京都方先頭車には運転台設置改造を行ったオクハ50形が連結され、いわゆるプッシュプル運転となる。 この運転台取り付け改造の際、経費節減のため、廃車となった電車の運転台機器を流用し、 貫通路を閉鎖したうえで前面に警戒色の補強板を取り付けた結果、 非貫通、切妻、3枚窓という旧型国電をほうふつとさせる形状となった。 223系5500番台の投入や嵯峨野線の増発に追われる形で本年3月のダイヤ改正をもって 運転区間が福知山以西に短縮されることとなった。
81 :
名無し野電車区 :2010/03/04(木) 03:05:38 ID:Tr3StFCu0
>京都方先頭車には運転台設置改造を行ったオクハ50形が連結され、いわゆるプッシュプル運転となる。 (゚Д゚)ハァ?
82 :
名無し野電車区 :2010/03/04(木) 07:41:16 ID:4t5pu3gw0
12系客車700番台 SL牽引などのイベント用に12系客車を改造した形式。 総計5両編成7本35両が改造され、JRになってからは東日本と西日本に継承された。 主な変更点は塗装を旧型客車風に改め、ブドウ色にし赤帯を入れ、ユニット窓を下降一枚窓にした。 車内もリノリウムの床を不燃性木材に変更し木目調を強調することで旧型客車の雰囲気を出している。 しかしファンの間からは「ナンチャって旧客」と揶揄されたが、旧型客車の老朽化、安全性が問題になった 当時の国鉄としては苦肉の策だった。 西日本のSLやまぐち、東日本のばんえつ物語、秩父鉄道に貸し出されパレオエクスプレスなどで運用されているが、 当車も製造からは40年以上の経年を経ており、後継車の登場が待たれている。
83 :
ミウナ :2010/03/04(木) 13:46:41 ID:34EFjxYnO
>>82 に便乗
JR東日本E32 E35 E43 E44系客車
12系700番台の老朽化に伴い、東日本が開発した「なんちゃって旧客」である。
相次ぐ寝台特急の廃止で保留となった寝台客車をそのまま使って旧客もどきに
したとんでもない車である。
基本的に尾久車両センターの14系14型及び24系24型又は25型のB寝台車などを
種車としたが、緩急車に関してはサービス電源確保のためスハネフ14や
座席車のスハフ14や中には元JTゆとりのスロフ14も改造された。
国鉄当時の設計図を元に精巧に作られており、E32系は丸妻だけでなく
二重屋根も再現し、E35系は丸妻でかつ大井川鐵道にしかない小倉工場製を再現。
E43系は近代化改造後のスハ43 スハフ42 オハ46を再現し、言うまでもなく
E44系はスハニ35 スハ44 スハフ43を再現し、往年の特急「はつかり」塗装を纏っている。
外観を損ねないよう冷房は床置き式であくまで酷暑時の使用を前提で
通常は使わず非冷房窓開けを基本としている。
製造数は「ばんえつ物語号」用の新潟車両センターにE43系7両
(Eスハ43型2 Eオハ46型2 Eオハ47型1 Eスハフ42型2)
高崎車両センターにE32系2両(Eスハフ32型二重及び丸妻各1)E35系1両(Eオハ35型1)
E43系6両(Eスハ43型1両Eオハ46型1両Eオハ47型2両Eスハフ42型2両)と
C61-20復活に併せて「奥利根」用E44系6両(Eスハニ35型 Eスハフ43型各1両 Eスハ44型4両)
計22両である。
さらなるなんちゃって旧客の計画プランでナロ10型とマイテ58型の
なんちゃって型を企んでおり、実際作られた場合往年の「はつかり」はおろか
栄光の「つばめ」「はと」までも再現可能になる期待もある。
84 :
名無し野電車区 :2010/03/04(木) 14:13:53 ID:moFLe6cOO
ヲタ946 葬式厨や撮り鉄などのヲタ専用運搬貨車、運搬中にヲタを薬殺処分する機能も有ります。サヨナラ列車の前後に走る事が多いようです
85 :
名無し野電車区 :2010/03/04(木) 20:55:22 ID:6RK/yryY0
>>80 >>81 片側のみ動力車(機関車)でもう片方は無動力の制御車の場合も、広義ではプッシュプルだけど、
最近では海外に倣ってペンデルツーク式なんて呼ぶこともあるな。
86 :
名無し野電車区 :2010/03/04(木) 21:25:03 ID:MANe4Gga0
プッシュプルは「押して・牽く」だから制御客車編成の呼称としては適切ではないな
87 :
名無し野電車区 :2010/03/05(金) 00:14:39 ID:f5XQrFg80
JR東日本 EHX001 臨時ホーム設置車両?という世界的に見ても類のない珍車 コンテナ車両のような車両の上にホームのセットが載っており これを自動で展開して臨時駅や臨時ホームを設置するという代物である 輸送車両部分は、設置後に移動する必要があるが 全体重量も軽いため、特に機関車などを必要とせず、普通の電車や気動車で運んでいくことが可能である これにより、イベント時1日限定等の駅や、臨時ホームの設置も可能になったが あまりに設定の短い駅は、時刻表には掲載されない事もしばしばである
88 :
名無し野電車区 :2010/03/05(金) 07:51:21 ID:E8enX3OD0
185系700番台 陳腐化した185系のリフレッシュとグレードアップによって登場した形式。 登場の時点で「劣化特急」の謗りを受けていた185系だが、リクライニングシートへの交換などの若干の改善は行われていた。 今回においては延長更新も兼ねて本格的な車内設備の改善が行われた。 尚、本形式は普通列車運用には入らない。 主な変更点は側窓を連続固定窓化し、上方へ10mm拡大、シートピッチを1000mmとして トイレは一部を除き洋式化された。グリーン車は3列化され、伊豆方サロ185の半室をラウンジとした。 塗装はかつての「あまぎ」を意識して赤とクリームのツートンカラーとなっている。 10両編成2本のみが改造され田町電車区に配置されている。
89 :
ミウナ :2010/03/05(金) 12:49:54 ID:EMhBBwKt0
国鉄ナハ22・ナハフ22 昭和51年に急行「銀河」が旧客から20系に変更された際に登場したもので ナハネ20およびナハネフ22の寝台を全部撤去して14系に準じた回転式 リクライニングシートを備えた座席車としたもの。 当初はグリーン車にスロ62系を普通指定席は12系を2両ぶら下げる案 (給電はカニ・カヤ21からでオハ12とオハフ13のみ連結させる案)といった 乱暴な計画もあったが編成美を崩したくないゆえに20系の寝台を撤去した 改造車両にシフトした。大阪方の最後尾に連結されたが最後尾の車両は ミニラウンジカー的に使われることが多かった。 1985年に14系14型又は24系24型及び25型への取替えが検討されたが サハネ581をA寝台車に改造した車両を投入させることで583系の電車 寝台急行に変更されてそのまま廃車されてしまった。 モハ582・583 クハ583 サロネ583 サロ583 1985年に「銀河」が同じ急行である「きたぐに」と共通運用の 583系に変更された際に登場したもの。当初はモハやクハは設定せず 新潟(東京方)の3両に485系を混ぜる乱暴な計画もあったが、寝台を 撤去した座席専用車を投入させることにした。大阪方4両を自由席 座席として寝台を撤去して485系と同様の座席に変更している。 サロネ583はサロ581から改造したオロネ25に準じた1人用個室A寝台車で、 民営化後にシングルデラックス型サロネ583-5500となる。 4号車のモハ583の相方のモハネ582とはなっているが名義上で実質半室 ラウンジとシャワー室でモハネ582-1600となっていたが後にB個室の ソロに改造し、モハネ582-5500となっている。 サロ581も高速バスに対抗するためフルフラット可能のリクライニングと してサロ583に改造され9席×3列座席で定員は27名である。 座席にあわせて窓も改造しているため冷房以外は普通の485系200番台と 見分けが付かなくなってしまった。当初は583系の塗装のままだったが、 現在は新塗装となっている。銀河廃止後は間合いで「雷鳥」に使われたり、 京都総合から金沢に転属後は首都圏内に対応できるATS-Pがある点を生かし、 同じ夜行急行である「能登」や臨時「はくたか」に使われることもある。 能登廃止のラストラン前日に489系とのシップチェンジで使われるという 見方もあるとか?!。
90 :
名無し野電車区 :2010/03/05(金) 19:14:20 ID:pezc9VfK0
JR東日本103系内扇形モーター車(モハ103・102−901・902) 1988年、埼京線の騒音対策として同線で使用中の103系900番台電動車にMT61X形内扇形モーターを試験搭載したもの。 このモーターは低騒音で好評だったことから、翌年以降同線に新製投入された205系に正式採用された。 1992年に廃車されたが、最後まで冷房化はされなかった
91 :
anorak? :2010/03/05(金) 21:02:45 ID:Z/ZafrRm0
>>70-71 に続く平行世界モノ
◎国鉄301系1000番台
登場年 1986-87 車種 クハ/モハ301(Tc/M) クハ/モハ300(Tc'/M') 特記 仙台市地下鉄直通用
○概説
1961年、仙南交通(現、宮城交通)は秋保線(長町〜秋保温泉)を国鉄に売却した。
秋保線の経路自体、国鉄が建設すべき旨の改正鉄道敷設法別表に従うものであった。
当路線自体軌間は国鉄と同じだが軽便鉄道の規格であった為、長期間運休し、一部路線変更を含む国鉄規格に大改良された後、
66年に国鉄秋保線として再開業。単線非電化。仙台から秋保温泉への直通列車が運行開始。
1970年代、仙台市で地下鉄計画が始動すると地下鉄南北線と国鉄秋保線との相互直通運転が決定。両路線が長町南駅で繋がる。
直通に向け秋保線の直流電化工事も実施。
87年夏の地下鉄開業と同時の直通開始に備え、国鉄末期の86年度末に、この直通用にと301系1000番台を新造。
当車は破綻寸前故に分割民営化される国鉄末期の事情を強く反映した車両となった。
車体と台車は同期の205系に準拠した四扉のステンレス製でかつボルスタレスであるが、
製造費削減の為に秋保線は単線で本数少ないからという理由で、205系と同様の界磁添加励磁制御と回生ブレーキを採用せず、
103/301系と同類の主制御器と主電動機等の走行システムを採用。M'にパンタグラフ搭載。同時期の121系と同様に廃車発生品を各所で流用した。
仙台市交通局の要請で地下鉄内のワンマン運転の為に運転台を市の1000系電車のものとそろえているので前面の非常扉は片側に。
TcとTc'の車体長も1000系にそろえて中間車に運転台取り付けた22mに。2M2Tの四両編成。寒冷対策に半自動対応ドア、ドアと椅子の間に風防仕切り。
1987年4月のJR発足の際にJR東日本に承継。同年夏に仙台市地下鉄南北線直通に就役。
秋保線の運行列車本数の三分の二が地下鉄南北線に直通、残りは他の交直流電車を使って東北本線へ直通。
市の1000系とは差があり過ぎ、劣った運転性能に加え電気消費量とトンネルの温度上昇の問題があって、90年代初めに界磁添加励磁制御へ改造された。
2009年に南北線にホームドア設置されるのを機に対応出来ない当車は新車に置換えられ、MとM'はJR西日本に改造種車として譲渡、
残ったTcとTc'は22m長では転用困難故に廃車になった。
92 :
名無し野電車区 :2010/03/05(金) 22:00:38 ID:pq049CLG0
金沢電気軌道2400形 北陸鉄道が労使紛争でもめる中、再独立した金沢市内線が導入した。 車体は2300形と同じであるが、念願のカルダン駆動車となった。 同車増備で単車が全廃となった。 以後1985年のLRV車2500形登場まで同社の顔となっている。 現在も車体を更新して運行中。 金沢電気軌道2500形 金沢市内線久々の新車。 親会社の名鉄880形を細くしたような顔立ちだが単車で冷房も当初から搭載済み。 金沢電気軌道2600形 金沢市内線初のバリアフリー車輌。 万葉線アイトラムの幅を狭めた形。
93 :
名無し野電車区 :2010/03/05(金) 22:11:52 ID:E8enX3OD0
モハシ489 特急白山への食堂車連結の再開が見送られた代替としてモハ489型の半室をビュッフェに改造した形式。 長野新幹線開業によって特急白山が廃止された今現在は急行能登に連結されているが既に営業はしていない。 白山廃止直前に寝台特急「北斗星」の減便で余剰となったスシ24を再びサシ489に戻し、 サロ489、サシ489、モハシ489が組み込まれたボンネット形489系12両編成が 上野〜金沢間で「メモリアルはくたか」として運転された。 在来線で食堂車・ビュッフェを同じ編成内に組み込んだのは往年の特急「こだま」以来であり、 撮影に多くのファンが沿線につめかけた。
94 :
anorak? :2010/03/05(金) 23:26:43 ID:Z/ZafrRm0
>>91 に続くモノ
◎国鉄405系交直流通勤形電車
登場年 1986-87 車種 クハ/モハ405(Tc/M) クハ/モハ404(Tc'/M') 特記 福岡市地下鉄直通用
○概説
福岡市営地下鉄二号線(現、箱崎線)は、計画当初、貝塚駅で西鉄宮地岳線(現貝塚線)と相互直通する予定であったが、西鉄が消極姿勢を示し、
1986年秋の二号線貝塚延伸と共に直通運転が実施されないのみならず、確定的な予定さえもなく、事実上中止となった。
二号線の利用客低迷と赤字増を危惧した市交通局は、既に一号線(現空港線)と国鉄筑肥線の直通実績がある国鉄に二号線と鹿児島本線との直通を打診。
それは、地下鉄貝塚駅近傍にある国鉄鹿児島本線にも貝塚駅を設置し、連絡線を敷設し、直通するものであった。
当時、破綻寸前の国鉄再建の最中で経営基盤強化の為、国鉄は承諾した。
が、しかし、西鉄が抗議し、宮地岳線の廃止をちらつかせた。
三鉄道事業者と沿線自治体の協議の結果、一に国鉄との直通本数は一時間当り最大四往復、二に鹿児島本線に貝塚駅を設置せず、
地下鉄貝塚駅と鹿児島線との連絡線を敷設、という宮地岳線の存続を配慮したものになった。
貝塚駅近傍の鹿児島線に信号場を設置した上で貝塚駅止まりの地下鉄を単線で当信号場まで延ばし繋げる直通事業が着工された。
この直通用に新造されたのが405系。
405系は同時期の207系900番台とほぼ同一のステンレス製車体を採用しているが、
厳し財政状況を反映して121系の様に製造費削減の為に例えば中古のコイルばね台車など廃車発生品を各所で活用。
当時の技術を反映して同時期の415系1500番台を土台とする抵抗制御の交直流車であり、103系1500番台と同等に加減速度を上げた。
M'にパンタグラフ搭載し主変圧器や主整流器などの交流区間走行用の機器を集中装備、Mに主制御器や主抵抗器などの直流機器を。
交流は50と60Hz両対応。4M2Tの六両編成。
86年から国鉄最後まで製造され、直通開始までラッシュ時の博多駅発着の輸送力列車として使用。
87年4月のJR発足の際にJR九州に承継され、同年秋に鹿児島線と地下鉄の直通運転に就役。
鹿児島線香椎以東から中洲川端や天神まで乗換え無しで行けるようになった。
市交通局は交直流車を用意せず代わりに筑肥線への直通運用を増やすなどで車両走行距離を調整。
二十年以上経った今も当車両は健在。
95 :
名無し野電車区 :2010/03/06(土) 09:09:36 ID:9sJ+CMDC0
キハ83(フラノエクスプレスとは別) 「おおぞら」の根室延長および札幌回転付属編成の回送の便のために製造 された80系気動車の先頭車。 走行用エンジンを2基搭載し、発電セットは 持たない。 機器室を省略し、定員64名を確保。 後に「宗谷」にも使用。 特急「おおぞら」 ハ83-ハ80-ハ82-ハ82-ロ80-シ80-ハ80-ハ80-ハ80-ハ82-ハ83-ロ80-ハ82 <函館-根室>< 函 館 - 釧 路 ><函館-札幌> 特急「宗谷」 ハ83-ハ80-ハ82-ハ83-ハ80-ハ82 <札幌-稚内><札幌-名寄>
96 :
名無し野電車区 :2010/03/06(土) 09:32:28 ID:NH1mJ3rv0
サハ455-500番台 サハシ455を普通車に改造したもの。 車体をごっそり取り替えているためサハ455と見分けが付かない。 現在はJR西日本に1両だけ在籍。
97 :
名無し野電車区 :2010/03/06(土) 09:42:01 ID:KQpQ5oDm0
キハ187 100 スーパー白兎の一部出雲市延長用に増備された車両 この地区は岡山乗換えがデフォルトであるが、SR出雲リレーがしにくくなった事で、 代替措置として関西直通運行が行われる事になった 無論、全便ではなく、始発終発の1日2往復限定である 運用の関係でHOT7000で延長される日もある HOT7000と連結し、鳥取、倉吉で切り離して2、3両で以西を運転する キハ187、HOT7000いずれとも連結可能なシステムを有するのが 他との違いである
98 :
名無し野電車区 :2010/03/06(土) 10:00:00 ID:5FkdLvez0
500系3800番台 500系のこだま用短縮改造で余った中間車を 再利用して4連の編成を組成。 新幹線初の切妻型先頭車となった。 愛称は「カマボコ」 流線型でないため最高速度は160km/hに制限されている。 主に小倉〜博多南で通勤ライナーとして使用。 なお新設した運転台には、500系こだまのお子様運転台と 同じ筐体が利用されているとの噂もある。
99 :
名無し野電車区 :2010/03/06(土) 17:12:01 ID:7nruPksh0
E7系 高速無料化、不景気に直面したJR東日本は、低価格で乗れる新幹線を開発した。 コンセプトは「地上のLCC」 乗車券+\1000(50km以内は\500、隣駅は+\300)で乗車することができ、定期券はもちろん、青春18きっぷやツーデーパス等での乗車も可能である。 現在、上越新幹線大宮〜新潟間で運転しており、将来的には他線での運転も予定されている。 編成長:25m車体8両編成(6M2T) 起動加速度:1.7km/h/s(高加速度設定時2.8km/h/s) 最高速度:240km/h(無改造で275km/hまで対応可) パンタグラフ:PS207型 1,8号車にセミアクティブサスペンションを設置 車内設備:2,3号車 車端クロスシート、1,4〜8号車 セミクロスシート デッキ無、半自動ドア設置 トイレは1,5,7号車に設置。車内販売無し。
100 :
名無し野電車区 :2010/03/06(土) 23:39:42 ID:Nr0MICXS0
キハ145 JR北海道が製作したキハ141系の両運転台バージョン。 当初は「キハ140」にする予定だったがJR九州のキハ140系と形式番号が重複してしまうためキハ145を名乗ることになった。 足回りはキハ143がベース。 トイレがあるため150番台しかない。 他のキハ141系と同様札沼線用であるが両運転台であることを活かし北海道医療大学を越えて新十津川まで入線することがある。
101 :
anorak? :2010/03/07(日) 02:28:56 ID:yDYJ6RWu0
>>91 >>94 に続く平行世界モノ
◎国鉄425系交直流近郊型電車
登場年 1971 車種 クモハ425(Mc)クハ424(T'ac) 特記 北海道定山渓線用
○概説
1969年に国鉄定山渓線が開業。東急が定山渓鉄道(現・じょうてつ)の鉄道線(東札幌・定山渓、直流1.5KV)を、一部区間の札幌市への売却のみならず、
全線を国鉄に売却した事で実現。定山渓鉄道から直流電車やディーゼルカーを承継し、東札幌からのディーゼルカーによる国鉄札幌駅への直通も継続。
73年の千歳線経路変更で東札幌・苗穂間を定山渓線に編入。
72年2月開催の札幌オリンピックを控えた71年の冬に競合する地下鉄南北線開業。定山渓線南平岸・真駒内間の頭上に地下鉄南北線の高架。
対策として、東札幌から交流電化の函館本線との接続駅である苗穂まで直流電化し、全列車を札幌に直通させる事に。
その直通には交流区間の走行を全車両に要求されるので旧定山渓鉄道車両を全部置換える事になり、新造投入されたのが425系である。
抵抗制御の1M方式だが、Mcに全て艤装不可能なので主変圧器と主整流器等の交流区間走行用の装置とパンタグラフをT'acに搭載したMTaユニット採用。
合理化の為、サイリスタ位相制御の711系とは空気バネ台車と主電動機を共通化。T'acにトイレ、洗面所はなし。
車体は711系と同様、主電動機冷却用の雪切り室、デッキ付の二扉で、車内設備もデッキ寄りロングシートのセミクロスシート。
定山渓線の事情、建築限界の制限で裾絞りのない狭幅車体で711系よりは狭く、駅間距離の短さから711系よりも加減速度は高く、走行性能は103系に近く、
山岳線なので711系には無い勾配抑速発電ブレーキを装備。
登場後、専ら札幌発着の定山渓線運用に充当され、1987年4月にJR北海道に承継される。
定山渓線は大都市圏に位置しているにも拘わらず地下鉄の影響で採算が厳しいローカル線であって、JR発足後に、バブル景気があっても、
新車が投入される事は無かったが、製造後四十年程経った今現在、老朽化が深刻化しているので近年中に新車に置換えられ全車廃車予定である。
102 :
名無し野電車区 :2010/03/07(日) 04:11:20 ID:cWcwszeH0
500系のぞみ撤退に伴い同W編成は当初8連化の上で山陽こだまに転用される予定だった。 しかし2012年の南港開業を控え増発のため当初700Tを増車する計画だった台灣高鐵が、 経営難で700T増車を休止、急きょJR西日本から12連化した前出500系3編成を購入した。 主な変更点は内装リフレッシュ、エアコン強化、電光サボ&室内掲示の中文化、全乗降 ドアへのドアスイッチ設置、各車両毎へのトランク置き場スペース確保、先頭車両先端 部乗務員ドアの乗客用ドアへの変更、運行システムの台灣高鐵仕様化改造など、最小限 にとどめられ、ボディ塗装も更新はされたもののカラーリングはJR時代と全く変化なく 外見は12連化した以外は500系そのもの。しかも300km/hでは走行性能に余裕ある500系 の特性を生かし高鐵公司がサプライズを…1日4往復限定で初の台北〜左営ノンストップ 直達便を設定しかも最高時速は355km/h!!同区間を1時間10分で結び“宿敵”大陸中国の 武広高鉄を上回る営業速度を達成。日本の鉄道マニアと台湾の鐵路迷がこぞって乗り鉄 に撮り鉄に殺到したのは言うまでもない。
103 :
102 :2010/03/07(日) 04:13:07 ID:cWcwszeH0
タイトル書き忘れたw 「台灣高速鐵路500T型」 本文略
ED510形 JR貨物が九州地区で使用されているED76形を置き換える目的で開発した交直両用電気機関車。 交直両用としたのは、現行のVVVFインバータ制御車では交流専用機のメリットが少ないためである。 また、九州内ではEH500形・EF510形はオーバースペックであり、軸重を抑える必要もあったため EF510形をベースに中間台車を付随台車とした経済的な機関車を投入することとなり、 開発されたのがこのED510形である。 軸配置はB-2-Bで、ED76形と同様、中間台車の空気バネ圧力を変える ことで軸重を軽減させることができる。
105 :
名無し野電車区 :2010/03/08(月) 12:46:05 ID:RbFjjA5l0
DF200形500番台 JR北海道が製造したDF500。 基本的にはDF200形100番台と変わらないが、塗装がEF510形500番台に合わせて北斗星・カシオペアカラーに変更されている。 EH500形500・550番台 EH500の旅客用バージョン。 500番台がJR東日本、550番台がJR北海道の所有。 やはりEF510形500番台と同一塗装になっている。 旅客列車を牽引するのにオーバースペックなH級としたのは北海道新幹線開業後にJR貨物に全車両を売却することを想定したため。
201系5000番台 21世紀に入り、陳腐化の進む中央線用の201系をリニューアル。 ・改造内容 車体の腐食した部分を修繕し、戸袋窓を埋め込み、窓を四季彩と同様のものに交換(同時にカーテンを廃止)。 足回りを205系5000番台と同じタイプのMT74形VVVFインバーター制御(IGBT)に交換。 内装も壁、床、座席等を全て交換。車椅子スペースも設置。ドア上には簡易案内表示器も取り付けられる。 ・その後… 1編成を試しに徹底更新してみたものの、費用がベラボーにかかるのと、何かと無駄が多過ぎるという指摘(と言うか、多方面からの苦言w)を受けてリニューアル改造は中止。 2010年現在、E233系に混じって1本のみ細々と活躍。あと10年近くは残る模様。
201系5100番台
>>106 で黒歴史とさえ言われた魔改造を、まさかの再実行する羽目になった。
時は2009年。青梅線用の観光列車「四季彩」は、足回りを中心に老朽化が進んでいたため廃車が予定されていた。しかし…!
沿線自治体が廃車を猛反対。そして、
「金はいくらでも出すから、貴重な観光資源を無くさないでくれ!」と泣き付いた。それに対して東は、
「そこまでおっしゃるのならば、何とかしましょう。」と。
地元の「お布施」により四季彩をVVVF化。改造内容は5000番台とほぼ同じ。
同時に車体の修繕と戸袋窓の埋め込みと、トイレの設置も行われた。内装も床や壁を張り替え。座席配置はそのままである。
こうして、2010年以降も四季彩は元気いっぱいに奥多摩周辺を駆け回ることになった…。
JR東日本253系急行形電車 JR東日本が成田空港線開通に際して投入した急行形電車 特急形ではなく急行形として製作された背景には京成スカイライナー、 リムジンバスなどとの競合によるコストパフォーマンスが考えられた。 しかし急行形としての設計に固執したのか普通車がボックスシートであるなど 時代錯誤な点が見られた一方で、グリーン車は個室や三列席などそれまでの 急行列車のレベルを凌駕した点もあった(グリーン料金は割高だが)。 しかし、京成・成田高速鉄道の直通運転を前に、JR東日本はナリタエクスプレスの 特急格上を決定、本形式を新型259系に置き換えることとなり、本年度中に全列車を置き換えることとなった。
109 :
名無し野電車区 :2010/03/09(火) 22:29:31 ID:k3EjOmAs0
ジャボタベック Eks JRKL Seri211 201X年、ジャカルタ都市圏では、さらなる輸送力増強のため、 日本からの中古車輸入でまかなおうとした。ところが、 おりしも日本の不況は深刻ゆえ、日本国内事業者は軒並み新車導入を抑制気味で、 JR東日本のような自社工場の稼動のために新車を作り続けている数少ない事業者さえも、 捻出された車両は国内譲渡が優先され、なかなか編成単位で条件にかなった出物が発生しない有様であった。 そこで、苦肉の策として、自社管内での地方転用によってまとまった数の余剰が発生したサハ211に、 JR東日本標準車の鋼体を利用した制御電動車(JRで言うクモハ)を製造して挟み込む方式で 供給されることとなった。 具体的には、新津工場で自社生産の開始されたE129系に準じた鋼体を製造して、 現地で組み立てる方式がとられている。 サハを牽引するための出力確保のほか、今後、世界的に抵抗車やチョッパ車の稼動が減っていくに連れて、 インバータ車の扱いを慣らしていく必要性が叫ばれたため、本家同様インバータ方式となっているが、 クーラー、台車、座席などの発生品が多数活用され、本家とは違った独特な雰囲気が特徴である。 以前編成単位で輸出された車両たちに伍して、かつての昇圧前後の京王2000系を髣髴させる編成で活躍している。
110 :
名無し野電車区 :2010/03/09(火) 23:07:33 ID:k3EjOmAs0
JR四国S205系 Sのアルファベットがつくと、ものものしく見えるが、 何のことはなく、113系の後継車として、JR東日本より、埼京線へのE233系投入で捻出した 205系を購入したものである。 113系導入時と違い、同系車が多数存命であることから、Sを冠して区別されている。 ロングシートではサービス上問題があるため、 ドア間は転換クロスシートとなった(ドア脇は固定で各ドア間4列、横幅は3人がけ) が、日中の着席サービスのため、中央より2箇所のドア部分には、 折りたたみシートが設置され、閑散時はこの部分のドアを締め切ることで使用可能となる。 また、JR東日本に残る仙石線車に準じてトイレの設置が行われている。 外装は、113系に準じて、3編成で違った帯色となっているが、 窓周りにブラウンのフィルムが張られた(中央2箇所のドアは、京阪5000系のごとく一部時間帯締め切りの 識別用に通して張られている)ため、JR東日本時代とはかなり違った雰囲気である。 制御システムは、導入直後は励磁制御がそのまま踏襲されたが、 次期検査時に、台車交換およびインバータ化された121系と共通システムに変更される予定である。 本州乗り入れ運用にも充当され、やはりJR東日本より譲渡された JR西日本の205系ともしばしば顔を合わせる。
455系200番台 急行ときわの廃止により勝田区から仙台区に453系電車が移籍する際に 抑速ブレーキを付加させ455系とした。この形式は近郊化改造はされず、 塗装も原色の交直流色のままで運用された。 交直流色の本形式の3両編成3本を連ねた威容は往年の東北急行を髣髴させることもあったが、 1997年までに719系と置き換わり、大宮車輌センターに保存されている1編成を除き廃車となった。
112 :
名無し野電車区 :2010/03/10(水) 01:05:51 ID:UYh9QO5L0
・225系5000番台(予想) 2010年度末に環状・阪和・関西空港線に導入される225系である。 LCDなど本線に導入される225系に準じた設備になってるが、扉間は10人がけのオールロングシートとなっている。 今回、3ドアのロングシート車を導入した理由は、103系の置き換えであるのと、 これまでの1+2列シートだと着席率が少なかったためである。 但し、扉横に1人掛けの補助席を設けており、使用可能時は12人掛けとなる。 運用は223系と共通で使用されるため、関空快速・紀州路快速両方に運用される。
113 :
名無し野電車区 :2010/03/10(水) 01:14:21 ID:UYh9QO5L0
追記 ロングシートは521系2次車同様の大きい仕切りとなり、3-4-3でステンションポールが付く。 窓割りは0番台同様扉横が1枚下降窓となっているが、真ん中の窓は2分割となっている。 この部分に荷重を掛けない構造となってる事から、吹寄せの組み合わせが自由であるからである。
サハ208-4500 余剰となった山手線用サハE230-500を中央・総武緩行線用209系500番台に編入するため改造。 モニタ装置とTIMSの読み替え装置を設置している。 側扉上の液晶モニタ装置は装備されたままであるが、広告やニュースの配信はできなくなっている。 6扉車が連結されたことから、E231系と共通運用されるようになった。
115 :
名無し野電車区 :2010/03/11(木) 21:54:45 ID:LppN0v6b0
JR東日本 E200系 湘南新宿ラインの混雑緩和のため、宇都宮・高崎と東京間の通勤に特化した新幹線車輛 200系新幹線を4連に短縮したうえに、オールロングシートとし、日本最長のロングシート車が 登場することとなった。 また、車体幅を生かし車体中央にも1列ロングシートを設置されていたが、左右に移動する人の ために、5人用シートを4つ置いたようにして左右通路を確保している。 20メートル近い長大ロングシートに、100個近い吊革が3列並ぶ車内は異様である。
京急2500形 成田高速線開業に際して羽田〜成田直通快速特急用に京急が開発した車輌 最高速度160k/hは私鉄では最高の営業速度を誇っている。 羽田〜成田間を45分で結び、都営浅草線でも通過運転を行う。 都営浅草線は新橋、日本橋、浅草橋を2面4線化の改良工事を行い、 通過運転に対応し、緩急接続もする予定。
117 :
名無し野電車区 :2010/03/11(木) 22:56:34 ID:ThJN68Y30
キハ202 JR北海道が開発した735系の気動車バージョン。 735系と同一車体である。 エンジン出力は460PSに変更。 731系・735系・キハ201系と連結可能。
118 :
名無し野電車区 :2010/03/12(金) 18:48:27 ID:0DSvUKCq0
東急1500系 東急が製造した1000系の5扉車。 営団03系や東武20050系に対抗して東急も5扉車を製造することとなった。 窓の配置が東武20050系に酷似している。
119 :
名無し野電車区 :2010/03/13(土) 01:04:49 ID:hMZd3xK/0
321系1500番台 中間車のみの形式で、4+3の7連を組んでいる学研都市線用の207系を7連貫通の固定編成にするためと、 他線区に転用する上で足りない車両を補うために登場した。 大幅な編成の組み換えが行われるが、実質的にやっていることはJR北海道の721系と同じような事である。 なお、先頭車は全て既存の207系のクハ、クモハが活用される。 当初は321系で207系を置き換え、他線区に持っていく予定だったがコストダウンの為にこのようなことになった。 結果、207系のビード有りの車体と321系のビードなし車体が混在するような事になり、 編成美が損なわれることになってしまった。
>>101 に続く平行世界もの
◎大阪府都市開発40系電車
製造年 1986-89 特記 地下鉄本町松屋町線 JR、南海、近鉄南大阪線乗入れ対策
○概説
1971年、近畿圏都市交通審議会にて大阪の地下鉄松屋町筋線並びに国鉄阪和線との相互直通が答申されたが、大阪市は他路線の整備で余裕が無く放置。
堺筋線直通を断念させられた南海電鉄は松屋町筋線への直通を表明し、近鉄も巻き込んで、当局に働きかけた結果、
泉北高速鉄道の事業主である大阪府都市開発が担う事になり、大阪も東京と同様に地下鉄網を二つの事業者が分担。
国鉄(JR)阪和線、近鉄南大阪線、南海天王寺線各々と相互直通する架線集電狭軌規格の地下鉄。
経路は、阪和線美章園駅/近鉄南大阪線阿部野橋駅/南海天王寺支線天王寺駅〜上町筋天王寺駅〜上本町駅〜道頓堀瓦屋町駅〜松屋町駅〜農人橋駅〜
〜本町二・三丁目駅〜淀屋橋駅〜南梅田駅、天王寺駅北東の上町筋天王寺駅から三方向に分岐。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/rail/1244121961/560 答申とは大きく経路が変更されたので路線名を松屋町筋から本町松屋町に。80年に第一期区間として美章園/阿部野橋〜南梅田間が着工。
86年、当路線用の40系電車が製造開始。
形式称号は、泉北高速鉄道線用のとは異なり、大阪市内の地下鉄一元化の可能性を考慮して大阪市交通局の規則に従った。
国鉄、南海、近鉄乗入れ対策を施し、3M3Tの六両基本編成と1M1Tの二両付属編成。
当時、大阪市交通局と近鉄は交流三相誘導電動機&VVVFインバータ制御の電車を投入していたが、実用化されたばかりなのでかなり高価であったので、
地下鉄建設に関する営団(現東京地下鉄)の技術指導により40系は直流分巻電動機&高周波分巻チョッパ制御(四象限チョッパ制御)を採用。
車体と台車は国鉄205系と同様の軽量ステンレスとボルスタレス。
87年、本町松屋町線の開業、当車就役、JR阪和線と近鉄南大阪線へ乗り入れた。
40系の車庫は泉北高速鉄道線の光明池なのだが、南海天王寺支線との接続の開業がかなり遅れ、河内長野駅で南海と近鉄のレールを繋げた上での回送を実施。
93年全線開業で南海との直通開始し、高野線経由で本町松屋町線と泉北線が一本で結ばれた。
121 :
anorak? :2010/03/13(土) 03:28:20 ID:UDhUZFqf0
>>94 >>120 に続くもの
◎国鉄305系通勤形電車
製造年 1986-87 車種 クハ/モハ305(Tc/M) クハ/モハ304(Tc'/M') 特記 モハは205系でクハは103系 地下鉄直通用 バーニヤ界磁添加励磁制御
○概説
地下鉄松屋町筋線は大阪府都市開発地下鉄本町松屋町線として整備され、国鉄阪和線、近鉄南大阪線、南海天王寺支線と相互直通する。
経路は、阪和線美章園駅/近鉄南大阪線阿部野橋駅/南海天王寺支線天王寺駅〜上町筋天王寺駅〜上本町駅〜道頓堀瓦屋町駅〜松屋町駅〜農人橋駅〜
〜本町二・三丁目駅〜淀屋橋駅〜南梅田駅、天王寺駅北東の上町筋天王寺駅から三方向に分岐。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/rail/1244121961/560 国鉄は、当路線の87年の開業と相互直通開始に備え、国鉄分割民営化を控えた86年度に305系を投入。
当車の仕様は、当時の破たん寸前の国鉄の財政事情を反映したものであり、車両製造費軽減の為の各種工夫がなされている。
高価な電機子チョッパ制御とアルミ製車体を採用した203系ではなく、より安価な界磁添加励磁制御の車両を投入。
205系の界磁添加励磁制御は元々211系などの近郊型電車用に設計されたものであって、駅間距離が短く急勾配の多い地下鉄に使用した際、
粘着性能不足や加速時の前後衝動多発などの欠点が顕著となるので、これらの改善の為にバーニヤ制御も併用する事にした。
つまり、205系と比較して起動用の抵抗器の制御段数をかなり多くすることにより地下鉄直通用に適合した。4M2Tの六両編成。
MとM'は205系に準拠した新車だが、予算不足による製造費削減徹底追求の結果、TcとT'cは105系の事例に倣って103系1000番台を改造編入。
形式称号が303系ではなく305なのは、現場での103系との誤認防止、語感の良さ、設計思想の205/105系の関連性強調で一の位を5にしたそうだ。
当車は落成次第日根野電車区に配属され、阪和線の各停に就役。JR発足の87年4月、当車はJR西日本に承継。
同年、構想初期は松屋町筋線だった地下鉄本町松屋町線が開業し、本来の地下鉄直通運用に就役。
205系同種のモハと103系改造のクハに差があり過ぎて鉄道趣味人に非難される事が多い。
現在クハの経年劣化が酷いので代替車としてJR東日本から205系を購入して改造編入する事を検討中。
キハシ28 急行形気動車キハ28・58形用のビュッフェカー 発電機を搭載している為、エンジンは一基のみでキハ28の形式をとった。 上野〜秋田間の急行おが、金沢〜青森間の急行しらゆきに連結され供食サービスを行っていた。 サハシ153のすし、サハシ455のそばに対し本形式はおでんがメインだった。 おが、しらゆきの廃止と共に本形式も廃車となった。
日比谷線 連接試験車 車体の短い日比谷線の車両を、 同じく東急に乗り入れる半蔵門線、南北線、副都心線と共用できないかという事で 試験製造された、長さ10mの連接車 車体が短いため、規格の小さい日比谷線でも走行可能になった
・E219系0番台 1990年代後半、仙石線の老朽化した103系と105系の置き換えを目的に投入。 同時期に投入されていた常磐線E501系をベースに、直流バージョンにアレンジしたものとなっている。もちろん、足回りはドイツのシーメンス社製のアレである。 耐寒耐雪構造+半自動扉という北国仕様の装備を備える。 ちなみに、この車両の最大の特徴は石巻側の車両。 各方面からの要望を受けて、トイレを設置すると同時に、海側にボックスシートを3組設けて車窓を眺めやすくした。 2010年度以降、走行機器類を1000番台(後述)に準じたものに更新される模様。 ・E219系100番台 「マンガッタンライナー」用の特別仕様車。内装は201系「四季彩」に近い。普段は訓練車となっている。 ・E219系1000番台 仙石線の利用客の増加と多賀城駅の高架化工事に伴い、車両数が不足することから増備されたグループ。 外観や内装は特に変化は無いが、足回りが国産製(E233系と同じ)となると同時に主要機器が二重化され、故障に強くなっている。当初から自動放送を設置。
50系客車、海外譲渡仕様車 国鉄末期〜JR化後、国内で余剰になった客車、機関車整理とODAの 一環として海外の老朽客車機関車置き換えに余剰となったオハ50、オハフ50、 オハ51、オハフ51、マニ50、スユニ50、他ユを海外譲渡。 台湾…オハ50、オハフ50を譲受して一般客車で使用したが非冷房が祟り、最近の電車化や 復興号格上げにより早くも廃車されて2010年現在在来旧型客車と共に最後の活躍している。 フィリピン…オハ50、オハフ50、マニ50、スユニ50を譲受今も活躍中だが現地での状態は悪い。 サハリン…オハ51、オハフ51を譲受したが短期使用で現在全車廃車。 インドネシア…オハ50、オハフ50、マニ50、スユニ50、マニ44、他ユを大量譲受、ジャボタベックの 通勤客車で使用開始した、現在は地方線区の一般客車で使用。 ミャンマー…上記50系客車を使用、現在活躍中。 タイ…オハフ50、オハ50、スユニ50、マニ50、マニ44を譲受、2010年も活躍中だが マレーシア…上記50系客車譲受、活躍中 ベトナム…オハフ50、オハ50、をドイモイ記念に譲受し使用中。 マレーシア…50系客車、12系客車、14系客車譲受使用中、 中華人民共和国…何故かローカル線区の客車として50系客車、12系客車、14,24系客車が 新型客車投入迄の繋ぎで譲受したが、新型客車投入により廃車進む。
尚更中華人民共和国譲受客車の中にはそのまま北朝鮮鉄道に譲受された車両もある。
127 :
名無し野電車区 :2010/03/14(日) 11:08:14 ID:RWWC9Fy9P
223系8000番台 20XX年、関西地区のアーバンネットワークが223系から225系に完全に移行して玉突きで岡山、広島、山口地区で使われるようになった。 当然、路線によっては車両数が異なるが関西地区でのお下がりのイメージを紛らわす為に番台をすべて8000番台に統一した。
128 :
名無し野電車区 :2010/03/14(日) 11:20:11 ID:Gke5FqO+0
モヤ414 415系の訓練車。 他の訓練者は白帯と「訓練車」の文字を入れるが415系は車体が白いため帯と文字が黒色になっている。 モヤ204 205系の訓練車。 白帯が入っているがビードがあるため「訓練車」の文字が小さい。
ED200 一時間定格6,000KWのハイパワーを持て余していたEF200の機器流用車。 EDで一時間定格4,000KWとなり、変電所容量を気にせずフルパワーを発揮 できるようになった。 EF200×20=ED200×30 となり、静態保存の901号 機を除き、EF200は姿を消した。 EF65およびEF66の後継として本線用 0番台22両と、EF67の後継として瀬野八専用の100番台8両が製造された。
130 :
名無し野電車区 :2010/03/14(日) 15:05:06 ID:1v2DyXCP0
JR東日本E927形/JR西日本927-3000形 新幹線電気・軌道総合試験車 北陸新幹線の西日本区間開業により、検査車両がE926形(East-i)1編成では不足することから登場した車両 E5系をベースとしているが車体傾斜装置などは搭載されず、最高速度も275km/hに抑えられた 塗装は両社とも常盤グリーンを「紫苑ブルー」に、はやてピンクを「山吹イエロー」に変更している
131 :
名無し野電車区 :2010/03/14(日) 15:07:35 ID:bbI2XIFa0
ED76形700番台 国鉄が製造したED76の東北仕様。 蒸気暖房装置を搭載しているが容量が小さいため外観は九州用の0番台と同様である。 ED75にはSGがなく電気暖房の無い旧型客車を牽引すると暖房が使用できなかった事からやむなく製造し、客車列車専用として使用されたようである。 しかし全客車に電気暖房が搭載されたことから何故か4両しか製造されなかった。 当初はSGのみ搭載だったがのちにEGを搭載する改造を受けた。 全車がJR東日本に承継されたが1996年の客車普通列車全廃と共に廃車された。
東急5000系サハ(番号未定) JR東日本山手線で余剰となるサハE230(6扉車)を東急が全車買い取り、 金沢文庫の東急車両に搬入されることとなった。 車体幅縮小等の改造後、田園都市線用5000系増備車に組み込まれる予定。
JR北海道703系電車 廃車となった781系の機器流用車で、McTcの2連を組む。 731系に準じた3ドアロングシートでワンマン対応。 岩見沢〜旭川および苫小牧〜室蘭のローカル運用がメインだが、 札サウ入出区の関係で、早朝深夜に手稲まで入る。
134 :
名無し野電車区 :2010/03/14(日) 20:39:52 ID:NoRM8ds10
E233系9000番台 JR東日本が製造した「究極のエコ電車」。 車内の照明と前照灯をLED化し、更に永久磁石モーターを搭載。 またアルミ車体の採用により大幅な軽量化を実現。 これにより消費電力の大幅な削減を実現したが、製造費が物凄く高くなってしまった。
>>135 魔改造ということになるが、実例はある。
京成クハ2000(戦災国電払い下げ車)とか。
137 :
名無し野電車区 :2010/03/16(火) 16:03:58 ID:GhruUBEj0
JR東日本 E233系6000番台 / 東京臨海高速鉄道 80-000形 埼京線〜りんかい線系統の205系、70-000系を置き換える。 後者は時期が早いと思われるものの、仕様がほぼ同じJR209系初期とあまり変わらない時期の導入であり、 京浜東北線用と同じ理由で、同時置き換えが決定。 両形式とも基本設計は同じになる。 山手線ホームドア導入に伴い捻出となったサハE230-500を両形式ともに2・3号車に改造、改番して組み込む。
138 :
名無し野電車区 :2010/03/16(火) 16:34:09 ID:2XzJHXGZ0
JR東日本 209系2300番台 南武線の増発のため、 70-000系の一部編成をJR東日本が購入。 VVVFの換装やスカート交換を施行。
139 :
名無し野電車区 :2010/03/16(火) 16:41:28 ID:ZR1UqEaZ0
209系2500番台 209系500番台を房総ローカル転用改造
JR西日本 209系3800番台 JR西日本が、奈良・和歌山地区の105系置換え用に、東日本で廃車となった209系M車をMc-M'c2連改造したもの。 長期間の使用は想定されておらず、先頭運転台は簡素な構造で、113系3800番台の再来ともいえるデザインになった。 209系は「走るんです」と言われるように、車体強度が不足していたため、運転台下だけでなく客室側面にも、 補強用の鉄板が貼り付けられた。こちらも黄色に塗られているため、異様な外観となった。
141 :
名無し野電車区 :2010/03/17(水) 12:23:23 ID:H8Ej8HAGP
JR東海N700系8000番台 JR東海がついに16両固定編成義務を解除し、九州新幹線さくらの東海乗り入れを許可し逆にJR東海からの乗り入れ車両を設定した。 だが、JR東海は何故か外観を16両固定編成の塗装に合わせてしまった。 ちなみに、間合いで早朝深夜の東海こだまにも使われるようになった。
142 :
名無し野電車区 :2010/03/19(金) 07:39:26 ID:SNXhu2Ue0
209系3200番台 京浜東北線を追われた209系を八高線用に改造。 半自動ドアスイッチを増設している。
143 :
名無し野電車区 :2010/03/19(金) 14:25:37 ID:SNXhu2Ue0
阪急2121系 阪急電鉄が製造した2100系の昇圧対応バージョン。 2021系のように600V/1500Vの両方に対応する。 1969年の昇圧後もそのまま使われていたが後に付随車化改造を受けたが、2021系の電装解除車と番号が重複するのを避けるため2650番台となった。 現在でも少数が残り、一部2300系に組み込まれた車両もある。
>>143 細かいようだが、C#2114まで実在したから2115系な。
145 :
名無し野電車区 :2010/03/21(日) 20:43:44 ID:d0ZBA2Iz0
523系 225系の交直流バージョン。 車体が225系ベースになっている。
146 :
anorak? :2010/03/22(月) 01:45:23 ID:5/uV2Hkw0
>>25-26 >>121 に続く平行世界もの
◎JR西日本233系10000番台一般型電車
車籍登録年 2010 車種 Tc T'c T M M' 特記 JR東日本とのリース契約
○概説
JR西日本は老朽化した103系という低性能電車を大量に抱え、自社の競争力強化と経費削減の為には、せめて京阪神地区だけでも一刻も早くこれらを廃車して
相対的に優れた新しい電車へ置き換える事が望まれていたが、経営体力上321系の大量新造投入による達成は困難であり、使用継続せざるを得なかった。
21世紀になってついに103系自体が老朽化に起因する故障による輸送障害を頻繁に起こすようになってしまった。
この難局を打開すべく苦肉の策として新車を購入するのではなく新車を借りる事にした。
JR西日本はJR東日本と以下の車両のリース契約を締結した。
契約期間は10年。賃貸人JR東日本がJR東日本の新津車両製作所で新造されたE233系を賃借人JR西日本に納品し、
賃借人JR西日本は賃貸人JR東日本に契約期間中(10年間)リース料を支払い続ける。リース期間終了後、再リースするかもしくはリース終了する。
JR西向け仕様のE233系を233系10000番台と称し、JR西の車籍登録。
主な仕様は、分割併結対応の貫通型先頭車、発電ブレーキの追加、MT比適正の為の一部のM'の0.5M車化など。
編成は、2M2Tの四両、4M2Tの六両(0.5M車組込みで実質3M3T)、4M4Tの八両
このリース契約に基づき、新津車両製作所ではJR西向けの233系10000番台が大量生産され、出場後EF81に牽引され北陸線経由で関西に輸送される。
大阪環状線や阪和線や関西線などの関西圏内の103系全てを三年以内で置換える予定である。
◎R西313系10000番台
○103系改造の105系と103系3500・3550番台の置換えを目的に、先述の233系10000番台に対するJR東日本とのリース契約と同様に、
JR東海と313系3000番台ベースの新車についてのリース契約を締結した。
JR西向けの313系3000番台ベース新車を313系10000番台と称し、車籍登録。編成は1M1Tの二両。
JR東海の子会社である日本車輌製造で生産され、出場後自力で関西へ回送。三年以内で関西圏内の対象車全てを置換える予定。
147 :
名無し野電車区 :2010/03/22(月) 02:44:52 ID:Mn7ipl7D0
205系3500番台 日光線107系の老朽取替えのため、 京葉線から捻出された205系がもともと転用される予定であったが、 実際には107系時代も2連運用はほとんどなかったことから、 改造の手間を軽減するため、4連に組成のうえ小山車セに改造・投入された。 同系仙石線車に準じて、耐寒耐雪およびトイレ設置工事が行われたが、 先頭車がオリジナルタイプ(旧京葉線の先頭車は、使い勝手の問題から、 同じ京葉区もちの武蔵野線編成と差し替えられ、そこから捻出された 通常のクハが起用された)であること、209系2100番台に準じて クハのセミクロス化が行われたが、205系では初めての 純粋なクロスシート装備(仙石線の一部で2WAYがあるため)となった。 なお、211系をしなの鉄道にも転用した関係で211系が不足をきたしたため、 それを補うべく宇都宮線宇都宮以東(一部小金井まであり入出庫運用あり)用にも 当番代が投入され、部分的に日光線と共通運用されている。 (仕様はほぼ同一だが、日光線用は107系に準じてレトロ系ラッピングが施されたため、 優先的にそちらが回される)
148 :
ミウナ :2010/03/22(月) 09:58:38 ID:a7Du4CZb0
103系950番台 昭和53年に通勤用ステンレス車の試作として東急車輛が10両編成2本を 製造したもの。車体構造は当時東急が製造していた8500系に準じ、 走行系などは103系と同一で53年製と言うことで冷房も搭載されていた。 ATC搭載済みで当初は山手線又は京浜東北線で使用する予定だったが、 カナリア帯を巻き赤羽線へ投入されて使用された。 赤羽線が埼京線になる際に総武線への転出も検討されたが、当時東西線 乗り入れ車の103系や301系が黄帯でそのまま転入すると誤乗の可能性を恐れ て青帯を巻いて京浜東北線へ変更された。209系投入に伴って晩年は京葉線で 使用されたが、2005年に山手線から転入された205系量産先行車型に置き 変えられる形で廃車された。なお車内は翌年製造された201系に似た暖色の ベージュ系となっているが、これは8500系と同一でそのため更新は最後まで 行わなかった。 201系950番台 昭和57年に製造された900番台もうひとつの試作型で、初のサイリスタ チョッパ制御式に不安を拭えなかった国鉄が当時大手私鉄が新型電車で 採用し始めていた界磁チョッパ制御式を取り入れたもの。 製造を請け負ったのは東急車輛で走行系は当然8500系に準じたもので いうまでもなく走行音は8500系そのものである。 クモハのない量産型6+4編成に準じた編成で豊田に配備され、中央線で 使われたが制御装置が特殊なためにいわゆる高尾以西及び富士急行線の 乗入からは外されて10両貫通と同一で運用された。そのために武蔵小金井 ではなく豊田に配備したものと思われ、H編成でなくT編成となっていた。 2006年にE233系に置き換えられる形で京葉線へ転属。6+4であったため K5としてこの編成も自動解結装置を搭載されて分割運用用にまわされた。 なお転属の際に大宮工場で廃車された201系の部品を移植されてチョッパ式に 戻されている。E233系投入に伴い今年中に廃車される予定。
149 :
ミウナ :2010/03/22(月) 10:13:22 ID:a7Du4CZb0
203系900番台
>>148 と同じで昭和58年に東急車輛で試作製造された203系の
界磁チョッパ式試作車。やはり走行系は東急電鉄8500系に
準じているが、地下鉄乗入れ用のため歯車比などまで8500系
とそろえられている。
車両記号番号表記も量産先行車と同じラインカラー同色の
文字により表記されたアルミ板貼付式である。
マト50編成として松戸に配備されたが、チョッパの203系より
走行音が物凄く、1編成しかないとはいえ目の敵にされていた。
そんな車を長く置いておくはずはなく、早々とE233系2000番台
投入後に真っ先に廃車された。
150 :
名無し野電車区 :2010/03/22(月) 10:31:00 ID:TF/6cVXB0
>>149 俺は東急8500の音は結構好きだぜ。
むしろ203の音が嫌い。
151 :
anorak? :2010/03/22(月) 12:47:53 ID:5/uV2Hkw0
>>146 に続く平行世界もの
◎阪急電鉄10000/10300系
車籍登録年 2010 特記 現代ロテム社製:made in Korea !
