言語能力は生得的か

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306かかり助詞
297 クレオールになるプロセスでは明らかにinputである
ピジンより豊かな知識が獲得される。経験学習説ではこういうの
どう考えているのか、と思ってみたわけ。

303  一方、チョムスキー系の理論は、この仮説が間違っていた場合には
殆ど存在意義を失うと言ってよいと思います。
過激な内容の書き込みですね。
それは理論を用いて何を成し遂げようかという各研究者のmotivation
によるのでは?もし、「生得的言語能力の解明」が第一義で、他に
目指しているところが全くないのなら、確かにおっしゃるとおりだけど、
「言語能力の解明」とか、「比較統語論」とかに興味を持っている
人にとっては、別に「存在意義なくなる」なんてことないと思うけど。
307かかり助詞:01/11/20 02:07
304 横レスですが、303が言おうとしていることは、
とある文が当該の言語で文法的かどうかを判断する基準
となるような明示的な枠組みの確立を目標にするのが、
生成文法だと言うことでないかな。アメリカ構造主義は
IC分析と呼ばれる手法で文を音素にまで分析しましたが、
これだけでは、今まで聞いたこともないような文が、
文法的かどうかという予測をしない、という意味で
生成文法でない。
>>306
あのさあ……
ピジン語を母語とする子供(クレオール第一世代)でも
その親はPidgin English以外の言語を母語としてるはずだし、
それは語彙も文法もずっと豊富な当り前の自然言語なわけでしょ。
だとしたらその親たちの言語からの類推で豐かな知識が獲得されるのでは。
つまりピジン語だけでなく育ての親が使用する言語からもinputされる。
そのことを無視した決めつけにはついてゆけません。
まあ親たちが一切その母語を語らない環境に育ったとしたら話は別ですが、
そんな厳密な実験結果なんて得られるわけないでしょ。
乳幼児を隔離して育ててみますか?
309生成不信:01/11/20 02:19
>>307
>とある文が当該の言語で文法的かどうかを判断する基準
>となるような明示的な枠組みの確立を目標にするのが、
>生成文法だと言うことでないかな。
それだって文法理論なら何も生成派に限った目標ではありません。
そんなの学問としての言語学ならどの学派だって当然の目標ですよ。
どうして生成派の人は生成以外は言語学に非ずみたいな増上慢な態度を取るのかな。
生成が多数派なのは確かだけど、生成文法以外にも言語学はあるのですから。
310209:01/11/20 06:04
ちょっとここでの議論とはずれるかも知れませんが、最近「複雑系」の
考え方に接する機会があって、こちらはG.Lakoffの「認知言語学」に
関心を示しているようですね。

ご存じのようにチョムスキーの考え方は現在の生物学の考え方と親和性が高い。
複雑系の考え方というのは、要するにシステムの要素間の相互作用から
ルールが生まれるという視点のようで、現在の生物学では遺伝子→蛋白質
→発現という一方向からしか生物を見ないが、むしろ遺伝子が関与しない
多様な表現型と環境との相互作用によって生まれた安定性が遺伝子に固定される
ようになるのであって、こちらこそ本質的であると考える。この考え方を
言語にも応用しようとする動きがあるらしい。複雑系はこの流れで認知
言語学を見ているようです。
顔文字先生は認知言語学はチョムスキーの生成文法と相補的であり、
認知言語学は言語の系統発生と個体発生を混同していると批判されている。
この批判が当たっているかどうかは、こちらももう少し複雑系を勉強して
みないとなんとも言えない、というところ。
311虚無好き:01/11/20 06:09
わたしの「フィールド」のいちぶである育児板を調べた範囲では、
「ニセの証拠」にもかかわらず、
正しい言語知識の獲得にいたる、という例がいくつかあったにゃ。
親によっては子供の言い間違いを面白がって、それを日常的に使うとか、
ひんぱんにそれを「言わせる」とか、むしろ過ちを強化する刺激を与えるにもかかわらず、
最終的には、というか極めて短期間のうちに正しい言い方を「選択」するのにゃ。
(もちろん就学期以前にゃ。)
わたしにも、この現象を説明することはできないが、
だからといって、生得的といえるのか疑問だにゃ。いえるとすれば、infant's intuitionかにゃ。

とりあえず幼児が、オペラント行動的にでたらめな語順の発話をし、
そのなかで意味の通じるものを強化していく、みたいなプロセスをとってないのは確かにゃ。
しかしチョムスキー理論は強力であり、
個別文法の獲得は、自己組織化として発達すると考えられるにゃ。にょきにょきにゃ。
で、言語獲得の過程で、VOの語順を決定する因子(パラメタ)がいつ設定されたのか、
英語と、(統語的に似ている)北京語との差は
どの因子がいつ作動して、目に見えるものとして観察されるのか、
ようするに、分岐点はいつなのか、パラメタ設定は順列的に行われるのか、
このあたりが明らかにされないと、信用できないにゃ。
そして批判者としては、これは理論の証明の一部だと言いたいにゃ。
わたしは生成文法は、行動主義なみに幼児のデータに注目すべきだと思うにゃ。
おわりにゃ。
312虚無好き:01/11/20 07:04
>系統発生と個体発生
の混同は、UGを仮定しない立場全般の批判にゃ。
ようするにUGは、ヒトの視覚系とおなじく系統発生したもので、
個体が、一般認知能力によって言語を獲得したという主張は、
例えばものを見るために、個体が眼を「発生させた」という主張と
おなじ誤りをおかしているということにゃ。
ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」のアナロジーで言ってるのにゃ。

ヤバイにゃ。本業にもどるにゃ!
313209:01/11/20 08:01
>>312
その文章は、
UGはヒトの視覚系とおなじく系統発生したものであるとチョムスキー
学派は主張しており、個体が一般認知能力によって言語を獲得したという
チョムスキー学派以外の主張は、ものを見るために個体が眼を「発生させた」
という主張とおなじ誤りをおかしている、とチョムスキー学派は主張している、
という理解でよろしいか?

で、視覚系に関しては眼球→視床→視放線→視覚皮質、という確たる
構造があり、この構造をものを見るために個体が「発生させた」という
主張は確かにおかしい(つまりこの構造は系統発生によってもたらされた
構造であるはず)が、言語能力に関してはそんなに確たる構造がある
ことは証明されているのですか? 今のところはせいぜい左半球の聴覚野に
近接した領域の面積が広いことと、>>196程度の証拠くらいしかないのでは
ありませんか? つまり、言語処理に関わる構造を個体が「発生させた」
という主張は神経学的知見からはいまだ否定し去ることはできないのでは
ありませんか?
314かかり助詞:01/11/20 10:55
>>308-9 まあまあ、そんなに怒らないで。みんなgentlemanっぽく
話してるんだから。ピジンの足りないない分の知識を他の言語から
補う、というのは、本当にそんなことが出来るか疑問です。bilingual
の環境で育った人は単語をまぜこぜにするような文章も作るけど、
最終的には別々の体系を頭の中に作る。bilingualでもどちらも同じくらい
出来るという人は結構少ないけど、足りない分をもう一つの言語から
導き出すなんてことはしない。何らかの傷害で、どちらか片方の
言語を失っちゃうこともあるらしいです。

それと、生成文法でないと言語学ではない、とは言った覚えないんだけどな。
生成文法とは何か、の定義で、チョムスキーその他以外の言語理論もこの
規準を満たすのなら生成文法と呼ぶ、ということです。309氏が何を
やっているのかは知らないけど、そういう規準を満たしているのなら、
それも生成文法の仲間として考えられる、ということ。そんなに、
生成文法家を悪者扱いしなくてもいいでしょ。それと、学問としての
言語学にも、歴史言語学とか、社会言語学にはそういう規準を満たさない
分野もある。それは生成文法ではない。別にどっちがいいとか悪いとか
言ってないので、おこらないで頂戴。
315名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/20 12:37
>>314
>最終的には別々の体系を頭の中に作る。bilingualでもどちらも同じくらい
>出来るという人は結構少ないけど、足りない分をもう一つの言語から
>導き出すなんてことはしない。
それでは、7歳まで日本語環境で育った子供がいきなり英語オンリーの環境に
移された場合と、7歳まで一切言語のインプットが無い環境で育った子供が英語
環境に移された場合と、英語の習得の達成度は変わらないの?
「別々な体系」だったらそういう予測になるけど。
316生成不信:01/11/20 12:37
>>314
>生成文法とは何か、の定義で、チョムスキーその他以外の言語理論もこの
>規準を満たすのなら生成文法と呼ぶ、ということです。
だーかーらー、その「規準」を満たすってことなら、
全ての記述言語学・全ての文法理論が「生成文法」と呼ばれることになってしまふ……。
結局それは「生成文法」の他領域の乗っ取りであり誇大な僭称ではありませんか。
俺たちゃ「ある文が当該の言語で文法的かどうかを判断する基準となるような明示的な枠
組みの確立を目標にする」けれど、別に生成と呼ばれる筋合はないぞって学派も
幾らもあるでしょ。「生成」なんて術語を擁しない言語理論とかね。
そいつらにしてみれば一緒にされたくないってとこですよ。
(歴史言語学・社会言語学はまた全然別の話よ。)
>>314
>ピジンの足りないない分の知識を他の言語から
>補う、というのは、本当にそんなことが出来るか疑問です。

クレオール言語ってのは、その定義上、混合による言語ではないのですか。
つまりPidgin Englishのみならず、その話者たち各々の母語数種類を
ちゃんぽんにして出来上がったものだと思ってましたが。
だから他言語から語彙・文法その他を取り容れるのは当然では?
318名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/20 13:51
>>316
なるほど。あげ
319かかり助詞:01/11/20 15:04
315 そりゃあ知らないよ。唯一言えるのはgenieが通常の意味での
言語は習得できなかったことだな。でもgenieは12才だったし。
しかし、7才まで一切の言語に接しない環境なんてので育ったら、
あらゆる面で正常な発育しないだろうから、必ずしも7才まで
日本語onlyで育った子供とは違うのではないでしょうか?

316 いや、だからですね、別に316氏がどういう枠組みで
やっているか知らないけども、私どもは「あれもこれも生成文法だ」
と断定することにむきになっているわけでもなんでもないわけですよ。
893さんの縄張り争いではないんだから。それでご迷惑にはならない
と思うのですけどね。それと、全ての記述言語学が生成文法になる
かというと、そうでもないような気がするな。例えばアメリカ構造主義
は記述言語学だけど生成文法ではないのでして。
まあ、上でも書いたけど、区別するための学術用語であって
差別用語でないのだから、そんなに怒らないでちょうだいな。
学術用語に怒ってもしょうがないでしょ。

317クレオールというのは必ずしもごちゃ混ぜ言語ではありません。
多くはアフリカやニューギニアなどで、主には商用目的のために
英語やフランス語などを使うのがピジン。それが家庭で用いられて、
子供がそのピジン環境で育って習得するのがクレオール。まあ、
モトモトのピジンは第二言語なので、それに第一言語が影響している
可能性もありますが、肝心なのはクレオールは文法体系も語彙も
親の話すピジンよりぐ〜んと、豊かなものであるということ。
それと、勿論、語彙はかなりhost languageから借入されます。
けどクレオールのcommunity自体で発達する語彙もある。
320一生成文法家:01/11/20 15:51
>>316
私が「非チョムスキー系の生成文法」と読んだタイプのことをやっている人たちの
中にも、チョムスキー系の人たちと一緒にされるのがいやで、自分たちがしている
ことを「生成文法」と呼びたがらない人がいます。気持ちはわからないではあり
ませんが、かかり助詞さんがおっしゃっているように、「生成文法」というのは
専門用語で、その意味は確定しているのですから、その確定した意味の通りに
使うのがよいのではないかと思います。「ある任意の単語列が与えられた場合に、
その単語列が文法的かどうかをちゃんと機械的に判定してくれる文法」が生成
文法です。少し単純化してますが。
あのー、よその板にまで来て言語屋同志で揚げ足の取り合いしてたら
この板の人間がシラけるんとちゃいまっかぁ?
322名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/20 18:10
>あらゆる面で正常な発育しないだろうから、必ずしも7才まで
>日本語onlyで育った子供とは違うのではないでしょうか?
違うとは思いますが…言語の発育について聞いているんです。
「あらゆる面で正常な発育しないだろうから」で片づけるのは
どうかと思います。
323虚無好き:01/11/20 20:24
209先生へ。悪文を解釈してもらって、恐縮にゃ。
「構造」については、少し補足しとくにゃ。
まんじゅう顔のセンセが、200番台序盤で、
モジュール性と大脳機能局在とは結びつかない旨の発言をしてるので、
そのあたりの文脈を参照するのもいいにゃ。

生成主流派の考える構造、あるいは生得的メカニズムは、
感官ばかりか、手や脚や、翼に例えられるいっぽう、
「能力」facultyとも言いかえられる抽象的なものでもあるにゃ。
具体的にいうと、
文の生成において、語(じつは、語彙の属性である「素性」の集合)が融合し、
シンタクスのみにかかわる素性はプラマイゼロみたいに消えていくいっぽう、
意味解釈に関する素性が論理形LFに写像され、
音韻に関する素性が音声形PFに出力される(PFを形成してゆく)というのが、
モジュール性にもとづくストーリーにゃ。
これらは実際の言語活動における、発話と聴解の生理的プロセスとは、
むにゃむにゃ、説明むずかしいけど、直接関係ないといっておくにゃ。
生成文法は、文法性の、「計算」にもっぱら関心をもつのにゃ。
PFへのspell-out(出力)あるいはLFへの写像とよばれるものは、
数学の等式の右辺と左辺の関係のように、時系列において考えられるものではないのにゃ。
たとえば、<わたし>が、「花子が結婚した」というイメージや記憶を表象して、
それを音声にするプロセスは、おそらく脳内に実在するのだろうけど、
それとは別に、統語計算は自律的に行われ、
その「構造」もまた、脳内に生得的に「実在」するというのが、主流派の主張にゃ。
わたしも、自分で言ってて、半分くらいしかわからないにゃ。
大きな間違いはないと思うけど、専門化のかた、お願いしますにゃ。

「生成文法」の用語を単純化したのは、わたしの責任にゃ。
HPSG関係の皆様、どうもすみませんでしたにゃ。
324名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/20 23:25
これまで、本での知識しか無かったので、産まれてから1〜2年で話し始めら
れるのは、生得的な言語能力があるためだという言説に納得していたが、
いざ親になって赤ん坊の世話をし始めると、産まれてから1〜2年も経たない
と話し始められないなんて、とうてい生得的な言語能力を持っているとは思え
ない!!!
ギャ−ギャ−泣いてないで、何してほしいのかハッキリ言えよ!
と思ってしまう。
>>324
あんたのようなバカ親に育てられる赤ん坊の方がいい迷惑です。
326生成不信:01/11/21 01:11
>>320
>「生成文法」というのは
>専門用語で、その意味は確定しているのですから、
それも生成派で勝手に決めた意味でしょ。俺たちゃ認めとらんよ――って学派もあるのに。
生成文法理論で定めた術語を非生成系の理論にまで適用するのは法律の拡大解釈による
強引な別件逮捕みたいな気がします。俺いつから共犯になったんだろ……ってね。

>>321
心理学板の人、すみません。なぜか生成派の人たちは言語学板で論議しないで
他の板やスレッドへの進出(侵出?)ばかりするので、こちらでツッコミました。
ちょっと生成派の態度ってアメリカ帝国主義に似てる……。
327かかり助詞:01/11/21 01:30
>>322 言語の発育面に関していえば、臨界期をすぎていない限りは
言語習得には問題ないハズなので、7才ならまだ間に合うのでないかな。
まあ、そんなケースの報告例が実際には未来永劫存在しないことを願って
やまないけど。
>>323テクニカルな部分では少し違うところもあるけど、まあ、どのみち
最近のphaseってやつではもっと違うので、大体そういうところという
のでいいのでないでしょうか。ただ、「モジュール」というのは統語と
「音声認識産出」モジュールと「意味概念」モジュールのことを
いっているのかシラン。だったら、いいのではないかな。
一昔前の理論では、統語内部も「wh等を動かしたあとに残る痕跡を
司るモヂュール」とか「代名詞や再帰代名詞の先行詞に関する
モジュール」とかいった具合に、小さいモジュールがあると
されてきた。この統語内部モジュールは複雑に相互干渉し、
しかも経験によって決められるparameterが各モジュールに
ついているため、そのパラメターの値を一つでも変えると、
他のモジュールも影響を受けるため、最終的に英語、日本語、
マサイ語等の言語間で一見したところ多大な違いが出てくるモノだと
考えられていた。
今の理論にはそれがない(と思われると顔文字さんも前に言っていた)。
おおざっぱに言うと、代わりに統語というのは実はどの言語でもほぼ
同様であり、素性からなる単語の素性に違いがあるのだ、としている。
328かかり助詞:01/11/21 01:39
326 論議いたしますから言語版「生成文法総合すれ」におこし
下さい。
329(´∀`):01/11/21 03:18

にゃっほー、あいむ・ばっく、にゃ。
にゃんだか言語学板のアホらしいいがみあいをこっちに持ち込む輩がいて俺も心苦しいのにゃ。
心理学者諸賢が愛想つかして誰も読まなくなったら困るのでいい加減にしとくにゃ。

>>273こと伍長殿
レス感謝にゃ。今後ともお付き合いよろしくにゃ(ぺこり
>特に「真っ向から対立する」という感じには見えません
今現在の行動主義がSkinner当時からどのように路線変更してるのか、俺が無知なので解説
してくれたらうれしいのにゃ。やはりUG相当のものを仮定する・しないをめぐっては対立
していると思ってしまうのにゃ。
で、今後のネタふりに引用したいのにゃが、最近翻訳も出た What is Life? という本の中で、
イギリスの著名な進化生物学者、メイナード・スミス(ら)が、こう言ってるにゃ。
あくまで多くの生物学者はこう理解している、ということにゃが、このような見方について
Skinner派の人はどう思うのかにゃ。ひょっとしたらここでのSkinnerは完全にmisrepresent
されてるにゃ? 忌憚のないところを聞かせて欲しいのにゃ。ちなみにメイナード・スミスも
チョムがボロクソに批判するネオ・ダーウィニズムの人なのにゃ。

「生物学者にとってより興味をそそられる問題は、言語能力それ自身の起源である。長い
論争が二つのグループの間で行われてきた。スキナーに従って、言語学習を適当な強化、
すなわち罰と、さらに重要な報酬によって得られる、人間の学習の一例にすぎないと考え
るグループと、チョムスキーに従って、話すことを習う能力というのは非常に特殊なもの
で、単なる知性の増進に伴う副次効果ではないと考えるグループである。チョムスキー派
は、話すということは複雑な文法規則の無意識な把握が要求されることであり、それは行
動主義者が言うようなやり方では、おそらく学習することができないだろうと論ずる。
今日、チョムスキー学派が論争に勝ったことが広く認められている。二つの議論が決定的
であった。第一は、子どもが話すことを学習するのに十分なほどの入力が与えられていな
いという指摘である。子どもは有限な文章の集合を耳にすると、すぐに無数の言葉を発す
ることを学習する。このことは、両親が子どもの言葉のまちがいを直すことがまれなのに
もかかわらず、子どもたちが、文法的に正しい文章を作る法則を学んでいることを示して
いる。第二の論点は、学ばなくてはならない文法の微妙さにある。二世代にわたる言語学
者とコンピュータプログラマーたちが、まだ機械翻訳という課題を解決できないでいるの
に、多くの六歳の子どもは二つの言語を流暢に話し、一つの言語から他のものへの翻訳を
しているのである。以下では、人類が言葉に対して特殊で生得的な能力をもっている、と
信じられていることについての、第三の、遺伝学上の議論をしよう。」
(で、以下、特異性言語障害の話しにつながっていくのにゃ。)
330(´∀`):01/11/21 03:20
>>302こと逃走派氏
関係ないにゃが「生成ビリーバー」=「衝動派」とは気付かなかったのにゃ!
俺が最初「チョム介」とかいう名前で書き込み始めた頃、生成ビリーバー氏に相手して
もらったことがあるのにゃ。以来なんとなく恩義を感じていたにゃが、最近見なく
なったので気になってたのにゃ。改めてよろしく、にゃ(ぺこり
302はうまく整理してくれて助かるのにゃ。ただ、生得論と自律モジュール論はいちおう
区別すべきだと思うのにゃ。

>>310=209
一つには認知側のできるだけ異分野に訴えてpersuadeしていこうという戦略的成功があると
思うのにゃ。チョムはどちらかというと「分かる奴だけ分かればいい」という突き放した
態度なので(多様なアプローチの存在を認めているということを口べたにしか伝えられない
のかも、にゃ)だいぶ損してると思うのにゃ。複雑系の牙城ともいうべきSFIでも、認知の
Lakoffは積極的にゃが、チョム側は我関せずなのにゃ。もともと例えば免疫系と言語の
類似性などは生成の十八番にゃったが(チョム理論をベースにしてノーベル賞とった
免疫学者もいるのにゃ)、いまやシステム論的見方から免疫は複雑系の得意技になって
しまったにゃ。俺に言わせれば生成は最初から複雑系的な見方をとっていたのに、にゃ。
つまり内なるもの(生得的UG)と外なるもの(初期言語刺激)の相互作用からどのように
して個別文法が創発するのか、という視点で言語獲得を見ていたのだからにゃ。
とか書くとまた反発きそうにゃ。いいのにゃ。むにゃむにゃ。
331名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/21 06:28
>今現在の行動主義がSkinner当時からどのように路線変更してるのか、
>俺が無知なので解説してくれたらうれしいのにゃ。
伍長氏ではありませんが・・・。路線変更した、というより当時から本来の姿を
誤解されつづけ、最近ようやく日の目を見始めたといったほうが正確かもしれません。
(一部路線変更もあり)
で、行動主義の解説については「過去ログ倉庫の名スレ」解説スレから
議論されているスレをいろいろたどることも出来ますです、はい。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1004193460/l50
332虚無好き:01/11/21 06:38
ガ━━(゚Д゚;)━━ン!も…もうお帰りになったのかにゃ。
短い春だったにゃ。
↑ウソにゃ。
わたしの理解するところでは、チョムスキー理論は
主観・客観を素朴に定位した、伝統的な自然科学を目指している(デカルト的?)
「ようにみえた」のだけどにゃ。
こっちでも『免疫の意味論』にゃ…
わたしは現在の心理学については、むしろ主客を相対化していく方向で、
アフォーダンスの流れがあるのでは?と考えてるのにゃ。
ギブソンはどっかで、内部と外部の区別はまったくなしと言ってるし、
それは最近の自己組織化理論のなかで言われてることと共通するにゃ。
だから、複雑系との接点がでてくるのではないかにゃ?
誤解があったらごめんにゃ。

チョムスキー理論は、本質的に、言語知識<内在>説にゃ。
まえにも書いたけどにゃ。
このへん、面倒な議論になりそうにゃ…
333(´∀`):01/11/21 07:00
>内部と外部の区別はまったくなし
「自己」と「非自己」と言い換えてもいいのかにゃ?
334(´∀`):01/11/21 07:15
>>331
いいスレッドを教えてもらったにゃ(ぺこり
言語学板でも同じようなスレだれか立てるにゃ?

自分の専門がら、そう思うだけかも知れにゃいが、言語学板より
心理学板のほうがかなりレベル高いのかも、にゃ(すりすり
335209:01/11/21 07:52
>>329
顔文字先生、お帰りなさい。
そのメイナード=スミスの引用部分は間違いなく、現在の多くの生物学者の
理解であるという点は同意いたします。メイナード=スミスは進化生物学に
ゲームの理論を持ち込んで進化的に安定な戦略Evolutionary Stable Strategy
というものがあるということを提唱したわけですが、その、個人的な興味で
チョムスキーがネオ・ダーウィニズムをどう批判しているのか、ひと言、
お教えいただけますか?

複雑系の主張は
>知性と適応能力を持った複数の要素(エージェント)が相互に影響し
>合って存在し、各要素は何らかの行動ルールにしたがい、ローカルな
>情報に基づいて決定し、また場合によっては行動ルールをも変更する。
と要約されるそうで、この行動ルールがいうまでもなく本スレでのUGや
遺伝子に相当するものと思われ、これだけを見ると、概ねサイバネティックスや
一般システム論とそう異なるものとは思えないが、最後の一点、
「場合によっては行動ルールをも変更する」という主張が過激なんでしょう
ね。
私はこの複雑系の主張と自己組織化や自己産出システムとの関連を今、
勉強しているところです。
336(´∀`):01/11/21 10:15
>>209
ESSがスッと出てくるからにはその方面に詳しい人に違いにゃいから、ポイントだけ
いうにゃが、言語の形式特性は生存価や適応度といった観点からは理解できない、むしろ
反機能的な側面を持っており、自然選択の産物ではあり得ない、ということにゃ。
UGのナントカ原理は個体や種のreproductive successになんの貢献もしていない、と
言ってもいいにゃ。
目的論的機能主義を排し、外からの選択圧よりも物理・数学的な法則に従った内部の
自己組織能を重視する点で、生成の立場はネオ・ネオ・ダーウィニズムとも呼ばれるにゃ。
漸進適応ではなく断続平衡、というグールドの立場に同意してるのにゃ。
で、これも多くの生物学者の共通した理解として、言語能力が種に固有の生得的遺伝的能力
である、という点は正しいながら、その進化について自然選択説を頑なに拒む点で、
チョムはおかしい、というのがあるみたいにゃ。たとえばデネットのチョム批判もそうにゃ。
実際にはチョムは自然選択万能論を却下しているわけで、ちょうど、刺激・反応万能論の
却下と同質だと言えるにゃ。俺なりの疑問は、果たしてネオ・ダーウィニスト(あるいは行動
主義者)はそのような万能論をほんとに主張しているのか、という点にゃ。確かにそのような
発言をするウルトラ・ダーウィニストもいるみたいにゃが、ひょっとしたらお互い相手の
真意を理解せずに無意味な対立を続けているだけかも知れにゃい、とも思うのにゃ。
>複雑系の主張
俺が反語彙主義を採るのはある意味複雑系的な見方で統語派生(文の句構造を組み上げる
プロセス)を見ているからなのにゃ。統語論に先行して語彙の意味(とりわけ動詞の意味が重視
されるにゃ)が与えられており、これに従って統語構造が決定される、という見方を還元主義と
するなら、逆に語彙の意味はそれが出現する環境(統語構造)によって決まる、という、部分と
全体の相互作用に注目する脱還元論を俺は採りたいのにゃ。
337(´∀`):01/11/21 10:44
ちょっと間違った書き方をしてしまったにゃ。
言語進化を巡っては生成内部でもネオvs.ネオ・ネオの対立があり、生成=ネオ・ネオ
ではないのにゃ。たとえばピンカーはネオの代表で、チョムvs.ピンカーはまるで
グールドvs.ドーキンズの仁義なき戦い・代理戦争、なのにゃ(半分だけジョークにゃ)。
338317:01/11/21 10:57
>>336
>逆に語彙の意味はそれが出現する環境(統語構造)によって決まる

それが出現する環境=統語構造、なのですかね?
むしろ普通は、環境=語用論的な文脈・状況、とするのではないかなあ。
で、統語規則の制約もその状況に依存する、と。
339317:01/11/21 11:20
>>319
>モトモトのピジンは第二言語なので、それに第一言語が影響している
>可能性もありますが、肝心なのはクレオールは文法体系も語彙も
>親の話すピジンよりぐ〜んと、豊かなものであるということ。

ピジンが第一言語となった世代ならそんなの当り前では。
肝心なのは、クレオール語が文法も語彙も親の話す第一言語(ピジンではなく)より
豊かであるかどうか、でしょ。それを確認しないと、親からの影響の可能性は
到底否定できませんよ。
なんだか論点ずらしてませんか。>かかり助詞さん
340かかり助詞:01/11/21 13:12
339 第一言語どうしを比べて豊もへったクレもないと思うのだけどな。
上にも書いたけど、bilingualの人たちは言語Aの性質を苦手な方の
言語Bに勝手に移植する何てことはしないから、親の第一言語
がクレオールに移植されているというのも変な話しだし。
親からの影響がないというのではなく、bilingualの事実から
考えて親の第一言語は別勘定にするべきだと思うのだけど。

顔文字さんお帰りなさい。
341(´∀`):01/11/21 16:19
>>338
カテゴリーエラーの典型だにゃ。
語彙意味と統語構造の関係について話している時に、語用論的文脈ってかにゃ?
自分が文脈読めてないにゃ(w
(つまらんネタは言語学板のほうに書くにゃ)
342317:01/11/21 16:46
>>340
それが比較に適さないってことでしたら、
そもそも混淆を特色とし言語間の境目の曖昧なクレオール言語を
截然と分けられた二言語を習得するバイリンガルと比べるのも変ですよ。

>>341
ホラーキーな階層構造として統語的構造のさらにメタレヴェルに語用論的状況があるってこと。
「つまらんネタ」なら(隗より始めよで)言語学板の方に書いて下さい(笑)。
そしたら言語学板の方でご意見拝見しましょ。
343209:01/11/21 17:08
>>336
       漸進適応の考え方
 |      /
 |     /
適|    /
応|   /
度|  /
 | /
 |/
 L________________
       時    間

漸進適応の考え方ではキリンの首が伸びる過程において、さまざまな長さの首を
持つ個体が出現したはずである。しかし、中間の表現型を持つ化石はなぜか出て
こない。これを説明するために考え出されたグールドの断続平衡説(下図)では、
遺伝的アルゴリズムは有限集団内における解の探索過程であり、全体の適応度が
最適解から遠い場合には進化すなわち集団としての平均解は速やかに上昇するが、
最適解に近づくにつれてこのスピードは弱まる。そして、次の最適種が出てくる
までこの状態を維持し続ける、と考える。ここに待ち時間があり、急速な進化と
安定を繰り返すことになる。
344209:01/11/21 17:08
       断続平衡説
 |
 |                現人類のいるところ
 |                ↓
適|              ___
応|           ___/←    言語の出現
度|       ___/
 |    ___/
 |___/
 L________________
       時    間  数  現
               百  在
               万
               年
               前

言語能力は数百万年前(この時間はいい加減ですが)に急速に出現したが、
平衡状態のまま数百万年が経過した今から見ると反機能的な面がある
(ある意味、時代遅れなモデルとなっている)、とチョムスキー学派は
主張している、という理解でよろしいか? ただし、このこと自体は
ドーキンスも認識している(「延長された表現型」第3章「完全化に
対する拘束」その1、タイム・ラグ)。
345209:01/11/21 17:09
言語能力に関する主張の要約
・反チョムスキー学派
語彙の意味→統語論
・顔文字先生を中心とするチョムスキー学派
語彙の意味⊂統語論 という入れ子構造を想定し、むしろ外側が内側を決定する。

生物学における従来の主張と複雑系の主張
・従来の主張
遺伝子→表現型 表現型が環境と相互作用する
・複雑系の主張
表現型と環境とが相互作用した結果、選ばれた表現型が遺伝子を決定する

という理解でよろしいか?
346(´∀`):01/11/21 17:28
>>342
ん? そちらが異議申し立てる側にゃから、まずは俺のほうが「ご意見拝見しましょ」にゃ。
語用論云々とかいう奴に限って人とまともなやりとりもできなかったりするのにゃ。
こちらの立場は使用や文脈に依存しない自律的統語論ってことで一貫してるにゃ。
例えば上でかかり氏が類例を出していたと思うにゃが、目の前で犬が人間に噛み
ついている状況で The man is biting the dog. と言ったとしても「犬が人間に
噛みついている」という意味にはならないにゃ。使用の状況や世界知識・常識に
左右されない、いわば「融通の利かない」構造・意味の対応関係があるにゃ。
批判は言語学板のほうで書いてみてにゃ。
以下こっちに書いてもレスしないことにするからよろしくにゃ。
347(´∀`):01/11/21 17:36
>>345
残念ながら違うのにゃ。俺の書き方がまずかったにゃ?
>語彙の意味⊂統語論 という入れ子構造を想定し、むしろ外側が内側を決定する
は俺の個人的な見方で、チョム派でも多くの人は基本的に
>語彙の意味→統語論
の立場にゃ。あるいは「意味」の部分はとりあえず保留しておいて「語彙→統語」にゃ。
あとでもう一回レスしますにゃ。
348虚無好き:01/11/21 22:42
ガ━━(゚Д゚;)━━ン!す…すっかりバイオ言語学になってるのにゃ。
ま、いいにゃ。(てゆーか、チョムスキー理論ははじめからそうにゃ)
UGが直接<環境>に出力されることはまずないので、
というより、UGはあまりに言語のコアにありすぎるので、
外部に出力されるときはつねに周辺的なperipheral要因
(音韻とか語用論の条件とか)とからまっているため、ふつうの意味で
>表現型と環境とが相互作用
することはありえないにゃ。
実際、UGはヒトの脳に発生して以来、
まったく変化を蒙っていないと考えられてるにゃ。
あと無気力でレス番確認する気がおきないけど、
2歳児がなかなかしゃべらないと言ったひとへ。
個体の言語習得もあるいみ断続平衡的で、
長い一語文のみの沈滞状態のあと、
驚異的に文法を獲得すると言われてるにゃ。たぶんにゃ。じゃにゃ。
349逃走派:01/11/22 01:21
顔文字先生お帰り〜
>>330 ギャハハ、生成ビリーバと衝動派は時間的相補分布をなしていたのじゃ。言語学者なら、
似た性質を持っていて分布が相補的なら、同一実体として音素確定するのじゃ(笑)。

>>331 うお!そのリンクの3で俺は逃走派から衝動派にハンドルを変えたのだった。
書き込みに内容がなくてこっぱずかしいなあ。相手してくれた臨床系(?)の逃走派さんやゲンさん、
どちらもそこはかとなくいい人だったにゃあ(遠い目の古代人)。盛り上がらなかったのは
俺がふにゃふにゃだったからだなあ〜。最後は酔っ払いになってるし(泣)。

とはいえ、よそ様の板に来て回顧に浸っていてもしょうもない。だから本スレの厨房度を5点ほど
増すような妄想を書いて逃げます(笑)。お花畑が目の前に広がっている〜〜(笑)。もちろんsage

***

昔々、ジャングルが枯れたような時期があって、しょうがなく我々の祖先たちは森からサバンナに
進出したのだった。そこでは木登り用にできてた肉体は実に不便。だが純粋四足歩行の体には
なっていないし。しかたなく、直立歩行方向に進んじゃった。で、そのために骨格が変わっ
ちゃって、あごが引っ込んで変な声が出せるようになったし、同時に頭蓋骨のバランスも変わって、
ちょっと運動系と聴覚知覚系の間に隙間ができちゃって、妙な脳組織ができる隙間ができちゃった。
前頭葉とも近いとこ?その新たにできた部分は、ともかく隣接組織をなんとか無理やり接続する
働きしかない。一方は聴覚知覚や運動系の音情報だし、もう一方が前頭葉にくっついている。
どうしましょ?ともかくつなげやすいように単位に区切って、その単位を操作して隣接領域を
つなげましょうかって方向に進んじゃって、同じ音を繰り返しつかって様々な表現を作れるような
システムになってきて、でもって、システムっていうのはいったんできたらとことん活用しようと
進むのが世の常で、そいつをぎりぎりまで使ったら言語になっちゃった。なーんてね。

でもこう考えると、間に挟まった脳領域ってのは、周りのシステムとの連絡をつけなきゃいけないよ!と
いう条件と、うまくその連絡が行き届くように計算するとして、その計算はともかくいちばん
簡単なので行こうよ!って条件の二つの条件に支配された領域のような気がしたりするのでした(笑)。
350(´∀`):01/11/22 02:01
>>343
言語における「中間種」の不在は連続性のパラドクスとして知られてるにゃ。
人間言語もそれに先行するもの(何であれ)から進化したにゃが、それにしては他の動物言語
とあまりにも違いがありすぎる、と見られてるにゃ。チョムのいう人間言語の完璧性・最適性
とやらも、このコンテクストで見ることもできるにゃ。断続平衡説はこのような観察とよく
馴染むにゃ。おそらくすでに独立して存在していたであろう概念・意味能力と調音・知覚能力
を繋ぐものとして(目的論ではないにゃ)、シンタクスが突然変異的に発生したのだろう、
と考えられるにゃ。「な〜んてね」なんて書いてるが、>>349の逃走派氏の「妄想」がほぼ
生成的言語進化のシナリオなのにゃ。さすが元「生成ビリーバー」なのにゃ(すりすり
言語は進化の隙間に偶然できたスパンドレルなのにゃ ( ゚Д゚)ハァ?
>平衡状態のまま数百万年が経過した今から見ると反機能的な面がある
虚無好きセンセも書いてるにゃが、UG自体はいったん成立して以来ずっと変化しておらず、
時間の経過とともに反機能的になったというより最初からそういう面をもっていたという
ことだと思うにゃ。UGが原理Xを持つのはそれが生存に有利だからではなく、致命的に不利
ではなかっただけ、ということだろうにゃ。原理Xを持つUG変異体Aと持たないBがあり、
Aが有利だから現在はAだけ残っている、のではなく最初からAしか生じなかったのにゃ。
たぶんにゃ。だから原理Xは自然選択が作用する前の段階、そもそも起こり得る突然変異と
起こり得ない突然変異を決めている「何か」によって説明されるべきもので、自然選択
「だけ」ではダメダメということになるんだと思うにゃ。
>表現型と環境とが相互作用した結果、選ばれた表現型が遺伝子を決定する
ボールドウィン効果にゃ?

