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没個性化されたレス↓ :
02/12/27 02:59
前スレの上のほうを読み返しつつ、スレの方向性をひん曲げて ポピュラーサイエンスに走る自分を反省したりしなかったりするロボです
ちなみに、なぜスレタイがF2なのか当てた人にはエンドウ豆をプレゼント
filial generation 2
ところで、新しいスレに移ったことですし、そろそろ、鏡の背面の話を
してもらえませんか?
>>177 さん。
コンラッド・ローレンツ 『鏡の背面』上下 1974 思索社 Konrad Lorenz : Die Ruckseite des Spiegels 1973 谷口茂訳
動物行動学者のコンラートが晩年に書いた進化認識論の テキストです。外界を映す鏡(認識装置)の裏側(進化) を原生動物の走性から説き起こし、自我の出現まで探ろう という壮大な試みがなされています。
目論み自体、非常に面白いものですし、ローレンツは 動物学者なので、例示されている現象も興味深いの ですが、70年代初期の本という時代を反映して、進化の ロジックが「種の利益」という素朴群淘汰が主体であったり 創発特性で、認識システムが複雑化していくと考えていたり 理論的な部分で突っ込みどころが沢山あります。 この本のデータを生かして、現在の進化生物学の知見を 用いて「認識の進化」を再構成すると面白いだろうなあと 思いつつ小1年、小2,3年・・
なるほど。して、そのデータとは? どんなデータや例に基づいて、どんな話をしているのか、いくつか 例をあげてもらえるとうれしいのですが。
うーんと「転調」だったかな。 ある種のシステムの使いまわしの話が面白かったですが 具体的な例は忘れてしまいますた。 ローレンツは「転調」の考え方を目一杯使って自我の 出現や文化の進化まで論じようとしてましたが、常に 説明に使っていいほど普遍性のある現象かどうかは 疑問の残るところです。
それはそうとして「心があると思う戦略」が どういう場合に有利か、を考えるのはこちらの スレの方が良いと思います。 巨大な中枢神経を維持するのはエネルギー的に えらく効率の悪いことだ、ということを念頭に 置きつつ考えていきまそう。
心があると思う戦略が有利で、そうでない戦略が不利だというなら、 自閉症の遺伝負因はなぜ淘汰されずに残っているのか、と。
>>13 人間が単性生殖ならば、その疑問は妥当ですね。
1 ある確率でmutationが起こっている。 2 他にすぐれた点がある といったシナリオが考えられますね。
177さん 荒れそうなスレで面白そうなネタがあったら、こちらに誘導して 話を続ける、というのはどうでしょうか?性行動のスレはまだしも、 感情スレはいかがか、と。 関心のある人には面白い話になると思いますから、ネタ進行は オリジナルスレに任せ、後は、誘導後こちらで進行とか。
そうですね。そうしましょう。
リンクは張らずにw、続けますが、 「愛慕に感情はない」という主張に対し それは証明できるのか、というお話です。 見た目ほど簡単ではないと思ったので こちらでも考えて見ましょう。
まあ、がいしゅつネタだとは思いますが 進化心理学的にきちんと考えてみるのも いいかも知れません。
たとえば、どのように? 何より、この問題を進化心理学で扱えるところまで もっていくこと自体が相当な難業だと思うんだけど。 なにしろ、AIBOは生き物じゃない。
実は犬でも猫でもいいのですが もとネタが愛募ですた。
ちなみに、難易度は愛募の方がやさしいかもしれません。 なにしろ、仕掛けが(理論的にはw)分かりますので。
…… んじゃ、まず、「感情」の定義をお願いします。
さあ、なんでしょうね。まずはその辺から考えましょうか。
>>21 とりあえず、行動分析スレに書いておいた「進化的アプローチにおける
システム研究の3つのレベル」の話でも、読んでください。
どこのスレでも同じですが、我々は「ハードプロブレム」があることは 常に意識し続けており、
それを安易に「現在解決できる方法で片付けて しまう」ことを試みているわけではない。
「あそこに書いたような3レベルから、ある心的現象にアプローチして
みる。その結果、足りないもの・足りたものが出てくるはず。それを
みていくことで、ボトムアップで問題に近づいていく」ことを試みている。
茂木健一郎をどう思ってるか知らないが、彼も、安易なAI型の議論を避けながらも、
結局、実際に手を動かしてやってるのは「心的現象・意識の時空的流れと脳活動の
マッピング」。まずもって、クオリアという概念の不思議さを強調する人間から
みたら、これもまた迂遠なアプローチかも知れない。が、彼は年々、単なる思索から
は生まれ得ない、新しい図式を展開してくれている。我々の前に。
ロボ=問題を非常に良く知っている。そして、知らなさそうな人が出てくると、
問題の困難さを必死に教え、その問題意識の狭さをつつこうとする。
我々=問題を知ってるつもり。そして、問題の困難さを語っているだけでは、何も進まないことも
知っている。だから、問題の困難さを強調したい人からみると、 稚拙な議論を、チマチマと進めている。
>進化心理学的アプローチだけで扱える問題ではないし、
>なにより、荒れネタだからここでは止したほうがいいと思うよ?
荒れネタに持ち込んだのは、あなたですから。
>177さん
ここは進化心理スレらしく、感情の機能・適応価から話をしていきませんか?
愛慕に感情があるか否か、感情の定義は、というのは、やはり「ハード・プロブレム」です。
>ここは進化心理スレらしく、感情の機能・適応価から話をしていきませんか? もとよりそのつもりですが、我々が何を「感情」と認識していて、それは なぜかというのも平行して考えて見たいですね。
それじゃ、感情に関して、普通の心理学者がしらないだろうけれど 進化心理学では、誰もが知っているお話を、ネタ提供しておきます。 1.「恐怖」 サルの恐怖感情(あるいは緊急時の情報処理)を研究しているLa Deuxは、 危険な動物が目の前に現れた時、サルの脳内で2つの処理過程が生じて いることを見出した。 (a) ホットで荒い情報処理:視覚野からamygdaraへ直接情報が渡されるルート。 視覚情報の解析は行われない。荒い断片的な情報から、精度は低いがクイックな 反応を引き起こす。 (b) コールドで精密な情報処理:詳細は忘れたが、視覚野から大脳新皮質か どこかへ情報が渡され、視覚情報の解析が詳細に行われるルート。精度は高いが、 身体運動が引き出されるまでに時間がかかる。 2つのプロセスがあることの適応価は、言うまでもないですよね?ここで 「恐怖感情」というものがあるとしたら、aのルート→恐怖感情は身体を 危険刺激に対してクイックに身構えさせる機能を持つ...ここで「脳全体が このルートからのシグナルに敏感に反応することの適応価を、感情が「意識的に 経験されるときには、きわめて強いシグナルとして経験される」ことの関連性を みるのは、早すぎでしょうか?
2.「Culture of honor」 著名な社会心理学者、Nisbettによる本のタイトル。某若手文化心理学者に よれば「現時点で文化心理学が達することができた最高峰」。 南部出身アメリカ人男性と、北部出身アメリカ人男性を対象に、「侮辱に 対して怒りと関連した生理的反応を引き起こしやすいのはどちらか」を 検討。結果、南部出身者の方が「表出されていないのに生理的な怒りの 反応を引き起こすこと」が判明。 ニスベットによれば、これは南部に存在する「Culture of honor」である という。それでは、なぜそんな文化が南部に存在するのか?ここで彼は、 適応論的な説明を持ち出す。 南部=牧畜が盛ん。南部の牧畜=広い場所で牛を放し飼い。牛を盗まれることも 頻繁で、いったん盗まれたら、広い場所から探すのが困難。ここで重要なのが 「評判」の価値。 つまり、こうした地域では「コイツは牛を盗まれたら執拗に犯人を追求し、 何が何でも復讐を企てる恐ろしい奴だ」という評判がたったら、その人から 牛を盗むことはなくなるでしょうね。 そして、この「評判」を維持するために、いざことが起こったら、激烈な 怒りに駆り立てられ、徹底的に相手をやっつけなければならない。皆が 怒りを期待する場面で、相手をやっつけなかったら「やっぱりあいつは 臆病者か」と、いう評判が立ってしまうから。 故に、南部では「些細な事でも怒る」文化が、「適応的な価値観」として 広まった。
3.「怒りを感じることの合理性」 当然、2には批判もあるでしょう。「実際に怒りを感じずとも、その振りを すればよいではないか?」と。 ここで、signaling game/honest signalに関連するかもしれない問題が浮上します。 もし、「怒っている」振りをし、それを表出するだけで良いならば、誰もが そうするでしょう。そして、いざ牛が盗まれたときには、怒る振りだけして、 コストのかかる「泥棒探し」は、実際にはやらない。たとえば、やる振りだけ して「見つからなかったが、見つかったら打ち殺す」と、口先で主張する。 こんなやり方で、みんなに「コイツは危険な奴だ」と信じ込ませることが できたら、そりゃ、楽でしょう。実際に「怒りに駆られた行動」に伴う コストを負担しなくて良いのだから。 しかし、一度でも「コイツは怒ってる振りをしてるだけ」と、他人に見抜かれたら、 それでもう、評判の維持は不可能となる。 →故に、「怒りという感情を実際に生じさせ、それに自らを委ねてしまう」ことが この環境では適応的。 また、そのためには、「他者だけでなく、自らをも“俺は怒ったら何をするかわからない 人間だ”と、信じ込ませてしまう」ことには、重要な意味があるかもしれない。 最後の問題は、嘘や自己欺瞞の問題、また、「自己知覚というシステムが、一貫した 行動を生み出す上で持つ機能」といったテーマと関連しているので、ややdでいます。
うーん・・。 >それじゃ、感情に関して、普通の心理学者がしらないだろうけれど >進化心理学では、誰もが知っているお話を、ネタ提供しておきます。 なんか挑発的になってらっさいませんか・・? 私は心理学徒ではないが、どなたか反論というか、 心理学ではこんなのは知ってるぞーというのを提案しておいた方が良いのでは。 それはさておき、そのネタは面白いのでありますが。 190氏にとっては基本的なところでしょうが、 「表出されていないのに生理的な怒りの反応を引き起こすこと」 とはどのように測定されたのでしょうか? 素人には見当が尽きませんですた。 生理的な怒りの反応は、今上がっているAIBOでも観察する事が可能なものでしょうか? もしくは人工知能では? 「感情」とは何かという事を、生物的な生理機能でしか測れないのであれば、 人工知能が感情を持つかどうか…という試みの前提の段階で崩れてしまいますね。 (やはり人工知能の研究は、ヴィトゲンシュタインの予見したように、 人間の言語機能を制限するものではなく、比較対象として研究されるべき ものという事になるのでしょうか。 うーん。 ここは、人工知能はアーキタイプの夢を見るかスレで語るべきものでしょうが、 人間の生理的反応に擬似的な反応が人工知能の中で起これば、 『人工知能的怒りの反応』なるものとして受け取ってもよいのかな) うーん。
後ろ半分はタカハトゲーム(チキンゲーム)の セルフコミットメント戦略(背水の陣戦略)と 同形なんですよね。こちら側の戦略を限定して 相手に最適反応を強要させる作戦です。 ただしタカハトの場合、闘争のコストが低ければ みながセルフコミットメント(=タカ)を採用するし みながタカになると事前のディスプレイは不必要になります。 また、闘争のコストが高ければ見定めかブルジョア戦略が とってかわります。結局、シグナルの機能は不要で 攻撃性を発動することが「怒り」の主要な機能になりますね。
進化心理学的アプローチ(流儀)(ハードプロブレムって言うのですか?)と、 人工システムなどの内的システムの話を ちょっと混同してきてしまいました。 同じ刺激(S)を受けて、人間の反応(R)と、AIBOの反応(R)が 同様に表出されて、その際、人間の反応(R)時点で、「怒りの生理的反応」 が測定されれば、AIBOの反応(R)も怒りであると考えてよいのですよね? (この場合行動分析学的な話からはズレますが)
>>30 「脳全体がこのルートからのシグナルに敏感に反応することの
適応価を、感情が「意識的に経験されるときには、きわめて
強いシグナルとして経験される」ことの関連性をみるのは、
早すぎでしょうか?
意識(=先読みのツール)に緊急情報の割り込みをかけるために
強いシグナルを送ってくる(送っているかのように意識ツールに
入力される)のでしょうかね。
>同じ刺激(S)を受けて、人間の反応(R)と、AIBOの反応(R)が >同様に表出されて、その際、人間の反応(R)時点で、「怒りの生理的反応」 >が測定されれば、AIBOの反応(R)も怒りであると考えてよいのですよね? そういう流儀もあります。ヒトは何を怒りと考える戦略をとって いるかをさらに考えていく流儀もあります。その辺はいろいろですね。
どの流儀が良いかの評価基準として、私は「議論の生産性」を 使いますが、他の基準を使う人もいるようです。そのへんも またいろいろです。
39 :
没個性化されたレス↓ :02/12/31 00:12
>30 La Deux amygdara スペリング自分で直しとけ!!
190氏の理解においてただ一つ訂正しなければならないことがあるとすれば、 哲学的に心脳問題を扱う人間にとっても問題の困難さなどはただのスタートラインであり、 そこから先はおおむね稚拙な議論をちまちまと積み重ねることで話が進んでいくということだ。 スタートラインより向こうを見ることができないからといって、哲学者の話がそこで終りだと思ってはいけないよ。
>38
私も敢えてここでは、生産性のある議論に繋がる方を選びたいです。
それは、人間を超えてしまった視点ではありますが、
無知の知という戒めを忘れずに…。
(まぁ素人の私の場合はその恐れはありませんが 笑)。
ところで、「心が在る」と思う戦略が適応的だとすれば、
今私達が考えている「心が有無はわからん」という思考は
非適応的であるんですよね。
もしくは、適応的なるものが変化し、「心が在る」という戦略を
捨てる徴候の現れであるのかもしれない… なーんて。
>「表出されていないのに生理的な怒りの反応を引き起こすこと」
は既に
>>30 で述べられていたんですね…。
脳機能の構造についてですか。 うーーーむ。不勉強の為脳内をスルーして
しまっていました。スミマセン。
(a) ホットで荒い情報処理と(b) コールドで精密な情報処理は、
(a)レスポンデントと(b)オペラントと言い換えちゃうのは乱暴ですか?
レスポンデント: 光が眩しくて目を閉じる
オペラント: 目を閉じろと言われて目を閉じる
という違いです。
>(a) ホットで荒い情報処理と(b) コールドで精密な情報処理は、 (a)レスポンデントと(b)オペラントと言い換えちゃうのは乱暴ですか? 大体いいような気がします。レスポンデントとオペラント脳内処理に ついて知らないので違う点もあるかもしれませんが、機能的には 等価だと思います。
>40 >「それでは、哲学者の中で誰が、彼の指摘に対して“沈黙する”以外に、 >何か“謎を切り開く”道を探したのでしょうか?」 私もこれについて、解答を保留したままです(汗。 それにしても心理学とは、両アプローチがガチンコした決戦場って 感じですよね。 文系か理系なのかも分からないし、心脳問題、臨床vs基礎系 いろいろと・・。
>同じ刺激(S)を受けて、人間の反応(R)と、AIBOの反応(R)が >同様に表出されて、その際、人間の反応(R)時点で、「怒りの生理的反応」 >が測定されれば、AIBOの反応(R)も怒りである で、別の一つの立場は、怒りを含めたあらゆる感情は 神経ホルモンの放出と不可分の事象であるから、化学物質による 情報伝達方式を組み込んでいないロボットには感情は生じない、という、 「素材の制約」を問題としてその考え方に反論する。
ロボトミー手術を受けたらものを決められなくなったっていう話から、 感情の機能は行動決定システムにおいて不可分だっつー話もある。 脳科学者の大木幸介の考えでは、感情のそもそもの起源は、 動物が自分の全身の細胞を統率するために神経ホルモンという 手段を採用したときだそうだ。
>42 どうもです。 行動分析学を理解している訳でないんで 私自身の誤用が心配なのでした。 >44 科学物質の分泌が感情の基なのか、結果なのか分からないが、 それによりロボ氏の反論への回答が変わります。 人間の内的システについて不勉強がたたっている・・
勘違いは(・A・)イクナイ そういう考え方もあると言ってるだけで、俺の反論ではない。 俺自身の考え方はアーキタイプスレに書いたが、今はどうでもいい。 ただ、文字通り「化学物質=感情」という解釈をする奴もいるんだよ。 昔この板にいた「愛はケミカル」と言う奴の主張がまさしくそうだった。 されど、現時点において、「化学物質が放出されたときには感情が 経験され、感情が経験されたときには化学物質が放出されている」 という事実が神経科学の分野から示されていることだけは間違いない。
ちなみに俺の種本の著者は最終結論を10項にまとめてるんだが 1、意識は、それ特有の認知的機能を果たす。 2、その認知的機能は、時間に追われた認知的行為者(正確さより 機敏さにウェイトをおく情報処理システム)にとって、きわめて有益である。 3、環境のなかで生きのびる認知的行為者(外部と内部のリアルタイムの情報を必要とする 情報処理システム)にとって、感情と感覚は不可欠の認知的機能である。 4、意識の機能にとって、クオリアの機能は不可欠である。 5、意識をもつ認知的行為者の感情と感覚にとって、クオリアは不可欠である。 さらに、これらを進化論的ストーリーに組み込んで 6、意識・感情・感覚・クオリアの認知的機能は、自然淘汰において 極めて有利に働く 7、意識・感情・感覚・クオリアの認知的機能は、それ特有の 神経生理学的メカニズムによって実現される。 8、その神経生理学的メカニズムは、それ特有の生物学的性質をもつ。 9、その生物学的性質は、自然淘汰においてきわめて有利に働く。 10、6と9は、認知科学と生物学という異なった記述レベルの ストーリーとして、互いに独立に理解可能である。 以上の10項が正しいなら、意識やクオリアは物理的な世界に収まり、 一貫した<素朴な物理主義>によって全てを説明することができる。 で、この後最後に残ったのがこの5、クオリアの不在と逆転の問題なんだけど、 この哲学者氏は「オッカムの剃刀」を持ち出すことで解決を試みている。 俺自身の感想としては、多分現時点では、これがもっとも妥当な科学的解釈だろう、と。
>La Deux
amygdara
スペリング自分で直しとけ!!
はいはい。Le Doux (The emotional brainの著者), amygdalaです。
失礼しました。
>>36 そう、ロボティクスでは、恐怖、パニック、怒り、などの感情は
コンピュータでの「割り込み」と同様に定義され、ロボットがデザインされます。
で、そうしたロボットの「振る舞い」をみれば、人間と同様の感情を
感じているかのように、見えるでしょうね。が、それをホットなプロセスと
呼べるかどうか...
「なぜそれを主観的に認識するのか?」という問題は、常に出てくる。
無意識下でさまざまなプロセスがパラレル処理されているのに、なぜ、
割り込みプロセスが、それほど強力に認識されるのか?
可能性1.副産物:主観的な認識プロセスが動いている以上、
生理学的に強力なプロセスは、知覚されて「しまう」。
可能性2.機能がある:実際に、それを知覚して、意識的なプロセスをもが、
この割り込みに注目を与える必要がある。
1も捨てきれないが、2の意味もありそうな気はする。
ロボ
>スタートラインより向こうを見ることができないからといって、哲学者の話がそこで終りだと思ってはいけないよ。
だれも、そんなことは考えてないですから。万人に発せられた警句、と解しておきます。
>>48 そういう話は、とっとと出してください。レファレンス情報も。
さもなくば、もったいぶった上に、「お前の誤りを俺が正してやる」
という態度をとっているだけの人間と、受け止められかねませんよ。
実際、私は、2度もそう受け止めてますから。
>47 私の書き方がまずかったかもしれませんが、 勘違いはしてませんでした。 なので了解でつ。 愛はケミカルさんに終始一貫して反論されていたのは仮の立場には見えませんでしたので。 アーキタイプスレを読んでからは特に私の中のロボ氏観は変わりましたです、 そういえば。 感情の経験を伝達するのに(?)科学物質の放出が必要なだけかもしれないので なぜ放出するのか?という内的システムの方に謎がある。 あうう、医学的知識皆無のDQNの私には後日調べて見るしかないのであった・・(冷汗
>>51 ケミカルの現役時代を知ってるのか?
つくづく惜しかったよ、彼の失踪は。
ニューロイメージスレもあれで停滞しちゃったし。
>>50 言ったように、あの十か条は議論の最終段階。
前提と過程を抜きにして、いきなり答えだけ聞いても意味はない。
無数の前提が提案し、ひとつひとつを虱潰しに消していって、
やっとあの結論に辿り着くことができる。
俺が説明していたのは、そのためのスタートラインなんだよ。
そこに立てないなら、何を説明したところで意味はない。
俺にとっては、誤解されようと何しようと、んなことは屁でもない。
相手がなぜ、どのような文脈から誤解に陥っていくかということほど、
相手の立場、性質、考え方を明白に俺に示してくれる手がかりはないからだ。
ところで、最初から読む気があるんなら、これだ。
「ロボットの心−7つの哲学物語」柴田正良 講談社現代新書
またリロード遅れになってしまいましたがが その十ヵ条で行動分析学スレで出ていたクオリアの不在と逆転が分かったような・・・。 種本は現在10冊以上ある課題図書の一つに リストアップされていたがまだ見つけていなかった。 >52 愛はケミカルの現役時代は知りません。 今後の展開に期待・・!
スタートラインうんぬんの話は、なんか色々行き違いがありそう。 そもそも190氏は、人工知能が心を持ったとしたらどういう事か? に関心をお持ちなように見えたんで・・・。 進化心理学的アプローチと内的システムの話も錯綜していたから
進化心理学的アプローチを取るのは、それはそれでいいのよ。 それは他のどの科学的アプローチについてもいえる。 ただ、特定の流儀に拘泥してしまっては、見落とすものがある。 そして、そこを見落としたままだと、先に進めない「科学的」議論もある。
>>55 だから、ロボはいつもそうなの。
相手のわずかな隙間をギリギリまで
拡大して、徹底的な悪者にしたてあげてから
叩き潰そうとする。
厨房相手なら何も言わないが、他の相手に、
そうするのはやめろ。
みな、行動分析スレでのロボの発言は、哲学を知る上で
意味があるとは感じているが、190氏をあのような形で
叩くことに、同意している人間はいなかった。
そこをごまかすな。特定の流儀に拘泥して他を無視する
人間だ、というロボの評価に同意している奴はいたか?
>>52 でロボが何か言ってる。
これ以上、このスレを荒らすのは嫌だから、
以下、本筋に関係ない、ロボ・190への抗議は、すべて
ロボ@3号機スレへ引越し。
いいですね?
190の言ってることも,ロボの言ってることも理解できない人
→ 90% この人たちは沈黙
190の言ってることはわかるが,ロボの言ってることは理解できない人
→
>>56 も含め8% この人たちがロボを叩く
190の言ってることも,ロボの言ってることも理解できる人
→ 2% この人たちも沈黙
単にコテハン・ロボを叩くネタを待ってた人が喜んで
便乗しているだけ。190も明日は我が身。
主流を気取るのはつねに「ほどほどの知性」。
2chって怖いところですね。 >58 ♪同じあほなら叩かにゃ損々って、ことですかぁ?
さて、ケミカルの話は面白いですね。 神経線維の場合もシナプスの部分では 化学物質の放出で信号が伝達されますので 「化学物質による情報伝達」の方が原型 だと思われます。それにATPをばかすか 消費して細胞膜上で情報伝達するシステム (速いけど高いシステム)が付け加わった のでしょうね。
それは多分、「動物」という生命デザインにとって 「速い情報伝達」がコストをかけても引き合うもの だったからなのでしょう。 「速い情報伝達」のご利益は 1 動くための細胞間の共同作業が可能になる 2 どこに動くと得か、をすばやく判断できる となるでしょうか。 もう一つシナプスを用いた情報伝達システムは 「可塑性」をも備えていますが、これは 3 どこに動くと得か、は時と場合によるので それに対応できる というご利益をもっているようです。3は主に動物 間の競争に勝ち抜くために有効であったような気が します。
>>62-63 感情が、比較的クイックに「次に生じる事態に向けて身体を準備状態に持ち込む」という
機能を持つこと、また、そこで生じる「準備状態(選択肢のオプション数を減らす; Le Doux)
は生得的な反応である可能性が高いこと」などを考えると、そのストリーは、
良く理解できるように思います。
が、ひとつだけ問題となるのが、「感情が主観的に経験されること」と
「速さが必要とされるときには内分泌系の系が使われる」という話に、
直接のつながりがないように思われること。
ここで気になるのは、
>3、環境のなかで生きのびる認知的行為者(外部と内部のリアルタイムの情報を必要とする
情報処理システム)にとって、感情と感覚は不可欠の認知的機能である。
というステートメント。
「感情が割り込みをかけて他のシステム機能を特定の作業に集中させる」という理由以外に、
「感情の主観的経験がクイックな反応をもたらす」理由はあるのだろうか?
(↑いや、ないに違いない、なぞとは言ってない。純粋な疑問。深読みされぬよう。各々方)
とりわけLe Douxの議論とあわせると「感情の主観的経験がシステムにスピードを
もたらす」理由として、「割り込み」説以外に、何が存在するのか、いまいち検討がつかない。
読む意図があっても、特殊事情により、しばらくこの本の入手が不可能なため、詳細な解説キボンヌ。
65 :
没個性化されたレス↓ :02/12/31 13:54
177は生理学は生半可ですか? 内分泌とシナプス伝達はどちらが早い? それに近年では両者に本質的違いがないことがわかった
>「感情が割り込みをかけて他のシステム機能を特定の作業に集中させる」という理由以外に、 >「感情の主観的経験がクイックな反応をもたらす」理由はあるのだろうか? モードの切り替え、のようなことが起こっているんでしょうかねえ。 だとすると、クラゲやプラナリアにはない機能なのかもw
>177は生理学は生半可ですか? 生理学は生半可です。教えてください。
>>65 >それに近年では両者に本質的違いがないことがわかった
このあたり、簡単な講義をしていただけると、大変ありがたいです。
ちなみに
>>63 では、内分泌とシナプス伝達を比較しているのではなく、
シナプス伝達と神経線維内での信号伝達を比較しています。
>>65 おいおまえ!
ロボからもお願いいたします
>「感情が主観的に経験されること」と「速さが必要とされるときには >内分泌系の系が使われる」という話に、直接のつながりがない だからそれがクオリアの不在の可能性であり、議論の前提としてある「問題」なの。 それこそがクオリア問題だといってもいいくらいだ。 還元論、物理主義の因果的閉包性の主張は、因果モデルへのクオリアの導入を拒絶「できる」。 感情は主観的に体験されなくとも感情であり、クイックネスを得るのに主観的体験など要らないともいえる。 「主観的体験がなくてもヒトというシステムは成立する」というロジックは、それ自体では「完全に正しい」。 これに対し、かいつまんでしまえば、「主観的経験」はそれ自体に特有の適応価やら 究極要因があるわけではなく、「ヒト及びヒトに類似した存在の認知的機能」に 不可分に「張り付いている」、システムの一部分であるというのが著者の立場。 つまり、「クオリアはそれに典型的な原因と結果の連鎖の中でふつう生じる」。 「感情のクオリアは感情にとって本質的だ、なぜならクオリアは意識という 舞台の上で果たされる感情機能の不可欠の一部だからだ。」 「われわれの場合にクオリアが感情にとって本質的な役割を果たすのは、 意識という情報処理の舞台が前提である。それというのも、意識されない クオリア、気づかれないクオリアはそもそもクオリアではないだろうからである。 傷口の痛みを忘れて夜寝ているとき、感じられない痛みのクオリアが その間にもあったというのは、感じられない<感じ>があったという ナンセンスにほかならない。しかし逆に意識のある昼間は、痛みのクオリアは 傷ついた動物にとって「最高のギブス」なのだ。」
>不可分に「張り付いている」、システムの一部分である というのは私の見解に近いですね。 感情というより、先読みの性能をあげる ご利益があるのだと思います。
いや、それでもまだわからない。
>3、環境のなかで生きのびる認知的行為者(外部と内部のリアルタイムの情報を必要とする
情報処理システム)にとって、感情と感覚は不可欠の認知的機能である。
今ここで知りたいのは、クオリアそのものではなく...
著者が意識と感情・感覚の関係をどう定義しているか知らないが、
「意識という認知機能、感情・感覚という認知機能が、リアルタイムでの
情報処理において果たす機能とは?」、「それが必要とされるのはどんな
コンテクストにおいてか?」
という話。クオリアが、感情にとって不可欠、というならば、著者は、
そもそもの、感情の機能について、なんと書いてるね?
>>65 ぜひ!!
言い方を変えれば、クオリアと不可分であるとする、「意識に上った感情」 がもつ機能とは?そこに書いてある話は良くわかるが、クオリアが本質的な 役割を果たす舞台であるところの、意識の機能について、どんなことを言ってるのか?
その疑問に完全な回答が与えられたら、クオリア問題は終結するだろうな。
いや、だから、その著者は「何を述べているのか」を聞きたい、ということ。
>>64 の最終行
感情の機能については 「乱暴に表現するなら、感情とは身体内から発する欲求の増幅/抑制であり、 特定の行動を導く動機であり、環境の変化や行動プランに対する評価であり、 複数の競合する目標やプランの調整であり、他の感情的システム(他人)との協調である」 意識については 「われわれの場合には感情にとって意識が本質的だ、ということを 示すのが先決だろう。それはそうだが、いまここで意識の問題に 全面突入するのは、ちとつらい(?)。それは次章どころか、 十分に扱うのはできれば次作回し(!)にしたいのが本音なので、 以下の議論を次のような面倒な論証の一部だと考えていただきたい」 で、ここで例の10項に続く。
養老先生のご見解 133 意識は伝統的に哲学、心理学の対象であり、生物学の対象ではない。第一に「 物」として取り出すことができない。第二に、現象としてみても、たとえば脳 波と意識との関連が、論理的、分析的に定量化して理解されているわけでもな い。 135 ヒトの脳が大きくなったのは、ヒトの意識の発生と深く関連しているに違いない。 140 神経細胞が脳の中でできるだけお互い同士しつながりあうことによって、おた がいに「まっしょう」あるいは「支配域」を増やす。それによって互いに入力 を与え合う。それによって互いの入力を増やす。ヒトの場合、それに類したこ とが可能になったとすると意識の発生がなんとなくうなずける。 142 脳内の神経細胞が増加し、外部からの入力、あるいは直接の出力の「量」だけ に依存するのではなく、脳の自前の、あるいは自慰的な活動に、神経細胞の維 持が依存するようになった時、意識が発生したと考えてはいけないだろうか。 142 意識の単純な生物学的意義とは、神経細胞の維持である。
143 脳にとってみれば、自分自身が成立していくために必要なことを自分がやって いるだけのことだからである。脳はその維持機能を「意識」と称して「意識し ている」だけのことである。 144 意識の発生に関する第一の問題は、物質界から心が発生するかという議論であ る。構造はいわば物質であり、「心」という機能は物質ではないからである。 144 これは脳だけに限った特殊な問題ではない。意識を何やら高級なものとする価 値観が忍び込んでいるから、意識を自然科学の対象でないとする考え方は「自 然科学的」ではない。 144 意識の発生に関する第二の問題は、その必然性である。意識が脳の機能だとす れば、その発生には、なにか生物学的な必然性がなければならない。 145 構造と機能とは、同じ物の異なる「見方」に過ぎないからである。ここでは、問 題は自然の側にあるのではない。それを見ている人間の側にある。脳と意識と の問題には、それがもっとも一般的かつ明瞭に現れているに過ぎない。
なるほどね。 >環境の変化や行動プランに対する評価であり、複数の競合する目標やプランの調整であり これは、戸田正直やPfeiferといった人工知能/ロボティクス研究者が考える 感情の機能、ダマジオやLe Douxが考える感情の機能と合致し、 >他の感情的システム(他人)との協調である は、他者の心の読み取りにおける「感情や共感」の問題とも関連しているのだろう。 simulation-theoryでも述べたように。 とりわけ、後者の「感情レベルでの他者との同期」や「感情レベルでの心の読み取り」、 あるいは、「感情レベルで他者を巻き込む」といったトピックは、まだまだ 論文のレビューをしたことがあるけれど、まだまだ発展途上の研究が多いので、 非常に有望な方向性か、と。 このあたりが、最新のレビュー Preston, S. D. & de Waal, F. B. M. (200X) Empathy: Its ultimate and proximate bases. Behavioral and Brain Sciences. しかし、なぜ著者はここで「リアルタイム処理」という話をしている? 意識的処理=シリアル・プロセス、無意識的処理=パラレル・プロセスと 定義して、前者がより高速でリアルタイム処理に適しているという話でも ないだろうし。 それとも、表象がリアルタイムでダイナミクスに変化するシステム、といった モノを考えている?
>脳内の神経細胞が増加し、外部からの入力、あるいは直接の出力の「量」だけ に依存するのではなく、脳の自前の、あるいは自慰的な活動に、神経細胞の維 持が依存するようになった時、意識が発生したと考えてはいけないだろうか。 個人的には、この命題は、まだまだ良くわからない。たとえば茂木健一郎は、 こうした「外部からの入力に依存しない、個体の側から立ち上がった 自発的な神経活動」を、志向性と呼び、それが「認識された」時に、 クオリアとして感覚が生じる、という。 が、この根本的な図式を支える再帰的システムは、プリミティブな形では 動物にもあるらしい。たとえば、motor movementを支える身体感覚の知覚等。 とはいえ、この図式そのものは、脳のシステム論の研究から面白い話が引き 出せそうなので、いずれにせよ、要注意箇所か、と。
おもしろいですね。ただ >脳の自前の、あるいは自慰的な活動に、神経細胞の維持が依存 というのは、よく分からないです。発火しないシナプスは 削除されるので、空ageを繰り返している、という意味でしょうか。
同じく分かりません<出力・入力の量に依存しない脳の自前の、自慰的神経活動。 意識が立ち上がっている事で出力されているというならば分かる(気がする)のですが。 コネクショニズム的回路から自発的に自己へ還帰する出力が生まれてくるというイメージで。 そうでないなら、意識の立ち上げは、通常の?神経回路とは別の回路を持つから出力や入力の量に依存しないという 全く未知の内的システムが脳にあるという事なのかな・・? 神経細胞の保存とは具体的にはどのような物か、詳細が気になります・・。
>>83 「感覚器官から入力された刺激」以外の、内部から内部へと伝達された
情報のことでしょう。
簡単な例としては...
たとえば人間は、感覚器官に入力された刺激をそのまま知覚するのでは
なく、事前に持っている期待、文脈などに応じて、「見え方」が変わります。
錯視やゲシュタルトなどがその例として挙げられるでしょう。
脳内部のとある部位が、視覚情報を解析する部位に「働きかけた」
結果として、同じ物理的刺激が、異なったモノとして知覚される。
あいまいな言葉を使えば、志向性と呼ばれる、システムの働き=
「外的刺激に受動的に反応するのでなく、システムそのものが
能動的に向かっていく」ことを、指すとも思われます。
ちゃんと考えないと、トラップにはまりそうな言葉ですが。
うーんと、そういうことなのでしょうか? >神経細胞の維持が依存 というフレーズが気になるのですが。 内部でぐるぐる信号の伝達をしているって いう意味なのかなと思ってましたが。 (dat落ちを防ぐためのジサクジエン)
その「維持が依存」は私に意味不明です。
ただ、心理学ではしばしば「外的刺激の入力→反応」という図式と、「内部からの刺激→反応」
という図式が対置させられることが多いので、
>>85 のような話かと思いました。詳しくは、当人にご確認あれ。
たとえば、
>>85 の話などは、ニューラルネットではコンテクスト・レイヤー
などとして実装される「場合」もあるそうです。たとえば、普通は、
入力層→中間層→出力層という信号の流れが、中間層からもう一つの
別のコンテクスト層に流れ、そこからの出力が、入力層からの出力と
合わさって中間層に入る、という話。
これだと、時点tに入力層に入った刺激が同じでも、コンテクスト層からの
出力によって、中間層では異なった反応が取られることがある。
そして、コンテクスト層からの出力というのは、時点t-1での「入力層
+コンテクスト層から中間層への入力」に依存して決まる。
ちなみに、このモデルだと、ダイナミックかつ文脈依存的な複雑な行動
(たとえば、2台のロボットが互いに追跡者/被追跡者の役割を交代しながら、
2次元空間上を追いかけあう、とか)が可能になるそうです。
どうしてこんな話をしたのかというと、結局、運動状況における役割交代の
ような「ダイナミックで、文脈依存的、不確定性が伴い、かつ、タスクその
ものが突如として変化するような状況」というのは、AI/ロボットにとって、
極めて解決困難な状況だから(だそう)です。
そして、(おそらくは)心理学が対象としてきたのは、「タスクが確定され、
安定している状況」で、心的システムがいかに振舞うかという問題。
故に、人間が直面しているような「ダイナミックで不確定性・自由度が
非常に高い場面」での意思決定&それを支えるシステムの研究というのは、
適応論にとっても、(
>>48 にあるように)意識なるモノの研究をする上でも、
かなり重要なトピックになってくると思います。
そして、これは177さんや私たちが直面しているタスクにおいても、 将来、意味を持ってくるかもしれない...かなぁ...などと、 考えています。
89 :
没個性化されたレス↓ :03/01/01 14:02
シナプス伝達も「古典的伝達物質」だけでなくペプチド類が次々と 発見され、ホルモンと共通の物質、共通のメカニズムであることがわかった。 便宜的に近傍の伝達を神経伝達、遠所のものをホルモンと分類する。 亀レス待ってストレスためるくらいなら、生理学の本読んでくれ。
90 :
没個性化されたレス↓ :03/01/01 14:26
マルクス主義心理学が今活況を呈しているんですよ。 進化心理学なんてふるい。
>>87 コンテクスト・レイヤーをかませることで
刺激 → 情報処理 → 反応
の情報処理の部分の可塑性を高めることができる
っていうことでしょうね。
思うに、先読み系というのは情報処理の部分に
行動候補リストアップ
→ 結果予測
→ 結果評価
→ 行動決定
という、さらに複雑な処理手続きが組み込まれて
いるような気がするのですが、こういう系を
ニューラルネットで再現するには、どうすれば
いいんでしょうかねえ?
>>89 最近のお勧め本を一冊紹介していただけると幸いなんですが
とはいえ、伊藤正男をツンドクするロボには無駄かもしれませんが
>>93 どうやるんでしょうね?ニューラルネット系は、学会などで
聞き覚えたことが多いので、全体像をつかむような読み方を、
いつかやらねば...という感じです。
後半の 結果評価 → 行動決定 の部分は 情報集約タイプのネットワークを使ってできそうですが 前半の「行動候補のリストアップ」とか「結果の予測」 とかいうのが、NNでやるのがとっても難しそうに 思われます。しかし、現に人間の脳(おそらく哺乳類の脳 一般も)はやってることでしょうから、できなくは ないんでしょうけどね。
スレ汚しすみませんが、図々しくレス。 「意識や心が在る」とする戦略を持つとする進化心理学的アプローチから、 意識の単純な生物学的意義ってなんですかー?という話の展開になり、 今までのスレの流れから観ると、意識の単純な生物学的意義は今のところ 分かっておらず、仮説として挙がっているのは、 1)先読みのツール 2)神経細胞の維持(dat落ちを防ぐためのジサクジエン) という二つなのでしょうか?
>>89 生理学の入門書にはその情報は載っていませんでした。
入門書だからか、その本が古かったせいか分かりませんが…。
気になり2chを検索したところ、話はずれてしまいますが、
心理学と生理学
http://piza.2ch.net/log/psycho/kako/962/962090396.html というスレを見つけました。(探検隊氏の過去スレ探索スレに載ってました)
生理学屋さん達の、「暇な時にでも考えると面白いクオリアの話」って感じでしたが、
>72 名前: >71 投稿日: 2000/08/28(月) 10:24
>ニューラルネットまでいかなくてもホルモンとか体内物質の分泌で
>説明できる感覚があるかもね。感覚事態を説明することは出来ない
>と思うけど。紫外線を見ている虫の感覚を理解できたら面白いけど。
>73 名前: すずらん 投稿日: 2000/08/28(月) 16:00
>>72
>暇な話題に付き合って頂いてどうもです。なるほど、ホルモンとか
>体内物質ですか・・・。でも、例えばセロトニン(躁鬱とかに関わってるとか言われてる)
>なんか、この他に体性運動野なんかにも(ex,セロトニン系薬物の副作用で手先が震えたりする)
>関わってる所を見ると、情報のコーディングの最小単位はニューラルネットだろうなぁ
>と想像するんですが如何ですかね??
この辺りってなんかヒントになりまへんでしょうか。
私にはサパーリ分かりませなんだが。
99 :
没個性化されたレス↓ :03/01/03 14:11
>99 >「本質的違いはない」と明記されていなかった その通りです。 ホルモンとシナプス伝達を比較した記述がありませんでした (というか、私には読み取れませんでした…(汗) それから、よぉぉくもう一度見ると、ホルモンと共通の物質が、 シナプス伝達物質にあるという記述がありました↓ (生理学第6版[金芳堂]という本から 下記は省略文) 「興奮性シナプスの伝達物質は、アセチルコリン、 酸性アミノ酸(L-グルタミン酸、L-アスパラギン酸、L-システイン)、 P物質である。 で、このP物質は、11個のアミノ酸残基を持ち消化管ホルモンでもある。 脊髄の感覚神経線維末端に多く存在し、痛覚(しくしくする痛み)C線維の 伝達物質である。 また、黒質一線条体にも多く存在している。 すみません…。
まあ、そんなわけでシナプス伝達のシステムは それ以前にあったと思われる化学物質による 情報伝達システムの使いまわしだと考えられます。 ただ、シナプス伝達の場合は伝達のターゲットを 絞ることができる分、精度の高い情報処理ができる でしょうし、情報ホルモンの場合、システム全体に ある種の信号を送って、情報処理のモードを切り 替えるのに適している、という使い分けがなされる ようになってきたのでしょう。
とりあえず、 感情の機能=情報処理モードの切り替え という作業仮説を立てて見たいと思います。
(^^)
104 :
没個性化されたレス↓ :03/01/07 01:54
シャッフルに抗してあげておく。
とはいえ、本当にモードの切り替えなんてことが 起こってるんでしょうかね。「荒いが速いモード」と 「遅いが正確なモード」ぐらいはあるでしょうが (それでもNNレベルでどうなってるか分かりませんが) 喜怒哀楽だけでも4通りのモードがある勘定になるので 本当のところはよく分からないですね。
構成主義的な、感情の主観的分析による分類をどこまで認めるかがまず問題ですが
主観的分析による分類と、モードの変化(とかなんとか)が 対応していればいいんですけどね。 ま、モードの変化があるためには、複数のモードが存在する 必要があるわけで、それなりに複雑な情報処理システムが 存在することが必要条件かもしれません。 プラナリアの神経節に、通常モードと緊急モードがあるの かしらん。ナメクジウオまでいくとあるのかも。
>構成主義的な、感情の主観的分析による分類 確かに。 質問ですが、感情は生理学や脳科学ではどのように説明されてるんですか? アドレナリン→恐怖、ノルアドレナリン→怒り、セロトニン→不安 を引き起こすそうなので、恐怖、怒り、不安は分けてもよいのかな? (本当か?) いや、自分で調べて来ます……(スマソ。
このスレに質問して返事がくるかな? ver.1で、どなたか、メイザーの学習心理の本を紹介してくださったのですが、 著者の英字スペルを教えていただけないでしょうか?
あ、そっちの方に載ってたんですか。 どうもありがとうございます。
初学者や、行動主義に馴染みのない人にはつらい、という指摘は当たっていると思う。 私は通読はしておらず、専らトピカルな話題に関する参照文献として使っていまふ。
さて
社会規範の進化というのは、間接的な証拠しか 残らない厄介なテーマなので、具体的な研究は あまり進んでいません。 ただ、規範が維持される条件というのはかなり きついことが知られているので(もっと正確に いうと、きついという事しかまだ解明されてい ないのですが)、規範があるとすればそれは こんな場合だったろうというタイプの議論は ある程度可能です。
>116
人間の性行動の心理学スレで出た仮説の話ですね。
とりあえずそのスレより、抜粋します。
_______________________________
357 :没個性化されたレス↓ :03/01/11 21:56
>>355 >自分の子供(血縁度1/2)を育てるほうが有利である
これが何故、有利なのですか。また、女に貞操を強いた時代でもないのに
どうして、男は生まれてきた子が自分の子だと知り得たのですか?
358 :177 :03/01/11 22:09
>>357 いい質問ですね。ペア外交尾が生じればその子の血縁度は0です。
ここでペア外交尾の確率を50%とすれば、子供血縁度の期待値は
ちょうど1/4となります。
したがって、ペア外交尾の確率が50%以下(自分の子である確率が
50%以上)であれば、叔父叔母ではなくて父親が世話をする方が
有利になります。
例えばどこかに、アイルランドではペア外交尾率20%とかいう
データが書いてありましたが、これだと上の条件を満たします。
360 :177 :03/01/11 22:16
逆にいうと、ペア外交尾率を50%以下に抑えることが
パターナルケア(したがってペア型繁殖システムそのもの)
が進化するため必要条件となります。
この原人の社会ではこの条件を満たすことが困難(群れ内に
複数のオスがいる条件でメスをキープすることが困難)っぽい
ので、新人の編み出したマジック(社会規範という奴ですが)
がペア型繁殖システムの進化に必要だったのは、と私は
推測しています。
サンクスです。 この場合は、「ペア外交尾するなかれ」という規範が 存在していれば良い、という話ですが、おそらく この手の個別の規範は、規範一般が成立してから 成立したものと思われます。
十戒では「汝姦淫するなかれ」とされてますね。 既に古くから、乱婚型(free sex)を禁じる思想があったという事と、 逆に禁じなければならないような乱婚型繁殖があったという事になるのでしょうか。
通常のオスの戦略は、なるべく多くのメスと交尾して子を増やすことです。 ペアシステム化では、なるべく多くのペア外交尾をして、他のオスに自分の 子を育てさせるのが有効な戦略です。
規範維持の3つの至近メカニズムは、前スレにも どこかに書きましたが 1 規範の内面化 2 サンクションシステムの成立 3 条件付応報戦略の採用 です。 ただし、いずれも進化的には不安定なシステムです。
1 規範の内面化 − 倫理 2 サンクションシステムの成立 − そのまんま罰。 3 条件付応報戦略の採用 − 好子による条件づけ(しかし個体レベルでない?) という事でつか?