○概説
阪急は、1990年初めのバブル崩壊以後、新車投入を抑制した結果、保有車両の内、経年劣化が深刻化したものが増加し、
大規模な新車置換を迫られた。
経営環境の厳しさから車両投資を抑えるべく、国産よりも格安な韓国製を投入することに決めた。
この新車投入は、車両メーカーから即買い取りではなく、
タックス・ヘイヴン(tax haven)の一つケイマン諸島に本社がある会社とのリース契約に基づくものである。
新車製造会社は、韓国の現代ロテム。
車両形式称号は、神戸・宝塚線系統向けが10000系、京都線・堺筋線直通用が10300系。
主な仕様は、VVVFインバータ制御、車体はステンレス製、台車は9000/9300系に準拠。
車両の意匠に関して、先頭車の形状は韓国鉄道公社321000系電車に準じる:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:KORAIL_EMU321000.jpg コストカット追求により、外装は無地のステンレス車体に茶色の帯、内装はJRのE233系に準拠し、窓の遮光幕省略。
が、しかし、「阪急電車はこうあるべし!創業以来変えるべきではない!」の保守派のクレーム対策として、
そういう保守派が好き好んで乗る先頭車だけ、屋根と床下を除いて伝統のマルーン一色で塗りつぶし、
室内も木目調化粧板、柔らかい濃い緑色のシート、さらに日除け鎧戸、と創業以来の伝統を体現。
つまり、編成の中間車はJRのE233系や東急の二代目5000系に酷似するが、先頭車だけ阪急らしさを残している。
2010年度に就役開始。
梅田での就役記念式典では、韓国製なのでチマチョゴリを着衣した宝塚歌劇団の団員や韓流スターに見送られて出発進行。
茶色の丸っこい先頭から早くも“どんぐり”のあだ名が付けられる。
因みにモデルとなった韓国鉄道公社321000系電車は、韓国では朝鮮語と丸っこいを意味する“トングリ”のあだ名が。
10000/10300系は鉄道友の会のローレル賞を授賞する。
だが、2チャンネルなどのネットでは何故か最も叩かれる電車の一つとなってしまった。
阪神ならとにかく阪急ではありえないからな
153 :
名無し野電車区 :2010/03/22(月) 16:21:07 ID:EJexFWNp0
京王電鉄5030系 京王電鉄が5000系から6000系の過渡期に製造した通勤形電車。 前面は5000系と同じであるが、側面は6000系と同じ両開きドアを採用している。車体長は18m級のまま。 車体は地下鉄乗入れを視野に入れ、裾絞りの無いタイプ。 制御方式は6000系の後期タイプと同じ界磁チョッパ制御を採用。 尚、この車両が映画「耳をすませば」に登場する京王線車両のモデルとなったのは言うまでもない。 都営新宿線開業後から6030系と共に地下鉄乗入れ運用に就いていたが、18m車体が災いし僅か5年で地下鉄乗入れから撤退。
154 :
名無し野電車区 :2010/03/22(月) 18:34:19 ID:mWqutZqW0
国鉄クモハ165・モハ164形200番台・クハ164形500番台 急行「佐渡」の落石事故で廃車されたクモハ165・モハ164−3とクハ165−58の補充として153系から改造された車両。 引き通し変更、抑速ブレーキ追加や主電動機取替などを施工し、クモハはモハ153に165系タイプの運転台ブロックを接合した。 また、クハは0番台と異なり500番台を種車としたが、幌枠形状などが純粋165系と異なる。先頭車の塗り分けは165系に揃えられた。 153系として製造されたハザではこの3両だけがJR(東日本)に継承されたが、1990年に3両同時に廃車された。 なお、改造後の配置は終始新潟(→上沼垂)であった。
2010年3月ダイヤ改正で寝台特急北陸は廃止、急行能登が定期運行から撤退した。 北陸は2008年度は通年平均で6割の乗車率であり、廃止となった2009年度は7割に 迫る乗車率であったことから、廃止当初からJRに対する疑問や不満の声があった。 そんな折の2010年夏の参院選で自民党が圧勝し、内閣支持率低下から内閣総辞職、 解散総選挙の結果、自民党が与党に復帰した。高速無料化やこども手当てなどの 問題のある政策の抜本的見直しを行い、来るべき将来の超高齢化社会や温暖化 対策を見据え、公共交通、特に地方の鉄道の維持、利用促進を図るべく、 道路特定財源の一部を鉄道も含めたインフラ維持に充当することとなった。 また、北陸を自ら利用していた石川2区の有力議員の働きかけもあり、 北陸は復活する運びとなり、E585系が製造された。復活した北陸は能登の 安価な座席需要も兼ねるために急行化され、寝台と座席を備える列車となる。 B個室ソロ、A個室シングルDXの合造車サハネE585はE231、E233の増備により 余剰となった、サロ213、212を種車の2階建て構造を生かし、平屋部分に A個室3室、B個室を27室で定員30名。 クモハE585、モハE584、モハE584−100、クモロハE585はE531の増備で余剰 となった415系1500番台をIGBT-VVVF化した座席普通車で、夜行運転での 居住性向上のためシートピッチを1100mmとし、座面スライド機能付きの リクライニングシートを備える。好評だった489系能登と同等の減光機能も 有している。クモロハE585のグリーン室は1+2の3列配置としている。 モハE584−100はカーペット車とし簡易パーティションを備える。 多客期には2段ベッドユニットを配置し定員を2倍とすることが可能である。 編成は4M4Tの8両編成である。 運転開始以降、好評を博し多客期には485系NODOKAカーペット車+485系による 北陸91号も運転される。 北陸フリーきっぷによる寝台利用も可能で、2011年度の寝台の乗車率は 通年で7割を超えた。また座席車もツアー扱いのスターライト北陸を 東京〜金沢7500円で発売し、好調な乗車率を維持している。 このように、新生北陸とE585系電車は夜行列車の将来のあり方の指針を与えた。 2014年には「あけぼの」置き換え用に本形式を元に完全新製としたE587系の 製造が決定した。
156 :
名無し野電車区 :2010/03/25(木) 01:33:54 ID:zeKVHtph0
モヤ582 583系の訓練車。 座席はおろか上段・中段寝台も一部撤去され、ミーティングスペースが設置されている。
>>151 なお、韓国製のためマルーン塗料の色素にウンコを
用いていることはここだけの秘密である。
157系ブルーライナー 昭和40年代後半、153系で運行されていた新快速を増発するにあたり 田町の157系を転属させ、ブルーライナー色に塗装変更して使用。 アコモデーションが153系より良く好評であった。 のちの117系がこの157系の前面形状をもとにしていることはいうまでもない。 なお157系はN60体質改善工事を受け現在も紀勢本線で活躍中である。
159 :
名無し野電車区 :2010/03/25(木) 12:23:00 ID:F+d+IayiP
特急シーボルト用キハ2000系 これは長崎佐世保間でバスとしのぎを削ってるJR九州長崎支社がシェアを奪うためにJR四国と協力して製作された。 振り子気動車なので、単線かつ曲線が多い大村線も高速走行可能になり長崎佐世保間が一時間台に短縮された。 なお、停車駅は長崎、浦上、大村、川棚、ハウステンボス、早岐、佐世保となる。 諫早通過なのは特急かもめに配慮してのことだ。
JR北海道キハ61・キハ68 廃車になった183系の足回りを流用した一般形気動車。ワンマン対応。 両運トイレ付きのキハ61と、片運トイレ無しのキハ68が製造された。 種車の違いにより搭載エンジンはDML30HSIとDML30HSJとがあるが、 どちらも出力を440PSに統一してある。 高馬力を生かして峠越えのある路線を中心に活躍中。 最高速度は110km/hだが、キハ40等と併結の場合は95km/hに抑えられる。
京阪神急行電鉄1600系(並行世界) 阪急が戦後京都線に導入した国鉄モハ63系。当初車内ではあまりの施工の悪さに導入反対が大勢を占めていたが 稼働車両が少ない状況の中で収容力の大きさは魅力で、自社で出来る限りの改装を行って出場した。 前面は当然非貫通であったが、桜木町事故のあと早々と貫通化改造が行われ、P-6同様の緩衝器付き幌が設置された。 MT-40はP-6に次ぐ大出力のため、時としてP-6に互して急行運用に使われることもあった。 なお当時京都線車両は十三を抜けると宝塚線を利用して梅田まで乗り入れていたが、中津駅付近は車体幅の関係で そのまま入線できないため、宝塚線中津駅はこの時点で廃止となった。 昭和30年代に車体更新が行われ三段窓の2段窓化および室内の全金属化改造が行われたが、老朽化が激しく 昭和43年までに全車廃車となった。 しかしこの車両の導入により阪急は京都線・神戸線をのちに20m4扉車に統一することになり、のちに 関西初、標準軌初の新津車両製作所製標準車9000系の導入に至るのである。
162 :
名無し野電車区 :2010/03/26(金) 15:08:18 ID:ZucZbvBb0
EF210形500・600番台 JR東海とJR西日本がEF66の置き換え用に製造したEF210。 寝台特急の牽引に使用される。 500番台がJR東海、600番台がJR西日本の所属。
163 :
阪和線 :2010/03/26(金) 20:36:39 ID:OpvdIVG30
>>162 東海は機関車保有してないんだけど。
125系1000番台
121系の老朽化が年々顕著に見られてきたことにより製造した車両
JR西の125系を借り予讃線・土讃線「琴平以北」で試験を実施し
好調だったため導入を決定した。
車体は125系に準じおり腰部はマリンブルーを採用している。
室内も1500系に準じた車内をしているがラッシュ時を考えて
3ドアにしたところがと特徴である。
7000系と連結を対応にしている。付随車の126系も誕生している。
編成数は15両の導入を予定しており126系は2両の製造予定である。
253系2編成永久連結化 N'EXこと253系は、当初3連を基本に3・6・9連で運転されていたが、利用者の増加により 増結状態での運転が常態化したことから、3連を2本併結した6連を1編成として使用することになった。 改造により中間に閉じ込められたクロ253形は、グリーン個室部分を含め 座席を交換の上普通車化された。
165 :
名無し野電車区 :2010/03/26(金) 21:00:49 ID:ZucZbvBb0
ED313 JR東海が製造した313系ベースの電気機関車。 足回りは313系と同一であるが、車体が大幅に短縮されていて走行機器は床上に設置されている。 主に工事用車両の牽引に使用される。 定格出力が740KWしかないため長大編成の客車列車や貨物列車の牽引は不可能。
166 :
名無し野電車区 :2010/03/26(金) 21:01:05 ID:lUeIC3yRO
>>153 に付け足し
1999年に6000系抵抗制御車が全廃されたが、
5030系は界磁チョッパであったためこの時点では廃車を免れた。
しかし2001年に9000系が登場し廃車が始まり、
翌年の2002年には全廃された。
167 :
166 :2010/03/26(金) 21:18:08 ID:lUeIC3yRO
私153じゃないけど、 もし153氏が納得できないことあったら意見下さい。
・阪急9700系 基本性能・外観は9300系に準拠している。 運転台は誤操作防止の為、ワンハンドルからツーハンドルに変更された。 特急伝統のツードアが復活し、車内は阪急伝統の木目調の化粧版を随所に使用し 通路は淡いパープルのシートを貼っている。蛍光灯には薄いクリーム色のアクリルカバーを付けて、 車内を暖かい雰囲気にしている。 側窓は天地を950mmとし、太陽光を取り入れやすくしている。 カーテンは西陣織を使用し、地域色を出している。 特筆すべきは転換クロスシートである。 京急で採用されている『ノルウェー・エクネス社』のシートを使用し、 表地は阪急伝統のモスグリーンに宝塚歌劇団の図柄が縫いつけてある。 枕カバーは本革を使用し、優先席には赤カバーをかぶせている。 シートピッチは850mmで、シートの向きは基本的に進行向きになっている。 8両を基本とし、5編成が京都線用に4編成が神戸線用
京王2010系/5000系ロマンスカー 国鉄への対抗上時間では不利だった京王がサービス向上策として導入。 ドア間に転換クロスシートが4列ずつ設置された。 現在は伊予鉄・富士急などで活躍。
170 :
名無し野電車区 :2010/03/27(土) 03:02:13 ID:Qy1jVHfe0
サハネ581-200番台 国鉄でサハネ581にCP増設改造を施工。 床下にC-2000形CPを増設した。 583系はCP容量の関係上12両編成ではサシ581の連結が必須だったが、この改造でサシを連結しなくても12連を組めるようになった。 しかし編成短縮で必要なくなったため1993年に廃車されてしまった。 一部CPを残したまま419系や715系に改造された車両もある。
JR西日本117系3800番台 国鉄新快速のパイオニアを短編成化し、山陰本線に導入する計画の犠牲車…もとい救世車である。 4両で走っていた117系を分割し2両にした車両。 1編成は両方の先頭車に、余剰となった 113系5700番台のモーターを取り付けた、至って普通の外観に普通の性能 問題…特徴的なのは方割れの1編成である。西日本お得意の先頭化改造により 福知山・城崎方は113系3800番台顔に京都方は113系顔に変貌した もちろん、福知山・城崎方にはサンパチボードを装備している。 しかし、223系5500番台登場によりこの改造は1編成のみに行われた。 カラーリングはカフェオレ@國鐵廣島ver.で、手軽に廣島クオリティに出会える。
172 :
名無し野電車区 :2010/03/28(日) 08:41:48 ID:ClmZDWuN0
JR北海道 EH500−500 なにをトチ狂ったか、JR東日本に触発されて貨物所有の金太郎を導入し、札幌〜東室蘭間の 北斗星、カシオペア、トワイライト、はまなすの牽引に使用することに 塗装はJR東日本のEF510と同じブルトレ塗装、ニックネームはその巨体に似合わない北海道 先住民族アイヌの小人の精霊「コロポックル」とし、ミュージックホーンまで装備した ファンからは、あまりの暴挙に唖然とされ、じゃがポックルと呼ばれる始末になるも元気に走っている
>>161 の車輌が山陽電鉄に
山陽電鉄700型元京阪神急行車(63型)
>>161 の京阪神急行1600型が昭和40年から廃車開始を嗅ぎつけた山陽電鉄が
同型車700型を保有してた事、一応昭和30年代に更新して全金属車体になってた
事で神戸高速鉄道に入線可能な事から京阪神急行1600系廃車開始と同時に山陽電鉄への
譲渡が始まった編成は基本京阪神急行1600時代とおなじMc-Tcだが前面貫通幌があり
Mc-Mc-TcやMc-Tc-Mc-Tcでも運用され、自社700型も元京阪神急行車に準じた更新を
行った車輌も出現した、しかし自社700型の老朽化と元京阪神急行車の車齢から、
残りは2700型化されたり、元京阪神急行P-6の足回り流用の2800型が登場する遠因になる。
神戸高速鉄道開業後は主に20m車走行可能な阪急神戸線六甲に乗り入れてたが
全金属更新受けても内装は不評だった、山陽電鉄自社未更新車は更新か2700型化で
1968年度迄消滅、更新車や元京阪神急行車は820、850型廃車完了後昭和50年から廃車
始まり昭和55年度に形式消滅。
京阪神急行電鉄1700系(並行世界) 阪急では戦後の新標準車体を決定するにあたり、神戸線の車体幅とP-6の車体長を基準とするべきという 旧阪急派と、1600系(即ち旧国鉄63形)の車体寸法を基準に一気に三線の規格改良をすすめるべきだという 京都派に分かれ議論が紛糾した。そこでそれぞれが試作車を製作することとなり、 旧阪急派は810系を製作し、現状でも京都線・神戸線の乗り入れが可能であり、また京都−神戸直通特急を 走らせることが出来るなどそのメリットをアピールした。京都派が製作したのは20m車体に920系以来の大出力形 主電動機を組み合わせた1700系であったが、現状では京都線のみしか走行できなず、圧倒的に不利な立場にあった。 一方宝塚線では未だに1形から500形に至る小型車が主流であり、乗客の不満は頂点に達していた。 その中で1956年、庄内駅にて激怒した乗客が線路を占拠するといういわゆる「庄内事件」が発生する。 この事件をきっかけに阪急は社長判断により急遽宝塚線路線改良と大型化を電光石火で実施、 810系および神戸線600系、900形、920系、800系全車を宝塚線に転属、同時に神戸線も中津駅を暫定廃止し 20m車入線可能とし1700系の大量増備により事実上、標準化議論は京都派の逆転勝利に終わった。 なお宝塚線を追われた小型車群はすべて東岸線(旧京阪電鉄路線)に放逐されたが、 これはまた新たな問題を生むことになる。
>>174 の並行世界から
京阪神急行電鉄京津軌道線、京阪神急行電鉄能勢線、
800型、920型、900型
京阪神急行電鉄合併後規格型1300系の新車は入線したが、投資は元々新京阪線の
京都線ばかり新車が集中し、規格が低い旧京阪本線は冷遇を囲っていた。
旧京阪沿線からは特急電車運転の希望が殺到し、阪急本社は京阪東岸線の
規格から旧神戸線の規格17mしか入らず、規格大改良には時間を要する事、奈良電鉄や
近鉄奈良樫原線との相互直通を考慮して、まず神戸線920系を転属して車内をクロスシート
にして対応する事にした。本社は固定クロスシートを望んだが元々旧京阪線沿線からは
計画に不評が続出そのため車内は旧京阪線の転換式クロスシートに改装されて。
天満橋〜三条の特急電車に使用される事になった、同時に天満橋〜淀屋橋
三条〜出町卿、四条大宮〜河原町〜四条の新線も免許された。
京阪神急行電鉄710系(並行世界)
神戸線用810系を京阪東岸線用特急電車運転に車内を転換式クロスシートに
した物なお京阪東岸線は改修された。
間違えた京阪神急行電鉄、京阪東岸線用特急だった。 京阪神急行電鉄大津軌道線、能勢軌道線が。 320、380、500、550型だったスマソ
177 :
anorak? :2010/03/28(日) 19:13:17 ID:7xXHDhJR0
>>121 >>146 >>151 に続く平行世界もの
◎JR西日本121系3000番台一般型電車
車籍登録年 1998― 車種 Mc T'c 特記 車体のみ新製
○概説
当121系3000番台は、1998年の播但線の姫路・寺前区間の電化並びに2004年の加古川線電化用に製造された。
JR西の台所事情を反映して、完全な新製ではなく、車体のみを新製し103系の走行システムの機器類を再利用した車両であり、いわば103系を1M化した車体更新車。
設計の基本コンセプトは国鉄終期(86年度末)に製造されたJR四国の121系に基づく。McT'cを基本編成とする。
車体は、寸法や意匠がJR東日本のE127系100番台に酷似した断面が狭幅で両扉三扉の軽量ステンレス製。先頭車は分割併結対応の貫通型で自動連結器装備。
足回りは、103/105/121系と共通の抵抗制御で金属コイルバネ台車。
車体中央扉を基準に運転室側はオールロングシートで、妻側はセミクロスシート。T'cに洋式トイレ。半自動ドア、ワンマン運転対応。
種車に比べて車体が軽量化されたので運転性能が少し向上。
◎JR西301系3000番台
車籍登録年 1998― 車種 Tc T'c M M'
○1970年代、経営悪化の国鉄にて旧型国電72系電車の一部に対し車体を103/113系のものに取り替えたアコモデーション改良車、略してアコモ改造車が存在した。
歴史は繰り返し、1998年、JR西日本は、老朽化した103系の体質改善策として、103系の足回りを流用し車体のみを新製した車両を投入。
車両形式称号に関しては、103系の新番台とせず、現場での区別明確化の為、103系一族である301系を敢えて付与。
車体は、寸法や意匠がJR東日本の209系に酷似した断面が狭幅で両扉四扉の軽量ステンレス製。先頭車は分割併結対応の貫通型で自動連結器装備。
足回りは従来の103系のままで、抵抗制御のMM'ユニット。車体が軽量化されたので性能が少し向上。
内装は209系に酷似し、ロングシートで、地方への転用を考慮して半自動ドアの準備、クハにはトイレの設置準備。
通勤形は207系の使用意義がない路線に対しは暫定的に当車両を大量増備という当時の方針に基づき、阪和線に大量投入され、昼間103系見かけず程。
因みに沿線の鉄道愛好家達の多くががっかりしたのは言うまでもない。
>>177 の訂正
>先頭車は分割併結対応の貫通型で自動連結器装備。 ×
↓
先頭車は分割併結対応の貫通型で自動解結装置付連結器装備。 ○
EF72 津軽海峡線開業に向け、国鉄が投入した電気機関車。 夜行列車、貨物列車の削減と普通列車の短編成化によって余剰となったEF71を改造して製作されている。 その高出力を生かし、主に旅客列車の牽引を担当したED75改造のED79に対し、貨物列車の牽引を担当した。 最高速度を110km/hに向上させるため歯車比を変更したほか、絶縁性能の強化、青函ATCを搭載している。 民営化はJR貨物に継承され現在も全機が存命であるが、後継機EH500の進出により 活躍の場が狭まり、その雄姿を見ることができるのもあとわずかである。
KHINKANSEN ロテムが開発したKTXの輸出仕様。 名前は King of HI New KoreAn Speed Electric Network の略という。 イメージイラストでは背景の山が富士山だったり、職員服が忍者なのがご愛嬌。 最高時速400kmながら1両1億円の安さが受けて世界50カ国に納品されたが、何故か故障多発。 同社や韓国政府はライバル企業・国の陰謀と主張し、納品国を名誉毀損で逆に訴える事態にまで発展したが、 信頼性のある日仏独やさらに安い中国の高速鉄道車輌に押されて消えていった。
JR西日本 113系8700番台 國鐵廣島のイメージを一新するために導入。 車体は113系だが三菱製VVVFインバータを搭載し 車体カラーも223系に準じた塗装になっている。 ただ、車体は國鐵なので利用者には分からなかったので 1編成のみ製造。現在はニートしてます。
名鉄2800系 2200系や1700系+2300系の一特車の増結用車両。2両編成。 車体は2200系と全く同じ。 内装は車端部がロング、扉間が2列+1列の転クロとなっている。 朝夕の一特車の増結運用が主な仕事だが、日中は、3100系、3150系、3300系、3500系あたりと組んで急行の運用に入ったり、 2両単独で普通の運用に入ることもある。
名鉄100系(200系216F〜) 豊田線及び鶴舞線の輸送力増強を目的に100系7次車を投入。 車体は6750系2次車に準じたデザインに変更され、足回りのVVVFインバータ装置も、モ160形や215Fで採用されていたGTO素子から3100系と同じタイプのIGBT素子(1C1M×4群)に変更。 この車両の投入により100系グループは、 ・抵抗制御 ・界磁添加励磁制御 ・GT0-VVVF ・IGBT-VVVF …と、実に多種多様な走行装置を搭載することとなる。
184 :
anorak? :2010/04/03(土) 03:47:06 ID:N671wYg50
>>177-178 に続くもの
◎国鉄487系電車
製造年 1984-86 車種 Mc M' Tc 特記 客車航送
○概説
1985年、本四架橋の神戸・鳴門ルートを構成する大鳴門橋の開通と共に、国鉄本四淡路線が鳴門・岩屋間で暫定開業、
並びに当路線岩屋駅と山陽線垂水駅を結ぶ鉄道連絡船として神淡連絡船も開業。
宇高や青函とは違い航路が6km弱と短いので利便性を重視して特例として列車に乗客を乗せたままの車両航送を行う事で、
新大阪・徳島直通特急が運行開始。
この直通特急計画にて、弱点となる連絡船と岩屋以南の単線を補う為に高速度・高加減速運転の必要性が生じ、
鳴門と明石海峡区間は津軽と同様の新在共用構想も絡んで、本四淡路線と鳴門線と高徳線池谷・徳島間は交流20KV60Hz電化。
この特急用に製造されたのが、487系である。
485系を土台に客車航送の為に、一に海難事故で乗客が脱出し易い様にと幅1mの片開き引戸の三扉と一段下降窓、
二に船の積載荷重低減に軽量ステンレス製の裾絞りの広幅断面車体、三に船からの電力供給のプラグイン、
四に船内に三両程分割して搭載するので先頭車は185系似の貫通型で自動解結装置などの特別仕様になる。
M'にパンタグラフ搭載したMM'ユニットの抵抗制御、冷房は集中式。
重量バランスの観点から編成内のトイレと洗面所をTcに集約、小用と洋式各々二つと洗面所一つ、車販準備室も。
三扉なので後年の721系の様に三つのデッキと二つの客室、簡易リクライニングシート。
(McM'Tc)*2の六両編成で新大阪と徳島を結ぶ特急として就役。
客車航送の際、二分割され、DE10で船内に押し込む、船とのプラグインまで車内は冷暖房停止と非常灯。
船の車両甲板にホームが設置され客車内と船内の出入りが自由。
間合い運用で徳島都市圏の通勤列車にも、三扉が遺憾なく発揮。
87年、本四淡路線及び神淡連絡船並びに487系はJR四国に承継。
当初は他の交通機関に対し優位に立っていたが、98年の明石海峡大橋開通後の高速バスとの激戦に苦戦し、
遅くて欠航し易い鉄道連絡船という脆弱性が顕著に、特急の大半は三両に減車されローカル運用が増加。
後に神戸市と淡路島を結ぶ海底トンネル開通による輸送体系の変化に伴い特急運用から引退し一般用に格下。
列車に乗ったまま船で運ばれる―これこそ鉄道連絡船だと言える情景も思い出に。
185 :
anorak? :2010/04/03(土) 03:55:03 ID:N671wYg50
>>184 に続く平行世界もの
◎国鉄/JR沖縄021系電車
製造年 1986-90 車種 クモハ021(Mc) クハ020(T'c) 特記 三相交流600V側方接触式集電
○概説
1986年秋の国鉄最後の全国規模のダイヤ改正で国鉄沖縄本線が地方交通線として開業。規格は軌間1067mmの在来線。
経路は、海洋博公園〜運天港〜名護〜許田〜沖縄自動車道沿い〜石川〜具志川田場〜コザ〜沖縄県総合運動公園〜沖縄自動車道沿い〜
〜琉球大〜宜野湾嘉数〜浦添牧港〜国道58号沿い〜那覇旭橋〜那覇空港。なお、モノレールとは旭橋と空港で連絡。
運天港と鹿児島駅桟橋を結ぶ国鉄の鉄道連絡船を介して内地とレールが繋がる。
米軍基地の存在とそれによる民間建造物の密集で鉄道用地が確保困難な為、国鉄としては異例の道路直上高架と地下線の比率が高い。
加えて起伏の富んだ地形なので急勾配が多い厳しい線形となり、動力車に高い粘着性能を要求されるので交流電化。
台風銀座で高架に隣接する建物からの飛来物の付着から米軍ヘリの引っ掛けまでと架線事故を避ける為に、従来の単相交流20KVの架線集電方式では無く、
三相交流600V60Hz側面接触式を採用。線路に平行して地上から車両床下の位置に三本の給電線を張り、床下に装備した集電装置で電気を得る。
即ち、ゆりかも等のAGTに酷似。
当路線用に021系が製造された。
設計と意匠は同時期の213系に準拠し、接客装備も転換クロスシート。Tc'に洋式トイレ。
走行システムは713系ベースのサイリスタ位相制御、回生ブレーキ。Mcの床下に集電層装置を装備し、屋根にパンタ無し。
従来の国電車両形式の規則では三桁目は七か八だが、電化方式の特異性を強調する為に敢えて零とし次の21世紀にも因んだ。
McT'cが基本編成で、自動解結装の為の電気連結器を備え需要に応じて二両単位で増結。
側面(側方)接触式の制約で最高速度は100km/h。
従来の単相交流20KVに比べて600Vと低電圧で三相なので、従来の交流電車に比べて機器が簡素化されて安価だが、
変電所の数は増えてしまいインフラは従来よりもコスト増。
就役後、青春18切符シーズンでは鉄道連絡船接続列車は最大六両で運行される。
87年4月の国鉄分割民営化で沖縄本島路線と連絡船と共にJR沖縄に承継される。会社シンボルカラーは寒緋桜に因みピンク。
現在も活躍中。
JR北海道H1系新幹線車両 北海道新幹線新函館−札幌間は、建設費抑制のため史上初の非電化新幹線となった (これにより、JR東日本の車両は新函館までしか乗り入れ出来なくなった)。そのため開 発されたのが本形式である。 車体は基本的にE5系に準じた構造となっており、オールM編成となっている。最大の特 徴は、気動車用としては究極と言える大馬力ディーゼル機関(H-DMP48HZ、水平対抗 16気筒・1600馬力)及び発電機2基と1基あたり400kwのモーター(1両に4基)、そして 屋根上に並べられた大容量リチウムイオン蓄電池により、駅停車や発車・減速時には アイドルストップするシリーズハイブリッド電気式気動車であるのと同時に、フランスのB 81500型やB82500型を技術的参考とした、1編成中1基(予備1基)のパンタグラフを装 備する事で、新函館以南の電化区間では完全にエンジンを切って電車として走行する 事によって、NOxやPM、そして何より燃料である軽油の消費を抑える事に成功している (電化区間でも、停電等といった非常時には、エンジンや蓄電池の電気で自走可能であ り、またパンタグラフを介した架線からの電気でも蓄電池への充電も可能である)。 車両数は1編成辺り10両で、東日本のE3系やE5系との併結も可能である。
>>186 の続き&訂正(誤:東日本のE3系やE5系との併結も可能である。→正:東日本のE3系やE6系との併結も可能である。)
最高速度は360km/h、営業最高速度は320km/hで、東京−札幌間を最速列車で4時間で結ぶ。
E5系同様、床下の機器や台車はカバーで覆われ、連結部は全周幌で覆われている。
排気管は床下のカバーから覗く様な構造となっているが、停車中及び発進時はアイドルストップ
している事で、熱気や悪臭を帯びた排気ガスがホームに篭るような事にはまずならない。
188 :
名無し野電車区 :2010/04/03(土) 13:53:55 ID:EqEgk6Us0
113系5000番台JR東日本仕様 JR東日本でJR西日本に対抗して東海道線や横須賀線の113系に110キロ対応化改造を施工。 JR西日本と全く同一の改造方法で、尚且つ番号も同じ+5000なので重複は起こっていない。 これにより走行性能が211系とほぼ互角となり、スピードアップが実現。 当初は京急に対抗するべく115キロ運転も検討されたが乗り心地が劣悪となってしまうため見送られた。 のちに110キロ運転を必要としない房総地区に転用された際に全車100キロ対応に戻され、番号が元に戻ってしまった。
189 :
名無し野電車区 :2010/04/03(土) 15:00:00 ID:D8Zd8n9Z0
日光鉄道 江戸時代後期、江戸から徳川家康公ゆかりの地日光への往還を容易にするために、オランダ経由で 持ち込まれた鉄道レールをもとに、幕府が作った鉄道 天下太平が続き、商人などの裕福層が生まれる一方、幕府財政はひっ迫していた そこで老中のひとりが日光参りを目的とした交通機関の整備を思いつき、レールの供出、工事などを 諸藩に命じ、完成後は幕府がこれを経営することにより利益をあげることとなった 軌間は5尺(約1.5メートル)の複線、動力方式は馬が曳く馬車鉄道であるが、区間運行では人力で押す ところもあった お伊勢参りや富士山信仰などで、庶民も旅行の楽しさを知っていたため、金さえあれば座って行ける ということで、既に徒歩旅行が困難になったお年寄りまでもが押し掛けることとなり、大変な盛況となった また、東北方面の大名の参勤交代にも使われ、途中の宿泊が少なくなったことから経費削減となるため 歓迎された(のちに、大名行列列車の場合は特別料金が設定されたが、それでも本陣宿泊に比べて 安上がりになるように設定された) その後、日本橋を起点として各街道沿いに建設され、明治維新までに西は小田原から北は高崎、白河、水戸 まで伸び、横浜に上陸したペリーは開国要求の大統領親書を持って江戸まで馬車鉄道で行ったのは教科書 でもおなじみの話である 現在、日本の鉄道がヨーロッパと同じ軌間であるのは、この鉄道が原点になっている
北海道新幹線(根室延長用)H100系、H200系
北海道新幹線の根室延長に際して開発された耐寒耐雪仕様の新幹線。
>>186 のH1系をベースとしているが、いずれも貨客兼用仕様となっている。
とくにH200はもともと貨物新幹線として開発されたが、のちに旅客専用に改造。この際内装を地元の工務店が
担当したことから話題になった。またさらにDMVでもあり、8両編成全車が分割してバスとしても使えるようになっている。
こういう経緯からかつてこの地域を走っていた鉄道にちなんで「銀龍」という愛称がつけられた。
ちなみにH100系は
ちなみにH100系は同じくDMVではあるがこちらは旅客専用である。 なお列車愛称は「ちどり」。
>>190-191 >DMVでもあり、8両編成全車が分割してバスとしても使えるようになっている。
妄想スレでツッコミ入れるのも野暮な話だが、漏れの妄想車両をベースにすると、全長25m以上・全幅3.3m以上の超巨大バスになっちまうぞw
>>192 一応連接バスということになってますw
鉄道車両としての時は幌固定にして一両ということでw
194 :
名無し野電車区 :2010/04/03(土) 19:39:40 ID:EqEgk6Us0
東武2000系支線区用 東武鉄道で地下鉄乗り入れ運用から退いた2000系を支線用に転用したもの。 2両編成と4両編成があり、塗装も8000系と同一のジャスミンホワイト+ブルーの濃淡に変更された。 同時に冷房化も行われているが床下にMGを搭載するスペースが無く止む無く1500V直接駆動タイプを搭載した。 また限流値が下げられて加速度が2.5km/h/sになっている。 宇都宮線や小泉線などの支線区で活躍したが1998年に廃車された。
JR北海道H2系新幹線車両
北海道新幹線は、札幌から先の旭川や根室等への延伸がフル規格やスーパー特急規格の新線で
の建設が検討されたが、費用対効果は望めないとして断念された。次にフリーゲージトレイン
が検討されたが、まだ技術的に極寒・豪雪地帯での実用化の段階に至っていないとして断念さ
れ、線形改良(曲線半径の拡大やカント量の調整、更に区間内全ての平面交差道路の立体交差
化)と三線軌条化によるミニ新幹線方式が採用される事になり、まずは函館本線札幌−旭川間
が線形改良と三線軌条化がなされる事となった。
車体の基本構造は東日本のE6系をベースとし、メカニズムは
>>186-187 のH1系をベースとして
いるが、車体がミニ新幹線規格であるため、1両辺り、エンジンは小型化したH-DMJ30HZ(水平
対抗10気筒1000馬力)2基と発電機2基、モーターは300kwが4基、1編成(5両編成)中にパンタ
グラフが2基(1基は予備用)である。
営業最高速度は、札幌以南の新幹線区間では320km/h、函館本線では145km/hである。
列車名は「ライラック」が復活。運用は新函館−旭川の往復列車が大多数だが、1日1往復のみ、
札幌にてH1系6両編成仕様の列車(新函館以南乗り入れ用のH1系は東日本のE5系と全く同一のス
ーパーグリーン車付きの10両編成だが、この他札幌−新函館間往復用にスーパーグリーン車の
無い6両編成仕様も存在する)と併結、大宮・上野・東京方面まで運転する列車もある。
なお、「スーパーカムイ」「スーパー宗谷」は新幹線連絡・補完列車として当面は存続はするも
のの、「スーパーカムイ」は大幅減便となり、余剰となる785系電車はH2系就役と共に全廃とな
っている。
197 :
名無し野電車区 :2010/04/04(日) 14:31:32 ID:SOJ2Ghwj0
>>195 JR北海道 H3系新幹線
初の非電化新幹線である北海道新幹線のうち、新函館〜札幌間の各駅停車用として
整備された形式
同区間は平行在来線の旅客営業を廃止し、JR貨物に移管されたため、新八雲、長万部、
倶知安、小樽相互の乗車は特例として乗車券のみでの乗車が可能になった
また、乗車時間が新函館〜札幌間でも最大45分程度であり、通勤通学客が主体になると
いうこともあり、これまた新幹線初の通勤型車両の登場となった
4両編成で、片側3ドア、車内はセミクロスシートでドア付近はロングシートに吊革がつく
朝6時に新函館と札幌を相互に発車し、ラッシュ時は15分間隔で運行され、最終列車も23時に
新函館と札幌を相互に発車する
この列車の登場により、函館、長万部、倶知安地区が札幌の通勤圏内になり、たとえば函館支店勤務
から札幌本社への転勤も、引っ越しを伴わないものになったり、上記地域のほか豊浦・洞爺あたりまでが
通学圏内になったため、札幌圏内の学校への通学も可能になり、市内に下宿するより安くすむと好評である
(当の学生たちは、あこがれの札幌での独り暮らしをする理由が見つからなくて不評ではあったが・・・)
また、リタイヤ後の生活場所に、温泉付き住宅の販売を開始した倶知安が人気となり、退職後でも気軽に札幌へ
買い物や通院、孫に会いにに行けるというのが受けている
198 :
anorak? :2010/04/04(日) 18:38:53 ID:XOfiHkwD0
>>185 に続く平行世界もの
◎JR東海371系1000番台
製造年 2004 車種 クモハ/モハ/371(Mc/M) サハ/クハ370(T'/Tc') 特記 小田急EXEと併結
○概説
1991年、伝説の不動産バブル好況の絶頂期、特急あさぎり号は誕生した。これに投入された車両は当時の世相を反映したものであった。
後のバブル崩壊以後、特急あさぎり号の御殿場線内での利用客は低迷し、グリーン車二両込みの七両では過剰になる。
そこで、グリーン車の連結を取り止めオールモノクラス化し、七両から四両に短縮して
新宿・秦野間は小田原・箱根湯本発着の30000形使用の六両編成の列車と併結させる事が決まった。
これにより、小田急側では20000形電車の編成から二階建て車両二両と平屋の付随車の計三両の付随車が外されオールMの四両編成化と
30000形との併結協調運転可能しめる改造が施された。
JR東海では、新たに新車を投入する事にした。それが371系1000番台である。
1991年製造のオリジナルの371系0番台とは、塗装も含む車体の意匠について、後述の点以外は、ほぼ踏襲。
違いは、アルミ製、先頭車が373系似の貫通型であること、乗降用扉が引戸など。
走行システムが313系ベースで、1M方式、回生失効用の発電ブレーキも装備。
小田急30000形との併結協調運転可能、但し幌は繋げない。JR線内では313/371-0/373系との併結協調運転可能。
編成は、Tc'MT'Mc→新宿。
中間車のMとT'はブロック化された車端を運転台に交換可能、いわば先頭車改造準備構造になっている。
T'とTc'にトイレと洗面所、車椅子などの障碍者対応のものもある。
車両形式称号はたった四両の特殊車なので新しく起こさず371系を襲名。
2004年の冬に就役開始。小田急線からバブルの象徴である二階建て車両が消えた。
なお、オリジナルの371系0番台は、小田急直通装備を撤去し、JR各社の直流電化路線及びJRの電車の直通が在る第三セクター鉄道の多くで
走行出来るように保安装置を中心に改造され、2005年の愛知万博では、
JR東日本・東海・愛知環状鉄道経由の東京発万博八草駅(現八草駅)経由名古屋行きの夜行列車に就役し、
万博終了後は東京と御殿場線を東海道線経由で結ぶ臨時列車、団臨、多種多様に使われ、
二階建て込みの七両編成全車健在。
199 :
名無し野電車区 :2010/04/05(月) 19:45:55 ID:XGpkVYkr0
キロ85系700番台 JR東海が1995年に製造したキハ85系ベースのジョイフルトレインで、「リゾートライナーU」という愛称がある。 足回りはキハ85系ベースであるが、車体は鋼製である。 キハ85系一般車との混結も可能。 3両編成で、編成はキロ85-701+キロ84-701+キロ85-702。
200 :
名無し野電車区 :2010/04/06(火) 07:18:53 ID:ro5syQh30
E233系7000番台 JR東日本が東京メトロ15000系に対抗して作ったE233系2000番台ベースのワイドドア車。 ドア幅が1800mmに拡大された。
201 :
ミウナ :2010/04/07(水) 13:34:37 ID:PtmC5Juz0
301系片町線仕様型 1974年に投入された301系で大阪環状線から転属された101系とともに 投入された。当時京福連絡線構想があり、地下鉄となる関係で 103系でなく地下鉄用の301系を投入されたものと思われる。 東西線の301系の番号の続きの7両編成となっている。なお長尾〜木津 間の電化に考慮し、木津方を3両とした4+3としている。またサハ301型 が新形式で冷房はAU75B準備工事のみ施工して落成している。 1989年に長尾〜木津間電化工事終了に伴ってこの車両が木津までの快速で、 101系と103系は松井山手までの普通で使用された。冷房工事は全線電化完了 時までにすべて施工された。なお吹田だけでは賄いきれず一部松任や後藤で 改造されている。207系投入開始後も分割可能で非常口もあったことから1997年の 東西線開業時も103系は撤退した中でも使用された。しかし宝塚線での スピードの出なさが仇となり、快速運転できず神戸線の直通でしか使えない 弱点を露呈。そこへ2005年の福知山線の事故が追い討ちとなり、321系へ 取替えを決断。バラバラにされた上で基本4両は奈良線および関西線へ、 付属3両は岡山に転属された。アルミ車両で前代未聞のN40工事や40N工事 まで施工したものまであり、塗装は登場当時は朱色だったが東西線開業後 2004年に113系らと同じアーバンネット塗装になっていた。 7両編成5本が淀川電車区に配備されていた。なお昭和55年に103系1200番台の 投入(サハ103−1200も含む)も計画されたが財政事情が悪化されており、 製造されずに終わった。
202 :
名無し野電車区 :2010/04/08(木) 12:01:10 ID:ZOJ5kUCs0
南海8000系(史実と異なる) 南海が大阪市営堺筋線乗り入れ用に、昭和42年から高野線に投入した車両。 軌間は1067mmだが車体は大阪市営標準規格に倣って18900mm長、3扉となった。 車体はフルステンレスで、前面は南海6000系、側面は東急7000系に類するものだった。 なお冷房装置は設置されていない。 台車はパイオニア台車を履いており、乗り心地には難があった。 機器は日立製抵抗制御で、1C8M2両1単位の全電動車方式で、開業当初は6連を組んでいた。 平成元年から更新工事と冷房化が行われ、8連化された。現在も8連化のため余剰となった車両と、 水間鉄道に転出したもの以外は現役である。 南海8100系 前述8000系の増備車として、昭和51年以降に建造されたもの。 基本スペックは8000系と共通であるが、台車がS型ミンデンに変更された他、側窓が1段下降式となった。 冷房車としては造られなかったが、準備工事がなされており、クーラーキセもあったため、偽冷房車として叩かれることに。 南海8200系 平成元年以降の堺筋線8連化に対応して、不足車両を補うために投入された。 機器は同時に計画された2000系と共通の日立GTOインバータとされたが、台車は2000系と異なりミンデンとされた。 車体は従来のものよりビードが少ないものとなった。
203 :
名無し野電車区 :2010/04/08(木) 13:27:41 ID:+4jxXl0ZO
>>201 1974年当時の片町線は5両編成だった。
JR東海113系 110km/h対応車 民営化当初は名鉄との対抗は無かったが そのうち対抗するようになった。 この時に新快速用として311系が導入。また普通列車用として211系が増備されていた。 最高速度100km/hの113系は中央線運用になる事になっていたが、西日本が110km/h対応改造をしていた事を見て、速度向上を行った。 改造後は110km/h対応となった。 この改造は2000番台のみ行われ、0番台や1000番台は行われなかった。 改造車は海カキと静シスに配置された。静シス配置車両は東京直通対応である。 99年、313系が導入されたが海カキ車・静シス車とも置換は行われずにそのまま残った。 そして06年から07年にかけて、海カキ車・静シス車に新313系が導入され、廃車された。
205 :
名無し野電車区 :2010/04/08(木) 18:16:45 ID:LC+ywXnTO
東急6050系 目黒線八両化と相鉄乗り入れ開始に伴い登場した新系列車両。 5080系をベースに改良を加え、大井町線急行用6000系ほどではないが前面が鋭いデザインに変更されている。 ドアチャイムやLCD案内は従来の5000シリーズと同じ。 制御装置は5080系や6000系に準じたは東芝製VVVFを搭載。 5080系は中間車新造、3000系は既存車のみで組み替えを実施し八両され、 6050系と共に相鉄に乗り入れる予定。 相鉄12000系 東急乗り入れ用として登場した新系列車両、 運転台のみ東急6050系ベースでドア位置は目黒線のホームドアに合わせてあるが、 車内設備等は11000系ベースである。 制御装置は11000系に準じた三菱製VVVFを搭載。
206 :
名無し野電車区 :2010/04/09(金) 04:00:30 ID:U1hhrBqnO
東葉高速鉄道3000系
私鉄ワーストの混雑率を誇る東京メトロ東西線に関して国土交通省の指導により、
15000系及びE233系7000番台(
>>200 )と共に作られた東京メトロ15000系の
東葉高速仕様車。帯色はオレンジ帯となっているのとATS-Pがない以外は
15000系と同じである。
10両編成3本が作られたが引き換えに2000系3本がメトロにトレードされた。
トレードされた2000系は05-044〜046Fとなった。
東京メトロ18000系
5000に6ドア車を投入した東急電鉄に対抗して東西線同様15000系の
半蔵門線型を投入してワイドドアで混雑緩和を狙うべく投入したもの。
ガイシュツかもしれないが 185系新宿⇔東武日光直通特急用 魔改造しながらも老朽化ならびにスペーシアと比較して設備の陳腐化も指摘されてきた485系ならびに183系の 後継として余剰となった田町の185系に白羽の矢が立てられ内外ともに改装の上投入(何故か窓はそのままw)。 塗装も当然、485系に準じた白にブラウン&オレンジのラインだが、何度やっても…おや、誰か来たようだ
ここのスレで785系保留車の白鳥転用とか見たような気がしたが リアル車両が出てきたのか
209 :
名無し野電車区 :2010/04/10(土) 17:17:07 ID:ONTzLGl5O
>>206 半蔵門にワイド入れたら東急から苦情来るぞ。
210 :
名無し野電車区 :2010/04/10(土) 17:51:09 ID:T4c55KL00
架空なんだから実現可能なら何でもありだろ
211 :
名無し野電車区 :2010/04/10(土) 18:04:41 ID:mgismkZQ0
国鉄 12系 昭和44年に大阪万博の波動輸送用に登場した12系客車であったが、その後旧型客車で運用 されていた夜行急行群の体質改善のために投入されることとなり、昭和49年から本格的な 定期列車として必要な車種が整備されていった オロ12:当時標準だった急行用グリーン車とほぼ同じ設計で、1段降下窓2連窓、乗務員室がつけられた オロ12−100:グリーン車を2両連結する車輛のために乗務員室を撤去して定員を4名増やした車輛 オハシ12:半室ビュッフェの普通車で、当時標準だった急行用ビュッフェに準じた構造となっている。 オハネ13:B寝台車で、オハネ14とほぼ同じ車体であるが乗務員室がない分、寝台定員が3名増えている オハネフ13:オハネ13の緩急車 オロネ12:A寝台車で、オロネ14とほぼ同じ車体 スハフ12−300:電源を持たない寝台車の連結のために編成電源容量を増加した普通車で最大12両の給電が可能 これらの車輛の登場により、各地の夜行急行の体質改善が一気に進むことになった
212 :
名無し野電車区 :2010/04/10(土) 22:36:57 ID:SAcXpPQFO
国鉄EF61形0番台(史実とは異) 信越線新潟電化に備え、1962-64年に25両製造。 EF60形二次量産形やEF70形をベースとした。 上越・信越線で運用するため耐寒耐雪構造とし、運転室前面につらら切りを設けた。 1964年製造の19号機以降は前照灯を2基にした。 全機高崎第二・長岡第二機関区に配属され、EF58を宇都宮・宮原・下関機関区に転属させた他、客車列車における清水越え区間の補機を削減した。(このためEF16形の29-31号機はEF15形に復元された) 終始上野・隅田川〜新潟間で運用され、1971-73年に全機がSG→EG転換工事を施工。1974-75年に長岡二区所属機に元空気溜管を増設して、1982年にEF64-1000に移行するまで寝台特急「北陸」牽引に当たった。 EF64-1000の増備・運用統一により一部が休車されたが、東海道・山陽線荷物列車牽引のEF58形の老朽代替として全機が1982-83年に下関運転所に転属。 1986年11月に全運用を退き、動態保存前提で高崎に戻った7号機以外は翌87年2-3月に全廃された。 7号機はJR東日本に継承され、高崎運転所所属で関東地区の臨客牽引に当たっている。
213 :
名無し野電車区 :2010/04/11(日) 00:58:50 ID:c1svqsXc0
