1 :
マリリン ◆TJ9qoWuqvA :
04/06/25 15:28 どうしても、浦島先生にお礼が言いたかったのと、良スレが終わって欲しくなくて初めてスレッド
立てた。
前スレ ■ 精神分析的心理療法 ■
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1064143349/ 精神医学と臨床心理学の専門家、学生諸氏に
■ 精神分析的心理療法 ■
・臨床家と学生が、専門的な議論をするためのスレッドです。
興味のある方なら、どなたでも書き込んで下さってけっこうです。
・臨床素材を提供して下さる方は、一般化してお書きください。くれ
ぐれも、クライエントが特定されるような情報は避けてください。
・クライエントや家族の方などの、個人的なご相談はお受けしません。
2 :
◆Dshu0PxSp6 :04/06/25 15:30
思考盗聴まだまだやるか?
>>815 浦島さんの、お別れのレスの中に、マリリンの名前が出てきたのにとても
感激しました。マリリンは学問的な話はできなかったし、よそ者だったし、このスレに
関しては、たいていはROM専門だったので、名前を覚えて下さっているとは思って
いませんでした。嬉しいです。
浦島さんのレスを読んでると自分の中で浮かび上がってきた疑問が、すっきり解決
され納得できて行くんです。多分、私以外の多くの人が貴方の書き込みに、どんなにか
勉強させてもらった事でしょう。
心理学板の多くのスレッドを読んでいると心理療法に対する無理解や誤解から、あまり
にもメチャクチャ書かれすぎていて、私のような、内部事情を知らない、よそ者には
心理療法に対して悪いイメージがどんどん蓄積されていっていたのですが、浦島さんの
説明を読むたびに、自分の中で心理療法へ対する信頼が急速に回復して行くのが分かり
ました。
マリリンは良い学生ではなかったけど、浦島先生は本当に素敵な講義をなさったと思います。
浦島のコテを名乗られてからのレスは、私のハードデスクの中で大切に保存されています。
ありがとうございました。
では、ネタ振りから >809 :かわず ◆N2PE0i..9k :04/06/21 22:09 >浦島さんにお聞きしたいことがあるのですが、現代の精神分析理論、特にクライン派は >「前意識」をどのように扱っているのでしょうか。局所論なので「前意識」なる言葉そ >のものも、全くお呼びではないのでしょうか。
813 :浦島 :04/06/25 04:00 >クライン派の中で「前意識」に関する議論を聞いたことは、少なくとも私は >あまりありません。ただし特にフロイト派の論文などでは、現在でもしばしば >目にするように思います。 >なぜクライン派の中であまり聞かないか、という理由については、よく分かり >ません。無責任な想像ですが、クライン派の場合「前意識」「無意識」を厳密に >区別するよりも、とにかく「解釈した時に伝わるであろう(=患者さんにとって >何らかの形で役立つであろう)ことを解釈する」と、いわば「実際的、実利的に」 >考えるからかもしれません。
私が「無意識」の概念を知ったのは、ユングの本を読んでからかな。それまでは言葉は知ってたけど、
「無意識」なんて考えた事もなかった。また、それについては聞くのも恥ずかしくて
今まで書けなかったのですが、浦島さんの
>>813 を読んで整理が付いたように思う。
というのは、私のように人間が単純にできていると、自分が無意識の何かに
よって動いているなんてことは実感できないんです。無意識だと思われる事でも、冷静に
なって、良く良く考えると誰に教えてもらわなくても意識化できるんです。
だけど、ここの人たちが人間には無意識の部分が存在すると言うのでそうなんだろうな
思ってきました。
でも、「前意識」と言われると、自分にはとっても納得できるんです。無意識ではな
いけれど、自分としては考えることから除外していた。あるいは今おこっている事情とは
関係あると思っていなかった事柄なんて、いっぱいありますものね。
ですから、マリリンとしては「無意識」と言われるより「前意識」と言われた方が素直に受け入れ
られます。ただし、私に「無意識」が全く存在しないかどうか自分では良く分からないです。
ですから、
>>5 の下記の部分で、今まで分からなかった疑問が綺麗さっぱり解決しました。ありがとうございました。
>「前意識」「無意識」を厳密に区別するよりも、とにかく「解釈した時に伝わるで
>あろう(=患者さんにとって何らかの形で役立つであろう)ことを解釈する」と、
>いわば「実際的、実利的に」 考えるからかもしれません。
7 :
没個性化されたレス↓ :04/06/25 17:06
>>まりりん まだ、「精神分析的心理療法」のスレが800番台前半であるので、せめて 900番台後半になってから2を建てるのが妥当なところではないでしょうか? 真摯に続いていたスレが、途切れてしまう懸念をもちます。
>>7 前スレに書き込みをしようと思うと。
>このスレッドは512kを超えているので書けません!
このような表示が出で書き込めません。私はレスを書き込み途中で書き込みができないことに
気がつきました。このまま、このスレッドを終わらせることがあまりにも、惜しいので部外者の
身ですがスレッドを立てさせて頂きました。
前スレに、次スレがたったことを書き込もうとしたら、 >このスレッドは512kを超えているので書けません! が出ました。 1000超えてなくても、書けなくなることがあるのね。知らんかった(w
浦島さん、いろいろありがとうございました。 時々、匿名で質問した折には丁寧にレスしていただいて、とても参考になりました。 でも、浦島さんをこのスレで見られなくなると、寂しくなるなあ。。。 また、リアルの方で少し一段落ついたら、このスレをのぞいてみてください。
浦島さん 楽しい解説有難うございました。本当に勉強になりました。 一息つかれてまたの復帰をお待ちしてます。 #スルーして頂いてもいいレスにわざわざお答え頂いて恐縮ですm(_ _)m
>>9 いや、漏れも知らんかったw>このスレッドは512kを超えているので書けません!
自分の文章を含め結構長文が多かったからなぁ。
Reverieさん、ども。
浦島さんの
>自由連想法を使い、主に転移解釈のみをする、という治療を「精神分析的精神療法」、
>精神分析の考え方、理解の仕方(転移など)を使って行う治療を力動的精神療法」
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1039493507/213 という区別は、精神分析家およびキャンディデイトの世界ではスタンダードでも、一般の精神(心理)療法・カウンセリングに関わる人々の世界では、必ずしもスタンダードではないようですね。
#根拠(wは、精神分析的精神療法でググってみた結果。
浦島さんの区別に依って、このスレも2を期に、力動的心理療法に
改めたかったような(w
マリリンさん、スレ立てありがとう。 私も前スレに書き込もうとしたら、アウトでした。 浦島さんへ 学ばせていただいたことは沢山ありましたが、それにも増して、臨床に向かう 元気をいただいたように思います。ありがとうございました。
>>13 >浦島さんの区別に依って、このスレも2を期に、力動的心理療法に改めたかったような(w
激しく同意。自由連想法でのセッション以外に精神分析理論(精神力動論)の影響下に
行われている心理療法全般に関してカキコできるスレにしましょう。
対象喪失を静かに味わいながら、レス かわずさん >前意識 うーん、漏れもFreudを全巻読んでないんですけど、古典分析のセッションで前意識がクローズアップされてる 論文てありました? どーも、自我装置の局所論で見たきりであんまり話題にされない部分ではあるんですけどね〜、 分析理論の論文では。 ただ、精神療法でそれなりにクライエントにしっくりくるアプローチは実は前意識の部分のような気がします。 無意識はやはり無意識にとどまろうとする抵抗が強く働くのでどーもリジェクトされてしまう印象があるのですが。 心理検査だとSCTとか大きく取り上げられているんですけどね。
>>16 Reverieさん
私も論文を沢山読んでいるわけではないので、論文と言われると何とも困ってしま
うのですが、実際の臨床では(少なくとも私が患者さんに会っている時には)
よく扱われているのに、案外クローズアップされないのではないかと思います。
>>18 かわずさん
憶測に過ぎないのですが、基本的に分析関係の論文は自由連想法を使ったセッションが目につきます。
激しいですしね(笑)。ただ、その場合、無意識の部分、即ち転移の解釈や行動化に対する直面化
などになり、どーしても「無意識」自体が話題になる事が多いみたいですね。
恐らく、「前意識」に焦点を当てるアプローチはかなり認知療法的な側面が強いと思います(印象ですが)。
となると、なかなか分析関係の症例報告ではお目にかかりにくいという図式ができあがりそうですが。
P.ケースメントの『あやまちから学ぶ』の翻訳が出てるようですね。 まだ読んでないですけど、今度手に入れよう。 それにしても、邦訳が出るまでは、『失敗から学ぶ』というタイトルになりそうな 情報がありましたが、出てみると「あやまち」となっていました。 私見ですが、「あやまち」の方がいろいろと吟味できる奥行きが感じられる言葉の ような気もします。 閑話休題でした。
>>20 「あやまち」と書くと柔らかくていいね。穏やかに経験することがたくさんあるイメージ。
失敗は言葉が硬いから「烙印」や「結論」というニュアンスがでて立ち直れない感じだな。
このあたりはいわゆる「日本語臨床」のとこなんでしょうね。
日本ではケースメントのようなPSWいないね。あ、世界中でもなかなかいないか(笑)
>>20 検索したら、岩崎学術出版社から出てますね。4200円。
ちなみに岩崎の本は高いと言う人もいますが、なかなか品切れや絶版にならない
のが良いですね。出たらすぐ買わないと手に入らない出版社も、ありますから。
在庫にしているコストを考えれば、良心的な本屋さんではないかと思います。
頼めば「学術通信」という小冊子を送ってくれますが、これもなかなか良いです。
>>22 岩崎の「学術通信」は、私も送ってもらって読んでいます。
ちなみに、2004年春号(最新号?)の初めには、藤山先生の『神宮前雑感−世に
棲む分析家として−』と題するエッセイが載っています。
とかく「理論的」と捉えられがちな精神分析の営みを、藤山氏自身の生き方を表す
ものとして、現代の日本の文化に開かれたものとして捉えてみようとする試みが
書かれているように思います。
みなさんも、よろしかったらご一読を。
24 :
没個性化されたレス↓ :04/07/09 00:00
浦島の後継者は出るのか。
浦島さんのように、海外で臨床しているDr.やセラピストも、このスレを 読んでいるのだろうか。 今はタビストックにも日本人の臨床家が多数在籍しているらしいから、 ROMってるかもしれない。
質問です。どうぞよろしくお願いいたします。 ↓こういった精神分析の用語はありますか? あるいは、精神分析の防衛機制で説明するとしたら、 どういった具合になりますか? 誰かが言ったことに対して、 自分はそう思ってはいなかったにもかかわらず、 実際にずっとそんなふうに思っていたと思ってしまう心の動き・働き。 例1 A:○○さんって、なんか△△な気がするんだよね。 B:(まったくそのようには思っていなかったにもかかわらず、Aを聞いたとたん、 自分も前からそう思っていたと思い、次のように言う。) そうそう、〜だし、〜〜だし、△△だと思ってたんだー。 例2 C:私は××なんです。 D:(Cが××であることは知らなかったにもかかわらず) そんな感じがしていました。 一般熟語である「迎合」とは、次の点で異なります。 迎合なら、相手に合わせて自分が述べているという自覚が、本人にありますが、お尋ねしている現象の場合、その自覚がなく(無意識的に)、本人の意識内容が変わってしまう。
>>26 それは精神分析じゃなくて心理学の領域じゃないか?
>>26 例1、例2それぞれに、相手との関係性の性質により、コミュニケーションの受け手が
相手の思惑通りのことを考えたり、感じたりさせられることはあると思います。
上の例のように他者をコントロールする様相を、投影同一化の機制を受けるという文脈で
捉えれば、精神分析的な理解の仕方になるのではないでしょうか。
>>26 これは、防衛機制の中に入っていたかな?
どちらかというと、自己主張が困難な「かのような人格as if personality」に見えるが。
主体に対する危うさ(ある意味では同一性の拡散)という気がするな。
たとえば、投影同一化を主なコミュニケーションの手段とする養育者(母親等)の 下で育った子どもが、長じて同様なコミュニケーションを用いない他人に対しても、 かつての養育者に対するのと同様の振る舞いに出てしまう・・・という理解の仕方は どうでつか? 投影同一化を用いたコミュニケーションを受けることによって作られた性格の 基盤と、それをベースとした人格の表現形の1つとしての"as if personality" と いう関係。 少し無理からに統合してるかな。。。
>>30 う〜ん、この投影のメカニズムは漏れ自身理解しきれていないんだけど
どちらかというと「例」にあるのは"Projective" Identificationではなくて"Introjective" Identificationに近いのではないかな
みなさま、レスありがとうございます。 投影は自らのものを他者に投げ入れる訳ですが、例にあるAやCは、投げ入れている訳ではありません。にもかかわらず、B,Dは、みずからすすんで投げ入れられている。その点を考えていました。 >31 "Introjective" Identificationは、取り入れ同一化ですね。 上にみずからすすんで投げ入れられていると書きましたが、みずから取り入れている訳ですね。
防衛機制、という言葉は常に無意識的空想とつながっているというのが、 クライン派や対象関係論の立場です。 防衛機制を集中するのは自我心理学でしょう。
以前にとあるスレで「産後うつ病者の児童虐待には投影同一視が関わっている」と主張していた人がいるんですが正しいんでしょうか?
35 :
没個性化されたレス↓ :04/07/15 11:09
良スレage マリリンはsage
36 :
没個性化されたレス↓ :04/07/15 12:05
SPA!より抜粋 「10代〜30代の女性800人が選ぶ、こんな男とだけは絶対結婚したくない!って男」 (複数回答可) ・1位:「彼女いない歴=年齢」の男 326票 「20代後半とかで恋愛経験がない人って人間として異常」(21歳・大学生) 「ちゃんと恋愛できない男は結婚を望むのはやめてほしい」(26歳・経理) 「いい歳して恋愛経験ない男って人間に余裕がないし、自己チューで最悪」(23歳・看護婦) ・2位:無職・定職についてない男 298票 「30過ぎてフリーターとかマジ痛すぎ」(24歳・事務) 「別にお金持ちでなくてもいいけど、収入がないのはちょっと・・・」(19歳・大学生) ・3位:女性に暴力を振るう男 279票 「DV男は人間として論外」(26歳・スチュワーデス) 「前の彼氏に暴力振るわれて殺されるかと思った。暴力絶対反対!」(18歳・大学生) ・4位:社交性がない・男友達が少ない男 221票 「社交性がなくて暗い男は一緒にいてもつまらないし結婚もしたくない」(24歳・歯科助手) 「男友達の多い男のほうが女にもモテるし、人間的に魅力的」(22歳・ピアノ講師) ・5位:ブサイク・ファッションセンスが悪い男 194票 「美人は3日で飽きる、ブスは3日で慣れる、あれ嘘だと思う。ブサイクはいつ見てもブサイク」(20歳・専門学生) 「一緒に街を歩いて恥ずかしい男は勘弁」(25歳・営業) 1,2.4.5、が当てはまるもうだめぽorz
>>32 「みずからすすんで投げ入れられている」は、表面的には「みずから取り入れて
いる」ように見えると思います。意味するところは、同一のものではないで
しょうか?
そして、この状態は北山先生の表現を借りると、「自虐的世話役」的な人格構造を
彷彿とさせます。
臨床場面では、ケコーウ多いパーソナリティかもしれません。
もしかすると、セラピストやカウンセラーなどの援助職にも少なくなかったり
してねw。
>>34 少なからず影響してるかも。
「赤ちゃん部屋のおばけ」という表現に象徴されるように、母親などの養育者が
かつての自分自身や自分の母親を、現実の子どもに投影してしまうという文脈で。
>>34 産後うつ病と児童虐待の関連性は言われているし、産後うつ病における投影性同一視に対するα機能の問題は
いわれていたと思うが。児童虐待に投影性同一視が関わっていることに関しては初耳だな。
産後うつ病からPMSに移行してその後児童虐待に移行するケースはプロゲステロンの問題
であったと思う。
また、産褥期うつ病の母親は赤ちゃんが投影性同一視を用いて投げ入れてくる不快な飢えや
べちょべちょのオムツの感覚をコンテインできず、コンテインできなかった悪い対象は
赤ちゃんに跳ね返り「名ふしがたい恐怖」(Nameless Fear)となって妄想気分などの
精神病状態の原型を作ると理論化していたような。
産後うつや、「産褥精神病」になる方には、素質のようなものはあるのでしょうか? 素質に過剰な投影同一化が加わった時に、産後うつ状態の遷延化や児虐などが 生じるというメカニズムになってるのだろうか。 言葉で、母親の「もの想い」と言えば簡単だけど、実際の母子関係では、 このシビアな時期に内的にはどんな闘いが展開しているのかは、関心がありまつ。
私は心理学とは全く関係の無い分野を専攻してる大学生なのですが、 一般教養科目の一つとして「精神保健学」という授業を取っており、 この度学期末の課題としてアンナ・フロイトのまとめた10種類の防衛機制についてのレポートを課されました。 まずはネットで調べようと思い、あれこれとぐぐってみたのですが、皆さんもご存知でしょうけど、 一言に防衛機制といっても現在では20種類以上存在しているようで、 「アンナ・フロイトのまとめた10種類」が何なのかを解説してくれるサイトが見つかりません。 つきましては、「アンナ・フロイトのまとめた10種類」について解説がなされているサイト、 もしくは「10種類」それ自体について、心理学板の皆さんのお知恵を拝借できたら(゚д゚)ウマーであると存じます。 皆さんのご協力をお待ちしております。どうかよろしくお願いします。
1.退行 2.抑圧 3.反動形成 4.隔離 5.打消し 6.投影 7.とり入れ 8.自分自身への向けかえ 9.逆転 10.昇華 11.置き換え
>>41 折角だから、レポートが書けたらこのスレ上で差し障りのない範囲で、
御開陳してみたら?
もちろん、出し終えてからね。
>>40 素質という事は分からないが、家族性の発症は多いみたいだね。ただ産褥精神病はかなりHormonalな影響が強く、
類縁疾患であるPMSなどもプロゲステロン補充療法で寛解するので力動的な影響はどの程度あるのかな?
この場合の家族性発症はプロゲステロンの問題に対する個体の問題の影響が大きいと思うな。
その下地があって力動的な解釈が可能な部分もあると思うが。
精神分析の「旬」の話題は、何になりますか? 上では産褥期などが話題になってますが、母子関係についての分析的なアプローチが 注目されてるのだろうか。 もっとも、少子化対策などで母子臨床などが分析に限らずに、取り上げられることは 多いとは思うけど。
どなたか、ネタ振り、話題提供ないですかぁ? 浦島さんが引かれた後の、抑うつポジションを味わいつつ。
同一名のスレが急に立てられたりして、ビクーリしたよ。 こっちがホンスレね。 さて、お題はないですか? 今年の夏は暑いから、みなさんチト早目の夏バテかな?
実際の臨床では、子育て不安を抱える若い母親や、上で出てるような周産期の 抑うつ状態の方への対応などは少なくないのでしょうか? そういうPt.やCl.が現れたとき、分析的な対応を行なう際に、気を付けることには どんなことがあるでしょうかね? セラピーの初期に分析的な対応を行なうと、却って退行が促進され過ぎて調子を崩す ことになったりする場合もあるのでしょうか? 彼女らの希望として、自らの幼少期に母子関係において不幸な出来事があった、たとえば 「母親から相当に無視されて育った」、「都合よく操作された」云々と、自身の親子関係に 触れたいとする局面があるように思います。 そうかといって、そのあたりを吟味しても、面接過程が深まらなかったり、上述したように 退行や混乱が生じたりする場合があると思います。 相手の病態水準も考慮しつつ、支持的な対応をしながら、分析的な対応や理解を徐々に 行なっていく・・・言うや易しいけど行なうに難しい・・・対応を志すのがベーシックな 方向性なのでしょうか。
>>48 これね、単なる臨床家としての感だけど。こういう問題こそ、それぞれの臨床家の臨床経験で
対応すべき微妙な問題だと思う。
したがって、個々臨床家のやり方もあるだろうし、相手にするクランケも違うので、まず何を重要視
するなんて決まった回答はないんじゃないのかなぁ
>>49 他人のレスを読まないくせに偉そうに意見だけ言うな。
ゲー、また誤字だ。訂正。 単なる臨床家としての感 × 単なる臨床家としての勘 ○ 個々臨床 × 個々の臨床 ○
>>50 はぁー。他人のレスはマリリン読んでるよ。心理臨床の経験はないのであさっての事を
言っているかも知れないけれどね。
マリリンは臨床家としての一般論を書いてるだけだよ。
>>48 のような問題は、臨床家が
現場で臨機応変に対応しなければ仕方がない、最終的には臨床経験を積みながら自分自身の
回答を出していくしかないように思う。
誰かがアドバイスするにしたって自分ならこうするよ程度の回答以外やりようがある?
ところでPt.とClってどう違うの?
>>52 スルーしようと思ったがあまりに危険なので
>心理臨床の経験はないのであさっての事を言っているかも知れないけれどね。
実際明後日の方向を向いている意見だしこういう書き込みはいくら2chといえど度が過ぎる。
現実的に産褥期の心理療法は、容易に退行しやすい身体的な状況のうえで行う事になるから
>臨床経験を積みながら自分自身の回答を出していくしかないように思う。
では、後手になるし、臨床に入る以前の理解を
>>48 は聞いているんだぞ。
>>52 のような専門性のかけらもないコメント、結局「でたとこ勝負」のような無謀な意見を、
そのままやって精神病や自殺を誘発したら、臨床家としての喪前はどう責任をとるんだ?
専門外の臨床家として匿名の書き込みとはいえあまりにも無責任。
臨床家を気取って書き込むのなら、臨床家としての最低限の責任をもって汁。
>>53 今、忙しいんで、後でお返事レスをするわ。
>>53 マリリンにおまえの言ったことを理解させるのは無理だな。
マリリンの次のレスは、おまえのレスを誤解したうえに、
さらにとんでもない誤解を積み重ねたレスになるだろう。
これは予測でも予言でもなく、事実である。
>>53 >結局「でたとこ勝負」のような無謀な意見を、そのままやって精神病や自殺を誘発したら、
>臨床家としての喪前はどう責任をとるんだ?
何を貴方が言っているのか、理解に苦しむのですが、臨床に対する一般論で言えば、
>臨床に入る以前の人に、重大な結果を招くような症例を一人で受け持たせる方が
おかしいし、受け持つと言う新前もおかしい。貴方の言っていることが心理臨床の現実
なら、まずその段階を疑ってかかるべきだと思う。
以上の事を前提に技術の習得とは、最初は教科書に書いてある通り、先輩に教えられた通り
実際にやってみて失敗をしながら、コツを掴んで行くモノだと私は思う。人に教えてもらったことは
参考にはなるけれど最終的には自分の臨床技術は苦労しながら経験を積むことで確立して行く
ものだと私は考えています。
>>48 さんは心理療法の理論的な部分を問うているのではなく技術的な部分を問うて
いるわけですから、自分としてはこのようにしていると言う以外、絶対これが正しい等という
回答はないように思っただけ。心理臨床では私の予想に反してそうでもないんでしょうかねぇ。
>相手の病態水準も考慮しつつ、支持的な対応をしながら、分析的な対応や理解を徐々に
>行なっていく・・・言うや易しいけど行なうに難しい・・・対応を志すのがベーシックな
>方向性なのでしょうか。
この部分に関しては、一見専門的な事を言っているようですが、素人でも考えそうな当たり障りの
ない意見なため、何の結論にもなっていないなと思いました。
重症な症例は経験も技術力も十分にあるベテランに任せなさい。新前が下手に手を出してはいけ
ません。新前にはそれなりの仕事があるでしょう。難しいことを考えず、それからやりこなしなさい
と言うのが私の結論です。
57 :
失礼します。 :04/07/21 00:42
精神分析について、かじりたいのですが まず入門書としてお勧めな本はなんでしょうか?
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 電波警報発令! | 電波○○を確認!
\ 電波警報発令! \素人のみなさんは騙されないで!
\ \
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
M ┌――z
゚γノノ''ノハヽ ノノ''ノハヽ.
ノリ´ヮ`)ゝ ( ゝ・D・)ゝ
と>卯< つ ⊂>.Y.<つ
∠;;;;;;;;;ゝ [:::: ::::]
レハJ .U.^.U
2ちゃんねる心理学板電波警報
http://www.geocities.jp/sarupppsaru/index.html
こういう掲示板ではクロス・ポストは御法度かと思うんですが、質問の動機みたいなのを付け加える形でもう一度書いてみたいと思います。(*
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1039493507/505 )
>[雑誌].精神分析研究 / 日本精神分析学会
>精神分析(学)界隈で、この雑誌はどういった評価・位置付けをされてるんでしょうか。@
[雑誌].精神分析研究は年に4冊でてると思います。その4冊と最近5年間くらいの目次を見ていると執筆者(投稿者)の顔ぶれが同じような印象を受けたため、上記のような質問をしてみました。
これは、スレ「日本の精神分析学の運命」で404(*)さんが書かれているように精神分析(学)界隈の中心的な人たちだから、よく[雑誌].精神分析研究で見かけるのかもしれないんですが。(*
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1039493507/404 )
>精神分析(学)プロパーな世界や[雑誌].精神分析研究等ではラカンとかはあまり扱われないんでしょうか。A
これは前の書込みでも書いたんですが、[雑誌].精神分析研究をちらちら見た印象ではラカンという名前が出てきてない気がしたからでした。
>[雑誌].臨床精神医学 / 国際医書出版. 所在:医病 精神 は、
>と「医病 精神」に置いてあることもあり、読めないんですが、
>[雑誌].精神分析研究と比べて、どういった特徴とかがあるんでしょうか。B
Bの質問は、[雑誌].精神分析研究や[雑誌].臨床精神医学や又はその他の精神分析な雑誌には、分析家の方たちの傾向(フロイト派、クライン派、中間派、ラカン派など、これは素人区別です)
が表れているのかなと思ったからでした。〜派〜派などは諸外国又は歴史的なものという意味あいしかないかもしれませんが。
質問については、自分で考えろ、調べろ的なものなので、今は安易に質問するのはどうかなと思い返したり。
>>59 他領域を専攻している学生さんにしては、ずいぶんと精神分析に関心を持たれているのに
驚きました。心理臨床を専攻していて分析に関心を持つ人でも、これほどの興味を
持って文献を検討している人は、少なくとも私の周囲にはいないようなw。。。
どなたか
>>59 さんの質問に回答をお願いします。
>>59 ラカン派については、前スレ(精神分析的心理療法1)の方で取り上げられてたかな。
まだhtml化されてないから、前スレを保存してる人にコピペを頼むしかないかな。
折れの記憶によると、前スレでは日本のラカン派を称する臨床家は理論に重きを置き、
臨床の実際にはあまり熱心ではない云々・・・と、カキコされてたような気がする。
もちろん、ラカン派やラカンに関心のある臨床家のすべてがそうではないとは思うけどね。
『臨床精神医学』の雑誌は、精神分析に特化したものではないですね。
分析の人も寄稿・投稿しているけれど、それ以外の生物学的なアプローチの論文も載っている。
あと、『精神分析研究』の編集後記を読んでいたら、投稿される論文が少ないので
もう少し寄稿することを勧めていた巻もあった。投稿者が比較的限られてくるのは、
そういった事情もあるのではないかな。
後期フロイトに 関心があるんですけど・・・。 「死の欲動」という 概念を導入することによって 新たな地平を 切り開いたんですよね。
質問というかぱっと見の感想なんかを書いた後に、雑誌をしっかり見直してみました。「特集」や「書評」等で「顔ぶれが同じような印象を受けた」だけで、これは[雑誌].精神分析研究の編集をしている人たちだから「顔ぶれが同じ」なのは当然といえば当然のことでした。
>>59 での書き込みで[雑誌].精神分析研究は「顔ぶれが同じ」というような印象を与えてしまったかもしれません。
「原著(雑誌:精神分析研究でオリジナルな論文)」や「症例(事例)研究」等では色々な方たちが出ていました。
>>61 >あと、『精神分析研究』の編集後記を読んでいたら、投稿される論>文が少ないのでもう少し寄稿することを勧めていた巻もあった。投>稿者が比較的限られてくるのは、そういった事情もあるのではない>かな。
北山修さんの本の中で、臨床家でも自分のように文章を書くのが好きな人もいれば、文章を書かない臨床家もいるというような趣旨のことを書かれてました(文章を書かない臨床家を非難しているという文脈ではなくて。
北山「精神分析理論と臨床」でも、自分以上に素晴らしい臨床の人はいくらでもいると書かれてました。)。こういった趣旨でその編集後記も書かれていたのかもしれないですね。臨床という貴重な個々の経験を発表して欲しいという意味で。
匿名の掲示板で個人名を挙げるのはどうかとも思ったんですが、大御所かとも思うのでいいかなという甘えで名前を使わせてもらいました。以下の名前も。
>>63 の続き
ラカンについては、精神分析のテキストを読む前からフロイトとラカンだけは知っていた・読みかじったことがあったので気になったんですが、
個人的な印象ではラカン等はそのテキストがいい意味で纏まりがないせいもあって、なかなかラカンのテキストが参照されにくい、又は扱いにくいのかなと思ったりしました。
>>59 での質問@とAは合わせて一つのような質問というか感想だったんですが、[雑誌].精神分析研究の編集にラカンについての著作もある新宮一成さんの名前を見つけたりして、雑誌としのある傾向とかいうのはなく、
広く日本の精神分析の状況を反映しているものではないかと思うようになりました。それから、[雑誌].臨床精神医学も分析家の方たちの傾向等もないのかもしれません。
>>60 さんで買いかぶりすぎているレスをもらって恐れ入りますという感じです。インターネット等で様々な方と遭遇する機会を持ったのがきっかけで、
精神分析にそれまでよりも一歩踏み込む形で関心を持つようになったばかりです。これから身近にあるものから時間の合間に色々なテキストを読もうかと思っているところです。
>>62 一番いいいのは後期のフロイト著作集を読む事だがw
死の本能を分析的な視点で推し進めたのはKleinじゃないかな。
あと、ポストクライニアンであるBionもSchizophreniaにおける死の本能を言及していたと思うよ。
特に羨望という概念は死の本能にかなりリンクしていたと思うが。
>>59 精神分析研究の執筆(依頼かな?)基準はよく分からないけど、ま、大御所だね。
あと若手はどうしても症例中心になってしまうし、ある程度症例をこなしている実績が
いるのかな?このあたりは推測でよく分かりません。
臨床精神医学は精神医学関係全般。ていうか、分析関係の特集や論文多かったかな?
生物学的精神医学関係はよくみるが。
>>64 うーん、ラカンの臨床への応用は精神分析や力動的精神療法というより精神病理のほうで語られている
印象がありまつ。
対象関係論のオグデンは著作でラカンの考察をしているし、精神病水準の無意識の理解は凄いみたいだけど
漏れ自身の理解が及ばないなw。
非常に個人的な印象では、無意識を無意識のまま考察・理論化するという事が多いみたいで
無意識を意識のもとに引きずり出すwという部分があまり話題にならないような
(極めて限られた知人との話しでつが)。
68 :
没個性化されたレス↓ :04/07/27 22:43
しどうage.
69 :
没個性化されたレス↓ :04/07/28 00:09
聞きたいことがあります。今私は、鬱病で悩んでます。 16歳から今20歳の四年間くるしいです。まったく同じとはいいません! 同じような悩みもった人いますか?詳しくはここでは、書くの悪ので このへんで・・・
心理臨床において、共感と解釈は互いに独立した対応なのでしょうか? 従来は、共感とは、感情や感覚的に相手のことをあたかもその人が感じるように 了解することを意味し、解釈はセラピストやカウンセラーが自らの枠組みに沿って 理解や思考をクライエントに与えるもの・・・と捉えられてきたと聞きます。 しかし、成田先生が共感と解釈は相互に独立したものではなく、互いに補完しあう もの・・・という意味合いのことを言われていて、これには私も了解できるものが あります。 分析プロパーの方の、共感と解釈の意味合いなどはどんな様相になっているのか ご教示いただけたらと思います。
>71 横(斜め?)レスです。 補完でなく、共感と一致する解釈(共感から生まれる解釈)というのも、ありますね。
成田先生は分析プロパーではないけれど、精神分析的な精神療法に造詣が深いでつね。 実際に教育分析などはおそらく受けておられないと思うんだけど、真摯な精神療法が 行なえるのは、やはり本人の資質によるところが大きいのでせうかね。 学派に属していないという点も、ドグマチックにならない利点なのかも。
折れも横or斜めレスw。 一般的な精神科医が患者さんに共感を行なうのは、相当な無理を承知で行なわなければ ならない・・・ということも言えるのかも。
>>71 お断りしておくと、私は「分析プロパー」ではありませんし、成田先生の影響を受けています。
「共感と解釈は互いに独立した存在ではない」のは、当たり前のことだと思うのです。まず解釈
を行い、解釈を受け入れる治療関係が成立するには、共感が必要でしょう。そして72さんのおっ
しゃるように、共感から生まれる解釈ということもあります。
的を射た解釈ができた時には、クライエントには「治療者に理解してもらえた」と言う感覚が、
治療者には「クライエントを理解できた」感覚が生まれるでしょう。解釈によって、共感が深ま
って、ともに心の内を探求する動機づけになっていくのだと思います。
精神分析の学派で共感を大々的に取り上げているのは自己心理学ですが、実はどの学派であろう
と、よき臨床家は共感と解釈を両立させてきたのではないか、と私は思うのです。たとえばクラ
イニアンは一方的に解釈を与え続けるように捉えられがちです。もしクライエントに共感するこ
となく、心の奥を暴き立てるような臨床であったとしたら、とてもではないが世間に根づいてい
くことは難しいと思います。
ユング研究所にいた河合先生が、ロジャーズ派が全盛だったアメリカに渡ることになってビビッ
ていたそうです。「ロジャーズに反対することは、何一つない。しかし我々としては、彼の言っ
ていることだけでは、不足があるんだ」と言われて落ち着いた、というエピソードを思い出しま
した。
>>71 このタイトルそのもので松木先生が本だしてなかったかな?
漏れ的には、無意識を明らかにしてその痛みを共有し、はじめて共感ができるように
思う。また、その痛みに耐えながら(てか、意識に上ると辛いから無意識にあるという前提だが)
吟味していく作業はTh.の共感がないと辛すぎてできないような気がします。
共感的理解ということかな?心的現実を明らかにしていく際にしみじみとその過酷な世界
にいる痛みをTh.の中に体験できるというのは理解なくしてありえないと思うし、それをしないと
Cl.側に理解された感じが伝わらないんじゃないかなと思います。解釈はきっとその無意識
バージョンではないかなと一人想いを巡らせてみたリ・・。
共感はきわめて定義があいまいな用語です。 意識の水準の体験に共感しているだけでは 精神分析的なものにはならないのは明らかです。 それに共感が成立しているかどうかは、原理的に、 相手があることなんで、その瞬間にはセラピストにとって わからないことだといえましょう。 だからあまり共感によりかかるのは危険かも。 精神分析的な実践をきちんとやっていれば、 結果的にそういう事態は生じるでしょうが。
門外漢ですが、ぱらぱら本をみてる時に目にとまったのでレスを(
>>72-77 の各レスで既に書かれていることですが)。
松木 邦裕「分析臨床での発見―転移・解釈・罪悪感」(2002),p72-84
っで、
ウィニコット・ビオンのホールディング、持ちこたえることなどに言及しながら、意識・無意識は論者によっていろいろだという断りの上で、意識への共感、無意識への共感(解釈?)について書かれてました。
後半の方で、逆転移の中での共感は分析家自身の不安を安心させ、自らの欲動充足になる場合もあるっというような感じのことも述べられてました。
手元に本がなく簡単なメモで書いたので、本の方ではもちろんの事としてもっと話の段階を踏んで丁寧に書かれています。
それから上記の本は読みやすく広く精神医療に関わる方に向けて書かれている印象を持ちました。
>>67 さんのレスで、精神病理にも目が行くようになりました。精神分析とはまた一味違い自分の視野が少し複眼的になりました。
79 :
没個性化されたレス↓ :04/08/08 02:26
欲しい
80 :
没個性化されたレス↓ :04/08/08 20:22
女性同性愛は基本的に母子関係の再現であると云う考え方は1つの基本であると思われますが、これ以外に臨床上役に立ちそうな説明はあるのでしょうか? 自分は海外で臨床しているFreud派の人間であり、余り詳しいことは書けませんが、最近は馴染みの薄い女性同性愛患者を多数抱えるようになっております関係で、先生方に御教示願えると思います。 尚、J Am Psychoanal Assoc.1998;46(2):471-506に書いてあることを熟読済みですので、それ以外の内容でFreud派もしくはKlein派の枠内に有益そうな理論等ありましたら宜しく御願いします。
>>80 釈迦に説法かもしれませんがw、フロイトの「性に関する3つの論文」にある程度理論化されていたような気がします。
Klein派はわかんないですねぇ。ただ女性の同性愛に関しては性の目標に関する「同一性」ということで、自我心理学
では話題になってませんか?
いわゆる発達課題の思春期心性である同性愛傾向が残存していると漏れは考えています。
すなわち同性愛傾向によって取り入れを行い女性性という「同一性」を獲得した上で異性愛に転じる
過程で停滞していると漏れは考えています。このあたり、牛島先生の「思春期の対象関係論」(金剛出版)や
「対象関係論的精神療法」にのっていたような(うろ覚えですが)。
82 :
没個性化されたレス↓ :04/08/09 01:34
>>81 御教示有難うございました。云われてみれば、当該の2冊には、特にそれらの前半部分にはそれらしい話が出ていたように思います。
又、この問題の「臨床」に関しましてはJournal of Melanie Klein and Object Relationsを一通り読んでみましても残念ながら余り役には立ちませんでしたが、
Klein派に属する同僚たちは女性同性愛をenvyとgratitudeの問題、或いは防衛の問題として見る傾向を持っているようです。いずれにしましても、
一応Freud右派として臨床に携わっている自分はAbraham→Jones→Deutschと云う古典保守的流れを最尊重しがちなのですが、臨床数の増加に伴い、
多種多様な理論をも取り入れざるをえない状況に置かれているようです。。。いずれにしても、この度は有難うございました。
尚、この問題に関しましては、少なくとも自分の場合ですとB.Bursh著「Other Women:Lesbian/Bisexual Experience and Psychoanalytic Views of Women」や
J.M.Glassgold、S.Iasenza篇「Lesbians and Psychoanalysis:Revolutions in Theory and Practice」と云った書物は上記Journal同様に読み物としては上質ながらも
臨床的にはイマイチだったのですが、当該問題を臨床面から扱った精神分析の専門書と云うものは何かありますでしょうか?
>>78 の紹介ページのほかに、
>松木 邦裕「分析臨床での発見―転移・解釈・罪悪感」(2002)
のなかの、支持についての論文を読みました。
精神分析や精神分析的心理療法で、ダイジョウブといった保証やそれでいいと言った支持(同意)をしないというのは、よく分かる。
でも、力動的心理療法では、どうですか?やっぱり、やりませんか?
>>83 おそレスだがw
>力動的心理療法では、どうですか?
やってしまう事があるよな〜w。これは確か成田先生も「ついつい」やってしまうという事を書いてらしたような。
Mastersonの来日口演の時に、この事をBPDにいってMastersonから「直面化するべきだ」と言う事を言われていたような。
この「保証」に関しては内因性のうつ病では逆に「やらないといけない」精神療法だから、切り替えが難しいよね。
>>84 そうですね、内因性のうつの方は保証が必要だと思います。「大丈夫」と保証してお
いて、「だから一過性の症状に踊らされて自殺をしないでね」と念を押すこともでき
ますしね。こういうの、何て言うんでしょう。寝技でしょうか、腹芸でしょうか。
成田先生は強迫の人には、「治療の初期のうちは、治療者が保証係のようになっても
致し方ない」と書かれていたように思います。私は話が粘っこくて不安が強い強迫の
人には、ためらわずに保証しています。同じことを二度、三度と言われても、初めて
聴くような顔をして保証します。5,6回目の保証で、「これで納めましょうか」と
提案してみます。
強迫でも不安が深刻ではなく、思考と現実の境界があいまいなために強迫が脅威にな
ることを認識できるような人が相手なら、簡単に保証係にはならないと思います。
うつから強迫の話になってしまいました。
>>85 >こういうの、何て言うんでしょう。寝技でしょうか、腹芸でしょうか。
いえ、K原先生の精神療法じゃないですか?w
ちと、内因性うつ病に対する自殺しない事への誓約がなぜBPDには無効なのか考えてみました。
いわゆる内因性うつ病の分析的理解である「超自我的な攻撃」、これは基本的に肥大した超自我
が存在すると考えると、ある種の約束・決まりごとは「守らないわけにはいかない」という超自我の
構成要素になるのではないかと思います。
で、人格障害の抑うつはある種の迫害的対象からの攻撃、もっというならば特定の表象(それは
無意識の母親であったり投影されたbad self object)からの攻撃であって、超自我から
離れた(分化した?)対象であり、その点では超自我と契約を結ぶ事ができないのかな
(約束の重みが衝動行為の制御にならない)とも思います。
いかがでしょうか?
>>86 B級な発想で申し訳ないのですが、BPDでは「自殺しない事への誓約」そのもの
があり得ないように思います。彼らはちょっと休みたいとか、何も感じたくないと
か、振り向いて欲しいとかで、自傷やODをしますが、「自殺しよう」と言う気で
やるのは、割合としては少ないですよね。
それに加えて自他の境界がゆるんでいて、対象も自己対象も不安定なので、「約束」
という行為自体も成り立たないのではないかと思います。
内因性うつの方には約束をしていただけますが、BPDの方にはこちらから一方的に
「お願い」をするのが関の山のように思います。その「お願い」も「自殺権」をとう
とうと述べられて一蹴されたりもするのですが……。
次のような場面で、なにを思い、どう応えますか? 状況)自殺未遂の女子高校生、再び自殺の可能性があり、母親と共に来談、面接を開始。 毎週一回、一人で通ってくるが、自分の為という意識はなく、 親を一応、安心させる為だと言っている。3回目の面接。 「別に理由はないんです。ただ生きていても仕方ないから・・・別に変わりありません。 私が死んだからと言って、両親が少し悲しむだけで・・・それも一時的なものでしょう。 生きてても、死んでも、別に変わりはないし、生きる理由も死ぬ理由も別にありません。 普通はみんな、それで、生きる方を選ぶのですが、私は死の方を選んだの。ただそれだけです」 『カウンセラーのための応答構成−訓練プログラム−』小谷英文著 1981
>>88 レスつかないから怖いなw
漏れなら
「生きる事や死ぬ事に関して淡々として、他人事みたいだねしているね。そのあたりの気持ちみたいなものが
生き生きと感じ取れないんだけどどうしたんだろうね」
かな?
要は、生死という問題に関して「元来なら情緒的に大きな問題であるはずの部分」が情緒的で無い事、
恐らく分裂機制だと思うのですが、そこの部分のとりあえず直面化し、最終的には自殺企図直前の
空想(FのFantasy)の言語化を目指します。
ま、「両親が少し悲しむだけで・・・それも一時的なもの」というのも空想ですから、これの解釈は
恐らくずっと後になるかと思われ。
90 :
没個性化されたレス↓ :04/08/29 05:51
>>88 まず治療者は患者が自殺しようとする事を恐れて、時間外に様子見の電話を掛けたり、
治療中に二度と自殺をしない事を約束させたり、具合が悪くなったらすぐ連絡するよう
強制したりしない。
自殺は間違いなく具体的な誰かに対する復讐であるから、「別に理由はない」という
言葉の裏に隠された患者の本当の心理を掴まなければならない。
まだ患者は治療者に心を開いていない(陽性感情転移を起こしていない)と思われ、
解釈を受け入れる準備ができていないと思われる。
患者に自殺をエサとした治療場面のコントロールを許さない一方で、なかなか本当の
気持ちを話そうとしない患者に腹を立てず、じっくりと時を待つべきである。しかし、
面接中も神経を張り巡らし、患者の言葉に軽々しく相づちを打つだけで打っちゃって
しまうと患者が自分が疎外されていると思うので、懇切丁寧に返事をする事。
オリンピックでお休みかと思ってましたが、ネタ振りありがとうございました。 「毎週1回、一人で通ってくる」のが続いて3回目と言うことは、この患者さんは 自分を何とかしたいと思っているはず、です。本当に「ただそれだけ」だったら、 面接にくる必要もないし、さっさと自殺すれば良いのでしょうから。人のホンネは 言うことよりも、やることにに表れるものです。 「親のため」などと言っておりますが、「自分のために通う」とは言えない何かを 抱えていると見た方が良いのでしょうね。なので治療者に心を開きつつある人なの ですが、そこはしばらく見て見ぬ振りをして、「そうか、親を安心させるために通 ってるんだね」という感じで話を聴いていれば良いのではないでしょうか。 Reverieさんの「生きる事や……」は、私も言いたいことなんですが、ちと早いのか もしれないな、と思うのですが……。
92 :
没個性化されたレス↓ :04/08/30 12:40
患者にまだ解釈を受け入れる準備が出来ていないうちに早すぎる解釈を 押しつけたり、直面化を行うと、患者は強い抵抗を示し、治療者との権力抗争 に巻き込まれる可能性が大きい。 本来ならば患者のための治療のはずが、治療者のまだ未解決な未分化の 感情が逆転移の原因となる治療者の自己主張の場になり、その気持ちを無意識 に感じ取ってしまう患者は実際に自殺してしまったり、反対にますます殻に閉じこ もり、スーパーヴァイザーのお世話にならなければならないか、治療が中断したりする。 早すぎる介入は危険。かと行って解釈のタイミングを逃すのもいけない。貴重なな時間 と患者の治療費を無駄にする。
こういうところで臨床の具体的議論をするばか。 小谷のけっこう馬鹿だが。
かわずさん(
>>91 )と
>>92 氏から「介入が早過ぎる」というコメントを頂いたので
ちと思う事をかいてみます。
かわずさん
>「そうか、親を安心させるために通ってるんだね」
恐らくこの言葉は、初回面接時なら伝えていると思います。この言葉自体の意味は、「共感」と同時に
Cl.自身の(表面的ではあるが)内的・心的探求を肯定的にTh.がとらえているというメッセージでも
ありますので、今後のセッションおよびセッションの継続に関して大きな原動力になる言葉かな
と思います。
ただし、お題の『毎週一回、一人で通ってくるが、自分の為という意識はなく、
親を一応、安心させる為だと言っている』は、セッションの脈絡の中で、少なくとも「生きていても仕方無い」
という話しよりもちょっと前の(恐らく初回や2回目の)セッションで出た言葉ではないかと思いました。
その為、「別に理由は〜」の下りで、恐らく「親の為なんだね」という返し方はコンテキストから少し離れた
印象がしたので漏れはあんまり考えませんでした。
続きます。
>>92 >早すぎる解釈を押しつけたり、直面化を行うと、患者は強い抵抗を示し、
>治療者との権力抗争に巻き込まれる可能性が大きい。
「早過ぎる解釈は抵抗を呼ぶ」という鉄則ですね。ただし、少なくとも漏れは解釈はしていませんし、
ここでCl.が持ち出してきた「生死」の問題に関して介入しない方が反治療的だと考えます。
状況的にこの話題が3回目のセッションで出てきた事が重要ではないかと。
すなわちCl.の前意識・無意識のレベルで「あなた(Th.)は、私の生死の問題をいっしょに
考える事ができますか?」というCl.側からのテスティングであるように思えます。
恐らくこの生死観についてのひやひやとしたやりとり(通常のTh.の感覚だとですが)は、おいそれ
と誰にでも相談できる話題ではない可能性が高いのでセッションの場所が「自由に何でも話せる
場所である事」を示すスタンスが大事だと思っています。
漏れ自身は
>>92 氏の「自殺は復讐である」というモデルは、無意識ではそうかもしれませんが
ここではCl.理解として応用するのが難しく、どちらかというと「究極のSplit Off」というモデルの
方がすっきりします。「何も感じたく無い」「意識したく無い」という全てを意識化からシャットアウトしている状態と、
それを完全にできる状態の自殺という方法、この二つがフラクタルな構造を取っているように思えました
(と、神田橋先生かぶれな言いかたをしてみますw)。
結局、漏れがここでやっていることは意識化させる事を拒否するという「抵抗」に対する介入を意図しています。
描画とか箱庭とかって、内的体験が映し出されますよね。 だから、描画や箱庭には、クライエントを内的体験に直面させる機能があります。映し出しても、内的体験から距離をとって眺めることができないクライエントには、 侵襲的になると思うのだけど、皆さんは、どんなことをその辺りを見立てる指標に使っておられますか? 別スレに書き込みましたが、レスがつかないので、こちらに書かせていただきました。 言語的な関わりのみでない専門家および専門家候補生の方、よろしくお願いいたします。
>>97 >映し出しても、内的体験から距離をとって眺めることができないクライエント
には、侵襲的になると思うのだけど
これは、必ずしもそうとは言えないと思います。その内的体験が自我親和的にな
っているような場合(どっぷり病気につかって平気になっているような場合)は、
侵襲的にはならないでしょう。
箱庭や描画はやれば良いというものではなくて、導入に見立てが必要であるとい
うことは、その通りだと思います。ただそれは言語面接と本質的に異なるもので
はなくて、例えば病的な体験をあれこれ聞いてほじくり出して具合を悪くしない
ように気をつけるのと同じことでしょう。
あえて「指標」を挙げれば、現実検討が精神病レベルまで落ち込んでいるかどうか、
ファンタジーが迫害的な内容に満ちているかどうか、ということになるかもしれま
せん。
>98 ご意見、ありがとうございました。 返すものがなくて、すみません。
100 :
没個性化されたレス↓ :04/09/21 15:51:28
100。 指導age。
素朴な質問です。 精神分析学会と、精神分析協会は異なる組織なのでしょうか?
