1 :
神も仏も名無しさん :
2009/09/03(木) 10:33:00 ID:D0fFKFXX
2 :
神も仏も名無しさん :2009/09/03(木) 10:34:00 ID:D0fFKFXX
3 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/03(木) 11:17:57 ID:LXtFvU3l
>>1 乙です。
前スレ
>>767 析空どの
>だた、その解釈は禅者独自の解釈なのではないでしょうか?
>般若心経の作者の意図したところとは違う気がします。
そうですね、これに関してな閻魔氏に同意ですね。
禅者独自の捉え方というのは正解かもしれません。
ちなみにみ真言密教も般若心経は依典としてます。
密教の捉えてる「色→空→色」は、
最後の「色」の意味あいが、禅者とは全く違いまして、
空から一気に如来蔵当体へと突入するんです。→これが最後の「色」
この場合は「空」は世俗諦、最後の「色」が勝義諦になりますね。
また、他力本願とする浄土門においては、般若心経は全く必要ありません。
つうか、かえって仏道の妨げになってしまう。という場合もある。
まあ、このスレは密教や浄土門の方もROMっておられるかと思いますので、
突っ込みがありましたら遠慮せずにツッコでくらさい。
歓迎します。
4 :
神も仏も名無しさん :2009/09/03(木) 11:18:35 ID:sCpOhVSz
前スレ
>>782 >ゴータマの説いた“理想とすべき在るべき自己の姿”という
>“求めるべき自己”が“本来の(自分の)自己である”という教えでしょう。
その「理想とすべき在るべき自己の姿」を判断するのは、どの「自己」かね。
結局は、どこまで行っても「自己の主観」で、「自己満足」以外の何物でも
ないのでは。幼稚で未熟な「自分探し」に過ぎない。他人の知ったことでは
ないし、他人が「客観的」に判断すれば、「あるべきでない自己」かも知れない。
それが、典型的な「自己への執着」「エゴ」「煩悩」なのだよ。
5 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/03(木) 12:09:20 ID:LXtFvU3l
>>4 >結局は、どこまで行っても「自己の主観」で、「自己満足」以外の何物でもないのでは。
いやいや、そういうことはないですね。
本来の自己に巡り合う。ってことはあります。
これはよく言う「無位の真人」というものでして、
10人の修行者がいれば、10人がここで「悟った」という自覚があるかと思います。
この慢心があって、そして先に進まず終了。
これがよくいう野狐禅ですね。
求める自己が「本来の自己」とは違います。
これは百尺竿頭進一歩というもんでして、
これを踏み台にして、ちょっだけ一歩前進するんですよ。
そうしますと・・・那落の底に墜ちて目が開く。
これが一大転機の重要なとこです。
6 :
れびすとろーすバラ肉 :2009/09/03(木) 12:33:36 ID:rqSF/LW1
どーも^^
7 :
神も仏も名無しさん :2009/09/03(木) 13:43:05 ID:HJk+28hK
隠居さんの立ち居地のほうが、ある意味まともな部分はあるけどね 例えるなら難解な数学の公式を潔く解けるわけがないと認めていることが、 解る訳がないのに 解った振りして誤魔化そうとするここの連中よりはまともだよ 宗教者は確かに、妄想や思い込みで何とか難解な数学の公式を解けないのかと必死に終始するキチガイが多いのは確かに認めるわ
8 :
神も仏も名無しさん :2009/09/03(木) 13:49:29 ID:HJk+28hK
そもそも釈迦はそういった妄想は厳しく否定しているんだけどね 原始仏典のそういった本質を見抜けず 自分の物差しだけで全てを計ろうとする宗教者の妄想こそ、釈迦は厳しく捨てよと説いてるのにな
9 :
神も仏も名無しさん :2009/09/03(木) 13:55:19 ID:HJk+28hK
別に ここのスレだけに限らず、そういった哲学者を自称する輩はキリスト教や仏教、ヒンズー教だろうと どこにでもいるけど、本当に愚かだわ
10 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/03(木) 18:15:11 ID:JLMSJedJ
>>1 はい、スレ建てご苦労様でした^^
---------------------------
>>スレ13/789
すみません-チト間違えました。
以下に訂正します(重要な事柄にて再掲します!!)
『何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を絶ち、(善悪をなすに)
よしなく、欲望を捨て去った人、──かれこそ実に最上の人である。』(ダンマパダ.97)
『作られざるもの---skata=nibba^na.(Ckmm.)作られたもの(有為)は転変し、生起消滅するが、「作られ
ざるもの」すなわちニルヴァーナは永遠不変のものである。有為は迷い、無為はさとりの境地である。』
(岩波文庫刊/中村 元訳注p93)
無常ではない境地なのだから当たり前のことなのですが、しかし、思考が硬直化した人はそれすらも理
解できないのです。《「作られざるもの」すなわちニルヴァーナは永遠不変のものである。》---は、この私が
一貫して主張してきたことであり、「作られざるもの」(形成されないもの)がある、と説くウダーナ8:3とも合致
するものです。
そんな、「どっちでもない〜中道だべぇ〜」ではない。“ニルヴァーナは永遠不変ではない”などと説くこと
も当然、愚かなことです。こういうのをバラモン恒常論否定のアレルギー症候群という。
まだ、わからない???
11 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/03(木) 18:16:27 ID:JLMSJedJ
12 :
神も仏も名無しさん :2009/09/03(木) 18:48:04 ID:irOydSpd
>>11 「清浄そのもの」など在り得ない。「清浄」は「不浄」の存在に依存して
初めて存在し得る。その意味で「清浄そのもの」は「不浄そのもの」と同義
である。
御釈迦さんの間違い。
13 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/03(木) 19:02:32 ID:LXtFvU3l
>>10 法珠どの
>、「作られざるもの」すなわちニルヴァーナは永遠不変のものである。
>有為は迷い、無為はさとりの境地である。』
僭越ながら「ニルバーナは永遠不変」について説明します。
これは、スレ13/765に触りだけ説明しましたけど、再度投稿です。
つまり、時空というのも縁起でありますから、時空がない。ってのも縁起です。
(縁起ですから、時空は永遠不変ではない)
時空があっても、時空がなくても、永遠不変というのがニルバーナでして、
これが、空→ニルバーナですね。
永遠不変(恒常普遍)というのは、これしかない。
まあ、簡単に言いますと、宇宙があっても宇宙がなくても空である。
ってことですよ。
「無為はさとりの境地」というのは、そういう意味です。
14 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/03(木) 19:06:51 ID:LXtFvU3l
>>11 法珠どの
>ゴータマはハッキリと仏性と見なされる教えを説きました。
>つまり、“本来は清浄そのものであった自己”が煩悩で汚れている、と。
これは、悟る前にそんな心境になる。
白隠はこれで悟ったつもりで「大悟」と言ってるが、
これだと何回も大悟せんと彼岸に到達はできない。
15 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 19:10:32 ID:BFKipAtx
机先生は増上慢にならないほうがいい。 あなたは台風は動かないなどとバカなことを言っている。 それを忘れてはいけない。
16 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 19:18:29 ID:BFKipAtx
>>12 それは言葉の遊びだろう。光と闇は相互依存しているから、
光は闇、闇は光などと言う愚か者はいない。
17 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 19:36:01 ID:BFKipAtx
>>6 バラ肉氏
仏教は肉食を禁じてます。あなたは破戒僧ですか。
18 :
閻魔大王 :2009/09/03(木) 19:56:50 ID:aL6oabgs
>>1 スレ起て、乙です。
>>7 >>8 >>9 (HJk+28hK)に俺は怒られたんかあ?
おい、何だその言いぶんは、俺に喧嘩売ってんのか?・・・・てなことわあ、言いません。
あふぉうんこ猿◆/yQ8v8XK8Yや御都合主義外道の宝珠愚者 ◆9XuF3XEACkと同列にされることは心外なので、反省。
今後、多少自重いたします。
皆々様の有益な投稿で、小生にご教授くださりませ。
ほな、いこか!
19 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 20:45:19 ID:BFKipAtx
<禅宗が果たした役割> 臨済宗は主として中央の武将に影響を与え、 曹同宗は地方の武将や下級武士に影響を与えたという。 要するに禅宗は、武士たち(人殺し集団)を精神的に支えていた。 死が身近にあった戦国時代、 空の思想が、己の死を覚悟させ、人殺しにも好都合だった。 殺しても空、殺されても空という禅宗の虚無的な思想が、 戦国時代をよけい苛烈にしたように思う。 空の思想とは歴史が証明するように殺伐としたものである。 それは悟りでも何でもない。
20 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/03(木) 20:51:18 ID:JLMSJedJ
>>13-14 トホホ・・どうも詭弁にしか移りませんね。ご勘弁です(涙)
机さんはいつもそうなのですが、それを何か、
経文か、もしくは適切な文献からの引用抜粋で根拠を示せますか?
やっと、自分の過去ログから以前の投稿を見つけ出しました!
これをよく吟味することです。
大乗の「仏性」の元となった大切な教えです。
>>スレ9/573、578
『仏教学者の服部正明博士によれば、原始仏典には仏性について「清浄なる心の本性」として説か
れており、この教えは釈尊の教えとして権威を認められていたのですが、上座部が仏説を整理して聖
典を編纂し、学説を体系化していく過程において切り落とされてしまい、説一切有部のアビダルマ仏教
では完全に無視されてしまい、龍樹によって般若心経の空の悟りの基となった「光り輝く心」として原始
経典にある「清浄なる心の本性」がやっと見直されることになったと語っています。』
(角川文庫『仏教の思想』4認識と超越<唯識>)
『この心は清浄である。しかし、これは本来的なものではない煩悩によって汚染されている。
…教えを聞かない凡夫たちは如実にこれを知らない。それゆえ、凡夫は心を実修していないと私は説く。
…教えを聞いた尊い弟子はこれを如実に知っている。それゆえ、教えを聞いた尊い弟子は心を実修した
と私は説く。』(SN.I/増一阿含経)
21 :
一在家 :2009/09/03(木) 20:58:40 ID:YmQPEUF2
>>16 >それは言葉の遊びだろう。光と闇は相互依存しているから、
>光は闇、闇は光などと言う愚か者はいない。
前スレで「言語論理地獄」を仮説しましたね。
そこに入ると「論理世界」をリアルと感じ、「現象世界」を幻と
観ずると。
もちろん「言語論理世界」の大王はあの方です。
>>11 >つまり、“本来は清浄そのものであった自己”が煩悩で汚れている、と。
「煩悩で汚れた仏性」から煩悩を消せば、残るのは「仏」ですね。
これは「全ての人は仏になり得る」という法華経に記載の法と一致
します。
案外「自灯明」とは「己の仏性に頼れ」という意味かも。
22 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 21:10:08 ID:BFKipAtx
<浄土系が果たした役割> 浄土真宗は一向一揆を各地で起こして領主の悪政と戦っている。 戦国時代において、禅宗系と正反対の役割を果たしている。 浄土宗は信徒数が少なく、戦国大名と戦うほどではなかった? はっきりしたことはわからない。
23 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/03(木) 21:14:58 ID:JLMSJedJ
>>21 >案外「自灯明」とは「己の仏性に頼れ」という意味かも。
結果からいえばその通りでしょう!
>>20 の内容から、やっと整合性がとれる本来のゴータマの教えに復元されたことになるだろうと思います。
求めるべき自己、頼るべき自己、本来の自己・・・について知ることが本質です。
『--自性清浄--字義は「自性として(=本来)清浄なこと」の意。仏典では多くの場合、心について言われる。
比丘たちよ、心は輝いている。ただ、客塵煩悩によって汚(けが)れている
増一阿含経(増支部)に、このようにあり、心性本浄説といわれる。「清浄」とは白紙のような状態と解され、
「自性として」とは、本来清浄であるが、現実には汚れているという意が含められている。そこで、悟りによっ
て客塵を離れた状態は離垢清浄(りくしょうじょう)と説明される。垢(けが)れを離れて本来の清浄性を取り戻
したという意味である。 』(Wiki)
>>11 ファン(^o^)です。また新たな紹介ありがとう
25 :
一在家 :2009/09/03(木) 21:27:34 ID:H10vRBoo
>>21 >前スレで「言語論理地獄」を仮説しましたね。
>そこに入ると「論理世界」をリアルと感じ、「現象世界」を幻と
>観ずると。
中論を一読して仮説の「言語論理地獄」から解脱する方法を一つ
気付き前スレで紹介しました。
108回、「去りつつ(作用)あるものは去らず(作用)」と唱えながら
足元のアリさんを正見することです。
108回、「生まれつつ(作用)あるものは生まれず(作用)」と唱えながら
産婦人科にて正見することです。
26 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 21:28:00 ID:BFKipAtx
<天台宗と真言宗> 天台宗は信長と戦い、比叡山の焼き討ちにあっている。 この焼き討ちのあと天台宗は沈黙する。 真言宗は畿内の高野聖約1400人が信長によって殺害されている。 高野聖のスパイ活動に手を焼いた末に。 真言宗の動きが見えないのは信徒数が少なかったからだろう。
27 :
一在家 :2009/09/03(木) 21:33:54 ID:H10vRBoo
スレタイを「仏陀はアートマンを説いた?」から、 「仏陀は仏性を説いた?」または「仏陀は仏子は仏になるを説いた?」 に替えても、あまり変わらないでしょうか。 もしかしたら、仏性と仏子との縁起を説く方が現れますかも。
28 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/03(木) 21:36:48 ID:LXtFvU3l
>>20 法珠氏
>机さんはいつもそうなのですが、それを何か、
>経文か、もしくは適切な文献からの引用抜粋で根拠を示せますか?
ニルバーナについて、ヒントが書かれた経典はあっても、
ニルバーナについて、具体的に表記したものは現存しないですね。
(般若心経には仔細が書かれてますが・・・)
その般若心経には、「不垢不浄」と書かれていまして、
つまり「不浄もなく浄もなし」って意味です。→これがニルバーナですね。
(ようするに否定文として書かれているだけです)
故に、
>原始仏典には仏性について「清浄なる心の本性」として説かれており、
説かれておったとしても、ニルバーナには「清浄」ということはないです。
つまり、清浄というのは世俗諦ですね。
>経典にある「清浄なる心の本性」がやっと見直されることになったと語っています。
見直されたとしても、ニルバーナにおいては全く無問題ですね。
(ただし世俗諦においては有効です)
#、では、おやすみ。
29 :
一在家 :2009/09/03(木) 21:38:16 ID:H10vRBoo
私の所属するグループでは、「龍樹」も「中論」も教義に出て参りません。 あくまで私自身の学習結果にてあしからず。
30 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/03(木) 21:40:14 ID:JLMSJedJ
>>24 ありがとうございます ヽ(´ー`)ノ
うーむ?しかし・・私にはファンなどいない筈なんですが(笑)
以前、わたしとは会話してましたか?このアートマンスレや転生スレでは特に投稿の参加は?
何度かわたしのことを「神智学スレだけではなく仏教スレにもいるんですね!」
とか投稿した方ですか??
31 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/03(木) 21:41:35 ID:LXtFvU3l
>>29 中論は、カルトが最も嫌いますね。
論破されますから。
ただし原始仏教は参考にしておるようです。
32 :
一在家 :2009/09/03(木) 21:43:15 ID:H10vRBoo
>>28 机氏
>見直されたとしても、ニルバーナにおいては全く無問題ですね。
>(ただし世俗諦においては有効です)
衆生済度の為には世俗諦で宜しいじゃないですか。>宝珠氏
勝義諦は「言語論理世界」に縁起するようでありんす。
33 :
神も仏も名無しさん :2009/09/03(木) 21:44:38 ID:SNwTPmXG
「清浄なる心」「正しい心」「煩悩に汚されていない心」 表現はどれでも良いが、要は「理想とすべき心の有り様」を指した表現だろ? これがどうアートマンに結びつくのか? この「清浄なる心」と表現されるなんらかの基体があるのか?
34 :
旧7 :2009/09/03(木) 21:49:02 ID:Zemk4y6k
Search word : "自性清浄" : Including related character : 自性清淨 自性C浄 自性C淨 2 hits : 1 --- [ keyword count ] : 2 --- in 阿含部 | 央掘魔羅經 (No. 0120) 0539c20 - 0539c29: 本及諸煩惱者當勤方便【自性清淨】心力當勤方便及未謗修 [show] (1 hit) 央掘魔羅經 (No. 0120) 0540a03 - 0540a08: 此偈意者謂如來藏義若【自性清淨】意是如來藏勝一切法一 [show] (1 hit) Search word : "自性清浄" : Including related character : 自性清淨 自性C浄 自性C淨 0 hit : --- [ keyword count ] : 0 --- in 増一阿含經 | (´・ω・`) Search word : "心清浄" : Including related character : 略 7 hits : 1 --- [ keyword count ] : 17 --- in 増一阿含經 | 増一阿含經 (No. 0125) 0573c01 - 0574c14: 心意便正彼復以此三昧【心清淨】無瑕穢諸結便盡亦無沾 [show] (3 hits) 増一阿含經 (No. 0125) 0582a24 - 0582c15: 淨遊於四禪彼以此三昧【心清淨】無塵穢身體柔軟知所從 [show] (2 hits) 増一阿含經 (No. 0125) 0662a04 - 0662b03: 當往受彼請爾時上坐以【心清淨】居在學地而受舍羅爾時 [show] (1 hit) 増一阿含經 (No. 0125) 0665b17 - 0667a03: 増上之心我以此三昧之【心清淨】無瑕穢亦無結使得無所 [show] (2 hits) 増一阿含經 (No. 0125) 0670c12 - 0672b02: 行無有邪業我以三昧之【心清淨】無瑕穢有漏盡成無漏心 [show] (1 hit) 増一阿含經 (No. 0125) 0694c19 - 0697a11: 清淨遊於四禪彼以三昧【心清淨】無瑕穢亦得無所畏復得 [show] (2 hits) 増一阿含經 (No. 0125) 0734a26 - 0735b10: 子言非也舍利弗言爲由【心清淨】於如來所而修梵行乎滿 [show] (6 hits) Search word : "心清浄" : Including related character : 略 57 hits : 1 2 --- [ keyword count ] : 121 --- in 阿含部 | 略
35 :
一在家 :2009/09/03(木) 21:49:03 ID:H10vRBoo
>108回、「去りつつ(作用)あるものは去らず(作用)」と唱えながら >足元のアリさんを正見することです。 この法に気付いたのは机氏との対話の縁起によります。 多分、貴兄がおられなかったら中村元氏の「龍樹」解説本を 何回読んでも気付かなかったことと思料します。 深謝>机氏
36 :
一在家 :2009/09/03(木) 22:02:59 ID:H10vRBoo
>>31 机氏
>中論は、カルトが最も嫌いますね。 論破されますから。
私の所属グループは本スレでも批難されておりますが、
「龍樹」も「中論」も教義に無いので信者の99%は知らない
かと存じます。
私もほとんど知らなかったのですが、原始仏典を調べている
うちに、日本の大乗仏教の多くと齟齬が多いことに気付きました。
(法華経の作者は例外のようですが。)
その理由は中国の坊さん達の誤訳だと当初思っておりましたが、
本スレでの皆さんとの対話が「縁」で論理世界の天才哲学者に
ありそうだという見解に至った次第です。
37 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 22:10:05 ID:BFKipAtx
<日蓮宗> 日蓮以来、他宗と対立しながら、 商人を主たる布教対象に活動していたようである。 信長は一向宗との対立もあり法華宗に帰依する。 秀吉の時代、秀吉の母を回向するための出仕要請があったとき、 受不施派と不受不施派にわかれた。 出仕要請に応じなかった不受不施派の日奥は島流しにされた。 江戸幕府にも嫌われた不施不受派は禁教になる。
38 :
閻魔大王 :2009/09/03(木) 22:19:52 ID:aL6oabgs
あのなあ〜、 今は自重しているが、あとでまとめて、ボコボコにイテもうたるから、 覚悟しとけ。
>>30 さきほどの
>>24 の投稿と前スレの502は同じわたくしです。
それ以外には書き込みをしたことがなく、もっぱらロムってばかりです。
ずっとスレを読んでいて宝珠さんのファンになりました。
宝珠さんがアートマンについてまとまったものを発表したら、このスレから
いなくなるのでしょうか?寂しすぎます。
あっ別スレではコテハンで質問に答えてもらっています。
41 :
閻魔大王 :2009/09/03(木) 22:59:34 ID:aL6oabgs
ひとりごと 自性清浄--字義は「自性として(=本来)清浄」 ふぉー、廓然無聖の空であることに、浄⇔穢の二項相対があるんでっか?どひゃー! こーゆードアフォな考え方が、日本的本覚思想や如来蔵思想になって釈迦仏教をお飾りにするんですなあ。 やっぱり御都合主義の宝珠愚者はじめバラモン汚染の実質外道にはかないまへんなあw
42 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 23:03:01 ID:BFKipAtx
信長、秀吉、家康は、現在の愛知県が出身である。 信長は、禅宗の影響下に育ち、西洋文明につながるキリスト教に興味を抱き、 法華宗に名義上帰依する。合理的・唯物主義者のような印象がある。 秀吉はたぶん、上昇志向が強烈な、素朴な人生観だったと思う。 清水次郎長のような、命知らずのヤクザタイプだったかもしれない。 禅宗の影響も周囲からそれなりに受けていたことだろう。 家康の場合は、禅宗だけでなく、儒教などにも興味があったらしい。 参謀役の天台宗・天海は上野寛永寺の初代住職である。 芝増上寺は浄土宗である。
43 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 23:25:21 ID:BFKipAtx
武士の時代、特に戦国時代、 次から次へと戦いが起こり、死体がその辺に転がっており、 いつ死ぬかもわからない状態が続いている。 人を殺さないと生きていけない。しかし殺されるかもしれない。 そんな状態では覚悟をする必要がある。 その覚悟を教えたのが禅宗系だったのだろう。 それが、空、幻、夢・・・
44 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 23:38:09 ID:BFKipAtx
生きすぎたるや二十三、生きすぎたるや二十四 これが関が原を戦った大阪方の思いだったという。 そう自分に言い聞かせていたのだろう。 それをひしひしと感じる。
45 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/03(木) 23:47:55 ID:BFKipAtx
戦国の武将には衆道という趣味があった。 その理由がわからなかったが、ようやくその気持ちが推測できた。 命を共にするには夫婦のような関係が必要なのだろう。 裏切りが当たり前の世の中で確かなもの、 それを衆道に求めたのだろう。 寺院における衆道は、女犯にならないから行われたようである。 軍隊の場合は単なる欲求不満である。
46 :
閻魔大王 :2009/09/04(金) 00:01:58 ID:pVrSkUD7
ひとりごと
一在家もやっぱりドカルト(デカルトではない)で痛すぎるアフォ。
・
>>21 「言語論理世界」の大王:
前(13スレ)686で『いくらキレイ事を並べても、言語論理はウソをつくんだよ。
それが宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk なのさ。』と対応している。カルトは理解力にかなり問題あり。
ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論は徹底した言語批判の龍樹に奇跡的に接近している。
・仏性について「清浄なる心の本性」(
>>20 )「煩悩で汚れた仏性」(
>>21 )
さすがに仏政府太鼓判認定のカルト連中には美味しい文言だな。
汚れは「カルマ」から来ている、カルマ落としい〜〜きゃっほー・・・・・お召し上げえ〜〜w。
どあふぉ!⇒
>>41 寝言ですた 質問 応答 受け付けません
47 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 00:02:27 ID:PAZAMTmt
>>34 >>41 旧7坊やはほんとにつまらない
ウンコ大王はいい加減でウンコ壺にこもりなさい
48 :
閻魔大王 :2009/09/04(金) 01:45:25 ID:pVrSkUD7
ひとりごと
ブッダの縁起思想では人間存在の根源を無明(根源的迷妄)と規定する。
ところが如来蔵思想では人間存在の根源を仏性(自性清浄)と規定する。
如来蔵仏性思想は明確な反縁起思想=ブッダの思想の破壊であり、その「清浄」論ゆえに、
清浄アートマン概念妄想⇒業報輪廻転生論肯定⇒梵我一如論へと容易に没入するのだ。
ヒンドゥへの「仏教」の植民地化敗北宣言であり、宝珠愚者や一在家などのカルトの温床思想となるものだ。
宝珠愚者は御都合主義ウンチングペーパーを用意しているというし、
また現に
>>21 でカルト在家が「仏性」によだれを垂らしているではないか。
あとは真ひかり教義とインチキでも強引に直結させればよいだけだ。
これは簡単だろう。お召し上げ教義ネタの出来上がり。
寝言ですた
49 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 02:14:03 ID:zTYQxxvp
「清浄なる自己」を判断するのが、「不浄なる別の自己」であれば、そのような 判断は信用できない。「清浄なる自己」が既に存在するのであれば、新たに求 める必要はない。 「清浄そのもの」などを求める、釈迦の論理矛盾である。 仏性があるとすれば、それは、清浄と不浄とが相互依存して存在する「あるが ままの自己」である。「清浄」も「不浄」も、関係的概念に過ぎない。 ここにも、竜樹の「空」の原理が働く。 ちなみに、「最善は、最悪を生む」(by ヒューム)。
50 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/04(金) 07:30:09 ID:z47TmGOU
>>32 在家氏
>衆生済度の為には世俗諦で宜しいじゃないですか。>宝珠氏
一休宗純は天真爛漫な生き方をしましたけど、
あれが一休らしい菩薩の生き方かと・・・
拙者は学んでおります。
つまり、一休には「衆生済度」の欠片さえなかったかと拝せられます。
しかしながら、当時においては多くの民衆が救われておりました。
(利休の師である村田珠光も、一休に影響を受けてる)
それは「衆生済度」という作為がないからであります。
森女との最期の別れは感動しますね。
死に際で、ここまで情を通わせる。ってのは
なかなか凡人には真似は出来ないもんです。
これが法珠氏が言われておった「無為はさとりの境地」
そのものじゃぁござんせんか。
51 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 07:59:54 ID:0SZ1lClg
具体的な実践としては、 身は不浄である。 受は苦である。 心は無常である。 法は無我である。 …と観察するわけですよね。 アートマンというのは概念だから、 アートマンは「法」(意根・意識の対象となる法境)でしょう。 つまり、私達が心であれこれ考えている法(コト)は すべて夢・幻だってことでしょう。 頭で考えだされたコトは、所詮は頭で考えたことにすぎない。
52 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 08:21:31 ID:0SZ1lClg
法(心で思ったこと、頭で考えたこと)は、無我である。
53 :
一在家 :2009/09/04(金) 08:26:42 ID:dIuMbgIl
「机上の空論」とは、 「実現性の薄い・頭の中だけで考えられた方法論のこと。多くは実益を齎さない。」 「机の上にて空を論ずる」と似ていると昨晩感じました。
54 :
一在家 :2009/09/04(金) 08:28:55 ID:dIuMbgIl
>>46 >さすがに仏政府太鼓判認定のカルト連中には美味しい文言だな。
あのー、大乗仏教系も含まれておりますよ。
神智学系は含まれていなかったのでは。
55 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 09:26:52 ID:uKRGl5wY
>>54 自らが、超カルトのキリスト教国家である仏政府によるカルト認定など、気に
する必要はない。
それよりも、手かざしが、聖書の「猿真似」であることを、恥じるべきであろう。
一般に、日本のカルト宗教は、宗教そのものについての深い研究は皆無である。
しかし、すべてキリスト教の影響があることは否定できない。幸福の科学も、
佛教を標榜しているが、パンフを読むと、半分以上はキリスト教。その表層的な
概念を猿真似しているだけ。竜樹についても、まともな仏教史を一読すれば、
常識のはず。
ある大本系のカルトの教組も、ヤハウェとエホバとが同一の神であることさえ
知らず、別の神だと誤解していた。呆れ果てた話である。
56 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 09:34:51 ID:hbRHXoUo
>ある大本系のカルトの教組も、ヤハウェとエホバとが同一の神であることさえ >知らず、別の神だと誤解していた。 初見だ。何に書いてあったんだい。
57 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 10:00:07 ID:uKRGl5wY
>>56 己のメルマガに、恥ずかしげも無く書いている。
日本のすべてのカルトの源泉は、西洋かぶれの出口王仁三郎が浅薄にも
キリスト教に嵌った結果の大本である。一在家氏の真光も、その系列。
いずれも、「聖書を流し読みした教組の口から出任せ」という点で、共
通している。「すの神(主の神)」など、キリスト教の唯一創造神に似た
神をでっち上げている。
彼らは、必ず、輪廻転生と霊概念を利用し、ユング、デカルト、カント、
ヘーゲル、白隠などを引用するが、竜樹、道元は、絶対に引用しない。
後二者が、カルトを破壊するからである。
58 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 10:42:07 ID:hbRHXoUo
ああ、なんだ。ワニやなおじゃないんだな。 食いついてごめんね。
59 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 12:34:52 ID:0SZ1lClg
>>33 清浄なる心とは、深い禅定状態で分別・妄想が
一時停止した心でしょうか。
だとしたら、やはりそれも心ですから、無常・無我・苦です。
心はアートマンじゃないですよね?
心は、因縁・縁起により瞬間瞬間に
生滅をくりかえしながら転変しています。
ですから、心は縁起であり、縁起であるがゆえに無常・無我であり、
だから心は独立不変ではないわけですね。
一時的に条件が整って、禅定に入って、
心の中の妄念がストップしたとする。
それを清浄なる心だと呼べるとしても、
心はまた必ず変化します。
清浄なる心もまた、いつかは崩れる現象でしょう。
60 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 12:55:33 ID:0SZ1lClg
大乗仏教ではよく、清浄なる心を月に、妄念を雲にたとえますね。 月は雲に隠されることがあるが、 雲で隠されたとしても、月が消滅したわけではなく、 雲が過ぎ去れば月はまた現れる、と。 しかし、お釈迦様は、月への執着からも離れるように 教えているのではないかと思います。 清浄なる心にも瞬間してはいけない。
61 :
一在家 :2009/09/04(金) 12:57:50 ID:dIuMbgIl
>>55 >自らが、超カルトのキリスト教国家である仏政府によるカルト認定など、気に
>する必要はない。
確かにロジカルですね。 この切り口は斬新です。
>それよりも、手かざしが、聖書の「猿真似」であることを、恥じるべきであろう。
折角、美味しい餌を与えていただきましたが、スレ違いですので止めておきます。
62 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 13:08:47 ID:7i1AfgMZ
戦国武士が命がけで争っていたものは何か。土地であり食料である。 そのために殺し合いをする。 戦国武士は、殺し合いをし、死を覚悟するために禅宗を学ぶ。 かれらは禅僧から、この世が空であり幻であり夢であることを学ぶ。 そして再び、以前にも増して殺し合い、あっけなく死んでいく。 この流れの中に、禅宗の奇妙で不思議な姿が見えてくる。 空や幻や夢を説くのであれば、殺し合いをやめさせるべきなのに、 むしろ殺し合いを肯定し苛烈にしている。 空の思想は、人殺しの思想であり、戦国時代を思想的に支えた。
63 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/04(金) 13:59:16 ID:z47TmGOU
>>35 在家氏
>この法に気付いたのは机氏との対話の縁起によります。
いや、そんなに簡単に気づくもんじゃ〜ないし。
例えば白隠などは「自分ほど悟りの頂点に達した人間はいない」。と、
絶対なる確信を得ている。
これが白隠の「大悟」と言われてるもんで、
じつはこの確信こそ悟りの前段階だったりする。
禅ではこれを魔境といいまして、悟る以前に沈没してしまうことが多いのです。
カルトもそうですね、
「絶対なる確信」を得てしまいますと、それから脱するのは非常に困難です。
ああ、でも脱する必要もないですけど、本人がそれで幸福なら。
でも客観的に見て、非常に悲惨な例が多くあります。
これは吐き気がするほどのものです。
で拙者も「衆生救済」ってことで、カルトからの救済を本気で考えたことがありますけど、
これは全く無駄なことです。
何故かといいますと、
カルトが「衆生救済」を大義にしておるんですから・・・
救済されようがない。
こういうことであります。
そうだよね、心はアートマンではないらしい アートマン自体は炎が自らを照らすことがないように、アートマンから生じた感覚器官からは認識できないらしい つまり思考や心でアートマンを理解しようとしても無理らしい しかし仏陀時代のアートマンの意味は現代とはそもそも違うのかも知れないな、霊とかオカルトみたいなのもごちゃ混ぜで 何の体験もないと定義しようがないから、仏陀はそのレベルの弟子にはアートマンを否定したのかも知れない 昨日、今日のテレビのニュースでも冤罪で捕まったり、ハッキリとした事実を知りえないくらいなのに 仏陀時代の弟子との些細なやりとりのアドバイスの一つにしか過ぎないのだから、わかるわけがない 三昧体験のある弟子にはアートマンを説いたのかもしれないし
65 :
一在家 :2009/09/04(金) 14:13:12 ID:5tThzVHv
>>63 机氏
>ああ、でも脱する必要もないですけど、本人がそれで幸福なら。
そうですね、ご本人が幸福ならば。 まったく同感です。
新興宗教の人がそれを言うと、また違った意味になりますね。 私には本人が幸福ならばいいとは、とても思えなくなりましたw
67 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/04(金) 14:51:49 ID:z47TmGOU
>>65 >そうですね、ご本人が幸福ならば。 まったく同感です。
本人にはイイのかもしれませんけど、周囲は迷惑になる場合が多い。
つまり、周囲の犠牲において「本人の幸福」ってのが成り立つ構図なんですよ。
(これはリアルで経験している)
どんだけの人間が迷惑してるのか・・・
本人は全く気づいていない。
それどころか、
本人自身が「至上善の実行者」だと信じてるんだから始末におえない。
68 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 17:15:14 ID:0jrmHxs8
>>65 >そうですね、ご本人が幸福ならば。 まったく同感です。
それがいい大人のいう言葉か。幼稚園児でも、もっとまともなことを言うぞ。
人は、独りでは絶対に生きられない。生まれてこの方、家族を初めとする
どれほど多数の人々に依存して生かされているか、ちょっと考えても分る
ことではないか。
慈しみ育てた我が子が、宗教に嵌ったばかりに、生来の人格が変容・破壊され、
社会常識を失い、広い外部社会全体からうしろ指を指され、非難され、忌避さ
れる。教組に傾倒するあまり、両親に対してさえ激しい憎悪を抱くに到る。そ
のわが子が、100%の善意で人を殺し、死刑台の登るのを見なければならな
い、オウム信者の両親や家族の苦しみと悲しみを想像することもできないのか。
人生において、これ以上の悲惨と不幸はないのである。
宗教による思考停止と自己陶酔による恍惚感は、幸福感ではない。麻薬による
恍惚感と同じであることを自覚しなければならない。酔生夢死の状態であり、
幸いにして宗教から離脱できた場合でも、激しい離脱症状が生じ、のた打ち回る
苦しみを味わい、今度は、その宗教やその信者たちを激しく憎悪するように
なる。いわゆる元信者たちの仲間同士の争いは、このような心理機序による。
他者の幸福なくして、充実した、永続的な幸福など在り得ないのである。人間
界が、本質的に共同体である所以である。宗教者は、その宗教的満足という
エゴの追求のあまり、他者と「人間は独りで生きているのではない」という
人間として必要な基本的自覚が、すっかり破壊されてしまうのである。
69 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 17:21:33 ID:Bky7ESPr
>>51 ですね。ですがそれは四念処という道で、道はそれだけではありません。
>>59 ですね。いいですね。しかし、この素晴らしい内容が見事にスル〜されて、
妄想のみが蔓延るスレとなってますな(^^)
70 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 17:27:38 ID:0jrmHxs8
>>69 >妄想のみが蔓延るスレとなってますな(^^)
すべての宗教には、必然的なこと。何を寝惚けている。
71 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 17:37:53 ID:5tThzVHv
>>65 >そうですね、ご本人が幸福ならば。 まったく同感です。
よく見ると、「ご本人」と敬語表現になっておりますよ。
72 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 17:43:10 ID:hbRHXoUo
「作られざるもの」というのは、他宗教の信者がうちの教えは作り物じゃない、と言うのに通じるのではあるまいか。 その代わりに、人間の作為によってなったものではなく、神が世界のはじまりから定めていた法である、などと言う。 つまり信者達視点では客観的に正しいもの。 釈迦自身、仏教が(枝葉の戒律部分を除いて)自作したネタだという 考えはもっていないだろう。その意味で仏教そのものも(釈迦や信者にとって) 「作られざるもの」と言える。彼らにとってそれは真理なのだし、 真理というのは既にあるものと別に勝手に作ることができるものではない。
73 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 17:50:57 ID:meDN3xD0
>>72 つまり、特定の宗教内で語られる真理とは、彼らにとっての真理なのであり、
普遍性を有するものではない。
こういうことかな?
74 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 17:51:30 ID:0jrmHxs8
人間の思考の対象になる限り、すべては「人間の観念が作ったもの」。 「作られざるもの」など、どこにもない。
75 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 18:00:06 ID:hbRHXoUo
つまり既存のニルヴァーナと別に「俺流ニルヴァーナ」なんてのを新設しても 釈迦や仏教徒にしてみれば認められない。そんなものは有為によって捏造された紛い物であり、 真の悟りではない。仮にニルヴァーナを有為なものだよ、とすることは何を意味するか。 ニルヴァーナは悟って得た真理じゃないよ、 思い浮かんだり考え付いたいち意見だよ、と言うことになる。
76 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 18:00:47 ID:meDN3xD0
>>74 >すべては「人間の観念」がつくったもの
これは明らかに間違い。
人間の誕生以前に宇宙は存在している。
77 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 18:21:18 ID:0SZ1lClg
>>75 ニルヴァーナ(涅槃)とは、平安なる滅びでしょう。
「私」という歴史ある甘美な物語を捨てることでしょう。
最終話、完結。続編をつくらない。
しかし、本当に涅槃に入れたのかは、確認しにくい。
それよりも、具体的に確認できるチェック項目を
クリアしていくほうがわかりやすい。
具体的なチェック項目とは、つまりは煩悩のリストです。
目の前の煩悩に気づき毎日毎日の妄念をさばくことが
上達したかどうかは、現象として現れることだからチェックしやすい。
涅槃(滅び)は、現象としてチェックしにくい。
78 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/04(金) 18:33:46 ID:z47TmGOU
>>71 >よく見ると、「ご本人」と敬語表現になっておりますよ。
ああ、二人称でしたかw
それは気がつきませんでした><
>>77 >ニルヴァーナ(涅槃)とは、平安なる滅びでしょう。
うまいこと言いますね。
そう、滅びです。
存在って言葉自体人間の観念じゃないの
80 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 18:52:02 ID:Bky7ESPr
>>70 おまえの場合は、パラノイア、偏執狂だ。完全病気。怨念の塊。
無知で、無能で、ネラ気質で、幼稚なアホだろ。
81 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 18:55:48 ID:meDN3xD0
>>79 それは私に対するレスかな?
それならば、もう少し詳しく述べてくれないと、何が言いたいのか不明瞭なんだが。
82 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 18:57:42 ID:dIuMbgIl
>>76 >これは明らかに間違い。
>人間の誕生以前に宇宙は存在している。
「机上の空論」だと、「運動」も「時間」もないですから
「人間の誕生以前に宇宙は存在せず」でありんす。
83 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 19:12:38 ID:meDN3xD0
>>82 机氏かな?
机上の空論ならば、そうでしょう。
認識論で言えば、「私」も存在せず、無我ですね。
私の言及しているのは、あくまでも、仮和合としての存在。
そこを否定するのであれば、このスレへの書き込み自体不可能になる。
84 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 19:26:50 ID:+RrmbG1V
空の思想を説く禅宗は ・・・ 武士という人殺し集団に歓迎され保護されていた。 人殺しには好都合な思想なのだろう(^^) 空の思想は、人殺しの思想であり、 これが悟りでも真理でもないことを歴史の中で証明している。
85 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 20:10:30 ID:+RrmbG1V
日本における大乗の歴史 奈良仏教、天台宗、真言宗は、<朝廷>に近づき鎮護国家を祈っていた。 臨済宗、曹洞宗は、<武士>に近づき空の思想を説いていた。 浄土真宗は、<農民>に近づき浄土思想 日蓮宗は、<商人>に近づき法華思想 その後、江戸時代の檀家制度、明治時代の廃仏棄釈、 戦争協力を経て戦後の時代に至る。
アートマンは真我だから、つまり悟りを得て初めて理解できる境地 仏陀の時代では、悟りを得ていない弟子なら尚更アートマンは霊とかもっとオカルトチックなものと勘違いされてたのかもしれないし 空や無我が現代の言葉ではアートマンにすりかわってしまったのかも? とにかく悟る気もなく、好奇心を満たすのみに終始するのなら、無我だろうとアートマンだろうと 知っても仕方が無い、我々にはまったく関係が無い話になる 座って修行しないと至れない境地だから
87 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 20:33:22 ID:+RrmbG1V
大乗は平和な宗教だと誤解されている。 しかし歴史的に見れば、国家の防衛を祈ったり、 人殺し集団の精神的支柱だったり、身分差別を担当したりしている。 少なくても<空の思想>は平和と無縁である。
88 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 20:40:04 ID:0jrmHxs8
>>87 キリシタンのお前が言うなw。
戦国時代は、キリシタンの著しい増加と時期を同じくする。
鎖国によって、徳川400年の平和がもたらされた。
開国後は、このざまである。
89 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 20:46:28 ID:tFvhuHH7
人殺しも家畜殺しも変わらんじゃないか 平和でも人は死ぬし、人が増えれば殺される家畜の数は増える 平和は単に死を隠蔽し闇から闇へ葬ってるだけだ 人の死はいつでもそばにあるはずなのにそれに鈍感になっているのが平和だよ 武士の殺しは殺される覚悟をも同時に含むがゆえに死を前にしても動じない死生観の確立がもとめられた。禅が習われたのは精神が死を超克するための儀式だ
無我だろうとアートマン=真我だろうと 知っても仕方が無い、いや、知ることさえ出来ない、そもそも我々には関係が無い だって座って修行しないと至れない境地だから これは自覚しなければいけない
91 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 21:00:25 ID:+RrmbG1V
>>88 >キリシタンのお前が言うなw。
★ 残念だが、キリシタンでもキリスト教徒でもない。
>戦国時代は、キリシタンの著しい増加と時期を同じくする。
★ キリシタンの増加(最大約30万人)にはトリックがある。
宣教師がまず戦国大名に近づき、キリシタン大名が領民に改宗を勧める。
>鎖国によって、徳川400年の平和がもたらされた。
★ 徳川250年
>開国後は、このざまである。
★ このざまとは、どんなざま?
アートマンやら無我とか大きいこと言っていても、どうせ悟れもせずに 今より貧乏人に生まれ変わるのだろうが、多分その程度だと思う
93 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 21:01:50 ID:0jrmHxs8
>>90 要するに、暇人が好き好んでやる趣味・娯楽。気持ちいい涅槃に到達できる
らしいw。
一般の生活者は、生活という大修行をやっている。宗教者の修行など及びも
付かない苦行である。
94 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 21:07:59 ID:+RrmbG1V
>>89 >人殺しも家畜殺しも変わらんじゃないか
★ 人間と家畜を一緒にしないで欲しい。
>武士の殺しは殺される覚悟をも同時に含むがゆえに
>死を前にしても動じない死生観の確立がもとめられた。
>禅が習われたのは精神が死を超克するための儀式だ
★ 空の思想が詭弁であるのは、殺し合い自体が空であることを
除外していることである。空だと思って争うことは矛盾である。
95 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 21:09:25 ID:tFvhuHH7
自分が一番苦しい
96 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 21:09:34 ID:XKUnXT7H
生活という大修業を認めているお坊さんも大勢いる。日本仏教の開祖、聖徳太子は出家していないし。
一般の生活者も我々も変らないでしょ?どうせ転生するんだから 半端に知識付けるよりリアル社会で揉まれてるほうが、まだマシかも知れない 釈迦が別格なだけ、悟りは在る
98 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 21:13:26 ID:tFvhuHH7
>> 人間とそれ以外の生物の魂に上下をつくるのが 人間が傲慢な証拠 人間なんて猿から進化した一つの動物
99 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 21:21:50 ID:0jrmHxs8
>>91 年数は間違った。しかし、バテレン追放は、秀吉からである。
「このざま」については、キリスト教諸国の日本に対する武力による
威嚇とその行使を考えられたし。先の大戦も、キリスト教による世界
征服の一環。
なお、先日、信長とキリシタンとの関係の話が出たが、信長の弟の織田
遊楽斎及び信長が最も愛した息子(信忠?)の息子(信長の孫)二人も
キリシタンである。信長が、キリシタンに「少なくとも好意をもっていた」
事実は否定できない。それに、安土城の「天守閣」という言葉は、信長
が初めて使った言葉と思うが、「天主」とは、まんま、キリスト教の「神」
のこと。
100 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 21:24:38 ID:+RrmbG1V
祈ることができるのは人間だけである。 もちろん祈らない人間もいるし、偶像を拝んでいる者もいるし、 神を冒涜するようなバカ者もいる。 しかしかれらにも、神を祈る可能性はあるのだろう。
真面目に宗教を知りたいのなら、霊能者とかを訪ねてみればいいよ 100人に会えば誰か1人は数打てば当たる 自分しか知らない個人情報を当てる人とか居るから ガチで その時に妄想ではなく現実に世の中には科学では説明出来ないこともあるのだなと知りえる 妄想ではなく現実にそういったことは起こりえるよ ただ釈迦は別格、その程度の霊能力は足元にも及ばないだけで、実際に悟りはあるよ、それは現実の話
102 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 21:33:08 ID:tFvhuHH7
神は祈るためにあるもの 人間の理解を越えるすべては人間にとって畏怖と平伏の対象 つまり人間に理解できないことをたいそうに言ったのが神 ぜんぜん人間が優れてる根拠になってない
100人に1人よりもっと少ないかも知れないけど、実際に霊感ある人はいるよ
104 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 21:36:43 ID:0jrmHxs8
>>100 人間以外の動物は利口だから、「架空の神」に祈るような愚かなこと、
時間の浪費はしない。「架空の神」に祈っても、現実界にいかなる
利益ももたらさないことを知っているからだ。
比叡山での世界宗教者会議で、出席者は「それぞれの宗教の神」に祈った
そうだが、宗教者が、「自分の神」に祈れば祈るほど、争いが激化する
ことを忘却している。祈るなら、お互いに、「他宗教の神」に対して祈る
べきだったのではないだろうか。
105 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 21:38:39 ID:meDN3xD0
>>101 妄想を語りたいのならオカルト板にいきましょう。
妄想ではないよ、霊感や神通力を得てる人も 悟った人もいるよ それは現実の話 ただ滅多に居ない希少な霊感や神通力も悟りから見たらゴミで 更に悟った人も、ん十億に1人くらい非常にレアなだけ、それは現実の話、滅多に居ないから出会わない、それで妄想と思われる
107 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 21:53:20 ID:meDN3xD0
>>106 あなたが「現実の話」であると言う霊能力。
これはあなたが「現実の話」であると「信じている」に過ぎません。
現時点において「霊能力」が「実証」された例は皆無です。
個人の信仰と普遍的事実を混同するのは愚かなことです。
いやいや、マジでいるよ 霊が見える程度の低次元なのなら、本人が自粛してるだけで結構居る 多分、あなたが出会ったことが無いだけだし、仏教信じてる人なら、そんなことは知らなくても良いことだよ 知っても仕方が無いし
109 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 22:03:25 ID:+RrmbG1V
>>99 一向宗に悩まされていた信長は、西欧物質文明だけでなく、
キリスト教にも関心を持っていたことだろう。
しかしその関心は、宗教政策という視点だったにちがいない。
二歳で城主になった信長の精神世界は、
空の思想を基にした、無神論の合理主義・唯物主義である。
天守閣に関しては自分が天主であるというイメージか。
信長の周辺にキリスト教徒がいた? 乱世に嫌気がさし、
キリスト教が説く愛の世界に惹かれたとしても不思議ではない。
空の思想より健全かもしれない。
この頃はまだ、キリスト教の下心が発覚する前である。
110 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 22:05:42 ID:meDN3xD0
>>108 「マジでいるよ」
これは、あなたがそう信じていると言うに過ぎませんね。
後半はよくある「事実判断」と「価値判断」を混同しています。
私が言っているのは「価値のあるなし」ではなく、
「普遍的事実であるか否か」です。
111 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 22:05:44 ID:R8ei4hDV
>>106 >悟った人も、ん十億に1人くらい
地球の人口は68億ぐらいしか居ない
つまり、一人か二人しかいない事になる
居ると主張するからには知ってるんだろ?
誰なんだ?
112 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/04(金) 22:11:36 ID:+RrmbG1V
>>104 そう思うなら肉食をやめ、カラスや野良猫にエサを配ってください。
>>110 ,111
人には生まれつきのカルマってのがあるから、音楽が作曲出来たりもそうだし
生まれつき大富豪もそうだ
霊感や神通力や悟りも同じく、自分が生きててそのようなことを今まで垣間見たことが無いのなら
それが現実で良くも悪くもカルマな訳で、別にそれが自然なことだから、悟りも霊感や神通力もそんな人たちから見たら
妄想でそれがリアルな現実だったほうが上手く生きれる、そんな人は知らないほうがむしろ幸せで、半端に知ると欝になるだけ
114 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 22:20:05 ID:hArXE1qp
ただし、隠居さんのような完全否定は良くないね
116 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 22:28:22 ID:meDN3xD0
>>113 だからね、貴方の言っていることは
「自分の言っていることは真実だが、知らない方が良い人もいる」
事実判断と価値判断をごちゃ混ぜにしてるのが、わかりませんか?
まず、自分の言っていることが真実であると証さなければ
どうしようもないでしょ?
「知ったほうがよいとか知らなくても良い」とかは
その後の話。
わかりますか?
>>116 そんなことを証明しろなんて無理にきまっとる
赤ちゃんだって細胞とかDNAとか知らないのに、生体学者と遜色なく手足動かすでしょ?
霊感とか神通力だって同じ、何時でも出来るものではないし、仮に何かが見えたとしても
ただ見えたとしか表現のしようがないのだから、どうしようもないね
ただ縁=カルマがあればその片鱗に出会えるだけで、仮に見たとしても不思議だとしか言いようがないし
どこかの研究所の人が立ち会ったとしても、微細な変化を観察できる装置でもないと観測できないから、どうせ証明も出来ないでしょうし
私の見立てでは、現代科学でもどうせ解明は無理だと思うけど、
そろそろ寝るので、オチます
118 :
旧7 :2009/09/04(金) 22:58:52 ID:VLFMg27c
>>117 馬鹿ですねw
>赤ちゃんだって細胞とかDNAとか知らないのに、生体学者と遜色なく手足動かすでしょ?
そうです。ここが重要です。
知らなくても【手足は動いています】。
我々は、【手足が動いているかどうか】を重視します。
貴方方は【知っているかどうか】を重視します。
手足が動いてるかどうかは、容易に誰もが確認でき(自覚でき)ます。
そして、≪それらは、現に今、まざまざと【あり得て】います≫。
さて・・知っているかどうかはどうでしょうか・・・?w 霊感・霊能力があるかどうかはどうでしょうか・・・?
>不思議だとしか言いようが
手足が動くこと、成長すること、生まれること死ぬこと、
喜ぶこと悲しむこと、涙すること笑うこと、・・・・・・
葉が落ちること虫が鳴くこと、日が暮れること夜が明けること、新芽が芽吹くこと雨が降ること、
変てこな姿で変てこな生き方をする数えきれない種類の生き物がすぐ身の回りに満ちていること、・・・・・
世界は不思議に満ち溢れている・・・・
霊能力なんざ、そうした列の最後尾だ。自覚しとけw
119 :
旧7 :2009/09/04(金) 23:00:10 ID:VLFMg27c
>>114 >他生は刹那であれ不可能ですから、排除できると思いますが。
意味不明な文章ですねw
「他生」って何ですか?「刹那」って何ですか?
そして、なぜ《「他生」であること》が《不可能》なんですか?
何も説明されてなくて専門的単語が並んでるだけじゃ何も解りませんよ?w ( ̄ー ̄)
各単語が説明された後初めて、
≪《「他生」でないこと》が、『個としての生命の継続』を担保し得るのかどうか≫を問うことになる。
いや、その前に『生命』を定義せにゃならんか?w 御隠居が喜びそうなネタになっちまった・・・。
(※貴方が、「個としての・・・」という表現から却下したいだろうことは推察いたしますw)
120 :
閻魔大王 :2009/09/04(金) 23:08:08 ID:pVrSkUD7
自重中、俺って意外といい奴やろ? しかし、今はバカと糞カルトしかおらん魑魅魍魎動物園化してる。 カルト在家が真ひかりの糞カルトメンバーを呼んだかw あとは、うんこ蠅のウンチングペーパーか。 くだらん、勝手にさらせ。
121 :
閻魔大王 :2009/09/04(金) 23:46:58 ID:pVrSkUD7
>>119 for 旧7
おいらは自重中ゆえ
前(13)の下記レス頼んます。
記
705 :閻魔大王 :2009/09/01(火) 20:55:58 ID:LBV4qKvO
>>704 >五蘊の和合、そして滅も、「時制を問わない見方」を採り得る
難解で美味しいところの議論をしていますね。我輩もおおいに関心があります。
>>488 >>495 >>498 >>499 >>501 も参照していただいて、
有時が前後際断(縁生即縁滅)されている(道元)とするならば、
記憶とはなにか、記憶は如何にして形成・残存と自意識されるのか、
にも切り込んでいただきたい。じっくり、読ませてもらいます。
・・・・・・・・・・・・・・・
一休はカラスの鳴き声で悟ったという伝説があるが、
一休はカラスの鳴き声を聞いたのでしょうか?
122 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 23:50:42 ID:UjPP3SYE
>>120 何度も述べたように、原始仏教がカルトであることの証明。カルトは、必死で
自己正当化を求めているから、少しでも自己を肯定する要素があると、この
ように蝿のように群がってくる。
くそ難しい「中論の頌」の解釈に頭を酷使すれば、カルトなど一発で吹っ飛ぶ
と思うのだが。
それに、道元が語られないのは不可思議。
カルトは、竜樹と道元は絶対に引用しない。そのカルト破壊力に怯えている
ことの証拠である。
カルトの中核となる要素は、「神・霊・前世・来世」の実在の植え付けである。
これらの要素を完膚なきまでに破壊しない限り、カルトや宗教被害が絶えること
がない。
宗教者も、人間のすべての営みの根源としての、その生物的生命(生存本能)
に基盤を置き換えるべきではないか。宗教の開祖が、この「根源」に思い到って
いないのは、その精神医学的問題から生じた「観念の過剰」に起因する。
圧倒的大多数の生活者は、意識的・無意識的に、この基盤に基づいて生存を続
けている。「根源」から最も外れているのは、本来、最も根源に迫るべき宗教
者である。すべて、皮相的で、浅薄極まりない、現実を突きつけられば一発で
吹っ飛ぶ「観念の遊戯」に過ぎないではないか。
123 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 23:51:14 ID:1UJqXxdc
>>117 結局、あなたの言っていることは、「霊能力はホントにあるんだ。
実証できないし、論拠も提示できないが、真実なんだ」
こう言っているだけですね。それなら、この宗教板に何人もいる
「私は神だ。その証拠は示せないが、間違いなく神である」
こう言っている「あぶない人」と何ら変わるところがありませんね。
「私はそう信じている」という「信仰告白」なら別のスレでお願いします。
124 :
旧7 :2009/09/04(金) 23:52:39 ID:VLFMg27c
>>121 どうしろと?w
《「時制を問わない見方」があり得ること》 を立証しろ、と?
それとも、
《「時制を問わない見方」があり得ること》 を反証しろ、と?