JR西日本221系1000番台 JR西日本では、225系の投入が開始されたが、 事故対策が盛り込まれたことゆえに、 同系は極力新快速に回すこととなったため、 221系がトコロテン式にアーバン外延や北近畿・中国地方に 回されることとなった。 そこで、過去の各近郊型の地方左遷同様、221系でも例外なく 先頭車が不足したのに加え、 線区によっては、先頭車の通り抜けが必要な ところが生じたため、もとの貫通路や妻面を生かした形で、 先頭車改造が行われた。 早い話、サンパチのJR型版だが、さすがに雨どいむき出しとはならず、 213系の先頭車改造に近いデザインとなっている。 なお、もともと中間車は鋼体が微妙に短いところ、 鋼体を大幅に弄らずに運転台スペースを確保したため、 運転台直後のドアは幅1mの片開きドアに変更され、 JR四国6000系に似たサイドビューとなっている。
215 :
名無し野電車区 :2010/04/11(日) 01:15:25 ID:c1svqsXc0
>>119 にフォロー兼ねて
321系1700番台
学研都市線全区間7連化以後、中間に封じ込まれて遊んでいる207系の先頭車を活用するため、
321系の中間車のみ増備する方式がとられることとなったが、
207系は貫通路が中心からずれている独特のスタイルのため、
通常の中間貫通路である321系とはそのままでは合わなくなる。
そのため、321系増備車のうち一部を207系の貫通路にあわせた
特殊仕様車が登場し、これが1700番台として分類された。
のちに同年代の車両同士でチンイツ編成が組めるよう、
207系にあわせた貫通路部分を先頭車改造準備工事済みで製造しているのが特徴である。
いわば阪急の運転台撤去車の逆版だが、125系の中間ドアのように
乗務員ドアをあらかじめはめ殺してある。
なお、このシリーズの321系は、編成中に321系同士でまとめて組成されることとなっており、
207系の中間車を間に挟むことはしない。
(かつての50系客車と雑形客車の関係同様)
JR東日本215系(史実とはやや異なる) 1990年頃、JR各社で221系、311系、721系、811系といった転換クロスを装備した車両が続々と登場。 JR東日本管内の特に首都圏では混雑が激しく、当初は導入に難色を示していたものの、 「通勤ライナーや行楽用の快速運用に限定すれば問題無い」と判断。 こうして215系の製造が決まった。 足回りは、211系と同様の界磁展開励磁制御を採用。4M3Tの7両編成とし、加速度2.5を確保する一方で最高速度120km/hでの運転にも対応。 車体は正面貫通型とし、1号車と7号車はハイデッカー構造、2〜6号車は2階建てで、4号車はグリーン車である(早い話、実在する215系の7両バージョンに近い)。 普通車は転換クロスシート、グリーン車はリクライニングシートを採用。 また、耐寒耐雪構造とし、半自動ドアの機能も備える。よって、東日本管内の直流区間ならば、殆どの線区で走行できる。 7両×8本の計56両を製造。 快速アクティーや湘南ライナーでは2本繋いだ14両で運用される。 後になって、立ち客の事を考慮し、平屋部分に吊り革が設置された。 基本的には行楽客らを中心に好評ではあるが、2扉であるが故に、アクティーの運用では乗降に時間がかかり気味。 その分、走行性能で何とか定時運転を確保しているのが現状である。 余談だが、一時期、伊豆方面の臨時特急にも使われた事があり、ボロカスに叩かれた事も・・・。
651系5000番台 JR東日本がジョイフルトレイン「NO.DO.KA」の置換え用として、 後継車の投入によって余剰となった651系に機器更新改造を施工したもの。 車体の耐寒耐雪構造強化のほか、主変圧器更新(50/60Hz両用化)、制御装置のVVVFインバータ化、 主整流装置のPWMコンバータ化、その他電気機器の更新などが行われた。 また、クハ651の床下にはディーゼル発電機を搭載し、非電化区間への乗り入れを可能としている。 愛称は「シルフィード」とされたが、一部ファンからは「スーパーシルフ」の名で親しまれている。 引き続き、各地の485系改造車置換えのため改造工事がおこなわれる予定。
218 :
名無し野電車区 :2010/04/11(日) 15:51:34 ID:IRr5af9yO
651系3000番台
同じくJR東日本が長野支社のジョイフルトレイン「彩(いろどり)」の代替として
>>217 同様に651系から作られた。
7両編成でお座敷と座席とにチェンジできる構造になっており、全部の車が
グリーン車となった。
4号車サロ651-3001はラウンジカーで非電化用ディーゼル発電機もここに設置。
補助電源SIVとコンプレッサーは廃車された209系から流用し、前面と
車内のテレビも市販の43型液晶テレビ(シャープ製)を使っている。
塗装はグリーン系となったが、シャープ製テレビを使っていることから
「世界の亀山電車」だの「アクオス電車」だの呼ばれたりフリーザならぬ
セルの名前まである。
EF65-550番台(通称EF65PN。NはNewのN) 老朽化が著しかったEF65Pの置換用機関車。 東海道山陽線のブルトレ牽引専用機ということで、 総括重連および耐寒耐雪装備は不要と判断され、 PFではなく、0番台ベースでの新製となった。 外観的にはパンタグラフがPS22Bになったことと、 クハ481-200番台と同サイズのロール式マークを 装備していることが特徴である。 これによって、 機関区での重いヘッドマーク交換作業が不要に なり、現場からは歓迎されたが、一部撮り鉄からは ブーイング(あんだ、ぴーえぬかよ)の声があがった。 EF66への置換で黄金時代は短かったが、現在も 特急色のまま、田端・宮原・新鶴見・岡山で活躍中。
220 :
anorak? :2010/04/11(日) 18:00:03 ID:ZPnGh5I40
>>198 に続く平行世界もの
◎JR東海385系電車
製造年 2000- 車種 クモハ384(Mc2) モハ385(M1) クハ384(T'c) 特記 車体傾斜制御装置
○概説
国鉄は、東海地震に備えて1978年に大規模地震対策特別措置法が制定されたのを機に東海道線の迂回路整備に着手した。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/rail/1244121961/549-550 飯田線と共に当時未成線であった中津川線(中津川〜飯田)も東海道の迂回路に組み込まれたことで、
1980年代の国鉄経営再建の一環としての新線建設の凍結対象から外され、建設が継続され、
86年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正に合わせて飯中線の路線名で地方交通線として開業し、
名古屋都市圏と飯田等の伊那地区間が短縮された。
が、しかし、国鉄が破綻寸前という厳しい状況を反映して飯田線は改良されずに放置され、高速道路に対する競争力は無かった。
87年にJR東海に承継されてから90年代末になってようやく飯田線飯田以北の高速化工事が着手された。
ただ費用対効果の観点から383系と同様の振り子式車両の投入を前提としたものではなく、
JR北海道のキハ201/261系で実現した車体傾斜制御装置付き車両で以てコスト削減した。
よって、383系に比べると曲線通過速度は劣るが、381系並の短縮効果を目標としている。
その特急用に新造されたのが385系である。
当車両の台車は383系の自己操舵機能付きの台車から振り子装置に代わり車体傾斜制御装置を装備したものだと差し支えない。
走行システムは313系3000番台に準じ、車体と内装の意匠は383系に準じつつ社会情勢の変化に適合。
貫通型の先頭車で、M1にシングルアーム型のパンタグラフを搭載。Mc2の運転台側の台車は主電動機が省略されて実質0.5M。
Mc2とT'cにトイレ・洗面所、T'cに車販準備室と障碍者対応トイレ。Mc2M1T'cの三両一編成を基本単位とし需要に応じて増結。
2000年に量産先行車が登場し、長期試験に供与。
高速化事業が完了した2001年に、中央西線、飯中線、飯田線、中央東線を経由して新宿と伊那地区と名古屋を結ぶ特急に就役。
全区間で車体傾斜装置を稼働。
以上で高速道路と高速バスに対して何とか互角に戦える様になったが・・・。
JR東日本16系客車 サロ210,211をSL列車用客車に改造したもの。6連2本が高タカに配置。 6連で「SLみなかみ」、4連に短縮して「SL碓氷」が定番だが、D51498 およびC6120とともに東日本管内をドサ回りしている。 スハフ16-1〜4 ディーゼル発電セット搭載、車掌室付き オハ16-1〜6 便洗面所付き オハ16-101,102 車販準備室付き
222 :
名無し野電車区 :2010/04/12(月) 17:18:24 ID:9KWZ5KB+O
京成電鉄3700型3871〜3881F 北総鉄道7800型7821F 平成13年に製造された3700型最終型。前面は3700型と同じだが車体が 後にベールを脱ぐ新3000型と同じ日車ブロック構体式となり、冷房も集中式となった。 側面のみ行き先表示もLED式となる。 IGBT制御式の試作ヘッド的な意味合いもあり、3871Fは東洋電機製を3881Fは 三菱電機製を7821Fは富士電機製を搭載した。 (当初空港Bルート専用特急用の動きを置いて日立製も検討されたが採用されず) なお7821Fは元々3891Fで計画されたが、新3000型1編成が8両編成 となり北総鉄道に変更した。また130Km/h対応したブレーキに初めから作られた。 2009年に制御装置の東洋電機製に交換されたが3881Fのみは三菱電機製で残されている。
223 :
名無し野電車区 :2010/04/13(火) 21:58:45 ID:LRXOTBNu0
関東鉄道キハ2100形気動車(史実とは異なる) 関東鉄道は地磁気観測所への影響の懸念から、常総線に於いて非電化のまま増大する沿線の通勤需要に応えるべく運行密度の増加や長編成化を行ってきたものの、 国鉄からの譲渡車であるキハ300系列及びキハ20形の改造車である0形では加減速能力の低さから特に運行密度の増加に於いて限界に近づいていた。 このため、通勤電車並の加減速能力を有する気動車により運行密度をさらに引き上げる計画が浮上。 また、水海道以北の単線区間は比較的線形が良好なため、最高速度の向上により運転時間の短縮も検討され、高速性能の強化も要求項目に組み込まれた。 このために開発された、関東鉄道久々の新造車両がキハ2100形である。 新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で1993年から1996年にかけて2両15編成(計30両)が製造された。 車体は鋼製20m級(2116F以降の後期車はステンレス製)。通勤ラッシュ時の乗降時間を短縮するため、気動車ながら片側4ドアとなっている。 座席はロングシート、車椅子スペースも確保されている。 冷房装置は21000KCalの集約分散型を2台搭載。各ドア上にはLED式の案内装置も搭載された。 電車並みの加速能力を実現するため、主機関はDMF13HZをベースに定格出力を当時としては最大の485PSまで増強させたDMF13HZ-A-KTを一両辺り2台搭載。 変速機の直結段は4段までとなっている。また最終段のギア比も高速向けに設定されている。 台車はDT50系列を元に高速安定性を強化したKT-DT50。高速走行に備え、ヨーダンパを装備。制動力の強化のため、基礎ブレーキ装置は油圧式の車輪ディスクブレーキとなった。 起動加速度は地下鉄用電車に匹敵する3.3km/h/s、最高運転速度は135km/h(設計最高速度160km/h)の高性能気動車である。 この車両の登場により、常総線では朝夕ラッシュ時の5分ヘッドでの運行を実現させた。
キハ47形7100番台 トロッコ列車「奥出雲おろち号」の車両老朽化に伴い、置換え用として登場した。 キハ47-7101(トロッコ車両)+キハ47-7102(普通車)の2両編成を組む。 機関車牽引時代より若干の性能向上が図られたほか、 観光シーズンは新見まで直通するダイヤとなり、利便性の向上が図られている。
225 :
名無し野電車区 :2010/04/16(金) 18:02:49 ID:gH8Vh63uO
221系5000番台 225系投入に伴い221系を転属する事となったが、他所では8連固定は使い辛く、先頭車化改造される予定だった。 また快速は全て223系にする予定だったが、データイムに223系を遊ばせておくのも勿体無いという事になり、一部の221系を12連固定130キロ運転対応に改造し、ラッシュ時限定で運用される事になった。 なお、編成中間には簡易運転台が設置され、検査の際は6連に分けて検査される。
211系きのくにシーサイドII 引退したきのくにシーサイドに代わり岡山のスーパーサルーンゆめじを改造した車両。 従来は3連であったが吹田で長期保留のクロ212-2を中間車改造した車両を組み込み4連とした。 編成はクモハ211-7001(クモロ211-1)+モハ210-7001(モロ210-1)+サハ211-7001(クロ212-2)+クハ212-7001(クロ212-1001) 全車普通車格下げしサハ211-7001はフリースペースとし立ち見可能な他イベント用スペースとして使用される。 塗装はオーシャングリーンとなった他先頭車はATS-Pを搭載した。 改造は吹田工場で行い日根野電車区へ配置されている。 紀勢本線で運行されているが他路線への貸出もされている。
227 :
名無し野電車区 :2010/04/17(土) 11:03:19 ID:zqqrg8JPO
221系7000番台 呉線向けに改造された221系である。4両に短縮化の上で側面窓の拡大と オールロングシート化された。 軍港の街呉に相応しく塗装は旧日本海軍の軍艦色となっている。 4両編成8本が広島に配備されたが編成番号ではなく旧日本海軍の戦艦の名前になっている。 1 大和 2 武蔵 3 長門 4 陸奥 5 山城 6 扶桑 7 日向 8 三笠
228 :
名無し野電車区 :2010/04/17(土) 18:26:27 ID:W6Exn7Ie0
○JR東日本 E257系1000・1200番台 直流特急型電車 ・2009〜 ○「遜色特急」185系の置換え向けの新系列特急電車 1981年から製造され、東海道線「踊り子」や上越方面の特急運用に就いていた国鉄185系。 特急として見劣りするアコモデーションはJR化後にリニューアルされ、そこそこの水準に引き上げられたが、電力を大量に消費する抵抗制御の機器、開閉式の窓からくる騒音、 バリアフリー設備の不備……と、ハード面から見てもソフト面から見ても、もはや特急運用どころかローカル運用にも時代遅れなのは火を見るよりも明らかな状況だった。 そこでJR東日本が重い腰を上げ投入したのがこのE257系1000・1200番台である。 番台区分は185系と同様に、田町車両センター所属の1000番台と、高崎車両センター所属の1200番台の2種が製造された。1200番台は185系200番台と同様、耐寒耐雪装備強化設計。 車体はE257系以来、JR東日本特急車ではお馴染みの日立A-Trainシステムを採用した軽量アルミハニカム構造。 制御装置も日立製作所製のSC90形VVVFインバータ制御を採用。これはE233系3000番台と同一である。 編成は0番台が10両(6M4T)と5両(2M3T)、200番台が7両(4M3T)。 モーターはE259系同様のMT75B形を採用し、台車にはヨーダンパを装備。また加速度を2.5km/h/sとして、高崎線内での連続停車に配慮した。 スペック的には130km/h走行も可能だが、最高速度は一般車と同じ120km/hに抑えられている。 前面デザインは中央本線向けの0番台の貫通タイプとほぼ同様、側面も塗色を除いて同車とほぼ同一。 前面の愛称表示器、側面の種別・行先表示器はフルカラーLEDに設計変更された。なお、塗装は185系を踏襲し、3色ブロック塗装を側面中央に配置した。 アコモデーションは特急型相応の回転型クロスシートを製造当初から採用し、シートピッチも普通車960mm、グリーン車1160mmに拡大。 電動車いすも利用可能な大型トイレや女性専用の化粧室、多目的室、売店等が設置された。 この投入により185系各番台は撤退。利用者からは新車とあって好評を得ている。 ……が、一部ファンの間では単にE233の足まわりにE257の車体を載せただけではないかと揶揄され、結局「遜色特急」ならぬ「優等一般車」という渾名が付けられたとかられないとか。
229 :
名無し野電車区 :2010/04/17(土) 18:51:57 ID:TxJpg/hn0
>>228 さらには奇しくも時を同じくして、東北・高崎線系統には
>>55 のE261系急行型電車も投入されたため・・・
230 :
名無し野電車区 :2010/04/17(土) 19:08:22 ID:AK1UN00a0
これはガチで出るかも JR西日本 207系5000/5500/6000/6500/7000番台 4.25軍団の要望により103系性能(最高時速95km/h),にデチューンした207系 JR西日本は4.25軍団の要望を受け入れて、ATSP導入、207系の外装、内装を変える等の対策を行っていたが、 根本的な解決にはならないとの批判を浴びた。 そこで、207系の最高速度そのものをカットすることになった。 103系の宝塚線転属、207系の阪和線送りも検討されたが、東西線内での性能が不足するために見送られた。 さらに、207系のインバータ音が事故を思い起こさせるとの理由で、床下を完全に防音した上で、 103系のモーター音が放送される装置が搭載されたw
232 :
名無し野電車区 :2010/04/18(日) 02:34:42 ID:+OkyqNpk0
多分にIFが含まれてるネタ
名古屋鉄道 1600系空港特急仕様&モ2180
中部国際空港の旅客は順調に伸びており、名鉄は2000系ミュースカイの3次車2編成の増備
および従来車の全4両化を行ったが、それでも近いうちに需要が逼迫することが予想された。
そこで、多分に試作的要素が強く、小所帯故に持て余し気味であった1600系に白羽の矢を立て、
LCD車内案内表示機、荷物置場の設置等2000系に準ずる車内リニューアルを施し、
中間に新製した電動車を組み込んだ上で空港特急運用に投入することになった。
新製された中間電動車は2000系4連化用のモ2150とほぼ同一の仕様であるが、
引き通し等は1600系に合わせてあり、30番を付加してモ2180としている。
全編成に車体傾斜装置を搭載(第1編成のみ元から設置、その他編成は準備工事のみであった)し、
2000系と同一ダイヤでの走行が可能であるが、
ドア位置が2000系と異なりホームドア設置の中部国際空港駅専用ホームに入れないこと、
2000系の自動連結装置に対応しておらず、幌連結が出来ないことから、
運用は分けられている。
中部国際空港 ← ク1600+サ1650+モ2180+モ1700 → 岐阜・新鵜沼
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kousha-_-/clip2/img/1583.jpg (模型板フリーランススレと2重投稿になりますがご容赦ください)
233 :
anorak? :2010/04/18(日) 13:15:09 ID:ZNs3mOax0
>>220 に続く平行世界もの
◎国鉄キハ185系700番台
製造年 1986 特記 電車牽引
○概説
国鉄分割民営化を翌年に控えた1986年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で福知山・山陰線の宝塚・城崎間が電化開業。
計画当初は特急用に381系を新造投入予定であったが、国鉄が破綻寸前という厳しい状況を反映して、
全国的な特急の短編成化で捻出された485系で賄う方針に変更されてしまった。
しかも特急と昼行急行全てが特急電車化されることで電化対象外の路線への直通が打ち切れ乗り換えを強いられることに。
これには電化に大きく期待して支援した地元を失望させ、営業サイドからもクレームが出た。
そこで、新型の特急気動車を投入し、それを電化区間(新大阪〜城崎)おいては無動力状態で485系(現183系700/800番台)に牽引させ、
非電化区間では単独で自走させることが急遽決まった。
電車と気動車の協調運転に関して国鉄では試験は実施したが実用化されていなかったので、電車で無動力の気動車を牽引する方式に。
その新車がキハ185系700番台である。
同時期に四国向けに製造されたキハ185系0番台をベースに後述の485系電車による牽引の為の特殊仕様を有する。
連結器を電車と同じ密着連結器に、電車牽引時にはブレーキが協調可能しめる装備、また耐寒耐雪装備など。
車種は便所・洗面所付のキハ185形700番台のみで、急きょだったのでわずか三両しか製造されず。JR発足間近の87年3月に就役開始。
それは天橋立などの当時の非電化路線直通の臨時特急であり、電化区間では485系の4M2Tの六両編成の後ろに当車二両編成が連結された。
87年4月のJR西日本の承継以後、当車増備されず、代わってキハ65改造のエーデル車が。
96年以後の北近畿地域の電化区間拡大に伴って電車牽引運用が終了。
キハ58/40系などの一般形気動車との併結協調運転の為の改造が実施され、広島地区に移転し、キハ58と組んで急行みよし号に就役。
冷房用電源を持たないキハ58との混結の為にキハ185-700の車内に電源室が設置された。
後年みよしは快速に格下げされても使用継続。現在に至る。
234 :
anorak? :2010/04/18(日) 13:27:24 ID:ZNs3mOax0
>>233 の訂正
>連結器を電車と同じ密着連結器に、電車牽引時にはブレーキが協調可能しめる装備、また耐寒耐雪装備など。 ×
↓
連結器を電車と同じ密着連結器に、電車牽引時にはブレーキが協調可能しめる及び電車を電源車とする電力受給装備、また耐寒耐雪装備など。 ○
西武4000系リニューアル車 足回りを中心に老朽化の進む4000系をリニューアル。 走行機器を9000系と同様の手法でVVVF化。 車体についても腐食箇所を修繕し、戸袋窓の埋め込みを行う。 バリアフリー対策として、便所をスペースを広めに確保した洋式のものに交換。LED案内表示器も設置。 座席はモケットを張り替えたのみで、従来と同じセミクロスのままである。 この改造により、あと20年は秩父線や快速急行で使い倒す方針のようだ。
236 :
名無し野電車区 :2010/04/19(月) 23:05:07 ID:tQRauytY0
○京浜急行 500形(U) 直流通勤型電車 ・2011〜 ○「ダルマ」こと800形置換え用の高加減速通勤車 1978年に登場し、関東随一の高加減速車両として知られる京浜急行800形。 「ダルマ」の愛称でファンの間で親しまれてきたが、更新工事から10年、FRP等の新素材に老朽化が進んでいた。 また、登場当初こそ省エネだった界磁チョッパ制御も、最新のVVVFインバータと比べてしまえば、やはり省エネ効果が薄いのも事実。 それ以上に、諸機器の老朽化も目立ち始めていた。そこで登場したのがこの500形(U)(以下500形とする)である。 車体は新1000形6次車以降と同様の、東急車両製造でお馴染み、車体規格準拠の軽量SUS車体。前面にはプラグドアの非常口が備えられ、泉岳寺駅までの乗り入れが可能。 VVVFは2レベルIPM・PGセンサレスベクトル制御。東急製造分が三菱、川重製造分が東洋製である点はN1000形と同様である。 台車は高速走行をあまり必要としない各停、急行用の車両の為、京急初の軽量ボルスタレス台車を採用。また、モーターは近頃流行りの永久磁石同期電動機。 MT比は800形同様のオール電動車。また歯車比7.15とし、起動加速度を4.3km/h/sに設定。阪神ジェットカーに次ぐ加速度を有する。 減速度も常用最大5.0km/h/sとし、高加減速を要求される各停運用に対応した。なお、N1000形同様に停止時まで使用可能な純電気ブレーキを装備し、電気の節約にも貢献している。 車内は800形と全く同じオールロングシート。ドア上には600形でテストを行ったLCDを17インチワイド画面に変更の上採用した。 利用客から不評だった乗務員室後部の窓については、N1000形1〜5次車と同様の大きさに改められた。ただし、直後の椅子は設置されていない。 これにより800形は引退。一部は高松琴平電鉄に譲渡され、同社初の界磁チョッパ車となった。 運用は800形時代と大して変わらぬ各停運用が中心だが、一部各停が泉岳寺行に変更され、品川駅引き上げ線(新品川)の混雑緩和が図られた。 利用客の間では、特に良くも悪くもないという、何とも中途半端な反応を得た。 ファンの間ではスペックが阪神に並んだと大騒ぎになったものの、ボルスタレス台車の採用など、京急らしさが失われたと余り好意的には受け取られていない。
JR北海道 キハ145系 学徒線電化でお役御免になったPDCの中でも足回りがキハ150系と同等なキハ143系をそのまま廃車するのは勿体無いので、解体したキハ141、142の運転台を接合して両運転台化。 450PSエンジンと最高110q/hの俊足を活かして山線キハ40運用を駆逐。全11両登場するので、半数は旭川、苫小牧に分散配置。 と、あっさりめに想定してみる。
ED60-1000番台、ED61-1000番台 ブルトレ牽引機EF60-500番台のトラブルは、EF65Pに置き換えたことで一応解消した。 しかし元設計が貨物機であるため、高速性能が十分とはいえず、かといってギア比を 変えると瀬野八越えに補機が必要となるため、国鉄当事者にとって悩みの種であった。 そこで白羽の矢が立ったのが、クイル式でトラブルが多発していたED機であった。 抜本的更新と同時に特急機に変身させる改造がなされたのである。 主な改造内容は以下のとおり。 ・足回りをMT52の吊り掛け式に変更 ・ギア比を高速用に変更し、最高速度は120(許容140)km/h ・回生ブレーキ撤去(ED61) ・元ダメ引き通し・カニパンスイッチ・ブレーキ増圧のいわゆる「P型三点セット」搭載 ・特急塗色に変更 ED60とED61の全26両が改造の上、東京機関区に配置され、重連で牽引にあたった。 目論見どおりの高性能機関車となり、ブルトレのスピードアップに貢献したが、絶対的 両数が少ないため「はやぶさ」「みずほ」「さくら」「富士」「殿様あさかぜ」の5往復に 充当するのが限度であり、他の列車はEF65Pのままとされた。
239 :
名無し野電車区 :2010/04/20(火) 18:37:14 ID:xzp049gr0
キハ263系 JR北海道が735系に続いて製造したキハ261系ベースのアルミ車体試験車。 1000番台がベースである。 展望室が業務用室に変更され立ち入りが出来なくなっている。 881系 JR北海道が735系に続いて製造した789系ベースのアルミ車体試験車。 881系はJR九州がデザイン的に良くないという理由で採用せず空き番になっていたのをJR北海道が採用した。 1000番台がベースである。
240 :
名無し野電車区 :2010/04/22(木) 20:24:20 ID:Ctnc7xk50
>>217 > 愛称は「シルフィード」とされたが、一部ファンからは「スーパーシルフ」の名で親しまれている。
さらには「SA-77」という愛称まで付けられ(ry
瀬戸蒸気鉄道キハ1〜5 瀬戸蒸気鉄道は、中央本線誘致の願いも届かなかった瀬戸の有力者が設立した鉄道で、 瀬戸から大曽根(当初計画では中央本線に新駅大曽根駅を誘致し、そこに旅客接続)を経由して、 名古屋の中心部へ向かう鉄道として、建設された。 キハ1〜5は、瀬戸蒸気鉄道開業に際して用意された車両であった。 この車両は、基本的には、鉄道省の工藤式蒸気動車とほぼ同型であったが、若干、重心が低めであるという特徴を持っている。 この蒸気動車は、実に評判が良く、この評判は、後の蒸気動車発展に大きく寄与した。
小田急2520型 2400系HE車の更新車。デハ2400にクハ2450の運転台を取り付けたもの。 急行の増結用として2521〜2532の2連6本が登場したが、19m車3扉という 中途半端さが整列乗車の妨げになる等の理由で嫌われ、改造工事も中断 した。結局、4連で多摩線ローカル専用編成に転用され、オールMのハイ パワーをもてあますこととなった。 2400系の処遇については、主要機器を吊り掛け&P-III台車というアキレス腱 を抱えていた4000系の新性能化に使うことになり、2520型もいつのまにか 機器を提供して姿を消した。
小田急9000形マイナーチェンジ車 千代田線直通車の増強を目的に1985年に登場。従来の9000形と比較して、大幅な変更が生じている。通称「N9000形」。 ・車体 前面形状こそ従来の9000形とほぼ同一だが、同時期に製造された8000形の技術が生かされ、 最大の「泣きどころ」とも言えた側窓の雨水防止受けを完全ユニット化をするなど、徹底した防蝕対策が施されている。 ・性能 界磁チョッパ制御ではあるが、8000形とほぼ同一設計となっている。歯車比は従来車と同じ5.39に設定。8M2Tとし、加速力と高速性能を両立。 ・内装 8000形と全く同じ。 ・編成 6両 デハ9410+デハ9510+サハ9560+サハ9660+デハ9610+デハ9710 デハ9411+デハ9511+サハ9561+サハ9661+デハ9611+デハ9711 デハ9412+デハ9512+サハ9562+サハ9662+デハ9612+デハ9712 4両 デハ9010+デハ9110+デハ9210+デハ9310 デハ9011+デハ9111+デハ9211+デハ9311 デハ9012+デハ9112+デハ9212+デハ9312 6両+4両=10両を3組、合計30両を製造。 ・その後 1990年に1000形投入に伴い、従来の9000形は千代田線直通運用から撤退。N9000形に関しては、直通運用の予備車的な位置付けとなり、普段は地上運用をこなし、ダイヤ乱れや運用の都合等で千代田線に入るようになる。 希少価値からか、鉄ヲタからは営団06系とともに熱い支持を得る。 21世紀に突入し、従来の9000形は車体が悲鳴をあげ一斉にあぼーん。N9000形は頑丈な設計のおかげで生き残るw やがて、4000形の投入に伴い直通運用からは完全に撤退し現在に至る。今後は、何とリニューアルとVVVF化(3M3T及び2M2T化)が予定されている。
244 :
名無し野電車区 :2010/04/24(土) 14:32:49 ID:zyzgid3G0
サシ183形1000番台 特急ときの183系1000番台化に伴って登場した食堂車。 特急ときに使われていた181系は、予想外の老朽化の進行で耐寒耐雪機能が低下し、 車体の傷みも激しくなっていたので、183系の耐寒耐雪構造を強化した1000番台を 181系の取り替え用として製造することになった。 だが、乗客や食堂業者からは食堂車の存続を求める声が大きく、急遽食堂車を 新製することになり、登場したのがこの形式である。 外観はAU13Eを搭載したサシ481の後期形に準じているが、台車や屋根上通風器の形状は 183系1000番台と同一である。また、車内見付けはサシ481の後期形と同じである。 1974年〜1975年に新製車が登場したが、1978年の183系1000番台増備の際には新製は行われず、 サシ481・489の後期形の改造で賄われた。なお、サシ481からの改造車は1050番台となっている。 また、181系も最後まで3往復存置されたが、1978年の老朽サシ181の置換えには、鹿児島運転所に 配置されていたAU12搭載のサシ481-23〜26・30をサシ181形1000番台に改造の上転用された。 1982年の上越新幹線開業で特急ときは全廃され、サシ181形1000番台は廃車となり、 サシ183形1000・1050番台も保留車となったり、サシ481への復元・改造が行われた。 その後、保留車は189系「あさま」のサロンカー(ラウンジ・個室付きグリーン車) への改造種車となり、形式もサロ188形となって1997年の長野新幹線開業まで活躍した。
245 :
名無し野電車区 :2010/04/24(土) 15:31:04 ID:oS31YpjJ0
キハ285系 JR北海道が開発したキハ283系のアルミ車体試験車。 車体がアルミに変更されている。 更にハイブリッド振り子も搭載。 やはり前面展望室が業務用室に変更され立ち入り不可となっている。
芝山鉄道3890形 空気を運ぶのに4連ではモッタイナイ、ということで 京浜急行の旧1000形先頭車を引き取ったもの。 車番は京成と協議の上、空いていた3890番台になった。 3891-3892と3893-3894の2連2本が登場。 改造費用削減のため、赤い車体に白い帯という京急カラーのまま 今日も2連で京成成田・芝山千代田間の空気を運んでいる。
247 :
名無し野電車区 :2010/04/25(日) 00:55:15 ID:8pjHT3pt0
銚子電鉄 デハ900 営団地下鉄銀座線で廃車となった1900形2両を、西武 所沢工場で銚電仕様に改造したもの。 もともと両運の600V車だったため、改造はパンタ搭載と 台車を701系廃車発生品(国鉄DT21相当)に履き替える 程度で済んだ。 2000形改造のデハ1000とともに主力として活躍中。
248 :
名無し野電車区 :2010/04/25(日) 13:11:56 ID:g/nbJgFa0
941系 JR西日本が1両だけ試作したカーボンモノコック電車。 321系をベースに車体をカーボンモノコックに変更。 これにより軽量化と大幅な強度アップを実現した。 サハ941-1のみが製造されて321系の編成に組み込まれて試験を兼ねた営業運転を実施。 福知山線脱線事故を教訓に製造したが、製造費があまりにも高すぎて量産化には至らなかった。
EF71形1000番台 国鉄末期、JR貨物への「置き土産」として誕生した高速貨物列車牽引用電気機関車。 貨物列車の削減と客車列車の短編成化によって余剰となっていた奥羽本線用EF71を改造して製造された。 投入予定の東北本線では板谷峠に比べ走行性能に余裕があることから、 ギア比の変更により最高速度を110km/hに向上させた。
EF76形600番台 国鉄が開発した九州向けED76形のバリエーション。 磐越西線、仙山線など、軸重制限によりED75形が入線できない線区に投入予定だったED77形の 開発が遅れていた(サイリスタの誘導障害対策に手間取っていた)ため、それまでのつなぎとして投入された。 主変圧器が50Hz用であるほか耐寒耐雪機能の強化など0番台車とは相違点が多かったが、 北海道用500番台車と同様、軸重配置(と労組対策)の関係でED76形のバリエーションとなった。 蒸気暖房装置は準備工事とし、死重が搭載されている。 ところが投入から数年でED77の開発が完了し、投入のめどがついたため、 仕様変更の上九州に異動し、0番台と共通運用されることとなった。 以後JR貨物に引き継がれ、0番台・1000番台と共通運用されている。
○西武鉄道 6500系 直流通勤型電車 ・2011〜 ○東急東横線との相互直通開始に伴う直通運用向け新系列電車 2012年X月、東急東横線渋谷駅付近の地下化が完了し、東京地下鉄副都心線との相互直通運転が開始された。 これに伴い、東武東上線、西武池袋線・有楽町線からも副都心線を介し、横浜高速鉄道 元町・中華街駅までの乗り入れが行われることとなった。 東京地下鉄・東武・東急は、既に副都心線開業時に新車を投入しており、この直通開始についても従来車の増備で乗り切る事としたが、 問題は副都心線開業時に唯一新車を投入しなかった西武鉄道であった。 有楽町・副都心線乗り入れ運用に就いていた6000系は1992年設計であり、再増備するには余りに時間が開きすぎた。 そこで、やむなく増加した運用分を補う為に製造されたのが6500系である。 編成は6M4Tの10両編成。20000系以来お馴染みの、日立A-Trainシステムを採用した軽量アルミ車体である。 また、VVVF装置は30000系と同様の日立製作所製、2レベルIGBT-VVVFを採用。最高速度・加減速度は6000系と同一だが、 西武線内でも加速度3.3km/h/s(6000系は西武線内2.8km/h/s)に設定された。 車内は6000系と同様のオールロングシート。見付は6000系よりも30000系に近く、乗務員室後ろの窓は6000系に比べると大幅に拡大された。 ドア上には16:7形ワイドLCDが設置され、地上区間ではモバイルWiMAXにより、リアルタイムでの情報更新がなされる。 西武鉄道と言うと30000系以来気になる前面のデザインだが、さすがに30000系のスマイルフェイスに貫通扉を設置するのは忍びなかったのか、 6000系のそれを若干いじった様な平凡な前面になった。 主に西武池袋線〜副都心線〜東急東横線という直通運用に就いているが、西武池袋や東上線和光市、有楽町線新木場へ向かう運用もあり、ワイドな活躍を見せている。
252 :
名無し野電車区 :2010/04/25(日) 18:44:54 ID:0En5yvvIO
>>251 もう既に6000百の位5になる車両あるからダメじゃね?
6070系なら大丈夫だ。
253 :
名無し野電車区 :2010/04/25(日) 19:08:29 ID:pV3mqaxz0
EF66形500番台 197X年、20系で運行される寝台特急は好評のうちに運行されているが、従来急行列車に混結 されて運行される郵便輸送でも高速化を図るために20系の郵便車が製造されることに伴い 編成重量が増加してEF65形では牽引定数を超過するために特急貨物用として定評がある EF66の旅客用バージョンを製造することとなった。 0番台との違いはEF65-500番台P型と同じ20系牽引対応装備を追加搭載した。そのため 旅客用とはいえ高速貨物列車も牽引可能なことからEF66PFという通称が付けられた。 外部塗装は原型0番台が特急色であることから同一とされた。30両が製造され、東京、 下関の各機関区に配置された。中でも東京機関区配置車は先代のEF65P形と同じくステップに 白線を入れるアクセントが加わった。
254 :
名無し野電車区 :2010/04/25(日) 19:16:42 ID:pV3mqaxz0
オユ20・スユ21形 特急寝台列車で郵便輸送することになり製造された。 オユ20は区分室付のオユ10相当の設備・役目を持たせた。荷重は7トン。 郵便車では初の冷房装置を床下に設置した。車体は20系に合わせた断面をもつ。 スユ21は区分室を持たない護送便専用のスユ13相当の車両。荷重は13トン。 なおこれらの車両を増結したことにより編成重量が増加したため東京・関西〜下関間の 牽引機がEF66に変更された。
>>252 さんの指摘を受けて若干修正
西武鉄道6070系 直流通勤型電車
・2011〜
○東急東横線との相互直通開始に伴う6000系のマイナーチェンジ増備車
2012年X月、東急東横線渋谷駅付近の地下化が完了し、東京地下鉄副都心線との相互直通運転が開始された。
これに伴い、東武東上線、西武池袋線・有楽町線からも副都心線を介し、横浜高速鉄道 元町・中華街駅までの乗り入れが行われることとなった。
東京地下鉄・東武・東急は、既に副都心線開業時に新車を投入しており、この直通開始についても従来車の増備で乗り切る事としたが、問題は副都心線開業時に唯一新車を投入しなかった西武鉄道であった。
有楽町・副都心線乗り入れ運用に就いていた6000系は1992年設計であり、当然そのまま増備する訳にもいかない。かと言って新形式を起こすほど増備は多分しない。
そこで登場したのが、6000系のマイナーチェンジ車、6070系である。
編成は6M4Tの10両編成。6000系の後期車も軽量アルミ車体だったが、今回は日立A-Trainシステムを採用した為、車体は20000系に近いものになっている。
前面デザインは6000系を若干アレンジし、黒塗装が非常扉窓回りにも回ったほか、前照灯がHIDに変更された。
また、VVVF装置は30000系と同様の日立製作所製、2レベルIGBT-VVVFを採用。最高速度・加減速度は6000系と同一。
ただし、当初から西武線内でも加速度3.3km/h/s(6000系は西武線内2.8km/h/s)に設定された。なお、6070系登場時に6000系も全区間加速度3.3km/h/sに変更されている。
車内は6000系と同様だが、見付は6000系リニューアル車よりも、どちらかと言うと30000系のそれに近く、特に乗務員室後ろの窓は6000系に比べると大幅に拡大された。
ドア上には6019Fとは異なる16:7形ワイドLCDが設置され、地上区間ではモバイルWiMAXにより、リアルタイムでの情報更新がなされる。なお、従来の6000系リニューアル編成にもこのLCDとWiMAXアンテナが順次設置される予定である。
主に西武池袋線〜副都心線〜東急東横線という直通運用に就いているが、西武池袋や東上線和光市、有楽町線新木場へ向かう運用もあり、6000系と共にワイドな活躍を見せている。
JR東日本 クモハネユニ143 ローカル私鉄が駅名の長さを競っていた頃、JR東日本社内で 「長い形式の車両を作ったら話題になって、企業イメージが 良くなるのではないか」との提案がなされた。 カナ6文字なら 日本最長になれるということで、同社大船工場でクモユニ143の 休憩室を2段式寝台(B寝台二人用個室として扱うつもりだった らしい)に改造して登場した唯一両の珍車。 旅客定員2名。 実車が完成してもマスコミに取り上げられる機会は全くなく、 鉄ヲタからは馬鹿にされまくる悲運の車両になってしまった。 165系大垣夜行かムーンライトえちごの増結車として使われる のでは、という鉄ヲタの生温かい期待に応えることもなく、 一度も営業運転を行なえないまま、国府津車両センターの クモヤ代用として静かな余生を送っている。 職用車としては 珍しい冷房車なので、横コツ社員からは好評である。 余談ではあるが、黒歴史をさっさと闇に葬ってしまいたい 本社からの廃車勧告を頑として拒んでいるセンター長は 「漢」だと部下から慕われているそうな。
257 :
名無し野電車区 :2010/04/27(火) 22:38:15 ID:K957IRoH0
サエE230 JR東日本で余剰となったサハE230-500番台を改造して作った救援車。 車内に救援資材を積載している。 連結器は双頭連結器に交換され、更に自動空気ブレーキを増設したため機関車牽引での救援も可能。 JR福知山線脱線事故を契機に救援車を各所に配備し、万一に備えることとした。 サヤE230 JR東日本で余剰となったサハE230-500番台を改造して作った電源車。 車内にディーゼルエンジンを積載した。 これにより非電化区間へのDL牽引による電車乗り入れを実現した。
258 :
名無し野電車区 :2010/04/28(水) 23:16:12 ID:kw0ggIp30
JR東日本 E127系2000番台 直流近郊型電車 JR東日本では北関東地区に於いて国鉄型の115・211系、そして165系の部品流用車である107系によるローカル輸送を行っているが、 このうち115系と107系は車体及び床下機器の老朽化が激しくなっており、また回生ブレーキを搭載していないため省エネルギー化の観点から新車への置換えが検討され始めた。 しかし首都圏地区の標準型であるE231系では輸送力過剰と見られたため、新潟地区及び大糸線に投入されたE127系をベースとし、 主に両毛線での運行形態に合わせ高速走行を可能とした新区分番台車を投入することを決定した。 この計画により投入されたのがE127系2000番台である。 車体は0番台と同一の20m3ドアであるが、130km/h走行を前提とし車体は若干強化されているため重量は増加している。 座席は701系での反省からセミクロスシートを採用した。ドアは半自動扱いが可能。各ドア上には2枚のLCDモニタによる情報装置が搭載された。 トイレは宇都宮方向の先頭車クハE127に大型真空洋式トイレを設置。 列車密度の低い日光・吾妻線での回生失効を考慮し、天井には冷房装置の他に大型のブレーキ抵抗器を搭載。 形式はE127系を名乗るものの、最高速度130km/h運転も視野に入れたため先に増備されたE531系に近い足回りを有する。 制御方式は東洋2レベルIGBTによる1C4M2群制御。主電動機はMT75(140kW)。ギア比97:16=1:6.06。TD平行カルダン駆動。 台車はDT71系。高速走行時の安定性を向上させるためヨーダンパを装備。 起動加速度は3.0km/h/s、最高運転速度は130km/h(現在の営業最高速度は120km/h)。 小山車両センターに3連12本、高崎車両センターに3連45本が投入され、107系及び115系を置き換えた。 両毛線を中心とし、日光線・信越線・上越線・吾妻線、また宇都宮線の宇都宮-黒磯間のローカル運用にも投入されることがある。
259 :
anorak? :2010/04/29(木) 02:06:43 ID:iPWaPMVS0
>>120-121 >>233-234 に続く平行世界もの
◎東京都交通局14-000形電車
製造年 2006- 特記 14号線用 第三軌条と架線のハイブリッド
○概説
1972年の都市交通審議会で14号線が答申される。
経路は駅名で、西武新宿〜新宿三丁目〜四ッ谷〜麹町半蔵門〜最高裁前〜霞ヶ関〜内幸町〜新橋。西武新宿線と相互直通。
営団地下鉄(現東京地下鉄)の前身の一つ東京高速鉄道が東急系列だった上に五島対堤の確執の経緯により
西武新宿線と直通する14号線は東京都交通局が運営する事になった。
都交通局の財政悪化により建設が一時凍結されたが、バブル崩壊後の景気対策の一環として90年代後半に着工開始。
建設費削減の為に第三軌条方式集電の採用かつ車両断面をトンネルに合わせた蒲鉾形状にする事でトンネル断面を縮小。
つまり、ロンドンやシンガポールや香港などの英国系浅深度地下鉄の様な外観となる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:London_Underground_subsurface_and_tube_trains.jpg 14号線の主な仕様は、軌間1067mm、20m車八両編成、ホームドア、第三軌条方式直流750v。
内幸町で三田線との連絡線を敷設し、三田線の志村車両基地を使用。直通相手路線及び基地回送の三田線では従来通りの架線集電。
西武新宿駅での14号線用ホームは山手線の地下に新設され、大久保辺りで地上に出て西武新宿線と合流。
この14号専用に新造投入されたのが14-000形である。当面は後述の理由で4M2Tの六両編成で使用。
走行システムは新宿線用の10-300形を土台とし、M車の屋根に架線集電用のシングルアーム形のパンタグラフ、
並びに同車両の台車に第三軌条集電用の集電靴を装備。車体は両開き四扉のアルミ製で、先述の蒲鉾形状。
2008年に14号線は新橋線として開業。
が、しかし、西武新宿線との相互直通運転は実施されず、中止されてしまった。これは、新宿線利用客の減少傾向の上に
ホテルやリゾート開発等の西武の本業での深刻な業績悪化により直通の為の投資が出来なくなった事による。
14-000形は就役したが、西武新宿線の走行は、即ち地上で独特の蒲鉾フォルムを拝むことは適わなかった。
260 :
名無し野電車区 :2010/04/29(木) 11:58:12 ID:MZ/xIX+vO
南アフリカ鉄道 クラス19G 1937年、珍しくも南アフリカから旅客用機関車を川車が受け、1938-39年に8両を製造・輸出した。 同時期登場の満鉄パシハ形をの影響を多分に受け、動輪直径を1850_にしたため、クラス16E形を上回る狭軌最大の動輪径を持つに至った。(C55同様の水かきスポーク) 外観は鉄道省C57形の影響を受けたが、旅客用ということで煙突〜キャブまでを流線型カバーで覆い、給水事情の悪さからテンダーは長大化した。 輸出途中に第二次世界大戦が勃発したため、納入完了は1940年5月にずれ込んだ。 特急・急行列車牽引に活躍したが、無煙化の進展により1968年に引退。 1両がヨハネスブルグ市内で静態保存。
261 :
anorak? :2010/04/29(木) 23:54:11 ID:iPWaPMVS0
>>259 に続く平行世界もの
◎東京地下鉄03N系
製造年 2006― 特記 井の頭線直通用 ボルスタ付き台車
○概説
2000年、東京圏における鉄軌道整備に関する運輸政策審議会において、
地下鉄日比谷線に関して恵比寿から分岐して京王井の頭線駒場東大前へ至る分岐線の建設、
並びに東京地下鉄日比谷線と京王井の頭線との相互直通が答申された。
世間では井の頭線と銀座線との直通を望む声が多く、両線の規格が違いすぎて無理であったので代替として日比谷線との直通となった。
東急東横線での日比谷線直通需要は、東京都23区内各地で進められている都市再開発による人の集積地の多様化や
東横線のバイパスである目黒線と南北・三田線との直通運転開始及び東横線と副都心線との直通により減少するだろうと予想され、
空いた分を井の頭線直通に回せると判断されたのである。
2001年に、日比谷線の虎ノ門駅設置及び日比谷線恵比寿駅の分岐駅化改造及び井の頭線接続の為の日比谷線分岐線工事、
並びに井の頭線改良工事―直通列車停車駅のホーム延伸(18m車×八両)や信号システム改良や建築限界修正など―が施工開始。
2007年、東京メトロ日比谷線と京王井の頭線との相互直通運転が開始。井の頭線直通区間は駒場東大・吉祥寺間で、列車種別は快速。
これに備え、東京地下鉄は03系を増備した。これは8次車となるが、1994年度の7次車から約十年以上経ち、意匠の変更と共に
後述の最新の技術を採用した為、従来の03系とは異質な存在となり、03N系とも呼ばれる。
走行システムは03系7次車に準じる一方で、同時期の10000系の設計思想も共用、即ち、車体は日立製作所のA-trainの構体を採用し、
ボルスタレス台車を採用せず、代わってボルスタ構造のモノリンク式台車を採用。
両開き三扉で、先頭形状は05系の8次車以後いわゆる05N系グループに準じたものに。4M4Tの八両編成。
ボルスタレスからボルスタ在りへの台車の変更に関しては2000年に起きた日比谷線中目黒脱線衝突事故の教訓だと言われている。