条件付応報戦略は、「自分だけ決まりを守るのは馬鹿馬鹿しいけど 皆が守ってるんだったら、まあいいっか」という戦略です。
なるほど・・ どうもです。 雄にとっては、ペア型システム化のメリットは生まれた子への投資やの養育ですよね? (生まれても、無事成人させられなければ、意味がない) 雌や雌の親族(おじ・おば)で十分育成できるのであれば 雄にとっては乱婚型の方が有利な気がするのですが・・ 社会規範は雌だけでは育てられない厳しい環境の地域でより発展したり、 社会規範を作ったのが雌であったという話はあるのでしょうか。
>>119 「道徳性」あるいは「社会規範」を、「〜はしない」という
「具体的な行動のリスト」として捉えることは適切ではない。
ブラシー(Blasi,A.1987)によれば、道徳性は道徳に対する
行為者の特別な観点(行為者が持っている行為と場面に
ついての知識や認知)から成り立っているという。
キリスト教圏でも、実際には十戒より聖書のほうが重要だし。
規範の内面化とか道徳性の発達とかいうものも、
学派ごとにいろんな見解があってなかなかややこしいんだよな。
ついでに……これがジェンダー論と絡んで厄介なところだけど、
男性と女性では異なる道徳性を持つ(Gilligan,C.1982)なんて
考え方もあるんだよなあ。多分、浮気に関する考え方、
具体的には「なぜ浮気をしないか、なぜ浮気はいけないか」
なんてのは、男女間でかなり認識のズレがあるんじゃないかと思うが。
とりあえずコールバーグの道徳性発達段階理論。
ttp://www.urban.ne.jp/home/awamura5/doutoku.htm 「認知能力」と「役割取得能力」があれば道徳は獲得できる、
つまり、ヒトは(おそらく大脳の発達によって)道徳に対する
学習的可塑性を獲得した生き物であるというのが
進化心理学的にコールバーグを読み替えて得られる結論かと。
で、「姦通をしない」という具体的な一つの行動に関しても、
「すると相手が怒るからしない」→「相手にもされると困るからしない」→
「よい夫婦関係を保つためにしない」→「不品行なことはしない」→
「自分は浮気などしない人間である」→「それは人としていけないことだ」
といった具合に個人の道徳性の発達が起こってくるわけだが。
ミームとしての「姦通の禁止という規範」が必要になってくるのは
この三番目の「他者への同調」以降で、第一、第二段階においては、
「浮気をすることによる不利益」つまり何がしかの嫌子があれば、
それ自体が「浮気の防止」になるということになる。
もっともスキナーもいうように、嫌子に頼る道徳教育は脆いが。
つーか、「生存上、どちらを選択するのが有利であるか」 などということを考えた上で「ある行動をしない」という選択をする、 などという「社会規範」は、コールバーグに言わせれば、 非常に「未発達」な道徳発達段階にあるわけなんだよねぇ。 有利だろうが何だろうが、「正しいから正しい」、 「そうしなければならないからそうする」、 こうでなければ道徳性というものは機能しない。 これはもう完全に哲学上の問題に突入せざるを得ない話だけど。
規範維持の至近メカニズムだけど、人間は、時には、人によっては、 罰もなければ、他の人間が誰も守っていない状況にあっても あくまで自分の中の「正しい行い」を守り通す、ということもある。 より正確には、「そのようにさえなることができるほど、道徳という 『ヒトの機能』の学習的可塑性は開かれている」ということができる。 そのようになったことの究極要因がどこかにあるというより これは「脳の発達」に付随して現れた様々な「二次的特徴」の一つだと思う。 個体にとって有利とは限らないけど、そこはハンディキャップ原理ということで。
……ってハンディキャップ原理って、性淘汰以外では使わないのか? 現生人類は体が小さくなってフィジカルスペックが下がったんで その点では先祖よりむしろ生存に不利になったけど、頭がよくなって いろんな道具を使えるようになったから勝ち残った、というのと 同様の文脈で、脳みそが発達したら道徳性などという 時には余分ですらあるものが身に付いてしまったけど、 その分悪賢くもなったからトントンなんだ、という話。 ただ、その「余分な」道徳的可塑性が、何らかのミーム、 生態学的に有利であるところの文化と結びつくと 非常に強力な「武器」になることもあったんじゃないかと空想してみる。
姦通から大分話がずれたけど
>>121 基本はもちろんそうなんだけど、リスクも考慮すべきかと。
全てのオス・メスがペアを組んでいる集団の中で、
オスがペア外交尾を行なったと発覚した場合、
嫉妬というIRMが獲得されている種では原則的に
浮気相手の亭主の攻撃行動が解発されることとなる。
現代でもよくある話だが場合によっては殺されてしまうこともある。
これもよくある話だがそうでなくても闘争の泥沼化は必至だ。
発覚の可能性、闘争における有利不利など、非常に多くの
因子が絡み合うので、リスクの数値化は困難であるが。
群内の「私闘による」殺人行為を規制するための社会規範は
おそらく最も古い段階に出現した道徳ミームだろうから、
「殺し合いになりそうなことは一通り禁止する」ということで
姦通の「原則的な」禁止というルールが生まれたのかもしれない。
メスにとっても、「それ以降のパターナルケアを得られなくなる」
というリスクが加えられる可能性もある。これは社会規範の進化と
絡むので微妙なところではあるが、今日的には非常にありがちだ。
また、これは私有財産制などの出現が前提となるが、
メスが何がしかの社会的資力を持つようになれば、つまりは
母系性社会であれば、「ペア外交尾を行なったオスを追い出す」
という選択肢を握るようになり、これもオスのリスクとなる。
これもまた現代でも以下略。
要するに、バレなきゃいいんだけどね。身も蓋もないことを言えば。
では、ペア外交尾のリスクがゼロになる、つまり全てのオスが なるべく多くのペア外交尾を行なうように振舞うとどうなるかというと、 これは事実上乱婚型社会への逆戻りを意味する。 その条件下では、適切なパターナルケアはもはや維持されえない。 結局のところ、公然たるペア外交尾はペアシステムを必然的に崩壊させる。 そこで結局最終的に残るのは、80%の浮気しない人々と、 20%の隠れてやる人々の均衡状態ということなんだろう。 分かりきったことだけど、ペア・システムそれ自体が オスにとってはどう転んでも不利な条件でしかあり得ないんだが、 パターナルケアの必要性はあくまでもそれを要請する。 ここにヒトという生き物の抱えるジレンマがある。 もっとも性行動スレでも紹介したように、文化人類学的には、 けっこうそういう社会も残ってんじゃないかって話だが、それはそれ。
メスの社会的資力の問題は、なにも私有財産やら、 母系性社会である必然性はないかもしれない。 男女の職業的役割分化が成立しており、「メスにはできるが オスにはできないこと」の中で、オスにとって必要不可欠であり、 なおかつ「原則として配偶者のメスからオスに与えられるもの」 が何かしらあれば、オスにとっても、ペアを破綻させることは不利となる。 ジェンダー論的にいうならば 「アダムが耕し、イヴが紡ぎしとき誰が主であったか」ということだし、 現代的な文脈でいうならば 「誰が食わせてやってると思ってるんだ!」 「なによアンタ自分じゃ料理一つ作れないくせに!」 となる。
コールバーグ流の道徳発達論の順番でいけば 1 サンクションシステムへの反応 2 条件付応報戦略の採用 3 規範の内面化 という順番で道徳性が高まる、ことになるでしょう。 ただ、コールバーグの議論は、個体の発達過程から 考えだされたものなので、系統発生の順番がこの通りか というと、そうでない可能性もあります。
ゲーム論的には 規範の内面化 = 無条件C戦略の採用 条件付応報戦略 = 条件付C戦略 サンクションシステム = 制裁戦略の採用 となります。 ここで、C戦略とは2人囚人のジレンマゲーム(2者PD) やN人囚人のジレンマゲーム(NPD)における協力戦略 のことで、そうでない戦略は非協力戦略(D戦略)と通常 呼ばれます。
>>134-135 別の場で、積もり積もったお話ができれば良いですね(W
とりわけ、135->134の流れに関して。
>「道徳性」あるいは「社会規範」を、「〜はしない」という >「具体的な行動のリスト」として捉えることは適切ではない。 なるほど…。 納得です。 「浮気をすることによる不利益」により、何かの行動が増えるわけではなく、 浮気をしないという「浮気の防止」という事であれば、 嫌子というより罰になるかもしれません。 (罰-不適応な行動を直接的に抑制しよう、あるいは除法しようとして その不適応行動の生起に対して嫌悪刺激を提示する技法) しかし、「浮気をすることによる不利益」を罰として提示するには、 浮気が発覚したこと後、罰が与える事になるので、 結局「浮気するなかれ」という規範の内面化には繋がりません。 仰るとおり「バレなきゃいい」という話になってしまう・・。 >ペア外交尾率を50%以下に抑えることがパターナルケア >(したがってペア型繁殖システムそのもの)が進化するため必要条件 であり、そのペア外交尾率を抑えるために社会規範が発生した という仮説を立てた場合には、「〜なかれ」というリストは 道徳性でなくても、社会規範に捉えてはいけないのでしょうか? 社会規範の発生当初から大多数のコンセンサスがあったのか、 それとも群の強者が「ダメなものはダメ」と言い、流布したのか、 分かりませんが……。 十戒→聖書の流れも、十戒でまずはダメなものはダメといい、 それを内面化する聖書が出てきた訳で・・。 それともモーゼの十戒は、聖書が後づけで書いた伝説なのでしょうか。
>140 おお。。 >人間の場合はこの強化前遅延は問題ではないことが多い。 人間の場合は、遅延した結果(随伴性)であってもルールがあれば制御できる (この場合は、浮気したら後でマズイ事になるよ〜という因果関係が 明らかに分かっている場合、統御できる) という事ですね。。 なるほどでつ。 浮気のような生理的欲求(即時強化)と ルールを破った事がばれた時もたらされる嫌子を秤に掛けた場合、 「バレなければ分からない」ので十分な嫌子として確立していないので、 世に浮気は絶えんのでしょうか……(汗。 「後で大変なことになりまっせ〜」という回避随伴性に加えて、 「これは人としてイケナイ事なんだ」という罪や恥などの道徳があると 浮気という行動が消失する確立が高いという事でしょうか。 となると、 「道徳」「倫理」が「社会規範」によるルール行動支配を補強すべく発生し、 北朝鮮なでの恐怖政治体制でない限り、 倫理や道徳として社会規範が内面化される為には、 その社会規範が適応的である事が必要条件になりますでしょうか。
>>140 それはまだ、段階2→段階3までの話に過ぎないと思う。
なにより、罰的制度に拘りすぎている。コールバーグのいう
段階4においては、やはり遵法行動の内在的強化が鍵だろう。
ここで重要なのは、それは「善行に対するご褒美」なだけでなく、
既に獲得された罰的制度の段階を踏まえた上での発達だということ。
段階5以降では遵法行動に極めて強固な消去抵抗がかかるわけだが、
実際の行為選択場面に複雑な認知的価値判断が絡むんで、
行動面だけから理解するのは難しいかと。
>>141 >浮気のような生理的欲求(即時強化)と
>ルールを破った事がばれた時もたらされる嫌子を秤に掛けた場合、
>「バレなければ分からない」ので十分な嫌子として確立していないので、
>世に浮気は絶えんのでしょうか……(汗。
そう。で、その具体的な嫌子の「重大性」と「確実性」の2つが重要要素。
そのいずれも大したことが無いのに行動が制御されているのなら
「罪の意識」を喚起する「ルール」が内面化されているというわけで。
とはいっても、この話はあくまで理論的なもので、ぶっちゃけた
ことを言ってしまうとトートロジーみたいなものなんだけどね。
どのくらいなら「重大」かつ「確実」といえるんだ?という問題もあるし。
実験的検証もほとんど不可能。実際上でも、社会は法などによる
具体的なサンクションをより「重大」かつ「確実」なものにすることで
反社会的な行動を抑えている。規範の内面化の人為的な技術が
あるとすれば、それは洗脳だしなあ。
ただ、たとえ実験の出来ない現象においても、実証的裏づけを
もった行動原理を用いて推論を行うことは、そうでない推論よりは
いくらか妥当性があるだろうという立場を採用しているだけ。
で、個人的にはこの「言語的ルールが喚起する不安による行動の制御」の
神経学的裏づけ、なんて夢を見てみたり。
>倫理や道徳として社会規範が内面化される為には、 >その社会規範が適応的である事が必要条件になりますでしょうか。 究極的にはそうだろうけれど、至近的には親や友人など、規範を内面化させようと 迫ってくるエージェントや、その状況に対する認知的要因が重要だと思う。 認知的要因、なって言っちゃったけど、よりミクロには、過去の強化履歴や 相互作用、あるいは情動的反応って意味ね。親子の確執があるのなら親が 提示する道徳規範には従わないだろうし、逆もまたしかり。 究極的見地から言うと、歴史上、どの社会や文化もそれぞれの環境に適した 社会規範を発達させてきた。リベラルな趨勢が起こる中でそれらを一旦 放棄しようとしているアメリカや、昨今の日本において、今度はどのような 新たな社会規範が適応的なものとして形成されていくかが見所かな。
>>138 神学は俺にも専門外だが……
律法主義のユダヤ教と、それを批判するキリスト教を混同しないほうがいい。
そもそも、キリスト教においては、人間は信仰によって義とされるのであり、
律法によって義とされることはない。
律法は人間に罪の自覚を促すための鏡のようなもの (ロマ3/20)
「義人はいない、一人もいない」 (ロマ3/10)
全ての人間はアダムの後孫である限り等しく生まれながらの罪人である (ロマ5/12)
罪人である全人類は皆等しく、罪の代価として”死”を払わなければならない (ロマ6/23)
律法は信仰によって義とされるために私達をキリストに連れていく養育掛 (ガラテヤ3/24)
律法主義から個人の信仰への変遷という流れは、
古代インド宗教史における、バラモン教と仏教の関係にアナロジーを見ることもできる。
もっとも、大衆を教化するには分かりやすい「行動のリスト」を作ったほうがいいというのは、
マヌ法典を擁したヒンドゥ教が圧倒的多数を制したことからも伺えるが。
>>142 >段階4においては、やはり遵法行動の内在的強化が鍵だろう。
確かに道徳的規範には「〜するのは背徳」というものだけでなく、
「〜するのは素晴らしいこと」というものもあるなあ。
>実際の行為選択場面に複雑な認知的価値判断が絡むんで、
>行動面だけから理解するのは難しいかと。
これも同意。個人的には認知心理学や社会心理学の理論による説明と、
行動理論による説明はマクロかミクロかの違いだととらえています。
場合に応じて使い分ければいいだけのこと。
大局的な理解には認知的理論を用い、より詳細な検討が必要なときには
それを刺激と反応に解剖して、それらの機能的関係を見ることが必要。
>>143 法的な罰則の強化が本当に反社会的行動への「全体的な」
抑止力になるのかどうかは、死刑存廃論と絡んで、
いろんな議論があるけどねぇ。統計とったやつもいるが、
それもそれで突っ込まれてたりするし。
とりあえずこの間の飲酒運転の厳罰化は身内では効果絶大でつ。
そりゃあ、「飲酒運転」への正の強化が弱いからじゃないかな。 浮気したい、人殺したいという欲求に比べれば、積極的に 「酒を飲んで車運転したい」などと思うやつは普通いないだろう。 行為自体に衝動的な強い動機付けがかかる場合には、 認知的判断基準としての道徳をすっとばして脱法行為は起こる。 これを回避するには、良心という名の「内在的な罰」が それに拮抗して食い止めるだけの強さを持たなければならない。 ……などと精神力動的アプローチを試みる実験。 結局、コールバーグ的にいえば、それは「罰回避と従順志向」 による未発達な道徳性であって、脱法行為への「弱い抵抗力」しかない。 飲酒運転やタバコのポイ捨てのような軽犯罪に対しては有効であっても、 犯人にとって得るところが大きい重大犯罪になればなるほど、逆に無力化すると。
良いメンバーが揃ってますので、 これまでにない分析ができるかも しれませんね。
今夜はこちらに顔出す予定でしたが、明日に延期しまつ。
道徳の話はジェンダースレにまで飛び火したわけだが 結局のところ、スレが何本もあっても、どこ行ってもほとんど 同じメンバーで議論している以上、話は似通わざるをえない罠
>>144 究極的見地から言うと、歴史上、どの社会や文化もそれぞれの
環境に適した社会規範を発達させてきた。
今後のことを考えるならば、「現象としてこうであった」という
だけでは不十分で、「今後ともそうなる保証はあるのか」を
考える必要があります。そも、「環境に適した社会規範が発達する」
メカニズムは何なのでしょうか?
>>137 私は複雑系の本は「取り扱い注意」に分類しています。
アマゾンの書評を読む限り、「眉につばをつけながら読むと
それなりに得るところのある本」ではないかと思われます。
読まれたら、感想などお聞かせください。
>>143 「サンクションの過大評価」が規範の内面化を
引き起こす、一つの道筋だと思いますが、それと
「罪の意識」にはまだ距離があるように思います。
「悪いことしたな」という内観の発生は、行動分析学
的にはどう解釈できる(そもそも扱えるのか、という
問題もありますが)のでしょうか?
こないだの「ロボットの心」の最終章は「クオリアと善悪」というんだが、 倫理的判断のプリミティヴな原点は好き嫌いの感情であり、 「正義感」「使命感」「罪悪感」「背徳感」などは全て独自のクオリアである、 という説が提示されている。これらのクオリアは、外的世界の物理的性質 には対応していないわけだが、かわりに「内部状態をモニターする 認知状態の性質から生じ」るのだと。
「私は<自然な感情>が倫理的判断の正体だとは思わないが、 それなしにはわれわれはそもそも道徳的行動など取るはずもない、 と一部の倫理学者は言うだろう。いずれにせよ、この場合も、 われわれを道徳的行動へともたらしているのは、<好き嫌い> もしくはそれに由来する何らかのクオリアの機能である。」
>>154 ありがとうございます。やはり複雑系は眉唾ですか。
進化心理学にも竹内氏がいるのと同じように・・・
>>155 >>156 そういうことです。ルール支配性行動になります。そこでは
法律も道徳も宗教的教義も全て随伴性を記述したルールであり、
「正義感」「使命感」「罪悪感」「背徳感」といった、正の強化なり
負の強化なりによって行動を制御する機能を持ったクオリアを
喚起するという役割を果たしていることになります。
それらはもともと具体的な賞賛やサンクションに単に付随して起こっている
だけだったが、その性質上、環境の変化に先行して起こることも可能なため、
やがてそれのみでも行動を制御できるようになったということでしょう。
「罪悪感」や「背徳感」は逃避や回避によって、
「正義感」や「使命感」は正の強化によって行動を制御している。
で、それに対する動機付けとして「ルール」が必要なわけで。
では価値を内面化させるにはどんな「ルール」の記述や提示が 効果的なのか、って話になると当然それは並大抵のことではない。 だから行動分析の介入や、政府による行動の制御は具体的な 報酬やサンクションに頼ることになるし、効果も確実。 もしも、だけど、内面化による行動の確実な予測と制御が可能になる ことがあれば、それは心理学がある側面で役割を終えたことになるし、 独裁者に悪用されることをなんとしても防ぐシステムが不可欠になる。 「ルール」を変容させる試みとしては、認知行動療法の 徹底的行動主義版ともいえる手法(Acceptance and Commitment Therapy) もあるけど、それもまだなかなか。
>>160 それこそ洗脳とマインドコントロールの話になると思うが
関係ないけど、ファシズムは、独裁者がやるものとは限らないよ。
「価値の内面化」については、基本となる三つの考え方がある。 最初に登場したのはフロイトの精神分析理論。文化的な規範や 価値は、5〜6歳頃、エディプス・コンプレックスの解消とともに、 両親との同一視の過程を通して超自我の中に形成されるとする。 次が社会的学習理論。社会規範は罰と報酬を通じて学習されるとする。 そして、ピアジェの認知発達理論。道徳性の発達は、道徳的問題について 適切に理性的に考える一連の発達段階を経て生じるとし、環境刺激による 受動的な道徳性の発達ではなく、環境との相互作用を経て、まあ要するに 自分の頭で考えながら道徳を身につけることが重要だとしたのが特色。 まあ、発生的認識論のピアジェらしい発想ではある。
>>153 あたりの話で……
いわゆる道徳っぽい道徳の話だと厄介なので、
もうちょっと分かりやすい次元の社会規範で。
ユダヤ教には、反芻し、且つ蹄の割れている動物
以外の肉は食べてはならないという戒律がある。
ハリスの「食と文化の謎」によれば、当時の環境的要請から
食べるべきではなかったある動物を食べてはならないという
戒律を、あまり下世話な表現にならないように言い表した
ユダヤ教の名もなき立法者の苦心のあとなのだというが、
この戒律は本来的な意義を喪失してなおも守り続けられている。
同種のことは、イスラム教やヒンドゥ教などにも広く見受けられる。
ハリス自身、ある文化が「適応的であったがために成立した」という
自分の考え方は、必ずしも「それが現時点においても適応的である」
ということを意味するわけではないことは認めている。
では、食糧事情が変化したなら、それに対応して規範は変容しうるか?
これは、少なくとも容易なことではありえないだろう。
とくに明文化された律法であれば、それがた易く変革可能であることは
その律法それ自体のもつ支配力を損なわざるを得ない。
国法ならまだしも、宗教的戒律であればなおのことだ。
ある宗教的規範が権威性を失い、あらたな宗教的規範が生まれるときは、
かつて宗教改革の際に見られたような、大規模な騒乱の過程を経るか、
全く新しい宗教の出現という形を取らざるを得ないのではあるまいか。
>>154 複雑系が眉唾と言うより,何でもかんでも複雑系に結び付けようとする試みが眉唾かな.
複雑系そのものは非常に面白いパラダイムだと思うけど,それをビジネスだとか人間心理だとか,
そこらへんに当てはめるのは時期尚早だと思うな.
/*「じゃあ,いつになったら良いんだよ」と言う質問は却下.だってわかんないんだもん*/
どうせなら,変に加工されたものでなくて複雑系の入門書を読むほうが面白いと思う.
>164 入門書でも数式がごちゃごちゃ出てきたりして、文系にはつらい事が多いんですわ、これが。
次にサンクションついてですが、 サンクションを与える行動は、 いかにして獲得されるのでしょうか?
「斉一性の圧力」(pressure toward uniformity)と言ってみる実験
>164+137 R. Axelrod著、ということなので、嘘は書いてないだろうとは思います。 ただ、177さんやxyzも書いてるように、「複雑系」という言葉は、 「微分方程式」と同じレベルの概念。一方、我々が関心を持っているのは、 「それらの理論用語を使って記述される個別の現象」。 個別の現象を分析していく中で、必要とされて始めて、持ち出されるべき「モノ」 のはず。 だから、その本が、「さまざまな現象」を丁寧に分析しているものならば、読む価値は あるかも知れません。amazon.co.jpではなく、amazon.comの方では、イントロや章立てを 画像ファイルでダウンロードできるので、そちらを見たら?
道徳性一般に関するサンクションは二通りに分かれると思う。 一つは、個人的制裁。ルールに従わない奴がリンチにあったり、 親から子への教育場面などで用いられるもの。 制裁というオペラント行動に、相手の望ましくない行動の減少などが 強化子として随伴すれば、その行動が獲得されることになるだろう。 もう一つは、社会的制裁。集団規範に基づく制裁が、「私刑」でなく 社会的罰として機能するには、集団意思決定場面を経ることが必要だ。 今でいえば裁判がこれにあたるわけだが、今日に残る小部族社会でも 長老などが議長的立場に立って集団で裁定を行なう風習は見られる。 古くから、これと似た「犯罪者の処遇決定」システムは生まれていたものかと。 遅くとも新人出現時点で、おそらく集団の挙動というものは今日の グループダイナミクス研究で見出されているのと大差ない特徴を備えていたろう。 というかそもそも、その頃有用であった集団行動性が今に残存していると言うべきか。 そもそも集団には、集団規範や価値基準を形成し、規範から外れるものが 出現したときには同調圧力を加えるという機能がもとより備わっているわけで。
サンクションは生文法と不文法に分けられる。 法律(刑法、民法、行政法)と、共同体のルール。 後者は日本の場合だとご指摘通り恥によるサンクションが機能する傾向あり。 ルース・ベネディクト 菊と刀より だから罪と恥のクオリア絡みの話になりそうでつ(汗。
生文法が出現するのは、ずっと後代の話だからなぁ。 ハンムラビ法典でさえ、成立後たかだか四千年と経ってない。 なによりもまず、文字が発明されないことにはどうしようもないし。 どうでもいいが、ハンムラビ法典のいうことは実に分かりやすい。 「水で薄めたビールを売ったものは、自分のビール樽で溺死させられねばならない」とか。
>相手の望ましくない行動の減少などが強化子として随伴すれば、 その行動が獲得されることになるだろう。 行動分析学では、行動の「コスト」というのは どのように扱われるのでしょう? ある行動にかける 「手間暇」と、その行動の「成果」がどうであるときに 行動が獲得される(獲得されない)ことが知られて いるのでしょう? サンクションをかけることの「手間暇」 と「成果」のバランスは、おおむね「成果」の方に 偏っているのでしょうか? >>そもそも集団には、規範から外れるものが出現したときには 同調圧力を加えるという機能がもとより備わっているわけで。 それは規範出現後の話で、「そもそも」備わっていたもの ではないと思われます。
>それは規範出現後の話で、「そもそも」備わっていたもの >ではないと思われます。 それは「規範の出現」なる現象をどのように捉えるかだと思う。 規範の本質は、「〜はしないようにしましょう」という集団合意ではなく、 「集団成員の行動に関する知識的枠組みおよび判断基準」が、 ある程度共通した形で集団成員の中に獲得されていることにある。 つまり、相互作用を持った集団が生まれたその瞬間に「ある種の」規範は発生する。 この規範は平常意識されることはあまりない。規範から逸脱した人間が 出現したときに初めて、規範の存在と内容は意識される。 規範の獲得はヒトに特有の「生物学的」能力であり、規範に反する存在を 感知した際になんらかの「不快」情動を喚起され、それに対する是正を 動機付けられるのも、生得的な要素が組み合わさって生じた機能だろう。 これが集団圧力を発生させる。つまり、集団があるところ規範もあるし、 規範があるところ制裁もある。これらがヒトの社会的動物としての 生物学的特長によって支えられている「社会の基本的な構造」である。 この背景となるのは、感情を生起させた状況での認知が 生起する感情の質を決めるという「認知的な感情理論」なわけだが。 もちろん、明示化され、ミームとして継承される「法」もあるが、 明示化された生文法が真に必要になるのは、社会そのものが複雑化し、 集団内の個々の相互作用場面での評価を一致させるのが難しくなったときだろう。 ハンムラビ法典も、あきらかに貨幣経済の出現を前提としたテクストを持ったものだ。
規範進化の究極要因については、大体目星はついているので もっぱら至近メカニズムの話をしようと思っているのですが >規範に反する存在を感知した際になんらかの「不快」情動を喚起 されるのは生得的な性質であって、学習によって獲得された ものではない、というふうな知見は得られているのでしょうか? 何か、そういうデータがあるのであればご教示頂きたいところです。 (お礼は究極要因についての情報でw)
うーん。 社会規範を守らせる為にサンクションを与える主体は固体ではなく集団かも。 専制君主や洗脳者等は除外。。 倫理学ではサンクションは、外的サンクション(法、宗教等の教条、共同体のルール〔村八分などにより統御〕)と、内的サンクションに分けられ、 内的サンクションは更に誇りを基盤としたサンクション(罪)と良心を基盤としたサンクション(恥)に分かれる。 社会心理学のミルグラムの服従実験を信じれば 集団に反する内的サンクションは弱化する傾向があるようです。 それとは別に行動厨さんの言語統制(略の夢見てみたり・・に期待♪
>>176 生得的であるということは学習によって獲得されるということと背反する、
という見方自体ここでは捨て置くべき古いドグマだと思うわけですが。
俺がしているのは、学習能力そのものも生得的な能力の一部だ、という話。
規範は学習される。なにが「規範に反する」存在であると見なされるかは、
個体の学習歴によって千変万化する。
ただし、その個体が属する集団の、その個体が規範であると認めるところの
(このへんは、集団そのものの凝集性、個人のもつ成員性の程度なども絡む)
規範に反するものがそこにいるという認識は、ある一定の情動を喚起する。
ある一定の認知的刺激状況はある一定の情動反応を喚起する、という
基本的な考え方は、生得と学習の輻輳と相互作用を包括するものだ。
もちろん学習はある一定の刺激状況に対する情動反応を変化させうるが、
その時には、もはや「ある一定の認知」のほうが損なわれていることになる。
>>生得的であるということは学習によって獲得されるということと背反する わけでは無いので、わざわざ限定詞がつけてあります。 「学習によって獲得されたものではない」生得的な性質 なのかどうかをまず知りたいのです。 さもないのであれば、いかなる環境刺激が 「規範に反するものがそこにいるという認識が喚起するある一定の情動」 を解発するのか知りたいですね。 >>集団に反する内的サンクション とは何でしょう?
>「学習によって獲得されたものではない」生得的な性質 というのが無条件反射のことであれば、んなわきゃーないかと 認知的な感情理論には、大きくわけて ・感情全般を対象として、感情生起にかかわる一般的な 認知評価次元を特定することを目指したもの(Ortony et al.,1988, Roseman, 1984 ; Roseman et al.,1996 ; Scherer,1984; Smith & Ellsworth 1985) ・特定の形態の認知に焦点を当てているもの(Lazarus et al., 1980;Weiner,1985) の二通りがある。 前者の理論はたとえば、「自己の行動と規範との一致」という評価次元が 恥、罪悪感という感情の生起と連合している、とか、もっと基本的には 生起した結果の「望ましさ」が快・不快と連合しているとかいうことがいわれる。 美学の話をしたときに出てきた、「美しいのは望ましいから」と同工異曲だろう。 これにもとづいて、EllsworthとSmith(1988ab)は、特定の認知評価のもとで 生起する感情が、その評価認知を生じさせる状況において、適応的な 行動を動機付けるのであれば、認知評価と感情との関係が適応的妥当性を持つ、と主張してる。 たとえば、「他者の不当な行為が望ましくない結果をもたらした」という認知評価は 怒りを生起させ、攻撃行動を動機付けると。 集団斉一性において生じた攻撃行動そのものを扱った研究はちと手元の資料からは見つからないが。
集団に反する内的サンクションというのは、 上のほうで出てきたルール支配性行動における 罪悪感などの不の強化刺激のことかと。 集団に反するというのは、ある行為、たとえば「戦場で敵を殺す」 ということは軍隊という集団の中の規範では推奨されるけど、 個人のもつ「いかなる殺人行為もまかりならん」という道徳 (あるいは、より大きな準拠集団に属する集団規範)に反しても、 服従の影響によって前者の規範が優先されがちであると。
なるほど、コールバーグの研究に対応するような 発達的研究というのは、まだ無いようですね。 >>「自己の行動と規範との一致」という評価次元が 恥、罪悪感という感情の生起と連合 するのは、強化学習によっては説明しにくそうな 現象ではあります。
それこそが、保守的な行動主義者がルール支配性行動に反撥する由縁かと思われ 認知パラダイムに片足突っ込んだ考え方だもんな、どう考えても。
先行研究リサーチが一応すんだところで、 あとはこの場で考えてみましょう。 まず「規範に反する行動に対する不快感」と いうのは何歳ごろから見られる現象なんでしょうね。
そいつぁちょっと専門外だ。 ドナえもーん! とはいえ、個人的な経験からいわしてもらえば、 少なくとも幼稚園に通っていたころには 「いーけないんだーいけないんだー、せーんせーにーゆーたーろー」 というアレは集団行動として確立されていたわけだが。
確かにそんな気がw 規範意識半分、個人攻撃半分では あったような肝。ドナさんは今いずこ??
ああいった幼児的な規範意識ってのは、 コールバーグでいえば「罰回避と従順」志向だろうな。 損得勘定もなければ良い子志向もなく、単に 「先生に叱責される」ことへの恐れだけがそこにはある。 それ以前の段階では、罰と報酬としての規範すらまだない。
>>集団に反する内的サンクション
言葉足らずですみません。
ロボ氏の
>>181 のご説明の通りの意味でした。
で、私はゲーム理論も全然分かってないので……(汗。
内的サンクションと集団の利害が不一致の場合、
内的サンクション(嫌子)が「重大」かつ「確実」でなくなる
事があるという話ですた。
>146
>大局的な理解には認知的理論を用い、より詳細な検討が必要なときには
>それを刺激と反応に解剖して、それらの機能的関係を見ることが必要。
なるほどでつ。
ところで自分突っ込み>言語統制ってなんだらう?(汗
>「言語的ルールが喚起する不安による行動の制御」の神経学的裏づけ、
>なんて夢を見てみたり。
ですた。
fMRIで脳をスキャンしながら実験するのでしょうか・・?
>>188 は時間差レスになってしまいました。
>「規範に反する行動に対する不快感」
は、もうすぐ3歳の甥の成長をみる限りでは(汗、
まだ「俺が法だ」状態なので、
「自分の欲求に反する行動をに対する不快感」しか観察できていません。
「これはここに置くんでしょ。」とルールを教えると、
「これはあっちに置くんでしょ」とルールを置き換えてしまいます。
ド、ドナ先生はいないのでしょうか・・・。
俺も「ロボはこないのか」とやられた経験が何度かあるから分かるが、 見てもいない時間帯に登場を期待されても困るものだ。生暖かく待て。
逆に,ちゃんと仕事をして,たまに書き込むサイクルなのに 「お前はこの板に張り付いてるのか」と言われることもある. ままならぬものよ. #なんか心理学的に説明できそうだが. とりあえず,「ドナを待ちながら」状態でつか.
>191 タイミングが良い時と喜ぶべきところなのに…でつね。 苦し紛れに教育心理学要論(有斐閣双書)を持ち出してみたり…(汗。 ヴィアジェによれば、年少の子供は規則じゃ他律的なものと考えているらしい。 なので、「規範に反する行動に対する不快感」があるとすれば、 それは、単にルール破り」だからという話になりそうです。 道徳的判断の発達というところで、多分皆様ご存知のヴィアジェの小話が…。 A)知らずに開けたドアが当たってコップを15コ割った場合と、 B)盗み食いをしようとしてコップを1個割った場合、 どっちが悪いか? と子供に聞いてみると・・ ・年少の子供 「Aがより悪い」 - 結果の重大さのみに注目する。 ・8〜9歳 「Bがより悪い」 - 結果よりも動機、意図を考慮する。 結果による判断から、 意図、動機(内的情報)に基づく判断へと発達的に変化する。 道徳を持つ条件として、その主体が、自他の区別、他者についての推論 などの能力を持つことが必要という事になるんでせうか。
コールバーグの理論の柱の一つでもある「役割取得能力」のめざめだな、それは。
>>192 いずれにせよ、「悪い」という概念は
存在してるわけですね。その「年少」と
いうのは何歳くらいですか?
お約束通り、話をしてみます。 ・予告編 「罰の内面化」を促進する外的構造として何があるのか、 ロボが少し書いてますが、その議論はしません。むしろ、 「規範遵守行動」の近接要因に関して、これまでとは違った データを出します。 結果的には、ここまでで語られてきたのは、違う「ストーリー」が 提示されます。 個人的には、ここで語っていく「90年代以降の認知発達研究+ 神経科学的な道徳推論研究」の組み合わせから見えてくるモノが、 行動分析から見た場合、どのように解釈されうるのか、に関心が あります。
>194
それが、その本には、年少の子供とだけで、年齢が書いてないんです・・。
ただ、コールバーグ理論は分かりませんが、
>>193 でロボ氏が出された
「役割」という言葉を使って、
セルマン(Selman, R.L., 1974)という人も下記の通り説明してます。
子供にジレンマを含む対人場面を示し、面接により登場人物のその後の行動や理由
などを尋ねて、どの反応を分類sることにより、役割取得の発達が
次のような段階をなすことを示した。
レベル0(自己中心的役割取得)
レベル1(主観的役割取得)
レベル2(自己内省的役割取得)
レベル3(相互的役割取得)
<上記役割取得能力の発達>
4歳 6歳 8歳 10歳
レベル1 80% 10 0 0
レベル2 20 90 40 20
レベル3 0 0 50 60
レベル4 0 0 10 20
・出発点 回り道ですが、こんな研究から出発します。 認知発達研究によれば、子供は比較的小さいころから、「規範(norm)」と 「慣習(convention)」の区別をつけることができるそうです。前者は、 「権威者が破っても良いと指示しても、破ってはならないルール」、 後者は、「権威者が破っても良いと指示すれば、破っても良いルール」として、 区別しているそうです。ま、大人が定義するように。 ・区別できない人々=サイコパス ところが、その後の研究で、大人であってもこの2つの区別をできない (違いが理解できない)人々がいることが分かった。それがサイコパス。 とりあえず、定義としては、経済学が想定するような「利己的人間」と 考えてください。 つまり、人目がなければ何でもやるが、「ここで〜をすると罰を受ける。 それは自分の利益にならない」と認識すると、普通の人と同様に、 協力的に振る舞うことができる。
・サイコパスは何が違う? 神経科学的研究によれば、サイコパスと通常の人間との一番の違いは、 「共感(sympathy)」がない点。つまり、目の前でネガティブな体験を している人を見ると、通常の人間は、自動的に「ネガティブな感情」が 生起するのに、サイコパスにはそれが全く生じない。 いわば、感情的に、社会からdisconnectされた人々。 ・なぜサイコパスは規範と慣習の区別がつかない? ここで、新たな研究によって、次のことが明らかになりました。 通常の人間が「規範=破ってはならないルール」と認識するのは、 「ルールを破った時に不利益を被る人間」が「どんな感情を抱くのか」 を想像するから。規範が破られた場合には、慣習が破られた場合に 比べて、より激しく「被害者が感じるであろう負の感情」が内的に 喚起されるから。 #ここでは、規範とは「殺人、強盗」などが例になります。が、文化によって 「規範」と認識されるものが異なる場合もあるそうです。 ともあれ、サイコパスは、「被害者に対して共感しない」が故に、規範も慣習も 同じように認識しているのだそうですよ。
>>196 に補足でした・・・・。
レベル0(自己中心的役割取得)
他人の感情を表面的には理解するが、自分の感情と混同することも多い。
同じ状況でも他の人と自分では違った見方をすることもあることに気づかない。
レベル1(主観的役割取得)
人々は情報や状況が違えば、違った感情や考え方をすることには気づくが、
他の人の視点に立てない。
レベル2(自己内省的役割取得)
自分自身の思考や感情を内省できる。
他の人が自分の思考や感情についてどう見るかを予想したりもできる。
レベル3(相互的役割取得)
第三者の立場を考えることができる。 人は互いに相手の考え方や
感情を推測しあって相互交渉をもっていることがわかる。
>>195 はさんでしまいスミマセン〜。
異常心理学は個人差心理学でもあるわけで、 と行動分析学とでは水の合いにくい同士だと思うがなぁ。
・ポイント 「感情」です。言い換えれば、通常の人間は、たとえ人目がなくても、 ある種のルールを破ることに対して「感情的なストッパー」がかかる。 もう一つ、注意すべき点。 こうした「感情的なストッパー」によって生まれる「協力的/道徳的行動」は、 「それを破ると、外部から罰を受けた」ために、獲得されたものでは ないだろう、という点です。 むしろ、「罰を受けたから、協力的行動を学ぶ」というのは、サイコパスが、 「協力的行動」を、「合理的な行動」として獲得することと関連しているのでしょう。 もちろん、一人の人間の内部に、両方のシステムが実装されているはずだとは、思います。 また、「規範の学習」において、学習が全く関連していない訳もありません。だって、 文化によって、同じルールが「規範」、あるいは「慣習」として認識されているのだから。 故に。 >異常心理学は個人差心理学でもあるわけで、 と行動分析学とでは水の合いにくい同士だと思うがなぁ。 ではない。だって、これまでの話は、あくまで導入に過ぎない。 ここから示唆されるのは、「道徳的行動をトリガーするメカニズムには 2つあるのだろう。通常の人間の場合には、両方が存在することが示唆される」のだから。
さて。
以上の話を、
>>135 の図式にあてはめると....と思ったら、ちょっと電話が
かかってきたので、後ほど。
相変わらず、あんたは、たいしたこともない話を吹聴するのが上手だねえ
お話が難しすぎて,ドナわかんない(笑
というか,先だっての講義でも,うちの学生には無駄(わからないであろうと)思い,
コールバーグ,セルマン,チュリエルあたりの話は割愛したという罠.
で,さすがに100近くまでたまった未読レスを読む気がないので,
ざっと目を通しただけで,無責任レス.ご叱責願うなり.
>>192 のピアジェの道徳性発達って,年少が,3〜4歳ではなかったかな?
>>184 >まず「規範に反する行動に対する不快感」と
>いうのは何歳ごろから見られる現象なんでしょうね。
>>197 にもあるように,「規範」や「慣習」なんてぇことを考えたりすると,
なかなか難しいようにも思われ.
参考になりそうなのはチュリエルかなぁ.
自宅にはいっさい文献を置かない主義にて,詳細は後日にさせていただきたく(と,書いてバックレ.
どもども、ありがとうございます。 「第2水準」のメカニズムについて、 実証研究が進んでいるようですね。 続きをお願いします。
>>203 個人的にはたいしたことない話とは思わないのだが,
もってまわったいいまわし故,ドナには理解できぬことが多く....
てゆーか,ちと読み返したところ,ドナの出番ではないと思われ.
>>204 チュリエルという人は道徳性の発達について
研究している人ですか? ぐぐってみても何もヒット
しませんですた。
ちなみに、通常の強化学習以外の学習メカニズムを 勝手に「第2水準」と私は呼んでいます。規範関連の話は 通常の進化プロセスで働くものと究極要因が異なってます ので、至近メカニズムも違っているのではないか、と前から 予測してるんですが、なかなかそういう視点からの研究は ないんですよね。
>>207 「規範を破る人に対する不快感」というのは
何歳頃から見られるのか、お聞きしたいのですが。
>203 so what? で、話を戻すと、道徳推論&判断において、2つのメカニズム =「感情的なストッパー」を、「合理的計算」の2つが関連していることは、 コールバーグのモラル・ジレンマを解いてる最中の脳活動をfMRIで 観察した研究などからも支持されている。また、公共財問題に関する 実験研究でも「インセンティブや他者からのモニタリングに敏感に反応して 行動を変える日和見主義者」と、「それらに反応せず一貫して協力行動を とり続ける協力的人間」が存在していることも知られている。 ・問題 「合理的計算」に基づく話は良いでしょう。それは「環境構造=罰を 受ける確率×罰の大きさと、非協力から得られる利益の関数」によって、 「協力行動」が学習されるだろう、というお話。 問題は、そうじゃない方です。 上の方で、行動厨さんは「規範の内面化&罪の意識」が、「環境からの 学習」によって獲得されている可能性がある、と書いていた。しかし、 これまでの話を集めてみると、「規範を遵守する/規範逸脱に対する 罪の意識」は、学習によって獲得する類のものではない、可能性が 存在している。 これは、行動分析では、いかにあつかわれるのでしょうか?
>177さん で、第2水準のメカニズムについては、やっぱりsympathyや、 自動的な感情移入、というメカニズムが注目集めてますね。 神経科学でも、比較認知科学でも。 問題は、進化ゲーム理論の文脈で、この「近接要因」の「究極要因」を どうやって提供するか、という問題。やっぱり、R.H.Frankの話 =オデッセウスの鎖になるんでしょうかねぇ?
>>212 究極要因の方は、見当がつきつつあります。
詳しくは懇親会のときにでもw
>詳しくは懇親会のときにでもw あ、多分行かないです。 今夏のスウェーデンでの学会に行かれます? 一つ質問です。 「罰を与えること」の究極要因は目処が立っていますか?
も一つ。 「罰を与えること」の近接要因については、 詳しいことはまだ分かりません。 発達の文脈ではドナ師の返事をお待ちあれ。
>>206 違ったデータとか違うストーリーとかいうから何が出るのかと思ったら、
俺でも知ってるような基本的な話が出てきたから拍子抜けしただけです
俺が道徳性は脳の機能の一部であるという立場に立つ以上、
欠損事例としての反社会性人格障害を考慮するのは、基本。
行動厨が
>>146 で言っているように、ここにある違いは、
同じストーリーを描写する視点の違いであるに過ぎない。
ここまでの議論を塗り替えるような意味合いは持ってはいない。
だから、その意味においては、たいしたことはない。
むしろ、ここまでの議論をさらに補完する役割において重要なのだが。
行動分析学がそれ自体で道徳性を説明しきることができないのは当然だ。
そもそも、罪の意識などという仮説概念を排して構築されるパラダイムなんだから。
>>146 のような考え方を認める限り、別にだからどうだというものでもない。
行動分析学は道具だ。使えるところで便利に使えればそれでいい。
>>209 「通常の強化学習以外の学習メカニズム」にもいろいろあるので、
第二水準なるもののもうちょっと操作的な定義をひとつお願いしたく。
ケーラーの洞察学習理論、または「認知的学習」とかあのへんの話?
役割取得やら共感性やら感情移入やらは問題解決場面での
認知的学習とは別系統の機能だろうとは思うけど。
しばらく来れないだけで置いてけぼりをくらってしまうなあ。とりあえず・・・
>>174 >行動分析学では、行動の「コスト」というのはどのように扱われるのでしょう?
>ある行動にかける「手間暇」と、その行動の「成果」がどうであるときに
>行動が獲得される(獲得されない)ことが知られているのでしょう?
これは行動経済学の文脈で検証されています。カーネマンのそれとは異なり、
経済学の概念を行動分析に援用したものです。
そこでは強化子は「財」に、強化子を得るために必要な手間暇は「価格」に、
一定時間内に獲得可能な強化子の量は「所得」に置き換えられます。
価格はスキナー箱で言えば、餌を1個得るのに必要なレバー押しの数、となります。
物価が上がれば消費を抑えるのと同様、要求反応数の増加は強化率を下げます。
商品の価格の変化に対する需要の変動率を経済学で弾力性といいますが、 強化子の弾力性を検証した実験があります。例えば、2つのレバーがあって、 片方を押すと餌が、もう片方を押すと脳内電気刺激(強化子)が得られるという状況。 脳内電気刺激のほうの要求反応数を上げると、すぐにレバーを押さなくなるのに対し、 餌のほうの要求反応数はいくら上げても、それに比例して反応も増えていきます。 餌は生きていくうえで必要なものだから、弾力性が強いのは当然なわけです。 贅沢品は高ければ買わないけれど、生活必需品はそうは行きません。 このような強化子の「価格」と反応の関係を、需要曲線や労働曲線を 用いて記述なり分析なりする試みが最近J of Exp. Ana.などで盛んなわけです。 そこでは強化子の“価値”は絶対的なものではなく、他の強化子との 関係できまる文脈的なものだとか。 検索してみたらこんなのもあった。具体的な実験が紹介されてます。 www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member/hase/yh-seminar/2001/Shiraishi_10614.html www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member/hase/yh-seminar/2001/Shiraishi_10628.html
>>181 >>182 複数の選択肢からとるべき行動を選ぶのも選択、
ある行動をするかしないかを決めるのも選択。
相反する価値や規範の中からどれをとるかというのは、
行動経済学が扱う、強化子同士の相互関係や選択行動の延長線上に
あるのではないか、と。道のりは果てしなく遠いけど・・・
ですが、これはルール支配性行動論者とは折り合いが悪い。 動物ならともかく、人間は、他人に与えられたり自分で生成したりした ルールによって多くの行動が制御されているのだから、そのような 計量的なアプローチは少なくとも人間には意味が無い、と。 一方で計量的アプローチ論者は「うーん、バーバルビヘービアー。あれは危険だ。」 なんていっているそうです。半ば冗談だろうけど。 ルール支配性行動が認知パラダイムに片足突っ込んだもの、というのも言いえて妙。 何せ行動論的認知分析(behavioral cognitive analysis)なんて言葉もあるw
>>188 >>「言語的ルールが喚起する不安による行動の制御」の神経学的裏づけ、
>>なんて夢を見てみたり。
>ですた。
>fMRIで脳をスキャンしながら実験するのでしょうか・・?
生理学は興味はあるとはいえ、訓練を受けているわけではないのでわかんない。
でも例えばレスポンデント条件付けの生理的機構なんてのは既に研究されて
いると思う。「正義感」や「罪悪感」というクオリアはレスポンデント的な情動反応(CS)
だろうから、そういう文脈で研究が出来るんじゃないかなーと思いまして。
そっち方面に詳しい神経屋さんでも来てくれればいいんだけど。
ただ一言補足しておくと、そのような還元的な説明はあくまで補足的なもので、
行動分析学の本領としてはあくまで環境に目を向けるべき。道徳の話で言えば、
例えばマザーテレサが貧しい人に施しを授けるのも、単に「使命感」と言ってしまう
だけではだめ。一義的には、相手の安らいだ顔や言葉が行動内在的な強化子に
なっていると考えるべき。誰も見ていないのに万引きをしない、というケースでは
「罪というクオリア」に言及していいと思う。
>>201 >こうした「感情的なストッパー」によって生まれる「協力的/道徳的行動」は、
>「それを破ると、外部から罰を受けた」ために、獲得されたものでは
>ないだろう、という点です。
そのとおりです。
>>211 とも関連するけれど、人間の場合、
行動には随伴性によって直接獲得されるものと、
言語的な「ルール」の提示によって間接的に獲得されるものがあります。
これが人間と動物の決定的な違い。勉強にしても訓練にしても、
試行錯誤によって多大な時間を費やさずとも、「こうこうこうすればいいんだよ」とか
「これしちゃダメ、あれしちゃダメ」と言われるだけで適切な行動が可能になる。
>>222 摘出されたなにかの神経細胞にオペラント
条件付けを施すことに成功した研究がある、
なんていう話を前に誰かがしてたな。
っていうか
>>221 「強化子の価値の文脈」こそはつまり文化であって、
ルール支配性行動論における「ルール」も、ハリスの
「文化のもつ適応価」という概念をあてはめれば
ルールのもつ経済性というのが出てくるわけで、
究極的には同じところに辿り着くと思うわけですが。
各パラダイムが持つ、個々の命題についてはさておき、
どのようなアプローチを使っても、検証過程に誤りがなければ
「ある側面からの」正しい回答には辿り着けると思うんだよね。
そもそも、みんな、人間を扱う、心理学なんだから。
そういう意味では進化心理学はちょっと違うが。
>>214 レギュレーターモデルで一応目処は立っています。
リミッター付の支配行動(搾取行動)がサンクションの
起源ではないかと思われます。
>>219 >>223 多謝です。
>>試行錯誤によって多大な時間を費やさずとも、「こうこうこうすればいいんだよ」とか
「これしちゃダメ、あれしちゃダメ」と言われるだけで適切な行動が可能になる。
というのも、第2水準の一形態でしょう。これは言われた内容にかかわらず
刷り込まれてしまうのか、内容によって刷り込まれやすい事柄とそうでない
事柄があるのでしょうか?
>>217 「第2水準」は理論的な概念なので、具体的なメカニズムに
何が対応するのかはまだよく分かりません。
まず、自分の適応度を上げる行動をポジ、下げる行動をネガに
評価する評価関数を用いる学習アルゴリズム(いわゆる通常の
強化学習)は、進化生物学的には特に不思議のない学習アルゴ
リズムです。これを第1水準の学習アルゴリズムと呼んでいます。
人間に限らず、動物一般が実装しているアルゴリズムです。
第2水準は、そうではないアルゴリズム、特に自分の 適応度を下げるが、他の(複数)個体の適応度を上げる 行動をポジ、自分の適応度を上げるが、他の(複数) 個体の適応度を下げる行動をネガと評価する評価関数 を用いる学習アルゴリズムの総称として私が勝手に用いて いる概念です。「sympathyや、自動的な感情移入」 「洞察学習理論、役割取得やら共感性やら感情移入」と いうのが多分それにあたります。 これは通常の淘汰圧のもとでは進化しないという点で 「不思議な」学習アルゴリズムです。おそらく群淘汰のような 淘汰圧を仮定しないと進化できないので、動物一般に流布 しているということはなくって、新人出現時に第1水準の アルゴリズムに外付けされたのではないかと想像しています。
229 :
没個性化されたレス↓ :03/01/15 13:43
>>224 http://yasai.2ch.net/psycho/kako/968/968940023.html 53 名前: 47 投稿日: 2000/09/25(月) 15:32
例えば、ラットの海馬から神経細胞を1つ取り出して、3回発火するたびに
ドーパミンを与えるようにすると、発火頻度が増える。ドーパミンを与える
のを止めると発火頻度は減少。発火と無関係にドーパミンを与えても発火頻
度はほとんど増えない。論文は以下の通り。
Stein L, Xue BG, Belluzzi JD.
In vitro reinforcement of hippocampal bursting:
A search for Skinner's atoms of behavior.
J Exp Anal Behav. 1994 Mar;61(2):155-68.
Xue BG, Belluzzi JD, Stein L. Related Articles
In vitro reinforcement of hippocampal bursting
by the cannabinoid receptor agonist (-)-CP-55,940.
Brain Res. 1993 Oct 29;626(1-2):272-7.
Stein L, Xue BG, Belluzzi JD
A cellular analogue of operant conditioning.
J Exp Anal Behav. 1993 Jul;60(1):41-53.
>229 ビアジェの間違い。 その他タイピングエラー多すぎでもうだめぼ。
>>210 >「規範を破る人に対する不快感」というのは
>何歳頃から見られるのか、お聞きしたいのですが。
「知らない」と一言言えばよかったのにぃ.
自尊心が邪魔をしてごまかそうとしたら,喰らいつかれてドナ困っちゃうぅ.
というか,別スレにも書いたが,この辺のことはよく理解できていないドナなのでつ.
DQS振りを更に発揮しちゃうと,上記の問いに示唆を与える研究ってあるのかしら?と.
道徳性発達の文脈では,規範・規則の認知と行動メカニズムに焦点があたっているし,
感情発達では,ブリッジズに見られるような表出の分化が扱われているようだし.
個人的には,社会心理学における「社会的認知」の発達になると思ったりもするんだが,その辺はロボの方が詳しいだろうし,
唐沢さんの本にも古畑さんの本にも見当たらなかった.
ということで,チュリエルについて教科書から転載してみる.
チュリエルはまず道徳領域と社会的慣習領域と個人領域に区別した.
道徳領域:規則がない状態においても善悪判断が可能な行為
慣習領域:社会的状況に相対的な行為
個人領域:個人の自由になる行為
そして,上記のうち慣習理解の発達段階について,
「慣習領域は社会的状況に相対的なものであるから,慣習概念は社会的相互作用の内容に
大きく依存することになる.そして,自分のもつ慣習概念よりも一段階上の見方に触れることによって
調節され,発達がなされるものと考えられたのである」
そして,慣習理解の発達を,「行動上の一様性を描写したもの」とする水準から
「具体的な期待や規則が随伴するもの」とする水準へ.そして,次に
「社会システムによって媒介されたもの(社会的規範)」ととらえる水準や,
それを否定したりする水準を経て,
「社会的相互作用を調整するもの」ととらえる水準に至るものとして想定している.
ということで,やっぱり微妙にスレ違いという罠.
>>208 「turiel moral development」で検索してみてくだしゃいばん.
ちなみに発達系における道徳性の話を押さえるのなら, 日本道徳性心理学研究会(編)「道徳性の発達」北大路書房 を見ていただくと良いのではないかと. あちきは貧乏人ゆえ,まだ入手してないナリ.
ロボ> 君、私のことを「心理学者」と考えない方が良いよ。 「なんでコイツ、俺達と同じ心理学者のくせに、当たり前のことを ベラベラ書いてるんだ」という意識が先に立ち、君が「気づいていない 重要な部分」を見逃してるから。 同じようだけれど微妙に違うネタが、実は、かなり大きな違いを 生み出しているのだから(↓その例)
行動厨さん>
>そのとおりです。
>>211 とも関連するけれど、人間の場合、
行動には随伴性によって直接獲得されるものと、
言語的な「ルール」の提示によって間接的に獲得されるものがあります。
しかしですね。「他者が苦しみの表情を浮かべているのを観察すると、
同様の苦しみの情動経験が"自動的に"生じる=sympathy」というのは、
幼少時から見られる反応です。
少なくとも「他者が苦しんでいたら、同じような気持ちを持たなくちゃ
ダメだよ」と「教示される」ことで獲得される、というデータはないし、
それも考えにくい。
#「役割取得=他者の立場になって考える」能力が発達する以前に、
sympathyという生理現象が存在すること、また、役割取得能力の
発達は、他者の情動経験を直接観察できないケースにまでsympathy
という現象を拡大させるが、そもそもsypmathyの能力がないと、役割
取得の能力を持っていても、愛他的な行動は生じない(サイコパスの例)
などを考えてください。とにかく、コアとなっているのは「幼少時から
持っている自動的な反応」という点です。
つまり、「コアとなるsympathy」は、そもそも「強化学習/教示/観察学習/
洞察学習のいずれによっても獲得されえない」可能性の方が高い。
ここがポイントです。
俺もそう思う。 so what?
