【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13

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740神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 11:34:56 ID:kMTRswCz
しかし我が強い奴だな
仏教では完全にこんな奴はNGだろ、、
大体が重要な議論とか思い込んでるのは、あなたの脳内だけ
釈迦はそのような我は捨てろと説いた
741閻魔大王 :2009/09/02(水) 11:42:31 ID:YY6XjRg/
以降、無視。
742神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 11:52:11 ID:fn3hsBi8
何百年、何千年やっても結論など出ないのが、宗教者の議論。人間とは、
生存本能を中核とする動物の一種に過ぎない、という己の基盤を忘れて、
ピント外れの、内容空虚な観念に狂っているからだ。

宗教上の「真理」は、常に争いの原因になるだけだが、自然科学上の真
理は、全人類的な合意が容易に達成されるのは何故かを、よーく考えて
みよう。宗教は、初めから間違っているからだ。
743神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 11:56:20 ID:lEdM06GR
>>739  あなたは、昨夜、私に絡んできた「ご隠居」さんかな?

折角、宗教板にいるのだから、頭から宗教を否定するのではなく、
少し、固定観念を取り払って、色々な人の見解を聞いてみたら
どうでしょうか?  私、自身、特定の宗教の信者というわけでは
ありませんが、真摯に語る人の意見には、みるべきものが多々あると
思いますよ。視点の柔軟性を養うためにも、有効だと思いますが?
どうしても、自己の見解と矛盾する意見の持ち主に対しても、
「何故そのように考えるのだろうか?」と考察していくと自分の
知らなかった思考形式に気づかされることもあり、楽しいと思いますが。
744神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:05:12 ID:kMTRswCz
>>742
確かに妄想か妄想でないかは、自分は小さな身体のみの存在のみで世界のことなど
何も知らないといった事実に立脚することだとは思うけど、釈迦の教えをよく読めばその妄想すら否定している
745神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:11:52 ID:fn3hsBi8
>>743
>固定観念を取り払って、色々な人の見解を聞いてみたら

それが全く出来ないのが、宗教の病理なのではありませんか。

これだけ宗教の弊害を眼にしながら、批判しないほうがおかしいとは
思いませんか。

「100%の善意・真摯さで悪をなす」。これが宗教というシステムの
病理であることに気付いてください。

「何故そのように考えるのか」。宗教で植えつけられたからに決まって
いるではありませんか。

中間的、融和的な意見が、実は彼らの「宗教から植えつけられた信念」
を強化し、その弊害に加担していることを、忘れてはなりません。
746神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:19:10 ID:4MV5C3YA
>>745
> これだけ宗教の弊害を眼にしながら、批判しないほうがおかしいとは
> 思いませんか。

おかしいかどうか以前に、いい加減飽きた。

> 中間的、融和的な意見が、実は彼らの「宗教から植えつけられた信念」
> を強化し、その弊害に加担していることを、忘れてはなりません。

別に荷担はしてないしね。
批判してなければ荷担とかって「踏み絵」みたいだよね。
それこそキリスト教的だといえよう。
747神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:36:21 ID:fn3hsBi8
>>746
宗教者の、現実上の根拠皆無な、内容空虚な自己満足の「観念の遊戯」に
「いい加減飽きた」のは、圧倒的大多数の一般の生活者のほうだよ。

「踏み絵」は、キリスト教の狂気から人間と社会を防衛するために、
やらざるを得なかったこと。狂気でなければ、殺されるくらいなら
踏み絵を踏むのが、本来の人間だろう。

比叡山の僧兵や一向一揆などの「宗教によって人為的に植えつけられた
狂気」に手を焼いた当時の為政者の気持ちが、手に取るように分るね。

宗教は、「現実上の根拠皆無な観念の植え付けによって、人為的に狂気
を発生させる営み」だから、人間が人間ではなくなるからだ。
748神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:43:10 ID:4MV5C3YA
>>747
> 宗教者の、現実上の根拠皆無な、内容空虚な自己満足の「観念の遊戯」に
> 「いい加減飽きた」のは、圧倒的大多数の一般の生活者のほうだよ。

それは妄想じゃないかな。ソースあるの?それともまたしても根拠なし??