(※ちなみに、上記と記憶の問題は、また別かと思われる。)
125 :
閻魔大王 :2009/09/04(金) 23:53:16 ID:pVrSkUD7
庭前柏樹子(趙州和尚)に代わる閻魔大王の祖師西来意とは、これだ! プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー プギャー!プギャー!プギャー! プギャー!プギャー!プギャー!プギャー! プギャー! m9 m9 ノ) プギャー! プギャー! 川 m9 川彡'三m9 プギャー! プギャー! m9ミm9、m9ミm9彡m9 プギャー! プギャー!m9三ミm9(^Д^)彡三彡三m9 プギャー! プギャー! m9彡川m9彡川ミm9 プギャー! プギャー!m9彡川m9m9 m9川彡m9 プギャー! プギャー! (ノ m9 川 m9ミ) プギャー! プギャー! m9 プギャー! プギャー!プギャー!プギャー! プギャー!プギャー! 自重中
126 :
神も仏も名無しさん :2009/09/04(金) 23:59:26 ID:1UJqXxdc
>>119 同意。
>>114 さんは、あまりにも漠然とした表現なので
その主張の論旨がわかりません。
さらに、閻魔大王さん。あなたの言おうとしていることも、何か
とても興味深いことのようにも思えるのですが、残念ながら、
詳しい解説がないので、いまいち、その趣旨がつかめません。
127 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 00:28:40 ID:eLXnr7DW
斜め読みを貫きわからんとこは相手の表現力不足のせいにする、 というのは頭を使うとは言わない。
128 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 00:31:32 ID:birKDrj0
129 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 00:45:55 ID:eLXnr7DW
学ぶ時間が無駄、学んでも無意味というのは言い訳にならない。 無駄なら書くな。無意味なら書くな。書く理由が無いのに粘着するな、と 誰かにわかってもらいたい今日このごろ。 あとそんな不誠実な扱いをしておいて論者や論書を叩き用にだけ 都合よく振りかざすのはそろそろおやめなさい。 たぶんいい年した大人なんだから。
130 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 00:50:06 ID:Nwp8m3f/
131 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 01:40:54 ID:+7FlYYs1
多くの平均的な自称仏教徒は無知で思考が硬直しています。
正直、自分の見聞きしている狭い範囲でしか判断していないし、
その分、他の宗教者よりも程度が低い。
これは「無記」「中道」といったものが誤読されて、自己都合に使われているということでしょう。
その結果として事実に無知で詭弁ばかりです。
そして、不可知論的発言が目立つ。
「心霊現象」の一つすらも知らないとは・・ただ絶句するしかない。
-------------------------------------------------
>>34 で、旧7さんのご意見とは何?
>>39-40 そうですか-有難うございますm(__)m
今、打ち込み中の資料転載のアップが終了し、
皆さんからのご意見を頂いたらそれで終わりのつもりです。
後は個人的に自己ウェブページで“自己主張の纏め”を制作する予定です。
もし、【最終決着】シリーズの次スレが立つならば、それはそれで皆さんにお任せです。
楽しく有意義な意見が投稿されるスレであれば歓迎します。
ハテ?次の議題はあるんでしょうかね?縁起とは?空とは?とかヤルんでしょうかね?・・・。
展開次第では時折り、参加投稿するかもしれませんが、
今のところは基本的にロムっているだろうとは思います。
このスレでは投稿内容に制限がありますが、わたしとはいつでも連絡はつきます。
また、必要であればいつでも投稿はできますし、神智学スレのほうは必ず確認していますから、
掲示板上でも対話可能です。〜宜しくお願いします。
132 :
ケロップ :2009/09/05(土) 01:51:29 ID:q60BOQcL
>このスレでは投稿内容に制限がありますが、わたしとはいつでも連絡はつきます。 >また、必要であればいつでも投稿はできますし、神智学スレのほうは必ず確認していますから、 >掲示板上でも対話可能です。〜宜しくお願いします あ〜一安心。よかったです。
133 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 02:07:36 ID:/VDe09rT
>>132 >あ〜一安心。よかったです。
他人の「借り物」の見解ばかりで、何が「安心」かね。肝心の自分が失われて
ゆくばかりではないか。
すべての人間に共通する唯一の普遍の基盤は「生物としての生存本能(生命)」
である。「生」とは、この生存本能の応用問題に過ぎないのだから、この普遍
の基盤の上に立って思考すれば、すべての問題に対し、唯一の正しい解答が
容易に得られる。宗教や経典など一切不要で、かつ無意味・有害。
一度、自分で、この基盤に基づき、問題解決を試してみるとよい。
134 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 02:36:47 ID:c0ktcoOd
>>133 キミのなかで「物」と「生き物」は何が違うんだ?
普遍の基盤の上に立っているんだから、さぞかし正しい解答があるんだろうなw
135 :
旧7 :2009/09/05(土) 02:40:38 ID:AhAY7AVv
>>131 ・増一阿含の中に、「自性清浄心」という表現が無いこと。(胡散臭い経典の中にしかないこと。)
・「心清浄」という表現はあっても、
>>20 >>23 の内容と直結していないこと。
・レス20、及び23の内容が、(増一阿含の)どこに記されてるのか判りませんよ?
という皮肉なんだが、わからなかったかw
(しかも、
>>20 の中では >と私は説く。』(SN.I/増一阿含経) とある。SNは相応部だよな?
パーリと漢訳が順序マチマチなのはわかってるが、ならば、もっと限定的に記すべきじゃないか?
この書き方は、「涅槃という語が長阿含の中に出てきます」というくらい、大雑把だぞw)
136 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 02:46:16 ID:c0ktcoOd
>>118 >我々は、【手足が動いているかどうか】を重視します。
>貴方方は【知っているかどうか】を重視します。
>手足が動いてるかどうかは、容易に誰もが確認でき(自覚でき)ます。
怪しいな。
なぜ“誰もが”確認できると【知っているんだよ】?
137 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 03:00:58 ID:Nwp8m3f/
>>136 何故「怪しい」のですか?
あなたは、自分の手足が動いているかどうか確認できないのですか?
138 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 03:05:32 ID:c0ktcoOd
>>137 誰かが何かを確認しているとなぜ【知っているんだよ】?
139 :
旧7 :2009/09/05(土) 03:13:29 ID:AhAY7AVv
>>136 「手足が動く」という事に特化したことでなく、
条件の不足(感覚器官の感受レベルの低さ或いは欠如)がない限りは、
たとえば、「池に石を投げ込めば波紋が広がる」ことを、
「それを行った者・経験した者」は、「見・知り・確認できる」ということだ。
条件の差異はあれど、今のところ、その前提を外れる事例はない、ということだ。
(ましてやそれが、自身の三業に関するものなれば尚更。)
そして、釈尊が示した涅槃も、実は同じ構図の上にある。
「来て、見よ」と言われた時、
「見れるか見れないか」は、「当人の努力・心掛け次第」ということだ。
>>136 の疑義は、同時に、
≪「涅槃はある」などとなぜ言えるのか?≫という問いと同じだということに気付くべきだ。
(※この問い自体を否定はしない。あっていい問いだ。
特に、仏教が「認識論的なものであり」「自覚を重視する教え」なれば、当然引っ掛かってくる部分だ。
それを誰が保証してくれるのか? と。 妄想・夢物語でないことを誰が(何が)証明するのか? と・・・。
ゴータマ・シッダッタの独り相撲でないことをどうやって証明するのか? と。)
勿論このレスも、棚上げレスだがなw
また、「知りえない」ということであるならば、どちらの立場も等価です。
違うのは、片方は、「知り、確認されている事例が、圧倒的数に登る」ということでしょうかね。
140 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 03:14:51 ID:Nwp8m3f/
>>138 なるほど。単なる揚げ足取りをしたかっただけですか。
旧7さんが
>>118 で「手足が動いているかどうかの確認」の話を
したのは、「多くの人間が共通認識として検証可能な事例」と「個人が『自分は
知っている』と主張する実証されていない検証不能の事例」との
差異を指摘するために例示したものですね。
そのくらいのことも読み取れないほど読解力がないのでしょうか?
あなたは
>>117 ですか?
141 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 03:40:18 ID:+7FlYYs1
>>135 なーんと・・。
そうです。相応部経典(Samyutta-Nika^ya)サンユッタ・ニカーヤということになっています。
ネット検索ではパーリ相応部の「T」としか確認できませんでした。
困ったな・・・確認お願いできます?
142 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 04:23:00 ID:c0ktcoOd
>>139 「現に今、まざまざと」手足動かしている(幽霊見ている)彼のその自覚を、私が「現に今、まざまざと」自覚するかね。
「現に今、まざまざと」悟っている仏陀のその悟りを、私が「現に今、まざまざと」悟るかね。
一体これらは、客観的に「知っている」とかいうレベルの話かね。
「前提を外れる事例はない」とか
「妄想・夢物語でないことを誰が(何が)証明する」とか
「知り、確認されている事例が、圧倒的数に登る」とか
そういうレベルの話かね。
そうじゃないよね。「現に今、まざまざと」なんだから。
>>118 は、「現に今、まざまざと」のレベルを、誰もが「知っている」レベルへ(無自覚に)摩り替えてしまっているね。
この傾向は、「私」という問題を「人間一般」や「生命一般」へ容易に摩り替える某隠居氏の思考や、
「無我」の概念を持ち出して「私」という問題を知的に解決している人々になにやら共通しているね。
143 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 04:28:47 ID:c0ktcoOd
>>140 ちあう。
>>118 は、
≪それらは、現に今、まざまざと【あり得て】います≫
というキーワードを使って「手足動かしている自覚」は「霊能力」とは違うぞ、と仄めかしているんだね。
でも、客観的な視点からみればどちらも「知ってる」「知ってない」のレベルに過ぎないんだね。
>あなたは
>>117 ですか?
ちあう。
144 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 05:29:09 ID:61KznG5r
>>140 >この傾向は、「私」という問題を「人間一般」や「生命一般」へ容易に摩り
>替える某隠居氏の思考
ならば、仏陀の「私」としての教えは、「人間一般」「生命一般」に通用する、
「普遍的な教え」ではないのかね。そんな教えでは、「人間」にとって無意味
・無価値であろう。
医学は、国籍、宗教、風土を問わず、どこの「私」でも、「人間一般」「生命
一般」として治療する。人間である限り、裸になれば、その内部構造も生理的
機能も、全く同じ。一体どうやってすり変えることが出来るのかね。
心理学を初め他の自然科学も、人間である限り、人間一般として通用する。い
かなるすり替えも不可能である。
君は、宗教やる前に、人体の解剖生理学から始めるべき。「人間」についての
基礎知識が欠けていては、人間を語ることはできない。竜樹も、医学から始めた。
145 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 05:34:06 ID:61KznG5r
146 :
析空 :2009/09/05(土) 05:59:48 ID:o1/g+1y4
>>3 机先生!
ご回答ありがとうございました。
禅者独自の見解というものは、釈尊の仏教とは別ものかと思います。
密教の【如来蔵】に至っては、【常見】ですね。
147 :
析空 :2009/09/05(土) 06:17:18 ID:o1/g+1y4
>>5 >「求める自己」と「本来の自己」は違う
机先生のご指摘の通りかと思います。
禅でよくいう【計らいを捨てる】ということが重要ですね。
自己を求めるのではなく、求める計らいを捨てるということですね。
無為法に身を委ね、己が既に助けられているのを知るは別に構わないが、 それは仏教徒であろうが無かろうが関係のないこと。 過去のことである。 もう一歩進めるというのは、行動主体としての自己を明らかにして 自覚的に生きることである。 禅というのは、対象として我をみるものではない。
149 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 07:09:10 ID:YtYJyAaY
現代の宗教者は、大きな誤解をしているのではないか。 宗教の発生は、科学の無かった時代の、生存のための「手段」であった。 「科学の代替品」として、生活全般に関与した。僧侶は、当時の最高の 知識人として、社会のために働いた。空海の活躍を見よ。勿論、医師と しても働き、秀吉の元禄・慶長の役では、その漢文の知識を生かして、 通訳として活躍した。山伏は、その山野の地理の知識を生かして、陶土 の発見のために働いた。現代でも、原始社会では、witchdoctorが、人々 の生活全般の面倒を見る。生存の手段としての宗教を、その目的とする という倒錯には陥っていなかった。現代では、科学が、往古の宗教に取 って代わったのである。 佛教における身体観察は、極めて正確である。「眼耳鼻舌身意」は、 現代の解剖生理学でも全く同じである。但し、「意」は、五感からの 入力を統合する、五感の一部である。妊娠期間の記述についても、現代 の産科学と全く同じ。最近は、「佛教と医学」に関する書物が出版され ている。現代の宗教者のような、ひたすら「精神的オナニー」にふける 暇人などではなかった。 現代の宗教者は、「社会に貢献する最高の知識人」とは到底いえない。 特に、往古の宗教者に比べて、「自然科学」の知識は、はるかに劣っている。 宗教が、聊かでも人間やその社会について語るのなら、まず人体や自然に ついての正確な知識を身につけるのが先決である。即ち、まず、医学を 初めとする自然科学を学ぶべきではないのか。
あらゆる事が縁起であるのだから、 外側のものと思われるものも、外側の事では無いのである。 全ては他人事ではない。 世にはびこる不幸の種が残るうちはいつそれが自分に降りかかるかわからないのである。
151 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 07:29:10 ID:YtYJyAaY
>>149 の訂正
×元禄・慶長の役
○文禄・慶長の役
152 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 07:37:32 ID:YtYJyAaY
>>150 現代の人間同士の争いの殆どは、宗教が原因で発生している。宗教が、
当初の機能であった生存のための「手段」、「現実との対応」から離れて、
「精神性の迷路」にさまよいこんだため、百人百様の「観念の遊戯」と
なり、「厳然として実在する現実」という、正誤・正邪の唯一の判断基準
が失われてしまったからである。
153 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 07:53:57 ID:YtYJyAaY
現代社会における宗教の唯一の機能は、科学が存在しなかった時代の 古代人の妄想を利用した、基本的に「脅迫」と「甘言」を中心とする 宗教テクニックを使用し、「原価ゼロ」の「神・霊・前世・来世の観念」 と「非課税の特典」を精一杯活用した、「美味しい営利の手段」として だけである。
154 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 08:10:44 ID:o0x9bpoD
能力者はいるよ。 百キロ離れた自宅を千里眼で語った。 「今貴方のお母さんが道かどで近所の奥さんと話しております。そこへ自転車に乗ったお嬢さんが来て挨拶しましたよ。」 「お嬢さんの家は大きな川のほとりですね。」 「お嬢さんのお母さんは今年中に遠くへ逝きますよ。」 これらは全て当たりましたよ。 別の能力者は一目見ただけで過去の大病気と手術を全て言い当てましたよ。 これからの大病も。
155 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 08:22:47 ID:g4tig6NK
「生まれたものはいつかは死ぬ」 これは誰にも当てはまる事柄であろう。 しかし、そのようなことを知ったからといって 情報として価値があるのか? 必ずおきることを知るのは情報としては無価値だろ。 縁があって生起する、確率的事象の予測こそが役に立つ情報だね。 情報とは確率だね。
あるよ。 少年老い易く学成り難し。 生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸
157 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 08:28:40 ID:+7FlYYs1
>>154 フム-あるでしょうね!
中にはできる人がいたって当たり前ですよ。
しかし、自称仏教徒たちには唯物論者が多く、
ゴータマの示した「無記」の姿勢を何でも全部に広げ、
或いは「中道」の教えを何でも誤用して、“ある”といった断定意を否定します。
あとは不可知論的な態度で詭弁を展開して何でもはぐらします。
在ると思えばあるが、無いと思えばない・・とか気の持ちようで何とでもなる、とも説きます。
そんなのは偶然に過ぎないこととし、まったく非論理的な思考しかできません。
これらの人々は自分で直接、体験しない限りは理解しないので、
議論しても無駄なのです。更に一部の人は自己体験してすらも、
自分自身に対して、「これは幻覚だ囚われてはいけない・・」といって逆暗示をかけていきます。
完全に、自己暗示で洗脳を掛けているので恐ろしいものです。
まっ、こういう極端な人々というのは、
あらゆる宗教的な人々の中では自称仏教徒だけです。
魔境の恐ろしさを知らぬド素人はこれだから困る。 仏教には何千年にも積み重ねられたプロの経験と知識がある。
159 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 08:42:38 ID:+7FlYYs1
>>158 そうそう、「魔境」という否定意も使うからたちが悪い。
自己の神通などに囚われてしまって、そこから抜けなれなくなる魔境という戒めと、
超常現象(ごく当たり前の出来事に過ぎない)という普通の出来事とをごちゃ混ぜにします。
新興宗教には神にならんと欲して、邪悪な修行をするために、 精神を病んで自殺するものや、ガンで早世するものが多い。
161 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/05(土) 08:55:48 ID:J8J2YkTj
>>126 >
>>114 さんは、あまりにも漠然とした表現なので その主張の論旨がわかりません。
そうですかね?
拙者は少しくらいは解りますけどね。
(注意:少しだけね)
>>生命が、【個としては「断滅」である可能性を、100%排除できるのか?】
>他生は刹那であれ不可能ですから、排除できると思いますが。
これのことでしょ?
断滅っても、今生では100%完全には断滅しとらんでしょうね。
他生では刹那さえないから100%完全にない。
ってことなんでしょうね。
これは時制を解くヒントとしてはいいネタかとおもいます。
とこで旧7氏は、アホダラ氏とは違いますよね?
キャラが似てるもんで・・・
162 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/05(土) 09:19:26 ID:J8J2YkTj
>>146-147 析空どの
>密教の【如来蔵】に至っては、【常見】ですね。
密教のことは詳しくしりませんが、
密教からすると「禅者は如来界に土足で入ってくる」などと考えてるらしい?
つまり、如来界という世界観が出来上がっていますので、
禅者が空を第一義とするように、
密教においては如来界が第一義になるわけです。
(仏教でも、こんなに違う)
>>「求める自己」と「本来の自己」は違う
「本来の自己」というのは
>>161 に、いいヒントがあるかと思います。
>>生命が、【個としては「断滅」である可能性を、100%排除できるのか?】
>他生は刹那であれ不可能ですから、排除できると思いますが。
これ↑ですね。
人間が「個」として100%断滅しちまったら、大変なことになるw
163 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 09:44:07 ID:g4tig6NK
>>157 まぁ、ほとんどの超常現象は「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というような
ことでしょう。そんなことを気にするのはくだらないことだ。
164 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 10:00:58 ID:+7FlYYs1
>>163 まっ、無知な証拠。
心霊存在の留まる場所では温度、地磁気、赤外線に微量の反応が確認される。
排除されれば、周囲との差が解消されて均一に戻る。
165 :
閻魔大王 :2009/09/05(土) 10:01:08 ID:3+AqYQQJ
>>121 for 旧7 >どうしろと?w
>>126 >詳しい解説がないので、いまいち、その趣旨がつかめません。
ゆとり教育世代ですか?
>>121 >>125 ではアカンのか?
プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!
廓然無聖 不識 :→一休はカラスの鳴き声を聞いたのでしょうか?(
>>121 )
166 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 10:07:44 ID:+7FlYYs1
たかが心霊存在ごときで、在るのか無いのか?または気の持ちようだ・・ といった次元の話しを見ると、何十年前のレベルの議論なのかとアクビが出る。疲れる。
そうだな。下等な畜生の霊が引き寄せられているのだろう。
168 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 10:10:55 ID:Nwp8m3f/
>>154 そのような与太話はオカルト板か神智学スレでやりましょう。
>>164 同じですね。自分の信仰を信じないものを無知と決め付ける
その独善的態度はどうにかなりませんか?
神秘主義によっぱっらっていたいのでしょうが、ここはスレ違い
でしょ? 何度、指摘されたらわかるのでしょうか?
記憶力があるのですか?
169 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 10:12:21 ID:g4tig6NK
>>166 現代の「心の哲学」や「科学哲学」も相変わらずの問題を
追求してるだろ。人間の思想など昔から大して変わっていない。
170 :
閻魔大王 :2009/09/05(土) 10:27:00 ID:3+AqYQQJ
>>164 for 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
宝珠愚者の話に賊機(ぞっき)なし
プギギャーーーッの話に賊機(ぞっき)あり
宝珠愚者もゆとり世代なんだろうw
171 :
閻魔大王 :2009/09/05(土) 10:35:38 ID:3+AqYQQJ
>廓然無聖 不識 :→一休はカラスの鳴き声を聞いたのでしょうか?(
>>121 &
>>165 )
そもそも、一休なんてのはいたのでしょうか?
172 :
旧7 :2009/09/05(土) 10:36:55 ID:AhAY7AVv
173 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 10:50:21 ID:+7FlYYs1
>>172 あっ、ごめん!もちろん開いたページですよ。
おおっ!!ホントだぁ〜 『AN. I, p.10, ll. 11-18. cf. ibid. p.10, ll. 5-8』と、
あれ?詳しく記載があった・・な(汗)。
どうもありがとうです-大感謝!!○| ̄|_
-------------------------------------
>>170 私も一応、
大阪万博よりも古い生まれ世代であるというのに、
なんで“ゆとり世代”なの?
「プギギャーーーッ」とかやる人よりもたぶん年長者なのではないか?
と推察します(精神的にも?笑)
まっ、2ch的なそういうノリはかなり好きだけどねぇwww
174 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 11:07:06 ID:Nwp8m3f/
>>173 あいかわらず、都合の悪い指摘は全てスルーですか?
姑息な性格は、治っていませんね、宝珠くん。
175 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 11:17:11 ID:mHm/71pt
カラスの唄の創価認定や隠居によるクリスチャン認定、上座部仏教徒認定のようなもので、 本気で言っているわけではない。牽制用に使用される罵倒語。 性質が近いとみなして相手に貼り付ける一種のレッテルである。 「ゆとり世代」の場合「教育が削られた時代の頭の軽いガキと同様の相手」 という意味になる。
176 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 11:52:11 ID:+7FlYYs1
>>174 >>168 >自分の信仰を信じないものを無知と決め付ける
>その独善的態度はどうにかなりませんか?
信仰の話しなどではありませんね。
これは、周囲で(特に信仰など持たない人でも)ごく普通に起こっている出来事に過ぎない。
自分の理解が及ばないからといって“有り得ない”などと決め付けるのは辞めましょう。
>神秘主義によっぱっらっていたいのでしょうが、ここはスレ違い
どこが神秘主義なのか?ごく当たり前の出来事に過ぎない。
心霊存在による物品移動だって起こるし、私はUFOの瞬間移動(テレポート)する様もこの目で見た。
虫の知らせも何度も体験したし、物理的な現象もあった。そんなのは周囲にもごく普通に満ちている・・。
自分が見てないからといって人様のことを薬物使用の幻覚扱いするなど呆れるくらいの無知。実にクダラン。
心霊存在も超常現象も仏典には事実として説かれている。まったく通りですよ。
ゴータマを統合失調症などと評するような人であれば、そうなるでしょうが・・。
まっ、テーマの中心ではないのは確か。
177 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 12:00:36 ID:+7FlYYs1
>>175 >「ゆとり世代」の場合「教育が削られた時代の頭の軽いガキと同様の相手」という意味になる。
なるほどね-認めますw
解説に感謝します m9(^Д^)プギャー
>>176 > これは、周囲で(特に信仰など持たない人でも)ごく普通に起こっている出来事に過ぎない。
> 自分の理解が及ばないからといって“有り得ない”などと決め付けるのは辞めましょう。
決めつけるのはよくない、と言いたい気持ちも分らなくはないですが、
ここはオカルト板ではないので、宗教に関心がある住人たちだからといって超常現象が
「前提」にはなっていないと思います。
そうであるなら、自分がそう思っているからといって「それを事実であると決めつける」のも
やはり間違っているのではないでしょうか。
事実として決めつけるためには客観的な証拠が必要だと思います。
それが提示できないのであれば、もう少し控えめにするべきなのでは?
> どこが神秘主義なのか?ごく当たり前の出来事に過ぎない。
> 心霊存在による物品移動だって起こるし、私はUFOの瞬間移動(テレポート)する様もこの目で見た。
見たということを否定するつもりはありませんが、
だからといってそれを「ごく当たり前」とするのは、自分の基準が世界の基準と考えているということを
意味してしまいます。そこの部分が独善的と言われるのではないでしょうか?
> 自分が見てないからといって人様のことを薬物使用の幻覚扱いするなど呆れるくらいの無知。実にクダラン。
公共の場でテレポーテーションがどうとか空中浮遊がどうとかいうような発言をすると、
ちょっと頭がおかしいという扱いをされるのは「事実」だと思います。
それとも異論がありますか?
御自分の経験を元に話すということが全面的に不可だとも思いませんが、
もう少し一般常識を踏まえた方が会話がスムーズにいくとは思いませんでしょうか?
179 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/05(土) 12:11:18 ID:+7FlYYs1
>>178 >ちょっと頭がおかしいという扱いをされるのは「事実」だと思います。
>それとも異論がありますか?
それって、かなり一昔以前の反応でしょう・・?
>御自分の経験を元に話すということが全面的に不可だとも思いませんが、
>もう少し一般常識を踏まえた方が会話がスムーズにいくとは思いませんでしょうか?
私はあえて強調しているのですよ。
そもそも自称仏教徒でありながら、このザマはどうなんだ!って
憤りをぶつけてるのですよ。でないなら、もっともっと大人しくします。
まー同意しておきます。
テーマからも外れるし・・以降〜自重します
(m´・ω・`)m ゴメン…
>>118 ,123
オイオイ、細胞とかDNAとか筋肉、組織なんてものを知らなくとも赤ちゃんは生体学者と等しく手足は動かせる
しかしそうした知識は誰かの発見、解明した借り物の知識だろ?
仮に我々が未分化の原始時代みたいな所に住んでいたらと仮定してみ?
手足はただ動かせるとしか表現しようがないだろうが
奇跡や神通力も同じなんだよ、自分は借り物の知識で悦に入ってるだけの凡夫の癖に
他人にはスペシャルな未知なる物を解明して科学的に説明して証明しろなんて求めるな!ちゅーねん
悟りを開くとは、当然のように奇跡や神通力のようなオカルト要素を持っているし 普通の人では知りえないことを知ることが出来るのだ、出来ないことが出来るのだは事実であり現実のこと 決して無我やらアートマンとかの言葉では終わらない現実なる変化だよ 釈迦と出会ったことで改心した悪党とかの伝説があるけど、それくらいの存在感があったと言うこと ちなみに悟りを得るのと、悟りを開くのは、全然違うから
182 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 14:56:10 ID:8OuRk0O8
>>82 >「机上の空論」だと、「運動」も「時間」もないですから
>>83 >>82 机氏かな?
机氏でないね。
「机の上で空を論じる」に「机が空を論じる」が含まれている。
彼のハンドルが縁になって「机上の空論」が起こっている。
本人も知っていてあえて否定しないのでしょう。
龍樹もまた「机の上で空を論じた」のかも。
183 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 15:03:09 ID:QCWxHec+
>>134 >キミのなかで「物」と「生き物」は何が違うんだ?
生物と無生物との区別は、幼稚園児にも出来る。君には出来ない?
人類の歴史で、生物が、生きているか死んでいるかが問題になったことは、
一度もないのではないか。死者の埋葬の例は、考古学的にも「無数」である。
184 :
閻魔大王 :2009/09/05(土) 15:12:36 ID:3+AqYQQJ
平川彰は以下のように説明する。 『仏教は原始仏教以来、「無我」を主張するが、これはインドの伝統的なアートマン (我)の宗教と敵対するのである。……唯識思想の阿頼耶識や、如来蔵思想の如来蔵 や仏性などは、アートマンにきわめて類似した観念である。……仏教が興起した若さ にあふれた時代には、無我や空の思想が力強く主張せられたのであるが、時代ととも に教理に変容を蒙ってゆくうちに、しだいにアートマンの思想に同化されていったの であり、それにつれて仏教はインドに勢力を失っていったのである。仏教が本来アー トマン説でなかったことが、仏教がインドに滅びる大きな理由であったと考える。』 (平川彰『インド仏教史 上』、春秋社、1974年、pp. 9-10) この視点にたてば、『仏陀はアートマンを説かなかった』が正解となる。 説かなかったから、他宗教から謀略的攻撃をうけ、アートマン観念、業報輪廻転生論、 梵我一如論を経典類に謀略的に注入されたと言わざるを得ない。 南伝やわが葬式仏教が事実上アートマン観念で汚染されているから命脈を保っていられるのだ。 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk の論は神智学的偏見に満ちた御都合主義であり、 ザイン(〜である)とゾルレン(〜であるべき)を混同した謬論と言う以外にない。 結論はでていますが、なにか?
185 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 15:16:39 ID:QCWxHec+
古今東西の宗教の開祖で、人間の「生物的生命(生存本能)」が、宗教 を含む人間のすべての営みの根源であることに思い至った者が、一人 でもいるのかな。 従って、宗教は「根源」を外れているから、無意味である。すべての生活者 は、意識的・無意識的に、この「根源」に基づいてて生存を続けている。 根源から逸脱しているのは、観念に狂った宗教者だけである。 「釈迦がアートマンを説いたか」という問いも無意味だね。アートマン の原義は「生命」であり、釈迦も自己のアートマンに基づいて教えを 説いているのだから、否定すれば、忽ち自己矛盾に陥る。
186 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 15:24:40 ID:q2/j+zp7
人間にとってもっとも恐ろしいのは業力、習慣の力。そこから抜け出すのはきっかけであるが きっかけは必ずしも劇的ではない なんにせよ、きっかけが劇的であれば人は道を踏み外したりしないし 抜け出しかたにも困らない 多くの場合、きっかけは習慣から起こる。 一見矛盾しているようだが事実である 逆説的にいえばきっかけは現在から過去を見たときに作られるものということだ。 決断をさきのばしにするとき人は現在の情況に満足するためにきっかけを捏造するのだ
187 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 15:53:04 ID:Nwp8m3f/
>>176 いいですか?宝珠くん。
>これは、周囲で(特に信仰など持たない人でも)ごく普通に起こっている出来事に過ぎない。
自分の理解が及ばないからといって“有り得ない”などと決め付けるのは辞めましょう。
これも、「あなた、及びあなたと同類の人たち」が、そのように信じてるに
過ぎません。決して、事実として認知された「普遍的事実」ではありません。
>どこが神秘主義なのか?ごく当たり前の出来事に過ぎない。
心霊存在による物品移動だって起こるし、私はUFOの瞬間移動(テレポート)する様もこの目で見た。
虫の知らせも何度も体験したし、物理的な現象もあった。そんなのは周囲にもごく普通に満ちている・・。
自分が見てないからといって人様のことを薬物使用の幻覚扱いするなど呆れるくらいの無知。実にクダラン
これも、「あなた」の個人的体験、および、「あなた個人の意見」にすぎません。
実証された、事実は皆無です。
それが、あたかも普遍的事実のように語るから「そうではありませんよ」と
指摘されるのです。「ぼくは、そう『信じてる』んです」
このように言えば良いだけです。
>まー同意しておきます。
テーマからも外れるし・・以降〜自重します
(m´・ω・`)m ゴメン…
あなたは、今までこれを何回繰り返しましたか?
記憶力あるんですか?
188 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 15:56:54 ID:X00BOzZQ
禅宗は福祉活動をやったことがあるのだろうか。 もしかして福祉には興味がないか。 空の思想からは福祉という発想が生じないのだろうな(^^)
189 :
析空 :2009/09/05(土) 16:16:02 ID:o1/g+1y4
>>183 話しの流れは良くわかりませんが。
「生物」と「無生物」の区別は現代科学でも簡単には区別出来ていないと思います。
【抂牛病】で有名な病原体【プリオン】も、一時期はウイルス(生物)と考えられていたのでは?
今ではただのタンパク質(無生物)ということが分かっていますが。
【脳死】が大問題になったように、生と死の区別も簡単には分かりません。
190 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 16:33:25 ID:birKDrj0
>>187 同じようなことを繰り返しているのは、貴方も同じだから。
ここ(
>>1 )は、(貴方がいう)「普遍的事実」か否かを問うスレではない。
オカルト版へ逝けとも言ってるが、
(貴方がいう)「普遍的事実」を問題にしたければ、君こそ余所へ逝ったら?
191 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/05(土) 16:34:19 ID:J8J2YkTj
>>185 隠居氏
>古今東西の宗教の開祖で、人間の「生物的生命(生存本能)」が、宗教
>を含む人間のすべての営みの根源であることに思い至った者が、一人
>でもいるのかな。
仏教というのは、生物的生命それ以前ですね。
宇宙創世それ以前と逝っても何ら差し障りはない。
つまり、
宇宙が創世されなかったとしても空思想は何ら揺らぐことはない。
これがテーゼになってますから、
生命とか非生命というのは、それらの属性に過ぎない。
生命とか非生命というのは一如です。
一辺に偏ることはない。
たまたま宇宙に生命というもんが誕生したに過ぎんのです。
別に生命がないとしても、何ら不思議ではない。
生命の根源とは何か?
それは儚(はかな)いというもんでしょう。
故に、一期一会であるわけです。
192 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 16:45:51 ID:AH66Fppm
>>190 貴方はちゃんと流れを見てますか?
私がそのような超常現象の話題をふったのではありませんね。
宝珠がそのような話題をここでとりあげたから、スレ違いである。
そのような話をしたければ、オカルト板か神智学スレでやれと言っているわけ。
このことは、繰り返しこのスレにおいて指摘されてきたことです。
お宅は最近、やってきた神智学スレの住人でしょ?
経緯がわかりましたか?
193 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 16:54:30 ID:q2/j+zp7
福祉とはドネーションのことだろうか? 商業国家は商売人たちが破産を恐れてもしものときを予期して貧乏人に対する恵みを与える 仏教には布施という概念がある たく鉢もその一つ これは金だけではない食料でもいい明かりでもよい、見返りを求めない施しのことである 祗園精舎とは正式には祗樹給孤独園精舎である
194 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 16:55:12 ID:iSLwD6U6
>>185 あなたがいう「根源」を、
仏教では「渇愛」とか「無明」と言って、
あらゆる煩悩の親玉だと見ています。
つまり、「生きていたい」「存在したていたい」
「自と他の壁をつくって自分という組織を世界から隔てつづけたい」
「自分は世界とは別もの、自分は特別、
自分という存在を守りたい」
という「根源」が、もろもろの煩悩を生みだし、
悩み苦しみの原因となっているのです。
仏教がめざすのは「根源」の束縛からの解脱です。
195 :
1/3 旧7 :2009/09/05(土) 16:56:51 ID:AhAY7AVv
>>142 >そういうレベルの話かね。
そういうレベルの話だよw (特に究極(極論)にはね・・・。)
スパゲティモンスターの例が出たり、証拠不十分は否と見做す現代(科学)的姿勢だとかも書き込まれたことがあるが、
それらも頭の隅に置いておくべきだ。その上で話を進めよう。
★―
・「他者が他者の内面を知り得るか」で言えば、厳密に言えば『知り得ない』。(推測・類推されるのみだ。)
・「他者に生じている何らかの動き、様子を知り得るか」で言えば、
a.一般的感覚、レベルで言えば『知り得る』。見、聞き、触れ、(或いは臭(にお)ってw)確認される。
b.厳密に言えば『知り得ない』。なぜなら、感受後の認識は、
【対象そのものに触れていない】から。感受(システム、連絡)が誤っている可能性もある。
感受そのものが正確に行われているかどうかを問わねばならない。
また、感受されていないのに、(内部のフィードバック等の如く)認識されている可能性もある。
(これもまた、推測・類推されるのみだ。)
―★
(※この時、「じゃあ、伝承って何だ?(仏教で言えば、悟り、涅槃って何だ?)」ということになる。)
君が、(究極として)そのような“認識に於ける懐疑論”の立場に立つならば、
>>118 は批判されていい。
だが、そうではなく、上記のような諸々を「確認し得る」或いは「確かなこととして見做し得る」ならば、
不当な批判(まさに揚げ足取りと言わざるを得ない。)
196 :
2/3 旧7 :2009/09/05(土) 16:57:47 ID:AhAY7AVv
>>142 >>118 では、>≪それらは、現に今、まざまざと【あり得て】います≫。 と記してある。
この「あり得ている」という部分が重要だ。君は削除して引用しているがなw
また
>>139 で、 >「それを行った者・経験した者」は、「見・知り・確認できる」ということだ。
と記したことも無視だw
他、ポイントとなる単語を並べようか?
《それらは、現に今、まざまざと【あり得て】》《「それを行った者・経験した者」は、「見・知り・確認でき》、
そのように《確認されている事例が、圧倒的数に登る》 。ということだ。
そして、★―★にあるような次元まで懐疑的姿勢を引き上げていない。
「(それが自分か他者かを問わずとも、事象として)、“水に飛び込めばずぶ濡れになる”
のと同じくらいの確かさで、見、知り、確認できる」ということだ。
そして、139の末尾、
>「知りえない」ということであるならば、どちらの立場も等価です。
は、上の★―★(しかもb)のような懐疑の極に立てばということだし、
そこまでいかないなら、
《>片方は、「知り、確認されている事例が、圧倒的数に登る」》 とは、
「100人居て、内1人が経験・体験すること」と、「100人居て、内99人が経験・体験すること」とを
同列にするな、ということだ。(控え目に99人と書いたが、100人全員にしてもいいくらいだ。)
私は、後者を指して、
【《それらは、現に今、まざまざと【あり得て】》《「それを行った者・経験した者」は、「見・知り・確認でき》、
そのように《確認されている事例が、圧倒的数に登る》】
と述べた。極々一般的な、市井の人々の感性に即してると思うがね?
197 :
3/3 旧7 :2009/09/05(土) 16:59:02 ID:AhAY7AVv
上記195-196を踏まえた上で、
>>180 (→カラスだろ?www)
>奇跡や神通力も同じなんだよ
同じじゃねーよタコ助w
いいか、
「1/100の事象・事例」は、
【コンセンサスが取れていず】、【(自分の体験として)見、知り、確認することが困難であり、稀であり】、
【錯覚、誤認識、別の(理由の)事象、である可能性を、残り99%に含む】ということだ。
「99/100の事象・事例」は、
【コンセンサスが取れていて】、【(自分の体験として)見、知り、確認することが容易であり、頻繁(寧ろ必ず)であり】、
【錯覚、誤認識、別の(理由の)事象、である可能性は、残り1%にしかない】ということだ。
ここを指して、
【《それらは、現に今、まざまざと【あり得て】》《「それを行った者・経験した者」は、「見・知り・確認でき》、
そのように《確認されている事例が、圧倒的数に登る》】と述べた。(それが118及び139の主旨だ。)
この発言はどこかおかしいかね?w
そうそう、併せて、スパゲティモンスターの話と証拠不十分は否と見做す姿勢も憶い出しとけよw
で、この3レスを、お馬鹿な「
>>176 >信仰の話しなどではありませんね。」という発言にも宛てておきましょうw
>>179 >そもそも自称仏教徒でありながら、このザマは
この3レスを踏まえれば、
《「このザマ」こそが、伝統・伝承》なんですよ。 判りませんか?
198 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 17:08:26 ID:iSLwD6U6
>>185 「根源」(生存本能)は、生命現象の活力です。
風船みたいな単細胞生物があるとして、
少しの衝撃で風船生命体は壊れちゃう。
だから風船は、壊れないように障害物から逃げる必要があります。
逃げる必要がある、つまり落ち着かないのです。
生命が動き続けることは、つまりは死・破滅から逃げ続けること。
心臓の動きも、呼吸も、食事も、欲や怒りなどの心の動きも、
ぜんぶ「根源」による反応です。
自分が自分であることを守るために、毎日毎日、
自分を壊そうとする物理的あるいは心理的な障害物から、
ひたすら逃げ続けているのです。
199 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 17:09:12 ID:birKDrj0
>>192 貴方こそちゃんと日本語読めてますか?
「同じようなことを繰り返している」と言っているのですよ。
読解力があれば一見か否か分かることでしょ。
(君がいう)「普遍的事実」か否かが問題になってないスレ(
>>1 )で、
君が認定する限りでの「普遍的事実」ではない発言をするものに、
(宝珠以前から延々と)誰かれ構わず粘着するのもスレ違いであり、
スレ違いに対して、余所(オカルト版)へ逝けと自ら言い出すのだから、
お宅が真っ先に実行したらと言っている。
分かりましたか?
200 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 17:11:47 ID:RPy/n8dc
>>184 >仏教が本来アートマン説でなかったことが、仏教がインドに滅びる大
>きな理由であったと考える。』
「無我」の「無」を、文字通り「無い」と誤解する者が多いから、滅亡
するのが当然である。人間を含むすべての生物に共通する唯一の普遍の
事実としての「生存本能(生命)」を否定することになるからである。
しかし、「無我」が、「他者の我及び万物の相互依存性の産物」である
という悟りにより、「無我」は一転して、強力な「有我」となる。そこ
には、「相互依存性・関係性」という歯止めがしっかりと掛かっている
から、他者の我を侵すことがない。「自他及び万物の同一性」の自覚が
成立する。
釈迦においては、この「相互依存性・関係性」の理解は、まだ不十分で
あった。原始仏典に関して多くの混乱が生じているのは、それが原因で
ある。
釈迦が言及した「縁起・空」の本質を解明した竜樹は、誠に端倪すべからざる
人物であったと言わざるを得ない。竜樹は、悪い事も相当やったらしい
が、ヤワな男ではなかった。
しかし、「縁起・空」の概念に想到することにより竜樹にヒントを与えた
釈迦の偉大さは、聊かも否定されるものではない。
201 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 17:17:56 ID:iSLwD6U6
毎日毎日瞬間瞬間に、物理的・心理的な刺激から逃げ続けるのだから、 落ち着かないのです。苦しいのです。 何か物音がして、パッと反射的にそちらを見てしまう。 なぜ見てしまったのか。なぜ見たいという反応があったのか。 刺激に反応しつづける癖がついているからです。 破滅から逃げ続ける癖がついているからです。 生命の行動は、破滅から逃げることです。 眼耳鼻舌身意・色声香味触法の一切あらゆる反応や行動は、 逃げることなのです。 生命現象の一切は、逃げ続けること、不満、落ち着かない、苦しみなのです。 落ち着いてしまったら、満足しきってしまったら、 逃げる必要がないから、生命は「終わり」です。 「根源」から解放されて落ち着いてしまったら、 生命活動の必要がなくなり、平安なる滅び、すなわち涅槃になります。
202 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 17:20:16 ID:RPy/n8dc
>>191 >仏教というのは、生物的生命それ以前ですね。
それを考えているのも、開祖の生物的生命の機能です。
人間の営みである限り、人間がいくら足掻いてみても、その生物的生命の呪縛
から離れることは不可能です。
203 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 17:21:40 ID:iSLwD6U6
じゃあ自殺はどうなのか? 自殺というのも、「死にたい」「死のう」という欲や行動があります。 「死にたい」「死のう」という生命反応があります。 つまりそれも、自分を守るための生命反応の一種であり、 落ち着かない、逃げつづけ劇場の一幕なのです。 「根源」がプライドや恐怖を生み、 プライドが壊される恐怖から逃げるために、自殺するのです。 涅槃ではありません。
204 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/05(土) 17:48:50 ID:J8J2YkTj
>>202 貴殿の考えてるのは、17世紀頃のフランスで興隆した哲学です。
今は殆ど語ちる者はおりません。
つまり信頼性が喪失しまして、新しい哲学が発展して逝った。
モノとココロは、互いに本質を有する。って二元論です。
何でこんなカビの生えた哲学を掲示板に書き続けるのですか?
心身二元論、もしくは唯心論です。
貴殿は唯物論と勘違いしているようですけど、
>それを考えているのも、開祖の生物的生命の機能です。
これだと、
「我思う、故に我あり」ですね。
時代遅れなんですよ><
205 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 17:52:33 ID:RPy/n8dc
>>203 自殺も、「生きたいけど、障害が多すぎて、生きるのが苦しい」から、「死に
たい」と思うのです。その根源には「生存本能」があります。生存本能が脆弱
化した「病理現象」であり、治療の対象となります。
健常者であって、生きることに対する障害がないのに、「死にたい」と思う者
はいないでしょう。
206 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 17:58:46 ID:RPy/n8dc
>>204 >これだと、「我思う、故に我あり」ですね。時代遅れなんですよ
コギトには、そして、恐らくはギリシャ哲学、キリスト教を経由した他
のいかなる西洋思想にも、「相互依存性・関係性」の概念は皆無です。
本質的に異なります。
207 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 18:05:54 ID:AH66Fppm
>>199 いいですか?私は、初めから「普遍的事実」であるか否かを論じようとしたわけではありませんね。
>>168 では、単にスレ違いであるから、他所でおこなうように指摘しているに
すぎません。ここで宝珠が「そうですね。すれ違いでしたので止めます」と
言ってれば、それで終了でしょ?
しかし彼は
>>176 で
そのような方向に行くのではなく、自己の主張の普遍性について
語りはじめました。
よって、それは間違っていますよと
指摘したに過ぎませんね。
その指摘自体もスレ違いである と言うのならば、
止めましょう。
しかしまず、そのような話題を取り上げた宝珠を
非難するのが筋だと思いますが?
208 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/05(土) 18:14:15 ID:J8J2YkTj
>>206 >「相互依存性・関係性」の概念は皆無です。
皆無なら、貴殿は哲板に書き込むのが道理ですね。
宗教板のトップページにもありますように、
それぞれのジャンルにおいて、
神社仏閣板、オカルト板、哲学板、心理学板と、
使い分けるようにガイダンスがあるんですから。
209 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 18:33:30 ID:RPy/n8dc
>>208 佛教、特に竜樹の哲学は、他に比肩するもののない大哲学ではありませんか。
私は、生物的生命(肉体)がすべての根源であると言っているのですから、
完全な一元論です。肉体と精神とを分離する宗教こそ、典型的な二元論です。
210 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 19:05:42 ID:X00BOzZQ
机先生の立場も相当にカビ臭い。 拙者だとか、葉隠れだとか、三島だとか、全体に時代錯誤である。 話の内容も、混乱しているのか、相手をだまそうとしているのか、 意味がはっきりしないものが多い。 もっと誠実に、ストレートに語ったほうがいい。
211 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 19:28:57 ID:g4tig6NK
空とは実体がないということだろ。 唯物論は物質だけが実体であるとする一元論だろ。 唯心論は観念だけが実体であるとする一元論だろ。 デカルトのように物質と精神の二つはそれぞれ別の実体だとするのが 二元論だね。 仏教の空論はすべての存在に実体がないとするのだから無元論というのが ただしい。 数学でもゼロ(空)は幾何学の点に対応するものでゼロ次元として扱うね。 直線が一次元、面が二次元、立体が三次元、時空が4次元の実体だとするのが 西洋の哲学だね。
212 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/05(土) 19:31:41 ID:J8J2YkTj
>>209 >私は、生物的生命(肉体)がすべての根源であると言っているのですから、
生命というのは、世親でも龍樹でも大拙でも京都学派でも共通してるのは、
相反するものが同時にあって成り立つ、ってことです。
このくらいは仏教の基礎知識ですね。
だから、単純に「生命が全ての根源」とは語ちれない。
213 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 19:35:56 ID:X00BOzZQ
机先生の
>>191 の発言は意味不明に思う
>仏教というのは、生物的生命それ以前ですね。
>宇宙創世それ以前と逝っても何ら差し障りはない。
★ 宇宙がなければ仏教も空思想もない
>生命とか非生命というのは一如です。
>一辺に偏ることはない。
★ 反対語を並べるのが机先生の悟りですか
>生命の根源とは何か?
>それは儚(はかな)いというもんでしょう。
>故に、一期一会であるわけです。
★ 生命の根源が形容詞や四文字熟語ですか
214 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 19:37:44 ID:q2/j+zp7
>>210 古いというのは通常論破された、克服された思想潮流に対して使われるべき言葉ですよ
単に流行好きな日本では古いがそのまま価値がないとはなりません
あくまで関心事ではないという程度意味しかありませんよ
215 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/05(土) 19:50:12 ID:J8J2YkTj
>>213 >>213 >★ 宇宙がなければ仏教も空思想もない
いや、拙者は理論上のことを逝っておるんですよ。
>★ 反対語を並べるのが机先生の悟りですか
いや、連続と非連続は反対語だとしても、仏教においてはこれで通用するんだよw
これが同時にあったとしても、なんら矛盾性はない(笑
216 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 20:12:27 ID:X00BOzZQ
>>215 非常識なことを語り、これが仏教だと言い張るなら、
やはり仏教、特に禅宗は邪教ですね。
机先生は悟っているのですか。
217 :
閻魔大王 :2009/09/05(土) 20:24:29 ID:3+AqYQQJ
それにしてもご隠居の熱心さは何なんだろうね。年寄りの頑迷さ丸出しではないかw 昔読んだ ラ・メトリの「人間機械論」(岩波文庫 絶版?)をここまで 単純素朴に振り回せるのはご立派! 年寄りに冷や水を浴びせては即棺おけ逝きなので、 生暖かく見守っておりますw ご隠居のいう生命的根源は当然DNAなんだし、DNAは無明をもたらすいわば設計図だ。 仏教はそのDNAのさらに奥の根源の縁起の認識論だし実践論だ。 すでに克服済みの浅薄な唯物論(実世間の素朴実在論ならともかく)を振り回されても邪魔なだけ。 もっとも、社民党的意味はあるw
218 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 20:29:53 ID:X00BOzZQ
DNAの奥に縁起などあるわけがない。 縁起して空なら、生物が誕生しないということに気がつけ。
219 :
閻魔大王 :2009/09/05(土) 20:40:11 ID:3+AqYQQJ
220 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 20:47:34 ID:X00BOzZQ
>>215 >生命とか非生命というのは一如です。
>一辺に偏ることはない。
これが宇宙の最初からあるなら、縁起して空だから、
>>218 と同じように、
生命も非生命も誕生しないことになる。
221 :
閻魔大王 :2009/09/05(土) 20:51:49 ID:3+AqYQQJ
>>220 うんこ猿に餌を与えよう。
ここまで粘着しながら、この体は論外。
ハクチ 認定いたします。
以上
222 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 20:57:09 ID:X00BOzZQ
やっぱしウンコ大王はスルーするのだった 油断して失敗した(^^)
223 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 21:18:41 ID:q2/j+zp7
プリズン
224 :
析空 :2009/09/05(土) 21:56:22 ID:o1/g+1y4
>>205 欝病であれば「死にたい」と思うでしょう。
欝病は健常者では無いということですか?
釈尊は一時期欝病だったのでは?
それを中道を悟ることによって克服したのでは?
225 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 22:37:09 ID:9sho+9+c
>>215 >>★ 宇宙がなければ仏教も空思想もない
>
>いや、拙者は理論上のことを逝っておるんですよ。
二人の論じる世界が異なるので、すれ違っているだけです。
226 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 22:58:20 ID:X00BOzZQ
>>225 机先生が机上の空論を語っていることはわかっています。
それは邪教だと批判しているですが届かない。
227 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 23:13:46 ID:X00BOzZQ
>>226 の訂正
机先生が机上の空論を語っていることはわかっています。
それを邪教だと批判しているのですが届かない。
空の思想は崩壊したのに、最後の抵抗を試みているのでしょう。
それを認めることは今までの人生観が崩壊することだから、
そう簡単には受け入れられないと思う。
228 :
析空 :2009/09/05(土) 23:18:43 ID:o1/g+1y4
机先生は、「言葉というものの限界」を良く理解されておられる。 その上で、言葉に囚われない境地でお話をされるので、言葉に対する こだわり(煩悩)の多い人間には理解できないのですよ。
229 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 23:21:22 ID:H0gigkvt
>>224 >欝病であれば「死にたい」と思うでしょう。
>欝病は健常者では無いということですか?
「希死念慮(自殺願望)」は、鬱病の最も重要な症状。自殺率は、15%に
達する。特に回復期が危険。充分な警戒と治療が必要。
医学では、「健常者」とは、「病人」「患者」と対比して使用される言葉。
>釈尊は一時期欝病だったのでは?
>それを中道を悟ることによって克服したのでは?
精神医学的には、釈尊は鬱病。鬱病は、「感情障害」だから、イエスの統合失調症
とは異なり。「人格の崩壊」は生じない。それが、佛教とキリスト教との大きさ
相違。
健常者は、「一切皆苦」などとは考えない。「苦あれば楽あり」「楽あれば
苦あり」と考える。
230 :
神も仏も名無しさん :2009/09/05(土) 23:44:41 ID:H0gigkvt
>>217 「人間機械論」に、「相互依存性・関係性」などの概念があるかね。
アートマンが「生物的生命」なら、当然ある。釈迦も「生命」で説いたのだから、
否定すれば、忽ち自己矛盾に陥る。
しかし、その「生命」は、「縁起・空」、即ち、「相互依存と関係性の集合体」
である。従って、自性はない。これが結論。
231 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/05(土) 23:52:31 ID:X00BOzZQ
>>228 残念だけど机先生こそ言葉に拘っている典型ですね。
析空先生にもその傾向が見られますね。
232 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 00:03:54 ID:MLPGLsJ8
>>205 そうです。自殺にも、根源に生存本能があります。
仏教は、生存本能を捨てる道です。
生存本能がなくなれば、生きる必要もないし、自殺する必要もない。
ただ、残りのエネルギーが燃え付きるのを待つだけです。
新しいエネルギーを求めないのです。
233 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 00:26:14 ID:xpSAieIc
>>232 生存本能は、すべての動物に共通して存在する肉体的本能だから、「観
念」によって完全に捨てることはできない。肉体自体が滅びるのを待つ
しかない。若し、それが佛教の目的であるなら、無駄な試みて、しかも
真っ向から「法」に反する。
人間界において、思考・論理の正しさは、それが生存の方向に向っているか
否か、によって判定する。それ以外には、判定基準はない。
若し、釈迦が生存本能を捨てることを説いたのなら、彼は、イエスと
並ぶ愚か者、真正の精神病者ということになる。信者は、彼の精神病の
感染者に過ぎない。
234 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 00:32:33 ID:MLPGLsJ8
生存本能こそがあらゆる悩み苦しみの根源です。 悩み苦しみをなくしたいなら、生存本能、無明・渇愛をなくさねばならない。 悩み苦しみをなくしたいのかなくしたくないのか。 仏教は、能悩み苦しみをなくす方法を説いている。 それを使うか使わないかは自由でしょう。
235 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 00:38:27 ID:xpSAieIc
>>234 苦があるからこそ、楽が存在し得る。その自覚を「悟り」と呼ぶ。
236 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 00:43:26 ID:MLPGLsJ8
>>235 楽を求めるから苦から離れられない。
楽を捨てれば苦も捨てられる。
求めている自分に気付き、求めることをやめる道に向かうのが、「悟り」。
具体的には、煩悩が順番に消えてゆくことが「悟り」。
悟りのいきつく先は涅槃。
237 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 00:53:11 ID:xpSAieIc
>>234 釈迦が苦をなくすことを説いたなら、それはまさに彼の健全な生存本能
の表れw。彼にとって、「死」は「苦」であった。
なお、彼が「生」を「苦」としたのは、胎児の出生時の「苦」と解する。
産科学的には、胎児が産道を通り抜け、母体の外に出るまでには、大変な
苦痛を経験しなければならない。釈迦が胎児の出生の苦しみにも思い至った
とすれば、現代の産科医はだしの、人体に関する深い洞察力である。
238 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 00:59:15 ID:xpSAieIc
>>236 >楽を求めるから苦から離れられない
ならば彼は、何故、「四苦」を離れて「楽」を求めたのかね。言ってることが
矛盾してるよ。「涅槃」という最大の楽を求めることこそ、最大の苦の
はずではないか。
239 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 01:15:48 ID:xpSAieIc
「この世はなんと美しい。人の命のなんと甘美なことか」。大いなる「生」の 賛歌である。釈迦は、「よりよき生」のために、「苦の除去方法」を説いたので ある。 生を否定するのなら、苦の除去など初めから不必要なことは、容易に理解できる であろう。彼にとって、「死」も苦であったことを、忘れてはならない。
240 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 01:28:04 ID:OTq0RC/3
生を否定することは生がないということではない 生があるという前提がおかれたため敢えてこれを破したまでである
241 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 01:29:41 ID:OTq0RC/3
いうなればタブローの破壊をしたのである
242 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 02:49:40 ID:MLPGLsJ8
>>238 涅槃は苦も楽もないでしょう。
仏教では一切皆苦と説きます。
生きているかぎり一切から離れられませんから、
生きているかぎり苦からは離れられません。
生は甘美です。この世界は
「どうだ、美しいだろ?生きるってすばらしいだろ?」
と誘惑してきます。
ブッダは誘惑に負けずに執着を捨て、
平安なる滅びに入ったのです。
243 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 03:23:53 ID:xpSAieIc
244 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/06(日) 06:50:32 ID:3tHXb/q0
>>216 >非常識なことを語り、これが仏教だと言い張るなら、
>やはり仏教、特に禅宗は邪教ですね。
貴殿の好きな原始仏教にしても、連続と非連続をうまくドッキングさせた理論だし、
もしこれを非常識というのなら、仏教の根幹が崩れさる。
我は100%断滅はしない。
それは、断滅という非連続と、それに相反する連続が同時にあるからだよ。
このことを旧7氏は解らんのだが・・・
これさえ解せたら、なんてことはない話なんだが・・・(笑
245 :
閻魔大王 :2009/09/06(日) 07:44:36 ID:wtniJws2
>>230 >「人間機械論」に、「「人間機械論」に、「相互依存性・関係性」などの概念があるかね。
があるかね。
ラ・メトリにも当然「人間機械論」に「相互依存性・関係性」などの概念がある。
しかしそれは18世紀西欧哲学の特徴だった「社会生物学的秩序・視点」にもとずくものだったのであり、
それであるがゆえにキリスト教的ないわば縦の宗教人間学的秩序に反するから怖れられた。
デカルト的二元論を物質オンリーに徹底して物質一元論としたといえます。
>その「生命」は、「縁起・空」、即ち、「相互依存と関係性の集合体」
>である。従って、自性はない。これが結論。
そのと〜り。おじいちゃん、よくがんばりましたね。
お尻についている唯物論というコダワリ殻をとっぱらえばいいんですよ。
あと一歩です。中道のあけぼのがみえてきましたね。
246 :
閻魔大王 :2009/09/06(日) 07:50:31 ID:wtniJws2
乱雑訂正 × >「人間機械論」に、「「人間機械論」に、「相互依存性・関係性」などの概念があるかね。 があるかね。 〇 >「人間機械論」に、「相互依存性・関係性」などの概念があるかね。
247 :
一在家 :2009/09/06(日) 09:20:22 ID:9hKEjF9i
>>227 >机先生が机上の空論を語っていることはわかっています。
>それを邪教だと批判しているのですが届かない。
>>228 析空氏
>机先生は、「言葉というものの限界」を良く理解されておられる。
>その上で、言葉に囚われない境地でお話をされるので、
良き理解者ですね。私も同認識である理由は下記です。
・「机上の空論」、「机の上で空を論じる」というかきこに反論しない
・中論を論じていたかと思えば、いきなり「光り輝く世界」を述べた
・哲学も知りながら、究極は禅の体験を重視する
龍樹もまた中論の帰敬序にて、
「これから釈尊の説かれた真理の内で縁起を机上で証明した後に展開します」
と一礼したのかも知れません。
248 :
析空 :2009/09/06(日) 10:27:58 ID:ADW8Oa2c
涅槃は「求めても得られない」 欲求がある内は、涅槃を得られない。 欲求を捨てたところに涅槃があるということですね。
249 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/06(日) 10:28:27 ID:3tHXb/q0
>>247 >・「机上の空論」、「机の上で空を論じる」というかきこに反論しない
>・中論を論じていたかと思えば、いきなり「光り輝く世界」を述べた
>・哲学も知りながら、究極は禅の体験を重視する
中論にもテーゼがあって、それは無機質なものではないし、
あるいは、
ニーチェに虚無と捉えるも自由であるが、果たしてそうなのか?