102 :
没個性化されたレス↓ :04/09/22 08:12:12
異なる組織です。 精神分析学会は精神分析学会という名前は国際的には不適切で、 「日本力動的心理療法学会」みたいなものです。 大学卒で2人推薦があれば入れる同好会みたいなもの。 会員2000人。 日本精神分析協会は国際精神分析学会IPAに加盟しており、 分析家資格を持っている人だけが会員です。 30人ほど。
精神分析家もしくはその訓練生のいる大学への進学を考えています。 そこで質問です。 生地新先生は、上記のどちらかでしょうか?
104 :
没個性化されたレス↓ :04/09/24 22:23:15
生地先生はどちらでもない。 彼は協会の定める「精神分析的精神療法家」だと思う。 精神分析家で心理系の大学院にいる教員は、 狩野、北山、狩野、藤山ではないか。 IPAでないところの分析家としては、 たたら、一丸もそうだろう。
今年の精神分析学会の目玉は、何でしょうか?
>104 ご親切に、ご回答ありがとうございます。 >協会の定める「精神分析的精神療法家」 精神分析家およびその訓練生のほかに、上記の認定もあるのですね。知りませんでした。どのような規定により、認定されるのでしょうか? 世にいう分析的精神療法家は、多くいると思うのです。 けれど、大学・大学院で教わる程度にせよ、 精神分析という営み(臨床行為)にコミットしている方に教えていただきたいと思っています。
107 :
104 :04/09/25 09:13:48
>>106 104は、狩野、北山、乾、藤山の誤りでした。
「精神分析的精神療法家」は、
週1回のカウチによる分析的精神療法を協会の訓練分析家に受けた
分析的な治療者を協会が認定定しているものだと思います。
>107 ご回答ありがとうございました。
質問ばかりですみません。 協会に属する精神分析家およびその訓練生と精神分析的精神療法家は、公表されていないのでしょうか?
110 :
没個性化されたレス↓ :04/09/26 19:29:29
公表、って?
ヤッターマン・コーヒー・ライター
岩崎の「学術通信76」の巻頭にに、北山先生のエッセイが載ってますね。 日本の精神分析の現状など取り上げられていて、必見だと思います。
>>109 協会内部にはもちろん名簿があり、
会員に配布されていると思います。
どこの学会でもおなじでしょう。
会員はIPAの名簿にも載っています。
今年中に協会のHPができると聞きます。
それに分析家のリストが載るかもしれません。
たとえばアメリカのAPsaAではHPから
会員(分析家)のメールアドレスが入手できます。
メールアドレスを載せていないひとがいますが。
>113 ご回答ありがとうございました。
初学者です。 スレ中にウィニコットやビオンの名前は良く出てくるのに、 ラカンが出てこないのは何故でしょうか。 現代思想では未だ頻繁に出てくる名前なのですが。
>>115 クラインとラカンは確かに交流が盛んだったと記憶しています。
が、ラカンは少なくとも漏れにとっては難しいです(理解も臨床応用も)。
私見ですが、ビオンもかなり哲学的ですが、投影性同一視による
妄想の形成や排泄などは精神病水準の患者さんの臨床をやっている時にぴたっと来る
感覚があります。
有難う御座いました。 もう一つ質問お願いします。 解離性同一障害や解離性遁走、解離性健忘に対して どのように解釈や臨床応用をしているのでしょうか。 そもそも「解離」と「抑圧」は関連性は有るものの、 別の概念であると言う解釈をしています。 ちなみに初学者ですが精神医学の人間でも現代思想の人間でもありません。 半分趣味で深入りしている人間です。^^;
>>117 難しい質問ですが、
一ついえるのはある特定の疾患群に対して定型的な解釈(というか公式化)をするのは
難しいかと。解離性障害はあくまで疾患単位ですからその裏にあるPersonalityに対して
どのようにアプローチしていくかでしょう。
あんまり質問の答えになって無いですが(汗)
>>115 初学者だとおっしゃるのでラカンについて追加。
ラカンはフロイト直系の団体であるIPA国際精神分析学会を
ある意味では追放されました。
彼は訓練分析を規程より短い時間のセッションでやっていたので、
パリ協会は彼を訓練分析家として認めつづけるなら
IPAから離れるしかない、とIPAからいわれて、
彼を除名し、彼は分析家資格を失いました。
ウィニコットを団長とする調査委員会がIPAからきて、
6年の討論の末、そのような決定がパリ協会に伝えられたのです。
あと、ラカンがクラインの本の翻訳をほったらかしにしてしまったため、
クラインはラカンをその後相手にしなくなりました。
理論的にはあるところ本質的に共通しているクライン派とラカンは、
そうした事情からつながりを失ったといえます。
ラカンは精神分析メインストリームからは90年代まで、
ほとんど言及されなかったのです。
ラカンはフロイトの後期理論、とくに自我心理学的方向を 攻撃しました。 というより、20年代以降のフロイトをあまり認めませんでした。 葛藤外の自律自我という予定調和的実体の想定を、 きわめて非精神分析的なものと考えたのです。 ラカンにとってそのような読み方は、 フロイトの誤読なのです。 自我心理学はクライン派とラカンにとって共通の敵、 という側面をもっていました。
Reverie氏、119氏有難う御座います。 ちなみにもう一つ立場を明かすなら「生物・化学」の人間です。 言葉の誤用やディスコミュニケーションの場合はご容赦ください。 追加の質問があるのでお願い致します。 1:「解離」と「抑圧」に関連性はないのでしょうか。 精神分析的心理療法家と言う立場を離れ、 精神分析を学んだ一個人としてはどのようにお考えでしょうか。 >>解離性障害はあくまで疾患単位ですからその裏にあるPersonalityに対して >>どのようにアプローチしていくかでしょう。 話しを「二重人格」に限定します。 この場合、Personalityは「二つある」ということになり、 「患者の中の二人格を繋げるもの」はあっても「裏」は無いのではないのでしょうか? 2:ラカン派のスラヴォイ・ジジェク氏や日本でもラカンを学んだ斎藤環氏が 現代思想や社会現象に首を突っ込んでますが、 そのような人たちをどのように見ていますか? 3:「葛藤外の自律自我という予定調和的実体の想定」をもう少し具体的にお願いいたします。 わかりません^^; ちなみに現代思想では「ラカン=フロイト」という読まれ方をされているようです。 言語学やフランス思想を含んでおり、社会学や哲学に応用されているみたいです。 更に「解離」の現象を理解ためにジャネを再考するという動きもあるようです。 ソースは斎藤環「解離のポップ・スキル(けい草書房)」です。
4:上記の斎藤環氏は精神疾患を伴わない「社会的引きこもり」の治療をされていますが、 精神疾患を伴わない方にも精神分析的心理療法は有効なのか? 5:小此木啓吾先生(本はかなり読みました)が亡くなられた今、 日本における精神分析はどのようになっているのでしょうか。 6:コフート以降、自我心理学的方向から自己心理学的方向へと移行した(間違っていたらすみません)、 と聞きますがそれ以降はどのようになっているのでしょうか? スターンやストロロウという名前と簡単な考え方は知っているのですが。 7:治療においての「自己分析」の有効性は? 臨床とは全く離れてしまいました。すみません・・・^^;
>>121 ヘヴィーな質問ですねw。
分かる範囲でお答えします(あってるかどうか知りませんよ(汗))
>1:「解離」と「抑圧」に関連性
いわゆる内的葛藤状況では、必ず「不快な事象」というのがありますね。で、防衛機制によりこれが「想い浮かばない」ように
します。これがいわゆる「抑圧」です。で、この時この事象にまつわる自我の一部(多くは情動(快・不快など))が同時に思い
浮かばないように、すなわち無意識に押し込められます。と、どうなるかというとある種の情動が欠落した状態が出現します。
いわゆる離人症といわれる解離症状ですね。このうち生活史という記憶が無意識にシフトすると解離性健忘、特定の人格の
一部が無意識に押し込められると解離性同一性障害となるように考えます(コモンセンスは得られてないと思いますよ(笑))
ただし、自我の一部を分割して無意識に押し込めるやり方は抑圧というより「分裂機制」に近いと思います。
>2:ラカン派のスラヴォイ・ジジェク氏や日本でもラカンを学んだ斎藤環氏
斎藤先生に関しては読み物として面白いかとw
>3:「葛藤外の自律自我という予定調和的実体の想定」
同じく、分かりません(汗
>>122 >4:上記の斎藤環氏は精神疾患を伴わない「社会的引きこもり」
「精神疾患」が厳密に何をさすかという問題もありますが、ここでは「精神病」を伴わない
とします。その脈絡だと精神分析的精神療法は適応になると思います。ただし、本人の
動機も大事ですが。多くはなんらかの違和感や抑うつ症状、希望のなさなど抱えていると
思いますよ。
>5:小此木啓吾先生(本はかなり読みました)が亡くなられた今、日本における精神分析
これは今後を見守るしかないのでは?お弟子さんもたくさん育てられた方ですし。
>6:コフート以降、自我心理学的方向から自己心理学的方向へと移行
これも詳しくはないのですが丸田先生は間主観的感性にシフトされてますね。
解釈の妥当性を精神療法の文脈に沿っているかどうかという点から評価されていますよね。
>7:治療においての「自己分析」の有効性は?
あると思いますよ。ただ自己分析では限界があるのでスーパーバイザーや教育分析の重要性が
叫ばれていますね。ま、フロイトも自己分析からあの理論を作り上げたわけですから。
斉藤環は単にディレタッタント。とくに訓練をうけたわけではない。 齋藤氏は私の知る限り、まったく精神分析実践をしていません。 精神分析とはあまり関係のない人かと。 自己心理学はアメリカの局地的流行のようにおもいます。 硬直した自我心理学の反動です。 自我心理学よりももっとたちのわるい、 精神分析ではないものである可能性があるようです。 葛藤外の自律自我、という発想は、自我心理学のものです。 知る機能、考える機能こそが精神分析のもっとも中心的達成課題なのに、 そのことをすっとばしている考え方です。
小此木先生は誰の訓練分析もしなかった(できなかった) 訓練分析家として、今後も語り継がれるでしょう。
U先生もあんまり教育分析に熱心じゃなかった、ような気がしまつ。
Uってだれ。牛島? もしそうなら当然。訓練を受けてないから。
先日の分析学会に行かれた方、報告ヨロシコです。
130 :
没個性化されたレス↓ :04/11/01 14:16:32
指導age。
浦島さんが来なくなって、カキコが少なくなりましたねえ。 どなたか、話題提供をプリーズ。
132 :
没個性化されたレス↓ :04/11/01 21:49:39
マリリソの「精神分析講座」が明日からはじまります
分析学会では森さち子の発表に福本氏が討論したのが面白かった。 ようするに森氏の治療が精神分析以前の 転移概念のない「思い出せばいい」治療なのだ、 ということを福本氏は穏やかにしかし明確に言ってたな。
134 :
没個性化されたレス↓ :04/11/14 18:54:03
十川幸司すごい面白いよね。 『精神分析への抵抗』を読んで興奮した。 他にもお勧めの研究書があれば教えてちょ。
>>134 前スレで紹介されてた本ですね。
どんな所が面白かったですか?
136 :
134 :04/11/15 09:15:16
>>135 ラカン理論の紹介にとどまらず、その限界を明確に指摘したところ。
とりわけ、科学をめぐるラカンとフロイトの考え方の違いを明確に指摘したところ。
>>136 サンクスです。
今度、手にしてみようと思います。
138 :
没個性化されたレス↓ :04/11/16 01:17:43
ただ彼はどこでどういう実践をしているのですか。医者ではあるらしいけど。 誰かごぞんじですか。
139 :
没個性化されたレス↓ :04/11/16 01:40:15
140 :
没個性化されたレス↓ :04/11/26 07:59:12
現在神経症で悩んでいる者です。 結局、精神分析で神経症は治るのでしょうか?
もちろん治りません。悪化するか誘導されるだけでしょう。がんばれ。
そうですか。 このスレみたら専門用語だらけだったので 治るかなと思った次第です。
>>142 神経症が、精神分析でよくなるかどうかは、一概には言えないと思います。
もし、現在どこかの病院や相談所で、治療なり面接を受けておられるなら、
あなたが抱えている疑問や心配を、直接相談されてみたらどうでしょうか?
まだどこにも行かれていないならば、お近くの保健所や精神保健福祉センターに
相談されてみて、ご自身の状態に見合った病院、クリニック、カウンセリング・ルーム
等を紹介してもらうという方法もあるかと思います。
健闘をお祈りします。
144 :
没個性化されたレス↓ :04/11/27 01:04:18
ありがとうございます。 精神科には一度いったのですが、やめました。 というのも昔、赤面症を患ってた時期がありましたが、 気にしないでいたら、いつの間にか治ってしまいました。 そんなこともあり通院は症状に対する意識を強めるだけだと判断し、やめました。 ただ今かかってる症状は人に影響を与えてしまう神経症で なかなか症状を忘れることができず、精神分析してみようと思った次第です。 長々とすいません。
145 :
没個性化されたレス↓ :04/11/28 16:11:27
自殺願望の強いクライアントが、先日夢を見たと。 自分が自殺をした後に、真っ暗で何も見えない状態で 自分の意識は存続していたと。 もし、死んだら誰もいない何もない空間で一人 意識を保ちつづけなけれならないとすればこんな恐ろしいことはない。 こんな風に訴えてきていて 自分はどう対処すればよいか判断しかねたのですが 皆さんはどう思われますか?
スーパーバイザーがいるなら、その人に相談する。 または、自分よりも優れたセラピストを紹介する。
>>145 力動的な心理療法なら「この夢からどんなことを感じますか?」
と、夢を主題として連想させるやり方もあるよね。
ま、夢の象徴的な解釈はセラピストの中だけって事が安全かな?
148 :
没個性化されたレス↓ :04/11/29 12:56:36
ナルホド
149 :
没個性化されたレス↓ :04/12/03 14:43:15
■Q■ 岸田さんに質問します。岸田さんが学歴および精神分析の資格を30年以上にわたって詐称している理由を教えていただけますか? From 岸田秀 at 2004 11/25 00:08 精神分析を何か特別に修得しなければならないような技術とか理論とか思うのは間違いだと思います。精神分析をそのようなものに見せ掛けようとしている奴がいますが、インチキ野郎です。 精神分析で説かれいるような心理的メカニズムはすべて昔からの諺などでさんざん言われていることです。 「下司の勘ぐり」(投影)、「岡目八目」(無意識は他者に見える)、「朱に交われば赤くなる」(同一視)、「勝手つんぼ」(抑圧)、「怪物と戦う者は怪物になる」(攻撃者との同一視)、など、など。 精神分析は昔から誰でも知っているようなありふれたことしか言っていないのです。
150 :
没個性化されたレス↓ :04/12/06 09:15:55
ときに、最近浦島さんはどうしてるかなあ。 ななしさんでもいいから、現れてくれないかな。
152 :
没個性化されたレス↓ :04/12/07 01:39:12
153 :
没個性化されたレス↓ :04/12/07 10:20:38
>>152 こんなもんがあったとは知らんかったよ。
154 :
没個性化されたレス↓ :04/12/07 17:28:45
それじゃだめだわ
155 :
没個性化されたレス↓ :04/12/07 18:59:54
だってできたの12月1日だし。
156 :
没個性化されたレス↓ :04/12/08 06:42:29
自分が知らんとからって・・・・・・
157 :
没個性化されたレス↓ :04/12/08 10:30:27
このホームページ、まだ知っている人は少数と思われ。 12月1日に立ち上がったばかり。 ググッても出てこない。152はインサイダーだろう。
これでIPA会員の日本人分析家が分かった。
159 :
没個性化されたレス↓ :04/12/12 15:19:32
あのぉ〜、質問があるんですけどぉ〜。よろしいでしょうかぁ〜。 精神分析家の中には、クライン・ラカン・ビオンのように攻撃性を 一次的本能であると考える人たちと、ウィニコット等のように攻撃性を 二次的本能と考える人たちと意見が分かれてるみたいですけど・・。 ここにおられる先生方は、この点についてどのようにお考えでしょうか? 臨床的有用性というよりは、人間存在の真実という観点からのご返答を 期待したいのでありますが・・。 わたくしケンジはもちろん、フロイド先生の師の本能説、もとい、死の 本能説を半信半疑で疑っております・・。
160 :
没個性化されたレス↓ :04/12/12 16:29:54
フロイトの観念論としてそうなるってだけで 臨床の積み上げからの結論ではなく、 フロイト大先生の頭の中での思弁的空論では
検事君、性悪説を信ぜずに君は仕事ができるかね?
162 :
159 :04/12/12 22:37:46
>160 フロイト先生の思弁的空想をなんだかよくわけが分かんないうちに、 クラインが受け継いじゃったって話はよく聞きます。 ラカンもあの人相の悪さだから、なんとなくなっとくがいきます。 でも、あのビオンまでがそう言ってるってのはどういうことかなと? クライン先生の詩の本能を受け継いだということなのでしょうか? それとも、もっと深遠な理由があるのでしょうか? >161 わたくしケンジはうつ病を患っている2浪中の浪人生であり、 仕事はしておりません。
じゃあ、無駄口もするな。糞して寝ろ。また浪人するぞ。
>>162 人の攻撃本能は二次的本能だと認識しています。
人の他者への攻撃性は社会や文化といった面からも
相当な影響を受けていると考えられるから一次的本能説には
同意できません。
165 :
没個性化されたレス↓ :04/12/12 23:53:09
私は破壊性や攻撃性を人間にとって本質的なものと考えない限り、 これほどの人間の殺戮や戦争や残虐の歴史を説明できないように思います。 それと、 クラインとフロイトの死の本能についての考えはかなりニュアンスが違う、 ということをわすれてはなりません。 ウィニコットは「運動性」という形で攻撃的もののオリジンが 生物学的に存在していることにふれています。
まだ、浪人が懲りずにしゃべくってるのか?
ウィニコットが攻撃性を二次的なものと考えたのは、必ずしもサディズム が行動に現れない事があると考えたからではなかったでしょうか。 ウィニコット以外の学者は大抵サディズムが一次的なものであると考え ており、行動に現れ、リビドーそのものだと考えていたはず。
168 :
没個性化されたレス↓ :04/12/13 10:20:25
なるほどなあ、リクツだわあ!
169 :
没個性化されたレス↓ :04/12/13 10:51:52
母の家系に脳障害とか続出。 母の姉も病気、姉の子も死亡したが、 とんでもない病気だった。 うちの母はとにかくすさまじい病気。
170 :
159 :04/12/13 20:15:38
みなさま、レスありがとうございます。なかには、「こんなところでこんな話を聞いてると、持病のうつ病が悪化して、 来年もまた試験に落っこちるぞ!」と、私の事を心配して、厳しくも愛のあるゲキを飛ばして下さった方もおり・・。 攻撃性が一次的本能であるか、二次的本能であるかというのは、ちょっとテーマが大きすぎたようですので、 質問を変えさせて下さい。 フロイトからクラインそしてビオンへと至る「死の本能説」の理論内容の変容の大まかな歴史的推移と、 またそれを証明するような臨床的観察その他について、なにか知っておられる方がおりましたら、 是非、ご教示頂けませんでしょうか? ここには、フロイトは言うに及ばず、クライン派やラカン派にも精通しておられる方が多いようですが、 なにぶん、わたくし浪人憲二は、フロイトやクラインに関しては聞きかじり程度の知識はあるのですが、 ラカンに関しては、さっぱりなにもワカランものでして・・。
171 :
名無しさん :04/12/13 21:55:55
パニック障害の成因を、精神分析もしくは力動的な観点から見ることは可能でしょうか? PDの成因として、生物学的な方面からのアプローチが確かに多いですが。 直接対応した患者さんではないですが、何人かのPDの方が、「見捨てられ不安」などが あることを話されていて、幼少期の母子関係における何らかの関係性障害などがある可能性も あるのかも・・・などと夢想した次第です。
夢想癖は関係ないの?
>>172 パニック発作自体は恐らく症候学的な意味合いが強いかな?
いわゆる神経症圏のパニックは「怒り」の身体化であるという意見があったと思います(ソースは忘れましたが。
ただ、PDは境界例水準でも合併することが多いので一概に言えないように思います。
最近、浦島さんは元気にされてるのだろうか? もうスレには登場しないということだけど。 せっかくの良スレ、どなたか話題提供をおながいします。
無駄、無駄。
177 :
没個性化されたレス↓ :05/01/22 04:13:30
自分は強迫神経症なんですが精神分析療法では やっぱり性的なことを話さないといけないのでしょうか
178 :
没個性化されたレス↓ :05/01/22 18:45:57
逆転移にかんする 苦労話をきてみたい。
あんた、自ら語れそうではないか?
180 :
没個性化されたレス↓ :05/01/22 18:58:04
本とかで、 「いやぁまたクライアントにもてちゃって」的な 記述はよくあるが、 「いやぁまたクライアントにほれちゃって」的な 記述はあまり見たことないような気がして、 陰陽含め。
怪しい
183 :
没個性化されたレス↓ :05/01/26 15:52:05
ふと思ったんですが、精神分析的心理療法と精神分析的精神療法って 同じものですよねぇ?? それと、精神分析的心理療法の長所って何なんでしょうか??
184 :
没個性化されたレス↓ :05/01/26 16:18:09
>精神分析的心理療法と精神分析的精神療法って >同じものですよねぇ?? 基本的にはそのとおり。 医学の文脈では精神療法,心理学の文脈では心理療法が一般的。 日本精神分析協会では 精神分析家が週4回以上の寝椅子自由連想法で行うものに限って「精神分析療法」と呼び, 精神分析家ないし精神分析的精神療法家が週3回以下の頻度で, 多くの場合,椅子にかけた対面法で行うものを「精神分析的精神療法」と呼び分けている。
最近、かわず先生も現れないなあ(´・ω・`)。
186 :
没個性化されたレス↓ :05/01/29 18:35:02
精神分析療法って性的なことも話すんですか?
>>185 マリリソのせいでみんな消えちゃってよ。。。
188 :
没個性化されたレス↓ :05/01/29 19:34:37
同性でも、聞いていることに答えないとされ、クライエントがなじられたり、 逆に、クライエントから訴えられたり、さまざまじゃな。
189 :
没個性化されたレス↓ :05/01/29 21:15:16
>>186 性的なことを話すのが嫌なら
精神分析なんてものに関わらないほうがいい。
>>186 性的なことを話すのに抵抗がある、ということを話せば良いのでは?
何でもかんでも性的願望の抑圧だとか、エディプスだとか言ってたのは、
大昔のことです。
交流分析ってどうよ
192 :
没個性化されたレス↓ :05/03/08 15:08:57
最近、漏れの尊敬する浦島先生、見ないね。世話の焼ける患者に往生してるのかな・・。 このスレも閑散としてるし・・、いっちょ、漏れの教育分析の体験談でも書いてやるか。 終結期間際のこと思い出すね。 それまで、漏れの教育分析家は、分析家の失敗への漏れの正確な批判観察眼を見落としていて、 それをすべて羨望と取る過ちを犯していた。確かに、羨望はもっとも大きい要素だったんだけど、 それだけを繰り返し解釈されてると、子ども扱いされてるみたいで、こっちはどんどん自信なくなってくるんだよね。 こっちは分析家の失敗が見えていることに、無意識的な迫害的罪悪感を感じていて、 その事をはっきり意識化できてない状態だったから。 で、ある時、漏れはそのこと、分析家に言ってみたんだ。相手は、日本でも指折りの精神分析家だからね、漏れも勇気がいったよ。 すると、分析家はそれを認めて、それまでの解釈を一瞬で訂正してきたんだ。 その素早さ、完璧さといったらさ、目が覚めるような出来事だったよ。 今まで、黒一色だったオセロが、一瞬で白に変わっていくような、変わり身のこなし方。 そん時、「あ〜、この人、超一流だな・・」と思った。 (つづく)
193 :
192 :05/03/08 15:10:59
教育分析で、生徒がほんの僅か一部分でも、先生を超えてるってことは、十分ありうることなんだよ。 何故なら、生徒は抑圧された破壊衝動を掛けて、先生に向かっていくのだから。それを忘れちゃいけない。 教育分析は、「騙しの神」と「騙しの小僧」の真剣勝負の場所。 ここでもし先生がこれまでの解釈を訂正できずに、漏れに対して報復的になってたりしたら、漏れは多分、罪悪感で潰れてただろうね。 そう思うと、「この分析家で命拾いしたな・・」って、感慨ひとしお。 そんでそん時ね、これまでボタンの掛け違いから交わらずに平行線をたどっていた解釈の中にある、 美しいまでの完璧さに気が付いたんだ。確かに、それは浪費された無駄な解釈に見えるよね、届いてないんだもん。 でも、そうじゃない、そうじゃないんだよ、少なくとも漏れにとっては。 そこには、一分の狂いも隙も無い、完璧な旋律やメロディーがあることに気づいたんだ。 漏れはあと何年経ったら、こんな風にできるようになるのだろうか・・、と思わずにはいられなかった。 それが、先生が漏れに教えてくれたものなんだよ。 (つづく)
194 :
192 :05/03/08 15:12:33
まあ、不満もないわけじゃない。特に、漏れの生活への指導介入に対してね。 先生は、漏れに浅はかな恋愛を勧めない割には、漏れと先生の間に起こっていた転移解釈に、逃げ腰なところがあったから・・。 でも自分が先生からしてもらったこと、先生から学ばせて貰った事を考えると、不満を口にするのはあまりにも恩知らずではないか。 漏れが昔、尊敬してたある狂人がこんな事言ってたよ。 「教室では先生も生徒もない、どっちがどれだけ学べたかの勝負だろ」って。 その人、ほんと言葉だけはいいことを言う。 漏れも、分析家を目指す以上は、これを単なる教育分析家のミスと取るわけにはいかない。 ただの患者じゃないんだ。返ってすんなりうまくいくよりも良かったと思うよ。漏れにとって、そして多分先生にとっても。 なんたって漏れは、ラカン最強伝説に挑もうっていう程の精神分析オタク(オタクで悪かったな、ムカッ!!)だからね。 先生との教育分析、思い出すだけでも、胸が熱くなるよ。精神的エクスタシーといってもいい。 残りの人生でこれだけの真剣勝負、果たしてやる機会があるかどうか・・、と、思わずにはいられない。 できれば、これを異性とやれるといいね。精神分析がどれだけ熱いもんだっていっても、やっぱSEXにはかなわんだろ。 漏れ、もう、2年以上もSEXしてないし・・。 精神分析をやる時と同じくらいの真剣さがあったら、漏れにも恋人できるかもしれないけど、 人生はなかなかうまくいかないもんで・・。(終わり)
どうぞお大事に
197 :
没個性化されたレス↓ :05/03/10 16:20:35
>>192 良いお話ですね。書き込んで下さってありがとう。
198 :
没個性化されたレス↓ :05/03/10 17:19:54
まあ・・・・・、とりあえずコールガール呼べ。
199 :
没個性化されたレス↓ :05/03/10 19:25:53
マーラーグループの乳幼児の直接観察の成人版があってもいい・・。 そんな風に思ってた・・。
200
201 :
没個性化されたレス↓ :05/03/11 21:27:18
イギリスの大学と大学院で心理やりましたが フロイトは笑いものでした。 だって娘?孫?のアナ・フロイトだって もう死んでいるのに・・・・。 心理って日進月歩ですよね、なんで日本ってここまで 精神分析にこだわるのか、全然わかりません。 治療だって、年月かけて、金かけて・・・。 どこが利点なのか、誰か教えてください。
イギリスって精神分析さかんでないの?
203 :
没個性化されたレス↓ :05/03/11 22:12:21
>>201 日本に精神分析家は34人しかいません。
キリスト教同様,
療法としての精神分析は日本に根付かなかったのですよ。
精神分析(あるいはもっと広く深層心理学)にこだわっているように見えるのは
大衆文化レベルの話です。
精神分析家の顧客は心を病む人たちではなく
精神分析家になりたい子ちゃんと有閑マダムだけです。
204 :
没個性化されたレス↓ :05/03/11 23:54:14
精神分析家は絶滅危惧種でも 精神分析まがいの心理療法をやってるセラピストは結構いるんでないの?
ホーナイ派分析家やラカン派分析家等、日本精神分析協会に 所属してない分析家もいるからね >精神分析(あるいはもっと広く深層心理学)にこだわっているように見えるのは >大衆文化レベルの話です。 これはその通り、大衆文化レベルでは精神分析の人気は非常に高い
206 :
没個性化されたレス↓ :05/03/12 20:08:22
分析家は自らの逆転移感情を通して、クライエントの心の中を推察しているのであって、 クライエントが感じている心の内容を実際に感じているわけではない。 だから、それはどこまでいっても推測の域を出ない。 もとより、他人の感じていることをそのままに感じることが出来る などということは、幻想である。 こういったことを体験的に理解することが、精神分析でいう「母子一体からの分離」という 概念に相当するのでしょうか?
207 :
没個性化されたレス↓ :05/03/12 22:39:14
208 :
没個性化されたレス↓ :05/03/13 19:54:45
>203さん、 >日本に精神分析家は34人しかいません。 本当ですか?じゃあ、どうして精神分析の本が氾濫し、 どこの大学も口をそろえて「精神分析」履修、と 言っているのですか? イギリスは今は認知行動療法が主です。安くて、早いからです。 医療費が無料なので、国にとって負担が少なるのはいいことだと 思います。 精神分析がさかんに思えるのは、フロイトが移り住んで 活躍したのがイギリスだからです。でも100年も前の話です。 フロイト博物館(?)なるものもロンドンにありますが、 心理療法を学ぶときにIntegrative Methodとして 分析の要素も取り入れる、といった感じです。 家族療法を学んでいたときに、分析系のおばーちゃんセラピスト に教わりましたが、数ヵ月後彼女寿命でお亡くなりになってました。 そんな感じです。古い人間がやってるって感じです。
209 :
没個性化されたレス↓ :05/03/13 22:49:45
ウィーンにあったフロイトのクリニックも博物館になってるが, ロンドンに比べても不人気だそうだ。
分析の「療法」ってのはあまりなされないんだろうけど、 理論的には生きてるものもあるんじゃないの? クラインとかウィニコットとかカーンバーグとかコフートとか。 ま、よく知らないんだけどね。詳しい人、おせーて。
>208 100年も前ってちょっと大げさだろう。 あんたはいくつだ? 「夢判断」書いたのが,1904年だから,まだその頃は フロイトがやっと動き出した時だし。 人の受け売りをそのまま書き込むのは良くない。
212 :
没個性化されたレス↓ :05/03/18 12:36:08
>>208 素人さんに精神分析と思われているモノには精神分析とは似ても似つかぬモノや
精神分析もどきが含まれています。
正統派の精神分析はほとんど、一般の方がお目にかかることはありません。
213 :
没個性化されたレス↓ :05/03/18 12:59:39
>>211 夢判断は1900年の出版では?
フロイトがイギリスへ渡ったのは1938年ですが,
フロイトの学説が100年前のものだというのは
レトリックとしてはありでしょう。
214 :
没個性化されたレス↓ :05/03/19 15:06:40
「転移の解消」とは、どの様な状態を指して言うのですか? ちなみに私は今、少し心地が良い、軽いウツ気味な状態です。
215 :
没個性化されたレス↓ :05/03/20 10:25:43
>>214 治療者像が転移によって理想化されたり価値下げされたりせずに、現実的にな
っている状態。
217 :
没個性化されたレス↓ :2005/03/21(月) 17:59:05
>>精神分析的心理療法と精神分析的精神療法って >>同じものですよねぇ?? >基本的にはそのとおり。 >医学の文脈では精神療法,心理学の文脈では心理療法が一般的。 同じ事やっていても 精神科医>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>心理やってるヤツ っていうランク付けがなされているだけの話です。 これは仕方のない話でしょう。
>>217 そうやって自分に言い聞かせずにはいられないんだね。
古い書き込みを引っ張り出してきて。
219 :
没個性化されたレス↓ :2005/05/14(土) 22:56:55
すたれそうです!
220 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/11(土) 02:10:55
浦島さん、どうしてるかなあ(´・ω・`)。
まだ、竜宮城にいます。
222 :
元浦島 :2005/06/23(木) 09:02:16
>>221 実は竜宮城から戻ってきています。
日本で「技術の伴わない(自称)臨床家」が多いのは、とても不幸なことだと
思います。しかも(文系の)大学で働いている友人の話では、残念なことに
精神療法(心理療法)の基礎もきちんと知らずに、大学(院)生に対して
心理学的治療の指導をされている教授(精神科医、臨床心理士を問わず)も
居られるようです。
しかし同時に、若い人達の教育をきちんとされている先生も多数居られる
ようです。最近ぞろぞろと増えている(らしい)「カウンセラー」という方々は
将来自然に淘汰されていくと信じて、私もちゃんとした臨床家を育てていきたい
と考えています。
若い先生方へ。「臨床心理士」とか「精神保健指定医」とかいう資格は、臨床家
としての「最も基本的な資格」にしか過ぎません。それを取ってからどれだけ
勉強し、訓練を受けたかという点が、本当の臨床家になっていけるかどうかを
決定すると思います。とにかく一生懸命勉強してください。指導する側も人間
ですので、真面目にやらない人に対しては「教える」などという面倒な仕事を
したくありませんので。。。
でも心理の先生の場合、これだけ一生懸命勉強をしても、ちゃんとした常勤の
働き口が見つけられるのでしょうか・・・?
223 :
かわず :2005/06/24(金) 23:58:37
>>222 久しぶりにのぞいてみたら、偶然にも浦島さんの書き込みを目にしました。
>でも心理の先生の場合、これだけ一生懸命勉強をしても、ちゃんとした常勤の
働き口が見つけられるのでしょうか・・・?
これは本当に頭の痛い問題です。高校生の息子が「お父さんみたいな仕事をし
たい」と言い出した時には、喜んではいられませんでした。「人を援助する仕事
は、他にも色々あるんだから、じっくり決めていけば良いよ」と言うのが関の
山でした。
自分自身も生き残っていけるかどうか、不安になります。臨床家として良い仕事を
してゆくこと、それしか生き残る術はないのは分かっているのですが、心配しても
しょうもないことを、クヨクヨしてしまいます。このごろ妙にうつっぽくて、人生
の坂を下り始めたのか、それとも罪を自覚して悔い改める年代になったのか(笑)、
自分でも変な気分です。
まずは、お帰りなさい。
かわずさんも浦島先生も帰っていらっしゃったのですね。嬉しいです。 マリリンは、何となくずっと心理学板で遊んでいます。 浦島先生に教えて頂いた、精神分析もどきの講義で、精神分析もどきが侮れないことを 知りました。かわずさんを知って、地に足のついた臨床家が臨床心理士にもいることを 知りました。 日本の心理臨床はこれからが幕開けです。私は、お二人の活躍を期待しています。 2chに書き込みをす事はアホらしく思えるかも知れませんが、案外見ている人も 多く、影響力も侮れないモノがあるような気がします。 もしよろしかったら、また、若い人たちのためにも書き込みをして下さい。 その時は是非、名無しではもったいないので、コテをつけて下さい。
あそうそう、マリリンはトリップを変えました。前のトリップは暗証番号が 見破られてしまったからです。現在はマリリン ◆dRwnnMDWyQです。 念のため書いておきます。
226 :
元浦島 :2005/06/29(水) 21:32:14
>>223 かわずさん
お久しぶりです。
竜宮城から帰る前に、こちらに適応できるか心配しておりました。でも幸い
良い仲間たちに恵まれて、楽しく仕事をしています。とてもありがたいこと
だと思っています。
実は私自身が、だんだん心理の若手の先生方の指導もしないといけない立場に
なってきています。私が書き込んだ「ちゃんとした常勤の・・・」は、私が
指導した先生方の就職口を心配しなければならないという状況から、つい書いて
しまったのかもしれないな、と思いました。
相変わらず忙しく、ここにはほとんど書き込めそうにありません。でもたまには
覗きたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。
227 :
元浦島 :2005/06/29(水) 21:46:28
>>224 マリリンさん、お久しぶりです。
>浦島先生に教えて頂いた、精神分析もどきの講義で
以前私が書いたことは、「精神分析」「精神分析的精神療法」「力動的精神療法」
のいずれかについてです。これら3種には「質の違い」はありますが、どれも
きちんとした治療法です。どれが本物でどれが偽者というものではないと思います。
>日本の心理臨床はこれからが幕開けです。
「幕開け」というほど、日本の心理臨床の質は低くないと私は考えます。
少なくとも私が見た印象では、現在の日本に立派な臨床家はたくさんおられる
ように思います。ただ問題は、低レベルな「自称臨床家」がものすごく多いのと、
一般の方が「ちゃんとした臨床家」と「自称臨床家」とを見分ける方法がとても
少ない点だと思います。また付け加えると、ここの掲示板には「ちゃんとした
臨床家」があまり書き込んでいない、という点もあると思います。
ただ前トピではちゃんとした書き込みも多かったと記憶していますので、
「ちゃんとした臨床家」の方々は、見ているだけの人が多いのかも
しれませんが。。。
本当にお久しぶりです。また、浦島先生が来て下さって嬉しいです。 「精神分析もどき」の話ですが、浦島先生がいなくなってから、ここの多分 基礎系の人たちが、今まで自分たちが考えてきた「精神分析」について 理解するための話し合いを持ったのです。 彼らも私も、「精神分析」「精神分析的精神療法」「力動的精神療法」 の区別が 良く分からなくて、どうも浦島先生の話を聞いてると、自分たちが今まで「精神分析」 と捉えて来たモノと浦島先生の話に出てくる「精神分析」とは違うモノらしいと言うことになって、 「精神分析」と「精神分析もどき」に分類したのです。私は、この板の人たちが こういう風に考えられるようになっただけでも進歩だと思うのです。 その時の話では、本当の「精神分析」というのは週に四回も治療を数年に渡り 受けなくてはいけないということが分かり、「精神分析」等、暇とお金がない現代人の 治療方法としては使えないと言う事になって、有効な治療法から消え去りました。 残るのは「精神分析もどき」のほうで、おっしゃるように低レベルな「自称臨床家」が 多すぎて、嘘っぱちの治療法なのか治療法として価値のあるモノなのか分けの分からぬ 状態でした。
浦島先生の前スレの講義で、「精神分析もどき」つまり「力動的精神療法」 は治療法として 価値のあるモノだと、心理学板の人たちも認識したんだと思うのです。こういう風に前スレで 浦島先生が一生懸命説明して下さった事は、「ちゃんとした臨床家」だけではなく、私達 一般の人に心理臨床の醍醐味を分からせて下さる良い機会だったと思います。 だいたい、一般の人は、精神分析なんて一つしかないと思っています。それが 「精神分析」と「精神分析もどき」に別れることが分かったのです、それだけでも 浦島先生の前スレは価値があると思っています。 そして、私は今日、二つではなく、「精神分析的精神療法」も入って、三つに分かれることを 知りました。もう一つ進歩したと思います。 >一般の方が「ちゃんとした臨床家」と「自称臨床家」とを見分ける方法がとても >少ない点だと思います これは事実しょう。ただし、日本の一般の人は知識人も多く話せば理解できる人が 多くいます。浦島先生のようなちゃんとした臨床家が2chだけでなく、色々な メディアを通して、正しい情報を伝えることは今の日本の心理臨床にとっては大切な 事だと思います。 それをしなければ「自称臨床家」を淘汰することはできず、ちゃんとした 臨床家にも、日本の一般の人にも不幸なことになると思います。
424 名前:没個性化されたレス↓ 投稿日:04/08/31 10:08 うむ。まとめ亢進もとい更新していい? 1.精神分析は科学じゃなく、文化である (1)文化であるので、実証できない (2)文化であるので、治療効果(エビデンス)はあげられない (3)文化であるので、保険は効かない (3)しかし、文化なので、強く支持する人はなくならない 2.精神分析は文化のなかでも古典芸能である (1)古典芸能であるので、家元制をとっている (2)古典芸能であるので、本だけで学ぶ訳にはいかない (3)古典芸能であるので、マニュアルはつくれない (3)家元制度をとっているので、御家騒動がある 3.心理学は科学もしくは科学キボンヌである (1)科学である(あろうとする)ので、実証にこだわる (2)科学である(あろうとする)ので、エビデンスにこだわる (3)科学である(あろうとする)ので、文化である精神分析がめざわりだ
前:没個性化されたレス↓ 投稿日:04/08/31 10:00
>>417 心理学は科学になりたがっているもの、
そのあげく認知科学や行動科学に吸収されかかってるが、
精神分析は科学になることに原理的不能性を感じている。
心理学のほうで「精神分析やめませんか」といっても
精神分析は「心理学」とはまた違うものなのだから、
よけいなお世話なんでしょう。
結局臨床が科学か、文化か、という論点に帰着する。
臨床に実証的知を利用することはできるが、
臨床はそれだけではできない、もうすこし奥行きのある文化実践だろう。
こころ、主観的なこころ、主体性を扱うことに対して、
どのような態度をとるかについての方略の違いのように思う。
精神分析は実践をともなう哲学みたいなものでは。
いわゆる「心理学」ではないよ。
精神分析の中の「自我心理学派」は「心理学」になろうとしたけど、
その企ては破産した。
名前:没個性化されたレス↓ 投稿日:04/08/31 10:05
>>420 ,
422
外傷論を精神分析の全体と混同するのはやめたほうがよさそう、
ということが昨夜のまとめだったと思う。
精神分析のほうではトラウマ臨床は、反精神分析だと思っているのです。
>精神分析の中の「自我心理学派」は「心理学」になろうとしたけど、 >その企ては破産した。 自我心理学派が提唱した仮説である自我の防衛機制は 科学的な検証を受けてないけど、心理学の入門にも記述されている またエリクソンが提唱したアイデンティティ仮説は、発達心理学の中で 一定の地位を占めている
松木先生のセラピーの本が、7月に出る、もしくは出たようですね。 手に入れようと思うのですが、もう読まれた方はいますかね? それにしても、ロンドンのテロはひどいですね。 事件現場の1つに、タビストックがあります。 タビストッククリニックは、大丈夫だったのでしょうか?
お勧めの本は、素人が読んでも、理解できる本ですか? 良かったら題名を教えて下さい。 ロンドンのテロは悲惨でしたね。いつから何が狂ってしまったのでしょう。 このまま第三次世界大戦に突入していくようで不安です。
久しぶりに来ました。
浦島さん、お帰りなさいです。
かわずさんもおられるし、あと「夢想先生(スペリング忘れますた・・・)」が
そろえば、かつての良スレが復活かもですね。
>>235 松木先生の著書は、『私説 対象関係論的心理療法入門』ではないでしょうか。
私も読んでみたい本です。
最近、精神分析を専門にしている方が、臨床系の大学で教鞭をとられている方が 増えてきましたね。 4〜5人はいるんじゃないでしょうか? もっとかな。 気のせいかもしれないけれど、対象関係論にオリエンテーションがある先生方が 多い様な印象を受けます。
久しぶりに来ました。 みなさん、おかわりなさそうですね。 このパート2のスレができて、もう1年以上経ってるんですね。 浦島さんも竜宮から帰って来られたようです。 また、パート1のスレのような、議論ができたらいいですね。 心理板が残っていてよかったという感じです。
松木先生の新刊は、折れも読んでます。 それにしても、松木先生と成田先生の違いを検討してみるのも 興味深いテーマになるかもしれないと思いました。 1つの観点としては、松木先生は比較的ドライなスタンスをとり、 成田先生は、情動的なものに親和性がある、という見方は可能でしょうか? 思い切り、デフォルメして表現してしまいましたが。
>ALL スレ再開おめでとうございます。 当スレのパート1の方も見たいのでつが、html化されてないのでまだ見ることが できません。 どなたか、見られる方法をご存知なら、ご教示よろしくです。
しかし、見事にsage進行で続いてるスレだね。 何年か前に、「ひそかにsage進行で続いている心理板の良スレを語る」などと いうスレタイがあったけど、このスレみたいな感じだな。
243 :
元浦島 :2005/07/13(水) 21:52:56
>>239 >>松木先生と成田先生の違いを検討してみるのも 興味深いテーマになるかも
しれないと思いました。
松木先生、成田先生という、自分よりもずっと立派な先生方について比較して
書くのは、あたかも自分が上の立場になったみたいな万能感が刺激されて、
あまり健全なことではないように思いますが。。。しかし個人的には仕事の
ことなどでストレスがたまっているのも事実なので(笑)ストレス解消に少し
書かせていただきます。
>>松木先生は比較的ドライなスタンスをとり、
成田先生は、情動的なものに親和性がある、という見方は可能でしょうか?
情動的なものに対する親和性については、どちらの先生も同じように高いと
私は思います。ただその伝え方、表し方が異なっているのではないでしょうか?
具体的には松木先生はあくまでも分析という枠組みの中で解釈として(場合に
よってはドライと感じられるくらいに)論理的にきちんと伝えられ、成田先生は
外からより見えやすい、分かりやすい形で伝えられるのではないか、と思いました。
これには、松木先生はスーパービジョン・教育分析という分析家としての訓練を
きちんと受けられているのに対し、成田先生はスーパービジョンを少し受けられた
だけ、という背景の違いも関係しているのではないか、と思いました。従って
成田先生の場合、「正式な精神分析」の視点から見ると「アクティングアウトが
多い」ということも可能だと思います。これはしかし、成田先生のほうがより
「精神科の一般臨床に近い」「分かりやすい」ということも可能だと思います。
このような「分かりやすさ」のために、初心者の先生に対して私は最初に成田先生の
本を薦めています。
個人的にお会いした印象では、一人の人間としては成田先生のほうがより
「厳しい」のではないか、と私は思っています。
他の方のご意見も聞かせていただければと思います。
244 :
かわず :2005/07/14(木) 00:33:58
松木先生がどこかで、 「すべてが転移・逆転移ではないにしても、すべてを転移・逆転移ととらえるのが 精神分析である」 と書かれていました。いかにも松木先生らしい言葉だと思います。 成田先生だったら、どうコメントするでしょうか。 「まあ理屈ではそうなんだろうけど、すべてを転移・逆転移としてとらえていったら、 患者も治療者も立つ瀬がなくなるんじゃないかな」とでも、おっしゃるような感じが します。 >243 個人的にお会いした印象では、一人の人間としては成田先生のほうがより 「厳しい」のではないか、と私は思っています。 私もそう思います。松木先生には何となくですが、面倒見のよい浪花節的な義理人 情?を感じるのですが、成田先生はダメなものはダメとすっぱり切り捨てる「厳しさ」 を感じます。
245 :
239 :2005/07/15(金) 20:50:10
>>243 :元浦島さん
>>244 :かわずさん
ご教示ありがとうございました。
成田先生の著書で、たしか青年期の境界例の患者さんを取り上げていました。
患者さんのそれぞれのお名前を「ヨシオ」、「ヒロオ」と仮称されていました。
もしかして、ご自身のお名前から事例の仮称を考え付かれたのかと空想しました。
そんなところから、成田先生は患者さんに共感的に(*よい言葉が思いつかなくて
恐縮ですが・・・)関わる先生なのかな・・・と思ってきました。
成田先生や松木先生の御著書は、私のような駆け出しには難しいところもありますが、
じっくり読ませてもらっています。
ありがとうございました。
はーい、みなさま、何かお題はありませんか? Revere(スペリングあってるかな??)は、最近どうされてるのだろう(´・ω・`)。
247 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/17(日) 10:53:28
保守age
248 :
かわず :2005/07/18(月) 09:23:17
成田先生の著書が話題になったので。 診療新社から「精神療法の第一歩」と言う本が出ていますが、精神療法のテキ ストとしてお勧めです。新書サイズにしては値段が良いのですが、内容は濃い 本です。 私自身が「第一歩」を踏み出そうとしていた時に、病院の医局で偶然に手に取 りました。その時は「第一歩」なのになんんて七面倒くさい、もったいぶった 本なんだろうと思いました。 その後何年かして、「精神療法の第一歩」の著者とは知らずに成田先生のセミ ナーに参加して、引き込まれていきました。あらためて同書を読んでみたら、 初心の頃の愚かさを映し出されるような思いがしました。 ところでこの本では、治療の終結について触れられていません。また「あとが き」の類もありません。これだけの本をお若い頃に書かれたことに驚いてしま うのですが、この頃に成田先生ご自身が、分離についてどのような体験をされ ていたのか、興味をそそられます。最近になって増補版が出たらしいのですが、 そちらには終結について書かれているのでしょうか? 「あとがき」はあるの でしょうか。
精神分析の立場からの臨床へのアプローチに関する参考書で 専門外の人間にもわかるような入門的な専門書を探しているのですが 何か良書はありますか?