いずれにしても、キミの発言はいつも宣伝カーみたいで、まったく進歩してないね。
ほんとに飽き飽きしてるよ。


> 「踏み絵」は、キリスト教の狂気から人間と社会を防衛するために、

それはどーでもいいんだけど、
キミのやってることがキリスト教的だってことは否定しないんだねw
749閻魔大王 :2009/09/02(水) 12:52:21 ID:YY6XjRg/

これって、完全な荒らしだよねw

人に迷惑をかけないなんて最低限の常識だと思うが。
頑迷クズ隠居の無明ぶりは自分のお得意の常識は通用させないらしい。
さげすみと憐憫を覚えるわ。
そんなにトンチンカンな仏教批判をやりたいのなら、
別スレでオナッとけよ。
750神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:54:03 ID:fn3hsBi8
>>748
「開祖盲信」「経典盲信」という点で、原始仏教は、キリスト教と同じ要素
を有するカルトである。当時も、多くの人々が洗脳され、家出し、社会に害毒
を流した。弟子を釈迦にすべて奪われ、血を吐いた自由思想家もいる。その意
味で、釈迦は、現在のカルト宗教の教祖と全く同じであることを、忘れてはならない。
751神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 13:01:25 ID:fn3hsBi8
>>749
>別スレでオナッとけよ。

このスレは、その原始仏教への偏重ゆえに、カルト性が特に強い。

中村、水野、片山は、自ら原始仏教に嵌った学者たち。客観性を生命
とする学者の風下にも置けない。批判ができなければ、学問とは言えない。

片山氏は、テーラーワーダの信者。
752神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 13:03:07 ID:4MV5C3YA
>>750
最近だと、竜樹信者もやばいね。「竜樹盲信」「中論盲信」という点で、
大乗信者もキリスト教と同じ要素を有するカルトである。
竜樹も、現在のカルト教祖と全く同じであることを、忘れてはならない。
753机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/02(水) 13:03:15 ID:QcfbThYT
>>729 閻魔氏
>縁起現象の全体をいかなる関係性で見るか、

縁起だから、縁起には方向性(時制)とか継続性とかの属性はない。
ってのが普通な解釈かと思いますね。→縁生・縁滅
(むしろ、ある方が論理的矛盾がありますから)

人間というのは目的意識をもって生きて逝きます。
(これから飯を食うとか、これから掃除をする、とか)
これは、方向性(時制)とか継続性とかにおいて可能。
つまりこれが日常性といわれる、人間の営みでして、
この日常性の寸断された、非日常性こそ縁起の現観なるやに思ひますね。
(禅宗でいえば、頓悟ですね)

ここでいう日常性というのは世俗諦です。
     非日常性というのが勝義諦になる。

人間が空間に生きてる以上は、その空間の継続性が「時間概念」になる。
しかしながら、
縁起は、縁生・縁滅だから時空の概念はない。
(時空も縁起)
よって、
因果は世俗諦になる。→時系列性を含有する。

まあ、こういうことでどうでしょう>^_^<
他に、なにかありましたら書込みきぼんぬ。
754閻魔大王 :2009/09/02(水) 13:03:49 ID:YY6XjRg/
軽蔑すべきお邪魔虫隠居はじめばい菌連中は無視して、
本題の勝義から還減された有時=縁起の問題に戻ろうぜ。

思うに、隠居は深遠な議論についてこれないから、
ヒステリックに荒らしているのだ。
自分でもしゃべれるレベルのテリトリーに誘い込もうとしているだけw
馬鹿そのもの。
755析空:2009/09/02(水) 13:21:55 ID:krdIB4+B
>>699
机先生。
初禅、第二禅、第三禅、第四禅とはなんですか?

色即是空の色と、
空即是色の【色】が【違う】とは、
それは色ではなく名色(ナーマルーパ)の【名】ではありませんか?

参考
色 粗いもの⇒物質的
名 精細なもの⇒精神的
756神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 13:26:53 ID:fn3hsBi8
>>754
>深遠な議論

宗教の議論は、肝心の人間とその生命を支える現実界とを忘却している
「観念の遊戯」に過ぎないから、深遠どころか、極めて表層的で浅薄・
無意味な議論であることを悟ることが、脱洗脳の第一歩である。
757閻魔大王 :2009/09/02(水) 13:41:46 ID:YY6XjRg/
>>753
>その空間の継続性が「時間概念」になる。
>縁起は、縁生・縁滅だから時空の概念はない。

そうかなるほど、自己とは記憶の集合であり、それは現処からの時空分節そのものであって、
分節以前の縁起の現観においては記憶はあるわけがなく、無我なのが当然なわけだ。

758机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/02(水) 13:46:05 ID:QcfbThYT
>>755 析空氏
>初禅、第二禅、第三禅、第四禅とはなんですか?

