生成文法批判

このエントリーをはてなブックマークに追加
297門外漢
>>296
>>>書き言葉よりも話し言葉の方が、悪文に対して厳しい。
>>ふつうは逆で、話し言葉の方が制約がゆるく融通が利くもんですよ。
>メディアや文脈が変われば諸制約の優先順位も変わるということでしょう。

それ(三番目)はあんまり一般論に過ぎやしませんか。
もしそれが「話し言葉の方が融通が利く」への反論だとしたら、不同意です。
私はメディアが変ればなんて一般論ではなくて話し言葉と文章との比較、特に、非文判定のごとき場合に問題となる制約に就て述べたのです。よってそんな一般論では説得的ではありません。
対談などのテープ起こしをやったことのある人ならば、話し言葉がいかに文章の体を成さないものか判るはず。文末の呼応が途切れたり、テニヲハが滅茶苦茶だったり……。
その意味では、>>291の意見とは違って、話し言葉の方が「非文」が多いのです。
しかしもちろん、話してる時はそれを「非文」とは意識しません。
そもそも非文判定式に自らが発した言語を細かに省みる態度は、到底話し言葉だけでは出て来ないもの、文字無くしてあり得ないものです。ウォルター・オング『声の文化と文字の文化』(藤原書店)の議論を想起してみて下さい。

>言語に関する能力・習慣・規約・規則を「文法」と呼ぶなら

そんな風に諸範疇を「文法」の名を以て総称することが既に「学問」的態度なのであり、文字に拠った「知識体系」無しには成立しません。
ですから>>293でも「「文法」とは《何であれ》「書かれたもの」なくしてあり得ない概念です」と書いた次第。定義は何であれ、です。
298火星人:2001/08/22(水) 22:12
門外漢さんへ告ぐ。

話し言葉における非文の頻度、および
それを意識するか否かの問題は、文法の存在論を脅かさないことは、
ご承知かと思います。
とにかく地球人は、文法書を読むことなしに、
母語の文法を獲得(学習)しているのです。
自然な推論によって、表記体系の成立いぜんにも
ヒトは文法を身につけたといえます。
もちろん表記体系のない言語についても同様です。

ご推薦の本は火星人なので存じあげませんが、
とくに<書かれたもの>が権力と結び付けられているようでしたら、
そのようなアプローチがあることは存じておりますが、
ここでの問題群とはかけ離れております。
ちがったらスイマセン。
299名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/22(水) 22:16
>>297
要するに「知識体系」なしには言語は語れないってことをおっしゃりたい
のですかねえ?門外漢さんの言説も「書かれたもの」なくしてありえないこと
になるでしょ?で、そういうこと言って、どんなことが分かるんですか?
300名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/22(水) 22:45
>>297
なんか読みようによっては、
言語学が先か、文法が先か、みたいに読めるぞ。
チョム派でなくても、文法が先に決まってるけどね。

たしかに生物学のできるまえに、厳密な生物の概念はなかったかもしらんが、
そんなこといったら、いまからだって生物の概念はかわるかもしらんのだ。
でも昔から生物がいたことは疑いようがない。
文法の概念だって同じこと。
あんたの言ってることは、まったくナンセンス
301門外漢:2001/08/22(水) 23:09
>>298-299
本題である、話し言葉の方が文章より非文の頻度が高いってのはそれでいいのですか?

ここから脱線。
>とにかく地球人は、文法書を読むことなしに、
>母語の文法を獲得(学習)しているのです。

ふむ、故に文法は表記体系の有無に拘らず存在するのだ、と?

