【浄土真宗】妙好人と学ぶ7【信心獲得(決定)】

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1神も仏も名無しさん
真実信心について語りあうスレです。
(※特定の団体個人を叩くのは他の専用スレで)
前スレが500kオーバーのため、立てました。

前スレ
【浄土真宗】妙好人と学ぶ6【信心獲得(決定)】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1204420011/
【浄土真宗】妙好人と学ぶ5【信心獲得(決定)】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1203573106/
【浄土真宗】妙好人と学ぶ4【信心獲得(決定)】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1202651606/
【浄土真宗】妙好人と学ぶ3【信心獲得(決定)】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1200414712/
【浄土真宗】妙好人と学ぶ【信心獲得(決定)】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1198478098/
【浄土真宗】妙好人と学ぶ【信心獲得(決定)】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1191756120/
2298:2008/03/15(土) 01:45:43 ID:Uwi2aXG8
>>前スレ989 http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1204420011/989
>298さんも早く早く信決定なされて、大慈悲の阿弥陀仏に、よろこんでいただきましょうね。
>早く、他力信心の妙味を、こころからよろこびあいたいものです。

私はあくまでも、弥陀に信心いただけたことをよろこんで、
こちらのスレに、書き込んでいるのです。

他力信心の妙味、一味の味わいを、多くの方によろこんでもらいたい、
その思いから、書き込んでいます。

この味わいは、御恩報謝につながります。

この味わいに、そのうれしさに、ありがたさに、
何もできない凡夫なれど、弥陀の御名号、南无阿彌陀佛を、
口に称えて参ります。
3298:2008/03/15(土) 01:47:57 ID:Uwi2aXG8
◎さればこの南無阿弥陀佛の体は、われらを阿弥陀佛のたすけたまへる支証のために、
御名をこの南無阿弥陀佛の六字にあらはしたまへるなりときこえたり(御文3-5)

◎さてその他力の信心といふはいかやうなることぞといへば、ただ南無阿弥陀佛なり。
この南無阿弥陀佛の六つの字のこころをくはしくしりたるが、すなはち他力信心のすがたなり(御文3-2)

◎されば南無阿弥陀仏と申す体は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。
この信心といふは、この南無阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりとこころうべきなり(御文2-14)

◎当流の信心決定すといふ体は、すなはち南無阿弥陀仏の六字のすがたとこころうべきなり(御文4-8)

◎信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、
南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり(御文5-5)

真実信心いただけた方は、この御文章が、ありがたくいただけることと思います。

幾度読み返しても、ありがたい、御文様です。

南无阿彌陀佛
4神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 01:50:09 ID:rZYexArU
【真宗・親鸞】妙好人と学ぶ7【信心獲得(決定)】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1205508962/l50
              ↑
     重複したようです。お好きな方を。

5298:2008/03/15(土) 02:02:15 ID:Uwi2aXG8
>>4
ごめんなさい。浄土真宗で検索したので、気付きませんでした。
6神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 02:06:30 ID:iMbIV84r
>>2
>私はあくまでも、弥陀に信心いただけたことをよろこんで、
>こちらのスレに、書き込んでいるのです。

それは素晴らしいことですね。

常によろこびまもりたまう仏様の御懐に包まれてあること、
尊い尊い南無阿弥陀仏に生きさせて頂く幸せを、
こころより喜ばせていただきましょうね。

凡夫の行い、なにひとつ間に合わなかったとわからせて頂いてこそ、
絶対他力の信心頂く身とはなれるのです。
何事も、阿弥陀仏のご本願のおひとりばたらきです。
仏恩報謝のお念仏、称えずにはいられません。

御恩尊や、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
7298:2008/03/15(土) 02:09:21 ID:Uwi2aXG8
>>6
>尊い尊い南無阿弥陀仏に生きさせて頂く幸せを、
>こころより喜ばせていただきましょうね。

本当に、そうですね。
そう言っていただけますと、うれしい限りです。
8神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 06:54:47 ID:2gIqRROJ
大経の令諸衆生功徳成就とは
南無阿弥陀仏の事だよ。

みんな阿弥陀仏がなさっている。成し遂げてくださっている。
それが阿弥陀仏のあのお姿、そして南無阿弥陀仏の六字。

南無阿弥陀仏と讃えませ
9渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/15(土) 10:51:23 ID:Rg2C4BEh
>http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1204420011/979
> 一日も早く善知識に会えることを祈ります。

 善知識は、悪知識に対するなり。真善知識、正善知識、実善知識、
是善知識、善善知識、善性の人なり。悪の知識は、仮善知識、偽善
知識、邪善知識、虚善知識、非善知識、悪知識、悪性の人なり。
                           (愚禿抄)

 あなたの善知識は、貴方には何を教えてくれた善知識なんでしょうか?。

>2
> 他力信心の妙味、一味の味わいを、多くの方によろこんでもらいたい、
> その思いから、書き込んでいます。

 そうだったんですか。それでは、自分の理解と聖教との違いが指摘されたら、
余りムキにならず「ああ、自分はまだ至らなかったなぁ」と、自省できるような人に
なりたいものですね。

 ところで、

凡夫が生涯にただ一度で信心決定する、真実行たる南無阿弥陀仏があるのだと言います。
そして、それは五正行に基づくのだと言います。 しかも、五正行は、阿弥陀の三字に入っ
ていると主張します。
(http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1204420011/919)は、どちら様が発明された御説な
んでしょうかね?。「五正行は阿弥陀の三字に入る」とは、具体的にどういう意味なんでしょう
か?
 他力信心の妙味、一味の味わいを、多くの方によろこんでもらいたいものですよね(微笑)
 
10神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 10:57:38 ID:an/441xz
>>9
キモヲタデブ中年は二度とこのスレに来ないでね
        /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \   パー───ン       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
      <       (☆)   〉                     /               \
       \ =======,/                  (__i|__i|__リ     ;       |
        /~`ー=、=,=ィ.                  (   ;;    ∪     |
      /    (●)ヾ'(●) \                    ,◎─ 〃⌒)         |
      |    "⌒(__人__)⌒" |    _'そ       (o,;(´   ´_'ノ     ,; ′;| ´  ;  '
.     \     `ヾ┬ノ´ ,/〔ニ二【@】        ゝ   u.  ゞ    ,●";`‘,`・    ;
       /⌒ ̄ ̄〃 ̄ ̄〆⌒'ニ)ソ  ̄ Y `       `i       ーーーーrーゝ
        ヾ  、__゙__il、_,ジ,イ            ヾ、__  ____-‐ー‐\
       |       o| = |_ノ               /´ ̄ ̄         ヽ
.        |          |    |               /    ゙ヽ  渡海 難   |
.      |       o|   .|               /     |           |
      |   ===   | ==|                /      |           |
11神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 13:07:57 ID:iwFauBB0
前スレ
1 :神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 10:06:51 ID:txdCAaym
2 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/02(日) 10:08:54 ID:txdCAaym
本スレ
1 :神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 01:40:40 ID:Uwi2aXG8
2 :298:2008/03/15(土) 01:45:43 ID:Uwi2aXG8

前スレもそうだったけど、今回も自称妙好人の基地外固定がスレ立てたのか。
渡海難も298もこのスレの厄介者だからな。それに笑いのマートルとけちゃっぷが続いてるって感じ。

で、なぜ298はわざわざ名無しでスレ立てたのか?渡海難と同様に他スレで身元を隠して自作自演をやってるのかと。
12神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 14:11:18 ID:IjHmjK9W
>298さん
「南無阿弥陀仏の六字をよくこころえたる信心の行者」だったっけ、
蓮如さんは御文の中でよくそのような意味の事を仰るけど、
その同じ蓮如さんが「知り顔の体」
「心得たと言うのは心得ぬなり」とか言われて、批判される。
これって常識的には、矛盾した発言だよね。
片や「よく心得わける事を推奨」しているように言いながら、
片や「心得たなんて言うのは心得てないんだ」と否定する。
蓮如さんが末通らない人、教義に矛盾する人でないとするなら、
どうしてそんな事を言われたのだと思う?
13神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 14:46:25 ID:JcIx7sU4
298さんと298さんの信心に疑問を持つ人の議論、
一般的には圧倒的多数の人が298さんの主張を支持すると思う。
それは、298さんの考え方は凡夫の世間にあって常識的だから。
しかし、他力の教えは阿弥陀さんの側の常識であって、凡夫の側の常識でははかれない。
だから、難中の難なのだと思います。
 
カルトの信者を救出する目的で教義の矛盾を論じても、
カルト信者に自信を持たせるだけで徒労に終るということを読んだことがあります。
なんとなくそれに近いものを読ませてもらっている気がします。
14神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 15:39:59 ID:KoD+DfYh
>>13
一般的に言えば298さんに疑問を持つ方のほうが圧倒的に多いだろうと、私は思います。
世間一般の理解は、ただ口に南無阿弥陀仏と称えればよい、というのではないでしょうか。
どちらかといえば、298さんを否定される方のほうが、より世間に受け入れられる信心ではないかと。
事実、このスレでも298さんを支持しているのは、同じ信心をいただいている方ばかりみたいですし。
15神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 15:45:51 ID:0UJUlNrB
まあ、298と渡海は五十歩百歩ですから。基地外は基地外なりの持論を持ってるんですよ。
16渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/15(土) 15:48:37 ID:Rg2C4BEh
>14
>ただ口に南無阿弥陀仏と称えればよい

 「ただ(いたずらに・虚しく・形式的に・闇雲に)口に南無阿弥陀仏と称えればよい」
といういみでしょうか?