そうだと断じてしまうのは簡単なのである。
考えてみれば哲板で論じることも馬鹿げてる。
なんも役には立たないし、
ソクラテスより、そのカミさんの方がマトモかもしれんね。
太った豚になるのか?
それとも痩せたソクラテスがいいのか?
こればかりは拙者には分らんですけど、
貴殿はどちらがいいと思いますか?
このようなアホカルトとの議論は時間の無駄だということです。 戯論寂滅こそが中論の骨子。
251 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 11:24:34 ID:03votz/T
>>249 「太った豚になるよりも、痩せたソクラテスになれ」。この言葉は、確か、
当時の東大総長であったクリスチャン矢内原忠雄が卒業生に垂れた説教だが、
これほど浅薄な言葉はないと、不快に感じたものだ。
ソクラテスに始まり、キリスト教を経由した西洋思想の浅薄さと偽善性を、
如実に著した言葉である。
ちなみに、ソクラテスは、精神異常の宗教者であった。
ソクラテスのギリシャ哲学に始まり、キリスト教を経由した西洋思想が、人類
の諸悪の根源。
マルクスも、ギリシャの自然哲学から始めた、クリスチャンであった。
佛教や東洋思想は、このような思想の対極であるはずである。
252 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 11:37:47 ID:o2GWtvSk
「そうであってほしい」と「そうである」を区別しましょう。
253 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/06(日) 11:54:43 ID:3tHXb/q0
>>251 「こればかりは拙者には分らんですけど」。って書いたとおり、
拙者は学長を賛美しているわけではないですw
ここに書き込みしてる、ごく一部分は
痩せのソクラテスになるか?
それともピザの豚になるか?
その選択肢しか残されてない。
なら、どちらがいいか?こういうことでありんす。
関の門は開かれておっても、
ここに躊躇いがあっては有門であります。
心を固く閉ざしてしまう。
貝のように。
闇は深くなるばかりです。
そして人間は闇を安住と思い込みはじめる。
・・・今はこの段階。
(AAは略させて頂きます)
254 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 11:59:45 ID:03votz/T
>>248 >涅槃は「求めても得られない」
>欲求がある内は、涅槃を得られない。
>欲求を捨てたところに涅槃があるということですね。
同意。「あるがままの現実と自己」を離れて、「何かを求める」宗教者
は、皆、涅槃とは逆の方向に向っていることになる。
「change」「改革」と喚きたてる政治家たちも同じ。
何かを求めれば、必ず、より以上の欲望、焦燥感、渇望感に苛まれ、精
神の安定と平安は、永遠に得られない。悟りとは、あるがままの現実と
自己を受け入れ、その中に「既に」存在する至上の価値を見出すことが
できる能力である。
人間が「ひたむきな生物的生存」のために行ってきた努力の中には、必
ずこのような価値が存在する。
この意味で、イエスの「求めよ。さらば与えられん」も、イエスのすべて
誤った「教え」の一つである。
「生物的生存を忘れた、人為的な観念の遊戯」に過ぎない宗教からは、
何も得られない。
宗教者が「悟り」と思い込んでいることが、実は「迷い」なのである。
255 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 12:03:14 ID:G/qAdmsY
>>251 03votz/Tは、科学、学問、サイエンス、ヴィッセンシャフトについてはどう思うの?
256 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 12:08:35 ID:03votz/T
>>253 人間を「光」の中だけに長時間置くと、必ず発狂します。闇は、精神の休息
と平安をもたらします。
創造論的にも、原初の創造は闇であります。光は闇に依存する。
「光」という言葉を使う宗教は、すべて胡散臭いと考えて、間違いではない。
「光明皇后」などという名前もアヤシイですね。
257 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 12:11:56 ID:03votz/T
>>255 すべて、人間の「生物的生存」のための努力である。その理由のみに
より、価値がある。
どうせまたソースないんだろうな。妄想乙。
259 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/06(日) 12:18:52 ID:3tHXb/q0
>>256 >人間を「光」の中だけに長時間置くと、必ず発狂します。
仏教における「光」は、月のことです。
これは真理という意味がある。
この月に関する逸話は、仏典などでも多く採用されてますね。
(詳細は略させて頂きます)
しかし貴殿は無粋ですね><
260 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 12:25:29 ID:G/qAdmsY
261 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 12:46:10 ID:35SDexFk
>>254 >同意。「あるがままの現実と自己」を離れて、「何かを求める」宗教者
>は、皆、涅槃とは逆の方向に向っていることになる。
>
>「change」「改革」と喚きたてる政治家たちも同じ。
>
>何かを求めれば、必ず、より以上の欲望、焦燥感、渇望感に苛まれ、精
>神の安定と平安は、永遠に得られない。悟りとは、あるがままの現実と
>自己を受け入れ、その中に「既に」存在する至上の価値を見出すことが
>できる能力である。
一見、正論的ではありますが、
でも違うと思います。先取り誤読だろうと思います。
求める執着心からの離脱は、
心底から求め続けた果てにある必要意識ということでしょう。
>この意味で、イエスの「求めよ。さらば与えられん」も、イエスのすべて
>誤った「教え」の一つである。
何も間違いじゃないです。
求めずに得られるものなど、どこにもありませんね。
自らの熱意ある求めで入手したものでなければ身につくこともない。
ゴータマの説く真理も“その果てある結果“に過ぎないのですよ。
ゴータマの、
「わたしほど善と幸せを求めた者はいない」といった言葉がどこかにあった筈です。
262 :
一在家 :2009/09/06(日) 12:58:42 ID:9hKEjF9i
>>256 >「光」という言葉を使う宗教は、すべて胡散臭いと考えて、間違いではない。
大日如来はもとより、仏教には、無量寿仏・無量「光」仏とも言われ、
空間と時間の制約を受けない常住の仏がおられることは、異教の私でも
存じております。
263 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 12:59:58 ID:/Rv5q/hE
>>195 もちろん懐疑論側なんだけど、
キミがサラリと言っている、その“認識に於ける懐疑論”なるもにも、自覚されていない前提がある。
それは、「世界があって、その中に「私」や「他者」が所属していて、それぞれが個別の意識を持っている」、という前提だね。
そして一番問題なのは、世界の中に「私」が位置づけられている、という前提だね。
この自覚されていない前提に立ってこそ、
世界の常識(コンセンサス、市井の人々の感性、圧倒的多数の事例…)の中に、「私」の体験(手足動く、幽霊見える…)が位置づけられる
という構図が成立しているんだね。
しかしながら、キミが(どうやら無自覚に)口走った<現に今、まざまざと>のレベルは、この構図からはみ出しているんだよね。
そして、更にいうならば、
世界の中に「私」が位置づけられている
という前提からもはみ出しているんだね。
「コンセンサス」やら、「市井の人々の感性」やら、「圧倒的多数の事例」やら…、
そういう諸々の「低次のリアリティ」が、どうして<現に今、まざまざと>を否定できるというのかね。
「涅槃」「無我」なる概念を「低次のリアリティ」でとらえるか、それとも、<現に今、まざまざと>のレベルでとらえるか、が問題だね。
264 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 13:01:04 ID:o2GWtvSk
闇の中では状況把握が難しくなり危険に気付けません。 音だけでは距離感や方向すら誤認します。 まあ、斜に構えてポエムしただけのレスを まじめに相手しても無意味ですがね。
265 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 13:33:15 ID:35SDexFk
>>261 追記:
---正しいものを求める---
『人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。しかし、この求めることにつ
いては、誤ったものを求めることと、正しいものを求めることの二つがある。誤ったものを求めることと
いうのは、自分が老いと病と死とを免れることを得ない者でありながら、老いず病まず死なないことを
求めていることである。
正しいものを求めることというのは、この誤りをさとって、老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のす
べてを離れた境地を求めることである。今のわたしは、この誤ったものを求めている者にすぎない。』
(パーリ増支部3:26/聖求経)
『“婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ〈attqnam gaveseti.〉”』(Vinqya, Mahqvagga 1.13)
266 :
閻魔大王 :2009/09/06(日) 13:40:56 ID:wtniJws2
ふぅ〜〜 やっぱり、「中道」という発想、ニュアンスが掴めない限り 凡百の議論(言語論理)を積み重ねてもまあ無駄やわねぇ 清濁あわせ呑むというか、矛盾を矛盾のままで融解せしめる感覚というか、 恒常(連続)も断滅(非連続)も融合しているというか、 不一不二、不生不滅、まあ廓然無聖 不識なんやわねえ 誰かさんの「有識」ウンチングペーパーなんか、 これ見よがしに出されても虚栄心のかたまりなんだし、 反吐が出そうやわ。 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACkは、写真家中平卓馬が自分の過去の名作フィルムをすべて焼却してしまったような、 自分を捨てることなどできんだろうw
267 :
析空 :2009/09/06(日) 13:42:31 ID:ADW8Oa2c
>>256 光と闇は相互依存ですが、光が有ると闇は消えます。
闇はどこかへ行ったのでしょうか。
どこへも行きませんね。
なぜなら闇は始めから【存在しない】からです。
268 :
閻魔大王 :2009/09/06(日) 13:43:17 ID:wtniJws2
訂正 × 焼却してしまったような 〇 焼却してしまったように
269 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 13:45:13 ID:MoFlWLxk
>>265 「正しいもの」「誤ったもの」の、具体的判断基準は何?
「生きている」とは、「生きることを求めている」からに他ならない。
具体的意味不明な抽象語・観念語は、無意味な言葉だから、宗教の経典
から一切削除すること。
君はすべて、甚だしい本末転倒である。
270 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 13:45:27 ID:G/qAdmsY
>>265 > 『“婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ〈attqnam gaveseti.〉”』(Vinqya, Mahqvagga 1.13)
文字化けしとるぞ、パーリ。
271 :
閻魔大王 :2009/09/06(日) 13:47:20 ID:wtniJws2
>>267 析空へ
>【存在しない】からです。
だめだ、こりゃー!
【存在しない】の語は相応しくない。
>>266 に書き込んだしりからこれや!
狐狸庵閑話
272 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 13:58:28 ID:MoFlWLxk
>>265 >婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ
自己が自己を尋ね求めても、求める主体と対象とが同一だから無意味
でナンセンス。何も見つからない。論理が完全に破綻している。
「自己を尋ね求めるよりも、婦女を尋ね求めよ」が正しい。
273 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 14:09:58 ID:MoFlWLxk
宗教は、根源に思い至っていないから、宗教の経典に書かれたことは 「すべて誤り」と考えて間違いない。 すべての宗教の経典を集めても、木の葉一枚に宿る神秘さえ、解き明か せないのである。
木の葉集めて、芋焼いて屁して寝てろ。
275 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 14:27:10 ID:027iHSAN
>>265 闇は、光を存在せしめる基盤として、厳然として存在している。
光が消えれば闇となる。
276 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 14:34:08 ID:o2GWtvSk
光を存在せしめる基盤は光源です。
277 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 14:49:24 ID:G/qAdmsY
>>273 ほとんど何も読まずに全称で断定するオコチャマの典型w
278 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 15:15:42 ID:35SDexFk
>>272 >自己が自己を尋ね求めても、求める主体と対象とが同一だから無意味
>でナンセンス。何も見つからない。論理が完全に破綻している。
同じじゃ〜ないから文意が生きるのです。
自己意識には二重性質があるといってるでしょ。
普段は自己認識できない意識が深層にはあると。
そういう基本的理解がない人は無理なのです。
>>266 「人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めること」---これが正しい求めです!
>>265 「求めることは間違い」だとか、「そのどちらでもない中道だべぇ〜」なんていうものではありません。
それは、「執着心となってはいけない」ということなのあって、求める必要を説かなかったことは1度もない。
「中道」の教えについての誤読、「無我」の教えについての誤読、
そして、「空」の教えについての誤読・・・など。
このスレの指摘する問題点とは、
これらについては(一応)知ってはいるが、
その意味を“誤読している”ところにすべての原因があるということ。
279 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 15:26:18 ID:G/qAdmsY
>>278 >「中道」の教えについての誤読、「無我」の教えについての誤読、
>そして、「空」の教えについての誤読・・・など。
誤読というからには、読みの正当性の根拠を示さないとならないけど、
君にその能力があるのか?
君がやってるのは、神智学的前提に基づく偏見・誤読をテキストに投影して、
神智学的読みでない正統な読みを無根拠に、主観に基づいて誤読と言っているだけに見える。
あるいは、神智学的読みに適う学者の文を適当に寄せ集めて、疑似根拠にしているだけに見える。
280 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 15:32:06 ID:35SDexFk
>>184 私は仏教の無我説がインドにおいて不支持が高まっていって衰退したといいましたが、
『時代とともに教理に変容を蒙ってゆくうちに、しだいにアートマンの思想に同化されていった
のであり、それにつれて仏教はインドに勢力を失っていったのである。』
(平川彰『インド仏教史 上』、春秋社、1974年、pp. 9-10)
の説明は、より納得ゆく主張ではありますね。
これは後期大乗が密教であったこととも整合性が取れる。
---了解しました!
281 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 15:35:25 ID:9lrR25Eb
なんかもう、スレタイ一切関係ない話題になってますね。 アートマン肯定論者からの有意な論証もまったくないし、 これまでの経緯を考慮すると、「釈迦がアートマンを説いたと 考えられる根拠はない」 これで終了して良いでしょう。 そして別のテーマにして再スタートした方が良いのでは?
282 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 15:38:37 ID:G/qAdmsY
>>281 そう、論証済みと考えていいでしょう。
アートマン論者は、ただ感情、あるいは自分の思いから、それが認められないだけ。
283 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 15:40:23 ID:35SDexFk
>>279 要するに、
このようにして“理解の違い”はすべて神智学のせいにするわけです。
私は、神智学のシの字も知らない人仏教者)でも、
十分に私の主張を支持される方がいるものと信じます。
現にこうして、私の意見と同調する仏教関係の根拠を幾つも提示してきています。
284 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 15:46:28 ID:G/qAdmsY
>>283 それはあれだけハッキリ、論証されながらアートマンが説かれなかったことを認めないからですが?
285 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 15:46:52 ID:o2GWtvSk
>>72 >>75 例えば、隠居が平成○○年○月○日○時○分に生まれた、
ということは既にあるその事実と別には「作られざるもの」である。
286 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 15:48:03 ID:9lrR25Eb
>このようにして“理解の違い”はすべて神智学のせいにするわけです。 全てを神智学のせいにするわけでもないでしょうが、あなたが今まで このスレで繰り返し「神智学的解釈」をあげ、その視点で見解を述べて きたことは事実だと思います。 >現にこうして、私の意見と同調する仏教関係の根拠を幾つも提示してきています あなたの提示した資料は、「あなたの意見と同調するようにも読める」 ものばかりで、「アートマンの存在を釈迦が説いた」と判断できるものは なかったように記憶しますが。
287 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 15:55:14 ID:o2GWtvSk
神智学でも真理というものは「作られざるもの」ではないんですか。
288 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 16:04:09 ID:35SDexFk
>>270 訂正:
〈attanam gaveseti.〉”』(Vinaya, Mahavagga 1.13)
(参る)あやや・・・ _| ̄|○ il||li
>>281 もう少し待って下さいよ。
そんな慌てなくても、他に大した議題などないでしょ?あります?
>>286 >「アートマンの存在を釈迦が説いた」と判断できるものは
>なかったように記憶しますが。
私がこのアートマンスレで主張したいのは以下の3点です。
--要約--
1.ブッダは「アートマンはない」などとは説いていない。
2.ブッダは求めるべき(真実の)自己について説いた(これもアートマンです)。
3.ブッダの説くニルヴァーナとは永遠不変の境地。
今、有意義な資料の打ち込み中なので、どうか宜しくお願いします。
*他のアートマン論者からは、他に新たな展開はあるでしょうか??
289 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 16:06:32 ID:G/qAdmsY
>>285 >例えば、隠居が平成○○年○月○日○時○分に生まれた、
>ということは既にあるその事実と別には「作られざるもの」である。
「作られざるもの」が仏教の無為の意味なら、
上はもちろん、涅槃以外の一切の現象、縁起は作られたもの。
290 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 16:07:31 ID:35SDexFk
>>287 もちろん、基本的にはニルヴァーナ(仏教)と同じです。
291 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 16:12:00 ID:o2GWtvSk
そうです。神智学徒は神智学をブラヴァツキー夫人が勝手に作ったものとはみなしません。 頭で考えたものではない真理の探究というかたちをとります。 他の神秘思想、宗教の多くもそうでしょう。 「作られざるもの」(と思われているもの)は別段珍しいものではない。
292 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 16:13:54 ID:35SDexFk
>>288 ということで、待って下さいm(__)m
次の議題は何か?
について意見を上げるのは構いませんよ(笑)
例えば何??
293 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 16:13:55 ID:G/qAdmsY
>>288 > 1.ブッダは「アートマンはない」などとは説いていない。
ブッダをパーリ・ニカーヤの釈尊に限定するならそうでしょう。
ブッダという呼称は釈尊に限定されるものではありません。
> 2.ブッダは求めるべき(真実の)自己について説いた(これもアートマンです)。
これは言語習慣上の呼称です。「私」という意味であって、
恒常なアートマンではありません。
> 3.ブッダの説くニルヴァーナとは永遠不変の境地。
恒常なアートマンではありません。
恒常なアートマンのような見解をとるなら、ニルヴァーナにならないことは
『梵網経』を始めとして様々な典拠が上がっていると思います。
294 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 16:19:02 ID:o2GWtvSk
>>289 自然物で超自然物をたとえようとするとそうした齟齬は生まれますね。
同じ超自然でもアブラハムの宗教やヒンドゥーのノリで例えようとしてもズレが生じる。
これはアブラハムの宗教やヒンドゥーが真理を「神が定め、伝授する」ものとするのに対し、
仏教が真理を「悟った人により発見された」ものとする違いによるものですね。
295 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 16:25:05 ID:35SDexFk
>>293 >ブッダという呼称は釈尊に限定されるものではありません。
いや、もちろんゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)は、についてです。
限定です。少なくとも経から判断されるその可能性(実際に説かれた)です。
>「私」という意味であって、
この部分は素通りすべきではないと思っています。
こういうところが重要な部分なのです。
>恒常なアートマンではありません。
そういうアレルギー反応ではなくて、
“永遠不変の境地”であることが示されればいいのです。
296 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 16:26:58 ID:o2GWtvSk
下二行を飛ばしてアレルギー反応、というのはどうかと思いますが。
297 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 16:29:53 ID:35SDexFk
---次の議題案 現状の日本仏教界をより良く改善すべく、 改革すべき部分とは何か? 葬式仏教批判/或いは必要肯定論なども含めて・・とか。
298 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 16:36:25 ID:35SDexFk
>>296 >恒常なアートマンのような見解をとるなら、ニルヴァーナにならないことは
>『梵網経』を始めとして様々な典拠が上がっていると思います。
本当に、
誤解が起こっている可能性は皆無でしょうか??
また、ゴータマが恒常なアートマンについては否定、もしくは説かなかったとしても、
“永遠不変の境地”がニルヴァーナであるとすることの否定にはならないと思いますが。
ということで、
これから私から提示する資料をご一考願いします。
また、暫く退席します。
300 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 16:44:05 ID:G/qAdmsY
>>294 先ず、自分の誤解を認めよう。それが出来ないなら、話合いに参加できない。
301 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 16:54:17 ID:G/qAdmsY
>>295 解脱・涅槃の“永遠不変の境地”という意味で、パーリ・ニカーヤにアートマンを釈尊が説いている用例があったなら、
テーラワーダもインド学会も天地がひっくりかえるような騒動になるでしょう。
しかし、そんな用例は私は見たことがないし、
少なくとも君が示した典拠にはないでしょう。
>>298 >誤解が起こっている可能性は皆無でしょうか??
全く私に誤解がないというなら、それはあるでしょう。
しかし、ニルヴァーナ、涅槃が恒常なアートマン、あるいはそのようなものだとする可能性は、上以上に大乗の殆ども含めてありません。
そういうのはチベットのチョナン派と日本の真言宗の一部だけしか私は知りません。
それらこそが誤解か方便説です。
302 :
旧7 :2009/09/06(日) 17:00:15 ID:KCrhKsPv
>>263 なるほど。
・本来は、「世界は私であり、世界の中に私はいない」。(「客観・客観的」なぞあり得ず、ただ主観あるのみ。)
それなのに、
・「世界の中に私を登場させ、あまつさえ、他と引き比べ、共通項を探す」愚を犯している。
そのような、自覚されない前提がある。
と、こういうことかな? そして、後者のような前提である筈なのに、
・「自身に《まざまざとあり得ている》という言明は、絶対的主観の(ほぼ独我論的)次元で言われる」ことであり、
「世界の中に登場させられた私」に該当することではなく、「世界である私」にこそ該当する言明だ、と。
「絶対的主観であるものを、どうして、引き比べ共通項を探し、「圧倒的多数の事例」とし得るのか?と。
「個々別々、それぞれが唯一である、《まざまざとあり得ている》という主観的価値観」を、
どうして「「圧倒的多数の事例」という客観」へと変換できるのか? と。
「世界内の話である筈なのに、世界外を持ちだしている」、
「世界内に限定されねばならない、そのような前提である筈なのに、世界外を持ちだしている」 と。
「客観で、客観について話されるべき所に、主観を登場させた」、
「客観的議論を要請しておきながら、主観的価値観で決着をつけようとした」 と。
また、
・そのような「世界外の事象」をどうして「世界内の事象」と引き比べ得るのか?と。
世界の中に登場する諸々が、世界外の(いや、世界そのものであるところの)《まざまざとあり得ている》を、
どうして否定肯定、或いは異同の区別をできようか?と。比べ得るものなのか? と。
《まざまざとあり得ている》という主観的価値観をどうやって否定できるのか? と。
そして、
・「涅槃」や「縁起」、「無我」(等“おしえ”)は、世界の中に登場させ得るもの(客観化可能なもの)なのか、
それとも、世界の外として(いや世界として、いや、“主観として”)《まざまざとある》ものなのか、と。
303 :
旧7 :2009/09/06(日) 17:01:57 ID:KCrhKsPv
263↓の主旨は、だいたいこういう感じ↑なのかな?
> 「世界があって、その中に「私」や「他者」が所属していて、それぞれが個別の意識を持っている」、という前提
> 世界の中に「私」が位置づけられている、という前提
> <現に今、まざまざと>のレベルは、この構図からはみ出している
> 世界の中に「私」が位置づけられている > という前提からもはみ出しているんだね。
> 諸々の「低次のリアリティ」が、どうして<現に今、まざまざと>を否定できるというのか
>
> 「涅槃」「無我」なる概念を「低次のリアリティ」でとらえるか、
> それとも、<現に今、まざまざと>のレベルでとらえるか、が問題だね。
>>302 が、
>>263 の誤読、或いは趣意を読み取れていないようなら、また御指摘下さい。
304 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/06(日) 17:05:12 ID:35SDexFk
>>301 ま〜バラモンの説く形而上学的アートマン存在をそのまま認めた部分はないでしょうね。
>「作られざるもの」が仏教の無為の意味なら、
>上はもちろん、涅槃以外の一切の現象、縁起は作られたもの。
>>289 私は同意しますよ!
〜お元気そうで何よりです-敬意 m(__)m
ダメだぁ〜では、また^^
305 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 17:06:40 ID:o2GWtvSk
>>300 ニルヴァーナが人間(や超自然的存在)が作ったとはされないのと同様、
自然現象によって勝手に出来たもの、と仏教で考えられている、とは言ってないですね。
306 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 17:15:23 ID:G/qAdmsY
>>305 話にならん。
>>285 >例えば、隠居が平成○○年○月○日○時○分に生まれた、
>ということは既にあるその事実と別には「作られざるもの」である。
こういった世俗の事実は全て無常で作られたものだと仏教では説かれていることを
知らずに言ってたと自分で認めてるようなもんだろ。
間違いを認めるのは立派な能力、ここに登場するヤツで
間違いを認められるヤツの少ないこと。
旧7と宝珠ぐらいじゃないか、コテで認められるヤツは。
307 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 17:42:02 ID:o2GWtvSk
どうなっても、どうはからっても出来ないもの、として また一見似たようにはなっても全く同じものとしてありえないものとして 例えとして出しその後他宗教での真理の扱われ方を加えましたが、 その例えの内容自体が他のものと同じようにして出来る様子である、 という点では不適切でした。ニルヴァーナを真理とされる教義(考え)の一つとしてのみ扱い、 表している内容そのものと噛み合っているかは考えていませんでした。
308 :
1/3 旧7 :2009/09/06(日) 17:54:21 ID:KCrhKsPv
流れぶった切ってすまんが、
素晴らしいやりとりですね。↓
〔 185、194、198、200、201、203、205、232-239、この一連を承けて242。〕
いや、実に素晴らしい。
仏典に載ってもいいくらいの“対話”だw (自演を疑いたくなるくらいの完成度だよw)
世俗の価値観と、仏教に於ける勝義の価値観とが見事に対比されている。
加えて重要なのは、世俗の価値観の全否定がされているわけではない、ということです。
これは、「おしえ」全てに言えることですが、
《世俗の価値観が全否定されるのは、「苦からの完全なる離脱」を求めるのならば》ということです。
《出家して比丘となり、梵行を行じるならば》ということです。
この対話形式で整理して@Wikiに載せてもいいくらいだw
また、〔
>>194 >>198 >>201 >>203 >>232 >>234 >>236 >>242 〕とまとめて読んでも味わい深い・・・。
(※非常に良い、涅槃の説明だと思います。)
※243のツッコミも嫌いじゃないw
309 :
2/3 旧7 :2009/09/06(日) 17:55:54 ID:KCrhKsPv
>>308 補。
世俗に生きること(≒在家として生きること)を否定し、愚かなことと見下げるのではない。
「もし、あなたが、一切の苦悩を捨断したいなら行じなさい。世俗の価値観を捨てなさい」と誘うのみだ。
そこには、強制も、優劣も、蔑視もない。生き方の姿勢の違いがあるだけだ。
そして釈尊は、「もし、その苦を滅したいならば来なさい。ここにその安楽がある」と声を掛けるのみだ。
人類総出家・総比丘化は、ヒトという種の絶滅を意味する悲観的思想だという批判があるが、
そのようなことが目指されるのではない。
気付き、求める者が求めればよい。「それ」を必要とする者が求めればいい。
今はまだ必要としないなら、悪を為さず、苦の因・縁を減らし、善き生き方をすれば十分だ。
また、「途上にあること」もまた認められるし評価される。
経に説かれる「徹底した無我の実践」は、社会に生きる者にとっては不可能だ。
上の総出家・総比丘化同様、社会が機能しなくなる。経済や産業の発展もない。市場の開拓もない。
野心や、より大きな利潤の追求もない。政治的判断を迫られた時のその基準取りを、温和な形で為し得ることも稀だろう。
(その意味では、出世を望むビジネスマンや、のし上がる、アメリカンドリームのような自己実現を目指す者には、
本来、仏教は向かないw 座右の銘、都度都度の指針としての利用となるだろう。
そしてそれは、批難されることではない。それもまた、縁あって仏法に触れた者の生き方の一つだ。)
なんとなれば、そうしたエネルギーやテンションを、そうした“炎”の消火をこそ、仏教は説くのだから・・・。
また、
別の指針(他の宗教等)を用いる人がいてもいい。それが、他を害するものにならなければそれでいい。
310 :
3/3 旧7 :2009/09/06(日) 17:57:46 ID:KCrhKsPv
その意味で、様々な生き方の中の一つとして、
自らを一つの事例として、45年間「それ」を示し続けたのがゴータマ・シッダッタであった、と言えると思う。
(そして、他のどの教えよりも最上なる楽であるという自負、自信もあったろうと思う。
菩提樹下から立ち上がった理由の一つとなっていると思う。)
だから、ウダーナ8となるのだろう。牛飼ダニヤ&魔との対話となるのだろう。
ちなみに、
ヒトという種の存続もまた、「現在(いま)、縁により続いている、ただそれだけ」というのが、
勝義である、と。 が、これを「悲観的」だとか「虚無主義」だとか「破滅思考」と見てはならない、と。
釈迦国滅亡の逸話は思いだされていい。
「親族のいる木陰は涼しい」という台詞と、
「瑠璃王の侵略を止めなかった(不可能だったとも言えるが)」ことは矛盾ではない。
涅槃に“住する”如来にとって、「如実に見る」とは、まさにそのようなものであるだろうから・・。
(と、また棚上げレスか・・・w 我がことながら、ホントどうしようもないな、俺はwww
「この法は“見難い”」とは、よく言ったもんだ・・・w)
しかし、
>>198 の
>自分が自分であることを守るために、毎日毎日、
>自分を壊そうとする物理的あるいは心理的な障害物から、
>ひたすら逃げ続けている
及び
>>203 >自分を守るための生命反応の一種であり、
>落ち着かない、逃げつづけ劇場の一幕
及び
>>236 は秀逸だ。(耳も痛いが・・・w) (この表現形式、頂きます。 m(_ _)m)
311 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 18:54:13 ID:k6BPaScd
312 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 19:15:45 ID:k6BPaScd
>>308 統合失調症は、感情、思考、行動全般にわたる異常だから、このような鬱症状
を伴うこともある。「生きるのが苦しい、辛い、死にたい」という悲痛な叫び
声が聞こえる。
イエスの場合は、躁症状を伴う統合失調症であった。聖書でも、イエスを直接
によく知る家族、郷里の人々、ユダヤ教徒たちは、イエスを基地外と判断している。
313 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 19:34:44 ID:MLPGLsJ8
>>288 あなたの三つの主張は、無明の煩悩を肯定するものに思えます。
つまり、存在したい、消え去りたくないという煩悩の親玉を
肯定しているように思えます。
涅槃とは、消えてなくなることです。滅び去ることです。
インドで仏教が衰退したのは、
消えたくない、滅びたくないという人々の煩悩に負けたのだと思います。
煩悩推奨のほうが、大多数の人々には喜ばれます。
煩悩を否定する仏教の人気が出ないのが当然なのです。
仏教が間違いだから人気が出ないのではありません。
仏教の教えは大多数の人々にとっては「ちっとも楽しくない」
から人気が出ないのです。
お酒を飲むなと言うよりも、
「お酒を飲んでも救われる道がある」と言うほうが、
大多数の人気がでるでしょう。
子供達は、「宿題をやりなさい」と言われるより、
「今年の夏休みは宿題はありません。」と言われたいに決まってます。
しかし、子供達に宿題をやらせるのが正しい教師です。
314 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 19:42:27 ID:MLPGLsJ8
>>288 不変の境地と言うほうが、大勢の人々に人気が出ます。
みんな、滅びたくない、消え去りたくない
という煩悩にとりつかれているんだから。
しかし仏教がめざす涅槃とは、滅びです。
お寺でお坊さんが、ご先祖の成仏を願うとか、
亡くなった先祖は浄土で永遠の生命を得ますとか、
そういった教えを説くほうが人気がでるに決まっています。
「あなたのご先祖はりっぱに修行を完成に、涅槃に入られました。
二度とこの世に現れることはありません。平安なる滅びに入られたのです。
たとえ神々が探しもとめても、先祖をみつけることはできません。
完成に滅びました。」
なんて坊主が言ったら、そんなお寺はぜんぜん人気が出ずに衰退するでしょう。
315 :
閻魔大王 :2009/09/06(日) 19:43:58 ID:wtniJws2
>>313 >涅槃とは、消えてなくなることです。滅び去ることです。
おまえ、あほ やろ?
おのれみたいな知ったか仏教マガイがいるから、仏教が誤解されるんじゃ!
SM地獄に送ったろか?
316 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 20:02:05 ID:G/qAdmsY
>>315 旧7が褒めてるけど、オイラもなかなかいいと思うけどな。
ニルヴァーナ、滅とも訳されるし、滅びでいいと思うけどな。
君もま、西哲と仏教にある程度、理解あるのは分かるけど、
今一、って感じだよ。まだ、長文みたことないから断定できないが。
自信あるなら、縁起についてちょっと長文で説明してみて。
説明できないなら、あんまり大きな態度は、みっともないぞ。
仏教だしw
317 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/06(日) 20:33:08 ID:3tHXb/q0
>>316 >ニルヴァーナ、滅とも訳されるし、滅びでいいと思うけどな。
滅び、ってのは、その前に悟りを開くんですね。
その悟りが滅びるんですよ。
何にもないのに滅びることはない。
で、そこで滅びっぱなしではない。
ここからが実は一番重要なとこですけど、
ここで安住してしまうのは、
ニーチェで言えば、虚無で安住することと一緒。
これは非常に浅い。
そして楽だから、ここで留まる御仁多数。
まだまだ完成には到らず。
空即是色。
では、おやすみ
318 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/06(日) 20:36:26 ID:niHEqeS/
旧7坊やがほめていたらマユツバだ。 かれの話は違う。あれでは生まれてくる理由が見当たらない。 何となくさびしくなる。秋だなあ。 ウンコ大王はウンコ壺にこもっておれ。ばちあたりめ(~~)
319 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/06(日) 20:45:45 ID:niHEqeS/
>>317 机先生も析空先生も言葉にこだわりすぎている。
こだわりすぎるから、おかしなことを言い出すのですね。
二人とも悟っているとはとても思えない。
もっと自然体で、ストレートに語ったほうがいい。
そのほうが悟った人のように感じる。
>>319 別に二人とも悟っているわけではない。
もし、悟っているならこんな所でたむろしていないで
命懸けで仏の法を弘めていますよ 釈尊の様に。
321 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/06(日) 21:08:52 ID:niHEqeS/
>>320 悟っていると思い、2CHで仏法を広めようとしているのかも
それもありだろうけど増上慢はまずいだろう
322 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 21:14:11 ID:G/qAdmsY
>>317 また、妄想男が吹いてますなw
ほとんど何も分かってないし、間違いも認められない代表選手、机ちゃん
323 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/06(日) 21:18:43 ID:niHEqeS/
もうアートマンの存在は否定できないのだから、 それを前提にしない話はどれもこれも誤りであると判断していい。 空だとか無我だとか主張する人は、 そう主張することによって釈迦を普通の人にしている。 そのことに早く気づこうよ。
324 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 21:46:37 ID:G/qAdmsY
(^^)
>>323 アートマンて意味がよくわからないんですが。
それって、存在するしないが、人間が生きて行く上で
影響を与えるものなの?
あたえないのなら何の意味も無いものですね。
326 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 22:19:24 ID:MLPGLsJ8
>>315 仏の入滅後については、
たとえ神々が探し求めてもみつけることができない、
みたいな説明をしているお経があります。
岩波文庫のどれかに書いてありました。
少なくとも、眼耳鼻舌身意・色声香味触法の対象は滅びてしまうでしょう。
涅槃に入った者は、五感で感じる対象も滅びるし、
頭や心で思えるような対象も滅びてしまう。
体と心のいかなる知覚・認識対象の世界からも、消え去ってしまうわけです。
327 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 22:28:19 ID:MLPGLsJ8
>>312 涅槃、つまり滅びてしまうというのは、
火が吹き消されてしまうことにもたとえられますよね。
一度消えた火が再び燃えることはありませんよね。
消えていない火ならば、他の対象に燃え移って相続することができますが、
消えた火には、もう燃え移る力がありませんから、
再燃することはできません。
無余涅槃ということです。
お釈迦様は無余涅槃に入られました。
お釈迦様という火は消え去ったので、
二度とその火は現れません。
大乗には、消えた火が実は消えていなくて、
(目には見えない火種がどこかにある?)
再び目に見える火になってもどってくるという思想もありますね。
机さんなんかがおっしゃる、空即是色でしょうか?
328 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 22:38:59 ID:9lrR25Eb
>>327 あなたは、テラワダ系のひとですよね?
327で述べていることは、「完全なる無」を意味してるのですか?
329 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:01:54 ID:MLPGLsJ8
>>328 少なくとも涅槃は、物質でもなく心の対象でもない。
体でも心でも感知できなくなるんだから、
私達にとっては「無い」のと同じでしょう。
>>261 > 求めずに得られるものなど、どこにもありませんね。
結局、人間は万物のおかげによって生きている。
自分を育んでくれた両親や社会、自然環境などの恵みは
自分が求めて得たものよりも、求めてもいないのに
ただ無条件で与えられたものの方が多い。
この恵みにただ感謝することこそ肝要。
「求めずに得られるものなどどこにもありませんね」などというのは
感謝を知らぬ愚か者の発言。
331 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:04:07 ID:9lrR25Eb
>>329 そうなのですか。テラワダの教義はよく知りませんが
「涅槃」を「無」と解釈しているのですね。
332 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:14:56 ID:G/qAdmsY
>>331 いや、テーラワーダでも本来、無とは言わないでしょう。
仏典にあるように、それこそ無記、如来の死後のはず。
MLPGLsJ8 さんの理解は、どうももう一つという印象ですね。
333 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:18:00 ID:is8e37WQ
>>329 >体でも心でも感知できなくなるんだから、
>私達にとっては「無い」のと同じでしょう。
それをあなたはどうやって感知し、語ることが出来るのかね。口から出任せ
を言うのは、佛教徒としは勿論、人間として恥ずべきこと。来世は地獄行き
決定。
そのスレのカルトの構図がようやく見えてきた。神智学、まひかり、そして
テレワダ。旧7氏は、テラワダである。
334 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:19:52 ID:G/qAdmsY
335 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:24:59 ID:9lrR25Eb
>>332 色々な見解がありますね。このスレでも、繰り返し
涅槃についての議論がありましたが、私は今まで一度もこの
議論には参加したこともありませんし、自己の見解を述べた
こともありません。というのも、はっきりって「よくわからん」
のです。この「涅槃」というのは、そもそも「言語表現化」が
可能なものなのでしょうか?多くの人たちが、それぞれの表現で
解説してくれ、なんとなく漠然としたイメージはありますが、
解脱者の直覚以外に、いわゆる「うなずき」に達することは可能
なものなのでしょうか?
336 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:28:33 ID:MLPGLsJ8
涅槃を「滅」と翻訳した先人達は、 まったくデタラメな翻訳をしたのでしょうか? それなりに専門知識のある仏教者達が翻訳したのでは?
337 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:37:44 ID:9lrR25Eb
>>336 この「滅」という語を用いての説明は、それなりに
納得できるところも多いです。しかし、凡夫の疑問に思うところ
は、「その後は?」 という時系列上の思考に焦点が行ってしまう
ことなんです。このように、思考の焦点を時系列に乗せてしまうこと
自体が誤りなのかもしれませんが、やはり、そこを言語化できるのか?
は凡夫にとっては気になるところではありますね。
>>335 いわゆる個々人には煩悩があり、また具体的な行法があるので、
その性質の断片(涅槃は〜ではない等)ぐらいはわかるのではないでしょうか。
339 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:48:09 ID:MLPGLsJ8
>>337 入滅のその後は、二度と生まれ変わらないんじゃないでしょうか。
絶滅した恐竜は蘇らない。
かつて恐竜の体の一部だった物質が、
たとえば今、私の血になっている可能性はあります。
しかし、恐竜は滅びてしまった。
340 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:50:33 ID:G/qAdmsY
>>335 本来、表現不可能だけど、そこが最終目的なので指さす記号として何かは必要でしょう。
ただし、それは恒常なアートマンのように有るともいえない、
虚無のように無いともいえない、体得すべきものに違いありません。
>>336 もちろん、デタラメではないでしょう。
恐らく択滅というアビダルマ概念から来ていると思います。
しかし、滅という記号も一面しか表さないので、
最終的に音写で涅槃に落ち着いた。
つまり、意味の不分明な寂静な境地といったことで収まったことを考えてください。
>>337 上に書いたように出来ないと私は考えます。
341 :
旧7 :2009/09/06(日) 23:52:14 ID:KCrhKsPv
>>337 |
|゚) 参:
|つ「パーリ仏教における涅槃」片山 一良
駒澤大學佛教學部研究紀要 59, 478-462 ,20010401
CiNii PDF
(
ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110000985580 )
そして、蛇足を加えるなら、
「成道後45年間の足跡が、(言葉、行動、判断、姿等々、その全てが)、涅槃を示している」
と、受け止めるべきなのだろうと思う。
だから、経蔵第一番目の経に「如来の戒」と「種々の見解」と「その見解をどう見るか」が説かれ、
律蔵に於いて条目提示の後、「仏伝」が配されているのではないだろうか・・。
おまけw:
画期的な段階を迎えたパーリ研究 : 「新訳南伝大蔵経」の必要性と片山一良教授の先駆的偉業
前田 惠學 パーリ学仏教文化学 (22), 1-2 ,20081222
CiNii PDF
だと。 残念ながら、PDF化直後らしく、有料でID持ってないと駄目みたいだ・・。残念w
(久しぶりに大学図書館行くかなぁ・・・w)
342 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 23:55:45 ID:MLPGLsJ8
>>340 単純に「滅び」「消滅」では納得したくない、
消え去るのではなく、価値ある何かが残っていて欲しい、
というようなご意見にも聞こえるのですが…。
私は、涅槃とが単に滅びて消え去ってしまうことだったとして、
それで何にも支障を感じません。
しかし、それでは困る、単なる消滅では納得するわけにはいかない、
という人達も多いのでしょうか?
343 :
閻魔大王 :2009/09/06(日) 23:59:44 ID:wtniJws2
<無常=無我=縁起=空=中道=自由>
おー、レスが進んでるな。
>>316 >ニルヴァーナ、滅とも訳されるし、滅びでいいと思うけどな。
いかにも半知半解童貞坊やのなめくじオナニー文章のどこがいいんだ?
浅薄境涯に過ぎるのではないかw
結論を書けば、(机氏に先に端的に
>>317 「空即是色」とやられたので、書きにくいなあ)
俺はブッダの教えとは、出世間のまなざしで、(坐水月道場 :空 仏智:無分別智)
世間の真只中で生き直す(修空華万行 :色 世俗智:分別智)
に尽きると思っている。下段の捉え返しがあるからこそ仏説の凄みがある。
基礎は中道一本⇒
>>266 ,この感覚がつかめないと、どーしようもない。
掴めていたら、童貞坊やのなめくじオナニー文章は出てこない。
ほかは折々のカキコを参照してくらはい。
なお、どーでもいいことだが、閻魔大王とうんこ蠅の宝珠愚者との違いは
超越世界を夢想する不落因果の外道の徒=宝珠愚者と
縁起の中の自由意思を探求する不昧因果の徒=閻魔大王との違いと言えるだろう。
不落因果は仏説ではない。
合掌
おそらく涅槃即OKなら大乗にはならないと思います。 もちろん涅槃が悪いとはいいません。 その行法で本当に消え去ることができるかどうかの問題だと思いますw
345 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 00:07:01 ID:9lrR25Eb
>>342 涅槃を単なる消滅と捉えるなら、いわゆる「梵天勧請」は
テラワダでは認めてないのかな?
346 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 00:15:58 ID:hv9Xxp8h
>>341 東南アジアのカルト宗教は、日本には不要。
駒沢の佛教学科は、おかしいのではありませんか。学内での禅学科との関係は、
どうなっているのですか。
347 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 00:24:57 ID:U/uN87uQ
>>341 いい論文ですね。アートマン・スレの最後を飾るに相応しい。
これでアートマンは無かったということでいいでしょう。
例のウダーナも全くの誤解だと分かるし、もうアートマン派の根拠はなにもないでしょう。
348 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 00:28:00 ID:U/uN87uQ
>>342 そう読むなら、あなたの仏教理解はまだまだですね。
有無を超えている、言語表現できないことを表現したのが四句ですよ。
何かがあるなんて縁起・空にありえない。
何かがあるというのは、世俗の言語習慣としてのみです。
349 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 00:31:28 ID:U/uN87uQ
>>343 ><無常=無我=縁起=空=中道=自由>
上は正しい。しかし、長文で説明しないとね。
そこが問題だ。記号を列挙するだけじゃだめだ。
典拠と論理の道筋で説明できないと。
もうちょと、がんばんないとねw
350 :
閻魔大王 :2009/09/07(月) 00:31:29 ID:oRnMpHPL
寺和田は原始仏教でも、上座部仏教でもない。 アビダルマ部派でしかない。 ブッダ禁止の呪術パリッタ儀礼万歳! 業報輪廻転生論万歳!! オウムの残党万歳!!
351 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 00:37:24 ID:U/uN87uQ
>>350 オイオイ、大丈夫か?
テーラワーダが上座部という訳語以上にアビダルマ部派だと
アビダルマ仏教、あるいは部派仏教という記号で呼ばれる集合の一つが
テーラワーダ=上座部だろ。
業報輪廻転生なしに、どんな伝統仏教もありえないぜ。
君は、かなり怪しい仏教理解だと分かったはw
といってオイラはスマナサーラは好きじゃないが。
ビルマ系仏教は立派なもんだぞ。
352 :
絶対神 :2009/09/07(月) 00:44:39 ID:rwAWaMyl
>>342 多いに決まってるだろww
「人生が無意味になるからな」ww
そもそも、単なる滅びで構わないなんて思う人間が大多数だったら。
一神教なんて出来てないよ。
>>348 はいはい、言葉遊びだね。科学ならともかく。
「実証不能な領域でそんな事を言っても何の説得力もないよ」
ついでに言っておくと、有無をはっきり考える事は別に幼稚じゃないぞ。
なんかお前らの言う事見てると、死後があると明確に定義する事が幼稚
だと考えているようだが、
「まったく勘違いだからな」
それだけははっきり言っておく。
353 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 00:59:21 ID:U/uN87uQ
>>352 言葉遊びはお前だろ。涅槃のどこが実証可能なんだ。
実証してみろ。
死後とか輪廻の話じゃないんだよ。文もよめんのかw
354 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 01:16:07 ID:OgVAWhZA
>ニルヴァーナ、滅 参考までに『スッタニパータ』です。 1069 ウバシーヴァさんがたずねた、 「シャカ族の方よ。わたしは、独りで他のものにたよることなくして大きな煩悩の激流をわたることはできません。わたしがたよってこの激流をわたり得る<よりどころ>をお説きください。あまねく見る方よ。」 1070 師(ブッダ)は言われた、「ウバシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、<なにも存在しない>と思うことによって、煩悩の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」 1071 ウバシーヴァさんがいった、 「あらゆる欲望に対する貪りを離れね無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることがなく、そこに安住するでありましょうか?」 1072 師は答えた、「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」 1073 「あまねく見る方よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼となるのでしょうか? またそのような人の識別作用(あとまで)存在するのでしょうか?」 1074 師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(存在する者としては)数えられないのである。」 1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」 1076 師は答えた、 「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
355 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 01:32:55 ID:ERUC176S
>>302 私は、<現に今、まざまざとあり得ている>ことを、客観的・構成的な(低次の)リアリティから区別したい。
確かに客観的に言えば、「手足動く」は誰でも知っており、「幽霊見る」はめったにない体験だろう。
では、「<現に今、まざまざと>手足動く」は誰でも知っている体験だろうか。
「誰でも知っている体験」と言った途端、<現に今、まざまざと>で言わんとしている何かが失われてしまうのではないかな。
私は、特定の世界観や哲学的見解を述べたいのではなくて、端的な“それ”とそうでないものとの区別を指示したい(指示できなが)。
この点を踏まえた上で、気になったところを挙げると、
例えば「「客観・客観的」なぞあり得ず、ただ主観有るのみ」という解釈。
これは、言い換えれば
客観的な事物など本当は“ない”、<現に今、まざまざとあり得ている>「私」のみが本当に“ある”。
という主張になるだろう。
だが私は、“ある”とか“ない”とかの構図の中に、<現に今、まざまざとあり得ている>「私」をはめ込みたくない。
構図にはめ込むのではなく、区別したい。
客観的な事物は“あったり”“なかったり”するが、<現に今、まざまざとあり得ている>「私」は“ある”“ない”を超えている。
それから、一対多(個々別々、それぞれが唯一)という構図、世界内vs世界外という構図についても、<現に今、まざまざとあり得ている>「私」はそれをはみ出していると言いたい。
356 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 01:50:38 ID:ERUC176S
>>302 続き
「涅槃」「縁起」「無我」等の“おしえ”について言えば、そもそも“おしえ”は伝承されたテキスト、すなわち客観的・歴史的な事実に過ぎない。
テキストで表されている概念と、それが伝えようとしている(しかし、テキストでは表し得ない)“それ”との区別が留意されねば、“それ”を受け止めることができないかもね。
仮に、客観的と信じられている夢(=世界)の中で、夢から醒めたと信じられている聖者の“おしえ”を聞いているとしよう。
その場合、いかに尊い“おしえ”でも、所詮は夢の中の現れ(偽物)に過ぎない。
では、“おしえ”の役割は何かといえば、夢(=世界)の中で眠りこけている「私」の目覚めの助けになる示唆を与えることだろうね。
例えば、
夢である世界の諸々は無常である、縁起により成り立っている。
とかね。
さて、ここまで書いて、ここは折角の仏教・アートマン関連スレなのだから、それっぽい言葉遣いをするべきで、
「私」をアートマンと言い換えたり、独我論を梵我一如論と読み替えたりするべきかもしれない、と思ったが、
専門的な突っ込みされても困るし、やめておこうw
357 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 03:19:29 ID:qC1pZsCi
>>355 >>356 宗教者は勘違いしている。
原始仏典に、釈迦の真意がほぼ反映されていると仮定しても(その保証はない
が)、釈迦は、当時の社会情勢と知識水準における、当時の人々に対して
説いたのである。現在のような科学の奇跡的発達や、人間理性の進歩は夢想だに
していなかったであろう。
そうであれば、現代人としては、釈迦が「現在に生きていれば、何を説くか」
を常に考慮すべきであろう。そのためには、釈迦の教えの中から「現代において
通用する原理は何か」を抽出すべきであろう。それが、現代に於ける釈迦の教え
だからである。現代の科学と知識水準に応じて訂正すべきところは訂正し、釈迦が
「現代に生きていれば説くであろう原理」に耳を傾けることが、「釈迦を信じる」
ということであり、それは、現代の仏弟子の「至上の義務」ではなかろうか。
さもなければ、むしろ、釈迦の恥をさらしていることになる。
なお、主観と客観の話が出たが、人間の知覚が「ほぼ同一」であるからこそ、
社会が維持されている。知覚が百人百様であれば、電車も止まるし、飛行機も
落ちる。交通標識も視力検査表も、意味が無いことになる。ちょっと考えた
だけでも、容易に想像できることではないか。
358 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/07(月) 06:57:36 ID:NQPCMq9s
>>322 >ほとんど何も分かってないし、間違いも認められない代表選手、机ちゃん
いやいや、間違いを認めてるだろうよw
「悟りが滅びる」と言ってるわけだから。
これは「悟りが間違ってた」って意味だよ。
白隠は大悟を18回やったらしい。
まあ、数える禅師も珍しいですけど。
つまり、白隠でも間違いがあったわけで、
臨済宗は頓悟であっても、一気に彼岸に逝くわけではない。
生死大海を泳いで逝けば、あるいは沈没する御仁もいるであろう?
彼岸に逝くのは容易いことではない。
それは般若心経の文面を拝しても伝わるものがある。
(これは真言の部分ですけど)
人間というのは「悟った」と自覚した時点が頂点に達する。
これは未だ悟ってないんであります。
<合掌>
359 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 08:19:07 ID:VRNXexu1
>>313 >涅槃とは、消えてなくなることです。滅び去ることです。
これは日本語としても不完全な無意味な文だね。
「何が」消えてなくなるのかを示さなくては意味をなさない。
「何が」を「自己」とするなら涅槃でも自己は無くならない。
「何が」を「我(アートマン)」とするなら仏教ではもともと
諸法無我と言うのだから無いものが消えてなくなることは無い。
まさに中論で不生不滅を縁起というようなものだ。
「何が」を「生命」とするなら生存中の涅槃は無いことになり
ゴータマ・ブッダの人生を否定することになる。
仏典で「涅槃は消えてなくなること」などと説いているのは無い。
涅槃・ニルバーナをキーワードとして仏典データベースを検索すればすぐ
解ることだろ。
360 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 08:26:40 ID:+OypagR2
>>345 涅槃に至る道を、さっさと涅槃に入らずに説いてくださいと、
梵天がブッダに頼んだのでしょう?
矛盾はないと思います。
361 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 08:29:32 ID:+OypagR2
>>359 有余涅槃と無余涅槃があるでしょう。
悟りで煩悩が消えたのが
有余涅槃、
死んで二度と生まれかわらないのが無余涅槃。
362 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 08:58:47 ID:U/uN87uQ
>>361 片山先生の論文を読んだ方がいいよ。
少なくとも一つステップアップできる。
スマナサーラさんの説き方は、方便説みたいな所があると思う。
もし、方便でないなら、それは問題だ。
363 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/07(月) 09:13:04 ID:/0jQC+aB
>>313 >涅槃とは、消えてなくなることです。滅び去ることです。
>>314 >しかし仏教がめざす涅槃とは、滅びです。
「滅」するものとは“自我(エゴ)”であり、煩悩という低級性質のことです。
“すべてが消滅し尽くす”などという教えは仏教にはありませんね。
死後にすべてが消滅するなどという見解を「断滅論」(一切は死によって無に帰する)と呼ばれ、
これは最も真理から遠い見解であるとしてゴータマが強く戒めたものです。
簡単に言うと唯物論者の主張のことですよ!