虚無好きセンセ、バイオ言語学ってどこで見たのにゃ? バイオ言語学自体はチョムの専売
特許ではにゃいのだから、生成以外の文献でも使われていておかしくないにゃ。目撃談(?)
お願いするにゃ。
しかし虚無好きセンセはいろいろ知ってる人だにゃー。一度会ってみたいものなのにゃ(はぁと
生成派同士の身内ぼめは程々にね。特に他板に来てまでやってるのだから猶更。
cf.http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/993210116/95-96
「隊長! 言語学板の厨房351号が迷い込んで来ました!」
「撃ってヨシ!」
虚無さんは生成(チョム)派ではないよ。今もそうでない、はず。(w
「はず」、ね。
でも結局、虚無好きさんは生成文法の批判してないぢゃん。
「疑え〜」しか言ってないみたいな(笑)。
いや、煽りではなく、批判派ならば本当にちゃんとした批判を聞きたいんですよ。
示唆する程度でなく真正面からの奴をね。
人に頼らず自分で「ちゃんと」批判してみれば? >354
生成派の思想を批判するのは大変だよ。いろんな論敵を退けてなお
残っているわけだからね。どこまで生成派の主張を削れるかだね、問題は。
いづれにしてもあまりにrichな生得システムは受け入れがたいワケだ、
多くの人にとっては。
357(´∀`):01/11/22 16:26
つまらん流れになりかけたとこで356氏はいいこと言ったにゃ。
>あまりにrichな生得システムは受け入れがたい
生成がずっとやってきているUG理論の簡潔化は、とりもなおさずいかに僅かの生得的知識
さえあれば、経験との相関によって結果的にリッチな母語知識が発生し得るか、ということの
問いかけなのにゃ。principles and parametersと呼ばれる80年代以降のUGモデルはこの
目標に向けての最初の大きなステップだったのにゃ。
358273:01/11/22 20:48
>>329(顔文字先生)
こちらこそよろしく。
まず、「行動主義心理学」と「行動主義」を別個に考えないと。
「行動主義心理学」には色々ありましたが、今も残っているのはスキナー派の「行動分析学」ぐらい。
これは、スキナーが実験研究をやっていた頃に比べれば、応用研究や生物学的制約などの研究も進み、当然発展しています。
「行動主義」の方は心理学の哲学であって、心理学理論ではありません。
「行動主義」にも色々ありますが、スキナー派の立場は「徹底的行動主義」と言って、基本的には変わってないと思います。
なお、ブルームフィールド(でしたっけ?)の「行動主義的言語理論」?とかいうのはたまに目にしたことがありましたが、私は全く存じません。スキナーとは無関係?

>「・・・長い論争が二つのグループの間で行われてきた。
本当に「長い論争」なんてあったんですか?
スキナーの方は、論争している暇があるなら実験室で新しい発見をした方がいいという人で、しかも他のこと(特に、プログラム学習が巻き起こした騒動)でも忙しく、それどころではなかった。
その後、複数の弟子筋が何回か反論を書いていますが、これも論争になどなっていないみたい。
>今日、チョムスキー学派が論争に勝ったことが広く認められている。
そういうわけで、論争など大してないまま、チョムスキーの書評のみでそういう結果になったのかも。
実際には、あの書評だけが一人歩きして、書評対象の“Verbal Behabiour”は読まれず、あげくは書評自体も読まれなかったりする。

>二つの議論が決定的であった。
>第一は、子どもが話すことを学習するのに十分なほどの入力が与えられていな
>いという指摘である。
この点に関しては少々勇み足なのではないかと、私も上の方の他の人たちと同様にかなり懐疑的。

>第二の論点は、学ばなくてはならない文法の微妙さにある。
これは私にはわからないのでコメント不能。
359273:01/11/22 20:49
『行動分析学入門』(産業図書)には、『言語学の潮流』(勁草書房)という本の中の記述が紹介されていて、
行動主義心理学者はネズミや「キジ」を研究しているんだそうです。
「刺激の強化」とかおかしな記述もでています。
こういうのが普通なのです。
私の専攻分野(教育)でも事情は同じで、変な記述を紹介し始めたらキリがありません。というか、まともな理解はまず皆無です。
心理学の世界でもそれほど事情は変わらないのでは? >マルシンド先生。

“Verbal Behabiour”は行動分析家が読んでも極めて難解らしいので、基礎知識がない人には「何じゃこれは」となるのは当然ですが、実際にはほとんど誰も読んでない。
しかも、読む前に行動分析学にある程度習熟しておかないと、自称スキナリアンでも理解困難。
(記号論のモリスが好意的な書評を書いているそうですが、どの程度理解していたのかな? 好意的だというのは何となくわかるような気もするけど)。

この“Verbal Behabiour”が扱っているのは、「言語行動(言語ではなく)の機能」です。
つまり、「言語」を生み出す「(話し手の)言語行動」の働きについての理論的分析。
「生み出された言語の構造」とか、「生み出された言語に対する聞き手の行動」などは、基本的にはあまり扱っていない(「言語の獲得」そのものも)。
「言語」は「言語行動」の産物ですが、聞き手にとっては「言語刺激」として機能します。「交通標識」だけでなく、「のろし」も「押印」もスキナーに言わせれば「言語」(言語刺激)です。
要するに、
「言語行動が生み出した言語が、聞き手にとっての言語刺激となって聞き手にどう作用し、それが話し手にどう返ってきて、話し手の言語行動にどう影響を与えるか」
ということに主な関心があるわけです。
後期ウィトゲンシュタインの思想と親和性があるというのが何となく想像できるのではないかと。

以上、参考になりますかどうか。
とりあえず、生成文法理論の関心事とは全然ちがうでしょう?
360名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/23 01:05
うーん、チョムスキーのスキナー批判とはなんだったのか?あげ
361(´∀`):01/11/23 01:29
>>273
重ねての丁寧なレス、ありがとにゃ。
ブルームフィールドは生成が登場する前に幅をきかせていたアメリカ構造主義言語学の代表格で、
彼らの関心はまさに仰る
>「言語行動が生み出した言語が、聞き手にとっての言語刺激となって聞き手にどう
>作用し、それが話し手にどう返ってきて、話し手の言語行動にどう影響を与えるか」
といったあたりで、直接観察可能なものに対し S→R という「説明」を与えようとしていたのにゃ。
しかし、言語行動の基盤には言語能力・言語知識があってこれを支援していなければならず、
こちらをほったらかしにしてなんの行動か、知識自体はどっから来るのか、この問題に対しては
S→R ではロクな答えが出てこないではにゃいか、というのがチョムにとっての reasonable doubt
だったと想像するのにゃ。つまり「言語獲得の論理的問題」に対してはスキナーなりブルーム
フィールドなりは答えられないというわけにゃ。そしてお話を伺ってると、なるほどこの問題は
スキナーのagendaには最初からなかった、ということらしく、批判はこの「見落とし」に向けられて
いる、というように理解できると思うのにゃ。
>生成文法理論の関心事とは全然ちがうでしょう
安直にゃが、相補的といったほうがより建設的な話しができると思うのにゃ。
とりあえずチョムのV.B.書評から引用しとくにゃ。
It is not easy to accept the view that a child is capable of constructing an extremely
complex mechanism for generating a set of sentences, some of which he has heard, or that
an adult can instantaneously determine whether (and if so, how) a particular item is generated
by this mechanism, which has many of the properties of an abstract deductive theory. Yet this
appears to be a fair description of the performance of the speaker, listener, and learner. If this
is correct, we can predict that a direct attempt to account for the actural behavior of speaker,
listener, and learner, not based on a prior understanding of the structure of grammars, will
achieve very limited success.
362273:01/11/23 02:28
>>361(顔文字先生)
「相補的」ということについては、>>273であげたカタニアがそのようなことを書いています。
たしかその翻訳が、昔出ていた行動分析学会編の『ことばの獲得』(川島書店だったかな?)という本に載っていて、最後に、
“行動分析の用語を一切使わずに「構造」の問題を論じることが出来た事が、「構造と機能」の問題がいかに異なるかということを示している”、といったような内容でした。
同じくザリフという人の文法についての論文とともに印象に残っているのですが、参照したくてもその本が手元にないので困っています。
(引っ越し以来、こういうことばかり起きる。どこかの段ボール箱の中にあるはずなんだけど、とても探し出す気になれない)。

私がV.B.の書評を読んだのは学生時代ですので、細かい内容はもう覚えていませんが、ばり罵倒?を除けば、このスレで語られていたような内容が多かったように思われます。
それより、引用文がやたらと易しいのが意外でした。
当時は随分と読みにくい英文(スキナー程ではないにせよ)だと思ったのですが、どうやらこのスレのおかげで、ようやく本当のところが分かりかけてきたといったところでしょうか。感謝です。
とにかく、チョムスキーが言っている「文法」“UG”は非常に抽象的なものだということがよくわかりました。

スキナー派にとって「文法」というのは、おそらく、「(聞き手にとっての)言語刺激」の構造の中に見いだされる語順配列についての「ルール」(これは行動分析学の術語)なのでしょう。
ですから、この文法はそのようなものとして分析できるとされています。
しかし、これはあくまで「具体的で表面的な」文法なので、生成派にはあまり関心はなさそうですね。
スキナー派の関心事は「言語を生み出す言語行動の働きの分析」ということなので、生み出された言語が文法構造を持っていれば、それは当然、「文法構造を持った言語を生み出す言語行動の働き」ということになります。
この「言語行動」にも生得的な基盤はあるわけで、それを前提に現実の言語行動(言語運用でもよい)の機能的分析をしているわけですから、仮にUGが存在(私としてはいまいち??ではあるが)しても構わないのではないかと?
(プリティ長嶋口調で)んー、どうなんでしょう?
わかーんなーい。
363名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/23 02:56
>>361
同じことがチョムスキーにも言えるな。
言語が現実社会でどのように使われているか、言語行動がどのように機能しているのか、
この問題に対しては、UGによる抽象的説明では何の説明にもなっていないではないか。

安直でもなんでもなく、おそらく言語学内部の対立なんかよりもよっぽど相補的なんじゃないか?
364虚無好き:01/11/23 05:29
ガ━━(゚Д゚;)━━ン!わ…わたしが批判されてるのにゃ…。
わたしが批判勢力として認知されないのは、もちろんわたしの非力のせいでもあるけど、
ひっきょう、これはデータの(経験主義の)問題でなければならないと考えてるせいでもあるにゃ。
(わたしは、2ちゃん出現当時からデータ、データとわめいてる古典的な経験主義者でもあるにゃ)
しかしながら、わたしの批判のいちぶは、すでにスレに素描してあるのにゃ。
心理学板のワクを省みず、思いつくままに並べてみるにゃ。
(ただし、チョムスキー理論の批判は、10年20年のレベルで考えられるものであり、
わたしが思いつくような批判は、すでに検討済みだと考えるのが自然にゃ。)
【1】言語の可算性の問題
これは最近でてきた問題で、「言語の中間種の不在」として述べられたものにゃ。
ところがこれは自明なものではなく、社会言語学の常識に照らせば、
言語に「名前」があり、境界があるのは、もっぱら権力関係の反映であるというのにゃ。
これは極論で、わたしは地理的条件も、このばあい考慮にいれていいと思うけどにゃ。
共時的にみれば、世界中で言語の境界がないのでは?と思われる
グレーゾーンがいくつかあり、言語A、Bの間に互いにコミュニケーション可能な
非常に多くの「方言」の連鎖が認められるにゃ。いっぽう通時的にみれば、
英語のばあい、古英語は「名詞・、形容詞に性格あり、語順はほとんど自由」であり、
自然な推論により、やはり多くの中間的段階を推移して現代英語に至ったと思われるにゃ。
ところで上の事例は、「これは生成文法では説明できないだろう」といって
提出できる性質のものではないのにゃ。むしろ説明できるとすれば、やはり不可解にゃ。
「中間言語」では、類推や誤解による文法の偶発的変化があると思われ、
これは、もちろんUGが予測できるようなものではないにゃ。
しかしチョムスキー理論の論理的一般化は非常に強力であり、
歴史的・世俗的偶発性まで首尾よく説明するとなると、ぎゃくに
「生得性」ってなに?と思わざるを得ないのにゃ。
ことに、あらゆる文法的assumptionを駆使するとなればなおさらにゃ。
この問題は、反証可能性の問いとして、科学批判一般の問題につながっていくにゃ。
365虚無好き:01/11/23 05:30
【2】ブラックボックスの一般問題
これは生物板の繰り返しになるにゃ。
ある演算を行なうブラックボックスの演算プロセスをいかに知りうるか、という問題にゃ。
xとyを入力して、掛け算x*yを行なうデヴァイスがあったとするにゃ。
その掛け算プログラムとして次のような可能性があるにゃ。
1)yをカウンタとして、ゼロにxをy回足して、毎回、計算結果を出力する
2)すでに可能な計算結果は、九九の表のようにデータテーブルにあらかじめ置き、
(x,y)を座標とみなして答を検索し、出力する
3)新しい出題については、1)と同じく計算し、答は検索可能なように格納する。
同じ問題がでたときには、格納されたデータから出力する
ところでシステムは一般に一部が損傷する可能性があり、また
このようなシステムはエネルギーを消費するので、供給エネルギーを減らし、
意図的に誤作動させることも可能にゃ。そして、
もし一度目の掛け算は正答するのに、二度目以降かならず誤るばあい、
3)のプログラムで、メモリ機能が損壊したと推定されるにゃ。
また、x<5、y<8のとき、必ず誤答するとすれば、
2)のデータテーブルの一部が損傷していると考えられるにゃ。
このように、システムの演算プロセスの推測については、
システムじたいが不完全なときのほうが、より興味深い振る舞いを観測できるのにゃ。
言語のばあいは、ずばり言語習得中の幼児、および失語症の患者の発話だにゃ。
この興味によってこのスレをたてたといってもいいくらいにゃ。
これによって、「言語刺激の貧困」の議論のみならず、
幼児の文法獲得のメカニズムの実像まで、決定的な議論ができるのにゃ。
ようするに、チョムスキー論者の提出する「ミニマルペア」
「これどう思う?」はよくて、「どうこれ思う?」は悪い、という実験は、
わたしは興味深くはあっても、決定的ではないと思ってるのにゃ。
この問題は、梶田優先生による、チョムスキー理論は「完成」された文法からしかみない、
といった批判と、少しだけ通じるところがあるにゃ。控えめに言っとくにゃ。
366虚無好き:01/11/23 05:31
3】証拠能力の問題<その1>
いままで音韻の知識の、心的性格、あるいは心的構造について再三述べたけど、
こちらの実力不足で、納得してもらうにはいたらなかったにゃ。
音韻の知識(構造)は、単純な模倣からは得られないものにゃ。
「息」の「き」を無音化して発音するひとは、(関西人は除かれるにゃ)
「ピンク」を、音声学的にはイギリス人とだいたい同じように発音するにゃ。
いっぽうニュージーランド英語では、「パンク」に聞こえるにゃ。
ところが、ものすご――――――――――――くゆっくり発音させてみると、
日本人はたいがい「ピ・ン・ク」と、
声門閉鎖(「あっ」と言ったときの「っ」)と、鼻母音をともなった
まったくナチュラルスピードのときとは異なる発音をしてしまうのにゃ。
また、「ピンク色」と発音すると、消えていた「u」がまた現れるたりするのにゃ。
これらの音韻計算は、話者の意識にはふつうのぼらないものだし、
(日本語話者は言語学の知識がなければ、ピンクはピンクだと思っているのにゃ)
興味深いばあいには、規則的に発音しわけているのに、弁別はできないのにゃ。
「イ」段の子音の口蓋化や、「じ」と「ぢ」の区別がそうにゃ。
この事実は、音韻の知識が無意識の心的構造をなしているという証拠だにゃ。
(ほんとうは構造主義のハナシをしなくてはならないけど、今はムリにゃ。)
なぜここにこだわるかというと、生成文法家があまりにも
文法知識が自然な学習ではとうてい不可能なプロセスで行われることを強調するのに対し、
わたしは、言語の獲得はいっぱんに「そういうもの」であるかもしれないという例を示し、
強力な生得性のための根拠を、少しでもいいから相対化しようとしているのにゃ。
さらにさらに語彙意味の獲得については、それが容易なのか困難なのかの指標さえなく、
文法知識だけがとびぬけて生得性の援用を必要とするのか?という問いになるのにゃ。
そして、この問題は、critical period における学習問題にかかわるのにゃ。
だからこそ、生成文法家の指摘する「刺激の欠如」を上回る(あるいは下回る)
「ニセの言語刺激」にもかかわらず、音韻や誤用論的誤りは正されることも言ったのにゃ。
わたしは、infant's intuition は、ありえると思っているのにゃ。
【4】証拠能力の問題<その2>
チョムスキー派とUGを仮定しない非チョムスキー派の対立は、
理論装置の違いもさることながら、「普遍」のとらえ方のちがいにもよるにゃ。
これは、神学上の普遍論争とはかなり異なった、科学哲学の問題領域になると思うにゃ。
われわれは対数らせんや「へぼなっち」数列によって、生体構造の数学的記述について、
あるていど成功してるし、これには学問的意義があることにもまちがいないにゃ。
個別文法に普遍性を見出し、その数理的記述に成功すれば、同じように
意義のあることもまちがいないのにゃ。
ニュートン力学では「質点」を導入することで、絶対空間における物体の振る舞いを
数学的に記述し、予測することに成功したが、
「質点」が実在したら、ブラックホール以上の特異点となり、物理宇宙は崩壊しちゃうにゃ。
このようにassumptionには、プラグマティックな側面があることも確かにゃ。
極論を言えば、物理学はもっぱら純粋なassumptionじたいを対象にしてきたともいえるにゃ。
ところでUG仮説は、さらに「強い」仮説であることは疑いようがないにゃ。
それは、各言語の普遍性の数理的記述にすぎないものではないのにゃ。
不適切な比喩であることを承知でいえば、
あたかも植物に「へぼなっち」数列を計算する構造が実在する、というようなものなのにゃ。
わたしに言わせれば、現在チョムスキー論者が行なっている操作は、
実際に脳内に文法知識をコーディングした部位が発見され、そのあと、
それが各文法にどのように反映されているか、検証する作業と、「機能的に等価」なのにゃ。
UG仮説を証明するためには、それなりの「強い」証明が必要なのではないかにゃ。
はじめにUGありき、ではダメなのにゃ。
367虚無好き:01/11/23 05:32
【5】統語論と意味論の問題
疲れてきたので、簡単にいくにゃ。
ギリシア語では、窓を閉じた後、その窓が現在も閉まっているかどうかわからないとき、
「閉じた」という動詞の、特定のバリエーションを使わなければならないにゃ。
ロシア語では、動詞は、同じ動詞でニュアンスのちがう一対のペアになってるにゃ。
完了と不完了にゃ。(だいたいにゃ)不幸なことに、統語にも影響を与えるにゃ。
日本語では、何かをした(何かが起こった)あと、ちょっと後悔しているときや、
失望しているとき、動詞のあとに「ちゃった」なんかを加えるにゃ。「ネコふんじゃった」
生成文法でも、θ−役割でこういうのをいちぶ扱うけどにゃ。
わたしは意味論の普遍的定式的な処理は、いずれ理論装置の爆発的増殖をうむと思うけどにゃ。
統語論と、意味論の正確な区分はあるのかにゃ?
いま、主流派では、語を分解して統語を説明する方向に進んでるにゃ。
ことばをかえれば、一語文でも、統語解析できるということにゃ。
日本語では、noと訳すことのできる語が3つあるにゃ。
「いいえ」と「だめ」と「いや」にゃ。
母「だめ!」
子「いや〜」で、会話が成立するにゃ。これはふつうに考えれば語用論的問題にゃ。
ところが、「いやがる」は不幸なことに、統語的素性を持ってるのにゃ。
「わたしはいやがっています」は、非標準用法とされているのにゃ。
「わたしはいやです」は、OKにゃ。
すると、「いや〜」も、不可視の主語をつけて、統語解析されうるということにゃ。
やっぱり、この事態は鬱にゃ。おわりにゃ。
あんまりつっこまんといてにゃ。
368虚無好き:01/11/23 05:42
メロン顔のセンセへ。
BOBセンセとの、バトルのLIVEならみたいにゃ。

疲れたにゃ…
369354:01/11/23 06:09
>>364-367
お疲れさま。
私は門外漢で自分で論じることができませんが、
生成派の声ばかりしか聞こえてこないので、批判側のまともな意見も聞いて
双方を検討したく思ってました。
虚無好きさんの疑問に生成派の人がちゃんと応答するか、楽しみです。
(できれば言語学板でも最初からこれ位説明してくれればよかったのに……。)
370209:01/11/23 06:23
ふむふむ。じっと読ませていただいていたのですが、ほぼ予想通りと
言うべきかな。

虚無好き先生にお伺いしたいのですが、「言語の中間種の不在」という
のは本来、ヒトと動物での言語能力の格差を指しているのではないのですか?

やはり>>220->>222で述べたように、生成文法家が決定的な証拠、すなわち
脳内におけるUGの神経学的(客観的)な存在証明と数学理論を求めているのは
間違いないようですね。
素朴な感想としてはsentenceという単位がなぜこんなに重要な
単位なのか、ということ。統語と言うのはsentenceという単位
における現象なわけだけど。
母「だめ!」
子「いや〜」
この例はディスコースレベルのデータとしてはself-containedな
ものなんだけど、何ものなのかを分析する際には何を意図して
いる発言なのかを知る必要がる。>idea。このideaを表す単位が
sentenceであるという古くからのassumptionがある(間違って
いるとは言っていない)。よって分析する際にsentneceという
単位を無視することができない=統語を無視できない。
「統語解析されうる」ではなくて(極度に)広い意味での
統語解析=文解析をしないとideaはひろえないわけではないかな。
どんな断片的な発話も主述として理解可能なものである限りに
おいて意味をなすわけで、ということは常にsentenceに
原理的には復元可能であり、ある意味常に復元されている。
意味を取るために。


>「わたしはいやがっています」は、非標準用法
>「わたしはいやです」は、OKにゃ。
これはmainorなことだけど、非標準用法と言うよりも、
いや「がる」、は意味的に1人称には使えないわけです。
epistemology的意味において。
372かかり助詞:01/11/23 11:19
虚無好きさん、論文に出来るくらい書いたね。それにしても、
虚無好きさんは何を専門にしているんだろう?言語哲学???

まあ、私目でよろしければ少しづつ解答を。まず第一点(>>364)から。
幼児は外界からの言語刺激を元に「文法」を頭のなかで構築するわけ
ですが、「言語刺激」すなわち経験は各人によって異なるため、結果
「文法」も各人少しづつ違ったモノになります。例えば、顔文字さん
(関西人)と私(東京モン)では判断が合わないことがあるのは、言語板を
見れば解ることです。これが方言差の根本であり、歴史的な言語変化の
元であると考えられます。具体的な例を挙げるなら、多くのロマンス語が
pro drop言語です。動詞に豊かな屈折辞があるため、主語が省略出来る
わけです(いわゆるpro drop parameter。ただしドイツ語なんかは豊かな
屈折があるけどpro drop言語でないので、「豊かな屈折」はpro dropの
必要条件だけど十分条件ではないようです )。ところが、フランス人あたりは、
単語の最後の方を発音しなくなってしまった。この結果、古フランス語は
pro dropだったのに、今では主語をきちんと言わないと主語がだれだか
解らなくなってしまった。ロマンス語はかなり互いに近い言語で、ある意味
全部がラテン語の方言(の末裔)みたいなモンですが、こういうパラメターに
関与する言語変化が他の変化を引き起こし、方言が生まれ、しまいには
別言語になっちゃうのだと思われます。ちなみに、ロマンス語の多くが
「単語の後ろから二つ目の音節にストレス」なのに、フランス語は「単語の
最後の音節にストレス」です。この違いもモトモトはフランス語が単語の
末尾を発音しなくなったことに関係していると思われます。まあ、
勿論、現段階では各個人の「文法」を過不足なく説明しうるパラメター全て
なんて解っておりません。
こんなので解答になってますか?後の論点に関しては、後々答えていけたら
いいな。その前に誰か他の方が答えてくれるともっといいニャ。
373かかり助詞:01/11/23 11:25
371 これはm(a)inorなことだけど、非標準用法と言うよりも、
いや「がる」、は意味的に1人称には使えないわけです。

「僕は嫌がったのに、お医者さんは手術するって聞かないんだ」
って良いから、コンテキストによるのでは?
>>373
 失礼。1人称に使えないと言うのはmisleadingでした。
epistemologicalな意味で、心理のreflexがobservableな
contextでしか使えない、ということで、結果的に、
典型的には非1人称で使われる、ということでした。
373の例でもreflexがない状況では
「(内心)嫌だったんだけど、」となるでしょうね。
(*?(内心)嫌がったんだけど、)
>>374
どうでもいいことですけど、恰好つけて英単語を乱用すると嫌われるよ。それに
スペルも間違ってばっかりだし。misleadingもmisreadingの誤りと違いますか?
376名無しさん:01/11/23 17:08
誤った方向に導くmisleadingでそ。
375がmisreadしてるわけね、(,,゚Д゚)カコワルーイ
378(´∀`):01/11/23 20:05
虚無好きセンセ、頑張りすぎにゃ(w
下の指摘の通り、「中間種」というのは人間言語と動物言語の間のことにゃ。
かかり氏のレスとも重複するにゃが、歴史的・通時的変化や方言差を含めた共時的多様性の
説明としては当然、生成は「パラメタ値の変動」を出してくるにゃ。もちろん文法の中核部に
関してだけにゃが。
付け加えると、個人の発達上の変化(同じ人間でも3才時と10才時で文法が違う、とか)
も同様にゃ。つまり、通時的・共時的・個体発達的にUGは常に一定であり、どのレベルに
おける変化もパラメタの可能な変域内での微弱な推移に過ぎないのにゃ。3才の日本語
話者は例えば現代日本語ではなく古代ゲルマン語のパラメタ値を暫定的に設定している、
ということだってあり得るのにゃ ( ゚Д゚)ハァ?
だからある意味、「英語」「フランス語」といった個別言語の区別を固定的に見るのではなく、
唯一の人間言語が常にいろいろな暫定的安定状態(準最適化状態)の間をウロウロしていると
いう見方を採ることになると思うのにゃ。極端に言えば「日本語」なるものはどこにもないのにゃ。
ちょうどダーウィンが「種の起源」で、固定された「種」などというものはない、と述べた
(という理解でいいにゃ?)のと同じ意味でにゃ。
>言語のばあいは、ずばり言語習得中の幼児、および失語症の患者の発話だにゃ
幼児文法についてはこのスレで紹介したような実験データ(あまり心理学者諸賢には
受けにゃかったようにゃが)によって、経験超越的な言語知識の存在が強く示唆されるにゃ。
再度の引用にゃが、英語習得中の幼児はときどき
What do you think what he saw?
のようにwh表現を再出させることがあるにゃ。周りの大人はだれもそんなことは言わないのに、
にゃ。子どもはwh移動がone stepではなく連続循環的に適用すること、そして埋め込み文の
先頭位置に残った中間痕跡に音形を与えることも許されること、を教えられもせずに理解して
いると思われるにゃ。そして実際これはドイツ語の方言などでは大人の文法に具現化している
オプションなのにゃ。
梶田センセのDTについては逃走派氏にまかせるにゃ (゚д゚)ウマー
失語症の症例は生得性より自律モジュール性に強く関わると思うにゃが、言語学板のほうで
引用した特異性言語障害とウィリアムズ症候群とのある種の相補性などがよい証拠になるにゃ。
続くのにゃ。たぶんにゃ。
379逃走派:01/11/24 00:15
梶田優氏とは上智大学の先生で、DTと言うのはDynamic Theoryの略。動的文法理論と
呼ばれている考え方を指しています。チョム生成の場合は、378の顔文字先生が言って
いる通り、習得段階のどの言語能力も1つの「言語」であり、データとUGのすりあわせ
によるパラメター値の固定による所産と捉えられています。が、動的文法理論では、
そのような文法観では言語の様々な領域に見られる「周辺的」現象を旨く取り扱え
ないとして批判、中核的現象から周辺的現象まで含めて一律に扱う目的で、発達の前の
段階の文法を漸進的に拡張して次の段階の文法へと発達させていくような言語習得モデルを
提唱しています。このモデルでは、UGの中には文法発達のためにどのような拡張様式が
可能で、どのような拡張はありえないかの指定が含まれています(一方のチョムスキー生成
ではそのような文法発達様式についての指定はUGには含まれない)。例えば、ある段階の
幼児の文法知識をGnとすると、(動的文法理論での)UGに指定された拡張様式に従って、Gnを、
幼児に与えられる言語データに基づいて拡張してG1+1を出します。それの連続によって
最終的に成人文法ができあがる。Gnの内容、Gn+1時点での幼児に与えられる(というか
幼児が取り込める)言語データの内容、それにUGに指定されている拡張方法によってG1+1
が変わるので、最終的に出てくる文法はきわめてグロテスクな形をすることになります
(例外とかが山ほど付帯条件的にくっついた規則集合とかの点でグロテスク、だが
それゆえに「周辺的」現象も取り込めている)。ではあるが、発達の段階、
段階を追っていくと、その各段階ではきわめて制限されたエレガントな拡張様式に従っている。
とだいたいそんな感じの理論です(うまく伝わるかどうか分かりませんが)。以前、
言語板の「生成文法批判」スレで紹介したことがありましたが、どこらだったか忘れた(笑)。

動的理論を生得性の関連で見るとどんなことが言えるか・・・あまり新しいことは言えないかも。
動的理論でUGに属しているとされている「拡張様式」が、(i)言語固有のものであるのか、
(ii)実は他の認知発達でも用いられるものと同じで、たまたま言語に適用しただけのもの
であるのか、の問題は真剣に取り組まれていないと思います。さらに拡張が始まる
一番最初の文法知識G1にどのようなものを含めるのか。(a)非常に簡単な知識
(例えば動物でも使っていると思われるような極めて単純な命題的知識のみ)なのか、
あるいは(b)チョムスキー生成理論的にいろいろな言語固有の諸制約を含めた知識なのか。
(ii-a)の組み合わせだったら、いわゆる「反チョムスキー派」に親和的。
(i-b)の組み合わせだったら、チョムスキーよりさらに強力な生得論者とみなされるだろうと
思います。
380逃走派:01/11/24 00:34
ちっ!省略されちまったぜ! でも省略された部分は「思います」だけです(笑)

>>366 の虚無好き先生の最後のところと、>>370 の209先生の書き込みにそこはかとなく
漂っていると僕が勝手に感じた印象に、ちょっと脱線ヨタ話的質問。

言語能力を研究対象にして、それに対して文法性の判断などの言語学的で使う「証拠」を元に
出てきた暫定的結論は、それだけでは全然説得力がないのでしょうか?そのような
結論が説得力をもつためには、言語学から離れた、言語習得のデータや言語処理の
データなどの「心理学的証拠」がなければならないのでしょうか?さらに、神経科学や
脳科学からの「生理学的証拠」が必要なのでしょうか?そりゃ、証拠はいろいろあったほうが
よいのは自明だし、証拠の強弱はいろいろあると思うけど、言語学的証拠では不十分で
心理学的証拠が必要だというのは、いったいどのような理由で???と思ったりします。

これはひょっとすると心理学では解決済みなのかも。心理学的データだけで形成された
心理学上の仮説はそれだけでは説得力がなく、生理学的証拠がないと相手にされないとか?
どうなんでしょ?
381(´∀`):01/11/24 00:40
つまりチョムの瞬時獲得モデルが断続平衡説、梶田センセの動的モデルが漸進進化説、
という興味深いアナロジーが成り立つと思うのにゃ。

関連スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/988295604/444-471
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1000027749/001-020
衝動派氏の大活躍をみんなで見るのにゃ
「虚無好き」に進化する前の虚無好きセンセにも会えるのにゃ
俺もまだ「にゃーにゃー」言ってないのにゃ(w
382虚無好き:01/11/24 07:18
とりあえず、長文読んでくれたひとありがとにゃ。
言語板関係のかたとの議論も、ここですすめるべきなのかにゃ?
ちょっと考えるにゃ。

わたしの誕生日は9月12日だったのにゃ。むにゃ。
383(´∀`):01/11/24 07:46
また数日留守するにゃ、すまんにゃ。
鬼の居ぬ間に心理学側からの反論を書き連ねてみよう〜
385316:01/11/24 08:14
>>381
>つまりチョムの瞬時獲得モデルが断続平衡説、梶田センセの動的モデルが漸進進化説、

それこそ個体発生と系統発生の混同では?(cf.>>310-)
>>379の説明を読む限り、梶田理論は個体発生での過程を問題とするものであって
進化みたいな系統発生レヴェルには関らない様子だが?
チョムスキーの問題にしてるのは系統発生したUGなんでしょ?
386(´∀`):01/11/24 08:34
最後ッ屁
>>385
「アナロジー」って言ってるにゃ。
表示モデル対派生モデルのアナロジーも既出なのにゃ。じゃにゃ。
387316:01/11/24 08:38
>>386
そんなレベルを混同したアナロジーが果して有効なのかなあ……。
「表示モデル対派生モデル」の話ってこのスレッドでは見つからないし。
388名乗るほどのものでわ:01/11/24 12:42
>>380
人文科学の範疇での方法論としては『それに対して文法性の判断などの
言語学的で使う「証拠」を元に出てきた暫定的結論』でいっこうに構わないと
思うが、自然科学の方法論でもって「言語能力は生得的か」という問いに対して
その言語学で使う「証拠」を元に判断しろと言われれば、それじゃ不十分でしょ
と言わざるを得ない。

いったいどのような理由でと聞かれるのであれば、そりゃ方法論が違うとしか
言いようがない。様々な言語学者がこれまでに提出してきた理論・モデルが、
心理屋にとっても、非常に有用であったことは確かだが、それはあくまでも、
心理学の範疇で言語を考える上で、実験仮説を導くバックボーンであったり、
個々の研究者の哲学的な意味での理論的背景であったりということであって、
はじめに言語学者が提出してきた理論ありきで、それを自明のものとして
仕事をする心理屋はおらんと思う。

文法性の判断云々にしても、言語屋さんが導き出す判断は、非常に恣意的で
あるとの印象が拭えない。「×××じゃないと理屈に合わんから△△△である」
という結論の導き方は、少なくとも心理学では通用しないと思う。

文法性の判断をさせるにしても、ちゃんと実験をして、その判断が研究者の
恣意的なものではなくて一般化し得るものであるという証拠を提出して
くれなければ、心理屋としては一歩引いて様子を見るしか手がないと思うのだが?

さらに付け加えると、生理学的なデータは実はそれ自身では何の意味もないのだ。
とある心理学的な機能に対応する活動が生理学的にはここだよということが
わかった時に、はじめてヒトの理解に有用な生理学的データになるのであって、
脳の活動だけを見るのであれば、技術さえ進歩すればなんぼでも細かいところまで
見ることは可能でしょ。

というわけで、多少は心理屋がこのスレを興味深く眺めはするけれども
議論の中味に入ってこない理由の一端が多少はおわかりいただけたでしょうか。

でわでわ
言語学の理論を実験仮説を導くバックボーンにしたり、個々の研究者が哲学的な
意味での理論的背景にするということは、言語学の理論を自明のものとしていると
いう意味ではないのですか?(大藁)
390名乗るほどのものでわ:01/11/24 16:38
>>389
君、研究職じゃないでしょ(笑)
ぜんぜん自明なものとはしてないんだな。これが。

笑われたのでくやしいから、詳しい説明はしないが(笑)
391209:01/11/24 17:14
>>390
んー、いや、それは実験研究者、またはアカデミックなポストに就いて
いる者の傲慢というか、ね。現実は実験研究者は実験で忙しかったり、
大学の教員は講義のために自分の研究時間が割かれたりしているわけ
でしょう。
それに、研究にはいろんな方法がありますよ。自分の仕事とは関係はない
けれども興味のある分野の学会員になったり、論文を漁ったりもできる
わけじゃないですか。
>>391=209
389に390で答えた内容と>>391に、いったいどんな関係があるんだか、
おいらのは読み取れなかったのだ。何か読み違えてないχ?

