☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25

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1神も仏も名無しさん
Category:仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。

主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、
明確な答えは出ないかもしれません。
皆で協力し合って何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。

初心者には優しく接してください。
可能であれば出典などの根拠を示していただきたいです。
質問者がどのような書籍を参考にするかの目安になります。

明確な出展なく自説を述べる場合は、
その旨をはっきりさせると
無用な論争の防止になるでしょう。

無駄な荒廃や論戦の紛糾を防止するため、
皆様の御協力をお願い致します。


【前スレ】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1263374686/
2神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 18:59:31 ID:oYRYah6M
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1263374686/991
アホか?
>「(総合)質問箱」  ということは、(神仏板のように)
「仏壇にお線香を供える時、何本にしたらいいですか?」という質問もアリだということだ。
で、ID違うんで、お前さんは縁起馬鹿ではないと思うが、いずれにしろ、
この質問に対して【仏壇には何もいません】【線香を供えるという行為は仏教の本義とは関係ありません】
【単なる慣習です】【本数に意味はない】【仏壇に線香なぞ供える暇があったら行じなさい】
などといったレスが多く付くから、そうじゃないだろと言ってるだけだが?
(普通に『○○宗では、こういう理由で○本のようです』という回答でいいんだよ。
 そこへ、やれ文化的慣習やら、香を焚く行為と仏教の教理の乖離とか、次元を飛び級させるから言ってんだよ。
 「歴史的釈尊」という言い方に関しても全く同じだ。解らんか?)

てめぇも縁起馬鹿も、いちいちいちいちいちいちいちいち鬱陶しい奴らだな・・・。
お前らも宝珠や在家と一緒に豆腐の角に頭ぶつけて来い。

ったく・・・。
3神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 19:08:48 ID:D3QqspvB
お!  新スレか?  まずはスレたて乙。(ほとんどロム専だが)
セブンが、いきなりご機嫌斜めか?(笑)
4神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 19:12:02 ID:tYcu1zDz
>>2
前スレでは質問スレというよりは、
議論スレと化していましたね。(笑)
5神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 19:12:29 ID:Lw3Hv57K
>>2
>「(総合)質問箱」  ということは、(神仏板のように)
>「仏壇にお線香を供える時、何本にしたらいいですか?」という質問もアリだということだ。
>で、ID違うんで、お前さんは縁起馬鹿ではないと思うが、いずれにしろ、
>この質問に対して【仏壇には何もいません】【線香を供えるという行為は仏教の本義とは関係ありません】
>【単なる慣習です】【本数に意味はない】【仏壇に線香なぞ供える暇があったら行じなさい】
>などといったレスが多く付くから、そうじゃないだろと言ってるだけだが?
>(普通に『○○宗では、こういう理由で○本のようです』という回答でいいんだよ。

だから「基本的には賛同する」と言ったし、「何でも」と前置きしているでしょ。


>そこへ、やれ文化的慣習やら、香を焚く行為と仏教の教理の乖離とか、次元を飛び級させるから言ってんだよ。「歴史的釈尊」という言い方に関しても全く同じだ。解らんか?)

例えば、輪廻は縁起絡みなのに、唯物論“無謬”前提で構わない、
こういう態度こそ「次元を飛び級させる」と言う。解らない?


>てめぇも縁起馬鹿も、いちいちいちいちいちいちいちいち鬱陶しい奴らだな・・・。
>お前らも宝珠や在家と一緒に豆腐の角に頭ぶつけて来い。ったく・・・。

…何で「豆腐」? 魔非禍痢と一緒、というのは勘弁してもらいたいですな。
6神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 19:13:34 ID:uQpgr6v9
悟り
7神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 19:15:31 ID:Lw3Hv57K
>>4
質問も議論も可というテンプレのスレを新たに建てて、
このスレの次スレを建てるときは、テンプレで質問限定、
とすれば良いと思います。
8神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 19:20:58 ID:oYRYah6M
>>6 >何で「豆腐」?
「○んで来い」とまで書くのはどうかと思ったからw

>>4>>7
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート23
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256027204/4
4 神も仏も名無しさん 2009/10/20(火) 19:31:15 ID:lzHI6FOB
>>1の行数が一杯になりました。
次回からは以下をテンプレとし、2〜3で過去スレ、4で関連質問スレ、という形が良いかもしれません。
また、過去スレの量が増えているので、まとめた表記或いは省略(前スレのみ)という方法もあります。


仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。

主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、明確な答えは出ないかもしれません。
皆で協力しあって何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。

初心者にはやさしく接してあげてください。
良ければ出典などを示してください。質問する人がどんな本を読めばいいかの目安になります。
明確な出展なく自説を述べる場合は、その旨はっきりさせると無用な議論の紛糾の防止になるでしょう。

無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。

*「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」
 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに
 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、
 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。


【前スレ・過去ログ・関連スレは>>2-4辺り】
9神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 19:21:05 ID:D3QqspvB
>>4 後半においては、その責任の一端は俺にもある。
まあ、このスレでは書き込むことは、めったにないので勘弁。  
10神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 20:38:11 ID:yCbRPC3l
机の嘘は過去に遡ればたくさんあるけど例えば、これなんか嘘でしょ。

>>前スレ732
>あのね、見苦しいのは貴殿ひとりだけなんだよ(ニガワライ
>その他大勢の御仁は、私の書き込みを熱心に読んでるんだよ。
>ただ、そういう人は黙して語ちらないだけ。

なんの根拠もない。それとも机は神通でそういう大勢のロムを察する能力があるとでもw


>>前スレ991
おお! よく分かってる。こういう方に語ってほしいんだが、
騙るのは何も知らない机みたいなヤツばかり
11神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 21:56:51 ID:UhOvpOTX
解脱したら、輪廻転生しなくなるんですよね?
それっておかしい気が
12神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 22:22:16 ID:yCbRPC3l
>>11
なんで?
13神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 22:26:55 ID:/B4oElEr
前レス>>988

基本的には、原始仏教カルトの大乗仏教に対する反発がある。

>>色即是空の意味は、
>「悟りました」ってのが色ですね。
> 悟っておらん」ってのが空です。

この解釈でも、別によいのではないか。「色即是空・空即是色」の解釈は、佛教でも、解釈者によって
様々。しかし、両句の併置が「同義反復」という解釈には、賛同できない。「空即是色」をわざわざ
付加したところに、千金の重みがあると思う。むしろ、大乗仏教の真髄ではないか。この付加がなければ、
「空即是空」だけで、佛教は「現実遊離の宗教」になってしまう。般若心経の筆者が、無意味な同義反復
を行うだろうか。
14神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 22:30:50 ID:UhOvpOTX
永遠に続くほうがなんか分かる。終わりがあるなら始まりもあるような
終わりがないものには始まりもないような
15神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 22:31:18 ID:yCbRPC3l
>>13
/B4oElEr

この方は生命教さんですので、ご注意ください。
16神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 22:34:29 ID:yCbRPC3l
>>14
ああ、それは論理的ですね。

悟るまでは、そう言われます。
何故、悟ると輪廻が終了するかというと、
輪廻の原動力ともいうべき無明・我意識といったものが止まるので、
縁起も止まる、輪廻も止まるというわけです。


17渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/11(木) 22:37:42 ID:O1xDY/ou
 突然、書きたくなりました。

 これだけ書いて退散します。議論になっていれば、明日以降にレスします。

 心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきこ
とのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり」と、仰
せられ候うと云々
                         (蓮如上人聞き書き 蓮如 本願寺第八世 1415〜1499年)
18渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/11(木) 22:40:39 ID:O1xDY/ou
>>17 書き直し

 こういうことか 色即是空   突然、書きたくなりました。

 これだけ書いて退散します。議論になっていれば、明日以降にレスします。

 心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきこ
とのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり」と、仰
せられ候うと云々
                         (蓮如上人聞き書き 蓮如 本願寺第八世 1415〜1499年)
19神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 22:58:28 ID:ued3AQdP
>>16
>輪廻の原動力ともいうべき無明・我意識といったものが止まるので、
>縁起も止まる、輪廻も止まるというわけです
 初学者です。お尋ねします。
(1)無明・我意識が輪廻の原動力であることの明確なメカニズムを実証してください。
(2)あなたのいわゆる輪廻を定義してください。
(3)縁起も止まる、輪廻も止まるのはだれがどういうメカニズムで判定して止めるのですか。
   実証してください。
(4)あなたのいわゆる縁起を定義してください。
20神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 23:05:02 ID:/B4oElEr
>>18
釈迦や仏教者が「悟った」と思うのは、「悟ってはいない」と言うことだね。

「『悟るための』修行」は、全く無意味と言うことである。
21神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 23:59:03 ID:ued3AQdP
>>20
>無意味
あなたのいう「悟り」を定義してくだい。
あなたのいう「意味」を定義してください。
22神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 00:01:43 ID:Mc9fuzFt
シンデレラボーイとして、明日は早いので寝ます。
帰宅後に参加させていただきます。

        よろしくおねがいします。

           おやすみなさい。
23神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 00:25:55 ID:jiHrWY/j
>>21
>あなたのいう「悟り」を定義してくだい。
「悟り」を語る釈迦や仏教徒に聞いてください。

>あなたのいう「意味」を定義してください。
国語辞書で「無意味」を引いてみてください。
24神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 04:02:26 ID:j9QJAf2V
>>19
あなたの言う実証はどのようなことを意味しますか?
25神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 04:12:42 ID:jiHrWY/j
「実証:
事実をよりどころとして証明すること。また、その確実なよりどころ。
確かな証拠。

実証主義;あくまでも事実を根拠とし、超越的・形而上学的な支弁に
よらずに、ある理論や意見の正しさを立証しようとする態度・考え方。

事実:
実際に起こった、または存する事柄」(岩波国語辞典)
26神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 04:17:33 ID:jiHrWY/j
>>25の訂正
×支弁
○思弁
27神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 04:29:31 ID:j9QJAf2V
>>25
つまり、素朴実在論や還元主義に立って、何か実体に還元した証拠を出せという意味なら、
それは無理。

なぜなら、縁起・空だから。

それと定義というソクラテスに端を発する本質主義も反縁起なので
そういう発想から抜け出せないと仏教は理解できない。

これはどういうことかというと、定義というのは意味を勝手に唯一無二の本質として規定することを意味しています。
ところが仏教では意味や本質というのは適当な言語習慣に従って適当に指示されるだけなのですから。


28神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 04:47:37 ID:jiHrWY/j


27
>なぜなら、縁起・空だから。

竜樹の「縁起・空(相互依存性・関係性)」は、万物について完全に「実証」できるぞ。

実証できないのなら、膨大な経典は、すべて妄想として無意味である。ゴミに過ぎない。
29神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 04:57:32 ID:j9QJAf2V
>>28
なんだ生命教か、時間無駄にした。
30神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 05:02:45 ID:jiHrWY/j
>>29
生命教ではなくて、「八宗の祖」である竜樹の信奉者だ。
31神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 05:17:15 ID:j9QJAf2V
>>28
>竜樹の「縁起・空(相互依存性・関係性)」

これがそもそも間違いだから。縁起は何か実体と実体の相互依存性・関係性という意味ではない。
それじゃ縁起でなくヴァイシェーシカのサマヴァーヤになってしまう。
なぜなら、何か実体を想定するから、空でもない。

32机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/12(金) 07:52:11 ID:bYWz/x1x
>>20
横レスですけど。

>釈迦や仏教者が「悟った」と思うのは、「悟ってはいない」と言うことだね。

去ってしまったものは、新たに去ることはないでしょうし、
また、
未だ来ていないものは、新たに来ることはない。

だから、「悟った」は「悟っておらん」です。



    一切のものは、新たに来ることがなく、
    一切のものは、新たに去ることがない
             (中論・序章より)

これは禅の解釈ですけど、蓮如上人についてはよく知りませんです。
  (ではまた、暇なときにでも・・・)
33渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/12(金) 10:32:14 ID:8gvpkxdP
>>18
 前スレの>> 947の机さんのカキコを見て瞬間に浮かんだのが蓮如上人のこの言葉だったん
ですね。机流解釈の渡海流解釈というべきか。
 全世界の仏教学者はおろか、全世界のお坊さんでもそのような解釈をしなくても、僕にはそ
んな思いが生じた。僕にはそんな思いが生じたことは嘘ではない。だから僕は嘘つきではな
い。(念のため)

 机さんは「色」を説明し、「空」を説明してくれているけど「即」はどうなの?。行間で読んでく
れということか。蓮如さんは即についても詳細に説明してくれているようだ。

 蓮如の聞き書きと般若心経とがつながってくると、僕の中で意外な発見があった。般若心経
とは、悟ってない人に向けて語られているお経なんだと。考えてみれば当たり前かも知れない
が、般若心経など僕には目の前を単に通過して行くだけに過ぎなかったお経だったけど、何
か近親感を感じる。
 蓮如の言葉の多くは、悟ってない人に向けて語られている。悟った人にとっては、「心得たと
はどういうことか、心得ぬとはどういうことか」。こんなことはどうでもいいことだ。悟ってない人
にとって大事なことだ。
 もうひとつ、この言葉は、悟りを求めてない人には関係の無い言葉だ。向上心のない人、努
力しようという気持ちのない人、そん人にとっては、「心得たとはどういうことか、心得ぬとはど
ういうことか」。こんなことはどうでもいいことだ。向上心のない人、努力しようという気持ちのな
い人に言えば無用の長物、キチガイに刃物ということになる。
 念仏は面白い。よしやろう。そう思って、他人に誘われなくても自分から進んでどんどん念
仏を称えるという人は、昔はたくさんいた。地域地域には念仏道場があり、そこで多くの人が座
禅しながら多念念仏(五会念仏)、一念念仏を称えていた。
 そんな人の中には、悟ってもないのに、おれは悟ったぞと心得違いする人もたくさんいた。蓮
如はそういう人に大変苦労していた。その人に対して、心得違いするなよと、蓮如上人は教え
ている。

 般若心経も、恐らくそういうお経なんだろうね。座禅しない人には関係がない。本当に悟った人
にも関係ない。修行中で、おれは分かったぞと心得違いするような人に警告を発しているんだろう。
34渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/12(金) 10:33:53 ID:8gvpkxdP
 蓮如の言葉は読んでいけば実に深いことを言っている。結局、真宗の教行証を敬信して、特
に如来の恩徳の深きことを知る。弥陀の御たすけあるべき事の尊さよと思う親鸞の原点に帰れ
ということだ。
 悟ったか、悟ってないか、そんなことは今はどうでもいいことだ。「念仏を称えていきなさいよと
いう教え」と「念仏を称えるという行為」と「称えて気づかされたこと」と、これが大事なんだなと尊
くおもう(信)ということ、これは悟る前も、悟ったあとも共通する。そこを認識しようということだろ
う。よし、俺はわかったぞと思っては危険だよという、非常に微妙なところを言葉にしてくれてい
る。

 「『悟るための』修行」は、全く無意味と言うことであると心得たら(>>20)、心得てないと言うこと
でしょう。

 そもそも、念仏を称えない人、仏道修行に関心のない人に向けて言っている言葉ではないとい
うことは、大事なことでしょう。色即是空、空即是色は、仏道を歩まない人には関係の無い言葉な
んでしょうね。
 思い当たる人は多いと思う。(つづく 後ほど)
35神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 10:56:29 ID:B4LHFAoV
あえて悟り(勝義)に入らない
菩薩の心を理解せぬものは
大乗を名乗る資格などないだろう。
36神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 11:14:04 ID:Pn1c9xRW
ちょっと、言っておくが、渡海 難

ここは、初学者のための質問箱スレだ。
前スレからの、お前の書き込みを見てると、とてもこのスレの趣旨に
そったものとは考えられない。
机氏と対話をしたいのは、わかるが、それならば、新たにそのような
スレを立ててそこでやればよかろう?
そこで心行くまで、教えてもらいなさい。
37神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 11:28:53 ID:B4LHFAoV
>>36
>机氏と対話をしたいのは、わかるが、それならば、新たにそのような
>スレを立ててそこでやればよかろう?

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1254219116/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1254216400/

ここがいいかもな。
過疎ってるし。
ついでに大乗の基礎を教えてもらえば良い
38渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/12(金) 14:07:03 ID:8gvpkxdP
>>34
 また二種あり。一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道ありと信じて、すべて得道
人ありと信ぜざらん、これを名づけて「信不具足」とす、といえり。
(親鸞集 教行信証)

 親鸞聖人は念仏を修行しようという人に警告する。
 『釈迦や仏教者が「悟った」と思うのは、「悟ってはいない」と言うことだね』。このように心得違いする人は、昔もた
くさんいたようだ。悟りを求めてない人、向上心のない人、努力しようという気持ちのない人、そんな人なら何を言っ
ても構わない。自由に好きなことを言えばいい。悟っている人を相手に「嘘つき」と言おうが、「バカ」と言おうが、自由
にすればいい。もし、向上心のある人、努力しようという気持ちのある人が、そのようなことを言えば、これは残念なこ
とである。
 道はあるけど悟った人なんていないんだよね、そんな風に思って、得道の人の存在を信じないなら、教行証を敬
信している(親鸞集 教行信証)ということにならない。残念なことである。

 我が所説の十二部経のごとし、あるいは随自意説、あるいは随他意説、あるいは随自他意説なり。
 お釈迦様の教えは、十二部経に展開している。一部分だけではわからない。一部を見ると矛盾していることもある。悟
った人は、あるときは自分は悟っているぞと言うこともある。自分は悟ってないぞということもある。自分の心に正直にな
って話をする場合と、聞き手の心に合わせて話をする場合がある。自分の心と聞き手の心を調和させながら話をすると
きがある。悟っているぞと言うときと、悟ってないよと言う時もある。
 お釈迦様も、自分は悟ったぞというときと、悟ってないぞと言っていた時と、両方あったろう。 親鸞は言う。 誠に知り
ぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近
づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。(親鸞集 教行信証)
 また親鸞は言う。
 一切聖人、道果を得と雖も、自から稱説せず。稱説せざるゆえに、心悔恨せず。これを知足と名づく
(大涅槃経要文 親鸞)。
 後で悔いを残さないように悟ったと言うことは自分からは言わないものだ。必要がある時には、悔いを恐れず言うべき
時もあるだろう。
39渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/12(金) 14:09:35 ID:8gvpkxdP
 愛欲の広海に沈没しという言葉に触れて、親鸞聖人も俺たちと同じだなと思う人の中には、バカと言う外はないと言う
べき人も少なくない。残念である。

 たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正
覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く(大無量寿経)。
仮に自分が、悟りを開いて仏になっても、多くの人々の目が現実に開けない内は、自分は悟った内には入らない。阿弥
陀仏はそう誓う。
 机さんが悟ったと言っても、2ちゃんねるの前相撲の人々の目が開けない内は、机さんの悟った言う話も仮免許のよう
なものだ。2ちゃんねるの前相撲の人々の目が開けて始めて、机さんの悟りも完成する。

 了心を見性せばすなわち是仏なり(五会法事讃略抄 親鸞見聞集 専修寺蔵)

 悟るということは了心を見性することであり、何年何月何日、どこの寺に入門してどのような修行をしたかということで
はない。
 
 去・来・現の仏、仏と仏と相念じたまえり(大無量寿経)。仏と仏とは時間と空間を越えて心が通じ合う。それは、悟って
ない人には想像もできない彼岸の世界だ。公案は人の心を読むことだそうだ。悟った人、彼岸に渡った人には、悟った
人だけが心通じ合う世界があるようだ。


 自分は悟っているといっている人がいれば、その言葉の背後の意味を感じて欲しい。一時の迷いでそう言っている人も
いる。随自意説で言っている人、随他意説で言っている人、随自他意説で言っている人がいる。しかし、悟りは、何年何
月何日にどこの寺に入門したかどうかとは関係の無いことである。

 自分は悟った思えた時は、蓮如上人の言葉を思い出してほしい。本当に悟れた時、彼岸に渡った時には、仏仏相念の
世界が自ずから開けてくるだろう。既に悟っている人の方から心を通わせてきてくれるだろう。
40渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/12(金) 14:15:00 ID:8gvpkxdP
色即是空、空即是色とは、そういうことだろうと思う。 終わり。
41神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 14:26:30 ID:g1Xt0uXr
>>31
竜樹は、あくまで「存在」を前提として、「存在が相互依存性・関係性」により
構成されているから、「無自性ゆえに空」と説いている。説明の便宜のために、
「幻のようなもの」とは言っているが、「幻だ」とは言っていない。「幻」なら、
そもそも「相互依存・関係性」などという概念は出てこない。竜樹は妄想患者
ではない。存在の構成原理が「関係性」という抽象観念だから、実体ではない
のである。あくまで存在(現象界・色)が前提。

>>36
>ここは、初学者のための質問箱スレだ

初学者のための質問箱だからこそ、大乗中心であるべきだろう。日本は、大乗仏教
の国である。小乗系の回答は不要。初学者を混乱させる。

スッタニパータを読み直しているが、とんでもないカルト宗教。ダニヤの章だけ
からも明白。「衆生心(人生の真実)」を破壊するものとして、極めて有害。

さかんに「神」が出てくるが、世界の無や空を説きながら、神の実在を認めるのでは、
釈迦の完全な論理破綻。
42神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 14:31:43 ID:B4LHFAoV
>>40
先生、煩悩には『誑』、『無慚』、『無愧』
なるものがあると聞きました。
それぞれの意味を詳しく教えてくれませんか?
43神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 14:33:31 ID:j9QJAf2V
>>41
この生命教、机、渡海の三人は独自の世界を語る方々なので、
初見の方は注意してください。
44神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 14:42:33 ID:g1Xt0uXr
>>40
阿弥陀仏や浄土の「絶対的実在」を認めたら、「空」とは矛盾する。そ
こが浄土真宗の問題点。「縋る対象」があってなならないのである。
45神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 14:47:40 ID:g1Xt0uXr
>>43
小乗仏教(原始仏教)と大乗仏教とは「別の宗教」であることにも、
注意する必要がある。両者を混同してはならない。
46渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/12(金) 18:51:24 ID:8gvpkxdP
>>11
 様々な宗派で様々に主張されていると思います。浄土真宗には浄土真宗独自の考え方
があります。恐らく、日蓮宗、天台宗、真言宗などでも独自の論理を建てていると思います。
 浄土真宗の立場、親鸞の考えに基づけば、極めて自然なことです。といっても渡海難の
理解ということになりますが、それでよければ説明できます。

 通仏教的、超宗派的に説明して欲しいということであれば、それは渡海難の範囲ではあ
りません。
47机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/12(金) 19:39:16 ID:bYWz/x1x
>>46
> 浄土真宗の立場、親鸞の考えに基づけば、極めて自然なことです。といっても渡海難の
>理解ということになりますが、それでよければ説明できます。

そうですか。
拙者も、渡海氏の御理解というのは頗る関心がありますね。
是非お聞かせくだしまし。
                 (かしこ)
では、寝ます。
48神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 23:27:01 ID:reoSlSYn
>>36
>ここは、初学者のための質問箱スレだ。

違う。ここは、初学者“も”質問するスレだ。


>前スレからの、お前の書き込みを見てると、とてもこのスレの趣旨にそったものとは考えられない。

それは、「お前の書き込み」も同様だから。
49セブン:2010/02/12(金) 23:37:09 ID:4bOj6Seb
>>48
ほうw
だから、「無関係な話題をダラダラ続けても良い」・・・と、こう仰るわけですなw

死ねよ。
50神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 23:39:57 ID:Pn1c9xRW
>>48 誰だ?お前は。

>それは、「お前の書き込み」も同様だから。

どの書き込みを指しての発言だ?
前スレでの書き込みは、予めレス違いになることを断って
それに対しての了解返信があり、止めるようにとの指摘が
ないことを確認した上での、ものだったのだがな。

それでも、すれ違いには違いないので、不快感らしき感想を述べた
者には >>9 のように謝罪した。
まだ問題あるか?
51神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 23:42:52 ID:reoSlSYn
>>49
やれやれ。また、お得意の“なれあい”か。
他人に向って批判的に連呼しながら、自分は例外視ね。

>だから、「無関係な話題をダラダラ続けても良い」・・・と、こう仰るわけですなw

誰が?


>死ねよ

「無駄な荒廃や論戦の紛糾を防止するため、皆様の御協力をお願い致します」
52神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 23:47:34 ID:Pn1c9xRW
>>51  お前が、火の粉とばしやがったんだろうが、クソが。

>「無駄な荒廃や論戦の紛糾を防止するため、皆様の御協力をお願い致します」
 
なんだ?これは。
荒らしたくないのなら、黙っとけ。
53神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 23:48:05 ID:4bOj6Seb
>>51
>他人に向って批判的に連呼しながら、自分は例外視ね

ほうw
自分の>>48はどういう位置付けで?w
54神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 23:49:21 ID:reoSlSYn
>>50
>どの書き込みを指しての発言だ?

「同様」と言っただろ。相変わらずの読解力だ。


>前スレでの書き込みは、
>予めレス違いになることを断ってそれに対しての了解返信があり、
>止めるようにとの指摘がないことを確認した上での、ものだったのだがな。
>それでも、すれ違いには違いないので、不快感らしき感想を述べた者には >>9 のように謝罪した。
>まだ問題あるか?

もちろんだ。分かっているなら止めろ。



>>52
>お前が、火の粉とばしやがったんだろうが、クソが。

セブン氏の威を借る狐の如きその態度。こういうのをクソと称する。


>なんだ?これは。荒らしたくないのなら、黙っとけ。

テンプレが読めないか?
55神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 23:50:46 ID:reoSlSYn
>>53
>自分の>>48はどういう位置付けで?w

もちろん、例外視してませんよ。
56神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 23:54:24 ID:4bOj6Seb
>>55
なら良しw
一緒にROMに戻ろうやwww

>>48の >初学者「も」 には同意するが、前スレのような机と渡海のやりとりは、
 『このスレでされることではない』ってのは解るよな?)
57神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 23:54:49 ID:Pn1c9xRW
おい、>>51 のやつ。  ここじゃ、迷惑になる。

156: 【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】5

文句があるなら、ちょっとこのスレにこい。
ここは、もちろん、「俺のスレ」というわけではないが、ここんとこ
停滞ぎみなので、すれ違いのやり取りでも、さほど問題はなかろう。
そこの住人には、俺からあやまっておく。

さ、ここで好きなだけお前の、言いたいこといってみろや。
58神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 00:03:37 ID:FPdBelU4
まぁ荒れる方がスレも盛り上がるんですけどね
荒れないと過疎るしね
59神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 00:06:29 ID:z53R42xV
>>56
>なら良しw一緒にROMに戻ろうやwww

善処はします。


>(>>48の >初学者「も」 には同意するが、前スレのような机と渡海のやりとりは、
>『このスレでされることではない』ってのは解るよな?)

もちろんです。ただ、虎の威を借る狐の如き「クソ」が、唯物論無謬前提同様に、
「初学者“のための”」と喚いているので、放置するわけにはいかないなと思ったわけです。
このような「クソ」のせいで、縁起様のような方に去られては、ファンとしては本当に困る。


>>57
>文句があるなら、ちょっとこのスレにこい。
>ここは、もちろん、「俺のスレ」というわけではないが、ここんとこ停滞ぎみなので、
>すれ違いのやり取りでも、さほど問題はなかろう。
>そこの住人には、俺からあやまっておく。

「お前」何様? 幼稚で自己評価がおかしすぎる。
60神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 00:12:44 ID:Qb+YJnYb
>>59  わからん奴だね。 ここで言い争いをしたら、質問希望者に
迷惑だろうが?

そこで、比較的、迷惑のかからないだろうと思われる場所を提案したん
だがね?  もっと、ふさわしい場所をお前が提示するのなら、
そこでやろう。   どこだ?  糞やろう君、提示してくれ。
61神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 00:23:16 ID:Qb+YJnYb
>>59  >「縁起様」ね。  お前が誰だか、わかったわ。

このスレに昔から、いついてる縁起一代の「たいこもち」ね。
どうした?  どこでやる?
62神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 01:08:45 ID:i9HwmD8O
こらー
ケンカするなー
どうせやるなら
意味のある、中身があって
後々、お互いのためになるような
意見交換しませんか。
63神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 01:35:51 ID:UC3iCVMF
皆さん、楽しそうですねw

お邪魔なようで、質問する気も失せます。

では・・・
64神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 02:02:05 ID:i9HwmD8O
楽しい が一番‼

そう思いませんか?

楽しそうに見えるなら
参加してみてはどうか。

皮肉やイヤミは通じません。

自身で書いた事がすべてです。



65神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 02:24:50 ID:2R5y59lB
>>62
宗教間紛争には、中身も意味も無い。「犬も食わない」代物。

為になるどころか、時間と労力の浪費。
66神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 02:37:56 ID:i9HwmD8O
>>65
宗教間では無い。

ある宗教観をもった 個人間での意見交換
ではないのですか?

違うと思うなら意見下さい。
67神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 02:59:48 ID:wNBsTTRz
私のために喧嘩はやめて

なんちて


おそまつなネタですまんですm(__)m
68生まれ変わりは仏教の教え?:2010/02/13(土) 05:21:13 ID:HXur2h6r
ご存知の方いたら教えて下さい。

■仏教では生まれ変わり(輪廻転生)は認めているのですか?(仏教関係者に非ずです)

@チベット仏教ではダライ・ラマX世というように生まれ変わりとしてる(ですよね?)
A日本の各宗派(浄土宗、真言宗、浄土真宗、日蓮宗、曹洞宗・・・)では?(不明です)
B仏教系と思われる新興宗教(立正佼成会、創価学会、幸福の科学、テラワーダ)ではどうなのか。

仏教として認められている範囲と、その範囲の各宗教が生まれ変わりを認めているか、です。

【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】のスレも見てみたのですが、ワケがわからなく
なってきました。

一致する見解というものはないのでしょうか?私自身は生まれ変わりのようなものがあれば
夢はあると思うのですが、キリスト教は生まれ変わりを否定しているように見受けられますし、
てっきり仏教の教え(生まれ変わり)だと思っていたのです。
69神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 05:39:24 ID:wNBsTTRz
>>68
伝統仏教で生まれ変わりを認めない宗派はありません。
ただし、現代日本仏教やインドの新興仏教など幾つか例外がありますが、
それらが、もはや仏教でないというだけのことです。


そして混乱を招くかもしれませんが、ダライラマ猊下などの高僧は生まれ変わるのではなく、
化身していると考えられています。

つまり、業によって生まれ変わる凡人の輪廻ではなく、
菩薩が誓願によって化身しているのです。
これはチベット特有の考えではなく、大乗仏教の根本的考え方です。

普賢行、菩薩行、無住処涅槃などと言われます。
『アミダ経』の誓願も正にそれに他なりません。
70生まれ変わりは仏教の教え?:2010/02/13(土) 06:41:14 ID:HXur2h6r
>>69

早速のご回答ありがとうございました。
安心しました。(私が今まで間違って記憶してたのかと)

本屋で書籍にあたってみます。
(しかし仏教は難解ですね...)

以上です。ありがとうございました。
71神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 07:40:29 ID:wNBsTTRz
>>70
日本の仏教書は変な本が多いので、以下のような本をお勧めします。

1.古坂紘一『宗教史地図 仏教』最も簡明で最も広範な仏教通史、しかも地図が豊富で、インドおよび日本については優れた知見を盛り込んでいます。
これで歴史と地理の全体像を把握してから、

2.水野弘元『仏教要語の基礎知識』日本人学者で最も権威の高い著者が、原始仏教を中心に記述したもの、簡明でありながら見解も高い。索引が充実しているので辞典としても使用できます。
これは曹洞宗で修行された禅僧である著者が、文献学を用いて主にほとんどテーラワーダと同じ意味の部派仏教を中心に解説したもので、
学問的にも伝統的に信用できる素晴らしいものです。

3.パユットー『仏法』タイの高僧が書いたテーラワーダ仏教入門書。優れているが、翻訳がもう一つなのが惜しまれます。
当然のことながら、2.の内容と殆ど同じです。

4.ダライラマ『智慧の眼をひらく』チベットの高僧が書いた大乗仏教入門書。本来、チベット語から訳すべきなのだが、英語からの重訳なのが惜しまれます。
原書はチベット語で、英訳者はテーラワーダの僧侶、和訳者は日本の文献学者となっていて、英訳の時点で直訳でなくいろいろ補っています。
その意味で大乗とテーラワーダの交流を示す書です。
菩提心など大乗に特別なものを除いて、2., 3. と共通することが分かるでしょう。

5.鎌田茂雄訳『八宗綱要』日本仏教の優れた入門書。他から丸写しの書き下しやフリガナは信用できますが、訳註は信用できません。
この書からも正確に読めば基本構造が共通することが分かると思います。
ただし、漢訳仏教用語とシナで発達した高度な見解が多く説かれているため、
混乱する可能性が高いかもしれません。


6.片山一良『パーリ仏教入門』日本の学者が書いた優れたテーラワーダ仏教入門書。大乗仏教との対比がなされていて優れています。
この著者も大乗とテーラワーダが基本的に一致するとお考になっているようです。

72神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 07:42:05 ID:wNBsTTRz
>>71
以上のうち輪廻については、2. 3. 4. をご覧になるのがいいと思います。
73机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/13(土) 09:05:14 ID:HuW8mQpi
>>68
>私自身は生まれ変わりのようなものがあれば 夢はあると思うのですが、

どうして人間は夢を追うのか?
それは人間の脳がそういう方向に向くように出来てて、
仕事をすれば、その最中に「次ぎの段取り」を模索する。
次々にこの連鎖があって・・・これを意味連関という。
この連鎖は、生きていく以上は必要なものです。
(必要であると同時に、また厄介なものでもある)
次第にこれが肥大を成し、ついには死んだ先のことを考えるようになる。

そして、ダライラマは生まれ変わるのでじゃなくて、化身したんじゃないか、
とか考え、
やがてそれは絶対なる確信となる。

そして、もしかしたら自分も化身するんじゃないか?
とか考えるようになる。

私が2003年ころに出会ったシヴァという御仁は、見事に現世で化身を遂げましたね。
そういうもんも、過去においてはありました。
今もそういう人間はいます。
74机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/13(土) 09:25:21 ID:HuW8mQpi
【参考文献】

2003年・シヴァ神と化身した御仁の「彼女Getの秘法」
____________________________________
私は社会学を専攻している者です。社会学や周辺の学問を利用し、実践的な
恋愛理論を開発しております。机上の空論に終わらず、あくまで実践的。効果
は絶大です。この理論は私自身の苦悩から生まれました。モテないことに深く
悩んでいた私は社会学部に入り、恋愛をはじめとするコミュニケーションにつ
いて考察することを決意。開発期間およそ6年。やっと研究が実を結びました。
ルックスなんて恋愛に関係ないということを自ら証明したのです。今回はその
集大成を公開しようと、メールマガジン発行を決めました。すでに数回発行し
ておりますが、購読者にはバックナンバーが閲覧できますのでご安心を!

 今ならまだ間に合います。春、出会いの季節に幸せが訪れるかどうかは、あな
たの選択次第です。絶対に後悔はさせません。「90日彼女ゲットプログラム」
もちろん購読は無料!
75神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 09:41:36 ID:fZKBPghm
>>66
>宗教間では無い。
>ある宗教観をもった 個人間での意見交換
>ではないのですか?

同じことでしょ。すべての創唱宗教は、開祖の精神障害の症状ととして
の「観念の遊戯」から発生し、現実上の根拠皆無な「口から出任せ」
だから、その真偽、正誤、正邪を判断する基準が皆無で、信者はその
開祖を盲信し、批判力を奪われた思考停止の心理状態にあるのだから、
信者同士の争いが生じないほうが不思議でしょう。

宗教の歴史は、人間同士の争いの歴史です。

自然科学では、厳然として実在する自然という確固たる客観的判断基準
があるから、自然科学上の真理は、その自然に基づき検証することにより、
全人類的な合意が容易に達成されるが、宗教における「真理」は、その
検証の基準が皆無だから、新たな争いの原因となるだけです。
76神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 09:50:51 ID:LXC6pDtv
>>71
>日本の仏教書は変な本が多いので、以下のような本をお勧めします。

日本は大乗仏教の国です。そこに引用された本は、すべて、カルト宗教
である原始仏教やチベット仏教などの「変な本」ばかり。

日本の質問者を、故意に誤導すべきではない。
77渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 10:40:39 ID:XDlsolhi
>>11
>解脱したら、輪廻転生しなくなるんですよね?それっておかしい気が

 輪廻転生しなくなるのは「解脱したら」だと思いますか。この考えを採る宗派もあるかも知れ
ませんが、あっても多分少数だと思います。輪廻転生しなくなるのは、解脱以前、つまり輪廻転
生しなくなるのは出家をしたときというのが、多分一番オーソドックスだと思います。浄土真宗
では、信心決定(しんじんけつじょうと読む)の時に輪廻転生しなくなる。
 昔読んだので本(お経)のタイトルを忘れましたが、「釈尊は出家のとき、最後の輪廻を越え
た」というそんな意味の文章がありました。出家というのは輪廻転生の最後の生死であるという、
そういう考えは原始仏教まで遡ると思います。出家者は頭とひげを剃ります。赤子に戻って生ま
れ変わるという最後の輪廻を象徴します。日本では墨染めの衣を着ますが、南方では黄色の衣を
着ます。光り輝くという意味があります。釈迦が出家した時、「頭を剃り、ひげを剃って一人の
王が死に、一人の僧が生まれた」。記憶は不確かですがそんな意味の文がありました。間違って
いれば、どなたか訂正してほしい。
 大無量寿経では、阿弥陀仏という一人の架空の仏が主人公として登場します。阿弥陀仏は、仏
になる前つまり人々の教師として先生になる前、修行中、法蔵菩薩と名乗ります、そのとき四十
八箇条の誓願を立てます、その第一条に「国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ」。第二
条に「たとい我、仏を得んに、国の中の人天、寿終わりての後、また三悪道に更らば、正覚を取
らじ」というのがあります。
 国というのは極楽浄土です。極楽には地獄・餓鬼・畜生界が無い。極楽浄土の人は、三悪道つ
まり地獄・餓鬼・畜生界に再び戻ることがない。そのような誓いを立てます。
 こうした記述を受け、大無量寿経は言います。(極楽浄土には、)声聞・菩薩・天・人がいる。
(地獄・餓鬼・畜生界はない。人々は)智慧高明にして、神通洞達せり。ことごとく同じく一類
にして、形異状なし。つまり形相はほとんど一様である。但し余方に因順するがゆえに、天・人
の名あり。(極楽浄土以外の人にも分かるように、天とか人とか呼称するが、実際にはそのよう
な差別はない。)顔貌端正にして(顔は大変美しく)、世に超えて希有なり。
78渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 10:41:45 ID:XDlsolhi
 極楽浄土に行けば、人々は二度と輪廻転生しなくなる。これは、浄土教では大変な重要な思想
です。輪廻転生しないというなら、釈迦の入滅はどう考えるのか。阿弥陀仏には死はないのか。
信心決定した人が死ぬとはどういうことか、これらを説明する必要があります。

 人は時に、あるときにはケダモノとなり、餓鬼となり、あるいは地獄にも堕ちます。ケダモノ
の心でケダモノの行為をする者をケダモノという。餓鬼の心で餓鬼の行為をする者を餓鬼と言い
ます。一人娘を殺された母親が、裁判所の傍聴席に座り、被告席に向かって思わず叫ぶ。「ケダ
モノ!」と。被告席には、人間の仮面を被ったケダモノが座っていた。
 仏教では、人格を意思(願)と行動(力)で捉えます。意思と行動が変われば人格が変わりま
す。「悪かった、悪かった。俺が悪かった」。ケダモノが過去を謝罪して真人間になることを誓
う。ケダモノが死んで一人の人間が再生した。しかし、その舌の根の乾かないうちに、再び餓鬼
の手先になり、真人間は死に、あっという間に有頂天になったかと思ったら、地獄に堕ちていく
ということがあります。

 人には知恵と欲があります。自らの意思で、自らの行動を果たします。しかし、ケダモノは知
恵が無く、欲で動きます。傍聴席の母親が被告席に見た存在は、仮面は人間であっても、知恵が
無く、欲だけで動く化け物だったわけで。
 ライオンは、満腹になれば獲物を追いません。ケダモノには休息があります。その休息がなく
なった畜生を餓えた鬼、餓鬼といいます。
 餓鬼には意思があります。行動もあります。しかし、その行動が止まってしまうことがありま
す。欲望の意思だけが無限に膨張し、寸部の行動もとれなくなる状態、これを地獄と言います。
 地獄・餓鬼・畜生界を無くそう。小乗仏教・大乗仏教の境界を越えてこれが仏教の最大のテー
マです。輪廻転生を無くすことが仏教の原点であり、一番大事なテーマになります。

 地獄・餓鬼・畜生界はなぜあるのか。その原因は何か。輪廻の原因は無明にある。お釈迦様の
お悟りはそれを発見しました。大無量寿経はそれを、貪(むさぼり)と瞋(いかり)と癡(おろか
さ)にあると解説しています。これを三毒といいます。
79渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 10:42:29 ID:XDlsolhi
 三毒はどのようにすれば退治できるのか。三毒は、真理が得られれば自ずから消えていきます。
お釈迦様は、有形の真理を智慧とよび、無形の真理を悟りとよびました。自分と一定の約束(戒
律)をした者にカリキュラムを与え、カリキュラムに従ってそれらを惜しげもなく公開しました。
 智慧は、言葉・絵画・彫刻・建築物・音楽等々を介して有形的に伝達します。悟りは直接手渡
すことができません。しかし、簡単に手にできる方法を教えました。これを禅定といいます。
 釈尊先生は、人類で最初の本格的な学校を建てました。祇園精舎といいます。祇園精舎の分校
は世界中に散ります。全寮制とし、制服を定め、校則を定め、入学生を全国に募りました。人々
は家を出て、住まいを移して入学してきました。出家と言います。各学校ではお釈迦様の定めた
カリキュラムで学習が進行し、偉大な賢人達が巣立ちました。こうした学校に入学したというこ
とは、必ず賢人になれるというそんな保証ができたようなものでした。いったん入学すると、二
度と地獄・餓鬼・畜生に転落しなくなる。これを分断生死といいます。
                      (続く 後日書きます)
  
80渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 10:47:32 ID:XDlsolhi
>>77

× 南方では黄色の衣を着ます。

○ 南方では黄色の衣を着ます。黄色は黄金を象徴します。錆びない。変色しない。朽ちない。
 つまり輪廻しないということです。日本では墨染めの衣を着るのは、黄色の染料が入手しにくい
 ということがあると思います。
81神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 14:14:54 ID:swdWs5Qm
>>77
輪廻転生とは、出家を勧誘するための手段ですか。家族の出家は、残された
者たちに耐え難い苦しみと悲しみを与えます。

人間の生命には、地獄・餓鬼・畜生の区別はありません。生命そのものが、極楽
浄土です。

人間差別や輪廻転生による「脅迫」こそ、地獄行きの悪業です。
82神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 14:36:45 ID:J1uJLjAg
>>68
何処までを「仏教」とするかという問題と、
「輪廻」が基本教義(不可欠な教義)であるかという問題があるので、一言ではいえません。
また、ご指摘の通りに、「一致した見解」と言うものは存在しないので、言い切ることは出来ません。
>>69さんのように、輪廻を信じない宗派は仏教にあらず!と言う意見や、
 逆に、輪廻と言う迷信を信じる宗派は、釈尊の意思に反しており仏教にあらず!と言う意見もあります。)

ただ、一般的に言って、現代において「仏教」と言われている宗派の多くで、
輪廻転生はあるものとして「信仰」されてます。

質問に関係ない余談ですが、
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】のスレの方では、
「輪廻と言う現象は、普遍的真実か?」
「歴史上に実在した釈尊が輪廻を説いたか?」
「輪廻は仏教にとって必要不可欠な教義か?」
という、貴方の質問とは別次元の議論をしているので、そりゃ見ても答は見つかりませんよw
参考までに、今の所、そのスレの流れは、
「輪廻が普遍的真実である証拠は無い」
「歴史上の釈尊が輪廻を説いた証拠は無い」
「輪廻は仏教にとって必要不可欠な教義である証拠は無い」
と言った所です。
(証拠は有る!と言う人は居ますが、言うばっかりで、未だに有力な証拠の提示がなされていません)
83神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 14:36:51 ID:J1uJLjAg
>>78
>輪廻転生しなくなるのは、解脱以前、つまり輪廻転生しなくなるのは出家をしたときというのが、
>多分一番オーソドックスだと思います。
いや、真偽はともあれ、数から言えば、少数派だと思いますよw

>極楽浄土に行けば、人々は二度と輪廻転生しなくなる。
門外漢なんで、詳しくは知らないんですが、
浄土教では「往相・還相」という教義があるんじゃありませんでしたっけ?
84神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 15:31:47 ID:z53R42xV
>>68
>【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】のスレも見てみたのですが、ワケがわからなく
なってきました。

このスレの方々は、輪廻は縁起絡みの問題であるのに、
存在論・認識論について無反省なままに、唯物論を無謬と前提して、
輪廻を計ろうとするので、ワケがわからなくなるのだと思います。
85渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 16:43:05 ID:XDlsolhi
>>80
 続きは浄土真宗の輪廻論に入るつもりですが、その前に議論の整理をしておきたいと思
います。

 人格は意思と行動で決まる。意思と行動が共に変われば人格が変わる。人格が変われば
古い自分が死に新しい自分が生まれる。この考えに賛成できるか否か。

 この考えに拒否反応を示すなら、先に議論が進みません。


 有頂天 若干の知恵はある。欲はない
     意思はその知恵を主体とし、行動は多大な実行実現力を有する。



 欲天 若干の知恵がある。欲もある
    意思はその知恵と欲の実現に向け、行動は卓越した実行力を有する

 人間 若干の知恵と若干の欲とを有する。
    主体的意思と、その意思の内の若干を実現できる行動力とを有する。
    意思は知恵と欲のバランスの中にある。

 阿修羅 若干の知恵と若干の欲とを有する。
     主体的意思を欠く。
     他人(天)の意思の一部を実現する行動力を有する。

 畜生 知恵を欠き、欲のみを備える
    欲の意思を実現する実行力を有する
86渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 16:43:49 ID:XDlsolhi
 餓鬼 知恵を欠き、欲のみを備える。
    欲の意思を実現する実行力を有する。
    畜生には満足の一瞬があり、休息もあるが、餓鬼は満足がなく、
    一瞬の休む時もない     

 地獄 知恵を欠き、欲のみを備える。
    欲の意思を実現する実行力を欠き、欲だけがふくれあがる。
    餓鬼には終わりもあるが、地獄にはほとんど終わりがない。

 意思と行動が変われば人格が変わる。古い自分が死に(挫折)、新しい自分が誕生し(再生)、や
がてその自分も挫折する。再生挫折再生挫折の間にも、彷徨(老)と疲弊(病)とがある。
 意思は変わらなくても、行動がその意思に従わなくなる。人は疲弊します。行動は変わらなくても、
意思は変わっていれば、速度は遅くなります。老です。

 生(再生)・彷徨(老)・疲弊(病)・挫折(死)。再生・挫折・再生・挫折のくりかえし、これを迷い・輪廻
と言います。

 輪廻転生の連続を断ち切るのが仏教です。渡海難はそう考えています。
 浄土真宗はこうした考えを基礎に、念仏の教えを説いていると考えます。それを後日説明します。
87机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/13(土) 16:56:54 ID:HuW8mQpi
>>84氏が正解ですね。

輪廻転生がある、というのならば縁起論は崩壊します。
何故ならばそれで存在論が成り立つからです。
(存在論と時制は不可分です)

未だ来ていないものは、新たに来ることはない。
(中論・序章より>

龍樹は中論において輪廻転生を完全否定しています。

中論・序章(時制)は、般若心経においての「五蘊皆空」の意味です。
これは禅宗においては「本来の面目」と言いまして、
このソフトが脳の半分にインプットされます。

インプットと言いましても、これは従来型の古いソフトでして、
唯識派における阿頼耶識と意味は同じかと思います。

道元の横眼鼻直(おうがんびちょく)というのは、
あまりにも古いんで、こういう他なかったんでしょうね。
88神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 17:24:38 ID:z53R42xV
おかしな誤解をしている人がいるので、>>84を一応修正しておきます。
× このスレの方々は、
〇 そのスレ(宝珠の輪廻スレ)の方々は、
89渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 17:34:15 ID:XDlsolhi
 輪廻はあると言ってもいい。無いと言ってもいい。中村元さんの原始仏教を読むと、一番古い経典では、生
老病死の四苦ではなく、人の苦しみは老病であると書いてあるという。その後の経典では老病死という概念が
出てきて、最後は生老病死に落ち着いたようです。
 釈迦の時代、老病と言っている限りは輪廻観はないでしょう。輪廻観は四苦の概念から出てくる。四苦の概
念が提起されると、以後人々は人の苦しみを四苦として捉えてきた。輪廻観はここから生じたものだろう。

 輪廻はあるという人は、輪廻はないという人の主張が理解できないと本物ではない。一方、輪廻は無いとい
う主張をする人は、輪廻はあるという人の主張を理解できないと本物ではない。
 輪廻はあるという場合と、輪廻は無いという場合とは、その定義が異なっている。

 さてどうしようか。

 浄土真宗の輪廻論を続けるべきか。止めるべきか。
>>11に対して>>46を発したんだけど、>>11からは返事がない。余り乗り気じゃないんだろう。
 >>47に答えて僕は輪廻論を書いてみたが、机さんは>>87で輪廻論に自分の結論が出たようだ。細かい修
飾語は別にして、今後僕が言おうとしている真宗の主張は、禅をしている机さんは聞かないでも分かったよ
うだ。机さんの理解も、それはそれとして立場が違えば間違いではないだろう。

 ここは真宗だけの板じゃないんで、聞き手がいない真宗独自の議論を展開するのは気が引ける。>>86
話の区切りはいい。

 往相・還相回向と輪廻との絡みを提起した人もいるが、これは別の問題だ。化身と輪廻も別の問題。

 真宗の輪廻論を聞いてみたいという人が外にいなければ、これで輪廻は終わりにしたい。
90渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 17:54:16 ID:XDlsolhi
 一つ加えておきたい。
 机流の輪廻否定論を僕が理解できるというのは、中観の論理的なプロセスで
理解できると言っているのではない。

 あくまで直感的に輪廻は無いという主張に、自然に頷けるという意味だ。
僕は輪廻肯定論も直感的に頷ける。

 輪廻論は、空を有という形で説明する。輪廻否定論は有を空という形で
説明するんだろう。
91神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 17:56:15 ID:J1uJLjAg
>>84
いや、違いますね。
輪廻肯定論者が、「輪廻は存在すると前提すれば、輪廻は存在するんだ」と、
無茶苦茶を言ってるのに対し、「根拠はなんなんだ」と聞いてるだけのスレです。
肯定論者が何度反論しても、回答に詰ると、
「お前は○○論者だから、理解できないんだ!」と訳の分からないレッテルを貼り付け、
全ての反論がなかったことにして、全く同じ主張を繰り返すので、ワケが分からなくなっているだけです。
そもそも、このスレには、「否定論者」はいませんし、「唯物論は無謬である」などという人もいません。
いるのは、輪廻肯定論者と、不可知論者がほとんどです。

なお、蛇足を書いた私も悪いですが、これ以上議論なさるなら、該当スレに移住しましょう。
92神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 18:28:08 ID:z53R42xV
>>91
いや、違いますね。
そもそも、数あるスレから、わざわざ仏教系スレを選んで、
輪廻や、特に、輪廻と無我について質問した者がいたからこそ、あのようになっているわけです。
したがって、仏教の輪廻が問題になっています。そして輪廻は縁起絡みですから、
哲学的に無反省なままに唯物論前提で計ることなど許されません。
ところが、一方で、輪廻を前提して信じないものに適用するのは不当だと連呼しながら、
唯物論については、哲学的に無反省なままに唯物論を前提して輪廻を計ることが
許されると誤解しています。
例えば、「検証」「普遍的事実」といった語(これらはインドの文脈では量です)が
唯物論前提で暗黙裡に定義され、それに輪廻が適うのか否か、とやっているわけですから、
ワケが分からなくなるのです。


>なお、蛇足を書いた私も悪いですが、これ以上議論なさるなら、該当スレに移住しましょう。

分かっているなら「蛇足」しないで下さい。これ以上議論する気はありません。
93神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 18:46:19 ID:gDo3HnwU
>>92
貴方はいつも極端だ・・w
>唯物論については、哲学的に無反省なままに
>唯物論を前提して輪廻を計ることが許されると誤解しています。

逃れることの出来ない部分を含むから、「蓋然性の高さを盾にしている」だけでしょう?
(大般涅槃経等にあるように、聖者が、その寿命を望むままに継続出来るとしても)、
《そこに『色の老化(→変化)』は生じないのか?それすら停止させ得るのか?》ということでしょう?
もし、貴方が、そのような≪五蘊の変化を自在に出来る聖者≫を現実に知っていたとして、
(―死後腐敗しない遺体を見たとも言ってましたっけ・・・―)、
その彼の脳細胞の数は減っていないのか?と。皮膚のハリは赤子のままなのか?と。
宝珠や神秘系のように、この現象界とは別の世界へ“イっちゃってる”から、
「本来、色は変化しない」と?
【釈尊が老人となったのは、凡夫にその姿を見せる為であった】と?
 (*貴方はそう言いそうですが・・・w)
94生まれ変わりは仏教の教え?:2010/02/13(土) 18:48:49 ID:HXur2h6r
>>71,76

本のご紹介、ご見解ご丁寧にありがとうございます。参考にさせて頂きます。
お手間とらせすみません。感謝です。

>>69,72,73,74,77,78-81,82,83,84,87,90,91 ・・・

ご見解承知致しました。参考にさせて頂きます。

私は「仏教」というキーワードのみを知っているくらいのものですが、
皆様のご見解や、様々な掲示板を見ての感想ですが、
仏教とは「智者」を生む学問・哲学、のような印象を受けました。
私のような素人では敷居が高いですが
少しづつ皆様のご発言が理解できるよう、書籍にあたりたいと思いました。

では再びROMらせていただきます。
どれが一番、というのはないのでしょうが、
その宗派(?)というのはある側面からのものの見方、照射のような気がしました。
私の仏教に対するイメージは知性というキーワードです。それを改めて感じました。

では失礼します。
95机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/13(土) 19:31:38 ID:HuW8mQpi
>>90
> 一つ加えておきたい。
> 机流の輪廻否定論を僕が理解できるというのは、中観の論理的なプロセスで
>理解できると言っているのではない。

それは勿論承知しております。

ここで論じられておりますのは、個別(いわゆる単体)の輪廻でありまして、
これは否定はしておりますけど、
広義においての輪廻については、石飛道子氏に近い考えであります。

つまり人間のDNAの継承ですね。
これは人間の生命を繋いでいる訳でして、大河の如く流れている。と
古代のインド人はイメージしたんじゃないかと思ってます。
この大河を挟んで、此岸と彼岸というイメージを作りあげたんじゃないか?

石飛氏は、自灯明を「島」という解説をしていますけど、
こういった比喩的なものがあったり、また、
浄土宗系で、たしか「大河の一滴」とかの比喩もあったかと記憶しております。

「父母未生以前の本来の面目」ですから、
盤珪の不生禅というのも、激流の大河に浮かぶ「木の葉」のように、
それは不生で全て完結したのであろうと拝せます。
96渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 19:55:06 ID:XDlsolhi
>>87
 机さん。>>94の書き込みをどう読みますか?私のような素人では敷居が高いというのは、正直
な感想でしょう。
 そういえば、僕にとっても貴殿の話はときどき敷居が高い。前レスの>>678で自分は涅槃到達と
仰ったのだから、その言葉に恥じぬよう、初心者に分かる話をなさっていただけるとありがたい。

 前相撲の人が意味不明の宇宙人の寝言を言っても無理はないが、あなたまで前相撲では困った
ことだ。

 「未だ来ていないものは、新たに来ることはない。」この言葉は大変お気に入りのようだが、自分
の書き込みを初心者はどのように読むか、涅槃の立場で悟ってほしいものだ。貴方の話は、外も
もっと砕けるでしょう。相手を煙に巻いてちんぷんかんぷんなら、横眼鼻直は泣くでしょう。

 自分の心は相手に以心伝心で伝わらなくても、相手の心は以心伝心で受けて止める。これが
涅槃到達の世界と思うが、いかが。

 ここは僧堂でもなく、仏教の大学の教室でもない。2ちゃんねるということを忘れられたくない。

 余計な口出しでご不快になったらお詫びする。
97渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 20:00:52 ID:XDlsolhi
>>95
   申し訳ないが、これは言っていることがわからない。
98神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 20:07:56 ID:k0X/JFkP
>>85
>>86

随分と「恣意的な」「根拠の無い」人間分類ですね。そのような「人間差別」
こそ、地獄落ちに相応しい「悪業」ですよ。

人間の意思も行動も、「生存の具体的状況」に適応して変化します。そのような
固定的なものではありません。人格が変わる、死ぬどころか、人格が同一で、
生きているからです。それこそ、諸行無常です。

他者の生まれながらの人格を、「自分の都合」だけで、勝手に操作し、変化さ
せようとすることほどの悪業はありません。それは「殺人」に等しい罪である
ことを、自覚してください。

人生の真実は、「一切衆生の、他者との係わり合いの中での、日々の生存努力」のみに存在
します。釈迦が真に偉大な人物であれば、ダニヤに教えるのではなく、ダニヤ
から教わるべきであったのです。釈迦は、自分の主観的意思で、その真実を破壊した
のです。悪魔ピーパーマンが的確の批判したとおりです。釈迦が、「カルト教祖」
に過ぎなかった所以です。この釈迦の悪業こそ、地獄落ちに値するものです。
99渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 20:19:19 ID:XDlsolhi
>>98
 煽りですか? 乗りませんよ。 出直して下さい。
100机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/13(土) 20:24:30 ID:HuW8mQpi
>>96
>その言葉に恥じぬよう、初心者に分かる話をなさっていただけるとありがたい。

承知しました。

>相手を煙に巻いてちんぷんかんぷんなら、横眼鼻直は泣くでしょう。

私は、龍樹は“非常に単純なこと”を書いておるのかと拝してます。
それはまるで幼児が考えてるような“純な考え”じゃないでしょうか?

子供「お母さん、輪廻転生というのは私のとこに、やってきますか?」。
母「やってくることはない」。
これだけのことですよね。

じゃあ、輪廻転生を追いかければ捕まえられるのか?
これも難しい。

これを龍樹はどう説明するか?
>「未だ来ていないものは、新たに来ることはない」。これしか言えない。

自分のとこへやって来ることもないし。
また、それを捕まえることもできない。
それは横眼鼻直のようじゃないでしょうか?

>余計な口出しでご不快になったらお詫びする。

いえいえ、私も勉強させて頂いております。
101机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/13(土) 20:38:25 ID:HuW8mQpi
>>96渡海氏

私が子供でも解せるように、>>100に書きましたけど、
貴殿は、勿論この書き込みは解るんでしょうな?(笑

では、寝ます。
102渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 20:39:15 ID:XDlsolhi
>>100
「未だ来ていないものは、新たに来ることはない」

 未だ来てないのだから、まだ捉まえられていない。捉まえられ無いかぎり、じぶんにはそれ
を肯定することができない。もし来ることがあればそのときまた考える。捉まえられるまでは
今の考えを変更しない。そういう意味なんでしょうね。

 「新たに来ることはない」は誤訳でしょうか?