あなた方は、ことば巧みに騙されているのです・・。
死後にも存続するものとは何か?
(自分で考え調べて下さいな)
『この世において或る賢者たちは、「霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである」と語る。さら
にかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の
境地がある)と、巧みに語っている。』(Sn.876)
364 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/07(月) 09:14:08 ID:/0jQC+aB
>>317 >滅び、ってのは、その前に悟りを開くんですね。
>その悟りが滅びるんですよ。
>何にもないのに滅びることはない。
そんな滅びるような悟りなら、最初から悟る必要もない。
それも般若心経なんですか??何の経からの理解なのです?
どうも、ただ言葉を操って遊んでいるだけで、なんらゴータマの教えとは関係がない。
あなたは確かに物知りのようですが、
しかし、もう少し仏典(原始経典)に根拠をおいて下さい。
結局、読まないから何も知らないのです。
>>354 >参考までに『スッタニパータ』です。
それは、現象界では測る基準が存在しないからです。
認識できる「有・無」などの概念では示すことができないといっているだけです。
*しかし・・あなた方は本当に仏教徒なのか???
365 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 09:20:53 ID:VRNXexu1
>>361 >死んで二度と生まれかわらないのが無余涅槃。
これは死んだら誰でも仏様の日本の葬式仏教そのものだね。www
366 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/07(月) 09:25:53 ID:/0jQC+aB
>>361 細かいことをいうと・・・(やや違うと思います)
肉体が存続している最中の解脱が「有余涅槃」であり、
続けて、肉体の消失(死)の後に「無余涅槃」の境地にあるという。
これが正解!
普通の死んだ人を仏、と呼ぶ習慣は他の仏教国にもあったりするのかな?
368 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/07(月) 09:33:18 ID:/0jQC+aB
>>367 どうなんでしょうね?
私はあまり諸国の大衆文化は分らないので・・・。
ゴータマが亡くなった際に“「涅槃」(無余涅槃)に入った”と呼ばれたことが、
「死」→「涅槃(入り)」という単純表現として広まったのでしょうね。
369 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 09:34:57 ID:U/uN87uQ
>>358 >いやいや、間違いを認めてるだろうよw
ほんとかよ。じゃ、
>彼岸に逝くのは容易いことではない。
>それは般若心経の文面を拝しても伝わるものがある。
>(これは真言の部分ですけど)
これはマックス・ミュラーの説で根拠なく文献学者が踏襲する一般説だが、
なんで正しいんだい?
少なくとも最近、より根拠のある学説が二つ提出されている。
そして、伝統的にも別の読みのとる解釈がいくつかある。
つまり、マックス・ミュラーの説のようなパラガテーを彼岸と
読むのは間違いと認めるか、二学説や諸伝統説より、なぜ正しいか論証しなければならない。
机ちゃんが、間違いを認めたことも、正確に論証したことも見たことない、
あるのは全て空だからとか言って誤魔化すことだけである。
インチキ男に他ならない。
370 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 09:36:27 ID:U/uN87uQ
>>364 >*しかし・・あなた方は本当に仏教徒なのか???
君よりは仏教徒だと思うよ。
371 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 09:40:47 ID:U/uN87uQ
>>366 片山先生の論文よんどけ、それでウダーナが不滅のアートマンという考えが、
いかに間違ってるかも分かるはずだ。
ただ、有余/無余に関する部分は晦渋だと思う。
それと片山先生は注釈部分と本文を明解に指示してないところが誤解を生みやすい。
解釈箇所は全て注釈だと思われる。
内容は素晴らしいがプレゼンにやや難ありと思う。
372 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/07(月) 09:57:36 ID:/0jQC+aB
>>371 心配せずとも、私は涅槃のことであるとして認めていますよ。
(文章的にはアートマンでも--通じますけど)
373 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 10:10:01 ID:U/uN87uQ
>>367 ないと思う。そういう方便説は、あるいは本覚門に関連するのかもしれない。
>>372 よんどけ。まあ、もういわんけど。
374 :
閻魔大王 :2009/09/07(月) 10:29:21 ID:oRnMpHPL
>>364 不落因果外道の宝珠愚者さん江
>そんな滅びるような悟りなら、最初から悟る必要もない。
臨済:殺仏殺祖殺父母(苦笑
>結局、読まないから何も知らないのです。
達磨:廓然無聖 不識(苦笑
>>366 >肉体が存続している最中の解脱が「有余涅槃」であり、
>続けて、肉体の消失(死)の後に「無余涅槃」
中道にては、有余涅槃と無余涅槃の分別は無意味。
結局、中道の感覚(⇒
>>266 )が掴めていない外道だから的外れを恥ずかしげもなく書く。
坐水月道場
修空華万行←ここがポイント
だから、『いかなる場合でも、平気で死ぬる』を
『平気で生きてゐる』に逆転させた正岡子規の悟りの深さにうたれる。
外道には無理か
では修空華万行へ。
375 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 10:33:10 ID:VRNXexu1
禅は天魔の所行といった仏教者もいたね。 禅では悟れないことを自白している。
376 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 10:34:07 ID:U/uN87uQ
377 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 10:34:30 ID:+IPZHfnH
>>371 片山先生はテーラーワーダの信者でしょ。テーラーワーダはとんでもない
カルトのようだ。
東南アジアの政情は悪い。特に本拠地のスリランカは、ヒンドゥーとの
果てしない殺し合いを続けている。ほとんどがキリスト教国の植民地だった
から、キリスト教の影響を受けたものと思われる。超カルトの神智学と
も繋がっている。
大乗仏教の国日本に、カルト佛教テーラーワーダをはびこらせてはならない。
378 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/07(月) 10:40:35 ID:NQPCMq9s
>>369 >机ちゃんが、間違いを認めたことも、正確に論証したことも見たことない、
>あるのは全て空だからとか言って誤魔化すことだけである。
「仏道とは己に習ふなり」。by道元
とありますように、先ず仏道といふのは己への洞察がテーゼとなります。
少しずつ開悟してきますと、己とはなんたるや?
が見えてまいります。
「見えている」という境位から、
次第に同化(主客等価)という過程まで進んでまいります。
ここまで来ますと、自覚的には「悟った」というのがかなりあります。
これはつまり、オーガニズムの頂点ですね。
この対極にあるものが、いわゆる侭滅でして、
こういう過程を一般的には経てまいります。
じゃあ、何で悟る必要があるのか?→(法珠氏の疑問)
これは両極を体得する。ってことで、後に重要であることが解ってまいります。
これは「悟り」においての“ほんの触り”なのですが、
なかなか、ここまで逝くのも至難ですね。
そこからニルヴァーナですから・・・・(*^^)v
379 :
閻魔大王 :2009/09/07(月) 10:49:34 ID:oRnMpHPL
>>375 >禅は天魔の所行
『真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊』(日蓮)
日蓮は俺がSM地獄送りにしてやったら、
赤鬼女王様の鞭打ち1000回お仕置きに、よだれと小便を垂らして悦んでますが・・
ホント懲りないおっさんやw もう帰りたくないってさ。
380 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/07(月) 10:52:49 ID:/0jQC+aB
>>374 「中道」を自己都合でデタラメに何にでも使うべきではありません。
それは修行者の両極端な意識状態(囚われ)や姿勢について離れるようを説く教えです。
あなたのやってることは“涅槃なんて極端だから辞めましょう!”てなものです。
>>378 道元でも誰でもいいですが・・・
ゴータマが仏陀なのです。ゴータマより道元とかやってるから根本から違うのだと思う。
仏陀はゴータマだけです。宗祖など・・・すべて後代の弟子の(道にある)人に過ぎません。
381 :
閻魔大王 :2009/09/07(月) 11:04:25 ID:oRnMpHPL
>>380 >自己都合でデタラメ
おまいがゆーな!
おまいがゆーな認定委員会
>仏陀はゴータマだけです
いったいなんのための自灯明、法灯明なのかね?
外道から寺和田なみの個人宗祖主義に祭り上げられて、ブッダは困惑中。
仏陀とは、
俺のことかと、ブッダ言い。
382 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 11:36:14 ID:VRNXexu1
>>378 >「仏道とは己に習ふなり」。by道元
これは釈迦の遺言の「自灯明」だね。
だけど釈迦は自灯明だけとはいわなかった。
「法灯明」が大切だろ。法を見ない人には悟りも無い。
383 :
閻魔大王 :2009/09/07(月) 11:58:19 ID:oRnMpHPL
つい今しがた、感じるところがあった。
>臨済:殺仏殺祖殺父母(
>>374 )
上記を下記に訂正する。
閻魔大王:殺仏殺祖殺父母殺己
384 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/07(月) 12:27:17 ID:HsUW1tQ6
もうアートマンの存在は否定できないのだから、 それを前提にしない話はどれもこれも誤りであると判断していい。 空だとか無我だとか主張する人は、 そう主張することによって釈迦を普通の人にしている。 そのことに早く気づこうよ。
385 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/07(月) 12:40:31 ID:HsUW1tQ6
悟りは簡単ではない。それは恐ろしいほど困難である。 空とか無我とかの話はほとんどタワ言である。 そんなものは悟りの入り口でしかない。 それよりもむしろ、旧7坊やにほめられた、 本能が煩悩だと言っていた人の方が悟りに近いかもしれない。 悟りには生命や本能への洞察が欠かせない。
386 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 12:43:31 ID:+OypagR2
>>363 もちろん、涅槃で滅びるのは自我でしょう。
肉体(物質)は消えたのではなく形を変えただけだし、
心のエネルギーも、その都度、他へ移転・拡散していくだろうし。
自我が滅びるというのは、自我が壊れるとも言える。
車が壊れて二度と車にはもどらないが、
車だった材料はスクラップになって存在している。
お釈迦様の自我が滅びたら、
もう二度とお釈迦様がお釈迦様として現れることはないでしょう?
それが「滅び」だと思います。
物質世界でも心の世界でもない「涅槃の世界」があって、
お釈迦様はそこにかくれてるだけで、
また涅槃の世界からこっちの世界に下りてくる、
なんていうふうには思いません。
涅槃に入ったら、存続する何ものもない。
涅槃に入って壊れた車を再び車にもどすような「何か」は、どこにもない。
387 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 12:49:13 ID:+OypagR2
久遠の釈迦だとか、法身仏だとか、大日如来だとか、 そのようなものは信じていません。 久遠の釈迦だとか、法身仏だとか、大日如来だとかが、 目にはみえないけど存在していて、 お釈迦様が涅槃に入っても、滅びたわけではなく、 それらと合一するだけなのだ、 みたいには思っていません。
388 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 12:55:50 ID:q5WecylS
>>380 >仏陀はゴータマだけです。宗祖など・・・すべて後代の弟子の(道に
>ある)人に過ぎません。
君やここのテラワダカルト諸君の「開祖個人崇拝」は、ヒットラー崇拝、
スターリン崇拝、毛沢東崇拝、金正日崇拝、ポルポト崇拝と、原理的に
は全く同一であることを、自覚しているのかね。
大乗仏教では、竜樹その他無数の人々の絶えざる努力により、開祖を
批判し、その教えに改良を加えている。仏弟子としての義務を果たして
いる。君たちの仏陀個人に対する無批判の盲信・狂信は、優れた教師と
しての仏陀が最も嫌悪・軽蔑するところであろう。
389 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/07(月) 12:58:04 ID:NQPCMq9s
>>382 >だけど釈迦は自灯明だけとはいわなかった。
>「法灯明」が大切だろ。法を見ない人には悟りも無い。
基本的には自灯明です。
この灯明で生死大海に挑むんであります。
しかしなが大海は既に大時化(おおしけ)の状態。
一気に渡岸するは無理です。
途中に島がないと駄目ですね。
この島が法灯明です。
390 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/07(月) 13:09:04 ID:HsUW1tQ6
縁起や空の役割は、言葉の限界を知ることにある。 言葉は平面的だから、立体的な現実を表現することはできない。 どんなに言葉を費やしても、事物そのものを表現することはできない。 これが言葉の限界である。縁起や空は現実を語るためではなく、 言葉に踊らされないため、言葉の限界を知るためにある。 わたしたちは言葉によって社会生活をしている。しかしそれが、 思いこみであり妄想であり洗脳である、ということである。 なぜなら言葉によって動き、動かされているから。
391 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 13:12:53 ID:U/uN87uQ
>>378 ほらほら、予想通りのワンパターン
>
>>369 >>机ちゃんが、間違いを認めたことも、正確に論証したことも見たことない、
>>あるのは全て空だからとか言って誤魔化すことだけである。
392 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/07(月) 13:14:28 ID:HsUW1tQ6
机先生もウンコ大王も縁起とか空だとかを誤解している。 言葉に踊り、踊らされてはいけない。
393 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 13:20:24 ID:q5WecylS
>>391 ワンパターンなのは、君たち原始仏教カルトではないのかねw。
開祖と原始仏典がすべての、思考停止の個人崇拝、個人の神格化と偶像
崇拝。
「自灯明」などという言葉を吐けた宗教の開祖は、古今東西、釈迦一人
であることを、忘れてはならない。
394 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 13:29:01 ID:U/uN87uQ
>>393 ワンパターンなのは、なんど訂正されてもくだらん妄想はき続けるお前だよ。
なんど誤解だと論証されても、その間違いが認められない、ドアホ。
395 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 13:34:48 ID:VRNXexu1
>>363 >死後にすべてが消滅するなどという見解を「断滅論」(一切は死によって無に帰する)と呼ばれ、
>これは最も真理から遠い見解であるとしてゴータマが強く戒めたものです。
>簡単に言うと唯物論者の主張のことですよ!
沙門果経も読んだことが無いみたいだね。
アジタ・ケーサカンパラの断滅論だって死後すべてが消滅するなんて不合理
なことはいってない。すべてが消滅するなら唯物論ですらない。
「この人間は、四大要素からなり、死ねば、地は地界に入り行き、水は水界に
入り行き、火は火界に入り行き、風は風界に入り行き、もろもろの感官は
虚空に転移する。」・・・「誰であれ、有説を唱えれば、それはその者たちの
空言であり、戯言である。愚者も賢者も、身体が滅ぶと、断滅し、滅亡し、
死後には存在しない。」と。
これは現在の生物学から言っても合理的な考え方だね。身体が滅んで消滅するのは
「ヒト」という生物をあらわす名だけだ。それを構成する物質は滅ぶことは無い。
だから唯物論といわれるのだ。
396 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 14:12:45 ID:I4q0/yb5
>>394 >なんど誤解だと論証されても、その間違いが認められない、ドアホ。
「自灯明・法灯明」の意味のことなら、岩波佛教辞典の当該項目及び「法」
の項目を熟読して、「基礎的知識」を得られたし。反論があれば、辞典の
執筆者に対して言ってくれ。君も、執筆者ほどには勉強していないはずだ。
そもそも、釈迦が、「自分の頭で考えろ。しかし俺の考えには従え」などと
言ったとしたら、釈迦が「ドアホ」ということになる。その程度は、辞典に
よらずとも、通常の論理の範囲内ではないのかね。
397 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 14:19:52 ID:I4q0/yb5
>>395 「死んでも消滅しない」などという者のほうが、筋金入りの唯物論者
だねw。
398 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 14:24:24 ID:U/uN87uQ
>>396 ほんと、アホで卑怯だよな。岩波を根拠にして文句があるなら、執筆者にいえだと。
そんな辞典程度で偉そうに講釈垂れ上がって、しかもテメエ、その辞書の短文も正確に読めてねえんだよ。
本来〈自らを島とし…〉
とちゃんと書いてあるだろ。どこが「自分の頭で考えろ」なんて教えなんだ。なにか言いたいならちゃんと翻訳を読んで調べるくらいの最低限の努力しろ。
誤りを指摘されたら訂正するぐらいの倫理、恥を知れ。
お前は、このスレに登場した中で、一番最低の野郎だよ。
バカだし、卑怯だし、鈍感だし、傲慢不遜で恥知らず。
399 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 14:39:24 ID:I4q0/yb5
>>398 君は、よほど「思考停止」が好きなのだね。それも釈迦の教えか?
君が、岩波の執筆者以上の学者とは知らずに、失礼したよ。
「自らを島とし」の具体的意味は何かね。
隠居が他人に「自灯明、法灯明」を説いたとする。でも 別にキリスト教を信じてもいいよ、というメッセージは込めないだろ。
402 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 15:21:09 ID:U/uN87uQ
>>399 >君が、岩波の執筆者以上の学者とは知らずに、失礼したよ。
知らなかったなら、いいよ。以後、気をつけろ。
オマエには何回説明しても馬耳だからなw
403 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 16:40:36 ID:vPihInpp
>>401 それでは御釈迦さんは了見が狭いよ。「法灯明・自灯明」と言った以上、キリ
スト教が「法」に合致してれば、後は「自灯明」だろう。さらに、「法」に
合致するか否かの判断も、自灯明に任せるのが、論理である。
>>402 岩波辞典以外の意味があることを、立証・説明できないのかねw。
2chに、そんな大学者が書き込みするのかねw。
404 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/07(月) 17:36:59 ID:NQPCMq9s
>>403 >キリスト教が「法」に合致してれば、後は「自灯明」だろう。
キリスト自身が、人類の原罪消滅という意味で十字架に掛かったか?
というのは、経緯からして疑問ではある。
どちらかというと、キリスト自身のポリシーに忠実に従った。
という方のが納得は逝く。
三島もそうであろう?
あれは憂国で自決している訳ではない。
後者なのだ。
自分の理性に従ったんでありんすよ。
武士もそうだね。
あれは忠義で切腹する。というのは建前。
それでは人間は死ねない。
戦時中の兵士もそうであろう?
「天皇陛下万歳!」。って逝って死んで逝くか?
殆どは「おかぁさぁ〜〜ん」。と言って死ぬんだよ。
クリスチャンというのは、こういう人間の機微なとこは盲目でありんす。
このスレの人達、小難しく考えるの好きみたいですね。 釈尊は、自分が死んだ後、弟子達が正しく仏法を弘めてくれることを 望んだわけだから当然、法灯明も必要だし、自灯明も必要になってくる。 当たり前のことだと思うが。
>>403 >それでは御釈迦さんは了見が狭いよ。
隠居にとっては狭くはないだろ。弾いて当たり前の部分を除外してるだけなんだから。
>キリスト教が「法」に合致してれば、
「法」に合致してない、ってのが隠居の立場だろ。教祖から教えから信者に至るまでイカれてるんだろ。
「法」に非ず、とみなしたものに対しては同じ反応をするわけだ。病人認定とか細部は別としてな。
ゴキブリを食うのが嫌だからといって好き嫌いが酷いとかこだわってるとか言わないだろ。
407 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 20:22:14 ID:U/uN87uQ
>>405 >望んだわけだから当然、法灯明も必要だし、自灯明も必要になってくる。
自灯明というのは漢訳にもない一部の現代学者の誤訳だよ。
自洲という意味で、暴流激流の如き輪廻から涅槃という彼岸に渡るための
中州としての仏教を学ぶ、修行する状態をえた人身といった意味。
ちゃんと原文や訳文で読めば間違いようがない。
自灯明とか「この世は美しい」とか現代人の現状肯定のために都合のいい
誤解を垂れ流してる学者はまったく。増谷文雄とか読まないように。
あと自灯明なんて書いてる仏教書は、その時点でもう信用できない。
408 :
旧7 :2009/09/07(月) 20:32:44 ID:L5YezuKR
>>407 >あと自灯明なんて書いてる仏教書は、その時点でもう信用できない。
言い過ぎw
409 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 21:55:12 ID:UqDr8aPY
あ
410 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 22:04:46 ID:mvMcaGHd
>>388 >大乗仏教では、竜樹その他無数の人々の絶えざる努力により、開祖を
>批判し、その教えに改良を加えている。仏弟子としての義務を果たして
>いる。
ここにも「末法の世を起こした縁は龍樹だ」と自ら認める自称大乗仏教徒を
発見しました。
逆の見方をしますと、釈尊は「龍樹が縁で正法が滅する」こと所謂「法滅」を
三明智で読んでいたことになりますね。
411 :
析空 :2009/09/07(月) 22:30:15 ID:H5egqaC3
>>410 【法滅】の思想は、滅後500年位に現れたと考えられ、竜樹よりも100年位前。
アーナンダが女性の出家を釈尊に認めさせたために、
正法は1000年以上保つはずが、500年で滅びるとされた。
412 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 00:24:54 ID:ih9gjkRb
>>407 同意。
「島」という訳よりも「灯明」という訳を
使いたがる人が多いのはなぜでしょうね。
「島」は、煩悩・妄念の激流に流されないためにつかまるもの。
具体的には、自や法に心を専念することで、
妄想・雑念を強制終了させるテクニックの話なのでしょう。
島には、こちから能動的につかまらなければならない。
妄想雑念の波に心が飲み込まれそうになったときに、
瞬時に自や法を念じることで、妄想雑念から抜け出すわけです。
413 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 01:04:33 ID:T7XrFVs8
>>407 >自灯明というのは漢訳にもない一部の現代学者の誤訳だよ。
「釈迦の遺言」といわれる「自灯明・法灯明」にさえ、捏造や誤訳が
あるのでは、原始仏典全体が信用できないことになる。岩波辞典も買って
いない自称佛教学者のために、岩波辞典における定義を掲げておくから、
若し誤りがあれば根拠を挙げて、岩波に訂正を要求すべきであろう。
佛教において重大な問題ではないのか。
自灯明。法灯明:
「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理(法)
を灯明とし、真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせず
にあれ」という教え。釈迦の遺言として長阿含経巻2などに伝えられる。
本来、「自らを島として・・・」と訳されるべきところ、<島>を意味
するサンスクリット語dvipaはパーリ語などの俗語では灯明を意味する
dipaと同語形になることから、俗語で書かれた原典によった漢訳者が誤
訳したものと考えられている。」
なお、「美しいこの世界」は、確か、東南アジア佛教の方が、釈迦の言葉
として、その著書の表題が副題に使用している言葉だが、この言葉につ
いても、同様に、根拠に基づく訂正をすべきである。
414 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 03:33:02 ID:kuxOgXVD
>>310 アメリカの人もリラックスのために瞑想するよ
イライラばかりして仕事に熱中できないとか
笑顔ができず友好的な関係が築けないとか
仏教では瞑想でリラックスするとか笑施するとか
いろいろ解決法を与えてるけど、あくまでこれ、
世間の人は自己管理のためのハウツーとして利
用してるだけですよ。
彼らは仏教徒ですか?それに瞑想は仏教の専売特
許ではありませんし。
旧7氏は結局仏教を現代に合わせる方向に変革
しようとしてかえって陳腐にしてるだけな気がする。
415 :
析空 :2009/09/08(火) 05:58:19 ID:LxWOVfhw
>>412 灯明であれ、島であれ、洲であれ、いずれも「よりどころ」を意味する
という認識があれば、大差ないと思います。
それに、
>>413 を読むと、
>>407 の発言は間違っているのでは?
自灯明、法灯明は漢訳で、現代の仏教学者が、島や洲であると訳しているのでは?
416 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/08(火) 07:00:53 ID:pnImCU9r
>>413 >岩波辞典における定義を掲げておくから、
>若し誤りがあれば根拠を挙げて、岩波に訂正を要求すべきであろう。
辞典の定義に正確性を期しておったら、収拾がつかなくなる。
ようは誤訳であるにせよ意味とすれば同義ですね。
>捏造や誤訳があるのでは、
>原始仏典全体が信用できないことになる。
原始仏典とうのは、当時とすれば最高レベルと言っていいだうね。
現代における視点で信用性を云々することは全く必要はない。
信用していい。
聖書の捏造とかいった作為はないし、
もし仏典に捏造があるとすれば後期になる。
417 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/08(火) 07:17:29 ID:f2loJ8C9
>>412-413 「灯明(燈明)」というのは漢訳経典の記述である中村氏は述べています。
意図した趣意はそう異なるものではないということ。
>>415 激しく同意!
パーリから「島」や「洲」と訳しているということでしょう。
別に何んのこともない。
418 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/08(火) 07:18:37 ID:f2loJ8C9
>>386-387 >肉体(物質)は消えたのではなく形を変えただけだし、
>心のエネルギーも、その都度、他へ移転・拡散していくだろうし。
>自我が滅びるというのは、自我が壊れるとも言える。
それを断滅論、唯物論というのです。
肉体を構成していた諸元素が還元していくのは当たり前であって、
しかし、“死を以って意識が断滅する”などの考え方などは仏教の観点からは完全に間違った見解です。
>お釈迦様の自我が滅びたら、
>もう二度とお釈迦様がお釈迦様として現れることはないでしょう?
これも当たり前です。
ゴータマ・シッダッタという個我は死後に崩壊していきます。
>涅槃に入ったら、存続する何ものもない。
>
>久遠の釈迦だとか、法身仏だとか、大日如来だとか、
>そのようなものは信じていません。
ゴータマ・シッダッタという個我が久遠なのではなくて、
如来という存在は二度と没すること無き不滅の意識です。
それを永遠不変の境地(ニルヴァーナ)という。
信じないのは自由ですが、仏教徒とはいえない。
>>395 >沙門果経も読んだことが無いみたいだね。
手元にあります!
そのような見解(各諸元素が還元していくだけという見方)を間違いだといってるのですよ。
お解り?
419 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 08:08:40 ID:HXVOMjwz
>>418 >そのような見解(各諸元素が還元していくだけという見方)を間違いだといってるのですよ。
沙門果経のどこでそのような見解が間違いだと説いている?
手元にあるならその部分を引用してみたら?www
でも「死後にすべてが消滅する」などといわれていないことは理解したのかな?
420 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 08:11:13 ID:4Zy4zW6S
>>415 自分で確認する方法を知らないのか?
君はスマナサーラさんのただの受け売りだからな〜
以下で自灯明で検索すると、
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/database.html 第一義法勝經 (No. 0833) 0882c21 - 0882c29: 中當得十地復三百劫生自燈明如來應正遍知佛之世界 [show] (1 hit)
ヒットするのは上の自燈明如來のみ、つまり、用例なし。
自洲で検索すると、
雜阿含經 (No. 0099) 0008a21 - 0008b12: 爾時世尊告諸比丘住於自洲住於自依住於法洲住於 [show] (2 hits)
雜阿含經 (No. 0099) 0008x05 - 0008x05: 自洲〜\\AttadIpa. [show] (1 hit)
雜阿含經 (No. 0099) 0176b28 - 0177a14: 亦當過去是故阿難當作自洲而自依當作法洲而法依 [show] (3 hits)
雜阿含經 (No. 0099) 0177a15 - 0177b08: 亦當過去是故汝等當知自洲以自依法洲以法依不異 [show] (2 hits)
雜阿含經 (No. 0099) 0177x01 - 0177x01: 自洲〜\\AttadIpa. [show] (1 hit)
佛所行讃 (No. 0192) 0044b10 - 0045a02: 所惓當修厭離想善住於自洲當知自洲者專精勤方便 [show] (2 hits)
阿毘達磨順正理論 (No. 1562) 0515c15 - 0516a09: 座不應但説圓無缺等隨自洲相人面亦然復有八中洲 [show] (1 hit)
阿毘達磨藏顯宗論 (No. 1563) 0850c03 - 0850c24: 千周圍八千踰繕那量隨自洲相人面亦然復有八中洲 [show] (1 hit)
根本説一切有部苾芻習學略法 (No. 1905) 0913a28 - 0913b07: 食共三苾芻等別食者若自洲日斜至明相出食非時食 [show] (1 hit)
大日經供養持誦不同 (No. 2394) 0326a16 - 0326c29: 之義阿含以四念處觀爲自洲不異洲自歸不異歸今此 [show] (1 hit)
上の雜阿含經の用例は間違いない註に自洲〜\\AttadIpaとも書いてあるし。
法灯明では23件ヒットするが、自灯明法灯明の用例はない。
以上から漢訳にないと結論するのが妥当だろう。
421 :
旧7 :2009/09/08(火) 08:12:14 ID:iag+KjHH
>>414 アメリカンドリームという言葉を使ったから、アメリカ人が出て来たのか?
上っ面しか読めないようだな・・・。
また、「アメリカ人が仏教徒かどうか?」が、どうして310と繋がるんだ?
「彼等も瞑想してる」?、「瞑想は仏教の専売特許ではない」?
だから何なんだよw 310とどこが関係してるんだ?
「世間の人はハウツーとして利用してるだけ」?、だから何?
それは、仏教とは(仏教徒の生き方とは)言えないから、
徹底批判し、仏教という呼称を付加してはならない、即刻辞めさせるべき、
原点、釈尊へ帰れ!、とでも言いたいのか?
キミも、
「人類総出家・総比丘化こそが目指されるべきで、それ以外の社会(の様相)などあり得ない!」
と言いたい上座部かぶれの原理主義か?
君が、
>>310 に414をレスしてきた意図が不可解だよw
422 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 08:12:30 ID:4Zy4zW6S
ただし、DBも万能でなくヒットしない場合やデータが間違ってる場合もあるから、断言はできない。 一件でもあれば、否定されてしまうからだ。その可能性は否定しない。 岩波仏教辞典なんてこんなもんだ。優れた先生も書いてるが、 ダメな人も書いてる。最終的に適当に編集された適当なものだと思う。 辞書なんだから、初心者の参考程度なんだよ。 そんなものを最終的な証拠のように出すことが間違い。
423 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/08(火) 08:55:07 ID:f2loJ8C9
424 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 12:27:30 ID:dEDApx5u
>>411 >【法滅】の思想は、滅後500年位に現れたと考えられ、竜樹よりも100年位前。
>
>アーナンダが女性の出家を釈尊に認めさせたために、
>正法は1000年以上保つはずが、500年で滅びるとされた
法滅の「縁」は尼僧なのでしょうか? それとも仏教の哲学化でしょうか?
他の見解はありますか。
425 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 12:48:36 ID:ih9gjkRb
>>423 仏教では、誰でもが死んだら自我が消滅するわけではないでしょう?
阿羅漢果の悟りに達した者が死んだ場合には、自我が消滅する。
それが無余涅槃じゃないんですか?
涅槃という存在があるという認識ですか?
たとえば「大我」みたいなかんじですか?
個我が壊れても大我とひとつになるという考え?
涅槃とは、大我のことなんですか?
私は、そうじゃないと思います。
涅槃とは、滅びることだと思います。
なぜ、たとうば大我とひとつになって存在しつづけるみたいな、
存在するというポジティブな表現にこだわるのでしょうか?
そのような思考も、消えたくないよぅ、存在していてほしいよぅという
煩悩にすぎない気がするのです。
426 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 12:54:49 ID:vMByO5RW
>>422 その調子で、釈迦や仏典自体は一切批判できず、「最終的な証拠のように」
持ち出すのは不思議。
言語学の発達も満足な辞書も無く、コミューニケーションの手段も貧弱
であった当時の文献の信頼度が格段に低いことは、常識で考えれば分る
こと。
427 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/08(火) 13:16:44 ID:RkNibgbP
もうアートマンの存在は否定できないのだから、 それを前提にしない話はどれもこれも誤りであると判断していい。 空だとか無我だとか主張する人は、 そう主張することによって釈迦を普通の人にしている。 そのことに早く気づこうよ。
428 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/08(火) 13:31:13 ID:RkNibgbP
空とは、この人間社会における地位とか名誉とか、 肩書とか出世とか、およそ人間が欲しがる世俗のいっさいである。 心を占領し、命より大切になってしまう理想も空の空
429 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/08(火) 13:36:21 ID:RkNibgbP
この現実が空なのではない。 人間社会の、地位とか名誉とか、肩書とか出世とかが空なのである。 理想に燃えることもあるだろう。しかしその理想が空なのである。 自分は貧しい、自分は豊かである、という思いが空なのである。
430 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 13:43:14 ID:4Zy4zW6S
>>426 オマエみたいな中学生の模範解答程度のヤツは黙ってろ。
何も分かってないと早く気付け。
431 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/08(火) 14:07:40 ID:RkNibgbP
人間社会の決まりごと、それらいっさいは空である。 地位も名誉も、肩書も出世も、みんな空である。 これが空であり、この世間は空である、と言う場合の意味である。 しかしだからといって別に出家しなくてもいい。 空の意味がわかっていればそれでいい。
432 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/08(火) 14:30:08 ID:RkNibgbP
つぎの問題は、究極の悟りに到れるかどうかなのだけど、 99.99・・・・% 無理だろうと思う。 なぜならば、唯識の教える精神構造からして不可能なのである。 人間が誕生するためには、根本識(アートマン)だけでなく、 根本識→アラヤ識→マナ識という構造が必要である。 そしてこのアラヤ識が汚れている。 他方で人間が悟り、清らかになるためには、 この汚れたアラヤ識を脱落させなければならない。 このことが意味するのは、 死ななければ悟れない、清らかにならないということである。 そしてさらに言えば、死んで悟れるという保証がまったくない。 根本識からアラヤ識が脱落しない可能性があるからだ。
433 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 14:31:39 ID:92uqOJ/r
釈尊はバラモンや世俗の3種のアートマンの捉え方を否定した。 そして牛乳、ヨーグルト、バター、チーズ、醍醐と名称は変化するが 乳製品の本質(アートマンの譬え)は無いとは説いていない。
434 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/08(火) 14:46:05 ID:RkNibgbP
生きていたのでは悟れない。死んでからでは手遅れである。 しかし唯一の可能性が仮死状態にある。 釈迦が悟ったとか、空海が悟ったとか言われているが、 かれらは仮死状態を体験しているのだろう。 悟ることは命がけなのである。
435 :
暁 :2009/09/08(火) 15:51:37 ID:Q3ks/Bgn
「縁起を見ること」「法を見ること」「仏を見ること」とは同義である。 「若し人、一切法の衆縁(多くの縁)より生ずるを見ば、是の人即ち能く仏の法身を見る。智慧に増益して、 能く四聖諦の苦集滅道を見る。四聖諦を見ば、四果を得、諸苦悩を滅す。是の故にまさに空の義を破するべからず」 (大正蔵、三〇巻、三四ページ下) 縁起は相依性、即ち諸法を成立せしめる根拠を示す。「縁起を見る」とはこのことである。縁起なるものを客体化 して把捉するのではなく、主体的に理解するのである。したがって「縁起を見る」ことの内容を概念で表現するのは不可能。 さらにこの「縁起を見ること」は「法を見ること」である。法が縁起の理法を意味するならば、全く問題ない。 法がそれぞれの法として成立しているのは全く相依によるのであり、縁起から切り離して法を考えるのは不可能。 したがって「法を見る」といって独存孤立したダルマの本体を認めるという意味ではない。 (プラサンナパダー、五五九ページ) また仏陀という独立の実在があるわけでなく、縁起をさしているにほかならないから、「縁起を見ること」が 同時に「仏を見ること」でもありうるわけです。
釈迦は、人類の手足の数が10本でないと明確には説いていない。 だから人類の手足の数は10本ある。 確かに肩からは二本しか腕が生えていないかもしれないし、 股関節からは二本しか足が出ていないかもしれない。 しかし、だからといって合計で10本の手足が生えている という本質について否定されたわけではない。 だから人類の手足の数は10本である。
アートマンというのは乳製品みたいに注ぎ分けたり切り分けたりできるものなのか?
「弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、 真実として捉えられるものではないのであるから、 このようなものに立脚した教え、つまり、 『我と世界は一つである』とか、 『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、 まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」 (マッジマニカーヤ 中部経典22)
『心理・身体的集合体のほかには、それから独立の、自律性を持った、永遠に生き続ける魂(アートマン)などはない、という[教え]は、 仏教のすべての宗派に共通で、[仏教徒にとって]普遍的な教義です」(ダライ・ラマ)
『われ(アートマン)というものはない。 また、わがものというものもない。 すでにわれなしと知らば、何によってか、わがものがあろうか。と知ることができるのである。』 (相応部経典22.55 増谷文雄訳)
多くの平均的な自称神智学徒は無知で思考が硬直しています。 正直、自分の見聞きしている狭い範囲でしか判断していないし、 その分、他の宗教者よりも程度が低い。 これは「アートマン」「真我」といったものが誤読されて、自己都合に使われているということでしょう。 その結果として事実に無知で詭弁ばかりです。 そして、実体論的発言が目立つ。 「心霊現象」のようなものを常識のように言ってくるとは・・ただ絶句するしかない。 しかし、自称神智学徒たちにはオカルト好きが多く、 ゴータマの示した「涅槃」の姿勢を何でも全部に広げ、 或いは「仏性」の教えを何でも誤用して、“無我”といった執着を離れるための教えでも否定します。 あとはオカルト前提な態度で詭弁を展開して何でもはぐらします。 実証的なことは遠巻きに避けて、主観的なことがらを事実として説きます。 そんなのは当然のことであるとして、まったく非論理的な思考しかできません。 これらの人々は自分で直接、体験したことを事実だと思いこむので 議論しても無駄なのです。更に一部の人は客観的な証拠がないと突きつけられても 自分自身に対して、「これは詭弁だ囚われてはいけない・・」といって逆暗示をかけていきます。 完全に、自己暗示で洗脳を掛けているので恐ろしいものです。 まっ、こういう極端な人々というのは、 あらゆる宗教的な人々の中では自称神智学徒だけです。
442 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 17:36:58 ID:92uqOJ/r
>>441 >これらの人々は自分で直接、体験したことを事実だと思いこむので
>議論しても無駄なのです。
「机上空論」、「机の上で空を論じた」ことを事実、リアルだと思い込む
仏教徒と議論しても無駄でしょうか。
そういうことはまず空を理解してからの話ではないでしょうか。 空というのは「相」を否定するものではないわけですから、 人々が見ている現実を否定するものではないわけです。
自己と世界が現象しているのは、 妄想アートマンの業報輪廻転生によるのではなく、 ひたすら複合的な縁起の法によるのである。
>>443 >空を理解してからの話
説似一物即不中
思考=記憶の再生に従っている限り、人間は幸福に生きることができません。 技術的な知識などに基づくものを除く思考とは、過去のいやな記憶に対する恐怖と、 過去の快楽の記憶に対する執着に他なりません。 そして、これらの過去の過ぎ去ってしまったどうすることもできない出来事を、 まだ来ない未来に投影して、その空想の中で現実逃避をする行為に他なりません。 ですから、思考に生きる限り人間は絶対に幸福になることができず、 思考を「我思う故に我あり(ルネ・デカルト「方法序説」)」と自分自身と同一化して 生きる限り、自我の存在自体が自分自身を苦しめる原因になります。 また、思考はこれまでに述べたように、観念世界である過去と未来に基づくものです。 そしてそれらの観念の中に逃避することです。逃避することが自分を苦しめているのに。 そのため、今あなたが生きている世界である現実世界を無視することになります。 幸せを感じることができるのは「今」だけなのに。 ですから、自分が自分を苦しめていることに気がつくことが悟りです。 思考=自我なんて窓から投げ捨ててしまいなさい。 でもそれがなかなかできないなら、まずひっきりなしに起こる記憶の再生をなんとか することです。そうすればインスピレーションが通ります。 ホ・オポノポノやセドナメソッドはそのための簡単な方法を提供してくれます。 ニサルガダッタ・マハラジのように、いきなり「私は在る」に焦点をあわせるのもいいでしょう。 マハラジの言うことがいまいちわかりにくいという方は、「一瞬で宇宙とひとつになれる 真我瞑想」をお薦めしますが、この人のやっているセミナーに大枚はたくことは全然 おすすめしません。ただし、基本的にこの本に書かれていることはマハラジと一緒ですが、 日本人が書いているのでよりわかりやすい、それだけのことです。佐藤康行さんは 「ないないない」という言葉をキーにしていますが、これはマハラジの「私は在る」と同じことです。 あなたに恐怖を与えるものがあるのではないのです。不安をあたえるものがあるのでもないのです。 恐怖や不安とは、あなた自身の思考が勝手に作り上げた幻なのです。 幻はそれが幻であると気がついたら、消えます。幻相手に戦う必要はありません。
業報輪廻転生論・・前世での、経験的記憶すらない原因で現世で責任を負わされるとすることは 形而上の形而下への侵奪であって原理的矛盾である。 責任である以上故意または過失の原因に対する自己への責任記憶規範意識がなければ 応報的および教育的効果を認めようがなく、そもそも応報原理に反する。 まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。 (マッジマニカーヤ 中部経典22)
アートマン業報輪廻転生論は結局、その動機において損得勝ち負け取引論であって、 かえって『執着」増大強化機能を持ち、苦しみからの解脱に役たたない。 まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。 (マッジマニカーヤ 中部経典22)
>>442 >「机上空論」、「机の上で空を論じた」ことを事実、リアルだと思い込む
仏教趣味者であって、仏教徒ではない。
450 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/08(火) 18:35:32 ID:oRa1TnW1
>>446 もう少し短文にしませんか。ポイントだけのほうがアピールする。
それにあなたは無理なことを言っている。
記憶は消えないし、あったことを無いことにはできない。
451 :
暁 :2009/09/08(火) 18:36:26 ID:Q3ks/Bgn
「…故の空である」 というように、「空」は帰結である。ここを注意して考察しないとな。
452 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/08(火) 18:51:30 ID:oRa1TnW1
空は悟りの入り口でしかない。悟りの出口はアートマン。 しかしその間にもうひとつ中間項がある。 悟りには二重三重の壁がある。 あなたがたは決して悟れない。
>>447 「こうであるべき」と仏教側を変形させるのではなく、
いっそのこと仏教なんて捨ててしまいましょう。
454 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 19:44:40 ID:4Zy4zW6S
>>447 業報輪廻転生論は、アートマンなどの実体・実在を想定・設定しない縁起・空だからこそ、成立するというのが釈尊と中観の見解。
もう、説明しないから、反論するなら過去ログ読んでね。
読んだ上で、反論するなら答えるけど、でなければ答えないよん。
>>454 当然、俺の見解だよ。
みんなは他人の考えをテープレコーダーのように
自己意見として剽窃しているのか?w
まったく愚かな姿勢であると言わねばなりませぬ。
(マッジマニカーヤ 中部経典22改)
>>453 >「こうであるべき」
「こうであるべき」などと自己当為を押し付けているのではない。
アートマン業報輪廻転生論は 1)原理的矛盾であり
2)応報原理に反し
3)動機において損得勝ち負け取引論であり
4)『執着」増大強化機能を持ち、苦しみからの解脱に役たたない。
と、批判している。
まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。
(マッジマニカーヤ 中部経典22)
457 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:04:03 ID:HXVOMjwz
こんな匿名掲示板で俺の見解だなんて著作権主張しても始まらない。 インターネットにさらした情報は誰のものでもなく一人歩きすると 心得よ。
>>457 あふぉ、ですか?
なにトンチンカンぶりを曝してんのw
業報輪廻転生論支持者はよーするに 来世とやらを夢想して、「勝ち組」とやらになりたい我執の徒であるわけだw 大川隆法大センセの如くにねw まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。 (マッジマニカーヤ 中部経典22)
460 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:38:24 ID:92uqOJ/r
>>442 >「机上空論」、「机の上で空を論じた」ことを事実、リアルだと思い込む
>仏教徒と議論しても無駄でしょうか。
>>443 >そういうことはまず空を理解してからの話ではないでしょうか。
>空というのは「相」を否定するものではないわけですから、
>人々が見ている現実を否定するものではないわけです。
自信を持って「運動」も「時間」も無いと談じる人達を本スレで
見かけますが、「机上空論」者ですか? 「現実を否定しない」者
ですか?
443氏はどちらだと思いますか?
461 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:44:14 ID:92uqOJ/r
Aさんは「霊魂」と「再生」があると言います。 Bさんは「運動」と「時間」はないと言います。 世の中の常識的な人達から見て、どちらがまともに 見えるでしょうか? 一度、アンケートをとればすぐに分るでしょう。 因みに「霊魂」と「再生」があると信じている人は 50%おります。
462 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:45:10 ID:4Zy4zW6S
>>455 一応、確認しとくが仏教は縁起して業因果が輪廻すると説くということなんだが?
オイラの縁起説は、現代人にはあまり知られてないようだが?
君の意見とは驚いた。
463 :
旧7 :2009/09/08(火) 20:54:01 ID:iag+KjHH
>>460 >>461 自分の非や誤読は無かったことにして、また違う話題か・・・w
ほんとに性根の腐った奴だよ。お前は・・・。
お前のその、どす黒く、濁り、淀んだ、どろどろの心が綺麗になることなんかないんだろうな・・。
豆腐の角に頭ぶつけてしんじまえ。
>>462 ほらw
生まれ変わり&輪廻肯定のお仲間が何か言ってますよw
>>461 貴方も同意見ですか?wwwww
一言老婆親切するなら、
≪「輪廻」を積極的に説く限り、彼らとの縁は、深い繋がりは永遠に続く≫と思いますよw
そうでないなら、見事、彼らとの関係を断ち切って見せてほしいものですw
ノシ
464 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:58:08 ID:kuxOgXVD
>>421 ぜんぜん世俗と真理が区別できてないじゃん
世俗と仏教の対比がされているというが
世俗を遠ざけるのは宗教の方であって
世俗は単に生活と欲の余剰があるのみ。
アメリカ人が意識する事なく仏教徒になっているなら仏教とは生活法にすぎない
仏教という教理をつくらなくとも
ストレスをうまく抑制できるブッダ式健康法でいいじゃないか
なんとなれば数息観も
弓道では腹式呼吸法と銘打たれているからね
465 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:58:28 ID:92uqOJ/r
石川県立看護大の2001年のアンケート調査では、 「霊魂を信じるか」は「信じる」が約58%、「信じない」が約14%、 「どちらともいえない」が約28%。全世代を通じて女性の方が男性より も信じる割合が多い。 現代日本の意識構造 第五版」(NHK放送文化研究所 NHKブックス 2000) にその結果が掲載されているのだが、この調査でも高年齢層の方が「あの世」 とか「お守り」などを信じないという結果が出ている。 10年前には3割に満たなかった40代女性の「来世を信じる」という回答は、 実に今回は48.3%に達しているのです。「超能力」については「来世」ほどでは ないですが、それでも10年前よりほぼ10ポイント増加しています。 (博報堂の調査結果)
>>326-327 ID:MLPGLsJ8 >仏の入滅後については、… >岩波文庫のどれかに書いてありました。
>>332 ID:G/qAdmsY >仏典にあるように、それこそ無記、如来の死後のはず。
ちなみにですが、スッタニパータのウパシーヴァ経は、中村訳(
>>354 )では、
死後についてまで言及しているように読めなくもないですが、本来はそういう意味ではなく、
以下に引用する正田訳のように、「生前解脱」のありようについて述べたものだと思います。
1073 〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕「一切に眼ある方よ、もし、彼が、〔何ものも〕追い求める
ことなく、また、多くの年月を、そこにおいて安立するなら、まさしく、そこにおいて、
彼は、〔欲の炎が消えた〕解脱者として、〔欲の炎なく〕冷静に存するのでしょうか。
〔それとも〕そのような類の者の識別作用は、〔解脱後も〕有るのでしょうか」〔と〕。
1074 世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、風の勢いで飛び散った炎が滅却し去り行くと、
〔もはや〕名称に近づかない(名づけようがない)ように、このように、
名前と身体(名身)から解脱した牟尼(沈黙の聖者)は、滅却〔の道〕へと去り行き、
〔虚構の〕名称(概念)に近づくことはありません(名付けを離れた存在となる)」と。
1075 〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕「その、滅却に至った者(解脱者)ですが、あるいはまた、
彼は、〔もはや〕存在しないのですか。それとも、まさに、常恒であるため、無病の者(永遠不滅
の存在)となるのですか。牟尼よ、どうぞ、わたしに、それを説き示してください。
この法(もの・こと)は、まさに、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」〔と〕。
1076 世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、滅却に至った者(解脱者)には、
量ることが〔すなわち、量るべき尺度[よすが]が〕存在しないのです。それによって、
彼のことを〔あなたに〕説こうとしても、彼には、その〔量るべき尺度〕が存在しないのです。
一切の諸法(もの・こと)が完破されたとき、一切の論〔へと至る〕道もまた、完破されたのです」と。
467 :
旧7 :2009/09/08(火) 21:07:17 ID:iag+KjHH
>>464 だから、なんでそういうレスを俺に向かってするんだ?
俺は、 ≪仏教が、>ブッダ式健康法でいい ≫など一言も言ってないぞ。
どこ読んでるんだ?
≪そういう在り方・生き方もアリ≫だと述べただけだと記憶するが?
解り易くしてくれないか?
私のレスの「どこ」が「どのように」読めるので「それはこのようなことでしょう?」
という解り易い形にしてくれないか?
君が、私の何を批判してるのか見えないんだが。
468 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:07:24 ID:4Zy4zW6S
>>463 困ったね。同意見なわけないだろ。
しかし、君が一番の理解者かもw
在家さんは、誤淫嘘に近いよ。
頭はいいし、キモは据わってるが卑怯なとこが誤淫嘘、そっくり。
宝珠さんは、間違いが認められるから、在家さんとは違うと思う。
アートマンを仏教が説いてないことに対してはなかなか認められない。
これはしかたがないと思う。なかなか実体論的思考から抜け出せないから。
カラスは誤淫嘘とほぼ同じ。
名無しで、何人かオイラと同意見の人がいるでしょ。
469 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:11:21 ID:4Zy4zW6S
>>466 それって無記でしょ。無記でなく四句だとしても、有無といった意識の認識形態を超えていることは確実。
つまり、無とは言えない。
470 :
旧7 :2009/09/08(火) 21:15:58 ID:iag+KjHH
>>468 すまんねw 冗談だよ。
けど、ネット上は勿論、リアルでも、
一番厄介なのはああいうタイプなんじゃないか?
そして、もともとそういう素養・傾向を持っていると、あっという間にカルト色に染まってしまう・・・。
で、一旦染まってしまうと、なかなか色落ちしない・・・w
(伝統諸宗派の怠慢は指摘されていいが)、防護策(有効な反論の言辞)は講じられた方がいい。
彼の態度を見てるとつくづくそう思うよ・・・ orz
なるほど!
カッサパ3兄弟じゃないが、こういう時に神通力が必要になるんだなwww
うん、なるほど。
471 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:30:49 ID:92uqOJ/r
>>468 >しかし、君が一番の理解者かもw
そうですね、旧7氏が一番の理解者だと思います。
472 :
暁 :2009/09/08(火) 21:32:53 ID:Q3ks/Bgn
卑怯だろうが姑息だろうが葛だろうが両親が嘆き苦しもうが搾取により信者が破滅しようが 本人が幸せなら問題無い…でいいと思うよ。
473 :
旧7 :2009/09/08(火) 21:33:37 ID:iag+KjHH
>>468 >名無しで、何人か
最近書き込みの増えた(今日の日付でのID:ih9gjkRb)が、
スリランカ系(≒スマナサーラ系)(ちょい原理主義っぽい?)で1人。
もう一人、真言氏ファンが一人。
もう一人、元コテ「ken」もやはり上座部系だったか・・・。
貴方はチベット経由のビルマ系スパイス、って感じか?w
あと、前シリーズで「不説」という人もいたな。(個人的には、彼に一番親近感があるが・・w)
他「三代スレ170」氏も、和の香りは高かったが、貴方寄りでしょうね。
けど、きっちり同意見とは見えないような遣り取りも少しばかり散見されてたようだが・・・w
あ゛あ゛あぁ・・・・・。 御隠居が飛び上がって喜びそうなレスになっちまったwww
474 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:34:12 ID:kuxOgXVD
>>467 仏教が実践の教えである以上
方法として解かれるものの中で
人間をリラックスさせる技術があるのは確かだよ
さっきも説明したように昔からやってきたことではあるのだけど、
現代科学が仏教から都合のいい部分を抽出してきて加工するとき
抽出された技術は仏教とは呼べないでしょ?
と言ってるの
仏教が在家信者を許容する宗教であることはたしかだが
教理をぬかしたら在家もくそもないだろう
在家は来世へのステップがあるから許容される
475 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:44:17 ID:4Zy4zW6S
>>470 前にも言ったけどオイラは出離に意識が向いてる人に共感しちゃう傾向があるんで、
常識に意識が向いてる人に共感しちゃう君とは、そこにズレがあるんでしょう。
もっと、心が広くなるように修習しないといけない。
そうすれば誤淫嘘の愚鈍さにも慈悲が持てるようになるかもしれない。
と一応、反省はしてますが。\(__ )
476 :
旧7 :2009/09/08(火) 21:45:42 ID:iag+KjHH
>>474 まったく(99%)同意見だが?
なぜ、咬みつかれねばならんのだ?w
(※残り1%は、奈良さんの仏教風呂敷論を援用させて貰えば、
抽出され加工されたものも、そのエッセンス・本質・核となる部分に「おしえ」が保たれていれば、
「仏教」と称し得るだろう、と考えるからだ。少なくとも、このスタンスを完全否定した時、
日本仏教やチベットはおろか、下手したら上座部も仏教の看板を下ろさねばならなくなるぞw)
477 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:47:39 ID:4Zy4zW6S
>>471 貴方もなかなかの人物なんだから、仏教にちょっかいださずに
神道系一直線でいったらどうなの?
478 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:51:25 ID:klW0DdNl
>>475 >そうすれば誤淫嘘の愚鈍さにも慈悲が持てるようになるかもしれない。
>と一応、反省はしてますが。\(__ )
精神病者に慈悲をかけられると迷惑なのだが。それよりも、早く治療して
良くなって欲しいと願っている。
479 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:52:40 ID:4Zy4zW6S
>>473 >貴方はチベット経由のビルマ系スパイス、って感じか?w
ちがうちがう。オイラは大乗一直線だよ。
ビルマ系テーラワーダには尊敬の念あり。
いや、ここはパーリ中心だから合わせてるだけ。
ほんとはテーラワーダにしてもパーリにしても詳しくないっすよ〜
480 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:53:45 ID:4Zy4zW6S
481 :
旧7 :2009/09/08(火) 21:54:14 ID:iag+KjHH
>>475 その(正直なw)発言はよく解る。
てか、人ってのは(→凡夫、途上にある者ってのは)そんなもんでしょw
ま、だからこそ、波長の合う師匠や先達との出合いは貴重なんでしょう。
仏典で、(善き)類友の確保が述べられ、(悪しき)類友にならないよう述べられるのも、
さもありなん、とw
私は、宝珠や在家やカラスよりは、御隠居の方が、
視野狭窄な面はあるにせよ、彼らよりはるかにマシだと思ってますよ。
歩み寄ってくれそう(理解してくれそう)なのは宝珠だけかもしれんが・・・。
けど、頑固さでは皆同じかw ( オレモナーw AA(ry )
世界の唯物論者(少数)=神への恨み(ルサンチマン)=アンチキリスト・アンチ神秘主義 日本の唯物論者(仏教徒)=西洋コンプレックス(戦後左翼教育に洗脳)=単なる馬鹿
483 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 22:03:33 ID:4Zy4zW6S
重要なレスに返事するの忘れてた。
>>412 >「島」という訳よりも「灯明」という訳を
>使いたがる人が多いのはなぜでしょうね。
自分で主体的に選択せよという近代自我解釈が可能だからでしょう。
>「島」は、煩悩・妄念の激流に流されないためにつかまるもの。
>具体的には、自や法に心を専念することで、
>妄想・雑念を強制終了させるテクニックの話なのでしょう。
>島には、こちから能動的につかまらなければならない。
>妄想雑念の波に心が飲み込まれそうになったときに、
>瞬時に自や法を念じることで、妄想雑念から抜け出すわけです。
それは四念処などで、自洲・法洲とは文脈が違うと思います。
484 :
旧7 :2009/09/08(火) 22:06:21 ID:iag+KjHH
>>477 今は知識が溢れてるからね・・・。
溺れてる自分が言っても説得力はないが、
一昔二昔、(いや、三昔くらいはいってもいいか?w)前の、
情報が氾濫してない時代でなら、もしかしたら逆に、大勢の見本たる信者足り得たかもしれんねw
余計なことに手を出さず、質実実直な教理の護持は結構難しい・・・w
(そういう形でなくとも、相対性理論や量子論、果ては宇宙論に至るまで、
最新科学物理学と仏教を「直結」させる思想の、なんと多いことか・・・。
あまつさえ、ブッダは相対性理論を説いていた!量子論を説いていた!なんてのは、もうね・・・(^^;) )
てか、(今では老舗となりつつある)新興宗教各種の教祖方は、
ほんとに、実直で、誠実に、言葉を発してたんじゃないかと思う。
日蓮系各種を評価はしないけれども、それでも、
たとえば創価の堕落・変容は、まさに2代目3代目の力不足や視線の向け方がまずかったと言えるのでは?