なにか伏線があるのかと思って、全部読むにして「209」で検索まで
かけちまったよ(笑)

っつーわけで、本筋とは関係ないのでsage
393探検隊:01/11/24 20:27
虚無好き先生の小論文>>364-367はオレにはちと難しい(部分的に分からなくもないが)。
かくしてオレの理解は>>305までで止まったままにゃ。(藁

>>380
おそらくこのスレをよんでいる心理屋の全員が同感すると思うが、
耳学問で生成理論のスローガンのいくつかを聞いていた程度のオレとしては、
このスレのおかげで「ナルホドそういうことだったのか」と非常に勉強になった。面白かったし。
しかーーーし、やはり>>388氏の言うとおりなんだよな。

(1):
まず、チョムスキーの言葉?をそのまま受け継いで、「一方的な」レッテル貼りで「経験主義・行動主義」批判をするのは、
>>229前後で述べたように、まるで「倫理的」ではないのだ。
こんなことは顔文字先生も他の人も止めたほうがいいんじゃないのか?
白紙説Aは存在しないし、白紙説BはそもそもUGを仮定しないすべての立場なのだ。
だから顔文字先生らの説明を元にすると、生成派の立場というのはUGを仮定する自派とシンパ以外は
一切認めてはいけないはずなのよ。「相補的」も何もないじゃないか。違う?
早い話が「始めに神(=UG)ありき」説に聞こえるわけ。虚無好き先生もそうなんだろ?
>>259でも書いたが、
>神を想定しなければ今の科学ではこれらの現象は説明できない。ゆえに神は存在する。
そう聞こえるわけよ。
神学?
(あは、ついに言ってしまった。でも、他のみんなも絶対にそう思っていたに違いない。だろ?だろ?)。
394192:01/11/24 20:31
あは、名前欄を変えておくのを忘れちまった。

(2):
その「神ありき」説の「強力な」根拠であるという「刺激の貧困」説による批判などは、
オレには微笑ましいほど安直に思えてしまうんだよな。
言語刺激だけが重要ではないし、般化その他の基礎過程についてもちゃんとした理解を元に言っているとは思えない。
ただ、それにも関わらず、「刺激の貧困」説はひょっとするとある程度は妥当性があるかもしれない。
しかし、あの程度の素朴な理由付けで「だから○○以外には考えられない」と言い切る姿勢が全く理解できないわけよ。
生成理論批判ではないと言っておきながら批判みたいになってしまったが、
理論よりもその姿勢に対して疑問があるということだ。

要するに、経験主義・行動主義は「生得性」についての考慮がまるでなく(そんなことはないが、一理あるか)、
一方で生成派は、「学習」(「成熟」を含めて)の役割を、
「それを認めるのは当然として」という言い方にもかかわらず、過小評価しすぎており、
しばしば(「ノイズ」として?)全く考慮していない(例文判定を見ると、どうやらそうらしい)。
395192:01/11/24 20:36
(3):
つまり抽象的レベルで「学習」の問題を消去して「統語」を論じることができる(どうやら出来そうだな。これには感心だが)、
ということと、
具体的レベルで現実の「言語獲得」に「学習」の役割が“僅少”?だ
ということとはイコールではないだろう。
しかし、言葉の魔術?でそういうことになってしまっているような感じがしてならない。

象徴的なのが、「ほんのわずかな“触発刺激”だけで」という過激?な表現だな。
いくら何でも「ご冗談でしょう、チョムスキーさん」だよ。(苦笑)
>>359氏によると、スキナーのV.B.というのは「言語獲得」の書とは言えないそうだが、
それにもかかわらず、そして行動主義者じゃなくても、いやいや、心理屋でなくたって、
生成派の「ほんのわずかな“触発刺激”だけで」なんつーのは、「オイオイ」じゃねえのか?
それとも、オレが何か誤解しているのかな?
そうだとしても、誤解させるような「一方的な」書き方をする生成派にも問題がある。

>言語学的証拠では不十分で心理学的証拠が必要だというのは、
>いったいどのような理由で???と思ったりします。
だからそうじゃなくて、心理学的証拠を気にせずに「言語獲得」まで論じるのはなぜ?って思ってるわけよ。
とにかく「一方的」に見えるんだよな。

*将来「過去ログ倉庫」スレにそう書いてもいいのか?(笑
あれこそ「一方的」サマライズなんだが・・・
↑いい事言ってるのに文体が荒いなあ。下手すると荒れますよ。
言語屋さん、応酬お願いします・・・
397虚無好き:01/11/25 00:59
>早い話が「始めに神(=UG)ありき」説に聞こえるわけ。虚無好き先生もそうなんだろ?
むにゃむにゃ。
聞こえるもなにも、70番台で、顔が肉まんの先生がそう言ってるにゃ。
>推論や模倣ないし一般学習能力が生得的か否かとは関係なく、それだけでは説明不可能な文法知識が
>ある、というのが最初の問題にゃ。

しばらくあとに、また書くにゃ。
あんまりこのスレを過去形で語らないでにゃ。
398名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 01:11
心理学と言語学では実証の基準や科学的姿勢の定義が違うのだろうか、
と勘繰ってみたりする。
399かかり助詞:01/11/25 02:34
398 かもしれませんね。どこからどう反論していいのだか。まず、
スキナー的な考え方で言語をどのように習得できるか、というのが
あんまり論じられていないようだけど、これについてはみなさん
どう思っているの?UG説にとって、最も手痛い批判は、「UGって
信じられないよな」というのではなくて、「言語知識というのは
経験から充分に習得しうる」ということだと思うけど。
私が知っているところでは、スキナーは「単語をつなぐ
習慣(例えばtheの後には名詞が来るとか)」を発達させるのが
言語習得だと考えた(こともある)ようだけど、これが
十分な言語知識のモデルだと思うのでしょうか?
400虚無好き:01/11/25 03:19
わたしの「批判」はそもそも多角的なので、いちどに書こうとすると
やはりわかりにくくなってしまうにゃ。
少なくとも、自分の展開した「批判」には、責任を持たなければならないにゃ。
【1】についてはこうにゃ。
「中間言語」については、クレオールが話題になっていたせいで、
misleadされてしまったのにゃ。ご指摘のとおりにゃ。
しかし、議論の有効性はそこなわれていないと思うのにゃ。

チョムスキー理論の想定する言語獲得のプロセスは、
手さぐりで、暗闇のなかを進んでいくというたぐいのものではないにゃ。
「正しい文法の知識」という、ゴールをめざしていることには変わりないが、
目の前に何本かの分かれ道が現れたとき、
なんと、ふつうの言語環境に置かれた幼児にとっては、
選択に関する指示が、わずかな言語刺激によって行われるのにゃ。
「こちらの道を行け」という看板が立っているようなもんにゃ。
これらすべての段取りが、LADとして生得的に用意されており、
そのゆえに、文法獲得はかくも簡単なのにゃ。
このことは、言語のバリエーションを、UGが、ヒト発生当時に、
すでに予測していたのでは?という自然な推測を呼び起こすのにゃ。

いっぽう、個別文法の多様性は、偶然もまじっている、というのが【1】で言ったことにゃ。
あえて、コギャル語の話をするにゃ。
コギャル語のサンプリングも、わたしのフィールドワークのひとつにゃ。
好きじゃないけどにゃ。
「チョー」は、「超音速」などの接頭辞である「超」が、副詞として使われたものにゃ。
副詞ということは、形容詞ばかりでなく、動詞も修飾できるということで、
実際「チョー探した」「チョー勉強した」は、確認されてるにゃ。
また、「これおいしい、チョー」という用法も確認されているので、
「チョー」はすでに、単語として認知されているということにゃ。
で、問題は、UGはコギャル語を予測していたか?ということにゃ。
おそらく「チョー」は「すごいおいしい」の「すごい」からの単純な類推にゃ。
しかし、これが正規の国文法にはなりえず、
そして幼児がinternalizeできないとは、ア・プリオリには断言できないのにゃ。
わたしは、それはありうると思うにゃ。
もしこれが標準的文法の一部であれば、
まず思いつくのは、英語のThat′s real good なんかとの共通性だにゃ。
そして、チョムスキー理論による解析が不可能ということになれば、
文法のいちぶは(チョムスキアンの見解とは決定的に異なり)一般的類推によるもの、
ということになり、
いっぽう、解析が可能ということになれば、
日本語としてはまれである「チョー」は、UGが用意した文法の選択のひとつである、
ということになるにゃ。
「中間言語」における偶発的文法とは、このような性質のものにゃ。
これは、UGまでもちだして説明するようなことかにゃ?
わたしは、これこれの統語現象はあっさり「例外です」といったほうが、
科学的態度だと思うけどにゃ。
ちょっと「仮定」が多すぎる、スマートじゃない議論になっちゃったけど、
わかりやすくなったかにゃ?
401名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 03:46
>>400は何とか理解できるけど、
theの後ろに名詞が来るのもUGのせいなのか?
>>399
>UG説にとって、最も手痛い批判は、「UGって
>信じられないよな」というのではなくて、「言語知識というのは
>経験から充分に習得しうる」ということだと思うけど。
だからさー、もしも「生得的な一般的認知能力」まで否定するならそうだけど、
スキナーにしろだれにしろ、まさかそこまで言ってるわけじゃないだろ?
誰かが言ってた「存在しない敵」ってやつだよ。
被害妄想じゃないのか?
変だよ。
403かかり助詞:01/11/25 05:58
虚無好きさんへのレスは後で書きます。多分。その前に
顔文字氏が帰ってきてくれることを期待してますが。

401 theのあとに必ず名詞が来るわけではないけど。形容詞や
副詞だって来れる。スキナーが言う「単語をつなぐ習慣」では
The man that he came to school is open tomorrow
のような単語1とその隣の単語1+1は「つなぎりうる」連鎖だけど、
全体としてなんだか訳の分からない文になってしまう。
これは一例だけど、具体的にどのようにすれば言語知識を
経験から学べるのか?というのがはっきりしないと決着が
ついたことにならない。
402いえいえ、私が言っているのは、その一般的認知能力で
どうやって言語が習得しうるのか、ということでして。
上でも書いたけど、なぜ言語知識は他の知識に影響を受けない、
自律的なモジュールになるのか?という疑問もあるし。
一般認知能力なら、問題解決のように他の知識にaffectされる
体系になるのが普通のハズ。すいませんが、荒れないように、
言葉遣いにはお互い気を付けましょう。
404名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 07:57
ここにスキナーのVerbal Behavior読んだ人が
一人でもいる可能性はゼロだよ。
405逃走派:01/11/25 11:41
>>388  ども。レスありがとう。亀レスですが・・・(しかも一部分だけへのレス)

> 文法性の判断をさせるにしても、ちゃんと実験をして、その判断が研究者の
> 恣意的なものではなくて一般化し得るものであるという証拠を提出して
> くれなければ、心理屋としては一歩引いて様子を見るしか手がないと思うのだが?

このあたりのところは確かにおっしゃる通りで、何とかしなきゃいけないだろうな
と気になっているところではあります。言語学には言語学でそれなりの事情があって
研究者の内省に依存するデータ採取がなされているわけですが、言語では、容易に
誰でも判断できてしまうとことが逆に実験技術が確立してこなかった理由かも知れません。

例えばゲシュタルト心理学でよくある、下の左では四角が見えるけど、右では
見えないなどの「かなり容易」な判断も(心理学では)一から被験者を集めて実験
しないとデータとして使えないとなっているのでしょうか?

.   .   John.  13.56

.   .   ......  !!!

言語学板「この中では、田中君が自分の妹が一番美人だ。」スレの28,33とかで僕なりの
印象を述べました。参考になるかどうか。
http://mentai.2ch.net/gengo/kako/966/966427337.html

さらに同「石器捏造事件は他山の石か?」スレの25番さんはおそらく顔文字先生。
http://mentai.2ch.net/gengo/kako/973/973488716.html
406虚無好き:01/11/25 11:49
かかり博士へ。
400の話は、いわば、そのまえの「論文」をかみくだいた
(てゆーか、ハゲしく飛躍した)たとえ話みたいなもので、
(とはいえ、「UGはコギャル語を予測していたか?」というフレーズは気に入ってるにゃ。アホにゃ。)
372と378で、博士のレスも、肉まん顔の先生のレスももう頂いてるにゃ。
それに対して、どう心理学の文脈で応えるのか迷ってるにゃ。
だから、400は気にしないでにゃ。

で、わたしも少々留守しなければならないのにゃ。
終了になっていないことを祈るにゃ。
407虚無好き:01/11/25 12:23
>唯一の人間言語が常にいろいろな暫定的安定状態(準最適化状態)の間をウロウロしていると
>いう見方を採ることになると思うのにゃ。
いちおう質問しとくにゃ。これは誰の見解なのかにゃ?
チョムスキーは、言語能力が非常に安定した状態でmind/brain内に存在すると
言っていたと思うにゃ。
「常にウロウロしている」というのは、言語について言われたことなのかにゃ。
文法規則の集合あるいは体系が、そのものとして、ある平衡状態をとるということかにゃ。
このような意味での(外在としての)言語実在論は、初耳だにゃ。たぶんわたしの誤読にゃ。
でも、やっぱりわからんにゃ…
408209:01/11/25 13:03
>>407
私は生物学者として、複雑系をも視野に入れる顔文字先生の見解を支持しています。
虚無好き先生の主張はとくに、生成文法における音韻論の扱いに関する言語学
内部の議論である、と理解しています。

その顔文字先生の
>唯一の人間言語が常にいろいろな暫定的安定状態(準最適化状態)の間をウロウロしていると
>いう見方を採ることになると思うのにゃ。
という言説は、ただ一つのUGが存在し、各人間言語はパラメタ値が変動したものに
過ぎない、という主張を言い換えたもの、と解釈していますが。
たぶん、顔文字先生にとっては「UGこそが唯一の人間言語」なのだと思います。
409名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 13:12
209=心理板の164=生物板の11。帰ってきちゃったんだよ。
410名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 14:02
>>398
前にも指摘されてたけど、
「言語学者の集合」⊃「生成文法家の集合」⊃「チョムスキー派の集合」
なので、誤解のないように。UG説を批判したい人は、「生成文法」じゃなくて
「チョムスキー理論」を批判してね。
411逃走派:01/11/25 17:07
(やっぱりずれた。AA板に逝って修行してこ〜い >>405

>>388 
> さらに付け加えると、生理学的なデータは実はそれ自身では何の意味もないのだ。
> とある心理学的な機能に対応する活動が生理学的にはここだよということが
> わかった時に、はじめてヒトの理解に有用な生理学的データになるのであって、
> 脳の活動だけを見るのであれば、技術さえ進歩すればなんぼでも細かいところまで
> 見ることは可能でしょ。

ちょっと>>380で書いたことと行き違いがあるかも。というか、この388さんの意見には
ほぼ同意。380で訊いたことは例えばこういうことです。

心理学的証拠に基づいて提出された2つの仮説AとBがあって、どちらも同程度に
妥当性がありそう(あるいはAの方が劣っている)と心理学者たちは了解している。
そのような場合に、仮説Aが正しいかもと示唆する脳生理学的証拠がでると
非心理学者たちにおける仮説Aの信憑性が一気に増してしまって、脳生理学的証拠が
いまだ出ていない仮説Bの方に対してはあまり信じてもらえない。仮説Bのことに
ついて言うと、ひどい場合には「たかが心理学での学説だろ」としか見てもらえない。
と、そういうことはないのだろうかという質問でした。でもそんなことはなさそう
ですね。うらやましい。

言語学的証拠に基づいて提出された言語能力に関する仮説があって(一応)その仮説に
妥当性がありそうだと言語学者たちが了解している場合(もち、現実には言語学内部で
色々異論があるけど、そこは置いておいて)、その仮説の心的実在性を主張するのは
身のほど知らずで、言語学的証拠では不十分であり、心理学的証拠が必要なの
でしょうか。
412逃走派:01/11/25 17:36
あっ。>>411で言った「言語学的証拠に基づいて提出された仮説」の中には
生得性もふくまれるけど、それはちょっと置いておいてね。411で訊いているのは
比較的異論が少ないと思われる、個別文法の規則・条件などについての話っす。
413逃走派:01/11/25 19:10
>>393 の192先生。ども。

> 白紙説Aは存在しないし、白紙説BはそもそもUGを仮定しないすべての立場なのだ。
> だから顔文字先生らの説明を元にすると、生成派の立場というのはUGを仮定する自派とシンパ以外
> は一切認めてはいけないはずなのよ。「相補的」も何もないじゃないか。違う?

え〜と、条件付だけど、その通りです。生成派(以下、チョムスキー的生成派で使います)でも
言語能力のすべてがUGの反映とは言っていない。句構造の派生や(英語でwh句などと節の頭に
持っていく)「移動」に関しての条件などは生成派でもUGの反映とされていて生得性を
主張します。したがって、それら特定の条件に関しては、相補的も何もありません。UGを
仮定しないあらゆる理論と対立します。ですが、例えば語彙概念や特殊構文などに関しては
生成派とは言えUGの反映とされていない部分があります(生成派内でも異論はあると思うけど)。
そういった部分についての研究に関しては、そもそも対立要因はないので「相補的」になる
のだと思います。

ですから対立している領域は、生成派が生得性を主張している(UGに属していると言う)条件
なり制約に関して、それが、言語固有の学習原理を用いずに習得できるかどうかということです。

(1)仮に生成派が生得性を主張する原則としてPという原則があるとします。
最初の問題はPが正しい原則かどうかです。Pを生成派が設定する動機付けとなった
言語学的証拠について、それがPを仮定しなければ説明できないかどうかを検証する
必要があると思います。Pでないとしたら、何が必要かも。

(2)次に、Pが仮に正しいとして、Pが条件付けや類推などの言語固有でない学習原理によって
習得可能かどうか(言語習得の均質性などの事実も踏まえて)を考えなければならないと思います。
これは僕のような言語畑に育った人間には難しい課題で「この件はひとまず置いてさしあたり
の問題を・・・」と考えることが多いと思います。

(3)さらにPが習得可能だとして、そのPの知識が本当に学習されたものか、学習可能だが
生得的に備わっていたものなのかを検討しなければならないと思います。

生成派のジレンマとしては、原則Pを生得的と主張すると「ほんとかよ〜、短絡的〜」と
反応が来るけど、じゃあPは間違っているのか?正しいとしてどうやって習得するんだ?
と訊くと、原則Pとは離れた、一般的学習の話ししか返ってこなくて「やっぱ俺たち
相手にされていないのかなあ〜?」と落ち込むか、「スキナーのVBを読め〜」とか言われて
「だってそんな〜、ちょっとストーリーだけでもきちんと教えてくれても〜」と
引っ込んでしまうのがオチなのでした。
414名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 01:46
>UG説にとって、最も手痛い批判は、「UGって信じられないよな」というの
>ではなくて、「言語知識というのは経験から充分に習得しうる」ということ

「言語知識」なんていうと問題をまた曖昧にしてしまうわけで、こういう
言い回しがチョム生成文法の本質にいろんな誤解を生んできた一因と思う。
(もちろん、チョム文法が正しいかどうかは別問題)

>対立している領域は、生成派が生得性を主張している(UGに属している
>と言う)条件なり制約に関して、それが、言語固有の学習原理を用いずに
>習得できるかどうかということです。

 413の言う↑とそれ以下がポイントですね。なんとかここから離れずに
論じてもらいたい。(と、この手の議論では、いつも思う。)あげ
415国語:01/11/26 01:49
>413 の(1)〜(3)は大事な分類ですね。現実問題として言語の人が →(3)
までフォローしようとする時につめの甘さが出ないのか、逆に心理とか認知とかの人が
(1)← をフォローしようとすると甘さが出ないのか、というあたりが整理できると
ほんとにいいと思うのだけど。
今、「ある言語天才の頭脳」(The Mind Of a Savant,Blackwell(1995)の邦訳)を
読んでいる途中です。このスレがらみの感想などお持ちでしたらお聞かせ下さい。
416名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 01:54
万人とは言わないまでも、チョムスキー派生成文法家の9割が「この
条件なり制約はUGの一部だ」と納得しているような条件なり制約なり
が、一つでもあるだろうか。ないような気がする。色んな人が色んな
ことを言っているだけのように見える。これが、UGに関する議論を
困難にする最大の要因の一つだ。
417名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 03:21
ある現象に対して、同じくらい妥当で有効な説明が2つあった場合、
使用している概念や媒介変数がより少ないほうを優れた説明として
採用するという、科学における「節約の原理」を徹底する場合、
UGのような抽象概念についてはどうしても慎重にならざるを得ない。
経験主義者がUGを否定しないまでも、その存在を前提としない理由の
ひとつはそこにある。仮説検証を嫌う徹底的行動主義ならなおのこと。
418かかり助詞:01/11/26 06:50
414 「言語知識」ってそんなにくせ者用語かな。>>403であげた
The man that he came to school is open tomorrow.
というのは英語っぽいけど、わけ解らない文。だけど、例えば
Colorless green ideas sleep furiously.
というチョム先生の有名な例文は、意味は解らないけど統語的には
well-formedな文。こういう判断を可能にする知識のことを言って
いたのだけど。>>399でわたしは>>413の逃走派氏と同じことを
言おうとしていたのだけど、説明下手かな。

>>416 例えばstructure dependenceなんかは?どのような理論であれ、
「言語は構造で説明可能な性質を持っている」というのは自明なことの
ように思えるけど。

>>417は悪いけどイマイチ言ってることが解らないな。もう少し、
詳しく書いてもらわないと。「オッカムの剃刀」の話しが、なぜに
急にUGの話しに結びつくのかな。それと、徹底行動主義は仮説検証
を嫌うの?
419名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 08:12
>>418
>「言語知識」ってそんなにくせ者用語かな。>>399でわたしは
> >>413の逃走派氏と同じことを 言おうとしていたのだけど、
>説明下手かな。
 チョム文法家の間では「言語知識」が特定の意味合いを持つ
ことはわかるけど、心理学屋、一般読者が「言語知識」という
言葉からそんな特定の意味を推察するのは不可能、ということ。
「だからこそ」、そんなの経験に決まってんじゃん、という
ある意味、当然の反応が返ってくると思わ。
VBを読んでる人このスレにはいないんじゃない、という
指摘があったけど、同じように、誰もがチョムスキーの思想を
彼の著作を読んだ上で理解しているわけではない。
だからこそチョム文法の専門家として何が誤解されているのか
押さえながら、且つさらなる(不必要な)誤解を招かないように
注意するのが肝要と思わ。れるれる。
420言語学板の住人:01/11/26 09:14
>>418
かかり助詞さんはツッコミが入ると「言ってることがわからない」と躱すことが多いな。無意識なんだとしてもね。

普遍文法(UG)を仮設として、つまり純粋に理論上の概念として要請するならまだいい。
しかしそれをmental organ――生物学的・生理学的基盤を持った器官として
実在することを前提されては、そりゃ経験主義的には未確認なんだから応対に困るでしょ。
>>418
「言語は構造で説明可能な性質を持っている」――これは生成文法に限ったテーゼではない。却下。
「言語は二重分節性を持つ」ってのと一緒で、当り前すぎてどの言語理論でも当てはまる。
一般論で特殊(生成文法理論)の擁護をするのは意味無いっす。
422虚無好き:01/11/26 09:57
わざわざマンガ喫茶から書き込みやってるにゃ。
2ちゃん、おそるべしにゃ。

「言語知識」ほか生成用語については、けっこう講釈たれてるにゃ。
それは、チョムスキー理論について素描したのち、
心理学板の皆さんに検証していただこうと思ったからにゃ。
でもさすがに、やみくもに最初から読み直す気になるひとはいないだろうにゃ。
言語知識については、>>23,>>25,>>31,>>82かにゃ?
いちおう、肉まん顔のセンセのチェックが入ってるから、大丈夫にゃ。
たぶんにゃ。
423かかり助詞:01/11/26 10:05
心理学板のみなさん、すいません。これ以上レスが続くなら、
言語板でやります。取りあえず、ご迷惑を承知でレスすると。

419 なるほど。私の説明不足でした。結構、上で「こういうことを
知っている」ってやっていたから、もう良いかと思った。

420 一般に仮説というのは未確認なのは当たり前。生物的な基盤を
持っているというのも仮説だから、確認は将来的に出来ればいい。
私が聞きたいのはオッカムの剃刀とUGの関係だけど、答えて頂いて
ない。なんだか私が問題をはぐらかしているみたいな書き方するの
はよくないな。説明を求めているだけなのに。あっし、あんまり頭
よくないんで。それと「徹底行動主義」ってやつが仮説検証を嫌うっ
てのも説明してくれい。スキナーはハト使ったりして実験していた
ようだけど。これは心理版でもいいかな。

421 言語の2重分節性と構造依存は全く別の概念だと思うけど。
たとえば、「疑問文を作るのに前から3つめの単語と5つめの
単語を入れ替えろ」何て規則は世界のどの言語にも存在しない。
構造依存とはそういうこと。しかし、例えばチョム先生の理論は
N(oun)という範疇を認めている。これにはNにreferすることによって
言語学的に有意義な一般化が得られる、という主張が込められている。
「Nなんてどの理論でも認めているよ」というのも解るが、だからと
いって、「だからNをassumeしていることはチョム理論の擁護に
ならない」というのは???だな。Nをassumeしない理論もあるのだし。

とにかく、つづきは言語板で。みなさま、失礼しました。
424名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 10:54
話を蒸し返すようで恐縮ですが、「こういうことを知っている」
というここと「こういうことを判断ができる(文法性について)」と
いうことはチョム文法家の間では、同義である、ということでいい
のでしょうか? (文法判断可能=文法知識)
ちなみに、心理学的にはこれは同義でありえるのかな?あげたれ
425虚無好き:01/11/26 10:55
もうちょっと書くにゃ。
言語の知識については、まるで三位一体のように
語彙意味、音韻、統語といわれてるけど、
とくにわたしは、「意味論」については、いっしゅの恐怖をおぼえてるにゃ。
これは、「動物認知スレ」にお越しになった心理屋先生が、
主観の(内的)表象について語ることに、ものすごく慎重であった、
ってゆーか「とても恐ろしくて語れません」とおっしゃった態度に通じるかもしれないにゃ。
そしてわたしも、たとえば各国語のの意味論的差異をどう客観記述するのか?
(これはいうまでもなく、論理式のような形式を必要とするにゃ。)
そして、語彙意味の獲得の内的プロセスの研究は自然科学の文脈にそうのか?、
なんて考えると、とても恐ろしいのにゃ。
そしていっぽうで、チョムスキー理論が意味論との統合をすすめてるという現実があるのにゃ。
UGの名において意味論を語るということは、
すなわち、意味論が統語に影響を与える限りにおいて、生得的だということにほかならないにゃ。
たとえば、例のθ‐役割なんかについてにゃ。
つまり…生得性の名において、「受益者」とか「被害読み」とか
「財布と相談する」は、どういう役割をマークしているかとか…

ゾゾ━━(゚Д゚;)━━ッ!
ま、これはわたしの印象論にゃ。気にしないでにゃ。
426417ではないが:01/11/26 11:06
>>423
科学における「節約の原理」=「オッカムの剃刀」からすれば
(なんならマッハ風に「思惟経済」と言ってもいいけど)、
抽象概念の新設には慎重にならざるを得ない。ここまではOK?
で、それならば明らかに実在する物(概念ではなくてね)を説明道具に
使用した方がずっと安心。実在するかどうかもわからん概念では危なっかしい。
まあ説明上の便法としてならUniversal Grammerを仮設してみるのも一案だが、
その仮構した概念が実在物(生理器官)であるかのごとく前提するならば、
それはスコラ哲学の所謂実念論(観念実在論 realism)になってしまって
善だの美だの普遍のイデアが実在するとした中世神学者と同じこと、科学的とは称せない。
ご存知の通り、オッカムは実念論に対抗する唯名論(nominalism)でしたよね。
>>425
その恐ろしさ、僕にもなんとなく分かります。
言語学で出てくる例文ってホント絵に描いたようなというか、
とっても奇麗なものしかまずお目にかからない。
語用論の問題としてすぐにはきって捨てられない物が
まだまだごろごろしているのではないでしょうかね。
428かかり助詞:01/11/26 14:30
424 いや、同義ではない。知っているから判断が出来る。
このことに関しては言語板の方で最近、私とbobチャンとで
お見苦しい争いをしたけど、「算数の足し算の仕組み」と
「実際の足し算」みたいな違いがある。前者は能力、後者は
performance(日本語訳しらないや)と呼ばれる。

>>425 そもそも私たちは「意味」というモノの「意味」を
理解していないことに起因する恐怖でしょうか。それは私も
あります。「お饅頭」の「意味」は何か?「宵の明星のparadox」
っていうところから展開される、言語哲学、言語学
の大問題だけど、まあ、少なくとも私が生きている間にはとけ
るような問題ではないな。トンデモナイ大天才でも現れない限り。
チョムスキー自身は意味との統合は進めてないと思います。
しかし、形式意味論には句構造文法をつかったやり方もある。

>>423オッカムの剃刀の話し。抽象概念を仮説としてたてるか
どうかという選択はオッカムの剃刀とは関係ないのでは?一般に
科学では抽象概念による説明に頼ることが多い。その選択には
抽象概念的仮説Aと抽象概念的仮説Bがあり、どちらも事実を
同じように説明しうるのならAとBの「より簡素な」方を選ぶべし。
UGを建てるかどうか、というのには対立する仮説がないので、
オッカムの剃刀を当てはめようがないように思うのですが。
そこで上で聞いていることにつながるのですが、行動主義がUG
の代わりに建て得る仮説というのは何でしょ?これがはっきりしないと
話しが進められないように思う。
429426:01/11/26 14:41
>>428
わかってないみたいですね。
抽象概念を飽くまで抽象概念として立てるだけならまあいいんですよ。
しかしチョムスキー派はUGを抽象概念としてだけでなく実在する物=器官として
扱ってるから困るって話ではないのかな。経験的・生理学的物證も無いのにね。
それではまるで、美のイデアが実在するって説くプラトニストと一緒でしょ。
430かかり助詞:01/11/26 16:49
>>429 うん、解ってなイッス。
それとこれとは話しが別でしょ。オッカムの剃刀はあくまで対立する
説明がある場合のみ適用する法則。UGが生物学的器官に根ざしているかは
オッカムの剃刀でどうのこうのは論じようがない。他に対立する
仮説があるのなら出来るけど。それなしにはオッカム先生に
ご登場願うわけにはいかないと思うのですがね。

よく考えてみたら、抽象概念を仮説として建てない科学分野って
あったっけ?
そこで別問題の方に質問。UGがあるとするのが「まあいい」のなら、
そしてそれが人間の生物学的な資質に根ざしていないのなら、UGは
どこから来たと考えられるの?
431名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 17:07
だれか言語学者に構成概念の種類やそれぞれの違い,
構成概念と実体とを結び付けるための基準など,
おれたちが学部で習ったことを教えてやってくれ。
432420:01/11/26 17:37
>>431 どうか言語学者が皆こんなだとは思ってくださいますな。
433名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 17:38
>>431 心理学徒にも教えてくれ。429とかがなに絡んでいるんだかサッパシわからん。
ひょっとして429って頭悪いだけ?
435420:01/11/26 18:05
>>426-430
「生成文法批判」で似た話が出たことあった。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/988295604/297-313
436名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/26 18:06
>>429
脳損傷患者の失語症は生物学的物証にはならないんですか?
437416:01/11/26 18:10
>>423
>たとえば、「疑問文を作るのに前から3つめの単語と5つめの
>単語を入れ替えろ」何て規則は世界のどの言語にも存在しない。
>構造依存とはそういうこと。

ラテン語の等位接続詞queは、各等位項の統語的内部構造にかかわらず、
2番目以降の各等位項の最初の単語の次に置かれる。他にも、統語的
内部構造にかかわらず、フレーズの最初の単語の次に置かれる、という
性質を持つ語を持つ言語は幾つもある。したがって「構造依存性」は
完全に普遍的であるとは言えない。

そもそも、>>416での私の疑問は、1981年以降の、チョムスキー派による
「原理とパラメターの理論」の内部で提案されてきた「原理」や「パラメター」
の中で、チョムスキー派生成文法家の9割に支持されているものはあるのか、
ということ。ないんじゃない? UG説に取って代わりうる具体的な理論は
あるのだろうか、とか言ってるけど、UG説だって、実は具体的な理論にはまだ
なってないんじゃないの。
>>436
それはもちろん言語と脳神経組織の関係は示唆するにしても、
生成派の定義する“Universal Grammer”の脳局在を支持するものですかね?
確か、虚無好き先生が失語症の例をいくつかあげてらっしゃいました
よね。今ならかなり正確に損傷部位が特定できるし、損傷に伴う言語
障害の性質も神経心理学でかなり研究されているんじゃないのかなぁ。
総説ですけど・・・
Neurosci Res 2001 Jan;39(1):1-10
Sentence processing in the cerebral cortex.

Sakai KL, Hashimoto R, Homae F.
Department of Cognitive and Behavioral Science, Graduate
School of Arts and Sciences, The University of Tokyo, Komaba,
3-8-1 Komaba, Meguro-ku, Tokyo, 153-8902, Japan.
[email protected]

こういう研究の解釈に言語学者がもっと参加するとか・・・
441逃走派:01/11/26 23:22
>>413 を書いていたとき、いつのまにか399のかかり助詞先生と同じことを言っている
と気がついて言及しようと思っていたけど、忘れてしまったのだった。レフリーにimproper
citationとお叱りを受けて書き直しをさせられてひ〜ひ〜言ってるのに学習効果がない自分
なのだった。すまんにゃ。

>>416先生 9割が納得というのは確かに難しいし、どんどん条件なり制約なりが
アップデートしていって姿を変えていくけど、チョムスキー生成派コミュニティが
共有するコアのデータ・セットはあるんじゃないかと印象があるんですが、どうでしょうか?
句構造で言えばXバー、移動で言えば、島の条件、相対的最小性、連続循環移動を
強制する条件、厳密循環性、適正束縛、他に格フィルタ効果とか束縛原理とか。
具体的に最新版で議論せずとも、それぞれの条件・制約が扱うデータ・セットをもとに
そのようなデータを出す原則Pという言い方でUGの生得性の議論ができると思われますが。
(なお、これらの条件について、ひとつひとつ例を出して説明するのが具体的な議論には
必要なんだろうなあ・・・いまはちとしんどいので、ゆっくり長い目で見てください)。

なお>>437のラテン語のお話、かかり助詞先生が3番目とか5番目と言った数を出している
ところがミソだと思います。「最初の単語」と言うのは「語」という構造概念と
(音韻的)隣接性で捉えられるものであり、構造依存性を遵守した現象なのではないかと。

もう今日は寝ましゅ。
442逃走派:01/11/26 23:37
急いで補足。3番目の要素は「隣接の隣接」、5番目は「隣接の隣接の隣接の隣接」
という風に3番だろうが5番だろうが隣接性で捉えられるだろうと思いきや、あに
はからんや、そのように回数を数える条件が言語には存在しないと考えられているので
それはできないとされているのです。
443名乗るほどのものでわ:01/11/26 23:53
つらつら読み返してみると、中味のあることや建設的なことは何一つとして
述べていない、いてもいなくてもどーでもよろしいワタクシですが。。。

#スキナーのVerbal Behaviorわなー、ムチャクチャ難しいんだよー
#「読んだ」と「理解した」の間には、むちゃくちゃ距離があるんだよー

とまあ泣き言を入れといてですね(笑)
話の進め方なんですが、UGが生得的にあるとおっしゃってる方にお願いなんですが
自分の考えを支持しないなら反証もしくは対案を出せと、こー迫るのは勘弁して
いただきたい。まさか対案がないから、UGでいいのだとおっしゃりたいわけでは
ないでしょうし、対案が出たとして、それとUGとどちらかが正しいと保証された
わけでもないでしょうから。

それよりもUGなるモデルを検証する場合に、どこまでのデータは提出されていて
心理屋から見ると、なにが足りないと思われるのかを論じた方が、双方にとって
よほど有益だと思うです。

ってゆーか、多くの心理屋にとって関心のある言語の側面って、やっぱり意味処理に
どのように関わってくるかだと思うですよね。知覚〜認知や図と地の問題や、
刺激のカテゴリ化の問題や記憶の問題とかね。
統語論っつーのは、気合入れてちゃんとやってる研究は、おいらは守備範囲外なので
ほとんど知らないんだけど、そんなに多くないと思うんですよね。

でわでわ
444名乗るほどのものでわ:01/11/27 00:15
遅レスですが、とある仮説構成概念に対応する、脳活動が観察されれば、
その仮説を支持する有力な証拠とみなされることは確かだと思います。

ただ現実問題として、大脳生理と心理学(特に認知分野かな)の関係を
みてみると、心理学的モデルを考える場合に、一連の処理が、シーケンシャルなのか
パラレルなのかとか、どの処理が時間的に先行して起こっているのかとか、
そういう時間軸を視野に入れた情報処理モデルの検討や検証に用いられることが
多いですねー

おいらには、よくわからんですが、UGという仮説があるのはよいとして、
その仮説に従うと、例えば、発達的にこういう現象が起こるとか、
異言語間での言語獲得プロセスにこのような共通点とこのような違いが見られるとか
それが、再現性よく観察可能な形で示されれば、心理屋もフムフムと思うでしょう。
さらに、それが生得的であるということを主張されるのであれば、
じゃ、その実体はいったい何よってことになるでしょうから、
さらに多くのevidenceを示さないと、受け入れられるのは難しいでしょうね。

んで、最後の段の文章ですが
>>言語学的証拠に基づいて提出された言語能力に関する仮説があって(一応)その仮説に
>>妥当性がありそうだと言語学者たちが了解している場合

ですが、結局、当該の言語能力に対する仮説と検証の仕方ということですよね。
心理屋が、その仮説を受け入れるには、やはり客観的に観察可能で、
再現性も確認されているデータを示していただくことが必要かな。。。と思います。

もちろん、餅は餅屋というわけで、言語学者の言語能力に対する思弁や考察が
心理屋よりも遥かに先を行っているということは十分にあり得ることだと
思いますし、将来的には、やっぱり言語学者の言うとおりだったと、
心理屋や大脳生理屋も認めるという事態は、いろんな面で可能性が高いと
思いますが、現時点で、言語能力に関する仮説の心的実在性を判断しろ
といわれれば、サイコロジカウルなエビデンスを見せてちょーって
答えると思うなー 大脳生理屋に至っては、心的実在性なんつーのも
ま、仮説構成概念だかな。実体を示せよって言われるのがオチだと
思いますな(笑)

要するに、同じ言語活動というものに関心を持ちながらも、研究領域や
対象や方法論。。。要するにそれぞれの学問の守備範囲の違いっていうのは
そういうことだと思っとります。