「文法」を生得本能と定義しようが社会制度と定義しようがご勝手ですが、
それが石や木や動物が即自的に存在するのと同じ意味では存在するものではないことはおわかりですね。
「文法」の存在は理論的仮設であって、人間の認識がそれを見出したとき、その意味に限り「存在する」わけです。
そして、その認識は「書かれたもの」無しには獲得できないと言ってるんですよ(権力云々は関係ないこと)。
ご注意いただきたいのは、文法が獲得できないのではなく(おっしゃる通り無文字社会の住民も文法を体得してますから)、文法の認識が獲得できない、ってことです。
さて、いまだそれと認識できない想定物は存在すると称せますか? 仮に「文法」としてではなく漠然とした前意識的な法則なら文字の助け無き時代にも思考し得たにせよ、それはいまだ「文法」ではない。

ここから「どんなことが分かる」かの一例。
以前、係り結びスレッドで、「かかり結び」さんが古文はコーパスとして興味が無くネイティブの残存する琉球語を調査したいって言ってましたね。私はなぜ古文をあんなに避けるのか、不思議でした。
喋る人の存在しない文章語だから? しかし元来「文法」とは文章を媒介とせずしては把捉できないとしたら……? 古文も立派に研究対象となることが分かりますやね。
ま、これは一例に過ぎません。
302B.O.B:2001/08/22(水) 23:23
>>門外漢
>もしそれが「話し言葉の方が融通が利く」への反論だとしたら、不同意です。

基本的に「話し言葉の方が(書き言葉に比べて)融通が利く」というのには
賛成です。ただ、だらだらと長い文なんかは(呼吸やイントネーションの制約のない)
書き言葉の方が「融通が利く」ケースにあたるのでは? と思ったのです。

>そもそも非文判定式に自らが発した言語を細かに省みる態度は、到底話し言葉だけでは
>出て来ないもの、文字無くしてあり得ないものです。ウォルター・オング『声の文化と>>文字の文化』(藤原書店)の議論を想起してみて下さい。

その本は読んだことがありませんが。
例えば日本(社会)でも、文法的間違いがあまりに多いと「あいつの話はテニヲハがおか
しくてどうにも聞きづらい」などと言われるでしょうが、無文字社会では「テニヲハ
がおかしい」にあたるような概念は無いんでしょうか? 多くの無文字社会では流暢な語
りや弁舌が社会的なスキルとして重視されると聞きますが、やはり文法的間違いが多
いのはそこでマイナスポイントになるような…
grammatical error にあたる概念が無文字社会に存在するか否か、興味深いですね。
オングの本には「存在しない」のを匂わすことが書いてあったんですか?

>「「文法」とは《何であれ》「書かれたもの」なくしてあり得ない概念です」
「文法という概念で我々が指示するもの(例えば文法規則)」がないのではなく、
「文法という概念」がないということですね。わかりました。
303B.O.B:2001/08/22(水) 23:30
>いまだそれと認識できない想定物は存在すると称せますか?
例えば○○語の話されている共同体に「文法」という概念が存在
しなくても、例えば○○語を調べにきてるフィールドワーカーは
○○語の「文法」を調べにきてるわけで、やはり○○語には
(そのフィールドワーカーが来る前から)「文法」が存在していたと
考えるべきでは。言語哲学っぽくなってきた… 
304名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/22(水) 23:46
マイナーな論点だなあ。
極端なハナシ、文法の意識を言語学者だけしか持っていないとしても、
言語学(文法記述・分析)は成立するじゃん。
学が研究対象を構成するのはあたりまえ。
それに話者が非文にまったく無意識という前提もまちがい。

いったい何を求めてるの?
表記しか研究対象にするなってこと?
305299:2001/08/22(水) 23:49
>私はなぜ古文をあんなに避けるのか、不思議でした。
容認判断を容易に聞けないからだと思いますよ。データが取りにくかったら避けるのも人情。
まして係り結びさんの目的には現代語で十分だったわけだし。

>しかし元来「文法」とは文章を媒介とせずしては把捉できないとしたら……?
「文法」って人によって定義がいろいろあるわけでしょう?あなたの定義を教えてください。
その上で「文章を媒介とせずしては把握できない」というところを理解しないと何を
おっしゃってるのか分からない。