諸悪の根源は大作だろうけどw
って、スレチだな。 止め。
485 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 22:08:50 ID:4Zy4zW6S
>>481 昔から正直さだけが美点だから、オイラは。
やっぱな〜。
カラスと誤淫嘘は全くのネラだと思ってますが。
信じてるのは自分のエゴだけ。つまり、ただの盲信w
まあ、意見があって今日は、おやすみですかな(^_-)-☆
486 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 22:17:03 ID:4Zy4zW6S
>>484 > 最新科学物理学と仏教を「直結」させる思想の、なんと多いことか・・・。
> あまつさえ、ブッダは相対性理論を説いていた!量子論を説いていた!なんてのは、もうね・・・(^^;) )
私は詳しいことは知らないけど、現代物理学を記述するための
形而上学的基盤を仏教は提供できると思ってます。
パルメニデス以来の有の形而上学的前提、実在論、本質主義では不可能。
縁起・空の形而上学的前提に立って記述可能だと予測する。
しかし、釈尊は一切智・宿命通などで全ての事例を此縁性で
検証したと思ってますよ。経典を素直に読むとそうとしか思えません。
だからこそ、釈尊は一切智と自称されたと思う。
釈迦の時代から2000年以上経つし、帝釈天もそろそろ死んで生まれ変わるのかなー。
488 :
旧7 :2009/09/08(火) 22:40:09 ID:iag+KjHH
>>483 大乗系なら、もう少し違う考察も可能でしょう?w
≪漢訳仏典には「自灯明」の語は皆無≫≪「法灯明」の語はある≫
≪北伝地域では、「島」は勿論、「河の中州」がポピュラーな景色だったかどうか(拠り所としてイメージし易いかどうか)≫
≪「灯明」という語の汎用性、重要性、及び、深い意味の含ませ易さ≫≪灯りの大切さ≫
≪説明・解説(昔なら「説法」、近現代なら「法話」)の際、「島・洲」と「灯明」と、どちらの方が、イメージし易く、理解し易いか≫
≪現時点を見るなら、歴史的にどれだけ頻繁に(→大量に)「灯明」の方で説かれてきたか≫
≪仏教外でも使用される頻度の高い(→より解り易さ・イメージのし易さが求められる)名句となっている≫ などなど、
こうしたことを考慮すれば、近現代日本で、「灯明」の訳が多く使用されることを不思議に思うこともあるまい?
「灯明」であることにより誤解が生じ、それが深刻で避けねばならないと思う人は、補足説明すればいい。
それで十分だ。岩波辞書も無難な記述だよw
※もっとも、近代の学者でその流布した著作に於いて使われていたということはあるかもしれないが、
かといってその彼を(誰かは知らんがw)責めることもなかろう。
普通に補足説明すれば、「自灯明」でも誤解はないのだから・・・。 御隠居は特別だろw
>>486 それは結果論でしかないし、
人型の大根が成育したからといって、大根という植物が、その種が、人型に育つ形質を持っていたわけではない。
援用可能なほど洗練されていたという評価は為し得ても、
《現代知られる「それら」を説いていた》なんてのは、宝珠や在家の妄想と変わらんと俺は思う。
≪2500年前と変わっていないと推測される、《我々の心模様》について、釈尊は説かれた≫のだ、
と私は理解している。
>>479 >>485 了解w ノシ
創価の御書検索でやってみたが「自灯明」「法灯明」はなかった。 他の宗祖はどうなんだろう。
490 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 23:06:16 ID:klW0DdNl
>>488 「自灯明・法灯明」の意味を、お得意のパーリー語の原典から引用し、その
正確な意味をご説明願います。
「仏陀の遺言」さえ理解できない仏教徒では、お話になりません。非佛教徒
の教養としても、極めて重要です。
>>483 で引用されている「島」の説明では、
一般人には意味不明。
なお、灯明が島の誤訳であることさえ知らないで、「自分の心を照らすもの」
などと解釈している「仏教徒」の方がいましたね。これでは、意味が反対になる。
>一般人には意味不明。 そうか? ここでいろいろ見て予備知識があるんだから 隠居はいわゆる「一般人」ではないだろ。
492 :
443 :2009/09/08(火) 23:26:35 ID:7FMzBusA
>>460 > 自信を持って「運動」も「時間」も無いと談じる人達を本スレで
> 見かけますが、「机上空論」者ですか? 「現実を否定しない」者
> ですか?
> 443氏はどちらだと思いますか?
それは多分いろんな人がいるのだろうと思いますが、
そのことを考えるより前に、
「現実的に」運動はないし、時間もない。という言葉の意味をよく考える必要はあると思います。
その視点に立てば確かに無いわけです。
しかしそれは現実を否定しているわけでもないわけです。空は無ではないということです。
自分自身が空を理解しなければ、人が空を理解しているかどうかは分らないはずです。
> Aさんは「霊魂」と「再生」があると言います。
> Bさんは「運動」と「時間」はないと言います。
> 世の中の常識的な人達から見て、どちらがまともに
> 見えるでしょうか?
Bの方がまともに見えることもあります。
運動や時間は誰の目にも「ある」わけですから、そのことを踏まえた上で「ない」と言っているからには
「切り口が違う」ということを意味しているだろうと推測されるからです。
しかし実際にはどういう意味でそれを言っているかの方が重要であって
ある事象のイエスノーだけを取ってみても意味がないと思います。
493 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 23:41:57 ID:klW0DdNl
>>491 私は、精神医学的興味と宗教撲滅の立場から、宗教信者の狂態を観察して
いるだけ。
佛教について知りたい一般のROM者も多数いる(2chは世界中に開かれている)
だろうが、このスレからは、「仏教とは何か」がさっぱりわからんぞ。現代の
一般人にも分る程度に、佛教の中心思想・原理を抽出できるまでの勉強と思索
が必要ではないか。小乗仏教カルトとそれに群がるキリスト教系カルトの「オ
ナニースレ」になってはならない。
494 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 23:46:41 ID:klW0DdNl
>>485 >信じてるのは自分のエゴだけ。つまり、ただの盲信w
君たち小乗カルトのような、「自分の輪廻転生を逃れ、気持ちいい涅槃に
入るために、ひたすら修行する」ほどのエゴはないよw。
495 :
旧7 :2009/09/09(水) 00:00:57 ID:kn4ROdaY
>>493 ここは専門スレだ馬鹿垂れw
スパゲティと中華料理屋の喩えを忘れたか?
>>490 大般涅槃経の該当箇所(本文)で十分だろw
当然持ってんだろ? (この際、岩波の中村訳でも構わんよw)
持ってるからこそ、盛んに引用、使用するんだろ?
寝るわ。
496 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 00:01:14 ID:9mxKH7T6
>>483 法灯明(島)・自灯明(島)の話って、
怠ることなく精進しなさいっていう内容の話じゃなかったっけ?
じゃあ、精進するとはどういうことか?
四念処などの具体的な実践をたえまなく続けることではないでしょうか?
497 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 00:20:56 ID:UOl0PhfS
>>495 専門スレだからこそ、仏典の言葉の重箱の隅をつつくだけでなく、
中心思想と原理の抽出こそ、必要であろう。その抽出の努力がなされて
いるとは思えない。
中村氏の岩波のスッタニパータは買ったが、何の感動も、得るところも
なく、読むのをやめた。「正しい」「正しい」「真理」というばかりで、
それらの「具体的内容」はさっぱり分らない。従って、それ以来、原始
仏典は読まないことにしている。法句経の「己が身に引き比べて」の
一文だけで、佛教は充分。
>>496 それでは、「自」灯明の説明にはならない。
>>493 あの引用文は初見ですら理解できないレベルじゃないよ。
つーかさー、反応見るための釣り煽りですよとあからさまに態度を
現しつつ、ひとからそういうレスされて上から目線で
何しなさい此れしなさい言われても一般的には動く気にはならんだよ。
>このスレからは、「仏教とは何か」がさっぱりわからんぞ。
中心思想
・縁起
・煩悩、輪廻を脱する
こんな感じか。
>必要であろう。
そう感じられてないし、強いることはできないんだよ。
このスレの詳しい人にとっては足し算の説明をいちいちやらされるようなもんだろ。
明らかに協力を仰ぐってポーズじゃないしモチベもテンションも上がらないよ。
>一般人にも分る程度に、佛教の中心思想・原理を抽出できるまでの勉強と思索
>が必要ではないか。
やりたい人が気が向いたときにやればいいんだよ。コテも名無しも教材作るために
このスレにいるわけじゃなさそうだし、隠居がやればいいんだよ。他所で。
目次とか作って体系的な説明文をものしたいならまとめwikiを新たに作ればいいんだよ。
めんどくさい?もしそうならひとの怠慢を非難できる立場ではないんだよ。
>>497 >それでは、「自」灯明の説明にはならない。
精進して流れに耐える島になってるだろ。
499 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 03:24:33 ID:UOl0PhfS
>>498 >・縁起
>・煩悩、輪廻を脱する
>こんな感じか。
それは小乗の中心思想だろ。日本は大乗仏教の国であることを忘れているのか。
肝心の「空」が抜けている。それに、「如来蔵」「仏性」「一切衆生悉有仏性」
「煩悩即菩提」「本覚思想」「自利自他」「色即是空・空即是色」など、「日
本人」にとって最も親しみ深い佛教概念はどうした?君らは一体どこの国の仏
教徒か。
> やりたい人が気が向いたときにやればいいんだよ。
「佛教専門スレ」をうたいながら、それを真っ先にやらないで、君らは一体何を
やってるのかね。
>精進して流れに耐える島になってるだろ。
島は、「自」ではなく、「他」に過ぎない。「自」はどこえ行った?精進とは、
「流れる」ことか。島に頼らなければ、自分では流されてしまう精進なのか。
それでは、修行とはいえない。
日本人に皆出家して、修行しろとでもいうのか。そんな暇人はいないよ。自分
から希望してやる修行など、甘ったれた趣味・娯楽に過ぎない。「他者との係
わり合いの中での生存努力」こそ、趣味・娯楽としての修行とは比べ物になら
ない苦行ではないのかね。自分から望んでやる修行など、修行とはいえない。
意図的に自分を苦しめて快感を感じる「マゾ」という「精神病理」に過ぎない
ではないか。
「輪廻転生」による「脅迫」と「甘言」を利用して信者を狂わせ、その財産や
労力を騙し取る現代にはびこる宗教被害については、どう考えているのか。
500 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 04:55:42 ID:VUonMV9J
501 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 05:36:12 ID:KFALggyU
>>488 そうかな? それは誤訳を跡づけしただけじゃないか?
DB 検索結果が正しいとすれば岩波の以下の記述は完全な誤りですね。
>>413 >dipaと同語形になることから、俗語で書かれた原典によった漢訳者が誤
>訳したものと考えられている。」
そして増谷文雄あたりが自分で判断しろという意味の自灯明を喧伝したと思われる。
そこから誤淫嘘解釈はそれほど遠くない。つまり、誤読だと思う。
誤読でないとしても、誤解が流布した自灯明は、もう否定すべき言葉だと思う。
>《現代知られる「それら」を説いていた》
もちろん、そうは言わない。もっと優れた縁起を説いていたと言いたい。
502 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 05:38:54 ID:KFALggyU
>>489 大正大蔵経DB でないんだからない。
他にみるとすれば、大正未収録の漢訳仏典ですね。
東アジア撰述文献で、自灯明という言葉を造語するとは思えない。
調べたいなら、自灯明について述べている文献の典拠を辿るべし。
503 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/09(水) 08:17:06 ID:sr1SXTSx
>>441 ウ〜ム。
心に染入る名言ですねぇ^^
てか・・(涙)
私の投稿文の該当箇所をただ入れ替えてるだけじゃーん orz
504 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/09(水) 08:18:10 ID:sr1SXTSx
>>388 >>393 これは“崇拝”などというものではありません。
ゴータマは私を崇拝したところで決して成仏などできない、と説いたのです。
ゴータマというのは、
解脱を果たし仏陀と成られた仏教史上で唯一、その実在が確認されている人物であり、
その仏陀であるゴータマ自らが説かれた教説(解脱成仏についての教え)を纏め
伝承されたものが原始経典群です。
後代のどこの誰が説いたかも分らない大乗経典類とは違います(一部を除き・・)。
こちらは仏陀ではない(解脱成仏を果たしていない)者が、
自分の推論や憶測及び勝手な願望などを込めて書いたものであり、
内容そのものが明らかに原始経典とは異なります。
従って、仏陀ご自身の説法に拠らない大乗経典というのは
解脱成仏できるという保証のない信頼性に欠けるものです。
これが原始経典を学ぶべき唯一の理由です。
極論でいうと、大乗経典のどこに何が書いてある・・・
などというのは関係がありません。これらは仏典ではない。
宗祖の誰が何を言ってるというのも同様、
それらは日蓮教であり、道元教であり、最澄教であり、法然・親鸞教・・・に過ぎない。
“仏教(仏陀の教え/解脱成仏するための方法)と呼べるものはゴータマ(の教え)だけ”です。
少なくとも原始経典を馬鹿にして仏教は成立し得ない!!!
ゴータマ及び原始経典を押さえつつ、理由があって自分で更に何かを学ぶ・・・
というのならばいい。
505 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/09(水) 08:19:46 ID:sr1SXTSx
>>499 >島は、「自」ではなく、「他」に過ぎない。「自」はどこえ行った?
『比丘たちよ、だが、もし、比丘にして修習するに精進することがなかったならば、<わが心取著するところ
なくして、もろもろの煩悩より解脱してあれ>と望むといえども、その心は、取著するところなく、もろもろの煩
悩より解脱してあることはできないであろう。』(雑阿含経10:8応説/相応部経典22:101手斧の柄)
「願ったところでダメなんだ」といっているのです。
「私の説いた教えを実際に修行しないならば、決して解脱成仏はできない」と。
ゴータマは最後に、「私がいなくなっても私が説いた教えがあるから、
それを拠り所として自分自身で修行しない」といったのです。
自分自身で修行するとは、
当然、自分で考えて、自分で判断して、自分で行動するということです。
ただし、誤解してはいけないのは、
私(ゴータマ)が説いた教えに拠らずして“勝手デタラメでいい”ということにはならない。
そこのところを誤読してはならないということ。
「自分勝手にしていい」
などいう教えは仏典には存在しない。
506 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/09(水) 08:31:51 ID:sr1SXTSx
>>505 訂正
× それを拠り所として自分自身で修行しない」といったのです。
○ それを拠り所として自分自身で修行しなさい」といったのです。
大切な部分が・・ orz
507 :
析空 :2009/09/09(水) 08:59:24 ID:fukqVDDy
>>493 問:仏教とはなにか?
答:仏の教え
(縁起、空、中道、無我、四諦、八正道)
問:仏教の目的は?
答:悟り、解脱、涅槃
ここで最重要たる涅槃については、このスレで既に語れた。
このスレは無我について論じている。
>>499 >それは小乗の中心思想だろ
大乗の中心もそれだよ。
全部
>・縁起
>・煩悩、輪廻を脱する
に向かってるじゃない。
仏性あるから何しなくてもいいよ〜なチャランポランにしたら失礼だと思わないのか。
間口を広くしていても、唯の現状容認ではない。大乗も隠居が利用できるネタじゃない。
あきらめれ。
>「佛教専門スレ」をうたいながら、
釈迦がアートマン説いたかという一分野の専門スレだからだよ。
>島は、「自」ではなく、「他」に過ぎない。
だから、自分を島にしてんの。島はうろちょろ流されないだろ。
法の場合はよりどころ、しがみつく対象としての島だろ。
>日本人に皆出家して、修行しろとでもいうのか。
強制じゃない。善行してれば天に生まれるとされている。
出来なくても機会が先延ばしにされるだけ。浄土も仏になるための場所。
>「輪廻転生」による「脅迫」と「甘言」を利用して信者を狂わせ、その財産や
>労力を騙し取る現代にはびこる宗教被害については、どう考えているのか。
仏教をわかりやすく説明するのはかえって害になりそうなので止めたほうがいいな。
509 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/09(水) 10:15:59 ID:RXe0JuVS
>>497 >中心思想と原理の抽出こそ、必要であろう。その抽出の努力がなされて
ああ、抽出しても、どうにもならんかと思いますね。
仏教というのが知識とか、そういうもんじゃあないですから。
結局は自分で悟らなければ、全てが机上の空論です。
机上の空論だとしても、そこには何らかのヒントはある。
茶の湯の茶碗に、貴殿は宇宙を見るのですか?
それは見たとしても空論に過ぎないじゃあないですか。
これは本人にしか解らんものです。
ある人は桃の花に宇宙を見たりする。
これは感性ですよ。
ただの花である。っと、結論すれば、その通りであります。
花は紅(くれない)
柳は緑
<by沢庵>
>>493 >仏教とはなにか?
老いる事、死ぬ事への恐れは、現在も2500年昔も変わりません。
だれもが、これらの苦しみから解放されたいと願っています。
それは「自我」から生じる思いなのです。
人々は「自我」が存在するものと思っています。
しかし、この自我は妄執によって仮構されたものであって、
仮に存在しているに過ぎないのです。←ここが悟る最重要ポイント
だから⇒「自我とは仮に存在するもの、と見破って、自我への執着を離れよ、
そうすれば世界は『空』なりと観ることができ、
それによって生死の苦しみを乗り越え、慶安にいきることがでる。」
これがゴータマ・ブッダさんが説かれたすべてです。
仏教のメルクマールの三法印、四聖諦その他の既成概念などは後に学僧が教科書的に纏めたものです。
その既成概念でこのスレのように仏教趣味者が裸踊りをしているにすぎません。
>>507 そんな単語を並べたって、普通のひとは「右耳→左耳→日常執着へ」だよ。
>>508 >善行してれば天に生まれるとされている。
>出来なくても機会が先延ばしにされるだけ。浄土も仏になるための場所。
カルトが悦びそうな、突っ込みどころ満載の「教え」だな。
511 :
510 :2009/09/09(水) 10:32:02 ID:cU7ZeRHe
訂正 × 慶安にいきることがでる 〇 慶安に生きることができる
512 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/09(水) 10:36:19 ID:RXe0JuVS
>>461 >Aさんは「霊魂」と「再生」があると言います。
>Bさんは「運動」と「時間」はないと言います。
>世の中の常識的な人達から見て、どちらがまともに
>見えるでしょうか?
Bさんがマトモですね。
台風は動いておりませんし、
小石が当たった竹は「カアァ〜〜〜ン」とは鳴かない。
「カアァ〜〜〜ン」とは何か?
既に答が見出されたかと思います。
513 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 10:44:58 ID:KFALggyU
>>510 >老いる事、死ぬ事への恐れは、現在も2500年昔も変わりません。
>だれもが、これらの苦しみから解放されたいと願っています。
>それは「自我」から生じる思いなのです。
>人々は「自我」が存在するものと思っています。
>しかし、この自我は妄執によって仮構されたものであって、
>仮に存在しているに過ぎないのです。←ここが悟る最重要ポイント
>だから⇒「自我とは仮に存在するもの、と見破って、自我への執着を離れよ、
> そうすれば世界は『空』なりと観ることができ、
> それによって生死の苦しみを乗り越え、慶安にいきることがでる。」
ここまでは異論がありませんが。
> これがゴータマ・ブッダさんが説かれたすべてです。
すべてと断言しちゃうところが浅薄な近代主義を予想させますね。
こういう考えの人は、戒も定も全く無視する傾向があるんですよ。
戒も定も釈尊は説かなかったとでも仰るのかな?
>仏教のメルクマールの三法印、四聖諦その他の既成概念などは後に学僧が教科書的に纏めたものです。
その可能性は全く否定できないとしても、逆に三法印も四聖諦も釈尊が説かれた蓋然性がものすごく高い。
なぜなら、『スッタニパータ』『ダンマパダ』などから始まって、
一貫して説かれているから。
四法印が龍樹菩薩以降という蓋然性が高いのと、よく似ている。
逆に上のように断言できる根拠はなにもないでしょう。
ただの推測だけで。しかも、可能性は極めて低い(^^)
514 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 10:58:08 ID:PqP8xKYp
>>508 >強制じゃない。善行してれば天に生まれるとされている。
善行は、「自分が」天に生まれるためにするものかね。それでは、「取引」
であり、醜悪な「エゴの行為」以外の何物でもないではないか。
輪廻転生の脅迫と甘言を信じ込ませれば、強力な「心理的強制」となる。
心理的強制によって自由意志を奪われて行う善は、人間としての善ではなく、
操り人形としての行為である。
人間は、脅迫と甘言がなければ、善をなさず、悪をなすのか。相手の窮状を
目の当たりにして生じる、可哀想だと思う自然の感情から、相手を助ける
のではないかね。可哀想だと思う自然の感情から、悪を思いとどまるのでは
ないかね。自分が天国に入るための取引条件としてなす善は、エゴの行為で
あり、相手にとっては偽善で、迷惑・侮辱以外の何物でもないではないか。こ
れほど人間を軽視・否定する行為はない。
釈迦が言ったからどうだっていうのか。名もない人々でも、日々の生活において、
相手に対する思いやりという自然の感情から、善をなし、悪を思いとどまって
いる。釈迦のような、取引のためのエゴからではない。それらの名もない人々
のほうが、釈迦よりはるかに「悟り」、「解脱」している。
君たちは、教組の麻原が入った汚れた風呂の水を有難がって飲む、オウム信者
の行為と何らの変わりはない。
自灯明・法灯明を、岩波辞典が定義したように解さなければ、「釈迦の遺言」は、
彼の、「我のみ良しの独善性」の言葉になり、そもそも、釈迦自身が「法」に
真っ向から反していることになるではないか。「原罪」と「贖罪」の脅迫と甘言
で人間を操る忌むべきキリスト教と何らの相違も無い。
釈迦がそんな人物であるのなら、彼を盲信する君たちは、「人間」として、根
本的に誤っているのである。
>>512 >「カアァ〜〜〜ン」とは何か?
=奪人不奪境(臨済)
>「カアァ〜〜〜ン」とは鳴かない。
=人境倶奪
>世の中の常識的な人達から見て(
>>461 )
「脱」常識(マトモではない)
↑
≠ベタ、超、非
516 :
析空 :2009/09/09(水) 12:03:40 ID:fukqVDDy
>>461 仏教は多数決では決まりません。
アインシュタインの相対性理論も、はじめは世界中の常識人から否定されましたが、
いまでは、正しいと認められています。
真理は、常識で判断するものではありません。
517 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/09(水) 12:28:14 ID:sr1SXTSx
>>515 「原始仏教はカルトだ。
輪廻転生はカルトによる脅しだ。
日本は大乗仏教の国なんだぞぉ」というならば、
では、あなたが支持する輪廻転生を説かない日本の大乗とは、
一体、どの宗派のことなのかいいなさいな!
支持する宗派を具体的に挙げてもらえます?
518 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/09(水) 12:29:26 ID:sr1SXTSx
519 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/09(水) 12:42:01 ID:RXe0JuVS
>>515 >>世の中の常識的な人達から見て(
>>461 )
>「脱」常識(マトモではない)
まあ、そうとも言えますね。同意です。
常識人が、仏教を語ちても・・・・
それは空理空論ですね。
常識人が「机上の空論」などと、レスポンスするあたりは、
失笑ものですがw
>>514 こういうことになっている、と書いただけ。
ろくでもない土台の上に成り立っている点では同じだから
大乗にも用はないね。隠居としては。
>善行は、「自分が」天に生まれるためにするものかね。それでは、「取引」
>であり、醜悪な「エゴの行為」以外の何物でもないではないか。
隠居が犯罪をしないのは単に警察に捕まるからなんだろうな。
>彼の、「我のみ良しの独善性」の言葉になり、そもそも、釈迦自身が「法」に
>真っ向から反していることになるではないか。
しょせんは釈迦視点での「法」だから仕方が無いだろ。
しっかしここまで嫌悪しながら執着するってどういうことなの・・・
>「原罪」と「贖罪」の脅迫と甘言で人間を操る忌むべきキリスト教と何らの相違も無い。
というわけでキリスト教並の屑宗教にこだわる理由は霧散しました。
521 :
一在家 :2009/09/09(水) 14:43:40 ID:bOHP8fCU
>>461 >Aさんは「霊魂」と「再生」があると言います。
>Bさんは「運動」と「時間」はないと言います。
>
>世の中の常識的な人達から見て、どちらがまともに
>見えるでしょうか?
アンケート結果でも分りますが、世の中の人達の過半数が
「A」ですね。
キリスト教でも日本神道でも「輪廻」は説いておりませんので、
釈尊が説かれた「縁」にて高い支持率が「起」こっています。
因みに「再生」が無いという人は2割以下ですよ。
私も多数決が正しいとは思いませんが、一般常識を出張される
方々が本スレでも多いので提示した次第です。
522 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 14:56:47 ID:hfsgF1lu
>>517 >支持する宗派を具体的に挙げてもらえます?
現代の大乗仏教では、少なくとも表立っては説かない。そんなことを
大真面目に信じる現代の檀家はいないし、説けば、檀家から馬鹿にされる
だけだからではないかな。
輪廻転生による脅迫と甘言では、世俗の法律と同じ。宗教は、法律が
拠って立つ人間性の基盤まで考察すべきであろう。
その基盤は、人間の生存本能に基づく共同体形成維持本能と、自他の
死への恐れ、他者への憐れみという、自然の感情である。
523 :
旧7 :2009/09/09(水) 15:26:38 ID:kn4ROdaY
>>514 >岩波辞典が定義したように解さなければ
いやいやいやいやw ギャグですか?
岩波辞書からさえも大きく逸脱しているのが貴方じゃないですか?w
百歩譲っても、
「その“方向性”を含意(想定)し得る」、というだけで、『けっして「それ」が本義となることはない』。
(“方向性”という言い方で治め得るかどうかも、少し不安な所ですが・・・。)
524 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 15:31:22 ID:KFALggyU
>>523 そうなのよ。誤淫嘘には多分、五回ぐらい岩波でさえ誤読してると指摘してきたのですが、
彼は、それを認めないばかりか、指摘してるのに岩波辞典持ってないと、
いまだに誤解しているのだ。
この人は、ほんとうに優しく接すべき人なのかもしれないぞ。
525 :
一在家 :2009/09/09(水) 15:40:19 ID:UGIMPNKR
>>521 >アンケート結果でも分りますが、世の中の人達の過半数が
>「Aさん」ですね。
>キリスト教でも日本神道でも「輪廻」は説いておりませんので、
>釈尊が説かれた「縁」にて高い支持率が「起」こっています。
>因みに「再生」が無いという人は2割以下ですよ。
本スレでは「Bさん」が多いですね。
宝珠氏や◆/yQ8氏がこだわっているのも分ります。
>>522 > 現代の大乗仏教では、少なくとも表立っては説かない。
俺の知ってる宗派はどれも「表だって」説いてるけど?
寺院で配布してるプリントとか小冊子とか見たことないの?
もしかして情報弱者で「妄想」を事実と勘違いしてる人?
527 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 16:13:01 ID:w74R8IAV
>>528 >いやいやいやいやw ギャグですか?
>岩波辞書からさえも大きく逸脱しているのが貴方じゃないですか?w
「自らをたよりとして、他人をたよりとせず」と、ちゃんと書いてあるでは
ないですか。この「他人」には、釈迦自身を含まれ得ますよw。まさか、釈迦が、
自分(釈迦)自身を「法」と呼ぶような、大それたことはしないはずです。
パーリ語の原典ではどうなっていますか。是非、ご教示ください。お得意の
パーリ語原典が、何故だかここでは出てこないw。
528 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 16:28:59 ID:w74R8IAV
>>527 は
>>523 (旧7氏)へのレスでした。
若し原典に書かれていなければ、執筆者が「釈迦の全体思想から抽出
して」、この素晴らしい言葉を書かれたのでしょう。
「自らをたよりとして、他人をたよりとせず」と釈迦が言ったとしたら、
何かそんなに困ることでもあるのですかw。「犀の角の如く」も同様な
意味ですね。
釈迦はその時点でもうそろそろ死ぬわけだから頼れなくなるだろ。
> 「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、
>もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたし
>が説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるである。」(155ページ六章二十三)
ttp://houjugusya.web.fc2.com/loop1.htm
530 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 16:31:30 ID:KFALggyU
>>527 何度も出てるし、君はパーリ読めるかのかね。(誤淫嘘風w)
ほんとに、大丈夫か? やさしく、いいこいいこした方がいいかな?
531 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 16:40:03 ID:w74R8IAV
>>530 >君はパーリ読めるかのかね
読めないから、権威者の旧7さんに教えを請うているのだろうが。
私は、現代外国語は多数できるが、死語のパーリ語などやるほど暇人
ではない。
君も、釈迦がこう言ったとしたら、そんなに困ることでもあるのかねw。
これが釈迦の遺言だそうだよ。
>>529 の釈迦の遺言は、程度が低い。「俺が、俺が」の独善性に過ぎない。
輪廻から脱し、世界のどこからもいなくなったら、釈迦からすると 死ねば教導する機会はもう無い。如来の死後は無記なわけで、 いつか帰ってくるよ!とか指導のために啓示を送信するよ、などと言うわけでもない。 そういうわけで釈迦の死後は遺した法に従え、……というのは前にも書かれてたな。 死ぬ前に質問コーナー設けて最終確認したり、僧侶間の呼び方を定め 釈迦亡き後の教団内の規律にも気を配っている。 発言のタイミング、相手から見ても単なる「勝手にやれ」という意味では ないことは明らか。隠居解釈は文脈を無視し拡大解釈しなければ成り立たない ことも同じように明らか。 そもそも好き勝手にチャランポランなら仮に「自州(法灯明)」と セットでなくても島にも灯明にも成れない。
533 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 17:06:08 ID:KFALggyU
>>531 いや、それは素晴らしい。
まあ、とにかく君は、ここにいてもしょうがないだろう。
笑われ続けたいなら、居てもかまわないがw
オイラは、分かるかぎりスル〜するよ。当分は。
自分自身が島のように堅固で灯明のように照らすと思い込んでるクリスチャンを 見たら、隠居は「こいつは馬鹿」だと思うだろ。
535 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 17:09:48 ID:w74R8IAV
>>532 >相手から見ても単なる「勝手にやれ」という意味ではないことは明らか。
ちゃんと「法(真理)灯明」という歯止めが掛かっているから、「勝手にやれ」
などという意味になるわけがない。読解力ゼロですな。
わざわざ独立のサイトまで立てていただいて、小乗教徒については、「生死に
関わる大問題」なのだねw。片山先生まで出て来てるw。
536 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/09(水) 18:02:24 ID:RXe0JuVS
>>493 >私は、精神医学的興味と宗教撲滅の立場から、宗教信者の狂態を観察しているだけ。
「宗教撲滅」ってことは、過去に宗教で手痛い目にあったんだろ?
カルトの傷跡は一生消えないことが多い。
ただ「宗教アンチ」だけでは駄目です。
アンチ表明で、かろうじてアイデンティティーは保てても、
それは一時の安らぎにしかならない。
拙者もカルトとは多く接してますんで、
カルトとはどういうもんか?ってのは、だいたい理解できます。
カルトに入信しても、なんもコントロールされない人もいれば、
簡単にコントロールされちまう人もいる。
これは性格の問題だろうね?
まあ、かくいう拙者は血液がB型で、
あまり熱くはなれないのが幸を奏したのかもしれんね。
生真面目な御仁は、特にカルトには注意せねば・・・ネ。
で、
「宗教撲滅」って言うんだったら、これはスレ違いです。
ここは生真面目な御仁ばかりなんでねw
537 :
一在家 :2009/09/09(水) 18:08:33 ID:bOHP8fCU
>>526 >俺の知ってる宗派はどれも「表だって」説いてるけど?
>寺院で配布してるプリントとか小冊子とか見たことないの?
>もしかして情報弱者で「妄想」を事実と勘違いしてる人?
それを聞いて安心しました。
普通の大乗は「輪廻」を釈尊の教えとして衆生に説いており、
それが縁で輪廻を信じる日本人の比率が高いということですね。
「情報弱者で「妄想」を事実と勘違」というのは「机上空論」
と同じような意味ですか。
>>535 釈迦の言う「自州(自灯明)」とは「法(仏教)」を踏まえたものでなければならない
ということだね。はみ出ようとしても法による歯止めがかかっている。
つまり、隠居式岩波辞典解釈は単なる曲解。
>>505 に反論しなかったのは内心で認めていたからなんだな……。
540 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 18:34:41 ID://Hidao8
>>538 何が法であるかはどのようにして判断したらいいのだ?
自己の判断によるしかあるまい。
他人がこれが法だというからそれが法だと信じるなら他人をたよりと
していることに外ならない。
その自己について、よく気をつけて、正しい判断をすることが「自灯明」
なのだろ。
あのね、もうすぐ敬老の日も近いんだから、 ご隠居のような頑迷迷妄な年寄りでも大切にしてやれよw 枯れ木も山の賑わいだ。 おじちゃん!みんなに嫌われ、バカにされても長生きしてね。
仏教における「法」なんだから釈迦の言ったことが=「法」。 釈迦が言ってさえいれば「法」 自州がどうのと言ったのは当時のアーナンダに対してなんだし、 直説以外のものが仏典内、仏教外に入ってきた現代の状況は 釈迦本人はあの場では念頭に入れてない気がするな。
543 :
一在家通りすがり :2009/09/09(水) 18:58:19 ID:UGIMPNKR
>>477 >貴方もなかなかの人物なんだから、仏教にちょっかいださずに
>神道系一直線でいったらどうなの?
前にも本スレで自己紹介しましたが、師からの「本当の釈尊の教えを
知るには原始仏教を調べる必要がある」という言葉が縁で、30年後に
原始仏典を読み始めました。
「四諦」、「輪廻」などの法が分り易く説かれており、当初の目的は
成就しております。
次に個人的な興味があり、何故原始仏典と日本の大乗との差が生じた
のか、その「因」、「縁」を探しましたところ、「机の上で空を論じた」
言語論理学の大天才を見つけた次第です。
この大天才が「縁」であるという仮説を立てましたが、本スレで一部
の方には賛同いただき、多くの方々からは批難された次第です。
以上、本スレも集約方向ですので、以後は名無しにてフェードアウト
していこうかと存じますので、餌は与えないようにお願いします。
本スレの紹介者の宝珠氏、餌を与えてくれた旧7氏、見解は対極ですが
丁寧に回答して下さった机氏、及びカラス氏、暁氏に謝意。
544 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 18:59:40 ID://Hidao8
>>542 だからぁ、その「法」を釈迦から直接聞いたなら問題ないけど、
ほとんどは釈迦の法といっても伝聞だろ。
どれがほんとの釈迦の法かどうやって判断するのだ?
545 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 19:19:21 ID:JY0TrGkx
>>536 >「宗教撲滅」って言うんだったら、これはスレ違いです。
>ここは生真面目な御仁ばかりなんでねw
「生真面目な御仁」がカルトに嵌るのですよ。ここの方々のように、教組や
経典を一切批判できないからです。
私がカルトに嵌るわけがないでしょうw。全人類的な視野から、宗教撲滅聖戦
を戦っている。
546 :
旧7 :2009/09/09(水) 19:29:19 ID:kn4ROdaY
大般涅槃経(この際、岩波版でも春秋社版でもいいやw)を一度でも読んでいれば、
全部「本文に」書いてあるんだけどね・・・w ┐(´ー`;)┌
>>544
547 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 19:29:33 ID:JY0TrGkx
>>542 >仏教における「法」なんだから釈迦の言ったことが=「法」。
>釈迦が言ってさえいれば「法」
それがカルトなのだよ。そんな結論が、論理的にどうやって出てくる?
「法」にどのような種々の意味があるか、岩波辞典でまず調べることw。
教組も「法」には従わなければならない。さもなければ、教組の資格は
ない。
548 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 19:42:21 ID:JY0TrGkx
>>546 そんな出し惜しみしないでw、長阿含経巻2のパーリ語原文の前後を教
えてくださいよ。誤訳のある翻訳など読んでも無意味でしょ。
なお、大般涅槃経と長阿含経とでは、「灯明」の意味のニュアンスが
違っているのではありませんか。岩波辞典の「灯明」の項目を見て
ください。
549 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 19:45:19 ID:bOHP8fCU
>>543 >以上、本スレも集約方向ですので、以後は名無しにてフェードアウト
>していこうかと存じますので、餌は与えないようにお願いします。
「去りつつ(作用)あるものは去らず(作用)」だけは勘弁して下さいよ。
550 :
旧7 :2009/09/09(水) 19:47:51 ID:kn4ROdaY
>>547 馬鹿だろ?
あの場面で言われている(「自灯明法灯明(自洲法洲)」の)『法』は、
釈尊もまた「拠り所とし」「頼りとし」、ってきた『おしえ』としての法だよ。
『法と律』と併記される時の『おしえ(教義・理念)』としての法だよ。
釈尊が頂点なんじゃない。「法」が頂点なんだよ。
だから、「法」の語義として「真理」が当てはまるんだよ。
>教組も「法」には従わなければならない
釈尊も「法」に従っている。君は、仏典を読んでいないからそれが判らないだけだ。
>>548 岩波文庫版くらい買えよw
それとも、この不況の中、そんな余裕はない!図書館へ行く時間もない!というなら、
打ち込んでやっても構わんが?
551 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 19:50:17 ID:KFALggyU
>>543 おつかれさま。貴方は優秀な方だと思うけど、ちょっと布教入ってるとこが残念でした。
手向けに、テーラワーダなら、パユットー、水野弘元、片山一良、
龍樹菩薩なら、ダライラマ、石飛道子と梶山雄一を勧めしますよ。
それじゃ〜、またね〜
552 :
旧7 :2009/09/09(水) 19:50:53 ID:kn4ROdaY
あ・・・。
>>550 の抜けてる部分は↓。
>釈尊もまた「拠り所とし」「頼りとし」、肯ってきた『おしえ』としての法だよ。
どういう言い方にしようか迷ってるまま書き込んじまった。すまん。
(もう少し良い言い方を探したかった所だが・・。)
553 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 19:51:38 ID://Hidao8
>>548 パーリ語原文もお釈迦様が書いたものではないことは
歴史的事実だろ。
仏法の第一結集時の議事録が残ってるわけでもない。
記録性というならふるい漢訳仏典のほうがパーリ語仏典より
昔の仏典状態をとどめているともいわれる。
554 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 19:54:20 ID:JY0TrGkx
>>550 >釈尊も「法」に従っている。
そう判断しているのが、まさにあなたの自灯明w。
原始仏典は買わないことにしている。中村氏のスッタニパータで懲りた。
読むに値しない。
555 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 19:57:34 ID:KFALggyU
556 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 19:58:54 ID:KFALggyU
>>548 >えてくださいよ。誤訳のある翻訳など読んでも無意味でしょ。
誤訳のない翻訳なんかないと思った方がいいぞ。
557 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 20:05:26 ID:JY0TrGkx
>>550 >釈尊もまた「拠り所とし」「頼りとし」、
だったら、
>>542 の「釈迦が言ってること=法」は、論理的に誤り。
558 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 20:07:39 ID:JY0TrGkx
>>551 カルトに嵌っている人に、テラワダカルトの本を薦めるような無責任
なことをするな。
559 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 20:09:05 ID:KFALggyU
>>553 それは無理、北伝系の方が新しい流れであることが明か。
その印は、三法印と四法印にある。これは馬場先生が明らかにした。
四法印は、龍樹菩薩によって一切皆空が加えられたためと思われる。
こちらは、石飛先生が明かにした。
もちろん、パーリにも漢訳にも階層があるが、
三法印で統一されているパーリ・ニカーヤが古系を保存していることは
明かなことだ。
それと仏教は縁起する教えなので、本質が保たれていれば
形態も縁起して変化することは別に問題とならない。
そして、大乗経典も聖者が縁起によって感得したものに他ならない。
要するにチベットのテルマと同じだ。
これを認めないのは縁起を認めないただの実在論者に他ならない。
あまりにも非仏教徒的態度w
>>557 >仏教における「法」なんだから
>仏教における「法」なんだから
ちゃんと限定してるだろ。よく読みたまえよ全くもう。
561 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 20:16:05 ID:UGIMPNKR
>>551 >おつかれさま。貴方は優秀な方だと思うけど、ちょっと布教入ってるとこが残念でした。
旧7氏が所属団体をアップしたことが「縁」で布教が「起」こったようです。
>手向けに、テーラワーダなら、パユットー、水野弘元、片山一良、
>龍樹菩薩なら、ダライラマ、石飛道子と梶山雄一を勧めしますよ。
今度、ジュンク堂に行った際に片山先生の約3千円の本を買う予定です。
>それじゃ〜、またね〜
来世のスレでお会いするかも。>住人各位
562 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 20:22:45 ID:JY0TrGkx
>>560 佛教における「法」にも、さまざまな意味がある。岩波辞典wを調べ
られたし。
「作用のあるものはすべて法であるということになり、<事物>をその
構成要素としての法と見る仏教独自の法観が成立する」と解説されて
いる。
563 :
旧7 :2009/09/09(水) 20:27:24 ID:kn4ROdaY
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245923448/243 〔 『法』の多義性、その定義の範囲 概略 〕 (仮)
「法」( dhamma )
┃
┣「摂理、理法、自然的因果」( dharma / dharmin ?)
┣「理屈、ことわり、論理的整合性」
┃
┣「おしえ」( sAsana )
┃ ├「縁起」
┃ ├「四諦」
┃ └「種々説かれた個々のおしえ、法門」(八万四千云々)
┣「経」
┃
┣「識の対象(法境)」
┣「(根境色の)境」(色声香味触法)
┗「一切の(認識可能な)存在、“もの”“こと”」(「名色」「五蘊」「五蘊十二処十八界」)
└「上記プラス無為法」
└「上記プラス 認識不能な領域に属する“真理”“真の在り様”“存在を有らしめるものとしての根源”」
(→後期大乗としての、法界、真如、華厳界、曼荼羅etc.etc.の先にあるもの、
或いはそれらを支え、成立せしむるもの)
564 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 20:29:37 ID:JY0TrGkx
>>556 >誤訳のない翻訳なんかないと思った方がいいぞ。
宗教の経典は、アラビア語のクルアーン以外は、すべて翻訳(のまた翻訳
の、そのまた翻訳)。大真面目で読むものではない。常に「眉に唾をつけて
読むこと」(これは、ある聖書学者の言葉である)。
565 :
旧7 :2009/09/09(水) 20:34:59 ID:kn4ROdaY
>>564 自分が大上段に振りかざしている「自灯明」という語も同じだということに気付けないらしいな・・・w
自分の使う「自灯明」だけは、眉に唾しないようだwww
566 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 20:41:27 ID:KFALggyU
>>563 どうよ
172 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/02/03(火) 21:34:50 ID: aY704kGy
>>169 核心的問いですね。頭のいい方ですね。
法とは「釈尊が再発見し説かれた理法」で十分ではないかというのが現在の私の理解です。
これは石飛道子先生の『ブッダと龍樹の論理学』46頁に依っています。
石飛先生は、天才ですね。仏教の難問を美しく整理して再現しているようです。
>仏教徒が三宝に帰依を表明するときの「法宝」を説明した古くからの定型句も、
定型句とは「法は1.世尊によって善く説かれ、2.自ら見るべく、3.無時的で、
4.来たり見るべく、5.導き、6.識者が各自に覚知すべきものである」でしょうか?
この1.が正に「釈尊が説かれたこと」でしょう。2., 4., 6.は自分で体験する、
3.は行ずれば即時的に結果が出る、5.虚妄ならざる真実に導く教えである。
ということで、1.以外は、全て釈尊が説かれた教えの属性、特性を示しているので、
この定型句は明らかに法とは釈尊の教えであるということで問題ないと思います。
以上に関してはご覧になっていると思いますが、
水野弘元『仏教要語の基礎知識』初版98頁以下で再確認してください。
ブッダゴーサの四分法も「釈尊が説かれたこと」を基本に特性を述べたと考えられるでしょう。
その水野先生の解釈は圧巻です。素晴らしい!
567 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 20:42:20 ID:KFALggyU
173 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/02/03(火) 21:35:50 ID: aY704kGy
>「縁起を見るものは法を見る」「法を見るものは仏を見る」だの「依法依不人」だの「法燈明」だの、簡単に言いますが、実際はさまざまな場面でその意味内容を使い分けているようです。
上の用例は、「見る」を体験、体得すると考えれば、全て教えと置き換えて問題ないでしょう。
原始仏典で「 x は法である」とは、定型句の1〜6の特性を全て釈尊が認めたということです。
逆に釈尊が人に質問されて「私はそうは説かない」と仰る場合は、1〜6を満たさないので認めない。
つまり、悟り、解脱に導かない体験できない結果のでないので法と認められないことです。
問題は、「一切法」「諸法」という用例です。これはよく諸現象とか物事、万物という
意味に解されますが、原始仏教に限ってはどうも誤解のようです。
では、何か。これも釈尊が縁起を悟ったことで明らかになった様々なことと考えると、
釈尊が悟った時に「諸法顕現せり」と伝承されることも理解できるでしょう。
そしてこの明らかになった様々なこと、つまり悟りの体系は、釈尊の意識内の出来事でしたが、
それを人に説く時に、「一切法」「諸法」などと呼ばれました。
つまり、「一切法」「諸法」は釈尊が悟った体系を、人に説いたもの。
釈尊が悟り、解脱に役にたつと認めたことが、法というわけです。
以上については、村上真完<最初の仏語「諸々の法が明らかになるpatubhavanti dhamma」考>印度學佛教學研究 54に依っています。以下で読めますのでご覧ください。
http://ci.nii.ac.jp/search/servlet/Kensaku 村上先生のこの解釈も素晴らしいものだと思います。
他に「滅法」といった要素、性質と訳される場合も、
滅と「釈尊が説かれたこと」が要素、性質という意味であると考えれば問題ないと思います。
その後、部派仏教時代にたぶん行のために「一切法」をまとめる論書が出現し、
分析探求、論理構築が進んで複雑なアビダルマ体系になったと思います。
このアビダルマを見ると、非常に難解で異説が多いので混乱すると思います。
568 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 20:44:13 ID:JY0TrGkx
>>565 長阿含経巻2の該当部分のパーリ語原典が未だだが、何か都合の悪いこ
とでもあったのですかw。その「誤訳でない和訳」もお願いします。
眉に唾をつけたから、岩波辞典の「灯明」の項目も調べてみたのですよ。
>>562 それが「法」だとなぜみなされるか。「仏教独自」と書いてあるだろ。
釈迦の発言と矛盾するとみなされていれば、それは「法」とされてないんだよ。
570 :
旧7 :2009/09/09(水) 20:46:08 ID:kn4ROdaY
>>568 tasmAt iha Ananda,
attadIpA viharatha attasaraNA anaJJasaraNA,
dhammadIpA dhammasaraNA anaJJasaraNA.
>>568 >その「誤訳でない和訳」もお願いします。
それをどうやって判断するつもりなの?パーリ語わかんないんでしょ?
相手が誤訳じゃないよと自己申告すればそれでいいわけ?
572 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 21:06:53 ID:JY0TrGkx
>>570 有難うございました。ちんぷんかんぷんなので、和訳と文法的説明も
お願いします。
Anandaは、分りましたがw。
「自灯明・法灯明(attadipa,dhammadipa)」は、はっきり書かれていますね。
573 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 21:11:40 ID:bOHP8fCU
>>564 >宗教の経典は、アラビア語のクルアーン以外は、すべて翻訳(のまた翻訳
>の、そのまた翻訳)。大真面目で読むものではない。常に「眉に唾をつけて
>読むこと」(これは、ある聖書学者の言葉である)。
コーランでは「イエスに似た者が十字架にかかっただけ」と説かれている。
イエスが十字架を避けれたように、釈尊の食中毒も嘘っぽい。
(現在も未来もともに存在する空では回避も意図容易いこと。)
ダイバダッタの追っ手から逃れる為に誰か身代わりをおいたかもね。
二人とも追っ手をまいて、余生を静かに自然の中で終えたかも。
まあ、仏舎利がDNA鑑定されれば全て氷解するでしょう。
574 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 21:17:25 ID:JY0TrGkx
>>569 岩波辞典によれば、佛教では「法」という言葉が種々の意味に用いられ
るが、整理すれば5種となる。「仏陀の教法」は、その5種のうちの一
つに過ぎない。
まず、「初心者向きの」岩波辞典で、「佛教の基礎的知識」を身につけ
てください。
>>574 高いし近くの図書館にないし、めんどくさいから書いて。
576 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 21:46:03 ID:JY0TrGkx
>>575 仏教者としてなさけないね。非仏教者の私でさえ、「宗教批判」のために
毎月数万円の書籍代を使っている。私の書き込みは、金が掛かっているw。
ネット情報は、責任の所在がはっきりしないから、基本的には信用できない。
岩波辞典はかなり量があるから、安上がりのWikiでどうぞ。大体同じことを言
っていると考えてよい。しかし、このロシアの学者は、引用していない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_ (%E4%BB%8F%E6%95%99)
577 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 21:57:01 ID:JY0TrGkx
>>575 念のため、岩波辞典の「法」の5分類も、引用しておく。
1)法則・正義・規範
2)仏陀の教法
3)徳・属性
4)因
5)事物およびその構成要素
(最後の「事物およびその構成要素」についての「佛教独自の法観」に
ついては、前レスで述べた。)
578 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 22:03:51 ID:bOHP8fCU
「法」とは「もののあり方」も入れておいて下さい。
それによると真理を意味する「法」は仏教だけだな。 存在だといろんなものが当てはまるみたいだが、 「自灯明、法灯明」の文脈だと当てはまるのは真理としての「法」だな。 邪法にも見習えとはさすがに言わないだろう。 存在の場合でも仏教の観点からの捉え方だな。 誤った法は本物と違って具体的にその仕組み・現象が実在してるわけじゃないから 存在としてのダルマには当てはまらないんじゃないの。 岩波のだと当てはまるなら書いてね。 あと仏教者じゃないから。
教法と別に書いてあるということは法則・正義・規範 というのは世俗の法も含まれるわけか。なら他宗教や法律・慣習も入るな。 仏教とは違っていても法とは呼ばれるわ。
581 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 22:27:12 ID:JY0TrGkx
>>580 >仏教とは違っていても法とは呼ばれるわ。
勿論だよ。宗教や教組が、「法」を作り出すのではない。逆に、それらも、
法に従うべき存在。
難しく考えなくても、「法」とは、人間を含むすべての現象界に通用する原理
と考えればよい。従って、百人百様の「観念」は、「法」ではない。
そうすれば、「百人百様の観念の遊戯」に過ぎない宗教は、「法」ではないと
いうことになる。
582 :
1/3 旧7 :2009/09/09(水) 22:37:11 ID:kn4ROdaY
釈尊の、「自分は、僧団を統率もしていないし、率いてもいない。そのような自分が、 何を(僧団維持の為の強制的な束縛事として、或いは「自分の名や強制力を残すために」)言い残すだろうか。 そのようなことはない」という言葉に続いて、 tasmAt iha Ananda, attadIpA viharatha attasaraNA anaJJasaraNA, dhammadIpA dhammasaraNA anaJJasaraNA. ●・それゆえに、アーナンダよ、ここに(そなたたちは)、 自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、 法を島とし、法を依り所とし、他を依り所とせずに住みなさい。(季刊原始仏教8.p49-50&片山入門p114) 註: attadIpa 〈大海にある島のように、自己を島として確立して住みなさい〉ということ。 《ここで二つ(dvi=di)の部分に水が分かれるから島(dIpa)である。 流れに囲まれ圧倒されない陸地部分であるが、この場合は、 四暴流にも輪廻の大流にも圧倒されない自己が島である、の意》 dhammadIpa 《自己(attA)とは、この場合、勝義(paramattha)からは法(dhamma)ということであり》そのためにこのように言われる。 (※片山入門該当箇所直後の文:『・・・と、四念処によって住むことを教えられた。』) ●されば阿難よ、ここに自らを洲とし、自らを依所として、他人を依所とせず、 法を洲とし、法を依所として、他を依所とせずして住せよ。(南伝大蔵経7巻p68(平等通昭訳))
583 :
2/3 旧7 :2009/09/09(水) 22:37:55 ID:kn4ROdaY
●(そなたたちは)、自己を島(5)とし、 それ故に、(この世で)自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、 法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ(6)。(岩波文庫版p63&旧選集11巻p443) 注: (5)島 attadIpa 梵本AtmadvIpa チベット本bdag Jid gliN 有部本「洲渚」。 他方dIpaを燈明と解する訳としては、『中阿含経』第三十四巻「世間経」(大正蔵、一巻六四五ページ下)に 「当自作燈明」とあり、また『長阿含経』第二巻「遊行経」(大正蔵、一巻一五ページ中)に 「自熾然熾然於法」とある。ただし<島>と解すべき言語上の論証については、 佐々木現順教授『阿毘達磨思想研究』五九四-六〇三ページ参照。 (6) 次に諸本には「身、受、心、法について観察すべし」ということをやや詳して述べている。 しかし、白法祖本には欠けているから後代の付加であろう。 岩波版注: 〔島〕旧選集版とほぼ同じ。ブッダゴーサの註を引用しているのと、以下の文が付加。 輪廻はしばしば大海に譬えられ(saMsAra-sAgara)、またニルヴァーナは島に譬えられる。(Cf.dhammapada) 〔法をよりどころとして、他のものを・・・・・・しないでいる〕 <自帰依法帰依>の思想がここに述べられているのである。
584 :
3/3 旧7 :2009/09/09(水) 22:38:45 ID:kn4ROdaY
(他おまけ): 「釈尊の生涯」(春秋社/水野弘元)p289 23.佛の入滅 6.自帰依、法帰依 ・・・、遺教の一つとして、自分の亡き後には、 お前たちは自己自身を所依とし、他人を所依としてはならない、 佛教の正しい教法を所依として、その他のものを所依としてはならない、といわれた。 それは、曇リなき正しい自己の理性と、普遍妥当性のある真理としての佛教の教法とが、 Dhp236偈、160偈。 最後のよりどころであるということを示されたものである。 正しい理性と真理とを標準としてゆきさえすれば、誤ることはないからである。 (おまけ2):35節末文。 アーナンダよ、今でも、あるいは私の亡き後でも、自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、 法を島とし、法を依り所とし、他を依り所とせずに住む者は誰も、学ぶことを欲する者は誰も、 わが最上の比丘となるに違いありません」と。 註: 「わが」→〈わが教え(sAsana)の〉。 原文:ye hi keci, Ananda, etarahi vA mamaM vA accayena attadIpA viharissanti attasaraNA anaJJasaraNA, dhammadIpA dhammasaraNA anaJJasaraNA, tamatagge me te, Ananda, bhikkhU bhavissanti ye keci sikkhA kAmA’’ti. おそらく 「tamatagge me (te)」 が 「((そのような)彼らは)わが最上の」 という部分。(tamataggeが「最上」?) 「私の(比丘達)」という言い方は、註釈せずにはいられない言い回しだな、とw
585 :
旧7 :2009/09/09(水) 22:42:49 ID:kn4ROdaY
>>584 のダンマパダの偈の番号が文章を切ってしまったw すまん。
(他おまけ):
「釈尊の生涯」(春秋社/水野弘元)p289 23.佛の入滅 6.自帰依、法帰依
・・・、遺教の一つとして、自分の亡き後には、
お前たちは自己自身を所依とし、他人を所依としてはならない、
佛教の正しい教法を所依として、その他のものを所依としてはならない、といわれた。
それは、曇リなき正しい自己の理性と、普遍妥当性のある真理としての佛教の教法とが、
最後のよりどころであるということを示されたものである。
正しい理性と真理とを標準としてゆきさえすれば、誤ることはないからである。
(おまけ1.5)
Dhp236偈、160偈。
ということね。
586 :
旧7 :2009/09/09(水) 22:50:42 ID:kn4ROdaY
>>566-567 特に異議はございません。
仏教という文脈、仏典というカテゴリーの中では、
「法」は、「ブッダの教え総合」及び「教えの各支、内容」であることは明らかですから。
それが、外教の他のものと違い、(人間存在にとっての(心にとっての))普遍性を有しているため、
大きく括った形でも「真理・理法」と言い得るのでしょう。
(※ただ、限定しているということは常に意識された方が良いのかもしれません。
なんとなれば、dhammmaは、仏教だけが使用する、仏教独自の語ではないから・・。)
587 :
旧7 :2009/09/09(水) 22:52:03 ID:kn4ROdaY
あ、mが多いwww
仏教用語としての「法」から前触れもなく切り替えるからわかり難い。 >仏教とは違っていても法とは呼ばれるわ。 というのは仏教上、真理でないものも 成り立ち在り方から「法」と呼ばれるということ。
他の僧と集まって求道するという状況を踏まえて >自己自身を所依とし、他人を所依としてはならない、 >佛教の正しい教法を所依として、 という発言。スッタニパータのサイの角のくだりも <賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>とは共に歩めと書いてある。 こうした朋友が得られなければただ独り歩めとある。 釈迦や他の求道者と修行することはサイの角の如く歩く姿勢とは矛盾しない。
590 :
閻魔大王 :2009/09/09(水) 23:42:10 ID:cU7ZeRHe
>>585 >正しい理性と真理
水野はごちゃごちゃ書いてるが、
なにが「正」か「真」かは(ホントはそんなことはどーでもいいのだが)、←初心者には危険すぎるか?