行動厨さん(&ロボ;もし聞く耳を持つならば)> もちろん、「ルール学習/強化学習のいずれも、協力的行動を獲得できない」 とは言ってません。 強化学習は、サイコパスが「協力的行動」を獲得する上で用いているでしょうし、 通常の人間も、それを用いているはずです。「んなことやっても、割に合わないから 協力しない/割に合うから協力する」 もちろん、直接「報酬/罰」を経験せずとも、他者の経験を観察して、あるいは、 状況を冷静に分析し、洞察的に「ここでは協力する方が得だ」と、学習することも あるでしょう。 さらに、「こういう場面では協力しなくちゃダメよ」と言われて、協力行動を 獲得することもあるでしょう。 これらの可能性が全て排除された場合のお話なんです。177さんが第2水準と呼び、 私が「感情的なストッパー=sympathy」と呼んでいるのは。
sympathyが無条件反射なら、道徳性はレスポデント学習かもな。
というのは冗談としても
>>227 その場合レスポデント学習の位置付けはどこに?
>>239 冗談じゃなくても、まじめな話なの。そいつは。
>>240 ついでに書いておくと、進化的視点/神経科学的視点を持つ人たちの間で
一番関心を持たれているのが、「じゃあ
>>239 の図式を当てはめた場合、
役割取得の能力は、道徳性の発達とどう関連しているのか?」という問題。
ドナも書いてたけれど、役割取得は「道徳性の発達」において、極めて
重要な先行原因であるとされているが(by コールバーグ)、そうではない
可能性が示されている。
これは、道徳発達に関心を持つ倫理学者にとっても大きな問題と
なっており、神経科学者/哲学者/一部の発達心理学者を巻き込んだ
議論になってるの。
そもそも、役割取得と、条件反射としてのsympathyを、 それぞれ独立した次元で捉える必然性はどこに? 道徳性の発達には役割取得能力が必要条件であり、役割取得能力を 獲得するためには、sympathyという生理的メカニズムが必要条件である。 あるいは、役割取得能力における不可欠な構成要素である、ともできる。 机上の空論だが、どこかに論理的な瑕疵はあるか?
論理ではなくて、実証的な瑕疵があるのでしょうね。 190さんの書きぶりから察するに。
ところで、本筋と関係ないし、俺もあまり詳しくはないが…… サイコパス、反社会性人格障害者を「利己的人間」と捉えるのは 適切な理解ではない。 反社会性人格障害者の特徴で古くから知られていたのが、 「回避学習ができない」ということ。通常、人間でもラットでも 電気ショックなどの罰を与えられる場面を回避しようとするが、 彼らはそのような学習場面を与えても、罰を回避するようになれない。 ところが報酬のほうは理解できるので、正の強化は可能。 ここからまあいろんな研究が出てきたんだけど、結局落ち着いたのが、 精神病質者は覚醒のレベルが低いため情動的反応が小さく、 不安を感じられず、罰を予測して避けることができないという話。
>>243 反証可能性に開かれた議論をしているつもりなので、
どのようなデータが俺の論考のどの部分への反証となるのか、
分かりやすく説明していただけると助かるわけですが
少なくとも、理解している範囲だと、190氏の紹介している話も含めて、
ほぼ全ての研究が一つの総合仮説に向かって収斂できるんだけど。
少なくとも俺の心的現実に於いては。
で、反社会性人格障害者は、自分の痛みすら理解できないんだから、
そりゃ他人の痛みを共感するなんてことも無理だろう。
以下は
>>198 の話に矛盾なく繋がっていく。
>242 「道徳性」の定義による。 「直接相手の行動を観察できない場面」=「相手がおかれた 状況下で相手は何を感じているのか?」を想像する能力が必要。しかし、 sympathyがないと、相手を想像するだけで愛他的行動は生じない。 「相手が直接目の前にいて苦境に陥ってる場面」=sympathyだけで 愛他的行動が生じる。このレベルでの愛他的行動&sympathyの存在は、 チンプや他のサルでも、実験的に確認されている。 故に、役割取得ができなくても、ある種の道徳性は存在しうるが、 sympathyがないと、全ての道徳性が存在し得ない。 閑話及第: ただし、この場合、「相手と同じ苦痛を感じる」→「相手を助けて 自分の苦痛を和らげる」という話であるとも受け取れるため、 「そんなの真の道徳性ではない!」と主張する哲学者もいる。 が、これはそもそも「道徳性」の定義に関する哲学的テーマである ため、侃々諤々の論争あり。
>244-245 それは間違い。特に >で、反社会性人格障害者は、自分の痛みすら理解できないんだから、 の部分が。 ダマジオとBecharaの研究によって分かったのは、彼らは「失敗したときには 負の感情が喚起される」点では、通常の人間と同じ。 しかし、それを「蓄積」していくことができない。 通常の人間は、学習の結果、「負の結果を生み出すかもしれない行動」を 取る直前(注意!行動する前!!)に、非常に強い負の感情体験をする。 彼らはこれを「pre hunch」と呼ぶ。 つまり、学習の結果、そうした行動を取らせないようになる、ということ。 サイコパスが回避学習をできない、というのは、このpre hunchを形成できない、 ということであり、「自らの痛みを理解できない」ということではない。
で、
>>244-245 の「全体が」間違っていると主張する気なら、
特に問題のある「理解できない」という言葉一つではなく、
全体についてひとつづつ詳細な説明を願いたいところだが。
>「直接相手の行動を観察できない場面」=「相手がおかれた 状況下で相手は何を感じているのか?」を想像する能力 というのは、NPD回避に役立ちそうなアビリティではありますね。 2者PDというよりも。
は? いつ「理解できない」と? 書いたじゃない。ちゃんと。 >精神病質者は覚醒のレベルが低いため情動的反応が小さく、 不安を感じられず、罰を予測して避けることができないという話。 情動反応を2つに分けよ。事前と事後と。事後は正常だが、 事前が異常だ、と。 もっと細かく言えば、 「覚醒のレベルが低いため情動的反応が小さく不安を感じられず」 も、間違い。 覚醒レベルの話ではなく、そもそも、生理的反応のレベルで 「行動前に生起する情動反応」がない。故に、覚醒レベルとは 関係ない。 覚醒レベル云々の細かな話にこだわるならば、Becharaのその後の 研究を参照。 #そもそも君が突っかかっていたのは、sympathyと役割取得が 道徳性とどう関係しているのか、ではないのかい?
>>251 >NPD回避に役立ちそうなアビリティではありますね。
2者PDというよりも。
と考え始めると、こんどは制度派経済学が射程に入って参ります。
>>239 レスポデント学習は因果ないし相関情報獲得の機能を
持ちますので、第1水準システムの一部(通常の意味で適応的)
だと思われます。ただし、若干モディファイされて第2水準
システムで使いまわされている可能性は高そうです。
>>253 制度派経済学というより、NPD回避システム(=第2水準システム)
の重要な一環として進化したのではないでしょうか。
ところで、イルカは人間が漂流していると それを助けて陸地まで送り届けることがあるという話があるが ソースがないかと検索したらこんなのがかかった p119.1)「動物の利他行動とその疑問点 ……利他行動 すなわち他者の利益のための行動 ……利己の逆ですが…… 一見して自分の利益にならない→」 (p119.2)「→それどころか自分が損をするにもかかわらず 他者を助ける行動…… 人間の間では そう珍しいことではないのかもしれません→」 (p119.3)「→博愛主義・愛他精神などと言われておりますが これが実は人間だけのことではない→」 (p122.1)「→〜……以上鳥やけものの例でわかるように 外敵から子を守る親は珍しくないとしても イルカやゾウの群れの中には明らかに→」 (p122.2)「→「助産婦」あるいは「看護する者」が存在し また群れ全体の安全のため自らの身を危険にさらすといった例は他の種でもいくつか報告→」 (p122.3)「→されております ならば今度は昆虫に目を向けてみましょう アリやハチ 例えばミツバチなどは 外敵が現れますと一匹一匹がその身を→」 (p122.4)「→犠牲にしてまで巣を守ろうとします 考える脳をもたないような昆虫までが なぜこうした英雄的とも言える行動をとるのか……→」 (p122.5)「→こないだまではこれらが「種」を守るための「本能」であると言われてきました……がどうもそうではない→」
(p122.6)「→「本能」かもしれないが「種」を守るためではないらしい そう言わしめる代表的な事例が…… 「子殺し」であります→」 (p124.1)「→〜自分の子どもではないにしても同じ種内での子殺しはライオンやサルばかりか 昆虫の世界にも存在します なぜ同種の子どもを殺して→」 (p124.2)「→しまうのか 最近よく言われているのが「利己的遺伝子」説であります つまりあらゆる動物の肉体は 遺伝子のあやつり人形である→」 (p124.3)「→「種」ではなく「自分」さらに「自分の遺伝子を受けつぐ子孫たち」こそ大事なのだ-という→」(※この場面、パラサイトの子?!が描写) (p124.4)「→この説を広げていくと実は あらゆる利他行動 すなわち群れの仲間に対する思いやりや家族愛 夫婦愛ひいては母性愛すら説明→」 (p124.5)「→がついてしまう つまりそんなものは存在しないということなのです もちろんこの説にも疑問点はあります それは自分の遺伝子と→」 (p124.6)「→まったくかかわりのない他者を助ける……それどころか「種」すら違う相手を保護するという 動物たちの事例がやはりいくつもある→」 (p124.7)「→からなのです→」(※この場面、メモをとるパラサイト田村玲子と、授業を聞いていない人間の大学生が対照的に描かれている気もする) (p124.8)「→さらに複雑極まりない人間の意識そのものが この説にあてはまりきるのかということ ……してみると人間が行っている環境保護や→ (p124.9)「→自然保護活動など 「利他」なのか「利己」なのか考えてみるのも面白いかもしれませんね」
そうだけど、他でも聞いたことがあるのよ。 マンガ家が自分の体験談として書いてたり。 沖に流されて困ってたら、イルカが回りに集まってきて、 沖のほうへ向かって泳ぎ始めた、だとか。 作り話なのかもしれないし、勘違いなのかもしれん。 俺にはよくわからん。
おれはちっぽけな…1匹の人間だ せいぜい小さな家族を守る程度の… …ごめんよ きみは悪くなんかない… でも…ごめんよ…
>>263 沖 に 向 か っ て 泳 い で ど う す る
陸に向かって。
>>264 理論的にはリーフイーターの悲劇になるか
競争的共存になるか、どちらかだと思われます。
>>266 ところで「リーフイーターの悲劇」の詳細キボンヌ
霊長類の祖先(原猿)は昆虫や花を主食にしていました。 植物が葉に化学物質を蓄積して被食を避ける戦略をとって いたため、巨大なバイオマスである「葉」を彼らは利用 することができなかったのです。 ところが、やがて真猿の中に胃を複数化して成葉に蓄え られている毒性化学物質を無毒化できるものが現れました (ラングールの類)。彼らは彼女らは熱帯雨林の葉を主食 としたのでリーフイーターと呼ばれました。
リーフイーターは、無尽蔵の食料資源を獲得して大いに 繁栄しました。ところが、葉を食べられることは光合成の 手段を奪われる植物側には致命的で、生育がストップ、 あるいは枯死するおそれがあります。 ここからは仮想的な話になりますが、リーフイーターが 葉を食い尽くして共倒れになる可能性があります。 これがリーフイーターの悲劇です。
>>269 >>270 「花とライオン」という絵本を思い出しますた。
うろ覚えなんですけど。
ライオンは動物の王様で、あまりに強すぎる為に他の動物は
近づいてきません。 近寄ればライオンが食べてしまうからです。
だからライオンはいつも独りぼっちでした。
ライオンは泣きました。 その傍らに花が咲いていました。
花はライオンに話し掛けます。
「ライオンさん、なんで泣いているのですか?」
花はライオンを恐れません。 ライオンと花はだんだん仲良くなりました。
もうライオンは泣きません。
何日か経ち、ライオンはだんだんお腹が空いてきました。
花はいいます。「お腹が空いたのなら、私を食べてください」
ライオンは花を食べました。
ライオンは独りぼっちになりました。
ライオンは泣きました。
これは
>>269 >>270 の話とは報酬は違うけれども
子供に
>>269 >>270 を回避する行動を
道徳的に自然に刷り込まれてしまうような絵本だった気がしますた。
いや、素朴にこの本好きだったんですが。
別に、食料を食い尽くして共倒れになることと、独りぼっちということは
全然同価じゃないんだど・・ごめんちゃい。
竹内久美子本にも載ってたとは知りませんですた。 ライオンはこの絵本の中では擬人化されてるので、 ピラミット型食物連鎖の頂点ではありまへんですた。 話がそれてスマソ。。
つーか、リーフイーターの悲劇ってのは、つまり 過剰な捕食能力が被捕食対象を絶滅に追い込むってモデルか。 アイヌ人の自然信仰とか、狩猟採集に近い生活文化圏では 「獲物を取り過ぎないこと」を不文律にするものが多いけど、 それもこれを防ぐためのものなわけだな。
つまりあれだな 祭りのしすぎで厨房がいなくなり、 コテハンがいなくなった心理学板。 実際には厨房の供給量はほぼ無限だし、 他のエサにも食いつくから平気だけど。
微分方程式をちゃんと立てて解くと 被食捕食のダイナミクスは、パラメーターと 初期値によって、競争的共存に収束するか リャプノフ安定点の周りで振動するか 原点に収束(=共倒れ)かのいずれかになります。 この共倒れの場合が「リーフイーターの悲劇」に 該当します。
いや、絵本というのは巧妙に幼少の子供にもモラルを植え付けるというつもりですた。 幼少の子供にでも理解できる水準の、独りぼっちという恐怖を提示し、 利己的な行動を回避するよう動機づけられた訳で。 この手の教育的な絵本は無数にありモラルは学習によるもんでないかと素朴に思うので、 190氏の反証例もマターリ待つのですた。
やれやれ。
>その話はもうええちゅーに
それより、
>>245 のどこがどう間違ってると?
サイコパスも、通常の人間も、自分が殴られれば「痛み」を感じる。
サイコパスは、他人が殴られているのを見たとき、「痛み」を感じないが、
通常の人間は自動的に感じる。
>そもそも、役割取得と、条件反射としてのsympathyを、
それぞれ独立した次元で捉える必然性はどこに?
共感に関する研究では、別の次元/部位として抽出されている。
行動レベルでも、脳のレベルでも。
>道徳性の発達には役割取得能力が必要条件であり、役割取得能力を
獲得するためには、sympathyという生理的メカニズムが必要条件である。
あるいは、役割取得能力における不可欠な構成要素である、ともできる。
>>247 >机上の空論だが、どこかに論理的な瑕疵はあるか?
あった。他に聞きたいことは?
なお、これ以上、sympathyと役割取得の関係に関して疑問があるならば、
以下の論文(Preston & de Waal, 2002)を読んでからにしてください。
非研究者にはこんなやり方はしませんが。
ttp://www.bbsonline.org/Preprints/Preston/Referees/
( ´Д`)/ <
>>279 ひぜうに面白そうでつね!
愛他的行動の発現において道徳性発達は必要条件ではない。
道徳性発達には愛他的行動の発現以外の要素が含まれる。
道徳性発達においてsympathyは必要条件である。
sympathyと役割取得能力は、別の次元/部位として抽出される。
以上を踏まえて、
・sympathyは役割取得能力の必要条件である。
・役割取得能力は道徳性発達の必要条件である。
という命題を立てると、これをもっとも確実に反証できるのは、
sympathyを持たない人間に役割取得能力が出現するという事実だ。
役割取得能力抜きでsympathyが出現するのは当たり前だし、
それが愛他的行動を引き起こすことも矛盾を生じない。それが
>>256 。
で、そういうデータはあるの?
横レス失礼.
>>214 >ドナも書いてたけれど
そう書いていたのはロボです.
ドナにはコールバーグだろうが,セルマンだろうが,アイゼンバーグだろうが,
それがなにをやっているのかよくわからんのでつ.
では,続きを.
>>226 >これは言われた内容にかかわらず刷り込まれてしまうのか、
>内容によって刷り込まれやすい事柄とそうでない事柄があるのでしょうか?
上でちょっと書いた、「重大性」と「確実性」が鍵になります。
「ルール」とは「行動随伴性を言語的に記述した刺激」であり、
これによって数時間後、あるいは数年後にもたらされる結果によっても
行動を制御することが出来るようになります。(逆に言えば、通常の
随伴性支配では「重大性」と「確実性」に加えて「即時性」も重要。)
例えば「この薬を飲むとちょっと体調を崩すかもしれない」というルールよりも、
「この薬を飲むと100%死に至る」というルールのほうが行動を制御しやすくなります。
どのくらい重大なのか、どのくらい確実なのかをより具体的に記述することも大切。
ただし、これはあくまで「ルール」の内容に関する話。 実際には、記述された重大性と確実性に対する主観的判断や、 「ルール」を提示するエージェントに対する感情なども絡んでくるでしょう。 そのへんの学習履歴も考慮する必要があると。 あと、これは道徳性とは離れますが、教育工学的に従いやすい「ルール」もあります。 単に「茶色の抵抗器は1Ω」と言われるよりも、「茶色→1セント硬貨→1Ω」と 言われたほうが「覚えやすい=行動を制御しやすくなる」、という風に。 これはmediationと呼ばれる手法で、他にもいろんな原理原則がありますが、 これに関しては認知工学や認知科学のほうでもいろいろ議論されているでしょう。 (余談だけど「茶色の抵抗器は1Ω」というのは厳密には「ルール」ではなく「タクト」。 「タクト」というのは事物および現象を記述する言語行動。「ルール」は「タクト」の下位概念。)
「ルール」による行動の制御についてもう少し話すと、例えばこれを用いた 応用実践にパフォーマンス・マネジメントとかセルフ・マネジメントというものがあります。 禁煙したり、論文を書き上げたりといった、「努力を要する」行動を支援する手法です。 「今月中に論文の序論を書かなかったらゼミのコンパ基金に5千円寄付w」と いうように、重大かつ確実な結果を記述したルールに契約させるわけです。 まあ、コールバーグのいう低段階の行動統制ではありますが。 一方、世間一般に行われている「ルール」による行動統制の試みの多くは、 コールバーグのいう高段階の道徳性に訴えかけるもの。そこで与えられる 「ルール」は、曖昧な結果を記述したものか、「罪悪感」や「使命感」を レスポンデント的に喚起することを期待したものです。しかし、パフォーマンス・ マネジメントという応用的な手法としては非常に脆弱といわざるを得ません。 公共広告機構が啓発CMを流すだけで世の中がよくなれば苦労はありません。 ビジネスの現場ではしばしば、激励訓話によって社員の士気を上げようとしていますが、 これも効果を期待できるものではありません。
しかし、応用的にはほとんど考慮に値しないとはいえ、人間が発達段階において この種の高段階の「ルール」に基づいて道徳性を獲得するのは疑いありません。 知ってのとおり、行動分析は応用が盛んですから、従いやすい「ルール」に 関してはある程度手法として洗練されている一方、そうした方面での論考は 盛んではないというのが実情です。 しかし、学問としてはそこで終わってしまっては面白くない。折角のユニークな ツールなんだから、他のパラダイムで構築された道徳性発達に関する理論を これを使って再分析してみたら面白いと思うんですが。 残念ながら自分は現在研究畑にいるわけではないのですが、 陰では日々こういう妄想を膨らませているわけです。
>>228 第2水準の話、面白いです。
ただ、利他的行動によって自身の究極的な適応度が下がるとしても、それによって
相手の喜ぶ顔や感謝の言葉といった社会的強化子が得られたり、あるいは
そのような社会的強化を与えてくれる他者を失うことを防いだりできるという、
働きそのものは第1水準と変わらないメカニズムが至近的に働いているのでは
ないでしょうか。となると、第1水準と第2水準の違いは、社会的刺激を
習得性強化子として獲得する「能力」、およびそれによる行動の制御が容易である
という「性質」が鍵になるのではないでしょうか。
>>236 私もロボ氏と同じく、それはレスポンデント反応の文脈で考えるべきだと思うし、
また、社会的強化によって制御される社会的行動に対する確立操作(≒動機付け)、
およびそれらを支える基盤構造だと思います。
と、毎度の遅レス&長文レス、スマソです。 これから未読レスを理解していきます・・・
>>284-288 詳細な情報、ありがとうございます。
まいど質問ばかりで申し訳ないのですが
何が強化子として機能するかというのは
学習されるものなのでしょうか?
それともそれは、生得的に決まっているので
しょうか?
たとえば「褒められると嬉しい」というのは 「褒められること」が正の強化子として機能していることを 意味していると思いますが、「褒められることが正の強化子で あること」は学習によって学ばれるのでしょうか?
>sympathyを持たない人間に役割取得能力が出現するという事実だ。 それがサイコパス。 なお、役割取得能力=「他者の視点から事象を認知すること」 ここに、「他者の感じる感情を自己の内部に再現すること」という 要素が加わると、それは、sympathyを含むことになってしまう。 少なくとも、サイコパスは、誤信念課題などにはパスできるため、 役割取得能力=心の理論を持っていることになる。
行動厨さん> >それによって 相手の喜ぶ顔や感謝の言葉といった社会的強化子が得られたり、あるいは そのような社会的強化を与えてくれる他者を失うことを防いだりできるという、 働きそのものは第1水準と変わらないメカニズムが至近的に働いているのでは ないでしょうか。 ポイントは、メカニズムの類似性ではなく、「正の刺激が適応価とダイレクトに 関連しているか?」です。 「食物、金銭」等の刺激は、適応価=生き延びて子孫を残すことと、ダイレクトに つながっている割合が高いでしょうが、「相手の喜ぶ顔」という刺激、 あるいは、「それによって生じるポジティブな感情」は、食物などに くらべて、「適応価」とのつながりが薄い。 >それはレスポンデント反応の文脈 と仰るように、「共感」が無条件刺激として働いているために、 「喜ぶ顔」が、道徳的行動を強化する、というのは当然同意しますが、 問題は、「じゃ、その無条件刺激は、適応価を高めるの?」という点。 ポイントはここです。 メカニズムが類似であるのはもっともですが、その上に、別の問題がある ということ。それを表現するための言葉が「第2水準」である(のでしょう)。
>>279 む.流石キャルテク.
日本もこういうのヤりゃいいのに.
そういやアクセルロッドのトーナメントをどっかの板でやってたなあ.
>>293 そもそも、なぜ、他者が殴られる痛みが感じられるかというと、
殴られるということと痛みの関係を知っているからだろう。
学習として蓄積されない経験は経験されていないに等しい。
行動前に生起する情動反応がないことは、それ自体における
異常というより、学習自体が成立していないことを意味する。
殴られるということと痛みということがレスポデント的学習によって
「知識的に」結びついていなければ、一過性の情動体験をもち
他者の情動を体験する能力があってもsympathyは生じないだろう。
シュマークの実験では、与えられた金を奪われるという罰では
彼らも回避学習を行なうことができる。
「いかなる場面条件においても」彼らは他者の感情体験を
自分の体験として感じることができない、というなら別だが。
ついでに、反社会性人格障害者の覚醒レベルを研究したのは、
手元の不確かな資料によるとゴレンシュタインらしい。
GSRでアローザレベルがどうだとか。
それによると、刺激にさらされるその場面においても、
平常人よりも覚醒レベルが低いことが示されている。
>292 >「褒められることが正の強化子であること」は学習によって学ばれるのでしょうか? これは対提示手続、あるいは価値変容手続とよばれます。 みなさん既にご存知の内容も含まれるでしょうが、話を筋道だてるためなので ご容赦をください。スキナー箱で説明すると、例えばレバーと鎖があるとします。 鎖を引くとランプがつき、ランプがついている間にレバーを押すと餌が出ます。 ランプが消えているときには、レバーを押しても餌は出てきません。 このとき、鎖を引く行動を強化しているのは何か?当然ランプです。 餌という生得的な強化子と対提示されることによって、ランプが習得性強化子 (learned reinforcerまたはconditioned reinforcer)になったわけです。 (このとき、ランプはレバー押しに対しては弁別刺激、 鎖引きに対しては強化子として働くという二重機能性を持つ。) 必要最低限の生得的強化子と、それらと結びついた多様な習得性強化子に よって行動は制御される、というのが行動主義の基本的な考えです。 しかし先の例だと、腹がいっぱいになって餌が強化子として一時的に 機能しなくなると、ランプも同様に強化子としての機能を失います。 しかし、習得性強化子が多数の生得的強化子、または他の習得性強化子と 結びついていたらどうか。それら全ての裏づけ強化子が負の方向に動機付け されていない限り、その習得性強化子は機能を維持することが出来ます。 この種の習得性強化子を般性習得性強化子(generalized learned reinforcer)といいます。 お金は般性習得性強化子の代表例です。あらゆるものと交換できるために、 食べ物や性的刺激とことなり、飽和化が非常におこりにくいため、 ほぼ恒常的に行動を制御できます。
同様に、社会的強化子も般性習得性強化子の一種と考えられます。 それが獲得されるには、例えば乳児期に生理的欲求を満たしてくれるときには いつも母親の優しい声や暖かいまなざしを同時に与えられるなど、 様々な社会的交流のなかで対提示が行われたからという解釈が可能です。 自閉症の場合も、遺伝的な問題によらない場合は、この種の社会的 インタラクションの欠如のために社会的刺激が強化子として機能していないだけ、 という事例が多く、その場合は徹底的な対提示を施すことで社会性獲得が可能です。 (だからといって母親を責めるようなことはあってはならないし、何より非生産的。) これについては自閉症や発達障害関連スレで、おそらく現場の行動分析家の方が 詳細に語ってくれていたと思います。
300ーヾ( ゚д゚)ノ゛
>>294 もともと習得性強化子の獲得能力というのは、食糧確保などで
ダイレクトに個体の適応価に結びつく学習能力として発達したんでしょう。
しかし同時にそれは、個体の適応価とダイレクトに結びつかない
習得性強化子の獲得をも可能にした。これは「予期されなかった」プログラム(か?)。
しかし結果的には、共同作業が不可欠な文明集団の維持や発展に非常に
有益なものとして機能できたため、淘汰されること無く今に至る、とか。
それとレスポンデントやsympathyがどう結びつくか・・・うーん。
>297 私が「感情」という言葉を使うとき、それは全て生理指標で 測定された反応。「生理反応を知覚しているのか?」という レベルの話ではない。 外部刺激、刺激に対応する生理反応、刺激に対応する主観的報告、 で言えば、2つ目の話「だけ」。 故に 「痛みを感じる=殴ると生理指標が変化する」、 「学習できない=負の刺激が予測される行動の直前に、 生理指標が変化しない(通常は変化する)」 「共感する=他者が苦しんでいるのを見て生理指標が変化する」 以上の定義に基づいて観察されたことばかりを報告してきた。 >そもそも、なぜ、他者が殴られる痛みが感じられるかというと、 殴られるということと痛みの関係を知っているからだろう。 それが、innateな傾向として備わっているから、というのが とりあえずの結論。この辺りは、ボトムアップで全てを学習 しているのではなく、学習のとっかかりとなる基礎的な関係 =表情と感情の関係などについて、生得的な知識があるとされる。 もちろん、学習によって獲得されるモノもあるのは当然だけど。
>301 ジャストミートです。 進化心理/進化的アプローチとは、 >しかし結果的には、共同作業が不可欠な文明集団の維持や発展に非常に 有益なものとして機能できたため、淘汰されること無く今に至る、とか。 この「〜とか」と、漠然と感じている部分を、モデルやデータに基づいて 「本当にそうなのか、そうであるならば、どんな条件下で適応的なのか」 考えてみよう、ということです。
ちなみに、既出のPreston & de Waalの仮説は、「他者の行動観察を通じて、 自動的に同じ感情を再現すること」の適応価について、怪しげな議論をしてます。 が、この辺りは、現在進行型の研究。 もう一つ問題なのが「同じ感情を経験するのは良いけれど、だからといって どうして相手を助けるの?」という問題。 一つの可能性は「自分の嫌な感情を消すために、その原因=他者のおかれた 状況を改善する」というもの=愛他的行動は、自己の感情を改善する行為。 これは、「感情経験を共有することは適応的だけれど、それに基づく援助行為は ただの副産物。そこには適応的価値がない」とする考え。 「副産物ではないだろう。共感に基づいて相手を助ける、 という行為そのものに、適応的な価値があるのではないか?」 →進化的アプローチの名の下、仕事をしているお話 価値が
>>302 >それは全て生理指標で
その点はわかっている。
俺が問題にしているのも、それを知覚しているかどうかではない。
>学習のとっかかりとなる基礎的な関係
が生得的に規定されているのにも同意。
しかし、具体的になにが生得的であるかはわからないし、
「殴られることと痛みの関係」が生得的であると結論であると
結論付けるには、それ自体について検討を加える必要がある。
個人的には、人間同士の要素である「殴る」よりは
人間よりも古い段階から天敵を避けるのに必要な
「噛み付く」などの攻撃との関連性こそ重要であって、
「殴る」が生得的知識である必要は比較的低いように感じる。
というか、持つべきは知識枠組みより闘争逃走反応だと思うが。
一度も殴られたことがない、殴るという行為を観察したことがない、
殴るという概念情報を得たことがない、のみならず殴るに類似した
攻撃的刺激によって痛みを感じたことがない(洞察の手がかりすらない)
状況でも「殴られる人間を見たら痛いと感じる」とは想像しにくいなあ。
>想像しにくいなあ。 全ては、今後の実証研究次第。なお、そうした「必要最小限の知識」が あらかじめ組み込まれていることの論理的必要性に関しては、工学や 統計学における、機械学習を参照されたし。
どっちにしても、考えてみりゃ ・sympathyは役割取得の必要条件である は俺が言い出しただけだし、さほど重要でもないが。 ・役割取得とsympathy(と認知能力)は道徳性発達の必要条件である を問題にしていたのだった。 問題を道徳性発達でなく愛他的行動におけば、 ・sympathyは愛他的行動の必要条件である が ・役割取得は愛他的行動の必要条件ではない になるが。その定義の上では。
>>306 少なくとも俺の提示した方法論での研究は倫理違反な罠
あともう一つ、「殴ると痛み」の関係が生得的に知識化されていても、
それは潜在的なもので、「痛み」という体験を経ることで(普通は経ないわけがない)
痛みという感情についての知識的枠組みが「感情スキーマ」に放り込まれ、
それがあってはじめて「殴ると痛み」の関係についての潜在的知識が活性化する、
という考え方もできると思うんだが。
刺激に対する生理指標があっても、その生理的反応が他の身体的・
認知的要素になんら一切の影響を及ぼさない(つまり感情スキーマにおける
痛みについての知識的枠組みも生まれない)なら、その潜在的知識は機能しない。
この上なく偉大で,この上なく善く,この上なく美しく, この上なく完全なものとしてこの宇宙(コスモス)は誕生した.
そこから先は、Le Douxとか最近の認知神経科学を読んで。
上の方で、認知と感情の話についていろいろ書いていたけれど、既出の
神経科学者Le Douxは、「(それに関する)社会心理学的な研究は、
認知という概念が、素朴かつ実証的裏付けのない。感情処理のプロセス
を神経科学的にモデル化しない限り、認知的評価と感情の関係など、
語れる訳がない」と語ってるそうだ。上で紹介した「恐怖処理の2ルート」
に関する研究も、そうした社会心理学的感情研究の批判につながっている。
実際、認知神経科学の発展はすさまじい。それが全てではないが、
問題は、心理学にそこで得られた知見が逆輸入されてない点。
彼らは、心理学で開発された概念・枠組みを知った上で研究し、
そのどこが誤りであるのかも、分かっている。
#なお、少なくとも、ここでの議論については、「スキーマ、知識」という
概念は必要ない点を再確認されたし。「刺激観察→痛みに対応する生理反応」
というだけ、の話。当然、幼児ならば、自分の中に生じた生理反応にどう
対応すれば良いか分からないため、泣くしかできない→愛他的“行動”が
見られない所以。
だが、これは“道徳的でない(
>>308 )”ことを意味しない。
道徳性は文化相対的だし、そもそもに普遍性なんかないし、 実は利己的な機能を内包していたりもするわけだが、 その事実に気づいてしまう(道徳を相対化する)ことそれ自体が コールバーグに言わせれば「未発達な道徳段階にとどまっている」 ということになってしまうという罠。 道徳は論じられた瞬間に道徳ではなくなる。 分かっていても、そのことに知らんふりをしていないと、 道徳の適応的機能そのものが喪失されてしまう。 だからこの問題だけはあまり論じたくない。
>312 そういう面から相対主義に激しい警鐘を鳴らしている点に限っては 小林よしのりの意見にも耳を貸すべきところはあります。 そこまでわかっていないコヴァは多いようだけど。
>道徳性は文化相対的だし、そもそもに普遍性なんかないし、 これだけは分かってますか? 「これまでの議論は文化相対性を全く否定しない」 「殴る→痛み」といった基礎的関連は生得的かもしれないが、 高次になるほど「何を苦痛と感じるか」が、文化的に獲得されうる。 問題は、どれが生得的かどうかワカラン点。 177さんが、「評価関数は生得的か?獲得されるとしたらどんな メカニズムで?何が獲得されるのか?」と、繰り返し聞いていた理由は、 ここにつながる。
「理念」として、普遍的な道徳を見いだせるか? 「現実」として、普遍的な道徳が存在しているのか?(=誰もがダメ!と感じるものはある?)
>>311 >「刺激観察→痛みに対応する生理反応」
が生じるためには、刺激と痛みの連合が生得的に習得されているか、
学習によって体得されなければならないことはここまでの通り。
しかし、仮にその連合が生得的に習得されていても、
実際にその連合が反応を引き起こすためには中継点として
記憶野も活動せねばならず、痛みに対する生理的反応が
「正常なプロセスで」生じることによって脳の記憶野に
生じさせる不可逆的な変化がなければ生理反応は生じないかも、
という可能性を、一般的な日本語表現に近いやり方でいうと
「知識」という仮説構成概念が利用されることになるわけだが。
>>313 ソクラテスが似たようなことをして民衆を惑わした罪で毒人参を飲まされたがな
毒人壱! はい!! 毒人弐! はい!!
319 :
没個性化されたレス↓ :03/01/16 23:12
age
ナイスジョブ、毒人参壱八
【毒人】 ぷ州の特殊部隊。毒は生得的ではなく 乳児期に徐々に濃度を上げた毒を飲まされる ことにより、後天的に獲得される。
322 :
没個性化されたレス↓ :03/01/17 00:55
こんなスレがあったのか。 進化心理学は、心理学と名前がついているけど 生物学よりだな。
>>322 なお、世間一般で知られている進化心理学の印象と違い、
とても広く深い話が進行している。
書き込む前に、ぜひとも、過去ログを読むことをおすすめする。
レベル高すぎます。
かつてはこの板で進化心理学の名前を出しただけでトンデモ扱いだったからな……
>298 お金を代表例とする般性習得性強化子のご説明分かりやすかったです。 ありがとうございまつ。 もし普遍倫理と呼ばれるような内的サンクションも般性習得性強化子であったら、 生きてきた全ての経験により条件づけされるから 人工知能などには普遍的倫理は宣言的な命題として 実装してしまった方が手っ取り早そうという事になるんでせうか。 いずれにしても人間の子供が3歳になるまでに 一体どの位の刺激があるのでしょう・・
>>322 そして通常の進化生物学より
心理学よりです。両者をつなぐ
のが進化心理学の役割です。
結構、深いみたいだね、このスレのディスカッションは。 今度、会話に混ぜてもらう、というか混ぜてね。 僕が詳細に知りたいのは、アメーバから太古の狩猟時代までに身につけた 性交と生存に有利な心理的性向が、現代社会で害をもたらしている例です。 「怒り」なんてその典型だと思うので。「怒り」がなければ、生き残ってこれなかったことは事実なので 「怒り」のメカニズムが発達したわけですが、現代社会ではこれが問題を生じ、かつ、 発生してしまいます。それをおくに貯めているとストレスでやられるので、巧い昇華の方法とるべきだが なかなか難しい・・・。
一般に、第1水準のシステムと第2水準の システムはバッティングしますからねえ。
第二次水準のシステムとは、素朴に言えば、個体が社会という仮説構成概念体に適応する為、 またそれを維持する為に発達したシステムと考えて良いのでつか?
第二次水準のシステムとは、素朴に言えば、個体が社会という仮説構成概念体に適応する為、 またそれを維持する為に発達したシステムと考えて良いのでつか?
二重カキコすみません・・・ 進化倫理学というのは初めて聞きました。 まだちゃんと読めてないのですが・・
>>329 目的論的な考え方はイクナイ!! です。
「第2水準があるので社会が維持されている」
というのは真相に近いと思いますが
「社会が維持するために第2水準がある」
わけではありません。
あうう、そうですた。 では社会と第二次システムは共に進化した・・はダメでつか? 倫理はリミッターつきのシステム?と仰ってましたがリミッターは何になるのでせう・・? 既得のルールとかになるのでせうか?
ちなみに、
>>312 のロボ氏の危惧には留意する必要があります。
道徳の「仕掛け」が解明されると、それが第2水準システムと
して機能しなくなる可能性は存在します。それを承知で解明
しようとするのは一種の賭けではありますが・・
333訂正 ×第二次システム○第二次水準システム 会社の家畜はこれから畑仕事の時間に・・(涙
>>333 「リミッター」とは190氏の書いてた「感情によるストッパー」
のことかな? 多分、第1水準システムの発動を抑制する
生得的な仕組み、のことだろうと思います。
お仕事ご苦労様です。また、夜にでも。
ロボ氏の警句わかっとるつもりで、 なんとも不安な気持ちにもなりますよね。 でも考えたのですが同じ刺激を与えられても固体により行動は違います。 餌という第一次水準システムでの報酬と違い、倫理は第二次水準システムのものであれば・・ リミッターも個体により異なるだろうし・・
ありがとうございます。 またおながいしまつ・・!
>>328 宮崎駿が「風の谷のナウシカ」の終盤で扱ったテーマのように
人類が第一水準のシステムを放棄して完全に第二水準のみに移行し
芸術と友愛だけが生存の目的になるのが人類の最終進化系だ、
などという一種のユートピア思想もあるわけだが
宮崎駿自身は、「そんなものはもはや人間とはいえん」と作中人物に一蹴させてるけどな
そういうユートピアは1次ジレンマか2次ジレンマで 崩壊してしまうのでいす。
社会的ジレンマ以前に、そんな系は熱力学的に崩壊する予感。
熱力学的崩壊とは?
ユートピアには自らを維持するためのエネルギーを 生み出すだけの能力がないという話。 ナウシカの世界では「墓所の主」がいるし、 コンピュータによる管理となれば手塚治虫流の アンチユートピアSFの世界になるわけだが。
人間でない、というより 生物でない。
ポコチンの存在を無視した社会など、所詮は机上の空論。
宮崎駿は、さり気なーく第一次水準システムに訴えてくるようなものを 描き出すのが上手いですよね。 とりあえず、第二次水準システムは、第一次水準システムが無ければ 機能しないという事になるんでしょうか?
道徳の問題にはあまり立ち入らない方が良いとの事ですが……。
私も道徳は学習に拠る物だーと考えた後、非常に味気ないし、
少々寒〜くなりますたし……。
素朴な疑問ですが、至近的な実感というものは、知識として究極因を知ったら
相対化されてしまうんでしょうか?
言い換えれば、道徳のような第2次水準の仮説構成概念は
>>298 で言う「習得性強化子」であり、
「道徳の解明」は負の強化子となってしまうという事になるんでしょうか。
でもまだ、道徳は、「お金」のように完全に仮説構成概念による産物と
決まった訳じゃないし、190氏ご指摘の通りなんらかの認知的機能や
感情と結びついている事もありそうだという事なので、
普遍的かどうかはともかく、仕組みが解明されても
揺らがないものもありそうでつ。
例えば、母親が「自分の子を可愛い」と思う自分の感情の究極因を知っても、
自分の子供を可愛いと思いそうですし…。
素朴には、普遍倫理とそうでない倫理の2種類があるとは思いますが、
この二つの違いってなんなんでしょ。
殺人の禁止や真善美とかは普遍倫理になるのかなぁ……。
第1水準はロバストですが第2水準は 多分、余り頑健じゃないので、取り扱い 注意です。
子育ては第1水準では説明できないだろ。 というか、そもそも心理学が第1水準を前提にしていると 思うなら、それは大きな勘違いだろ。
フロイトの超自我も、ユングの集合意識も、自己を超えたところに あるわけだから。
>>349-351 便乗質問でつ。
第2水準システムが人間のどのメカニズムに当たるのかは分からない
との事ですが、究極要因が至近要因に変換されるシステムという事に
なるのでしょうか・・?
>176
>規範に反する存在を感知した際になんらかの「不快」情動を喚起
するかどうか?というお話ですが、
ここでの「規範」は普遍倫理を想定されているのでしょうか?
(在るかどうかは分かりませんが)
190氏の
>>308 の論文は私にはよく分かりませんでしたが……(汗。
>>278 で、
「貴方の隣人が苦しんでいたら助ける」行動は「貴方が隣人の痛みを感じたから」と
いう所を先ず納得できないと、次に進めないのでした。
う〜〜〜ん。
そうなるのかな? う〜〜ん。
ドナ先生に聞いてきまつ……。
>「貴方の隣人が苦しんでいたら助ける」行動は「貴方が隣人の痛みを感じたから」と いう所を先ず納得できないと、次に進めないのでした。 一つだけ誤解されてます。 「相手に共感しない」場合でも、相手を助けることはあります。 周囲に人がいる場合、自分の評判を高めるために、相手を助ける。 将来、相手から見返りがあることを期待して相手を助ける。 これら、コスト・ベネフィットを合理的に計算した上で、相手を 助けることだってあります。 278で問題にしていたのは、「そのような目に見える損得計算で説明 できないような」行動。 そうした行動が、現実の「道徳的行動、愛他的行動」のどれだけを占めるか はわかりません。要は、「解くのが難しい問題をあえて取り出している」という ことです。 >普遍倫理と特殊倫理 を、理論的/実証的に、多くの研究者が納得いく形で定義できたら、 トンデモない業績になるでしょう。
>353 >「相手に共感しない」場合でも、相手を助けることはあります。 それならば、納得でつ。 倫理の中でも愛他的行動に注目されてるのですね。 「そのような目に見える損得計算で説明できないような」行動 の具体例といえば、何があるんでしょう・・。 n=1の具体例から積み上げて考えようとしている素人ですが、 誰か止めてください・・?(汗。 なんか上手い方法はないんでしょうか? そもそも共感というものの定義はどのようになるでせうか。 "Subject feels "sorry for" the object. Focused more on object's situation than physical state. " との事ですが、感情を定義するというのは非常に難しいのですが…。
センター関係者の皆様、お疲れ様でした。
>>354 1回きりの囚人のジレンマゲームの実験を行うと
6割近くの人がC行動をとります。相手が誰か
分からず、その後の相互作用のない状況でのC行動
ですから、「目に見える損得計算」では説明しにくい
でしょう。
>356 はー、なるほどです・・! 生死がかかった場合を、ユダヤ人狩りヴァージョン、魔女裁判ヴァージョンなど 具体的に色々考えていたら気鬱になりましたが、それは置いておいて(汗、 >6割近くの人がC行動をとります。 という結果は興味深いです。 出来ればその実験の詳細を教えて頂けませんでしょうか。 その実験では「相手が誰か分からない」との事なのですが、 「相手が誰か分かっている」場合は、 相手の行動予測により確率が変わってくるわけですよね。 う〜ん・・。 いずれにしても、「相手が誰か分からず、その後の相互作用のない状況」では C行動を取るのは6割近くですか……! (気鬱なのは忘れてよく眠れそうでつw)
>357 「6割」という数字に拘泥しないで下さいね。 こうした結果は、当然ながら、「裏切りの利益 vs. 協力のコスト」の比に応じて 変化します=「あまりにも負担ならば協力を避ける」傾向はある。 しかし。 それでも、協力が「損」であるのには変わりありません。にもかかわらず、 協力という行動をとる人々が存在している。それはなぜか? 一つの可能性は「相手がわからなくても実験者から見れば自分が特定される。 故に、“自分の評判”ということを常に気にかける人間は、実験を匿名状況 だと考えない=実験者から良く見られようとして協力する」 自分の行動が実験者からも完全に隠蔽されている場合でも、常に「もしかして 自分の行動は他者から観察されているのかも?」と考えている人は、そんな 状況であっても、つい人から良く見られようとして、協力するかもしれない。 この場合、協力する人=社会的に望ましい傾向をとりやすい人、ということで あり、共感とは何の関係もないでしょう。 その他の研究やアネクドートなどをあわせると、この解釈にはキツイものが ありますが、「実験」を解釈するためには、こんな可能性も考えないといけません。 また、このような解釈は、現実に存在する協力行動を考える上で、どんな意味を持つのか? 意外と深いものですよ。オタクっぽい研究の背後に潜んでいるものは。
パソコンの端末にCかDか(実際は1か2かといった 中立な表現が使われますが)の選択を入力する、というのが オーソドックスな方法です。単に封筒に自分の選択を書いた 紙を入れて、実験者が誰か封筒とつき合わせてその結果に 応じた謝礼を受け取れます、というのもありますね。 個別の実験結果は覚えてませんが、多くの実験でおおむね 6割程度がC行動をとるようです。 相手が知り合いだと、この率が高くなります。 一方、ランダムマッチングで繰り返してプレーさせると Cの割合が減ってきます。
一般的信頼の差によって初回の協力率に差が出る、とか書いてみるテスト(W
出るみたいですよ。 大体の記憶でしゃべってますがw
ま、動機と期待はインタラクトするので。 協力的な人にとっては、どれだけの人が協力するかの期待が重要だし、 利己的な人にとっては、自分の行動がモニターされている確率に関する見積もり/期待が 重要だし。
>>362 では「協力的な人」=「応報戦略採用者」。
なかには常にC行動を採る人もいます。(1割から2割程度)
ミルグラム先生の例の実験のときにも、 「絶対やらない!」と言って自発的に作業を打ち切った被験者、 作業を続けるふりをして観察者を欺いた(実際には電気ショックを 与える操作をしなかった)被験者が少数ながらいたというからなぁ。
うーん。 けど、>363の実験の場合、無条件協力=「自分が協力してれば いつかは他者も協力するだろう」という、「応報戦略+スゴク 高い期待+高い統制感」の組み合わせの可能性も否定できない。 あるいは、そうした人間を、純粋に愛他的な人間と分離できない。 >364とは、やや異なります。 後者は、「ピュアな共感に基づく不服従」を測定するのに適し、 前者は、それ以外の社会的な動機・認知の複合体を観察するのに 適している。
なにを根拠に「ピュアな共感に基づく」と言ってるんだ?
そういう荒い口調は慎むように。 研究者がある「概念」を想定した時、どの状況がその「想定された概念」を 測定するのにふさわしいか、という問題。
ロボに説教は通じません。なぜなら私は魚雷だから。 俺にはミルグラムの使ったあの実験的統制条件が そのような前提に基づいた研究に再利用できるとは思えない。 倫理規定云々とは別の問題として。
2つを勘違いしているようだが。
1.(
>>367 )に書いたこと。
2.ある実験状況で観察された行動の原因となる要因を特定すること
観察されうる行動の集合:{X1, X2...Xn}
想定されうる要因の集合:{E1, E2...En}
1=考察の対象となる要因Eiを特定→行動集合の中からp(Ei|Xi)が
最大となるような行動Xiを特定
2=実験で観察された行動をXiとおく→原因集合の中からp(Ei|Xi)が
最大となるような原因Eiを特定
1の話をしているので、2の話を持ち出されて突っ込まれても困るのだが。
つまり、「他者へ苦痛を与えないために不服従する」行動と、
「複雑な利得構造下で協力する」行動とを比較した場合、
共感によって説明される分散が大きいのは、どちらか、
というだけなのだがね。
さて。
さて。 あ、さては南京玉スダレ。 じゃないですね。
道徳性の個体発生についてですが、まず初期条件として装備していそうなのは a 他個体の状態を共感する能力 b 食事をポジ、苦痛をネガとする生得的強化子 ぐらいでしょうか。ついでbを手がかりにして c 笑顔、褒め言葉などをポジの強化子として獲得 さらに、b、cを手がかりとして d 他者を援助する行動を獲得 ということになる、というのがここまでで出てきたストーリーのようです。 b→c→dは一応つながりがありますが、aがやや浮いているようです。 aの役割はなんなのでしょう?
>>304 が一つの可能性です。
実は、aの存在は、かなり興味深い&奥の深い問題を提示しているように感じます。
empathy-altruism hypothesisを強力に押し進めている研究者が、Psychological
Scienceという雑誌にtarget paperを載せました。これに対する進化心理学者や
進化生物学者の反応は「そんなの近接要因だから、どれだけ詳細に研究しても意味ない
やんけ。究極要因が分かれば近接要因なんて何であっても構わんのだよ。」というもの。
数年前のことです。
「こりゃまた、何ともけつの穴の小さな反応だな」と思いますた。
177さんが仰るように、「究極要因の研究から近接要因を予測する」
という考え方をしてみると、共感の役割は、何とも不思議です。
ひとつの可能性としては、aはラチェットの役割を果たして いるのではないか、という予想を立てることができます。 b→c→dは、bによる強化が無くなればcが失われる可能性が ありますし、cが失われればdも失われる可能性があります (進化的な話ではなく、個体内のプロセスの話をしています)。 この「逆戻り」に歯止めをかける働きをaがしてるんではないかなあ というのが「ラチェット予想」です。 一旦、インストールしたソフトが消えてしまわないのに役立つ 仕組みではないかしらん。
>>373 ちなみに至近メカニズムが存在しないと、究極要因の研究を
しても画餅に帰する可能性があります。
もう一つ、短いタイムスケールで機能しているのは至近メカニズムですから、 現実への応用を考える上では、欠かせない研究対象です。直接、至近 メカニズムを研究するのが難しい場合でも、「どのような至近メカニズムが 適応的か」を考える、という手段が進化生物学にはありますので なにがしかの手がかりが得られる可能性が高くなります。
>374を受けて仮説を一つ。 「共感/ボールドウィン効果仮説」 ボールドウィン効果とは、心理学で生まれたのに evolutionary computationの分野でもてはやされている概念。 genetic algorithmとかで、多次元の状態空間の中から 最適値を探す課題を考える。ただし、空間上での各位置から 得られる利得は、なだらかに変化するのではなく、ステップ 関数のように、突如として変化する。この場合、GAによって 最適解を探すのは、干し草の中から針を探すようなもの。 同様に、こんな課題においては、学習によって最適値を探すのも 困難な訳です。なにしろ空間上の全位置を試さないとどこが一番 高い山なのかさえ分からないから。 ボールドウィン効果とは、こんな場面で「学習能力の存在がある行動 傾向の進化を促進する」というお話です。 つまり、現実場面では無数の行動選択肢が存在し、また、どんな行動が 「愛他的」となるのか、状況や文化に依存して変化するような場合、 単純な学習/進化のみで、「愛他的」な行動を獲得することは困難かも しれない。 つまり、>374のように純粋な学習があることにより、共感という「遺伝子レベルで 組み込まれた(かもしれない)、ラフな行動獲得プログラム」の進化が促進された。 それにより、目的とする行動の獲得が、学習/遺伝のいずれだけでも困難な場面において、 その行動獲得が可能となった。 ま、この話も、ボンヤリとした全体像は浮かんでいながら、具体的に詰めていくと 分からないことが多い話の一つですね。
といわれて、
>>372 で言語のことを書き忘れて
いることに気がつきますた。
オリバー・サックスあたりの症例にないかなぁ? 「後天的にaの能力(のみ)を喪失すると何が起こるか」。 あったような気もするが昔読んだきりで思い出せない
>358>359 遅レスながら、なるほどです。 ありがとうございます。 今、話の流れの中心にある「共感」ですが、どのように定義されるんでしょうか? 相手が痛そうにしてるのを見て、「ああ、痛いんだな、可哀相」と思うのが共感 なのかな?とは思うんですが、なんとなく気になって・・・。 卑近な例で恐縮ですが、2歳10ヶ月の甥を見ると、「共感」能力は 快・不快評価により条件づけられているのかもしれない?と思うのですた。 (って今の話の流れに関係ないですね、スマソ)
「他者が感じている感情状態を知覚し自分も同じ感情状態を経験すること」 sympathyは否定的感情に限ったもので、empathyは肯定的感情も含む、 と俺の心理学辞典には書いてあるが……
>381 どうもでつ・・・。って辞書引かなきゃ自分……(す、すびばせん。 梅干を見て唾液が出るように、 人が叩かれてるのを見て、自分の頬に痛みを感じる訳ではないけれども、 自分の頬が叩かれた時と同様の「不快」感がある という事でしょうか?