だからと言って、言語学者の言ってることは、デタラメだとか、
嘘だか本当だかわからんとか、そういう短絡的な判断をする心理屋はおらん
と思いますよ。

でわでわ
あ、上の>>444 は、>>411 さん宛です。 書き忘れてた。。。はは
446416:01/11/27 01:41
>>441-442
理に適った返答をしてくれたことに感謝。
納得は行かないが、長い目で見させてもらう。
447横槍すいません:01/11/27 01:41
言語屋さんの「実験」の話が聞きたいです。
生得性云々だと「発達」が入ってしまうから,手を出しにくいんでしょうか?
目的が完全に一致することは無いと思いますが,どんなテーマに関心もってますか?
448かかり助詞:01/11/27 09:31
オッカムの剃刀の話しはもう決着ついたのかな。>>431
>>   だれか言語学者に構成概念の種類やそれぞれの違い,
構成概念と実体とを結び付けるための基準など,
おれたちが学部で習ったことを教えてやってくれ。
というのが気になるけど。心理学では誰しもが知っていることを
私は聞いたこともないのだろうか。それから420=432の人。
心理学の板でなるべく言語学の煽りをしないでね。言語板に来て
話し合うべきことは話し合えばいい。

構造依存の話し。逃走派先生の話しの補足だけど、例えば英語のwh疑問文
なんかは助動詞をwhの次ぎに持ってくるけど((1a)参照)、「平常文中の
二番目の単語を文頭に」というのは正しいruleではない((2b)参照)。
(1) a. John will buy something -> What will John buy?
b. The man will buy something -> What will the man buy?
-> *Man the will buy something?
ラテン語のque接続もthe tall manのような複数の語からなる句の
まん中に入っていくなんてことない(*the que tall man、ラテン語は
10年以上前にやったことあるだけなので実際の例は堪忍して)

443 それよりもUGなるモデルを検証する場合に、どこまでのデータは提出されていて
心理屋から見ると、なにが足りないと思われるのかを論じた方が、双方にとって

おっしゃるとおり。あんまり根拠のない批判が多かったのでかっとなりました。
すいません。>>447のレスにもなるけど言語学にも幼児の言語習得プロセスが
UGの原理に従っているかを見るための実験をしている人たちも沢山います。
例えば上で顔文字氏があげていたと思うけど、強い交差の例ね。
Who does he think that Mary loves?
のwhoとheが同じ人になれない、という現象。これがUGによる制約なら
幼児にとってもwhoとheは同じ人になれないはず。しかし、何せ幼児を
相手にする実験なので、よほど楽しめる実験にしないと、幼児は協力して
くれない。で、どのようなやり方で実験しているか、というのは、
長くなるので、元気で暇なときに書きます(多分)。
>>448
>オッカムの剃刀の話しはもう決着ついたのかな

話を逸らさないでよ……もともとあなたが>>417を理解すれば決着つく話だったのでは?
450(´∀`):01/11/27 11:03
にゃっほー。
このところめちゃくちゃ忙しくてヘタッてるのにゃ。
たぶん今月はこれが最後の書き込みにゃ。

>>393
>「相補的」も何もないじゃないか。違う?
違うにゃ。どうも真意が伝わりにくいようにゃが、言語知識のすべてが生得的能力に
基づくとか、逆にすべてが経験に基づくとかいうことはなく、こちらとそちら、
それぞれが扱うべき領域を棲み分けるべきだ、と言ってるのにゃ。生成はこれまでの
言語学や心理学が見落としてきた無意識的言語知識、直観の中に、経験論では説明
不可能なものがある、という問題意識から始まっているのにゃ。
「刺激の貧困」による議論がそちらにとってあまり説得力を持たないのは、一つには
言語理論が明らかにしたそのような無意識的知識について知ってもらってない、という
ことがあると思うのにゃ。ほんの少しでもその部分について真剣に考えることができた
なら
>いくら何でも「ご冗談でしょう、チョムスキーさん」だよ。(苦笑)
>生成派の「ほんのわずかな“触発刺激”だけで」なんつーのは、「オイオイ」じゃねえのか?
ということにはならないのにゃ。「ほんのわずか」どころか、最も重要なのは刺激ゼロ
(否定的証拠の不在)のケースなのにゃ。
はっきり言っておくにゃが、UGの仮説自体は言語学内部のみならず現代科学の中で
確固たる地位を占めており、素人の印象論だけで一笑に付してしまえるものだとは
誰も思ってないのにゃ。賛成するにしろ反対するにしろ慎重な検討がなされなければ
ならないと誰もが考え、だからこそ日夜激しい論争が繰り広げられているのにゃ。

>>400
>問題は、UGはコギャル語を予測していたか?ということにゃ
「予測」というのは妥当な言い方ではないにゃが、UGの許容範囲内になければそもそも
生じえないということになるにゃ。母語知識のすべてがUG由来だとは誰も言ってない
ことを肝に銘じてにゃ。取り上げられている「チョー」自体が云々ということではなく、
例えば範疇の変化を伴う派生形態に見られる規則性や制約はUGとの関連が十分に疑える
と思うにゃ。
最近、虚無好きセンセはわざと生成に対する反論にもならない反論を茶化して書いてる
ように思えるにゃ。実は反生成派の思慮の浅さを浮かび上がらせようとしているのでは
ないのかにゃ?
451(´∀`):01/11/27 11:04
>>402
>誰かが言ってた「存在しない敵」ってやつだよ
まったく同じ印象を俺らは反生成派に対してもってるにゃ。チョム批判を繰り返す連中が
いかにチョムの主張を誤解しているか、あるいは意図的に歪曲して喧伝しているか、
ほとほとうんざりさせられるにゃ。これを言うとまた反発がくると思うにゃが、その
理由の一つはチョム自身が20世紀の知的巨人と称されるほどの大物であり批判派に
とって絶好のターゲットである、ということがあると思うにゃ。
共通の問題意識に基づいてより妥当な説明理論を提示しようとするのではなく、よく
理解せずにただ批判のための批判を繰り返す、これのどこが科学なのか、大いに疑問
なのにゃ。

>>407
>これは誰の見解なのかにゃ?
直接にはもちろん俺個人の見解にゃ。だが、類似した見方は多くの人に共有されている
と思うにゃ。
>言語能力が非常に安定した状態でmind/brain内に存在する
それはUGではなく個別文法にゃ。知っててワザとアホのフリしてるにゃ?
パラメタ値未設定のUGは初期状態として不安定な対称性をもつにゃが、初期言語刺激に
よってそこにすこしでも傾きが加えられると一気に対称性の破れが生じ、準恒常的安定
状態に入る、というのが生成の言語獲得のシナリオだと俺は思ってるにゃ。

>>408=209
11氏にゃ? あちこちでいろいろ言われてるみたいにゃが、気にするような人では
ないだろうにゃ。どこかで書いたにゃが、俺個人はむしろ11氏に共感する部分もある
のにゃ。DNAのsyntax、あいかわらず俺には魅力的なのにゃ。遺伝暗号の起源と進化、
人間言語の起源と進化、まったく無関係だとは思えないのにゃ。UGが説明装置から
被説明項に降格する時、そのことが大きく意味を持つようになると思うにゃ。

>>416
>色んな人が色んなことを言っているだけのように見える
その制約をできるだけ簡潔かつ一般的なものとして定式化したい、説明的に妥当な理論
をたてたい、とだれもが思っているからこそにゃ。>>417の印象とは正反対に、UG理論
は理論の簡潔性に最大限に敏感なのにゃ。ある原理が提案されたら、直ちにそれを
さらに抽象度の高い包括的原理からfollowさせようとする、この繰り返しが半世紀に
渡る生成文法研究の現場の作業だったとも言えるだろうにゃ。

>>424
>「こういうことを知っている」
ということの重要な部分は、「この文は当該文法によっては生成不可能であることを
無意識的に知っている」という意味であり、それはとりもなおさず人間の言語機構は
これこれという働き方しかしないようになっている、という、一認知モジュールの
特性や制限の特徴付けに他ならないにゃ。

>>426
>明らかに実在する物(概念ではなくてね)を説明道具に使用した方がずっと安心
科学的実在論と日常的実在論を混同してると思うにゃ。「明らかに実在する物」とは
説明されるべき現象であり、求められるのはそれに対する説明(現象間の関係性)にゃ。
そしてその中での説明装置の実在性はその説明力によって立証されるものにゃ。
452虚無好き:01/11/27 13:18
あのにゃ。
>唯一の人間言語が常にいろいろな暫定的安定状態(準最適化状態)の間をウロウロしている
ことが、なんで方言連鎖の説明になるのにゃ?
>知っててワザとアホのフリしてるにゃ?
まじめにきいてるにゃ。
UGが「常に」何らかの平衡状態を求めることは、
ボルツマンの確率分布かなんかの類推だと思うけどにゃ、言語における安定状態とは何にゃ?
便宜上、言語AとBの間の方言連鎖と言ったけど、
実際には地理的に分布する、文法間の類似の統計的類似しか観測されないにゃ。
例の、権力言語観をとりいれないとすれば、
ひとつの言語には固有の核文法も、標準もないのにゃ。
少なくとも「安定性」において、言語に差はないのにゃ。

だいたい「常に」などという個体史とも言語史ともとれる語を使うから、
混乱が生じるのにゃ。
ケンカを売るつもりなら、こっちにも考えがあるにゃ(激怒)
453名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 13:23
まあ喧嘩するのもいいけど心理板以外でやってくれや。
454209:01/11/27 14:12
>>452
まぁまぁ(笑) 虚無好き先生らしくもない。
ウロウロしているというのは、要するに、パラメタ値未設定のUGは初期
状態として不安定な対称性をもつ、または不安定だということを言い換えた
ものでしょう。その不安定なUGが初期言語刺激によって転がって、特定の
その初期言語刺激が属する人間言語(準最適化状態)に適合するように
なる、さらにその方言刺激によって方言という準々最適化状態に収まる、
くらいと私は解釈しますが。

>>451
>UGが説明装置から被説明項に降格する時
というのはUGが単なる構成概念から実体を持つ概念になる時、と解釈し
ますが、誰かが言っていたように心的実在性なんつーのも仮説構成
概念であってその実体を示すのは、私は言語学者と共同研究する神経科学者の
仕事だと思うのですが、とにかくその構成概念の持つ性質を詳細に明らかにして
おいていただける(もちろんこの作業を言語学者はやっているわけですが)と
神経科学者にとってはありがたいだろうと思うのです。
そこで、DNAのsyntaxの話に行く前に、DNAは情報を保存しているだけで、その
情報を読みとるためにmRNAやさまざまな酵素が活躍しているという事実を
見落としてはなりません。つまり、DNAはいわば本であり、その本を読む
ための実体(その本の読者)がなくてはDNAを解釈することはできないのです。
しかし、UGについては>>428のかかり助詞先生の
>いや、同義ではない。知っているから判断が出来る。
という御発言から見て、言語学者はUGという本とその読者の区別には
気がついているが、まだ明確に区別できていないのではないか、と
いうことをふと感じました。
この辺、如何でしょ。
455209:01/11/27 14:56
>>454
補足ですが、454は心理学者側ではなく言語学者側に訊いているのです。
区別する必要がないというなら、それはそれでまた考えます。
456名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 17:42
>>428(かかり助詞先生)
>UGを建てるかどうか、というのには対立する仮説がないので、
>オッカムの剃刀を当てはめようがないように思うのですが。

幼児が突如複雑な文章を発話したとする。このとき生成文法家が
 「この現象は学習理論だけでなく、UGによる統語能力も仮定しないと説明できない」
と主張したとする。一方、行動主義者(経験主義者)は
 「この現象は学習理論だけで説明できる」
と主張したとする。もし両方妥当な説明だと認められたならば、
当然オッカムの剃刀が適用されて、後者のほうが優れた説明として
採用されることになる。

もちろん、このことでUG説が「完全に」退けられたことにはならない。
”この一例は”学習理論だけで説明可能だということが示されただけだからだ。
どうしても前者でしか説明できないような発話現象が認められたならば
その限りにおいてUG説の有用性をしめすことができるだろう。
すでに実証済みの学習理論だけに頼る経験主義者のオッカムの剃刀を
徹底的に振りかざしていくことは、「どこまでが生得でどこからが経験か」を
明確にし、UG説の精緻化にも貢献するだろう。要するにブレーキの掛け合い。
457名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 17:43
>>430(かかり助詞先生)
>よく考えてみたら、抽象概念を仮説として建てない科学分野ってあったっけ?

演繹法による仮説検証だけが科学ではない。
帰納法による要因探索も立派な科学。この場合、抽象概念は仮説として
最初に立てられるのではなく、実証データから導かれるものである。
スキナーのネズミやハトを使った研究はまさにこれ。
仮説検証に頼るハルらの方法論的行動主義は徒労に終ったが、
スキナーの徹底的行動主義は現在も発展を続けている。
そして現在、心理学では再び方法論的行動主義にのっとる
「認知心理学」が隆盛を極めているが、この先どうなるかはわからない。
>>456,>>457
マルシンドセンセ?(藁)
459名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/27 23:23
>>448
>というのが気になるけど。心理学では誰しもが知っていることを
>私は聞いたこともないのだろうか。

構成概念についてはこのスレを参照してください。
「構成概念妥当性ってなあに?」
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1001676058/l50

ついでに次のスレも参考になると思います。
「操作的定義スレ」
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1000055171/l50

言語学でこれらの概念をどのように扱っているのかはわかりませんが、
構成概念と操作的定義は心理学では学部レベルでたたきこまれる
基本的な考え方です。沈みまくってますがどちらも良スレなので。
460逃走派:01/11/28 01:05
衝動的横レスごめんなさい。

>>456さん

> 幼児が突如複雑な文章を発話したとする。このとき生成文法家が
>「この現象は学習理論だけでなく、UGによる統語能力も仮定しないと説明できない」
> と主張したとする。一方、行動主義者(経験主義者)は
>「この現象は学習理論だけで説明できる」
> と主張したとする。もし両方妥当な説明だと認められたならば、
> 当然オッカムの剃刀が適用されて、後者のほうが優れた説明として
> 採用されることになる。

これはかかり助詞先生もとっくにご存知で、行動主義者(経験主義者)からの
「この現象は学習理論だけで説明できる」という主張がまったく出ていないから
「対立する仮説がないから(オッカムのかみそりを当てはめようもない)」という
ことなのでは?ずっと前に出てた局所性にしても、最近の構造依存性についても
「学習理論で説明できそうだ」程度の印象論とか「学習に関する基礎が分かっていない
と思う」程度のコメントはあっても、何ら主張は出てないっすよ。>>444先生の
ように「反証・対案を求めてくれるな」っておっしゃるなら話はわかるけど。

>>457さん
演繹法ばかりしてる科学は僕は知らないし、帰納法ばかりしてるのも知らないです。
アブダクションってやつをしてるのしか知らないです。

> 帰納法による要因探索も立派な科学。この場合、抽象概念は仮説として
> 最初に立てられるのではなく、実証データから導かれるものである。

「この場合」などと限定する必要などなく、それはどの科学でも同じでは?
>「この現象は学習理論だけで説明できる」という主張がまったく出ていないから
あれ?
チョムはそういう意味でスキナー理論を批判したつもりだったんじゃなかったのか?

>> 帰納法による要因探索も立派な科学。この場合、抽象概念は仮説として
>> 最初に立てられるのではなく、実証データから導かれるものである。
>「この場合」などと限定する必要などなく、それはどの科学でも同じでは?
あれ?
チョムは「直感」で仮説を立てたんじゃなかったのか?
462かかり助詞:01/11/28 01:57
>>456-7 おお、まともな人がオッカムについて書いてきた。
逃走派先生の仰るとおりだと思います。「経験から学習できる」
というのは具体的な分析でないところに一番の問題があると
思う。幼児の文法知識には上でもさんざん言ってきたことだけど、
「こういうことは言えない」という知識も含まれます。
その一例が上でさわりだけ紹介した、強い交差に関する実験
などでわかっている。経験説では「なぜ言えない文(非文法的な
文)が言えないことが学習可能か」という論理的な矛盾が
生じます。親は、滅多に「こういうこと言っちゃいかん」とか
教えないし、教えても子供は聞かないし、ましてや強い交差
なんてのは1970年くらいに生成文法家が発見した制約で、
言語学者でないと教えようもない。
ご紹介頂いたスレは今度みてみます。今ちょっと時間ないもんで。
463名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 02:36
>経験説では「なぜ言えない文(非文法的な
>文)が言えないことが学習可能か」という論理的な矛盾が
>生じます。
誰かも上の方で書いていたように、学習可能だと思いますけど。
つーか、そもそも「非文法的な文」を学習してないって考えればそれでメデタシなんでわ?
ふつうは「非文法的な文」を単に言わないだけ。
だから、「なぜ言えない文(非文法的な文)が言えないことが学習可能か」っていう問題設定じたいが
論理的に変だと思うんですけど。
464209:01/11/28 03:09
>>463
ああ、なんでこうも同じ質問ばっっかりするのかねーー。理解する努力を怠って、
その理解を前提にして書かれた直前の書き込みだけに反応するこの愚か者!
私ならもう完全にキレるね。いや、実はもうとっくにキレてるけどさ。
>>451>>402に対するレスをよーく読んで自問自答してください。
>>464
おねがいですから、非難はしても罵倒はしないでください。また荒れてしまいます。
素直に「ここを読み返せばいい」ということだけを書き込めばいいじゃないですか。
466名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 06:03

>>454
わたしは行動分析と神経科学の融合に期待しています。
刺激等価性、確立操作、ルール支配などの行動理論に神経学的な
裏付けがなされれば更に理論が発展できてすばらしいだろうと。
実際、回避条件付けの二要因理論は神経学的な裏付けが出始めてますし。
そういう意味では209=11先生にはあまり行動主義を毛嫌いして欲しくないのですが・・・
467kakari-joshi:01/11/28 07:02
Take it easy everyone. No fighting.

>>463 I will get back on this later. I don't have IME/ATOK on
my computer now.
468名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 07:07
>>460(逃走派先生)
>「この現象は学習理論だけで説明できる」という主張がまったく出ていないから
>「対立する仮説がないから(オッカムのかみそりを当てはめようもない)」という
>ことなのでは?

既出の通り、もちろん経験主義者とて「すべての現象は学習理論だけで説明できる」とは
主張しません。しかし、個別の事象を捉えるときは、「まずはこれまでに実証された学習理論
だけで説明が可能かどうかを検証してみよう。」という姿勢が大事だということです。
だから厳密には「主張」ではなく「姿勢」・「議論の出発点」なのです。ただそれは、
言語学者側にとってみれば「すべては学習なんだよ」という主張に取られかねませんが。

>>462(かかり助詞先生)
>「経験から学習できる」というのは具体的な分析でないところに一番の問題があると思う。
何をもって「具体的な分析」とされますか?っていうか、その幼児の経験の履歴すべてを
検証することはほとんど不可能です。ですからどうしても実験的分析ではなく理論的分析に
なってしまいます。実験をするのであれば、例えばUGという仮説構成体を検証する
「方法論的行動主義」的なものになるでしょう。そこで仮説構成体を作り上げず、
「意識」や「知識」などもすべて、具体的な顕在的行動と同じ行動原理が働いている
非顕在的行動ととらえて理論的に分析することを試みるのが徹底的行動主義なわけです。
非文判定という現象には刺激般化、刺激等価性、概念形成などの行動原理が
適用可能でしょう。

あ、でもいま「その理論的分析を示せ」とはいわないで下さいね。
理論的行動分析にも生成文法にもまだまだうとい私にはそこまでは・・・
>>467
あ、もしかして例のBADTRANSウイルスにやられました?
470名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 10:29
>>462 >>463

文法的でない文は言えないということが学習される、
のではなく、文法的な文が学習され、それが(コミュニケーションとして)
機能する、文法的でない文は機能しない、ということで
分化強化されるだけと考えちゃなぜいけないのかな?
なんらかの行動が(相対的に)減少するためには、別にその行動が
罰などで直接抑制されなくても、それと対立する行動が
強化されることで頻度を増すだけで十分だと思うけど?

まあそもそもスキナーは「〜しない」というのは行動ではないから
行動分析の対象でないと言っていますが。
「非文法的な文を話さない」ことは石にだってできるからね。
学習、学習という奴に限って学習能力ゼロのようだな
472かかり助詞:01/11/28 10:45
>>469 いや、仕事の都合で勝手に日本語変換を入れられないコンピュータ
も使っているので。私はmacだし。vaioにしようかと思っているけど。

さて、「言えない文を何故言えないと知っているのか」という疑問は
既に209氏が言うように何度も出てきて返事はしているのですが。
「単に言わないだけ」というのは充分な答えではないと思われます。
理由は幾つでもありますが、二つほど。
[ソノ一] 「無色の緑の考えが怒りながら寝ている」という文は、誰も
言わないです。しかし、この文は明らかに文法的な構造を持っている。
その意味で、「怒りながらが無色考えの寝て緑のいる」という
同じく誰も言わない文とは決定的な違いがあります。後者は
文法的ではない、ということが日本語話者にはわかる。「単に
言わないだけ」では両者の区別は出来ない。
[ソノ二] 上で言った強い交差で
Who does he think that Mary loves?
のwhoとheは同じ人にはなれません。whoとheが違う人なら
文法的。「違う人」解釈では文法的なので、この文は実は
「言えるし、実際に人々が使い得る」文。「言わないだけ」説では
こういうことも説明できません。幼児を対象にした実験でも、
基本的に「同じ人」解釈(非文法的)は「違う人」解釈(文法的)と
違い、幼児にとってもavailableではありませんでした。
>>468 何を持って具体的分析とするか、といわれても、心理学を
専門とする方に「言語の分析を出せよ、ゴルァ」と言っても
埒があかないでしょうし。基本的に生成言語学では(上でももめた)
「文法的な文と非文法的な文を区別できる理論体系」を目指しています。
確かに、複雑な文でも、幼児は聞いたことあるかも知れない。
それを真似しているだけなのかも知れない。しかし、上記にも
つながるのですが、「言えない文をなぜ言えないと知っているのか」
に対する答えがないと、真の意味での
言語習得モデルとは言えないと思われます。
473名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 10:57
>>472 素朴な質問でちょっと恥ずいんだけど。。。
[ソノ一] の前者は、一応意味がわかるけど、後者はぜんぜん意味がとれないと、
思うんですよね。で、意味の問題と文法的・非文法的って独立なの?

[ソノ二] whoとheが同じ人とか違う人ってのがよくわかんないんですけど?
ドキュソだと思わずに、教えてやってくらはいまし。
474名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 12:29
実際に行動レベルで「言わない」ことと,
「言えないと知っていること」は
(客観的に)どのように区別されるのですか?
言えないと知っているが言う,言えないと知らないで言う,
言えないと知っていて言わない,言えないと知らないが言わない
などが相互に区別できますか?
あるいは,行動レベルで「言わない」こと以外に,
「言えないと知っていること」を客観的に確認できる指標がありますか?
心理学者はまずそういうところで引っ掛かってしまいます。

文法的であるかどうかと,「言う言わない」は
実はぜんぜん関係ないのでは?
475名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 13:02
>>472

「非文法的」とは「文法的とされる要素を持っていない」
ということではなく「非文法的でないとされる要素を持っている」
ことなのですか?

ある文が「非文法的」と判断されるのは,その文が
「文法的である」とされるために必要な要素をもっていない
ということだと考えるのが普通ではないでしょうか。
そうであれば,人は「文法的であるもの」を判断,あるいは選択する
基準をもっていればよく,その基準にあてはまらないものを
非文法的と判断するだけではないのでしょうか?

ならば,問題の立て方は「人はどのような文を文法的と判断するのか」
(そして,なぜそうするのか)を問うだけでよく,「非文法」が
なぜわかるのか,という問いを別にたてるのは冗長であるように思います。
もしそうではない,というなら,「文法的であり,かつ非文法的である」
文が存在することになるわけですが(たとえば472の英文の例文は
そうかもしれない),そういうことですか?
476475:01/11/28 13:07
失礼,2行目の括弧内は「非文法的とされる要素を持っている」の間違いです。
477かかり助詞:01/11/28 13:57
473 まあ、「意味とれる」の「意味」というのの「意味」も
問題ですが、一応、統語的にwell-formed(文法的)なことは
意味とは別問題だと思われます。
whoとheは同じ人、というのは説明しにくいのですが、例えば
i)who thinks that Mary loves him?
という文では、「どの人間xさんに関して、メアリーがxさんに惚れて
いると xが思っているの?」という同じ人をさす解釈があります。
すなわち、この解釈で可能な答えは「太郎はメアリーなら落とせる
と思っているし、次郎もメアリーなら落とせると思っている」
というのが例。違う人はhimがwhoの解答(例えば太郎)以外を
さす解釈で、この意味での可能な答えは「太郎はメアリーは次郎に
気があると思っている」というのが一例。who does he think
that Mary loves?は論理的にはi)と同じ二つの意味があってもいい
のに、最初の方の解釈できないと言うことです。ちょっと、
専門的すぎるかな。

>>474は読んでいると頭がこんがらがってくる質問ですね。え〜っと、

>言えないと知っているが言う,言えないと知らないで言う,
>言えないと知っていて言わない,言えないと知らないが言わない
>などが相互に区別できますか?

なんだこりゃ、ややっこしいぞ。まず、「言えないと知っているが
言う」というのは実際には言い間違いしかないのでは?「言えないと
知らないで言う」というのはここであげている強い交差のあり得ない
「同じ人解釈」を無理矢理言うみたいなモノであり得ないはず。
「言えないと知っていて言わない」は強い交差の同じ人読みで、言わない。
「言えないと知らないが言わない」は「無色の緑の考えが怒りながら
ねむっている」みたいな例ね。ありゃ?これで答えになっているの?

まあ、仰るとおり、「文法的なこと=最終的に日本人なら脳内に持つ
日本語の個別文法に適合する」と、「言う言わない=幼児にとって
言語習得の手がかりにしうる」というのは余り(全然でなくて)
関係がないというのが主張です。幼児は与えられた言語刺激から
個別文法を発達させるわけですから。

しかし、どうして474氏がこんなにややっこしい考察からこういう
結論に達せられるのか、摩訶不思議。心理学者オソルベシ。
478かかり助詞:01/11/28 14:26
しまった、省略されてしまった。
>>475 はその「要素」というモノがどういうことなのか、イマイチ
わからないのですが、仮にインチキ人工言語Aの話しをします。Aという人工
言語では以下の規則があると思って下さい。
(1) a. 「r」はAの文法的な文である。
  b. 「r」は「a」にfollowされうる。
  c. 「a」も「a」の後ろに来れる。
  e. これらの規則に適合しない文は言語Aにおいて非文法的である。
(1a)により(2a)、(1b)により(2b)、(1c)により(2c)の文が文法的
ということになります。
(2) a.  r
  b. ra
c. raa、raaa、raaaa、raaaaa、raaaaaa、...
逆に(1d)により、(3)は全て非文法的。(1a-c)の規則に適合
しないからです
(3) a. aaa
b. ar
  c. ara
こういう具合に、英語、日本語などの自然言語にも何らかの
(もっともっと複雑な)規則・原則があって、文法性の判断をしている
モノだと考えられるわけです。生成文法の歴史45年。多くの
人たちが情熱を注いでどういう規則・原則かを考えてきたわけですが
未だにどういう規則・原則かというのは部分的にしかわかっていない
のが現状です。しかし、幼児はそれを生後5〜6年でマスターしちまう。
我々言語学者を束ねても、かけ算も出来ない幼児よりおばかチャン
なのか、あるいは幼児にはUGがあるのか、どっちでしょ。

う〜ぅ、ちょっと休ませてもらうよ。これから書き込みするのも
短めにするよ。本業をやらないと。
ひろゆきはニッセイに負けていなかった!
http://news.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1004597354/

この事実を2ちゃんねらーは己の目で確認しなくてはならない
480一生成文法家:01/11/28 15:42
>>472
「その一」の方の議論は成立しないと思います。「サンプルの中に
一度も出てこない文の生起確率はゼロである」という無根拠な仮定に
基づいているからです。
Hinrich Schu(e)tzeのAmbiguity Resolution in
Language Learning (CSLI Publications)から引用します。
「Yet this argument (かかり助詞さんの「その一」の議論の
ことです)will seem curious to anyone with some basic
knowledge of statistics. For example, after having
estimated the mean and the standard deviation of the
heights of men from a sample of 30 subjects as being,
say, 6 foot 3 inches and 1 foot 6 inches (assuming a normal
distribution for heights), nobody would argue that the same
equally remote probabilities are assigned to the height 7
feet and the height 200 feet even if both are unattested in
the sample of 30. Clearly, given the sample and the model,
a man from this population is much more likely to be 7 feet
tall than 200 feet tall.」
というわけですので、文の文法性と文の生起確率とは無関係である、
とは簡単には言えないと思います。

「その二」の議論の方は、よくわかりませんが、文の意味は、その文が
発話される状況から推測できることが多いと思うので、この議論も
成立しないような気がします。

結局、UG説は、正しいのかもしれませんが、今はまだ証拠不十分と
言わざるを得ないと考えます。
481名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 17:22
その二に関して、

その意味にはならないことは推測出来ないのでは?
482一生成文法家:01/11/28 18:24
>>481
「言えない文を何故言えないと知っているのか」という疑問に対して
「皆がそういうタイプの文を言わないからだ」と答えるのは必ずしも
見当はずれではないかもしれない、ということを>>480では言った
つもりなのですが。
「その2」の議論に則して言うと、「この文にはなぜこの意味がない
のか」という疑問に対して「皆がそういうタイプの文をそういう意味
では使わないからだ」と答えるのは、必ずしも間違っているとは
言い切れない、ということです。
482
完全に間違ってるでしょ、ってか単なる循環論法。
>「皆がそういうタイプの文をそういう意味では使わないからだ」
と否定的証拠なしにどうしてまず分かるのか、が問題なわけよ。お分かり?
484一生成文法家:01/11/28 19:15
>>482
はい、わかっています。循環論法ではありません。なんだか馬鹿に
されているようで面白くないので説明しませんが、上記の
Schu(e)tzeの本の22〜23ページあたりをご覧になるとよいかと
思います。
485一生成文法家:01/11/28 19:18
>>484で「482」と書いたのは「483」の間違いです。わかると
思いますが。)
いや、まったく分かってない様子。誰も自分の発言がこれこれこういう意味であって
これこれの意味ではないなどと解説しながら子どもに話したりしない。
それに「皆がそういうタイプの文をそういう意味では使わないから」ってことなら、
初めて出会う新しい表現はすべて拒絶されてしまうことになるだろ。その人の経験内
では誰もまだそれを使っていないのだから。ということは経験によって何か新しい
ことを学ぶこと自体が不可能だといってるのと同じ。完全なる自己矛盾。
487名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/28 21:45
>>477 かかり助詞さん

[ソノ一] だけどさ、きちんと文法的な学習を受けてない人とかでも、
     その文が、文法的に云々っていう判断が出来るのかな?ってのが疑問。
     おいらだったら、[ソノ一] の前者は意味が解釈可能だからOKで、
     後者は、まったく解釈不能だからダメっていう判断しか出来ないよ。

で、[ソノ二] なんだけどさー、とりあえず説明は理解したんだけど、
     非英語話者のおいらとしてはさ、whoとheが同じ人でも意味は取れるから
     OKじゃんって考えてしまうんですけど。。。

でね、結論としては、どうやらおいらは「言えない文」を「文法的に判断」してる
自信は皆目なくてですね、「意味が解釈出来る・出来ない」で判断してるように思える
んですよ。
で、幼児が文法的な判断を求められて、言語学者が期待してるような「文法的な」判断が
ほんまに出来てんのかいな。。。っていうのが疑問なんですが。。。どうなんでしょ?
488名無し:01/11/28 21:47
一生成文法家は生得的なUGの存在に対して疑義を述べられているの
ですが、>>486さんは生得的なUGを認めないのか、認めるのか
どっちですか?

>それに「皆がそういうタイプの文をそういう意味では使わないから」ってことなら、
>初めて出会う新しい表現はすべて拒絶されてしまうことになるだろ。
必ずしもそうならないと思いますが?
489名乗るほどのものでわ:01/11/28 22:04
あまりにこっぱずかしかったので、匿名にしてしまいましたが
かかり助詞さんに、素朴な質問をしたのも、>>487でお答えを受けて
感想を書いたのも おいらです。

で、>>486さん
子供の言語獲得を、そういう一発勝負的な発想で、論理だけ追って考えるのは
どーかと思うよ。誰もが、いちいち自分の発言の意味をフォローしたりはしないけど、
結果的に、相互の意思疎通がうまくいったか・いかなかったのかっていうフィードバックは
常に両者にかかるわけじゃない。それは一発勝負じゃなくて、そういうことの
積み重ねで、結果として言語獲得が得られるわけでしょ。

で、逆の意味で、初めて出会う表現だって、当然拒絶はしないわけさ。
ただし、その表現がまったく意思疎通の役に立たなければ、最終的には
拒絶されるわけでしょ。

というわけで、おいらには、幼児の言語獲得に、UGなる概念を
導入しなければ説明出来ないという主張が、未だによくわからないでいます。
490かかり助詞:01/11/29 02:20
にゃぁーご。なかなか休めないにゃ。
>>一生成文法家氏
「その一」の方の批判は悪い方の文が身長200フィート、「無色の緑の」の方が
7フィートだというアナロジーだと思うけどこれはどこから出てくるのかな。
「無色の緑の」文はサンプル内にある文と構造的に似ているから?

「皆が言わないから最終的に非文法的だと感じるようになる」というのは
ないと思う。例えばwhy do you think that Mary said that Bill left?
というのは(1)「なぜ君は思うの?」(2)「なぜメアリーは言ったの?」
(3)「なぜビルは行ってしまったの?」という3つの解釈がある。
しかし、こんな複雑な文にお目に掛かることはまずない。さらに
why do you wonder whether Mary said that Bill left?
には「なぜチミは疑問に思うの」の解釈しかない。why do you think that
Mary wonders whether Bill left?は「なぜチミは思うの」と「メアリーは
疑問に思うの」の解釈しかない。こういう文をお目に掛かる機会って
まずないにも関わらずね。
同様、who does he think that Mary loves?も、もう一つの
Who thinks that Mary loves him?はどちらの意味でも文法的なので
普通は後者の方を言う。前者の方はまずお目に掛からない。
(>>487氏がこのコントラストとれないのは非英語話者だから)
よしんば、こういう文に運良くお目にかかれたとしても、それが
英語のspeech community全員にこういう知識をreinforceする、
というのはあり得ないだろう。

今度、もしかしたら「その3」も書きます。
491一生成文法家:01/11/29 07:34
>>490
>「その一」の方の批判は悪い方の文が身長200フィート、「無色の緑の」の方が
>7フィートだというアナロジーだと思うけどこれはどこから出てくるのかな。
>「無色の緑の」文はサンプル内にある文と構造的に似ているから?

そうです。

>>291に書いたように、
why do you wonder whether Mary said that Bill left?
のような文の問題は意味の問題だと思います。

「皆が言わないから最終的に非文法的だと感じるようになる」
としか言いようのないケースが実際に存在する、というのが
上記のSchu(e)tzeの本の23ページあたりで言われていることです。
例えば、
an enthusiastic if small audienceとは言えるが
an enthusiastic because small audienceとは言えない
(becauseが、形容詞句のような、文より小さいものと結合する
ことはない)
のは、なぜでしょうか。「そういう言い方はしないから」、以外の
説明がありえますか? UGをこのようなケースに関して持ち出す
のが妥当なこととは思えません。
491
意味不明。だれもすべてUGで説明できるとは言ってないでしょ。
493一生成文法家:01/11/29 10:35
>>492
>>491で言っているのは、「子供は否定的証拠がなくてもある種の文が
非文法的であることをちゃんと習得してしまう、という事実を説明するためには
UGを設定する必要がある」という、例えば>>472に示されているような
考え方に対する反論なのです。おわかりいただけたでしょうか。
あのー、心理屋さんの方も言語屋さんと同じようにコテハンを使った
方がいいんと違います? 自分の発言に責任を持ち、思考の経過や
変化を分かりやすくするためにね。
それができない状況があるとしたら、心理学板自体が異常なのでは
ありませんかね。
495kakari-joshi:01/11/29 11:36
>>494 does not use kote-han.
>>494
I am only an observer of this interesting discussion.
>>495
I only play a role as a third-party observer.
498かかり助詞:01/11/29 16:21
言語屋さん達が喧嘩するとしらけていけないので、492氏は
もう少しトーンダウンした方がより建設的ではないかな。

私はwh-islandを意味の問題だと思わない。まあ、他の
quantificationalなモノの中からスコープをとれない、という
ことをszabolsci(綴り?)は言っていたように思うけど、他にも
complexNPとかadjunct islandとかquantifierに関係しない
島も沢山あるし、argumentとadjunctのasymmetryの問題もある。
まあ、詳しくはさておき。

491の主張も492の主張もわかる。しかしおそらく491は変なモノを
比べているのではないかな。元々、if、because、sinceの類は基本的に
SだかVPにつくので形容詞にはつかない。491のifの例はどちらかというと
parentheticalっぽくて、経験で学習するmarkedな類のモノのような気
がする。492氏はそれが言いたいのでは?