250 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/19(火) 06:48:00
>>249 質問が漠然としすぎていないか?
精神分析の立場といってもいろいろある
>>249 臨床心理学者がご専門である實川幹朗氏の、
『思想史のなかの臨床心理学』をおすすめしておきたい。
一時期は、全国大学生協の人文書の15位あたりに位置し、
茂木健一郎氏もわずかにしのぐほどの売れ行きだった。
氏もこの本を買われ、読まれたそうだ。
著者は、精神分析が「発見した」無意識という領域を、
ユダヤ=キリスト教に由来する西洋思想の伝統から解釈する。
精神分析の科学としての自負の根拠などを解き明かし、
19世紀からの実証主義や、現象学における意識への還元も、
どれも実は、精神分析と表裏一体のものであったことを示す。
そして、その上で、精神分析すなわち臨床心理学は、
歴史において宗教が担ってきた重い課題を引き受けつつある
ことを、率直に認める。
我々に深い反省を促す書だ。
>>250 できれば対象関係論について臨床の立場で平易に述べたものがいいです
>>251 ありがとうございます。探してみます。
>>252 251の本は入門書として読むには、あまり良い本ではないでしょう。
254 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/19(火) 21:59:30
成田さんって研究会に何度か来てもらったことがあるけれどそんなにたいした人かなぁ。 松木さんが以前、成田さんのことを「あれは精神分析ではなくってロジャースだ」と 言ってたと記憶するけれど、これもほめ言葉として言ってたとはとても思えなかったが。 まあ、松木さん自体が世間で言われてるほどすごい臨床家だとも思えないのだけど。
>>254 このスレは上げるな。馬鹿。上げたら話がすすまんだろう。
再び、当スレが動き出してよかったですね。
心理板に残る数少ない(?)良スレです。
上でも取り上げられている松木先生の近著は折れも今読んでいます。
たしかに
>>254 氏が書かれているような発言は私も聞いた記憶があります。
しかし、今回の松木先生の著書の中では成田先生の『精神療法家の仕事』が参考
文献の1つとして取り上げられていて、肯定的な文脈で考察されているような
気がしました。
かわずさんが書かれているように、成田先生の『精神療法の第一歩』の増補版は
折れも手にしたいですが、旧版とどのようなところが違ってるでしょうか?
知ってる方があれば、教えていただけたらと。
今年の精神分析学会、行かれる方いますか?
【質問】 「自己愛的な〜」という表現は、分析ではどのような意味合いがありますか? たとえば、「自己愛的な患者の様相」などと表現される場合など。
自己愛と一言で言っても、二種類に分類してた先生もいたんじゃないの? 岡野先生だったっけ、ん? ギャバードかな? うろおぼえだけど、回避性に近い自己愛と、放漫な自己愛者の二種類を。
260 :
かわず :2005/07/22(金) 00:13:01
私の理解では「自己愛的な〜」は、「自己対象(内的な自己イメージ)が自己愛 によって肥大した」状態を指していると考えられます。そのため極度に自己愛的 な人は、部分的な対象関係しか結ぶことができません。他者は自己愛を満たす道 具になってしまいます。 面の皮が厚いタイプ(自己愛性人格障害)の人はその表れ方がストレートで、他者 を自己愛を満たす道具として使います。面の皮が薄いタイプ(回避性人格障害)の 人は、少し屈折しています。彼らは「自分が〜だから、あの人は〜なんだ」というよ うな、空想を抱いています。たとえば「みんな私が悪いんです、すべて私のせい なんです」は、一見すると自己否定なのですが、ひそかに自己を重大人物に仕立て 上げていると言えます。他者に関わらずに「ダメな自分」だけを相手に暮らしてい るのは、やはり自己対象の肥大であって、きわめて自己愛的な構造と言えます。 私は理屈に弱いので、どなたか補足をお願いします。などと言い訳をしながら書き 込むのも、いくぶん自己愛的ですね(笑)。
臨床家にも、自らの自己愛を満たすためにクライエントを利用する人が 全くいないとは言えない・・・ような気がする。 こういってはおしまいですが、セラピストはある種の自己愛が他の人よりも 多いと言えるのかもしれない。
はっきり言って,クライエントは社会的底辺が多い。 毎日底辺ばかり相手にしているとストレスが溜まる。 3年以上この仕事は続かない。
精神分析治療を受けることができる者が貧民層?
264 :
258 :2005/07/24(日) 11:42:51
>260:かわずさん ご回答ありがとうございました。 いわゆる「面の皮のあついクライエントさん」と薄皮の方、などという 表現もありましたね。 それにしても、たしかに臨床家の中には、クライエントの自己愛を指摘しつつ 内実は、心理自身が自己愛に満ちている場合も少なくない(?)ような 気がしました。 やっかいですねえ、自己愛を考え出すと。。。
265 :
かわず :2005/07/24(日) 22:57:49
>>261 セラピストに自己愛の強い人が多いかどうか、それはまず置いておくにしても
>臨床家にも、自らの自己愛を満たすためにクライエントを利用する人が
全くいないとは言えない・・・ような気がする。
どころではなく、むしろありふれた現象でしょう。「あってはならないこと」
とか、「自分は関係ない」と考えている臨床家は、自己愛の落とし穴にはまって
しまうかもしれません。
「自分はどのようにクライエントを利用して、自己愛を満たしているのか」
と、問いかけてみる必要がありそうです。
愛他主義や、「メシア・コンプレックス」などの臨床家の内的な態度も 自己愛が反映したものだろうか。
>>265 >「自分はどのようにクライエントを利用して、自己愛を満たしているのか」
>と、問いかけてみる必要がありそうです。
ふーん、獣医の臨床家にもあるのかな?そんなこと考えた事なかった。サービス業
って位置づけているから、いつもにこにこ尻軽く動きましょうっていうのが獣医かと
思っていた。
よーく考えてみると変な人いるし、臨床業務で生計を立てている以上、自己愛的な
部分があるのかもしれない。プライドがまったくないわけじゃないからな。
獣医は自由診療だから、生意気なことを言っていたらお客様に逃げられてしまうことは
研修獣医の時から、体に教えられる。だから、良く分からないな。
あんまり頭で考えず先輩の接客態度を見たり、教えられたり自分で真似したりして、
やって良いことと悪いことを体が覚えていく。私達、獣医の臨床家は体育会系かも知れない。
技術を教える人が自己愛的な生意気な態度を取っていると、若い人はそれを見習ってしまう。 いかに心理師業界全体で自己愛的な態度を追放するか取り組むことが大切なことだと 思う。その意味ではかわずさんのような立場の人が、心理師さんの自己愛について 言及されることは大切な事だと思う。 クライアントからカウンセラーの自己愛的部分を批判したモノが多いのは、心理師産業界の 上層部が自己愛的態度を若い人に悪いことだと教えて来なかったことも原因のような気がする。
境界性人格障害だの自己愛性人格障害などが、事例として発表されるのは、 臨床家の内的様相が投影されてる部分もあるのかもしれない。 カウンセラーが多くなるほど、同種の「病理」を抱えたクライエント像として 表現される機会も多くなるのかもしれないですね。 自己愛の表現型の1つに、「負けず嫌い」という状態像もあるのかも。 たしかに、クライエントさんだけではなく、負けず嫌いのカウンセラーも 増えてきたような希ガス。 セラピー場面で、クライエントを内心「打ち負かす」セラピストも、やはり まずいかもしれない。
よくわからないけど、コフートは自己愛を肯定的に捉えようとしたのでつか?
最近のバイオ精神医学の観点からは、自己愛の成因も生物学的に特定されるの だろうか??
浦島さんは元気にしてるのだろうか(´・ω・`)。
一時期、コフートが流行ったけど、今はあまり聞かなくなったような希ガス・・・。
274 :
元浦島 :2005/07/30(土) 21:15:57
自己愛のことが話題になっているようなので、少し書き込ませていただきます。 医療従事者は程度の差こそあれ、大部分が自己愛の問題を抱えているように 思います。しかしよほど重い病理でなければ、(精神科などの)一般臨床や、 精神療法でも例えば認知行動療法などを行う治療者においては、それ程大きな 問題にはならないと思います。逆に、誰かに認めてもらおうとして一生懸命 勉強したり訓練を受けたりする原動力になるという良い面のほうが大きいように 思います。 しかし例えば精神分析、精神分析的精神療法、精神力動的精神療法などを行う 場合、治療者の自己愛は大きな問題となる傾向があると思います。従ってこの ような治療を行う治療者を育てる場合には、訓練を受ける人自身の自己愛の 問題について、真剣に考えてもらい少しでも治していってもらわざるを得ません。 しかし、これはとても難しいことだと思います。なぜならば、問題点をはっきり 指摘してしまうと、訓練を受けている人がやる気をなくしてしまったり、逆に スーパーバイザーに言われたまま動くようになり、自分で考える力をなくして しまったりするからです。 教育分析(又は、訓練のための精神療法)を受けることが困難な日本の状況に おいては、スーパービジョンでゆっくりと抱えながら、自分の問題に自分で 気付いていかれるのをゆっくり待つしかないかな、と考えています。
275 :
元浦島 :2005/07/30(土) 21:39:00
詳しくは知らないのですが、医療心理士は国家資格化されないようですね。 実は、私個人としてはほっとしています。というのは、せめて大学院くらいは 最低条件にしておいてもらわないと、精神的に病理の深い人がどんどん医療心理士に なって、臨床場面へ流れ込んで来てしまうように思うからです。 医者の場合は、研修医時代の忙しさのため、病理の重い人は適応しにくくなり ますし、特に精神科に回ってきた時などに、危なそうな人は精神科に入局しない よう働きかけますので、精神科医になる可能性は減ると思います。(また、精神科 入局時に面接もすると思いますが、それでも網を潜り抜けて精神科医になってしまい、 結果として発病してしまう先生もおられます。)従って心理の先生も、臨床に 入る前に、何らかのセレクションがあったほうがより安全であるように思います ー例えば少なくとも大学院などの形で。
浦島先生、私も最初は臨床やるなら6年間は勉強して欲しいと、自分と照らし合わせて 考えていたのですが、多分、心理学科の人に関しては、それは間違えです。 何で、そう思うかと言うと。心理学科の臨床系の大学院は、かなり特殊で学問にしても 技術にしても排他的のようなんです。それに、日本では分析的技術を教えられる先生が そんなに数はいません。まともな先生もいない中で若い人たちを教育しているため、 臨床をやる人間なら基本的に押さえておかなければいけないことが押さえ切れてないと いう感じがします。 そりゃー、私も6年ぐらいは勉強しなくては、なにが臨床よとは思いますが、日本の 心理臨床の現状と将来を考えると、今ある心理臨床の教育は一度解体して、再構築しないと 外に開かれた、他分野との連携を視野に入れた良質な臨床など夢物語のような気がします。
他方で、今日本で医療心理師に求められている仕事は、四大卒でも十分こなせる仕事も多々 あると思うのです。ですから、私は四大卒で資格を与え、まず身分保証をした上で、患者さんに 重要な影響を与えない仕事からさせ始め、医療心理師さん自体の生活を安定させる事が 重要ではないかと考えています。 生活が成り立たないような業界では良質な人材は集まって来ません。病理の重い人は、 その段階で選別します。 心理療法などの患者さんに重要な影響を与える仕事をさせる心理師さんは、医療心理師の 中かで、さらなる教育や訓練を受けさせるシステムを新たに作った方が、現実的だと思います。 この段階で新たに再構築した大学院を活用するのは別に問題ないとは思います。 そのうちに医療心理師の医療への貢献度が増してくると、薬学部や獣医学部の ように学部6年生の必要性も叫ばれるようになってくるでしょう。将来学部6年生を見据えれば 看護師さんの仕事の解除で資格を作ることは絶対避ける必要があるとは思います。 実力も歴史も、技術もないうちから、格好だけ医学部の真似をしても、何ともしがたい 教育システムができあがってしまいます。それが今の指定院のような気がします。
278 :
かわず :2005/07/31(日) 17:11:39
心理療法に携るには、ある程度の才能と適性が必要だと思います。才能は言語化 する能力や感受性、心理的な次元で物事を考える力などです。適性は情緒的に安 定していること、心理療法を楽しめること、報復したり見返りを要求しないこと、 などです。つまり自己愛の病理をどのくらい抱えているか、と言い換えても良い と思います。 才能も適性もある人は歓迎です。(私のように)才能は足りなくても適性があればそこ そこの仕事は続けていけるでしょう。才能も適性もない人は、放っておいてもドロップ アウトするでしょうから、これも問題なし。困るのは才能があっても適性のない人で、 クライエントもセラピストも、お互い苦労するはめになります。学会に行くと、そんな 困ったちゃんがゴロゴロ?しています。 彼らはそれこそ才能があるので、ためらいなく大学院に進みます。これではセレクション として機能はしていないのですが、それでも4大卒の医療心理師を10万人(!)養成する、 などと言うことになるよりは、ずっとましと言えるでしょう。 「資格による身分保証」は、心理療法を学んでいくには妨げになるでしょう。 「セラピストとして生き残るには、クライエントに役立つ技術を身につけるしか ない」―と言う厳しさがなければ、おのれの弱みを見つめたり、克服したりは できないでしょう。 まあ4大にしろ、大学院にしろ、いわゆる学校で心理療法を身につけることは、 私はほとんど不可能だと考えておりますが、そこまで言ってしまうと話が大き くなってしまいますので……。
>「資格による身分保証」は、心理療法を学んでいくには妨げになるでしょう。 >「セラピストとして生き残るには、クライエントに役立つ技術を身につけるしか >ない」―と言う厳しさがなければ、おのれの弱みを見つめたり、克服したりは >できないでしょう。 この辺りの考え方が、私とかわずさんでは違うなぁ。何でだろう? 獣医師は国家試験が受かった時点で、社会的に身分が保障される だけど、この時点で誰も自分が一人前に仕事ができるなんて思ってない。肉体労働させ られても怒鳴られても、修行の身、仕方がないと思っている。多分、精神科医でもそうだと 思う。研修医の頃は、頭を叩かれることがあっても、誰も威張らしてくれないから。 何で研修精神科医に半人前意識があるのに心理師は身分保障されると、半人前意識がもてなく なるんだろうね。 私は、仕事をやりこなすためのスキルを身につける厳しさは、身分保障とは関係ない ような気がするんですけど。 多分、医学部の人も獣医とそんなに変わらないと思うけど、大学にいる時も、実習に出ても 自分より技術的に上の人って一杯いる。生意気なんか恐れ多くて言えない。しかも、その 技術的に上の人が患畜とか飼い主を大切に扱うのを目の当たりにして研修時代を過ごしている。
身分保証があるから >「セラピストとして生き残るには、クライエントに役立つ技術を身につけるしか >ない」―と言う厳しさがなければ、おのれの弱みを見つめたり、克服したりは >できないでしょう。 と言うことかができなくなるのではなく、若い人に対する躾の体制が整っていないのが 原因のような気がする。研修時代は給料もらいながら勉強させてもらうわけだから 身分保証は責任感に繋がっても、奢りや怠惰の原因にはならないと思うのですけどね。 そういう体制ができるまでは、大学院で変に頭でっかちになって謙虚さがなくなった人より 四大卒でも良いから、頭の回転が速くて向学心があり、いわゆる心理療法に才能と適正の ある人を現場で゜教育した方が手っ取り早いかも知れない。
>それでも4大卒の医療心理師を10万人(!)養成する、 >などと言うことになるよりは、ずっとましと言えるでしょう。 これも良く分からない話だと思うのですが、10万人も医療心理師を必要としている と言うことは、厚労省も本格的な心理療法をする技術者だけを医療心理師に考えている わけではないでしょう。 医療機関は分業がすすんでいるから、年寄りの心理査定だけする職場だってある。 癌などの代替療法を手がける人も出てくるでしょう。こういうものが医療心理師の仕事で あっても良いじゃないですか。全員が本格的な心理療法ができなきゃいけないわけでは ないと思います。 それこそ適材適所に人員を配置すれば良いわけです。今までやりきれてなかった 仕事をやってくれる医療心理師が登場するわけだから、医療関係者にも朗報だろうし それで職場を得て満足する医療心理師もいるでしょう。マリリンだったら、そういう仕事でも 仕事をさせてもらえれば満足です。 それはそれで心理学業界が繁栄することになるので良いのではないですか? 本館的な心理療法はそうした人の中から、どのようにして才能と適正のある人を選び出し、 教育していくかだと思います。全員に心理療法をやらせねばならないわけではないです。
訂正 本館的 × 本格的 ○
あ〜あ、また、湧いて出てきたよ。>281
284 :
かわず :2005/08/02(火) 00:17:54
日本では、精神科の病院はおおよそ1000箇所くらいらしいです。その他に 精神科のクリニック、心療内科、小児科などを計算しても、万単位の心理 職は必要ないでしょう。どこをどう計算すれば「10万人」が出てくるのか、 分かりません。すでに臨床心理士の資格をもって医療機関で働いている人 も、何千人かはいるはずですが、「10万人計画」では黙殺されているので しょうか。 心理療法だけが心理職の仕事ではない、とは私も思います。しかし心理療法 でセラピストの役割を取ることができて、ケース・レポートを書けるくらい の力がなければ、心理療法以外のサービスを満足に提供できないでしょう。 例えばコンサルテーションでは、人づての話から見立てをしたり、一回こっ きりでやり直しが利かないと言う、心理療法にはない難しさがあります。 私は「浅い仕事」の方が、怖いです。 スレ違い、ですね。この話はまたいずれでどこかで。
>>284 これで終わりにするから一言だけ言わせて。
>浅い仕事 ?
違うでしょ。職場によって必要とされている仕事の内容が違うだけでしょう。
私達が伴侶動物の獣医や検疫をする獣医、屠場の獣医など必要とされる知識も
仕事内容も違うようにね。
そうした仕事の中には、四大卒でもかまわない仕事もあるでしょう。それで生活できる
職域を広げておく、生活できる職が確保できれば、それを目当てにより良質な人材も
集まってくるでしょう。
そうしておくことで本来の心理療法ができる技術者の養成の地固めをしていく。
何にもない所から事を立ち上げようとしたら、納得できないところも目をつぶり
こうした段階を踏まないと理想論だけに終わってしまうと思いませんか。
私は良質な仕事をするためには、良質な人材が必要なんだと思うんです。それを
いかに確保するかが重要なんだと思います。失礼な言い方ですが、今の指定校では
良質な人材が集められるだけの魅力があるとは言えないと思いませんか。
何で、そう思うかと言うと、私でも心理療法のやり方など知らないけれど、 精神的に病んでない人なら、つまり、一般の患者さんなら、相手にする事が できると思うからです。 普通の人と言うのは、治療者が精神的な病理を抱えてなければ相手にするのは、 そんなに難しい事ではないでしょう。一般の仕事と同じように普通に仕事ができる能力と 専門的な知識があれば仕事のノウハウぐらい現場で教育できるのではないですかね?
287 :
かわず :2005/08/02(火) 14:29:47
私たち臨床心理士の問題ですが、指定大学院が次々に開設されて、学生が集 まり「過ぎ」ているのです。失礼ながら名前を聞いたこともないような大学 (学部の実績がない大学)に、突如として大学院ができてしまうのです。 臨床心理士の有資格者は1万人を超えていますが、その中で臨床経験を積ん いてスーパービジョンができる人が何人いるのか、はなはだ心もとないのが 現実です。大学教員でも、実験心理学の傍ら学生相談をしているうちに資格 制度ができて、「臨床心理学」に鞍替えしたような人もけっこういるはずで す。スーパービジョンができる人は、多く見積もっても3千人くらいではな いでしょうか。そんな状況の中で、毎年数百人の有資格者が生まれています。 新人たちをどう育てていくのか、見通しを持てないのが現実です。 臨床心理士はベテラン、中堅、駆け出しと世代がそろっている中で、認定制 度がスタートしました。しかしスクールカウンセラーの需要に応えるための 養成があだとなって、バブルの観を呈しています。先達のいない医療心理師 を大量に養成したとして、彼らを誰が指導するのでしょうか? 心理臨床のような労ばかり多く報われない仕事を志すこと自体が、病理なの かもしれません。その病理は自己愛かもしれないし、自己救済や家族救済を 求めているのかもしれません。もちろん病理はあっても良いのですが、未解 決のまま増長していくのは困ります。
>心理臨床のような労ばかり多く報われない仕事を志すこと自体が、病理なの >かもしれません。 だから、働いたら、ちゃんと給料がもらえるような職がないと、損得勘定のできる 普通の感覚の持ち主が、心理師希望者から脱落していくことになるんだって。 治療者として必要な適正は>情緒的に安定していること、心理療法を楽しめること なんでしょ?冷静に考えると資格は民間資格だわ職も非常勤だわでは、普通の感覚の 持ち主はなかなか定着しないでしょ。 >先達のいない医療心理師を大量に養成したとして、彼らを誰が指導するのでしょうか? これは医療である限り、医者に指導してもらわなければどうしようもないと思うよ。 本格的な心理療法を医者に指導させようと思ってもトンでもないことだけど、本当だったら 医者がやらなければならないのに時間がなくて放ったらかしにしている事柄ってあるでしょう。 例えば、3分診療で告知しぱなしで放っりぱなしにしている患者さんとか、ちゃんと話を聞いて あげなきゃいけない患者さんなのに大人しいので放っぽっている患者さんとか、いい加減に すませている老人の知能検査とかね、現在のやり方なんて酷いモノじゃない。 その手助けをするスタッフとしての医療心理師なら医者が指導すれば何とかなるでしょう。 本格的な心理療法の技術者の指導とは別に考えれば良いと思うよ。
>「10万人計画」 と言うけれど、一度に10万人医療心理師ができあがるわけでない、年間5000人で 二十年で10万人、四十年で20万人レベルに考えておけば良いんじゃない? このうち半分が使えなくて淘汰される人か、老齢でリタイアした人、免許を取得しただけで 仕事をしない人と考えればいい。こう考えると理学療法士や作業療法士と同じぐらいだね。 「10万人計画」がそんなにおかしい数字ではないと思うよ。
病院臨床の経験は、精神分析的心理療法を行なうにあたって、どのように 役に立つのだろうか、とふと考えました。 一方で病院臨床のように、あわただしい短時間の中で多くの患者さん方に 対応しなければいけない経験と、1回50分〜1時間の構造化された時間と 空間で行なわれるセラピーとの両方が必要であると、私は思います。 そういう意味では心理であっても、精神科で医師のシュラーベンなどの診療補助を 行いながら、「あわただしい臨床経験」を積むことも大切ではないかと思います。 上で話題になっている援助者の自己愛についての内容の1つとして、「時間をかけ れば、自分は相手の役に立てる・・・」という空想もあるような気がしています。 時間をかけても、どうにもならないこともある、ということを吟味することも 必要な気がしています。
久しぶりに当スレに来ました。 浦島さんが復活しているのに驚きました。 お帰りなさい。 帰国して、ふと大学で教える側になったんだろうか? なんて空想しました。 間違ってたら、失礼です。
最近、分析系のDr.が臨床心理学科や院の専任教員になることが少なくないね。 折れの出身大学にも降臨しないかなあ(´・ω・`)。
このごろ、分析系の翻訳書が岩崎から定期的に出てますな。 何かお奨めはあるでしょうか?
>>293 たしかにクライン派の翻訳書が多いような希ガス
>ALL 『現代クライン派の展開』を読まれた方いますか? 今買うかどうか思案中。
>>295 折れはまだクライン派についてはよくわかってないから、岩崎の『現代クライン派
入門』から読もうかと思ってる。
すでに読まれたヤシいまつか?
ごく最近このスレを知りました。 前スレ、読みたかったなあ。
現代クライン派入門,岩崎にしては安めですが,内容はfurther learningって気がする。 シーガル,ジョセフなどの第2世代も書いてて,クラインとビオン以降のクライン派の発展 を踏まえた内容だから,エスプリ別冊の『オール・アバウト・メラニー・クライン』なんかも 先に読んどくといい気がする。クライン派の諸概念の歴史的発展等が,程よくダイジェスト で読めて,知ったか気分になれるよ。 J大F山先生もお薦めしてた現代クライン派の御大ジョセフの『心的平衡と心的変化』も出 てるね。こっちは高けえなあ。図書館に注文だな。
>>299 >J大F山先生もお薦めしてた現代クライン派の御大ジョセフの『心的平衡と心的変化』も出
てるね。
その著書には、病理的構造体や心的退避(スタイナー)などにも触れられているので
しょうか?
>>298 たしかに、前スレは心理板の中では、隠れた名スレだった。
当時海外在留中だったという浦島氏、日本で分析的な臨床精神医学を実践するRievre氏、
臨床経験の豊富な心理臨床家のかわず氏、etc.と、その他多くの匿名の人々による
熱心な書き込みにより、BBSという制限がある媒体ながら深化された議論がなされて
いたように思う。
折れも時折匿名の形で質問などしたら、上記の方々より丁寧なレスをいただいて
とても参考になった記憶がある。
当スレもそのようになれば・・・と思います。
お盆休みが終われば、またどなたかネタフリをお願いします。 >ALL
304 :
没個性化されたレス↓ :2005/08/13(土) 17:16:49
>>302 その通りです。君の心的現実においては。
305 :
元浦島 :2005/08/14(日) 20:57:32
>>302 rievreは私の持っている辞書には載っていませんでしたが、lievreという
フランス語の単語はありました。もしかしたら302さんはフランス語に近い方で、
reverieをずっとrievreと読んでおられたのかなと想像しました。事実は知りませんが・・・
とても忙しくて、書き込む暇がほとんどないのですが。。。時々ここの書き込みに
目を通してはいます。
突然ですが、分析学会のプログラムの発表者に「浦島」という苗字の先生を
見つけて、びっくりしました。こんな苗字の方が本当に存在するのですね・・・
実在の「浦島」先生には失礼ですが・・・
書くまでもないと思いますが、私のハンドルネームは、私の実名ではありませんので念のため。
あははは。笑った。
137 :没個性化されたレス↓ :2005/07/14(木) 15:57:12 臨床的な実践というのは、多種多様な形があるだろうし、 あってしかるべき、ということです。 現実は複数の理論を総合的に取り入れた折衷的立場が多いです。 一般的な意味で「正しい」というものはなく、教科書的な模範や、 特定の学派(思想や宗教も含めて)だけに制約されないものです。 まず、心理臨床というのは万能ではない、と理解することです。 残念ながら、まだまだ限界のあるものです。 現在のアカデミックな心理療法よりもずっと進んだ 優れた技法や考え方をもった、ヒーラーやセラピストもいます。 しかし一方で、100年以上の歴史の積み重なりで、 一定の技能的な知の集積としての、文化というべきものはあります。 ですから、臨床心理学全般の基礎理論について、 知識としては学んでいても、技法として身につけていないこともあり、 臨床を専攻していない人の発言を、盲目的に信用することは、 しばしば見当違いで危険があることも知っておかねばなりません。 しかしながら、情報収集と、自己責任と主体性があれば、 どのような技法や考え方も、実り多い出会いがあるでしょう。
138 :没個性化されたレス↓ :2005/07/14(木) 15:57:33 心理療法は、ひとりひとりがまったく異なる、 生きた創造的な営みですので、配布されたマニュアルを 忠実に再現し、適用すればいい、というような、 単純なものではありません。それだけでは完結せず、 自分の全人格によった技法や考え方を、 それぞれ創造的に見いだしていかねばなりません。 つまり、自分なりに、臨床をいかに活かしていくか、 考えていくことができるということです。心理臨床の実践では、 この「自分なり」ということがとても大切です。なぜなら臨床家も、 自分のキャラクターにそぐわないことはできないからです。 この「自分なり」ということを最大限生かしていくのが、 いわゆる心理療法(精神療法)であり、 極力、「自分なり」ということを排除して実践しているのが、 精神医学、と、とりあえずは言えるでしょう。 そして実際には、どんな臨床家であっても、 それぞれこの両極端の間のどこかに、軸足を置いて仕事をします。 どちらか一方のスタンスしか取らない臨床家はいません。 常に今このクライアントにはどちらが必要かを考えながら、 両極を揺れ動いて仕事をします。 精神科医であってもそれは同じで、 とことん心理療法寄りの仕事をされている方もいらっしゃいます。
↑元スレ紹介してください。
ついでにこっちも
精神科医がいるから臨床心理士は要らない
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1106402634/ 505 名前:没個性化されたレス↓ 投稿日:2005/06/21(火) 21:04:29
>>496 そんなことはできない。いかに短時間でどれくらい患者を薬物療法
のみ(対症療法)でさばけるかが精神科医の仕事。セラピーなんて
やっている時間がない。そもそも勉強してないから出来ないしね。
>>503 そうなんだよねー。医師はもともと金銭的には優遇されていて、
週に1回の単発外来を受け持つだけで、最低で40万円もらえるんだ
よ。いい商売だ。
あー、もともと精神科医なんて薬物療法しかしないんだからねー。
ごく僅かな医師だけが熱心に勉強してセラピーもこなせるようになるが、
単価が安いので、相変わらず再診の時は3分間診療になるわけ。初診だ
けは1時間くらいあれこれ質問されるけどね。それさえしないやつがい
る。要するになんにもできないヤツなんだが。。。
521 名前:没個性化されたレス↓ 投稿日:2005/07/30(土) 01:11:02 医療は治療が目的だか、心理は幅広い意味での支援が目的。 異なるもの同士、いるいらないなど比較するのが間違い。 どちらも欠けることなく、専門性を生かし協働することが患者の利益に繋がる。 他を排除するのではなく取り入れていく柔軟性が古い医療(医師)には足りない。 患者の利益が大切か、自分の利益が大切なのかの違いは大きい。
313 :
309 :2005/08/17(水) 20:14:13
ご教示感謝。
保守カキコ。 そもそも3分診療の通精と、きっちり45分以上かけての分析とで 点数はほとんど変わらない事を知ってがっかりしました。 小寺のセミナーに行ってそこそこ勉強もしましたが これでは薬物療法寄りの勉強をした方が コスト的にもフォローできる人数的にも良いのでは、と思わざるを得ません。 この人はきちんと対応してあげると良いかも、と判断しても 殺人的な外来の隙間に埋もれてしまうのが何とも申し訳ないです。 心理の先生に紹介したくても、この業界、医者も含めて玉石混淆なのは分かっているので 誰に紹介したものか困ってしまいます(しかも自費負担を強いますし)。 法案、通って欲しかったです。個人的には。 週1回の単発外来で40万って何ですかそれ。私は時給で3000円行かないです。 お水の花道突っ走っているおねェちゃんの方が、余程高給取りです。
315 :
元浦島 :2005/08/27(土) 21:33:55
>>314 セミナーなどで教えられる「精神分析理論」は、「精神分析」のごく一部でしか
ないと私は思います。なぜならば「精神分析」とは、「45分以上かけて行う」
「特殊な治療」から生まれてきた「技術・技法」に対する呼称でもあるからです。
そしてその基本は、「患者さんの話を一生懸命聞いて理解し、それを誠実に返して
いく」という点にあると思います。従って特殊なものではなく、精神科の一般
臨床でも充分に応用できるものだと私は思います。
例えば初診時、場合によってはその後数回の診察で少し長めに時間をとって
(指定医の通院精神療法が取れるくらいー笑ーか、もう少し長くですが)
きちんと評価したり解釈を伝えたりしておけば、その後の再診が短くすんだり、
治療そのものが短期間で終結できたり、場合によっては数回で終結できたり
することがしばしばあると思います。(もちろん、重症の方は終われませんが・・・)
「殺人的な外来」という表現から「総合病院の精神科外来」を想像しましたが
(違っていたらすみません)、総合病院でもそれぞれの患者さんについて、
多少時間的に余裕のあるときにきちんと評価しなおしたりすれば、終結方向に
持っていける人がかなり出てくるように思います。(これを一気にやると時間的に
とんでもないことになりますので、少しずつ順番にですが・・・)逆に外来を
「流して」いると、患者さんはどんどんたまっていくようです。「総合病院では
特に、初診時から治療の終結させ方を考えておくべきだ」とか「ベンゾジアゼピンは
出来るだけ(絶対?)出さないようにすべきだ」などが、「総合病院で勤務するコツ」
であると言われる先生もおられます。そうでないと、外来が多くの患者さんで
パンクしてしまうからです。
316 :
元浦島 :2005/08/27(土) 21:54:16
>>315 最近の若い先生の中には(精神科医、臨床心理士を問わず)、「単純に一人の人間
として、患者さんの話を聞いて理解してあげる」ということの意味がよく分から
ない方がおられるようです。(正直に言うと、こういう方が増えているようにも
思いますが・・・「最近の若い者はなっとらん!」という「年寄りの愚痴」に
なってしまうことを恐れて、こう書いています。)
これらの先生方は、何かのスケールに当てはめることが出来たり、何かの
マニュアルが存在していたりしないと、とても不安になられるようです。
このような先生方に対しては、「できるだけ詳しく患者さんの話を聞き、自分が
不思議に思ったことを聞くようにしなさい」という成田先生式の指導法をする
前に、まず、「マニュアルだけに頼るのをやめなさい」「マニュアルには限界が
あるのを知りなさい」という点から指導しないといけないようです。しかし、
これは特に科学万能主義的考え方をする人には、理解が難しいことのようです。
こういう方々の指導はとても面倒です・・・というか、面倒でしかも恨まれるかも
しれないような事は、あまりやりたくありません・・・愚痴ですが。。。
浦島先生、ありがとうございました。 ご指摘頂く事がことごとくそのままで、忸怩たる思いです。 なまじ薬で対応する事が出来るだけに、抗不安薬を処方して 何とかなった気になってしまうのが良くありません。 新患は毎日3〜4人来ますので ご指摘の通り終結しない患者さんが溜まって、既に破綻しております。 非常に情けない話で恐縮なのですが 患者さんをさばく為に、敢えて聴かない、立ち入らない外来になりつつありました。 基本に立ち返って、少しずつでも患者さんから話を聴いてみたいと思います。 所属の医局には精神療法寄りのオーベンがいない為、 (ボスが薬理専門なので、自分は医局の中でも異端です) 果たして自分のアプローチがgood enoughであるかどうか そもそも患者さんの話を理解できているのかどうか、 ちょっとしたコンサルトを受けたい時に相談する事が出来ず、 しばしば判断に苦しみます。 慶応等の様に、伝統的に分析や病理寄りの医局ならばともかく 他の大学の先生方はどうされているのでしょうね。 ハッ!!( ゚д゚) 自分も判断のマニュアルを求めているのだろうか・・・
実際のところ、精神科医の先生たちは、どのような方法で精神療法の技量を身に 付けていくのでしょうか?
319 :
309 :2005/08/31(水) 03:51:37
それと、精神科医の方々が、どのように自己理解・自己覚知を得ていくかについて、知りたい。 分析の訓練を受けている方以外は、精神療法指向の強い方でも、はなはだ心もとないと思うのは、寡聞のせい?
>>319 極論を言うと先輩分析家に教育分析を受けなくてもそれは可能
少なくとも精神分析の祖であるフロイトは誰からも教育分析を受けてない
321 :
没個性化されたレス↓ :2005/09/02(金) 11:09:10
指導age。
322 :
317 :2005/09/02(金) 20:34:08
このスレには、他にどなたも精神科医がいないのかしら。
精神科における精神分析のポジションとは、こんなものなのかも知れませんね。
本来でしたら、面接を鏡の向こうなり録画なりで見て貰って
グループディスカッションやスーパービジョンを行うべきと思いますが
そんな医局の空気もあって、精神療法の訓練は全くありませんでした。
他の大学は違うと思います(多分)。
>>318 ,319
ほぼ独学ゆえ、自己理解も自己覚知も、正直おぼつかないです。
これでよくも「精神療法」のコストを取れるものだと。
心理の先生方は、概ねどの様な教育を受けてこられるのでしょうか。
>>322 心理も言葉は悪いですが、ピン・キリと思いますよ。
個人SVを受ける人が、熱心な人と言えますかねえ。
あとはエンカウンター・グループにメンバーとして出て、自己理解を深める人も
いるようです。
面接記録を独自の様式で書いて、あとからいろいろと検討している心理屋さんm
いますね。
317氏のような方は、Dr.の中では精神療法について熱心な方ではないでしょうか。
324 :
309 :2005/09/03(土) 00:28:38
レスありがとうございます。 >323 あと、教育分析(教育カウンセリング)も、自己理解を深める手段。
知的障害がある方に、精神分析的な心理療法を行なうことは可能でしょうか? たとえば、IQ:60前後の知能指数の方に。
ロボトミー手術で一発
327 :
元浦島 :2005/09/03(土) 21:43:10
>>317 >自分も判断のマニュアルを求めているのだろうか・・・
そうは思いません。ご自分でも気付いておられるようですが、「総合病院で
精神科医は、どう働けばよいか、どう生き延びていけばよいか」ということを
教えてくれるオーベンが、317さんの医局には不幸にもいなかった、というだけの
ことではないかと思います。かなり困っておられるようなので、私の思いつく「総合病院で生き延びるコツ」を
少し書いてみます。
まず、入り口を多少でも制限しないと大変だと思います。新患枠を完全予約制に
して2人に制限するなどのことは、不可能なのでしょうか?(いくら枠を決めて
おいても来てしまいますが・・・ないよりはましですー笑ー。また事務の人、
案内の人たちなどに徹底し続ければ、そのうち多少なりとも減ってくるようです。)
実際の臨床では、とにかく役に立つものは何でも使ったほうがいいと思います。
例えば私自身は精神分析が専門ですが、実際の臨床ではとても折衷的です。
特に認知行動療法的な介入は有効ですので、好んで使っています。
睡眠薬を出す代わりに、例えば薬屋さんがくれる「よく眠るためのコツを書いた
パンフレット」を渡す。どうしても欲しがれば、REMを抑える抗うつ薬を
出す。睡眠薬を出さなければ、かなり治療期間は短縮できます。
治療を早く終わらせるために、初診時に終結までの大体の予定を伝えてしまう。
ベンゾジアゼピンを出すときには必ずSSRIと同時に出し、「これは少しずつ
やめるべき薬です」とあらかじめ伝えておく。そして、常に減量するチャンスを
うかがう。あまりやりすぎると、患者さんが警戒されますが・・「先生、また
減らすんじゃないでしょうね・・・」とか(笑)
チャンスがあれば、どんどん他へ紹介する。総合病院精神科は他科と違って
「一次」(重症には対応できない、という意味です)、つまり開業医みたいな
ものですから、単科精神病院につなげる窓口業務、紹介業務で十分なはずです。
328 :
元浦島 :2005/09/03(土) 21:46:05
>>327 つけたしです。
もし317さんが「自分は精神科医としての基礎が弱い」と感ておられ、かつ
単科で勤務した経験があまりないようでしたら、きちんとした単科精神病院に
勤務する機会を作って、一度患者さんと人間としてとことん付き合う経験を
持たれてはいかがでしょうか?精神科医としての確固たる基礎を築くために、
とても良い経験になると思います。
これは少しおせっかいだったかもしれません。失礼に当たるようでしたら、
お許しください。
329 :
元浦島 :2005/09/03(土) 21:57:09
>>318 >>319 伝統的に精神科の医局では、力動的精神医学や精神病理学を専門とする先輩
医師が、若い精神科医の先生に対して、精神科医としての基礎を教えたり、
精神療法の手ほどきをするというシステムが存在していたように思います。
ところが大学で研究の比重が高まり、相対的に診療や教育が軽視されることに
なってしまった結果、論文の数で劣る上記の医師が大学から消えてこのシステムは
崩壊し、その結果精神科医としての「手ほどき」を受けられない若手の先生が
増加した、という状況が生じているように思います。
しかし現在、若手の教育に困った精神科の医局で、少しずつ揺り戻しが来て
いるのではないか、というのが私の印象です。というのは実際のところ、
臨床現場に出た若手の先生方が困ってしまうからです。
330 :
元浦島 :2005/09/03(土) 22:00:43
>>325 >知的障害がある方に、精神分析的な心理療法を行なうことは可能でしょうか?
精神分析的精神療法は、比較的困難ではないかと思います。しかし患者さん
それぞれによりますので、一般的には言えないと思います。
そして多分精神力動的精神療法のほうが、適応となる可能性はより高いと思います。
558 名前:没個性化されたレス↓ 投稿日:2005/08/26(金) 13:47:29 何かあるとすぐに「心の問題」とか「心のケア」とか言い出す香具師は とにかく信用しない方がいい。物事の複合的な側面や本質を検討しようとせず、 おしなべて個人の心の問題に還元し矮小化しすり替えたりする典型的な 「悪しき心理主義」に他ならないからだ。 そもそも心理カウンセリングなるものは、カウンセラーより知的レベルが高く 哲学的・学問的・理論的に優れた洞察力や批判力をもったクライアントが 現れた場合、基本的に成立し得ない。 まず、カウンセラーがクライアントの発言のレベルの高さについていけず クライエントの発言内容が理解できない。それに、哲学的にも心理学的にも 科学的にも医学的にも深い知識と批判力・洞察力をもったクライアントが カウンセラーに当該の心理療法について徹底的な説明を求め、適切な返答が 得られないなら(現状では得られるはずもないのだが)、クライエントは カウンセラーを「なんと底の浅い馬鹿な香具師」と思い、相手にすらしたく なくなるであろうから。 インフォームド・コンセントのこの時代、臨床心理の世界にもそれが求められて 当然だと思うが、そうすれば、百家争鳴の感のある(それも各派がおのれの 閉じた世界でマスターベーションしている)臨床心理の世界は崩壊するでしょうね。
559 名前:没個性化されたレス↓ 投稿日:2005/08/26(金) 13:59:47 ヒント: クライアントの発言内容は参考程度にしか見ません カウンセラーも超人ではないので、さまざまなクライアント発言内容について、 その知識も無ければ完璧に理解できるということは不可能です。 セマンチックな点でクライアントと対峙するのではありません では、何を見るべきかというのは、クライアントの思考のシンタックスです。 すべて発言は根本原理であるそのシンタックスから出てくるものです。 たとえれば、遺伝子の分析・組み換えをしているのですから、 表面構造の多様性など取るに足らないことです。
561 名前:没個性化されたレス↓ 投稿日:2005/08/26(金) 17:56:16
>>558 これもまた、複雑な社会においてその不可分な一要素で部分であるカウンセラーを、
まるで本来ならなんでもそこで解決できる万能なグルでなければならない、
そういうことが可能であるかのように祭り上げて、
すべてカウンセラー個人の資質で完結する問題にしようとする、
「悪しき心理主義」に他ならないんじゃないか?
結局それも、クライアント心理主義から
カウンセラー個人主義へと、ただあっちからこっちへと、
問題を摩り替えて責任転嫁してみただけで、
あんたの心性の本質も同型構造でどっちもどっちじゃないか。
大体、そういう言説そのものが使い古されたものじゃないか。
どこかで伝え聞いた伝聞を繰り返して、
自身の鬱憤のはけ口にしているだけで、
558こそがまさにカウンセリングを必要としているから、
そういうことをぶちまけてるんじゃないか。
不満があるならまさにカウンセラーにこそその思いをぶちまけて、
カウンセリングされてみることだなw
カウンセリングを漠然とした想像だけで
できることとできないことを現実的に把握していないから、
使い古された抽象論を平気で信じ込めるし、
カウンセリングの場でできる現状に不満が出て要求したくなるんだろ。
558がカウンセラーになったって、
どれほどの言っているだけのことが自分でできるのやら。
570 名前:没個性化されたレス↓ 投稿日:2005/09/02(金) 06:05:43
>>561 臨床心理の現状に批判をくわえられて、まともな反論が出来ず、
カキコした人に感情的な罵倒の言葉を浴びせるような輩がいる限り、
カウンセリングやカウンセラーなんて、所詮その程度と思われるだけだね。
特に、精神分析の流れを汲むカウンセリングのいう「過去の記憶」なるものは、
認知心理学が実証的に明らかにしてきた「記憶」の性質に関する知見を
ほとんど無視している。さらに、記憶や体験の解釈という意味でも、
カール・ポパーの反証主義に対し、納得のいく論駁を行った者は見たことがない。
というか、ポパーとか反証可能性とか自体を知らない人間が多いから
話にさえならない。
統合失調症から(極端に言えば)単なるお悩み相談に至るまで、
「心」なる分野が抱える領域は幅広いが、現在の臨床心理は、扱う領域の
外延すら定めずに、各派が好き放題言って言いっぱなしというのが
現状である。精神的な諸問題は、他の身体的疾患など生理学的な基盤を
もつものも多いが、医学的・生理学的な知識が皆無に近い心理主義に
どっぷり浸ったカウンセラーにひっかかると(勿論そうでない人もいるが)、
本来の要因となっている疾患を見逃して、治療を遅らせてしまうことに
なりかねない場合もある。
以上、ネタ振りコピペ
336 :
322 :2005/09/07(水) 20:26:25
新たなネタが投下された様なのでお礼と少しだけ。 浦島先生、323、324各氏、有難うございました。 実は、浦島先生の書き込みの中で一番衝撃的だったのは 「治療は終結できるものである」という事でした。 何のビジョンもなくとりあえずの治療をしても、終結する訳がないですね。
そんなことはないと思うけれど
>>330 :浦島さん
>そして多分精神力動的精神療法のほうが、適応となる可能性はより高いと思います。
基本的な質問で恥かしいのですが、この場合、精神力動的精神療法とは、
具体的にどのようなことを行なうことでしょうか?
精神力動的な見立てやアセスメントを行ないつつ、一方では精神発達遅滞の
器質的、生物学的な側面にも考慮しつつ両者を合わせた総合的な対応を
行なうということでしょうか?
自分で書きながら、よくわからなくなってきて申し訳ありません(汗
>>338 前スレ■ 精神分析的心理療法 ■にかなり詳しく書いてある。●買えば読める。
最近、Reverieさんの書き込みを見かけないけど、おかわりないのかなぁ(´・ω・`)。
341 :
没個性化されたレス↓ :2005/09/14(水) 23:02:39
秋口の、指導あげ。
おい、お遊びで適当に書いたレスを勝手にコピペすんなや。
>>331-334 の中の人ですか。元スレで議論の展開はありましたか?
今年は広島に行けそうにないなあ(´・ω・`)。
久しぶりにお邪魔します。
みなさん、お元気そうで何よりです。
>>340 さん、召喚感謝です(笑)
最近、雑事に追われてなかなか力動的な知識を吸収できていませんが、ちょいとコメント。
>>338 >精神力動的精神療法とは、 具体的にどのようなことを行なうことでしょうか?
限りなく認知療法に近い(といっても僕自体、認知療法にそれほど詳しくないのですが(汗))、アプローチではないでしょうか?
あくまで力動的な理解やモデルを意識した上でのことですが。
あまりいい例ではないのですが、As if Peasonalityのクライエントに
「なんだか、あなたは私の話に一生懸命あわせようとしているようにみえるんですが、
こういうことはあなたの身近な人の間でも繰り返しているような気がするんだけど、
そのあたり少し考えてみましょうよ」という伝え方は力動的な精神療法かと。
精神分析的精神療法ですと、「沈黙」で自由連想をさせるところを、問題点をセラピストが
積極的に提示するところが異なるように思います(私見ですが)
スマソ いきなり訂正っす 「なんだか、あなたの身近な人の間でも繰り返している『人にあわせるやり方』 ということをが、今、ここでもおこっているように思えるんですけど そのあたり少し考えてみましょうよ」 面接室の『外』から『中』へ、というのがベターですよね(汗)
346 :
かわず :2005/09/23(金) 00:07:56
Reverieさん、お久しぶりです。 Reverieさんが言われていることは、転移と現実の人間関係をつなぐと言うこと ですね。こういうやり方もあり、だとは思うのですが、どうも私の趣味には合わ ないと言いましょうか、自分だったらこのような言い方はしないと思います。ま あ、おそらく私の趣味が悪いのでしょうが(笑)。 転移と現実、あるいは過去をつなぐのであれば、「話を合わせているんですね」 と解釈してゆけば、あとはクライエントがつなげてくれるのではないかと期待し ます。「話を合わせる」のが現実でも、あるいは過去(親子関係)についても言 えることであれば、解釈だけで十分ではないかな、と。 と言いましょうか、「そのあたり少し考えてみましょうよ」と言ってみたところ で、何しろ治療者に合わせるクライエントですから、延々と治療者に合わせて、 「なるほど、今ここでもおこってますね」と言う話になるのではないか、などと 思ってしまうんですね。 で、解釈でなければ何を言うか、なんですが。 「え、本当にそう思ってるの?」とか、「いくら話を合わせてくれても、何も(ご ほうびは)出ないよ」とか、「何だか合わせてもらって、私の方がお世話されてい るみたい」とか、そんなことを口走るような気がします。これは精神力動的精神療 法の範疇に入るかな、と思います。クライエントにちょっと困ってもらうことで、 「合わせる」防衛を無効化する企みなんですが、悪趣味かな?