 来ました来ました。第一位の選手がやって来ました。第二位の選手は来ていません。まだ
来ていませんから、第二位の選手がやってくることありません。 ????

 第二位の選手は、まだきてなくても、新たにやってくるんですよね。

 こんな場面を思い浮かべて話がちんぷんかんぷんになります
103渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 20:42:26 ID:XDlsolhi
>>101
 >>100は、僕はわかりました。外の方も>>100で分かったと思います。
104神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 20:49:53 ID:FPdBelU4
>>91
この種のスレでは珍しくまともな方ですね
仰るように,輪廻については問題を区切る必要があります
仏教に関して輪廻について考察をするなら,以下の問題を区別すべきでしょう

1.歴史的事実として,釈尊は本当に輪廻を説いたのか?
2.釈尊が輪廻を説いたことを示す具体的な文献があるか?
3.教学的に考えて,輪廻思想の有無によって仏教の教義を整合的に解釈できるか
4.哲学的に考えて,輪廻思想を正当化できるか否か

1については文献学的な方法論に限界があるため回答困難ですし,
3,4に至ってはいかようにも答えられるというのが実際です.

2については,釈尊が輪廻を説いたと考えられるテキストが実際にいくつか挙げられます.
例えば一例として,過去現在因果経には

T0189_.03.0644b24: 如是諸苦。由我爲本。若有衆生。起微我
T0189_.03.0644b25: 想。還復更受如此之苦。貪欲瞋恚。及以愚
T0189_.03.0644b26: 癡。皆悉縁我根本而生。又此三毒。是諸苦
T0189_.03.0644b27: 因。猶如種子能生於芽。衆生以是輪迴三
T0189_.03.0644b28: 有。14若滅我想及貪瞋癡。諸苦亦皆從此而
T0189_.03.0644b29: 斷。莫不悉由彼八正道。如人以水澆於
T0189_.03.0644c01: 盛火。一切衆生不知諸苦之根本者。皆悉
T0189_.03.0644c02: 輪迴。15在於生死。憍陳如。苦應知。16習當斷。

これは釈尊の台詞ですが,このように,衆生が三有に輪廻することを明確に説いています.
105机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/13(土) 20:49:59 ID:HuW8mQpi
>>102
>第二位の選手がやってくることありません。 ????

第二位の選手は来ておらんですから、「来ておらんですね」。
来た時点が「来た」ですね。
しかし「来た」のは、既に「去る」ですから、来たことにはならんです。
つまり「来る」ということもない。
現時は「ない」ということに、なるんじゃないでしょうか?

>こんな場面を思い浮かべて話がちんぷんかんぷんになります

私はチンプンカンプンな話をしておるんじゃなくて。
アタリマエのことしか言うておらんざます。
106神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 21:42:05 ID:xTp9XmyV
>>99
>煽りですか? 乗りませんよ。 出直して下さい。

それが、まともな仏教者が言う言葉ですか。

反論があれば、論理的に行えばよいこと。

自分の使っている抽象語の具体的意味をよく理解した上で、「出直す」べきは
あなたの方では。

例えば、人間には、知恵や欲は、何の為にあるのか理解していますか。

あなたの挙げた要素を「すべて」有し、それらがバランスを保って共存して
いるのが「人間」ですよ。その一部を人為的に操作して取り除くと、そのバランス
が破壊されて、人間が人間ではなくなり、化け物になります。

一向一揆は、そのために100年以上も、人を殺しまくったのです。

現実上の根拠皆無な「精神性」にまみれた浄土真宗の人間理解は、極めて浅薄。
107神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 21:46:57 ID:gDo3HnwU
>>104
「輪廻」「saMsAra」という語自体よりも、
文脈、意味内容から、「それ」が述べられている〔と見做せる〕箇所を重視した方が良いとも思う。
(無我と非我もそうだが、術語は所詮術語だ。)

たとえば、長老尼偈220の「pavatta(M)」とか。
(一応、伝統的にはこの語は「“生”が何度も繰り返されること(=輪廻)」を意味してはいるが・・・。)

(余談:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230651094/37
108渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/13(土) 22:13:23 ID:XDlsolhi
>>105
> しかし「来た」のは、既に「去る」ですから、来たことにはならんです。つまり「来る」ということもない。

 オリンピックの時ががきた。オリンピックの時はまだ去ってない。まさに来た。来るということはある。

 言いたいことは分かったが、誤訳ではないか?
109神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 22:21:13 ID:FPdBelU4
>>107
>文脈、意味内容から、「それ」が述べられている〔と見做せる〕箇所を重視した方が良いとも思う。

もちろんその観点も重要ですよね.
saMsAraには世界・世間などの意味もあるので、saMsAraという語があるからといって輪廻を説いているとは必ずしも言えません.
また,輪廻という概念自体が,思想的に多義的な解釈を許すという側面もあります.

ただ,文意上生まれ変わりを説いていることが明らかな箇所なんて,実はアーガマには無数にありますよね.
だから,その意味では釈尊が輪廻を説いたという文献的証拠ならば腐るほど挙げられるわけで,逆にどれを挙げればいいか迷うくらいです.

過去現在因果経は釈尊が輪廻という語が使っている代表的なものですね.
110神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 00:32:12 ID:WNdxDwuS
>>98 
>釈迦が、「カルト教祖」に過ぎなかった所以です。
>この釈迦の悪業こそ、地獄落ちに値するものです。

おまえもマハーカッサバ教末裔アビダルマ・スコラ坊主仏典の牽強付会という意味で宝珠と呉越同舟だな。
宝珠はブッダを輪廻転生論者に仕立てるために肯定的に牽強付会し、
隠居はブッダを精神障害カルト教祖に仕立てるために否定的に牽強付会する。

スコラ坊主どもも、外道宝珠も、単純唯物論隠居も、戯論(形而上学的言辞)派(ケロンパ)という意味では、
釈迦仏教と相容れない。
反中道である。

隠居の引用するブッダの言葉が金口の説法であることを立証できるのか?
スコラ坊主の経典に書いてあるだけで非難しているなら、宝珠と同じじゃないか!
まさに牽強付会の宝珠と呉越同舟だな。

反論しろよ。

111神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 00:48:45 ID:WNdxDwuS
>>104
>衆生が三有に輪廻することを明確に説いています.
 ブッダが説いた証明ではなく、「書いてある」というだけ。

・その文書の成立年代
・作者
・伝承だと強弁するだろうが、「伝聞証拠」であって証拠能力はない。
 正確性の担保および捏造ではない保証はあるのか?
112ネ申:2010/02/14(日) 01:05:38 ID:wV1r2SsW
謙虚さがない人間に向かって
謙虚さを持てと言ってる奴はだれだ?
わかるわけないだろ

でてこい!
尻を叩いてやる
113神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 01:21:00 ID:WNdxDwuS
>>112 便所貧乏神
     ?
>>104
>衆生が三有に輪廻することを明確に説いています.
 知りえないことを知っているかのように書くのを「物語」(フィクション)といいます。
あなたは、
・「説いた」というのは物語(フィクション)である、として主張するのですか?
・歴史上の釈尊が輪廻を説いた事実である、として主張するのですか?
・単に書いてあるだけ、として主張するのですか?
お答えください。
114紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/14(日) 03:22:48 ID:Tuxqv5o4
公職追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E8%81%B7%E8%BF%BD%E6%94%BE

要するに、天皇制に反対する派閥が団結して関西、九州、沖縄へ逃げていったのかな?
115神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 03:52:01 ID:9Twf5OCJ
>>111,113
>その文書の成立年代

現在知られているのは,5世紀頃に求那跋陀羅によって漢訳されたものですね

>作者

経典ですよ?

>伝承だと強弁するだろうが、「伝聞証拠」であって証拠能力はない。
 正確性の担保および捏造ではない保証はあるのか?

逆にお伺いしますけれど,「正確性の担保および捏造ではない保証はある」経典って存在するのですか?

>「説いた」というのは物語(フィクション)である、として主張するのですか?
>歴史上の釈尊が輪廻を説いた事実である、として主張するのですか?

どちらの質問も,いいえ,です.
私が言っているのは,
2.釈尊が輪廻を説いたことを示す具体的な文献があるか?
という問いに対する回答がYESだということであって,それ以上のこと(経の内容が歴史的事実として正しいとか間違っている等)は何も主張していません.

>単に書いてあるだけ、として主張するのですか?

そうですね.
116神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 07:36:40 ID:BPuG/oZc
>>92
なるほど、かなり立場が近いかもしれません。

私としては仏教を信じるなら輪廻をうけいれなければならない。
仏教を信じないなら輪廻を迷信と思えばよろしい。

ですね。

仏教内で、輪廻を世俗の対象作用として存在しないという見解はありえない。
それは唯の断見である。

また、実在論的立場に立って輪廻の有無を述べるのは無意味と考えます。
なぜなら、縁起は非・実在論なので存在論・認識論的前提が異なるから、
縁起・空・無我の前提を承認せずに仏教について語っても無意味だからです。

117神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 07:43:07 ID:9bOM66U+
仏教は輪廻を悟って輪廻させないようにするための教えですね
輪廻なんてしません って言ってるだけだったらキリ外道と一緒です
118机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/14(日) 07:53:38 ID:iqvTUSTP
>>108
>オリンピックの時ががきた。オリンピックの時はまだ去ってない。まさに来た。来るということはある。
>言いたいことは分かったが、誤訳ではないか?

貴殿はいいことに気づきましたね。
これがつまり龍樹の一番に得意とする分野でして、
そのことについて私が僭越ながら御説明させて頂きます。

「オリンピックがきた」→その刹那は確かに「きた」でありますが、これで完結。→生起
次ぎの刹那は「きた」ではなく、もう既に「さる」。これで完結。→生滅

「オリンピックの時はまだ去ってない」その刹那は「きた」ですね。これで完結。→生起
次ぎの刹那は「きた」ではなく、もう既に「さる」。これで完結。→生滅

>言いたいことは分かったが、誤訳ではないか?

誤訳ではない、子供の気持(ピュア)になって、心を清浄にして、何の概念も入れないで、
自然法爾にて解されたし。

        <机龍之介・花押>  
119机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/14(日) 08:15:11 ID:iqvTUSTP
>>116
>仏教内で、輪廻を世俗の対象作用として存在しないという見解はありえない。
>それは唯の断見である。

貴殿はそもそも、断見とか、常見について誤解している。
何故なら、仏教は不一不二の法門で、
輪廻は世俗の対象作用とはありえないから。

世俗諦では対象作用でありえても、
勝義諦では一如。

だから勝義諦では、断見・常見、双方が戯論でしかない。
120渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/14(日) 09:46:34 ID:Q5s6mFkW
>>118
 なるほど。まあ、こういう言葉遊びのような難しい講義は、大学か僧堂の中で行って欲しいと思うのは僕だけ
か。>>94のような初心者を唖然とさせ、置き去りにしかねず、2ちゃんねるには多分、向かないだろう。涅槃に
到達した方が2ちゃんねるで獅子吼するようなこととは僕には思えない。

>確かに「きた」でありますが、これで完結。→生起

  こういうことは普通は考えない。いやいや、俺たちはこう考えるんだよといえば、それはそれでまあ勝手で
あって、お好きにどうぞというところだろう。論証学的には間違いではないのだろう。研究室の机の上のパズ
ルとしてやっててほしい。文化の発展には貢献するだろう。

 完結。→生滅、完結。→生滅というのは、言葉遊びのようだが、それでオリンピックはどうなりましたか?
 子供の気持(ピュア)になって、心を清浄にして、何の概念も入れないで、自然法爾にて解されたし。神奈川
に住む我が家のテレビではオリンピックをまだ放送していますが、お宅のテレビでは映らなくなったのでしょ
うか?。

 「終わった」という言葉に「終わってない」という概念を加え、「去った」という言葉に「去ってない」という概念を
加える。限りなく誤訳に近い評価ゼロの翻訳という外はない。いかが?
121神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 10:09:59 ID:0HKg5Lvy
>>119
断見・常見は62見の2つだそうですが、
あとの60見を詳しく教えてください
122渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/14(日) 10:10:05 ID:Q5s6mFkW
>>116
>仏教を信じるなら輪廻をうけいれなければならない。仏教を信じないなら輪廻を迷信と思えばよろしい。

 輪廻はあるか、ないか。あると言ってもいいが、ないと言ってもいい。仏教の目的は輪廻の有無を教え
ることではない。無明、つまり「(悪い)むさぼり」と「(悪い)いかり」と「おろかさ」という普遍的な三毒を退
治することだ。禅も念仏も真言も、加持祈祷も、仏典も、みなその方向に向かっている。

 輪廻論の本質は、あるといって説明した方がより簡便に目的が達成できるか、ないと言って説明した方
が簡便に目的が達成できるか、方法論の問題だ。

 輪廻はあるといって説明した方がより簡便に目的が達成できる。多くの先人はそう考えた。だから多く
の先人は、輪廻をあるといってきた。輪廻はないと言って説明した方が簡便に目的が達成できると考えた
先人もいた。彼らは輪廻はないと言ってきた。

 どっちでもいい。僕の敬愛する親鸞聖人は、輪廻はあるといって説明している人だ。多分これは仏教全
体では主流派だろうと思う。
123神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 10:24:45 ID:BPuG/oZc
>>121
そういう分類とはちょっと違います。主に禅定体験と推論の深度・形式などで分類されます。

六十二見は、このように分類されます。

1.過去に関する説
 1.四常住論(我と世界が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
 2.四つの一部常住論(我と世界の一部が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
 3.四有限無限論(世界が有限無限であるという三つの禅定体験と一つの推論)
 4.四詭弁論
 5.二無因生論(我と世界が原因なく発生するという禅定体験と推論)
2.未来に関する説
 1.死後の有我説
1.十六有想論
2.八無想論
3.八非有想非無想論
 2.七断滅論(一つの無我断見と六つの有我断見)
 3.五現法ネハン論(一つの現世肯定論と四つの禅定体験)
これらを述べた直後と、最後に締めくくりとして釈尊は次のように仰られます。

より詳しくは以下、及び、そこに指示される諸文献と、宇井伯寿の該当文献をご覧下さい。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

なお、輪廻について論じられる類型はこの『梵網経』の見解の網によってごっそりと掬われると思われます。

輪廻否定は凡夫のつまらない立場と六十二見内の断見。
アートマン的輪廻観は、六十二見内の常見。
仏教の立場は、どちらでもない縁起による輪廻、これは明示されませんが、
論理的に推論すれば明白だと思います。
124机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/14(日) 11:05:15 ID:iqvTUSTP
>>122
>神奈川 に住む我が家のテレビではオリンピックをまだ放送していますが、

そうでしたか。

>お宅のテレビでは映らなくなったのでしょうか?。

私のところでは、まだ始まっておりません。

> 「終わった」という言葉に「終わってない」という概念を加え、
>「去った」という言葉に「去ってない」という概念を
>加える。限りなく誤訳に近い評価ゼロの翻訳という外はない。いかが?

・・・というか?何で渡海氏はそんなに考え込んじゃうんでしょ?
私にはそれが一番理解できないですね。

単純にモノゴトってのを見通すのは難しいんでしょうか?

私が書いた>>118を再度読み直しましたけど、小学生にでも解るじゃないですか?
貴殿はねアタマが良すぎるんですよ、
アタマの切れる御仁は、小学生の作文を読むのは苦手らしい(ニガワラヒ
125渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/14(日) 11:51:27 ID:Q5s6mFkW
>>123
>輪廻否定は凡夫のつまらない立場と六十二見内の断見。
   輪廻否定は間違いである。

>アートマン的輪廻観は、六十二見内の常見。
   アートマン的輪廻観はは間違いである。

>仏教の立場は、どちらでもない縁起による輪廻、これは明示されませんが、

 これは間違い。あれも間違い。こういうのも間違い。こっちもだめ。
 否定形で話がすむなら三歳の子供でも言えること。リンゴじゃないよ。富士山だと思ってもいけないよ。お父さんでも
ないんだ。おまんじゅうでもないよ。
 そんな話は聞いてもつまらん。大事なことは、肯定形で一言で言ってほしいものだ。

>論理的に推論すれば明白だと思います。
 これで済むなら言葉はいらん。
 論理的に推論したことを肯定形で言ってくれることを人々は待っている。



>>124
>小学生にでも解るじゃないですか?貴殿はねアタマが良すぎるんですよ、

 「自分が言っていることは万人共通。常識的なこと。誰でも分かる簡単なこと」。こういう考えでしょうか?。貴方の周り
の井の中の蛙だけが小学生ではない。山にも川にも、海岸にも小学生はいる。
 自分が世界の中心にいると思っているようなら、涅槃到達も井の中の話であったのかと雲行きが怪しくなってきた。

 自分を世界の片隅に置くことも大事なことだ。僕の方から貴方に言うべきことはどうやら尽きたようです。
126神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 12:05:14 ID:0HKg5Lvy
>>125
釈迦が62個否定しているんだよ。
仏教といえば否定です。
何かを必死に肯定し信じ込む外道カルト系の教えとは一味違うと思います。
127机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/14(日) 12:31:37 ID:iqvTUSTP
>>125
私が書いたのは、真宗における自然法爾ですね。

テレビにアンパンマンが映れば、親子そろってアンパンマンに夢中になるじゃないですか?
「そんなこたぁ〜しっちゃこちゃない、オリンピックが始まった」。などと
世界の片隅におることはしなくていいんですよw

さぁさぁ、私と共にアンパンマンを楽しみましょ?
128神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 12:34:56 ID:0HKg5Lvy
>>123
1.四常住論(我と世界が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
 ↑
 常見否定(62のうちの4つ)

断見の否定はこの中のどれに含まれていますか?
『梵網経』ってネットで読めますか?
129神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 12:39:20 ID:WNdxDwuS
>>126
>釈迦が

歴史上の人物としての釈迦ではなく、
経典上に「書いてある」、というだけ。
歴史上の人物としての釈迦が実際に説いたかは判らない。

書くだけなら俺でも書けるw
130渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/14(日) 12:44:14 ID:Q5s6mFkW
>>>126
>釈迦が62個否定しているんだよ。仏教といえば否定です。

 そうですか。それなら、釈迦(他人)にはならないで、仏教(他人)にもならないで、外
でもない貴方は肯定形のまさに貴方自身になることを期待します。
131神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 12:49:26 ID:0HKg5Lvy
>>129
かいてみそ
132渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/14(日) 12:57:00 ID:Q5s6mFkW
>>130
× 仏教(他人)にもならないで
○ 仏教(他人の褌)にもとらわれず
133渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/14(日) 13:00:14 ID:Q5s6mFkW
>>127
> さぁさぁ、私と共にアンパンマンを楽しみましょ?

 まあどうぞ。お好きになさいませ。世界が違うのでしょう。
134机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/14(日) 13:03:28 ID:iqvTUSTP
>>130
>貴方は肯定形のまさに貴方自身になることを期待します。

仏教というのは、基本的には「肯定形」というのはアリエナイ。
世俗諦ではある。

ただし勝義諦ですと「世俗言語慣習においての否定」でありんす。
135渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/14(日) 13:07:20 ID:Q5s6mFkW
>>134
 貴方とは世界が違うようですね。
136机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/14(日) 13:18:16 ID:iqvTUSTP
>>135
自力・他力において、何ゆえ「違う」と申される?
私は同じかと思います。

ただ、浄土門は般若心経でなく浄土三部経だから、
書き込みに多少の違いがあるのは当然。
世界が違うことはない。

親鸞は、漸修に影響されておるではないか?
137129:2010/02/14(日) 13:21:59 ID:WNdxDwuS
>>131
>かいてみそ

俺様の経典

Buddha was explained as follows.

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

138129:2010/02/14(日) 13:30:34 ID:WNdxDwuS
Buddha was explained as follows.

Time and the space are empty.

Then, you never suffer.

139神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 13:43:41 ID:BPuG/oZc
>>128
その四つだけではありません。

英訳、仏訳、漢訳は以下の該当箇所をクリックすればみられます。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

漢訳書き下し文は以上の左メニューの国訳一切経印度撰述部の長部経典で読めます。

現代語訳の全訳は私の知る限りネット上ではないようです。
片山一良先生の訳を読まれるのが最良かと思います。
140129:2010/02/14(日) 14:03:36 ID:WNdxDwuS
Buddha was explained as follows.

Time and the space are empty.

A man who has approached the Prajnaparamita of Bodhisattava dwells enveloped in consciousness.
But when the envelopment of consciousness has been annihilated, then he becomes free of all fear,
beyond the reach of change, enjoying final Nirvana.
141神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 14:19:50 ID:9Twf5OCJ
142129:2010/02/14(日) 14:23:38 ID:WNdxDwuS
>>139
>「過去の限界と未来の限界」というのは、過去世と未来世です。
>それははっきりと説かれています。

何考えてんの?ウソつくなよw
『如来がみずから悟り体現して教示している、深遠で、
見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
微妙で、賢者だけが理解できる諸法』から観ると、

『ビクたちよ、これらのうちで、かれらシャモン・バラモンたちは、
過去の限界について考察し、未来の限界について考察し、
過去の限界と未来の限界とについて考察し、過去の限界と未来の限界とについて見解をもち、
六十二の根拠により、過去の限界と未来の限界とに関して種々の浮説を主張するが、、
それはかれら尊敬すべきシャモン・バラモンたちが〔真実を〕知っておらず、
〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために
おののき狂躁したものにすぎない。』

つまり、過去世と未来世すなわち 輪廻転生論なんてインチキな世迷い言だ、と『書いてある』w



143129:2010/02/14(日) 14:26:47 ID:WNdxDwuS
>>141
>丸写しですよね

そうだよ、般若心経の部分訳だよ。
おいらの経典。
144神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 14:29:34 ID:9Twf5OCJ
>書くだけなら俺でも書けるw

>かいてみそ

>そうだよ、般若心経の部分訳だよ。
 おいらの経典。


…………
145129:2010/02/14(日) 15:01:36 ID:WNdxDwuS
>>144
>…………
おっと、
おいらの経典を「書いた」が、なにか問題でも?
ちなみに>>137はドリス・ディおばさん主演の映画「第三の男」のテーマ音楽
“ケセラセラ”ね。
気に入ったのは、みんなおいらの経典にしてしまう。
輪廻転生論は物語だからおいらの経典にしないw
146神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 15:08:19 ID:BPuG/oZc
>>142
そんなこと言ってないでしょう。
ある感受を恒常な世界や我の本質と捉えることが誤解といっているだけです。
輪廻の過去世などをハッキリと感受できることが、常識しかない凡夫よりハッキリと上位に置かれています。

だから、凡夫に対して次のように言うのです。

>ビクたちよ、凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、
>卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない。

続けて禅定・三昧体験によって輪廻を直観する外道および釈尊自身が、
それを体験したことを次のように述べています。

>ビクたちよ、深い深い現象で完全に清らかで完全に浄化した他の諸法を、
>私は自らの神通によってありありと悟り説いた、外道も如来に正しいことをあるがままに述べる。
>ビクたちよ、深い深い現象で完全に清らかで完全に浄化した他の諸法を、私は自らの神通によって
>ありありと悟り説いた、外道も如来に正しいことをあるがままに称賛を語り述べるのは何かというと。


これは宿命通と言われ、長部・中部経典ではほとんどの経典で
覚りの道を示す本論として登場する部分です。
そして来世や前世がないととくものはどうしようもない邪見であると、
幾つかの経典で述べられていることも明かでしょう。

147神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 15:12:22 ID:BPuG/oZc
>>145
つまり、あなたは『梵網経』の凡夫の典型ですよ。
常識、凡庸な知覚で見えることしか世界でないと思い、
それがみたまま実体としてあると思ってる。
これは釈尊が『梵網経』で

>ビクたちよ、凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、
>卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない。

という以外のなにものでもないと気づきましょう。
148神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 15:12:51 ID:4NWLTT88
149神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 19:00:28 ID:WCtz3Xlk
初心者なiのてすが
よろしくお願いします。

人として良い行動と言われている(徳)事の
原理・原則

人として良くない行動と言われる
原理・原則

教えてくれる方がいたら嬉しく思います。
よろしくお願い致します。
150145:2010/02/14(日) 19:19:02 ID:WNdxDwuS
>>147
>凡夫の典型ですよ
別にあなたから凡夫よばわりされてもなにも痛痒を感じませんが、
そうするとあなたさまはきっと縁起馬鹿菩薩さまか如来さまなのでしょうね?w
>常識、凡庸な知覚で見えることしか世界でないと思い、 それがみたまま実体としてあると思ってる。
 わたしは凡夫が経験的に知りえないことを知っているかのように説くのは『物語』だといっているだけですよ。
仏教者で>実体としてあると観る人はいないでしょう。実体論者は隠居です。
縁起馬鹿菩薩さまがどーなのかは、知りませんよ。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1263646378/545

あなたの引用に寄れば、如来>シャモンやバラモン>凡夫および、
『「過去の限界と未来の限界」というのは、過去世と未来世です。』を前提として、
如来がシャモンやバラモンたちの『 過去の限界について考察し、未来の限界について考察し、
過去の限界と未来の限界とについて考察し、過去の限界と未来の限界とについて見解をもち、
六十二の根拠により、過去の限界と未来の限界とに関して種々の浮説』を否定した文章としか読めませんよ。
つまりシャモンやバラモンの六十二の根拠による輪廻転生論を如来が否定した文言です。
 あなたの引用文を前提とする限りはそうとしか読めません。
151神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 19:25:53 ID:9Twf5OCJ
>>149
仏教の薦める生き方の一つは,五戒を守る生き方ですね
殺すな・盗むな・犯すな・嘘や悪口を言うな・酒飲むな,という規則です.
これを守らない生き方は悪い生き方とされますね.

他にも色々な「生き方のススメ」がありますね.
八正道なんてのもあります.
152神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 19:35:56 ID:a101+4ah
酒飲むな、を戒律として実践出来ている人は
全仏教徒中何%くらいなんでしょうか。
153145:2010/02/14(日) 19:42:46 ID:WNdxDwuS
>>146
>来世や前世がないととくものはどうしようもない邪見である

ついでにこの点に触れておくと、経験的に知りえないことについて、
ある、も ない、も主張しようがない。

だから、宝珠や縁起馬鹿菩薩さまの肯定する見解も、逆の意味で「邪見である」。
肯定するなら、悟ればわかるだの、だれが書いたか判らないアビダルマ・スコラ経典に書いてあるとか、
信じるものは救われる式ではなく、経験的に実証してくださいよ。
挙証責任は縁起馬鹿菩薩さま側にあります。

有⇔無の二項相対を離れるのが仏教者として、当然の態度だと愚考いたします。
そうでしょ、菩薩さま?
154神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 19:57:41 ID:4NWLTT88
>>150
ちょっとだけ擁護すると、
「凡夫の(【それまでの・そのままの】)見解・視線では見えない」ということ。 かな?w
(「この法は見難い」と言われるのは、この消息を指す。 また、Sn.ダニヤの章を思い浮かべてもいい。)
(身を調え、心を調え、観察した時に見える(視線の転換が成る)。
そして、その時(視線の転換が成った時)、彼は既に凡夫ではない。
定型句に見える通りだ。法眼が開いた、と。第一段階の聖者(預流向)と呼ばれたりすることもあるんじゃないかな?)

ま、定義の問題になってしまうが、
「そのような転換された視線を持っていない者」を「凡夫」と称するわけで・・。

 (※私個人は、(他の事案でも)必ずしも全面的に賛同しているわけではないが、一応、理屈としてはこうなる。)
155神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:11:56 ID:BPuG/oZc
>>149
>人として良い行動と言われている(徳)事の
>原理・原則

無害・有益です。つまり、あらゆる生きものを害さず、益することです。

>人として良くない行動と言われる
>原理・原則

有害・無益です。つまり、あらゆる生きものを害し、益しないことです。

具体的には十善戒を仏教では推奨します。
156神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:17:51 ID:BPuG/oZc
>>150
>『「過去の限界と未来の限界」というのは、過去世と未来世です。』を前提として、
>如来がシャモンやバラモンたちの『 過去の限界について考察し、未来の限界について考察し、
>過去の限界と未来の限界とについて考察し、過去の限界と未来の限界とについて見解をもち、
>六十二の根拠により、過去の限界と未来の限界とに関して種々の浮説』を否定した文章としか読めませんよ。
>つまりシャモンやバラモンの六十二の根拠による輪廻転生論を如来が否定した文言です。
> あなたの引用文を前提とする限りはそうとしか読めません。

ただの誤読です。文脈を無視していることと、
「過去の限界と未来の限界」この限界が意味することを理解してないからです。
上に引用したように釈尊も過去世などを体験・感受していることを考えてください。
限界というのは、究極的に何かに至るということを意味し、
外道はそこにアートマンなどの実在を想定して解釈する。
それが間違っていると釈尊は仰っているのです。

あなたのような解釈はありえません。
157神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:23:51 ID:BPuG/oZc
>>153
経験というのは凡夫と聖者では共通しないものです。
何か実体があってそれが見えるのではなく。
ただ、それぞれの業にしたがってそれぞれに見えるだけですから。
共通に見えるのは共通な業や習慣を持っているだけです。

既に書いたようにそういった実証は意味を持たない。
そういったことを言うのは縁起を理解してないだけです。

仏教を信じないなら輪廻を迷信と捉えるのも結構ですが、
仏教という体系内での話なら、世俗で輪廻を認めない仏教などありえない。
以上ですよ。
158神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:31:02 ID:BPuG/oZc
>>153
それと始めに貴方が異議を唱えたのはあくまで文の読みですね。
その読みの真偽を論ずる過程で不利となるや、
このような別の視点からの論難を持ち込むのは卑怯でみっともないといっときましょう。
159神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 21:55:39 ID:5/dTS5xw
仏教徒のみなさん、ひとつお聞きしたいことがあります

「仏教」という呼称は、どのような基準をもってなされますか?
部外者から見ると、宗派の違いはあれ、密教、禅宗、真宗、日蓮宗、
テラワダ、その他、全て「仏教」という括りの中にあるように見えますが
例えば、原始仏教系の人の中には、「日本の大乗」など、仏教ではないとの
批判もありますよね? 
また、近年のインドの仏教改革も「単なる新興宗教」であり、仏教ではないとの
批判を聞いたこともあります。
それでは、「仏教と仏教ではないとの線引きは何をもっておこないますか?」
160神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 21:57:23 ID:HoHxkVRX
>>110
>隠居の引用するブッダの言葉が金口の説法であることを立証できるのか?
>スコラ坊主の経典に書いてあるだけで非難しているなら、宝珠と同じじゃないか!
>まさに牽強付会の宝珠と呉越同舟だな。
>反論しろよ。

釈迦自身が書いたと証明されている経典など、唯の一つもない。すべて、後世における
弟子たちの伝聞・解釈・意見に過ぎない。従って「金口の説法」など存在しない。

私は、信者たちが「金口の説法」だと信じ込んでいる「経典上の釈迦」を批判して
いるだけ。実在の釈迦の人格批判にあたらないのだから、そんなにいきり立つ必要
はない。

クリスチャンは、「聖書上のイエス」を散々批判されると、「聖書にはない
『真実のイエス』」などを妄想し始める。仏教徒はどうなのかねw。
161神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:05:10 ID:BPuG/oZc
>>159
仏の教えですね。つまり、完全に悟った方が説いた教えの体系。
完全に悟ったという意味は、一切智を意味するので、
アルハットや十地の菩薩などは含まれません。

仏教徒という意味ので仏教の場合は、
仏・法・僧の三宝に帰依するものの意味です。
162神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:10:43 ID:5/dTS5xw
ちょっと抽象的すぎるので、よくわからんな、
>つまり、完全に悟った方が説いた教えの体系。

例えば、「真言宗」を仏教とみなし、「日蓮宗」を仏教としないとする
ならば(あくまでも仮定ですぞ)
その開祖の空海が悟っているからで、日蓮は悟ってない  と、こういう
ことかな?
163神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:15:22 ID:uBp5yXcv
>>150
>実体論者は隠居です。

私は、釈迦も、その他のすべての人間も、阿弥陀仏も、大日如来も、経典も、
天国も地獄も、来世も涅槃も、輪廻転生も、悟りも、解脱も、すべて「縁起・
空(相互依存性・関係性」の産物だから、「無自性」であり、「執着すべき実
体」ではない、と信じているよ。仏教徒は、どうなのかね。
164神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:22:34 ID:BPuG/oZc
>>162
弘法大師は大変高い境地の方ですが、ブッダではありません。
ブッダは、釈尊などの〜仏、〜如来と説かれる方です。

そこで大乗とテーラワーダの違いは色身の釈尊しかテーラワーダは認めないのに対して、
大乗は法身や報身のブッダ、諸仏を認め、
この諸仏から現代でも教えを受ける人が居るとするところだと思います。


165神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:28:09 ID:4NWLTT88
>>162
「釈尊との対話」(NHKブックス/奈良康明)という本がある。
手に入るようなら一度読んでみたら? (私は、初学者には是非勧めたい良書の一つだと思ってるが・・w)
奈良さんは文化史畑なので、「エッセンスがあればオールオッケー」的な所があって、(言い過ぎかwww)、
縁起馬鹿とは、(同じ「大乗高評価」ながら)真っ向対立するスタンスかもしれないがw、
逆に、そのことにより、縁起馬鹿が何を大切にしようとしているか、仄見えるかもしれない。(見えないかもしれない・・w)
 (※その本は、まさに「歴史的釈尊」を見据える一冊でもあるしwww)
166神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:35:30 ID:2J/mz6hg
>>154
>「凡夫の(【それまでの・そのままの】)見解・視線では見えない」ということ。 かな?w
>(「この法は見難い」と言われるのは、この消息を指す。 また、Sn.ダニヤの章を思い浮かべてもいい。)
>(身を調え、心を調え、観察した時に見える(視線の転換が成る)。
>そして、その時(視線の転換が成った時)、彼は既に凡夫ではない。

ダニヤの章で、釈迦には一体何が見えたのかね。「具体的に」説明して
欲しい。「視線の転換」とは、人間や自然やその他の万物(法)から
逸脱するということか。

釈迦の視線から「法」へ視線を転換すれば、「人間とその社会の真実」を
知るのはダニヤであり、釈迦こそ、真実については「無明」な凡人としか
思えないが。

真実・真理とは、「一切衆生の心」に既に内在するものであり、1個人で
ある釈迦の「変性意識」「狂気」から生まれるものではないのではなかろう。
167ネ申:2010/02/14(日) 22:36:25 ID:wV1r2SsW
日本に入ってきた仏教は
ビジネスになった

そこに信仰はあっても救いは無い
168神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:39:14 ID:5/dTS5xw
>>162
>弘法大師は大変高い境地の方ですが、ブッダではありません。
ブッダは、釈尊などの〜仏、〜如来と説かれる方です。

と、すると「真言宗は仏教とは言えない」との認識かな?
(断っておくが、俺のこの問いは、宗派間の争いを煽るなどという
意図は全く無い。以前からの疑問だ。というよりも、多くのものも
同様な疑問をもつと思うが)

>そこで大乗とテーラワーダの違いは・・・・
以下は
仏陀についての見解の相違はあるが、共に「仏教」という認識かな?
真宗も日蓮宗も禅宗も。

>>165 
>手に入るようなら一度読んでみたら?
了解。読んでみる。

>・・、「エッセンスがあればオールオッケー」的な所があって・・
そこなんだよな。いったい、どこで線引きするのか?
さすがに、俺も「幸福の科学」も仏教であるとの主張には、
正直 ? となるのだが。
169神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:40:04 ID:alma68cH
>>166の訂正
×生まれるものではないのではなかろう。
○生まれるものではなかろう。


170神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:48:30 ID:9Twf5OCJ
>>159
>それでは、「仏教と仏教ではないとの線引きは何をもっておこないますか?」

仏教という概念自体が歴史的なものですから,その外延は可変的です.
厳密な線引きは行えないというのが実際でしょう

ただ,しばしば仏教のメルクマールとして提示されるのは三法印(四法印)です.
とはいえ,この三宝印の解釈や,それを理論的に支える背景思想もまた多様なので,
現実的な指標になりえるかは微妙ですね.
171神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:52:48 ID:Kt+QLOkz
中国史において最大の犠牲者を生んだ白蓮教徒は浄土宗だし、太平天国
は、言わずもがなキリスト教。

両者の共通点は、「絶対に対するあくなき執着」。「縁起・空」の対極
にあるもの。
172神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:53:14 ID:4NWLTT88
>>168
奈良さんも片山さんも、幸福の科学やオウム、アレフ等を仏教とは見做さないだろう・・。
(「関わっている」、「派生したものとして縁の繋がりはある」とまでは見るかもしれないが・・。
 *(縁起馬鹿の理念で言えば、当然、オウムも幸福の科学も、
 縁起して生じたものとして、釈尊と関わっていることになるw)。)
だが、日蓮や法然・親鸞、道元、空海、達磨、白隠等々を「仏教ではない」とは言わないだろう・・。

さて・・・。 どこに分水嶺が生じてるんだろうかね・・・w

畢竟、自分で確認するしかないのかもしれない。
「ああ、ここで線を引くべきなんだろうな・・」と・・・。


ノシ
173神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 22:58:27 ID:5/dTS5xw
>>170 となると、三法印をとなえる宗教は、全て仏教ということに
なってしまうな。(勿論、それが悪いというわけではないよ。)
しかし、そのような広い括りで良いのかな?
174神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:01:50 ID:BPuG/oZc
>>168
もちろん、真言宗も仏教。個人的には深く信仰しております。
日蓮宗は怪しい、なぜなら、ブッダではなく日蓮個人崇拝になっているような気がしますから。
そして三宝にも帰依してるのかどうか怪しいので。

>>170
そうですね。見解・思想・教義面の目印は正に言葉通り三法印(四法印)ですね。
この点からも日蓮宗は脱落すると思います。

ですが、基本的に仏教は自分自身の認識を重視する教えなので、
仏教かどうかは以上を参考に自分で判断すべきものと思われます。


175神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:04:38 ID:nrIg8wMC
>>172
>畢竟、自分で確認するしかないのかもしれない。
>「ああ、ここで線を引くべきなんだろうな・・」と・・・。

自分の確認できるほどの知性のある人間は、そもそも原始仏教(釈迦佛教)
などには嵌らないw。

幸福の科学もオウムも、いずれも開祖の原始仏典盲信の超カルトである、原始
仏教(釈迦佛教)起源で、それと親和性の高い、これも超カルトのキリスト教
が付加されただけのもの。
176神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:07:38 ID:4NWLTT88
御隠居は判り易くていいなw
一見さんでも、数レス読めば咄嗟に眉に唾を塗ることだろうw
177神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:13:08 ID:5/dTS5xw
なるほど、明確な客観的基準の提示が不可能なら
「個人が、個々の認識、見識において判断する」以外にはない。
確かにその通りである。 その際の、最低限の指針が三法印という
ことか?  あまりにも、指針の厳密性が欠如しているようにも
思えるが、「仏教」という語彙に対して一意に定義が不可能なら
やむを得ないことかな。
178神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:17:59 ID:e5srqkY6
>>174
>日蓮宗は怪しい、なぜなら、ブッダではなく日蓮個人崇拝になって
>いるような気がしますから。

ブッダの個人崇拝や三宝印帰依も、同様またはそれ以上に「怪しい」の
ではないのかねw。

大乗仏教は、後世の無数の人々の努力により、「ブッダ佛教の欠陥を改
善した結果」であることを、忘れてはならない。

竜樹の卓越した頭脳を経由していない原始仏教は、単なるカルト宗教に
過ぎず、無価値・有害。竜樹の知能に比べれば、釈迦の知能は桁違いに
低い。釈迦は精神病者だから、当然のことだが。
179神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:25:43 ID:zqS3CTzN
>>178
ある聖書学者が、その著書で、「聖書は眉に唾をつけて読め」と教えていた。
仏典も、同様ではないのかね。
180神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:28:54 ID:9Twf5OCJ
>>173
>しかし、そのような広い括りで良いのかな?

そこまで広くはないと思います.
三・四法印を目安にすれば,インドではかなり特異な非正統的思想ということになるし,
ましてや世界各地の宗教思想と被るとも思えません.

問題は,三・四法印の外延的な広さではなく,解釈の多様性です.

>>174
>仏教かどうかは以上を参考に自分で判断すべきものと思われます。

客観的な基準が立てられない以上,
個々人の「私はこれを仏教だと思います」という決断主義的な判断は重要でしょう.

ただその結果,明らかに仏教徒は見なせないものを仏教だと言う人も出てくるでしょうし,
一個人の仏教の定義が,他の人の考える定義と明らかに矛盾するという事態も生じるでしょう
181神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:40:24 ID:9Twf5OCJ
>>178
>竜樹の卓越した頭脳を経由していない原始仏教は、単なるカルト宗教に過ぎず、無価値・有害。

できれば,何かテキストを挙げて具体的に説明してくれますか?
例えば,アーガマに説かれる事柄が,中論に説かれることに比べて劣っていることを,テキストを挙げて説明して下さい
182神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:42:24 ID:DGZk2BrX
>>154さん(セブンさん)

>>166に対する反論をお願いします。釈迦が「真実には無明の凡夫」であったかどうかは、
重要なことですからw。
183神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:44:07 ID:5/dTS5xw
>>180 
>三・四法印を目安にすれば,インドではかなり特異な非正統的思想ということになるし,
ましてや世界各地の宗教思想と被るとも思えません.

これは同意。

>一個人の仏教の定義が,他の人の考える定義と明らかに矛盾するという事態も生じるでしょう

ここが問題なんだよな。
「仏教」を個人の認識に判断をゆだねると、明らかに仏教と異なる説をとなえる者に
対して「それは仏教ではありませんよ。」との反論ができなくなる。
常に「それは『あなたの認識による仏教』でしょ? あなたの説を支持する
宗派だけが仏教では、ありませんよ。」 との反論が付いて回る。
(まあ、だから『仏教系宗教』が、たくさん生まれることになるのだろうが)

ある程度の客観性をもった、ガイドラインというものが設定できないものかね?
184神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:49:26 ID:4NWLTT88
>>182
回答済み。自分で過去ログ漁れ。
185神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:55:55 ID:4NWLTT88
>>183
>ガイドライン
たとえば、実際の事例を探すなら、
禅宗は(おそらく禅宗と言っていいだろうがw)チベット中観に論破されてたような気がするが?w
で、当時のチベットの治政側は、勝った方を受け入れ、大蔵経の整備が始まったんじゃなかったっけ?
違ったか?w


この時の勝敗の基準取りは、参考になるんじゃないかな?
(ワシはその辺やってないんで、(そっちが専門のwww)縁起馬鹿にでも聞いて味噌w)
186神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 23:58:03 ID:9Twf5OCJ
>>183
>明らかに仏教と異なる説をとなえる者に対して「それは仏教ではありませんよ。」との反論ができなくなる。

反論しなくていいと思います.
キリスト教と仏教を混同するレベルの人なら最初から相手にするだけ無駄ですし,
教学的な微妙な解釈を巡って仏教か否かを巡るレベルなら,
いくらでも抜け道が考えられるので,むしろ反論する方が間抜けだということになります.

>ある程度の客観性をもった、ガイドラインというものが設定できないものかね?

無理でしょうね.
仏教という概念の歴史性と,宗教思想の解釈の多様性を鑑みれば,
そんな基準を立てることは不可能でしょう
187神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:02:44 ID:h1WVj6zD
>>186
>最初から相手にするだけ無駄ですし
>むしろ反論する方が間抜けだと

それが、オウムの発展&凶行を許したということを忘れるな。ボケが。
188神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:02:57 ID:jZ3imQPM
>>181
例えば、スッタニパータの「すべて」がそうでしょう。

ダニヤの章については、前レス>>166、その他で述べたとおり。

釈迦は「縁起・空・中道」を説いたが、その「原理的内容」については、理解していない。
例えば、「これがあるから、あれがある」では、単なる実体間の因果関係で、「空」ではない。
「中道」では、両端に実体を前提とするから、その両端の間のどこをとっても「空」にはならない。

いずれも、竜樹が、中論の頌で的確に分析・批判し、解明しているところです。

竜樹の「相互依存性・関係性」の原理の発見により、初めて「空の論理」が成立したのです。

釈迦は、神や涅槃の存在を語っているが、彼の「世界を空と観ぜよ」とは、真っ向から論理矛盾
しています。
189神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:06:56 ID:xDL7u4VX
日本以外の仏教国では仏教界が新興宗教対策していたりしますか?
190神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:11:33 ID:dRy+0r3c
>>187
>それが、オウムの発展&凶行を許したということを忘れるな。ボケが。

それは寺関係者や仏教学者の仕事ではありませんよ?
そしてここでの話は純粋に理論的な問題です

>>188
>例えば、スッタニパータの「すべて」がそうでしょう。
>釈迦は、神や涅槃の存在を語っているが、彼の「世界を空と観ぜよ」とは、真っ向から論理矛盾しています。

では,その「全て」の中の一文でいいので,中論の内容と明らかに矛盾している箇所を,ちゃんとテキストを挙げて説明してもらえますか?
一箇所・一文だけで構いませんよ

>例えば、「これがあるから、あれがある」では、単なる実体間の因果関係で、「空」ではない。
>「中道」では、両端に実体を前提とするから、その両端の間のどこをとっても「空」にはならない。

実体とは何ですか?
「実体」の原語(サンスクリットかパーリ)を教えてもらえますか?
また,あなた自身は「実体」をどのように定義されてますか?
191神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:13:45 ID:h1WVj6zD
>>190
>それは寺関係者や仏教学者の仕事ではありませんよ?
てめぇも不説と一緒か。反吐が出るぜ!
192神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:16:29 ID:YKTJoGRA
>>186
>キリスト教と仏教を混同するレベルの人なら最初から相手にするだけ無駄ですし

ならば、キリスト教と浄土真宗との「本質的相違」を、具体的に述べて
ください。あなたには、出来ますか?やってること(絶対神や精神性へ
のあくなき執着)は、全く同じではありませんか。
193神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:16:53 ID:dRy+0r3c
>>191
仮に「オウムが仏教ではない」ことを寺関係者や仏教学者が指摘したとして,
「オウムの発展&凶行」が止められたのですか?
194神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:19:16 ID:dRy+0r3c
>>192
>ならば、キリスト教と浄土真宗との「本質的相違」を、具体的に述べて

例えば,キリスト教では一般に神は世界の創造者ですが,
浄土真宗の想定する阿弥陀仏は世界の創造者ではありませんよね?
195神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:23:25 ID:EB5K7e+2
>>184
回答はなされていない。原始仏教では、回答は不可能なはず。

「聖と俗」「勝義と世俗諦」など、陳腐で、現実上の根拠皆無な回答
ではダメですよw。
196神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:48:37 ID:hrgVVGd0
>>190
>そしてここでの話は純粋に理論的な問題です

「純粋に理論的な問題」だから、今でも批判できないのでしょう。批判すれば、
すべての宗教に、そのまま跳ね返ってくるからです。

>「実体」の原語(サンスクリットかパーリ)を教えてもらえますか?
>また,あなた自身は「実体」をどのように定義されてますか?

死語であるサンスクリットやパーリに時間を浪費するような暇人ではありません。
現代の数ヶ国語の勉強だけでも精一杯です。

「実体」とは、「相互依存性・関係性」の産物ではなく、自性を有し、従って、
執着の対象になりうるもの。釈迦や仏典や「神」がそうでしょう。

なお、仏教者なら、スッタニパータや中論はご自分で完全に読み、理解し、批
判してください。批判のないところには、理解はありません。私は、いかなる
「人為的」宗教も信じていない無神論者ですから。
197神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:52:27 ID:h1WVj6zD
>>195
んとに、しょーのない奴っちゃな・・・w

昼飯に、
ハンバーグランチを食べる人がいてもいいし、山菜うどんを食べる奴がいてもいいってこったw
で、お釈迦さんは、「うどんの方がメリットが多いよ」と発言しただけさw

で、ハンバーグを選んでもいいし、うどんを選んでもいい。
で、『もし、もし、真に「苦の滅」を望むなら、行じてみなさい』と助言をしているだけさw
別に仏教を選ばなくてもいい。 涅槃を望まなくてもいい。


同じことを過去何度も書き込んでるんだけどなぁ・・・w
この辺の機微が解らんかなぁ・・・w  (^^;
198神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:54:05 ID:nIw9EQb2
>>185  >>183のID:5/dTS5xw だが、

禅宗は(おそらく禅宗と言っていいだろうがw)チベット中観に論破されてたような気がするが?w
で、当時のチベットの治政側は、勝った方を受け入れ、大蔵経の整備が始まったんじゃなかったっけ?

ほ〜、これは知らなかった。

>>186
>反論しなくていいと思います.
キリスト教と仏教を混同するレベルの人なら最初から相手にするだけ無駄ですし,
教学的な微妙な解釈を巡って仏教か否かを巡るレベルなら,
いくらでも抜け道が考えられるので,むしろ反論する方が間抜けだということになります

ここは、ちょっと待っただな。
「キリスト教と仏教を混同するレベルの人」とは言えないまでも、仏教の教義を誤解して
いる人もいるわけだろ?例えば、一つの例として「仏陀は明らかにアートマンを是認して
いた。」と主張する者に、「それは仏教の教義とは異なりますよ。」と指摘することは
間違いであると言うわけか?
199神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:56:30 ID:h1WVj6zD
>>198
>例えば、・・・・・・間違いであると言うわけか?

クリリn・・・ もとい、宝珠のことかぁー!www
200神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 00:57:48 ID:dRy+0r3c
>>196
>なお、仏教者なら、スッタニパータや中論はご自分で完全に読み、理解し、批判してください。

私は仏教徒ではありませんし,批判もしてませんよ?
質問をしてるだけです.

>例えば,アーガマに説かれる事柄が,中論に説かれることに比べて劣っていることを,テキストを挙げて説明して下さい

という質問に対して,

>例えば、スッタニパータの「すべて」がそうでしょう。

と仰っているので,たったの一文でいいから具体的にテキストを挙げて説明してくれませんか?と聞いているだけです.


また,追加で質問なのですが,
>「実体」とは、「相互依存性・関係性」の産物ではなく、自性を有し、従って、
執着の対象になりうるもの。

というようにアーガマで説いている箇所を教えてくれませんか?
一箇所だけで構いませんので



201神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:11:38 ID:VtBZR/8I
>>192
それにしては、スッタニパータでは、釈迦はうどんの勧めすぎ。そして山菜であるダニヤを否定した。

「行により苦が消滅する」ことは、何ら証明されていない。つまり「虚言」。

早い話が、釈迦は、現代で言えば、押し売り、詐欺師、カルト教祖、霊感商法である。口先巧みに、
うどんを食わざるを得ない心理状態に陥らせる。「騙された」と気付き、怒ることが一生できない
点で、押し売り、詐欺師よりはるかに悪質。
202神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:12:10 ID:dRy+0r3c
>>198
>一つの例として「仏陀は明らかにアートマンを是認していた。」と主張する者に、
 「それは仏教の教義とは異なりますよ。」と指摘することは間違いであると言うわけか?

いえ,間違いとか間違いじゃないとかいう話ではないです.
指摘したければすればいいですが,キリスト教と仏教を混同する人に何を説いても理屈が通用しないだろうという意味で,「相手にするだけ無駄」と言ったのです.

アートマンを巡る問題は,むしろ後者の教学的に微妙な話です.
釈尊が「アートマンが存在しない」と本当に考えたことのか言われれば微妙な問題です.
もちろん一般論としては,釈尊は無我と答えた,でいいと思いますが,教学上の問題には抜け道が作られうるので,対立意見が出ると泥沼試合になりかねません.

テキスト解釈をめぐって,文献学者が議論するなら結構ですが,素人が泥沼試合をしても滑稽なことになるだけでしょう.
203神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:22:23 ID:nIw9EQb2
>>202 ん?
>テキスト解釈をめぐって,文献学者が議論するなら結構ですが,素人が泥沼試合をしても滑稽なことになるだけでしょう.

お宅が>>190 や >>200 で述べているのは、「テキストの解釈」と
違うのかな?
204神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:22:26 ID:jbrZn0aI
>>200
あなたもそうだと思うが、宗教や思想の本は、最初の数ページを読めば、
言わんとすることは、把握できるはずですよ。ダニヤの章を読んだだけで、
それに気付かないほうがおかしい。

「実体」については、中論の頌を読めば、自明でしょう。そんなに興味が
あれば、ご自分で通読してください。
205神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:28:46 ID:dRy+0r3c
>>203
一応,私は文献学者ですから

>>204
>ダニヤの章を読んだだけで、
>中論の頌を読めば、

読んでますよ?
パーリは苦手なのですが,中論はサンスクリットで読んでますよ?
でも,あなたの仰ることがよく分からないんです.
教えてくれませんか?

>例えば、スッタニパータの「すべて」がそうでしょう。
なのですから,一文くらい挙げてくれませんか?
206渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/15(月) 01:33:53 ID:LEvyt7cP
>>159
 非常に根本的で大事な問題ですよね。これにきちんと答えられなければ、
仏教徒とは言えないですね。

 無明解決の実現を目指し、そのための行動を起こし、実績が残せる運動体、こ
れが仏教でしょう。
 お釈迦様は、十二因縁の法則で迷いの根本は無明にあると発見してくださった。
無明解決のために、四諦、八正道、中道を明らかにしてくれた。これが仏教の原
点である。無明を解消しよう。お釈迦様の提案に賛成し、お釈迦様と思いと行動を
共にする人々、それが仏教徒だ。これは、南伝仏教も、チベット仏教も同じだ。大
乗仏教も同じだ。

 無明とは何か。無明の概念には多少の揺れがあるかもしれない。しかし、僕ら
はそれを、むさぼりといかりとおろかさだと教わってきた。僕らの先人達はそう教
えてくれている。むさぼりをなくそう。いかりをなくそう。おろかさをなくそう。そうす
れば人は迷いから開放される。その道に努力する人々、それが仏教徒だ。

 むさぼりといかりとおろかさはどうすれば解消するのか。ルールを守ろう。有形
の真理と無形の真理をしっかり学ぼう(三学)。こう提案するのが仏教です。

 この原則から外れる考えは仏教ではない。
207神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:34:09 ID:waxGrOZw
>>205
あなたが原始仏教に嵌っていれば、いくら文章を挙げても無駄でしょう。

妄想患者とは、目の前に事実を突きつけても、絶対に認めることが出来ない
人間のことですから。
208神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:35:16 ID:h1WVj6zD
>>205
>一応,私は文献学者ですから

ワロタwwwwwwwwwwwwwww
とても、そうは見えんなw

なんか、縁起馬鹿が良識的に見えてきたよwww
209神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:36:40 ID:nIw9EQb2
>>205 なるほど、これは珍しい人が現われたな。

「仏教徒ではない、パーリが苦手な仏教文献学者か」
一つ聞いても、いいですか?  素人なもんで。
パーリが苦手でも、仏教文献学者になれるものなんですか?
210渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/15(月) 01:45:59 ID:LEvyt7cP
>>201
 スッタニパータにおかしな事は書いてないと思うけどね。
211神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:47:26 ID:4Jm5BSSE
>>206
時代も全く異なる大昔の1個人や経典にむさぼりつき、仏典の解釈に迷い抜き、
それらを批判されれば、あたかも自分の人格が否定されたと感じ、感情的に激
昂するあなたがた一部の仏教者こそ、まさに「無明」の典型ではありませんか。
212神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:52:02 ID:dRy+0r3c
>>207
>あなたが原始仏教に嵌っていれば、いくら文章を挙げても無駄でしょう。

先ほども言いましたが,私は仏教徒ではないですし,「原始仏教に嵌って」もいませんよ.
ですから,あなたの指摘するタイプの人間ではありませんよね?
なので,質問に答えてくれますか?

>>208
>とても、そうは見えんなw

そうですか
勿論信じる必要などありませんよ

>>209
>パーリが苦手でも、仏教文献学者になれるものなんですか?

私は自分が仏教文献学者とは言ってませんよ?
インドの古典文献学者ではありますが.
ちなみに,パーリが苦手な仏教文献学者なんて腐るほどいますよ.
専門分化している時代なので.
213渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/15(月) 01:52:04 ID:LEvyt7cP
>>211
 無明解決の方法論はお釈迦様が完全に完成してくれた。お釈迦様が完成してくれたそ
の方法を守れば、2千年前でも無明は解決した。千年前でも解決した。現代でも解決す
る。千年後でも解決する。それだけの話だと思いますよ。
214神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 01:53:26 ID:h1WVj6zD
>>209
残念だが、なれるw

なぜか。
仏教文献はパーリだけではないし、
寧ろ、SktやTib、或いは中央アジア言語の方が重要性では若干高い。
また、仏教の(教理確立後の)教義はBSk(略し方合ってたかな?)での考察の方が早いし、
また、もし仏教文献専門でなく、インドの伝承(各種文献)をやる者なら、Skt一本でもおかしくはない。

現に殆どは、(実際に誰がどうとかは知らんがw)、
Pali、Skt、Tib、漢訳、或いは古代インド俗語、中央アジア言語各種のうちの幾つかはできる、ってだけだと思うよ。
全部できる人間は稀だよw (だから中村さんは偉大だと言われるwww)
215神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 02:01:47 ID:nIw9EQb2
>>212 
>私は自分が仏教文献学者とは言ってませんよ?
インドの古典文献学者ではありますが.

これは早とちりしました。
「インドの古典文献学者」でしたか。
これまた貴重な人が現われたもんだ。

一つ、お聞きしたいが、
「初期原始仏教経典にヒンドゥー、バラモンの教義の混入の痕跡というものは
顕著に認められるものなんですか?」

216神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 02:05:23 ID:IfVzGe8r
>>210
初めから有難がって読むのなら、すべてが有難く見えるものですw。

それが、宗教による「洗脳」と云うものです。

ダニヤの章を読んだだけで「こりゃーダメだ」と気付かなければ、人間
界の真実、大乗起信論がいみじくも見出した「真如としての衆生心」に
は盲目になっている、ということです。

スッタニパータは、人に関して、「正しい」「賎しい」などという抽象語
を使うばかりで、その判断の具体的基準は、何ら示しえてはいない。
「生きとし生けるものに幸いあれ」と言いながら、「人間差別に満ちている。
「貧しい人は幸いである」と言って「人間を差別した」、イエスと同じで
ある。
217神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 02:10:45 ID:dRy+0r3c
>>215
>初期原始仏教経典にヒンドゥー、バラモンの教義の混入の痕跡というものは
 顕著に認められるものなんですか?

私は初期仏教の専門家ではありませんから,確実なことは言えませんが,
研究者間では,ヴェーダ・ウパニシャッドの思想が
仏教の形成に強い影響を与えたことは間違いないと考えられています.

類例は枚挙にいとまがありませんが,
禅定についての話や,梵天勧請の話など,アーガマの至る所に古来の宗教の影響が見られます.
218神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 02:12:32 ID:dRy+0r3c
>>216
IDがころころと変わっていますが,文体や内容から同一人物ですよね?

質問に答えてくれますか?
よろしくお願いします
219神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 02:19:17 ID:nIw9EQb2
>>217 なるほど。
あなたが初期仏教専門ではないとのことなので、答えられる範囲でいいんですが
「研究者の間では、当然、釈迦独自の思想とその他の、後代の混入物との
識別を行うと思いますが、その識別基準とは如何なるもので、何を最も
重視しますか?」例えば、その資料の成立年代、教義の整合性など。
220神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 02:27:25 ID:dRy+0r3c
>>219
>釈迦独自の思想とその他の、後代の混入物との識別を行う

本気で「釈迦独自の思想」を明らかにしようなどと考えている研究者は,現在ではむしろ少数でしょう.
方法論的な限界以上に,テキスト自体の限界があるからです.
文献学者にできることは,せいぜい,どの教説がより古層に属するかを調べることくらいです.