持ってんのか?心理学辞典なんて。 よく分からんけど、共感ってのは 意識的な入り込みとキャンセルが可能だと思うんだよな。 ボクシングの試合を見ながら、いちいち殴られる選手に 共感してたら楽しむどころの騒ぎじゃないし、 共感しようと意識して共感する共感ができなければ カール・ロジャースも困ってしまうというものだ。
>>382 の「不快」感と、頬を叩かれている人を見た事の間に
まだ何か説明が入る気がするのですが。
卑近な話で恐縮ですが、2歳の子供を身近に観察できる環境にあるのですが、
他者の行動がどのような「動機」(心の理論)によって引き起こされているのか、
まだ分かっていない、要するに、他者への「共感」がない
と思える行動がよくあるのです。
具体的な一例では、彼の母親が頭痛の為横になっていると、
「起きて、起きて」と言い母親を起こそうとします。
「具合が悪いから寝てるの」と説明しても、
半年程前(2歳4ヶ月頃)は分からず、起きない母親の横で泣き叫び始めました。
2歳10ヶ月の今では、「ママは頭が痛いから寝てるの。なでなでしてあげてね」と
いうとなでなでして大人しく横に座っています。 (言葉による統御が効いてきた?)
このような養育者との関係性から、「共感」能力を獲得していく
という事は在り得ないでしょうか?
共感能力が単純な条件づけ行動とは思いませんが、
「共感」は、「言語」同様、学習と生得的な能力の二つが必要なものなのかなぁ。。
どうも難しいでつ。
>383 持ってないですけど、心理臨床大辞典ならある・・・ そしてそれには、のっけから、 「共感(感情移入ともいう)は…」とあるのでダメかも(汗。 役に立てられないのは自分の能力のせいもあるんでつが…。
>No.190さん 前にも書いたと思うのだけれど。 共感という用語は、研究者によって定義がマチマチでした。 が、最近は、神経科学的な基盤や人間/動物間の比較などと 関連させた上で、少なくとも、以下の3(or4)種類があげられています。 1.自動的な感情の伝達:ドナ氏が情動調律とか言ってたのがこれか? 「赤ちゃんが泣いてると、隣の赤ちゃんまで泣き出す」−表象を介さない 自動的プロセス。別名、感情伝染 2.sympathy:これまで共感と呼ばれたモノ。最近はempathyとも呼ばれたり。 相手がおかれた状態を「理解」して、相手と同じ感情状態を経験すること。 1との違いは「他者の状況を理解する=表象的プロセスが含まれる」こと。 特に、「相手の悲しみを自己の中に再現される」ことのみをsympathyと 呼ばれることも。 3.cognitive empathy:昔はempathyと呼ばれていたもの。perspective takingや心の理論とほぼ同義。極めてクールに、「他者がおかれた状況を 理解する」こと。 以上、2において、sympathyとempathy(前者は後者の特殊ケース)を 分類すれば、4つの定義が生まれる。 申し訳ないのだけれど、ここであげたような区分は、2000年以降に 出た英文誌/英書にしか載ってないので、日本語で探しても、相当に マチマチな定義が出てくるだけだと思われます。
>386 ありがとうございます。 たった一つの定義を求めた訳ではなかったのですが、 話の流れを切ってしまいスミマセン。 4つのタイプ論もそのうち触れられるのをマターリ静観しまつ。
あぁ! 携帯で慌てて書き込みしまちがいますた。 しかもタイプ論ってなんだ・・(汗 4つの定義ありがとうございます。
>387 その意味では、1.に区分して良いかと。 >具体的な一例では、彼の母親が頭痛の為横になっていると、 「起きて、起きて」と言い母親を起こそうとします。 「具合が悪いから寝てるの」と説明しても、 半年程前(2歳4ヶ月頃)は分からず、起きない母親の横で泣き叫び始めました。 「いつもと違う顔をして横たわっている」という状態から 相手の内的状態を推定できないというのは、「知識がない」 ということでしょう。 ここで「こういう状況にいるお母さんは頭が痛いのだ」という ことを「理解する」だけならば、それはcognitive empathyでしょう。 「お母さんは頭が痛いのだ」という状況を理解し、さらに、その 理解に反応して「頭が痛いなんて、辛いだろうな」という感情経験が 生じれば、それはsympathy/empathyでしょう。 過去に、行動分析スレで書いたtheory-theoryとsimulation-theoryに 関する議論も参照されたし。
>「赤ちゃんが泣いてると、隣の赤ちゃんまで泣き出す」というのと、 スターンが発達に不可欠だとした母子相互作用はだいぶ別のものだと思うのだが。 端的にいえば、「母親が共感的な振る舞いをすること」だろう。情動調律って。
ちなみに多くの「心の理論」の研究者に共通する立場は、 心の理論という「心の働きや性質に関する知識や認知的枠組み」の機能は 現実の行動を予想するための因果的枠組みを与えることだろう、というもの。 「他者の行動を予測すること」には独自の究極要因があるだろうし、 俺の仮説どおり心の理論の形成に1、の無条件反射的共感の能力が 不可欠であるとすれば、ようするに共感能力はいろんな至近要因に絡む、 だから究極要因もいろいろある、つまり、「いろいろな役に立つ」能力ではないかと。
こう考えれば良いだけ。 赤ちゃん=相手の感情と同じ感情が自動的に生起するオートマタ →当然ながら限られたタイプの感情しか共有できない 母親=自動的な感情感染能力+相手がおかれた状況を理解して 感情状態を察するsympathyの能力 →赤ちゃんよりも多くの感情を共有できる 赤ちゃんに注目すれば、相手が母親だろうが、隣の赤ちゃんだろうが、自動的感情伝染。 母親に注目したら、全く別のお話。ここではあくまで「赤ちゃん側の持つメカニズム」の 話をしていたはず。
>387 多謝でつ<情動調整。 n=1ですが、甥の発達段階をマターリ観察しまつw どういう行動を取れば、sympathyやsimulation-theoryを持ったと 言えるのか、まだ分かりませんが・・。 あまりに面白いのですが、今日はこれにて会社の家畜は眠ります・・。
>394訂正 情動調律ですた・・(恥。
無理矢理自分の文脈に話を持ち込むからおかしくなるんだって…… なんで情動調律の話をするときまで「赤ちゃん側」だけで話をせにゃならんのだ。 例:生後9ヶ月の女の子が、おもちゃにとても興奮し、それをつかもうとする。 それを手にすると「アー!」という喜びの声をあげ、母親のほうを見る。 母親もその子を見返し、肩をすくめて、ゴーゴーダンサーのように 上半身を大きく振ってみせる。その体のうごきは、娘が「アー!」と 言っている間だけ続き、おなじくらい強い興奮と喜びに満ちている。 赤ちゃんの感情のほうは、おもちゃというか、遊びの体験が喚起するもの。 別に母親の感情が赤ちゃんに伝染しているわけではない。 別のところでは、母親が子供の行動を模倣する際に異なる感覚モダリティを 用いることで、意味の同一性が感覚モダリティを超えて与えれることになり、 これが子供に意味表象を理解させるきっかけになるなどと書いてある。
>その共感能力を持たないが、心の理論=cognitive empathyを >持ち合わせている人間の存在をどう解釈する? そもそも、そのような人間が存在すると判断できるかどうか、 の段階で話が平行線に終っているのを理解していないのか? つーか、貴様は、自分の専門分野以外の学問で用いられている 既存の研究や知見、定義などを一切話に持ち込むことを拒否するつもりか?
>なんで情動調律の話をするときまで「赤ちゃん側」だけで話をせにゃならんのだ。 >390の最初の2行を以下に差し替え。 「情動調律における赤ちゃん側のメカニズムは感情伝染で使われるメカニズムと同じですね」 これでよろしい? こちらは情動調律の話をしたいのではなく、No.190さん向けに 「赤ちゃんに絞った話」をしていただけなので、あしからず。
毎度毎度、同じパターンに持ち込むのは止める。 ケチつけたきゃ、勝手にやっててくれ。 >そもそも、そのような人間が存在すると判断できるかどうか、 の段階で話が平行線に終っているのを理解していないのか? こちらが見ているデータを見ずに話をしていたら平行線になるのも当然。
>つーか、貴様は、自分の専門分野以外の学問で用いられている 既存の研究や知見、定義などを一切話に持ち込むことを拒否するつもりか? 過去の知見が「現時点で入手可能な、信頼性・精度の高いデータ」である 限りは、誰も無視してませんが? 感情と認知の関係に関して、Le Douxの話をしたときと同じことを言いたい。 過去の知見が、現在の知見によって塗り替えられている可能性を 考慮せずに、過去の知見をそのまま持ち出されても困る。 それだけ。
気になりちょっと戻りましたが・・・ 私が同じ質問を繰り返した(共感の定義)のが悪かったのでつ。 発達も心理学?の情動調律を初めて知りましたし、 それが190氏の共感の4つの定義の中のどれにあたるかも分かりました。 発達心理学との接点が見えてきたし刺激的ですた・・ お二人とも質問に答えて下さっただけですよね?
>お二人とも質問に答えて下さっただけですよね? そのつもりなんですけどね。 それに加えて、「情動調節」という新たな用語が、 自分の話とどう関連するかを、少し書いただけのつもりだったのに。
>403タイプエラーでした ×発達も心理学 ○発達心理学 今までの蓄積があるから新しい仮説(反証)が生まれてくるんですよね・・。 私は白紙というかぬ白痴なんですが・・
私は質問の答えとなる所に注目してレスを読んでいたので お二人の争点がわからりませんでしたが・・・ 今レスを読み返しましたが お二人のやり取り?は高度すぎて半分くらいしか掴めませんでした。。。 しかし、共感の定義について知見が深まりました。 何度も同じ質問をした事から 色々混線を招いてしまったようです。 すみませんでした。
ところで囚人のジレンマの文脈では、sympathy(ネガティブな感情のみの共感)と empathy(ポジティブも含めた共感)は、異なる戦略に対応すると考えられます。例えば 自分\相手 | C D −−−−−−−+−−−−−−− C |3,3 0,5 D |5,0 1,1 というPDゲームにおいて、自分が相手のネガティブな状態を自分と同等に評価する場合を 考えれば、自分の利得行列は 自分\相手 | C D −−−−−−−+−−−−−−− C | 3 0 D | 2.5 1 となり調整ゲームになります。
(ずれますね。AA職人さんに来てもらった方がいいかも) 上の場合、相手がCならC、DならDを採るのが最適反応なのでsympathyを持つ 行為者は応報戦略者になると考えられます。 一方、相手のポジの状況も自分と同等に評価するempathyをもつ場合の利得行列は 自分\相手 | C D −−−−−−−−−−−−−−− C | 3 2.5 D | 2.5 1 となり、今度はCが優越戦略となります。したがってempathyをもつ行為者は、 無条件協力戦略者になると考えられます。 単純なモデルではありますが、sympathyとempathyにはこのような違いがありえますので 確かに分けて考えた方が良いでしょうね。
>407-408 ♪な〜るほど、東芝 確かに、そんな考え方も意味ありますね。 ゲーム理論的道徳哲学とかで似たような定式化があるので、 何か使えるネタに発展しないか、考えてみます。
社会的ジレンマの文脈では、sympathyは環境破壊を防ぐのに役立つが 公共財の供給には力不足、empathyは公共財供給にも役に立つ、と いうことになるでしょう。 両者では究極要因が異なる可能性も考えられます。前者は絶滅回避 後者は生産のエンジンがプロモートするのかも。
横レス失礼. >しかし、共感の定義について知見が深まりました。 同じようなドナがここに. 情動調律については,今一度しらべてみまつ.
あ,念のためロボ氏の
>>387 にけんかを売るつもりは毛頭ございませんよ.
共感性の発達と「情動調律」について,個人的に調べてみたいな,と.
というか,情動調律はあくまでも母子相互作用の文脈におけるものなので,
>>386 の1.のように「自動的な感情の伝達」といっていいのかというのも気になりますし,
もしかしたら,そのあたりのことをロボの
>>396 は触れているのかもしれないと思ったり.
......いずれにせよ,失礼.
同じく横レス. 共認機能の獲得/実装には,ミラーニューロンが関係してるって誰か言ってなかったかな? 観念機能を想定しなくても,これなら共感などができるとか.
>413 備後 Preston & de Waalが提唱している理論枠組みがそれ。 上に紹介した論文のうち2本目では、自分がある感情を 経験するときと、他者が感じている感情を想像する時では、 同じ脳の部位が活性化しているとか。 ミラーニューロンは身体運動に関連したものが確認されているけれど、 心的状態の認識について同様のメカニズムがあるか否か、現在確認作業が 進行しているらしい。 >412 個人を単位とした話と、ペアを単位とした話の違いかな、と。
上の定義では、「認知を経ない自動的な感情の生起」と、 「相手の状況を認識した上での感情の生起」とを区別してたけど、 そもそも「認識した上」ってどういうことよ、とか、いろんな 疑問も出てくる訳で。 この先は、本腰入れて認知神経科学の英語テキストでも読まにゃ いかんだろう、と感じている次第。
究極要因やっと出てきたのですね。 二者囚人のジレンマでsympathyを持つ人は 自分がD戦略で相手がC戦略だった場合2.5となるのは 相手と自分の苦しみが等価だからでつか?
群淘汰の話は複雑なので、余りしないつもりではありますが・・ >自分がD戦略で相手がC戦略だった場合2.5となるのは >相手と自分の苦しみが等価だからでつか? というのは、等価に評価すると仮定したら、という話です。
>417 なるほどです。 面白いので聞いてしまいました。 ありがとうございます。
>>410 社会的ジレンマの文脈というのは、複数の囚人のジレンマ
になるのでしょうか?
うーん、ゲーム理論って難しい(自爆。
ちょっくら勉強してきます…。
ところで今更ですが、
メカニズム(至近要因)/発達の過程(発達要因)/機能(究極要因)/進化(系統進化要因)という問い方をするのですよね?
今の共感の定義については至近要因の分析?で議論がストップしておりますが(汗、
発達の過程(共感の獲得or学習)についてはどのようになってるんでしょうか。
Sympathyとempathyの区別。。 素朴に考えると、Sympathyっていうのは
生理的現象に近いので(可哀想と思おうとして感じるものではないので)
脳の研究の方とも繋がっていきそうですし、
empathyは言語と絡んで行きそうですね……。 よく分かりませんが(汗。
発達の過程については、情動調律と絡んで行きそうでつ。
と言いつつ混乱して来たのですた。。
>今の共感の定義については至近要因の分析?で議論がストップしておりますが(汗、 その先は、あと数〜十数年待たないと。 究極要因についても、詳細な検討はごく最近始まったばかりだし、 発達要因についても、概念の混乱などから、統一された図式は 得られてないように思います(というか、どこまでが仮説で どこまでが実証された話か、良く分からない)。
>>メカニズム(至近要因)/発達の過程(発達要因)/機能(究極要因)/進化(系統進化要因)という問い方をするのですよね? うーんと、まず究極要因は遺伝子プール内の遺伝子頻度を変化させる要因です。 だから、機能(究極要因)というのは、イクナイです。系統進化要因という術語もなくて こちらが単に究極要因に相当します。 次に、ある(心理)現象を起こす要因のうち、究極要因ではないものが一括して至近要因です。 神経回路の配線や配線の変化(学習・発達)、情報伝達物質や感情ホルモンの作用などなどが 至近要因(至近メカニズム)となります。
あれ?発達要因と至近要因を別に扱う人たちはいなかったでしたっけ?
至近メカニズムも、実際には何段階かに分かれますので 具体的に研究を進める際には、いくつかに分類するのが 吉でしょう。究極要因と対比するときには一括するのが 便利です。
>その先は、あと数〜十数年待たないと。 どひー。 そ、そうなんですか…。 要因については、とりあえず鳥の場合だと(汗 1)究極要因(遺伝子プール内の遺伝子頻度を変化させる要因)- 例えば空を飛べる事が適応的? 2)至近要因 a)学習・発達 飛び方を覚える。 b) 至近メカニズム 羽が生える。 というような事になるんでしょうか・・・。
いえ「要因」というのは、ある「現象」が生じる「要因」という意味です。 その意味では、現象があって初めて意味を持つ構成概念ですから、 まず、「現象」から出発して考えるようにしてください。
>425 はいー。 そうでした(汗 鳥が空を飛べるという現象について至近要因として羽の構造・機能・発達や飛び方の学び方を調べ、 究極要因として飛べるようになった理由を調べるということでいいでしょうか・・?(汗 うーん。。
始祖鳥の話は最近のNHKの科学特番でやってたぞ。 あまり興味がないから内容は忘れたが。
ああそうだ…… 実際に空を飛べる始祖鳥が現れるかなり前から、 体に羽毛を生やした小型恐竜が出現していた、とか何とか。 ∧,,∧ ミ,,゚Д゚彡 (ミ ミ) 実は恐竜はフサフサだったんですよ、と。 ミ ミ ∪ ∪
>>426 至近要因はそれでOKです。
究極要因の方は、この場合は飛ぶことの(適応度上の)メリットです。
もう少し厳密に言うと、飛ぶことのコスト・ベネフィットを勘案
した上でのメリットです。
鳥の場合、骨を中空にして軽くしたり、消化管を短くして体重を
減らしたりしてようやく飛ぶことが可能になっているのですが
そのため、骨格がもろくなったり、エネルギー摂取の効率が悪く
なったりしています。そのような適応度上のマイナス要因を上回る
メリットがあれば、それが鳥が空を飛ぶことの究極要因(なぜ、
鳥は空を飛ぶのか、という問いに対する進化的な回答)となります。
⊂⊃ ⊂⊃ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ⊂⊃ ( ´∀` ) < そこに空があるから ⊂ つ \_____________ ノ ノ ノ (_ノ _ノ ⊂⊃ 彡 まだ低空を滑空するくらいしかできなかった始祖鳥の飛行能力と 今の鳥の飛行能力とでは究極要因も変わってるような話も出てたな。
なぜ飛べるようになる前から翼があったか? → 坂を駆け上がるのに役立ったから という究極要因談義が昨日だかの新聞に載ってますた。 (元はサイエンスに載った論文らしい)
始祖鳥なつかすぃ〜 教科書で見ました、昔! 毛の生えた爬虫類って今はいませんよね・・? >429 なるほどです。 コスト・ベネフィットの算出はどのようにするのでつか? 実験により? それとも理論上の計算でしょうか・・見当がつきません(@ @ そういえば近くの大学の研究室ではは鳥をいっぱい飼っていて、 付近に住む人は鳥達をよく見かけるそうですが 何か研究しているんでしょうかねw
>体に羽毛を生やした小型恐竜が出現していた、とか何とか。 始祖鳥=堕天使仮説は、今でも有効なのだろうか? →始祖鳥は恐竜から鳥への進化途上で生まれたのではなく、鳥が再び 陸上生活へ戻っていく過程で生まれた。 ホントかどうか知らんですが。
>>コスト・ベネフィットの算出はどのようにするのでつか? 実験により? それとも理論上の計算でしょうか・・ 実際に子供の数を数えたり(で回帰分析や分散分析にかける) 数理モデルを立てて、どういう条件の時に有利か調べて その条件が成立しているか実証的に調べたり、まあいろいろ な方法を使います。実例は進化生物学の本をご覧になると よいでしょう。
古典ですが、メイナード・スミスの『進化とゲーム理論』は 今でも一読の価値がありますよ。
ちょうどその本を立ち読みでパラパラめくって見ていた事があるですが・・・ やはりどこまで行っても数学からは逃げられないという罠(涙 いや、頑張ってみます・・ ありがとうございます。
通俗書では、ベネフィットだけでコストを考えない議論がしてあることが よくありますが、コストを考えると不成立の議論もままあります。 コスト・ベネフィットをきちんと見積もるには数理的な扱いをした方が 便利なんですよ。自然言語でもできなくはないですが、すごい面倒です。
まあ、非常に面白いアプローチではあるんだけど、 コスト・ベネフィットを指数化するときの妥当性ってどう検証するの? そこんところがいまいちよく分からない。
例えば、孔雀の飾り羽の数と交尾成功との関係、飾り羽の数と捕食による 死亡率との関係などを調べて、コスト・ベネフィットを測定しようと していた研究を見たことがあります。まあ、コストとベネフィットにうまく 分解して測定できない場合も多いですが。 モデルを作るときには、餌・繁殖場所getをベネフィット、エネルギー消費・ 怪我・被食可能性増加をコストを考えて、どういう戦略をとるとどのように コストとベネフィットが増減するか、を考えるのが一般的です。
ゲーム理論とりあえず読み始めました。
ところで肝心な話が置いてけぼりに……。
>>410 「両者(symapthyとempathy)では究極要因が異なる可能性も考えられます。前者(sympathy)は絶滅回避
後者(empathy)は生産のエンジンがプロモートするのかも。」
というのは一体どうなんったんでつか〜。
empathyを持たない人間というのは、なかなか考えるのが難しいけど
sympathyを持たない人間というのは、ある程度モデル化できないでせうか。
どっちかというとempathyの方が、sympathyより不安定だと思われます。 empathyはかなり危険な性質ですからね。
>441 >empathyはかなり危険な性質ですからね。 ええ? そうなんですか? わかりません・・。 「相手がおかれた状態を理解(cognetive empathy)」して 相手と同じ感情状態を経験すること(empathy) は、エラーを起こす可能性もあるからですか? うーん。。
たとえば、フリーライダーに対して共感して 「あいつがただ乗りできて俺もうれしいぞ」と感じる 心理的性質は、容易にフリーライダーの餌食に なってしまうでしょう。
>443 はーなるほど。 でも、フリーライダーに対する共感とともに、 自分が餌食になりたくないという両方あるので、 ジレンマに陥りそうでつ。。
フリーライダーには共感ではなく攻撃が解発されるとおもわれ
そのためには「フリーライダー」を識別して共感の代わりに 攻撃を発動するソフトをインストールしておく必要があります。
そのソフトが集団規範なのか、それとももっとプリミチブななにかなのか、それが問題だ。
そうですね。
その話は後に回すとして、sympathyの方は相手のポジには
共感しないので、フリーライダー識別ソフトを搭載する必要も
ありません。
>>441 はそういう意味です。
今日は190氏がお見えでないですが、ややこしいので改名しました。 相変わらず素人ですが。 >448 >sympathyの方は相手のポジには共感しないので、 >フリーライダー識別ソフトを搭載する必要もありません ちょっと混乱してきてしまいましたが、 sympathyとempathyは同時に持てないものという仮定した場合の 話になりますか?
でもポヂな共感がないと、 心と心の触れ合う恋愛とか 身も心も融け合うセクースとか 成立しなくなってつまらないな ん?ボノボにはempathyがあるのか?
>450 それは、むしろ情動調律では。 empathyだと、「相手が気持ちいいから、私も嬉しい」みたいで、 ちょっと冷めてる感じしませんか?(汗
sympathyは、「相手のネガティブな状態のみに対する共感」という ことのようですから、empathy(ポジも含めた共感)とは別概念です。 >心と心の触れ合う恋愛とか身も心も融け合うセクースとか は新人になってから発達したもの・・かもしれませんね。 簿の簿はよくわかりません。
概念は別だけど、実装上は同じシステムを流用してる気がするなあ。 仮に進化上「sypathyしかできないサル→empathyもできるサル」だとしても。 気分がするだけだけど。
うーん。 私は別なシステムって感じがします。(あくまで「感じ」ですが…汗) 机上で学んで「可哀想」と思うのと、 経験で、実感として「可哀想」と思うのは何か違う気がするのですが・・・。
実際のシステムは私も分かりませんけどね。 少なくとも両者は機能が別で、empathyの方は「対フリーライダーソフト」 も合わせて買ってこないと使い物にならない危険なソフトだとは 推論できます。
それもあるけど、フリーライダーを見破るような能力、 つーか、共感すべき相手とそうでない相手を見分ける能力、 これは複雑な認知的判断能力が発達していないとムリだらう つまり人間は脳みそが発達したから愛に目覚めたのら。
>455 思ってもみない刺激的な展開な訳なんですが・・・<相手のポジを 喜ぶempathyは、危険なソフトという仮説。 「対フリーライダーソフト」というソフト・・・ 人見知りとか、駆け引きとかしながら、相手が 自分と同様にempathyを持つかどうか判断するようなもの? (自分,相手)=(empaty,empathy)ならば危険でないけど。。
狩猟採集生活社会におけるフリーライダーを、ごく簡単に
「健康なのに狩猟に参加せず、そのくせメシだけは一人前に食うやつ」
と定義し、そういう奴はなにはともあれ処分されることになる、
というモデルを組み立てると、面白い事象が演繹できる。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/618.html 職業が分化し、とくに、学問芸術のような高等な活動が始まるためには、
フリーライダーに対する取り扱い規定を一部変更しなきゃならない。
ところがどっこい、今でもあるんだ、
「学問なんて世の中の役に立たない、コストの無駄だ」という主張はさ。
>「健康なのに狩猟に参加せず、そのくせメシだけは一人前に食うやつ」 >と定義し、そういう奴はなにはともあれ処分されることになる、 >というモデル 怖いでつ。。。(汗 というか、あまりひどいようなら、外的サンクションで減少させるべき行動かも。
今のこの国にだって、国民には労働の義務があるんだぜ。罰則規定はないが。
よくわからない素人ですが学問はコストの無駄という人は 近視眼的な見方しかできないのかもしれませぬなあ・・・。
社会的ジレンマ状況では、近視眼が遠眼鏡に勝ってしまうのでいす。
学問などの「直接生存に結びつかない」活動にコストを割くためには、 エネルギーの供給(食糧の確保)が安定体制に入っている必要がある、 つまり、大規模な農業が始まり、都市と王権が出現しなきゃならない、 すなわち、文明がなければ、人間の豊かな文化的活動などありえない。 近視眼でもなんでもない、これはただの現実的制約に過ぎない。
しかしこんなことを言うとレヴィ=ストロースに怒られそうな罠
タカとハトが風邪で朦朧とした頭の中で戦ってますが・・(汗。
学問は「直接」生存に結びつかないが、ヒトは、自らの環境を変容させようと
する戦略を取っている動物だと思うんで、
学問が「社会」を変容させる場合は、そのベネフィットがコストを上回る
可能性もあると思います。
ただし、エネルギーの供給(食糧の確保)が安定体制にない社会的ジレンマ状況では
>>462 で177氏が仰っているように、近視眼が遠眼鏡に勝ってしまうのかと。。
知の希求はヒトに実装されてないのでしょうか?
また、学者の数はどの母集団の中で割合で安定するのでしょうか?
>>463 生産力の増加は必要条件ではありますが、十分条件ではない罠
>>学問が「社会」を変容させる場合は、そのベネフィットがコスト
を上回る可能性もあると思います。
社会全体にベネフィットがあるとすると、コストを負担した人にも
しなかった人にもベネフィットがあるので、フリーライダーの方が
得になります。
そもそも…… 最初期の学者は、まだ宗教者と未分化であったと思われる。 たとえば古代エジプトでピラミッド建設の指揮を取ったのは神官たちだが、 その中には設計図面を書いた奴もいたわけだ。あんなものを設計するには、 建築学やら、力学やら、俺にはよく分からんが大変な知識が必要だろう。 四大文明のころには既に第三次産業が出現しているわけだが、 神官というのも単なる宗教関係者ではなく、いわば役人、公務員みたいなもんだ。 素朴な定義でいけば、彼らはまだフリーライダーではない。 ところが、ぐっと時代は下って紀元前6世紀、ギリシアに「哲学者」が出現する。 彼らは支配階級であり、働くことはない。産業の担い手は奴隷である。 いちおう民主主義という建前だが、実体は貴族寡頭体制であるこの時代、 労働に従事しない、公僕でもない人種が出現してはじめて、学者が生まれる。 彼らの生み出した「学問」はたしかに社会を変容させ、いまなお小さからぬ影響を及ぼしている。 ピタゴラスも、エウクレイデスも、アルキメデスも、ヒポクラテスもこの流れの中にいるんだから。 エウクレイデス、つまりユークリッドの幾何学が人類に与えたベネフィットなんて測定できると思うか? ところが実際問題彼らの学問が同時代にどれほどのベネフィットを産んだかというと、 たとえばアルキメデスはシラクサ王の軍事顧問をやって新兵器の開発にあたったが、 たいした役にも立たなかったらしくシラクサはあっけなく落城、彼自身も殺されてしまった。 長期的な知の集積と活用という問題は、まあ言ってみればミームではあるが、 それを系統的に論じるには科学哲学のパラダイムが必要になるし、もはや話が違う。
中国史でも問題は本質的には違わない。 諸子百家の担い手たちを見ていくと、政治家か、木っ端役人か、 王族か、あるいはもう一つ、「食客」と呼ばれていた、 王や権力者に保護されて知的活動に従事していた、 いわば一種のブレーン集団のどれかに属しているのが普通だ。 要するに、権力を握っているか、あるいは権力に保護されているか、 さもなきゃ別に生業を持っているかしないと、学者にはなれない。 いまもアカポスってのはそんなもんだしな
ちなみに、同じ時代、ギリシア人たちは芸術活動にも血道をあげている。 ギリシャ人たちは、楽器が演奏できたり歌がうたえることを最高の教養の 証であると考えていました。ですから、私がギリシャ人の中で最も有名な 人間であると思っているエパミノンダスは、竪琴に合わせて歌をうたうのが 実にうまかったと言われています。一方、テミストクレスは、その数年前に 食事の席で琵琶を弾くのを断わったために教養のない人間だと思われています。 このようなわけで、ギリシャでは音楽家たちが栄え、誰も彼もが音楽を学んだのです。 逆に音楽を知らない者は、充分な教育を受けた人間だとは見なされなかったのです。 ――キケロ 『トゥスクルムの別荘での対話』 もちろん音楽だけでなく、彫刻、詩文、絵画、建築、いずれも華やかりし時代だ。 しかし、「ラオコーン」や「瀕死のガリア人」がギリシア人たちを生存上どう有利にしたのかは謎だ。
ただ、文化の生態学的適応の観点から古代ギリシアを見直すと、 実はこのペロポネソス半島という土地は、地味が貧しく居住可能域も狭い。 だから、食糧を増産したり、子供をたくさん作るという戦略は有効的ではない。 開拓する土地がないから食料は増産できないし、人は既に有り余っていたからだ。 この時代のギリシアで同性愛が大流行し、異性愛者は教養的でない人間だと 見なされていた、などという話があるが、それでもなおギリシア人は増え続け、 半島の中に収まりきることができず地中海全域に拡大、植民都市を築いている。 人的資源は有り余ってるから奴隷として活用できるし、ヒトの本来の 生物としての目的である繁殖活動に必要以上のエネルギーを割くことができない。 要するにみんなヒマで、なにかやることを見つけなきゃあならなかった。 この環境的諸条件は、かの地で最初の哲学が出現したことと無関係ではないだろう。
>社会全体にベネフィットがあるとすると、コストを負担した人にも
>しなかった人にもベネフィットがあるので、フリーライダーの方が
>得になります。
むむ、確かにそうですね。。
学者にはある程度の社会的メリットが与えられ、
それで、ある一定数の割合で安定すれば話は分かるのですが。
>要するに、権力を握っているか、あるいは権力に保護されているか、
>さもなきゃ別に生業を持っているかしないと、学者にはなれない。
というのが、妥当な線なのでしょうか……。
でもそうなると、苦学生しながら学問の道を行く学生さん達の
強化子は何になるんでしょうか。
アカポスゲット?
>>467-470 なるほどでつ。。
遺伝子やってる友人がおりますが、学生時代は
実験用の天然海老をゲットできるという以外では、苦学生してたようです。
繁殖活動に必要以上のエネルギーを割くことができないという環境では
なかった筈ですが、確かに人里から離れた大学院を選択していましたが・・。
empathyを持つ動物といったら………う〜〜〜ん・・(汗
empathyと情動調律の違いは何になるのでしょう。
相手が楽しい→自分にも伝播して楽しい気持になる→ウマー
ってことで、empathyの機能は生得的に獲得するものではなく、
学習によるものという可能性はないのでしょうか?
相手が楽しそうってことが分かると、条件づけられているために、
自分も嬉しくなるとか・・
うーん。 自分で書いていても怪しいですが(汗
>>苦学生しながら学問の道を行く学生さん達 ルール支配性行動です >>繁殖活動に必要以上のエネルギーを割くことができない 今の日本でガキ一匹育てるのにどんだけコストがかかるか分かってるか? まあ、そういう問題ではないが。
>今の日本でガキ一匹育てるのにどんだけコストがかかるか分かってるか?
それはもぉ傍目にも、間近で見ると恐ろしいくらいに、
お金も時間も体力も・・。
それでも、子供はいいものだと思いますが。
って思うのは何故? ホルモンの影響か?(w
って話がずれてきましたが。
>ルール支配性行動です
自ら強化子を与えて条件づけている人もいる…。
あれは何故??
ところで、まだ読み終わりませんが↓
ttp://cogprints.ecs.soton.ac.uk/archive/00001042/00/preston_de_waal.html とりあえず情動調律とempathyは違うのですね。。
愛他行動と言葉から、つい声高な理念を連想してしまうのですが、
そーいうバイアスは置いておいてw
野犬が、群れに危険が及んだ際に注意を促すような行動などが例として
挙げられてますたので
>empathyの機能は生得的に獲得するものではなく、
>学習によるものという可能性はないのでしょうか?
は却下(自爆。。
>>って思うのは何故? 利己的遺伝子の陰謀です >>自ら強化子を与えて条件づけ そのような行動に強化子が随伴しているから。
>474 はぁ、そぉですか・・・。 いーですよ、もぅ。。
利己的遺伝子は陰謀なんて立てないし・・。 >そのような行動に強化子が随伴しているから。 無限ループじゃないですか・・・。
君はこの種の問題を取り扱うには人間でありすぎる。
え? 感情的ってこと?
感情とはちがうなあ。 分析視点から人間としての価値観を取り除けていないということだ。 これが極端になると、道徳性は普遍だなどという馬鹿な主張をすることになる。
>道徳性は普遍だなどという馬鹿な主張をすることになる。 むしろ、そういうのは苦手なのでありますが……。 自分なりの価値観はあるので、その辺り取り除けていないかも しれませんけど(汗。 確かに、自閉症の母親が育てた子供がどのような言語や情緒における障害を 持つかどうかを研究の対象とするのは、あまりウェットな人間だと 続けられないかもしれないですね・・。
人間とはこのようなものだ、このようであってほしい、という幻想。 とくに、自分の理解を超えた他者の行動を理解しようとするとき、 「こうであってくれれば納得ができる」という筋書きで理解しようとしてしまう。 このバイアスを排するには、相対主義の目がいる。
>人間とはこのようなものだ、このようであってほしい、という幻想。 確かに理解を超えている人がいる時は誤った解釈をして 後で、痛い目に合うことは時々ありますが・・・。 「対フリーライダーソフト」がインストールされてないのかも………。 ガーン。。。 相対主義・・・・。 って具体的にはどういう事でつか? 絶えず懐疑的に物事を見ること? 荒らしの心理学スレのXYZ氏のレスをあー人が良すぎるなぁと思って 見ていたのですが、その一方で、 empathyの戦略を取っても大丈夫!っていうことを ディスプレイすることで他の形質の優秀さを示すという 「ハンディキャップの原理」になってるのかなぁ と思うくらいの冷静さは持ち合わせておりますが・・・。 (勿論、ご本人にそのような自覚はないと思いますが・・汗)
>>482 君には相対主義は無理。
この予測は92%当たる。
>>482 他所の部分へのコメントは,気が向いたら件の飲み屋でしますが一点だけ.
>相対主義・・・・。 って具体的にはどういう事でつか?
>絶えず懐疑的に物事を見ること?
それは単なる懐疑主義.
相対主義は,異なる立場では異なる真理があることを肯定する.
もっと言えば,真偽に関する相対主義,善悪(倫理)に関する相対主義,
美醜に関する相対主義と,真善美それぞれに切り分けることもあったんじゃないかな.
「そのとおりです.君の心的現実においては」ってのは,相対主義の典型とも言えるんではないかな.
>484 どうもでつ。 相対主義と懐疑主義の違いについては了解しますた。。
社会的ジレンマがらみの問題は、何が問題(=謎)なのかを 把握するのが難しいのでいす。ロボ氏が沢山事例をあげて 下さってますので、その辺をネタにぼちぼち考えていきましょう。 (ROMの方も考えて見てください)
まず、社会的ジレンマの定義を振り返っておきましょう。 拡張形はいろいろありますが、基本形は二つの戦略CとDがあって 集団中のCとDの割合にかかわりなく Cの適応度 < Dの適応度 が成立して、かつ 全員がCのときの 全員がDのときの Cの適応度 > Dの適応度 が成立している状況が社会的ジレンマ状況であると、いうことが できます。別の言い方をするとDが常にCに優越するにもかかわらず 全員がCの状況が全員がDの状況にパレート優越する状況ということ ができます。
プレーヤーが2人の場合は囚人のジレンマゲームに帰着しますが 通常は3人以上のプレーヤーがいる場合を社会的ジレンマといいます。 そこで働いているであろうジレンマ回避(C行動をとる状態がある程度 安定して維持されること)のメカニズムがかなり異なるので 別概念として区別しておいた方が便利です。 さて、社会的ジレンマ状況では上の第1式のように、常に Cの適応度 < Dの適応度 となるので、常にDのシェアが増加し続けると考えられます。 にもかかわらず、Cが維持されることがあるのかないのか あるとすればどのような場合か、を考えることがジレンマ研究の 焦点になります。
ところで 一人で仕事を行なった場合の達成量×N<N人で協力して仕事を行なった場合の達成量 ってのは想定していいの?
仕事の種類にもよりますが、大体そうかな。 食料を採集で集める場合には 一人達成量×N=N人協力達成量 でしょうし、狩猟を行う場合には 一人達成量×N<N人協力達成量 となりそうです。まあ「うまく役割分担できれば」という 条件付で、後者が成り立つ場合が多いような気はします。
これがもっと難しい課題、たとえば「治水事業」などになると、 一人達成量×N=0ということも起こりうるわけで。 しかも、完全に達成されなかった場合のベネフィットは0同然だが、 完全に達成された場合のベネフィットは極めて大きい。 ここまでくると、役割分担と協力体制の維持を制御する機能、 つまり王権の出現が期待される。で、社会契約と。
そこまで行くにはかなりの飛躍が必要になりますね。 単に「治水に失敗しますた」で終わるのが、 最尤推定値でしょう。 ちなみにジレンマ回避メカニズムは大きくわけて 自律回避型(AllCや応報戦略の採用) サンクション型 に分類できますが、王権の成立はサンクション型の 延長に位置づけることができます。この場合は 「なぜサンクションを与える人がいるのか」という 問題を解かなければなりません。
ヒトが出現したのをざっと20万年前として、 治水事業が成功し文明が出現するまでに 19万と数千年かかってるわけだからねぇ…… これは一人の王にとって大きな事業であるが 人類にとっては大きな飛躍である、と
しかし王権の「出現」とはいうけど、リーダーシップ機能自体はそれ以前から、 というかヒト出現よりもかなり古い段階からあったものなわけで。 集団自体が小さいうちはみんな直接民主制だったと考えられてるけど、 結局のところ独裁型は民主型よりも作業量で勝る。 時代が全然違うが封建体制から中央集権体制への移行とか、 ともかく「統制機能を一箇所に集中させること」がもたらす利益は大きい。 サンクションにしても、古くは、というか今でも小部族社会ではそうなんだけど リーダーは主に議事進行だけを担い合議の上で裁定を下す、というシステムだったろう。 単純に 1、集団が達成できる仕事が大きければ大きいほど個人の利益も大きい 2、集団が内的に統制されていればいるほど集団が達成できる仕事は大きい とすれば、リーダーシップ(これは必ずしもリーダー個人とは限らない)がうまく働けば 個人の生存も有利になると予測される。つまり三隅先生のPM理論だけど。
エジプトにおける王権の出現に関する一つの考え方として、 その時期のなにがしかの気候条件だか何だかが原因となって ナイル流域へのかつてない大規模な人口の移動が起こったという説がある。 人口が過密になったら、単位面積あたりの生産力を増やすか、 あるいは人口の一部を移動させるか、さもなきゃ殺しあうかしなきゃならない。 これ以前からナイル流域では粗放的な農業は行なわれていたし、 それなりに栽培作物の品種改良も進んでいたんだが、 ナイル川が氾濫するせいでなかなか安定した収穫はあげられなかった。 ここで人余り状態の労働力をうまく一つのリーダーシップのもとに統合して、 ナイル川治水という大事業を実現すれば、問題は全て解消する。 バラバラな連中を一つの集団として統合するということが どれほど厄介で、困難で、また流血を伴うものであったか、 想像するに余りあるものではあるが。
それはPだけですけどねw それはそうとして、 リーダーシップをとる リーダーシップをとらない プレーヤーの適応度 > プレーヤーの適応度 が成立しないと、リーダーシップは進化できないはずです。 議事進行のコストは大したものがないかもしれませんが、多少は あるでしょうし、話し合いの結果に従わないプレーヤーをモニター してサンクションをかけるとすると、そのコストは馬鹿にならない はずです。果たして上の式は成立するのでしょうか?
リーダーシップをとる リーダーシップをとらない プレーヤーの交尾成功回数 > プレーヤーの交尾成功回数 じゃダメ?
一つの手がかりとして、直接民主制に近い社会であればあるほど、 規範を破る個体は出現しにくい、ということがあげられると思う。 こないだアイスランドで銀行強盗があったんだが、信じられないことに、 建 国 以 来 は じ め て のニュースだったそうな。 モニター自体が効きやすいからフリーライダーの成功率が小さく、 必然的にサンクションシステムのコストも低く推移する。 罰にしても、「集団から追放」とか「神の生贄にする」とか コストが小さくて済むやり方をいくらでも選択できた。 これが進んだ文明形態になってくると、 一人終身刑にするのに数十万ドルとか、とても面倒なのだが。
「リーダーシップ」と「交尾成功」の因果関係を どう想定するのでしょう?
無意識に500下戸
>>499 コストが小さくても0では無い罠。
サンクションが進化するには、不等式が逆に
ならなければならないはずです。
オスの社会的序列に対するメスの選好性。 太古母系性社会が説明できなくなる罠。
w ちなみに、社会的序列=リーダーシップ なのでしょうか?
社会的序列の頂点にいるものはリーダーであり、 社会的序列のシステムは必然的にリーダーを発生させる、 というモデル 人間はいまでもそういうのが残っている、つまり、 男には出世したいという本能がある というのは俗によく言われることではあるが……
社会的序列の上位にいてサンクションを実行するプレーヤーと 社会的序列の上位にいてサンクションを実行しないプレーヤーとを 比較する必要があります。 後者の適応度が高ければ、社会的序列とサンクションは直結 しないことになります・・ と、まあこんな調子で考えていくと、ジレンマ回避というのが 実に困難で、第2水準の存在が不思議であることが分かってきます。
社会的序列ってのは非社会的動物、たとえば野良猫にだってあるんだけど、 野犬のボスと野良猫のボスじゃ立場も役割もだいぶ違うんだよな。 しかし、サンクションの実行そのものもエサの確保と同じ集団課題であって、 サンクションを実行しないことはサンクションの対象だと思うんだけど。
サンクションをしないプレーヤーに課するサンクションのことを 2次サンクションといいます。2次サンクションにコストがかかるので あるならば、同様のロジックで2次サンクションの存在は「不思議な 現象」となります。さらに高次のサンクションを想定することは できますが、実証的には3次以上のサンクションは存在していない ようです。
508 :
没個性化されたレス↓ :03/01/27 19:33
以前、ニスベットの研究で、アメリカ南部の男性は怒りっぽいみたいなの(曖昧ですみません) があったと思うんですが、これはアメリカ建国後数百年の間にそんな生理的メカニズムが 進化したということですか?そんな短期間に、進化は起こるものですか? そうじゃないとしたら、どの段階で差が生まれるのでしょうか。 初歩的ですみません。
509 :
没個性化されたレス↓ :03/01/27 19:43
>>そんな短期間に、進化は起こるものですか? 起こるわけないだろ!アハハ
いろいろな可能性が考えられますね。まず本当に有意に怒りっぽいのか どうか疑問が残ります。有意に怒りっぽいとすると、その理由として 1 怒りっぽい人の多い民族が選択的に南部に移住してきた 2 攻撃的に振舞うことで利益があることを学習した 3 攻撃的に振舞う人の適応度が高かった といったことがあげられるでしょう。進化というのは3のプロセス による変化のことをいいますが、500年(20世代?)というのは 微妙な年数ではあります。ただアメリカの場合、移住者の数が非常に 多いので、あるとすれば1や2のプロセスがメインだと思います。
>>509 選択差が5%あれば、30世代(600年ほど)で8割がた
対立遺伝子が入れ替わります。淘汰圧さえあれば、数百年の
タイムスケールでの進化は十分起こりえます。
サンクションの問題ってのは要するに 誰かがやったほうがみんなにとって得だが、誰もやりたくないこと というジレンマ?
そうです。その意味では公共財供給問題と同形です。
というか、 誰かがやってくれたら得なので、やってくれたら多くのエサを取っていい 得られる食べ物の量は実行するコストを上回るので、みなリーダーになりたがる 実行するのをやめるとエサを多く取る権利を失い、他の誰かがリーダーになる これで均衡している気がするけどこれじゃダメなの?
I beg your pardon?
1、集団が達成できる仕事が大きければ大きいほど個人の利益も大きい 2、集団が内的に統制されていればいるほど集団が達成できる仕事は大きい ゆえに、 (リーダーが存在する場合の利益−リーダーが存在しない場合の利益) より小さい値の利益はリーダーが独占しても、個人に分配される利益の量は常に多くなる つまり、群れの各成員にとって、リーダーを頂くことは絶対優位の戦略となる またリーダーにとっては、サンクションなり狩猟活動の統制なりといった リーダーシップ活動にコストを投資しても、それを補って余りある報酬が得られるので、 リーダーであり続けることが絶対優位の戦略となる(ただし、これには資質が要求される) カエサルのものは、カエサルに。
現実問題としては、そうすると報酬ばかりガメてコストを投資しないリーダーが出現するわけだが 原則としてそのようなリーダーは報酬を得る権利を失う、つまり打倒される、これぞまさしく革命権思想。
うーんと、群れの構成員の中に、快くリーダーに資源を 引き渡すものと、それを渋るものがいる場合が問題になりますね。 (引渡し戦略の適応度)<(引き渡さない戦略の適応度) と多分なるでしょう。
第三身分とは何か。全て無である。 公共財ジレンマはしつこいなぁ
というか、税金とかなんとかの問題になってくるから話がややこしいけど、 哺乳類一般レベルのリーダーシップにおいては、「引き渡し」の過程 そのものがなくて、ボスは勝手にたくさん食べて誰にも文句を言わせない、 という程度のことでこのジレンマ回避が成立してると思うんだけど。
まあね。それで根気が無くなってこの分野から撤退する人も沢山います。
あと、
>>517 の問題も重要で、がめるリーダーががめないリーダーより
有利ですし、それに反抗する場合も、誰かが反抗してくれば自分は
何もしないほうが安全です。
>>521 その方向に話が進むと、「第2種のジレンマ」問題が浮上します。
これが前に書いたレギュレーターはいかにして可能か、という
問題につながっていきます。
さっきも出てきましたが、勝手に沢山食べるだけの上位個体と、 食べる一方で調整役を果たす上位個体とどちらが得か、という話です。
坂口安吾が書いてたなぁ。 みんながやりたがるわけもないのに、 誰かがやってくれた方がいいことを、 やらせんがために武士道は発明されたと。 調整役を果たすという一見不利な行為が その個体が精強であることを示すシグナルになる、 などとハンディキャップ理論を持ち出して さっきも書いた性淘汰から話を引っ張ってみるのは?
たまたま「調整役」がシグナルになればいいですが 「暴れん坊」がなるかも知れませんし、「自傷癖」が なるかもしれませんし、無数のハンディキャップシグナル 候補があるので、「調整役」が当たる可能性は低いで しょうね。
確認しておきたいんだけど 沢山食べつつ調整役を務める個体が、 勝手に沢山食べるだけの上位個体より 原則として不利になるのは、なぜ? 動いた分腹が減るからと、 反抗者に攻撃されるリスクがあるから?
>動いた分腹が減るからと、 >反抗者に攻撃されるリスクがあるから? そうですね。通常、怪我の可能性というのは適応度を 大きく下げます。腹が減って採餌に出かける回数が増えると 捕食者に遭遇する確率が増えるので、これも避けたいところ です。あとは、機会費用ですね。調整行動にかける時間を 餌資源の確保や雌の確保に振り向けた方が一般に繁殖成功は 高くなると考えられます。
リーダーでいることの最大のリスクファクターって、 リーダーになろうとする奴に攻撃されることなんだよなぁ。 極端な例としては、235年から284年の軍人皇帝時代、 26人のローマ皇帝が君臨し、うち24人が非業の最期を遂げている。 それでもみんな皇帝になりたがったんだからたいしたもんだが。
そんなわけで、よく考えてみると世の中不思議な現象は 沢山あります。これを「不思議だ」と認識するところから お話が始まります。
なぜ、今ある生き物は、今あるように、あるか。 考えてみりゃ、進化生物学自体こういう不思議さを抱えた分野だものな。
まさに、その通りです。その中でも人間は不思議な存在です。
ROMの皆様も、ある程度、問題の所在を お分かりいただけましたでしょうか。 不明な点などありましたら、随時質問してください。 では、続きはまた明日。
人間が生きていること自体すごく不思議、と考えるのは 科学的ですか、それとも馬鹿ですか? 考え過ぎて考え死にそう。
いんや、俺も不思議だと思う。 生きてるから死なないけど。
ほほー。 すごいW 上記は、「万人に対する万人の闘争」というホップズの言ったような人間観に基づいて考えているのでしょうか? 性悪説、性善説、両方ある説、と3通りの考え方が政治学でもありますが、そういうのをゲーム理論で考えようとしているのでしょうか・・? サンクションの主体が個人に帰属しない構造を持った社会は どのような条件であれば安定的に成立可能でしょうか?
>上記は、「万人に対する万人の闘争」というホップズの言ったような
>人間観に基づいて考えているのでしょうか?
というのがよく見られる誤解ではあります。ある人間観を仮定して議論
をしているわけでは無い点に注意してください。
(
>>486 から
>>532 まで、どこにもそういう仮定は置いていませんね?