 「ただ(ひたすらに・二心無く・専一に・真剣に・心を込めて)口に南無阿弥陀仏と称えればよい」
といういみでしょうか?
17神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 15:51:49 ID:KoD+DfYh
>>16
両方です。
18神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 16:02:00 ID:Ht4Fqpdd
ただ口でとなえりゃいいだろ、ってのは平安浄土教、
それから融通念仏だね。法然浄土教、親鸞は違うでしょ。
19神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 16:04:02 ID:Ht4Fqpdd
口でとなえておけばいい、っていうのは
名号を口でとなえることに効力を認める信心だね。
まあ、これが一番の易行ですよ。
特別な善知識やたのみ方、聴聞すらいりませんからね。
20神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 16:15:14 ID:P2ng6tQd
称名は口でとなえるものではなく
口から溢れこぼれ出るものです
21神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 16:24:47 ID:JcIx7sU4
>>14
世間一般の理解は、ただ口に南無阿弥陀仏と称えればよい、ということしょう。
しかし、少し学べば、心底阿弥陀仏の救いを信じて念仏を称えれば、と知る。
すると、阿弥陀仏を心を込めてたのめばいいんだろ、と考える。
心を込めたたのみ方ができれば・・・世間の常識的思考の発展の仕方だと思います。
私自身がそのように思っていましたよ。
22神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 16:40:05 ID:KoD+DfYh
>>21
そうですね。真摯に向き合った人は、あなたのようにそれだけではいけないんじゃないかと考えます。
しかし、世間的にはそこまで深く考えてみる人は少ない。『ただ人まねばかりの体たらくなり』でしょう。

>心を込めたたのみ方ができれば・・・

これですよね。このうえなく易行、されど難信の法は。
23神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 20:10:18 ID:IjHmjK9W
唯称名も難しいねー。何を持って唯称名と言えるのかとか、
唯称えればいいだけじゃんっとか、命延びれば人は「はからい」だすからねー。
あれこれはからって、その時々の気分に合わせて、人は答えを出す。
次の日、違う意見に強烈なシンパシーを感じれば、その答えも変わる。
または逆に、自分の答えや信念を守ろうすれば、
頑なになって殻に籠もろうとする。
得てしてそんな茶番を毎日繰り返して留まる事がないんだねー。
だから、輪廻は止まらない。その原因である我が心をたのみ続けるから。
だけど、凡愚は本当に輪廻が大好きで、それが虚しい事とはこれっぽっちも思わない。
凡愚の心は底無しの虚仮不実、皆嘘の固まり。
体験も、思いも、領解も、信念も、求道も、全部嘘。
我執の上に築き上げた不良物件。一生懸命補強しても、不退の決意で立て替えしても、
土台から、建材、補強材から建て替え素材に至るまで、
全て雑毒虚仮・嘘の泥で出来てるからね、手の施しようがないのさ。
阿弥陀さまが立ち上がられた、仏願の生起を訊ねてみれば、
全く出離の縁なき者が対象。手元には泥しかないなら、
もう自力はあてにならないじゃん。
弥陀の「お前を必ず助ける」一心をたのむより他に、何があるの?
黄金持ってると勘違いしたり、いつか黄金が手に入るなどと期待するのは、
弥陀の本願を疑い、自分の心をあてたよりにしてるからさ。
死ぬまで不真実の泥の塊がそんな信念やら期待やらを持っても、
有毒ガスを出すだけ。唯仏一乗清らかなのに、誓願一乗なのに、
高慢心を旨として、二乗・三乗と余計な物拵えないでおくれ。
南無阿弥陀仏
24渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/15(土) 20:15:43 ID:Rg2C4BEh
>18
>それから融通念仏だね。法然浄土教、親鸞は違うでしょ。

 黒谷上人御法語
 法然上人の御法語

 道俗等おもふベし、我身にはかしこき事は一もなし。
 坊さんも在家者もよく考えて欲しい。自分には賢いところは何もない。

 佛の願によらずば、かかるあさましきものの往生の大事をとぐべしやと思て、阿彌陀佛の悲願
をあふぎ、他力をたのみて名号を憚なく唱べき也。

 仏の願に寄らなければ、このような愚かな者がどうして極楽浄土に往生できただろうかと、そ
のように考え、阿弥陀仏の悲願を仰ぎ、他力をたのみ、遠慮することなく名号を唱えなさい。

 是を本願を憑とはいふなり。
 本願をたのむとは、そういうことを言う。

 すべて佛たすけ給へと思て、名号をとなふるに過たる事はなき也。
 どの様なことでも、仏に、どうか助けて下さいと心に思い、南無阿弥陀仏の名号を唱える以上
に素晴らしいことはない。

 此外によしと思も僑慢の心なり。
 このほかに、「これが正しい」と思うことがあれば、これは驕慢の心である。
25渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/15(土) 20:16:39 ID:Rg2C4BEh
 凡、佛をたのむといふは、心の中の観念にあらず、ただ名号を唱るをすなはち本願憑とは云也。
 およそ、仏をたのむというのは、心の中でただ思うことではない。ただ名号を唱えると言うこ
とこれを本願たのみと言う。

 念佛の行者観念にとどまる事なかれ、思はばやがて聲をいだしてとなふべき也。
 念仏を心の中で考えているだけで止まってはいけない。考えたらやがて声に出して唱えなさい。

 称名の外には決定往生の正因なし。称名の外には決定往生の正行なし。
 称名念仏の外に往生が決定していく正因はない。称名念仏の外に往生が決定していく正行はな
い。

 称名の外には決定往生の正業なし。称名の外には決定往生の観念なし。
 称名念仏の外に往生が決定していく正業はない。称名念仏の外に往生が決定していく観念はな
い。

 称名の外には決定往生の智恵なし。称名の外には三心なし。
 称名念仏の外に往生が決定していく智恵はない。称名念仏の外に三心はない。

 称名の外には決定往生の四修なし。五念も称名の外にはなし。
 称名念仏の外に往生が決定していく四修はない。五念門も称名念仏の外にはない。

 佛の本願も称名を本願とす。厭離穢土の心も称名の中にあり。
 佛の本願も称名が本願である。厭離穢土の心も称名の中にある。
26渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/15(土) 20:17:33 ID:Rg2C4BEh
 法藏菩薩の昔の他力本願の故に、彌陀如來の自在神力を信じ奉るべし。
 阿弥陀仏が法蔵菩薩と言われていたころの他力本願を根拠に、彌陀如來の自在神力を信じてほ
しい。

 若是よりおくふかき事を存候はば、日本國六十余州大小の神罰を蒙り、來世の彌陀の四十八願
にもれ候て、無間地獄におつべし。
 もし、仏教というものにこれよりもさらに奥深い教えがあれば、日本中のあらゆる神々の神罰
を受けるだろう。来世の阿弥陀仏の四八願に漏れ、自分は無間地獄に堕ちていくだろう。



「念佛の行者観念にとどまる事なかれ、思はばやがて聲をいだしてとなふべき也」。
 重い言葉として受け止めてほしいものだ。
27神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 20:22:01 ID:IjHmjK9W
>22
真摯?輪廻を繰り返す煩悩成就の凡愚に真摯なんてありえない。
阿弥陀さまが真摯に願い、真摯に「必ず助ける」と宣言されたんでしょ。
お釈迦さま、阿弥陀さまがどうにもならない私に真摯な心をかけて下さると
聴聞しないで、何を聴聞するのさ。
虚仮が造り出した真摯を誉めても、絶対、浄土の因にはならないからね。
南無阿弥陀仏
28渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/15(土) 20:53:37 ID:Rg2C4BEh
>27
>真摯な心をかけて下さると聴聞しないで、何を聴聞するのさ。

 聴聞が大事という考えは、まあ大事なことだな。ところで、声を出して自分が
念仏を唱えるということと、聴聞と、どちらが大事だと思う?

