【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1
1 :
神も仏も名無しさん:
私(宝珠)が造った論題(考えるための疑問点)のリンクもご覧下さい!w
------------------------------------------------------------------------
提案1.
---論題---
【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1
http://houjugusya.web.fc2.com/subject.htm 前スレからは、「大乗と日本仏教について」の議論が始まりました。
が、今回は更に、大乗仏教の発生と発展の経緯を踏まえた上で、
日本仏教(大乗)の今後のあるべき理想の姿(変革の必要の有無)を問うべく議論します。
議論の方向性としては大乗(特に日本仏教の実情)の問題点についてです。
要するにここでは、大乗の“負の部分”といえるものを洗い出し、
その改善方向について話し合われるべきかと思われます。
これまで大衆を仏教信仰に繋ぎとめておくべく“方便として”導入されたものについても、
仏教の本質的には衰退ではないか?という視点で以って再確認されるべきです。
このまま日本仏教界に大改革が図れないならば、本当に未来の存続はないのではないか?
要するに、現在の中高齢信仰者が他界したそのときが、そのまま消滅の危機となるでしょう。
また、仏教の原点回帰に視点を置く方向性においては、
特に宗教(仏教)の「聖」と「俗」といった葛藤面についても問題視されることになるでしょう。
果たして、仏教信仰と社会生活との関り方は如何にあるべきなのでしょうか?
〜〜本スレは日本仏教と共にマッタリと進行します〜〜
*引用をする際には出典を(なるべく正確に)明らかにして下さい。
**投稿「750-800」を目安に善意の方どなたか次スレを立てて下さいm(__)m
2 :
神も仏も名無しさん:2009/10/12(月) 20:06:12 ID:4nrgWkXv
3 :
神も仏も名無しさん:2009/10/12(月) 20:10:23 ID:4nrgWkXv
もう一つスレのタイトル案があったので掲載しておきます。チョト過激
【改悪】大乗は仏教を騙るな!【捏造】1
ゴータマの言説を歪め、言ってもいないことを堂々と仏言と称し、
人々を騙し、信仰・救済の名の下、すがる姿勢を薦め、自分の足で歩くことを忘れさせ、
ひたすら上を見上げ、手をすり合わせることを至上の行為とする、
こんな劣悪な思想は排除する時代に来ている。
いよいよもってゴータマに帰る時代が来ている。
>>3 ネタだろwww
引用してんじゃねーよwwwww
それと、
>>1 > 私(宝珠)が造った論題(考えるための疑問点)のリンクもご覧下さい!w
> ------------------------------------------------------------------------
> 提案1.
>
> ---論題---
> 【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1
>
http://houjugusya.web.fc2.com/subject.htm どー考えても、この↑部分は不要だろ?w
リンク先の文章が必要なら、URL貼って、URL記載の理由に触れておけばいい。
今後、スレ建ての機会があったら気をつけなw
5 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/12(月) 22:22:40 ID:NznwAj6b
スレ建てご苦労さまでした^^
では、まずは“葬儀の是非”について口火を切ってみたいと思います。
(その他、スレッドの内容に関する話題であれば、皆さんでご自由にお願いします)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/936 日本仏教の見直し論という場合には、葬式仏教についての批判論を避けて通ることはできません。
これを原理主義による葬式文化(日本文化)の批判として危惧する人もいるかもしれませんが、
私の個人的な意見としては、何も葬式仏教批判の声というものは「葬儀を執り行うな」という意味での
葬儀そのものに対する批判ということではないものと理解します。
「いや、無くすべきだ!」というご意見もあるのでしょうか?
確かに本来は、
原始教団においては葬儀そのものに仏教教団が関ることはなかったものと記憶します。
これは生まれ変わりの思想が前提にあることと、「死」に対する無常観といった教えがあったからでしょう。
ただ私は、生きている人間が如何に生きるべきであるか、
という仏教としての価値の本質そのものが蔑ろにされないのならば、
葬儀が執り行われること自体には大した問題はないように思います。
それはそれで死について考える良い機会にすることができるとも思うからです。
葬式仏教という批判にはもっと様々な部分に目が向けられているのです。
ま、最終的には、
たとえ、社会としての意識改革が可能だったとしても、
現実問題として、
イ:「それを、短期間のうちに急変させるのか、長期的スパンで(何十年と掛けて)変革させるのか」
ロ:「仮に、短期改革を目指した時、人々はその変化に、思考も行動も、そして感情も、ついてゆけかどうか」
というリアルな問題は避けて通れない。
最近では、国鉄民営化や郵政民営化が顕著な例だが、他にも細かな改革は多々あるだろう。
しかし、行政上の改革、或いは企業等の改革においては、準備と移行期間中の対策が(それなりに)考慮されている。
では、
「はい、じゃあ明日から(或いは○年○月○日公布○月○日施行といった風にw)僧侶による葬儀は行われないこととなりました」
となるのかどうか・・・。そのような変化(≒改革)が可能かどうか・・・。
ま、果たしてこのスレで、そこまで議論が進むかどうかは判らんが・・・w
7 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/12(月) 22:50:04 ID:NznwAj6b
>>6 お帰りなさーい、セブン^^
対話し難いからコテにて宜しくどうぞ!
(セブンでしょう?w)
ご意見はご尤もです。
でも、議論の意義と必要性は在るものと思います。
このままプロの僧侶に任せておいても何ら変わらないかもしれませんが、
しかし、一般大衆や在家、アマの仏教信徒らによる意見(不満を含め)と感覚を
在りのままに提示していくことそのものに意味があるかと。
>>6 >はい、じゃあ明日から(或いは○年○月○日公布○月○日施行といった風にw)僧侶による葬儀は行われないこととなりました
じつは、明治に一回それに近いことをやってる。
「仏式葬式の象徴である、火葬は禁止。神葬祭で行う事を推奨する!」
と、やったんだけど、結局、みんなこっそり仏式で葬式やって、
数年でうやむやになっちゃった歴史がある。
習俗はそう簡単に変わらないって事だ。
まあ、今の風潮が続けば、変化していくかもしれないが。
9 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 00:05:54 ID:UZtKqg/H
最大の問題点は宗派がいくつもあり、オギャーと生まれ死ぬまでの途中でお寺をかえる(僧侶を選ぶ)事が容易ではない事ですね。
>>1-3 一般的日本人の感覚としては、仏教=日本仏教=大乗仏教であって、
ゴータマの仏教は、どっちかというと、哲学とか、カルトのイメージが強いと思うんだがね。
まあ、私が一般的日本人かと言われると、大分基準からかけ離れてる自覚があるがw
とくに、「原点回帰」と言った時に、何処を原点とするかが問題になる。
日本においては、仏教伝来の時点で、すでに大乗の色に染まっており、
そこから更に日本独自の発展、爛熟、腐敗して言った歴史がある。
原点回帰と言うと、インドのゴータマ仏教より、仏教伝来の時点に戻ると言うイメージが強いんじゃないかね?
第一、原点回帰すれば、仏教は栄えると言う発想がついていけない。
当時のインドと現代社会じゃ状況が違いすぎるだろw
過激な意見だが、原点回帰を目指すより、仏教の基本概念を踏まえた上で、
現代に合った新たな「仏教」を作り出したほうがいいんじゃないかね?
>>8 >習俗はそう簡単に変わらないって事だ。
なかなか変わらないし、けど、変わることもある。
そしてそれは、時代時代、地域地域、都度都度の状況に応じて様々な形があっていいし、
それを画一化することは避けるべきなのだろう。
だから、お釈迦さんは、「比丘は葬儀に関わらずにいなさい。(→“習俗を履行しない者”でいなさい)」
と言ったんのかもしれないねw
>>10 おお!
2chには珍しい、なんと常識的な御意見でしょう。
けど、あっという間に埋もれてしまう御意見でしょうね・・。
2chで求められているのは、過激で、カキコの誘因力の強い、煽り気味な極論なのですから・・・w
ノシ
12 :
葬式仏教万歳!:2009/10/13(火) 00:37:48 ID:McT2SjfL
日本的アニミズムと伝統に則った
最高の宗教形態は日本的葬式仏教=文化である。
娑婆での種々の愚行でも、くたばればホトケになって三途の川の水に流せる
ありがたーい教えなのだ。
なんと!宗教形式さえ守れば、信仰の自由さえ認められる超寛大なありかたは、
葬式仏教以外ではありえない。
なにがなんでも『先祖供養』に『現世ご利益』、これが日本人の宗教意識であり、
(葬式+観光)仏教が日本人の文化と伝統に則った正しいありかたといえる。
存在するものは合理的である。 Let it be(あるがままに) !
13 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 00:42:52 ID:IoxVzpwt
>>8 火葬:
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3695509.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%AC 火葬は病理的衛生上において不可欠だと思いますね。
ただ葬儀(ここでは告別式か)を執り行うのは仏教かどうか・・については、
故人、及び遺族側の意向を汲む形で現在もほぼそうだろうと思います。
今は無宗教的なお別れ式や、故人の生前の意志によっては特になし、
というケースも増えていると思う。
>>9 家系の先祖伝来の宗派(寺)と個人の信仰(する宗教)とは別物ですね。
私は父方は殆ど無縁関係なのですが、
母方は浄土真宗(西本願寺)にてこちらの家系ではすべてお寺のお世話になっています。
もちろん、私個人は浄土真宗は心情的に信仰しません。
自分の代からの宗派換えというのは全然、問題なく可能ですね(知人にもいました)。
ただ、古くからの親族を法事で招く際に、いろいろと面倒が起こるかもしれません。
ご先祖(供養)のことを思うと“宗派換えなど非常識”といった永い伝統があるからと思います。
14 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 00:43:55 ID:IoxVzpwt
>>10 >ゴータマの仏教は、どっちかというと、哲学とか、カルトのイメージが強いと思うんだがね。
>まあ、私が一般的日本人かと言われると、大分基準からかけ離れてる自覚があるがw
哲学的はいいとしても、カルトなどという見かたは聞いたことがありませんね。
それは宝珠シリーズスレ上での特に輪廻否定論者による中傷的呼称だと思います。
ゴータマ(及び原始教団)をカルト呼ばわりしては仏教は成立できません。
たまたまゴータマの思想を汲む宗教グループにカルト教団がいたとしても、
それはゴータマのせいということにはならないでしょう。
>第一、原点回帰すれば、仏教は栄えると言う発想がついていけない。
>当時のインドと現代社会じゃ状況が違いすぎるだろw
>過激な意見だが、原点回帰を目指すより、仏教の基本概念を踏まえた上で、
>現代に合った新たな「仏教」を作り出したほうがいいんじゃないかね?
はい。それは古代に戻ればいいということではなくて、
本質重視の観点での見直しということであり、もちろん現代に見合った仏教としての再構築のことです。
15 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 01:00:36 ID:IoxVzpwt
そしてこの、
「仏教の基本概念を踏まえた上で」
>>10の基本概念とはどれかということ?
それが仏教の根本義としての法、すなわち“無常、無我、縁起、空”などであり、
これらが説かれていればそれでいいのか?ということ。
ならば、現状の日本仏教のままで大した問題はない、ということになってしまう。
しかし、それで本当にいいのですか?ということなのですよ。
また、“無常、無我、縁起、空”の中には当然、
“業報輪廻の思想概念は根底にある”という認識で宜しいですよね?(確認かw)
まっ、これは現在でも大乗各派の殆どで採用されている・・。
>>11 >2chで求められているのは、過激で、カキコの誘因力の強い、煽り気味な極論なのですから・・・w
別に過激派じゃないから、どうか宜しくお願いしますよwww
やはり、本来の仏教という観点からは見直す時期にきたのではないか?
といった視点は必要なのではありませんか?
それが、もしも現代社会にとっては過激として映るものであった場合には、
どうするのか?ということが問題とされるべきです。
これが「聖」と「俗」の関係の話しになるのでしょうか?
16 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 01:03:19 ID:IoxVzpwt
ということで、
これまでのシリーズでの議論内容も踏まえた上で、
皆さんに考えて頂きたいわけです。
情報やご意見を歓迎します!
オヤスミ...
17 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 01:07:08 ID:dYVWVQZK
いま日本仏教を担ってる人々って他宗教と対峙する、という状況を想定してるんですかね。
他宗や他教の人と仲良くインタビュー、というのではなく
挑戦を受ける、というシチュエーション。
18 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 01:23:28 ID:IoxVzpwt
>>17 どうなんでしょうね??
仏教は、
元々は異なる思想と闘うような教えではないわけですが・・・
仏教以外の宗教は「外道」視するということではどの宗派も一致します。
しかし、敵対的な排他主義が強いのは一部、日蓮系だけでしょうか?
この場合、外道(名称的には仏教外という程度の意味合い)というよりは
「邪教」(邪悪な思想)扱いする姿勢なのかな。
邪教視する姿勢では闘いと強制的な排除という手段に訴えるようになり、
それは、まるで中世のカトリックのような方向性になりやすい。
でもまぁ、
他の宗教からの議論の申し出があったら、受けるというところはあるかもしれません。が、
恐らく、「他宗教との議論には応じない」方針だと断わるところが圧倒的に多いように思います・・。
ゴータマご自身がそういう姿勢を説かれた。
ダメダァ・・寝るw
19 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 03:12:16 ID:fw/D3E3j
日本仏教もヒンドゥー教の変形バージョンと考えれば、
現状の日本仏教も捨てたもんじゃないとも思えます。
本気で悟りをめざす場合には役に立たないでしょうけど、
道徳と心の癒しを得る程度なら、
日本仏教にも充分その力はあると思う。
20 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 04:29:36 ID:OyY5w6dq
葬式仏教というのは、祖先崇拝と仏教という、全く起源の違うものから成り立っている。
整合的に解釈しようとすると、仏教とはかなり違った宗教になる。
21 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 05:26:58 ID:I4q7TSsp
流れぶったぎってすまないが、自分の知るかぎり(パッと思いつくことのできた範囲で)のイスラム式礼拝(膝ついて両手を伸ばし前屈する)
キリスト式礼拝(膝を付いてかかとにしりを付かないように伸ばし胸の前で手を軽く合わせ握る)
日本式礼(最敬礼と呼ばれることもあるようだ。手を側面に伸ばして上半身を前にたおす)
を続けて行った。(思いつきで)
それぞれの意味合いは考えない事にしたが、そうわるくないと思えた。(運動、ストレッチ、リラクゼーションの意味で)
どうもその事に比べたら、各宗派(同教内、外)の問題は些細なことのように思われた。
この事とスレの内容とは関係があるかはわからないが、一般からも意見あればとの事だったのでよった。
では、実のりある議論を。
ブッダの教えの哲学的側面はウパニシャッドのパクリだから。
仏教はヒンズー教の一派であることがわかるだろう。
だいたい、インドで仏教が衰退した原因のひとつは、
本来の釈迦教が純粋宗教であり、葬式仏教ではなかったため、
インド民衆に支持されなかったことにある。
釈迦の戦略的錯誤というしかない。
宗教も文化であることを無視したエリート意識丸出しなのだ。
これでは民衆文化として社会に根付くことは不可能だ。
だから南方部派仏教では、パリッタ儀礼を重視する。
戦略的に正しい。
その点、バラモン=ヒンドゥは実に上手い。
日本は『仏教』国といわれるが、『葬式』=儀式仏教として民衆に根付いていればこそなのだ。
釈迦仏教のままだったら仏教は根付かず、八百万神道がもっと広く文化的儀式=メリハリを担っていただろう。
葬式仏教は、日本が誇るべき文化だといえるのだ。
先祖供養に現世ご利益、娑婆での罪業・愚行はくたばれば三途の川にさっぱり流してホトケとして供養する
・・釈迦仏教では及び得ない、なんというおおらかなアニミズム精神であろうか!
罪業は三途の川にさっぱり流すから、不明な輪廻転生などに迷う必要はないのだ。
好きなら迷うのも勝手というのが、葬式仏教のおおらかなところ。
25 :
10:2009/10/13(火) 13:10:23 ID:w7aoYxul
>>14 「一般的日本人の感想」として、「原始仏教はオーム(アレフ)などのカルトのイメージが強い」と書いただけだぞ?w
ゴータマの責任じゃないが、カルト教団どもの影響で、イメージとしてはカルト色が強いと思う。
だから、現代日本で「仏教」といえば、ゴータマ仏教よりも、葬式仏教のイメージが普通だと思うが?
>はい。それは古代に戻ればいいということではなくて、
>本質重視の観点での見直しということであり、もちろん現代に見合った仏教としての再構築のことです。
上の
>>3を読んだ限りじゃ、「ゴータマバンザイ!原点に帰れ!」としか読めなかったw
>>15 >「仏教の基本概念を踏まえた上で」
>>10の基本概念とはどれかということ?
仏教の基本は、四諦・八正道・中道。
個人的には、現状を正確に把握し、的確な対処法を取るというのが仏教の基本概念だと思う。
あなたの言った要素の中では、「無常・縁起」はいいとして、無我よりは非我だし、空については再考の余地あり。
業報輪廻については、「大乗仏教」の根底にある大きな要素の一つだと思うが、現代には会わないと思うから、ばっさり切り捨てたほうがいいかと思う。
それよりも、大乗仏教の重要な要素であり、成立要因でもある、「衆生救済」や、「慈悲の心」、「誰にでも出来る修行」と言った面をより押し出した方がいいと思うんだが。
26 :
析空:2009/10/13(火) 13:58:07 ID:zUqKoBwK
>>25 「衆生救済」が、そもそも不可能なのでは?
個人の修業による解脱以外に方法は無いと思います。
27 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 14:27:27 ID:+MM5bfxo
>>26 仏教はまず自身の禅定。その禅定によって覚醒を得て、次にすべての人々に
覚醒への道を伝える運動として大乗が誕生した、と理解しています。
葬式仏教はそのどちらでもない。江戸時代はキリシタン禁制の目的、現代は
純粋にニセ坊主のカネもうけ。電波男氏の辛辣な表現を借りれば、「お布施
詐欺」ですな。
28 :
暁:2009/10/13(火) 17:44:33 ID:pC+QX54I
土着信仰が十分に根付いていた日本において仏教がソレと迎合した経緯を考察すれば、マジカルな仏じゃなきゃ
相容れることは難しかっただろうね。
古代インドにおいても、マジカルな仏が仏塔におわしますとは哲学的学僧の中にはいなかっただろう。しかしその
教団の中には、神秘的で御利益がありそうな仏を掲げ、誰もがが取っ付きやすく、民衆に受けがよい仏陀像を
説き、独善的になった僧に異をとなえる方々も中にはいたのではないでしょうか。
霊能者で預言者でヒンドゥーの化身でおあせられる仏様はそりゃあ受けがよいでしょうよ。
>>18(
>>17)
お舞さんに限ったことじゃないがw、
そうした方向で考える姿勢・準備があるなら、とーぜんの如く、
(先だってお亡くなりになった)ローマ法皇ヨハネ・パウロU世の著「希望の扉を開く」は読んでるよな?w
『彼が、仏教についてどのような理解をし、どのような評価を下しているか』、
そして、本の売れ行きからして『多くのキリスト者が、同様な評価を仏教に対して下すであろう』ことも踏まえて、
その上で、尚、(ゴータマを倣いwww)無反応、スルーを通すということかな?
(いや、「人の噂も七十五日」を履行する態度が、仏教らしいというのは重々承知するが・・・w)
また、(英文サイトだが・・w)こういうのもある。
ttp://www.catholicapologetics.info/apologetics/buddhism/ 随分前にプリントアウトはしてあるが、めんどくさくて実はまだ読んでいないのだが(→駄目じゃんwwwww)、
面白いことが沢山書いてありそうだw
30 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 20:22:40 ID:IoxVzpwt
>>23 >だいたい、インドで仏教が衰退した原因のひとつは、
>本来の釈迦教が純粋宗教であり、葬式仏教ではなかったため、
>インド民衆に支持されなかったことにある。
お話はかなり的を得ているとは思います^^
重要視すべきは、仏教としての本質を失うことなくその国や時代の文化と融合することです。
が、危惧するのはその本質を見失った状況に陥ってはいないのか?ということです。
>>25 >「一般的日本人の感想」として、
>「原始仏教はオーム(アレフ)などのカルトのイメージが強い」と書いただけだぞ?w
>ゴータマの責任じゃないが、カルト教団どもの影響で、イメージとしてはカルト色が強いと思う。
>だから、現代日本で「仏教」といえば、ゴータマ仏教よりも、葬式仏教のイメージが普通だと思うが?
はい、意味は了解しました。
しかし、一般には(オウム事件によっても)「原始仏教」という響きやその意味も知られていないのでは?
この私の印象としては、
一般世間がオウムから受けた印象とは「ヨーガ」(ヒンドゥー)というものに対する嫌悪感と不安視です。
これが非常に良くないものとして理解されてしまい、警戒すべき対象になったのです。
ヨーガ(ヨガ)というだけでオウム信者を疑われる警戒対象なのであり、
対する仏教(もしくは原始仏教)は警戒対象にはなっていない。
恐らく精々、オウムは仏教についても学んでいた・・という程度の印象でしょう。
>上の
>>3を読んだ限りじゃ、「ゴータマバンザイ!原点に帰れ!」としか読めなかったw
あれは半分、ブラックジョークなんだろうと思いますよ。
たぶん、この私に対するイヤミを込めてなのではwww
31 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 20:24:01 ID:IoxVzpwt
>業報輪廻については、「大乗仏教」の根底にある大きな要素の一つだと思うが、
>現代には会わないと思うから、ばっさり切り捨てたほうがいいかと思う。
これを廃棄したら仏教理論そのものが崩壊しますよ?
理解と世間に対する説き方、そして差別利用が問題なのでしょう。以前にも少し議論になりましたが・・・。
説くのを辞めるのではなくて、問題はどのようにして理解されるよう布教していくか、では?
>それよりも、大乗仏教の重要な要素であり、成立要因でもある、「衆生救済」や、「慈悲の心」、
>「誰にでも出来る修行」と言った面をより押し出した方がいいと思うんだが。
「衆生救済」「慈悲の心」「誰にでも出来る修行」の三項目でいうと、
「慈悲の心」はホトケとしての自然な心境であるとして理解でき、
我々にも困っている人や苦境に喘ぐ人に手を差し出すよう説くのが仏教精神であるとして問題ない。
「誰にでも出来る修行」というのも、僧侶や出家者といったプロだけでなく、
在家にも適した誰にでも実践可能なレベルの修行として理解される。
しかし、「衆生救済」というアプローチはどうなのか??
この「衆生救済」というのが、大乗が仏教の本質から逸脱を始めたキッカケなのではないでしょうか?
つまり、いういった救世主概念や「他力」にすがることを教えるのは仏教的とはいえないのでは?
32 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 20:25:30 ID:IoxVzpwt
>>26 はい、同意します。
>>27 >覚醒への道を伝える運動として大乗が誕生した、と理解しています。
そういういい方ならば、私も「あり」ではないかと。
>現代は純粋にニセ坊主のカネもうけ。電波男氏の辛辣な表現を借りれば、
>「お布施詐欺」ですな。
ですね!
これは僧侶の堕落と職業としての僧籍といった関係のことでしょうかね。
その辺にも具体的な問題点の提示が必要となるだろうと思います。
>>29 >(先だってお亡くなりになった)ローマ法皇ヨハネ・パウロU世の著「希望の扉を開く」は読んでるよな?w
エーと、これは議論の最初期でお奨めだったやつですよね!(ごめん、何でも読んでないからさw)
>『彼が、仏教についてどのような理解をし、どのような評価を下しているか』、
>そして、本の売れ行きからして『多くのキリスト者が、同様な評価を仏教に対して下すであろう』ことも踏まえて、
その辺をちゃんと紹介して下さいよ。その要約、要点を。
例えば、こういうのとは違うのですか?
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/bukkyokirisuto06.htm (自分の知り、そして理解する)仏教との比較においてキリスト教側の優位性を主張するもの。
*んで、いまさら名無しにならないで、
ちゃんとコテを名乗って欲しいですね。分り辛くなるからさ・・セブンさんでしょ?!
33 :
10:2009/10/13(火) 20:44:53 ID:w7aoYxul
>>26 >「衆生救済」が、そもそも不可能なのでは?
ゴータマ仏教では原理的に不可能だからこそ、「信じれば頓悟できる」、「念仏すれば救われる」という、大乗仏教が生まれたんだと私は認識している。
故に、現代日本仏教は、それを前面に押し出すのもアリではないかと考える。
人々を騙す事になるが、「救われた」と悩める人々が感じる事が出来るなら、それで良いかと。
それが、騙しであると気が付ける人には、改めてゴータマの教えを説けばいいと思う。
だが、最初から全ての人にそれを理解させるのは無理だと思う。
世の中、あなたみたいに頭の良い人ばかりじゃない。
血液型占いを、真剣に話しているのが普通の日本人。
>>29 >ローマ法皇ヨハネ・パウロU世の著「希望の扉を開く」は読んでるよな?w
とりあえず、日本じゃそれほど売れてない。
というか、大多数の日本人は、ヨハネ・パウロU世と聞いても、「キリスト教の偉い人」位の認識で、
カトリックとプロテスタントの区別すらつかないんじゃないか?
そして、日本における仏教をどうするかを検討する際に、人口的にマイノリティーである、真剣なカトリック教徒を、第一に考えるのはどうだろう?
むしろ、大多数を占める、「何となく仏教徒(無宗教仏教派)」をターゲットにした方が良いかと。
ついでに言えば、人の噂も七十五日は、仏陀の言った事と、微妙にニュアンスが違うと思うが…
34 :
10:2009/10/13(火) 20:44:57 ID:w7aoYxul
>>31 業報輪廻については、前スレでも散々やったが、無くても別に仏教理論は崩壊しないと思うんだけどね…。
水掛け論になるんで、それは置いておいておくが、少なくとも業報輪廻は、現代日本では受け入れられにくい理論だと思う。
そして、「衆生救済」がゴータマ仏教の教義に反するからダメだと、またいいはじめたが、
私が言ってるのは、「ゴータマ仏教に合うかどうか」ではなく、
「大乗仏教の特色」で、「現代日本仏教が取り入れたらいいと思う要素」についての話なんだが?
結局あなたの意見は、「ゴータマにもどれ!」って、結論ありきの論旨に読めるんだよね…
だから、
>>3はあなたの意見を端的に述べてると思うぞw
最初から言ってるように、私は、ゴータマの仏教でも大乗の仏教でも葬式仏教でもない、現代に合った新しい「日本仏教」が必要なんじゃないかと思う。
35 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 20:49:42 ID:IoxVzpwt
仏教に関心を持つ、
いろんな人からの幅広いご意見と情報が欲しいところですね!
珍しく、各仏教関係スレに宣伝して周っておきます(一応)^^
>>33 >とりあえず、日本じゃそれほど売れてない
そーなんだ。 組織的にっていうか、教材、教化用書籍として買われてるのかな?
それなりに版が重ねられてるようなので・・。
>「何となく仏教徒(無宗教仏教派)」をターゲットに
それは、今までもそうであるべきだったのだし、これからもそうであるべき、主軸とされるべきスタンスでしょ。
異論はない。
>仏陀の言った事と、微妙にニュアンスが違うと
細かいことを言いなさんな・・w
>>32 >ちゃんとコテを
茶々入れが仕事だから、コテは邪魔www
ノシ
37 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 21:42:57 ID:xl7GQjuE
観世音菩薩伝、みたいに仏のエピソードを作るというのもアリだな。
物語は人をひきつけるから。
38 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 21:52:38 ID:+IquKwiX
39 :
暁:2009/10/13(火) 22:03:48 ID:pC+QX54I
結局今度は大乗が槍玉(命題)な訳な。
40 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 22:11:15 ID:+5Ld+bGm
>>33 「信じれば頓悟できる」、「念仏すれば救われる」という大乗仏教は生まれ
ていないと思います。念仏の原義は観想念仏です。以下はコピペですが――
【念仏の念「念じる」は原典に2種類の動詞が用いられ、1つはアヌスマ
ラティで、もう1つはマナシカロティです。アヌスマラティのアヌは接頭辞
で「順じて、随いて」の意味、スマラティはスムリを語根とする動詞で「憶
念する」、マナシカロティの方はマナシがmind-born,mental、カロティは語
根クリ(=make)から作られていてmake;prepare;createの義が当てられま
す。
2つの動詞は文脈の中では使い分けられず、共に「心を処す」「隋念する」
「念処する」と訳せばよく、仏さまのイメージを用いて集中するヨーガ行(観
想ヨーガ)、不散乱の定です。】
――もし念仏が「仏さまのイメージを用いて集中するヨーガ行」なら、日本仏
教の中核である浄土教は成立しなくなり大問題です。
41 :
10:2009/10/13(火) 22:13:32 ID:w7aoYxul
>>40 すまん、言葉が足りなかった
誤)大乗仏教
正)鎌倉仏教
42 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 22:24:48 ID:IoxVzpwt
>>36 >茶々入れが仕事だから、コテは邪魔www
なるほどぉ-了解!
まっ、あなたらしいですねω_(゚∀゚ )≡
>>38 ま〜私の知ってる僧侶も、
言葉遣いは乱暴そのものだし、肉食妻帯の煙草プカブカ〜。
夜は酒場へ豪遊ときてる。でも、葬儀を執り行う姿は真剣そのもの・・。
僧侶になるための(真剣な)修行はした、とはいってましたね(父親の跡継ぎとして)。
私は一部の僧侶や住職たちよりも
一般の仏教在家信徒のほうが遙かに真摯に修行してるように思っています。
つまり、単なる職業としての僧侶なのか?
出家修行者としての僧侶なのか?
というのが、その個人によって違うということでしょう。
43 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 23:21:44 ID:fw/D3E3j
>>40 法然が唐の善導大師の教えに注目するまでは、
日本の浄土教でも、観想念仏が主でした。
しかし、浄土三部経のうちの観無量寿経には、
心が悪業のために錯乱して観想念仏ができない人でも、
阿弥陀仏の名前をとなえるだけで往生できると書かれています。
ですから、口で称える念仏も経典を根拠にしています。
もちろん、経典自体が偽造だなんて、昔の僧侶は知らなかった。
葬儀自体
魂がもしあるのなら、供養されるようにとの想いから現れたものなのだろうが
釈迦は死後を熟知してたので、当然生きているときの生きかたのほうを説いた訳で
つまりは悟ってない人ばかりなので、マーヤーによって葬式仏教は現れたのだと思う。
いとこが霊感あって、死んだおじちゃんがいるよとか言ってて、坊さんはそれ聞いて
苦笑いしていたが、つまりは悟るとはそういうことだ。
もちろん悟りと霊感は違うが、大は小をかねるように死後のことにも詳しい。
人には神通力のように見えるかも知れないが、それが実に悟りなのだ。
46 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 23:53:15 ID:fw/D3E3j
>>45 悟りとは、煩悩がなくなること。
つまり、間違った思い込みがひとつずつ消えてゆくことでしょう。
神通力は、悟るための修行の副産物としてついてくるものでしょう。
日本の仏教はこのままでいいよ。ちゃんとした資料、教典、そしてほんの数%のまともな修行僧がいればいい。
ただもうちょっと世間に対して開かれて欲しいね、町の中の教会みたいに気軽に行けるようなとこ。
昔は寺子屋があったらしいけど、もっと地域にとけ込んで欲しい。
悟るとは、釈迦以前の一法も持たない、まっさらな人間。
余計なことは考えない。
「アホ」になる。
51 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/14(水) 08:01:50 ID:Eco07YhN
まず釈尊が悟った(発見した)「法」を整理する。
それらの法を現代の衆生に分り易く説明する為の
工夫をする。(大乗の手法も参考に。)
日本の仏教界で共通の基盤(プラットフォーム)が
できたら、世界に対してネットで発信していく。
以上、仏教再生の一シナリオです。
52 :
神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 11:00:08 ID:2StS5qwm
>>51 教義で人は救われない。仏教は実践です。各地に「禅定センター」を設けて
ブッダの瞑想法を指導し、ビジネスに疲れた人々に癒しを提供したい。
瞑想って技術ではないんですよ。
一切の方法が通用しないときしか
やってこないものなんです。
>>46 スッタニパータ
九三七 世界はどこも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは
自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)
とりつかれていないところを見つけなかった。
九三八 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。
またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た。
釈迦のは神通力ではない、他人からみて神通力に見えるだけ
神通力とは遠くのことが見えても、あくまでも人間の能力の延長だから、釈迦のように
世界中を見回せたりや人の心の中まで見通せる神通力などは存在しない。
つまり釈迦の境地は無神論者とか空とか無我とか言われてるが、実は神と一体になった梵我一如だったということ
これはイエスもヨハネ福音書に「わたしと父=神はひとつ」と語っているから、同じく
神とひとつになるなら、人間の能力では測りきれないことが出来たとしても不思議ではない。
それならば、釈迦がわたしほど偉大なものはいない、拝むに足る者と自らを称賛したのも納得できる。
どの仏教が正しいとか、間違っているとか
無意味な気がするけどね。
56 :
析空:2009/10/14(水) 15:44:04 ID:DKBKUTjJ
>>55 釈尊の教えを理解できると、そんなことは考えられない。
エセ仏教は邪魔なだけです。
57 :
析空:2009/10/14(水) 16:47:24 ID:DKBKUTjJ
>>33 「衆生救済」が可能かどうかは、切実な問題だと思うが?
>>37 「ゴータマに戻れ!」とは言っていないと思う。
結果適任ゴータマが正しいだけでは?
それに、日本では「こつじき」「たく鉢」で生活は出来ないと思う。
それに代わる手段は必要でしょう。
58 :
瞑想家:2009/10/14(水) 17:05:52 ID:sFHUgB17
>>53 瞑想は技術です。仏道成就の要訣は、技術の優劣によります。禅宗の坐禅が
覚者を出せないのは、彼らの技術がブッダの方法に由来していないためです。
59 :
瞑想家:2009/10/14(水) 17:10:14 ID:sFHUgB17
>>53 「一切の方法が通用しないときしかやってこない」と
経典のどこかに書いてありましたか。そもそもあなた自身に
瞑想体験があるのですか。原始佛教時代の瞑想と禅宗の
坐禅はどこが違うのか答えてごらんなさい。
60 :
神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 17:13:14 ID:b5X5o2g/
>>52 同行の友、という人間的つながりも提供できれば魅力的。
61 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/14(水) 19:04:59 ID:Eco07YhN
>>52 >教義で人は救われない。仏教は実践です。
私は異教ですが、「実践」が重要なことには賛同します。
それでは現代人に分り易い「八正道」の実践のやり方を
整理して、発信するという方便が宜しいかと存じます。
仏陀も45年間、「四諦」と「八正道」を衆生に伝えて
廻ったと伺いますので。
62 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/14(水) 19:08:11 ID:Eco07YhN
>それでは現代人に分り易い「八正道」の実践のやり方を
>整理して、発信するという方便が宜しいかと存じます。
メディアとして漫画、アニメ、インターネットを活用するのも
現代の方便でしょう。
KKの中川さんらがとっくにトライしているかと思いますが、
「八正道」の正しい実践法か否かは皆で議論する場も設定すれば
公平でしょう。
63 :
10:2009/10/14(水) 19:14:34 ID:x3gevoF/
>>57 >「衆生救済」が可能かどうかは、切実な問題だと思うが?
とりあえず私は、「衆生救済」を、「仏道修行を出来ない(する機会or能力がない)人々にも、救いをもたらす」と言う意味で言っていて、
それがゴータマの仏教で可能かどうかは、はっきり言えば、どうでもいい。
今、目の前で悩む人に、安心を与えられれば、それが嘘(方便)でも、「衆生救済」であると考える。
もっともそれでは、長期的にはボロが出たり、あるいは方便を嘘であると見抜く人が出たりするかもしれない。
そうなったら、そのような人には、ゴータマ仏教でも何でも説けばいいと思う。
でも残念ながら、世の中の八割以上の人は、そこまで頭が良くないと、最近思うようになった…。
この間、高校生と会話してて、唖然とした。
太陽は地球の周りを回っているって、マジで信じてたんだぜw
64 :
10:2009/10/14(水) 19:14:48 ID:x3gevoF/
話は変わるが、今の60代前後の団塊の世代は、オカルトを否定して育ってきて、
「輪廻・業・念仏による救済」などを、全く信じない人が多い。
それゆえ、葬式仏教に堕して、教義を現代にあわせる努力を怠ってきた日本仏教からの離反が目立ってきている。
でもそれに対して、今のゆとり世代は、占いとか、心霊現象、超能力なんかがやたらに大好きw
団塊の世代で葬式仏教は廃れるかもしれないが、
その下のゆとり世代が主導権を握るようになったら、オカルト仏教が流行るかもしれんw
仏教も、「マイナスイオンとか、アルカリイオン水」を説法に取り入れれば、生き残れるかも知れないなw
65 :
神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 20:37:21 ID:jpAMqiyL
仏の慈悲にすがれというのは、大きな意味でバクティヨーガなのではないので
しょうか。知識の実習も駄目、行為の実習も駄目な人間にとっては最後の頼み
なのではないでしょうか。
もちろんバクティはゴータマの教えではないかもしれません。けれど、大事なの
は今生きている世界が少しでも楽になればいいという人達もいるということです。
末法の世においては、もしかしたらゴータマはそのように説くかもしれないと言う
賭けにでてみるのもありだと思うんです。ただし、それによって地獄に堕ちても
文句は言わないというような危険な賭けです。
66 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/14(水) 22:00:01 ID:Ym1zYH45
まず、「仏教」とは何か?という基本的な部分での再確認が必要でしょう!でないと、外見的に
は一応、仏教的を装ってはいるが・・しかし、実際上は「仏教ではない」ということになりはしませ
んか?
業報輪廻思想は日本人には受け入れ難いからとして説くのを辞めてしまったり、教義(教え)そ
のものからから排除してしまったら、もう仏教としては成立しなくなるでしょう。信じられない者は信
じない自由があるのですから、そのまま信奉しなければいいのです。ただ、日本人が好むものへと
改変するだけならば、それは仏教ではなくなってしまう。
他力救済、バクティ・・・確かになんでもあります。いろいろなものがある。それぞれに人々の心の
癒しとして効果があったり、またバクティなどはそれ自体が行為者にとっての喜びなわけです。もち
ろん意味も効果もわかります。
けれども、仏教の本質を蔑ろにしてしまったら、もうそれは仏教ではなくて、ただの「外道」でしょう
(邪教ではないが)!。仏教とは、ゴータマが何を教えたのか?これ以外にはないわけです。その
基本を押さえた上で、では現代日本においてはどうあるべきか?を問うべきなのです。
私がいう「ゴータマに帰れ!」とはそのことです。
宗祖や誰それが何をいってたか?ではなくて、ゴータマが何を説いていたか?の再確認です。
そして、もしも現状の日本仏教13宗が変えられないのならば、新たな1宗が構築されるべきです。
どうせ人々の支持を得られないものは、いずれは自然と衰退し消滅するのです(定めです)。また、
数の論理で必ずしも信徒の多いところが、より真理に違いものであるとも限らない・・。
日本人には理解されないとか・・お年寄りには難しくて無理だろうとか・・そういうレッテル貼りがダ
メなのではありませんか?内容は優しく単純素朴でいいのです。難解である必要性はない。それは
専門的に学びたい個人が、自らやればいいことです。
そうではなく、ただ嘘はよくない(改変して仏教ではないものを説くこと)。
67 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/14(水) 22:09:44 ID:Ym1zYH45
>>66訂正
×「より真理に近いものであるとも限らない・・。」
○「より真理に違いものであるとも限らない・・。」
>>67 モチツケよw AA(ry
○と×が逆じゃねーか?w
69 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/14(水) 22:24:44 ID:Ym1zYH45
>>67 訂正の訂正
○×は逆ですwww
>>68 もう、ダメぽ ⊂⌒~⊃。Д。)⊃アウアウアー
70 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/14(水) 22:55:04 ID:Ym1zYH45
ところで、
「日本テーラワーダ仏教協会」というのは新興宗教ではなく、
スマナサーラという方が持ってきたスリランカの本物の伝統(上座部)仏教なのですか?
セブンとか呼ばれているのは素人さん?
あちらでは私とドッコイドッコイだったけれども、こちらでは、ちょっとした顔みたいだね。w
72 :
神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 23:59:08 ID:n4mXFE6e
73 :
神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 23:59:26 ID:S2evT7Xx
>>71 ひとつ聞いていいかい?
「あちら」とは? どこのスレのこと?
74 :
七つの海の名無しさん:2009/10/15(木) 00:25:40 ID:UjPcGsjL
75 :
10:2009/10/15(木) 00:38:04 ID:jX1suDfL
>>66 あなたは結局「ゴータマの教え以外仏教にあらず!」と言う原理主義のようだが、
仏教と言う事を、もっと広義で捉えるのはダメなのかね?
最初っから言ってるが、普通の日本人にとっては、「仏教=葬式仏教」だ。
「仏教」の範囲は広い。
あなたの「仏教」の定義で行けば、そもそも現在の日本仏教は全て「外道」認定される。
さらに厳密にいえば、「仏教」は現在の地球上には存在しない事になる。
既存の宗派全てを否定したら、普通の日本人にとっては、単なる「仏教の破壊」にしか見えないんじゃないかね?
今重要なのは、「ゴータマが何を説いたのか?」ではなく、「どのような宗教が現代日本において人々の救いとなるか?」だと思うんだ。
そして、この思考そこが、大乗仏教、ひいては日本仏教の形成の動機になっていると思う。
この観点で考えれば、ゴータマ以降二千五百年に及ぶ「仏教」の歴史の中で考え出された様々な概念の内から、現代に通用する思想を抜き出したら、結構良いモノが出来るのではないかと思うんだ。
そして、「優しく単純素朴」な内容というのは、まさしく私の主張している通りで、
「誰でも理解し、実行できる教え」こそが今求められているもの。
たしかに、ゴータマの教えは単純で今の平均的日本人なら理解できる程度の内容だとは私も思うが、そこにこだわる必要はあるのか?
絶対に、理解できないと言う人は、一定割合で存在する。
その人たちを見捨ててもいいということなのか?
それとも、ゴータマの仏教は、ありとあらゆる人に理解させる事が出来るという主張なのか?
相関関係と、因果関係の違いも分からない大人がごろごろしてるんだぞ?
嘘については、目的が正しければ、手段は問わないと言うのが私の信念だw
正確に説いても、理解されずに終わってしまっては元も子もない。
まずは、目の前の人が救われる事が重要じゃないか?
例えば、今死に掛けて、「私は極楽に行けますかね?」と問う老婆に、「四諦といって、この世の一切は苦であって…」と説いて、何になる?
76 :
神も仏も名無しさん:2009/10/15(木) 02:47:28 ID:9OSIZ7yL
>>70 日本テーラワーダ仏教協会は、
新興宗教ではなく伝統仏教です。
宗教は、
「何がビジネスになるか」
本音では、これを考えないわけには行かないんだよ。
葬式が駄目なら、
瞑想ブームを作って、瞑想で儲ければいいと思うだけ。
宗教が、商売でもある現実を無視するから、
この手の議論は必ず空論に終わる。
78 :
神も仏も名無しさん:2009/10/15(木) 07:59:01 ID:9OSIZ7yL
>>77 寺を維持できる収入は欲しい。
まぁ、最悪お寺の倒産も仕方ないけど。
葬式仏教が徐々に形骸化ゆくのは、
強大な都市化の流れを受けて、ムラ社会が崩壊しつつあり、
ムラ社会の文化的中心的存在だった寺院の存在感が希薄化したことにある。
日常的なコミットメントがあまりに少ないのだ。←いわゆる有名観光寺院は除く。
広大な敷地を生かして、都市部では駐車場や保育園・幼稚園などを設営するところもあるが、
『養老介護分野』でこそ葬式仏教が果たすべき文化的精神的中心的役割があると思う。
生病老死をみつめる修行僧にとってもよき修行の場となり、
地域の文化的中心的存在としての復権も可能だろう。
80 :
析空:2009/10/15(木) 09:33:49 ID:zwnd3/zF
>>70 >>72 >>76 スリランカの長老部の間では、日本の大乗仏教が問題となっていました。
そこで、日本に「正しい仏教」を伝える目的で、特別に派遣されたのが
スマナサーラ長老です。
※ただし、スマナサーラさんが何でもかんでも正しいとはいえません。
※多少間違っても赦してあげてください。
81 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/15(木) 11:25:24 ID:fubE/wi4
>>79 >広大な敷地を生かして、都市部では駐車場や保育園・幼稚園などを設営するところもあるが、
>『養老介護分野』でこそ葬式仏教が果たすべき文化的精神的中心的役割があると思う。
貴兄の提案に大きく賛同します。
昔の坊さん達は僧兵として体を鍛えておりました。
現代の坊さん達は介護士として体を鍛えて活躍されるシーンが見えます。
お爺ちゃん、お婆ちゃん達がお坊さん介護士に感謝して合掌して称名
している未来シーンがよーく見えます。
浄土系のお寺が本ビジネスを先行し、他のお寺が続き、世界中に拡がって
グローバルスタンダード化する。
勿論、教会の牧師さんが介護士でもOKでしょう。
フランシスコ・ザビエルの「聖フランシスコ・ザビエル全書簡」を読むとすごいぞ。
当時のボンズ(坊主)が破戒坊主だらけであることが記されている。
ザビエルはキリスト教贔屓だから多少は佛教を貶めた記述になってるが、
当時もひどかったようだ。
やはり戒律が守られてないのがダメだな。
83 :
10:2009/10/15(木) 14:03:59 ID:jX1suDfL
>>79 養老介護ね…
中々いいアイディアだと思うが、長期的お寺の経営と言う観点で見た場合、あまりいいとは思えない。
なぜなら、葬式仏教の経営が傾くのは、この後、20〜30年ぐらいして、団塊の世代が全員死んじゃった後。
その頃には、老人の数も減り、介護施設も過剰になって、需要が激減すると思われる。
短・中期的には、経営的にも思想的にも最適だとは思うが、長期的には今ひとつだと思われ。
84 :
神も仏も名無しさん:2009/10/15(木) 16:00:45 ID:82jaAcUC
>>82 そんなの読まなくても、今どきの坊主を眺めれば十二分に堕落を知ることが
できる。まあ昔から我が国の仏教は堕落していた、ということだろうな。
>>83 >長期的には今ひとつだと思われ。
今までは先祖供養と現世利益という日本人の心情に対応するモデルだったが、
大事なことは、単に儀式や養老介護ニーズに対応することではない。
コミュニティの文化的精神的中心的役割を担うことであり、
コミュニティにとってなくてはならない精神的存在となることだ。
このようなコンセプトからはいくらでも新しいモデルは考えられるはずだ。
養老介護はそのひとつのアイデアでしかない。
86 :
85:2009/10/15(木) 16:30:22 ID:HrMpLGOc
たとえば、参入が相次ぐといわれるお葬式ビジネスが
地域の精神的な中心的役割を担えるわけがないのだ。
87 :
神も仏も名無しさん:2009/10/15(木) 16:45:49 ID:9RvIsQHd
妻帯とか世襲僧侶はとかしてなる「寺の管理人」を名乗って
実際に戒を守っている本物の僧をお迎えする、という形をとったほうがいい。
制度からして破戒がデフォってのは不味いだろう。
カルトとなんらかわらんね。
89 :
神も仏も名無しさん:2009/10/15(木) 17:49:32 ID:la4AgfYE
×妻帯とか世襲僧侶はとかしてなる「寺の管理人」を名乗って
○妻帯とか世襲僧侶はとかしている僧は単なる「寺の管理人」を名乗って
救いたい相手に仏教をまるまる理解してもらうのは難しいけど、
救おうとする側が自分(達)を律しようとする事は重要。
ビジネスに必要なモラルを維持することにもつながるはず。
90 :
神も仏も名無しさん:2009/10/15(木) 17:51:49 ID:DrNHSeGw
>>88 仏壇の前で読経してカネを取る。――詐欺とかわらんね。
91 :
神も仏も名無しさん:2009/10/15(木) 17:57:41 ID:bqI/MBlM
読経ってもともと料金をとるような性格のものなんですか?
>>90 同意。詐欺とかわらないよね。
これを霊感商法といわずして何と言おう。
93 :
10:2009/10/15(木) 19:16:03 ID:jX1suDfL
>>85 >このようなコンセプトからはいくらでも新しいモデルは考えられるはずだ。
是非そのアイディアを開陳してください。
>>86 葬式仏教も、悪くは無いと思うんだがね。
ただ、今の葬儀屋に仕切られた形の葬儀では無理だろう。
今の葬式仏教の悪い点は、葬式仏教に徹しきれて居ない事だ。
グリーフケアなど、需要は幾らでもあると思うんだが・・・。
葬儀にまつわる「死」の問題を極める事で、「地域の精神的な中心的役割」になれる可能性は十分秘めていると思う。
余談だが、延命治療など、「人は必ず死ぬ」と言う基本原則を無視するかのような風潮に対し、もっと仏教は意見を言うべきなんじゃないかと思う。
>>90-92 本来的には、読経に対して布施しなくてもいいし、読経してないのに布施してもいい。
読経は「法施」であり、対価を求めるものじゃないし、
布施(財施)も、読経の対価じゃないんだがね…。
まあ、布施収入で寺院経営しようとする今の日本仏教の形態では、このような矛盾は仕方ない事だと思うがね。
>>93 >本来的には、読経に対して布施しなくてもいいし、読経してないのに布施してもいい。
>読経は「法施」であり、対価を求めるものじゃないし、
詳しく知らない私から見ると、いかなる理由付けがされていても
読経後、その対価としてお金をもらっているように見える。
呪術行為の対価としてお金をもらっているように見えるのです。
宗教とはそんなものなのかもしれないが、霊感商法でツボを売るのと変わりないように俺は思う。
仏教哲学とか考え方は好きです。
矛盾している部分をのぞくとどうなるのだろう?今は初期仏教の本を読んでいます。
95 :
神も仏も名無しさん:2009/10/15(木) 20:17:32 ID:bqI/MBlM
浄土真宗では僧侶との兼業おkでしたっけ?
少なくとも土日のどちらかは寺にいてほしい。
>>95 本願寺ってさあ・・
「他力本願」っていう言葉あるんだけど 今の日本では「他人まかせの無責任な
態度」っていう意味なんです でもメディアなんかでそういう意味で使われるといちいち文句いうよね
これが坊主のくせに無常の道理がわかっていないというか・・
今の日本で99%「だらしない態度」っていう意味で使われてるなら本当にそういう意味なんだよ
よくテレビで「日本語が乱れている」っていう趣向の番組やってるけど
一言一句変えてはならないのだったら日本語は古代の言葉使いそのままのはずなんだが
今は「だらしがない」という意味ですが将来はわかりません こう言うべき
日本のお坊さんはね 仏式で葬式やらないと不愉快に思う遺族もいるだろうから
人に必要とされてるということは立派な職業と思う ただしそれ以外やっちゃダメ
本当に要らないのは「仏教学者」だよ 今の不況の日本で彼らほど非生産的な人種はいない
明日突然全員日本から消えてしまっても誰も困らない
そもそも生まれ変わりや天界を信じてないなら、仏式でやる必要もないな。
霊とかが成仏するように祈る意味でならいいけど
千の風になって、のようなのが無宗教なら、確かに肉体を構成する原子は残るから、世界を回るな。
けど、あれは悟りの境地のようにも取れる変な歌詞だ。
幽霊とかはテレビの影響で信じてる人多そうだから、そういった迷わず成仏とかのの意味でなら、仏式で葬式はありだな。
99 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/16(金) 04:13:05 ID:C/S1BIVj
100 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 12:33:37 ID:9qA5gJ4+
>>94 >読経後、その対価としてお金をもらっているように見える。
ホテルでの結婚式で、神主に祝詞をあげてもらって、
施設を使わせてもらって、サービスを受けているのだから、
また有償であることを承知してやってもらうんだから、
「対価」という言葉のよしあしは別にして、お布施を
するのが当然だろう。
商品交換社会という世俗社会的基盤のうえで成り立っているのだから、
そのルールの多様性のひとつの形態としてあるのは当然だろう。
102 :
析空:2009/10/16(金) 12:38:14 ID:y4k77aT/
>>94 >詳しく知らない私から見ると、いかなる理由付けがされていても
→それはまったくあなたの誤解です。
>読経後、その対価としてお金をもらっているように見える。
>呪術行為の対価としてお金をもらっているように見えるのです。
>宗教とはそんなものなのかもしれないが、霊感商法でツボを売るのと変わりないように俺は思う。
→それは、あなたが「詳しく知らないから」です。
→在家の方が、読経に対して布施を払っている側面があります。
>矛盾している部分をのぞくとどうなるのだろう?