確認してみてください)
>>533 個々の細胞が生きていること、細胞が集まって一つの個体を作っていること
個人が集まって社会を作っていること、どれをとっても不思議な現象です。
いずれの現象の背後にも「複数複製子間の協力はいかにして可能か」と
いう問題が横たわっています。
はい、すみません…。 ある人間観を仮定して議論してはいなかったです。 とりあえず人間のことは忘れます…(汗。 リーダーシップをとる リーダーシップをとらない プレーヤーの適応度 > プレーヤーの適応度 とならない限りリーダーシップが進化しないという話ですが、 素朴な疑問があります。 プレーヤー(固体)の適応度と、リーダーシップの適応度に、正の関数を見出そうとするプローチそのものを疑ってはいけないでしょうか? というのは、各動物によって、固体の自律性がどの程度確立されているのかが分からないので、仲間に危害が及んだ時には感情伝播のような形で、 固体の適応度 < 集団の適応度 という図式がプリミティブに搭載されている可能性を考えてはいけないでしょうか? これは生態学的にNGでしょうか? 人間においても、社会形成、リーダーシップを取る固体の発生と、固体の自律性(自他区別)の確立されたのとは、どちらが先か、同時なのかが気になります。 ヒトが呪術的、神話的、無意識的な混沌とした意識状態から抜けだし、個人やアイデンティティーという概念を持ったのは、社会形成より後(のはず? 汗)ですし、 集団のリーダーも当初は呪術的宗教的な影響力を持ったヒトであったという可能性はないでしょうか? と、どこまでも外れていってしまっていそうな予感ですみません…(汗。
適応度とは、子供の数の期待値の事で(以下略
はい・・ そうです…(また恥。 リーダーシップが進化するためには リーダーシップをとる リーダーシップをとらない プレーヤーの適応度 > プレーヤーの適応度 の成立が条件となるとのことですが、 個体自身を犠牲にして集団の利益を図るような性質が進化することは、 難しいというのは了解ですが、 可能性として、感情伝播により固体としての自律性が失われ 通常では有り得ない選択をする可能性はないのでせうか? サンクションを施行する主体は リーダーシップと取るプレイヤー(自律的な固体)一匹になる場合と、 村八分など、サンクションの主体者が不明確で、固体というよりは、 固体が集団に同化し、集団全体がサンクションを行う場合もある気がして 気になりますた。
>>540 「感情伝播により個体としての自律性が失われ通常では有り得ない選択」
をする戦略(=ここではリーダーシップをとる戦略)が進化するため
の条件が
リーダーシップをとる リーダーシップをとらない
プレーヤーの適応度 > プレーヤーの適応度
です。
どのようなケースでも固体の適応度が何よりも優先されるというのは 命題なのでつか・・? レミングスの集団自殺も、雌の数が雄より圧倒的に少ない時に、 あぶれた雄が繁殖相手を探して移動するというのが定説なのでしょうか? でも結局は川か何かに落ちて死んでいるのですが・・・ ・・うーん、そういう事ではないのでしょうか・・・。、 うーん。
適応度は子供の数の期待値です。子供の数の多い戦略のシェアが増える ことはそんなに難しい理屈ではありません。 たとえば今、戦略Aの個体が50頭、戦略Bの個体が50頭いるものと しましょう。ここで、 Aの子供の数の期待値(適応度)=1.02 Bの子供の数の期待値(適応度)=0.98 で、子供の戦略は親の戦略と一致するものとすると、次の世代では A 51頭(51%) B 49頭(49%) となって現在よりAのシェアが増します。 逆にいうと、Bの適応度がAの適応度よりも(常に)小さいならば、 Bはシェアを増やすことができず、やがて集団から消滅してしまいます。
>>543 なるほどです。
分かっていた「つもり」だけで、混乱していたのがすっきりしました。
何がひっかかっていたんだろう自分…。
…どうも、「リーダーシップを取るか取らないか」という選択より、
「集団の構成員がリーダーと認めるとはどういう事か」という方が
気になってしまっていたようで
そのために、進化論を適用できるのかどうかという事で
ひっかかっていたようです。 (ほんとに、すみません・・)
ほかにも、リーダーシップなんて頼まれても取りたくないや…という
気もちが根強かったので、どうにも上手く考えられなかった
みたいです…。
リーダーシップを取ろうとする前段階の行為を、相手の上に立とうとする
戦略という事にして、
タカ・ハトゲームみたいに、
D戦略:傷つくか相手が逃げ出すまで戦いを挑み続ける
C戦略:まず誇示する。 相手が戦いを挑めばただちに逃げ出す
混合戦略
の3種類の戦略があるとして、ある一定数の対戦後勝ち上がった個体は、
リーダーシップを取らねばならず、コストを請け負うことにする
モデルを考えるのは、意味がないでしょうか・・・。
とりあえずもっかい、
>>486 から
>>532 をも一回読んで来まつ…。
今気付きましたが、タカハトゲームも適応度は子供の数の期待値というのも 雄の論理だったんですね・・・。 雌は卵子の数は精子よりずっと限られているし 出産のコストも大きいので子供の量より質が大事になります・・ 雌には雌のゲーム理論があっても良いのでせうか?
タカハトゲームはメスのロジックですよ。
基本的に進化ゲームはメスを想定して作られています。
オスにはオスのモデルがある、という方が適切です。
それから
>>544 は、リーダーシップをとらなければ
ならない理由をモデル化するのが困難です。
>546 タカハトゲームがメスのロジックというはどうしてですか・・・? メスも餌や縄張りの為に戦う事はあると思いますが 雄ほど好戦的でないように思っていましたが・・ 適応度も、雌が持てる子の数には限りがあるから 雌の適応度は子の数の期待値ではなく質重視となり、 餌や縄張り以上にどのような雄を選択するかが適応度の尺度になりそうな気がして・・・ うーん。 ゲーム理論なかなか読み進めないので また勘違いをしてるのでしょうか・・・(汗
ROMの人間にもわかるように話を進めるつもりなら、
>>542 の一行目の
問題についてはもうちょっと説明しておいたほうがいいんでないかな。
その命題こそはまさしく、進化論の原点であり中枢である「適者生存」の法則なわけで。
モデル化は困難でつか・・・ 勝ち上がった固体は適応度が増し縄張り等の資源がどんどん増える。。 自分だけでは維持できない一定数に達した時、 侵入者を許すか、子分により見張らせるかどちらか一方を選ばなくてはならない。。 後者を選択した場合は必然的にリーダーシップを取る事になる。 ではダメでしょうか・・?
目の前の本の1章に書いてあることなので、簡単に説明しておきますが ・タカハトゲームは、単為生殖する半数体メスを想定したモデル (2倍体を想定すると面倒なのでまず簡単なモデルを立てた) ・適応度の差はプラスマイナス数%もあれば十分な淘汰圧として機能する (そんなにあることは稀ですが) のです。
>>549 子分に見張らせるのはかなり難しいことですが
それとリーダーシップともつながりません。
>>548 「適者生存」は誤解を招く表現(というかそもそも正しくない表現)
なので、最近は使いません。私は「よく増える戦略ほど良く増える原理」
と呼んでいます。説明は
>>543 の通りです。
あらゆる生物の種において、生存に適さない形質をたまたま持って
生まれたものは「選択」されてその血統は死に絶え、より生存に適した
形質を持ったものだけがこの競争を有利に勝ち抜いて子孫を残す。
やがて、何百、何千という世代を経たのちには、勝ち残った系統の
形質のみが種の中に定着し、それが新しい種の特徴となる。
このダーウィンのアイデアを、フィッシャー、ホールデン、ライトらが
>>543 のような数理統計学的手法によって証明し集団遺伝学が生まれた。
で、これにはじめて真っ向から反論を唱えたのが故・今西錦司なわけだが。
>550 ありがとうございます。 教えて頂いた本(進化とゲーム理論 メイナード・スミス)は やっと2章目まで読んだのですが(疑問点も幾つかあり、ちゃんと理解できているかも怪しい・・汗) まだ繁殖は無性生殖という仮定のところしか読んでおらず 適応度が子供の数という例にだけつまづいてしまいました。 携帯からなのでまた明日色々と調べてみます。
ついでながら >>適応度が増し縄張り等の資源がどんどん増える。。 も因果関係が逆で、資源が増えるので適応度が増します。
つまりは,「増減結果から,その適応度を算出する」という理解でよいのかな? GAなんかの思想はそうなってたと思ったが.
>>555 直接子供の数が分かる場合はそれが適応度ですし、
直接分からない場合はシェアの増減から推定できます。
子分に見張らせるのは難しくコストがかかっても、 適応度の維持と増加によるベネフィットがコストを上回れば、 見張らせる方を選択すると考えてはいけないでしょうか? リーダーシップは子分を統率する為に必要ではないでしょうか・・ ダメかなあ・・
時間差でした(汗。 >554-556をもっかい考えてみます・・・ 今西理論は住み分けでしたっけ・・ よく知らない罠。 というか恥。
>>557 486以降で問題にしている「リーダーシップ」は
社会的ジレンマ回避に役立つリーダーシップ(=D行動に
サンクションを与える行動)のことです。子分を搾取する
リーダーシップとはイコールではありません。
>>558 よく知らなくても特に問題はありません。
(知識収集家にとってはその限りではありませんが)
>559 了解しますた。 子分が複数になった際は、 搾取する一方では子分による反乱の恐れがあるので 子分達集団にも分け前をやる。 子分同士の争いは見張りが手薄になる事を意味するので リーダーにとっては集団内ではD戦略を取った子分にサンクションを与える。 もうこうなると作文ですが・・・(汗
進化論史を齧るなら、今西に限らず、 ラマルクもコープもルイセンコもカンメラーも押さえておくべきだが、 ダーウィニストにとってのこいつらの立場は、 実験心理学者にとってのユングの立場よりもっとひどいくらいなもんだからねぇ
親分の方が強い場合には、一般に 子分を目一杯搾取する 手加減して搾取する 戦略の適応度 > 戦略の適応度 となります。上位個体が複数いる場合には、上位個体間の 競争で搾取が強化されると予測されます。
ユングより低いとはかなり・・でつね(汗 心理学じゃなくても科学じゃなくとも、読み物としては好きなのですが・・(苦笑 親分が複数になった場合は、親分同士の争いになりそうでつ。 一騎打ちとなるか集団同士の戦いかとなるかは分かりませぬが・・ さっきから狂暴な鶏の争いがイメージされるのですが、 鶏ってリーダーを持ちその指令に従うような集団ではないですよね・・・(汗 イメージするなら野犬あたりが良いのでせうか?
俺はいちどだけウィルス進化論の提唱者の著作を読んだことがあるが、 反吐が出たぞ。
それにひきかえ、ダーウィンの「種の起源」の科学精神に溢れていることといったら、 それはもう惚れ惚れするほどのものだ。内容それ自体は当然ながらかなりまだ 未熟なものなんだが、自分の理論のどこに瑕疵があるかを真摯に検証しようとするその姿勢がだな…… んなことはどうでもいいが。
会社の家畜はそろそろ寝ます・・ ありがとうございまつ。。
>>567 いえ、とても大切なことです。
>>565 何をイメージするかはお任せしますが
いずれにせよ、人間のジレンマ回避メカニズムとの間には
かなりの距離があります。
人間の歴史において、子分をめいっぱい搾取する戦略を取って 一時的にでも成功した例は俺の知ってる限りではスパルタ人のそれをおいて他にない。 ふつう、いかなる国家においても、支配階級は常に妥協を強いられる。 人類史上最初の帝国とされるアッシリアは被支配民族を弾圧しまくり、 反乱者に対して一切の妥協を許さなかったが、武装蜂起が起きまくってあえなく滅亡した。 一般に、反乱を鎮圧するための軍備費よりは、福祉に予算を回したほうが経済効率はいい。 悪辣な大英帝国ですらセポイの反乱に懲りてインド統治政策を大幅に見直している。 ところが、古代最強と呼ばれた戦闘民族であるスパルタ人は、 自分たち市民と、それに支配される奴隷階級の間に非常に厳しい階級制度を設け、 徹底的な、またあらゆる搾取を敢行した。当然ながら奴隷たちはしょっちゅう反乱を起こしたが、 スパルタ人は常にこれに対して武力弾圧で臨み、一切の妥協を行なわない政策を堅持した。 これが実現しえたのは、ひとえに、彼らスパルティアタイが、日常の情熱の全てを 戦闘訓練のみに注ぎ込むという徹底的な軍国主義的手法をとっていたためだ。 外国の商品に触れると市民が惰弱になるという理由で一切の対外交易を行なわず、 そのために身内でしか通用しない鉄の貨幣を流通させたという恐ろしい逸話がある。 結局、この体制は、スパルタが他のポリスとの政治的交流の中で 鎖国を保ち切れなくなったときに崩壊するのだが。
ニワトリといえば絶対的な社会的序列の例として有名な 「つつきの順位」で知られている生き物だけど ニワトリの社会性についての研究を引っ張ってこないことには、どうにも
>569 そういえば、社会的ジレンマを探すことが目的でした・・・ (リーダーシップを取る事に利他的行動を見出せるかどうか気になり つい回り道してしまいますた・・・) 利他的行動を考えるなら、母性的な行為をすぐ連想します。 でもこれだと利己的な遺伝子の一言で片付けられてしまうのでせうか・・? 利他的の「他」は単純に他者ですか? 血縁関係のない他者になりますでせうか・・ む、難しいです。 寝ます・・
>571 そのような研究があるのですか・・・! 子供の頃夜店で買ったひよこ二羽が鶏になり、 さらにお隣から二羽もらった(押し付けられたw) 事があり、 総勢四羽の序列や獰猛なところを見ていたので ついイメージが・・・。 茶化した訳ではないのですたが・・・
血縁者に対する援助行動はあんまり不思議ではないので 非血縁者に対する行動が主な考察対象になります。
コストがかかるにも関わらず、血縁関係のない他者のベネフィットとなるような行動を取る実例って、案外思い付かないのですた・・・ 電車のホームに落ちた人を助けようとした際電車にひかれて亡くなった方や、マザー・テレサ、ポセイドン・アドベンアチャーの主人公(汗、ボランティア活動・・・ それしか思い浮かばない自分が恨めしい・・・
そんなことはざらにあるが、中でも極端な歴史的エピソードとなると 1836年、テキサスはメキシコからの独立を宣言。 メキシコはこれを制圧すべく約六千の軍を派遣したが、 わずか189名からなる市民・義勇兵がテキサスの拠点 アラモ砦に篭城、13日間の激闘の末、全員が戦死した。 彼らの自己犠牲の精神は、いまなおアメリカの魂と賞賛されている。 紀元前480年、ペルシア帝国軍10万がギリシアに侵攻を開始。 スパルタ王レオニデスは要害テルモピレー隘路に防衛線を設営、 わずか7000のスパルタ兵を率いてペルシア軍を迎撃したが、 味方の裏切りに遭い挟撃を受け、最後の一兵までが投降を拒否し玉砕。 その後、この古戦場に、詩人シモニデスの詩を刻んだ碑が建てられたという。 「見知らぬ旅人よ、行きてラケダイモンの人に伝えよ。われら命に服して、ここに眠ると」
杉原千畝
落し物を届けること、泥棒をしないこと、整列乗車をすること 税金を払うこと、投票に行くこと、ごみをゴミ箱に捨てること スピード違反をしないこと、スピード違反を取り締まること、 うそをつかないこと、約束を守ること、臨床消去・・
ルール・マナーを守る行為、それらを守らせる行為は 概ね非血縁者間の利他行動になります。
あらゆる利他的行為の中でも、自己犠牲ばかりは特異だ。 どんなベネフィットがあろうとも、自身の命というコストにはふつう見合わない。 「前97年に人間の犠牲を禁じる法律が出る。つまりそれまでは 奴隷や捕虜を神前に屠ることがあったのだ。もっとも一般市民にも、 みずから進んで犠牲になる奇特な人がいた。マルクス・クルティウスは 地震の時、冥府の神々をなだめるため地割れの中に飛び込んだ。 割れた大地はすぐにまた閉じた。」 モンタネッリ 『ローマの歴史』
まあ、というよりも利他的行動自体、引き合わない行動なので その謎を解くほうが先決です。
1212年、フランス・ドイツの数千人の少年少女が突如啓示を受け、 聖地イェルサレムを解放するべく少年十字軍として旅立つという事件が起こる。 ドイツから陸路を目指した一派は、アルプス越えに失敗して行き倒れになった。 フランスの一派は、奇跡が起こって海が割れることを期待したが叶わず、二人の悪徳商人 「情け知らずのユーグ」と「豚のギョーム」に捕まって奴隷としてトルコに売り飛ばされた。 これほど引き合わなかった利他的行動の記録もなかなかない。
ちなみに「引き合う」場合は厳密には利他的行動とは言いません。 狭義の利他行動は、 自分の適応度を下げ、他個体の適応度を上げる 行動をいいます。
利他的行動の例を探す際、集団による行動は避けました。 固体にとっては利益がなくても、 集団としてはベネフィットのある場合があるので・・・
いえ、個人にとって不利益で集団にとって利益となる行動は おおむね利他的行動です。
紛らわしい言い方をしてしまってスミマセン。
>>584 は、利他的行動の主体者が集団である場合、
一匹の固体が利他的行動いややー思っていたとしても、
サンクションが与えれる可能性がある場合は、
利他的行動を取る以上に不利益になる事があるので、
集団の総意に従い利他的行動を取る(皆がやってるから自分もやる)
という事があるかと思いまして…。
固体による利他的行動と、集団による利他的行動というのを
分けて考える事は、意味があるのか、ないのか分かりませんが…。
…集団心理について考える方向はダメでつか?
うわ誤字脱字すみません(汗。 「一匹の固体が利他的行動いややーと思っていたとしても、 サンクションが与えられる可能性がある場合は、」 ですた… 集団の決定に逆らう 集団が利他的行動に選択したのでそれに従う 適応度 < 適応度 集団が利他的行動を選択した際、大きなコストが将来的にかかることが分かっていても、 集団に逆らう行動が即、死などの大きなコストと繋がる場合は、 (コストが等価であった場合も、) 即、大きなコストがかかる事が予想される行動より、 将来大きなコストがかかる事が予想される行動の方を選択する…などなど。。 ダメでしょうか?
それは遅延による結果の価値割引ですね。
今は一貫して究極要因の話をしています。 (ステ助さんのリクエストでしたよねw) 究極要因の話は適応度だけで進められます。 シンプルですが、その分シビアです。
>>587 はサンクションがある場合にはC行動の適応度が高くなる、
の意味だと思いますが、その場合はなぜサンクションを与える人が
いるのか、という問いを解く必要があります。
>>586 集団心理は有力な至近メカニズムです。ただ究極要因まで
考える場合には、なぜそれが存在するのかを考えなければ
なりません。
異次元から生還したばかりなので、文脈を違えているかもしれないけれど... ステ助さんに、一言だけ口を挟むとすると、「すべての行動を、残せる子孫の 数で評価する」というのは、考え方・理論作りの「前提」。この前提が成立する ならば、今目の前にある現象がどうやって説明されうるのか、を考える。 もし、ある要因を組み込めば、現象が説明できるならば、その要因そのものが、 議論の出発点(=子孫の数が多い方が勝ち)から、どうやって生じてきたのか、 を考える。 集団心理が問題を解決しているのならば、そもそも、その集団心理がどのように 生じてきたのかを考える。それ自体が「子孫の数を増やすため」に有効である 可能性はないのか? 「現実」を知っている人間にとっては、こうした「理論的な考え」というのは 迂遠に見えるかもしれない。が、これを重ねていくことで「さまざまな現象を 少数の原理で説明しようとする“理論”」構築が可能となる。 そんなことを念頭においてみては?
>>583 それなら利他的行動が出現し得ないことは自明であり、
そんな定義の上で「なぜ利他的行動は出現するのか」
を議論するのは、「不可能なことはなぜ可能か」と同じだと思うんだが。
人間の利他的行動ってのはもっと計算されてる。角度とか。
>>586 心理学徒にとっては基本だが、ステ助はもうちょっと
「そもそも集団とは何なのか」を煮詰めて考えたほうがいいぞ。
集団錯誤って知ってるか?
>>592 「不可能なことはなぜ可能か」と同じだと思うんだが。
ようやくわかってもらえたようですね。問題の難しさが。
でも不可能ではないんです。
ちなみに、角度とか計算するのは至近メカニズムですw
けちをつけてる訳じゃなかったのでつが…すみません。 「自分の適応度を下げ、他個体の適応度を上げる」という 利他的行動を取るのは何故かという事を考えていくと、 固体の適応度が一番の優先事項とすることを命題として考えた場合に、 1) 集団錯誤により「誤った」選択をしている。 2) 固体の適応度が上がるなんらかの(隠された)メリットがある 3) 上記1でも2でもない。 → 規範システムが実装されている? の3つになるのでつ。 1はややこしそうなので今は却下したいと思い、 固体による利他的行動の例だけを探そうとしておりますた。 それとは別に、そもそも固体が先か集団が先か?という疑問もあり、 命題そのものへの懐疑も同時進行で発生しレスに紛れていた為に 注意が入ってしまった訳でつね(汗汗。 自他区別がつかない(固体識別がつかない)動物は、 固体の利益と集団の利益どちらを優先する行動を選択するのだろう… と考えていたのですが、いったんこの疑問については忘れまつ(汗。 すみませんですた。 進めて下され。
× 固体 → ○ 個体 でしたーーー(汗。
究極要因を検討するときの問題の立て方なのですが >「自分の適応度を下げ、他個体の適応度を上げる」という >利他的行動を取るのは何故か と問うと、至近メカニズムを問う問いになってしまいます。 究極要因を問うときには >「自分の適応度を下げ、他個体の適応度を上げる」という >利他的行動を取らせる至近メカニズムが進化したのは何故か を問う必要があります。 この2つの問いの違いはお分かりになりますでしょうか?
>>593 利他的行動の究極要因を追加して適応度をプラスにすれば簡単だけど、
「利他的行動は常に自己の適応度を低下させる」という定義はそれで崩れる。
もとの定義式が不可能な命題であったことはそれでは覆せないだろ。
適応価の低下した個体は淘汰される。
利他的行動は自己の適応度を常に低下させる。
よって、利他的行動を取る個体は淘汰される。
ゆえに、利他的行動は存在しない。
すなわち
存在する全ての動物行動は利他的行動ではない。
>>595 集団錯誤という言葉の意味が根本的に間違ってる
>>598 そこまで理解して頂ければ次のステップに移れます。
でも、その前にステ助さんをお待ちしましょう。
2つの問いの違いは了解してます。
ただ、命題に対する素朴な疑問があった為に引っ張ってしまいますた。。
>>591 (祝生還)を読み、更に素朴な疑問や懐疑は脇に置いておこうと
思ったのに、
>>595 でもまだ引っ張ってしまっていたようでつ(汗。
>>591 の「さまざまな現象を少数の原理で説明しようとする“理論”」構築の為に
素朴な違和感や疑問は排除するよう徹底すると、
「集団心理による誤った行動」という考えは安直すぎますね…(汗。
とことん論理的にジレンマに陥ってみる事にしまつ…。 すみません。
「素朴な疑問や懐疑」を脇に置いたままではこの先の難所は越えられないと思います。 先に進む前に片付けておきましょう。 ここまでの話でどういう点に疑問をお持ちですか?
>集団錯誤という言葉の意味が根本的に間違ってる 勉強しまつ… 待っていて下さって有難うございまつ(涙。 でも今は時間がないので、(夜また来ますがw) 先に進んでくださっても結構でつ・・。 議論ごっちゃにならないように「横レス」と書いて後から質問させて 頂いてもよいでせうか・・?
まあ、急ぐ旅でもないのでぼちぼちいきましょう。
「利他的行動は常に自己の適応度を低下させる」という定義を、 現実(というか自分 汗)に合わせて変えてしまった為に混乱していますた。 「情けは人のためならず」という諺になりますが、これが染み付いているので………(汗。 少なくとも、気持ちがいいし、自分の死という位の大きなコストがかかる場合は 利他的行動は取りませんが、 多少自分の利他的行動が下がっても、他者と餌を分かち合うようなことを 私はするので…。 別に綺麗ごとではなく、そのほうが精神衛生上非常に 宜しいのです。 困っている他者を見かけても利他的な行動を取らなかった場合、その後気になってしまう為、結局余分なコストが掛かってしまうのです。 要するに 利他的行動のコスト < 利他的行動を取らない事による精神的負担等のコスト となった場合において、利他的行動を選択しているのですた。 他者が苦しんでいる様を見ることが精神的負担(コスト)になるような場合、 これを回避すべくきわめて「利己的」に利他的行動を取っている動物もいるのではないでしょうか? (電気ショックを与えられているラットを助けるべく、うさぎが電気ショックを起こさないようにレバーを押したりする実験があるそうですが… 飛躍でしょうか。) 本当に素朴な意見になりました。 すみません…。 また来ますー。
604の文章つぎはぎしていたら間違いが…(汗。 >多少自分の利他的行動が下がっても、他者と餌を分かち合うようなことを >私はするので…。 別に綺麗ごとではなく、そのほうが精神衛生上非常に >宜しいのです。 は、 「多少自分の適応度が下がっても、他者と餌を分かち合うようなことを 選んだ方が精神衛生上宜しい場合がある気も私はするので…」 でした。 っていうか、この文は削除するはずだったのでしたが、 重ね重ねすみません。
「適応度」と(主観的)「効用」という概念を区別しておくといいでしょう。 適応度は子供の数の期待値です。これに対し効用は個体がある状態に 対して感じる満足度といってもいいですし、ある状態をポジと評価 するかネガと評価するかといった、状態や行動に対する評価といって よいものです。 利他的行動を良いもの、結構なものと感じたり、利他行動をとらない ことに精神的苦痛を感じたりコストを感じたりすることは「効用」 レベルの話(心的現実における話といってもいいでしょう)です。 「適応度」と「効用」は方向が一致することもあれば、 しないこともあります。利他行動の場合は、この方向が一致しない 顕著な例です。実際、適応度を下げる行動をポジと評価する 至近メカニズムは、サンクションとならぶ重要なジレンマ回避 至近メカニズムですが、究極要因のレベルではなぜこのような 至近メカニズムが進化しえたのか、を考える必要があります。
>606
なるほどです…!
ありがとうございます・・!!
>>606 のように区別したら、やっとすっきりしました(涙
精神的苦痛→食欲が減っちゃう→適応度ダウンという場合を想定してしまい、
適応度との区別をつけていませんでした。
(周りくどくなってしまい、了解済みの方々にもごめんなひ)
利他的行動を促す、心的現実において適応度をダウンさせるような感情?は
淘汰されるハズなのに、何故残っているんでしょう…?
不思議でつ…。
>>598 >適応価の低下した個体は淘汰される。
>利他的行動は自己の適応度を常に低下させる。
>よって、利他的行動を取る個体は淘汰される。
>ゆえに、利他的行動は存在しない。
>すなわち存在する全ての動物行動は利他的行動ではない。
>>607 >利他的行動を促す、心的現実において適応度をダウンさせるような
>感情?は淘汰されるハズ
なのに
利 他 的 行 動 は 存 在 し て い る
不思議ですね?
この不思議を不思議と分かるところから
お話ははじまるのです。
では、そろそろ次に進みましょうか。
ちなみに、ここで
>>486-488 に目を通していただけると助かります。
120レスほど費やして、この出発点に立つことができました。
>利他的行動を促す、心的現実において適応度をダウンさせるような >感情?は淘汰されるハズ は、「利他的行動(適応度をダウンさせる行動)を促すような感情?は淘汰されるハズ」 に訂正させてください。(ごめんなさひ) また1レス費やしてしまったのであった…。
ところで心的現実って言葉はやめてくれんかな。 あれは空想上の社会的体験を現実の社会的体験と 等しい意味で解釈する際に用いる精神分析用語であって、 感情機能やクオリアを指す言葉として適切ではない。
では、やめておきましょう。 適応度が現に低いものを高いかのように思わせる 至近メカニズムとして機能してそうではありますが。
父親に性的虐待を受けたという妄想をまるで事実であるかのように信じる、という機能が? 仮に至近メカニズムが同根であっても――当たり前だ、どっちも脳みそだ――概念が違うよ。
なるほど。それはそれで興味深い現象ですね。 でも、寄り道はやめておきましょう。
俺が「その通りです。君の心的現実に於いては」と言う時はいつも、念頭にこれがある。 病人が述べたいくつかのことがらを証明することは不可能であった。 しかしながら空想は、病者が自身に抱いている心的な現実性の価値ゆえに、 病者にとっては物質的な現実性(フロイト)がもつのと同じ効果をもっているので、 こうした空想の伝達は現実的外傷の伝達と同様の治療的効果をもたらし得るのである。 シュヴィング 『精神病者の魂への道』 小川信男・船渡川佐智子 訳
ちなみに精神分析をするときに 「その通りです。君の心的現実に於いては」 といったりはしないんでしょうねえ。
もとはといえば心的現実は病的妄想を説明するための概念でもない。
フロイトが精神分析治療をはじめたばかりのころ、患者の幼児体験を
聞いていくにあたり、幼児期の性的虐待の話をする患者が結構いた。
はじめフロイトはそれらの話を全て真に受けて聞いていたのだが、
そのうち「いや、全部本当の話とは限らないんじゃないか?」ということになり、
「じゃあ、嘘を話の種にして精神分析をしても意味がなかったのか?」となった。
そこで、「いや、そうではない、それが現実の物語ではなくても、それは患者にとって
意味のある空想、Inner Reality(心的現実)だから解釈上の価値はあるのだ、とした。
なんとなくご都合主義的解釈のような気もするが、まあそれはそれ。
>>616 それは高所恐怖症の人間を行動療法と称して吊り橋から突き落とすくらい間違ってる。
なるほど。ありがとうございました。 さて、次の章に入るには時間が遅くなりましたので また明日以降ということにしましょう。
出かけて戻ってからでは流れ的にもうやれなくなってるだろうから今の内に書き捨て 宗教改革に生まれた新教の一つに、再洗礼派と呼ばれる一派があった。 彼らは欧州全域で激しい弾圧を受けていたが、その頃の記録の一つにこうある。 ある一人の信徒が異端審問の追っ手をかけられて山道を逃げていたところ、 もう少しで撒けそうだというところで、追っ手が崖から足を滑らせて深手を負った。 その信徒は逃げるのをやめ、自分を追っていた男の怪我の手当てをし、近くの街まで 送り届けてやった。そして捕縛され、刑に殉じて死んだ。 再洗礼派の末裔アーミッシュが聖典とする「殉教者の鑑」の一節である。
明の儒学者方孝孺は建文帝の忠臣であった。 燕王朱棣がクーデタを成功させた際、新政権への協力を要請され、 永楽帝即位の詔書を書くように言われたところ、紙に四文字 「燕賊奪位」とのみ記してこれを永楽帝の前に投げつけ、 「死せば即ち死せんのみ、詔や草すべからず」と大喝。 彼に連座して一族郎党873人が処刑され、 のち名君と呼ばれた永楽帝も、生涯この侮辱を忘れ得ることがなかった。 見事なまでに誰一人得した人間がいないが、 この行動は間違いなく、儒教道徳に正しく則した行いといえる。
>>577 で思い出したんだが、シンドラー、杉原千畝、
それにラウル・ワレンバーグと並んで、こういう人がいる。
20世紀、ナチス占領下のパリで、亡命をはかるユダヤ人たちに
レジスタンスとして助力を申し出た医師がいた。亡命経路は手配
しておくから、家財道具を持って私の病院へ避難してきなさい、と言ったのである。
ナチスに捕まればガス室に送られると既に分かっていた時期のことだ。
多くのユダヤ人が彼に深い感謝の念を捧げた。
彼のレジスタンスとしての活動はこれにとどまるものではなかった。
ある日、彼の病院から不審な臭いが立ち込めているとの市民の通報があり、
警官が立ち入り調査をしたところ、病院では大量の人間の死体が焼かれていた。
驚いて説明を求める警官に、医師はこう答えた。
実は、大きな声ではいえないが、私はレジスタンスに協力しており、
レジスタンスが殺害したゲシュタポのスパイの処分を手伝っているのです、と。
社会的な名声が高く、医師としても信頼されていた、彼、
マルセル・プショーのその奇妙な説明を、その時、驚くべきことに誰もが信じた。
真相はこうだ。
この悪魔の医師は、自分を信頼し、家財道具を抱えて逃げてきた裕福なユダヤ人たちを
長旅に耐えられるかどうかの健康診断をするからと偽ってある小部屋に誘いこみ、
その部屋に毒ガスを流し込んで殺害し、全財産を奪い取り、死体を焼却していた。
マルセル・プショーは1946年5月26日にギロチンにかけられた。
犠牲者総数は63名、これは20世紀の個人による大量殺人のうち世界第六位の記録である。
>>608 俺の証明に
なのに利他的行動は存在している
をくっつけるのは、矛盾だ。
矛盾は、不思議ではなくて、矛盾。
不思議ってのは理論が矛盾に導かれることではなく、
理論を立てることができないってことだ。
問い: 「ここで挙げられた事例は、めったにないケースだから名が残っているのだ。 単なる誤差でしかない」と解釈するか、「たとえわずかな例であっても、動物には そんな例さえ存在していないではないか。数が問題ではなく、明らかに質的に異なる 例だ。考察の対象となりうる。」と、解釈するか。 皆さんは、どちらで解釈しますか?ここに挙げられた歴史的な例を見て。
>>622 ところが「現に」あるから不思議なのです。
何レスか前に例を列挙しましたが。
>>624 我々が利他的行動と呼ぶところのものがあるのは当たり前だ。
不思議なのは、それがあるということではなく、先ほどの証明の
どこが間違っていたのかが分からない、つまり、正しい理論が
見つからない、というところにある。
ものごとが理論通りにいかないのはおかしい、不思議だ、という発想は、
理論は正しいはずだ、という先入観が生じさせるものと思うが?
「不思議」の起源を考察するのも面白いですが、今は 「不思議と思うことは、物事をさらに考える行動を促進する機能を持つ」 ということを確認しておけば十分でしょう。
例えば、ダーウィン自身もすでに自分の考えた進化のメカニズムが 利他行動の存在と矛盾することに気づいていました。
で、ハミルトンが包括的適応度概念を考え出すまでに100年かかったと。
当時は遺伝のメカニズムが解明されていませんでしたからね。 それでも、ダーウィンは血縁者を助ける行為は自然選択上 有利ではないかという推定はしていたようです。
>ものごとが理論通りにいかないのはおかしい、不思議だ、という発想は、 理論は正しいはずだ、という先入観が生じさせるものと思うが? 「理論は正しいはずだ」ではなく、「理論が正しいと仮定すると」が本当。 理論とデータが違う。データの取り方などに問題がなければ、理論のどこかが 違うはずだから、どこを修正する必要があるのか、考える。
うーん。 >623 なんとなく誤差にしちゃったらいけない気がしまつ。 私のように、こっちも分かるー、あっちも分かるーだとジレンマにならない罠…(汗。 徹底的にジレンマに陥ってみないと、なんとな〜く、ぬるい理解で 終わってしまう気がしてきますた。 ところで、全員が顔見知りの村とかだと、利他的行動を選択しそうでつ。 日本に流れ着いた外国人の手記かなんかを思い出しました(出典忘れますた…汗) 日本人達はにこにこしながら一定の距離をおいて物も言わずについてくる。 ところが、ポーンと石が飛んでくる。 飛んできた方向に目をやると、にこにこしているだけで誰が投げたとも わからない。 また歩くと、どこからか石がぽーん。 見ると、またにこにこ。 不気味だ。 って言う内容なんですが……。 これは、フリーライダーかどうか様子を見ているということ? 利他的行動が頻繁に見られるような社会は、 排他的な傾向を持った集団になりそうなんですが…。 でも(日本の)都会にも、利他的行動はあるのでつよね。 なんでなんだらう…。
>利他的行動が頻繁に見られるような社会は、 >排他的な傾向を持った集団になりそうなんですが…。 いい勘をしてらっしゃいますね。 私の計算でもそうなります。
横レス.
>皆さんは、どちらで解釈しますか?
後者.
理論が立てられたときは,すでに例外事例が生じているのが人間だと思っているので.
>>632 内外集団の話?
>>633 ども、ようこそ。よろしくご参加ください。
理論というのは、現実からいくつかの要素を取り出してモデル化
したものですので、モデルに入っていない条件が重要、という
可能性が常にありえます。
>632 計算とはいかに? すごく複雑なのでしょうか? >633 内外集団ってどんなのでつか? (素人を免罪符にしちゃダメよ・・と言われますたが、宜しければ教えてくだされ)
暗算では難しいですね。 推移確率行列を求めて定常分布を求めます。
>>636 いきなりそれじゃ引かれますがな(笑
という私も、そんな数学を使ったモデルはついて行くのが精一杯で、
論文をレビューしろと言われても断ります。証明があってるかわからないから。
>635
177さんを前にして言うのもなんですが、「数学の貧者」のために、コンピュータ
シミュレーションという便利な道具があります。むしろ手でシコシコ解析していては
解けない複雑な場面はシミュレーションの方が有利だったり。しかし、誰でも
できるというだけあって、何が起こっているのかわからないほど複雑なことをして、
なんだか分かった気になることも多いので、結局、両方必要になります。
いずれにせよ数学の貧者にとっては、険しい道のりです。
普通の進化ゲームではないってことです。 まあ、おいおい説明していきますが。
推移確率行列ってサパーリ…(汗。 数学の貧者w(汗 というか、自分の脳に搭載されていないような…。 >何が起こっているのかわからないほど複雑(以下略 …鬱。 おいおいお願い致しまする…。
非ランダム、あるいは、非一様な外部性を仮定する進化ゲームモデルを 使います。でも、その話に入る前にダーウィンに帰って前史をみておきましょう。
さてダーウィンは利他行動の進化について、血縁者を助ける行動が 進化するだけでは不十分だということに気づいていました。 人間の場合、血縁のない個体に対する利他行動も見られるからです。 そこで彼はもう一つ、利他行動の説明原理を考えました。 「もし利他行動を行う集団と、利他行動を行わない集団があれば、 利他行動を行う集団のメンバーの方が適応度が上がるだろう。 そうすると、利他行動を行う集団の人数が増えて、利他行動を 行わない集団を駆逐できるのではないか」 いわゆる群淘汰(Group Selection)のアイディアです。
なるほど。国内リンクの上の方にありますね(笑
>>642 の続き
この群淘汰のアイディアの発展形が現在研究が進められつつある
非ランダム型、ないし、非一様型の進化ゲーム理論です。
これらのモデルの登場を待ってようやく社会的ジレンマ回避
メカニズムの進化(利他行動の進化を含む)の究極要因について
満足のいく説明が可能になりつつあります。
ただし、ダーウィンのアイディアが直接、現在の研究に結びついた
わけではありません。そこには様々な紆余曲折がありました。:
暇に明かして本を読みまくってたんだけど 「私はベンチュウカの攻撃を経験した。これはレドュヴィウス属の一種で、 パンパスにいる大型の黒いナンキンムシである。一インチほどの長さで、 羽のない、柔らかなこの昆虫が、体をはい回る感じほど、気持ちの悪い ものはない。血を吸わぬうちは、この虫は全く痩せている。しかし、後には 円くなって血でふくれあがる。この状態のときは押しつぶしやすい」 チャールズ・ダーウィン『ビーグル号航海記』 かのビーグル号の航海は、ダーウィンに偉大な啓示を与えたのみならず、 彼の後半生を病床に釘付けることとなる風土病をももたらしたのであった。
この『ビーグル号航海記』に触発された一人の博物学者がいた。 ウォーレス(アルフレッド)Alfred Russel Wallace 1823〜1913 イギリスの生物学者。1858年に自然淘汰説を発表。 また動物の分布を研究し、南太平洋上のバリ島と ロンボク島との間に〈ウォーレス〉線をひいた。 『世界史小辞典』 山川出版社 ダーウィンが『種の起源』を世にあらわすのは1859年。それ以前に、 ウォーレスは、ダーウィンに自らの論文を送り、批評を請うていた。 別に、ダーウィンが剽窃をはかったなどという証明がされたわけではない。 珍しくもない話ではあるが、しかしこれもまた進化論史の暗い影の一幕の一つだ。
着想・資料収集・理論化を三位一体で行ったところに ダーウィンの仕事の値打ちがあるといえるでしょう。 着想・・までは持ってた人は何人かいるんじゃないかな。
ウォーレスのように「着想までは持ってた奴」に出し抜かれないために とっとと発表することにした、というのが一番よくある説明ではある。 ウォーレスは90年の生涯をついに無名と貧困のうちに過ごしたが、 晩年にわずかながら恩給をもらえるようになったのは、ダーウィンが なにがしかの口添えをしてやったおかげであるらしい。
余談はともかく、群淘汰研究の歴史遍歴のつづきを期待さげ
メンデルの法則も3人同時に再発見されてますからね。 ダーウィンでなくても誰か19世紀の後半に自然選択の理論を 発表したことでしょう。 それが「誰」であるかは、今の時点ではほとんどどうでもよい事 ですが、当事者にはシリアスな問題だったでしょうね。
>>645 の続き
群淘汰のアイディアは当初「種の利益」という考え方と結びついて
様々な利他的(に見える)行動の説明に用いられました。いわく、
「動物が殺しあうまでの喧嘩をしないのはそれが種の利益に反するからだ」
「サルの社会に順位があるのは、闘争を減らして種の利益にかなうからだ」
「個体密度があがったときに、繁殖が抑制されるのは種の利益のためだ」
・・・・・
1960年代が「種の利益論」の絶頂期で、ウイン・エドワーズがほとんど
あらゆる生物行動を種の利益から説明する本を出したのもこの頃でした。
しかし、自然選択の単位が種ではなく、個々の遺伝子であることが次第
に認識されるようになるにつれ、種の利益論は厳しく批判されるように
なり、同時に「群淘汰」の考え方も否定されるようになりました。
80年代には「群淘汰」という言葉を口にするだけでトンデモ扱いを
されるようになっていきました。
(ちなみに今でも進化生物学の主流派の見解はそうです)
種の利益論追い落としの主力部隊が、ハミルトンの包括適応度の概念であり、 メイナード・スミスによる進化ゲームの定式化でした。前者は血縁淘汰の 概念を明確に定式化して、多くの利他行動らしきものが血縁淘汰として 説明できることを数学的に示しました。後者は、タカハトゲームや持久戦の 定式化を通して、動物で見られる闘争回避行動がチキンゲームの非対称 ESSとして説明できることを示しました。 このような代替理論の構築が進む一方で、ライトは島モデルを立て、 群淘汰が利他行動の進化を可能にする条件が非常に厳しいことを示し さらにドーキンスが利己的な遺伝子の概念を一般に広くアピールしました。 いずれも1970年前後の出来事です。
いまだに「種の保存の本能」とかいう仮説概念は大衆の素朴生物学の中に生き延びている罠。
XYZは 素人Xを さんかい あおった。 そして さんかいあたり 23のせいしんてきダメージ 素人Xは しんだ。
間違えた
>いまだに「種の保存の本能」とかいう仮説概念は大衆の素朴生物学の中に生き延びている罠。 「周回遅れのランナー」と呼ばれる存在です。
そのこころは?
戦争は実に危険な事業であって、このような危険な事業にあっては、 お人よしから生まれる誤謬ほど恐るべきものはない。 クラウゼウィッツ 『戦争論』
>>658 進化生物学の主流派は今でも「群淘汰」という言葉を嫌悪しています。
これは彼ら彼女らが、未だに強力な力を持つ「素朴生物学者」(素朴
群淘汰論や目的論など)に対して、進化生物学的考え方を理解して
もらおうと勤めているからですが、それは一方で進化生物学者が群淘汰の
研究を進めることを抑止する反作用ももっています。これまで説明
してきたとおり、通常の進化ゲームモデルでジレンマ回避問題を解く
ことは論理的に不可能で、群淘汰のアイディアを取り入れた新しい
モデルが必要なのですが、「素朴群淘汰論者」の存在がそういう研究の
障害となっている形になっています。これを周回遅れのランナー
が邪魔をしてスパートがかけられない状態にたとえているわけです。
立場や方法論が違うからって、素朴生物学者呼ばわりはあんまりだと思うが。 精神分析は疑似科学だとか、オカルトだとか、宗教だとかいう批判はあるが、 精神分析家は素朴心理学者だとまで言うやつはいくらなんでもいないぞ。 素朴心理学者ってのは、つまり、ただの素人、一般大衆のことなんだから。
まあ、そんな細かいことはどうでもいいんだが なるほど、面白いねぇ。
ちょっと質問でつ。 群淘汰という時、群とはどのような集団を指すのでしょうか? 一緒に行動をする集団のことですか? 後、素朴な疑問なのですが、群れない動物っていましたっけ・・・?
もっとも、ネコは群れを形成しないが社会的序列はあるし、 「ネコ集会」と呼ばれる謎の集団的行動もある。 ついでに、哺乳類なんだから育児はするし、 「親子」という最小の集団単位はあるわけだが。 そういう次元の話でなければ、ハムスターだって単独性だし、いくらでもいる。
>>663 それはとても重要な問題です。
論理的には親子の群れから種まで様々なレベルの群を
想定することができます。さらに、多細胞生物も細胞の
群れですし、一つの細胞も多数の遺伝子からなる「群れ」
と考えることができます。
一般には、複数の複製子(レプリケーター)の相互作用に
濃淡があるときに、「群れ」が存在する、と考えることが
できます。この考え方の延長上に非ランダム相互作用型の
進化ゲーム理論が構築されつつあります。
そういえば昔化学系のサイトで遊んでたとき、 細胞死にはアポトーシスとネクローシスの二種類があって、 ネクローシスは周囲を巻き込んで破壊する「壊死」、 アポトーシスは自分だけが自律敵的に死ぬものを指すんだが、 よりマクロなレベルでの生体活動にも似たような協調と 共生のシステムがあるのかもしれないな、なんて言ってた人がいたな。
>665 そういえば、確かに繁殖の時は必ず群れますね! 猫なんてぇいうのも、つかず離れずって感じですが、 家族で群れているのもいますね。 (余談ですが、猫好きでありまつw) 一匹狼っぽい個体の適応度は低くなりそうでつ。 >666 >一つの細胞も多数の遺伝子からなる「群れ」 と考えても良いのですね! 個体と集団の話になった時、粘菌はどうなるのだろう?と考えておりますた。 粘菌は、単細胞と多細胞の両方の状態をとるそうなので、 個体と集団の区別ってなんだらう?と思っていたので・・。 >複数の複製子(レプリケーター)の相互作用に濃淡があるとき というのは、どのような意味なのでしょうか?(@@
複数の細胞が各自勝手に行動したり増殖したりしたのでは 「多細胞生物」としてのメリットはあんまりありませんからね。 通常、多細胞生物は細胞間の協調のメカニズムを備えていますが それがいかにして可能か、という点については人間のジレンマ 回避と同様の問題が存在しています。
>>一匹狼っぽい個体の適応度は低くなりそうでつ。 イエネコは、家畜化される前はリビアヤマネコと呼ばれる野生種だった。 実はイエネコとリビアヤマネコは遺伝的には同種だと考えられているが、 彼らヤマネコの生態の基本は、縄張りの形成と、相互不干渉にある。 ネコの縄張りは広く、また境界が曖昧なため、共有エリアが多い。 彼らはなるべくこの共有エリアでお互いが遭遇することを避ける。 社会的序列は、この「比較的まれな」邂逅の際の振る舞いを決めるためにある。 共有エリアで複数の個体が同時に同じエサを見つけてしまった場合、 最上位の個体がそれをとる。共有エリアの中で、通路の使用、 寝床の使用などでバッティングが起きた場合は、序列に関わらず、 「先にそこにいた個体」が優先されなければならない。 それぞれ、ルールを侵した場合、権利を主張する側から攻撃を受ける。 社会的序列はケンカの強い順に決まるものであるから、 ふつう劣位の個体に勝ち目はないが、通路の使用などの場合、 逆に優位のはずの固体が劣位の個体に追い払われることもあるため、 ネコの社会制度は特別に「相対的な社会的序列」と呼ばれるのである。 ネコには一匹狼などいない。なぜなら、ネコは常にただ一匹、ネコであるからだ。
>「先にそこにいた個体」が優先されなければならない。 というのは絵に描いたようなブルジョア戦略ESSですね。 一般に非対称タカハトゲームは、両者に間違いなく識別できる 非対称を手がかりにした非対称ESSが存在します。 (メイナード・スミスのテキストに書いてありますのでステ助 さんも探して見てください) 手がかりは「両者に識別可能」なら何でもいいので、あるときには 強ー弱、あるときには、早いものー遅いものってことに なるのでしょう。
>>668 同じ群れの個体同士は相互作用を頻繁に行いますし
違う群れの個体同士の相互作用は比較的まれです。
こういうのを相互作用の「濃淡」と呼んでいます。
ちなみに群れの存在より逆に、相互作用の濃淡の存在の方が
ジレンマ回避にとって本質的だ、と考えるのが非ランダム
モデルの基本アイディアになります。
他の個体を助けるような利他的行動も「自他区別」が必要なんですよね?
>>670 >>671 の手がかりの「両者に識別可能」というのは、
自他の区別(個体識別と言ってよいのでせうか)が出来ているという
事ですよね。。
うーん。
自他区別できてなさそうな動物の集団(魚とか?)は群れても、
利他的行動はせず、社会的序列というか社会を持たない
といえるのでしょうか?
利他的行動と社会的序列は別物ですので ごっちゃにしないでくださいね。 非血縁間の利他的行動は人間以外の動物ではあんまり (というかほとんど)見られません。
ただ利他行動をしないのは、他の個体を識別できないからではなくて 利他行動を進化させる淘汰圧が存在しないからです。それゆえ 利他行動を採らせる至近メカニズムも進化しなかった、という わけです。
ブルジョア戦略ESSありますた。<メイナード・スミスの本
「所有者の時はタカ戦略、侵入者の時はハト戦略」とあります。
>>674 そうですね・・。 自分でもちょっとまとまってないうちに
書いてしまいますた・・(汗
>非血縁間の利他的行動は人間以外の動物ではあんまり
>(というかほとんど)見られません。
ガーン・・。
私もよく知らないのですが、群れの一匹が、敵の来襲がないかどうかを見張り
敵が近づいたら合図するというのは、個体の適応度を下げるが、
群れの利益となる行動であるらしい?のですが、
利他的行動とみなしてはいけないのでせうか?
>>675 なるほどです・・・! 目から鱗。。
>>676 敵が来るのにたまたま気づいて逃げ出したら
他の個体も逃げ出した・・というのと識別が難しいので
本当に利他的な見張り行動があるのかどうかは良く
分かっていません。
ちなみに動物が群れるのは、捕食者に襲われたとき、
他の個体を自らの盾にすると有利になる場合が多いから、
というのが主な究極要因であるようです。
(魚とか、草原の草食動物とか)
>677 これまた、なるほどです……。 利他的行動と考えられそうな「見張り行動」の真偽については、 まだ着想の段階なのでしたか・・。 有難うございます。 >ネコには一匹狼などいない。なぜなら、ネコは常にただ一匹、ネコであるからだ。 社会序列があるのに、「群」とは言えないというのはどういう事なのでしょうか。 猫の社会は、「群」と言ってしまってよいのかどうか、悩むでつ。
それは、単に定義の問題です。
群れとはどのように定義されるのでしょうか・・
と書こうとして、同じ質問さっきもしたようなと思い出し(汗、
>>666 等から読み返しますた。
「複数の複製子(レプリケーター)の相互作用が濃い集団」を
群れと呼んでよいという事になりましょうか?