 貴方の場合、胸を手に当てて考えることも大事だろうな。声を出して念仏は
称えているか?声を出して念仏を称えるということがなければ、真摯な心をか
けて下さると聴聞しても、意味のないことだよ。
29渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/15(土) 20:56:17 ID:Rg2C4BEh
>22
>心を込めたたのみ方ができれば・・・

凡、佛をたのむといふは、心の中の観念にあらず、ただ名号を唱るを
すなはち本願憑とは云也。

 こころそこになければ、法然の言葉も、親鸞の言葉も、聞いても聞こえず
見ても見えず、か。
30神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 20:59:08 ID:W+TAtE4j
>>27
はい。そうですね。
他力にたどり着くまでは、みんな自力が混ざってるんですよね。
でも、あとで思えばその自力さえも阿弥陀様がお膳立てしてくれたのかなあ、って思ったりするんですよね。
31神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:02:20 ID:iMbIV84r
仏様の側から見れば、わたしたちの行動はみんな非常識です。

必ず来る死と後生の問題を放置して、どうでもいい(もちろん、当人にとっては
どうでもよくないのですが)世間のことにのみ、毎日あくせくと生命を費やしている。

財産も、家族も、自分の身体でさえ、すべてうつろっていくゆえに
なにひとつあてにならないのに、「お金があれば」、「家族がいれば」、
「健康であれば」…と、信じて求めている一方で、
必ず極楽往生させて、未来永劫、幸せにしてみせると誓っている、
阿弥陀仏の本願はぜんぜん信じないし、求めない。

法の鏡で見せて頂けば頂くほど、なるほど確かに助かる縁の微塵もない、私たち。

でもだから、阿弥陀仏の本願を聞けるというのは、それだけでもすごいことです。
そういうものがある、と知るだけでも尊いし、他力の信心得たい、と思う気持ちも尊い。

仏様とのご縁なんてあるはずもない、煩悩具足の凡夫なのに、
どうして知っているのか、どうして聞けているのか、どうして求めようなんて思えるのか、
考えてみたらものすごく不思議なことです。
これすべて、阿弥陀仏のご本願のものすごい力によって、
第十八願の世界に向かって、引きずられていっているんですよね。
32神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:02:26 ID:W+TAtE4j
>>29
心をこめてたのむのも、いっさいがっさい、ぜんぶ阿弥陀様がしてくれるので、ただしたがうだけなんですね。
33神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:02:52 ID:iMbIV84r
>>31
そして宿善開発の一念で、南無とたのむ身にならせて頂いたとき、
阿弥陀仏のまことのこころにおさめとられ、南無阿弥陀仏の御六字のなかに、
仏と凡夫とが、決して離れない姿となって生きさせて頂ける。

「南無阿弥陀仏」と口で称えさせて頂く「だけ」でも、何が何でも私たちを助けずにはおかない
阿弥陀仏の深い深いお慈悲がさせてくださっていることと知れば、
本当に尊く、有難いことです。

そうと知ってみれば、この世で見るもの聞くもの全てが、そのまま
阿弥陀仏のご勅命、「我をたのめ、必ず助ける。」のお呼び声。

ここまでお膳立てして頂いていたら、もう、いつまでも「いやだ、救われたくない」なんて
言ってはいられないですね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
34渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/15(土) 21:12:13 ID:Rg2C4BEh
>32
>ただしたがうだけなんですね。

 それで貴方は、自律的に、能動的に念仏を称えるの
か?。称えないのか?。(苦笑)
35神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:13:12 ID:W+TAtE4j
御恩報謝の念仏を称えてます。
36神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:13:52 ID:SPM8yeM5
【重要なお知らせ】

精神病の渡海難は放置してください。相手にする価値も無い人間です
ので放置が一番です。現実社会で渡海難が誰にも相手にされないように
無視してください。

▲▼▲▼渡海難とは ▲▼▲▼
2ちゃん以外では誰にも相手にされない人間。
内面から滲み出すキモイ精神のお陰で腐臭が漂い、周りから忌み嫌われ
ているのだが社会が自分のことを理解してくれないと誤解し、浄土真宗の
坊主と思われる人を叩くことでようやく自我を保っているような屑。そのような
卑屈な根性が誰にも相手にされなくなる原因と未だ理解できないようだ。。。。
長い間 社会と隔絶された生活をしているため脳内でいろいろな人と語り
合う事ができる。(自作自演が得意)


※以下の文を10回暗誦して反省してください。

荒らし・煽り・叩きに反応する事は荒らしへの荷担にしかなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荒らし・煽り・叩きを無視できないあなたも荒らしです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
37神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:15:15 ID:SPM8yeM5
     ∞〜プーン       〜
      / ̄ ̄ ̄ ̄\   〜 プゥーン
     (  人____)  〜
 〜∞  |ミ/  ー◎-◎-)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 プーン (6     (_ _) )<オレはこう見えても結構モテるんだぜ!!!!
      |/ ∴ ノ  3 ノ  \_________
      \_____ノ,,    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  バ  | '、/\ / /
     / `./| |  カ  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   | プーン〜∞ 
      ⊂|______|
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       |   ┬    |
◆渡海難の正体◆
・引篭り歴10年以上・童貞、彼女&女友達無し(というか友達1人も無し)
・身長159cm以下体重75kg以上 体脂肪率38%以上 ・年賀状は1枚も来た事が無い
・3流大学卒、アニメサークル所属、合コン歴無し ロリコン
・今行きたい所:秋葉原、オタワ(カナダの首都、ヲタクが集まる所だと思ってるらしい)
・前科5犯(万引き、食い逃げ、性的暴行、強制猥褻、痴漢(存在自体が痴漢))
・好きなゲーム:ゲーム関係なんでも、但しホラー以外(ションベンちびって3日以上放心状態になるから)
・所持エロゲーは軽く1000を越える
・コンビニの処分された弁当しか食べられない、というか最近家族に手料理を作ってもらってない
・風呂には3日に1回しか入らない ・50M走タイム11秒5以上 ・自分の年齢=彼女いない歴
・AV、アニメビデオを1日最低3回は見る ・“ラップ”と聞くと「サランラップ?」とボケでなくマジで答える
・趣味:2CH心と宗教板への書き込みをすること、座禅念仏
 そして浄土真宗関連スレ、親鸞会関連スレを見つけるとここぞとばかり攻撃し、チンポをこすりながらレスを待つ
・カラオケで歌うのはいつもアニソン、というか友達がいなくてカラオケも行けない
・真宗教団と親鸞会と真宗の僧侶を目の敵にしている ・ギャルゲグッズを多数所持
・メル友募集をしても女性からは1通も来ない、(ネカマからは来る、しかも普通に女と勘違いする)
・自分にレスする者全員に対して「ボーズ(坊主)」「親鸞会」と言う恥知らずのリアル精神病患者
38神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:16:39 ID:SPM8yeM5
念仏宗渡海会(「こんにちは会」ともいう)
・教祖 渡海 難(「とうみかたし」と読む) ←渡海紀三朗文科相とは無関係
・会費 4000円
・HP  ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~propatent/
・根本聖典(?)親鸞の思想と教行信証(世界数ヶ国後に翻訳されると本人が称している)
「親鸞仏教の正当性を問う」ttp://mentai.2ch.net/psy/kako/970/970632275.html
「親鸞仏教の正当性を問う(パート2)」ttp://mentai.2ch.net/psy/kako/975/975404451.html
「親鸞仏教を見直そう。」ttp://mentai.2ch.net/psy/kako/979/979297776.html
「親鸞仏教を問う(V)」ttp://life.2ch.net/psy/kako/1000/10001/1000165825.html
「親鸞仏教論 W」ttp://life.2ch.net/psy/kako/1012/10129/1012997700.html
「□■ЯЯ親鸞仏教(浄土真宗)質問箱RR■□」ttp://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1123906853/
「○●Я親鸞仏教質問箱R(その2)●○」ttp://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1157628310/
「○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○」ttp://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1179146870/
・教義 渡海教祖の思いつきで右に左にコロコロ変わる。ある時はお釈迦さまの代弁者となり、ある時は親鸞思
想の代弁者となる。大川隆法の「霊言」のようなものである。
ちなみにカルト教団に「サタン」とするものがあるのと同じく念仏宗渡海会にも「親鸞会」や「浄土真宗のお坊
さん」というサタンが存在し、自分に都合の悪い者がいると「親鸞会」や「浄土真宗のお坊さん」と言って決め
つける。
ちょうど創価学会の「日顕宗」のようなものと思えばいいだろう。
・会員数 ゼロ(笑)
・教祖の性格 一言で言えば基地害、電波。独善的で絶対に他人の言うことを聞かない。
裁判の時弁護士が使うような論法で次々と質問をはぐらかす。
・活動 2chでの布教活動を主とする。
あと、彼にとってのサタンである親鸞会の退会者に狙いをつけて退会者狩りを行うが念仏宗渡海会の信者になっ
たという話は聞いたことがない。
渡海会には「座禅念仏」という行があるそうだ。それを真宗関係のサイトで説いて回った所、次々と拒絶されて
いる。
あと「ああ先生」という呪文もある。詳しいことは分からないが人の意見を聞かない奴に先生もヘチマもあった
ものではないが。
39神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:18:12 ID:SPM8yeM5
渡海難のカキコパターン