→かつて創価学会は、読経に対して布施を払ったりはしなかった。
→坊さんが何もいわなくても、何もしなくても布施を持って寺へ行ったものだ。→本来は、在家が黙って布施をする。
→在家は坊さんに何も望んではいけない。
今の日本仏教を批判して改革しようとかいう輩は、大体新興宗教なんだよね。
これが真の仏教だ、ゴータマの真意はこうだ、といって釈尊に帰れとか言うのは大概ヤバイ。
○○○真理教、○○の科学、○○学会、○○苑、いくらでもあるけど
正直に言わせてもらえば、こういうスレを建てようとする香具師は大体、なんかの新興宗教。
本当は仏教なんてどうでもよくて、都合のいいところだけ仏教を利用した独自宗教を
広めたいだけの人間のことが多いね。
そんなヤバイやつらよりは、多少腐っていたとしても今の仏教の方がいいんじゃないかと
俺なんかだと思ってしまうな。
104 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 18:54:03 ID:kHC+E167
>>103 同意。正論である。
彼等は「例外なく」キリスト教の影響を受けた連中。原始仏教は、実質上の一
神教であるバラモン教の影響が残存する、開祖と原始仏典盲信のカルト。キリ
スト教と親和性を有するから、「利用」しているだけに過ぎない。
葬式佛教は、現代の日本社会において、充分に機能を果たしており、価値を
有するものであることを、再認識すべきである。
105 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 20:49:07 ID:HpOCFtuX
>>104 でも着実に衰退してるみたいですよ、葬式仏教。特に大都会ではね。
106 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 20:57:09 ID:RQa6Sqjj
葬式仏教から葬式「も」仏教になろうとしなければ、葬式仏教自体の未来も危うい。
韓国のようにキリスト教のリバイバルが起こったり、
人口減に伴い欧米のようにムスリム移民が受けいられ、改宗者も増え始めたら、
現状の葬式仏教に切り抜ける力はない。
これはどうやってコミュニティと慣習を維持するか、という問題でもある。
>>105 本当に衰退してるのかな?だってもう鎌倉の時代から末法末法って嘆いてたんでしょ?
俺は仏教伝来の最初からこんなもんだと思ってるよ。なにせこの世は娑婆と言われてるからね。
だから俺はこの世が99%闇であっても1%の光が存在してればそれで充分だと思っている。
葬式仏教といわれようと形だけでも続いていればいい。1%のまともな修行僧でも存在してくれればそれでいい。
求める者はいずれ彼らや、書物に出会えるから。俺はこの世にそんなに期待してないけど、1%の光を信じている。
108 :
10:2009/10/16(金) 21:31:51 ID:Ev296MCo
>>103-104 やはり、原始仏教=カルトのイメージが強いのか。
本来の、ゴータマによる「原始仏教」は、むしろ神などの超越者を排除した宗教なんだが。
開祖と佛典盲信どころか、「法と己を灯明としろ」といったのが釈迦なんだが…
葬式仏教にそれなりの価値があることは同じ考えだが、今のままでは、滅びも近いと思うんだ。
比較の対象(カルト)が悪すぎるのか?w
現代日本人が日本の大乗仏教によって救われることはないよ。
聖書を読めばダイレクトに意味が理解できるが
お経はちんぷんかんぷんで、
いつまでたってもまともな日本語訳はでてこないしな。
110 :
10:2009/10/16(金) 22:37:23 ID:Ev296MCo
>>109 漢文を白文で読めとは言わないが、書き下し文位読めない?
えっ?学校で古文を選択しなかったから読めないって?
……こういうゆとり世代見てると、本気で日本仏教の改革の必要性を感じる。
111 :
析空:2009/10/16(金) 22:37:50 ID:y4k77aT/
>>103 伝統仏教も、元を糾せば、当時の新興宗教です。
現代の仏教学から釈尊の教えではないことがハッキリしました。
仏教学者は不用という意見がありましたが、エセ仏教を見抜くには、
学問の力が必要なのではありませんか?
>>110 漢文の経典をいつまでも有り難がっているところとか笑止だから。
現代日本は遣唐使の時代じゃなく、いくらでも現存するオリジナルに近い
サンスクリットやパーリ語の経典があるわけでしょ。
わざわざ中国の漢文経典を有り難がる必要がどこにあるんですかね。
中国語経典しか残ってない場合を除き、できるだけオリジナルに近い
ところから日本語訳するべきでしょ。
何が悲しくて漢文経典を有り難がる必要があるの?バカなの?
113 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 22:44:19 ID:3GLVQbR+
>>109 お経はちんぷんかんぷんだからいいのだよ。家族が亡くなって悲しんでいるのに、
愚にも付かないお経や聖書の内容が分ったらたまらん。遺族は、訳の分らんお経
を聞き、会葬者やお坊さんの接待、お坊さんへのお布施の支払いに終われて、
しばし悲しみを忘れることが出来る。
それに、真言系の声明は、第一級の芸術。死者の成仏が確信できる気持ちになれる。
お坊さんは、お布施を貰ったら、さっさと帰る。キリスト教の牧師のように、
訳知り顔で説教(実はキリスト教の宣教)などされて、遺族の悲しみが和らぐか。
そう。
葬式仏教は冠婚葬祭・イベント業として生き延びる方法がある。
英語版の聖書がギリシア語やローマ語版の聖書を訳したものではなくて
ヘブライ語版の聖書から英語に翻訳されているように、
できるだけオリジナルかオリジナルに近いバージョンの
経典を日本語に訳した経典を我々は使用すべきだ。
漢文経典はあくまでもでも参考に留めるべきもの。
あれは中国人僧が中国人のために訳したもの。大昔に
島国の日本からインドに行くのは困難だったから中国語版を
お借りしたのは仕方がないにしても、
現代日本人がいつまでも有り難がるものではないはずだ。
日本仏教界は中国語版に頼らずに、公式の日本語版経典を
インドや周辺国に現存する原典かそれに近いものから
責任をもって翻訳して我々の手に渡るようにすべきだ!
漢文経典をいつまでも有り難がるなんて日本仏教界の怠慢だろ。
お前らは堕落しきっている。
>>113 それはごまかしているだけ。誰も救っていない。
そんなことだから日本仏教は腐っていくだけなんだ。
117 :
94:2009/10/16(金) 22:54:45 ID:qktw5WZt
>>101 サービスの対価としてお金を払うということには同意。
俺の主張は霊感商法と仏教の読経って同じじゃないの?って事です。
wikipediaから。以下引用
「霊感商法(れいかんしょうほう)とは悪質商法の一種。霊感があるかのようにふるまって、
先祖の因縁や霊の祟りなどの話を用いて、法外な値段で商品を売ったり、高額な金銭などを
取る商法である(ただし、地鎮祭の費用など社会通念上、いわゆる伝統的なものとして認められているもの
を除く)。その中でも、祈祷料、除霊料、供養料などの名目で高額のお金を払わせるが、
商品の販売はしないものを特に「霊視商法」という。」 引用終わり
この場合線引きは「伝統的なものとして認められているものはのぞく」ってところですよね。
でもこれは同時に霊感商法と宗教の呪術的行為の間に本質的な差はないってことになると思います。
どう思いますか?また、仏教の読経と霊感商法の「本質的な」差はなんだとおもいますか?
日本仏教界は自らがあるべき姿すら正しく認識することができない。
パーリ語やサンスクリット語経典をそのまま使わずにきっちり中国語に訳して
使った中国仏教界は正しかったし、気骨がある。
未だに日本語版を出せない日本仏教界はだらしがないにもほどがあるわ!
サンスクリット直訳は1970年代から始まってるはず。
漢文は漢文で詩的でよい。でも龍樹の「中論」なんて直訳されてはじめて理解された
と思われ、漢文のままだったら未だ理解はされなかっただろうね。
>>112>>115 漢訳経典の中には、サンスクリットやパーリ語の経典よりも古形を保持している物も多いんだが・・・w
知ったか乙www
121 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 23:12:01 ID:3GLVQbR+
>>117 佛教だけでなく、すべての宗教は、原理的には霊感商法。ありもしない神や霊
や、現代では何の妥当性もない、大昔の開祖の口から出任せの「教え」を語る。
霊感商法は、財産上の損害だけでなく、精神まで狂わせ、家庭を破壊するのが
最大の弊害。「消費者問題」として扱うのは、根本的に誤り。むしろ、「精神的
不法行為(spiritual abuse)」である。
>>120 理屈に合わないことを平気で言うバカは黙っていろよ。
一部にあったとしても漢文訳のほうが新しいのが普通。
それにインドや周辺国に現存していたとしても日本仏教界には
それを探し出そうという気すらないんだろう。
そして安易に漢文訳に頼ってきた。
123 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 23:16:40 ID:3GLVQbR+
日本語訳と解説が欲しいのは、唯一、竜樹の「中論の頌」だろう。
子供たちに、「相互依存性・関係性」という万物に通用する原理を
しっかりと身につけさせれば、最高の道徳教育であるばかりか、カルト
宗教に嵌る危険も防げると思う。
124 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 23:25:18 ID:vyuvQjIB
>>116 坊主が来る必要すらないね。正座もしなくていいしw
みんなで温泉やボーリングにでも行けば良い。
>>122 あほか?w
新古の入り混じり方ではどっちもどっちだと言うんだよ。
(幾つも出てる岩波文庫青の漢訳Skt並訳の解題を見たって、
【どれか一つの言語の経典群に絶対性を見る愚かさ】に気付けると思うが・・・w)
寧ろ、特にパーリに関しては、重要な部分に関してさえも、新しい要素(或いは【余分な付加要素】)の多さが顕著だぜ?w
126 :
10:2009/10/16(金) 23:28:51 ID:Ev296MCo
>>112 >何が悲しくて漢文経典を有り難がる必要があるの?バカなの?
別に漢文経典が一番良いとはいっとらん。
109が、日本仏教の経典=漢文が読めないと言う発言に対するコメントだ。
日本人なのに、漢文ぐらい読めなくてどうすると言う突込みだぞ?
>>115 結局、あなたも、「原典に返れ!」と言う原理主義者なのか…
原典が一番優れてるとも限らないぞ?
中国で加筆されたと言うのを、マイナスイメージだけで捉えずに、中国の風土に合ったように改良されたとも考えられないか?
それに、あなたの主張は、単なる経典崇拝にしか見えない。
原典が最高のもので、それを読めば救われるとでも思ってるので?
127 :
10:2009/10/16(金) 23:28:58 ID:Ev296MCo
>>116 ごまかしの何が悪いんだ?
遺族が声明を聞いて、救われた気持ちになれば、それでいいじゃないか。
>>118 日本は、古来正式文章には漢文を使うと言う文化があってだな…。
まあ、書き下し文も読めない人間になにを言ってもしょうがないかw
たしかに、古文も読めないゆとり世代が増えてきた現代には、必要だな。
ついでにいえば、
>>119も言ってるが、サンスクリット直訳とか、サンスクリット・漢文・日本語訳の対照した本とか、探せば幾らでも出てくると思うが…。
まあ、一切経全部じゃないので、経典によっては無いが。
よっぽどマイナーな経典読もうとして、日本語訳がないんでブチ切れたんだろうな、GuPqTp8Kは。
128 :
10:2009/10/16(金) 23:38:44 ID:Ev296MCo
>>122 良く勘違する人がいるが、サンスクリット(パーリ語)の経典も、二千五百年の歳月を経た経典であると言う事。
現代の経典と、過去の経典が同じである保証は無い。
例えば、サルは、人間の祖先ではない。
サルと人間が分岐した時点から、サルも人間と同じ時間だけ進化している。
サルと、人間は、共通の祖先を持っていて、サルは祖先の形質をより多く残していると言うだけ。
パーリー語経典も同じ。
中国語に翻訳された時点から、現代に至るまでに、様々な改変部分がある。
ただ、他の地域に伝わった仏典との比較を行う事で、より古形の仏典を推測できるから、珍重されている。
>>121 >佛教だけでなく、すべての宗教は、原理的には霊感商法。ありもしない神や霊
>や、現代では何の妥当性もない、大昔の開祖の口から出任せの「教え」を語る。
すべての宗教は原理的には霊感商法ですよね。
仏教は好きなんですが、すべての宗教の呪術行為に疑問を感じるんです。
まさに現代では何の妥当性もないですよね。自灯明法灯明で無宗教仏教主義に落ち着きました。
あと、霊感商法が「精神的不法行為(spiritual abuse)」ってのは同意。
130 :
10:2009/10/16(金) 23:59:30 ID:Ev296MCo
>>117 前にも書いたが、「本来の形」としては、読経というのは、出家者が在家者に対し、教えを説く(法施)ことであって、決して死者の供養の為のものではないし、対価を要求するものでもない。
布施(財施)も、対価ではなく、在家者が出家者に施す事で、執着の心を少しでも軽くして、悟りに近づくと言う目的がある。
しかし、日本に仏教が伝来し、神道・儒教と混合して発展していく中で、「死者の供養」の為に経を読むと言う風習が発達してきた。(宗門人別帳の影響も大きいが)
また、江戸期の廃仏毀釈や、戦後のGHQの農地解放等によって、財政基盤を失った寺院が、布施のみによって寺院を経営していかなければならなくなった為、「死者の供養の為に読んだ経の対価として布施を求める」と言う行為が、普通になってしまった。
ここまで変質してしまえば、確かに霊感商法と本質的差はないな。
かつては、まともな坊さんなら、布施が無くても経を読んだし、
まともな信者なら、別に行事でなくてもお寺に布施を持って行ったもんだが…。
131 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/17(土) 00:01:46 ID:4wsLW+3u
まず、仏教とは教えが命なわけでしょう!
実践も教えがあって、まずはそれを知って理解するところからすべてが出発するわけです。
ならば、読める文章でなければ根本的に意味がない。
「漢文くらい読めないのか!ゆとり教育の弊害うんぬん・・」といった話しではなくて、
まずは、自国語での現代語訳の経典の普及が必要でしょう。
日本人に誰でも読める経典(ブッダの言葉)を伝えたいという熱い使命感で、
故・中村元氏などが精力的に取り組んだのが一連の翻訳出版書だったのだと思う。
(寺側ではなくて学問の側からでしたね・・)
法要などの儀礼については、これまでの伝統のまま漢訳経で読誦すればいいでしょう。
独特の節回しや声明の響きといったものには、またマントラム的な意味合いと効果があるのです。
日本はもう、「仏教とは何か?」ということで、
今一度、原点に戻って再確認すべき時期にきたのです。
それをしないで、ただ現代日本人が受け入れやすくなるよう・・
といった方向性というのは、ただ本質を踏み外すだけであろうと思います。
つまり、見た目は仏教的を装ってはいても、(中身は)仏教ではなくなってしまう。
そんな何でも良かれ主義ならば、何も仏教にこだわる必要がなくなり、
結果的には外教(それ以外の宗教)で十分だということにもなってくるでしょう。
*勤務が多忙になってきました。
私からのレスはすぐには無理なことが多いのでご了承願いします。
132 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/17(土) 00:11:14 ID:4wsLW+3u
経はもちろん、生きている人間が読んで理解するためのものです。
尚、ゴータマは追善供養といった考え方については否定的です。
業報理論の基本からして当然のことですが・・。
ただし、親しい人の死後の行く末について案じて祈念することは、
これもごく自然で健全な感情の発露ではないかと思うわけです。
これ自体は人の美徳の範疇でしょう。
ただ過剰な行き過ぎた反応をしなければいいのですよ。
つまり、過剰な祖霊供養などの死者供養の行為です。この世界に嵌るとキリがない・・。
そして、これがビジネスとして利用されているわけです。
133 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 00:53:42 ID:ROqH+Sgi
>>129 「私がお経を唱えたら悪霊が退散する」とか言ったら霊感商法でしょう。
「今ちょっとお経を聞きたい気分だから唱えてください。」
「はい、わかりました。」と、
効果や結果を期待せず、
お経を読んでもらうこと自体が目的であれば、
霊感商法とは言えない。
「このお経を読めば必ず幸せになれます。」
と言っておきながら幸せになれなければ詐偽だけど、
「私と一緒に幸せを祈りましょう。」
というだけなら、効果を約束していないから詐偽ではない。
134 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 10:13:51 ID:PA9uzEBp
>>133 ちょっとお経を聞きたいというだけで、料金を支払う人が現実にいるか
疑わしい。CDを買う人はいるだろうけど。
読経を乞うのは先祖霊の供養とか受験に受かるようにとか、何らかの霊的な
功徳を期待している。だから料金が支払われる。詐欺っぽいと私は思うが。
日本語の読経もそれなりの力があるよ。
タイとかミャンマーとかの読経って意味が分かる言葉で言ってるのかね?
日本じゃ、ただの呪文になってるけど。
137 :
94:2009/10/17(土) 11:24:54 ID:DpZ6APGK
>>130 本来の形と歴史を理解できました。説明ありがとうございます。
とてもわかりやすかったです。
このスレの10さんのレスをすべて見ました。勉強になりました。
>>133 葬式や法事で坊さんが読む経はその基準だとどっちに当たるんでしょうか?
>>104 そうすると創始者の原始仏教を皆様方後進が深化発展させ完成させたということなんでつか?
開祖は未熟な歴史的存在なすぎない方であると?
>>107 衰退しているというのは世間のことじゃなくて仏教の現状のことなんじゃないですか
>>113 最近の坊主は念仏の中に現代口語で説話を盛り込んだりしてキモイな
>>121 ブツダの言葉を読むとどう見ても宗教(超自然的存在の是認)ではなく
単なる認識の持ちようの勧め,哲学な気がしますが?
>>130 なるほど
障害・老残・病苦・死・別離の苦しみに直面して嘆き苦しむ心を解放して安寧悟りをえさせて涅槃に
達させる行為が読経・法施立ったので,それは日常的なことだったのですね。
それが最も苦しい死・別離に際して一番必要とされてそれがほぼ唯一のものになってしまったと
仏教は世界的に見たら、そうでもないから
ヒンズー教のほうが倍くらい大きい
創造主を信じない宗教なんか、水使わずコーヒー飲もうとするのと一緒
釈迦は有神論者だったであろうが、仏教は別物、世界の大多数の宗教は有神論
インドでは釈迦をヒンズー教の神の化身にして、仏教を取り込んだのが正解。
釈迦の正統後継者はヴェーダーンタのシャンカラ
スッタニパータでは宗教儀式では悟りに導かれないし、占いを行ってはならないとある。
需要があるから、仏式の葬儀もいいのだが、釈迦の教えではない。
終了間際に
「この儀式は釈迦の教えとは何の関係もありません」
ってテロップ流せばいいんだ。
>>143 お前はアホか。創造主を信じる一神教のほうが元々マイナーなんだよ。
そもそもキリスト教が来る前の多くの国では多神教だった。
戒名www
日本だけwww
>139
俺は世間と仏教(僧侶)を隔離して考えてないよ。この世は自分の映し鏡つって、自分と世間とは
単独では存在していない、自分の心の状態によって世間が明るくみえたり暗くみえたりするじゃない?
だから衰退しているという想いは、自分の心も衰退しているという事になる。絶対的な断言というもの
は出来ない。だからこそ末法末法嘆いてる坊さんは、その坊さん自身が末法な心の状態といえる。
でも心は常に変わるものであって、この世の一切は暗いなという想いから、この世は少しの光明もあるんじゃね
っていう想いになる事もある(ま、俺の事なんだけども)。
要は世間云々よりも自分の心の方が一番大事って事。
150 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 20:09:17 ID:5EM9iF/2
>>143 >創造主を信じない宗教なんか、水使わずコーヒー飲もうとするのと一緒
アホですか。人間から隔絶した神や霊などを認めなかったことこそ、釈迦の
比類の無い偉大さである。そのお陰で、一神教とは全く異なり、佛教は、2500
年間、殆ど人を殺していない。
人間界において、この事実の持つ巨大な意味を、まず仏教徒自身が理解する必要
がある。
本当にその通りですよね。
多神教であろうと、一神教であろうと
釈迦は神を信じていたのは間違いないから、仏教は釈迦の教えを離れた別物といえる。
インドでは釈迦はむしろヒンズーの化身としての立場のほうが正しかったのだろうが
釈迦は神を信じていた。
↑
どういう意味でこれを言っているのか?
一神教の他力を非難するのは信者が未熟だから、イエスは内にも外にも神は存在すると言っている。
釈迦と仏教が別物なように、イエスとキリスト教も別物。
スッタニパータを読んでたら、まったく葬式と釈迦の教えは関係がないことがわかる。
釈迦にとっての供養とは、あくまでも本人の生前の修行にかかっていたのだから。
157 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:23:39 ID:5EM9iF/2
>>154 >釈迦と仏教が別物なように、イエスとキリスト教も別物。
そのように、開祖自身に対しては一切批判できず、専ら「他の人間」
を批判するのが、開祖盲信という宗教の「最大の病理」であることを
自覚する必要がある。
宗教とは、開祖を熱心に信じる者たちの集まりである。宗教に問題が
あれば、その原因は開祖の教えにあるのは、当然ではないか。会社その
他の団体に問題があれば、責任を取るのは、その団体の長である。
158 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:34:19 ID:oqabO71q
>>123 竜樹の「中論の頌」
■ 子供たちに、「相互依存性・関係性」という万物に通用する原理を
しっかりと身につけさせれば、最高の道徳教育であるばかりか、カルト
宗教に嵌る危険も防げると思う。 ■
↑ それはスバラシイことですね!^^
>>157 釈迦にかんしては問題なくグルイズムを否定してる。
イエスも聖霊を通して自己管理の重要さを説いている。
160 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:17:27 ID:LIMNXwxI
>>155 >悟ればわかる
又又、自己申告ですか?
君の言いたい放題ではないと言う証明は?
>>160 釈迦の時代には神とは呼ばれてなかった
ヴェーダーとかダルマとか呼ばれてたらしい。
仏典での神は今で言う天使や守護霊みたいな存在だったと言うことだね。
葬儀仏教が釈迦の教えでも何でもないなら
マイナスイメージにしかならないと思うのだが、陰気だし仏法を習いたいとか感じさせないから
創価学会のほうが、まだ明るく仏教を布教させてるような気がする。
例えば神社のさいかん、宮司、ねぎなど
神職にたずさわる者らがそこに祭られている神の言葉を
直に代弁できないのが普通ですが(なかには、居ます。猿田彦とか)
寺の住職も同様にそこの本尊のSomethingと一体化は
していない、出来ていないのが表向き普通ではありますが
それだけではないのです
その神社によっては、寺によってはまたそこの神主、坊さまによってはであります
ちゃんと行き届きの仕事になっている方もおられます
要するに、仲介者の役は果たしておられる
だから葬式であげるお経にも徳のある坊さまがくれば、功徳はあると思いますよってに
葬式に来る坊さんって死者のために来るのか遺族のために来るのか、
遺族は使者のために坊さんを呼んでるのか、死者のために呼んでるのか、
あるいは両方なのか
使者のために ×
自分たちのために 正
>>164 葬式であげるお経はあの世への橋渡しでしょ
だから死んだ方のためだと思いますよってに
今から一人行きますから、よろしゅうにって事
呪術云々で言えば神社の絵馬だって呪術です
要するに、契約ですから
>>166 遺族のため、と言ってくれたほうが納得しやすいけどね。
あの世への橋渡しとか言うから霊感商法と同一視されるんじゃないの?
あまりよく知らないで恐縮なんだけど死者のために書かれたお経ってあるの?
死者のため限定ではなく、生とか死とか無いのが前提で全方向むけ
般若心経は意味は知らなくとも、あれ自体に力があるのではないでしょうか
という世界か
だから生きているうちに、卒業するに越した事はないんでしょう
170 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/18(日) 03:41:06 ID:yyElVVft
>>164-168 仏教経典(ゴータマの教え)それ自体は、生きている人間のための“必要な生き方”が説かれ
たものです。ですが、葬儀での読経の意義とは、“死者のために説いて欲しい”といった遺族側
の願いが込められているのだと思う。つまり、生前はいろいろあった故人だったが、せめて死後
には心を入換えて正しい道に至り、そして幸せになって欲しい、といったものでしょう。
それが死者に戒名を付す習慣ともなった(本来的には生きている内に仏門入りして、多くの場
合には出家僧に与えられるもの/それまでの世間名は「俗名」という)。
そういう意味では葬儀の読経は遺族のために説いているわけです。そして葬儀に際して、改め
て仏教の説く基本的な真理であるところの「無常」の教えについて学ぶ機会とされるわけです。
尚、特異な経典としては、“チベットの死者の書”『バルド・ソドル』という密教経典があります。こ
れは死者が次の再生(転生)に至るまでの死後49日間において体験する中陰(バルド)期間の出
来事、死者が再び子宮に宿るまでのその詳細とその時その時の心構えなどが説かれています。
つまり、生前にこの経を読んでおけば心配がない、ということになるのです。
171 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/18(日) 05:21:47 ID:yyElVVft
そして、「戒名」料といったものについては、このスレ的には問題視の一つになっていいものと思う。
院号(寺院命名)なる戒名は布施の金額に応じて高低差が生じるもので、これは故人の死後に遺族
側からの布施に応じて、故人に付す戒名に対する格付けステータスが生じたわけです。
要するに、実際の故人自身は何ら信仰的な貢献が何もなくても関係がなく、遺族が高額料を払えば
故人への高級な戒名が買えるわけで、そこに遺族の満足(これは故人を想うというよりも世間や親族
に対する見栄が1番の要因か)を満たし、寺院にも利益増をもたらす、といった宗教ビジネスが蔓延っ
てしまった。中には院殿号で数百万〜といったお寺もあるらしい。
『東京都生活文化局によれば、外国の場合、葬儀費用はアメリカ45万円、イギリス12万円、ドイツ20
万円、韓国37万円とほぼ50万円以下が常識となっているのに対し、日本の場合は日本消費者協会
の調査によれば、全国平均で287万円、首都圏では、なんと405万円にもなり、その内訳で最も高いの
が葬儀社へ支払うお金であるためというのだ。
読経料の相場は「通夜で10万円」「告別式で30万円」「初七日で5万円」と総額は45万円以上とされる。
加えて「戒名料」がある--中略--戒名の相場というのは、あってないようなものであり、時として100万円
単位で請求されることもあるという。--中略--戒名がなくても俗名のままでも葬儀をすることは出来るし、最
近では形式的な戒名はつけないでほしいという人も増えてきていると語る。』
http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20020616/f0341.html 自分の葬儀希望しない34%(読売新聞)
http://www.kaimyou.net/index.php?%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9 生前戒名と今すぐのお急ぎ戒名―高額な戒名料金不要
http://www.kaimyou.net/index.php?FrontPage
172 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/18(日) 05:22:51 ID:yyElVVft
僧侶に関するものだと
2chも結構、僧侶の方も見てるようです!
こんなスレもあったんですね。
--------------------------------
戒名議論スレ
http://unkar.jp/read/love6.2ch.net/kyoto/1226159436 >5 :1[sage]:2008/11/09(日) 10:23:19
>
>>4 >そうだったんですか…
>
>戒名付けないなら位牌に故人の御霊入れが出来ないからと
>住職に言われました。
>
>11 :名無しさん@京都板じゃないよ[]:2008/11/13(木) 22:14:40
>
>>9 >自分は高野山真言宗の僧侶だけど、そいつの言ってるのは全部大嘘だから
>本山の宗務所に寺の名前と、住職の名前。言われた事を全て詳細に通報して下さい。
>
>そしてそいつをどのように処分したかのを、折り返し貴方に報告するように要求して下さい。
>それをしないでうやむやに終わらせるならネットに書き込み、
>この問題を社会に問いますと伝えて下さい。
>
>どうせ世襲しただけの寺のバカ息子でしょう。
>悪質なバカはたたき出しましょう。その為の入れ知恵なら協力します。
日本仏教は廃仏毀釈(妻帯してる坊主を強制還俗・還俗逃れの離婚は処罰)
↓
仏教業界を更地に
↓
すべての寺院跡に上座部仏教・チベット仏教を移植
”日本仏教問題 最終決着!!!”
174 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 09:29:41 ID:VezHT1MD
>>172 驚き。
仏教僧にまだ良識が残っていたとは。
お経が分からないという点について。漢文だから分からないというより、経典の特殊な用語が普通の日本語の一部になっていません。
ある程度の教養ある英語圏の人間で、聖書に出てくる言葉を知らない人がいないのとは大変な違いです。
仏教に関する初歩的な教養が欠如している点が問題だと思います。高校の倫理で1時間程度習うだけですから、
それは当然のことです。
小卒のおれは見ごろしか
ありがたーーーい教えが詰まっているにもかかわらず
小学生にも理解できるようなものを普及させてこなかった
仏教界は何してたのか?
難解な用語とかいう以前に、例えば、「家の宗教」が浄土宗や浄土真宗の人に限ったとしても、
「阿弥陀」とは何か、説明できる人が何割いるだろうか?
江戸時代の方がましだったんじゃないだろうか。
大乗仏教の問題点とかいうことよりもはるか手前のところに問題があると思う。
178 :
析空:2009/10/18(日) 10:33:08 ID:dpepdgiz
>>173 上座仏教にも問題はあるが、なぜチベット仏教がでてくる?
いいところが無いのでは?
>>176 「般若心経入門」ひろさちや著なら結構世間で流行ったと思うし、うちの実家にもあったぜ?
その他、HOW TOもんなら書店にいくらでもあるし、それだけ日本語書けるなら読めるでしょ?
高卒DQN高の俺でさえ「正法眼蔵」の意訳書を辞書と格闘しながら読んでいったのに、努力も
せずに文句足れるなら、最初から興味が無いんでしょ?
命にかえてまでも海外に渡り教典を入手した先人達の努力を考えれば、今どれだけ恵まれた環境
にいるか分かるでしょ?
>>179 おれが言いたいのは裾野をひろげるってことだよ。
確かになにやってるか全部は知らんけどな。
しかしいくらありがたいお経でも難解だったり翻訳必要だったり
ハードル高くて読まれなきゃ意味がないだろ。
自分さえ読めればいいと思ってるなら話は別だが。
181 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 11:22:21 ID:gNIbh5tu
2ちゃんねるで議論しても効果なし
182 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 11:23:37 ID:uXIAQ8nF
>>137 坊主は、先祖や死者の幸せを「一緒に祈ること」
を依頼されてるのであって、
坊主と一緒祈ったら必ず幸せになれる
と保証するものではない。
だから詐偽ではない。
依頼された行為(読経・儀式)はちゃんと遂行している。
>>179 命にかえてまでも海外に渡り教典を入手した先人達の努力を考えれば、
だから、現代の坊主はいったい何の努力をしているのか、と。
ここまでを読んでの感想ですが、
まず、大乗仏教の問題点といわゆる葬式仏教の問題点が混同されていないか。
大乗仏教が必然的に葬式「だけの」仏教に堕するわけではありません(もちろん、葬式を行うことそれ自体は、上の方にも書いてあったように少しも悪いことではなく、遺族に対して一種の慈悲の行とも言えるでしょう)。
法然でも親鸞でも、少しも葬式仏教ではなく、本質は、生ける者への救いであると思います。そこに戻れるかどうかではないでしょうか。
もうひとつ、「大乗仏教」といっても非常な多様性があり、一緒くたにして議論しても
あまり実りがないのではないかと思います。
186 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 12:04:55 ID:gNIbh5tu
スレ主さんは何が目的なのでしょうか?
「出家の覚悟」は読みましたか?
187 :
大王w:2009/10/18(日) 12:56:49 ID:A9s8rZ4d
坊主一族世襲の際、大量に相続宗教税を取ってやれば、
世襲相続寺院が減り、日本仏教の質が上がるかもよw
日本キリスト教じゃ、単立以外は教団では世襲聖職者はいないw
>>171 > てしまった。中には院殿号で数百万〜といったお寺もあるらしい。
院号ならともかく、院殿号というのは足利尊氏とかそのクラスの人ってことなんだよね。
だから実際にはそういう例はほとんどない。お寺の側としたって院殿号を出すっていうのはよっぽどの時。
お寺の方から一般の人に「院殿をつけないとだめだ」なんて言うことはまずないと思う。
たとえば旧徳川家とか、財閥クラスの家の葬儀とか。
そういう特別な家を普通の家の感覚で考えても仕方ない。お金に対する価値観だって違う。
それはお寺の問題というより院殿号をもらう側の問題。
> 『東京都生活文化局によれば、外国の場合、葬儀費用はアメリカ45万円、イギリス12万円、ドイツ20
> 万円、韓国37万円とほぼ50万円以下が常識となっているのに対し、
たとえばイギリスなんかだと芝生みたいなところにただ骨撒いておしまいなわけ。
これで12万というのはむしろ高いくらいかもしれない。
日本の場合、死体を扱う仕事でもあるし、全てが特急料金になるわけだから、それなりの報酬は必要だろうと思う。
> の調査によれば、全国平均で287万円、首都圏では、なんと405万円にもなり、その内訳で最も高いの
> が葬儀社へ支払うお金であるためというのだ。
そのデータは相当古いと思う。最近はもっと相場が下がってるよ。
> 読経料の相場は「通夜で10万円」「告別式で30万円」「初七日で5万円」と総額は45万円以上とされる。
これも違う。こんな払い方は今はあまりしないし、金額的にも「戒名抜きで45万以上」なんてことはない。
もっと安くからあるよ。
> 加えて「戒名料」がある--中略--戒名の相場というのは、あってないようなものであり、時として100万円
> 単位で請求されることもあるという。
それは時としてあるかもしれないが、非常に例外的だよ。払えるわけないし。
> 金額的にも「戒名抜きで45万以上」なんてことはない。
> もっと安くからあるよ。
これ、45万以上じゃないとありえない、ってことはないという意味。
戒名抜きで45万以上のこともある。
日本は、ムラ社会、血の系譜、家の系譜、(或いは親族共同体)をその根本形態としてきたからね・・。
で、明治以降そして戦後経済成長時も、日本仏教はそうした土台の上に成立していた。
バブル期を迎え始めるころ、そして崩壊を始めた昭和後期、
その土台が「大きな・急激な」変容を始める。 勿論、歴史的に見て、変容は必ず起こる。
だが、その多くは、緩やかに、変わったことを気付かせないほどにゆっくりと変わっていく。
そして、ゆっくりである故の確実性・不可逆性を有す。
今、ムラ的繋がりも拡散しつつある。血の系譜もその強度を弱めている。
家の系譜に至っては、それを継続させるべきと考える人間は激減している。
親族も、(核家族・少ない兄弟故)その数自体が減っていることも合わさり、
関係性は希薄だ。下手をすればいがみ合うことの方が多いかもしれない。
金銭面でも、出資できる額も下がらざるを得ないし、出資しよう・出資すべきという価値観すらそもそも育っていない。
家計でいっぱいいっぱいでもある。特にこの平成10年代後半以降・・。
これまで、日本仏教を支えてきた土台の全てが、その力を失いつつあり、消失の可能性を大きく見せ始めている。
江戸300年の長さも驚異的だが、その中で確立された、寺領からの年貢という経営維持基盤が、
明治及び戦後の二段階で消滅した時、その時、代替とされたのが、
先祖供養を中心とした上記のような日本社会の構造に依存して経営維持を図っていくことだった。
それは同時に、地域社会の一員であることをも意味する。同じ村人、同じ共同体成員であることが望まれた。
(この前後関係はわからない。妻帯世襲が新密度を上げたのか、新密度が要請されたから妻帯世襲へと移行したのか。)
つまり、同じ凡夫であることが望まれた時期といってもいい。
(そこには、特に経済成長期は、共に日本を支えているという仲間意識も生じ得る。
モノとしてはたとえば伽藍だが、その整備も、共同作業として大きな遣り甲斐の共有となったろう。)
妻帯世襲は、それほど新しいことではない。現時点で、三代四代が大勢を占めるだろう。
だが、それが、上記のような村的日本にぴったりとマッチした形態であったことは認めざるを得ない。
だから、この短期間の間に「あたかも長期にわたり継続されてきたかの如き!w」在り様として認知されている。
(※それはちょうど、「各家の先祖供養、家系の継承、家督の維持」という在り様とリンクし、同じ姿が表れているからに他ならないが。)
日本仏教は、これまで経験したことのない状況へと入ってゆく。
大きな貧困、戦国時代のような不安定さ、或いは紛争地域のような極限状況でもない。
そうした特殊な環境要因はない。だが、確実に、その存在基盤が問われようとしている。
この時模索される道は、もしかしたら原点回帰ではなく、
このスレでも何度か話題に上っている、新しいモデルかもしれない・・・。
「説明(法話)や積極的関わりによる現状維持及び昭和初期への回帰」は、もはや望めないであろう。
日本の社会自体が、そうした在り様を支える力を失いつつあるのだから・・・。
また、その時には、「個の宗教」という形が重要視されることになるのかもしれない。
>「個の宗教」という形が重要視されることになるのかもしれない。
これは同意。というより、そもそも、個人を単位としない宗教など本来ありえません。
個人の主体的選択による信仰、という原点に戻れば、方向は明らかなはずです。
でも、恐れか増しいかもしれませんが、その個を個々に追い求めてるが故
本来、人間がやるべきことができぬ状態になってしまったのでは、と。
思います。
本来、助けなければならない事や国の状態。
万人的な気持ちが一つにならないと、本当に何が必要か
世界がどんな境地に入っていくか、今を一生懸命に生きることが大切なのかもしれませんが
。
ん、?
何か最終、という言葉と仏教との言葉に
今、いっしゅん、頭に弥勒の世という言葉がよぎりました。
これはいったい何を指し示すのか。
急にすみません。
195 :
10:2009/10/18(日) 15:39:37 ID:4KBUzqqp
>>170-171 戒名・葬式の問題も、歴史的経緯による矛盾が存在する。
そもそも、仏教徒が、在家者の葬儀を行う事はありえない(出家者の葬儀は行っていた)し、
戒名とは、出家した僧侶につける名前の事で、俗人に戒名をつけることはありえない。
しかし、江戸時代の宗門人別帳の制定と同時に、死亡の確認作業の為に仏式で葬儀を行う必要が出来てきた。
それまで、仏式での葬式は、「出家者」だけのものしか存在しなかったため、
中国の没後作僧(出家前に死んでしまった修行者を、死後に出家させて僧として弔う)の作法をパクリ、
在家者も、死後に戒名を授けて、僧としてから葬儀を行うようになった。
その際、生前の寺院に対する貢献度に応じて、院号や、道号をつけた。
(○○院△△◇◇居士 とすると、○○が院号 △△が道号、居士が位号で、狭義での「戒名」は◇◇の二文字だけ)
本来、院号は一寺院を建立した程の人にしか授与されず、多くの人が4文字か、6文字の戒名であったが、
戦中に、戦意高揚のため、戦死者には、院号、居士号を授与する事が求められ、一般の人も、院号居士号を求めるようになってしまった。
更に戦後、収入手段の絶たれた寺院は、葬儀の際に多額の布施を求め、その布施で寺院を経営するようになった。
また、寺院と檀信徒との関係が疎遠になり、生前に寺院に貢献する事も少なくなった。
そのため、本来生前の貢献度に応じて授与されていた戒名を、死後遺族が納める布施の額に応じてつける風習が浸透してしまった。
なお、この流れで行けば、親に、長い戒名を要求した檀信徒は、「これから、私が親に代わって寺院に貢献します」と言う約束をしたも同然なのだが、
最近、葬儀の時にだけ、院号居士号を要求して、後はさっぱり寺院に貢献しようとしない人々が増えてきているw
このように、戒名・葬式の問題も、最早原型を留めないほど、改変されてしまっている。
いったい、どの時点に戻れば一番いいんだろうかね?
そもそも、戻る必要があるのかね?
196 :
10:2009/10/18(日) 15:39:44 ID:4KBUzqqp
また、仏教だけが、高額の布施を取る様だが、
例えばキリスト教の場合、毎月5千〜1万円の寄付を集めている。
それを累計すれば、寺院が葬儀で貰う布施とほぼ同額になる。
様は、チビチビ貰うか、一気に貰うかの差に過ぎない。
そして、日本の葬儀が高額なのは、寺院よりも、「葬儀社」の問題の方が大きい。
かつては地域社会の中で行っていた弔いの仕事を、
地域社会の崩壊と共に、専門の業者が代行するようになった。
それが葬儀社であり、忌み仕事であると言う理由で、極めて高額の代金を請求するようになっていった。
「葬式の手伝いなど自分達はやりたくない」、「近所づきあいは面倒」としてきた代償と言えるかも知れない。
197 :
10:2009/10/18(日) 15:39:48 ID:4KBUzqqp
>>175-177 公教育で宗教が扱えないのは、戦中に、国家神道が戦意高揚の為に利用されたため、GHQによって、公教育から締め出されてしまったから。
仏教界の責任を問われてもw
アメリカなんかじゃ、進化論を教えるのと同じ時間をかけて、神の創世記を教えろと言う州法があったりするんだけどねw
198 :
10:2009/10/18(日) 15:54:20 ID:4KBUzqqp
葬式仏教が必要とされなくなってきた現在は、「仏教としての本質」に戻る好機でしょう。
ただしそれは、大乗仏教ではだめだということではありません。
その点は、
>>10さんの書いていることに大筋で賛成です。
業報輪廻については、私も、現代人には信じることは困難だと思います。一種の比喩として
説明することは可能でしょうが、その意味があるでしょうか。
>>197 公教育で宗教が扱えないのが仏教界の責任だなどと言うつもりはありません。しかし、
仏教界も声は上げなければだめではないですか?それに、公教育以外のチャンネルを通じて
仏教の基本的な概念を伝える努力をどれだけしていますか?
200 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 17:01:26 ID:kmnsi3OM
200
201 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 17:26:35 ID:Hw/DEFkQ
まず日本仏教はイメージが地味すぎるね
くすんだ色の古い寺 古い仏像あれじゃダメ
まず日本を代表する東大寺から始めるとすれば
大仏を元の金ぴか黄金色に塗りなおす 建物も元の極彩色にする
僧侶はもちろんイケメンぞろい 袈裟のデザインは現代風に一新する
それで修行法から在家でもできるものを「イケメン管主が教える東大寺瞑想法」
として出版する
行事の名前を現代風に変更「お水取り」→「ウォ一ターフェスティバル」
もちろん日本人の村八分性向に訴えるため〇福の科学などの似非仏教はこき下ろす
203 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 18:16:44 ID:kmnsi3OM
大仏むかしむかし出来た当時はキンピカダッタンダヨ!
そもそも、悟った坊さんが居ないのが悪いよ。
新興宗教に押されたりとか大乗とか葬式とか
全て悟った坊さんが居ないのが悪い。
悟りが伝説になってるからな。
インドには解脱者が居るらしいが、日本には居そうにないのが悪い。
205 :
10:2009/10/18(日) 19:14:33 ID:4KBUzqqp
単純に人は見た目から入るからね
戦国武将はコミックやゲームその他で若者にも人気がある
歌舞伎俳優も色んなとこで活躍している 理由は「派手」だから
それに対して利休風の「わびさび」は絶望的に受けないと思う
あんな朝鮮の貧乏民家を模したものが美しいわけがない
黄金の茶室の方が美しいし朝顔は庭全面に咲いてる方が美しい
ということで日本の仏教界は「わびさび」を一掃すること
戦中戦後に育った世代が強烈に違和感感じる程度がちょうどいいんだよ
昨日、某TV番組に奈良・法隆寺の百済観音像が彼氏で盧舎那仏像にも
言いよられているという女が出演していました。
「彼氏は1000年以上も私のことを待っていたの」とか
言っていました。
日本仏教には絶望しました。あなた方は本当に
葬式以外は役立たずだ!!!
208 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 20:58:16 ID:75Njf4OX
仏教は時代にあわないのだろう。葬式仏教でもいいじゃないか。
葬式仏教という割りに、既存仏教宗派は葬式をどれだけ大事にしているのか疑問がある。
特に都市部で菩提寺とのつながりがない人が葬儀をどうするかは大きな問題だが、どうして、
宗派直営葬儀のような道を開かないのだろうか。その癖いわゆる派遣僧侶を目の敵にする。
日本仏教など中国仏教の弟分であり、
仏教の本流から見ればいびつに進化した亜流に過ぎないのか。
日本仏教に釈迦の教えのエッセンス、スピリット、本質的な核の部分は
まだ残っているのでしょうか? 中国や朝鮮経由で渡ってきたために
本来の仏教からはかけ離れてしまったのではないでしょうか?
212 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 21:54:52 ID:JZGLd8Zs
わびさびが無くなるということは、日本人の感性からもののあわれ的繊細さがなくなるということ。
日光東照宮の壮絶極彩色より桂離宮のシンプルな佇まいのほうが
より的確に日本人的美学を表現しているだろうと思う。
東照宮は陽明門に白い柱がなかったらほんとに致命的センスだった。
あの白がだいぶ救い。白も塗り物だけどな。
熱狂より静寂、威圧より荘厳。
おれ的にはまっかっかの薬師寺より法隆寺や永平寺のほうがよっぽど美しい。
金ぴかや極彩色の色彩は、所詮メッキやペンキだ。
表面的。素材の本物感がないわ。偽物感性。成金主義。
パチンコ屋や香港の街並みのような金ぴかごちゃごちゃは、うざい。
わからんやつにはわからんだろうな。
近くの真言宗のお寺の息子がチャラい
密教って煩悩肯定なん?
あそこまでだと、凡俗とかわらないような…
214 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 22:18:20 ID:4ZmGrDv7
>>208 ブッダの菩提樹下の瞑想法を指導します、と宣伝すればどっと若い連中が
集まる。現にテーラワーダは若い求道者をたくさん集めて商売繁盛。仏教も
まだまだ捨てたものではない。
半年ぐらい前から仏教に興味持った人間だけど、
近所の真言宗の看板で水子供養って見たときはショックを受けた。
216 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 22:20:12 ID:4ZmGrDv7
アーレフだって頑張ってるんじゃね?
これからの商売は、葬式より瞑想だ。
217 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:41:28 ID:77fb1we6
>>204 >そもそも、悟った坊さんが居ないのが悪いよ。
自分から悟ろうと求めたら悟れない。そこには、悟りたいというエゴがある
からだ。自分で「悟った」と自称している者は、すべて偽物。悟りとは、悟ろう
と求めないところにある。衆生心が悟りである。
218 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:14:08 ID:MpqgesR4
悟りが実在しない事を悟ったよ!
219 :
析空:2009/10/19(月) 11:48:48 ID:4N2utuXE
悟りとは気づきのことである。(増谷文雄)
最近はテーラワーダ仏教協会に触発されてか、
日本の寺院も座禅会でヴィパッサナー瞑想を指導する
ところが増えてきてるよ。
221 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/19(月) 11:54:36 ID:L0d6D+yI
>>186 スレタイとテンプレの通りです。本来あるべき仏教の原点を見つめ直しつつ、
現代日本に適した新しい仏教の創造といった理想についての意見を述べ合うスレです。
日本仏教の問題点を議論しようとするものです。
ご紹介の書籍については読んでいません。
ネットで確認してみましたが、まさに当スレの内容からして必読書といった感じのようですね!
『日本の寺で行われているのは、「仏教」という名の一宗教ではあるが、「釈迦の教え」の実践では
ない。今ならそういい切れる。そう言い切るための証拠はいくらでもある。が、本書に提示されている
証拠は、日本には「入寺」はあっても「出家」がないということだ。共著者の南は、まさに出家を期待し
て永平寺へ入門する。しかしそこは僧=サンガではなかった。
P. 39
日本では僧院に入って、サンガの中でまじめに志が続けば、きちんとお坊さんの道をまっとうできる、
というようなシステムがありません。
日本の仏教集団は、いわば住職集団なのです。つまり、僧侶として立つには、一カ所の住職になら
ないとできないような仕組みになってしまっている。
平たく言えば、日本において僧というのは、「生き方」ではなく「職業」なのだ。まさに僧職系というわ
けだ。そして寺というシステムは、人々の救済ではなく、寺というシステムそのものの維持を第一目的
にしている。少なくとも外からはそう見えるし、「中の人」である南もそれを率直に認めている。』
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51223632.html 南 直哉/アルボムッレスマナサーラ共著
『出家の覚悟―日本を救う仏教からのアプローチ』サンガ刊
>>221 うむ、日本仏教は職業になってるな。
こんなんなら仏教じゃなくて葬儀屋の一部署にしていいだろう。
葬式部長以下部員は僧侶の格好をした人々・・・。
宗教てーのは生きてる人間のためにあるから
そして悟りには生も死もない、生きながらも死を超えている境地だから
だから坊さんは、悟らないといけないの
224 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 13:00:04 ID:cUqzmVOP
スレ主様へ
「出家の覚悟」は、日本のお坊さん皆に読んでいただきたいくらいの本です。是非お読みになってください。
東京に葬式とかはしない墓地もない小池龍之介さんという新しいタイプのお坊さんがいます。彼は「イエデ空間」というホームページも立ち上げており、そこからメールも出来ますから一度ご意見を伺ってみると良いと思います。
新しい僧侶のモデルケースになるかもしれませんよ。
なんか最近、俄かスマナサーラファンが多いよな。
一冊読んだけど、真新しいことはなにも書いてなかったし、
とくだん注目するほどでもないと思う。
226 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 13:43:49 ID:k5sAlEaD
やはり、坊主や神父が一番悟れてないということかw
わかってないなら仕方ないが、坊さんはわかっててやってるから悪なんじゃないの?
>>212 永平寺だめだね・・貧乏くさい
同じ雪が積もった風景ならば金閣寺の方が百倍美しいでしょ
あれのどこがパチンコ屋みたいなんだよ
まず日本の仏教界は新興宗教のどこがうけているかよく研究し(主に見た目)
受けそうなところは取り入れる その上で教義は伝統的なものを伝える
たとえば大仏殿の前でコンサートをやるぐらいでは全然ダメ
イケメンを管主にしてど派手なイベントを立ち上げればよい
たとえばレーザー光線が飛び交う中管主がヘリに乗って空から登場
「エンペラー聖武は現代によみがえった!」と絶叫 熱狂する聴衆
こういう感じでやればいい
若者全体が東洋的なものに拒否反応示してるということはないよ
バリ島旅行人気あるしエスニックショップその他もいっぱいあるしね
ただ傾向としては派手系エスニックだよ
わびさびはダメ 単に見た目だけで日本の仏教も大化けする可能性があるのに
惜しいと思いますね
230 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 18:06:35 ID:MWqlBINT
>>212 同意。一切の虚飾を排した、あるがままの簡素さの中に美を認める日本人の
「わび・さび」の感性は、世界に誇るべき日本人の精神性。環境破壊や資源の
枯渇の恐れなどを考えると、今後の人類の指導理念といえる。
日光東照宮には、違和感を感じる。何でああなったのか、誰か教えてくれ。
小乗仏教国の寺院・施設のドギつさも同じ。
>>221 こういうところで禅の宣伝するのは荒れる原因になってしまうけど、澤木興道禅師の書籍を
おススメするよ。毎日大根だけの食事をしたり、袈裟いっぱいノミがいたり、所謂地位のある
坊さんを批判してたり、食事中に屁こいたりwまあ明治の人だから今この仏教界の現状とは違うかもしれないけどね。
真面目な坊さんもいるということを知って欲しい。
234 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 20:39:26 ID:9c1FW8Qa
235 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 20:44:52 ID:rP3ay0qY
>>231 澤木興道は兵士として戦争に参加して、殺人行為を淡々と、しかも積極的に遂行した
殺人鬼。敗戦後も後悔の言葉は、ひとことも吐かなかった。
236 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 21:20:51 ID:aNaRmBTf
あれまぁw
237 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 21:26:45 ID:aNaRmBTf
皆、善悪合わせ持った同じ人間なんやなぁ〜
その意味でも人間は本来、本質的には平等かもン
238 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 21:31:20 ID:aNaRmBTf
>>230 >小乗仏教国の寺院・施設のドギつさも同じ。
ほんとw。違和感感じます。オチ
見た目、外観、どうでもいいよ。
現代日本仏教の中身の無さが問題なんだ。
寺のせいにしても仕方がない。
みんなが熱心になれば自然と栄えると思う
>>235 ああ、前にも同じレス貰った気がするw
気にはしないけど。
その他参考書
「葬式の値段にはウラがある」黒木昭雄(草思社)
「戒名と日本人」保坂俊司(祥伝社新書049)
「在家宗学の提唱」山内舜雄(大蔵出版)
243 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 02:27:22 ID:eWjHJ365
葬式仏教も正常ならば容認すべきだと言うのが私の考えです。
ヨーロッパキリスト教会の調査報告を故五来重博士の著書で読んだ記憶があリます。
確か角川選書だと思います。
そこで彼が見たのは教会の建物床下に埋葬されて居る、有名な信者の墓の数々でありました。
この墓で眠る故人たちを追想するが為にか日曜ごとに教会に来る信者は死者の名前を刻んだ
石材の棺の上を歩むのです。
死者の供養と言う言葉は無いのですが心情としてほぼ同一であると氏は言っておられます。
土地の古い教会程 墓地の役目をしていますから、キリスト教徒は定期的に御墓参りを
していることになります。
日本の僧侶はもっと真剣に葬式に取り組むことが大事です。
是が仏教に興味を持つ入り口であっても善いのです。
僧侶は立ち居振る舞いに 仏の存在を表すことが修行です。
是を見て発心して仏果を得る若者が出ないとは言い切れません。
244 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 03:01:27 ID:m098oJQj
>>243 墓のことまで、キリスト教の猿真似をすることはない。日本では、故人の墓を
踏んだりしたら、犯罪になる。
日本の僧侶に、墓石を踏ませたいのか。それによる発心、仏果とは、一体何か。
245 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 04:14:52 ID:jGfn+DHx
246 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 09:18:27 ID:RUsXWRpZ
葬式だけなら仏教である意味ないと思うんだよね。
人が死んだら坊主を呼ばなきゃいけない、なんてのは近世以来の新規珍奇な現象だろ。
そもそも世の中がガタガタになって鎌倉仏教が根付くまでは、日本の仏僧は基本、庶民になんか鼻も引っ掛けなかったわけだからさ。死のうが何しようが。
今になってノコノコ出てきて、死人と死人の家族に経済的に巣食って我が物顔の仏僧ってのを、日本の民衆は心底軽蔑して憎んでるわけ。
つまり、そもそもその死人商売を庶民は我々仏僧に「お願い」して当然だ、そこでよく「お勤め」して不信心者を感化しましょう、という発想自体が間違ってるわけよ。
葬送してほしかったら、(今いないだろうけど)儒者呼んだっていいし、(俺はやだけど)牧師神父呼んだっていいじゃん。
この仏僧による死人ビジネスを打ち壊し、その代わりになる勢力が出てきたら民衆は喜んで飛びつくよ。
(それ自体特有の矛盾もあるけど)神式の葬儀なんてやりようによっては、いい勢力になれると思うんだけどなあ。しっかりしろ神主。
明治の仏僧打破が生ぬるすぎたんだよな。
(これは仏僧に対する抵抗運動であって、「廃仏毀釈」などでは断じてない。)
>>233 そこの1の言うとおりだと思う。
宗教は厳しい戒律で戒められてるからこそ他人のことまであーだこーだ言えるんだよ。
妻帯したり、世襲で子孫に財産残したり、そんな欲まみれの輩にどうこう言われたくないし
死んだ後まで指図されたくないわ。
死んだ後まで飯の種にされてる感のほうが強い。
それもこれも仏教者とかお寺さんとかに尊敬出来る人がいないせい。
自分の家族だけ裕福な暮らししたいって坊さんばっか。
寄付で建てた新築家屋、いい車に乗って子供には最新ゲーム機全種類〜ってあほか。
おまえら家族に贅沢させるためにお布施払ってるんじゃないっつーの。
困ってる人や苦しんでる人を助けるボランティア的な活動もまるでしてないよね。
税制とか優遇されてるんだからそういう活動を率先してやるべきだろ。
そうあるべき立場だろ。でもなんにもしないんだよ。
日本の仏教なんかただの葬式業者。
宗教なんて心の問題だ。親類縁者のしがらみさえなければこんな奴らに金やりたくないし
自分なりの祖先供養でおだやかになれるのに。
>>247 道元なんかは、坊さんが立派だからお布施をするとか、ダメな人だからお布施をしたくないとか、
そういう考えを否定しているけどね。
>>248 それは立派な坊さんが一定数いればの話だろ。
それにその当時は、建前だけでも戒律は存在してたんだよ。
今は戒律なんか全くないから、アホな在家者が僧侶のコスプレして
葬式業を営んでるだけ。
そりゃ戒律を守ってる比丘になら、布施してもいいけど、
頭丸めて袈裟かぶってるだけの偽坊主(在家者)に布施はできないでしょう。
在家が在家に布施するのって滑稽でしょ?