方法論としては,文献学者ですから,文献のテキストクリティーク作業が第一になります.
その際に,当然,諸文献間の異同を調べることが重要ですが,
そこでの異同の判別は,教説の古さを判断するのに特に重要な判断材料だと思います.
221神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 02:42:59 ID:nIw9EQb2
>>220
>文献学者にできることは,せいぜい,どの教説がより古層に属するかを調べることくらいです.

これは驚いた。資料の新旧など、粗方、確定しているものと思ってましたが。

それでは、ひとつ。
「釈迦の説いた因果論というのは、後代のような詳細なものではなく
非常にシンプルなものであった(十二縁起も釈迦没後の作という説も
あるそうですな?) という説がありますが、これは文献学者の間では
定説と言えるようなものなのですか?」
222神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 03:06:48 ID:dRy+0r3c
>>221
>釈迦の説いた因果論というのは、後代のような詳細なものではなく
 非常にシンプルなものであった(十二縁起も釈迦没後の作という説も
 あるそうですな?) という説がありますが、これは文献学者の間では
 定説と言えるようなものなのですか?

定説とは言えませんが,大方そのように考えられているようです.
十二縁起説自体は長阿含經などに既に出てきますが,
アーガマの成立自体が比較的新しいので,確実なことは言えません.

ただ,縁起説については,三支や四支、五支、九支、十支などのものもあるため,
恐らく,十二縁起などは後代に整備されたものだと考えられています.

夜も遅いのでデニーズで勉強してきます.では
223机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 07:47:44 ID:qepREgjv
>>168
>と、すると「真言宗は仏教とは言えない」との認識かな?
以前からの疑問だ。というよりも、多くのものも
>同様な疑問をもつと思うが)

私は禅宗系ですけど、真言宗にはそんなに疑問はもってない。
ただ般若心経の解釈が違うだけ。
(解釈の違いに正邪はない)

禅宗は、色→空→色で世俗還滅で終了ですけど、
真言宗は、色→空→色で、最後の色が如来像。

最後の色が、禅宗と真言宗では全く違った解釈になりますけど、
経典というもんはそういうもんだよ。
どうにでも解釈できるOK牧場。

仏教は基本的に月(真理)はない。ということだよ。
それを前程として“語ちるのが仏教”
これが「仏教の本義」。
224ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 09:08:42 ID:8a+/izVH
懲りない机は嘘ばかり、盲語丸出しw

>禅宗は、色→空→色で世俗還滅で終了ですけど、
真言宗は、色→空→色で、最後の色が如来像。

ひどい、盲語もここまで来ると・・・
ぼったんの域だなw
隠居の言う妄想患者丸出しw

机の禅は盲語禅、
曹洞禅、臨済禅の違いも理解できぬやろなw
臨済禅は否定論法破壊主義と直接実用性、ワイの血祭り魔王キャラもこの路線w
曹洞禅は、机のような盲語、知識、仏教用語を放棄し、細やかな日常生活感覚、ワイの血祭り魔王キャラは封印される域だなw
真言宗も、現在高野山真言宗と元祖真言宗を独学禅定ゾーンで知っているが、
机の盲語のように、色とか、言う訳がないw
「慈悲を根本として、方便を究極とする」、ぐらいは知識だけ君の机は盲語を言わず正確に言ってほしいものだねw
225ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 09:21:03 ID:8a+/izVH
現在の高野山真言宗の極度な弘法大師信仰は、
空海の持ち込んだ真言密教とは異なる、
何度も燃えた辺境の地、高野山が引き起こした、
空海自身は東寺において、真言密教以外を認めず、というスタンス真言原理主義色があったのだが、
なにせ、高野山何度も山火事で燃えるんで、落雷でね、
藤原道長の時代以前は空海の真言原理主義だったんだけど、
藤原道長以降は寺門天台三井寺、その要素をもった仁和寺が高野山で勢力を持ち、
末法思想、阿弥陀浄土教仏教が勢力を持ち、新義の覚鑁が出て高野山は浄土思想の基礎ができる、
これが、現在高野山真言宗の空海信仰、
現在高野山真言宗の空海信仰は、覚鑁らの阿弥陀浄土信仰を追い出すために、阿弥陀の位置に空海を置いた、

禅定面の変化は六大無碍の解釈、
六大と言う物質要素的なものと捕らえるのが元祖真言、東寺、醍醐寺はこの感覚残る、
それに対して、一切の物の無碍に融合感覚で捕らえているのが、現在高野山真言宗の空海信仰の流れ。
226ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 09:22:34 ID:8a+/izVH
恐らく、色とかの仏教用語表現の使い方からして、
机とぼったんは同一人物、
227机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 09:37:44 ID:qepREgjv
>>224
>曹洞禅、臨済禅の違いも理解できぬやろなw

ああ、痛いなぁ。嶺南の猿でも仏性に違いはない。

>真言宗も、現在高野山真言宗と元祖真言宗を独学禅定ゾーンで知っているが、

知ってる。雨乞いしても雨は降らんことくらいは。

>知識だけ君の机は盲語を言わず正確に言ってほしいものだねw

正確に言いますと「方便を究極となす、ならば、盲語も既に真理なり」。
あっあ〜〜っはっは
だから雨が降らんでもいいんだよ。

       <机龍之介・花押>    
228渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/15(月) 09:58:45 ID:LEvyt7cP
>>216
>初めから有難がって読むのなら、すべてが有難く見えるものですw。それが、宗教による「洗脳」と云
うものです。

 アラシは放置というのが2ちゃんねるの原則だが、煽りを前面に出すというのは、呪(まじな)いか。
 「私は根拠のない悪口を、自分のストレスのはけ口として2ちゃんねるで反吐としてまき散らします。私
はストレスの塊です。自分一人ではそのストレスが解決できません。根拠のないことを書く愚かな私を
許して下さい。どうか私を許してそっとしておいて下さい」。こんな前置きか。
 反吐は、自分一人で外の場所で吐いて欲しいものだ。他人への見せ物として、こんな公共の場で吐く
ものじゃない。

 人には幸せな時もある。不幸な時もある。不幸の裏はもちろん、幸せの裏にも、むさぼりといかりとお
ろかさは忍び寄っているものだ。
 幸せであることは大事なことだが、人生で多少の余裕のある今こそ、ルールを守ることと有形の真理
と無形の真理を少しでも学んでおこう。スッタニパータの釈迦はそう言っているのだろう。

 経済的に豊で、愛情に満ちた家庭は数多い。そんな家庭に生まれた子供達も、学校に通って様々な
事を努力しながら学ぶことは大事なことだ。お金もある。愛もある。それならもうそれで十分ではないか。
そういう理屈は成り立たない。ルールと有形の真理と無形の真理とは、人間にとって非常に大事なこと
だ。それは、不幸な人も幸せな人にも大事なことだ。どんなに幸せでも、努力して学ばなければならな
い。余裕のある幸せな内にそれを始めよう。お釈迦様はそう教えているんだろう。
229ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 10:01:23 ID:8a+/izVH
半端な臨済禅的反論、(日常性喪失説得力ゼロの気取り禅用語オナニー野郎w)
>>224
>曹洞禅、臨済禅の違いも理解できぬやろなw
ああ、痛いなぁ。嶺南の猿でも仏性に違いはない。

そこまでいえるなら、偽者盲語の仏教用語知識の垂れ流しを捨てる=仏性
のに徹底しろ!!
盲語チンカス机禅w

<ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長・机盲語禅認定印w>
230ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 10:05:15 ID:8a+/izVH
机の半端な臨済禅的反論、書き込みするくせに、
上記では無分別気取りのサルのつもりらしいが・・
無分別気取りの割には、色とか、
>禅宗は、色→空→色で世俗還滅で終了ですけど、

とか書き込み、実用度を失い、無分別すら失っている自覚がない、
中途半端な説得力ゼロの垂れ流しw

<ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長・机盲語禅認定印w>
231ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 10:17:13 ID:8a+/izVH
>正確に言いますと「方便を究極となす、ならば、盲語も既に真理なり」。
あっあ〜〜っはっは
だから雨が降らんでもいいんだよ。

正確に反論しますと(真言宗的に)
読経に不盲語と、読みます。

<ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長・机盲語仏教知識認定印w>
232机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 10:19:40 ID:qepREgjv
>>230
>とか書き込み、実用度を失い、無分別すら失っている自覚がない、

おそれおります。

>そこまでいえるなら、偽者盲語の仏教用語知識の垂れ流しを捨てる=仏性

禅は知識ではない。
それ以前(知覚認識以前)のカラクリを得る。ということだろう?
そうでなければ縁起は理解できない。
233ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 10:21:45 ID:8a+/izVH
>禅は知識ではない。

そういうなら、
>禅宗は、色→空→色で世俗還滅で終了ですけど、

と知識的に書き込むのかね?
盲語垂れ流し禅机君W

<ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長・机盲語垂れ流し自覚ゼロ認定印w>
234ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 10:26:54 ID:8a+/izVH
机盲語垂れ流し病君は、
「自己にならう」能力がなさそう、
自分を見つめる能力ゼロ、垂れ流ししたい欲動激しい分、自己も忘れられない
バイ道元風、臨済宗的イビリ手法W

<ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長・机自己にならう自覚ゼロ認定印w>
235机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 10:27:29 ID:qepREgjv
>>233
>と知識的に書き込むのかね?

これは、開眼までのオーソドックスなパターン。
一般的にはこれで了解ですが、これ以外のパターンがあるのですか?

貴殿がそこまで仰るなら、例外的パターンを書いてみて下さい。
236ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 10:30:47 ID:8a+/izVH
机盲語垂れ流し病君は、
「自己にならう」能力がなさそう、
自分を見つめる能力ゼロ、垂れ流ししたい欲動激しい分、自己も忘れられない から、
上記に最初に指摘し、224に具体的に提示して書き込んだ文面を読む能力が無い、
自己を忘れられないから、正確に文面を読む能力が喪失したと思われるW

<ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長・机自己を忘るる自覚能力ゼロ認定印w>
237ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長:2010/02/15(月) 10:35:07 ID:8a+/izVH
無形、無分別気取りの反論するくせに、
>これは、開眼までのオーソドックスなパターン。
一般的にはこれで了解ですが、これ以外のパターンがあるのですか?

パターン、形式があるらしいW
なんと不徹底な事よW

<ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長・机言行不一致自覚能力ゼロ認定印w>
238机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 10:35:33 ID:qepREgjv
>>234
>机盲語垂れ流し病君は、
>「自己にならう」能力がなさそう、

自己に習うというのは、分かりやすく言うと、
脳の中枢にまで自己に問い続ける。ってことだよ。

だから、知識ではなく、知識以前。
【知識とは何か】
これを問い続ける。
これが道元の「自己に習ふ」。
239机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 10:39:05 ID:qepREgjv
>>234
>机盲語垂れ流し病君は、
>「自己にならう」能力がなさそう、

ほらほら、これは「自己にならう」じゃ〜ないだろ?

貴殿は何故「机に習う」とるんでつか?
直指人心なるぞえ。
240神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 10:44:34 ID:2dlnZ5yt
センター長様、
>>238 >>239

コピペの

1、かまって頂戴と上から目線オナニー師匠妄想主人公ぼったんオンリー至福による書き込みだけ。
2、強烈な自己愛自己語りが自慢、
3、嘘つき、言行不一致、口先だけ、有言不実行、
4、ごまかす、
5、話をそらす、
6、誠意がない、 反省しない、自己観察ができない、しようとしない、
7、虚栄心だけ、
8、知ったかぶり、
9、質問にキチンと解答しない、
10、理解していない禅語録、無理やり仏教用語に接続し実用性ゼロ禅用語垂れ流し、
11、オナニー的自己満足的カキコが多い、
12、シャブ禅疑惑、
13、仏教用語、禅用語だけで生活と無関係書き込みでオナニー果てる書き込み
14、相手なくとも、オナニー的放出かまってちょうだい心理から書き込みを突然始める
15、禅用語、禅語録のぼったん書き込みとぼったん会話、解答姿勢が不一致

の何番に相当する症状なのでしょうか?
241机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 10:45:48 ID:qepREgjv
>>237
>パターン、形式があるらしいW

長い禅の歴史は、そういった資料もございます。
色→空→色で、間違いございませんですね。
242神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 10:48:29 ID:s/ChDSBH
全部
はらたいらさんに全部ってぐらい全部
というかアンカーつけんでくれ
せっかくNGにしてるのに、ポップアップで見えてしまうじゃないか
243渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/15(月) 11:03:05 ID:LEvyt7cP
>>241
> 長い禅の歴史は、そういった資料もございます。

 昨夜のお師匠さんは長い禅の歴史を勉強しなさいと仰ったんですか?掃き溜めをあさるのは、
ホームレスになってしまってからになさるといいでしょう。
 ホームレスはいかんとか、ホームレスは掃き溜めをあされと言っているんじゃないですよ。

 豆腐を包丁で切ったり、薪を斧で捌いたり、果物をぺティーナイフで切ろうとしてるから、それ
では切れん、と言うておるんです。

 涅槃到達は、もう少しお待ちになったらいかがでしょうか。
244机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 11:16:06 ID:qepREgjv
>>243
すいません。

資料はなかったです。
私の勘違いでしたね。
245渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/15(月) 11:22:14 ID:LEvyt7cP
>>244
> 資料はなかったです。私の勘違いでしたね。

 はて?資料はない?
 そんなことはないでしょう。それなら、改めて、過去の資料を学ばれると
よろしいと思いますよ。
 涅槃到達は、その後にしましょう。
246神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 12:39:56 ID:nIw9EQb2
>>222  昨夜の質問小僧ですが、昨夜は不覚にも先に落ちてしまい、
回答のお礼を述べることができなかったことを、まず、お詫びしておきます。
「仏教徒ではない文献学者」という方は、今まで2チャンでお目にかかった
記憶がありませんので、自分にとっては貴重です。
よろしければ、これからも、お時間のあるときに、「文献学的見解」を
伺いたいと思います。

さて、これは異論ですが、
>>202 
>テキスト解釈をめぐって,文献学者が議論するなら結構ですが,素人が泥沼試合をしても滑稽なことになるだけでしょう

これについては、一言。
このスレには、文献学者ではなく、自ら修行の途にある「仏教徒」たちが
数多くおりまして、それぞれのテーマにつき意見交換(議論)を行って
おります。(本来は質問スレですので、「質問、回答」に限定すべきとも
おもいますが)
その意見交換により、各自が認識の誤りを正し、各自の修行に役立たせる
ことには、「彼らにとっては」それなりに意義のあることと考えます。
私のような仏教徒ではない部外者や、素人同然の初学者、また、専門家顔負け
の知識を有する仏教徒もいることと思います。勿論、文献学者ではありませんが
それぞれが自己の見解をぶつけ合うことは、有意義なこともあろうかと思うのですが?
やはり、それらは「滑稽なこと」にすぎないでしょうか?
247神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 13:00:59 ID:IsXLIetw
>>246
私は逆に文献学者の解釈は、単純で常識に合致する部分は非常に信憑性が高いのですが、
見解の高い部分はほとんど全滅に近いと思ってます。

その例が以前しめしたフラウワルナーの縁起解釈です。

ですから、論理学やアビダルマのような常識に近いものは概ね正しいのですが、
中観となるとかなり怪しく、密教に至っては妄想のオンパレードだと思ってます。

その根本原因は同一対象は必ず一致する本質であるとか、
同一言語記号は同じ意味や対象を指示しているといった、
実在論や本質主義を基盤にしているからと妄想しております。
248神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 13:08:12 ID:dRy+0r3c
>>246
>勿論、文献学者ではありませんがそれぞれが自己の見解をぶつけ合うことは、有意義なこともあろうかと思うのですが?

議論する人達の知性と,議論のテーマによりますね.

文献学的な素養はなくとも,知性的な人同士が議論するのであれば,
教学的な細かな問題ではなく一般論的な議論をすることや,
仏教思想をメタレベルで語ることに関しては,ある程度は有意義な議論が可能でしょう.
また,専門家のテキスト理解に基づいて議論するならば,
素人さんでもテキスト解釈について有意義な議論ができるはずです.

ただ,それは理想論です.

このスレを見ても分かるように,多くの方はテキストを読み解く能力がない方々ですが,
それに加えて残念なことにまともに頭を働かせることのできない人達ばかりです.
論理的な思考はおろか,日本語すらまともに使えない人達が多いですよね.

上で延々繰り広げられているおしゃべりを「トンデモ」だと感じる人は多いでしょう.
はっきり言って,滑稽ですね.
249神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 13:11:34 ID:nIw9EQb2
>>247  縁起一代かな?
言いたいことは分かるよ。もう結構、長い付き合いになるから。(笑)
その勝義視点を全排除することは、勿論、俺はしない。(隠居はするだろうがww)

要はTPOだな。
どちらの視点も重要だと考えるんだよ、俺は。
だから、仏教徒のフィルターをはずした文献学者の意見も、勿論、
真剣に耳を傾けたいんだ。
250神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 13:19:06 ID:pOm58Kvj
>>194
>例えば,キリスト教では一般に神は世界の創造者ですが,
>浄土真宗の想定する阿弥陀仏は世界の創造者ではありませんよね?

旧約聖書では、神は創造主だが、新約聖書では、その統合失調症の症状としての
誇大妄想故に「自分が神になりたかった、なった積り」のイエスは、創造主を
自分の権威付けに「利用した」だけで、実は創造主は邪魔だった。「創造を完成
するために来た」などといっている。これは「創造主は不完全だった」と言っている
のと同じ。イエスには、「創造の結果(あるがままの人間と自然)」に対する
畏敬は皆無である。

このイエスと阿弥陀仏という「絶対的権威」に対するあくなき執着と依存と
いう点で、キリスト教と浄土真宗とは本質的に同じ。
251神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 13:22:54 ID:IsXLIetw
>>249
私も文献学者の実証的文献批判や言語学的分析は大いに助けていただいておりますが、
もっとも重要な部分は往々にして誤っていることが多く、
さらには古代人の非論理とか幼稚さなどと、自分の無理解、無知を棚に上げて
仏教を誹謗中傷している文などは読むに耐えません。
252神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 13:26:45 ID:nIw9EQb2
>>247
>・・密教に至っては妄想のオンパレードだと思ってます。
実は密教(特に空界)については以前から、興味があったので
聞きたいことも、あるのだが、今度、時間のあるときに。

>>248
>議論する人達の知性と,議論のテーマによりますね.
これは「仏教関連」に関わらず、全ての議論の前提事項でしょう。

>上で延々繰り広げられているおしゃべりを「トンデモ」だと感じる人は多いでしょう.
はっきり言って,滑稽ですね.

これについては、はっきり言って、内容を吟味するほど、真剣に読んで
なかったので、コメントは控えます。
まあ、俺の言いたいことは、「確かに下らない論争が多くを占めているのは
わかる。確かにその通りだろう。しかし、『全てを』そのように規定するのは
待ってもらいたい。ほんの僅かかもしれないが、中には貴重な見解に出会える
こともあるのではないか? だから、ひっくるめて「滑稽」と括るのは
どうですか?」と言いたいわけ。99が、くずでも、たった一つ、すばらしい
ものに出あえたら、それで良しと考えるわけなんだ、俺は。
だから、2チャンにいる。(笑)

時間がないので、また夜にでも。
253神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 13:37:35 ID:dRy+0r3c
>>252
>99が、くずでも、たった一つ、すばらしいものに出あえたら、それで良しと考えるわけなんだ、俺は。

「すばらしいものに出あいたい」なら,最初から経典や論書を読むべきです.
あるいは,現代の名のある仏教の修道者たちの書いた本,
また,文献学者の書く論文や解説書を読むべきです.

100あるゴミの中から1つの価値ある文章を見つけるよりも,
ずっと確実で,楽な方法です.
254神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 13:53:51 ID:IsXLIetw
>>253
では、以下のように文献学者の泰斗、フラウワルナーが縁起について分かってないことに示されるような文献学者の根本的無理解を貴方はどうかんがえますか?
私は以下の和訳と英訳してみてませんけど、これで十分でしょう。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004671558
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004671570
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004671579
例えば四諦について「根本的な説法の内容の空虚さには, 仰天するであろう」(2-p.218)とか<「大史詩の哲学」との討究において知ったヨーガの道と, 徹底的な一致を示している」(1-p.173)とか仰ってますが、
これではヒンドゥーと仏教の重要な違いである縁起・無我・空に対する理解が全くないと自白しているのと同じです。

なぜなら、ヨーガ・三昧・禅定による精神集中は、確かにヒンドゥーとほとんど共通するものと思われますが、
重要なのは仏教がそのヨーガ・三昧・禅定による精神集中、つまり、止、シャマタの後に、
縁起観、ヴィパシャナーを観じることで無我・空を悟ることにあります。
縁起観、ヴィパシャナーは、『大品』の冒頭『スッタニパータ』724以下『大本経』に詳細で、縁起法頌に簡潔です。

これは外道の二師のヨーガ・三昧・禅定の境地に満足できない仏伝に暗示され、
その後の長部・中部経典のほとんどに簡潔に説かれ、
後代の論書に明解に外道との違いとして、縁起観、ヴィパシャナーの有無が挙げられることに裏付けられます。
そして、これはテーラワーダ、大乗が時代地域を越えて一致して伝統的に主張するものです。

つまり、これが分からないなら仏教の本質が分かってないといっていいと思いますが、
文献学者でこれを理解している人は非常にすくないし、
縁起についても、無我・空なる因縁が縁起して無我・空なる果と仮設されるとはとらず、
実体的な質料因縁が依り集まって実体的な果となるとか、ただの論理的関係などと捉える人が多いと思いますが、違いますか。
255神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 13:55:19 ID:IsXLIetw
>>253
「すばらしいものに出あいたい」なら、私は聖者を捜すことを勧めますよ。
特にビルマとチベットを。
256机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 14:03:28 ID:qepREgjv
>>253
2ちゃんも出会い、本も出合い、仏教も出会い、
人生は出会いですね。

いろんなモノ、コトに出会いながら大きくなって、
年老いて、そしてやがて人は朽ちて逝く。

虎は死して皮を残す、人は死して戒名を残す。
  
      <和敬静寂>
257神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 14:08:25 ID:bKfI/Qvk
>>218
>質問に答えてくれますか?
>よろしくお願いします

スッタニパータの各章は長いので、引用は出来ないが、ざっと読んでみて、
次のことは言える。

釈迦は、世間がうざくて、家族を棄てて家出した。人間を、自分自身の勝手な
考えで分類して、例えば修道者・聖者は可で、凡夫は不可として、人間を差別
している。「一切衆生の衆生心」に思い至った大乗仏教とは、天と地ほどの
開きがある。
また、煩悩を否定するが、煩悩は生きるために不可欠な、生きていることの証
であることに思い至っていない。
また、その説法により、多くの狂信者を生み出しているが、そもそも、飛びつきたく
なるような「目から鱗」の思想は、常に胡散臭い。人生の真実とは、「他者との
係わり合い中における日々の生存努力」を通して、長い長い期間をかけて、
ゆっくりと熟成されるべきもの。釈迦は、このような生存の努力さえしていない。
釈迦は、すべての根源としての、一切衆生の生命に思い至っていたらず、すべては
自分の厭世観から生じた、自分の苦を免れるという、彼の鬱病の症状としての
「自己中心主義」「自閉症」に過ぎなかった点で、落第である。
さらにまた、バラモン教の強い影響から逃れるてはおらず、到るところで、神や
輪廻転生を前提として語っている。このことがカルトに利用される原因となった。
しかし、彼の言う神は、阿弥陀仏のような絶対神ではなく、人間にとって付属物
であり、また彼には、即物的な要素もある。釈迦の偉大さがあるとすれば、それは、大乗仏教の膨大な体系の確立を可能とした、
何がしかのヒントと与えたことであろう。竜樹も、釈迦の「縁起・空」という
一語にヒントを得て、それを彼の類い稀な頭脳により換骨奪胎して、「空の思想」
を樹立したのである。
258神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 14:13:28 ID:dRy+0r3c
>>254
>フラウワルナーが縁起について分かってないことに示されるような文献学者の根本的無理解を貴方はどうかんがえますか?

一研究者の理解を取り上げて,
それを全ての文献学者の理解のように一般化しないで下さい.

>文献学者でこれを理解している人は非常にすくないし、

そんなことはありませんよ.
あまり憶測でものを言うものではありません.
cinii辺りで,論文を手当たり次第漁って下さい.
あなたの指摘するトピックに関する仏教思想の
オリジナリティや特異性を説く論文は腐るほど存在します.

>縁起についても、無我・空なる因縁が縁起して無我・空なる果と仮設されるとはとらず、
>実体的な質料因縁が依り集まって実体的な果となるとか、ただの論理的関係などと捉える人が多いと思いますが、違いますか。

根本的な誤解があるようですが,文献学者は思想史研究者であって,
個人的な宗教理解を随想的に書き上げる人達ではありません.
その上で例えば縁起説を個人的な理解としてどのように捉えるか,
などということは本質的に文献学の作業とは関わりがありません.

>>255
それには同感です.
真摯な仏教徒であるならば,それが一番でしょう.
259神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 14:21:05 ID:dRy+0r3c
>>257
私はあなたの仏教観をどうこう言うつもりはありません.

私が聞いているのは,>>188

>釈迦は、神や涅槃の存在を語っているが、彼の「世界を空と観ぜよ」とは、真っ向から論理矛盾
しています。

という発言に対して,具体的にどのテキストとどのテキストが矛盾していると考えていらっしゃるのかをお聞きしたい,というものです.
アーガマと中論に内容的な矛盾があるならば,具体的にテキストのどの箇所が矛盾しているのか,後学のために教えて下さい,と質問しているのです.
260机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 14:25:42 ID:qepREgjv
>>259
>釈迦は、神や涅槃の存在を語っているが、彼の「世界を空と観ぜよ」とは、真っ向から論理矛盾
しています。

なるほど、涅槃の存在と・・・空を観ぜよは矛盾してますね。
ここのとこは文献学者に伺ってみたい。というのは
同意です。
261神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 14:30:48 ID:2LFeJ4Al
>>255
>特にビルマとチベットを。

それらは、日本の仏教ではない。あなたは、どこの国の人か?

それらの国々の政治的混乱を見よ。

チベット仏教に嵌った某宗教学者は、「オウムの精神的指導者であった」
として、厳しく批判されている。
262神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 14:37:06 ID:IsXLIetw
>>258
>一研究者の理解を取り上げて,
>それを全ての文献学者の理解のように一般化しないで下さい.

そうですか。日本の仏教文献学者は彼と彼の弟子筋スタインケルナー、シュミットハウゼンなどを崇拝してるように私には見えますが。

>そんなことはありませんよ.
>あまり憶測でものを言うものではありません.
>cinii辺りで,論文を手当たり次第漁って下さい.

一応、縁起関係は一通りみたつもりです。
水野弘元、梶山雄一、村上真完、石飛道子の先生あたり以外は全滅だったと記憶します。
もちろん、私のようなもの管見に及ばないものもあるかもしれませんが。

腐るほどあるなら一つ二つこれだというものをあげてみてください。

>根本的な誤解があるようですが,文献学者は思想史研究者であって,
>個人的な宗教理解を随想的に書き上げる人達ではありません.

これは記号の歴史的差異を記述するのが科学で、記号内容から思想を抽出するのは科学でないというような意見でしょうか。
263渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/15(月) 14:40:38 ID:LEvyt7cP

 ブログ親鸞仏教 止観について議論を進めています。

      www.しんらん.jp
http://www.propatent.jp/WEBLOG-NAME/
264宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/15(月) 14:42:48 ID:Cx42rxav
>>260
>なるほど、涅槃の存在と・・・空を観ぜよは矛盾してますね。
>ここのとこは文献学者に伺ってみたい。というのは
>同意です。

矛盾してるのは、あなた方の勝手でしょうね。
(ここの殆どの皆さん・・・)

仏教の説く法とは現象界の性質のこと。
「空」もまた然り。「涅槃」とは現象界を超越した境地を意味するもの。
涅槃も「空」などと解するから、すべてが論理崩壊するのです。
違いますか?

是非、このことについて、
私も文献学者さんからの見解をお聞きしたいものです。
265机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 14:49:03 ID:qepREgjv
>>264
>矛盾してるのは、あなた方の勝手でしょうね。

私は、涅槃と空は矛盾しているとは思ってません。

折角のネタだから、文献学者に伺ってみたかったのです。
266宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/15(月) 15:02:00 ID:Cx42rxav
>>265
ならいいのですが・・・。

しかし、「涅槃」とは現象界を超越した境地を意味するもの、
とする見解は、あなた方の理解する「中道」には相成れないのでしょう?
私はそういうのは、中道を自己都合で利用してるだけだと見ています。
中道の(正しい)意味じゃない。
267神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 15:11:42 ID:dRy+0r3c
>>262
>日本の仏教文献学者は彼と彼の弟子筋スタインケルナー、シュミットハウゼンなどを崇拝してるように私には見えますが。

フラウワルナーもシュタインケルナーもシュミットハウゼンも優秀な研究者です.
それ以上でもそれ以下でもありません.

>腐るほどあるなら一つ二つこれだというものをあげてみてください。

初期仏教の縁起思想・禅定思想に関してなら,色々とありますが,
平川彰,「縁起思想の源流」
藤田宏達,「原始仏教における禅定思想」
をお薦めします.
どちらも,縁起や禅定に関わる概念の思想史的変遷と,
各思想の仏教的なオリジナリティを説いています.
他にもよい論文は山ほど存在します.

>これは記号の歴史的差異を記述するのが科学で、記号内容から思想を抽出するのは科学でないというような意見でしょうか。

意味が分かりません.
私にも分かる言葉で言い換えてもらえませんか?
268机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 15:15:37 ID:qepREgjv
>>266
>とする見解は、あなた方の理解する「中道」には相成れないのでしょう?

中道が涅槃ですよね。
釈尊は中道を悟って涅槃(有余涅槃)に御入りになったのですからね。

>私はそういうのは、中道を自己都合で利用してるだけだと見ています。
>中道の(正しい)意味じゃない。

中道だから、意味はない。
意味があったら中道ではないから。

だから龍樹は中論冒頭で「戯論の消滅」と書いたわけで、
空思想は、あらゆるカルトを破折できる唯一の思想。
269神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 15:24:34 ID:IsXLIetw
>>267
平川・藤田両先生は優秀で穏健な学者だと思います。
昔、結構、読んだので、とりたてていまさら読む必要性は感じません。
腐るほどあるなら、ご自身でいわれたように cinii でポンとリンクしてください。

それと私は初期・原始仏教中心でなく中観中心なので、
特に中観の縁起についての論文をあげていただけると助かります。

>>これは記号の歴史的差異を記述するのが科学で、記号内容から思想を抽出するのは科学でないというような意見でしょうか。

記述主義とか行動主義といえばお分かりになるでしょうか?
270宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/15(月) 15:34:16 ID:Cx42rxav
>>268
>中道が涅槃ですよね。
>釈尊は中道を悟って涅槃(有余涅槃)に御入りになったのですからね。

意味不明です。
中道とは涅槃に到る修行姿勢(精神態度)のことです。

>中道だから、意味はない。
>意味があったら中道ではないから。

お特異の禅問答ですか?
私は、「中道」と辞書を開けば書かれてあるような解説をいっています。
それを解するから、「中道」という言葉を会話の要所〃で使うことができるわけです。
それを普通に意味というのですよ。

あなたは日常会話ではないの?
〜まっ、あなたとの議論したくて投稿したわけではないので。。。
271神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 15:35:21 ID:dRy+0r3c
>>269
>腐るほどあるなら、ご自身でいわれたように cinii でポンとリンクしてください。
>それと私は初期・原始仏教中心でなく中観中心なので、
 特に中観の縁起についての論文をあげていただけると助かります。

自分より無学な人間に上からものを頼まれて
ご丁寧に答えるほど私はお人好しではないです.
出直してきて下さい

>記述主義とか行動主義といえばお分かりになるでしょうか?

記述主義という言葉は知りません.
行動主義は,心理学の行動主義と,哲学的行動主義の二種類しか知りません.
しかし,それがあなたの御発言と何の関係があるのか分かりません.
272宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/15(月) 15:36:48 ID:Cx42rxav
訂正:>>270
 ×「あなたは日常会話ではないの?」
 ○「あなたは日常会話できないの?」
273宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/15(月) 15:42:31 ID:Cx42rxav
>>271
>自分より無学な人間に上からものを頼まれて

その方もプロを自認(自負)する人だからでしょうね。
274机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 15:44:26 ID:qepREgjv
>>270
>あなたは日常会話ではないの?

中道というのは、ちゃんとした理論体系はある。
ただ私が板にはあまり書かないだけ。

中道というのは無分別・無差別相のことであり。
主客未分であるから、比較対象における「意味」自体が
論理的に不可なのであります。

「意味」というのは、対象化されて、主体における意味、になるから、
そもそも主客未分なら論理的に意味付与は出来ないんだよ。

>お特異の禅問答ですか?

私の書き込みは、ちゃんと法に乗っ取って書いてある。



275神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 15:46:27 ID:dRy+0r3c
>>273
>その方もプロを自認(自負)する人だからでしょうね。

文献学が(特にインド哲学や仏教思想の古典研究が)思想史研究であると
言われてよく分からないのであれば,絶対にプロではありません.
276机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 15:56:24 ID:qepREgjv
>>272法珠氏
私の書いた>>274は理解できましたか?

>中道だから、意味はない。
>意味があったら中道ではないから。

これ↑が理解できた?
277神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 16:00:05 ID:IsXLIetw
>>275
いや、貴方とはもう話しても意味ないでしょう。
その浅薄な学問で慢心しているようでは。
278神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 16:07:09 ID:dRy+0r3c
>>277
慢心していませんよ.
自分より優秀で博学な人間もいるし,自分より無学な人間もいるという
当たり前の事実を認めているだけです.
また,仏教の修道者を尊敬している一方で,私は仏教徒ではないという事実があるだけです.
279宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/15(月) 16:36:48 ID:Cx42rxav
>>277-278
どうか、お二方共に穏やかにお願いします m(__)m
お二方は皆さんが勉強になることを投稿できるのですから。
閲覧している皆さんも楽しみにしていますので。

またドキドキウェーブで胸いっぱいになってからお願いします Y(^^)
280神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 16:39:28 ID:IsXLIetw
>>278
そうでしょうか。貴方は始めから学者だから自分の方が博識であるという慢心で話しています。

まず、これは私がなぜ、諸論文を読んでないと断定できるのでしょう。

>>258
>>文献学者でこれを理解している人は非常にすくないし、
>そんなことはありませんよ.
>あまり憶測でものを言うものではありません.

つまり、貴方が「憶測でものを言」っているだけのことです。
なぜなら、私は原典によって「文の真偽を鑑定し、証拠に基づき文を確定する」文献批判を経て、
「文を正しく理解しようという」文献解釈作業のもとに縁起の理解を提示したのに、
これはログなどを見れば分かることですが、もちろんそんなことは貴方はしませんね。

最終的にこのような発言をされるわけですし。

>>271
>自分より無学な人間に上からものを頼まれて
>ご丁寧に答えるほど私はお人好しではないです.
>出直してきて下さい

要するにオレ様が教えてやるから、身を低くして教えを乞えと言っているわけですね。
これが慢心でなくてなんなのでしょう。
281神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 16:43:26 ID:IsXLIetw
しかも、貴方は一つも根拠も論理も示してないですね。
ただ学者という権威によって自分の発言が正しいとしているだけです。
これでは貴方の吐いたこの言葉が、そのまま頭に降りかかるでしょう。

>>248
>論理的な思考はおろか,日本語すらまともに使えない人達が多いですよね.
>
>上で延々繰り広げられているおしゃべりを「トンデモ」だと感じる人は多いでしょう.
>はっきり言って,滑稽ですね.

ネットのいいところは匿名性のもとに平等に先入観なく話せるところにあると思いますが。

貴方は全く逆ですね。
282神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 16:47:18 ID:IsXLIetw
>>279
うらら!
2831/3 セブン:2010/02/15(月) 16:57:53 ID:h1WVj6zD
>>220を踏まえた上で)
>>219
だから、最終的には「内容の吟味」(【何が、仏教と(釈尊の教えだと)見做せるのか?】という考察)
が不可欠となるのです。
そしてそれは、教えの通りに行じてみて(或いは(自信の心の様相を)観察して)初めて、
「ああ、そうだ」と首肯し得るものとなるのです。
また、歴史的推移は、そのまま無常なる縁起の一側面でもあるので、
文献上の差異は、誤記誤解だけでなく、伝承の一形態でもある(【全てではない!】)、と見るものだろう。
*(ここを、縁起馬鹿は強調しているのです。師の大切さもここにあります。
 彼が文献学に冷やかな理由(文献学の限界を口酸っぱく指摘する理由)はここにあります。
 文献の上っ面(=文面)だけでは見落とす部分もあるわけです。
 仏教文献で言えば、『差異・類似の抽出及び古層の絞込みの後』、
 a:『〈古層が正しく、新層は尾ひれである〉との断定』、或いは
 b:『〈新層は外部思想の混入である〉〈新層は脚色である〉という読み』、或いは
 c:『〈(上記を承けながら)文献上の言語学的差異が、そのまま内容(意味・意義)の差異である〉という読み』、
 d:或いは逆に『〈類似・相似表現はその語・言い回しの類似そのままに、内容(意味・意義)の類似・相似である〉との読み』、
 e:或いはまた『複数種の差異から、〈どれか一つのみが正しく、他は誤記・誤解である〉と内容を一意に定めること』、
 などなど。
 あまつさえ、z:《〈差異抽出&新古判別のみで良しとする〉のは、内容(意味・意義)が見えていないからだ》、と。)
2842/3 セブン:2010/02/15(月) 16:59:58 ID:h1WVj6zD
彼によれば、
《aは歴史的推移を伝承と見ない姿勢》
《bは現代の知見・常識を、無反省に、躊躇なく当てはめる行為、或いは誤読による別概念の注入》
《c・dは「言語・文字という指示媒体は、その背後に指示通りの本質を有す」という本質論(?)、実在論的視点である》
《eは上記のような「本質の想定」と「変遷は誤解・曲解の歴史である」という立場による「内容(意味・意義)の切捨て」となる》
と・・・。
勿論、これらの殆どは『文献学的手法』としては、別段おかしなものではない。
寧ろ、『それこそが、文献学である』とも言い得るかもしれない。>>275に思想史研究という言葉が出たように・・。
それは、『文献上の変遷から思想の変遷を炙り出す作業』と言ってもいいだろう。

そうした作業あればこそ、2500年前一人の人物が唱えそして継承されてきた「おしえ」を、
我々は(実に多くの者が)それに触れ、各々何がしかを受け取ることが出来る。
彼も、そうした近代仏教学の成果を否定はしないだろう。
ただ、功罪相半ばしていると指摘しているのだと思われる。
あまりにも無頓着に、現代常識で仏教を捉えていないか?と。

そして、なぜ、彼がこのような(或る意味「原理主義的な」)スタンスを強調し、
頻繁に横槍を入れるかと言えば、彼が「仏道」の途上にいるからだろう。
だとすれば、ID:dRy+0r3c氏に異議申し立てもしたくなるだろうし、氏の態度にカチンとも来るだろうw
2853/3 セブン:2010/02/15(月) 17:02:19 ID:h1WVj6zD
文献学は、どうしても言語(文字)至上主義になりがちだし、確かに仏教は言語(表現)を重んじる。
が、それは、《文字或いは言語を固定化し(その背後に本質を想定し)、それのみが真実であり、
諸行が無常であるということ、「縁起」という世界観をぼかしてしまう危険性》を含む。
私は、彼の書き込みスタンスはそうした注意喚起である、と今は観ている。
彼とも長い付き合いになるし、今では、彼のスタンスや主張をかなり理解してきていると思うw
 ※ちなみに、過去の様々な仏教系スレをたまに振り返ってみると、あちこちに姿が見えるw
  (歴史的釈尊という言い方に楔を打ち込む彼らしく、まさに、そこここに彼は存在するw)



分類外道、分析外道等の称号を頂戴してはいるがw、
上記が合っているかどうか、適切かどうか、言い得ているかどうか、
あまり自信はないw

また、所詮素人だからねw 用語や解説で間違っているところも多々あろう。
御容赦を願う。 スレ汚し失礼した。  >>ALL
286神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 17:03:57 ID:dRy+0r3c
>>280,281
あなたの発言の意図は一貫しています

>私は逆に文献学者の解釈は、単純で常識に合致する部分は非常に信憑性が高いのですが、
 見解の高い部分はほとんど全滅に近いと思ってます。
>もっとも重要な部分は往々にして誤っていることが多く、
 さらには古代人の非論理とか幼稚さなどと、自分の無理解、無知を棚に上げて
 仏教を誹謗中傷している文などは読むに耐えません。
>献学者の泰斗、フラウワルナーが縁起について分かってないことに示されるような文献学者の根本的無理解を貴方はどうかんがえますか?
>つまり、これが分からないなら仏教の本質が分かってないといっていいと思いますが、
 文献学者でこれを理解している人は非常にすくないし、

つまり,文献学者が正しい仏教理解を持っていないという意図の発言です.

私の発言の意図も明確です.
一部の研究者についての見解を,全ての研究者についても当てはめるような「過剰な一般化はやめなさい」という発言です.
あなたの発言に対する具体的な反例として,こんな論文がありますよ,という論文を提示しました.
287神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 17:04:54 ID:dRy+0r3c
>>280,281
>まず、これは私がなぜ、諸論文を読んでないと断定できるのでしょう。

そんなことは言っていません.
しかし,あなたが文献学者ではないことは確かです.
文献学が思想史研究であるという旨の発言の意図が理解できない時点で明らかです.
実際にあなたは,諸テキストの異同を調べたり,サンスクリットとチベットを対照したり,テキスト読解のためにパラレルを探したりしたことはないでしょう.
(もしこれが私の誤解であれば謝りますが)
そのレベルの方に,上から目線で教えろと迫られて,教える気にはなれません.

>なぜなら、私は原典によって「文の真偽を鑑定し、証拠に基づき文を確定する」文献批判を経て、「文を正しく理解しようという」文献解釈作業のもとに縁起の理解を提示したのに、
>しかも、貴方は一つも根拠も論理も示してないですね。

あなたはそんなことをしていません.
ですから,私もそれに答えるようなことはしていません.
テキスト解釈をするなら,具体的な原典を出して解読作業をする他に方法はありません.
それがしたいなら別に構いませんよ?

その場合は,互いにテキストを訳し合って,検討することになるでしょう.
中観が専門というなら,中観のテキストを具体的に出して下さればいいですよ?
サンスクリットでもチベットでも結構です.
どんなテキストを読むかはお任せします.
一緒に読みたいというなら読みましょう.
その場合,どんな目的で読むかも決めた方がいいでしょう.
288神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 17:17:35 ID:IsXLIetw
>>286
>つまり,文献学者が正しい仏教理解を持っていないという意図の発言です.

違います。以下のように始めから全否定ではなくほとんどと言ってます。

>>247
>私は逆に文献学者の解釈は、単純で常識に合致する部分は非常に信憑性が高いのですが、
>見解の高い部分はほとんど全滅に近いと思ってます。
>ですから、論理学やアビダルマのような常識に近いものは概ね正しいのですが、
>中観となるとかなり怪しく、密教に至っては妄想のオンパレードだと思ってます。

ですから、反証を一つ二つだしてもなんの論拠にもなりません。
自分でいった腐るほどある cinii でほらこれもこれも正しい縁起理解だとちょっとやそっとで示せない。
つまり、ほとんどが実体的縁起理解なんです。

それよりもほんとに学者なら自分で梵パ蔵漢に訳をつけて論証してみたらどうでしょう。
学者なら、ちょろっとできるはずです。それを観れば貴方がどれぐらいの能力なのかも直ぐ分かりますし。
289神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 17:24:56 ID:dRy+0r3c
>>288
>つまり、ほとんどが実体的縁起理解なんです。

実体とは何ですか?
原語として何を想定しているのでしょうか?
dravyaですか?
実体の原語と定義を教えて下さい.

>それよりもほんとに学者なら自分で梵パ蔵漢に訳をつけて論証してみたらどうでしょう。

何を論証するのですか?
具体的なサンスクリットかチベットのテキストを出してもらえますか?
文脈が分からないと訳すのが難しいので,単文をぽんと出したりはしないで下さいね.

ただ,パーリは勘弁して下さい.
私は初期仏教の専門家ではないので
290神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 17:32:18 ID:IsXLIetw
>>287
>実際にあなたは,諸テキストの異同を調べたり,サンスクリットとチベットを対照したり,テキスト読解のためにパラレルを探したりしたことはないでしょう.

その程度のことならしてますよ。だから慢心なんですよ。

以下、私の 2ch. 関連の過去のものです。

http://www28.atwiki.jp/buddha/

貴方が、誤りを指摘するのは簡単でしょう。
指摘してみください。



291神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 17:38:32 ID:dRy+0r3c
>>290
>その程度のことならしてますよ。だから慢心なんですよ。

そうですか.
それならば私が間違っていたようですね.失礼しました.

>貴方が、誤りを指摘するのは簡単でしょう。

どの箇所に対して見解を求められているのですか?
指定してくれますか?
292神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 18:17:26 ID:IsXLIetw
>>289

では、おもしろいので、チベット語のテキストです。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/29.html

学者なら10分もあれば訳できるでしょう。

貴方の訳が提示されていれば、
私は20:00頃、私の訳を示しましょう。

293机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 18:46:42 ID:qepREgjv
>>289
>実体とは何ですか?
>原語として何を想定しているのでしょうか?

突っ込みがいいですよね。
たまらんです。
私は個人的には、こういう対論は好きですね。

私は双方応援しちょりますから、ここは遠慮しないで使ってください。

        <一期一会>
294神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 18:49:14 ID:hOaUI0ES
>>292
縁起一代よ、おまえチベット語のテキストなんてどれや?

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・ばっかりや、タマ出さんかい!
295神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 18:54:17 ID:h1WVj6zD
>>294
釣り・・・だろ?w
296神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 19:54:58 ID:IsXLIetw
>>294
ユニコード読めないの?

じゃ、ローマ字でここに書くよん。
手打ちで校正するんで、30分ほどお待ちを。
297神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 20:17:43 ID:IsXLIetw
おまたせ

bzhi pa rdzun la / rdzun phal pa / rdzun chen po / mi chos bla ma'i rdzun dang gsum yod /
dang po ni / gzhan bslu ba'i bsam pa can gyis rang bzhin rdzun du smra ba thams cad dang /
gnyis pa ni / dge ba la phan yod med / sdig pa la nyes pa med / dag pa'i zhing na bde ba med /
ngan song na sdug bsngal med / sangs rgyas la yon tan med zer na de las thu ba'i rdzun rngam po che bshad thabs med pas rdzun chen po zhes bya /
gsum pa ni / sa ma thob par thob / mngon shes med par yod zer ba lta bu /
rang la med pa'i yon tan yod pa ltar smra ba thams cad mi chos bla mi'i rdzun yin /
des na deng sang dam pa las kyang zog po brin pa'i dus su song zhing /
mi thams cad kyang bsam spyod bsgyur sla bas / bla ma'm grub thob tu khas 'che ba kha cig g-yo sgyus gzhan mgo bskor ba lhur len zhing /
lha ngas mthong lha la gtang rag byin / 'dre ngas mthong 'dre la chad pa bcad
zer ba phar cher mi chos bla ma'i rdzun kho na yin pas tsab tsob du zog po bslu brid can la blo mi gtod par / rgyus yod kyi chos pa snyoms chung phyi nang
mtshungs pa la 'di phyi'i blo gtad 'cha' ba gal che /
lar zag bcas kyi mngon shes phran bu 'jig rten pa'i lam du yod kyang de res 'ga'
ba yin pas thig mi thig sna tshogs 'ong / zag med kyi mngon shes ni 'phags pa
sa thob ma gtogs gzhan la med pas de 'dra ba ni shin tu yang dka' 'o //
298神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 20:22:10 ID:IsXLIetw
>>297
げ、段落始めのブランクが飛んで見づらいけど、これでいいかな。
難しいのは一語だけ。それ以外は、蔵漢レヴェルで読めます。
問題は、その一箇所が読めるかで、その文脈を捉えるために必要なのが他の文です。

文献学者先生が、訳を提示したら、私も提示しましょう。
もっとも彼の読みが完璧なら、提示しませんけど。

299神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 20:25:07 ID:IsXLIetw
>>289
>実体とは何ですか?
>原語として何を想定しているのでしょうか?
>dravyaですか?
>実体の原語と定義を教えて下さい.

こういう問いは縁起が全く分かって無くて本質主義であると告白しているようなもんですが、
それについては訳の問題が終わった後で論じましょう。
300ネ申:2010/02/15(月) 23:13:43 ID:4Bk5Merk
言葉に乗る、気持ちを読まれなければ鬼にも畜生にもなるのなら
読経30年座禅面壁30分やってから出直しなさい

30分と30年の違いがわかるようになったら情状酌量を付ける
301神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 23:14:47 ID:1ProzTvl
>>222
>定説とは言えませんが,大方そのように考えられているようです.
>十二縁起説自体は長阿含經などに既に出てきますが,
>アーガマの成立自体が比較的新しいので,確実なことは言えません.
>ただ,縁起説については,三支や四支、五支、九支、十支などのものもあるため,
>恐らく,十二縁起などは後代に整備されたものだと考えられています.

中村氏等は、『経集』4,5章を最古層としておられますが、
文献学的には、そうした最古層に説かれていないことが、そのまま釈尊の直説ではない、
ことを担保するのでしょうか?
(これまでの御発言から察すると否だとは思うのですが)

輪廻については、>>104,>>109と仰っておられます。
そして、十二支縁起について、「定説とは言えませんが」と前置きされた上で、
「長阿含経」を挙げて「後代」と仰っておられるわけですが、
韻文であれば、近似のものが『経集』3章「二種の観察」に、
短文の散文であれば、明確なものとして『相応部』/『雑阿含』「因縁相応」などで、
十二支縁起は繰り返し説かれております。
これらが釈尊の直説ではないと、文献学的には確定可能なのでしょうか?

文献学的には、支分の少ない縁起が古説とする、のだとしても、
そのことは、十二支縁起が釈尊の直説ではない、ということを
担保するものではないと思うのですが如何でしょうか?
302神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 23:16:39 ID:hOaUI0ES
>>291
 便秘か?ハヨ出せや。
  ___
   ,;f     ヽ
  i:         i
  |         |
  |        |  ///;ト,    >>
  |    ^  ^ ) ////゙l゙l;   
  (.  >ノ(、_, )ヽ、} l   .i .! |  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
  ,,∧ヽ !-=ニ=- | │   | .|
/\..\\`ニニ´ !, {   .ノ.ノ
/  \ \ ̄ ̄ ̄../   / .
303神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 23:20:25 ID:7AdspQkT
釈迦が脇の下から生まれただの、天上天下唯我独尊と言っただの
マジで信じてる?
304神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 00:21:16 ID:VofsensQ
文献学者さんは、どうしたのでしょうか?
忙しいのでしょうか?
305ネ申:2010/02/16(火) 00:29:09 ID:Yn3saWZ3
2chでレスする時は
尻の穴をキュッと力入れて締めてないと危険だぞ
306神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 00:50:57 ID:uLbga6uE
>>301
もともと、当初は縁起説は無明→執着→苦程度の簡明なものであって、
必ずしも業報輪廻と直接に 関わる理論ではなかったのですが、小乗仏教の段階で スコラ的に十二縁起として複雑化され、
因果関係に無理やり「業」思想をドッキングさせることで、
恐ろしくも衆生の業報輪廻を説くものと解釈されるように なったのです。

ブッダは人を構成する五蘊のいずれもがアートマンではないとして、これを否定しました。
このときはじめて、人類は、前世や後世につながるしがらみを断った、
現世のみに生きる独立した個人、自己として自立しうる思想的基盤を確立できたのであって、
それは原始商業資本主義勃興の歴史的トレンドに沿ったものでした。
思想的な流れを追っていく限り、ブッダが業報輪廻転生論を批判しても、積極的に説く理由がまったくありません。
小乗仏教によるジャイナ教・ヒンドゥ教の密輸入であって、ブッダ像の歪曲・捏造という以外にありません。

307渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 01:50:58 ID:Fj2FpQop
>>306
>もともと、当初は縁起説は無明→執着→苦程度の簡明なものであって、
 そうだろう。苦も、中村博士は、老病→老病死→生老病死という変遷を仮定している。直感的に
僕もそうだろうと思う。実に自然だと思う。

>業報輪廻と直接に 関わる理論ではなかったのですが、
   多分そうだろう。

>小乗仏教の段階で スコラ的に十二縁起として複雑化され、

 苦を生老病死としてとらえるようになったとき、輪廻論は必然的に生まれたものだろう。苦を生
老病死としてとらえるという考えが先行し、そこから生まれたと考えるのが自然だと思う。

>因果関係に無理やり「業」思想をドッキングさせることで、
  極めて自然な思想史の流れだと思うぞ。

>恐ろしくも衆生の業報輪廻を説くものと解釈されるように なったのです。
    何ら恐ろしくない。極めて自然な思想だ。

>人類は、前世や後世につながるしがらみを断った
    そんなものは最初からない。

>ブッダが業報輪廻転生論を批判しても、積極的に説く理由がまったくありません。
  苦の原因は無明にあるという釈尊が発見した知見が、時代と共に進化した結果だ。

>ジャイナ教・ヒンドゥ教の密輸入であって、ブッダ像の歪曲・捏造という以外にありません。
   釈迦の後継者達による思想深化の成果だと言うべきだろう。
308渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 01:52:03 ID:Fj2FpQop
 人は意思と行動が変わると人格が変わる。ケダモノの心でケダモノの行為をしていた者が、自分
の愚かさに気づき、前非を悔いて真人間に生まれ変わる決心をする。しかし、その舌の根も乾かな
いうちに再び餓鬼の手先になることもある。
 意思と行動が変われば人格が変わる。そのとき古い自分は死に、新しい自分が誕生する。意思は
変わらなくても、行動が伴わないことがある。行動は持続していても意思は変わっていることもあ
る。 再起と挫折の間にも、彷徨と疲弊とがある。生老病死、生老病死を繰り返す。

 現代のこの私の生死生死は、過去無数の人々が繰り返し、繰り返し経験してきたその生死生死と
いささかも変わりない。今後、無数の人々が繰り返し繰り返し経験して行くであろう無数の生死生
死といささかも変わりない。
 意思と人格とが同一であれば、同一・同体の人格である。まさにこの私は、始め無き始めから、
終わり無き終わりに向かって、限りなく限りなく生死生死を繰り返してきた存在である。生死生死
を繰り返していく存在である。
 いまこの私の貪・瞋・癡は私の肉体の誕生によって生じたものではない。私の肉体の死で終了するも
のではない。
 さあ、われわれはこの現実にどう立ち向かっていくのか。互いに学び合おう。共に無明と戦おう。
輪廻を説いた釈尊先生は今私にそのように呼びかけてくれている。これを僕は親鸞聖人から機の深
信という概念で教わった。
309神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 02:19:52 ID:pD4bVydU
>>308
>人は意思と行動が変わると人格が変わる。

そんなことはない。人の意思と行動は、特定の生存状況において、状況に対応して、
生存を維持するために、自在に変動する。すべて、統合された人格(生命)の発露
であり、その機能である。

生来の人格そのものが変容したり、その統合を失うことを、「狂気の発生」と呼ぶ。

宗教観念による人為的な人格操作やその「感染」が、典型な例である。これは、「生来
の人格の虐待(spiritual abuse)」である。
310神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 03:01:13 ID:niv5eU9m
>>306
開祖や教祖の思うがままに、他人の生来の人格を操作し、変容させよう
とすることは、人格の尊厳の冒涜であり、地獄落ちに値する悪業である
こをを、忘れてはならない。人格を変容させられた自爆テロリストも一
向宗信徒も、その悪業の犠牲者なのである。
311神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 03:09:29 ID:9SuJkgN6

解脱と悟りって違うんじゃないかな。
悟りは仏陀一人だけだと。
その後弟子には解脱までを悟りとして伝えたんじゃないかな。
過去世を知る事ができたのは仏陀だけだったみたいだし。
312神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 06:41:31 ID:imlPLpay
文献学者先生は、どうしたのかな一週間待ってみるが、
あんだけ大口叩いて、このまま何も言わずに消えるってことはないよね。
313机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/16(火) 07:35:08 ID:8PazgbgE
>>311
>解脱と悟りって違うんじゃないかな。

同義だよ。

仏教用語で同義なものは、いくらでもある。
TPOで使い分けてるだけ。
月指す方法はいくらでもあるけど、月はひとつしかない。

>>306氏の書き込みは、最初に映画のラストシーンを観ちゃったようなもん。
これだと皆様は納得しないだろうから、
チャネラーは延々と書き込みしてる訳で、
これが2ちゃんの魅力なのかもしれんね。



314神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 09:19:59 ID:uLbga6uE
>>307
>釈迦の後継者達による思想深化の成果だと言うべきだろう

ブッダがアビダルマ部派坊主に謡われた、

  “Don’t let me down!!”(ビートルズ風に)
315渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 09:30:46 ID:Fj2FpQop
>>309
>すべて、統合された人格(生命)の発露であり、その機能である。
>生来の人格そのものが変容したり、その統合を失うことを、「狂気の発生」と呼ぶ。

 狂気の発生はあるといいたいのか?。狂気の発生はありえないと言いたいのか
 自問自答してみるといいだろう。

>宗教観念による人為的な人格操作やその「感染」が、典型な例である。

 人格は統合している。その人格は統合を失うことがある。そういいながら、「人は意思と行動が変わ
ると人格が変わる」という意見に対しては、「そんなことはない」という。
 分裂気味の貴方の観念は、何らかの人為的な人格操作やその「感染」によるのではないでしょうか。
どうぞ人格の虐待(spiritual abuse)があるなら、それにお気を付けくださいませ。


>>311
 解脱とは、輪廻(無明による迷い)を脱して解放されること。
 悟りは、真実の智慧つまり仏智を切り開くこと。

 おなじことを別の言い方をしているものだ。

>過去世を知る事ができたのは仏陀だけだったみたいだし。

 いまこの私の貪・瞋・癡は私の肉体の誕生によって生じたものではない。現代のこの私の生死生死は、
過去無数の人々が繰り返し、繰り返し経験してきたその生死生死といささかも変わりない。意思と人格と
が同一であれば、同一・同体の人格である。まさにこの私は、始め無き始めから、限りなく限りなく生死
生死を繰り返してきた存在である。
 過去世は、仏陀でなくても信心の智慧で知ることができる。
316神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 10:08:05 ID:IdDH+Cen
>>315
あなたの一連の書き込みを見ると、明らかに、現実上の根拠は皆無な宗教観念の植え付け
によって、生来の人格が変容している。宗教の影響を受ける前の、あなたの幼少時の人格は
どうだったかを、よーく自問自答してみるとよい。

人間の心身は、具象物に100%依存することにより維持されるよう、生来的にプログラム
されている。具象を離れた精神性は、そのプログラムを破壊し、人間の狂気を招くことを
忘れてはならない。自爆テロリスト、キリスト教、浄土真宗(一向宗)が、その好例である。