2006年度に就役開始し、現在、専ら井の頭線直通運用に充当されている。
205系 東西線仕様(計画車両) 205系を、301系などの代わりに入れる計画が持ち上がり、設計されたもの 正面に非常ドアを設けたため、正面デザインは他とかなり異なるイメージとなった 最終的には、VVVFインバーターの車両で置き換える事になったため 幻の車両となったが、正面デザインは、非常ドアを無くした上で、 相模線の205系に採用された
国鉄〜JR東日本187系特急型電車 国鉄末期に横川〜軽井沢間をEF63の補機無しで自力で登坂可能な車輌として開発されたが。 当初のアルミ車体新造車〜サロ183改造車に後退したが。 185系特急型が車内設備的にも性能的にも不評を来たし。 当初の特急型電車での使用に困難を来し、更に583系寝台電車特急の今後不明瞭。 更に福知山線電化を睨み次世代汎用特急型電車で使えるように鋼鉄車体で新造し。 サロは余剰183系や485系サロを流用、サハは485系サハを流用、更にサシ改造のサロンカーを連結で纏まり。 あさまに187系投入し189系転属〜一部の183系を関西に転属、 福知山線北近畿に183系投入の計画だった。 先頭車は貫通式、オールMの4両編成を1ユニットにし中間に改造サロやサハを挟む計画、 モハユニットの4両編成は完全新造車だが、
続き、ボルスタレス台車、界磁添加励磁制御、に速度監視装置、架線停電対策など横軽対策が 盛り込まれた、新造モハユニット4両編成の先頭車は南海サザン10000系に近い貫通式、 車内設備は普通車で初めてR55系フリーストップリクライニングシートを採用した。 一方鋼鉄車体に、屋根上の冷房装置は急行型電車の廃車発生品の AU13系分散型とAU75系集中型を再利用、MG、CPも発生品再利用とコスト削減策も 盛り込まれた、中間サロは183系、485系など特急型電車余剰サロが転用された物と。 サロンカーで新造された物があった。 スーパーあさまに投入され時間短縮したが、後々北陸新幹線が開業すると。 187系は各所に転配属され、最高速度130km/h向上工事した後、成田エクスプレスに転用や。 伊豆(185系)の上位特急列車天城に転用などされる事になる。 しかし21世紀に入り2005年以降は老朽化も目立ち、257系や259系による置き換えの対象になり 廃車発生し、先輩の183、189、更には急行型185系よりも先に、651系、253系、と共に 形式消滅する予定。
東京都交通局 10-000形 9次車 都営新宿線に投入された10-000形の最終増備車。8連2本の計16両が投入された。 最終編成は再び「10-000F」に戻るという奇妙な事例となっている。 車体は8次車と同一であるが、各ドア上にはLCDモニタによる情報装置が追加されている。 主要機器は8次車までのチョッパ制御から、遂にVVVFインバータ制御に移行した。 主要電装品は同じくアルナ工機で落成し、外観も近い東武30000系に近いものとなっている。 パンタグラフはシングルアームタイプに移行した。電動空気圧縮機はC-2000MLを搭載する。 制御装置は三菱3レベルIGBTによる1C4M2群制御。主電動機は190kWのものを採用している。 WN平行カルダン駆動。ギア比はチョッパ制御と同じく16:85=1:5.31のままであり、高速域での加速性能は非常に高い。 起動加速度3.3km/h/s、最高運転速度120km/h。 なお、これ以降の増備は10-300形に移行している。
266 :
名無し野電車区 :2010/05/01(土) 21:52:58 ID:Q53bMgKZ0
東武500系 赤城・東武日光〜渋谷間で運行されるメトロりょうもう・メトロけごん用に設計された特急車両。 6両編成と4両編成がある。 車体はA-trainによるダブルスキン構造を持つアルミ合金車体を採用、 10両の場合、トイレは1号車・5号車・8号車に設置。 サービスカウンター・自動販売機・AEDが3号車・7号車に設置されている。 東武動物公園にて分割・併合を行う。 将来的に100系・250系を除く特急車両の置き換えも予定しており、 この車両の導入により30000系は直通運用を撤退、 フラワーエクスプレスは当形式により運行される。
JR東日本 E129系 直流近郊型電車 ○長野地区115系置換え向けの新系列近郊型電車 JR東日本、長野地区に多く残る115系近郊型電車。同車は1960年代前半の設計であり、接客設備の陳腐化はどうしようもなく、また足まわり等のハード面もかなり老朽化が進んでいた。 これらの問題を抱えた115系の置換え用車両として投入されたのが、E129系直流近郊型電車である。 制御装置はE233系と同一のSC90形2レベルIGBT-VVVF、主電動機はMT75形、台車もDT71形・TR255形、SIVもSC86形……と、足回りは完全にE233系のそれと同一。 車体はJR東日本新系列電車でお馴染みの軽量ステンレス製で、E721系のそれに似た3ドア幅広車体である。ただし、床面高さはE233系と同様の1130mm。 前面はE721系そっくりの貫通型。また自動解結装置と電気連結器を装備し解結作業が大幅に簡略化。E127系100番台との併結運用も可能で、これを生かし分割・併合を行う運用も誕生。 編成は6両(3M3T)、4両(2M2T)、2両(1M1T)。従来と比べ、MT同率編成となったことやVVVFインバータ装置の採用、軽量車体などにより、大幅な消費電力の軽減を達成。 なお回生ブレーキも装備しているが、閑散区間での回生失効対策として屋根上に抵抗器が設置されている。回生電力回収装置を変電所に設置するほど頑張る気力はないのである。 車体帯は従来の長野色を継承したパステルブルーとパステルグリーン。ただし、間に細いアイボリーのラインが入りイメージが若干変化した。 接客設備は従来の115系同様の3ドアセミクロスシート。ロングシートもクロスシートもE233系3000番台のそれと同一、コスト削減。 トイレは車両最後部の扉を少しずらした上で電気車椅子対応の大型円筒形のものを設置。 またE233系3000番台同様のドアスイッチが設置され、従来重いドアを手動で開けなければならなかった利用客の負担が大幅に軽減した。 2両編成にはワンマン運転用の各種機器も新製当初から設置されている。 運用は現在JR東日本長野色の115系が運用されているほぼ全域。東は立川、西は中津川・直江津まで広範に渡るほか、しなの鉄道にもS129系として帯色を赤とシルバーに変更の上導入された。 利用客の間では新車として好評だが、一部ファンの間では旅情あふれる115系を駆逐したと不評なのは言うまでもない。
しなの鉄道 S129系 上記の勝手補足 2両編成だが、性能は130km/h、車内は転換クロスシート とJRのよりハイグレード車両になっている 長野-篠ノ井-屋代-上田-小諸の「特別快速」上田以遠各停の「快速」 (上田で両者連結の場合が多い) に集中投入され、 上田以東の中間駅から 「上田で乗り換えなくても長野へはの差は少し!」 を全面に出してPRしている
269 :
名無し野電車区 :2010/05/02(日) 03:28:00 ID:TeHvcPKn0
改造スマソ E129系1000番台 ・高崎地区の115系が老朽化した為、3両編成と4両編成を製造する。 製造担当は、川重、東急、新津が担当する。 車両概要は、基本番台と同じくE233系と同じ足まわりに、新たに耐雪ブレーキを追加した。 外観は、ステンレス車体に帯が巻かれている。 当初、115系や211系、E231系と同じ湘南色で運行したが、同じ高崎駅を発車する高崎線との混同を防ぐため、全車の帯を剥がした。 なお、帯の色は現在、高崎支社が考案中である。 車内は、E233-3000番台と同じクロスシートが211-1000番台と同じ配置される。 半自動ボタンは、E233系と同じものである。 また電連を装備した。 運転席上部には、監視カメラが付いており、線路内侵入を防止している。 また、新津からの配給時には線路内侵入で5人逮捕された。 当日は、配給経路の上越線で9時から17時までの普通電車では全列車、車内検察が行われ、ミネルを始めとする10人が逮捕された。
270 :
名無し野電車区 :2010/05/02(日) 16:07:26 ID:rvUa7qEw0
>>264 >急行型電車の廃車発生品のAU13系分散型とAU75系集中型
急行形に使われてた集中式クーラーはAU75ではなくAU72じゃなかったかな。
271 :
名無し野電車区 :2010/05/03(月) 01:05:02 ID:0gqHRha50
>>267 >回生電力回収装置を変電所に設置するほど頑張る気力はないのである。
なんか表現が良いですね。
【所属】JR東日本
【形式】211系500番台
【製造初年】1988年
【背景】国鉄からJRになった当初、イメージアップをはかるために
新車を導入することにした。しかし、新車を設計する時間はない。
そこで、国鉄設計の211系電車をマイナーチェンジすることにした。
【概要】
1.213系と同様に助士席側の窓を拡大し、前面展望を確保。
2.ドア内側に化粧板を張り、高級感を確保。
3.基本編成を6M4Tにして性能向上と到達時間短縮(付属編成は2M3Tのまま)。
4.宇都宮・高崎線用も基本10両のみの製作にして先頭車の製作両数を減らし
コストを削減(基本編成は4号車・5号車が普通車の他は東海道線用と同じ)。
5.最高速度は110km/h(120km/hには対応)
6.寒冷地対応車や、ロング車も作られる。なお、これらの区分は史実と同じ。
例) 寒冷地対応のロング車は3500番台
【補足】
1.宇都宮・高崎線のグリーン車投入に伴い基本編成の4号車と5号車を組み替え。
余ったサハ211は比較的新しいため、一部のサハ211の組み替えにより国鉄製造
のサハ211を玉突き廃車。
2.国鉄製造の211系は現在以下のように運用されている。
0番台(4M6T)〜足が遅いのでG車を取り外して房総地区に転用。
その他は5両編成で本番台と同一の機器構成のため、
前述のグリーン車組み込みによる廃車となったサハ211以外、
付属編成として全車現役。
>>264 >>270 修正、187系新造モハユニット4両編成はパンタ付きモハの屋根には
急行型AU13系、AU72系冷房装置、MG流用、車体は鋼鉄車体にレベルダウンなど。
当初の187系新造車のアルミ車体に比べ特急型としてはかなり見劣りしたが。
一応当初から120km/h出せ、更に改造で130km/h出せるような改造受けた性能。
更に普通車に特急型初めてのR55系フリーストップリクライニングシート採用などの
斬新さはま185系と違い、特急型電車に相応しい車内設備だった。
鉄道省43系東海道線配属車 昭和6年横須賀線の32系、昭和9年関西大阪〜須摩間の電化後の電車運転の成功。 かつて計画しながら関東大震災により頓挫した東京〜小田原間電車運転を新造の 43系電車を東海道線に投入して電車運転を開始し一部車輌は横須賀線電車と共用可能に した。 昭和10年東海道線に43系が投入された時の形式。 モハ43、関西用と変わらないが、昭和11年以降は前面が半流形に。 モハユニ44、基本的に横須賀線用と変わらない。 サロ45、モハ43系に対応するサロ45で32系用よりリベットが少なく軽快。 サハ48、関西用に投入予定が中止された車輌を東海道線電車運転向けに転用。 クハ58、製造年度により平妻と半流妻がある。 モハ42、関西用と変わらず平妻だけだが座席を簡単に外せて、荷物電車に転用可能な設計。 サロハ46、関西用と同じだが番台区分。 編成は、モハユニ+サロハ+サハ+モハ、或いは、モハ+サロ+サハ+モハ、 モハ+クハ、又はモハ+サハ+クハ、又はモハ+サロ+クハ、に増結両運モハ、 昭和10年から東海道線東京〜小田原間で始められた電車運転は湘南電車(初代)と いつしか呼ばれるようになり、新宿〜小田原、新宿〜藤沢〜片瀬江ノ島、で電車運転していた。 小田原急行鉄道にとり最大のライバルとなり、新宿〜小田原間直通客を 東海道線電車に奪われる事になった。 しかし太平洋戦争開始後、空襲を受けて車輌焼失や部品不足で運転不能が続出したり。 戦時改造で3扉や4扉に改造された車輌がでたため。 終戦直後は横須賀線電車共々散々な惨状、更に電車運転復旧のために63系が投入されたり したが。 最終的に1949年〜1950年、2代名湘南電車となる80系により置き換えられて。 残存43系は東海道線東京〜小田原間から去る事になった。
274 :
anorak? :2010/05/03(月) 23:01:33 ID:k4h/B15M0
>>261 に続く平行世界もの
◎国鉄K11系電車
製造年 1975-78 車種 クハK11 モハK11/K10 特記 軌間762mm用
○概説
1970年代、同和対策事業の一環として同和地区の公共交通改善を目的に国鉄の既存路線と同和地区を連絡する国鉄の特殊狭軌線が
近畿以西の大都市圏で幾つか建設された。これらは、軌間762mm、急曲線と最大50‰の急勾配が存在し、直流750V電化、
しかも国鉄として異例の軌道法準拠区間の存在で併用軌道も部分的に在るという軽便鉄道。
今更こんなナローゲージの軽便規格が選択されたのは、第一に着工までの行政手続の簡素・迅速化、第二に需要に対する建設費、
工期、運行費用などの費用対効果の最適解。これら同和地区特殊狭軌線では、建設費と運営の赤字は全て税金で賄われるという
国鉄として異例の優遇措置が執られ、故に別会計となって、運賃体系も異なり、従来の路線との通し切符は販売されず、
青春18きっぷも不可。同和地区の住民専用線なので、市販の全国版の時刻表には掲載されず、マスメディアも積極的に紹介せず、
鉄道趣味の書籍でさえも一切触れない。当路線群の開業時、同和団体の先鋭化と重なり、社会に無知な鉄道愛好家が興味本位で
無節操に写真を撮りまくると、活動家達に囲まれ、事務所に連行され、糾弾され、フィルムを没収される事が多発。
まさに知る人ぞ知る禁断の鉄道であり、訪問の際に掟を遵守すれば趣味を極めたと堪能出来る。
この特殊狭軌線群用に新造投入されたのが、K11系電車である。形式のKは軽便を意味。
車体長11m、車幅2.1mと矮小な車体に台車や床下も矮小で艤装困難故に、40kwの主電動機を台車に二機の換装方法は
カルダン駆動ではなく、つり掛け式を採用し、かつMM'ユニット方式採用で、M'にパンタグラフ搭載。TcMM'Tcが基本編成、
台車はコイルバネ、非貫通先頭。接客設備は、片開き二扉、バスのような一人掛けの固定クロスシート、車内車端に冷房装置。
1987年4月、当車両は特殊狭軌線群と共にJR西日本と九州が承継。2005年以後老朽化により新車に置換えられ、現在全車廃車。
インターネットの普及に伴って独特の同和特殊狭軌路線と専用車の存在が広く知られるようになってきたが、KYで掟を破って制裁を
受けるヲタが増え、当車両の運行末期に「鉄道ヲタ専用車です♪」とはしゃぐヲタは即刻別の血祭の生贄に。
275 :
anorak? :2010/05/03(月) 23:45:34 ID:k4h/B15M0
>>184-185 >>274 に続く平行世界もの
◎国鉄801系電車
製造年 1986 車種 クモハ801(cMc) クハ/サハ800(T'/Tc') 特記 交流10000V
○概説
1986年初め、二十数兆円規模の巨額債務で破綻した国鉄が分割民営化されるのが当然となった時点で、
『民営化されたら、もう電化は有り得ない。県庁所在都市に電車がないと取り残される!』と危惧した鳥取市と
そこに県庁を置く鳥取県は陳情を開始。
ハチマキをして「電化で我が鳥取市に電車という都会的で洗練された乗り物を!」という趣旨の垂れ幕を持った陳情団が
国鉄本社前、霞ヶ関、永田町にやって来た。
専門家や当の国鉄から無駄の指摘があったにも拘らず、政治家をも巻き込んだ陳情の甲斐あって、
因美線と山陰線の郡家〜鳥取〜末恒区間の電化が決まってしまった。
この電化費用の削減の為に、第一に電化後の想定される電車の本数などの費用対効果の観点から交流電化が選択され、
第二に電圧を従来の20000Vから10000Vに下げて感電防止の為の絶縁距離を縮小させる事で絶縁距離に抵触する物体の移設工事
―例えば、跨線橋などの移築か改築、トンネル内や道路高架橋下の線路の路盤下げ工事など―を削減。
ここに国鉄・JRにて交流10KV60Hzという新たな電化方式が誕生することになった。
この新たな交流10KV60Hz電化区間用に製造されたのが、801系である。
cMcは単行運転可能な両運転台で、軽量ステンレス製車体、ボルスタレス台車、走行システムは713系土台のサイリスタ位相制御で、
回生ブレーキは採用せず、発電ブレーキ採用。
車体の意匠は、同時期のキハ54の車体中央に片開きの扉を追加した様なステップ付片開き三扉で、オールロングシート、
半自動ドア、集中式冷房、ワンマン運転対応機器装備、トイレ無しなど。
増結用のTc'は、国鉄の財政状況を反映してオハフ50を改造、車掌・業務室を運転台に、車内は種車のまま、電気暖房、冷房無し、
トイレは撤去。T'も同様にオハ50を改造。
孤立した電化路線なのでcMcとTc'の連結器は国電標準の密着連結器ではなくディーゼルカーや機関車と同じ自動連結器。
JR発足間近の1987年3月の電化開業で就役。ラッシュ時を中心にcMcT'Tc'の三両で運行し、日中は主にcMcのみでワンマン運転。
同年4月にJR西日本に承継される。
>>211 の平行世界
国鉄16系近郊型客車
1969年から急行型客車の置き換えに
>>211 の12系客車シリーズが量産され、更に特急型にも
14系寝台客車、座席客車シリーズが量産予定だったが、その一方一般型は手動ドア、更には戦前製
車輌まであるなど老朽化した客車が使われ、特に交流電化区間の通勤、通学に支障をきたしつつあった。
そのため旧型客車の置き換えとしてまず交流電化区間の仙台、北陸の通勤通学用の名目で
16系近郊型客車が製造される事になった車体はキハ45系をベースにした。
2扉両開きで、扉間2段ユニット窓6窓に固定クロスシート6組、計12組のクロスシートが
扉間にあり戸袋窓にはロングシートが覇一部され、オハ16では連結面にもユニット窓1に固定クロスシート1組、計4ヶ所の4組
小窓と戸袋窓にはロングシート、オハフ16には便所が取り付けられ反対側にクロスシート1組、
車掌室が便所側の反対側に取り付けられた。ブレーキはCLブレーキ、台車は12系客車の台車をコイルバネにした物
オハ16は1〜87の87両、オハフ16は1〜42の42両製造され、仙台地区と北陸地区に配置されたが。
ステップ付きとはいえデッキ無しの2扉両開きで冬の保温に劣るため、閑散時はデッキ付き旧型客車に
居住性が劣るため上記車輌で打ち切られた、昭和48年には客車と機関車のプッシュプル運転に使うために
オハフ16の車掌室を運転室にした、オハフ16、300番台301〜323が製造されて、16系客車に
推進運転のためのパイピング装置を取り付けて機関車と客車のプッシュプル運転を開始した。
塗色は始め旧型客車更新車の青色であったが、後々50系客車が登場すると、50系客車に合わせた
赤色に塗り替えられて、同じくレッドトレインと呼ばれるようになる。
16系客車と併結した50系客車の中には機関車とのプッシュプル運転にそなえパイピング装置を
取り付けた物まで出るようになった、北陸地区からは昭和61年に16系客車が引退したが
筑豊地区など九州地区、和田岬線の旧型客車置き換えなど旧型客車置き換えに転用されたが。
上記のつ、JR化後16系客車はJR東日本仙台地区を中心に、JR西日本山陰地区、JR九州地区に 分散されて引き継がれたが、12系客車や50系客車は比較して両開き2扉デッキ無しは通勤通学輸送に 適していたが、開口部が大きく老朽化の進行が早い事、冷房装置取り付けを全く配慮しない軽量車体構造が 災いして仙台地区を除き12系客車や50系客車に比べて急速に廃車が進んだ。 仙台地区だけでは、機関車とのプッシュプル運転が可能な事、2扉両開きが他の客車よりも 通勤通学輸送に適してた事から重宝されたが、平成11年ついに701系電車が仙台地区に配置されると。 ついに16系客車は仙台地区からも同年9月に引退し、全車廃車され形式消滅した。
278 :
名無し野電車区 :2010/05/04(火) 16:32:54 ID:0Ir97D4e0
国鉄 北海道総局 20系500番台 43.10改正により、全国特急網は充実しつつあった その中で、北海道にもそろそろ寝台特急列車をという声が上がり、函館発着、稚内・網走・釧路方面への 寝台特急列車を設定することとなり、当時標準であった20系客車に酷寒地向け装備を施した20系客車が 製造された。 各車共通仕様として、ドアの引き戸化、蒸気暖房引きとおし管の設置、暖房3の設定と冷房3の撤去、断熱材の強化 などがあげられる。 カニ21−500 ナロネ21−500 ナハネ20−500 ナハ20−500(売店室なし) ナハフ20−500 上記車輛が44.10改正に合わせて登場した なお、昼行急行「ニセコ」の体質改善のため、上記車輛のうち座席車を共通運用とし、下記の 車輛がそれぞれ3両づつ製造された ナロ20−500 ナシ20−500 ここに、全国初の集中電源方式の昼行客車急行が誕生し、道民はその登場に湧き返った その後、航空機との対道内輸送のシェアが逆転し、函館発着の寝台特急列車の乗車率激減のため 53.10で列車廃止となり、余剰客車の道内夜行急行への投入により、体質改善が行われ、更に 20系客車としては唯一の2段寝台化が行われ、JR北海道に引き継がれた そして、キハ183系から電源供給を受けるように改造されたナハネ20−500が平成までその任務を 全うするとともに、唯一の夜行客車急行「はまなす」として未だ現役でいることはこのスレの住民であれば 周知のことであろう
>>278 残念! ナハネ20(ナハネフ22と23にも)に500番台が実車として存在した。
280 :
名無し野電車区 :2010/05/04(火) 17:05:47 ID:0Ir97D4e0
>>279 ほほお・・・
じゃあ、引き戸で北海道装備した20系が実在したと(ry
>>280 現実世界では、1968年(昭和43年)に、ナロ、ナハ、ナハフの座席車から寝台車に改造されたのがネの500番台になっています。
ただ、これら改造車自体、そんなもんあったのか?と思わざる得ない程に両数がかなり少ないです。
なので、当時の国鉄は、その少数の改造車の存在を気にとめず、北海道向けのを大ざっぱに500番台としてしまい、
>>278 の「ナハネ20−500」は551番から始まる、と話をつくることができますが。
客車改造のキハ40形0番台(後にキハ08に改称)と、設計コンセプトが全く異なる新造のキハ40形100番台以後という
事例を参考に、話を創作できます。
JR東日本E753系電車 北東北地区485系の老朽化およびE751系の耐寒耐雪能力不足対策として、山形新幹線400系の 在来線転用というウルトラCが実現した。 サハ以外は山形ジェイアール直行特急保有(株)からの 購入という形に書類上はなっている。 改造は狭軌台車への履き替えと、新幹線ATCを青函ATCに 交換した程度。 ステップ撤去もなされておらず、改造費用削減に注力されたことがうかがえる。 MM'の向きが在来線の基本と逆なのも御愛嬌。 盛アオに下記82両が配置され、485系のみならず E751系も追い出し、在来線130km/h青函トンネル内160km/hで活躍中。 新幹線新青森開業時の 去就が注目されている。 なお、E751系は交直車に改造されE653系に編入、水カツに転属した。 白鳥・つがる編成7連10本(含、予備編成) クモロE753-モハE752-モハE753-モハE752-サハE753-モハE753-クモハE752 かもしか編成4連2本 クモロE753-モハE752-モハE753-クモハE752 増結中間車ユニット2連2本 モハE753-モハE752
※以前投稿したものを修正し投稿しています。 JR東海 385系 直流特急型電車 ○リニア駅と県央のアクセス特急用の新系列特急電車 2027年、JR東海は品川〜名古屋間に念願の中央リニア新幹線を開業させた。 リニア線内には通過各県に1ヶ所の駅が設けられ、ルート策定時に対立した長野県には当初発表したCルートに基づいてJR飯田線と連絡する新飯田駅(現.飯田線 元善光寺駅付近)が設置された。 これに対し長野県は連絡列車運行を要求。それに応える形で、JR東海は飯田線辰野〜飯田間の高速化を行った上で、長野・松本方面から飯田線に直通するリニア連絡特急「てんりゅう」の運行を決定した。 連絡特急は飯田〜長野間に設定され、停車駅は、飯田、新飯田(元善光寺)、駒ヶ根、伊那市、辰野、塩尻、松本、篠ノ井、長野。 ただし、篠ノ井線内に単線区間が多く、かといって複線化するほど輸送密度もないという路線の都合上塩尻〜長野間では特急「しなの」と併結し運行する。 この計画によって導入されたのが、385系直流特急型電車である。 編成は383系に準じた6両(3M3T)、4両(2M2T)、2両(1M1T)編成。6両編成の長野側先頭車はパノラマグリーン車であるがそれ以外はオール普通車である。車体はビードレス軽量ステンレス製。 外見デザインは従来を踏襲しているが、前照灯はHIDに、幕式だった種別・行先表示器はフルカラーLEDに設計変更された。 主回路装置は東芝製IGBT-VVVF。383系に比べVVVFインバータやモータ自体の性能が向上した為、起動加速度を2.5km/h/sに設定し更なる時分短縮を図っている。 なお、純電気ブレーキを備えているが、回生失効対策で抵抗器を床下に装備しているのは383系と同様。 また自動解結装置を装備し、従来解結の行われていなかった塩尻駅での解結運用にも最小限の人員配置で乗り切ることにした。 車内は暖色系になった以外は普通・グリーン車共に383系と同じである。 中央リニア新幹線開業と同時にデビューし、「てんりゅう」以外の「しなの」運用にも充当されている。 同列車の利用で、従来の快速(?)「みすず」利用で所要約2時間となっていた飯田〜松本間が約1時間に短縮され、県南と県央の連絡特急としても機能している。 なお、この「てんりゅう」の愛称、当初『もっと格好いいものに』と主張する長野県とまた揉めたとか揉めないとか。
※以前投稿したものを再編した上で再投稿するものです。 JR東日本 E353系 直流特急型電車 ○リニアで揉めた諏訪地域の次の要求は…?そしてJR東日本は…? 2011年、JR東海はリニア中央新幹線を計画上のCルート(南アルプス貫通ルート)で建設する決定を下した。 これで東京側ターミナルを品川とした上で、名古屋までのルートが決定。問題の長野県には、新飯田駅(飯田線、元善光寺駅付近)が設置された。 この結果に不安を覚えたのが、Bルートでのリニア建設を推進してきた諏訪広域連合リニア期成同盟会である。 誘致失敗が、諏訪地域、引いては松本などの県央地域衰退に繋がる事を懸念した諏訪広域連合期成同盟会は、既にあった中央東線高速化促進広域期成同盟会に合流し、新たに中央東線高速化委員会と名称変更。 リニア代替策としてのJR東日本中央東線の高速化を求めた。要は、「遠いリニアより近い中央線」に方向性を切り替えたのである。 当初JR東日本は消極的であったが、JR東海の飯田線高速化事業により新飯田〜松本間が約1時間で結ばれ、東京からの所要時分が、中央東線特急利用よりもリニア経由の方が短いと言う事が判明すると態度は一変。眠れる獅子は再び目覚めたのである。 中央線高尾以西の稼ぎ頭である、特急利用客が少なくなっては大問題、とE351系導入時に一応実施された中央東線高速化事業に再度着手することとした。 本気になったJR東日本は、とうとう約20年ぶりとなる最高速度の引き上げ、中央東線最高速度140km/h化計画を発表。 信号システムの更新(GG現示追加など)、中央線快速電車・立川以西の普通列車のスピードアップ、退避駅の整備、回生電力回収装置の設置(中央東線に限る)…など、90年代初頭の同社を思わせる壮大な計画にファンは驚愕した。 その高速化事業の真打ちとして投入されたのが、E351系に代わる新型振り子式特急車両、E353系である。
>>284 続き
E353系系はE351系に準ずる松本側から8両(4M4T)+4両(2M2T)の12両(6M6T)編成。主回路装置は日立製3レベルIGBT-VVVFを採用。
車体は従来の鋼製から日立A-trainシステムを利用したアルミ合金製ダブルスキン構造を採用(前頭部は鋼製)。
またE351系でスピードアップの足枷となった重心の高さを解消する為、乗務員室はE257系に準じた半高運転台構造としている。
同じくE351系での経験から、台車に自己操舵式台車を採用し線路への負担を軽減する設計とした。
そしてJR北海道から技術提供を受け、振り子機構と空気ばね傾斜機構の両方を併用するハイブリッド振り子装置を装備した。
これにより従来5度であった傾斜角度を8度まで拡大。半径600m以上の曲線で本則+45km/hというハイスペックを叩き出すことに成功している。
140km/hから迅速に停車するため、ドイツ国鉄ICE-3で採用例のある渦電流式レールブレーキを採用。最高速度時でも法令通り600m以内での停車を可能とした。
また気力を出して回生電力回収装置を中央東線内には設置した為、山岳線区ではあるが純電気ブレーキの採用に踏み切った。一応失効時に自動で発電ブレーキに切り替わる設計にはしている。
また起動加速度を2.5km/h/s、減速度を常用最大4.0km/h/sと通勤電車並みに引き上げ、全体でのスピードアップも図った。
車内は普通車こそE351系と大して変わらないものの、グリーン車は183系グレードアップ車以来となる1+2列シートを採用。リニア新幹線との差別化を図った。「小さい」と不評だった側面窓も、普通車共々少しだけ拡大している。
中央東線の特急体系自体もメスが入れられた。
新宿〜甲府間の特急は「かいじ」で従来通りだが、新宿〜松本・南小谷間の「あずさ」「スーパーあずさ」は全てE353系で置換え、「あずさ」に一本化した。
「かいじ」には、VVVFソフトを変更し若干の高加速化と純電気ブレーキ機能が追加されたE257系を従来通り使用している。
これらの改良が完了し、E353系量産車が出揃った20XX年のダイヤ改正によりE353系は特急「あずさ」として運行を開始した。
これにより、新宿〜松本間が最速の「スーパーあずさ19号」改め「あずさ19号」で1時間59分と30分近いスピードアップとなった。
286 :
名無し野電車区 :2010/05/07(金) 17:25:19 ID:5g6eXGcP0
JR西日本 サハE230-500改造 和田岬線新専用車 JR東日本で不要となった山手線6ドア車を何とJR西が譲受し、他線区で余剰 となった105系500番台クモハを繋げてしまったもの。6両編成と予備の4両編成が各1本づつ登場した。 改造内容は、クモハは改番し5000番台とされN40体質改善工事に加え限流値の引き上げや電気指令式ブレーキ化などの足回りの改造、 片方のクモハは方向転換し配管や引き通し線の改造、トイレや車端部座席の撤去などが施工された サハ車は改番と連結器の密連化と内装の張り替え、一部折りたたみ座席の撤去、LCDモニターの撤去などがおこなわれた。 塗装はかつてのキハ35-300と同様の茶色い帯を巻き、編成美のためにクモハは鋼製ながら側面が銀色に塗装されているのが特徴である。 編成 クモハ105形5000+サハ230-5000+サハ230-5000+サハ230-5000+サハ230-5000+クモハ104形5000 2M4Tでしかも、モーターは110KWのMT55で編成出力は880KWとJRの抵抗制御車としては例のない低出力編成で満員の乗客を乗せた6両編成を動かすことになったが、 サハ車はステンレス製で軽量なことや、和田岬線はほぼ平坦で最高速度が30km/h程度なので実用上問題はないようだ。 これにより103系が置き換えられ、207系の予備運用も無くなり、15年後ぐらいまで使い倒すようだ。
>>286 40Nも30Nも終了してるのに、いまさら敢えてN40かよw
ってか、無駄に電気指令式ブレーキなんか搭載しなくても
発生品の自動ブレーキでもサハに積めばおkなんじゃないのか。
288 :
名無し野電車区 :2010/05/08(土) 01:08:16 ID:d6yvI7sm0
JR東日本831系電車(史実一部改変) 平成初頭、北東北ではローカル列車を主に50系客車で 運用していたが、機関車の老朽化が進み、運用の効率化や高速化も兼ねて電車化が叫ばれていた。 しかし、まだ経年10年余りの50系を廃車にするにはまだ時期尚早という意見が多かった。 そこで、当時試作を経て増備が始まっていたキハ110系に準じた2ドアセミクロスの 831系電車が導入されることとなったが、上記の事情を踏まえたユニークな方策が採られ、 現代まで語り継がれることとなる。 同系は、50系客車を挟み込んで運用すべく、高出力化のため、まだ普及初期段階だったインバータ制御が導入された。 客車時代の編成に合わせて、3・4・6・7の各固定編成が用意されたが、 3・4連は クモハ831-(50系1・2両)-クハ830 6・7連は クモハ831-(50系4・5両)-クモハ831 の編成が組まれた。 (3・4連のクハは当初50系に運転台取り付けで確保する予定だったが、 車齢を考慮して、改造は最小限にとどめられ、クハ830が製造されることとなった) 併結される50系は、引き通し線等の改造は行われたものの、 北海道の14系同様、客車称号のままであった。 また、トイレは50系に必ずオハフを組み込むことを前提に省略された。 この一連の計画時には冷房化の要請もあったものの、50系の車齢を考慮して 冷房準備工事のみとして、併結運用時点では見送られた。
289 :
名無し野電車区 :2010/05/08(土) 01:09:27 ID:d6yvI7sm0
JR東日本831系電車(史実一部改変)続 平成4年からもともと50系使用だったスジを立て替える形で盛岡・秋田地区で運用が開始された。 キハ110系と違って50系に合わせた平面的なデザインで、かつ塗装も50系に合わせて ワインレッド一色だが、出自の違う車をはさむその姿は、かつての京王2000系を髣髴させ、 「平成のアンコ編成」と呼ばれた。 6.7連は運用がラッシュ時に限られるため、3・4連とクモハを交換して走行距離の調整を図ることが しばしばあった。 なお、翌平成5年には、首都圏用209系に範をとった701系が開発され、 残る50系の初期車、12系ローカル改造車および区間運転用の非電化線と共通のDCは こちらで置き換えられることとなった。 701系は純粋な新車で冷房完備だが、2連に編成短縮のうえ、ロングシートが採用されたため、 立席が増えて混雑が悪化し、地元紙でも槍玉に挙げられたのは周知のとおりである。 平成二桁に入ると、50系の老朽化が目立つようになったため、平成12年までに 挟み込んでいた50系を廃車し、編成の組み換えが行われた。 3・4連はサハ701、6・7連はサハ701-クハ700を増備のうえ、高出力を生かして3連が組成された。 このとき831系自身も大幅な改造が施工された。 冷房化、塗装変更(赤一色から、ライトグレー地に701系に準じた紫とピンクの帯)、 および3ドア化(増設ドア脇のロングシート化を含む。増備の701系T車系はロングだが、 701系がオールロングで不評だったため、本系はクロスシートが残存することとなった)によって、 パッと見別形式と見まごう程となった。 現在も701系とともに北東北各線で活躍しているが、3セク(IGR、青い森)乗り入れには充当されない。
>286 今よりマシに思えてしまうJR西民 機関車のプッシュプルでもいいかもね あれ?いつか見たような気が・・・ で、暇な休日は、一般人向けに、機関車運転体験 ってどこかの鉄道博物館か てか、これ以外も、廃車分をクモハやモハで挟んで、 103系代替の、なんちゃって新車希望
291 :
名無し野電車区 :2010/05/08(土) 10:36:50 ID:ZB6nR+J+0
417系1000番台 国鉄が製造した417系の暖地向けタイプ。 雪切り室が廃止されて定員が増加した。 またモーターがMT54Dに変更されている。 3両編成であり、大分電車区に配置されて交直両用であることを活かし関門トンネルを越えて下関まで乗り入れていた。 一部国鉄末期に勝田電車区に転属して水戸線に転用された車両があるが、大部分がJR九州に承継された。 現在は九州各地に散らばっており下関乗り入れ運用は無くなった。 717系200番台や713系とは異なり3両編成であることからラッシュ時のみの限定運用となっているようである。 415系や717系、475系と連結可能。
292 :
名無し野電車区 :2010/05/08(土) 16:31:07 ID:uFMJdR+t0
サロ・モロ210・211形3000番台 E259系に置き換えられ、余剰となった253系200番代をグリーン車に改造し、 千葉地区で209系に置き換えられた、211系を高崎に再転属し、 その211系に組み込みのグリーン車である。 改造内容は先頭車は運転台を撤去。グリーン車だった車両は、個室部分に、トイレを設置。 4号車に当たる車両は、前橋・宇都宮方に車掌室を設置。 塗装は、211系に合わせたグレーで、211系と同様の湘南色の帯を巻いている。
169系 新幹線開業で余剰となった153系から横軽対応へ改造された形式。 改造の際に電動機はMT46からMT54に換装され抑即ブレーキも付加された。 塗りわけは165系と同じ湘南色だが種車は高運転台車に限定されたので、 正面からは改造車とは分からないが153系からの改造の為に電動制御車が無く、 ビュッフェカーを含む11両編成の中に運転室のある車両が含まれないので容易に見分けられる。 信州急行「信州」「妙高」などに充当され、ビュッフェが営業していた急行としては最後期のものだった。 1982年のダイヤ改正で特急あさまに格上され、本系列は短編成化されローカル運用に転じた。 4両編成4本が今現在もしなの鉄道に在籍し、最後の活躍を見せている。 長らく
294 :
名無し野電車区 :2010/05/08(土) 20:59:34 ID:+aci3VXR0
国鉄 北海道総局 583系1500番台 青函トンネルが昭和57年に開通し、同時に東室蘭〜青森間が交流電化された そのため、対北海道連絡のゆうづるが延長の形で札幌まで乗り入れることになった 既存の583系をベースに、酷寒地向け対策をした車輛を新製した 以下の車輛とも、ドアの引き戸化、M車への雪切室設置、B寝台車の2段化が共通仕様となっている また、先頭車のクハネ583−1500は運転台上部の前照灯が2灯化されている サロネ583:1人用個室A寝台が14室並んだ形式 オロネ25の電車版 サロネ584:2人用個室A寝台が11室並んだ形式 のちのツインDXの電車版 サハネ583−1550:初の1人用個室B寝台 当時流行しはじめたカプセルホテルのカプセルを通路の左右に 並べた形 クハネ583−1550:サハネ583−1550と同様の先頭車 上野〜札幌間を3往復が結ぶとともに、1本は多客期は旭川まで足をのばし、道北観光の足として重宝された
EF68形直流電気機関車 国鉄民営化後、JR東日本に引き継がれたEF63形であったが、碓氷峠を通過する貨物列車が 廃止されたことによって旅客列車のみの運用となり、また、その旅客列車も短編成化が進んでいた。 長年にわたる使用によって老朽化も進んでいることから、大幅なリニューアル工事に合わせ、 制御装置をEF67形と同様の界磁チョッパ制御方式に変更し、 1両での併結運転を行える力行性能を確保した上で、余剰車を廃車することとした。 電力回生ブレーキが使用できるが、回生失効に備え、発電ブレーキも併用している。 また、単機での運用が前提であることから横川側の運転台は貫通扉が閉鎖された。
296 :
名無し野電車区 :2010/05/09(日) 08:47:05 ID:uTRnG/aC0
>>295 碓氷峠におけるEF63はEF67のような押し上げるだけの補機ではなく、安全に坂を下りる為の補機としての意味合いが強かったかと。
297 :
名無し野電車区 :2010/05/09(日) 09:06:53 ID:kFiZKqu50
>>296 に触発されて
JR東日本 クモヤE251
平成元年、碓井峠通過列車用に大馬力の特急用と普通用の新型電車が開発され、それぞれ
自力で登ることができるようになった
しかしながら、緊急時の列車後退に備えるために「重し」になる車輛がやはり必要であるとの
ことから、生まれた形式である
車重100トン、2軸ボギーを4つ履いたその車体のほとんどは死重の水を入れるための水タンクで
あり、台車に装着された電磁吸着ブレーキは緊急時にレールに吸着するものである
構内自走用に小型モーターとパンタグラフを装着しているが、営業列車に連結される際には走行抵抗と
なってしまうためユニットカットの上で運用される
長野新幹線開通まで活躍し、全車廃車された
298 :
名無し野電車区 :2010/05/09(日) 12:14:20 ID:/5YCIXzC0
サハ581 国鉄でサシ581をラウンジカーに改造。 車内に大型ソファーと自動販売機を設置した。 JR東日本とJR西日本に承継されたが1995年に廃車された。
クハ110-1200(改造車) 改造は全て元国府津車両区113系のものである 種車となるサロ110-1200にクハ111形の前面を接合し、先頭車化改造 定員は52名、妻面に近い方のドアに先頭車の顔を移植させたためトイレ・車掌室は残っている 3両のみの改造 詳しい車番は以下の通り クハ110-1287・・・元コツK57編成 サロ110-1287にクハ111-218の顔を移植 クハ110-1224・・・元コツK61編成 サロ110-1224にクハ111-215の顔を移植、また現存しているサロ110では最若番である クハ110-1271・・・元コツK63編成 サロ110-1271にクハ111-1083の顔を移植、唯一の1000番台顔
300 :
阪和線 :2010/05/09(日) 20:38:20 ID:u02m3oFe0
JR西323系 東海道線での「快速」のラッシュ時の混雑が激しいため 混雑防止及び乗降りスムーズ化も考慮して作られた。 編成は7両固定で約20編成 足回りは225系と準じておりなお普通運用にも考慮し 0,5Mを採用している。なお車体は225系の4ドア化したような外見を している。また、TJライナーで採用されたシートを使用している。 ラッシュ時は「快速運用」限定で運用されているが普通運用や たまに福知山線乗り入れなども行っている。 また、東海道線の207系の置換え用に製造が計画されている。
301 :
名無し野電車区 :2010/05/10(月) 20:27:05 ID:To7u4vJh0
国鉄H50形蒸気機関車 国鉄が製造した唯一の8軸駆動式蒸気機関車で、「和製ビッグボーイ」という愛称がある。 最大出力はD51の2倍の2560馬力。 しかしあまりにも巨大すぎて走行可能な線区が限られてしまい1両しか製造されなかった。
302 :
名無し野電車区 :2010/05/11(火) 03:33:27 ID:vYaS7mEp0
キロ28形3000番台 国鉄でキロ58のエンジンを1台撤去し、4VKを搭載する改造を施工。 水タンクが屋根上にある。 また見た目では分からないが付随台車がDT22T(逆転器取付台座が残っている)になっている。
国鉄クモユ143〜クモハ123-7、8、9〜JR西日本 国鉄で運用された郵政省所属の全室郵便車クモユ143-1、2、3の3両を国鉄がクモハ123 に改造するために購入し、民営化後JR西日本所属になり瀬戸大橋線開業後の 茶屋町〜宇野間の区間運転用に改造した物。 改造内容は、側面を変更し2扉両開き、窓は可部線向きと同型。 区分室などを全てロングシートの客室化。 AU13冷房装置を3個から5個に増設。 クモハ123型に改造後性能的にはクモニ143改造の1〜6と同じため。 クモハ123型の7、8、9として追番で編入。 改造完成後1988年から宇野線の茶屋町〜宇野間の区間運転に使用されたが。 やがて阪和線から仲間5、6が加えて5両に増えると連結運転の機会も増え更にワンマン化改造。 しかし茶屋町〜宇野間が改造115系2両に置き換えられると。 今度は宇部小野田線に5両まとめて可部線の2、3、4を含め8両全てが集結して。 元山支線のクモハ42を置き換えた。 なおJR西日本の延命N40工事の最、元クモユ143のクモハ123-7,8,9は冷房装置を AU13系5個からWAU101系3個に変更し仲間の中で異彩を放っている。 なお御存じだが國鐵廣嶋クオリティの末期色に塗装され2ちゃんで顰蹙をかい、国鉄廣島の 一員と化したのはいう迄も無い。
304 :
名無し野電車区 :2010/05/12(水) 00:32:00 ID:FTJXSsEW0
>>278 そういう20系が登場するなら・・・
国鉄C62型改造車
函館本線(山線)に20系使用の寝台特急を設定するにあたり、ここで使用されるC62型に
20系のブレーキシステムに対応出来るようにMR管を増設改造された。
改造は苗穂工場で行われ、小樽築港区のC62型全車が改造された。
外観上はELやDLの20系牽引対応車と同じくエアーホースが1本増設されたのが特徴。
1971年DD51型に置き換えられて引退、2号機はその後梅小路機関区に転属、1972年オープンの
梅小路蒸気機関車館に保存された。
305 :
名無し野電車区 :2010/05/12(水) 01:25:54 ID:RXPK0qxg0
583系1000番台 国鉄が1978年に開発した583系のマイナーチェンジ仕様で、耐寒耐雪構造が強化されている。 変更点は以下の通り。 ・前面部の非貫通化 ・ドアの引戸化 ・クハネ583のCPをC-3000に変更 ・サロ581、サハネ581にMG・CPを取り付け(いわゆる「3MG化」、MG・CP無しの1100番台も製造された) 耐寒耐雪構造を活かし、主に東北本線で運用された。 サシ581は製造されなかったため0番台に引き通し線の追加とCP撤去を行って組み込んでいた。 JR東日本とJR西日本に承継されたが、車齢が若いためか現在でもかなりの数が残っている。
JR西日本121系100番台 国鉄最末期の1986年11月に電化された福知山線の混雑は酷いものがあり、特に夜間の一部電車は2両編成の113系 では積み残しも発生させるなど問題が露呈しつつあった。 そこでJR四国の高松エリアに投入された121系を急遽投入し、これによって捻出した115系を福知山線へ転用して増結 することとした。 基本構造はさきに投入された0番台と同一のセミクロスシートだが、 ・岡山エリアの輸送実態に合わせて3両編成とした(クモハ−モハ−クハ) ・クハにはトイレを設置 ・国鉄時代に三島会社向けに投入されたディーゼルカーと同様、将来予想されるワンマン運転に備えて運転台と直後の ドアを隣接させた ・寒冷地走行を考慮して211系と同じドアスイッチを設置 等の改良を加えた。 3両編成10本が岡山電車区に投入され、主として山陽線の姫路〜岡山〜三原間、赤穂・宇野・呉・伯備(倉敷〜新見間) 等で運用を開始、同数の115系が福知山電車区・宮原電車区に移動、早速福知山線増結に起用された。 平成も二桁に入る頃には、福知山線を含めたアーバンネットワークエリアでの221系を嚆矢とした新系列車両の投入が 進み、比較的車齢の若かった元岡山電車区の115系については全車が復帰、余剰となった121系は下関運転所へ移動 となった。 現在は山陽本線徳山〜下関間の運用についている。
103系 東海道復活仕様 ラッシュ時に必要な分だけ103系を投入して、 あまった207系を、阪和線に廻して新型率を高めるという計画の下 103系を、東海道線に復活させたもの 以前と異なるのは、8両編成になったことであるが どうやら、1両多いので、古いのは許してくださいという事らしい 運用は朝が中心で、昼間は寝ていることがほとんどである 今のところ、東西線に入ることは出来ないが、 和歌山線とかの、元千代田線105系を引っ張ってきて、地下線対応にするプランもあるらしい。
国鉄457系1000番台急行型交直両用電車。 昭和40年代国鉄は赤字の拡大に悩まされ、一方高度経済成長により特急の大衆化が進んだ。 しかし急行列車の将来と間合い普通列車や間合い快速列車に急行型が使用された事。 更に急行型電車を通勤時に全車座席指定料金の有料快速、グリーン車は普通グリーン料金徴収して 運用したり、特急列車の定期劵乗車を認めない国鉄だが、房総急行、伊豆、ゆけむり、赤城、など近距離急行などで 試験的に定期劵乗車を認めた所。 朝夕ラッシュ時の快適通勤用として急行列車や急行型が見直されるようになった。 更に奥羽本線山形〜秋田間、長崎本線鳥栖〜長崎・佐世保間の電化。 紀勢本線和歌山〜新宮間の電化、初期急行型電車の老朽化を睨むと。 特急型とは別途に急行型の置き換えや増発車輌が必要になった。 奥羽本線山形〜秋田間、長崎本線鳥栖〜長崎・佐世保間電化に伴い。 久し振りに457系が製造される事になった、車番は485系特急型が1000番台に以降したのに 伴い同じ1000番台に新造時からシールドビーム、A-A基準の難燃化がはかられている。 しかしキハ66、67に採用された転換式クロスシートは既存急行型との接客設備と大差ある事。 普通列車や快速列車に転用した際座席数が少なくなるので時期尚早と12系製造車とともに 見送られた。 クモハ457-1000、モハ456-1000、クハ455-1000の他に余剰ビュッフェ車の 普通車改造車クハ455-1200番台、サハ464(サハシ455のビュッフェ部分を普通客室に改造) グリーン車サロ455-1000番台は下降窓が腐食原因になったためユニットサッシ2段窓に変更。 以上で長崎本線電化用、奥羽本線電化用日本海縦貫線の青森迄の全線電化の通し運転用に 製造された。 本形式は大阪〜青森間を全線通し運転の急行青森で本領を始めて発揮したが。
>>306 同一性能車を既に保有してるんだし、105系の新区分番代で良くね?