歴史の教科書読んでて不思議だったよ。
悪党でも念仏となえりゃ成仏できる、なんて
そりゃそう言えば悪党の信者だってゲットできるだろうよ。
いい加減で金儲け主義でだめだめな宗教者(を騙った詐欺師)がいて
都合がいいからそれに乗っかった奴がいて、それを権威付ける奴がいて〜、て流れだろ。
なんで誰もそれを正さないんだろうね?
>いい加減で金儲け主義でだめだめな宗教者(を騙った詐欺師)
現代の自称僧侶の方たちのことですね、わかります。
253 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 19:40:07 ID:1RQ/PiqO
>>250 真宗 浄土宗はぜんぜんダメ 話にならん
無量寿経のサンスクリット本には「オーム オーム」と連呼する
帰敬文が冒頭に付いてるけど(親鸞さんは知らなかっただろうね)
これは少なくともインドにおいてはこの経を使用していた団体
もしくは信奉していた人は半ヒンズー教だったことが予想される
そうでないとしても最少「オーム オーム」と連呼していたことは
間違いない事実 これには反論できないと思う
一向一揆に駆り出されたお百姓さんは人殺しで悪趣に堕ちて非常にお気の毒
>>253 兵隊が戦場で人殺す、漁師が魚を殺生して売る、床屋は客の髪を切る、坊主が袈裟着て坐禅する。
凄く当たり前の事じゃない?夕飯なに食べました?全くなんの罪の関与無しに生きていけますか?
それともベジタリアンですか?一切虫食ってない野菜ですか?おじいさんは戦争に行かなかったの
ですか?行ったのならおじいさんは殺人者ですか?欧米に植民地支配されたほうが良かったですか?
インドは何百年植民地支配されてましたか?
なんてちっと考えれば分かると思うんですけど、反論しても分からなそうなので反論もしない事に
しております。
>>250 悪人正機の悪人は、悪党とは全く意味が違う。
>>249 > それは立派な坊さんが一定数いればの話だろ。
特にそういう前提での話ではないと思いますが。
> 在家が在家に布施するのって滑稽でしょ?
そう思うならしなければいいけど、
葬式仏教という形であれ仏教が生活の中に残っていること自体に
意味があるという考え方はあるね。
258 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 21:03:31 ID:6c+fpVt1
>>255 >殺人行為を淡々と、しかも積極的に遂行した・・・
敗戦後も後悔の言葉は、ひとことも吐かなかった
↑ が気になるけど〜、全然、気にならないの?
259 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 21:15:05 ID:MfETa4/w
>>248 >>257 『正法眼蔵随聞記』が出典だろ?
道元を引き合いにだして、公然と妻帯、子作り、世襲、蓄財してる破戒禿を擁護すんな。
おこがましいわ。
だいたい曹洞禿は道元に申し訳ないとかそういう考えはないのかね?
>>258 >殺人行為を淡々と、しかも積極的に遂行した・・・
>敗戦後も後悔の言葉は、ひとことも吐かなかった
は
>>241にとっては、犬のフンくらいにどうでもいいことなんだよ。
>>258 澤木禅師が著書の中で戦争体験の話はしてるし、ああそうなんだあとしか思えない(気になる理由も分からない)。
それに
>>235が意図して色付けして書いてることは分かるし、どうせSたん派の人だろうと
予測は出来るし、自分はSたんは嫌いじゃないけど澤木批判してることは知ってるし、
だから何?という感想を持ったし、面倒くさいし、荒れるし、誰も得しないし、、もう勘弁w
>>255 坊主が袈裟を脱いで軍服着て、戦争に行って
人殺しの効率を軍人と競うのが当たり前なのかよ?
264 :
10:2009/10/20(火) 22:16:40 ID:BxdUkD6B
>>249 >頭丸めて袈裟かぶってるだけの偽坊主(在家者)に布施はできないでしょう。
>在家が在家に布施するのって滑稽でしょ?
え〜とですね。
布施とは、前に言いましたように、布施をする側の心の問題なんです。
ですから、対象が糞坊主であろうと、布施をする側がきちんとしていれば、十分功徳になるわけです。
その辺の事を書いた原始仏典があるんですが、記憶が曖昧で…。
こんど書庫を漁っときます。
265 :
249:2009/10/20(火) 22:25:07 ID:jGfn+DHx
266 :
10:2009/10/20(火) 22:33:10 ID:BxdUkD6B
>>265 なら、なんで「立派な坊さんなら布施をする」と?
267 :
249:2009/10/20(火) 22:49:43 ID:jGfn+DHx
>>266 立派な(戒律守ってる)坊さんには布施してもいいって言っただけで、
功徳なんかもらっても何の役にも立たんわ
268 :
10:2009/10/20(火) 22:56:14 ID:BxdUkD6B
>>267 それは、布施という概念を勘違いなさってる事による発言ですよね?
布施とは、別に在家から在家へ行ってもいいものですよ?
もしかして、布施=お経の代金 と言うお考えで、
立派な僧侶になら「お経の代金」を払ってもいいけど、
糞坊主には「代金」を払いたくないと言う意味の発言ですか?
それならば、「布施」と言う単語は使わずに、「代金」と仰ってくださると、勘違いが少なくなるかと思います。
269 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 23:04:54 ID:UhRaXGdZ
破戒している人を立ち直らせることも大きな功徳になるはず
>>267 貴方のようなスタンスの方に、語弊を恐れず喩えるなら、
「功徳」とは「効果」のようなものです。
或いはまた「三つ子の魂百まで」のように、「身に付く」(術語で言えば“薫習”と言われるようなこと)「善きこと」とも言える。
例を挙げれば、
普段、戒めの如く、a《「常に腹を立てず、相手の立場・理由を慮る」こと》をモットーとしたとする。
それを継続し、徹底できた人は、おそらく、
表情も柔和で、親しみ易く、また怒りや憎しみに満たされることもなく、イライラすることもなく、
気負うことなく、意識することなく、自然と、穏やかに日々を送ることができるだろう。
これは、aという行為の功徳と言える。
そして余談を述べれば、
【本来自分が享受することになる、こうした効果を、他者のものへと変換する行為】が【回向】と言われる。
(※勿論、「物理的、具体的、実際に」ということではなく、「理念上・考え方の上で」ということだが・・。)
271 :
249:2009/10/20(火) 23:08:02 ID:jGfn+DHx
>>268 ああ、daanaって単純に与えるって意味だもんね。
普通、日本で布施って言ったら「禿に払う代金」じゃね?
だいたい、檀家が「代金です」って金払うか?
272 :
249:2009/10/20(火) 23:09:45 ID:jGfn+DHx
>>269 >破戒している人を立ち直らせることも大きな功徳になるはず
立ち直ってないから、このスレが立ったんでしょうが
273 :
249:2009/10/20(火) 23:11:19 ID:jGfn+DHx
>>259 そんなに偉そうに言うなら自分が出家すればいいじゃん。
何もしてないで批判だけしても口だけってことになるしね。
>>273 は? 何言ってんの?
日本語で宜しくw
276 :
249:2009/10/20(火) 23:14:39 ID:jGfn+DHx
いや、修行してる人には単純に支援になればいいと思うけどな。
応援だよ。
仏様に功徳積むつもりでお布施したって
どうせ世襲の腐れ坊主に取られちまうんなら
絶対したくはない。
在家在家って
おまえら腐れ世襲より
よっぽどまともな在家の人が
どれだけいるのか分からんのか。
あきれた
279 :
10:2009/10/20(火) 23:28:36 ID:BxdUkD6B
>>247に対しての、
>>248の書き込みが、すでに「布施とは代金じゃないよ」と言う意味だったと思うんですがね…
私も
>>264で、更に訂正したんですが…
分かりにくかったですかね?
まあ、同じ事の繰り返しになりますが、
今の日本における「布施=代金」と言う使用方法は、間違った用法ですので、
今後このような話題を語る時は、「代金」と仰っていただけると、論議に混乱が少なくなるかと思います。
280 :
10:2009/10/20(火) 23:29:15 ID:BxdUkD6B
281 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 23:32:24 ID:Qq+Z/65b
宗派による教えの違いはまぁ仕方ない。
そういう宗教ということで理解すればいい。
しかし、今の日本の坊主は、自分の宗派の教えにすら
反していることもたくさんある。
浄土系の場合は、現在は末法の世であり、
たとえ坊主であっても戒律なんか守れっこない、
そんな世の中になっちまったんだという思想だから、
破戒が黙認されても仕方ない宗派だと言える。
>>278 布施というより喜捨の精神を学んだ方がいいかも。
情けは人のためならず。布施も僧侶のためならずですよ。
僧侶の堕落を批判したいなら、
自分が僧侶以上に「出家」しないとね。
283 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 23:40:56 ID:Qq+Z/65b
現在の裟婆世界が末法の時代であると特に信じるのは、
浄土系と日蓮系でしょうか。
末法の時代とは、お釈迦様が亡くなって何百年も経って仏教が廃れたため、
悟る人もいなくなり、正しい修行さえも行われず、
教え(経典)だけが残っている世の中。
つまり、浄土系と日蓮系は、現在の地球上には、
仏様のように悟った人は一人もいるはずがないと考えることになる。
>>282 >布施というより喜捨の精神を学んだ方がいいかも。
>情けは人のためならず。布施も僧侶のためならずですよ。
なにその「上から目線」
あんたがもし僧侶なんだったら
その乞食根性直したほうがいいぜ。
ま、ほんとの乞食(比丘)は立派だけど
あと喜捨の意味ちがうから。
慈(maitrii)
悲(karunaa)
喜(muditaa)
捨(upeksaa)
だよ。
まあこのくらいわかってるか。
自分の田舎は仏壇がでかいとか、法事が立派だったとか
世間体の虚栄心みたいなもんが言葉には出さないが間違いなくある。
おれの代で終わりにしてやるが。
286 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 00:16:51 ID:UoK9CtYm
>>243の者です。
亡者の為に読経を願い,宗旨の経文を坊さんに読んでもらっての料金を
回向料と昔から言うのですから、(回向料)と言えば好いのじゃないですか。
但しここで忘却されているのが(回向)と言う考え方でして、僧侶が仏菩薩を
供養する其の徳の一部を、施主と亡者で分けて受け取るって事なんです。
故にどれほど立派な人物の葬式であろうと、その場で供養を受けているのは
第一には本尊である宗旨の仏です。
第二に法要を営む施主に功徳が七分の六来るそうです
第三に施主の祈願により,(死亡した人物)に仏の徳が及びますようにと
回向を願うわけですがなんと施主の功徳のたった七分の一が配当されるとか。
このところを以って
>>243の説明みたいなことをして居るのです。
私の知る限りでは お坊さんもまるで説教しませんね、布施の意義や回向とかの主旨をです。
自分の職に引け目があって世間の一般人に主張不可能なのかとも思われます。
私は僧侶ではありませんので、勝手に仏教書を読みあさって雑学的にこんな処であろうか
と書き込んでいます、皆様の御教授お待ちします。
仏に感応してから言わないと。
そこらの施設に格式の保たれた神社仏閣ほどの霊性をした場所なんかないよ。
格式の保たれた神社仏閣>>キリスト教の教会>>>>そこらの施設
まあ、需要と供給が成り立ってんだから外野はすっこんどれや!
という考えもあるだろうね。
>>286 【葬式】 戒名の値段は高すぎる 【疑問】
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1147422964/ 356 つづき sage 2006/08/01(火) 19:12:40 ID:KMWkkLZD
>> 351
>今さら遺族の方々が何をどうできるわけではありません。
勝義から言えばその通りです。自らの業果は自らが受く、が原則ですからw
もちろん、各種行為の功徳も、行為主が受けるものです。
しかしながら、回向という画期的な概念が編み出されました。
以前、極々仲間内で作った用語集から引用w
【回向・廻向】(え・こう)
廻転趣向の意。自己の行う(行為の)善根功徳を廻転して(自己の)菩提に趣向し、
或は衆生(他者)に施与する事。一般には、法要・読経・念仏・布施などの善行を通して、
それによって生ずる功徳を亡者に回し向け、仏道に入らしめること。
(なんとなれば、亡者は自分で功徳を積むことができないから)。
自らに向ける意もあるが、専ら、ある一つの行為の功徳・効能を、
相手或は第三者が積んだかのようにその人のものとする事。
故に、その文句・文言(回向文)をも単に回向と言う事も有り。
→この功徳を誰それの方へ向けます、という宣言。
坊さんは、集まった人々の代わりに(代表として)お経を読んでいるのです。
>>286 ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート17
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1166685786/ 777 2/3 sage 2007/07/12(木) 20:02:07 ID:TD/V4eTp
>> 635
> どうして、仏壇などで、亡くなった方たちの前で物語を読むことになってるのか、
まず、読経という行為自体に功徳があると考えられています。
だから、読経するということは功徳を積むこととなります。
この時、「自らの(行為の)功徳は自らが受ける」のが原則となりますので、
読経した人が功徳を積んだこととなります。
もう一つ「回向(回転趣向)」という考え方があります。これは、
ある功徳を、悟りの為の資として方向付ける(悟りへと回し向ける)ということになります。
上に述べたように功徳は自ら受くものですが、その功徳・効能を、
相手或は第三者が積んだかのようにその人のものとする事です。
この功徳を誰それの方へ向けます、という宣言と言えます。
ですから大抵、単に読経するのみでなく、終わりに回向文を読みます。
勿論、自分へ向けたものであれば回向はなくても構いませんw
(また、様式に則らなくても、内容を心で念じるだけでも良いと思います)
ま、概して一般的には、法要・読経・念仏・布施などの善行を通して、
それによって生ずる功徳を亡者に回し向け、仏道に入らしめる(或いは安楽を継続させる)こと、
と言ってよいでしょう。(なんとなれば、亡者は自分で功徳を積むことができないから)。
ですから仏前での読経は、そうした、故人の安楽等を願ってなされるのです。
(勿論、回向の内容として様々なことを盛り込むことができます。)
ちなみに、自身がきちんとお経が誦めるなら、坊さんを呼ぶ必要はありません。
あくまでも坊さんは、誦めない誦まない人々の代わり、
或いは読経する集まりの代表として誦んでいるからです。
> 例えば、そういう物語じたいに意味があるのであれば、
はい。ですから、それぞれがお経を読み解くことはいいことだと思いますし、
もっとなされていいでしょう。お寺側からも、もっと解り易く語ってゆくことが大切でしょう。
いまさら戒名なんていらねーよw
何、その奇妙な習慣ww
292 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 01:02:29 ID:UoK9CtYm
>>291さんへ286の者です戒名の問題ですが、はっきりとした
根拠必要性はあるのでしょうかね?
このような意見を聞いたことはあります。<亡者に引導を渡すときにし易くなる。>
僧侶が死者の魂などの存在を否定してからの葬儀法要は無いでしょうから その有無はともかく
歴史的には平安時代末位から死者に戒名をつけているようです。
わたくし的には、迷惑だなです。
但し宗派によりましては,符丁的な文言をつける戒名もあるとか聞きます。
自殺、他殺、不幸な死に方をした故人の(なにか)を注意させる為らしいのです。
生活が苦しいのに わけが判らないお金は懐から出せないのが本音ですよ。
わたくし取り留めの無い書き方になってますがお許しください。
293 :
10:2009/10/21(水) 01:16:49 ID:yqXF4vXY
>>292 戒名問題は、歴史的経緯があるんですよ
>>195 だから、現状の戒名制度に矛盾を感じるのはごもっともです。
より良い解決方法があれば、ご提案頂きたい所です。
ただ、<亡者に引導を渡すときにし易くなる。> というのは、明らかに間違いです。
また、戒名に意味を含めるのは、よくあることですが、
普通の名前のように、強く生きて欲しい子供に「つよし」とつけたり、
明るい子になって欲しい子供に「明子」と着けたりするのと同レベルの話です。
もっとも、かつては、差別戒名問題と言うものもあったので、話は少しややこしいですが…。
294 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 01:16:59 ID:ZqpOcBhW
戒を授かって、仏弟子として新しい人生を生きるという意味では、
仏教徒ネームを師匠から授かる意義はある。
死んでからもらっても意味はないが。
>>284 慈悲喜捨じゃなくて、イスラムの喜捨だよ。
向こうではお布施と思うことなく喜捨するでしょ。
297 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 01:42:52 ID:ZqpOcBhW
寄付・寄進のことを喜捨と言いますからね。
この場合の喜捨は、布施と同じ意味ですよね。
拝み賃として払う「お布施」じゃなく、
利他の修行である布施波羅蜜のことです。
298 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 01:52:25 ID:Oq/lde+8
>>297 >拝み賃として払う「お布施」じゃなく、利他の修行である布施波羅蜜のことです。
六波羅蜜は菩薩の修行です。
単なる在家が布施波羅蜜を修する理由はないのですけど。
スッタニパータでは
占いを禁じ、死をあるがままに受け入れ、儀式では悟りに導かれないし
釈迦の説く供養とは生前の修行にかかっているとあるのだから
仏教=葬式と若い人に思われるのはよろしくないから、
坊さんの誰かが、悟って生きてても死を超えられるのを若い人に示すべきだ。
スッタニパータでの救いは生きてる間の修行や悟り
第三章の矢で死に対して説いてあるから、葬式で生活の糧を得るより先に
坊さん自らが悟りを開くべき。
葬式で生活の糧を得るより先に、坊さん自らが悟りを開くべき。それが仏教
>>301 悟りを開く前に、飢え死にするか凍死するだろうなwww
>>301だけでなく、全てのROM者向けという感じになるが、
よく、「人格者・真に聖者であれば、誰も皆支援するから存在可能である」だから「今すぐにでも聖者たるべき」
というニュアンスの意見が多いわけだが、(実際に托鉢行脚してみると解るがw)、
世の中そんなに甘くないw
今の布施はお金が主だが、一日で入る額なぞ微々たるものだ。(托鉢の習慣の無い地域ではもう・・・w)。
その上、防犯グッズや設備が繁盛するように、【初めて会う】見ず知らずの者を世話することができようか・・・。
初めて会い、声をかけ、世話してもらうこと、せめて一晩屋根を貸してもらうことがどれだけ困難であるか・・・。
「初めての一回の出会いだが、何かありがたい法話をして心を掴めばいい」とか言うかもしれない。
(ダチョウ倶楽部のようにはいかないw)
甘いwww お釈迦さん自身が、あの、出家者が認められている時代でさえ苦労されている。
受け入れられ、理解され、評価され、敬意を表されるには、
時間と、巧みな言葉と、醸し出す雰囲気(所謂オーラw)が必要だ。
そして、それらがあったとしても、一度や二度では・・ということだ。
理想を語るのは簡単だ。だが、それが、実際に履行できるのかどうかも重要だ。
民主党が新しいことを色々チャレンジしているが、
絵に描いた餅を実際に食べられる餅にできるかどうか、理念・理想を具体的形にできるかどうか、
絵に描いた餅を絵のまま終わらせないように、設計図を描いただけで結局完成しませんでしたとならないように、
最初の予定と変容したとしても結果オーライになるように頑張って貰わねばならないわけだが・・w
同じように、理想形はいくらでも想像できる。
だが、それを、今の日本社会の中にポジショニングできるかどうか、
原理主義者達は解ってるんだろうか・・・。
おやすみw ノシ
304 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 02:49:31 ID:nPIIyjb8
日本の坊主は死神の使いっぱしり
それでいいじゃないか
>>304 ああ。
胸を張って「使いっ走り」を自認できればね。
ノシ
306 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 05:01:43 ID:qZyGfhvD
日本の仏教は葬式の為だろ
307 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 07:57:35 ID:ZqpOcBhW
>>298 在家でも、真面目な仏教徒ならば、
善行を修め、功徳を積みたいはず。
布施は、在家でも誰でも手軽にできる善行です。
菩薩というのは仏をめざす修行者のことです。
在家でも菩薩はありえます。
観音菩薩、文殊菩薩など、多くの菩薩の像は、
アクセサリーをたくさんつけた在家の姿で描かれます。
地蔵菩薩は出家の姿ですが。
308 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 18:10:16 ID:Kwc5l+HW
>>307 >菩薩というのは仏をめざす修行者のことです。
>在家でも菩薩はありえます。
いいえ、菩薩というのは2つ定義があって、
大乗「あえて仏にならずに、この世の衆生を救うために輪廻し続ける修行者」
上座部「未来に、自ら最初の正自覚者となって、その時代の仏陀になることを目指す修行者」
です。
どちらも、出家して修行しないとダメ、ですよね?
大乗は六波羅密しかありませんが、
上座部は十波羅密あって、そのひとつに「持戒波羅密」というのがあります。
しっかりと比丘の戒をまもりましょうということですね。
大乗に「持戒波羅密」はありませんが、じゃあ、酒でも飲んで、異性とも交わってもよい、
ということではなくて、彼らもやっぱり戒律は守るのです。
たとえば、チベット仏教で観音菩薩の転生活仏といわれているダライラマも、大乗の菩薩の理念をうたっていますが、
具足戒はしっかりと守っているのです。ですから、在家でも菩薩は可能だ、というのは日本仏教(あるいは中国仏教)独特の
状況だと言えるのではないでしょうか。
309 :
10:2009/10/21(水) 18:50:06 ID:yqXF4vXY
>大乗「あえて仏にならずに、この世の衆生を救うために輪廻し続ける修行者」
>出家して修行しないとダメ、ですよね?
この場合、今世において出家している必要はあるの?
例えば、ジャータカに出てくる釈尊の前世では、常に出家していた訳ではないでしょ?
また、今世において、在家であっても、前世では菩薩だったかも知れないでしょ?
「まだ出家していない」と言う可能性は?
第一、布施行は菩薩の修行方法だから、在家者はしないというのはおかしな論法では?
310 :
308:2009/10/21(水) 19:23:54 ID:QT3BVIWo
>布施行は菩薩の修行方法だから、在家者はしないというのはおかしな論法では?
わたしは、
>>297に
>拝み賃として払う「お布施」じゃなく、利他の修行である布施波羅蜜のことです。
とあったので、私は布施は利他の修行ではないと主張しただけです。
在家者は布施を行わないとは一言も言っておりませんが。
もちろん利他はよいことでしょうが、なぜ在家者が利他の修行なるものを履修しなければならないのですか。
>例えば、ジャータカに出てくる釈尊の前世では、常に出家していた訳ではないでしょ?
それは原始仏教の菩薩(Bodhisatta)のことですね。単に「悟るまで釈尊の前世」の意味です。
大乗がこれを、「衆生を救う修行者」の意味に読替え、後に上座部にも取り入れられ、また変質しました。
「悟るまで釈尊の前世」という意味ならその通りですが、現在の菩薩の定義とは異なるのではないのですか?
過去世に修行していたことがあるという理由があるだけで、現在は殺人鬼である場合、彼は菩薩ですか?
311 :
10:2009/10/21(水) 19:57:20 ID:yqXF4vXY
>>310 >在家者は布施を行わないとは一言も言っておりませんが。
>>308を読むと、
出家していない在家は菩薩ではない。
布施は布施波羅密で、菩薩の修行方法。
よって、在家が布施をするのはおかしい。
と読めたもので。
>なぜ在家者が利他の修行なるものを履修しなければならないのですか。
いや、履修しろとは言ってないですよ?
在家が布施をしてもいいんじゃないか?と言ってるだけですが?
たぶん307も同じ意見だと思うんですが。
>現在の菩薩の定義とは異なるのではないのですか?
なるほど。現在とは定義が違うときましたか。
そういう話になれば、現在の日本の定義では、「菩薩=修行者」ではなく、
「菩薩=仏をめざす修行者(在家もあり)」という解釈がされているんじゃないですかね?
現に307さんも私もそのように解釈してます。
今度は「過去の解釈じゃないとダメだ」と言い出しますか?
312 :
308:2009/10/21(水) 20:12:48 ID:QT3BVIWo
>在家が布施をしてもいいんじゃないか?と言ってるだけですが?
了解しました。
>「菩薩=仏をめざす修行者(在家もあり)」という解釈がされているんじゃないですかね?
>現に307さんも私もそのように解釈してます。
「菩薩=仏をめざす修行者(在家もあり)」という解釈を新たにつくらねばならないのは、
純粋な出家者が存在しない日本仏教の苦しいこじつけのように思えますが。
>仏をめざす修行者(在家もあり)
仏、というか悟りを目指すのは在家者でもOKですよ?現に上座部仏教圏
では在家生活を営みながら、悟りを目指して瞑想修行している居士もたくさんいますから。
>今度は「過去の解釈じゃないとダメだ」と言い出しますか?
勝手に、自分達の現状を正当化するためだけに、菩薩という概念を変更するのは論外だと思います。
ま、仮にその解釈を受け入れるとしましょう、
ひとつ疑問なのですが、現代日本の「在家僧侶」の方々は、本当に真剣に仏を目指してますかね?
313 :
10:2009/10/21(水) 21:23:55 ID:yqXF4vXY
>>312 純粋な出家者は存在しないときましたかw
そうなると、この地球上には未来永劫、純粋な尼僧は存在しないことになりますねw
こじつけとか、現状肯定の為の概念変更と言うより、一々語源をサンスクリットまで遡って考えない、
一般日本人のボンクラたち(私を含む)にとっては、この程度の認識だと思うんですがね。
私に、日本の「在家僧侶」の現状を聞かれてもこまりますがw
悟りを目指すと言うよりは、寺院の維持=地域の先祖供養形態の維持を第一義としているように感じられますね。
というか、あなたの定義だと、日本の僧侶は出家じゃなくて「在家」なんだから、悟りを目指す必要は無いんじゃないんですか?
なんというか、過去の厳密な教義に照らし合わせ、現在の日本がその教義から逸脱しているから、
間違っていると言うような批判は、チョット堅苦しくないですか?
その教義も、もともとは、釈尊の成道当時のものでは無くて、教団の拡大と共に形成されていった物ですよね?
まあ、また現状正当化のための概念変更だと言われそうですが、
過去形に戻れば、全てが上手く良く訳でもないと思うんですよ。
現状の日本仏教が抱える問題点は、
「時代に合わせて変化してきたのに、今現在の仏教は、時代の変化についていってない。」と言う事であって、
「もともとの仏教とは違う形になってしまった」ということではないと思うんですよね。
ですから、在家も、在家だ出家だとか、菩薩の修行だなんだと拘らずに、布施(を含む様々な)修行をどんどんしたらいいと思うんですけどね…
一日作さざれば一日食わずって禅の教えにもあるように自給自足すればいいような気がする。
今の坊さん社会に甘え過ぎかも、というかそういうシステムを作らされたというべきか。
315 :
308:2009/10/21(水) 22:01:42 ID:QT3BVIWo
>そうなると、この地球上には未来永劫、純粋な尼僧は存在しないことになりますねw
いいえ、女性の在家者が複数人、悟れば在家女性に受戒させることができるので、
尼僧サンガの復活は不可能ではありません。
>あなたの定義だと、日本の僧侶は出家じゃなくて「在家」なんだから、悟りを目指す必要は無いんじゃないんですか?
前にも述べましたが、上座部圏では在家者が悟りを目指しています。それと「在家の菩薩」云々は別問題です。
>「時代に合わせて変化してきたのに、今現在の仏教は、時代の変化についていってない。」と言う事であって、
>「もともとの仏教とは違う形になってしまった」ということではないと思うんですよね。
私は違うと思います。先ほどの「菩薩の概念を変えていくべきだ」的な議論と同じで、自分達の都合によって
融通無碍になんでも変えすぎたから、「もともとの仏教とは違う形になってしまった」のだと思います。
もう仏教とは呼べなくなってしまい、単なる葬儀儀礼を事とする葬式仏教と揶揄されるようになってしまったのもそのためでしょう。
まあ、美術品、寺院などの文化財の保護管理の役目は、文句なく果たしてきたと思いますけど。
>ですから、在家も、在家だ出家だとか、菩薩の修行だなんだと拘らずに、布施(を含む様々な)修行をどんどんしたらいいと思うんですけどね…
何度も言いますけど、布施は修行でも何でもありませんし、それを推奨する謂れはどこにもありません。
(布施をするな、なんていいません。むしろ、お布施はしたらいいんじゃないですか?)
在家も出家も、差別や分け隔てなく、修行(坐禅などの)を行って、煩悩をなくしていく事には全く異論はありません。
316 :
308:2009/10/21(水) 22:19:38 ID:QT3BVIWo
訂正
>何度も言いますけど、布施は修行でも何でもありませんし、それを推奨する謂れはどこにもありません。
→布施は(利他の)修行でも何でもありませんし、
317 :
10:2009/10/21(水) 22:25:53 ID:yqXF4vXY
>>315 >尼僧サンガの復活は不可能ではありません。
規定の上では、「既に受戒した尼僧の集団(5人以上だっけ?)」がいないと、受戒できないと言う風になっていたと記憶していますが?
そして、既にその集団が一回滅んでますよね?
それとも、現状を肯定する為に、規則を改変すると?
仏教の変遷については、意見が全く食い違いますね。
私は、上でも言ってますが、目的が達成できれば、もともとの形に拘る必要は無いと思うんです。
もちろん、かつての形に戻したほうが、より効果的であるなら、本来の形に戻したらいいとは思いますが、全てを無条件で元に戻す必要は無いんじゃないでかね?
>何度も言いますけど、布施は修行でも何でもありません
えーと、飲み込めが悪くて同じ話の繰り返しになって申し訳ないんですが、
布施=布施波羅蜜=菩薩の修行 だから、修行じゃないんですか?
>>298 それとも、在家者には、出家が必須条件である菩薩(
>>308)の布施波羅蜜という修行を、修行として行う事はできないということなんですか?
あるいは、出家をしていないと、布施波羅蜜の修行の効果は全く無いと言う事ですか?
もしかして、菩薩の修行などと言うものは修行ではないと言う事ですか?
318 :
10:2009/10/21(水) 22:34:53 ID:yqXF4vXY
>>316 おっと、書き込む前にリロードし忘れました。
つまり、布施≠布施波羅蜜であると言う事ですか?
在家の人≠菩薩である(
>>308)から、在家の人の布施は、菩薩が行う布施波羅蜜ではないという論理ですか?
でも、在家者も、出家者の修行をする事は認めてるんですよね?(
>>312 >>315)
そうなると、在家の人が行う布施も、利他の布施波羅蜜であるとしても良いんではないですか?
319 :
308:2009/10/21(水) 22:58:12 ID:QT3BVIWo
>規定の上では、「既に受戒した尼僧の集団(5人以上だっけ?)」がいないと、受戒できないと言う風になっていたと記憶していますが?
いいえ、女性の阿羅漢がいれば、受戒はできるのです。阿羅漢は受戒する必要がないので、在家から阿羅漢果に悟れば出家ですし、在家女性に戒を授けることもOKです。
>仏教の変遷については、意見が全く食い違いますね。
そうですね、わたしも疲れましたし、議論するのはやめにしませんか?
>布施=布施波羅蜜=菩薩の修行 だから、修行じゃないんですか?
私も混乱してきました、ややこしいですね、他人のスレまで参照しなければならないのは・・・
それは
>>297さんが
>この場合の喜捨は、布施と同じ意味ですよね。
>拝み賃として払う「お布施」じゃなく、
>利他の修行である布施波羅蜜のことです。
と、「在家がお寺にお金を払うこと」を「利他の修行である布施波羅蜜」だといったので、それは間違いだといったんです。
布施波羅蜜(Daana-paramitaa)とは、daana(与える)の修行です。
出家の菩薩は「お金のお布施」はできませんよね、経済活動を行えないのですから。
この場合、与えるのは笑顔(和顔施)とか、法を説くこと(法施)になります。
だから、Daana-paramitaaと「お布施(お金を上納すること)」は違います。
>あるいは、出家をしていないと、布施波羅蜜の修行の効果は全く無いと言う事ですか?
本で調べたら、大乗の六波羅蜜にしっかり入ってましたね、持戒波羅蜜。
さっき、言いましたが、布施波羅蜜(Daana-paramitaa)は出家者たる菩薩(大乗)の
修行ですから、在家が履み行う修行ではありません。
さらに、またまた前に言いましたが、お布施(お金を上納すること)はしたらいいと思いまし、
在家者として、とても立派な行為でしょう。
320 :
308:2009/10/21(水) 23:09:18 ID:QT3BVIWo
>>318 >でも、在家者も、出家者の修行をする事は認めてるんですよね?(
>>312 >>315)
>そうなると、在家の人が行う布施も、利他の布施波羅蜜であるとしても良いんではないですか?
まず、はっきりさせますけど、修行する目的は悟ることです。悟る修行にDaana-Paramitaaは必要ありません。
お金を上納しないと悟れないということも全くありません。
諸説ありますが、日本の禅宗などでは坐禅などの修行で悟ることができる(らしい)です。
密教になると、神秘的な修行を行うと、心が清浄となって、仏と同じになるそうです。
比較的、初期の仏教に近い上座部では、ヴィパッサナー瞑想という修行で悟ります。
そして菩薩の目的は悟ることではなく、衆生を救うことです。
衆生を救うための修行のひとつに布施波羅蜜があるだけです。
なので、在家者が「菩薩の修行」をする必要は全くありません。
なかなか面白い新キャラ登場だなw
322 :
308:2009/10/21(水) 23:43:30 ID:QT3BVIWo
簡単にまとめますと、
・布施波羅蜜は悟りに必要ない
・喜捨(お布施)も悟りに必要ない
・ゆえに、在家者が「菩薩の修行」をする必要はない。
・悟りに必要ないけど「でもオレは布施波羅蜜がやりたいんだよ!」というひとはご自由にどうぞ
ということです。。。
私は寝ますので、さようなら
323 :
308:2009/10/21(水) 23:45:46 ID:QT3BVIWo
>>322 >・喜捨(お布施)も悟りに必要ない
は消しといてください、まちがいますた。。。
では、寝ますんで。。。
ああ、それと、
>>319 >いいえ、女性の阿羅漢がいれば、受戒はできるのです。
>阿羅漢は受戒する必要がないので、在家から阿羅漢果に悟れば出家ですし、
>在家女性に戒を授けることもOKです。
なぜ、
>>317の比丘尼出家の条件が「上座部(或いは小乗律)に於いてだけ」と言わない?
↑のような形で比丘・比丘尼を認めることはありえないんだが・・・。
あ・・・、チベットはどっちなんだ?
大乗の系譜の筈だが、比丘尼認可のシステムは上座部と同じなのかな?
ノシ
325 :
308:2009/10/21(水) 23:48:19 ID:QT3BVIWo
眠い、またまちがえた。。。
・布施波羅蜜は悟りに必要ない
・ゆえに、在家者が「布施波羅蜜」をする必要はない。
・悟りに必要ないけど「でもオレは布施波羅蜜がやりたいんだよ!」というひとはご自由にどうぞ
・喜捨(お布施)は悟りに必要ないけど、在家者として行うべき
です!!!
さいなら!!!!
文章の作り方、言い回し、語調、或いは内容等が宝珠っぽいなw
327 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 00:09:30 ID:E1a4TLC6
一般人からしたら、救済を求めているわけであり 名称が菩薩であろうと仏でも
構わないのです。
インド本国で仏教がほぼ消滅した原因は、僧侶が学問と高踏的な理論に走り民衆からの
支持を失ったためでしょう そのため本国を離れた僧侶が日本にまで渡海しました。
東大寺の大仏を開眼した、菩提センナはその代表です。
彼は日本で遷化されています。
論から言うと是以下はあくまで私の感想です。
徳川時代からの遺産である檀家制度は、先細りで僧侶の生活を支える
事は困難の度合いを増す。
檀家制度を守ることが日本で仏教を護持することだと摩り替えてはいけないのだが。
ところが是をまだまだ、各宗門は止めないから益々宗教としての<鮮度>や興味
が下がっていくのです。
戒名、法名、墓地、諸々の金銭関係が付随する事を僧侶が言うとうり、素直に
行うと(御信心が決定されてます。)立派な信徒であると言われます。
ここに仏の教えが含まれているのか?と尋ねて聞いたら善いのですが、私の家に
毎月、お経を上げに来る、坊さんがハラを立てるのを知っています。
事荒立てる必要もなし 又私が施主ではありませんので言わずに沈黙しています。
仏法と言いますが、二つに分かれるのだと言う説を以前にどこかで聞きました。
供養法{先祖とか三宝に対する礼拝行為を言う)と(成仏法)であるのだそうです。
成仏法で現世に仏が出現してしまえば、一切の問題はなくなるのだそうです。
ここで出現した仏と無関係の宗旨は倒産の危機を迎えますな。
それにしても日本の天皇継承見たいなことですかねえ。
328 :
10:2009/10/22(木) 01:00:42 ID:BU9l1Oaz
>>319 はて、記憶違いでしたか。
たしか、律蔵で尼僧サンガの規定があって、それの伝統が滅んだ為に、
ミャンマー辺りの国で、尼僧が出家できなくて困ってたという記事を読んだ記憶があったんですがね?
というか、阿羅漢果を得るには、出家(受戒)は必要無いんですか?
出家しないでもいいなら、そもそも出家する意味はあるんですか?
>議論するのはやめにしませんか?
盛大に議論が横道にずれましたが、この問題が、このスレの主題だったと思うんですがw
まあ、確かに疲れましたね。
>布施波羅蜜(Daana-paramitaa)とは、daana(与える)の修行です。
たしかに、経済活動をしない出家者が、お金の布施を行う事はできませんが、
布施波羅蜜を、そのように定義するならば、在家(経済活動を行うもの)が、お金を与える財施も、布施波羅蜜と呼んで良いんではないですかね?
>出家者たる菩薩(大乗)の修行ですから、在家が履み行う修行ではありません。
>さらに、またまた前に言いましたが、お布施(お金を上納すること)はしたらいいと思いまし、
>在家者として、とても立派な行為でしょう
いや、だからさ、してもいいというところは既に合意に達してて、
「修行の効果があるかどうか?」を話してたんじゃないですか?
329 :
10:2009/10/22(木) 01:00:50 ID:BU9l1Oaz
>>320 >まず、はっきりさせますけど、修行する目的は悟ることです。悟る修行にDaana-Paramitaaは必要ありません。
そりゃ、出家者の目的は悟りでしょうけど、
在家者が、菩薩の利他行を目指して、利他の布施波羅蜜をしてもいいんじゃないですか?
在家者が在家のままで悟りを目指す事は、勧めているのに、
なんで、在家者が菩薩行を行う事にそんなに拒否反応を示すんですか?
>>322 >・布施波羅蜜は悟りに必要ない
えーと、波羅蜜とは、至彼岸(悟り)の為の行なんじゃなかったでしたっけ?
>・ゆえに、在家者が「布施波羅蜜」をする必要はない。
必要性がないのは合意しましたね。
>・悟りに必要ないけど「でもオレは布施波羅蜜がやりたいんだよ!」というひとはご自由にどうぞ
あれ?結局、布施=布施波羅蜜ってことですか?
>・喜捨(お布施)は悟りに必要ないけど、在家者として行うべき
う〜ん、なんで、悟りに必要がないとしながら、行うべきだという結論になるんですか?
あなたの理論だと、在家も悟りを目指すべきで、喜捨は悟りに必要がないんですよね?
なら、喜捨を行う必要も無いじゃないですか。
330 :
10:2009/10/22(木) 01:01:05 ID:BU9l1Oaz
>>324 いや、律蔵の厳格な定義に従うべきだと、上座部の習慣を持ち出してきたのは、308さんのほうですよ?
もちろん、日本のゆるゆる大乗なら、尼僧も出家できます。
331 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 01:27:15 ID:cY1FVBJV
布施は、自分のものだという執着・欲を手放し、他者を慈しむ行為なので、
功徳(善の心を養う効果)が発生すると思います。
ですから、布施は善の心を育てるトレーニングのひとつと
考えられますので、悟りの方向は向いていると思います。
あと、仏像で、菩薩像の多くは在家の服装になっています。
観音菩薩など、アクセサリーをたくさんつけています。
332 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 01:56:05 ID:GVWQHAh4
お布施もらう方は欲だらけかもね〜。
333 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 09:44:02 ID:HI/02/2e
皆さん必読の「出家の覚悟」を図書館でも良いのでお読みになってから議論に参加してください。
議論がまとまりません。
334 :
10:2009/10/22(木) 12:44:26 ID:BU9l1Oaz
>>333 このスレで紹介される書物は外れが多くて…
羹に懲りて膾を吹いていたんですが、度々のご紹介なのでアマゾンで注文しときました。
しかし、以前紹介された石飛道子著 「ブッダ論理学 五つの難問」は酷かった。
1章まで読んだ時点で、ゴミ箱に捨てようかと思ったぐらいです。
中学生レベルの論理学を誤解した上で、「現代論理学に扱えない問題を発見した!」とか…
結局、最後まで真剣に読んで、きちんと資源ごみで回収してもらいました。
論理学を誤解する中学生が生まれる恐れがあるので、古本屋に売る事は諦めました。
愚痴になりましたが、キリ番ゲットの333さんの紹介なら、
きっと、スレの基調講演となるような、現代日本仏教の現状に斬新な角度から切り込み、
これから進むべき様々な方向性の示唆に富んだ素晴らしい本だと期待して、
「出家の覚悟」を読ませていただきます。
335 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 17:33:31 ID:M80D40uA
まあ、この議論は素人・関係者入り乱れて、ああでもこうでもないと、
2ちゃんで雑談するだけの話で、なんの影響力もないんですけどねえ。
336 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 17:58:37 ID:Pj4QmODg
出家者は、「自分の解脱」というエゴの目的のためだけに出家し、社会には
何の貢献もしていないのだから、社会にとってはゴミに過ぎない。一方、在家
信者は、社会への貢献に佛教を生かしているのだから、どちらが悟りへの近道
であるかは、自明であろう。
337 :
10:2009/10/22(木) 18:09:15 ID:BU9l1Oaz
>>336 悟りと、社会貢献度は無関係では……?
例えば、ノーベル平和賞を受賞したら、世界平和に貢献した功績によって悟ると?
338 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 18:15:52 ID:SsAMc9Su
>>337 「悟り」とは「無我」を覚りことだから、「悟りを求める」という欲望
があれば、悟りなどない。
出家者も、社会によって生かされているのだから、社会に貢献しない「悟り」
など、単なるエゴの行為であり、無意味。
339 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 20:22:12 ID:mq8F688f
340 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 21:37:49 ID:jR7u5akt
>>339 「東南アジアの佛教」など、日本には関係ない。
341 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 22:33:01 ID:E1a4TLC6
>>338さんへ 貴方は生悟りです 棒ほど願って針ほど叶う と言うことわざを
進呈します。
願無きは、菩薩の魔事なり 仏者は須らく大願を発起すべし
それでは自らの怠慢の言いわけです。
342 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:03:31 ID:pP9n4k9S
>>341 「悟って自分の輪廻を解脱したい」などと願うほどのエゴイストではないよ。
343 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:20:20 ID:HI/02/2e
関係ないって反論になってないな。
まあ、別に良いけどね。
344 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:24:01 ID:iWrBvqGu
>>343 日本は、大乗仏教の国ですよ。勘違いしないように。
何を議論するのか決めたほうがいいよね。好き勝手言ってもまとまらない。
大きく分けると何が問題になってるんだろう。
>>184さんのレスを見ると
・大乗仏教の問題点
・葬式仏教の問題点
法然でも親鸞でも、少しも葬式仏教ではなく、本質は、
生ける者への救いであると思います。そこに戻れるかどうかではないでしょうか。
といっています。おいらはかじりたてなので詳しくわからないです。
なにが問題になってるんだろう?
346 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:37:42 ID:obfRvsOY
>>345 葬式佛教は、社会的機能を充分に果たしている。
大乗は、「自利利他」だけでも意味がある。
大乗の国日本に、「東南アジアの佛教」である小乗を持ち込もうとしている動
きが、警戒すべき最大の問題。
347 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:45:23 ID:HI/02/2e
大乗仏教を取るかどっちを取るかは個人の判断だと思うよ。
誰かが日本がこの先ずっと大乗仏教の国だと決めつける権利もない。
この先、どうなるかは分からないしね。
上座仏教を信仰しろと言うわけでもなくて、スマナサーラさんが指摘している問題点は一つの意見として参考にすれば良いんじゃない?
この突っ張って目を背けたければそれも良し。
>>346 >>347さんの意見の同意です。
自分が納得できるほうを選択できるのはいいことだと思います。
小乗が広まると何が悪いのですか?
お坊さんは困ると思います。
349 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:48:05 ID:Jo3Py8xM
僧侶が戒律を守らない(五戒すらなおざり)
葬式をこなすだけでいいなら強力なライバル(
>>50)はいくらでもいる
彼らに葬儀を任せるのは
冷蔵庫に残り物があったから手をつけてる、という程度の必然性に思えます。
維持していく基盤事体が危うくさせたまま続いてきてしまった。
350 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:57:41 ID:HI/02/2e
上座仏教の導入を警戒したければすれば良いと思います。
大乗仏教の問題点をうたった本や上座仏教系の本があれだけ売れているのにはやっぱり理由があるんじゃないの?
世の中みんなが仏教マニアでもないし、むしろそんな人少数派だし、宗教と聞いただけでアレルギーを起こす人もいるしね。
因果だな
352 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:04:12 ID:R7zDQ6ec
>>348 >小乗が広まると何が悪いのですか?
竜樹の「相互依存性・相対性」という「コペルニクス的転回」を経ない小乗仏教は、開祖盲信、原始仏典盲信の
カルト宗教。社会にとっては無益・有害。大乗仏教とは、ライト兄弟の飛行機と現代のジャンボジェット以上の
差がある。現代人が、ライト兄弟の飛行機などに乗るべきではなかろう。
353 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:09:21 ID:uwOI2J8S
では何故上座仏教系の本や大乗仏教の問題点をうたった本が売れているんでしょうかね?(笑)
354 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:12:23 ID:uwOI2J8S
この不景気に何故あれだけ売れているか不思議です。宗教に対する世間の目は厳しいのにも関わらず。
355 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:18:07 ID:uwOI2J8S
なんでそんなに優れた大乗仏教のお坊さんである南さんがスマナサーラさんに意見を聞くんでしょうか?
そしてあの安くもなくむしろ高くて分厚くて重い本が売れるんでしょうかね?
そんなに差があるなら買わないと思います。
生活にとって大切なものになるかならないかだ。
インテリだの仏教オタクにした用がないものが大切なわけがない。
生活に必要なものかどうかだ。
難しいことを難しい議論して凡俗のためになるか?
357 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:26:22 ID:cxjRohb6
>>353 >では何故上座仏教系の本や大乗仏教の問題点をうたった本が売れているんでしょうかね?(笑)
それは、小乗仏教側の布教が異常に熱心なだけw。キリスト教系とは異なり、
まともな大乗仏教は、そもそも、積極的に布教することはない。あまり布教す
る宗教は、カルトであり、すべて胡散臭い。
359 :
348:2009/10/23(金) 00:31:04 ID:7yLYpVn+
>>352 >竜樹の「相互依存性・相対性」という「コペルニクス的転回」を経ない小乗仏教は、開祖盲信、原始仏典盲信の
>カルト宗教。社会にとっては無益・有害
スマナサーラ本を読んでるけど、無益・有害というようには思えません。
知識がないのでわからないですが、大乗仏教において竜樹が重要な存在というのは知っていますが、
おいらは詳しくないので理解できません。議論できません。教えていただいたのにすみません。
質問ですが、このスレでは何を議論していったらいいと思いますか?
・大乗仏教の問題点
・葬式仏教の問題点 等。
日本仏教はこのままでいいという考えでしょうか?
360 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:31:27 ID:uwOI2J8S
竜樹がそんなに素晴らしいならなんで世間の人はもっとその本買わないの?
なんでスマナサーラさんの方が売れているの?それもあんなに差が出るの?
ある意味今のままでいいんじゃない?
所詮需要と供給だし。
不要なものは廃れる、必要なものは尊ばれる。
自己開発セミナー 人生のマニュアル みたいな感覚で売れるんじゃないですかね。
上座部は修行がマニュアル化して分かりやすいですから。藁をもすがりたい人は飛びつくでしょう。
でもだからって、良く知りもしない大乗を批判するのは、滑稽ですわ。
363 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:37:06 ID:uwOI2J8S
新聞では大乗仏教の本の広告の方がよっぽど大きいのは何故?
364 :
10:2009/10/23(金) 00:38:31 ID:18nrf0d8
>>353-354 >何故上座仏教系の本や大乗仏教の問題点をうたった本が売れているんでしょうかね?
個人的意見ですが、科学技術が発達したお陰じゃないですかね?
大乗仏教は、そもそもは「民衆の為」のものであったのに、いつの間にか寺院の維持を第一義にしてしまっています。
それにくらべ、上座部は、「個人の救済」ですが、今の上座部系の解説本は、「誰にでも出来る自己救済」を掲げています。
過去のインドや鎌倉時代では、暇もなく文字も読めないような大衆の為に、大乗仏教が発達しましたが、
今の日本は、過去の王侯貴族以上の生活を送っており、さらに、教育水準も高く、文盲の方も極めて少なくなりました。
故に、遥かに暇で、文字も読める人が多くなりました。
つまり、上座部の教義を理解する時間と教養のある人が増えたわけです。
ある意味、大衆にとっては、日本の大乗仏教より、上座部のほうが、「自分」を救ってくれる宗教となったんではないですかね?
本が売れるというのは問題とは関係ないように思います。
あまりおいしくないラーメン屋に人が並んでるみたいなもんかなと。
ガイドブックに載ったとか、宣伝がうまいとか。書店で特設コーナーがあるとか。
教義の良い悪い以外に他の係数もあるんじゃないでしょうか。
>>363 単純に出版社の力(及び販路)の差だろw
春秋社の広告と中山書房の広告が、同じ規模や範囲で為されるわけが無かろう?w
367 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:42:32 ID:uwOI2J8S
良く大乗仏教を知っているお坊さん自身が大乗仏教の問題点をうたっている本が普通に売れているのは何故?
みなさん、
大乗だの小乗だのという思い入れに加担することなく
精進してまいりましょう
369 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:49:11 ID:gvW5mcF8
>>364 キリスト教の影響だと思いますよ。原始仏教はキリスト教と親和性が
あるから、キリスト教に影響された仏教徒が群がってくる。
現在の佛教カルトを見ても、仏教と称しながら、キリスト教の影響が
半分以上入っている。
例の如く、キリスト教の世界制覇の一環です。大乗仏教徒は、真剣に
対処方法を考えなければならない。キリスト教の狂気は、感染力が
極めて強い。
370 :
10:2009/10/23(金) 00:49:18 ID:18nrf0d8
>>367 皆、暴露本が大好きだからでは?
どんな業界のものでも、自分のよく知らない業界を暴露してくれる本は、売れますからね。
371 :
10:2009/10/23(金) 00:51:32 ID:18nrf0d8
>>369 う〜ん、キリスト教の影響ですか?
上座部系の本は何冊か読んだことがありますが、キリスト教の影響には気が付きませんでした。
どのような所が、キリスト教的なんだとお考えですか?