開祖や教祖が、具象を離れた勝手な精神性により、他人の人格を操作し、変容させることは、
他人の人格の蹂躙という悪業、精神的犯罪であることが自覚できないのかね。
317ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長::2010/02/16(火) 10:31:20 ID:ieUAE3Ek
机の日常の思考、判断、行動は、「脳の中枢」というものを意識したり、言葉を思い浮かべながら生活するらしいw
これが、机の日常性のない病気症状w
238 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 10:35:33 ID:qepREgjv
自己に習うというのは、分かりやすく言うと、
脳の中枢にまで自己に問い続ける。ってことだよ

227 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 09:37:44 ID:qepREgjv
ああ、痛いなぁ。嶺南の猿でも仏性に違いはない。

と半端に無形、無分別的な臨済禅ぽく、龍頭蛇尾にやるわけだが、
臨済宗は教外別伝で、説明しないものだが、
妄語(嘘つき)禅机は、説明し、また、説明をする曹洞宗ほどの日常性応用ゼロの
「脳の中枢」などと説明するw
指摘すればするほど、日常性のない説明を生産し、

239 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/15(月) 10:39:05 ID:qepREgjv
貴殿は何故「机に習う」とるんでつか?
直指人心なるぞえ。

と抽象的禅用語に逃げ込む、
これ、ぼったんのパターン、やはりぼったんと同一人物と思われるw
318ぼったんスレ・モンキー禅センター、センター長::2010/02/16(火) 10:46:48 ID:ieUAE3Ek
文献学者病君や、妄語(嘘つき)禅机君や、ヒンズー傾向君、テーラ原理病君の巣で、
本来のスレの意図に合う書き込み内容が無い流れだなw

生命教人民共和国のゴ・インキョー将軍様の方が健全に見えるw

どれ、ここで臨済宗破壊主義のスタンスを変えて、
曹洞宗スタンスでやってみるかw
道元は仏陀直伝の仏教と豪語し臨済宗の教外別伝を否定し、説明する親切さ、
このスレタイに合う方だろうなw

ワイは天台、現在高野山真言宗なら、とりあえず的に一流の領域に近いが、
このスレタイなら、破壊主義臨済宗も合わんだろうし、
ま、曹洞宗はワイ、二流感しかないな、
机、ぼったんをイジメ回した、せったんはとりあえず一流だろう、
せったんは曹洞宗の柔和相が足りないのが問題だが、
http://tozanji.cocolog-nifty.com/blog/

二流感しかないが、曹洞宗路線で、妄語(嘘つき)禅机を親切丁寧指導してみるかw
教科書的にw
319妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/16(火) 11:25:08 ID:ieUAE3Ek
正法眼蔵随聞記

2の3 人、広学博覧は、かなうべからざること
教え示していわれた。
広く学び、博く書を読むことは、とてもできることではない。むしろ、すっぱりとおもい切ってやめるがよい。
ただ一つのことについて、心得や模範とすべき先例を習い、先人の行いしあとを尋ね、
一つの行に専らはげんで、決して先生ぶったり先輩顔をしたりしないことである。

2の14 世間の男女老少
一部抽出
往生要集に「無益の言説は、正しい仏道のさまたげになる」とある。
ただ口に出していう言葉でさえ、役に立たぬ言説は悟りの道のさまたげのもととなるのだ。
ましてや、そのような言説や言葉にさそわれて、直ちに煩悩の心も起こることになるのだ。
もっとも用心しなくてはならぬ。
わざと、ことさらに、そのようなことをいうまいとしなくとも、悪いことと知ったなら、次第次第に退治するように心がけるべきである。
320神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 11:28:10 ID:0glS4qRw
仏教は迷信だとか、仏教は人間の作ったものと言う人がいますが本当ですか。
321妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/16(火) 11:33:33 ID:ieUAE3Ek
正法眼蔵随聞記
3の9 学道の人、世間の人に
夜話にいわれた。
悟りの道を学ぶ者が、世間の人に、知者であり物知りであると知られることは、無用のことである。
中略
仏教の経典や仏教以外の書物のことなどと、知っているような様子をするのは、まったく無用のことである。
人がたずねてきて、このような学問的なことを問うても、そんなことは知らぬと答えても、少しもさしつかえないのだ。
それなのに、ものを知らぬのは見苦しいと人も思うであろう、また、自分でも愚か者であると思うのがつらくて、もの知りになろうとして、
ひろく仏教の経典や仏教以外の典籍を学び、その上に世間世俗のことまでも知ろうと思って、
いろいろな事を求めて学び、あるいは、人に対しても自分がもの知りだという様子をみせたりするのは、極めていけないことなのだ。
中略
文章の対句や韻や平そくなどを、まず注目して、これはいい文句だ、これはよくない言葉などと心に思い道理の理解が後回しになってしまうのだ。
それならば、むしろ、かえって文章のことは知らないで、はじめから道理を理解するようにしていった方が、よいはずのものである。
中略
たとえ、もとは教理学問の知識があったとしても、みな忘れてしまうのが、よいのだ。
いわんや今、これから学問することなど、決してすべきではない。
禅門の語録なども、まことの坐禅修行者たる者は、なお見るべきでないのだ。
そのほかは、いうまでもないことだ。
322神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 11:50:24 ID:imlPLpay
>>320
本質的に迷信ではありませんが、迷信が混入している場合もあります。
仏が説かれたものです。
323妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/16(火) 11:52:47 ID:ieUAE3Ek
320はキリスト教の言説らしいが・・・
まあ、下記の文章読んでや、答えになっておる。

正法眼蔵随聞記
3の11 学人、問うていはく、某甲なほ学道を心に繋げて
一部抽出
悟りを得るのは、頭のよさや学識によるのでなく、才能才智によるのではない。
中略
悟りのためにはまったく博識も学才も必要でない。

5の1 学道の人、自解を執することなかれ
ある日、参禅の折にいわれた。
悟りの道を学ぶ者は、自己流の見解に固執してはならぬ。
たとえ、自分で理解し得たと思うところがあっても、もしかすると、あるいは正しくないことが、きっとあるかもしれぬ、
あるいは、もっと正しいことがあるかも知れぬ、と考えて、ひろく、師僧たちにもたずね、先人の言葉なども、調べてみるべきである。
また、先人の言葉であっても、それにかたく固執してはならぬ。もしかすると、これも正しくないのかも知れぬ。
信用する場合にも、よく考えて、より正しいことがあったら、その方を探るべきである。
中略
また信ずべきでないことに固執して、追求すべきことをも追及しないのは、いけないことだ。
324神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 12:06:27 ID:uLbga6uE
>>307
>>人類は、前世や後世につながるしがらみを断った
>    そんなものは最初からない。

最初からあります。ひたすら、あなたの無知、無明(癡)による誤認です。
アーリア=バラモン階級のイデオローグであるヤージュニャヴァルキア『チャーンドーギア・ウパニシャッド』において「梵我一如」の思想が確立され、
鉄壁のバラモン支配カースト制度イデオロギーが完成したのです。
それは古代先住インドの農村共同体(ゲゼルシャフト)の素朴な輪廻観(循環的時間)を
ヤージュニャヴァルキア発明の業思想でレイプした業報輪廻転生論となりました。
「前世や後世につながるしがらみ」以外の何ものでもありません。

新たに勃興する古代商業資本主義におけるゲマインシャフト・イデオロギーの確立をになったのが
自由思想家(サマナ)のひとりとしてのブッダであったという歴史的意義を見逃してはなりません。
・生まれによって賎しい人になるのではない。生まれによってバラモンに
  なるのではない。行為によって賎しい人ともなり、行為によってバラモン
  ともなる。 (スッタニパータ136)
・林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、
 聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(同39)
・他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(同40)
・ 在家の束縛を断ち切って、建き人はただ独り歩め(同44)

「独立と自由」!これらの言葉が、あの当時どれだけショッキングなテーゼであったか(バラモン階級にとっても)、
 察するに余りあります。

325神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 12:09:29 ID:0glS4qRw
320の者ですが、いいえ、宗教に批判する者の意見です。
326机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/16(火) 12:15:15 ID:8PazgbgE
>>317
>と半端に無形、無分別的な臨済禅ぽく、龍頭蛇尾にやるわけだが、
>臨済宗は教外別伝で、説明しないものだが、

教外別伝で説明せんのは、臨済禅の都合だろうし、
なにも貴殿が都合に合わせることはないかと思いますね。

御家の事情だ。
それぞれに宗家において皆事情がある。
坂本竜馬みたく脱藩すれば自由になれる。

臨済・曹洞は日本ナイズされた禅だ。
チベット仏教はチベットナイズされた中観。
それぞれに御家の事情ってもんがある。

もともとの南宗禅というのは、大陸の風土・土壌で培われてきた。
これが禅のダイナミズムであり、原点。
大局的に禅を見据えたら新たな発見があろう。

じつは、私が「中国禅」と自称するのは、こんなとこにその理由があるんです。
これも一期一会、私の書き込みが何らかしかの考える切っ掛けになってほすい。

このスレでも、チベット仏教の書き込みがあるけど、
これもチベットの事情ってもんを先ず理解することが先決だろう。

ではまた、出掛ける。
327妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/16(火) 12:15:51 ID:ieUAE3Ek
正法眼蔵随聞記
5の2 学人、第一の用心は
また、道元禅師が教え示された。
仏道を学ぶ者が第一の心がけとすべきは、まず、我見を離れることである。
我見を離れるというのは、この身に執着してはいけないということである。たとえ、古人の語録や伝記・逸話をよく知り、
常にたゆまず、しっかり鉄石のごとく坐禅していたとしても、この身に執着して、我見を離れないならば、
中略
決して仏祖の道を得ることはできぬのだ。
ましてや、権教や実教の教理や顕教や密教の尊い教えを、よく学び知っていたにしても、
この身に執着する気持ちが少しでも残っているならば、あたかも他人の財産を数えているばかりで、
自分には一文も得るところが無いのと同じである。

6の1 仏法のためには
一部抽出
いかに知恵があり頭のよい人でも、道心がなく、利己心が強く、名誉や利益を求める心を捨てないような者は、
仏道を心得た者となることもできず、正しい道理を知ることも無いのだ。

6の14 世間の人、自らいはく
一部抽出
かつて当時、私の同門の仲間の中に、自分の見解に固執して、多くの師匠のところを訪ね歩き、自分の考えとちがうのは納得できないといい、
自分の意見に一致するものを喜び信じて、一生を空しくすごし、ついに悟りの道を会得しないで終わってしまった者がいた。
328神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 12:19:36 ID:uLbga6uE
>>315
>過去世は、仏陀でなくても信心の智慧で知ることができる。

そういう妄想をいだくなら、精神病院を受診したほうがいい。
「信心」とは盲目的信仰であって、カルトの常套句です。
信仰を捨てよ!と言ったのがブッダであり、反経験主義(スッタニパータ1053,1056)
を無視するものです。
 人は見たいものを自己暗示催眠によって見た、と妄想します。
修行が進んだ云々とは関係ありません。
カルトの常套手段です。

 あなたが勝手にやるのは問題ないが、カルトのインチキ妄想を振りまくのは止めろ!
329神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 12:20:55 ID:imlPLpay
>>325
すいません。何に対して「いいえ」なのか?
何が「宗教に批判する者の意見」なのか特定できないのですが?
もうちょっと分かるように書いていただけないでしょうか?
330328:2010/02/16(火) 12:24:24 ID:uLbga6uE
訂正 意図的誤解をされそうなので。
× 反経験主義(スッタニパータ1053,1056)を無視するものです。
〇 ブッダの経験主義(スッタニパータ1053,1056)を無視するものです。 
331渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 12:25:06 ID:Fj2FpQop
>>316
>明らかに、現実上の根拠は皆無な宗教観念の植え付けによって、生来の人格が変容している。

 2008年6月秋葉原で多くの人が殺された。、多くの人が歩いている歩行者天国に25歳の
青年がトラックを乗り入れて次々とひき殺した。寄ってきた人々に次々と刃物を刺し、殺した。
 こういう行為を誰が人間の行為であると思うだろうか。理性を忘れ、死刑になりたいという歪
んだケダモノのような欲望に支配された意思と、その意思を実現するケダモノの行為によったものではないか。

 容疑者(現在は被告)加藤智大は、小学校、中学校当時、大変優秀な少年だったようだ。高校
は進学校に入った。小さい時の彼を知っている人々は、彼の犯行を信じられないという。彼は、
高校の時に別人になったようだ。高校の時、親のいいなりになることを止めた。意思と行動が変
わった。
 意思と行動が変わる前も、変わった後も、智慧に基づいた意思と行動を取っていたのではない
ようだ。やがて高校を中退し、その後様々な紆余曲折がある。
 犯行直前、自動車工場で働き、解雇を言い渡され、自暴自棄になった。自動車工場の社員も、
まさか彼がそのようなことをするとは想像も付かなかったろう。犯行予告をインターネットに書
き込んでいた。しかし犯行を止める人はいなかった。

 今は、当時の犯行を深く反省し、真人間に戻っているという。取り調べ検事は、「なぜ彼があ
のような犯行を犯したのか、余計に分からなくなった」と首をひねるという
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100128/trl1001281120007-n2.htm
 理性を失うと、人は歩行者天国の中にトラックを突っ込み、寄ってきた人には刃物を突き刺す。
理性を取り戻せば、真人間になり、深く後悔もする。全て一人の人である。しかし、小学校、中
学校当時の友人が、彼のことを信じられないともいう。取調中の検事も首をひねるという。人の
人格はめまぐるしく変わる。その間に古い加藤智大は死に、新しい加藤智大が生まれている。
332渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 12:25:49 ID:Fj2FpQop
 このような加藤智大は、決して彼一人の問題ではない。過去にも無数の加藤智大がいたはずで
ある。歩行者天国で狂気に走らせたものはなにか。そこには、いかりとむさぼりとおろかさの、
深い深い闇があったはずである。社会は、過去において同様のいかりとむさぼりとおろかさを放
置してきたからこそ、現代の殺人鬼加藤智大が誕生した。現代のそのいかりと、むさぼりと、愚
かさを放置すれば、また第二、第三の殺人鬼加藤智大を生むだろう。無数の加藤智大が出現する
だろう。これを輪廻という。

 いま、裁判に求められていることは、いかりとむさぼりとおろかさに智慧の光を当て、二度と
あのような悲劇を起こさないようにすることである。輪廻を分断することである。それが今後の
裁判の大きな責任である。
  
333神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 12:28:50 ID:0glS4qRw
はい、分かりました。
宗教とは、人間の作った迷信で迷信など信じる人は人間に騙されているのと同じではないかと
だけと思うからです。
334妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/16(火) 12:32:50 ID:ieUAE3Ek
326の妄語禅机は、我見の巣で喜んでいるなあ。
自己にならうをあんなに必死に説明していたのに、矛盾ですなあ。
机の自覚なき哀れな欠点は。妄語禅は。下記に記す。

正法眼蔵随聞記
6の23 学人、各々知るべし
禅師の御教示。
仏道を学ぶ者、めいめい、よく知るがよい。人間には誰にも、一つ欠点がある。
それは、おごり高ぶるということで、これが、第一の欠点なのだ。
仏教の典籍でも、仏教外のもでも、みな同じように、これを戒めている。
中略
自分の身が賤しいものでありながら、人に負けまい、人よりも優れようと思うのは、驕慢
はなはだしいもので、これは煩悩の一つである。

6の24 学道の最要は、坐禅これ第一なり
一部抽出
公案や、祖師の語を読んで少し判ったような気がしても、それは仏祖の道から、ますます遠ざかることになるのだ
何も得ようとせず、何も悟ろうとせず、ひたすら端然と坐禅して時を過ごす。
これ即ち仏祖の道なのだ。
335神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 12:38:55 ID:uLbga6uE
>>332
>輪廻を分断することである。

あんたの業報輪廻転生理論によれば、
加藤智大の凶行は過去世の業報によるものであって、
現在の彼ではなく(無罪)、裁判所で何万年も過去世の加藤智大を裁け(有罪)と言って恋よ。

救急車がすぐに迎えに来る。
336妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/16(火) 12:41:49 ID:ieUAE3Ek
>大局的に禅を見据えたら新たな発見

で、机の妄語禅の成果は、
脳の中枢とか、空と色の形式主義なんですか?
中国禅は非実用的な用語概念で成り立っているようですな。
机の妄語禅の大局的見据えたらは。
337神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 12:42:33 ID:imlPLpay
>>333
なるほど。問いではなく皮肉だったということですね。
思いたいように思えばいいでしょうが、ここは貴方のくるところではないですね。
338妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/16(火) 12:46:14 ID:ieUAE3Ek
まあ、加藤智大は話は、
このスレに多い、書き込み垂れ流し俺は偉いのだぞ餓鬼道の果ての世界だね、
垂れ流したい俺は偉いのだ餓鬼精神が引き金である、
ネットから、それを思いつた訳だ。
このスレも餓鬼道的な犯罪を犯さない小さな加藤智大がいるじゃないか。
339妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/16(火) 13:01:20 ID:ieUAE3Ek
333氏は遊ぶんだったら、こっちの方がお薦めだ、君のニーズに合うだろう。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265514028/l50
340神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 13:06:39 ID:jqguD9ZW
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265514028/
スレよりの勧誘。

万有引力の法則は人間が作ったものでは無いが人間が発見した。
仏陀と仏法の関係も同様です。
質問の続きは上記スレにて。
341神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 13:29:38 ID:ykI/21/t
>>331
加藤智大の例など持ち出して、何を寝惚けたことを言っているのか。

宗教による人為的人格操作によって狂わされて人を殺した人数は、加藤
とは数百倍、数千倍、数万倍の桁違い。それも、組織的、確信的に、良心の
呵責なく殺すのだから、真人間には戻れない。

一向宗、キリスト教、イスラーム、マルクス主義(擬似宗教)は、一体何人
殺したか。
342渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 13:50:58 ID:Fj2FpQop
>>324
 意味不明。ノーコメント。

>>335
 無罪か有罪かは、刑法法典の犯罪要件に該当しているか該当していないか。違法性はあるかな
いか。故意責任はあるかないか。この三点で決まってくる。
 加藤智大を無罪ということは、現代の法体系では不可能だ。あれだけの犯罪を犯したのだから、
被告は相応の刑に服すべきだろう。殺された被害者の心情を思うと、僕は死刑やむなしと思う。

 しかし、彼に死刑を言い渡し、それを執行すればそれで終わったと社会が思えば、それは大間
違いだ。

 肉体加藤智大は命を絶えても、殺人鬼加藤智大の、むさぼりといかりと愚かさは社会に残って
いる。殺人鬼加藤智大のむさぼりといかりと愚かさは、決して彼一人の個人的なものではない。
社会は大きくこれを共有している事実を忘れてはならない。小学校・中学校時代は大変優秀だっ
たようだ。大変優秀だったその環境に、殺人鬼加藤智大のむさぼりといかりと愚かさの根の一部
はあったんだろう。
 殺人鬼加藤智大のむさぼりといかりと愚かさの根の一部は別の所にもあると思う。彼は25歳
で犯行を行った。現代の若者は大変苦労している。1980年代、90年代、日本は大変な土地
バブルで沸きたっていた。日本全土の半分の値段でアメリカ全土が買えるとも言われた。外国で
は日本の過熱景気に警鐘が鳴っていたようだが、日本政府も、不動産業界もそれに耳を貸さなか
った。当時は、むさぼりと愚かさとが嵐のように日本中を支配していた。これは、加藤智大の生
まれる前、まさに前世の話だ。
 バブルがはじけた時、バブルの負債を負ったのが、現代の二十代、三十代の人々だ。二十代、
三十代の人々には、前世の日本が土地バブルで沸いた責任はない。しかしその負債だけが被さっ
ている。
 国のリーダが国の経営を誤ったのは、今回が初めてではない。かつて一国の総理が外国で、「遠
くない過去我が国は国策を誤った」と公式に謝罪した。重い言葉だ。むさぼりと、怒りと、愚か
さによって、先の戦争では多くの人々が死んでいった。
343渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 13:51:42 ID:Fj2FpQop
 裁判所が加藤智大に死刑を言い渡すのはやむを得ないだろう。その代わり、裁判所は、職を奪
われて困っている若者の叫びを、司法の場で代弁し、国策を誤ってきた政府及び社会を、正しく
弾劾して欲しい。加藤智大の前世についてきちんと言及して欲しい。三十万年昔、百万年昔につ
いて語れなどとはいわない。判決を下す裁判官が、もし五十代、六十代の人であれば、まさに、
自分が見てきた時代を裁いて欲しい。そうでなければ、加藤智大の死刑は単に一人の肉体を切り
刻むだけの愚かな行為となるだろう。
 輪廻の分断とはそういうことを言う。
344神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 13:53:51 ID:jqguD9ZW
>>342
加藤智大は悪人であることは解った。

それでは、あんたは悪人か。

そうであるなら、その理由を、そうでないなら

その理由を述べてくれんかね?
345渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 13:56:20 ID:Fj2FpQop
>>341
 ノーコメントとします。

>>344
 ノーコメントとします。
346神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 14:03:15 ID:jqguD9ZW
>>345
浄土真宗には悪人正機説があるようですな。
その主旨を解りやすく説明してくれませんか?
浄土宗初心者として質問します。
このスレの主旨>>1とは外れていないと思うので、
レスを下さりますよう。
347渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 14:09:46 ID:Fj2FpQop
>>343
× 刻むだけの愚かな行為となるだろう。輪廻の分断とはそういうことを言う。

○ 刻むだけの愚かな行為となるだろう。このままでは、彼を死刑にした後、つまり彼の来世
においても殺人鬼加藤智大は復活し、形を変え、次は新宿で、あるいは大阪で同じような惨
劇が起きるだろう。これを我々は、今まで幾度も経験してきた。
 彼の来世において、殺人鬼加藤智大が輪廻転生しなくなったとき、再び同じような惨劇が
起こらなくなった時、彼の死刑は社会にとって貴重な経験になる。それは彼の来世のために
も大事なことだ。
 輪廻の分断とはそういうことを言う。

>>346
 後日とさせて下さい。
348机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/16(火) 16:41:26 ID:8PazgbgE
>>336
>脳の中枢とか、空と色の形式主義なんですか?
>中国禅は非実用的な用語概念で成り立っているようですな。

そもそも中国禅というのは、そんなに神経質にはモノゴトを考えないよ。
「菩薩」という概念にしても、日本とは全くイメージが違う。
まあつまり、
風土や習慣、文化、いろんな要素において宗教というのは育っていくもんさ。

基本的に南宗禅というのは一宗一派なんだよ。
どこそこの流儀が正しい、とか、そんなものはない。
一休宗純がこれだよ。
この禅師の崩れたのが中国の菩薩。
馬祖なんかは、いい味を出してるじゃないか?
私は個人的には場祖は好きだけどね。

まあ、貴殿には勤勉実直な仏様がいいんじゃないか?
私は、そういうのは遠慮しとくよ(ニッコリ
349神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 18:23:59 ID:uLbga6uE
>>347
>このままでは、彼を死刑にした後、つまり彼の来世においても殺人鬼加藤智大は復活し、
>形を変え、次は新宿で、あるいは大阪で同じような惨劇が起きるだろう。
>これを我々は、今まで幾度も経験してきた。

これを我々は、今まで幾度も『経験』してきた。ってw、
『経験』である以上、検証・実証できるはずです。
すくなくとも、私は経験したことがない。

『伝承によるのではなくて、“いま眼のあたり体得される”』(スッタニパータ1053,1066)ブッダの方法で、
上記文言を実証してください。




350神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 18:27:28 ID:9bsk+GSi
アングリマーラは(法的)制裁を受けてないよね・・。
けど、暴行(リンチ)は受けたよね・・。
で、そんなアングリマーラに、お釈迦さんは、
「私は生まれてから一度も人を殺めたことがありません」と言わせてるよね・・。

彼は、無罪?有罪?罰を受けた?償いをした?被害者遺族への謝罪(補償)は?
彼には、死が言い渡されるべき?生きることが言い渡されるべき?

アングリマーラと加藤智大の間に、差異はある?ない?
あるとすればどんな差異?




(´ー`)y━~~
351机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/16(火) 19:47:04 ID:8PazgbgE
(つづき)
中国は具体性を好む。

日本は抽象性を好む。
そして抽象性のなかにおいて観念的なものを固定化してしまう。
(つまり、せっかちで結論を直ぐに出さないと気が落ち着かない)
それは文化に昇華され、繊細な空文化を形成していったのである。
といういい面があるが、しかし負の部分も同時にある。

中国は大陸文化だから、最初から具体的。
いつ殺されるかわからん。という生活環境からくる。
猫の首でも簡単に斬る。
これは明らかに文化の違い。

宮本武蔵が何故強かったかというと、状況判断の分析に長けていた。
というのもあるが、臨機応変の兵法こそ彼独自の才能だろうね。
(日本人には、これは珍しい)

日本禅とういうのは、思想・観念という型に縛られて、こういった自由発想は難しい。
どうにかこういう枠組みから脱皮を図ろうとしたのが、
いわゆる茶道というもんです。
歪んだ茶碗に究極的美学を求める。

文化というのは、こういった負の部分を原点(見据えて)として発展して逝く。
しかしながら、形骸化されたものにあるのは衰退だけなのです。

大局的観点とか?いやはや難しいもんですなぁ〜 あっはっは
352渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 20:20:04 ID:Fj2FpQop
>>351
 なんだ野狐禅の話か。

 昨日のお師匠さんは、後ろにしっぽがついていたようだ。

 中道というのも、井の中の中道だったとは思わなかったワイ。
353神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 23:06:05 ID:9bsk+GSi
於宗教板〔勢い3桁スレ〕@22:50
 クリスチャントゥデイは統一協会系!Part76(202)  140.7
 クリスチャントゥデイは統一協会系!Part76(201)  122.4
 【初心者】キリスト教談話室561【歓迎♪】       110.7
 【Jesuit】カトリック大阪大司教区【正平協】XIX    109.5
 神なんて存在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 5    108.3

〔勢い50以上スレ〕@22:50
 果たしてオウム・Aleph・ひかりは完璧か!199     76.4
 【仏教】悟りを開いた人のスレ72【天空寺】       72.5
 【カルト教団】世界中に愛をワールドメイト本家 104  70.1
 ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25        63.5
 ★★『幸福の科学』統失スレッドpart338★★      61.2
 阿含宗という宗教175                   54.9




なんだかね・・・   orz
354神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 23:13:14 ID:uLbga6uE
>>352
>『復活』『幾度も経験してきた』(>>347)
ハヨ実証せんか!(>>349)
オウムの麻原も死刑になっても『復活』するんだろ?w
おまえは風呂屋か、湯ーだけかw

あんたは『経験』(>>347)しているのだから、応えられるはずだ。
セブンの>>350にも(ついでにw)応えたってんか。

まともに応えられなかったら、完璧カルトだ。
さあ、「転生」を実証してもらおうか。

昨日のちんたら文献学者に続いて、おまえまで逃げんなYO.

355渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 23:29:41 ID:Fj2FpQop
>>354
>おまえまで逃げんなYO

 ガラの悪い奴だな。逃げやしないよ。相手にしないことにたんだ。
 おぬしとは住む精神世界が違う。スマンがノーコメントだ。
356渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 23:32:22 ID:Fj2FpQop
>>355
 渡海難を自分の便利な家庭教師と思われたら迷惑なんだ。
 対価は払わないけど、遊び相手の乳母になってくれと頼まれた覚えはないんだよ。
357渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/16(火) 23:36:34 ID:Fj2FpQop
 もう一つ言ってやろう。
 僕は柄(ガラ)の悪い弟子はとらないことにしているんだ。
 顔を洗って出直してこい。
358神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 23:55:30 ID:9bsk+GSi
>>354
貴方に感受された350の書き込みという対象を、
セブンによるものと判断・識別した理由は?w
359神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 00:01:09 ID:uLbga6uE
>>350
セブンに聞けよ

書き込み内容およびトレードマークからw

>>357
>ガラの悪い
表層的判断しかできない公務員的カルトかあ?
逃げてやがんのw
360359:2010/02/17(水) 00:04:35 ID:wECAELeu
訂正
×>>350
  セブンに聞けよ
>>358
セブンに聞けよ(>>350)

間違ってたら、ごめんね
361359:2010/02/17(水) 00:13:53 ID:wECAELeu
>>355
>住む精神世界

そりゃそーだ、おいらはインチキカルト的精神世界にやー住んどらん

おっさん!はよ、転生タマ(実証)出さんかい。
362神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 00:16:44 ID:z62OE81Q
>>360
いや、合ってるけどさw  つかID。
363ネ申:2010/02/17(水) 00:22:02 ID:vVaLHmF6
餌が足りなければ
犬でも猿でも躾けることができない

転生者はゴロゴロいるけど
カルトと違って絶対に口に出して言わない
364359:2010/02/17(水) 00:29:43 ID:wECAELeu
>>362
なるほど、本人かw
365神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 01:29:54 ID:z62OE81Q
文献学者は、
ハッタリか電波信者かね・・・?w

閻魔はおそらく某サイトの主じゃないかと思うが、
賛同する部分は縁起馬鹿よりも(若干)多いw




つか、春には2ch終わっちゃうんかね・・・?
366神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 04:08:18 ID:o1bGAurS
>>365
>文献学者は、
>ハッタリか電波信者かね・・・?w

できの悪い文献学者はあんなもんだ、慢心だけで実力がない。
translitelate しかできないのに読めてるつもりとか。
相手の文や主張を適当に憶測で読み込むとか、
論理性がなく、通説を繰り返すだけとか。
彼の文からだいたい実力は想像できたよ。


>閻魔はおそらく某サイトの主じゃないかと思うが、

閻魔って誰?
367宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/17(水) 07:24:56 ID:bhVS3jEJ
>>366
閻魔大王とは・・。

>>306>>324
業報輪廻のヤージュニャヴァルキア&マハーカッサパ陰謀史観主義者。
業報輪廻思想に毒された者を裁くお役目w
368神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 07:40:47 ID:o1bGAurS
>>367
ドグちゃん祭り行くの?

>業報輪廻のヤージュニャヴァルキア&マハーカッサパ陰謀史観主義者。

こういった妄想は困るよね。和辻の妄想はデカイというか、
仏教は認めたいが亜科学的常識から逸脱したくないので、
仏教から非常識を排除しようという妄想・願望。

ただの断見だってのに。
369机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/17(水) 07:49:57 ID:y3pEFPEu
>>353
凄いね?!!

カルトの恐さってのは、無知な人間が引っ掛かるのか?
てぇと、そうじゃない。
ちゃんと良識?のある人間が嵌ることが多い。

統一教会の食口は、40代くらいになると殆どが自然にマイコンが解けてくるらしい。
(勿論、死ぬまで解けない者もいるけど)
しかしそれで終ったのか?てぇと、そうじゃない。
そこから苦悩が始まる。

「50代」というコテ名の、統一幹部とレス交換したことがあるけど、
(情報が正確だからネタではなさそう)
このコテハンとレス交換したのは印象深かった。

カルト系のスレッドに何故書き込みが多いのか?てぇと、
アンチカルトが多く書き込みしているのも、その理由。
そういった善男善女もほとんどが、力量不足を自覚して
自然に消えていく・・・
この繰り返し。
370神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 07:59:34 ID:o1bGAurS
>>369
>そういった善男善女もほとんどが、力量不足を自覚して
>自然に消えていく・・・

10年自覚できないのが君だ
371机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/17(水) 08:04:08 ID:y3pEFPEu
>>370
ちゃんと私の書き込み読んだか?

372渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/17(水) 10:51:28 ID:S5Xp4vXt
>>365,366
 大天狗、小天狗、偽天狗どもが互いに鼻の高さを競い合い、
一方が他方に勝った勝ったと凱歌を上げる。

 仏教とはおよそ関係の無い外道の修羅場か。
373紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/17(水) 20:54:50 ID:TjyW0vJy
>>331
要するに、「時代は繰り返す」って奴だろ。
2chでは昔から犯罪者が大量に出ている。
374神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 20:57:08 ID:z62OE81Q
2chが安全装置を外させるのか・・・
安全装置の外れ易い奴が2chに集まるのか・・・
375神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 21:00:29 ID:o1bGAurS
>>374
それも縁起、業因果、万能の業、万能の縁起
376紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/17(水) 21:09:28 ID:TjyW0vJy
>>372
ちなみに鴉天狗のキャラは流行る。
「からす天狗うじゅ」公式サイト
http://www.ujyu.jp/

>>374
知識欲はヤクと同じ。
詳しくは仮面ライダーWを。
377神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 21:46:15 ID:z62OE81Q
>>376
>知識欲はヤクと同じ

当たっとるなwww

「これいいぞ」「これが最高」「さあ、買え(学べ)。さあ、打て(肯定しろ)」と
(自身が中毒の)売人の何と多いことか・・w
「うはwww ちょwwwww コレ最高wwwwwww たまんねー! スバラシー!
ここまで知ってる俺サイコーwww 優れ過ぎじゃね?wwwww ほら、もっともっと褒めて崇めてwwwwwww」
と、自尊心というバベルの塔を建て、駆け上り、てっぺんで高笑いw
で、足を洗うこと(塔を解体し、平地に下ること)の何と難しいことか・・・w














て、自分のことだったかwwwww
378渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/17(水) 21:53:06 ID:S5Xp4vXt
>>373
> 要するに、「時代は繰り返す」って奴だろ。
> 2chでは昔から犯罪者が大量に出ている。

 まあ通俗的にはそういう意味も当然含むと思う。しかし、概念はもう少し広
げていいと思う。

 無明は闇なんだ。闇は全てを包む。歴史は繰り返すと言えば、繰り返さない
歴史もあるだろう。例えば、今後日本はちょんまげを結って刀をさして歩く時
代に戻ることは絶対にないだろう。
 先人は全てを包んで考えているはずで、例外はない。全てを包むと考えると、
先人の考えは、もっとアバウトだろうと思う。

 今は忙しいので、後で書こうと思う。
379神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 21:57:28 ID:o1bGAurS
>>377
知識は重要じゃない。そんなの当たり前。
だけど、ここではほとんど知識・言葉しか意味をなさない。
なぜなら、質問箱だから。

しかし、間違いとかハッタリは示さないといけない。
なぜなら、仏教は素晴らしいと信じるから。

いっとくが、オイラは知識がないという意味で相手を見くびったことはないつもり。
不誠実さを見いだした時だけだと思ってる。
それと、誤りは認めること、これは心懸けている。

まあ、デキは悪いから色々問題あると思うが、それは大目にみてくれよん。


380神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 22:29:33 ID:z62OE81Q
>>379
いやw 一般論だからw で、ふと鏡を見たら自分のことだった、と・・www


あと、ココは文字のやり取りによる質疑応答の場だからね。
知識以外のこと・部分で答え(応え)られるかどうかといったら、一厘にも満たないだろう。
けど、それでいい。
ココは、《そういう》場所なのだから。

ノシ
381紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/17(水) 23:34:33 ID:TjyW0vJy
所詮、文字では相手に伝えられる情報が少ない。
この問題を解消するためにアスキーアートが生まれた。

2ch全AAイラスト化計画
http://riceballman.fc2web.com/
382我見妄語禅机垂れ流して正論のつもりらしいw:2010/02/18(木) 05:43:36 ID:ZmpNaK5H
我執が強いなあw
348、351の内容といい、
自分の書き込んでいる内容の自覚もないだろうし、
我執が激しいので、指摘を受け入れる余裕もなし、
カルト教祖の反応に近い、
指摘に対して具体的反論よりも、量的垂れ流しで反論し勝者気分らしいw
新興宗教にはまった信者や、教祖様に見られる傾向だw

>日本は抽象性を好む。
そして抽象性のなかにおいて観念的なものを固定化してしまう。
(つまり、せっかちで結論を直ぐに出さないと気が落ち着かない)
それは文化に昇華され、繊細な空文化を形成していったのである。
といういい面があるが、しかし負の部分も同時にある。

>日本禅とういうのは、思想・観念という型に縛られて、こういった自由発想は難しい

机の書き込みのほうが象徴的だぞw
「脳の中枢」は抽象的だぞw
机の認識、判断、行動は異常そうだから、「脳の中枢」を常に意識しがなら日常行動してそうだなww
「脳の中枢」を日常で意識するまぬけさが、自由な発想らしいですなww
383大乗奥義、スレの為に文献病者汚染防止御札:2010/02/18(木) 06:00:56 ID:ZmpNaK5H
正法眼蔵随聞記には、
我執我見だらけの、南方仏教原理主義者、文献病者、我見妄語禅机の想定できない
大乗仏教の根本があり、
素晴らしい基本がある。
大乗の奥義は最初に起こすべき菩提心だろうね。

正法眼蔵随聞記
4の6 唐の太宗、即位の後
一部抽出
まして仏弟子は、釈迦如来のなされ方を受け継ぎ、ありとあらゆる生きとし生けるものを、
自分の一人子のように、あわれみ、いたわるべきである。

2の9 昔、智覚禅師
一部抽出
(自分の)命を軽んじ衆生をあわれむ心を深くもって、自分の身を、仏の定められたところに従って行じようとの心を起こさなければならぬ。
もし、前からこのような志がすこしでもあったなら、それを失わぬよう持つ続けるのでなくてはならぬ。
これくらいの心を一度は起こさなければ、仏法を悟ることはできはしないのだ。

384大乗奥義、スレの為に文献病者汚染防止御札:2010/02/18(木) 06:13:40 ID:ZmpNaK5H
正法眼蔵随聞記
3の16 父母の報恩等のこと
一部抽出
無為の世界にある者のやり方は、恩愛を、自分ひとりの父母にかぎらないのだ。
すべての生きとし生けるものを見ること父母のごとく、その恩愛の深きことを考え、
すべての生きとし生けるものに対してすべて真心をもって仕えるのだ。
この世において自分を生んでくれた実の父母だけにかぎらないのだ。
これが、無為の仏道にかなったやり方なのだ。毎日の仏道修行、毎時の坐禅参学、
すべてひたすら仏の道に従って生活していくなら、それが、まことの考の道であるとするのである。
中略
禅の修行者たるものは、父母以外のすべての衆生の恩も、父母におとらず重いものと知るべきなのだ。
385我見妄語禅机垂れ流して正論のつもりらしいw:2010/02/18(木) 06:33:02 ID:ZmpNaK5H
で、我見我執妄語の積み重ねお得意禅の机さんは、
「脳の中枢」色と空の形式、突然的な禅用語の貼り付けなどは、
我見我執妄語の積み重ねお得意禅の机さん御自身のお書きになった中身が
>そして抽象性のなかにおいて観念的なものを固定化してしまう。
(つまり、せっかちで結論を直ぐに出さないと気が落ち着かない)
>思想・観念という型に縛られて、こういった自由発想は難しい

が該当するという自覚はないのですかね??
自己防衛の為の妄語の上の妄語の積み重ねで自覚できないのですかね??
ワシは上記の御自身のお書きなった内容を、机さんの書き込みを問題視しているのですが・・

また、妄語の上の妄語重ねでお逃げになるんでしょうなあww
386神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 06:51:57 ID:8rARhCE9
>>382
そんなこと常連は2名の例外を除いてみんな知ってるから、
机なんか真面目に相手にする方がおかしいと思われますよ。
387妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/18(木) 07:00:29 ID:ZmpNaK5H
妄語の上に妄語を塗り重ねる常態化している机さんとは。
あと、道元が日本禅だろうと、中国に渡って印可を得た、
妄語の上に妄語を塗り重ねる常態化している机さんの妄想妄語の中国禅の方がすごいのですか??


正法眼蔵随聞記
5の2 学人、第一の用心は
また、道元禅師が教え示された。
仏道を学ぶ者が第一の心がけとすべきは、まず、我見を離れることである。
我見を離れるというのは、この身に執着してはいけないということである。たとえ、古人の語録や伝記・逸話をよく知り、
常にたゆまず、しっかり鉄石のごとく坐禅していたとしても、この身に執着して、我見を離れないならば、
中略
決して仏祖の道を得ることはできぬのだ。

6の1 仏法のためには
一部抽出
いかに知恵があり頭のよい人でも、道心がなく、利己心が強く、名誉や利益を求める心を捨てないような者は、
仏道を心得た者となることもできず、正しい道理を知ることも無いのだ。

1の14 俗の帝道の故実をいふに
教え示していわれた。
俗世間の帝王たる者の模範とすべき心得の言葉に、「心をむなしくして胸を開いていなければ、忠言を容れることができぬ」というのがある。
388妄語禅机、知識仏教、を否定、親切指導道元禅センターアルバイト:2010/02/18(木) 07:04:12 ID:ZmpNaK5H
まあ、机をいじって、質問箱の初心者に真実の仏道とは、提示するのさ。
あと、机が馬鹿でも、仏道の入門する入り口に誘うのも、
馬鹿に仏道を示すのも、大乗仏教ですやん、
大乗仏教の誓いもあるわけだし、我だけでなく、皆と共に仏道を行ぜん、てありますやん。
389大乗奥義、仏教動機:2010/02/18(木) 07:42:35 ID:ZmpNaK5H
机を相手するの、しないというより、大乗仏教の動機、基本も一度、貼り付けている理由があるんだがな。

正法眼蔵随聞記
4の6 唐の太宗、即位の後
一部抽出
まして仏弟子は、釈迦如来のなされ方を受け継ぎ、ありとあらゆる生きとし生けるものを、
自分の一人子のように、あわれみ、いたわるべきである。

2の9 昔、智覚禅師
一部抽出
(自分の)命を軽んじ衆生をあわれむ心を深くもって、自分の身を、仏の定められたところに従って行じようとの心を起こさなければならぬ。
もし、前からこのような志がすこしでもあったなら、それを失わぬよう持つ続けるのでなくてはならぬ。
これくらいの心を一度は起こさなければ、仏法を悟ることはできはしないのだ。

正法眼蔵随聞記
3の16 父母の報恩等のこと
一部抽出
無為の世界にある者のやり方は、恩愛を、自分ひとりの父母にかぎらないのだ。
すべての生きとし生けるものを見ること父母のごとく、その恩愛の深きことを考え、
すべての生きとし生けるものに対してすべて真心をもって仕えるのだ。
この世において自分を生んでくれた実の父母だけにかぎらないのだ。
これが、無為の仏道にかなったやり方なのだ。毎日の仏道修行、毎時の坐禅参学、
すべてひたすら仏の道に従って生活していくなら、それが、まことの考の道であるとするのである。
中略
禅の修行者たるものは、父母以外のすべての衆生の恩も、父母におとらず重いものと知るべきなのだ。
390机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/18(木) 07:59:24 ID:AdFhFSG3
>>382我見妄語禅どの
>机の認識、判断、行動は異常そうだから、
>「脳の中枢」を常に意識しがなら日常行動してそうだなww

貴殿の発想だと、本来無一物の慧能は「常に心を意識しながら日常行動をしている」。
ってことになる。→(by非風非幡より問題提起)

だからこの発想自体を、私は
>そして抽象性のなかにおいて観念的なものを固定化してしまう。
と、言ってるけで、
「脳の中枢」に異常反応するのは、つまり
「色→空→色」が解ってない証左だよ。

これは伝統的なものだ。
いいか、本来無一物であっても心は動くんだよ(笑
この公案を観念的に捉えれば、あらゆる比喩もそのベクトルになる。
猫の首も簡単に斬るだろうし、
また、柏樹子に心が留まってしまう。
391神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 08:01:14 ID:8rARhCE9
>>389
大乗の動機というなら、先ずご自身の心をよく調べて、
動機が利他のためか、それとも単なる机のようなインチキに怒っているためか、
調べてから書いているわけですね。

それで菩提心によって利他のために敢えて悪口という十悪業を犯しても、
有情利益を計ろうというのは立派ですね。

ですが、私の曇った眼にはそうみえないで唯の悪口に見えてしまう。
これはただ私の修行が足りないだけでしょう。
392机妄語多すぎw:2010/02/18(木) 08:04:50 ID:ZmpNaK5H
>貴殿の発想だと、本来無一物の慧能は「常に心を意識しながら日常行動をしている」。
ってことになる。→(by非風非幡より問題提起)

ほら、また、勝手な妄想を、妄語の上に妄語を重ねるだw
最初に言っただろうが、破壊主義と具体的日常行動、と臨済宗では、
曹洞宗なら、理屈知識用語放棄と細やかな日常行動、という話が、
机君の妄語が倍増するんですかね??
如実如見、ありのままに見る、を前提に文章を読む訓練をしなさい。
妄語の上に妄語を重ねるのはやめなさい。
393391氏へ:2010/02/18(木) 08:07:36 ID:ZmpNaK5H
>机なんか真面目に相手にする方がおかしいと

どちらが・・・
いきとしいけるものに、は机は入らぬ、と読めるのですが・・・
394391氏へ:2010/02/18(木) 08:10:38 ID:ZmpNaK5H
このスレ自体の流れ自体が、学問的でスレタイに合わぬ傾向になっているのでは、
スレタイの流れを引きやすいように工夫しているようになっていると思うのですが。
395机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/18(木) 08:22:22 ID:AdFhFSG3
>>392
>最初に言っただろうが、破壊主義と具体的日常行動、と臨済宗では、
>曹洞宗なら、理屈知識用語放棄と細やかな日常行動、という話が、

だからそれが
「色→空→色」の形式化だろうよw
私は一般的禅宗のベクトルで語ちてるわけで、
御家の事情に合わせているわけではないよw
396391氏へ:2010/02/18(木) 08:24:33 ID:ZmpNaK5H
本来、大乗仏教の起こり自体が、自己と他者との関係、同時性、平等的視点で、
禅定的、学問的に展開してきたのに、
細かな極端な学問論争や、菩提心と関係ない論争が中心になるというのは・・・
机相手に、真の仏道とは、とやる方が、まだ健全で、スレタイに合うのでは・・と
397机の我見激しいなあ:2010/02/18(木) 08:27:03 ID:ZmpNaK5H
本来無一物か、
>「色→空→色」の形式化だろうよw
私は一般的禅宗のベクトルで語ちてるわけで

なるのかね?
どこが、無一物かね?
机の禅用語だけで、内容が合っていない。
それが、妄語というのだ。
妄語を自覚しなさい。
398机の我見激しいなあ:2010/02/18(木) 08:28:07 ID:ZmpNaK5H
空自体が形式化を含むと言う時点で妄語。
399机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/18(木) 08:31:58 ID:AdFhFSG3
>>397
>どこが、無一物かね?
>机の禅用語だけで、内容が合っていない。

私の書き込みを少しづつ解ってきたようだね(ニッコリ

まあ、無理しなくていいよ。
誰だって直ぐに解せるもんじゃない。

切磋琢磨しながら、私も学んどるんですからね(笑
400神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 08:41:11 ID:8rARhCE9
>>393
もうずっと声を掛けてきたのですが、私の手にはおえません。
妄語を述べる人は、やはり妄語だというのがいいと思います。

>>394
私自身は、スレタイに合致するよう努めているつもりです。
学問的なのは、そういう知識を盾に変なことをいう人がいたので、
また、妄語を妄語、邪見を邪見だという時は、根拠と論理を示すのも
仏教の伝統だと思うからです。

>>396
そうなると妄想に妄想を重ねて終わるだけだと思いますが。
違いますか?
401渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/18(木) 10:27:54 ID:1iSLT5wR
>>378
 輪廻転生は、再起、挫折、再起、挫折を繰り返す。繰り返す主体は何か。それは業という。ここでは
地下水脈という言葉を使う。
 殺人鬼加藤智大は、肉体加藤智大の誕生で生まれたものではなく、肉体加藤智大の死によって終
了するものではない。現代の二十代・三十代の人々の苦しみは、彼らの肉体の誕生で発生したもの
ではなく、彼らの肉体の死によって終わるものではない。

 現代の二十代・三十代の人々の苦しみの少なくとも一部は、大なり小なり、日本が八十年代、九十
年代に経験したキチガイじみたあの土地バブル景気とその破綻によるのだろう。あれによって日本経
済は深い傷を負った。日本人の内の少なくない数の人々がこれを煽り、確かに大もうけをした人々も
いた。

 地上げ屋暴力団が二束三文の土地で恐喝じみた手法を使って大もうけした話は連日マスコミに取
り上げられていた。架空取引と殺人事件の話は数限りない。迷宮入りの事件も少なくないんだろうと
思う。貪欲と瞋恚と無癡の巨大な嵐が日本中を駆け巡り、その愚かさに気づいた人は声を潜めていた。

 殺人鬼加藤智大の貪欲と瞋恚と無癡の地下は、少なくともあの時代の多くの人々の貪欲と瞋恚と
無癡と形を変えて闇の中で水脈がつながっているんだろうと思う。
 八十年代、九十年代の土地バブル狂乱経済時代がなかったなら、殺人鬼加藤智大は出現しなかっ
たろう。あるいは、八十年代、九十年代の土地バブル時代の貪欲と瞋恚と無癡が正しく総括され、そ
の後遺症が克服されていれば、現代の若者が不安定な生活を強いられることも無かったろう。殺人
鬼加藤智大は出現しなかったろう。
 報道によると加藤智大は、今は真人間に戻っているようだ。真人間にも無論、貪欲と瞋恚と無癡は
ある。しかし、真人間加藤智大の貪欲と瞋恚と無癡と、殺人鬼加藤智大の貪欲と瞋恚と無癡とは、一
応、区別して考えなければならない。 検察官は、、真人間加藤智大からは殺人鬼加藤智大が想像
できないという。八十年代、九十年代の土地バブルを支えた狂乱時代の貪欲と瞋恚と無癡が地下
水脈で肉体加藤智大に流れ着いた時、殺人鬼加藤智大が時代の被害者として、社会への復讐者と
して出現した。
402渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/18(木) 10:28:49 ID:1iSLT5wR
 社会が、過去の歩みを正しく総括し、誤った国策については社会が機敏に正していかなければ、
第二第三の殺人鬼加藤智大は、様々な形で幾度も眠りを覚ますに違いない。八十年代、九十年代
の貪欲と瞋恚と無癡とは、様々な形でいつでも地上に湧き出る水路を探している。
 現在の法体系では、殺人鬼加藤智大の貪欲と瞋恚と無癡の負債は、 真人間加藤智大が占有し
ている肉体加藤智大を終わらせることで負わなければならないことになるのだろう。真人間加藤智大
が占有している肉体加藤智大を終わらせても、殺人鬼加藤智大の貪欲と瞋恚と無癡とは、いつでも
社会の地下水脈で息を潜めていることを忘れてはならない。その真の息の根を止めるのは、智慧
以外にない。裁判所が加藤智大に死刑判決するだけでなく、真の原因、無明を正しく解明しなけれ
ば、地下水脈の流れを止めることはできないだろう。 
403渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/18(木) 10:51:08 ID:1iSLT5wR
>>401,402
 ↑
 わかりにくかったか?


 自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あ
ることなき身(歎異抄)

 八十年代、九十年代、 貪欲と瞋恚と無癡つまり愚かさにまみれた人々が、盛んにバブルを形成した。
彼らは、九十年代晩期から二千年代のころ、霞のように消えていった。バブルを形成した人々は消え
ても本当に消えたわけではない。彼らの貪欲と瞋恚と無癡つまり愚かさそのものは、水脈となって日
本の地下に潜り、日本を今なお蝕んでいる。
 その貪欲と瞋恚と無癡つまり愚かさが、肉体加藤智大に出口を見つけ、地上に顔を現した時、社会
への哀れな復讐者として殺人鬼加藤智大が誕生した。
 殺人鬼加藤智大が逮捕されると、その貪欲と瞋恚と無癡つまり愚かさは再び地下に戻り、いまは別
に出口を探している。

 渡海流の輪廻観です。
404神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 11:38:15 ID:HPNP4F+P
>>396
どれほど瑣末であっても学問論争の方がマシ
NGあぼーん推奨されてる輩にレスつける奴も荒らしです
405神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 12:22:33 ID:iGjYY3j6
>>403 真宗カルトの渡海 難
>無癡つまり愚かさ

こーゆー基本的な誤りを何度も平気で繰り返して書くおまえのお里が知れるw

しかも、善悪二項相対判断に固執しまくり。
勝義からの世俗還減視点がまるでない仏教的な愚かさ。

⇒ひたすら、あなたの無知、無明(癡)による誤認です。(>>324
⇒おっさん!はよ、転生タマ(実証)出さんかい。(>>361
406机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/18(木) 12:28:50 ID:AdFhFSG3
>>398
>空自体が形式化を含むと言う時点で妄語。

そもそも貴殿は、私が書いた「色→空→色」の意が最初から解っておらんのだろ?

>どれほど瑣末であっても学問論争の方がマシ >>404

「色→空→色」は、高度な仏教哲理を図式化したもんだよ。
これを説明すると、非常にややこしくなる。
だから私が書かないだけで、
これを抜きにしたら、あらゆる論争は戯論でしかない。

本来無一物で心があっても、学問的には何ら矛盾はない。
(詳細は書かない)

407渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/18(木) 14:19:12 ID:1iSLT5wR
>>405
 アラシ、煽りにはコメントしないのが僕の原則だが、今回は例外だ。
 ガラの悪い人物に親切丁寧に教えるのは嫌いなんだが、声なきギャラリーの中でも同じよう
な誤解をした人がいると思うので、解説しておきたい。

 話をわかりやすくする意味で書いた書き方が誤解を生んでいるようだ。

 「無癡つまり愚かさ」文章をこのように切り抜かれては真意が伝わらない。

 貪・瞋・癡を三毒という。「貪・瞋・癡」≒無明と考えています。大無量寿経から教わりました。
 「愚かさ」は「貪・瞋・癡」をわかりやすくパッケージ化する意味で使いました。
 無明という言葉より、今回の文では愚かさという言葉の方が通りやすいと判断したからです。
無明を愚かさという言葉で代用しました。こういう語法を今回初めて使いましたが、今後も無明
というべき所を愚かさという言葉で代用するかどうかは分かりません。

 八十・九十年代のバブル期の貪・瞋・癡と加藤智大の貪・瞋・癡とは質的に違うという指摘も出
るだろう。これに対して、我を忘れた愚かさという意味で、本質は共通であるという主張をしてい
ます。
408神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 15:38:43 ID:gr/cwURm
>>407 >アラシ、煽りにはコメントしないのが僕の原則だが、今回は例外だ。

スレタイに無関係なあなたの長文書き込みこそ、アラシに思えます。
409渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/18(木) 16:14:34 ID:1iSLT5wR
>>408
 輪廻という仏教の基本的概念が分からないというガラの悪い初心者(>>405)の質問に、
スレの目的に沿って優しく答えたものです。
410渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/18(木) 16:21:33 ID:1iSLT5wR
>>409
 無明・行(業)・識という、十二因縁の法則の冒頭の原理を、現実論に合わせ、浄土真宗の輪廻論で
優しく解説しました。
 渡海難の解釈が当然加わっていますが、十二因縁則は、仏教の大事な基本です。
411机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/18(木) 16:24:23 ID:AdFhFSG3
>>409
渡海氏は深く悟入されておるようので、少々質問したいのですが、

>輪廻という仏教の基本的概念

渡海氏の輪廻観というのは、真宗坊主も同様でありますか?
また、
真宗においても、その解釈はいろいろ、ということでしょうか?
412渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/18(木) 17:47:20 ID:1iSLT5wR
>>411
 ここ半月程度このスレを見てきました。浄土真宗の坊さんが何人も常駐しているようです。
その人たちに、このスレを介して直接聞いてみるといいでしょう。
413紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/18(木) 18:00:28 ID:F9ofeCkI
>>401
心理学用語の「人間は二度生まれる」で済むじゃん。
414神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 18:41:34 ID:iGjYY3j6
生まれるものは、生まれない

悪は悪ではない、ゆえに悪といふ
415机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/18(木) 18:59:14 ID:AdFhFSG3
>>412
>その人たちに、このスレを介して直接聞いてみるといいでしょう。

いやいや、聞かんでも私はちゃんと答は解っておるんですよ。

中国禅というのは、禅と華厳とか、禅と念仏とか融合しながら発展してきた訳で、
主に禅と念仏の双修ってのは中国では主流であります。
朝鮮の禅もそうでして、
日本禅、主に曹洞宗とか臨済宗とか諸宗並立は特殊であります。

貴殿は坐禅念仏を提唱しておるようですけど、
これはもともと中国の専売特許でして、
もし貴殿が「坐禅念仏」の源流を遡るとしたら、
ようは「中国禅」に到達しますよw

で、禅と真宗は、どうも源流が一緒のような気がしますけど、
この私の見解は、まだ悟入手前の迷いでしょうか?
416神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 19:04:51 ID:GdLDYXRB
>>414
中身の無い詭弁ですね。
ただの言葉遊びによる自己陶酔。
417神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 19:10:01 ID:GdLDYXRB
406 :神も仏も名無しさん:2010/01/30(土) 11:35:46 ID:g/J0kQMT
「イキがってるから刺される。刺されるほうが悪い。w」
こういう具体性のある忠告のほうが理解しやすく、
効果的な場合があります。

上記の忠告を柔らかく表現するならば、
「謙虚に生きてれば憎まれません。」となるわけだが、
曖昧な表現では危機意識を持てないぬるさがある。

ハッキリとリスクを教えるのは優しさからなんだよ。>>117

哲学、禅、エッセイ、自己啓発、スピリチュアル、学校の先生、など
もっともらしく聞こえる慰めも、
中身の無い言葉で陶酔する気休めが多い。

助言とは、具体的な忠告で問題解決をはかるものだ。
気休めの現実逃避など無価値で無意味。


158 :神も仏も名無しさん:2010/01/09(土) 10:06:50 ID:7KZ4QvLB
善悪が存在する証明

悪へ対する義憤と罪悪感などの感情が存在するというのが、
善悪が存在している証明です。

禅や哲学者、などの中途半端に悟った者が 、
善悪の存在を否定するような詭弁で煙に巻いている。
「ただ、現実のみが在る」は稚拙な欺瞞です。

義憤と罪悪感が存在するのも現実の一つでしょう。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1262244286/
418渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/18(木) 21:47:50 ID:1iSLT5wR
>>415
>この私の見解は、まだ悟入手前の迷いでしょうか?