とも思った。
>>308 日本語でおk
JR西日本キハ25系3000番台
JR西日本関西圏のうち非電化で残った関西線・亀山〜加茂間の輸送改善のために投入した車両。
形式名からも判るように、JR東海が武豊線用に投入したが、武豊線の電化で高山線や紀勢・参宮線用に転用したキハ
25のJR西日本持ちの車両であり、番台区分も新幹線100系以降の各形式や(逆ヴァージョンながら)683系・285系の先例
に準じている。ラインカラーはJR東海のオレンジではなく、先代のキハ120を受け継いだ紫である。
基本的に亀山〜加茂間のローカル運用がメインであるが、休日にはカミンズエンジンの高性能を生かして亀山〜加茂〜
JR難波(一部は新大阪)間での延長+快速運転を行っている。ごくまれに(JR東海所有の)キハ25の検査が重なった時に
は紀勢線の運用に入ったという目撃証言もある。
>>309 一応セミクロス+ステンレス車体ということで121系としました。
国鉄サハ152、サハ164-500番台、サハ168、サハ450、サハ454、 国鉄急行型電車の急行列車のビュッフェの営業廃止に伴い。 余剰となったサハシ153、サハシ165、サハシ169、サハシ451、サハシ455を 山陽急行用に製造した車販室付きサハ164を参考にビュッフェ部分を普通室に 改造した物。 窓は急行型標準ユニットサッシ、冷房はビュッフェ部分に付いてたAU12系をそのまま利用。
EH90形交直流電気機関車 1970年代に、関東・関西と北陸・東北地方を結ぶ直通貨物列車のスピードアップと 牽引定数向上、機関車の付け替え作業省略による効率化を目指して登場した試作型電気機関車。 こう配区間が点在する東北本線で粘着性能を確保するべくEH10以来のH級機関車となった。 直流区間で3,400kW、交流区間で3,800kWの出力を誇る。 従来の交直流機とは異なり直流用・交流用の2種類の制御装置を搭載しており、 直流区間では抵抗制御・直並列制御、交流区間では無電弧低圧タップ切り替え制御と、 走行区間によって制御装置を切り替えて走行する。 これにより、再粘着性に優れる交流電化のメリットを活かすことができるようになった。 なお、直流区間では8個直列、4個×2並列、2個×4並列の直並列制御を行うが、電気回路を簡素化するため、 交流区間でも電動機は2個ずつ並列接続されている。 また、貨物列車牽引用に設計されたため、電気暖房関連の機器は搭載しない。 完成後、東北本線での1200t列車牽引、関門トンネルでの重量列車引き出しなど各地で試験が行われたが、 登場時にはすでに貨物輸送は衰退しつつあり、量産は見送られた。 しかしながら、そのコンセプトは後にEH500として結実することとなる。
313 :
名無し野電車区 :2010/05/13(木) 22:29:10 ID:f8jPxina0
南海4000系 南海電鉄が開発した2300系ベースの電磁吸着レールブレーキ試験車。 台車に電磁吸着レールブレーキを装備することにより非常ブレーキ時の制動距離を大幅に短縮した。 また高野線の急勾配で万一停車した際の安全性も向上する。 1編成のみ製造された。
南海12000系 老朽化が進んでいた特急サザンの置き換え用に制作された新型特急車 特徴は、自由席、指定席含めて同一系列とされたことで、8両固定編成を組む。また、従来は指定席車が和歌山市寄りだったが難波寄りに変更されたのも特徴。 ←和歌山市 難波→ cM12251-T12851-T12801-Mc12201+cMc12301+cT12901-M12101-Mc12001 難波よりの3両が指定席となり、自由席が増強された。12101型は2個モーター車。また、指定席では12001型の1/3室がスーパーシートとなり、ラピートの水準に合わせられた。このため、12001型は乗車口が車体中央に設置される形となる。 自由席車は基本的に4扉ロングシート。12301型は、将来の支線転用を見越し和歌山方にも運転台の準備工事をしている。これも2個モーター車。
315 :
anorak? :2010/05/15(土) 14:59:33 ID:NX3gbZwu0
>>308 さんに触発されて。
>>275 に続く平行世界もの
◎国鉄761系急行形交流電車
1978年 クモハ761(Mc) モハ760(M') クハ/クロハ761(Tc/Thsc) 低圧タップ制御
○1976年に長崎本線と佐世保線が交流電化されたが、旅客車の電気車の比率が半分に至らず、つまり原則特急以外は気動車、
いわゆる架線下DCが顕著。他の路線でも電気車の比率が低く、このような不合理の元凶の一つは、
国鉄の財政悪化に伴い高価な交直流用電車の新造自体が、特急料金で償還出来る特急専用車以外は、割に合わないからである。
そこで交直流電車よりも安い交流電車で汎用運用可能な急行形電車の新製が検討され、761系の量産先行車15両が登場。
優等列車の特急統合化戦略により急行形電車の新製は中止されていたが、久々の製造となった。
車両形式称号が751系ではないのは、既存の交直流急行電車の形式の十の位が5と7であり、区別の為6に。
車両製造費削減追求により枯れた技術を徹底的に採用したので761系は457系を低圧タップ制御の交流専用車にした様なものになる。
誘導障害回避からも同期の781系採用のサイリスタ位相制御ではなく、0系新幹線と同様の低圧タップ制御と発電ブレーキ採用で
MM'ユニットとなり、主電動機等の機器は従来の交直流車との共通化を図った。対応周波数は50・60Hz。
車体の意匠は457系を踏襲しつつ、普通車に転換クロスシート採用で座席窓がキハ66系に準じ、冷房装置も集中式、
トイレと洗面所はTcとThscに全て集約されて和式、洋式、洗面所各々一つ設置。
ThscはTcの車体を流用し、運転台の反対側をグリーン室にし、客室側に車販準備室と車掌室を設置。
塗装も当時の交直流用急行電車に準拠し区別の為に貫通路と乗務員扉が真っ赤に。
TcM'Mc/ThscM'Mc →博多を最小編成とする。
落成後、博多と長崎・佐世保を結ぶ急行出島・弓張に就役し、また急行形ならではの長崎・佐世保線の普通運用にも就役。
結局、当車は増備されることはなく、架線下DC残存。
82年急行の特急への吸収統合に伴い特急電車不足を補う為に特急色に変更の上で特急かもめ・みどりの運用に就いた。
これは当車がデッキ付き転換クロスで類似の185系の前例から実現。
87年4月JR九州に承継以後、特急の任を解かれ、ThscはTcに改造、ローカル運用に就き、現役。
316 :
anorak? :2010/05/15(土) 17:48:37 ID:NX3gbZwu0
>>315 の修正
>主電動機等の機器は従来の交直流車との共通化を図った。
を削除、次挿入;主電動機150KW増強の上に粘着性能向上でMcは0.5M車。
>>17 >>42 >>71 >>94 >>101 >>184-185 >>275 に続くもの
◎JR九州803系電車
2003-2004年 クモハ803(cMc) 両運転台
○国鉄が破産寸前の1980年代に東北上越新幹線が開業したが、その収益が建設債務と並行在来線の赤字で食い潰されてしまい、経営改善には貢献しなかった教訓から、
整備新幹線の建設には、一に建設費への公的資金投入、二に並行在来線の経営分離の自由が認められた。
後に『税金等の公的資金の援助で新幹線という金の卵を手に入れて、赤字の在来線を納税者に押し付けるとは、そこまで一民間企業を厚遇して良いものだろうか』云々の
批判を受け、結局、上下分離方式で以てインフラを第三セクターの第三種鉄道事業者の保有とした上でJRが第二種鉄道事業者として運営を継続することになった。
その第一号として97年秋の長野新幹線開業時に横川・篠ノ井間が信越本線から新しいJR東日本の地方交通線として分離された(
>>16 参照)。
2004年の九州新幹線鹿児島ルートの新八代・鹿児島中央区間の部分開業においても、
鹿児島本線の八代・川内区間が上下分離方式で以て鹿児島本線から新しいJR九州の地方交通線として分離された。
その閑散交流電化路線向けに新造されたのが803系であり、製造費削減の為に車体の意匠はJR西日本の125系の設計を転用した。
走行システムは、815/817系を土台としていながら、単行運行前提での出力の最適化により主電動機は二個に減らされた0.5M車となり、
回生ブレーキは搭載せず、代わりに発電ブレーキ、それ用の抵抗器をシングルアーム型のパンタグラフ一基と一緒に屋根に搭載。
電気連結器装備し815/817系との併結協調運転対応。
外観は125系そのもので、ホームは嵩上げされたので乗降ステップは省略、ロングシートとボックス組合せのセミクロス、トイレ設置。
新幹線開業と共に分離された当路線のローカル運用に就き、現在に至る。
>>308 の続編の国鉄急行型、優等列車が特別急行、普通急行の2党建てを維持した
if架空世界の国鉄世界。
1970年国鉄は次期急行型の性能や車内設備の議論として、東武1800系と西武5000系、
名鉄7500系を借りたり、157系電車や従来の急行型と比較して国鉄路線で
実際急行料金徴収して速度試験や試験運用して今後の急行型の要目を纏めた。
その結果は急行型電車は関西民鉄の転換クロス車と同じ普通車は転換クロス式にする。
民鉄に対抗馬として新快速的な運用を配慮する(中京、関西)
関東では上尾事件の結末から急行型の普通や快速間合い運用は望ましくないが。
定期券+急行料金又は座席指定ライナー料金で乗車出来る。
快適通勤用の着席通勤用急行ライナーとして運用配慮(史実ホームライナー)
特急型と違い急行から着席通勤ライナー、新快速、快速、普通まで使える汎用性が
急行型のウリである事、国からの助成で赤字補填が認められた。
国鉄171系急行型電車、クモハ171、モハ171、モハ170、サハ171、サロ171、クハ171
前期議論が生かされて房総線区電化に伴い国鉄183系特急型に対応する急行型として製造された。
1975年に誕生した新世代急行型直流電車、最大のウリは普通車の座席が転換式クロスで900mmピッチに
なった事、更に間合い運用や朝ラッシュ時に国鉄版通勤ライナーとして、通勤定期+座席指定料金徴収の
通勤ライナーとしてサラリーマンを乗せて活躍を開始したためマスコミに国鉄の新しいサービスとして取り上げられた。
性能的には165系と同じで混結運用が可能であり、実際に従来急行型電車との連結運用もあった。
後々本系式をベースに交流型、北海道用、交直両用型の新世代急行型電車や、新世代急行型気動車が
誕生したり、昼間ボックス式で特急型として問題があった581,583系電車の昼間普通急行への
格下げされる元になる。
318 :
名無し野電車区 :2010/05/15(土) 23:07:27 ID:peXSrdVr0
583系1000番台 青函トンネル開通に合わせてJR東日本が改造した寝台電車。 583系電車をトンネル対応でATCを装備、アコモデーションも改善され 三段寝台を二段式へ、サロ581をラウンジ付きサロンカーへ改造した。 また下り方向3両は寝台を撤去し、カーペットカーとして 安価な座席指定特急料金のみで利用できるようにした。 青函線開業と共に寝台特急ゆうづる・はくつるはこの形式で運転され函館まで延長運転された。 しかし航空機が北海道連絡の主流となった時期もあった為、利用は延びず、 新幹線の八戸延長開業と共にゆうづる・はくつるも廃止、当形式も廃車となった。
319 :
阪和線 :2010/05/16(日) 21:40:15 ID:Im0fs+2y0
JR西日本325系 JR西の103系は更新工事は実施されているもののさすがに 老朽化の影響は隠し切れなくなっており仕方なく新車を 投入する事にした。しかし、余り製造費をかけないため ほとんどの装備をそぎ落とした仕様になっている パンタグラフは準備工事は見送り、パンタグラフも4基まで で車内の液晶も準備工事のみとなっている。 なお実績のある0,5M採用した。第一陣として大阪環状線に 先行車が投入され順に103系が置き換えられていった。
E10000系/10000系 JR北海道・東日本・西日本・九州が新幹線の有効活用のため制作したコンテナ輸送電車。 最高速度300km。横に8個積みで在来線に併設した貨物駅間で輸送を行う。 北陸新幹線を介して東阪間の輸送も実施している。 鉄道の貨物輸送シェアを20%に上げた立役者。 E11000系/11000系 上記のダブルスタック対応版。ダブルスタック時の最高速度は200kmに制限されるが、輸送力は大きく、同車の登場で国内の物流コスト・時間が半減したと言われるくらいである。
321 :
名無し野電車区 :2010/05/20(木) 23:50:42 ID:/DiLOd1b0
457系波動用車 1985年を持って交直流急行形の急行運用は全廃されたが、一部の車両が波動輸送用車両としてオリジナルのまま残される事になった。 仙台電車区の457系3連2本が波動用として指定された。 近郊型化改造や交直切り替えスイッチの交流側固定などは行われず、それどころかATS-P搭載改造を受けて首都圏乗り入れが可能となった。 3電源対応である事を活かし金沢駅に乗り入れたり、交直流急行形の乗り入れ実績の無い京葉線やほくほく線に入線したことがある。 JR東日本の普通列車用の455・457系は2008年に全廃された後もこの車両だけは何故かしぶとく残っているものの残念ながら2012までに485系に置き換えられ廃車される事が決定した。
>>317 の国鉄新世代急行型電車要目
直流型171系、交流型北海道用751系、九州、東北用753系、
交直両用型461系となる。
車体は2扉デッキ付きだが、通勤時の快速普通列車運用を配慮した
1300mm両開きドアを初採用、一部車輌にはデッキに吊り手が付く。
内装は普通座席車に900mmピッチの2人掛け転換クロスシート採用。
グリーン車はリクライニングシートは変わらない。
初めは新造の転換クロスシートだが一部車輌は0系初期車から転用した物も採用。
窓は普通車、グリーン車とも上段下降、下段上昇の2連型ユニット窓。
交流型751系、753系と交直両用型電車461系にはドアにステップ付き。
制御器はCS43、MMはMT54系、歯車比は4.21、運転最高速度は110km/hだが民営化後には
115km/hや120km/h対応に改造された車輌もある。
形式は171系以外は
751系、クモハ751、モハ750、モハ753、サロ751、クハ751、
753系、クモハ753、モハ752、モハ753、サハ753、サロ753、クハ753
461系、クモハ461、モハ460、モハ461、サハ461、サロ461、クハ461、
冷房装置は初期車はAU13系分散式、パンタ付きモハだけAU75系集中式だが。
後期車は全てAU75系集中式が基本だが、廃車発生品のAU13系やAU73系搭載した車輌もある。
国鉄末期昭和50年代に製造され、民営化後も急行列車の顔として活躍したが。
東北、上越新幹線上野開業後次第に活躍の場を失い、民営化後は汎用型が災いしたあげく。
抵抗制御で北海道には後々専用の741系サイリスタ式急行型電車が導入され、東北北部に転用。
民営化後は夜行快速月光(ムーンライト)や団体用、臨時用でも活躍したり、急行列車運用に
普通座席車のシートをR55系リクライニングシートに交換したアコモ改良車も出たり、一部は
特急電車列車にも使用されたり、成田空港アクセス急行成田で運用されたりもしたが。
最近民営化後の特急型や新世代汎用型電車により廃車が進みつつある。
追記この中でも171系急行型電車は民営化後、 中京、関西で新快速として運用され、最高速度120km/hで爆走したり。 瀬戸大橋線開業後、快速マリンライナーに早速171系が新造の213系と 共に抜てきされるなど主に関西方面では大活躍、しかし関東では後々 2階建てのオールダブルデッカーの急行型電車を製造する無謀な試みが。
国鉄20系特急列車用客車「はつかり」用ロット 1958年、初の東北特急として誕生した「はつかり」だったが、 車両は戦前旧客だったこともあり利用者から東海道特急や九州特急と比較され評判が悪かった。 そこで1959年、国鉄は長崎寝台特急「さくら」のサービスアップ用として製造した20系と共に、 「はつかり」サービスアップ用として座席車(ナロ20、ナハ20、ナハフ20)、食堂車(ナシ20)、電源車(カニ21)を製造した。 各車の基本的な仕様は同時期の「あさかぜ」や「さくら」の20系と同じだが、ナハ20とナシ20には変更があった。 ・ナハ20変更点=上野(博多)方の売店スペースの廃し、代わりにトイレと洗面所を設置。青森(東京)方は出入り口のみとなった。 ・ナシ20変更点=食堂部分の座席をナロネ21の様な向かい合わせソファに変更。 配置は品川客車区(当時)とされたが、上野発長距離列車の殆どを担当していた尾久客車区(当時)にならなかったのは、 当時まだ新鋭だった20系の管理を一箇所に集中させておいた方が運用上都合が良いだろうという国鉄側の判断だった。 「はつかり」編成は下記の通り。 ←上野:カニ21・ナロ20・ナロ20・ナシ20・ナハ20・ナハ20・ナハ20・ナハ20・ナハフ20:青森→ 完全空調・固定窓を装備した20系を使用することで、蒸気機関車の煤煙問題も回避できるようになり、 また座席車は回転シートととなったため、両終端駅での三角線を使った方向転換の必要もなくなった。 1960年「はつかり」はキハ81系に置き換えられたが、キハ81系の初期故障が続いた為、暫くの間「はつかり」代走用として編成は維持された。 他に季節増発「はつかり」としても使用され、「はくつる」「ゆうづる」登場後は、その編成に組み込まれたり、季節増発として活躍。 最後は全車、青森運転所に配置され、増結用、波動用として活躍し、1980年中盤に全車廃車となった。
326 :
名無し野電車区 :2010/05/22(土) 01:46:26 ID:kb8+4rkQ0
421系1000番台 国鉄末期に北陸本線の客車列車を電車化するため、九州で余剰となった421系を転用改造したもの。 全車両が高運転台であり、4両編成である。 以下の改造が行われている。 ・ドアエンジンを115系と同じTK8に取替え(従来のドアエンジンを改造しなかったのは湖西線運用時に113系700・2700番台と取り扱いを同一にするためと言われている) ・ベンチレータを箱型に交換 ・スノープラウの取り付けなどの耐寒耐雪化 ・前面方向幕を塞いだ ドアステップがなく(強度の関係で取り付け不可能だった)ホーム嵩上げ工事が必要なため当初は北陸本線敦賀以南や湖西線(向日町運転所に貸し出され交直流対応を活かし敦賀まで乗り入れた)や富山港線で暫定的に運用されていたという。 現在でもホームの高さの関係上富山以東入線不可という制約がある。 JR化後は以下の改造が追加された。 ・冷房化(モハ420のみAU75G、その他はWAU102) ・主電動機のMT54化 ・側面方向幕を取り付け ・延命N40工事 ・半自動スイッチ取り付け 現在は主に北陸本線米原〜金沢間や湖西線・七尾線・小浜線で運用されている。 415系800番台や413系、113系との連結運用もある。 しかし521系の導入により今年度中に廃車される事が決定した。
327 :
名無し野電車区 :2010/05/22(土) 09:27:22 ID:Ig0T7o9K0
>>325 スハニ35も、スハ44も、マシ35も、スロ554も、全部戦後製なのだが・・・
しかも、昭和23年頃製造されたものなので、はつかり登場時はまだ10年くらいしかたって
いなかったわけだが
まあ指摘のように20系客車みたいに近代的装備じゃないから置き換え妄想には同意するけどね
ちなみに、確かスハ44は進駐軍から製造を許可された急行用スハ43の製造分から、特急用に
転用された枠で整備されたはず
>>324 この人多分上のほうでも同じ指摘受けてるね。
読んでられない。
一人車掌やってる類の人ってこんなんかなって感じ。
>>328 ねぇ…。なんだかなぁ
せっかくの良作(?)もそういうのがあると興ざめだしねぇ
>>326 お、面白いじゃん
…と思ったら冷風車かよwwww
延命や冷房や戸閉機は好みの問題だろうからいいけどさ、
付番は1000代じゃなくて800代の方が良くない?
あと、湖西線で113と併結するなら110km/h対応は必須かと
>>327 ご指摘サンクス。
不勉強で申し訳ない。
羽幌炭礦鉄道キハ11→南部縦貫鉄道キハ104(初代)→キハ103(2代) 1966年(昭和41年)に廃車になった羽幌炭礦鉄道キハ11を南部縦貫鉄道が キハ101、キハ102と同型車輌のため譲受しキハ104となった物。 キハ101、キハ102との違いは ・エンジンがキハ101、102のDS90に比べDS22 ・正面のセンターピラーが1本で2枚窓、運転台が左側にある。 ・側面の乗降口が中扉1つ。 南部縦貫鉄道入線後は塗色を絶望縦貫鉄道色にした程度で、常総筑波鉄道から入線した 旧型ボギー車のキハ103に代わり活躍し、1980年に国鉄キハ10が入線し2代目キハ104になると 2代目キハ103に改番し引き続き活躍したが平成年代になると老朽化と、主力のキハ101、102 よりも3年旧いために、1990年廃車されキハ101、キハ102の部品取りにされた。
南部縦貫鉄道入線後塗色を南部縦貫鉄道色に変更だった。
333 :
名無し野電車区 :2010/05/22(土) 19:33:26 ID:Ig0T7o9K0
>>330 いえいえ
でも、確かに戦前製と同じクオリティと、それからわずか10年後には見違えるような車輛が
出来たのはホントすごいと思う
JR東日本E129系 直流一般型電車 JR東日本が房総地区の老朽化した113系後継車として開発した、地方線区向け汎用高速一般型電車。 現在は房総半島に投入されているものの、将来的には新潟・長野地区の115系の置き換え用の新製投入も視野に入れてある。 本系列はキハ110/E130形気動車の電車版というコンセプトもあり、電車でありながら気動車のような柔軟な運用を可能にしている。 編成は単行または2Mを基本とし、自在に編成を増減させることができる(最大15連まで対応)。 E129-0は単行タイプ、E129-1000は2M方式の2連。 車体はE531・233系を元とした軽量ステンレス製であるが、各部の寸法やデザインはキハ110に準じたものとなっている。このため裾絞りは無い。 側面ドア配置はキハE130と同一。 座席はセミクロスシート配置。これもキハE130を元にしているが、ボックスシートを増加させている。 トイレは車椅子対応タイプ。 運転台もキハE130のものをベースに、サバイバルゾーンを確保したものを採用。高速運転を前提とした高運転台方式。 空調装置は32000Kcalのものを一両2台搭載。閑散区間での回生失効に備え、屋上には空調装置の他にブレーキ抵抗器も搭載されている。 パンタグラフはシングルアームタイプ。 静止型電源装置は140kVA*2=280kVA。電動空気圧縮機はスクリュー式のC1600S。 主回路系統は205系5000番台をベースとしている。 制御装置は東洋2レベルIGBTによる1C2M2群制御。尚、各電気系統は1両単位で完結しており、気動車のような「単行+片運転台」の編成も可能である。 主電動機はMT74の絶縁系統と回転子を強化し、高速回転対応化・過負荷耐性強化を行ったMT74D(120kW)を搭載。 最大320%(15分以内)の過負荷使用を許容し、比較的小さい出力でも高い加速性能を発揮出来るようにしてある。 駆動装置はTD継手式平行カルダン方式。ギア比1:5.65(17:96)。 ブレーキシステムは回生/発電併用の電気指令式。基礎ブレーキ装置は両抱き式となっている。 台車はDT71系。高速運転に備えヨーダンパを標準装備する。 起動加速度は3.0km/h/s、最高運転速度は130km/h。定加速領域は95km/hと高めに設定されており、比較的短い駅間距離でも130km/h運転を可能としてある。 減速度は常用4.8・非常5.4。
335 :
名無し野電車区 :2010/05/23(日) 01:15:49 ID:kwQET5nO0
南海3000系+13000系 サザン用10000系及び一般車の老朽取替及び関空方面の輸送形態の変更に伴い製作された 一般車は3000系を名乗り8000系ベースの4扉で近鉄5800系や東武50090系と同じ扉間L/C座席、車端部ロングシート仕様。 指定席車は13000系を名乗り南海初のステンレス車体の特急車となった。 両形式とも機器類を8000系をベースにしているため、VVVFインバータ制御を採用し、省エネ化を図っている。 それぞれ4両編成を組み、今まで通り難波側に一般車、和歌山市側に指定席車をつなぎ合わせて8両編成で運転される。 ←和歌山市 難波→ cM13900+T13100+T13200+Mc13000+cM3900+T3100+T3200+Mc3000 指定席車は関空輸送も出来るように荷物置き場を各車両に設置し、座席はフリーストップリクライニングシートが1040mmのシートピッチで設置されている。 基本的に特急運用にのみ使用され3000系単独で急行や普通に使用される事はない。 南海線専用で高野線には入らない。(高野線には泉北3000系が走っており混同するので) この車両により関空方面、和歌山市方面とも全列車一部座席指定列車で運転され、両方面の列車とも系列統一がなされ共通運用が組まれる。 今までは関空方面の特急は全列車座席指定列車だったが一部座席指定となり、切符のみで関空まで35分で到達でき、 JR西日本のはるかに価格面でさらに対抗できるようになった。 3000系、13000系とも4両編成13本合計104両が製造され、サザン用10000系、ラピート用50000系及び一般車7000系の一部が淘汰された。
>>335 車号がおかしいのは残念
南海は電動車に百位9は使わないし、付随車に百位1や2も使わない
337 :
名無し野電車区 :2010/05/23(日) 12:39:31 ID:2cOOBDE50
725系 JR北海道が製造した721系のアルミ車体バージョン。 アルミ車体とすることで軽量化を実現。 721系と混結されている編成もある。
南海が一般車にクロスを入れるわけねーだろ。 阪和線の225系を意識してるバカがいるが競合していない。 車両に拘ってるのはヲタだけで、一般客なんて乗れたらどんな車両でもいいと思ってる。 一般人が車両に拘りをもってるなら、南海でサザンと阪和線の快速の車両の違いについて苦情とか文句出てる。 自社は自社、他社は他社で南海はいちいち周囲の雑音に振り回されるたりせんしマイペースだから。
>>338 > 車両に拘ってるのはヲタだけで、一般客なんて乗れたらどんな車両でもいいと思ってる。
つ203系
つ東武8000系
つ塩害魔王
JR西日本キハ185系500番台 1988年3月のダイヤ改正にあわせて金沢〜七尾・穴水・輪島間に7往復が運転されていた急行“能登路”の質的改善と 第3セクターに転換されたのと鉄道(旧国鉄能登線)への直通運転継続を考慮して投入した新型車両。 基本仕様は86年11月改正で本四特急用として新規に投入されたキハ185系そのままだが、豪雪地帯である北陸方面を 主たる運用地域とするため、耐寒耐雪仕様となっており、客用ドアが引き戸となっているのが大きな特徴である。 この改正で2両編成6本が投入され、主に金沢〜輪島・穴水、そしてのと鉄道の珠洲と長距離運用を中心に4往復がキハ 58系から置換えられた。また、キハ58に匹敵する大型車体であることから、間合い運用でのと鉄道の穴水〜珠洲間の 普通列車にも1往復が充当された。 しかしながら、91年秋のダイヤ改正で七尾線・津幡〜和倉温泉間の電化・和倉温泉〜輪島間ののと鉄道移管にはじまっ た能登半島内の後ろ向き交通政策の犠牲となり、2001年に長年走り続けた能登半島を去った。この時の転用改造でデッ キおよび洗面所の撤去・一部ロングシート化・ワンマン化改造を施された上で後藤総合車両所へ全車両が転属。現在は 山陰本線・鳥取〜米子〜益田間の快速“とっとりライナー”“アクアライナー”として新鋭のキハ121・126に匹敵する走りを 見せている。
341 :
名無し野電車区 :2010/05/23(日) 23:51:04 ID:0BQoGMiw0
国鉄北海道総局 751系交流急行用電車 昭和57年、札幌〜旭川間のL特急ライラックが30分ヘッドで結び、好調な出足であったが同区間を 結ぶ高速バスとの対立は激化していた そのため、15分ヘッドにしてさらなるフリクエンシィサービスを画策したが、当時の国鉄財政事情では とても781系の増備は望むべくもなかった そこで、昭和55年に増備された711系100番台シリーズの一部を改造し、間隙を急行かむいの復活で 埋める計画が出来た。 クハ751:座席を簡易リクライニングシートに改造し、屋根にクーラーを装備 100番台からの改造なのでトイレ洗面所設備はないが、車端部ロングシートの一部に自販機を 設置した モハ751:クハ751と同様の改造をされた クハ751−100:クハ751と同様であるが、洗面所に冷水機が装備された 3連で運行され、所要時間は781系と同じ1時間20分という、サービス列車であった。 JR化後、785系の投入により、その車内設備を生かし、札幌〜室蘭間の急行ちとせや 空港快速として使用されたが、相次ぐ新車の投入により、現在では岩見沢以北、苫小牧 以南のローカル列車の体質改善として使用されている
札幌急行鉄道、札幌本線、定山渓線(元定山渓鉄道線) デハ6000形、デハ6200形 1958年に札幌急行鉄道が東急、北海道炭坑汽船、札幌市主導で設立され札幌から夕張鉄道の上江別間20.5km が免許され、1964年に札幌〜上江別間が開業し、同時期に定山渓鉄道東札幌〜定山渓間27.2kmと 夕張鉄道線野幌〜栗山〜鹿ノ谷〜夕張元町間53.2km間も札幌急行鉄道に合併される事になった。 夕張鉄道野幌〜上江別間2.4kmも札幌急行鉄道線、定山渓鉄道線と同じ直流1500Vで電化開業したため。 札幌〜野幌間が札幌急行鉄道札幌本線に編入され開業用の電車に親会社東急電鉄で20両の少数派だが。 セミステンレスで地下鉄乗入れ可能な(札幌市内地下線があるため)電車として6000系が札幌急行鉄道に譲渡された。 車番は基本東急電鉄時代と変わらない4両編成5本の20両だが改造内容は ・北海道の雪に堪えるために耐寒耐雪構造化 ・扉を半自動扉に改造、車体の気密性向上。 ステッカーを札幌急行鉄道用に張り替え 譲渡後主に札幌急行鉄道本線札幌〜野幌間22.9kmと定山渓線東札幌〜定山渓間27.1kmの電化区間で主力として運用開始。
>>341 登場年次の近い117・185系電車に倣って転クロ装備とした方が自然じゃない?
それか、0系新幹線からの発生品の同じく転クロとか
さすがに特急車781系と同じ座席ってのは…
344 :
名無し野電車区 :2010/05/24(月) 23:09:17 ID:el4LHfct0
401系1000番台
>>326 の421系1000番台と同一の思想で国鉄末期に401系を仙台地区に転用したもの。
耐寒耐雪化改造が行われているがドアエンジンは取り替えられておらず仙石線の103系のように従来のものを半自動化改造している。
しかしやはりドアステップが無いため運用可能線区が限定されている。
ドアが重い上に半自動・全自動の切り替えが出来ないため後年半自動ドアスイッチが追設された。
当初非冷房だったがのちにAU712(モハ400のみAU75G)で冷房改造され、同時に主電動機をMT54に換装する工事を受けた。
直流区間に乗り入れないため交直切り替えスイッチは固定された。
しかし車両更新工事を施工しているとはいえ老朽化が激しく1998年に廃車された。
低運転台車も混じってたがこちらは冷房化されることなく1992年に廃車になった。
キハ213形 JR東海は、ドア位置が他車と異なり、かつ、ワンマン化改造が困難な213系の使い道に困っていた。 また、国鉄型・鋼体車のキハ40系も、カミンズエンジンこそまだ使えるとはいえ、車体がそろそろ寿命を迎えつつあった。 そこで、213系から電装を取り払い、キハ40系の足回りへ換装する改造が行われた。その結果誕生したのが、キハ213形である。 全車両が美濃太田車両区に配属され、岐阜〜美濃太田〜多治見の非ワンマン列車に充当された。 後の、太多線・高山本線完全IC乗車券化の際には、IC乗車券の読み取り機を増設し、岐阜〜高山の普通列車としても使われた。 岐阜〜美濃太田〜多治見の電化により一部廃車、高山本線美濃太田以北の燃料電池車化に伴ない、全廃。 211系7000番台 キハ213形が誕生した頃に、いつのまにかひっそり登場していた、211系最後の新番台。 外見は、313系そのものであるが、足回りが、211系相当・・・らしい。 しかし、車体更新にしては、当時、211系が廃車された形跡は、ない。 あ! も、もしや、こいつの正体は・・・
346 :
名無し野電車区 :2010/05/25(火) 21:06:43 ID:lmWqPf660
DF210 JR貨物が開発したDF200の廉価版。 エンジンを新潟製16PA4-200VGA(3600馬力)を1台搭載。 車体形状はDF200と同等だが全長が若干短い。 これにより同一出力ながら軽量化を実現。 軸重制限が厳しくDF200が入れない石北本線の貨物列車用に投入。
サハE233-100/600 山手線に続いてホームドア設置が決まった中央快速線で使用されているE233系について、 貫通編成と分割編成でドア位置を揃える必要が生じたことから製造された中間付随車。 構造は山手線用サハE231-4600とほぼ共通であり、 それぞれ東京/松本方のドアが車体中央寄りへ偏って配置されている。 余剰となったサハE233-0(CPなし)は横浜線用E233系6000番台に、サハE233-500(CP搭載)については 211系置換え用E233系3000番台及び東北縦貫線開業に伴うE531系増備車にそれぞれ組み込まれている。
新京成750系 京成電鉄で1972年〜1973年に廃車されたモハ750形・クハ2250形、10編成20両 を新京成電鉄が1973年に大栄車輌で修繕後4両編成5本で譲受した。 新京成電鉄では。 751-2251+2252-752 753-2253+2254-754 755-2255+2256-756 757-2257+2258-758 759-2259+2260-760 と京成電鉄時代と変わらぬ編成で運行開始したがやがて 753-2253+751-2251+2252-752 755-2255+2256-756+2254-754 757-2257+2258-758+704-2204 759-2209+2260-760 編成が京成電鉄から追加譲受された704-2204を含めて編成換えされた。 しかし車体が特殊軽量構造で強度が低く老朽化が目立ったため1975年〜1976年に 当時最新の新京成800形に準じた車体への更新工事が大栄車輌の手で行なわれて そのさい704-2204は761-2261に改番されて2251〜2260はサハで更新された。 更新後編成 751-2251-2252-752 753-2253-2254-754 755-2255-2256-756 757-2257-2258-758 759-2259-2268-760 761-2261 以下2部に続く。
349 :
名無し野電車区 :2010/05/30(日) 12:25:26 ID:NgRu+iqW0
203系500・600番台 国鉄が開発した203系の東西線乗り入れバージョン。 車体は0番台と同様だが保安装置が異なるため番台が分けられた。 100キロからのブレーキに対応するため回生ブレーキ能力が変更されている(70キロ以上から45%弱め界磁で制動を行うなど)。 600番台はボルスタレス台車である。
350 :
名無し野電車区 :2010/05/30(日) 12:47:56 ID:NgRu+iqW0
225系900番台 JR西日本が1編成のみ試作した「ロールケージ電車」。 車内に補強用のロールケージを入れる事で剛性アップを実現。 また握り棒として使用できるため安全性が向上するとしている。
351 :
名無し野電車区 :2010/05/30(日) 13:22:07 ID:Fjgv+eoA0
JR東日本 E231−3000番台 山手線の混雑緩和用に現行500番台から改造された、全車椅子なしの編成 ラッシュ時間帯から昼間へのダイヤ移行時の最初の列車や、その逆などといった列車間隔が ちょっと長くなる列車に投入される 車内は椅子なしのほかに吊革が長手方向4列に増強され、車内中央でも吊革につかまれるように なっている また、車内がフラットであることを生かし、閑散期には各種イベント貸切にも使用できるように 各車を繋ぐLANケーブルや電源コンセント、放送設備などが用意されてる。 更に、中間6号車は車内を自由に仕切れるパーテーションが用意され、イベント使用時の基地機能も 付与されているとともに、編成3か所の車端部には取り外し可能な簡易トイレも設置できるようになっている 全部で6編成が改造され、池袋電車区に配置されている ちなみに、ロールアウトをアピールするためのイベント運転が実施されたが、車内はディスコ風に装備され DJ野月氏によるSOUL TRAINイベントが実施されたのは、この板の諸氏には周知のことであろう
JR西日本109系通勤形電車 民営化直後にJR西日本が165系・167系電車を改造して誕生した近郊型電車。 同様に165系から改造されたJR東日本の107系とは異なり、種車の制御装置を流用しており、 クモハ109−クモハ108の2両編成となっている。 台車も種車から流用しているが、ギア比を115系などに揃え、協調運転を可能としている。 車体は四国に配置された121系と共通のステンレス車体であるが、 座席はオールロングシートとなっている。 抑速ブレーキを使用できることから広島地区に配置され、115系とともにいわゆる「セノハチ」区間 でも使用されている。
353 :
名無し野電車区 :2010/05/31(月) 23:45:01 ID:r7/R2laD0
>>352 2連がデフォなら、西の国鉄近郊型の歴史がちょっと変わりそうだね。
史実のオカG編成に代わって岡山か米子に配置されたりもしたんだろうか
JR貨物 DF250 DF50の純粋な後継機種で、外観はDF50をちょっと近代化して一回り長く(18m)したようなデザインだが中身は別物 DF50では1100PSのエンジンを積んでいたがこの機体では新規設計のコマツ製2000PS級少スペースエンジンを2基搭載 発電機を中央に2基配置し、その前後にエンジン、更にその前後には制御機器などを配置するようになっている VVVF(IGBT)インバータ制御で1C1Mの個別制御である(1つはSIVのバックアップとして機能できる) モーターはDF200と同じ320kwのFMT100を6基搭載する、モーターの架装方式は吊り掛け式である 抑速などのため発電ブレーキも装備している 片方のエンジンがダウンし、更にもう片方の発電機がダウンしてしまったなどと言う事態に見舞われた場合、 応急作業が必要になるが生きているエンジンで反対側の発電機を回すことが出来るような構造としている 最近の電車でも取り入れられている2重化機構が随所に施されている DF200では装備されなかった重連総括制御の装備が搭載されている かなりの重装備ではあるが運転整備重量を85tとすることで軸重は14.16tとなり、DD51とさほど変わらないことと DF200のパワーを持ちながら重連運転が出来ることから ポストDD51となるのではないかとささやかれている
355 :
名無し野電車区 :2010/06/02(水) 15:48:02 ID:TjrFbteZ0
183系3000番台 JR東日本で183系1000番台に485系3000番台と同等のリニューアル改造を施工。
356 :
名無し野電車区 :2010/06/02(水) 22:39:03 ID:UA+mAiMH0
・500系V編成(史実と異なるver.1) 500系を山陽こだま用に転用するため、16両編成から8両モノクラス編成に短編成化する事になった。 転用される車両は1-2-3-4-13-14-11-16号車である。 この内、新6号車〜新8号車は2&2シートに改められ、それに合わせてデッキも改造された。 新6号車(14号車)は東京寄りの2列が車掌室に改造された。 また、先頭部で座席が減っていた部分は最前列を荷物置き場にし、2列目はそれ以降の座席と揃えられた。 ・500系V編成(史実と異なるver.2) 500系を山陽こだま用に転用するため、16両編成から8両モノクラス編成に短編成化する事になった。 転用される車両は1-2-3-8-9-10-11-16号車である。 この内、新6号車〜新8号車はグリーン車を転用した2&2シートで、付帯設備が一部省略されたがシートピッチもほぼそのままである。 また、先頭部で座席が減っていた部分は最前列を荷物置き場にし、2列目以降は2&3シートとなった。 指定席は通常は2&2シートの3両だが、列車や時間帯や曜日によっては1両のみや、全車自由席となる。
357 :
名無し野電車区 :2010/06/02(水) 22:55:56 ID:TjrFbteZ0
都営10-000形9次車 東京都交通局が10-000形を10連化するために製造した史上初の中間付随車。 13年ぶりの製造である。 8次車に準じた車体であるが内装が10-300R形に準じたものに変更されている。 増結用のため10-xx3と10-xx4のみ製造。 8次車以外の編成にも組み込まれたため10-270Fと10-280F以外は編成美が崩れてしまっている。 編成は本八幡方からTcMMTTMMMMTcとなっている。
358 :
名無し野電車区 :2010/06/02(水) 22:59:15 ID:TjrFbteZ0
>>357 追記
台車も10-300R形に準じたボルスタレス台車(T-10C)に変更されている。
359 :
名無し野電車区 :2010/06/03(木) 01:18:36 ID:qTBl/6EH0
架空の路線・駅スレ落ちちゃったな・・・
キハ48型5000番台、5100番台 東北・上越新幹線接続のローカル急行を特急に格上げする際、 財政難のため新製ではなくキハ48を改造して充当することになった。 キハ48型500番台→5000番台 エンジン・変速機・動力台車をDML30HSI(440PS)・DW9A・DT48Aに換装 座席をシートピッチ940mmのリクライニングシートに換装 便洗面所のグレードアップ 窓の固定化 AU13による冷房化 キハ48型1500番台→5100番台 低騒音型4VK発電セット搭載 座席をシートピッチ940mmのリクライニングシートに換装 窓の固定化 AU13による冷房化 (続く)
(承前) 国鉄特急色になり、5000-5100または5000-5100-5000の2〜3連で うおの(長岡-長野、飯山線経由) 奥只見(長岡-郡山、只見磐西経由) べにばな(仙台-新潟、仙山米坂経由) あがの(郡山-新潟) もがみ(仙台-酒田、陸東陸西経由) さかり(一ノ関-盛) 陸中(盛岡-釜石) よねしろ(盛岡-秋田、花輪線経由) の各列車に使われたが利用率は芳しくなく、当該車を秋田リレー(盛岡-秋田、 北上線経由)に集中運用する際に各列車とも普通列車に格下げされた。 秋田新幹線開業後は急行に格下げされた陸中・よねしろ用車両と、五能線 用JTの種車以外は廃車となった。
362 :
361の訂正 :2010/06/03(木) 12:04:33 ID:T9+mcT4Y0
×:秋田リレー(盛岡-秋田、北上線経由) ○:秋田リレー(北上-秋田、北上線経由) ×:急行に格下げされた陸中・よねしろ ○:急行として復活した陸中・よねしろ
363 :
356 :2010/06/03(木) 16:37:19 ID:Y3Zz5PVp0
訂正 ・500系V編成(史実と異なるver.2) >この内、新6号車〜新8号車はグリーン車を転用した2&2シートで、付帯設備が一部省略されたがシートピッチもほぼそのままである。 正しくは「新4号車〜新6号車」です。
国鉄キハ68系 国鉄末期キハ58系の置き換えと気動車急行列車の冷房化率100%化 特に冷房化率が低い東北地区、北海道地区の急行列車の冷房化 一部気動車快速列車の冷房化促進、普通車のアコモ改善を目的として 投入された国鉄気動車初のステンレス車体、全車空気バネ台車、普通車転換クロスシート 北海道向けは一段二重窓、他は上段下降下段上昇の2連ユニット窓、冷房装置は集中式 デッキ付き2扉、 キハ68、暖地向け0番台、寒地向け100番台、北海道向け500番台、 トイレ付き、エンジンはDMF15HSB、300PS1基 キハ69、電源装置付きトイレ無しの偶数車 キハ62、運転台無し中間キハでトイレ電源装置付き キロ62、運転台無し中間車の全室グリーン車、 キロハ62、運転台無し中間半室グリーン合造車 計5形式で、一般0番台、寒地向け100番台、北海道向け500番台、暖地向け1000番台がある。 最高速度は100km/hに向上し大出力機関1基による保守軽減
>>364 車両称号が全く理解不能なんだが‥‥
中間にキハ62やキロ62は無いだろw 両運かよw
69形は68形の区分番代(恐らく同地域向車に+1000番)に収められるべきだし、
中間車が69形になるのは、これも当然
>>364 間違えた、幻の国鉄車輌にあった新型急行型気動車が
登場したらどんな形式になるかと、キハ66、67系がベースと仮定で
修正
キハ68-キハ69-キハ68,1000番の3両ユニット編成が基本
キハ68、0番台暖地向トイレ付き、1000番台電源装置付き、2両ユニットが基本
北海道向け500番台-1500番台、寒地向100番台-1100番台、暖地向200番台-1200番台
キハ69、運転台のない中間車キハ、0番台、100番台、200番台、500番台がある。
キロ69、全室グリーン車で中間車 、番台区分はキハ68、キハ69と同じ。
キロハ69半室グリーン合造車の中間車
キハ62、ローカル線や非電化地方私鉄直通のために両運転台にして
冷房装置をバス用に簡略化しワンマン運転可能にした。
国鉄末期から民営化直後まで新世代気動車として量産されたが未だにユニット編成
やステンレス車体にしたがエンジンがやや非力の為に勾配線区ではさほどスピードアップが
出来なかった。
JR化後は急行型気動車の主力としてローカル急行列車や非電化都市圏の快速とかで活躍し。
エンジンを高出力に換装したり、普通車の座席をリクライニングシートに交換したり
したりしたが。
やがて特急化や快速列車への格下げで職を喪い。
更にJR化後の新型気動車の高性能化は著しく地方都市圏の快速列車も
置き換えられたり衰退は早かった。
現在は北海道では急行礼文、サロベツ、宗谷、利尻廃止後は
札沼線で最後の活躍。
東北地区では急行列車の冷房化やアコモ改善に貢献したが
急行列車廃止で快速列車出活躍だが新型気動車への置き換えは近い。
東海地方では、高山本線の急行のりくら、たかやまや紀勢東線の急行で活躍し。
JR化後は快速みえや急行かすがにも進出したがキハ75に置き換えられ高山本線に追放。
中国、四国、九州地方でも急行列車の廃止によらやローカル列車に転用された。
>>366 お前さ、過去に何度か登場してる日本語の不自由な人?wwww
368 :
名無し野電車区 :2010/06/05(土) 16:22:46 ID:kGxy2ppC0
701系2000番台 JR東日本が製造した701系の最終形態。 インバータがIGBTに変更されており、更に701系史上初の遅れ込め制御を採用。 前面部は5000番台のように尾灯が上部に移動している。 2両編成と3両編成があるが、3両編成は仙山線の急勾配に対応するため2M1T(クモハ701-モハ700-クハ700、モハ700はパンタグラフなしでクモハ701から電源供給を受ける)に変更された。 車内は左右対称型クロスシート。 仙台地区に投入。
369 :
名無し野電車区 :2010/06/05(土) 16:39:09 ID:kGxy2ppC0
>>326 421系1200番台
国鉄が九州で余剰となった421系を北陸地区用に改造したもの。
1200番台は中央ドアが埋められ、両端のドアがステップ付きに改造された。
ドアを3つともステップ付きにすると強度を確保できない(厳密には不可能ではないが台枠を補強する必要があり重量が著しく重くなる)ため、止む無く中央のドアを埋めることで対処。
北陸地区は九州地区ほど混雑しないため2ドアでも十分と判断。
これにより運用上の制約が無くなった。
当初非冷房だったがのちに冷房化された。
国鉄キハ91〜キハ65-900番台 1976年9月に急行のりくらでの運用を終了したキハ91系気動車の キハ91-1〜9の9両を改造してキハ65に編入した物、キハ91が試作車的存在 なので試作車を表す900番台に編入。 改造内容は ・屋根上の放熱器の撤去 ・元キハ90-8のキハ65-908を除く冷房準備車キハ91-2〜キハ91-7は 屋根上にAU13A搭載、床下に4VK搭載による冷房改造。 ・台車をキハ65のDT39A、TR218Aに変更。 ・ブレーキ装置をキハ65のDARE1に変更、最高速度は95km/hに低下。 改造後はキハ58と組んで急行のりくら、かすが、など東海地区で使用されたが。 JR東海になった後1991年までに全車廃車。 なお車体が特殊卵型断面の軽量構造で冷房準備無しのキハ91-1、キハ91-2は 改造対象から外れ1978年に廃車。
キサロ90〜キロ65-900番台 同じく1976年9月で引退した91系のキサロ90-1,2,3に対し DML30HSD搭載と4VK発電セット搭載により、新形式キロ65に 改造改番した物、車番は900番台に編入された。 急行たかやま、のりくら、で限定使用されたが国鉄末期の1986年11月引退し 1987年3月JR化移行時に精算事業団に引継がれ廃車。
間違えたキハ91-1、キハ91-9(元キハ90-1) が車体が特殊断面軽量構造で冷房改造不可能なため キハ65に改造されず1978年に廃車だった。 後キハ91-2〜8の7両、キサロ90-1,2,3の3両が 制御装置やブレーキ装置を変更、運転台をキハ65に準じた形に変更 されて、キハ65-902〜908(901,909は欠番)、キロ65-901,902,903 は元の車番に900番を足した番号である。
近頃、ケアレスミスなど本質的なものではないことで揚げ足を取って 他人を蔑んで楽しむ糞餓鬼が居着いてしまって、 原則、他人に対して干渉しないという、このスレの昔からの良さが消えてしまって、 嫌だな。
375 :
名無し野電車区 :2010/06/06(日) 17:53:09 ID:FW/0V2X+0
251系1000番台 JR東日本が製造した251系の改良版。 足回りがVVVFインバータ制御に変更されている。 編成は0番台と同じ6M4Tであるが、モーターがMT74に、歯車比が5.65になっている。 パンタグラフはシングルアームを搭載。 台車も209系ベースのものに変更されている。 253系200番台は205系のVVVF化時の発生品の足回りを使ったが、251系では併結運用がないためVVVFにしても支障が無いと判断した。
国鉄401系電車(2代目) 常磐線取手以遠の輸送力増強目的で製造された4ドア交直流電車。 旧401/403系を411/413系に改番した後に登場した。 外観的には103系1000番台に交流機器を追加したように見えるが、 電気機器・足回りは415系のものを使用しており、411/413/415系とは 混結可能だが、103系とは混結不可である。 当初4連、後に7連で勝田電車区に配備。常磐線・水戸線で使用された。 E501系/E531系の登場やグリーン車連結で全車廃車かと思われたが、 東海道線で余剰になったサロ110-1200番台をサロ401として組み込み、 8M7Tの15両固定編成となって、上野〜土浦間の朝夕ラッシュ時専用 編成としてしぶとく生き残っている。
>>364 原形となった幻の国鉄車輌にあったステンレス車体転換クロスの
急行型気動車は。
運転台付サービス電源付気動車+中間気動車トイレ付+運転台付気動車トイレ付の
3両1ユニット編成で在来線気動車と併結化のう、北海道向き、本州四国九州向きだから
国鉄時代に製造だと形式は。
運転台付サービス電源付気動車がキハ68
運転台付トイレ付気動車がキハ69のユニット編成
だかはキハ66-キハ67に準じてキハ68-キハ69になる可能性
高いと仮定。
そのため中間キハや中間キロの形式に困りやむなく
キハ60番台の空きを利用して、中間キハ62、キロ62
キロハ62にしたんだよ。
>>377 wwww
>>374 蔑む?
妄想スレで内容以前の問題でケチがつくなんて、あまりにも恥ずかしい事なんだけどね。
>>374 一応他人だって読むんだ。
ちょっと考えればどうにかなるような無茶苦茶な文章はどうかと思うよ?