1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習者を装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが
始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「お坊さんですね」(最近はこのパターンが多
い)か、「親鸞会ですね」と寺や親鸞会批判をする。(大概は奴の妄想)
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 明後日の方向にひたすら答えにならないレスを乱発し、スレの流れをかく乱する。もしくは「仮説」に逃げ
る。「ウソも100回言えば」のクチでそれに騙されて「渡海は真の論者だ」という信者はこの8のシチュエー
ションから生まれる。(9もしくは10へ)
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をして他スレを荒らしに行く(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がったり、他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐
れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。
40神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:20:17 ID:JcIx7sU4
>>30
> 他力にたどり着くまでは、みんな自力が混ざってるんですよね。
> でも、あとで思えばその自力さえも阿弥陀様がお膳立てしてくれたのかなあ、って思ったりするんですよね。

どうにもすっきりしない引っかかる表現だなぁ?
41神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 21:20:59 ID:SPM8yeM5
もう渡海難の話題はうんざりだろうけど、まだまだ出現するかもしれないので、
特定するためプロファイリングしてみますね。

渡海 難 とはこんな人物

 ●年齢は60歳くらい

 ●浄土真宗、真宗の僧侶、親鸞会に深く怨みを持っている

 ●来世を否定して、現世を肯定

 ●阿弥陀仏は架空の存在と主張

 ●親鸞聖人が問題を解決したから、我々は世間のことに努力すれば良いと
  「十劫安心」まがいのことを言う

 ●カウンセリング、自律訓練法など、いろいろな事を経験したらしい

 ●正規の宗教教育は受けておらず、すべて独学のようだ

 ●座禅して念仏せよと主張するが、その目的は不明
  ココロが癒されて身体に良いのかな?



42渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/15(土) 21:28:25 ID:Rg2C4BEh
>35
> 御恩報謝の念仏を称えてます。

 なるほど。

 わが身の往生、一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、
御報恩のために、御念仏、こころにいれてもうして、世のなか安穏なれ、仏
法ひろまれと、おぼしめすべしとぞおぼえそうろう。

 これで自分の往生は決まったと、そのように確信できたなら、仏のご恩を
心に思いながら、御恩報謝の念仏を称えるといいでしょう。
 自分の往生は決まったと、そのように確信できないうちには、御恩報謝の
念仏は急ぐべきではないと僕は考える。

 往生を不定におぼしめさんひとは、まずわが身の往生をおぼしめして、御
念仏そうろうべし。

 本当にこれで往生できるんだろうかと、心配するような人は、「どうか私の
往生をよろしくお願いします」とそのように思いながら念仏するのもいいだろう。

 このほかは、別の御はからい、あるべしとはおぼえずそうろう。 (消息集)
 この他には特別考えることはなにもありません。
 
43神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 22:33:55 ID:WjqhmcqF
現代は、知的レベルと霊性の両立した善知識(?)が求められているのでしょうね。
44神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 00:19:35 ID:7oS3fxAI
>30
凄い予定調和だねー。泥が予定調和をはからってるなんて、
へそで茶を沸かすような茶番劇だよ。
大体、他力に辿り着くって何?何が他力に辿り着くのさ。
私は他力に辿り着きましたって言ったら、自力じゃん。
〜したから、辿り着きましたって、勝手に辿り着いたと思ってるだけ。
わたしは弥陀をたのんだので、他力に辿り着きましたってこと?
そしたら、私が弥陀をたのむ=give
だから、他力に辿り着く=takeの関係じゃん。
キリスト教の神と人との契約論が、阿弥陀仏に置き換えられただけみたい。
信心と天国の関係みたい?福沢諭吉の脱亞入欧教育の賜物かも?
阿弥陀さまは契約結ばないよ。契約結べるような相手だったら、
若不生者不取正覚の誓いを起こす必要ないし、阿弥陀と名乗る必要もないじゃん。
他力に辿り着いた者を救う仏と名乗らないと、嘘つき仏になっちゃうよ。
そんな仏、たのむに値しないねー。もし、それでもそんな仏が好きなら、
明日から、「南無他力に辿り着いた者を助ける仏」と称名するのが、
理にかなってるし、そういう宗旨にはそういう仏名じゃないとねー。
私は、そんな仏さまより南無阿弥陀仏だなー。南無阿弥陀仏
45神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 00:34:01 ID:vQj4tqPO
46神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 00:34:21 ID:7oS3fxAI
>43
冷製も知識もいらないねー。そんなコギトな事、ゴミ箱直行だね。
そんなカテゴリーを作って何か意味あるのかな?
自分の知ったこと、興味あること、歩んだ道、評価してもらいたい?
大丈夫、阿弥陀さんは知ってるよ。
名が体をあらわす仏さま、際限がない仏さまだから、
あなたの気持ちを知ってる。俺は知らないです、泥だから。
我が心たのまず、弥陀たのめ。蓮如って人のお勧めだよ。
47渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/16(日) 01:00:27 ID:E7uScBw/
>46
 要するに、自分は何も考えたくないということなんだろうね。

 この人の信心、聞より生じて思より生ぜざる、このゆえに名づけて
「信不具足」とす。(信の巻・化身土の巻)

 信心は永遠に得られないだろう。「阿弥陀さんは知ってる」などと言
われても、「迷惑だよ」と言われるのが関の山だな。
48神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 03:28:03 ID:7oS3fxAI
>47
渡海さんに返事していいのかなー。
俺が何処に聞思がなくていいなんて書いたのかねー?
考えるんだよ、他力とは何?今までこれでよしと思い込んでいたのは、
自力の妄念に過ぎないのではないかってね。
煩悩好きが、煩悩に流されているだけで終わってるんじゃないかって。
弥陀の本願に照らして点検する。お釈迦さまのお示しにも照らして、
現在する苦果を引き起こしている因について。その中には自分で
解決できるものもあるからね。無論、後生の一大事に関しては、
我々のはからうことに非ず、弥陀たのめ以外、何もないけど。
親鸞聖人が三部経千部読ジュしようとして思い立って、やめたように。
聞思は重要ですね。

49神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 07:03:57 ID:GeFk44Kk
妄念でもって妄念の点検をしているのだね。
50神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 08:09:08 ID:7oS3fxAI
>50
お釈迦さまのお示しによって、現在の苦果からその原因を探っていくのさ。
治せる事もあれば、治せない事もあるけど、仏法をよりどころとして、
生き死んでいくのさー。南無阿弥陀仏
51298:2008/03/16(日) 08:38:58 ID:v/AA7wt/
娑場のことはいろいろありますが、浄土が尊いですし、南无阿彌陀佛が尊いことです。
生きてゆく上で、必要なことがあるのは、過去の執着の故。
弥陀をたのめば、もう後は、残りの後片付けをして、きれいになって往生です。
真に価値があると感じるものに出会い、いただけたと感じ、感謝してお称えする南无阿彌陀佛。
とてもしあわせなことです。
南无阿彌陀佛
52神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 09:44:11 ID:5a0sZ8hd
>>51
> 弥陀をたのめば、もう後は、残りの後片付けをして、きれいになって往生です。

歎異抄14章を読んでみて下さい。
「罪を滅せんとおもはんは、自力のこころにして、臨終正念といのるひとの本意なれば、
他力の信心なきにて候ふなり。」
53渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/16(日) 10:37:39 ID:E7uScBw/
>>48
>渡海さんに返事していいのかなー。    −微笑−

>俺が何処に聞思がなくていいなんて書いたのかねー?

 はて?。聞思がなくていいなんて書いてなかったかな?。そうですか。そうですか。なるほど。
なるほど。

>考えるんだよ、他力とは何?今までこれでよしと思い込んでいたのは、自力の妄念に過ぎない
のではないかってね。

   ほほう。立派だねぇ。

>煩悩好きが、煩悩に流されているだけで終わってるんじゃないかって。
   ほほう。なるほど。なるほど。考えて、結果はどうなりましたか?