かわずさん どーも、ご無沙汰です&早速のコメントありがとうございます。 さて、かわずさんとのアプローチの違いは「話しをあわせているんですね」という解釈のあとの セッションの進み方になるかな、と思います。 実際の臨床の場面だと、僕的にはこの後、「話をあわせなていないと辛いの?」と聞いてしまいます。 で、『はい』という答えがあれば「そう、どんな風に?」という展開になりそうです。 このあとで過去の母子関係の反復という内容になれば転移とその解釈になりそうですが、 僕的には、いわゆる偽りの自己を維持する辛さ、時には分裂排除されているその情動を言語化していく 方向に流れそうです。その先にある種の見捨てられ抑うつなど現れるのかもしれません。 >「え、本当にそう思ってるの?」 なんとなく、本当になんとなくなんですが、成田先生が好まれそうな伝え方ですね。 ある種の抵抗に対する直面化ということですかね。 このあたり、アプローチの違いはありますが、あわせる防衛(もしくは抵抗)から、 すこしその裏にある「何か」に焦点を当てる働きかけという点では共通しているような 気がします。 #悪趣味ではないと思いますよ〜
348 :
没個性化されたレス↓ :2005/09/28(水) 03:18:33
すいません、わからないので質問させてください。 1.精神分析用語で、真の洞察を伴って治癒にいたったのではなく、未解決の転移によって一見治癒したように見えるような状態のことを何といいますか? 2.そのような状態で段階で治療を( )することは好ましくない・・・とされていますが、( )はなんでしょうか?? (´・∀・`)お願いします
>>348 なんとなく過去問みたいなのですが(笑)
1.にせ察といいます(嘘)。研修医の「洞察ができた」という評価に対して、以前のボス揶揄していった迷言ですね《違うか)
答えは多分「転移性治癒」ではないでしょうか?
2.「終結」だと思います。
>>349 アリガトウございました!!!!謝謝!!
実際過去問ですw答えがなくて困っていました。
助かりましたです。
Reverie さんも当スレにお帰りなさーい。 これで、元浦島さん、Reverie さん、そしてかわずさんの三碩学がそろいましたね。 そういえば、上の方の書き込みで元浦島さんが、最近の医学部の医局では、「振り子の 揺り戻し」が少し起こっていて、精神療法が実践・指導できる医師が再び活動できるように なってきている・・・という内容のことを書かれていました。 そういう医局や医療の現場が少しでも増えるといいなと思います。
精神分析では、強迫症状(強迫行為)の成因を、どのように理解していますか? 特に対象関係論では、どのような解釈がなされているのでしょうか?
353 :
かわず :2005/09/30(金) 22:41:33
>>348 Reverie さんが349でおっしゃっているのは、試験の回答としてはまったくその通り
だと思います。
しかし実際の臨床では、転移性の治癒を「好ましくない」とは言い切れないように
思います。ずいぶん昔に読んだものなのでおぼろげですが、メニンガーの論文で
「精神分析は転移の解決を図るが、精神療法は転移性の治癒をもたらすものである。
転移性の治癒の効果は一般に考えられてきたより、長く続く」といった主旨が
述べてありました。
転移性の治癒と思われる状態でも、私であれば終結します。抵抗や防衛として
解釈して、治療の継続を勧めるようなことはしないと思います。
「あなたは自己理解を深めたとは言えないかもしれないけど、そうしなくても
やっていけるなら、それにこしたことはない。けれどもやっていけなくなった
時には、また治療をする必要があるだろう」
と言うようなことを、話すかもしれません。
転移の解決や洞察のみを目標とするのは、古典的と言いましょうか、原理主義と言い
ましょうか、現代の臨床では通じないと思います。もちろん試験のときには、こんな
ことを四の五の書くと落っこちるでしょうが……。
>>351 「碩学」はひらにご勘弁を。恥ずかしい限りです。
>>351 召喚どーもっす
ちなみに碩学の読み方をつい先ほどまで知らない私は「碩学」ではないです(恥カスィ
>>353 かわずさん
お題として面白くなりましたね。
そーなると、精神分析療法の治癒像と精神療法の治癒像の違い、ということに帰結しそうです。
古典分析ですと「症状が消失する」という医学モデルが治癒像とされたように思えますね〜。
精神療法的には「終わりなき分析」自体もある種の治癒像と考えられるのかも知れません。
確かに、多年にわたり心理療法を受け続け、それである種の均衡を保っているというクライ
エントさんもいらっしゃいますし、ある意味病院臨床では保険医療だからこそこれが成り立
つのかもしれません。自費でやればよほど裕福でないと経済的に破綻しかねない均衡ですし。
確か、神田橋先生の「治療のこころ」で「精神病水準の不安と庇護」の終結について批判的な
ことを書かれていましたね。
僕自身の治癒像としては、内的・外的なストレスに対して、ある種の安全で妥当なコーピング・パターン
が作動する状況ではないかと考えています。薬物と精神療法の折衷的な目標、といえばそれまでなのですが(汗)。
>>352 古典分析では強迫症状(強迫行為)の成因は「リビドーの肛門期固着」ではなかったですか?
症例の「ねずみ男」がそうでしたね。
この症例自体も現代の診断基準から考えるといろいろ議論を呼ぶものですが。
対象関係論的にはどーなんでしょ、新しい理解があるのかな?
すいません、このあたりは分かりません。
【質問】 精神分析についてほとんど初心の者が集まって読書会をしようかと思います。 レベル的には臨床系の修士課程を修了した段階です。 いくつかリストにあがってる書籍があるのですが、どれが初めに読むのが いいでしょうか? ご教示よろしくお願いします。 @私説対象関係論的心理療法入門(松木邦裕) A対象関係論を学ぶ(松木邦裕) B精神分析という営み(藤山直樹) Cこころのマトリックス(T.H.オグデン) D患者から学ぶ(P.ケースメント) E現代クライン派入門(岩崎学術出版) *他に適当な書籍があれば、教えていただけたら幸いです。
359 :
没個性化されたレス↓ :2005/10/03(月) 23:01:21
精神分析と脳科学、あるいは神経生理学との関係を教えてください。 フロイトの考え方はどの程度科学的に立証されているのですか?
360 :
没個性化されたレス↓ :2005/10/03(月) 23:04:18
エビデンスですね?
361 :
かわず :2005/10/03(月) 23:21:49
>>354 転移性の治癒で良い状態をキープできている場合は、取り入れが生じているのだ
と思います。治療者から良いものを取り入れるには、それなりのキャパシティが
必要で、クライエントに羨望や貪欲、被害念慮が生じるような方の場合は難しい
のだと思います。
フロイトの精神分析は、基本的には医学モデルによっていたのだと思います。
つまりは分析によって症状の原因を取り除くことが本筋で、クライエントが分
析のプロセスの中で、あるいはセラピストとの関係を通して、何を獲得をして
成長、発達していくかは、軽く見られていたように思います。
あごひげを生やした分析家に治療を受けたら、患者もあごひげを生やし始めた
……などと言う笑い話もありますが、その患者はあごひげだけでなく、分析家
の落ち着いた物腰や、コミュニケーションの能力を取り入れているかもしれま
せん。「あごひげを生やした以外は、何も変わらない」のであれば、抵抗とい
うことになるのでしょうね。
362 :
没個性化されたレス↓ :2005/10/03(月) 23:24:01
へー
363 :
356 :2005/10/04(火) 00:51:35
>>358 >Reverie 先生
ご返信ありがとうございました。
たしかに、対象関係論に重点を置いた読書会になりそうです。
子どもの臨床(虐待)やボーダーライン様の障害を理解するために、
対象関係論的な理解が必要ではないかと思ったからです。
精神分析セミナーやギャバードの書籍も参考にさせてもらいます。
その他に、日本の臨床家の著書としては、成田先生の本などは個人的には
繰り返し読ませていただいています。
また、心理の先生の著書としては、金剛出版の『心理療法の形と意味』
(溝口純二)も一読させていただいて、著者御自身の言葉で表現された
精神分析的な心理療法の論考であると思いました。
またわからないことがあれば、質問させていただきます。
よろしくお願いいたします。
>>359 純粋な疑問w、として答えてみますね。
恐らく脳科学的な方法論としての研究は少ないですねぇ
ただfMRIを使い、表象を想起した場合の変化を捉えた論文はあるようです。厳密に言えば
精神分析ではないのですが、精神分析でおこりうる表象に対する操作という意味で大事な
論文かと思いますが(Cognitive, Affective, & Behavioral Neuroscience.)。
あと、エビデンスという意味では精神療法のアウトカムの比較をした大規模調査があったはずです。
日本でも、精神分析と森田療法(だったかな?)を比較した論文が出ていたのではないかと。
365 :
没個性化されたレス↓ :2005/10/04(火) 01:06:06
どっちがどうなのですか?
かわずさん
>>361 >転移性の治癒で良い状態をキープできている場合は、取り入れが生じている
確かにその通りだと思います。ただし、僕的には治療者が「ほどよく」取り入れられる
必要があるかと。よい部分・悪い部分が統合されある程度いい対象として取り入れられる
必要があるかなと思いました。
ただ、現実的な適応場面で安定した状態というのは、「セラピスト−クライエント間の(ほどよい)関係性」
が取り入れられるようになることかなと思います。「取り入れ」というより「内在化」といったほうがいいんで
すかね(汗)。その関係性を築く、表象としてのセラピストの取入れが必要になるのかも。
ただ、ここまでセラピーがすすむのは大変でしょうけどねぇ(笑)。
なんとなく「現実の対人関係はすべからく内的対象関係の現れである」という流れなんですが。
クライエントに「離魂現象」(神田橋先生の)が起ると、本当に生きやすくなるのかもしれませんね。
>>365 すいません。はっきりした結果は覚えていません。論文になっていたと思いますので、
見つけたら教えてください(あせ
今は行動療法が主流で、純粋な精神分析はほとんど行われないと言う話を聞きましたが、そうなんでしょうか
>>368 たしかに、そのように言われることも多い。
しかし、「純粋な精神分析はほとんど行われない」というわけでもない。
実際に日本でも徐々に分析プロパーの人数も増えつつある。
もう少し経過をみないと何とも言えないけれど、そのうちクライエントの方で、
どちらのオリエンテーションでも選べるような時期がくるかもしれない。
>>368 どうなんでしょうねぇ。精神療法を行うセッティングでも違うような気がしますね。
病院臨床での頻度なのか、個人精神療法のオフィスでの精神療法なのか
精神科医の開業医さんがされる頻度なのかでも随分と変わってくるような気がします。
>>363 追補です。
僕自身は精神分析プロパーではないので、僕の勧めた本はセミナーで勧められた本や
自分で読んでよかったと思える本です。一番いいのはスーパーバイザーが勧める.本でしょうね
(このあたりはよく理解されえいると思いますが)。
ただ、クライエントの理解に力動的な視点は有効であろうと思いそれなりに勉強してきたタイプなので
少しでも役に立てばと思い書きました。
僕がここで書いているフレーズ(やりとり)も、英会話のレッスンにたとえると「とっさの一言」的断片w
ばかりですので英会話の本流とは、多分異なると思いますので、その点、十二分に差し引いてくださいね。
王道はやはり、スーパーバイザー・教育分析・クライエントとの出会い、でしょうね。
There is no royal road to the psycho anlysis.
You are right !
松木先生の「私説対象関係論的心理療法入門」届きました。 ま、漏れにとって松木先生はカリスマですから割り引いて聞いていただいてけっこうですがw いい本ですよ、これ。 面接室の治療設定から、解釈まで出展を明示したうえで、松木先生の考察を書かれています。 「言葉(文字)にしつくそう」といういう意図が強く、本自体から「伝えよう」という気迫が まさに伝わってきます。随所に「対象関係論を学ぶ」の引用もあり、理論をいかに具体化・現実的な ものにするかに普請されていますね。 可能な限りあいまいさを排し、心理療法を芸術から技術へ橋渡しされようという本のように思いました。 巻末の逆引き精神分析wもなかなか面白いアプローチ化と思います。精神分析的精神療法 (ひょっとすると力動的精神療法を含められているかもしれませんが)を行うのに、 「本」というメディアでセラピストを援助しようという非常に心ある書だと思います(褒めすぎ?)。 「対象関係論を学ぶ」と併読がよいかと。実務で心理療法をされている方はこの本を読んで 「対象関係論を学ぶ」を読むのも理論が入りやすいかも知れません。
>>374 折れも「私説対象関係論的心理療法入門」を読みましたよ。
「私説」と銘打っているように、松木先生のオリジナルな捉え方がちりばめられて
いる内容でしょうかね。
それにしても、精神分析の構造は、とても厳密なことに改めて感じ入りました。
このように構造化をきっちりすることによって、セラピスト−クライエントを
包む「器」を形成されるものなんだろうなと思いました。
翻って、我がセラピーの構造化ははたしてどれほどのものになっているのかと、
いろいろと考えながら読みました。
当スレを読まれている先生方で、ご自身のセラピーの構造について、どのように
工夫されているのか、お聞かせいただけたらと思います。
376 :
かわず :2005/10/09(日) 21:35:27
「治療構造が強固になればなるほど、患者は自由に語る」と言う、神田橋先生がど こかで書かれていて、それはその通りだと思います。ただしその強固な治療構造が セラピストによる一方的なセッティングなのか、クライエントの希望を入れるのか、 すり合わせはどうするのか……と言うところが、難しいところかもしれません。 クライエントによっては、「こういう構造でなければ、あなたの治療は引き受け られません」と言わなくてはいけないかもしれません。しかしできることなら、 セラピストとクライエントで、その構造の意義が共有されている望ましい、と 考えます。 治療構造には、「クライエントとセラピストを守るため」と言う消極的な意味と、 「転移や抵抗を見定めて介入するため」と言う積極的な意味があります。セラピ ストの側で治療構造を守ろうとしないことがあるとすれば、それは経験が浅くて 治療の厄介さをよく知らないか、逆転移によるものでしょう。時間や場所、料金 などの外的な構造については工夫も何もあったものではなく、とにかく守るしか ないと思います。 そして面接の目的や双方の役割と言う、内的な構造については、「自分は何をす るために、この人に会っているのか」と、絶えず問いかけてみることが大切だと 考えます。これは工夫と言えば、工夫かもしれません。とりとめのない話になっ てしまいました。
子どものセラピーの場合、治療構造を大人と同様に行なった方がいいでしょうか? 治療の枠に乗って来にくい子どもなどに、普段の生活場面に寄り添い、徐々に セラピーの枠組みに乗せて成功しているという知り合いのセラピストもいます。 でも、なんだか、セラピー側が自分の都合だけでコントロールしようとしている ところが、どうしても気になります。 子どもの場合も、セラピーを行なう場所などの治療構造を、原則として一定にして おく方がいいと思うのですが、どんなでしょうか?
>>377 情短や養護施設の場合、来所相談と違って、子供の生活場面とセラピー場面が
切り離しにくい状況ではある。
でも、それだからといって、構造化なしでセラピーしていれば、ゴッチャになって
しまって、何をしているのか分からなくなりそうな希ガス。
よく「施設の臨床では構造化できない」と言うヤシがいるけど、それって構造化できない
ことの言い訳も混ざっているように思います。
>>377 >>378 構造化を行なうのに、クライエントの年齢は関係ないと思う。
子どもだから、日常の遊びでラポを付けて面接に導入するのなどは
まさに「子どもだまし」というやつで、子どもに対して大変失礼な
ことをしているんじゃないかと思う。
そういえば、クライン.Mとフロイト.Aの子どものセラピーに関する論争も、 構造化をめぐる論争と読めることも可能か。
381 :
没個性化されたレス↓ :2005/10/14(金) 11:53:49
そろそろ精神分析学会の時期。 もしくは、もう先週ぐらいだったのかな? 行かれた方は、報告ヨロシク。
来週の土日ですね。
383 :
没個性化されたレス↓ :2005/10/22(土) 20:59:13
学会開催中age。
384 :
没個性化されたレス↓ :2005/10/23(日) 02:10:49
谷山浩子と自分に酔ってる心理士フォー!!!
広島に参加された先生方、インプレッションをいただければ嬉しいです。 行きたかったなあ。
386 :
没個性化されたレス↓ :2005/10/27(木) 18:49:09
学会報告募集中、age。
現代クライン派のDavid Bellが講演してました。 大会長がクライン派だからか,出版事情も込みで 全体的にクライン派の勢いが目立った気がします。
>>387 最近、クライン派の翻訳も相次いでますね。
折れは分析学会に入ってないのですが、会長さんはどなたでしょうか?
M先生でしょうか?
389 :
没個性化されたレス↓ :2005/11/03(木) 18:35:24
>>377 >>378 >>379 子どもの場合、治療の初期に構造に入りきらないことが多いって一般論として
言えるでしょう。子どものやりように付き合うしかない時期もあると思う。
その後、子供なりに精神療法の価値が感じられるようになれば、
構造に乗ってくると思います。
390 :
没個性化されたレス↓ :2005/11/07(月) 10:56:58
上でも紹介されてるけど、『現代クライン派入門』はケコーウ骨があるね。 少しずつ呼んでまつ(^−^)。
最近の分析学会は、クライン派が主流ですかね、 クライン派というより、もう少し大きく括って対象関係論がメインでしょうか。 自我心理学派はどんな様子でつかね?
藤山先生の第二弾が出ないものかと待ってます。
>>316 もの凄い亀レスですが、昨日、医療心理士スレで医者と論争をして、浦島先生の
おっしゃる意味が良く分かりました。
外国から日本の精神科医療の中に戻っていらしては、その違いに愕然とされるのも
仕方がないと言うことが良く分かりました。
日本の医療はあまりにもエビデンスに縛られ、マニュアル化され、人間性を忘れて
います。それに医者達が疑問を抱いてもいない。このまま、日本の医療はどうなって
しまうのでしょう。
394 :
元浦島 :2005/11/11(金) 21:53:42
やっと少し時間が出来たので、書き込ませていただきます。 きちんとした「精神療法」が盛んでもない現在の日本における、「エビデンス 至上主義」に基づいた活発な「精神分析批判」は、私にとっては非常に不思議な ものに見えます。「エビデンスによる精神分析批判」の本家のように思われて いるアメリカは、現在でも精神分析家の数が世界でトップクラスであるとか、 精神科の教科書の「精神療法」の最初は相変わらず「精神分析」「精神力動的 精神療法」であるとかの情報は、何故あまり知られていないのでしょうか? アメリカでの批判は、「精神分析家が精神科の教授の過半数を占めてしまった」 という過去の「異常事態」の揺り戻しにしか過ぎないのですが、何故このことを 知っている人がこんなに少ないのでしょうか・・・。 「精神療法が盛んでもないのに、その批判ばかり盛んになる」のは、日本に おいて、「臨床家としての技量のみ」では特に他の精神療法の専門家からの 評価を得ることが難しく、「研究も同時に出来る臨床家」でないと影響力を もてないという状況が関係しているのかもしれない、と思いました。アメリカ・ イギリスなどでは、論文をほとんど書かないが、専門家集団内での臨床セミナー などでの貢献を通して他の専門家から尊敬され、指導的立場にある精神療法家 というのがごろごろいますので。しかし日本でこれを実現しようとするならば、 かなり高いレベル以上の技量をもった「精神療法家という専門家集団」の形成 から始めないといけないでしょうから、遠い先の話になりそうです。 さしあたっては現在のように、(基礎系の研究者に論文の数で圧倒されながら ー笑ーも、何とか論文を書いて)大学、大学院などで生き残り、細々と精神療法の 研修を提供していく、という形を取らざるを得ないんでしょうね。 例えばイギリスのように、「基礎系である程度業績を上げた研究者が、訓練を 受けて精神療法家になる」というケースが増えてきたりすると、日本でも 精神療法のエビデンスが増えて面白いとも思うのですが・・・。
>>394 日本でも心理系の院ではなく、イギリスのタビストックのようなセミナーが
できないものでしょうか?
そのように臨床実践を重視した団体ができれば、臨床実践に重きを置いた
臨床家が今よりも出てくるような気がするのですが・・・。
マリリンは精神医学に関しては部外者なのでよく分かってないのかも知れませんが 今までと違った治療法(精神分析的治療法etc)が医療の中に根付くと言うことは今までの やり方が変化がしていくと言うことだと思うのです。 多分、日本の医療界はこの変化を嫌います。今まで使われていた薬が使われなくなったり アカポスで必要とされる人材も変わって行くからです。つまり今まで保険行政としっかり 結びついて、お金儲けをしていた人たちがその利権を奪われることになるからです。 だからエビデンスが出ていないから「科学的証明」ができていないと、意図も簡単に 効果があるかもしれない治療法を切り捨てるのです。そうした場合こういう人たちは 検討してみる姿勢すら見せずに切り捨てる。 それじゃ。自分たちの治療法にどれだけのエビデンスが出ているかとなると、たいした データがなかったりする。検体の数が小規模だったり、結果に人為的に操作がしてあったり したモノまである。それも出せないと平気で症例報告みたいなモノを出してきて効果が あったと言う場合すらある。それでも今までの標準的治療を支持するモノである限り、 それで認められて行くんです。
こうした医療のあり方の中で日本の精神療法(心理療法)は諸外国から比べて 本当に遅れていると思います。 このままほっておいては患者さんが不幸です。何とかして精神療法や心理療法が 根付いて行って欲しいと考えてます。そのためには患者さんが声を上げないと日本の医療は 変わって行けないのかも知れないです。 後、基礎系の心理学というのも、基礎系の医学とは違った意味で心理療法に対しては大きな 知的財産だと思うのです。精神療法にしても心理療法にしても、これがまったく利用され ていないのは残念でなりません。何とか利用する方法を考えるべきです。
398 :
没個性化されたレス↓ :2005/11/13(日) 08:03:17
指導あげ。
浦島さんのような方が、臨床系の大学院の先生になってくれないものだろうか?
400 :
没個性化されたレス↓ :2005/11/15(火) 14:31:31
401 :
かわず :2005/11/20(日) 00:41:33
私は心理学科で「心理学は読心術ではありません。科学です」と鼻息の荒い教師から、 実験計画法と推計学を教わりました。実は読心術を習いたかったのですが、そう言う のも恥ずかしいし、言ったところで誰も教えてくれなかったので、演習や卒論では実 験をして統計処理をしていました。 実験心理学を学んだことは、臨床には役立っていると思います。対象を客観的に見よ うとすること、条件を統制した中で変化を見ることなどは、いきなりクライエントに 関わっていては身につかない態度だと思います。ですが、実験心理学と臨床心理学は 別物であると考えます。別物をくっつけようとすることで、無理が生じてくるし、た とえば scientific practitioner と言う米国のスタンダードは、研究者としてのアイ デンティティには資するでしょうが、現場の臨床家は違和感を感じるのではないでし ょうか。 そもそも、精神療法の「効果」は数値化にはなじまないのです。 と言ってしまえば、「逃げている」と言われるだろうし、ますます胡散臭く見られる のは分かっているのですが、でもそうとしか言えない。実際に精神療法を受ける、あ るいは行う、と言うことを通して分かっていく感覚ではないでしょうか。 「自分は精神療法を受けて良かった」と思える人が、一人ずつ増えていくように、地 道な営みを続けていくことでしか、世間の理解を得られないのではないか、などと考 えています。
402 :
元浦島 :2005/11/20(日) 22:01:49
(精神科、臨床系の心理学科などの)大学・大学院で教職員として働いている ものは、「研究者が臨床も行っている場合」と「臨床家が研究も行っている場合」 の二つに大きく分けられるように思います。 そして前者の職員は、「どちらかと言うと革新的で、論理的思考に優れているが、 患者を治すのがあまり得意ではない」をいう特徴があり、後者は「どちらかと 言うと保守的で、専門技術を持った職人として患者を治すことは得意であるが、 劇的に進歩することはあまりない」という特徴があると思います。そして日本の 大学、大学院においては、前者のほうが出世するためにはずっと有利だと 思います。 日本における問題は、日本の大学・大学院などが本来研究者の養成機関である にもかかわらず、臨床家の養成機関としても機能せざるを得ない、という点だと 思います。しかしながら心理の先生方の場合には、本格的な臨床の訓練に入る 前に大学院位は出ておいて頂かないと鍛えようがない、というのが私の実感と してありますので(偏見かもしれませんが)、大学院で臨床家として本格的な 訓練をするというのは、あまり実際的ではないかもしれません。 すると結論としては、少なくとも心理の先生の場合には、大学院を出た後に 系統的な訓練を行うことが出来る、それこそタビストック・クリニックのような 施設が必要ということになるのではないかと思います。 酔っ払っているため、論旨が乱れているかもしれません。すみません。
酔っても論旨が乱れない元浦島さんは、さすがだと思いました。
>>401 >「自分は精神療法を受けて良かった」と思える人が、一人ずつ増えていくように、地
>道な営みを続けていくことでしか、世間の理解を得られないのではないか、などと考
>えています。
こういう考え方は研究者の考え方ではなく、臨床家の立場の人の考え方だと私は思います。
少なくとも臨床家であるマリリンは一頭でも病気のペットが私の治療で助かり、飼い主に
喜んでもらえば満足です。別に治療した子のデータを数値化して残そうとは思いません。
しかしながら、それが許されるのは私が浦島先生がおっしゃるような
>「研究者が臨床も行っている場合」 ではないからじゃないですか。いくら心理療法と
言えど、研究者が臨床をした場合、データをまったく残せませんなんてことが許される
はずがないじゃないですか。
効果の絶対的な数値化は無理にしても、年齢、性別、治療の回数、例え主観的であったとしても
何段階かに分けた効果の程度とか、症状の程度とか、なんだかのデータを残さなきゃ研究者
とは言えないと思います。
心理臨床の場合、
>実験心理学と臨床心理学は別物であると考えます。別物をくっつけようとすることで、
>無理が生じてくる
このようにはっきり言い切ってしまえるのは、臨床家に無理に研究を強た結果と研究職が
臨床にまったく理解を示さない人が多いためではないかと思います。
つまりそれは「研究者が臨床を行っている場合」がほとんど存在しないと言うことでは
ないでしょうか。
>実験心理学と臨床心理学は別物であると考えます。別物をくっつけようとすることで、 >無理が生じてくる 後、いくらこんなことを言われても、世間一般と言うか他分野から見たら、この二つは どう考えたって同じ心理学内部の学問なんですわ。マリリンにとっては技術系学問と 理論系学問が違うのは当たり前であり、それがどうして問題なのか分かりません。 生化学や微生物学と外科や内科は別物です。くっつけようとすることで、 無理が生じてくると言われても、そんなの当たり前何じゃないですか?どうして無理に くっける必要があるのですか?としかお答えのしようがありません。
>>402 >しかしながら心理の先生方の場合には、本格的な臨床の訓練に入る
>前に大学院位は出ておいて頂かないと鍛えようがない、というのが私の実感と
>してありますので
これねー。私も良く分からないですが、この板の人の話を聞いていると
心理の場合、大学院出ていれば良いってわけじゃないみたいです。
どうも、大学院を出てることが質の保証にはなってないようなんです。
研究者が数値化の難しいモノをデータ化する努力をしている研究が、この前の学会で あったので書き込んでおきます。何かの参考にして下さい。 >サプリメントには2つの方向性がある。アメリカ型と中国型である。アメリカ型の場合は >栄養型であり、同定、成分、安全性等は明確であるが、中国型の場合は生薬系で >ある以上、これらを明確にしなければ臨床応用に応えられるエビデンスは確立できない。 >そこで生薬学を基礎に農学・微生物学・分析学をもって、基礎的根拠を確立することを >(研究の)目的とする。 例として霊芝が出されていた。霊芝というサプリメントは末梢血管の血流を著しく改善 するサプリメントらしい。これを薬物申請するには、きちっとした明確な定義が必要な わけだ。そこで生物来源として菌糸分類による形態観察、菌種のDNA塩基配列解析 等で分類し、その上で地理来源(産地)による分類 薬物部位による分類と細かく 分けた。しかし何せ自然の植物、見た目だけでも育った環境によって相当違うらしい。 仕方ないので色による見た目分類までして抽出物の分析をすると、これが同じ種類の植物 かと疑うぐらい含まれているモノの量が違うらしい。これではとてもじゃなく西洋医学的な 薬物申請は難しい。だけど、この研究者はできないモノを何とかデータ化する 努力はしているわけだ。 心理臨床もデータ化できないで終わらせていては、いけないような気がするよ。
子どもの心理療法で、分析的な観点から書かれた本があれば、紹介よろしく お願いします。
>394(元浦島さん) >きちんとした「精神療法」が盛んでもない現在の日本における、「エビデンス >至上主義」に基づいた活発な「精神分析批判」は、私にとっては非常に不思議な >ものに見えます。 その通りですね。 ただ、日本では臨床心理学ブームがあり、その反動で精神分析批判も 活発になっているのではないでしょうか? 一時のブームに乗ったのではない、それまで真面目に取り組まれて 来た人達にとっては、災難であったのかもしれませんね…。
>401(かわずさん) >そもそも、精神療法の「効果」は数値化にはなじまないのです。 質問が二つあります。 (1)精神療法の「効果」とは、数値で表さないとすれば、 どのようにして分かる(現れる)ものなのでしょうか? もう一つ質問です。 (2)なじまないのは何故でしょうか? 人が感じているものを、数値化できないからですか? 逆に言えば、数値化するには、人が感じているものを 数値化できる手立てがあれば可能ということでしょうか? (クオリアに行きつき、とりあえず行き止るという悪寒がしますが)
411 :
かわず :2005/12/06(火) 00:37:16
たまたま開いてみたら質問されているなんて、タイミング良過ぎでした。 (1)「もう(治療者がいなくても)一人でもやっていけそうな感じがする」とか、 「以前よりも落ち着いて行動できるようになった」とか、「周りの人ともうまく やっていける」とか、「相変わらず悪口は聴こえてくるけど、気にしないでいら れるようになった」とか、これはもう、本当にさまざまです。つまりパターン化 しないのですが、尺度と言うものはパターンに押し込めるものだから、数値化に なじまないのです。 (2)そして数値化になじまない、もう一つの大きな理由は、精神療法の「効果」に は、「幸福」が含まれているからです。例えばですが、どの宗教が信者の幸福にも っとも寄与しているのか、数値化して比較できるものなのでしょうか? 実は眠いので、これ以上考えが進みません。
かわずさんが、眠い様子なので、Reverieさん、出番ですよーw。
否、マリリンがお答えしましょう。 心理療法が数値化できないという理由は分かった。マリリンが言いたいのは数値化と言うか 効果の一般的な尺度を作る努力ぐらいしなければ科学的な研究対象として心理療法は 存在できなくなるよと言うこと。 どっかで精神分析的治療は文学の範疇だと書いていた人がいたが、効果の判定を 例え批判はあったとしても、ある程度一般の人に分かるようにできなければ、これは もう科学的な治療法とは言えないと思う。 例えば獣医の方でもペットの痛みの数値化を研究している人達がいるが、 犬や猫の痛みは私たち獣医の臨床家にしてみたら、痛そうだなぁとか苦しそうだなぁ 程度に認識して治療して、症状や行動が好転すれば治癒に向かっている と判断して現場では何の問題もない。だけど、研究者が痛みの研究として論文発表する 時はそんないい加減なことでは許されない。
ペットの痛みの数値化は難しい事は分かっているのでどうするかの例をあげておく。 >動物の痛み研究会では犬の急性痛の評価法の作成を試みた。まず、犬の痛みと関連すると >思われる表現(言葉、用語)を集め、類似の表現は一つにまとめた。個々の表現を複数の >獣医師それぞれがVASで評価し平均を求めた。VASの値が高い表現から順に並べて、 >それを4〜8のクラスに振り分けた。痛みの程度を評価することが(研究)目的であるが、 >その他に、犬の痛みと関連すると思われる表現を集めることも目的の一つとした。今回 >このようにして作成した痛みの評価法を報告する。 VASは10pの直線を引き左端を”痛みがない”右端を”想像できる最大の痛み”として、 その時点での痛みがその直線の何処にあるか印を付けるという方法。動物では観察者が 判断して印を付ける。 やっぱり、心理臨床は数値化には馴染みませんで終わらせていてはは他分野からは 理解できないよ。
>411(かわずさん) 410です。 レス有難うございます。 >つまりパターン化 しないのですが、尺度と言うものはパターンに押し込めるものだから、数値化に なじまないのです。 なるほど。 具体的な例で良く分かりました。 患者さんが気になっていたことが改善し社会生活を送る上で 前向きな方向が見出せたら終了という感じでしょうか。 そのために、数値化するには改善したか改善しないかの二値で 療法の効果が測られることになるのでしょうね。 そしてそれは、大雑把なもにならざるを得ませんね(^^;) まぁ、二値での測定でもちゃんと統制の下で測定されれば それなりに意義のあるものになるかもしれませんが。 けっこう前ですけれども、日経サイエンスにフロイトの理論を 吟味可能とするような方向を示した脳研究の話が出ていましたが、 それにしても、「臨床」兼「研究」というのは難しそうですね。
416 :
かわず :2005/12/08(木) 20:21:44
誤解のないように言っておきますが、私は精神療法の効果を数値化して研究する ことに全く意味がない、とは言っておりません。「なじまない」ことを十分に 理解した上での研究であれば、意味はあると考えます。 精神療法の「効果」は数値化になじまないがゆえに、研究のデザイン、例えば被 験者のサンプリングや、尺度の設定、測定方法、統計処理の手法などによって、 いくらでも数値を操作してもっともらしい結果を出すことができると言えます。 これは研究者の良心によっているだけではなく、治療に精通しているかどうか、 つまりは臨床経験の有無が関わってきます。 しかし、です。例えば「心理臨床学研究」を見ると、数値化による研究をして 「科学的な」論文を書いているのは若い人ですね。臨床経験がなくても、数値 化による論文は書けます。しかし臨床の経験を積んだ人が書く論文は、「科学 的」ではなくて、エッセイのようなものです。
>>416 心理臨床の研究の実態は私は分からないので全然見当違いな事を書き込んでるかも
知れないが。
>治療に精通しているかどうか、つまりは臨床経験の有無が関わってきます。
これは臨床系の論文の場合、大前提のような気がする。先に書いた犬の急性痛の評価基準
だって、ぺインコントロールを専門に研究している獣医師のグループでかつ研究専門の
ベテラン獣医師達が出してきた研究なので、一介の開業獣医師としては一目おかざるを得ない。
>研究のデザイン、例えば被験者のサンプリングや、尺度の設定、測定方法、統計処理の
>手法などによって、いくらでも数値を操作してもっともらしい結果を出すことができると言えます
この部分は、私たちの場合は、いい加減な事をしていると聞いてる方が臨床経験が
ある獣医師ですから、後で用意された質疑応答で、ばしばし質問されます。
研究専門の人たちですから、あんまりそういうヘマはしないと思います。
ただし、それでも自分の臨床で採用するかどうかは別問題だけどね。
私たちの場合、臨床経験の少ない人たちの研究は学会では重要視されないような気がする。
学会では、卒後教育セミナーや一般講演と経験が少ない人たちの症例検討会
とは、別に扱われている。
臨床経験の少ない人たちの発表は、とても難しい事を、一生懸命述べてはいるが、突っ込
まれたり、質問されると答えられなくなる人が多い。結局、返答は指導した先生が後ろから
出てきて答えることになる。それでも場数をこなすと言う意味では参加することに意義はある。
臨床経験の少ない人の発表と、それ専門に研究しているグループの発表は分けて
聞けるように、学会の発表自体を整理した方が良いと思う。
418 :
元浦島 :2005/12/09(金) 21:45:43
>>409 >ただ、日本では臨床心理学ブームがあり、その反動で精神分析批判も
活発になっているのではないでしょうか?
>一時のブームに乗ったのではない、それまで真面目に取り組まれて
来た人達にとっては、災難であったのかもしれませんね…。
「臨床心理学ブーム」が「精神分析」にとって災難となった原因のひとつは、
「臨床心理学ブームにのった『怪しい治療者』」には、「精神分析」の影響を
受けた人が多かったという点だと思います。(少なくとも私は、そういう印象を
持っています)しかもこの「影響の受け方」が問題で、「怪しい治療者」のほとんど
すべては、「フロイトなどの本を読んだだけで、自分は精神分析を理解したと
思い込んでしまった治療者」や、「自分だけは例外的に優れた人間であり、
訓練を全く受けなくても、精神分析を直感的に理解できたと思い込んだ治療者」
だと思います。
そしてもうひとつの原因は、「精神分析批判」において、批判の対象となって
いる「精神分析」が、しばしば「本当の精神分析」とは異なっている点だと
思います。例えば「危ない精神分析」で批判されている「精神分析」は、
「本当の精神分析」ではありません。(この点については、日本精神分析学会が
反論を出していたと思います。)
419 :
元浦島 :2005/12/09(金) 21:52:26
>>418 言葉にしにくく、実体験でないと伝えにくいという性質が影響していると思い
ますが、「精神分析」はとても誤解を受けやすいと思います。そして残念ながら
これは、専門家や、精神分析の訓練を受けた人でさえ例外ではないと思います。
例えば認知療法を創始したアーロン・ベックは精神分析の訓練を受けた人ですが、
彼による「精神分析」批判は、的外れといわざるを得ない部分を含んでいると
私は思います。(ただし彼の創始した認知療法は、とても有用なものだと考えます。
私が問題にしているのは、彼の「精神分析」批判に関してのみです。)
420 :
元浦島 :2005/12/09(金) 22:13:15
>>410 ,411,415,416
少し整理させていただきます。
「精神療法(心理療法)」の中には、「精神分析」「精神分析的精神療法」
「力動的精神療法」のように「経験的」「感覚的」で、数値化になじみにくい
ものと、「認知行動療法」のように「論理的」で、数値化になじみやすいもの
とがあると思います。そしてかわずさんの書かれている「精神療法」は、前者に
ついてだと私は思います。
そして前者においても数値化が不可能というわけではなく、いろいろな尺度が
提案されてきています。しかし、例えばかわずさんが書かれているようなあい
まいなものを対象とせざるを得ないため、後者において用いる尺度に比べ、
研究者・被験者双方にとって、とても負担の大きなものにならざるを得ません。
しかも前者の治療の性質上、尺度を用いるという行為そのものが、治療経過に
対して無視できないほど大きな影響を与えてしまいます。
この結果後者に関する論文は書きやすく、エビデンスとしては後者のほうが
ずっと多くなってしまうということになります。しかしこれは必ずしも、後者の
ほうが有効であるということを表していることにはならないと私は考えます。
前者について言えば、その「体験的」「臨床的」あいまいさゆえに、さまざまな
新しい治療法を生み出す母体となったきたのだと私は考えています。例えば
前述した通り「認知療法」は、「精神分析」の訓練を受けたベックが「彼の
考える精神分析」を批判するところから生まれてきました。また「対人関係
療法」が大きな影響を受けたサリバンは、もともとアメリカの精神分析における
勢力争いの結果、排除されてしまった人です。
「精神療法の本質」は、「一人の人間(治療者)がもう一人の人間(患者)を
何とかして援助しようとする試み」という「とても経験的、感覚的なもの」
であると私は考えています。これが正しいとすれば、とても「経験的」で
「感覚的」な「精神分析」は、「精神療法の本質」にとても近いものですから、
どれだけ批判されても無くなることはありえない、と私は考えています。
421 :
元浦島 :2005/12/09(金) 22:21:14
418-420を、今読み返してみました。 そして今の自分が、論旨が乱れているかどうかも分からない程酔っているのに 気がつきました。(日本酒がおいしい季節ですね・・・) 文章が多少おかしい点があると思いますが、お許しください。
>>416 「なじまない」といういいまわし、言葉のニュアンスとして成田先生がお使いになりそうな感触ですね。
いや、確かにその通りだと思います。
昨今のエビデンス至上主義の論文を見ていると、歯がゆく思えるものがおおいですね。で、
エビデンス、エビデンスと声を大にしている方って臨床研究の他の領域ではあまりお目にかからない
先生が多いように思います(ま、私の勉強不足っていうのが大きいんですけどね 笑)
少なくともエビデンスに関しては、実験デザインや因果律の問題などその研究結果の前提としている
仮定に関して慎重に吟味した上で結果を見る必要ですよね。
さまざまな尺度やサンプリング、統計的手法を越えて、現在のように結果が一意に決まらないという
ことを考えるのはこれはこれで面白いかなと思います。
僕自身が考える要因というのは基本的に、尺度や変数の独立性(統計的でなく実質的に)が乏しく
恐らく、かなりの関連をもって動いていると思います。こういう変数群を相手に解析をかけても、
たとえそれが統計的に有意であっても実質的に異なる(あるいは相関する)かは別の問題ではないかと。
いわゆるパラメタの問題が大きく存在するのではないかとという仮説です。
あと、こちらのほうがより根本的だとは思いますが、対象(被験者)の均一性の問題ですね。 動物実験ならいざ知らず、ヒトでの臨床研究は対象の均一性の問題があると思います。 基本的にEBMで用いる前提として、「着目する変数以外はすべて実質的に同じである」という 前提ですね。これがヒトの精神活動でかなりの部分同じであるという前提が困難ではないかと。 むしろ、クライエントの独自性・個別性を大事にしてきたのが心理療法・精神療法なのでは という気がします。心理学的・社会学的・生物学的側面あるいは内的・外的・素因的要因 に少なくとも影響されている精神活動はそうそう簡単に均一化できる対象にはならないでしょう。 ですので、尺度や変数という概念で精神活動を「分割」した場合、その変数群はどれだけ 精神活動をあらわしているかという問題になるかと思います。特にMulti-dimensionな 形式は難しいでしょうね。 なんとなくですが精神療法の営みというのは、どのようなかかわりも(肯定的な意味で) 「やらないよりはやったほうがいい」というところに行き着くのかなと。 そして、その組み合わせ的なかかわりが「援助」となり、クライエントの自助の力を 回復させるのではないかと思ってみたりします。 そして、その組み合わせを効率よく習得するには建設的な徒弟制度が不可欠なように思います。 まとまりのない文ですいません。
誤解があるといけないので書いておくけど動物実験とペットの臨床は違うからね。 動物実験では検体の生活環境、年齢、遺伝的特徴、治療方法などで統制が取れるけど ペットの臨床の場合は統制なんて取れないからね。どちらかというと人間の小児科に 似ていると私は思っている。
>>410 さん
おっと、(1)の問題に関してはAPAのGabaardらが力動的精神療法の
Followup studyをだしています。このときの評価尺度は確か、症状の
消失ではなく社会適応の回復を基準にしていたと思います。
機能の全体的評価尺度(GAF)をもちいてその改善度を追跡調査していた
ような
426 :
かわず :2005/12/13(火) 00:33:06
元浦島さん、Reverie さんがおっしゃっていることは、その通りだと思います。 数字の「もっともらしさ」に惑わされずに、本質を見ていくことが研究だと思う のですが、こう言ってしまうとまた秘術のように思われてしまうのですね(笑)。 秘術と言えば、精神分析が難解になっていて、世間一般とはかけ離れた非常に マニアックな世界になっていることは否めないと思います。専門用語と言えば まだ聞こえは良いのですが、仲間内だけで通じる隠語やら符丁やらでやりあっ ていて、時には言っている本人も分かっていなかったりする。これでは世間から 理解されにくいのも無理はないかな……、なんて、また愚痴になってしまいました。
閑話休題 分析的なセラピーの場合、セラピーの「継続率」はどれぐらいでしょうか? たとえば、5回以上のセッションが継続される確率とか。 一般の心理療法の場合、7割ぐらいのクライエントが、3回以内で中断に なることがあるという話を聞いたことがあります。
428 :
没個性化されたレス↓ :2005/12/14(水) 18:53:45
分析的なセラピー(精神分析的精神療法)を 10年以上に渡り受け続けてきたモノですがその効果を 実感としてクリアに言語化できないところが、時々もどかしいです。 411の >(2)そして数値化になじまない、もう一つの大きな理由は、精神療法の「効果」に >は、「幸福」が含まれているからです。 たしかに昔より「幸福」かもしれないが、それは精神分析的性精神療法を受けた効果によるものなのか、 たんに年をとり、経験を経てきたから...ということだからなのかがはっきりしないもので。
>>428 何を「幸福」と感じるかは、奥の深い問題だと思う。
>>428 >たしかに昔より「幸福」かもしれないが、それは精神分析的性精神療法を受けた効果によるものなのか、
>たんに年をとり、経験を経てきたから...ということだからなのかがはっきりしないもので。
>たんに年をとり、経験を経てきたから.
これは、違うような気がする。年を取ったって幸福感を感じられないまま死を迎える
人なんて一杯いる。
人生には、節目節目で自分の進路を選択する時がある。その進路を誤れば
いつまでたったって幸福は掴めない。貴方が今、幸福感を感じられるのなら
この選択が大きく誤ってはいなかったんだと思う。
人生の選択とは別に同じ事象でも幸福感を感じることができるかできないかという
問題でも年をとり経験を経てきたからなんて言うのは納得できない。
年を取っても捻くれて文句ばっかり言ってる人、一杯いる。貴方が今、幸福感を感じら
れるのは、年を取ったためではない、それは多分他の原因だ。それが精神分析を
受けたためかどうかは誰にも分からない。多分、それが分かるのは貴方だけだと思う。
433 :
没個性化されたレス↓ :2005/12/27(火) 16:44:58
さて、今年もよろしくです
元のレスがあったスレにあれ以上書くのは不適切っぽいので、 このレスの内容を書くのが比較的適切だと思われるこのスレに書く。 >ユング・フロイトは今は心理学会では全然廃れてる。 以下のようなことを縮めて言ったのかな? 間違いがあったら指摘してくれい。 ヴントやワトソンの流れを汲む「心理学」と臨床心理学とは一応別の分野で、 臨床心理学に分類されることもある精神分析は「心理学」とは関係がない。 むしろ現代思想と深い関係にある。 そして臨床心理学でも、認知行動療法のような「心理学」と関係があるやつが多数派である。 ただし精神分析のなかでは、フロイトは廃れていない。 (今年刊行されはじめるらしい岩波のフロイト全集の編集は、過半数が哲学者だね。) >実戦して確認してみたら? 現在の日本社会で可能な限りでは、すでに意図せずに実践済みかもしれん。 ある人物が強迫観念に苛まれたことを、俺の振舞いが助長していたかもしれんので。 その振舞いの一例として、 何人かの痩せている芸能人を好ましいと何気に頻繁に言っていたことが挙げられる。
むこうの233です。 >436 >臨床心理学に分類されることもある精神分析は「心理学」とは関係がない。 >むしろ現代思想と深い関係にある。 >そして臨床心理学でも、認知行動療法のような「心理学」と関係があるやつが多数派である。 だいたいそんな感じです。わざわざどうもありがとうございました。 一般大衆(存在しないけど)が思う(=マスコミが取りあげる)「心理学」には「臨床例」「実験室実験」から 「夢分析」「精神分析」「知能検査」「血液型性格分類」までw含まれているのですよ。 そこらへんが「学術」「臨床」と「娯楽」との違いなのでしょうね。 (文化庁長官の話を出したのは心理士の国家資格絡みで、若い女性が多いあのスレで 誰か食いつくかと思っただけです。気を悪くされたなら申し訳ないです。) それと、今更ですが横レスすいません。(勝手な感想ですので返答不要です。) むこうの232の216と213へのレスに関してですが 「学習」の有無が関係しているかもしれないと思ってしまいました。 女性の場合は知識が無いまま育ち、そのまま知らずに生活していれば社会的に抑圧されていても 気付かないままの人もいますから。 むこうの234へのレスも、234の書き込みを茶化しととるか、真面目にとるかで大きく違ってくるかと。 436に禁欲生活しる!と言っているのか、 436の超絶テク&学習理論で調教ギボンヌと言っているのかは知りませんが。 (このスレッドの住人の方々、場違いな発言でスレ汚し申し訳ありませんでした。お邪魔しました。)
最近、精神分析の理論や臨床実践を統合的に解説しようとしている翻訳本が いくつか出てますね。 そんな中の1つとして、岩崎から出ている『精神分析的発達論の統合 (1)』が あります。 まだ読んでいないのですが、読んだ人の感想としては割りとよかったという ものがありました。 当スレの先生方で読まれた方がいらっしゃったら、またご感想をお聞かせください。
439 :
没個性化されたレス↓ :2006/01/12(木) 10:04:11
こんなとこで、そんなこと聞いてる暇があったら、ささと貴様が本買って読め。 その上で書き込め。
>>438 煽り厨房はスルーしてw。
折れは、その本を今注文中でつ。
パインの本とどちらにしようかと迷ったけど、こちらの方にしますた。
評判は悪くない。
441 :
没個性化されたレス↓ :2006/01/14(土) 21:57:02
精神分析?二十世紀に終わったって話しでわ?