どこまで濃いと「群れ」と呼ぶかどうかは、定義次第という事で。。
レス書いていると、いつも猫が寄ってくるのですが…。
私とこの猫の間には、レプリケーターの相互作用はないので、
一緒の家に暮らしていても「群れ」とは言えないという事になるのかな・・。
文化的レプリケーターはここでは度外視ですよね。。
ネコに餌をあげたり、ネコに噛み付かれたり噛み付いたりすると 少なくとも一方の適応度が変化しますので、そういう場合は 相互作用ありです。
だから定義の問題だってば。 ただ、自分が勝手に「家族」を定義して、 ペットのネコを家族であるとみなしても、 向こうはそうは思ってないだろうがな。
複製子の相互作用というのがまだよく分かっていないのですが・・・(汗 繁殖の事かと単純に思っていましたが 違ったのかな?(汗
お互い(一方でも可ですが)の適応度に 変化をもたらすような行動はすべて「相互作用」です。 適応度が定義できるのは複製子のみですし、複製子 には適応度が定義できるので、個体間の相互作用を 一般化していうと「複製子間の相互作用」ということに なります。
>680 さすがに私も、そんな事はいいませぬよ〜(汗 群れの定義を考えていただけでつ。 同じ種の動物でも、距離的に会う事のない場所に住んでいたら群れとは言えなさそうでつ。 じゃー近くに住んでいる事なのか?と思うと、私と猫でもいいし、私と近所に住む甥は群れなのか? 私とお腹に住んでるビフィズス菌は群れなのか? 共生生物は群れじゃなさそうですが。 定義の問題なのは了解ですが、 群淘汰という時、群をどう定義するのか気になったのですた・・。
■[群れ]の大辞林第二版からの検索結果 むれ 【群れ】 (1)多くのものが集まっている状態。むらがっている状態。「鳥が―をなす」 (2)仲間。「野盗の―」「―をつくって遊ぶ」 生き物について、ふつう群れといったらこの1のことだ。 しかしこういう日常言語と、学問上の定義概念をごっちゃにしても意味ないぞ。
>684 と言うことは、人間とその飼い猫、人間とその人間の体内のビフィズス菌は それぞれ群れといえるのですか・・・?
>>群淘汰という時、群をどう定義するのか気になったのですた・・。
>>666 >>672 に書いたとおりです。相互作用の密度が平均より高い
個体の群れを概ね群れになります。ただし、「群れ」という概念は
発展的に解消されますのであまりこだわりすぎませんように。
685訂正します。 >680ではなく、 >682でした・・。
時間差でリロード遅れましたが
>>684 という辺りで今は大まかに捉えられそうでつ・・
チンパンジーにみられる利他的行動の例としては ・子供が木から木に渡ろうとして手が届かないときに、母親が手を貸してやる。 チンパンジーの母子では頻繁に見られるが、ニホンザルでは全く見られない。 ・西アフリカのボッソウの群れは行列を組んで道路を横断するが、 この際、先頭で偵察をする、見張りをする、守って随行する、しんがりをつとめる、 などの役割分担が確認できる。こうした行動は、自分が危険にさらされるので、 明らかな利他行動であると著者は記している。 ・ふつう子供は母親が抱えて渡るのだが、10歳のオス「ジエザ」が おそらく本人の子ではないと考えられる子を抱いて渡った例があり、研究者を驚かせた。 ・食物を分け与える。通常は母から子へ、それも消極的な形(横取りの黙認)で行なわれる 場合が多いが、 まれに非血縁間でも生じることが観察されている。 ・グルーミング。これは、もとはシラミやダニを食べる行為だったといわれているが、 別にシラミやダニがいなくても行なわれる。 以上、松沢哲郎『チンパンジーの心』からテキトーに抜粋。
ところが、じゃあチンパンジーが社会的ジレンマゲームの場面でどうするかというと 飼育下のチンパンジー、アイとアキラを使った「ワーカー・パラサイト」の実験がある。 スキナー箱を使い、片方がレバーを押すと遠くにエサが出てくる、という状況が与えられる。 ネズミやブタだと、はっきりとワーカー・パラサイトの二極化が見られるわけだが、 チンパンジーの場合、優位の個体であるアイがアキラを一方的に搾取する (アイがレバーを押したらアイが食べる、アキラが押してもアイが食べる) という形に収束した。はじめのうちはアキラも食べていたのだが、 食べようとすると威嚇され、なおかつグルーミングで懐柔されたため、 結局手が出せなくなってしまったらしい。
チンパンジーは境界的ですね。チンパンジーは父系的な社会で オスが群れに残りメスが出て行くのですが、オスの連合(メイルボンド) 同士の抗争(群れ間抗争)が激しく絶滅戦争をやるのです。 それで、ある程度群淘汰が利いて<利集団行動>が見られる可能性は あります。
ここで注目したいことの一つは、二人のチンパンジーがいるために、 餌を取る戦略がどんどん変わっていったことである。はじめは 相互的な利他行動であったものが、相手の存在を契機として 独占と奉仕という形になり、さらにはそれが貯蓄の発明による 独占の効率化という形に落ち着いて、「アイのものはアイのもの。 アキラのものもアキラのもの」というようになった。宝捜しゲームと 同様に、戦略の変換が他者を契機としてなされたのである。 もう一つは、こうした戦略の変換を可能にしているのが、 「融和行動や攻撃的な行動によって他者の行動をコントロールできる」 という能力によっているということである。最終的には、アイだけが、 一人悠々と貯蓄行動をするようになった。その貯蓄行動を可能に しているのは、泣いたり、わめいたり、脅したり、すかしたりして、 アキラを完全に封じ込めてしまうことがアイにできたからである。 こうした他個体を操る能力は、チンパンジーとほかのサルとで ひじょうに異なるところである。 (同掲書) ちなみにアキラというのは、アユムのお父さんでもある。 相互作用って奥が深い
チンパンジーの習性を調べてたら、こんな話が……
ttp://www.hs.sugiyama-u.ac.jp/~ihobe/chimp/prey/5.html アフリカや中南米の熱帯林では、数種類の霊長類が同じ場所に
生息することが珍しくありません。そして彼らは日常的に行動を
ともにし、同じ木で採食したり、休息したりします。この現象は
混群と呼ばれています。
彼らはなぜ混群を作るのか? このことを説明するために、
二つの仮説が提案されています。一つは採食効率仮説と
呼ばれるもので、混群を作ることでお互いが、あるいは一方の
種が採食効率を上げているというものです。他方が対捕食者
仮説と呼ばれるもので、混群を作ることによって、捕食者の
発見効率を上げたり、より効果的に防衛したりするというものです。
ロボ> こういう書き方をして気を悪くしないでもらえればよいのだけれど... 177さんが群淘汰の続きをスムースに説明するために(するんですよね?)、 ちょっと、アネクドートの羅列は一時的に控えたらどうだろうか? この話は、ちゃんと理解したら、心理学者にとっても重要な意味を持つんだよ。 ここで177さんが展開するロジックを提案した生物学者は、社会・発達系心理学へ 猛然と入り込もうとしている。というか、このロジックを理解できれば、なぜ、 古典的な社会心理学で扱われてきた様々な現象が、生物学者にとって、 大きな意味を持つのか、理解できる。 基本的に、ロボがやっているのは、現実という複雑なモノを提示すること。 現実は複雑であるが故に、たった1つの例でも、多様な理論モデルを導入 しなければ説明できない。 一方、これから説明されようとしている「理論モデル」は、複雑な現象の 背後にある一つの原理にすぎない。当然、この原理一つ「だけ」では、 複雑な「現実」をカバーすることなどできない。 故に、ここで「現実例をたくさん持ち出す」ことは、「先端を走る 研究者たちが熱いまなざしを注いでいる原理」を、理解しにくくしてしまう(と思う)。 「群淘汰=集団という概念が持つ究極的な重要性」は、知る限り、日本語でちゃんと 紹介されてはいない。耳を傾ける価値は十分にある。
邪魔するのはこの位にしておくけれど...
>>691-694 基本的に、これらの例は「群淘汰を持ち出さないと説明できない愛他性」の例ではない。
「愛他性のようにみられる行動」を説明するのは、実はそれほど難しくない。
また最近は「(霊長類を含めた)動物の愛他的行動」はmutualismであり、
altruismではない、という考えが広まりつつある。
故に、チンプの例を挙げていくと、話が少しずつずれていってしまう。
ただ、
>>695 も含め、それぞれの例は、個別に取り上げるとなかなか重要な
話にもつながるのは事実。別に、頭からロボを非難している訳ではないので、
誤解しないでいただきたい。
>>190 ほんとに邪魔だよ。それもコミで177氏が議論の前提共有のための
作業をしているところだろ。
177氏と2人だけで話したければ、別の場所を探すべきだろう。
脱線だが、、、 「次の問題、アタックチャンス!」
ボノボの社会性の事例も探したいところだが、ネットじゃ無理だな そもそもあまり研究も進んでなさそうだし
竜脚類の群れに社会性がみられたとは考えにくい 過去に 大型竜脚類の足跡に囲まれた小さな竜脚類の 足跡が見つかり「成体が幼体を守るようにして歩いていた」 と発表され 恐竜の群れの社会性が主張されたが その後歩幅の計測から それぞれの歩行速度には かなりの差があることがわかり 単に別々の群れが 水辺に沿って同方向に歩いていただけだと考えられ 始めている 他に同様の足跡が見つからないという 事実もこの新説を後押ししている 『DINO2 The Lost Creatures』 週刊モーニング 2/20号
もう1コマ続きがあるんだった 現生の鳥類や爬虫類と同様 竜脚類の群れにも 社会的な相互援助関係はなく 親子関係でもなければ 危機に陥った 群れのメンバーに手が差し伸べられることは まず無かったと考えられている
>>700 加納さんが沢山本を書いてらしたと思います。
>>696 結論を知っている人からみるとまどろっこしく見えるかも
知れませんが、あえてゆっくり進めようと思ってます。
重き荷を負うて遠き道を行くが如しと、いうが如しです。
>>703 そういう予定ならば別にいいんですけどね...じゃ、ロボの出した例について
うねうねと考えつくことを。
>>691 >ふつう子供は母親が抱えて渡るのだが、10歳のオス「ジエザ」が
>おそらく本人の子ではないと考えられる子を抱いて渡った例があり
「自分より優位な個体の子供」だけを選択的に「助ける」のならば、
利他行動というよりも、「子供の親に対するごますり」かも。
少なくともチンプは「誰が個体Xの血縁であるのか?個体Xを助ける/攻撃すると、
血縁はどのように反応するか?」を認識し、戦略的に振る舞うと言われる。
ジエザも戦略的にごますりしていた可能性はある。
>子供が木から木に渡ろうとして手が届かないときに、母親が手を貸してやる。
>チンパンジーの母子では頻繁に見られるが、ニホンザルでは全く見られない。
ニホンザルに見られないのは不思議だが、単に、「子供が何をしようとしているのか
=心的状態(意図)」を認識する能力の差かもしれない(例:アイとアキラの話)。
子供が困っているのを理解できれば、子供を助けることは血縁淘汰によって説明される。
>グルーミング。これは、もとはシラミやダニを食べる行為だったといわれているが、 >別にシラミやダニがいなくても行なわれる。 グルーミングされると気持ち良いため、それ自体が報酬となっている=2者間での 直接交換であり、TFTのような仕組みで維持されている協力関係。あるいは、 優位個体にグルーミングをする見返りに、第3者と戦う時に助けてもらう例も。 >食物を分け与える。通常は母から子へ、それも消極的な形(横取りの黙認)で行なわれる >場合が多いが、 まれに非血縁間でも生じることが観察されている。 自分が腹一杯で、相手を追い払うのが面倒ならば、非血縁間でも生じるかも しれない。つまり、利益は期待できないが、協力しても損しないケース。 *このように、「利他的」に見える行動は、1)血縁選択、2)見返りを期待した行動、 として説明されうる、ケースが多い。というか、別に群淘汰を持ち出すほどでもない。 チンプでこれらの例が多く見られるのは「他者にとっての利益/コスト、心的状態、 社会関係」を理解する能力、「戦略的思考」の能力などが備わっているから(だろう)。
>この際、先頭で偵察をする、見張りをする、守って随行する、しんがりをつとめる、
>などの役割分担が確認できる
かなり難しくなってくるが、「自分が危険にさらされるので、明らかな利他行動で
あると著者は記している」というが、「他人がやってないなら、自分がやった方が、
自分にとっても得」という利得構造が存在してる可能性がある。
たとえば、誰もが採餌に夢中なのに気がついたら、「自分も一緒に採餌に戻って
誰も見張りがいない状態」よりも、「採餌をストップして自分で見張りをする」方が
良いかもしれない。敵が危険で、見張りの効率が良い場合には。
これはforager-scroungerと呼ばれるが、利他性とは関係ない。
また、
>>697 でmutualismという言葉を出したが、それは「(相手が協力しているならば)
協力しないよりも、協力した方が得な状況」での協力のこと。たとえば、一人で働くよりも
二人で協力した方が、遙かに大きな利益を得られるならば、「相手が協力している以上、
自分も協力」した方が得。
これもまた、「利他性」とは区別される。「利他的行動と思われる行動の多くが
実はmutualismなのでは?」という主張が最近よく見られる。実際そうだろう、と思う。
*以上のお話では説明できない、「本当に不思議な利他性」には何があるだろうか?
チンパンジーの場合は群淘汰圧がある程度かかっている可能性があるので 利集団行動が見られる可能性はあります。ボノボにかかっている淘汰圧は 正直よくわからないですねえ。情報も少ないですし。
さて、なぜ話をあえてゆっくり進めようとしているのかといいますと 「素朴群淘汰論者」にとっては群淘汰による説明は不思議でもなんでも ないからです。非ランダムの方はかなり複雑な数学的定式化を必要と するのですが、「素朴群淘汰論者」にその説明をするとなぜそんな面倒な ことをするのかさっぱり分からない、という反応が帰ってくるのが 通常です。 ですから、この段階では群淘汰がかかることはめったになくて、 それがかかっていると思われる現象が見られるのは実に不思議なことなのだ という認識を持ってもらうことが次に進む上で不可欠ということに なります。
群淘汰によってC行動(含む利他行動)の進化を説明しようとする場合 一番ネックになるのは、群の内部ではCよりDの適応度が相対的に高い 点です。確かに、Cだけの群れとDだけの群れがあるときには、Cだけの 群れの個体のほうがDだけの群れの個体よりも適応度が高く、より多くの 子供を残すことができます。 しかし、一つの群れの中にCの個体とDの個体の両方が含まれるときは 群れの中ではCよりもDの増殖率が高く、早晩群れ全体がDとなって しまいます。このようなことがあちこちの群れでおこると、どの群れも Dばかりの状態になってしまいます。
特に、群れの間で個体の移住がある場合は 容易にDが広がってしまいます。ライトの 計算では1世代に1頭以上の移住がある場合 はC戦略は進化できないことが明らかに なっています。
むむむ…… 進入するのが恐れ多いスレでつな…。
>>695 の「混群」というのは異種が混在する群れという事でしょうか。。
野生動物が、種ごとで争わず、一つの群れを成すというのは
知りませなんでしたが、霊長類以外でも「混群」って見られるのでしょうか?
>>710 =711 おぉぉ! もう出てしまったのでつか…。
Q 計算方法は? A暗算ではだめぼ。
というパターンになりそうですが、聞いてみたいです。。
自分で実際解いてみないと本当の感動は味わえ無さそうなので、
おっちらおっちらですが、高校数学から始めまつが(涙。
>>711 のC戦略を進化させる条件が揃った地域というのは、
楽園状態(餌にも番い相手にも困らず、捕食されもせず安全)
という事になるのでせうか?
実例探ししようと思いますたが、
本棚には、何年か前に何故か買って、読まないまま忘れてた
「なぜそんな嘴なのか(上)」
(コンラート・ローレンツとオスカル・ハインロートの往復書簡)
っていうのと、坂田明のクラゲの正体等しか出てこなかった罠…(自爆。
いえいえ、ステ助さんがいらっしゃらないとこのスレは始まりません。 混群は鳥でも見られます。オナガの混群が有名ですが、 やはり人について餌を探すと楽なのと、捕食回避に有利なことが 究極要因になっているようです。 C戦略の進化する条件は一言ではなかなかいえません。 楽園が条件というわけではないことは確かですが。
あっしは、なんかシャーロック・ホームズのワトソン君、 ポアロの助手くん(…誰でしたっけ?) みたいでつね。 このスレ、シャーロック・ホームズとポアロ級ばかりという罠(汗。 このスレの展開に恐れをなしていただけでなく 連日の寝不足(ドナ先生のせいにしてみるw 冗談でつw)に加え 風邪+仕事のゴタゴタのせいでありますた。。 私信すんません。 >楽園が条件というわけではないことは確かですが。 そうでつか…。 確かに、楽園が必要条件なら、C戦略はこの世で進化しませんでしたね…。 失礼しますた(汗
>713 混群の場合は、「自己の適応度を常に低下させる」という利他的行動の条件に 合致しないわけですね。 利他的行動というのは、血縁淘汰でもなく、見返も期待しない 犠牲的行動とも考えてよいのでしょうかね・・?
>>混群の場合は、「自己の適応度を常に低下させる」という利他的行動の条件に 合致しないわけですね。 どうもそのようです。群れることはそれだけで いろいろご利益がありますから。 >>利他的行動というのは、血縁淘汰でもなく、見返も期待しない 犠牲的行動とも考えてよいのでしょうかね・・? これもそうですね。特に複数他者の利益になる行動は 見返りを期待しにくいので、互恵的行動の可能性が 小さくなります。
>>711 で、チンパンジーは雌が群れを移籍する生き物であると
話がずれるが、チンパンジーが群れごとにもつ文化は
移住する雌によって伝播されることが確認されてるそうな
>>714 1936年までの初期シリーズではアーサー・ヘイスティングズ、
1952年以降の後期シリーズではアリアドニ・オリヴァー
ポアロの助手は一般にヘイスティングズ大尉とされているが、
56年の長きにわたって執筆されたシリーズにおいて、実際に
彼が作中で助手を務めていた期間はわずか19年、
そのうちレギュラー登場していた期間は7年に過ぎない。
ポアロシリーズの語り手や相方キャラは作品ごとにかなり多彩であり、
中には「ハリー・クィン」のシリーズで助手を務めた名脇役サタースウェイト氏や
「トミーとタッペンス」シリーズのレイス大佐やその息子が登場する作品もある。
ほとんど誰も知らんけどな。
>>717 そしてメスがD行動を伝える可能性がある罠
知恵の実を食べてD行動に目覚めて楽園を追放されましたといえば 話としてはすっきりするけど、実際にはC行動のほうが高等戦略な罠
あれは、C戦略者の集団を守るためにD戦略者を追放したって
ことでしょうから
>>720 のままでよいと思いますよ。
創世記 2章16・17節 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」 3章7節 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人は いちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 3章22節 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。 今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」 「善悪を知る者」というのは、D戦略者より、C戦略者に符号すると思うなぁ。 「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」(2章24・25節) とあるように、周りなんぞ気にせず、本能のままに振舞うことを神は望んでいた。 神と天使と、そして悪魔だけがC戦略者であり、他は動物であったともいえる。 地上にあって、人間だけが利他的行動という特異な戦略を可能とする(と考えられていた) ことを、象徴的に捉えているとみることもできる。うがった解釈ではあるが。
そもそも、楽園の住人は死なないから淘汰圧なんかないし、 生きるために相互協力する必要なんかなにもないんだよな。 ところが、地上の人間たちが力をあわせて天に向かおうとした時、 神はこれを食い止めるために言葉を乱さなければならなかった。 神にとって、人間がC戦略を採用することは危険なことだった。 天には永遠の命を与える実があって、それを手に入れれば 人は神と対抗することのできる存在になってしまうのだから。 創世記 11章5・6節 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、 このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、 妨げることはできない。
なるほど、そっちの方がしっくりきますね。
うーん、これまで誤解していますた。
>>721 は撤回します。
「知恵の実」は利己主義の実かと思ってましたが
「善悪の知識の木」だったとは意表を突かれました。
神はC戦略をとってほしくなかったのですね。
なんたること!(Oh my God!!)
余談に突入してしまいますが、そうすると キリスト教の原罪ってなんなんでしょう? ノアの大洪水はD戦略を一掃したのではなかったんでしょうか。
原罪思想ってのはユダヤ教に対抗して独自色を出すために パウロが導入したキリスト教の新しい教義で、かならずしも 旧約聖書に見られる思想じゃないんだよな。 ひとりの人によって,罪がこの世に入り,また罪によって 死が入り込んできたように,こうしてすべての人が罪を犯したので, 死が全人類に入り込んだのである.(「ローマ人への手紙」第5章) 思想史的な「原罪」の位置付けも、解釈がまたいろいろある。 聖アウグスティヌス(354〜430)は自由意志と欲望のことだとしたが、 聖トマス・アクィナス(1225?〜1274)の頃には性交の罪悪視が カソリックの重要な教義となったので、原罪とは性交のことであるとされ、 聖母マリアの「無原罪の御宿り」が神聖視されるようになった。
創世記 6章 5・6節 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。 11〜13節 この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。 神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。 神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。 彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。 18章 20・21節 主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。 わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」 ユダヤ教の思想のベースには律法主義がある。 ここで「悪」と呼ばれているものは、つまり「ルールを破ること」であり、 神の御技はこれすなわちサンクションであろう。
実のところ、旧約の神の言動にはかなり矛盾がある。 神は「人の子のように悔いることもない」(民数記第二十三章十九) はずなのに、地上にはびこる悪をみて心を痛めてみたりとか。 このへんの問題は、ユダヤ教創世神話が、既存のいくつもの 伝承や神話を寄せ集めて作ったものだからなんだろうけど。 ただ、この神様ははじめから自分なりのルールを持ってるんだけど、 そのルールではそもそも「善悪を知らないやつは何をしても悪ではない」らしい。 子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。 神の国はこのような者たちのものである。(マコ10:14) だから、楽園にいて善悪を知らないうちはよかったけど、 知恵の実を食べて善悪を知ったはずの人間が、ルールを破ることは許されない。 ゆえに人は善悪を知るがゆえに罪とされる。 すなわち、知恵の実を食べて善悪を知ったことが原罪となる。 ヒトでもサルでも、子供であれば何をやっても大目に見られるというのはある。 原罪というのは、ルールが適応される立場に立つこと、なんだろう。つまり。
つまり神は、アダムにずっと子供でいてほしかったわけだ。 相手が本当の子供であるなら叱る必要はないから。 でも、ルールが適応される大人になってしまえば、 それが自分の作った子供であるとしても、罰しなければならない。 してみると旧約聖書は神と人の親子対立であり、 新約聖書は親子の和解であるということになるな。
ちなみにアブストはこちら.
Discounting and reciprocity in an Iterated Prisoner's Dilemma.
Stephens DW, McLinn CM, Stevens JR.
Department of Ecology, Evolution and Behavior, University of Minnesota, 1987 Upper Buford Circle, St. Paul, MN 55108, USA.
[email protected] The Iterated Prisoner's Dilemma (IPD) is a central paradigm in the study of animal cooperation. According to the IPD framework, repeated play (repetition)
and reciprocity combine to maintain a cooperative equilibrium. However, experimental studies with animals suggest that cooperative behavior in IPDs is unstable,
and some have suggested that strong preferences for immediate benefits (that is, temporal discounting) might explain the fragility of cooperative equilibria.
We studied the effects of discounting and strategic reciprocity on cooperation in captive blue jays. Our results demonstrate an interaction between discounting and reciprocity.
Blue jays show high stable levels of cooperation in treatments with reduced discounting when their opponent reciprocates, but their levels of cooperation decline in
all other treatment combinations. This suggests that stable cooperation requires both reduced discounting and reciprocity, and it offers an explanation of earlier failures
to find cooperation in controlled payoff games.
>>730 アダムにより始まった親子喧嘩は,キリストの贖罪によって和解に至ったと.
すっきりしてるんじゃないか?
>ポアロの助手は一般にヘイスティングズ大尉とされているが、 まあ、南アフリカに住んでれば、欧州まで帰ってくるのも大変だろうに。 >731 動物実験で時間割引率をどうやって操作したんだろう?
即時に餌を与えるのと、「透明な箱に蓄積して」あとで与えるのとで 割引率を操作したようです。ユニークな方法ですね。
D行動はC行動がなければ、ただの「行動」ですが C行動が存在するために「D」なんてレッテルを 貼られてしまったというわけですね。 木に登ったばかりに落ちる心配をしなければなりません。 なまじ、群淘汰圧がうまい具合にかかってC行動が 進化したばかりに、我々は群淘汰圧がなくなったときのことを 心配しなければならなくなりました。 しかも、群淘汰圧の存在はきまぐれと来ています。
万人の万人に対する闘争状態ってか しかし、「真に利己的な人間」ってどんな生物なのかね。 B群人格障害ではダメだろう、あれらは利他性だけでなく 他の適応的機能もいくつか壊れている可能性が高い。
進化ゲーム論的に厄介なのは、「部分的に利己的な人間」 (Cだけどサンクションはしない、とか)ですね。 この辺がトロイの木馬になります。
ちょっとスレを振り返ってみてましたが、
規範の話は
>>115 からやってるんですね。
振り返ると長いみちのりです。
でも、そろそろdisc3も終わりです。
見つけてきた。 サンディエゴ動物園にいた老カコウェは、ボノボの知性をうかがわせる 逸話を残している。ボノボの暮らす囲いには、体を洗うための深さ2mの 堀割が作ってあった。いったん水を抜いて堀割を掃除した飼育係は、 ボノボを放したあと、水道栓を開くためにキッチンに入った。 すると突然カコウェが叫び声をあげ、飼育係に向かって手を振ったのだ。 まるで何か言おうとしているようだったという。実は子どものボノボが 数頭堀割に入ってしまい、出られなくなっていたのだ。 飼育係が下ろした鎖をつたって、子どもたちは上にあがることができた。 いちばん小さくて鎖を登れなかった子どもは、カコウェが自ら引っ張りあげてやった。 フランス・ドゥ・ヴァール 『人に最も近い類人猿 ボノボ』
パンバニシャはキーボードで欲しい食べ物を指示したりします。 それを持って行くと、ほかのボノボが声をあげます。もちろん同じものが 欲しいわけです。パンバニシャはそれをわかっているのか、ジュースを もってきてょしいと頼みました。持ってきたジュースを見て、彼女は 他のボノボたちを身ぶりで示しました。「これをカンジかタムリにあげたいの?」 私がたずねると、パンバニシャは彼らのほうに腕を振り、声を出しました。 カンジたちもそれに答えて、パンバニシャのケージのすぐ隣に座って、食べ物を持ちました。 パンバニシャは、自分と同じごちそうをほかのボノボにも持ってきてほしかったのだと思います。 スー・サベージ-ランボー、1996年のインタビューより
興味深い実験や観察例がいっぱいでつなー! まだ斜め読みなので早くゆっくり読みたいのですた。 規範の話、どのように展開していくのか ドキドキしますw 余談でつが、楽園はトマス・モアの「ユートピア」を想定してますた。 でもキリスト教の楽園の話面白かったでつ。 サンクションを施行しない中途半端なC戦略者の辺りが何か気になります・・ トロイの木馬が例えになるのでつか??
タンザニアにおけるチンパンジーの集団構成の研究によると、 チンパンジーの群れは「パーティ」の上に「コミュニティ」という単位集団があり、 メスの移籍は同一コミュニティ内のみで行なわれ、異なるコミュニティ間での 移動は決して起こらないのだそうな。 群淘汰にせよ何にせよ、「群れとは何なのか」つーのは本当にややこしいな。
>>739 掘割の中の子供が老カコウェの子供なのかどうかが気になるところです。
(孫でもいいですがw)
>>740 自分だけジュースを持ってるとカンジたちに取られてしまう
(少なくとも喧嘩の種になる)から余分にもらった、という
ストーリーが蓋然性が高いかも。
>>741 トロイの木馬の意味は一度考えてみてください。
難しければご説明します。
まだ読みかけではあるが
>>739 直接の血縁関係までは記されていないが、カコウェというのは
1960年代、ボノボ研究の黎明期から飼育されていた飼育ボノボの
父祖と呼ばれる存在で、リンダとの間に十頭の子を残している。
ただ、野生ボノボにおいては父と子の関係は希薄であり、研究者はもちろん、
彼ら自身にとっても誰が誰の父親なのかなど分からないだろうという。
>>740 で、これはボノボのかなり際立った特徴のようだけど……
ボノボの社会では、オスはメスを攻撃することはない。
また、エサの権利において、常にメスが優先権を持っている。
で、パンバニシャはメスでカンジはオス。
この二体もまれにケンカをしたことはあるんだが、
身体能力ではまさっているはずのカンジが
一方的にやられて怪我をしていたそうな。
ですが一般的に言われているように、ボノボはメスがオスの優位に いるという表現は正しくないと思います。メスが食事の優先権を 主張できることは事実ですし、私もワンバで目撃しました。 ですがメスはオスを追い払ったりしません。食事の順番は 納得ずくのように思われます。むしろオスとメスの関係は、 役割分担だと思います。誰もが社会の中で役割をもっており、 オスとメスは異なる役割を果たしているだけなのです。 (同じインタビューより)
平均して、ボノボのメスはオスの85%の体重であり、この比はほぼヒトと等しく、 上位のオスはメスに対して時に強気な態度を取る。しかしメスは全くこれを無視する。 えさをねだられたときも、メスはオスを無視できるが、オスはたちまち屈服する。 ドゥ・ヴァールもこう書いてる。 「『弱いほうの』性が優位にあるというのは、生物学者の予想を完全に裏切るものだ。 私もメスの優位にはじめて気づいたときは、そのときだけの特殊な状況だと思った。 しかし多くのコロニーを訪れて調査したり、報告を聞くにつれて、そのパターンは 例外ではなく規則であることがはっきりした。」
>743 こういう事なのでしょうか・・? <トロイの木馬。 タイミング悪いので、後で読んでください。 (ロボ氏すんません。 忘れないうちに書いておくだけなので、 これは適当に飛ばして頂ければ幸いでつ) >トロイの木馬 木馬の中にギリシャ兵が隠れていたのだが、気づかずにトロイア人が持って帰り、 後から出てきてギリシャ兵がトロイア人を討ったという話でつよね。 (ホメロスでしだっけ。うろ覚えですが 汗) C戦略者は、単準にC行動者であり、「部分的に利己的な人間」も含める。 (「利他的行動者」は、勿論C行動者。) それで、利他的行動者は、内的サンクション(サンクションの内化、例えば原罪) を持つので、C行動を選択するが、 見返りがあるからC行動を取る等、内的サンクションを持たない者は、 部分的に利己的な人間になる。 (見返りがない場合は、D行動を選択するから) それで、トロイの木馬というのは、C行動者の中の「部分的に利己的な人間」 の戦略を指す例という事なのでしょうか?
>キリスト教の楽園の辺りなどなど 面白いでつね。。 整合性が取れててすっきりしますし。。 善悪のような二項対立の概念は、両者揃ってないと存在できない。 悪という概念は、善の概念があるから存在し、その逆も真なりでつ。 その意味では、善も悪も同じレベルの概念。 なので、「知恵の実」が「善悪の知識の木」の実だったとしたら、 善も悪も同時に覚えるのも納得。 スピノザの言う神は、「充実した無」であり善も悪も全て含んでいるので C行動もD行動も超越しているのでつが、 これが人格神になると、 キリスト(原罪)は内的サンクション、 荒らぶる神ヤハヴェ(戒律)は外的サンクション、 を人間に与えるので、人間にC行動を取らせる為のシステムになる。 ロボ氏は一言で >神の御技はこれすなわちサンクションであろう。 (ここでいう神は、キリスト教の神=人格神) と言ってますけど…うとーりする程すっきり。。。 長くなりすみません。。 寄り道すまそでつ・・。
別に一人でスレを占領して延々とボノボの話ばかり続ける気はないし ユダヤ教の善悪二元論を論じるときは、ゾロアスター教の影響がある、 つーあたりのことは基本として押さえとけよ
>>747 そうです、トロイの木馬とはC行動の中にD行動を引き入れる作用を
持つものという意味でつかいました。この場合、C行動を守る城壁に
当たるものがサンクション(ここでは外的サンクション)です。
トロイの木馬(C行動だがサンクションを与えない)はC戦略者には
一見見方のように見えますが、サンクションをしない分だけ
サンクションをするC戦略者より適応度が高く、やがてサンクションを
しないC戦略者が集団の多数派となります。
そうすると、サンクションという城壁はもはや機能しなくなり、
C戦略者の集団はやすやすとD戦略者の前に落城してしまうことになります。
>>746 非対称タカハトゲームには「強いほうがタカ・弱いほうがハト」の
ESSの他に「弱いほうがタカ・強いほうがハト」のESSも存在
します。ボノボは後者のESSが実現しているのかも・・しれません。
ボノボもオス同士では結構競争心が強くて、ケンカも多いし、強い順の序列もある。 ところがメスでは、序列は主に年の順、つまり年功序列になっているらしい。
なるほど、オス同士の闘争が激しいのがオスがメスより強い 原因なんでしょうね。一般にオス・メスの体格比はオス・メス間の 相互作用というよりも、オス間の闘争の強さで決まります。 オス間の競争が弱いと、オス<メスとなりますし オス間の競争が強いと、オス>メスとなります。
しかし、この「オスの強い順の序列」というのも、単に サシで勝負して勝ったほうが上位、などというものではなく、 社会的な相互関係が絡み合うので実にややこしい。 チンパンジーの場合、オス間の同盟作りが鍵であり、 2位と3位が協力して1位のオスを引きずり下ろす、 というようなパターンがよく観察されている。 ここで2位のオスがリーダーの地位を獲得すると、 新リーダーには「同志」に対する義務が生じ、 他のオスには禁じるメスとの交尾を許すなどの 複雑な政治的契約関係がここにはある。 ところがボノボにおいては、オス間の協力はほとんどなく、 オスの地位争いに関する政治的な影響力もメスが握っている。 自分の息子が上位のオスに挑戦したときに加勢した例、 上位のメスが高齢になって影響力を失った際に 第1位にあったその息子が地位を失った例の二例が報告されている。
参考までに他の大型類人猿での雌雄体格比は チンパンジー 75〜80% ゴリラ 50%以下 オランウータン 50%以下 で、すべてオスのほうが大きい。 ゴリラはハーレムを形成し、オス同士がそれをめぐり殺しあう。 オランウータンは単独行動型だが、よく分からんらしいな。
で、これが一番よく知られたボノボの特異性なわけだが、 エサにせよ、オモチャにせよ、あるいはメスをめぐるオス同士の関係にせよ、 普通の生き物なら緊張が生じタカハトゲームになるであろう場面になると ボノボは性的接触によって「和解」して緊張を解消する。 およそ他の生き物ならケンカになりそうなありとあらゆる場面状況で、 ボノボの性的接触は解発されるものらしい。 対立する上位のオス同士でも、 ケンカのあとは性的接触による和解が行なわれる。
いったいどんな淘汰圧がかかればこんな行動が進化するのか、 という今のところ霧に包まれている問題の前提として一点。 ドゥ・ヴァールは、ボノボのもつ遺伝的特徴は ヒト・チンパンジー・ボノボの中でもっとも 「三者の共通祖先」に近いものであるという見解を示している。 ボノボの生息域が原始的な熱帯雨林に限られており、 チンパンジーとヒトの生息域はその後の気候変動で生じた 新しい、より過酷な環境であったと思われることもこの説を裏付ける。 つまり、ボノボとは昔のままで残された狭いエリアにしか生き残れなかった 古い種族なのだ、というのがこの説の立場だ。 これに対して、ボノボは独自の戦略を進化させた新しい種だと考える研究者もいる。 というか、何人ものボノボ研究者のインタビューが載ってるけど、 みんな微妙に言うことが違う。まあ、定説なんぞないだろうし、当たり前ではあるが。
以下の話は、チンプvs.ボノボの比較をしたモデルではないのだが、 「近縁種でありながら、なぜマカクには、厳格な順位性型・攻撃的な種と 平等的・平和的な種が存在するのか?」を説明しようとするもの。 ロボが出した、ボノボ・チンプの例を見てもわかるように、彼らは 近縁種でありながら、社会システム、個体間の関係、葛藤頻度、葛藤の解決法、 個体間の物理的距離など、数多くの点で、際立った違いを見せている。同様な 違いはマカクにおいても見いだされている。 この問題について、チューリッヒ大学のヘマーリクさんというとても きれいな研究者がエージェント・ベースモデルを使い、「マカクに 見られる2種類の社会形態は、たった一つのパラメータの違いに よって生じている」ことをデモンストレートした。 これは進化的シミュレーションではなく、「個体がある一定の意志決定 ルールに従って相互作用する。その結果、いかなる社会システム/相互作用 形態が生じるのかを観察する」もの。 そして、彼女が見いだしたのは、多岐にわたる違いは、「攻撃性」という たった一つのパラメータによって生じているということだったという。 言い方を変えれば、「両種の差は、攻撃性に関する遺伝子だけかもしれない。 それだけの違いでも、自己組織化の結果として、多様な差が生じるのだ」と。
これだけ聞くと当たり前に聞こえるが、この先が深い。 「じゃ、なんで近縁種なのに、攻撃性に差が生じたのよ?」 ヘマーリクさんはこう考えた。「個人レベルと、集団レベルの 両方で、淘汰がかかったからじゃないのか」と。 1.食料が貧弱な環境では、互いに助け合っていたら共倒れして しまう。それよりも、腕一本でのし上がり、できるだけ独り占めするような 個体=攻撃性が進化するだろう→個人レベルでの淘汰 2.蜘蛛の集団の研究によれば、たとえば食料が豊富でない環境では、 順位型の集団の方が、平等型の集団よりも「個人の平均的適応度」が高い という。上に書いたように、平等型の社会だと共倒れで集団全体が崩壊 するから。故に、攻撃性なる特性は順位型社会を生みだすことで、 「集団として」選択される→集団レベルでの淘汰 3.当然、「けど、順位型の社会にいる下っ端の奴は、平等型社会の平均的な 個体よりも、少ない食料にしかありつけないのでは?」とも思う。下っ端 連中が群れから逃げたら、順位社会は崩壊→群淘汰も生じない。 が、Caracoに始まる「適応的リスク選好理論」によって「過酷な環境では、 当たればデカイが外れたら最後、というリスキーな行動をとった方が適応的」 ということが示されている。つまり、個体にとっても、「平等型集団に移る よりも、順位型社会にとどまり、順位を駆け上がる一か八かの機会を狙う方が良い」。 故に、順位型の集団は崩壊することなく、自発的に維持される。
後半は、本格的な分析が待たれるところだけれど、「群淘汰にはこんな使い方もあるというお話」 アンド「異種間での社会形態の差を説明するためには、個別の行動を取り上げるのでは なく、システムj全体の成り立ち&社会システムが個人に与える影響&システムを支える 心的基盤&システムの外部に存在する環境のすべてを見ていかなくちゃいけないのかもね」 というお話でした。 ヘマーリクさんは「一つの行動だけをとりだし、その適応価を判断していくタイプの 研究だけではダメじゃないのかしら」と言いたいらしい。
ついでに付け加えると >チンパンジーとヒトの生息域はその後の気候変動で生じた 新しい、より過酷な環境であったと思われることも マカク&チンプ・ボノボに共通なのは「過酷な環境→順位型、 豊かな環境→平等型」という構図。 これに対するに、人類社会で見られるのは「過酷な環境→平等型、 豊かな(定住型)環境→順位型」という構図。 この世界、奥深い謎が目の前に横たわっている。
ありがとうございます。ただ
>>758 を読むかぎり
「素朴群淘汰論」の域をでない議論のように
みえますね。D(この場合タカ)の移住可能性
について考慮されているのでしょうか?
上のほうでも書いたけど、ボノボとチンパンジーの違いの一つに、 「性周期が長いため、オスにはどれが自分の子か分からない」というのがある。 ドゥ・ヴァールは、これを「メスが、オスの子殺しを封じ込めるために取った戦略」と見る。 どれが自分の子か確認できない以上、群れのなかの全ての子どもは 自分の子どもである可能性があるからだ。これに対してチンパンジーの場合、 子殺しを「明らかに自分の子ではない個体」を狙って行うことができる。 性周期がのびたことのもう一つの利点は、セックスを交換財にしうることだ。 ボノボのオスは交尾を誘うときエサを見せびらかし、交尾が終るとメスはそれをひったくる。 この点については作中では触れられていないが、これって……最古の職業じゃないか。
以下に示したシナリオはあくまで仮説であり、 そのまま認められるわけではないが、部分的には説得力がある。 1、メスの発情期が長くなることで、オス間の競争が希薄になった。 性的魅力をもったメスがたくさんいて、しかも排卵期を特定できないため、 オスにとってはメス欲しさにほかのオスと争い、負傷することに意味が なくなってきた。 2、ほかの霊長類に見られるオスどうしの連携は、みんなが狙いをつける メスからライバルを遠ざけるのが目的である。だが発情期とおぼしいメスが 一度にたくさんいれば、そのような協力体制は必要なくなる。 3、オスが連携せずに一匹狼になったことで、メスが力を合わせて 主導権を握ることが可能になった。 4、社会的な性行動やメス同士の結びつきは、食べ物を独占し、 子殺しするオスから我が子を守るためと解釈できる。 5、長い発情期と頻繁な交尾によって父性は混乱し、子殺しは逆効果になった。 自分の子を手にかける危険性が出てきたのだ。 このシナリオは、ボノボの進化を再構築する科学者にぜひ検討してもらいたい。 とくに例外には鋭く目を光らせるべきだ。(略) 2,3の例外でこの進化モデル全体が崩壊することはないだろうが、 いずれ書き直しを迫られることは必至である。 (同掲書)
>>761 環境が厳しい場合はいいですよね?どこもタカばかりの順位型社会。
また、「平等型社会の個体がとる戦略」はハトではないと思うのですが。
資源の価値が低いときはV<Cとなりやすいので 闘争回避が進化しやすいってことじゃないかと 思います。
だからって普通タカが完全消滅することはないんじゃ?
理論的には、ブルジョアや見定めにタカは 侵入不可能なので、タカが消滅しても 不思議ではありません。実際はmutationが あるので若干は 残るとおもいますが。
いや、全員がハトになったら容易にタカが侵入してくるだろ、と。
ハトじゃなくて、ブルジョアや見定めです。 ブルジョア戦略は「資源に対して先着ならタカ、後着ならハト」をとる 条件付戦略で、見定め戦略は「自分の方が強いときはタカ、弱いときはハト」 をとる条件付戦略です。 V(資源の価値)<C(闘争のコスト)のときにはブルジョア戦略や 見定め戦略がESSとなります。(『進化とゲーム理論』p25参照)
で、ボノボの生き方はブルジョアや見定めなのか?
ていうか、全員が見定め戦略である社会=順位型社会 ってことでいいの?
「相手を気づかうサル」という章で、ボノボに鋭い認識共感能力が あることを示唆するエピソードなるものが何例か示されてるんだが イギリスのトゥイクラス動物園で飼育されているメスのボノボのクニが、 ある日一羽のムクドリを捕まえた。飼育係が放してやるように言うと、 クニはムクドリを持って外に出るとまっすぐに立たせようとした。 しかし鳥はじっとしたままだったので、クニは軽く放ってやったが、 鳥は羽をばたつかせるだけだった。 そこでクニは、ムクドリを片手に木に登り、いちばん高いところで 両足を幹に巻きつかせ、自由になった両手で鳥を捧げ持ち、 鳥の羽をそっと広げてやり、囲いの仕切りに向かって思い切り投げた。 残念ながら鳥はすぐ落下して堀割の縁に止まった。 他のボノボが鳥にちょっかいを出そうとすると、クニは鳥を守った。 日が暮れるころ飼育係が見ると鳥はいなくなっていた。 羽一枚残ってはいなかったから、無事に飛び去ったのだろう。
>羽一枚残ってはいなかったから、 羽も残さずに食い尽くしたとか... >で、ボノボの生き方はブルジョアや見定めなのか? 順位型社会でない=順位が資源獲得などに大きな影響を与えない =順位以外の「非対称性(先着順位など)」が用いられる。
>>765 いずれの社会でも、非対称型の戦略が使われているのでは?
順位or先着。前者の方が、平均的適応度の個人間分散が大きく、
後者の方が小さい、という違いはあるけれど、いずれも資源獲得を
巡っては非対称性を用いた葛藤回避システム。
ただ、葛藤回避の手がかりとなる非対称性を作り出す時に、
「攻撃的な手法=腕と頭でのし上がる順位性」が関連している、
という話では?
ミルウォーキー群立動物園のキドゴは心臓が悪かった。 おとなのオスなのに弱々しく、スタミナもなく自信もなさそうだ。 ミルウォーキーに移ってきたばかりのころ、彼は慣れない場所で 飼育係の命令を理解できず戸惑うキドゴに、他のボノボたちは 助け舟を出した。キドゴの手をとって、飼育係が行くように 指示した方向へと導いてやったのである。 こうした支援は何度も見られたので、飼育係はキドゴを 移動させるときは他のボノボに頼むことにした。 キドゴも、途方に暮れたときはSOSを発することを覚え、 そうするとほかのボノボは彼をなだめたり、案内を務めるのだ。 ヘルパーの中心的存在は、第一位のオスのロディだった。 若いオスのマーフは、キドゴの体力のなさにつけこんで 彼をしょちゅうからかっていたが、そんなときでもロディは マーフの足首をつかんでやめさせるのだった。 ドゥ・ヴァールの別著「利己的なサル、他人を思いやるサル」には 日本アルプス・志賀高原の、両手両足奇形のメスザル、モズが 紹介されているが、彼女が生き延びているのはおもに 餌付けする人間が特別扱いをしているためであり、 必死で生きるモズにほかのサルが助けの手を差し伸べる光景は 一度も目撃されたことがない。
ハンディキャップをもった個体は搾取されることも多い。とはいえ、 障害をおったモンキーが仲間から特別な配慮を受けた例も記録されている。 ウィスコンシン霊長類研究センターのベニガオザルのメス、ウルフは、 年老いて失明してからいじめられるようになったが、 飼育係が群れを屋外に出そうとすると、おとなのオスが ウルフが外に出るまで扉の外で見守り、ときには 扉が閉まらないよう手で持ってやることもあった。
778 :
没個性化されたレス↓ :03/02/09 05:22
今の旬スレなので高温揚げ
>>775 見定め戦略(A戦略)とブルジョア戦略(B戦略)のダイナミクスは
次のようになります。仮に資源の価値4、闘争のコスト6、として
利得行列を書くと
強者\弱者 | A B
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
A |4,0 1.5,-3.5
B |3,1 2,2
となります(先着・後着は強さと独立、強いほうは確率3/4で勝つと仮定)。
strict Nash均衡は(A,A)と(B,B)なのでこれらがいずれも
レプリケーターダイナミクスの漸近安定点になります。
ただし、収束の流域面積は(A,A)の方が広いので、強いほうも
弱いほうも見定め戦略を採る見定め卓越型社会の方が一般には
生じやすい・・と。
>>777 モズの例があげてありましたが、野外でハンディのある個体を
助けた事例が報告されたのは、あまり(というかほとんど)
記憶にありません。血縁のある個体を助ける、あるいは潜在的な
繁殖相手を助ける、といった行動は見られても不思議では
ありませんが。
カリブ海の島で放し飼いにされている群れの中に、 先天性盲目の小ザル、1585Bが生まれた。 彼の親族、母親、おば、いとこ達は、常に彼に付き添っていた。 子どもが木にのぼるときは、そこから2〜5mのところで待機し、 血縁関係にないものが近付くと矢継ぎばやに威嚇するのだった。 ただ、野生状態では、たとえ群れから多少の援助があろうとも、 重いハンディキャップを負った個体が生きてること自体難しい罠。
そうですね。そもそめハンディのある個体 を助ける行動は発現の機会がないので淘汰圧 がかかっていないかも知れません。
旧人や初期の人類に関していえば、、シャニダール人・ロミト人などの 過去に発見された化石資料から、明らかな先天的障害をもちながら 少なくともおとなになるまで生き延びていたケースが確認されている。 生き延びるということと援助を受けることは違うのだが、 ニホンザルの例からも、存在価値がほとんどない、 「排斥するほうが現実的」な個体も、少なくとも 社会に参加することを許されることは明らかだ。 ある個体が環境にどの程度うまくなじんでいるかは 「適応度」という言葉で表すが、適応度中心の考えにも限界がある。 人類全史において適応度の低い個体が生き延びた記念すべき 証拠としては、障害のためろくに歩行できなかったと思われる 旧人の化石を引き合いに出せば、納得がいくだろう。 フランス・ドゥ・ヴァール 『利己的なサル、他人を思いやるサル モラルはなぜ生まれるのか』
これだけ引いてくると誤解を招くが、ドゥ・ヴァールは 道徳性という問題について、「表玄関も裏口も開けはなって、 新鮮な空気を同時に送り込」み、生物学と哲学・社会科学の 双方から考えていくべきだという立場らしい。
孫引き。 ロバート・トリバースは、論文「互報酬的利他現象の進化」の中で、 協力関係をいくつかに分類した。たとえば、リカオンが集団で カモシカをひきずり倒すような行動は、全員が同時に利益を 手に入れることができるもので、この種の協力関係は広く見られる。 一方、互報酬的利他現象は、以下のように定義される。 1、やりとりされる行為が、受け手には利益になるが、実行者には犠牲が伴う。 2、代償と見返りのあいだにタイムラグがある。 3、見返りを条件に犠牲を払う。 この種の行動は、リスクだらけで信頼に基づいており、 このスレで散々述べられてきたように、フリーライダーの侵入を 食い止めるなんらかの制裁がなければシステム全体が崩壊する。 動物界で、この種のギブ・アンド・テイク関係がはじめて確認されたのは、 ジェラルド・ウィルキンソンが発見したチスイコウモリの「血液経済」である。 チスイコウモリは、吸った血を吐き戻して他の個体に栄養を分け与えている。 母子間で見られるそれは驚くに値しないが、母子間での組み合わせが21件、 グルーミングをしあう親しい関係の個体同士で確認されている。 チスイコウモリは、二匹一組となり、一晩交代で血を吸いに出て、 残ったほうに血を持ち帰る。二晩続けて飲まず食わずにいると死ぬので、 命がけのシステムである。 これは生命が危ういときに見返りを得るためとウィルキンソンは推測する。
間違えた >母子間での組み合わせが21件、 × 母子間以外での組み合わせが21件 ○
互恵的利他行動は特定の相手に向けたものなので、多数個体の 利益になる利他行動よりも進化しやすい性質を持っています。 理論的には未来係数(同じ相手とぱたPDを行う確率)が十分 高ければ「しっぺ返し戦略」(TFT)にADは侵入不可能なので たとえば、TFTの採用で互恵的利他行動が安定的に維持されます。
>>779 を書いてて思いましたが、
>>758 は「調整ゲームの均衡選択を群淘汰で説明する」
というストーリーなのでしょうか? そうであればジレンマ回避ではないので移住の
考察なしで成立する可能性があります。
ただ、AAとBBにはパレート支配関係も功利的支配関係もないので、
>>779 の利得行列
については群淘汰による説明は難しそうです。
前に書いた、チンパンジーのオスが血縁のない子どもを連れて 道路を渡った話、あれも何らかの互恵的利他行動なんじゃ ないだろうかと松沢さんは書いていた。具体的に、そのオスが 何かの報酬を受け取る場面は確認できなかったそうだけど。
互恵的利他関係を実現するためには、 誰が何をやっているか把握する必要があるので、 正確な記憶力と安定した関係が欠かせない。 しっぺ返し戦略を実行するなら、少なくとも 群れの個体成員を何らかの手段で識別し、 どいつがその相手だか覚えてなきゃしょうがないし。 血縁関係抜きで利害を共有する個体同士で 互報酬的利他行動が相互に繰り返される状態、 これをすなわち、一般には「友情」と呼ぶ。
>しっぺ返し戦略を実行するなら、少なくとも >群れの個体成員を何らかの手段で識別し、 >どいつがその相手だか覚えてなきゃしょうがないし。 そうなんですね。この辺が互恵的利他行動の難しさで 群れのサイズが大きくなりすぎると群れが不安定になると 主張される理由でもあります。霊長類で互恵的利他行動と 思しき行動がよく見られるのは、個体の識別と記憶の能力が あがったせいだと考えられています。
実際、ヒトでもそうなんじゃないかって気がするけど。 人口が少ない状況でしか実現しない体制ってものはある。 これは無階級絶対民主主義であって、ローマが、 市壁の外のことなど考えたこともない小数の住民の 小さくて平和な町であったときのみ、機能した制度である。 (略) この民主主義は、最初の百年間のローマのように、 ぼろ小屋ばかりの狭い閉ざされた小都市を前提としていた。 そこでは皆が顔見知りで、だれの息子か、どういうことを した人か、女房をどう取り扱っているか、食費はどれだけ使うか、 神々にどんな犠牲を捧げるか、みんな分かってしまう。 そんな社会でなければこのような民主主義は成り立たない。 モンタネッリ 『ローマの歴史』
ドゥ・ヴァールによる道徳性進化の条件 1、集団の価値――集団に属することでエサと安全を得られる 2、相互援助――集団内で協力や互酬的な交換が見られる 3、内部衝突――集団を構成する個体がそれぞれ異なる利害をもつ 1、一対一レベル――直接の相互援助や和解。個体同士で解決する 2、高いレベル――コミュニティが個体同士の関係に配慮する。 和解のあっせん、平和的な紛争解決の仲裁、利他的行動の 集団全体での評価(間接的な相互関係)、社会環境の質の 向上のための貢献奨励など。 前二者は霊長類に広くみられるが、残る二つはヒトに限定されるかもしれない。
前述のごとく、チンパンジーは怪我をした群れの個体に対して 積極的にやらないまでも何らかの支援の性向を持つわけだが、 それゆえにそれにつけこんだ欺瞞も行なわれる。 アーネム動物園のチンパンジーの最長老のオス、イエルーンが、 順位争いで若いオスと戦って手を負傷した。傷は深くなかったが、 イエルーンは一週間も手をひきずって歩いていた。 ところが、まもなく、イエルーンはライバルのオスが見ているときだけ そうやっていることが明らかになった。若いオスの前を通って彼の 背後に回りこむようなときは、最初はずるずると哀れっぽく手を ひきずるが、オスの目が届かなくなったとたん、まったく正常な 歩き方に戻ったのだ。これは、ライバルたちの攻撃を抑制するためだろう。 ていうか、ユージュアルサスペクツ(((( ;゚Д゚)))
ついでに、大分前に触れた、イルカが漂流した人間を浜に送る話、 イルカじゃなくてシャチだけど話があった。アメリカの海洋学者 ジェームズ・ポーター氏が、重傷を負って浜に打ち上げられた 仲間を追って波打ち際に集まっていた群れに近付いたところ、 彼のシュノーケルの音に反応し(シャチが苦しむ音に似ているらしい) いちばん外側にいたシャチが彼を支えるようにして浜辺に運んだ。 同じことが三度繰り返され、群れの反対側に回りこんだところ やはりそちら側のシャチが同じことをした。
>>788 >ただ、AAとBBにはパレート支配関係も功利的支配関係もないので、
>>779 の利得行列
については群淘汰による説明は難しそうです。
ただ、順位は変動するので、順位の変動率やパターンによっては、もう少し
複雑なモデルが必要となるのではないか、と感じます。実際、「変動する
可能性を秘めた順位性」+「タカ・ハト」というモデルがありますが、
かなり多様な均衡を持っていました。
>>796 なるほど、順位の変動にどのような仮定を置くのでしょう?