372 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:53:22 ID:EGtnqGUd
>>354 そもそも、佛教は、キリスト教のような「救済宗教」とは異質な宗教
であるはずです。
373 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:55:21 ID:uwOI2J8S
今やたらと売れているスマナサーラさんはキリスト教のこと普通に批判してますよ(笑)
大乗仏教が本来、大乗仏典を信じるものであることが無視されている。
彼が持ち上げているのは、現代日本の大乗仏教が不活発だからだと思います。
目立ちもせず(異物として視界に入ってくることもなく)、
自分の常識に対して意義を申し立ててくることもない、
よって他の宗教よりは気の休まるものである、というだけですね。
>>367 現状に、はっきりとソレと理解しないまでも、漠然とした感覚的なものだったとしても、
疑問・違和感・すっきりしない感etc.を感じる人が多いから。
>>370 そういう面もあるでしょうねw 電車の中吊り広告はそれなりに面白いw
で、
「それ見たことかw」とほくそえんだり、「やっぱりなw」とレベルの低さに安堵したり、
「終わってるなw」と上から目線で断罪したりと、庶民感覚をくすぐる意味でも“スキャンダル”だからね。
また、「ベールが剥がされる」という事象は人を惹きつける。
(※秘境(の温泉)は、やはり人気スポットだしw)
376 :
10:2009/10/23(金) 00:59:32 ID:18nrf0d8
>>357 確かに、布教=カルトというイメージは強いかと思います。
とくに、ソウカの、折伏のイメージは結構強烈だったと思います。
カルトであろうと、伝統宗派であろうと、一般人には区別つきませんからね。
本当に、世知辛い世の中になってきました。
子供に、「おはよう!」と声を掛けただけで、変質者扱いされかねない世の中ですからね。
(え?それは私がキモイからだって?w)
まあ、それに挫けず、仏教者たるものは、布教をすべきなんでしょうがね。
その点、上座部系の人は、新規参入の宗教でありながら、「仏教正統派!」のイメージ戦略を取っている為に、布教しやすいのかもしれませんね。
>>371 宗教上の意見をはっきり言うところ……
本来の大乗仏教もそうなのに、日本での状況がこうなので
見ないふりができる、ということだと思います。
378 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:03:31 ID:JXdI5ZqM
>>371 >>373 イエス個人を批判できていますか。そこがポイントです。
クリスチャンは、イエス個人は絶対に批判できず、専らすべての責任
を、「他の人間」に押し付けます。
キリスト教の最大の問題点は、「人間と自然とから隔絶した、異常な
精神性」「あるがまの人間に対する愛の欠如」です。佛教は、人間と自
然とから離れることは絶対にない。
379 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:08:08 ID:uwOI2J8S
仏教マニアが思うほど世間の人は大乗と上座の布教の差を感じてませんよ(笑)
というか上座仏教の布教なんて、全然たいしたことないと思っているよ世間の人は(笑)
380 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:09:40 ID:FxJjJnXU
このスレにも、キリスト教の影響を受けた小乗カルトが蝿のように群が
ってきていますね。まさにカルトである所以です。
381 :
10:2009/10/23(金) 01:12:24 ID:18nrf0d8
>>377 >宗教上の意見をはっきり言うところ
え〜と、それが上座部仏教のキリスト教的部分ですか……?
>>378 >イエス個人を批判できていますか。そこがポイントです。
えーと?
キリストを個人批判していない宗教は、全てキリスト教の影響を受けていると??
無視しているだけでは?
382 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:13:37 ID:uwOI2J8S
キリスト教の教会にいってスマナサーラさんの本を紹介して読む人たくさんいると思うの?
>>379 まあなw
今現在、正式に各宗派の檀家で、且つ当主として及び実務的に関わっている人たちの殆どが、
「上座部」という言葉すら知らないだろう。
TVの紀行物や時々(別テーマ(経済・文化・自然・食事等)でw)特集される番組で、
「東南アジアには、黄色い服を着たお坊さんがいる」程度のモンだろう。
東南アジアよりは知られてるにしても、(著作が売れてるにしても)、
チベットに関しても、どこまで正確に知られているかは、少々?マークがつく所だろうw
384 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:14:53 ID:uwOI2J8S
スマナサーラさんの本を買ってキリスト教に興味ある人なんて殆どいない。
386 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:20:49 ID:HR1I/SHR
>>381 佛教とキリスト教とは、本質的に異なり、対極的な宗教だから、本当の
大乗仏教徒であれば(但し、浄土真宗は佛教のキリスト教だから除外)、
当然にイエス批判に行き着くはずです。それができない者は、やはり
イエスに親近感を抱いていると考えてよい。
KKの亭白氏も、大川氏とキリスト教との関係を突かれて、このところ、
そのコテでは書き込んでいません。
387 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:24:34 ID:uwOI2J8S
スマナサーラさんがイエスに親近感なって持ってないよ(笑)
大乗のお坊さんからイエス批判も聞いたこともない
388 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:25:06 ID:PED9f4MC
「すべての宗教は、キリスト教の影響があると、例外なくカルト化する」。
これが私の多年のカルト研究の結論です。
389 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:30:36 ID:uwOI2J8S
俺はその研究成果がむしろ大乗仏教の評価を下げると思うぞ(笑)
390 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:37:31 ID:LE4vBvyo
案の定、イエスを批判すると、スレが騒がしくなってきましたねw。
391 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 01:43:48 ID:H+MzbexC
ここの方で、イエス個人をきっちりと批判できる方がいますか。できる
方がいれば、やって見せてください。
393 :
煩悩の炎:2009/10/23(金) 02:12:37 ID:PUIckDPe
現在、某新興宗教団体が仏陀再誕などという映画を公開してプロモーション活動をしていますが…
釈尊の尊さを軽薄なものにしていると自分は思うのです。
良きにせよ悪しきにせよ仏教は寛容です。新興宗教に好き勝手にされている現状を伝統仏教が何とかしない限り、思想的な再興は無いと思います。
質問ですが、このスレでは何を議論していったらいいと思いますか?
・大乗仏教の問題点
・葬式仏教の問題点
・大乗仏教と上座部仏教
395 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 02:28:59 ID:cahMYndx
それは大川何とかさんの事ですか?
もし覚醒者ならば、あの顔はないでしょ
書店であの顔を見て、何?この顔・・と思わない人は仕方ないよ
ブッタの再来なんでしょ。あのポヨッとした顔はなんですか?
ブッタなら覚醒者でしょ?
覚醒者は美しい顔をしていますよ
顔の造りの事でなくて、目がカァッと光っていますよだってね、覚醒という字を見て下さい
存在になった人ですよ
そして顕らかに質素な佇まいであるはずです本当の人はね
396 :
煩悩の炎:2009/10/23(金) 02:50:41 ID:PUIckDPe
>>395 2ch内ではバカボンと称されていますね。
息子は外車を乗り回して贅沢三昧しているとかいないとか…
豪奢を捨て清貧を選んだ釈尊とは大違いですね。
397 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 11:02:02 ID:P5CUMRrb
398 :
10:2009/10/23(金) 11:06:18 ID:18nrf0d8
>>391 いやさ、キリスト教興味ないですからw
ここ仏教のスレですよ?
なんというか、キリスト教に詳しくてキリスト個人を批判できないと、キリスト教シンパだという理論は、チョットおかしくないですか?
例えば、
「あなたは、バハイ教について批判できますか?
出来なければ、バハイ教の影響が濃すぎるんじゃないですかね?w」
399 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 11:20:08 ID:/rIhnexr
>>398 >いやさ、キリスト教興味ないですからw ここ仏教のスレですよ?
いやしくも「宗教」を語る者が、「キリスト教は興味ないですから」では
済まないのでは。キリスト教は世界最大の「宗教」ですよ。バハイ教とは
規模が違います。故意にイエス批判を避けているのではないですか。
400 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 11:36:22 ID:uwOI2J8S
ではあなたイエスのどこがいけないのか【分かりやすく】説明してください。
401 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 11:40:20 ID:uwOI2J8S
大乗仏教って意固地な人が多いんだな(笑)
スレ主さん、傍観してないで何かコメントを(笑)
402 :
10:2009/10/23(金) 11:40:58 ID:18nrf0d8
>>399 そういう論調なら、なんでイスラムとか、ヒンドゥーについては言及しないの?
キリスト、イスラム>ヒンドゥー>>仏教 でしょ?
日本における影響だけを考えるなら、
神道>>儒教>仏教>>キリスト教 じゃない?
なんで神道を無視するの?
むしろあなたの方がキリスト教にこだわりすぎなんでは?w
403 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 11:43:48 ID:uwOI2J8S
大乗仏教はキリスト教に執着しているね
404 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 11:45:11 ID:uwOI2J8S
上座仏教とキリスト教の繋がりを示す文献と箇所を教えてください。
>>235 むしろ「戦争中は中国人の殺害に能率をあげてきた」
というような事をいっている。
「空教」の恐ろしさだな。
406 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:03:37 ID:nQejYg1d
キリスト教の教えには、部派仏教の影響がある、という説もあるね。
例えばユダヤ教にはアガペー(愛、慈悲)なんて思想はまったくなかったのに、
イエスになって、いきなり「愛」なんて言い出した。
このころには、部派仏教の一派が中東近くまで、布教していた可能性もあるらしいし、
(イエスの出現は、仏教の500年くらい後)
仏教の慈悲の思想の影響を考慮にいれないと、いきなりアガペーという教えが
降って涌いた理由が不明。
407 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:08:11 ID:nQejYg1d
澤木興道はちょっとね・・・まずい人だけど、やけに仏教スキーには人気あるよね。
たくさんの人を殺したのにね。なんでだろ?
禅と武士道の精神が通じるところが関係あんのかなー?
408 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:13:23 ID:nQejYg1d
>>402 まあ、ここは日本仏教について議論するスレだから、
キリスト教は横に置いといた方がいいでしょうね。
409 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:23:20 ID:uwOI2J8S
なんだそもそもキリスト教が上座の影響を受けた訳ですか。
新興である大乗が訳の分からないことをいっているな。
410 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:40:38 ID:48KW6p6X
>>394 全部議論すればいいと思う。
いろんな立場の人がいるだろうし。
破戒僧容認かどうか。
葬式仏教容認かどうか。
大乗容認かどうか。
上座部仏教の日本での勢力拡大を歓迎かどうか。
>>406 おれはその説を採るね。
前からイエスは仏教を学んでいたんではないかと思ってた。
聖書の所々に仏教の教えらしきものがあるんだよね。
澤木さんって豪快で破天荒なイメージがあるから
日本人受けするんじゃないかな。
寅さんが好まれるように。
412 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 14:07:33 ID:tuBiXHny
>>406 >仏教の慈悲の思想の影響を考慮にいれないと、いきなりアガペーという教え
>が降って涌いた理由が不明。
アガペーは、イエスが舞い上がったギリシャ哲学の用語の猿真似。当時の
ギリシャ文化の中心地であったセフォリスは、ナザレから約6kmの距離に
あったから、イエスもしばしば訪れたはず。
労働をすべて奴隷にまかせたギリシャ人たちは、だらしなく寝そべって飲み食い
しながら、果てしなく観念論を語り合った。アガペーもその一つ。
アガペーは、人間の自然の心情から発した「他者への思いやり」ではなく、
観念による「人工愛」である。佛教の「慈悲」とは、本質的に異なると思う。
413 :
しんらん:2009/10/23(金) 15:30:48 ID:gX3AUAD/
浄土真宗は悪人正機てゆう言葉があります
悪人と言っても一般的な悪人ではなく
私達衆生の事です
私達はあれが欲しいという物欲(貪欲)や思い通りに行かないと怒りが溢れたり(眞恚)他人を羨ましがったり(愚痴)煩悩具足の私達であります
それだけでは無く私達は心中で親を殺したり師を殺したりします(解りづらいですが悪口の事)この煩悩具足の悪人である私達を救いたいと阿弥陀如来は重ねて誓ったのであります
>>412 > 労働をすべて奴隷にまかせたギリシャ人たちは、だらしなく寝そべって飲み食い
> しながら、果てしなく観念論を語り合った。ア
それはローマ人であってギリシャ人ではない。ギリシャ人はむしろ奴隷。
>>413 真宗の人はよく本質とは関係ないという風なことを言って一蹴するけど
重要なことだよ
前にも書いたけど無量寿経の梵本の冒頭には「オーム オーム」と連呼する帰敬文
があること 阿弥陀仏の師匠の世自在王の梵名はローケーシヴァラいわゆるシヴァ神であること
よってインドにおいてこの経を信奉していた人々は半ヒンズー教だったと予想される
何が「神祇不拝」だよ
これも本質とは関係ないと言って無視するけど
観無量寿経において当時のマガダ国に存在しないぶどう酒が登場すること
聖徳太子がコカコーラ飲んでるみたいな話だよ
これも「話自体は全部フィクションです」と認めるべき
416 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 16:47:03 ID:gX3AUAD/
そうゆう回答しか出来ない人は浄土真宗の教えを深く知らないから
417 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 18:02:11 ID:+tJ9EInx
真宗は(悪い意味で)祖師崇拝の鏡みたいな所があるからなー。
祖師の考えた教義が絶対で、それに異論とか唱えたら異端あつかいされるし。
熱心な門徒さんには悪いけど、ちょっと浄土真宗は異質すぎて仏教とはよべないような・・・とかいいつつ実家のお宗旨なんだけどw
真宗はキリスト教の仲間だと考えたほうが、むしろ本質をとらえてるんじゃないかな。
修行は否定して、阿弥陀仏をただ信じればいいっていうのが、あきらかに一神教的だし。
418 :
前世は一在家:2009/10/23(金) 19:28:28 ID:TlM7eaCV
最近、この板を留守にしておりましたら、キリストの話題も
増えておりますね。
古代ユダヤ教には、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派が
あって、初めの2つの派はイエスの命を狙いましたね。
イエスの師匠のヨハネはエッセネ派の可能性が高いそうですから
イエスも元はエッセネ派だったのでしょうか。
現存する最古のユダヤ教経典はなんだと思いますか?
最新の年代測定技術で鑑定され、死海近くの洞窟で発見された
「死海文書」ですね。
「死海文書」の一節に、「全ての人には光の箇所が宿る」という法
が説かれております。
さて、法華経と涅槃経?でしたか、「全ての人に仏性が宿る」という法
が説かれていたのは。
419 :
前世は一在家:2009/10/23(金) 19:33:52 ID:TlM7eaCV
仏教板とはいってもイエスの悪口はあまり言わないように。
マタイの福音書でも自ら「人の子」と説かれております。
神の子の一人、神の預言者を「神自身」だという洗脳をかけたのは、
例の三人組(ヨハネ福音書の作者、他2名)だということは聖書研究者
の間ではある程度認知されつつあるようです。
大乗仏教でも「机上で空を論じ」にて時間を否定して、因果応報の法や
輪廻の法を否定する洗脳をかけた方もおられるようですね。お相子。
彼の辞世の言葉は「君は私がいないほうが良いと思うか。」でしたね。
現代でイメージされるイエスも釈尊も、一部の宗教的天才が作り上げた
ようですが、元は以外に近く、共通の法を説かれたこともあるようです。
また調査してアップ致します。
なw こういう奴↑と戦うためにも、どこかのどなたかさんのスタンスじゃ力不足なんだよw
(てか、同類と見做されがちだという自覚はあるかい?w)
奴らには、ガツンと拳を叩きこむべきなんだよw
421 :
前世は一在家:2009/10/23(金) 20:17:55 ID:TlM7eaCV
>>308 >いいえ、菩薩というのは2つ定義があって、
>大乗「あえて仏にならずに、この世の衆生を救うために輪廻し続ける修行者」
>上座部「未来に、自ら最初の正自覚者となって、その時代の仏陀になることを目指す修行者」
>です。 どちらも、出家して修行しないとダメ、ですよね?
私見ですが、衆生済度を発願する菩薩がいつまでも出家しているでしょうか?
確かに日常生活は因縁が複雑で多過ぎて、因果応報の法も縁起の法も悟ることが
極めて困難だということには同感です。
やはり、出家して人のいない自然界で正しい生活と瞑想に入るのが良いとも思います。
でも、法を悟った覚者はまた娑婆(日常)に戻ってきて、衆生救済の為に四諦や
八正道などを説かれるのでないかと思料します。
そういう聖者が仏教界でもいるのではないでしょうか。
422 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:07:28 ID:gX3AUAD/
まだ解ってないようですね
真宗はなぜ勢力があるのか
それは小さい子供からお年寄りまで幅広い年代で親しまれているから
生まれたときからあっただけ。
親しみといえば親しみがあったかもしれんけど実用性にかんしては???。
だったのはおれだけだろうか?
>>417 他力易行門と言われる真宗も
己の生死を預けきるというのは
自我のサレンダーでありなかなか
できるものではないよ。
その境地は自力聖道門の禅に匹敵する。
>>418 イエスがエッセネ派だったことは多分
間違いないでしょう。
法華経との関係はちょっとこじつけすぎかなと。
イエスの本質を見抜いたのは
最近ではバーナデット・ロバーツでしょう。
求道心のある方は
ロバーツ女史の「自己喪失の体験」は何を置いても
読むべきです。
完全キリスト教否定論者の私でも
認めざるを得ない、そういう凄まじい著作です。
>>420 だからさ、セブンイレブンはさ、どうして思春期真っ只中みたいなさ
解答されない苦を抱えてさ、追っ手のイノシンみたいにね
ゼーハーゼーハーしているのかね
それとあたしは気まぐれに書いているから
途中、誰かと同類に括られていても
流れが早かったりして見ていない、気づいていない事が多いかも
気にしないし、気にしても仕方ないそれと読んでも意味解らん、何これ脳内スルーが多い
しかしセブンイレブンよ、君が苦しいというのは解る
解るけど、すごく眠いんでね、また
>>425 > だからさ、セブンイレブンはさ、どうして思春期真っ只中みたいなさ
> 解答されない苦を抱えてさ、追っ手のイノシンみたいにね
> ゼーハーゼーハーしているのかね
それが、(無明に囚われた)凡夫ってもんじゃないのかね?w
それから、 >同類 ってのは、『“このスレで”とか、“2chで”とかじゃない』よ。
(リアルで)、世間で何かを発言した時、「違いをなかなか理解して貰えないケース」ってことさ。
> 君が苦しいというのは解る
苦しくない凡夫ってのが居るのかね?w
おやすみ。 いい夢を・・・。 ノシ
427 :
10:2009/10/23(金) 22:15:50 ID:18nrf0d8
429 :
10:2009/10/23(金) 22:29:58 ID:18nrf0d8
>>428 べつにw
コテハンなかったから気が付かなかっただけw
>>417 阿弥陀を信じてればいいのではなく
一遍の疑いをもつことなく信じることが煩悩だらけの今の自分に可能かってことが問われている
要するに真宗では信じることがが極まりを表すわけで
勿論自分の利のためだけに浄土を願うってあり方は当然間違ってるわけで
日本仏教は、昔から政治権力と結託して実質的な財政援助を受けることで
生き残ってきたんだから、これからもそうすりゃいいじゃん。
政治に対する圧力団体として生きていけばいいじゃん。
檀家制度が出来るまでは庶民(人口の9割以上)の「信者」なんてのは、ほぼいなかったはず。
一種の大衆カルトである真宗と日蓮宗は別ですが。
今の日本仏教の問題点は、檀家制度を外した後に、他に理屈がないから
「自主的信仰」によって寺に世話になってますというような虚構を続けているところ。
ほとんどの檀家は「信仰」してないよ。
念仏も唱えないし、題目も唱えないし、坐禅もしないよ。
こういうところに来る人は仏教に興味のある人だから、信仰しているという人も多いだろうけれども。
>檀家制度が出来るまでは庶民(人口の9割以上)の「信者」なんてのは、ほぼいなかったはず。
それはありえない。証拠(データ)がないのに、現代の廃れた宗教事情から想像して書いてるだけ。
>今の日本仏教の問題点は、檀家制度を外した後に、他に理屈がないから
>「自主的信仰」によって寺に世話になってますというような虚構を続けているところ。
惰性と世間体で檀家やってるだけじゃないの?
>ほとんどの檀家は「信仰」してないよ。
ふつうの人は身内が死んだら、坊主のお経や葬式で弔って欲しいと思うだろ。
別に信仰してなくても、なにがしかの権威ではあり続けてるんだと思う。
SEVENよ、おはよう、お陰様でよく寝たよSEVENよ。
それでね、朝からがっかりさせて悪いけど
何の話しだったかなと思っていたところで
一在家さんをやっつけるには、私のやり方だと、力不足?とかでしたっけ
ここの人は膨大な資料と知識のアイテムで、マニアに語っている
マニア人間であって、楽しそうにやってますね、くらいの感想だと
君の場合は怒ったりするだろうね
私には膨大な資料と知識の両方ともないから、またどうしましょだよ
それにしても、来世と、来々世も結構楽しみだ
何故ならまたしても苦を通して道が開くんだろうから
とか書くと君の場合イライラするのかね
苦は必ず尽きる生き物だから、心配しなくていいと思うよ
434 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/24(土) 10:23:09 ID:dy3QHJcW
>>424 >イエスがエッセネ派だったことは多分
>間違いないでしょう。
そうですね。
「死海文書」には宗教要覧が含まれており、エッセネ派の当時の信仰習慣
がよく分かります。
原始ユダヤ教と原始仏教との共通点探しも私のテーマの一つですが、まあ
焦らず着実に進めて参りましょう。
435 :
神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 10:32:31 ID:AIyhEM0Z
仏教のなかでは何宗が一番いいと思う?
436 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/24(土) 10:40:50 ID:dy3QHJcW
>>430 >阿弥陀を信じてればいいのではなく
>一遍の疑いをもつことなく信じることが煩悩だらけの今の自分に可能かってことが
>問われている
>要するに真宗では信じることがが極まりを表すわけで
>勿論自分の利のためだけに浄土を願うってあり方は当然間違ってるわけで
♪風の中の阿弥陀 草原の弥勒 街角の薬師 みんな何処へ行った♪
如来も菩薩も数百年前、数千年前と変わらず、ここにおられるのでしょう。
ただ、一遍の疑いを持つこともなく祈り、衆生救済の想いで祈った時、
波調がぴったり合うのでしょう。
私は異教ですが、如来も菩薩も実在すると信じております。
イエスはハシディームだよw
エッセネはありえないなw
もういい加減イエス様マンセーは撤退してくださよw
ここは仏教スレだからさ
439 :
神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 11:07:07 ID:JxiIxtpY
僧侶たちが自由時間に、風俗に行き、女買ったりするのは普通にあることですか?
以前は僧侶が漫画読んだり、女を乗せたいい車を乗っているのを見て、なんだ普通の人と変わりないな、あるいは逆に僧侶なのでらしくない、タチが悪いと思いました。
どうなのでしょうか?
440 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 11:12:46 ID:L1993HB9
おはようございます!
1名ほど、イエスに異常なまでに憎悪を燃やしている人が参加しています。
ここでは全くのスレ違いですので、
そういう人はキリスト教関連スレでクリスチャンたちと存分に議論するになり、
他のキリスト教批判のスレにて自己主張を展開願います。
また、キリスト教に関係した深い話題についてもどうか他の専用スレでお願いします。
>>438 他スレでならば歓迎します!
---以上、宜しくお願いします。
441 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 11:16:33 ID:L1993HB9
>>439 それは、ただの職業としての僧侶。
葬儀屋、お寺の経営者としての意識しかない方々なのでしょう。
中には本物の修行者としての僧侶たちも当然います。
>>326 セブンEleven
“宝珠っぽい”って、ソレはなんですかぁ〜^^
そんな言い方すると皆んなが真似するじゃないですか!!!
ま〜、確かに似た感じはあるwww
>>333>>339 著書、『出家の覚悟?日本を救う仏教からのアプローチ 』は間もなく着便予定です。
>>436 >私は異教ですが、如来も菩薩も実在すると信じております。
いてもいいから〜www
けれども、そういう存在に自己の救済をお祈りするなんていうのは仏教ではこれを説かない。
少なくとも、解脱への方法論としては認められない、そんな教えは仏教には存在しません。
阿弥陀教なる宗教があってもいいのです。
けれども、それは仏教ではない。ゴータマはそんなことは説いてないということ。
442 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 11:23:18 ID:L1993HB9
エーと、
私の摂る理想仏教へ向けた基本スタンスはゴータマへの原点回帰です。
ただし、それは教えの本質となる核たる部分なのであり、
決して欠いてはならない中心的な、または基本的な部分についてです。
つまり、
http://houjugusya.web.fc2.com/subject.htm で、上げられている
「無常、無我、縁起、空」などといった教えと、
そしてこの教えの背後に在るところの業報輪廻と転生の概念です。
実践の形態と様式というのは、時代と場所や国柄と民族性などよって変化していき、
そこに相応しいものに変わっていく・・。また、それと同時に、
仏教としては取り入れるべきではなかった筈の「他力」思想の問題があるわけです。
>>233のスレ主1さんには基本部分では同意。
日本にもスリランカ上座仏教/テーラワーダからスマナサーラ氏が来たということは、
日本の仏教界にとっては学ぶべき点が多々ある筈。
ただ私は、何も上座部マンセーではないし、
スリランカなどの南方系そのものが最高の理想形だとは見なしていません。
かといって、どれもこれも無くすべき(改善)というよりは、
上座部も日本の現状大乗も、これを良しとして望む者にはこのまま残されていたほうがいいのかな?
などと最近は考えています。要するに、今の大乗が大改革を図るなどということを期待することよりも、
理想的な新しい一宗派が建つことのほうが早くて、
それにより選択枠が広がっていくことのほうが遙かにいいように思えてきました。
自分で考え自分で選択していくことが最も望ましい筈であり、
それを望む者には常に開かれているという世界です。
443 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 11:25:07 ID:L1993HB9
しかしながら、
“仏教の本質部分”と“ゴータマへの原点回帰”というだけで、
反発意識から排除しようと躍起になる人がいるのが業報輪廻思想の問題なのです。
これを除外して仏教理論は成り立たないという基本すら無視しようとする自称仏教者が多数いることです。
これらの人々の反対理由というのは、人間の転生現象というのは事実としては確認されない、
などという凡そ仏教者らしからぬ唯物主義を持ち出して、
尚且つ、まるで人間社会の差別問題を形成したのが仏教(この思想)のせいである、
とも言い兼ねない姿勢を見せています。
第一、輪廻転生を説かない仏教諸派などは基本的にはないのであって、
近年になってから真宗の一部がこれらを理由にして、
輪廻転生論はバラモン思想が混入したものだなどと言い出した。
一部の人間差別(戒名差別などもしてきた)を行ってきた僧侶らのせいで、
仏教の根本思想までも差別思想などと誤解するというのは冗談ではないのです。
*時間的になかなか投稿できなくなってきていますので、ご了承願いします。
ひところ世尊は、サーヴァッティの郊外、
ジェータヴァナのなかのナータビンディカの園におられた。
そのとき、尊者マールンキャプッタは人影のないところへ行って静思していたが、
その心に次のような考えが起こった。
「これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。
すわなち ---
世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、
世界は有限であるとか、世界は無限であるか、
魂と身体は同一なものであるとか、魂と身体は別個なものであるとか、
人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか…、
これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。
世尊がわたしに説かれなかったということは、わたしにとって
嬉しいことではないし、わたしにとって容認できることでもない。
だからわたしは世尊のところへ参って、この意味を尋ねてみよう……。
もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、
わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう。」(中略)
445 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 11:33:22 ID:L1993HB9
>>434 だそうです-大いに助かる解説かと。
・奈良仏教系
@法相宗
インドの唯識瑜伽行(ゆいしきゆがぎょう)派の系譜を引く。
唯識学は、あらゆるものごとは心の奥深くにある阿頼耶識(あらやしき)より生じると考える。
A華厳宗
華厳経の考究を旨とする宗である。
この経典には「一即一切、一切即一」、「無尽縁起」などの思想について述べられ、
あらゆる物事とあらゆる物事の結びつきが壮大なスケールで説かれている。
B律宗
それまで日本では正式な受戒が不可能であったため、
唐から鑑真和上を招き、四分律という戒律を伝えた。
奈良仏教系は学問宗であり、基本的に檀家を持たず葬式もしない。
・平安仏教系
C天台宗
法華経を所依の経典とするが、密教をも併せ持つ。
また、禅(禅定)・円(法華)・密(密教)・戒(戒律)の四宗融合ともいわれる。
そのため比叡山から後代に鎌倉仏教の祖師を多く輩出した。
D真言宗
大日如来を本尊とし、所依の経典は大日経、金剛頂経等の密教経典であり、即身成仏を目指す。
446 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 11:34:23 ID:L1993HB9
E融通念仏宗
一人の念仏がすべての人に融通し、
すべての人の念仏は一人に融通するという融通念仏思想に基づく。
一宗として独立するのは後代であるが、良忍上人が平安時代の人物であり、
また所依の経典は浄土経典ではなく華厳経と法華経であるためここに分類した。
・鎌倉仏教(浄土系)
F浄土宗
本尊は阿弥陀如来とし、所依の経典は浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)で、
浄土往生のために称名念仏(南無阿弥陀仏と称える)を行うことが阿弥陀仏の本願にかなうとする。
G浄土真宗
本尊、所依の経典は浄土宗に同じ。
親鸞聖人は法然上人の門弟で、自らは開宗の考えはなかったものの、歴史的に別の宗となる。
信心を強調し、信心を得ることにより浄土往生が定まると説く。
日本仏教界では最大の宗である。
H時宗
本尊、所依の経典は浄土宗に同じ。
一遍上人は踊念仏により教えを広めた。
すでに極楽往生は定まっていると考える点が教えの特徴である。
・鎌倉仏教(禅系)
I臨済宗
同じ禅の曹洞宗に比し、公案(師匠から弟子への問題、いわゆる禅問答)を解くことを重視し、
看話禅(かんなぜん)といわれる。
J曹洞宗
「只管打坐」といい、ひたすら坐禅することを重視し、黙照禅(もくしょうぜん)といわれる。
「マールンキャプッタよ、
わたしはおまえにそのようなことを教えてやるから、
わたしのもとにきて修行せよ、と言ったことがあるか。」
「師よ、そのようなことはありません。」
「マールンキャプッタよ、
わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、
愚かにも、おまえはわたしがそのように説くことを要求し、
そのようの説くことをしないわたしを拒もうとしている。(中略)
マールンキャプッタよ、
人間は死後も存在するという考え方があって
はじめて人は修行生活が可能である、ということはない。
また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて
人は修行生活が可能である、ということもない。
マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、
人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、
悲嘆苦憂悩はある。
現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである…。
マールンキャプッタよ、
ゆえに、わたしが説かないことは説かないと了解せよ。
わたしが説くことは説くと了解せよ。」
以上のことを世尊は語られた。
尊者マールンキャプッタは歓喜して世尊の教説を受け入れた。
(「毒矢のたとえ」、長尾雅人編集『バラモン教典・原始仏典』、中公バックス、473〜478頁)
448 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 11:35:31 ID:L1993HB9
449 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 11:47:35 ID:L1993HB9
>>444>>447 それは、
「有」や「無」といった世俗の概念では把握できないということであり、
(通常は)形而上の存在は現象界では認知されないし、
認知できないものに対する形而上学的論議は時間の浪費となる。
弟子たるものは修行して実体験すれば分ることだ、
として教えたものです。
輪廻転生は事実として起こっているが、
凡夫がこのままでそれを認知することはできないということ。
仏陀は大いなる超常能力で森羅万象の背後に在るその全ての摂理を見たのであり、
体験として事実だと述べています。だから仏陀なのです(一般人と同列に扱っては真実から逸脱します)。
これは修行者がいずれは同様に、これを悟る段階に達すると説いており、
その意味で、
まさに、「わたしが説くことは説くと了解せよ。」
>>447です。
450 :
10:2009/10/24(土) 11:54:29 ID:nQcCFsr6
>>440 全くその通りですね。
キリストについて語りたいなら、キリスト系のスレに行って欲しいです。
>>441 >阿弥陀教なる宗教があってもいいのです。
>けれども、それは仏教ではない。ゴータマはそんなことは説いてないということ。
この辺が私と決定的に違うんですよね。一般人の感覚としては、阿弥陀教=仏教だと思うんですよ。
むしろ、あなたの言う「仏教」を、「ゴータマ教」と名づけて、切り離したらいかがです?
>>442 またスタート地点に戻りましたが、無常・縁起はいいとして、無我よりは非我、空も微妙だと思うんですよ。
そして、業報輪廻についても、質問スレで散々聞いたんですが、結局「なんで仏教の根本なのか?」に対する答がありませんでした。
日本仏教が「仏教」ではない、というのは、上でも言いましたが、不毛な指摘だと思います。
私は別に、「ゴータマへの原点回帰」自体を批判してるわけではないんです。
つまり、今の日本仏教を改善していく為には、「釈迦の説いた事と同じか」ではなく、「今の日本にふさわしい教えか?」という判断基準が必要だと思います。
その結果、「釈迦の教えは現代でも通用する」となって、釈迦の教えに戻るなら、私は何も言いません。
ですが、初めから「釈迦の教えが真理であり、釈迦の教えに戻れば全てが救われる」という結論ありきの議論は本当に不毛です。
451 :
10:2009/10/24(土) 11:54:32 ID:nQcCFsr6
>>443 業報輪廻についてですが、質問スレで散々質問したんですが、おもわしい回答が得られませんでした。
なんで、輪廻(生まれ変わり)は起きるのか。そのシステムはどういう仕組みなの?
なんで、悟ると、輪廻(生まれ変わり)は起きなくなるの?
なんで、輪廻(生まれ変わり)が起こるという根拠はあるの?
業報輪廻が仏教の大前提だとおっしゃる宝珠愚者さんなら、スマートな回答をしてくださるものと思います。
ちなみに、質問スレでの回答は、
「仏教における輪廻とは、インドの言葉で、「この世に生まれて死ぬ」という意味で使われてたから、転生(生まれ変わり)という意味ではない」
というのが一つの結論のようでした。
是非、仏典に書いてあるからとか、ブッダがそう言ったとか、縁起を悟れば分かるとか、
和辻的解釈だからダメとか、実存的解釈だからダメなんだとか、俺は超能力で感じ取れるからわかるとか、
回答になってない回答をするのではなく、
「現代日本人に分かるような解説」をお願いします。
452 :
神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 12:01:16 ID:NEwGiagP
>>440 >1名ほど、イエスに異常なまでに憎悪を燃やしている人が参加しています。
>ここでは全くのスレ違いですので、
キリスト教崩れの神智学信者も、全くのスレ違いですので、ご遠慮ください。
453 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 12:20:34 ID:L1993HB9
>>450-451 >この辺が私と決定的に違うんですよね。一般人の感覚としては、阿弥陀教=仏教だと思うんですよ。
>むしろ、あなたの言う「仏教」を、「ゴータマ教」と名づけて、切り離したらいかがです?
>日本仏教が「仏教」ではない、というのは、上でも言いましたが、不毛な指摘だと思います。
>ですが、初めから「釈迦の教えが真理であり、釈迦の教えに戻れば全てが救われる」
>という結論ありきの議論は本当に不毛です。
簡単に一言でいうならば、
本来の仏教と何かが日本には知られていなかったからであり、
それは、一般においては尚更のことなのです。理由はこれに尽きます。
では仮に、
「仏教を装った仏教じゃないもの」と「仏教」の二つというより、
「日本仏教」と「ゴータマの根本思想」の二つでもいいでしょう。
しかし、やはり正しくは仏教とはいえないものが仏教と称されて民衆に与えられてしまったということ。
その事実関係の把握が必要だと思うわけです。
で、それは知られつつあるというのが、今の現状なのです。
質問スレでのあの一連の輪廻についての問いは、あなたからだったのですか!
あなたからの問い掛けというのは、現代一般人として出されて当然ともいえる
実に正当な疑問点ばかりだったものと、私は評価しています。
なるほど〜より了解できました^^
ただし、私があなたの納得いく回答を提示できるとは限りません。
多くの投稿は過去のシリーズ転生スレで述べてきてはいましたが・・。
454 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 12:22:05 ID:L1993HB9
ただし、
このスレ内で輪廻転生の議論を始めるとまた大掛かりになり、
また、残念ながら何やら大勢の荒しもやってきて、
他のまた大切な話題が全くできなくなってしまいます。
それで、
私はシリーズ転生スレの継続の必要を呼びかけているわけです。
http://ime.nu/houjugusya.web.fc2.com/thread.htm >「現代日本人に分かるような解説」をお願いします。
このご意見には私は賛同しますよ。
「現代日本人が理解できるものでなければ意味がない」という考え方については、
この私は、セブンやあなたと同じに見ています。
しかし、最近はそれすらも俗物視し兼ねない例のアジャリさまが幅を利かせていますw
残念ながら、経典内容の理解や知識では誰も適いませんからねぇ^^
私も実際、仏教が専門ではありませんし・・・。
また、暫く投稿できません---失礼します^^
455 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 12:28:49 ID:L1993HB9
>>454 タイトルは「輪廻転生説はどう扱われるべきか」がいいんじゃないでしょうか。
「説いた」ことは既に明らかなんですから。
457 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/24(土) 16:34:25 ID:toED4E/R
>>407 >澤木興道はちょっとね・・・まずい人だけど、やけに仏教スキーには人気あるよね。
私見ですけど、禅者というのは無意識的に精神が強靭になってきますよね。
これは経験則において、戦国時代に武士が禅を支持してきた、ひとつの理由。
例えば、
禅と関係する「茶の湯」ですけど、
一見繊細に見える茶の湯ですけど、非常に男性的な文化です。
明治期以前は、あれは「男の文化」ですから。
(利休は非常に激しい性格してます)
>たくさんの人を殺したのにね。なんでだろ?
ああ、これもなんか分る気がしますね。
禅者特有で、澤木に通じるもんを持ってるんでしょうね。
茶道をやってる男性は、より男性的に
女性は、より女性的になりますね。
つまり男と女は、茶道に「求めてる」ものが根本的に違う。、
458 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 17:06:33 ID:L1993HB9
>>456 その通りですね!-なるほど納得です。
では、ちょっと相応しい内容を考えておきます^^
459 :
神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 17:10:22 ID:UVeAT9Ga
>>458 キリスト教崩れの神智学信者はご遠慮ください。スレ違いも甚だしい。
神智学のスレ過疎ってるけど、
自分の本分に戻ったらどう?
仏教すれじゃいつまでも荒らし扱いなんだし。
461 :
10:2009/10/24(土) 17:30:01 ID:nQcCFsr6
462 :
10:2009/10/24(土) 17:32:28 ID:nQcCFsr6
>>456 質問スレの某人の説によると、仏典に説かれる「輪廻」とは、世間一般で言われる「生まれ変わり」の意味では無いそうです。
つまり、極論を言えば、「輪廻は単語的には説かれているが、輪廻転生(業報輪廻)は説かれていない。」という事のようですよ。
463 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/24(土) 17:54:13 ID:L1993HB9
>>460 ご心配には及ばすです。
神智学でもヒンドゥーでも、同信奉者同士による議論のようなものは殆ど起きないのです。
混乱による同信奉者同士による議論が常に生じているのが仏教。
私は“呼ばれた”のです。
仏教の議論が活性化するようなスレ立てを、ということでね。
何もこの私の主張の全てにあなた方が同意される必要はないわけです。
>>461 >もしかして、「ゴータマの仏教のみが至上であり、それ以外は糞」と仰りたいんですか?
もちろん重要な意味があるからです。
答えは簡潔明瞭なのですよ!
転生議論は専用スレが立ってからにしませんか?
>>463 >もちろん重要な意味があるからです。
>答えは簡潔明瞭なのですよ!
ほんと、お前は日本語に不自由な奴だな・・・w
そうではなくて、《『現代日本に役立たない』ならば、原点回帰に『意味はない』だろ?》
と、10氏は言ってるんだよ。 何で判らないかなぁ・・。
貴方が答えるべき内容は、
《原点回帰は「コレコレこういう理由、側面でもって」現代日本に於いて役立つし意味がある》
というものじゃないのかい? 10氏の求めた回答はそういうことなんじゃないのかい?
(※どこかのどなたかさんも似たようなはぐらかし方をするが・・・w)
465 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/24(土) 18:53:39 ID:cD6RTZiM
>>441 >>私は異教ですが、如来も菩薩も実在すると信じております。
>
>いてもいいから〜www
>けれども、そういう存在に自己の救済をお祈りするなんていうのは仏教ではこれを説かない。
まず如来と菩薩の実在を信じることが肝要でしょう。
そして、そういう存在に自己の救済をお祈りするよりも、
そういう存在と想いを一にすることの方が肝要かと存じます。
長部経典の三明経にも梵天と共生する方法(5つの条件)が説かれて
おりましたので、菩薩と共生する方法のヒントになるかと存じます。
釈尊は菩薩として前世記憶を持ったまま入胎する前は、梵天と共生していた
という説法の記載もありましたね。
466 :
10:2009/10/24(土) 19:12:22 ID:nQcCFsr6
>>463 >もちろん重要な意味があるからです。
さきに
>>464さんに端的に言われてしまいましたが、その「重要な意味」の内容を知りたいんですよね…
>転生議論は専用スレが立ってからにしませんか?
輪廻について、先に言い出したのはあなたの方なんですが…。
まあ、質問されて「答えたくない」というのも答の一つですね。
>>461 今の日本にふさわしいのはドラッグです。
これが一番役に立ちます。
君はドラッグ教を立ち上げなさい。
釈尊に失礼だからお名前を出さないように。
目的は手段を正当化する、ってのは
大和民族の考え方ではないんだよ。
全然はぐらかしてない、あれが限界
よくいますよね、仏の道を学びながら
断固として神秘なものに背を向ける人
それならこの俺を信じさせてみろって
まぁ盲信なのも問題ですが、かたくなな拒絶にも
理由が隠れていると思う
しかし個人的にそこに切り込むには、まだ途方もない回り道をようする
余談だけど私の少ない資料に確か、龍樹菩薩も瞑想の終盤に
ガタピシ震えながら阿弥陀様に助けを求めたとかあったと思う
469 :
10:2009/10/24(土) 21:21:16 ID:nQcCFsr6
>>467 >今の日本にふさわしいのはドラッグです。
>これが一番役に立ちます。
ドラッグは、一時的には快楽を得て、苦を忘れる事が出来ますが、
覚めれば、全く状況は変わっていないばかりか、禁断症状に苦しむばかりです。
これは、釈迦が、思考停止に至る種類の禅は役に立たないと捨てたのと、同じです。
おそらく冗談だと思うのですが、冗談にしても、釈尊の名前を汚しすぎではないですか?
>目的は手段を正当化する、ってのは、大和民族の考え方ではないんだよ。
「現代日本人」にとっては、普通の考えだと思うんですが。
あなたも、「昔の日本に戻れば全て上手くいく」という考えの持ち主ですか?
だとしたら、余りに幼稚な考えではないでしょうか?
そうか・・。
やはり、私にセブンと呼びかける「どこかのどなたかさん」は、
どうやら二人いるようだ・・・。
さて・・・どうやって呼び分けようか・・・。
二三日拈提してみるわw
ノシ
471 :
10:2009/10/24(土) 21:32:28 ID:nQcCFsr6
>>468 誰のどの意見に対するレスなのかが不明ですよ。
そのせいで、何を言いたいのかも意味不明です。
ちなみに、誰も「断固として神秘なものに背を向ける人 」は居ないと思うんですが?
ある主張に対して根拠を求めた結果、「個人の感覚で感じた」という根拠しかないものに対して、
「それでは、妄想と何が違うの?」という突っ込みをしている程度だと思いますが?
誰の事を言っているんですか?
>>471 うん、セブンのことです
それが妄想となにが違うのかですか
そりゃ、どこまでも自分で確かめるしかない事ですけど、激論は続く・ですか
二人いるのか?神秘だわ
それじゃ
>>469 まあ、簡単に言えば君の考え方は
かなり戦後のどこぞの国の影響を受けている、
と思う。臭うんですよ。
自分では自分のことを合理主義で素晴らしいと
お酔いになっているようですが。
釈尊は禅定を捨てた訳ではありませんね。
仏教オリジナルの滅尽定を発見したくらいですから。
現在役にたつものだけを使えばいい、これは幼稚ですな。
第一それを判断するのは誰なのか。
意味がない、と一見思われることの中に
重大なことが隠されている、ということも
ありますわな。
>>474 宝珠のように、
「結果がどうなるかわからないけど、とにかく原点回帰しなきゃならないんだ!
だって、最初(のもの)が一番正しくて、一番役に立つ筈なんだ!
そして何より、“最初のもの”は大切にされ、継承されるべきであり、
もし、消失しているなら復活させなければならないんだ!」
的な態度もどうかと思うけどね・・w
意味がわからん・・・
477 :
10:2009/10/24(土) 22:26:58 ID:nQcCFsr6
>>474 ようするに、今の日本が混迷の時代に居るのは、全てアメリカのせいであり、
アメリカの影響の無かった昔に戻れば、全て上手く良くという説ですか?
それでは単なる懐古趣味です。
なぜ、合理主義がいけないのか、それをご説明頂けますか?
>釈尊は禅定を捨てた訳ではありませんね。
もちろん、釈迦が知恵を働かせる為に、禅定をテクニックとして使った事は知ってます。
禅定について私が否定したのは、「思考停止に至る禅」ですよ?
古きよき日本を懐古するなら、もう少し正確に日本語を読めるようになったらいかがですか?
>第一それを判断するのは誰なのか。
このスレの意義がソレだと思ってたんですが?
もしかして、単なる雑談だったんですか?
>意味がない、と一見思われることの中に重大なことが隠されている、ということもありますわな。
その通りだと思います。
ですから、頭から「昔が良かった。現状はダメ」といわずに、よりよいものを模索するんじゃないですか。
べつに、「釈迦の教えは全てダメ」と言ってるわけではないんですよ?
478 :
神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 22:27:08 ID:wnPRaaEj
少しは論理的思考訓練もしたらどうか?
最低限の読解力くらい身につけろよ
>>477 もう面倒臭いんだよね。
理屈でなんとかなる、と思い込む年代は
おれはとっくに過ぎてるしね。
少し書くと合理主義というのは拝金主義と同義。
日本人の民主主義という定義と米国の定義は違う。
かれらは民主主義という概念を利用していかに
自分達だけが金を儲けるか、ということを
考えている。
あとはなに?思考停止?
思考を停止するのが禅定だが?
思考で悟れると思っているなら
話をする気にもなれない。
君は座ったことないだろ。
どうぞ新たな仏教を創り出してくれたまえよ。
あとヘッド・トリップしてると
必ず落とし穴に嵌るぞ。
注意したほうがいい。
特に君のようなタイプはな。
>>476 原点回帰の理由が、(それを尋ねている10氏に対し)提示されてないってことさ。
(少なくとも10氏が問うたことに対してスルーされていると。)
たとえば、(会社でも、政策でも、研究・学問でも、それなりの歴史的スパンを経たモノについて)、
『軸が(骨格・本来の目的が)見失われているから、或いはブレているから、或いはそれを確認するために原点に戻ろう』
ということはよく言われるし為されもする。
だがそれは、往々にして、
「文字通り、真に原点に戻ってはいない。 エッセンスやスピリット(≒精神性)の面で戻っているし、
そうした戻り方が最初から想定されている」。 なぜか?
そっくりそのままの原点回帰は、不可能であることが殆どだからだ。
或いは多方面に相当程度の軋轢・齟齬を生じさせるからだ。
だから、「原点回帰」という語が使われる場面に於いては、皆、暗黙のうちに《「精神性」を戻すこと》と解す。
そして10氏の問いも、「宝珠の回帰熱(w)はそのような意味合いを超えることになりませんか?」ということとなる。
卑俗な、雑な喩えをすれば、
「ワープロ系の発展・普及で、漢字を書けない者が多い。
手紙という文化・手書きの文字のやりとり等の“良き”文化の日本らしさ復興のため、
ワープロの使用をやめましょう」にならないですか?ということでしょう。
初心を思い出す為の原点回帰と、上のような回帰は異なるし、また、
回帰し、初心を思い出した上で、新たな在り様が形成されるかもしれないし、
単純復古が可能な事案は単純復古で落ち着くかもしれない。
そういう多様な状況があり得る中、10氏は「どのような回帰の仕方をお考えですか?」と問うているに等しい。
それに対して答えずに、「【原点だから】【回帰すべき】なんです!」を連呼する宝珠の態度はどうよ?
というのが475。
寝る・・・。 ノシ
482 :
10:2009/10/24(土) 23:12:01 ID:nQcCFsr6
>>479 >理屈でなんとかなる、と思い込む年代はおれはとっくに過ぎてるしね。
では、何をもって解決するんですか?
思考の停止(問題の放置)ですか?
神頼みですか?
>少し書くと合理主義というのは拝金主義と同義。
>日本人の民主主義という定義と米国の定義は違う。
え〜と?
つまり私は合理主義者で、合理主義者は拝金主義者だからダメだと?
私の発言の、どの辺りが拝金主義、民主主義と取られたんでしょうか?
そもそも、合理主義と、民主主義と、拝金主義は全く別の概念だと思うんですが?
>思考を停止するのが禅定だが?
それは流石に違うと思います。
禅定で思考が停止すれば苦しみも止まるでしょうが、禅定が終われば苦しみも戻ってきませんか?
まさしく、ドラッグと同じだと思うんですが。
そもそも、思考停止する境地が至上のものであるなら、自殺すれば済む話ではないですか?
>>480 ご忠告有難うございます。
ですが、何を言ってるのかが意味不明なので、何を注意したらいいのかが分かりません。
>>481 代弁有難うございます。
>>481補足。
>【原点だから】【回帰すべき】 は、理由としてどうよ? ということ。
回帰すべき理由は、「原点だから」、ではないのではないか?もっと別の回帰すべき理由があるのでは?ということ。
ノシ
484 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/25(日) 08:05:58 ID:fb7aelAf
「原点回帰」の理由も人によって複数あるでしょう。
私の場合は35年前に師から「万教の元一つ」と伝えられて、
そのエビデンスを探して、原始仏教や原始ユダヤ教を数年前から
調べている次第です。
世界には複数の法が存在し、聖者達の何人かはその法を悟り、
譬え話を使いながら、または高弟にのみ伝えたりしたであろう
と仮説を立てております。
現代の仏教やユダヤ教、キリスト教よりも共通点が多いことを
既に確認しつつありますし、少数の天才的宗教者によって
「原点」から異なる方向へ展開されていった経緯も見えつつ
あります。
天才的宗教者には、龍樹、ヨハネの福音書の執筆者、アタナシウス
らを仮説しております。
485 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/25(日) 08:16:05 ID:fb7aelAf
余談ですが、日蓮大聖人御遺文集を読みますと、日蓮も
元々は日本神道の神々(梵天)を敬っていたし、守護霊の法を
説かれていたことが分かります。華厳経にて釈尊が説かれた
とのことですが。
なお守護霊の存在は近代の心霊科学でも認められております。
(出典)
道場神守護事(御書一〇五二頁)
建治二年一二月一三日 日蓮 五五歳
「人所生の時より二神守護す。所謂同生天・同名天、是を倶生神と云ふ。
華厳経の文なり。」
486 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/25(日) 08:34:51 ID:fb7aelAf
エッセネ派ユダヤ教の宗教要覧に記載の法には、
「全ての人に宿る光の箇所と闇の箇所」とあります。
トマスの福音書でもイエスは「どこから来たと聞かれたら
光から来たと答えなさい」と説かれたという記載があります。
神仏と人とを隔離するのでなく「全ての人は仏子」、「仏性」
という法は「光の箇所」という法と関係が深いのではないかと
推察しております。
そして「四諦」の法が対象とした「執着、三毒からくる苦しみ」
は「闇の箇所」という法との関係が深いのではないかと思料
しております。
また、おいおい適切な板で紹介致します。
487 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 10:03:45 ID:LpfErD4m
ここではもう止めてください。
488 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 10:47:22 ID:ZZ1GFWan
梵天は印度の神様だよね?
489 :
10:2009/10/25(日) 11:01:13 ID:1iE4aRct
>>484 板違いの発言のようなのであまり深くはコメントしませんが、二点だけ。
@私が質問したのは、「原典回帰する事が、今の日本の役に立つのか?」です。
あなたの主張は、「全ての宗教の原典は一つである」というもので、私の答の回答にはなってないですね。
A「万教の元一つ」という仮説を立てて、それを検証しようとする姿勢は素晴らしいですが、
「現代の仏教やユダヤ教、キリスト教よりも共通点が多いことを」は、全く証拠にならないです。
「共通点」ではなく、「教えの内容が一つのモノの変化した姿と考えられる証拠」が必要だと思います。
例えば、リンゴとポストと共産主義は「赤い」という共通点を持っていますが、一つのものから展開されていったものですか?
五月蝿い奴をあぼ〜んした。
輪廻転生は
霊界に住んでるそれぞれの徳や霊性で住んでる自分達が、地球に来てから
その暮らしをするための、霊性を高めたりすることの、ひとつの法ですよね。
霊性を高めるというのは、誰かのため、ある人のため、隣人に思いを馳せること。
はじめから、自分を救ってくださいというのはないということです。
ものごとは極論で考えると真実が見えてきます。
で、霊性を極限まで高めて、それでどうするんですか?
なんの意味があるんですか?
さらに自分たちがいける場所があるんです、魂が脱げて、こころと愛だけで
真理と一体化して純粋に、生きていけるところ、があるんです。
霊界は、魂の住む場所で、卒業できれば、さらに高みのある世界にいけるのだと思います。
494 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 12:05:18 ID:hUyhssVP
霊界の話は何の役に立つの?
>>493 だから霊界の最高位に昇って、それでどうするの?
なんの意味があるの?
>>493 それ宗教的だな。
あなたは何教を信仰しているのですか?