これは禅定の段階のことですが、
南宗禅は、もともと拘らない(禅定に)のが普通になってますから、
さして意味はありません。
(ようは頓修頓悟が主流ですね)

>色即是空の色と、
>空即是色の【色】が【違う】とは、

色即是空・空即是色を図式にすると、色→空→色になります。
空の前の「色」は、迷いの境地です。
最後の「色」は、空性後の「色」ですから・・・
つまり、悟った後の「色」ですから、
空の前後の「色」は、全く意味が違う、ってことですよ。
(この説明で分りますか?)

色(此岸)→空(彼岸)→色(此岸)で、
最後の「色」は、彼岸から帰還した「色」です。
空(仏智)から〜〜〜色(世俗智)を体得した、
智慧の完成である「色」です。
759神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 17:12:39 ID:bovLPx1Y
興味が無いのになぜ居座るのだろう、と感じることはあるな。
ここでやることに何の意義も感じていないのにどうしてだろう。
760一在家:2009/09/02(水) 18:16:33 ID:hdYy7Rjj
>>729 閻魔氏
> おめーらはスレ違いの屑議論のうえ、自己≒アートマン?という本スレの最深部かもしれない
>重要な論点を論じているのに、邪魔するな!

「自己≒顕在意識」及び「アートマン≒潜在意識」という本スレの議題を
提示しております。

中論「もしアートマンが五蘊であるならば、アートマンは生と滅を有する。
 もしアートマンが五蘊と異なるならば、アートマンは五蘊の相をもたない。」

この中論の一文の単語を「アートマン→潜在意識、五蘊→顕在意識」と置き換えてみます。

「もし潜在意識が顕在意識であるならば、潜在意識は生と滅を有する。
 もし潜在意識が顕在意識と異なるならば、潜在意識は顕在意識の相をもたない。」

現代の心理学や精神医学の見識では、潜在意識と顕在意識とは異なりますから、
「潜在意識は顕在意識の相をもたない。」は成り立ちますね。
761閻魔大王 :2009/09/02(水) 19:03:54 ID:YY6XjRg/
>>760 for一在家
>>757=自己とは記憶の集合であり、それは現処からの時空分節そのものであって、
    分節以前の縁起の現観においては記憶はあるわけがなく、無我なのが当然なわけだ。

顕在も潜在も意識として記憶そのものであり、アートマン概念は無用かつ戯論だ。
762 ◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/02(水) 19:12:52 ID:BqqfxlFt
>>761
ウンコ大王はいい加減で屁理屈をやめなさい。
763閻魔大王 :2009/09/02(水) 19:37:31 ID:YY6XjRg/
ゆえに自己=記憶と時間空間(世界)、意味・価値・言語(機能)は
分節以前の空であることそのものから,同時に分節されたかたちで生滅(現成)する。
 記憶とは「自己の我見」(我あり)による「過去」の創出された妄想=時の構造化(DNAの夢?)に他ならない。
だから、このような自己による時の構造化によって世界=現象が存在として起ち現れる。
逆に言えば、存在(現象)とは自己によって構造化された時間だといえる。
自己は時間の構造化によって世界と切り結ぶのである。
だから時=存在は自己が「現在」と把握する一瞬に凍結され、
その一瞬とはそのものの時間化という意で(あえて矛盾した表現で)永遠の現在といえる。


むむむ・・考慮中 寝言です 反論・質問受け付けません 
764閻魔大王 :2009/09/02(水) 19:41:07 ID:YY6XjRg/
訂正
× その一瞬とはそのものの時間化
〇 その一瞬とは空そのものの時間化
765机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/02(水) 19:48:30 ID:QcfbThYT
>>757
>そうかなるほど、自己とは記憶の集合であり、それは現処からの時空分節そのものであって、
>分節以前の縁起の現観においては記憶はあるわけがなく、無我なのが当然なわけだ。

そうですね。
縁起ですから、当然時空がない場合もあるわけでして、
たまたま人間が時空という縁に触れてるだけですね。

触れてる、というか・・・
人間は時空そのものでありますから、これは人間・時空は並列ですね。
しかしこれが恒常不変ということではなく、
そのような形態としてある。ということの
認識として記憶ってのがある。
これが、縁起における五蘊作用ですね。

つまり、時空そのものが縁起であり、
>それは現処からの時空分節そのもの>>757
ということになるやに思いますね。
766神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 20:13:21 ID:krdIB4+B
>>758
机先生!
>(この説明で分かりますか?)