380 :
ミウナ :2010/06/08(火) 14:00:01 ID:EzatHK02O
253系2000番台 255系の装備をフィードバックした253系の最終型で、VVVF制御式となった。 台車やコンプレッサーは209系と同一となり、初めから9両編成貫通と なっているのが特徴。 先頭車は格下げを考慮してクロハとなり、逆に4号車のサハはロザに 格上げ可能にしている。 自動幌 自動解結装置もあるため3両を増結して12両編成も可能だが 通常は9両単独運用が原則。 9両編成4本が幕張に配置されたが、後に鎌総に移動している。 E259系配備に伴い置き換えも検討されたが9両編成であることから 大宮工場で4号車のグリーン車化 1号車の普通車格下げ E257系の 走行装置に更新が行われた。 定期運用は「湘南ライナー」と休日の「はまかいじ」(当時総武快速線が ATCで改造時に撤去されなかったためATCの根岸線と横浜線で運用 出来る点から着目された)のみだが3月改正で「しおさい」での使用が開始された。 当初クロハの全室グリーン車化や6両編成化して東武直通特急用にする計画もあった。 なお255系もすべて幕張から鎌倉総合に異動され、同様の延命工事を行う予定。 そのため補充でE257系500番台を2本追加配備するほか長野より「あずさ」用 E257系を借り入れる計画もある。
国鉄キハ39形通勤型気動車 非電化通勤路線用としてキハ30/35/36が増備されてきたが、コストダウンと 旅客収容能力増を兼ねて、トイレ無し・運転台無しの当形式が作られた。 関西線と千葉地区でそれなりの活躍をしたが、当該線区が電化されると、 3ドアロングの中間車はローカルでは使いずらく、少数が運転台設置改造で キハ36に編入した以外は比較的早期に廃車となった。 関東では相模線、関西では和田岬線が最後の勤め先であった。関東鉄道 常総線に譲渡されたキハ36の内の1両がキハ39改造車で、つい最近まで 取手に姿を見せていたが、惜しくも廃車解体されてしまった。
>>380 総武線のATCと根岸線・横浜線のATCは違うのだが。
383 :
名無し野電車区 :2010/06/09(水) 20:12:09 ID:hdCd8uRX0
203系900番台 国鉄が開発した203系の回生ブレーキ能力向上試験車。 電機子チョッパ制御と界磁添加励磁制御を組み合わせる事で回生ブレーキ能力の向上を図った。 力行時に時速45キロ付近で突然チョッパ音が消え、回生制動時に時速30キロ付近で突然チョッパ音が鳴り出すという変わった走行音が特徴。
サハ591-1 キハ391系で試験されたガスタービンエンジンについて、電気式ガスタービン車として使用した場合の データ収集のため、クモハ591・590に電力を供給する目的で製作された。 早い話が、キハ391の動力車に発電機を搭載して付随車としたものである。 搭載されたエンジンと発電機の性能上、力行用の電力供給はクモハ591・590のいずれか1両に限られ、 もう片方はユニット解放扱いで運転された。 キハ391での試験時に比べ、若干の燃費向上が図れた(負荷変動が少なかったためと推定される)が、 やはり騒音の大きさにより実用化には至らなかった。
385 :
名無し野電車区 :2010/06/09(水) 21:59:09 ID:jLIivQZmO
211系100番台 昭和63年に関西地区向けに作られた211系である。 基本的には0番台と同じだが、座席が転換クロスシートである点が異なる。 快速や新快速でもつかわれたが、実際には普通電車で205系らと並行し て使われるのが多かった。 221系に移行したために比較的短期で7両編成8本で製造が打ち切られ、 4両編成6本が製造される予定だったセミクロスシート0番台の続番は製造されなかった。 半自動ドア装置もあったために草津線及び湖西線への転用も検討されたが、 平成2年に4両編成に短縮化の上で奈良線へ転用された。 なおこの際捻出されたモハ211-モハ210-サハ211は後に高崎 宇都宮線向け 1000番台向けに活用された。 (一旦廃車手続きをした上で車両メーカーで作り直したため新造名義) みやこ路快速の221系化を受けて阪和線への転用が検討されたが 折しも東日本より103系の譲渡の際に大量に保有している211系を 活用してほしいとの意見が一致し、4両編成全てを東日本へ譲渡される事になった。 (民営化後初の旅客会社間同士の一般車両トレードとなった) 東日本に譲渡後大宮工場でオールロングシートに改造され、3000番台に編入された。 なおクハ210 モハ210は重複を避けるため3200番台となった。 新前橋(高崎車両センター)に配備されて両毛 吾妻 上越線で使われたが 現在は房総各線への転用が開始された。
386 :
ミウナ :2010/06/10(木) 12:42:31 ID:dSPwlTsPO
117系500 1000番台 前代未聞の東京口の東海道線に配備された117系である。 0番台をベースとした初期型の500番台と100番台をベースとした後期型1000番台 とに分かれている。 台車は初期型はDT32/TR69(当初はDT46D/TR231Dの予定だった)で、後期型はDT50/TR235。 (グリーン車は廃車発生品のTR69を再利用) MGもブラシレス190KVAに増強された。新形式にサハ117 サロ116/117が加わった。 500番台と1000番台11両編成各6本ずつ作られたが、内500番台3本は 同じ走行装置を持つ185系を注文変更した説もある。 全て田町に配備されて主に湘南ライナー及び快速アクティーで使われたが 当時185系もあったとは言え東京口では一般的でない転換クロスシート車 (但し連結部はロングシート)であることや2ドアであることから早くも快速で 欠点を露呈する。 さらに185系が検査や車両不具合時には何と特急踊り子にまで入する始末で 近郊型電車を特急に使われる前代未聞の運用をやった電車となった。 また湘南新宿ラインが開業する際に2ドア車は運用に支障が生じるのは明らかで あることから、E231系による置き換えで2005年に500番台は全廃された。 なお内3本は4両編成化の上でJR西日本へ譲渡されている。 耐寒耐雪対応だった1000番台もE231系に追い出される形で大宮に左遷された。 大宮移籍後は高崎線のホームライナーで使われているが使われるのは2本のみで、 残り東大宮にモスボールされており、波動用にまで使われる始末である。 臨時快速ムーンライトながらに使われた情報まである。
クハ103-2000・2100番台 昭和49年以降、山手・京浜東北線のATC化対応用としていわゆる高運転台タイプクハの大量生産→捻出在来クハの 関西転用が続いてきたが、53年ごろになるとある程度のメドがついてきた。一方、関西では旧型国電こそ事業用車代用 のものを除いては全滅したものの、101系のうちモハ90系として新造されたグループが少なからず存在していた上、片町 線の四条畷〜長尾間の複線化や福知山線・紀勢線等の電化を控え、今後も通勤用車両の需要がかなりあったことから、 関西向けに久々編成単位での増備を決定した。 関西地区ではATC化は考慮していなかったことから、当初は高運転台タイプのATC未装備車で投入することも検討され たが、ここにきて本格的に建設が始まろうとしていた地下鉄線・片福連絡線(後のJR東西線)乗り入れを考慮した貫通型 スタイルで新造された。 正面の見た目的には営団千代田線乗り入れの1000番台や営団東西線乗り入れの1200番台そのままだったが、当面は 走行が地上線のみだったので単色塗りとなり、冷房装置も当然搭載されたことから、一種独特の雰囲気をかもし出した。 当初は0番台の続番を名乗ることも検討されたが、貫通型になったことに加え、首都圏向けのATC型の増備がもう少し あって、番号の余裕がなくなりつつあったこと、加えてこの時期の車両に共通していることだが、冷房などのサービス関 連の引き通し線が増えたことから片栓構造となり、京都方が2100番台、神戸方が2000番台を名乗っている。 昭和53年度から関西地区へ投入が始まり、最終的には淀川区(片町線)へ10両、日根野区(阪和線)へ8両、森ノ宮区 (大阪環状線)へ4両、宮原区(福知山線)へ12両の計34両(2000・2100番台各17両)が投入。国鉄時代はこの体制で推 移し、JRへ移行した。
388 :
妄想竹 :2010/06/10(木) 21:50:48 ID:qGJZzlqJ0
>>387 無粋なツッコミだが、クハ103-2000は実在した番台区分だぞ。
出てきたのは国鉄末期だが。
ツッコむだけも何なので。
サハ201-200
京阪神緩行のスピードアップに伴い、201系は大阪環状線に転属することになったが、
8連化するにはサハが不足するため、玉突きで廃車予定だったサハ103を201系化改造の上、
活用することになった。これがサハ201-200である。
改造は引通し線等を201系の同等に変更した他、行先幕装置の交換程度で、
車体は見た目に殆ど弄られておらず、台車はコイルバネのTR212のまま。
また201系と異なる側面行先幕位置は弄られていない。
種車は原則として40N改造済の車両だが、不足する4両については
後期製造の未更新車に(103系の)30N相当の更新を行った上で充当した。
22両が改造され、新旧の番号は以下のとおり。
サハ103-424、425、409、404、384、371、399、415、475、370、484、400、
482、483、401、402、410、486、502、503、476、485→サハ201-201〜222。
30N相当は219〜222の4両である。
大阪環状線201系全27編成のうち22編成の4号車に組み込まれているが、
上述のとおり車体への改造が最小限に止められたため、
行先幕位置やドア窓の大きさ、車体断面が異なる他、
103系の30N相当の車体を持つ219〜222を組み込む編成は
雨どいの位置も異なるため、見た目に非常に違和感のあるものとなっている。
引き続き全車が大阪環状線、および朝夕のみ大和路線で使用されている。
>>387 の続き(クハ103-2000・2100番台)・国鉄末期〜JR化以降現在に至るまで
国鉄末期、阪和線や関西線の短編成化に伴ってクハ101・100から編入車が現れ、投入されたが、これらの車両は
クハ103-2050番台・2150番台を名乗った(史実のクハ103-2000・2050番台)
JR化以降、この車両の当初目的だった片福連絡線の建設工事が始まった。当初、JR西日本はこの車両を有効に
使うべく103系の大幅な改造をもくろんだが、エレクトロニクス技術の進展により、VVVFインバータ制御が実用化、JR
西日本も片福線を含めた関西圏電車区間(アーバンネットワーク)の標準車両の位置づけとして新型通勤電車として
207系を平成2年度に試作、翌年には早くも量産車が登場した。
ここから103系の複雑な転配属の歴史がはじまるが、103系うち車齢の若いこれらの車両は複雑な転出入のターゲット
となり、淀川区所属の車両は早くも全車が森ノ宮区へ転属し、複雑な玉突き転配属の末に101系や103系のうち上記の
2050番台や2150番台なども含む非冷房で残された車両が廃車となった。翌年以降は宮原区の車両が転配属の対象と
なり、平成8年の片福線改めJR東西線が開業する直前には日根野区と森ノ宮区へ分散転属した。
その後はJR西日本の103系においても若いグループであるため、積極的なリフレッシュ工事が行われた。その際に最早
使うことのなくなった貫通路は埋め込まれたが、貫通路を埋めただけで、独特のスタイルは健在である。現在は宮原区
時代に福知山線内での踏み切り事故で2000番台が1両廃車になった他は、全車森ノ宮区(21両)と日根野区(12両)で健
在である。
>>388 (妄想竹様)
突っ込みサンクスです。一応番台の想定はしてたのですが、ちょっと長くなりそうだったので
>>387 では省略しました。
阪堺電軌モ7500形 目下最後の活躍を続ける都電7500形を、東京都交通局がこの残る5両の無償譲渡を決め、阪堺電軌も これを譲り受ける事になった。しかし、ご存知の通り、同車は車体こそまだまだ使用に耐えうるものの、 足回りの 老朽化が著しく、また高床車のためステップ設置や運転機器の更新や改軌等も必要である。 そして、阪堺の経営自体も芳しくない(堺市内区間の存続問題に揺れている)。 そこで、阪堺の親会社・南海電気鉄道の主要取引先である「東急車輛」と「近畿車輛」が路面電車再興への 一助を、という事で2社タッグ態勢による改造工事に名乗りを挙げた。 改造部分は、以下の通り。 ・改軌ならびに足回りの全面更新(VVVFインバータ制御)。 ・2段ステップ設置。また、出入り口には収納式の昇降板と、車イススペースを設けている。 ・運転機器更新。モ700に準じたワンハンドルマスコン式を採用。スルッとKANSAIやPiTapa対応化。 ・前面表示機をLEDに交換。尾灯もLED化されている。 ・一部車両にはシングルアームパンタやノンフロン型エアコンといった最新機軸を搭載。 形式は都電時代の7500のままだが、末尾が1〜5までとなった。また塗装は、以下の通り。 旧7501(旧7509)→東京都電7500形オリジナル塗装(新車体搭載〜都電除籍までの塗装) モ7502(旧7511)→東京都電6000形「一球さん」で有名な「金太郎塗装」 モ7503(旧7512)→阪堺モ160と同じ阪堺旧塗装(PR相互乗り入れ特別塗装のまま入線) 旧7504(旧7513)→東京都電2000形塗装(杉並線でみられた、濃淡の緑色) モ7505(旧7505)→東京都電5500形塗装(キャピタルクリーム+クリムゾンレッドライン) 最も古い旧7505が、阪堺モ7500の中で最も新しい車両のような車番なのがご愛嬌。 なお、全車がスポンサーによる塗装変更となっている(モ7503は、「東京都交通局職員有志一同」と いうのがまた興味深く、まさに走る「友情の証」の趣がある。他は「個人」または「鉄道喫茶」等に よるものである)。
訂正orz モ7501(旧7509)←旧7501(旧7509)からの訂正 モ7502(旧7511) モ7503(旧7512) モ7504(旧7513)←旧7504(旧7513)からの訂正 モ7505(旧7505) ちょっと阪堺電車の線路に横たわってグモられてくる。
国鉄103系900番台(II) ***実際に山手線に投入された試作冷房車は無かったことにしてください*** 昭和4x年、これまで特急急行の冷房化を優先させてきた国鉄であったが、 大手私鉄が冷房付き通勤用車両を投入しはじめたことに触発され、 山手線池袋電車区に103系10連1本を試作冷房編成として投入し、冷房 装置本体・冷風ダクト・補助送風機等を各種比較検討することとなった。 大型MGと冷房装置以外は量産車と何も変わらないが、試験車としての 意味合いが強かったことから、900番台の続番(サハは新区分)となった。 モハ103-903+モハ102-903 AU73Xを1基 モハ103-904+モハ102-904 AU74Xを1基 モハ103-905+モハ103-905 AU75Xを1基 サハ103-901、902 AU71Aを1基+AU13Eを2基 クハ103-905、906 AU13Eを7基 冷房用電源はモハ102に急行用110kVA、特急用210kVA、試作160kVAの3種を 搭載し、比較検討された。当編成の実績により、国鉄通勤用及び近郊用電車の 冷房化にあたっては、160kVA発電機+AU75の組み合わせが標準となった。 昭和5x年、当該編成は山手線ATC化にあたり、AU75B搭載等の標準化工事を 受けて各地に散らばっていった。
>388 201を環状線に廻すって言う話が出たとき、 8両にするための1両は103系改造で組み込むんじゃないのかと マジで思ってた
205系5100番台 仙石線用の205系3100番台をVVVF化。 同時に内装もリニューアル。 ドア上にLED案内装置を設置し、床、壁、椅子も新品に交換。 残念ながら2WAYシートも廃止になった。
395 :
ミウナ :2010/06/11(金) 18:05:10 ID:X8kwvYJvO
JR東日本スハ43系5000番台 C61-20蒸気機関車の動態復元を行っているJR東日本が牽引する客車についても 一定の案が出されていた。高崎の旧客が昭和初期のスハフ32などそろそろ耐用に限界もきており、 12系(14系座席車は尾久にはもうないため)を他の旅客会社から譲渡する案や 寝台特急「北陸」廃止で14系14型寝台車が余剰になるのを利用して 「なんちゃって旧客」を作る乱暴な案もあったが、そこで目を付けたのが 越後中里にあるスキー場の休憩所として使われていた旧客であった。 全て戦後製のスハ43系であり、C61型に牽引させるのにはうってつけだった。 そこでスキー場と14系14型及び24系25型含めて6両のトレードを引き換えに スハ43系6両を入手。これらを大宮工場で大改修してC61型牽引用とした。 購入したのはスハフ42型2両とスハ43及びオハ47型各2両である。 改修としては 車体外板の全取り替え ブレーキ系を14系と同一に 床置き式冷房装置取付及び電気暖房撤去及び蒸気暖房の復元(冬季はC61型の蒸気を使用する) 近代化前の車内を再現(車内灯は白熱灯を再現し橙色系LED灯を使用) 山形新幹線400系廃車発生品の座席に更新 等である。 4号車には「北陸」でソロで使われていたオハネ14を改造して展望車スハ14-700とし、 スハネフ14から抜き取ったサービスディーゼル発電機を搭載し、そこから給電する。 配置は尾久でC61型牽引用以外にD51牽引用でも使われる。 塗装は青を予定したがやはりぶどう色を求める声は多く、2回青色で 運転後にぶどう色となっている。 なお特急はつかり色にする計画もある。
396 :
名無し野電車区 :2010/06/11(金) 23:36:40 ID:HLdviZNH0
JR西日本205系1000番台(史実一部改変)
昭和62年に発足したJR西日本は前年秋に京阪神緩行線に投入した205系の追加投入を早くも決めた。しかし、次期近郊
型車両(後の221系)や次期通勤型車両(後の207系)に技術的継承されるような車両を目指したため、システム的にも、車
体構造的にも独特なものとなった。
クーラーや制御装置に使う補助電源装置は従来の電動発電機(MG)から静止型インバータ(SIV)に変更、前面形状も
助手席側の正面窓が通勤用としては過去最大級となり、前面展望に優れたものとなった。
昭和62年秋口に明石区に7両編成が4本、昭和63年春に日根野区に4両編成が5本がそれぞれ投入されたが、これ以
降のJR西日本の通勤車は、通勤用としてはJR初のワイドボディとなった207系に移行、205系は国鉄時代に作られた分
も含めた76両が長年移動もなく推移した。
平成18年になって明石区の車両のうち、207系の後継車両になった321系の投入で、サハ以外の1000番台が日根野区
に、サハと0番台は8両編成を組んで森ノ宮区に移動した。
JR西日本クハ103-2060・2160番台
上記の205系1000番台投入に絡む転配属で、淀川区の101系が捻出された。しかしながら、冷房改造車であったことか
ら、車体の徹底した保全工事を施した上で、電装を解除(中間車に関しては運転台の取り付け)して103系に編入するこ
ととなった。
クモハからの改造車は先に阪和線や関西線に入っていたクハ103-2050・2150番台(
>>389 参照)の続番を名乗ったが、
モハからの改造車はモハ100種車が2160番台、モハ101改造車が2060番台を名乗った。
(このため史実のクハ103-2500番台・2550番台は改造されなかった)
397 :
名無し野電車区 :2010/06/12(土) 01:27:57 ID:9LvkxCIt0
キハ62 JR西日本で50系客車を改造して作ったキハ33の2エンジンバージョン。 キハ33が車体重量が重く加速が悪いために勾配線区では不向きだった事からエンジンを2基搭載することとした。 台車はDT22である。 オハフ50が種車で乗務員室扉とトイレがある0番台とオハ50が種車でトイレなしの1000番台が存在する。
>>387 あれ、クハ103は冷房車でも両栓構造じゃなかったっけ。
元々片栓のやつはもちろん片栓だけど
国鉄〜JRキハ68 国鉄末期キハ58系の置き換えと普通車転換クロス化による 急行列車・快速気動車のサービス向上、北海道、東北地区の普通車冷房化ステンレス車体 ボルスタレス台車による軽量化と、DMF15系330psの中出力機関1基 による保守軽減、最高速度100km/hに向上、CLEブレーキで在来気動車と 連結可能な意欲作、車体はキハ66ベースに急行型の集中冷房装置搭載のステンレス車体 本州向きは二段ユニット連窓、北海道用は1段畳章二重窓、本州向き耐寒耐雪装備はオプション式 キハ68形 0番台….運転台付きサービス電源付き本州向き 500番台…同0番台の北海道用 1000番台…運転台付きトイレ付き本州向き、キハ68形0番台とユニット 1500番台…同1000番台の北海道用、キハ68形500番台とユニット キハ69形…運転台無しトイレ付きの中間キハ 0番台…本州向き、500番台…北海道用 キロ69形…運転台無しトイレ付きリクライニングシートのグリーン車 0番台…本州向き、500番台…北海道用 キロハ69形…運転台無し、グリーン車と普通車の合造車主に九州、四国に配備。 0番台のみ。 JR化後の改造に続く。
400 :
名無し野電車区 :2010/06/12(土) 12:29:48 ID:kta9DicJ0
>>398 冷房回路だけ片栓のはず。
奇数車が奇数向き、偶数車が偶数向きのためクハ103-845・847・849が欠番。
401 :
名無し野電車区 :2010/06/12(土) 13:57:04 ID:klbDXfCG0
国鉄 米子局 オハシ50 山陰本線を直通する日本最長距離普通列車用に改造により登場した半室ビュッフェ車 18キップの発売開始後、閑古鳥の鳴いていた同列車が混雑するようになり、そこに目をつけて 増収をもくろんだ米子局がオハ50を3両改造し、連結した。 通常のビュッフェ車とは違い、乗客用乗降ドアは車端にあり、ビュッフェと客室の仕切りは 壁となっている。 屋根上にクーラを増設し、床下には小型のディーゼル発電機を搭載、クーラーと電子レンジの電源とした。 大阪〜米子間で連結され、途中の米子で連・解結された。 同列車の廃止により廃車となった。
402 :
名無し野電車区 :2010/06/12(土) 14:17:39 ID:kta9DicJ0
50系2000番台 国鉄で余剰となった50系客車を急行列車に転用するべく改造。 改造内容は以下の通り。 ・クロスシート化(ロングシートのクロスシート化しただけの車両と0系の廃車発生品の転換クロスシートを装着した車両の2種類が存在した) ・冷房化(全車両にAU13を搭載、発電エンジンはオハフ50に搭載したが重量が増加したため「スハフ50」に形式変更) ・蒸気暖房装置を撤去(冷房用発電エンジンによる電気暖房に変更) ・側面方向幕の取り付け ・識別のため車体に白帯を入れた 主に急行「だいせん」「さんべ」「丹後」「丹波」「但馬」で使用されたが1996年に定期運用を失い、その後は波動用として使用されていたが2003年に廃車となった。 システム上は12系客車との混結も可能である。
>>400 のキハ68系急行型気動車のJR化後の改造。
JR化後旅客各社ではキハ68系は車齢は若くステンレス車体で
急行型だが一般気動車に使われた時は貴重な冷房付き。
特に北海道、東北北部では普通列車運用時は唯一の冷房車であった。
しかし車体重量が40tを超えており、DMF15HZBの直噴式にして最大330ps
にしても1基エンジンでは特に勾配線区では58系に比べて優位とはいえない性能
そのため以下の様な改造が行われた。
JR北海道…キハ680形、キハ690形、キロ690形
JR化後、宗谷本線、天北線で運用されたキハ68500番台、1500番台、キハ69500番台、
キロ69500番台をアコモ改良し普通車をリクライニングシートに交換。
グリーン車はモケット張替え、エンジンをDMF13HZ360psに換装軽量化した車輌。
急行宗谷、礼文、サロベツ、天北、夜行急行利尻ではスハネフ14を挟み込活躍したが。
宗谷本線の特急化後失職し札沼線に車内ロング化グリーン車普通車格下げロング化
されて転用。
他急行狩勝、空知、ニセコ、夜行快速ミッドナイト用改造車もキハ680系に全車が改造された。
JR東日本…引き続き急行陸中、べにばな、月山、よねしろ、や快速列車に運用されたが
普通車リクライニングシート化、グリーン車の指定席車格下げ、機関換装など
の改造されて活躍中だが、最近廃車が発生した。
JR東海…急行のりくら、たかやま、紀州、かすが、で運用されたり普通、快速で運用されたが
快速みえが設定されると早速キハ68系が抜擢されて活躍。
キハ685000番台、6000番台、キハ695000番台
快速みえ、急行かすが、紀州用にエンジンをカミンズ360psに換装、最高速度110km/hに
向上した物。
キハ682000番台、3000番台、キハ692000番台、キハ693000番台
同武豊線、大多線、など名古屋近郊区間などで普通車に使用されてた
物のエンジン換装車、グリーン車はキハ693000番台に格下げ。
続き JR西日本…車体がステンレス車体で改造が困難なため、キハ65やキハ58にあったエーデル改造は そのまま西日本菅内急行列車や普通列車に使用されたが、車内を新幹線普通車や や485系の簡易リクライニングシートに換装された、6000番台や7000番台、7200番台がある。 最近ではN40やN30リニューアル工事で普通車に使用された車輌のエンジン換装、車内化粧板交換 など改造された。 JR四国…キハ68、キハ69、キロハ69をそのまま運用され後々キロハ69のキハ69100番台に 格下げされて今は普通列車で主に松山、高知、徳島、高松高徳線の都市圏輸送を担う。 JR九州…急行や快速シーサイドライナーに活躍したが、最近エンジン換装や 快速なのはな、特急はやとの風、などに転用されたり、普通列車運用に格下げや 普通車リクライニングシート化、グリーン車の普通車指定席車格下げ車が存在する。
東京地下鉄 11000系 直流通勤型電車 ○銀座線01系の置換えを見越した、10000系シリーズの銀座線バージョン 1983年、東洋初の地下鉄・営団地下鉄銀座線に投入された01系。当時最新鋭の機器を装備し銀座線高速化に貢献しただけでなく、営団各線に0x系シリーズ・ムーブメントを引き起こした名車である。 …が、試作車登場から30年弱が経過し、初期車にも老朽化が目立ち始めてきた。 分巻チョッパ制御の制御素子がGTOである(第37・38編成除く)、第32編成以前の編成には車椅子スペースが無い、天井が低く圧迫感がある、など、東京地下鉄の最新鋭車両、10000系シリーズに比べると何かと見劣りするのは否めない。 そこで導入が決定されたのが東京地下鉄11000系である。 車体は日立A-Trainシステムを採用した軽量アルミ車体。なお車体長、車体断面は01系と同じである。 制御装置は02系リニューアル車で導入されたPMSM主回路システムによる永久磁石同期電動機使用の東芝製IGBT-VVVF装置を採用。2in1形インバータ装置とすることで機器の肥大化を抑えている。 車体デザインは10000系シリーズでお馴染みの芋虫スタイル。車体側面帯は01系以来の茶・白・オレンジの3色を踏襲している。なお、車体断面と窓の都合上、側面案内表示器は設置されていない。 接客設備も10000系シリーズの他車と同様である。客室天井も若干ではあるが高くなった他、銀座線では初となるLCDディスプレイがドア上に2機設置された。なお、掴みにくいと不評の手摺りは通常の手摺りに設計変更された。 また椅子モケットや化粧板などは、初代銀座線車両である東京地下鉄道1000形のそれをイメージし、モケットはオリーブグリーン、化粧板は白地木目調とした。 2010年度末に6両1編成が導入され、1983年製造の01系試作車を置き換えた。なお、量産車の本格的な投入はもう少し先で、その際には丸ノ内線と同様にATOによるワンマン運転が実施される予定。 余談だが、11000系の座席には10000系に比べ改良されたクッションが採用されたのだが、「やっぱり固い」と苦情が出たとか出ないとか。 A-Trainの椅子の固さはだらしねぇな。
406 :
anorak? :2010/06/12(土) 22:08:09 ID:D5X+jPYY0
ミウナさんの
>>386 に触発されて自分なりのを。
>>316 に続く平行世界
◎国鉄117系1000番台
製造年 1983 車種 Tc Tc' M M' Ts 特記 横須賀線
○概説
1982年京急のオールクロスシートの2000形投入に対抗し、国鉄は競合する横須賀線に117系を投入し快速の運行を企画した。
横須賀線向けの117系は、後述する様に、走行システムなどの足回り以外は、79年の京阪神向け及び82年の中京向けの0番台とは
かなり異なる仕様となり1000番台が付与された。
当117系1000番台は、品川・錦糸町区間の都市内長大地下線(東京トンネル)を走行するが故に当時のA-A基準に則し、
特に先頭車前面には非常時脱出用扉が義務付けられていたので先頭形状は、国鉄の厳しい財政事情を反映して製造費低減の為に
113/115系に準拠し、貫通路に電光式愛称表示器設置。またATC-5搭載。
当車は0番台と同様に両開き二扉の車体で転換クロスシートを基本とするが、0番台が隙間無くオールクロスシートであったのに対し、
やはり東京圏は混雑が激しいので同世代の115系3000番台と同様に戸袋窓部と車端部はロングシートとして立席面積を増やし、
転換クロスは車体中央部だけと削減された。
グリーン車は同世代の185系のTsを基礎に片開き二扉化し、簡易リクライニングシート採用で定員を増やした。
TcとTc'とTsにトイレ設置。
車体の色は、塗装費削減の為、113系向けの塗料を流用したクリーム地に青帯いわゆる瀬戸内色に類似。
横須賀線標準の11両編成+4両編成ではなく、「東京←TcMM'TsMM'Tc'→久里浜」の七両編成のみで以て
東京・久里浜間で日中一時間に一本の快速運行に必要な分だけ製造された。ラッシュ時には二編成連結全14両で運転。
1984年2月のダイヤ改正で横須賀線にて快速を中心に就役開始。
87年4月にJR東日本に承継。2001年12月、湘南新宿ライン新設に入れ替わった横須賀線快速廃止に伴い当路線から撤退。
後に東北、武蔵野、高島の各貨物線の活用で「大宮〜西浦和〜西国分寺〜府中本町〜梶ヶ谷貨物ターミナル〜新川崎〜鶴見〜桜木町
〜磯子」を経路とする定期列車の運行系統新設の際、長大トンネルで駅間距離がかなり長いのでトイレ付きの当車が選ばれ、
TsのT化(デッキとシート一部撤去、固定シート化等)した上で就役。現役中。
>>405 より、アルゼンチンブレノスアイレス地下鉄に01系が
ブレノスアイレス地下鉄(メトロビアス)01系
ブレノスアイレス地下鉄ではまだA線、C線、D線、H線に戦前製
A線に至っては木造車健在の惨状で老朽車置き換えを急務としたため
東京地下鉄で廃車になった01系中古車を譲受したもの。
改造内容は、パンタ式に改造、冷房装置は日本時代の物をそのまま使用だが。
冷房や制御電源の改造を行い編成は6両編成のまま。
今後の計画ではB線の元丸の内線300、500、900形の置き換えに同じ丸の内線の02系を
日本から中古譲受する予定。
408 :
名無し野電車区 :2010/06/13(日) 00:27:25 ID:Sgr7kfQa0
国鉄413系・717系(史実一部改変) 国鉄末期、長崎線・佐世保線に投入された寝台特急電車改造車の715系は沿線住民のすさまじいクレームの嵐に覆わ れていた。何しろ車体は特急時代そのままで、扉は増設されたものの元のものと同じ狭い折戸。不必要なデッドスペース が多いことから朝夕のラッシュには遅延が常態となっていた。奇しくも同時に同線に入った713系のほうは比較的評判が よかったこともあって、昭和60年3月改正で北陸線と東北線仙台近辺に2次車として投入を予定していた715系と419系は 計画が白紙に戻された。 改めて再検討を重ね、車体は713系や、昭和53年に仙台地区に投入された417系をベースとして、583系の下回りとシート を再利用した国鉄初の車体更新新形式車両として北陸線向けに413系が、東北線仙台地区向けに717系が投入された。 クーラーも当初は583系のもの(AU15)をそのまま再利用する案もあったが、流石に通勤用として容量的に不安があった ことから、この時期大量に発生していた153系やキロ28等から捻出されたAU13やAU72が使われた。 金沢区(413系)と仙台区(717系)に3連が各15本づつの合計90両が投入されたが、この更新車両は成功で、翌年以降は 種車を急行用電車とした413系100番台(史実の0番台・471系が種車)、717系100番台(史実の0番台・451系が種車)、 717系150番台(史実の100番台・453系が種車)が追加で改造された。 717系のほうは0番台が平成10年秋に、100番台・150番台は平成19年秋に営業を終了した。一方の413系は交直流用と いう仕様から現在でも現役で活躍を続けているが、流石に0番台は平成23年をメドに全廃の予定となっている。
409 :
名無し野電車区 :2010/06/13(日) 03:24:40 ID:8hLDyN590
・キハ75系1000/1100番台 キハ75系をキハ25系と同様に1エンジン化し、ワンマン改造した車両。 1次車も2次車も共に座席レイアウトの変更が行われ、中扉横と1100番台の車端部はロングシートとなった。 トイレも新313系に準じ、バリアフリーとなったのと、つり革が付けられ、手すりも含め目立ちやすいオレンジ色となっている。 また1次車は山間部を走るため、前照灯が付けられる。 新製されるキハ25系との連結に対応しており、美濃太田車両区のキハ40形・11形を置き換える。
410 :
名無し野電車区 :2010/06/13(日) 04:05:55 ID:pd/2+s6AO
>>407 02系はリニューアルやってるから当分置き換え予定ないぞ。
ブレノスアイレス地下鉄(メトロビアス)3600形
C線の戦前製車両置き換えのため、
京成電鉄で廃車になった3600形中古車を譲受したもの。
界磁チョッパのままではフラッシュオーバーの恐れがあり短編成化困難なため東洋製のIGBTVVVFに改造。
それ以外はほとんど変化無し。
411 :
名無し野電車区 :2010/06/13(日) 04:29:47 ID:8hLDyN590
・キハ11形400/500番台・キハ15系0/100番台 キハ11形の車体更新・および2両編成化を行った車両である。 キハ11形0/100/200番台は普通鋼製で車体の老朽化が早かった事から、ステンレス車体に更新、寒暖用の区別を無くし 同時に300番台と共通運用を行う事で、伊勢車両区のキハ40形を置き換えるため大規模改修を行う事になった。 この内、一部は2両固定編成化し、片運転台のキハ15系となる。 足回りはエンジンがキハ25系・キハ75系1000番台と同じものに換装された。 車体はJR向けの気動車では初のブロック工法ステンレス製であり、凹凸の少ない車体となった。 東海交通事業からのリースの203/204は403/404に改番される。 キハ11-400/500・キハ15-0にはトイレが設けられ、これでトイレ無し編成は城北線用に残る201/202のみとなった。
幻の国鉄車輌より国鉄最強DLのDF51 国鉄〜JR北海道、貨物DF51 DD51ではD51、C57、C61の置き換え性能で、D52、D62、E50、C62、C64(1850mm動輪) の置き換えには性能が不足していたため、次世代DLとして北海道内や横断線区で使用するために 新規計画された、1972(昭和47)から1976(昭和51)まで量産された。 北海道の函館本線、室蘭本線、千歳線、東北では北上線、釜石線に若干が配備された。 性能的には初期形はDML61ZB1350psを2基合計2700ps 1974(昭和49)から製造された100番台の後期型からはDML61ZC1500psを2基合計3000ps 製造数は0番台が65両、100番台が75両の120両にとどまる。 台車は3軸ボギーのDT132A、変速機はDW2系、ブレーキはDL15B 最大引張力は25200kg、最高速度は95km/h、SGが無いため貨物列車や20系以降の固定編成客車牽引用。 後々北上線、釜石線のDF51は北海道に転属し北海道内に全車集結した。 JR化後の動き、JR化後はJR貨物とJR北海道に配備され、JR北海道配備車はブルートレイン北斗星や トワイライトエクスプレス、急行はまなす、まりもの牽引に活躍。 JR貨物配備車は引き続き室蘭本線、千歳線、函館本線で貨物列車牽引に活躍しているが。 連日の酷使で老朽化が進み、最近DF200の新製配備により廃車が発生しつつある。 一部は更新工事も受けている。
同じく国鉄〜JR各社DE50量産型 国鉄DD54の国産対抗馬の亜幹線用として1970(昭和45)から 量産が始まったDL、エンジンはDMP81Z2000ps、変速機はDW7、 最高速度は95km/h、台車はDT140(3軸)、DT131F(2軸)、SGは新造時未搭載だが 後々に新製品やDD54廃車発生品のSGを搭載。 東北の横断線区、関西本線、山陰本線西部、伯備線、山口線、筑豊地区、肥薩線に配備された。 新製両数は1970〜1975とDF50、DD54の置き換えに1976〜1979まで量産され。 合計220両量産された、後々DF50やDD54の廃車に伴い、山陰本線東部、福知山線、紀勢本線、 更にDD51が配備されなかった四国の予讃本線高松〜松山、土讃本線多度津〜高知間にも 進出し各所で活躍したが、電化の進展とJR化後廃車が発生しつつある。 JR化後は東日本、西日本、四国、九州、貨物に配備されたが。 四国所属車は高松〜松山電化により引退、東日本でも引退した。 現在は西日本の山陰本線、山口線、九州の筑豊地区、肥薩線で最後の活躍をしているが。 貨物では延命更新工事を受けた車輌もある。
414 :
阪和線 :2010/06/13(日) 10:21:23 ID:Etr+cXde0
JR西 E127系1000番台 1996年 桜井線などで使用されていた105系を置換えるため 当時デビュー仕立てだったE127系をそっくりそのまま作った車両である。 計48両がきいくに線・桜井線用に投入される事になった。 しかし、阪神大震災の影響などにより納入日が遅れなどが出た。 そして可部線にも13両が投入され製造は終了した。 幾度か増備の話は出たものの、福知山脱線事故で立ち消えとなった。
30系寝台客車 JR各社で耐用年度の限界に達していた24系客車の置き換えを目的とした新型寝台客車。 定期運用では無くJT的クルージングトレインとしての運行を基本に置き 北斗星・トワイライトエクスプレスの置き換えを必要としていた東日本・北海道・西日本。 クルージングトレインの運転を検討していた九州の4社で共通設計車両を導入する形となった。 共通要素としては4両編成を最低単位とし、車体はE233系の物をベースとした軽量ステンレス構造。 E26系と違い、ダブルデッカーは重量増大を嫌い食堂車以外は採用していない。 電源供給は分散方式として鉄道車両初のマイクロガスタービン発電を採用、軽量化と環境性能の向上を図っている。 車種は以下の通り。 マハテフ30(電源装置・展望ラウンジ付き緩急車) スシ30(ダブルデッカー食堂車) スハシ31(ラウンジ/ビュッフェ車) スハネ30(B個室ソロ/デュエット車:東日本・西日本のみ在籍) スハネ31(B個室カルテット車:東日本・西日本のみ在籍) スハネフ31(B個室ソロ/デュエット発電装置付き緩急車:東日本・西日本のみ在籍) スロネ30(二人用A個室ロイヤル車) スロネ31(スペシャルスイート/ロイヤル車) スロネ32(スペシャルスイート車) マロネフ30(展望ミニラウンジ・電源装置付きA個室ロイヤル緩急車) 九州所属車はクルージングトレインとして全車A寝台以上で構成された 豪華なものであり、ドーンデザインによる内外装も相まって 「21世紀版『或る列車』」の異名を持っている。
416 :
anorak? :2010/06/13(日) 22:19:26 ID:+eJ8ZpGt0
>>233-234 >>406 に続く平行世界
◎国鉄187系特急形電車
1986 クモハ187(Mc) クハ186(Tc') 1M方式
○1980年代半ば、碓氷峠を補機無しで自走できる特急電車として187系が計画されたが、結局中止。その後は
>>16 参照。
84年秋、奈良・桜井・和歌山の各線の電化に伴う合理化でDC急行紀ノ川(京都〜奈良・桜井・和歌山線〜和歌山)が廃止されたが、
沿線に有名な観光地が点在するこれらの路線の増収策として、ジャパンレールパス利用客から「快適な列車は無いのか?」云々の
クレーム増加もあって、京都と奈良と和歌山相互を結ぶ特急が企画された。
需要予測から二両編成の専用電車の新造が必要となり、その車両形式に先述の欠番だった187を付与。
当187系電車は、185系電車と同等の走行性能を有する1M方式の抵抗制御車である。
製造費削減及び投入路線がローカル線という事情から205/211系で実用化された回生ブレーキ付きの界磁添加励磁制御は不採用。
Mcに走行システムを集約し、パンタグラフを搭載。
車体の意匠は、同時期のキハ183系500番台に酷似し、鋼製車体、集中式冷房、ボルスタレス台車、リクライニングシート等の
共通項が多く、主な違いは、間合い使用を考慮した185系電車と同様のステップ無しの幅1m片開き二扉、車体色は白地に緑帯一本。
トイレ、洗面所はTc'のみで、外国人利用客向けの洋式トイレ一つ、小便用一つ、洗面所一式の構成で車端に。
86年度にMcTc'の二両一編成で三編成分の計六両が製造された。
1986年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で、奈良・王寺・橋本経由で京都と和歌山を結ぶ特急三往復に就役開始。
所要時間短縮の為計画当初の桜井線は経由せず関西本線・王寺経由に。当時としては非常識な二両編成の特急が登場。
87年4月にJR西日本に承継。
2004年に高野山と吉野が「紀伊山地の霊場と表参道」としてユネスコの世界遺産への登録の影響で多客期に三両に増車する為に、
マリンライナーの車両置き換えで余剰になっていたサハ213形をサハ187形100番台として当187系列に組み込む改造を実施。
当車は従来通りの両開き二扉のステンレス製車体だが内装がリクライニングシートへの取り替えや乗降部風防仕切設置等で
JR東海の373系電車の様になった。従来車には延命の為の更新工事が実施された。
異動もなく現役中である。
>>400 サンクス、冷房つかわない時だけ両栓なんだ。
例の日本語不自由な人、絶好調
418 :
名無し野電車区 :2010/06/15(火) 04:55:39 ID:Npw28PZXO
>>407 >>410 そうなるとこれも有り得るなあ。
ブレノスアイレス地下鉄(メトロビアス)1000型
B線の元営団地下鉄丸の内線300 500 900の置き換えとしてN1000系投入で
捻出される名古屋市交通局東山線1000系を譲渡したもの。
これまで元丸の内線車は冷房がなかったが、この車両投入で念願の冷房車投入となった。
こちらも譲渡の際にVVVF制御に変更された。
なお置き換えが計画されている東京メトロ銀座線01系や30000系に置き換える
大阪市交通局谷町線の30系も大型車ながら譲渡候補に上がっていた。
またC線の置き換えに名古屋市交通局鶴舞線の3000系の譲渡が検討されている。
419 :
名無し野電車区 :2010/06/15(火) 05:07:42 ID:Npw28PZXO
>>418 補足追加
名古屋市交車投入で捻出される元丸の内線車の500型2両と300 900型各1両が
東京メトロに返還された。
当初は綾瀬で展示される予定だったが第三軌条式であるために中野に変変更された
国鉄457系電車100番台 急行型電車の新製は昭和46年を最後に途絶えていたが、長崎・佐世保電化を控えた昭和50年に 4年ぶりに復活した。厳しい国鉄財政の中で予算が通ったのは、【DC急行をEC化】→【ローカルPCを DC化】→【老朽PCは廃車、DLは増発貨物列車に充当】の玉突き配転が合理化に寄与すると認めら れたためである。新製はMc、M'、Tcに限られ、Tsは編成見直し及び直流車改造によってまかなわれた。 クモハ457-100、クハ455-100 冷房装置がモハと同じAU72に変更。前灯が白熱灯大目玉からシールドビームに変更。 モハ456-100 トイレは3両に2か所あればいいという方針になったため、便洗面所が準備工事とされた。 サロ455-100 サロ165から改造。外観的にはドアステップ取り付けが大きな変更点。 サロ455-150 成田空港開港遅れで休車になっていたサロ113から改造。改造内容は100番台に準ずる。 全部あるいは一部がDCで運転されていた「いなさ・弓張」「おが」「ざおう」「羽越」「しらゆき」「ときわ」が EC化され、このあおりでローカル線直通急行「奥久慈」「白馬」が姿を消し、「いいで」は「ばんだい」& 「あがの」に分割された。なお、金沢電車区受持ちの「しらゆき」は3電源直通のため457系限定運用が 組まれ、471/473/475系が配置されていた同区では最も神経を使う列車となった。
421 :
名無し野電車区 :2010/06/15(火) 23:02:00 ID:BKNqRGv8O
>>418 1000形じゃなくて5000形じゃないのか?
それじゃ丸ノ内より車体小さくなってサービスダウンだろ。
大阪市交30系は、4ドアでも18bだからB線で問題なく使えると思う。
JR西日本 交直流電車 523系 521系の車体を強度を強い225系タイプに変更したもの 2両で詰め込みを効かせるため、半分ロングシートになり ロングシートの割合が増えている なお、3両編成用のサハ/モハも設計はされており、 ラッシュに対応しきれないと判断された場合は追加される模様である
>>420 モハ456-100の便先準備は、その場所はデッドスペース?
それともモハ164-500みたいな感じの構造にした上でひとまず客室になってるとか?
424 :
名無し野電車区 :2010/06/18(金) 00:39:20 ID:P3vWozRF0
321系1000番台 JR西日本が製造した321系の改良版。 225系で採用された安全対策が取り入れられている。 前面形状が変更されて窓が小さくなっている。
425 :
名無し野電車区 :2010/06/18(金) 16:35:50 ID:0TJngTF6O
ブレノスアイレス地下鉄(メトロビアス)B線 3000系 旧営団地下鉄丸の内線車を使用しているB線も制御装置はVVVFでも冷房がない 事や、老朽化が進んだため新たな代替車両が必要だった。 当初N1000系に置き換える名古屋市交通局東山線5000系が浮上したが、 車体が小型過ぎ、サービスが低下を招く事からご破算となった。 しかしそこへ大阪市交通局谷町線の30系が30000系に置き換えることや車体が18mと 丸の内線車と同じで4ドアであることから後継車両に充てる事になった。 30系はアルミ車とセミステンレス車があるがセミステンレス車が譲渡された。 改造として750V車のため600V降圧化やVVVF化改造などだが出来る限り大阪市交 当時を残し、帯や方向幕もそのまま生かしている。 さらに中央線10系の一部と24系全車及び近鉄けいはんな線7000系の一部も 譲渡される事になった。これらはVVVF車だったのが決め手となった。 大阪市交通局33000系(33系) 近鉄7080系 大阪市は10系及びの置き換え、近鉄は7000系を置き換えるために作られた 中央線仕様の30000系である。 谷町線型と前面などか異なる。近鉄と共同で「けいはんな線新標準車」として作られた。 なお検査等は近鉄車含めて大阪市交が委託し森ノ宮で行う。 背景にはけいはんな線車両を生駒から車両検査場のある五位堂に運ぶために モトが必要で、その車両の老朽化が進んだ事から近鉄線内に回送させずに 大阪市交側に委託することで検査の合理化を図りたい意向があると思われる。
>>425 めちゃくちゃだな。
大阪市営地下鉄の車輌の全長は基本的に19.5m。
東京の丸ノ内線の車輌は3扉。
かなり史実を改変しています。 JR東日本 901系D編成(209系930番台)直流通勤型電車 ○901系4番目の試作車D編成 1990年代初頭、JR東日本は205系等の従来型に変わる、新たな通勤型車両を模索していた。 そして誕生したのが『重量半分・価格半分・寿命半分』という革命的なコンセプトに基づく新型通勤型車両の試作車、901系である。 901系は10両×4編成の40両、川重製造のA編成、東急製造のB編成、川重・JR大船工場製造のC編成、そして東急・新津製造のD編成が納入された。 ここでは東急・新津製造の901系D編成について紹介する。 編成は10両。4・5号車を除いた8両が東急、残り2両が新津工場製である。 当時、JR東日本は新津工場で901系以後の新系列通勤車両を自社製造する計画を進めており、そのテストとして901系製作でも新津工場がサハ2両を製造する事になった。 制御装置はパワートランジスタ素子による3ステップVVVFインバータにGTOサイリスタチョッパ回路を組み込んだ制御装置を採用した。これにはJR西日本207系を参考にしようとしたJR東日本の思惑があると言われている。 車体構造は同じく東急製造のB編成と同一だが、側面窓がB編成の2枚窓と異なる1枚大型窓になっている。 新津製造の2両は東急製造車とほぼ同一の仕上がりだが、どうした訳か車番がプレート式に。理由は不明である。 なお、側面行先表示器が各車に設置されたり、号車番号表示がステッカー式になっているなど、ソフト面は量産車の仕様にかなり近い。 各編成によって相違点が多い内装や運転台だが、B編成のぶっ飛んだ内装に比べ、D編成のそれはかなり保守的(現実的)なものとなった。 蛍光灯はレール方向に配置され、また空調は一般的なダクト方式を採用。ドアエンジンは電気式である。なお、吊革も当初から設置されている。 また各車両4ヶ所、千鳥配置でドア上に3色LEDによる旅客案内表示器が設置された。 一方運転台はかなり大胆な提案を行っている。何と私鉄各社でお馴染みのT形ワンハンドルコントローラが導入された。これには東急車両の思惑が絡んでいると言われている。 1992年に登場した各編成は、従来の通勤電車とは一線を画す様々な試みにより、利用者や乗務員に大きな衝撃を与えた。 そして紆余曲折の末、901系4編成の試験結果は1993年の209系量産車の登場、という形でフィードバックされた。
>>428 続き
量産車登場後、901系は209系900(A)・910(B)・920(C)・930(D)番台に改番され、209系シリーズの一員となった。
この際にA〜C編成は量産化改造が行われ、客室や運転台などに変化が見られたが、D編成は客室設備が量産車とほぼ同一であったことや、乗務員の間でT形ハンドルも好評だったことから、ほぼ901系当時のままで209系列に編入された。
D-ATCが一部区間に導入された2001年には、A編成ともどもVVVFインバータ装置の変更が行われた。
JR唯一のT形ワンハンドル車両として活躍していたD編成であったが、2000年代後半になってくると他編成共々車体の老朽化が著しくなり、2007年3月に運用を離脱。
東大宮操車場に長期にわたって留置された後に他編成同様に廃車されたが、クハ209-931のみ大宮の鉄道博物館に保存されている。
430 :
名無し野電車区 :2010/06/19(土) 19:32:44 ID:xThmqIIIO
209系950番台 952 953編成 後のE231系となる209系950番台のB C編成にあたる試作車。 B編成は1〜3号車をセミクロスシートとしたプチ近郊型(トイレはない)、 C編成は前面形状 VVVF 主電動機が異なり、LED式情報装置を液晶画面式 情報装置にしたもので、台車もボルスタ付きとなっている。 いずれも三鷹に配備され、中央総武線各駅停車で試験的に使われた。 しかし一部セミクロスシートのB編成はラッシュ時の乗降に時間がかかって しまって遅延を露呈するなどしたためにわずか3ヶ月で高崎に放り出されている。 B編成は951のA編成共々量産化改造でE231系900番台の910番台となる。 910番台となったB編成は量産化改造の際にトイレの取付とグリーン車の 連結(捻出したサハは量産車に組み込み)を行った。 C編成は2007年までそのまま使われ、一時東大宮でモスボールされるも 量産化改造でE233系900番台に改番された。 改造の際に三鷹から豊田に転属された。
405系近郊型交直流電車 国鉄は地方線区のフリークエントサービス向上のため新形式電車(417系と仮称された)の投入を検討していたが、 当時は累積赤字が問題となりつつあり、地方への新車投入などにはとても手が回らない状態であった。 一方、常磐線では通勤客の急増により列車の増発・増結が求められており、同時に冷房化が検討されていた。 そこで、常磐線に冷房搭載、もしくは準備工事を施した415系を追加投入し、 余剰となった401系・403系を地方へ転配することで、車両の性能統一とサービス向上を図ることとした。 こうして401系の走行装置を流用し、投入線区に合わせた車体に乗せ換える形で製造されたのが405系である。 なお、4両編成では輸送力過剰であるとの判断から、モハ401に運転台を取り付け、3両編成とした。 同時期に登場したキハ47形と同様、車体中央寄りにステップ付の両開き式ドアを設けたほか、 寒冷地での使用を考慮し、雪切り室の設置、半自動ドアの採用、軸箱等への防雪カバーの取り付けなどが 行われている。 また、抑速ブレーキを使用できるよう制御装置がCS43形に、主電動機がMT54系に換装された。 車体の強度不足と、東北地方での使用が前提であることから冷房装置の搭載は見送られた。 401系25編成のうち、12本が405系に改造されたが、415系の追加投入が途中でとん挫したことから 以後の改造工事は見送られた。 また、九州地区の421系を425系として改造する案もあったが、こちらは計画のみで終わっている。 仙台地区に配置された3両編成12本が民営化まで生き残ったが、719系、701系の投入により廃車となった。
>>431 制御器をCS15系に、2M1T基本なんだからギア比も4.21にして
急行型と性能統一したら、とも思ったけどどうでしょうか
あとさ、『車体に乗せ換える形で製造された』
のに、『モハ401に運転台を取り付け』って明らかに変だよ
433 :
431 :2010/06/20(日) 09:01:37 ID:wMIUSO0P0
>>432 そうだね、ごめん
2M1Tになったと言いたかっただけなんだ
鉄道省、国鉄E50貨物用蒸気機関車 戦時体制化で逼迫する貨物輸送に対応するため1940(昭和15)年度に計画 1942(昭和17)〜1944(昭和19)にかけて製造されたが、26m級ターンテーブルが必要な 事と、当初計画の1E1(サンタフェ)では軸重過大で1E2(テキサス)にしてようやく 軸重最小14t程度迄軽減可能にしたが、2軸従台車、5軸動輪は1250mmしかなく 最高速度が9600形と同じ65km/hしか出ず、最高速度75km/hのD51形、D52形貨物用蒸気機関車 に比べて10km/最高速度が劣る事、平坦線の貨物列車を1200t単機牽引や20パーミルこう配でも 640t貨物列車を単機で25km軽減可能な性能は重宝されたが。 運転台の機関助士が2人必要など単機牽引のメリットが薄れてて。 名古屋、米原、糸崎機関区に合計22両が戦時中に新製されたに留まる。 後々戦後ボイラーが同じD52形からの改造機が55両戦後に製造された。 東海道本線電化後は山陽本線と東北本線で活躍し、一部は北海道に渡り 函館本線、室蘭本線、千歳線でも活躍したが。 本州残留組は昭和43年迄に貨物列車の最高速度75km/h化や蒸気機関車置き換え 電化で消滅。 北海道残留組は昭和48年度まで貨物列車で活躍したが。 国鉄新形式ディーゼル機関車DF51の登場により置き換えられて 昭和48年度に全車廃車され形式消滅。
近鉄5230系・阪神新3000系・山陽6000系
明石・姫路等の播州地区から奈良・伊勢志摩方面への団体用として作られた車両で、外見上は塗色を除いて1988年に
登場した近鉄5200系と同一である(近鉄・シリーズ21カラー、阪神・ジャビットカラーw、山陽・下部紺色、上部クリーム
の旧標準色)。
内装も5200系や、コレをモデルにしたJR221などと同じ3ドア転換クロスシートを採用している。
デビューと同時に播州地区からの修学旅行臨に積極的に充当されている。
ttp://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/0003093488.shtml このニュースを見て、速攻で思いついた。手抜きなのは承知しているw
E233系2500番台 中央・総武線の運用見直しによる地下鉄東西線との直通増発に伴い、 209系500番代を置き換えるために登場。製造は東急と川重が担当。 基本的には2000番台と変わらないが、E233系では初めて6ドア車を連結している。 また、東葉との3直も開始したため、東葉用無線・WS-ATCも搭載する。 (2000系にもATS-PとJR用無線が搭載された。) なお、209系500番代は全車機器更新と同時に中原区に転属となり、 余剰となるサハと中原区205系の一部は廃車となった。
国鉄 長距離貨物連絡船 くろしお丸 輸送力が限界に達していた東海道線の貨物列車のうち、 東京-南九州方面の貨物列車を船で輸送して 空けるという構想で建造された、鉄道連絡船 登場時は、他社競合を避けるため貨物列車のみの搭載で、 旅客設備は無かった 太平洋の波に対応するため、全長200m近い大型船である 東海道新幹線が開業すると、空きが出来たため、 船で運んで積み替える必要が無くなったので 旅客設備を追加して青函航路に転進 他船に比べて大きな船体で、列車を 多めに積み込むことが出来たため、船の数を減らすのに貢献したが、 青函トンネル開業後に、老朽化で転用先も無く、廃船となった
>>437 仮に25ノットで爆走(爆航?)すると考えてもさ、1隻じゃキツくない?