>かわずさん >元浦島さん 410ですが、返信が遅くなりすみません。 416(かわずさん)の詳細が、420(元浦島さん)で説明されているのですね。 レス有難うございます。 422-423(Reverieさん)は具体的な内容ですね。 お話を聞いているうちに、精神分析的心理療法の効果の妥当性や エビデンスとしてその療法の効果を調べることによるよりも、 その根幹となる理論のエビデンスを見つける方が早道なのかな・・・ と感じました。 (もちろん、療法の効果の調査や研究を行うこと自体が無意味とは 思いませんが。) >425(Reverieさん) >おっと、(1)の問題に関してはAPAのGabaardらが力動的精神療法の Followup studyをだしています。このときの評価尺度は確か、症状の 消失ではなく社会適応の回復を基準にしていたと思います。 機能の全体的評価尺度(GAF)をもちいてその改善度を追跡調査していた ような レス有難うございます。 なるほどです。 以前に、「何をもって回復したとみなすのか」という話を していた時に、「社会適応の回復」のようなご回答を頂いたことが あったように思いますが、この調査も同様の考え方なのですね。
444 :
没個性化されたレス↓ :2006/01/28(土) 01:13:18
■ Master of Clinical Science (MCS) コース
2004年10月1日、東北大学21世紀COEプログラム、「医薬開発統括学術分野創生と人材育成拠点」(Comprehensive Research and Education Center for Planning of Drug Development and Clinical Evaluation)「CRESCENDO」が発足し、
2005年4月より Master of Clinical Science (MCS)コースの第一期の受講生を受け入れることになりました。 他大学に先駆け質の高い臨床試験および臨床研究を遂行できる実践者・研究者の育成を行います。
http://www.crescendo.pharm.tohoku.ac.jp/MCS.html MCSコース教育活動におけるCOE/MCS認定制度が有限責任中間法人「薬剤師認定制度認証機構」(参照;
http://www.cpc-j.org )から、その定める審査基準に適合すると判定され認証されました。
規定の条件を満たした受講者は、薬剤師認定制度認証機構の認証を得た認定制度によるCOE/MCS認定が授与されます。
■ 対象者
医歯薬Ms.コース・Dr.コース在籍者・修了者、医歯薬学・保健学・栄養学・健康科学および他の健康関連学部の卒業者、薬剤師、看護師、検査技師、放射線技師、栄養師等、製薬・SMO・CRO企業派遣者、COE技術補佐員など、本COE運営委員が認めた者に入学を許可します。
445 :
没個性化されたレス↓ :2006/01/28(土) 05:33:28
↑ちょ、もまいら!なにこれww、うあぁwwwwww 必死だな、この大学wwwwwwwwwwwwww
446 :
没個性化されたレス↓ :2006/01/30(月) 21:28:32
浦島さん、かわずさん、Reverieさんは、おかわりないのでしょうか? もう当スレには来ないのかな?(´・ω・`)
447 :
没個性化されたレス↓ :2006/02/07(火) 20:24:27
これいいらしいよ。分析的な観点より書かれている。おすすめ。 『パーソナリティ障害の診断と治療』 ナンシー マックウィリアムズ (著), Nancy MacWilliams (原著), 成田 善弘 (翻訳), 北村 婦美 (翻訳), 神谷 栄治 (翻訳) (創元社)
448 :
没個性化されたレス↓ :2006/02/20(月) 21:32:40
エナクトメント(エンアクトメント)と、アクティング・インとの 違いは何でしょうか? ご教示よろしくお願いします。
前スレでの浦島さんの記述、コピペです。 他の辞典を調べてみたら、載っていました。次の本です。 A dictionary of Kleinian thought, by Hinshelwood これはクライン派の勉強をしている者であれば、持っていなければならない本のはず ですが。。。私は持っていませんでした(笑)。。。明日買いに行ってきます。。。 それによると「アクティング・イン」は、次のように定義されています。 原始的な衝動、対象関係、防衛などは、分析者と患者との関係という形で再演され、 分析という仕事に対する抵抗になるかもしれない。(以上はフロイトの引用だそう です)このような転移という形の再演(enactment)を、「アクティング・イン」と 呼んでいる。 つまり、私が279番に書いた「再演」と、ほぼ同じ意味のようです。 すると271版に対するお答えは、「分析場面において、アクティング・インは必ず 起こるものである。そしてそれを解釈という形で言語化することによって一緒に 考えていくことが、分析という作業である」になると思います。
記憶が不確かなのですが、 そもそもフロイトが、自由連想において言葉で想起されるべき記憶が 行為によって表現されることをagierenと呼んだ ↓ これが英語の翻訳されたときにacting outとなり、このoutの語感に引きずられ、 しばしば治療場面外での行為による無意識の表出がacting outと呼ばれるようになった ↓ そのため治療関係における行為による表現をacting inと呼ぶようになっている ↓ こうした流れを払拭し、また転移−逆転移の中で治療者も含めて過去の反復が行われることを 強調するために、enactmentという述語が使われるようになってきている という流れがあったように思いますが、 識者の先生方、間違っていたら補足お願いします。
「enactment」の読み方ですが、対象関係学派の人は「エナクトメント」と 読んでる先生が多い。 一方、対人関係学派の方は、「エンアクトメント」と読まれてる場合が多い。 また、意味が異なると思うけれど、家族療法などで家族で実演してもらう 技法としてのそれは、「エナクトメント」と呼ばれる。 うーむ、スレの流れと関係ないけれど、学派によって読み方が 異なるということでしょうかね?
>>450 折れも大体そんな感じで理解してます。
他のセンセ方はどうですか?
最近、元浦島さんやかわずさん、そして「夢想」さんはお元気にしてるのだろうか?
上でも書名が出てるけれど、『パーソナリティ障害の診断と治療』 (ナンシー マックウィリアムズ著)を読んでるけど、 なかなか奥深いね。 分析からみた発達なども理解できる内容となってる。
454 :
没個性化されたレス↓ :2006/03/23(木) 20:56:36
年度末指導あげ。
患者ですが読ませていただいていました。質問してもよろしいでしょうか。 2年ほどメンタルクリニックに通っています。 ここずっと調子が良かったのですが、きょうは辛くなって、 頓服を飲んでもなかなか効きませんでした。 心理療法の考え方で辛くなったときの対処法などありましたら教えてくださいませんか?
>>455 心理療法のプロセスは、極めて個人的なものなので、一般論ではお伝えできない
ものがあると思います。
もし、あなたのカウンセラーや主治医とのやりとりのなかでしんどい思いをされたと
いうことであれば、それを話題にできるときに、セラピーの中で言葉にすることも
大切ではないかと思います。
>>456 お答えありがとうございます。
過去の記憶が辛いのです。なんでもないテレビドラマを見ていて辛くなりました。
主治医にはその記憶を話すことはできません。言葉にはまだできないです。
4年前のことです。
主治医はセラピーというほどの事ではなくお話を10分ほど聞いてくださいます。
今度の診察の時、思い出して辛くなったこと話してみます。
でも、記憶の内容を話すことはずっとできないと思います。
なんだかとりとめない事書いてしまってごめんなさい。
浦島さん、おかわりないのかな? かわずさん、「夢想」先生は、何処へ? 新年度、分析的ネタをよろしくどうぞ。
では、お久しぶりに新しいネタを。 衣笠隆幸先生が唱えておられる「重ね着症候群」です。 最近、人格障害圏でもどうやら発達の問題がかんでいるケースが多いように思います。 従来の診断だと、Psychotic PersonalityやSchizotypal Personalityと診断されるようなケースですが これに人格障害が関連してくる場合が多いです。いわゆる衝動行為のなかに「先の見通しのなさ」 を特徴的とするPDDの関連があったり、認知の問題で人格障害圏に分類されたりというのが 結構多いような気がします。 このあたり皆さん如何でしょう?
460 :
かわず :2006/04/26(水) 22:41:15
Reverieさん、実にお久しぶりです。 いま私は病院臨床から離れているので、Reverieさんがおっしゃる現象を直接に 見聞きする機会はほとんどありません。しかしおっしゃっていることは、なる ほどそうだろうな、と思います。 と言うのは中学校にスクールカウンセラーで行くと、発達障害のありそうな生徒が けっこういるのです。不登校になったりいじめの対象になる子の何割かは、PDDと 思われますが、教育現場はむろんのこと、精神科でもそういう認識は希薄なように 思います。精神科医にとっても、精神科で働く臨床心理士にとっても、発達障害は 特殊領域になっていて、診断のトレーニングが不十分なために見過ごされているの だと思います。
>>460 かわずさんお久しぶりです。
早速のレス、ありがとうございます。
>不登校になったりいじめの対象になる子の何割かは、PDDと
>思われますが、教育現場はむろんのこと、精神科でもそういう
>認識は希薄なように思います。
そうなんですよね。確か、DSMあたりを使って成人のアスペルガー性障害を診断しなおすと
Schizotypal Personality Disorderになってしまう、という報告もありましたね。
PDDは、幻覚妄想の合併によるSchizophreniaで診断がくだったり(勿論、並存する合併例もあるのですが)、
衝動行為を伴いBPDの診断がついたり、はたまた、反社会性人格障害の合併があったりさまざまではないでしょうか。
いわゆる二次障害といわれる人格障害にも、力動的な理解は僕個人は大事な印象を持っています。
高機能群やASに関してはまず疑うことから、が大事なことかもしれません。
このあたり、初期アセスメントが随分重要ですね(PDDにかぎりませんが)
462 :
かわず :2006/04/27(木) 08:31:18
>いわゆる二次障害といわれる人格障害にも、力動的な理解は僕個人は大事な印象を持 っています。 同意です。私は一次障害(機能障害)についても、PDDがケース化するかどうかは養育 環境や周囲との対人関係など、環境要因が深く関わっていると思います。教育現場では 「発達障害が増えている」との声が聞かれますが、発達障害そのものが増えているのか、 ケース化しやすくなっているのか、判別が必要でしょう。 ADHDについて「カリスマティック・アダルト」の存在が重要である、と唱えている人が いるそうです。カリスマと言っても強烈な人柄や洗脳ではなくて、その子を理解してく れて、モデルになる大人と言うことらしいです。カリスマティック・アダルトと出会っ て人生に目標ができれば、ケース化しないで済む、あるいは大化けする、と言うことら しいです。
>>462 かわずさん
>一次障害(機能障害)についても、PDDがケース化するかどうかは養育
>環境や周囲との対人関係など、環境要因が深く関わっていると思います。
確かにそうですね。いわゆるコミュニケーション障害が基礎にあり、本人たちは
「伝わらなさ」を感じているようです。対象関係論的に言えばこの伝わらなさが
BionのK Linkを妨げ、暴力という手段をとらせているような印象を持っています。
この点、本当に悲しいですね。
PDD、ADHD、LDなど、SSTや行動療法的な技法で、彼らの 社会性を改善させるというアプローチが近年目立ってきているような 気がします。 そのような流れの中、Reverie さんやかわずさんが書かれているように、 彼らの不調の成因に分析的な見方をとるのは、とても有用なスタンスのような 気がします。 不勉強でよく知らないのですが、東海大の小林先生が自閉性障害児の臨床でやられて いるのは、母子の関係性からアプローチする方法ですかね? たしか、小林先生も御出自が分析の盛んな医局だったと思います。
>>464 さん
どーもっす。
確かに行動療法的な療法は価値がありますし、一目置いています。
ただ、行動療法自体が医学モデル的なニュアンスが強くて(←僕の偏見ですが)
内的理解は困難なような気がします。特に成人で疑わしい症例などは幻覚・妄想
を伴いますのでこのあたりどう対応していくかどう理解していくかが今後の課題になりそうです。
まあ、精神分析自体が精神性的「発達」ということを基盤においていますし、ねぇ。
自閉症の分析に関しては平井先生が活発にされてましたよね。
>小林先生が自閉性障害児の臨床
これは初めて知りました。ありがとうございます。
466 :
没個性化されたレス↓ :2006/06/02(金) 21:56:00
指導あげー。
467 :
没個性化されたレス↓ :2006/06/13(火) 23:39:21
最近、岩崎からクライン派の訳書が次々に出てますね。 ここいらで、メラニークラインage。
分析ではクラインブームかな。 でも、いよいよ巡ってきたブームという気がするな。
469 :
没個性化されたレス↓ :2006/07/01(土) 21:24:45
470 :
没個性化されたレス↓ :2006/07/01(土) 22:01:40
精神分析って鑪先生が世界の権威なんですか。
そんなことは、ない。ご本人もそう言うと思うけど。
浦島さん、おかわりないですか?
あぼーん
>>447 >>453 「パーソナリティ障害の診断と治療」、この本たまたま本屋に置いてあって、
自分も教養として、もしくは自分の問題として興味がある分野なので、
暫く立ち読みして、高かったけど、ボーナス後だったので、衝動買いしましたw
いいですねえ、これ。先生方の為にかかれた本のようですが、
カウンセリングを受けている立場の者から見ても、とても分かりやすいです。
しかし大変ですねえ、カウンセラーさんも。
476 :
没個性化されたレス↓ :2006/08/20(日) 20:56:21
夏休みだけど、分析の本を何か読んでますか?
477 :
没個性化されたレス↓ :2006/08/23(水) 08:04:27
カレンホーナイの本を読んでます
ホーナイはサリヴアンとの交流は無かったのだろうか? ポストフロイト派は、自我心理学派や対象関係学派のように 自派内でのやりとりは、あったのでしょうかね?
479 :
没個性化されたレス↓ :2006/08/24(木) 12:45:53
精神分析受け続けるのってなんでこんなに苦しいのですか?
ニートに「発達障害」の疑い、支援に心理専門職も
仕事も通学もせず、職業訓練も受けていない15〜34歳の若者を指す「ニート」について、
厚生労働省は就労支援の内容を見直す方針を決めた。
ニートの一部に、「発達障害」の疑いのある人が含まれていることが、同省の調査で判明したため。
実態をさらに把握したうえで、支援機関に心理などの専門職を配置するなど、きめ細かい支援のあり方を検討する。
調査は今年6月、首都圏などにあるニートの就職・自立支援施設4か所を選び、
施設を利用したことのあるニートの若者155人について、行動の特徴や成育歴、指導記録などを心理の専門職らが調べた。
この結果、医師から発達障害との診断を受けている2人を含む計36人、23・2%に、
発達障害またはその疑いがあることがわかった。
発達障害は、生まれつきの脳の機能障害で、自閉症や注意欠陥多動性障害などが知られている。
コミュニケーションが苦手なことが多く、就職の面接試験で失敗を重ねたりするが、就職して存分に能力を発揮することも少なくない。
調査では、「人との距離感が分からず、顔を必要以上に近づける」(26歳男性)、
「その場の空気が読めず、じっとしている」(20歳女性)などのコミュニケーション問題や、
「口頭の作業指示では理解できず、実演が必要」(16歳男性)など、発達障害特有の行動が確認された。
厚労省によると、発達障害のある人は、集団で行動するニート支援施設を利用しない傾向がある。
このため、「支援施設に来ない人を含めると、割合がさらに高くなる可能性もある」(障害者雇用対策課)という。
ニートの就労支援では、一般的に、規則正しい生活を送る訓練や、企業での就労体験、資格取得の勉強などが行われている。
〜長文につきつづく〜
(2006年8月24日3時14分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060824i101.htm
481 :
なぞなぞ :2006/08/25(金) 20:40:39
精神分析やってる人って、発達障害児にどういう風にかかわるの?
長いのはイタイだけヨ
483 :
没個性化されたレス↓ :2006/08/25(金) 22:56:24
>>479 意味がないのにコストがかかるから認知的不協和が生じているからです。
>>497 良薬口に苦し
辛ければ辛いほど良くなるよ
がんばって,続けてください.
486 :
没個性化されたレス↓ :2006/08/26(土) 14:59:09
>784 ありがとうございます。分析はごまかしができず、事実をしっかり認識しなくてはいけないので辛いですが自己理解が深まるよう続けていきます
まだまだ暑い日が続きますが、8月も終わりに近い。 浦島さん、Reverieさん、かわずさんたちは、夏バテしてませんか?
488 :
没個性化されたレス↓ :2006/08/28(月) 18:40:19
>478 ホーナイとサリヴァンはアメリカで同じ研究所に在籍していた時期があったと記憶しています
489 :
没個性化されたレス↓ :2006/08/29(火) 23:14:14
精神分析はもうだめぽ。 まだわからにゃいのか? カワイソス…
490 :
没個性化されたレス↓ :2006/08/30(水) 01:38:59
じゃあ何が有効なの?
492 :
没個性化されたレス↓ :2006/08/31(木) 15:30:06
自分は精神分析マンセーじゃないけど薬って一時しのぎなだけで根本的なパーソナリティの問題の解決にはならないじゃん
向精神薬の多くは、対症療法だからな。 それにしても、根本的なパーソナリティの解決となると、分析でも相当の 年余が必要になる。
494 :
没個性化されたレス↓ :2006/09/01(金) 00:17:51
自分は現在週2回の分析を6年(1年前までは週1回)受けていますがまたまだです。分析者に自己を理解するということは死ぬまでかかると言われています
sage進行推奨で。 今年の分析学会に参加する予定のヤシいますか?
すみません ラーンドヘルプレスネスって何かわかりますか?
>>496 学習された無力感
ここで訊くより、質問系のスレで尋ねた方が吉かと。
498 :
没個性化されたレス↓ :2006/09/10(日) 21:35:35
秋以降に岩崎から、分析の本が何冊が出ますね。 小倉先生の著作集も出てます。
499 :
没個性化されたレス↓ :2006/09/15(金) 21:52:40
>>491 CBTなんて精神科の入院病棟で何の役にも立たないよ。今年うちの病院にもCBT使いが3人入ってきたけど担当患者の殆どが保護室行き(泣)。
因みに自分はクライン派。
501 :
491 :2006/09/16(土) 02:04:34
>>499 笑わせないで。じゃあCBTに出来なくてクライン派にできることを教えろ。
>>503 もの想い(夢想):Reverie (英)
ビオン Bion,W.R.が提示した乳児に対する母親、アナライザンドに対する
精神分析家の心的態度である。
それは、乳児あるいはアナライザンドが自分の心の中に置いておけない
苦痛な心的体験や情緒を受け入れ、コンテイニングしていこうとする母親/分析家の
心的態度である。
また、思考の発達という側面からは、乳児やアナライザンドに向けて、思考を
発達させるアルファ機能を提供していく態度である。
夢想することを通して母親は、乳児が苦痛のあまりに排泄(具体的な水準の投影同一化)
している情緒体験を母親自身の心での夢想/もの想いの中にしばらく滞在させておく。
そして、その情緒体験を、苦痛がいくらか和らげられかつ理解されうるものに変容させ、それを
乳児が受け入れられるようになったときに戻すのである。
こうして、その情緒体験は、乳児の中でその心に置かれて意味を持ち得る思考へと
変換される。
もしここで、母親の夢想が提供されないか不適切なものなら、乳児が排泄した自らの
情緒体験は、その意味を持たない「言いようのない恐怖 nammeless Dread」となり、
乳児自信の心では取り扱えない破壊的で具体的な「もの自体 thing in itself」として
その機能を破壊する。
*『精神分析事典』(岩崎学術出版社)参照
>>504 あなたはこのような説明で他のコメディカルが納得すると思いますか?
久しぶりにカキコ
ま、もの想いが出てきたので(笑)
>>505 病院臨床やチーム医療は別にコメディカルを納得させるためにやることではないでしょう(笑)。
納得させたいのであれば、もっと具体性をあげればいいように思いますが。
大事なのは治療者・スタッフが夢想することにより、クライエントの中で何が起こっているのか
何を苦しんでいるのかと言うことを理解する事が大事じゃないですか。
ビオンはまた「モデル」にかんして述べており、ざっくばらんに言えば、教条的に押し付けずに
さまざまな可能性や要因を治療場面で検討していくことの重要性を指摘していたように
思います。
古典的精神医学では。「共感的理解」といってもいいんじゃないですか?
そして、その理解していこうと言う治療者・コメディカルの心的態度が
クライエントの内的探求に結びつくのではないかと夢想してみます
Reverie さん、おひさしぶりでつ。 ところで、今度オグデンの訳書が出るようです。 タイトルもそのものずばり、『もの想いと解釈』。 スレの流れ的にもぴったしw。
508 :
元浦島 :2006/09/17(日) 21:18:54
久しぶりに書き込ませていただきます。 精神科で働く臨床心理士の方は、認知行動療法と精神力動的心理療法のどちらも きちんと使いこなせないといけないと私は思います。また、心理療法に詳しい (例えば、どのような患者さんがどのような心理療法に向いているか)精神科医が 少ない現状では、患者さんをきちんと評価出来ること(「見立て」という意味です)も 必要だと思います。(ついでに、いかに精神科医のプライドを傷つけずに、自分の考える 方向に誘導していくか、という能力ー笑ーも必要でしょう) また「他のコメディカルからの評判」についてですが、例えばある患者さんに 関して、今何が起きているかをきちんと理解して、それを他のスタッフにしっかりと 説明する能力があれば、他職種から自然に尊敬されるようになり、評判が悪くなる などということはありえないと私は思うのですが。 世間は連休だというのに、仕事をしないといけない状態です。もう少し暇な 職場で働きたいのですが・・・。せかされずにゆっくりと仕事をしたいです。
浦島さんもお帰りなさい。
マリリソが沸いてきそうな悪寒
最近の若いプシコの先生方は、精神療法の技量をどのようにして 身につけているのでしょうか? 医局に精神療法を専門にする先輩やオーベンがいなくなってきたとしたら、 そのような対応が経験できる病院などを何とか探し出すのでしょうかね。
>>507 どもども
オグデンの本は楽しみですね。Bionの新しい解釈かな〜
>>508 お久しぶりです。
>患者さんをきちんと評価出来ること(「見立て」という意味です)も 必要だと思います。
実はこのあたり、苦手な方が多いようですね(苦笑)。調査対象が少ないので(笑)、断定的な事が
いえませんが、精神療法とその予後をある程度予測する力のある方にはなかなか出会えないです。
勿論、自分自身も例外ではありませんが(笑)。
ただ
>精神科医のプライドを傷つけずに、自分の考える方向に誘導していく
これはある種心理職のマネージメントの能力だと思うのですが、
本人の性格や経験年数で、まさに治療がsplitされる事があります。
結局、
>>505 の話題に近いのですがセラピスト←→主治医間でも「共通言語」
が使えないパターンが多いですね。
>>511 連投になりますが
>医局に精神療法を専門にする先輩やオーベンがいなくなってきたとしたら
確かに精神分析療法等、ある意味インテンシブな精神療法に関しては難しいでしょう。
ただ、初学者が学ぶ一般的な精神療法(支持的かつ指示的な)はある程度経験のある
バイザーの元でアドバイスや面接を見せてもらえば形になるかと思います。
このあたりは徒弟制度でしょうね。自分自身でも確かに身についた方法でもあるし、
また、神田橋先生も面接の習得で勧めておられます。
ある程度標準的な面接技法が身についたうえで、アドバンスな面接技法となると
自分で講習会やスーパーバイザーなどを探すことになりますね。
まずは身近に「臨床が出来る」とほれ込んだ先輩の真似から始まるような気がします。
久しぶりに盛り上がってまいりますた。 やはり、秋は分析学徒たちを抑うつポジションに留め置き 思索を追及させるからでしょうか(笑) あとは、かわずさんを首を長くして待ち受けポジション。
質問です。 子どもの強迫性障害の成因の1つとして、幼少期の虐待経験なども成因になるの でしょうか? もし、虐待が成因だとすると、強迫症状は虐待の壮絶な体験を防衛するための 砦であると捉えてよいでしょうか?
>>515 大人の強迫の場合は、症状がそれ以上崩れることからの防波堤になって
いると捉えることがありますね。
子どもはどうなんだろ。
子どもの強迫をプレイなんかで対応している先生は、日本にはいるのかな?
>>515 古典分析ではリビドーの肛門期固着と言われてますね>強迫神経症
子供の場合は・・・、どうなんでしょうね、特に虐待との関係は。
少なくともフロイトの時代には児童虐待が着目されていなかった気がしますが。
ただ、強迫性障害の診断で強迫自体が「奇異な感じ」だと発達障害圏の除外が必要かと。
いわゆる「こだわり」が強迫行為として評価される事がありますゆえ。
>>516 確かに強迫よる防衛っていいますね。
あれって私見では妄想に対するアンビバレントな心的態度が反映している気がします。
湧き上がるんだけども確信に至らないというところが「自我違和的」な強迫観念のように
思えますね〜。
518 :
かわず :2006/09/22(金) 09:13:07
お久しぶりです。 精神科の「チーム医療」は十年一日のごとくのお題目ですが、さてその実践となると、 お寒いのが実態だと思います。たしかにコメディカルのスタッフが入ってきて、多面的 な関わりにはなっていますが、患者さんの全体像を把握して的確に治療・援助を組み合 わせてくれる医師が少ないのです。日々の診察に追われて、とてもそこまで手が回らな いと言うこともあるのでしょうね。 そのへんが臨床心理士やPSWの裏の仕事になっていて、カンファレンスで発言したり、 それとなく医師に進言したり、病棟でお茶をすすりながら看護師に根回しをするのですが、 専門用語を使わないで普通の言葉で話せる力が必要になってきます。自己愛を満たすため のスタンドプレイになってしまうと、見透かされてしまいます。 表向きは全く評価されないけれど、実は難しい作業です。ある程度は自分の専門領域で一 人前の感覚が身について、周りを見るゆとりがないと、目が向かないかもしれません。気 負わずにさりげなくこなしている臨床家に出会うと、頭の下がる思いがします。
>>518 かわずさん
おひさしぶりです。
>「チーム医療」
これ本当にそうですね。なかなか各部門のマネージメントがうまくいかないみたいです。
主治医は「患者さんの全てを知っている」という空想をまさに自他共に持ちやすいところです。
逆にセラピストは「患者さんの無意識をすべからく理解している」という空想をも持ちやすい・たれやすいというところでしょうか。
ま、万能的理解が現実に出来ていればまさに「態度の処方」(メニンガー、でしたっけ?)になってしまうのですが
それ程患者さんは楽させてくれませんし(笑)、まさに各部門が「知らないことに耐える」力がないとさまざまな
力動が動きやすいように思います。
他部門のコミュニケーションは本当に大事で、相手に伝わる言葉でないとなかなか各々の立場が理解されにくいです。
精神療法を志す以上相手に伝わる言葉を捜す努力は惜しまないで欲しいものです(自戒の念を含めて、ですが)。
>ある程度は自分の専門領域で一人前の感覚
この感覚は大事ですよね。これがないと他部門のスタッフに脅かされる感覚になってしまい、逆に
相手を圧倒しようしだすようになりますね。何人かのセラピストで悲しいかなこういう状況を見てきましたが・・・。
久しぶりにのぞいてみたら、おもしろそうな話が展開していて
ホットしました。
>>519 :Reverie さん
>まさに各部門が「知らないことに耐える」力がないとさまざまな
力動が動きやすいように思います。
「知らないことに耐える」力とは、おもしろい表現ですね。
実際、この「力」というものが、臨床的には最も必要なものなのかも。
クライエントに対して、そして同僚に対しても。
この「力」は、どのようにして身に付けようか、と夢想しています。
いけねえ、本家取りになってしまってます(笑)
>>520 >「知らないことに耐える」力とは、おもしろい表現ですね。
いい言葉ですね。ま、残念ながら私のオリジナルではないので(笑)、安心して使っていただいていいかと。
ブリトン先生の「信念と想像」の「三者関係とエディプス」に載ってましたよ。
力動的なアプローチとしてチーム医療を行う場合、患者←→他部門との関係が自分の知らない力動が
働いており、それに羨望や好奇心(Bionですね)をおこさずに理解していくこと
が重要なんでしょうね。また、その関係の中で話される・共有されることはおそらく無意識が無関係とは
いえない(もっと言えば無意識が必然的にその部門と関連を決定すると考えると)ので、そこを手がかり
に理解していく事が大事だと思います。
ま、各スタッフが三者関係に耐えうる力をもてばイイのですが、密接な関係性を持とうとすればするほど
二者関係に近づきそうなのでそのあたり、関係性を整理するうえでカンファレンスが役に立ってるのかもしれません
522 :
かわず :2006/09/26(火) 23:49:27
>>514 そう言われると、私も自己愛がくすぐられていくらか良い気分になってきます。
でも、ちょっと考えてしまいます。
このスレでは元浦島さんとReverieさん、そして私がいくぶん理想化されていて、
何だか三人のパネラーとフロアのような構造になってきているようです。これ
ではちと窮屈と言いましょうか、あんまり面白くはないのでは、と思ってしまい
ます。そう考えるとマリリンさんは、実に破天荒で得がたい存在でした。
ぬけぬけと自分を「理想化されている」などと書いている私は、実は自己愛丸出
しオヤジなのかもしれません。
>>522 ま、コテハンとしては3人だけですからね。
僕的には、いつもなじられる事が多いから(笑)、たまーに褒めてもらうと嬉しいですけどね。
コテハンといえども名前がつくとなんとなくスタイルが決まってきて、仮想キャラ(笑)と
違うことは書きにくくなるってのが僕的には本音ですが、まあ2chで気取っても仕方が
ないといえばないんですけどねぇ(笑)。
ちょっと息抜き見たいな見たいな話になりますが、この名づけるって言うのは大事ですね。
浦沢直樹さんの"Monster"もそうですし、映画「陰陽師」でも「呪(しゅ)」として名前を付けてやること
を重要視していますね。Bionも排泄された深いな情緒が母親のα機能でコンテインされない時に
「名前のない恐怖」といっていますし・・・。
524 :
かわず :2006/10/03(火) 00:59:50
>>523 ジブリが映画化した「ゲド戦記」では、「真の名」を知ることで相手を動かす力を
得る、とされていましたね。物語では人はそれぞれ真の名をもっていますが、
それは大人になる通過儀礼の時に魔法使いや魔女から授けてもらうものでした。
魔法使いが名づける時には、自然と口が動いて言葉が出てくるとか。
ところで映画のゲド戦記は、アレンが父王を殺す場面から始まりました。私はもう
呆気にとられておりましたが。原作ではアレンは父王の使者として、ゲドを訪れます。
もちろん父親殺しはなし、です。
ご存知のように宮崎駿さんのご子息が監督をした映画でしたが、偉大な父を殺さな
くては映画を始められなかったのだと思いました。原作のアレンはゲドに父親転移
を起こしているように思えますが、現実でもプロデューサーが吾朗監督の父親と化
していたのかもしれません。
駿監督は原作者に「下らない作品になりそうだったら、俺がストップをかける」と
言ったらしいですが、プロデューサーは歯止めをかけられなかったようですね。監
督からのメッセージを台詞で言わせるとか、「終わり」の特大文字が浮かぶエンデ
ィングとか。映画ができてから父子は口をきいていないらしいですが……。
とりとめのない話になってしまいました。
>>524 私も見ました>ゲド戦記
僕的には原作読んでない事もあって(笑)、楽しめましたけどね。
ジブリ meets エヴァンゲリオンというかなんというか(笑)
ま、父親殺しのテーマは永遠だなぁとしみじみしましたけどね。
息子さんの内的な関係性の投影なんでしょうね。
ジブリのゲド戦記について、原作者はこれは自分の書いたストーリーとは まったく別のストーリーだといったことを自分のHPで公表しているようです。 映画のほうは見る気が失せました。
527 :
かわず :2006/10/07(土) 07:07:39
>>525 「息子さんの内的な関係性の投影」とは、まさにその通りだと思いました。
しかしゲド戦記は読書感想文や日記ではありません。莫大なお金を使い、沢山の人が
関わり、世界中で読まれている原作を、何万人もの人が観に行くわけでありまして、
その中でやってのけるのは非常に自己愛的ではないかと思うのです。
映画そのものの出来は悪いわけではないのですが、企業も名作も一般大衆も、自己の
延長物になってしまっているので、「あそこまでやるかな〜」と観た後で鼻について
きました。だからこの映画を観るのだったら、本を読んでおかない方が良いですね。
>>526 私も原作者がどう思ったのかは気になって、調べていました。原作者が監督に「良い
映画です。でもあれは私の本ではありません」と言ったのが、監督がすぐにブログに
書いてしまったので、黙っていれなくなったという順序みたいです。まったく別のス
トーリーになってしまったので、原作を傷つけないで済んだと思います。ハリウッド
が「原作に忠実に」映画を作ってしまったら、もっと傷ついていたのではないかと。
訳者がこの映画に関わるようにジブリから頼まれた時に、「私は翻訳を通して、自分
の読み方を読者に強制している。だからこれ以上、この物語には関わらない」と断っ
たそうです。この人はさすがだと思いました。
>>527 僕的には、芸術作品て内的対象関係の投影ぐらいにしか思ってませんから(笑)
ま、ゲド戦記も許してしまいますけどね。昔からあるエディプス葛藤というところなんでしょうが
モチーフが古すぎるような気がしなくもないです。
ちなみに病跡学や文化論に古典分析の考え方が使われているのに対して、対象関係論は
意外とそちらのほうでは応用されていないようですね(メラニークライントゥデイにかいてましたかね)
ある種の治療主義的思想という感じが対象関係論にはあるみたいですね。偏見かな?(笑
さびしくなったときは、どうしたらいいですか? 頓服の抗不安薬は飲みました。 時々とてもさびしくなるんです。
>>529 >>1 >・クライエントや家族の方などの、個人的なご相談はお受けしません。
即レスでびっくりしました。 一般化して下さっていいのですが・・・
ほんとに時々とてもさびしくなるんです。 心理療法は受けていません。 心理療法的にそういう時はどうすればいいのか知りたいのですが・・・だめですか?
533 :
没個性化されたレス↓ :2006/10/26(木) 19:04:16
すみません質問です 心理療法的に夢分析ってどうだと思いますか? 有効だと思いますか? 催眠療法とかのほうが的確のような・・・ 夢分析は粘着型ですよね ちょっと意見聞きたいです お願いします
535 :
& ◆ZCTTn4NGAI :2006/10/26(木) 23:01:58
>>504 自分と、治療者の関係を理解するのに、
大変役に立ちました。有難うございます。
私の治療者も、ビオンとかバリント訳してます。
_,,t-‐‐-、,-‐‐-、 三'::::::............... .....::::::`y,. ナ::::::::::::::::::::::::::::::::: :::::::::::::ヾ | ̄| V::::::::::::::::_{{ ({∫∬ノノjヾ:::::{ | ̄| | ̄| ナ::::::::::::::i`__,,,,,,,ァ_ _,,,,,_ t;;:ヌ | | | | イヘ::::::(ヾ~!,ャt、 !'''i ィtン )=f }f似非療法あるいは詐欺だな | | | | i {t)テ" ヘ' '___,イ ヽ_/ 介' | | | | _,rヘ_,j|!' /ー--''! |' かなり古い新興宗教でもある |,.ィ―'''' ̄ /| | /二ク ! 今時信者はいないと思うが /;;:::'';;::''::;;:/ { ! 、 ヾニン ノ\ /'''::::;r|''':::;;;| | ! \ _,,./|::;;'''\ /:;;/ |;;;''::;;| 丶\ `__>-ー´ !;;;:'''::iヽ、 i/ |'::;;;;''| 三 ―''" !''::;;;;| /ヽ /⌒ヽ |;;''':::;| \ !;;::''|/ i / \{'';;;::''}  ̄二ニ= !::;;| | /ヘ |;;:::::;{ ‐- !/ | / i |:::;;;''! ー ! / | / l |;;'';イ } {、 〉、 ∧テ{ ヽ _ _,,,,;;;;;:::-==ニ;;;_ ノ __,イ´ / \_ //レ!  ̄  ̄ { ̄ |
537 :
没個性化されたレス↓ :2006/10/27(金) 14:28:18
>>534 分析をお願いしてるわけじゃありません
ちょっと参考にしたいだけです
sage進行でよろしく。
詐欺の相談は隠れてやりましょう
>>540 はじめまして
症例に対するコメントやSVはここではしていないのでちょっと難しいかと(あせ
ただ、書かれていることに関しては別の意味で興味を持ちました。
件のスレで書かれていることは、基本的にPsychoeducationですよね?
こちら的なネタとしては精神分析理論が心理教育(Psychoeducation)に用いられる場合の
功罪というのでどうでしょうか?
僕的には無意識を含む分析理論が教育的に使われることは割と懐疑的で、
特に力動的・分析的治療をされている方にとっては知性化の抵抗を増強するような
印象を持っています。
もう一点、母子関係・家族内葛藤をその障害の原因と理解してしまうクライエントは
自分の葛藤状況を内省・徹底操作しようとせず、関係の中に投げ込む印象を持っています
が如何でしょうか。特にセッションの初期で「早すぎる解釈」が行われた場合、こういう
問題が発生するように思うのですが・・・
542 :
540 :2006/11/05(日) 22:56:14
>>541 こちらこそ初めまして。どうもご丁寧なレス有難うございます。
>症例に対するコメントやSVはここではしていないのでちょっと難しいかと
そうですよね。好ましくないですよね。私も今さっき件のスレに書き込んだんですが、
掲示板での治療者気取りは、相手にとって非常に危険だと思い後悔しています。
>件のスレで書かれていることは、基本的にPsychoeducationですよね?
始めは基本的にそうでしたが、そのうち、私自身の精神内界の洞察と整理を、
彼女の書き込みを通してしていたように後から思うようになりました。
>もう一点、母子関係・家族内葛藤をその障害の原因と理解してしまうクライエントは
>自分の葛藤状況を内省・徹底操作しようとせず、関係の中に投げ込む印象を持っています
>が如何でしょうか。特にセッションの初期で「早すぎる解釈」が行われた場合、こういう
>問題が発生するように思うのですが・・・
あっ、その通りです。それも今さっきいいわけのように、親を悪者扱いしても
建設的でない云々と苦しい言い訳を書き込みしてました。。。
543 :
540 :2006/11/05(日) 23:19:44
> 僕的には無意識を含む分析理論が教育的に使われることは割と懐疑的で、 >特に力動的・分析的治療をされている方にとっては知性化の抵抗を増強するような >印象を持っています。 知識が乏しくて基本的なことがわからずすみませんが、 無意識を含む分析理論は心理教育に用いるのではなく、 寝椅子を用いた標準型精神分析療法あるいは、そこまでいかなくても、 精神分析的精神療法(心理療法)に用いるべきということでしょうか。 さらに、恥しいことを伺いますが、心理教育と、分析理論を用いた治療 は、やはり全然違うのでしょうか。混同していました。 私自身きちんとした分析理論を学んでいなく、ほぼ自己流でやっていますもので。。。 初心者向けにいい本があればお教えください。 ちなみに、『私説 対象関係論的心理療法入門 精神分析的アプローチのすすめ』 松木邦裕 金剛出版 を買っただけでまだ読んでいませんが、いかがでしょうか。 他にもっているのは 『対象関係論を学ぶ』 松木邦裕 岩崎学術出版社 『図説 臨床精神分析学』 前田重治 誠信書房 『精神力動的精神医学』 G・O・ギャバード 岩崎学術出版社 『精神分析技法論』 カールメニンガー 岩崎学術出版社(小此木先生の日本語訳 がわかりづらかったです) くらいを斜め読みした程度です。
544 :
540 :2006/11/05(日) 23:24:46
基本原則を学び、出来れば、クライン、カーンバーグ(派が違いますが)あたりに つながっていきたいです。
545 :
540 :2006/11/05(日) 23:34:37
連投で恐縮ですが、以下の書物を患者・家族教育向けに読んでもらうのは、Reverieさん から見ていかがでしょうか。 岡田尊司 パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために 法研 岡田尊司 パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか PHP新書 市橋秀夫 健康ライブラリー イラスト版 「パーソナリティ障害(人格障害)のことが よくわかる本」
547 :
540 :2006/11/07(火) 23:48:12
>>547 Reverieさん
ネットでの判断の危険性を再確認しました。小此木先生ら多くの方がそれを指摘
されていたのを知っておりながら自己顕示欲などが優位で、セーブが効かず自己
中心的に書き込んでしまいました。
半ば確信犯的で余計にたちが悪かったです。
確かにすべて推論に過ぎないです。
精神分析セミナー 岩崎学術出版社
お勧めいただき有難うございます。
探して読んでみます。
Bionの著作はまだ読んだことがありません。徐々に挑戦していきたいと思います。難しそうですね。
境界性人格障害=BPD(ボーダーライン・パーソナリティー・ディスオーダー)―はれものにさわるような毎日をすごしている方々へ
は、パラパラと立ち読みした程度ですので、また手にとって読んでみます。
しかし分析は入門者にとってどこから取り掛かってよいのかわからないです。
用語、理論とも難解ですし。
まず己を知る、身の程を知ることから始めてみます。
ご教示有難うございました。またいつかこちらにお邪魔します。
548 :
かわず :2006/11/08(水) 21:41:25
松木先生の『私説 対象関係論的心理療法入門 精神分析的アプローチのすすめ』 は、これまで私が手にした「精神分析的心理療法入門」の類書の中では、もっとも 正統的なテキストだと思います。また理論編である『対照関係論を学ぶ』と合わせ 読むと、いくつもの糸がつながっていきます。 ただし正統的なのは、私費による個人開業と言う枠組みの中、と言う前提があって です。もちろんその前提が精神分析の正統ではあるのですが、病院臨床や保険診療 の枠組みにはなじまないと思います。
549 :
540 :2006/11/08(水) 23:10:26
>>548 かわずさん、初めまして。ご教示有難うございます。手元にある松木先生の2冊を
ゆっくりと読んでいこうと思います。
>病院臨床や保険診療 の枠組みにはなじまないと思います。
そうですね。牛島先生や市橋先生ら(厚生労働省研究班?)は、BPDを
再来で一回20分、週一回のペースで、なおかつ精神分析の専門家でない
精神科医が治療できる方法論を研究しているそうです。
BPDを敬遠する言い訳として、「投影同一化?そんな難しいことは
わからない」など言っている精神科医がたくさんいる云々言われていました。
やっかいな患者、時間のかかる患者に関わりたくない、学びたくも無い
というところが本音のところでしょうが。
ご承知でしょうが、やはり慢性期で安定している統合失調症の方々を、短時間で
診るのがラクだし、ほっとできるのが多くの精神科医の本音です。
>>546 Reverieさん
やはり精神分析を学ぶにも「徹底操作」の時期を経なければいけないのでしょうね。
横レス
>>549 成田先生がBPDのガイドラインを作成しておられるんじゃなかったでしょうかね?
『境界性パーソナリティ障害の精神療法―日本版治療ガイドラインを目指して』(金剛出版)
も上梓されています。
551 :
没個性化されたレス↓ :2006/11/16(木) 23:05:41
スレ違いならどこに行けばいいのか教えて欲しいんですが質問です。 ドーパミンの過剰分泌などにより妄想が起こると何故自己を 傷つけるということになるのでしょうか? よく芸術家や天才と呼ばれる人達におこりますよね?
,ィィr-- ..__、j
ル! { `ヽ, ∧
N { l ` ,、 i _|\/ ∨ ∨
ゝヽ _,,ィjjハ、 | \
`ニr‐tミ-rr‐tュ<≧rヘ >
>>551 のような低能は
{___,リ ヽ二´ノ }ソ ∠ 消さなければならない
'、 `,-_-ュ u /| ∠
ヽ`┴ ' //l\ |/\∧ /
--─‐ァ'| `ニ--‐'´ / |`ー ..__ `´
く__レ1;';';';>、 / __ | ,=、 ___
「 ∧ 7;';';'| ヽ/ _,|‐、|」 |L..! {L..l ))
| |::.V;';';';'| /.:.|トl`´.! l _,,,l | _,,| , -,
! |:.:.:l;;';';';'|/.:.:.:||=|=; | | | | .l / 〃 ))
l |:.:.:.:l;';';'/.:.:.:.:| ! ヽ \!‐=:l/ `:lj 7
| |:.:.:.:.l;'/.:.:.:.:.:.! ヽ:::\:: ::::| ::l /
554 :
551 :2006/11/17(金) 21:22:54
>>549 540さん、始めまして。私も精神科医です。
>やっかいな患者、時間のかかる患者に関わりたくない、学びたくも無い
というところが本音のところでしょうが。
たとえばMRIなどで検査所見上異状がないと、患者さん御本人の意思を無視
して無理やり精神科に紹介してくる(若い?)神経内科医とか脳外科医が、
最近増えているのではないかという印象を持っています。(あくまでも個人的な
印象ですが)本当は一言「あほ」と書きたいのを我慢して、教育のためと思って
できるだけ丁寧に返事の文章を書いています。540さんがここで書かれている
精神科医の描写から、これらの神経内科医や脳外科医のことを思い出しました。
どの科でも最近は、患者さんのことを一生懸命考えるのは面倒(特に自分の
持っている基準に当てはまらない人は相手にしたくない)という人が増えて
きているのかもしれません。
>ご承知でしょうが、やはり慢性期で安定している統合失調症の方々を、短時間で
診るのがラクだし、ほっとできるのが多くの精神科医の本音です。
一人前の精神科医になるための修行のひとつとして、慢性期の統合失調症の
患者さんを診てもらうのは、背後にある患者さんの微妙な心の動きを検知する
訓練として、とても有効だと私は考えます。(退屈さに耐える訓練にもなりますがー笑)
しかしこの時点で「精神科医の仕事はこんなものか」と軽く考えてしまう人は、
その後精神科医として成長しないのではと思います。しかし「背後に存在する
細かい患者さんの心の動きの感じ方」というようなものを教えるのは、どうしても
禅問答のようになってしまい、とても難しいのですが・・・。
>>555 さん
ここは精神分析的精神療法スレなので「精神科医の経験と成長」の話題は気持ちスレ違いかもしれませんが(汗
僕自身は転移を解釈したりリビドーの固着を明らかにしたりという、という精神療法はしていませんが
少なくとも患者さんの内的体験に関しては力動的なモデルが常にあります。この場合、このモデルに近いのだろうか
他のモデルを採択したほうが理解しやすいのだろうかということを割としています。
その為には症候学は基本的な部分が捉えられて当然、その後で「なぜ」という疑問が自分での思索が始まるかと
思います。
操作的診断基準は、もともとGabbard先生らが人格障害に関して力動的に明らかにしていたものがクライテリアとして分断され
等価におかれてしまった悲劇というのがありますね。これがお手軽診断に誤用されどこもかしこも人格障害だらけになってしまった
悲劇があるかと思います。
ただ、モデルの勉強と現場での教条的でないモデル検討はものすごく大事かと。経験主義的な治療者の感覚だけで満足
している精神科医や臨床心理士が結構いるんです(笑)。これが変に経験だけがあるものだから権威で語ってしまい、
なんだかなぁと思う事がしばしば。「木を見て森を見ず」どころか「この葉っぱは人格障害」という
輩がなんと多いことか。
すいません。愚痴っぽくなってしまいましたね
557 :
555 :2006/11/19(日) 21:49:37
>>556 reverieさん
実は「お久しぶり」なのですが(笑)。
>その為には症候学は基本的な部分が捉えられて当然、その後で「なぜ」という
疑問が自分での思索が始まるかと 思います。
これは、全くその通りだと思います。「精神療法を勉強したい」という、いま時
奇特な(?)若い精神科医の先生に私は、精神療法の勉強と同時に、精神病理学の
勉強もするよう勧めています。具体的には例えば、シュナイダーとコンラートや
中安先生(一人だけ先生をつけるのも変ですが)の本を薦めて、それと同時に
本だけで分かった気にならないように、必ず先輩のカルテなどを見て勉強する
よう助言もします。(本だけで勉強して分かった気になってしまったためか、
変な方向に成長してしまった人を幾人か見ていますので)
>>ただ、モデルの勉強と現場での教条的でないモデル検討はものすごく大事かと。
これも同意します。私は若い人に、DSMと伝統的診断の両方を勉強するように
勧めています。以前は大嫌いだったSCID-Uも(あんなもんでU軸が診断できるか、
と思っていたのでー笑い)、最近は若い人に「SCID-Uはどうでした?」と聞く位に
「堕落」してしまいました。少なくとも初心者に、曲がりなりにもU軸診断を
してもらうためには、SCID-Uも有用なようです。
精神分析的精神療法からは、激しく外れてしまったようです。すみません。
>>557 さん
確かにSCID-IIは症候学的に羅列されてますけど(汗)、シュナイダーの臨床精神病理学の
影響を受けているのであながちという気がします。
ただ、歴史的には境界例自体の概念が後年にできている上、多彩な神経症症状を呈し
自由連想を行うと幻覚妄想が出現するという外来統合失調症(当時はこうは言いませんね(笑))
や境界状態という経緯も踏まえて、かなり力動的な理解が診断の上にも必要とされますね。
皆川先生の翻訳されているDIBも質問項目がOpen Questionが多かった気がしますし。
マスターソンも直面化の技法の有効性を統計的に解析していますが、被験者
も操作的診断基準では回避性人格障害などのCluster Cに分類される症例も散見されてますし。
診断的にも力動的な理解が必要なあたりが人格障害には必要なんですけど
なんだか行間がそがれて診断基準に用いられているという悲劇がつきまといます>DSM
>本だけで勉強して分かった気になってしまった
本人が勉強家の分、悲しいですね。知識が常に臨床に還元されるというのが
臨床家としての勉強ではないかと。自戒の念も含めて、ですが(汗
ちょっとした連想なんですけども、「知識」について、です。
力動的な言葉がチーム医療では横行し苦々しく感じる事があります。症候学として
使われる事が多いかな?よくあるのが「逆転移」と「行動化」の二つです。
呪文のようにカンファレンスで「逆転移」が討議されても、それはスタッフの自己理解であり、
患者理解に至らないことが多いです。ま、カンファレンスの最中に、スタッフの原家族の
情緒的な関連性が想起されてもそれはそれで困るのですが(苦笑。
もっと手っ取り早い(というと語弊がありますが)逆転移として、「今スタッフに起っている
気持ち(無力感や怒りなどなど)は実は患者さんが感じているものではないか」と返しています。
ここの場合で違うかも知れませんが、投影性同一視によるスタッフの情緒的反応とみると
逆転移を討議すること自体が意味がありそうな気がします。なかなか難しいですけどね(あせ
「行動化」は次の時にでも(って引っ張るなぁ(笑)
さて、分析学会も間近ですが、今回行かれる方いますか? 行かれる方、レポよろしくです。
『精神分析入門講座―英国学派を中心に』(岩崎学術出版) やっと手に入れました。 すでに読まれた方いますか?