ちょっとテクニカルになって心理学の方にはすいませんと思っております。
虚無好きさんがいなくて寂しいニャ。come backシルブプレ。コギャルが
人類かは微妙な問題だから私は書かなかったけど、一応人類だとすると、
UGがコギャル語を予想していたのではなくて、コギャルがUGに合致する
コギャル語を発達させた、と考えるべきでは。しかし、コギャルは人類で
ないという可能性もあるからな。
499おでん屋:01/11/29 16:49
俺もコギャルは別の生物だと思ふ。
昔、哲学板でその辺の問題を議論したことがあるが。
500一生成文法家:01/11/29 20:45
>>498
ifとbecauseの例は、Schu(e)tze自身が書いているように、チョムスキー派の
方々がperipheryと呼ぶタイプの現象ですが、それは彼の議論にとって問題に
なりません。(なぜかかり助詞さんは問題になるとお考えなのか、ご説明
願えますか?)
子供は否定的証拠がなくてもある種の文が非文法的であることをちゃんと習得
してしまう、という事実を説明するために、UGを持ち出す必要は必ずしもない、
ということを示すことに成功していると思いますが。
501厨房の独り言:01/11/29 22:48
しかし、チョム派かどうかはとにかく、例文を英語にするのは
やめてくれないかな。普遍文法なんだから日本語のいい例もたく
さんあるだろ。それとも英語にしか通用しないのか?
日本語でいい例がすぐに思いつかないようなら、普遍ではないよ
ね。
502かかり助詞:01/11/30 00:38
>>500
ありゃ、それ説明したつもりだったのだけど。副詞のsyntaxに
ついてはわからないこと多いのだけど、if/becauseなどはSとか
VPくらいしか修飾できない。だから491は元々どちらもダメ
なんだけどifの方は後から学習される特別なparenthetical
な用法のためいいと言うことになると思うの。だとすると、
becauseの方を否定的証拠なしに非文法的として学習してい
るのではなく、ifの方を特別に文法的として学習しているの
だと言うことになる。理屈通ってますか?

上で日本語でも随分やったけど、日本語のデータだと、
「その君たちが非文法的だと言う文は俺にはいい。
よって証拠にならない。」という反論(というか水掛け論)
の繰り返しだったので最近英語にしてタリする。いっそのこと
バスク語あたりからデータ持ってくればもっといいかなと
思っていたのだけど。文法性の判断はコツみたいナノがあって、
なれていないと、意味がわかればそれでいいのでは、と言い出す
人とかいて大変なのよ。
悪いが、もう俺にはついていけん。
統語以前の、語彙の習得とかの話にしないか?
意味論や語用論とかさ。
刺激等価性や概念形成なんかの話を言語板の方々に勉強していってもらうとかさ。
だめ?
504observer:01/11/30 01:25
だいぶ前に経験のみによる言語獲得システム、MLASが話題になりました
よね。「ヴァーチャル・インファント(北大路書房)」須賀哲生他著
ですが、たぶんこの立場が心理学者側を代表するものと思われるので、
言語学者側もこの本を手に入れて、この本に即して批判ないし解説して
いただく、というのはどうですか? すでに、顔文字先生はこの本を
予約されましたよね。私も先日入手したので今読んでいますが。
505厨房の独り言:01/11/30 02:17
他の人に判断できない例を持って来られてもなぁ。
「チョム論の正しさは専門家にしか分からない」
って言われてるようなもんだもんなぁ。
一般人が別に非文に思わないなら、それは一般人の言語が
チョム論の通りじゃなく、チョム論はシンパの頭にのみある
言語にだけ当てはまるオカルト理論じゃないか、ってな気も
するなぁ。
それにしても、この板だけじゃなく、一般の生成文法の入門
書でも英語の例ばかり挙げてあるのは何故なんだろうなあ。
日本語の例だけで書いてる入門書見たことないもんなぁ。
英語の例ばかりの入門書は多いけどなぁ。
506一生成文法家:01/11/30 02:19
>>502
一瞬、あれ、理屈通ってるのかなと思ってしまいましたが、やはり
理屈が通っていないと思います。「becauseの方を否定的証拠なしに
非文法的として学習しているのではなく」というところがおかしい
です。大人の英語話者の文法ではbecause+形容詞句という
組み合わせは非文法的なのですから、彼らは、その組み合わせは
非文法的であることを学習したのです。少なくとも、この議論に
おける「学習」という言葉の使い方に従うならそうならざるを
えないはずです。>>502でおっしゃっていることは、かかり助詞
さんが>>462でおっしゃったこととは食い違っていて、むしろ、
かかり助詞さんに反論している>>463の方がおっしゃっていること
と似たものになっています。
507厨房の独り言:01/11/30 02:25
そういえば、心理学も100年前に意識の心理学として誕生した
ときは、ある刺激見せてどう思うか、ってのやったんだよなぁ。
内観(内省)法とか言ったなぁ。で、実験者の思い通りの答えを
しない被験者は「まだまだ修行が足らん」なんて言われてたなあ。
内観にはコツがあって、練習をつまないとダメだ、なんて。
で、イメージ力が全くないために内観法が全然できなかった1人
の亜米利加人が、「オレにはそう見えない、そんなやり方で得た
データは信用できん」って叫んで、心理学が変わったんだよなぁ。
508逃走派:01/11/30 02:30
>>503さん
「ついていけん」などと言わず、もうちっと。てか、語彙習得・意味論・語用論に話を
振ってくれて全然構わないと思うよ。虚無好き先生もその手の話題に振ろうとしてたし。
それになに?刺激等価性、俺、分からん(苦笑)。さらに、心理での概念形成のお話、
是非聞きたいのです。勉強させてくれよ〜。先生!質問です!そのナントカとーかせい!
よく分からないので教えてください!(土下座)

で、例えば、チョム生成での句構造についてのUG原理であるXバーだけど・・・

***

例えば日本語なんかはSOV語順の言語だと言われていて、その通り、SOVなんだけど、SとOが
同じ資格で並んでいるかというとそうではなくって、[S [O V]]の階層関係だったりするん
だけど(え、ホントかとかいわれてその証拠出してもいいけど、ものすごーく長くなってしまうので、
ともかくそうなってるらしいいんよと言って片付けるー)そいでもって、んじゃあ、
このSOV、語順は単純なデータで分かると思うけど、その階層関係の方はどうやって知るんだ?
とか考えて、こっから突然おぼつかなくなったりするけど、日本語の場合、かなり自由に
「太郎ちゃんを花子ちゃんが叩いたの」とかってOSV語順も普通に出てきたりするわけで
そういう資料を与えられた幼児は、「ああ、この言語ってSOVが普通かもしれないけど
OSVも出てくるから、どっちでもいいんだよな」とか考えて、階層構造なしの
[SOV]構造とか、[OSV]構造を考えたり、あるいは[[SO] V]とか[[OS] V]とかも
可能とか考えたりするんじゃないかと思ったりするわけ。幼児って頭よさそうだし。
なのに[S [OV]]の階層構造を習得するのはどして?

他の範疇でも、例えば「東京から」とかって後置詞があるから?「〜〜と(言う)」とか
って従属節を導く要素が後に来るのが分かるから?それによる一般化?だったら、どうして、
そういう語順と動詞ー目的語の語順が一致しなければならないのがじぇんじぇん分からない。
他の品詞(=範疇)も含めてすべてが同じ階層関係にあるって考えるのって、教えられなきゃ
普通分からないもん。

S-O-Vのような命題的陳述ではS [O V] というように意味的にSが特別になっている?
それだとして、どこからそんな意味的階層性が出てきたの?どうやって分かったの?
今度はそれ自体がUGに入るのでは?

***

学習とかの基本を知らない厨房にはこの程度の空想しかできましぇん。

チョム生成が設定するUGはいろんな点で「変なヤツ」であるのは間違いありません。
生成派はそれを「気持ちよく消滅させてくれ!」とこい願っています(俺の解釈)。
気持ちよく消してくれるんだったら、なーんも文句ないよって感じです。
学習理論で説明してくれるんだったら、それはそれでハッピー!
でも、今まで「気持ちよく消滅」できるストーリーはなかった。だからしつこく言ってる
というのが正直な気持ち。
さらに学習理論で説明しきれないなら、どうやって消滅できるかって言うと
結局、生物進化の所産として進化論で殺してくれればハッピー!
顔文字先生はUGを狭く限定していってそこで、進化論で消滅してもらうことを
目的としている模様。
__

もう寝る〜。
509逃走派:01/11/30 02:44
> 厨房の独り言さん
例えばこのスレに出ていた例について、*すべて*が「厨房の独り言」さんの
判断とずれますか?だとしたらもうちょっと「厨房の独り言」さんの
言語知識を調べたいので是非、僕と付き合ってください。メルフレに
なってください!お願い(ハート)。

それと、これはマジレスっぽくなりますが、507のおっしゃる通り、今の
心理学では内観法は使われていないのですか?てか、そもそも「内観法」
というのがどのようなことを指しているのかわからなかったりする(大笑)
ある種の刺激に対して被験者の内観を調べる実験はしてないのですか?
どう見てもしてるんだけど(苦笑)。それと同じつもりなんだけど
(しまいにゃ、泣くぞ)。
510kakari-joshi:01/11/30 04:27
>>506
No, that is not what I meant. I will get back to you on this in Japanese later.
>>508逃走屋さん
>よく分からないので教えてください!(土下座)
土下座よりも、語や概念の獲得とか動物の認知の話とか、
そういう方向に話を持っていけば、
必ずその話題が出てくると思いますよ。
512名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 06:48
>>509
近代心理学の祖、ヴントは507が言っているような内観法で研究をした。
20世紀初頭、それに反駁する形で心理学は3つに分裂した。
1つは、自分の心には内観ではわから%
513512(すまそ):01/11/30 06:52
1つは、自分の心には内観ではわからない「無意識」があるとした精神分析、
1つは、公共観察可能な「行動」を心理学の対象にしようとした行動主義、
1つは、意識を要素に分けず、「全体的」に見ようとしたゲシュタルト心理学。
それぞれ独自に意識を扱う手法を発達させて現在に至っている。
言語学の実験が心理学史のどの段階にあるものなのか、興味深いところ。
514かかり助詞:01/11/30 08:47
>>一生成文法家氏。
if/because+形容詞のことを言っているのではなく、if smallが
その前にあるenthusiasticに対して持つ修飾関係の話しをしている
訳です。梶田先生流になるけど、enthusiastic if smallは
enthusiastic and/but smallのような等位構造の類推として
if smallがenthusiasticを修飾していると思うのでしゅ。だから、
「if small, enthusiastic audience」というような言い方も
できない。「but small, enthusiasitc audience」が悪いのと
同じだと思う。で、becauseの方は(そのcomplementに何が
来るかに関係なしに)andの類推で直前の形容詞に掛かる用法が
markedにも存在しない。becauseが修飾できるのはSかVPくらい
と言っていたのはそのことです。すなわち、副詞(句)because/if
が付けるモノとして形容詞は元々(UGの何らかの原理で)ダメ。
でもenthusiastic if smallの例はmarkedな形として習得された
ということ。だとするとbecauseの方をnegative evidenceなしに
非文法的と習得しているのでなくて、ifの方をpositive evidence
で習得している。さすがに、これで理屈は通っていると思うっぴ。

>>all
ところで、UGについて一致している見解として、構造依存を上で
指摘したわけです。それに対する「反論」が誤解に基づいている
ことも指摘しましたが、なぜそれでもUGはない、という結論を
みなさん導き出すのでしょうか?コギャルはUGを持たない、くらいの
結論ならわかるけど。
515一生成文法家:01/11/30 10:15
>>514
becauseとifの間のコントラストは、if節やbecause節に修飾されて
いるものが文や動詞句である場合にも見られるものです。
  If so, who will serve on the five-member city council?
*Because so, he will not serve on the five-member city council.

それから、構造依存性に関してですが、ラテン語に関するかかり助詞
さんの理解(>>448)は間違っています。実際、統語構造に関わり
なく、queは、最初の単語の後(最初の単語が一音節しか含まない場合は
その次の単語の後、だったかな?)に来ます。

もっとも、私は、UGはないと言っているのではなく、UG説は証拠
不十分であると言っているに過ぎませんが。
516observer:01/11/30 10:37
これは第三者の立場から申し上げるのですが、我々は言語やその獲得の
しくみをより深く理解したいという共通の動機をもっているはず。

それから、より広い立場からみて、心理学が扱う現象も言語も、これらは
すべて生物現象である、という認識が重要です。

上で何度も触れられたように、チョムスキー学派の考え方は生物学と強く
結びついている。その生物学は遺伝的にプログラムされた生得的な行動の
存在を明らかにし、さらにこの2-30年間に組織化学的方法などの厳密な
客観的方法により、脳内におけるニューロンの結合様式も遺伝的なプログラムに
強く依存しているらしいことを明らかにし、したがって、その結合には
なんらかの情報が保存されている可能性がある、ということを強く示唆して
きた。つまり、生まれてきた赤ちゃんは決して白紙ではなく、また言語
獲得の過程は決して神秘的なものではなく、系統発生と進化の過程によって
形作られてきた神経ネットワークの機能に依存しているかも知れない。
このことに対して心理学者諸氏はどう考えるのか、私は非常に興味があるのですが。
>>514
 >>456>>458参照
518名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 11:44
>>516
そういうことはすべて前提にした議論だと思うのですが,なにか?
もしかして164さん?
519observer:01/11/30 11:51
>>518
>>513氏の言い分はとてもそのようには読めないのですが?
520observer:01/11/30 11:58
>>518
1.生まれてきた赤ちゃんは白紙である。
2.言語獲得の過程は決して神秘的なものではなく言語刺激のみによって
獲得できる。
という主張が「ヴァーチャル・インファント」に出てくるのですが、
私にはこれは生物学の知見を故意に無視したものとしか思えないのですが?
521名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 12:20
>>520
作業仮説と「哲学」を混同するな。
522かかり助詞:01/11/30 12:22
515 if/becauseの話しは514への反論ではないよね。soとかnotというのは
Sに対応するpro form(の用法があり)でbecauseでなぜこれが使えないのか
は知らないな。

ラテン語の話しはそうだったっけ?忘れていた。しかしその第二の位置は
構造上fixedでその前にブツが動いていってるのではないかな。オーストラリアの
ワリピリ語にも同じような現象ある。
523observer:01/11/30 12:24
誰も言語の獲得が神秘的なしくみによるものとは考えておらず、脳の
機能によって生まれると考えている。しかし、その機能に生得的な成分が
あるとしたら、経験のみで言語を完全に獲得できるでしょうか?
私は生物学の知見に照らして、個体の経験のみでは言語を完全に獲得
できない可能性は十分にある、と思っていますよ。その生得的な成分を
言語学者はUGと呼び、なんとかそれを抽出しようとしている、と解釈
していますが。
524名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 12:30
>>507 >>513
方法論において言語学は心理学よりも100年遅れているようです。
525observer:01/11/30 12:34
>>524
くだらないね。その言い方は心理学の優位性を誇示することによって
言語学を貶めようとしているだけだ。しかし、生物学からみたら
心理学も生物学の客観的な知見を故意に無視しているのか、単に無知で
ある、と思える。
526名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 12:35
>>523
ここではおとなしくしている約束じゃなかったの?
偽名使ってまで出てくるなよ。
527かかり助詞:01/11/30 12:36
>>517
>>460-2を参照。

>>520 産まれてきた赤ちゃんは全くの白紙だというの???
顔を認識する能力なんかは別なのでしょうか?
528observer:01/11/30 12:40
>>527
言語学者さんも「ヴァーチャル・インファント(北大路書房)」須賀哲夫著
をお読みになることをお勧めしますよ。
529かかり助詞:01/11/30 12:40
>>524 おいおい、言っていいことと悪いことがあるぞ。
あんまりそう言うこというと俺も本気になるぞ。
530一生成文法家:01/11/30 12:42
>>522
>>515>>514への反論のつもりでした。"because so"と言えないこと
はどのように学習されるのですか? 幼児は否定的証拠を与えられない
と考えられますが、UGで説明できるでしょうか。>>462でおっしゃって
いることを素直に解釈すれば、UGで説明する以外にない、とかかり
助詞さんはおっしゃっているのだと思うのですが。

もう一つ別の例を出しましょう。
If passed, the Class Pass Referendum will extend the Class
Pass Program for another four years.
このように、ifは、過去分詞と結合することができる。これに対応する
用法はbecauseにはありません。これもUGで説明できるのでしょうか。
531名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 12:46
>生物学の知見を故意に無視したものとしか
>生物学の知見に照らして
「生物学の知見」ってなんですか?曖昧すぎます。

>脳の機能によって生まれると考えている。
>しかし、その機能に生得的な成分
ある種の動物が脳という器官を持っていること自体が生得でしょう。
脳を持っているとして、それに「経験から学習する能力」があるか
どうかも生得的。
言語生得説の対抗馬(?)がスキナー流の経験主義だったのは今や昔の
話ですよ。チョムスキー派の人にも特にその辺わかってない人多いみたい
ですが。

>言語学者はUGと呼び、なんとかそれを抽出しようとしている、
これは心理学者=フロイト派、経済学者=マルクス主義者と一般化するような、
不当でカコワルイ言い方です。もう少し勉強したほうがいいのでは?
532observer:01/11/30 13:29
>>531
別に相手にする必要はないのですが、それは誹謗中傷のたぐいですね。
これまでの流れを把握していることを前提に、いちいち長ったらしく
くどくど説明することを避けて言葉を節約することができる。把握できて
おれば、節約された言葉で何を指しているかは分かろうというもの。
533かかり助詞:01/11/30 13:56
>>ALL
何だか荒れてきたな。私は>>524に発言を撤回し謝ってもらい
たいが、それは学問する人間の良識にゆだねよう。みんな、もう少し
紳士的に話し合うことにしようよ。

>>530 具体的にGBなりミニマリストでどう分析するのかは
解らないけど、if passedみたいなのはif it is passedの
reduced formだと思う。同様、if successfulもif it is
successfulのreduced form。if so、if notもreduced form
なら、一般化としてはbecauseはreduced formを補部にとれない
ということになりそう。これは上で述べたenthusiastic
if smallの動的文法論的分析で、「なぜbecauseにはこの
用法がextendしなかったか」というのに対する答えになって、
補足的説明になれどUG説には不利にならないと思う。
具体的な分析は解らないといったけど、何となくthat-tに似ている。
けどECPとかでは説明できません。将来的に説明できるといいな。

virtual infantっての読もうにも、私はそういうのを簡単に
入手できるところにすんでいないのよ。

>>531 では具体的にどのような言語習得モデルをお考えかお聞かせ
下さい。一応、「反証可能」な仮説を。「それは学習可だ」という
のだけではモデルではないということでよろピク。
>>533 かかり助詞センセ
>virtual infantっての読もうにも、私はそういうのを簡単に
>入手できるところにすんでいないのよ。
インターネットショッピングが普及した現在、それは言い訳にならないよ。
http://market.bookservice.co.jp/top/index.html
とか、海外にお住まいなら、
http://www.amazon.com/
とかさ。
535名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 14:22
>言語屋さん、生物屋さん
煽り厨房はほっとくとして、>>524が言及している
>>507 >>513の事実についてはどのように考えるの?
そっちにこそ反応すべきでしょう。
536一生成文法家:01/11/30 14:30
>>533
「becauseはreduced formを補部にとれない」ということを将来
UGで説明できるようになったアカツキにはこの現象はUG説に
とって不利にならなくなる、とおっしゃっているものと理解して
よろしいですか。それとも、今現在、既に、この現象は特にUG
説にとって不利なものではない、とおっしゃっているのですか。

(ここで、UG説という用語は、かかり助詞さんが>>462
おっしゃっている説を指すものとします。)

もうやめますが、最後の質問として、おうかがいします。
537名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 14:35
紙が燃えている。どうしてだろう。
心理学者は「火をつけたからだ」と答える。
言語学者は「紙には燃えるという性質があるからだ」と答える。
どちらも正しい。しかし、どちらが妥当かは解決が求められる問題による。
無益な争いはやめましょう。
538名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 15:27
>>537
紙が燃えているのは紙に(火をつけると)燃えるという
性質があるからだ,という説明は
disposition concept による因果説明で
トートロジーになるから正しいとは言えないよ(笑)。
(つまり,燃えるという性質があるかどうかは
燃えていることによってしかわからないということ。)

「燃えるという性質」を紙の化学的な組成などから
実体論的に説明できた時だけ,それはトートロジーではなくなる。

同様に,UGとかなんとかの存在が「それがあるとしか考えられない
事象の存在」だけを根拠に言及されている限り,「文法の判断ができるのは
UGがあるからだ」という説明はトートロジーでしかない。
文法の判断ができるということによってしか,UGの存在が
確認できないから。文法の判断ができるという事実以外に
UGの存在を示すものの発見,UGの機構と機能の分離が必要。
539名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 15:29
observer=164=11さん
荒れるので消えてください。
>>539
魔女狩りですな
541名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 15:49
>>533
だって>>524そのものが>>525(observer=164=11)による
自作自演煽りじゃんか。心理学者がそんなこと書くわけなし。
言語学者すなおに煽られるな!
542209:01/11/30 15:52
>>538
UGの存在を示すものの発見,UGの機構(構造?)と機能の分離が必要。
これがまさに、>>454で書いたことなんですけどね、これは顔文字先生がお戻りに
なるまでご返事をもらうのか無理かな、と。
543observer:01/11/30 15:53
>>541
違います。
544209:01/11/30 16:22
念のために書いておきますが、>>454で書いた遺伝における本と読者の
比喩は、言語学におけるcompetenceとperformanceの区別を指すのでは
ありません。
いわば、competenceのさらなる区別を指しています。
competence=UGなのか、competenceにUGも含まれているという構造なのか、
competenceはUGという本とその読者から構成されているのか、または
UGは本と読者から構成されているのか?
という質問です。
545名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 16:43
>>533>>531へのレス
たたき台にする個別・具体的なローデータの提示がないと無理でしょ。
相手は「はじめに仮説的モデルありき」という立場じゃないんだから。
546かかり助詞:01/11/30 17:16
>>535 文法性の判定にある程度のトレーニングが必要なのは、意味がとれるから
いいとか、何となく日本語っぽいからという、シンタックスと関係のない要因の
干渉があるためです。前にも言語学の方で書いたけど、「あの人、きたよ、
一昨日、パーティに、女性と、これ本当?」でも意味は通じる。しかし、
これを文法的にされたら、シンタックスはいらないよ。

>>536 どっちかな。まあ、将来的に文法モデルからderiveできたら
その文法理論はそれが出来ない理論よりいいということでしょうね。しかし
楽しいdiscussionで随分考えさせられ、勉強になりました。ありがとう。
また、おもしろネタ見つけて言語板でやりましょう。

>>545 では「ifはreduced formとれるけどbecauseはとれない」
というついさっきこの板で発見された一般化を、世界の英語母語話者推定
4億人が一様に習得するというところあたりからお願いします。
547国語:01/11/30 18:22
>415で触れた「ある言語天才の頭脳」(The Mind Of a Savant(1995)の邦訳)だいぶ読めたので
ちょっと紹介&感想です。
知的障害を持つクリストファという人はギリシア語からベルベル語まで20の言語を幅広く
習得している「言語サヴァン」ともいえる人物で、言語学者が生成文法の「原理とパラメータ」
理論に基づいて、彼の言語能力について分析を行うという内容です。一般書店で売られている
一般的な読者も視野に入れたつくりをめざしています。このスレでも出てきたような様々な
「実験」が彼に対して行われ、言語に関わる能力をつかさどる様々な領域(統語・語彙・認知etc.)
がモジュール性を持ち、選択的に損傷し得ることを明らかにしようとしたりしてます。
最後には、架空の言語(エプン語と呼んでいた)を彼に習得させ、きわめて貧困な(貧困であるよう
コントロールされた)言語刺激だけをもとにそれ以上の文法を習得させられるかなどといった
UG仮説検証のための実験なども行っています。
ここをのぞいている、生成文法筋の言語学(の指向性や研究手法)に興味のある方は、
一読してみてもいいのではないかと思います。
>言語刺激の貧困
くどいようだが、
1.量的には貧困ではない。
2.言語刺激だけではない。
3.刺激の質的貧困とやらは般化が生じていることを物語っている。
むしろ、そのような現象のことをまさに「般化」と言うのではなかったのか。
つまり、
この般化現象にUGが関与しているかどうかが問題なのであって、
般化そのものを無視するような議論にはついていけない。
私も、刺激等価性などの話をしてほしい。
549名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/30 20:01
言語の刺激等価性とはタフな課題だなあ。しかもマイナー。
本格的に研究してる人は日本にどのくらいいるかな?
実験臨床心理学的な報告例は増えつつあるけどね。
550逃走派:01/11/30 23:44
土下座までしたのに、丸無視か。そういう連中ということか。つまんねーの。
>>550
そう言いなさんなって。
どう説明したらいいのか考えてると、大変そうなので気力が失せるのだ。
>>511が言ってるように、単語の獲得の話になればいいんだが。
生成派はこれをどう考えているのだろう?
552名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 00:53
>>550
んー、簡単に言うとね、
柴犬の“ポチ”、ハスキーの“タロー”、コリーの“ラッシー”、その辺の雑種、
エトセトラは、みーんなやっぱり犬でしょ。
これが「犬」の概念形成で、全部の犬を見る必要はない。
ウチの“ポチ”、隣りの“さくら”、その他の柴犬は、
みーんなやっぱり柴犬でしょ。
これが「柴犬」の概念形成。

刺激等価性っていうのは、
たとえば物理的に全然似ていない見本を使って、
絵の“犬”に対して文字の「いぬ」を選べるようになったら、
今度は逆に、文字の「いぬ」に対して絵の“犬”を指せるとかね。
直接訓練を受けてなくてもできちゃうんだよね。
これはA→B関係を学習してB→A関係が成立する「対称律」。
この他に、A→A関係を学習してB→B関係が成立するのが「反射律」。
A→B関係とB→C関係を学習して、A→C関係が成立するのが「推移律」。
A→B関係とB→C関係を学習して、C→A関係が成立するのが「等価律」。
こういうのは動物だと非常に困難なので、刺激等価性は言語能力に深く関係してると
思ってる人が多い。
>>549さんが「実験臨床心理学的な報告例」って言ってるのは、
臨床実験では刺激等価性の訓練によって障害児なんかでも言語能力の向上が見られる
ということ。
あとは詳しい人、続けてちょ。
553名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 01:16
ついでだけど、>>548さんが言ってるのは、
こういうのも基本は般化現象なんだし、
そういう般化現象にも種差があるわけで、
人間の場合は言語に特有の般化能力みたいなのがあって、
それが統語の場合にはUGみたいなものかもしれない。
だから、般化では説明できないという言い方は変だし(だって般化なんだから)、
般化を無視してUGを持ち出すのはおかしいでしょ、ということだと思う。
禿しく同意っす。
般化という現象が生じるメカニズムは分かっているんですか?
555名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 01:52
>>553
あー、なるほど。UGの機能は般化の一形態と捉えるべきなのか。

生得的に見える「普遍的な」文法構造は実は脳内に構造としてあるのではなく、
言語共同体の中にこそあると思う。それは偶発的な強化によって
それぞれの言語共同体にユニークなものとして発達されてきたもの。
脳内にあるのはUGと呼ばれる統語に関する般化機能。
特定の言語共同体内で偶発的に発達してきた文法体系を
その般化能力によって学習・体得し、次世代に伝達していくと。
もしあらゆる言語共同体において遍く共通の文法構造が見出されているとしたら、
それこそがUGだという意見もあるだろうけど、それはやっぱり文法が
普遍的なのではなくて刺激等価性・刺激般化の過程が普遍的なんだろうなあ。
その能力こそUGの本質なのでは。

・・・反論出るだろなあ。
556名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 02:02
>>554
生粋の心理屋としては感知できない。それは大脳生理学の問題だから。
般化の神経的メカニズムはとりあえず無視しておいても般化現象の解明には問題ない。
むしろ現象の解明を先に済ませておいたほうがあとで神経科学のメスが入るときに
メカニズムの解明もスムースに行くはず。同じようなことを>>454=209氏が言ってるしね。
>>466が言っているように行動分析学と神経科学が融合したら面白いだろな。
557名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 02:16
>>555
ちょっと待ってくれい。
般化だけの問題でもないんとちゃうか。

>>553
>こういうのも基本は般化現象なんだし、
うーん、そう言いきっていいものかどうか。
概念形成みたいにカテゴリー化するには構成メンバー間の弁別ができたうえで
それらを同じようにカテゴライズできないといかんのでは?
どうなんでっしゃろか?
558557:01/12/01 02:18
それとも、カテゴリー化自体も般化と呼んでいいんでっしゃろか?
559某爺:01/12/01 06:14
皆の衆、そういうことになると、ワシにも思いついたことがあるぞ。
>>555
>脳内にあるのはUGと呼ばれる統語に関する般化機能。
仮にそうだとすると、UGの規則というのは、そういう般化機能を抽象化したものじゃな。
そこでじゃ、ごくふつうの般化機能を抽象化して規則を作ることもできそうじゃな。
生成派の真似をして、ニョキニョキと枝分かれさせて色々と調べることもできそうではないか。
生得的な部分とか種差とか。
般化勾配とか頂点移動とかも抽象レベルで論理的に予測などもできそうじゃ。
それを実験で確かめるとか。
具体的にどうすればいいかという例が思いつかんのだが、
言語がない分は代わりに数学みたいなもんを使うことになるのかのう?
しかし、般化だけでなく弁別や分化の過程なんぞも扱えそうじゃぞ。
どうじゃ、このアイデアは?
560某爺:01/12/01 06:19
あれ?
待てよ?
具体的な例を考えているうちに気がついたんじゃが、
その昔ワシがイヤイヤ勉強させられたハル派や新ハル派の行動理論というのは、
もしかして、結局のところ似たようなことをやっておったわけかのう?
どうなんじゃろか?
561名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 08:06
で,ハル流の「新行動主義」はどうして終わっちゃったんでしたっけねえ。
562名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 12:22
いや、その、般化機能とかいうのを持ってしても説明がつかん
部分があるぞゴラァ、ということではなかったの?
そのぉ、概念形成や般化の結果、

ーー  ーー
 目  目
   鼻

   口

という「顔」についての概念が形成されたとしますね。
その後で、

大目 大目

  口   (いわばコミックで描かれる顔)

はたぶん、「顔」という概念に般化されるだろうけど、

  口
 目 目
  鼻

は「顔」に般化されるだろうか? 般化されないとしたらそれはどうして?
最後の例が言語学における「非文」に当たる、と考えるわけですが。
>>563の例は「十分に適切な例」ではないかも知れないけれども、
たぶん、以下のように要約できるんじゃないかな。

最後の例は「顔」に般化されない、その理由は、
チョムスキー学派の言語学者:
「顔」に関する表象が生得的に備わっており、その生得的な表象に
照らして最後の例は「顔」ではないと判断される。

心理学者:
現実に最後の例のような「顔」は存在しないから。後天的に形成された
「顔」の表象が最後の例を「顔」として許容しない。

ひとつの観察例:
鏡で自分の顔を見たことのない赤ちゃんに対し、大人が舌を出して
みせるとその赤ちゃんも舌を出してみせた・・・
565名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 16:46
>>563

現実問題としてあり得ない話だけれど、般化理論に基づくならば
最後の例のような顔の人ばかりをみて育った赤ちゃんは
最初の例のような顔や2番目の例のような顔を見たとき、
それを「非文」と判断するだろう。

次のような例も考えられる。生まれながらに盲目だったが
成人後、手術を受けて開眼した人もいる。
こういう人は写真を見ても奥行きを感じることができないし、
立方体もさわってみないと見ただけでは立方体と判断できない。
とうぜん人間の顔も見たことがないから、たとえ開眼後に
初めて見た人が>>563の最後の例のような顔をしていたとしても
「非文」だというような判断はしない。
566名無しさん:01/12/01 16:57
>>565
>最後の例のような顔の人ばかりをみて育った赤ちゃん

の言語版は自然言語にありえない(と思われる)規則の言語を赤ん坊が
習得できるかということになるわけですよね。

それは人道的に実験できないだろうけど>>547でいってる

>最後には、架空の言語(エプン語と呼んでいた)を彼に習得させ、きわめて貧困な(貧困であるよう
>コントロールされた)言語刺激だけをもとにそれ以上の文法を習得させられるかなどといった
>UG仮説検証のための実験なども行っています。

の部分の結果がどうだったかというのが、ある程度示唆してくれるということには
ならないのですかね。>>547には結果がどうだったか書いてないけれども。
567名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/01 17:20
>>566
言語サヴァン…そんなのもいるのか。
興味深い実験だけど、その実験の結果がどうあれ、
サヴァン症候群でない普通の人にどこまでその結果を適用できるかなぁ。
せいぜい導ける結論は「〜が可能な個体が存在することが明らかにされた」
という程度のもので「ヒトという種は〜が可能であることが明らかにされた」
という一般化にまではいかないような気がするけど。
568564:01/12/01 17:48
>>565
有効な反論になっていないと感じるのですが。
前段はまさに有り得ない以上、何も証明したことにならない。

後段は、要するにその人は開眼しても視覚刺激が利用できない、という
ことだから、最初や二番目の例でも非文かどうかの判断はできない。
(我々も印刷された文章を指で触っただけでは、その文章が非文かどうか、
判断できないよね(笑))。
その人はもちろん触覚は使えるし、長年人の顔を認識するために人の顔を
触ってきただろうから、最後の例を触ったらただちにそれは人の顔では
ないと認識するはず。
569564:01/12/01 18:06
>>566
自然言語にありえない(と思われる)規則の言語=架空の言語
ではありません。
「自然言語にありえない(と思われる)規則の言語」の正確な意味は
その規則では文章を綴ることができない、というほどの強烈な意味に
なります。
架空言語であってもその規則で文章がつづれるのであれば、それは自然言語に
ありえない(と思われる)規則の言語ではありません。
570566:01/12/01 18:10
んー、ちょっと568でいってることを議論にリンクさせて理解できなかった。

生成派がいってるのはUGによって狭く限定された規則を使う言語のみを
赤ん坊が習得できるということですよね。
で、実験はできないけども、UGに反する規則を使うような人工言語は赤ん坊にも習得できないであろうと
予測することになると。

で、547にかいてある言語サヴァンなる人が大人になってからも「赤ん坊がそうするように」
言語を習得するような人たちなのだとしたら、という仮定の上で、
こういう人たちに対する実験がUGを主張する人たちの議論の根拠に
なりうるのではないかということをいったつもりでした。

もちろん567さんのいうように普通の人にどこまでその結果を適用できるか
という問題があるわけですが。
571566:01/12/01 18:13
>>569
いや、論理的には可能でも自然言語にはありえない規則というのがあって
それはUGによって排除されているという主張を生成文法家はしているのだと
思いますが。
572564:01/12/01 18:47
>>570 >>571
>生成派がいってるのはUGによって狭く限定された規則を使う言語のみを
>赤ん坊が習得できるということですよね。
これはたぶん違いますね。UGはおそらくかなり少数の規則の集まりだが、
そこからいろんな言語が派生できる、そんな規則の集合だと思います。
だから、人工言語であっても人間がそれで容易に文章がつづれるのであれば、
UGに反する規則を使う人工言語にはならないのではないでしょうか。

少なくとも、UGに反する規則を使う人工言語を作り出すのは非常に
難しいことだろうし、そのような規則を用いて人間が文章を作るのも
難しいものと思われます。なにしろ、UGにないのですから。
>>571も少し取り違えていると感じます。
573国語:01/12/01 19:25
>エプン語について
若林茂則先生が(原書にはない)「はじめに」で以下の文章を書いています。
「彼は動詞の活用やある種の文法の習得に驚異的な力を発揮する。しかし
話者の意図を理解することにおいては……彼は母語である英語においてさえ
発話に含まれる話者の意図が理解できないことがある。文や単語の意味はわ
かるのだが、皮肉やジョークなどは理解できない。
……
著者たちはクリストファに自然言語のベルベル語と人工言語のエプン語を教えた。
…彼はベルベル語もエプン語も非常に熱心に勉強し、特に屈折などの形態統語の
規則の発見と習得にその天才ぶりを発揮した。しかし、人工言語のエプン語には
自然言語にないいくつかの規則があり、それらについて彼は示された例文から
規則を見出す事ができなかった。
……クリストファがエプン語習得の実験で習得できなかったことは、人間の生得的
言語能力に含まれていない可能性がある。」
574逃走派:01/12/02 00:54
皮肉っぽいことを書いて、しゅみましぇんでした。答えてくれた方々、ありがとうにゃ。
もう寝る。
575名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 01:49
虚無好き専政カムバックプリーズ
576名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 03:03
>いや、論理的には可能でも自然言語にはありえない規則と
>いうのがあって それはUGによって排除されているという
>主張を生成文法家はしているのだと思います
生成文法家=チョムスキーね。
本当に言語に特化したUGなんてものによって排除されている
のか疑っているのがアンチ・チョムスキー。
577名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 03:26
論理的には可能でも自然言語にはありえない規則をUGが排除していると
いうよりも、そういう規則をUGは知らない、言い換えるとそういう規則は
進化の過程でたまたまかどうかは分からないけれどもUGに装備されなかった、
ということなんじゃないのかな。
だからその規則に則った文に出会った時、UGは排除するというより理解でき
ないんじゃないかな。もちろん、以上はチョム派に沿った考え。
578虚無好き:01/12/02 05:07
激怒モードで退場したのは反省してるにゃ…
じつは、少なくともピロシキ顔のセンセにとっては
チョムスキー理論の提出する論拠を認めない論者は、一般に、アホ、
UGを仮定せず、類推能力などでシンタクスが学習可能であると主張すると、
アホの2乗、
言語が制度・習慣のように何らかのかたちでヒトによって「開発された」とみなすと、
アホの3乗であることは、
批判スレに常駐していた人間として、承知のうえだったんだけどにゃ。
時々、ブチ切れるのが、性分にゃ。(猛省)
性分といえば、わたしは批判にしても評価にしても、多角的にしかできないのにゃ。
チョムスキー理論の功績について、専門家より上手く説明できるんじゃないかと思うほどにゃ。
批判のための批判は、科学的な態度ではないにゃ。

反省はこれまでにゃ。
批判にゃ。
<排中律>からの議論を予定してるにゃ。
<排中律>というのは、pであれば、矛盾する、
したがって、非pである、という推論のことにゃ。数学でも議論百出の原理にゃ。
じゃにゃ。
579虚無好き:01/12/02 05:18
↑いきなり間違えたにゃ。
<排中律>は、推論ではないにゃ。
pであるか、もしくは、非pである、ということにゃ。
調子ワルイにゃ。
心理板では、この批判はやめとくにゃ。
580虚無好き:01/12/02 06:31
読むの疲れるにゃ。とりあえず
>脳内にあるのはUGと呼ばれる統語に関する般化機能。
といういいかたは、チョムスキー的ではないにゃ。
UGは「構造」であって、あらゆるいみで機能ではないのにゃ。
そして、生成文法の文脈で構造といわれたとき、
すなわち「構造=知識」とまで読み込まなければならないにゃ。
そうでなければ、生得的知識について、検証することはできないのにゃ。
この知識については、非常に実体的に考えられていることに注意してにゃ。
ある著名な神経生理学者は、脳内のニューロンが実際にひとつの「単語」に対応しているという、
わたしにとってはかなり「衝撃的」な発言をしているが、
存在論としては、チョムスキー理論とかなり近いところにあるにゃ。

チョムスキーの考え方にそっていえば、
水泳選手が事故ですべての手足を失ったとして、
その瞬間に事実上の(パフォーマンス上の)水泳能力は失われたとしても、
脳内にコーディングされているとみられる水泳についての能力(知識)は消失するわけではなく、
その存在について不可知論におちいる必要はないということにゃ。
たとえば、fMRIによって、泳げるひとと、泳げないひとで、
泳ぐ運動表象(「イメージ」)による運動野のニューロン活性化の差異が観測されるかもしれないにゃ。
すると、パフォーマンスを抜きにして、
「能力」の有無について、実証的議論ができるということになるにゃ。
(fMRIの不確定性については、生物板の「脳脳脳…スレ」で言われてるけどにゃ。)
ようするに、言語の能力の問題は経験科学の問題であり、
この能力は脳内のある構造にもとづくものであり、
この意味で、構造が知識であると言われているのにゃ。
ちょっと脱線したかにゃ。またくるにゃ。
581209:01/12/02 07:19
虚無好き先生おかえりなさい。
>>454(補足として>>544)の質問へのご回答をください。私はUG=知識、
すなわち本と考えた時、それを読みにいって解釈する実体、つまり読者も
必要だと思うのですが、この本と読者の区別についてはどうお考えですか?