彼岸へ逝って還減しなければ、掴めない。
とにかく、悟りがまず先! 何が何でも最初に、彼岸へ飛べ!←最重要、これを書かない仏教書はウンコ。
先ず悟って強く慶安に生死を超えて“ある”こと。これだけ。
そうでないと、おめーらアフォ連中には手間かかってしょうがないし、
手間かけてもムダだ。
もう外道は苦中にほっとくしかない。SM地獄で赤鬼女王様にしごいていただくしかねえだろ?
アートマンとかあ、業報輪廻転生とかあ、生天とかわあ、ペラペラ妄想グラフィックだとわかるw
合掌
591 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 00:05:05 ID:5V91Mjlk
>>582 詳細なご説明、有難うございました。
>自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、
>法を島とし、法を依り所とし、他を依り所とせずに住みなさい
その「他」には、釈迦は含まれませんね。彼はいなくなるのだから。
いなくなれば、「法」には「釈迦の教え」は含まれませんね。「将来」の
ことだから。将来は、どんな解決すべき問題が起きるかは、現在は分らない。
従って、ここでの「法」の意味は、その多義のうち、やはり(万物に通用する)
「法則・正義・規範(客観的な証明を要する。さもなければ、法則・規範では
ない)」および「事物および構成要素(現象界)」のことでしょう。「拠りど
ころ」とは、文字通り「依存すべき対象」「従うべき対象」でしょう。
まんま、岩波辞書、および基本的にはそれに従った、私の解釈どおりではあり
ませんか。
592 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 00:17:25 ID:5V91Mjlk
>>585 >それは、曇リなき正しい自己の理性と、普遍妥当性のある真理として
>の佛教の教法とが、最後のよりどころであるということを示されたも
>のである。
「自灯明」と「法灯明」とが併置されていることは、どちらを優先する
ものでもないということです。また、その「佛教の教法」とは、「普遍
妥当性のあるもの」でなければなりません。従って「普遍妥当」であれば、
佛教の教法以外も含むと解するべきでしょう。
佛教に限定すれば、それは「普遍妥当」とはいえません。
水野氏は原始仏教徒だが、その解釈は(原始仏教徒らしからぬ)立派な
ものではありませんか。それでこそ、「釈迦の遺言」に相応しい。
593 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 00:26:37 ID:5V91Mjlk
>>589 >他の僧と集まって求道するという状況
それは、極く一部の人間の状況であり、「普遍妥当の状況」でもなんで
もないよw。
594 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 00:42:10 ID:5V91Mjlk
そして、釈迦亡き後、「普遍妥当」を判断するのは、「自己」以外にはあり ません。「他を拠りどころとしてはならない」のですから。すべての責任を、 「自己一人で負う」、即ち「自灯明」です。 釈迦は、「甘い人間」でも、「独善的な人間」でもなかった。
595 :
閻魔大王 :2009/09/10(木) 00:49:17 ID:wMogK+YP
>>591 >>592 >曇リなき正しい自己の理性と、普遍妥当性のある真理としての佛教の教法
『念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊・日蓮カルト』と言う評価もありますが、
正しく普遍性のある佛教の教法=ダンマとやらはどうすればわかるのですか?
原始仏教経典類もバラモン=ヒンドゥ汚染徒によって歪曲されている可能性も大です。
さて、『正法』とは何ですか?
596 :
閻魔大王 :2009/09/10(木) 01:01:02 ID:wMogK+YP
>>594 悟ってもいない分際で、覚者?の教説=仏説が正しいかどうかなど、
どーやって判断(自灯明)するんだよ?
矛盾してるって判るよな?鰯の頭も信心からでゴックン主義か?
カルトにやられるのってあんたみたいな奴なんだよw
ここの連中はほとんどそんな矛盾に気が付かない奴ばっかりなんだよ。
597 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 01:01:47 ID:5V91Mjlk
>>595 それを判断するのが、「曇リなき正しい自己の理性」、即ち「自灯明」です。
他の如何なるものにも、依存してはならないのですから。
598 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 01:10:43 ID:5V91Mjlk
>>596 すべての経典を捨て、「生物的生命」という根源に立ち帰り、それを
基盤とすることです。その基盤に立ってのみ、「唯一の正しい判断」
が、容易に可能になります。
599 :
閻魔大王 :2009/09/10(木) 01:18:52 ID:wMogK+YP
>>597 >「曇リなき正しい自己の理性」
何が仏教的に「正しい」かの判断基準が「正しい」かの判断基準が
「正しい」かの判断基準が・・・・・・
世俗諦のままではトートロジーで矛盾のままだとわかるか?⇒
>>590
600 :
閻魔大王 :2009/09/10(木) 01:30:59 ID:wMogK+YP
>>598 >「生物的生命」という根源
(1)「生物的生命」がアプリオリになぜ「根源」であるのかを証明してください。
(2)そもそも「根源」とは何ですか?
(3)「生物的生命」が発生する以前の根源は何ですか?
(4)その根源とやらから生⇔誤などの二項相対価値判断を生み出す根拠はなんですか?
とりあえず、以上に応えてください。
601 :
閻魔大王 :2009/09/10(木) 01:48:09 ID:wMogK+YP
きょうは、ここで落ちます。 応答を書いてご教授ください。
602 :
から :2009/09/10(木) 03:26:59 ID:5V91Mjlk
>>600 まず、動物分類によって、人間も動物の一種であり、「生存本能(生命)」
が、すべての動物に共通する唯一の普遍の事実であることをご確認ください。
そして、人間が死ねば、宗教や2chへの書き込みを含め、人間のすべての
営みが不可能になることを、ご確認ください。釈迦もイエスも、その生物的
生命がなければ教えを説くこともできず、従って佛教もキリスト教も存在しな
かったことを考えてみてください。
そして、生命は、現実界に100%依存しない限り一瞬も維持できず、すべての
動物の心身は、現実界に対応してのみ生存するようにプログラムされていること
にも思い至ってください。
宗教は、その開祖の精神障害による「観念過剰」故に、生命のこの根源性に思
い至っていないため、思考基盤が誤っており、従って、人間とその生存についての
正しい思考が、構造的に不可能なのです。
生命の根源性とそれから生じる共同体形成維持本能、自他の死への恐れ、他者への
思いやりなどの本能や自然の感情については、このスレの各前スレを含め、最初
からかなり詳細に論じていますので、ご参照ください。
なお、生命そのものとは何かを、生命を以って思考することはできません。思考
主体と思考対象とが同一なので、思考は初めから成立せず、ナンセンスで不可能
だからです。生命について認識可能なのは「生命現象」のみであり、生命そのもの
は、人間が対象化できない唯一のものです。
>>602 > まず、動物分類によって、人間も動物の一種であり、「生存本能(生命)」
> が、すべての動物に共通する唯一の普遍の事実であることをご確認ください。
ゾウリムシなんかは生存本能を持っていませんから、唯一普遍の事実ではありませんね。
以下の文は全部無駄ですね。
604 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/10(木) 06:58:02 ID:6+z4D2+i
>>545 隠居どの
>私がカルトに嵌るわけがないでしょうw。全人類的な視野から、宗教撲滅聖戦を戦っている。
あなた御自身がカルトに嵌らなかったとしても、
御家族や近親者がカルトに嵌った過去があるのは、ほぼ確かです。
(それで随分と貴殿は苦労したはずです)
そうでなければ「宗教撲滅」の脈絡は説明できんでしょ?
なんにもないのにですね、いきなし「宗教撲滅」などと言う御仁などおりませんよ(笑
で、貴殿も高年齢に達し、ここで人生の総括の段階を向かえ、
なんとしても自己確立せにゃ〜ガン箱に入る気にもなれない。
(注意:ガン箱は関東人にしか通じない言語です)
貴殿は、今の脈絡において聖戦を続けたとしても、心の安泰はない。
さて、貴殿はどのようのしたら心の平安を得られるのであろうか?
それが「自灯明」の意味であります。
禅では直指人心とか言う。
605 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/10(木) 07:54:28 ID:YPF9wvi1
>>603 あるでしょうね。
ゾウリムシの走行反応実験が示す事実は、
自己の生存に適したものには集まり、生存を脅かすものからは遠ざかろうとする基本行動です。
これは生物反応の根本であり、無機物にはないもの。
(ん?余計なこと書いたかなw)
>>590 >とにかく、悟りがまず先! 何が何でも最初に、彼岸へ飛べ!←最重要、これを書かない仏教書はウンコ。
>先ず悟って強く慶安に生死を超えて“ある”こと。これだけ。
そんな〜「悟り」なんていう曖昧な言い方は辞めましょうか!
それは段階的で相対的であり、人によってその状態に応じて何でもありです。
明確には輪廻からの解脱であり、ニルヴァーナに到達すること。
それが仏教の目指す究極の境地、不死の領域です。
従って、それは最終ゴールであって、
「まずは先」とか「最初に飛べ」とか「まず悟って」なんていうものじゃない。
あまりにも軽い。
必死に修行に打ち込んでも何生涯も費やされて、
ようやく到達するものです(四向四果/四沙門果) 。
606 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 07:54:48 ID:8T/Rn8G8
>>591 >その「他」には、釈迦は含まれませんね。彼はいなくなるのだから。
これはそのとおりだと釈迦も言ってるね。しかし・・・
>いなくなれば、「法」には「釈迦の教え」は含まれませんね。「将来」の
>ことだから。
これは間違いだろ。「法」を狭い意味で釈迦のいわゆる「直説の説法」だけ
にかぎるにしても、「教法」は単なる情報であり釈迦が入滅してもその「名」
はのこりその名を唱える人たちに影響を与え続ける。それが情報(意識)の
作用だろう。
607 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/10(木) 07:56:16 ID:YPF9wvi1
>>522 ハハ〜ン。返答を誤魔化しましたね!
あなたが原始仏教をカルト批判して、“日本は大乗の国”であると賛辞するから、
では、あなたのいう大乗とやらは何処の何か?と、
その支持する宗派を尋ねたのですよ。
>現代の大乗仏教では、少なくとも表立っては説かない。
冗談じゃない!
“法(教え)を大衆に向けて説くのが僧侶の勤め”ですよ。
---それができない僧侶など要らない。
>そんなことを大真面目に信じる現代の檀家はいないし、
>説けば、檀家から馬鹿にされるだけだからではないかな。
そんなことはないでしょう。
この現代においても観音様信仰〜お地蔵様信仰・・・
そして御守、御札、加持祈祷・・・見えざる“ホトケ”の加護力を信じる人々で血気盛んですね。
六道輪廻に来世への転生〜これを信じる人々は仏教信仰者ならば普通に大勢います。
>>591 >その「他」には、釈迦は含まれませんね。彼はいなくなるのだから。
>いなくなれば、「法」には「釈迦の教え」は含まれませんね。
とんでもない!
ゴータマこそが「法」の体現者なのです。
つまり、自然界の摂理を含むあらゆる法を知り、自身においてそれを実証してみせたということ。
従って、ゴータマの説く教えが「法」そのものなのです。
608 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 08:11:35 ID:8T/Rn8G8
>>598 >すべての経典を捨て・・・
とはいってみても、ここでいわれてることなんか
七仏通戒げというお経に包摂されてるだろ。
孫悟空が世界の果てまで金斗雲で飛んでみたと思っても
おしゃかさんの手のひらの中だったというが如しだ。www
609 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 08:45:37 ID:8T/Rn8G8
>>607 >この現代においても観音様信仰〜お地蔵様信仰・・・
>そして御守、御札、加持祈祷・・・見えざる“ホトケ”の加護力を信じる人々で血気盛んですね。
>六道輪廻に来世への転生〜これを信じる人々は仏教信仰者ならば普通に大勢います。
これらは、梵網経の大戒として仏教ではしてはいけないこととされてる事柄ですね。
すなわち梵網経が仏教だとすれば現在の日本の葬式仏教は原始仏教とは矛盾するだろ。
これらのまじないや呪術をすべて捨て去って日本の伝統仏教に残るものは何かな?
610 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 09:03:35 ID:O3e+aeRM
>>609 日本仏教は大乗仏教だから、方便でなんでもできるんです。
ただ方便が、方便でなく経済行為になってるなら仏教でないことは明か。
方便となるには、僧が聖者でないと無理なんです。
それと別に、それら方便がなくても大乗はテーラワーダより豊饒で、
見解が高いことは明か。テーラワーダが大乗経典を創作というなら、
それは縁起を理解せず、実在論に陥っていることが明かでしょう。
>>591 >その「他」には、釈迦は含まれませんね。彼はいなくなるのだから。
>いなくなれば、「法」には「釈迦の教え」は含まれませんね。「将来」の
>ことだから。
釈迦が死ねば、もちろん釈迦は地上のどこからもいなくなるが、
釈迦が死んでも、彼の遺した教えが地上のどこからも消失はせず
「将来」残り続ける。
>将来は、どんな解決すべき問題が起きるかは、現在は分らない。
細かい戒律の変更は認めている。同時に行った僧侶同士の呼び方指定は
釈迦死後の教団内の規律に気を配ったものと思われる。
釈迦にとって仏教は普遍妥当性を持ったものなのだから、
どの土地でもどの時代でもこれで問題解決できるもの。
>>592 >従って「普遍妥当」であれば、佛教の教法以外も含むと解するべきでしょう。
釈迦にとっての「普遍妥当」の範囲と隠居にとっての「普遍妥当」の範囲
をごっちゃにするからおかしなことになる。
>>593 普遍妥当なのは教団ではなく、仏法のほう。仏法という普遍妥当なものを
教団で探求している。出家信者や在俗信者もいない土地・時代では「妥当」ではない、
とは考えない。キリスト教やイスラムでも信者がいないからといってその土地では
自分たちの教えが真理でなくなる、とは考えないもの。
>>594 その時判断の基準にするのは「法」(仏教)
612 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/10(木) 09:33:27 ID:YPF9wvi1
>>610 >日本仏教は大乗仏教だから、方便でなんでもできるんです。
>方便となるには、僧が聖者でないと無理なんです。
ふむ、わかります!
>方便でなく経済行為になってるなら仏教でないことは明か。
戒名に法外な料金を摂るところがあるらしい・・。
そもそも料金に応じて高額ほどご立派な戒名になるという伝統はどうなのか?
寺(僧侶)から授かるものならば、
金額ではなくて、生前のお寺への奉仕行為(布施金額ではない)に応じて与えるようにし、
そうでない者にはどんなに高額の布施があっても与えられず、俗名のままとすべきです。
そうすれば、戒名が欲しいと思う者は必然と菩提寺に足を運ぶようになる。
そんなものは無価値と見なす人は俗名のままを選択するだろうし・・。
まっ、元々からして・・信仰もしてないのに、
死後にお金で立派な戒名を貰おうなどという風習を根絶すべきでしょうね。
あースレ違いw
*やって、資料の打ち込み作業が終了しました。
後は整理してupロードです。(*´Д`)スキーリ
613 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 09:54:37 ID:O3e+aeRM
>>612 戒名というのは、本来、出家した名なんです。
葬儀において、生前できなかった出家をさせ功徳を積ませて善い転生を願うのが目的です。
戒名に上下があるのは、本来空・平等である仏教の本質に全く背いています。
もちろん、習慣として言葉に上下があることから、記号上、浄汚の習慣があるのはしかたありません。
しかし、仏教内でそれを制度化して経済行為にするのは、可笑しい。
まあ、葬式仏教は後、50年もすればほとんどなくなるのではないでしょうか?
日本仏教も本当に危機的な状況に来てると思います。
ここで立派な聖者がでないと、100年後にはただの文化財になってるかもしれません。
614 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 10:00:54 ID:8T/Rn8G8
>>611 >その時判断の基準にするのは「法」(仏教)
そして、その法によって判断をするのは「自己」だろ。
「自灯明 法灯明」は必ずセットとして相依って成ることだろ。
615 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/10(木) 10:00:55 ID:YPF9wvi1
>>613 >まあ、葬式仏教は後、50年もすればほとんどなくなるのではないでしょうか?
>日本仏教も本当に危機的な状況に来てると思います。
>ここで立派な聖者がでないと、100年後にはただの文化財になってるかもしれません。
果たして、
日本仏教界の改革に乗り出す人材(革命者)はいるんでしょうか?(潜在的に)
空海のように今頃は山林に篭って修行中なのでしょうかね??
それとも皆無なのか・・・
616 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 10:14:13 ID:8T/Rn8G8
>>610 >日本仏教は大乗仏教だから、方便でなんでもできるんです。
戒も律もない仏教が日本仏教だといいたいのかな?
方便とはどういうことかは法華経の方便品で解説されてるね。
「ウソも方便」とも言うが「方便はウソ」で言い訳ではない。
当たり前のことだ。
617 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 10:25:15 ID:O3e+aeRM
>>615 >日本仏教界の改革に乗り出す人材(革命者)はいるんでしょうか?(潜在的に)
>空海のように今頃は山林に篭って修行中なのでしょうかね??
>それとも皆無なのか・・・
まあ、100人ぐらいはがんばってるでしょう。
618 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 10:27:49 ID:O3e+aeRM
>>616 >戒も律もない仏教が日本仏教だといいたいのかな?
>方便とはどういうことかは法華経の方便品で解説されてるね。
>「ウソも方便」とも言うが「方便はウソ」で言い訳ではない。
>当たり前のことだ。
そんなオウム言論では話にならん。
もっと勉強するか、だまって悟るまで四念処ヴィッパサナやってろ。
>>613 >ここで立派な聖者がでないと、100年後にはただの文化財になってるかもしれません。
心配無用
すべては不生で調ってござるわいの
さとるさとるとこのごろせねば
朝の目覚めも気が軽い
620 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 10:40:29 ID:O3e+aeRM
>>619 ほう、不生とはどういうことを指しますか?
人に分かるように説明できないのでは、ここで語る意味がない。
621 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 11:13:52 ID:8T/Rn8G8
>>618 「黙って坐ればピタリとあたる」なんて梵網経や沙門果経の
大戒に示される占いや呪術そのものじゃないか。
ただ坐ればいいなんてことは仏教では言わないだろ。
622 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 11:16:49 ID:8T/Rn8G8
インドや中国で仏教が滅びたように日本でも遅かれ早かれ 仏教は滅びるだろうね。それが仏教の示す生滅法だからね。 社会にとっていらないものはなくなるのが当然だね。
623 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 11:38:01 ID:O3e+aeRM
>>621 それは倒錯した禅宗一部の主張であって日本仏教全体の見解ではない。
批判するなら、ちょっとは批判対象を知らねばならない。
知らないことには沈黙しろ、争いは避けよと釈尊は教えなかったとでも?
まあ、オイラも結構、争ってるわけだがw
624 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/10(木) 12:42:44 ID:rzp4MWCk
たとえばこのスレに阿羅漢がいたとしよう。 自分から「阿羅漢だ」とは言わないだろうから周囲が判断するしかない。 そう思ってひとりひとりを検証してみるといいかもしれない。 宝珠氏はどうだろう在家氏はどうだろうカラス氏はどうだろう 旧7氏はどうだろう机氏はどうだろう析空氏はどうだろう粘着紙はどうだろう 真言氏はどうだろうken氏はどうだろう無余涅槃氏はどうだろう ご隠居を始めとする名無しはどうだろう
625 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 13:00:36 ID:zkSP6Xzy
身・受・心・法のうち、身・受・心の三つをまとめて「自」としたのでは? つまり、身・受・心・法を島としなさいということ、 身・受・心・法から心を離さないで、放逸にならないでという意味では?
626 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/10(木) 13:06:39 ID:rzp4MWCk
たぶんこのスレには阿羅漢などいないだろう。それをわきまえるなら、 自分の主張が絶対に正しいなどと思わないほうがいい。 自分こそは正しいと思う、その思いが空なのだ。
627 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/10(木) 13:23:51 ID:rzp4MWCk
議論に熱中しているうちに忘れてしまうのだろうが、 仏教は悟るためにあり、あれこれ議論するのは悟るためである。 悟りに関係のない議論は無意味である。 どうしたら悟れるのか、これが仏教のテーマである。
628 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/10(木) 13:40:43 ID:rzp4MWCk
悟りが目的であっても、では悟りとは何かという疑問がある。 ここで空・無我と、非空・アートマンの対立が生じる。 この答えはすでに出ている。この現実は空であり無我だから、 死んだら地水火風に分解するだけだなどと、釈迦が説くだろうか。 そう説かれても有り難くも尊くもない。 非空・アートマンを説くのでなければならない。
629 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 13:43:13 ID:8T/Rn8G8
>>623 争論にふけってはいけないことは梵網経第18節で中戒のひとつ
として説いているね。
:たとえば、「あなたはこの法と律を理解していない、私はこの
法と律を理解している」「どうしてあなたがこの法と律を理解
できようか」「あなたは邪な実践をしている」「私の言うこと
は理にかなっている、あなたの言うことは理にかなっていない」
「あなたは、先に言うべきことを後で言い、後で言うべきことを
先に言った」「あなたが積み重ねてきたことは覆されている」
「あなたの説は論破され、あなたは敗北している」「説から脱する
ため、遊行するがよい、あるいはもしできるなら解明してみよ」
といった、このような争論にふけって住んでいる、しかし、沙門
ゴータマはそのような争論から離れている」と。(片山一良訳
パーリ仏典 長部戒蘊篇T PP95〜)
まるでゴータマ・ブッダはこの2ちゃんねる掲示板を見ているか
のようだね。www
630 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/10(木) 13:50:17 ID:rzp4MWCk
経典のことに詳しいから阿羅漢なのではない。 博識だから阿羅漢なのではない。 まずは悟ろう。話はそれからである。
>>620 >ほう、不生とはどういうことを指しますか?
他所で通用するか知りませんが、自分なりにやさしく「説明」します。
仏教の本義は、悟りにあるかとおもいます。
悟りというのは特別なことではなくて、象徴的に真面目(本来)の自分になる、
という意味ですよね。 これを「解脱」といいます。
で、真面目(本来)の自分とはなにか→「廓然無聖」=無我なんですから
「不生」→「不識」(言語無用)が当然です。不生=中道といえます。
スッタニパータの「あの世もこの世も捨て去る」の意味もこういった不生の自覚が前提です。
決して逆ではありません。
そもそも空であることを言語論理=左脳で解するのは矛盾です。
だいいちメタメタむずい。
>必死に修行に打ち込んでも何生涯も費やされて、
>ようやく到達するものです(四向四果/四沙門果) (
>>605 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk )
なんて、アフォか。だれがそんな糞バカ教理なんか相手にするか。
悟りを超大事業にしてしまう奴なんか相手にしてられるか。
生活に追われてそれどころではない!がほとんどの人の声だ。
マーケッティングセンスがなさすぎる。
思うに、盤珪禅の特徴は右脳を使わせ直覚的に(ショートカット)簡単に悟らせるところにあると思います。 1)不生を難しく説かず、盤珪が悟ったことだからと、難しいことはとにかく先ずゴックンさせると言う意味で信仰に近い。 →まずこころと行動の「型」から入らせる。 2)こころと行動の「型」を継続させれば、本当の悟りに達することが早くできます。 のちのウィリアム・ジェームスのいう「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という行動心理学の実践です。 その意味で「不生」は念仏とおなじく、いいスローガンだと思います。 まさに仏教史上革命的教導です。お釈迦さんより教導そのものは上手だったのだろう、 余計なことを言わず、「不生」一本! あの時代に数万人が弟子になったことが証明です。 現代でも盤珪さんがいれば人気があったとおもいます。 以上
633 :
から :2009/09/10(木) 14:46:33 ID:68SLtBEK
>>629 ゴータマの教えそのものが争いの原因になることに、彼は気付かなかった。
「論理・思考の正しさは、それが生存の方向に向っているかによって判断する」
という真理に思い至らず、それを説かなかったからだ。
>>605 > ゾウリムシの走行反応実験が示す事実は、
> 自己の生存に適したものには集まり、生存を脅かすものからは遠ざかろうとする基本行動です。
> これは生物反応の根本であり、無機物にはないもの。
走性と本能は別のものです。
走性とは電撃殺虫器のようなものに虫が集まるような現象をいいます。(走光性)
この場合の走光性は虫の生存に適しているかどうかと関係がありません。
ゾウリムシの場合は走化性といいます。その場合も自己の生存を脅かすものであろうと逃げることは
しません。それどころか向かっていくわけです。それが走性です。
> (ん?余計なこと書いたかなw)
無知なくせに首を突っ込まないでください。
一部訂正 × 盤珪が悟ったことだからと ○ 盤珪が苦労を重ねて悟ったことだからと余計な手間をかけさせず、
636 :
から :2009/09/10(木) 15:09:15 ID:68SLtBEK
>>634 ゾウリムシだって、他のどんな小さな動物でも、捕らえようとすると必死で
逃げる。細菌でも、抗生物質に対する耐性を獲得して、生存しようとする。
それが生存本能だ。例外は皆無である。
生存に無関係な、むしろ生存に反する宗教などに嵌る愚かな動物は、人間だけ。
その意味で、宗教者は、自然界の普遍の法則から離れた「犬畜生にも劣る存在」
であることを、自覚されたい。
>>636 > ゾウリムシだって、他のどんな小さな動物でも、捕らえようとすると必死で
> 逃げる。
ゾウリムシには知能も感情もないので「必死になる」なんてことはありません。
いい年をして、おとぎ話の読み過ぎじゃないんですか?
> 細菌でも、抗生物質に対する耐性を獲得して、生存しようとする。
> それが生存本能だ。例外は皆無である。
たまたま耐性を獲得したものが生き延びているにすぎません。
最近には、本能を持てるほどの神経系は存在しません。
×最近には ○細菌には
639 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 15:21:15 ID:68SLtBEK
仏陀の佛教は滅びても、竜樹の「相互依存性・関係性」の原理は、永遠に 残る。人間を含む万物に通用する、その「存在」の原理だからだ。
>>639 竜樹教の誕生である。教祖を批判できない者は盲信であると理解されたし。
641 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/10(木) 15:23:46 ID:6+z4D2+i
>>632 盤珪はいいですね。
婆子焼庵の公案を、白隠が弟子に掛けたら、
弟子は「わたしなら女を抱きます」と言ったらしい。
これで白隠は激怒?して、弟子を破門したらしいですけど・・・
もし、
盤珪なら優しいwですから、弟子を破門することはなかったでしょう?
拙者がもし師家であったと仮定しても、弟子を破門しないでしょうね。
642 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 15:33:25 ID:68SLtBEK
>>640 竜樹は、存在の原理を説いているのだから「宗教」ではない。むしろ、
「自然科学」の基礎である。
>>642 竜樹を引用した科学論文がひとつでもあるのかね?
妄想もいい加減にしたまえ。
>>642 イエスは存在の原理を説いているのだから「宗教」ではない、とかいうクリスチャンと
全く異なるところがないのに、そのことに気づかない。
竜樹の狂気に感染しているのである。
645 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 15:53:46 ID:68SLtBEK
>>644 イエスが「存在」について説いているところが1箇所でもあるかね。
「相互依存性・関係性」などと思い至っている箇所が、1箇所でも
あるかね。すべて「現実界」から遊離しまくった妄想ではないか。
>>643 科学論文が前提としている原理だから、わざわざ科学論文を書く理由は
ない。
646 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 16:00:09 ID:68SLtBEK
>>637 細菌は、微生物(microrganism)であり、生物の一種。細菌が増殖し、
耐性を獲得する「原動力」は何かね。
>>645 バカバカしい。結局、「相互依存・関係性」などという
「竜樹の教義」が絶対の基準であり、それに合っていればマル、
合っていなければバツ、という狂信者の論理ではないか。
科学というのは批判を受入れることから始まるのに
自分からは批判を一切しない。
これこそ狂信者の証である。
> 科学論文が前提としている原理だから、わざわざ科学論文を書く理由はない。
これもクリ共と同罪。「神が前提なのだから、わざわざ神について存在を証明する理由はない」
言ってることがイチイチ、クリスチャンと全く同じである。
>>646 「原動力」などというものを妄想するから、神だのイエスだの竜樹だのといったものに
すがるようになるのである。
細菌が増殖し、耐性を獲得するのは、たまたまそういう仕組みがあったからにすぎない。
原動力などといったものは存在しない空想の産物にすぎない。
原動力などに対して「神」だの「生命」だのといったものをワザワザ想定し、
それらを初めから有り難がって教義を作ることが、諸悪の根源である。
648 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 17:20:13 ID:O3e+aeRM
>>631 >悟りというのは特別なことではなくて、象徴的に真面目(本来)の自分になる、
>という意味ですよね。 これを「解脱」といいます。
> で、真面目(本来)の自分とはなにか→「廓然無聖」=無我なんですから
>「不生」→「不識」(言語無用)が当然です。不生=中道といえます。
>スッタニパータの「あの世もこの世も捨て去る」の意味もこういった不生の自覚が前提です。
>決して逆ではありません。
違います。こういった理解はただの誤解です。
さっさと捨てましょう。
『梵網経』に凡夫、外道の聖者、ブッダの三段階が説かれてることをよく理解してください。
凡夫と聖者の違いですら、大きいと釈尊は仰っております。
凡夫とブッダの違いは言うまでもないでしょう。
貴方のいう不生はただの論理的理解であって、三昧とか禅定が全く問題とされてない。
ただの凡夫のつまならない妄想です。
649 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/10(木) 17:49:40 ID:jmSSqAqH
ここに阿羅漢はいないから、そんなにむきになることはない。 正しいと思い込んでいることを主張しているにすぎない。 阿羅漢の見分け方を消去法で示せば、 空や無我だけを主張する人は100%阿羅漢ではない。 無余涅槃を主張する人も同じ。
真面目(本来)の自分になればいいのなら、 釈迦は還俗して王様になっていたのでは?
651 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/10(木) 18:06:40 ID:jmSSqAqH
ではアートマンを説けば阿羅漢なのかといえばそうでもない。 学習しただけの、単なる知識なのかもしれない。 しかしまちがった知識よりはいい。 ついでに32相だとか神通力などは作り話だと思っていいだろう。 ネットで阿羅漢を見分けるにはどうしたらいい?
652 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 18:33:48 ID:O3e+aeRM
>>650 >真面目(本来)の自分になればいいのなら、
真面目(本来)の自分という言葉、記号は間違いではありません。
禅宗ではそういいます。ただ、それは凡夫の現状肯定ではなく、
禅宗の修行の結果として得られる境地を指していて、
凡夫の普通の意識ではありません。
653 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/10(木) 18:40:36 ID:jmSSqAqH
阿羅漢に出会えなければ、あなたが阿羅漢になればいい。 探し求めれば必ず見つかるだろう。 探し求めること、あきらめないこと、自分を貫くこと、 世俗に妥協しないこと、要領よく生きないこと・・・
654 :
閻魔大王 :2009/09/10(木) 18:59:35 ID:wMogK+YP
>>648 >はただの誤解です。
私が凡夫であることは同意します。
しかし、『梵網経』などという偽経のことなんかどーでもいいですから、
どこがどのように誤解なのか、あなたの言葉で盤珪さんと私に明解にご教授願います。
盤珪さんの不生の趣旨は竜樹の不生不滅の縁起すなわち
『自性』として生起(も滅尽も)しないこと=空=中道と同趣旨だと思います。
盤珪さんは多くの民衆にプロ坊主のような>三昧とか禅定とかを要求されたのですか?
中道ですから、本来、南禅は「禅定には拘らない」はずですよね。
既に不生で調っていることをみんなに気を付けさせて、
慶安に生きてゆけるよう教導されたのではないのですか?
心配無用
すべては不生で調ってござるわいの
さとるさとるとこのごろせねば
朝の目覚めも気が軽い
655 :
閻魔大王 :2009/09/10(木) 19:16:13 ID:wMogK+YP
656 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 20:15:39 ID:O3e+aeRM
>>654 >しかし、『梵網経』などという偽経のことなんかどーでもいいですから、
『梵網経』といってもパーリ『梵網経』で、非常に由緒正しいお経です。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html 長部経典の第一経ですよ。この経を第一経にした理由はよくわかります。
仏教の思想体系が、他の思想に対してどのように位置づけられるかを明解に説かれているからです。
この手法は仏教の教判の原形となっています。
『中観心論』『タットヴァ・サングラハ』『華厳五教章』『十住心論』などなど。
>盤珪さんの不生の趣旨は竜樹の不生不滅の縁起すなわち
>『自性』として生起(も滅尽も)しないこと=空=中道と同趣旨だと思います。
その通りですが、ただの論理的理解ではありません。
三昧・禅定による精神集中が前提となっています。
『中論』だと、三昧・禅定は暗黙の前提になっていて誤解しやすいですが、
『入中論』や『入菩提行論』なら、誤解しようがないと思います。
それに中道というのは、禅定に拘らないなどという意味では決してありません。
一般的に仏教では三昧や禅定を用いないものはありません。
精神集中なしに不生・空は悟れないからです。
盤珪さんについては、随分昔にちょっと読んだだけなので、
分かりませんが、もし、盤珪さんが禅定に拘らないで民衆に説いたとすれば、
それは方便でしょう。法然さんが自分は聖道を歩みながら、
方便で念仏を勧めたのと同じことです。
657 :
閻魔大王 :2009/09/10(木) 21:13:28 ID:wMogK+YP
>>656 盤珪さんは分別の念=無明を排し、不生の仏心=悟りのこころに従って生きよと教えられます。
→
>>632 盤珪さんの無修行の修行であり、いわば生活禅といえると思います。
典型的な頓教(とんきょう)であり、ブッダの本来の初転法輪時の教えの形だと思います(コーンダンニャが悟った!)。
ご教授ありがとうございました。
658 :
旧7 :2009/09/10(木) 21:40:28 ID:55KPK7YX
>>657 初転法輪を頓悟に比するなど、愚の骨頂。
臍で茶が沸いてしまうわw
また、もし「頓悟」を、《「ゼロ」から100への変異》と考えているならば、浅過ぎるにも程がある。
机以下の野狐禅決定だ。
659 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 23:28:18 ID:O3e+aeRM
>>658 >で、
>ジャータカや宿命通の事例を出さずに済む理由は?
>
>「>目の前のモニターが、モニターという同一性をもって縁起していること」、
>「自分が、自分自身を、ずっと同じだと(錯覚し)思っていること」
>と、
>ジャータカの事例や宿命通のような事案は、
>「縁起という共通項がある」という(宣言・スローガン)だけで、同様の事例として括り得るものなんでしょうかね・・・?w
業不思議ですな。釈尊が考えるなと言ったことは、捨置すべし。
アートマンの追求と同じこと、縁起は何かに分析還元不可能ということも
意味してますよ。
660 :
旧7 :2009/09/10(木) 23:32:48 ID:55KPK7YX
>>659 だったら、
《「三世に跨る業報」を用いた、「“凡夫の倫理感”啓蒙」「作善不作悪の理由とすること」》も
やめることだ。
661 :
閻魔大王 :2009/09/10(木) 23:33:54 ID:wMogK+YP
>>658 あなたには左脳しかないらしい。欠陥外道決定だ。
→臍で茶が沸いてしまうわw
662 :
旧7 :2009/09/10(木) 23:36:06 ID:55KPK7YX
>>659 ついでに貴方にも質問しておこう。
≪ベトちゃんドクちゃんは、前世の悪業により障害を持って生まれてきた≫と、考えるのですね。
≪綾瀬コンクリート事件の被害者も、前世の悪業により、あのような暴行を受けた≫、と考えるのですね。
≪「本人に、そうとは告げないまでも」、「本当はそうである」≫と見做すわけですね?
663 :
旧7 :2009/09/10(木) 23:37:22 ID:55KPK7YX
>>661 貴方の言うような頓悟を標榜する師家がいるなら、御目にかかりたいもんだw
664 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 23:40:04 ID:O3e+aeRM
>>660 それは倒錯だ。業因果は仏教の根幹。そして縁起と矛盾しない。
>>662 もちろん。本人や親族には方便を使うに決まってる。
業にしろ戒にしろ、自分に向けるもので、他人を害する道具ではない。
665 :
旧7 :2009/09/11(金) 00:03:02 ID:g91pUSOu
>>664 私は当然、まだ至っていないから、
理解が十分でない面があることは自覚するし認めもする。
(「662が前世と結びついている」とは、絶対に考えないけどなw
「長野の竈で火を焚いて鹿児島の竈に灰を生じさせる」ような縁起は断じて認めないw)
だが、
>業にしろ戒にしろ、自分に向けるもので、他人を害する道具ではない。
このことを忘却している輩の多さに腹立たしさは無いのか?
貴方の言辞は奴らの餌にしかなってないことも自覚すべきだと思う。
666 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 00:04:53 ID:Y/4LdfZ5
「悟り」とは「差取り」なり。 己と仏との差を取ること。
667 :
旧7 :2009/09/11(金) 00:09:34 ID:g91pUSOu
>>664 それと、もう一つ。 そのスタンスなれば、
たとえば、貴方が裁判員に選ばれた時は、
「勝義を脇へ置いて、世俗のみで判断し、世俗の言辞でのみ発言し、
世俗の価値観で結論を出す」ということになるのかな?
668 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 00:24:44 ID:LtixiLlo
>>665 >このことを忘却している輩の多さに腹立たしさは無いのか?
>貴方の言辞は奴らの餌にしかなってないことも自覚すべきだと思う。
それよりも仏教が世俗化する方が腹立たしい。向きの違いですね。
>>667 >「勝義を脇へ置いて、世俗のみで判断し、世俗の言辞でのみ発言し、
> 世俗の価値観で結論を出す」ということになるのかな?
なるべく辞退したい。世俗の価値観と大いにずれてるから。
例えば、現在の世俗意識は復讐を認めているが、私は認められない。
自業自得という意識が強いから。
選ばれれば、なるべく世俗に合わしたいと思うけど、短気だから無理でしょ。
その点、我が師はいつも凄いと思う。
勝義空性をありありと体験しながら、いつもひとのいいおっちゃんにしか見えない振る舞いしかしない。
無我ってああなのかと思う、自然で縁起に逆らわないし。
669 :
旧7 :2009/09/11(金) 00:49:03 ID:g91pUSOu
>>668 そうではない。
>例えば、現在の世俗意識は復讐を認めているが、私は認められない
「復讐」感だけじゃない。
つい最近報道された、「『レイプ』事件の例」で言えば、(モニター越しで裁判員等にだけ映像有)
被害者の女性が発言したようだ。「なぜ、私がこのような目にあうのか?!」と・・・。
貴方は、(仏)法に則り、人々を導く立場にあるなら、方便などでなく、寧ろ、心を鬼にして彼女に言わねばならない。
「貴方の前世の業が、ここに果を結んだのです。
そのように、行為は勿論、貴方の関わる全てが因となり縁となって果を生じ続けるのです。
今、貴方はこのことに気づけました。これを縁として、より良い生へ向かって歩いていきなさい。
ですから、加害者もまた同様に、これを縁としてより良き生へと向かうことになるでしょう。
恨んではいけません。許すことで、未来は開かれていきます。アングリマーラという・・・・・以下略」
とね・・・w
他の、【凡夫の】www裁判員もメンバーとして居る。
できる?w
>向きの違いですね
だろうね。
私は、貴方のスタンスを、あり得ない(→絵に描いた餅だ)、と評価しています。
て、酔ってるなwww
おやすみ ノシ
670 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 00:56:55 ID:LtixiLlo
>>669 それはアホでしょ。ありえない。
オレに対して法を求めてるわけではないのに。
釈尊のキサー・ゴータミーへの対応のようにスマートにできるわけがないので、
黙ってるよ。その例なら慈悲、同情こそしても業がとかは言わないというか、
思わないと思う。現場にいかないと本当のところは分からないけど。
671 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 01:08:36 ID:xi2ftkNo
業は、人生のできごとの要因のひとつではあるが、 何もかもが自分の業のせいだけで起きるのではない。 色んな要因がからみあって起きる。 業の影響が顕著に現れるのは、心の反応の仕方でしょう。 例えば、犯罪被害に遇うのは自分の業だけが原因ではないが、 被害に遇ったあとで自分がどのような感情を抱き、どのような行動をとるかは、 過去の業の積み重ねで形成された自分の性格が大きく影響する。 怒れば怒るほど怒り癖がつき、怒りのストレスが多くなる。 被害に遇ってもまったく怒らず相手を慈しめるような性格になれば、 被害にあったことなどまったく悩みではなくなる。 レイプされても蚊にかまれた程度にしか気にしないような性格になれたら、 その人にとってはレイプ自体がたいした事件ではないから、 悩んだり恨んだりする感情さえも起きない。
672 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 01:22:47 ID:lgpi1V9w
>>668 >それよりも仏教が世俗化する方が腹立たしい。
たとえ宗教者であっても、世俗で「生かされている」間は、世俗の倫理に従う
のは当然。勝義は宗教者の「自己満足」。「普遍妥当」ではないから、世俗に
は関係ない。
「勝義は、世俗を通じてしか語りえない」(竜樹)。従って、世俗を通じて
語り得ないことは、そもそも勝義でもない。
673 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 01:35:14 ID:LtixiLlo
>>671 もちろん。業はさまざまに現れるし、縁起なので当然複合的だし、
現在の行為で浄化することもできる。
チベットの聖者で中共の拷問を苦と思わないばかりか、
拷問者に慈悲を与えた方がたくさんいたという。
私自身も右手の四指を全て拷問で切られた聖者とお会いしたことがあるが、
本当に謙虚で、慈悲にあふれた方だった。
罪人の身代わりになって死んだ方もいるという。
無限に善くもなれるし悪くもなれる、我々凡夫は常に善悪の岐路に立たされている。
いいほうを選びたいよな〜
中村元先生の本を読もう。 話はそれから。
675 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 01:41:51 ID:LtixiLlo
>>674 それより、原典読め、翻訳でもいいから。
原始仏教なら中村先生より、水野弘元先生や片山一良先生を読んだ方がいいぞ。
676 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 01:59:46 ID:WeS4nalG
輪廻業報思想についての一考察 さて、これは「仏教質問箱スレ」において論じてきたテーマですが、どうにも結論がでませんので このスレの諸兄にも見解を求めたく、あげさせていただきます。 この「輪廻業報思想」というのは、今世で悪業を積めば来世において、その報いを受けるというもの です。すなわち今世のAさんが悪行を行い、来世でその生まれ変わりであるaさんが「果」を受けると いうものですね。ここには明確に Aさん→ aさん という対応関係がなければなりません。 Aさんの悪業の結果がAさんと何の関係も無いbさんに降りかかったら大変です。Aさんの業の果は 必ずその生まれ変わりであるaさんが、受けなければなりません。ここで、はっきりとしておかなければ ならないのは、 A→a であって A→b ではないという明確な対応関係の存在です。 Aさんの生まれ変わりはaさんであって、bさんではないという対応関係がなければ「業報思想」そのもの が根底から成り立ちません。 まず、これが大前提なのです。 それでは、この「輪廻業報思想」についての見解を見ていきます。 (その1) なんらかの「基体」を設定するもの 「霊」「魂」「心」「アートマン」「真我」 名称はなんでもよいのですが、Aさんの死後aさん へと、継承されるなんらかの「もの」を設定する説ですね。「仏教における輪廻」という枠を設定 しない、生まれ変わり論は、ほとんど全てこの説になります。この説の最大のメリットはAさんから aさんへの対応関係など(すなわち同一性など)に斟酌する必要が全くないということです。 「継承されるもの」を設定しているわけですから、対応関係は明らかです。しかし、これを 「仏教」の中に持ち込むと問題が起こります。「無我思想」との矛盾ですね。そこで、ある説では 「仏教は無我を説いてない。それは非我である。よって、輪廻主体を設定しても仏教の教義に抵触 しない。」 と、こうなります。 (これが、このスレの中心テーマですが) また、この「無我」との整合性をつけるために、次のような説もあります。
677 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 02:00:46 ID:WeS4nalG
(その2) 「基体」を設定せず、「縁起によって、輪廻業報がおこる」というもの この説のメリットは言うまでも無く、「無我」「無常」などの仏教の中心思想との整合性が とれていることですね。しかし、この説は大きな問題点があります。すなわち、(その1)の 説では全く問題とならなかった「対応関係」の担保がまるで説明されてないのです。すなわち aさんがAさんの生まれ変わりであるということが、なぜそう言えるのか全く明らかにされて ないのです。aさんが、Aさんの生まれ変わりであるからこそ、その業を引き受けることになる わけですが、aさんがAさんの生まれ変わりであると言える理由を全く提示しないのです。 (その1)の説であるならば、その点は明確で問うまでもありませんね。「継承されるもの」を 設定しているわけですから。この不明瞭な点について、私は「仏教質問箱スレ」で自らを 「私ほど説明できるものは少ないと思いますよ」と言う人と議論しましたが、最後まで説明 することはできませんでした。私の提示した疑問点は非常に単純なもので 「『業の作り手』と『その業の引き受け手』(すなわち生まれ変わりであるaさん)との間には 明確な「対応関係」が存在しなければ、「業報思想」そのものが根底から成立しない。 継承されるものを否定するのであれば、どのようにしてその「対応関係」が担保されるのか?」 と、まあ、こういうものでした。 それに対する、その人の回答は以下のようなものでした。 1) 「それは縁起による」→縁起によって、どのように「対応関係」が担保されるのかの説明は 最後までありませんでした。 2) 「実在論だからダメ」→実在論か否かは問題ではなく、無矛盾の整合性のとれた説明が可能 かどうかを問うているわけであり、全く論点がずれています。 3) 「そこは追求してはいけないところだ」→それでは単なる「信仰」で終わってしまいます。 そして最後は「それは勝義である」で終了してしまいました。 私は言語表現を超えた「勝義」を決して否定はしませんが、「覚者でないもの」がそれを口にする のは、説明不能に陥ったものが逃げるときに使う言い訳であると考えています。 この説の支持者である他の方の投稿はありませんでしたが、どなたかおられましたらよろしく 解説お願いします。
678 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 02:01:43 ID:WeS4nalG
(その3) 輪廻業報思想そのものを否定する説 これは主に@「輪廻業報思想」はバラモン教からの混入であり、釈迦も「倫理的要請および修行の動機 付けという観点」からも、あえて積極的に否定することを避けた。と、言うよりも他教との論争する 愚を避け、修行の動機付けになるならばと、方便としてそれを用いた。 あるいは、A経典の中にある「輪廻」に関する記述は後代の弟子たちの付加であり、釈迦自身が 積極的に「輪廻」を説いたというのは誤りである。 また、私はよく知りませんが「臨済宗」の教義では積極的に「輪廻業報」を説くことはしなかったと 思いますが。 これらの説も釈迦の教義の根幹思想である、「無我」「無常」「縁起」との整合性の面からも十分、説得力 のある説といえ、現代の仏教学者の中にもこれらの説の支持者が多く見られます。 ただ、これらの説に対しては「経典の中に数多くある輪廻に関する記述を全て、弟子達の付加、 あるいは方便と見做すには無理がある」「仏教の目的は解脱による輪廻からの脱出であるから その前提となる輪廻を否定するわけにはいかない」 などの批判があります。 以上、甚だ大雑把ではありますが、まとめてみました。
679 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 02:36:08 ID:LtixiLlo
>>678 ありえない。『梵網経』『スッタニパータ』『ダンマパダ』など
どんな経典も輪廻を前提としている。
そもそも輪廻という記号を始めて用いたのは釈尊らしい。
和辻、並川等の説が話にならないのは前スレで論証済み。
和辻、並川等は、たんなる世間への阿諛でしかない。
輪廻業報を否定するなら仏教は成立しない。
成立させたとしても殆ど無意味な和辻倫理学のようなものに成り下がる。
それが『梵網経』で釈尊が吐き捨てるように述べた凡夫の仏教解釈に他ならないのは明かである。
君は結局、輪廻を認めたくないだけなのかw
680 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 03:01:23 ID:WeS4nalG
>>679 あなたは、もしかして「佛教質問箱スレ」で私と議論した
人ですか?
そうであるならば、あなたは一方的にあなたのほうから議論を打ちきった
のでは?
私があげたのは、輪廻説の一般類型とその問題点ですが。
私にレスをつけたということは、議論の再開の意思があるのですか?
681 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 03:17:45 ID:LtixiLlo
>>680 保留した部分には言及してないでしょ。
論証済みのことを持ち出すなら、先ずは反証するのが手順。
君は、かなり性格歪んでるよ。
682 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 03:25:02 ID:E7G8jM5y
そもそも、A→aが同じ奴だと、一体誰が知りえるのか(神?)。 A→aが同じ奴かどうか、論じ得るという立場は、暗黙裡に、神の視点(想像上の視点)を持ち込んでいるのじゃないか。
683 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 03:37:39 ID:E7G8jM5y
aにとって前世のAが自分であることは、 aにとって5分前のa’が自分であるという確信と同程度に事実で有り得る。 しかし神の視点(想像上の視点)を基準にすれば、その視点を欠いているが故に、 何れも全く根拠がない不確かな信念だと言える。
684 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 03:40:06 ID:WeS4nalG
>>681 >論証済みのことを持ち出すなら、先ずは反証するのが手順。
論証済み?それは、(その3)の説の否定論証が完結されているのですか?
このスレで? その経緯はしりません。
私は一般類型として、あげたわけであり、その批判も併記したつもりですが?
>君は、かなり性格歪んでるよ。
何故、私があなたにこのように誹謗されなければならないのでしょうか?
685 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 04:05:09 ID:LtixiLlo
>>684 例えば、
>>679 >君は結局、輪廻を認めたくないだけなのかw
といったこちらからの問いは一方的に無視して、
論証済みのことを持ち出して輪廻はないという結論を導きたいという
だけにしか見えない。
業理論が説明されないと喧伝するのも、その前振りの印象操作だろ。
最初から、誰だかだいたい予想していたが、ここまで腹黒いとは。
在家とやってることは同じだが、彼の動機は信仰に依っている、
君の動機はただのエゴにしかオレには見えん。
ちょっと出来のいい誤淫嘘だよ。
これまた旧7と対照的な反応だな、オイラはw
686 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 04:49:48 ID:WeS4nalG
>>685 >君は結局、輪廻を認めたくないだけなのかw
これは問いだったのですか?私には、単なる私に対しての嘲笑であると
思いスルーしたのですが。
>論証済みのことを持ち出して輪廻はないという結論を導きたいという
だけにしか見えない。
ですから、どのように論証済みになったのか、私は知らないと言ったでしょ?
輪廻説の一般類型としてあげたと言ってるのを読んでないのですか?
それに対する批判も併記してるでしょ?
>業理論が説明されないと・・・・
これ以下は、もう単なるいちゃもんでしょう?
あなたは、どうも自説を受け入れない者を罵倒、中傷する癖があるみたいですね。
何故、わたしがあなたに「性格が歪んでいる」だの「腹黒い」と
罵倒されなければならいのでしょうか?
447 :神も仏も名無しさん:2009/09/08(火) 18:11:38 ID:L/FYhegb 業報輪廻転生論・・前世での、経験的記憶すらない原因で現世で責任を負わされるとすることは 形而上の形而下への侵奪であって原理的矛盾である。 責任である以上故意または過失の原因に対する自己への責任記憶規範意識がなければ 応報的および教育的効果を認めようがなく、そもそも応報原理に反する。 まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。 (マッジマニカーヤ 中部経典22) 当人にも、第三者にも前世での原因についての記憶の片鱗すらないというのは、 因果応報思想にとっては業報輪廻転生論は致命的な欠陥だな。 それに、正確に“当たったか”について判断できる裁判所もないしねw
688 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 07:52:08 ID:LtixiLlo
>>686 >あなたは、どうも自説を受け入れない者を罵倒、中傷する癖があるみたいですね。
それもあるかもしれないが、問題はそこではない。
在家は、指摘されたことは認めた。
君は、認めない。あきれるよ。
689 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 07:58:20 ID:9dS/Sxkw
梵網経によれば過去・未来に関する見解について断定することはすべて 謬見としているのではないか。 業報輪廻も現世に限定すればなんの問題も無いだろ。 自業自得は生存中の経験だけだろ。 ラマルクの獲得形質が遺伝する説はすでに否定されている。 釈迦は心身二元論ではないから身体の滅亡と共にその心も 認識されなくなるとしている。残るのは名としての遺産だけだろ。 仏教哲学は唯名論である。
690 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 08:02:05 ID:xi2ftkNo
>>676 仏教といっても色々。
大乗仏教の唯識思想だと、物質も識(心)がつくりだしてるわけで、
Aの肉体もaの肉体も識という映画のスクリーン
にうつしだされた物語にすぎない。
691 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 08:08:41 ID:9dS/Sxkw
>>679 >そもそも輪廻という記号を始めて用いたのは釈尊らしい。
これは明らかに間違いだね。インド思想史でも読んでごらん。
輪廻は釈迦の生きていた当時のインドではすでに習俗常識だった
ろう。ウパニシャッドでも言及されている。
692 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/11(金) 09:12:23 ID:CM8IF4ag
>>678 輪廻業報思想について見解を述べます。
業報思想というのも、ひとつの捉え方の一分野に過ぎない。
縁生・縁滅、つまり縁起の延長線上にあります。
なにかを切っ掛けとしまして心が生じますが、この「生じる」ってのは
三時業も勿論含んでおります。
ということは、三時業は刹那においては「ある」ってことですね。
(しかし、縁生・縁滅です)
もちろん縁起ですから、ない人もいれば、ある人もいる。
縁起という非連続性は、生起した刹那においては連続性を含有する。
という、相矛盾性があります。
これが勝義諦ですね。
ですから非我ではないですね。
純然たる無我です。
693 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 10:16:18 ID:WeS4nalG
>>688 >君は、認めない。あきれるよ。
もう、議論ではなく相手に対する誹謗、中傷しかできないのですか?
あなたの言う「私が認めないあなたの指摘」が何であるかわかりませんが
もしかして、あなたが私に対して行った「性格が歪んでいる」「腹黒い」
これらの罵倒を私が「全くその通りです」と認めないことに腹を立てている
のでしょうか?
そうであるならば、もう、対話自体が成り立たないと思いますが?