最近、元浦島さん、おかわりないかなあ?
>>559 某ブログに参加した感想が載ってます。
結構、詰まった内容だったみたい。
学会に入会するには、推薦人がいるのだろうか?
みなさん、助言や苦言有難うございます。540です。 『対象関係論を学ぶ』 松木邦裕 岩崎学術出版社 を読み直してみました。非常に読みやすかったです。牛島先生の 推薦の言葉の中で、「カーンバーグの 境界性人格構造以来、対象関係論が安易に流布している感があるが、 真の対象関係論を覆い隠すもかもしれない」とありました。 僕はこれに該当しそうです。 クラインを学んでから、必要に応じカーンバーグを学んでみます。 精神分析を学び日々の診療でも状況に応じて実践している先輩から以下の著作 を勧められゆっくり読んでいます。 小倉清著作集1 『子どもの臨床』 岩崎学術出版社 序部に、日本精神分析学会の学会賞を受賞されたときの講演が載っています。 P.4 の 「生まれて20時間から30時間くらいまでの赤ちゃんは、その後には 出来ないいくつかのことが可能だそうです…」(続きは立ち読みで もいいので実物をご覧下さい。お楽しみに)。国試向けに勉強した「小児科」 とはかなり違っていて興味深いです。 P.9 『子どもは4〜5歳までには、すでにもうさまざまの体験をしています。 私の考えでは子どもはその後の人生において経験するすべてのことの元型を、 ここまでで体験してしまうものと思います。』 これについて皆さんはどう思われますか?
>小倉清著作集1 『子どもの臨床』 岩崎学術出版社 この本は折れも読みたいのですが、売れているためかななかなか手に入らない。 お奨めですかね。 >P.9 『子どもは4〜5歳までには、すでにもうさまざまの体験をしています。 私の考えでは子どもはその後の人生において経験するすべてのことの元型を、 ここまでで体験してしまうものと思います。』 たしかに、この年代で経験することは、パーソナリティに相当な影響を及ぼすと 思います。 投影同一化などを用いて自らは受け入れがたい情動・感情を他者に投げ入れる場合などは、 この年代に経験したことがベースとなっているのでしょうかね? ただ、後半の人生において、幼少期・最早期に経験したことをいかにして吟味するかと いうことが、分析的な捉え方なのかもしれません。
>>564 分析について初心者の私にとってもわかりやすく、楽しんで読めています。
わかりやすい内容ですが、深いようですので、上級者にも手ごたえがあるので
はないかと思います。
この先生は小児科医や産婦人科医とも共同して、子どもの臨床・研究を行ってきた
方だそうです。
(クラインのいうところの幼少期の妄想-分裂体勢での断片的な自己や対象を、圧倒的に
一方的に体験し、言いようも無いような恐怖におそわれる過程で)負った傷に、
どう対処していくかが、人生そのものを形成しているのではないでしょうかと
書かれています。
小倉清著作集1 『子どもの臨床』 岩崎学術出版社 漏れもアチコチの本屋さんを探しているのでつが、売り切れてるのか、 まだ手に入れられていない。 小倉先生自身は、オリエンテーションは、自我心理学学派でつかね?
思春期の臨床 小倉清著作集 (2) も出版されました。amazonで残り2部。 確かに1も2も書店で見かけませんね。僕は1巻を大きな書店で買ったんですが、 このとき店頭に無くて、店員さんに聞いたら在庫がありますと奥から持ってき ました。初回の出版部数が少ないのかも。即絶版になったりしたら凹みます。。。 やはり、中身を見ないと買うか買わないか判断できないでしょうから、書店で 取り寄せて是非見計らいでもしてみて下さい。 コラムの症例A 「生きることへの疑問をもつ小学二年生」を読んで、 僕も幼少期、いや医師になるまで同一化すべき理想的な対象が、周りに 存在しなかったなあなどと、過去に負った自分の心の傷への手当てをしています。 今は幸いそういう対象が周りに存在しています。有り難いことです。 そういや世間ではクリスマスイブか。。。
最近、上に紹介されている小倉先生の著作の他にも、分析的な観点からの 子ども臨床の本が、多く出るようになりましたね。 クライン派のプレイセラピーや、タヴィストックの被虐待児のプレイなど。 あと、分析の大御所の一人の先生が、御自身の子どもさんを観察した経過も 少し前に改訂されて岩崎から出てました。
>あと、分析の大御所の一人の先生が、御自身の子どもさんを観察した経過も >少し前に改訂されて岩崎から出てました。 是非タイトル、著者を教えてください。
>>570 『改訂 子どもの心と精神病理 力動精神医学の臨床』
高橋哲郎著(岩崎学術出版)
>>571 ありがとうございます。アマゾンでチェックしてみます。
573 :
没個性化されたレス↓ :2007/01/22(月) 22:35:27
1 心が一個所に止まって動かなくなる
症状を取り去る事にのみに最大のエネルギーを投入してそれ以外のものに興味を示せない
2 一日中妄想との対話を繰返す
妄想との対話に何も疑問を感じない。当然のごとく1日中同じ事を考え続ける
3 鬱に襲われる
神経症の二次的症状として頻繁に鬱に襲われる。真正の鬱と違って自殺念慮をともなわないが
何をやるにも自信を無くし無気力になり人生の先行きを考えて暗澹となる
4 1日が終わると激しい精神的な疲れを感じる
1日中妄想との対話に明け暮れて思考が暴走する為に大量のエネルギーを消耗して夕方激しく心理的疲労を感じる
5 間違いが頻発する
仕事に注意が向かないのでミス、間違いが多く発生して仕事の継続が難しくなる
6 人間関係がおかしくなる
自分の外に心が向かないのでバランスの取れた人間関係の維持が難しくなる
7 物事を非常に難しく解釈する
心理学の本を沢山読む為すべて心理分析的になり哲学的になり健康人や子供の単純な思考とは縁遠くなる
http://saito-therapy.org/index.htm
94 名前:心理屋(ロテ職人) ◆BH3.etDo :02/09/02 12:36 某大学病院なんかでは (どういうシステムになっているかはわかりませんが) やっぱり医師の診察なしで 「標準型精神分析療法」を取ったりしてます。 95 名前:心理屋 ◆BH3.etDo :02/09/02 12:38 あ、もちろん噂で聞いた話ですけどね。 こういうカキコすると 「また自爆しましたね」 「大学病院勤務ですか?」とか言われそうですね。 こんな漏れみたいなヤシが 大学病院の精神科にいるわけないでしょう。
575 :
没個性化されたレス↓ :2007/02/28(水) 08:34:16
サルベージage
576 :
没個性化されたレス↓ :2007/03/06(火) 21:21:18
>>563 >小倉清著作集1 『子どもの臨床』 岩崎学術出版社
読んだ。感動した。ありがとう。
折れは、ナンシー・マックウィリアムズの『ケースの見方・考え方』(創元社)を 読み終えました。 分析的フォーミュレーション、なかなか奥が深そう。 みなさんは、面接ではどのように行なってますか?
578 :
没個性化されたレス↓ :2007/03/14(水) 00:18:54
メラニークライントゥデイ@A の邦訳をお持ちの方いませんか。 絶版で手に入らないんです。原著は手に入れたんですが、 英語を読むのにてこずってます。
579 :
没個性化されたレス↓ :2007/03/14(水) 00:20:19
岩崎学術出版社です
580 :
没個性化されたレス↓ :2007/03/14(水) 00:27:28
なんであがらないの ? age
>>578 大きな図書館か、大学図書館なら置いてある所がある。
とりあえずは、近くの図書館の参考係に問い合わせてみるのが一法かと。
582 :
578 :2007/03/14(水) 06:20:20
有難うございます。
583 :
没個性化されたレス↓ :2007/04/11(水) 22:51:36
新年度も分析について話しましょう。 ひとまずage。
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
587 :
没個性化されたレス↓ :2007/04/18(水) 21:20:34
岩波書店から予約販売されているフロイト著作集を読まれた方いますか?
588 :
没個性化されたレス↓ :2007/04/18(水) 22:14:25
クライントゥディって、絶版なのかー。トゥディじゃなく、クラッシックになりつつあるってことだな。 持ってるよ。
578です。
>>588 地元の県立図書館にありました。クラインイエスタディワンスモア
>>587 先輩や後輩が持っているのを見ましたが、僕は全く読んでいません。
岩崎もオン・デマンド版を発行したらいいのにな。 読みたくても、上のように絶版になってる本があるのはチト辛い(´・ω・`)
578です。時代に遅れてついて行っているもので、 5年後あたりに フロイト著作集の邦訳をお持ちの方いませんか。 絶版で手に入らないんです。 って書き込んでいそうです。
当スレの住人だった、浦島さんやかわずさん、Rievreセンセはお元気なのかなあ〜? 年度初めで忙しいのかも。
593 :
Reverie ◆MUxLMQ9bWk :2007/05/05(土) 01:20:40
>>592 召喚されますたw
年度始めで人事を含めてがやがやと忙しいです。
さて、臨床からちょっと離れるのですが・・・・
最近、「メトロに乗って」のDVDを借りてきました。
面白いですね〜。非常に精神分析的・力動的な映画かと思いました。
実は、この映画ってほぼ精神分析の記録じゃないかと思いましたが・・・
ご覧になった方、いらっしゃいますか?
アメリカ議会図書館の中に保管されていた大量のフロイトに関係する文献が、 専門家らに公開された。これによって彼が行ったとされる治療例の殆どが、実 は意識的作り話と希望的観測の所産であったことが証明された。
ソースキボン
596 :
元浦島 :2007/05/19(土) 20:48:04
過労死しそうな時期を、何とか生き延びることが出来たようです。人間はなんでも 慣れるものですね。久しぶりに書き込ませていただきます。(実は555を書いて 以来なのですが・・・) 現在精神分析は、あまり人気がないようです。(出版社の人によると、タイトルに 「精神分析」と付くと、途端に本の売れ行きが落ちるそうです−笑)でも若い人 (精神科医、臨床心理士問わず)に精神分析や力動的精神療法の話をすると、 ものすごく食いついてくる方がかなりおられ、少なくとも私はあまり「人気が ない」という印象を持っていません。 そしてこの解離の原因のひとつは、精神科臨床において精神分析(精神分析的 精神療法)が実際に役立つことが出来る、という点を、精神分析の側が今まで 充分に示すことが出来てこなかったからではないかと考えています。(積極的な 宣伝も含みます) 例えば今目の前にいる患者さんがどのような人であるとか、どのように理解すれば よいかなどは、精神分析(精神分析的精神療法)の得意分野だと思います。 そして1回から数回の面接でその理解をまとめそれを患者さんに伝えるのが「診断面接」 ですが、これは普通に「力動的な治療をする」ことに比べ、かなり力量のいる作業です。 したがってどうしてもこの分野が充分に行われず、結果的に精神療法の他の分野から 「精神分析(力動的精神療法)は、心理教育をしない」というやや的外れな批判を 招いてしまったのではないかと思います。 (続きます)
597 :
元浦島 :2007/05/19(土) 20:49:16
実際のところ精神分析や力動的精神療法は、例えば認知行動療法のような「心理教育を するための、疾患ごとの一定の決まったモデル」は余り持っていませんが、「『患者さん 一人ひとりに対するモデル』をすばやく作り上げることによって、それを患者さんに 伝える」という形で、一種の「心理教育」をしているとはいえると思います。(ここで言う 心理教育とは例えば、「あなたは実は、ご主人に対して怒っておられ、それを押さえ込んで おられるのかもしれないですね」などの理解を伝えることを含んでいます) 最も古い精神療法としての精神分析が、精神療法全体の発展のために役に立つ ことは、疑いないと考えます。日本の精神療法のレベルが、全体として向上すると 良いなと思っています。
598 :
没個性化されたレス↓ :2007/05/24(木) 05:35:53
良スレあげ
精神分析で有名なジグムント・フロイトは、コカの「白い粉」に、うつ病や無気力を防ぐ「奇跡の物質」と いう勲章を与え、婚約者のマルタ・ベルナイスに宛てた手紙に「君は、コカインを服用した男がどれほど 大きくたくましいかをしるだろう」書き送り、コカインが性的能力を高め、快楽と興奮をもたらすと、 友人たちにもしきりにすすめた。また、モルヒネ中毒に有効と信じ、モルヒネ中毒だった友人フライシェル に常用させ、重度のコカイン中毒にさせた。
精神分析的心理療法って、ようは患者の言語世界から 患者がどのような理論でこの世界を把握しているか認識し、 心理的、精神的に不都合、不快感を感じている病的認識を 論理的に理解させることで、精神や心理の不安定な面を安定させる 療法ってことでいいの?
違うのか、それならそれでいいんだけど。
>>601 それは認知療法とかなんとかいうやつじゃ・・・
605 :
かわず :2007/06/05(火) 22:54:25
お久しぶりです。元浦島さんもお元気なようで、何よりです。 元浦島さんのようなお考えの方が、もっと増えて欲しいですね。このままいくと、 日本の精神分析学派は活動の場を失っていくように思います。たとえば精神分析学 会に出てよく感じるのは、クライエントの利益に立脚した議論がほとんどなされて いないと言うことです。クライエントが費やしたお金と労力と時間に見合うだけの 効果を上げたかどうかよりも、病理や技法についての小難しいディスカッションに 明け暮れているように見えます。 精神分析的心理療法の、言ってみれば一人勝ちの時代は終わりました。他の心理療 法との競合を通して、シェイプアップする必要があるでしょう。産業や教育で求め られている、アウトリーチの業務に精神分析は貢献できないのでしょうか。なのに、 あいも変わらず隠語?でやり取りして仲間内で盛り上がっているのはどうかと思う のです。 来年の分析学会のシンポは 「小難しい議論をすることで、我々は何を得て何を失ったのか?」 とかには、ならないでしょうね。
606 :
没個性化されたレス↓ :2007/06/06(水) 13:55:29
一般向けだけど、 山中康裕「子どものシグナル」名著だな。 さすが、山中先生。
607 :
元浦島 :2007/06/09(土) 19:27:17
>>605 かわずさん、お久しぶりです。
分析学会に関しては、「隠語でやり取りして、仲間内で盛り上がっている」
というより、もう少し別の問題もあるように思います。
以前故小此木先生に、「分析学会は、どうして他の人に対してあんなに批判的、
攻撃的な議論をするんでしょうか?」とお聞きしたことがあります。(教条的な
議論、と言っても良いかもしれません)それに対して先生は、「学会では攻撃的に
見える人たちも、自分の仲間内のグループ内では、とても支持的な態度をとって
いると思う」と答えられました。かく言う先生も、実は分析家の某先生に対しては、
とても攻撃的であるように私には思えたのですが。
分析学会は「ある症例、報告などに対して、お互いに連想を広げあって理解を
広げる」と意味の「本当の仲間同士」ではないように私は思います。実はお互いに
とても批判的、攻撃的な気持ちを持っているのに、それを学術的な議論のように
見せかけているため、「小難しい議論」になりがちなのではないか、と思います。
(「お互いに対する攻撃性を抑圧しているため、そのような議論になってしまう」
と言ってもいいのかもしれません)(自分は関係ない、とでも言うような、とても
傲慢な書き方ではありますが)
しかしそれがすべてではなく、演題を選べば、参加していて気持ちの良い、
創造的な議論にも出会えるように私は思います。例えば以前、スクールカウンセラー
として実際に働いておられる先生から、とても興味深くて有用な精神分析の応用例が
報告されたりしてもいると思います。(そしてそのような発表は、決して少なくないと
思います。)
以前病院で、「精神分析みたいなものに興味があるんですよね」といったら 「じゃ、検査してみますか」と言われ喜んで行ってみたらロールシャッハだった。 しばらくして検査結果を聞いたが、その程度しか分からないの、みたいな内容だった。 ここのスレで言ってる精神分析的心理療法ってのはもっと濃厚な方法論なんですよね?
NPDスレの1です。以前ここにも何度か書き込んだことがあります。 質問です。 精神療法 Vol.33 No.3 「特集 自己愛性障害の精神療法」 金剛出版 ISBN978-4-7724-0973-5 C3047 \1800E 松木邦裕先生の「英国対象関係論からみた自己愛と分析治療」に 「一般に自己愛者は薄皮と厚皮の両面を含み混同させている」とありますが、 これは 「一般に自己愛者は無自覚型と過剰警戒型の両面を含み混同させている」 と読み替えてもいいものでしょうか。
質問するなら、その記述のあるページと行数も示したほうが 回答する人も答えやすいんじゃない?
はい。p.282 右の下から12行目です。
612 :
かわず :2007/06/28(木) 19:26:10
>>608 ロールシャッハ・テストは診断のための道具であり、1回で終わります。テスター
の習熟度やクライエントの精神的な健康度によって、「分かること」が多くなったり
少なくなったりします。ストレス状況をどう乗り切るか、言ってみれば負荷試験のよ
うなものですから、健康度の高い人は「分かること」が少ないこともあり得ます。
精神分析の理論を用いて解釈をするテスターもいるし、治療を導入する際にロールシ
ャッハを施行することもあるので、精神分析と無関係ではありません。
精神分析的心理療法は、面接を重ねて行って、クライエントが自己認識を深めてゆく
ものですから、1回こっきりではなくて、何十回、あるいは何百回の面接になります。
>>609 「傷つきやすさと尊大さの両面を含み混同させている」では、どうでしょう。松木先生
はダメって言うかもしれませんが……。Rosenfeldだったと思いますが、自己愛性人格
障害のthin-skinnedとthick-skinnedを論じています。前者はDSMの回避性人格障害、
後者は自己愛性人格障害の項目で描写されている状態像ととらえると、理解しやすいと
思います。でも自信ないので、元浦島さんお読みでしたら、コメントお願いします。
613 :
没個性化されたレス↓ :2007/06/29(金) 01:10:22
良スレあげ
614 :
没個性化されたレス↓ :2007/06/30(土) 16:39:08
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::人:::::::::::ヽ /:::::::::|:::::::::::::::::::::::::::::::::/ ヽ、::::::ヽ |:::::::::::@ヽ-------‐‐'′、 , ヽ:::::::| |::::::::::/■■■■u ■■■■ .|:::::::::| |:::::::::/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ|::::::::| |::::::=ロ -=・=- |, | -=・=- ロ=:::| 童貞じゃないお〜 |::::::::/ヽ /ノ ヽ /ヽ::| |::::/ `── ''''' '''''─── 丶:| 空気嫁とやったお… |::ノ (●), (●)、 U |:| |:| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .|:| + | u ´トェェェイ` |. + |. |,r-r-| | \ ー `ニニ´‐ / + \ _- ̄ ̄-_ / \ / /|\______/|\ / \ / \ / \ / \ 名前 丼だけ〜 ニックネーム 豊丸フゥー 年齢 4○才 職業 3D検査員 好きなAV女優 豊丸 特徴 キモオタ変態童貞でお茶飲んでフゥーと言う 空気嫁に豊丸と名前を付けている
>>612 うーん、分かったような分からないような
「精神分析的心理療法は、面接を重ねて行って、クライエントが自己認識を深めてゆく
ものですから、1回こっきりではなくて、何十回、あるいは何百回の面接になります。」
ってのは非常に興味ありますねぇ・・・
>>612 有難うございました。
傷つきやすさと尊大さの両面を含み混同させている
これが平たい言葉でしっくりきますね。
俺精神分析6年受けてる
>>615 >面接を重ねて行って、クライエントが自己認識を深めてゆく
ってのは、なんか違和感あるな。
こころを「解釈」し操作していく、ってのが自分の認識なんだが、
それは「自己認識を深めていく」っていうのとは、少なくともニュアンスは違うな。
自己認識を深めるって、なにかビルドゥングスロマンめいた響きを感じる。
精神分析における解釈と操作はそういうものではないと思う。
「精神分析的心理療法」と「精神分析」は別物だ、と言うのならそれでもいいのかもしれないが。
609です。有難うございました。
620 :
かわず :2007/07/08(日) 09:34:48
>>618 趣味の違いと言ってしまえば、それまでですが……。あなたが治療を受ける立場
になったら、「解釈」されて「操作」されたいですか?
クライエントの中核的な課題(病理と言っても良いでしょうが)をくり返し解釈
するworking through は「徹底操作」と訳されましたが、これはクライエントが
「かみしめる」作業であって、治療者が操作manipulateすることではない、と考
えます。
クライエントが主体的にかみしめることに意味があること、かみしめる時には痛
みや悲しみも伴うこと、治療者が共感できなければクライエントが孤立すること。
そういったことを忘れた治療は、治療者の自己愛を満たすことが先行したり、サド・
マゾヒスティックな治療関係に陥りがちです。それは決して他人事ではなくて、自
分でしていたことです。
精神分析は奥が深い。
自己認識はよく分かるんだけど、操作っていうのに すごく抵抗があるなあ
>>620 >あなたが治療を受ける立場
>になったら、「解釈」されて「操作」されたいですか?
単純に治療者がクライエントの心を解釈し操作するというわけじゃないでしょう。
解釈と操作は両者によって行われるわけだから。
どっちがどうするというより、その「治療関係」の中でその都度心的事実が発見されそれを解釈していくものでしょう。
当たり前のことだが、分析医は万能でもなければ心の地図を持っているわけでもない。
機械的にああくればこうする、という手法じゃない。
操作するという言葉のニュアンスを、情もかけらもないような風に受け取られると困る。
それどころか転移がないと精神分析は出来ないのだから。
>>623 ん?
大体、解釈は治療者が中心の作業であり、徹底操作はクライエントが解釈を内在化し観察自我を形成していく、いわば
クライエントが中心となる作業そのものでしょう
中立性を保つ精神分析では分析家がクライエントを操作すること自体理屈に合わないと思うが。
>>624 >中立性を保つ精神分析では分析家がクライエントを操作すること自体理屈に合わないと思うが。
>>623 では分析家がクライエントを徹底捜査するなんてことは書いてないつもりだが?
>623で書いたとおり重要なのは分析医だけでもクライエントだけでもない。
「治療関係」だよ。
>>625 じゃぁ聞くが、この場合の操作は「誰が」「何を」操作するのか?
「治療関係」というようなあいまいな言葉ではなくもう少し明確にしてもらえるかな?
精神分析は医学部入れる知能でないと扱えない。 心理学やってる連中程度だと揚げ足取りしかできない。
シミントンが来ると聞きましたが、詳細キボンヌ
>>628 シミントンが来日! マジですか。
あの『分析の経験』の著者ですよね?
折れも知りませんw。
そろそろ元浦島さんなどの降臨を期待しましょう。
シミントン来日はガチ。分析学会に来るよ。 そのうちボラスも来るらしいけど。
631 :
100万円 :2007/09/27(木) 22:13:59
携帯からですが、質問したい事があるのです。 なんか最近見つかったフロイトのメモにコンピューターのNADA回路と同じような発想のものが書かれてあったらしいんですが、NADA回路の事も知らんし、これってすごいんですか? 誰か教えて
NADA回路?
633 :
100万円 :2007/09/27(木) 23:43:27
NAND回路やった。 ×NADA ↓ ○NAND
634 :
没個性化されたレス↓ :2007/09/27(木) 23:51:27
当然凄いことだろ。フロイトはコンピュータのことも考えていたんだ。
635 :
100万円 :2007/09/28(金) 00:12:17
おそらく、 脳や心の働きを コンピューターかなにかに例えようとしてたんやけど、NAND回路自体、俺知らんし、どう凄いのかわからん。 誰かわかりやすく教えて
636 :
没個性化されたレス↓ :2007/09/28(金) 09:32:57
コンピュータが開発されるもずっとまえに、人間の心をコンピュータに例えて考えていたのだから、その凄さがわかるだろ。
元浦島さん、どうしてますか
638 :
没個性化されたレス↓ :2007/10/10(水) 10:32:01
あげ
何か言ってください
奥が深いとか自己満足はいいから、治療の効果はあるんかい?
641 :
没個性化されたレス↓ :2007/10/25(木) 02:16:39
精神鑑定してもらえますか?
エビデンスベイスド時代の精神分析の有効性
コクランライブラリーは現時点で産後うつ病に対する精神力動的精神療法の効果について、「治療効果がありそうだ」としている。この結果は(個人)認知行動療法、個人精神療法、非指示的カウンセリングと並んでいる。
またグループ認知行動療法、光療法、母子交流指導、配偶者とともに行う心理教育、電話による母親同士のピアサポートの効果について、「効果は不明」としているところから、少なくともそれらのアプローチよりも優先されるべきである。
また医療界において費用対効果という観点も重要視されるようになっている。上記の疾患において、グループ認知行動療法、光療法、母子交流指導、配偶者とともに行う心理教育、
電話による母親同士のピアサポートなどを精神力動的精神療法に先んじて行うことは費用対効果に反する。 このように精神分析の有効性については、
さまざまな疾患に対しての臨床効果の研究がなされているが、エビデンスがある疾患は産後うつ病のみであり、他の精神疾患に用いられるべきではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90%E5%AD%A6 産後鬱強化中
643 :
没個性化されたレス↓ :2007/10/25(木) 04:30:04
おやすみなさい
『 ■ 精神分析的心理療法 2■ 』 ↓ 『 おやすみなさい 』 お!おやすみなさいぃ!ッ 工工エェ(´Д`)ェエ工工
ごめんなさい m(__)m 誰かに言いたかったの。 このスレは休んじゃイヤ
647 :
没個性化されたレス↓ :2007/11/19(月) 20:36:38
新しく出たクラインの本はどう?
ロンドン大学であったハナ・シーガルのカンファレンスに、日本からは、どのくらい参加したのだろう?
649 :
没個性化されたレス↓ :2008/02/07(木) 00:08:29
一昨年あたりは、精神分析系の専門書が割と多く出版された。 今年はどうかな? ということで、浦島さん、かわずさん、夢想先生 召喚AGE.
650 :
没個性化されたレス↓ :2008/02/07(木) 00:56:17
いまはEBMじゃなくNBMじゃね?
651 :
没個性化されたレス↓ :2008/02/07(木) 01:04:00
俺たちゃ妖怪人間BEMだけどね。
652 :
元浦島 :2008/02/11(月) 13:47:22
久々に書き込ませていただきます。 最近嫌気がさしているものとして、自己愛的な人の「カウンセリング」希望が あります。「自分はひどい目にあった」といわれますが、事情を良く聞いていくと、 どう考えても本人の側にも大きな問題がありそうなのですが、「自分に問題はない」 「とにかく分かって欲しい」とのみ繰り返されます。そのくせ何を分かって欲しいかを お聞きしても、「誰も自分のことを分かってくれない」「とにかく分かって欲しい」 とのみ繰り返されます。 そのような人に対してどれだけ丁寧にアセスメントしても、またほとんどの 場合自分が変化しようという気がまったくないため、精神療法や心理療法の 適応にはならないと思うと丁寧に説明しても、高い確率で院長や厚労省に対して クレームを訴えます。場合によっては自分から問題を起こされ、出入り禁止に なったりもしますが。 最近は事務の人もこのような種類の患者さんがいると分かってくれているようで、 事情を話せばすぐに理解してくれ、あまり大きな問題にはなっていません。 しかし一人の臨床家としては、自分がいくら一生懸命誠意を持って接しても 何の効果もない患者さんというのは、とてもむなしい気持ちにさせられます。 「患者様は神様です」とでも言わんばかりの、最近の医療の極端なサービス業化 志向は、どう考えても変だと思います。自己愛の病理を持った人を花開かせて しまうだけではないでしょうか? ついでですが、最近の「接遇研修」とか言うものもおかしいと思います。私に 関して言えば、「接遇の指導者」と称する人たちから「暖かさ」「相手に対する 愛情」などを強く感じたことはあまりありません。
>最近嫌気がさしているものとして、自己愛的な人の「カウンセリング」希望が そう「サイコセラピー」ではなく「カウンセリング」ね。 よくあるよ。 最近の自責感の低い自称うつ患者。 他責的なうつ。 本来自分が得るべき幸福を得られていない不遇な気持ちの矛先を精神医療に向けてくる。 自分の不幸に自分の罪はないのだという証明を、医学に与えてもらおうとする。
654 :
没個性化されたレス↓ :2008/02/11(月) 20:28:54
フロイトを祭り、心理学を祭り、それを他人に信じ込ませ そして病名を作り上げ、それを広め カウンセリングがそれを治すと他人に信じ込ませる マッチポンプの人類の癌 それが
655 :
没個性化されたレス↓ :2008/02/11(月) 20:34:19
創価学会
656 :
没個性化されたレス↓ :2008/02/18(月) 18:28:55
精神を壊せても、治せないということに気付くために何人壊すのか
偉そうにいえるほど、臨床現場を見たのかいな。
一昔前に流行った「AC:アダルトチルドレン」も その多くは、自己愛的な病理を抱えていたのかもしれん。 接遇研修と言えば、割りばしを歯に挟んだ時の口の形が 自然な笑顔ということらしいw。 なんだかなあ・・・。
>>652 元浦島さん、ご無沙汰です。お元気、でもないようですね(汗)
自己愛的な人のカウンセリングは確かに厄介ですし、また需要が多いってのも事実ですね。
ただ、このタイプのクライエントは他の合併症が多くないですか?
アルコールを含む依存関連障害や気分障害、あるいはPDD SpectrumやPostpsychotic Depressionなどなど
>>652 連投ですが、接遇研修は本当に時間の無駄でしょう。
難しい症例と対峙している臨床心理士・精神科医の前で接遇を述べる勇気にはまず恐れ入りますね。
ま、それはさておき、接遇研修で一番大きな問題は医療者が「どうするか」ばかり述べられていて
「患者さんをどう理解するか」という視点が皆無なところかと思います。
理解のない対応は押し付けになり迫害感を増長させることになると思うのですがね。
661 :
元浦島 :2008/03/01(土) 20:55:15
>>659 reverieさん、お久しぶりです。御心配していただいたようで、ありがとうございます。
しかし最近は、比較的元気になっています。忙しいのは相変わらずですが、現在の
仕事においても、いろいろと楽しみなことが見つかるようになって来ましたので。
後輩の先生からも、「最近元気そうですね」といわれるようになりました。652を
書いたときには、かなり忙しくていらいらしていたのも事実ですが。
正直に言うと私は、自分には全く問題がないと考えておられるような種類の
自己愛的な患者さんが嫌いです。(もちろん、一生懸命何とかしたいと思って
おられる方は別ですが)しかしreverieさんが書かれたとおり、他にも問題を抱えて
おられる方の場合は、我慢(?)して治療を引き受けざるを得ません。だからこそ、
他の診断名がつかない方の場合には、できるだけお付き合いしたくない、お引取り
願いたいという気持ちがあるのは確かです。もちろん精神療法の適応があると判断
判断すれば、やむを得ずお引き受けしようとはしますが。
ちなみに問題となった患者さんの一人は、アルコール依存を合併しておられました。
とても細かくいろいろと説明した後、酒を止める意思があればお手伝いすると
お伝えしましたが、あっさりと「そんな気持ちは全くない」といわれました。
その方はその後いろいろな問題を起こされ、警察に介入していただいたりした
結果、現在は出入り禁止になっています。
662 :
かわず :2008/03/01(土) 23:13:12
元浦島さん、Reverieさん、こんばんは。 久しぶりにのぞいたら、お二人の書き込みがあってうれしくなりました。 私は地方にいるせいか、たまたまラッキー?なのか、元浦島さんがおっしゃる ようなケースにはあまりお目にかかりません。「うつ病」で治療を受けたり休 職したりしている人で、ひと皮めくると自己愛の病理が見えてくる人は多いと 思います。「マイナス思考で、何でも自分のせいだと思うんです」とか言って いますが、こっちはまだ可愛い。 可愛くないのは、「特別扱い」を当たり前のように受け取ろうとする、「鼻持 ちならない」人たちですが....。彼らの尊大や傲慢の内側に、心細さや絶望を 見出すことができれば、共感する余地があるのかもしれませんが、元浦島さん の手に余るような人は、そんな甘っちょろいものではないのでしょうね。 「自分を変えるかどうかは、あなたが判断すること」と伝えて、まずその判断が つくまでつきあうと言う手はないものでしょうか? 「ない」と明言していても 精神科の門をくぐっているわけですし、「世直し」のために選挙に出馬もしない わけですから、「自分を変えよう」とする気持はどこかにあるような気もします。 「自分に問題がある」ことをはっきり認めるまで、何年もかかるかもしれないし、 そうしても傷つかないだけの自己愛を患者が得ているとしたら、治療者の仕事は もうほとんど終わっているようにも思うのですが、いかがでしょうか。
>>661 元浦島さん
自己愛の人には基本的に愛情が注げませんね。うちの後輩にもいますけど(笑)。
アルコール依存の精神病理は斉藤学先生が書かれていてパワー幻想という空想が中心にすえられています。
この頃の著作は好きでしたが、今はちょっと(笑)
アルコールに関しては教条的に「否認」の病気とまことしやかにいわれていれていますが
僕的には分裂ー排除の原始防衛機制が強く、投影性同一視を使って飲酒を対人関係や環境の要因に吐き出す事が多いですね。
治療初期は結局投影性同一視の排泄が中心になり、観察自我がなかなか育ちません。以上は個人精神療法で起りますが
自助グループだとこれがモディファイされていくようです。どーやら、一対一での関係性を深めていく事は、恐らく超自我的な迫害感が
ベースにあり、困難なんでしょうが、自助グループだと、迫害的な個人が集団の中に融合されていくような一体感が存在するため
これが治療的になっているようです。この集団の一体感は団体交渉などにも認められある種の一体感を求めてさらに続けていく
原動力になっている印象があります。
まあ、「底つき体験」を経験しないとと思うんですが、これって原始防衛が破綻し、その結果身体症状が顕著に出てきた状態じゃないかなとしみじみ思いますね
>>662 最近はDSMのおかげでうつ病が大安売りになってますからね(笑)
やはり、メランコリー親和型の病前性格でないと内因性うつ病とはいえないでしょう
以前のうつ病が超自我の基準に挫折しているのであれば、今の青年期のうつは
誇大的万能感の破綻でしょう。こういう万能感を持ってる連中は主治医と「もう危ない事はしない」
と約束しても簡単に「自分の体は自分で何でもできる」というかたちで衝動行為を繰りかえしますね。
対してメランコリー親和がたの方は「人様に顔向けできんが、それでも無茶なことをしないと約束したし
約束は絶対破ったらいかんものだから」と抑うつの状態を乗り切れる方が多いようです。
665 :
元浦島 :2008/03/09(日) 20:19:31
>>662 かわずさん
お久しぶりです。
あまり詳しく書くわけにいかないのですが・・・。ちなみに出入り禁止になった
方は、ある病院で出入り禁止になり、別のところに紹介され、そこからうちに
紹介されました。そしてうちで断るわけにいかなかったため、何とか私が引き
受けようと努力しました。したがって本人は「精神科の門をくぐった」つもりはなく、
無理に行かされたくらいに感じていたと思います。結局はうちも無事に(?)
出入り禁止になってしまったのですが。
かなり無茶な方でした・・・。
666 :
あ :2008/03/24(月) 08:12:04
あげ
勉強になりますね。10年以上前はこんなスレがたくさんあったのにね。
>>667 いや、10年前はまだ2chないんじゃないか?w
あめぞうはあったか?
669 :
没個性化されたレス↓ :2008/03/30(日) 11:47:22
ロールシャッハはどおいう原始的防衛を使うかで人格構造を理解したり、 弛緩があるかどうかをみて、等質か境界例か鑑別しているということで いいの?SCTは力動を理解するもの? 心理検査を受けたんだけど心理士がはぐらかすばかりで・・・図書館で調べたん だけど過去の話なの?以上、マジレス頼むよ
670 :
没個性化されたレス↓ :2008/03/31(月) 01:15:25
古典的といわれようが,結局,過去の研究に辿り着く。 哲学者になる前のヤスパースや,シュナイダー,クレッチマー, ブロイラーが生き続ける世界だね。
671 :
かわず :2008/03/31(月) 12:58:44
>>669 おっしゃっているような、投影による精神病的な防衛と、抑圧による神経症的な防
衛がどのように用いられるかを見ていく解釈法は、精神分析の理論と結びついてい
ます。もちろんそのような方法で解釈するテスターもいますが、違う理論によって
いるテスターもいます。そもそも解釈以前のスコアリングからして、幾通りもあり
ます。さらにテスターの習熟度や、価値観によっても解釈が異なってきます。
SCTはロールシャッハに比べて、より意識レベルに近い心の働きを測ろうとする
ものと言えます。ロールシャッハだけでなく、SCTや描画や質問紙など、さまざ
まな心理テストを組み合わせて、心理査定してゆくのが一般的でしょう。ロールシ
ャッハは鑑別の資料として用いられる場合もあるでしょうが、病名はあくまで医師
がつけるものです。心理検査の結果は、診察での言動、生活暦、家族関係、病歴、
治療への反応性などとともに、鑑別の手がかりにされます。
余計なおせっかいとは思いますが、「要するに俺は等質なの?境界例なの?」み
たいなことが気になっていらっしゃるのですか? そうだとしたら、病名にとら
われるよりは、ご自分の生きづらさや治った姿を日常の言葉で表現してみること
の方が実際的だと思います。
>>612 そうだったのか、薄暗い部屋で、ストップウオッチで時間はかられ、
気味の悪い絵を見せられ、何と答えていいのかヒントもなく、
圧迫面接かと思ったのですが、自分はすぐに退行してしまいました、
実際よりもかなり子供っぽい状態になったなと思います。
自分では大学生活に適応できていないということで、低レベルの境界例
とか、適応障害とか、気分変調症とかいう診断なんだろうと、さすがに
思考障害があるほどひどくはないと思うのですが、連合弛緩というものは
幼稚園児でも正確にできることすらあやしくなるということですよね?、
頭がぼーとして講義についていけないというか、マイペースに
本を読むことはある程度できるのですが、仮に心理療法とか受けるとしても
よくなるには数年単位かかるんですか?数か月で復帰したいのですが。
「嫌われ者のNPD」の医師ですwご無沙汰してますw メラニークライントゥデイ@ P.124 「肛門マスターベーションの投影同一化との関係」ドナルド・メルツァー を読みましたが、自分の児童・思春期の頃の性癖と似ているところが 多々あり、笑うしかないな〜って感じです。 文字どおり「ケツの穴」まで見せに、また先輩医師のところに、話を聴いて もらいにいこうかなあ。。。因みにホモではありません。ただ、最近「偽インポテンツ」 (同文献)なのか、最近女性に対する興味が薄れてきました。以前は 連れて歩くための(誰もが振り返るような)美人をキープすることに エネルギーを費やしていましたが、いまはそこまで元気がなくなりました。。。。
673はスルーして下さいw コメントの仕様がないと思いますので。失礼しました〜
馬場先生の分析の新刊は、まだ出ないですかね? もうそろそろだと思うのですが。
676 :
没個性化されたレス↓ :2008/05/27(火) 11:29:57
知人に女と見ると、なんとしてでもやりたがる男がいる。 おなべをのぞく、物凄いどぶす、男以下のどぶすでも、 女であるらしい・・というだけで、やりたがる。 本人は背も180以上あり、顔もそこそこ普通。 ただ、やりたいために、整形したらしい。 異常というか、異様というか、ここまでくると、 滑稽・・というか。 これって、精神異常なんでしょうか?
677 :
没個性化されたレス↓ :2008/05/27(火) 11:39:44
知人に男と見ると、脅してでもやりたがる女がいる。 小学生から、もう勃ちもしないじいさんまで・・、 バイアグラ無理やりのませてまで、やろうとする。 ほとんど犯罪だ・・、と思うのだが、女だというので、 なんとか大目にみられている。 本人はずんぐりむっくりの頭でっかちで、 物凄いどぶすである。 何度も、男にもてたくて、整形を繰り返してはいるが、大差ない。 ピエロなコジキな人生送っていて、本人はまるでいけしゃあしゃあとしてる。 これって、精神異常・・というか、これは確実にキティですよね。
678 :
没個性化されたレス↓ :2008/05/27(火) 11:49:32
知人に物凄く嫌われていじめられていた女の子がいた。 男からも女からも嫌われているのだが、女子はかわいそうだから、 あからさまにはいじめてはいなかった。 本人は黒人のハーフか・・と思われるほど、 真っ黒けっけで、顔もどぶすで、汚らしい感じがする。 そのストレスからか、近所の男の子のストーカーをしだした。 何年にもわたり、好きな子がいようが、彼女ができようが、結婚しようが、 転居しようが・・、たった一人の子を延々と追い掛け回し、 本人は結婚しようともしない。(相手もいないだろうが・・。) これも、相当な精神異常ですよね。
679 :
没個性化されたレス↓ :2008/05/27(火) 12:01:24
知人にゴリエみたいな女がいる。 ゴリラそのものなのに、べたべたにおしゃれして、厚化粧して、 まるで、ばけものガマである。しかし、性別は女で、イケ面が大好きで、 いい男とみると、猛烈なアタックをしだす。 やられたほうは、当然大迷惑なので、拒絶するが、 地獄の果てまで、おいかけてきて、訴えられるまで、嫌われていることに気付かない。 気の弱い奴隷男と結婚して、それでもしつこく、あいまをぬっては、 おっかけのようなことをする。 本人に罪の意識はほとんどなく、こっぴどくフッタイケ面たちが、 人間性に著しく欠けるらしい。そのうち、危険な情事・・のように、 (情事など、ないのだが・、)犯罪行為すれすれの復讐に変わる。 この精神異常者、どうにかして・・。
S.A.ミッチェルの新刊が出たようですね。 『関係精神分析の視座―分析過程における希望と怖れ 』
精神分析療法をしてくれる病院を誰かおしえていただけませんか?
以前ロールシャッハを受けたとき、相手の人は30前後の女性だった 模様の中に、どう見ても女性の性器が想像されるのがあって 恥ずかしいなぁと思ったけど、正直に言いました(笑) こういう時は素直に言うのが一番かなぁと思って そしたら、同じように性器に思えるようなのがいくつかあって 毎回「正直に言ったほうがいいのかなぁ」なんて悩みながら答えてました よっぽどSEXしたかったってことなんですかねぇ (´・ω・`)
以前精神分析的心理療法を受けていた者ですが(治療は終えました) 治療の中で頻繁に用いられていた用語が思い出せずにいます。 説明では、分離(splitting)、投影(projection)と、もう一つの単語(英語)を含め、 何とかトライアングルと呼んでいましたが、 そのもう一つの心理学用語と、○○トライアングルの○○の部分が お分かりになる方がいたら教えてください。
684 :
没個性化されたレス↓ :2008/07/22(火) 00:04:45
あげ
685 :
没個性化されたレス↓ :2008/07/22(火) 01:25:23
>>683 考えられるのは「同一化(Identification)」かな。
だから「SPIトライアングル」かと。
クライン‐ビオン派の先生だったようだね、その治療者は。
今までどこにでもある小遣稼ぎとはわけが違います!
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687 :
683 :2008/07/22(火) 08:49:04
>>685 さま
ありがとうございます。
素人ですので、主治医が○○派と言うのは良く分かりませんが、
>>152 の中の先生のようです。
事情があり、その先生から同じ派?の別の先生に変わる予定ですが
緊張します。病状が良くなるといいのですが、内面を直視する治療に
少々疲れておりまして…。ですがもう少し頑張ってみたいと思います。
思い出せなかった言葉は同一化(Identification)だったのですね。
同一視と言う言葉が、しばしば投影と合わさって、
投影性同一視と言う言葉が耳に入ったりして
それとはまた全然異なる言葉だったような気もしまして。
(対話では英語でした)
ありがとうございました。
688 :
没個性化されたレス↓ :2008/07/23(水) 03:01:14
689 :
没個性化されたレス↓ :2008/07/24(木) 14:45:05
医師板で、分析家の重鎮のある医師は、 その医師自身はちゃんとした分析の訓練を受けていない、 この事は精神科医の間では誰でも知っていて、 触れてはいけないタブーになっている、 と言う記述を見たのですが、これはどの先生の事ですか?
690 :
689 :2008/07/24(木) 20:17:04
すみません。書き込むスレを間違いました。<(_ _)>
691 :
没個性化されたレス↓ :2008/07/24(木) 21:15:20
692 :
没個性化されたレス↓ :2008/07/26(土) 11:00:07
>>687 いや、オレもあやふやだけどね^^;
ただSPIトライアングルってどっかで聞いたことあるな〜
と思って。間違ってたらゴメン^^;
新しい先生、合うといいね。
>>692 さま、687です。
レス、ありがとうございます。
その後一度前主治医に会う機会があったので、
中途で終わってしまったテーマについて説明を受け、
そのついでに念の為確認したのですが、
私の完全な勘違いで、いつも使われていた言葉は
「Paranoid-Schizoid Position」でした。
説明時にいつも三角形の描写の手つきをされていたので
勝手に勘違いしてしまいました。
(途中トライアングルと言う言葉が出て、
そこだけが耳に残っていたのかも知れませんが…)
いずれにしても頓珍漢な勘違いからの質問になってすみません。m(__)m
なのでおっしゃる通りクライン派だったのでしょうね。(←Googleで調べただけですが…)
優しいお言葉ありがとうございます。
新しい先生(と言ってもお歳なのですが)うまく意思疎通が出来るといいなと思います。
分析的心理療法をされている方は限られる事がもったいないです。
私は人生の半分近くを治療に費やしてきて、
有名大学病院でも回復せず、その後たまたま出会ったのが前主治医でした。
分析療法を応用した治療は通常の精神科では難しいような
認知の歪の矯正などにはとても役立ちますし、無意識の世界の説明は興味深いです。
ただ前主治医の治療に行き詰まり感が出て、今度その上の先生に
診ていただく事になりました。(ここを見ていらっしゃったらばれそうですが…^^;)
気持ちを新たに頑張ります。皆さんもこの先ご活躍されるよう祈っています!