ご丁寧に、説明して戴きましてありがとうございます。
説明していただいた、先生のお考えは理解できたと思います、しかし。。

それが般若心経の作者の意図したとおりかどうか。。
767析空:2009/09/02(水) 20:17:08 ID:krdIB4+B
>>758
机先生!
ご説明いただいた、先生のお考えは理解できたと思います。

だた、その解釈は禅者独自の解釈なのではないでしょうか?

般若心経の作者の意図したところとは違う気がします。
768神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 20:23:55 ID:hdYy7Rjj
もしかしたら「言語論理地獄」というものが存在するかも知れない。

そこに落ちたら「言語論理世界をリアル」と感じ、「現象世界を幻」と
感じるのかも。
769閻魔大王 :2009/09/02(水) 20:26:47 ID:YY6XjRg/
>>766
>それが般若心経の作者の意図したとおりかどうか。。

横レスですが、作者の意図も自分の到彼岸(苦しみからの解脱)に資するかどうかで考慮したらエエのんちゃうの?
第一、本音なんか判りますかいなw
 クラシック音楽の演奏史と似ている。
作曲家の意図と称して、人間の顔と同じくらい異なった演奏があるのと同じ。
バッハの感動できるそれぞれのパルティータがあればエエと思います。

空であることにおいて、正誤の二項相対があるわけないやんw


770神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 20:47:21 ID:hdYy7Rjj
到彼岸=自己の苦しみからの解脱。

空で自己が無くなれば、解脱対象の苦しみもないでしょう。

もしこのような「自滅」的なことを釈尊が説かれていたら
聖人とは呼ばれなかったかと存じます。

普通の衆生は自己をはっきり保ちながら苦しみからの解脱を
望むからです。
771神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 21:00:35 ID:hdYy7Rjj
>普通の衆生は自己をはっきり保ちながら苦しみからの解脱を
>望むからです。

「自灯明」には「自己をはっきり保つ」という意味もないでしょうか。

772神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 21:04:32 ID:cxElnme1
>>770
>空で自己が無くなれば、解脱対象の苦しみもないでしょう。
>
>もしこのような「自滅」的なことを釈尊が説かれていたら
>聖人とは呼ばれなかったかと存じます。

と君が思うのは、

>普通の衆生は自己をはっきり保ちながら苦しみからの解脱を
>望む「凡夫だ」からです。

そしてそれでは決して苦しみから解放されないことを仏教は教えている。
そのような望みは、大酒飲みながら病の治癒を願う糖尿病患者のようなもの。
773神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 22:04:52 ID:J4t508aT
てs
774神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 22:18:52 ID:qI8GZ9gJ
>>771
>「自灯明」には「自己をはっきり保つ」という意味もないでしょうか。
そうですね。それが大パリニッバーナ経で釈迦がアーナンダに説いた
「自灯明 法灯明」のただしい解釈でしょうね。

大パリニッバーナ経第二章の二十六はそのように解釈できる。

 アーナンダよ。ここに修行僧は身体について身体を観じ、熱心に、
 よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 感受について感受を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、
 世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 心について心を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間に
 おける貪欲と憂いとを除くべきである。
 諸々の事象について諸々の事象を観察し、熱心に、よく気をつけて、
 念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 アーナンダよ。このようにして、修行僧は自らを島とし、自らをたよりと
 して、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他の
 ものをよりどころとしないでいるのである。(ブッダ最後の旅(岩波文庫)pp63,64)

775神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 22:24:25 ID:PweXjMux
>>769
>第一、本音なんか判りますかいなw

だから、原始仏典から釈迦の「真意 」を探るなどということが、如何に不可能で
無意味な試みであるかが明らかであろう。
776神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 22:33:23 ID:C6VRoOwP
つまり隠居がここにいる理由はない。
777神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 22:45:45 ID:J4t508aT
てか、そろそろ容量イッパイイッパイだぞw
778神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 22:46:25 ID:J4t508aT
お、スリーセブン!
ラッキーw
779旧7:2009/09/02(水) 23:07:44 ID:J4t508aT
梅。


ビルマ仏教を研究した社会学者にスパイロさんという方がいる。
彼の著の一つ「ブッディズム&ソサイエティ」の中で、
彼は現代ビルマ仏教に2種類(或いは3種類の)視線を投げかけている。
それは、「Kammatic Buddhism」と「Nibbanic buddhism」だ。(「Apotrpaic Buddhism」を加えれば3種類だ。)