その著名な神経生理学者のお説(おばあさん細胞という奴)は眉に唾して
くださいね。それは階層仮説の行きすぎた極端な還元論であると同時に、
そこにはニューロンの「反応選択性」の問題、つまりあるニューロンが
「おばあさん」に対して反応した時、なぜ周囲のニューロンがそれと知って
「おばあさん」という認識が生まれるのか、という厄介な問題が潜んでいる
のです。たぶん、その考えは間違っている。
582名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 16:52
>>580
だったら、
「脳内にあるのはUGと呼ばれる『統語のみに特有の般化機能を生じさせる構造』」。
問題になっているのは、これがどこまで生得的かどうかである、ということでよろしいですか?
583582:01/12/02 16:59
うーん、違うか。
「問題になっているのは、これが本当に『統語のみに特有』なのかどうかである」、
ということでよろしいですか?
584虚無好き:01/12/02 22:05
まず581先生にお応えするにゃ。とはいえ、難しいにゃ。
「機械の中の幽霊」と通じる問題でもあるにゃ。
かかり博士はわりと気軽に「UGにそう書いてある」というような発言をするけど、
わたし的には、このあたりは慎重でなくてはならない問題にゃ。
ひとことでいえば、チョム理論で考えられているUGは、解釈者は必要ないにゃ。
(これからは、チョムの略称を使わせてもらうにゃ。)
で、わたしとしては、生成文法がきれいに統語部門の純粋抽象化に成功すれば、
問題になるのは文の客観構造のみであり、
「解釈する実体」(この言語学的ホムンクルスは、下手をすると解釈の無限後退を生み出すにゃ。
おそるべしにゃ。)
の問題は、あたかも数式に解釈者が必要とされないように、あるいは
数学そのものが解釈者から独立しているように
(これが一般的見解にすぎないことは承知してるにゃ。
わたしは、数学までも巻き込んだ絶対主観の問題はここではふさわしくないと思うにゃ。)
言語学の一部門は、このアポリアからめでたく開放されたとみなしていいのにゃ。
そしてわたしは、生成文法はすくなくとも語用論の切り離しには成功していると思うのにゃ。
例えば、受付で「失礼ですが」と言われたら、ふつう名前を尋ねられてるんだけど、
このテの問題は考えなくていいのにゃ。言語活動としての婉曲やら皮肉やらも問題外にゃ。

レスに行き詰まったにゃ。
DNAコードの比喩でいえば、RNAポリメラーゼが読者ということになるのかにゃ?
意味論を突き詰めていくと、いたるところに不可知論やトートロジーや無限後退のトラップが存在し、
強固な論理的地盤をみつけるのは大変なのにゃ。
「解釈する実体」は、意味論的主体と言いかえてもいいとおもうけどにゃ、
この主体を想定すると、これらの難問にまともにぶつかっていく気がするにゃ。
とにかく、理想的な生成文法は意味論的主体を必要としない、
あるいは意味論的主体を想定する自然科学はおそらく失敗する、というべきかにゃ。
そして、RNAポリメラーゼにも、主体性をみないほうをおすすめするにゃ。
これくらいで勘弁してにゃ。わたしの無力のせいにゃ。
582以下のかたは、少し待ってにゃ。
>>584
では↓のような意見に対してはどのように考えますでしょうか。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/992014039/71
586虚無好き:01/12/02 23:32
>>583
>「問題になっているのは、これが本当に『統語のみに特有』なのかどうかである」、
このあたりにも、わたしの単純化した用語の記述の影響がでているにゃ…
ある言語で統語現象として現れたものは、
別の言語では語より小さい形態素の問題であることがあるにゃ。
形態素は、文法性に関与する言語の最小単位だにゃ。
文法の普遍性を問題にするかぎり、これらを一括して処理しなければならないのにゃ。
(つねに語=形態素であったら、かなり簡単になるんだけどにゃ)
シンタクス領域といっておけば間違いないのだけれど、
なにが問題になっているか、という問いに対しては、
『統語のみに特有』の生得知識があるやいなや、でいいと思うにゃ。
ここから個別文法のみかけ上の差異は、
せいぜい人種間の顔の造作の違いのようなものという類推がうまれるのにゃ。

こういう通俗的なたとえ話をやってると、
チョムを信じないアホの代弁者とか言われたりするんだけどにゃ。
>>585
むにゃむにゃ。
わたしは、言語の史的起源の問題は実証不可能だと思ってるにゃ。
幼児の言語獲得なら、観測可能にゃ。
そしてその場面が語用論的状況であることは、注目してるけどにゃ。
「どう考えても」か…
わたしなら、もう少し考えてみるけどにゃ。
>>586
>わたしなら、もう少し考えてみるけどにゃ。

単語がない文章ってどんなものなのですか?
構成員のいない組織なんて不可能ですし・・・
588209:01/12/03 01:32
>>587
んー、これは生物系の人間の妄想と考えてもらってもいいんだけど、鳥が空を飛べる
ようになるためには羽が生えるだけじゃなく、骨が中空になる、飛翔するための
大胸筋を支えるために胸郭が頑丈になる等、いろんな形質が平行して進化する必要が
あったと思われるんだよ。どれかひとつの形質だけが進化したのでは役に立たないんだ。

同じ発想で、地を這うだけだった動物が腹を宙に浮かせて動き回れるようになった
時には四肢の筋肉や骨の発達と同時に、重力に逆らった動作を行うための神経系も
平行して進化したと思われる。重力は地球とともにあるような、つまり長期にわたって
不変(普遍ではなく)的に存在する自然の力だから、逆にいうと重力に逆らった動作を
行うための神経系が発達するための素地は昔からあって、それが腹を宙に浮かせて
動き回る行動の発達と協働したのではないか。

さて、ほ乳類になると上段の進化は十分に遂げており、さらには山を駆け上ったり
崖を下ったり、獲物を捕ったり敵から逃げたりといった行動の発達とともに、重力に
留まらず、物は上から下に落ちる、水は上流から下流に流れる、高いところから落ちる
のは危ない、天は高い等、地球上では普遍的、かつ長時間にわたって不変に存在する
自然現象に関する「知識」も平行して生得的に神経系に蓄えられるようになった。
このような「知識」を豊富にもっている個体の方が生存に有利なことは明らかだから
ね。この、世界観に関する生得的な知識が、論理を組み立てるための文法の基盤に
ある、というのはどうかな。物に名前を付けていく、つまり単語の発生はそれから
後に起こったことだ、と。

このシナリオを証明するのは難しいだろうが私は有望だと思うよ。
589192:01/12/03 02:19
>>588
なるほど。
もしもあなたがあの164氏ならば、たまにはいいことを言うじゃないか。(笑)
「知識」という言葉には引っかかるんだが、よく分かるよ。
必ずしも妄想ではないかもしれないな。
しかし最後の
>物に名前を付けていく、つまり単語の発生はそれから後に起こった
というのはどうなんだろうか?
確かに、単語の発生の方が文法より前だとは言い切れないかもしれないが、
後だとも言い切れないのではないかな。
あなたの言い方を借りれば、
「この、世界観に関する生得的な知識が、論理を組み立てるためにまず物に名を付ける、ということの基盤にある」
というのはどうだろうか?
つまり、どちらが先ということではないとか。
ただし、実際に獲得するのは単語が先ではないかとは思われるが。
これも言語能力と言語運用の違いってやつか。
生成派は前者のみに関心が集中しているわけだ。
このスレのおかげでこういうことも分かってきたような・・・
590209:01/12/03 02:37
>>589
なにも「自発性」を持ち出さなくとも、生物学の従来の考え方で説明
できる時はそうするさ。それほど「自発性」は異端なのだよ。自分でも
分かっている。しかし、異端だからこそ述べる価値があるというものだ。
ドグマに凝り固まった心理学者さんには受け入れるのが無理だったようだがね。

>>588でわざわざ地を這う動物やほ乳類の例を挙げた理由が分かって
いないようだな。動物がものに名前を付けていると思われるか? NOだろう。
しかし、実在する自然現象には彼らも長年さらされているので、それが
遺伝子に符号化される、つまり脳内に「知識」として生得的に蓄えられる
可能性があると言っているんだよ。
591209:01/12/03 02:49
>>590は言い方がまずかったかも知れないが、生物屋というのは基本的に
ヒトと動物は連続だという考えが根底にあるんだよ。だからヒトにある
能力はそれが未熟で痕跡のようなものであれ、動物にもある、と考える
傾向があるんだ。
592192:01/12/03 03:06
>>590
「自発性」は、異端であるより前に、定義が不十分だからまだまだ意味不明なのだよ。
まだ分かっていないようだな。(苦笑)
定義を明確にして「生物学的常識論」を脱却してくれれば、受け入れてあげられるかもしれないよ(マジで)。
アフォースレでも、マル氏の弁舌の隙間をねらって、ごくたまに口を出してあなたを諫めたことも何度かあるんだが。
まあ、その話はどうでもいい。
とにかく、あなたの>>588のおかげで見えてきたよ。
単語の件は上手く伝わっていないようだが、まあいいや。
それよりも、
般化や弁別にしても、生物の進化によって得た「世界観に関する生得的な知識」が基盤にあるとも言える。
例えば、人や猿は弁別よりも般化能力に優れるが、ハトは般化が弱く弁別の方が得意だ。
骨が中空であったり、重力に逆らえるような躯や神経系が発達したことなどと同等に考えればよさそうだ。
こうしたことの総合が一つの生物種の今の姿であるわけだから、
「重力に逆らえる動き」についても、いろいろな「生得的知識」が関係してくるはずだ。
だから、「重力に逆らえる動きに特有の」という言い方をしたとしたら、ある意味で正しく、ある意味で正しくない。
同様に、「統語に特有の」という言い方も、ある意味で正しく、ある意味では正しくない、と言えないかな。
現時点での思いつきだが。
593国語:01/12/03 03:16
眠れないので夜中におじゃまします。
「単語」というモノは「概念」と1対1に対応していません。個別の言語ごとに
文法的な枠組みの中で単語の性質は決まるので、「単語」と言った時点で文法より
先になりようがありません。しいていえば「同時に発達する」が正解だと思います。
ということで、ここしばらくの「単語」というのは、実は「概念」の話をしている
と理解しなおしてもいいですか?

個人的には、「文法(言語知識)」が、高等な生物に存在する体内時計のような意味
で文字通り遺伝的に実装されているとは思えません。外界から入ってくる刺激と体内
から沸きあがってくる刺激を「概念化」し整理統合する能力が人間には実装(これは
遺伝的に、といってもいいと思う)されていて、その一部を形成するライブラリを
うまく転用して言語能力が構築されているというのが私の直観です。
犬の排泄のための身体構造と、電柱に片足上げておしっこ引っ掛ける能力との関係に
近いんじゃないのかな。あ、でも、子犬の時に母親から離されて人間に育てられた
雄犬でもあれやりますよね。あれって、遺伝子に符号化されてるんですか???
594名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/03 03:24
>>591に関しては激しく同意。だからこそ心理現象の起源というか、
原始的なものを求めて統制の容易な動物を被験体にした実験が心理学で
盛んに行われてきたわけだけども、素朴な心理学のイメージを抱く人や
ナイーブなメンタリストたちは心理学における動物実験の意義など認めようともしない。

まあそれはいいとして、>>590に関してだけど、たしかに動物は言語をもたないから
人間と同じようにものに名前を付けたりはしない。しかし、ものに名前をつけるというのは、
特定の事物を、物理的・形質的には全く異なる別の事物と恣意的な象徴として結びつける、
という現象の一形態なわけですよね。霊長研のアイちゃんなんかをみると、そのような
シンボル化は動物でも十分可能なようですが。彼女(?)たちも文法はある程度理解できる
ようになるけれど、やはり人間ほどではないしむしろ単語の習得のほうに優れた能力を示す。
このように考えると、文法も「(あなたの言葉でいえば)知識」として遺伝子に蓄えられて
いるでしょうが、単語のほうが先だったのではないでしょうか。
595(´∀`):01/12/03 03:44
にゃっほー。
もうすぐ復帰できると思うのにゃー。

>>588=209
>世界観に関する生得的な知識が、論理を組み立てるための文法の基盤
>物に名前を付けていく、つまり単語の発生はそれから後に起こったこと
同意にゃ。系統発生との混同ではないと断っとくにゃが、個体レベルでも
語より文(を生み出す能力)が先にあるはずだと俺も言語学板でずっと
言ってきたのにゃ。たとえば
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=978466881
の13は俺だったりするのにゃ。
>ふつう僕らが「単語」(word)っていってるのはVIに相当し、syntax投入段階ではそんなものは
>まだ存在していない。だから「単語を組み合わせて文をつくる」なんてことも実はあり得ない。

あいるびーばっくすーん、にゃ。
596192:01/12/03 03:44
>>593
前段は心理学的には部分的に多少問題がないわけじゃないけど、
>ここしばらくの「単語」というのは、実は「概念」の話をしている
>と理解しなおしてもいいですか?
そう考えてもらって構わないとは思う・・・が、ただし留保付き。
みんなが概念形成の話を持ち出したのは、まさに「概念」を問題にしているからだけれども、
ただし、それが単語という形でラベリングされて用いられるようになるには
刺激等価性の問題が出てくる、ということをみんなは言っているわけですな(多分)。

>犬の排泄
>>588にヒントを得た>>592から考えて、「片足をあげてオシッコをすること」自体が
遺伝的に符号化されているのではなく、
いくつもの符号化と、それを元にした成熟や学習を通じて得たさらに具体的な「世界像に関する知識」ゆえに
元々の符号化と相俟ってそうする、ってのはどう?
「片足をあげる」ことは、遺伝的な符号化もあるだろうけど、運動技能の学習も必要なのね。
ただしその学習は白紙から行われるわけじゃなくて、当然、符号化を元にした成熟と相俟ってということ。
機能が構造を決めるということもある。
歩く機会を持たなければ歩けるようにはならない、ってこともあるわけ。

あは、これも思いつきね。
寝ます。
597209:01/12/03 03:47
>>588以降の議論は
・世界観に関する知識がUG(普遍)文法の基礎となり得るか
・論理的思考には文法と単語、または統語と意味のいずれが必要か
という疑問に集約される、と言っていいのかな。文法は記号の関係性に
関する規則、単語は実体をなす事物と写像関係にある記号そのもの、と
いう理解でいいのかな。
598同志社修了:01/12/03 03:49
チョムスキーの生成文法・変形文法の理論って今はどう扱われてるの??。
マスターでてから随分年月が過ぎたので、最近の研究には疎くって・・。
599192:01/12/03 03:52
寝るつもりだったのだが、

>単語は実体をなす事物と写像関係にある記号そのもの
個人的には、これは違うと思う。

お休み。
600虚無好き:01/12/03 07:02
ヒト種がなんらかの論理的なフォーマットをされている可能性は否定できないのにゃ。
カントがアプリオリな範疇とよんだものに近いかもしれないにゃ。
おそらく時間表象も、それにまきこまれているであろうし、
世界事象の根源的記述について、主観・客観はじつは相対的ではないか、とまで述べることはできても、
主客をひとつの対称性において記述することが非常に困難なのは、
この先験的な条件によるのかもしれないにゃ。
多くのひとが、「主観がみずからが構成した客観において、
あたかも客観に誘発されるように行動する系」、というような記述に
ケムに巻かれるのも無理はないにゃ。
わたしはこういうシステム論は、ありだと思ってるけどにゃ。

ただしこういった「表象」が文法に反映されるのかといった問題は
たぶん自然科学の文脈では、実証できないにゃ。
たぶんにゃ。

ぶにゃ。アンパン顔のセンセが戻ってくるにゃ。(鬱)

                                                                      
601虚無好き:01/12/03 08:02
指摘されるまえに言っとくけど、
主観・客観という語は、じつは主語・目的語というのと同じにゃ…
600で、なにげにチョム理論にはげしく有利なことを言ってしまった気がするにゃ…
かなり鬱にゃ…
602名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/03 08:24
FigureとGroundの話は心理屋さんが得意とするところだと
思うけど、言語にもこの区別がかなり反映されていると言うのは
割と知られていて、主語、目的語の非対称性とか主節、従属節の
非対称性とかに現れている、と言われている。この原理がどの
程度強烈なものなのか心理屋さんにコメントもらえるとありがたい
んだけど、例えば、上で国語の先生が単語と概念の関係のことに
ふれているけど、恐らく二つフォーカスfigureを持った単語と言う
のは考えにくい。エスキモー(<差別語だっけ?)とかの言語には
「氷の上で寝ているアザラシ」とか日本語だと修飾語でしか表現
できない概念が単語として存在している(Boas)。でもこの概念も
Figure/Groundの関係があって、アザラシfigureで氷りGroundという
関係が成り立つと思う(寝ているは取りあえず無視するけど)。
でも、「氷の上で寝ているアザラシ」と「氷の上に立っている
アザラシ」という二つのFigureを同時に指せる単語と言うのは
ないんじゃないかと思う。もしそうなら、Figure/Groundというのは
かなり根源的なもので、そういったontology的知識に基づく
アプローチがあってもいいんじゃないかと思うし、アザラシの例は
syntaxの問題でありえるかな、例えば。
因に、>>580 >>588 は面白かった。
603国語:01/12/03 21:12
いつも言葉足らずですみません。>>593の犬の話で私が言いたかったことは「電柱で」
の部分に重みがけっこうかかっていて、要するにマーキングの話です。犬はマーキング
のために、麝香腺みたいな特別な構造を手に入れる代わりに、出来合いの構造(排泄器官)
を利用しているよね、というのが眼目なのです。カバの糞(共同でものすところがあり、
その臭いによって発情している異性の存在を知ったりその他情報交換もしているかもし
れないらしい)の話なども念頭に置いています。
単語と概念は一対一ではない、というのは、私の中では、例えば differとdifferentと
differenceのように、「単語」であるという時点で、その言語の構文論(品詞論なり)
の枠組みから逃れるのは難しいということです。(ある言語の)単語であるという時点で、
それは文法(つまり、ある言語)がすでに存在していることになるのかもしれません。
これって>>595を俗に言い換えていることになってたりします?チガウカ……
604名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 05:58
むにゃむにゃ。
エスキモー語は古典的な分類では、抱合語になると思うので、
日本語の単語との直接の比較は難しいにゃ。
抱合語は、動詞に主語や目的語にあたる形態素がくっついて、
「文」にあたるような単語を作ると説明されてるにゃ。
すると「氷の上に寝ているか、あるいは立っているアザラシ」は表現可能かもにゃ。
よく知らんけどにゃ。
チョム理論と抱合語の話はどっかでやったけど、どこだったかもう思い出せないにゃ。
とにかく、一語文にシンタクスがあるかどうか、という問題は、重要な論点にゃ。

翻訳においては、意味論の難問が特徴的に現れるような気がするにゃ。
ホピ語で、「空を飛ぶもので、鳥いがいのもの」という有名な単語があり、
チョウチョも飛行機も、この単語の指示物になれるのにゃ。
これはたしかに、「異様」ではあるけど、
なんとなく集合論を思わせるところがあって、結局、
カテゴリーの足し算や引き算ができる限りでは、理解ができるわけであり、
普遍的言語での記述に道が開けているのにゃ。ここまでは、ブキミではないにゃ。
しかし、集合論で語彙意味を扱うためには、そもそも元が
普遍的フォーマットにおいて規定されているからであり、それは自明ではないのにゃ。
生得観念があれば、いっきょにラクになるんだけどにゃ。
あるいは、生得的存在論でもいいにゃ。
わかりにくくなったかにゃ。
いい例がみつからないけど、「ひと」の概念と、「男と女」の概念は別なのにゃ。
どう違うかというと、結局相対的な「解釈」の問題が生じてしまうのにゃ。

こういう議論が難しいのは、もっぱら「意味」がそのものとして現れないからなんだけどにゃ。
やはりヴィトのおでましかにゃ…
気分がすぐれないので、サゲ。アンパン顔のセンセのせいじゃないにゃ。
たぶん論旨がめちゃくちゃにゃ。
さげてなかったにゃ。ま、いいにゃ。
>>604
>ホピ語で、「空を飛ぶもので、鳥いがいのもの」という有名な単語
これのソースは何ですか?
スレと関係ないのでサゲ
607(´∀`):01/12/04 13:31
言語相対性のお約束的な例にゃ。
>Hopi has one noun that covers every thing or being that flies, with the exception of birds,
http://www.lcc.gatech.edu/~herrington/classes/6320f01/whorf.html
>>607
thanx
そう言えば、なんか思い出してきた(w
609209:01/12/05 02:26
ちょっと自己批判しておこうかな。
>>588で、
自分の身体の重力に逆らった動きを行うための神経系の発達はともかく、物は上から
下に落ちる、水は上流から下流に流れる、天は高いなどの自然現象はいくら長時間に
わたって不変に存在していると言っても、それが遺伝子に固定されるというのは
非常に考えにくいな。高いところから落ちたら危ないというのは「高所恐怖」という
形で固定される可能性はあるが。たぶん、広場恐怖、ヘビに対する恐怖、明るい場所の
忌避、赤色(血液)に対する恐怖(敵や獲物の血液であることもあり得るか・・・)
などはそれを避けるということが生存価をもつので固定され得ただろう。逆に、餌や
果実の形や色、丸く柔らかいもの(=子供)に対する好みはそれに接近することが
適応度を高める上で明らかに有効。生得的に固定されうる知識というのは、今と
なっては情動と区別できないようなたぐいのものじゃないかな。こういう知識が
論理を組み立てる上で有効かどうか、私には判断できない。
掘り起こすようだけど>>98の本の紹介発見
http://www.behavior.nime.ac.jp/~behavior/kotobakoudou.html
611虚無好き:01/12/05 16:22
ネコ科には、冬はきついにゃ。

>>588については、わたしは疑問だにゃ。
スペースシャトルのメダカの実験をみると、
たしかに死ぬまでくるくる回りつづけたものもいるけど、ふつうに産卵したグループもあり、
環境に適応したものが結局生存に優位なわけであり、
その意味では、プラスティックな種のほうが選択されるのではないかにゃ。
アフォーダンスの文脈でいえば、無重力環境が「泳ぎ」を許容したのにゃ。
そもそも生得的「重力」知識もあるかどうかも疑問だにゃ。
もちろん生得的知識一般を否定するものじゃないけどにゃ。
ネオテニーが進化のひとつの契機だとすると、むしろ(学習された)固定化した知識が
種を滅ぼすとも考えられるにゃ。関係ないけどにゃ。

アフォーダンス関連書をぱらぱらとみてたら、(なんか対談っぽい本)
パラメタを増やすパラメタという一節があったにゃ。
こういうダイナミック理論に通じるフレーズは心をうつにゃ。
文法という語を拡大解釈すれば、電磁波スペクトルの可視領域のバンド(線形)から、
色覚(補色を考えると円環状になる)への写像は、ひとつの文法だにゃ。
シンタクスにおいては、逆に線形をなさないものから、線状性への写像になると考えられるにゃ。
さて。
つぎは、パリティの決定ということになるんだろうにゃ。
ここからは、やっぱり判断不能にゃ。考えてもだめにゃ。

みたところギブソニアンも幼児の観察に非常に熱心にゃ。やっぱ、データの問題だにゃ。
612参考:01/12/05 16:25
「生成文法総合スレ」より
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1005021445/285-292
>>心理版の方はそろそろ手を引きます。違う学問をやっている人に
>>理解してもらうのは難しいな。
>その気持ちは分かります。(w 心理板では、
>今盛んに「般化機能」という観点で心理屋さんはUGを捉えようと
>してるみたいですが(そういう人たちがいる)、生成文法の立場
>からすると、恐らく「般化機能」ってのは、ここでも非チョム側
>がよく使っていた「一般認知能力」というやつを少し具体的に
>したものだと思うンですよ。ということは生成文法の立場からは
>「般化機能」云々というのは全く彼等はこれまでの生成文法の
>立場の人たちの書き込みが分かってないと言うことになります
>かね?やはり一生成文法家氏がいつも言うように「証拠不十分」
>ということでしょうかね、言語学内部でも心理屋に言わせても。
>なんか歯がゆい感じですね。(w
613虚無好き:01/12/05 16:38
↑ネオテニーと学習は関係ないにゃ。いろいろむちゃくちゃにゃ。削除にゃ。
614209:01/12/05 17:35
>>611
>スペースシャトルのメダカの実験をみると、
身体の大部分が水から構成されている生物(比重が1に近い)にとって、水中は無重力と同じなんですよ。
だから、メダカのような水中生物にとって、「無重力状態」のもつ淘汰圧は極めて小さいと思われる。
あるいは、メダカでは無重力状態に適応できるだけの脳のプラスティシティがあらかじめ整っている、と見るべきだろう。
スペースシャトルの無重力環境での繁殖実験は私は詳しく知らないんだけど、他にどんな種で実験されていて、その繁殖の結果はどうだったかご存じない?

>そもそも生得的「重力」知識もあるかどうかも疑問だにゃ。
いや、たぶん「知識」というから疑問に感じるだけで、たとえば腕立て伏せができるということ自体が、
重力に逆らった運動を行うための腕の筋肉と神経系が用意されていることの証だ、ということなんですよ。

>もちろん生得的知識一般を否定するものじゃないけどにゃ。
私はあれから長時間不変に存在する自然環境に含まれる情報と言えども、生得的知識として固定されうる情報と、
固定され得ない情報の区別について考えています。虚無好き先生の言葉を借りると、私ならもっとよく考えるけどにゃ、です。
たぶん、物は上から下に落ちる、天は高いなどの情報は生物にとって少なくとも直接の生存価をもたないから固定されない。
この、直接、間接の区別をもう少し厳密に考えてみると、それは生物の身体に直接作用する「力」(重力や慣性モーメント、圧迫、
衝撃など)は神経系がそれに対処するために発達進化するはずだが、身体に直接作用しない情報(視覚情報など)は
それをより正確に処理する(捕食動物)、あるいは身体周囲に存在する情報をより広範に処理する(被捕食動物)という
方向では発達進化しうるが、その能力の利用方法は生後の経験に任されている、のではないか。
このことプラス、高いところは危ないなどは一般に「恐怖心」として、子供は可愛いなどは「偏好preference」として固定されうる。

>文法という語を拡大解釈すれば、電磁波スペクトルの可視領域のバンド(線形)から、
>色覚(補色を考えると円環状になる)への写像は、ひとつの文法だにゃ。
この解釈は面白い。
615名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/05 20:55
無重力状態と無重量状態は分けて考えた方がよいと思われ。。。

さらに付け加えると
「今となっては情動と区別できないようなたぐいのものじゃないかな」って
元々、区別なんぞつかんでしょ。情動っていうのは、
そもそも、fight or flight っつーくらいで、生体の生存という観点からの
一次的な環境の評価の結果だからね。

で、話を元に戻すけど、訓練を受けないと非文と文の弁別が
(チョム派が正解・不正解と思うよには)うまくいかないっつーことは、
心理学的にみると、これまで出てきた非文・文の例は証拠としては
非常に弱いと思われてもしょうがないということでよろしいのか?
>>615
母国語の話者であれば、訓練を受けなくとも非文と文の区別ができる
ことは今までさんざん例が挙げられてきたではありませんか?
617名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/05 21:57
>>616
未だかつて、このスレの中で、
「意味に依存せずに文・非文の区別が出来る」ということを
示した実験例は見たことがないぞ。

ほーら、この例文はどーよ、あの例文はどーよってのは
山ほどみたけどな、ホントにきれいに文・非文にわかれるのか?
判断が分かれるような例もあるように思うが?
真打ち顔文字先生がお出ましになるお膳立てが整ったかにゃ。
619名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/05 23:16
>>618
生得的かどうかについては、顔文字先生が出て来たって、これまでと
同じじゃないのかな。生得的だと主張し得る強い証拠はまだないし、
言語学者が自分のフィールドの方法論でそれを主張するかぎり
生物屋や心理屋は、否定も肯定もしないって感じでしょ。
620209:01/12/06 00:57
このスレの人は「進化心理学」という分野についてはどの程度ご存じだろうか。
私もよく知らないし、私はあまり深入りしたくもない分野なのだが、一応参考に
http://homepage.mac.com/t_cd/3/3.html

私としては、物は上から下に落ちるといった自然現象に関する知識や、「心の理論」と
呼ばれる他者の気持ちを察する能力は、もちろんそれがあれば適応度が上昇するのには
同意するが、それがどうやって遺伝子に固定されるのかを考えた場合に絶望的に
ならざるを得ない。
しかし、上のリンクの例会でコメンテーターの長谷川寿一氏が驚くべきことを述べて
おられる。
>双生児研究と最新の他変量解析を組み合わせた新しい方法論により、遺伝、共有環境、
>非共有環境の寄与の程度が量的に理解できるようになってきた。さらにここに進化
>心理学的視点を加えると、心の生得性について新しい検証が可能になると思われる。
>進化的に非常に強い淘汰を受けてきた領域固有的な心理機構は、遺伝的変異が小さく
>なっているために、遺伝率が低いことが予想される。
この主張の意味を少し調べる必要がありそうだ。
621209:01/12/06 01:14
>>620で挙げた例会の第4回のテーマがまさに
 第4回例会 2001年6月16日 言語の獲得と認知発達
であった。
http://homepage.mac.com/t_cd/frame_p.html
622(´∀`):01/12/06 01:36
俺も>>191
>心理学板にゃから、進化心理学の立場からいろいろ意見がうかがえたら(・∀・)イイ!! のにゃ
と言ったのにゃ。web上で配信されてる Journal of Memetics はなかなか面白いのにゃ。
最近のペーパーで「Syntactic Structure in Birdsong」というのがあるにゃ。
千葉大の岡ノ谷氏のやってることにつながるにゃー。
http://www.cpm.mmu.ac.uk/jom-emit/2002/vol6/majoros_w.html

>顔文字先生がお出ましになるお膳立てが整ったかにゃ
申し訳けないのにゃ。最近、毎日のように事務的な書類がドカドカきてヒィヒィ
いってるのにゃ。もうちょっと待ってにゃ。

生成の立場では言語は
>>進化的に非常に強い淘汰を受けてきた領域固有的な心理機構
にはあたらないにゃ。
623  :01/12/06 04:46
>ALL
氏ね
>>623
お先にどうぞ。
625名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/06 15:13
623脂肪あげ
626名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/07 07:40
心理学的に不可能な言語(構造)とはどのようなものですか?
627 :01/12/07 08:50
628虚無好き:01/12/07 15:57
固有の意味(指示物)を生じない「文法」として、和声の結合規則があるにゃ。
これは自然言語とは大きくかけはなれているけれども、
生成文法のモデルとなりうる数理的文法として興味深いので、ふれておくにゃ。

和声とは、音階から複数の音名を選択した集合にゃ。
だいたいひとつおきに音を選べば、機能和声を形成するにゃ。ド、ミ、ソとかにゃ。
で、ドを基音として一つおきに選ぶとTの和音、レを基音とするとUの和音となるにゃ。
というわけで、ざっとT、U、V、W、X、Y、Zの和音ができるにゃ。
機能和声としては、3つのカテゴリにわかれるにゃ。
@)tonic(T)T・V・Y、
A)dominant(D)X・Z、
B)sub-dominant(S)U・Wにゃ。
古典和声では、D→Sの進行が禁止されてるにゃ。
Tは、始まりと終止を特徴づけるので、音楽の循環性が生まれるのにゃ。そして
T→T→D→T→S→T→S→D→T
のように進行してゆくにゃ。なんか長くなりそうだにゃ…
じつはこのうち、ドミナント進行という非常に安定して力強い進行があり、
基音に3をプラスしていくことによってできるものにゃ。
たとえば、ドのつぎは、ファ、そのつぎは、シ、ミ、ラ、となるにゃ。
オクターブ(8)を超えたら7をひくのにゃ。
さらにこのうち
U(S)→X2+3(D)→T5+3-7(T)
の進行は、古典からジャズまでひろくみられる、普遍的ともいえる進行(終止形)となったのにゃ。
ちなみに「枯葉」や「猪木のテーマ?」(トランペットとラテンパーカッションのやつ)などは、
ドミナント進行のみで作られているのにゃ。
Y→U→X→T→W→Z→V→Y→(繰り返し)のようになるにゃ。

かなり脱線したにゃ。せっかく書いたので、書き込むにゃ。スマソにゃ…
629(´∀`):01/12/07 19:43
で、それがヘボナッチになっている、と……うそにゃ。
どーでもいいがマックだと文字化けしまくりにゃ。機種依存文字はなるべくやめてにゃ。
630209:01/12/07 23:56
ふっと思ったのですが、虚無好き先生は「脳のなかの幽霊」ラマチャンドラン著
(角川、1999)を読まれましたか? レビューを見た限り、この本は脳科学から
言語や意識を説明しようとする試みであると同時に、進化心理学(どうも社会生物学の
流れをくむ、心理学ではなく生物学の体系らしい)を批判しているようです。

ちなみに私はDTMを趣味にしており、全音階(オクターブ[弦の長さが半分になる
までの弦を弾いた音の音階変化の全範囲]における音階のひとつの割り付け方であり、
5個の全音と2個の半音からなる音階。音楽における一種の言語とみなされる)における
コード(和音)進行の癖とか、曲が終わったという感じをもたせるコード進行の存在に
興味があります。
631209:01/12/08 00:14
ヘボナッチ(フィボナッチ?)数列はともかく、自然界は数学的実在に
支配されている。言語も、認識などの脳の機能もそれに支配されており、
「気づき」や「ひらめき」というのは、ニューロン間の活動パターンが
ひとつの数学的実在に一致したことを脳が発見した時に生じる現象で
ある・・・うーん。
632(´∀`):01/12/08 06:11
意識の発生源であるマイクロチューブルを構成するチューブリンタンパク質も
へぼなっちなんだそうにゃ。ほんとかにゃ?
633209:01/12/08 07:16
>>632
>意識の発生源であるマイクロチューブルを構成するチューブリンタンパク質
ハメロフの量子脳力学ですか。簡単な解説がここに。
http://telestar.or.jp/~yokoyas/index2/yokoya.html
しかし、私は脳の機能の説明に量子力学を持ち出したり、1個のニューロンにそんなに
過大な機能を想定するのはついていけません。フィボナッチ数列に意義を見出すのも
受け入れがたい。

私の発想はむしろこちらから来ている↓
http://hisl.kanazawa.ishikawa.jp/~yo/cyber_mind/cyber_mind.html
結びつけ問題と認識におけるマッハの原理の項をお読みください。
634虚無好き:01/12/08 16:42
209先生に音楽の素養があって、心強いにゃ。
628は、かなり単純化した議論だったので心配してたにゃ。音階の(非)対称性の話は、またするにゃ。
クオリアは、かなりハードコアな問題なので、慎重にお応えするにゃ。
メロンパンのセンセ、「へぼなっち」は脱力するからかんべんしてほしいにゃ…
何でもいいから、早く戻ってきてにゃ。

で、きょうは、ひょっとして非文(非文法的文)について、
心理学者の皆さんに、十分なコンセンサスがないのでは?と思ったので、ふれてみるにゃ。
非文の存在は、文法学者ならごく一般的に認めるもので、
とくにチョム学者がその証明にやっきになっているというたぐいのものではないにゃ。
もし発話を「音声刺激」として、非構造的に抽象化して、
言語活動を、行動の制御の問題、あるいは制御の可能性の観点だけからみれば、
たしかに非文法性は、まったく核心的な問題にはなりえないにゃ。
「チョコ、そこの、くれ、三個」という発話はたしかに、意思の疎通(といわれるもの)に十分かもしれないし、
逆に文法的に正しく言えば、コミュニケーションの十分条件になるというものではないにゃ。
しかしこのような見解は、言語学がひろく言語の知識と認めるもの全般におよぶにゃ。
言語の知識とは、冗長性や不規則性をふくむ、句や単語などの構造を想定した知識であることは
生得性をみとめない立場からも支持されていると思うけどにゃ。

百人一首の一字決まりの字、「むすめふさほせ」は、
それぞれの字が、ある札を指示するのにゃ。しかしこれは、特殊な事情を反映しているにすぎないのにゃ。
「りんごと、みかんの、どちらが好きか」と問われて、どんなに誤解の余地がなくとも、
「り。」とは答えないにゃ。それは「り」が、構造の一部ではないからにゃ。
たとえ一字決まりのように、そういう状況を作り出したとしても、
(あるいは運動性失語の、症例ということもありうるにゃ。)
それは、ふつう言語学の関与する領域ではないにゃ。
発話を音声刺激とみなす見解は、この構造を認めないのかにゃ?
だとすれば、チョム理論の批判以前の問題になっちゃうにゃ。ちがうかにゃ?