694 :
没個性化されたレス↓ :2008/07/26(土) 19:40:09
さて、これもご縁というか因果応報というか(笑) 本格的に思春期のプロジェクトに組み込まれることになりました。 これからも宜しくです。 ちなみに松木先生の「摂食障害というこころ」は名著ですね 「中核群」の定義が目から鱗でした。臨床での理解にかなり確信に迫ってましたね
696 :
没個性化されたレス↓ :2008/08/09(土) 23:17:15
結局、自己愛の問題ということでしたっけ? 思考を放棄させる、なかなか難しいですな
>>696 そう。
自己愛性の病理が中心で、言語化の問題もかなり厳しいみたいですよ
マスターソンのいうひきこもり型の自己愛性人格障害の感触が強く一者関係の万能的空想に埋没する印象がありますね
698 :
没個性化されたレス↓ :2008/08/26(火) 02:15:37
精神分析延々と続き過ぎてうんざりだよ
>>699 ホントそんな感じです。全く光が見えません。
人間的成長はしてるのかもしれないけど、肝心のパニ
ック障害の症状は相変わらず…9年は長すぎるよ(泣
>>700 同じく自分も断念しました。
有名な方だったので期待していたのですが、
分析の権威と、臨床での治療者としては別なんだと実感しました。
>>701 今はどんな治療をしているんですか?
それとも何もしていないのですか?
703 :
没個性化されたレス↓ :2008/08/29(金) 20:25:00
パニック障害は神経科学的なメカニズムがあるわけでしょ? 精神分析でどうこうできるわけないじゃん。
704 :
没個性化されたレス↓ :2008/08/29(金) 21:30:08
>>700 いくら投資したのか計算してみよう。
それを治療者と話題にしてみよう。
705 :
没個性化されたレス↓ :2008/09/06(土) 19:45:29
結局、精神分析療法で何が出来るわけ? 時間と金をかけて人格の成長を促すだけ? そりゃ心理士も飯食っていかないといけないの かもしれないけど、誇大な宣伝は止めてくれ。 悪質商法と何ら変わりはしねえよ。
普通自分で少しは情報収集して勉強して何が知りたいのか 具体的な質問をするのが礼儀だよな。煽って他人から答えを 引き出させようとする安易なやつってよくいるけど、そんなやつに 釣られて、いちいち答える労力を使う、お人よしもいないわな。
>>705 >時間と金をかけて人格の成長を促すだけ?
精神疾患が治療されることは人格の成長を意味しない。
>精神疾患が治療されることは人格の成長を意味しない。 これは燃料になるかもしれませんなぁ。。。
分析受けた後数日はぐったりして寝込んでしまいます
710 :
没個性化されたレス↓ :2008/11/08(土) 15:00:56
福岡行った人、いる?
711 :
没個性化されたレス↓ :2008/11/12(水) 14:10:10
来年はどこで開催されるのですか?
712 :
没個性化されたレス↓ :2008/11/12(水) 21:35:49
根拠の無いデタラメ言って人から金を騙し取る こういう人を 【 臨 笑 心 狸 士 】 といいます
例えば、 [1]対人恐怖の男子高校生 [2]性犯罪者の五十代男性 [3]母子家庭で境界例の二十代女性 を考えた時、精神分析が使えるのは2だけじゃない?
その根拠は?
715 :
元浦島 :2008/11/16(日) 08:07:31
久しぶりに書き込ませていただきます。 精神分析を含む精神療法(心理療法)ー認知療法、行動療法などを含むーの 適応を決定するために最も有用な方法は、診断面接(インテイク面接でも良い ですが)の間にその介入を実際に試してみることだと私は考えます。例えば 認知療法的な介入をしてみて、それをきちんと利用できる患者さんであれば、 認知療法によって改善する可能性の高い方だと思います。 したがって、「対人恐怖」をもった人の中に、精神分析に向いた人、行動療法に 向いた人などいろいろいる、というのが実際に近いと思います。 ただしそのように診断面接をした場合、精神分析(的精神療法)の適応になる 人は比較的少ないのではないかと私は思います。現在の世の中は、自分でいろいろ 考えたい人(分析向き)よりも、具体的なやり方、生き方を教えてもらいたい人 (認知行動療法向き)の方が、多いということでしょうか。ただし評価面接を行うと いう点においては、精神分析をきちんと理解した治療者の方がうまいのでは ないかと私は考えます。(偏見かもしれませんが)
716 :
没個性化されたレス↓ :2008/11/17(月) 09:18:12
精神分析受けさせられそうだwwwwww 無料説明会があったんだけど、母が行ってきて完璧に洗脳されて帰ってきたww でも、1回1万円は高杉・・・・・・・ 精神分析とか、カウンセリングってただの人生相談にみえるんだけど違うのか・・・ ただの暗示とか洗脳じゃないのかな・・・・
>>716 そこら辺の違いがわからないのに、よくこのスレに来れたな
718 :
没個性化されたレス↓ :2008/11/19(水) 16:33:25
イメージ分析療法をやっている病院やクリニックありませんか。今までやっていて途中でそのクリニックでは受けられなくなってしまいました。
>>716 >精神分析とか、カウンセリングってただの人生相談にみえるんだけど違うのか・・・
精神分析(Psychoanalyse)とサイコセラピー(精神療法)とカウンセリングは分けて考えた方がいい。
(精神分析は、サイコセラピーの一つだけど、分けて考えた方がいいでしょう)
とりあえず、精神分析は第一選択肢にしない方がいいと思うぞ。
全くの素人なんですが、このスレを最初から読んでいて「お?」と思ったので、1レス拝借します。 “超自我に誓約させる”という方法で内因性うつの方を自殺企図から遠ざけることができるんだなぁと初めて知って、目からウロコでした。 それに関して私事で恐縮なんですが、質問させて下さい。 高校の時(約10年前)に「鬱と、あと強迫性障害の疑いもありますね」と診断されたことがあります。 が、私が貧困妄想みたいな考えに捕らわれていたのと、親が体裁を気にしたのとで、数回の受診だけで通院をやめてしまいました。 死にたいと感じる半面、何かに縋りたい気持ちもあったせいか、小さい時からの空想癖に頼り、空想内の友達に「死んじゃダメ」と言わせ、唯一破っちゃいけない約束だと自分を納得させました。 これは超自我との誓約と呼べるものなのか、それとも、単に希死念慮に勝る本能のおかげなのか、今でも不思議に感じています。 空想の友達って、正体は何なんだろう…? (この板での初書き込みながら長々と失礼いたしました…)
初めまして。単なる三島読者です。 下記は三島由紀夫「音楽」のレビュー(あまぞん)の抜粋ですが、この中の『精神分析学という学問に対する三島の誤解(と、その理由)』とは 一体どのようなことを指しているのでしょうか?非常に興味深いのですが、なにぶん門外漢ですので、どこから手をつけてよいのかわかりません。 議論の大枠だけでも、よろしかったら教えてください(´-ω・`) >わたしは三島由紀夫の大ファンですが、同時にアカデミックな精神分析学を研究している人間でもあるので、この作品には?です。 >というのも、この作品に限らず、三島が描いた<精神分析>は本物の(つまり、アカデミックな)精神分析学では決してないのです。 >実際、『精神分析研究』等の専門誌上では、この作品で特に著しく現れた、精神分析学という学問に対する三島の誤解(と、その理由)が >何度も議論の対象となっているわけでして、賢人読者の皆さんには、三島由紀夫的<精神分析>を本物の精神分析学と混同しないように留意しつつ、 >彼一流の素晴しいフィクションの世界を楽しんでいただきたいと思います。
ほしゅ
723 :
没個性化されたレス↓ :2009/01/03(土) 06:46:28
精神分析統合理論の新田信也さんはどう。 統合失調症が完治するみたいだけど・・・
724 :
没個性化されたレス↓ :2009/01/07(水) 15:22:43
10年近く50分7000円の精神分析を受けてきましたが、 未だ社会復帰できていません お金も尽き分析も受けられなくなると思います 自分はどうしたらよいのでしょうか
俺なんか10年間1万2千円のところで受けてたぜ?全然効果なかったというか結局自力で治したよ。 俺のほうが神経症について詳しかったorz
大金払って学んだのは分析やらカウンセリングなんか に頼らず自力で治せってことだったよorz
>724 がんばって働いて分析費かせいで、再度分析受けてくださいね ^^
分析は欧米のセレブの(高尚な)お遊びだろ。 治療目的でやるもんじゃない。
729 :
没個性化されたレス↓ :2009/01/09(金) 21:14:51
精神分析は医者が分析のために使うもので、 治療効果はうたってない
治療効果をうたってるのって何がありますか?
好きだったのに 愛し合ってたのに こんな簡単に 離ればなれになってしまうんだね 好きなのに 大好きなのに 愛してるのに 離れてってしまうんだね 別々の道なんて嫌 同じ道がいいの あなたががんばるときも あなたがつかれたときも 誰よりも一番近くがいいの それだけでもいいの わがままだけど お願いだから嫌いにならないで ごめんなさい ごめんなさい あなたの熱を今も忘れられない なんでもするから もう一度愛して欲しい お願いだから そばにいさせて お願いだから
短気。少々強欲。力強い。家庭的ではない。 非常に性欲が強く盛りのついた雌猫タイプ。 過度の潔癖症を持つ場合がある。
直感任せに生きるタイプ。直情型。 自分の意見に絶対の自信を持つ反面、打たれ弱い。 傍に誰かがいないと本領が発揮出来ない人に多い。
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★ このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 痴呆P胃(とおぼしき方)に質問ですpart5 [病院・医者]
で?
737 :
没個性化されたレス↓ :2009/02/09(月) 15:06:34
ぷぎゃ
738 :
没個性化されたレス↓ :2009/02/10(火) 09:44:36
分析的心理療法の大家(故人)のを 長いこと受けましたけど
人間性を疑う人物でした
最初から自分のベルトコンベアーに当てはめて
母子関係を偏見の目で探るばかりで(表面は丸見えの嘘の温和な態度)
若い世代の私の苦しみと かみ合いようもありませんでした
著書では 援助する援助するって言っているのに…
真面目で平和主義の私ですが
最後に一発ぶん殴ってやってもよかったと、今になって思います
そしたら本音の関係が始まっていたかもしれません
(たぶん私が悪者にされてしまったでしょうが)
>>715 元浦島さん
とてもちゃんとした書き込みを続けていらっしゃいますが
専門家のおごりや、
世代ギャップには
どうかくれぐれも自戒を忘れないで下さいね。
↑元浦島さん、ちゃんとした方らしいから、あえて名指しさせて頂きました。 噛み付いたようで、後悔しています。 ごめんなさい。
>>726 同じく。自分の事は自分でにつきる。
何故訓練を受けている人間がこうも駄目なんだろう・・・と思った。
自分の求めていた一般人よりは人格の高い人間を期待してたから・・・
こりゃ駄目ダ・・・て思ったよ。自分で切り開くしかないって。
でもこれはある意味カウンセリング成功なのかもしれないw
精神分析療法で治ったって人もいるし 精神分析的な治療で治癒しえるのも事実なんじゃないか おれが行った精神分析やってるとこは2年で治るっていってたよ 続けて行かなかったから今も神経症治ってないけど 何年も通って症状かよくならないのは治療者がヤブか 無意識に自分で治るのを拒んでるんじゃないか
742 :
没個性化されたレス↓ :2009/03/29(日) 18:18:43
精神分析入門をよんでるんだけどさ、症状形成の辺りでさっぱりになってきた。 退行と発達停止(=神経症的症状?)の根本的な違いが分からない。 どっからが病気かってなった時に出てくるいわゆる「生活が出来ない」っていう ような線引きなの?
精神分析の本は詳しく読んだ事ないけど 神経症の人は症状を自分で発達させて生活できない状態にもっていくらしいよ 無意識にやってるから自分では苦しんでるだけだけどね
神経症の一部には森田療法が効く。 苦しんでいる人は一度関連書を読んでみるといいよ。 知らなくて苦しんでいる人が多い。
10年、1000万が相場だとある。精神分析を学ぶ人に?だったかな M氏の実話がよかった
このスレでカウンセリングと言う言葉を使ってるやつがいるけど、 精神分析と心理カウンセリングは厳密には別物だからな
まあサイコセラピーのほうがちかいだろうけど、どうでもよくね?
大学で臨床心理士の資格を取ったような類の心理カウンセラーは、 精神分析のような病理化や発達的な見方を嫌う傾向があるからな。 だいたい心理カウンセラーは精神分析の防衛機制のような見方をそもそもしないし、 心理カウンセラーと精神分析家ではクライエントに対する対応の仕方はかなり違うよ。
臨床心理士で精神分析学会員で分析療法やってる人もいるから 臨床心理士も精神分析に肯定的な人もいるってことだよ
そりゃあいるでしょ。
751 :
没個性化されたレス↓ :2009/07/18(土) 21:41:19
良スレなのに過疎っていますね。 ところで 心理療法(psychotherapy)と精神療法は同一と考えてよろしいですか。 カウンセリングは定義上どう違うのですか。 さらに心理カウンセリングも違うのですか。 精神分析は精神療法に含まれるのですよね。
「精神療法」とは、医師や臨床心理士が、 「言葉」を使って患者の心に直接働きかけ、 患者の苦痛を取り除いていく治療法のことです。 英語では、psychotherapy と表記されます。 「心理療法」という言い方もありますが、 同じ意味だと考えていいでしょう。ちなみに、英語にすれば、 「心理療法」も同じ psychotherapy です。 「カウンセリング」という言葉も、うつ病など、 心の病気の治療として行われる場合は、同じ意味となります。
「精神療法」には、さまざまな技法があります。 1 一般精神療法(簡易精神療法、カウンセリング) 2 認知療法 3 行動療法 4 精神分析療法 5 家族療法(家族カウンセリング) 6 箱庭療法・遊戯療法 上記にあげる治療法以外にも、多くの方法があります。 それぞれに特徴があり、医師やカウンセラーにも、 得意不得意があります。 また、患者にとっても、理解のしやすさ、時間的制約、年齢的制約、 性格的な面での向き不向きがあります。
754 :
没個性化されたレス↓ :2009/07/18(土) 22:07:05
>>752 どうもありがとうございます。
僕は単科の精神科病院と、その系列のクリニックに勤務する精神科医です。
当然精神療法をやっています。
ところがクリニックのHPに臨床心理士のカウンセリングも行っていますと
書いてあるもんだから、
患者さんから「カウンセリングをしてください」と言われるんですw
同じような精神療法はやってんのにな…
精神科医:ゆっくり話を聞いてくれない。薬屋さん。 臨床心理士:ゆっくり話を聞いてくれる。 というイメージなんでしょうね。患者さんからしてみれば。
ひさびさカキコ
>>754 よくある依頼ですね。厳密に言えばカウンセリングは「相談」なわけで、内的体験に関するそれは「心理カウンセリング」でしょう
言葉の遊びはおいといて・・・・
基本的にカウンセリング希望というのは、あまり洞察的な精神療法は望まれず、対象関係論的に言えば「投げ入れる器」を求める
印象があります。問題はこの投げ入れ方がどの程度か、って言うところが判断の難しいところですが・・・
Reverieさん、有難うございます。実はお久しぶりです。 >基本的にカウンセリング希望というのは、あまり洞察的な精神療法は望まれず、対象関係論的に言えば「投げ入れる器」を求める >印象があります。 いわいるビオンの提示したコンテイナー(包み込むもの、器)というものですね。 しかし僕の普段受ける印象としては、カウンセリングを求める患者さんは コンテイナー(治療者)が、受容した内容(コンテインド)を理解し解釈し た上で、患者が把握しやすい形で投げ返してもらうことを期待しているよう に思います。
>問題はこの投げ入れ方がどの程度か、って言うところが判断の難しいところですが・・・ これは患者さんがどれだけ心を開いてくれているかってことですか。 あるいは患者さんが憎しみの感情をあまりにも強く投げ入れることによって、自分が トイレット・ブレストという悲惨なコンテイナーになっているように想う ことに関係しますか?
自己レスですが
>>757 >しかし僕の普段受ける印象としては、カウンセリングを求める患者さんは
>コンテイナー(治療者)が、受容した内容(コンテインド)を理解し解釈し
>た上で、患者が把握しやすい形で投げ返してもらうことを期待しているよう
>に思います。
これは臨床心理士さんが実際にカウンセリングをしているところを見ていない
から、単なる想像かも知れませんね。
心理士さんのカルテの記載内容は簡潔で、訴えがメインで、解釈や指示など
はあまり見受けませんね。行動療法などしている場合は別ですが。
>>757 どーもです
ま、これは私見と言語新作(笑)なんですが・・・
いわゆる投げ出された情動(ま、投影性同一視なんですが)が何に投げ入れられるかがCl.の病理性にかかわってくるんじゃないかと。
ある種の不安がセッション事態に投げ入れられる(私的には「関係性に投げ入れられる」)のであればそのセッション(Cl-Th.関係)は洞察的な
ものに変化するでしょうし、Th.そのものに投げ入れられれば、これは「トイレの乳房」と化し、脱価値化と羨望の対象となり、ひょっとすると
退行助長的となるかもしれません。ま、一次的に後者になったとしてもそれが洞察されればいいんですけどね
#少なくとも派手な経過は最近個人的には好まないので(汗)、そうならないように心がけてますが。
結局
>>758 さんの質問に対する私の意見も合わせてのカキコです。
但し、最近思うのはBionのSchizophreniaの精神療法はPDD Spectrumのそれに近いのかなと思います。
少なくとも重ね着症候群がそこに存在する可能性を考えるようになりました。
Bionの過剰な投影性同一視で「物が話し出す」というのは、どーも、Schniderの一級症状のような幻聴体験ではなく
PDDのBreakdownに特徴的な症候群ではないかと思います。
投影同一化が対象(コンテイナー、Th.)に投げ入れられるというのはわかる のですが、 >セッション事態に投げ入れられる というのがわかりません。勉強不足なもので。わかりやすい書物がありましたら お教しえください。できれば松木先生の本でお願いします。
>>761 >セッション事態に投げ入れられる
この部分が私のNeologiaです(笑)
恐らくここでCl.の伝え方は二通りあるんじゃないかと
1)「ここで話しているとなんだか不安な感じが強くなります」
2)「先生は何も言ってくれないので不安になってきます」
まあ、Socilalizeされていると2)のような内的体験を1)として語る場合があるでしょうが(爆)この二つは微妙に違うんじゃないかと
わかりやすい2)のほうから(笑)
これはよくある光景で何らかの情緒的反応をTh.に排泄する事によって解消しようとするやり方ですね。
いわゆるPsychotic Partが大きい人格ではこの形をとり易いかと。
ただ、1)はセッションの中で起こる不安をCl.が感じ、それを伝えています。おそらくこちらの方が内的体験としては正確なんだろうと思いますが
私見ではこれはセッションの中に投げ入れられた(もしくは持ち込まれた)情緒的反応何だろうと。これを私的には「セッションに投げ入れられた」という言語新作を
して見ました(笑)。ですのでソースも文献もないですよ(ていうか、私が勉強不足だけなんでしょうが(汗))。
恐らくこの場合転移解釈を含む介入が効果的なんじゃないかと思っています。
新しい説を有難うございます。入門者の私には難しいです。 >1)セッションの中で起こる不安をCl.が感じ、それを伝えています。おそらく >こちらの方が内的体験としては正確なんだろうと思いますが私見ではこれは >セッションの中に投げ入れられた(もしくは持ち込まれた)情緒的反応何だろうと これは内的世界の自己はCl.で、対象はセッション(Cl-Th.関係)ということ になるんでしょうか。 Clの不安を、Cl-Th.関係に投げ入れる。つまりCl.の不安は(Cl.自身とTh.の関係) に投げ入れられる。つまり、一部は自己から自己に投げ入れられているんですか。 で、自己から自己に投げ返されるんでしょうか?見当違いですか? それともCl-Th.関係は一体となったもので分割されないものなんでしょうか。 後者でしょうね。 で、転移が生じるんですか。うーん難しいです。。。
ところで普段分析とはあまり縁のない精神科医である僕が時々ここに遊び に来るのは、精神分析とは何か、臨床心理士さんとは どんなことをされているのか、そして自己とは、患者とは何か、など 知りたいからです。気ままな趣味のようなものです。それでちょっとでも 知識が治療に役立てばいいなと、そんな程度の志です。 ただ飽きっぽいので長続きしませんが。 松木先生の対象関係論を学ぶを何度か読みましたが、もうすっかり忘れ ていますw 対象関係論や自我心理学、ライフサイクル論、そして認知療法などをできるだけ 苦労しないでw理解していきたいです。ただ学派が違うと用語も概念も 違ってくるので勉強しにくいですね。 今後ともよろしくお願いします。
あと、故小此木先生が書かれていたんですが、ネットでのやり取りは1.5者 関係で、依存から攻撃まで両極端に振れやすいそうです。 ネットでのやり取りは「非対面式」な精神分析になりうるのでしょうか。 ならないですよね。
転移解釈を含めた精神分析療法をするだけでなく、力動的精神療法でもここのスレはためになりますよ
日本の精神分析学の運命
http://p2.chbox.jp/read.php?url= http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1039493507/all >精神分析的精神(心理)療法と力動的精神(心理)療法の違い
213 334
213 :207 :02/12/30 16:20
>209
>ここでの精神分析的精神療法とはどんなものでしょうか?
力動的心理療法というレベルであれば、私なんぞもやっているつもりですが・・・
私は単に、週3回より少ない頻度での、但しきちんと時間枠を決めての治療、という
意味で使っています。(したがって、週1回なども含む)そして、それが実際にどんな
治療になるかということは、分析家も含めた臨床家それぞれの考え方によって違うと
思います。(ちなみに私自身は、分析家ではありません)
そして私は、自由連想法を使い、主に転移解釈のみをする、という治療を
「精神分析的精神療法」、精神分析の考え方、理解の仕方(転移など)を使って行う治療を
「力動的精神療法」と考えています。
334 :282 :03/01/22 05:25
>329
「精神分析的精神療法」とは、前にも書きましたが「自由連想法を使い、治療者は基
本的に解釈しかしない(話されたことを明確にしたりはしますが)」というものだと
思います。ちなみに週1回程度の場合は、(カウチを使ったりせずに)対面法で
行った方がよい、というのが私の意見です。
具体的には、次のようになります。治療者は挨拶だけをした後、沈黙を守ります。
患者さんは面接の間、沈黙したり何かについて話したりし、治療者はその沈黙や
話したことについてコメント(解釈)します。つまり、精神分析と基本的には
全く同じ技法を用いる、ということです。
328 :277:03/03/10 19:50
>>321 >「これらの感情を患者さんと治療者が 共有すること」は、「精神力動的心理療法」
でも必須なのではと思うのですが、いかがでしょうか?
その通りだと思います。ただし、「『これらの感情を患者さんと治療者が 共有すること』は、
『精神力動的心理療法』でも必須である」ということは、「『精神力動的精神療法』
においては、患者さんが『自分自身が気付いていなかった自分の行動パターンについて
気付くこと』という、いわば『論理的な』面が大きな要素になる」ということと、
矛盾しないと思います。
そして「精神分析的精神療法」においては、このような「論理的な面」を出来るだけ
減らそうとしますし、「精神力動的精神療法」においてはそれを利用しようとする、
というのが私の意見です。
この議論については、次の論文が参考になると思います。
Milton, J. (2001). Psychoanalysis and cognitive behaviour therapy-
rival paradigms or common ground?. Int. J. Psychoanal., 82: 431-47
この論文そのものは「精神分析」と「認知行動療法」の比較についてですが、
「精神分析」を「その他の治療法」と区別する本質は何か、についてうまく書いてある
と思います。そして私の意見では、「その他の治療法」に「精神力動的精神療法」
も含まれると思います。
330 :277:03/03/10 20:04
>>322 >あなたの言うところの 「精神力動的精神療法」と「精神分析的精神療法」の
定義における 差異に関するソースをお伺いしたいのですが・・・
もしソースが無いということになれば、それらはすべて「あなたの」定義であり
その定義の根拠が必要になると思われます。
正直に言って、適切な論文が思い浮かびません。ただ、この差異の定義そのものに
ついては、以前ロテ職人さん御自身が同意されたように記憶していますが。。。
The international journal of psychoanalysisに「精神分析」のセッションが
そのまま載せられているコーナー(The analyst at work)があります。
(少なくとも2002年part3-6にあることは確認しました)「精神分析的精神療法」は、
これとほぼ同じやり方と考えて頂いてよいと思います。ここに載せられている
セッションと「(少なくとも日本で)一般に行われている精神力動的精神療法」
とを比較して頂けば、両者の違いは明らかになると思います。
336 :277:03/03/11 02:43
>>331 >この差異の定義そのものに ついては、 以前ロテ職人さん御自身が同意
されたように記憶していますが。。。
>今ひとつ納得できなかったので 「日本の精神分析学の運命」スレからは撤退し、
静観しておりますた。
今読み返したらその通りでした。そして私の意見は、「日本における精神分析の運命」
の334番に書いた通りです。
>その根拠となる理論を示した上で論理的に説明していただきたいのです。
これをきちんと書こうとすると、論文を書くようなかなりのエネルギーを要する
と思いますので、やめておきます。日本のように「精神分析的精神療法」
(「精神分析」ではありません、念のため)があまり存在していないという状況
においては、臨床素材を具体的に提示したりしない限り、その具体像を伝えるのは
難しいように思います。
337 :277:03/03/11 04:17
>>331 328番に私が挙げた論文も、「精神分析」(及び、それとほとんど同じ技法を
用いて週1回で行う「精神分析的精神療法」)の実際を知るために、非常に
有用だと思いますので、是非ともご覧になることをお勧めします。
その論文では例えば、「あなたは・・・することも出来たな、と感じてはいない
ようですが、それは興味深いことだと思います」という解釈について議論して
います。著者はこれを、「(精神分析として)建設的ではない『認知的』態度」を、
分析家が取ってしまった例としてあげています。「・・・すること」を、分析家が
間接的に勧めている、と患者さんが理解する可能性が高いからです。
逆に言えば、このような「解釈」は「分析的ではない」と著者は考えていることに
なります。しかしこの種の解釈は、日本における「精神力動的精神療法」においては、
普通に行われる介入だと私は思います。つまり、少なくともこの著者の言う
「精神分析」と、(少なくとも日本で言うところの)「精神力動的精神療法」は
全く違うものである、ということはいえると思います。
351 :277:03/03/13 05:36
>>344-345 「精神分析的精神療法」については、正直に言うと私自身がある本に以前書いた文章
がありますが、ここに引用したくはありません。
まず、私のご紹介した文献をお読みください、それが「精神分析療法」です。
そして、それとほぼ同じことを週1−3回の構造で行うのが「精神分析的精神療法
(psychoanalytic psychotherapy)」です。以前、ロテ職人さん御自身が
「精神力動的精神療法を行っておられる」とのことでしたので、ご自分のセッションと
論文のセッションを比べてみてください。違いがお分かりになるはずです。そのうえで、
議論していただくことを希望します。
もし違いがお分かりにならなければ、次の本を御参照ください。教科書のような本
ですが、日本語訳がでているはずです。
Gabbard G O: Psychodynamic psychiatry in clinical practice.
American Psychiatric Press, 1994
Kernberg自身は、「精神分析」と「精神力動的精神療法」の連続性を強調する人ですが、
ここに書かれているexpressive-supportive continuum of interventionsという
考え方は有用だと思います。これを使ってご説明すると「精神分析」「精神分析的精神療法」
は主にinterpretation、confrontation、clarificationを行い、
「精神力動的精神療法」においては、この3つも含む介入すべてを行いますが、
この3つのしめる重要度がかなり低下します。実際に行ってみれば分かりますが、
このような介入をする「精神力動的精神療法」は、「精神分析的精神療法」とはかなり
異質なものになると思います。
ちなみに私の言うところの「精神分析的精神療法」は、主に英国で普通に使われる概念で、
「精神力動的精神療法」は主に米国で使われる概念だと思います。
775 :
名無しさん :2009/07/21(火) 18:45:16
佐藤真由美先生はK0大学とロンドン大学で精神分析を学んだそうです。
Never say never.という英語があります。「絶対にneverとは言うな→やればできるよ」「絶対できないと、 絶対に言わない。/不可能はない。」 地に足がついた状態で地道に目標に向かって「やればできる」「頑張れ」というのは健康的かもしれません。 しかし人間には不可能なこと、がんばってみても出来なくて諦めなくてはいけないことが避けられません。 悲しみや寂しさや、情けなさと折り合いをつける(ワークスルーする)抑うつ態勢にあるときに Never say neverと言うのは躁的防衛なのでしょうか、気休めでしょうか。妄想分裂態勢になってしまう ことがあるのでしょうか。 また健康(元気、頑張り)と躁的防衛の境界線ってあるのでしょうか。
>>776 の具体例として以下を挙げます。ご教示ください。
@司法試験合格を目指していたが十年たっても合格しない中年期の人。ロースクールに入ろうかと考えている。
A一流企業を目指したが入れず、自分の希望しない企業に勤め、仕事にやりがいを
見いだせない中年期の人。それなのに一流企業への転職を夢見続ける人。
B夫の自殺を受け入れられない反応性うつ病の中年期女性。
>>776 >>777 ここで大事なのは空想なのか、それとも現実に実行しているのかでかなり違うかと思います。
すなわち、前記の内容が空想としてとどまっている限りそれはManic Defenseでしょう。また、実際に行動するとしてもそれが現実生活の中で
適応レベルが落ちる(すなわち自我機能が低下)ところまでいたればManic DefenseよりもManic Episodeや他のDisorderを考えた方が実際的
でしょう。少なくともPersonality Disorderでは精神病性人格構造をもつと考えた方がいいでしょうね、
有難うございます。 >現実生活の中で >適応レベルが落ちる(すなわち自我機能が低下)ところまでいたれば 出社拒否などのひき引きこもり、抑うつ、自己愛性憤怒、強迫などですね。 >少なくともPersonality Disorderでは精神病性人格構造をもつと考えた方がいいでしょうね、 自己愛(的)構造体(病的構造体)や、カーンバーグの境界性人格構造BPOなどでしょうか。 それを学ぶ入門書は何が良いでしょうか。やはりクラインで基礎をきっちり学んだ後の方が よいでしょうか。 それにしても学派によって用語の定義が異なるのが学びにくい点です。 クラインは自己に対する健康な愛はいいが、自己愛は病的であり、正常な 自己愛っていうものはないといいますし。 コフートは正常自己愛の発達などといいますし。
また、この精神病性人格構造に対してどうアプローチしますか。
自己愛対象関係や自己愛構造体については「対象関係論を学ぶ」に載っていました。 P.121 人格は自己愛構造体と残りの人格部分、つまり健康な人格部分とに分割してしまうのです。 (中略) 治療は健康な自己と手を結び、やせを希求する自己愛構造体の病理をあばいて 行くことで展開します。 この場合の健康な自己っていうのがイメージしにくいです。全部病的じゃないん ですね。
メラニークライントゥデイA P.156 病理構造体(自己愛構造体)と妄想-分裂態勢、抑うつ態勢の相互作用 ジョン・スタイナー (原著 Melanie Klein Today Volume 1 P.324) なども大切そうなのでゆっくり読んでみます。
>>779 です。
>Manic Episodeや他のDisorder
ですから、これは違いましたね。
↓
出社拒否などのひき引きこもり、抑うつ、自己愛性憤怒、強迫などですね。
>>779 Kernbergは対象関係論とその臨床じゃなかったですっけ?あんまり読んでませんねぇ(汗)
ただ、自己愛についてあまり明言されていないことを一点だけ。
基本的に自己愛は自己評価と密接につながるもので健康的なものです。ただ、これが何らかの理由で自己愛が傷つき修復する機転で躁的防衛や
肥大した自我が出てくるのでこれが病的な自己愛なんです。意外と「病的な」という事が抜けて自己愛自己愛というので自己愛自体が具合の悪者にお
思えてくるのですがそうではないです。
たとえば躁状態の自己愛は一見誇大なんだけど実は容易に自己像が保てず迫害的になり攻撃するというような性質を持っていますし、
自己愛よりも自己愛自体の不安定さが問題になる場合が多いかと。
>>780 ま、迫害的・被害的から攻撃的になるので状況に応じてはMARTAかSDAかPERFENAZINEを併用します(爆)
患者さん本人の内的体験をBADとGOODに分けた方が対応しやすいと思えば現実的で治療に強力的な部分
をGOODとし、その他の部分をBADとしてセッションを勧めた方が理解がし易いです。用はBADの部分を傾聴し
まさにReverieを行いそれを返していく、その時にGOODな部分が返された物を取り込み易いように伝えるというのが
現実的でしょう(抽象的ですが)
786 :
没個性化されたレス↓ :2009/07/24(金) 01:36:10
良スレなのであげときます
787 :
没個性化されたレス↓ :2009/07/24(金) 02:05:34
門外漢ですが・・・ PDに関しては、昨今は、精神分析的、というよりは、DBTあたりが主流なのです か?良くわからないのですが・・・ 分析系では、P・モロン『現代精神分析における自己心理学』(北大路書房)が 少し散漫ですが面白かったです。英国中間学派からコフートを見る、と 言う視点で、あとミッチェル・ストロロウあたりまでも一応カバーしています。 これが原著2001年で、狩野先生たちが訳した、フォナギーらのものが2004年(原著)。 より新しいものは、他人のふんどしを当てにできないようなので、気が重いです(笑)。 サールズの20年以上前のBPD論文集も邦訳が出ていないようですし。 良スレの様なので、どなたか情報お願いいたします。
精神分析療法って効くってエビデンスが無いんでしょ? 難しいこと言ってもエビデンス無ければ、戯言と同じだよね? 前世療法とかと一緒じゃん
>>788 ちょっと邪魔しないでもらえないか?真剣な話してるんだから。
自分で精神分析反対スレでも作ってそこでやってくださいな。
>>789 真剣なのは分かるよ
でも無意味なんでしょ?
アメリカ精神医学だったかが治療に効果があるって示した療法に精神分析は入ってないってね
いくら真剣にクライアントと話しても意味ないんじゃしょうがないよね
薬にも害にもならないんでしょ?
目覚ませば?
>>790 単細胞な人ですね。荒らしごくろうさまですl。
どうしてこんなに日本人は「学ぶ」ことが苦手になってしまったのか。 「学び」が起動するためには「前・学び」的な機制を整える必要がある。 「学び」というのは、「学ぶことの有用性や意味があらかじめわかったので、 学び始める」というようなかたちでは始まらない。それは商品購入の スキームである。 「学び」というのは、「その有用性や意味がわからないもの」(私たちの世界 はそのようなもので埋め尽くされている)の中から、「私にとっていずれ 死活的に有用で有意なものになることが予感せらるるもの」を過たず選択 する能力なしには起動しない。 「学び」を可能にするのは、この「意味のわからないものの意味が予見 できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに 感知できる力」である。この力がなければ、子どもたちは「子どもでもその 有用性や意味のわかる知識や技能」だけを選択することになる。そして、 「子どもでもその有用性や意味のわかる知識や技能だけ」では私たちは 困難を生き延びてゆくことができない(それが「子ども」という言葉の定義 である)。 私たちの社会が組織的に破壊してきたのは、子どもたちの中に芽生え ようとしているこの「意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性 がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。 マイケル・ポランニーはこれを「暗黙知」と呼んだ。これは識閾下で働く能力 であり、意識的に操作することができないし、意識的に操作しようとすると、 機能しなくなる。
例えばバイクの運転はきわめて複雑な身体操作の総合によって成立して いるが、この操作を個別的に意識化すると、運転がうまくゆかない。コーナ リングにおいてはコーナーの出口一点に感覚を集中させることが必要であり、 全身はその一点をめざして複雑に連動する。だから、例えば、障害物や 接近してくる車両があり、「それ」を避けようとして、「それ」を意識しながら 運転すると、バイクの運転はきわめて困難になる。特に、高速で運転して いる場合、前方に障害物があり、ライダーが「それ」を見つめてしまうと、 バイクはピンポイントでその障害物めがけて突っ込んでゆく。「目標に気づ かぬうちに吸い寄せられる」という仕方でバイクのライディングテクニックが 「暗黙知」的に構造化されているからである。私たちの知的操作・身体操作の ほとんどは「暗黙知」によって「したごしら」されている。 意味や有用性(「これを学ぶと高額の年収が得られる」というような)によって 子どもの学習を動機づけるということは、「暗黙知」の発動を止めることである。 初等・中等教育課程の相当部分は「暗黙知」開発のためのプログラムである べきだと私は思っている。そこで「今は何の役に立つのかわからないけれど、 いつか自分の命を救うことになりそうなもの」を探り当てる感覚を練磨する のである。それが「学び」の前段ということである。 これが整っていない子どもは「今学んでいることの有用性」(それは「それが もたらす年収の増額分」としてのみ把握されている)についての確信が揺る いだ瞬間に、自動的に学ぶことを止める。私たちは過去30年にわたって、 子供たちをそのように訓練してきたのである。 「あらゆる教育プログラムの効果はエヴィデンス・ベーストで示されねば ならぬ、数値的にその効果が示せないような教育プログラムは無価値である」 という妄想に日本の教育行政の当事者たちも教育評論家も教育ビジネス マンも取り憑かれている。これは「病気」を通り越して、ほとんど「狂気」と 呼ばねばならないと私は思っている。
794 :
779 :2009/07/24(金) 19:02:25
>>784 779です。松木邦裕先生の「対象関係論を学ぶ」から引用します。
はじめにEより 松木邦裕先生の立場の説明です。
「私の立場は、英国対象関係論、とりわけ、クライン派精神分析にあります。
そしてその中でもウィルフレッド、ビオンの考えに強く魅かれています」
そして自己愛(ナルシシズム)ですが
P.19-20
「クライニアンの立場からはナルシシズムは病理現象と考えられます。
ロゼンフェルドはこのラインに沿ってナルシシズムの病理を探索しました。
一方、ウィニコットらは自己愛的万能的一体状態を健全な発達での必須状態と
見たわけです。さらに、コフートKohut,H.にいたってはナルシシズムの健康な
発達という視点を導入しています。」
と立場によっての見立ての違いを指摘しています。
795 :
779 :2009/07/24(金) 19:17:32
P.116 「ナルキッソスの話のように、『ナルシシズム/自己愛』は、病的な対象関係 にあてはまる状態です。自己への健康な愛情や信頼とは区別されなければな りません。健康な自己への愛情は、対象への愛情を損なうものではなく、育む ものなのです。自己への愛情も対象への愛情も並行して豊かになっていくので す。すでにおわかりのことと思いますが、この理由から『健康なナルシシズム』 という概念は自家撞着(自己矛盾)した概念として、避けられることになります。 それはやはり『自己への(健康な)愛情』と呼ばれるべきです。」 クライニアンの立場からは以上のようになります。 同ページ 「フロイトによれば、生まれて間もない赤ん坊は、その成長過程で、自体愛 /オートエロティズム、次に自己愛/ナルシシズム、それから対象愛と、リビドー を向け変えていくのです。」
796 :
779 :2009/07/24(金) 19:36:59
このような混乱について(以下は「対象」についての定義の話ですが) はじめに D 「けれども、この混乱は無理もないと私は思いました。というのは、セミナー などでは、ある人は現代フロイド派自我心理学の立場、たとえば、ジェイコブソ ン、エリクソン、アンナ・フロイト、マーラーらの立場から対象を語りますし、 別の人はクライン派精神分析、たとえば、クライン、ビオン、スィーガルらの 見解で対象を語ります。さらには、このあいだにあるとの言える、自我心理学 の上にクライン派をふりかけたカーンバーグ、自我心理学にフェアバーンを ふりかけたマスターソン、リンズレイの考えからの対象が語られます。もちろ ん、フェアバーン、ウィニコットという狭義の対象関係論者とされる英国 インデペンデント派対象関係論から対象が語られます。加えて、コフート自己 心理学の対象論もあります。また、サリバンらの対人関係論やユングの分析 心理学が加味されていることもあるようです。」
797 :
779 :2009/07/24(金) 19:52:02
初めに E 「精神分析での学派の考えを整理して理解していないと、たやすくこの 『流行に追い立てられる人』か、本人は統合と主張している折衷派(不思議 なことに、理論を折衷している人ほど統合と言いたがるようです)、そして ついには精神分析を離れてしまうことになりやすいようです。」 初学者である僕は松木先生と同じ学派の考えを学ぼうと思います。が、「折衷」 になってしまいそうです。
>>794 失礼、そういや対象関係論では自己愛は病的な位置づけにしてますね。これはKleinが「Floydの正統な後継者」と辞任していたところもあるのかな?(笑)
ま、Schizophreniaを自己愛神経症とした名残でしょうか。
自己愛を肯定的に見ようとするのは自己心理学の流れですね。
えーと、このスレageるとS/N比が変化するので(笑)、sage進行で行ってみましょうよ。
799 :
779 :2009/07/24(金) 19:57:48
こういう学派の考えの多種多様さが、精神分析を学ぶことを難しくしている
と思います。
ところで
>>785 >状況に応じてはMARTAかSDAかPERFENAZINEを併用します(爆)
臨床心理士の方と勝手に考えていましたが、精神科の先生だったんですね。
前にも書きましたが僕も同業です。
800 :
779 :2009/07/24(金) 20:25:53
>>788 たしかに標準型精神分析療法には効果があるというエビデンスはありません。
(うつ病に対する認知療法は薬物療法と同等の効果があるというエビデンスが
あるそうですね。)
I・ザルツバーガー・ウィッテンバーグ著(松木先生が研修に行かれたタビストック・クリニックの先生)
「臨床現場に生かすクライン派精神分析」では
E-F
「精神分析という言葉には二つの異なる意味があります。ひとつは、精神と
感情の状態についての知識と理論の体系という意味であり、もうひとつは、
ある特定の治療法という意味です。精神分析の実践から得られた『洞察』は、
ほかの分野での仕事、とくに教育や医学、社会福祉の分野における仕事に
とって非常に重要ですが、精神分析の『方法』の方はそうではないことは明ら
かです。パーソナリティを精神分析的に研究することによって初めて
得られた『洞察』を、最も有効かつ適切に応用できるように取りはからうの
が、それぞれの分野の専門家の課題です。」
この『洞察』は認知療法にも生かされていたはずです。
801 :
779 :2009/07/24(金) 20:40:14
参考までに
http://jact.umin.jp/news/0002.shtml 精神分析とBeck
BeckはYale大学を卒業し精神科医になったが,精神分析に興味がなく,精神
分析の作り上げるロジックに懐疑的であったという。しかし,勤務した病院
は精神分析が盛んで,仲間がBeckの神経症的なところを見てとったのか,彼
に分析を勧めた。その結果,彼は精神分析協会に入って精神分析を勉強し,
うつ病の研究をするようになったのである。
次に,同氏は「攻撃衝動の逆転」という精神分析のうつ病理論について例を
交えながら語った。ところが,自由連想法の治療記録をもとにうつ病患者の
夢を調べたBeckは,怒りの逆転ではなく,悲観的な考えでうつ病が起こるの
ではないかと考えるようになった。
Beckの学問的な生き方として重要なのは,実証することで思い込みを捨て,
新しい仮説を立てたところであり,これは認知療法で行われることの本質で
もあると同氏は指摘した。
802 :
779 :2009/07/24(金) 20:42:38
個人的体験から見た精神分析と認知療法 3段落目 同氏は認知療法家のスーパービジョンを受けていた当時を回想し,日本で行 われている精神分析はアメリカで言うとかなり認知療法的であると述べた。 また,『同一性と差異性』と言うとき,何を精神分析と呼び,何を認知療法 と呼ぶかが重要で,日本での精神分析とBeckが言う精神分析とは違うと考え たほうがよいと注意した。 そうか精神分析的認知療法を作ればいいのか。なんて折衷派w
>>800 厳密に言えば精神分析的精神療法になるのでしょうが、マスターソンの一派がGAFを使った治療反応性を統計的に解析してたはずですよ。
あと、米国精神医学会の精神療法のチーフであるGabbardがoutcomeのpaper出してたような記憶があります。
804 :
779 :2009/07/24(金) 20:49:10
市橋秀夫先生は、「自我心理学や対象関係論の示唆を受えけてはいるが、 基本的には認知療法的技法を用いている」と臨床精神医学講座 第7巻 P.259 で述べていて期待したら、しょっぱなから「正常自己愛」だもんなあ。がっくり。
805 :
779 :2009/07/24(金) 20:57:32
>>803 そういうペーパーがあるんですね。
ところでReverie先生はどこの学派の理論に立脚されていますか。
806 :
779 :2009/07/25(土) 15:03:53
話は変わりますが、「投影同一化」と「とり入れ同一化」の区別がわかり にくいんですがご教授お願いします。 「対象関係論を学ぶ」P.58-59 4.日常生活でのとり入れと投影 野球を観戦しているとき、私たちは、空想の中でその選手になってしまい ます。私たちはその選手になりきって「今度はここに投げてきそうだから こう構えて打とう」とその選手に入り込んで自分がバットを振っている空想 をします。ここでは、私たちはその打者に自己を投影し、打者と同一化して います。これが「投影同一化」です。 激しいアクション映画、戦争映画を見終えて映画館から出てくる人たちは、皆 一様に肩を怒らせ、眼を血走らせ、「何かあったら、いつでもぶっとばして やるぞ」といった表情や態度をしています。その映画の主人公の態度そのもの になってしまっているのです。すなわち、その主人公を心に取り入れ、自己を 重ねてしまい、その主人公になりきっているわけです。これこそが とり入れ同一化です。 投影同一化もとり入れ同一化も同じように思えます。 ひょっとして「観戦しているとき」という現在進行形と、「映画を見終えて」 という過去形が関係していますか。 cf. 投影ととり入れには相互作用があります。一方が投影するものを他方が とり入れることはよく見られます。
807 :
779 :2009/07/25(土) 15:05:38
×ご教授 ○ご教示
>>805 遅くなりましたが・・・
基本的に対象関係論を中心に勉強してきました。まあ、Bionが好きですね。勿論、松木先生も(笑)
ただ、自己愛という言葉に関してはどうしても他の分析学派の知識も入ってきますのでどうしても厳密に捉えられないところです。
現場感覚としては「まあ、いいんじゃないか」っつーまさに折衷主義ですね。
>>806 随分以前にこの言葉の違いに苦しんだ覚えがあります。
で、この言葉について二つに分割いしてみるとわかり易いかも
投影性同一視は"Projective Identification"、取り入れ同一視は"Intorojective Identification"ですね
まずは共通のIdentificationという言葉からこれは同一視、すなわち、「同じものとみなす」ということになりますね。
さてそこで、Projectiveに起こるとは、それが対象が自分と同一だと思うことだしIntorojectiveに起こるとは、自己表象が対象と同じとみなすこと
というように理解していました。
なんだか余計に分かりにくいかもですが(汗)
>>808 お忙しいところ、有難うございます。何となくわかったような気になりました。
そこで釈迦に説法のようでもあり、揚げ足取りみたいになって恐縮ですが、
「私説対象関係論的心理療法入門」(松木先生)のP.37に以下のようにあります。
「ちなみに投影同一視という訳出もありますが、これは不適切であると
思います。なぜなら典型的には精神病状態に見られるように、「なってしまう」
、すなわち同一化されるのです。自己や対象の一部が排出されるのです。もと
もとのところから、視ているのではありません。同一視という訳語にこだわって
いると、この用語が臨床でなにより重要な意義を持つ、精神病のような原始
的心性の理解に限界が生じてきます。」
分析セミナー(どこの学派か不明)に行っていた後輩が教わってきたんですが、確か
投影同一化 I am you.
投影同一視 You are me.