国鉄としては2隻建造したかったらしいが、 天候の影響で安定運行できるか等、懐疑的な声もあって予算が確保できず、 実績が出た頃には、東海道新幹線の開業も迫っていて、 断念されたという裏設定で1隻にしてみた 実際、東京-宮崎は、 「富士」よりマリエクスプレスの航路のほうが速かったハズ
>>439 大阪〜大分間だと高速バスや“彗星”もフェリーに負けた、って言われてるな。
441 :
名無し野電車区 :2010/06/21(月) 21:56:45 ID:h1mqXpi/O
>>440 高校の修学旅行で大阪港から別府までフェリーだったけど、夜10時過ぎに出て
朝7時位には着いていたからなあ。
では本題
国鉄 青函連絡高速船 岩木丸 大沼丸 白神丸
昭和52年に建造された旅客用の高速船である。
連絡船は青森と函館で約3時間近くかかるなど旅客用高速化が求められて
来た事から水中翼船型の高速船を導入した。
青森 函館は別桟橋からの乗船で定員は35名通常の連絡船のグリーンと同じ料金がかかったが
1時間弱で行けてしまう速達性からビジネスマンに人気が高かった。
当初は岩木丸と大沼丸のみで就航しており、昭和57年に白神丸が建造されて
これが国鉄が建造した連絡船の最後となった。
民営化や速達性から青函トンネルが開通後も速達性からこの航路は残され、
青春18きっぷでも乗れるとあってシーズン中はキャンセル待ちも当たり前だった。
平成元年には運航するJR北海道はより大型化した2代目の岩木丸及び大沼丸を建造した。
しかし東日本フェリーのさらに高速が出せるなっちゃんの前には勝てず、
平成19年に廃止されたが船は東海汽船に売却され、大島航路で使用されている。
国鉄キハ95 キハ35系を発展させた4扉ロングシートの試作通勤型気動車で、キハ36を4扉 にし、混雑時の遅延対策としてDMH17Hエンジンを2基搭載したものである。 このため21.3m車となり、乗務員室と客用扉の間に座席と窓が設けられた点が クハ103等通勤型電車とは異なる。 このことは乗務員室扉と客用外吊戸が 干渉するのを防ぐことにも役立った。 1963年に3両製作され、千葉気動車区に配属された。 機構的に目新しい点は なく、特に不具合は発生しなかったが、4扉車が必要な非電化区間は無いとの 結論が出てしまい、量産は見送られた。 房総電化後は休車になっていたが、 2エンジン・ロングシート・両開き多扉というスペックゆえ、老朽化が問題となって いたキニ55(10系のキハ51改造車)の後継車として白羽の矢が立ち、キニ代用 として水戸機関区に全車転属。 キロ58改造のキニ58と共に、1986年の荷物 輸送廃止まで常磐線で活躍した。
443 :
名無し野電車区 :2010/06/23(水) 16:09:06 ID:4r7QldAh0
キロ188 キハ189系のグリーン車。 2+1列を採用したため定員が36人に減少している。
JR西日本685系 雷鳥用の485系の置き換え用に製造(※683系4000番台は投入されていない、という前提で)。 225系の技術や安全対策が反映されている。 8M1Tの9両編成(0.5M方式なので実質4M5Tの性能)を組み、セミアクティブダンパや車体間ダンパを搭載し乗り心地の向上を図る。681系や683系との連結も可能。 グリーン車はパノラマタイプを採用し、前面展望を楽しめる。 この車両の投入に伴い485系は惜しまれつつも勇退。
445 :
名無し野電車区 :2010/06/23(水) 22:52:00 ID:xfWPcpDs0
国鉄 北海道総局 キロ82 キハ80−500 昭和43年10月改正時に道内特急列車大増発に伴い登場した形式 キロ82:かねてから問題となっていた、2等客の1等車通り抜けを防止するため、編成の いちばん端に1等車を連結できるように、キロ80の2エンド側に運転台を設置した キハ82と違い、発電機は搭載されず、運転台の直後から客室になっている。 しかしながら客席との仕切り部分に窓はない キハ80−500:キロ82と通常ペアで運用される、中間電源車 それぞれ8両が製造され、当初の予定どおりキロ80とキハ82と交換した北海道標準編成で 使用されるとともに、予備車をキロ82+キロ80の1等車2連で運用したり、3+7の中間に入る キハ82の代わりにキハ80−500を入れたりされた。その場合、わずか4席ではあるが編成の 座席定員が増えた。 末期はキハ80−500は夏の発電不足のおおとりに中間電源車として投入され最後まで活躍した。
446 :
名無し野電車区 :2010/06/24(木) 00:03:06 ID:d4pCg61NO
いろいろ考えつくね。笑
国鉄711系電車(三次車) *** 現実世界の100番台に相当 *** 1980年の室蘭電化時に3連17本と、2連を組んでいた試作編成の3連化用 サハ2両、合計53両が製造された。 一次二次車との大きな違いはMc先頭の クモハ711-サハ711-クハ710 になったことである。 これは将来の2連化 あるいはMT比見直しによる加速性能向上を見越したためと言われている。 クハは方転不可のため新形式となったが、基本的にはクハ711と変わらない。 シートピッチ拡大とトイレ削減(編成に一か所)がなされたのは、この時期の 本州向け近郊形電車と同じである。 札幌を中心とする電化区間で活躍してきたが、2000年から2002年にかけて サハを抜き、ワンマン化と冷房化を兼ねた更新改造が全17編成に施された。 現在、2連13本が札サウに配置され、岩見沢〜旭川・苫小牧〜室蘭で2または 4連で活躍中である。 入出区の関係で、早朝深夜に手稲発着列車が設定 されており、札幌駅で711系の姿がまだ見られる。 この他、2連4本が函ハコに配置され、江差線(函館〜木古内)ローカルに使用 されている。 しかし、函館車は運用効率が低く、全検時は苗穂までパンタを 外して回送するという手間もかかるため、札沼線電化時に札運へ全車集結 させるのではないかという噂が流れている。
鉄道省〜国鉄19700、19750シンプルマレー式貨物用蒸気機関車 第一次世界大戦の戦争景気に活気をしめした鉄道省では次期旅客用18900系2C1 次期貨物用に9900系1D1、19200系1Eが計画製造されたが、島が退任するに及び。 勾配線区や石炭など重量貨物列車用に再びマレー式が計画される事になった。 アメリカのボールドウィン社が大正10年度にサンプルを売りこんで来たため購入 サンプル4両は19700型と命名され、シンプルマレー式機関車となった。 動輪は1250mmの1-C-C-1で試験の結果9600型の1.8倍の出力と牽引力を発揮し 9750型とは比較にならない程の走行安定性を発揮し。 直ちに国産シンプルマレー式の19750型が大正14〜大正15年迄に29両製造された。 19750型はボイラーは14気圧、機関車重量は85.5t、全長は21.5m 動輪は1250mmの1-C-C-1で直ちに東海道本線の御殿場周りの補機として働きはじめた。 その後丹那トンネル貫通後は各全国の勾配線区に分散配置されたが。 太平洋戦争中、下回りのシンプルマレー式の保守に手を焼き。戦後19700型は廃車 19750型は九州筑豊地区に集結して最後は筑豊地区の石炭列車牽引に活躍した。 昭和33年度迄に全車廃車され形式消滅。
>>416 に続く平行世界もの
◎JR東日本511系交直流形電車
製造年 1991 車種 クモハ511(Mc) モハ510(M') サハ511(T) クハ510(Tc') 特記 211系寒冷地仕様の交直流版
○1992年の春のダイヤ改正で、常磐線の中電では、常磐線と山手貨物線の連絡線(三河島〜田端〜中里分岐点)完成によって
池袋発着の列車が追加されることになり、この必要車両数増加に対し、415系1500番台の増備ではなく、511系が新造された。
当511系は、211系3000番台を土台に変圧器や整流器等の交流電化区間走行用機器を追加し、651系と同様に交流区間でも
回生ブレーキ使用可能として界磁添加励磁制御の省エネ効果が得られるものとして設計された。
651系と同様にM'にパンタグラフ搭載し主変圧器や主整流器などの交流(50Hz)区間走行用機器を集約、Mcに主制御器等を。
先述以外の車体等の意匠は211系3000番台に準拠し、塗装は415-1500に準じるが区別の為に先頭車貫通扉と乗務員扉が赤一色。
McM'TTTc'→上野/池袋、の五両編成を単位とする。415系とは混結せず。91年度落成後常磐線の中電に10〜15両編成で就役。
2007年に常磐線中電の主役がE531系への交代に伴い、415-1500と共に東京圏から撤退し、McM'Tc'に編成し直されて、
水戸線と常磐線友部以北の運用に就き、半自動ドアを発揮。余剰のTは全廃。
◎JR東サロE501/E500
2007年春に常磐線中電全列車にグリーン車の連結と営業開始に伴い、E501系にも連結される事になった。
それは、制御系以外はE531系のサロE531/E530に準拠した新車サロE501/E500を組み込むことである。
当サロE501/E500はE501とE531のどちらでも連結可能と設計された。
当車組込みE501系と、常磐線中電の主役のE531系は、最高速度や加減速度などの性能に差があるので混ぜた運用は出来ず、
つくばエクスプレスとは経路上競合しない池袋発着列車の内でラッシュ時の運用に限定されている。
日中は運用がなく、基地で待機している。当車組込みに伴い余剰となったE501のサハは廃車。
450 :
anorak? :2010/06/26(土) 15:46:09 ID:9XnU47hY0
>>416 >>449 に続く平行世界もの
◎国鉄プッシュプルD70(DF70&PC70)
製造年 1983-84
○客車列車両端にディーゼル機関車を配置した英国の"InterCity 125 (HST)"の影響で、国鉄も内燃車での動力集中方式を研究し、
長大編成では動力分散式よりもプッシュプル型の動力集中式の方が良いとの結論を得た。
首都圏と北陸の短絡ルートを形成する国鉄乗鞍野麦線(塩尻〜奈川〜野麦峠〜高山)と白山白川線(飛騨細江〜白川郷〜小松)は
東海道の迂回路を担う為に国鉄再建法による建設凍結を免れ、84年に開業。高規格だが接続する高山線と同様の非電化単線。
中央東・乗鞍野麦・高山・白山白川・北陸などの各線経由で新宿と大阪を結ぶ特急列車の運行が計画された。
キハ183系0番台は中央と北陸・湖西で要求される高速運転が不可な為、そこで、プッシュプル方式(Push-pull train)を採用した
プッシュプルD70(PPT-D70)―70系(2G)客車八両編成両端に電気式ディーゼル機関車DF70形を連結した2M8T編成―を新造投入。
DF70の外形は、ヘットライトを省略したキハ183-0に、台車が三つ、車内全て機器室になったようなもの。
走行システムは主に、大出力のディーゼル機関と交流発電機、サイリスタ位相制御装置と六個の主電動機、客車への電源装置も。
片運転台で客車連結側には回送運転台、床面高さと台車の寸法などは旅客車両に準じ、編成内連結器は密着、先頭側は自動連結器。
70系客車の車種はオハ/オロ/オハシ/スハ70等。仕様はEC185/485とDC183の混合準拠、外観はステップ付き二扉で集中式冷房。
スハはパンタグラフ設置の電源車で、燃料節約の為に電化区間ではDF70に代って給電。
WW2敗戦直後の戦災復旧車として70系客車が在ったが、旅客車は消えたので車番を再利用、二代目。
PPT-D70は、最高120km/hとDC181とEC183/485に匹敵する走行性能でDC181/183よりも運行コストを削減。
向日町運転所に配属され、先述の特急でデビューし、アルプスを爆走。
結局、後年の特急の短編成化傾向にプッシュプル方式は対応出来ず、異端児に。
87年のJR発足の際、西日本に承継、先述の新線は東海に。後にオハシは食堂区画が座敷に改造されオロハに。
近年の原油価格不安定の影響等で運行系統分割され車種交代で廃車。
451 :
阪和線 :2010/06/26(土) 17:55:59 ID:DqhrUiIa0
EF80 100番台 常磐貨物に充当されていたEF80を日本縦貫線に 投入予定の新型機関車のパイロットカーとして投入された。 外見はEF81とほとんど変わりがなくなっている。 1967年に1両製造された。 そして、翌年から米原〜敦賀間での試験を開始した。 1年間の試験の後、通電試験を実施された。 試験結果が良かったため。そして量産型のEF81が投入された。 試験終了後、日本縦貫線でEF81と共に運用された。 そして、国鉄民営化の際にJR貨物に引き継がれた。 しかし、老朽化により1996年に廃車された。
452 :
名無し野電車区 :2010/06/26(土) 18:15:44 ID:g32eZW4n0
国鉄 オシ14−100 オロフ14 オロ14 昭和50年に、急行霧島・玄海の14系化により登場した形式 オシ14−100:寝台車用のオシ14を平屋根化して新製した形式 オロフ14:グリーン車の一般客通り抜け防止のため編成端に連結できるようにした緩急車 中間に連結した場合でも車掌室を客専が使用できるメリットがある オロ14:車掌室なしの中間グリーン車 当初、品川客車区に各車5両が配置されたが、臨時つばさやあけぼのなどにも連結するため 尾久客車区にも5両が配置された その後、急行玄海・霧島廃止に伴い定期運用からは外れたが、臨時踊り子や繁忙期には名古屋局に 貸し出されて臨時金星などに連結されるとともに、長距離団臨などに連結されることもあった オシ14−100は、特に寝台用のオシ14の工場入場時などに代わりに連結されることもあり、鉄道ファン からは、編成にアクセントがつくため人気となった また、昭和57年に登場したサロンエクスプレス東京にオシ14−100が併結される機会が増えたため 1両が同列車の塗装となった JR化後は、カートレイン北海道に14系寝台とともにオロフ14が連結され、電源車兼用のサロンカーとして 運用されたり、寝台特急北陸に一時期オロ14が組み込まれたりしたが、14系客車そのものの運用が 減ったため、平成18年に全車廃車となった
403系500番台 1985年に開催されたつくば万博への観客輸送と 1986年に予定されていた国鉄鹿島線の水戸延伸に伴う 交直流車輌の所要数増加を見込んで製作された。 サービスレベル向上のため各車にAU75系の冷房装置が取り付けられた。 車内はシートの取替えが行われ、バケットシートになるとともに、 シート幅、シートピッチとも拡大され、座席定員が減っている。 なおクハはオールロングシートになった。 また客用扉をステンレス製のものに交換している。 主電動機はMT54系に交換され、出力の向上を図っている。 クハの運転席背面には冷房装置の制御盤と 東京トンネルに乗り入れのためのATC装置を設置したため、 運転台直後の座席は撤去された。 また東京トンネル乗り入れのためヒューズ箱を屋根上に移設するなど、 A-A基準に準拠した不燃構造となっている。 1983年から1985年にかけて4輌13編成が改造された。 当初415系と共通運用で用いられたが、 1986年の鹿島線水戸延伸以降は主に鹿島線(千葉〜佐原〜水戸)で用いられた。 ラッシュ時には113系11輌編成と連結し東京まで乗り入れたほか、 常磐線(上野〜勝田)や成田線(成田〜我孫子)でも使用された。 E531系の投入により2008年までに全車が廃車となった。
454 :
名無し野電車区 :2010/06/26(土) 21:03:18 ID:d3UN9Qh60
キシ82 キハ80系の発電エンジン付き食堂車。 形式名が「82」であるが中間車である。 車体はキシ80と同様だが発電エンジンを床下に設けた関係上走行用エンジンが1基しかない。
>>453 にマジレス。
403系は1966年の登場時からMT54を搭載してる。
415系が1971年に登場しており、交直流電車用主変圧器が50/60Hz共用のTM14に
統一された時代にわざわざ50Hz専用機器を再生産などしない。
シートピッチ拡大車も415系100番台が1978年に登場済み。
クハ401/411のジャンパはKE76×3、地下用クハ111はKE70×1。どう連結したのだろうか。
456 :
453 :2010/06/26(土) 22:22:59 ID:Dx/9XwwN0
401系から改造、と書き忘れた。
457 :
名無し野電車区 :2010/06/26(土) 23:30:05 ID:g32eZW4n0
>>454 どうせなら運転台つきにしてもいいかもしれないw
キシ+キロ+キハ+キハ+キハ+キハ+キハ の北海道標準編成・・・
これに、キシ抜きの旭川編成をつなげれば、キシがちょうど真ん中になっていいかも
458 :
妄想竹 :2010/06/27(日) 02:09:37 ID:xmt9+yg50
115系1300番台 国鉄末期、高崎線の増発・増結で115系が不足する一方、急行廃止で165系が余剰となっていた。 165系をローカル線へ回して115系を捻出し高崎線へ回して凌いでいたが、ローカル線でも2扉がネックで遅延が常態化していた。 丁度165系も製造から20年を過ぎて車体更新の時期になったので、ついでに3扉化し、ギア回りを401系捻出の1:4.82に変更し 引きとおしもKE76×3化して115系化し、車種統一を図ることになった。 これにより登場したのが115系1300番台である。 車体側面は完全に張り替えられ115系1000番台と同等となり、上越国境越えを考慮して雪切室が設けられた。 但しクロスシートは種車からの流用で、取っ手が半円状の古いタイプである。 運転台部分は前照灯シールドビーム化の上、種車のものがそのまま流用されたため、運転台横の小窓がユニット窓でなく、 タイフォンの位置も低いまま。但し、雪対策で蓋が取り付けられている。 一番の特徴は屋根で、混雑時の高崎線運用を考慮し容量の関係でAU75を新調したモハ114を除きAU13が6個乗っており、 通風器も種車から流用されている。扇風機も取り付けられており、強冷房モードで動作する。 台車は種車のDT32、TR69のままだが、前述のようにギア回りは401系の廃車発生品に交換されたためギア比は1:4.82である。 主制御器やモーターはもとより115系と共通品なので、そのまま流用されている。 なお、種車が不足したため、サハ115の一部はサロ110が種車となり、これはTR58台車のため、番号も1350番台に区分されている。 クモハ115、モハ114、サハ115、クハ115の4形式があり、3〜4両編成を組む。 115系他番台との混結も可能だが、なぜか殆ど例が無く、一時3連にサハ115-0を組み込んで4連の不足を補ったことがある程度である。 改造当初は高崎線でも運用され上野・池袋まで顔を出していたが、高崎線115系撤退後は専ら北関東のローカル線で運用されている。
459 :
名無し野電車区 :2010/06/27(日) 09:28:27 ID:pzftuc0PO
国鉄C13型蒸気機関車 C10 C11 C12より大型の中型タンク機で、C58をタンク機にしたもの。 C11型より大きく動輪径は145cmのC型で、ほぼEに近い。当然バック運転も可能。 31両生産されてC58では過剰な線での使用に期待されたがタンク機故に 中途半端さは否めず、房総各線及び川越線と八高線と新小岩操の入替などに 使われた以外に、中込に配備されて小海線で使われたりした。 小海線ではC56型のポニーに対しラバと呼ばれていたが、ミキストの列車に 充てられる等がほとんどで実際には高原の駄馬とも呼ばれていた。 昭和49年に廃車されたが7号機が野辺山駅前に13号機と長野工場に 18号機が篠ノ井に24号機が葛飾区内の公園に30号機が大宮市内の公園にそれぞれ保存された。 昭和60年に動態復元したいタンク機を探していた大井川鉄道に長野工場の 13号機が譲渡された。 新金谷で復元工事を受けた上で現在SL急行用として使われているが 機関車が大きいために客車の長さによりE10型電気機関車の後補機の 必要がない点は大きく、最長7両を後補機なしで牽引した実績もある。
460 :
名無し野電車区 :2010/06/27(日) 10:02:42 ID:PSecE4/TI
鉄道省キハニ36450形〜国鉄クハニ56200番台 太平洋戦争中燃料統制により休車となったキハニ36450形2両を 戦後電車に改造する事を検討し、モハ二44200形と なる予定がMMのMT26が600V電圧80kwと非力で台車も 特殊構造だったため、やむなくエンジンと発電機、MMを降ろし。 クハニ56200、201として横須賀線で使用する事にした。 台車はキハニ36450時代の物を再利用した、後々昭和3 に飯田線に転属したが昭和45年度に2両とも廃車。
>>452 >寝台特急北陸に一時期オロ14が組み込まれたりしたが、14系客車そのものの運用が
>減ったため、平成18年に全車廃車となった
しかし解体はせずに休車状態で他のオハ14、オハフ14等と共に青森、直江津に疎開し
保留していた。
平成22年3月、利用の減少により急行能登、寝台特急北陸の廃止・統合が行われ、
能登よりも利用率が高く、寝台利用の根強い需要もあったため北陸を残存させる
こととなった。
しかし、夜行バスに価格面で対抗し、多客期の定員確保のためには座席車も必要で
あるため、グリーン車指定席、普通車指定席、普通車自由席を連結することになった。
一方、解放寝台の需要は低かったため解放B寝台は2両を減車した。
平成22年3月ダイヤ改正以降の編成は以下のとおり。
スハネフ14-スハネ14-オロネ14-スハネ14-スハネ14-スハネフ14-オハフ14-オロ14-オハ14-スハフ14
なお、座席車はJR西日本に譲渡され金沢総合車両所配置となった。
462 :
anorak? :2010/06/27(日) 17:07:01 ID:7yXaEST50
>>450 に続く平行世界
◎国鉄119系1000番台
製造年 1984 車種 Mc T'c 特記 115系と同性能
○1985年春に関西本線の亀山・木津区間が電化開業し、全線が電化された。
国鉄の財政破綻寸前状況を反映して電化工事費低減の為に、明治時代建造の狭小断面トンネルが多い加茂・亀山区間では、
トンネルを拡張せず若しくは代替トンネルも掘削せず、狭小トンネルのまま架線を張ったので、身延線や後年の予讃線と同様に
狭小トンネル対応の電車しか入線出来なくなってしまった。該当区間用にと新造投入されたのが119系1000番台である。
車体の意匠は飯田線用0番台を踏襲するが、狭小トンネル対策として身延線用のモハ114形2600番台と同様に屋根のパンタグラフ搭載
箇所を削った様に一段と低くするなど十分な絶縁距離を確保し、かつ奈良駅で113系に併結して湊町(現JR難波)駅へ直通する為に
113/115系との併結協調運転を可能しめる装備と運転性能を具備した設計が施された。
端的に言えば、外観は119系だが、中身は115系の1M車である。冷房は搭載済み。McT'cの二両編成。
電化開業時、奈良・亀山間ローカル運用のみならず、伊賀上野以東から途中奈良で113系に併結して湊町へ至る直通快速にも就役。
因みにモハ164-800組込みの165系も急行を主に就役。87年4月にJR西日本に承継。
後に221系の狭小トンネル対応車に直通快速の任を譲り、一部が和歌山・紀勢線等に転用。全車現役。
◎国鉄キハ66・67形1000番台
1980 キハ47の大出力
○1980年、国鉄大隅線桜島支線(海潟温泉駅〜桜島港駅)並びに国鉄桜島航路(桜島連絡船、桜島港駅〜鹿児島駅)が開業。
当路線は活火山桜島の麓を国道224号と共に通るので火山灰対策として冷房車、後発なので競合との競争力強化の為の速度向上等の
要求を満たす新車キハ66・67形1000番台が投入された。
便所はキハ66に冷房用発電機はキハ67に設置と共に駆動システムは筑豊向けの0番台を踏襲するが、車体の意匠はキハ47にほぼ準じ、
台車はコイルバネで固定セミクロスシート。火山灰対策に運転台窓に庇。
キハ47(220PS)の大出力版(440PS)が実態であって、労働組合対策として、キハ68・69とならず、キハ66・67の新区分番台となった。
87年4月にJR九州に承継。後にエンジンと変速機の換装等の更新を経て現役。
463 :
名無し野電車区 :2010/06/29(火) 03:20:24 ID:vv23R6LF0
ようやくしてくれ
464 :
名無し野電車区 :2010/06/30(水) 09:10:25 ID:DDXkJ3Wj0
DD54形更新車 国鉄で不具合の多発したDD54のエンジンと変速機を国産のものに交換。 DE50用のDMP81Zと充排油式のDW7に取り替えた。 しかしDD51を継続生産する方針に切り替えられたことから改造工事は7両で中止されたが、性能的に安定しており全車JR西日本に承継されて1992年まで活躍した。
465 :
名無し野電車区 :2010/06/30(水) 10:37:28 ID:GkQkAug10
有田鉄道キハ8503 北アルプス用キハ8500の孫譲渡車を両運転台に改装 一時期乗客が減り、キハ58003から、2軸レールバスによる平日のみの運行にまで 閑散としていた有田鉄道であったが、有田川町の急速な人口増加で大型車両が必要となり 運転台のないキハ8500中間車にキハ58の運転台を両側に切断溶接をしたもの。 そのため、外観はキハ58だが、性能的にはキハ85に準ずる。 接続点の藤並駅より湯浅駅までの乗り入れも復活した。 さらに乗客が増えたため、下津野駅の交換施設も再稼働し、キハ8500の2連も購入、 単行仕様の003はトレーラーとして名古屋鉄道より購入した1600系先頭車と2連運行になっている。
466 :
名無し野電車区 :2010/06/30(水) 14:04:46 ID:TGQlWnpL0
国鉄 北海道総局 881系振り子式特急電車 国鉄の北海道電化事業は、財政悪化と鉄道の斜陽化により限定的になっていた 既に開業していた旭川〜小樽間の実績(岩見沢〜旭川間のローカル列車電化コスト)と、 札幌〜函館間及び将来的に本州までの完全電化は非現実的との判断から、予定されていた 室蘭本線電化は凍結され、そのリソースを都市間輸送として昭和55年に開業される石勝線に 振り向けることとなった 石勝線電化にあたり、山岳路線であることと、高規格路線でありながらカーブが連続することから 381系を交流専用とし、酷寒地装備等を付加した新形式として881系は登場した ベースは381系とし、新たに雪切室がモハ車に設けられたほか、軽いアルミ車体では万が一 吹き溜まりに突っ込んだ場合に脱線する恐れもあることから高運転台の下に死重が搭載されたほか 前面部分は鋼鉄製に変更され、アルミ車体の客室とはボルト固定されることとなった この処置は、運用開始後に多発した鹿や熊との衝突に威力を発揮することになったのは皮肉な結果であったが・・・ また、中間サロには客室の1/3に渡る巨大な車販準備室が同時期に登場することになるキロ182と同様に準備され 食堂車の連結は廃止された 55.10の改正で札幌〜帯広間に「とかち」として登場し、好評を博した その後、国鉄分割民営化の手土産としての帯広〜釧路間の電化及び線形改良工事により、昭和61年11月改正から 特急おおぞらも電車化され、札幌〜釧路間4時間台となった 車輛の老朽化などのため、順次後継機である981系に換装され、平成16年に全車廃車となった
467 :
名無し野電車区 :2010/06/30(水) 14:34:21 ID:TGQlWnpL0
国鉄 北海道総局 751系急行電車
>>466 に合わせて登場した急行用電車
千歳線開業用に準備された711系100番台をベースに、6連固定で登場した
2M4Tで、711系なら中間クハになるべくところにサロとサハシを入れ、座席はロングシートを廃止し
窓側にも肘掛がある急行用に換装されているほか、戸袋部分は2人掛けのクロスシートとなっている
また、この改正で急行かむいに使用されている711系0番台を千歳線に投入するため上記固定編成に
付属で3連追加できるように、クハ-モハ-クハの付属編成も準備された
札幌〜帯広間の急行「まりも」と、小樽・札幌〜旭川間の急行「かむい」として55.10から運行を開始した
なお、中間サハシのビュッフェ営業は急行「まりも」のみの予定であったが、乗客からの要望で昼食帯、早朝・
夕方の各1本の急行「かむい」はビュッフェ営業することとなり、北車販が営業担当となった
しかしながら乗客の特急指向から急行客は伸び悩み、昭和57年には早々に1編成がホテルアルファトマムと
提携した団臨用電車「アルファコンチネンタルエクスプレス」に改造され、急行かむいも短編成化されて増発された
L特急「ライラック」により職場を失うこととなった
JR化時に急行「かむい」と「まりも」は廃止され、中間サハシをサハに改造された上で、千歳線の空港快速専用車として
運用されることとなったが、既に登場していた721系との加速格差や室内格差(非冷房・ボックスシート)が嫌われて
平成5年に運用離脱し、函館地区へ集中配備され、50系快速海峡の電車化に投入された
そして、バブル崩壊による北海道観光の減退により平成11年にはアルファコンチネンタルエクスプレスの廃車、そして
快速海峡の廃止に伴い平成18年に全車廃車となった
悲運な車輛として、この板の諸氏にとっては有名な車輛であろう
JR西日本521系(史実と異なる) 1993年、新快速列車の北陸本線敦賀・福井乗り入れのために投入された交直流近郊型電車。 北陸本線では1991年、長浜までの直流化が行われたものの、 以北でも新快速への需要が強く、長浜以北は交流設備のまま、新快速が乗り入れることになった。 221系との併結を前提とした車両であり、耐寒設備が強化された以外は、車体・台車は221系と同じである。 機器は415系をベースにしているが、電動機はMT61系であり、加速度や最高速度は221系に揃えてある。 ブレーキは221系と同じ電気指令式であるが、回生制動は付いておらず、回生電力は抵抗器で消費する。 すべて4連であり、Mc-M’-T-Tcの編成である。パンタグラフは交流機器のある中間Mに2基ついている点が 221と異なる点である。 もっとも、新快速が223系に移行する中、120km/hまでしか出せない521系はネックとなった。 一方、米原−敦賀間の直流化も行われることになったため、新系列は建造されず、 新快速223系統一が行われた2000年には新快速敦賀直通は一旦中断し、 敦賀直通を担うのは快速列車となった。 そして2006年の敦賀直流化後、521系は419系・475系を置き換える形で、 敦賀以東のローカル列車に転進した。 ただ4連では輸送力過剰になるため、中間Tには長期休車となっているものもある。
>>468 史実の521系(さしずめここだと523系か?)への併結改造を施して使用中、て具合にしてはどうだろうか?
470 :
名無し野電車区 :2010/07/01(木) 22:44:12 ID:SyAzved30
JR東日本 415系2000番台 交直流近郊型電車 JR東日本常磐線では高速バスとの競合のため、いち早く651系による特急の130km/h化に手をつけたものの、最高速度100km/hの415・403・103系との速度差が大きく普通列車に追いついてしまう事態が多発し、 また高速バスだけでなくマイカーとの競合もあって普通電車のサービスレベル向上も求められてきた。 このため普通列車の速度向上とサービスアップを目的とし、新型車に取り替えることが決定。 415系2000番台はこの計画により登場した車両である。 形式上は415系を名乗るが、主要電装品は211系をベースとしており実質的には211系の交直流版というべき車両である。 車体は211系と同一構造の3ドア20m級ステンレス製。混雑の激しい常磐線の性格を考慮し、客室ドアは1600mmの開口幅に変更されている。各ドア上にはLED式の車内情報装置を搭載。 編成は10連(6M4T)と5連(4M1T)。10連の基本編成のうち中間の2両は常磐線初の普通列車グリーン車となっている。 普通車の座席はJR東日本初の転換式クロスシート。初期車は0系新幹線の廃車・更新発生品を使用しているが、後期車では新製品もある。シートピッチは880mm。 (これにより差別化のため、485系もシートピッチの970mmへの拡大が行われた) 車端部の座席は4人掛けロングシートとなっている、特異な配置。 グリーン車は平屋のサロ410・411と二階建てのサロ414・415が用意された。グリーンの座席は910mmピッチの回転式リクライニングシート。 補助電源装置は190kVAのBLMG。電動空気圧縮機はAC-2000Mであるが、後期車は低騒音タイプのC-2000LAに変更された。 制御方式は先に登場した651系と同じ界磁添加励磁制御。交流回生ブレーキに対応する。 主電動機はMT61系であるが、定格出力を150kWに強化されている。ギア比は1:4.82。 台車も高速運転を行うため、651系を同じDT56系を採用。ヨーダンパとアンチローリング装置を搭載。 起動加速度は2.4km/h/s、最高運転速度は130km/hと651系並に設定(485系在籍時はこれも差別化のために120km/hで運転)。 485系撤退後は最高速度を130km/hに向上し、E531系登場後もSuicaグリーン券システム対応化が行われた上でE531系と共に上野口に顔を出す。
471 :
名無し野電車区 :2010/07/01(木) 22:52:18 ID:SyAzved30
JR東日本 719系500番台 交流近郊型電車 前述の415系2000番台は上野口用の大編成であるが、一方で土浦以北のローカル輸送列車も同時に速度及びサービス向上を行うために開発された車両。 東北地区で運用されている719系をベースとし、高加減速・高速運転を行えるようにした車両である。 編成は1M1Tの2連。 車体は0番台同様に211系タイプの3ドア20m級ステンレス製。こちらのドア開口幅も1600mmに設定。 座席も415系2000番台同様、880mmピッチの転換式クロスシートを採用している。 またトイレは701系と同じ洋式タイプが採用された。 補助電源装置は140kVAのPTr方式SIV。電動空気圧縮機は廃車発生品のC-1000を搭載する。 制御方式はサイリスタ連続位相制御。主電動機及び台車も415系2000番台と同一のものを使用。ギア比1:4.82。 起動加速度は3.0km/h/sと近郊型電車としては非常に高く設定されている。最高運転速度はこちらも130km/h。 この車両もE531系と共に現在も活躍中。
472 :
名無し野電車区 :2010/07/01(木) 23:00:16 ID:SyAzved30
JR東日本 205系3000番台 直流通勤型電車(史実の改造車とは異なる) 常磐線の快速電車で使用されていた103系は高速性能が劣悪であり、651系の登場もあって早急な置き換えが求められた。 このため前述の415系2000番台及び719系500番台と同時期に松戸電車区に投入された、205系の常磐快速線専用車である。 編成は103系と同じく6M4Tの10連と、4M1Tの5連で構成されている。 車内は先に山手線や埼京線に登場した0番台を踏襲するものの、ラインデリアの吹き出し口は私鉄電車で使用されているアルミニウム製の連続したものに変更。 また、運転台直後の窓も大きくなり、眺望性に配慮している。 補機類は0番台を踏襲するものの、主制御回路は高速運転を行うために211系に近いものとなっている。 制御方式は界磁添加励磁制御。主電動機及び台車は415系2000番台を同じものを採用している。 高速域での性能を確保するためにギア比は1:6.07から1:5.19に変更。 起動加速度は3.0km/h/s、最高運転速度は120km/h。
473 :
名無し野電車区 :2010/07/02(金) 00:37:37 ID:fE2brPDd0
コキ300 JR貨物が開発した史上初の「カバー付きコンテナ車」。 コキ107をベースに車体をすっぽり覆うカバーを装着。 カバーはワム80000のように総開きであるが、電動で開閉できる(当初はウィングボディの採用を検討したが架線を支障するため断念)。 カバーのドア開閉用電源は床下に取り付けられたバッテリーと車軸発電機を用いる。 また車体を低くするべく車輪径が760mmに縮小されている。 カバーを取り付けることで空気抵抗の減少と安全性の向上(列車すれ違い時にコンテナが吹っ飛ぶのを防ぐ)を実現し、青函トンネル内での160キロ運転が可能となった。 また160キロ運転を行う事で北海道新幹線のダイヤを阻害しにくくするというメリットもある。
前スレあたりで出てた、隠密ミサイルコンテナ車両?が兵器展示会で出品されたらしい
>>470 何故新形式にしないの。
そんなに元々の415系とはあらゆるスペックでかなり異なっているのだから、
例えば、511系とか、611系とかの新形式の称号を与えたほうがいいんじゃないか。
読む度に、何だが、311系や221系に113系3000番台か115系4000番台の称号を付与しているのと同じで、
すげー違和感ありまくりなんだが。
EF65-200番台 1970年代、東海道山陽筋では貨物列車の高速化が進み、EF60では特急貨物Bの牽引が困難で あったため、84号機以降の3次車を対象に、ギア比を4.44から3.83に変更したものである。 当初は単位スイッチ手動進段式制御のままとされたが、発車時に空転しやすいとの苦情が 乗務員から多数寄せられたため、後に自動進段電動カム軸制御に改造され、名実共にEF65となった。
477 :
名無し野電車区 :2010/07/02(金) 23:00:44 ID:WT7PGssn0
>>470 >>471 >>472 なかなか良い発想だと思いますが、やや高性能すぎでは?
私なりの発想を披露します。
【所属】JR東日本
【形式】511系電車
【製造初年】1990年
【用途】交直流近郊型電車(常磐線用)
【編成】6M4T+2M3T
【背景】常磐線では高速バスとの競合のため、651系による特急の130km/h化に手をつけた。
しかし、415・ 403・103系との速度差が大きく、ダイヤ設定の足かせになってしまう。
さらに、マイカーとの競合もあって普通電車のサービスレベル向上も求められてきた。
このため普通電車の速度向上とサービスアップを目的に誕生。
【概要】設計費用をケチるため211系500番台と同仕様(
>>271 参照)。
1.213系と同様に助士席側の窓を拡大し、前面展望を確保。
2.ドア内側に化粧板を張り、高級感を確保。
3.基本編成を6M4Tにして性能向上と到達時間短縮(付属編成は2M3Tのまま)。
4.4号車と5号車はグリーン車を採用(
>>470 のアイディアをいただきました)
5.最高速度は120km/h、起動加速度は2.2km/h/s。
6.1,2,9,10,13-15号車は転換クロス車、車端部はロングシート。その他の普通車はロング車(
>>470 を反映しました)。
【補足】
1.当初は特別快速で運用。停車駅は昔あった通勤快速と同じ。
2.普通電車の一部にも運用されるが、結局415系は残る(403系は廃車)。
3.2.で残った415系は110km/h対応に改造。
4.残った415系は史実と同じ時期に廃車・運用区間変更。(E501系は投入されず)
5.E531系が投入された今でも上野ーいわき間で運用される。
478 :
ミウナ :2010/07/03(土) 00:13:32 ID:xYfx7YwnO
北総鉄道7270型 7400型 成田スカイアクセス開業時に特に老朽化が著しい7250系(元京成電鉄3300型)を 置き換える事になった。 背景にはアクセス特急運用に支障に生じる事やスピードが出ず止まらない等、 京急側からの苦情が絶えなかった事による。 そこで親会社の京成より13050型投入や金町線高架化により余剰が生じる 3500型更新車8両(3529〜3532+3553〜3556)を7270型として3400型(3441〜3448)を 7400型として譲渡したものである。 譲渡にあたり7270型に関しては電動機のない台車を廃車になる3500型 未更新車から電動機付き台車に取り替えてオールMに改造している。 7400型は台車を3400型当時から新造台車2両以外の台車をFS543Cに 履き変えると共に京急より1500型VVVF改造発生品の制御装置 主電動機に更新し、 コンプレッサーもスクリュー式に更新した。 7270型は3500型の帯を青帯に変更し、7400型は7300型と同じに変更された。 なお7400型はもう1本譲渡される(元京成3421〜3428)が、こちらは廃車になる AE100型から台車 制御装置 主電動機 コンプレッサーに更新する。
>>467 細かいことだが釧路までいかない列車に「まりも」という名前はつけがたい
「狩勝」とか「十勝」とかにしては?
185系3000番台 JR東日本が特急「踊り子」で使用されている185系について ギア比変更、高速域でのブレーキ増圧改造を行い、120km/h走行を可能としたもの。 合わせて客室設備のリニューアルも行われている。 近郊型E231系(最高速度120km/h)の投入にさきがけて改造され、 ダイヤの余裕度向上による遅延防止が図られた。
183系2000番台 1980年代後半、伊豆急がリゾート21を製造したのを受け、185系では役不足との事で、JR東日本が張り合う形で急遽新製。 車体は北海道のキハ183系500番台とほぼ同じ設計で、前面は貫通型タイプ。 6M4Tの10両編成を組み、4号車と5号車はハイデッカーグリーン車(2列+1列タイプ)となっている。 走行機器は従来の183系とほぼ同じだが、新たにボルスタレス台車を採用し、後に乗り心地改善の為にヨーダンパを設置。 この車両の投入に伴い、リゾート21とともに伊豆方面の特急のフラッグシップ的な役割を果たすも、さらにゴージャスな251系の登場により、その期間はわずか数年で終える羽目に。 その後、房総(内房・外房)特急に転用。臨時で中央線方面の特急にも使われる事も多い。 現在も現役だが、今後は、ムーンライト系の夜行への転用が計画されている。
>>481 185系で役不足って、よっぽど酷い特急だぞそれw
っていうかそれMT54世代か?MT61が妥当な気もするが。
483 :
名無し野電車区 :2010/07/04(日) 15:40:31 ID:ofTInfLg0
age
484 :
名無し野電車区 :2010/07/05(月) 00:36:01 ID:zTHS1hh90
421系900番台 国鉄が1961年に製造した421系のステンレス車体試験車。 関門トンネル内での海水侵入による腐食を防止するためステンレス車体とした。 低運転台で、車体の前面や側面にコルゲートがある。 当初は無塗装だったが汚れが目立つため後年塗装された。 しかしスキンステンレス構造のため意外と長持ちせず1986年に廃車された。
485 :
名無し野電車区 :2010/07/05(月) 00:52:10 ID:tzxaZb4R0
>>479 55.10時代の時刻表を調べるとわかると思うけど・・・
定期「まりも」は、夜行こそ釧路まで行ってるけど、昼行まりもは帯広発着です
のちの「とかち」系統になる急行の名前は「まりも」なんですよ・・・
まりも1号は帯広発でした
486 :
名無し野電車区 :2010/07/05(月) 01:35:08 ID:kJbCD00G0
>>459 大昔のほんの一時期C13という形式の機関車が実際に存在しなかったか?
>>481 役不足の意味知ろうな
185系800番台
昭和61年、福知山線全線電化に伴い新製された特急型電車。4連と6連がある。
200番台と同等の耐寒設備が施された他、117系100番台と同様にボルスタレス台車が採用された。
内装はオリジナルの185系と同じだったため、既に117系が導入されていた関西では、
これで特急料金を取るのかと非難轟々となった。
国鉄民営化後、本線では221系が登場し、117系300番台が福知山線に登場すると、
さすがに見劣りのする185系800番台もそのままというわけにいかず、登場後10年をたたずして
内装リニューアルに追い込まれた。
外装も、登場当初は福知山線色ということで、黄色に塗られていたが、景観にマッチしないということで、
JR化直後にベージュ基調の塗色に変えられた。
なお平成22年の舞鶴若狭道無料化後、輸送力が過剰となったため、6連を3連2編成に短編成化する工事が行われ、
クモハ185-3800形が登場した。
489 :
名無し野電車区 :2010/07/05(月) 17:54:40 ID:OwqDRXRV0
>>481 リゾート21の登場後という設定だから1986〜87年頃か?