> ま、これは一例に過ぎません。

もっともっと例をあげてください。

話し言葉の方が碑文の頻度は高いでしょうね。多分。話し言葉だと物忘れしたり、
言いかけたことを取り違えたり、雑音入ったりで大変ですから。でもそのむちゃくちゃな
「話し言葉」を理解し、解釈して会話を行っているってことはどういうことを意味しているんでしょうか?
306B.O.B:2001/08/23(木) 00:02
>マイナーな論点だなあ。
いうなれば「唯名論」対「実念論」ですから、ある意味メジャーな論点でしょう。

>>305
>でもそのむちゃくちゃな「話し言葉」を理解し、解釈して会話を行っているって
>ことはどういうことを意味しているんでしょうか?
その含みを持たせた言い方は…
→文法なんて言語理解の手がかりのうちの一つに過ぎない
→イデア的な確固たる文法が頭の中にあるからこそ多少のノイズは平気
→皆目検討がつかない
→その他
のどれですか。
307304:2001/08/23(木) 00:26
>>306
あなた本気で学の対象の実在性についての議論にふみこむつもりですか?
おっしゃる通りこれは存在論の重大な問題です。
>「唯名論」対「実念論」
はちょっと古いパラダイムなので、
せめて20世紀の数学の
構造(形式)主義ys直観主義の対立でももってきましょう。
前者は、数字の7が現実の「ななつ」を意味しなくても
数論の整合性は保たれるという主張です。
これを支持しますか?それとも7はあくまで7だと主張しますか?
このような対立は、幾何学にも及び、
点の概念は点の表象とは何の関係もないと主張されるに及んだのです。
(いまはこれが主流)

だからこそ、このような学一般の問題になるのを避けるため
>学が研究対象を構成するのはあたりまえ。
といったまで。
そういうことにしましょうよ。
308299:2001/08/23(木) 00:29
どれかというと2番目的。

話し言葉のときは、あーだこーだ考えてると流れに乗り遅れるし、黙ってると相手に悪い。

ゆえにあれこれ頭を働かせて「相手の言ってそうなこと」は何かと考える。

その時「イデア的カッコたる文法」にあわせて相手の発話を再解釈してるってのはどーですか?
309門外漢:2001/08/23(木) 00:44
>>307
私は「構造主義」者で「唯名論」者ってことにしといて下さい。
ソシュールに始まり音素論の論議を経た言語学なら素朴実在論に留まれないのが当然では?
――本題からいよいよ外れるのでサゲ。
310>304:2001/08/23(木) 00:58
>それに話者が非文にまったく無意識という前提もまちがい。

 間違いと言うのはどういうこと?非文とは何か、というのは
最近、関連スレでのトピックの一つなので
何か新しい視点があっての発言なら歓迎。
どう間違い、ナリか?
311304:2001/08/23(木) 01:15
307っておれじゃん!
なんでおれが素朴実在論者なんだよ!
実在のハナシはあまりにも多くの議論を呼び起こすんで、
このスレのために、妥協しただけ。
あなたの話をきいてまっさきに思い出したのは
M・フーコーだけど、(博物学の時代に生物は存在しなかった!)
ここはそんな話をするところではない。
ソシュールのいう構造と群論・射影幾何学の関連も興味あるし、
じっさいチェスの比喩による外的/内的の議論は支持している。
しかし要するに――本題からいよいよ外れるんだよ。
おれは、チョムスキーにまつわる話が聞きたい。
だからここに来た。オワリ
312304:2001/08/23(木) 01:22
>それに話者が非文にまったく無意識という前提もまちがい。
またおれか...
これは、非文に関して新しい視座を設定するとかじゃなくて、
誰だっけ?
門外漢さんが、話し手が「てにをは」の誤用に無意識だという
コメントについて申したまで。
話し手は、たとえコミュニケーションに支障をきたさないばあいでも、
自分で発話を訂正することがあります。そいだけ。
313門外漢:2001/08/23(木) 01:35
>>311
別に素朴実在論者としてあなたを指したつもりはなかった。
むしろ>>308にその気味があると思ってます。
誤解させたらごめん。
ではおやすみなさい。