ちなみに非文は、文を単語にばらばらに分解して、たとえば短い順に並べれば、
簡単に作れるにゃ。
635名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/09 02:59
心理やさんの書き込みがなくなってしまいましたが、
心理学と言語学(チョムスキー言語学)はやっぱりうまくいかない
運命なんでしょうか。
636名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/09 04:56
いえいえ、そんなことはないでしょう。
チョムスキーは自らの仕事を心理学の一部門と位置づけていたではないですか。

そもそも心理言語学を専門とする心理屋はここには少ないようですが。
書き込んでるのは動物屋、行動屋、発達屋などのようですね。
このスレ、勉強になります。
>>636
>チョムスキーは自らの仕事を心理学の一部門と位置づけていたではないですか。
でもそのチョムスキーの“自称”心理学者ぶりを、当の(本物の)心理学者たちはどう受け止めてたのかな?
心理学者でまともにチョムスキー理論を摂取した人って……誰ですか。(←無知)
虚無好きって,チョムスキーのもじりだったのか!
いまごろ気づいた..。
639209:01/12/10 22:16
>>636,637
チョムスキーは言語学を心理学ではなく生物学の一分野として位置づけていたと
思うけど?
私の考えでは心理学も生物学の一分野だよ。
そして、21世紀内には言語学も心理学も、自然科学である生物学のひとつの方向、
脳科学(従来の神経科学)に包摂されることになると思うね。極端に言うと、
人文社会科学が扱う事象はすべて生物であるヒトの行動を扱う学問であるから
生物学の一分野だよ。
生物学は地球上の生物しか対象にしていないと思うかも知れないが、たとえば進化は
生物が誕生し得た惑星に共通する、宇宙に普遍的な法則だと思うね。

生物学帝国主義だな(笑) この帝国に対抗できる勢力は物理・数学のみ。それは
認める。しかし、生物学は物理・化学現象を基盤にしているが、生物学のレベルで
しか語ることのできない現象が存在する。テレビの番組は電力に依存しているが、
番組の内容は電力とは無関係であるように。そしてテレビにバラエティをもたらして
くれるのは電力ではなく、番組の方なんだ。
640名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/11 00:32
>>639
>生物学は物理・化学現象を基盤にしているが、生物学のレベルで
>しか語ることのできない現象が存在する。

同じことが言語学に関しても言えるでしょう。各言語は少なくとも部分的には
歴史・文化の産物であって、完全に生物学的に構造が決定されてしまっているわけ
ではないから。
641矢追純一:01/12/11 00:59
異星人はテレパシー
>チョムスキーは言語学を心理学ではなく生物学の一分野として位置づけていたと
>思うけど?
彼はどんどん言ってることが変ってくるからねぇ。
心理学者が相手にしてくれなかったんで生物学に行ったんだったりして。
あたかもこのスレッドが生物学板から心理学板に移ってきたのと同様に?
643名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/11 02:37
今は物理学じゃなかったっけ?
644名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/11 05:35
テレパシーというのは言語学的に見て面白い。
テレパシーにsyntaxはあるのか?
645209:01/12/11 05:42
>>644
テレパシー自体、その存在が証明されたわけじゃありませんが、あると
してそれは単に媒質が違うだけではありませんかね。
音声による言語コミュニケーションの媒質は空気、文字や手話、電気
通信の媒質は光を含む電磁波、テレパシーの媒質はいまだ不明、という
ことでしょう。
646(´∀`):01/12/11 06:18
人間言語に語順(線状性)があるのは媒体として音声を使っているからであって
テレパシーなら語順はないはず、とはチョムも昔からいってるにゃ。
逆に言えば語順はsyntax properの話しではないということにゃ。
ではテレパシーにsyntaxはあるか、にゃが、もし脳内の概念意味のようなものを
「そのまま」相手の脳内に投射できるという意味なら、それは言語化する必要が
そもそもない、ということになるから、言語的syntaxはいらないのだと思うにゃ。
ただ概念意味自体が何らかの構造を内包しているにゃら、それをsyntaxと呼ぶことも
できるにゃ。単にことばの定義の問題にゃ。
なんにしても地球人言語を基準にしていたのでは想像もつかないような「言語」体系が
宇宙にはあるかも知れないにゃ。

>>639
>たとえば進化は生物が誕生し得た惑星に共通する、宇宙に普遍的な法則だと思うね。
Universal Darwinism にゃ。
647名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/11 07:54
心理学板なんで常に心理学の方向に持って行きたいわけだが、
テレパシーって心理学的な研究とかってあるのかな?
念写、透視、、、
たんなるDQNと考えられているのかな。
オカルト板逝けってか。
648209:01/12/11 08:14
>>646
とうとう顔文字先生からもこのスレを見捨てられたか、とがっかり
していましたが、そうでもないようですね。しかし、いかんせん、肝心の
心理学側からの書き込みが#600あたり以降、あまりありませんね。

言語は語順(線状性)が必要な過程、つまり時間経過を伴って送受信内容が
明らかになる過程であるなら、時間経過を伴わない情報の送受信方法はあるのか?
というのが実は私が学生時代に悩んでいた疑問のひとつ。
文字による言語というのは最初から全体が示されているので、送信自体
には時間経過はなく、あくまで受信だけに時間経過が伴うのですね。
つまり読書するというのはあらかじめ決定された文字空間を飛翔しながら
鳥瞰的にその構造を把握していく過程だ。テレパシーも送信を意図した
心的表象を送信者が瞬間的に提示し、それを受信者がその表象を把握して
いくという意味で読書と似ており、その受信にはやはり時間経過を伴うのではない
か、と考えていたものです。しかし、音楽ではこのような送受信方法は有り
得ず、送受信ともに時間経過を伴う。時間経過を伴わない受信方法はありえる
のかな。。。

しかし、この辺でテレパシーや送受信の時間経過の問題は脇に置いておいて、
ここで、
>なんにしても地球人言語を基準にしていたのでは想像もつかないような「言語」体系が
>宇宙にはあるかも知れないにゃ。
に対する私の考えはやはり違いますね。前に言ったように、やっぱり私は言語が
なんらかの情報を伝達する手段である以上、宇宙に普遍的な文法(Cosmically
Universal Grammar爆)は存在すると思ふ。ただし、その伝達媒体は人類の知らない
ものである可能性はもちろんある。
まぁ、これはイデアですけど。どこかの宇宙の片隅で実際に存在するかどうかは
問わないのです。

>Universal Darwinism
って誰か言ってました?
649(´∀`):01/12/11 08:41
>Universal Darwinism
Dawkinsの論文のタイトルになってるにゃ。
650209:01/12/11 08:59
>>649
Dawkinsならそれを言うのは分かるけど、そんな論文のタイトルない
けど・・・?
651(´∀`):01/12/11 09:30
Dawkins, Richard. 1983. Universal Darwinism. Chap. 20, pages 403--425 of:
Bendall, D. S. (ed), Evolution from Molecules to Men.
Cambridge: Cambridge University Press.

Googleで検索したらすぐ出るにゃ
652209:01/12/11 09:33
あ、本なのね。PubMedにはなかったし。
653国語:01/12/11 20:59
テレパシー等々の話について。
受信バッファが∞でない限り、一定量を超えた情報の授受は時間的線条性から逃れられない
と思います。
私なんかは、受信しきった後の意味(コトバは「情報」でも「知識」でもいいのだけれど)を
もう一度想起するにも、一度に全体を想起することなんかできなくて、結局部分単位のサーチを
やり直しているような気がするな。一瞬間あたりの認知のバッファも∞ではない、むしろ
かなり小さいのではないか?という印象。
654(´∀`):01/12/11 23:24
>部分単位のサーチ
>一瞬間あたりの認知のバッファも ... かなり小さい
今の生成モデルに似てるといえば似てるにゃー。
文全体が組み上がってから解釈部門に入力するのではなくて、
小さな単位(phase)ごとに組み上げては解釈へ送出する、
というのに、にゃ。
655逃走派:01/12/12 01:29
線状性に関係するかどうか知らんけど、手話言語では、同じ命題でも
胸の前のジェスチャーで「発話」したときと頭の上でのジェスチャーで「発話」
したときと微妙にモダリティ(命題に対する話者の心的態度の表現)に違いが
あるらしいという話をどっかで聞いたぞ。同じ命題の表明でも、表明の場所という
モードを使って同時に別の意味も伝達しているらしい。

てか、命題の意味内容に対するイントネーションによる意味のスーパーインポーズ
なんかと同類の現象ってことかもな。関係あるかどうか分からんけど。俺、もう、寝る。
656209:01/12/12 05:48
>>653>>654
受信バッファーの容量に話をもっていくのなら、アイコニックメモリや
短期記憶、ワーキングメモリーの容量やリソースの制約とかいう文脈で
認知心理でよく研究されていますけどね。この辺、認知心理の先生からの
解説をお願いしたいと思いますが。たぶん、今の生成モデル(?)も
この知見に則っているんだと思う。
>>655氏のお話も認知心理では興味のあるテーマなんじゃないかなぁ。
>>654
チョムスキーという一個人が何かを思いつきで発言すると、それがたちまち
「今の生成モデル」になる。申し訳ありませんが、チョムスキー派生成文法の
宗教性がにじみ出ている発言だと感じます。
658209:01/12/12 16:52
>>657
私は「今の生成モデル」というのがチョムスキーが言い出したことなのかどうかは
知りませんが、顔文字先生は>>654でその今の生成モデルを批判されていると思う
のですが。
>>658
うん? >>654では別に「批判」も何もしてないだろ。
657のゴミレスのおかげでこのスレも突然終了とおもわれ……
661逃走派:01/12/16 01:45
えーっと。勝手にまとめると・・・
(1)生成文法のチョム派は、データの取り方が前時代的で心理学のような先進科学に
は、相手にしようにも相手できない。
(2)ちゃんと「学習」について考えもせず、生得性を言い出す生成ちょむ派はやっぱ
宗教的側面があって先進科学の心理学には、相手しようにも相手できない。

と、そういうまとめかな?てか虚無好きせんせも、放置気味なのに乗じて勝手にやっちゃうと・・・。

俺のバカ職場の近くにいる心理は文章読ませて反応を取って統計処理してってことで
データとしてるけど、ありゃ、やっぱ幼稚すぎの100年前だと先進科学の心理学では、
「あ、それおバカ!」となってるらしいいし、「学習」どうのこうの言ってもさっぱり、
もっこり、なーんも具体的コメントが出てこないってのもヤッパ、先進科学はたいしたもんだ
と納得せざるをえないことなのかもしれないなーんて思ったりして。もう寝る。これ煽り。
662逃走派:01/12/16 01:58
てか、言語って心理学でも、かなりでかいテーマじゃんか?違うのか?
そんなに周辺的な問題か?だとしたら認識が甘いとしか思えねえ。
もうちっとガシガシこれねえのか?
663名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/16 06:05
ある見方として、心理屋は言語屋よりも「言語」をどう捉えれば
いいのかという点でかなり慎重なのかもしれない。
ずっと前に虚無好き氏が「恐くて語れない」というようなことを
書き込んでいましたが。
でも怖がっていてもしょうがないし、特にこんな掲示板
(no offense!)ならほんともっとガシガシ(<イイ!)
いってもいいように思うな、わしも。認知(心理)よりに
話を持って行こうとfigure/groundの話とか振ったけど
放置プレイくらったし。(w
664209:01/12/16 07:48
私が嫌われているのに書くから心理屋が逃げたっていう側面もあるかも
知れないけど(笑)、生物屋の私から見ると、はっきり言って心理学は
心の機能の本当に重要で興味がもたれるべき側面を無視してきたと感じる
ね。それは100年前の誤った行動主義の勃興に始まり、いまだそれによる
荒廃から立ち直っていない。同じことは「音の心理学」スレを読んでも
感じる。こんな学問を心理学と呼ぶのは実に誤ったイメージを抱かせる、
おこがましい呼称である(笑)
この100年間、心理学が無視してきた真に興味が持たれるべき現象を、
これからは脳科学が扱い、来る100年間に完全に再編成し直すことであろう。
>>634の虚無好き先生の書き込みは心理学に対するアジテーションと感じる。
この書き込みももちろんアジテーションである(笑)
665虚無好き:01/12/16 16:21
ごぶさたにゃ。
わたしも多忙なうえに、CATVの接続に手間取ってしまってにゃ…
(デヴァイス設定とかうんざりにゃ。チョム理論の謎のデヴァイスのほうがましにゃ。)
放置とか、そういうのではないにゃ。
いまPCが裸なので、See You Laterにゃ。
666虚無好き:01/12/16 23:02
話題がないわけじゃないんだけどにゃ。
いまここで何を書いたらいいか、わからんにゃ。
つれづれなるがままに書くにゃ。
チョム理論の概要でも書くかにゃ。
@)I want to go there.
の go の主語は何かにゃ?当然「わたし」なんだけどにゃ。なんでそうわかるのかにゃ?
それは推論なのかにゃ?
例えば、「りんごがある」と言われたとき、
何か赤いものがある、と推論するのは、外在的な知識にもとづいているといえるにゃ。
なぜかといえば、「りんごがある」という文のなかには、りんごが赤いという情報は含まれてないからだにゃ。
で、チョム理論によれば、I want to go there. という文のなかには、
go の主語が実在している(書いてある)ので、これは推論でも、外在的知識によるものでもないにゃ。
A)I want you to go there.
では go の主語 you が「見える」ので、説明は不要にゃ。もしこの文と同じく主語が示されているとすれば、
おそらく見えない主語が、I want to go there. にもあるはずにゃ。
「見えない」 covert ということは、たまたまそういう属性がないということにゃ。
音楽でいえば、休符は音 pitch の情報がないだけで、長さ duration の情報はあるのであり、
楽曲をMIDI規格で記録するばあい、やはり休符は聞こえない情報として実在するわけにゃ。
生成文法では、こういう音韻素性のない「語」を扱うにゃ。
これは、意味素性や統語に関わる素性はあるが、たまたま音声化されないものにゃ。
質量とスピンはあるが、電荷のない粒子みたいなもんにゃ。とにかく実在すると考えてにゃ。
で、@とAをみて、自然な推論によると、たぶん同じ位置に主語はあるのにゃ。
@はたぶん I want [主語=わたし] to go there. ではないかにゃ?
ところが、 want to が wanna になるのは、want と to の間になにもないとき、
という別の観察もあるので、おそらくここではないだろう、ということになるのにゃ。
to の後ろではどうだろうかにゃ?
I want to [わたし] go there.
(・∀・)ヨサゲニャ!
これだと、Aの主語の位置に別の説明(主語の移動)が必要になってくるけど、
もしも主語が一般に動詞句のなかに在ると考えれば、主語の抜き出しは、
多くの統語現象を説明する一般原理となるのにゃ。
それに to に統率された句も、「文」全体も、助動詞(およびそれに準ずるもの)に統率された構造IP(TP)として
一括して処理すれば、さらにエレガントな文法体系が想定できるにゃ。
そればかりでなく、エレガントなはずの生得的言語知識の構造の解明にもなるのにゃ。
以上、できるだけ中立的に書いたつもりなんだけどにゃ。

このような学説を批判しようと思い立ったのが、このスレの始まりにゃ。
わたしは批判派にゃ。念のためにゃ。
667名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/17 04:28
subject-control verbがない言語って結構あるんだよね、確か。
668名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/17 04:58
 
>>666
虚無好きさんの問題は、チョムスキー説の紹介だけして肝心の批判に踏み込まない点にありますな。
その理論はなぜ批判さるべきであり如何に批判するつもりなのかを言ってくれなくては。
670をいをい:01/12/17 06:56
>>669
確かにそのまんまの受け売りだなあ。
なんどか書き込んでいた心理屋サイドの人間です。
アジテーションに乗りたいのは山々なのですが、いかんせん
まだ学部生厨房である上に、現在卒論に追われているため、
そういうわけにもいかないのです・・・いろいろ言っといておこがましいですが。
上で紹介した『ことばと行動』でも読んでネタを振りたいところなんですけど。

たいした発言は出来ていませんが、以下が私です・・・
>>96 >>98 >>101 >>184 >>255 >>398 >>417 >>456 >>457 >>459
>>466 >>468 >>512 >>549 >>555 >>556 >>565 >>567 >>585 >>587

他の心理屋の先生方、一言だけのレスで済ませずに
どんどん議論してください。お願いします。
672 :01/12/17 08:36
673虚無好き:01/12/17 09:13
こまったにゃ…
まだまだ「受け売り」しておきたいことは山ほどあるし、
手続きとしては、チョム理論の素描が先なんだけどにゃ。
666は、初めてチョム理論の<言語学的>内実にふれたもので、
ことに重要な構成概念である音声素性を欠いた空範疇(ここではPRO)についてふれた点で
記念すべき部分なんだけどにゃ。
とりあえず、不適切な単純化があるかも?なので、専門家のチェックを待つにゃ。

簡単にひとつの批判の方向をいえば、(豊富にある)空範疇と移動の原理を用いれば、
過剰な一般化が生じるおそれがあり、
説明不可能な統語現象なんてホントにあるのかにゃ?ということになるんだけどにゃ。
ようするに反証可能性の問題にゃ。
これがまた、伝統的な反論なので、たぶんびくともしないにゃ。

とりあえず、『批判小論文 PART2』は考えてるところだといっておくにゃ。
にゃに?PART1を読んでないにゃ?
これはたしかにわかりにくかったので、PART1増補も考えとくにゃ…
レス数はのびたんだけどにゃ、歴史は繰り返してるにゃ…
674虚無好き:01/12/17 18:23
671先生、お忙しいところたびたびのスレ参加ありがとにゃ。
今回はあまりにも素朴すぎて、なかなかできなかった批判をひとつやっておくにゃ。
(ちなみに、なぜある理論が批判されなければならないかというと、信用できないからにゃ。)

>>417(671先生)
>ある現象に対して、同じくらい妥当で有効な説明が2つあった場合、
>使用している概念や媒介変数がより少ないほうを優れた説明として
>採用するという、科学における「節約の原理」

と、現行のチョム理論のMP(minimalist program)に働いている経済性原理とは、
じつは似て非なるものにゃ。
この問題は、じっくり考えぬいてから提出すべきということはわかっているんだけどにゃ…
ひろく論議を喚起するために、あえていま書くにゃ。
幼児が、言語をごくわずかの言語刺激から、短期間に均質に獲得するのならば、

p:文法の知識は、その大部分が生得的である。
q:文法の知識は、本質的に簡単である。

のうち、いずれかひとつの仮説で十分なように思われるにゃ。
しかし、MPは、実際にはこのどちらも主張しているのにゃ。
すなわち、UGは、幼児でも簡単に習得できるほど、
シンプルな理論装置によって記述されるにちがいないとされてるにゃ。
それがミニマリズムの意味するところなのにゃ。
さて、この推論は、論理的にどうなのかにゃ…???
UGが想定された理由は、まずは論理的要請にゃ。
UGを想定しなければ、幼児の(たやすい)言語獲得はムリだということにゃ。
するとUGが,幼児の言語獲得の(先行する)能力 capability を規定しているのにゃ。
自然に推測すればにゃ。
UG仮説によって、幼児の言語獲得の容易さは、すくなくとも被説明要項のリストから
消えたようにみえるにゃ。
ところが、UGは「シンプルでなければならない」ということは、
言語獲得の容易さが、ふたたび説明されなければならないということではないのかにゃ?
複雑な代数幾何のようなUGが遺伝してはならない、経験的証拠でもあるのかにゃ?
あらかじめ言っておくけど、わたしはアホのふりをしているわけではないにゃ。
でも、わからんにゃ…

てなわけで、心理学の先生方のご意見待ってるにゃ。(ぺこり)
675209:01/12/17 20:49
私が理解しているところに基づき、
>すなわち、UGは、幼児でも簡単に習得できるほど、
>シンプルな理論装置によって記述されるにちがいないとされてるにゃ。
この文章は不正確と思われます。

すなわち、幼児でも自然言語が簡単に習得できるように、UGはシンプルな
理論装置によって記述されるにちがいないとされてるにゃ。

の方がよろしいか、と。
676虚無好き:01/12/17 21:43
209先生、ありがとにゃ。
わたしの言い方だと、UGを学習しなければならなくなっちゃうにゃ。
そのあとの論考についても自身なくなってきたにゃ。
UGのメカニズムとしてのシンプルさと、個別文法の本質としてのシンプルさは、
やはり関連づけられていると思うのにゃ。
そしてどちらかが、経験的に実証されていなければならないはずなんだけどにゃ。
このあたり、検証してみてほしいにゃ。

じゃにゃ。
677(´∀`):01/12/17 22:05
>>667
>subject-control verbがない言語って結構あるんだよね
いいこというにゃ。[ Subj ... [ Obj ... [ PRO ... という配列にゃら
最短距離則によってObjがcontrollerになるのがフツーにゃ。

>>673
>(豊富にある)空範疇と移動の原理を用いれば
一つの方向としては、空範疇には一種類しかなく、移動の原理としても
最短距離などの最大限に簡潔かつ一般性の高いものがあるだけ、という
のもあるにゃ。

>>674
面白い論点にゃ。いうところのmethodological minimalismとontological
minimalismにゃ。あくまで私見にゃが
>p:文法の知識は、その大部分が生得的である。
「大部分」かどうかは疑問にゃが、これは「言語獲得の論理的問題」、
「プラトンの問題」に対しての仮説なり主張であり、一方、
>q:文法の知識は、本質的に簡単である。
はUG自体の起源と進化、系統発生の問題や個別言語の多様性の問題、
敢えていうなら「ダーウィンの問題」に対しての仮説なり主張だと
思うにゃ。で、昔の生成はpに焦点をあててきたが、ミニマリズムの
関心はqだと思うにゃ。
678名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/21 08:00
久々あげるぜい
679虚無好き:01/12/23 01:28
すっかり過疎スレになっちゃったにゃ。

「プラトンの問題」とは、解答が問題に先行しなければならない逆理(『メノン』のパラドクス)のことかにゃ?
知識や能力が、日常的な存在論に属するかどうかは、避けられない本質的問題にゃ。
いかなるいみで、知識や能力が在ったり無かったりするのかにゃ?
(あたかもメロンパンを買うまえは、メロンパンがゼロ個であるように)
知識を得るまえは、その知識の無なのかにゃ?
それともプラトンの示唆するように、先行して知識が「すでに在った」のかにゃ?
さらにそれとも、知識をえるまえに、その知識獲得から要請される生理的・心的基盤があるのかにゃ。
↑これがいちばんよさげにゃ。

単純にまとめると、(チョム理論の想定する)言語獲得においては、
最後に示唆された(おそらく生得的な)生理的基盤と、
UGそのものを混同してはならないことになってるにゃ。
なんでかにゃ?
UGは、定義により、すでに先行する「知識」だからだにゃ。

ちゃんとしたレスになってないけど、もうすこしこういった観点で知識のontologyを追究してみるのもいいにゃ。
ま、気長ににゃ。
680虚無好き:01/12/26 01:37
しばらくは細々とチョム理論に関する論評をやるにゃ。
わたしはそのためには、自然科学の基礎論にまでたちかえる必要があると考えてるにゃ。
というのもチョム理論が、そもそもハゲシク間違っている可能性があるからにゃ。

で、そのまえに、679の不備を補足しておくにゃ。
能力 ability という語には、学習や訓練を通じて獲得されたという、
わたしからみれば、やや通俗的な「含み」があるにゃ。
これが、外国語の会話や、音楽や絵画の創作は能力であるのに、
無自覚に形成された認識や行動を能力とよぶには抵抗があるという、やや不当な状況もうまれるにゃ。
実際には、みずからの能力に無自覚なまま、行動として遂行するということもおこってくるにゃ。
(相貌認知のばあいは、なぜ識別できたかという本人の言語報告はあまり役にたたないのにゃ。)
というわけで、これから能力というときには、これらを含む「一般的能力」ということにするにゃ。
そしてさらに、「能力におけるゼロ」とは何かというのが、今回の問題にゃ。

たとえば「わたしには絵が描けない」と思っているひとが多いけどにゃ。
通俗的には下手だといわれている絵、たとえば
斜めから見ているのに口がまんまるのコーヒーカップ、
同じく斜めの壁に、大きく真正面から描かれたドアの絵、
棒状の肉体からぐにゃぐにゃと伸びている腕のある身体像、
これらは絵を描く能力の「不在」の例というより、ひとはもともと
「理解したものから」描くということではないのかにゃ?
これら「ヘタクソな絵」は、物をいかに理解しているかを表現しているのにゃ。

結論するにはまだ早いけどにゃ、このことからいえるのは、
いわゆる「能力」の無が、なんらかのデフォルト値をもっているのではないかという仮説にゃ。
そして「能力を得る」と考えられていたものが、じつは、素朴に何かが付加されるというより、
このデフォルト値の変容であるという、関数概念に準ずるパラダイムを提供してくれるにゃ。
ここではまだ、このデフォルト値が生得的であるかどうかには触れないにゃ。
今日はここまでにゃ。じゃにゃ。
681国語:01/12/26 23:40
>「ヘタクソな絵」は、物をいかに理解しているかを表現しているのにゃ。

子供が描く字・絵を見ていると、子供たちは、見たものをうまく表現できない
のではなく、実は彼らには、世界が絵に描いたとおりの見え方をしているんじゃ
ないだろうか……と、時々思うのですが。生徒に漢字練習させると、教科書を
見ながらノートに書き取らせる時ですら、間違えるのです。見ているものを
右から左に書き写すことができないのです。細かい点や線の長さが、彼らには
認識されていないのですね。で、×をつけられて「ほら、ここに点があるだろ」
というと、はじめて「あ、ほんとだ」となります。

なにも子供に限りません。オトナだってそうです。
自分の体験では、何かを「知る」と、とたんにそれが「見えてくる」ということを
よく経験します。例えば、草花を一つ覚えると、実は自分の歩いている道々に、その
草が満ち溢れていたことに気づかされます。車が大好きな友人は、反対車線をすれ
違う車の特徴を実によく見、記憶します。見ていた時間は私とほとんど違わない
(むしろ友人の方が後から気づき見ていた客観的な時間は短かった時ですら)のに、
車種やらタイヤやらその車種とすでに何台すれ違ったか、などなど。

ほとんど話題の流れとは関係ないのですが。
682209:01/12/27 02:38
>>681
自分の幼少時の記憶に基づき、
>実は彼らには、世界が絵に描いたとおりの見え方をしているんじゃないだろうか……
これは逆だと思う。うまく言えないが、見えている通りに描けないのである。
私は幼稚園の頃、ひらがなの「お」のことを「よ」に「ゝ」を付けたような記号を
書いていた。自分でも変だと思いながら、なぜか正しく書けなかったのである。
ところが小学校に上がる頃には難なく書けるようになっていた。
683209:01/12/27 02:50
そうそう、当時、子供心に悩んでいたことを思い出した。その「よ」
では閉じた○の部分が横に寝かせた卵形なのに対し、「お」の閉じた
部分は右斜め上に立った卵形である。この書き方が分からなかったのだ。
684209:01/12/27 03:09
連発で書くのは気が引けるのでsageるが、これは私だけのことだったの
かも知れないけれど、線で囲まれた部分の形状に注目する時期がある
ような気がする。私はその時期とひらがなを学習する時期とが重なって
いたのだろう。
「お」と同じような意味で、私にはひらがなの中で、あ、め、ぬ、ゆ、
が正しく書けるようになるのが一番遅かった。
685名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 07:35
難しそうだね
686名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 07:48
>>681
まさにそれが弁別・般化および刺激等価性の学習の例です。
角度、光度、距離などが異なるにもかかわらず、何の車を特定でき、車好きには
なおかつそれが注意を喚起するような弁別特性として機能するようになる。
>>682-684
そしてこれは描く技術、すなわち行動レパートリーの学習の例です。
687209:01/12/28 16:09
>>686
うーん、いや、私は上記のことは行動レパートリーの「学習」だとは思わないな。
むしろ、ピアジェがいう意味での「発達」だと思うけど。
688名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/28 17:59
>>687
「発達」と考えたければそれでもいいです。
ただ、少なくとも行動分析的には行動レパートリーの「学習」であると。
単なるパラダイムの違い。どちらを採用するべきかは必要に応じて。
689209:01/12/29 00:21
>>688
それはおかしい。ピアジェの言う「発達」とは遺伝的に決定された形質が成長と
ともに現れてくることであり、刺激は機会主義的に利用しているに過ぎないという
点で、刺激に完全に依存する学習とは異なる。私がわざわざここでこのことに触れた
のは、これがチョムスキー学派の言うUGと似ていると考えたから。
690名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/29 03:54
複雑な字を描くのに必要な「遺伝的に決定された形質」とは
どういうものだとお考えですか?

まあ、それが成長によって発現したとしても、その子供が文字をもつ文化にいて、
ひらがなという刺激と、それを描く事に伴う随伴性(誉められる、うれしい、など)
にもさらされないと「ひらがなを書く」という行動は起こり得ないわけですが。
691209:01/12/29 04:07
>>690
細かな字を書くために必要な指や腕の筋肉の発達、それらの筋肉を
協調的に動かすための運動の神経系の発達などでしょう。
もちろん文字に関する適切な刺激がなければ上記の筋肉や神経系の
「その文化に適応した」発達は望めない。このことを機会(機械では
ありません)主義と書いたのです。この辺り、言語能力の獲得とよく
似ているわけですが。
692虚無好き:02/01/02 06:21
規範的性格の濃い正書法の問題は、言語学の中心的議論からは遠いにゃ…

とはいえ、上の議論でUGとの関連を言っているので、ひとこと言っとくにゃ。
UGとは、統語計算に「特化」した心的器官とみられてるにゃ。
>細かな字を書くために必要な指や腕の筋肉の発達、それらの筋肉を
>協調的に動かすための運動の神経系の発達
は、そのほかにピアノの演奏や、料理や、機械の修理などなど…
を可能にするものでもあるにゃ。
その意味で、ある程度「一般的」であるし、新しい能力に応用することもできるにゃ。
いっぽう、チョム理論は、言語獲得に必要な生得的資質が、
このように「汎用な」デヴァイスだけでは不十分であると主張しているわけだにゃ。
いや、チョム理論は、さらに強い仮説であると言うべきにゃ。
論理的にいえば、「刺激の貧困」によって推論される命題は、
「少なくとも統語知識の一部は、生得的である」なんだけどにゃ。
UGが言語(統語計算)獲得において、一般の学習を「補足している」という見解は、チョム理論にはないにゃ。
必要な刺激によって、学習されたり推論された知識が出発点になるのではなく、
UGこそが言語能力のコアに居座り、自己を解発していくのにゃ。
むにゃむにゃむにゃ…

ま、209先生には、まずそのへんを押さえたうえで、
言語能力と他の諸能力の獲得を比較してほしいんだけどにゃ。
わたしは、例によって基礎論から地道にやるにゃ。じゃにゃ。
693名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/05 20:58
優良スレage
心理学も言語学も専門外なんで、あほな質問かもしれないですが、
チョムスキー一派は、UGのようなものがどんなふうにできたのか、何もいっていないんですか?
だって、UGができる前は言語とゆーものがなかったわけで・・・。
UGはけっこう複雑(と思える)ので、突然変異で一発獲得したとは思いにくいし・・・。
694209:02/01/05 22:09
ちょうどageてもらった機会に復習しました。
>>692, >>693
やっぱり>>588に書いた議論は有効かと。この時点では実は、私には
普遍的な自然現象に関する知識が遺伝的に固定され得るかどうか、
確信がなかったけれど、たとえば有名な錯視で灰色の背景に円があり、
その円の上半分は上に行くほど白く、下半分は下に行くほど黒く描かれて
いる時、この円は飛び出しているように見える。これは明らかに太陽
光線は上からやってくるという知識が脳内のネットワークとして遺伝的に
固定されていることを示していると思われる。もちろん、この知識はいきなり
明瞭な形で固定されたというより、徐々に獲得されてきたものと思われる。
UGも基本的に同じような仕組みで獲得されてきたものと思うのですが。
695693:02/01/05 23:08
なるほどです。ありがとうございます>694=209先生
でもなんか虚無好き先生が言っているところの「獲得」というのは
進化過程での獲得じゃなくて、個体成長での獲得のほうかと。
僕的には前者も面白いですが後者のほうも議論していただければ。
696(´∀`):02/01/06 00:43
>UGはけっこう複雑(と思える)ので、突然変異で一発獲得したとは思いにくいし
現在のミニマリスト・プログラムはUGがいかにミニマルな設計になってるかを
示すことで断続平衡進化のシナリオにplausibilityを与えようとしているのかも
知れにゃいにゃ。よく見る図式は
Conceptual Capacity + Merge → Human Language
にゃ。
697693:02/01/06 16:55
顔文字先生、ありがとうございます。
>Conceptual Capacity + Merge → Human Language
なるほどです! Merge のほうは聞いたことがあるんですが、あれって
たんにくっつけるだけですよね。
そうすると、残りが全部 Conceptual Capacity で説明されるのか…?
Conceptual Capacity とゆーのは、サルの時代に獲得した周囲を認識する
能力のことですよね? でもこの能力だけで、移動の制約とか C-command とか、
言語学が今まで取り組んできた問題が全部説明できるということなんでしょうか?
ちょっと信じがたい…けどそれがミニマリストなのだろうか…すごすぎる…
698209:02/01/07 01:06
Mergeというのがよく分からないんだけど、それはともかく、言語能力が生得的で
あれ経験によるものであれ、言語の発生源は「脳」であり、言語は多くが文字と
いう視覚刺激と音声という聴覚刺激に依存していることからみて、視覚皮質と聴覚
皮質の間の連合皮質に言語中枢らしきものが存在すると考えるのは合理的であり、
まさにそうなっている(ウェルニッケ野)わけですよね。

だから少なくとも、Conceptual Capacity + Merge → Human Languageの図式に
おける「概念」は視覚と聴覚が結びついたもの「のみ」によって占められている、
と考えるのはどう?

あるいは、文字が発明される前までは言語中枢は聴覚野付近にあり、文字が発明された
後に言語中枢が視覚野側に寄ってきた、なんてことはないかな。
699国語:02/01/07 01:42
>698 文字が発明される前までは言語中枢は聴覚野付近にあり、文字が発明された
>後に言語中枢が視覚野側に寄ってきた……
三千年程度で獲得形質?が遺伝子に固定されることはないでしょうから、
無文字言語話者の脳を調べてみればすぐわかると思うけれど、おそらく
そんなことはないでしょう。
ブローカ・ウェルニケ中枢は、どっちも最近は言語に特化した領野と
考えない方がいいと言われ始めていたように思いますが、どうでしたっけ。

言語が「大脳」に局在していることすら、疑いの対象だと思う。
700名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/07 02:05
「アヴァロンの野生児」や「狼少女」の出現でもう既に証明されたんじゃないの?
てか既出?
701(´∀`):02/01/07 02:18
>>693
>心理学も言語学も専門外なんで
といってるわりに
>移動の制約とか C-command とか
うにゃ、どうも信用できないにゃ(w

年末に某所でしゃべった時に引用したばかりなので気がひけるにゃが、神経心理学の
Susan Greenfieldがaction grammar(物体の操作の方法)と言語の文法のアナロジーを指摘
してるにゃ。メイナード・スミスがよく引用してるやつにゃ。
単純に2つのものを1つに合わせるだけにゃら、サルでもするが、その合わせてできたものを
別の部分部品として使うということは、天才チンパン人のアイでも苦手らしいのにゃ、
松沢センセによるとにゃ。この部分組立方式を持つということが人間言語と動物言語の決定的な
差でもあるという気がするにゃ。やっぱりワーキング・メモリ云々という話しになるのかにゃ?