>弥陀の本願に照らして点検する。
   ほほう。点検するんだな。点検結果はまとまりましたか?。

>お釈迦さまのお示しにも照らして、
   ほほう。お釈迦様も、いろいろとお忙しくなりますね。

>現在する苦果を引き起こしている因について。
  聞思した結果はどうなりましたか?。結果が大事ですよね。点検しっぱなしじゃ意味がない。
54渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/16(日) 10:38:21 ID:E7uScBw/
>その中には自分で解決できるものもあるからね。

 ほほう。それで何か解決しましたか?どのように解決しましたか。解決する前と解決した後で、
何がどう変わりましたか?。

>無論、後生の一大事に関しては、我々のはからうことに非ず、
  ほほう。なるほど。なるほど。

>弥陀たのめ以外、何もないけど。
  ほほう。たのんで何か変わりましたか。どのようにたのんだのでしょうか?
  頼むまえと、頼んだあとでは何がどのように変わりましたか?
  変わらなかった?。 気休めにはなった? 気休めにもならなかった?

>聞思は重要ですね。
  なるほど。なるほど。
  はてはて、7oS3fxAIのことを阿弥陀様が何か覚えてくれているかなぁ? 「7oS3fxAI?。知
らんなぁ。どこの誰だって?。聞いてないなぁ。何も話は聞いてないぞ」などと、阿弥陀様がそ
う仰らなければ、幸いですよね。
55渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/16(日) 10:40:26 ID:E7uScBw/
>>51
>娑場のことはいろいろありますが、浄土が尊いですし、南无阿彌陀佛が尊いことです。

 「いろいろ」という一言で娑婆のことにふたをされてもねぇ。娑婆こそ、今、現実に生きている世界だからねぇ。

>生きてゆく上で、必要なことがあるのは、過去の執着の故。

 まあ、過去の執着があるのは否定しないが、それだけかねぇ?。
 なんか退廃的だね。この人には未来に希望はないんかねぇ

>弥陀をたのめば、もう後は、残りの後片付けをして、きれいになって往生です。
   この人は、死ぬことしか考えてないんだろうか? 早く死にたい?。自殺願望?

>真に価値があると感じるものに出会い、いただけたと感じ、感謝してお称えする南无阿彌陀佛。

 娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。(歎異抄)。
 娑婆では力の限りを尽くしていくことこそ、我々の義務であり、使命だと僕は思う。その中で、
いよいよ命の全てが燃え尽きたとき死は厳粛にやってくる。死ぬことなどは考えず、今生のこと
に全力を尽くしていきたいものだ。秘事法門は退廃的な宗教だねぇ。

>とてもしあわせなことです。南无阿彌陀佛
       退廃的な幸福感だなぁ。なんか、病的だなぁ。
56 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2008/03/16(日) 10:42:54 ID:vEIlE3cS
 |    彡彡⌒⌒⌒ ミ      彡     ⌒⌒ミ
 |    彡彡ノ.  三  ヽ     / ヽ       ||!
 |   ‖|‖  '。  。` |    |  ||   !  l l| l||
 |   川川‖U  ' ω` ヽ    / U |川川 !! l |l|||ル
 |   川6    ∴)д(∴)  (∴   9川| l| |川 l||l
 |   川川      〜 /    ヽ      川 | lルリ
 |    / ヽ  ___/     \__      ヽ
 |   /        \        /        ヽ
 |   | |  ト     ヽ       /  Y  |      !
 |   / . |  |       ヽ     /    |  |      !
57神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 10:47:33 ID:wp6cwDCq
三業を整えて信心を獲得すると仏凡一体になる。
信心を獲たあとは徐々に煩悩が減り、心が清浄になっていく。
信後の人生はおまけ、もしくは食後の後片付けのようなものなのである。



58神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 11:35:53 ID:7oS3fxAI
>51
残りの後片付けってなんだろー?
明日もあさっても命ある限り、煩悩は絶え間なく起こる。
後片付けしたと思った次の瞬間にはまた起こるよね。
その後片付けはどうすんの?阿含経典で、お釈迦さまは心の動きについて
「常に気を付けておれ」と言われてる。
親鸞さまは、「弘誓のちからをかむらずば、
いづれのときにか娑婆を出でん。仏恩深く思いつつ、
つねに弥陀を念ずべし」と言われてる。
自力によって煩悩を断じていく道と、必ず涅槃にいたらしめるという
仏願を本とする他力と、その方便は違うけど、
煩悩は苦果を生じさせる因であることには変わらないよね。
称名念仏には、煩悩大好きの私を「必ず助ける」のお心を聞く状態に
引き戻してくれるそんな働きもあるんじゃないかなー?
物理的にも、称えてる間は悪口言えないし。
また、阿弥陀さまの「必ず救う」を聞いてる刹那を切り取れば、
私は救われたとか、喜び心が出たとか、他人との差異がどうだとか、
ああだから、こうだから、と言う感想は差し挟めないよね。
そこにあるのは「必ず救う」という弥陀の真実心だけ。
凡夫の心が全く介在してないから、信心は全く仏心と言えるんだね。
ああ辛と言うは後なり唐辛子か。
>57
嘘だぁ。
59神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 11:51:17 ID:eQsgHzm0
>>57
>三業を整えて信心を獲得すると仏凡一体になる。

三業を自分で整えることは、できないことです。
阿弥陀仏はそのこと十分ご存知ですから、整えて来いともおっしゃいません。
そのままで、信心頂き、仏凡一体とならせて頂けます。

>心を獲たあとは徐々に煩悩が減り、心が清浄になっていく。

煩悩はいっさい減りません。煩悩しかない凡夫そのままのお救いですから。

心も清浄になりません。虚仮不実のそのままです。

それでも煩悩即菩提、障り多きに徳多しと、苦を楽に転じ変えてくださるのが、
不思議不思議の南無阿弥陀仏のおちから。

信頂いた後は、生きているうちから
阿弥陀仏の無量の御光が常に照らし、包み、お守りくださるゆえに、
もうなにひとつ、足すも引くもいらない、こころは浄土に遊ぶなり。
仏恩報謝のお念仏を称えさせて頂く現在ただいまが、
生きてまいるお浄土、南無阿弥陀仏です。
60神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 14:58:49 ID:GwlcplGw
ここにいる方は、葬式を、すでに済ませたのでしょうか。
61神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 15:46:12 ID:1eg90xai
不断煩悩得涅槃なんだよ

正信げを読みなされ
62神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 16:52:28 ID:UE6pDhmw
そういえば、子どものとき、報化二土正弁立のところでいつもプッっと吹き出してたっけ。
退屈だったから、なんとなく変化がほしかったんだね。 ・・・関係ないけど。
63神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 16:56:42 ID:UE6pDhmw
さあ、今日の仕事、おわり〜〜♪
帰ってビール飲も。
仏壇に手を合わせない日はあっても、ビールを飲まない日はないような。。。
64笑いのマートル:2008/03/16(日) 22:12:01 ID:gnNboDn4
自分の業の稲刈り。
どんな死に方をするのかも教えてもらえない。
煩悩の厚い雲に覆われて知る事が出来ない。
綺麗な死に方がしたいなんて、希望でしかないと思います。
私は、どんな迷惑をかけて死んで行くのだろうか・・・
毎日が修行の我らではあるけれど。
大した修行も出来ぬ身なれば、
ただ、阿弥陀仏今度の一大事をお救い下さいとたのむのが精一杯。
そのままで良いとのお言葉に甘えて過ごす毎日。
この世での業因の稲刈りが出来なければ、死ねないと言われている。
この後どんな稲刈りが待っているのだろうか・・・
悪い稲刈りの方が、きっと多いんだろうなぁ。
刈るのも楽な根無し草。
何とも有り難い、南無阿弥陀仏。
南無とたのべば、魂の葬式済ませる。
この命終われば御浄土に往ける身。
魂の葬式済ませ、後はこの身の葬式を待つばかり。
しかも、妄念の身でありながら、生かして貰える南無阿弥陀仏。
見た事もない極楽恋しと思えぬ身。
65神も仏も名無しさん:2008/03/16(日) 23:40:29 ID:5a0sZ8hd
>>64
> この世での業因の稲刈りが出来なければ、死ねないと言われている。

私は意味すら分からないんだけど、死ねないんならその方がいいね。
66:2008/03/17(月) 03:36:54 ID:6nIC8dCS
皆さん、お久しぶりです。このスレを建てていただいてからもう7スレ目になるのですね。