「個体の強さ」の遺伝分散が小さければ、戦略と強さは独立の
モデルに帰着しそうな気はしますが。
>>793 ドヴァールが整理している通り、類人猿の段階で、群れの利益の享受
闘争回避、互恵的利他行動は見られるようです。この点は猿人・原人の
社会でもおそらく似たようなもので、「複数非血縁者を対象にした利他行動」
は無かった(というより必要なかった)のではないかと思います。
猿人も、原人も、それ以前の共通祖先も、 残念ながらみんな死んじゃってるからなぁ タイムマシンが発明されたら、みんな 嬉々としてフィールドワークに行くだろうに
>>797 手元に資料がないので後ほど。
>>790 >互報酬的利他行動が相互に繰り返される状態、
これをすなわち、一般には「友情」と呼ぶ。
ところがどっこい。Cosimidesの論文以降、進化心理学には
「paradox of friendships」という問題が認識されている。
それは「友情は互恵的利他主義では説明できない」という認識。
なにしろ、友情関係というのは、コスト・ベネフィットの計算を
超えたところに存在する。もちろん、あまりにも相手から搾取されたら
友情は消えるが、通常、友人関係においてはさほどガリガリに「損得」を
計算しない。
互恵的利他主義の「モデル」を友情に当てはめるためには、「どこか」が
変更されなければならない。かなり重要で、かなりホットなイシュー。
800
経済学者のロバート・フランクは、行動科学に 共通の問題に触れて次のように書いた。 研究者にとって、自分が利他的と表現した行動が、 別のもっと如才ない研究者によって実は利己的と 言われるほどの屈辱はない。研究者はそれを 恐れるあまり、 自己犠牲にとれるような行動に利己的な 動機を持たせるべく、 紙幅を費やすことになるのだ。 チンパンジーの行動を研究するものとして、私も似たような経験がある。 かつて敵対していた者通しが友好的な関係になることを「和解」と 呼ぼうとして、学界の抵抗にあったのだ。(略) バーバラ・スマッツも、ヒヒのおとなのオスとメスのあいだに見られる 親密な関係を、そのまま「友情」と表現して同じような抵抗に直面した。 動物に友達など作れるものか、と学者仲間は疑問を投げかけたのである。 彼らは動物にライバルがいることはみじんも疑わないのに。 フランス・ドゥ・ヴァール 『利己的なサル、他人を思いやるサル』
>>779 (随分上でつが…汗)が分からなかったので、
下の囚人スレ(微妙に嫌な名前でつが…w)で時間が
空いた時にでも教えて頂ければ幸いでつ。
利他的行動は本当に、利他的行動による受益者の適応度を上げるのでせうか?
という疑問がふとわいてきますた。
というのは、ふと目にしたスキナー御大が「罰なき社会」について
What are the rights of a prisoner, for example?
A person who has been incarcerated and then given
the things he needs to survive is being denied a very basic right.
He is being destroyed as a person by having his reinforcing contingencies
stripped away. The same thing happens to those on welfare.
A humane society will, of course, help those who need help and
cannot help themselves, but it is a great mistake to help
those who can help themselves.
Psychotic or retarded people who in essence earn their own living
would be happier and more dignified than those who receive
their living free and are then treated punitively
because in the absence of reinforcing consequences
they behave badly.
Those who claim to be defending human rights are overlooking
the greatest right of all: the right to reinforcement.
最も価値の高いのは、「能動的に行動し、強化を受ける権利」w
っていうのは不思議な言い回しだけど、これ読んだ時、
芥川か太宰が忘れますたが、本当の地獄についての記述を思い出しますた。
ある男が死んで、目が覚めると極楽のようなところにいた。 食べ物は望めば幾らでも出てくるし、暇になったら観劇など望むもの全てが与えられる。 しかし男はだんだん退屈になってきた。 そこで、天使のようなのに、聞いてみた。 男「人にやってもらうのは飽きた。 何か自分でやりたい」 天使?「いや、それはできません。 貴方が何かをやりたいと思っても それをすることは禁止されています」 男「なんでだ? ここは天国じゃないのか?」 天使?「貴方は今まで知らなかったのでつか? ここは地獄ですよ」 結局利他的行動のような犠牲的な行為って、一時しのぎである訳だから、 相手の適応度を本当に上げているのか疑問でつ。 なんか、カウンセリングの援助のような話になりそうでつが・・。 ふと思いますた。。
芥川でも太宰でもないかも…。 どなたか…(恥。。
>>801 まあ、それは仕方ないでしょう。第1種の過誤と第2種の過誤のような問題があるのだから。
1.あるタイプの研究者は、とある現象が見つかると、それに対応した原因を新たに
作り出す。このやり方は、現象に対する原因の数を増やしていく傾向にある。
その結果、しばしば、「節約の原理」が失われてしまう。
2.別のタイプの研究者は、原因の数を限りなく減らし、最小限の数でできるだけ多くの
現象を説明しようとする。これは、「真に必要な新たな原因」を無視する傾向にあるが、
節約の原理が維持される。
基本的に、オッカムの剃刀が「有効な科学的原理であることが統計的にも論理的にも
示されている」以上、上にあげた2つのスタイルは常に対立せざるを得ない。
また、人類学も含め、フィールド系の研究者は「自分のフィールド対象は
特別!」と考え、先入観によって結論にバイアスを下しがちな傾向があるとされる。
察するに、フランクが非難対象としている連中と、ドゥ・ヴァールが非難している
対象は違うのに、無理矢理くっつけているように見えるけどね。
もちろんエピソードだけでは、科学的な証明にはならない。 動物たちの驚くべき能力について想像力が刺激されるかもしれないが、 その存在が実証されるわけではない。観察を繰り返し、信頼できるデータを 積み重ねてこそ、他の仮説と比較してはっきりした結論を出すことができるのだ。 動物行動学の研究にはもちろんコンピュータも必要だが、実際の観察も 同じくらい重要である。(略) いま西欧の科学は、整然と秩序だった世界観から離れようとしている。 宇宙はかならずしも、論理的にかっちりと構成されているわけではない。 そう意識しはじめた科学者たちは――いやいやではあるが―― 矛盾する概念を受け入れ始めている。(略) 生物学でも同じことがいえる。個体と個体、生活形と生活形を競わせる 非情な自然淘汰の原理が、異なる生物同士の共生を可能にし、 相手の欲求を察知する敏感さを発達させ、共通の目標を目指す 協力行動を実現させてきたのである。他者を犠牲にした遺伝子の 自己利益追求――これが進化の原動力だ――が、 思いやりと共感という驚くべき能力を生み出した。 このパラドクスは奥が深い。
社会生物学の誕生はもちろんとても重要なことであり、これによって 生物学者の動物行動に対する考え方はがらりと変わった。 しかし、社会生物学の新しい理論はあまりに説得力があり、 しかもすっきりしていたために、一部の学者は遺伝子の影響を 極端に単純化して考えたがるようになった。ぱっと見て理論の 枠組みに入らない行動は、すぐに異常だとか、ときにはまちがいと 見なされてしまう。社会生物学のある分野など、食うか食われるか というマルサス的な世界観にとらわれすぎて、道徳的な行動を 受け入れる余地が全くない。そういう分野ではハクスレーにならって、 道徳性を抵抗力と見なし、人間性に不可欠な要素というより、 われわれの獣的な性質に対する反抗と考えるのである。 (同)
>いま西欧の科学は、整然と秩序だった世界観から離れようとしている。 宇宙はかならずしも、論理的にかっちりと構成されているわけではない。 そう意識しはじめた科学者たちは――いやいやではあるが―― 矛盾する概念を受け入れ始めている。 これも、文脈からはがすと、誤解を招きがちな表現でしょう。 >個体と個体、生活形と生活形を競わせる 非情な自然淘汰の原理が、異なる生物同士の共生を可能にし、 ここで展開されているように、ドゥ・ヴァールやフランクが目指しているのは、 あくまでも「最少原理(最小じゃない)で多数の現象を説明する」こと。 それは、論理的にかっちりと構成されているし、複雑だけれども「一貫性」が存在している。 単に、「最少の原理」を「合理性」から「適応価」に置き換えるだけ。 フランクが非難しているのも「同様に論理的な議論」なのに、「合理性のみ」 に執着する、頭の固い経済学者。 その意味では、最初の表現は、下の文章から引きはがされるとトンデモない 誤解を受けそうな文章に見える。
人間が道徳について判断するときは、かならず行動の背後にある 意図を見ている。(略) しかし意図の有無などといった区別は、行動の結果にしか興味のない 社会生物学では意味をなさない。意図した結果と意図せざる結果、 利己的な行動と利他的な行動、実際に言うことと言いたいこと、 単純ミスと確信犯的なミスのあいだに、違いなどないのだ。 倫理問題を扱ううえでいちばん重要なとっかかりを否定したことで、 一部の社会生物学者は道徳性の解明をあきらめてしまった。(略 ドーキンスは、純粋かつ偏見のない利他性など自然には 生まれないのだから、意識して身につけるべきだと説く。 「この地球上で人間だけが、利己的な複製者の圧政に 叛旗をひるがえすことができるのだ」と。 彼らは道徳性を自然界から切り離すことで、道徳性を 進化論に当てはめて考える努力を免れたのである。
遺伝子至上主義の社会生物学者にしてみれば、彼らなりの 万物の理論に例外を設けるのはがまんならない話にちがいない。 しかもその例外は些細なことではなく、人間が人間であるための 必須条件であると考えられていることなのだから。 利己的な遺伝子で道徳性が説明できないのは、 理論を単純化しすぎた当然の結果である。 愛をホルモンのせいに、憎しみを脳波のせいにするのを やめるとして――もちろんそれも一要素ではあるが――、 これでも人間の心理を遺伝子の行動に帰結させるのに 比べれば、まだ飛躍は小さいのだ。 幸いなことに、いまはこうした単純化から離れて、 様々なレベルで営まれている生命システムを統合し、 総合的に説明しようという試みに向かいつつある。 全米科学基金が最近設立した特別委員会の言葉を借りれば、 「生物科学は分析的な還元主義から離れ…… 生物学体系を切り離して各部分の動きを見るのではなく、 そうした部分をひとつにまとめて、全体の働きをとらえようとしている」 (同)
ここしばらくの間で、引用元が書いてない引用文はほぼ全部これです フランス・ドゥ・ヴァール 『利己的なサル、他人を思いやるサル』
>>803 芥川っぽいですが、もちろん確証はありません。
援助行動も相手が受け取ってくれなければ相手の適応度は
あがらないので、その意味では、本当に適応度があがるか
どうかは「相手次第」ということになりますね。確かに
「相手が適切に反応すれば、相手の適応度をあげることが
できて、自分の適応度を下げる行動を利他行動という」、
という風に、定義を修正する必要はありそうです。
>>812 どもです。一段落したらコメントいれます。
イマイチよくわからないのは、(ロボがまとめてくれた)ドゥ・ヴァールの 「結論」部分には、霊長類学者どころか、多くの研究者が反対していない。 彼が非難されるのは「擬人化することによって生じるバイアス」や「アネクドートを 多用して統制されたデータに(やや)欠ける点」。 後者の非難をかわすために、前者の話を持ち出しているようにも見えるし。 ドゥ・ヴァールが戦っている相手は、誰なのだろうか?それがわからない。
うーん。よくワカラン。811で非難されているのは誰なのだろう? ドーキンズ?ドゥ・ヴァールの言ってる/やってることが、誰に とって本質的に「新しかった」のだろう... どなたか、このあたりの歴史的経緯に詳しい方の降臨きぼーん。
>813>815 どうもでつ。 色々探していたのでつがなかなか見つからず・・ また板違いなのですが(汗 真の利他的行動があるかどうかは別として 何故人間の社会には利他的行動を善とする価値観があるのでせううか? というのも一段落したら知りたいでつ。。 というか、今の議論は規範の基になる上記価値観(至近要因?)の究極要因を議論して モデル化で説明しようとしてるんでしたっけ? ちょびっと混乱してきてしまいますた。。スミマセン(汗
ドヴァールは優れた霊長類学者ですが、この辺でいってることは あんまり感心できません。還元論で駄目だから全体論、という誘惑に かられる人は時々いますが、方法論のない全体論は手をこまねいて 終わることが多いので、還元論で勝負したほうが成算があるだろうと 私は思っています。
>利他的行動を善とする価値観
>>793 でいうところのこれだな
>利他的行動の集団全体での評価(間接的な相互関係)
>>818 そうです。類人猿の社会に利他的行動を善とする価値観があるかないか
はっきり示すことはできませんが、少なくとも「はっきりある」とは
いえないでしょう。
猿人・原人の社会が類人猿のものと余り変わらなかったとすれば
そこでも利他的行動を善とする価値観がはっきりあるとはいえないでしょう。
で、今ははっきりあるとすれば、どこかその中間でこの種の価値観が
生じたと推論することはできます。
解剖学的特徴においては、ボノボと アウストラロピテクスはかなりよく似ているそうだが。 とはいえ、利他的行動を善とする価値観は、 というかおよそありとあらゆる価値観は、 現象として普遍ではないという罠。
むかぁーし、リア厨のころだったかなぁ、授業でこんな話をされた。 ある国に泥棒がたくさんいて、みんなが困っていた。 そこで、王様が「物を盗んだら例外なく死刑」という法律を作った。 泥棒は減って平和になり、国民はみな満足した。 ところがある日、パンを盗んで捕まった少女のために、 大臣が王様に進言した。 「この娘は貧しく、家族のためにパンを盗みました。 死刑にするべきではありません」 別の大臣がいった。 「貧しいために盗んだものを許せば、また治安は悪くなります。 死刑にするべきです」 王様は悩んだ。
>>819 そういう成算のある還元論という「部分」を方法論に使って
全体論を組み上げようと言ってるのだと思われ
つまり、アレだ。
一人達成量×N<N人協力達成量
というわけだ。うまく役割分担できれば。
>そういう成算のある還元論という「部分」を方法論に使って >全体論を組み上げようと言ってるのだと思われ それだったら、いいのですけどね。
>822 それには同意でつ。 普遍性のある価値観や規範を考えると真っ先に思い出す「殺人の禁止」ですが、 それすら、時と場合によっては、吹き飛ぶので。。。 現存する社会が個体に害を与える場合は革命権がある、という考え方が 昔からあり、この革命権の前では、「殺人の禁止」という倫理すら問題にならない。 でも、いくら革命権があるといっても、戦争や革命のコストは歴史的に見て 大き過ぎるので、なるべくコストがかからないようにする為、 国際政治でお互いに見定め戦略して対戦するようになった。。 それで、頭脳戦、情報戦になる。 個体にとっても、革命のコストを考えると、 現存する社会を維持した方が良いという場合が多ければ、 利他的行動を善とする価値観や規範はある程度妥当性がありまつ。 その為、サンクションである死刑制度ですら、見直しが図られている…。
頭脳戦、情報戦をした方が、実際ドンパチやる(殺人する)よりお得でつ!
っていうのをあっし達民衆に啓蒙したい人にとっては、
利他的行動を善とする価値観というのは有用なのでつが、
その有用な価値観が、普遍的価値観みたいになっちゃうと、
社会のリーダーはジレンマに陥るのかも…。
おそらく国の命運を握る人間にとっては、利他的行動は邪魔になる時もあると思うでつ。
善悪の彼岸を行かないと、どーにもならん時があるのでせうかね。
>>823 の王様みたいに…。
と、ここまで書いてくると、利他的行動者の適応度が高いという事は在り得なさ
そうなのでつ。
ただ、社会維持の為に利他的行動は有効なので、利他的行動者は社会により
保護を受ける為、適応度が上がるだけ。
なので、社会からの保護による適応度の大きさが問題になるのかと…。
と人間社会の事を書いていくと、こんがらがって来てしまうのですた(汗。
すみません。。
それとは別に、 不思議なのは、ローマ時代に迫害を受けつつも、 利他的行動を推奨するキリスト者は信仰を捨てなかったという事でつ。 ルール支配性行動なのでせうか? (利他的行動を取ったら天国にいけるよ…と書いた聖書は、 利他的行動という行動随伴性の記述?) そうだとしても、何故そんな記述をしようと思ったのか。 記述した人達は、mutationだったのせうか・・?
>>利他的行動者の適応度が高いという事は在り得なさそうなのでつ。 そうですね。利他行動の定義から、それは自らの適応度を下げる 行動なのですが、いろいろな角度から考察して納得しておいて もらえるとよいと思います。
むむむ。。 群淘汰で説明しない限り、利他的行動者がmutationで発生しても淘汰される。 でも、それが血縁淘汰(利他的行動の中の、母性的行動など)になると、 説明はつくし、素朴心理学的にも納得がいく。 群淘汰は、血縁淘汰を押し広げたものと考えてはいけないのでつか? やっぱり人が苦しんでる様を見るのが苦痛というのは、 適応度とは関係なく、(主観的)効用だという事でつが、 生理的に組み込まれた反応のような気もするのでつが・・・・。 ダメだとは思うんでつが…(苦笑。
血縁者以外も助ける戦略には、血縁者のみを 助ける戦略が侵入可能です。 後半は多分間違ってませんが、なぜそういう 生理的メカニズムが進化したのかをここでは 問題にしています。
>血縁者以外も助ける戦略には、血縁者のみを >助ける戦略が侵入可能です。 その通りでした。。 ジレンマに陥り、苦しくなってきますた…(汗。 もし、他者が苦しんでいる様を見るのが苦痛となるような生理的メカニズムが あるとすればどのようなメカニズムなのか? (あっしには、見当もつきませんが…) また、何故、自らの適応度を下げるようなメカニズムを持っているのか。 不思議すぎますね…。 >なぜそういう生理的メカニズムが進化したのかをここでは >問題にしています。 そこで、猿人・原人の社会が類人猿の話や、ヘマーリクさんという方の話 (難しくて、ついていけなかったけど…汗)が出てきた訳なのでつね。。
ホラー映画が恐いのも、それつながりではないかと言ってみる実験
というわけで、複数の非血縁者に対する利他行動は、血縁淘汰でも 互恵的利他行動でも説明できない不思議な現象だといえます。 残る説明原理として、群淘汰があるのですが、これも前に述べたとおり 大きな困難を抱えています。群れ間の個体の移動がなく、Dばかりの 群れが絶滅をしやすいような状況では確かにC戦略が進化できるの ですが、実際には群れ間では比較的頻繁に個体の移動があり、 (ニホンザルでは年何頭かのオスが外からやってきます)、その場合は D戦略が容易に拡散して、どの群れもD戦略ばかりになって しまうのです。
図示しておきますと、移住がなくてDばかりの群れが絶滅しうる場合は CC CC CC CC CC CC CC CC CC CC CC CC → → CC DD CC ×× CC CC CC DD CC ×× CC CC という感じでDがいなくなったあとを、増殖したCが埋めれるのですが
群れ間の移住がある場合は CC CC CC CC CC DD CC CC CC CD CD DC → → ・・ CC DD CC DC CD DD CC DD CD CD DD DD のように、どの群れにもDが移住で侵入してしまい、群れの中では Dの適応度>Cの適応度なので、やがてどの群れもDばかりになって しまいます。
>ヘマーリクさんという方の話(難しくて、ついていけなかったけど…汗) 申し訳ないっす。そこで扱われているのは「愛他性」の話じゃありません。 ただ、群淘汰という「仕組み」が他の現象を説明するために使われた例として &ボノボvs.チンプの話に絡んだ話として、持ち出しただけです。 チンプやボノボに、「群淘汰を持ち出す必要がある利他性」がそなわっている 可能性はあると思いますが、少なくとも、「チンプとボノボの違い」は、 利他性ではなく、「順位制社会の有無」でしょう。せっかくその話がでていたので それに群淘汰を絡めただけです。
>834
そうなんでつよね。 でも、好きな人もいる…。
SとかMとかも… (スミマセン。 いや、あの世界はよく分からないのでつが。
ローマ人は奴隷同士の戦いや奴隷vs猛獣の戦いをコロシアムで観戦するのが
娯楽の一つであったっていうのを思い出すと、その時代のローマ人には
血縁者以外を助ける行動を促すような生理的メカニズムはなかったのかな?
という素朴な疑問が出てきちゃうのですた…(汗。
>838
なるほどでつ。
ご説明伺ってもう一回読んで見ますたら、ちょっと分かってきました…!
>「じゃ、なんで近縁種なのに、攻撃性に差が生じたのよ?」
という疑問から、個人レベルと、集団レベルの両方で、淘汰がかかったからでは?
という話になり、「順位制社会の有無」への話となったのですね。。
>>837 上の方で177氏が仰っていた、「フリーライダー判別ソフト」(でしたでしょうか?)
があれば、Cだけの群れは、D戦略者の侵入を防げるという事になるのでせうか?
>「フリーライダー判別ソフト」(でしたでしょうか?)があれば、 >Cだけの群れは、D戦略者の侵入を防げるという事になるのでせうか? yes or no です。フリーライダー判別ソフトにフリーライダー撃退ソフトを 搭載したものをC戦略者にインストールしておけば大丈夫ですが フリーライダー撃退には一般にコストがかかるので、撃退ソフトを搭載 してないC戦略者の方が有利になります。 しかし、その話題まで進めば、この話も最終章(90年代以降の章)に 入ることができますね。
最終章というのは如何なものか。 現在執筆中の章、であろ。
現存する書物の、ですね。
間を読み飛ばしてドゥ・ヴァールの最終章のまとめ 人間の道徳性を語るうえで欠かせない傾向や能力で、ほかの動物にも見られるもの。 ●共感にまつわる特徴 愛着、救助、感情の伝染 負傷した者、障害を持つものに対応し、特別扱いする学習調整能力 ●精神的な役割交換の能力 認知的感情移入 ●規範にまつわる特徴 社会規則 規則の内面化と懲罰の予測 互酬性 与え、交換し、報復するという概念 互酬性の規則を破った者への道徳的観点からの攻撃 ●良好な関係作り 和解、紛争の回避 コミュニティへの関心と、良好な関係の維持 交渉による衝突利害の調整 これらのうち特に感情移入、規則の内面化、正義感、コミュニティへの関心は、 人間がほかの動物を引き離して発達させたものである。
途中を読んでないから本当にこれが話の結論なのかは分からんが 道徳性は水面に浮かぶピラミッドのようなものであり、 ピラミッドの高さは手に入る資源の量に比例する。 水面から出ている部分だけが道徳性を発揮できる範囲である。 利他行動は自己への義務から始まり、次に家族への気配りが生じ、 そして氏族(クラン)、集団(グループ)、部族、そして国家へと広がる。 血縁やコミュニティから離れるほど、親切や協力の度合いは弱くなる。 すなわち「慈悲心の強さは人と人の距離に反比例する」のである。
有子が曰わく、其の人と為りや、孝弟にして上を犯すことを 好む者は鮮なし。上を犯すことを好まずしてして乱を作す ことを好む者は、未だこれ有らざるなり。君子は本を務む。 本立ちて道生ず。孝弟なる者は其れ仁の本たるか。 『論語』 学而篇
>血縁やコミュニティから離れるほど、親切や協力の度合いは弱くなる。 >すなわち「慈悲心の強さは人と人の距離に反比例する」 ように見える、ってことですね。 ドヴァールの推論では、したがってリソースが増えると利他性も 自動的に増大する・・・ということになるのかもしれません。 しかし、血縁個体に対する利他性や特定個体に対する互恵的利他性と 非血縁の多数個体に対する利他性の間には深い溝が横たわっているのです。 >利他行動は自己への義務から始まり、次に家族への気配りが生じ、 >そして氏族(クラン)、集団(グループ)、部族、そして国家へと広がる。 という書きぶりからは、ドヴァールはその深い溝の存在に気がついて いないらしいことが伺われます。
読み返してみたけど、ドゥ・ヴァールは「道徳性を発揮できる範囲」と 述べているのみで、全ての個体において実際の利他行動の発現が 獲得リソースに比例して増大する、などとは書いていない。 つーか、そんな命題は常識的に反証されてしまうだろ。
この本は大衆向けの作品であることを念頭にして執筆されているようだが、 ドゥ・ヴァールははっきりと二つの古典的な発想を批判している。 1、利他性はヒトに固有であり、その他の動物にはみることができない。 ゆえに、人間は特別な存在なのだ。 2、実は人間もまた全く利己的な動物の一種であるに過ぎない。 しかも、ヒトは攻撃的な類人猿である。 この二つは本質的に同程度の発想に過ぎない、と彼は明言する。 人間の道徳性もまた進化の産物であり、その諸特徴はサルや 類人猿に萌芽をみとることができる。 このへんのことは我々には分かりきっていることだが、 アメリカの大衆向けに議論をしている以上、いまも色濃く残る ピュリタニズムの思想的影響を考えれば、その種の問題に 多くの頁を割かなければならないのは当然ではある。 日本人には分かりにくいことではあるが、どっかのスレで書いたように じゃあおまえさんもサルの子孫だってことになるがそれでいいのか! 別にいいんじゃない? ( ゚д゚)ポカーン という東西の思想的なズレはいまも生きているからねぇ。
淘汰それ自体の問題を論じた部分は少ないけど 集団生活が社会契約を基本としているならば、契約内容を 立案して署名するのはそれぞれの個体ではなく、母なる自然だろう。 しかも他者との結束で適応度が高まる、つまり社交上手な個体が 一匹狼よりたくさん子孫を残せるときにしか、自然は契約書に署名してくれない。 社会性に関係する性向は合理的な選択ではなく、むしろ遺伝子の計算を 通じて出現する。自由意志を誇る私たち人間のなかには、隠遁生活を 好む世捨て人がたまにはいるが、意図して社会的になろうと決めた人には お目にかかったことがない。すでになっている状態に、 自分の決心でなることはできないのだ。
こんなことも書いてる。 道徳性の議論を、哲学者の手から奪いとる時期が来ているようだ。 リチャード・アレグザンダー、ロバート・フランク、ジェームズ・Q・ウィルソン、 ロバート・ライトらの著作を読むと――多くは理論的なレベルではあるが―― すでにそれははじまっている。めばえたばかりの学問領域だから多少の 意見の食い違いはあるが、それを補ってあまりあるだけの信念が底流にある。 それは、道徳性に満足のいく説明を与えるには、進化の要素が不可欠だという信念である。 メイナード・スミスの名前がないのはわざとだろうか。
彼自身の研究テーマは霊長類の攻撃行動で、 攻撃(と和解)は社会的文脈の中で生じ利害関係を調節する、 という話が終章のひとつ前の一章を費やして説明されているが、 彼はその自らの道徳性理論を「関係モデル」と呼んでいる。 つまり人間がいちばん大切にしているいくつかの社会制度は、 攻撃性に根ざし、攻撃性に支えられているのだ。たとえば 司法制度などは、抑さえ難い復讐心――お返しと言い換えることも できるが――をうまく変えたものであり、容認できる限度の中で その衝動を維持している。法の執行にしても、政府による暴力―― いや、権力か――に近いものであり、それとてときとしては 国民の大多数から制裁を受ける。歴史をひもとけば、 社会変革が渇望されていたときに、暴力で実現した例は いくらでも見つかるだろう。
関係モデルでは 歴史(および未来)を共有する個体間で利害が衝突した結果が、 攻撃行動だと考える。固体どうしを引き離す傾向と、近づける傾向が 均衡を保っていることが前提になっているのである。個体は ほかの者と同じグループに所属したいと思い、愛着を覚えるがゆえに ほかの個体と一緒にいる。ところが表だった衝突が起きて、そんな 感情基盤が揺らぐと不安に襲われる。その気持ちは、物理的に 隔絶されたときの感情に似ていなくもない。同じ当事者間の 利害がまとまっていても衝突は起こることがある。 つまり攻撃は一回限りの出来事ではなく、良好な関係から 険悪な関係へと循環するあいだに起きる一連の接触の一部なのである。
続きは?
こういう理論的な記述をときどき交えながら、様々な要素ごとの 動物の相互的社会交渉の実例が一章分延々と紹介されてるわけだが 関係の質のうちもっとも重要なのは、関係の「価値」である。 人間を含む霊長類は、平和のためでなく、何か貴重なものを 守るために攻撃を抑制したり、和解をすることがわかってきた。 で、コーズとサーニアによるサルがパートナーの存在意義を認識した上で 戦略的和解を行なうことができるというカニクイザルの実験例を紹介したうえで 霊長類の和解はめくらめっぽうにやっているのではなく、 学習で身につけた社会的技能である。個体は社会の一員で あると同時に、種にとっては社会内の貴重な結びつきを 保持するための手段でもある。和解をする個体は、 そんな社会構成に敏感なのである。 ずいぶん抜け目がないと思われるかもしれないが、 もちろん感情的な土台を忘れてはならない。 とはいえ他者がいる生活といない生活を、 霊長類が天秤にかけているとは考えにくい。 おそらく関係への漠然とした不安に反応しているだけだろう。 そうだとしたら、相互支援の度合いやグルーミングの頻度、 血縁関係などによって変化する近しさの感情こそが 「合理的な」判断を下す指標になる。 不安や別離は強い不安を引き起こすので、 つねに関係修復を心がけるようになるだろう。 サルたちはともに過ごす時間の長い、親しい間柄ほど 和解傾向が顕著だという研究結果もある。 と。
需要が供給を上回ると――人間社会のみならず自然界でもよく見られる
現象だ――個体の利害が衝突することは避けられない。その衝突は
争いで解決するものであり、そのとき脅しや暴力を使うこともあるだろう。
完全なる平和など夢物語なのだ。資源に限りのある不完全な世界において、
現実的な道は二つしかない。1、競争に徹するか、2、攻撃性によって
部分的に形成され、支えられる社会秩序を作るかである。
サル、類人猿、人間、その他多くの動物は後者のほうを選んだ。
火をもって火を制すの発想で、力の使用をめぐる問題を解決するのに、
部分的に力を使うようになったのだ。資源の不平等な分配から起こる
露骨な争いも、別の攻撃で抑制できる。脅しや威嚇には様々な役割がある。
食べ物や異性への関心を示し、優先権を支えたり見張ったりし、
(こうすれば長期的には衝突を減らすことができる)、幼い者や
弱者がほかの者に傷つけられるのを防ぐ。こうした取締りの機能を
通じて作られる秩序は、他の動物よりもはるかに複雑である。
たとえばウシの群れが草をはむのも秩序だが、この場合は資源が
均等に配分されるので競争の度合いは少ない。
この文章から、
>>851 への つまり人間が……へと繋がる。
>という書きぶりからは、ドヴァールはその深い溝の存在に気がついて いないらしいことが伺われます。 J. of Consciousness Studiesの特集号(道徳)に彼が書いた論文を見ても、 「近接要因:共感、和解のプロセス」などに関心をもっているようですね。 やっぱり、道徳性の文脈において「2者関係の寄せ集め≠社会」であることを 気づくには、究極要因にまで思いを馳せないとだめなのではないか、と。
ドゥヴァールに関連して、昨年の生物科学に、キュートなレビュー論文有。
http://www.ruralnet.or.jp/seibutsu/054_01.htm 沓掛さんによると、和解行動に関しては、ロボのいう通り。「こじれたままでは
自分にとって不利益となる大切な関係」の時に、とりわけ多くの和解行動が見られる、
と。チンプが「社会的関係を理解する能力・先を見通す能力」を持っていることを
考えれば、あまり不思議な話でもない。
問題は、「慰め」行動。無関係の個体が、負けた個体を励ましたりしているように
見える行動。後に、負けた個体と一緒くたにされて攻撃を受けるかもしれないのに。
おもしろいのは、沓掛さんによると、同じチンプでも集団(文化?)によって
慰め行動が存在したり、してなかったり。故に、「チンプは頭が良いから」、
「チンプは他者の心を理解できるから」という、「種に固有の能力」では説明
できない、と。
#慰め行動は、後で自分を助けてもらうために、媚びを売る行為なのか?
なるほど。大体分かったと思います。 >人間の道徳性もまた進化の産物であり、その諸特徴はサルや >類人猿に萌芽をみとることができる。 というのは、いうまでもない話で全く正しいのですが、連続性を強調する 余りに、そこに横たわるギャップを過小評価するのもありがちな罠となります。 ドヴァールの論法は、一つには >不安や別離は強い不安を引き起こすので、つねに関係修復を心がけるようになるだろう。 という至近メカニズムの延長上に人間の利他行動を想定し、 >資源の不平等な分配から起こる露骨な争いも、別の攻撃で抑制できる。 という部分では、攻撃性がサンクションとして機能することで複雑な 社会秩序の維持が可能になるということのようです。
いずれも間違ってはいないのですが、その線上に大きな困難が横たわって いるのもまた事実です。 1:血縁淘汰、2者PD由来の「共感」が、いかにしてNPD回避の 至近メカニズムになりうるのか。 2:タカハトゲーム(資源を巡る闘争)由来の「攻撃性」がいかにして サンクションとして機能しうるようになるのか。 これらの問いに答えていかなければなりません。
ではようやく90’sの社会生物学に入っていただくということで
ジレンマに陥った長く苦しい道のりですた・・ いや、面白かったですけど、日常生活でも適応度とかふと考えてしまう罠w いよいよ90年代の話に突入でありまつか・・!
今日はメモリ一枚増設するために バルク中古品購入→不適合→推奨規格調べなおし→また買いに行く→街中のどのパソ屋にも売ってない という甚だしいコストの無駄遣いをしたので、 最初から規格どおりの商品を探す個体に淘汰されてしまうと思いますた
>863 災難でつなー(汗 あっしは、満員電車に乗る→苦しくて死にそう→皆互いにスペースを譲り合う →少し息できる・えがったー(涙 そこへわがままな人乗ってくる→車内の雰囲気殺伐として皆も自分のスペース主張→押しつぶされるー(殺伐かつ混雑した車内は、怖いのでつた)w
では、話を進めましょう。
90年代の大きな出来事として群淘汰モデルが、多水準淘汰モデルや
非ランダム相互作用モデルの形で再登場したことがあげられます。
群淘汰モデルは
>>837 に示すとおり、群れ間の移住があるときには
C戦略の進化を導けないため、ジレンマ回避モデルとしては70年代
以降省みられない状況が続いていました。
また、初期の群淘汰モデルは個体だけではなく、群れが自然選択の単位に
なりうると主張していたため強い批判を浴びていました。
90年代の群淘汰モデルの発展モデルは 1 自然選択の単位はあくまでも遺伝子 2 細胞や個体や群れは遺伝子の「乗り物」として機能(多水準淘汰) 3 <群れ>の本質は、非ランダム・非一様な相互作用(非ランダムモデル) という点を主張して、進化生物学のロジックの延長上に自らを位置づけ さらに社会的ジレンマ回避(利他性の進化を含む)の説明が可能なモデルの 構築を目指しました。
>>865-866 すごい凝縮されてまつな…(汗。
そして言うまでもなく、分かっておりまへん…(涙。
要するに、90年代発展した群淘汰モデルは、
遺伝子単位の自然選択により説明可能なので、
ダーウィニストも異論なし!という事になったのでせうか?
そして、それは血縁淘汰とどのように違うのでせうか・・?
まあ、とりあえず目次だけ書いて、中身はぼちぼちの予定ですがw 進化生物学の主流派は、群淘汰に対するアレルギーがまだ強いのと 生物学者は人間について特に関心があるわけではない(人間の 関心がある人は普通生物学者にならない)という2つの理由で 発展モデルが進化生物学の中で十分定着しているわけではありません。 血縁淘汰との関連では、実は血縁淘汰は非ランダムモデルの サブカテゴリーになるのですが、その話もまたおいおい。
>生物学者は人間について特に関心があるわけではない そのあたり、比較行動学とか比較認知科学の 「常に人間を意識した論考の仕方」は異質ではある
少し回り道になりますが、「多細胞生物はいかにして可能か」という問題を 考えて見ましょう。実は、人間社会におけるジレンマ回避メカニズムを考える 上でよい手がかりになります。 このスレの初めの方にも書きましたが、<動物>は他の生物を食べることで 自らに必要な有機物を獲得する戦略をとっているわけですが、この戦略をとる 場合、他の生物よりも大きいことは何かとメリットを持ちます。 ここに、多細胞生物が進化する究極要因があるわけですが、大きいことが 有利だ、というだけで多細胞生物が可能になるわけではありません。 それぞれの細胞が、勝手に行動したり、勝手に分裂して増殖したりしたのでは 「スケールのメリット」を享受することができなくなります。 各細胞に勝手な行動や増殖を「自粛」させる方策が、多細胞生物が進化する 上で不可欠になります。
>870 興味あるところでつ。 しかし、全く詳しくありません・・。 マターリ進めていただければ幸い。。 >各細胞に勝手な行動や増殖を「自粛」させる方策 のためにも、脳の機能が必要不可欠になって行くのでせうか。。
中枢神経は指令を出すことはできますが、指令に従わない細胞に 従わせる力はありません。指令に従わない細胞を取り締まるのは 免疫システムの仕事となります。免疫システムは、外から侵入する 細胞を攻撃するとともに、体内でmutationを起こしたガン細胞 などを攻撃する役割を果たしています。すなわち、免疫系が 多細胞生物(特に多細胞動物)におけるサンクションシステムと なります。
ふつうのフリーライダー、癌細胞(不死細胞)はすぐ免疫系に食われて死んでしまう。 ひとつには、突然変異で不死化した細胞の自己増殖を食い止める機能が 細胞にはあらかじめ備わっているからだ。これは癌抑制遺伝子と呼ばれる。 ところが、この癌抑制遺伝子も壊れてしまった場合、不死細胞は自己増殖し さらに自律進化を遂げ、免疫系でも押さえつけることのできない凶悪な細胞群、 すなわち悪性腫瘍へと変化を遂げる。こうなるとフリーライダーが勝つ。
したがって、フリーライダーが勝てるのになぜそれを普通は自粛しているのか (=多細胞動物はいかにして可能か)を考えることは、人間社会でジレンマ回避は いかにして可能となっているのか、を考える上で非常に良い手がかりになります。 もう一つ、免疫系は通常、身を挺して外敵を防いだり初期ガン細胞を破壊 したりしています。例えばマクロファージは細菌を食べ過ぎると破裂して 死んでしまいますが、このような文字通り体を張ったサンクションシステムが なぜ可能か、を考えることは人間社会のサンクションの進化を考える 手がかりになるでしょう。
しかし、動物集団におけるD戦略者が理論上は 独立した種を構成できるのに比べ、寄生体に過ぎない癌細胞が 長期的に子孫を残し続けることなどはあり得ない。 1966年、テネシー大学のジオン博士は 毒性を持ったバクテリアに攻撃された実験用アメーバの一部が 逆にバクテリアを取り込んで共生関係を作り出すさまを発見した。 数年後にそのアメーバからバクテリアを除去したところ、 アメーバもバクテリアも生き延びられずに死滅してしまった。 リン・マーグリス(1967年)の細胞共生説によれば、 このように、多数の原核生物が永続的な相利共生関係をもったことが 原核細胞から原生生物への進化のきっかけであったと考えられる。
そもそも癌細胞だろうと正常体細胞だろうと、独自に子孫を残せる可能性はない。 多細胞生物に社会的ジレンマを見るアナロジーは面白い発想だけど、 どっちかというと、生殖質を女王アリ、その他の細胞をワーカーとして、 昆虫の社会機能と類比させるほうが俺的にはしっくりくるような。
ジオン博士という人がいるのですねw
それはともかく、
>>877 で指摘されている生殖細胞の初期分離が
多細胞生物を可能にするもう一つの仕掛けです。多細胞動物
では受精卵が卵割を初めてまもなく、細胞の分化が始まるのですが、
このとき何はともあれ、次世代の生殖細胞になる細胞が隔離されて
他の体細胞となる細胞とは分離されてしまうのですね。
こうなると、体細胞たちは生殖細胞に奉仕するしか次世代に遺伝子の
コピーを伝えるすべが無くなってしまいます。ロボ氏が生殖細胞を
クイーン、体細胞をワーカーに例えているのは、非常に的確な比喩です。
ただし、体細胞はそのことを「知って」いるわけではありません。
どうせ先々自分の子孫を残せないのなら、ここで増殖しても仕方がない
などと体細胞が「考える」わけではないので、生殖細胞の初期分離が
体細胞のD行動を抑えるのは自明ではないのです。
社会的な単細胞動物の集団であるヴォルヴォックスは、進歩に向かって 別のおそるべき飛躍をもなし遂げた。体質と生殖質の分離を発明したのだ。 緑の格子の球にはヴォルヴォックスの小動物の二つのグループが 収容されている。多数派に属するグループは食物摂取、運動、刺激の 中継を担当する。つまり、多細胞動物の体細胞に相当する。 数では乏しいもう一方のグループは生殖を担当する。つまり性細胞に相当する。 (略) けれども性をもつということとともに、ヴォルヴォックス段階では死も 入り込んできた。ヴォルヴォックスは、分裂だけで増殖する多くの 原生動物のように不死身ではない。子どものヴォルヴォックス球が 成熟すると、母体の球は破裂し、それを構成していた細胞は死ななければならない。 子の球は屍をあとに残して、小さなガレー船のように水中を泳いでいく。 これ以後この原則は多少異なりこそすれ、生物界全体を支配する。 フリッツ・カーンの『自然の本』では《歴史上最初の屍体》と呼ばれている。 「最初の有機体の形成とともに、個体の自然な終末としての死が出現した。 死は仕事の分担の機能の一つなのである。」 ヘルベルト・ヴェント 『動物の性生活』
エルンスト・ヘッケルの腸祖動物起源説(1872年)によれば、 ヴォルヴォックスのようなガストレラ(原腸胚)こそが今日に 至るまでの全ての多細胞生物の起源である。
多細胞動物の起源については、ヘッケリアンとヘッジアンの長い 論争の歴史があります。ヘッケリアンは腔腸動物、ヘッジアンは 扁形動物が起源だと主張していました。(中公新書『多細胞動物の起源』) 多細胞生物の「死」とは、社会的ジレンマによる崩壊のようなもの だと考えることができます。
その定義だとネクローシス的な死しか捉えられない気がする。 だいたい、テロメアはいったいどうして出現したんだろう?
難しいけれども面白い……。
アリやハチ等、生殖機能を持つ個体と、労働するだけで生殖機能を持たない
個体の区別があるような虫の社会機能は、不思議に感じまつね…。
癌細胞についても全然わからぬので、ちょこっと調べようとしたら、
こんなサイトがありますた。
ゲノムの可塑性と細胞の癌化と老化について
http://www.lif.kyoto-u.ac.jp/labs/fish/cancer/atm/ATR.html >ダーウィン進化過程が生じるためには、
>遺伝子は完全に安定で正確に複製が行われるよりも、
>すこし不安定でさまざまな突然変異が起こりやすい状態のほうが
>有利な形質を得るチャンスが高い。
という記述があったのでつが、これってどういう事なのでしょうか。。
風邪等のウィルスをドンドン鍛え上げることのないように、
抗生物質の併用を禁じているようなことに関連する話でつか・・?
>882 リロード遅れますた。 ちょうど>883サイトで、テロメアについて、書かれていたのがあったので、 ちょこっと纏め書きしまつ↓ 細胞分裂する度にDNAの複製を行い遺伝情報を受け渡すが、 完全に複製されない部分がある。 それは染色体の末端に相当し、線上ゲノムDNA末端部分にあたるテロメアで、 細胞分裂ごとに、テロメアは短小化する。 テロメアは染色体が安定に維持されるために必須な構造なので、 小さくなり過ぎないよう、細胞ある一定の分裂回数に達すると、 それ以上分裂しなくなる。 これを老化時計あるいは細胞分裂時計という。 細胞増殖を続ける癌細胞のテロメアは短小化しつつも、 テロメレースと呼ばれる酵素を持っており、これによりに伸長化されるので、 染色体はすこぶる安定している。 テロメレースにより、癌細胞では細胞分裂時計が常にリセットされた状態となっている。 ところが癌細胞のテロメアは、高いテロメレース活性があるにも関わらず、 正常細胞のそれほど長くはなく、短いぎりぎりの長さで維持されていることが多い。 これは、あえて染色体を不安定にさせ、突然変異を起こそうとしているのではないだろうか? (「テロメア・クライシス仮説」)
>883訂正します(陳謝。。 × 風邪等のウィルス ○ インフルエンザ等のウィルス。 涙。
>>873 と同じサイトだな、それ
なんだかK都大学の研究にはお世話になりっぱなしだ
どうでもいいけど、このヴェントという人は研究者ではなく科学ジャーナリストらしい
あ、本当でつね<同じサイト 科学ジャーナリストの著作って案外多いし面白いんでつよね。 先日本屋で見かけた脳と心の地図(うろ覚えすみませんが、養老たけしさんが日本語版の序文書かれてますた) の著者もジャーナリストさんですた。
あ、本当でつね<同じサイト 科学ジャーナリストの著作って案外多いし面白いんでつよね。 先日本屋で見かけた脳と心の地図(うろ覚えすみませんが、養老たけしさんが日本語版の序文書かれてますた) の著者もジャーナリストさんですた。
>ダーウィン進化過程が生じるためには、 >遺伝子は完全に安定で正確に複製が行われるよりも、 >すこし不安定でさまざまな突然変異が起こりやすい状態のほうが >有利な形質を得るチャンスが高い。 というのは、進化生物学者の書いた文章ではないと思われます。 「種の利益」信者のような気がしますので、この部分については 余り気になさりませんように。 テロメアは細胞の増殖を自粛させる至近メカニズムなのでしょう。
くだんのサイトを作った研究室は 大学院科学研究科 統合生命科学専攻 細胞周期学分野 で、研究テーマは 真核生物染色体の機能構造とその維持機構に関する分子生物学的研究 1. 哺乳類テロメレースの生化学的・分子生物学的研究 2. 哺乳類染色体の維持機構 3. 酵母染色体の安定性に関与する因子の分子遺伝学的研究 4. 哺乳類人工染色体の構築に関する研究 5. ゲノムの可塑性と細胞の癌化、老化 であるからして、当然進化生物学者ではないだろうな。 一言でいってしまえば、医学の基礎分野だ。
不安定でさまざまな突然変異が起こりやすい状態を作る、 というのは例えば普段無性生殖をしているゾウリムシが 環境悪化に対応して有性生殖を始める、なんて話とも対応すると思うけど。 ガン細胞についてはこんな研究もある。 弘前大学医学部の臼渕名誉教授の1985年の研究で、 ガン細胞に最小有効量をはるかに下回る量のマイトマイシンを 与え続けた結果、マイトマイシンに対する完全な耐性が見られるようになった、と。
有性生殖はいまだに謎なのですよ。 無性生殖でがんがん増えた方が効率はいいのですが なぜか有性生殖の方が圧倒的です。群淘汰のシールド機能も ないっぽいし、人間のジレンマ回避よりもさらに難問と思われます。
突然変異の定向性と選択性と中立性という問題もにゃ
ガンの話ですが、ガンが体内を転移するだけでなく、他の個体 (他の細胞の群れ)にも感染(移住)できるとすると、厄介な ことになります。
英オックスフォード大学のウイリアム・ハミルトンによれば、有性生殖という、 一見ごくまどろっこしく不経済な方法を多くの生物が選択したのは、 はるかな昔、まだ単細胞生物の間に明確な性差がなかった時代、 そこに入り込んできた有害な寄生体に対抗するために宿主側が 編み出したもっとも有力な対抗手段だったのではないかという。 つまり有性生殖は、同じ種同士が大規模に遺伝的組成を組み替え、 その子孫にさまざまな形質の多様性を与えるのにもっとも有効な 手段であり、これによって宿主は寄生体に対する抵抗力を 効率よく獲得することができる。これに対し、通常寄生体は 宿主に比べて非常に世代交代が早いため、突然変異の蓄積する 速度も速く、有性生殖を必要としない場合が多い。 『大進化する進化論』 NTT出版 いわゆる「赤の女王仮説」というやつで、 細胞分裂とか接合だと寄生体もいっしょに広がってしまうから、 生殖質(精子と卵子)を分離させることでそれを防いだという話。
ついでに、ミトコンドリアも侵入してくるし。 赤の女王仮説が有力といわれていますが、本当に個体のレベルで 有利なのか、よく分かっていません。ちゃんと計算した論文とか 見たことないですし。
上で二重書き込みになりますた。 すみません・・ >890 そ、そうですか・・ 了解でつ。 無限増殖を阻む(死や老化をもたらす)事の究極要因とはなんなのでせう・・ >893 読み物なんでつが(汗、クラゲの正体(坂田明)という本に、 ミジンコは通常は雌だけで子供を産む単為生殖でつが、 環境が悪化すると雄雌両方産むそうでつ。 より苛酷な(変動の大きい?)環境下では クローンより、雌雄の遺伝子をかけ合わせた子供の方が 適応度高くなるって事なんでしょうか・・? >894 む、難しいでつ(汗
マーギュリスは共生関係を相利共生、片利共生、そして敵対共生に分類し、 赤の女王状態を引き起こす寄生も、ミトコンドリアの侵入による真核生物の出現も 本質的には同じ「共生」の関係なのだという説を取ってるわけだな。 赤の女王仮説への集団遺伝学的アプローチは、次の章に誰かが書くべきかと。
「大進化する進化論」の最終章最後の段落。 おそらく最終的には、進化論の研究も、高度に数学的な一連の 数理モデルの確立という方向へと収斂して行き、物質と生命 (遺伝子+環境+α)のふるまいを統一的に記述する、 生命の「統一理論」と呼ぶべき理論体系へたどりつくのではないだろうか。 もし、将来のいつの日にか、われわれがそのようなモデルを使って、 地球生命史を――完全に、とは言わないまでも――ほぼそっくりそのまま 再現することができるようになれば、それは、進化の研究が完成段階に 達したことを意味するわけである。そして、その理論はまた、この宇宙における 生命の意味の本質をわれわれに解き明かし、あるいは、地球以外のあらゆる 環境における生命の存在を予測し、研究する上でも唯一最強の指導原理となるだろう。 われわれは、その最終理論をめざし、あと戻り不能な道をすでにたどり はじめているように思われる。 最終理論への夢、ねぇ……
携帯につき誤爆に近いタイミングのレスになりご容赦・・ 898訂正で ミジンコは通常雌だけで単為生殖で「環境が良ければ雌ばっかり産む」でつた。 ごめんなさひ。
>>898 最終理論はともかく、半数体(n)に対して倍数体(2n)が出現した理由は
環境の悪化に対してロバストであったからだと考えられています。
半数体はゲノムを一揃いしかもっていませんので、何かのはずみでどこかが
失われると、残りの遺伝子たちに致命的なダメージとなりやすいです。
倍数体は、2揃いのゲノムを持っているので、いわばスペアを持っている
ようなもので、片方のゲノムの遺伝子の一部が失われても、もう片方が
機能して致命傷になることが防げます。(遺伝物質が2倍必要で、その点
不経済ですが)
これが、環境の悪化時に接合子(接合してゲノムを2セット持っている)
が作られやすい理由のようです。これは有性生殖によって変異が増える
うんぬんとは別の理由である点に注意をしておいてください。
>900 壮大な夢でつねぇ・・。 うーん。。
言語学は生得的かスレで、ネオ・ダーウィニズムっていうのがあると
聞きましたが、検索しても色々出てきて、ネオと旧の違いが分かりませんでした。
ダーウィンの自然淘汰の理論とメンデルの遺伝学説の双方を生かすように
統合した進化論 (ドーキンスの利己的な遺伝子もここに入る)のことでつか?