>この能力だけで、移動の制約とか C-command とか、言語学が今まで取り組んできた
>問題が全部説明できるということなんでしょうか?
極論すればそれを期待してると思うにゃ。例えばc-commandはmergeの適用によって自動的に
成立する構造関係に他ならず、人間言語はたまたまできあがったこの関係を解釈に利用している
だけかも知れないのにゃ(derivational c-command)
移動の制約なども経済性原理に集約され、その経済性原理が何らかの物理・数学的自然法則の
反映であるなら、わざわざ言語に特有のものとして規定する必要はなくなるにゃ。
部分組立を可能にするMergeさえあれば、あとはその自動的帰結と物理法則だけで人間言語の
syntaxはワン・ステップで成立する、ということかも知れないにゃ。
ま、当面は生成文法過激派の妄想ってことにしておいて欲しいんだけどにゃ。
702209:02/01/07 02:24
>>699
まず、言語中枢の発生と、文字発明以降の言語中枢の視覚皮質への遷移、
という二段階で考えていることを見落とさないでくださいね。

>三千年程度で獲得形質?が遺伝子に固定されることはないでしょうから、
んー、いや分かりませんよ。文字が発明されるに至ったこと自体、ヒトと
いう種の中で言語中枢が視覚野側に寄る傾向が生まれていたからこそ
可能になったのかも知れない。
また、有文字言語の環境では文字が読めるか読めないかに対して強い淘汰が
働くと考えられるから、三千年という短期間で進行したのかも知れない。
断続平衡のまさに断続部分ね。

>無文字言語話者の脳を調べてみればすぐわかると思うけれど、おそらく
>そんなことはないでしょう。
いや、調べてみないと分かりませんよ。脳をある平面でカットした時に
左脳に面積の広い部分があることが見出されたのは実は最近のことです。
つまりこのことが見出されているのは西欧人だけかも知れません。
703国語:02/01/07 02:43
209さんは、肝心な所になるほどロマンを追究するタイプですね;^-^
脳の断面の話は手元にデータがない以上深入りはしませんが、
淘汰の話は、文字発生以来今日まで、世界的なレベルでの識字率の変遷を考えると
苦しいところですね……
(そもそも断続平衡説と自然選択説って、基本的に相容れるもの???)

>>701
>c-commandはmergeの適用によって自動的に成立する構造関係に他ならず、
>人間言語はたまたまできあがったこの関係を解釈に利用しているだけか
>も知れないのにゃ(derivational c-command)
この考え方は、私にとって非常に魅力的です。最近漠然と考えているのは、
過去のある瞬間を鮮明に長期記憶できる能力と言語の能力はどちらが先か、
ということ。もちろん私に結論など出せやしないのですが。
704209:02/01/07 03:29
>>703
>209さんは、肝心な所になるほどロマンを追究するタイプですね;^-^
あはは。いえいえ、>>698の最後段や>>702は「文字発明以降の言語中枢の
視覚皮質への遷移」という私の直観(ロマンとも言う)を少し追求して
みただけで、そんなにこだわる気はないのです。

>>698の前段は言語の「理解」にのみ焦点を当てていたのであって、
>>701で顔文字先生が述べておられることは言語の「使用」に関する
ことですが、このことに関しては私は何も言っていません。
705697:02/01/07 05:22
あのう、無視しないでくれますか?・・
>>705
ちゃんと>>701で回答もらってるじゃん・・・
>705(697)
そうそう。こんどはあなたがしゃべる番。

>704
>》701で顔文字先生が述べておられることは言語の「使用」に関する
>ことですが、
その読みは違うと思う。
708700:02/01/07 20:42
すまん。700だった。
マカーのカウンタが壊れていた。

>>700
これ。
これは既出ですか?
「狼少女」や「アヴァロンの野生児」は完全に言語能力がアポステリオリな要素って
ことを証明してると思うんだが。
709名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/07 21:16
>>708
言語生得説に対する典型的誤解
710厨房:02/01/07 23:41
>>709

説明きぼんぬ。
711(´∀`):02/01/08 01:20

うにゃ、たまには基本に戻るにゃ。
生得性や種固有性が主張されているのは、必要最低限の経験からどのような個別言語でも獲得できる
能力であり、個別文法が生まれつき備わっているとか、経験なしでも言語は獲得できるとか、そんな
ことは誰も言ってないのにゃ。
712厨房:02/01/08 02:00
なるほど。
>>1
>最小限の解発刺激だけで

こんな前提の言及を無視して、冷や水のようなレスをして
申し訳なかったです。。(謝
713 :02/01/08 05:42
関係ない割り込みでスマンが、同じ日本人で同じような教育を受け、
国語の成績が極端に悪いというわけでもないのに、日本語表現が明
らかに下手な奴がいるだろ?ことわざを頻繁に間違えたり読解力が
足りなかったり・・・

根本のところで「言語に向いてない」と感じられるのだが・・・
しかし、こういう人は物凄くカワイイというか、小動物的な愛らしさ
を感じるのだ。これってここのスレと無関係なのか?
714虚無好き:02/01/08 06:44
どうも209先生は、生得性のジャッジに甘いところがあるにゃ。
やはり有名な錯視の例に、上下反転した顔の表情は認知しにくいというものがあるが、
これは、ヒトがたいがい同じ方向(たぶん鉛直方向)にそって向き合うという
「生得的知識」のあらわれなのかにゃ?
この例も、光のあたる方向の例も、たんに学習の成果であるという見解を一蹴することは難しいにゃ。
ヒトにおいては、倫理的に比較実験が不可能なこともあり、
遺伝学的事実を観測しない限り、一般に生得性の実証は難しいのにゃ。

さてここで、簡単のため「生得性」という語のみを用いたけれども、
生得性と普遍性、種固有性は別個の3つの概念であり、
それぞれに固有の操作的定義があるにゃ。
たとえばABO血液型のばあい、そのタイプが個体にとって生得的であるかどうか、
この類型が、人類に「普遍的」であるのかどうか、
あるいは系統発生的にヒト固有であるかどうか、
これらの問題の証明には、どのような実験・検証が必要とされるか見通しがたってるにゃ。
たとえば、ABOのばあい血液型を決定する遺伝子座は特定されているが、
抗原となる糖タンパクは、「ヒト固有」ではないのにゃ。(ヒヒかなんかは、B型にゃ。)
また、まれにみられる「後天的変化」についても、実質的議論ができるのにゃ。

あくまで可能性としては、ヒト言語にじつは生物学的タイプがあり、
先天的とみられる言語遅滞のなかには、この言語型の不一致によるものが含まれているかもしれないんだけどにゃ。
ふつうの観察としては、どんなに(言語学的に)語族の不明な言語の話者の子でも、
英語圏で育てれば、完全な英語をしゃべれるようになると考えられているけどにゃ。
このような予測は、いかに確からしくとも、それを実証する手だてがないことを正当化するものではないにゃ。
わたしとしては、言語知識が生得的ならば、生物学的類型はあってフシギじゃないと思うけれども、
UGの「普遍性」について、チョム理論が生物学的方法論をもっているのかやっぱり疑問にゃ。
ないとすれば、要するに言語の生物学的普遍性は、自然科学的概念ではないのであり、
普遍性は、せいぜい統計的予測にとどまるということだにゃ。
このままではにゃ。
またくるにゃ。
715209:02/01/08 07:19
>>714
>どうも209先生は、生得性のジャッジに甘いところがあるにゃ。
うお、言われてもた。奇遇ですが、私もちょうどこのところ、模倣
との関係で「生得的」の意味を考えていたところなのです。

>この例も、光のあたる方向の例も、たんに学習の成果であるという見解を一蹴することは難しいにゃ。
なるほど。私もいろいろと盲信していることが多いんですね。気づかせて
いただいてどうもありがとうございます。もう一度基礎からいろんな
ことを勉強し直さないといけないかな、と思い始めていたこの頃、
しばらく黙って勉強に励みます。では。
716な〜ンだ。:02/01/08 07:35
自作自演スレか・・・
実は単なる布教活動だったのね。
>>716
図星。
718名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/09 22:59
え? なにが自作自演なんだい?
716と717
720:02/01/10 03:39
東ヲタの自作自演スレ。
721(´∀`):02/01/10 04:07
>>714
>あくまで可能性としては、ヒト言語にじつは生物学的タイプがあり
関係あるかどうか分からにゃいが、遺伝的距離と言語の多様性の間にきれいな
比例関係があるそうにゃ。
>>720
本人だったりして。
2chで本人を降臨させてるスレって何個かあるよ。
723209:02/01/10 05:16
>>721
ちょっとお伺いしたいのですが、その(決して人種差別に加担する
わけではないが)、オーストラリア原住民アボリジニの言語と印欧語族の
差異についてはどの程度分かっているのですか?
724(´∀`):02/01/11 13:54
うにゃ、他の人の孫引きにゃから詳しいことは知らないのにゃ、ごめんにゃ。
多田富雄「生命の意味論」に引用されているRobert FoleyのNature論文によると、
遺伝的隔たりの小さい人種の集団(ヨーロッパとかアフリカとか)では言語の
種類も比較的少なく、遺伝的隔たりの大きい人種の集団(東アジアとかオーストラリア
とか)では言語の種類も多い、らしいのにゃ。で、遺伝子の変化と言語の変化が
同じ原理で起こっているらしい、というのが結論にゃ。
で、無理やり虚無好きセンセの話しにつなげると、UGなり生得的言語知識なりは
一種のみではなく、多様性が遺伝レベルですでに生じているのかも知れにゃい……
725(汗:02/01/11 16:19
虚無好きってオマエだろ。
726(´∀`):02/01/11 17:18
>>725
アホかにゃ?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1000027749/
さらにはその前スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/988295604/
を全部しっかり読んで出直してこい、にゃ(w

716が「自作自演」といったのも「(´∀`) = 虚無好き」のことだったのかにゃ(爆笑
727虚無好き:02/01/11 18:07
むにゃ。
単純に書き込みの時刻が近接していると、
ある見解に対して同意しても反対しても、自作自演とみられるようだにゃ。
正直言って、わたしの論敵であるはずのメロンパンの先生とは、
興味の方向が一致しており、
わたしとしては、数理文法じたいは受け入れる素地はできているのだにゃ。
「量子文法」も、ありえないはなしではないにゃ。
ま、いいにゃ。
いろいろ流浪していると、次のようなひともいるにゃ。

>108 :さばぞー :01/09/10 18:54

>やったにゃ!復活してるにゃ!また遊びにくるのにゃ!!
>そういえば「Do You 2ch?」にさばの画像載っけてもらったにゃ。
>お昼寝中を撮られたやつだけどにゃ。

>じゃ、また来るにゃ。あにゃ!!

これはわたしではないにゃ。パクったわけでもないにゃ。
またくるにゃ。
やっと反応したね。
反応すると図星だって思われるよ。
729名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 05:25
>>548以降の「般化」を巡る見解、特に>>552-553,>>555について、
顔文字氏や虚無好き氏の見解を聞きたい。
730(´∀`):02/01/12 06:08
俺が専門用語としての「般化」を正しく理解していない可能性があるんだけどにゃ、
もし一般化generalizationの意味にゃら、それだけでは言語獲得には不十分というのが
古くからの生成の指摘にゃ。Aが成り立つにゃらBやCも成り立つ、という肯定的推論が
般化だとすると(違ってたら指摘してにゃ)Aが成り立ち、推論によりBも成り立つ、
しかし同じ推論によって成り立つはずのCは実は成り立たず、そのことを母語話者は経験
なしで知っている、という意味での否定的証拠の欠如が重要なのにゃ。

とりあえず生物学板での関連レスを引用しとくにゃ。中学英語を思い出しながら読んでみてにゃ。

107 :(´∀`) :01/10/04 22:54
(前略)
推論による言語獲得の可能性も既に十分検討され、却下されているにゃ。
推論が無関係だというのではなく、推論では説明できないこともある、という意味にゃ。
例えば、幼稚な例で悪いけど、
John believes Mary to be happy. → Mary is believed to be happy.
という能動・受動交替を経験したとするにゃ。
推論を働かせて
John wants Mary to be happy. → *Mary is wanted to be happy.
としそうなもんだが、英語に*Mary is wanted to be happy.などという表現は
ないにゃ。日本の中学生みたいに間違えて*Mary is wanted to be happy.と言ったのを
先生に訂正されるのではなく、最初からそんな表現は不可能なことを知っている、
つまりその表現の論理的可能性が探るまでもなく排除されているにゃ。
(「*」は非文法性のマークにゃ。)同様に
I want to win. → I want Mary to win.
と平行的に
I tried to win. → *I tried Mary to win.
なんて推論も起こらないにゃ。
この点、例えば walk/walkedからgo/*goedと実際に多くの幼児がやってしまう
推論による過度の一般化とは異質のものにゃ。
考えられる反論は、推論により「*I tried Mary to win.と言えそうなのに周りの人は
誰もそんなことは言わない、だからきっと言えないのだ」と学習する、というもの
だにゃ。しかしこの説明は、逆に一度も聞いたことがなくても文法的に正しいものを
理解したり発したりできるという言語能力の本質的特徴と折り合いがつかないにゃ。
つうかその口調だろ。
732209:02/01/12 07:32
>>731
「にゃ」というのは断定口調や攻撃口調を和らげるために言語板で
開発された用法らしいのにゃ(笑)
733209:02/01/12 07:51
>>730
want(願望)は受け身にはなり得ないこと、try(試みる)というのは
あくまで主体がすることであって他者に働きかけることはできない、
ということは、そういう文法知識が生得的に備わっているというより、
神経ネットワークに生得的に固定された広い意味での普遍的な自然現象に
関する知識に基づいて否応なしにそう推論せざるを得ない、のかも知れ
ませんね。
このことはなにもチョムの主張を否定するものではなく、普遍的な自然
現象に関する知識と文法的知識とが渾然一体の形で脳内に保存されている
のかも知れない、ということを言っているつもりです。

「生得的」に関して虚無好き先生から私はジャッジが甘いと非難され
ちゃったけど、あの錯視の例が適当ではなかっただけで、私はやはり
普遍的な自然現象に関する知識が遺伝的に固定されることはあり得ると思ふ。
734虚無好き:02/01/12 10:59
刺激等価の議論は、むしろ象徴化能力に関するものだと思うにゃ。
ただし、552で行われている議論は
「物理的に似ていない」項について形成される関係であり、
これがソシュール記号論の「記号」の本質規定をなす
「恣意的であるが、共同体的には必然的である」ような関係を思わせることは特筆すべきだにゃ。
もうひとつは「指差し」に象徴されるような、言語を概念の「ラベル」とみなす見解だけど、
後者は、(もし言語がもっぱらそういうものだというのなら)
一般言語学的には、非常に素朴な見解だといわざるをえないにゃ。
じつは、このことについてはいちどレスを書いてみたんだけどにゃ。
あまりにも問題がBIGになりすぎて、やめたにゃ。(言語の本質に関わってきちゃうからにゃ。)
記号論全般のハナシになると、とりとめなくなっちゃうにゃ…
言語の行動主義的見解についての、わたしの見解は、もうすでに書いたにゃ。
そしてしばらくまえから、わたしが知識・能力の存在論について素描を試みているのは、
まさにわたしが、知識・能力について「実在論者」であるからだにゃ。
そしてじつは、行動主義とチョム理論の決定的な差違はここに端を発しているのにゃ。
とりわけ、生成文法が文法の知識について、「直観」を方法論的な指標にすえたことについては、
わたしの見解と同様、行動主義にとって時代錯誤の迷信になろうかと思うにゃ。
さて、なりゆきにより、行動主義批判になってしまったがにゃ。
行動主義の批判においては、まず理念(あるかたは哲学とおっしゃってたけど)としての行動主義と、
心理学の方法論としての行動主義はやはり区別するほうがいいだろうにゃ。
意識や考える主体、「こころ」などを想定した結論にはストイックにあるべきだという意味では、
わたしもまた行動主義者ではあるのにゃ。理念的行動主義者とでもいうべきかにゃ。
例えば、「動物は死の概念を知っている」という仮説をたて、
実験動物に致命的攻撃を加え、逃避行動や、負の走性を観察したところで、
これらの実験は、「死の概念」について何ら意義ある知識を与えるものではないのにゃ。
いっぽう、ユークリッド公準がなければ、点や線も「あやふや」な概念にすぎず、
わたしは文法の知識(の存在)についても、明晰な客観的規定が与えられると思うにゃ。
それは、言語行為とは独立して、という意味にゃ。
いつか道路標識が言語かどうかしばしばきかれたことがあるけど、
これはおそらく行動主義の先生の関心がもっぱら行動の制御と予測であるからだと、後から気づいたにゃ。
文法の知識は、これとは本質的に違うと思うにゃ。
なんか論点がごちゃごちゃしてて、申し訳ないにゃ。
とりあえず、ときどきあげて下さるかた、感謝してるにゃ(ぺこり)。
735グローバリー:02/01/12 13:14

巨額詐欺の疑いのある、グローバリーについて

掲示板を拝見されてるの皆様、新年あけましておめでとうございます。
掲示板の趣旨とは直接関係ない話で申し訳ないのですが、この世の中では許せない事があります。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/sakimono/index.htm

この会社はありもしない儲け話をでっち上げ、巧みに客の財産を聞き出し、全財産を巻き上げます。

2002年になりましたが、一向に改善する気配すらなく、悪質化は進む一方です。
この会社の営業は世間の皆様の迷惑になっています。

それだけではなく、人を騙して破産に追い込み、騙された人が仕方なくグローバリー社員を
殺人する事件も実際に発生し、新聞ザタになっています。

http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200001/24/0124e038-400.html

みなさんもこちらの掲示板に投稿し、悪徳会社に騙される不幸な人が増えないようご協力お願いしま
す。


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=q&board=8745

また、この書き込みを見て賛同頂ける方はこの内容をコピーしていろんな掲示板に書き込みをお願いします。
736国語:02/01/12 21:46
>>724
遺伝的距離と言語の多様性の関係は直接的な関係なのかどうか、私にはギモンだなあ。
つまり、人の移動に付随してその集団が保有する文化もまた移動しているということ。
文化人類学的な視点をあまりに無視すると真実を見誤りかねないと思います。どんな
もんでしょう。

>>733
>普遍的な自然現象に関する知識が遺伝的に固定されることはあり得ると思ふ。

遺伝情報から作られるあらゆる酵素は、自然現象(この場合は物質の化学的反応)
に関する知識でしょう。だから、ある生物が進化の過程である酵素を獲得すれば、
それは自然現象に関する知識を遺伝的に固定したことになる。こんなことをいっては
きりがないわけだから、扱う問題のレベルを厳密に規定しないと、どんな話でも
できてしまうと思うのだけれど。どんなもんでしょう。
>>732
人によっては余計むかつかれるかと。(藁
738名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/13 05:01
>>730
般化は推論によるかどうかは無関係。
弁別ができていない状態だって言ったら・・・違うかな?
739名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/13 05:05
いやいや、違うよな、やっぱ。
740209:02/01/13 05:46
>>736
>扱う問題のレベルを厳密に規定しないと、どんな話でもできてしまうと思うのだ
>けれど。
いや、ここでは「神経ネットワーク構造に」自然現象に関する普遍的な知識が
遺伝的に固定されるという意味で、限定的に使っているつもりなのですが。
741209:02/01/13 12:55
>>714の虚無好き先生
例の円の上半分が上に行くほど白く書かれている円は飛び出して見えるという
錯視ですが、実はこの錯視を考案したと思われる神経科医のラマチャンドランの
書いた本、「脳のなかの幽霊」第四章-脳の中のゾンビに、クジャクに似た鳥の
尾羽にもこの特徴のある模様がある、という話が出てくるんです。
この鳥の尾羽についてはダーウィンも気がついていたらしい。この模様が発達した
のはやはり何か理由がある。それが、あの模様が例の錯視を引き起こすからでは
ないか、というのが現段階の仮説ですね。

確かにあの錯視を遺伝的に証明するのはこれは非常に難しい。しかし、動物の種を
超えて同じ錯視が働いていると思われることは、これが生得的であることの強い
論拠になると思う。
742国語:02/01/13 14:40
209さんのレスにばかりつっかかっているけれど、悪気はないです^^;

>>740
神経ネットワークに限定の話との由、了解です。
神経系というのは大脳まわりだけでなく、という意味ですか? だいぶ前の
方では腕立て伏せと筋肉の話(重力の話)なんかも出ていたようだけれど。
もっと、中枢神経だけでなく、という所まで広げるべきかな……
私の中に、「普遍的知識」の意味する領域・範囲のイメージができていない
こともあります。今まで出てきたのは重力を含む加速度と立体視(錯視)の
話だけですよね。違うかな。
言語がらみがより可能なのは、たとえば時間の観念についてか……ヒトは
時制の知識を遺伝的にもっているのか、とか。ヒトは生まれながらに時間が
不可逆的であることを前提に行動するようプログラムされているか、と言い
かえてもいいかもしれない。

>>741
動物の種を超えて同じ錯視が働いていると思われることは、これが生得的
であることの強い論拠になると思う。

孔雀に似た鳥の尾羽が錯視を期待することは、それを見る者が錯視を生得
的に持つはずだということを期待している論拠にはならないと思う。
その鳥の尾羽は、それを見る者が順当に成長していれば錯視を学習している
はずだということを期待している、という説明でも十分ではないかな。
743209:02/01/13 18:41
>>742
>209さんのレスにばかりつっかかっているけれど、悪気はないです^^;
いえいえ。私も思いこみが強いし、論理的に徹底していないところがあるので、
それを指摘していただけるのはありがたいことです。

腕立て伏せと筋肉の話は、いろんな形質が平行して進化しないことには、あるいは
その各形質のひとつだけが単独で進化したのでは役に立たない、というところで挙げた例
ですよね。腕立て伏せというのは要するに寝ている身体を起こす運動ですよね。
そのためには身体を起こすための筋肉と、その筋肉を支配している神経の両方が
なければ役に立たない、だから身体を起こせるということ自体がとりもなおさず、
この両方が「用意されている」ことを示している。このことを指してその運動が
遺伝的に固定(定着でもいいのですが)されている、という言い方をしたのでした。
あるいは生得的と言ってもいのですが。

で、ほ乳類のように自然環境を自由に走り回れるようになった時に、たとえば目も
くらむような崖を平気で飛び降りるようでは危なくて仕方がない。だから、自由に
走り回れるようになった時には、高いところから飛び降りるのは危ないという地球
上ではどこでも通用する知識、すなわち「普遍的な知識」も必要だ。で、この種の
知識は一般に恐怖感という情動として生得的に備わっているのではないだろうか。

立体視というよりも、あの錯視は太陽光線は上から射すもの、という「普遍的な知識」が
固定されているのではないかと言いたいのです(後述)。他にも視野の中でどんどん大きく
なってくる(視角が大きくなる)物体は接近してきていることを示しているという知識、さらに
ハエや鳥類はこの知識とその変化率から衝突するまでの時間を計算しているらしいことを
示す証拠もあるそうです。
言語がらみや時間に関する知識としては今すぐに思い浮かばないですけれども、
「普遍的な知識」というのは数え上げればきりがないほど有るんじゃなかろうか。

>その鳥の尾羽は、それを見る者が順当に成長していれば錯視を学習している
>はずだということを期待している、
ここでは「動物の種を超えて」共通の原理が働いていると思われる、という点が
重要なのですよ。
744国語:02/01/13 20:40
>>その鳥の尾羽は、それを見る者が順当に成長していれば錯視を学習している
>>はずだということを期待している、
>ここでは「動物の種を超えて」共通の原理が働いていると思われる、という点が
>重要なのですよ。

鳥の話が出ていたので鳥で書きましたが、一般化して、
  見る側の錯視効果を期待している形態(機能?)は、それを見る者が順当に成長して
  いれば錯視を学習しているはずだということを期待している
としてもいいつもり。
錯視が生物にとって生得的でないとしても、平均的他者が錯視を獲得することを前提として
錯視を利用するような進化をすることは十分あり得るだろうということです。
このあたりこそ心理の人たちからの応援の手がないかな〜。
いつかの209氏の台詞を借用すると、頑強にこだわる気もありませんが(笑
745209:02/01/14 05:50
>>744
あれれ、ちょっとおかしいな。「動物の種を超えて」を強調した意味をご理解
いただけていますか? ヒトにおいても、あの孔雀のような鳥においても同じ
錯視をもっているように見える。だから遺伝的に同じ仕組みを与えられている
(用意されている)可能性が高いのです。
746虚無好き:02/01/14 07:05
むにゃ?
「平均的他者」というのを、ヒトを含む、種をこえたものと考えても、
国語の先生の論旨は損なわれないと思うけどにゃ。

で、恒常的自然知識の遺伝的固定に関して、錯視をとくに問題にする理由は何にゃ?
新生児の、酸味や苦みの刺激の拒絶でも、
自然界の化学物質の生得的カテゴリとして、あるていど説得力あると思うけどにゃ。
またくるにゃ。
747虚無好き:02/01/14 09:08
錯視についてなんだけどにゃ。
わたしは一時期、3点透視に興味をもってにゃ、
それに基づくスケッチをいくつか描いたにゃ。
3点透視というのは、消失点が3つある画面構成であり、
直方体を描くと、どの面も視点から遠ざかるにつれて縮小していくにゃ。
これをやってると、2点透視で描かれたマンション完成図とかのビルの、
消失点のない面(たいてい垂直面)が、上にいくにつれ「ふくらんで」見えるようになったにゃ。
まあ、自分の体験で申し訳ないがにゃ、
錯視のなかには、かくも簡単に形成されるものもあるということを示唆しておくにゃ。
しかし209先生の着想に全面的に反対なわけではないにゃ。
ただし動物において錯視が形成されていることを確認するためには、
かなり精妙な実験デヴァイスが必要か、
あるいはある心象に特定された脳現象の測定ということになるにゃ…
たぶん「生得知識仮説」には、もっと効率のいい実証プロセスがあるにゃ。
わたしの印象では、かなり知られた錯視の例でも、
いったい何の役に立つのかわからないものもかなりあったにゃ。
印象だけどにゃ、サゲにゃ。
748虚無好き:02/01/14 09:29
忘れてたにゃ。
わたしが209先生を「批難」しているという発言があったけどにゃ。
それは全然違うにゃ。
いつも論理的であることは難しいにゃ。
わたしも今日なんかは、さっきからとりとめのないことを書き込んでいるし、
たぶんこれ以降も続くにゃ。
やっぱり、BBSは、論文でもインタビューでもないのにゃ。気楽にやるにゃ。
749虚無好き:02/01/14 12:16
さっそく自己批判にゃ。
747で、マンションの完成図について言ったことは、
国語の先生が、植物が急に注目をひくようになった経験と似てるにゃ。
「注意を喚起するような弁別特性として機能するようになる」
と言われたことにゃ。
わたしはそのときパース画に興味があり(反応強化されており)、
同じくパース画であるマンションの看板に注意をひかれ、
じつは本来あった「平行線の錯視」と同質のものを、
自らが形成した錯視と勘違いした可能性のほうが高いにゃ。
「平行線の錯視」は、もし平行線に付加される斜線をパースの線とみなすならば、
たしかに自然界の知識と折り合いはつくにゃ。
消失点に向けて縮小していかない図形は、すなわち「ひろがっている」のにゃ。

ま、こんな感じで、わたしへの批難も歓迎するにゃ。
ちなみにいま、気ののらない「宿題」をしており、機嫌は悪いにゃ。じゃにゃ。
750209:02/01/14 15:03
>>744, >>746
>錯視が生物にとって生得的でないとしても、平均的他者が錯視を獲得することを前提として
>錯視を利用するような進化をすることは十分あり得るだろうということです。
うーん、種を超えてそのような錯視があるらしいこと、模様と錯視はやはり平行して
進化しないことには、模様も最初は曖昧なものからはっきりとした模様まで進化しないと
私は思うのですが、ちょっと分からなくなってきた(笑) これは宿題にしても
解決する問題じゃないな・・・

ところで、別の疑問が生じたのでご相談に乗ってもらえます? その、UGも、
一般に文法も、最後は数式で記述することを目指しているのでしょうか。数式で
記述できることが最終的な解なのでしょうか。
751虚無好き:02/01/15 07:41
誰に相談してるのかにゃ?
ま、コマイことは気にせずいくにゃ。
数式というのは、論理式や化学式みたいなものも入ってくるのかにゃ?
結局は、文法構造とそこから写像された「解釈可能な意味素性」の客観論理的記述にゃ。
universal をぶちあげた以上、もちろん現存するすべての言語ばかりでなく、
なんらかの理由で現存しない可能的な言語をも記述しなければならないと思うにゃ。
つまりいかなる言語が、ヒトにとって自然に学ばれうるかを条件づけるものになろうと思うにゃ。
わたしは個人的には、「数的性質」を帯びた文法になれば面白いとは思うけどにゃ。
これは過激派の発想にゃ。
じつは、というか209先生もご存知のとおり、
和声進行の規則は数的性質を帯びながらも、それじたいは数式っぽくなってないにゃ。
「原則として和音は転回されてもその機能は変わらない。
したがってT−1はT、X−1はD…」というような具合にゃ。
「音のスレ」で、平均律での諸規則は人口言語だから、もうなんでもありみたいなレスがあったけどにゃ。
じっさい商業音楽の大半、
バッハから氷川きよしの唄までをカバーする和声規則があるなら、ただたんに「なんでもあり」じゃすまないと思うにゃ。
(もちろん属音の(機能の)消滅など、ただならぬ通俗化の現象もあるだろうにゃ。)
要するに、和声規則はひとつの到達点を示すとみてもいいと思うけどにゃ。
ま、個人的見解にゃ。
このあたりは、生得性には関わらないことも付け加えておくにゃ。
ちなみにチョム理論には、わたしが「強力な一般化」とよぶものが働いており、
チョム理論は「和声進行は、すべてD進行である」みたいな見解が「仮説」として登場しては、
また消えていくような歴史をたどっているにゃ。
T→S→Tのような進行も、不可聴のDがあると考えれば、
T→S→(D)→TのDが、たまたま楽音素性を欠いて聞こえないだけと考えられるにゃ。
(このような、いわゆる「空範疇」は、チョム理論では常識的に用いられるにゃ。)
この仮説によって、より多くの、和声進行にあたるシンタクスが説明されるというわけで、
多くの理論家に受け入れられるというわけにゃ。
このことに異議を唱え、こんなのは説明ではなく、単なる辻褄合わせだ、と主張する
若干の非チョム生成文法家がいるというのが現状にゃ。
わたしも、過度の一般化は避けるべきとの立場にゃ。
以上、反論にもならないおしゃべりにゃ。じゃにゃ。
752名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/20 05:48
専門スレに失礼いたします。

以下のスレで当スレが宣伝されていたので、とりあえず苦情言いに来ました。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/utu/1011146081/30-54

迷惑なのがこの板からメンヘル板に来ております。実にうざったいので
引き取っていただけないでしょうか。
753国語:02/01/20 10:30
私、今の今までずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
「メルヘン板」だと思ってました。この板であほなこという奴は、
メルヘンの世界で遊んでろって言われてるのだと思ってた。
あほです。
754ミルク:02/01/20 11:22
ミルク=209です。
ここの>>750>>751に関する話は流れの都合から「行動主義と唯脳論」スレに
移ってしまいました。悪しからず。
755虚無好き:02/01/20 16:35
むにゃ。
ミルク先生、ここはいちおう「唯脳論」とは独立してるんだけどにゃ…
いろいろおもしろい先生にゃ…

ここまでの議論で、生得説かどうか以前に、
文法の知識を単独に検証しうるか、などの問題で、心理学者の先生とは見解が異なるらしいということ、
(これらの論点については、わたしは生成文法の主張に近い立場にいるにゃ。)
また、言語板関係の人間が「般化」機能についてもっと言及しないと、一般の関心をひかないらしい、
ということがわかったにゃ。

わたしは、文法の知識は、独立しているとはいわないまでも、抽出して考察することはできるにゃ。
たとえば、ひとつの文、
「AがBより大きく、かつ、CよりAが小さくないとき、
AがCより大きくない、と言えなくもないのではないでしょうか?」は、
その論理的意味が即座にわからなくても、文法的には問題ないということが即座にわかるにゃ。
わたしは、論理的に非常に難解な文章から、「統語的誤り」だけを指摘させる実験は、
意味があると思うにゃ。
これは、言語の創造性と呼ばれるものとも関連してくるけど、機会があったらまた論ずるにゃ。
とりあえず上であげた例は、決定的ではないにせよ、
文の論理的意味の計算と、統語の計算が独立に機能していることを示唆していると思うにゃ。

ま、いちおうあげとくにゃ。
756(´∀`):02/01/21 07:50
>言語板関係の人間が「般化」機能についてもっと言及しないと
むしろ「般化」によって言語知識のこれこれがこういうように説明できる、という
のを心理学側に語ってもらいたいのにゃ。
心理学辞典見たら「般化」とは「ある刺激に条件づけられた反応が,他の刺激に
対しても生じること」とあったにゃ。それだけでは言語獲得は不可能、というのが
まさに刺激の欠如の議論ではなかったかにゃ?
757名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/21 14:54
>>756

>>553前後を読んだ?
758名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/21 15:04
つまり、>>553の観点からすると、
>むしろ「般化」によって言語知識のこれこれがこういうように説明できる、という
>のを心理学側に語ってもらいたいのにゃ。
あなた方がまさにこれをやっているとも言える。
だから、
>それだけでは言語獲得は不可能、というのが
>まさに刺激の欠如の議論ではなかったかにゃ?
という問題提起はおかしいでしょう?という話。
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760(´∀`):02/01/21 15:39
あのにゃ、「ある刺激に条件づけられ」るのが般化だとしたら、そもそも
刺激がないことが問題だと言ってるのにゃ。
だから、「いや、これこれが立派な刺激になって、そこからこれこれの
言語知識が般化によって生じる」と(言えるもんなら)言って欲しいのにゃ。
そのような内実のある議論はこのスレの誰もしていないのにゃ。
553は(だって般化なんだから)だと決めつけているにゃが、何を根拠に
そう言えるのか不明にゃ。
761虚無好き:02/01/21 17:45
>あのにゃ、
一瞬、わたしかと思ったにゃ。憤然としたときの書き出しまで同じになってきたにゃ。
ま、いいにゃ。同一人物説には笑わせてもらったにゃ。

>ある刺激に条件づけられた反応が,他の刺激に
>対しても生じること」とあったにゃ。
わたしのにわか知識によると、これはレスポンデント条件付けの定義にみえるにゃ。
どうなってんのかにゃ?
それはそうとして、
>言語知識が般化によって生じる
という言い方はどうなのかにゃ?
むしろ、「言語知識」が般化だといっているのではないのかにゃ?
行動主義の構成概念からは、(ちょっと繰り返しっぽいけどにゃ。)
思考とか「考える主体」からふつう連想されるいっさいのもの、
(とりわけヒト固有とされる)表象representation能力、推論能力・抽象能力などなどは強制排除されてるにゃ。
言語獲得は、行動レパートリの習得以上の意味をもちえないということに注意してにゃ。
一般学習能力なるものも、無用の長物か、条件づけに還元しうるものでしかないのにゃ。
わたしからみれば、問題は「学習能力vs生得知識」のレベルで生じているのではなく、
すでに言語知識の実在論のレベルで生じていると考えざるをえないにゃ。

ひとがいかにして駅へたどり着くかの議論は覚えてないかにゃ?
ここで、道順の知識とか、「認知地図」みたいな過剰な(心的)assumptionは必要ないのにゃ。
おのおのの曲がり角において、進む方向を決定するよう条件づけられている、と説明されるのにゃ。
すると、チョム理論の実在的性格、BOB先生風にいえば、
「脳のなかでくっついたり移動したりする」理論に関しては、推して知るべし、にゃ。
わたしの印象では、この対立は根深いにゃ。

で、エムラスとかエラムスとかのハナシはどうなったのかにゃ?
512KBを超える前に、聞いときたいところだけどにゃ。
言語獲得における般化に関しては、以下の3つを考慮する必要があるかと思われます。

(1)刺激般化

異なる刺激に対しても同様の反応が生じることであり、弁別の失敗ということも可能。

例)黄色のライトの下で訓練が行われ獲得された反応が、黄緑色のライトの下でも生じる。

異なる場面で同様の言葉が発せられることを説明。

(2)反応般化

ある獲得された反応に対して、それと形態が似通った反応が生じるという、いわば「反応
のぶれ」のようなもの。

例)高さ30cmののロープを飛び越すよう訓練されている動物が、40cmのジャンプを見せる。

一つの言葉を覚えると、それに似た言葉を発することを説明。

(3)高次クラス

高次の反応が獲得されれば(親反応)、共通の機能をもった子反応が訓練なしで生じること。

例)模倣をするという親反応が獲得されれば(模倣をするというスキルが獲得されれば)、
新しい反応に対しても模倣が生じる。

ある文法の規則を獲得すれば、その規則を別の言葉に対しても使用することを説明。

ただし、これらの説明はあくまで単純な理論分析なので、実際の言語獲得における般化の
役割についての結論を下すことはできないと思います。
763虚無好き
そしてまた、太郎と次郎と花子の
宿題のなすりつけあいの議論になるのかにゃ…

いまのうちにいっとくけど、わたしはPART2は立てないにゃ。
失敗宣言もしたことだしにゃ。
行動主義帝国を垣間見たことはたしかに有意義なことだけどにゃ。
それにしても、
「エムラス〜!!!!!!」

これが最後の書き込みにゃ。皆様ありがとうにゃ、そしてごきげんようにゃ。