無事に信心獲得させていただけたことが、有難いです。

298様の、仰るとおり。

このスレを建てていただいた方々、妙好人の皆様、本当に有難うございます。
67神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 04:21:40 ID:v37LzYpo
信仰の事を考えるのは、一日の中でもわずかな時間。やっぱり日々、仕事や家の事、そんな事に追い回されていますから…

振り返るとやっぱり、恥ずかしくなるような、しまった!と思うような事ばかり。なるほど、愚か者以外の何者でもない。

それでもとりあえず大過なく過ごせているのは、いろいろな人、いろいろな事に助けられているからなんだろう。

まずは何かをアテにせず、とりあえず頑張ってみる。でも愚か者だから、やっぱり何かしら穴がある。それを誰かが、何かが助けてくれている。

助けられた事に気付く場合もあれば気付かない場合もある。何かを期待せずにまず努力してみて、何かの助けがあれば、またなかったように思えても、ともかく無事に過ぎた事は、何かの助けがあったんだろうと思って、感謝する。

そう思ってた方が気が楽だ。まず自分を凄いなんて思わないこった。

最近はそう考えて生きるようにしてます。
68神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 06:34:13 ID:IU6OxEKf
7様、おめでとうございます。
ほんとうに良かったです。
69神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 06:38:43 ID:iJr3xs/0
>>7
今のご気分はいかがですか?
これからは自信教人信、という感じですか?
70笑いのマートル:2008/03/17(月) 07:45:42 ID:3mBSjgXY
>64
自分に与えられた、
この世でしなければならない業因を、全て完了したら死ぬと言う事。
どう云う死に方をするのかも、生まれた時には決まっているらしいし、
何歳まで生き、どんな生き方をするのかも決まっているらしい。
体の丈夫な時に、ご信心をいただく業因があると良いですね。

7様、ご気分はいかがですか?
今宵は袖にあまりぬるかな、の心境だと思いますが・・・
こんなに簡単にいただけてしまうものかと言う気持ちだと思います・・・
後念相続怠りなく、また縁のある方の手を引かれて行く事を願っています。
御浄土での蓮台でのご対面楽しみにしています。
71神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 08:30:20 ID:hkCsAbuj
そういえば、数年前に長生きの遺伝子が発見されましたね。
長寿の方は先祖から伝わる長生きのDNAを持っているとのこと。
そのニュースを聞いた時は、科学が仏教に追いついた、
仏教の教えを科学が証明したそんな気がしました。
それだけの話しですが・・・。
72神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 11:32:52 ID:IU6OxEKf
しかし、なんですねぇ。どなたがこのスレッドを始められたのか知りませんが、たいへん善いことをなさいましたねえ。感動致しました。
73神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 11:49:19 ID:TYaVsHkC
7さんは、信心獲得しちゃったかー。これで、親鸞聖人と縁切りだね。
信心獲得「した」自分の心を伴侶として、
後生大事に付き合う人生がスタートしたって事。
また、心当たりがでてきたら、戻っておいで。
74神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 13:58:35 ID:EKFr5/UN
信心獲得したら、どうして親鸞聖人と縁切りになるのか、よくわからないけど・・
たぶん、73さんは、これだ、という信心を持っているんだろね。
7さんが獲得したのは73さんとは違うものらしいから、ペテンか何かだと思ってるんだろうなあ。
75神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 14:22:42 ID:EKFr5/UN
本願ぼこりとかじゃなければいいけどね。
って、私も人のことは言えないかぁ。ごめん。
76神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 18:01:02 ID:mpDooO31
阿弥陀仏は、明後日の方向に迷い通しの私たちを、けっして見捨てられず、
いまこのときも、お呼びづめでいてくださいます。
真実の親様の、大慈悲のみこころなればこそですね。

信心いただかれた、というかたも、
どうぞ、いくたびもいくたびも信心の溝をさらえて、
尊い阿弥陀仏の法水を、我とわが身に通わせて頂きましょう。

何を聞いてもわかっても知っても信じても、すべて凡夫の世迷言です。
自分の力では、どこまでも堕ちてゆくしかない私たちです。
けれどその私を正客として、必ず救いとってみせるとお誓いくださったのが、
大慈大悲の阿弥陀仏。
本当の自分の姿を、自分で見ることすらできない魂の真っ暗闇を、
阿弥陀仏の無限の光明が打ち破ってくださるときが、
娑婆の終わり、臨終です。

そのあとは常に、喜びまもりたまう阿弥陀仏のお心に抱かれ連れられて、
煩悩一杯のままが幸せ一杯、生きさせて頂くのです。

それもすべて、阿弥陀仏のおひとりばたらき。
信前のかたも、信後のかたも、こころから嬉しく、
ご恩を喜ばせて頂きましょうね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
77神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 19:03:48 ID:mpDooO31
後生のことは、阿弥陀仏におまかせするのみ。

三世十方の諸仏さえ、どうにもなさることができなかった、煩悩具足の凡夫。
自分の力でどうにかなれると思うことが、そもそも「顛倒している」、
さかさまに考えているということなんですよね。

その姿を、仏法というまちがいのない鏡に照らして見せて頂くことが、
そのまま、阿弥陀仏の調熟の光明によって育てて頂いているということ。

もし後生の一大事、自分のちからがひとかけらでも役に立ったと、
それでどうにかなったというかたは、「悪人」ではなく「善人」。
阿弥陀仏の正客ではないのです。

それでも、「善人なおもって往生す、いかにいわんや悪人をや」とは…
本当に、阿弥陀様のおやごころは、どこまで深く広いのでしょう。

ともかく自分で阿弥陀仏をたのんで極楽往生きまった、というかたがいるのですから、
たのむことすらできない「悪人」煩悩具足の凡夫の往生は、ますます一定。
尊いことですね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
787:2008/03/17(月) 19:31:45 ID:qUOAWspp
>>68様 ありがとうございます。本当におめでたいことだな、と思います。

>>69様 ようやく肩の荷が下りたと言う感じでしょうか。何とか信心獲得の瞬間まで寿命があって良かったなぁ、とホッとしています。

>笑いのマートル様 本当に易行でしたし、しばらくは???という感じでした。でもつい顔がほころんでしまうというか。
 煩悩の雲は厚いですね。後念相続の日々が楽しみです。誰かをお手引きするご縁があれば、それもまた身に余る幸せです。

>>72様 親鸞会スレにて信心の沙汰を何故しないのかと皆に問うていましたら、心ある方が専用のスレを建ててくださいました。
 本当に有り難く、名前も顔も分かりませんが、感謝申し上げる次第です。

>>73様 信心獲得を目指すスレなんですが、信心獲得はないという考えをお持ちなのでしょうか。
  戻っておいでと言われますが、どちらの方でしょうか。

>>77様 弥陀をたのめと何度も蓮如上人はおっしゃってみえますが、蓮如上人を否定される方なのでしょうか。
79神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 19:46:12 ID:TYaVsHkC
>76
298さんかなあ?
信前の方も信後の方もご恩喜ばせていただきましょうって、
おかしくない?信前の人は仏恩報ずる思いないでしょ。
当たり前だよね、大利益を得てないんだから。
何もしてくれてないと思ってる人に対して、恩義が発生するわけないよね。
必ず浄土に参らせる、業繋を悉く除く、三塗の扉を必ず閉じさせると
私目当てに誓って下さった仏だから、恩があるんであって、
信前の人に恩着せがましい事を言うのは、必要ないどころか、押し売りだよ。
信前信後なんて、何故はからうんだろう?自分は信後ですって、
安心したいの?お前は信前ですって分けたいの?意味ないよ、本当。
阿弥陀さまが必ず助ける、これが真実。あとは、何もいらない。
信前だの信後だのと、むつかしき題目唱えなさんな。
7さんは、可哀想。余計なはからいを勧める人達に心奪われ、
信心獲得しましたなんて言っちゃって、もう引っ込みつかなくなるよ。
これからは、信心獲得したと宣言した事を防衛するために生きなきゃなんない。
親鸞聖人でも仰らなかった事を、平気な顔して言うな!恥知らずめ!
ってとこかなー。
80298:2008/03/17(月) 20:40:29 ID:MKHNBhXc
>>79
76は、私では、ないですよ。
獲信があるならば、信前と、信後は、あるわけです。
「信をとれとれ」と、蓮師はそのために、生涯を捧げた方であると、
私はそう思い、尊敬申し上げております。
私も、とにかく有縁の方に信をとってほしいと、
そればかり、願っております。
そして、三塗に沈んでいる方にも、
如来の光を受けてラクになって欲しいと、望んでおります。
如来の広大な恩徳を我が身に受けまして、
歓ばせていただくしあわせは、この味は、
やはり、一味の方しかわからないことでしょう。
仕方のないことですが、受け付けない方は、
なぜ、受け付けないのでしょうね。
きっと、これまであれこれだまされてきたり、
だまされた話ばかりを、聞いてきたんでしょうね。
その方から見て信頼できる方から、
お話つながることを、願うばかりです。
恥知らずな私ですけれども、信を獲ってくださる方が現れますことは、
どうしても、うれしいですね。浄土で再会する仲間です。顔がほころびます。ありがたいことです。
南无阿彌陀佛
81298:2008/03/17(月) 20:45:53 ID:MKHNBhXc
7様にはおわかりのことと思いますが、
南无阿彌陀佛の六字には、必要なすべてが、込められております。