それとも、そういう壮大な夢のこと…?
>902
>有性生殖によって変異が増える
>うんぬんとは別の理由である点に注意をしておいてください。
了解でつ。
>>890 は、癌について調べていたらたまたま見つけただけなので、
変異(エラー)の蓄積うんぬん?というのとは
進化論についても、上記のとおり「白紙」に近い状態(涙)なので、
多分大丈夫でつ。。
ダーウィン自身の考え方と、ネオ・ダーウィニズムの決定的な差は、 「新しい形質はどのように生まれるか」についての考え方の違いにある。 メンデルもそうだけど、突然変異が発見されたことと、 獲得形質遺伝が否定されたことで決定的にモデルが塗り変わった。 ちなみに集団遺伝学こそはネオ・ダーウィニズムの急先鋒だ。
突然変異発生率の変動という問題は、 進化論の中でもまだ「白紙」の状態で、 仮説と呼べる仮説も出てきてない。 俺の本の著者などは、このへんの話をもとに 「ネオ・ダーウィニズムはパラダイムシフトを迫られている」 というスタンスで進化論史を記述しているわけだが。
>904>905 どうもでつ。 ダーウィンの進化論は、色々な仮説を統合していって、 それこそ進化を続けていってる訳でつかね。 いや、根幹は変わらないのかな。 >獲得形質遺伝が否定 はラマルクの唱えた説で、これは遺伝子情報が、DNA→RNA→たんぱく質の 一方通行でしか伝えられないというセントラル・ドグマにより、否定された。 (但し、セントラル・ドグマは、RNA→DNAという遺伝情報が流れる 「逆転写酵素」の発見により、崩壊すた。) そして知らない事が多すぎる罠。 おもしろいんですけどw 生物学スレっぽくなってきてますが、お題は、 「多細胞生物はいかにして可能か?」ですよね。 これは、集団の規範を考える上で、多細胞生物のアナロジーが参考になる 部分がないかってぇ事でつが、どうなっていくのでせうか。 なんか壮大な野望を抱いているような気がしてきたんでつが・・。 社会より、多細胞生物内の方が、サンクションシステムは完全そうですよね。 そーじゃないと、困っちゃいますもん・・。 >多細胞生物の「死」とは、社会的ジレンマによる崩壊のようなもの というのが、気になるんでつが……。
>多細胞生物の「死」とは、社会的ジレンマによる崩壊のようなもの というのが、気になるんでつが……。 多細胞生物では、生殖細胞の初期分離によって体細胞は生殖細胞の「乗り物」 としての機能しか持たなくなっています。これによって群淘汰がかかりやすく なっています。つまり、体細胞がうまく機能する乗り物でなければ、自らの 遺伝子のコピーを次世代に伝えられないので、それまでは体細胞の勝手な 振る舞いが、いわば「抑制」されることになります。生殖細胞の機能が終わると 体細胞は「乗り物」としての機能を失うので、あとはどう振舞っても 次世代への遺伝子伝達には影響しなくなります。というわけで、先ほどの 「抑制」がいわば効かなくなって、あちこち社会的ジレンマで崩壊して いくことになります。で、D細胞の増加で細胞の群れとしての機能が失われる 現象が、多細胞動物の「死」であると考えられます。 (まあ、事故死なんかは別ですが)
なるほどでつ。 生殖細胞がもはや遺伝情報を残さなければ、 遺伝子にとっては乗り物が後はどうなっても構わない・・・と。 痴呆症の祖母思い出しますた・・。 記憶力よくてぼける事を本当に嫌がっていただけに、 なんか辛くて・・ 余談でつが、個体が考えて統御する事をやめる訳ではなく、かつ、 遺伝子にとっては自らの複製子を残す事が目的だが、人生観や人間観とは別 というような事を念頭に置いておかないといけない気がしまつね(汗 でないと、うば捨て山とかって発想になっちゃう(汗
↑ と、我ながら知らずに妙に感情的になる事もあるんでつね・・ ご容赦でつ〜(汗 しかし、遺伝子 ほんとに利己的ですなw 宿主の事も後はどうでもいいとわ! てゆーか、宿主じゃなくて、乗り物でしたね(汗
そんなことはない。 どうでもいいのではなく、確実に死ぬように時限爆弾をセットしてあるのだ。
多分、細胞が勝手に分裂を繰り返して増殖を始めたら、その細胞の 命を絶つように時限爆弾がセットしてあるのでしょう。だから 生殖が終わっても、すぐには崩壊しない。 ある時間たったら爆発する、のが目的ではなくて、それは副作用の ような気はします。
上のほうで書いたけど、それは発癌抑制遺伝子の機能。 テロメアは細胞分裂回数に比例してほどけていくので、 エラーを起こした細胞へのサンクションとしては機能しないと思われ。
時限爆弾=老化時計(細胞分裂時計)で 単純に遺伝子の陰謀のせいにしちゃダメでしょうか・・? 生殖できなくなった後乗り物がしばらく生き長らえるのは、 遺伝子にとっては誤差みたいなもの? 乗り物にとってはたまりませぬが(汗
医学的にいっても、老化というのはいまだに謎に包まれた現象らしいけどね。 テロメアが関与しているというのは、一つの側面に過ぎないかもしれないし。
>>912 いえ、細胞分裂回数に比例してほどける、というのが
D封じの罠だと思います。気づかずに細胞分裂をはじめると、あぼーん。
>>914 もう一つ、免疫系が体細胞を攻撃し始めるようです。
(ソースは『人体』第6集なので、最近の研究で覆っているかもしれませんが)
177氏の主張は要するに テロメアは癌抑制遺伝子の一種である と。 テロメアと癌抑制遺伝子の関連について 軽くぐぐってはみたけど、そういう研究は見つからんな。 癌におけるテロメアーゼ活性化がどうとかいう話ばっかし。 どこかに参考論文があっての話?それとも思いつき?
例のサイトにまとめてあったが、現在の老いの進化論というのは 「体細胞が生殖細胞から分化され、細胞分化の全能性と無限増殖性を 喪失したことによる必然的な不適応的進化」といったところだそうな だいたい、細胞の増殖と分化は対になる現象で、 細胞の機能的分化には常に細胞増殖停止プログラムが必要となる。 ついでに、p53、pRBなどの細胞周期制御を司る癌抑制遺伝子が 癌細胞に対して加える増殖停止作用は老化と非常によく似ているらしい。 テロメアがほどけた後も、細胞は爆発(死)に至るわけではなく、 「テロメアがそれ以上ほどけるのを防ぐために分裂を抑制する」 という働きが起こる。(この生理的機構はまだ解明されていない) しかし、D行動者を直接ターゲッティングして増殖を抑制する 癌抑制遺伝子のような一部の機能の役割はよくわかるけど、 個体の老化それ自体がサンクション機能の副作用であるなら、 サンクション機能が働いたばっかりに個体の不死性が失われたことになり、 生殖機能それ自体の永続性もそれによって失われ、適応度が下がったことになる。 そもそもなぜ多細胞生物の生殖能力は時間的に有限なのか。 それが、有限に作ったほうが種に有利だったから(ワイスマンの群淘汰的理論) ではありえない以上、「どうやっても有限にしか作りえない何らかの 分子生物学的必然があった」と考えなければならないわけだ。 その必然が、「D行動者を淘汰しなきゃならなかったから」では、弱いんじゃないか?
老化現象の比較生物学的研究によると、 老化は多細胞生物において見られるというより 有性生殖する生物において見られるもので、 単細胞生物ながら生殖細胞核を分化させている ゾウリムシも分裂を繰り返すと老化することが知られている。
それにしても 氷河期文明スレや言語能力スレはあんなに盛況なのに、 なぜ、このスレはこうも人が増えないのですか。
>>919 ふんじゃあ進化心理学と相性がいいというピンカー派の生成家でも言語学板からスカウトするとか。
言語能力スレで顔文字氏が言っているダーウィニズム、ネオ・ダーウィニズム、 ネオ・ネオ・ダーウィニズムの違いってなに?目的論をとるかどうかってこと?
私もわからないのでつが、進化論って批判者だけでなく 仲間うちからも誤解されて使われていると聞きますた。 (C.デネットの本 題名わすれてしまったので帰宅してから書きます 汗) 進化論にも色々立場がありそうな予感。。
デネットは「ダーウィンの危険な考え」という本で、認知/社会科学へ 進化論を導入することの有効性について語っているが、同時に、ミームに ついても擁護しているが、その部分は結構激しく非難されている、という罠。
>>921 ネオとかネオネオというのは言語研究者の中のいろいろな立場に
対して与えられた呼称だと思われます。進化生物学の中では聞かない
用語ですから。
>細胞の増殖(停止)と分化は対になる現象で、細胞の機能的分化には >常に細胞増殖停止プログラムが必要となる。 増殖を停止して、細胞間分業の一翼をになうようになる、というのが C戦略に相当します。現生の多細胞動物ではC戦略者が祟り神にならない よう、幾重にもストッパーがかけてありますが、いずれはD戦略の 侵入でC戦略のコロニー崩壊する運命にあります。早いか遅いかの違いに 過ぎないように見えますが、この違いが決定的に重要なのです。 ここからさきの議論を厳密に行うために、例の推移確率行列と定常分布の 方法論が必要になるのですが、とりあえず結論だけいっておくと、 「時間稼ぎ」のシステムがあることによって、定常分布は大きく 異なってくるのです。
>>924 ↓これを読む限り、進化心理学も含めた現在の進化論の主流は本来の
ダーウィニズムとは異なるネオ・ダーウィニズムというものらしく、
言語学に限った話題でもなさそうですが。
504 名前:(´∀`) 投稿日:03/02/18 09:58
つまり機能的分析に先行してまず言語の可能な構造が規定されており、その許容範囲の
中でのみ機能や行動の多様性が生じる、ということになるにゃ。
そしてこのような反機能的な言語の特性とその進化は、適応とか生存価とかいった
ネオ・ダーウィニズム的分析では説明できない、とされるのにゃ。
>>473 で紹介の文章を読んでみたにゃが、チョム批判の理由の一つとして生得的
言語能力は生物学的に無理がある、というようなことが書いてあるにゃ。
このあんちゃんのロジックは
1)「自然選択説は生物進化を説明する正しい理論である」
2)「チョムの生得的言語能力は自然選択では説明できない」
にゃが、なにをかいわんや、生成の主張は
3)「人間言語は自然選択では説明できない」
4)「従って自然選択万能説は正しくない」
なのにゃ。(1)は自明でも何でもなく、生物学界でも自然選択説の是非を巡って
議論が続いている最中なのにゃ。
506 名前:(´∀`) 投稿日:03/02/18 10:15
ちょっと訂正にゃ
>3)「人間言語は自然選択では説明できない」
は生成の内部でも意見が分かれ、チョムらはこっちにゃ。
対してピンカーらはUGも自然選択の産物と考え、ゆえに進化心理学とも相性がいいにゃ。
>↓これを読む限り、進化心理学も含めた現在の進化論の主流は本来の >ダーウィニズムとは異なるネオ・ダーウィニズムというものらしく、 >言語学に限った話題でもなさそうですが。 というのは??です。この部分は私も読みましたが、なぜこの部分から 「現在の進化論の主流は本来のダーウィニズムとは異なる」という結論に なるのでしょう?
>923 それでした。どうもです。 ミームは別で語ったら楽しそうですが、 進化論と関係してるのかもわかりませんよね・・ まだ基礎をちゃんと押さえたいのですが ネオとか出てきて混乱気味w なのて応用編は私には無理ですた・・ なので顔文字先生の仰る進化論も私には見討がつくはずもなく・・(涙、 マターリ静観するのでした。
↑携帯とはいえ、非文の嵐すみません・・。 家畜は家畜小屋に戻ります・・ 顔文字先生ってひょっとしてデカルト的心身二元論の立場なのかなあ・・? わからないですが・・
>>927 いえ、なんか
>反機能的な言語の特性とその進化は、適応とか生存価とかいった
ネオ・ダーウィニズム的分析では説明できない
という部分から、本来のダーウィニズムは適応だけを強調するのではないのか?と・・
ぐぐったらでてきました。スレ汚しすみませぬ。
http://www2.biglobe.ne.jp/~oni_page/Evolution/reply/evoword.htm ◇ ネオ・ダーウィニズム neo-Darwinism
自然選択説とメンデル遺伝学が合体して誕生。「進化の総合説」が、
ダーウィン自身の進化観と違うことを強調するために用いられた。
ワイスマンが獲得形質の遺伝を否定した自説につけた名前。一般的な定説である。
遺伝子は、外部からの環境に左右されず、偶然にしか変化しない(突然変異)。
しかし、有利な突然変異は、生存競争の中を淘汰(とうた)されずに生き残り、
ほかの個体は淘汰(とうた)される(適者生存、自然選択)。この、突然変異と、
自然選択の繰り返しが進化である。ダーウィンの学説内容のうち生存闘争の
原理だけを強調し、獲得形質の遺伝、つまりいわゆるラマルキズム的要因を
絶対的に否定した。「突然変異」と「自然選択」をメインとした、分子生物学の
裏付けもあるきれいな学説である。
ダーウィン自身は「ゲンミュール」と呼ばれる仮想の物質を、 形質伝播の担い手として想定し、獲得形質遺伝のメカニズムに 説明を与えようとしている。このゲンミュールというのは、 全身の細胞にまんべんなく分布する小さな粒子で、 それ自身増殖したり細胞間を移動したりすることができる。 そしてなによりも重要なことには、ゲンミュールは細胞からの 情報を受け取り、蓄えることができる。したがってゲンミュールは、 個体が環境から受けた影響を細胞を通じて受け取り、 その後、生殖細胞に移動して、個体が獲得したものを そっくり次の世代に受け渡す。こうして獲得形質は遺伝して行くのである。 この仮想のメカニズムを、ダーウィンは『種の起源』の中で「パンジェネシス」と呼んだ。 『大進化する進化論』 ちなみに、今でもごく一部にこれを主張する人残ってますが、 種間淘汰どころの騒ぎではないトンデモ扱いですし、 実際、トンデモです。
ま、ふつうの心理学者が自分のことをわざわざ機能主義者と呼ばないように、
ふつうは進化生物学者がわざわざ自分をネオ・ダーウィニストだと認識する必要はない。
だけど、このネオ・ダーウィニズムも最初から今ほど圧倒的な支持を得ていたわけではない。
ワイスマンが生殖質連続説を発表した1885年、アメリカのアルフェウス・パッカードは
獲得形質遺伝説にネオ・ラマルキズムの名を与え、その擁護に乗り出した。
この一派はその後怨念のごとくネオ・ダーウィニズムに付きまとい、様々な軋轢をもたらす。
なかでも、きわめつけなのが、このひと。
http://www.geocities.com/minatsukojima/tane/20001121.html
進化生物学はイデオロギーではなくて自然科学なので 新しい知見が得られるごとに手直しがされていきます。 その度にいちいちネオをつけていくとネオネオネオネオ・・ となるので普通はつけません。ダーウィンの発想と 精神に敬意を表して、通常は単にダーウィニズムと 呼ばれます。 ダーウィンの頃は遺伝子も遺伝の法則も知られてなかったの ですから、ダーウィンの言った事がすべて現在の進化生物学に そのまま継承されているわけでは、当然ありません。
「ネオダーウィニズム」は、分子進化の中立説や断続平衡説などの 対立項として使われるのではないの?
歴史を無視した態度だな、それは。 ネオ・ダーウィニズムがネオ・ダーウィニズムと 呼ばれなければならなかった理由はただ一つ、 ネオ・ラマルキズムもまた自らを正統な ダーウィン進化論の後継と位置付けていたからだ。 行動主義と新行動主義が別物であるように、 歴史の中で学派が分立していけば呼称の区分は必要になる。 ま、つまるところネオ・ダーウィニストがそのようにして ネオ・ラマルキズムを歴史から間善意抹殺しなければ ならなかったほどに、進化論を巡る思想的対立は根が深いということだが。
>>934 そのへんは、ネオ・ダーウィニズムよりさらに新しい学説なわけだが、
それらを主張する人々が既存の理論の枠組みを批判するときにも
総合説進化論(淘汰と突然変異)を指してネオ・ダーウィニズムと呼ぶことが多い。
あるいは単にDarwinismというときはthe theory of evolution、 つまり進化論全体を指すものであり、とくに現在の主流派を示すことはない。 獲得形質遺伝だろうと断続平衡説だろうと、創造説以外は全部含まれるだろう。 いかなる科学理論も時代と思想の制約から完全に自由であることはないが、 およそ進化論ほど、イデオロギーの洗礼を浴び続けてきた科学理論は存在しないし、 現在の学説にしても、思想風潮と全く無関係に存在しているわけではない。 たとえば、個体の適応―利己主義が全体の利益に通じるというイデアは、 西洋思想史においてアダム・スミス以来の伝統の中に位置付けられる。 それはすなわち、資本主義思想のルーツに他ならないわけだが。 「個人が見えない手に導かれて、自らの意図しない目的をまっとうする。 個人が意図していないからといって、社会にはかならずしも悪ではない。 個人が自らの利益を追求することで、意図する場合よりも効果的に 社会発展に寄与できることも多い」 アダム・スミス 『国富論』
いずれにせよ、言語屋さんがネオとかネオネオ いうときには、そういう意味で使っているのでは ないような気がします。
引用文を見る限り、単に個体間淘汰を指して言ってるだけのようだけど。 ネオネオってのは分からん。中立説とかを指して言ってるんだろうか。
中立説への言及はまんざらでもないにゃ。ネオ・ネオ側からすれば、進化のあらゆる
段階を適応的と見る過剰淘汰主義としてのネオ・ダーウィニズム(ときにウルトラ・
ダーウィニズム)が批判の対象になってるのにゃ。
たとえば言語能力を持つこと自体が生存や繁殖を有利にすることはあっても、その
能力を構成する構造原理はむしろ反機能的・反適応的であり、それを説明するのは
自然選択ではない、ということなのにゃ。言い換えれば、表に現れる行動が適応的
であったとしてもその行動を細かく分析した時に見えてくるミクロな成分の逐一が
適応的だとは言えない、ということで生成の中で反行動主義と反適応主義が結びつく
ことになるにゃ。
自明にゃが、選択はすでにあるものにしか作用せず、そのもの自体の起源については
沈黙せざるを得ないにゃ。
>>929 生成派は二元論を採らないのにゃ。
参照レス
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1022592781/349
>940 おはようございます。 どこかでレスを拝見しましたが、言語能力を脳の文法中枢部位に帰属する事に懐疑的と仰っているのを見て・・。 デカルトの機械論は取ってなくとも、mindについては関心がお持ちなように見えたのですが。。? チョムの生成文法は機能ではなく構造の理論(ですよね?)との事ですが、 言語に特化した脳モジュール+他のなにがしかの認知能力以外のプラスアルファの存在を標傍して印象を受けましたし。 デカルトはともかく、少なくとも唯物論的心身一元論ではないでつよね? と質問厨ですみませぬ・・(汗
>>940 >表に現れる行動が適応的であったとしてもその行動を細かく分析した時に
見えてくるミクロな成分の逐一が適応的だとは言えない、
言語能力以外に,生物学でこのような例は具体的に何が挙げられますか?
念のために書いておきますと、突然変異と自然選択が進化の原動力で あるということと、その結果が「適応的」であるということはイコール ではありません。 たとえば1回対戦型囚人のジレンマゲームではD戦略がESSですが D戦略が「適応的」だという人は少ないでしょう。 お話を伺っていると自然選択=適応的という誤解が背後にあるような 気がするのですが。。
それはそうとして、 >言語能力を構成する構造原理はむしろ反機能的・反適応的 というのは、どういう点が反機能的で反適応的と考えられて いるのでしょう? (多分、向こうのスレに書いてあるんで しょうけども、探すのが困難ですw)
?? 冗長(に見える)表現が可能な点が反機能的で反適応的? 多分そこではなくて、どこかで構造原理の反適応性を論じて らっしゃるところがあるのでしょう。
>能力を構成する構造原理はむしろ反機能的・反適応的であり、それを説明するのは 自然選択ではない、ということなのにゃ。言い換えれば、表に現れる行動が適応的 であったとしてもその行動を細かく分析した時に見えてくるミクロな成分の逐一が 適応的だとは言えない この言明は、ちょっと怪しさ大爆発ではないでしょうか?適応的だ、というのも 難しいモノですが、適応的でない、というのは何をもってそう主張されるのでしょう? また、「適応的でない=個体の適応価(子供の数)を減らす」? 「適応的でない=個体の適応価に大した影響をあたえない」? どちらでしょう?
終らないぞー、この議論は。 言おうと思えば言うのは簡単なんだよ、これくらいのこと。 ┌────┐::::::::: :::::::::::::::::;;;;;;;; │ │ ::::::::::,,,,,,,,,,::::::::::::::: ;;;;;;:::::::::::::::::;;;;;;;;;;; │ ┓ 魔 │ :::::::::::::::::: ::::::::: ::::::::::::::: ;;;;;;;;:::::::::::;;;; │ ガ │ | ;;;;;;;;; ::::::::::::: │ ッ .城 │ .| ::::::::::::: ∧ │ デ │ || . . | ;;;;;;;;;;::::::: .____丿 \∧// │ ム │ | _| |__ || \ 不 ┐ / │┗ │ .|;| /。 。ヽ |,;| ゴ ). 完 総 / │ │ |.;;| ヾi||i;;,,,ノ ,-'。'-, ロ < 全 .合 ( └────┘ ノ ヽ .|,l.|iii|/。。。。ヽ ゴ ノ で 説 ゝ ガ ..|| <。。。`)イ。ヽ|ヾiiii;;;''""ノ ロ < す . ( .ラ .|;;| |ii;;;"''(。。。。);;|ii;; ;:| ゴ . く ! ! └ ( ガ .| ;;,| /'~~~';;; ヾii;;:iノ. . |;; ;| ロ ヽ .は ( .ラ .ノ ;;ヽ_ ヾミlli;;∧;|i;;;i.| ||;∧.|| || //ヽ ヘ\ ガ /。。。。\|ミ,-' '-,i;;;| ll いノヽ |.| ヽ / ラ /o o o o o o .Y。。。。ヽ,, ll .|i; |。。\,-'-',_ ::::::::::::: V ヾミi;U;;o""''∧'~ヾii;;;;:''/ii ll ..|i; .|;;;;:::::''ノ______ヽ::::::: |iii;;;:∧::ヾ(,,,,,,,,,)ii|.ii;;'' |ii ll |ii; |;;;丿iii;;;/ ;;;;;;;; |iii;;;| |::ヾ`|ii..|´ ii|. ヾ|ii _,ノii;; ヽ_ii;;::/ /'~'\ノ::ヽ .|i;.| iiii .ヾii,-'~。。。。。。 `\ .| でもここまで踏み込むと進化心理学から遠ざかる一方になるんだが。
ともかくの、総合説進化論というのは、高校生物レベルで習う話だが ここで言う突然変異とは、見かけ上ほとんどオリジナルとの違いが 現れない、ごく小規模なそれである――、総合説進化論は、完全に 内発的でいっさい外部環境の影響を受けない、偶発的な突然変異の 力のみに全面的に依存することで、その理論体系を維持してきた。 突然変異はまったく無方位に、一定の頻度で種個体群の中に現れる。 そのほとんどは、その生物の生息環境の中では個体の生存にとって 不利なものであるから、この個体は子孫を残すチャンスに恵まれず、 すぐに消えてしまう。しかし、まれに、個体の生存にとって都合のよい 有利な突然変異が生じると、この個体は自然選択によって生き延び、 ほかの者に比べてより多くの子孫を残すチャンスに恵まれる。 このような個体を、「適応度」が高い個体と呼ぶ。その結果、 この種個体群の中には、有利な突然変異が広がり、ほんの少しだけ 種のしての形質が変化する。このような積み重ねが何百、何千世代 にもわたって繰り返されるうちに、種は最初のものとは全く変わって行く―― というのが、現在の総合説進化論者の、現在でも公式に掲げる、 唯一絶対の進化の法則である。 『大進化する進化論』
60年代までの進化論は、顔文字氏のいうように 「ミクロな成分のそれぞれが、適応的だったから残った」 という考え方が主流だったといっていい。 そして定着しうる個々の突然変異はミクロ的な影響しか及ぼさない。 ゆえに新種が誕生するほどの進化には数十万年単位の時間と、 奇跡的な偶然の積み重ねが必要になる。 そのような淘汰の力を、J・ハックスリーはこのように表現した。 馬は存在しえない。しかし存在する。 ゆえに、淘汰と突然変異の力はそれほどまでに大きい。
ところで誰か新スレよろしく。俺はムリ。
>>943 そのような発想は、現実問題としてD戦略者が多くの子孫を残している、
というデータが示されない限りここでは意味をなさない。
現実問題として子孫が多いならD戦略者は適応的であり、
そうでないなら適応的でなく、また理論モデルの誤りが証明されるだけだ。
なにが適応的であるかを正しく予測することができなかったのだから。
現実に子孫が多いのがC戦略者であるなら、C戦略は適応的だし、
ゆえにD戦略者が適応的であるという考えは多くの人に疑念を抱かせる。
総合説進化論の本来の考え方のうえでは、
進化の結果は常に適応的である、は定義により真なんだよ。
生成文法を獲得することや、生成文法を獲得するまでに必要な 個々のミクロ的な変異の蓄積が適応的か不適応的かは 俺にはわからないし、どうせ誰にも厳密なデータなど出せまい。 ただし、これと類似の問題じたいは、古くから注目されている。 総合説進化論に従えば、変化は少しずつ蓄積されるのだから、 表現形質自体も少しずつしか変化しない、つまり、化石資料を調べれば 断続的な変化の様子が観察されるはずだ、と考えられていた。 ところが現実にはそうではなく、進化の過程における中間型の 生物化石が見つからないケースは非常に多い。 コウモリの祖先は突然空を飛べる姿で出現したし、 魚竜ははじめから泳ぐ事のできる姿で現われた。 中途半端に首が長いキリンの化石はどこにもない。 そして、ネオネオでもポストネオでも何でもいいが、 断続平衡説と中立説はこの問題に一定の解答を見出している。 60年代後半、出現したばかりの中立説に対抗する立場をとった一人に 「進化的安定戦略理論」――ESS戦略理論の提唱者メイナード=スミスがいる。
多分続きを書いてる途中っぽいので、しばし待ちましょう。
ただし中立説はあくまで非表現形質における遺伝的浮腫をとらえたもので、 表現形質レベルでは自然選択の力が働くことを否定するものではない。 しかし、古生物学上の進化の記録の上では、 将来的に獲得する能力にとって必要な表現形質レベルの「準備」が 進化の初期段階から獲得されていたという例が多く見られる。 たとえばゾウの祖先に近いメリテリウムは切歯の伸張、 臼歯の減少、頭蓋内の気室などの長眉目の特徴の萌芽を持つが、 これらの特徴が当時の彼らにとって適応的な意味を持ちえたとは考えにくい。 同様に、キリンの祖先に似たオカピは、首が伸びたときはじめて必要になる 特殊な血管構造ワンダーネットを、彼ら自身は首が短いのに、身につけている。
ただし、非適応的形質の存在は、それだけで総合説に致命傷を与えるものではない。 なぜなら、一つの遺伝子のもたらす表現形は一つであるとは限らないからだ。 この代表的な例として、アフリカで発見された鎌形赤血球が知られている。 鎌形赤血球は悪性貧血の要因であるが、同時にマラリア感染に抵抗力をもつので、 マラリアの病原がいる環境下では生き延びることができた。 このように、、適応的な形質と非適応的な形質を両方持つ遺伝子は、 そのバランスがプラスに傾けば非適応的形質を伴って定着することがある。 これを非適応的進化論という。 以上、半可通によるまとめ。 では、出かけてきます。
どうも、お疲れ様。週末のお仕事でしょうか。 「適応的」という言葉はあいまいな言葉なので、きちんとものを考えるときは 「淘汰圧」の方を使います。ある戦略やある形質を持つ個体が増える方向に 自然淘汰がかかっているのか、減らす方向にかかっているのか、を示す概念で 「変化」(=進化)に直結するのはこちらです。 「淘汰圧」の方は、複数の戦略や形質が同時に存在しているときに初めて て定義できる概念であるのに対し、「適応度」の方は他の戦略が存在しなくても 定義することができます(単に子供の数の期待値なので)。 自分しかいないときに適応度の高い戦略でも、他の戦略が侵入したときに 適応度で負けてしまう戦略には、それを減らす方向に淘汰圧がかかります。 社会的ジレンマにおけるC戦略とD戦略の関係はまさにそうで、「適応的」 というあいまいな概念では問題を捉えそこなうことになります。 (C戦略の方が「適応的」だから進化して当然、みたいに)
規制くらっててレスが遅れてるにゃ、すまんにゃ
いえいえ、お忙しいところ申し訳ありません お手すきのときにでも、よろしくお願いします。
「YAhooBBからのアタックがひどいのでYahooBBは規制しています」
アタックで思い出したが洗濯もんが溜まってるにゃ
あったらうれしい自然洗濯……
>>941 だいぶ誤解されたかにゃ
>言語能力を脳の文法中枢部位に帰属する事に懐疑的
言語機構(言語器官)という見方は大脳機能局在論の正否に影響されない、ということですにゃ。
>プラスアルファの存在
UGが個別言語を説明するとして、そのUG自体を説明するのは進化生物学であり、そこに作用した
物理的・数学的法則だろう、という部分かにゃ?
上のネオ・ネオは自然選択よりもそのような法則を重視する態度表明ということでもいいのにゃ。
あるいは、いまあるものはすでにあったものの使い回しに過ぎずそのすでにあったものを説明
しないといまあるものを説明したことにならない、といったあたりにゃ。
>>942 パンダの親指
……ウソにゃ
まあ古典的な議論にゃが、目は完全でなければ目としての機能を果たせず目になりかけのものに対して
選択が有利に働くとは思えない、ということがあるにゃ。ドーキンズが指摘するとおり、目の
できそこないでもないよりはマシにゃが、その目の出来損ないを作るにも光を感じる細胞がまず
なければならず、それ自体の出現は選択や適応でどうやって説明するのか、ということですにゃ。
>>944 〜
ここでは適応的でない、というのは繁殖を有利にすることにつながらない、という意味(947でいえば
両方)で使ってるにゃ。で、言語の原理がそうだというのは、例えば移動の局所性が生成可能な表現を
厳しく制限することになり、そうでなければ表すことのできる意味が表せない、言いたいことが
伝えられない、という反機能的側面を指すにゃ。
*What do you hate the girl who loves? (cf. I hate the girl who loves jazz.)
jazzの部分について質問できないことにどういうメリットがあるのか、などなどにゃ。
後付けであれこれ面白いjust-so storyをでっちあげてもそれはもはや説明ではないにゃ。
>>952 >進化の結果は常に適応的である、は定義により真
最適者生存は単なるトートロジー、とも言うにゃw
オカピのワンダーネットは言語板でも既出にゃが、あっても致命的ではないのでそのまま保存され、
たまたま将来役に立つことになっただけ、そのようなその時点ではどうでもいいものを丸抱えに
したまま(無駄や余剰を許しながら)生物は進化する、と見れば、上の言語の局所性もそれが
致命傷ではないので存在する、といったあたりのことしか自然選択では言えないのにゃ。
では局所制約は(ワンダーネットは)そもそもどうやってできたのか、と考察のレベルを深めたら
どうなるのか、ですにゃ。
無駄な形質や余剰な形質が「偶然に」定着する、というアイデアは 1930年代、集団遺伝学の開祖の一人ライトが既に示していたりする。 ライトの提唱する「平衡推移理論」によれば、種個体群が多数の 小さな地域的集団に分かれている場合、次のような過程を踏んで、 急速な進化が起こりうると言う。まず第一に、それぞれの小集団の中で、 遺伝的浮動によるさまざまな変異が増える。集団が小さければ小さいほど、 その内部では遺伝的浮動によって新しい形質が定着する速度が速く、 もとの種とはやや違った遺伝的な平衡状態に移行しやすい。 次に、このようなプロセスの中から、単独では不利だが、他の形質と 合わさると逆に有利になるような新しい形質の組み合わせが生まれ、 その頻度がある一定のレベルを超えると、自然選択が働いて、 それが集団の中に定着する。そして、第三段階では、こうしてほかよりも 有利な形質を持つようになった集団がほかの地域的集団と接触し、 ここで競合により、ほかの集団を打ち負かして、その集団のもつ 有利な形質が種全体に広まっていくのである。地域的な隔離によって 集団が小さくなれば、その集団の遺伝子構成は安定性を欠き、 環境からの影響と偶発的な浮動と、二つの要因によって急速に「進化」する。 そして、それら独自に進化した集団同士が相互に接触すれば、 さらにそこからより優れた形質が出現する。このようにして、 連鎖的に急速な進化が進む、というわけである。 『大進化する進化論』
このようにライトは自然選択に対して中立な突然変異が実在すると考えたが、 結局突然変異は自然選択に対して有利か不利かのどちらかしかありえない、 遺伝的浮動は存在しない、というフィッシャーの考え方が有利になり、 それが総合説進化論として確立されることとなる。
ところで、複数の形質があるときに どれか一つだけが勝ち残るんじゃなく 均衡状態が生じることがある、って考え方を はじめて進化論に持ち込んだのは メイナード=スミスってことでいいのかな。
>961 だいぶ誤解していたようです。失礼しますた。 >語機構(言語器官)という見方は大脳機能局在論の正否に影響されない、ということですにゃ。 脳のある文法中枢部分だーと分かっても、統語的機能を説明した事にはならないという事なんですね。 >上のネオ・ネオは自然選択よりもそのような法則を重視する態度表明ということでもいいのにゃ。 私は、今面白楽しく進化心理学的なものをお勉強させて頂いておりまつが、 進化論もちゃんと勉強せねばなぁ…(当然ですね。 でも、高校生物で習ってたんでつか? 涙)と思ってますが、 「最適者生存」とか全ての機能や構造が自然選択の結果である…という 強行な進化論ってメジャーなのかな? と疑問に思うのですた。。 ですが、 >上のネオ・ネオは自然選択よりもそのような法則を重視する態度表明ということでもいいのにゃ。 そういう事なら納得でつ。 チョムスキーのイメージは好戦的な感じなのですが、 戦わんでも良い相手まで攻撃しそぉでつ(汗
ロボ氏の進化論のまとめと関係するかどうかは分かりませんが、 部類の鳥好きの動物行動学者ローレンツさんが、 こんなことを書簡で書いてますた↓ 「私たち人間が脳で達成することをカイツブリ類は本当に尾腺でやってのけますよ! 私たち自身は脳を重視する生き物ですから、脳を使った業績を好みますが、 カイツブリだったらたぶんつぎのように書くでしょう。 『ホモ・サピエンスは脳を異常に発達させたことで袋小路にはまり、 にっちもさっちもいかなくなり、そのために唯一の正しい道(尾腺の発達) を見失ってしまったのだ』と。」 ちなみにカイツブリはフクロウ科の鳥で、尾腺は羽の耐水性に役立ちます。
最適者生存というのは極端でつが、少なくとも人間という群れがこれだけの 数で安定的に生存しているのを見ると、適応度が高く、進化的安定戦略を 取っているとは言えそうです。 人間が他の動物と比べて特に目立つ特徴は、限りなくあるけれども 二足歩行、言語能力などで、二足歩行は脳の発達と影響してるそうだし(本当か) 言語能力もそうだと。 でも、だからと言って、カイツブリの尾腺という別の戦略だってある訳で、 正しい道が一つとは限らない、と進化論は言っている気がするのでつが。。 (進化論にも色々な立場があるようですのですが。。) ちなみに脳のモジュール仮説の成否は疑問でつが、(あったら面白いと思うのですが…) それで全てが説明できるとは思っておりませんでつ。 まだ初学どころか入門もできてないので、言語能力スレではすみませんでした。 でも、言語学者さんがUGを支持するのは、言語学をつきつめていくと どうもあるんじゃないの?としか思えない何かがあるからだと 思うのでつが、その辺りを理解するには、例文判定等を積み上げていくしか 今はないのでしょうね・・。 まとまらず、すみません。 会社の家畜なので、出勤いたしまつ(汗。 厨な質問にご解答頂き多謝です。
>>965 頻度依存淘汰のアイディアは、すでにRAフィッシャーが性比の進化
(なぜオス:メスの頻度は1:1に近いか)を考察するときに提出しています
ので、メイナード・スミスが最初というわけではありません。
ただ、彼の進化ゲームの定式化で一般性のある形で広く知られるようになりました。
>>962 言語というものはシグナルの一種なので、送信者のエンコード戦略と
受信者のデコード戦略が一致していないと、お互いの適応度を一般に
下げることになると思います。
単語レベルでいえば、車両のすれ違いのときに、「右!」といってる
のに相手がそれを「左」と思って動けば、お互いに不幸な結果を招く
でしょう。ゲーム論的には調整ゲームと呼ばれるゲームで表現できますが
このタイプのゲームはESS(進化的に安定な戦略・状態)が複数
あるのが特徴です。どのESSが実現するかは偶然の影響を受けますが
一度実現すると、集団の状態がそこから動くことは起こりにくく
なります。
ある特定の文法規則(エンコードのお約束とデコードのお約束)が
定着する背後にも同様のダイナミクスが働いている気がします。
何が定着するかはチャンスレベルで、説明をつけようにもお話にしか
ならないと思われますが、それが「定着していること」そのものは
進化ゲーム論的に説明がつくと思います。
う〜む、規制情報板のトップにYahooBBが……(きぃぃー!
メイナード・スミスはneo-Darwinianにゃがらチョムには大筋で賛同しているわけだけどにゃ
We are satisfied that the debate between the behaviourists and the proponents of a special
linguistic competence has been won by the latter. (Maynard Smith & Szathmary, The Major
Transitions in Evolution.)
>>970 のような見方は思いっ切り大目に見ても同じ文法原理がある言語社会で共有されることの
利点を述べているに過ぎず、その原理自体の由来を知ることにはならないと思えるのにゃ。
しかも、この場合の原理とは「ある特定の文法規則(エンコードのお約束とデコードのお約束)」
という現象論的なレベルで語れるものではないのにゃ。(規則ではなく自然法則だといえば分かり
やすいにゃ。)ESSなどはたとえば微少な歴史的変化(いま起きつつある例としては「ら抜き」
ことば)や毎日繰り返される新語造語とその特定サブカルチャにおける急速な伝播などをモデル化
するのには有効にゃろ。しかし生成が扱う文法原理は、例えばヒトの肉眼でのモノの見え方は種に
共通かつ固有でありイヌとは違う、その特性はどうやって決まり、またなぜそれでなくては
ならないのか、といったのと同種の問題設定を要請するのにゃ。みんな違うモノが見えたら
「不幸な結果を招く」から、というのは答えになってない、本末転倒もはなはだしい、とどうしても
感じてしまうわけなのにゃ。誤解があれば指摘お願いするにゃ(ぺこり
>>970 やっぱり良くわからないのは、文法原理と一口に言っても「何」を
話題にされているのでしょうか?仮に、シンボリックな表象を扱う
認知能力が文法を支えていると主張されるのならば、「表象を扱う能力は
(言語から切り離しても)適応価を持つのか?」という問いを立てることが
できます。
が、「例えばヒトの肉眼でのモノの見え方は種に共通かつ固有でありイヌとは違う」
というのは、そりゃ当然そうだと思いますが、「具体的」に言えば「何」ですか?
それがある程度明示的に示されない限り、「〜は適応的ではない」とも何とも
言えませんが。これは、あちらのスレでの疑問とも重なります。
>例えば移動の局所性が生成可能な表現を厳しく制限することになり、
そうでなければ表すことのできる意味が表せない、言いたいことが伝えられない、
という反機能的側面を指すにゃ。
これは「文法構造における局所性」という「何か」は「言語によって伝達可能な
意味の範囲を狭める」が故に「機能的でない=適応的でない」ということですよね?
つまりその「何か」は「言葉でどれだけたくさん/正確に伝えられるか」という基準で
「適応的か否かが判断されている(べきだ)」という主張にもとれますが。
これって「言語そのものが持つ適応価でなく、言語を支える認知構造そのものが
持つ適応価を見ると、適応的でない」という、顔文字さんの過去の主張からズレて
いるように思いますが。
#生成文法なる「何か(遺伝子型)」は「言語という表現型」によって淘汰される
と考えるのですか?あるいは、言語は「何か」の副産物であり、その「何か」は
言語とは無縁の起源を持ち「人間の適応価に何の影響も与えなかったが故に徐々に
蓄積され、ある時突然、言語という表現型に結実した」というストーリーですか?
>文法原理と一口に言っても「何」を話題に
これまで関連スレで何度もガイシュツなわけにゃが……
人間言語の階層構造依存性、句構造の自己相似的な規則性、句構造を組み上げる
過程(派生)に働く局所性・極小性の制約(最短連結条件、下接条件)、統語
構造から意味解釈を引き出す際の(非)同一指示条件、などなど、要するに
(俺らの目から見れば)経験的に獲得不能と映る、普遍的かつ抽象的な人間言語の
特性すべてだにゃ。例えば
>>962 の例
>*What do you hate the girl who loves?
はloveの目的語の位置からwhatを文頭に移動させる操作が無制限に許されるのでは
なく、ある境界の中でしか適用できない、ということが母語話者の知識に含まれる
ことを示しているにゃ。この例に限らず(多少の変動はあるが)原則、すべての
考えられる移動現象についてすべての母語話者が等しい知識を共有しているのにゃ。
どういうものがその境界になるのか、と聞かれて明確に答えられる人は一人もおらず、
またどうやって学習したかも誰にも言えないのに、にゃ。最前線にたつ言語学者でも
その制約を過不足なく定式化することに成功していないというのが現状にゃが、
不完全ながらもある程度は明確化しているその制約が、どうやってそれを経験的に
学べるのか、またその制約が人間にとってどんな適応的価値を持つのか、という問題を
考えるわけにゃ。
機能主義者の目からみれば、言語は情報や意志伝達のための道具であり言語構造の
特性もそういった観点から(目的論的に)説明されることになるのにゃ。しかし
現実には上記のような制約がくわわることにより、言語の伝達手段としての機能は
むしろ反機能的であり、適応的でないということになるにゃ。言語を持つこと自体
の適応価と、その言語を構成する原理の適応価は分けて考えなければならない、
前者は後者から帰結しているのではない、と考えるにゃ。
>#生成文法なる「何か(遺伝子型)」は「言語という表現型」によって淘汰される
>と考えるのですか?
よく理解できんにゃが、元々いろんな人間言語があってそのうちの一つがもたらす
表現型が他のものより適応的であり現在では一つしか残っていない、という意味かにゃ?
それは生成のシナリオではないにゃ。むしろ与えられた進化の条件下で、言語は最初
から一つのもの(現在の人間言語)しか生じ得なかった(単一起源説とは区別するにゃ)
ということだと思うにゃ。
>あるいは、言語は「何か」の副産物であり、その「何か」は言語とは無縁の起源を
>持ち「人間の適応価に何の影響も与えなかったが故に徐々に蓄積され、ある時突然、
>言語という表現型に結実した」というストーリーですか?
こっちとは相性がいいにゃ。言語はexaptationであり、spandrelみたいなもんだ、と
グールドもいってたにゃ。
ところで複数のスレで同じことを繰り返すのも疲れてきたので、できたら進化論も
含めて言語生得性に関する意見交換は、
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1011801342/l50 か
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1039926852/l50 にまとめてもらってもいいにゃろか。
今のところ、言語板から俺らが一方的にこちらへ乗り込んできてお相手してもらってる
にゃが、逆に心理学諸賢にも是非言語板にお越し願いたいもんですにゃー(ぺこり
んー。 空を飛べないことにどういうメリットがあるのか、 右肘を左肩に接触させられないことにどういうメリットがあるのか、 *What do you hate the girl who loves? と言えないことにどういう メリットがあるのか。 あってもなくてもいい気まぐれな制約なのか、あると裏で役立つ制約なのか。 「表現力が弱いから適応的でない」と言えるのは何故? よくわかんないや。
まだ書いていいのかにゃ? 言語がコミュニケーションのツールであるという機能主義の立場からすれば、 その伝達力を弱められることは即ち機能の低下であると思われるからですにゃ。 もちろん理屈をこねることはいくらでもできるにゃ。例えば制限が強いほうが (表現可能性が低いほうが)伝達の効率はあがる、とか、曖昧性を排除できる、 とかにゃ。ある種のtrade-offの関係があるのは明白にゃ。 しかし問題は、それが生存や繁殖に有利に働くので選択された、と言えるのか、 例えば What do you hate the girl who loves? をOKとするような文法を 持つ者がそうでない者との生存競争に敗れ完全に姿を消さなければならない ほどのデメリットがどこにあるのか、ということなのにゃ。 開き直れば、そういう原理があるのだからしょうがない、それに機能的な説明を 求めるのがそもそもおかしい、適応価があろうがなかろうが、致命的に不利で なければよいだけのことであって、その原理自体が成り立つ理由を考えたほうが よかろう、というような感じですにゃ。
>>974 言語を構成する原理の適応価
という概念は進化生物学にはない概念ですので解説をお願いします。
「適応価」は「適応度(子供の数の期待値)」と同義でしょうか?
「原理の適応価」というのは「原理をもつ個体の適応度」の意味
なのでしょうか?
それとも、それらとは別個に「原理の適応価」という概念が
言語学では立てられているのでしょうか?
>>977 例えば What do you hate the girl who loves? をOKとするような文法を
持つ者がそうでない者との生存競争に敗れ完全に姿を消さなければならない
ほどのデメリットがどこにあるのか、ということなのにゃ。
そういうことがおこるのが調整ゲームの特徴なのです。右側通行は
左側通行に比べて、決定的なデメリットはなくても、ある集団では
姿を消すことがあります。ある戦略が姿を消すということは、その
戦略に決定的なデメリットがあることを、必ずしも含意しませんし、
その戦略が姿を消さなければならない「原理」が存在することを
必ずしも含意するわけでもありません。
>>971 「不幸な結果を招く」から、というのは答えになってない、
本末転倒もはなはだしい、
というのもよく分かりません。この場合、何が「本」で何が「末」で
どういう風に転倒しているとお考えでしょう?
>>975 むしろ言語生得性についての議論は向こうに任せて、
ここでは、言語進化に関連する淘汰圧について考えてみたいと
思っています。
適応価は特に専門タームのつもりもないにゃが、adaptive valueのことにゃ。
全言語のページからadaptive valueを検索しました。� 約609,000件
>>978 で仰るような意味で結構にゃ。逆に教えてクンにゃが適応度というのは何の訳
ですかにゃ? fitness ナントカ?
>そういうことがおこるのが調整ゲームの特徴
例えば右側通行についてどうやってそういうことが起こるのか、例を出してもらえん
かにゃ? まあ素人考えでは、右側通行は通行の混乱を避けるという目的を先に設定して
取り決めることのできる人為的ルールで、集団が違えば同じ目的のために別の戦略を選ぶ
こともできるにゃ。それと同じことが言語の構造原理(接触のないすべての個別言語に
ついて成り立つ普遍法則、無意識的知識)についてもあり得るのか、考えてみたいですにゃ。
>何が「本」で何が「末」
キリンの首はなぜ長いか、と同じ話しだけどにゃ、構造や法則(本)が先にありその
帰結として機能(末)が生まれるのであって、その逆ではない、ということにゃ。
今の例でいうと、たとえば伝達効率を上げるため(結果)に摘出不可能領域(の知識)
が生じる(原因)という見方が本末転倒なのにゃ。どうもそちらではいまだに目的論的
説明が受け入れられているのかと心配になってくるにゃが?
Yahoo規制のせいで(原因)レスが遅れる(結果)のにゃ、すまんにゃ。
>>981 これらに対する返事は、まとめて「言語スレ」に書きます。
進化心理スレ3では、177さんの以下の提案もありますので。
>そんなわけで、ここで進化生物学のロジック(の延長)で、いかにして
利他的に見える行動の進化を説明することができるのか、その説明から
どのようなインプリケーションが導けるのか、を考えることは、その
まま進化生物学のロジックの有用性を検証することにつながります。
というわけで、このスレでは非ランダムモデルの説明とそれについての
考察を続けることにしましょう。