霊界は、人間の自分たちの90パーセントの魂を置いてる場所であり、100%として住んでいる世界でもあります。
他、霊界には、動物達の世界、植物たちの世界、鉱物たちの世界、神様たちの世界、自然界にすむ住人、。
だから霊界には、ありとあらゆる、住人達が住んでる世界なんです。
意識層が各界それぞれある場所です。
神様とかも、しっかり住んでいたりしますよ。
物理的な限界がない場所です。
そして地球に密接に関わってきますし、さらに、宇宙にすんでる、さらなる住人たちとも、密接にかかわってきます。
愛ある住人が、たがいに生かしあって、争いもなく平凡に暮らしております。
法と秩序のもと愛の理に生かされて。ちゃんと導きにしたがい生きている世界ですかね。
499 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 12:23:19 ID:u7W/q4CH
>>497 あなたの主張する説の論拠は何ですか?
ただ単に「自分はそのように思う」と言うだけですか?
>>497 何教?
それを裏付けることはできるのですか?
>>497 そんなことは聞いていない。
霊界の究極に登って何をするのか、
なんの意味があるのか、と聞いているのです。
秩序が整うように管理するんです。
管理者であり、宇宙の真理が主体であるので。
それにともなった、ことをず〜っとつづけていくんですよ。
ですから、霊界の究極にあがったらすべての痛みが自分にまっすぐに来るんだと思います。
すべての悩みを知り、解決策をとり、助け、愛を発露出来るように秩序を整え
また、苦しい世界の者達の痛みが伝わり、助け、導き、愛を発露してもらい。
この永遠の繰り返しを、自分を勘定にいれず、たえず、おこなっていくんです。
何の意味は、自分以外、地球に住む霊界にすむ住人すべてを、痛みを惜しまず、助けていくんです。
>>502 管理したり住人を助けることをず〜っと
続ける意味はなんでしょう。
管理者は幸せなんでしょうか?
あなたは管理者にいずれなりたいのでしょうか?
その動機はなんでしょう。
>>500 何教でもないですけど。
もともと、の主体様からの、学びのほんの一握りとして学んだ叡智なんですね。
裏付けは、その方が実際に降りてくださり管理者であって、
もともとが宇宙の存在であった方でだから、すべてを知る方です。
ウソではなく。未熟な自分が伝えてるから、そのように感じるのかとも思います。
実際に創ったかたに会って話やすべて話してくれることを聞いてみるといいですよ。
HPでも教えてあげましょうか?
神様らしくないと思う方もいられるかもしれませんが。
逆にいえば、その主から
さまざまな役柄をされておりますので。
自分は今の肉体的な姿がそれでいいのだと思います。
主体は宇宙であり存在なのですから。
>>504 >HPでも教えてあげましょうか?
是非教えてください。
あと
>>503さんの質問にお答えください。
>>503 自分たちやすべてを、生みだした親のような存在だからだと思います。
責任も、また自分にあり、また、育っていく自分たちや、みな全ての行く末や未来永劫の人生をず〜っと
一緒に付いていく限り見守っていかなければならないし。
そういったところから出てきてるのだと思います。
自分自身はわかりませんが、一緒に暮らしていきたいと思う者ですね。
はじめは、自分たちも、地球という存在もなければ生まれてはなく何もなかった。世界
はじまりの方、存在の方は。単位的にいえば一つ1人だと思います。
はじめから宇宙というものの住人だったんだと思います。
そして宇宙に自分そのものの願いをつくり
愛という、宇宙を暖かくしてくれるエネルギー
最初は冷たく感じた宇宙に愛でいっぱいにしたい、一緒に宇宙に生きていけれるものたちを
一緒に生きる者たちを創ったことが始まりなんじゃないでしょうか。
宇宙にヒカリを生み出し、存在を生み、それぞれの役を持ち
はじめに願ったこと、宇宙を愛いっぱいで満たしたい、その遺伝が自分たちすべてに
愛は宇宙でゆうエネルギーとしての存在、素粒子というもの。
愛でいっぱいになった宇宙はどうなるんだろう、宇宙に生まれた者たちはどう一緒に生きていくんだろう。
その法や秩序や、愛の理をもたせ。
愛を持たせた、生命や、生物、その肉体はないが存在しているものたち、はどういう暮らしをしてゆくのだろうという。
またひとつの、純粋な思い、。
管理者は自分がつくったものたちが、愛を発露していきてきていったので、それはそれで感謝でいっぱいでもあったり
まだ、わからずに、争いをしたりしている者達に苦しみ、涙を流したり、悩んでいたりするんですよ。
こころでね。そう愛にこころを持たせたらどういう感動が起きるか。さらにこころを持たせて、eat・・・
>>507 そもそもなぜ未来永劫存在していないと
いけないのですか?
その意味は?
輪廻して進化して管理者になろうとする訳ですよね。
その割にはあまり美味しい想いはできないようですね。
私がその管理者なら自分と同等の管理者を
育てて楽をして幸せになりたいとおもいますがw
またそんな立派な管理者なら何故食物連鎖などという
残酷なシステムを造ったのですか?
私には基地外としか思えませんが。
>>508 HP教えてくれてどうも。釈迦クラブでも検索したら出てきたよ。
輪廻転生で話しに入ってきてくれたんだよね。
HPから
「 私が、最後の審判者であり、マントラの通りに審判がなされていると、 分かるはず。それが、事実であり、
真実であるからだ。 私のHPの記述を読めばそれが理解できるはず。 我存在アルである私は、エブラハムの神、
モーゼの神、ビシュヌ神、ゼウス神、エグクレ、仏陀釈迦、 イエスキリスト、聖徳太子、など化身として、
なんどもなんども私が造った人間の肉体を自ら持つ 天地創造主として人間界におり、強いマントラの力と法的な
力で神の対策をしています」
http://git.dyndns.tv/mm2index.htm 俺が思ったのは
・ここで議論されてる日本仏教は黄檗宗ぐらいまでを指す…と思う。
・仏教では神様はいないので仏教ではない。
・仏教に創造主はいない。
ここは日本仏教はこのままでいいのかを議論するスレで
教義うんぬんは黄檗宗ぐらいまでの解釈を元に議論していくスレだと俺は思ってるから
神様や創造主が言ってることを議論するのは間違ってると思う。
511 :
10:2009/10/25(日) 14:11:29 ID:1iE4aRct
>>509 自分たちの未来永劫はつまり、その方の願いでありますから。つくった目的ですから。
はじめに創った愛そのものを持たせ、宇宙を愛でいっぱいにしたい、という思いでもありますから。
一緒に宇宙でまた一つに生きていけるものを創った、願いですから。
法も、秩序も、愛の理も。
さらにこころとして、魂として自分たちを創ったので一緒にその愛を発露して生きていける事を願っているものなんじゃないでしょうか。
魂は永遠的なものですが。
肉体は、短命でもあるので。水とか飲まなきゃ、あるていど生きていけず。
植物たちへの感謝をして、お米を食べたりしなくては、なりませんね。
肉食によるものは、その、限度がありますね。
残酷的な食物連鎖にかんするシステムを今後どうしていくかは。
今現在の、私たちの生き方ですね。
肉を食わないようにする。
となったとき、そうすれば、頻繁に過剰なまでも動物達や家畜の動物は死なずにすみますね。
だから植物界に非常に、これからはお世話になって。生きていかねばならないと感じています。
もともと、魂で、存在し、平凡に暮らしていた、時に、もっと
愛を出せないものか、そう願って、肉体なる歴史の原点は、バクテリアから生まれ、だそうです。
で、またさらにバクテリアから、改良して、人間をつくりだし。たのだと思いますが。
主体は愛ですから、自分たちの、体の、細胞一つ一つにまた、こころ愛を持ってますから。
また肉体を動かしてくれてる、機能達に感謝したり、いたわったりしなくてはダメなんじゃないでしょうか。
でも、今現在は。だいぶ、いいともいえず、誰が悪い、何が悪いともいえませんので。
もともと、希望があってつくったわけですから。
たぶん、それについては、もう苦渋の決断が、あるのかと思います。
もう二度と、人間という姿の肉体を持たせたりはしなくなるでしょうね。いや、物質界の崩壊、すべての物理的な崩壊を決めて
もともとの、魂の存在として、霊界でみんなと暮らしていくんだと思いますね。
>>510 彼の論理破綻を狙ったのですが
やはり皆さんに迷惑をかけるようなのでやめます。
>>509 こちらから質問をしておいて勝手に終了させて申し訳ありません。
最後に
茶碗に意味があるのはお茶が存在するからです。
茶碗単独では意味をもちません。
同じく宇宙の外には何も存在せず
宇宙を指し示す何か、意味を付与するものは
何も存在しません。
したがって宇宙、宇宙の中にある一切のものには
意味などないのです。
そして生命は至福の状態では一切の動きが止まります。
存在していたい、という意識さえ消えます。
よって滅びます。
究極の至福とは完全かつ平安なる滅びです。
ここに言及しているのは
仏教しかありません。解脱です。
514 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 14:36:06 ID:8Ayx7n+k
あれ?ここは仏教のスレじゃなかったっけ?
>>510 議論的な違いが起きてしまってすみません。
ではそれでは失礼いたします。
>>513 通りすがりの者だけど、ほぼ同意します。
ここのスレ主さんは、513さんの問いに
答えられないでしょう。この問いを
突き詰めると、すべてのスピリチュアル
思想が崩壊してしまいます。
宇宙の在り方に意味があるかないかは
ともかく、生存は苦なのは間違いないから
それを無くして
行きましょうというのが仏教だと思います。
517 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 14:56:19 ID:4EYubnTA
「原点に帰れ」というが、小乗仏教の「負の部分」を、「時代の進歩に
応じて改善するために」、大乗仏教が生まれた。大乗起信論と竜樹を一読
されたし。「原点に帰れ」とは、「原点の負の部分に帰れ」ということ
などではなく、「その負の部分とは何か。何故改善の要があったか」を
再度確認することである。
この「改善」は、無数の人々の「思索と叡智の結果」であることを、忘れ
てはならない。
518 :
516:2009/10/25(日) 15:13:33 ID:0yz1+NSP
スレ読み返したけど、スレ主さんへの問い
ではないみたい
だね。すみません。
>>516 >この問いを
突き詰めると、すべてのスピリチュアル
思想が崩壊してしまいます。
そのとおりだと思います。
520 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 15:30:42 ID:hUyhssVP
仏陀は何事にも気づきを入れることが一番大切だと言っている。
でも気づきを入れ続けるのは本当に難しい。
だから念仏を唱えれば救われるだとか、仏像を拝むだとか、、お守りだとかが出てきたりする。
それが大乗仏教。改善というより、気づきを入れる訓練から逃げて改善を装ってきたのが新興である大乗仏教。
521 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 16:45:39 ID:TkEwGWQ3
>>520 大乗が、釈迦が気付かなかったことに気付いたということだろう。
人間とは、身体と具象に100%依存しなければ生存できない存在。従って、念仏・題目などの身体的動作や、
具象物である仏像によって、はじめて精神の安定と平安を得る。偶像崇拝を禁じているはずのイスラム教でも、
モスクは美麗なステンドグラスで飾り立て、身体を動かして祈る。身体や具象を欠いた「精神性」は、人間の
狂気を招く。「精神性」を言うキリスト教でも、イエスの醜悪な裸体の磔像や、当時の陰惨な拷問処刑道具である
十字架でさえ崇拝し、賛美歌を歌う。具象を欠いた「精神性の狂気」から免れようとする、人間の本能的努力で
ある。
ルターの「聖書のみ、信仰のみ」の宗教「改革」が、どれほどの狂気を生み出したかを、考えてみて欲しい。
522 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 16:52:56 ID:hUyhssVP
気づきの瞑想から逃る大乗仏教
523 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 16:57:47 ID:HjDJc/X9
>>522 「何も考えない」はずの瞑想で、一体何を気付くのかねw。何かに気付く
のは「雑念」であり、瞑想は破られる。
524 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 17:01:17 ID:hUyhssVP
無常に気づく
525 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 17:05:06 ID:hUyhssVP
気づきが何も考えないってちょっと笑えるな。
>>521 522
>大乗が、釈迦が気付かなかったことに気付いたということだろう
それはちょっと違うよ 禅定はそれこそ何を対象にしても作れるよ
念仏 題目はもちろん炎でも図形でも テーラワーダもそう言ってるので勉強不足だね
>気づきの瞑想から逃る大乗仏教
これも違うよ 大乗でもサマタ ヴィパッサナ普通にあるからね
>>525 それは他スレで俺が言ったことだろう。
ここの人はわからんよ。
はしょって発言したのだが、サティは思考ではないよ。
その時点で君が瞑想してないってバレるんだよ。
>>521 君は釈尊をナメ過ぎ。
釈尊は蛇毒を消すためのマントラは認めている。
釈尊は真言や念の本質を十分ご存知であった。
ご自身が神通力の本家のような方であったのだからな。
ま、自業自得という言葉だけは覚えておくことだ。
>>521 ルターやカルヴァンの宗教「改革」の本質を理解していない。
はっきり言うとあれは金儲け、利息を取ること、などを
合理化するためのまやかしであったのだよ。
ゆっくり調べてみるといい。
米国建国のカラクリが見えてくるまでな。
531 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 20:13:34 ID:hUyhssVP
528の発言なんて参考にしてません(笑)
もっと瞑想頑張ってください。
参考にしてくれ、と頼んだ覚えもありません。
瞑想がわからない人に瞑想頑張ってと言われても・・・w
533 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 22:07:12 ID:lyXupqRI
いちいちけんかするな。532は自分の知識をひけらかしてないで、
このスレから離れて瞑想するべし。
535 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 22:27:04 ID:lyXupqRI
???
536 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 23:46:47 ID:wwXHUckb
>>529 そうやって、必ず、「人間」である開祖を神格化してしまう狂信者が生じるところに、宗教の最大の「病理」が
あるのだよ。
>>530 イエスへの「原点回帰」の結果、そうなった。宗教の開祖は、例外なく精神障
害者。宗教「改革」の前までは、人間としての教会が関与することにより、辛
うじて健常性を維持していた。教会の「腐敗」も、人間性の本質。「原点回帰」
は、「開祖の狂気への回帰」と言う危険性を、常に伴う。
537 :
神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 23:52:35 ID:8Ayx7n+k
>>536 で、「日本仏教はこのままでよいのか?」についてはどう思うの?
538 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 00:07:31 ID:3xE8pQ0V
>>537 だから、「原点回帰」などでははく、「現代への適応」を主張している。
「原点回帰」には、キリスト教の宗教「改革」と同じ浅慮と弊害の危険
がある。
葬式佛教も、人の嫌がる死後の世話をやってくれて、社会的機能を充分
に果たしている。僧侶も、「職業の一つ」であることを、忘れてはならない。
佛教に対するキリスト教の侵食を防ぐことが、最大の課題であろう。
すべての佛教カルトは、キリスト教の影響を受けている。KKも、佛教
を自称しているが、半分以上はキリスト教である。麻原も、キリスト教
の影響さえなければ、あそこまではやらなかったはずだ。ハルマゲドンは、
聖書の言葉である。
だからね、歴代の宗教の開祖は、一発屋であるの
存在としてはね
自分の努力を上回る、上からズコンのケースだから
子孫が継いでも、ただの人なんだし
そこから発生した宗教としての有様は、形を変えて
すがり付く人々が自分にわかるレベル、都合のいい形にして今に至るんでしょ
だから原点回帰でなくて、充分参考にして
一人一人がそろそろ一発屋でなくてはならない頃でしょ
その為に瞑想という技法が、あるんじゃあーりませんか
540 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 00:26:20 ID:GQSooHkp
>>538 「現代への適応」は同意。カルト化に対する役割を担うのも同意。
なんだけど、「職業の一つ」について聞きたい。
葬式仏教は来世を人質に無形ものを売っているように俺には見える。
10さんに
>>130で教えていただいた部分について現状の仏教に疑問があるのです。
そこはどうお考えですか?
542 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 00:36:19 ID:6qLiwdN+
543 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 00:38:21 ID:6qLiwdN+
>>461>>464>>475>>481>>483 この私が主張する原点回帰すべき理由とは、実に単純にして明快なものですよ。
これは以前にも述べてるわけですから、セブンさんならその意味を知ってる筈でしょう?
いいでしょうか?
これが理解のための基本前提です。しかも最重要な部分。
仏教というものは、言わずもがな解脱成仏(輪廻から解脱してニルヴァーナに至ることと定義する)
するための教えですよ。その必要性と方法論が述べられているわけです。これは当然、
その解脱成仏を実際に体験された仏陀であるゴータマ以外には語ることができないものなのです。
経験してないことについては、これを保証できないのです。
つまり、実体験に裏打ちされたものだけが、そのことを“保証する唯一の方法論”だからです。
基本的には、そのための教えが纏められて文章化されたものがご存知の通りの原始経典です。
しかし、大乗経典というものは、
仏教的エッセンスは残ってはいるものの・・(一応、後代の弟子の流れだから当然です)、
自分たちで勝手に構築した方法論で以って創作した作品なのです。
それを書いた方々が如何に大天才であろうとも、所詮は解脱完成者によるものではありませんから、
その方法論とやらには解脱成仏できるという保証などはどこにもないのです。
これが仏陀の教えと人間の考えて説いたものとの決定的な違い、
越えられない差なのです。
大乗というものは、
出家主義色を鮮明にする上座部に対する対立と反発から、
ゴータマの教えは出家主義(出家仏教)であると決め付けて小乗と批難した、
つまり、誤解したグループによって成っているのです。
大乗のスタンスとは在家へのアプローチなのであり、
在家も解脱成仏が可能であるとして信徒の獲得を図った。
その経緯としては、出家専門の高度な修行は在家信徒には到底、無理なのだと判断して、
本来のゴータマの教え(原始経典の内容)に拠ることを辞めてしまったのです。
その結果として、解脱成仏のできない教えが氾濫することになった、
というのが仏教の歴史なのです。勝手なことをしてるのだから、当然のこと。
544 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 00:38:25 ID:rbJxFSvl
>>529 あなたは、マムシやハブに咬まれたひとは、血清を打つより
マントラを唱えた方が良いというわけですか?
545 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 00:41:21 ID:6qLiwdN+
ゴータマの時代にも在家は指導され育成されていたにも関らず、
伝統と称して頑なに在家信徒の育成教育に関心を持たない出家主義の
古代上座部に反発する形として起きた、これは歴史の悲劇だったのです。
そして今、必要なこととは、
解脱成仏の教えが説かれた原始経典からの現代向けのための再構築なのです。
ゴータマは仏陀なのです。他の人間とは違う
(見た目は我々と変わらない人間だが、その意識状態は異なる)。
まず、これが認められないことには話しにならないのですよ(とても信奉者とはいえない)。
ゴータマは他宗教との争いはしないよう戒めてはいますが、
けれども、何でもいいなどとはいっていない。寧ろ、これ以外にはダメだとハッキリと明言したのです。
『スバッダよ。わたくしは二十九才で、何かしら善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家してか
ら五十年余となった。正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には『道の人』なるものも存在しない。
第二の『道の人』なるものも存在しない。第三の『道の人』なるものも存在しない。第四の『道の人』なるも
のも存在しない。他の論議の道は空虚である。――『道の人』を欠いている。』(『マハー・パリニッバーナ』)
(「第一〜第四の道の人」とは、四向四果の須陀桓、斯陀含、阿那含、阿羅漢のこと)
ゴータマは、
「私の言うことを聞いて教えた通りに修行しないのならば、
いくら解脱成仏を願ったところで、それは決してできないぞ」といったのです。
それは何故か?修行しないからだと。では、何を修行しないからか?
つまり、私が教えた三十七菩提分法の修行体系であると。
546 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 00:43:13 ID:6qLiwdN+
『比丘たちよ、だが、もし、比丘にして修習するに精進することがなかったならば、<わが心取著すると
ころなくして、もろもろの煩悩より解脱してあれ>と望むといえども、その心は、取著するところなく、もろ
もろの煩悩より解脱してあることはできないであろう。
それは何故であろうか。それは修習しないからであるといわねばならない。では、なにを修習しないの
であるか。四つの熱心なる観想(四念処)を修習せず、四つの正しき精進(四正勤)を修習せず、四つの
意志力の修練(四如意足)を修習せず、五つの能力の修練(五根)を修習せず、五つの能力の実現(五
力)を修習せず、七つの観察(七覚支)を修習せず、また、八つの正しい実践(八正道)を修習しないから
である。』(『雑阿含経』10.8応説/『相応部経典』22.101)
そして、このゴータマの未来についての警告は現実のものとなったのです。
未来の弟子らは勝手なことを始めて、もう聞く耳も持たないわけですよ。2chを見ての通りです。
原始経典などはボロクソ。ゴータマよりも宗祖が偉くて、
ゴータマの思想はバラモン影響を受けていて正されるべきだ、などとトンでもない愚弄を晒している。
この経は、後代の弟子たちは勝手なことを説くから、それは外道だよと叱っているのです。
原始経典に拠らない大乗は三十七菩提分法を放棄してますから、当然、解脱成仏できないのです。
これが大乗から後世の解脱者が輩出しない単純明快な理由です。
547 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 00:44:05 ID:ND4Jmfwh
>>539 >その為に瞑想という技法が、あるんじゃあーりませんか
「他者との係わり合いの中での、日々の生存(共生)努力」から隔絶
した「瞑想」などからは、何も得られない。単なる「自己満足」に過ぎない
ことに、気付くべきである。
現代人としては、「具象を離れた精神性」のもたらす「狂気」から、
眼を背けるべきではない。宗教の弊害は、すべてこの「精神性」から
生じている。
「具象としての、あるがままの人間とその生存を支える自然」への
パラダイムの大転換こそ、現代人の喫緊の課題であろう。
549 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 00:46:35 ID:6qLiwdN+
『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。如来の説かれたこれらの諸経典は深遠で
あって意義が深く、出世間のものであり、空と相応しているものであるが、それらが説かれる時には、彼
らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。それらの
教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。
これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するものであり、
弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了
解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであ
ろう。
かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸
経典は消滅してしまうであろう。
比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―――[如来の説かれた、深遠にして意義が深
く、出世間のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよく聞くことにしよう。耳を傾け、
了解しようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよ
う]と。』(サンユッタ・ニカーヤ20.7.4-5)
>>544>>529 う〜む-これは気になりますね^^
できれば出典を示してもらえますか?
----すみませんが、また暫く留守にします。
550 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 00:50:29 ID:6qLiwdN+
>>548 はい。きっと議論の場としては役に立つものと考えます。
現実、相応しくないスレで議論が始まって迷惑も起きていますし・・。
お手数かけますが、
お願いできますでしょうか?
>>550 スレタイが長すぎるってなった。からどっかけずって
552 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 00:54:28 ID:i11hgcWV
開祖の盲信、開祖の神格化という宗教の「最大の病理」は、上記の宝珠
愚者氏の書き込みに如実に表現されている。これも、キリスト教崩れの
神智学の影響である。
553 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 00:59:24 ID:6qLiwdN+
>>551 エーと、「タイトル」がですか?
でなくと、説明本文のほうですよね??
>>552 「神格化」ではなく・・・
仏陀とは何か?ということをあなたは理解していますか?
あなたの理解する仏陀とは何であり、他の人間との違いはどこですか?
説明してみて下さい!
>>554 jane style を使ってます。スレを建てようとすると
スレタイが長すぎますってでます。
そのまま建てれるのかな。責任持てないから判断をまかせます。
スレタイを変更するか、長すぎだとどうなるかわからないけどやってみるか。
指示を。
556 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 01:03:49 ID:rbJxFSvl
宝珠くん、
「人間は人間にしか輪廻しない」と、原始仏典のどこにも
そのようにゴータマが説いたという記述のない「珍説輪廻」に
固執する君が、いくら「ゴータマに帰れ、原始仏典を重視せよ」と
喚いても、お笑いにしか聞こえないよ。
557 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 01:03:50 ID:6qLiwdN+
>>554 【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】1
これでは?
559 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 01:09:11 ID:93FFmvf4
>>553 他の人間との違いはどこにもない。外見も内部構造も生存本能も同じ。食
中毒で亡くなられた。神通力もへちまもない。ただ、鬱病という精神病
であっただけ。
しかし、釈迦が、食物に異常があることは恐らく気付いていた(誰にでも
分ること)に拘らず、弟子の作ってくれた食事に不平も言わず食べて
亡くなられた。ここに、釈迦の深い人間性を感じるね。合掌
560 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 01:12:15 ID:6qLiwdN+
>>558 おおっ!!!
大変、有難うございました。
お手数をお掛けしてすみませんでした-大感謝m(__)m
早速、輪廻転生問題は大いにこちらで展開していきたいと思います。
>>556 理解(力)の問題ですよ。
そうでない人は勝手に原理主義の道をどうぞ!
私は原理主義者ではありませから。
私は何故、人間は人間にか転生しないか、
動物等の人間以下への生まれ変わり話しは戒めのための比喩であるという説明をしましたね。
561 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 01:14:54 ID:+vViRMob
>>558 「輪廻転生」は、現代の科学では一切認められない。そればかりか、
信者に対する「脅迫」と「甘言」という「悪業」の最大の原因となって
いる。いい加減で止めるべき。
562 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 01:15:35 ID:6qLiwdN+
>>559 では、精神病者の妄想であったという理解ならば、
仏教を信奉する必要もありません。ゴータマに対して失礼です。
どうぞ-仏教について、もうアレコレと関るのはお辞め下さいな。
646 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:37:23 0
人間とはなんてもろい存在なんだ
虫ケラ同然だね
647 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:41:51 0
>>646 虫けらとの違いがあると思う方がどうかしているが
648 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:53:03 0
うん、だから今までどうかしてたんだ
一切が空しくなった、存在が空気だな
564 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 01:21:56 ID:rbJxFSvl
>>560 >理解(力)の問題ですよ。
そう、そのとおり。君は本当に理解力がないね。
俺の指摘は「原始仏典のどこにも記述のないことを自己の勝手な
主観により神智学的解釈をする君が、『原始仏典に帰れ』と主張
することの矛盾を指摘しているのだがね」
「原始仏典のどこにも記述のないこと」を真実であるとする者が
「原始仏典に帰れ」と主張する矛盾が理解できないのか?
君は結局、「原始仏典の中の『自分の主張に沿う部分』だけを信じましょう」
と言っているに過ぎない。
565 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 01:32:32 ID:NjW7huMl
>>562 アホですか。現代の精神医学では、精神病は「脳内神経伝達『物質』の
異常」という「身体の病気」。現代では治療が可能な病気であり、人格
とは関係ない。君の言ってることこそ、精神病者の差別。
宗教などに現を抜かす前に、まず、現代人の教養の一つとしての精神医
学を学ぶべき。
566 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 01:41:56 ID:6qLiwdN+
>>564 仏典には、
これを例えていうならば、「パリという場所はコレコレこうであった。
だから、パリに行くことを奨める」といった記述しかなかったりするのです。
それは本当に行ったに違いないだろうし、パリはそういいうところに違いないものと思う。
しかし、どのようにしたらそれは行けるのかが仏典には書かれてはいなかっりするのです。
それは、
どこの空港まで行ってから、更にどのようなして行ったのか?
という手段や経路についての解釈を私は論じているということです。
その説明内容を私は神智学を用いて話しただけです。
これによって説明が可能となるということ。・・それだけ。
この私の説明によって納得し、もし役に立つ人がいれば、それでいい。
何も、あなたが認める必要はありません。
文字一句通りにしか読めない原理主義には、私は興味ありません。
意味を理解することによってその部分を取り上げ、意味を理解することによって、
それが比喩や方便であるとして解するということ。
これができない人がすべてを破棄したり、すべてを文字通りにしか解しないのです。
もし、あなたが人間が虫にも生まれ変わるものとして理論的に説明できるというのならば、
新しく建った転生スレで議論してもいいのですよ、わたしは!
*皆さん-主に輪廻転生の問題の深い議論は是非、こちらでお願いします。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256486743/l50
567 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 01:47:13 ID:6qLiwdN+
>>564 >君は結局、「原始仏典の中の『自分の主張に沿う部分』だけを信じましょう」
>と言っているに過ぎない。
そこが重要。そこが議論すべき余地なのですよ。
私の理解によれば、これがセブン氏のいう100人100通りの真理が有り得る部分です。
正しくは100人100通りの理解と解釈なのであり、その中のどれが最も真実に近いかですよ。
>>565 唯物論者など相手にする暇はありません。
無知の証拠です。
では皆さん、
また後日に〜。
意固地なご老人がデンといすわると
スレは増えるは、にぎわうは・・ですが
飽きた
マジな突っ込みには、セミみたいにシャーとおしっこかけるし
意固地なオカルト老人は今後も増えるだろうな
ムーで育っちゃったの?
そいで神秘路線にゴータマ号ってつけて走ってるの
ねえ
569 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 02:49:48 ID:Okf284JS
宝珠愚者には、キリスト教系宗教による洗脳の深さが如実に証明されている。もはや、精神医学による長期的な
治療以外には、方法はないだろう。佛教だけだと、これほどまでにはならないはずだ。
現代の精神医学では、鬱病は「感情障害」であり、イエスの統合失調症とは異なり、「人格の崩壊」はない。
佛教とキリスト教との相違は、ここに原因があると判断している。
昨日はまともな人が一名来ていた
同じオカルトでもオカルト違いでありましたとさ
だからさ、ね、
精神が壊れた人が後に聖者であったとかは《ない》から
悟るのも他力なら狂うのも他力だよ
自分一人では空気ひとつ作れない無力な存在だよ
生命側はね
だから凡夫だから、釈迦の教えに固執するのよ。
仏教がインドで締め出されたのは、釈迦と比べても遜色のない聖者の存在があったから
過去の不完全な書物が新しく塗り替えられるのは当然のこと
うん、まあ日本の昔には実際に仙男仙女もいたさね
これらの方々はまた、今でいう情というのがありまへんでした
しかるに自由奔放
他国も同様
今は今でやるしかないざます
寝るざます
574 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 04:15:38 ID:rbJxFSvl
>>566 なんか本当に頭わるそうですね。
論点がまるで理解できていない。
あなたが「ゴータマの教えに帰ろう。」というのは、真理の基準をゴータマ
の言質に求めているわけだが、ゴータマが「人間は人間にしか輪廻しない」
と説いたと考えられる論拠は何ですか?「経典にそうと読める記述」がありましたか?
あるいは、そのような伝承が仏教にありますか?
あなたの論拠というのは、「進化した魂は後戻りするはずがない」という
「あなたの中での論理」によるものですね。つまり、「仏教の枠内」には
その論拠とするものは何もなく、「あなたがそう考える」といっているに過ぎません。
論理的帰結を論拠とするのであれば、その最強のものは、あなたが最も嫌う
唯物論ですよ。結局、あなたは自己の神智学的視座から、こうあるべきだ
という願望を仏教に投射し、自己の信仰の補強材料に利用としようとして
いるに過ぎません。
それから >何も、あなたが認める必要はありません。
この詰まったときの決まり文句。もういい加減に止めたらどうですか?
見苦しいだけですよ。
>文字一句通りにしか読めない原理主義には、私は興味ありません。
これも全くポイントがずれた意見です。
私がいつ一字一句、そのとおりに読めと言いましたかね?
経典の記述は当然、その解釈が前提です。方便、比喩もありますね。
あなたのは、経典、伝承に全くないものを勝手に持ち込んでいるに過ぎません。
「人間は人間にしか輪廻しない」 このように読める経典を例示できますか?
575 :
10:2009/10/26(月) 04:51:08 ID:7rm6BDwJ
>>543 え〜と?随分長々と書き込まれましたが、枝葉末節をばっさり切り捨てると
@仏教は解脱成仏が目的
A解脱成仏したのはゴータマのみ。それ以降の人間は解脱成仏していない。
B故に、解脱成仏をしていない後世の人間の意見は役に立たない
C解脱に至るゴータマの教えは原始仏典に纏められている。
D故に、後世の仏典を捨て、原始経典に回帰すべき。
こんなところですかね?
そして、これだけで、既に大量の疑問があるんですが。
Aで解脱成仏したのはゴータマのみであるといってますが、裏を返せば、解脱を目指して、ゴータマの言うとおりに修行をしたのに、2500年間、未だに解脱した人が居ないという事ですよね?そんな教えに価値がありますか?
むしろ、解脱はしなくても大衆に安心を与えた大乗の方が価値がないですか?
Cの原始経典に釈迦の教えが纏められているというのも議論の余地があるかと。
そもそも、あなたの言うゴータマ以外達成できなかった「解脱成仏」が、現代日本人に役に立つんですか?
576 :
10:2009/10/26(月) 04:57:04 ID:7rm6BDwJ
>>558 スレ立てお疲れ様です。
これでようやく質問に答えていただけそうです。
有難うございました。
577 :
析空:2009/10/26(月) 09:49:06 ID:l2GA/BC7
>>575 「解脱」と「成仏」は、厳密には別。ついでに「悟り」も別。一緒にするとわかりにくくなります。
「悟り」は(語弊を恐れずいうなら)「気づき」のことだから、現代でも有効だし、そういう意味で「末法」は有り得ない。
578 :
析空:2009/10/26(月) 09:52:59 ID:l2GA/BC7
>>576 君の質問には、いろいろな方が回答しているが、君の気に入る回答がないだけです。今後も同様でしょう。
579 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 10:07:46 ID:PWEcEcWY
>>577 気付きなら、すべての人が毎日やっていますよ。釈迦や仏教徒だけでは
ない。釈迦や仏教徒の気付きは、現実や生活には関係ないピント外れの
自己満足だということに過ぎない。
580 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 10:35:07 ID:1V5yldDX
誰か
「気づきについて」
「カルトとキリスト」
のスレもお願い。
ここでやってもできりない
581 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 10:49:35 ID:svGsiFzB
>>580 これ以上泡沫スレを立てるのは、2chの貴重なスペースの無駄。
要するに、宗教は、現実上の根拠がないから、すべて妄想で泡沫。まと
めてゴミ箱へ。これ以上ゴミを出すのはやめよう。
582 :
析空:2009/10/26(月) 11:43:59 ID:l2GA/BC7
>>579 「気づき」については、あなたのいうとおりです。
さまざまな「気づき」がり、さまざまな「悟り」があります。
その「悟り」ひとつひとつに「苦しみの滅」があります。
その「苦しみの滅」を「解脱」といいます。
そして、「一切の苦しみ」を「滅した」と、人々に認められた人、このような人が仏陀と呼ばれます。→成仏
583 :
10:2009/10/26(月) 12:15:18 ID:7rm6BDwJ
>>577-578 >「解脱」と「成仏」は、厳密には別。ついでに「悟り」も別。一緒にするとわかりにくくなります。
一緒にしたのは私ではなく、宝珠愚者さんなので、アンカーのつけ方が間違ってますね。
>「悟り」は(語弊を恐れずいうなら)「気づき」のことだから、現代でも有効だし、そういう意味で「末法」は有り得ない。
「気づき」というと、「何に気づく」のですか?
そして、それはなぜ現代にも有効だとお考えですか?
抽象論ではなく、具体的な例を上げてくださると理解し易いかと思います。
>君の質問には、いろいろな方が回答しているが、君の気に入る回答がないだけです。今後も同様でしょう。
いやいや、逆でしょうw
私の質問に対して、「こういう回答は、回答になって居ない上に、不毛な議論になるから止めてね」と、
事前に言った類の回答しかないじゃないですか。
あなたがたが、私の質問に全く答えられていないだけです。
おまけに、いつも途中で議論を放棄してますよね?
是非新しいスレでじっくりご回答ください。
584 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 12:41:39 ID:Iv+iX9A9
>>538 ただ、現代の仏教徒が「原点回帰」を望んでいるとしたら、
「原点回帰」もまた現代への適応ということになります。
585 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 12:46:35 ID:Iv+iX9A9
>>579 仏教の気付きとは、執着から離れさせるような気付きですよね。
何かに執着しているときに、
その執着の対象が苦だ、無常だ、無我だと気付くこと、
その対象への執着が消える。
586 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 12:57:09 ID:Iv+iX9A9
>>541 葬式仏教は程度の問題だと思う。
寺の維持・運営に必要な寄付を集める程度ならいいのでは?
葬式をやる寺にお金が集まるということは、
葬式をやる寺の存続を支持する人がいるということ。
寺を維持するための寄付であり、
来世をネタに脅すなどの霊感商法とは違う。
寺に必要なお金を、寄付(布施)してもらってるだけ。
今考えているのは童貞が性欲を放棄できるか?ということ。
やはり自我が成熟して「もういいや」というのが自然だろう。
あと小学1年生に性教育は必要か?ということ。
これについては>10を見ていて思った。
588 :
10:2009/10/26(月) 13:21:15 ID:7rm6BDwJ
>>584 その通りですね。
需要があるなら、原点回帰も必要です。
>>585 私もそのように解釈してますが、問題は、この理屈を
果たして多くの一般日本人に理解してもらえるかどうかですね。
理解できないなら、その人にとっては、役に立たないのと同じだと思うんですよ。
だから、大乗仏教の方便にも一定の効果を認めるべきなんではないかと思う次第です。
>>586 これもその通りだと思います。
法外に高い布施を取っている寺院は論外だと思います。
問題は、寺院の維持管理を檀信徒からの寄付だけに頼ると、ほぼ現状と変わらなくなってしまう点と、
人間心理的に、葬儀などで必要となった時にお金を払うのは良くても、
普段から未来の必要性を感じて、今寄付するのは嫌だという人が多いという事です。
葬儀問題の本質は、上でも言いましたが、お寺の維持管理費を檀信徒に頼っているという点にあるのではないかと思います。
ですから、お寺の機能としての議論以外に、「お寺の維持管理を壇信徒に頼らないで済む方法」も模索した方が、良いんじゃないですかね?
589 :
10:2009/10/26(月) 13:23:03 ID:7rm6BDwJ
590 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 14:38:02 ID:hqIBpzZt
>>584 >ただ、現代の仏教徒が「原点回帰」を望んでいるとしたら、
>「原点回帰」もまた現代への適応ということになります。
原点が現代に適応しないから変えようというのに、「原点回帰」では適応に
ならない。むしろ、「一部の仏教徒が原点に呪縛されて、変えられない、適応
が出来ない」ということ。
591 :
析空:2009/10/26(月) 16:33:37 ID:l2GA/BC7
>>583 >一緒にしたのは私ではなく、宝珠愚者さんなので、アンカーのつけ方が間違ってますね。
→宝珠愚者さんは、解脱と成仏の区別が出来ているから、指摘する必要が無いのです。
>「気づき」というと、「何に気づく」のですか?
→いろいろな問題について解決策を思い付くことですよ。
何に→いろいろな問題の解決策
>そして、それはなぜ現代にも有効だとお考えですか?
→「気づき」というものは、時代に左右されないものだからです。
>抽象論ではなく、具体的な例を上げてくださると理解し易いかと思います。
→「悟り」とは「気づき」のことである。どこが抽象論ですか?
>いやいや、逆でしょうw
>私の質問に対して、「こういう回答は、回答になって居ない上に、不毛な議論になるから止めてね」と、
>事前に言った類の回答しかないじゃないですか。
>あなたがたが、私の質問に全く答えられていないだけです。
→証明することはできないと何度も回答していますが?
>おまけに、いつも途中で議論を放棄してますよね?
→たまたま仕事が忙しくなってレスが遅れ、スレの流れが変わって回答しずらくなっただけです。
→また既に回答済みの質問が多数見受けられます。
592 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 16:56:01 ID:81m69nib
日本の寺は来世をネタに「脅さ」ないから偉いというが
それは本当か?
むしろ「悪い事をすると地獄に堕ちる」とはっきり言わなくては宗教者としての勤めに反してるのではないか
薬中になってるノリピーや押尾に「このままだと地獄に堕ちるぞ!」という事は本人たちを救う事でありむしろ宗教者として積極的にやらなくてはならないことではないのか
自分、小学校の時に、体験学習で、どっかの寺で座禅くまされたよ。
でも、しっかり、座禅組んで、姿勢を、ただし、こころを正して、目を静かにすまし
また、こころにすべてを集中させ、こころを研ぎ澄ませたよ。
空になったきがしたよ、
すべてを洗ってくれた感じがして、こころの奥につまっていた自分の内なる悪、言葉では表せないけどこころの中の【じゃ】のものが、消えていき、流れを生み出したようなすごい透明感につつまれて、
無情な喜びにこころがぽかぽかしてきて、いろんな生へのありがたみを感じました、
その時に思ったんだ、すべての生きてるものって、仏、すなわち神様に見守られて生きているんだってね。
存在をこころの中で感じた気がした。
あと、言葉を乱りに乱してはならぬと。ひとつ悟りました。まだすべてを悟れる身ではないですが。
生きる中で、続けていきたいですね。
594 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 17:36:27 ID:Iv+iX9A9
>>588 宗教団体の維持費をその団体の信者が負担するのは自然な姿でしょう。
葬式仏教の現状は、信者でもないし寺の維持に興味もない者が、
儀式だけをやってもらいたくて
「お客様気分」「消費者気分」で儀式を依頼している。
で、寺の維持費をさしひいた儀式のコストだけを払いたいので、
「もっと安くできるだろ、この詐偽師どもが!」
って怒るわけですね。
595 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 17:43:28 ID:Fp4KzGOZ
>>592 >むしろ「悪い事をすると地獄に堕ちる」とはっきり言わなくては宗教者としての勤めに反してるのではないか
>薬中になってるノリピーや押尾に「このままだと地獄に堕ちるぞ!」という事は本人たちを救う事でありむしろ宗教
>者として積極的にやらなくてはならないことではないのか
まず、「輪廻転生」による「脅迫」や「甘言」は、「悪業」の最たるもの。やった人間が真っ先に地獄に墜ちるw。
「脅迫」や「詐欺」は、「犯罪」である。宗教者は、そのような悪業を犯すべきではなかろう。
それに、ノリピーや押尾などの現代人が、「輪廻転生」という明らかに虚偽で荒唐無稽の脅しを信じると思うのかね。
却って馬鹿にされるだけだろう。現代では、そんな僧侶は、檀家から追い出される。
596 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 17:58:04 ID:81m69nib
>まず、「輪廻転生」による「脅迫」や「甘言」は、「悪業」の最たるもの。やった人間が真っ先に地獄に墜ちるw。
「脅迫」や「詐欺」は、「犯罪」である。宗教者は、そのような悪業を犯すべきではなかろう。
そんなことは当たり前で
法を説かない宗教者に対する逆説や皮肉として言ってる事くらいわかるよな
また真実を説くと檀家からほうり出されるとしたら
その寺制度自体が地獄に通じているだろう
>>596 そ。
だから、
(明治以降)日本仏教界のとった態度・選んだ途は間違いだったってことさw
幕府の言いなりに住民台帳を請け負ったのが間違いだったってことさw
これを全部白紙に戻してやり直せばいいw
簡単だろw
本来の教えに戻ればいいんだから。 何を迷う必要があろうかwww
598 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 18:14:25 ID:81m69nib
酒井氏は来世など信じてなかったかも知れないが
実際、過去に仏法に反する事をした結果
現在裁かれているのだから
釈迦は正しかった事になる。
また肉体が滅んでも行為の蓄積が何らかの形で遺るかどうかは見解の相違だが
遺ると考えた方が妥当だと思うし
だからこそ善人や悪人がこの世に存在するんだと思う
おいw
同意してはくれないのか? お前の話に乗ってやったんだぜ?w
>>598
600 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 22:25:10 ID:6qLiwdN+
>>574 最も肝心なことというのは、
仏典の記述における理解と解釈の問題ですよ。
つまり、ゴータマの説法の“真意”はどこにあるのか?
ということです。
>「人間は人間にしか輪廻しない」このように読める経典を例示できますか?
だから、
私はこれは方便として語ったものと見なしているのです。
そんな説明が仏典に見られる筈ないでしょう。それでは方便の意味と効果を失いますから。
私は、「人間は人間にしか輪廻しない」その明確な理由を説明したまでのこと。
>論理的帰結を論拠とするのであれば、その最強のものは、あなたが最も嫌う唯物論ですよ。
実に、人間が下等生命に転生するというのは非論理的な話しであり、
宗教世界の典型的な迷信である(と、私は見なしています)。
唯物論というのは現実に起こっている超自然現象を説明し得ない故、非論理的なものです。
彼らは自分が直接、実体験するまでは決して認めないので、
話しても時間の無駄なのです。
601 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 22:26:14 ID:6qLiwdN+
>結局、あなたは自己の神智学的視座から、こうあるべきだ
>という願望を仏教に投射し、自己の信仰の補強材料に利用としようとして
>いるに過ぎません。
人間が下等生命に転生するという話しは方便であり、
これを本気で信じるのは迷信であると見なしている仏教信奉者は他にもいると思いますが?
この私は神智学に出会う以前から、同じくそのように判断していましたが・・。
私はその理由を理論的に説明できますが、
では、あなたから人間が蜘蛛に転生した場合、その蜘蛛はその後にはどうなるのか?
その蜘蛛が再び人間に転生するにはどうしたらいいのか?について、
それを仏典の記述から実際に引用箇所を拾い上げながら解説してみて下さい!
(それがあなたの遣り方とのこと)。
是非、新しい転生スレで宜しくお願いします。
602 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 22:27:15 ID:6qLiwdN+
>>583>>591 この折空氏の
>そして、「一切の苦しみ」を「滅した」と、人々に認められた人、
>このような人が仏陀と呼ばれます。→成仏
>>582 の説明に基本的に同意します。
「“完全解脱”=輪廻からの解脱=ニルヴァーナ(涅槃)=成仏」で宜しいかと思っています。
注意すべきは仏典中の弟子が、何か一つの囚われから解放された話しを“解脱した”と表現したり、
一つの理解を得たことを“悟った”といった表現がされていることです。
それで私は、
特に「悟り」という言い方は意図的にしないようにしているのです。
603 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 22:29:06 ID:6qLiwdN+
>>575 すみませんが、これは誤解が起こっています。
>裏を返せば、解脱を目指して、ゴータマの言うとおりに修行をしたのに、
>2500年間、未だに解脱した人が居ないという事ですよね?そんな教えに価値がありますか?
Aについて---これは大乗グループのついての基本的な見方として私が述べたものです。
ゴータマの言う通りにしてこなかったのは大乗なのです。
従って、大乗には解脱者を輩出する可能性は薄いと(知られざる個人の中にはいるかも知れませんが・・・)。
という意味からは、南方仏教の永い歴史の中にはいたかもしれませんね。
ただし、私にはいつ誰が・・という具体的な話しは全く聞いたことがありません。
可能性が薄いのは大乗の歴史の中で、ということです。
>解脱はしなくても大衆に安心を与えた大乗の方が価値がないですか?
もちろん意味はあります(効果もある)。
歴史的に止む得なかった理由的な背景もあります。
私は全部ダメなどとはいってないのです。
Bについて---役には立つ部分はもちろんあるでしょう。
しかし、解脱体験者からのものでなければ方法論的には信頼性は薄いのです。
それによって解脱できるという保証はない、ということです。
>Cの原始経典に釈迦の教えが纏められているというのも議論の余地があるかと。
現在、ゴータマの教説を確認するのに大乗経典を扱う学者は皆無です。
原始経典にも紛れは含んではいるが、しかし、
これに頼る以外にゴータマの思想について知る術は他にありません。
>>600 だからぁwww
それは「原点回帰」でもなければ「釈尊回帰」でもない、と指摘されてるんじゃないかw
【それは、「原点」ですら無い】とね。 判らんかなぁ・・・w
現存する資料から確認できる(類推できる)範囲を超えちゃってるんだよ。わかる?
(まさしく第一シリーズで、貴方が散々こき下ろしたスタンスですよ?w)
んとにどーしよもねーな、お前は・・・。
>>603 神智学って言葉を今日知った者なんですが、
宝珠愚者さんは仏教の枠組みを越えているようなのですが、信仰している宗教は何でしょうか?
606 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 22:36:13 ID:6qLiwdN+
>そもそも、あなたの言うゴータマ以外達成できなかった「解脱成仏」が、現代日本人に役に立つんですか?
はい。相応しい高次の人物が転生しているようになるでしょうね。
Dについて---捨てろといってるのではなく、
原始経典の内容を基本として、そこに大乗の役立つ部分を取り入れて、
更に、新たに現代日本に適した仏教を構築すべきではないか?という意味です。
607 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 23:29:56 ID:6qLiwdN+
>>604 そう??
では、
この私に原理主義者として文字一句たりとも外れないそのままの解釈であれ〜!
というアプローチであるべきだと推奨してるのかな??
>>605 「神智学」というのは、
諸宗教の真義を紐解く鍵を提供する叡智(霊性の学問)です。
>信仰している宗教は何でしょうか?
私は自分を、
あまり何教徒といったカテゴリーやレッテルを好みません。
元々は原始経典に出会って仏教(宗教)に触れました。
が、解脱の道を正しく指導できる師は日本にはいなさそうでありw、
その後、近代ヒンドゥー・アヴァター方の教えに出会ってヨーガを学び、
更に、神智学を個人的に学習して現在に至っています。
因みに、神智学協会の創設者の二人共に、
南方仏教(スリランカ)にて正式に受戒している仏教徒でもあります。
特にオルコット大佐は死に至るまでの27年間を、
300年に渡ったキリスト教徒らによる植民地支配で荒廃した
スリランカ仏教のサンガを再興することに生涯を捧げた“英雄”です。
>>607 神智学をググったり、スレを見ました。
個人的に、前提が魂や霊という事柄に対しては否定的立場を取っており、
哲学、体や脳の使い方としての仏教に興味を持っております。
宝珠愚者さんに対しての理解が若干深まりました。
回答&説明ありがとうございました。
609 :
10:2009/10/27(火) 00:50:22 ID:8C4nZgBa
>>591 >→宝珠愚者さんは、解脱と成仏の区別が出来ているから、指摘する必要が無いのです。
私は宝珠愚者さんが書かれたとおりに写したんですがね。
それが何で、私は区別できていなくて、宝珠愚者さんは区別できる事になるのか…
>>「気づき」というと、「何に気づく」のですか?
>→いろいろな問題について解決策を思い付くことですよ。
だから、「いろいろな問題について解決策」って例えば、どんな事ですか?
>>そして、それはなぜ現代にも有効だとお考えですか?
>→「気づき」というものは、時代に左右されないものだからです。
いやさ、だから、なんで気づきは時代に左右されないんですか?
>>抽象論ではなく、具体的な例を上げてくださると理解し易いかと思います。
>→「悟り」とは「気づき」のことである。どこが抽象論ですか?
……え〜と、「抽象」と、「具体」という日本語は分かりますか?
あなたは、独自の定義を断りなく使用する癖があるようなので、一応お聞きしておきます。
一般的には、「具体的」と言うと、個別の事例を挙げると思うんですが…?
>>あなたがたが、私の質問に全く答えられていないだけです。
>→証明することはできないと何度も回答していますが?
え〜と、私の感覚的には、「証明できると主張するなら、証明してください」という質問に対して、
「証明できない」と言うのは、回答にならないんじゃないかと思うんですが?
610 :
神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 01:00:24 ID:0/GVsNlj
>>600 >つまり、ゴータマの説法の“真意”はどこにあるのか?
あのですねえ、ホントニ理解力がありませんね。正直、疲れます。
「ゴータマの真意が、何であるのか?」 これを探求することは、いいですよ。
むしろ、積極的に行うべきでしょう。しかし、それは「残された経典、あるいは伝承
等を基に」探求されるべきでしょう? あなたの言っていることは、経典、伝承などに
「そのように解釈できる」ものが全くないのに、自己の「神智学的解釈」により
「そうあるべきだ」ということ以外、何もないでしょう?
例えば「悪行を行えば、来世において牛に生まれ変わるぞ」
これは、現世において善行を行うようにとの教えの方便ととることは可能でしょう。
しかし、これが「人間は人間に生まれ変わる」ことの方便であると解釈できますか?
経典のどの記述が「人間は人間にしか生まれ変わらない」ことの方便と解釈できるのですか?
その部分を示すことができますか?
あなたの主張は「方便でも比喩でもなんでもありません」
ただ、自分の好む見解をこれが「ゴータマの真意」だと、「何の仏教的論拠」もなく
押し付けてるに過ぎません。
あなたの言う「ゴータマの教えに帰れ」というのは「私が『主張するゴータマの真意』を信じろ」
と、こう言っているに過ぎませんね。
611 :
10:2009/10/27(火) 01:09:49 ID:8C4nZgBa
>>594 その通りですね。
まあ、何事も理想と現実には開きがあるものでして。
何かいい解決策はない物ですかね?
612 :
10:2009/10/27(火) 01:10:46 ID:8C4nZgBa
>>602 解脱と成仏の定義については了解しました。
>>603 >Aについて---これは大乗グループのついての基本的な見方として私が述べたものです。
>ゴータマの言う通りにしてこなかったのは大乗なのです。
え〜と、
>>543の、
>その解脱成仏を実際に体験された仏陀であるゴータマ以外には語ることができないものなのです。
>経験してないことについては、これを保証できないのです。
と言う部分から、成仏した人間はゴータマだけであるとしか読めなかったんですが。
まあつまり、ゴータマの言うとおりにして、成仏した人は居るけど、そういう人たちは教えを残さなかったと言う事ですか?
で、結局成仏できた人間は「南方仏教の永い歴史の中にはいたかもしれませんね。 」程度なわけですよね?
そのようなものが、現代日本で必要とされますかね?
>>606 >相応しい高次の人物が転生しているようになるでしょうね。
えーと、チョット良く分からないんでもう少し解説していただけますか?