如来の光明を我が身に受けますれば、不可避に信心が獲られます。

獲信見敬大慶喜。「ああほんとだ」と、よろこんでくださる方が増えますことを、
願っております。
82神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 21:43:59 ID:hkCsAbuj
>>79
> 阿弥陀さまが必ず助ける、これが真実。あとは、何もいらない。

本当にそう思いますね。
信を獲らなきゃ、信じたい、そういう気持ちは理解できるけど、それは阿弥陀さまを信じていないってことじゃないかな?
それは、余計なはからい。
83神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 21:49:31 ID:IK6wiY40
>>79
>これからは、信心獲得したと宣言した事を防衛するために生きなきゃなんない。

どうして、こういう発想が浮ぶのか不思議でなりません。
阿弥陀様の信心を、何故に防衛しなきゃならないのでしょう。
我々が忘れようが疑がおうが、さえぎるものはありませんのに。
ご自分の胸のうちが文面に表れたのではないでしょうか。
読んでいて、なんだか悲しくなりました。
84298:2008/03/17(月) 22:06:20 ID:MKHNBhXc
>>77
>その姿を、仏法というまちがいのない鏡に照らして見せて頂くことが、
>そのまま、阿弥陀仏の調熟の光明によって育てて頂いているということ。

何をしていようと、調熟の光明に照らされていると思いますよ。
ですから、仏法から見れば、どんな生命でも、必ず次第に少しずつ良くなっている
はずです。
85298:2008/03/17(月) 22:10:07 ID:MKHNBhXc
>>77
それに、阿弥陀さまは、悪人だけでなく、善人も救うと思いますよ。
善人を捨てるような阿弥陀さまでは、無いと思いますよ。

菩薩方ですら、弥陀に救われて、よろこんでいるのです。

ましてや、私のような悪人は、弥陀に救われて、
本当に奇跡ですよ。

思い返すたびに、自らに身震いする悪人です。

阿弥陀さまが救ってくださらなければ、どうなっていたことか。
86298:2008/03/17(月) 22:15:29 ID:MKHNBhXc
>>82
同感です。
往生程の一大事を、凡夫がはからうものではございませんが、
そう聞いて、はからわぬべしとはからっている方のすがたを、
見抜いていらっしゃるのですね。

同行は、「弥陀におまかせ」の意味がわかりますけれども、
なかなか、信をいただくまでは、やはり、わからないんでしょう。

あくまでも、真実信心であって、自らつくる信心ではないのですから、
はからっても、仕方ないんですけれどもね・・・

>>83
これも、同感です。
阿弥陀様の信心は、金剛ですものね。
79様は、嫉妬していらっしゃるのでしょうが、
ですけれども、どんな悪人でも救う阿弥陀さまですから、
自分よりひどい方でも、救われてしまうのですからね。

弥陀をたのんだ者勝ちであると思います。
87神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 22:29:15 ID:hkCsAbuj
>>83
自力の信だからですよ。
自分の心が作り出した作り物だからですよ。
88:2008/03/17(月) 22:33:05 ID:6nIC8dCS
>>79様 このスレは、信前信後がある、これが前提のスレなんだと思います。
     調熟の光明と、摂取の光明とがある、それが前提のスレではないでしょうか。
     信心獲得という言葉があることを、そのまま受け止めて欲しいと思います。
     蓮如上人も、信前の者と信後のものを分けていらっしゃいますが、意味などないと突っぱねるのでしょうか。
     「阿弥陀さまが必ず助ける、これが真実。あとは、何もいらない。」と本当に思っていらっしゃるのなら、
     自分は信前だと悩んでいる人にも、信後だと喜んでいる人にも、どちらに対しても優しく言葉をかけてあげてくださいな。

>>87  他力の信には、信前と信後がありますよ。自力では不可能な真実行だからこそ、真実信心いただけるのだと思います。
89神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 22:35:11 ID:hkCsAbuj
>>86
> 自分よりひどい方でも、救われてしまうのですからね。
 
> 弥陀をたのんだ者勝ちであると思います。


ひどい、あまりにもひどすぎる発言。
他力の信心 = 法然上人や親鸞聖人と等しい信心を獲たと公言する人の言葉とはとても思えない。
90神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 22:36:56 ID:LwUEluqn
浄土真宗=聞法
これってホント?
91神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 22:37:28 ID:I9+ck2tN
おまえらチベットの為に何もしないの?
おまえらの仏教て何なの?
92298:2008/03/17(月) 22:43:44 ID:MKHNBhXc
>>89
>ひどい、あまりにもひどすぎる発言。

このつっこみは、予想していましたよ。
「私より、ひどい人がいる」と言っているのでは、無いのです。

「救われた」という人がいるときに、なぜ、嫉妬するのかと言えば、
それは、「こんな人が救われているはずがない」という思いが、
あるからではありませんか?

もちろん、それがお聖教に照らして適切な判断であれば、
それは、適切な判断なのだろうと思います。

そして、もちろん、私たちは、差別心を消すことなど、できないです。

私は、多くの方に、信を獲てほしい。

獲信者を、神格化する必要も、ありませんよ。
あくまでも、凡夫ですよ。

それでも、阿弥陀さまの真実信心は、尊い尊いものなのです。

「弥陀をたのんだ者勝ち」というのは、実際、そう思っています。
仏法では、「勝利者」という言い方がありますからね。
もちろん、私は、ここでは、他力信を獲た者の意味で書いていて、
みなさんに、勝ってほしいのです。

煩悩あるままで、勝てるのが、この法です。

「こんなひどい自分ですね」と、これは負けているすがたですけれども、
そのまま勝てる、不思議な法なんです。
93298:2008/03/17(月) 22:48:07 ID:MKHNBhXc
>>90
これは、どのような用語にも言えますけれども、「聞」と「法」の、それぞれの意味に依ると思います。

もちろん、「会当作世尊」ですから、聞法が要であることは、間違いないと思います。

「聞其名号」のほうが、文字数は増えますけれど、わかりやすいかもしれません。

「依此経執持名号」という言い方もあります。

弥陀をたのめば信心決定です。

やはり、御文様がわかりやすいと思います。

もし、興味がおありであれば、ぜひ御文様を(原典のままで)お読みください。
94神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 22:53:50 ID:hkCsAbuj
>>92-93
善人の固まりですね。
聖者の気分ですか?
教祖様のような発言ですよ。
凡夫のヒガミですけどね。
95神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 23:04:44 ID:Tl9YGWOV
令諸衆生 功徳成就(大経)とは、
一切の衆生に代わって成就された、
南無阿弥陀仏の事だ。

必ず救うの誓いあり、成就の文があっても、
証しが無ければ私達凡夫は迷うだけ。

証しが南無阿弥陀仏なのだ。
96298:2008/03/17(月) 23:05:35 ID:MKHNBhXc
>>88
「信前信後がある」というのは、真宗の大切な内容だと思います。
そして、凡夫が易行で獲信するならば、その明確な瞬間はわからないにしても、
ある日を境に、安心するということになると思います。