694 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/11(金) 10:17:06 ID:MI5Vcwqx
>>691 ゴータマ以前のバラモンの業報理論として確認できる文献(バラモン聖典)は、
『チャーンドーギャ』『ブリハッド・アーラヌヤカ』(紀元前6世紀頃までに成立した)の両ウパニシャッドです。
ここでは、まだ「輪廻」という語は用いられず、「五火二道」として説かれています。
従って、思想としての原型(モデル)自体はすでにありましたが、
「輪廻」として明確に説いたのはゴータマが最初ではなかったかといわれています。
バラモン聖典で明確に「輪廻」と説かれているのはゴータマ以降ということでしょう。
>>673 これらの拷問施行者を哀れみ、
彼が、死後においてこれを原因として地獄に落ちるかもしれないことを憂い、
施行者がこれ以上、罪を重ねないよう、向上ある行く末を願うことが仏教者の理想的な姿でしょう。
695 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 10:26:27 ID:WeS4nalG
>>690 さすがに、そこまで唯心的に偏向しますと、ついていけなく
なるように感じます。
>>692 すいません。言っていることが、私には難しすぎて理解
できませんでした。
696 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 11:09:26 ID:XvuSOJeI
「輪廻転生」は、カースト制度の原因となっている忌むべき思想。 仏陀は、カースト制度の元凶なのか。 「輪廻転生」による脅迫と甘言は最大の悪業であり、提唱者は己が地獄に堕ち る。 善いことも悪いことも両方やった者(すべての人間がそうであろう)の輪廻は どうなるかについての回答ができない以上、業報理論は崩壊している。 輪廻転生は、現代において、カルト宗教が信者を脅迫して財物を騙し取るための、 悪質な手段となっている。
697 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 11:16:42 ID:XvuSOJeI
>>696 の追加
人間は、輪廻転生による脅迫と甘言がない限り、善を行うことが出来な
いのか。自由意思を奪われた状態、心理的強制下で行う善は、善ではな
く、偽善若しくはエゴの追求のための悪である。
無って言葉は誤解を招きやすい。非存在と空っぽ(存在はあってもかたちはない)の両方の意味に解釈できるから。 非存在の無というのはありえない。非存在から有は生じないし非存在の無は認識することも想像することもできないから。 無我の境地という言葉はとてもトリッキーでその境地にいるのは誰か認識しているのは誰かという疑問がつきまとう。やはり非我が正しいと思う。
699 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 11:32:48 ID:LtixiLlo
>>691 インド思想史を読んでも分からないだろうが、
生まれ変わりはウパニシャッドで先行しているが、
サムサーラという記号は、仏教以降の成立文献と見なされるものにしか出てこない。
所謂、苦行者文学もだと思われる。精査したわけでないので断定できないが、
インド思想史レヴェルの人に言われる筋合いはない。
反論するなら、仏教以前の文献で輪廻という意味のサムサーラという用例を出せば済むこと。
700 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 11:41:00 ID:alLIcwy6
横から口出してすまんが、
>>679 >和辻、並川等の説が話にならないのは前スレで論証済み。
このスレから見出した俺には、全然話が分からん。
とりあえず、前スレを検索したが、「和辻」も「並川」もヒットしない。
「論証済み」というなら、どこにあるのか正確に示してくれ。
簡潔にまとめてくれるなら、更にgoodだ。
あと、
>>676-678 の質問
>「『業の作り手』と『その業の引き受け手』(すなわち生まれ変わりであるaさん)との間には
>明確な「対応関係」が存在しなければ、「業報思想」そのものが根底から成立しない。
>継承されるものを否定するのであれば、どのようにしてその「対応関係」が担保されるのか?」
に対する回答は誰もしないのか?
701 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 11:42:11 ID:XvuSOJeI
>>679 >和辻、並川等の説が話にならないのは前スレで論証済み。
「論証済み」などの事実はない。両者の見解に対しては、スレの最初から、宝
珠愚者その他の感情的な罵詈雑言による排斥だけで、議論の対象にさえなって
いない。
釈迦が「吐き捨てるように言った」など、「見てきたような嘘」を付くなw。
702 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 11:52:27 ID:WeS4nalG
>>700 >「『業の作り手』と『その業の引き受け手』(すなわち生まれ変わりであるaさん)との間には
>明確な「対応関係」が存在しなければ、「業報思想」そのものが根底から成立しない。
>継承されるものを否定するのであれば、どのようにしてその「対応関係」が担保されるのか?」
に対する回答は誰もしないのか?
そうです。まさに、核心部分のこの問いに一切、答えようとせず
論点をずらし、個人攻撃をするばかりなのが問題なのです。
703 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 12:04:07 ID:XvuSOJeI
>>698 >やはり非我が正しいと思う。
我が「生物的生命」の意味であれば、当然存在する。釈迦も、生命がなければ、
口も利けなかったのだから。
「五蘊の集合体」などと言ってみても、五蘊は我(生命)のみから発する。
人間以外の「超越的・絶対的存在」を認めないのが、佛教の中心思想である。
704 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 12:09:16 ID:WeS4nalG
>>699 >インド思想史レヴェルの人に言われる筋合いはない。
あなたは、自己の見解に反するレスを付ける人に対して、すぐに、
このような、相手を見下したようなレスを返します。まず、このような
態度を改めた方が良いのではないかと思いますが?
あなたの知識がどれくらいのものかは知りませんが、あなたは自己の主張
する
>>677 の説に対する疑問提示にも回答できないくらいのもでしかない
ことをまず自覚したほうが良いと思います。
705 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 12:34:21 ID:XvuSOJeI
>>704 要するに、一神教的な「超越的・絶対的・架空の存在」を人為的に植えつけられた
者にとっては、それを否定されると、自己の存在が無くなるという錯覚に陥って
いるから、無理も無いことです。
「輪廻転生」は、「善悪」を判定する「超越的絶対者」という「主宰者」の存在
を前提とします。
クリスチャンは、殺されても、その「架空の神概念」を捨てることが出来ない
のです。
706 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 12:48:29 ID:/5Mx/zSk
>>676-678 基体がなくても輪廻するという考え方は理に合わない。
縁起・空が究極の真理ではない証拠である。
輪廻を前提にするなら、
アートマンが必ず存在しなければならない。
逆にアートマンが存在したとしても、
輪廻があるかもしれないし、ないかもしれない。
どちらとも言えないが、輪廻がありえる可能性が高い。
707 :
析空 :2009/09/11(金) 12:55:33 ID:zgodDCUn
>>700 「業報思想」において、前世のAさんと、その縁起による【再生】であるaさんとの
【同一性を担保する原理】の説明は、仏典にはありません。
仏教では、縁起であると説明していますが、縁起の原理については、
説明されていません。
【これがあるからかれがある】と説明しますが、
【これがあるとき、なぜかれがあるか】は説明していません。
708 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 13:09:10 ID:LtixiLlo
>>700 前スレ見てくれ。
その質問については仏教質問箱
709 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 13:11:54 ID:/5Mx/zSk
輪廻は前世の記憶と関係している。 通常、前世の記憶がないから、輪廻があることに懐疑的になる。 前世の記憶がないことを合理的に推測すればつぎの三つ。 個人的には2ではないかと思う。 1 輪廻自体がないのか 2 不要な記憶として処理されているのか → 構造的に不可能 3 悟ることで思い出せるのか → 消えた幼児記憶が先だろう
710 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 13:16:33 ID:LtixiLlo
711 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 13:28:11 ID:LtixiLlo
>>704 私は人に合わせてコメントする。
貴方には十分意を尽くして答えたつもりだ。
業報については、理解できないのは止む得ない。
だから、これ以上説明しても無理だと思い、保留した。
意見が分かれるのは仕方ない、これは視点の問題だから。
問題なのは、
>>678 を述べたこと。これは前スレで解決済みだ。
だから、
>>679 を書いた。論証済みだと指摘した。
ところが
>>680 という返事だ。
論証済みのことを持ち出すなら、反証するのが手順だろう。
念のため
>>681 で確認した。
>>684 という返事なので確信した。
だから
>>685 を書いた。話にならない。
712 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/11(金) 13:28:38 ID:CM8IF4ag
>>695 >すいません。言っていることが、私には難しすぎて理解できませんでした。
そうでしたか、それは申し訳ありません。
では簡単に例示をもって答えとう存じます。
例えば、ぼんやりしていて・・・突然に「地獄絵図」を見せられた。
と、仮定してみる。
こういう状況だと、大概は心が生起しますね。
で、意味連関します。→(瞬時に三時は顕現される)→(これが連続性)
ここで三時業を連想する人もおりましょうし、
また、全く別なことを想起する者もおりましょう?
つまり、刹那には無限なる時空が顕現されますが、
またそれは瞬時に生滅してしまう。
こういうことになろうかと思います。
この刹那に三時業は含有してますね。
まあ、三時業は全く関係ない御仁もあるでしょうけど・・・
一切は空であり縁起でありますが、縁起は連鎖はしません。
全てが消滅しつつ連続する。
非連続であり連続です。→これ即ち勝義諦です。
713 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 13:37:07 ID:/5Mx/zSk
机先生は言葉にこだわり、 言葉に踊らされているようにお見受けしました。 もっと素直に自然に。
>>710 >以下で十分だろ
ぜんぜん十分ではない。
(1)「業報思想」において、前世のAさんと、その縁起による【再生】であるaさんとの
【同一性を担保する原理】の内容及び理由がない。
(2)前世での、経験的記憶すらない原因で現世で責任を負わされるとすることは
形而上の形而下への侵奪であって原理的矛盾である。
責任である以上故意または過失の原因に対する自己への責任記憶規範意識がなければ
応報的および教育的効果を認めようがなく、業法輪廻転生論はそもそも因果応報(責任)原理に反する。
(3)A→aが正確に対応しているとする判定者及び判定基準はなにか。縁起を超越した神秘を認めるのか。
715 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 13:49:48 ID:XvuSOJeI
710
仏典を初めとする他人の「借り物」の見解ばかりで、全く無意味。
君は、自分が「現代の常識的社会」において「生かされている」現代人である
ことを、すっかり忘れているのではないか。「宗教の病理」丸出しではないか。
釈迦が現代に生きていれば、「現代の常識人」としてどのような「違った」教
えを説くかを、常に考えなければならない。
「現代の常識人」として、
>>696 、
>>697 にも回答してくれ。
〇 業報 × 業法 無常=無我=縁起の仏教にとって、どう考えても業報輪廻転生論は 神秘主義を前提としており、異質な反仏教だよ。 迷子の迷子のアートマン君は幽霊と見間違える柳の枝だったんだよ。
なんせ、カルト寺和田の根幹ですので、走狗が必死になっております。 宝珠の引用も寺和田のヘタクソな正田大観の訳のゴックン引用が多い。
718 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 13:58:51 ID:/5Mx/zSk
縁起によって輪廻業報を説明する → 誤り 縁起しているから空、無我であるという考え方に誤りがある。 縁起にはアートマンを否定するだけの力がない。 アートマンは実体であり事実である。 これに対して縁起は、言葉だけの依存関係から空を想定する。
>>718 >アートマンは実体であり事実である。
事実というなら証明可能なはずだから、証明してみ。
720 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 14:07:15 ID:/5Mx/zSk
>>719 10年ほど瞑想にはげんでごらん。
運がよければアートマンに出会えるだろう。
721 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/11(金) 14:10:24 ID:CM8IF4ag
>>713 >机先生は言葉にこだわり、
>言葉に踊らされているようにお見受けしました。
なにを言っとるんだね、貴殿は(ニガワラ
あれほど「台風の運動」について説明したのに、
理解できんのは貴殿の読解力のなさだろうよ。
台風の公案が解ければ、業報輪廻なんて簡単なお題だよw
722 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 14:16:12 ID:LtixiLlo
>>716 >無常=無我=縁起の仏教にとって、どう考えても業報輪廻転生論は
>神秘主義を前提としており、異質な反仏教だよ。
そりゃただ君の考えが浅はかなだけだろ。
無常=無我=縁起なら、じゃ現在の君と輪廻の縁起がどう違うんだ。
どちらも無我だが、縁起する。無常=無我=縁起から何も矛盾しないなw
723 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 14:29:51 ID:/5Mx/zSk
>>721 台風は動かない、などというバカ話のどこが公案ですか。
適当な話をしてごまかしてはいけない。
自然に自分を合わせるのが聖人であり、
自分に自然を合わせようと妄想するのが凡夫ですね。
>>722 >輪廻の縁起
業報輪廻転生が迷妄・妄想である点が違う。
それより
>>714 に対応しろよ。
725 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 14:46:12 ID:LtixiLlo
>>724 なんだそりゃ。現世も妄想、迷妄だぞ。
何も分かってないな。
仏教質問箱みてこい。
単純に縁起のみだ。無常=無我=縁起なら同一性は仮設だけだと分からないなら、
お前は、無常=無我=縁起という記号や、辞書程度の解釈しか知らず、何も分かってないのが明かだ。
726 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 15:24:04 ID:Y/4LdfZ5
>>687 >業報輪廻転生論・・前世での、経験的記憶すらない原因で現世で責任を負わされる
>とすることは 形而上の形而下への侵奪であって原理的矛盾である。
>責任である以上故意または過失の原因に対する自己への責任記憶規範意識がなければ
>応報的および教育的効果を認めようがなく、そもそも応報原理に反する。
横レスで済みません。
顕在意識の上で記憶が無くても、潜在意識の中の過去の記憶で苦しんでいる人も
多いことは、現代の心理学や精神病理学上では常識的でしょう。
727 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 16:16:31 ID:aaljTf4+
>>726 >顕在意識の上で記憶が無くても、潜在意識の中の過去の記憶で苦しんでいる人も
>多いことは、現代の心理学や精神病理学上では常識的でしょう。
全然、常識的ではない。フロイトの「無意識」は、全く証明されていないことを
知らないのか。
「無意識」を意識したら、それはもはや「無意識」ではない。
728 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 16:30:55 ID:aaljTf4+
>>723 >台風は動かない、などというバカ話のどこが公案ですか。
机師の言われていることは、台風は気圧の相対関係に過ぎないから、
自性はない、ということ。厳密に思考すれば、「台風が動く」とは、
その相対関係が変化するだけであって、台風そのものが動いている
訳ではない。
君は、まだ、「空」を「無」だなどと勘違いしている。「無」どころか、
厳然として実在する自然の「構成原理」「自然科学の基礎」のことであ
る。物質とその原子との関係によっても、如実に証明されているではな
いか。
その原理は、「万物」について、証明可能である。「我(生命)」に
付いても、例外ではなかろう。
729 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 16:36:38 ID:aaljTf4+
佛教の「縁起」という言葉がmisleadingである。「因果関係」「業報」 などと勘違いする者が出てくる。「相互依存性・関係性」という言葉に 統一すべきである。水野氏の新刊書でさえ、「縁起」の説明は、終始一貫、 「関係性」である。
730 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/11(金) 16:40:12 ID:CM8IF4ag
>>726 >顕在意識の上で記憶が無くても、潜在意識の中の過去の記憶で苦しんでいる人も
>多いことは、現代の心理学や精神病理学上では常識的でしょう。
そのことは、拙者が
>>712 に書いてあります。
「過去の記憶が蘇る」ってのは、刹那に蘇るんですね。
(これは覚者にもあります)
縁起というのは意味連関じゃないですから、これが限りなく連鎖することはない。
「苦しんでいる人」というのは、
我執に囚われてしまうんです。
では何ゆえに我執に囚われてしまうのか?ってのが、
つまり初転法輪(四諦)です。
だから、この脈絡で語ちても・・・それは無明でしかない。
明智なら、既にこんな疑問さえない訳ですけど。
731 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/11(金) 16:49:27 ID:CM8IF4ag
>>728 縁起ってのは、時系列的脈絡はないんだよ。
だから生起・生滅なわけ。
時系列ってのは、あくまでも主観であるわけ。
貴殿にとっては「台風は動いてる」ってことになる。
あくまでも「貴殿において」成り立つ論法だよ。
これで解ったか?
すべては仁鶴師匠がご存じです
733 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 16:58:50 ID:WeS4nalG
>>711 何が言いたいのかさっぱりわかりませんね。
とにかく私が
>>678 で(その3)の説を紹介したことを怒ってるみたいですが
各種、業報輪廻説をまとめるのであれば、当然、入ってくる一説だと思いますが?
あなたは、これはここですでに否定論証が完結しているのだから、その反証を
あげるべきであるとのことですが、何度も言っているように私は、その経緯は
知りません。論証済みと言ってますが、「そんなことはない」と言う方も居られる
みたいですし、あなた方がそのように考えているだけである可能性もありますね。
(私は、どのように論証がなされたのか知りませんので、これは推測です)
また、仮にこのスレでその論証がなされていたとしても、輪廻業報説の中の
一説としてあげることに何の問題があるのか、わかりませんが?
その1〜その3を読めばわかるように、私は、各説のメリットと問題点を
其々、まとめたに過ぎず、その3の説が正しいなどとは言っていません。
(この説に対しての批判も併記しています)
>>676 〜
>>678 の三説をあげたことで、何故あなたに、「性格が歪んでいる」
「腹黒い」などと罵倒されなければならないのですか?
734 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 17:16:06 ID:WeS4nalG
>>712 読み返してみましたが、やはりよくわかりませんでした。
机氏の話は、どうも私のような「禅」のベースが無いものには理解するのが
難しいように思われます。
いつか、わかる日がくるのかもしれませんが。
735 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 17:59:17 ID:ms1tRa9m
>>734 机先生は脳ミソが発酵しているのでしょう。
なんとなく話がふやけている。もう手遅れだと思います。
736 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 17:59:30 ID:Le/xLxoP
輪廻スレの3番目の過去ログを見たのですが、 並川氏は 「仏教が輪廻に否定的」(輪廻し続けることを嫌うという意味で)を 「仏教が輪廻(という現象の存在)に否定的」と読み替えた方ということで よろしいでしょうか。
737 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 18:12:20 ID:ms1tRa9m
>>731 台風は動かない、などという人は社会の少数派ですね。
そういえば、雨が降らないと思えば降らない、などと言う人もいたような。
バカ話もいい加減にしろ、と強く言いたい。
禅宗とはそんなものか。アホクサ。
738 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 18:25:15 ID:PNRO7Q7S
アキレスと亀っぽい
739 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 18:35:37 ID:alLIcwy6
740 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 18:36:49 ID:bXW1EUFC
>>738 アキレスと亀やゼノンの矢は、佛教のような「相互依存・相対性」の原理には
思い至っていない。そこが本質的に異なる。
741 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 18:49:00 ID:bXW1EUFC
>>738 アキレスと亀やゼノンの矢は、あくまで、動きを論理的に分析しただけ。
しかし、現実には適用できない。佛教の「相互依存性・関係性」の理論は、
現実のすべての事象に適用できる。「去るものは去らない」は、論理自
体の矛盾(戯論)を指摘したものである。
742 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 18:52:38 ID:alLIcwy6
>>692 >>712 俺もこれ何言ってるんだかさっぱりわからない。
誰か現代日本語に翻訳してくれ。
なんとなくだが、
「何かをきっかけとして、三時(今・来世・三回目以降の来世)で受ける業が生じる。業があるからから、輪廻・業報思想は正しいんだ。」
と言いたいように読めたが、それだと意味不明だしな。
743 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 19:36:25 ID:zROOV3T/
>>742 >俺もこれ何言ってるんだかさっぱりわからない
禅は、さっぱりわからないところに価値があるw。わかったらオシマイ。
「生命の刹那性(今、ここ)」を持ってくれば理解できるのではないか。
三時を考えているのは、今ここの生命である。
今日の産経新聞に「婆子焼庵」の話が出ていた。どなたか、解説してください。
>>472 前後ありといへども、前後際断せり :即今即所 ←現観(縁生即縁滅)
刹那と連続、断滅と恒常⇒矛盾を中道で掴む⇒不生不滅
有時の中道的把握、無明分節による時空の構造化
745 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 19:49:38 ID:LtixiLlo
>>736 大変、よろしゅうございます。
みなさんが、貴方のようならいいのですが。
746 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 19:53:19 ID:ms1tRa9m
自分の言葉に酔わないで相手にわかるように話そう。 まずはそこから出直そう。 仏教の術語を使って相手を煙に巻こうという思いを捨てよう。 相手をだまそうという思いは、 そっくりそのまま自分に降りかかってくる。
747 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 19:54:25 ID:LtixiLlo
>>739 一体、どこよんでんだ?
>>736 さんを見習え。
>この和辻の手法に荒巻典俊説を加えたのが並川『ゴータマ・ブッダ考』ですが、まったく受け入れられません。
>
>なぜなら、経典を最古層と古層に分け、最古層より古層が輪廻に対して積極的だということから、
>
>釈尊が最古層より輪廻に対して消極的で「あくまで現世に力点を置くという態度を強く示していた
>
>のではないかと推定できる」としています。ですが、その根拠である最古層が輪廻に対して否定的表現をとる
>
>から消極的というのは、他生や再生が望まれないことを指しているからです。
>
>他生や再生、つまり輪廻を厭う、否定的であるというのは通仏教的であり、
>
>特殊な表現でないことはお二人には自明のことでしょう。
>
>それに対して古層が輪廻に対して積極的というのは、輪廻の中で良い生まれを望むことを指してます。
>
>これまた通仏教的で、生天と言われ解脱に向かわない人への方便的教え、本来否定されますが、
>
>悪趣に行くよりはマシといった内容であることも、お二人には自明のことでしょう。
>
>つまり「資料に対して一貫した姿勢で臨み、それに基づく研究が徹底され」ているのではなく、
>
>釈尊は「現世に力点を置く」としたいために意図的に最古層が輪廻に対して消極的だと解釈しているのです。
>
>この現世というのは、彼が馴染んでいる常識的世界観であることは明らかでしょう。
>
>このような研究はまったく支持できません。
748 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 20:15:21 ID:Y/4LdfZ5
「机上空論」Wiki:机の上で空を論じる。 机龍之介氏のハンドル名と「縁起」するかは不明。 「中論」の土台は「八不」。「八不」の初めは「不去」。 「不去」がリアルでなく机上なのは論証済み。
749 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/11(金) 21:19:25 ID:ms1tRa9m
在家さんでしょう。書き方でバレバレ。 名無しの意味がない(~~)
750 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 21:26:49 ID:GyDEybeO
>>748 >「不去」がリアルでなく机上なのは論証済み。
それこそ、“君の”「机上」だけの話。
『智度』「十喩釈」とか、『廻諍論』22偈と自註とか、
色々示したけど、都合が悪くなると魔非禍痢的スルーに走る。
そしてほとぼりを冷まして、また同じこと繰り返す、まるでEOEの如し。
魔非禍痢に走ると精神構造がどうなるのか、良く分かる実例だ。
751 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 21:29:46 ID:alLIcwy6
>>747 釈尊の直説は現存しないから、類推するしかない。
その中で、並川氏の説は、蓋然性の高い推論として、中々いい線いってると思う。
少なくとも、o氏の反論は、
並川氏の「仏教は時代と共に変化しており、変化の変遷から、釈尊在世当時の仏教の姿を求める」という推論に対して、
「今の仏教と釈尊の仏教は同じだから、その説は間違ってる」
といってる様にしか読めない。
推論というより、あらかじめ用意したシナリオに沿って 「仏教史」を作り上げてるだけな気が。
1.釈尊はすごい人である 2.歪められるとすれば元の教えより劣ったものであるはず 3.輪廻転生説は劣った迷信である 4.劣った迷信は釈尊が説いたものではない 5.輪廻転生説は釈尊が説いたものではなく後代に入り込んだものである こんな感じで。
754 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 21:40:55 ID:LtixiLlo
>>751 何いってんだ。それなら勝手に何妄想してもいいってのか?
輪廻について苦と考えない、釈尊以後のインド宗教などあるのか?
この意味で否定的という意味を、意図的に輪廻の存在自体が否定的という意味にすり替える非常に愚かな議論だろ。
幼稚過ぎる。
それに釈尊以前の苦行者文学も、釈尊以後の仏教も
記号でなく意味としての輪廻を前提としている。
釈尊だけが、輪廻思想を否定したなどという証拠はどこにもない。
あるのは並川の誤読というか、妄想だけだろ。
>「今の仏教と釈尊の仏教は同じだから、その説は間違ってる」
どういう読みしてんだw まったく
755 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 21:45:06 ID:LtixiLlo
>>753 そうなんだよ。非常に幼稚で、文献的裏付けが皆無。
その分野で大きな成果を出した荒巻先生や村上先生などに対する反証もない。
ただの妄想だ。
この点、目的は同じなんだが、和辻は流石に明晰な頭脳を持っている。
ただ仏教の理解は全くないといっていいと思うが。
756 :
旧7 :2009/09/11(金) 21:52:48 ID:g91pUSOu
_, ,_ ( ゚∀゚) <私は、 「釈尊は無謬である!」 なんていう前提・見解を持ちたくはないですがね・・・。 //\ ̄ ̄酒\ // ※.\___ \ \\※ ※ ※ ※ ※ ヽ \`ー────── ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
◆さん、いいよーあなたまともよー だけどにちゃんに長居すると汚れるよ 現代に生きるマザコンが、禅の衣着て語るから 醜いのよ 戦国には合ってたよ確かに 今じゃ、現実からの逃亡者のお手玉よー
758 :
旧7 :2009/09/11(金) 22:07:15 ID:g91pUSOu
昨夜、酒の勢いで書き殴っていたものを見つけたんで、ついでに投下しておこう。
なんだかなぁ・・・w
>>671 言わんとする所(→前半)は解る。 が、後半。
お前は男だろ?
だから、そういう発言になる(そういう発言ができる)w (→これ(後半)もやっぱり、「勝義の言葉」なんだよね・・。)
彼女らは、《【怒って】いるんじゃない》少なくとも《「怒っている【だけ】」じゃない》。 ここが理解できなかったら話にならんぞw
ガキは黙ってろよw
「レイプ」「第二次性徴」「周囲の視線」「周囲の男どもの視線」「親戚のおじさん達の視線・言葉」
これらの重みを、男の子は(下手したら一生)理解しないし、そのような事象が存在することにも気付かない。
(※「“所謂セカンドレイプ”の際に見られる論理」と「業報思想」の間に共通性を見出せない者は、感性が鈍いと言わざるを得まい・・。)
(※たぶん、こういう人たちは、原始仏教を「完全平等」だと思ってるんだろうね。
理念としては勿論そうだ。が、実際・実情・サンガの組織上(運営上)、不平等が存在することを直視すべきだ。
男女の別がそれだ。もし、「男女も平等であった」などと抜かす輩は、たとえ権威ある学者であっても、
そんな奴は馬に蹴られて死ぬべきだろうw
そこには、本質的区別以上の、社会の状況に合わせた(≒社会の要請する区別(→差別))が導入されている。)
参考図書:
「私と彼とそのあいだ」(安達倭雅子/筑摩書房)
「電話の中の思春期」(安達倭雅子/ユック舎)
「女の子は学校で作られる」(マイラ&ディヴィッド・サドカー/時事通信社)
「沈黙を破って」(森田ゆり/築地書館)
他:比丘パーティモッカ、比丘尼パーティモッカ。
759 :
旧7 :2009/09/11(金) 22:08:10 ID:g91pUSOu
>>673 >いいほうを選びたいよな〜
貴方が裁判員になった時、申し出ればいい。
「私が、加害者の代わりに刑に服します!」 と・・・w
やって味噌。
どでかいニュースになるぞw
アングリマーラ経は、
意義深く、丸暗記して、常に諳んじてもいいくらいの素晴らしい逸話だと思うが、
同時に、(特に近代社会、法治社会に於いては)、
巨大なジレンマを生じさせる経だということも、強く留意されるべきだと思う。
単なる『(勝義的)美談』という受け止め方、法話のネタ程度の受け止め方で済む経ではない。
世俗(=その時代時代の社会)と接しながらでのみ存在し得る仏法なれば、
「この経の(字句通りでない)エッセンスを、どう発信していけるのか?」を模索研鑽することが、
現代仏教に最も必要なことではなかろうか。
(※当然ここに三世は不要だw
いや、寧ろ、三世など想定しない方が味わい深い・・。
そう、みゆきの「HALF」が、三世無しの世界観の方が味わい深いように・・・wwwww)
760 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 22:16:53 ID:LtixiLlo
>>759 あほか? ただのアホでおわりだ。
それより近親者が無差別殺人とかで、遺族の会見生放送で、
私は犯人に心の平安がもたらされたらいいと思います。
とかなんとか心から言えたらいいとは思ってる。
そういう意味で松本サリンの河野さんを大変尊敬している。
立派な方だ。
761 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 22:18:31 ID:LtixiLlo
>>759 >アングリマーラ経は、
より、サウンダラ・ナンダの方が身につまされるよ。前にも言ったけど。(T_T)
762 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 22:22:06 ID:LtixiLlo
>>758 そうそう、酒、止めた方が頭も心も冴えるぞ。
止めて思う 酒の毒 飲んでた時は 誰の頭ぞ オソマツ
763 :
旧7 :2009/09/11(金) 22:36:05 ID:g91pUSOu
>>761 今回のポイントは、身につまされるかどうかじゃないよw
アングリマーラは、行政の(国家の)裁きを受けていない。
所謂、一般的意味での「罪の償い」をしていない。一般的意味での罰を受けていない。
もし、現代日本で同様の事件が起きた時、
≪犯人が「聖者に帰依し」、「心を入れ替え」、文字通り「生まれ変わり」、「聖者として」生きていこうとした時≫、
(そう、まさにアングリマーラそのままの状況だった時)、
≪現代社会は、それを許容するかい?≫
貴方は≪彼が(阿羅漢となったのだから)アングリマーラのように、世俗の刑罰を受けなくとも良い≫と考えるかい?
≪おそらく暴行を受けるだろうが、それが刑罰の代わりだ≫と考えるかい?
その時、彼に暴行を加えた者たちは悪業を積むことになる。
彼の行為とその後の在り様が、人々に悪業を積ませたと見ることも可能だ。
大人しく牢屋に入ってれば、彼に暴行を加えて悪業を積む者も生じなかっただろう。
「世俗の法」と「勝義の法」と、
貴方はどちらを優先すべきだと考えているんでしょうかね?w
764 :
旧7 :2009/09/11(金) 23:20:53 ID:g91pUSOu
ん・・? 止めちまったか?w
>>762 パーリ五戒の文句は解り易くていいよねw
私は、「放逸の原因となる、穀物・果実等からなる、人を酔わしめる飲み物から離れる」 という戒めを護ります。(自訳)
私は、「酩酊・錯乱・【散漫】の原因となる飲み物から離れる」 という戒めを護ります。(自訳)
私は、「放逸の原因となり、(人を)酔わせる酒類を飲まない」 という戒を守ります。(南方仏教基本聖典p4)
「surA-meraya-majja pamAdaTThAnA veramaNI 」 sikkhApadaM samAdiyAmi.
いやいやw まさにその通りだと思うよ。 うん。その通りだ。
思うだけだけど・・・・・w orz
765 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 23:38:48 ID:alLIcwy6
>>752-755 どっちかと言うと、
1、輪廻と、無我は矛盾する
2、矛盾を解消するには、輪廻の概念が後から持ち込まれたからだと考えたらどうだろうか?
3、この仮説の元に文献を比較すると、整合性がある
4、よって、輪廻の概念は後代に入り込んだ可能性が高い
って所だと思うが?
なお、原始仏典「以前」を推測してるんで、「仏典に輪廻がでてるから釈尊も説いただろう」という推測は、「今の仏教と釈尊の仏教は同じだから、その説は間違ってる」 ということになるだろ?
すくなくとも、この推論を批判するなら、輪廻と無我を矛盾なく説明できてから批判すべきだと思うが?
>>676-678 の質問
>「『業の作り手』と『その業の引き受け手』(すなわち生まれ変わりであるaさん)との間には
>明確な「対応関係」が存在しなければ、「業報思想」そのものが根底から成立しない。
>継承されるものを否定するのであれば、どのようにしてその「対応関係」が担保されるのか?」
にまず答えたら?
766 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 23:53:02 ID:GyDEybeO
>>765 >にまず答えたら?
まず過去ログ読んでから発言したら?
767 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 23:58:33 ID:alLIcwy6
>>766 だから、読んでも見つからない。
「前スレで解決済みだ。」としか言わないが、全然「解決したレス」が見つからない。
答があると主張するなら、レス番書くか、URL張ってくれと何度言ったか・・・
769 :
767 :2009/09/12(土) 00:17:53 ID:uZ5cBRLx
仏教が「業報輪廻」だとすると ヒンドゥーは「我+業報輪廻」か 「我+業報輪廻」の場合、業報が我に刻印されるかまとわりつくかして 我を(業報の内容から換算される)来世に引っ張っていくことになる。
771 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 00:28:42 ID:FqGqSr5Z
>>768 「型」であろうと「核」であろうと「継承されるもの」を
設定するのであれば同じことです。
Aさん→aさん への対応関係を「継承されるもの」に求めるのならば
いくら表現法を変えても変わりありません。
それを「業」と呼ぼうが「魂」と呼ぼうが「心」と呼ぼうが、同じことです。
それらは、「継承されるもの」の名称が異なるだけで、本質は基体設定説と
かわりありません。
772 :
767 :2009/09/12(土) 00:29:38 ID:uZ5cBRLx
>>768 まず、リンクが意味不明。
人体の新陳代謝については、数年毎に全部が一気に変わるのではなく、毎日徐々に交換されている
つまり、常ほとんどの部分は変化していない。だから、自己同一性が保障されている。
また、「記憶」の元となる、脳細胞は、基本的に新陳代謝せず、一生同じ細胞。
一方、輪廻は、徐々に置き換わるのではなく、死→生という断絶で、一気に変化する。
だから、人体の新陳代謝は、輪廻の例には全く不向き。
我が引っ張られている、というより業報・「そうあらしめる枠組み」に
巻き込まれてる。ということかもしれない。
>>771 「我」(アートマン)が肉体を含むものなら、それは正しいと思う。
アートマンというものが、
アートマンであったものがアートマンでなくなったり、
元々アートマンでなかったものがアートマンになることもある、とされていたり、
(この場合は自己同一性を保障する役目の細胞が生まれたりある時期で入れ替わったりという状況に当てはまる)
(数や量が)増えたり減ったりする、とされているなら否定されない。
でも「永遠不変な」アートマンなら、この時点でも否定されることになる。
774 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 00:41:01 ID:P5MukNb+
775 :
767 :2009/09/12(土) 01:06:53 ID:uZ5cBRLx
>>774 前レスから通読したけど、
>>676-678 の質問にたいする答えのレスなんぞ無かったという意味なんだが?
あると言うなら、どこにあるのかを主張してくれ。
無いなら、「過去ログ嫁」じゃなくて、きちんと反論してくれ。
776 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 01:29:08 ID:FqGqSr5Z
基体設定説は、何かしらの「継承されるもの」を設定します。 その名称は様々ですが、それにより「対応関係」を担保することに おいて、本質的に差異はありません。この「継承されるもの」を設定 することにより対応関係は明確となり、そこが問題視されることはありません。 しかし「基体を設定しない説」では、この「継承されるもの」全てを否定し 現象の連鎖により生まれ変わりを説明します。 すなわち、Aさんの死が原因となってaさんの誕生がもたらされる。 それは「縁起」による。 と、こういうわけです。 ここでaさんが、Aさんの生まれ変わりであると言えるためには、 「Aさんが死んだからこそaさんが生まれた。」言い換えると 「aさんの誕生はAさんの死がなければ、ありえなかった。」 このような対応関係が明らかにされて、初めてaさんは、Aさんの生まれ変わり であると認知されるでしょう。しかし、この説の支持者は「それは縁起による」 の一点張りで、「何故aさんの誕生はAさんの死が原因であると言えるのか」 についての説明は一切しません。 業報思想のまさに中核をなす、この「対応関係」の説明が欠落していて そこをただ「それは追求してはいけないとこなんです」では、話にならない 欠陥論だと見做されても仕方が無いのではないでしょうか?
777 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 01:31:52 ID:6oMPj8Sf
通時的な自己同一性の基準(何をもって自己を同一と見なすのか)は、思考(意識)の習慣に過ぎない。 仮に輪廻の記憶を持っていても、思考の習慣が前世からの自己同一性を仮設しているに過ぎない。 人は、そのような思考の習慣によって、通時的な自己同一性に縛られている。→輪廻に縛られている 思考の習慣を超えて無我を悟ることにより、通時的自己同一性から解放される。→輪廻から解放される
778 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 01:34:42 ID:/kCDTFJ9
>>765 日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の本で読んだんですが、
瞑想方法で、今の時点から順番に記憶をさかのぼってゆく瞑想があるそうです。
ビデオのまきもどしのように、順番に記憶をさかのぼってゆく。
途中でとぎれたら、また今にもどって、
最初(今)から過去へ順番に巻き戻してゆく。
そうすると、赤ちゃんのときの記憶、さらにはその前にまで、
さかのぼれる場合があるそうです。
修行者達の瞑想による体験談から、
輪廻を推測することができるということでしょう。
779 :
旧7 :2009/09/12(土) 01:43:01 ID:pSzvL9p6
>>777 だからw
それなら、倫理の基準にならないでしょ?w
「妄想(仮設)を信じ込ませて、作悪のブレーキにする」という方法論ですか?
そのように開き直って頂ければ、全て解決しますが・・・w
ノシ
780 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 01:44:59 ID:FqGqSr5Z
通常「Aさんの死」と「aさんの誕生」という時空的にかけ離れた2つの 現象間に因果関係を認めるのであれば、当然、何故それらがリンクして いるのかの説明がなければなりません。これは旧7さんが、あげた「竈の灰」 の話と同じことですが。 その説明が欠落していることが、論としての致命的欠陥なのです。
781 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 01:50:53 ID:6oMPj8Sf
>>776 無数のものが無数のもの同士無数に関わりあっている中で、
Aとaの間に、とりわけ特別な「対応関係」を認めてしまう、思考(意識)の習慣がまずあって、
その習慣を超えて無我を悟りましょう、自由になりましょう、という流れじゃないの。
>>779 思考の習慣は人間のおかれた現実の問題であって、倫理とは別問題。
苦に圧倒されたり 苦で人格が歪むのが判らんうちは出離なんて逆立ちしても無理だと思う。 輪廻から出離してどこに行こうというのか。 消え去ることを主張する上座の方がまだ仏説に近い。 チベ系に共通する落とし穴。
783 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 01:56:11 ID:FqGqSr5Z
>>781 >Aとaの間に、とりわけ特別な「対応関係」を認めてしまう・・・
「特別な対応関係」が認められないのであれば、そもそも「業報思想」
は初めから成り立ちません。Aさんの積んだ業が全く関係の無いbさんに
降りかかったら大変なことです。
784 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 01:57:54 ID:6oMPj8Sf
>>780 輪廻は記憶によってしか確かめられないでしょ。時空的な近い遠いは別問題。
785 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 02:01:38 ID:FqGqSr5Z
>>784 あなたが何を言いたいのか、わかりません。
786 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 02:05:41 ID:6oMPj8Sf
>>783 >Aさんの積んだ業が全く関係の無いbさんに降りかかったら大変なことです。
bさんがかつてAさんであったことを忘れてしまっているだけかもしれないねw
そうであるかないかの根拠は、確からしいような、不確かなような、記憶の中にしかない。
787 :
旧7 :2009/09/12(土) 02:14:20 ID:pSzvL9p6
>>781 >倫理とは別問題
ほうw
どうやら、貴方は特殊なスタンスのようですね・・・。
業報を前面に押し出す場合、皆が皆、例外無く「倫理的動機の鍵」として説明してますよ。
貴方もそうではなかったでしたっけ?(随分と様変わりしましたねw)
入口、導入という発言は一貫してますが、ここ暫くは、
「業報」(或いは輪廻)と、「倫理」や「作善不作悪」との関係には触れずにレスをしてますね。
(実に賢い・・。 いや、狡猾と評すべきかな?w)
788 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 02:15:25 ID:/kCDTFJ9
卵に精子が入ったら、卵は壁をつくって他の精子が入らないようにする。 このように、ひとつの心が新しい肉体をみつけたら、 「この肉体はオレのものだ」と他の心の侵入をブロックすると考えたら、 輪廻が1対1で対応するのも説明がつく。
>>787 貴方が思っている「貴方」とは別人物。(ナナシサン,ダカラネ)
790 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 02:19:03 ID:EkiTwEp7
>>779 >「妄想(仮設)を信じ込ませて、作悪のブレーキにする」という方法論ですか?
>そのように開き直って頂ければ、全て解決しますが・・・w
善と悪のいずれもなした者はどうなるかについての回答が得られなければ、
作悪のブレーキにもならない。一旦悪をなした者は、善をなす意欲が失
われ、一旦善をなした者は、悪をなしてもよいことになり、むしろ悪を
促進することになる。めちゃくちゃな理論である。
そもそも釈迦は、カースト制度を是認していたのかね。カーストから
人間を解放するために、バラモン教を否定したのではないのかね。
輪廻転生が、カースト制度の元凶であることは、明らかであろう。
791 :
旧7 :2009/09/12(土) 02:20:58 ID:pSzvL9p6
792 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 02:24:07 ID:/kCDTFJ9
卵はどんどん生産されている。 精子(死亡者の心)もうようよと、卵(次の肉体)を探している。 精子によって卵の性格がかわるし、 卵によって精子がたどる将来が変わる。 しかし、精子A(死亡者A)がなくても、 別の精子Bが卵aを狙ってくるから、 死亡者Aさんがいなくても、誕生者aさんは生まれる。 また、卵aがなくても、精子Aは別の卵cを探しだすから、 aさんの生まれる環境がなくても、(たとえば人類が滅亡してても)、 死亡者Aの心は別の肉体、たとえばゴキブリcの体に入って ゴキブリcの性格に業を受け継がせることになる。
793 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 02:35:01 ID:EkiTwEp7
そもそも、輪廻転生は、カースト制度を維持するための支配者側がでっち上げた 「脅迫」と「甘言」。その意味では、倫理とは無関係。輪廻転生を唱えた者が、 最大の悪をなしたのだから。釈迦が唱えたとすれば、釈迦の輪廻はどう なるのか。
794 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 02:41:43 ID:/kCDTFJ9
ひとつの精子が分裂して複数の卵に入ることはないのか? 死亡者Aさんの業が、複数の新しい赤ちゃんに受け継がれることはないのか? それについては、そもそも輪廻するのは自己の存在に執着しているからであり、 自分と他人を区別して、自分が自分でありつづけたい というエネルギーがある心が輪廻するわけだから、 ひとつの精子はひとつのままでひとつの卵に入りたがる。
795 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 02:48:49 ID:EkiTwEp7
>>792 >>794 「業」は行為だから「獲得形質」である。「獲得形質は遺伝しない」。これが
生物学の大原則。
それに、赤ちゃんが死亡者Aの子であることは、どうやって証明するのか。
DNA鑑定でもやるのかねw。
796 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 03:06:09 ID:EkiTwEp7
原始仏教は、バラモン教との過渡期だから、「輪廻転生」や「神霊」など、 バラモン教からの夾雑物が混じっている。釈迦も、時代の子であることを、 免れなかった。それらの夾雑物を一切排除して、釈迦の中心思想を捉えるのが、 現代の仏弟子の義務ではないのか。それが、まさに、「自灯明・法灯明」とい う、釈迦の遺言である。
797 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 05:45:02 ID:jt7vPNjA
>>775 前スレってのは
>>1 >前シリーズ、【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】に続き、
>>1 > **全過去スレ/リンク集
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html 【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】のシリーズを指す。
>>769 縁起に関してはそのスレ以上に言うことはない。
何か基盤を求めるのは旧物理学が、原子とか究極の実在単位に還元可能と考えていたのに対して、
新物理学が還元不可能としたこと、その還元不可能なものを
何か実在単位がないと説明にならないと言っているようなものだ。
その要請に応えてアビダルマ、唯識、ゲルク等が還元物を設定した説明体系を
導入したがそれらはみな実在論に傾斜してるに過ぎない。
これが分からないなら、仏教は分からない。
無我と輪廻は何も矛盾しない。矛盾するという前提が不当なんだよ。
輪廻と無我が矛盾すると言った仏教などないだろう。
説明には苦労したが。
798 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 07:46:25 ID:duQXA7zC
>>668 >それよりも仏教が世俗化する方が腹立たしい。向きの違いですね。
“神格化などの解釈”ですべてが処理され、
仏教の教えが単なる唯物論化していくことだけは絶対に避けたいもの。
現代科学や一般常識といった合理主義を持ち出して、
自分たちが納得するものへと勝手に仏教を改変していくことだけは断じて許されない。
>なるべく辞退したい。世俗の価値観と大いにずれてるから。
>例えば、現在の世俗意識は復讐を認めているが、私は認められない。
>自業自得という意識が強いから。
>選ばれれば、なるべく世俗に合わしたいと思うけど、短気だから無理でしょ。
激しく同意。
799 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 07:47:31 ID:duQXA7zC
>>707 >仏教では、縁起であると説明していますが、
>縁起の原理については、説明されていません。
>【これがあるからかれがある】と説明しますが、
>【これがあるとき、なぜかれがあるか】は説明していません。
ですね!(重要な事実)
よっていつも、「縁起だから〜」「それを縁起という」とでしか言えない・・。
>>709 それは安全機能のようなものです。
火事場の馬鹿力が普段は出ていず、潜在的に仕舞い込まれているのに少し似ています。
常時発揮していては自分の生命力がもたないからでしょう。
過去世の記憶もそれを達観できる意識レベルでなければ、
引き出せない(想起されない)ような仕組みになっているのです。
>>729 これかな?
「関係性」=“関係の中の生起”ってこと?
『縁起の原語 pratiitya-samutpaada の原意は、「因縁生起」の略と考えられ、「他との関係が縁
となって生起すること」の意味で、関係の中の生起の意味である。』(Wiki)
http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%8E
800 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 07:54:00 ID:duQXA7zC
>>763 >もし、現代日本で同様の事件が起きた時、
>≪犯人が「聖者に帰依し」、「心を入れ替え」、文字通り「生まれ変わり」、「聖者として」生きていこうとした時≫、
>(そう、まさにアングリマーラそのままの状況だった時)、≪現代社会は、それを許容するかい?≫
まっ、大多数は許さないでしょうね。
現代においても、
仏門に入ることを“(社会的)責任放棄で逃げた”という見なし方があります。
つまり、反省していると思わせて許しを請う手段だ、ということになるのでしょうね。
要するに、社会的な償い(刑罰を含め)を他の人々と同様に実行して、
更に、その上でその後の人生について自らの意志で仏門入りした場合において、
初めてこの人は心から価値観と生き方を変えたんだろう、
という評価に繋がるのでしょう(現代社会の評価としては)。
私は社会的な責任という意味での刑罰の存在を肯定しますが、
しかし、現法律上の刑罰(の内容)を何でも正しいものとは見なしていません。
死刑などは以ての外です(これは殺人行為です)。
私が業報という場合には刑罰を意味しませんが、
受けた刑罰によって業報の受けるべき果報は精算(足す引き)されるでしょう。
増えることは考え難いから、カルマ的果報は軽減すると思います。
801 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/12(土) 07:54:59 ID:XPiUDVNP
>>734 >机氏の話は、どうも私のような「禅」のベースが無いものには理解するのが
>難しいように思われます。
>>742 >俺もこれ何言ってるんだかさっぱりわからない。
なるほど、そうですか、ではもっと平易に書き込みしとう存じます。
「地獄絵図」というのは、描いた作家のメッセージが込められています。
そのメッセージをどう受止めるか?は各人各様ですね。
しかしながら、この絵図はリアルではない。
っというのはご理解できますでしょうか?
ということは、そこで空想の世界が広がりますね。
過去世・現世・未来世が瞬時に現出されます。
(自系列は瞬時にあるのです)
その属性としまして三時業は含まれております。
それで終了ですね。
それからカミさんの顔をジッと見つめる。
これは閻魔大王か?と・・・意味連関して逝きますね。
なんでこんなブサと結婚したのか?と、後悔したりする。
これで終了です。
まあ、そんなことよりも、今夜は久しぶりにビフテキでも食うか。
とか・・・縁に触れまして、絶えず心は変化してまいります。
地獄絵図も、結婚後悔も、ビフテキ食う予定も、つまりは三時であります。
三時は、心が生起した刹那にあるのです。→これが連続性です。
そして、この連続性は刹那に断滅します。→これが非連続性。
心とは、非連続性であり連続である。と、申せましょう。
802 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 07:57:41 ID:+BIJPVYJ
>>779 >それなら、倫理の基準にならないでしょ?w
業報・輪廻を倫理の基準とするためなら現世生存中
だけに限定しても目的は達成される。
死んだあとのあの世での生まれ変わりなどと言い出すなら
地獄でのエンマ大王の裁きなどという空想物語で合理化
することが必須と成る。
鎌倉時代の日蓮でさえ六道輪廻はこの世でのこころの移り変わりと
理解していたよ。
業報輪廻をこの世での生存中の心象に限定するなら何の問題も起こらないし
現在の脳科学や認知科学でも十分に説明できる事柄だね。
803 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/12(土) 07:57:55 ID:XPiUDVNP
× (自系列は瞬時にあるのです) ○ (時系列は瞬時にあるのです)
804 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 08:00:29 ID:jt7vPNjA
>>799 wiki の縁起なんか持ち出されても、近代学者で縁起の深淵な意味を正確に把握してる人は、ほとんどいない。
関係性とか、論理的関係などではただ一面的、即物的な把握
縁起・空以上に何かを求める、その姿勢、思考法こそが無明なんだがな。
釈尊と龍樹菩薩など中観系の聖者は縁起以上に説明しない。
それに従わないのは外道、アビダルマ、唯識など根本が分かってないから。
805 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 08:10:13 ID:duQXA7zC
次スレを立てましたので、お知らせです。
こちら14が終ってからご投稿願います。>オール各位
〜〜〜最終章〜〜〜
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/l50 ----------------------------------------------------
>>765 >どっちかと言うと、
>1、輪廻と、無我は矛盾する
>2、矛盾を解消するには、輪廻の概念が後から持ち込まれたからだと考えたらどうだろうか?
>3、この仮説の元に文献を比較すると、整合性がある
>4、よって、輪廻の概念は後代に入り込んだ可能性が高い
>って所だと思うが?
私の意見は、2番は逆だというものです。
つまり、輪廻は矛盾しません。無我の現代解釈が後代に持ち込まれたものだということです。
これによって整合性がとれるということ。
>>776 これによって、
>>676-678 で提示されている矛盾点が解消するのです。
本当はアートマンは在るんだけど(仏典には記されてないが)、
ゴータマは意図して説くことを辞めたのです。これで(その1)にも(その2)にも矛盾しない。
アートマンは在るから(その1)の通りにスッキリ解消なのです。
でも、ゴータマはそれを説かなかったので、(その2)の理論しかなくなったのですね。
何故、あるのに説かなかったのか?
その推論については私は既に述べてあります(これですべての整合性がとれている)。
しかし、それを仏典に書かれてない話だとしてメチャクチャに罵倒されたのです。
恐らくこれが唯一の解答(正答)なのですが・・・残念。
806 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 08:16:40 ID:/kCDTFJ9
>>795 瞑想によって記憶をさかのぼれるという僧侶もいる。
もちろん、瞑想者が過去の記憶に遡れたからって、
その記憶が事実かどうかはわからない。
しかし、そのような体験をした僧侶達がいたということでしょう。
807 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 08:18:32 ID:+BIJPVYJ
>>757 >今じゃ、現実からの逃亡者のお手玉よー
仏教の出家原理主義は現実の社会からの逃亡そのものだね。
いったん出家して悟りを得たら遊行して社会に還元するなら
それなりの意義はあるだろうが。
釈迦の生き方に習うことだね。ジャイナ教のように涅槃に入ったら
即死んでしまうなら何の社会貢献にもならない。
808 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 08:28:15 ID:+BIJPVYJ
>>707 >【これがあるからかれがある】と説明しますが、
>【これがあるとき、なぜかれがあるか】は説明していません。
「これがあるからかれがある」という具体的・個別的な縁起の
法を立証するのは現証だろうね。論理実証主義と同じ立場だね。
現実の経験として「これがあるときかれがある、これがないとき
かれがない」ということの反証がないかぎり、その法は正しいと
するのだろう。科学哲学の反証主義と同じだね。
ただ、縁起の場合は縁という確率を導入しているから必然的な決定論
ではなく確率的決定論となるね。
809 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 08:32:44 ID:+BIJPVYJ
脳内記憶ほどあてにならないことは無い。 自分の都合のいいように書き換えられてしまったり、 無意識で抑圧して想起されないようにしたりする。
810 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 08:37:23 ID:/kCDTFJ9
>>795 証明うんぬんを言い出したら、
お釈迦様が本当にすべての煩悩を克服していたのかも、
証明はできません。
1+1=2をわかっている人は、1+1=2を頭の中で何回も考える必要はない。
1+1=2について議論する必要もなく、
わかってしまったら思考は完了できる。
神通力を得た聖たちが過去世について知った場合、
1+1=2のようにすっきりと理解して、
1+1=2だと言うときのように、
あたりまえのようにそれについて話すのでしょう。
811 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 08:52:35 ID:jt7vPNjA
>>802 >業報・輪廻を倫理の基準とするためなら現世生存中
>だけに限定しても目的は達成される。
ならない。断見になる。あらゆる仏教経典と矛盾する。
そのような限定を加えたなら仏教は崩壊する。
しないと思ってるのは貴方が仏教が分かってないだけだ。
例えば、一切皆苦を認め、輪廻しないなら、自殺が必然的帰結だろう。
自殺しても生まれ変わり、苦を解決しないから、行して輪廻から解脱するしか道はないとするのが仏教の基本だ。
貴方のような考えだと、和辻倫理学のような釈尊が『梵網経』で言い捨てた
凡夫の仏教賛美になる。行、禅定や観法の必要性が全くでてこないだろう。
全く何も分かってないだけで、ただ自分たちの常識に引きずり降ろしてるだけだ。
>死んだあとのあの世での生まれ変わりなどと言い出すなら
>地獄でのエンマ大王の裁きなどという空想物語で合理化
>することが必須と成る。
そんなもの必要ない。閻魔の裁きなど方便にすぎない
>鎌倉時代の日蓮でさえ六道輪廻はこの世でのこころの移り変わりと
>理解していたよ。
日蓮は非仏教だから、何の根拠にもならない。
>業報輪廻をこの世での生存中の心象に限定するなら何の問題も起こらないし
>現在の脳科学や認知科学でも十分に説明できる事柄だね。
それでは輪廻にならない、何もなく突然意識が創発して、また死と共に断滅するというのは。
脳科学も認知科学も意識の発生に対して、複数の相反する仮説が乱立するだけで確定した説はないと思うが、
誰か確定したのか?
812 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 08:56:33 ID:jt7vPNjA
>>805 >私の意見は、2番は逆だというものです。
>つまり、輪廻は矛盾しません。無我の現代解釈が後代に持ち込まれたものだということです。
>これによって整合性がとれるということ。
>
>
>
>>776 >これによって、
>>676-678 で提示されている矛盾点が解消するのです。
>
>本当はアートマンは在るんだけど(仏典には記されてないが)、
>ゴータマは意図して説くことを辞めたのです。これで(その1)にも(その2)にも矛盾しない。
>アートマンは在るから(その1)の通りにスッキリ解消なのです。
>でも、ゴータマはそれを説かなかったので、(その2)の理論しかなくなったのですね。
これも全く逆・並川なだけ。『梵網経』の第二の立場、外道の聖者。
三昧・禅定で現象の迷妄性は理解しているが、その三昧体験を
真実・アートマンなどと解釈する、これが解脱をもたらさず、
ただそれに相応する境地に輪廻するだけだと釈尊が明言しているでしょう。
なんど、指摘されても同じことしか繰り返せない。
813 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 09:03:28 ID:jt7vPNjA
>>808 論理実証主義が崩壊した理由は、その実在論的前提、本質主義に基づく。
これあらば、これあり。というのは認識の問題で、実在論本質主義に立ってないところが、全く違う。
仏教の認識論や存在論は、有一辺倒の西洋思想を遙かに上回っている。
それは縁起法頌や釈尊の遺言という短文で明解、簡潔に表現されているのは驚異といわざるえない。
釈尊はほんとうにあらゆる意味ですばらしい。
814 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 09:04:46 ID:duQXA7zC
>>717 >宝珠の引用も寺和田のヘタクソな正田大観の訳のゴックン引用が多い。
ならば、あなたの絶賛する大乗とやらは、
アートマンもどきを導入し、如来と涅槃の久遠恒常を説き、神通力と御利益による救済を説き・・。
まさにあなたの罵倒するカルト宗教そのものということになる。
815 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 09:52:21 ID:+BIJPVYJ
>>811 >例えば、一切皆苦を認め、輪廻しないなら、自殺が必然的帰結だろう。
輪廻からの解脱が苦の滅と説くのが釈迦だろう。
無明を見極めて現成涅槃に入れば釈迦のように自殺は無用だと思い直し
遊行する智慧が生まれる。
一切皆苦も実体が無い妄想だと早くあきらめること、それが仏教だ。
816 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 10:03:36 ID:jt7vPNjA
817 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 10:12:30 ID:LTeDGYub
>>750 >>「不去」がリアルでなく机上なのは論証済み。
>
>それこそ、“君の”「机上」だけの話。
>
>『智度』「十喩釈」とか、『廻諍論』22偈と自註とか、
>色々示したけど、都合が悪くなると魔非禍痢的スルーに走る。
「まひかり」のせいにして回答せずスルーするのはどちらでしょうか?