ならば
>>482 の言うとおり、この時期に改造車でもない限り、
わざわざ旧式の183系を新規投入なんて無駄でしかない。
それにどう考えてもインパクトの面でリゾート21に勝てるとも思えん。
それ以前に日本語でおk
313系6000番台
中央線用に登場。6両固定のオールロング車。
ドア上にLCDを設置。
名古屋〜多治見・瑞浪の短距離運用が基本だが、
朝夕は他の313系と8〜10両編成を組み中津川まで入ることもある。
E217系3000番台(史実の209系500番台に相当) 中央・総武緩行線にはE231系(通勤仕様)の投入が予定されていたが、同線で使用されていた 103系に老朽化による故障が多発したため、特に経年の大きい車両を置き換える目的で投入された。 車体構造、走行装置ともに横須賀・総武快速線に投入された0番台車(最終増備車)と共通であるが、 全車ロングシートでトイレ設備がないなど、走行線区を考慮した変更点も多い。 また、制御装置のプログラム変更により、起動加速度が209系(E231系)と同等まで高められている。 E231系の量産開始により、10両編成17本の投入にとどまっている。
491 :
名無し野電車区 :2010/07/05(月) 23:15:59 ID:Iq6p/mMLO
伊豆急行3000系(リゾート21Neo) 2000系リゾート21の初期型及び中期型の置き換えと、現行8両編成の 「リゾート踊り子」の10両編成化のために作られたリゾート21の最終型で、 2009年に作られた。 下回りは親会社の東急電鉄5000系シリーズに準じたもので、台車はボルスタ付きで連結部にダンパー が付けられている他に簡易振り子式となっており、走行性能では JR東日本の185系どころか251系をも凌駕する。 車体はE257系を基本としたアルミ車体で展望席もあるが、伊豆急下田方 のみでロイヤルボックスもスーパービュー踊り子同様に伊豆急下田方の 1号車2号車となっている。 コンバートメント席の3〜6号車に次いで海側に座席を固定可能の7〜10号車の10両編成。 当初修善寺行きを考慮した6+4で計画されたが見送られた。 製造される10両編成5本の内の2本は黒船電車である。 リゾート踊り子を置き換えたばかりでなく、池袋発着のスーパービュー 踊り子1運用の奪取にも成功した。また湘南ライナーにも使用される。 池袋発着を奪取した理由として親会社の東急の拠点である渋谷から 伊豆への特急という東急グループ長年の夢を果たしたい思惑と思われる。 これにより2000系は初期型全部と黒船電車及びαリゾート21が 置き換えとなったが、黒船電車及びαリゾート21は4両編成化の上で 富士急行に譲渡され、2代目フジサン特急として第二の人生を送る予定。 (当初は長野電鉄と秩父鉄道も譲渡に挙がっていた)
492 :
anorak? :2010/07/05(月) 23:23:12 ID:k71yb+X00
>>462 に続くもの
◎JR西日本10系一般形電車
2003-05 クモハ10(Mc) サハ15(T) クハ16(Tc) 吊掛式
○JR西日本は、通勤形電車に関し、低性能・老朽車103/113/115系を大量に抱え、競争力強化と経費削減の為に新車置換が
緊急課題となったが、体力上、207系大量投入による達成は無理であった。
全ての電化路線に207/223系を一律投入する必要性は無く、205/211系並の性能で廉価な電車が求められていた。
十数年程度の廃車前提を求めて居無いのでE231系タイプの購入は無かった。
それを商機と見た現代ロテム社がJR西に商談を持ち掛け、日本企業よりも激安な韓国企業製電車の購入が決まった。
この新車の主な仕様は、ステンレス製幅狭車体、両開き四扉、先頭車貫通型、自動解結装置、集中式冷房、熱線吸収窓で遮光幕省略、
VVVFインバータ制御、回生・発電併用ブレーキ、ボルスタレス台車、シングルアーム型パンタなど。
激安実現の為、電動車を減らせる準動力集中式を採用し、出力350KWの大型主電動機をMcにて運転台側台車に一個、
残りの台車に二個搭載となるが、大き過ぎて従来のカルダン駆動方式では台車に収まらず、“つりかけ式”となった。
この方が製造費をより削減でき、粘着力も若干有利で動力集中式には好都合。
ばね下重量増による軌道破壊増の不利は、昔に比べ主電動機の出力当たり重量が軽くなり、投入予定路線が重軌道化されており、
当時は懸念されず。
機関車はVVVFインバータ制御の吊り掛け駆動方式が主流だが、電車では奇異で、外国産であることも区別したく、
車両形式称号は旧国鉄の旧形電車の規則を応用し、かつて存在した10系の称号を再利用。
0番台はオールロングシート、1000番台はクロスシートとロングの千鳥式配置、トイレは1000番台のTcに設置。
2003年から0番台がMcTTTcとMcTTTTMcの編成で阪和・関西線、1000番台がMcTTTcで山陽・呉線に投入。
第一に尼崎の脱線事故の影響で当車両は編成の重量分布に著しい偏りがあるので脱線リスクと事故の脆弱性を懸念され、
第二に台湾で同社製車両の故障多発契機の瑕疵露呈騒動の影響で当10系にも隠れた瑕疵が疑われ懸念視され、
第三に経営環境の厳しさで線路保守費抑制も強まって、2005年に購入中止。
後の321/225系は逆に動力分散式を究める。
全車現役。
事故っても、韓国製の車両なら、マスゴミも優しく報道すると思うからリスク管理という面では有利かもなw
>>478 1.型でなく形である
2.3500形は赤電とあまり性能に差がない
3.1C6Mという特殊な制御器の為8両編成を組成した際に全Mとなるのは無理である。
4.6両単位で全Mとなることは不可能ではないが、1両内に両方のユニットに属する車両が出てしまい、
整備の面で非常に不利である
5.AE100の足回りは3700形と同じ世代であり、かつ、その世代のインバータ制御器は実用化初期のものである。
496 :
名無し野電車区 :2010/07/06(火) 18:29:18 ID:8stcSnWWO
大井川鐵道2000系 JR東日本成田エクスプレス253系譲渡で置き換えとなる特急車両2000系を 大鐵が購入したもの。 背景には大鐵が持つ旧南海車の走行装置に重大な問題が発覚し走行不能に なってしまった事によるもの。 そこで長野電鉄より2000系をAとB編成両方とも購入した。 なお使用するのはB編成のみでA編成はパーツ取りで解体された。 保有している旧近鉄特急車や京阪3000系よりも古いが、地方私鉄初の 本格ロマンスカーゆえに大鐵で復活果たすべく導入した。 B編成は旧営団3000系の走行装置になっているが、50年以上経年の ために入線にあたり車体などが修繕され、走行装置は廃車となった 秩父鉄道1000系(旧国鉄101系)から台車などを流用し、主電動機は MT54に変更された。 冷房装置も秩父鉄道1000系のと交換し、3基/両に増強した。 座席は新幹線300系の発生品である。 ワンマン運転ができないためにSL急行を補完する急行「奥川根」として また(財)ナショナルトラスト第三者所有となっているため、トラスト トレインもこの車両を使用する。 改造施工は東横テクノシステムだが新金谷で改造工事を行った。 これによりATSがないために走行不能のC12-164が廃車となる予定だったが、 SL予備機が欲しい真岡鐵道が66号機と同じC12型である事や、 トロッコ列車牽引用として興味を示していたわたらせ渓谷鉄道と合同で 共同購入することで合意し、2社共同保有SLとしてわたらせ渓谷鉄道に配置され、 トロッコ列車用で使用される。 (財)ナショナルトラスト所有のオハニ36は大鐵が買い上げ、2両のスハフ43は 特急「はつかり」塗装であることに目をつけたJR東日本がC61型復元と 東北特急列車の生き証人の栄誉ある車両であることからトレードを打診し、 オハ47とスハフ42各1両とのトレードで売却された。 大鐵は当初35系より古いスハフ32を求めたが東日本側から断わられ43系で 同士でのトレードで合意した。
名鉄 2530系 どこかで見たような形式番号であるが 実態もそのとおりで、特急を一般車併決にすることで不足する、 特急車両の一部を、成田エクスプレス用253系を買い取って投入したもの 当面はそのまま使用されるが、時期を見て、機器更新して 名鉄車両に合わせるようである (1編成のみ、テスト用に先行改造されたものがある) N'EXマークの位置に、名鉄ロゴが入るなどしており、 見た目も似ているので、普通の客からはJR東日本からの譲渡車とは気がつかれておらず 駅で、うんちくを述べている人物は間違いなく鉄ヲタである
498 :
名無し野電車区 :2010/07/06(火) 19:13:13 ID:4Unf7ND40
209系3200番台 京浜東北線で使い古された209系0番台を八高線用に改造。 ドアスイッチを取り付けた。 209系3600番台 209系500番台を八高線用に改造。 209系2500番台 209系500番台を房総ローカル用に転用。 209系2700番台 209系500番台を南武線用に転用。
>>497 名鉄の車輌限界、建築限界的に253系は車体サイズデカ過ぎ
て入れません、南海、近鉄南大阪線も無理。
500ゲット! 発想は良いけどお金がかかり、現実的ではないね。 架空のスレだからそれでよいのか。
JR東日本 259系 直流特急型電車 (史実とは異なる) ○JR東日本の生んだバブルの徒花 80年代後半、後にバブルと呼ばれる好景気に沸くリゾート地・軽井沢。新生JR東日本はこの空前のリゾートブームに乗じて新たな特急車を開発した。それがこの259系直流特急型電車である。 1989年に登場した同車の車体は鋼製。主な機器は同時期登場の651系と同一で、制御方式も界磁添加励磁制御だが、こちらは耐寒・耐雪設計としている。 車内は当時の流行を反映したハイデッカーで、窓も後の251系同様の大型窓としてリゾート感覚を演出している。また、展望席こそないものの、乗務員室後部の窓も大型化し前面展望に配慮した。 座席はハイバック式の大型座席が奢られ、シートピッチは普通車も1000mm、グリーン車は2+1列で1300mmと大奮発。 また車内にはちょっとしたビュッフェやグリーン車利用者用のサロンや浅間山を展望出来るフリースペース等が設置され、豪華さを演出するのに一役買っていた。 これらの接客設備を平屋の車両に詰め込んだ結果、定員が減少してしまった為、編成は10両固定(6M4T)とされた。 同車は10両編成×4本が製造され、1989年3月のダイヤ改正で熊谷・戸倉・篠ノ井通過の最速達特急、「リゾートあさま」として華々しく登場したが、その活躍は余りに短いものだった。 信越本線が1997年9月30日で分断されたのである。同列車も長野行新幹線にバトンを渡す形で廃止となった。 189系同様、259系も碓氷峠廃止後に中央東線に転属させる予定で当初から設計されていた。が、如何せんリゾート輸送に特化しすぎていた。 旅客需要はあるが沿線にリゾート地が有る訳でもない中央東線、同車の設備は余りに無駄だらけだったのである。 結果として、ビュッフェは車販準備室に、サロンやフリースペースは一般席に改造され、もはやリゾート特急としての面影は無くなっていった。 改造を終えた259系は特急「あずさ」として暫く活躍したが、融通が利かない中途半端な定員数が災いし、2002年末の特急E257系化に伴い中央東線からも撤退。 その後暫くは波動用車両となっていたが、2006年、編成の組み換え(10両→6両)や若干の工事を受けた上で新設の日光・鬼怒川方面の東武直通特急に抜擢された。 現在は波動用の10両×2編成と6両×2編成が残り、東武直通特急だけでなく修学旅行等の団体輸送にもマルチな活躍を見せている。
キハ183系1900番台 分割・民営化を翌年に控えた1986年、JR北海道の経営力確保と技術継承のため キハ183系500/1500番台車と共に投入されたキハ183系のバリエーション。 キハ183-1901+キハ182-1901+キハ183-1951の3両編成。 同年、四国に投入されたキハ185系に準じたステンレス車体が特徴である。 ただし、寒冷地での使用を考慮してドアが引き戸となっているほか、各部にヒーターが取り付けられ、 凍結による故障防止が図られている。 走行装置は500番台車と共通であり、キハ183-1951に電源装置を搭載する。 北海道初のステンレス車であり、新製後2年間は低温時や降雪時における断熱性の検証などを行いつつ、 冬季以外は臨時列車や増結車として使用された。 その後、ダイナミックブレーキの取り付けにより120km/h走行が可能となり、 500番台車と共通で「北斗」で使用された。 また、キハ281系やキハ201系の製造にあたり、試験用台車に換装した上で試験走行に供されていたこともある。 現在は函館運輸所に配置され、団体・波動輸送用となっている。
503 :
名無し野電車区 :2010/07/06(火) 23:41:21 ID:8stcSnWWO
と言う訳で
>>497 >>499 をふまえて
名鉄2800系
当初JR東日本より253系を購入する計画だったが、名鉄の車両限界に
オーバーしているために見送られた。
しかしそこへ成田スカイアクセス開業により新型スカイライナーに
置き換えられる京成電鉄AE100形に目を付けた。
空港特急車であることやVVVF車だった点もあるが、何よりも車体長が19mと
名鉄と同じ点が大きかった。
そこで京成電鉄に購入を打診し、AE101〜108 AE121〜128 AE131〜138
AE151〜158の4編成を名鉄に譲渡される事になった。
軌間が1435mmの京成と1067mmの名鉄で異なるが、改造の際に2300系の
走行装置 台車にするため問題はない。
編成は6両に短編成化し、中間車は部品取りで解体された。
車内も2000系に準じたため全車μチケット必要の特別車のみで一般車はない。
そのため中部国際空港行き全車特別車の特急に限定されている。
504 :
名無し野電車区 :2010/07/07(水) 20:55:43 ID:9FxZmill0
クモハ81 国鉄でモハ80を改造して作った80系唯一のクモハ。 クハ85と同様に前面が103系のような3枚窓になっている。 旧型国電では珍しくパンタグラフが後位寄りにある。 2両編成や3両編成に組み込まれた。 使い勝手が良かったせいかJR西日本に一部が承継され1989年まで活躍した。
505 :
名無し野電車区 :2010/07/07(水) 21:36:52 ID:qYVd2jgRO
225系8000番代 カーテンは横引き式 さりげに一部指定(リクライニング、2階建て)
国鉄クモユ141⇒クモヤ141、クモハ123-10番台、クモヤ442、 クモヤ741 国鉄クモユ143⇒クモハ123-20番台 国鉄が郵便輸送廃止後、郵政省から買収したクモユ141型10両、クモユ143型3両を 改造した車輌達。 国鉄クモユ143-1、2、3⇒クモハ123形20番台 瀬戸大橋線開業後の茶屋町⇒宇野間の区間運転用に改造 冷房はAU13Eを6個に増設使用、側面は可部線用と同じ。 国鉄クモユ141-1、2⇒クモハ123-11、12 中央線旧線いわゆる辰野線用にクモユ141から改造 側面はクモハ123-1と同じだが最初から冷房付き、冷房は種車の AU12系4個をAU13系6個に換装。 クモユ141-3、4、5、6⇒クモヤ141 クモヤ90、クモヤ91の置き換えに改造、外観は種車 と変わらない。 クモユ141-7、8、9、10⇒クモユ742-1、2、クモユ441-1、2 同じくクモヤ440、740の置き換えに改造。 外観は種車と変わらないが内部が交流用な交流直流両用に改造された。
507 :
名無し野電車区 :2010/07/08(木) 11:05:26 ID:I6Ve+YF3O
国鉄クハ86-750 モハ80-970 62系 72系970番台に次いで登場した近代化更新車で、昭和46年に80系に 115系に準じた車体に更新したもの。 種車の80系はDT20台車の電動車とTR48のクハが優先的に選ばれ、62系みたいに 車体裾もいびつになっていない115系車体となっている。 115系では0番台に該当するので半自動ドアも装備されたが冷房はない。 4両編成3本が作られて御殿場線で使われた。後に115系の走行装置を 与えられ、形式を115系2550番台になる。 東海に継承後もC-AU711Dで冷房化して使われ、313系に置き換える形で 2007年まで使われた。 70系を同じく115系車体に更新し、70系950番台(クハ76-650 モハ70-970)にする 案もあったが見送られた。 実現していれば新潟と広島に配備され、広島は福塩線に入るために 後継となる105系の配備が遅れていた可能性がある。
205-1200番台 205系7両編成の4編成が阪和線に移ったが、 サハ2両を組み込んだ8両編成は、出番が少なく 古い車の多い阪和線では、205系を、 もっと活用したいという意向があった そこで、サハ4両を、JR東日本に依頼して、 クハ-モハ-モハ-クハ の4両1編成に作り上げたのが、本形式である 運転台は、JR東日本改造車と同じデザインになったので、区別は容易である これにより、阪和線の205系は 4両編成 6 6両編成 4 となった なお、6両化で2編成減った8両編成には、103系を組み替えて充当した P.S. 付随車にモーターやら付けて強度は大丈夫かいなと自己疑問しつつ
157系200番台 信越線方面向けに製造された車両。形式標識の前に●がついているのは碓氷対策車の表示。 新製時より冷房装備,8両編成で本形式には長距離運用を考慮しサハシ157型が連結された。 側窓の固定窓化,扉にヒーターの設置など耐寒も考慮され信越地方向けとなった仕様で, 8両編成7本56両が製造され急行妙高・信州・軽井沢などで運用され特急並みのアコモデーションに好評を得た。 しかし,8両編成という限界もあって慢性的な混雑に見舞われた。 協調運転による12両編成が可能な169系の登場によって本形式は信越急行の運用からは撤退、 季節特急白根・そよかぜ,157系0番台の陳腐化により伊豆特急あまぎに転用され, 後継185系による置き換わりが終わる1985年に営業を終了し,現在1編成が横川に静態保存されている以外は廃車となっている。
510 :
名無し野電車区 :2010/07/09(金) 00:56:17 ID:HYHmOt73O
155系200番台 信越線向けの修学旅行用電車である。155系と相違点が多く、 1 全低屋根でない(パンタグラフ部のみ低屋根) 2 通風器が押込式 などで昭和37年に4両編成4本計16両作られた。列車の愛称は「友情」。 当初アプト式だったためED42牽引で碓氷を越えていたが、既にEF63型による 粘着運転開始に備えて協調運転対応を始めから施した。 昭和52年に冷房改造(モハ154はAU71それ以外はAU13EN5基)と主電動機を MT46からMT54に強化され、ほぼ167系並になっている。 なお回生・抑速ブレーキはないために長野以北及び篠ノ井線を使う列車には 使えず東京方面に行く列車に限定され、またEF63型との協調運転も 最長8両までに限られた。 修学旅行用から撤退後は長野〜高崎間の普通列車用に使われ、平成元年に廃車された。
>>510 を受けて。。。。。
キハ57形800番台
軽井沢-長野の電化が昭和38年6月、碓氷峠粘着運転開始が昭和38年10月に予定されており、
165系の設計が昭和38年1月落成を目標に進められていたため、155系200番台は計画のみで
廃案となった。
しかし、長野地区からの修学旅行専用車両の要望が強かったため、キハ57形800番台がつなぎと
して8両新製された。 内装はキハ58-800番台と同一。 予備車なしのため、検査や増結の際には
一般用キハ57が連結された。
信越線での活躍は2年で終了し、横軽対応165系にバトンタッチ。 その後東北・九州へ転属して
キハ58系800番台と共用された。
483系900番台 長野行き新幹線の開業により余剰となった189系に交直流用の機器を搭載させた形式。 常磐線の485系の置き換えが目的なので50Hzのみに対応している為、483系に区分されている。 車番の900番は189系を種車にしている意味で試作車の意味ではない。 グリーン車は外され,8両・10両のモノクラス編成となったが,アコモ改善が成されており, 交直流更新工事の際に側窓も改良した為,座席に関してはスーパーひたちに遜色は無い。 客室自体は改装されている為、古さを感じさせないが、車体自体は通算30年以上も経過している車両も多く 今後東北縦貫線の開業に合わせての去就も注目される。
513 :
名無し野電車区 :2010/07/09(金) 22:46:05 ID:HYHmOt73O
東北上越新幹線200系Z0編成 当時東海道新幹線には団体及び修学旅行用として先頭の21型と22型を除き、 全て15型と16型だけで組成したグリーン車ばかりの編成があった。 その東北上越新幹線型である。 先頭車221 222型を除いて215型と2両連結で計画されていた216型 (結局組み込まれない事が決まり、先行で作られたこの編成用しか作られず) のみで組成した12両編成。 営業用ではなく団体及び修学旅行専用という意味合いなので高速性は重視せず、 最高速度は210Kmとなっている。 東海道新幹線の編成が廃車後も残された背景には宮内庁那須御用邸が あるために、天皇 皇后両陛下や皇太子殿下など皇族が那須御用邸に ご静養に行く際に使われる関係上からと思われる。 そのため2007年に開業当時の車ながらリューアルを行い延命している。
国鉄ED95⇒ED63-900番台(JR貨物) 国鉄⇒JR各社ED63直流電気機関車 国鉄末期EF15やEF58、EF59の老朽化、EF60、EF61の 初期新性能直流電気の置き換えと省エネに 1980年代に計画され、国鉄末期からJR初期に かけて製造された電機子チョッパー制御のD型直流電機 中間付随台車調整で軸重14tまで軽減可能 ED95型、試作機として1982年に製造、当初ステンレス車体だが 箱型デッキ付き鋼鉄製車体に、台車はボルスタレス台車 MMはEF66と同じ、後々量産化改造でED63-900番台に ED63型0番台、試作EF95で1年間試験後量産機として1983年末期から 1986年まで1〜50の50両がEF15、EF58、 ED60、ED62、EF59、EF60、EF61の置き換えに製造 早速東京ブルートレインの先頭にもそれ迄のEF65PFに代わり 高速性能が優れていたので重宝された。 瀬野八の補機や飯田線、身延線にも入線したりするな どEF64、EF65に代わり主力となる予定が分割民営化と EG搭載を生かせる旧型客車の廃車によりおもわぬ運命に。 JR化後は東日本、西日本、貨物に分散配備されたが 東海には入らず、更に西日本ではブルートレイン牽引機に 更に力が強いEF66が入り脇役に転ずる。 なお国鉄末期、客車列車の最高速度向上試験で110km/h⇒120km/h化 の最高速度向上計画に対応し120km/h化出来る電機は EF66とこのED63だけJR化後はEF200、EF500 ED63-900番台、ED95を量産化改造 ED63-100番台、JR化後JR貨物で100番台として20両製造 チョッパーがGTOチョッパー制御に変更、EGが無い。
515 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 19:47:01 ID:TYp1/SBH0
ED78形5000番台 JR東日本でED78を標準軌用に改造。 ただ標準軌用に改造しただけでなく交流25000V化や新幹線用連結器搭載改造も行われている。 非常時の救援用や入換用に使用される。
キハ54形1500番台 JR北海道が排雪運転のために行っていた閑散線区の2両編成の運用を解消するべく 投入したキハ54形の増備車。老朽化したキハ56、非力なキハ40を置き換えた。 廃車発生品を流用した500番台とは駆動系が異なり、 キハ183-1500と共通の変速機DW13、DT53動台車(ヨーダンパは準備工事)を装備する。 このため110km/h走行が可能であるが、500番台車やキハ40系と共通運用を組む関係で95km/hに制限されている。
517 :
anorak? :2010/07/10(土) 21:43:29 ID:8VcRP4QN0
>>492 に続く平行世界もの
◎国鉄DF60形電気式ディーゼル機関車
購入年 1985 特徴 made in USA
○1980年代、アメリカ合衆国では、安くて良質な日本製品の大量輸入のせいで米国の製造業が衰退し、
特に自動車産業は深刻で、自動車産業が主要な地域では、減産や工場閉鎖で大量の失業者が溢れた事で、
ジャパンバッシングが勃発し、もはや日米間の貿易摩擦が放置できない程の大きな政治問題と化した。
因みに、この流れに乗じて反捕鯨運動団体も勢力を拡大した。
日米間の貿易不均衡を解消すべく米国製品の購入を日本政府は推進し、国鉄は米国製のディーゼル機関車を
購入させられる事になってしまった、大赤字で余剰車両も大量にあるのにも拘わらず。
自動車製造業GM傘下のEMDが世界各地に輸出しているG22Cモデルを九両購入し、DF60の形式称号を付与。
G22Cシリーズは、歴史的経緯で日本の国鉄の在来線と同規格の台湾の鉄路管理局も大量購入し、実績があり、現役であり、
これが決め手となった。
DF60の外観と諸元などは次のリンクを参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/EMD_G22CU-2 http://zh.wikipedia.org/zh/%E5%8F%B0%E9%90%B5R150%E5%9E%8B%E6%9F%B4%E9%9B%BB%E6%A9%9F%E8%BB%8A 動輪軸6つのDF60はDD51と同重量でありながら最高速度や定格牽引力は上である。
外観は米国標準の、日本ではDD14と同様、運転台が片方にあるエンドキャブで、運転台の無い背面を進行方向にした場合、
視界が悪く、単機使用ではターンテーブルやΔ線で方向転換するか、背面同士の連結で重連使用を強いられるのが欠点。
DD54とは大いに違って、世界各地―日本よりも過酷な環境下―での使用実績を反映してメンテナンスは楽である。
86年春に函館・札幌貨物ターミナル間の高速貨物列車用に投入され、所要時間を短縮。87年4月、JR貨物に承継。
国鉄分割民営化の影響で追加購入は無く、当区間用DD51の後継機はDF200に。
当初は単機仕様で、終点で方転していたが、札幌側での高加速度・高速度の列車増加によるダイヤの硬直化に対応する為、
背面同士を連結した重連使用が恒常化。全機現役。
アメリカンスタイルのDF60は鉄道愛好家にとって人気機関車の一つである。
518 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/11(日) 09:28:32 ID:2I3kXT7zI
国鉄マヤ10、スヤ11がJR化後も引き継がれたら。
>>514 の新型直流電機ED95、ED63の性能試験や
客車列車の120km/hの速度向上試験にマヤ10、スヤ11
が使用され、更に民営化後のVVVFインバータ制御の
新型電機や新型ディーゼル機の性能試験を行うために
民営化後、JR総研とJR貨物所属になり改造。
改造内容は
・マヤ10+スヤ11の2両固定化
・測定機器の更新
・ブレーキ装置を新型電機EF200、EF500の性能試験
に使用するために電気指令式ブレーキに改造
改造後はEF200、EF500、ED500
続きJR化後のマヤ10+スヤ11 JR化後も当初の機関車の性能試験だけでなく、旅客会社の 新型電車と連結して性能試験や車体強度振動試験にも 使われて、その際JR東日本の901系に連結して性能試験 した際は車体強度が振動試験で不足していると測定したり。 福知山線脱線事故後は事故した西日本207系に連結して 車体強度や性能試験の再確認を行った。 しかし21世紀を迎え、1970年の新造から30年以上達 老朽化や新型電機や新型電車の性能試験を行うには 性能的に不足してきたために、2010年現在代替の新型性能試験車 製造が計画されている。
520 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/11(日) 11:48:31 ID:2I3kXT7zI
鉄道省⇒国鉄モハ63戦前型 1940年帝都東京で開催予定のオリンピックをにらみ、更に 今までのモハ40、モハ41、モハ60、クハ55、サハ57の 40系電車では特に帝都東京市の朝ラッシュによる混雑に 20m3扉片開きでは対応不能になり、乗降時間短縮のために 色々な試作車を製造 20m3扉両開きノーシルノーヘッダーのモハ60-100、クハ55-100、サハ57-100 そして20m4扉片開きの通勤電車には 新形式モハ63、クハ79、サハ78として1940年に試作、1941年から 量産化する事にした。 前面は戦前型省電車の半流形貫通型 側面はd1D4D4D4D2がモハ63、クハ79 2D4D4D4D2が中間車サハ78 ノーシルノーヘッダー張り上げ屋根の車体に 台車はDT12、TR23、MMはMT30、制御器はCS5 の戦前型省電車の面影を残し1940年オリンピックで 初登場した。 しかし翌年1941年から第二次世界大戦開始と 日本参戦によりやがてモハ63系は戦時型のかまぼこ 屋根三段窓の100番台(史実63系)に退化し、 本土空襲で沢山焼失車を出す事になる。
521 :
名無し野電車区 :2010/07/12(月) 23:29:19 ID:TPZmf04x0
>520 アドルフくんのポーランド攻撃がどういう理由で2年遅れになったかが気になる。
522 :
名無し野電車区 :2010/07/13(火) 00:26:47 ID:Y3nUtVAbI
つまり、ヒトラーがズテーテン併合で自重し、ポーランドがダンチヒを返還して とりあえず戦争準備が整わないドイツが2年間自重したが。 1941年にスターリン率いるソビエトがポーランドに侵攻。 ナチスドイツも西から便乗侵攻して第二次大戦が勃発したかんじにした。 1940年東京オリンピックやりたかったから。
321系5000番台 学研都市線の快速及び奈良⇔尼崎の直通快速用に製造した321系。 7両固定編成。225系をベースに、車体の強化と、足回りの若干の見直しが図られる。 L/Cタイプの座席と便所を設置。
524 :
名無し野電車区 :2010/07/13(火) 23:37:25 ID:KAEr4mcQ0
113系2500番台 国鉄が製造した113系のオールロングシート仕様で、1982年から製造を開始。 内装は415系500番台とほぼ同一仕様。 東海道線と横須賀線に投入されたが、オールロングシートは長距離運用に不向きで適当な転用先が見つからず2006年に廃車されてしまった。 113系2800番台 国鉄が製造した113系の「セミロングシート(車端部がロングシートのセミクロスシート)」仕様で、1984年〜85年に製造された最終形態である。 201系や415系700番台にように平天井化されている。 1985年に211系が登場したため早々と製造が打ち切られた。 現在は房総地区で細々と活躍している。
>>524 をパクリ&史実改変
113系2500番台(国鉄→JR東海)
1982年当時の中央西線は、沿線の高蔵寺ニュータウンなどによる通勤需要が急増しており、
桃花台ガイドウェイバス(ピーチライナー)の高蔵寺延伸によって更なる通勤需要増が見込まれていた。
そこで、近郊型でありながら、かつ、ロングシート車である113系2500番台に白羽の矢が立った。
6両4編成が神領車両区に配置され、国鉄分割民営化後の1988年に、3両8編成に組成変更された。
かつての中間車には、211系に準じた運転台が新造され、
組成変更を完了した編成については、白色にオレンジ・緑帯という、いわゆる「JR東海色」に変更された。
313系増備と共に、座席を廃車発生品のクロスシートに載せ替え、ワンマン装置・ドアスイッチ等を設置した上で、
中津川以北の運用に就いている。
526 :
名無し野電車区 :2010/07/14(水) 21:04:14 ID:FfNCqGvS0
415系1000番台 国鉄が製造した415系のセミクロスシート仕様。 211系0番台やサハ411-1701と同一の内装で、車端部がロングシートになっている。 本来九州用に製造されたがごく一部のみ常磐線にも投入された。 常磐線にはサハ411-1000番台も製造されたが、こちらはサハ411-1701と全く同一に見えるものの8両編成用のためMG・CPを搭載していない。 JR化後はJR九州が継続して製造していたが、811系の登場により1988年で製造が打ち切られた。 九州の1000番台には1500番台とは異なり前面にJRマークがあるのですぐ見分けが付く。
12系1000番台 14系客車が急行列車に投入されてくるにつれて 余剰ぎみとなった12系客車を上野発旧型客車列車の置き換えに転用された形式。 全車両北オク所属。側面の白線が消された以外は基本的に手を加えられていない。 この形式の投入で上野口の旧型客車列車は1985年までに一掃された。 置き換え当時は急行形車両の格下げ運用ということで冷房化・自動扉化・便洗面所の一新と サービスアップと評価されたが、旧客の情緒が無いなどと騒ぐ一部の鉄もいた。 今現在、上野〜一ノ関間に普通列車(実質快速)が1往復運行され日本最長距離を運行する普通列車である。 他にも上野〜福島2往復(上野〜宇都宮間快速),上野〜仙台(常磐線経由・実質快速)3往復, 上野〜高崎1往復が運転されており上野の「北の玄関口」の残滓を保たせている。 現在進んでいる東北縦貫線の工事が完成と同時にこれらの列車の運行の見直しが予定されており, 長距離客車鈍行の歴史も幕が近づきつつある。
113系8000番台 1987年民営化直前に、予讃線電化開業のために四国に投入された。 既に本州では211系が投入されていたが、四国では列車密度が低く回生失効が懸念されたため、 113系の新製投入となった。 車体は211系に準じており、本四備讃線の塩害対策もあってステンレス車体である。 もっとも台車は廃車となった111系から流用したコイルばね台車であり、電気機器は新製ながら 113系標準のCS12/MT54であった。 短編成での運用が可能なようにMc-M'cの2両を基準に、増結用のTcも増備された。 なお121系や6000系とはブレーキが異なるため、当初は混結が不可能であったが、 民営化後に本形式を電気指令ブレーキに改造することにより対応した。 このため後にJR東日本から購入された113系とは、同じ113系ながら混結できない結果となった。
529 :
名無し野電車区 :2010/07/16(金) 11:56:12 ID:y4cy24zm0
JR北海道 マヤ30 客車による現金輸送が終了し、余剰となった現金輸送車マニ30を日銀から譲渡を受けて 工事関係の宿泊車として改造された形式 中央部分の警備員室はそのまま使用し、前後の荷物室にベッドを増設した 旧荷物室部分に窓を開けようとしたところ、車体が特殊き・・・あれ?こんな時間にNHKの集金が(ry
530 :
名無し野電車区 :2010/07/16(金) 20:39:43 ID:y4cy24zm0
JR北海道 オロハフ25 スハフ14を改造し、発電ユニットを降ろし車掌室側2/3を3列シートのグリーン室、便所側1/3を 密閉式展望ロビー室にした車輛で、北斗星の最後尾に連結して運用される 寝台特急列車に座席車を連結するに至った経緯として、JR北海道が売上が落ちて来たグランシャリオの ディナー客を集客するために始めた「札幌発着 豪華特急ディナーと函館1泊の旅」という企画までさかのぼる 札幌発の北斗星2号でフランス料理のフルコースを食べて函館で降り、そのまま駅前のホテルに宿泊し、次の日は 函館散策して北斗で返す、というもので、当初はせいぜい1日1〜2組くらいだろうということでロビー室待機させる つもりであったところ、平日でも3〜4組、休日に至っては15組もの申し込みがあり、ロビー室では収まりきらなくなり ツアー開始3日後から急きょスハフ14を最後尾に連結し、その座席として使用することとなった しかし今度は、函館までの乗車なので座席車を函館回転させようとすると機関車付け替え作業も含めて現行の函館停車時間では 収まりきらなくなるため仕方なくそのまま上野まで連結することにしたが、そうすると空身で函館〜上野間と帰りまるまるを回送に してしまうことになるため、残席を指定席として売ることとなった この処置は非常に好評を持って迎えられたが、なにぶん16時間を簡易リクライニングシートで過ごすのはさすがに辛いという要望が 出てきたのと、夜間スリや置き引き目的で短距離乗車する事案も発生したことから、普通車指定席を止めてグリーン車に格上げする ことになり、ついでということで密閉式展望ロビー室も作りカシオペアとの格差是正も同時に図った同車が登場した 現在1往復体制になっても、この車輛がついているのは周知のことであろう
531 :
名無し野電車区 :2010/07/16(金) 21:24:18 ID:EZS4VwPNO
国鉄EF68形(1982年) 老朽化したEF60形の置き換えとして開発された。 外観は、EF64形1000番台に似てる。 1986年まで110両が生産。 国鉄EF69形0番台(1988年) バブル景気により貨物輸送量が増大したため、EF66形のマイナーチェンジとして急遽に開発された。 前世でいうとEF66形100番台。 1988年に試作機が落成して、89・90年に18機が落成。 国鉄EF69形1000番台(1990年) EF65形0番台・500番台老朽置き換えとして、開発された。 前世でいうとEF200形。 2000年まで120両が生産。 国鉄EF69形1500番台(1999年) EF65形1000番台老朽置き換えとして開発。 前世でいうとEF210形にあたる。 2010年度いっぱいで生産が終了する予定。 国鉄EF69形2000番台(1998年) EF64形を長期間にかけて置き換えるために開発された。 前世でいうとEH200形だが、F級というわりにEF200形並の大出力をもつ。 1000番台置き換えを考慮して現在も生産中。
532 :
名無し野電車区 :2010/07/17(土) 20:46:23 ID:0ghvZ3+ZI
>>520 の続き、戦前半流形モハ63系の戦後史
1940年東京オリンピックの翌年1941年から始まった第二次世界大戦に
日本も巻き込まれ、南方植民地侵攻がアメリカの怒りを買い、1942年、アメリカの横須賀空襲、
日本の真珠湾攻撃の互いの奇襲から始まった太平洋戦争により
末期の米軍空襲で多数の焼失車輌を出し、1945年11月11日の敗戦後
も戦時型100番台(史実モハ63系)ばかり製造されたが1949年の三鷹事故
1951年の桜木町事故により、
モハ63系は73系に改造されたが、その際戦前半流形は
戦時型と違い安全で更に仕上がりがよく、MMがMT30
制御器がCS5のため全車クモハ73-1000番台に更新修繕U工事による
グローブベンチレーター化、雨樋の取り付け、扉の鋼製プレス扉化
貫通路整備と貫通幌取り付けが行なわれた。
同時期の半流形クハ79、戦前型サハ78は改番されず
上記モハ63戦前型に準じた更新修繕Uが施工され。
戦前型42系、53系戦前型の戦時型改造車輌と同じ戦前型
という事で同じグループに入れられ。
戦後は関西の片町線、阪和線、東海道山陽鈍行線、電化された
関西本線に追いやられ首都圏から撤退。
昭和40年代には老朽化したため、1967(昭和42)〜1975(昭和50)
年に戦前半流形グループは全車廃車された、最後は阪和線の鳳区
JR東日本サハ108形 103系組み込み用の6ドア車。 車体・台車を含めて基本的な仕様は205系用6ドア車サハ204(0番台)と同一だが、 組み込み先が103系の為ブレーキ方式等は103系に合わせられており、 これは近郊型2階建てグリーン車でのサロ124・125とサロ212・213の関係と同様である。 0番台7両(1〜7)と100番台4両(101〜104)の計11両が近畿車輛で製造された。 0番台:山手線用 民営化後も残存した山手線の103系は国鉄時代に引き続き205系の投入により全車置き換えられる予定だったが、 本来山手線に投入予定だった編成のうち7本を急遽中央・総武緩行線用として習志野電車区への投入に変更(詳しくは後述)した為、 同数の103系が暫くは残存することとなった。 そして1991年に山手線205系にはサハ204が組み込まれ11連化されたが、同時に103系には本形式が組み込まれた。 サハ204同様、座席収納や各ドア上の液晶画面での文字放送にも対応しており、先頭車のクハ103には座席収納スイッチ設置などの6ドア車対応改造が施された。 その後205系に混ざって山手線で活躍したが同線のE231系500番への統一が決定すると103系は真っ先に置き換え対象となり2002年11月をもって撤退したが、 サハ204と同一の車体を持つ本形式は改造の上205系に編入され、サハ204形200番台(サハ204-201〜207)として埼京線に転用されて同線用205系に連結されている。
>>533 の続き
100番台:中央・総武緩行線及び京浜東北・根岸線用
山手線への6ドア車連結決定後、中央・総武緩行線と京浜東北線にも6ドア車の導入が検討され、試験的に両線に6ドア車を連結した編成を走らせることとなり、
習志野電車区及び浦和電車区所属の103系のうち各2本ずつに、編成中のサハ103のうち1両を差し替える形で組み込まれた。
基本仕様は0番台に準ずるが、使用路線の都合上文字放送関連の設備が省略された為100番台で区分されている。
全編成に組み込まれると思われたが中央・総武緩行線では103・201・205系の3形式が並存する関係で全編成への組み込みが不可能であり、
また京浜東北線も投入直後に103系の209系量産車への置き換えが決定したことから結局両線で2両ずつの計4両のみの新製に終わった。
その後浦和所属車は209系の増備により京浜東北線から撤退し習志野へ転属、4両全車が中央・総武緩行線に集結した。
そして同線への209系500番台・E231系投入に伴い運用を離脱し保留車となっていたがこちらも0番台同様改造の上205系に編入、
サハ204形250番台(サハ204-251〜254)として川越へ転用の上埼京線用205系のハエ26・27編成(元京浜東北車)に連結されている。
>>534 の続き
JR東日本中央・総武緩行線用205系小窓車(習志野電車区所属)
民営化後も中央・総武緩行線には101系が残っており、全て非冷房車であり国鉄時代に引き続き山手線への205系投入で捻出した103系を転用して置き換える予定だった。
しかし、老朽化の進んだ101系に故障が多発した為103系の転用を待たず早急に置き換える必要があった上に、当時ステンレス車のなかった中央・総武緩行線及び千葉支社のイメージアップを図る目的から
山手線に投入予定だった編成のうち70両(Tc54〜60以下10連7本、史実のヤテ54〜60編成)を急遽中央・総武緩行線用として習志野電車区への投入に変更し、当時残っていた101系を直接置き換えたが、代わりに山手線には当面103系が残存する結果となった。
編成番号はラシ501〜507。本来山手線用であった為仕様は同線用の最新グループ(ヤテ49〜53編成)と基本的に同一で、運転台もATC対応となっていたが保安装置はATCの代わりにATS-Bが搭載された(ATCは準備工事のみ)。
後に三鷹電車区にも205系が投入(こちらは史実の通り)されたが、本グループは引き続き習志野電車区配置のまま103系と共通に中央・総武緩行線で運用され、E231系への置き換えまで同線で運用。
その後は山手車などと共に他線への転用対象となったが、現在はモハ1ユニットを抜いた8連7本が5000番台化の上武蔵野線で、残りのモハ7ユニットが3100番台に改造の上山手線・埼京線からの捻出車と組んで仙石線で運用されている。
国鉄クモハ20・クハ25 100番代 神戸電鉄が戦時国有化した際に編入された車輌。 昭和34年の車番整理で阪和電鉄系の車輌と形式が統合された。 昭和42年に行われたトンネル改築などの規格拡大と神戸〜湊川の延伸まで改造を重ね使用された。
537 :
名無し野電車区 :2010/07/18(日) 00:43:19 ID:ugokwEer0
モハ715・714-100番台 九州用の715系0番台のモハだがモハネ583・582から改造されたため番台が分かれた。
538 :
名無し野電車区 :2010/07/19(月) 16:58:44 ID:bd4dM5IH0 BE:1026749478-2BP(50)
JR四国2800(キサロネ) 大阪〜高知の夜行列車に連結される付随寝台車。基本編成は 2300+2800+2500+2400 G指 寝台 指定 自由
国鉄・JR西キハ53-2000番台 ぶっちゃけた話をすると、キハ65の両運転台改造車 キハ53-200番台などの改造車では、冷房を搭載してもその使用が 難しかったため、キハ65に目を付けた当時の国鉄天鉄局は、きの くにの減便により余剰となり出したキハ65に目を付けて改造に着 手。 基本的には、運転台の増設以外にはゲテモノ要素は薄いがその増 設した運転台が問題だった。廃車となった平面窓のキハ58の運転台 を持ってきてくっつけるという暴挙をやらかしてしまったのであ る。おかげで前後で運転台が違うなんて言う馬鹿面なことになっ てしまった上に、接合部の車体断面の処理が若干おかしい。 完成後は関西本線亀山−奈良間に投入され後にワンマン改造を受 ける。キハ120に追い出されたあとは小浜線に移り、小浜線電化と ともに老朽化により廃車となった。 JR西のゲテモノ改造の元祖
540 :
名無し野電車区 :2010/07/19(月) 20:13:13 ID:KoY5LdyK0
クハ450 クハ153を451系の先頭車に改造。 ドアステップを増設している。 低運転台の0番台と高運転台の500番台が存在する。 JR東日本に承継されたが元々種車が古く1991年までに全車廃車された。
国鉄157系200番台、157系0番台延命工事車 昭和39年から151系、161系の181系化改造により 余剰化したMT46やCS12制御器を再利用して製造された 157系耐寒耐雪車、0番台との違いは始めから冷房装置の設置 側窓の固定化、最初から特急列車、急行列車兼任用として製造され。 急行列車に将来格下げを配慮。 製造後、急行日光、特急そよかぜ、急行伊豆、特急あまぎ 157系0番台延命工事車、0番台を200番台に準じた耐雪化や 延命工事で側窓固定化や腐食部補修改造したもの。 ・国鉄サハシ157、157系のビュッフェ車で東海道特急ひびきで 初登場、また全席指定急行第三なにわでも使用。 後々上越全席指定急行佐渡や特急ときの一部で157系が使用。
542 :
名無し野電車区 :2010/07/19(月) 21:53:45 ID:KoY5LdyK0
モハ111・110-65〜 国鉄で151系・161系の181系化改造時に余剰となったMT46A形モーターを流用して作った111系。 113系に合わせてMG搭載車がモハ110に変更されている。 JR西日本に承継されたものの主電動機出力が低くスピードアップが出来なかったためMT54に交換されてモハ113・112-500番台に改番され、更に110km/h対応改造でモハ113・112-5500番台に改番された。
JR西日本205系1050番台 1989年以降に阪和線用に投入された205系1000番台のマイナーチェンジ車。 車体は1000番台と全く同じ。 走行機器関連では、モーターを騒音対策として内扇タイプに変更。性能は1000番台と同じ。 運転台は221系の技術が反映され、ツインレバータイプを採用。 内装関連では、照明グローブを採用し、乗降用ドアと貫通ドアを化粧板付きのものに変更。全体的に従来の205系に「関西テイスト」を施したような感じになった。 2010年現在も阪和線で活躍中。
544 :
名無し野電車区 :2010/07/19(月) 22:08:09 ID:XGcE/6Zh0
国鉄 北海道総局 キハ65−1500 パワー不足が指摘されたキハ56・27の置き換え用として昭和48年に登場した形式 本州仕様のキハ65とは違い、窓は小型化され暖房も強化された また、座席は簡易リクライニングシートを装備し、台車位置の変更によりドアが引き戸化され 便所・洗面所設備もつけられた 122両が生産され、苗穂機関区と函館機関区に配置、こう配区間&長距離を走る急行宗谷・大雪・狩勝・ニセコを 中心に置き換えられた また、冷房装備・簡易リクライニングシートといった豪華装備を活用し、平坦区間を走行する急行すずらんなどの 指定席車としての運用も一部実施された なおグリーン車は現用のキロ26を使用したため、56・27系との混結が可能な設計となっている 昭和55年以降、急行列車が削減されるようになると、既存の56・27系を使用していたローカル急行などにも 充当されるようになり、一部は旭川及び釧路に配置となり、名寄・帯広などの地方都市間の快速列車などに 使用されるものと、特急とそん色のない車内設備を買われて続行の臨時特急などに使用されるものなどに 分かれていった JR化後は、ほぼローカル運用と波動輸送用として各地方に配置されたが、最低2連からの運用ではローカル運用の ニーズを満たさず、波動輸送もキハ183系の運用に余裕が出てきたため徐々に廃車となり数を減らし、ついに 平成11年に波動輸送用で残っていた苗穂の1編成7両が廃車となり、その幕を閉じた。
42系・52系標準軌仕様 改軌論争の末、試験運用として東海道本線のうち、関西地区の複々線区間では電車線を標準軌にすることとなった。 これに伴い、モハ42や流電などの標準軌仕様が登場した。 しかし、モーターがMT15,16のままで出力不足は変わらず、京阪P-6や阪急900に負けるという屈辱を強いられ、戦時体制突入を口実に狭軌に戻した。 なお標準軌時代、深夜にP-6や参急2200が走行しているのを見たという人が複数いたが、公式記録にはない。
546 :
名無し野電車区 :2010/07/20(火) 13:01:44 ID:QCtfFida0 BE:1155092797-2BP(50)
十和田ワフ8 元はヨ8000。同社ではヲタ向けに「撮影用チャーター列車」なる企画を 実施しており、「有蓋車、できれば車掌車を」とのリクに応えるべく 長らくどこかに放置されていた同車を1円で購入して改造。元番号は不明。 座席を設置したので数名なら乗車可能。 トイレは撤去され、機器室になっている。
547 :
阪和線 :2010/07/20(火) 17:00:29 ID:c0hX1EBi0
JR貨物EF510 300番台 関門トンネル用に作られたEF81の後継車である。 車体はステンレスと珍しい機関車である。 なお重連総括装置は装備されていない。 2005年から投入され2007年まで5両のみの投入であった。
国鉄キロ65 キロ28の初期車の老朽化が激しくなってきたため製造されたキハ65系 の最後を飾る新製車。ただし、機構的には目新しいところは全くな く、車体はキロ282500代、足回りはキハ65を合わせただけというお手 軽手抜き車両。 若干数が製造され、各地に分散配備されたが民営化直前に高松と岡 山に集約され、そのままJR西と四国に全車継承された。 JR西では、急行砂丘や急行つやまに使用の後廃車、四国では土讃 線系急行に使用の後高徳系統に移り格下げ改造され消滅した。
阪和電気鉄道モヨ1000型 戦後、再民営化された阪和電鉄が、昭和28年に製造した阪和直通超特急用車両。 京阪1800より半年早くロールアウトし、日本初の鉄道線用高性能車とよばれた。 全電動車で、130kwの東洋電機製直流直巻電動機を中空軸カルダンで駆動した。 最高速度は名目上は110km/hであったが、130km/h走行も可能であった。 ブレーキは試作段階ではAMU自動ブレーキであったが、のちにHSC電磁直通ブレーキに改造された。 台車は当初はペデスタル式が採用されたが、後期車ではシンドラー式も採用された。 車体はモノコック構造の軽量車体で、丸みを帯びた車体、阪和伝統の釣鐘型窓と相まって、 その高性能ぶりとは相反する柔和な印象の車両であった。 扉は2扉で、クロスシートであったが、昭和42年3扉ロングシートに改造され普通運用中心になり、 昭和58年全廃された。
サロ182・サロ188 183系・189系は運行距離が短いことから食堂車の新製は見送られた。 しかし登場時、同区間の格下の急行列車にはビュッフェが連結されており、 サービスがつりあわないということでグリーン車とラウンジの合造車を連結することになった。 予算の都合で車体は新製されず、サシ481形からの改造車で間に合わされた。 総数はサロ182・サロ188合計20両となり、 「とき」の183系編成、中央線「あずさ」信越線「あさま」「そよかぜ」に連結された。 1976年10月に営業を開始したが、同時に急行「信州」「妙高」「アルプス」のビュッフェの営業は終了した。 中央線においては351系・257系の投入、信越線は長野行き新幹線の開業で、 183系・189系の定期運転の終了と共に当系列の営業も終了,廃車となり, 横川駅に静態保存されている189系以外は解体された。
551 :
名無し野電車区 :2010/07/20(火) 19:19:37 ID:GsVtJ8q60
E237系 JR東日本が製造したアルミ製通勤型車両。 車体形状はE233系に似ているがアルミ車体となっている。 JR東日本管内でのアルミ車体の通勤車両の製造は203系以来。 アルミ車体であるために新津車両製作所では製造できず、止む無く東急車輛と近畿車輛、日立製作所で製造されている。 一部203系の車体を溶かしてリサイクルしている車両があるとも言われている。
鉄道省⇒国鉄モハ53系戦前型新造車 戦前の鉄道省で東海道本線の画期的輸送力増強とスピードアップには 全線電化と近郊区間の電車化が必要との回答、更に イタリアで中空軸カルダン駆動の流線型特急電車ETR200の 活躍にも刺激されてまず関西地区の京都〜大阪〜神戸〜明石の 電車化に続き関東では東京〜横浜〜小田原〜熱海まで電車化して 電車が走れるようになったが、丹那長大トンネル内に電車を走らせるには 電車火災が起きた時の保安問題のため実現できずにいた。 続く。
続き更に6大都市の中で省線電車が走っていない名古屋地区の岐阜から一ノ宮〜名古屋〜豊橋市間の電化と電車運転開始 と豊川〜鳳来寺〜三信までの省線電車直通のため関東地区、関西地区から 非力なモハ43系や32系を名古屋地区電化用に転用するため 鉄道省モハ53、クハ58-100番台、サハ48-100番台 サロ45-100番台、サロハ46-100番台 上記の丹那トンネルや逢坂山トンネルの走行や長大編成化 将来の電車による高速列車の構想のため、東海道本線関東地区、横須賀線 関西地区東海道本線用に製造された新形式。 新形式モハ53はMT30(750V=142kw)を装備、更にモハ52も MT30に換装、内装の金属化、乗務員扉設置が行なわれ 車体は長大トンネル通過を考慮し保安上全鋼鉄車体に。 更にブレーキ装置も電車列車として最大12両連結のため 省線電車初のAMUE自在弁付き自動ブレーキ装置にし モハ52系もAMUEブレーキ装置に改造 編成は モハ53=サハ48-100=サロ45-100=モハ53+モハ53=クハ58-100 の6両貫通幌付き編成を基本編成とする 始めて丹那トンネル通過し沼津まで電車運転開始したり。 関西地区ではこの車輌の性能を生かし今まで95km/h運転を 5km/h速度向上し、鉄道省曰内地初の100km/hの高速運転開始 と宣伝し、実際に関西地区ではP-6と高速性能で並び。 加速性能は省モハ53が勝ってたために抜き返し。 京都〜大阪間を32分運転、大阪〜神戸間を22分運転で 運行開始し、新京阪や阪神急行を青ざめさせた。 計画では更に105km/h〜110km/hまで最高速度向上し 京都〜大阪間30分、大阪〜神戸間20分運転を目指す予定だが 太平洋戦争開戦により計画は中止となる。 阪和電車線に入線しての高速運転では阪和電車と遜色ない 速度で走り持ち前の速度ては最高速度110km/hだした という伝説がある。なおモハ53系の足回りはTR25A、TR23A コロ軸付き、制御器はCS5を高速対応にしたCS5Aと省線電車装備だが、無理な100km/h越えの高速運転による故障が多発したとか。
保守
EF510形1000番台 JR西日本は車両検修効率化のため、寝台特急「トワイライトエクスプレス」、 及び「日本海」の牽引をJR貨物に委託することとした。 これを受けてJR貨物が投入したのがこのEF510形1000番台車である。 ATSや無線装置などが変更されているが、性能的には0番台車と差異はない。 1001〜1003号機の3両が「トワイライト」専用色、 1004号機以降が「RED THUNDER」色(識別のため金色の帯が入る)となっている。 旅客列車のほか、JR貨物所属のEF81形を置き換え、貨物列車を牽引する。 EF510PF形としてファンを狂喜させたことは周知の事実であろう。
556 :
名無し野電車区 :2010/07/23(金) 02:39:05 ID:a+aielbU0
JR東日本 サヤE230 電車の非電化区間牽引用の電源確保や、 電車牽引のブレーキ協調機能を持たない通常の機関車で牽引 などで活躍してきたマニ50の置き換え用として、 山手線のオール4ドア化で余剰となったサハE230(6ドア車)を 改造の上用意されたもの。 必要な機器(非電化区間用ディーゼル発電機やブレーキ読み替え装置等)を 床上に設置したため、一部のドア部分が板で塞がれてルーバーとなったほか、 電化区間では、作業用に必要な電源を架線からとって充電するため、 パンタグラフが設置されている。
557 :
名無し野電車区 :2010/07/23(金) 02:40:15 ID:a+aielbU0
JR東日本 クモヤE241 首都圏の牽引車として、長年クモヤ143・145が使われてきたが、 国鉄型世代の車両がほぼ首都圏から絶滅すると、 使い勝手のみならず、牽引車自身のメンテの観点からも、 さまざまな不便が生じるようになった。 そこで、クモヤ143・145の後継車を設計する運びとなり、クモヤE241が製造された。 鋼体はステンレスで新調されたが、ドア部分やクーラーはサハE230、 台車や運転台機器に253系など、廃車部品が多数流用されている。 また正面はE世代の旅客車と異なり、実用本位の貫通式スタイルである。 周知のとおり、近年の新系列は編成単位で管理することが多いため、 以前よりも牽引車の必要性が少なくなったことから、 製造両数もクモヤ143・145世代より少なくなっている。 旅客会社全体の機関車の取り扱いの縮小を考慮して、 ある程度の編成両数の無動力牽引も難なくこなせるよう、 高出力のモーターを採用している。 ただし、本形式は電気指令ブレーキしか対応しないため、 電磁直通ブレーキや貨車の場合は、ブレーキ読み替え装置を備えた、 サヤE230をはさんで運転される。
558 :
名無し野電車区 :2010/07/23(金) 17:34:01 ID:s41abffV0 BE:366696645-2BP(50)
つくばエクスプレスTX−5000系 特別快速専用の交直流両用車。 最高速度130km/hは他の車と同一。 ただし、普通車は座席定員制のため乗車整理券が、 特別車(JRのグリーン車に相当)にはプラチナ・チケットが必要。
国鉄D51形貨物用蒸気機関車戦後形 昭和20年の終戦から昭和24年のドッジラインまで貨物用蒸気機関車の 製造は中断され、更にGHQからマッカーサー機関車を 無理矢理押し付けられるなどの惨状だったが 1950年の朝鮮戦争勃発から、老朽蒸気機関車の置き換え のために。 C59、C57、C58、C11、C12の戦後形の製造再開と共に。 貨物用蒸気機関車の製造再開としてD51形の製造再開したもの。 車番は1200番台となる、戦前形、戦時形D51形との違いは。 メカニカルストーカー(自動給炭機)を装着、ボイラーに 燃焼室がある、軸重14tに戻される。 更に戦後形D51形1200番台は合計1950〜1952年まで 50両が製造され、更に戦後形D51をベースに従台車を2軸に した戦後形D61も50両製造したため。 当初のD50形をD60形に改造する計画は計画中止になった。 製造後は各線区で主に貨物輸送に活躍し、状態良好な事から 廃車は昭和45年から始まり昭和51年の蒸気全廃まで活躍し。 保存機としてJR北海道のD51-1201、JR貨物のD51-1250 JR東日本のd
続き、JR東日本のD51-1231、JR西日本のD51-1221、 JR九州のD51-1240、何故か台湾に渡った後も日本時代の 車番のD51-1210が動態保存されている。 貨物のD51-1250はイベントで貨物列車を牽引したり、 入れ替えイベントや、重油やアルコールなどの燃焼試験機も兼ねて JR貨物に在籍動態保存。
東武鉄道9600形蒸気機関車 戦後、東武鉄道は貨物輸送の電化と明治時代の蒸気機関車置き換えを 計画したが、昭和20年代前半の終戦直後ではそれも適わず。 止むなく明治時代の古典蒸気機関車の置き換えとして。 戦後国鉄で余剰になった9600形蒸気機関車の払い下げを 受けたもの。 払い下げ譲受は昭和24年〜昭和27年まで行われ。 明治時代の古典蒸気機関車の置き換えに貢献したが。 東武鉄道職員からは力があるがスピードが出ない、 サイズがデカく支線の貨物列車には使い勝手が悪いとか。 そのため昭和32年から東武鉄道形電気機関車の増備と 貨物輸送の電化が始まると、伊勢崎本線、日光本線、東上本線など 主に本線の貨物輸送に活躍していた9600形蒸気機関車は真っ先に 置き換えの対象となり、昭和40年に全車廃車された。
562 :
名無し野電車区 :2010/07/24(土) 09:06:04 ID:DubjW9wg0
age
国鉄C64形試作旅客蒸気機関車 戦後国鉄は電化計画を発表し蒸気機関車を置き換える 計画であったが、南アフリカ国鉄の1829mm動輪で1067mm 軌間では世界最速の最高速度113〜115km/hで走行した事。 太平洋戦争中占領したインドネシアのC53機関車も四シリンダー複式ながら。 最高速度100km/h〜110km/hで運行していたのに。 計画では1850mm動輪のKC51、KC54を計画していた国鉄は 刺激されて。 おりしも製造再開していた戦後形C59、C60新造を ベースにKC51、KC54の1850mm動輪を採用し。 2軸従台車、燃焼室付16kgボイラーで近代化し。 ブレーキ装置を先輪、動輪、従輪に両抱き合わせ式にして 強化し、最高運転時を日本内地の1067mm最速の110km/h運行を 目標にした物。 1950〜1951年にかけて試作試験機関車として C64-1、C64-2が製造され、ただちに客車を牽いて高速試験に 使われた。 スハ42系客車を10両牽いた場合は最高速度110km/hを達成し 客車7両牽引した場合は最高速度120km/hを達成。 そしてC62が機関車単機で129km/h出した事に刺激されて。 スハ42系客車4両牽引で125km/h、そして機関車単機では133km/h の狭軌1067mmでは南アフリカ、インドネシア、ニュージーランド、を越えた記録をだした。 後々ナハ10系客車編成や20系客車編成をC64形蒸気機関車に牽引させて 最高速度120km/hの高速試験をやる予定だが何故か中止にされた。
564 :
名無し野電車区 :2010/07/25(日) 11:21:32 ID:BxkjxFQE0
鉄道省 EF52−500 昭和5年、北海道の石炭輸送状況はひっ迫しはじめ、特に夕張から室蘭への列車本数は 上限に達しつつあった そのため、増発よりも1列車あたりの輸送量を増強するため、蒸機による重連運転などで対応 していたが、運用効率その他の問題もあり、抜本的な対策を施す必要性が認識された そこで、当時の鉄道省では技術革新著しい電気機関車に目をつけ、夕張〜室蘭間を直流電化 することとなり、そこに投入されたのが同形式であった 酷寒地向けではあったが、気候が比較的温暖かつ積雪量も少ない地域で、平坦区間がほとんどのため 絶縁関係の防水強化と旋回窓化程度の付加装備で投入され、特に大きなトラブルもなく石炭輸送の 増強効果が発揮された 昭和16年に太平洋戦争に突入すると、さらなる石炭増産のために重連運用されるなどいろいろなエピソードが 生まれ、戦後もしばらく活躍していたが、老朽化と他列車との速度差が問題となり昭和40年に登場した酷寒地向け EF65−500の投入により、昭和45年までに全廃された 現在、小樽の鉄道博物館に1号機が静態保存されている
565 :
名無し野電車区 :2010/07/28(水) 15:26:51 ID:SZqP6++I0
サルE231 サハE230-500番台の台車や部品を流用して作った大型ダンプトロ。 保線機械扱いではあく車籍があるため線路閉鎖なしで走行できるのが特徴。
566 :
名無し野電車区 :2010/07/28(水) 15:27:46 ID:SZqP6++I0
>>565 訂正
保線機械扱いではあく→保線機械扱いではなく
567 :
名無し野電車区 :2010/07/28(水) 21:22:48 ID:SZqP6++I0
EF81形350番台 国鉄が1985年に製造したEF81のステンレス仕様。 車体構造の変更により300番台とは異なりコルゲートが極限まで減らされ、205系のようにリブが3本あるのみである。
568 :
名無し野電車区 :2010/07/28(水) 21:42:59 ID:SZqP6++I0
>>484 423系900番台
国鉄が製造した423系のステンレス車体バージョン。
こちらはオールステンレス車体である。
先頭車はクハ421-911・912を名乗っている。
やはり後年塗装されてしまっている。
こちらは2001年まで残存。
569 :
名無し野電車区 :2010/07/28(水) 23:20:09 ID:5E5Fw6/80
国鉄 北海道総局 781系9000番台 国鉄末期、1年後に開業を控えた青函トンネル用に製造されたオールステンレスの 交流専用特急車両 完全無塗装で、早い話が銀ピカの781系である 「気持ち悪い」と不評だったため、登場後1週間で窓枠周りと先頭に赤いステッカーで特急色風に されたが、いまいちだったため、青函トンネル開業時には普通の特急色に塗装された 現在でも8編成48両が現役である
>>569 9000番台って何か試作車っぽいw
JR北海道703系電車
1998年、JR東日本から103系を購入し、交流化改造のうえ札沼線に投入した。
4両編成で、交流機器は先頭クハに積まれ、ここにパンタグラフが設置された。
耐寒性を高めるため、戸袋窓は埋められ、外観は西日本の103系N40車に似る。
また冬季は中間の扉2つは開かず、実質2扉車として運用される。
もっとも着雪による機器トラブルが多く、731系が投入された後は夏季のみの運用となり、
2008年までに全廃された。
571 :
名無し野電車区 :
2010/07/30(金) 23:45:27 ID:NJzyYNZ2O JR北海道723系 快速「海峡」の客車の置き換え、合理化、サービス向上、速度向上を目的に製造。 早い話、721系を2扉にしたような感じの車両である。 731系をベースとしたIGBT-VVVF(MT723)を採用し、青函トンネル内での運行(特に故障など)に備えるべく2M1Tの3両編成を組む。最高時速は130km/h。 中間車は指定席でリクライニングシートを備えたuシート。普通車は転換クロスで、デッキ付近には吊り革も設置。