 おやおや。涅槃に到達された方らしくもない。このようなことはお気になさるな。

>貴殿は坐禅念仏を提唱しておるようですけど、

 僕は坐禅念仏という言葉を使わないんです。坐禅があっても坐禅が無くても念仏は念仏です。 「ご飯をくださいと」いう場合には、
茶碗に盛ってくださいということです。ご飯を持ってきた人が、いきなり中身だけを床にベチャっと置いていったら、ご飯をくれたことに
ならりません。捨てていったことになるでしょう。
 美術館に行けば絵画は額に入っている。「ワシは額絵画を見に来たんじゃない。絵だけを見に来たんだ。額がついているということ
は考えたこともない。額を外して貰いたい」。こんな風に、美術館でガードマンと口論を始めるのは、本願寺のお坊さんと坐禅修行者
だけだろう。

 坐禅を伴っても伴わなくても、念仏は念仏です。敢えて言えば、親鸞流の念仏三昧では必ず坐禅を伴うと考えてほしいと思います。

 坐禅して念仏申せ。こう教えているのは法照禅師です。唐の時代、中国仏教最盛期に唐朝廷の中で中国仏教を指導していた高僧
です。
 法照禅師は五会念仏という方法を提唱しました。この五会念仏を日本に持ってきたのが円仁大師です。比叡山第三代座主です。円
仁大師が五会念仏を持ってきて日本人は始めて浄土教を知りました。
 日本浄土教は坐禅して念仏を称える法照禅師の五会念仏が輸入されて始まった思想です。

>禅と真宗は、どうも源流が一緒のような気がします

 念仏三昧は、これ真の無上深妙の禅門なり。(五会法事讃略抄 親鸞見聞集 親鸞真筆 専
修寺蔵)

 親鸞は念仏三昧を勧めています。親鸞は自分は禅門に立つという意識を持っていたと思います。これは室町時代の真宗の高僧、存
覚が書いた六要抄という注釈書でも明らかになっていると思います。

 浄土真宗は、徳川時代初期、徳川幕府に宗教としての魂を献上して沢山のご褒美を貰いました。この時、事実上消滅したと思ってい
ます
419神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 23:02:10 ID:iGjYY3j6
>>410 真宗カルト 渡海 難
>殺人鬼加藤智大の貪欲と瞋恚と『無癡』
  言い訳無用。
     ___
   ,;f     ヽ
  i:         i
  |         |
  |        |  ///;ト,    >>
  |    ^  ^ ) ////゙l゙l;   
  (.  >ノ(、_, )ヽ、} l   .i .! |  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
  ,,∧ヽ !-=ニ=- | │   | .|
/\..\\`ニニ´ !, {   .ノ.ノ
/  \ \ ̄ ̄ ̄../   / .

輪廻転生?  心配後無用!!
そんな心配は阿弥陀様におまかせして申しあげ候
阿弥陀様は、死後のことよりこの今のみが大切と気付かせて下さり候。

渡海 難よ、有無の邪見=癡=有見を退けよ。
如・一如の悟りを教えられる阿弥陀『如』来様を思え。

『ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。
 しかればすなはち浄邦縁熟して、調達(提婆達多)、闍世(阿闍世)をして逆害を興ぜしむ。
 浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまへり。
 これすなはち権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲、まさしく逆謗闡提を恵まんと欲す。
 ゆゑに知んぬ、円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は疑を除き証を獲しむる真理なりと。』
                         (親鸞聖人 著『顕浄土真実教行証文類』総序 より)

420机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/19(金) 07:36:47 ID:SemO5xuJ
>>418
>親鸞は念仏三昧を勧めています。親鸞は自分は禅門に立つという意識を持っていたと思います。

そうでありますか。
して、このスレは真宗坊主が数名書き込みしてる、とか?
貴殿が仰いましたけど、>>419は真宗坊主なんじゃないですか?

>渡海 難よ、有無の邪見=癡=有見を退けよ。
>如・一如の悟りを教えられる阿弥陀『如』来様を思え。>>419

これは全く禅門と同じじゃないですかw
(こんなことは、私は既に解っておったことですけどね)

親鸞聖人は「浄土はあるかどうか、わからん」。と市井の人間に言ってるわけで、
この「わからん」というのは「分けられない」。
つまり禅的に言ったら「分別できない」の意ですから、
この「分別できない」が、即ち>>419に書いてある
「如・一如の悟り」ですよ。

ちゃんと真宗坊主は悟っておるじゃないですか(笑

私は長年カルトバスターとして、2ちゃんで活躍してるわけですから、
ある程度は、カルト風味ってのは嗅ぎ分けることは可です。
421神も仏も名無しさん:2010/02/19(金) 08:10:43 ID:/JA8Og72
>>420
>私は長年カルトバスターとして、2ちゃんで活躍してるわけですから、
>ある程度は、カルト風味ってのは嗅ぎ分けることは可です。

ただの常識しか知らないから、それ以外はカルトだもんな。
誰かが共感するわけだw
422渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/19(金) 10:21:38 ID:n1QSvGPZ
>>420
>けど、>> 419は真宗坊主なんじゃないですか?

 そうかもしれませんね。
 >> 419ID:iGjYY3j6さんよ。机さんが言っておるが、おぬし浄土真宗の坊さんだろう。ここには本願寺派の坊さ
んが多いんだが、珍しく大谷派かもしれん。坊主崩れという分類に入るへそ曲がりか。違うか?

>これは全く禅門と同じじゃないですかw

 これが禅門と同じに見えますか?。禅門と同じに見えりゃあ、机さんは悟入にほど遠いと思うよ。言っている
本人は、仏教など、なーんも分かっておらんですよ。多分。
 僕は、賭は好きではないが、負けることのない賭ならいくつやってもいい。もっとも、今、それを証明する手段
はありませんけどね。

>つまり禅的に言ったら「分別できない」の意ですから、

 「分別できないの意です」と分別するよりも、現実を見据えたいものだ。
 少なくとも僕は、「浄土はあるかどうか、わからん」などということは言いません。「浄土はある」といいますよ。

>真宗坊主は悟っておるじゃないですか

 >> 419が真宗の坊さんなら、こういう坊さんには冗談が通じない。
 最近では、過去のしがらみを忘れ、ゼロから親鸞聖人の教えを学ぼうと言う坊さんが現れて来ている。僕は
彼らに期待している。きっと大きな仕事をしてくれるだろう

>私は長年カルトバスターとして、2ちゃんで活躍してるわけですから、
 外なるカルトは見やすいが、内なるカルトは見えにくい。
423机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/19(金) 12:22:27 ID:SemO5xuJ
>>422
>>> 419が真宗の坊さんなら、こういう坊さんには冗談が通じない。

いやいや、私は皮肉とか冗談で書いたものではありませんです。
仏教の根幹でありますから、冗談では書けませんです。

全ては
>如・一如の悟りを教えられる阿弥陀『如』来様を思え。>>419

このフレーズが語ちておるじゃないですか。

>少なくとも僕は、「浄土はあるかどうか、わからん」などということは言いません。「浄土はある」といいますよ。

いやいや「わからん」といふのは、甚深なる仏教哲理が込められております。
これは浄土門でも禅門でも同じ。

>外なるカルトは見やすいが、内なるカルトは見えにくい。

そうですか?私は宗門のことは、よく存じ上げておりませんけど・・・
424渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/19(金) 13:06:39 ID:n1QSvGPZ
>>423
>仏教の根幹でありますから、冗談では書けませんです。
  根幹?
  なるほど。そうでしたか。特に申し上げることもない。

>このフレーズが語ちておるじゃないですか。
    うむ?。まあぁ。なるほど。

>甚深なる仏教哲理が込められております。これは浄土門でも禅門でも同じ。

 そうでしたか。甚深なる仏教哲理が込められておりましたか。なるほど。あなたは、甚深なる仏教哲理を
求めておられるようですね。

>私は宗門のことは、よく存じ上げておりませんけど・・・
  いや。宗門のことを言ったつもりはない。貴方のことを言おうと思っただけです。
425机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/19(金) 14:54:55 ID:SemO5xuJ
>>424
>なるほど。あなたは、甚深なる仏教哲理を 求めておられるようですね。

では、仏教哲理とは何か?
それは非常に具体的であります。
横眼鼻直
あまりにも具体的!!

>日本は抽象性を好む。
>そして抽象性のなかにおいて観念的なものを固定化してしまう。>>351

観念的な「浄土」とか「輪廻」とか、それらを一切排斥しちょるんです。
その排斥した位相を、これ涅槃到達なりや。

         <机龍之介・花押>
426神も仏も名無しさん:2010/02/19(金) 15:05:45 ID:5+MmbLe9
『つつしんで真実の証を顕さば、すなはちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。
 すなはちこれ必至滅度の願(第十一願)より出でたり。また証大涅槃の願と名づくるなり。
 しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即のときに大乗正定聚の数に入るなり。
 正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。かならず滅度に至るはすなはちこれ常楽なり。
 常楽はすなはちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなはちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなはちこれ無為法身なり。
 無為法身はすなはちこれ実相なり。実相はすなはちこれ法性なり。法性はすなはちこれ真如なり。
 真如はすなはちこれ一如なり。
 しかれば弥陀如来は如より来生して、報・応・化、種種の身を示し現じたまふなり。』
                    (『教行信証』「証巻」 聖典註釈版 より)
427渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/19(金) 16:28:42 ID:n1QSvGPZ
>>425
 なるほど。そうでしたか。

 貴方は、言うべきことは全部おわかりになっている方のようです。

 これが、受け売りでなく、自分の魂から発せられるようになって、涅槃に到達するんでしょうね。

 まあ、もうすぐというべきか、これから本当の仏道のスタートラインに立つと言うべきか、まあ
分かりませんけどね。
428神も仏も名無しさん:2010/02/19(金) 16:39:00 ID:9xmBMLbt
>>427  あなたは確か、机氏を評して「横綱」と言ってたような気
がしますが、最近のレスは、とても「横綱」に対するもののようには
見えません。  どうしたことでしょうか?
429渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/19(金) 16:45:30 ID:n1QSvGPZ
>>428
 行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しく 止 とゞ まる事なし。

      いま、今を大事にしていきたいですね。
430神も仏も名無しさん:2010/02/19(金) 16:54:48 ID:9xmBMLbt
>>429    
なるほど、わかりやすく言えば
「あの頃の自分は、勘違いしていた」  と、こういうわけですか?
431渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/19(金) 17:07:57 ID:n1QSvGPZ
>>430
 わかりやすく言えば、「久しく 止 とゞ まる事なし」ということです。
432ネ申:2010/02/20(土) 06:25:07 ID:UXMRVyvi
善修禅
禅醜善 善禅前禅前々善
前々善
禅膳繕 禅善善繕禅膳繕
433神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 00:29:38 ID:GnB5Y0rD
今日、高校の相撲部員が、火事になった家の二階に、外からよじ登って4歳児の生命を助けた。

宗教者は、ひたすら自己満足を追求し、クソの役にも立たない経典などに時間を浪費しないで、
少しは、他人の生命を助けるための知識と精神を身につけたらどうかね。
434神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 03:07:53 ID:kdoJMwS1
435紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/21(日) 03:39:56 ID:pp9CisRM
2008カラテスクール冬季ジュニア大会 1/26(土)大和スポセン
http://www.karate-school.net/newpage137.html

空手や柔道やってる連中は心も強いだろうな。
436机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/21(日) 07:37:04 ID:mjnX11Iw
>>433
>少しは、他人の生命を助けるための知識と精神を身につけたらどうかね。

涅槃に到りますと、そういった自他分別から既に解脱しますね。
カルトが「他人の生命を助ける」などと言ったら、
これは完全な誤りです。
騙されないように。
437神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 07:54:47 ID:BT+mQTOS
まだ、書くのか(^^)
438神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 14:27:04 ID:GdRz1MlS
>>436
>涅槃に到りますと、そういった自他分別から既に解脱しますね。
>カルトが「他人の生命を助ける」などと言ったら、
>これは完全な誤りです。
>騙されないように

「自分の涅槃」「自分の解脱」を求めることこそ、自他分別の典型。人間界は
本質的に共同体だから、他者無しの「涅槃」や「解脱」は存在し得ない。

「他者の生命の軽視・否定」が、カルトの最大の指標。キリスト教、その亜流
であるイスラーム、一向宗による大殺戮を見よ。

生命は、宗教を含む、人間のすべての営みの根源。それをすっかり忘却して、
ひたすら「自分」という自他分別の妄想に基づく、自己満足のオナニーにふけ
っているのが、宗教者の姿である。

「真如としての衆生心」「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の発見こそ、大乗仏教
の最大の特長であるはずなのだが。
439机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/21(日) 16:26:29 ID:mjnX11Iw
>>438
「他人の生命を助ける」とか
「他者の生命の軽視・否定」とか、
そもそも自他不二だから、
他人(他者)とは対立しない。

>>419の真宗坊主の書いた
「如・一如の悟り」というのは、そういう意味だよ。
(私はそういうふうに解釈している)

全ては「慈悲喜捨」だよ。
440神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 18:23:51 ID:GTuz1rmE
大乗って要はどんな事をするわけ?
441神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 20:25:15 ID:BT+mQTOS
>>440
基本的な構造はテーラワーダと違いません。
違いは一切智・如来になることが目的だから、より難しく深い。
例えば、戒定慧の三学と六ハラミツを比べてみましょう。
六ハラミツは戒定慧に布施、忍辱、精進が加わります。

これは何を意味するかといえば精進は、別にして、
他者の視点、利他が加わっているということを示しています。
なぜかというと、一切智・如来になるためには福徳資糧を積まなければならないからです。

この他に別解脱戒を犯したというわけでなく、過去世の罪障を懺悔します。
これは福徳資糧を積むのと逆に過去世の罪障を全て浄化しなくてはなかないからです。
テーラワーダでこのような行をしないのは一切智・如来を目標としてないからだと思います。

その他、菩提心、廻向、普賢行、誓願があります。

それと無我でなく空となるのも重要です。

およそこんな違いでしょう。
442神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 22:38:50 ID:5ncqkvbu
菩提心の話が無い
443神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 22:39:45 ID:5ncqkvbu
>その他、菩提心、廻向、普賢行、誓願があります。
あったか。だが重要性の割りに扱いが小さいな。
444机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 07:18:32 ID:F6L2zrcj
>>442
菩提心については、真宗坊主が書き込みしている
>輪廻転生?  心配後無用!!
>そんな心配は阿弥陀様におまかせして申しあげ候 >>419

これだろうね。
衆生は「浄土があるかどうか、わからんけど」それでもなお阿弥陀如来に
御すがりするほか手立てはない。
「全て阿弥陀如来にオマカセ」→これが菩提心。

この時点では阿弥陀如来を対象化して帰依するが、
この如来が対象化から「一如」となった瞬間こそ「悟り」。

禅でいう「即心即仏」より「非心非仏」への瞬間。
>阿弥陀様は、死後のことよりこの今のみが大切と気付かせて下さり候。>>419
禅門も浄土門も同じ。

輪廻転生(つまり状況)と「自分」は対立(相対)しない。
これが「一如の悟り」。
445神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 07:35:20 ID:dg+USu+t
>>444
>輪廻転生(つまり状況)と「自分」は対立(相対)しない。
>これが「一如の悟り」。

それにしては、浄土真宗は対立ばかり。とんでもないカルト宗教。佛教の
キリスト教と呼ばれる所以である。
446神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 08:19:36 ID:Z2Oq1a8u
「悪人正機説」もおかしい(尤も、これは、法然のパクリだそうだが)。

人間を「善人」と「悪人」に分別した点で、既に落第。渡海氏の書き込みにも、
「悪人正機」の陰も形もない。

「原罪」で人間を脅迫して入信を迫る、キリスト教と同様の悪質な布教手段である。

「悪人正機」をいうなら、「どんな悪人でも、その生命の尊さは同じ」、即ち、
「罪を憎んで、人を憎まず」の意味に解釈すべきであろう。
447神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 08:47:37 ID:rjx0SIqh
>>439
>そもそも自他不二だから、
>他人(他者)とは対立しない。

「自分サイド」から見た「自他不二」では「一如」にはなりません。
それは「エゴ」「自己満足」でしかない。あくまで、他者サイドから
見なければならない。「一如」を可能にするのは、「生命」という共通
の基盤にみです。
448神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 08:50:39 ID:nW/rTo7M
>>447の訂正
×基盤にみ
○基盤のみ
449机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 09:02:13 ID:F6L2zrcj
>>447
そもそも一如ですから「自分サイド」も「他人サイド」もない。
一如ですから、「助ける」も「軽視」も「否定」もない。

>、「生命」という共通 の基盤にみです。

生命とか、非生命、などと、対象化はできない。
一如ですから。
450神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 09:16:20 ID:ZFSZFYIN
妄想は他所でどうぞ。異論を述べるなら、典拠を示しましょう。
451机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 09:34:00 ID:F6L2zrcj
>>450
すいません。
今までの書き込みは全て妄想ですw

>典拠を示しましょう。

ありませんです><
452渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/22(月) 09:58:58 ID:nUJ+ZEbn
>>446
>「悪人正機説」もおかしい(尤も、これは、法然のパクリだそうだが)。
      お釈迦様の教えだ。

>人間を「善人」と「悪人」に分別した点で、既に落第。
      なるほど。

>渡海氏の書き込みにも、「悪人正機」の陰も形もない。
   渡海氏には人間を「善人」と「悪人」に分別する落第点はないということだろう。当然だ。

>「原罪」で人間を脅迫して入信を迫る、キリスト教と同様の悪質な布教手段である。

 浄土真宗で原罪など聞いたことがない。
  国家・社会は、常に過去を背負い、切れ目無く連続している。
 八〇年代、九〇年代、日本経済をさんざん食い物にしていた連中がたくさんいた。彼らは、困窮を極めている現代の二〇代、
三〇代世代に対し、罪はないということか。
 北方領土が奪われ、竹島が奪われ、国土が外国に侵略されていても、日本は手も足も出ない。これは、1920〜40年代の
国の指導者が国策を誤ったからではないか。これによって、日本外交は今なお足かせを負っている。彼らには責任はないとい
うのか。
 現代の日本は莫大な借金を背負っている。これを減らしていく努力、これは今我々がしなければ、これから生まれてくる子孫
達は、さらに困窮を極めるだろう。現代の我々には、将来の子孫に対する責任はないということか?
 常に我々は過去を背負うとともに、未来に向かって責任を負っている。過去の過ちはできるだけ精算し、解決を図り、未来への
負担をできるだけ軽減し、子孫には明るく生きていってもらえるようにしなければならない。
 いまさえ自分達が儲ければいいというのは、恐喝的手段で地上げをしていた八〇年代、九〇年代の悪徳不動産屋の思想だ。
 これではいかん。それが、お釈迦様の思想をパクッた浄土真宗の輪廻思想です。

>「悪人正機」をいうなら、「どんな悪人でも、その生命の尊さは同じ」、即ち、「罪を憎んで、人を憎まず」の意味に解釈すべきで
あろう。

 浄土真宗など脇目もふらず、貴方は貴方が信じる一本道をひたすら進んでいくといいでしょう。すばらしい思想は、
浄土真宗になどに脇目もふらずとも、外にすばらしいものはたくさんある。
453神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 09:59:32 ID:ZFSZFYIN
それはみんな知ってるので、別にあらためて宣言しなくても結構です。

妄想なら、他所でどうぞ。
454ウソツキ病禅机:2010/02/22(月) 10:06:45 ID:2w7PsX+k
嘘の禅をやめない奴だなあw
六祖慧能は、四句の偈で、
不立文字、  うそつき机の様に、「脳の中枢」空と色のマヌケな形式等の言語化否定
教外別伝、  うそつき机の様に、「脳の中枢」空と色のマヌケな形式等の言語で伝えられない
直指人心、  そういえば、ウソツキ机は、不立文字、教外別伝を知らずに、意味知らずに、これを黄門様の印籠みたいに出していたなw
見性成仏、  むろん、禅は実用性、生活性からはじまるから、不立文字、教外別伝なので、当然「脳の中枢」空と色のマヌケな形式等の言語化否定

また、禅では、強いて形式的なパターンで言えばウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式ではない、四つのパターンが臨済録に書かれているw当然言語化形式化否定前提。
また、ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式はどの教派、大乗仏教のどこにもない、机のウソツキ妄想。
禅においては、唯識法相ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式にもある、内外一如と言う要素があり、そこから、実用性、生活性のある禅がはじまる、維摩経にも「不二の法門」と言われ、
ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式や、「脳の中枢」と言う客体的認識は否定される、
ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式は、当然主体、客体の分離でなっており、一如、不二ではない、二元、二分認識で書き込む、
あと、論理的文献マヌケくんが、論理的とか、こだわるが、
禅以外の大乗仏教、唯識法相、天台は論理的にあるが、
それは悟りの世界を論理的に形式的に現せられているのではない、
悟りに至らない迷いの世界を論理的分析しているのだ、
故に、ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式や、論理的文献マヌケくんが、論理的なものとして、の悟りはありえない。

455ネ申:2010/02/22(月) 10:16:46 ID:O8fEjmIj
行が進めば後戻りできない
観が悪を退ける手助けをしてくれる先人たちもいるし
音が悪ければ渇を入れる先輩もいる

笑顔の向こう側まで見通したら
愛らしさの秘密に触れるでしょう

防人之心不可無
害人之心不可有
男の花道

 気を許したら掘られるぞ
456渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/22(月) 10:18:55 ID:nUJ+ZEbn
>>446 つづき
 浄土真宗などに顔を向けなくても、すばらしい宗教はたくさんある。宗教に対して
は、批判という立場、つまり反宗教というスタンスもある。宗教などには全く関心を
持たない無宗教という位置ですばらしい結果を残している賢人も極めて多い。
 浄土真宗はマイナーな宗教です。本願寺浄土真宗は、徳川時代初期に幕府に
魂を献上した時、莫大なご褒美と引き替えに、いったんその命を終えたようです。
 その後約四百年、ひたすら外道の道を歩んでいます。その道は、およそ、仏教
とは相容れません。

 最近、仏教の命を復活させようという坊さんが、少しずつ現れてきています。今
はまだ、微力です。社会の陰に隠れています。彼らは大きな仕事をしてくれること
を僕は期待しています。これは栄誉あるすばらしい、しかし大変険しい道だと思っ
ています。
457400氏へ、:2010/02/22(月) 10:20:59 ID:2w7PsX+k
まあ、臨済禅的、血祭り魔王キャラはやめておこうと言う遠慮はあるけどね、
論理的迷い分析の得意な天台、唯識法相を用いて、机のウソツキ病を分析して、悟りの道を提示して遊ばしてもらうよ、
スルーしたところで、奴のウソツキシコシコ垂れ流しは止まるまい、カルト相手に書き込み止めないだろうし・・・

机のウソツキ病分析から、悟りの道プロジェクト・プログラムとしては、
禅は机にモッタイナイということで、
論理的でない路線、真言宗(新義豊山派)、観音信仰、修験道、
机の妄想ウソツキ具体的分析論理路線、天台、唯識法相宗、
浄土教路線、時宗、西山浄土宗、浄土宗、浄土真宗、
と各教義及び、禅定智慧に基づいて、妄想ウソツキ病机から、悟りへの道を模索してみようw」
458神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 10:24:39 ID:ZFSZFYIN
>>454
>あと、論理的文献マヌケくんが、論理的とか、こだわるが、
>禅以外の大乗仏教、唯識法相、天台は論理的にあるが、
>それは悟りの世界を論理的に形式的に現せられているのではない、
>悟りに至らない迷いの世界を論理的分析しているのだ、
>故に、ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式や、論理的文献マヌケくんが、論理的なものとして、の悟りはありえない。

これは誤解ですね。そうなると仮象と実在、世界内存在と世界外存在、
マーヤー(幻)とブラフマン(真実)といった解釈をすることになり、
それはただ三昧体験と非三昧体験を区別しているに過ぎません。

こういう見解は禅の誤解以外のものではないでしょう。
そして縁起・因果という論理を無視するなら、もはや仏教ではないでしょう。
459修正w:2010/02/22(月) 10:25:55 ID:2w7PsX+k
嘘の禅をやめない奴だなあw
六祖慧能は、四句の偈で、
不立文字、  うそつき机の様に、「脳の中枢」空と色のマヌケな形式等の言語化否定
教外別伝、  うそつき机の様に、「脳の中枢」空と色のマヌケな形式等の言語で伝えられない
直指人心、  そういえば、ウソツキ机は、不立文字、教外別伝を知らずに、意味知らずに、これを黄門様の印籠みたいに出していたなw
見性成仏、  むろん、禅は実用性、生活性からはじまるから、不立文字、教外別伝なので、当然「脳の中枢」空と色のマヌケな形式等の言語化否定

また、禅では、強いて形式的なパターンで言えばウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式ではない、四つのパターンが臨済録に書かれているw当然言語化形式化否定前提。
また、ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式はどの教派、大乗仏教のどこにもない、机のウソツキ妄想。

(下記修正)
禅においては、唯識法相にある内外一如と言う要素があり、そこから、実用性、生活性のある禅がはじまる、維摩経にも「不二の法門」と言われ、

ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式や、「脳の中枢」と言う客体的認識は否定される、
ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式は、当然主体、客体の分離でなっており、一如、不二ではない、二元、二分認識で書き込む、
あと、論理的文献マヌケくんが、論理的とか、こだわるが、
禅以外の大乗仏教、唯識法相、天台は論理的にあるが、
それは悟りの世界を論理的に形式的に現せられているのではない、
悟りに至らない迷いの世界を論理的分析しているのだ、
故に、ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式や、論理的文献マヌケくんが、論理的なものとして、の悟りはありえない。

460ネ申:2010/02/22(月) 10:33:21 ID:O8fEjmIj
    _, ._
  ( ・ω・)
  ○={=}〇,
   |:::::::::\, ', ´
、、、、し 、、、(((.@)wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
461神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 10:34:28 ID:ZFSZFYIN
>>457
>論理的でない路線、真言宗(新義豊山派)、観音信仰、修験道、
>机の妄想ウソツキ具体的分析論理路線、天台、唯識法相宗、
>浄土教路線、時宗、西山浄土宗、浄土宗、浄土真宗、
>と各教義及び、禅定智慧に基づいて、妄想ウソツキ病机から、悟りへの道を模索してみようw」

すいませんが、もうちょっと視野を広くもってもらえませんか?
インド、チベット、シナ、モンゴル、スリランカ、ビルマ、
タイ、カンボジア、ベトナムなど

私が知る限り、因果を無視する仏教はありません。
たとえ因果を超えるという境地を認めるにしろ、
その境地に至っても因果は尊重します。

禅についてそれほど知りませんが、
百杖野狐の『無門関』以降、野狐禅といわれ因果無視の態度は
禅の主流では否定されていると思いますが、道元禅師もそうですよね。
462真言宗(新義豊山派)路線で論理病退治?:2010/02/22(月) 10:44:58 ID:2w7PsX+k
さて、真言宗(新義豊山派)路線でやってみるか、
真言宗自体は、禅の論理的提示否定、インドにおける、否定論理派の流れがある、
禅おいても、北宗禅の迷いの論理分析階梯漸教派、南宗禅の否定論理頓悟派の対立があり、
インドの中観派論争が行われたようにある。
また、空海と最澄の対立も同じパターンだった、最澄の方が、迷いの論理分析階梯漸教派で、北宗禅を学んだとされている。
禅との違いは禅定の領域を仏心としたところ、シンボル化したわけだが、

真言宗(新義豊山派)は、古義真言宗との違いは阿弥陀仏を想定、根源的志向がある、古義はパワー路線、
でもまあ、現在の高野山真言宗は、パワー路線と言うのもあるが、柔和慈悲中心路線だな。

真言宗(新義豊山派)よりの著作者の空海語録をネタとして遊ぼう。

新義豊山派の禅定に自動的にライディングしながら
論理文献病君や、ウソツキ机君に縁がない菩提心の語録からはじめよう。
「仏の眼で世界を観れば、すべての人、すべての生きものが自分の親である」
(教王経開題)
ウソツキ机君の場合はすべての人はマヌケに見えるのだろう。

「菩薩の心はすべて慈悲をもって基本とし、まず人のためを先に考える」
(秘蔵宝ヤク)
ウソツキ机君は虚栄心をもって基本とし、自己の垂れ流したい快楽を先に考える、というところかね。
463真言宗(新義豊山派)路線で論理病退治?:2010/02/22(月) 10:48:40 ID:2w7PsX+k
461氏へ、チベット仏教、南方仏教でも、かまわないが、
ワイ、文献病学者達と違って、それぞれの禅定ライディングはできるからねw
それぞれの仏教教義と禅定にライディングしながら、遊びたいのさ、
文献病学者君達のような、禅定、智慧のない知識学問論争に関心ないねw
464ネ申:2010/02/22(月) 11:02:27 ID:O8fEjmIj
           _, ._
          (・ω・ )
          ○={=}〇,
           |:::::::::\, ', ´
www2w7PsX+k、、、、、、し 、、、(((.@)wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
465真言宗(新義豊山派)路線で論理病退治?:2010/02/22(月) 11:03:15 ID:2w7PsX+k
因果論とかだが、
結局、禅のねらいは、否定し倒しての究極点から日常実用応用(因果の論理でなく、因果の直観的直接的把握をなす)
天台、南方仏教、唯識は、「迷い」の因果の把握、故に論理的である。悟りそのものは迷いの因果の論理を把握し断絶する、
手法の違いなんだけどね。
あと、事事無碍法界、理事無碍法界とか、日常解釈ていう、
難しい要素が大乗仏教にあり、
フィギィヤ・スケートの浅田真央のコーチが、最初に、「空間の支配をせよ」
ていう、空間操作的感性が論理的な唯識から始まっているんだなあ、
禅に至ると政治家闘争顔負けの心理操作能力を鍛えようという実用性が要求される、
ウソツキ禅机の空と色の形式、学問など、アホくさい。
466机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 11:08:24 ID:F6L2zrcj
すいません。
>>449はマジだ書いたつもりですが、
少々、質問箱では適当ではありません。

誤解を与えることがありますので、
暫くは書き込みを控えます。
467真言宗(新義豊山派)路線で論理病退治?:2010/02/22(月) 11:08:41 ID:2w7PsX+k
464 :ネ申は、ワシは人間的には駄目だが、禅定の天才と知らず、
キリスト教世界では預言者クラスとは知らぬだろうw
468真言宗(新義豊山派)路線で論理病退治?:2010/02/22(月) 11:11:04 ID:2w7PsX+k
空と色の形式とか、脳の中枢を語る、ウソツキ禅机に「一如」などなしw
主体、客体で学問的に二分し不二、一如、崩壊、
まさに、ウソツキ禅w
469真言宗(新義豊山派)路線で論理病退治?:2010/02/22(月) 11:13:59 ID:2w7PsX+k
ウソツキ禅机、二度と来るなw
げった・あうと!
470ネ申:2010/02/22(月) 11:21:25 ID:O8fEjmIj
飛べないなら
突き落とすよ
471言宗(新義豊山派)路線で論理病退治?:2010/02/22(月) 11:25:40 ID:2w7PsX+k
机が再来した時にまた再び、宗派別、禅定、智慧、教義、悟りへの道講座をはじめようw
机の再来まで休止としようw
机という妄想ウソツキ素材は大事だ、煩悩即菩提が故にw
472机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 11:29:47 ID:F6L2zrcj
>>471
>悟りへの道講座をはじめようw

いやいや、私は遠慮しとくよw
真言宗じゃ〜話は噛み合わないのは解りきってる。
473言宗(新義豊山派)路線で論理病退治?:2010/02/22(月) 11:31:56 ID:2w7PsX+k
十善戒で、机のウソツキを指摘可能だね、
浄土宗ですら、ウソツキを繰り返し理屈をこねる机を指摘可能w
474真言宗(新義豊山派)路線で論理病退治?:2010/02/22(月) 11:40:04 ID:2w7PsX+k
真言宗も妙観察智を想定しているから、机ウソツキ妄想いじり放題、たのしかあw
大乗仏教の基本も知らないレベルの机が故に、
まあ、459の禅の意味合いが理解できるなら、話はかみ合わない、可能性は認めるけどねw
ウソツキ机には無理だろうw
475ウソツキ机黄門のエンディング:2010/02/22(月) 12:01:59 ID:2w7PsX+k
うそつき机の書き込みの最後は、いつも、水戸黄門のようにw
「この紋所が眼にはいらぬかーーー」
的な意味も理解していない禅用語で終わるw

で、俗語の意味合いの「禅問答」扱いされて終わり、
机のウソツキ妄想は永遠の輪廻のように繰り返すw


476神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 12:08:20 ID:EyfDEQr4

仏教を感じるのに、直ぐに善悪真偽観念を持ち出す論がある。

儒教的感覚に毒されすぎと思ふ。

仏教は日本的もののあはれ(源氏)に非ず、あるがままなり。
477ネ申:2010/02/22(月) 12:09:24 ID:O8fEjmIj
飛ばない言い訳をすると思ったら
翼がなかったのか?
残念だが奈落へ突き落とす
羽が生えてないヒヨコはおまえだよ
478神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 12:10:30 ID:2w7PsX+k
>仏教を感じるのに、直ぐに善悪真偽観念を持ち出す論

まあ、禅定と智慧のない世界では、それが起きる。
禅定と智慧を得て、初めて、
>あるがままなり。
を知る。
479神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 12:17:47 ID:2w7PsX+k
477 :ネ申向けに手の内を軽く見せると、ゴ・インキョー将軍様の指摘を受けるが・・
聖書理解もまあ、聖霊が来ないと理解不能、
さらにキリスト教の伝統神学問題は、信仰告白ウェイトが激しすぎて、
ゴ・インキョー将軍様のお得意の宗教戦争がおきる、

何がたりないか?
「救いたまえ、憐れみたまえ」は自分の為で終わり、
他者への眼差しが持っていない、神学上確立されなかった、
ゴ・インキョー将軍様のネタになるが、
プロテスタントのカルバンのセルベトスの処刑がある、
セルベトスの自由神学を認めないカルバンが、処刑の許しを請うのに、処刑、
セルベトスの許しを請う、その言葉は「憐れみたまえ」だった、
480ネ申:2010/02/22(月) 12:19:09 ID:O8fEjmIj
一歩前へ進めば分かち合える
羽を残せばついてこれる
成せば成る
481夢か?机をネタにボチボチ初転法輪:2010/02/22(月) 12:31:02 ID:2w7PsX+k
机くるまで休業か・・・
482机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 12:34:28 ID:F6L2zrcj
>>476
>仏教を感じるのに、直ぐに善悪真偽観念を持ち出す論がある。

まあ、それは全くそのとおりなんだけど。
それがあるから2ちゃんはオモシロいw

全員が納得したら、そもそも板の存在理由がなくなるw

・・・ほどほどに。
483夢か?机をネタにボチボチ初転法輪:2010/02/22(月) 12:36:23 ID:2w7PsX+k
机引退宣言、どうやら撤回らしいw
楽しみが減らずにすんだw
484ネ申:2010/02/22(月) 12:37:23 ID:O8fEjmIj
尻を蹴られてんじゃねーか
何の罰ゲームだよ
485机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 12:38:49 ID:F6L2zrcj
>>481
私と語ちるなら、
せいぜい仏教の基本くらいはマスターしとかないとな(笑
仏教のコアを語ちるにも、
それが解らんようでは・・・
かえって法を貶める。
486夢か?机をネタにボチボチ初転法輪:2010/02/22(月) 12:39:30 ID:2w7PsX+k
そのうち、机の妄想、ウソツキ書き込みの情報処理システムも、机の情報処理パターンの形式をまとめられる日が来ることだろうw
机の煩悩、迷いには形式、パターンで提示可能だからね。
487夢か?机をネタにボチボチ初転法輪:2010/02/22(月) 12:44:39 ID:2w7PsX+k
仮説、机の脳の情報処理システムw

:神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 14:04:28 ID:LOWjG8va
机君の脳の情報処理を分析してみよう。
机脳は次の様に情報処理がなされる。

A机の虚栄心欲望の発生
       ↓     
B机のいい加減な禅知識→C虚栄心に犯された机の禅用語の書き込み
                  ↓
            的確な机の禅知識と悟りの否定
                  ↓
           D虚栄心による哀れな防衛心が発生
                  ↓
                  1とぼける
                  2優位妄想のために余裕を見せ見栄はる。
                  3無視する
                  4ごまかす
                  5黄門様印籠方式、禅用語で終わる。
488机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 12:46:09 ID:F6L2zrcj
>>486
そんなに私を持上げんでもいいよw

2ちゃんねるガイドに掲載されるのは、今後辞退するw
489ネ申:2010/02/22(月) 12:56:50 ID:O8fEjmIj
心を受け止めれずに否定に走り分析すれば
道を外れるしいつまでたっても相手を受け入れない

神教の欠点が狂信的な邪だとすれば
仏教の欠点は偽者が多いことだろうね

 それにしても男のおしゃべりはつまらん本当につまらん
490神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 13:10:25 ID:ZFSZFYIN
私は真言宗のアジャリなんですが。
『十巻章』『十住心論』など真言宗が教相と言われる論理・文献を重視するのは明らかなことでしょう。
491渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/22(月) 16:38:51 ID:nUJ+ZEbn
>>454
いくら2ちゃんねるとは言っても、嘘つき嘘つきと連呼する行為は見苦しい。
 貴方の書き込みのどこにも嘘つきの根拠となることはないようだ。

 これは間違いなく嘘をついているというところを、一つでも具体的示して欲しい。

 机さんには、誤解があるかも知れない。未熟な部分があるかもしれない。しかし、嘘はつい
てないだろう。
 誤解と言っても、それを誤解と立証できるものもないと思う。

 なんとなく違和感があるというだけで、嘘つき連呼することは、恥ずかしいことだ。
 思想は自由であると言うことを忘れたくない。
492神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 17:05:33 ID:ZFSZFYIN
>>491
過去に何度も嘘も誤解も論証されてますよ。

その嘘も誤解も一度も認めたことはない。

二人ともどっか別のところで存分にやってくれませんか。
493神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 17:10:23 ID:0Fma1/OJ
つーか、渡海はスレ建てるべきだろ?
別に、机云々じゃなくて、
「浄土門の教えと他の思想(宗派・宗教含)との関係等」
についてツッコんで考察したいなら、然るべきスレで行う方が有意義だと思うぞw
494机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 17:12:31 ID:F6L2zrcj
>>492
いやいや、私が書いた>>449は勝義諦であって、
嘘ではない。

ただ勝義諦は誤解が生じる恐れがありますから、
私が落ちただけ。

勝義諦を私が書いたのが間違っていた。
>>449は、思慮を超えますので「質問箱には相応しくない」。
ってこってす。
495神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 17:18:28 ID:e0PTcFzx
宗教は、「自分の心」や「教典」など、「身体や具象を離れた観念」に執着し過ぎ。
すべての人間に共通する「唯一の普遍の基盤」は「生物的生存本能(生命)」で
あり、共同体においては、「他人の自分の心」や「観念」などは、他人の知った
ことではない。唯一の関心事は、「自他の生存を助け、または脅かす、具体的行為」
である。このことは、時代を問わず、唯一の真理である。
宗教も、共同体の他の成員にとってはドーでもい「自分の心」に対する執着を去り、
「生命とそれを支える具象物(自然)」とに、その基盤を移す努力をすべきではないか。
ギリシャ哲学、キリスト教を経由した、デカルトの「我思う、故に我あり」の「肥大した
自我意識」こそ、諸悪の根源。そして、人間を含むいかなる生物も、「独り」
では決して生存できず、すべて共同体を形成して生存を続けている。
その意味で、竜樹の「相互依存性・関係性(縁起・空)」の思想こそ、人類の
今後の存続にとって不可欠な基盤ではあるまいか。
キリスト教の神学者でさえ、「キリスト教が今後向うべき方向は、佛教の空である」
と言っている。しかし、キリスト教や西欧思想にそれを期待するのは、原理的に不可能。
人類の将来を支えるのは、大乗仏教(小乗仏教ではない)と言っても過言ではない。
「佛教のキリスト教化」が最も懸念されること。その兆しは、このスレにおいても、
明白に表れている。即ち、「身体・具象を離れた、ドーでもよい心の偏重」である。
「神仏概念を含む架空の観念」から、「具象としての人間及び自然」並びにそれらの
「相互依存性・関係性」の自覚へのパラダイムの大転換こそ、現代人の今後の人類の
存続のための喫緊の責務であろう。
「自分」から「他者」へ、「心」から「身体」へ、「個」から「関係性」への
パラダイムの転換の兆しは、西洋哲学においてさえ既に表れている。しかし、
「自我観念」に毒された西洋哲学では、原理的に不可能であると断言できる。
496神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 17:21:42 ID:0Fma1/OJ
>>495
スレ違い。
497神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 17:29:18 ID:lM47gWM1
>>496
「スレ違い」どころか、「スレの核心」。

「その意味で、竜樹の「相互依存性・関係性(縁起・空)」の思想こそ、人類の
今後の存続にとって不可欠な基盤ではあるまいか」と言っているではないか。
498神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 17:35:36 ID:0Fma1/OJ
>>497
お前、「美味しんぼ」読んだことあるか?w


もし、それなりに読んでいるなら意味は解る筈だw
499ネ申:2010/02/22(月) 18:04:36 ID:O8fEjmIj
排他になってると自我意識を尊重できないのだろう
邪念を抱く自我意識は引っ込んでな

自我への尊重がないから他人の心にまで干渉する
器が小さい人間に論理を渡せばそうやって魔物になる

国民性がネガティブなんだろうけど
正見できない人間が他人を尊重できるわけないだろ

西洋哲学を攻撃してる時点でレベルが知れる
正しくはどっちも一歩前へ出ろ、だ

 カルトにも人権が与えられてる自由に感謝しろ
 順序が間違ってるからカルトは狂うんだよ
500神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 18:46:31 ID:2DTx2MJT
>>495
「具象としての人間及び自然」並びにそれらの
「相互依存性・関係性」の自覚へのパラダイムの大転換

って具体的なにをする事を言ってるわけ?
501神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 19:11:58 ID:wRbdnrf2
>>500
程度の差はあれ、大昔の開祖の精神病の症状に過ぎない「ドーでもよい観念の
遊戯」である創唱宗教などに、何時までもしがみ付くな、ということ。
502神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 19:24:09 ID:cy8g0wDQ
宗教を全て捨てて、でどうしろと?
お前が代わりに死後を解明してくれるのか?
503神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 20:02:16 ID:2DTx2MJT
>>501
キリスト教を廃止しろっていいたいわけ?
504神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 20:17:04 ID:0qlSw4ml
>>502
「死後の解明」だってwwwww。

「死」とは、感覚器官も思考器官も、その機能をすべて失うこと。

「死後の世界」があろうとなかろうと、知覚・認識できないのだから、人間には
関係ない。すべてが「無」であり、大いなる平安と休息である。さもなければ、
火葬の火の熱さにもだえ苦しまなければならないことになる。

死ねば無になるからこそ、限りある生をひたむきに生きようとする意欲が生じる。
死があるからこそ、生が有り得、生が輝く。これこそ、竜樹の「万物の相対性・
相互依存性」である。
505神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 20:20:52 ID:0Fma1/OJ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260526984/

全員さっさと移動しろw
506神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 20:51:28 ID:cy8g0wDQ
>>504
なんだ。素朴無神論者か。
507神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 20:56:22 ID:YYX4YI1h
>>503
キリスト教及びそれと類似の、若しくはそれを真似た宗教。原始仏教や浄土真宗
も含まれる。日蓮宗や密教については良く知らないが、「「具象としての人間及び自然」並びにそれらの
「相互依存性・関係性」の自覚」という要件は満たしているのではないか。

クリスレは、「神様」「イエス様」と、もはや狂乱状態。明らかに、イエス
やパウロの狂気の感染である。イエスの統合失調症とは異なり、釈迦は鬱病
という「気分(感情)障害」であり、「人格の崩壊」にまで到らなかったこ
とは、不幸中の幸いであった。それが、佛教が、浄土真宗その他一部の宗派
を除き、2500年間、ほとんど人を殺さなかった原因である。
508神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 21:04:25 ID:cy8g0wDQ
人間死ねば無になって終わりなら、生まれてきた意味も無いな。
始めから生まれない方がラクで良かったのかもな。
509神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 21:14:13 ID:cXQZNYkt
>>508
そう言いながらも、2ちゃんを楽しんでいる君w。「苦あれば、楽あり」「楽あれば、苦あり」
である。

人間とは、気付かないながらも、実は「今生きていること自体」に、喜びを感じているものなの
だよ。

無理して、釈迦の鬱病の真似をしなくてもよろしい。
510神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 21:20:12 ID:cy8g0wDQ
でも死ねば無になる。それなら生まれてきた意味なんて無いよな。
人生に意味も無い。悟りなんて意味無いから、死ぬまで思いっきり楽しんだもの勝ちだな。
511神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 21:20:24 ID:0Fma1/OJ
御隠居は、「苦と楽が表裏である」ということに気付いたことが無いのだろう・・。
512神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 21:55:21 ID:PKZ0rONu
>>510
違うぞ。それは違うぞ。

快楽ばかり追い求めてたら死の間際、後悔して死んでいく事になる。
力一杯生きて満ち足りて死のうぞ。
513神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 22:21:49 ID:Qs1I3AGP
>>511
しかし、苦よりも楽(生の喜び)に方が大きいから、人類は存続を
続けている。

例えば、家族のことを案じるのは、一見苦だが、実はそれが大きな
喜びであり、生き甲斐を与えてくれているのである。

釈迦は、そのことに思い至らなかった。
514神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 22:29:12 ID:0Fma1/OJ
>>513
だからwww

何度も言うように、
【その選択をする人がいてもいい】し、【それが、主流であっていい】んだよ。

ただ、
【そうでない「在り方」を望む者に対して、「こういう道もあるぞ」と自身の姿、生き方を以って示した】
のがお釈迦さんだったってことだ。


お前には、百億年経っても解らないだろうな・・・w
515神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 00:31:51 ID:Tf0FmIx9
>>514
それは、釈迦の精神病の症状であることを自覚せよ。既に述べたように、釈迦
佛教は、カルト宗教に過ぎない。精神医学がなかった当時には、そのことが
分らなかっただけ。

精神病とは、平均的一般人の心理からの、有意な逸脱を言う。
516神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 00:35:43 ID:urU2wR+G
>>515
で、君は幸せなの?
毎日に満足して納得して生きてるわけ?
俺にはそうは思えないんだが・・・
517神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 00:53:02 ID:vNBKqGeC
>>516
納得しても、しなくても、あるがままが人生だ。それを自覚することを、
「悟り」と呼ぶのだよ。

少なくとも、カルト宗教に嵌るような人生ではない。

物質的充足のなかった古代人の生存は、少なくとも現代より数百倍も
困難であったことは、ちょっと考えてみれば分ること。それでも、人類は
営々として生存を続け、ますます繁栄している。

ほんの一昔前の戦中戦後に比べても、現代はまさに地獄と天国の差だ。
やるべきこと、やれるべきことは無数にある。その幸運と、先人の労苦
に感謝して、人助けのためのあらゆる分野を極めている。宗教撲滅も、
その一つである。
518神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 01:02:58 ID:urU2wR+G
>>517
いやいやそんな話をしてるんじゃなくて
俺の見たところ君はものすごく不幸に見えるんだよ
怒り、妬み、恐怖、傲慢、劣等感、そんなものが君から見てとれる。
そんなことじゃきっと集団生活でも孤独だろうし、この現実世界で苦しい目にあってるだろう。
君が宗教撲滅とか言うのは君の自尊心とか、優越感とかから来てる欲望だろ?

君の悟りの定義で言うと、あるがままの人生を自覚するのが悟りなんだろ?
ならカルトに嵌るのもまたあるがままの人生だ。そうでしょ?
いいじゃない。それで。
519神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 01:19:51 ID:EEM49fLT
>>513
その楽が楽であるには不可欠に苦を要する、という状況に縛せられていて出離出来無い。
それが、一切行苦ということの一側面。

受の内容が苦であろうが、楽であろうが、非倶であろうが、
受が縁って起ること、それが、そのまま苦だということ。
縁已生だから任意に出来無いから。
また、非任意だからこそ、任意にしたいと、もがき、あがくわけで、
それもまた苦。だから、何処までいっても苦なんだよ。
520神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 01:26:51 ID:KObglhko
>>518
あるがままとは、「平均的多数人」のあるがままだよ。精神障害の宗教
開祖のあるがままではない。それを「社会常識」と呼び、人類が長い長
い生存の努力により築き上げた、共生のための知恵。人間の一挙手一投
足、社会常識に支配されていないものはない。さもなければ、共生に支
障が生じるからだ。人間は、オギャーと生まれただけで人間になるので
はない。社会常識を身につけて、初めて人間となる。

その社会常識からの逸脱を生じさせる人為的営みを、宗教またはカルトと呼ぶ。

同じ人間同士が宗教故に争い合い、殺し合う中東の惨状を見ながらも、
未だに宗教に縋る心理は、狂気以外の何物でもないのではないか。

論理的な反論に窮すると、「怒り、妬み、恐怖、傲慢、劣等感」などの
「感情語」しか使えないのも、宗教者の特徴。宗教や教祖は絶対に批判
できない心理状態に陥っているため、専ら他の人間を感情的に非難する。
それが、宗教紛争の原因であることを、理解する必要がある。
521神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 01:43:50 ID:urU2wR+G
>>520
ようするに、君の言うあるがままってのは、あるがままではないってことね?
だってそうだろw あるがままを認めるのが悟りだって言いながら、あるがままは平均的多数人(?)のあるがままだって、そんなのあるがままでもなんでもないよ。
で、その平均的多数人って誰の事?
平均で言うなら世界はキリスト教徒が一番多いから、キリスト教徒が平均的多数人になるけど?
日本なら仏教徒かな。

いや俺が言いたいのはさ、君ってそんな事言ってて幸せなの?ってこと。
キリスト教の人とか割と幸せそうだよ
みんなで教会行ったりして。結構やつら仲良くやってる。真宗なんかもみんなほがらかにやってるよ。
宗教同士の対立は俺も良くないと思うけど、それっていうのも、「こういう宗教は間違いだ。あいつらを撲滅しろ」って狂信的に騒ぐ人が原因でしょ?
そういう狂信的な人って、まさしく君の事じゃないか。
つまり、君のような人が対立を起こしてるわけ。
心が狭くて、傲慢で、妬みに満ちてて・・・・
522神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 02:38:25 ID:s2lyciQH
>>521
君は、典型的なカルト信者だな。

まず、人間やその社会の真実とは、一切衆生の中に「既に」存在するもの。
開祖の精神障害から「生まれる」ものでは決してない。

精神病院の入院患者も、宗教の信者も、その内部では、それなりに「幸せ」で
ある。しかし、一歩広い外部社会や他宗教・他宗派に接すると、忽ち不満、不安、
焦燥、軋轢が生じる。その「幸せ」が、「人間一般に共通する幸せ」ではないか
らである。

精神病院入院患者の「多幸感」を見て、広い外部社会は、誰もそれが「本当の」
幸せ」だとは思わない。だから精神医学による治療の対象となる。

浄土真宗が、その家族を含めて、どれほど多数の人間の生命を奪い、周囲の
者たちを不幸に陥れたか。キリスト教やイスラームが、どれほど多数の人間の
命を奪い、現在も奪い続けているか。信者自身は、幸せ一杯なのである。それ
は、その幸せが1個人の開祖の狂気の感染に起因するものであり、「人間一般」
に共通な幸せなどではないからである。

君たち宗教者が得ている幸せは、「精神病院入院患者の幸せ」であることに、
気付いて欲しい。
523机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/23(火) 07:34:12 ID:EdZ8zHUh
>>508
>人間死ねば無になって終わりなら、生まれてきた意味も無いな。
>始めから生まれない方がラクで良かったのかもな。

まあ、そういうことなんだよ。
私が書いた>>449の意味は。

あまりのショックで君達が首でも吊ったらいかんと思って
私は書き込みを遠慮したわけだけど、
どうか長生きしてください。

仏教とは「生まれてきた意味はない」。と知ることである。

       <剣客・机龍之介・印>
524神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 08:00:17 ID:nuR/sdir
>>523
相変わらずの外道よのう。

×仏教とは「生まれてきた意味はない」。と知ることである。

○仏教とは「生まれてきた意味はない」。とも、「生まれてきた意味はある」。とも知らないことである。

525神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 08:11:52 ID:nuR/sdir
まあ、自分の生まれてきた意味を問われて
それに答えられない人間なんて、ものすごく不幸だと
個人的には思うがな。
俺なら自分の愛する人に逢うためと即答する。
自分でも無意味な人生を生きているという自覚があって、
そのことについて苦しんでいるというのならw
「生まれてきた意味はある」。を否定するのが仏教だろうなw
憐れなことではあるがw
526ネ申:2010/02/23(火) 09:03:43 ID:CzD6R6Wt
仏教を曲解する人間に明かせないことも多々ある
魂は食い物だからだ、死後食われる
悟ることで本当の輪廻を繰り返し
滅することを避けることができるとも言える
527神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 09:20:10 ID:5VSnR4NY
>>524
同じことを縁起馬鹿風に言えば、

「生まれてきた意味」を云々するのも、
世俗の言語習慣上のこと、仮設された五蘊上の私についてのことであり、
勝義に於いては、ただ縁起するのみ、ってとこか・・・。
528神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 11:16:50 ID:zCccK4xZ
誰かこれにこたえられる人はいるかな??

1・なぜ人は、自分が正しいとか自分の説が正しいと訴えたいのか?

2・そしてその自説が否定されると、怒り、相手を罵り、かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?

さあこれについて答えを出してみてくれ
529神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 11:22:16 ID:Q67O6zeR
>>528
無明だから。

       以上
530ネ申:2010/02/23(火) 11:23:20 ID:CzD6R6Wt
ぐぐれカス
531渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/23(火) 12:23:02 ID:FTiY2XJc
 八十年代、九十年代の狂乱土地バブルが終われば、政府も大蔵省も、それで問題は解決すると
思った。ところが長い不況時代が続いた。失われた十年と言われたが、失われた時代は十年以上
だった。
 規制緩和でようやく明るさが見えてきた時、リーマンショックが起きた。

 殺人鬼加藤智大は、そんな中、つまり狂乱土地バブル後に出現した。

 加藤智大は死刑になるだろう。彼の死後の世界はどうなる。八十年代、九十年代の狂乱土地バブル
に始まる日本経済の痛手は、簡単に癒えるものではない。次にも次にも、殺人鬼加藤智大が戻ってこ
ないと誰が言えるか。日本社会の貪(むさぼり)と瞋(いかり)と癡(おろかさ)、つまり無明を根源から治
療しないと、殺人鬼加藤智大の死後の世界にも、形を変えて繰り返し、繰り返し同じ業が繰り返される
だろう。

 死は決して終わりではない。この現実に我々はどう立ち向かうのか。これこそ、浄土真宗が突きつけ
る死後の問題である。

 石霜和尚云く、「百尺竿頭、如何が歩を進めん。」又、古徳云く、「百尺竿頭に坐する底の人は、得入
すと雖然も、未だ真と為さず。百尺竿頭に須らく歩を進めて、十方世界に全身を現ずべし。」と。
532机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/23(火) 12:26:49 ID:EdZ8zHUh
>>527
>世俗の言語習慣上のこと、仮設された五蘊上の私についてのことであり、
>勝義に於いては、ただ縁起するのみ、ってとこか・・・。

これは、ただの観念論だし、
(つうか、五蘊というのは縁起のこと)
>>524も観念論。

究極的に観念論を廃して逝ったのが>>449
無意味においての安心立命こそがその本義。
533神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 12:42:00 ID:zCccK4xZ
>>532
>>528についてどう思いますか?
534神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 12:43:40 ID:zCccK4xZ
>>529
全く答えになってないな
もういっかい考えろ
3点
535机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/23(火) 13:05:45 ID:EdZ8zHUh
>>533
>1・なぜ人は、自分が正しいとか自分の説が正しいと訴えたいのか?

自説に確信を得たいんじゃないですか?
私の書き込みは全く違う方向性で、そんなものはない。ってスタンスです。

>2・そしてその自説が否定されると、怒り、相手を罵り、かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?

これは解らんですね。
私は「ないもんは証明できない」ってスタンスですから
536渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/23(火) 13:11:28 ID:FTiY2XJc
>>531
×  これこそ、浄土真宗が突きつける死後の問題である。

○  これこそ、浄土真宗が現代に突きつけている死後の問題だと、僕は思う。
537神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 13:37:40 ID:zCccK4xZ
>>535
1はまあいいとして2の回答はダメだな。
もっとよく考えてもう一度回答すること
自分のことだろ?
わからない、じゃなくて、もっとよく考えろ
じっさいあんた怒って反論してるでしょ?もう一回。


他の人も、我こそは真理を知ってるってやつはこれにこたえてみてくれ。


1・なぜ人は、自分が正しいとか自分の説が正しいと訴えたいのか?

2・そしてその自説が否定されると、怒り、相手を罵り、かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?




538神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 13:42:12 ID:spWl0SMT
>>531
何だか、仏教者というより、サヨク政治家の言ってることと同じ。事後
の批判は、誰にでもできる。その当時、事に当たった当事者の労苦も考
えよ。それに、「縁起・空」はどこへ行った?浄土真宗の体質をよく表して
いる。

「殺人鬼」加藤智大と「悪人正機」について論じてみよ。
539神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 14:02:12 ID:5VSnR4NY
>>534
大筋で合ってるだろw

正確に言うなら、「我執」「我見」といったところだろうがなw
540神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 14:17:51 ID:zCccK4xZ
>>539
なぜで始まる質問に名詞で書くアホがいるかよ
国語のテストなら0点だぞ?
我執が、〜〜だから。とかそういう風に答えないと正確に伝わらんから。
もう一回やりなおし。
541神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 14:21:07 ID:5VSnR4NY
>>540
フェンスの外からの野次でしかないものに答え方のルールなんて不要だw
542神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 15:04:30 ID:zCccK4xZ
おまえら偉そうに仏教語ってるのにこんな事も答えられないわけ?
一体なんなの?
わけのわからん本に書いてあった講釈並べても自分の事すらわかってねーじゃねえか
どうなってるわけ?
543神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 17:17:09 ID:7XT3kxVL
>>537
>1・なぜ人は、自分が正しいとか自分の説が正しいと訴えたいのか?
>2・そしてその自説が否定されると、怒り、相手を罵り、かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?

それらの質問は、宗教者に対してこそ相応しい。

無宗教者は、自説が「事実」に合致していなければ、何時でも撤回し、改める用意がある。
宗教者の「自説」は、単に教義や経典に基づく事実上の根拠皆無な「観念」だから、
その真偽・正誤・正邪を判断する現実上の基準は皆無であり、従って、撤回や訂正の余地は
なく、ひたすら感情的に相手を非難するだけで、場合によっては、殺されてもできない。
これが、宗教の持つ最大の病理である。
544神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 18:22:51 ID:wOpgR3QB
>>543
お前のいう「事実」が自説そのものだろうが
誰がそれを事実を事実と証明すんだよ
お前の言ってる事自体観念だろうが

1点。
545神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 18:29:10 ID:666LEZsj
>>543
無宗教って結局、たかだか数十年生きれば無に還るだけの
自分が神様教だろ。
自分が判断基準であって、それが間違ってれば訂正する。
これじゃあ、判断基準が死ぬまで相対的に移り変わる。
神を想定して、生きる方がまし。
546神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 18:35:19 ID:666LEZsj
>>517
>人助けのためのあらゆる分野を極めている。宗教撲滅も、
>その一つである。

こんなとこで宗教撲滅運動って、本気でできると思ってるんですか?
だとしたら、あなたこそ精神構造がカルトぽいですよ。
547神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 18:39:59 ID:9eU0+QuG
>>545
間違ってれば訂正するのは当然でしょ。
>>543
宗教、無宗教と二元化するのも
単に対立を作るだけ。それこそエホバとかの宗教的
二元対立だろう。
548神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 18:46:49 ID:666LEZsj
>>547
まあ、間違っていればね。
だが宗教は科学ではなく、道徳などを示す方だから
どんな道徳、倫理が間違いか自分の価値観だけでなく、宗教も必要になってくる。
でなければ、常にその場しのぎの周囲に合わせた倫理観しか持てなくなる。
549神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 18:58:30 ID:666LEZsj
でも俺はキリスト教だから
仏教徒の倫理観ていまいちわからない。
あしからず。
550机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/23(火) 18:59:27 ID:EdZ8zHUh
>>537
>他の人も、我こそは真理を知ってるってやつはこれにこたえてみてくれ。

だからそもそも、仏教に「真理」なんてのは無いんだよ。
野に咲く花が「真理」で咲くのか?