750氏は、108回、「去りつつ(作用)あるものは去ら(作用)ず」と
唱えながら足元のアリさんを見つめても、「不去」だと主張する立場だと
認識しました。
>>749 >在家さんでしょう。書き方でバレバレ。
>名無しの意味がない(~~)
もし再生して別ハンになっても本質(アートマン)が常住なので、三明智?を
お持ちの方々には判るのでしょう。(快笑)
818 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 10:18:51 ID:LTeDGYub
>>750 >それこそ、“君の”「机上」だけの話。
机上でなく、リアルな現象世界で貴兄が足元のアリさんを見て、どう思ったのかを
回答していただければ良いだけです。
「アリは去らず」か「アリは去る」か、二択です。
机上空論での回答は破邪の論理より「不去」ですね。
机氏他、大乗の方々の何人かは、それでも「不去」だとレスいただいたと
記憶しております。
819 :
前世は一在家 :2009/09/12(土) 10:28:18 ID:LTeDGYub
私が「不去」の二文字にこだわるのは、「不去」の証明が縁となり、 「八不」の証明が起こり、「中論」が起こり、現代の大乗仏教が起こった との仮説があるからです。 もし、「不去」の証明が当て馬の有部への破邪の論理での「机上空論」で あることが証明され、1人でも多くの仏教徒が認識できれば、末法からの 方向転換(正法へ)も可能性もあるかと存じます。 尚、私の所属するグループでの「中論」や「龍樹」へのコメントは一切 ございませんので誤解なきよう。
820 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 10:42:44 ID:FqGqSr5Z
>>797 >新物理学が還元不可能としたこと、その還元不可能なものを
何か実在単位がないと説明にならないと言っているようなものだ。
全く違います。現代物理学では構成要素を仮設し、それによりモデル
構築を行います。そのモデル提示を全く行わず、ただ総称的に「縁起
による」と繰り返すだけの思考停止と同列にしてはいけません。
>無我と輪廻は何も矛盾しない。矛盾するという前提が不当なんだよ。
輪廻と無我が矛盾すると言った仏教などないだろう。
その何故 『無我と輪廻は何も矛盾しない。矛盾するという前提が不当なんだよ』
このように言えるのかの説明がまったくないのです。
あなたは、ただ断定するだけです。
また、「輪廻と無我が矛盾すると言った仏教などないだろう。」
これもおかしい。
『〜であるとは言っていない』からといって『〜ではない』
とはなりません。
>>811 >何もなく突然意識が創発して、また死と共に断滅するというのは。
脳科学も認知科学も意識の発生に対して、複数の相反する仮説が乱立するだけで確定した説はないと思うが、
誰か確定したのか?
これも同じ論理ですね。「死と共に意識が断滅されると実証されたわけでは
ありません。」 「死に係わらず意識が継続すると実証されていない」
ので「そのような事実はない」と見做すのが自然科学の共通認識です。
>>813 だから、単に「認識上の問題である」としてしまうなら、
前世の自分が犯した業によって、今現在、この現実社会において
その報いを受けるなどという「業報思想」が成り立たないでしょう?
821 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 10:57:51 ID:jt7vPNjA
>>820 >全く違います。現代物理学では構成要素を仮設し、それによりモデル
>構築を行います。そのモデル提示を全く行わず、ただ総称的に「縁起
>による」と繰り返すだけの思考停止と同列にしてはいけません。
それと同じことがアビダルマ、唯識だけど、
仮設して説いても仏教の場合、縁起理解の障害になるだけだからな〜
>その何故 『無我と輪廻は何も矛盾しない。矛盾するという前提が不当なんだよ』
>このように言えるのかの説明がまったくないのです。
>あなたは、ただ断定するだけです。
これについては説明した。君が理解しないだけ。
>『〜であるとは言っていない』からといって『〜ではない』
>とはなりません。
仏教では輪廻も無我もきっちり説く、それで十分だろう。
確かに両者の説明は苦心した。正確なのは釈尊と中観のみである。
>
>>813 だから、単に「認識上の問題である」としてしまうなら、
>前世の自分が犯した業によって、今現在、この現実社会において
>その報いを受けるなどという「業報思想」が成り立たないでしょう?
全ては認識として成り立つのであって、実在するものは一つもないというのが
縁起・空なんだけど。その認識をもたらしているのが業、
その法則が縁起。
822 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 11:02:53 ID:LTeDGYub
>>778 >日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の本で読んだんですが、
>瞑想方法で、今の時点から順番に記憶をさかのぼってゆく瞑想があるそうです。
>ビデオのまきもどしのように、順番に記憶をさかのぼってゆく。
その瞑想法は、長部経典の「沙門果経」に記載の修行完成者の三明智の一つ
とソックリだと思います。
823 :
717 :2009/09/12(土) 11:04:41 ID:h0bcbBlO
>>814 宝珠愚者
>なんせ、カルト寺和田の根幹ですので、走狗が必死になっております。
>宝珠の引用も寺和田のヘタクソな正田大観の訳のゴックン引用が多い。
このようにズバリと真相を衝かれると宝珠愚者は
>>814 のようにヒステリックに反応する。
走狗の走狗たるゆえんをついつい自白してしまう。
いくらキレイ事を並べても、言語論理はウソをつくんだよ。しかし感情はごまかせない。
それが宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk=走狗 なのさ。
宝珠愚者の御都合主義まるだし「論文」の姿が透視できるよw
>アートマンもどきを導入し、如来と涅槃の久遠恒常を説き、神通力と御利益による救済を説き・・。
こういう類のでっち上げ既成概念は未達世俗諦的妄想によるクソ方便にしかすぎない。
勝義からの還減ですべては明白となる。
824 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 11:18:35 ID:uZ5cBRLx
>>797 なんか、前スレ=一つ前のスレ じゃなくて、前スレ=これまでの全スレ というオリジナル解釈のようなので、順番に見直してるんだが、
A「仏教は論理的に説明できる!」
B「論理的に考えると、ここがおかしい。」
A「そこは悟らないと説明できない!」
B「結局、理論的じゃなのね」
A「いや、論理的に説明できる!既に説明済み。おまえがアホなだけ」
B「だから、ここがおかしいだろ」
A「そこは悟らないと理解できない。おまえがアホなだけ」
B「結局、論理的じゃないのね」
A「いや、論理的に説明できる!既に説明済み。おまえがアホなだけ」→以下無限ループ
論理的に説明できないなら、「そこは信仰だ!」と言えばいいのに、
無理やり「論理的説明(笑)」をしようとするから、つっこまれるんだと思う。
とりあえず、どこが貴方の言う証明済みの部分なのかを指摘してくれると、13000レスを全部読まなくても済むんで、大いに助かるんだが…
825 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 11:18:39 ID:+BIJPVYJ
>>816 現世での涅槃を否定することはゴータマ・ブッダは成道した
仏ではなかったことになるがそれでいいのか?
826 :
717 :2009/09/12(土) 11:22:13 ID:h0bcbBlO
>>821 >これについては説明した。君が理解しないだけ。
>仏教では輪廻も無我もきっちり説く、それで十分だろう。
説明した箇所をしてきしてあげたら?
インチキかもしれない経典に書いてあっても、
本当に「解く」かどうかは判らない。
だからこれだけの論争になっている。
827 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 14:05:52 ID:jt7vPNjA
>>825 そんなことは言ってない。
釈尊は輪廻から解脱するために戒定慧を用いて解脱した。
それを誤解して凡夫が、今そのままの状態を、
あるがままでいいとか、全ては無我だとか空だとか、
ただの観念的な言葉の理解、論理だけで理解して、
それを涅槃だと捉えることを現法涅槃論、つまりただの凡夫の現状肯定のための屁理屈だということ。
828 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 14:08:53 ID:jt7vPNjA
>>826 縁起とか空は説明しても分からない人には分からないんです。
なぜなら、凡夫の前提、実在論・本質主義を超えているから、
同一律が通用しない世界なんで。
829 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 14:13:58 ID:jt7vPNjA
>>824 まあそんなとこだが違うとこがある。
>B「仏教の業論を説明もとめます」
>A「縁起です」
>B「縁起じゃ説明にならない」
>A「それは実在論的前提に立つから」
>B「結局、理論的じゃなのね」
>A「いや、縁起で説明できる!既に説明済み。おまえがアホなだけ」
>B「だから、ここがおかしいだろ」
>A「実在論で考えると理解できない。おまえがアホなだけ」
>B「結局、論理的じゃないのね」
>A「いや、縁起は十分論理的!既に説明済み。おまえがアホなだけ」→以下無限ループ
まず、私は自分から、主張したことなど一度もない。
全て問いに対する答えです。今回も問われたから答えただけ。
830 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 15:58:19 ID:P5MukNb+
>>817-819 回答済。やはり挙げたものを読んでない。
肝心な点、都合の悪い点は、見事に魔非禍痢スルー。
そして、ほとぼり冷まして同じことを繰り返す。やはりEOEの同類。
魔非禍痢に走るとどんな精神状態になるか、またも実態が証明された。
>もし、「不去」の証明が当て馬の有部への破邪の論理での「机上空論」で
>あることが証明され、1人でも多くの仏教徒が認識できれば、末法からの
>方向転換(正法へ)も可能性もあるかと存じます。
↑こそが、魔非禍痢な「机上空論」であります。
魔非禍痢から脱会し洗脳状態から「方向転換(正法へ)」されるのが良いと存じます。
>尚、私の所属するグループでの「中論」や「龍樹」へのコメントは一切
>ございませんので誤解なきよう。
関係極めて大。魔非禍痢に精神が汚染されているから、
魔非禍痢スルーや魔非禍痢読みに走るわけですから。
さぁ早く脱会して「方向転換」しましょう。
831 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 16:07:48 ID:4Vv7bEmk
どうでもいいけどさ、前々から気に入らねえのは、このスレって寺和田工作員御用達スレッドでしょ?内容がつまらないから、もう廃止したほうがいいよ。別にイヤミで言うわけじゃなし、気分を害したなら前もって謝罪しとくよ。とにかくつまらない…くだらない
832 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 16:13:55 ID:FqGqSr5Z
>>821 >>全く違います。現代物理学では構成要素を仮設し、それによりモデル
>構築を行います。そのモデル提示を全く行わず、ただ総称的に「縁起
>による」と繰り返すだけの思考停止と同列にしてはいけません。
それと同じことがアビダルマ、唯識だけど、
仮設して説いても仏教の場合、縁起理解の障害になるだけだからな〜
あなたは、現代物理学が自説を指示するかのように書きながら、間違いを
指摘されると「でも、縁起理解の障害になるだけだからな〜 」のように
論点を摩り替える。
>>その何故 『無我と輪廻は何も矛盾しない。矛盾するという前提が不当なんだよ』
>このように言えるのかの説明がまったくないのです。
>あなたは、ただ断定するだけです。
これについては説明した。君が理解しないだけ。
これも「あなたが説明したと思っているだけ」
実際、何の説明にもなっていません。
833 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 16:14:54 ID:FqGqSr5Z
>>『〜であるとは言っていない』からといって『〜ではない』
>とはなりません。
仏教では輪廻も無我もきっちり説く、それで十分だろう。
確かに両者の説明は苦心した。正確なのは釈尊と中観のみである。
これもそうです。佛教では輪廻と無我をとく。その整合性をつけるために
(その2)の説があり、『その矛盾点』が論題になっているのでしょう?
あなたは意図的に論点をずらしているのですか?
>
>
>>813 だから、単に「認識上の問題である」としてしまうなら、
>前世の自分が犯した業によって、今現在、この現実社会において
>その報いを受けるなどという「業報思想」が成り立たないでしょう?
全ては認識として成り立つのであって、実在するものは一つもないというのが
縁起・空なんだけど。その認識をもたらしているのが業、
その法則が縁起。
これも同じ。全く回答になっていない。
あなたは、回答不能とみると、論点をずらしたレスを書き
さも、回答しているかのように見せかけます。
まず、それを改めましょう。
834 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 16:15:41 ID:FqGqSr5Z
>>829 それは違ってますよ。正しくは
A「基体を設定しない輪廻説では、どのようにAさんからaさんの対応関係が
保障されるのですか?」
B「縁起だから」
A「いえ、ですから縁起によってどのように対応関係が担保されているのか?
と聞いてるわけですが?」
B「縁起だから」
A「え〜と、Aさんの業が関係ないbさんに降りかかったら大変ですよね?
だからA→a の対応関係が必須なわけです。縁起よって、それがどのように
担保されているのか?と聞いているのですが?」
B「そこは追求してはいけないところだ。佛教の四大不思議のひとつだ。」
A「ということは、そこはただ信仰するしかなく、論理的説明はできないのですね?」
B「そんなことはない。この上も無くすばらしい説明体系がある。」
A「ならば、その説明体系により解説してください。通常、2つの全く関係性の無い
と思われる現象に因果関係を認めるのであれば、当然その構造を説明しなければ
なりません。例えば、大阪である人が滑って転んだ原因を東京で一匹の犬が
ないたからであるとするならば、何故そう言えるのかを説明しなければなりません
ね?その因果関係を説明する必要があるわけです。そこを聞いているのです。」
B「縁起だから」
A「ですから、何故、aさんの誕生がAさんの死によってもたらされたものだと
言えるのか?と聞いているのですが?」
B「縁起だから」
A「・・・・・・・」
と、まあ、こんな感じですかね?
835 :
旧7 :2009/09/12(土) 16:20:50 ID:pSzvL9p6
>>833 引用文と、自分の文章との区別をしてください。
「 > 」や「 > 」の使い方が滅茶苦茶です。
「記号の付いてない行」が貴方の文章かと思いきや、引用文だったりする。
読み難くて仕方ない。
貴方の語りの正当性云々の前に、きちんとした表現ができるようになった方がいいよ。
(「 > 」の付いてる行とついてない行が混在してるってのは、
どこかのどなたさんや他何人かにも共通した読み難さだけどな・・・w)
836 :
旧7 :2009/09/12(土) 16:21:42 ID:pSzvL9p6
>>789 は、字句通りの「別人」ってことだったんだな・・・w 失礼した。
791は全面的に取り下げる。すまなかった。
また、別人としても、流れからして、
「本来無我で同一性なんかないよ〜w ほら、この通り
名無しさんとしての仮の同一性はあっても別人だよ〜んw」という茶々かと思ったので・・w
申し訳ない。
(※余談: で、業果は、↑のような人違いなく、的確に表れる、とw)
837 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 16:41:33 ID:jt7vPNjA
>>831 違うけど。何人か信者さんはいるけど。
私はスマナサーラさんは、大乗が全く分かってないと思ってるし。
テーラワーダは尊敬するが、ビルマ系を特に尊重する。
ところで、どういうことを論じれば素晴らしいわけ?
まさか並川説のようなものではないよね?
838 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 16:45:38 ID:jt7vPNjA
>>834 >B「そこは追求してはいけないところだ。佛教の四大不思議のひとつだ。」
>A「ということは、そこはただ信仰するしかなく、論理的説明はできないのですね?」
おお、これはオレが間違ったかも。
そう、業についてなど四不可思議は、凡夫は信仰するしかない。
これは訂正しておく。
839 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 16:51:26 ID:8reda7oW
>>835 これは失礼しました
引用文には>をつけるのがマナーだったわけですね。
配慮を欠いたみたいですので、以後、気をつけることにします。
840 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/12(土) 17:26:44 ID:XPiUDVNP
>>837 >ところで、どういうことを論じれば素晴らしいわけ?
横ヤリですけど、
釈尊は人間だから、先ずもって輪廻転生があるかどうか?
なんてことは悟れないし、また、それを悟ったというならインチキになる。
しかしながら釈尊は、別角度から己事究明(四諦)、及び中道を悟ったのであって、
そこからの抽出で、全てが明白になる。ってことであります。
ですから肝心の、仏教の根幹部分が抜けておったら・・・
末節枝葉を論じても、それは空論になる。
このスレは、根幹部分が解ってる輩が、枝葉を論じて楽しんでる様相と、
枝葉こそ釈尊本懐の要諦と、熱くなってる輩が交差する、
喫茶去である。
そのように調ふて下されば宜しいかと・・・思ふ。
841 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 18:51:06 ID:duQXA7zC
>>840 >釈尊は人間だから、先ずもって輪廻転生があるかどうか?
>なんてことは悟れないし、また、それを悟ったというならインチキになる。
ですから、
何度も“ゴータマは(超常的な能力で)確認した上で説いている”のだ、といっているのです。
ゴータマはただの人間ではありませんよ!だから、「仏陀」(如来)と呼ばれるのです。
あなたのそういう見解は、ただの世俗の凡夫による思考範疇に過ぎません。仏教じゃ〜ないです。
「転生」の事実認識は凡夫では無理なのです。
しかし、修行が進むと(わたしゴータマのように)自分でも確認できるようになるといっている。
『心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、けがれなく、やわらかで、たくみで、確立し不動になっ
たときに、多くの人々の死と生を知ることに心を向けた。すなわち、わたしは清浄で超自然的な天眼によ
って、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸
福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従っているのを見た。
「じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、心で悪い行為をし、多くの聖者を
非難し、よこしまな見解をもち、よこしまな見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、
悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為
をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる」と。
わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。すなわ
ち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従
っているのを見た。バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得られた第二の明知である。
ここに無明が滅び明知が生じたのである。暗闇は消滅して光明が生じたのである。それはつとめ励み、
努力している人に現れるのである。』(マッジマ・ニカーヤ100/サンガーラヴァ経)
842 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 19:00:52 ID:duQXA7zC
『このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が「この者は、このところへ生まれる。 この者は、このところへ生まれる」と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、「わたしは、このような超能力があることを人は知 れ」というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子 はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた らし安楽をもたらす。以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』 (中阿含経・第77・帝三族姓子経)
>>841 > ですから、
> 何度も“ゴータマは(超常的な能力で)確認した上で説いている”のだ、といっているのです。
ですから何度も、それは客観的に証明ができていない、思い込みか信仰でしょ?と言っているのです。
> ゴータマはただの人間ではありませんよ!だから、「仏陀」(如来)と呼ばれるのです。
ただの人間ですよ! 心を調え涅槃に至ったから仏陀(如来)と呼ばれるのであって、
超能力者だから言われるのではありません。
> あなたのそういう見解は、ただの世俗の凡夫による思考範疇に過ぎません。仏教じゃ〜ないです。
あなたのそういう見解は、ただのオカルト好きの凡夫による思考範疇にすぎません。仏教じゃ〜ないです。
オカルト系新興宗教ってとこでしょう。
> 「転生」の事実認識は凡夫では無理なのです。
> しかし、修行が進むと(わたしゴータマのように)自分でも確認できるようになるといっている。
事実認識できないなら決めつけないことです。
844 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 19:20:01 ID:uZ5cBRLx
>>841 ああ、ようやく理解した。
>ゴータマは(超常的な能力で)確認した上で説いている
>「転生」の事実認識は凡夫では無理なのです。
>修行が進むと(わたしゴータマのように)自分でも確認できるようになるといっている。
結局、論理的には説明できない訳ね。理論を超越した宗教的な説明しかないわけだ。
それじゃ、貴方の説明を、論理的説明だと思って読んでた私には、理解できなくて当然。
最初っから書いて置いてよ、「これは私の信仰告白です」って。
845 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 19:31:27 ID:duQXA7zC
>>843-844 仏教は宗教であり、超自然を説くもの。提示した経文にある通りですよ。
だから、あなた方のような世俗の凡夫たちのご都合に合わせるものじゃないのです。
別に無理に信奉する必要はない。勘違いしないように。
>ああ、ようやく理解した。
簡単でしょ!
---おわり
宝珠愚者の場合、根拠らしきものは結局のところ 「私はこの目で見た!! だから、それが真実である!!!」 ということしかない。 いくら「!」を沢山つけたところで、思い込みであるということを 強調しているにすぎないのだが。 場合によって「仏典にも書いてある!」とか「他のエライ人も言っている!」とか 「目撃証言多数!」とか「週刊大衆にも書いてある!」とかいろいろ発言するが、 自分の信仰に反することに関しては 「仏典に書いてあっても関係ありませんね。自分で考えなくてどうするんですかとしか いいようがない」というスタンスw 平然と手のひらを返すのだが、そのことに関して本人はまったく疑問を感じていないようだw 宝珠愚者はこのような客観性の欠如のことを「頷き」というような言葉で美化しているが、 要するに、自己中に邁進していることを正当化しているにすぎない。
>>845 > 仏教は宗教であり、超自然を説くもの。提示した経文にある通りですよ。
という思い込み、先入観、偏見、信仰をもってしか
仏教を見ることができない視野狭窄に陥っているわけです。
> だから、あなた方のような世俗の凡夫たちのご都合に合わせるものじゃないのです。
だから、あなたのような電波ゆんゆん凡夫のご都合に合わせるものじゃないのです。
> 別に無理に信奉する必要はない。勘違いしないように。
別に無理して正常な理解をする必要はない。勘違いしないように。
世の中にはそういうことが難しい人もいるのですから。
> >ああ、ようやく理解した。
> 簡単でしょ!
ちなみにどういう風に理解したのかトレースできていますか?
848 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 19:38:34 ID:duQXA7zC
---おまけです こういうことを説くのが仏教。 それが気に入らないなら、信奉する必要はない。 『また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する 知(宿住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すな わち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯 を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の 生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえはこう であった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの 年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、自分 はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、こ れこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、 具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。 たとえば、大王よ、ある人が、自分の村から他の村へ行き、その村からまた別の村へ行き、 そしてその村から再び自分の村へと戻ってくるとします。彼はこう考えるでしょう。「わたしは自分の 村からあの村に行き、そこでこういうように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。そのの ち、その村からあの村へ行ったが、そこでもこのように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言で いた。そして今はその村から再び自分の村へ帰ってきている」と。 まさにそれと同じく、大王よ、心が安定し・・・堅固な不動のものとなったとき、比丘は過去の生存の 境涯を想起する知に、心を傾け、心を向けます。---(93節の繰り返し)--。 これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれてより霊妙な、目に見える沙門の果報であ ります。』(ディーガ・ニカーヤ2:93〜94/出家の功徳)
849 :
旧7 :2009/09/12(土) 19:42:35 ID:pSzvL9p6
>>848 そんなものは、千も万もある果報の内の極一部でしかない。
店先のサービス商品・看板商品にするには価値不足だよw
宝珠愚者殿の高邁な御高説が、 証明不要の教説ならご都合主義的な単なる信仰であり、仏教ではない。 カラマ・スッタ 1. 人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。 2. どんな伝統も、ただそれが古いからとか、何代も受け継がれているからとか、多くの地域で受け継がれているからというだけの理由で信じてはいけない。 3. 噂になっているからとか、人々がよく話しているからという理由で信じてはいけない。 4. 昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。 5. 自分が思い描いたことを、それが尋常でないことだからといって、神や素晴らしい存在によって啓発されたのだと信じてはいけない。 6. ありそうなことだからとか、長年に渡る慣習のため真実らしいというだけの理由で信じてはいけない。 7. 何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。 ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、 自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、 その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。 同様の考察が、と仏陀は言う、彼の教えにもなされなくてはならない。 「私の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で試してみなさい。 金は火によって試されるのだから」。 詭弁家のブラーミンに仏陀は答える。 「おお、ブラーミンよ、夜を昼と、昼を夜と主張する人はたくさんいる。 しかし私は、夜は夜であり昼は昼であると主張する」。
851 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 19:45:32 ID:duQXA7zC
>>846 私は仏典だけではなく、仏典にはない根拠についても話しましたね。
すると今度は、原理主義者たちが仏典にないことは根拠にならないと罵倒する。
>要するに、自己中に邁進していることを正当化しているにすぎない。
当たり前です。
それらは(仏典の記述も仏典にはないすべての内容も)私の主張であり、私の見解ですから。
それが出来ない人というのは、自己(自分)を見失った盲目(妄信)者です。
852 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 19:51:08 ID:+BIJPVYJ
>>848 >具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。
だからこれは心象を想起してるだけだろ。
クレヨンしんちゃんのように戦国の世へのタイムトリップなんかできてないじゃん。www
853 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 19:51:25 ID:ZaP5Pz1Q
>>845 >仏教は宗教であり、超自然を説くもの。提示した経文にある通りですよ。
>だから、あなた方のような世俗の凡夫たちのご都合に合わせるものじゃないのです。
>別に無理に信奉する必要はない。勘違いしないように。
アホか。現代は2500年前ではない。何でも信じればよいというものではない。
人間の理性と科学と自然のお陰で、多くの苦を免れ、毎日を「生かして」
もらっているのに、何と言う忘恩と勘違いの言い草か。「無理に信奉させよう」と
しているのは、まさに宗教ではないか。
君はまずパソコンを使って書き込みすること、その他人間の理性と科学の産物
を利用することを一切止めることから始めるべき。宗教を無理に布教すること
も、一切止めなさい。
854 :
旧7 :2009/09/12(土) 19:53:29 ID:pSzvL9p6
>>851 蒸し返すのは気が引けるが・・・w、
前シリーズの話題に関しても、
≪仏典に、はっきりと記されているから、「輪廻及び次の生はある(仏教のスタート地点である)」≫
のでなく、
≪神智学で、「輪廻及び次の生はある(向上のスタート地点である)」とされていて≫≪たまたま仏典にも同種の記載がある≫
ということをもって、貴方は肯定意見を述べていたわけです。
そんなスタンスの人間が、よくもまあ
『仏典の記述及び弟子達の伝承が信じられないなら仏教を捨てればいい』などと言えたもんだwww
で、アートマンに関しては、『仏典の記述は、《誤解の伝承》だ』と来たもんだw
ほんと、軽蔑に値するよ・・・。
855 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 19:54:18 ID:duQXA7zC
>>850 カラマ・スッタは、
自分で考えて理解(もしくは信用)できたら信奉しないさい、といっているのです。
ですから、あなたは信奉しなければいいのです。
「わたしはあなた(ゴータマ)のお話は納得しません。
理解できません。よってまだ信奉はしません。」
---と言うべきです。
宝珠愚者殿の遠大な謀略は、神智学的立場からの仏教のカルト化イメージによる殲滅作戦にあるに違いないのだろう。 かつてのイスラムやバラモン=ヒンドゥが仏教に対した謀略と同じだ。 潜入謀略作戦は成功し、仏教はインドでは殲滅された。 宝珠愚者殿の神智学的教説は、カラマ・スッタ(特に4.5.)の冷静かつ合理的な態度とは天地の差がある。
857 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 20:00:55 ID:duQXA7zC
>>853 宗教は科学が解き明かしたすべてを否定などしていません。
唯物主義を否定しているのです。
科学が宗教の説く超自然が無いと証明したことはない。
>>854 私は神智学徒(というよりも個人的理解に基き)として、
仏典中の正しい部分と後代の附加した誤りなどを見分けています。
私は仏典の記述すべてを認めたことは1度もない。
858 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:11:33 ID:uZ5cBRLx
輪廻を認めないと、自殺するのが一番いい方法となると言う主張を見てフト思ったんだが、 主体のない輪廻が縁起によって説明できると言う主張にもとづいて考えると、 輪廻で転生すると、我々が通常同一性の判断基準にする、空間的連続や、記憶の連続がない状態となる。 ゆえに、通常の生活を送る我々には、今の私と、来世私は別人と考えてもよい。 よって、この世で悪を働いても、業の果を受けるのは、自分とはまったく別の人格。 悪を働きたければすればいいし、この世が苦しければ、即座に自殺すればよいという事になる。 極論だが、こういう事に陥るな
バラモン=ヒンドゥ汚染の経典類は信用しません。 ブッダ亡き後、直ちに遺言に反して遺骨の分捕り合戦をやり、 仏舎利の建設を始め、ブッダの神格化を謀り、それを止めようともしなかった連中を信用しません。 仏教を霊魂による魑魅魍魎化する連中を信用しません。 ましてや、ブッダ亡き後100年以上たって、バラモン=ヒンドゥ汚染が深刻化しているさなかの経典類には、 冷徹な態度で臨むべきであって、神智学的な御都合主義引用の道具にするのは明確に誤っている。
860 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:13:49 ID:uZ5cBRLx
>>857 「無い事」の証明は不可能。
あなたは、「モケケピロピロ」という生物が「いない」事を証明できますか?
逆に、「あること」を証明するには、たった一つの実例を目の前に持ってくればいい。
たった一つでも、「宗教の説く超自然」を目の前に持って来れますか?
861 :
旧7 :2009/09/12(土) 20:15:45 ID:pSzvL9p6
>>855 真言氏を筆頭に、何人かの方が、「伝統的で、正統な、教義並びに解釈」を提示してきた。
それこそ、
貴方こそが、それらを「 >納得しません。理解できません。よってまだ信奉はしません。 」
と言うべきです。「ネオ仏教」とでも名乗れば宜しい。
しかし、しかし、あろうことかw、
≪そうした伝統解釈こそ間違った伝承であり、私の主張する解釈こそが仏教なのです!≫
と来たもんだw
臍で二煎目の茶が沸いちまうわwww
>>857 >私は仏典の記述すべてを認めたことは1度もない。
ですね。
アートマンに関しては、既にその主張は始まっていました。(原仏スレからだったんですね・・w)
ならば、「輪廻や次の生に関する記述の“解釈、文献学的・歴史的考察或いは言語学的考察”」を
「仏典の記述に反するから」と言って一刀両断していた姿勢は何なんでしょうね・・・w
≪「輪廻の記述は」「神智学で述べられているから」、「正しく伝承された」≫
≪「アートマンの否定は」「神智学の理に反するので」、「誤解されて伝承された」≫
ということですもんねw
そんな貴方が、仏教に対する態度について、上から目線で物を言えるとはね・・・w
傲岸不遜とはこのことだろうよw
862 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 20:16:19 ID:duQXA7zC
>>849 >そんなものは、千も万もある果報の内の極一部でしかない。
>店先のサービス商品・看板商品にするには価値不足だよw
人々は業によって輪廻し、
業によって生まれ変わりを繰り返しているという事実を説く
(それを気付かせようとしている)のが仏教。これ以外なし。
これが“最重要部分”であり、これ以外はすべてこれに付随するおまけ的なものです。
仏教は、凡夫はこれを知らず気付くことができない、という恐ろしさについて教えているのです。
これを仏教ではものの“道理を知らない”というのです。
世俗の凡夫理論と合致する狭き部分だけに価値を見ようとしたところで、
それはただの倫理観であり、現代心理カウンセラー・レベルの次元であり(それはそれで価値がある)、
なにも特に仏教の存在を是がひでも必要だとする根拠とはなりません。
863 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:20:42 ID:ZaP5Pz1Q
私は、キリスト教スレから佛教スレに流れてきた者だか、どこの宗教スレでも、 特に信者同士の争いばかり。部外者には手が付けられない。 これは、創唱宗教が、専ら開祖の精神障害の結果として発生し、その症状として の「観念過剰」故に、「人間の生命とその生命を支える自然」という「根源」を すっかり忘却しているからである。これら開祖以外の圧倒的多数の人間は、 意識的・無意識的にこの根源的基盤に基づいて生存の努力を続け、如何なる 宗教の奇跡もはるかに及ばない巨大な生存のための利便と「苦の除去」と達成 した。 宗教に争いが多いのは、開祖の精神病故に、その思考の基盤が全く狂って いるからである。思考の基盤が間違っているから、すべての思考が狂って しまう。 しかし、佛教スレでは、キリスト教スレとはことなり、御釈迦さんの病状が 軽かったために、少なくとも「論理的議論」が可能になっているに過ぎない。 佛教スレの争いの原因は、「キリスト教(的)の要素」が混入した結果で あることが大きい。宝珠愚者や一在家や「東南アジアの仏教徒」が、その 典型。
864 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 20:22:15 ID:duQXA7zC
>>860 >あなたは、「モケケピロピロ」という生物が「いない」事を証明できますか?
降参www
>逆に、「あること」を証明するには、たった一つの実例を目の前に持ってくればいい。
>たった一つでも、「宗教の説く超自然」を目の前に持って来れますか?
宗教は、あなたがたのような信じない人々にそれを見せて証明してきた。
それが人類の歴史というものです。
体験者たちはこれまでの自分たちの浅はかな考え及び聖者たちに対する罵倒を強く反省し、
その場にひれ伏してきたのです。もちろん今後も同様に繰り返される・・。
865 :
旧7 :2009/09/12(土) 20:23:37 ID:pSzvL9p6
>>862 《「“貴方方の好きな領域w”のこと」を仏教から抜いてしまったら何も残らない、
仏教がスカスカになる、何の価値も、メリットも、役立つ部分もなくなってしまう》
と仏教を捉えているなら、
それこそ、釈尊に失礼だと思う。
それこそ、仏教の本質、真に目指すところ、波及して役立つ部分、等々が全く見えていないということだ。
四門出遊がフィクションだったとしても、
シッダッタの出家の動機をオカルト分野で染めることこそが、釈尊への冒涜だと、俺は思っている。
866 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:25:15 ID:jt7vPNjA
867 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:27:49 ID:uZ5cBRLx
>>864 たった一つでいいんで、現在検証可能な具体例を示して。
超常現象が、「体験者の勘違いであった」という事例しか聞いたことがない。
868 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:30:50 ID:jt7vPNjA
>>858 どういう論理だw
じゃ、苦しくなったら記憶喪失すればいいのかw
認識の連続は中断するが、苦が継続することは容易に予想できるだろう
それと同じだ。
しかし、なんで仏教を素直に読むか、否定するかどっちか選択できないのかね〜
869 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:33:37 ID:jt7vPNjA
>>861 そうなんだよね。伝統解釈で納得できないなら、仏教以外にそれぞれ、
常識、神智学、キリスト教、真光とかそっち一本でいけばいいのに、
そっちの解釈で仏教が分かると思ってるから困る。
870 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 20:34:14 ID:duQXA7zC
>>863 >宗教に争いが多いのは、開祖の精神病故に、
>その思考の基盤が全く狂っているからである。
違います。
弟子や周囲の人々の無理解や誤解が原因。
人々が勝手に言い争っているのです。
>佛教スレの争いの原因は、「キリスト教(的)の要素」が混入した結果であることが大きい。
キリスト教など関係ありません。それはキリスト教以前の宗教だろうと状況は同じです。
教えの始祖が亡くなって時間の忘却と共に歪曲が進行し、人々の見解が割れだすからです。
いい加減、
カルトのキリスト教(の教理)の影響話しと混同するのは辞めましょう。
味噌もクソも見かけだけで一緒にするな。
871 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:36:01 ID:uZ5cBRLx
>>866 英語一々全部読むのめんどいんで、検索したんだが、とりあえず、
transmigration of the soul; the never‐ending cycle of reincarnation; metempsychosis
どれも単語がヒットしないんだが、どこに輪廻について書いてあるんだ?
872 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:38:18 ID:ZaP5Pz1Q
宗教は、例外なく開祖の精神病から発生したものであるから、すでに 精神医学的問題を有する者が宗教に接すると、それが悪化して、「狂信 者」が生じる。 実は、イエスは勿論のこと、釈迦も、程度は軽いが、その例外ではない のである。 宗教とは、人間の狂気、精神医学の対象以外の何物でもない。 「狂気」とは、「現実との接触の喪失(Loss of contact with reality) と定義される。
カルトが日本で儲けようと思ったら、仏教の看板を利用するのが手っ取り早いんだよ。 そのなかでも、業報輪廻転生論!が美味しいところ。 これと先祖供養を結びつければ天下無敵!
874 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 20:42:19 ID:duQXA7zC
>>865 >それこそ、釈尊に失礼だと思う。
正しく理解しようとすることは失礼にならない。
>四門出遊がフィクションだったとしても
輪廻による生まれ変わりという業の恐ろしさについて教えることが最重要課題。
「涅槃」はこの輪廻から脱した境地であり、目指すべきゴール。
人間の四苦八苦の恐ろしい姿は、業による輪廻の結果でありその様であるとして、
ゴータマは修行の末に知る---確認する
>>841 >>848---のです。
876 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:46:36 ID:jt7vPNjA
877 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:51:20 ID:uZ5cBRLx
>>868 記憶喪失では、空間的連続が切れない(体がそのまま)だから、苦が続くのは当然だろw
主体なき輪廻で、記憶も空間も連続が切れれば、当人にとっては苦が切れてしまうのも当然だろ?
878 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:53:25 ID:8reda7oW
>>868 >>858 の人はちゃんと「空間的連続性」と「記憶の連鎖」の
喪失という二つの要素をあげ、それらが失われれば、
同一人物であるとの認識不可能であると言っています。
あなたはその内「記憶の連鎖の切断」だけを取り出し、
苦の連続が容易に予想されると言っています。
空間的連続性に言及しなかったのは故意ですか?
そうでないのならば、人の書き込みを批判するときは
その内容を正確に把握してからするべきですね。
879 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:59:12 ID:jt7vPNjA
>>871 最後の四つの安寧だ。つまり結論部、その後に釈尊をみんなが称賛して終わる。
Then it is possible that at the dissolution of the body after death, I shall arise in the heavenly world, which is possessed of the state of bliss.' This is the first solace found by him.
その前に基準を論じるが、
ハッタリ男がコピペしたやつは、チベット伝承のタットヴァ・サングラハなどの一説が混じってるし、全然、正確な内容じゃないんだよ。
880 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:00:13 ID:jt7vPNjA
881 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 21:02:56 ID:duQXA7zC
882 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:03:42 ID:jt7vPNjA
>>877 そりゃ、ご都合解釈だな。少なくとも仏教の考え方では、
記憶喪失も、輪廻も変わらない苦の連続、だから輪廻、経巡りという。
空間的連続は仏教で問題にならないからね。
883 :
旧7 :2009/09/12(土) 21:13:08 ID:pSzvL9p6
>>874 >輪廻による生まれ変わりという業の恐ろしさについて教えることが最重要課題
前にも似た遣り取りをしたな・・・w
その時は、『宿命通(過去生を想起すること)が、悟りの要である』という貴方の発言に異を唱えたと思うが、
今度は、『輪廻の恐ろしさを提示し、知らしめることが、仏教の最重要課題』と来ましたかwww
臍で3度目の茶が沸いちまったよw
>>882 残念ですよ。
貴方が、宝珠と同類というか、肩を組んで歩くくらい親密だったとはね・・・w ( ̄ー ̄)ニヤニヤ
>>879 >I shall arise in the heavenly world, which is possessed of the state of bliss.' This is the first solace found by him.
方便としての生天思想であっても輪廻転生論ではない。
アフォらし。
885 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:19:34 ID:jt7vPNjA
>>884 少なくとも、おまえは読んでなかったわけだ。
読んでたなら、以下が『カーラーマ・スッタ』に書いてあるとは言わないよな。
>>850 >「私の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で試してみなさい。
>金は火によって試されるのだから」。
886 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:19:37 ID:uZ5cBRLx
>>876 「彫ったとしたら、殺される文化だから、これは人が彫ったモノではない」というのは、証拠のつもりなのか?
>>881 長南年恵は、尿を聖水として売ってたって有名な人でしょ?
甘くなった海水は、河口付近で、大雨で真水が増えただけって、書いてあるじゃんw
ガネーシャ像は、「うちにある像でも出来ちゃったw 単にミルクが溝を伝ってるだけでした」ってやつでしょ?
マリア像の血は、持ち主が、「自分の血とマリア像の血が一致するかどうか」の検査を拒否してる時点でw
後は知らないので、ソースplz
前半みたら、他のも期待できないが
むかーしね、比叡山の麓の坂本の町で あるアジャリがみたのね 重い荷物を背負って、あえぎながら坂道を登る牛を アジャリが見たのは、牛の傍らに寄りそう二人の童子で 他の人には見えないの(この世のものではない) それでアジャリは二人の童子に尋ねたのよ、なんでこの牛に付き添っているのかと 童子曰く、「この牛は前世で人間であった時、悪事を働いてこの有様であるよ」 「しかし一度だけ慈救呪を唱えた事があるから、誓願によりこうして助けているだよ」 というお話しあるけど 悪業は悪報として残り、善根は功徳として残り 相殺はされない というお話しだと思います こんなお話一つで、ふんふんと聞ける人と 怒りがみなぎる人といるわけです
888 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:22:22 ID:jt7vPNjA
>>886 せっかく、あげたんだから。英文も読めよ。
ただの揚げ足取りで、言ってみただけか。
こんなんばっか
>>879 which is possessed of the state of bliss.
業報輪廻って苦じゃなかったの?
知らなかったあw
890 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:24:37 ID:jt7vPNjA
>>889 くだらね〜、やつだな。ハッタリがばれてもいいわけか。
891 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:29:50 ID:uZ5cBRLx
>>882 いやいやw
誰が仏教の話をしました?
主体なき縁起による輪廻で、記憶も肉体も継承されないなら、
「普通の人」にとっては、全く意味がないじゃないですか。
「貴方が死ぬと、肉体も滅し、記憶もなくなります。
ですが、貴方の悪業を継承する存在が生まれます。
今貴方が悪い事をすると、貴方とは別人が悪い結果を受けます。」
と言われても、どうしろと?w
極論を言えば、何をしても自分には関係が無いから、好き勝手してもいいという結論になるじゃないですかw
892 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:32:58 ID:jt7vPNjA
>>891 オレは、仏教の話しかしてないんだが。それ以外は全て譬喩。
ところで主体無き縁起による輪廻って仏教の話じゃなくてなんなの?
因果、輪廻 あったりまえだよ これを議論してどうするの? 議論の間は何かから逃れられるの? 自分の瞑想で確かめたらよかろうよ
894 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:37:17 ID:uZ5cBRLx
>>888 英文って、単なるgooglの検索画面じゃんw
どのHPの事を言ってるんだ?
>>892 失敬。笑って打ち間違った。
仏教の話→仏教理論内の話
普通の人にとっては、意味がないと言いたいだけなんだが?
895 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:55:27 ID:jt7vPNjA
>>894 普通の人には意味ないよ。そりゃ。
仏教の中での話だから。
ここはそういうスレですよ。
896 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:59:27 ID:jt7vPNjA
>>893 まあ、もっともな話だが。
現代日本の仏教は、輪廻を否定する倒錯した見解が多いので、
それをちょっとは是正したいと思ってる。
輪廻なくして仏教なしってこと。
897 :
旧7 :2009/09/12(土) 22:09:08 ID:pSzvL9p6
>>887 『悪事』ねぇ・・・。
家庭不和から薬物に手を出し、町中で刃物を振るい、
今まさに、ある家族連れに暴行を加えようとした男がいたとする。
(アメリカなら即座に銃の登場だがw)、父親は幼い我が子を守るため、
彼をさえぎり、とっさに彼の命を奪ってしまう。
「殺生」には違いが無い。
人を殺すという悪業を避けるため、わが子が殺されるのを受け入れねばならないだろうか?
たとえわが子が殺されても、暴漢が目覚め、改心し、新たな生を歩きだすきっかけを作ったということで、
我が子を見殺しにしたことが善業となるだろうか?(我が子を直接殺してないから、人殺しという悪業にはならない?)
「悪事」って、何?
宝珠にもその傾向はあるが、「勝義」を美談として喧伝する輩が多過ぎる。
机然り。どこかの誰かさん然り。カラス然り。
だが、(その内の何人かは気付いている筈だ)、≪「業報(思想)」は世俗の事柄である≫と。
なのに、なぜ、「縁起だから」とか平気で言えるのか?
勝義での説明が説明にならないことくらい判りそうなもんだが・・。
世俗の事案であり、世俗でのみ通用することなれば、世俗での言辞が紡がれるべきだろ?
何人かの方は、まさにそれを要求しているわけだ。
しかし、誰一人、それに答える者はいない。
皆が皆一様に、「勝義から」述べ、「勝義ではそれらは仮説・虚妄です」としか言わない。
だったら、世俗の言辞に意味などなかろう?なぜ、他の事柄は執拗に解説ができる?
なぜ、業報に関してだけそれができない?
水野さんの選集2巻に、「業について」「業に関する若干の考察」という2論文が収められている。
積読ではどうしようもないんでw、今度ちょっと読んでみよう。
新たな感想があれば、もしかしたら書き込むこともあるかもしれない・・w
898 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:21:05 ID:uZ5cBRLx
>>895 おいおいw
つまり、輪廻は一般人には関係ない仏教者の信仰上の問題って事か?
主張を聞いてると、仏教が、
「有る証拠は無いが、輪廻を信じて、
来世に、自分の記憶を持たない、別人が生まれて苦しむのを防ぐために、
今苦労して修行する」という、
究極のオモシロ宗教に思えて来るんだが?
899 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:26:59 ID:jt7vPNjA
>>897 >皆が皆一様に、「勝義から」述べ、「勝義ではそれらは仮説・虚妄です」としか言わない。
>だったら、世俗の言辞に意味などなかろう?なぜ、他の事柄は執拗に解説ができる?
>なぜ、業報に関してだけそれができない?
え、分かんないの。理由は簡単。無我・空と業報・因果が矛盾するという話になるから。
無我・空を前提に話されちゃ、言語習慣なんか全て虚妄・幻でしょう。
900 :
旧7 :2009/09/12(土) 22:30:00 ID:pSzvL9p6
>>899 だからwww
ならば、なぜ、そのような虚妄なるものを啓蒙の主軸とするのか?
虚妄ならざるものを主軸にしなくてもいいのかい?
901 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:32:19 ID:jt7vPNjA
>>898 それで結構。仏教は信仰体系外の他人に何も強制しないからね。
勧めることはするよ。殺さない方がいいよとか。
なんと思われようと結構。ただ「仏教は〜だ」という断定で、伝聞するのは止めてもらいたい。
「仏教は〜だと思う」という所見で話して欲しい。
語らないのが、もちろん最も望ましい。
902 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:34:04 ID:jt7vPNjA
>>900 だって、無我と輪廻は矛盾するとか、アートマンはあるかというテーマだと
そうなるでしょう。方便ならありだが、ここは方便で語るとこじゃないでしょ。
903 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:36:27 ID:uZ5cBRLx
>>888 とりあえず一番上に来てた論文らしきものをざっと読んだが、比較文化論の話で、手形が奇跡の産物であるかどうかについては書いてないように読めるんだが?
第一、写真をよく見たら、手形がついてる部分と、その下の石の材質が違いすぎるw
石の上に、溶ける何かを垂らして、手形を押したように見えるんだが?
904 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 22:36:27 ID:duQXA7zC
>>883 >残念ですよ。貴方が、宝珠と同類というか、
>肩を組んで歩くくらい親密だったとはね・・・w ( ̄ー ̄)ニヤニヤ
彼はどう見ているかはわかりませんが、
少なくともこの私からは、見解の違いとは、
“アートマン実在論⇔無我論(縁起)”の僅かな部分だけだろうと思っています。
私が主張するアートマンは不変ではなく、
スパーンの永い縁起存在であるので(阿頼耶識の想定はデタラメではないということ)、
そういう意味ではバラモン聖典はやや短絡的に説いてしまっているのです。
ゴータマはアートマンは不変ではないという意味も含め、
確認証明が困難なこの形而上学的問題の論争を避けることにして、詳細を説くことを辞めたのです。
そういうことであるから、業と縁起による輪廻論となっているのであり、
そのことを理解すれば大した問題ではないのです。
---だから、改める意志がないのだな!
と憤慨されるかもしれませんがw
それと、
私は伝統仏教の説く、主体を説かない業の輪廻論も意味するところもわかるので、
大して論争の意図はありません(何故なら、実際はアートマンが輪廻していることを
この私が知っていればそれで済む問題だからです-結果は同じ)。
ただ、“無我説は変化していった”ことについては提示したいと思ったのです。
>>896 輪廻なくして仏教なしってこと。
そういうこと。
905 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:39:00 ID:jt7vPNjA
>>903 オレが観てきた実物たちは、そうじゃなかったぞ。
しかも、誰が付けたかまで伝承されている。
現代人もいたような気がするが、あまり興味ないので憶えてない。
906 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 22:44:00 ID:duQXA7zC
>>901 >それで結構。仏教は信仰体系外の他人に何も強制しないからね。
>勧めることはするよ。殺さない方がいいよとか。
賛同!
仏教による世界支配なるものはない。
否定者は、
どうぞカラマ・スッタにより、ゴータマの話しを自分で吟味すればいいのです。
認められない人は信奉しなければいいだけです。
その自由が認められているということ。
凡夫に輪廻転生は確認されない。
ゴータマの教えに信頼性を得て、自ら体験すべく修行の入る以外はない。
907 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:44:36 ID:jt7vPNjA
>>904 >“アートマン実在論⇔無我論(縁起)”の僅かな部分だけだろうと思っています。
大きな違いだよ。ぜんぜん違う。
そこが仏教と他のほとんど全ての思想を分かつとこ。
そういう実在論、本質主義、有身見、我見を持って、
どんな三昧・禅定体験をしても解脱できないというのが、仏教で、
それが縁起によって無我・空を悟るか悟らないかに関わっている。
はっきりと、『梵網経』に書いてあるでしょ。
それから、長部・中部のほとんどの経典にも書いてあるぞ。
そっちはちょっと分かりにくいけど。
その縁起が分からない限り仏教の本質は理解できないよ。
908 :
旧7 :2009/09/12(土) 22:46:14 ID:pSzvL9p6
>>902 いやいやいやw
このスレ限定の話じゃないでしょw
仏教を説く(説法・法話する)際、
啓蒙の主軸として、発心のきっかけとして、修行の後押し・励ましとして機能する、
というのが貴方方の主張ではありませんでしたか?
それを今更翻すおつもりで?W
909 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 22:54:20 ID:duQXA7zC
>>897 >「殺生」には違いが無い。
>「悪事」って、何?
そんな・・「殺されてもいい」などという話はありませんよ。
悪事の基準というのは、人の意識、“行為の意図”も問題視されるのです。
身口意の三業中、「意」が最重要視されるという意味はそういうことからくる。
910 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:54:30 ID:jt7vPNjA
>>908 それは本来の業報を仏教の文脈で語る場合ですね。
それが理想です。
ところがここはそうではない。ただの揚げ足取りがほとんだから。
ああいった語り方にならざるえない。
少なくとも私の能力では、その程度。もっと有能な人、慈悲に溢れた人なら、
別の形になると思いますが。
>>890 カルトの走狗 乙!
おめーのいつものインチキハッタリはとっくにバレまくってるぜw
思惑とふんどしは前からはずれるw
さてと、アレ嫁が変な目つきをしやがった、寝たふり、寝たふり!
912 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 23:08:33 ID:uZ5cBRLx
>>901-902 ナルホドね。
結局、「私は輪廻が有ると信じる!仏教は輪廻が根幹だ!輪廻と無我は矛盾しない!根拠は私が信じてるからだ。」と言いたいだけなのね。
一生懸命、論理を理解しようとしていた私がバカだった。
>>905 また、「俺は見た。だから信じる」か…。
もう少し客観的証拠は無いもん?
未だ嘗て、科学調査が入っても奇跡だと認定された「奇跡」を聞いたことが無い。
人間が石を溶かせるなんて現象がマジであったら、世界中の物理学者がすっ飛んでって研究するw
使いようによっちゃ、エネルギー問題が一挙に解決するからな。
そもそも、「石が手形状にへこんでるのを見た」であって、それが「奇跡によって作られたのを見た」訳では無いと思うんだが?
伝承についても「○○がつけたと言う伝承がある」と、「○○が実際に奇跡を起こした」と言う事は別問題。
石を彫って、伝承を創作した可能性が否定出来ない。
うちの庭に、モケケピロピロの足跡を作って、モケケピロピロが現れたと言う伝承を作ったら、モケケピロピロの存在証明になるか?
913 :
旧7 :2009/09/12(土) 23:11:55 ID:pSzvL9p6
>>909 ほうw
最重要視されるってのは1:1:3くらいか?w
(最近の近代戦争はともかくw)、戦場で前線に立った兵士は、
「自分の身を守る為」にも敵兵を殺す。
それは同時に、「故郷を(故郷の人々を)守ることでもある。作戦行動中の部隊の仲間たちを守るためでもある。
自分が死ぬことは、自軍の戦力が減ることだ。
もし死ぬならば、2人でも3人でも道連れにして、敵軍の戦力を割かねばならない。
慈悲心を起こし、敵兵の殺害を止めた時、彼は殺されることになろう。
故郷を守らなくてもいい?部隊の仲間を危険にさらしてもいい?
前線に居合わせる多くの兵士の意業を最重要視した時、彼らの業果はどう判定されるんだろうね・・・w
そこには、万華鏡のように、色んな「意」があるだろうね・・・。
いったい、どれが善でどれが悪かね・・。
彼らが戦争を起こしたわけでもなく、自ら前線に赴き敵兵と対峙したわけでもない。
ただただ、避けられない状況・流れの中、彼らは前線に立ち、互いに銃を構え合う。
ああ、そうか、簡単だ!w 彼らは、前世の悪業により、前線に赴いてるんだ!
皆同じような悪業を為してるのかもしれない。
だから戦場は地獄なのかwww AA(ry
914 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 23:18:12 ID:jt7vPNjA
>>912 まあ、それでいいよ。仏教に対して信がない人に説明しても無駄だと思うようになってきた。
つか、気がつくの遅かった
915 :
旧7 :2009/09/12(土) 23:21:11 ID:pSzvL9p6
>>914 今の時代、寧ろ
>仏教に対して信がない人
に対する言葉こそが、模索されるべきなんじゃないのかい?
敵前逃亡は重罪だぞw
916 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 23:24:09 ID:jt7vPNjA
>>913 >慈悲心を起こし、敵兵の殺害を止めた時、彼は殺されることになろう。
>故郷を守らなくてもいい?部隊の仲間を危険にさらしてもいい?
>前線に居合わせる多くの兵士の意業を最重要視した時、彼らの業果はどう判定されるんだろうね・・・w
>そこには、万華鏡のように、色んな「意」があるだろうね・・・。
>いったい、どれが善でどれが悪かね・・。
無我になった意が善で、我は悪、捨の利他は善で、エゴは悪。
状況とか結果は関係ない。その時の意が重要なんですね。仏教は。
>彼らが戦争を起こしたわけでもなく、自ら前線に赴き敵兵と対峙したわけでもない。
>ただただ、避けられない状況・流れの中、彼らは前線に立ち、互いに銃を構え合う。
>
>ああ、そうか、簡単だ!w 彼らは、前世の悪業により、前線に赴いてるんだ!
>皆同じような悪業を為してるのかもしれない。
>だから戦場は地獄なのかwww AA(ry
だめだな。それじゃ。運命論だ。縁起は過去の業とともに現在の身口意の行為で、縁起するし、もっとも重要なのが現在の意業というのが仏教でしょ。
それこそ、禅宗得意の今ここの意とでも言うべきか。
917 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 23:25:40 ID:jt7vPNjA
>>915 もっと修行して出直した方がよさそうだw
三年ぐらい篭もるか。
918 :
旧7 :2009/09/12(土) 23:26:14 ID:pSzvL9p6
>>916 >それこそ、禅宗得意の今ここの意とでも言うべきか
そう。
だから、禅宗は戦争に荷担できるのですw
919 :
神も仏も名無しさん :
2009/09/12(土) 23:34:50 ID:jt7vPNjA >>918 それは見性して、その状態から一歩も揺るがない人だけが可能な境地でしょ。
そういう人なら、どんな状況でも自然に何でも利他になるけど、
そんな人、何人いた? 昭和の禅宗に。
多くても100人いないと思うけど。
それにそんな人が1人でもいたら、日本仏教は再生してるよ。
見性しても揺らぐでしょ。それじゃ、そんな行為はできない。