だったとおもいます。(逆かも知れません)
フロイトのI am you/And what I see is meと関係あるんでしょうか。
>>809 松木先生のおっしゃる事はおそらくその通りでしょう。
ただし、それは対象と自己(もしくは部分自己表象)の分離が出来なくなった特殊な状態と考えています。Bionでいえばベータ幕の世界と言ってもいいかもしれません。
ただ、精神病以外の、たとえば境界例の臨床における対象関係では、やはり同一化という事にこだわりたいですね(笑)。
投げ入れられ、同一視されたた感情が治療スタッフに沸き起こると考えた方が患者理解にとっては考え易いかと思います。
これは逆転移を生かす上でとりあえず分離した方が理解を単純に出来ると思います。
>I am You
これは恐らくIntorojective identificationでしょう
もっと基本的な質問です。 内的世界の自己(部分)が内的世界の対象(群)に投影されるのはわかる のですが、 「内的世界の自己と対象の関係が投影されて現実外界での対人関係が 形作られている」(「対象関係論を学ぶ」C)というのが実感できません。 すなわち内的世界の自己と対象の関係が現実外界での対人関係に投 影されるのでしょうか。 また、内的世界の自己部分が、現実外界の対象(例えば現実の治療者) に直接投影されないのでしょうか。 あくまでも内的世界の自己と対象が関係(投影など)しあってそれから、 現実外界での対人関係に投影されるのでしょうか。 またあるいは、それは発達段階で変化していくのでしょうか。 ちなみに「精神力動的精神医学」@GOギャバードP.49では「悪い内的対象を 患者は否認し、治療者に投影する」と書いてあり、訳がわからないです。 ギャバードは自我心理学でしたっけ。だから対象関係論とは中身が変わって くるんでしょうか。
内的世界の自己(部分)が内的世界の対象(群)に投影され、 内的世界の対象(群)が、現実外界に投影されるのでしょうか。
>>812 ←×
○
内的世界の自己(部分)が内的世界の対象(群)に投影され、
内的世界の対象(群)が、現実外界の対象に投影されるのでしょうか。
それとも内的世界の出来事が、現実外界で同時に体験されるのでしょうか。
私ひとりの思いつきで連投すいません。 たとえばAさんとBさんがいたとします。 Aさんを自己、Bさんを対象とします。 Aさんの内的世界で Aさん(内的世界の自己)がBさん(内的世界の対象)を嫌っているとします。 嫌いという感情を分割し、Bさん(内的世界の対象)に投影して、 Bさん(内的世界の対象)がAさん(内的世界の自己)を嫌う。 これはあくまでAさんの内的世界の話なので、現実外界のBさんがAさんを嫌っ ているわけではありません。 しかしそれを現実外界で表出して AさんがBさんに対し「Bさんは私のことを嫌っているでしょう」と言うと、 B「え?何を唐突に。そんなことないよ」 A「いいえ、それは私に気を遣っているだけでほんとは嫌いなんでしょう」 B「そんなこと無いって言ってるだろ!」 A「嘘ついてるでしょ」 B「嘘なんかついてねーよ!いい加減にしろ」 と、本当に嫌われてしまします。これは「見捨てられ不安の自己実現の法則」 というのでしたでしょうか。 このように内的世界から、言語のやり取りを通じて現実外界も変わっていく。 これが 「内的世界の自己と対象の関係が投影されて現実外界での対人関係が 形作られている」になるのでしょうか。 お時間があるときに答える価値のある質問だけお答えください。
「Bさん(内的世界の対象)がAさん(内的世界の自己)を嫌う。」 これが 「治療者(内的世界の対象)がAさん(内的世界の自己)を嫌う。」 ようになると「転移」になるのでしょうか。
>>811 横から失礼します。
ギャバードは、基本的に自我心理学の人だと思います。そして自我心理学の人は、
より理論的に正確であろうとし、いわばよりフロイト的、より機械論的な考え方を
するのではないかと私は思います。それに対してクライン派は、より臨床的、文学的で、
理論的にはより不正確な傾向がある(したがってわかりにくい)のではないかと思います。
そのため、ギャバードを通してクライン派を理解しようとすることは、(クライン派の
ことがまったく知られていなかった昔はともかくとして、少なくとも現在では)混乱を
招くためあまりよくないのではないかと私は思います。
(続きます)
>>817 (続きです)
内的対象についてです。これは基本的にクライン派の概念だと思いますが、大まかには、
それぞれの人がその人特有の「内的世界」を持っており、そこの中に自分を含めたさまざまな
人間が「内的対象」として生きている、と捉えるとわかりやすいのではないかと思います。
具体的な「内的対象」としては、「厳しく注意してくる父親」「温かく自分を見守りよいところを
ほめてくれる父親」「表面的には従っていても内心は不満を持っている自分」などです。
この内的対象は、子供のころより(正確には生下時より)生じており、主要な養育者、具体的には
父や母との体験を原型にしています。そこに、もって生まれた本能(欲動)の影響、その後の実際の
経験による影響などが加わり、成長とともに「内的対象」は変化していきます。この「内的対象」は、
ある人が外界の出来事を経験する際に、いわば「(外界を見る)レンズ、めがね」のようなものとして
働き、その人の経験の仕方に影響を与えると想定されています。
「内的対象」という概念は、「同じ人を見ても、人によって違う経験の仕方をするのはなぜか?」
という質問に対する、クライン派精神分析家からの答えと考えるとわかりやすいのではないかと思います。
例えば、客観的にはそれぞれの部下に対して比較的公平な態度をとっていると思われる同じ上司に対して、
部下の一人Aさんは「厳しく注意してくる人だ」と経験し、部下のBさんは「温かく自分を見守って、
よいところをほめてくれる人だ」と経験したとします。その場合、Aさんの内的世界ではその時
「厳しく注意してくる父親」が優勢であったため、その「内的対象」が現実の上司に投影され、
Aさんはそのように経験したと考えます。Bさんについても同様に、「温かく自分を見守りよいところを
ほめてくれる父親」が投影されたと考えられるわけです。また例えばAさんの持っている「表面的には
従っていても、内心は不満を持っている自分」という「内的対象」が、自分自身に割り当てられ、
上司の前でそのように感じたと考えられることもあります。
ただしこれの「精神分析理論」はあくまでも、臨床的な出来事を少しでもうまく説明するための「仮説」
ーすなわち、常に変化する可能性を持ったものーにしかすぎませんので、念のため。
>>809 ついでといっては何ですが、「projective identification」の訳語についてです。
「例えば遠くにもやにかすんで何かが見える、それに近づいていったり、霧が晴れて
きたりすると、だんだんそれが何かわかるようになってきて、ある時点で『あ、あれは
木だったんだ』と判明すること」が、「identify」のもともとの意味だそうです。
ドイツ語を母国語として生まれ、英語圏で何十年も精神分析家として働いてこられた
ある先生のお話です。
このように「projective identification」の「identification」は、「同一視」と
「同一化」の両方の意味を含んでいるため、訳語はどっちでもよい(どっちもよくないと
いえるかもしれませんが)のではないか、と私は思います。
もちろん、松木先生の目に触れそうなところでは、「投影同一化」と書く、などの
政治的配慮(笑)は必要だと思いますが・・・。
ご丁寧に有難うございます。
>>818 >「内的対象」という概念は、「同じ人を見ても、人によって違う経験の仕方をするのはなぜか?」
これは認知療法でいえば、ある出来事があって、どういう感情や行動があらわれるかは、
その出来事をどう認知し思考するかってことですね。その認知を変えてやれば、感情や
行動がかわると。
対象関係論ではそこを解釈・徹底操作するんですね。
認知療法をするにしても、対象関係論の知識・理論があれば、患者さんの
理解が深まりそうですね。
「内的対象」は認知療法の自動思考・スキーマっていうところに関係しそうですね。
>それぞれの人がその人特有の「内的世界」を持っており、そこの中に自分を含めたさまざまな 人間が「内的対象」として生きている、と捉えるとわかりやすいのではないかと思います。 とてもわかりやすいです。
820,821はちょっとピントが外れていました。。。スルーしてください。
>>817 ひょっとして、元浦島さんですか?
なかなか、具体性をもって理論の解説かける人は少ないので(にやり
>>820 ,821
>これは認知療法でいえば、ある出来事があって、どういう感情や行動があらわれるかは、
その出来事をどう認知し思考するかってことですね。その認知を変えてやれば、感情や
行動がかわると。
>「内的対象」は認知療法の自動思考・スキーマっていうところに関係しそうですね。
そのとおりだと思います。さまざまな精神療法(心理療法)の違いは、人間をどのように
捉えるかという「哲学」の違いだ、と考えることは可能だと思います。例えば認知を変えれば
人間の感情や行動が変わる、と考えれば認知療法ですし、行動を変えればよいと考えれば
行動療法になると思います。
精神療法(心理療法)の学派の違いは、理論の違い、というよりも、患者さんに接するときの
態度の違い、人間に対する「哲学」の違いなどと考えたほうが、より実際に近いと思います。
例えば認知療法の治療者はとても明るくて人を乗せるのがうまく、人間の可能性を信じており、
未来に対して肯定的な傾向があると思います。それに対して精神分析的精神療法の治療者は、
考え深くて誠実だが暗く、将来に対して悲観的な傾向があると思います。(この描写には
やや過度の一般化があると思いますが・・・)
そしてある患者さんがどの精神療法(心理療法)の適応になりやすいかを評価することは、
その人がどの「哲学」を好むかを評価すること、という捉え方もできると思います。
そしてこのような評価をする場合に最も役に立つのが、精神力動的精神(心理)療法を
行う能力ではないか、というのが私の意見です。
>対象関係論ではそこを解釈・徹底操作するんですね。
「解釈・徹底操作」という用語はやや誤解を生む可能性がありますので、念のため
書いておきます。どちらかというと、「患者さんと治療者の情緒的交流を通して、
患者さんの内的対象の変化を目指す」くらいのほうが、実際の「対象関係論」的な
精神(心理)療法に近いと思います。
>>825 下から2行目「患者さんの内的対象の変化を目指す」→「患者さんの内的世界の変化を目指す」
のほうがより正確だと思いますので、訂正させてください。
>>824 実はそうです(笑)。
お盆休みで一息ついています。
元浦島さんでしたか。わかりやすい解説と、ヴァーチャルコンテイニングを どうもありがとうございます。 松木先生の「対象関係論を学ぶ」を何年かぶりに読み返し、読み終えました。 まだまだ消化不良ではありますが、理論は一通り読み終えました。 自己愛対象関係や自己愛構造体、そしてその治療に興味を持ちました。 P.119から抜粋・要約 自己愛対象関係は、部分対象関係が含んでいる発達要素に病的防衛要素 が加わっている対象関係と言えるようです。その特徴は @よい対象への依存の否認 Aよい対象への羨望の感情に対しての防衛 B自己の万能、全知が続く C抑うつ不安の否認 D破壊攻撃性がより肯定されてしまう
P.121から抜粋・要約 自己愛対象関係の恒久的な組織化が起こり、自己愛構造体(病理構造体)となることが ある。人格は自己愛構造体と残りの人格部分、つまり健康な人格部分とに分割してしまうのです。 治療は健康な自己と手を結び、自己愛構造体の病理を暴いていくことで展開します。 以上のことに関する、もっとわかりやすい理論や、具体例(症例検討)について あれば、読んでみたいです。 「メラニー・クライン トゥデイA」(絶版で持っていませんが、県立図書 館にあります)か、「患者から学ぶ―ウィニコットとビオンの臨床応用 」 パトリック ケースメント (著), Patrick Casement (原著), 松木 邦裕 (翻訳) か、 「メラニー・クライン入門」、「メラニー・クライン著作集」その他に、入門者に お勧めの書籍・文献ありましたらお教えください。 なお今までは自己愛性パーソナリティ障害について、市橋秀夫先生の論文を 参考にしていました。実践的でわかりやすいんですが、 対象関係論と矛盾するところが多少あり、ちょっともどかしいところがあり、 もっとすっきりしたいと思っていたところです。
尚今は、タビストック・クリニックの精神分析的心理療法の訓練・研修の読 書リストに挙げられている「臨床現場に生かすクライン派精神分析」 (岩崎学術出版社)の第三章 喪失と喪の悲しみに関連する不安を読み終えて 次の、第四章の賞賛と羨望を読もうとしています。
>>828 の
>治療は健康な自己と手を結び、自己愛構造体の病理を暴いていくことで展開します。
これは以下の通りですね。
自分自身の内的世界を意識的に理解していくこと、
内的世界をそれとして客観的に見ていくことによって、内的世界と現実外界
を識別できるようになってきます。ですから、この内的世界を知覚し区別
していく作業を通して内外の混同を防ぎ、外界を歪みなく知覚していける
わけです。また、この内的世界を知っていく作業は内的世界をなにがあるか
わからない不気味な世界として恐れ脅えることなく、その豊かさを味わって
いくことにもなっていきましょう。
ゆえに、その人が内的世界を深く見つめるのを援助していくことが、精神分析
的な心理治療の目標と言えるわけです。(対象関係論を学ぶ P.12-13)
臨床精神分析学(誠信書房)P.107によると 内的世界 内的対象 の分析(対象関係) クラインら 内的対象世界−外界 フェアバーン、ガントリップ 内的対象世界−継続的な領域(移行現象)−外界 ウィニコット
「精神分析入門」の下を丁度読んでおりまして、方法的な部分では なるべく自分の経験とか一般的な言葉に置き換えようとしているんですが、 医師に感情転移する、というのは「憧れ」をもつとか、幻想を抱く、と考えていいのでしょうか? あるいはその前の章にある「ナルシズム的同一化」を行わせる、とか。 そして感情転移を取り去る、というのは「幻滅」させるとかそういう意味で捉えてもよいでしょうか?
摂食障害の精神分析的アプローチ―病理の理解と心理療法の実際 (精神分析臨床シリーズ) 松木 邦裕 (著, 編集), 鈴木 智美 (編集) を読みはじめました。摂食障害の中核群が自己愛パーソナリティだったとは、 初めて知りました。確かに「痩せている理想的な自己」と「健康な自己(太っているダメな自己?)」 がスプリットしていますね。自己愛パーソナリティの勉強になりそうです。
>>832 入門者で恐縮ですが
前後の文脈がわからないんですが、感情転移って陽性転移も陰性転移も
あると思うんですが。
ただ治療関係を結ぶ時点では「憧れ」をもつとか、幻想を抱く
ということになるのでしょう。
そして精神療法では、「少しずつがっかりさせる」のが要諦なので、
「幻滅」させるとかそういう意味になると思います。
835 :
没個性化されたレス↓ :2009/08/27(木) 23:01:29
質問です。 週1回対面式の精神分析的精神療法において 被分析者が、『大体この位で、と納得(満足)して』終結するのに、 平均的な年数というのはあるのでしょうか。 また、6ヶ月程の短期間で治療が終結する場合、 分析者の技術及び力量の他に、 どのような要素が考えられますでしょうか? (被分析者の努力及び才能でしょうか?様々な運とか?タイミング?) 緊急に差し迫った症状がある場合などは、 投薬や認知療法などを組合わせての治療となるのかもしれませんが、 そういった他の療法の効き目が期待されないような 『人生上の悩みのようなモノ』に対応する場合、 5年6年と精神分析的精神療法を受け続けることは ありふれた事でしょうか? (であるならば、コストパフォーマンス的に、限られた一部の人間を 精神分析は対象にしているのでしょうか?) 長々と書きましたが、どなたかお答えいただければ幸いです。 どうぞよろしくお願い致します。
836 :
没個性化されたレス↓ :2009/08/28(金) 00:21:32
夢理論再考のところで、重要な課題は外傷性の、現代で言えばPTSD? のような記憶なり印象が夢に出てくるのは、悪夢も願望充足だという所からは 説明できない、と大体そんなことが書いてあった。 思うに意識できる願望充足というものの、その内容が一部でも加工された物ではない リビドーの側の「本物の願望」だと考えるから齟齬が出来るんじゃないだろうか。 リビドーあるいはそれ、というものは願望の内容や何らかの拒否なり 抑圧により満たされなかった願望の内容を意味するのではなく、満た されなかった瞬間にひたすら立ち返らせようとするものなのではないで しょうか。 リビドーはひたすらその瞬間に帰ってそれこそ最も非現実的な「もし」 っていうものを期待するんだけど、当然それは適わない。だから都合の 良い「もしも」の世界、願望内容を作ってやり夢に見せている。 だから「拒否」が大きければ大きいほど夢の作業による「もしも」の加工は 大変な物になり、最も加工しにくいものがつまりその瞬間を再び思い出す だけという最も不合理な結果として夢になるんじゃないだろうか。
>>835 >『人生上の悩みのようなモノ』に対応する場合、
>5年6年と精神分析的精神療法を受け続けることは
>ありふれた事でしょうか?
ありふれたことかどうかは知りませんが、
人生の悩みとか、実存的な苦悩といったものを訴えて、
それを分析家に抵抗とかコンプレックス、あるいは自己愛などという言葉で
捉えられてしまったら、そうした悩みが解決されることはないでしょうね。
自作自演乙
何を根拠に自演と言うのかな? そうやって何の根拠もなく人を懐疑的、不信的な目でしか 見ることができないのは、口唇期固着ですね。 ここでいろいろ名前の出てるなんちゃら先生達に分析してもらってはどうですか?
見事に釣れてるし 口唇期固着w
まあそういうレスしかできないのならそれでもいいけどさ。
てか、ちゃんと見立てのできる人間なら
>>838 のように答えるだろ普通。
続 精神分析入門の不安と欲動の動きの所を読んでいるんだけど 抑圧が不安を作るのではなく不安が抑圧を作る という部分は全部正しいと言う気がしない。 現実的な不安、ならなんとなく分かる気もするけど。 不安も一つの防御規制、症状形成ではないの? 不快を伴う事になるだろう欲望の要求に対して、自我が折衷案的な症状も差し出すことが出来そうに ないとき。要求の対象を見失わせー漠然とした不安ー、自我は満足し変わりに欲望が残していってしまう物が 不安。と思うんだけど
あ、だからそこで残してしまっていくものが抑圧されたものなのか。 その浮動する?エネルギーが現実的でない神経症的な不安としてなんらかに 結びついてしまう。 だから 不快を伴う事になるだろう欲望の要求=現実不安 に続く要求の対象を見失わせー漠然とした不安ー=抑圧、の状態 抑圧された物に結びついてしまう折衷案的な行為=症状形成 こう考えれば確かに(現実)不安が抑圧を作る、というのは正しいと思う。 しかしまた抑圧状態が神経症的不安を作る過程もあるわけで、全ての不安が 抑圧を作り、抑圧が不安を作ることはないというのはおかしい。 と考えたのですが、どうでしょう?いまいちフロイトの言いたいことがわからない
松木の「精神科臨床での日常的冒険」を読みました 著者の謙虚さ、誠実さに打たれて、ホロリとくるところも多かった 特に「否定的な返答に、がっかかりしなくなるまでに15年かかった」というところが、大感動 っとに、オレなんかまだまだッス 明日からガンバるッス
847 :
没個性化されたレス↓ :2009/10/07(水) 20:06:41
精神分析を受けて何年にもなりますがよくなる気配がない 調べたら精神分析は効くって証拠がないんだとか だから保険も効かない 霊感療法や前世療法と大差ないんだってね
ネタだろうけど、ネタでなければもっと具体的に。
849 :
没個性化されたレス↓ :2009/10/08(木) 04:44:28
精神分析やって追い込まれるのは俺だけ?
>>846 「否定的な返答に、がっかかりしなくなるまでに15年かかった」
いいですね。心強いですね。
>>845 論博でも過程博士でもどっちでもいいけど、Biologica Psychiatrylだな
852 :
没個性化されたレス↓ :2009/11/23(月) 13:14:22
精神分析家の「あなたの無意識わかります」みたいな態度がかなり嫌。 コミュニケーションとるのが下手だったんだろうなぁって思う。
精神分析家は治療効果のエビデンスをなんでやろうとしないんですか?
どこか前の方(だったか別スレだったか)で、「治療者は、自分と同じ問題解決パターンを持っている患者さんの方が、治しやすい」といった話がありました なるほど、その方の内面が実感として想像できた方が、なにがどうなっているのか理解しやすいので、治療しやすいのだろうなと思いました 最近、もしかしたら別のケースもありえるかな?と考えるようになりました 患者さんが治療者と同じ問題解決パターンを持つが故に、治療がうまくいかないことがありえるかもしれないと、考えました 例えば、患者さんは自分の問題解決パターンではうまく対応出来ず、本人も回りも困っている状態があります 患者さんと同じ問題解決パターンを持った治療者が介入した場合、治療者自身が過去の問題解決に失敗したことに直面化しないようにすることが、無意識に生じて、適切な介入ができない といった事態が生じる可能性があるように思うのですが、いかがでしょうか
855 :
没個性化されたレス↓ :2009/12/14(月) 00:23:25
週4回が標準なのですか?
>>855 週4回は多い方じゃね?
一回いくらよ?
857 :
没個性化されたレス↓ :2009/12/14(月) 21:50:12
自分の専門でしか人を見られない、欠陥インテリでした。 全くかみ合うこともなく一年間うけ、数十万円ムダにした。 やめたいとお願いしたら、母子関係由来の甘えなどと心無い人格否定された。
【元厚生次官ら連続殺傷 第2回(11)】「私は君が心配なんです」鑑定医を“鑑定”する被告 《小泉毅被告(47)の精神鑑定を行った獨協医大越谷病院の井原裕教授への証人尋問が続いている。 自ら井原教授に質問する機会を得た小泉被告は、一字一句確認するような口調で、質問を投げかけている。 井原教授は苦笑混じりに答える》 被告「君の『イライラ事件』の中で、印象に残ったのは、君は『母親が心配している。 何か伝えたいことは』と 私に質問しましたね?」 証人「かもしれませんね」 被告「私が『伝えたいことがあっても、精神鑑定医には言わない。弁護士に言う』と答えたら、 君は怒りを押し殺した口調で『どんどん弁護士に言えばいい』と憤りましたね?」 証人「弁護士との信頼関係の証し、と受け止めましたよ」 被告「君は、私から信用されていないことが、そんなに悔しかったのですか」 証人「私も長く精神鑑定をしてますけど、被鑑定人に信頼されたことなんか、1回もありませんよ」 《苦笑いを浮かべる井原教授。法廷にも失笑が広がる》 被告「米軍の精神科医が銃を乱射して人を殺しました。 精神科医が、ミイラ取りがミイラになることはあるのですか? 井原君は大丈夫なのか、という質問です」 証人「…大丈夫です」 被告「私は君が心配なんです。面接中に異常な行動が多かったから。 うつむいて薄ら笑いをしてみたり、 怒ったような表情をしてみたり」 裁判長「あなたがそう見えた、というだけですね」 《精神鑑定医を小ばかにしたような質問を続ける小泉被告を、伝田喜久裁判長がたしなめる》 被告「じゃあ、別の質問をします。統合失調症に関する質問は、あまりに幼稚と思いませんか。 何を答えれば、正常か異常かが、すぐに分かる質問でした。 答える方がコントロールできると思いませんか?」 証人「精神鑑定の定石の一つなので、念のためやったんです。お決まりでね」
その小泉毅ってやつも精神分析的に見ていったらいろいろと面白そうだな
>>858 に限らず、精神分析をいろいろ勉強しはじめると、
殺人事件なんかのニュースを見るとその多くが「親殺し」に見えてしまう。
市橋しかり、金川真大しかり、加藤智大しかり・・・
やってみて、うまくいかなければやめればよい それだけの話 うまくいく人もいれば、うまくいかないこともある 当然のこと うまくいかないことを、人のせいにする ままあること
何年かかってもよい やめてもよい 別の方法や人に変わってもよい 今すぐ問題解決する方法は、ないのかもしれない 時間をかけないと、できないことなのかもしれない 変化とか成長とかは、そういうことであるのかもしれない
2ちゃんでやたらw使うひとを精勤分析すると?
>>861 >うまくいかないことを、人のせいにする
>ままあること
簡単に言うと、精神分析っていうのは、「いかに親のせいにできるか」なんだと思うよ
865 :
没個性化されたレス↓ :2010/01/17(日) 18:00:26
そうなんだ
この板は無知な人が知ったかしてるの多いから
ためになる
まあ何をもってして「知」とするかという問題もある。 精神分析に関して言えば、ファルス中心主義という批判もある。
うーむ、最近重ね着症候群が気になるなぁ
うん?
現在の境界性人格障害理論は、自由連想法がいい意味でも悪い意味でもキーワードになってるんじゃないかな?
873 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/04(金) 09:01:06
そうなんだ
>>873 境界例の概念が言い出されたのは、一見神経症に見えるCl.が自由連想法により精神病像が出現した事実から出てきているわけだし
臨床の現場で抗不安薬や睡眠薬により衝動行為が増えることが経験的に言われているからね
875 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/05(土) 20:31:18
精神分析的心理療法に効果はない。
>>875 捨て台詞を吐くだけならサルでもできる。
877 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/05(土) 21:26:20
どうせ「精神分析は効果は無いよ」と聞いて、 それをサルのように繰り返しているだけなんだろ? 詳細を語れるわけでもない。
効果がないと主張する者は立証する義務がない。
効果のないことに膨大な労力と時間を費やすのは頭の悪い証拠。
人体実験と明言すべき。
>>875 マスターソンらのグループがGAFを用いて分析療法の効果を統計的に検討しているし、APAのGabbardもBPDでの治療効果の論文を発表している
もう少しググってから書き込むんだな
883 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/06(日) 22:40:08
>>879-889 そんなこと知っている。最初から折りこみ済みだ。
世の中、科学の論理だけがすべてではないんだよ。
これだから教養や文化を持てないサルは困る。
誰もが自分の思い通りになると思ったら大間違いだ。
>>883 それは特定のClや喪舞に有効でなかったってことじゃないのか?
効果があるならなぜ受けたいという人がたくさん出てこないの?
886 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/07(月) 02:56:26
>>885 それってどの集団での希望者数をいってんだ?
Reverieがコテハンと捨てハンを使い分けてるのが丸出しすぎて泣けてくる
>>888 すまんね。使い分けるつもりは無いんだが以前のトリップがかわったからな
てか、こて半で書き込んだ後すぐには捨て半で似たようなこと書かないわ
どうもここで精神分析的心理療法に効果がないと言ってる輩は、
>>883 の書き込み具合なんかを見ても、精神分析的心理療法が
科学的でない(統計的手法で証明できない)ことに対して、
効果がないと言ってるわけではないようだな。
>>890 それはいえてる
てか、効果が無い点を聞いてみたいもんだなw
>>890 それはいえてる
てか、効果が無い点を聞いてみたいもんだなw
最近の雑感として、英国対象関係学派の最大の功績は「空想」に焦点を当てたことじゃないかとおもう。 そして、彼らの学派でCl.がいかに空想を取り扱うかが治療のキーになるだろうな。 実は、この空想が「記憶」と結びついているのが、境界例での勘所だろう
ただし、彼らの限界は「記憶」という面で、それが情緒により改変されたものにしろ、内容(コンテンツ)の扱い方を研究したが、 空想の出現の仕方(フォーマット)は考慮しなかった。 このためその扱いが分析学派以外に応用されることはなかった。 まあ、当然といえば当然なんだけども。
ちなみに、ビオンらが行っていたSchizophreniaに対する分析は対象が本当にSchizophreniaなのか、かなり疑わしい。 精神病スペクトラムではあるのは確かだが・・・。
結果ありきで実施される統計なんて今時誰も信じないよ ヒットしない商品を身内のエンジニアだけで絶賛している間抜けな状態 日本で普及させてから大きい口叩けば?
恐らく彼らが対象にしてきたのはPDD圏で精神病像を示したCl.に対するPsychotherapyではないか? 注意深くPDDのcaseで内的世界を観察していくと活発な投影性同一視が起こっていることに気づく。 そして、-Kである好奇心が活発なことも同様にみてとれる。 現在の英国でのKlein派がPDDのケースに有効なセラピーを行っているところを考えてみると、 「PDDもこのような力動をもつ」と考えるよりも「もともとセラピーとして確立してきたのがPDDスペクトラム に対する方法論ではないか?」という逆転の発想が思いつく
分析的には脱価値化(devalueation)や、投影性同一視という防衛機制がPDDスペクトラムで活発に起こっている。 よーくみてみると、これは、自己評価の低下を防ぐ涙ぐましい努力のようである。 そこには、対象関係希求的な存在ではあるが、対象との関係が結べない問題が存在するようだ。 言葉以外の表情やイントネーション、身振りなどから言葉以外のメッセージを読み取れないため 何度も関係性の破綻を繰り返すが、決してそれが内的な問題として考えられず、活発に他者のせいとして排泄しようとする。 排泄を受けたものはトレーニングされたものでなければそれを押し戻そうとするため、まさに「名も無い恐怖」が帰ってきて 余計に脅かすんだろうな。 経験的に、ある程度この状況が理解できる場合は、一者関係に退行することにより、関係性の中で傷つくのを避けているように見える。
精神分析中に自分の両親を告訴することがアメリカでは増えているというが、いわゆる「早すぎた解釈」を行うと、不快な体験を 自分の親との関係性の中に排泄しようとするため、いわゆる「PTSD」という名前で対処しようとしているように見えるな。
900 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/23(水) 00:01:04
専門的で高度な話題が展開されてますね。良スレあげ
>>900 気持ちはわかるんだけどw、S/N比が悪くなるのでsage推薦でヨロ
ここで混ざってくる精神分析的精神療法批判やセラピストに対する不満なども結局のところ「排泄」を目的としたものだろう。 Cl内の問題点(うまく内的体験を扱えない、楽にならないなど)を活発に排泄しようとして、精神分析的精神療法の「せい」にし、それが拒絶されるということが繰り返されるように思う。 これと、近いことが現実の世界でおこっていたらほんとに悲しいね。 誰かのせいにしても決して自分は楽になりきれないわけだから。
ある意味、精神分析的精神療法における徹底操作を二つのコンテキストに分けてみると、「内的体験を最終的には『自分で』取り扱うこと」と「その取り扱い方は分析理論に沿っていること」になる だろう。最終的には学習理論になってしまうんだけどね。 そこで、Cl.が内的体験を取り扱えないと、すぐに投影性同一視を使って「排泄」を試みる。相手がコンテナーでないと排泄されたものが帰ってくるため、さらに効果的な排泄を試みようとすると いう悪循環が待っているように思う。もしもここで排泄が成功すれば二通りの反応があって、ひとつは排泄を行えた自分の万能感(バッドオブジェクトが相手のもになる)がえられそれを何度 も繰り返そうというパターン、もしもTh.がこれに気づいてコンテイニングし、コンテインドされたものにたいしてもの想いにふけることがあれば、PS→Dへのシフトが一時的に達成される。 抑うつポジションになれば相手の痛みなど共感性が回復するという構図だな。 しかし、吐き出すだけで万能感しかもとめることができずDに移行できないCl.が執拗に排出先を求めるように見える。結局、内的体験がうまく扱えない自分の問題がそこでは内省されること が、悲しいかな、無い。
904 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/23(水) 00:41:52
>>904 勿論、Th.が悪くないわけでもない。セッションのはじめに、Cl.が内的体験を扱える資質があるかどうかの見立てが甘かったわけだから。
確かにインテークの段階でその能力を評価するのは難しいとうこともあるんだが、そこを見誤ると「終わりの無い分析」になってしまう。
906 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/23(水) 01:10:36
Clにレッテルを貼ればどんな暴言でも許されるというトンデモ理論 セラピストが自省することはない 罵倒性人格障害というレッテルを作ってセラピストに貼ればセラピストへの暴言が許される 怒ったらコンテイナーが小さいセラピストが悪い
907 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/23(水) 01:25:57
>>900 高度じゃないだろ。
Th.からCl.への暴言を正当化するための屁理屈が記述してあるだけだ。
君に暴言を吐くための屁理屈だって構築可能だよ。
908 :
コメント :2010/06/23(水) 02:07:46
専門的なのか、専門的じゃないの良く分からないうえに、 どれが誰の発言なのか分からないので何とも言えないのだけど、 >893 (改行は勝手に改変した) >最近の雑感として、英国対象関係学派の最大の功績は「空想」に >焦点を当てたことじゃないかとおもう。 そうとも言えるし、そうでないとも言えるだろうけど、空想ということから言えば、 防衛を空想として捉え直したこと、 その空想の内容とその生成がすでに対象関係的であること、 それが取り入れと投影であるとしたこと、 それはエディプス期よりも前から前言語的に活動していること、 その大きなプロトタイプとして妄想分裂ポジションと 抑うつポジションを同定したこと、 とか、これらはどれも切り離しては考えられないわけで、 空想だけを取り出すことはできないのではないかな。 >そして、彼らの学派でCl.がいかに空想を取り扱うかが >治療のキーになるだろうな。 空想は「取り扱う」ものではなく、「ある」ものなんじゃないの? 分析家がどう取り扱うか、というなら話は分かるけど。 いくつか細かいけど、わりと小さくないこうした誤解が この後のエントリーにもあるように思うのだけど、俺が誤解してるのか?
909 :
コメント :2010/06/23(水) 02:09:39
続き。改行が多すぎると怒られた。 >894 >ただし、彼らの限界は「記憶」という面で、それが情緒により改変されたものにしろ、 >内容(コンテンツ)の扱い方を研究したが、空想の出現の仕方(フォーマット)は考慮しなかった。 空想の出現の仕方(フォーマット)ってどういうこと? ビオンのαファンクションの話とかは関係ないの? ちなみに空想は記憶ではないよ。 記憶というものの現代的な理解を俺は知らないのでそれも誤解してるかも 知れないけど、誰か空想が記憶だって言ってるの? 別に誰かが言ってなくても良いのだけど、空想って今この瞬間に活動しているものだけど、 最近の記憶の理解ってそういう側面を含んでるの?
>>896 マジで同意するわ。
ここの先生方は、自分たちがオナニーを見せあってる
だけだってことに、いい加減気づいた方がいい。
俺は精神分析的精神療法のアンチではないが、 ここで精神分析的精神療法について語っている連中は、 一体どこでそれを使っているのか疑問になる。 日本の精神医療の現状を考えたら、薬物療法抜きには考えられないから、 実態として、精神分析的精神療法だけで診療している精神科医というのは ほとんどいないと思う。いたとしてもごく一部の自己実現している 優秀な精神科医だけだろう。もしくは精神科医の資格を持っていない、臨床心理士や 心理カウンセラーと言われる人たちか。 精神分析的精神療法と薬物療法が両立できるかどうかという論点は、 前者だけだとコストがかかりすぎると言う精神科医側の都合でしかないが、 もれなく「薬」が付いてくる精神分析的精神療法なんて、俺は受けたくはないな。
心理学やってるやつって、 科学的方法論に自縄自縛されてて、心について扱えないもんだから、 自分たちより心の内面について語れる権威に嫉妬していて、 2、3行のレスでどうにか必死に否定しようとしてて笑えるw どれも、幼稚な感情批判、印象批判だけどな。 臨床経験がないから、どこかで聞いたような紋切り型の批判しか出ないし、 外野からどうにかやりこめようとするだけで、 さらに踏み込んで臨床経験から議論する能力はないw まあ、自分と違う考えの専門については、 配慮や思いやりもなくつぶそうとする、狭量で自己中心的 (科学主義的・帝国主義的)で、上から目線で自分には批判する 権利があると思い込んだプライドだけが高い無能って、見てて醜いわな。 どうせ語れないなら、自分が専門とするスレだけやってりゃいいのに、 他人の専門に、教養程度の知識で、土足で上がりこみ、 煽ることで知識を引き出そうとしたり、せっかく盛り上がりかけたスレを つまらん妨害でつぶそうとしたり、どこまで傲慢なんだか。 それで自分たちはただ科学的・客観的に批判しただけだ、とか、 キレイゴトぬかす。まあ、心理学やってるやつらって、ほんと汚いよな。 通りすがりの素人の煽りでしたw
913 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/23(水) 17:24:45
914 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/23(水) 19:35:30
>>913 そういう用語を持ち出せば
>>912 が間違っていて
>>913 が正しいことになるのか?
レッテル貼りで無理やり上下関係を作るから心理の連中は嫌われてるんだよ。
915 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/23(水) 19:44:30
>>913 レッテルを貼ってやる。
お前は排泄批判性人格障害だ。
お前は俺より下の人間になった。
>>908 ひとつ聞きたいんだけど、じゃぁ、防衛機制はどこで具体化・言語化される?
自由連想法以外の場面で、白昼夢や空想を取り扱うことによってそのなかにPS→Dへの変化が見てとれるんじゃないか?
はじめにPsychosexual Developmentありきではなくそれが何を介して表現されているか、Th.に伝えられているかってことなんだけど。
S. Floydが錯誤行為を無意識の所産として意味づけるまでほとんど学術的に意味を持たなかった。
それと同じく、Klein派は空想の重要性を強調した、ということ。
歴史的流れから、はじめから空想の重要性が強調されていたわけではないと思うがね。
>>909 純粋に正確な記憶は確かに空想と異なる。しかし、この記憶が現在の情緒により改変された場合、それは空想になるんじゃないかな。
最近の分析用語はどうなってるか知らないけど、事実でない記憶がどのように改変されているかは心的な営みによるものだろう。
ま、改変された記憶は学術的に空想といわないというのであればそれは漏れのいいすぎだなw。
あと、時間軸としては将来のこと、現実には起こりえない状況でのこと、なども空想の源にあるのは個人的な記憶がその素材にはなっているだろう。
>>911 実際問題、厳密な「精神分析的精神療法」となると現在の医療保険制度では難しいだろう。
ただし、力動的な視点をもった精神療法は例え短時間でもできるはず。
JRリオンの「向精神薬・処方の芸術」などは力動的視点から薬物療法を説明しているね
精神分析的心理療法って誰が得してるの?
920 :
コメント :2010/06/24(木) 02:47:06
>>916 >ひとつ聞きたいんだけど、じゃぁ、防衛機制はどこで具体化・言語化される?
とりあえずこの表現が良く分からなくて、
分かるために何を聞いたら良いかも分からないのだけど、
Cl.がいかに空想を取り扱うか、ということが
防衛機制はどこで具体化・言語化されるか、ということに対応するのかな?
>自由連想法以外の場面で、白昼夢や空想を取り扱うことによって
>そのなかにPS→Dへの変化が見てとれるんじゃないか?
これに関しては、少なくとも対象関係論とか、特にクライン派について言っているなら、
自由連想法以外の場面ということは考えないんじゃないの?
というか、自由連想法というのは方法なので、場面を言うなら
分析状況とかhere and nowとか治療関係とかじゃないかと思うので、
単に表現の問題で言っていることが分かりにくいのか、
そもそも理解として違うんじゃないのか、というのが分かりにくいんだよね。
フロイトのつづりが違うところとか(S. Freudね)。
921 :
コメント :2010/06/24(木) 02:58:54
で、とりあえず自由連想法以外の場面で白昼夢や空想を取り扱うと言うとして、 それがどうしてPS→Dにつながるの? 逆に言えば自由連想法を通じて空想を取り扱うことはダメなの? >はじめにPsychosexual Developmentありきではなくそれが何を介して >表現されているか、Th.に伝えられているかってことなんだけど。 ここは何を介して、というところに空想が当てはまるんだよね? それが違ってると話が変わってしまうところだけど、そうであるとして、 空想に焦点を当てたということについては同意するのだけど、 精神性的発達と空想は別物ではなくて、 むしろ精神性的な発達と呼ばれるものがそうした内容を持つ空想であるというのが、 空想という視点なのではないの? >この記憶が現在の情緒により改変された場合、それは空想になるんじゃないかな。 記憶が空想に組み込まれたり、空想の一部になるということはあるとしても、 クライン派にとって空想は生まれた時から活動しているものでしょ。 記憶より先に空想があるという理解なのだと思うけど。
>>914 正しいか、間違っているかと言うより、この板には
このスレを含めて、「心理をやっている」人間しかいないんだが。
>>912 は、どういう立場の人間で、誰に対するメッセージなのか分からない。
>>918 時間に関しては、それほど問題ではないと思う。
しかし、やはり薬物との併用となると、いろいろと疑問が残る。
確かに精神分析的な精神療法と薬物療法が併用出来る部分というのも
あるかもしれないが、それって結局「薬物療法」ありきの考え方だと思う。
つまり、症状や問題行動の抑制という観点からしか物が見れていない。
本来の精神分析的精神療法というのは、「抑制」ではなく、症状や問題行動を
統合することによる「発達」が目的のはず。
発達的な観点から見たら、両者は明らかに排他的だと思う。
まあそれを一介の精神科医に求める方がどうかしているのかもしれんな。
どちらにせよ、薬付きの精神分析的精神療法なんて(゚听)イラネ
924 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/24(木) 15:37:13
>>922 臨床心理士から被害を受けた人間もいる。
お前は器が小さい。
925 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/24(木) 17:36:44
母親が職場の人間関係に起因する抑うつ、感情のむら、激情時やストレス時の過呼吸発作で カウンセリング受けてるんだが、毎回1万取ってて やってることと言えば子ども時代のいじめのトラウマがどうの 結婚して以来の舅姑や親戚からの圧力がトラウマでPTSDになってるから かばってくれなかった夫に怒りを吐き出したみろだの 訳の分からんこと言って、母親は洗脳されて家族内がグシャグシャに かき回されてるんだが。 そんな何十年も前のことが関係あるか? 俺から見りゃ母親は派手で口が軽くて虚栄心と自己顕示欲が強い(要は少し高飛車なおばさん)ので、 たまにカチンとくること言うから職場で標的になってもまあしょうがないわなと思っとるんだが。 ついでに更年期入ってんだろ多分。 PTSDとは恐れ入ったわ。カウンセラーって馬鹿なの?
>>920 このあたりはクライン派の業績にもかかわるんだが、解釈の対象・内容が自由連想法で語られた内容のみを対象とする古典分析に対してクラインらは
子供が自由連想ができないことから遊戯療法の中での空想を取り上げ、それが成人の自由連想法における内容の一部に合致する
ということを報告しているんだよ。
Cl.の語る症状なども、「厳密な治療構造のある」自由連想法と同じく心的な機制が働いていることを強調した、ということだよ。
漏れの言いたいのは、ざっくばらんに言えば「そこかしこに分析対象となる事象は満ち溢れている」というのが彼らの大きな功績じゃないか、ということなんだ
分析理論の現在の理論を先によんでから歴史をみてしまうとこのあたりは分かりにくいのかもしれないが。
確かに記憶の改変が空想になるかどうかは言い過ぎかもしれないけども、出生前の記憶を前提にしているクライン派で
>生まれた時から活動しているものでしょ
というのは理由にならないんじゃないかな。
>>923 それは主治医の立場がいろいろだから別に力動的な方法にこだわる必要も無いだろう
症状を認知療法的に扱ってもいいし、治療的と思うやり方をすればいい。
ただ、薬物療法が単に症状を押さえ込むというのであれば、「精神分析的」以前に精神療法的にアプローチをしているか疑問だな。
BPRSやPANSを現場でとってんじゃないんだからw、症状の関連性や症状の脈絡がきちんと押さえられているか?
症状のコーピング・パターンをきちんと理解しているか?
どこまでの考え方が意識の水準で、どこからが無意識を考慮した理解になってるかきちんと区別できてるか?
精神分析的精神療法でなくても、力動的な理論や理解は逆説的に「無意識を『意識的に』操作しない」ってことでもあるんだよ。
現在、悩ますのがまさに
>>925 のパターン
これが記憶とその想起のパターンおよび記憶の改変の問題があるんじゃないかってこと
929 :
コメント :2010/06/25(金) 01:15:22
>>926 子どもの遊びが大人の自由連想と同じものとして考えられるという話は
分かるのだけど、それが
>Cl.の語る症状なども、「厳密な治療構造のある」自由連想法と同じく
>心的な機制が働いていることを強調した
ということにどうつながるのかとか、
そもそもClが「語る」「症状」ってなんだとか、
語る症状に心的機制が働いているってどういうことだとか、
がやっぱり分からないのだけど。
>ざっくばらんに言えば「そこかしこに分析対象となる事象は満ち溢れている」
まあ、そうかもしれないけど、その「分析対象」(と言っていいのかどうか
分からないけど)を純粋な形で取りせるというのがカウチを使った自由連想
(子どもの心理療法としての遊び)とされているわけで、
自由連想法以外のところでは、それを空想として扱えるのか、
もっと現実の要素が入ってくるのかが分かりにくくなるんじゃないのかな。
論点は
>記憶とその想起のパターンおよび記憶の改変の問題
にあるんだろうけど、
それ以前の空想に関する理解に(多分表現の問題なんだろうけど)誤解を
招く記述が多くて、何を言おうとしているのかが分かりにくいように
思う。分かりにくいだけなら良いけど、あまり適切でない表現で
間違った認識への間違った批判を生むようなことになって欲しくないと
思っているだけのことなんだけど。
930 :
コメント :2010/06/25(金) 01:27:20
>>925 (誤字は勝手に修正)
>かばってくれなかった夫に怒りを吐き出してみろ
これが本当にカウンセラーの言ったことなのか、
925の母親が都合の良い部分だけを取り出しているだけなのか、
もっと別の可能性があるのか分からないので、
925の母親がこういうことを言った時には、
少なくとも925の母親の空想としてはそうなっている、としか
言えないんだよ。
もしも本当にそのカウンセラーが
>結婚して以来の舅姑や親戚からの圧力がトラウマでPTSDになってるから
>かばってくれなかった夫に怒りを吐き出してみろ
と言っているのであれば、それは精神分析的心理療法ではないので、
(精神分析的心理療法を標榜していれば)(おそらく)看板に偽りがあるか、
(それを標榜していないとすれば)スレ違いなので、
どっちにしてもここでは何とも言えんわ。申し訳ないけど。
931 :
コメント :2010/06/25(金) 01:32:32
925の母親のように、こういうことがあった、とか、こういうことを言われたとか、 そんなふうにClが語ることがあったとして、それが事実かどうか分からない ということについて、 >記憶とその想起のパターンおよび記憶の改変の問題 と言っているのかね、926の人は。 それは記憶のようであって、実は空想によって改変されている、と そういうことを言いたいのかな?
>>927 >それは主治医の立場がいろいろだから別に力動的な方法にこだわる必要も無いだろう
>症状を認知療法的に扱ってもいいし、治療的と思うやり方をすればいい。
まあそれはそうだろうね。
治療法に、カールロジャーズを取り入れてもいいんだろうし、
ユングを取り入れてもいいんだろうし、アドラーを取り入れてもいいわけだ。
実際にそういう精神科医というのはいるみたいだけど。
俺としては、本来薬物療法だけやってりゃいいのに、
わざわざこういう面倒くさいことをやってる精神科医の方が好感が持てる。
>ただ、薬物療法が単に症状を押さえ込むというのであれば、「精神分析的」以前に精神療法的にアプローチをしているか疑問だな。
>BPRSやPANSを現場でとってんじゃないんだからw、症状の関連性や症状の脈絡がきちんと押さえられているか?
>症状のコーピング・パターンをきちんと理解しているか?
>どこまでの考え方が意識の水準で、どこからが無意識を考慮した理解になってるかきちんと区別できてるか?
何かこういうところが精神分析的精神療法の基盤になってる、
精神分析学を本当に理解できてるのかなって思わせるんだよね。
>精神分析的精神療法でなくても、力動的な理論や理解は逆説的に
>「無意識を『意識的に』操作しない」ってことでもあるんだよ。
どうやって、無意識を、「意識的に」操作するんだよw
ねぇねぇ925にレスしてる子は、それぞれ何のためにしてるの?
ねぇねぇ精神分析的心理療法って誰が得してるの?
935 :
933 :2010/06/26(土) 01:02:40
936 :
933 :2010/06/26(土) 09:33:44
>ねぇねぇ925にレスしてる子は、それぞれ何のためにしてるの? ↑あれ?こたえてもらえないな。
937 :
933 :2010/06/26(土) 10:54:33
う〜ん、
>>919 さんは934さんなのかな?
>
>>934 >おまい、パンクか?
なんか書いちゃったけれど、私の遊びで「resあげない組」に
されちゃったのかなぁ?
>>930 ま、そうかもしれんが。そんな短期間で記憶は改変しないだろw
というか女ってのは暗示を受けやすいな。
なんかカウンセラーの言うことに心酔しちゃってるもん
俺は離れて暮らしてるから詳しくはよくわからんが。
でも精神分析って昔のトラウマが心の奥に眠ってて
それが時々出てきて悪さするみたいな話なんでしょ?
んな昔のことより、テキトーに励ましてまた新しい仕事探すなり
あるいは趣味を楽しむなりに持ってけばいいんじゃないかと思うんだけど…単純に。
元々感情の起伏が激しいが、じいさんが死んで子供もみんな実家から
いなくなって50代になったころから情緒不安定になってるけど、
それが精神分析(じゃないけど)で解決するのかね。
カウンセラーは耳当たりの良いことばっか言ってるから母親はそりゃ気分いいんだろうなぁ。
曰わく「あなたは頭が良いが旦那は器が小さい」「あなたはずっと家族のために必死に耐えて
自分を抑圧してきたからPTSDになった」だの自尊心をくすぐるんだもんなー。
まあとにかく理論に過ぎるよ言ってることが。
934さんは、私ではないよ?
>>932 なんだ、後期研修が終わったところか
ググル乙w
煽る煽られるだけの展開というのは面白くねえな。
>>927 の、
>どこまでの考え方が意識の水準で、どこからが無意識を考慮した
>理解になってるかきちんと区別できてるか?
この一文は明らかに精神分析学の理論の、構造としての理解が足りない。
943 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/27(日) 18:16:43
944 :
没個性化されたレス↓ :2010/06/27(日) 18:58:37
ピアジェらの認知の発達と、フロイトの性心理の発達(psychosexual development)は、 分けて考えたいって言うのはあるよね。 例えば、ヒステリーの女が精神分析の本を読んで、 精神分析の用語を暗記して、それを頭の中で必死にこねくり回して、 いかにもそれっぽく語ることはできるわけだしw
>>942 自家撞着乙w
このカキコ自体がただの煽りなんだが
>>945 ああそうか。
お前は自分が「煽られている」と、感じているのか。
947 :
没個性化されたレス↓ :
2010/08/31(火) 00:31:27 こういうのも虫干ししとくか。