>Dについて---捨てろといってるのではなく、
>原始経典の内容を基本として、そこに大乗の役立つ部分を取り入れて、
>更に、新たに現代日本に適した仏教を構築すべきではないか?という意味です。
大分意見が丸くなりましたね。
613 :
神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 01:14:44 ID:0/GVsNlj
>>607 >この私に原理主義者として文字一句たりとも外れないそのままの解釈であれ〜!
というアプローチであるべきだと推奨してるのかな??
何言ってるのかな?
あなたはゴータマの教えに帰れと言ってるのでしょ?
ならば、その主張はゴータマの教えに基づかなければなりませんね?
ゴータマは「人間は人間にしか生まれ変わらない」と言いましたか?
「そのように読める経典」がありましたか?
これは「人間は人間にしか生まれ変わらない」ことを言おうとしている
方便だ と考えられる記述はどれですか?
わかりましたか?
誰も一字一句、その記述どおりに解釈せよ などとは言ってません。
全く仏教的根拠がないことを「これがゴータマの真意だ」
などと、『付け足す』のはダメでしょ? と言っているわけ。
614 :
神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 03:55:18 ID:BarcHjYM
>>611 全国津々浦々どこにでもあるお寺のネットワークは貴いですが、
しかし、檀家が少ないと維持するのも大変ですから、
お寺の合併もいいのでは。
615 :
前世は一在家:2009/10/27(火) 16:24:50 ID:rn3Y7kHf
>>582 析空氏
>その「悟り」ひとつひとつに「苦しみの滅」があります。
>その「苦しみの滅」を「解脱」といいます。
原始仏典の中で釈尊は多くの法を説かれており、舎利佛も編纂して
おります。
なお悟った後の釈尊が主に説いて廻った法は「四諦」と「八正道」
だったそうです。
私は異教ですが「日本仏教はこのまま」というよりも、現代に合った
方法で「四諦」と「八正道」を人々に説かれたら宜しいかと存じます。
リストラで職を失った人、資金繰りがうまくいかず倒産しそうな経営者、
夫や子供との喧嘩が絶えない主婦、半身が動かずベットで宙を仰ぐ人、
三角関係で苦しむ女性、いじめにて自殺したい学生、災害で財産を失った
家族、などなど。
豊かで幸福者が多い筈の日本ですらこのような状況ですから、もし現代に
釈尊または菩薩がいたらどのように法を説かれたかを深く考えて、実践
すれば「日本仏教はこのまま」でなくなるかと思料します。
616 :
絶対神:2009/10/27(火) 16:28:32 ID:K4lnip2G
あのさー。
仏教だとかキリスト教だとか、悟りだとかいう以前に、
「神は実際にいるからね」
私のスレッドを読んで確認してごらん。
神がいる事と奇跡は証明された7
もっとも最古のスッタニパータで
くだらないお喋りは
もっとも釈迦は嫌って禁じてるからね。
仏教以前に基本すら出来ていないから新興宗教だね。
日本仏教はこのままでいいよ
日本は宗教に拘わってる人間が一括して「変わり者」としてやんわり世間から馬鹿に
されている その代表が日本のお坊さん すごく立派だと思う
宗教者が社会的地位が高かったり発言が絶対的だったらダメなんだよ
諸外国を見てごらんよ 日本の穏やかな宗教風土はお坊さんが堕落している
ことによって支えられている この宗教風土は本当に宝ものだと思う
穏やかと腐ってる、という事は別物ですがね。
まずあなたが古代インドの仏教教団にいるとします
政権が変わって国教が仏教からヒンズー教に変わりました(もちろん独裁です)
政権は無理やり弾圧するような頭の悪いことはしません
仏教も政権によってかろうじて容認されています
この状態で布教する場合どうしてもヒンズー教風の仏教を創作しなければならないでしょ
これが大乗仏教です
それで次はヒンズー教そのものの密教になり 終いにヴィシュヌがブッダに化身して嘘言ったことになる
長い時間かかりますが宗教弾圧としては完璧です 完全な骨抜きですから
沢木なんとかっていう禅坊主 戦争で人殺しまくったんですってね
国家神道と仏教の融合ですか さすが大乗仏教ですね
できあがりは葬式坊主w
622 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/27(火) 21:57:11 ID:hupdUnTz
>>610>>613 >あなたの言う「ゴータマの教えに帰れ」というのは
>「私が『主張するゴータマの真意』を信じろ」と、こう言っているに過ぎませんね。
はい、それで構いません。
あなたが私の主張に納得しなければ、それを受け入れなければいいだけのこと。
私自身は納得しないものは受け入れない。
人間が蜘蛛にも転生するなどという非論理的な話しなどは信用しません。
原理主義者は文字通りに解するでしょうが、私は迷信嫌いです。
もしも、人間が蜘蛛にも転生することについの論理的な説明ができて、
この私を納得させることができるならば、仏典の畜生道への転生は方便ではなくて
実際に蜘蛛にも蟻にも生まれ変わるものであるとして認めます。
すみませんが、
話しがクドイので終わりしたいところです。
>>601の説明があなたにできないのならば全くの無意味なので終わりにしましょう!
623 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/27(火) 21:58:12 ID:hupdUnTz
>>612 >まあつまり、ゴータマの言うとおりにして、成仏した人は居るけど、
>そういう人たちは教えを残さなかったと言う事ですか?
はい。
必ずそうするものとは限らないでしょうね。
>そのようなものが、現代日本で必要とされますかね?
仏教的にはこれ以外にはないでしょう。
そのことに、基本的には場所や時代は問わないものと思います。
ゴータマの説く修行法で日本に相応しいスタイルの確立が必要ということです。
>>相応しい高次の人物が転生しているようになるでしょうね。
>えーと、チョット良く分からないんでもう少し解説していただけますか?
(ゴータマの教えに沿った)相応しいことをしていると、
その必要レベルに応じた存在が転生してくるというものです。
自然と優れた人間が転生に入ってくるようになるのです。集まってくる。
つまり、“類は類を呼ぶ”ということ。
>大分意見が丸くなりましたね。
有難うございます。
自分としては最初からそのつもりなのです。
>>622 >はい、それで構いません。
あのな・・・、それは、
≪「ゴータマの教えに戻る」≒「本来の、もともとの教えを確認し、基準とし、骨格として構築し直す」≫
こととは全く違うよな?わかるよな? それは、
≪「新たな価値観、新たな基準を採用し、そこに『仏教』という名称を冠する」行為≫
だよな?
実に単純明快な事だよな。幾らお馬鹿なお前でもわかるよな?
二度とゴータマ云々、仏教云々言うんじゃねーよ。下衆が。
625 :
10:2009/10/27(火) 22:27:05 ID:8C4nZgBa
>>623 >>そのようなものが、現代日本で必要とされますかね?
>仏教的にはこれ以外にはないでしょう。
いやいや、仏教的にこれ以外無いからといって、
現代日本において需要が有る理由にはならないですよね?
少なくとも私は、「最終目標を達成した人が2500年間にいるか居ないか分からないレベルの教え」に、
興味を覚えませんね。
>(ゴータマの教えに沿った)相応しいことをしていると、
>その必要レベルに応じた存在が転生してくるというものです。
>自然と優れた人間が転生に入ってくるようになるのです。集まってくる。
>つまり、“類は類を呼ぶ”ということ。
にわかには受け入れがたいですね。
なにか、根拠とかあるんですか?
626 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/27(火) 22:42:28 ID:rn3Y7kHf
現代で「四諦」を実践して、衆生を救済している人達は、仮に
カウンセラー、介護士、教師の姿をしているかも知れませんね。
相手の悩みに応じて対機説法を駆使している姿は菩薩に近い
でしょうが、彼ら自身は気付いていないかと存じます。
627 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/27(火) 23:01:36 ID:hupdUnTz
>>624 下衆で結構www
はいはい、どうぞ勝手に仏典の通りに蜘蛛や蟻にでも転生して下さいな!
方便の効果も絶大ということで宜しいかとw
これを信じても、あまり害悪はなさそうですし・・。
>>625 >いやいや、仏教的にこれ以外無いからといって、
>現代日本において需要が有る理由にはならないですよね?
それは、もしも例えていうならば、
増税(や消費税率up)の反対者が多くても、
政治の実運営を任せられている側は、政治判断としてはこれを実際に行おうとします。
そうしなければ国家が沈みそうだと判断した場合には、
これを推し進めようとするリーダーシップ?というものがあるわけです。
実際、国民というのは好き嫌いで物事をいうのです。
しかし、運営する側の責務を負った責任者たちというのはそうはいかない。
そのために難しいことを判断するための知識と情報を日々修得し、勉強しているわけです。
だから一般のレベルを超えた代表者として選出された筈なのです。
そういうことと少し似ているのだと思う。
日本人が好むものにさえすれば本当にそれでいいのか?という問題なのですよ。
やはり、変えてはいけない部分は断固としてダメではないのか、ということ。
これは単に、支持数だけで論じていると道を踏み外してしまうでしょう!
628 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/27(火) 23:04:15 ID:hupdUnTz
>少なくとも私は、
>「最終目標を達成した人が2500年間にいるか居ないか分からないレベルの教え」に、
>興味を覚えませんね。
正しくゴータマの教え通りの仏教を奉じていれば、
それで解脱完成者がホイホイ出現するというものではないでしょう。
基本的には、四向四果の説明でも分る通り、何生涯も費やされるというのがごく普通です。
大乗世界ではどうかは不明ですが、南方世界には排出していたかもしれませんね。
縁起馬鹿一代氏のいう通り・・に。
>にわかには受け入れがたいですね。
>なにか、根拠とかあるんですか?
四向四果でもそうですが、
“人間は自己にとって相応しい場所へと転生していく”というのが基本原則なのです。
つまり、仏教修行の相応しい環境が整ったところへは、
それ相当の適したレベルの転生者が生れてくるようになるのは物事の道理というものです。
630 :
10:2009/10/27(火) 23:17:31 ID:8C4nZgBa
>>614 おっと、見逃してました。
お寺の合併ですか。維持費を削る方向で考えれば、そういう結論になりますね。
地域のお寺がなくなるのはさびしいですが、時代の流れとしてはしょうがないですかね。
ただ、過疎問題と一緒で、地方に行くほどお寺が少なくなる現象が起きそうです。
なんとか、お寺に経済的に自立してもらう方法はないもんですかねぇ。
631 :
10:2009/10/27(火) 23:17:43 ID:8C4nZgBa
>>627 庶民の需要に関係なく、自分が良いと思うものを広める訳ですか…
カッコいい意見ですが、その調子だと現実的には、寺院が経済的に困窮して、滅びると思います。
>>628 >基本的には、四向四果の説明でも分る通り、何生涯も費やされるというのがごく普通です。
ますます興味が薄れますね。
>“人間は自己にとって相応しい場所へと転生していく”というのが基本原則なのです。
え〜と、全然説明になってないと思うんですが…?
633 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/27(火) 23:32:29 ID:hupdUnTz
>>631 >その調子だと現実的には、寺院が経済的に困窮して、滅びると思います。
“職業としての僧侶”をどう見なすのか?は、このスレ的には問題視の一つでしょうね。
必要部分と過剰な部分とかあるということになると思います。
つまり、どの辺で折り合いをつけるかです。
>ますます興味が薄れますね。
本来の仏教とはそういうものだろうと思います。
大衆が喜ぶものほど、仏教からは離れたものに変質していくのです。
>え〜と、全然説明になってないと思うんですが…?
ゴータマの教えに沿った教えを奉じていれば、
その世界には、それに相応しい人が転生してくるようになり、
その結果として、最終的には解脱を果たすような人材すらも現れるようになるでしょう。
そういう意味です。
もし、意味が分らなければいいです。
気にしないで下さい!
それで真光に所属ってのはまた
どういった理由ですか?
635 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/28(水) 00:21:53 ID:x7lsZ5lG
>>632 はい、セブン先生いつも有難うございます!
資源を消費しますが全部、印刷させてもらいました(縁起先生ごめんなさい^^)。
本日の宿題、勉強しておきます (=゚ω゚)ノ
636 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/28(水) 19:19:03 ID:x7lsZ5lG
---10さんへ
10さんから頂いていました転生に関する疑問点については、
別スレにて私から返答し、できればそこで議論したいものと思います。
他の自称仏教徒らが煩いので、もっと自由な観点から意見します。
10さんの納得のいく回答はできないかもしれませんが、
しかし、少なくとも私からは自称仏教生らとは異なる見解を提示できるでしょう。
宜しいでしょうか?
637 :
10:2009/10/28(水) 20:15:49 ID:4cppBRmd
>>633 >“職業としての僧侶”をどう見なすのか?は、このスレ的には問題視の一つでしょうね。
そのとおりですね。
「本音と建前」、「理想と現実」、「法と方便」…、色々言い方がありますが、結局問題はここですね。
>大衆が喜ぶものほど、仏教からは離れたものに変質していくのです。
つまり、「あなたの言う仏教」は、本質にもどれば戻るほど、需要がなくなって、滅亡に近づく宗教なわけですか…
今まで「仏教」と呼ばれるものが存在し続けたのは、大乗仏教のお陰ですね。
>もし、意味が分らなければいいです。
>気にしないで下さい!
気になるから質問したんですがね…。
>>636 どこであろうと回答していただけるなら、構いませんよ。
リンクだけは張っておいてください。
ただ、また「もし、意味が分らなければいいです。気にしないで下さい!」となるのだけはご勘弁を。
>>637 >>大衆が喜ぶものほど、仏教からは離れたものに変質していくのです。
>つまり、「あなたの言う仏教」は、本質にもどれば戻るほど、需要がなくなって、
>滅亡に近づく宗教なわけですか…
>今まで「仏教」と呼ばれるものが存在し続けたのは、大乗仏教のお陰ですね。
もちろん、その価値に人々が気付けば喜んで信奉されるでしょう!
>どこであろうと回答していただけるなら、構いませんよ。
>リンクだけは張っておいてください。
エーと、
細かい(クダラナイ)ことは気にされない方と見受けましたのでw、
では、こちらにて宜しくお願いします。
他の部外者からの横ヤリはなるべく無視したいと思います
(意味在る投稿ならレスつけることは在りでも)。
ココ使っちゃいましょうかwww
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255484423/l50 (邪魔が多く入ると面倒なので「sage」進行としたいと思います)
>ただ、また「もし、意味が分らなければいいです。気にしないで下さい!」となるのだけはご勘弁を。
何分にも、
「はい、それはコレコレです」と簡単に提示できるようなシロモノじゃ〜ないからです。
返答には努めるつもりではいますが、
十分、あなたの納得できるものではないかもしれません。
どうか-ご了承下さい!
639 :
神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 23:57:35 ID:xPTBDhmf
Amazon
活躍
参考までに
楽しみ
なんで
阪神に
まだまだ
ヤクルト
らしいね
あたりが
下記
座席
だってね
なってるね
ハンデ
マンセ
やってます
来月
640 :
宝珠愚者:2009/10/29(木) 19:29:14 ID:jHSj5s1N
どうやら、またアクセス規制に巻き込まれたようです。
暫くの間(ヘタすると3ヶ月間)は簡単に投稿できない状況です。
皆さん、どうかご了承願います!
641 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/10/29(木) 22:28:45 ID:c3zILdzq
ハルマゲドンを提唱するキリスト教カルトって、俺のこと言ってんだろうか?
まぁいいや、2chなどで兄弟と出会えるわけもなし、
この人はと思っても、隣人に石を投げる人ばかりで、いつも裏切られる。
ところで、最近、イエスに対して異常な憎悪の炎を燃やしていた、隠居とか呼ばれてた変態みないだろ。
あいつきっと、今世間を騒がしてる、ネットで知り合った男6人ほど殺した
結婚詐欺の豚女だったんだぜ。きっとそんな気がする。
642 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/29(木) 22:56:52 ID:PZdbG/wI
(^。^)烏が鳴いてますなぁ、キタナイ声で♪(笑)
643 :
カラスの唄:2009/10/29(木) 23:56:22 ID:c3zILdzq
さてスレのテーマにそった話だが、日本の主流派の仏教って、要は、唯物論なわけだ。
唯物論を真理とするなら、墓なんて要らねぇし、葬式もやるだけ無駄じゃん。
唯物論を真理とするなら、墓も、葬式も無駄ですよ、
人間死ねば終わりだと達観しましょうと教えるのが筋だろ。え?我々は唯物論でも、観念論でもない。中道だって?
そういうのを仏教思想を利用した、詭弁と言うんだよ。君らがいくら中道を使った詭弁を吐こうとも、
本音は唯物論だし、中身も唯物論だ。それを中道を使った詭弁で、我々の話は、唯物論ではないとは、
君らは詐欺師かい?え?仏教のテーマは、今生における、苦の滅だって?よくいうよ。
いくらこの世に本当は、苦も楽もない中道だべ〜と能書き垂れても、
そんな思想ひとつで苦の滅などあるはずもなく、今生の苦を取り除こうと思えば、病院で優秀な医者や、
心理カウンセラーに見てもらったほうが、君らの仏教より、はるかに有効だ。
君らの話は唯物論をベースにした、単なる哲学で、宗教とはいえないものだ。宗教でもないのに
檀家から布施をしてもらうとは、どういうことか?そもそも唯物論を根拠にする君らが布施をもらう根拠はどこにあるのか、
高額な代金をもらい、墓や、葬式をあげる根拠を聞きたい。ちゅうか、君らの仏教になんか意味あんの?
賢い人なら、今の末法仏教には、意味がないとすぐに見破るぜ。おっと、禅宗にかかれば、意味なと無い。
それが悟りだとかいいだしそうだけど(苦笑)意味などないなら、それこそ、
檀家から布施など貰うなっていいたいやね。次のスレタイは、「現代仏教に意味はあるのか?」にしたらいいと思うよ。
真面目に言うけど、君らの仏教、意味無いから。
644 :
カラスの唄:2009/10/30(金) 00:26:20 ID:FhE6e/v9
>>642 おやおや、宗教板で一番頭の悪い人が俺になんの用だい?
ちゅうかお宅、創価って、カルトだって知ってる?
645 :
カラスの唄:2009/10/30(金) 01:10:14 ID:FhE6e/v9
>>642 今世間を騒がしている、結婚詐欺の殺人鬼の豚も
おまえのお仲間の創価だったんだね?わかります。
なんせ隠居だもんな、あの豚。現世利益のカルトは怖い、怖い。
646 :
神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 01:13:15 ID:Qi8p/QJG
>>643 日本仏教の多数派は浄土系だし、
浄土系は唯物よりは唯識だと思いますが。
647 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 04:07:41 ID:6dBWr13S
俺は、もと密教行者で現在は中論の信者ですが、何か?(笑)
648 :
カラスの唄:2009/10/30(金) 06:38:19 ID:FhE6e/v9
>>647 おまえ前に創価だって言ってたじゃんかよ。嘘も方便かい?これだからカルトは。
どうも創価はよっぽど自分とこの教義に自信が無いのか、中論に逃げて、
仏教徒としてのプライドを必至で保とうとするひとがいるみたいだが、あのさ、中論なんか知って
いったいなんになるわけ?あんなのただの哲学だし、しかも中身は、本質的には全く意味のないただの言葉遊びだ。
この世界に本当は生も死もない、中道だべ〜と、妄想しても、ただの現実逃避で、
本質的には、なんの解決にもならないし、真理でもない。君らがいくら生死など無いとぬかしても、
我々はここに生まれ、そしていつか、必ず死ぬんだよ。死は避けられない。
中論などでいい気になっているようだが、中論に被れた君らの仏教は、本質的には全く意味の無い、
ただの言葉遊びの妄想で遊んでいるだけなんだよ。そんなことも気付かない君らは救いようのない馬鹿だ。
そもそも中道とは、一元の存在を認めてこそ生きる思想だ。それを認めないでいくら中道、中道と
能書き垂れても、本質的には全く意味の無い、空しい妄想でしかないものになる。
このシリーズはじめから指摘されているように、仏教の無我思想とは、
これらのものは我ではない。早い話、この現象世界には主体性のある我はありませんよ
といっているのに過ぎないのに、仏教徒達は、この無我思想を誤謬し、
アートマンと呼ばれていたものまでも無いものにしてしまった。結果仏教徒達は、答を失い、
目的を失い、深い迷路の中に迷い込んでしまったんだよ。君らの仏教は無意味だ。
宗教的には全く価値の無いものだ。いい加減それくらい気付けよ、池沼共。
649 :
カラスの唄:2009/10/30(金) 07:02:08 ID:FhE6e/v9
>>647 堂々と他人様いえない宗教って、なんなんだろうね。あんたどう思う?
俺は自分の宗教を堂々と言えるぜ(苦笑)
なんかファビョッてる鳥がいるw
考えても無駄。だから無駄に考えるのは楽しい。
そんなこと分かりきって遊んでるのに、
池沼池沼と鳴くカラスw
651 :
神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 07:48:55 ID:Qi8p/QJG
>>648 ゆるぎない実体であるアートマンは無いが、涅槃(滅び)は永遠。
一度滅びてしまったら、二度と再生できないから。
652 :
神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 07:54:05 ID:Qi8p/QJG
まぁしかし、個人的には、次のように妄想することもある。
涅槃に入るということは、
眼耳鼻舌身意でとらえられる対象が滅びてしまうこと。
涅槃に入った者を体で感じることもできないし、心で考えることもできない。
だから、逆に言えば、眼耳鼻舌身意を超えたレベルで
「何か」が存在しているのかもしれない。
私達三界の生命には感じることもできない次元を想定することはできる。
653 :
10:2009/10/30(金) 07:58:07 ID:0MfXQ6lV
>>643 >日本の主流派の仏教って、要は、唯物論なわけだ。
主流派ではないと思いますが…。
まあ、2CH自称仏教徒主流派であるかもしれませんね。
>いくらこの世に本当は、苦も楽もない中道だべ〜と能書き垂れても、
>この世界に本当は生も死もない、中道だべ〜
中道って、そんな主張でしたっけ?
カラスは、ほら、わかっちゃった人だから、優しくしてあげるといいね。
そういう人は面倒だけど、まあ仕方ないんじゃないの?
655 :
神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 09:55:31 ID:DCov3qQ8
二千年以上前から魂はあるだの無いだのしょうもない議論してんだから下らねえ事言ってないで坐われよ馬鹿野郎っつうのが中道だよ。
んなこと妄想して坐ってるなんて馬鹿なんじゃね?
掃除してろよ、バーカw と言われたことあるな。
657 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 16:40:15 ID:6dBWr13S
(^。^)まぁ、俺も含めて、みんな下座が足らんよな♪(笑)
658 :
カラスの唄:2009/10/30(金) 18:00:43 ID:FhE6e/v9
>>657 心配しないでも、あんたは座っても座らなくても一緒だよ。
659 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 18:09:39 ID:6dBWr13S
烏は下座行って言葉も知らんのか。(笑)
まぁ、2ちゃんなんかで仏教を語ってる奴だから仕方ないわな。(笑)
660 :
10:2009/10/30(金) 18:37:36 ID:0MfXQ6lV
>>658 「下座」と聞いて、「座る」と言う反応が素晴らしすぎますね。
中道のオリジナル解釈から考えて無理もないですかね…。
661 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 18:43:52 ID:6dBWr13S
>660
(^。^)宗教板の仏教通って基礎を知らんの多いよな。(笑)
イカとか折空とか。(笑)
でも、仏閣板は面白いのが居ないしなぁ。
662 :
カラスの唄:2009/10/30(金) 18:54:52 ID:FhE6e/v9
あの隠居っての、婚活結婚詐欺、連続殺人鬼の豚女で確定だな。
俺の中で色んな面で繋がっている。なんかわかるんだよ。
そもそも人を殺すことができる自体、普通じゃない。
ましてや己の欲望を満たすためだけに他人を殺せるなんて尚のこと。
押し並べてこういう人は、恐ろしく我が強い。隠居のここでの書き込みをみてもわかるように、
人格障害の病理を示していた。あれは恐ろしく我が強い。
あれだけ我欲の為だけに人を殺してきたんだ。因果応報、業法輪廻思想は、
なんとしてでも否定したかったんだろう。
だがここでいくら否定したところで、真理は真理。法は曲がらない。
人は、自分の撒いた種の報いは、たとえ一タラント足りとも支払わなければいけない。
あれはこれから、三世に渡り、自分の成した業の報いを受けることになるだろう。
だいたい、因果応報、業法輪廻思想を脅迫と取ってしまうこと自体おかしいし、
自分にやましいことのある証拠なんだよ。
663 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 19:16:31 ID:6dBWr13S
烏くん、烏くん、
下座行って大事だから、ちゃんとした方が良いよ?
もう亡くなられたけど、俺が唯一尊敬してる大徳のアジャリさんも、
毎日下座してたくらいだからさ♪
664 :
カラスの唄:2009/10/30(金) 19:17:37 ID:FhE6e/v9
>>659 下座の意味なんてどうでもいいんだよ、バーカ。
俺はおまえのような能無しは、座っても座らなくても一緒だと言ったんだよ。意味わかる?
ちなみに俺が批判した中道は、主に、唯物末法仏教の一ジャンル、
中論教、空理空論教の馬鹿に対して言ったんだよ。なにせ詭弁家の君らにかかれば、中道も、空も
色んな意味にばけるからな。仏教用語を駆使して、詭弁を極限まで磨くのが、君らの仏教だ。
ところでおまえの仏教に、なんか意味あんの?それさえ気付かない池沼なんだろ、おまえ。
665 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 19:21:11 ID:6dBWr13S
>664
俺は筏を担いで登山する趣味は無いんだが?(笑)
(^。^)下らん事聞くな♪(笑)
666 :
宝珠愚者:2009/10/30(金) 21:15:48 ID:U+0+L1Cy
>>641 お久し振りですねぇ^^
その後もお元気でしたか(お仕事が忙しかったようですね)?
>ハルマゲドンを提唱するキリスト教カルトって、俺のこと言ってんだろうか?
エーと、誤解されるといけないので一応、いっておきます。
私からの、「キリスト教ハルマゲドンのカルト教団の話しなどと一緒にされては困る。」
>>542 これは、もちろんカラスさんのことなどではなく、典型的なキリスト教系カルト教団を指してのことです。
“あの人”のいうこれらのカルト団体の話しなどと一緒にされては困る、という意味ですから。
私は、カラスさんは“より真実のイエスの理解に近いもの”と評価していますから、
どうか宜しく!
因みに、他の人のためにも少し述べておきますと、
大体、終末論を掲げるところがカルト化する傾向がある、
という彼の指摘は概ねは間違っているわけではなく、
各団体で独自に終末がいついつだと教主が予言し、
そのときを祈りで過ごすか、または武装化する・・というパターンが見られるのです。
しかし、その時期が当たったことなど、もちろん在りません。
667 :
宝珠愚者:2009/10/30(金) 21:17:47 ID:U+0+L1Cy
668 :
宝珠愚者:2009/10/30(金) 21:24:16 ID:U+0+L1Cy
『出家の覚悟』が届いたので読みたいと思います(そして考えたい)。
皆さんのほうで、このスレに沿った線で更にお話して下さい!
宜しくお願いしまーす^^
>>662 >だいたい、因果応報、業法輪廻思想を脅迫と取ってしまうこと自体おかしいし、
>自分にやましいことのある証拠なんだよ。
そうかも知れませんね!
はい、同意します。
>>668 「来世で(不公平の)帳尻を合わせよう!w」って魂胆が、
そもそも下衆な感性だと言ってんだよ。タコ助w
(で、またもやカラスにおべんちゃらかw 腐っとるな、お前・・。)
670 :
10:2009/10/30(金) 21:44:14 ID:0MfXQ6lV
>>668 『出家の覚悟』私も届いて読みましたが、正直期待はずれでした。
まあ、「普通の事が普通に書かれていた」と言うのが感想です。
あまり期待されない方がいいですよ。
面白い本なら徹夜してでも読む私が、読むのに3日もかかったと言えば、評価が伝わりますかね?
671 :
宝珠愚者:2009/10/30(金) 21:44:40 ID:U+0+L1Cy
>>669 やはり、
“学者モノ知り後回し”とは蓋し明言なのですね!
セブンのためにあるような言葉ですよ。
>下衆な感性だと言ってんだよ。タコ助w
は〜いはぃ、
心からの賛辞に大感謝ω_(゜∀゜ )
(霊的な真実に)無知な人に言われたかないけどぉwwwww
*携帯からの投稿はツライので、いちいちツマラナイ書き込みしないようにね^^
672 :
宝珠愚者:2009/10/30(金) 21:54:56 ID:U+0+L1Cy
>>670 ウ〜ン、ですかぁ??
ま〜平凡な家庭が1番幸せという言葉もあるし・・w
このスレ的に役立つ見解が得られるかどうかですね^^
確かに腐っとるよ
このムナクソ悪さは何かとか、一々解明したくない
男なのがまたスゴい>宝じい
674 :
カラスの唄:2009/10/31(土) 08:12:41 ID:326jOQow
>>666 お久しぶりです。そうですか、僕の勘違いだったんですね。失礼しました。
あれを書いた時の真意はどうあれ、弁解をしてくれた。そのお気持ちだけで充分です。
さて、僕の日本の仏教感ですが、はっきり言って日本の仏教は、ゴータマの仏教とは完全に違うものだと確信しています。
話はそれますが、僕はゴータマの仏像を学びたくて、テーラワーダさんのところにも足を運びました。
結果は失望するものでした。ある信徒さんはあそこの坊さんに聞きました。「涅槃とはどんな境地なんですか?」
それに対する坊さんの答えは、「それは口では言い表せない」
たしかに名称と形態の識別作用が止滅しているその境地は、識別智である「言」では
正確に言い表せないないのは承知ですが、無我思想の誤謬から、真我を認めない
彼らはそれを知るはずもなし、真我を認めないなら、識別作用の止滅した、
相の滅した境地とは「無」しかないのですから、「それは無だ」と答えてやればすむことです。
でも彼らはそう答える様子もなく、ただ「それは言葉では言い表せない」と答えるだけです。これは誤魔化しですね。
日本の坊さんも、よくこの手で誤魔化しているようですが、早い話彼らは涅槃を知らないのですよ。
「それは言葉では言い表せない」なんていうのは、それを隠す為の誤魔化しでね。
もちろん「無」だけを知っても悟りではありません。見るものと見られるものの、世界の成り立つ
究極の縁起感を、無の境地から知らない限り、悟りは無いのです。たが彼らは真我を認めないので、
サマーディ時に得られる縁起感を会得するのが悟りだと知っていても、それがどういうことかを理解できないのでしょう。
日本の仏教もそうですが、僕が感じたのは、今の仏教徒逹は、無我思想の誤謬から一番大事な
真我を見失ってしまい、答も目的も見失ってしまったんだと思います。
これはおかしな説法を繰り返したゴータマの責任だと思いますが、答のない今の仏教は、本当に意味がない。
675 :
神も仏も名無しさん:2009/10/31(土) 08:21:56 ID:1gDNs7wG
日本仏教スレなのに、ニューエイジャー大杉
ま、スレ立て人の宝珠なにがし自身、生粋のオカルティストだからな
676 :
カラスの唄:2009/10/31(土) 08:44:18 ID:326jOQow
続き
真我は自性ともいえ、無自性ともいえる性質なのをいいことに、
ゴータマは、あるでもなし、無いでもなし、あるでもないでもなしと、
人をくったような説法を繰り返していた。これじゃ聞き手が混乱するのはあたりまえですね。
なんでもヒンドゥーは、ゴータマのことは、悟りは開いたが、
彼は方便で真理を惑わす為のビシュヌ神の化身だといっているそうですね。
まさにぴったりの例えだと思います。ヒンドゥーの聖者と比べて、はっきりいってゴータマははっきり言ってレベルが低い。
ヒンドゥーの聖者は、肝心な処は、ゴータマのように不可知論的な言い回しでごまかさず、
はっきりと教え(答え)を説き、心に響きます。ゆえに、ヒンドゥー教徒は迷いがない。
僕は、仏教もヒンドゥーも、元々は同じゴールを目指す、元はヴェーダから来ている、
同じ真理を説いてるものだと思っています。ただ仏教は、あまりにも先生が悪すぎた。
結果、ゴータマの弟子逹は大いに迷い、真理からもっとも遠いところにいる。
677 :
神も仏も名無しさん:2009/10/31(土) 09:22:20 ID:8UYfoZI0
俺は仏教に対して宇宙規模の社会性は無いなと思った事はある。
ただそれでお釈迦さんのレベルが云々は知らんけど、バラモン教に対するアンチテーゼとしての存在意義はあったと思う。
只、仏教の歴史そのものがアンチテーゼの連続になってしまうんだけどね。
なんでも有りみたいな。
678 :
宝珠愚者:2009/10/31(土) 09:52:29 ID:6RFqeVgw
674-676
>僕はゴータマの仏像を学びたくて、テーラワーダさんのところにも足を運びました。
>
おはようございます。そうですかぁ〜^^
自分で学び、確認しようとする意識とその行動力に心から敬意します!
おっしゃることはとてもよく理解できます。
基本的には同意です。2ch広しといえども、なかなか“分っている人”はいないようですね。
良かったらもっと投稿を宜しくです^^
>>675 >生粋のオカルティストだからな
はいは、賛辞に感謝します^^
「オカルティスト」とは最も名誉な呼称です。
私は本来、カテゴリーに興味なし。
“真理は一つ。人はそれをさまざまな名で呼ぶ”のです。
679 :
10:2009/10/31(土) 10:13:46 ID:y03jsnLt
>>674 え〜と、テーラワーダの「それは口では言い表せない」 という回答に対して、
「違う」と言えると言う事は、既に回答をご存知で、しかもそれを有る程度、言葉で表せると言う事ですよね?
是非、涅槃とはどんな境地であるかを、言葉で、お教え頂けませんか?
ちなみに、テーラワーダの事は本を読んだだけですが、彼らの目指す「涅槃」は、識別作用の止滅した境地ではない筈です。
識別作用を止滅するのは、通過点であって、縁起を悟る為のツールだと言う説明だったと思うんですが……。
680 :
神も仏も名無しさん:2009/10/31(土) 10:37:53 ID:1gDNs7wG
__, , ,,-- --、_ ハ
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l::{ {{ {:ト;:::::lr'リr、_L__ヽ、_ヽ_f´ ;rr''´j`t-、 }ミ:r‐‐ゝ
レ' リ リ ヽ::f´"「{``トト、 }`‐{ ッ'゙{ ゝ辷ソ ノ レ'/こi`}
t-iヽ{ ゞ;;;ソ l ̄ゝ, ー‐ '´ ノ (_,ノ ノ
ヽゝ、`ー'"、_ `ー ---‐'´r'´ _,/
`弋‐‐'´ _,-‐‐‐-、 /⌒゙i弋;ゝ 真理はいつも一つ!(ニューエイジ的に)
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>>674 その坊さんが涅槃知ってるかのかどうかは別としても
「それは口では言い表せない」はある意味正しい
ヴェーダーンタの聖者ラマナ・マハルシも最善の教えは言葉よりも沈黙でしたから
>>676 サマーディの境地を知ってるのなら、釈迦の悟りの道がどれだけ現代では困難な道であるかを
ラーマ・クリシュナなども語ってますから、それと釈迦が無記を貫いたのも沙門果経などを読めば
いた仕方無いことなのかも知れません。
むしろ現代人にはラーマーヌジャの明け渡しによる不二一元論のほうが適してるように思います。
涅槃が無であるか有であるかは、ニルヴィカルパサマーディのみで知りえる知識で、悟りえない我々には
多様性は致しかたないであろうと思われるので、、
尚、明け渡しによる不二一元でもキリスト教になりますが
アッシジのフランシスコくらいの節制と信仰は必要であろうと思われますけど。
つまり悟りの道はそれだけ遠いのです。楽な道などありませんから
尚更に進む方向性のビジョンは定めないといけませんね。
684 :
宝珠愚者:2009/11/01(日) 11:29:26 ID:CcnWyJpB
>>676 >ヒンドゥーの聖者は、肝心な処は、ゴータマのように不可知論的な言い回しでごまかさず、
>はっきりと教え(答え)を説き、心に響きます。ゆえに、ヒンドゥー教徒は迷いがない。
>
>僕は、仏教もヒンドゥーも、元々は同じゴールを目指す、元はヴェーダから来ている、
>
>同じ真理を説いてるものだと思っています。ただ仏教は、あまりにも先生が悪すぎた。
>
>結果、ゴータマの弟子逹は大いに迷い、真理からもっとも遠いところにいる。
仏教はバラモン教(伝統)の前提の上に成立しており、
基本的にはその教えを当たり前のものとして受けて入れているわけです。
従って、バラモン聖典の記述をそのまま逐一、繰り返す必要などはなかった。
ところが、弟子の仏教徒たちというのは誤解を起こして、
バラモン聖典(の教え)をすべて外道と称して自分たちの中から排除してしまったのです。
それによって結果的に、彼らの理解には大きな“空白”が随所に生じてしまったわけです。
つまり、肝心なことが抜け落ちてしまったのです。
仏教とは、
バラモン教を補完するものであるという理解に立たずに、
「仏教」-対-外道「バラモン教」という図式で受け入れた彼らの誤解による悲劇だと思います。
バラモン聖典を読めば、“すべて”明確に書かれて在る。
けれども、彼ら仏教徒らは外道と称してこれらは読まないのです。
これは、新約を読まないユダヤ教徒と旧約も読むキリスト教徒の関係に少し似ているようです。
私はゴータマの説法の在り方というのは、きっとそういう個性なんだろうと思います。
685 :
析空:2009/11/01(日) 17:07:27 ID:3KVOlBi/
「涅槃」もなかなか興味をそそるテーマですね。
涅槃は、作られたものでは無いといいますね。
苦しみを滅したところに、自然と得られる安楽であるといいます。
686 :
10:2009/11/01(日) 18:07:07 ID:Vy8bNbd/
>>684 え〜と、前もどこかのスレで質問した記憶があるんですが、
仏教より優れているという「バラモン教」は、どういう修行方法で、どうやって解脱に至るんですか?
>バラモン聖典を読めば、“すべて”明確に書かれて在る。
是非このところを御教授頂けませんか?
そんな、いきなり専門的な行法書いて、実践されても困るし
《純粋さの極み》これを害する事は出来ない
ここに立ち返ってから、後、宗教というものを見渡しても
全然遅くないどころか、『やあ、待っていたよ』となるんじゃないの
688 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 23:49:07 ID:t+1SBa6I
>>674 涅槃は滅でしょう。
それを大乗では涅槃界などと、涅槃に入っても、
その先にまだ何かが有るような表現にしてしまった。
日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は、
著書の中で「涅槃界」的な考えを批判しています。
689 :
析空:2009/11/03(火) 08:45:42 ID:r4zRWjH8
>>688 涅槃は、古来より「滅」と訳されてきましたが、中村元氏は「止滅」の訳が相応しいと。
また「止滅」の他にも「安楽」という意味もあると。(ブッダのことば)
690 :
10:2009/11/03(火) 09:56:30 ID:zj2NV7JZ
>>687 女子高生のミニスカートみたいですね。
チラチラ、モノの存在感を暗示しているのに、肝心のモノは見せないw
見せたいのか見せたくないのかハッキリして欲しくなります。
閑話休題
実践されて困る理由はなんですか?
また、修行方法の詳細はかけなくても、どのような方向性の修行をし、どのような境地に至るのを目的とするのかは書けるかと思うんですが。
例えば、仏教は別段、情報秘匿などしてませんよね。(密教系は除く)
教えの大まかな内容も、四諦八正道として、簡潔に纏められています。
そのようなものがバラモン教(ヒンドゥー)には無いんですか?
691 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 10:29:29 ID:mBYLo3dq
バラモン教は単純に言えば神(ブラフマ)に至る道。
そしてブラフマの定義は物理的に言えばこの宇宙の中心にブラフマの座がある。
太陽系が太陽を中心に回っているように大銀河がそれを中心に回っている。
地球が太陽の周りを楕円形に回るように太陽に近づいたり離れたりするように、ブラフマの座から離れたり近づいたりと周期がある。
ブラフマに近ければ近いほどその魂はサットワ(純粋なエネルギー)に満たされている状態であり、神に近い存在、覚醒した状態になる。
逆にブラフマから遠ければ遠いほど、魂が真理から疎い状態となる。カリユガとはこの期の事である。
そのような物理的作用に影響されないように(常にブラフマに融合している状態)ヨーガ行がある。
駄文ですまんがこんな感じ。詳しくはスリ ユクテスワの著者を読んでくれい。
>>690 答える前にたまにはこちらから質問
あなたは八正道の実践はしているのですか
また瞑想はしている上での質問三昧ですか?
ブラフマンに関する知識を知りたければ、「ケーナウパニシャッド」を読むことだ。
694 :
10:2009/11/03(火) 18:33:25 ID:zj2NV7JZ
>>691 う〜ん、良く分からないんですが、
要約すると、ヨガをすると、ブラフマに近い状態になれて、神に近い存在になれるって事ですか?
そうだとすると、疑問は3つ
@ヨガをすると何でブラフマに近づけるのか
Aブラフマに近づくと、苦しみはなくなるのか
Bブラフマに近づいた状態は、ヨガを止めても維持できるのか
695 :
10:2009/11/03(火) 18:33:34 ID:zj2NV7JZ
>>692 八正道の定義によると思いますが、その基本精神は実行してるつもりです。
また、「瞑想」の定義にもよりますが、
冷静に思考するための瞑想はたまに行っています。
ただ、座禅のような伝統的形式のものや、「思考停止」を目的とした瞑想は行っていませんね。
で、私の個人情報と、ヒンズー教の教義に、何か関係性が有るんですか?
私が瞑想をすると、ヒンズー教の教義が変わるんですか?
696 :
10:2009/11/03(火) 18:33:37 ID:zj2NV7JZ
>>693 流石に原典を読む能力は無いんで、よろしき翻訳本などがあれば紹介していただきたい所です。
691さんの説明にあるようにブラフマンに近づく、流入、合一ですか
これには幾つかのパターンがあるようですが
何故それが起きるかは、本人の純度、成熟度(精神的)にかかわる現象が鍵
であると思いますので、むやみに肉体面の行方を私はすすめる事はしませんですよ
他の方はどうか知りません
プラナヤーマという呼吸方を二十年やっていて、何も変化していない方もたくさんいます
むしろ、よかったねと思ったりもしますよ当然
なかには、激しく呼吸方に励んで、取り返しがつかなくなった方も、いるわけです
たとえば、体から臭いが出てしまったというような
生肉の臭い、焦げた臭いが出るから外出も出来ないとか
出たエネルギーは上に昇るのだから、そういったものが脳に届けば頭もおかしくなります
脅しているわけではありませんけど、こういった事もあるから
まず自分の精神を整える事に最善を尽くすのが行に入る基本だと思いますよ
それには、焦ったりする事はしないのがいいです
698 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 21:14:24 ID:mBYLo3dq
エラーになるなw
699 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 21:24:27 ID:mBYLo3dq
>>694 とりあえず長文は規制の影響でか無理らしいので、かといって短めには説明出来ないので、またの機会にします。
答え方が片寄っていましたかね
基底のチャクラが開いて、オジャスを発生し
それが引き上げられ、数年かけてそれより上のチャクラが覚醒される
胸から上が目覚めたあたりで、それまでの自分をこえた意識に入る
喉は空性、アジナの本覚醒で完全に苦が引き剥がされる
アジナが司令塔となって他のチャクラが調整される
ブラフマンの門を開けて神意識との合流
自己にできる準備は我の否定、これにより神意識のプラーナの流入
本覚醒ならば、完全に体が変わってしまうので、永久だと思います
またヨガをしていたから起るとも、言い切れないと思います
やはり精神の成熟度と、カルマの清算がほぼ出来ている状態ではないだろうかと
思います
クンダリーニ・ヨーガ系は絶対良き師に就かなければ
危険だよね。
702 :
宝珠愚者:2009/11/04(水) 10:08:15 ID:eq00El/O
>>686 エーと、スレ違いになるのでこちらで。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255484423/l50 >>700 あまりにも危険な話しなので気になります・・。
特に議論を望む意図はありませんが、
横隔膜より下位のチャクラを意識的に開発することなんかは絶対に止めるべきです。
特に基底部なんか・・は最悪であると思います。
確かにこれら下位の諸中心は開花させやすいのですが、
下位のチャクラは神通の発揮とも関連しているシャクティパワーの解放を促すものであり、
まだ準備のできていない者が“解放”してしまう愚弄だけは避けるべきです。
それはあまりにも危険であり、“破壊をもたらす”のが落ちというものです。
正しい指導に従うならば絶対そういうことは教えません。
まずは、善行によって積徳(梵行?)すべきであり、
意識と諸体の浄化に努め、そして正しい瞑想習慣の継続が必要です。
すべてはアジュナーの制御下において“自然の発達”に従うべきです。
>>701 激しく同意!!
ていうか・・通常は試みるべきではないです(上記)。
基底部だの垂下丹田マニピューラだの、クンダリーニだの・・
巷はそういう話(神秘力開発)で溢れています。が、破壊と狂気のもとです。
師である者までが、外界の移り変わる物事に答えを見出そうとしてるから
自らをよりどころとしてと言った所で、くり返しに問いを発する結果になってしまってる。
ようするに無明の一言
704 :
10:2009/11/04(水) 12:56:31 ID:RAOIXaHy
え〜と、様々解説くださっていますが、
結局、修行をすると、「チャクラ」が覚醒して、神意識との合流すると言う事ですか?
……「チャクラ」とは何であって、「覚醒」とはどういう状態になることで、なんで修行するとそういうことになるのかが、さっぱりです。
この解説では、「モケケを修行すると、ピロピロがベロベロになって、グキョーになるんで、苦しみはなくなります。」と言われているのと同値です。
しかも、モケケを修行すると、ピロピロがヌクメレになっちゃうことが多いから止めとけと言われても…。
もうすこし、日本語で解説していただけませんかね?
そして、ここは「【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1 」ですので、
できれば、仏教との対比して、最善よりご指摘なさっていた「優位性」を示していただければ、スレタイにも当てはまると思います。
>>704 10さんはニーチェを読んだことありますか?
706 :
10:2009/11/04(水) 14:49:18 ID:RAOIXaHy
>>705 解説や、引用した文献はよく読みますが、
ニーチェの著作そのものは読んだ事は無いですね。
しかし、皆さん、何で私の個人情報を知りたがるんですか?w
ついでに誤植訂正を。
>>704 誤)最善よりご指摘
正)以前よりご指摘
>>706 10さんは論理的にあってると思うし、議論の内容について俺はあなたの意見に大体同意します。輪廻転生スレでも。
ニーチェは宗教をメタの立場から明確にしています。教義の瑣末にとらわれることなく、現世をよりよく生きれるのではないでしょうか。
議論の目的がディベートの練習や論破して優越感にひたるだったらアレですけど。
知っててやってるなら無知な弱者をいじめてるように思う。
相手を論破して正しい方向に導こうとしているのかもしれんがw
あなたの意見が正しいと思うからこそそう見える。
お勧めします。興味なかったり、もっとメタな立場から見てるならスルーしてください。
ニーチェ入門 (ちくま新書) (新書)
竹田 青嗣 (著)
>10ってリアルではかなり嫌われてると思うよ。
709 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 16:47:13 ID:E8ao1iy2
>>708 反論できないからと言って、くだらないヤジとばすのは止めろや。
710 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 17:29:47 ID:GXY49DH1
>>707 ニーチェの宗教論なら、彼の最晩年の作品であり、彼の思想の集大成・到達点
である「反キリスト者(アンチクリスト)」(ちくま学芸文庫)を直接読んだ
ほうがよい。
この作品において、ニーチェは、佛教を、「唯一の実証的宗教」「精神の衛生法」
として、極めて高く評価している。ニーチェの「永劫回帰(正確には、永遠の反復)」
は、佛教の「いま、ここ」の思想そのままである。
711 :
10:2009/11/04(水) 17:52:51 ID:RAOIXaHy
>>707 単に、多くの方が凄い主張をしてるんで、その根拠を聞きたかっただけなんですが…
そんなに「私の意図」を深読みされても、何も無いですよw
本の紹介有難うございます。アマゾンさんに注文しました。
>>710 ご紹介有難うございます。
これも注文しておきました
712 :
10:2009/11/04(水) 17:53:02 ID:RAOIXaHy
>>708 そうですね。ご指摘の通り、好き嫌いがハッキリしてます。
空気読まない(読めないわけではない)ので、
「なんでお前は正しい事を正しく発言してしまうんだ!」って、よく嫌われます。
そこでキレる様な人は、私も嫌いなんで、お互い様ですがw
まあ大概、後になって「あのときの発言は適切だった」と言われる割合が3:1ぐらいで多いので、
改めるつもりは無いですw
人に好かれたくて発言している訳ではないですし。
大体の傾向として、
上役の顔色を伺う小物タイプとか、唯我独尊の傲慢人間とかには毛嫌いされます。
アウトローとか、人の意見を取り入れるタイプのトップとかには好かれてますね。
>>710 最近ニーチェを読んで俺ってルサンチマンなんだと自覚したおいらです。精進します。
佛教を評価してるんですか。意外ですね。興味あります。俺も推奨の本を買ってきます。
ニーチェの宗教論は宗教を信仰でも、理解でもする上で必要だと素人のおいらは思うわけですが、
どうお考えですか?
>>711 >そんなに「私の意図」を深読みされても、何も無いですよw
邪推スマソ
>「なんでお前は正しい事を正しく発言してしまうんだ!」って、よく嫌われます。
このエントリーが浮かんだ。
おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060412/1144833374 >人間の本質とは、「論理の機械」ではなく、「利害と感情の機械」だと思う。
>「空気を読む」とはどういう行為なのか?
>それは、人々の複雑に絡み合った「利害と感情の構造」を読むということだ。
>だから、空気を読めてない人は、感情と利害の絶妙なバランスとハーモニーのある構造を崩し、
>不協和音をたてるような発言をし、結果として、人の感情を害したり、人の利益を阻害したりしてしまい、
>嫌われるのだ。
俺は10さんのロジカルなとこ好きですけどね。
>>702 レスをなぞって、危険危険と言わなくていいですよ
あなたはこれについて、知らないのだから、「私は知りませんが」と前置きして書けばいいのです
正しい師といいますがね、最近はまた人間の怪しい師が
ちらほら出てきたみたいで、困った事だよなぁと思っていた次第
自然に始まったものなら、むしろそれほど心配いらないよとだけ書いておきましょうか
欲を出してプカプカすると、危ない場合もあると
覚醒にまつわる準を追った現象は、瞑想者のさまたげになるので、詳しく書きません
私は瞑想行でおかしくなった人を、[誰が救うのさ]という理由で、時々見ているんですよ
知識と智慧はまったく違うものだからね〜w
>>715 でしょうね。
そして
>>708は、議論と無関係であることはもとより、そのどちらとも無関係なゴシップですねw
>>704 えーと、何を言おうか
あれでわかりませんか?
当然でしょうね
聞かれたから簡単に書いただけですが
詳しく知りたければ、単にチャクラで検索して下さいね
多分たくさん出てくるんじゃないかな
こればかりは瞑想してもし、なにがしかの体調変化があってから、聞いて下さい
あーでもない、こーでもないをリアルでもやらないのでね
ゴメンネ♪ゴメンネ♪ダヨ
718 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 20:08:19 ID:Www8GQX2
まぁあれだ、とりあえず個人攻撃、人格批判は止めましょう。
それから10さんは今どんな行をしているの?