>私は「ないもんは証明できない」ってスタンスですから >>535

真理じゃ咲かんだろ?
551神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 19:27:39 ID:sqqRMuf2
>>548
>だが宗教は科学ではなく、道徳などを示す方だから

宗教は、「人間にあらざる神仏」や「生身の人間を超えた観念」と人間
との関係。道徳は、「生身の人間同士の共生のための技術」、換言すれば、
「社会常識」「社会の合意により形成される『行為』規範」である。
「善悪」などという、「行為を離れた観念」ではない。従って、別にあり
がたいものでも、精神的なものでも、信仰の対象でもない。「共生のた
めの行為のルール」という、ドライな技術概念である。
従って、両者は本質的に異なる。たまたま、一致する点があったとしても、
それは「偶然の一致」に過ぎない。
道徳は、それが通用されるべき共同体の成員の合意の上に成り立つ。
1個人に過ぎない宗教の開祖や教祖の意見は無関係。
従って、共同体成員の合意によらない、1個人としての開祖の教えのみ
に基づく宗教は、本来的に「反社会的」「反道徳的」である。
人間は、専ら、社会常識(道徳)に基づいて共生する。宗教は、その性
質上、人間同士の争いの原因となり、共生の障害となる。宗教は、自分の
好み次第、趣味の一種だが、道徳は、好きでも嫌いでも従わなければ
ならない、共同体成員の義務である。
「宗教=道徳(的)」という考えは、根本的に誤り。むしろ、その対極に
あるもの。
552神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 20:08:54 ID:wOpgR3QB
>>551
それは違うな。
共同体にとっては宗教による合意だろうと、それによらないルールだろうと、どちらも共同体のルールそのものだ。
お前にとってその宗教団体のルールが常識でないだけであって、その共同体にとってはそれが常識なのだから
もはやどちらが常識か、という水かけ論になる。
お前はお前の常識が正しい、と主張し、一方でお前が非難する共同体はお前を非難するだろう。

結論から言えばお前が悪い。
5531/2 541:2010/02/23(火) 20:16:57 ID:Xp1rTkeB
ったく・・・w


>>528
> 1・なぜ人は、自分が正しいとか自分の説が正しいと訴えたいのか?
人は、
≪【「自分」という存在を「確固たるものとして」自覚し、「護らねばならないもの」
 「その存在が知られ、理解されるべきもの」として捉える】≫。
≪そうした自分が「知り、理解した所の考え」は、「自分自身の分身或いは延長として」捉えられる≫。
この時、「その考えを“まさしく正当である“と理解し、認めている時」、
≪「“正しいことは、大きく(半ば強制的にでも)知られ・広まり・理解されるべき”という価値観」≫のもと、
その考えは声高に主張される。【『正しく理解している「自分」』にはその責務がある、という使命感】も生じる。
またこの時、
≪『自分の延長である“その考え”を主張することは、自分自身を主張すること』と同義であり、
 『自分を主張することは、“その考え”を主張すること』と同義となる≫。
いずれにしろ、
≪【正しい考えを知り・理解している『自分』】をアピールしている≫という構図がそこにある。
≪「この考えを知ってほしい」という想いは、同時に【「自分を知ってほしい」という想い】と重ね合わせとなっている≫。
5542/2 541:2010/02/23(火) 20:18:40 ID:Xp1rTkeB
>>528
> 2・そしてその自説が否定されると、怒り、相手を罵り、
『自分(→我)という想い、自分があるという想い、自分の考えという想い』が根源であるから、
≪「認められ・理解されるべきものとしての存在である自分及び自分の考え」が批判されれば反撃の作用が生じる。

> かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?
そこに、【『自身の』大きな頷きや実感、或いは強烈な体験等があった時、感動】があった時、
≪「人はそれを高く評価し、その正当性に絶対性を見る」≫。
当然、「その考え以外は間違ったもの・正しくないもの」なので、
「正邪は分かたれ、糺されるべきという価値観」のもと、相手の間違いが批判される。
勿論、この時も【正しい“自分”(の考え)】―「間違っている“相手”(の考え)」という自他分別があるのは言うまでもない。



(多少、接触と感受が絡んではいるがw(触受愛取の部分とも言えるか?w))
【 】部分に代表されるように、どこまで行っても最終的には「自我」の問題に帰着するのが仏教。
この【 】部分を指して「我執・我見」と言った。(>>539



満足したか?w  >>542

(´ー`)y━~~
555神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 20:33:04 ID:wOpgR3QB
>>553
長いし要点がまとまってない。
文章はまず結論から書く。これが基本。
ほんとに学校で何をならってきたんだ?
教養がないなあ君は。
無駄な文章を全部削除してもう一度書き直し。
まず結論から書く事。そして要点を絞って、簡潔にまとめなさい。

2点。
556渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/23(火) 20:40:28 ID:FTiY2XJc
>>538
 総理大臣が母親から金を貰うなだって?。それは脱税だろうって?何だか、仏教者というより、サヨク政治家の言ってる
ことと同じ。事後の批判は、誰にでもできる。総理大臣の労苦も考えよ。それに、「縁起・空」はどこへ行った?浄土真宗の
体質をよく表している。

 与党の幹事長が政治資金収支報告書で記載漏れをしたのはけしからんだって?何だか、仏教者というより、サヨク政治
家の言ってることと同じ。事後の批判は、誰にでもできる。その当時、事に当たった小沢さんの労苦も考えよ。それに、「縁
起・空」はどこへ行った?浄土真宗の体質をよく表している。

財務大臣が国際会議終了後の記者会見に酒を飲んで臨むんじゃいかんだって?何だか、仏教者というより、サヨク政治
家の言ってることと同じ。事後の批判は、誰にでもできる。その当時、事に当たった財務大臣の労苦も考えよ。それに、「縁
起・空」はどこへ行った?浄土真宗の体質をよく表している。アハハのハ。



 「縁起・空」だって?「悪人正機」だって?
 こんな高尚なことおぬしに話して何かわかるとは思えん。 
 もうすこし人間としてまともになってから聞きに来い。
 おぬしに聞く耳ができたら、こころ行くまで話してやろう。
 顔洗って出直してこい。
557神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 21:00:40 ID:Xp1rTkeB
>>555
小姑かよw

> 1・なぜ人は、自分が正しいとか自分の説が正しいと訴えたいのか?
≪ここに「自分」がいる、ここに「自分の考え」がある、という想い≫が原点。
併せて、
≪正しい考えは知られ、認められるべき≫
≪「自分」という想いがあるから、その自分が考えている正しい考えは主張されねばならない≫
≪それは、自分を主張することと同義となる≫。

> 2・そしてその自説が否定されると、怒り、相手を罵り、
≪ここに「自分」がいる、ここに「自分の考え」がある、という想い≫が原点。
併せて、
≪正しい考えは正しいものとして知られ、認められねばならない≫
≪「自分」は正しい考えを持っている≫≪その正しい考えが批判されることは「自分」が批判されることと同義となる≫
≪正しさの主張と、自己保身・自己主張が重なり、正しさの護持と「自分」の護持の為、攻撃的応対が生じる≫。

> かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?
≪ここに「自分」がいる、ここに「自分の考え」がある、という想い≫が原点。
併せて、
≪「自分」は、この考えの正当性に気付き、理解し、頷いた≫≪故に、この考えは絶対的に正しい≫
≪「この考え」以外は正しくない、「この考えを持つ自分」以外は正しくない≫
≪「正しさ」は護られねばならない、正しい考えを持つ自分」は護られねばならない≫
≪「正しさ」及び「正しい自分」を護る為に、正しくない間違った考えは批判されねばならない≫。
558神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 21:54:47 ID:ivmF72rk
今日どういうわけだか仏教に興味をもった初学者です

時間があったのでネットで拾ったデーヴァナーガリー文字の般若心経を写経してましたが
KH表記のサンスクリット語にしたときに、どうも原文が違うことに気づきました

気になって調べてみると、なんだか微妙に違うバージョンがあちこち散見されて、わりと途方にくれました

そこで法隆寺貝葉の般若心経がデジタルテキストであがっている信頼のおけるサイトはありませんか
当方はフォントもブラウザもきちんとUTF-8で読める環境です

言語学板のサンスクリット語スレで質問しようとしましたが、dat落ちでした
559神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 21:57:27 ID:Xp1rTkeB
>>558
サンスクリット語&パーリ語スレッド(その2)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1138115163/
560神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 22:00:59 ID:ivmF72rk
すみませんありがとうございました。自分の検索漏れだったようです

あちらで改めて質問してきます
561神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 22:59:15 ID:wOpgR3QB
>>557
それが精一杯?
これ以上は無理か?

ポイントは「〜べき」 「ねばならない」という思い込みを人がなぜ持つのか、それがその文章の要点だろ?
もっとうまくまとめろよ。

まあこれ以上言っても無駄っぽいからこっちである程度まとめるけど
想いがあるってだけでは、主張も怒りも生まれない、それが生まれるのはなぜか?

≪正しい考えは知られ、認められるべき≫ という、この「べき」という観念を支えるエネルギー。ここがこの核心だ。

「正しい考えは主張されねばならない」という「ねばならない」だけでは、人は主張しない。
例えば1+1=2という事を正しいと認識したとして、主張しない。
それは自分の考えである、という事に意義がある、だからそれは≪それは、自分を主張することと同義となる≫。
こういう事な。

ただこの説明だと答えとして貧弱だな。
なぜ「自分を主張する」必要があるのかというそもそもの問題にまったく答えていない。
2.2点

次に2だけど、まあこっちも「ねばならない」という妄想、観念がそれをさせてるっていう主旨だが
>正しさの護持と「自分」の護持の為、攻撃的応対が生じる
ここの説明が不十分だし、1と同様に
なぜ≪ここに「自分」がいる、ここに「自分の考え」がある、という想い≫を持ち、それを主張せねばならないのか、が全く言及されていない。
2.1点

この問題を解明できるやつ誰かいないのか?
今のところゼロ人だぞ?
562神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 23:02:34 ID:Q67O6zeR
>>555
>無駄な文章を全部削除して
『無明だから。
以上(>>529)』でいいじゃん。
てか、なんでお前に採点されんとあかんねん!

>>557
なんでそんなに小理屈っぽいの?
スケール小せーなあ。
短小、包茎、早漏とみた、オンナに嫌われるぞw
563神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 23:08:22 ID:wOpgR3QB
>>562
答えられないホーアは黙ってなさい。
まあどこの本にも答えはないからなあ。
君のような低レベルの人間には難しすぎる問題なのかもね。気にしなくていいよ。元気に外で遊んでおいで。


1点。
564神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 23:27:10 ID:Xp1rTkeB
>>561
余計難しくなってるぞw

>ポイントは「〜べき」 「ねばならない」という思い込みを人がなぜ持つのか
>想いがあるってだけでは、主張も怒りも生まれない、それが生まれるのはなぜか?

《「自分」があると想い、「自分」を愛するから》。(→我執、我見があるから→無明だから)

以下の君がピックアップした要項に関してはは、
《後天的学習による「世俗的価値観」を併せ持っているから》。(→眼が開いてないから→無明だから)
(だから、「併せて」という但し書きをつけた。)

で、結局>>529ってことになるわけだ。

野次に解説を求めるからこうなるw
説明事項としては、>>557以上には削れない。
(寧ろ言い回しのせいで文字数が増えるだけだろう。で、削れば529or539だw
問い自体が、ある程度の文章量を要求する内容になっている(→多岐に亘っている)ことに気付けよ。)

また、きちんと考察してから書き込んでないから、贅肉がついてもいるだろう。
なぜ、しつこく応答してると思う? 自分でも整理したいポイントだと思ったからだよ。
で、何か参考になるかと思ったら>>561程度かよw
いや、何度も考察し直させてくれたことは有り難いと思ってるぞw(その意味では561にも感謝だ。)

君から点数を貰おうとは思わないが、縁起馬鹿がいかに出来た奴だったか実感するよw
565神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 23:31:09 ID:Q67O6zeR
>>563
だから、スコラ教の末裔はアカンねん

言語論理上の解答を欲しがる。

!#$%”&+*‘=〜!”#!!

566神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 23:53:53 ID:Xp1rTkeB
>>565
閻魔かwww

あのなw
それは、
野球でもサッカーでもカーリングでもいいがw、
勝利インタビューで「勝因は?」と聞いたら、「頑張ったからです」と答えが返って来るようなもんだ。
(勿論、間違いではないが・・w)

実際は種々様々理由はあるわけさ。【その理由を聞かれているのに】、
「頑張ったからです」と答えるのは、机の野狐禅と何ら変わりない。
後輩への指導の場面で、試合に勝つ為の助言をする際に「頑張れ」だけで済むと思ってるとしたら、
机と同類だぞw
567神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 23:53:56 ID:wOpgR3QB
>>564
>>561 が理解できないなら何度も読め。

君たちは結局自分の頭で考えてないんだよ。

「無明だから」、なんて答えになってない。
そんなこと言ってるのは本当の白痴だ。
それすら理解できないくらい頭やられてるのか?
方程式の答えを求められて、「数字」って書く奴いるか?おまえらが言ってるのはそういうレベルだよ?

整理したいポイントだと思った?当たり前だろw なんのためにこの質問したと思ってるんだよ。
考えろよ。自分の頭で。本の受け売りしてないで自分の頭で見ろよ。お前らの事だろうが。

どれだけ仏典読んでもどうだ?なんの意味もないよ。おまえらなんてガラクタ以下じゃねえか。
無明だからなんて答えになるわけないだろ?
じゃあここでコテハンつけて偉そうに主張してない奴は無明じゃないのか?無明じゃないからそうしないのか?
どれだけお前らの頭は死んでんだよ?
お前らはこの現実で起きるさまざまなリアルな問題、そういうものも「無明だから」って言うのか?
そんなもん逃避だよ。逃避。

1点。
568神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 23:56:15 ID:Xp1rTkeB
>>567
余計な台詞ばかりで、カラスみたいに中身のない文章だなw
569神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 23:58:48 ID:mKThaUt0
1・なぜ人は、自分が正しいとか自分の説が正しいと訴えたいのか?

回答 人間は永遠や普遍を求めているから。

2・そしてその自説が否定されると、怒り、相手を罵り、かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?

回答 これはその必然性が無いので、自分の言説を証明できないのに
   相手をののしるような輩は単純に嘘吐きだということだろう。
570ネ申:2010/02/24(水) 00:09:49 ID:Lo0Wrt/7
>>555
否定だけするなら3歳からできる
自分の見解を書いてから質問するか
愚グレよカス
571神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 00:12:18 ID:NyXCiXIj
>>569
回答1だけど
人が永遠を求める、としてなぜその求めが主張につながらなければならないのか?
一体何がそうさせるのか。
永遠であることと、主張とどうつながるのか?

その主張と自分を同一化しているのだろうか
その主張を認めさせることが自分を認めさせる事につながるのだろうか?
ではなぜ人は自分を認めさせたいのだろうか?
なぜ、迷妄である、我執であるなどと言ってる人間が自分を迷妄そのものである他人からの承認を求めるのだろうか?

なぜ、コテハンをつけてまで自分を主張する人間はその愚かさを疑問にすら思わないのだろうか?
572ネ申:2010/02/24(水) 00:13:39 ID:Lo0Wrt/7
1と2の矛盾を解いて人間になってから仏教語れよカス
573神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 00:15:19 ID:NyXCiXIj
>>570
お、偉そうな奴現れたな。
じゃあ答えてみてください
ぐぐっても答えはないからねw

1・なぜ人は、自分が正しいとか自分の説が正しいと訴えたいのか?

2・そしてその自説が否定されると、怒り、相手を罵り、かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?
574神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 00:24:16 ID:IoyVEiUm
>>571
俺はキリスト教なので、仏教だと
本来、無我を目指しているのだから、特に認めてもらう必要はないので
それは人間の自我が人間を苦しめている状態だと表現すれば回答になるんじゃないかな?

俺の回答はそれが普遍だと考えるなら、それは信念であり、それが理性になり
物事の判断基準になるから。それが否定されれば、人を殺すことも悪では無くなってしまうような。
だから必死でその考えを守ろうとする。が、その考えは別に万人に認められる必要までは無い。
他人からの強制を受けない程度に尊重されれば良い。と考えてる。
575神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 00:24:25 ID:NyXCiXIj
誰でもいい、キチンとこの問題に答えられる人いる?

なぜ、君たちは仏教なるものを自分のモノのように語るの?
なぜ、迷妄だ、無明だと蘊蓄を垂れる人が俺の煽りで怒るのか?
なぜ?

で、それは一体どうしたらいいのか?
どうしたら、ここにいる愚かなコテハンのようにならずにいられるのか?
576神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 00:30:16 ID:O4jr35pC
誰でもいい、キチンとこの問題に答えられる人いる?

1・なぜ>>573は、自分の想定する回答が正しいと訴えたいのか?

2・そして>>573の回答と違うものが提示されると、怒り、相手を罵り、かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?
577神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 00:38:04 ID:NyXCiXIj
>>576
本当に率直に答えよう。

1・これについて本当に考える事で、何かを見つけるためだよ。ゆっくりと。想定する回答を提示したかい?どれが正しいなんて誰が決める?
問題はその仮定にある
この仮定はどんな仏典にも書いてない。そしてその前では優劣はない。
自分の事だろ?
仏教が何かクイズ大会かなんかと勘違いしてる人が本当に多い。そうじゃない。本当のリアルな問題、本当の今この場にある問題
その提示。
考えるんだよ。知ってる、知らないじゃない。

2・それはアジテーションなんだよ。煽り。君たちを点火したいわけ。
俺の見たところ、君たちは自尊心が強い。だから低レベルだの、教頭がない、だの言われると烈火のごとく怒る。
578神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 00:46:43 ID:IoyVEiUm
アジテーションだったのかどうかはわからないけど。
俺はそういうアイロニカルな論法好きだよ。
おやすみー。
579神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 00:47:00 ID:O4jr35pC
誰でもいい、キチンとこの問題に答えられる人いる?

1・なぜ>>577は、想定する回答がないのに、他人の回答に点数をつけられるのだろうか?
 
仮説@ 回答は無いと言いながら、実は自分の思考を基準に優劣をつけている。
仮説A 仏教が何かクイズ大会かなんかと勘違いしてる


2・そしてなぜ>>573は、他人の意見は怒りだと規定しておきながら、自分の意見はアジテーションだと言うのか?

仮説@ 他人もアジテーションであると言う可能性に気が付いていない。
仮説A 自尊心が強すぎて、図星を指されても素直に認められず、誤魔化している
仮説B そもそも、自分の事が全く見えていない
580神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 00:59:47 ID:NyXCiXIj
さあさらに考えようじゃないか

なぜ、ここにいる人は我執を論じながらそれに囚われるのか?
なぜ、不瞋恚などといいながら迷妄の罠にかかるのか?

どれだけ仏典を読もうが全く無意味だ。

俺はこれだけ暗記したぞ、この仏典すら理解してないやつは仏教を語るな、この仏典を読んでないのか?俺は知ってる俺はすごいんだ

で、その結果がコテハンつけて自説を論じたり、煽りにのって怒るという哀れっぷり。
なんの意味もないじゃないか。

なぜ知識は実践に変われないのか?
なぜ自分の頭で考える事ができないのか?

一体どうしたらいいのか?
581神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 01:02:02 ID:nljj85Mw
>>575
だからw
≪諸法が因により縁により生起していることが見えてないから(頷けてないから)≫(→無明)
≪自身が(五蘊が)因により縁により生起していることが見えてないから(頷けてないから)≫(→無明)
≪“我”という想い、“我あり”という想い、“我のモノ”という想い、があり≫、(→我執)
≪その“我”によって実感され、頷かれた内容は“我のモノ”となり、同時に「“正しいこと”と見做され」≫るので、
≪「伝え、語る必要がある」と判断された時、“それ”が語られ、主張される≫。
また、
≪「“それ”が批判されるということ」は、「“我がモノ”が批判されること」であり、「“我”が批判されること」である≫。
「語る必要があると判断される事態」の一つ。
そして、
≪「そうした“我”は、執着され、愛されている」ので、「“護りたい、護らねばという想い”が生じ」、反論する≫。
これも「語る必要があると判断される事態」の一つ。
また、「正しいこと」は必ず「正しいこと」として知られ、理解されねばならない、誤解されてはならない、
という世俗の価値観に捉われていることにより、反論する。
これも「語る必要があると判断される事態」の一つ。
 (*この三つ目自体は必要な場面はあると思われる。竜樹が中論を著したのは、これを因とするのではないか?)

我執が捨てられていないから、批判・誹謗や誤読・誤解に熱くなってしまうわけさw

>で、それは一体どうしたらいいのか
無我が実践されることだろ?w

>>577の自尊心は大当たりだよw
で、その自尊心がどこから生じているかと言えば、我執・我見から生じているわけだ。
解らんか?w


おやすみ  ノシ
582神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 01:20:38 ID:NyXCiXIj
>>581
君は本当に低レベルだなあ。
頭が悪いみたいだね。あきれるね。知能が低いんだな。ザコだね。ザコ。
ザコはおとなしく鬼ごっこでもしてなさい。




腹立った?w
我執がないなら腹なんかまったく立たないはずだよね?
でも君はすごーくプライドを傷つけられて怒ってるわけだ。
これは我執だ、これは無明だ、これが〜〜だ、はい俺はいっぱい覚えたぞー、で君は怒り狂ってるわけだ。
俺に徹底的にバカにされたからね。

無我が実践されることだろ、って簡単に君は言ってるが、まったく実践できてないじゃない?

ここにいる奴らはそんなのばかりだろ?
だからいつもここで君たちは罵りあって、馬鹿にしあってるんじゃないか。
583神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 01:50:55 ID:uykfh0HG
なんだ?これは?

仏教徒どうしで、誰がレベルが高いか競争してるのか?

>>582 の人。  どうもお宅が発端のようだが、質問に回答してもらったら
礼を述べるくらいの最低限の礼儀はわきまえたらどうだ?
584神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 02:00:54 ID:O4jr35pC
さあさらに考えようじゃないか

なぜ、>>580は自説に囚われるのか?
なぜ、仏典など無意味だといいながら、誰も言及していない仏典に拘るのか?

どれだけ仏典を非難しようが全く無意味だ。
誰も仏典なんぞ引用していない。

俺はこれだけ考えたぞ、この概念すら理解してないやつは仏教を語るな、このそんなことも考えた事がないのか?俺は知ってる俺はすごいんだ

で、その結果が、自分の考えを基準に他人の意見に点数つけ、煽りにのって怒るという哀れっぷり。
なんの意味もないじゃないか。

なぜ>>580は自分の考えに囚われて、他人の意見を理解できないのか?
なぜ自分の事を客観的に考える事ができないのか?
>>580の考えなぞ、みな、既に遥か過去に通り過ぎた考えに過ぎないと言う事を、なぜ理解できないのか?

一体どうしたらいいのか?
585神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 02:07:59 ID:O4jr35pC
>>582
マジレスすると、レベルが低いのは、アンタの方。
傍から見てると、プライドを傷つけられて怒ってるのも、アンタの方。
セブン(>>581)はむしろ駄々っ子をあやしてる程度の対応だぞw
アンタの意見は、指摘としては面白いと思うし、理論と実践の乖離という問題点の指摘はもっともだと思うが、
冷静になって、自分の言動を見直してから、出直してきた方がいいw
586神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 02:15:16 ID:uykfh0HG
よくわからんが、問題提議して、人のレスに勝手に採点つけてる
ひと。  まずはお宅が自己の見解を提示したらどうか?
批判、反論されるのは嫌いなのか?
587神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 06:54:12 ID:ucB1peK2
>>527
誤解がありますね。それは勝義の視点。
世俗として「生まれてきた意味」をいうなら、それぞれ色々な視点があるでしょうが、

仏教的には無明によって生まれてきた。
その意味は、解脱できる人身を得て仏教を修行できることにあるでしょう。
大乗の視点を加えれば、菩薩行・普賢行を行って利他をし一切智を得る修行ができることという点が加わるでしょう。


しかし、机に観念論と言われるとは。机こそ観念論の典型なのに。
机のパターンは勝義を持ち出して、だから悩みも輪廻もなにもないそれに気づいて、
現状あるがまま生きていく、みたいな唯の観念論的現状肯定以外のなにものでもないのに。

仏教では先ず、現状が苦で輪廻であることを世俗諦・因果・縁起として認識し、
それから解脱するために修行する。
その結果、勝義を悟り、無我・空を体得するので観念論でも現状肯定でもありません。

この二つの違いはあまりにも大きい。机のは仏教の名をかたったローカーヤタ以外のなにものでもないからです。
仏教の世俗諦の設定、因果を撥無するただの断見です。
588神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 06:57:19 ID:ucB1peK2
>>529
同意。簡潔明瞭で素晴らしい。

ちゃんと明解に答えて貰ってるのに、論述形式がどうのとダダ捏ねてる人は、
非常にみっともない。

オイラから言わせてもらえば、君自分の心をよく観察すれば、そこに答えがある。
589神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 08:49:03 ID:iP932THy
>>587
>仏教的には無明によって生まれてきた。
>その意味は、解脱できる人身を得て仏教を修行できることにあるでしょう

オウムみたいに「修行」「修行」と言われるが、修行しない在家信者は仏教徒
ではないのですか。

「大乗の視点を加えれば」と言われるが、そもそも日本の仏教は大乗のはず
だが。あなたはどこの国の仏教徒?

無明と覚性との関係は?

ローカーヤタの批判には、どう答えますか(観念論ではなく実質的に)?
590神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 09:16:12 ID:M2Fj47JG
>>587
ここは「日本における佛教」の質問箱です。大乗の視点から回答して
欲しい。さもなければ、誤解と混乱を招きます。

大乗と小乗とは、原理的に違った「佛教」です。オウムの佛教を持ち込む
べきではない。
591机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 09:30:05 ID:MbrdcOP6
>>577
>1・これについて本当に考える事で、何かを見つけるためだよ。

仏道というのは、何かを見つける為の旅路だから、これは正しい。
見つけた究極のところは「なにも無い」ってことだよ。
全くの無我状態。
しかしこれじゃただの「生きた屍」だろ?
だからある程度の我執ってのは必要なんだよw
これが<色→空→色>です。

>2・それはアジテーションなんだよ。煽り。君たちを点火したいわけ。

まあこれも、ある程度は正しい。
机龍之介も点火がないと燃えんしなw
592神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 09:30:47 ID:0raD11o9
>>588
>オイラから言わせてもらえば、君自分の心をよく観察すれば、そこに答えがある。

人間とは、心と身体の両方から出来ているのだよ。勘違いしてはならない。

心は無明でも、身体は無明ではない。

それに「真如としての衆生心」は、無明ではない。
593神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 09:31:17 ID:ucB1peK2
>>589
>オウムみたいに「修行」「修行」と言われるが、修行しない在家信者は仏教徒
>ではないのですか。

三宝に帰依すれば仏教徒だと思いますが

>「大乗の視点を加えれば」と言われるが、そもそも日本の仏教は大乗のはず
>だが。あなたはどこの国の仏教徒?

一応、真言宗のアジャリですが。

>無明と覚性との関係は?

無明は外来の汚れ・客塵です。覚性は本性清浄、
しかし本性清浄だからといって、修行しなければ客塵は浄化できない。

>ローカーヤタの批判には、どう答えますか(観念論ではなく実質的に)?

どういう批判でしょうか?
594神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 09:33:09 ID:ucB1peK2
>>592
そういう意味ではありません。
質問者が自答すればいいだけ、つまり、自分のやってること、
動機がそのまま答えだよということね。
595神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 09:44:25 ID:HwhdPAa/
>>593
>どういう批判でしょうか?

「不滅の霊魂も来世も因果応報の道理も存在せず、感覚のみが唯一確かな認識
方法で、推理も宗教聖典もあてにならない。現世を満喫するのが最高善である。」
(「岩波佛教辞典」より)

感覚以外は、百人百様の観念論に過ぎませんね。誰でも、何とでも言えるので、
根拠も普遍性もない。
596神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 09:54:14 ID:ucB1peK2
>>595
ああ、そういうことですか、それを信じたいなら、どうぞというしかないですね。

私は仏教という体系内の話をしているので、別に普遍妥当性とか確実性を問題にしているわけではありません。

597神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 09:59:51 ID:F2GNey7U
>>593
>一応、真言宗のアジャリですが。

真言宗は大乗仏教だから、「大乗の視点を加えれば」などという必要
はないと思いますが。
598神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 10:11:25 ID:uwzk6Avn
>593
>無明は外来の汚れ・客塵です。覚性は本性清浄、
>しかし本性清浄だからといって、修行しなければ客塵は浄化できない。

宗教は、本性ではなく、明らかに人為的な外来の客塵ですね。修行によって、清浄な
本性に客塵が付くこともある。オウムがその典型。
599神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 10:11:40 ID:ucB1peK2
>>597
ここは仏教の質問箱で、この問題は真言宗という限定されて問われたわけではないので、
仏教一般で問題を考えるとどうなるかということを書いたまでです。
輪廻からの解脱などは仏教一般の問題。
一切智・普賢行などは大乗仏教一般の問題、当然のことだと思います。

逆に、現代の一部の宗派の特殊な教義や一部の文献学者の特殊な説を
さも、これこそが仏教であるというように喧伝する方がおかしいと思います。
600神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 10:13:13 ID:ucB1peK2
>>598
>宗教は、本性ではなく、明らかに人為的な外来の客塵ですね。修行によって、清浄な
>本性に客塵が付くこともある。オウムがその典型。

それは唯の貴方の妄想ですね。ここは仏教体系内のことを話す場です。
生命教のような妄想はどっか別のところで展開してください。
6011/4 ID違うがw:2010/02/24(水) 10:28:43 ID:BIfjNJY0
ここは質問箱なんで、昨日の一連の応答は宜しくないなと思いつつだった。
 (が、一応、重要なポイントでもあるし、また、
 「(それが無意識的なものであるにしろ)、実は『彼自身が抱えている問題点』ではなかろうか」
 という感じもあったので、しつこく応答した。
 また、現時点での『私自身の心の在り様の観察』及びその様相の整理も兼ねさせて貰ったw
 (別の形では考察済みではあるが・・。))

そうしたことも踏まえて、あと少し続けてみよう。
彼の設問に関しては、昨日のもので十分なので、
・彼のレスの仕方の変遷 と ・彼の最後の指摘部分 の二つに関して
若干の蛇足を加えておく。(縁起馬鹿は、迷わず529に票を入れると思ったよw)
6022/4:2010/02/24(水) 10:30:43 ID:BIfjNJY0
彼の言葉は、>>561>>577もか)までは最初の問いと直結したレスになっている。
納得がいかない所に食い下がること自体は悪いことではない。
が、568で指摘したように、以降、レスの仕方が変わってくる。
「設問の解答として適しているかどうか、その内容がどうであるか」から、
「回答者のスタンス(或いはスキル)を糾弾する」ものになっている。(>>582が顕著な例だが。)
原仏スレ後期の阿呆陀羅は、そうした問い方の不備に異常な嫌悪感を寄せていたが、
そこまでいかずとも、カラスのように中身のないレスを繰り返すのであれば、
(ここが質問箱であるなら事例としての意味も込め)、スルーでなく指摘することも、まんざら無意味でもあるまい。

561以降、論点がシフトしている点に関し、「問いへの応答としては一応了解するが、
回答者の姿勢・スタンスとして、その“答え”は『回答者の在り方と一致』しているのか?」
と問い直されていれば良かったが、それ無しに回答者のスタンス・人格への批判へ変わっているので、
「こうした形(詰問)が、有効で、問いとしてふさわしいもの」と閲覧者者に思われないよう、釘を刺そうと思った。
(ま、これも私の我執と繋がってはいるが・・・w)
6033/4:2010/02/24(水) 10:31:41 ID:BIfjNJY0
また、誰も「自分は我執を断じている」などと言っていない。
寧ろ、みな「足りない自分、出来てない自分、我執に絡め捕られた自分を自覚しながら、
或る者は自嘲し、或る者は悔いつつ」書き込んでいる。(そうでないのは机くらいのもんだろうw)
私自身も昨日の応答は、仏典の記述を参考にし、
「自らの心の在り様を観察した時に、そこに見られた様相をもとに」作文した。
もとより、「できているから、断ぜられているから」応答したわけではない。「自身の我執の確認」でもある。
心ある住人たちの多くがそうであろうと思う。
そして、彼自身もまた、彼の我執・我見によりレスを重ね、言葉が紡がれ、
最後、(内容でなく相手の)誹謗に変貌したことが、>>588最後1行で指摘されている。

料理のレシピ同様、(完璧に実践できなくとも、理解していれば)
その理や手順、ポイントを述べることは出来る。
勿論、「できている」者が語るのが一番であるが、それ以外を認めない!と頑なになることもあるまい。
切磋琢磨という言葉もある。たとえ羽衣の厚さ程度でも、向上の足しになればよい。
皆、自分の我執と向き合って、格闘しているのさw

以下、お蔵入りにしてた(決着シリーズの流れの)ものを一つ貼っておく。
異論はあるだろうがw、一つの意見として貼っておく。
6044/4:2010/02/24(水) 10:37:56 ID:BIfjNJY0
 ──────────
(縁起馬鹿と重点的に絡むようになってから特にw)、
いろんな部分が洗練され、整頓されてきた。 (2chも馬鹿に出来んw)
そこでやはり思うのは、
仏教ってのは、結局「やるか、やらないか」「できるか、できないか」へと
最終的に帰結してくるんだなぁ・・・とw

異論はあるだろうがw、
基本的に「仏教の教義ってのは難しいもんじゃなくて、“実践”が難しい」んだってのが
昔からの持論で、それは、やっぱり今も変わってない。
勿論、ここで言う“実践”は「行」と言われるような修行・節制・調身調心だけでなく、
寧ろ《「無我」の実践》《「慈悲」の実践》、或いは縁起馬鹿の好きなフレーズを使えばw
《「普賢行」の実践》ということになろう。
 *(これらの実現のための準備・必要条件が「禅定による観」だったり「四念処」だったり
  「縁起」の現観だったり「各種修行階梯」だったりするのだろうが、今は措く。)
だから、「やるかやらないか」でしかない、と。
 *(この辺が、三世なんてどうでもよかろう?wの根拠でもあるわけだがw)
博識で、詳しくて、具に理解し解釈を垂れることができることは素晴らしい。
伝承・継承の一翼を担うことは可能だ。
だが、浅学で、知識も浅く、難しいことはよくわからないけど・・というような者でも、
それでも、
「できてる」人間の方が遥かに素晴らしい・・。
そういう人の方こそ、「応供」という呼称がふさわしいだろう・・・。
605神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 10:56:58 ID:ucB1peK2
>>601
>若干の蛇足を加えておく。(縁起馬鹿は、迷わず529に票を入れると思ったよw)

よくお分かりで。最大の理解者よw

>>604
ほぼ同意だけど。教義も結構理解するのが難しいこともお忘れ無く。

何が難しいかといって自分の認識が狂っているという自覚を持つことが難しいこと。
例えば、だからこそ修行によって認識を正しくし目覚めた聖者である師によらなければならないわけだけど、
その師が指摘する欠点を自分の都合の良いように解釈する人が多いことに示されていると思う。
これは端で見てるとよく分かるけど、自分のことだと分かってないということ。

それにだからといってここでやれるのは、文献に書かれる妥当な仏教の問答以上のことはできないでしょう。
要するに文献で確認できないような悟ってるオレ様の見解を持ち出すと、
結局、なんでもあり、なんでもなしのただの世間話になるからです。

この点もセブンには肯いてもらえると思うけど、どうですか?
606神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 11:06:33 ID:BIfjNJY0
>>605
wwwww


ああ、同意だw

テキスト・解説書は勿論、
師にしても、先輩にしても、同参にしても、後輩にしても、
どれだけ良質なそれに出会えるかは、大きいと思うよ。


二日間に亘ってスレ汚し失礼した。 >>ALL   ノシ
607神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 11:10:19 ID:BIfjNJY0
(ああ、なんかまた御隠居が絡んで来そうな悪寒・・w)
608机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 11:14:58 ID:MbrdcOP6
>>587
貴殿は真言宗のアジャリだそうですね?
じゃあ少々質問していいですか?

>仏教では先ず、現状が苦で輪廻であることを世俗諦・因果・縁起として認識し、
>それから解脱するために修行する。
>その結果、勝義を悟り、無我・空を体得するので観念論でも現状肯定でもありません。

真言宗は、般若心経を経典にしておりますが、
色即是空 空即是色において、
この「空」は世俗諦ですか?
また、空即是色の「色」は、世俗諦ですか?
どうか御教示お願いいたします。
609机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 11:28:55 ID:MbrdcOP6
>>587
もし質問が難しいようでしたらネットで調べてもかまいません。
アジャリ様には、いろいろと質問したいことがありますので、
宜しくお願い致します。
610神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 11:30:10 ID:ucB1peK2
>>608
なんでインチキ野郎の引っかけに付き合う必要があるんだ。


611机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 11:32:04 ID:MbrdcOP6
縁起馬鹿=真言宗アジャリですか?
612机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 11:35:15 ID:MbrdcOP6
>>610
そうですか(笑

やはり貴殿はアジャリ、ってことで了解しました。
これで話は終わりにしましょ(笑
613神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 11:44:25 ID:ucB1peK2
>>612
何、真言宗アジャリがハッタリだとでもいいたいのか。
真言宗アジャリなんか誰でもなれるよ。たいしたもんじゃない。
そんなこと自慢に思ったこともない。
訊かれたから答えたまでだ。

まあ、偽禅者で何もしらない机ちゃんからしたら、いろいろ妄想するのかもしれないけどね。
614神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 11:45:58 ID:xR3/wQRQ
「C点による仏教的宇宙論」を纏めました。
「C点による仏教論」を検索の上、関連サイトをクリックして下さい。
615机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 11:47:38 ID:MbrdcOP6
>>613
>真言宗アジャリなんか誰でもなれるよ。たいしたもんじゃない。

いや、そんなことじゃなくて、
アジャリなら、それ相応の般若心経の教学くらいはご存知でしょ?
これは基礎的なもんですからね。

私は教学のホンの初歩を質問しちょるんでつよw
616神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 11:49:44 ID:xR3/wQRQ
614ですが、試論です。「無自性」および「刹那滅」を否定しました。
ご一読下さい。
617机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 11:50:19 ID:MbrdcOP6
>>613
私が>>612で終了宣言しちょるんですからw
下手に私に絡むとボロが出るんじゃないでつか?
618神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 12:06:55 ID:ucB1peK2
嫉妬紛々満々ですね。机インチキ禅師は。

もちろん、真面目な質問者なら答えるけど、
嫉妬で机勝義で鼻をあかそうという非常に不浄な動機の質問に答える気はないよ。

『般若心経』は梵蔵漢の主要な注釈は一通り目通したし、
ここから、サンスクリットスレに飛ばされた写本関連の質問に
今日、答えたばかりなんだが、あんたの見え見えの試しにのる気はない。

もう、そのワンパターンの勝義とエロ話、大笑呵々、花押石鹸みたいの
やめたらどう。子供の落書きにしか見えん。
今は、駄々っ子がくだまいてるようだ。
619神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 12:12:11 ID:uykfh0HG
さて、それでは質問だ。

>だからこそ修行によって認識を正しくし目覚めた聖者である師によらなければならないわけ・・

縁起一代はこのように、判断基準を「聖者」に求めるわけだが、「聖者」自身が
「正しく目覚めていなかった」可能性はやはり排除できない。
つまり、そこは真の聖者か?否か?の判断は個々に委ねられるわけで、
外部検証不能につき、あくまでも、そこは「聖者」であると『信じる』しか
ないわけだ。 ここに仏教は独我論を超えられるか?という問題が常について
回ることになる。

『仏教が独我論で何が悪いか?』
という見解もあろう。  (俺はどっちかというと、その意見だが)
「利他」は、とりあえず、おいておくとすると、仏教の根幹は、あくまでも
『個』の解脱を目指すものだろ?(犀の角のように)
他宗教的な表現をすると「個人の魂の救済」を目指すものだ。

ならばだ、今、精神病院に一人の患者がいたとする。この者は、「自己を神と思い
神の愛を施すために、人間界におりてきている」とまさに一片の疑いも無く、
信じきっている。周りの者は彼を精神異常者扱いするが、彼にとってみれば
一切の悩み、苦は存在しない。日々、愛に満ちているわけだ。
さて、いわゆる「聖者」と言われる者と、この精神病院の彼との差異は、あるのか?
どちらも「真理を了解している」と思い「一切の疑義、悩み、苦などは存在しない」
この両者は全く等価に思えるが?(勿論、周りの評価、認識などは問題外だ。
あくまでも、彼らの側においての話である)
この差異を明確にするものは何か?
620机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 12:20:13 ID:MbrdcOP6
>>618
>もちろん、真面目な質問者なら答えるけど、

じゃあ答えてもらいます。

般若心経解釈は、禅宗と真言宗では違います。
私はこの件に関して質問している訳ですが、
じゃあ、何処が違うのか?

つまり、勝義諦解釈と、世俗諦解釈の違いです。

>色即是空 空即是色において、
>この「空」は世俗諦ですか?
>また、空即是色の「色」は、世俗諦ですか?
>どうか御教示お願いいたします。

宜しくお願い致します。
621神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 12:26:28 ID:ucB1peK2
>>619

ちょっと違いますね。仏教の判断基準を聖者に求めるわけではなく。
仏教を本当に学ぶには聖者から学ぶ必要があるというだけ。
これはあらゆる地域、時代の伝統仏教がそう。

>縁起一代はこのように、判断基準を「聖者」に求めるわけだが、「聖者」自身が
>「正しく目覚めていなかった」可能性はやはり排除できない。
>つまり、そこは真の聖者か?否か?の判断は個々に委ねられるわけで、
>外部検証不能につき、あくまでも、そこは「聖者」であると『信じる』しか
>ないわけだ。 

これはその通り。師を吟味する必要があるわけです。
ただ机みたいな見え見えのインチキ野郎ではなく、
もっと巧妙な偽物が沢山いるので本物と出会えることは非常に難しい。
それをセブンは言っているのでしょう。
ここらへんは半分業の問題ですね。
なぜなら、出会いや認識はほとんど業が決定するから。
後の半分で、がんばって吟味するということ。
622神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 12:27:47 ID:ucB1peK2
>ここに仏教は独我論を超えられるか?という問題が常について
>回ることになる。

なぜ、上から独我論に飛躍するか分からないのですが、
認識の問題は大きいですね。
独我論と仏教が違うのは縁起・因果という基準があることではないでしょうか?

聖者と狂人の違いをどう判定するか? ということですね。
これは難しい。テーラワーダなら、清浄な律に適った振る舞いのあるなしでしょうが。
大乗だとそうもいかない。

私には分からないとしかいえません。
623机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 12:30:00 ID:MbrdcOP6
>>618
>仏教では先ず、現状が苦で輪廻であることを世俗諦・因果・縁起として認識し、
>それから解脱するために修行する。
>その結果、勝義を悟り、無我・空を体得するので観念論でも現状肯定でもありません。

この書き込みを、般若心経にて解釈して頂けたら感謝します。
以上です。
624神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 13:08:18 ID:BIfjNJY0
我執(独自路線・誤読妄信)の典型例。   >>591
我執(慢心)の典型例。   >>609>>615
我執(防衛)の典型例。   >>617
我執(攻撃)の典型例。   >>620


(勿論、自分にも過去類似したレスがあることを潔く認めはするがなw
机の場合、趣味としての煽りじゃなく本気っぽい所がイタイ・・・w)
625神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 13:58:17 ID:AYM9uly5
>>500
>それは唯の貴方の妄想ですね。ここは仏教体系内のことを話す場です。
>生命教のような妄想はどっか別のところで展開してください。

宗教を含む人間のすべての営みは、「生命」という基盤の上のみに成り立ちうる
ものですよ。釈迦や竜樹や仏教徒の「生物的生命」がなければ、佛教も存在し
ていません。

「生命」が妄想なら、佛教は更なる妄想でしょう。佛教体系は、生命以外の一
体如何なる妄想を基盤にしているのですか。「本性」という言葉は、「生命」
以外の何ですか?ご説明ください。
626神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 14:01:43 ID:ucB1peK2
>>625
他でやってくれよ。聞く耳もたんのに聞くふりして
自分の妄想を垂れ流す生命教の君と、机には困ったもんだ。
627神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 14:19:56 ID:I6jWD7VG
>>626
ひたすら原始仏教カルトの妄想垂れ流しを、見るに見かねてですよ。

あなたがたの佛教体系は、一体いかなる妄想に基づいているのか、
ご説明ください。
628机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/24(水) 18:19:48 ID:MbrdcOP6
>>587
>この二つの違いはあまりにも大きい。
>机のは仏教の名をかたったローカーヤタ以外のなにものでもないからです。
>仏教の世俗諦の設定、因果を撥無するただの断見です。

何故に勝義諦において断見・常見を否定するか?というと、
生ある者は必ず死す。という時系列を勝義諦においては否定しておるからだよ。
よって死後において断滅するか?継続するかは、双方において論理矛盾がある。
だから釈尊は、断見・常見の二見を否定しておるんです。

勝義諦というのは、つまり断見・常見の二項以前の相をいうてるのであります。
(これは一般的な禅宗の考えでありますが・・・)
して、真言坊主の考えております勝義諦とういうのは、
この私の考えに禿同ですか?
629神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 20:12:25 ID:O4jr35pC
>>627
傍から見てると、あんたの方が、生命教というカルトに嵌っているようにしか見えないw

このスレは、自分の事が見えてないやつが多いなw
630神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 21:16:47 ID:hLosbAcF
なんでおまえらっていつもケンカしてんの?
631試論:2010/02/24(水) 21:17:23 ID:nljj85Mw
>>619
少し擁護してみよう。 たとえば、
「お腹が張っている」という表現は、日常よく見られるものだが、
なぜ、この言語表現と実際の自分の体感とが適切なペアとなり得るのだろうか。
(冷暖自知という言葉もあり、また、頭痛歯痛、喜び悲しみ、怒り憎しみ等、
種々(真には)言語表現不可能な、個別の経験(体感・感受)は多くある。
それらもまた同様ではあるが)、当然、『学習』によるしかない。
何が必要か。(何が学習されるのか。)
・《多くの使用例から導かれる、「張る」という言葉の指し示す事態(様子・感受共に含)の把握》
・《どのような時に「張っている」と表現されるのかという場面の把握》
・《意味が限定されることがあるなら、それはどのような時かという把握》
・《自身の経験の観察分析、把握》
・《自身の経験(状態)と「張る」「張っている」という表現が指し示す状態との突合せ・重ね合わせ》
などを経て、
≪『この体感が、「お腹が張っている」ということなのだ』と気付く、知る、理解する。≫
上で触れたように、痛みや感情も同様だ。
(また、特に子供の学びはこうしたものだ。→だから、周囲の大人の言動は重要なのだが・・。)
【ある言語表現の学習】と【語義の学習】と【自身の(経験の)観察】と【情報の集積整理】とによって、
個々別々の〈純〉内的な体験が、「追体験した」「同じ体験をした」「伝え聞いたものと同じだ」と判断される。

で、宗教的な体験(この場合で言えば「悟り」や「涅槃」)もまた、同様な構図の上にあるとは見れないだろうか。
だから、「師の言葉」や「文献(テキスト)」、「語義の理解」、
「自身の心や身体の観察、把握、分析」、「行(心身の調整及びその方法、或いは節制(律))」、
等が重要なのだ、と・・・。
(縁起馬鹿はココ〈教授する者の資質と学習される内容の重要性〉を言っているのではないか? と・・。)

このプロセスが適切に為されれば、独我論を超え、個の経験が伝承可能となるのだ、と・・・。
632神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 21:39:19 ID:nljj85Mw
>>619
故に、>精神病棟のその患者の体感と主張は、
>>631内の(重要な)幾つかを欠いて成立しているので、却下が可能である、と・・・。

(※これは、子供の「(言語)学習」「情操教育」でも同じだろ?w)
(※尤も、当人にそれを気付かせ、理解させるには、
  その人に「周囲の状況を見、理解する能力(或いは受け入れる余裕・冷静さ・謙虚さ・従順さ)」が必要だが・・。
  ただ、631のアレンジ形により、周囲の人間が判断を下すことは可能だと思われる。)
633神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 22:22:24 ID:FKjlj0EM
>>629
>生命教というカルト

神仏とは異なり、「生命」は「対象化」できない。ただ「ある」だけの、宗教
を含む人間のすべての営みの根源。神仏も宗教も、生命には劣後・従属する。

生命を「すべての根源」として尊重することは、如何なる意味でも「宗教」では
ない。人間界の成員一人ひとりに内在する、至上の義務である。

神仏も宗教も、生命の多数の機能のうちの、ほんの一部に過ぎない。

その精神病の症状としての「観念の遊戯」故に、生命をすっかり忘却した
創唱宗教の各開祖・教祖とは異なり、一切衆生(生活者)は、意識的・無意識
的に、「生命」を究極の基盤として、生存を続けている。
634神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 22:23:26 ID:W1H3pgE0
>>633
人はどうやって幸せになるの?
635神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 22:36:53 ID:tT7P1OCu
>>634
「いまここに生きているこの」自体が、実は最大の幸せであることに、
気付かなければならない。そして、人間も、他のいかなる生物も、「独り」
では絶対に生きられない。釈迦も同じ。生きとし生けるものは、その発
生時から共同体である。
636神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 23:11:36 ID:W1H3pgE0
>>635
そうではなくて、宗教の基本を生命を根源と考えたら、どういう結論になるのか?
と問うているんだが。
637神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 01:21:57 ID:6AfwREN4
>>631  言いたいことは、わかるが、やはり根本的な問題解決とは
ならないと思うぞ、セブン。

>、「師の言葉」や「文献(テキスト)」、「語義の理解」、
「自身の心や身体の観察、把握、分析」、「行(心身の調整及びその方法、或いは節制(律))」、

これらのことは、「真の悟り」の蓋然性を高めるもの(すなわち単なる自己の錯覚の可能性の減少)
だとは思うが、逆に言えば、それだけの働きしか有しない。
例えば、「若いうちから仏門に入り、師について学び、
上記の事柄を全てクリアーしている僧が、ある日、突然、精神に異常をきたし、
『ついに自分は悟りを得た。』と言い出したとする。」
彼自身は、「自己が悟った」ということに対して、微塵の疑いも無い。
それは彼にとって完全なる確信であった。
自己の内面観察、確認において、一片の疑いも無く、自分は過去の聖者の追体験を
なした  と確信している。
さて、彼は『本物の』聖者なのか?

この問いに対してはYESともNOとも言えるのではないか?
「彼自身は自己を聖者と認識している」そして、その他のチェック項目もクリアー
している。解脱が、あくまでも外部検証不能な内的事象であるなら、「自己申告」
をもって、決する以外にはない。ならば、自己を聖者と信じて一片の疑いもない
彼は聖者だろう?
しかし、すると当然のことながら、次の疑問が出てくる。
「自分を聖者(解脱者)と信じているものは、全て聖者か?」
この疑問に対して「いや、そんなことはない。自分が聖者と信じている者が
聖者であるなんてわけない。」と反論するものは、「聖者と精神異常者の明確な
線引き基準」を提示する必要がある。
638神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 01:23:02 ID:6AfwREN4
さて、縁起一代が言っていた「本物の」聖者と「ニセモノの」聖者、
これの区別は?
例えば、自己が悟ってないことを自覚した上で「聖者」であると言っている者、
これはわかりやすい。明らかなニセモノで単なる「うそつき」に過ぎない。
やっかいなのは、先にあげた「自己を聖者であると信じて疑わない者」だ。
この者たちを「何をもって、本物とニセモノに分類するか?」
彼らの中には、先にセブンがあげた数々の項目を自己の観察にあてはめ、その上で
自己を聖者と判断した「精神異常者」がいるかもしれない。

以下は俺の見解だが、決して仏教徒の目標とする「聖者」を揶揄するものではないことを
初めに断っておく。
「聖者」と「精神異常者」に差異は存在しない。これが俺の推測だ。
(この場合の「精神異常者」というのは、隠居がよく使う否定的意味合いを含んだ
ものとは違う)
「自己が全ての真理を了解したと確信し、自己から全ての苦、疑義、不安、悩み、等を
消去しきった『精神異常者』と聖者に何の差異があるのか?」
時と場所を得ず、社会不適応と判断された者が「精神異常者」とされ、
時と場所を得たものが「聖者」と敬われる。逆に言えば「聖者」と呼称されるにふさわしい
者が精神病院の中にもいるわけだ。(実際には、社会生活への適、不適が彼のいる場所を
決定することになるであろうが)
通常の認識からの飛躍を「解脱」とするのであれば、『正しく狂えた者』が
解脱者ではないのか?
そのとき、たまたま、社会適応性を同時に消失してしまったために病院でくらすこととなった。
(勿論、覚者にとっては、それも問題ないことかもしれんが)
639神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 01:24:06 ID:6AfwREN4
縁起一代は「三昧において縁起、因果」を観ることにより、悟るというな?
では、長らく仏門にいた者が瞑想において、「自分は悟った」とおもったとき、
彼は「本当に悟ったのか?」  「悟ったと錯覚したのか?」
この差異は判別不能なはずだ。
俺はこの「本当に」あるいは「本物の」ということが、意味があるのか?ということ
が疑問なのだがな。
「自己が全ての真理を了解したと確信し、全ての苦を滅したのならば、」たとえ
他者からの判断がどう見ても 「精神異常者」であろうとも「聖者」なのでは?
「自己の精神を適切に破壊し得た狂人」が、聖者であるように思えるのだがね。
まあ、「聖者」というものに一つの理想的なイメージを確固として有している
仏教徒たちからは、全く同意を得ないだろうが。

やはり俺には「苦を滅した精神異常者」と「聖者」の差異がわからないのだが。
640神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 04:47:32 ID:cn7W6VYC
>>636
生命は、人間が対象化できない唯一の存在。宗教の対象となるようなチンケ
なものではない。

与えられた限りある自他の生命を極限まで発動させ、精一杯生きることが、
生命に対する最大の信仰である。

苦も、生命の発露として生に取り込めば、苦は消滅する。釈迦のように苦を
排除すべき異物とせず、己の生の一部として楽しめば、苦はむしろ生きる力と
楽しみに転化する。

しかし、生命を神仏と同様に矮小化して、観念化し、信仰の対象にしただけでも、
比類の無い素晴らしい宗教になるだろうね。
641神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 07:03:55 ID:V3DBtl8x
>>640
唯の妄想、ローカーヤタがもうちょっと緻密にやってるよ。
その妄想展開するにしても、少しは学習したらどうだ。
今のような単なる思いつきにインチキ本とか辞書が根拠じゃなあ。
642机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 07:44:21 ID:BcfE0BQF
>>639
>「自己の精神を適切に破壊し得た狂人」が、聖者であるように思えるのだがね。

「聖者」というのも国によって、そのイメージが違う。
中国などは「酔いどれ遊び人」的キャラをイメージしてるし、
(布袋さんがそうです)
馬祖などもこの類。

日本では一休宗純が破壊僧なるキャラで一世を風靡した。
わが国が誇れる禅師です。
一休は「狂気の悟り」とも言われ、
それは後世にまで民衆に影響を与え、菩薩行の見本となるであろう。
643神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 08:05:12 ID:V3DBtl8x
>>642
>それは後世にまで民衆に影響を与え、菩薩行の見本となるであろう。

手本にならんは。何も知らんのに。
一休が本物かどうかしらんが、ああいった風狂者ってのは、
菩薩行が形式化して退廃した時に意味がある。
現代日本では菩薩行の形式すら廃れてるのに
一休が手本になるわけがない。

一休を手本にしたいのはただただ自分が好き勝手やるのに好都合だからだろう、
机みたいなインチキ野郎の場合。

644神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 08:11:03 ID:PlZa5vTh
生命教より釈迦のほうが上行ってるだろ。


スッタニパータ 900

 一切の戒律や誓いをも捨て、
 (世間の)罪過あり或いは罪過なき
 この(宗教的)行為をも捨てて、
 清浄であるとか、不浄であるとかいって
 ねがい求めることもなく、それにとらわれずに行え。
 安らぎに固執することもなく。


仏教はありもしない「生命全体」などを信仰しない。
ただ目の前の自分の人生を見よ。
645机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 09:14:58 ID:BcfE0BQF
>>643
>現代日本では菩薩行の形式すら廃れてるのに

「菩薩行」とは、一休が菩薩行している訳ではないよ。
一休本人は菩薩の意識の欠片もないんだから。

私において「一休は菩薩」なのだよ。
(この意味が解せますか?)

>一休を手本にしたいのはただただ

いやいや、「手本」ではない「見本」です。

で、真言坊主の勝義諦というのは、縁起・空ですか?
646神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 09:17:07 ID:V3DBtl8x
>>645
ハッタリ醜いよ。もうちょっと素直に自覚をもってくれよ。
647神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 09:36:18 ID:yCd+LsAt
こんにちは
仏道修行を志しているものですが
在家の修行者を受け入れているお寺というのは在りますでしょうか?
ご存知でしたら教えて頂ければ幸いです
648神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 09:49:00 ID:V3DBtl8x
>>647
どいうかたちでの受け入れを希望されるのでしょうか?
649机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 09:52:51 ID:BcfE0BQF
>>646
いやいや、ハッタリではなくて質問ですけど、
これ以上は私は突っ込む気はありません。

しかし初学者に誤解があってはなりません。
空思想と、如来蔵思想の違いくらいは、
初学者でも理解してくれることをキボンぬします。
650神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 09:57:45 ID:yCd+LsAt
>>648
在家で仕事をしつつ、説法を聞かせて頂いたり瞑想の指導を頂ければと幸いと思ってはいます。
651神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 10:06:16 ID:V3DBtl8x
>>650
テーラワーダ、チベット、日本の諸宗派などで何かご縁を感じるところがおありでしょうか?
652神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 10:10:06 ID:/kNaXcTl
>>649
>しかし初学者に誤解があってはなりません。

なら、「質問」なぞせずに、ご自分で解説なさったらいかが?
できるんでしたらねw
653神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 10:14:13 ID:yCd+LsAt
チベット密教は興味はありますが、実際に学びに行くともなると現実的ではないので、日本の真言密教に縁を頂きたい面はあります。
近所に真言宗のお寺はありますが、無関係な在家が突然教えを乞いに行ける雰囲気ではないようだし、菩提寺はあくまで葬式専門な感じです。
テーラワーダは大乗嫌いのスマナサーラさんと折り合いが悪そうな気がするのでw
(でもヴィッパサナー瞑想は常時やるようにしています)
654神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 10:20:14 ID:yCd+LsAt
ご隠居さんの哲学というのは仏教でいうと華厳経の世界に近いのではないかと思います。
正式な仏教徒ではない独覚の一種として尊重すればいいのではないでしょうか。
ご隠居さんの悟りも含むのが大乗仏教の大いなるいただきと言うものです
655神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 10:43:22 ID:V3DBtl8x
>>653
真言宗ですと、山崎泰廣先生でしょうか。
http://yamazaki-ya2000.seesaa.net/
直接、ご連絡してお近くのお寺などを紹介していただくとよいと思います。

チベットでしたら以下の先生は立派です。
http://www16.ocn.ne.jp/~tcc/TCC-B/TCC-B.html


テーラワーダでしたら、ビルマのニャーヌッタラ長老がいいかと思います。
http://jyouzabukkyo.jp/information/senninbiku.html

いろいろな先生に会ってみるといいと思います。
良いご縁がありますように。
656神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 10:48:24 ID:5A1aEEg3
>>637-639
そこで、
「戒」や「律」であり、
「未信者に信を生ぜしめ、已信者に信を増大せしめ」と言われる部分であり、
「仏の十号」「サンガの九徳」「法の六徳」と言われる部分であったりするんだと思うよ。
(つまり、内と外から輪郭を定めてゆくような・・。
 外の輪を狭め内の輪を広げ、薄皮の円をそこに顕現させるように・・・。「◎」)

《蓋然性の高さを高めるということにしかならない》という指摘は御尤もだ。
637-639は内的経験の外部検証不可能性を言うものだが、
貴方自身が半分了承してくれるように、631は「当人に於ける確認」の為の要素だ。
が、632で補足したように、それを検証する方法が無いでもない。
それが上記であり、伝承されてきた各種教えであったりする。
勿論、もとより『完全検証』とはならない。だが、その「確からしさ」「精度」を極限まで高めることは可能だろう。
(*この「極限」は、レトリックとしての表現なw)

蛇足ながら、私は、内的経験の外部検証は不可能だと思っている。
が、上に述べたように、その確定をより高い精度で実現させることは可能だと考えるし、
その為の言葉やノウハウ(方法)こそが、釈尊が45年間示された教えであろうかと思う。
で、現在で言えば、「テキスト(仏典)の読み」「律存続の意義」「先達の指導」が重要なんだろう。
657神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 10:54:58 ID:5A1aEEg3
勿論、在世当時は、釈尊(及び初期弟子達)の姿(言行・身口意そのもの)が
そのまま「証」であり「事例」(「基準」)であったろうと思う。
658机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 11:19:54 ID:BcfE0BQF
>>656
貴殿の書き込み興味深く読ませせて頂いております。

私は「悟った」という自覚だけでは、
人間というのはそんなに長続きしないかと思いますね。
いつかは飽きるんじゃないでしょうか?