賢明な方は、これがどういう対比かお分かりだと思う。
序盤をちょこっとしか読んでないので、全体としてどういう考察になっているかは解らんが、
こうした不純物無しに、社会の中にその位置を占める、大衆と接しながら存続する、ことはできないのかもしれない・・・。



日本語版出ないかなぁ・・・。
780旧7:2009/09/02(水) 23:20:52 ID:J4t508aT
“どこかのどなたさん”
(IDは変わってるし名前は無いし、《追尾できる「仮設された」呼称もない!www》ので、
 このような失礼な呼びかけになるがwww)、
は、どのように考えているのだろう。
生命が、【個としては「断滅」である可能性を、100%排除できるのか?】と・・・。
781神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 23:29:13 ID:lEdM06GR
>>780     “どこかのどなたさん    とは、私と話していた、
あの「輪廻業報を業のエネルギーによる縁起で解説していた人」のことかな?
あの人は、以前ここで「真言さん」と呼ばれていた人でしょう?
782宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/02(水) 23:29:22 ID:x4Vkosmj
>>771>>774
これも、
ゴータマのアプローチした重要な自己についての教えですね。

仏教とは、
「自己はすべて消し去られるべきもの(自己など何処にもない/無用)」
というものではないでしょう。
ゴータマの説いた“理想とすべき在るべき自己の姿”という
“求めるべき自己”が“本来の(自分の)自己である”という教えでしょう。

ゴータマは確かに、
バラモンの説く形而上学的アートマンには同意しませんでしたが、
独自のアプローチのよる自己についての教えを説かれた。
今、そのことを示す(含む)仏教学的資料を打ち込み中です。

もう少しで出来上がるので、
どなたか次スレを建てておいて下さい。
(残念ながら、このスレ中には無理っポイ)
どうか宜しくお願いします!
783旧7:2009/09/02(水) 23:30:59 ID:J4t508aT
もう一つ、直接的に聞いておこう。

仏教は、「独我論的枠組み(→箱庭)を脱出し得るのか?」と。
更に重ねよう。
仏教が認識論的側面を持つなら、独我論に対して投げかけられる疑義に、どう答え得るのか?と。
三世に跨る業報が、「自覚的なものであり、他者に“レッテル貼り”できない」ものであるとしても、
それが、【助言や説法として、危機感として、第3者に感じさせるもの】だとしたら、
それは、【本来、自覚されるものであるべき、業果の流れの筈が、他者の自覚を強制するものとならないだろうか?】。

“どこかのどなたさん”は、(前シリーズだったか?)、
『トイレに落ちるおにぎりの件』に、どういう感想を持つのだろう・・・。
784神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 23:34:36 ID:lEdM06GR
>>783  ま近では >>772の ID:cxElnme1  この人だと思うが?
違うかな?
785神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 23:35:19 ID:J4t508aT
499ばいと到達。
786神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 23:37:56 ID:J4t508aT
>>784
真言氏には、ほぼ同様の見解を持つ、ファンが1人居るんですよw
787神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 23:39:37 ID:J4t508aT
ま、両方へ向けてということにはなりますが・・・w

(そろそろ限界かな?w)
788神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 23:44:07 ID:J4t508aT
よし、500KB
789宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
 『何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を絶ち、(善悪をなすに)
よしなく、欲望を捨て去った人、──かれこそ実に最上の人である。』(Sn.97)
 『作られざるもの---skata=nibba^na.(Ckmm.)作られたもの(有為)は転変し、生起消滅するが、「作られ
ざるもの」すなわちニルヴァーナは永遠不変のものである。有為は迷い、無為はさとりの境地である。』
(中村 元訳注p93)

 無常ではない境地なのだから当たり前のことなのですが、しかし、思考が硬直化した人はそれすらも理
解できないのです。《「作られざるもの」すなわちニルヴァーナは永遠不変のものである。》---は、この私が
一貫して主張してきたことであり、「作られざるもの」ではないものがある、と説くウダーナ8:3とも合致する
ものです。
 そんな、「どっちでもない〜中道だべぇ〜」ではない。“ニルヴァーナは永遠不変ではない”などと説くこと
も当然、愚かです。こういうのをバラモン恒常論否定のアレルギー症候群という。

 まだ、わからない???