719 :
10:2009/11/04(水) 21:39:01 ID:RAOIXaHy
>>713 う〜む、その分類で言うと、私は「ファイター」ですかね。
基本的に、相手の利害より、全体の利害を優先しちゃいますから。
まあ、めんどくさい時は「隠遁者」になってますが。
720 :
10:2009/11/04(水) 21:39:09 ID:RAOIXaHy
>>717 う〜む、やっぱり女子高生のミニスカートのようなご説明ですねw
721 :
10:2009/11/04(水) 21:39:23 ID:RAOIXaHy
>>718 本当になんで皆私の個人情報を聞きたがるんですかww
まあ、行と言う程の物はしていないですね。
イライラした時や、なにかストレスを感じたときに、
ジーっと内省して、原因を探り、それを解消するように心がけている位です。
722 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 00:40:55 ID:o0WjO0y9
10さん、仏教も宗教ですから、信じなくては先に進めません。
ブッダや出家者達の体験談を信じる以外にない部分があります。
少なくとも、ブッダを信じて修行すれば
ブッダとおなじところまで行ける可能性がある。
師匠の言うとおりに素直にやれば師匠のレベルまで行ける可能性は高くなる。
師匠を信じないで客観的な根拠等を求めているうちに、
人生の時間が足りなくなる可能性があります。
師匠と違うアプローチをすれば師匠を超える可能性もありますが、
自己流でやったがために師匠のノウハウを吸収できず、
一生かけても師匠に追い付けずに終わるかもしれません。
私は、とりあえず師匠の教えを鵜呑みにして
まずは師匠に追い付くことを優先する、
どちらかとうえば、そういうスタンスの仏教徒です。
723 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 07:09:53 ID:Ly3KcWnA
>>721 仏教だろうがヨーガだろうが我が身をもって体感する事が大事だと思うよ。坐禅だけでもした方がいい。
そうだよね。
所詮に意識は別々なのだから、難しい科学の本読んでも
何故この人はこんな難しいことを思いつけるのだろうな
みたいな本質は理解できる訳が無いし、釈迦は輪廻や悟りを信じられない者に
信じられる方法論として修行や禅定を説いた訳で、それは勉強して頭良くする事でしか
科学者の意識に近付けないのと似ているのかも
つーか、お釈迦さまだって悟ったのは一通り修行やり尽くした後だしね
>>722 大変お久しゅうございます
お元気そうで何よりでございます
727 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:01:01 ID:iXzCH6Id
>>722 教師の教えを鵜呑みにするのは小学生まで。君は小学生か。いや、小学生でも、
「自分で考える」ことを学ばせるのが現代の教育。
優れた教師にとっては、弟子が自分を超えてくれることが最大の喜び。仏陀は、
優れた教師ではなかったのか。
仏陀は、何のために「自灯明」を説いたのかね。君は仏教徒ではないことは、
明らか。
728 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:25:08 ID:EKIXGssu
>仏陀は、優れた教師ではなかったのか。
自分の教義を刷り込み誘導することにかけては有能でしたが、
少なくとも隠居の理想からはかけ離れていました。
教師は教師でも、例えば現代社会の学校の教師とは別物です。
>君は仏教徒ではないことは、明らか。
その「自灯明」観が誤解であることは既に明らかで何度もループしてますね。
「自灯明」を誤訳といいつつも、そのイメージに引っ張られているように見えます。
729 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:38:26 ID:zl3yQX0m
>>728 >その「自灯明」観が誤解であることは既に明らかで何度もループして
>ますね。
ループしているのは、君たち小乗カルト仏教徒のほう。「自灯明」が、岩
波佛教辞典の解説通りであったことは、セブン氏がパーリー語の原典から
引用してくれたことで、既に解決済み。前レス(他スレだったかもしれない)
を、君は読んでいないのかね。
「自分の」教義を刷り込む人間は、単なるカルト教祖である。君は、
仏陀をカルト教祖扱いしているのかね。
730 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:47:45 ID:EKIXGssu
>小乗カルト仏教徒のほう。
無関係のものを結びつけるのは精神病の傾向、ということを
以前におっしゃっていたかと思います。
仏教徒なら「自分の教義を刷り込み誘導することにかけては」
などとは言いません。
>前レス(他スレだったかもしれない)を、君は読んでいないのかね。
どこのスレの何スレ目かを教えてください。
>君は、仏陀をカルト教祖扱いしているのかね。
隠居の定義には間違いなく合致します。
731 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 13:03:41 ID:p4ateJyZ
>>730 >どこのスレの何スレ目かを教えてください。
自分で「ループしている」と言いながら、読んではいないのかw。
まず、岩波佛教辞典の「自灯明・法灯明」の項目の解説を読んで、それ
で不満なら、そこに引用された原典に当たれ。
732 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 13:09:24 ID:Y2ia3UkK
自灯明を否定する理由は心が外に囚われて人の言動、信仰の対象物(本尊)などが
外部に存在をする場合が多々。
自灯明に拘りを持つ人は自分のみの殻に閉じこもり内側に嵌りこんだ人、自閉シンドロームになっている。
内に嵌ることなく外に囚われることなくが仏の教え。
733 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 13:11:46 ID:EKIXGssu
>>731 また探すのが面倒なだけです。
法が釈迦の教義以外のものも含んでいるというのは覚えてるんですが。前々スレでしたっけ?
そこから釈迦の教義以外(法と呼ばれる全て)もいっしょに参考にしよう、
という意味だと解釈しているのでしょうか。あの文脈だとそれは非常に考え辛いのですが。
734 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 13:41:31 ID:EKIXGssu
アートマンスレの14ですね。旧7さんのレスとは582-585ですね。
後から自由に方向転換していい、という意味には見えませんが……
釈迦やその弟子の視点では旧7(セブン)さんのレス(同スレ550)のようで
あったと考えられます。
ご隠居のレス(同スレ591)にはおかしな点がみられます。
>彼はいなくなるのだから。
>いなくなれば、「法」には「釈迦の教え」は含まれませんね。
(釈迦視点では)そうではないでしょう。彼(釈迦)の視点では「釈迦の教え」は
創作ではなく真理ということになっています。真理というものは
人間のアイデアで後から作るものとはされないものです。
また、後からの都合で変わるものとはされないのが普通です。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 13:46:04 ID:Y2ia3UkK
>>722 仏教は信じる宗教ではなく実践し体得するものですよ。
真我を知るために禅定を行う真我を知らねば
真の無我も理解できない。
禅定は慧解脱に重要な行であり
戒は心解脱に重要な行です
(戒定慧解脱)
仏道は滅道であるから仏教が財で隆盛繁栄するのは理に添っていないんだけどね
どういう系統の宗派が真我などを認めているの?
737 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 14:00:16 ID:J+35+JhP
>>736 おいら無宗派だから知らない
君は肉体がある我と認めるか認めないか?
だが仏教で我と認めなくても飯食って寝るでしょ
真我=梵我でいいか同様に意識もまた同様。
これが理解できていないから
アートマンなんてないの誤解、問答が生じたんだよ。
アートマンも無常だということ。
738 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 14:02:44 ID:EKIXGssu
>同スレ592
>また、その「佛教の教法」とは、「普遍妥当性のあるもの」で
>なければなりません。従って「普遍妥当」であれば、
>佛教の教法以外も含むと解するべきでしょう。
これは釈迦ではなくご隠居視点の認識です。ここでの「普遍妥当」とは、
ご隠居がそう思うもののことでしょう。ここで問題としているのは、それ自体が客観的真実かどうか、
という話ではなく、これを「釈迦の意図」とするのは無理があるということです。
>>737 仏教ってもっとシンプルな教えとおもうんだが。
カッチャーナよ、この世間の人々は二つの立場に依拠している。それはすなわち有と無である。
もしも人が正しい智慧をもって世間(世の人々)のあらわれ出ることを如実に観じるならば、
世間において無はありえない。
また人が正しい智慧をもって世間の消滅を如実に観じるなば、世間において有はありえない。
カッチャーナよ、「あらゆるものがある」というならば、これはひとつの極端である。
「あらゆるものがない」というならば、これはひとつの極端である。
人格を完成した人は、この両極端に近づかないで、中〔道〕によって法を説くのである。『サンユッタ・ニカーヤ』
知らないは、知らないでええんじゃないか?真我を知る必要性ってあるの?
740 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 14:55:34 ID:dS09eXj8
>>739 必要ですね、しかし語るべきものではなかったですね。
「尊師よ、アートマンにより、心が生じて、世界を観じるときに、世界を感じるのですか。
アートマンが無ければ、心は生じないのですか。」
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、物なるもの、欲界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、欲界を越えています。」
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、形あるもの、色界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、色界を越えています。」
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、意なるもの、法界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、無色界を越えてます。」
「尊師よ、アートマン、即ち、真実の自我、つまり、真我なるものは、存在するのですか。
それとも、真我なるものは、存在しないですか。」
「行者よ、有るとも言え、無いとも言える。無我を観じられないと、真我を感じられない。
これは、確めるべきであり、語るべきではない。」
「行者よ、語ることが出来る、四つの真理、実際に確めることが出来る、四つの諦がある。
それでは、この四つの諦とは、如何なるものか。
第一は、全ては苦しみであること、苦諦である。第二は、苦しみは必ず生じること、集諦である。
第三は、苦しみは必ず滅すること、滅諦である。第四は、苦を越える道があること、道諦である。」
布藻k樓経 ポッタパーダ・スッタ
>>740 その滅諦なるものが、このようなものではないのですか?
五種の構成要素(五蘊)を〔アートマンとは異なった〕他のものであると見て、
アートマンであるとは見ない人々は、微妙なる真理に通達する。
毛の先端を矢で射るように 『テーラーガーター』1160
「これはわがものである」また「これは他人のものである」というような思いがなにも存在しない人、
かれは〔このような〕<わがものという観念>が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。
『スッタニパータ951』
「刀が体に刺さっている場合に〔刀を抜き去る〕ように、〔ターバンを巻いた〕頭〔髪〕に
火がついている場合に〔急いで火を消そうと努める〕ように、<自身ありという見解>を捨て去るために、
修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。」 『サンユッタ・ニカーヤ』
「・・・・・やがて腐敗して朽ちてしまう肉身を見たとて、なんになりましょう。 ものごとの理法(ダルマ)を見る人は
わたくしを見るのです。わたくしを見る人は、ものごとの理法を見るのです・・・・・・ヴァッカリよ、お前はどう考えるか。
物質的なかたちは常住であるか。あるいは無常であるか。」
「尊者よ、無常です。」
「感受作用・表象作用・識別作用は常住であるか。あるいは無常であるか。」
「尊い方よ。それらはみな無常です。」
「こういうわけだから、このように〔すべてのものは無常であると〕観じたならば、
もはやこの世に生を受けることはない、と知るのである。」 『サンユッタ・ニカーヤ』
語るべきではない確かめるべきである。
真我=無我 無我=真我
百聞するのでなく自分で一見しなさいと言うことですたい
いずれにしても、体に起こった感覚であろうと、
「これは我がものでない」という正しくみることでしょうね。
密教をなさる方が、ある「消える感覚」をもって空を体感されるというのは理解できますよ。
>>741 >アートマンであるとは見ない人
これは和訳の時の文章のアヤがあるな。
アートマン(真我)を我と観ず(非我)、アートマン(真我)を永遠不変のもではないアナートマン(無我)【〔アートマンとは異なった〕】
として捉える人々は、微妙なる真理に通達する。
______________________________________________________
【有身結】
肉体を我と観て肉体に執着する人々は肉体を失っても再び生まれようとする。
空は「自性(アートマン)が欠けている」ということだから
心経の「 照見五蘊皆空 」と同じと思われますが?
科学の分野でも物質は個体ではなく波動体で無でもなく有でもないのが解明されてるよ。
起因するもの一点はあなたでしょ。
スレの主旨から離れているし、私個人としてはアートマン云々はどうでもよいことなので、
以後、私はこの話題から離れます。
スレの主旨からみれば、大乗仏教なるものは、在家と、在家の為の仏法を教える僧の仏教なので
このままでも別に困る人はいないかと。
物足りなければよそへ行けばいいだけの話で。
750 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 19:25:20 ID:VzZZ2vUh
751 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 20:06:12 ID:VzZZ2vUh
752 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 20:08:13 ID:JXnAs85k
>>736 仏教では真我は認めてない。おそらくお釈迦さんがそういうものを想定するととらわれが云々という気遣いだろうかと。
パタンジャリ(ヨーガスートラ)の真我の定義が分かりやすい。それは「見る者」としています。
仏教で言う所の「観」ビバサナと同じ意味であると私は解釈しています。
しかしそのパタンジャリ自身が仏教の影響を受けているという学説もあるんですがね。
>>752 認めていないんじゃなくてアートマンはアナートマンであるといっている
肉体も我ではなく非我とみるのと同じで
それが理解できていない人達がアートマンは無いアートマンは存在しないと言い出したわけ
肉体も我でないと悟っても現実に今、ここに書かせてる物体は何かな?
こんなこともわからなくて慧解脱、無我が解るのかな?
>聖イッサ伝はさすがに怪しすぎです。
釈尊は外道でも善い処があるのものもある説く
悪い部分は切り捨て善い処は助長すればいいと考える
外道の教えに囚われなければいい。
聖イッサ伝がイカサマであれば切り捨てばよい
外の観察は至る処にパーピマントの誘惑がゴロゴロしてる
>>749 を明かすのはパーピマントの誘惑を放出するためでもある。
これらシンクロニシティーが起きるのは深層意識(アカシック)に有貪を刻んだ
結果でもあるよ。
根本の仏法は離貪であるから密教のようにマンダラなどの瞑想による
イマジネーションは行はない。
人間(宇宙)の存在に至るイマジネーションによるものだから。
深層意識に於いて全てのものは網のように綿密に繋がっている考えを阿弥陀という
阿弥陀クジの由来はそれ。
内に嵌ることなく外に囚われることなく在家者がこの世で幸福とは何かの前に
命とは何か自分とは何か無明から覚めてから幸福を考えるのが一番いいと思う。
755 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 20:53:41 ID:lN0Z//Tx
>>754 充実した、永続的な、強い幸福感は、「他者」の幸福無しには在り得ない。
人間が、そしてすべての生物が、「共同体」としてしか生存できないからである。
「自分の解脱」「自分の救い」「自分の幸福」をひたすら追い求め、「他者」が
完全に欠落しているのが宗教である。本質的に共同体である人間界の営みとして、
全く無意味で、有害な代物に過ぎない。
>>755 善生経 第四章
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/zensei4.htm 「シンガーラよ、自分の、友人の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。それでは、
この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、友のために、与えることである。第二の法とは、友のために、励ますことである。
第三の法とは、友のために、尽くすことである。第四の法とは、友のために、助けることである。
第五の法とは、友のために、背かぬことである。」
「シンガーラよ、友人の、自分の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、我がために、与えることである。第二の法とは、我がために、励ますことである。
第三の法とは、我がために、尽くすことである。
第四の法とは、我がために、助けることである。第五の法とは、我がために、背かぬことである。」
「シンガーラよ、主人の、召使の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、良い仕事を、与えることである。第二の法とは、良い給与を、与えることである。
第三の法とは、良い看病を、与えることである。
第四の法とは、良い食事を、与えることである。第五の法とは、良い休暇を、与えることである。」
「シンガーラよ、召使の、主人の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。それでは、
この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、主人より、早く立つことである。第二の法とは、主人より、遅く寝ることである。
三の法とは、主人の命に、従がうことである。
第四の法とは、主人の為に、尽くすことである。第五の法とは、主人の名を、称えることである。」
「シンガーラよ、人々の、聖者の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、身をして、善を行うことである。第二の法とは、口をして、善を語ることである。
第三の法とは、心をして、善を思うことである。
758 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 21:58:18 ID:w+/WNe01
>>756 それらの「利他」と、「自分の輪廻からの解脱」という「自利(エゴ」とが抵
触した場合には、どちらを優先すべきと教えているか。「自利」が優先すれば、
結局、「利他」は否定せざるを得ないね。
>>758 だから本格的な解脱の行は出家するの
出家の行は社会の繁栄とは相反するんだよ。
在家は戒と善法の行で期が熟してなくて
解脱の理念を知っても出家する気がなければ
出家する必要もないし在家のままでもいいの
>>758 そう。
西暦2009年の現在の時点で、
或る日本人が、【大乗的でない(≒原点回帰的な)仏教】に傾倒し、行じ、その先を見たいと思った時、
それを可能にするのは、彼が身軽な立場にある時に限る。
少なくとも、会社の要職についていたり、家庭を持っていたりすれば、彼の解脱は不可能だ。(理由はお解りと思う。)
子供が居たり、老いた親がいたり、要介護の肉親が居たりすれば、
彼には【厳密な、真の意味での】行・住・坐・臥は不可能だろう。
大乗的スタンスは、こうした時の【在家のままでもよい】という可能性を、
(絵に描いた餅的ではあるにせよ)提示した点に特徴があろう。
阿羅漢・仏或いは如来、ではない菩薩という存在のもたらすイメージ、維摩居士のヒーローっぷり、禅門に於ける入てん垂手・騎牛帰家等、
これら全て、【世俗の流れに与りながら、そのスピリットの部分にブッダの本懐を抱く】という在り方を許容する。
キャパシティが拡がる半面、線引き(具体的在り様への顕れの判断、或いは許容範囲)の難しさがある。
日本仏教が直面しているのは、まさにこの部分となる。
さて・・・、政局が自民から民主に変わったように、大きな軋みや歪みを覚悟の上での改革があっても良いのかもしれん。
勿論、「誰が言い出し」「地ならしをし」「実現への具体的働き・動きをできるのか?」は難問だが・・。
誤った見解によって真我、梵我など無いとされた処に大きな間違いがある
釈尊が観た無限の輪廻は何か?
あなたもわたしも本当はないんだよ。
だから求道者は菩提心が生まれる。
763 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 23:35:11 ID:HOA74Pn5
>>735 実践する前段階として信があるでしょう。
そもそもブッダが本当に悟っていたのか?
悟っていたと信じるから、ブッダの教えを自分も実践することができる。
ブッダが悟っていることを証明するまではブッダの悟りを信じない、
なんて言い出したら、本気で修行なんかできません。
修行すれば悟れるなんて嘘っぱちだったら、
人が悟れる、煩悩をなくして苦悩をなくせる、というのも嘘だったら、
はじめから修行する必要もない。
仏教の本を読むことさえも時間の無駄になる。
仏道を志すということは、すでに何らかの信があるはず。
信じるなんてインテリっぽくないから嫌だ、
仏教だけは他の宗教みたいな信仰じゃないんだ、
みたいに思ってる人もいるのでしょうけど。
764 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 23:51:48 ID:HOA74Pn5
>>758 そもそも利他って何なのか。
悟りに導くことだとしたら、ある程度修行を積み、
さらには他人に指導するノウハウも習った上でないと「利他」はできない。
悟りに導く時間的スパンもどうとらえるのか。
一人でもいいからできるだけ早く悟る人を出したいというなら、
在家の悩み相談とかにかかわりあってるよりも、
出家者達を集中的に指導したほうが悟る人は出やすい。
いやいや、そんなにあせるよりも、
何千年単位で考えでより多くの人を悟りに導きたいというなら、
自分の修行よりも、とにかく今は、
仏教をより多くの人に知ってもらうほうがいいかもしれない。
仏教が広まれば、遠い将来に悟る人を大量生産できるかもしれない。
>>764 だから、そのどちらの在り方にしても(―どちらがどうこうという査定は別にして―)、
そうした在り方を現代日本社会に構築できるのかどうかが、
このスレの最終目的地としてのテーマなんじゃないかい?
766 :
10:2009/11/07(土) 00:15:58 ID:Uj5avWh8
>>722 う〜ん、「信」と言う言葉には、いろいろな意味が有ると思うんですが、
あなたは、「盲信」と言う意味で使ってますよね?
でも、ゴータマさんが語った「信」と言う言葉は、
「疑ってかかった上で、納得して受け入れる」と言う意味が原義だったと思うんですが…
根拠もない主張を鵜呑みにしていたら、人生の時間が足りなくなるどころか、一生を棒に振る可能性が大ですからね。
それに、師匠の言う事を先ずは疑ってかかることと、師匠のノウハウを吸収する事は、別問題です
まあ、「『宗教』とは盲信するものだ」と定義するのは結構ですが、
「仏教は『宗教』である」という保障が無い事だけは指摘しておきます。
767 :
10:2009/11/07(土) 00:16:28 ID:Uj5avWh8
>>723 座禅ですか……
自己の境界が曖昧になって、世界と一体化したり、
言語作用が止まって、対象そのものを感じたり・・・、
その程度には、やったことがありますが、意味が無いと思って止めちゃいましたね。
768 :
10:2009/11/07(土) 00:16:42 ID:Uj5avWh8
>>725 >つーか、お釈迦さまだって悟ったのは一通り修行やり尽くした後だしね
初転法輪で開口一番、「これまでの修行(苦行)では悟りにたどり着けない(中道)」と言われてますけどね。
769 :
10:2009/11/07(土) 00:16:56 ID:Uj5avWh8
>>747 >科学の分野でも物質は個体ではなく波動体で無でもなく有でもないのが解明されてるよ。
量子力学の事を仰っているなら、少々解釈がオリジナリティーに溢れ過ぎていると思います。
>>767 意味が無いことはないね
世界と一体感や至福というものを体感しても五取蘊による妄執であるから
出離離貪しなけば本当の意味がないんだけどね
で
そっちへ向かってしまうと、お前は小さい船だとけなし
人の救済慈悲心なると乱心し阿羅漢に至れない万年菩薩だとけなす。
つまるところ本当の無我=真我を知った人はこの過ちは犯さないのであるが
知るまでも無く出離離貪のみでのもよく梵我一如を論争することには実際は意味が無い。
771 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 01:23:37 ID:g8o13i0B
>>757 >この世とかの世において果報を受ける種子である。
中論の頌17章のそれ以下をよく読むと、竜樹は、「この世とかの世において果報をうける種子」と
しての「業」を、煩悩による非実在として否定しているね。このことは「輪廻転生」を否定している
ことになる。
「すべて空」を説く佛教が、「輪廻転生」や「来世」だけを常住とすれば、これほどの論理矛盾はない。
「輪廻転生」の論理は、最初から崩壊している。
「輪廻転生」は、キリスト教における「罪概念」と同様、「現実上の根拠皆無な、人為的な押し付け概念」
という点で、佛教の最も忌むべき思想である。それは、人間に対する「脅迫」と「甘言」という、創唱者の
「悪業」「罪」以外の何物でもない。即時廃棄されるべき概念である
772 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 01:36:12 ID:2E7QcZJn
>>760 >それを可能にするのは、彼が身軽な立場にある時に限る。
仏教者も、「人間」として世間によって生かされている以上、世間に対する
義務をぎっしりと背負っていある。身軽な人間など、誰もいない。生かされて
いるからこそ、宗教などもやれる。従って「解脱」など、誰にとっても不可能
だといえる。
「輪廻転生」や「解脱」などという「人為的観念」は、存在し得ないのである。
すなわち、「我執」と「煩悩」の典型である。
>>771 十二因縁、五取蘊によっ以て輪廻転生が存在する以上、輪廻転生の存在の大元は妄執妄想でしかない
すなわちアートマンが存在しないとか輪廻転生は存在するんだとかの論争は本末転倒なんですよ。
____________________________________________
因縁相応
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/innen47.htm 「尊者方は、解脱を果たされたそうですが、経典に説かれている、六つの神通を得た上で、
しっかり、解脱を果たされているのでしょうか。」
「友よ、我々は、智慧により無明を越えた。
すなわち、智によって、慧解脱したのであり、定により貪欲を越え、心解脱したわけではない
774 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 06:38:39 ID:d2NP4Hbi
十二因縁、縁起観からの話が欠けて輪廻転生は無いでは本当に本末転倒で
いま、こうして享受している総ての事が五蘊による妄執であることを知らなければならないから、
ただの輪廻転生の否定は今の私もナッシングよっと言ってるのと同じで
縁起観を飛ばして逆に私は存在しない透明人間と妄執妄想して飯を食って風呂入って寝て私は存在しないと
つぶやいてるのと同じで、ただただ輪廻転生は無い、アートマンは無いでは断見外道と同じでしかなく
偉い坊さんなどの説法で、だから何々で輪廻転生は無い、アートマンは無いの処の何々の話を聞いて
なかったりして何々が無視されて輪廻転生は無い、アートマンは無いと云い回って誤見を広めるから
困ったものだ。
776 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 08:50:41 ID:zBukbUZp
苦言を言わせてもらうけど
こうして諸派が分裂していったように日本仏教は法と教義の一致はなく
世の人々の幸福という点でしか一致ができなく
在家者の無明を覚ますべく法と教義を説く点では衝突するから
日本仏教界と世界も含めて法と教義の一致は正等覚者が出てくれないと無理だね。
経典では釈尊の次の正等覚者は弥勒らいしけど
778 :
10:2009/11/07(土) 09:05:53 ID:Uj5avWh8
>>770 いや、私がやめたのは、そんな理由じゃないですよ。
座禅している間は、確かに幸福感があって、いいのですが、
止めたとたん元の木阿弥になるという事がよく分かったからです。
まあ、冷静になって考える訓練としては多少役に立ちましたが。
>>773 その経典のいいたい事は、「神通力は悟りに関係ないよ」ってことだけでは?
779 :
10:2009/11/07(土) 09:05:59 ID:Uj5avWh8
>>775 とりあえず、落ち着いて「日本語」書きましょうよw
主語が曖昧な複文で、意味が解りにくいです。
まあ、少なくとも、十二因縁、縁起観を、輪廻転生の根拠としてらっしゃいますが、
どのようにつながるんですか?
780 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 10:41:34 ID:opxugUtd
>>779 六師外道の一人、アジタ・ケーサカンバラは
世界は地、水、火、風によって存在し転生などないと唯物論説を説くと釈尊は説く。
___________________________________
縁起
渇愛を味わい、取が生じる。
取を味わい有が生じ、有を味わい生が生じる。
生を味わい、老が生じ、苦が生じ、死が生じる
渇愛を滅して、取が滅する。
取を滅して有が滅し、有を滅して生が滅する。
生を滅して、老を滅し、苦を滅し、死を滅する。
______________________________________
仏説五蘊皆空経
五つの構成要素(五蘊)を観察すれば 自己が所有するところも、自己をもってするところも無い、
ということを知る。 かくのごとく観察しおわれば、世界を知る。 感受作用も、感受する対象も無くなり、
変転することもない。 ただ、みずから悟り、 涅槃に達する。 [すなわち]わが生はすでに尽きた。
清浄なる行は、すでに完成した。 造作する働きはすでに見られ、 後の生存を受けることはない
http://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BB%8F%E8%AA%AC%E4%BA%94%E8%98%8A%E7%9A%86%E7%A9%BA%E7%B5%8C _______________________________________
等誦経(SaGgIti-suttanta) 第一章
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/touju1.htm 「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、二つで一組になる、真実の法である。
それでは、この二つの法とは、如何なるものか。
三とは、輪廻が有る見解、と、輪廻が無い見解。
要するに、業報輪廻転生論(+事実上の梵我一如論)を説く『化石スコラ仏教』に用はない。
粗大ゴミとして廃棄処分にするか、愚かな化石として博物館に陳列するのみ。
782 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 11:23:03 ID:opxugUtd
プッwだから業報も取、受による妄想なの。
783 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 11:44:36 ID:kg319qNU
だってだって凡夫達が仏教の真意を知ってしまったら仏教信仰ビジネスが出来なくなっちゃうもんねw
てす
785 :
781 :2009/11/07(土) 12:03:26 ID:lLH4irYN
そもそも業(カルマ)の思想を開発・創作・でっち上げしたのは、
侵略民族アーリア⇒バラモンの末裔イデオローグであるヤージュニャヴァルキャだ。
これによって、インド土着の封鎖的農村共同体の単純素朴な輪廻転生「説話」(わが邑への先祖帰り)を
たんなる死生観から恐るべき因果応報の理論に創作的に変更させ、これにより
アーリアバラモン支配体制イデオロギー確立に成功したのだ。
因果応報+輪廻転生を担保するためのアートマンの創作、ブラフマン観念に五火説さらに二道説追加と
理論的追加及び修正をほどこしながら徐々に梵我一如論+業法輪廻転生論を人工的に『創作』しながら完成させていったのだ。
まさに天才的御都合主義哲学者というべきだろう。 あっぱれ! あっぱれ!!
しかし、こんなシロモノが真理などであるわけがない。
このヤージュニャヴァルキャのバラモン支配イデオロギーに対する革命的“アンチ・テーゼ”のひとつ(サマタ=自由思想家のひとり)が、
自由思想家ゴータマ・ブッダの「縁起」の思想だった。
ゲマインシャフト(封鎖的農村共同体)からゲゼルシャフト(商業資本主義商品交換自由社会)への
歴史的変転を背景とする流れであることはいうまでもない。
両者は歴史的背景・原理が全く異質なのであって、仏教に業報輪廻転生論を注入・定着させることは、
原理的矛盾以外のなにものでもない。
もちろんバラモンからの謀略的注入があったにせよ、原理的矛盾に苦しむことになり、
現代でも議論が絶えないことはご承知の通り。
786 :
10:2009/11/07(土) 12:07:31 ID:Uj5avWh8
>>780 アジタについての発言は、
外道の説明であって、仏陀の意見を示したものではないと思いますが?
縁起については、
縁起の定義を示してはいますが、輪廻との関係を全く示してないですね。
仏説五蘊皆空経 については、
悟れば後の生がなくなることを示しているだけで、そもそも輪廻するかどうかは示していないですよね?
等誦経については、
二つが一組であると示しているだけですよね?
で、これらを引用して、何を言いたかったんですか?
787 :
781 :2009/11/07(土) 12:30:36 ID:lLH4irYN
宝珠愚者やカラスが
>仏教とは、バラモン教を補完するものであるという理解(宝珠
>>684)、だとか
>仏教もヒンドゥーも、元々は同じゴールを目指す、元はヴェーダから来ている、
>同じ真理を説いてるものだ(カラス
>>676)、とかナンセンスな妄想を主張するが
@もしそうなら、バラモン=ヒンドゥから14世紀にマーダヴァが著した『全哲学綱要』(インドの哲学体系『全哲学綱要』訳註 中村元選集 第28巻)で、
仏教を唯物論を除けば最低の極悪思想(ヴェーダ及びアートマンを認めない)と非難を浴びせられているかを説明できないだろう。
仏教はヴェーダ聖典の権威を認めない3つの異端(唯物論、仏教、ジャイナ教)のひとつと認定されているのだ。
もし業報輪廻転生論なるシロモノを認めていたのなら、マーダヴァはもっと高評価したろう。
それとも現場にいたのにマーダヴァはアホなのか?
仏教では業報輪廻転生論を認めないことの「反面的証明」といえるだろう。
マーダヴァの評価は仏教にとって「名誉ある」的確な評価というべきだろう。
Aバラモン至上主義者ヤージュニャヴァルキャの事実上の創作『業報輪廻転生論』イデオロギーのアンチテーゼが
市場経済をモデルとするブッダの『縁起の思想』という革命思想だったのであって、
両者を接合するなどは歴史的事実を無視した原理的矛盾といわざるを得ない。
さらに、一方が封鎖的農業共同体ゲマインシャフトに対し、他方が新興商品交換社会ゲゼルシャフトを背景とするものであって、
社会基盤が異質なのだ。(
>>785)
>>781 >博物館に陳列するのみ
仏教自体が現実にはそんなもんだから。
聖徳太子が架空の人物だからブッダなんて・・・・
それにしてもドン・キホーテみたいな発狂者があとを絶たないな。
日本書紀を史実としようとした徒党もあったね。
789 :
781 :2009/11/07(土) 12:47:57 ID:lLH4irYN
日本各地にお盆の「お招来」という風習がある。
ご先祖さまがそれぞれの「家」に帰ってこられるのをお迎えするという風習だ。
京都の大文字送り火が代表だろう。
単純素朴な輪廻観といっていい。
もちろん「業(カルマ)思想」など関係がない。
古代インドの封鎖的農村共同体(ゲマインシャフト)=事実上の農村封鎖的共産主義でも、
先住民の素朴な土着輪廻観(死んでも村に帰ってくる)があったのだ。
ここに創作的に「業(カルマ)思想」を強制注入したのが
ヤーニュジャヴァルキアをはじめとするバラモンの御都合主義イデオローグたちだったのだ。
これにより、カースト制度支配のイデオロギーを構築していったのだ。
790 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:48:19 ID:kg319qNU
>>781 ひとつ仮定に
ここにある車にある車名と4っつのタイヤで動いている説明され
>で、これらを引用して、何を言いたかったんですか?
と、知らばっくれるのいい加減にしな。
791 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:50:05 ID:kg319qNU
>>786 ひとつ仮定に
ここにある車にある車名と4っつのタイヤで動いている説明され
>で、これらを引用して、何を言いたかったんですか?
と、知らばっくれるのいい加減にしな。
792 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 13:17:35 ID:kg319qNU
>>786 輪廻があると思い込めば輪廻が存在をして
無い思い込めば輪廻など存在をしない
輪廻を存在しないとただ否定しても
渇愛よって生存を受けてること位
理解できるだろ。
>だから何?
>だから何がいいたいの?
うざいこと遠回しでいうな。
794 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 13:37:34 ID:qtpWzNOj
>かくの如く知るものは悪を離れ、老いず、飢えを離れ、渇きを離れたものブラフマンとなる
それによって永遠の命(常住)に導かれるということ。
しかしそれについて釈尊は常住ではなく無常であるとする。
795 :
10:2009/11/07(土) 13:55:56 ID:Uj5avWh8
>>790-791 すみませんが、本気で何を言いたいのか解らないんで、
「日本語」でもう一回書き込んでいただけますか?
っと、すでに
>>792でご自分の解説をしてくださっていたんですねw
それでも解りにくいですが。
>輪廻があると思い込めば輪廻が存在をして
>無い思い込めば輪廻など存在をしない
つまり、「輪廻は妄想である」と言いたいんですか?
>渇愛よって生存を受けてること位理解できるだろ。
え〜と、以前から指摘しているように、
「なんで渇愛によって、生存に至るんですか?」
>うざいこと遠回しでいうな。
いや、冗談とか皮肉とかではなく、何を言いたいのか本気で解らなかったもので。
もうすこし、主語をハッキリさせて、単文で書いていただけると、理解し易いんですが。
この文章は気が○○○るから、
触らぬ神に祟りなしだよ。
797 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 14:23:10 ID:c9w8ZK7w
>つまり、「輪廻は妄想である」と言いたいんですか?
ズバリ妄想 この世もねw 今、見てるパソコンもねw
>「なんで渇愛によって、生存に至るんですか?」
サマタに意味が無いと知って定を棄てたんでしょ
死に際して一番の執着は家族、恋人でしょうね。
それ以上は自分で知るしかないでしょ。
798 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 14:40:18 ID:d2NP4Hbi
>>787 >もし業報輪廻転生論なるシロモノを認めていたのなら、マーダヴァはもっと高評価したろう。
>それとも現場にいたのにマーダヴァはアホなのか?
>仏教では業報輪廻転生論を認めないことの「反面的証明」といえるだろう。
>マーダヴァの評価は仏教にとって「名誉ある」的確な評価というべきだろう。
あなたは自分で、
「仏教を唯物論を除けば最低の極悪思想
(ヴェーダ及びアートマンを認めない)と非難を浴びせられているかを説明できないだろう。」
と、述べたではありませんか?
仏教がバラモン教の立場から批難されるのはアートマン否定をしたからです。
アートマン否定などという愚説がインドにおいて仏教が衰退していった根本的な原因の一つです。
業報輪廻思想を仏教が否定していたからなどではありません。
そんな仏教は業報輪廻を認めなかったのが本来の姿である、
といった勝手な曲解は辞めましょうか!
仏教はアートマンを説かずに業報輪廻を説くもの(と、された)。
まず、基本的な認識からしてあなたは間違っています。
このアートマン否定なるものは本来のゴータマの思想などではなく、弟子たちが誤解して捻じ曲げたものです。
それを再三、無我説の誤解(本来は「非我説」を説いた)として、
この私が以前のシリーズ「アートマン・スレ」で主張してきたことです。
基本から確認して下さい!
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm
プッ こりゃ大変だわw
800 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 14:53:14 ID:d2NP4Hbi
仏教そのものが定義・主張・主題に対する否定によって真理を成立させる論法(竜樹の流れ)、
ボクシングでいうところのカウンターパンチャーみたいなもんだから、相手から出てこないと打てない。
そういう性質がある。
お釈迦さんが立ち上がった当時、アーリア系のバラモンがインドを支配していた。土着民はカーストに
よって、社会的・精神的に完全に支配されていた。しかしその時はその方法、論法で成功したかもしれないが、
(一時的なバラモンの衰退、変わるクシャトリアの支配)今現在のおいてその論法が必要なのかな?
神話を生きる人々・・・
803 :
781 :2009/11/07(土) 15:38:59 ID:lLH4irYN
>>798 >あなたは自分で、「仏教を唯物論を除けば最低の極悪思想 (ヴェーダ及びアートマン>を認めない)と非難を浴びせられているかを説明できないだろう。」
>と、述べたではありませんか?
『仏教を唯物論を除けば最低の極悪思想 (ヴェーダ及びアートマンを認めない)』と評価
したのはヒンドゥ・イデオローグのマーダヴァ(『全哲学綱要』)であって、
宝珠やカラスの仏教についての主張(ヴェーダ及びアートマンを認める)と
マーダヴァの主張(仏教はヴェーダ及びアートマンを認めない)が矛盾すると指摘している。
文句があるならマーダヴァに」言え。
そして、宝珠やカラスなどより、現場で直接接触し仏教を批判的に検討していたマーダヴァのほうが的確だろうといっている。
>アートマン否定なるものは本来のゴータマの思想などではなく、弟子たちが誤解して捻じ曲げたものです。
>それを再三、無我説の誤解(本来は「非我説」を説いた)として、この私が以前のシリーズ「アートマン・スレ」で
>主張してきたことです。
「アートマン・スレ」では、『仏教はアートマンを説かない』ことで事実上宝珠は論破済みだ。
未練たらしいぞ。
仏法は無我<アナートマン(anatman)>にて候(蓮如)。
蓮如の悟りは本物だが、宝珠が悟っているなどとは到底思えない。
「アートマン・スレ」を蒸し返すつもりはない。もう『我』執を棄てたらどうだ?
宝珠やカラスの妄想主張は、ヒンドゥ・イデオローグのマーダヴァ(『全哲学綱要』)からも
批判否定されていることを認識すべきだ。
訂正
× マーダヴァのほうが的確だろう
〇 マーダヴァのほうが正確に仏教教義を把握していただろう
805 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 16:00:22 ID:d2NP4Hbi
>>803 たからw〜
“アートマン否定についての批判だ”といってるのです。
それをあなたが勝手に業報輪廻のことに摩り替えたことを私は批難したのです。
お分かりか?
>「アートマン・スレ」では、
>『仏教はアートマンを説かない』ことで事実上宝珠は論破済みだ。未練たらしいぞ
馬鹿なことをいってもらっては困る!
仏教では仮和合の我もアートマン、バラモンの教義もアートマン、
そして、仏教が目指す真実に立脚すべき自己も同じくアートマンと呼ぶのです。
だから、“ごちゃまぜにするな”といってるのですよ。
この私は、
ゴータマが“バラモン教義のアートマンを説いた”などとは1度たりともいってない。
無理解とごちゃ混ぜする連中と一緒にされてもらっては困る。
(業報輪廻の否定論を展開したいならば、「輪廻転生スレ」へ)
806 :
ここにも降臨させとこう:2009/11/07(土) 16:13:08 ID:ogYev2jY
>>805 >無理解とごちゃ混ぜする連中と一緒にされてもらっては困る。
目くそ鼻くそだっつーの。
先入観なしに歴史学の学知を受け入れろよ。
「全部妄想だ」なんて幼児退行するなよ。
>>805 >“アートマン否定についての批判だ”といってるのです。
それが経験主義的に検証できない戯論だから、
批判すれども否定せず、というのは当然だ(無記)。
⇒“アートマン肯定についての批判だ”といってるのです。
ノアの時代も今の時代も人間の愚かさってかわらないんですね。
>>809 は?なぜノア?ノアは神話すぎるだろ。どういうメタファだ。
けっして神話ではないよ
ノアの箱舟は船体は発見されていないがアララト山で漂着したと
思われる痕がされ船体は発見されわけがないけどね天の宇宙船だから。
釈尊が煩悩を打ち破ることを転輪聖王が輪宝を転じるに喩え
輪宝は古代インドの円盤型の投擲武器で信仰に於いては
太陽神のスーリャの乗り物の意味するから。
>>811 文訂正スマソ
けっして神話ではないよ
ノアの箱舟は船体は発見されていないがアララト山で漂着したと
思われる痕が発見されてるが船体は発見されるわけがないよ
天の宇宙船だから。
>>812 そうかそうか。。
キリスト教のファンダメンダリストでもないんですね。
世に数多ある神話をつなげて、一つの物語を作ろうとしていらっしゃる方々の一人かな。
NHKの高校講座でも一通りやって、地学や、進化学などの学知も受け入れてみては。
815 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 00:37:36 ID:UV1F/B0U
816 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 00:38:30 ID:hGwWxNNo
時の扉って誰の歌ですか?
817 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 02:18:50 ID:yv351nre
>>813 仏道を齧りながら実は内側や外側のどちらかや
常見か断見のどちらかに偏り唯物思考の型に嵌り独善独我に
嵌った人達のために真の理が小さな船とけなされる
結果になったことでもあるのに気ずいたほうがいいよ。
818 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 04:22:30 ID:OVkwao6+
仏教の輪廻ってこんな感じじゃねえか?
あなたは死にました。もう一度生まれたいですか?
a.生まれたい
b.もうたくさんだ
結果
a.解脱
b.転生
これは、死んでから誰かに質問を受けるという意味でなくて、
各人が普段から、無意識にもっている回答のようなものだと思われる。
結果が逆だw
結果
a.転生
b.解脱
821 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 07:44:31 ID:AVIxbZ1p
>>819 そう思います。
もちろん、輪廻を信じていない場合でも、
三界への執着が残っていれば輪廻する。
>>820 少し違うなw
(もうすぐ・これから)あなたは死にます。もう一度生まれたいですか?
a.生まれたい
b.もうたくさんだ
c.別に
結果
a.転生
b.転生
c.解脱
どっちかっつーと↑だろ?w
いや、
c 別にの心情によっては
見事、『虚無』に転じ、立派な悪党となり
この世と虚無界の無限ループかもよ
824 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 11:18:08 ID:hGwWxNNo
小池龍之介のもう怒らない売れているね。
>>825 本格的に虚無った場合、慈悲などないよ
慈悲モドキで虚無界に誘導
となります
ノルマでもあるのかね
>>826 そこまで正式に、真面目に、厳密に言うなら、
最初の819-820の図式化自体がアウトだろw
aとbを分ける必要が無い。
(特に、どこかのどなたかさんの見解に沿えばね・・。自己保身としては同じだ、とw)
純粋な釈迦の教えだと慈悲まで逝けないね。目標とするとこがニルヴァーナなんだから逝けるわけない。
だからブラフマの存在を無視した仏教(密教系はまた別の話)は宇宙規模の社会性が無いんだよ。
>>828 >目標とするとこがニルヴァーナなんだから逝けるわけない
これがよく解らない。
なぜ? 「涅槃」と「慈悲」は相反すると?
830 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 13:05:33 ID:w5LEP0FS
>>829 >なぜ? 「涅槃」と「慈悲」は相反すると?
涅槃は、「自分の満足」「自分の快感」という「自利(エゴ)」の状態。
いわば、精神的オナニー。慈悲は、「他者の満足」という「利他」の行為。
方向が正反対。
>>827 悪いけど、朝方ネコがネズミをくわえてきたんで寝不足
どーしても昼寝せなならんの
「慈悲」は「視線」だよ。
その視線を投げた後に「行為」がくる。それが(大乗で言う)利他行となる。
最初から、華厳経や法華経やその他諸々の大乗経典、或いはジャータカ群のような
「積極的“身体行為”としての慈悲」を考えているからそうなる。
視線であるが故に、解脱後にも保持されるし、行為として為され得る。
求道の途上に於いて保持され実践されてきた慈悲が捨てられるということはない。
むしろ、視線の広がりが普遍的に一切衆生を覆うものとなるわけだ。
わからんかもしれんけど・・・w
(そう言えば世尊偈にあったな・・、「慈眼視衆生」なんてフレーズが・・・w)
また、誤解しているようだが、
「慈悲(の行為)」とは、「(滅私奉公のような)自己犠牲」を意味するものではないぞ。
そのような形を極として含むとしてもだ。
もし君が《「自己犠牲」のみが「慈悲」である》などと考えているなら、お粗末に過ぎる。
>>831 君へのプレゼントじゃないのか? ちゃんと受け取ってやったか?w
ノシ
>>829 禅の「十牛図」プロセスを見れば分かると思うけど、八番目の涅槃の状態まで仏教の知識で説明
できるけど、そこから先九番目から十番目(入てん垂手)に至るプロセスが、仏教の知識だとちゃんと
説明出来ない。
不足があるから各地元の土着の宗教でそれを補う。ヒンドゥだったり道教だったり、日本だと先祖供養(神道)
だったりする。
因にヨーガで説明すると、修行者とブラフマがいて、様々な行によってブラフマとの門が開かれる時が来る。そこでブラフマから
光の河のようなものが降り注ぐ。それが慈悲の河であり祝福と呼ばれる。そこで修行者は理解する(もともと私とブラフマは二つで
無く一つであったと)。そして救い主としての意識が芽生える、とこんな感じ。
834 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 14:03:07 ID:hGwWxNNo
このスレどこがどう進展したの?
>>832は
>>830へ
>>833 そうだろうか?
仏教の、智慧としての究極は
《自身が「縁起するものである(五蘊仮和合の存在である・無常であり無我である)」と気付くこと、知ること、頷くこと》であろうと思うが、
自身がそうであれば、他者もまたそうであると見るし、(“奇跡的に”などと言うとむず痒いがw)、
誰しもが所縁によって顕現している唯一の命であることに向き合えば、そこに「慈悲」は必然として生じるものだ。
十分だろ?パーリ大般涅槃経を見れば、晩年の釈尊がいかに慈悲に溢れていたかよくわかる。
そして、その理由は「ヴェーサーリーは美しい(楽しい)」や「マッリカー王妃の逸話」(これは別箇所だが)等で十分だろ?
或いはまた、梵天勧請・初転法輪の動機のひとつとして見てもいい。 せっかくだから(w)伝えてみよう、と。
貴方が十牛図を引き合いに出したように、禅も、このベクトルを踏襲する。
(華厳的世界観があるにせよ)、「一無位の真人」も「無字(狗子の無仏性)」も
自身のことであると同時に、一切衆生もまた同じということだ。
縁起という世界観は、そのように一切の(分別可能な)価値観を無効化し、組直すものとなる。
そこに「平等」(区別あれども差別無し)が言い得るし、「普し慈悲」が現出する。
仏教の枠内でも十分だと思うがなぁ・・・。
>>835 縁起では慈悲の悲の部分は補える。悲とは共感性(相手の痛みを分かち合う)であると思う。自我を滅すれば
自と他の区別が無くなり、あるいは自が起きたとしても、他の縁によって生じたに過ぎなく実態がない(自性では無い)。
もともと自分に実態がないと理解するならば、相手と自分の区別が無くなり相手の苦しみを自然に共感できるようになる。
これは受動的だね。
慈悲の慈は能動的でなくてはならない。いくら相手に共感したところで何も役に立たない(あっちいけ!と言われるw)。
慈の能動性とは何ぞやと、それは純粋なエネルギーだと思う。癒しのエネルギーと言ってもいいし、単純に光明と言って
もいい。ではそのエネルギーは何処から来るのかという話になる。ヒンドゥの影響を受けた密教ならば説明できるんだけど、
釈迦が密教を教えた事実は無い。
837 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 17:34:13 ID:6PXw9SSp
佛教が、「輪廻転生」をその中心思想、至上の原理とするなら、いくら正当化してみても、
(1)「自分の輪廻からの解脱」は「我欲に発しており」、(2)それを唱導す者は、現実上の根拠
皆無な虚言による「脅迫」と「甘言」により他者を支配するという「悪業」を犯しているのであるから、
「他者へのまなざし」「慈悲」などは、どこからも生じ得ない。
それに、現世の空や無我を説きながら、来世、再来世、再々来世の実在や転生(更なる我)を認めれば、
完全な論理矛盾である。「究極のの唯物論」である。
原始仏教は、現実上も論理上も破綻した、古代の迷信・カルト宗教に過ぎない。
なお、密教は「慈悲」を否定しているのか。やはり大乗仏教として、人間と自然とから聊かも隔絶する
ものではないと解する。「ゴータマが言った、言わない」は、現代人としての
「現実性・合理性・論理性」とは、一切関係ない。
>>827 aと bが自己保身?
生まれたい→まだやり足りない事がある
生まれたくない→苦をあじわうのは、まっぴらごめん
両方ともまだ、だだっ子かなと思う
解脱が駄々っ子だと?
文句があるなら釈迦にいいな。
衆生を解脱させることが大乗の目的であることも
しらん馬鹿は大乗を名乗るなよ。カス。
虚無が悟りであるとかいう空病患者と、
善悪などないから善を勧めるのは間違いだとかヌカすカスどもには、
大乗の祖師達も散々頭を痛められていたぞ。
>>836 なるほどね。
「悲(karuNA)」が受動的性格を持ち、「慈(mettA)」が能動的性格を持つ
という点にはほぼ同意する。
「悲」は、「相手の(対象の)状況を慮り、そこへ意識を向ける(念を起こす)」ことと言える。
「慈」は、「相手の(対象の)状況如何を問わず、TPOを問わず、向けられるもの」と言える。
その意味で、一方的に押し付けられるもののように見えるかもしれない。(貴方が文中に記したように・・。)
しかし、
>>832で「視線」と評したように、まず、
《自らの「意」に於いて「心」に於いて、一切衆生への慈しみの視線を持つこと》が
「慈(悲)」を修するということじゃないのかい?
それは、決して“大きな御世話”“余計な御世話”ではない。
それが「行為として対象に施される時」、初めて適不適が問われることになる。
観音様は「大慈大悲父広大霊感観世音菩薩」と言われる。観音経では「慈眼をもって衆生を見る」と言われる。
勿論、万能救済の仏(菩薩)だから、具体的救済行為もセットだ。しかし、けっして行為だけではない。
その行為の源となる「慈しみの心、視線」を持っている菩薩ということだ。
「慈雨」という表現があるように、
《条件や状況を問わず、あらゆる存在へ注がれ続ける
「柔らかな、より良き(善き)方向性(向上)を願い、祈る想い・視線・念」》が、慈というものであろう。
これが能動的要素でなく何だと言うのか?
《能動的「慈」》あってこその(働きとしての)利他行であろう?
無条件に注がれてこそ、大乗的慈悲であろう?
そしてそれは、原始仏教から(釈尊から)脈々と受け継がれている基本ラインだと私は思っている。
大乗は衆生を救うのであるが、
対象を明確化することは慈悲にならんと、
散々大乗経典に書かれていることなんだがな。
>>836 そして、「慈」は「縁起からは導き得ない」とも考えない。
貴方が前段で「悲」について述べるように、そのように、「慈」もまた(生じ)、見られ、修せられる。
>>843で述べるように、「慈」と「悲」の違いは「“レンジ”の違い」だと思って貰えばいい。
「悲」の方が限定的である、と。 しかし、その源泉に変わりはない。その働きも被る部分が多い。
(てか、違いこそが微妙か・・・w)
だから、「慈悲」という二字熟語で定着もする。違和感はない。(漢訳訳経者たちのセンスは侮れんw)
>>828>>833 聖者とか覚者とかタイプは違えど、三人程は知ってる
思うに一度会ったなら、(あっ)とか、(あぁ)とかの
声にならない、うめき声しか出ないわけ
それまで抱えこんできた、疑問とか、叩き付けてやろうフフフとか、吹っ飛ぶですね
そして一言二言かけてくる言葉が、当人の問題に迫っていたりするんで
[なんだそうか]と解る
破格だこれは。これなら文句ない。
喋らなければ、教えにならない、という存在ではもはやない
だから、解脱は自己本位かとかの論争はナンセンスで
姿を現すだけで無常の喜びをもたらすいわば、エネルギー磁場となっているわけです
こう感じるのには、やはり全ての全てと一体化しえた人であるからと、思いました
私にとっては、それが何教であるからと限定したくはありません
私も無宗教ですし、しかし全てを信頼していますけど
おきるべき時におこる、極めて基本的な事実であると
自他の分別を入れぬ見方が観自在ではないの?
我見を捨て去ることも観自在だな。
>>833 9番目は我見より自由になっって「真如」をありのままに見る状態
10番目は菩薩行。
大乗的に見ればそれほど難しいことではない。
そこに達して実践が可能かどうかは別の問題。
狂人の巣窟と化してるな。
印籠の登場か。
何だこの偉そうな考古学愛好家達は?
853 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 19:40:12 ID:TyShwqF3
うるせえ、科学盲信の共産党員が。
印籠に従わない人は、そういうレッテル貼るんだね。
世間の人はみな科学盲信の共産党員だw
855 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 20:12:55 ID:GjpzVTej
このスレの世界観を観察した観想するに
喩えるはゴールの無い自動車レースと同じであるな。
車は足こぎあでるが色んな装備を取り付けて豪華絢爛に飾り立て
重量と負担が増してこいでるようなもんだなwww
∞時間、鈴鹿耐久、ゴールの無い知識我見合戦ドラッグレースの輪廻の輪www
こだわりが消えるまで再生(車の修理)して、てんやわんや知識我見合戦ドラッグレースの輪廻の輪をやるんだろうなwww
857 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 20:35:20 ID:8dVTiGto
>>856 あんたの場合、一行一句で破綻してるからw
860 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 21:42:35 ID:eg1cTj0B
真如苑と被害で検索してみればわかるよ
もしくは立川支店
集めた金はみ銀行
861 :
北斎 ◆TYDwXnRdU6 :2009/11/08(日) 21:43:58 ID:2fGOXkwN
>>859 いやはや 指が無意識に滑って示した箇所が、あんたが物申す!の本音の箇所じゃろうてw
物申して、
>>861 は?
>>837も愛好会の一人だろ?
ネットしすぎで皆が同好者に見えるのか?
なんだその子どもじみたキャラはw
お釈迦様をだだっ子とは、言ってないし
虚無の宣伝などするわけもないけど
なんか怒っているおじさんがいます
>>843>>845 眼差しから始まるお話しは、とても素敵ですね
是非ともセブン菩薩となって衆生にその眼差しと救済を
無宗教と断言したのは少し違ったか
すっからかんの空洞でいるに越したことはないので、その様に表現
ネズミはたくさんもらいました(これでいいですか)
>>863 着実な文献学の積み重ねこそ、文化を豊穣さを底支えする。
無宗教(他宗教)といえど、ゆめゆめ侮ることなかれ。
文化の。
>>844 >大乗は衆生を救うのであるが、
で、大乗2ちゃんねらーは具体的になにやってんの?
ちゃんと、聞かせてんか。
今年の冬も多くの路上凍死者が出るだろう。
大阪、釜ヶ崎へ来い。
暖衣飽食で2ちゃんねるやって、>大乗は衆生を救うのであるが←大爆笑!
腐った奴のインチキ言辞など豚に食われろ!
ここは腐った豚坊主、仏教趣味者の巣窟か?