人間が飽きないのは、法に感動するからなんじゃないですか?

ここに書き込みしている御仁達は、果たして法に感動したことがありますか?
実は私はいつも感動があります。
それは、輪廻転生を悟った、とか、
そういうんだったら、たぶん感動はないかと思いますね。

ようは菩提心ですよね。
仏教は無功徳です。
無なるが故に、それは果てしなく湧きいずる泉の如し。
おお、それは溢れんばかりじゃ〜ございませんか。
659神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 11:27:54 ID:5A1aEEg3
>>658
今はそういう話をしてるんじゃねーよw タコ助。
660机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 11:28:00 ID:BcfE0BQF
>>652
>なら、「質問」なぞせずに、ご自分で解説なさったらいかが?
>できるんでしたらねw

私は如来蔵思想は門外です。

教学としての般若心経解釈くらいは出来ますけど、
これも門外からのアプローチでして、
正確を期すには自信がありませんです。
661神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 11:34:57 ID:TinvbAg+
なんでお前らっていつもケンカになるんだろうね?
662机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 11:35:02 ID:BcfE0BQF
>>659
いや、大事なことだよ。
講釈もこれは大事だけど、
まず菩提心のないところに感動はない。

・・・・・感動したことないのか?

菩提心というのは腕を斬り落とすくらいの覚悟のこと。
663神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 11:37:31 ID:6AfwREN4
>>657 ひとつ聞きたいが、セブンは「独覚」というものを認めていないのか?
俺自身は、仏教徒ではないので、そういうものがあるのか?否か?は知らん。
しかし、師についての修行経験がなくとも、ある日、あるとき、ひょんなきっかけで
悟ってしまった  なんてことは、有り得ないわけか?
確か中国の六祖だったか?  が、近い体験をしているはずだが。
この「独覚」を許容すると、ますます、「悟り」が個人の思い込みか否かの判別が
難しくなると思うが?(たとえ、自己が達した境地を過去の聖者といわれる者たちの
教え、言動とすり合わせたとしても)

さらに、もうひとつ質問いいかな?  これも以前から疑問に思っていたことだが、
「真言宗(密教)では、かつて(今は知らないが)貴人の病気の回復を祈り、あるいは
元寇のとき敵の退散を祈り、護摩を焚いて祈願した」と聞く。
これはスッタニパータに書かれている釈迦の教え(呪術、医療行為の禁止)に著しく
反するように思えるのだが? おそらく空海さんのことだから、そのあたりは
綿密な理論によって整合性がとられているとは思うが、やはり、どのように意味づけ
しようとも、釈迦の説いた教義からは逸脱しているように思えるんだがな。
(よくは知らんがスマさんが、叩くのもそのあたりではないのか?)
真言宗では、そのあたりをどのように自己解決しているのかな?
664神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 11:41:25 ID:GZ/CyqUm
>>644
>仏教はありもしない「生命全体」などを信仰しない。
>ただ目の前の自分の人生を見よ。

君のその考えや書き込み自体が、君の生命が「ある」ことの歴然たる証拠w。

自分の人生を「見る」「考える」ことは、生きていることではない。死んでいる
ことだ。「生命の指示のみに従い、ひたむきに生きること」のみが人生だ。

人生とは、生命の応用問題。生命を基盤とすれば、すべての問題に付き、正しい
回答が容易に得られる。

釈迦は、ダニヤの章だけで、完全に落第。生命を狂わせる性格異常の離人症患者の
カルト教祖。社会にとって役立たずの「人生」の敗残者、落ちこぼれ。「生き
とし生けるものに幸いあれ」などと言いながら、自分の家族は不幸のどん底に
陥れた、人間としてクズである。

釈迦佛教(小乗仏教)は、人間を惑わし、人間にとって極めて有害なカルト宗教。
当時も多くの犠牲者が出ている。

釈迦佛教は、大乗仏教とは原理的、本質的に異なった別の宗教であることを、
忘れてはならない。佛教は、竜樹が発見した「空の原理(相互依存性・関係性)」
により、初めて普遍的価値を持つ至ったのである。
665神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 11:42:18 ID:/kNaXcTl
>>660
オィオィw
「初学者にも分かる違い」を解説してくれるように頼んだつもりなんですがねぇ。

>初学者でも理解してくれることをキボンぬします。
と、いってたのに、突っ込まれたとたん、
>私は如来蔵思想は門外です。
>正確を期すには自信がありませんです。
とは、ちょっと変わり身が早すぎませんか?w

自分は正確にわからないのに、初学者には厳密な解釈を求るんですか?w
666神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 11:46:36 ID:PlZa5vTh
空海は天才で、書の達人だったのみならず、
井戸を掘る、ため池を作るなどの土木工事の設計、指揮までしていた
当時最先端の知識人、かつ技術者であった。
紀元前500年のインド人と唐で当時最先端の知識学んだ空海と
同列にはおけんだろう。
俺は真言宗じゃないから、真言宗の意見ではないがね。
667机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 11:48:17 ID:BcfE0BQF
>>665
では、一応私の解釈を書いてみます。
如来蔵思想ですから、空から色は如来蔵への意味かと思います。
この場合は「空」は世俗諦ですね。
ここからギャーティーの真言において勝義諦。
こういう解釈で宜しいですか?
668神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 11:52:22 ID:PlZa5vTh
>>664
>自分の人生を「見る」「考える」ことは、生きていることではない。死んでいる
>ことだ。「生命の指示のみに従い、ひたむきに生きること」のみが人生だ。

この電波。どこからともなく生命の声がきこえてくるのか?
それは、おまえ自身が「考え出した妄想」だろうが。
このマヌケ。
669神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 11:58:20 ID:5A1aEEg3
>>661
我執に捕らわれているからさw

>>662
「大事ではない」とは言ってないぞw
「今はその話をしてはいない」と言っただけだ。日本語に不自由な方から来たのか?w

>>663
>「独覚」というものを
ありえないことではないと思う。仏教に(≒ブッダに)類似した境地へたどり着く者もいるかもしれない。
だが、それが仏教であるか(≒ブッダであるか)は、釈尊の示したところのものと合致するかどうか、ということになる。
(非常に危うさが残るということだ。これを縁起馬鹿は大きく危惧し指摘するわけさw
《「それ」は「仏教」とは言えない》とねw (不説氏も、向こう(避難所だったか?)で同様のことを述べていたように思う。))

仏教と、キリスト教や他の宗教との共通点はよく言われるし(片山さんも宗(派)を跨いだ評価をする)、
類似した、或いは「同じこと」が示されることもあろう。しかし、他の素晴らしい人物を頷き、高く評価し、
「聖者」と呼ぶことを許容したとしても、《彼らは決して『仏教という枠内の聖者』ではない》。
何か一つ(の理解が)あればブッダである仏教である、というわけではない。
もとより、初期仏教(釈尊在世当時)では、聖者の基準は後代より遥かに緩いと思う。(縁起馬鹿は反発しそうだがw)
不説氏が言うように、或いは貴方が六祖の例を出したように、
最低限の条件(これが難しいかもしれんがw)を満たしていれば、覚者と称し得る、見做し得る、と・・・。
ただ、何でもアリでは困るので(―たとえば神智学領域の聖者等、宝珠のベクトルを許容できないように・・w―)、
釈尊及び弟子たちの行履との照合が不可欠だ、と。 >思い込み の矯正も、それによってなされるべきだろう、と。
『仏教(…【釈尊によって示された】おしえ)』という枠を外さないのであるなら・・・。

外野から評はできるがw、真言宗のことはよく解らんw
670神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 12:05:15 ID:PlZa5vTh
>>664
お前みたいな、知識偏重、科学妄信のバカが
政治にたずさわると、このような結果となるのだ。

>1955年、中国の毛沢東が「雀は悪い奴だ」と言ったとたん、中国各地で雀の大虐殺が始まった。
>雀抹殺専門の突撃部隊が2400作られ、1年で11億匹の雀を虐殺し、
>1967年迄に雀を浄化すると宣言した。しかし、
>雀を殺し過ぎて雀が食べていた昆虫が大繁殖して、
>大凶作に見舞われた。この愚行により、中国全体で4000万人もの餓死者が出たといわれる。
1955年、中国の毛沢東が「雀は悪い奴だ」と言ったとたん、中国各地で雀の大虐殺が始まった。
http://current-affair.blog.so-net.ne.jp/2006-02-19-2

おまえ自身は、共産党を否定しているらしいが、お前の言説は共産党そのものだ。
科学というのは、現在進行形で発達しており、その都度意見が逆になることなど
日常茶飯事なのである。
俺は一応理系で科学者を目指したから、科学的な目を持つというのは、
妄信でなく疑ってみること、自分で証明できないことは主張しないということを
知っている。
671神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 12:15:56 ID:6AfwREN4
>>669
>『仏教(…【釈尊によって示された】おしえ)』という枠を外さないのであるなら・・・。

ここが、もう一つの問題点。以前にも、提示したが明確な解答というのが
得られなかった。
つまり「仏教というフレーム」をどのように設けるか?
三法印、四法印であるという回答も当然、あるが、その解釈により
それこそ、無限ともいえる拡大の方向性を取り得るわけで、その結果
おかしなものまで生み出される。(真言宗への疑問もその一端)

仏教徒諸氏は、どこで仏教の線引きをするのが良いと考えているのか?
672神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 12:16:46 ID:9kJLlpai
>>669
「ブッダの境地」「他の素晴らしい人物への頷き」とは、一体何か。
まさにオウムの心理ではないか。

「個人崇拝」は、幼稚な人間だけがやること。カルトの布教は、いい加
減で止めなさい。
673机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 12:17:12 ID:BcfE0BQF
>>669
>何か一つ(の理解が)あればブッダである仏教である、というわけではない。

そうやって悶々と考え抜くのは自由なんだけど、
(けして悪いことではない)
仏教に縁して、何か感動するものは無いのか?
教義でもいい。
なんかあるだろ?
674神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 12:38:31 ID:gia2Npfx
>>670
マルクス主義は、唯物論を標榜しているが、その正体は「共産主義ユートピア」
という「観念信仰」の、ヘーゲル直系の西洋観念論。「擬似宗教」と呼ばれる。
宗教とは、信じる「神」が違うだけ。宗教だからこそ、あれほどの大虐殺が可能
になった。

毛沢東、金正日に対する「個人崇拝」も、釈迦、イエス、麻原に対する「個人
崇拝」も、原理的には全く同じ。

科学は、観察と実験による検証の繰り返しにより、従来の誤りを訂正するから、
いかなる宗教の奇跡も及ばない進歩を遂げ、人類に巨大な恩恵をもたらした。
宗教は、観念の遊戯に過ぎず、その真偽・正誤・正邪を判断するための基準が
皆無だから、争いの原因になるだけで、全人類的合意の達成は、全く不可能で
ある。
675神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 12:39:23 ID:5A1aEEg3
>>671
>明確な解答というのが得られなかった。
現在も模索中の(大)問題だからねw

一等明確なのは「(現代)日本仏教」だし、
(縁起馬鹿が反発しそうだがw)、「大乗仏教各種」はどうなのか、とか
「上座部」と「大乗仏教(或いは日本仏教)」はどうなのか、「チベット仏教」はどうなのか、とか
創価を始め各種派生モノは論外としても、「日蓮宗・浄土系」をどう見るのか、とか・・・。
今現在は、個々人の見解しか存在しないと思うよ。
宗派や上位組織で何かあったとしても、それは形式だけの文言でしかない。
唯一、自負心と共に(全体で)「これが仏教である(Buddha sAsanaである)」と宣言してるのは上座部だけじゃないか?

即答できるもの、このスレでやれることじゃないよ・・w  (^^;
676神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 13:04:32 ID:5A1aEEg3
>>671
参考になるかどうかわからんが、暇が出来たら

ttp://ci.nii.ac.jp/search?q=%E7%89%87%E5%B1%B1%E4%B8%80%E8%89%AF&range=0&sortorder=1&count=20&start=41

 パーリ仏教における相対的規準〔I〕 : kappiyaの原義
 駒澤大学佛教学部論集 19, 510-492, 19881000

 パーリ仏教における相対的規準〔II〕 : kappiyaとニカーヤ
 駒澤大學佛教學部研究紀要 47, 268-252, 19890300

 十事(dasa vatthuni)について
 パーリ学仏教文化学 (3), 15-40, 19900305

にでも目を通してみるといい。
何かしら引っ掛かる所があると思うよ。(当然、異議も含めてねw)


ノシ
677神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 13:24:36 ID:/kNaXcTl
>>667
日本語を書いてくだされw

「空思想とは〜〜〜であり、如来蔵思想は〜〜〜であり、〜〜〜という点が異なる」と言うように、
書いてくださらないと、意味不明です。
(まあ、意味不明にするのが意図なんでしょうがw)

そして、私に解釈の判定を聞かないでくださいな。
あなたが、「初学者でも分かる差異だ」と発言したから、
「それなら、質問なんぞしてないで、解説して下さい」とお願いしただけですよ。
678神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 13:24:58 ID:5A1aEEg3
>>671
あ、それから、
御隠居が、いいフレーズを書いてくれてるw

>観察と実験(実践・体験)による検証の繰り返し

同じだと思うよ。  ノシ
679机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 14:11:01 ID:BcfE0BQF
>>677
私はただ、>>587の真言宗アジャリが

>仏教では先ず、現状が苦で輪廻であることを世俗諦・因果・縁起として認識し、
>それから解脱するために修行する。
>その結果、勝義を悟り、無我・空を体得するので観念論でも現状肯定でもありません。

という書き込みをしたので、それは「真言宗の勝義諦は無我・空なんですか?」。
って、アジャリ=縁起馬鹿に聞いたのです。

空が勝義諦ですと、じゃあ如来蔵は何処へ逝ちゃたんですか?
って聞いたんです。
これをアジャリが答えてくれれば問題はない。

じつは真言宗においての如来蔵は重要な位置を占めますから、
これを勝手に禅者が解説付けますと、
「禅者は如来界に裸足で踏み込む」と、叱られます。
私にとって如来界は結界ですね。
680神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 14:23:48 ID:/kNaXcTl
>>679
経緯なんぞ聞いとりませんよw

「初学者(私)にもわかる、空思想と如来蔵思想の違いの解説」をしてくださいな。
681机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 14:35:22 ID:BcfE0BQF
>>680
それは、アジャリと私が対論して、初めて明解になるものです。
勿論、般若心経解説も同時にやります。
それが駄目なら、
検索して調べてください。

如来蔵思想で、金剛界と胎蔵界と二つありますね。
この二つが「色」なんじゃないかと勝手に推測してますけど、
ここはアジャリに聞かんと解らんです。
682またかいw文献病妄者スレ化w:2010/02/25(木) 14:36:36 ID:6ZlsJHTM
机を擁護する嘘つき連呼批判はおもろいなあw
嘘を付く宗教者はカルト容認だねえw
カルト教万歳の机と、その友達w

正しい主張論とか、ありましたが・・
まあ、机君や、そのお友達の様に嘘をつかなけらば、いいんじゃねw

さて、最近、ワシに軽い印可くれる坊主の凄みにやれられてレベルアップだなあw
メディアとか使い名前を出さずワシに凄みを見せつけられたなあw

そのレベルアップの内容だが・・・
臨済禅ていうのは、6祖慧能の四句のやつのように、
流転当然、形式不要で、浅田真央対キム・ヨナの戦いの様な、精神的バトルと実践世界であり、
また、他の仏教の様に禅定にライディングなんて許さないデヴィル仏教であるw
その腕を上げるために、意味不明な禅問答するのであり、
嘘つき机の様な黄門様の印籠の様な禅用語でもなく、マヌケな空と色の形式や「脳の中枢」を語るものではありません。
また、臨済といい、この普化(ワシの禅の流派らしいw現在法流滅んでいるらしいw)はキチガイ・モンスターであり、
臨済録、普化振鈴
血祭り魔王の普化が、鈴を鳴らしながら、
「おらっ!おらっ!かかってこんかい!血祭り魔王普化が、精神血祭りズタズタにして苛めてやるぞw」
と、マヌケな空と色の形式、「脳の中枢」を語る
、嘘つき机をイジメ回していた。
それを見ていた臨済が、弟子に、「血祭り魔王普化をおちょくってやれ、血祭りできない奴が出てきたらどうするのだ?と質問してやれ」
と・・・・

これに対する普化の対応が見事で、
この意味を知ったのが、ワシに軽い印可をくれた凄まじい坊主の行いである。
血祭り魔王までは、嘘つき机をイジメ回すまでは知っていたがw
その反転した場面は理解できていなかった、
答えは、知りたい奴は、碧眼録の金牛飯桶でも、読んでおくれw
683血祭り魔王w:2010/02/25(木) 14:42:27 ID:6ZlsJHTM
他の人も、我こそは真理を知ってるってやつはこれにこたえてみてくれ。
1・なぜ人は、自分が正しいとか自分の説が正しいと訴えたいのか?

2・そしてその自説が否定されると、怒り、相手を罵り、かつ自説が正しく相手が間違っているのだ、と証明したがるのか?


537へ回答、
正しいと思い込んでいる、嘘つき机みたいなのが多いからさw
全部血祭りにしてやればいいのさw
684血祭り魔王w:2010/02/25(木) 14:58:19 ID:6ZlsJHTM
653へ、
高野山へ、ゴーだ。
宿坊泊まるといいぞ、
恵光院がよさそうな気がする。
高野山は昔に比べれば、イージーさがあっていいぞw
弘法大師に個人的世話になる形式が・・
最近、この形式を生み出した、室町時代の真言坊主の考えた修行形式に敬意を元だした、
大衆的で、サービス抜群。
なお、宿坊寺院成福院の摩尼宝塔(いつでも可)に訪問するとミャンマー佛がまっているぞ、
お得ですう。
ワシ超能力あるんで、オートで生滅智にはいってしまうんで、上座仏教ワールドだ摩尼宝塔はw、
685血祭り魔王w:2010/02/25(木) 15:03:16 ID:6ZlsJHTM
机のパターンは確かに、南方仏教路線のスタンスから言えば、
机には、戒が必要。
686血祭り魔王w:2010/02/25(木) 15:07:21 ID:6ZlsJHTM
>さらに、もうひとつ質問いいかな?  これも以前から疑問に思っていたことだが、
「真言宗(密教)では、かつて(今は知らないが)貴人の病気の回復を祈り、あるいは
元寇のとき敵の退散を祈り、護摩を焚いて祈願した」と聞く。

セブンではないが、真言密教に詳しいんで回答しよう。
663へ、南方仏教の寺院や在家信仰でも、釈迦に病気の治癒ぐらい、祈るぞ、机上の意見、文献シフトしすぎじゃね?
687神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 15:09:47 ID:TinvbAg+
カスしかいねーな
688神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 15:10:55 ID:H4yXLFxV
>>687
自己紹介乙
689血祭り魔王w:2010/02/25(木) 15:12:24 ID:6ZlsJHTM
確かに667の机の説明、ひどすぎるなあw、
ゆえに、嘘つき妄想だなあw
禅も、まともな意見ではないね、
「水戸黄門の印籠みたいな禅が凄いだろう」、と書き込んでいるだけw

690血祭り魔王w:2010/02/25(木) 15:26:06 ID:6ZlsJHTM
ワシはカスでごわす。
687さんはサゾ偉大なんでしょうねw
きむじょいるみたいに。尊敬しまあーす。

机はある意味文献学者病で水戸黄門印籠禅だなあ、
ゴ・インキョー将軍様にはさすがに、ワシ、餌やる気がない。
相手するだけ無駄だから、これの方が仏教関心ないんで、カルトでもないので、スルー推奨。
691血祭り魔王w:2010/02/25(木) 15:39:50 ID:6ZlsJHTM
嘘つき机の禅と真言の話ではなくて、
まともに、違いを・・・

臨済禅は、682の内容の感じで、嘘つき机の様に理屈をコネルを否定される。
曹洞宗道元禅は、ある意味、真言のセンスに近い部分がある、仏作仏行、という仏を行いを細やかに行う、密教でも天台的雰囲気がある、
禅と真言の違いは、真言は究極の境地において一切肯定される、禅は否定の反転の上での肯定、
禅では机の様な屁理屈と無明を断ずる。
真言は仏の秘密とリンクして、無明を断じて行く、無論、無明の分析もなされる事もあるな。
真言は解釈、流派も多いから、坊主によって解釈が異なり戒律的だったり、分析的だったり、修験道的だったりする場合もありうるやろな、
霊媒シフトでヤバイケースもあるけどなw
高野山真言宗ですら、空海当時の真言密教と別物だからなあ。
禅ほど、まとまって教学スタイル方法論が一致傾向にない。
692血祭り魔王w:2010/02/25(木) 15:48:57 ID:6ZlsJHTM
嘘つき机と違い、如来蔵を・・・

如来蔵ていうのも、一切に仏性を宿す、ていう思想やけども、
厳密に日本仏教で如来蔵要素を否定している仏教は、唯識法相宗のみ、
そこの流派の薬師寺の過激原理主義者の橋本ギョウイン和尚の本でも読めば解る。
まあ、禅に対しては一番マシ扱いしてるなあ、一切徹底否定から始めるからやろな。

如来蔵ではない=一切徹底否定で、修行しなければ救われない、
というところやろな、
禅は、その一方、肯定世界がありまして、
682の臨済録、普化振鈴の最後の書いていない部分、場面でもあるんですが、
この場面で、これも如来蔵といえば、如来蔵とも言えるんですわ。
693血祭り魔王w:2010/02/25(木) 16:02:58 ID:6ZlsJHTM
485 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 12:38:49 ID:F6L2zrcj
>>481
私と語ちるなら、
せいぜい仏教の基本くらいはマスターしとかないとな(笑
仏教のコアを語ちるにも、
それが解らんようでは・・・
かえって法を貶める。



机のこの嘘大口叩き、すごいなあw
仮説、机の脳の情報処理システムw
机君の脳の情報処理を分析してみよう。
机脳は次の様に情報処理がなされる。

A机の虚栄心欲望の発生
       ↓     
B机のいい加減な禅知識→C虚栄心に犯された机の禅用語の書き込み
                  ↓
            的確な机の禅知識と悟りの否定
                  ↓
           D虚栄心による哀れな防衛心が発生
                  ↓
                  1禅用語で知ったかぶり風にとぼける
                  2優位妄想のために余裕を見せ見栄はる、全て知っていると根拠無き勝利宣言。
                  3無視する
                  4別の話を付け加えて増幅させて話をごまかす
                  5黄門様印籠方式、禅用語で終わる。
694血祭り魔王w:2010/02/25(木) 16:13:52 ID:6ZlsJHTM
>如来蔵思想で、金剛界と胎蔵界と二つありますね。
この二つが「色」なんじゃないかと勝手に推測してますけど、

681の机の書き込み内容、ため息でるわ・・・
ただの仏教用語のつなぎ合わせ、そいつが・・
485 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/22(月) 12:38:49 ID:F6L2zrcj
>>481
私と語ちるなら、
せいぜい仏教の基本くらいはマスターしとかないとな(笑


とほほ・・・
「吽字義」でも読んでから、書け、ていうのw
只管意味知らない仏教用語つなぎ合わせ垂れ流しw


695机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 16:46:40 ID:BcfE0BQF
>>69
>ワシはカスでごわす。

いやいや立派だよ。
私の存在が肥大化してるんだよw
こういうことは、よくある。

2003年頃にシヴァ神というコテがいてな、
この御仁も私に翻弄されて、しまいにはパンクしちまった><
ワンスレッドを連続書き込みで埋め尽くす。
これに「シヴァ命」を掛けていたんだよ。

こんなことに時間を取られ、ついに1万人もいたシヴァ神新派を全部失うことになる。
私がいなければ、今頃はシヴァ神は教祖になってたかも知れんね。
696嘘つき机を血祭りに、浄土真宗、歎異抄:2010/02/25(木) 16:57:07 ID:6ZlsJHTM
浄土真宗、歎異抄をネタに机等妄想軍団をやっつけろおw
ていうわけで、
浄土教と言う成り立ちは、
修行により悟りを完成させる仏教と違い、
手段の方向性が異なる。
死後に「修行により悟りを完成」を完成させるのを狙う。
ゆえに、日蓮宗以外の浄土教は、「修行により悟りを完成」の死後における感覚を讃歌などで現す。

まあ、浄土真宗はざっと、こんな感じだ。
1、自己が愚かであると言う自覚をする、机がもっともできない能力。
2、欲望は捨てることが出来ないが、
  この世のものは虚しいと、基本は、この世の価値を捨てるべきものと認識する(南方仏教の感覚に近いような感じもある)
3、自己が愚かであると言う自覚より、念仏を唱えて仏を供養し、来世、及び現世の安心の利益を得れると確信する。
4、死後の世界の悟りを讃歌などでイマジネーションをする。

ゴ・インキョー将軍様の妄想より、あふれ出る浄土真宗批判は、次の要素がある、
1、親鸞自体が神格化されるのを嫌がるのに神格化され、妻帯がゆえに、親鸞の子孫がトップリーダー世襲となる、
  織田信長と戦争期には、明治以降戦後以前の天皇並みの権威と神秘的地位があった。
  現在でもトップは親鸞の子孫、今の天皇より、やや強いステイタスがある、
  織田信長の時代は戦国時代と言う同情要素もあるが、思想的に、親鸞の子孫であるトップに絶対服従を要求(親鸞自身は念仏唱える者皆平等だったのだが・・)
2、織田信長の時代は、自己が愚かと自覚できない、机もそう。
697嘘つき机を血祭りに、浄土真宗、歎異抄:2010/02/25(木) 17:00:21 ID:6ZlsJHTM
695 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/25(木) 16:46:40 ID:BcfE0BQF
の書き込みは、浄土真宗教義的に、
1、自己が愚かであると言う自覚をする、机がもっともできない能力。
欠落しており、

693のDの2優位妄想のために余裕を見せ見栄はる、全て知っていると根拠無き勝利宣言。
と思われる、
机の煩悩は形式化されているので、解りやすいw
698嘘つき机を血祭りに、浄土真宗、歎異抄:2010/02/25(木) 17:02:21 ID:6ZlsJHTM
なお、今後は、とりあえず、
浄土真宗教義的に、
1、自己が愚かであると言う自覚をする、机がもっともできない能力。
欠落しており、
をベースに 浄土真宗、歎異抄の文で追求してみよう。
699渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/25(木) 18:27:06 ID:mQPCvDe7
 先師口伝之真信(先人から口で伝えて教えられた秘伝である)(歎異抄前書き)
 外見あるべからず(みだりに公開してはいけない)(歎異抄18章)。

 著者自身が公開を禁じている書を、先人の真意も考えずむやみやたらに本願寺が公開するから 、浄土
真宗の秘伝書がID:6ZlsJHTMのようなおっちょこちょいのおもちゃになり、2ちゃんねるのネタになる。浄土
真宗は、教義無茶苦茶。手が付けられない。  (苦笑)
700神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 19:00:27 ID:p7wcvygQ
アホしかいねーな
701神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 19:12:59 ID:GU7GcXNq
>>655
御紹介ありがとうございます。

>真言宗ですと、山崎泰廣先生でしょうか。
>http://yamazaki-ya2000.seesaa.net/
>直接、ご連絡してお近くのお寺などを紹介していただくとよいと思います。

こちらのブログは、真言宗の山崎先生のブログなのでしょうか?
「経歴」を閲覧しますと、(意図的にそうされているのかもしれませんが)
真言宗については一切触れられておりません。
702神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 20:00:36 ID:V3DBtl8x
>>701
すいません。間違いました。高尾山と書いてあったので、間違いないと思ってしまいました。

別人の山崎さんにも心で謝っておきます。

以下です。

http://mdvjapan.jimdo.com/山崎泰廣/
703神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 20:05:01 ID:GU7GcXNq
>>702
ありがとうございます。
704神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 20:23:36 ID:V3DBtl8x
>>703
どういたしまして、よい出会いがあるといいですね。

随喜、随喜
705ID違うが:2010/02/25(木) 20:43:38 ID:JgmZdwJT
今の流れで、ふと思った。

>>671
中部140「界分別経」も読んでみるといい。
教えの内容も興味深いが飛ばしていい。
また、最後「五下分結を滅して化生となり云々・・」と輪廻絡みの結びになってるが、そこも無視していいw
《釈尊とプックサーティのやりとり》を拾い上げて読んでみるといい。
>>637-639に関連したやりとりになっているから。
(釈尊に向かって「友よ」と呼びかけたことを悔い又責められている点も無視していいw)
706653:2010/02/25(木) 22:52:29 ID:yCd+LsAt
ご紹介頂きありがとうございました。
707神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 23:54:02 ID:KNgu+QDb
>>680
>「初学者(私)にもわかる、空思想と如来蔵思想の違いの解説」をしてくださいな。

佛教の本質に関わる重要な質問ではないか。

愚にも付かない原始仏典の重箱の隅ばかり突いていないで、ちゃんと回答でき
る仏教者はいないのかね。

この質問箱は、本質論に関する質問への回答は、誰もできないようだね。
「色即是空・空即是色」の意味につてさえそうである。一般人の非信徒から質
問されたら、一体どうする積りか。

「佛教の中心思想とは何ですか」という質問についてはどうか。
708神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:01:46 ID:iWzZ0Ngu
>>707
>「佛教の中心思想とは何ですか」

「縁起」「四諦」
709653:2010/02/26(金) 00:05:06 ID:eeYMV2CM
空というのは関係性の事です。物事はそれ自体で成立するものはなく他との関係で成り立っているということです。
この「空」の世界を体現したのが如来です。
歴史的には釈迦如来という方がいます。
如来蔵とはこの空を悟る如来の性質が万人に本来備わっているという説です。
こんなところでいいでしょうか?
710神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:11:23 ID:FY2K4zLN
>>708
そんな専門用語では、一般人には誰も判らん。

「空の思想」は、どこへ行った?日本の仏教のすべての宗派に共通する
仏教思想は「空」のはずである。「縁起」では、「縁起が良い・悪い」
「単なる因果関係」と誤解されてしまう。
711653:2010/02/26(金) 00:13:15 ID:eeYMV2CM
例えば2ちゃんねるという現象を空観によって解体してみましょう
2ちゃんねるは管理人のヒロユキさんによって作られ、ユーザーの無数の書き込みによって、コンピューターのネットワークシステムによって‥など無数の要因によって成立しています。
逆にいうと2ちゃんねらーは2ちゃんねるによって2ちゃんねらーたりえる訳でこれを相互縁起と言います。
2ちゃんねらーは2ちゃんねるに依って立ち、2ちゃんねるは2ちゃんねらーに依って立つ訳ですから、本来はお互いがお互いを大事にしなくてはならない訳です。
712神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:18:43 ID:iWzZ0Ngu
>>710
>「空の思想」は、どこへ行った?

イラネ。 ( ゚听)、 ペッ


>誤解されてしまう
誤解しない人も居るw
必要な時に、必要な補足説明をすればいい。(今回は単なる野次だw)
少なくとも、てめぇに聞かせるには勿体ねぇwww
713653:2010/02/26(金) 00:23:50 ID:eeYMV2CM
このようにあらゆる現象を空の視点から見る行を分析瞑想といいチベットのお坊さんは若い頃から徹底的にこれをやります。これが仏教の修行なのです。饅頭で言えば実の部分です。
日本の仏教マニアは饅頭ではなくて経典という包装紙を集めて読んでるだけみたいな面があります。
714神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:23:56 ID:vHxrYlTZ
>>712
空の思想は、「イラネ。 ( ゚听)、 ペッ 」などという、日本の仏教の
宗派はどこですか。

715神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:28:17 ID:XcXy/hvv
>>711
俺の空観とは全然違うな。それ。
716653:2010/02/26(金) 00:33:40 ID:eeYMV2CM
当たり前ですがこの分析瞑想を繰り返し繰り返しやっている人は普通の人とは異質の世界を生きているはずです。
普通の人間が平面的にしか捉えられない現象を立体的、時間的に捉えているはずです。
まさに次元が違う訳です。
そういう訳で恐らくチベットの高僧と凡人では人と猿くらいの認識力の差異があるでしょう
717神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:34:34 ID:hwNHtQYZ
>>713
「空の思想」が「関係性」なら、万物について観察できること。化学や
生物を勉強すれば一発で分ります。何故、瞑想や修行が必要なのですか。
718神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:37:22 ID:iWzZ0Ngu
>>714
問いをシフトさせる(=論点をズラす)なよwww

「《日本の仏教の各宗派の》中心思想」は何ですか? という問いではなかった筈だが?w
なぜ、急に宗派を持ち出すんだ? ん?



って、御隠居と絡んでもつまらんな・・・。(こんなんじゃ、ROM者の益にもならんだろうし・・w)
寝るか・・  ノシ
719神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:39:58 ID:eeYMV2CM
関係性というのが「心というブラックボックス」との関係性だからです。
それは近代物理学とは全く異質の発想の世界だからです。
720神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:43:51 ID:XrtcIZCV
>>718
ここは「日本人」のための質問箱です。あわてて論点をずらしている
のは、あなたです。ROM者の誤解と混乱を招きますよ。
721神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:45:15 ID:eeYMV2CM
まず仏教の観点からすると物質は有り得ません。
物質を作っているのは我々の心です。
我々の心が縁となって「物質」と呼ばれる現象が成立します。
それは在るとも言えるし在らぬとも言えます。
つまり空です。
縁起の総体が物質の正体であり、それは空なのです。
722神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:49:05 ID:iWzZ0Ngu
>>721
>「物質」と呼ばれる現象が成立します
|
|゚) < 「それ(>「物質」と呼ばれる現象)」を「物質」と言うんだよw  タコ助。
|

|
|彡サッ
|
723神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:53:31 ID:XcXy/hvv
空とは何か?
俺の意見。

空とは世界観を表す一つの言葉。
なにもかも同じもであるということ。それが空。
724神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:54:24 ID:eeYMV2CM
「物質」が独立的に客観的に存在するということはないと言う意味です
それは我々の心を縁として生じる現象に過ぎないのです。

725神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 00:58:32 ID:Hcouh+2b
>>721
人間は物質がなければ、一瞬も生きてゆけません。宗教も、瞑想も、
修行も出来ません。物質が、「在るとも言えるし在らぬとも言える」
のでは、社会は大混乱に陥り、崩壊します。

色即是空・空即是色の「色」とは、文字通り目に見える物、即ち物質の
ことではありませんか。そうでないとすれば、何故、「空」と「色」という
二つの言葉をわざわざ使ったのですか。目に見える物と心の中の考え(空想)
とは、別個の対象ではありませんか。
726神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 01:05:35 ID:eeYMV2CM
これは現代の量子物理学の世界でも言われてますが、物質というのは素粒子などのレベルでは紐のようなものだったり、波のようなものだったり、突然出現したり、突然消えたりするような不安定なものなのです。
仏教では無とも言えないし有とも言えないので空と表現しています。
またビックバン理論などでも宇宙は有とも無とも言えない所から低い確率で生じて来たとされます
これを仏教では空と言います。
727神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 01:09:15 ID:eeYMV2CM
色即是空の色とは物質と解釈してもいいでしょう
しかしそれは空で実体はないと言っているのです。
空で実体のないのがこの物理世界である。
それだけのことです。
この大宇宙ですら縁によって起こり、縁によって消滅します。
宇宙もまた空なのです。
728神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 01:14:39 ID:vAaTX5IT
>>726
それは「関係性」の原理だから、当然ですね。

しかし、人間は、現実の物質では生きられるが、心の中の空想の物質
では生きられない。その現実の物質と空想の物質との区別は、皆さん
はどうやって行っていますか。
729神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 01:14:43 ID:XcXy/hvv
>>727
うーん
俺はちょっと違うと思うわ。
730神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 01:19:15 ID:eeYMV2CM
現実の物質も空であるし
空想のお化けも空なんですよ。
現実の物質を実在であると考えるから苦悩が生じます。まは実在しないとしても間違いです。
それは空なのです。
それが中観哲学です。
「お化け」にしてもそうです。それを実在としても間違いだし非在としても間違いです。
それは空なのです。
731神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 01:25:07 ID:ymtfUVaM
>>705  資料紹介乙。 結構な量なので時間のあるときに、ぼちぼち
読んでいくことにするわ。
732神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 01:36:36 ID:XcXy/hvv
>>730
そういう言い方すればそれはもはや言葉の約束事の問題であんまり意味ないと思うんだが、
物質が空である、っていうのならそう言えるけど
現実の物質を物質たらしめているのは、空ではない。それは別の神秘
で、空って事を言うのに意味あるのは、その物質が空であり、無常であるってことを見るからだし。。。。
言葉で言うと全ては空だって言っちゃえばそれまでだと思うんだが・・・・
言葉で言えるようなもんでもない気がする。
もっと流動的な全てがつながりあった水のような、うごめきのような、そういうイメージ

あと、空想のお化けと物質を同列におけないだろ?
前者が特別なもんだってのがポイントだと思う。似てるけど違う
人の想念だとか妄想は空ってもんから独立してる
だからこそ「空」を知る事ができないわけだから
733机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 07:54:42 ID:FP5OXi3e
>>713
>このようにあらゆる現象を空の視点から見る行を分析瞑想といいチベットのお坊さんは

空というのは方法論じゃありませんから、
「空の視点から行じる」っていうのは意味不明です。

アレフあたりに騙されてるんじゃないですか?
「修行せよ・修行せよ」で、空を行じたら、たまったもんじゃ〜ないですよw

つうか、これはマインド・コントロールでしょ?
734神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 07:59:45 ID:H1LAntJN
机と生命教はスル〜しましょう。
誤りを認めず、詭弁と珍説を繰り返すだけで議論不可能ですから。
735机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 08:03:03 ID:FP5OXi3e
>>707
>佛教の本質に関わる重要な質問ではないか。

そのとおりです。

>愚にも付かない原始仏典の重箱の隅ばかり突いていないで、ちゃんと回答でき
>る仏教者はいないのかね。

縁起馬鹿=真言宗アジャリ(つまり高僧)に聞いておるんですが・・・(合掌
「色即是空・空即是色」の解釈をして頂きたいですよね。
736神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 08:19:53 ID:eeYMV2CM
空とは関係性の事です。
色即是空とは全ての物事は関係性によって生じているという意味です。
737神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 08:26:39 ID:PpjXt4jY
>>735
>縁起馬鹿=真言宗アジャリ(つまり高僧)に聞いておるんですが・・・(合掌
>「色即是空・空即是色」の解釈をして頂きたいですよね。

御迷惑だから粘着するのは止めたら?
君は止観行っぽいことを行じたと自称しているわけですが、
それが虚言であることを自らの投稿態度によって証明し続けて何が楽しいのですか?

『般若心経秘鍵』と『十住心論』第九住心を一読ではなく精読せよ。
如来蔵については、先ず『宝性論』と所依の諸経の一読ではなく精読しましょう。
738机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 08:27:52 ID:FP5OXi3e
>>736
なるほど、そうでしたか。
では「空即是色」は、どういう意味でしょ?

じつは、空思想と如来蔵思想の決定的違いというのは、
この「空即是色」の解釈ですよね。

この解釈については、縁起氏のレスポンスを待つ他ないです。
739机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 08:33:33 ID:FP5OXi3e
>>737
>『般若心経秘鍵』と『十住心論』第九住心を一読ではなく精読せよ。
>如来蔵については、先ず『宝性論』と所依の諸経の一読ではなく精読しましょう。

経典解釈は宗派によって違います。
同じ般若心経でも、その解釈は空思想と如来蔵思想ではゼンゼン違う。
そこを訊ねているんです。

質問箱ですから、私以外にも関心がある方は多数おるでしょう?
740神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 08:37:29 ID:eeYMV2CM
色即是空は世界の実在を否定する思想です。
一方で空即是色は「幻として存在する世界」の実在を説いています。
前者を空観と言い後者を仮観と言います。
そしてこの二つの認識を合わせて中観と言います。
741机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 08:43:04 ID:FP5OXi3e
>>740
なるほど、そういう意味でしたか。
参考になりました。
742神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 08:52:56 ID:H1LAntJN
>>737
如来蔵については既に別の方にお答えしております。>>593
納得していただけたようです。
743嘘つき机の精神分析:2010/02/26(金) 10:11:22 ID:yaYotA2c
仮説、机の脳の情報処理システムw
机君の脳の情報処理を分析してみよう。
机脳は次の様に情報処理がなされる。

A机の虚栄心欲望の発生
       ↓     
B机のいい加減な禅知識・仏教用語→C虚栄心に犯された机の禅用語・仏教用語の書き込み
                  ↓
            的確な机の禅知識・仏教用語知識と悟りの否定
                  ↓
           D虚栄心による哀れな防衛心が発生
                  ↓
                  1理解できない仏教用語・禅用語を無理やり繋げて知ったかぶり風
                  2優位妄想のために余裕を見せ見栄はる、全て知っていると根拠無き勝利宣言。
                  3無視する
                  4別の話を付け加えて増幅させて話をごまかす
                  5黄門様印籠方式、禅用語で終わる。
                  6嘘の内容と禅用語をつないぎ逃亡。


744神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 10:17:45 ID:urC81bRt
>>741
>なるほど、そういう意味でしたか。
>参考になりました。

それで終りかいw
Σ(´Д` )
745653おみごとですな。:2010/02/26(金) 10:23:06 ID:yaYotA2c
>日本の仏教マニアは饅頭ではなくて経典という包装紙を集めて読んでるだけみたいな面があります。

そういうこっちゃなw、
ワシは根拠地は臨済禅のつもりだが、
最初に我流でマスターできたのは、チベット密教ニンマ派らしいw
まあ前世にチベット在家行者だったんかもしれんけどw
テルトン能力がすごくてねえw
南方仏教だろうと、なんでもかんでも禅定ゾーンで掘り出して、やっちまうw
まあ、悟りを確認できたのは、神秘主義否定の臨済宗と、ゴ・インキョー将軍様の大好きなキリスト教、冴えた坊主、冴えた牧師の持っているもの鏡合わせのように確認できたなあw
746嘘つき机を血祭りに、浄土真宗、歎異抄:2010/02/26(金) 10:36:51 ID:yaYotA2c
嘘つき机の友人の嘘つきカルトは捨てておいてwと

本願寺及び、その系列寺院へ行くと、
超能力あるもんで、教義にない、浄土宗にある三昧発得が起きるw
まあ、映像無しで、匂いから瑠璃色の三昧を感じる禅定感覚、
東本願寺に行った時だったが、
あまりにも心地良く瑠璃色三昧に酔って陶酔してしまい、忘れ物をした、忘れた場所に捜しに行く途中、
職員さんが、それを持っていた、
思わず「南無阿弥陀仏以外何も要らない気分になってしまったもので」
て言っていたなあw

歎異抄を外に漏らさすな、といったのは、天台宗の迫害が激しいからね、
法然の選択本願念仏集も、他教団の弾圧を恐れて公開せず、だったのだが、
カルト親鸞会君は、密教みたいな、扱いで妄想しているんでしょうなあw
747嘘つき机を血祭りに、浄土真宗、歎異抄:2010/02/26(金) 10:48:07 ID:yaYotA2c
空と色の無益な学問解釈で机と同じくオナニーやっているアホがいるが・・
歎異抄 十一段
【現代語訳】
 文字ひとつも知らない人たちが、教えに従いすなおに念仏をしているのに対して、
「あなたは、阿弥陀仏の誓願の不思議な力を信じてお念仏しているのですか、
それとも阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)の不思議なはたらきを信じてお念仏しているのですか」と言い念仏している相手を不安にし、
誓願不思議と名号不思議とのふたつの不思議に関する詳しい説明もしないで、相手の心を惑乱させているものがいる、ということですが。
 このようなことは、よくよく注意をしてはっきりとさせ正しく理解をしなければならないことです。
中略
 つぎに、自分勝手な理解や考え方で、善を積むことが往生の助けになり悪を行えば往生の障げになると考えるのは、
阿弥陀仏の誓願不思議のはたらきを信じないことであって、自分のはげむ善を往生のための行と考え、
お念仏を称えることも自己の善行としているのです。このような人は、同様に名号の不思議なはたらきも信じていないのです。

うーーん。、学問的解釈で迷路に入る、嘘つき机や空と色の学問馬鹿に修行は成り立つのかなあ?意味があるのかなあ?

748嘘つき机を血祭りに、浄土真宗、歎異抄:2010/02/26(金) 10:59:52 ID:yaYotA2c
どの仏教でも、そうだが、まともであれば、自己の愚かさの自覚から始まり、
嘘つき机のような愚かさの自覚が必要、
下記の文の様な自覚が仏教には必要。
>深く重い罪悪をもち、はげしい煩悩をかかえて生きる人

愚かさの自覚もなく、文献病学者君達の空虚な仏教学問、机の様な嘘つき虚栄心垂れ流しても、
他人に何も与えられず、何も得られるはずもないのだが・・・

歎異抄 第一段
【現代語訳】
一、阿弥陀如来の誓願の思いも及ばぬ不思議なちからに救われて、往生を遂げさせていただくことであると信じて、
お念仏を申そうという思いがおこるとき、ただちに阿弥陀仏は大悲の光明のなかにおさめとり、
決して見捨てないという救いの利益をいただくのであります。
 阿弥陀如来の本願には、老人と若者、善人と悪人というわけへだてはありません。
ただその本願の救いをはからいなくお任せするという信心が肝要であると知るべきです。
本願が老少、善悪をへだてたまわないということは、深く重い罪悪をもち、はげしい煩悩をかかえて生きる人を、
一人残らず救うためにおこされた誓願であらせられるからです。
 ですから本願を信じたうえは、往生のために他のどのような善行も必要としません。
如来よりたまわった本願の念仏にまさるほどの善はないからです。またどんな悪も恐れる必要はありません。
阿弥陀仏の本願の救いをさまたげるほどの悪はないからである、と仰せられました。
749神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 11:18:51 ID:H1LAntJN
>>747
そんな大層なことを言うなら、自由にならない他はほっといて、
先ずは自分で操ることもできる自分の心と言葉から綺麗にしてみよう(^^)
750神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 11:42:13 ID:qJ7seWdQ
>>742
>納得していただけたようです。
>>無明は外来の汚れ・客塵です。覚性は本性清浄、
>>しかし本性清浄だからといって、修行しなければ客塵は浄化できない。(>>593

まるで神秀のようやねw
納得しとらん奴が多数いるに違いないw

な〜んでか。
そのような境地は臨済禅では慧能(本来無一物)によって透過・論破済み。
覚性=『如』来←空に何故、「清浄」⇔「穢汚」などと言う世俗の二項相対価値判断を
持ち込む(清浄なる「如」観=如来蔵)のかが問題となる。
だから真言宗(の如来蔵観)は、ブラフマン(大日如来)×アートマン・ドッキングの
ヒンドゥ教のパクリ・密輸入・インチキではないか、との疑惑が蔓延している。

机がこだわっている決定的ポイントと思われる。
751机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 11:42:14 ID:FP5OXi3e
>>744
>それで終りかいw

般若心経というのは、いろんな解釈が可能です。

>>740氏は、私の問いに答えてくれたので感謝してます。
752神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 11:56:41 ID:H1LAntJN
>>750
>そのような境地は臨済禅では慧能(本来無一物)によって透過・論破済み。
>覚性=『如』来←空に何故、「清浄」⇔「穢汚」などと言う世俗の二項相対価値判断を
>持ち込む(清浄なる「如」観=如来蔵)のかが問題となる。

世俗では二項相対価値判断するのはあたりまえ、
勝義では空、しかも、それが三昧状態でない時も
現象が判明でしかも空と認識する幻喩三昧とも言われる境地が、
所謂、色即是空空即是色ですよ。
それが三論、天台、華厳、真言で深まっていくのを『十住心論』は見事にしめしています。

そしてこの見解は、カマラシーラ、シャーンタラクシタ、アドヴァヤヴァジュラなどインドの中観、
サキャ、カギュ、ニンマなどチベットの中観とも一致します。

>だから真言宗(の如来蔵観)は、ブラフマン(大日如来)×アートマン・ドッキングの
>ヒンドゥ教のパクリ・密輸入・インチキではないか、との疑惑が蔓延している。

大日如来も空だから、それを実在とかマクロコスモスとかいうような
現代真言宗の一部の見解はヒンドゥーの常見となんら変わりがない。
これは『十住心論』の第二住心で明解に否定されてます。
753机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 12:10:40 ID:FP5OXi3e
>>752
>勝義では空、しかも、それが三昧状態でない時も
>現象が判明でしかも空と認識する幻喩三昧とも言われる境地が、
>所謂、色即是空空即是色ですよ。

これもちょっと意味不明ですね。
つまり勝義で空なら、それで完成なのですか?
そこからが如来蔵への突入なんじゃないですか?
だったら空は勝義じゃないでしょ?

空から一気にギャーティーなんじゃないですか?
そしたら空は勝義じゃないでしょ?

ギャーティーの意味は、禅とは違う意味なんじゃないですか?
754別スレ案:2010/02/26(金) 12:30:00 ID:KF51mt6+
☆ 卍 仏教 @ 議論堂 卍 ☆ パート1

仏教に関するよろず議論スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する色々を考察・議論する場所です。
主に、質問箱からの誘導先として利用するのがふさわしいかもしれません。

主に参学の途にある方々による考察・応答になりますので、
問いの形式、論立て、用語、語り口・言い回し・表現の仕方等、
不足・不備があったり、晦渋・冗長なものが多くなるかもしれません。
皆で協力し合って何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。

出典などが示してあると、対論者の言説の確認をする(裏を取る)時の参考になります。
たとえ相手側に不備が感じられたとしても、それが誠実な背景・スタンスから為されているならば、
【本文】↓
人格攻撃・中傷誹謗等は慎みましょう。内容以外の面への批判・指摘が必要な場合は、
きちんとその目的が達せられるよう、閲覧者への事例としての注意喚起となるよう工夫してください。
また、話題や論点を変える時は一言添えて、悪意や誤魔化しの為の論点の移設・すり替え等はやめましょう。
横槍横レスも、流れによって回答義務が生じた際にはなるべく補足応答をすると、
荒れることが防げ、また、閲覧者の益となるかもしれません。
虚栄心からの擬似回答などは不毛な流れの一因としかなりませんので自重しましょうw

無駄な容量消費の防止、議論の迷走回避の為、皆様の御協力を御願いいたします。
(ここでは、お行儀良くいきましょうw)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(wは抜くとしてもw)、御意見を募ります。
755別スレ案:2010/02/26(金) 12:35:50 ID:KF51mt6+
ちなみに、
スレ立て依頼スレでは、「重複に等しい」と指摘を受けました。
また、文中の≪ 【本文】↓ ≫は脳内削除してください。
756神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 12:52:41 ID:H1LAntJN
>>750
これで納得できなければ中観スレか縁起スレにどうぞ
ただし慧能(本来無一物)で勝義・世俗、因果と空性、如来蔵と空性、
色即是空空即是色をどう説明するか解説してくださいね。

そして机と生命教には答えるつもりはないので、
問いかけ無用でお願いします。
757神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 13:10:57 ID:yn6Kcin0
758別スレ案:2010/02/26(金) 13:16:45 ID:KF51mt6+
>>754は、>>755の指摘を受けて、テンプレ序文を修正済みのものです。


さて、週末だし、規制で人減ってるし、
芳しい反応は無いかもしれんな・・・w



>>757
お手数をお掛けします。 見ました(レスしました)w
どこのスレも人少ですのでどうなるかわかりませんが、その節はまた御願いします。
759机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 13:25:54 ID:FP5OXi3e
>>756
>そして机と生命教には答えるつもりはないので

そうですか?なんかオカシイですよね。
真言宗の経典も違うようだし・・・><
でも、まあ、これで止めときましょう。
あまり質問すると申し訳ないですからね。
760机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 13:44:48 ID:FP5OXi3e
× 真言宗の経典も違うようだし
○ 真言宗の経典解釈も違うようだし
761神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 13:50:35 ID:cfweA7EB
>>740
「色即是空」「空即是色」。両句は同じ比重。後句には、「仮の」という意味は
含まれていない。従って、「世界=幻」という解釈は、全くの誤り。

一方、人間は「色」の世界以外では、絶対に生存できない。その人間がいくら
「空」を言ってみてもナンセンス。この問題はどう解決しますか。

私は、竜樹は、「厳然として実在する世界の構成原理(相互依存性・関係性)」を
見出したのだと思う。実在に対する透徹した観察がなければ、その構成原理は
発見できない。「幻」や「幽霊」には、初めから構成原理なぞない。換言すれば、
竜樹は、「ある」ものが「ない」と信じ込むような「妄想患者」ではなかった。
むしろ、徹底した現実論者・自然科学者であった。

釈迦も、「世界を空と『観ぜよ』」と、「世界の実在」を前提としている。

古今を通じて、これらの点を「誤解」している仏教者が多いのではないか。
762神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 14:05:03 ID:H1LAntJN
>>761
と妄想を繰り広げる生命教だった。
机とか生命教は読まず修行せずに騙るからな。
で、テキストにそって誤読だと指摘しても、
テキストは関係ないとかなんとか適当な屁理屈捏ねるから、
相手にしてもしかたがないのです。
763神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 14:15:57 ID:ybaeeJxj
>>762
誤解に基づくテキストや変性意識を生じるだけの修行に執着して「思考停止」
した君たちこそ、完全な妄想。釈迦や竜樹も、君たちと同じく妄想患者だった
のかね。
764神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 14:21:23 ID:qJ7seWdQ

om gate gate paragate parasamgate bodhisvahah
765神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 14:23:43 ID:qJ7seWdQ
訂正

om gate gate paragate para-samgate bodhi svahah
766神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 14:30:08 ID:KF51mt6+
>>754-755>>4>>7>>8 (>>2
767机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 15:13:30 ID:FP5OXi3e
>>762
>で、テキストにそって誤読だと指摘しても、

そこまで言うんだったら、色即是空・空即是色をちゃんと説明したらどうですか(笑

私は“あえて落ちた”んですよ。
もし煽るなら、私と正々堂々と対論しませんか?
私はそれをキボンぬしますよ(苦笑
768机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/26(金) 15:48:50 ID:FP5OXi3e
>>752
>大日如来も空だから、それを実在とかマクロコスモスとかいうような
>現代真言宗の一部の見解はヒンドゥーの常見となんら変わりがない。

これもやはりオカシイでしょ?
私はあえて指摘はしませんけど、
アジャリがこんな見解もつはずはない。
何処がオカシイか?

大日如来が空なら、まさか「実在」とは勘違いはせんでしょ?
それともなにか?現代真言宗の一部は空性を実在と認識しているんでしょうか?
769神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 13:02:22 ID:R+On3d2a
age
770机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/27(土) 13:27:33 ID:tcblJRMf
>>769
>大日如来が空なら、まさか「実在」とは勘違いはせんでしょ?

これ↑の続きが読みたいですか?w

大日如来が何故実在せんのか?
(これは真言宗も禅宗も共通する仏教の根本義です)
「如来」ですから対立しないですよね。
真言宗教学においても、これはモットモ基本になりますから、
初歩から徹底的に叩き込まれますよ。

こういうことはテキストには書いてありませんですw
771神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 13:44:06 ID:R+On3d2a
772神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 14:35:13 ID:R+On3d2a
少し前の「我執」の流れに絡めて770を評すれば、
自意識過剰の典型例。
具体的に分析すれば、
・「自分の書き込みに反応がほしい」「反応が気になる」
・「自分の意見・考えを披瀝したい」
・「自分の意見・考えに高評価がほしい」
・「自分の意見・考えに絶対の自信がある」
・「(だから)、誰しもが、自分の意見・考えに期待している、待っている」。
その他、
・「劣勢のままでは悔しい」 ・「劣勢挽回の一端と見た」 ・「自身の正当性を再提起したい」 など。

我執に凝り固まっとる罠w  (´ー`)y━~~
だから、>>769>>770とレスをする・・w
769だけでは、どんな意図なのか判る筈もない。
上記のような「心の在り様」があるから、無味乾燥な769に770と反応してしまう。
これが、「我」に捉われた姿でなければ何であろうか・・・。

お釈迦さんはスゴイわ・・・w
773机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/27(土) 15:02:23 ID:tcblJRMf
>>772
>・「劣勢のままでは悔しい」 ・「劣勢挽回の一端と見た」 ・「自身の正当性を再提起したい」 など。

セブン氏の豊かな語彙と、洗練されました文章能力&分析能力は、私は高く評価しております。
これは私には無いですね。
残念ながら・・・つうか、これも個性ですね。

2ちゃんは疲れ直しにいいです。
特に忙しい時は気分転換にいいですね。
774神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 15:17:13 ID:q5hshyJD
>>772
君の執着も凄いなw。

仏教とは、要するに、物事に執着するなということだろ。

それにしては、仏教徒も、開祖、経典、その言葉、修行などに執着が強
すぎ。

仏教徒なら、一切の執着を去れ。

しかし、なんだな。御釈迦さんは、贅沢三昧、ありとあらゆる欲望を満足
し尽くし、飽きてから「欲望を去れ」という。女にも相当もてたらしい。

未だ欲望を充分に満足していない者は、悟れないということだw。
775神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 15:57:03 ID:R+On3d2a
>>774
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1257855450/767

100%満足しきることがなくても、その極へ行き着かなくても、未経験の事象があっても、
世俗での炎(世俗への炎)が消えることはありえるのさw

また、その炎は、「消したいと思う者」だけが消せばいい。
「灯したままにしたい者」は灯したままにすればいい。(勿論、そこには節度があった方がいいわけだがw)

また、1000種、その炎があったとして、一体どれだけの者が1000種全てを味わうことができよう。
また、どれか一種に限定したとして、一体どれだけの者が100%味わうことができよう。
(どこまで享受すれば100%になるのだろう。)

そういう、充足度の話(≒次元)ではない。
《【「炎が燃えていること」そのこと自体】にどのような視線が注がれるか》、ということだ。
お釈迦さんは、たまたま、その多くを享受し得る立場にあった。(だからこそ、観察分析し得たとも言えるが・・。)
しかし、享受しなければ(→経験しなければ)次へ進めないというのは、甘えた言い訳にしか過ぎない。
経験があれば、それだけ「観察・吟味・分析」の精度が上がるというだけだ。
交通事故を起こした時どう対処したらいいかを考察する時、「事故を起こさないようにしよう」と思う時、
《『事故を起こした者しか』考察し得ない、「事故を起こさないように・・」と思えない》となれば、
人は必ず「事故を起こすこと」を経験せねばならない。

君はいつも一面しか見ていない。しかも極度に狭い視野で・・。
754は、君みたいなのへの牽制でもあるわけさw
776神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 16:23:34 ID:9IPFd6I8
>>775
>世俗での炎(世俗への炎)が消えることはありえるのさw

それが根本的な誤り。人間が生きているのは世俗の世界である。宗教者も、世俗からの
托鉢を受けなければ生きられない。世俗を否定することこそ、極めて視野の狭い「引き
篭もり」の世界ではないか。そこは単なる「自己満足」「思い上がり」「誤った選民意識」
の世界でしかない。

「世俗的なことにもとづかなくては、第一義は説示されえない。しかも第一義に到達せず
しては、涅槃は証得されない。」(中論の頌24:10)

このことから、「世俗的なことにもとづいて説示できなければ、第一義も涅槃もない」ことに
なる。竜樹の批判は鋭い。
777神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 16:28:27 ID:R+On3d2a
>>776
世俗の中にいながら、その炎が消えている人を「ブッダ」とか「阿羅漢」とか言うんだよw
778神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 16:39:30 ID:pRPXTSji
>>776
世俗を否定とか、二元論になってるんだっていつも君は
そんな単純な話ではない、仏教が世俗を否定している
ってのは視野の狭い見方なんだよ。
779神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 16:43:24 ID:z3Sbp3Hl
>>777
彼等は要するに「自閉症」「人生の落伍者」。世俗の火が消えれば、
人生における悟りもない。「悟った」と自分で思っても、単なる
自己満足、倒錯。そこから必然的に「人間否定」「誤った選民意識」
が生じる。

真の悟りは、一切衆生の、他者との係わり合いの中における生存の
努力という、「自己の選択を許さない大修行」からのみしか得られない。
780神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 16:49:55 ID:Ql1/0rUf
781神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 16:56:57 ID:R+On3d2a
>>779
> 真の悟りは、一切衆生の、他者との係わり合いの中における生存の
> 努力という、「自己の選択を許さない大修行」からのみしか得られない。

一切衆生の、他者との係わり合い(→外縁起としての相依、慈悲、そして法施或いは体現)
生存の努力(→今在る五蘊の維持、世俗での残り火)
「自己の選択を許さない大修行」(→無我の実践、我執の抑制・滅)

まったくもって伝統説と調和しますなw
ブッダや阿羅漢の在り方そのままですなw
782神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 16:58:04 ID:VDNcKyb8
何ら実践が伴わない宗教は0.0000001%も価値がない。
ここにいるほとんどの人は、仏教の知識が、ほかの欲望競争からの逃避の結果として、代替としての競争の道具、優越感を得るための道具になっているにすぎない。

偉そうに書いてるが実際の中身はそこらへんの欲望まみれの人間とまったく同じかむしろそれ以下。
自分を大きく見せたい醜く肥大した自我の固まり
くだらない言葉の解釈めぐって俺が正しい、俺はすごい、俺がエライってやってる

ここ見てると今の仏教のこういうダメなとこがよくわかる
783神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 17:07:05 ID:zrfpRmXA
>>775
君の言いたいことは分るが、世俗を離れた視野は、もはや人生には不必要な
視野。人生には、却って有害。

人生の視野は、長い人生経験から熟成されるべきもの。

「眼から鱗」の思想は、すべて胡散臭い。それが宗教による洗脳の
弊害である。それから「開祖に対する個人崇拝」と「一切衆生の衆生心
の否定」が、必然的に生じる。
784神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 17:17:43 ID:R+On3d2a
>>783
>世俗を離れた視野は、もはや人生には不必要な視野。人生には、却って有害
そりゃそうだろうw

世俗を離れた視野(→世俗の楽しみを離れた視線)は、
もはや人生(→世俗の楽しみの享受)には不必要な視野。
人生(→世俗の楽しみ)には、却って有害

(´ー`)y━~~
785机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/27(土) 17:38:35 ID:tcblJRMf
>>784
>世俗を離れた視野(→世俗の楽しみを離れた視線)は、
>もはや人生(→世俗の楽しみの享受)には不必要な視野。
>人生(→世俗の楽しみ)には、却って有害

そうですかね?私が>>770に書いたレスポンスを参照あれ。
>「如来」ですから対立しないですよね。>>770
世俗の楽しみも、そのまんまで如来ですね。

だから如来が実在する訳はない。「如」来ですから。
786神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 17:57:09 ID:VDNcKyb8
>>784
なあなあ
(´ー`)y━~~
これなに?
おれにはこれが、お前の優越感っていうかな、偉そうにしたい、余裕を見せたい、人よりも一段上でいたいっていう欲望そのものに見えるんだよ。
世俗がどうしただの偉そうな事言ってるけど
そこらへんのまじめに働いてる兄ちゃんの方がおまえよりもよっぽど真摯に生きてるよ。
我執がどうしたとか言ってるけど、あんたが我執そのまんまじゃない?

非常に醜い。あんただけじゃなくてここにいるほとんどの人が。
787紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/27(土) 17:59:02 ID:YGp+DhVK
>>785
これでも読んで勉強しなおせよ。

ブッタとシッタカブッタ
http://buta.exjw2.org/budda.htm
788神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 18:07:44 ID:xiuu9lWt
>>776
>「世俗的なことにもとづかなくては、第一義は説示されえない。しかも第一義に到達せず
>しては、涅槃は証得されない。」(中論の頌24:10)
>このことから、「世俗的なことにもとづいて説示できなければ、
>第一義も涅槃もない」ことになる。竜樹の批判は鋭い。

「世俗的なこと」=「欲望の充足」と君が牽強付会してる、
「世俗的なこと」とは、正確には「(世間の)言語慣習」。
つまり、「欲望を充分」なんて意味ではない。

言語慣習に拠らねば、縁起・空性を説示できず、
縁起・空性に到達(観慧)しなければ、ニルヴァーナは証得出来無い、
ということ。
789机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/27(土) 18:08:44 ID:tcblJRMf
>>787
私は、大日如来・理趣経に基づいて書き込みしてるんだけど、
貴殿は理趣経に詳しいのですか?
790机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/27(土) 18:18:43 ID:tcblJRMf
>>787
>これでも読んで勉強しなおせよ。

これ読んで、って?漫画じゃないですか(苦笑

まあ、そうですね、これで勉強させて頂きまふ。
(トホホ)
791神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 18:19:35 ID:R+On3d2a
>>786
御明察w

ワシは我執の塊ですが何か?w
さて、いつ「私は我執を滅しました!」と言いましたかな?


何が気に障るのか知らんがw、ついでにレスしとくわ。

>>782
そんな判り切ったこと今更言わんでもwww

そう思う「君が」、こんなとこに来てないで「実践したらいい」。
単純なことだw
「君にはできる」んだろ?
「できるから」(批判というカモフラージュをもって)「誹謗中傷しに来た」のだろう?
2chに書き込んでる暇はないんじゃないか?w
792神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 18:31:18 ID:JcN1YV40
>>782
自己紹介 乙
793神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 18:38:07 ID:pRPXTSji
もう飽きたよこのデジャヴな流れ
794神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 19:05:58 ID:3bzjBecK
>>788
>「世俗的なこと」=「欲望の充足」と君が牽強付会してる、
>「世俗的なこと」とは、正確には「(世間の)言語慣習」。
>つまり、「欲望を充分」なんて意味ではない。

君こそ牽強付会、というより社会常識の欠如。

「世俗的」とは、不特定多数の他者との係わり合いの中における共生の
こと。他者の存在があるから、自分の欲望のままに生きることはできない。
自他の欲望間のバランス感覚。これが社会常識の基礎。

「説示」とある以上、「共同体(世俗界)の他の成員が理解可能な言語
習慣」によるほかはないのは当たり前。従って、世俗界に理解できない
ものは、第一義ではなく、世俗界に理解できる第一義でなければ、涅槃
もない、ということだ。

要するに、「自分独りよがりでは、第一義も涅槃もありえない」ということ。

従って、世俗から離脱した引き篭もり修行は無意味。
795神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 19:07:26 ID:VDNcKyb8
>>791
我執もなくせないなら仏教の本いくら読んでも無駄じゃん?
禁煙の本をタバコ吸いながら読むようなもんだろ?

禁煙というのはね、禁煙っていうのはこの本に書いてるのはね〜〜、あの本も読まずに禁煙は語れないよ〜〜

と言いながらタバコ吸ってるようなもんでしょ?

796神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 19:11:59 ID:R+On3d2a
>>795
だから何?w
797神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 19:38:35 ID:JcN1YV40
>>795
オマエさんは、「推理小説家は、人を殺した事が無いと、殺人者を書いちゃいけない」とか言う人種かい?w
798神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 19:45:07 ID:xiuu9lWt
>>794
>君こそ牽強付会、というより社会常識の欠如。

「言語慣習」とナーガールジュナが説いているときに、
恣意的に「欲望の充足」と牽強付会するのは不当だと
正当に指摘されているのに、こうしたことを言い出す。
こういうのを正しく「社会常識の欠如」と称する。


>自他の欲望間のバランス感覚。これが社会常識の基礎。

君にはそんなものはないでしょ。
だって、自分の欲望でナーガールジュナの記述を捻じ曲げるのだから。


>「世俗的」とは、不特定多数の他者との係わり合いの中における共生のこと。

「世俗的」とは「無明に覆われていること」(『空の論理』p152)。
799神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 19:45:54 ID:xiuu9lWt
続き。

>「説示」とある以上、「共同体(世俗界)の他の成員が理解可能な言語習慣」
>によるほかはないのは当たり前。
>従って、世俗界に理解できないものは、第一義ではなく、世俗界に理解できる第一義でなければ、
>涅槃もない、ということだ。
>要するに、「自分独りよがりでは、第一義も涅槃もありえない」ということ。

君はそういう趣旨でナーガールジュナを挙げてないでしょ。
「欲望の充足」という趣旨だったはずだ。こういう態度を「社会常識の欠如」と称する。


例えば、マンゴーの味について、「〜であり、〜ではない」と“言説”することは可能だ。
しかし、直接に“味覚”させることは出来無い。
そして教説するのは、マンゴーを味覚させるためだ。
何がマンゴーなのかを示し、腐ったリンゴをマンゴーだと誤解しないようにするため。
また、マンゴーの入手法と食べ方を教えるため。


>従って、世俗から離脱した引き篭もり修行は無意味。

それは唯物論を非哲学的に前提するから、止観行の意味を正当に理解出来ないからだ。
800神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 20:11:09 ID:SzT0kesV
>>786
そんな誰でも分かることを。

机とか生命教なんか相手にするだけ無駄。
要するに肯いて欲しいだけ。仏教その他はそのための餌。
801神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 21:45:19 ID:tn3Ww6XP
>>798
>「世俗的」とは「無明に覆われていること」

それは、佛教の特殊解釈で、「世俗的」には通用しない。

無明を、「人生や事物の真相に明らかでないこと」と「世俗の言語習慣」で
解釈すれば、衆生を無明呼ばわりする者こそ、無明である。衆生は、生活と
いう大修行を通じて、本当の悟りを得ているからである。

この意味では、ダニヤの章における釈迦こそ、無明の典型。

マンゴーの味覚を決めるのは衆生であり、1個人の味覚障害者ではない。
100人の衆生がマンゴーの味だと認めるのに、一人だけが腐ったリンゴ
だという場合、その一人を「味覚障害」と呼び、治療の対象となる。
802神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 21:46:59 ID:JcN1YV40
>>801
> 100人の衆生がマンゴーの味だと認めるのに、一人だけが腐ったリンゴ
> だという場合、その一人を「味覚障害」と呼び、治療の対象となる。

二人しか居ない場合はどうするんだ?w
803神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 22:13:55 ID:bokRKwY3
>>802
>二人しか居ない場合はどうするんだ?w

うーん。上手いところを突いてきたな。さすが論理性を以って鳴る佛教
スレだ。

その場合は、あと98人を呼んできて、味わってもらう。

しかし、人間が二人集まれば、共同体が形成される。二人だけしかいない
のなら、その二人の、マンゴーの形と味のほぼ共通の認識で、マンゴー
の概念が成立する。二人の味覚がほぼ共通しないのなら、それは二つの
異なった果物である。
804神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 23:03:49 ID:k0xQ7Hqc
真理とは世俗多数決だと耄碌隠居謂い。

売春婦100人に聞きました、男とはなんですか?

チンポとお金です。

これが耄碌隠居の真理です。
805神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 23:43:11 ID:5mNUCxuU
人格を離れた経験なし
経験が優れた人格を作るのではなく優れた人格が豊かな経験を生み出すのである。
一念三千、十界互具という
806はてな:2010/02/28(日) 00:18:13 ID:jJ5rLFEd
熱心にお話しの所、突然すみません。
最近気付いたのですが、いとこの女の子が丸くて太陽か花をモチーフにしたような
金色のバッヂを常に胸元につけているんです。
「なに?」って聞いたら「仏教…」というだけで
詳しいことは教えてくれません。

どちらの団体(宗派?)のものでしょうか。
あやしいものでないか、ちょっと心配しています。
インターネットで探しても、まったくヒットしなかったもので。。
みなさん、ご教示よろしくお願い致します。
807神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 01:12:48 ID:xYVPcRW5
>>806
それじゃ分かりませんね
808神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 05:44:10 ID:ujKeF2Cx
密林や山奥で引きこもり修行した弘法大師は世俗的にも大活躍したが
809神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 07:20:19 ID:ujKeF2Cx
同じバナナを食べて感想が違えば別の種類の果物になる?
ならば「味覚障害」など本来はないことになる
稲穂はバッタに取ってはハンモックだし、人に取っては食べ物であるという仏教の相対主義的世界観が真理であると認めた訳か
810机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/28(日) 08:50:14 ID:Ny94iBjp
>>806
>いとこの女の子が丸くて太陽か花をモチーフにしたような
>金色のバッヂを常に胸元につけているんです。

たぶん初転法輪じゃないでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%BB%A2%E6%B3%95%E8%BC%AA
「初転法輪」のキーワードで探したらヒットするかもしれません。
811神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 08:50:56 ID:8kktznBr
>>801
>それは、佛教の特殊解釈で、「世俗的」には通用しない。

「佛教の特殊解釈」って…。
元々『中論』24.10という文脈下であり、そもそも、ここは何スレ?


>無明を、「人生や事物の真相に明らかでないこと」と「世俗の言語習慣」で解釈すれば、
>衆生を無明呼ばわりする者こそ、無明である。衆生は、生活という大修行を通じて、
>本当の悟りを得ているからである。

無明を、「言語慣習」に拠り説示すれば、
縁已生法が真実在だと誤解することです(『空性七十論』64)。
つまり、君みたいな類が無明者です。


>マンゴーの味覚を決めるのは衆生であり、1個人の味覚障害者ではない。
>100人の衆生がマンゴーの味だと認めるのに、
>一人だけが腐ったリンゴだという場合、その一人を「味覚障害」と呼び、治療の対象となる。

マンゴー(覚り)の味覚を諦める=明らかに究めるのは聖者であり、君個人という味覚障害者がではない。
多数の聖者がマンゴーの味だと認めるのに、
君一人だけが腐ったリンゴだという場合、君を「味覚障害」と呼び、治療の対象となる。
812机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/02/28(日) 09:01:07 ID:Ny94iBjp
>>806
>どちらの団体(宗派?)のものでしょうか。
>あやしいものでないか、ちょっと心配しています。

あやしいですよね、たぶん原始佛教系かと思います。

このスレに書き込みしている人も、カルト系が多いくらいですから。
私がネットを始めた十数年前に比したら、
断然カルト系は多くなってます。

社会に閉塞感がありますから、
環境的に若者がカルトに嵌りやすいです。

813神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 09:37:24 ID:xYVPcRW5
>>811
その人は生命教だから、何言っても無駄。
生命教とか机は適当に仏教の言葉をネタに自分語りしてるだけだから、
こっちが証拠を挙げても、暖簾に腕押し、正に馬の耳に念仏。
814神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 09:43:54 ID:XDzwuWeD
>>806
財団法人全日本仏教会
ttp://www.jbf.ne.jp/g20/index.html

日蓮正宗
ttp://www.c-player.com/ac56004/message/20070513?format=

真如苑
ttp://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP217JP218&tbs=isch%3A1&sa=1&q=%E7%9C%9F%E5%A6%82%E8%8B%91%E3%80%80%E7%B4%8B%E7%AB%A0&aq=f&oq=&start=0


机が言うように、仮に「法輪」がモチーフだとしたら、至る所で使用されてる。
一番上なら無問題と思うが・・・。


☆ ★ 宗教なんでも@質問箱 11 ★ ☆
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230709603/
☆ ★ 宗教なんでも@質問箱 12 ★ ☆
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1264931818/
ここ↑の、名前欄「 ◆aUqjkY6Yxs 」の人が、えらく詳しいのでそちらで聞いてみてはどうでしょうか。
ここの住人は基本的に、広く新興宗教系やその諸事に詳しいわけでもないので・・。
815神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 10:06:10 ID:XDzwuWeD
あ、既に質問済みかwww

テラハズカシスw  (*ノノ)
816神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 12:18:35 ID:BHPZmvh3
>>811
「聖者」とは何か。引き篭もって「修行」という自己満足のオナニーに耽り、社会には
何の貢献もしていない自閉症患者は「聖者」とは呼べまい。単なる人生の逃避者・落伍者、
社会のゴミに過ぎない。

君にとっては、オウムの修行者や麻原が「聖者」なのかね。
817神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 12:26:44 ID:m3wBMgwP
>>816
自閉症は確かに聖者ではないよ。
でもゴミは言いすぎだろう。
818神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 13:16:20 ID:xYVPcRW5
>>816
この人が生命教、この人たぶん自閉症かヒキコと思われ
だいたい朝五時六時まで書き込んで、寝て昼頃起きるという生活のようだ。
819渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2010/02/28(日) 14:30:08 ID:jcKohPsF
 浄土について(最終回)

 ブログ親鸞仏教

 書きました

   www.しんらん.jp
820紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/28(日) 19:11:50 ID:gaVoyrIg
>>801
マンゴーそのものを知らない人々も居るわけだが。
821神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 20:09:34 ID:xYVPcRW5
>>820
わろた
822神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 23:53:40 ID:W0de5Fis
816 :神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 12:18:35 ID:BHPZmvh3
>>811
「聖者」とは何か。引き篭もって「修行」という自己満足のオナニーに耽り、社会には
何の貢献もしていない自閉症患者は「聖者」とは呼べまい。単なる人生の逃避者・落伍者、
社会のゴミに過ぎない。


しかし、空海は土木事業をしたり、学校を建設したり、文化人として外国でも有名だったり
外国語が3ヶ国語ペラペラにしゃべれたり、書道の達人だったり
社会的に見ても有能だったと思われる。その空海は若いころ、山奥で修行をして、お寺に引きこもって念仏三昧だったといわれている。
空海からすると、ご隠居の方がゴミなんじゃないかな。
823神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 00:10:26 ID:uleZPxdu
>>793
けど、時代(時)、地域(場所)を問わず、
常に立ち返らねばなならない仏教の根幹だけどね・・。

>「理解・(解説)」と「実践」
>「知識」と「行為」
- - - - - - - - - -
>「見」と「行(=道)」
>「智慧」と「はたらき」
- - - - - - - - - -
>「おしえ」と「比丘」
>「法」と「仏」
- - - - - - - - - -
>「経」と「律」

 ※勿論、涅槃が「a-kAlika/時をおかず(見られるもの)」と言われるように、相似した構図で、
  「単なる理解」を超え、真に「智慧が生じた時」「眼が開いた時」「如実に知られた時」には、
  行為規範・基準は既に顕現しているものであり、そこには、全き行ないしかありえず、
  智慧が生じたなら、行ないは法に適ったものでしかありえないわけだが・・。
  で、「行ないが法に適っていない」
  「そこに“(仏教の)真理を知った者”としての“はたらき”が付随していない」ということは、
  「知られていない」「理解されていない」「智慧が生じていない」「眼が開いていない」
  ということに他ならないわけで・・・w
824血祭り魔王w:2010/03/01(月) 10:24:17 ID:ic0B9qTo
まあ、文献病祭りよりも、スレの流れは進化したほうだな、嘘つき机を除いてw

しかし、キム・ヨナ対、浅田真央の決戦、
奥の院マッタリ戦術現在高野山真言宗的なキム・ヨナと
血祭り魔王途中の職人芸の浅田真央
のようだなあ、
フィギアスケートの勝利者は、
世界と自分を味方につけた方が勝利者になると、いう仏教的味わいがある世界だなあw
職人芸の浅田真央が血祭り魔王の迫力で攻めるが、
トリプルアクセル2回の後のジャンプで得点が頭に浮かんだらしい、
その時点で、世界と自分が敵になる、世界と自分が分裂する、
まあ、嘘つき机が、脳の中枢やら、空と色の形式を書き込んだ時点で、世界と自分が分裂している、
むろん、無明嘘つき王の机は最初から、世界と自分は敵らしいが・・・
一方、ここ2年ぐらいの間で内気なキム・ヨナはコーチの指導でテレビに出て歌を歌い、内気を克服し、
まわりの世界と自分を味方にしようと精神面でやったらしい、

まったく、軽い印可くれる坊主は、それをいとも、簡単に当たり前に、世界と自己は敵でなく、未分化のままに、与えられ与える世界のまままに・・
825血祭り魔王w:2010/03/01(月) 10:29:27 ID:ic0B9qTo
816の生命教人民共和国のゴ・インキョー将軍様をを相手するなってw
ワシが代わりに昔、イジメ倒してやったのだから、ワシにカラミにこないからなあw
ゴ・インキョー将軍様は全知全能の神だから、相手するだけ無駄w

ゴ・インキョー将軍様は全知全能の神だから、
ゴ・インキョー将軍様の脳と言葉で世界が生まれるのだからw
「はじめに、ゴ・インキョー将軍様のお言葉があったw」
ゴ・インキョー将軍様聖書。
826血祭り魔王w:2010/03/01(月) 10:42:30 ID:ic0B9qTo
749 :神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 11:18:51 ID:H1LAntJN
>>747
そんな大層なことを言うなら、自由にならない他はほっといて、
先ずは自分で操ることもできる自分の心と言葉から綺麗にしてみよう(^^)



 まあ、気にするなw
臨済宗なんていうのは、キチガイがベースだから、すぐ、その本性でるのさw
嘘つき机も、臨済宗ぶるからねえw

文献病がひどくなったり、
机の垂れ流しが増大した時か、机関係する奴が増えた時に、また、歎異抄引用作戦をするかw
その時はまでは臨時休業と・・・
827神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 10:45:19 ID:B0svmMTo
>>825
まあ君の鏡みたいなもんでしょ。意識も知識も二人と五十歩百歩。
仏教徒を自認するなら、少しは慎み深い言葉で話しましょう。
828血祭り魔王w:2010/03/01(月) 10:47:11 ID:ic0B9qTo
827 :神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 10:45:19 ID:B0svmMTo
>>825
まあ君の鏡みたいなもんでしょ。意識も知識も二人と五十歩百歩。
仏教徒を自認するなら、少しは慎み深い言葉で話しましょう。


ははは、臨済宗なんで、許してくれよw
君には優しいぞ、つつしみ深いぞww
829神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 10:47:27 ID:B0svmMTo
>>826
それじゃ、机とかわらんよ。
仏教や禅を自我の不埒・放恣の言い訳にしないように。
830神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 10:49:21 ID:B0svmMTo
>>828
別にオイラに優しくなくてもいいけど、
自分に真の意味で優しくあれってことだ、甘くしろってことでなく。
まあ、もう言うことは言ったから、当分、言わないよ。
831血祭り魔王w:2010/03/01(月) 10:49:33 ID:ic0B9qTo
へえ、君も相当自我が強そうだねえ、机やインキョなど、他者を排除する喜びありそう、と
お見受けするのですが・・・
832血祭り魔王w:2010/03/01(月) 10:50:32 ID:ic0B9qTo
830はああ、そうか、文献病学者のねたみから、かw
こんりゃ、悪かった、
三毒にご注意w
833血祭り魔王w:2010/03/01(月) 10:57:07 ID:ic0B9qTo
具体的会話よりも勝利宣言を得意にする
文献学者病君か、
勝利宣言撤退ですかw
まあ、
文献病学者君も全知全能のゴ・インキョー将軍様と仲間の神でしょうなあ、
文献病学者様の脳と言葉で世界が生まれるのだからw 真理判定されるんでしょうなあw

「はじめに、文献病学者様のお言葉があったw」
文献病学者様聖書。

>まあ、もう言うことは言ったから、当分、言わないよ。
なに、文献病学者君の事だから、また妬みで書き込むでしょうw
834机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 10:59:12 ID:Aq5Xwz8F
>>824
>まあ、嘘つき机が、脳の中枢やら、空と色の形式を書き込んだ時点で、世界と自分が分裂している、

空と色でありますが、これは禅宗でも真言宗でも同じです。
<色→空→色>
これが同じですね。

ただ、その意味が違う。
全く問題になりません。
つうか、なんだったら解説していい。

ただ、それなりのレスポンスがあったら、の話ですがねw
835血祭り魔王w:2010/03/01(月) 10:59:27 ID:ic0B9qTo
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1266668730/188-288
ゴ・インキョー将軍は、軽く優位に立てるこのスレに現れないのは不思議、
このスレなら、生命教支援してやるがなw
836血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:02:03 ID:ic0B9qTo
嘘つき無明の机も提示してやったのに、無駄なのかね?
回答、同じ文。

六祖慧能は、四句の偈で、
不立文字、  うそつき机の様に、「脳の中枢」空と色のマヌケな形式等の言語化否定
教外別伝、  うそつき机の様に、「脳の中枢」空と色のマヌケな形式等の言語で伝えられない
直指人心、  そういえば、ウソツキ机は、不立文字、教外別伝を知らずに、意味知らずに、これを黄門様の印籠みたいに出していたなw
見性成仏、  むろん、禅は実用性、生活性からはじまるから、不立文字、教外別伝なので、当然「脳の中枢」空と色のマヌケな形式等の言語化否定
また、禅では、強いて形式的なパターンで言えばウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式ではない、四つのパターンが臨済録に書かれているw当然言語化形式化否定前提。
また、ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式はどの教派、大乗仏教のどこにもない、机のウソツキ妄想。
禅においては、唯識法相にある内外一如と言う要素があり、そこから、実用性、生活性のある禅がはじまる、維摩経にも「不二の法門」と言われ、
ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式や、「脳の中枢」と言う客体的認識は否定される、
ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式は、当然主体、客体の分離でなっており、一如、不二ではない、二元、二分認識で書き込む、
あと、論理的文献マヌケくんが、論理的とか、こだわるが、
禅以外の大乗仏教、唯識法相、天台は論理的にあるが、
それは悟りの世界を論理的に形式的に現せられているのではない、
悟りに至らない迷いの世界を論理的分析しているのだ、
故に、ウソツキ禅机の空と色のマヌケな形式や、論理的文献マヌケくんが、論理的なものとして、の悟りはありえない。
837机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 11:04:33 ID:Aq5Xwz8F
>>836
>嘘つき無明の机も提示してやったのに、無駄なのかね?

論点が違う。
838血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:10:38 ID:ic0B9qTo
前と同じ回答、反論できない、嘘つき無明の机と予想、


ショート・ストーリ、嘘ドラえもん

机のび太「どらえもおーーん、また仏教者におちょくられたようううー、たすけてええー」
嘘ドラえもん「しょうがないなあ、ライヤーデスクぅぅー」
嘘ドラえもん「このライヤーデスクを使うと、他人に馬鹿にされても、気にならない、ドンドン自分の嘘に陶酔できるのぉ」
机のび太「使ってみるよ」

机のび太は嘘を平気でつける人間となった、

ヒンズーの戒律に、正直、誠実てあったなあw
キリスト教のモーゼの十戒の9番目も、嘘をつくな、とある、
机は、どうやら、根本的に狂っているらしいw
839血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:14:28 ID:ic0B9qTo
六祖慧能は、四句の偈も、まともに理解できないで、論点もへちまもないw
まあ意味も知らず知ったかぶり嘘を貫くライヤーデスクw

仮説、机の脳の情報処理システムw
机君の脳の情報処理を分析してみよう。
机脳は次の様に情報処理がなされる。

A机の虚栄心欲望の発生
       ↓     
B机のいい加減な禅知識・仏教用語→C虚栄心に犯された机の禅用語・仏教用語の書き込み
                  ↓
            的確な机の禅知識・仏教用語知識と悟りの否定
                  ↓
           D虚栄心による哀れな防衛心が発生
                  ↓
                  1理解できない仏教用語・禅用語を無理やり繋げて知ったかぶり風
                  2優位妄想のために余裕を見せ見栄はる、全て知っていると根拠無き勝利宣言。
                  3無視する
                  4別の話を付け加えて増幅させて話をごまかす
                  5黄門様印籠方式、禅用語で終わる。
                  6嘘の内容と禅用語をつないぎ逃亡。
                  7嘘の上塗り、嘘の大量生産を繰り返す、ごまかしのために。
840神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 11:17:59 ID:uLmYbbp+
Category:法華系仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
法華経系の仏教のカテゴリ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B3%BB%E4%BB%8F%E6%95%99
841机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 11:19:16 ID:Aq5Xwz8F
>>838
連続AA貼りが出来ないようじゃ〜駄目。

出来るか?
842神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 11:20:58 ID:B0svmMTo
>>836
オイラは禅の話なんか自分からは一回もしたことないぜ。
それに「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」とか「不二の法門」は否定しないが、
「二元、二分認識で書き込」まずにどう書き込むってんだ?


「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」とか「不二の法門」とかは、
きっちり禅定によって三昧に留まり、師に対する信を持つ弟子を目の前にして初めて伝えられるものだろう。

ここで君がぐちゃぐちゃ書いてるのは、机と一緒で何か言われた時の
言い逃れのネタに「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」とか「不二の法門」を
利用して自我の愚痴を並べ立ててるようなもんだ。
要するに人にウンコをぶちまけて悦に入って喜んでるだけ、
人は眉を顰めてるのを自分の威徳に感じ入ったと勘違いしてるだけだぞ。
843血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:25:01 ID:ic0B9qTo
机も大物やなあ、
偏執狂を相手するのが趣味なんだが、
レベル1、文献病学者君、一方的勝利宣言して消える
レベル2、ゴ、インキョー将軍様、まあ、ぼったん、机ほどタフじゃない、
レベル3、ライヤー机、タフネス2位
レベル4、ぼったん、エロAA200回連投できる、同じ文章を繰り返しできる。
レベル5、840のスレの鬼和尚、教祖様、自演の喜び。
844机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 11:26:09 ID:Aq5Xwz8F
>>839
どうした?根性がないのか?(笑

このスレはカルトが蔓延している。
どうせならスレごと破壊したらどうか?
845机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 11:27:27 ID:Aq5Xwz8F
>>843
ようし、その調子で全部破壊してやれ(爆
846血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:28:20 ID:ic0B9qTo
842も、ワシが真面目に、今日も書き込んでいるのに、関心もたない奴だなあw
妬みの三毒が強すぎて、ありのままに、みえないのだなあw

妬みが強いにはよく理解してやるよw
文献病自慢を否定されたのがくやしいのかね?
847神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 11:31:26 ID:B0svmMTo
>>843
>レベル5、840のスレの鬼和尚、教祖様、自演の喜び。

鬼和尚って今も書き込んでる? 結構、いい境地に達していると聞いたけど。
HP 読む限り、結構よかった印象あるな。
本物かどうか分からんけど。ただ、伝統に連なってないんだよね。
そこが心配、一時よくても退転するからね。
848血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:31:27 ID:ic0B9qTo
カルトは机と、親鸞会の机の友達ぐらいだろうw

あと、842の妬み文献病君はカルトではない、
でも、インキョの方がマシかもなw
849机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 11:32:01 ID:Aq5Xwz8F
>>843
>ぼったん、エロAA200回連投できる、同じ文章を繰り返しできる。

シヴァ神なんて数十分でワンスレッドを破壊したぞ(笑
850血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:35:11 ID:ic0B9qTo
>人は眉を顰めてるのを自分の威徳に感じ入ったと勘違いしてるだけだぞ。


ははは、文章読めってw
相手が臨済宗ブルから、それで相手してしまうからだ、ってw
851血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:42:04 ID:ic0B9qTo
ぶん殴る、威圧する、なんて、臨済録の世界は当たり前、
臨済宗じゃ、極道的な師匠が評価されるらしい、
軽い印可くれた坊主も昔は鬼らしいw若い時、後の師匠になる相手にぶん殴りにいったらしいからなw
今も、片鱗は少し残るけどねw
852神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 11:42:29 ID:B0svmMTo
>>850
それはいいから、鬼和尚のスレ教えてくれ、ちょっと話してみたい。
853血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:47:24 ID:ic0B9qTo
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1266668730/188-288
、ああ、ここ、他に、スレも多く立てている、仏教で検索すれば、4つぐらい奴のスレがある、
夜7時から九時までと、ルールがあるらしい、
それ以外の時間帯は鬼和尚の自演かサクラが鬼和尚に質問したり、褒め称えたり、
852も、机にもお勧め、
鬼和尚以外はイジメル気分にならないからなあ、と言っても、ほとんど書き込みしていない、
カルトバスターなら、このスレよりも、鬼和尚スレやろ。
854神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 11:50:29 ID:B0svmMTo
>>853
ありがとうございます。
855血祭り魔王w:2010/03/01(月) 11:52:36 ID:ic0B9qTo
854、まあ、ワシのガラの悪いのは大目にみてくれよw

机もこういう、真面目スレに居らずに、カルトバスターの面目で、
鬼和尚と遊べよw
856机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 12:12:06 ID:Aq5Xwz8F
>>855
やはり書き込み規制が恐くて、連続AA貼りは恐いか?
根性なしだなw

やるなら徹底的にやれよw
857血祭り魔王w:2010/03/01(月) 12:20:58 ID:ic0B9qTo
机も、これほど、おとなしくなると、しばらく休業やなあ、と、とりあえずw
858机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/01(月) 13:03:29 ID:Aq5Xwz8F
アクセス規制らしいw
連続書き込みしたからだろう?
859神も仏も名無しさん:2010/03/03(水) 20:42:29 ID:VfWSKWLU
アビラウンケン ボローンキリク
860閻魔大王  :2010/03/03(水) 22:26:49 ID:viaNeSnK
閻魔大王が修復してやったぞ。

おもろいゲームやったなw

さて、平常心是道でいこか!
861神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 02:24:49 ID:bJRj3TbH
オイコラ!

仏道とはなんぞや
一言でいうてみぃ
いいそこのうたらぶん殴るで!
862机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 07:20:17 ID:FYb+jFA9
>>861

_________無________

     <机龍之介・花押>            


863神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 08:00:22 ID:riKryKb/
ドコモ規制とけた
864けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/04(木) 08:30:20 ID:riKryKb/
机さん、アビダンマでは、色・心・心所・涅槃の四つだけが勝義諦で、
それ以外はすべて世俗諦といいます。
机さん、これについてどう思う?
865神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 09:28:11 ID:svXSkV7+
>>861
>仏道とはなんぞや

小乗と大乗のどっち?両者は、本質的に異なった宗教。
866机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 09:53:14 ID:FYb+jFA9
>>864
>机さん、アビダンマでは、色・心・心所・涅槃の四つだけが勝義諦で

アビダンマにおける勝義諦と、中観における勝義諦は、その意味合いが全く違う。
前者の勝義諦は、本質論の意味。
後者は、そもそも本質なるものは無し。→これが勝義諦。

#、ちなみに、けちゃっぷ氏は坊主です。
(たぶん、浄土宗西山派か?これは私の推測)

あと、LB氏という真宗坊主(北陸在住)のコテがいますけど、
けちゃっぷ氏とLB氏は、考え方が少し違うようです。

私は、けちゃっぷ氏は禅宗に近いような気がします。
真宗大谷派、これも禅宗に近いですね。
867神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 10:01:09 ID:FK6iIWdj
あのな・・
なぜ「勝“義”」「勝義・“諦”」と言われるか(≒訳されるか)、ちったぁ考えろ。
868机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 10:12:48 ID:FYb+jFA9
>>867
無我を、どういうふうに論理体系付けたらいいか?
と発展した哲学と、
そもそも論理とは何ぞや?で構築された哲学との差異。
869神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 10:26:22 ID:svXSkV7+
身近な親類の葬式に行ってきた。
火葬が終われば、細かく砕けた骨と灰。来世があろうとなかろうと、故人には
もはや認識は一切不可能。「来世」は、生者の死への恐れと生への執着から空想
した架空の世界。
どんな豪華な葬式をやろうと、故人にとってはもやは知ったことではない。
元素になって、自然に帰り、自然の一部として循環するだけ。
しかし、人が死んでも、この世界は残る。住み慣れた我が家も、見慣れた街角
もそのまま残る。故人のDNAは、子孫に永遠に承継されて生き続ける。そして、
故人の想い出は、残された愛する者たちの心の中に残る。これが素晴らしい
死後の世界だ。
葬式は、故人のためより、むしろ生者の死に対する恐れ、生への執着を満足させる
ものだろう。
葬式は、宗教者の生活のための手段。一方、人の嫌がる死後の始末をやって
くれる。大変、金が掛かるが、遺族は、葬式の準備、会葬者の接待、坊さん
や葬儀社への支払いに忙殺され、しばし悲しみを忘れることが出来る。葬式は、
社会的機能を充分に果たしている。しかし、戒名は不要。自分の名前がなくな
ってしまう。親から貰った生前の名前の前に「故」をつけるだけでよい。
読経は、意味が全く分らないところがよい。キリスト教の神父や牧師のようい、
訳知り顔で説教などされて、遺族の悲しみがなくなるか。
葬式は、むしろ、生者に対して生への意欲を与える儀式。読経は、音楽。特に
天台・真言系の声明は素晴らしい芸術だ。浄土真宗でも、巧みに小節を効かせて、
聴く者の心を慰めているようだ。
葬式は、今後次第に簡素化され、やがて消滅するだろう。宗教は、死後のこと
より、「生きることの技術」に変身すべきであろう。
870机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 10:29:50 ID:FYb+jFA9
>>867
セブン氏よ、貴殿は論理的には私より優れて才能があるんだから、
それを少し別な方向性を模索したらイイんじゃないか?

言語をどう訳するか?ってのは二義的なもの、
そればかりに拘っていても、本質的(非本質も含む)な部分を見逃す。
871神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 10:43:04 ID:V1AlXEgq
【島田裕巳】日本人の葬式を考える
http://www.youtube.com/watch?v=Y4GvuRfU6Ko&feature=youtube_gdata

近著『葬式は、要らない』をご紹介いただきながら、
日本における 葬儀様式の変遷や、そこから読み取れる日本人の死生観、
これから の葬式の在り方などについてお聞きしていきます。
872けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/04(木) 12:34:50 ID:riKryKb/
>>866 ご紹介ありがとうございます。
所属は浄土宗(総本山知恩院)ですが、異端児です。
たとえば色(物質)が勝義諦だと言う場合、
少なくとも物質といわれる何かが存在するのは認めましょうということでは。
しかし、その物質を私達が知るときには、
視覚だったり聴覚だったり、いろんなチャンネルを通してしか知るすべがない。
また、物質は、いろんな姿形で現れる。
まぁとにかく、物質的な刺激の軍団を総称して色と言う、
その色が在るのはまぁ認めましょう、無いとは言わないよ、と。
しかし、色のさまざまな状態に名付けた概念は、それは概念にすぎないよ、と。
ほほに当たる風の刺激がある。
物質的な何かがそこにあるのは認めるが、
しかし、それに「風」と名付ける概念は、それは仮の名前にすぎないよ、と。
873神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 12:51:32 ID:riKryKb/
>>869
何年も前に聞いた話でうろ憶えなんだけど。
人は死んだらゴミになると言ってた人がいたんだが、
その人が、いざ自分の子供が不治の病になって、
「おとうさん、私が死んだら天国に行ける?」等と言われたときに、
「ゴミになるだけだ」とは言えなかったそうです。
874神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 13:04:46 ID:svXSkV7+
>>872
>しかし、それに「風」と名付ける概念は、それは仮の名前にすぎないよ、と。

仮であろうと、何であろうと、言葉とは、共同体における成員間の意思の疎通
のための「手段」。その意味では、もはや仮ではない。

手段である言葉を以って言葉を論評してみても無意味。その論評の言葉自体に
そのまま跳ね返ってくるのだから。その意味で、言語論・意味論は不毛。

「意味の意味」という米国の言語学者の有名な本があるが、すでに意味のある
言葉でいくら意味を論じてみても無意味ではないか。


875神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 13:11:43 ID:svXSkV7+
>>873
不治の病のわが子に、死後を語ることほど残酷なことはない。

医学が日々進歩しているのだから、必ずよくなると、最後まで希望を
持たせること。人は誰でも、最後まで生きたいのだから。
876机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/04(木) 15:35:22 ID:FYb+jFA9
>>872
先ず、アビダンマ哲学っていうのは、
三世実有という時制においての「無我」の位置づけで論を立てましたから、
最初から本質的なものを想定しておったわけです。
つうか、そうでなければ論は立てられない。
(哲学といっも原始的です)

時制においての無我は、刹那滅論でどうにか体系付けましたけど、
これは丁度「ドミノ倒し」の発想ですよね。
(このシステムが、いわゆるアビダンマの勝義諦といわれるものと解釈してます)
色・心・心所・涅槃ですね。

そこから時代が新しなり、中観思想が登場すると、
ありとあらゆるものが「色」となりますね。
物質・思考・感受・あの世・オバケ。幽霊・世界・ets・・・
勝義諦は全く意味合いが違くなってくる。

原始仏教においても、空思想の萌芽はありましたが、
これはアビダンマとは全く違う系譜です。
877神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 21:25:21 ID:riKryKb/
>>874 共同体における共通認識としては嘘ではないですね。
それを世俗諦といいますね。
「諦」とつくということは、真実でしょう。
世俗の中では真実です。
878血祭り魔王:2010/03/05(金) 02:44:00 ID:Uq9YMPLO
しかし、最近気づいたのだが・・
文献学者、机、南方仏教原理主義者にしろ、
天台、華厳、真言、禅の把握は難しいやろな、
まあ、インドサンスクリ原典やっても、中国大乗仏教は空間、世俗把握が別物なんで、
文献学路線だと、スレタイには合い難い、
インド仏教の主流、論理説明可能中観派の文献レベルで、把握可能なのは、南方仏教、唯識、浄土教、日蓮宗が限度やな、

何せ、世俗諦、勝義諦が同時視点があるからなあ、
中国大乗の天台、華厳、真言、禅場合は・・・

むろん、空と色の形式と言う嘘つきマヌケの机には全く理解されるのは不可能の代物で・
879紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/05(金) 02:45:11 ID:CRayiPff
>>873
現代社会においては、「人は死んだらカネになる」が正しいんだけどなw
880血祭り魔王:2010/03/05(金) 02:47:42 ID:Uq9YMPLO
世俗諦、勝義諦など、文献論をベースにしても、
日本の現在で仏教を質問、回答形式になると、
やはり、文献レベルじゃだめなんだわw
修行で、中国大乗の天台、華厳、真言、禅の世俗諦、勝義諦が同時視点のややこしい禅定的把握をマスターしないと、
文献学レベルじゃ、質問箱のスレでは役に立たないやろな

ケチャップでも、
中国大乗の天台、華厳、真言、禅の世俗諦、勝義諦が同時視点のややこしい禅定的把握をマスターは無いからな。
881神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 04:01:29 ID:3ncrkKHt
>>877
>世俗の中では真実です。

「世俗の外の真実」とは、一体何を基準・基盤としているのですか。

1個人である開祖や教祖の独善・思い上がり・妄想なのではありませんか。
その「真実性」は、誰が、どうやって検証したのですか。検証されていない
ものは「真実」とは言えません。

「世俗の中の真実」は、衆生心・現実界という、確固たる検証基準と基盤が
存在します。
882机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/05(金) 07:17:44 ID:hApZEY/C
>>880
>禅の世俗諦、勝義諦が同時視点のややこしい禅定的把握をマスターしないと、

ドアホウがぁ〜!
禅の(色→空→色)は二相のことだよ。
何を勘違いしてるんだか・・・

しかし真言宗の場合は違う。
祈祷するから二相という訳にはいかない。
理趣経がそのシンボル。
如来というのは「如」、すなわち男女交合(陰陽和合)を意味するのでは?
世俗的にはそうであろうが、
金剛界・胎蔵界という二界は(色→空→色)の最後の「色」と推測。
そうすると、(空→色)が真言宗教義における根幹なんだろう?
883けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 08:05:50 ID:fV6Gfuxi
>>880 そうですね。お手上げです。
今ふとよぎったのは「空・仮・中の三諦」という言葉ですが、
このスレをたまに見てますが、
ではあまりその言葉は出てきませんね。
しかし、机さんが言いたいことは空・仮・中の三諦と
同じ意味なのかもと思ったりしますが、どうなんでしょう?
質問スレなので、どなたか、空・仮・中の三諦について
上手く説明できる方、お願いします。
884神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 08:26:43 ID:ge8Or3tb
885けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 08:28:25 ID:fV6Gfuxi
>>881 仏教は出世間の教えですからね。
世間(世俗)の価値感は悩み苦しみの原因であると理解するのが四諦。
で、理解した上で、悩み苦しみを軽減したいなら、
世俗の価値感から心を解放してやるのが一番いい方法なんだ、と。
まぁしかし、四諦を理解した上で、うまく悩み苦しみとつきあって
生きて死ねばいいや、という考え方もありますね。
886神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 08:53:41 ID:zCHazAgx
>>881
だから、勝「義」だと言っとろうが・・w
887机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/05(金) 09:28:12 ID:hApZEY/C
>>883
>しかし、机さんが言いたいことは空・仮・中の三諦と
>同じ意味なのかもと思ったりしますが、どうなんでしょう?

そうですね。
私はアビダンマ哲学の最大の欠点は、空・仮・中においての時制については
未達であったことかと思います。
恒常(時制)においての刹那滅論ですから、これだと空・仮・中にはなりませんね。
(つまり、時制が恒常的であるならば、刹那滅も恒常的である、ってことになる)

中論の最大の功績は、時空の、空・仮・中にまで完成させたことです。
これは西洋論理学にいう「存在と時間は不可分である」を、
空・仮・中にまで昇華させたとこにあるんじゃないかと思ってます。

ですから、よくスレで話題になる輪廻転生論ですけど、
これも空・仮・中で何ら問題にもならんですね。
888神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 10:04:15 ID:zrdQJN7x
春ちかし 我が者どもが 夢の中
889血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:10:09 ID:Uq9YMPLO
机の嘘つき無知垂れ流しの程度の低さはたまらんなあw
まあ、天台の理事無碍法界、華厳の事々無碍法界すら、理解できぬカスが、わめく・・とほほ・・
インド仏教の中論の次元で、すでに机は落第、
机がまともに理解できているのは、南方仏教のグレードだけやろなwそれも、まともか怪しいが・・

臨済宗の悟りなんていうのをマスターしたのは随分後の方で、マスターした時、まあなんて、やくざな、と思ったよw
ほんと、血祭り魔王て表現したくなるくらい、全部説明不可能で、一部を提示できるのみだw
まだ、禅でも、曹洞宗の方が、坐禅をベースにしちょるんで楽や・・
最初の頃、臨済宗の悟りをマスター困難だったので、空間把握を言語化した、
密教を我流でやっていたなあw
真言密教の感応はあったもんでw
でも、合わない感覚があったんで、
チベット密教へ、しかもテキストがないんで、空間把握、禅定感覚把握のテキストとしてのみに、空海著「即身成仏義」をネタに、
空間把握と禅定感覚把握に役に立った、禅の空間把握と、禅定感覚把握にね、
まあ、机のマヌケな、空と色の形式なんていう嘘の感覚は当然、存在せずw
密教、禅(臨済宗でなく道元禅)にしろ、言語化を無理にやると華厳の事々無碍法界で、
世俗の肯定的眼差しがあるんだわ、

嘘つき机のお間抜けな空と色の形式の妄想なんて関係無いw

890血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:27:19 ID:Uq9YMPLO
中国大乗の天台、華厳、真言、禅の内、
一番説明好きでイージーなのは、天台やろな、ケチャプドンでも解りやすいかもなw

嘘つき机の説明の証明してみよかw

天台の、天台小止観で説明してみるか、
嘘つき机の妄想の空・仮・中の世界があらわになるw
まあ、天台小止観ていうのは、論理好きな説明好きな天台で、禅よりの説明嫌いなワシには書き込むのが苦痛でww
システム的には、止観がゆえに、南方仏教に通じる手法から始めて、すなわち、観察、滅する方向から段階的に始める、
まあ、インド主流の論理立て可能中観派ていうのも、唯識など、色々な要素も統合したらしい、
で、その影響を受けたチベット密教ゲルク派は南方仏教の手法も混ぜ合わせた修行システムも採用と、
天台も、そういう面があるんやろな、

説明するのがめんどくせえwまったく、天台三昧やっている方がマシだww
で、修道システムとしては、
空・仮・中から立てるのだが、
最初に、仮(世俗から)→空(滅する)
次に、空(滅する)→仮(世俗へ)
次にこの両方の方向を同時にやり悟りを得て、生活する、これを中、中道と言う、
まあ、一番説明しやすくイージーな天台で、嘘つき机の空と色の形式なんていうマヌケさで終了するものでない、
この時点で、机は落第w
もっと、ややこしい、華厳の事々無碍法界の要素を含む、禅、真言が、嘘つき妄想王机に理解できるはずもなしw
891血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:34:39 ID:Uq9YMPLO
まあ、天台の
最初に、仮(世俗から)→空(滅する)
次に、空(滅する)→仮(世俗へ)
次にこの両方の方向を同時にやり悟りを得て、生活する、これを中、中道
まあ、この流れで、二番目のゾーンで、空と色、空と仮の融合が始まっているわけなんだが・
この方向を、理が空で、事が、仮で互いに妨げなく交じり合うと言う事で理事無碍法界と言う学問的説明がなされる訳だw

低脳机は嘘つき妄想を恥かしげもなく垂れ流す、こういう事すら知らずに、真言、禅の説明しているw
アホだなw
892血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:41:46 ID:Uq9YMPLO
天台の空・仮・中が、
すでに、インド主流の論理立て可能中観派と別物であることは理解されるんだが、
ま、このような天台解釈の流れは、在家で実用主義的志向があるんだろな、
日常の世俗解釈を実用的に、という視点が、真言、禅と展開したんだろう。

インド主流の論理立て可能中観派時点で、悟りを説明しようとして、「最高真理としては」とか定型句をつける時点で、
如来蔵的シンボル化が生まれる要素が出てくるw
密教なんか、特に、悟りを説明しようとして、「最高真理としては」とか定型句をつけたくなるし、
そこが、チベット密教ゲルク派に影響を与え、合併できた部分かもなw
893血祭り魔王:2010/03/05(金) 10:46:54 ID:Uq9YMPLO
881はゴ・インキョー将軍様なんだろうなあw
ある意味、嘘つき机よりも、意見としてはまともなんだなあw

具体的提示さえできれば、簡単に論破できるが、文献、学問レベルだと、無理だポ。
894ライヤー机妄想情報処理宣伝w:2010/03/05(金) 10:50:07 ID:Uq9YMPLO
六祖慧能は、四句の偈も、まともに理解できないで、論点もへちまもないw
まあ意味も知らず知ったかぶり嘘を貫くライヤーデスクw

仮説、机の脳の情報処理システムw
机君の脳の情報処理を分析してみよう。
机脳は次の様に情報処理がなされる。

A机の虚栄心欲望の発生
       ↓     
B机のいい加減な禅知識・仏教用語→C虚栄心に犯された机の禅用語・仏教用語の書き込み
                  ↓
            的確な机の禅知識・仏教用語知識と悟りの否定
                  ↓
           D虚栄心による哀れな防衛心が発生
                  ↓
                  1理解できない仏教用語・禅用語を無理やり繋げて知ったかぶり風
                  2優位妄想のために余裕を見せ見栄はる、全て知っていると根拠無き勝利宣言。
                  3無視する
                  4別の話を付け加えて増幅させて話をごまかす
                  5黄門様印籠方式、禅用語で終わる。
                  6嘘の内容と禅用語をつないぎ逃亡。
                  7嘘の上塗り、嘘の大量生産を繰り返す、ごまかしのために。
895:2010/03/05(金) 10:54:20 ID:asaEHxyo
犬色分幸 祝死 笑慈
896神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 11:05:01 ID:D9/ax90H
>>885
世俗はウザイから、世捨て人になれということですか。安直な考えですね。
それでは、人生そのものの放棄です。

世俗の価値感には、苦しみもあれば(あればこそ)喜びがある。そして、
苦しみよりも喜びのほうが大きいから、人類は、現在まで存続している。

苦しみに執着し過ぎる釈迦は、明らかに鬱病。少しも悟ってはいませんね。
一切衆生(生活者)は、その他者との係わりの中での生存努力という
「大修行」において、「苦あれば楽あり」「楽あれば苦あり」を悟り、
ひたむきに生きているのです。

釈迦は、生活という「大修行」が欠けている。だから悟れなかったのです。
というよりも、現代の精神医学の観点からは、その「心の病」が原因ですね。
897神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 11:27:20 ID:zCHazAgx
>>896
それは、《「人生観」としてはアリ》だが《「仏教」ではない》、
ということに好い加減気付こうねw
898神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 11:56:29 ID:D9/ax90H
>>897
仏教とは、「現実逃避」「厭世観」「離人症」「うつ症状」の別名か。

それでは、人間にとって何の価値も無い。むしろ大いなる害悪。

釈迦の鬱病の感染(感応精神病)なら、治療の対象に過ぎない。

釈迦もイエスも、世俗と現実界に100%依存しない限り一瞬も生存できない
哀れな存在であることを、すっかり忘却している。

すべての創唱宗教は、開祖の精神病の感染(感応精神病)であることを、いい加減
気付こうねw。基地外を有難がって崇めている姿は、滑稽そのもの。

苦に執着し、苦を苦にしすぎた釈迦は、明らかに鬱病。現代なら、精神病院で入院
治療の対象。贅沢三昧、あらゆる欲望の満足に不自由しなかった故の贅沢病。

自分と家族の生活のために一生懸命働き、帰宅して家族の顔を見れば、苦など
吹っ飛ぶものだよ。釈迦には、その家族がいなかっただけの話。それも、釈迦が
己の家庭を棄てたという悪業の結果である。まさに、悪因悪果の典型である。
899けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 12:44:18 ID:fV6Gfuxi
>>896 世俗の価値観から見たらおっしゃるとおり。
仏教は涅槃寂静の思想です。
涅槃(色でも心でも心所でもないこと、つまり身も心も滅ぶこと)が
究極の平安だと考えるわけです。
「たとえ悩み苦しみにさいなまれつつでも生きることはすばらしい、
滅びたくない、死にたくない、私は私でいたい」
…という考えは、生命が先天的に持ってる「勘違い」なのです。
この「勘違い」こそが、あらゆる煩悩の親玉である無明です。
この、生まれながらに持ってる「勘違い」(無明)を消したら、
仏教の悟りの完成です。
普通の生きもの達にとっては、
「アホか!とんでもない教えやないか!」です。
900けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 12:46:35 ID:fV6Gfuxi
たいがいの生命は、悩み苦しみをなくしたいのです。
平安・幸せになりたいのです。
しかし、生命達は、無明の煩悩を捨てることは嫌なのです。
悩み苦しみの原因が無明なのに、
その無明こそが、生命達の一番の大好物なんですね。
901けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/03/05(金) 12:53:47 ID:fV6Gfuxi
>>898 はい、仏教ほどの害悪はないですよね。
ただ、仏教は、悩み苦しみをなくす教えだと思いますから、
仮に、あくまで仮にですよ、仏教の目的が全人類の入滅だとしても、
そこに至る過程は、できるだけ他人の悩み苦しみを
増大させない方法であるようにする。
それも、無駄な悩み苦しみをなくすための慈悲としては、重要だと思います。
902神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 12:56:11 ID:zCHazAgx
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート26
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1267761169/
903机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/05(金) 13:06:47 ID:hApZEY/C
>>899
>涅槃(色でも心でも心所でもないこと、つまり身も心も滅ぶこと)が
>究極の平安だと考えるわけです。

非常に禅と相似性がありますね。

「身心が滅ぶ」。これを、「大死一番」とか「大いなる死」とか禅では言います。
(円相の位相のことです)
ここで全てが破壊されますから、つまり・・・
断見とか常見とかの意味も全く無くなるんです。
(時制の崩壊と、その属性である輪廻転生論は見事に寂滅します)
904神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 14:51:33 ID:wdG9Ck8Y
>>899
>…という考えは、生命が先天的に持ってる「勘違い」なのです。
>この「勘違い」こそが、あらゆる煩悩の親玉である無明です。
>この、生まれながらに持ってる「勘違い」(無明)を消したら、
>仏教の悟りの完成です

それはあくまで釈迦の鬱病の症状としての「勘違い」であることを忘れないでください。
当時は、精神医学がなかったから、釈迦が精神病であることが分らなかっただけです。
精神病者は希少だったから、有難がられ、それが信者に感染した。現代の精神医学では、
精神病は感染することが知られています(感応精神病)。

純粋に精神的苦悩は、自己中心主義から生じるもので、自我を離れて、家族などの
身近な他者に心を移すことにより、軽減・除去されます。人間界が、本質的に共同体性
である所以です。

釈迦は、その「心の病」故に、その自明の真理に思い至ることが出来なかっただけです。
905神も仏も名無しさん
>>900
そもそも、煩悩とは、種属としての生命の維持を含め、生命を維持するソフト
として精神の働きです。案じるべきことを案じなければ、生命を維持することは
できません。

煩悩は、「生きていることの証(あかし)」です。「煩悩を去れ」ということは、
「死ね」ということ、「生命の否定」にほかなりません。

釈迦の「苦悩除去法」は、方法論的に誤り。

苦悩は、自我を去り、他者に心を移すことにより、軽減・除去される。このこと
により、初めて、社会が維持されるのです。人間を初めとする如何なる生物も、
「独りでは生きられない」からです。

一切衆生は、意識的・無意識的に、この自覚を基盤としているから、共生が可能
なのです。

大乗仏教は、「真如としての衆生心」や「相互依存性・関係性」の原理の発見に
よって、このことに思い至りました。釈迦には、その片鱗も見出せません。
だニアの章からだけでも、明らかです。