870 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 03:37:49 ID:Cq/ZJ0+o
大乗は仏教ではない。
仏陀の教えをユダヤ教とすれば、大乗はキリスト教だ。
大乗は別の宗教であり、俺は日本で仏教を広め知りたいんだ。
ブッタの説く本物の仏教は、根本的な真理を探求してるから、
学問同様、それを使って体得して確かめることができるが、
大乗のそれは、偉い人への信仰が前提で、その教理を無条件で受け入れる事を基本として、
さらにその上で、机上の空論を展開してるから、浮世離れしすぎて、日常ではとても使えないね。
実際のところ、叙事詩信仰に過ぎないと思う。
873 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 06:17:19 ID:iL8SKDVn
思うに、ブッタの解き明かした真理の根本は、心の苦悩を取り除くものであり、
大乗の言う、神々とその一大叙事詩を肯定するものでは無い。
それは、苦を生み出す心の作用を、論理的に明らかにしたものであり、
胡散臭い現代心理学より、よっぽど確信的で、医療の分野で心の病を
直す方法として用いられても違和感は無い。
如何わしい霊魂や悪霊も無いし、地獄も無い、自我も無い、
ただ、親のしでかしした悪業は、子の代で背負わされるという輪廻の原理も
疑う余地も無い真実だ。
875 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 07:51:50 ID:hP39npgF
>>874 釈尊はこう言うでしょうね。
>如何わしい霊魂や悪霊も無いし、地獄も無い、自我も無い、
ただ無い、何で無いと聞くと、道元禅師などの無いという思考理由の無いの部分だけで否定するのと同じで
それだけでは死んだらそれで終わりで輪廻転生(死後の世界)などないという断見外道と同じ思考になります。
>ただ、親のしでかしした悪業は、子の代で背負わされるという輪廻の原理も
>疑う余地も無い真実だ。
家系(先祖)の業は目で見てわかるし、仏教を知らんでも誰でも判る
だから医学の治療に於いて特にメンタル面のケアに於いては必ず家系を聞く。
ただ目に見えるも、それだけが真実としてしか受け入れない思考を常見外道といいます。
876 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 09:17:43 ID:g7YuA449
先祖の業など、それこそ迷信の最たるもの。
霊感商法に利用されているのを知らないわけでも無いでしょう?
先祖に対してはただ現在の自分の存在に対して、
感謝と敬いの心情があれば良い。
「先祖の業」などとは、決して口にするべきではないね。
>>874>>875 こいつら仏教趣味者ってこのレベルなの?
>親のしでかしした悪業は、子の代で背負わされるという輪廻の原理←大爆笑
闇夜のカラスも鳴かずば撃たれまいにw
インチキがバレタな。
>>875 空観、仮観、そして上手に中観を考えれば良いでしょう。
まあ、ここで言いたかったのは、
>>871 に同感という事なので、こまけえ事はどうでもよい。
>>876 迷信深い爺さん婆さんは、今後減る一方なので、
理知的に納得のいく、ある種科学的な教義を持つことが必要になってくると思いますよ。
反面、ニュウエイジ、スピュリチュアル系の新興カルトの勢力は増す一方です。
カルトであれ、彼らの方が科学的教義で、一般には受け入れられやすいですから。
>>877 さんは、頭を使おうね。
879 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 10:33:25 ID:g7YuA449
>>878 「親の業をその子が引き受ける」
これのいったい何処が
「科学的な教義」になるのかな?
科学の裏付けなど全くない迷信そのものでしょ?
そして、あなたはその迷信を信じ込んでいる
「非科学的」な人なわけだ。
そのあなたが、「科学的な教義をもつことが必要」とは言ってることが全く矛盾している。
理解できてますか?
880 :
阿呆菜:2009/11/10(火) 10:34:02 ID:PJu+dAjm
>>874 さんありがとうございます。 同意です。が
>親のしでかしした悪業は、子の代で背負わされるという輪廻の原理
とは何ですか?
>>875 さんもおっしゃるように、家系(先祖)の業は目で見てわかるし、仏教を知らんでも誰でも判る
のであって、輪廻の原理では無いと思うのですが。
仏教での輪廻の原理は 過去世/来世 の繋がりを信じる「三世因果の法則」ではないでしょうか。
それによって、現代の不合理も他の生で結果となって現れるだろう、という理屈ですが、もちろん、他の生は仏教では「仮定の理屈」として在るだろう
と思います。
如何でしょうか。
>>871 さん 仏陀の教えをユダヤ教とすれば、大乗はキリスト教だ。
とのことですが、ユダヤ教キリスト教の関係を教えてください。 元の教えを改造した、ということですか。
881 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 10:46:40 ID:g7YuA449
「先祖の業」だの「親の業が子に報いる」だの
もうこれは「仏教の言う業論」ですらない。
完全なオカルト思想だね。
このスレはとりあえず「仏教」という枠組みを設けていたのではないですかね?
882 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 10:55:04 ID:Q5CcT1/1
>>877はカラス天狗だな。
覚者じゃでない以上いい間違える事もある
一つでも荒を見つけるとクチバシで突付き鳴きなさんな
医学上は子は親の遺伝子を受け継ぐ以上、業の結果であるが
だが仏教の面からは自我意識も肉体も非我であり
無常でしかないはな。
仏教の面から家系の業は否定されべきものだね。
883 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 11:03:55 ID:Q5CcT1/1
>ただ、親のしでかしした悪業は、子の代で背負わされるという輪廻の原理も
>疑う余地も無い真実だ
常見で観るからこうなるというわけで言いたいことが誤解されたようだな。
884 :
白蓮:2009/11/10(火) 12:01:27 ID:9GzCWSpS
>>875 :神も仏も名無しさん
※仏陀の説く内容とかけ離れているので下記の通り、正しく修正をします。
※霊魂や悪霊は存在します。悪霊が存在すれば、あの世の地獄界もあります。
自我の我欲は我執のとらわれから離れる事が、苦しみから開放する一つで
あります。死んだらそれで終わりというものではなく、死後あの世の世界
へ行くことになります。あの世の天国からこの世に生を受けて、死後あの
世に行く事を輪廻転生といいます。
※先祖や親の悪行は、子の代で背負わされるということはない。先祖のせいでも
親のせいでもない。先祖や親に感謝をして、先祖のせいとか、親のせいにして、
先祖供養することは、地獄へ行く諸行です。全て自己責任としてとらえ、正しい
真理を学び、この世の執着から離れ、身心とも軽くなって清らかな心を楽しみ、
感謝と祝福と反省と仏神への報恩行の人生に生きることが正しい生き方であり
ます。
885 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 12:15:02 ID:rjbpIeyL
>>884 あんたどこの宗教団体?
仏陀じゃなくてバラモン教、そのまんまの教義じゃん。
霊格をつけカーストをつけ開放ではなく神官の衆生支配の法でしかない。
886 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 12:45:57 ID:NgL27t+Z
こんな話を聞いた。
ある人が葬儀の場で、浄土宗系の僧侶に
「浄土はありますか?(亡なった人は浄土へ往生てきますか?)」
と尋ねたら、僧侶は笑ってごまかして、
はっきり「ある」と答えてくれなくて、
質問したその人は腹が立ったという話。
現代の僧侶は、仏教学の基礎知識も学んでるから、
浄土経典は仏滅後に創作された物語だろうと知ってるはず。
だから、答えられなかった僧侶は、ある意味真面目な性格なのかもしれない。
しかし、身内を亡くした質問者のそのときの気持ちとしては、
たとえ迷信でも、はっきり
「浄土はある、亡くなった○○さんは必ず救われる。」
と言ってもらいたかったのかもしれない。
僧侶は、どう答えたらよかったのでしょうか?
887 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 13:19:49 ID:5VMxjlPK
>>884 幽霊の実体はカール・グスタフ・ユングは心理学の面からも答えも出していて
それは潜在意識、集合無意識が作り出した幻想である。
カール・グスタフ・ユングと幽霊
幽霊がユングの家にやってきた
1916年、ユングが41歳のある日のことです。家の玄関のベルが激しく
鳴ったかと思うと、正体不明の幽霊の集団がどかどかと上がりこんで
きました。これにはさすがのユングも驚き、肝をつぶしたようですが、
震えながらも声を絞り出し、「これはいったいどういうことだ」と幽霊たちに
聞きました。すると、幽霊たちは、声をそろえて
「われわれはエルサレムから戻ってきた。あそこにはわれわれが探していたものがなかった」
と答えたそうです。 のちにユングは、「このとき、家の中の空気が確かに濃くなっていた」と語っていますが、
それはユングひとりの錯覚ではなく、家族たちも感じていたようです。
このあと、幽霊はユング家に居候していましたが、ユングがこの出来事を3日がかりで
一冊の本にまとめあげると、どういうわけか、その後は2度とユングの前に前に
現れることはなかったといいます。
ちなみ、その本は後に[死者への七つの語らい]というタイトルがつけられ、
刊行されています。
ユング心理学PHP研究所引用
888 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 13:20:50 ID:5VMxjlPK
>>884 幽霊の実体はカール・グスタフ・ユングは心理学の面からも答えも出していて
それは潜在意識、集合無意識が作り出した幻想である。
死者への七つの語らい(一九一六)
死者たちは、探し求めたものを見出せず、エルサレムから帰ってきた。
彼らは私の家にはいり、教えを得ることを願った。そこで私は教えを説き始めた。
聞け。私は無から説き起こそう。無は充満と等しい。無限の中では、充満は無と同じだ。
無は空であり充満である。無について、お前たちは何とでも言うことができる。
たとえば、それは白いとか黒いとか、それは存在しないとか存在するとか。
無限にして不滅なるものは、何らの特性も持たない。つまり、それはすべての特性を持っているからである。
この無あるいは充満を、われわれは「プレロマ」と名付ける。
その中で、思考と存在は停止する。不滅にして無限なるものは、何らの特性を持たないからである
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/y1-abrax.html
>>883 そんな感じ。こまけえ事はどうでも良い。
見方の一例で、見方次第だ。
>>886 真理だ。
この話は、各宗派の僧や指導者が、経典や教義に書かれている事が
現実世界とは異なることに目をつぶって、信仰心で誤魔化して居る事の
表れだと思う。現実世界の学問・科学で確実に解き明かされた事実と
見比べて、間違った考えは正すべき時期だろう。
大乗は佛教にあらず
大乗は仏教ではない。
仏陀の教えをユダヤ教とすれば、大乗はキリスト教だ。
まるでキリスト教が聖人や天使を崇拝する宗教である様に、大乗は神々を崇拝する宗教だ。
よって事実上大乗は仏教(スッダールタ氏の教え)とは別のもの、別の宗教である。
「大乗」という素晴らしい名を持ちながら、実際にやっていることは無関係である現実。
俺はここ日本において仏教が広まることを希望する。
>>886 坊さんは「浄土はある、亡くなった○○さんは必ず救われる。」と言ってあげればよい。
わかってる人には「無記」といえばよい。
>>891 だよね。大乗は佛教にあらず。
現代日本人には、キリスト教の方が馴染み深いと思うので想像しやすい様に例えてみた次第。
たしかにシッダールタ氏の教えから大乗は発生したかもしれない。
その点で繋がりはあろう。
ただ、現状大乗が行うこと、大乗が主に広めることはシッダールタ氏が伝えたかった事なのか考えてみよう。
俺が考える仏教の定義だと仏教は人間シッダールタ氏の教えである。
もし今シッダールタ氏が存命であり活動中であるならと仮定し、「シッダールタ氏ならこう説くであろう」という事を第一に念頭に置く。
すると大乗は?
894 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 16:06:11 ID:w8KStDSL
>まるでキリスト教が聖人や天使を崇拝する宗教である様に、大乗は神々を崇拝する宗教だ。
はいはい 菩薩と言う名の神々信仰ですよね。
そんな妄想を 釈迦は説かなかったのに大乗は説く。 それは キリスト教化した仏教です。 で 何故そうなったのか。
処世だろう。
真実は必ずとも理解されると限らない。
ブッタ以降の亜流は、だんだんと政治家以上に政治に関わってる。
そうだよ。水子供養ってなんだよ。霊ってなんだよ。
お釈迦さんはそんなこと一言も言ってないだろ。
後世の創作。実話を元にしたフィクション
>>894 厳密に言うと「キリスト教化」ではなく、みたいな現象ね。
なぜそうなったか?
無常だからとしか言いようがない。
人間は忘れやすいし誤解しやすい。
常に何が本質かを追求する気持ちがないと、物事はすぐに変質してしまう。
一部バングラデシュで初期の形に近い仏教が残っているが、それが彼らの長年の努力の結晶。
遅すぎるってことはないんだから、日本人も努力して何が仏教であるかを見極めて今から仏教を回復させよう。
アンベードカル氏がインドで行ったように。
タイトルのとおり、今後、国内のブッ教はどうなっていくのか?
僧侶の数は知らないが、実際のところ信者数は減少の一方だろう。
爺さん婆さんも減ってくるし、若いのは殆ど入って来ない。
今後、お墓の供養の数もだんだんと減ってくるだろう。
霊的一大テーマパークとして、
観光に特化して、細々と生きながらえるしか無いのだろうか?
しかし、空海さん。
遍路観光とは良く考えたものだ。
899 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 16:48:05 ID:iMiDWh8T
>>895 正解 その次
>>897 正解。
国内のブッ教はどうなっていくのか?って? そりゃあこのままズルズルでしょ。ネット上で我々が本質を追求するだけだよ。
しかしこういう話題に適したサイトとか無いの?
お釈迦様が、教え、気づきを、有形のモノとして残さなかったのは、
経典やらが、実際に使われることなく、権威として一人歩きするようになる事を
見通しての事ではなかかったろうか?
捏造された経典の上に、さらに捏造して経典を作った結果がこの有様だ。
その点、まだ禅や密教の方がましだな。
正直いって、一般人なら
ヨーガでも習いに言って、派生で精神も鍛えたほうが、遥かに有意義そうだ。
>>900 > お釈迦様が、教え、気づきを、有形のモノとして残さなかったのは、
> 経典やらが、実際に使われることなく、権威として一人歩きするようになる事を
> 見通しての事ではなかかったろうか?
素朴な疑問として、お釈迦様は、文字を書けたんですか?
記したところで、読めた人はいたのでしょうか?
その頃は紙の発明以前ですが、同時代のインドで自らの思想を書き留めていた哲人はいたのでしょうか?
個人的には、シッダールタは合理主義的な人なので、文字が書けて筆記用具もふんだんに有るなら、書き留めておいた気がしますよ。
お釈迦様の直弟子が、その言葉そのままに書きとめたと思うが、
自身が文字を書けたかどうかは、知られてるのかな?
経典とか
お釈迦様は、文字とかそういうもので残すな。
ってハッキリ拒否したのに
弟子達が後で思いだしながらまとめただけのものでしょ
始めから教えに背いてるんだから、歪んでるのも当たり前だよね
最初の逸脱、
経典信仰の始まりでしょ。
あと、仏塔なんかもなんか違和感を感じる。
>>902 乞食をしながら物少なく移動を続ける生活だったと聞いています。
であるなら、シッダールタ氏存命時は、読み書きが出来ない人々にその教えを口頭で伝えることが目的であり、
書き留めるという習慣が単に無かっただけのように思えます。
>>903 > 経典とか
> お釈迦様は、文字とかそういうもので残すな。
> ってハッキリ拒否したのに
どの経典からの引用でしょうか?
906 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 17:49:04 ID:/cqt+wCv
>>893 いやいやユダヤ教から派生した宗教はキリスト教だけじゃあないぞイスラム教をお忘れでないかい。
そして世界三大宗教はキリスト教、イスラム教、仏教でユダヤ教が抜けとる。
ところがキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地はエルサレムで仏教が抜けと取る。
ユングの所へ来た幽霊の集団はエルサレムから来たそうだ怪現象も起こりユングの家族も幽霊を目撃したそうだ。
ところがユングは仏教の空を観想することで幽霊は消滅したそうだ。
907 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 17:53:31 ID:/cqt+wCv
仏教の宇宙創世記は大元は旧約聖書の創世記が原典で仏教の方が新約でしょうな。
バラモン教の基礎をインドに持ち込んだのがアーリア人で
アーリア人が対抗意識した民族がユダヤ民族とユダヤ教で
阿含経の創世記はバラモンからのもであって元ネタは旧約聖書と考えるのが普通だね。
反ユダヤのヒットラーもアーリア人を世界で最も優れた民族としイエスはアーリア人だと称していたな。
>>905 経典から引用するまでもなく常識じゃないの?
釈迦入滅前の原始仏教は経典を否定していて、
口頭で伝えることに拘っていたってのは
910 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 18:50:45 ID:ZmN91Vsh
>>909 その「常識」はどこで、何で読まれましたか?
>>902 最古の経典ですら編纂は入滅500年後といわれているので、
当時シッダールタ氏の周りで見たこと聞いたことを書き留めておいた人達はいなかったと思われる。
しかし、シッダールタ氏への個人崇拝を本人が否定したという記述と、何かに祈るような儀式の否定の記述が文献に見られることは記憶にある(だから仏像はシッダールタ氏の意ではないという)が、書物の否定はわからないね。
>>910 どの本で読んだかは忘れたけど、
複数の本にそう書いてあったと思うよ
お釈迦様は書き記すことは許さず、
覚えさせる事に拘ったとか
第一結集から200年くらい経って始めて文書としての経典が成立したとか
仏典に、「文字に記すな」とは言われていない。
歴史的考古学的考察により、
その時代、《文字に記録して残すという習慣が希薄》
《特に、聖なる言葉(音声)、聖者の言葉を文字にすること(→或る一ヶ所へ固定化すること)が遠慮されていた》
そういう時代・文化ではなかったか、と推測されているだけ。(ウパニシャッド的在り方を代表として見る見方?)
当然、釈子たちも、何の不思議もなくその慣習に従っていたことだろう。
また、そうした(無形の、静かな圧としての)“枷”がなかったなら、
「各地へ遊行した比丘は、【その土地の言葉で】法を説くことを許されていた」ことを考えれば、
寧ろ、【文字として(典籍として)残し】伝え広めることが推奨されたかもしれない。
ただ、《文字としての「おしえ」》より《音声としての「おしえ」》の方が、
【仏教的には(より)ふさわしい】のではないか、と密かに感じていたりもするw
>>912 失礼。最古の経典は入滅200年後のことらしいね。
915 :
宝珠愚者:2009/11/10(火) 19:49:45 ID:gHe7Mwlx
>>915 980超えたら立てますよ
●持ってるので。
ただ、その文面は長すぎて
>>1に入りません
投稿可能にするため32行以下でお願いします。
あと52KB前後。長文控えれば1000逝けるw
918 :
宝珠愚者:2009/11/10(火) 20:44:00 ID:gHe7Mwlx
>>916 ハイ、直してみました。
これで全部で29行です。
もしも、まだ行数が多い問題が出ましたら、
***全過去スレ/リンク集
以下は、投稿の2番目でも構いません。
どうか、宜しくお願い致します-ご親切に感謝します!! m(__)m
>>918 改行の問題は無いんですが、バイト数が大きくて弾かれますね
>>2以降に分割します。
920 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 21:21:06 ID:4dUPE3a6
>>893 >大乗とは?
バラモンから独立起業して社長がいた時代は勢いがあって良かったけど、だんだんと大衆から離れていった。
なんとかならんもんかと考え倦ねた結果、「やっぱバラモンでよくね?」と思い立った。
しかしながら我らが初代社長であり創立者であらせられる方がバラモンに対するアンチテーゼと
して起業したんだぜ?さてどうする?
仏教徒Aは考えた。「看板だけ仏教でええやん、でも出品するものはバラモンやけどな!」
仏教徒B 「ちょ〜お前天才やん!で、でもちょとまてや、今更ブラフマンとかあかんでしかしw」
仏教徒A 「お前ほんはアホやな、出品する品名まで同じでどうするww、ヴァイローチャナって
どこぞの神がおんねんて、ブラフマと同じ太陽神や!どや!」
仏教徒B 「おま、ほんま天才やなしかし!よっしゃその路線でいってみよか!」
*これはフィクションです
922 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 21:44:39 ID:ZmN91Vsh
ブラフマーが太陽神?
923 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 21:57:04 ID:4dUPE3a6
シッダールタ氏が説いていたであろう「四諦」自体が、貫徹できるかどうかはさておき、すべての人々が生活の指針にできる単純明快な思想だと思うんだよね。
つまり初期仏教は大乗である!と言いたい。
もちろん、後世の指す大乗とは別の意味です。
924 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 22:04:41 ID:ZmN91Vsh
925 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 22:40:10 ID:4dUPE3a6
>>924 日常生活で使用しないバラモン教の言葉だから使うなと言うことではなくて?
>>924 一部ざっと読み返してみたが、
どこかのどなたかさんの投稿多いなw
あの頃から盛んに隠密行動はしてたのか・・。(本業もそのくらいからか?w)
今なら、「コレとコレとコレとコレが、それっぽい」と拾い上げ可能だなwww
そうか・・・昆布と南無の件の頃か・・・。懐かしいのうw
しかも奇しくも、スレのテーマとリンクしとるなw
市橋容疑者の両親てアホなの?
私ならまず土下座するね
そしてセブンもアホなの?
何を言っているのだ君は
君、古い人なの?誰よ
私は先ほど念仏の話にかけて、おとぎ話を書いておいた、あっちに
君がイライラするかもな話
それでね、その質問箱とかは見た事もないよ
>>929 私をセブンと呼ぶ、どこかのどなたかさんは
二人、もしくは数人いると言ったろ?w そのうちの誰かだよw
単に、君じゃなかっただけだ。私のせいではないw
大丈夫かね、名前を呼ばれると、ファビョる体質みたいだ
きーつけな
スレタイに立ち返ると、
毒蛇避けのまじない以外、無意味な儀式と伝統行事禁止しろと釈迦は語っている。
であるなら、呪文を唱える葬式は今すぐ辞めるべき。
933 :
10:2009/11/11(水) 00:54:44 ID:psZOPTR8
>>871 最初から主張しているように、「原始仏教そのもの」って、日本でそんなに需要がありますかね?
原理主義は結構ですが、原始に戻れば全てが上手くいくと言うものでもないと思います。
まあ、貴方が広めたいなら、その使命感に従って広めればいいと思いますが、
このスレの目的としては、「日本仏教」の行く末について考察するものなんで…
大乗仏教を仏教ではないと切り捨てるのは簡単ですが、
必要とされて大乗仏教が生まれてきた経緯も有るわけで、
それを全て無視して切り捨ててしまっては、もったいないと思います。
934 :
10:2009/11/11(水) 00:54:50 ID:psZOPTR8
>>874 なんで、輪廻だけ別格なのかが凄く気になりますw
しかも、「親の業が子に降りかかる」なんて、「仏教」の輪廻とも違う独自の業報理論を持ち出してきましたね。
935 :
10:2009/11/11(水) 00:54:58 ID:psZOPTR8
>>876 今の若い世代は、むしろ科学より、スピリチュアリズム(オカルト)に親和性が高いですね。
それこそ、爺さん婆さんより、熱心になるかもしれません。
ただ、団塊の世代は、オカルトを毛嫌いしている「科学の子」世代なので、オカルトは受け入れがたいと思います。
ついでに言えば、新興宗教は、思いっきり非科学的だと思いますよ。
まあ、科学「風」用語を使う事を「ある種科学的な教義」と言ってるなら正しい表現だと思いますが
936 :
10:2009/11/11(水) 00:55:08 ID:psZOPTR8
>>884 え〜と、仏陀って、霊魂の存在について語ってましたっけ?
どっちかというと、貴方の説く「仏教」も、釈迦の教えからかけ離れている気がします。
937 :
10:2009/11/11(水) 00:55:15 ID:psZOPTR8
>>886 まさしく、大乗仏教の生まれてきた理由が、これだと思います。
大衆は、小難しい理屈より、「救われるか否か」しか気にしていないと思います。
ですから、この僧侶は「ある!必ず救われる!」と答えるべきだったと思います。
その上で、「そんなわけ有るか!来世なんて無い!」と言える人に対しては、
改めて四諦八正道から順々に説法したらどうでしょうかね?
938 :
10:2009/11/11(水) 00:55:22 ID:psZOPTR8
>>889 う〜ん、上でも書きましたが、大衆は「真理」なんて求めて居ないと思います。
臨終の床にいるお婆ちゃんに、「浄土なんか無い!」と言って、四諦八正道から説きますか?
仏教に興味があって元気で聡明な若者に、原始仏教を説くのは構わないと思いますが、そんな人は極少数派だと思います。
939 :
10:2009/11/11(水) 00:55:29 ID:psZOPTR8
>>923 たしかに、仏陀の教えのエッセンスは、超簡単だと思いますね。
その意味では、「初期仏教は大乗である!」と言えなくも無いと思います。
ですから、原理主義に走って今の日本仏教を全て否定するのではなく、
原始仏教のエッセンスを取り込んで、新しい日本仏教の形を作ったほうがいいんじゃないですかねぇ。
>>933 あくまで「原始」が重要なんではなく、シッダールタ氏が悟って語ったことから仏教が始まったと言う正統性だと思います。
自分含め人々はそこに惹き付けられるのです。
だから如来などを中心にした宗教、禅を中心にした宗教などが、いまだに「仏教」を名乗っているんでしよう。
また、大乗が必要として生まれたと言うより、何でもそうですが、政治的理由から保守派と改革派に別れて、
その後、シッダールタ氏という本質を見失って何でもありになってしまったのが大乗でしょう。
>>938 お婆ちゃんが可哀想とかいう次元で宗教をとらえるなら、
ただのおべっか使いが宗教の目指すところでしょうか。
誰でも救われる、何しても、また何をしなくてもOKが日本の宗教で伝統であるというのは事実でしょう。
それはもはや仏教では無いんです。
どこかで線引きをしないと、明日近所のおじさんが経典を書き上げて新たな仏教を立ち上げるし、
カルトと仏教の区別がつきません。
つかなくてもいいとおっしゃるでしょうが。
多種多様でなんでもありの状態の日本仏教はシッダールタ氏以前のバラモン教の様なもの。
バラモン教を否定する形でシッダールタ氏の仏教が出てきたように、
今こそ日本の大乗を乗り越えてシッダールタ氏の仏教を確立しましょう。
943 :
10:2009/11/11(水) 01:45:11 ID:psZOPTR8
>>940 「正統性」って、そんなに重要なファクターですか?
「麻原尊師直伝!」とか言われてもありがたみが無いでしょう?
正統性より内容だと思います。
上座部と大乗の分離は、ご指摘の通り、政治的理由も有ると思いますが、
日本仏教(鎌倉大乗)が生まれたのは、必要性からだと思ってます。
944 :
10:2009/11/11(水) 01:45:14 ID:psZOPTR8
>>941 「おばあちゃん」を切り捨てちゃうわけですか?
今の日本人の大多数は、「おばあちゃん」だと思うんですけどね。
まあ、「ごく一部の教養人だけを救えれば良し」とするなら、それはそれでいいかもしれませんが。
ついでに言えば、私は原始仏教を否定しているわけではないですよ?
ただ、原始仏教は、大衆には受け入れにいだろうから、「方便としての教え」にも効用を認める方がいいのではないのかと主張してるんです。
原始仏教を理解できる人間には、積極的に説いたらいいと思ってますし。
>>944 原始仏教にもそういう面はあったんだよ
お釈迦様は方便の達人だったらしいし
理解できる人には四諦八正道から説いただろうが
その時間も能力も無いであろう「死にそうなおばあちゃん」
には、方便で苦を取り除いてたんだろうさ
なぜ「対機説法」だったのか考えればすぐわかることですね
946 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 03:17:37 ID:QsJDnndV
>>911 三衣一鉢で生活し、明日のためのご飯さえ蓄えなかった出家者達だから、
何百年後の心配をして知識を書き留め蓄えたりはしなかったのかも。
947 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 03:28:52 ID:QsJDnndV
>>941 何をもって日本仏教とするかですよね。
今の日本の宗派は、日本では正式な僧侶と認められた人達が立てた宗派です。
宗派間で思想は違えども、互いに正式な僧侶であると認めあっている。
正式な日本仏教の教団から派生したわけです。
日本仏教を破門されてないわけです。
何が言いたいかというと、日本仏教全体で統一した基準や僧籍名簿をつくり、
「日本仏教の僧侶」の資格を明確にすべき。
で、例えば原始仏教の宗派を新たにつくる場合にも、
日本仏教全体から認められた形でつくる。
正式な日本仏教の団体と新興宗教との線引きを明確にするのがいい。
>>943 世の様々な“仏教”も「正統性」が重要だとの認識があるから、
明らかにシッダールタ氏の教えとは無関係の創作ですら「仏教」と名乗っているんですよね?
「我々はもはや仏教ではない」と言って独立してもおかしくはないのに、「我こそは本物の経典を理解し、真の釈迦の教えを受け継いでいる」としているのが日本の宗教だったんじゃないですか?
それなのにいまさら、「正統性なんて」、と言っても人々は信じていたものから裏切られた感しかありませんよ。
>>944 バラモン教を信仰していた当時の人々に、シッダールタ氏はバラモン教の知識を方便として使いながら仏教を教えていった。
同じように、大乗のくだりを見せお婆ちゃん達を安心させながら、
縁起・四諦を説く。
こうでしょう。
>>947 キリスト教が公会議を幾度も繰り返して三位一体など教義に線引きしてキリスト教と異端を線引きしてきた歴史がありますが、
日本の仏教だと教義の統一は不可能でしょうから、
僧籍名簿の統一、これは素晴らしいですね。
現在はそうなってないんですか?
であれば、日本仏教を名乗るならどこまでが日本仏教か、すぐにでもそれを実行していただきたいです。
951 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 09:19:40 ID:0J8fwzyN
>>947 詳しくないんですが、伝教大師最澄が他宗を全部論破したのは何時代でしたっけ?室町時代?
寺子屋とか何とかでインフラに食い込んだり権力にしがみついてウヤムヤになってますが、
天台宗とか法華経系統が他のより優れてるのはハッキリしてるんじゃないですか?
952 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 11:50:39 ID:e98LsrCH
「正式な」日本仏教?
「日本仏教全体で統一した基準」???
なんですか?それは。
日本の各宗派が集まって「協会」を作り、それに所属しているものだけを「正式」と認定するのか?
「とにかく『自分たちは正統なんだ』と主張したい嫌らしさ」が丸見えなんだがな
誰が仏教を名乗ろうが、構わないだろう?
それが下らないものなら自然と消える。
また、「仏教」という看板に惹き付けられて、関わってしまった者も、
それが下らないものなら、止めればよろしい。
自己に必要なものであったならば、続ければよい。
それだけのこと。
953 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 12:39:50 ID:QsJDnndV
>>952 単立寺院の乱立で、仏教がさらにめちゃくちゃにならないか、
危惧を抱いております。
954 :
10:2009/11/11(水) 17:52:58 ID:psZOPTR8
>>945 その「方便」こそが日本の大乗仏教であり、効用を認めていい部分じゃないかと言うのが私の主張ですね。
>>947 発想はいいと思うんですが、資格制度の問題点は、「どこでどう線引きするのか?そして、その線を引くのは誰なのか?」ですね。
まさか、貴方が認めた宗教だけ「仏教」認定するんですか?
まあ、結局、数の暴力になって、グズグズになると思いますよ。
955 :
10:2009/11/11(水) 17:53:05 ID:psZOPTR8
>>948 え〜と?
つまり、内容がどんなにグズグズであろうと、「正統性」が優先されると?
まあ、「正統」とか「本家」とか「元祖」とか、日本人は大好きですが、それと教えの内容の優劣は別問題だと思うんですよね。
シッダールタ氏が説いた教えだから信じるというのは、シッダールタ氏の教えからはもっとも遠い位置に有る思想だと思うんですが。
>>949 そうですね。
>>951 天台教学の基礎は、「仏典は全て仏説であり、間違いは無い」と言う一点に、全ての論理の前提がありますので、
大乗非仏説が常識となった昨今では、最澄の論理は通用しないと思いますよ。
956 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 18:12:03 ID:xaP1fHmp
>>952 嫌らしさではなく連帯ですよ。
決まりなどなく自由なのが日本仏教だと考えている人は、ゆるやかな共同作業すら否定的に考えてしまうみたいですが。
オウムは仏教を名乗っていました。オウム事件の時に日本仏教が批判されたことをお忘れですか?
>>955 >え〜と?
>つまり、内容がどんなにグズグズであろうと、「正統性」が優先されると?
>まあ、「正統」とか「本家」とか「元祖」とか、日本人は大好きですが、それと教えの内容の優劣は別問題だと思うんですよね。
当方の書き方が悪かったのか、全く伝わってませんね。
教えが大事で内容が第一なのは構いません。
であれば「仏教」の看板を掲げる必要はもうないでしょう。
ヒンドゥーから分離したシーク教やイスラムから分離したバハイ教の様に、
大乗教や日本鎌倉教とでも名乗るべきでしょう。
ちなみに自分はシッダールタ氏の教えがグダグダだとは思っていませんので。
958 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 18:32:52 ID:e98LsrCH
>>956 連帯?あなたの言ってることは、ある一定の枠組みを設け、それ以外は
「正式な仏教」とは認めないということだよな?
それでは聞こう。何を基準にその枠組みを設定するか?
密教は入るのか?
真宗は? 禅宗は?
959 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 18:40:36 ID:11QY8CKe
オウムの仕業が日本仏教に結びつくことは無いと思いますが、仏教が形骸化してる原因はやはり
間違った寛容さにあると思います
『方便』とは、法華涅槃時に至るまでの経のことを指しますね
個人的なことで申し訳ないが、ネットストーカーがくっついて来てます
ソイツは自分の属する教団の悪口を書き連ね、その他の自分のウソが全てバレ、脱会届も出さず
『大乗非仏説』と騒ぎ出すでしょうがスルーで
960 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 18:49:42 ID:e98LsrCH
大乗非仏説ねぇ
このスレにも多数、それを主張するものが居たと思うが。
961 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 19:09:37 ID:c4o5XkB8
>>958 どうも頭のオカシイ突っかかり方に特徴のあるレスだな
看板も無い人間の主張をどうやって云々すんの?
これがまず一つ
二つ目
最澄の他宗論破について君はどう思う?
三つ目
大乗非仏説をすぐさま説得力のある証明が出来ないならここでそれを言うのは止めて脱会届を出せ
オマエが広島市安佐南区に住む谷洋一郎だと言わないことを楽しむのは止めてな
どちらにせよオマエを脱会させんことには信仰上有り得ないからな
962 :
10:2009/11/11(水) 19:17:04 ID:psZOPTR8
>>957 これも、一番最初から指摘してるんですが、一般的日本人にとって、「仏教」と言えば、
鎌倉仏教(=日本仏教=葬式仏教)であって、「シッダールタ氏の教え」ではないと思いますよ。
ですので、貴方のように、「シッダールタ氏の正統な教えだけを信奉する」と言うならば、「仏教」ではなく、
「シッダールタ教」とか、「ブッダ教」とか、日本語の「仏教」と言う名前にこだわらず、
インド由来の単語を使うなど、別の名前を名乗られた方がいいのでは無いですか?
ついでに言えば、私はシッダールタ氏の教え自体がグズグズだとは思ってませんよ。
ただ、貴方の発言が、「グズグズであろうと、正統ならば受け入れる」という様に読めたもので。
963 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 19:36:29 ID:0J8fwzyN
>>962 >これも、一番最初から指摘してるんですが、一般的日本人にとって、「仏教」と言えば、
>鎌倉仏教(=日本仏教=葬式仏教)であって、「シッダールタ氏の教え」ではないと思いますよ。
これが圧倒的な間違いだと思います
仏教即シッダールタです
経文を離れて勝手な理屈を作ることを認めるのは、正に鰯の頭も信心を認めることになるでしょう
あなたの言う『仏教であることの基準』とは、荘厳さや伝統など、今正に憂う形骸化そのものを指すのでは?
964 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 19:48:49 ID:xaP1fHmp
>>962 確かに我々一般人が日常として仏教に触れる場合は葬儀でしかなく、仏教=儀式との認識しか持っていないかもしれません。
ただ、儀式を行うからにはその奥に内容(教義)が存在していると考えるのが自然であり、
葬儀に来たお坊さんに仏教とは何かを尋ねれば、
やはり「昔々インドに住んでいらっしゃったお釈迦様の有り難い教えです」と答えると思いますよ。
子供向けの仏教の本だって、天上天下唯我独尊から始まってますし。
仏教と聞いてまず最澄や空海を思い浮かべる人は、日本仏教に興味がある方でしょう。
965 :
10:2009/11/11(水) 19:50:38 ID:psZOPTR8
>>963 いやさ、そもそも日本に「仏教」が伝来した時点で、既に、シッダールタ氏の教えからは、かけ離れたものになっていましたよね?
現実的に、現代の普通の日本人のイメージでは、「仏教=葬式仏教」であって、「仏教=シッダールタ氏の教え」では無いですよね?
それなら、「仏教」と名乗るのではなく、 「シッダールタ教」とか、「ブッダ教」とか、別の名前を名乗られた方がいいのでは無いですか?
なんでそんなに「仏教」と言う名前に拘るんですか?
まあ、「仏教原理主義教」とか、「原始仏教教」とか、「仏陀直伝教」とかでもいいと思いますが。
966 :
10:2009/11/11(水) 19:52:46 ID:psZOPTR8
>>964 いやさ、確かに一般人も、仏教は、『ほとけさま』が説いたお経だと言う意味は把握してるでしょうが、
ここで言う『ほとけさま』は、0J8fwzyN氏の言う「シッダールタ氏」とは、全く違うと思いますよ。
967 :
10:2009/11/11(水) 19:53:51 ID:psZOPTR8
誤) 『ほとけさま』が説いたお経
正) 『ほとけさま』が説いた教え
968 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 20:02:11 ID:xaP1fHmp
>>965 過去、日本仏教でも「どの経典が真に仏様の意志を継いでいるか」との問いがあったと思うんですが、
明治以降にその答えが様々な研究結果によって明らかになってきたので、
その明らかになってきたものを「ブッダの教え、つまり“仏教”」と定義するのは自然なことですよね?
シッダールタ教?いや、むしろシッダールタ氏が開祖の宗教を仏教と呼ぶのであれば、
日本仏教こそ仏教の名を外してもおかしくありません。
>>963 >これが圧倒的な間違いだと思います
ハァ?(゚д゚)
日本の餃子は本場の餃子と大分違うぞ。日本の中華料理は既に中華の枠を逸脱してないか?
これも、間違いだから正すべき!と?
同じ次元の話だよ。
で、後から乗り込んできているのが(→日本に於ける後発組が)原始仏教或いは上座部仏教なわけで・・・。
(だから、(アウェイで、最初から壁ありまくりだから)、センセーショナルな発言が増えるのかな?w >>スマ氏)
さて、どちらが名前を変えるべきか・・・。
「加勢大周」と「新・加勢大周」、どっちが勝ったんだっけ?w
970 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 20:26:30 ID:e98LsrCH
>>961 俺にアンカーつけてるが、誰だお前?
言ってることも全く意味不明だ。
誰かと間違えてるのか?
971 :
10:2009/11/11(水) 23:30:56 ID:psZOPTR8
>>968 だからですね、
「現代の一般的日本人」にとっての「仏教」は、
「仏教=葬式仏教」、「ほとけさま=超人的能力を持った神様」で、
あなたの考えるような『仏教』とは、かけ離れているわけですよ。
しかも、そもそも日本で「仏教」と命名された時点のモノが、
すでに大乗仏教(≠シッダールタ氏の教え)だったわけです。
ですから、シッダールタ氏の説いた教えを最上とする宗教を作るなら、
「仏教」などと言う名前に縛られずに、
シッダールタ教とでも名乗った方がいいんじゃないかと思ったんですが。
なんで、貴方はそんなに「仏教」と言う名前に拘るんですか?
972 :
宝珠愚者:2009/11/12(木) 00:47:14 ID:DvJFeN+V
>>956 >オウムは仏教を名乗っていました。
>オウム事件の時に日本仏教が批判されたことをお忘れですか?
これは時々、
見受けられる意見なのですが・・私は大いに疑問です。
(日本の)仏教界側が、「ジョーダンじゃない。一緒にするな〜!」と異を唱えたのはわかりますが・・。
しかし、世間がオウムと仏教を同一視し、
伝統仏教(日本の仏教宗旨宗派)をカルト疑いしたなどいう話を私は知りません。
オウム教団を擁護したといわれる一部の専門の宗教学者のことはさておき・・。
オウム事件を継起として、
世間からは伝統仏教までもカルトと同一視疑いされたというその根拠、
ソースの明確な提示を希望します(情報源とその主張の理由)。
とある個人の勝手な意見などではなく、
そのようなアンケート世論調査の結果や著名な方による詳しい論評をご紹介願います。
*私は時間がなくて、なかなか投稿できなくなっています。
ソースの提示のほう・・どうか宜しくお願いします!
973 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 00:51:14 ID:a7wZQWjX
>>965>>971 つまり?大乗非仏説ってこと?名前は別に拘るも拘らないもないでしょう
内容がキチンとしてれば、シッダールタ教でも何でも良いと思いますが
>ですから、シッダールタ氏の説いた教えを最上とする宗教を作るなら、
他に仏教を説いた仏がいるの?大乗非仏説って、どこまでシッダールタの言ったことと違えてるの?
>>969 >ハァ?(゚д゚)
>日本の餃子は本場の餃子と大分違うぞ。日本の中華料理は既に中華の枠を逸脱してないか?
>同じ次元の話だよ。
ハァ?(゚д゚)
餃子は好きなように作って味付けして食えば良いだろうがそれが経文と同じ次元か谷洋一郎W
>>970 質問に答えられないのを上手くはぐらかすのかな?相変わらずの谷洋一郎乙
脱会届を出せ谷洋一郎
974 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 01:11:37 ID:rN2f5Yq6
一応、10氏とセブンにお願い
>>973 の奴はどうやら「真性の危ない人」みたいなので、
レスを返さずにスルーしてもらえませんか。
不毛なやりとりでスレが荒れる予感がしますので。
975 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 01:30:15 ID:a7wZQWjX
>>974 広島市安佐南区に住む現役創価学会員人材グループ創価班、谷洋一郎
オマエの書き込みにはいつも特徴がある
便所の落書きを気にするなと言ったのはオマエだろう
気にするな
こんな便所の落書きでオマエが除名処分になるわけがない
どこにでも現れて場を荒らして喜んでるのは貴様だろ
パキシルは医者に言われた用法用量守って飲んだか?
考える力もない本物のキチガイが質問はぐらかしてまた同じパターンか?
976 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 01:38:40 ID:a7wZQWjX
しかし餃子と経文が同じ次元とはWWWWW
広島市安佐南区にお住まいの谷洋一郎が学会職員の時に何をしてきたのか彷彿させるWWWW
977 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 01:42:27 ID:rN2f5Yq6
あぁ、なるほどね。
やっぱり、誰かと勘違いしてたわけね。
俺は名無しだが、結構、前からこのスレ及び関連スレにいるので、他の常連は
俺が「創価学会員」でないことは知ってると思うよ。
はっきりと「仏教徒ではない。部外者だ。」と公言してる者は少ないからな。
と言うより、今まで、このスレ及び関連スレで
学会員など見たことないがな。
その谷津とか言うものが、どんな者でお宅との関わりがどんなものか全くしらないが
貧相な識別能力で思い込みによる独断は止めたほうが良いぞ。
978 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 01:47:05 ID:rN2f5Yq6
訂正
谷津→谷洋一郎
979 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 01:59:19 ID:r/HtuC8+
>>971 繰り返しになるのでこれ以上語りませんが、
仏教はシッダールタ氏が開祖です。
シッダールタ氏が悟りを開き布教を始めたのです。
ですので、仏教とは何かと立ち返った時に、シッダールタ氏の教えを「仏教」と呼ぶのは当然なんです。
戦後は手塚治虫のブッダで取り上げられて、シッダールタ氏本人は有名ですからね。
>>972 >しかし、世間がオウムと仏教を同一視し、
>伝統仏教(日本の仏教宗旨宗派)をカルト疑いしたなどいう話を私は知りません。
そうではありません。
そうではなく、こういったことが盛んに言われていたということです。
他人のブログですが、読んでみてください。
ttp://konton88.exblog.jp/8486369/ >オウム事件が起き、その実体が明らかにされていく中で、日本の仏教界は何をしたのでしょうか。
980 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 02:13:49 ID:rN2f5Yq6
981 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 02:55:57 ID:apNoWVpu
>>977 O型の論理性って、やたら論理的ですぐわかる
しかもオマエのやってることを『知ってる人間』は俺だけじゃないことくらい
貧相な思考力にパキシル効いてても分かるだろ?
ところでさっきの質問
最澄の論破、大乗非仏説とかに答えられないのか?餃子と経文を同じ次元にするその考えも聞きたいね
また逃げるか?
>>979 形骸化してるのが問題なんでしょう?
だから『正直捨方便』『法華最第一』『四十余年未顕真実』の法華経を取るべきでは?
それとも大乗非仏説?
>>980 別に答える義務はないんだから、いくら自分が追い詰められてるからって言葉に気を付けた方がいいな
筋金入りの荒らし君
982 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 03:37:02 ID:r/HtuC8+
>>980 我々の協会の様なもの、もしくは連合体に入らないと「正式な仏教と認めません」という排他的なものではなく、
むしろ現在の日本仏教にカルトや名義貸しという残念なことがある現状を認め、
それらと区別するため優良認定とするという発想でしょうか。
>それでは聞こう。何を基準にその枠組みを設定するか?
>密教は入るのか?
>真宗は? 禅宗は?
その枠組みをまさに日本仏教会に定めてほしいんですよ。
俺じゃなくてね。
まあ、何にもやらないでしょうけど。
ただの葬儀屋に将来を憂う心や道徳心は期待していません。
ユダヤ教、キリスト教(旧約聖書、新約聖書)の創造主はバラモン教、仏教の
梵(ブラフマン)にあたる。
大宇宙に偏在する梵我(大我)と小宇宙である自我(アートマン)が同一体であることを
悟る事によって個人の実体から開放され、あらゆる苦しみから解脱するとして自我意識がここを知るのを真我知るという。
キリスト教の天の御父の御許に於いて永遠の命に導かれ自分という個我が救われるのも同じ教義にあたる。
七識住(大因経第一)
仏は告げられた「人々の住む世界は七階層とその上に二つの世界がある。
一番目は身体を持つ人々があって、それぞれ個別の身体と個別の想念を持っている。
これが欲天と我々の住む人間界である。」
仏陀「また、二番目に身体を持っている人々がいて、個々別々の身体を持っているが
想念は一つに統一されている。この世界を梵天というが、この世界の寿命は非常に長い。
また三番目は身体を持つ人々がいて、身体は一つに統一されているが、想念は個々別々である。
この世界を晃c天という。
また四番目は身体を持っている人々が住んでいて、身体は一つに統一されており、想念も一つに統一されている。
この世界を遍浄天という。
仏教の遍浄天がキリスト教が自我内に創造する神の世界と同じでまだ色受想行識を捉えているため三界の執着を越えていない。
仏陀仏陀「五番目の世界は身体のない人々がいて、一切の物質的想念を超越し人に対する想念を滅し、
個々別々の想念を持たず、空の世界に住む。この世界を無量空処天という。
六番目は身体のない人々がいて、一切の無量空処を渡り無量識処に成就して住む。この世界を無量識処天という。
また七番目の世界は身体のない人々がいて、一切の無量識処を渡り、無所有処に住む。これを無所有処天という。
では、その上の二つの世界とはなにか。
一つの世界は身体のある人々がいて、想念もなく、覚知も持たない。これを無想天という。
二つ目の世界は身体を持たない人々がいて、一切の無所有処を渡り非有想非無想処に住む。これを非有想非無想処天という。」
______________________________________________________
自我を非我と知り三界の捉われを離れ無我を知る。
世尊は言われた「阿難、八解脱がある。何を八というか。色色を観る。これを第一解脱という。また次に内色想が無くて、
外色を観る。これを第二解脱という。また次に浄解脱身に作證して、成就して遊ぶ。これを第三解脱という。
また一切の色想を超越し有に対する想念を滅し、多くの想念をしない。無量空處を成就して遊ぶ。これを第四解脱という。
また次に一切無量空處を超越し、無量識處を成就して遊ぶ。これを第五解脱という。また次に一切無量識處を超越し、
無所有處を成就して遊ぶ。これを第六解脱という。また次に一切無所有處を超越し、非有想非無想處を成就して遊ぶ。
これを第七解脱という。また次に非有想非無想處を超越し、滅解脱身に作證し、成就して遊ぶと知り、及び智慧によって観察し、
諸々の漏が尽きたことを知る。これを第八解脱という。
阿難、比丘がいて、七識住と二處について如実に知り、心が染まることなく、解脱を得。しかもこの八解脱を逆に順々に身に
作證して成就して遊び、また智慧によって観察し、諸漏が尽きれば、これを阿羅漢と言い、解脱が備わった者という」と。
985 :
如意たまねぎ宝珠:2009/11/12(木) 05:01:56 ID:TauJl0xN
五取蘊と有貪によって現世も輪廻も天も地獄も善も悪も創り出された幻想であり我を認め信じ込み執着して苦楽を享受する。
キリストの誕生日はアーリア人が創作したミトラ祭神の日で聖母信仰はローマのヴィーナス信仰をキリスト教が取り入れたもので
ミトラ神はアーリア人が古代エジプトの神、太陽神を模倣したものでローマのヴィーナス信仰はギリシャのアフロディーテの信仰がローマ
で信仰されたものでギリシャのアフロディーテの信仰はアーリア人が古代エジプトの神、イシスから模倣したものでイシスの原型がハトホルにあたる。
キリスト教がユダヤ教から枝別れし対抗してできた宗教と同様にバラモン教の教義の基礎はアーリア人が古代インドに持ち込んだ思想で
アーリア人が対抗していたユダヤ民族とユダヤ教に対抗して創作されたのがバラモン教で霊の世界、神、天、地獄、輪廻の世界を創作して
霊格を付けかーストを付け人間を精神的に支配する法としてインドで確立をする。
この人間支配の法は古代エジプトが起源である。
986 :
マハー・河童サ:2009/11/12(木) 05:16:27 ID:k2YlusZQ
法師と悟空はまだか?
人類の出エジプトはまだされていないぞ。
987 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 06:06:51 ID:cd8af24S
『法師よ戒律を尊重し戒律をのみを保守し戒律行だけに没頭している僧がおります。』
『何?その僧の名はなんと申す?』
『猪八戒といいまして八斎戒一筋です。』
988 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 06:36:08 ID:9kVB3w+9
>>982 なるほど
とにかく、今の日本の仏教は、本来自分に伝わるべき仏教の本質が伝わらない
本質からズレた色んな逸脱があるからそれを憂いてると
ちょっと繰り返しになるけど、論破されても
>>983-986のように、優劣を認めずに権力に取り入ってインフラ化してきたのが一般的なお寺の真実
葬式もシッダールタは本来、出家の人間の参加を禁じてる
それは今正に僧侶が言ってる戒名、卒塔婆が無いと云々とか、出家の権威を利用するのを見越してるから
本来の個々の宗派の経文の優劣は置いても、葬式に来てる時点で唾棄すべき
いくら法が優れている教団に属しても、教義に違えば意味がない
その上経文の優劣も知っててやってる坊さんもいるとか
詰まるところ、創価学会しか日本の仏教は有り得ない
そういうことです
989 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 06:36:50 ID:9kVB3w+9
>>983-986 冒頭には何かの正式な文章持ってきて途中から加筆した意味不明な文章にして頭を捻らせ混乱させる
これでハッキリしたな
先に脱会届を書こう
990 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 07:02:30 ID:b3UgnnGw
>>983-986 そうか創価、創価学会の信者だったか。
法華経はキリスト教を起源とする大乗仏教であるが。
金権主義となった仏教教団(サンガ)に本当の戒は無いゆえ
真の三宝はありえないでしょう。
991 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 07:04:37 ID:b3UgnnGw
992 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 07:51:04 ID:r/HtuC8+
江戸時代、既に釈尊(シッダッタ)の本意は一部経典のそのまた一部にしか納められていないと看破した方がいらっしゃいました。
そして学術上の研究が進み、その事実は明らかになってきました。
そう、日本仏教と呼ばれているものは事実上「ヒンドゥー仏教」です。
もちろん歴史を持つヒンドゥー仏教なので無価値だとは言いませんが、
私はヒンドゥー教自体には関心を持っていません。
ヒンドゥー仏教からヒンドゥーを除いた釈尊の本意を仏教と考えています。
シッダッタの教えの拡張どころか、シッダッタが否定した事まで主張するヒンドゥー仏教は釈尊の本意ではありません。
993 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 08:29:22 ID:7BdYdVl0
>>988-989 >創価学会しか日本の仏教は有り得ない
偽善者よウェブ上は創価学会の苦情に批判だらけじゃないか。
法がダルマでなくなりアルタとなりカルマとなった結果である。
偽善者よダルマの道を求めるなら、そんなもの棄てろ。
次スレお願いしますm(__)m
995 :
10:2009/11/12(木) 08:38:36 ID:QCJzplbz
スレタイに立ち返って。
そもそも日本仏教界内部に改善を求めている人はいらっしゃるんでしょうか?
伝統に固執し、日本仏教のユルさに甘え、
そんなことは出来ない、何もやらなくていい、ただ自然に任せろ、現状食えていれば問題ない、
という方しかいらっしゃらないのではないですか?
今の日本仏教を打ち破るプロテスタント的仏教を望みます。
998 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 11:55:24 ID:S1nptvmk
葬式仏教 万歳!
マハーカッサバの始めた葬式仏教は永遠に不滅です
葬式仏教 万歳!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。