>>87
他力信は、自分では、つくれませんからね・・・
弥陀に、いただくものなんです。不思議ですよ。
97298:2008/03/17(月) 23:08:32 ID:MKHNBhXc
>>94
法について語ろうとすると、そうなってしまうのでしょうね。
気をつけたいと思います。
やはり、どうしても、「いいこと話そう」と思ってしまいますから、
そのせいかもしれないと思います。
気分としては、「聖者」という感じでは、ないんですけれども・・・
「凡夫が信をいただいてうれしい」というのが、近いです。
ただ、たとえばお手引きさせていただいて、誰かが信をいただいてくれれば、
信をくださっている阿弥陀様は聖者ですからね。
「阿弥陀様は、いいですよー すごいですよー」と、知らせたい気持ちはあります。
98神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 23:30:04 ID:TYaVsHkC
>88
自力心で、弥陀をたのんだと思ってる人に優しい言葉をかけて、
どーすんの?って、正直思うんだけど。まあ、優しい言葉がお好きなら、
いくらでも贈らせていただきますよ。
おめでとう、信心獲得。
よかったね、本当自分のことのようにうれしいです。
これで、煩悩いくら起こっても平気ですね、信心獲得したのですから。
これからは僕らの仲間だよ。正定聚不退転だね。
99298:2008/03/17(月) 23:30:09 ID:MKHNBhXc
>>68
本当に、よかったです。
たくさんの佛菩薩が、歓ばれたことと思います。
南无阿彌陀佛
100神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 23:31:51 ID:TYaVsHkC
>99
嘘つき。
101298:2008/03/17(月) 23:36:33 ID:MKHNBhXc
>>98
信を獲れば、他にも獲信者がいることが、理解されると思いますよ。
なんと言っても、易行ですからね。
南无阿彌陀佛のおちからは、どこでも、おなじです。
同じ南无阿彌陀佛でいただく信だから、いつでも、どこでも、誰でも同じ信なのです。
私たちの信心も、法然聖人の信心も、親鸞聖人の信心も、
天親菩薩の信心も、みな同じ、御同心です。
なんと、もったいないことかと思います。
阿弥陀様は、私のような泥凡夫を、差別なさりません。
もったいないことです。
南无阿彌陀佛
102神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 23:38:30 ID:TYaVsHkC
>97
違うね。自力信心だからだよ。
自分が信心獲得したという体験を信じているから、
自分は他人とは違うという意識が働くのさー。
何にも変わらない常没流転のお互いさ。だからこそ、弥陀の本願が有り難いのさ。
いらない体験は捨てちゃえ捨てちゃえ!生ゴミか不燃ゴミかわからないけど、
朝出掛ける前に、ゴミ出ししちゃおう。
103298:2008/03/17(月) 23:42:48 ID:MKHNBhXc
>>102
弥陀をたのめば、一念にして、極楽往生治定ですよ。
その後のお念仏は、我が口で称えようとも、我が心でよろこび称えようとも、
我が身体にて合掌して称えようとも、他力のお念仏だといただいてゆくのだと思います。
自分から、他力が出て来るのですから、本当にもったいないことです。
泥ばかり出していた泥凡夫から、金粉が吹き出すかのようです。
こんな凡夫が救われてありがたい、南无阿彌陀佛です。
南无阿彌陀佛
104神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 23:53:07 ID:TYaVsHkC
>103
皆、死ぬ時分になったら、忘れちゃうよ。たよりにならないことをたよりにしないでよ。
我忘れても、我を忘れぬ弥陀とは聞かなかったんだね。
私は信心得てるから、助けてもらえるんだって考えてるんじゃないの?
っていうか、そう洗脳されたんじゃない?善知識?に。
105神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 00:04:16 ID:Lo+G+kib
>104のつづき
金粉ショーがそんなに有り難いのかなー?
我が身の喜び、すなわち、煩悩所生の喜びより、
阿弥陀さんの必ず助けるを信じればいいのに。
私がこうなったから、ああなったから、信じられるって、
はからう思いは捨てちゃえ!捨てちゃえ!
7さんが可哀想、飛んだ悪知識に会っちゃって。
まあ、自分の信心欲しい信心欲しいという煩悩が、結果、こうなっちゃった、
自業自得、そして業縁の和合だから、しょうがないけど。
106神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 01:04:40 ID:4pZAMglp
>>79
信前でも、阿弥陀仏の御恩を感じていましたよ。永い永い間、お育て下さっているということに。
もちろん、信後にわからせて頂く、仏恩の深さ大きさには、くらべるべくもないことですけれど。

>>78
信心頂いた本人が???の状態で、まわりから「信心いただけてよかったね」
「よかったね」と言われて段々その気になるというのは、つもり信心の典型です。
「信決定」のあとの後念相続が大切だ、というのも、まわりに同行のおおい地域がいいというのも、
この場合は「つもり」を固めていくために必要なのかな、とも思えて、かなしくなりました。

>>78
>>77様 弥陀をたのめと何度も蓮如上人はおっしゃってみえますが、蓮如上人を否定される方なのでしょうか。

繰り返し、自力をふりすててとおっしゃっておいでですね。

>>86
>弥陀をたのんだ者勝ちであると思います。

「弥陀をたのんだ」この言い方自体が、すでに勝ちではないです。

本当の他力の信心は、自分がたのんで頂くものではないですから。
よって、それは「たのんだつもり」の自力の信心。
勝ち負けで言うなら、負けです。いえ、まだ勝っていないというべきでしょうか。
やがてはみな、本願海に帰入させていただくのですから…
107298:2008/03/18(火) 02:46:27 ID:CZ2EZCIE
>>106
「弥陀をたのんだ」この言い方自体が、すでに勝ちではないです。

ところが、

◎前々住上人(蓮如)仰せられ候ふ。弥陀をたのめる人は、南無阿弥陀仏に
身をばまるめたることなりと仰せられ候ふと云々(聞書100)

とあるのです。

この聞書も、信をいただくと、「なるほどー」とうなずけます。

そして、「蓮師と同じ信心いただけた」とよろこべるのです。

◎もろもろの雑行をすてて、一向一心に後生たすけたまへと弥陀をたのめば、
決定極楽に往生すべきこと、さらにその疑あるべからず(御文4-14)

南无阿彌陀佛
108神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 08:48:39 ID:aWJxo5E9
>>101 第三者が読めば矛盾した内容の文章ですよ。

> いつでも、どこでも、誰でも同じ信なのです。

(本)阿弥陀仏はその通りですね。
でも、あなたが信じる(偽)阿弥陀仏はそうではないでしょう?
「善知識による信を獲れば」という条件つき、つまり「いつでも、どこでも、誰でも」ではない。
あなたたちのグループ内では、「いつでも、どこでも、誰でも」なのでしょう。


揚げ足取りと言われるでしょうが、

> 同じ南无阿彌陀佛でいただく信だから、

これはあなたがたの信心が、阿弥陀仏からたまわったものではなく、
阿弥陀仏を道具に使っただけという意識が表れているのだと思いますよ。
善知識によって、善知識からいただいた信心であって、阿弥陀仏からたまわった信心ではないのですよ。
109神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 10:49:44 ID:ymOG4zeL
>>103
>泥ばかり出していた泥凡夫から、金粉が吹き出すかのようです。

気がつけば、あちこちきらきらと光ってますもんね。
また変な意味にとられてもなんだけど。。。(笑)

しかし、傍からは、知識帰命みたいな想像をしがちなんでしょうね。
一味の安心をいただけば、「同じ信」ということがわかるのですが。
110渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/18(火) 10:52:08 ID:KMDnOfkL
>>80
>私も、とにかく有縁の方に信をとってほしいと、

 聖教と自分の考えとずれが生じることはやむを得ないことです。聖教と自分の考えとにずれが
指摘されても、ムキにならず、無視もしなくなったとき、このときこそ、298さんは本当に信
心が決定するときでしょうね。
 聖教は常に正しいということではない。聖教とのズレがあったとき、聖教を正面から批判する
という選択肢があっていい。むしろその方が正論でしょう。無批判に受け入れるのは良くない。
 しかし、批判の余地も無くなれば、「ああ、自分は至らなかったな。自分は本当に、まだまだ
分かっていなかったんだなぁ」と、そのように思えるようになったとき、このときが本当の信心
決定のときでしょう。そのように信をとってほしいものですね。まあ、疑城胎宮の中にいれば、
五百年先の話かも知れませんね。

>そして、三塗に沈んでいる方にも、如来の光を受けてラクになって欲しいと、望んでおります。

 聖教に対して無視をしたり、歪曲するのはよくないですね。如来は、光をもってラクになって
欲しいと、望んでおりますよ。

>如来の広大な恩徳を我が身に受けまして、歓ばせていただくしあわせは、この味は、やはり、
一味の方しかわからないことでしょう。

 聖教が正しく受けられるようになったとき、説得力が出ますよね。
111渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/18(火) 10:53:13 ID:KMDnOfkL
>これまであれこれだまされてきたり、だまされた話ばかりを、聞いてきたんでしょうね。

 それは五正行に基づくのだと言います。 しかも、五正行は、阿弥陀の三字に入っていると主
張する(http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1204420011/919)ような偽善知識(愚禿抄)から、
騙された話ばかりを、聞いてきたんでしょう。

>恥知らずな私ですけれど
 私もそう思いますよ。上辺ではなく、胸に手を当てて、298さんも早くこのことに気づくと
いいですね。

>信を獲ってくださる方が現れますことは、どうしても、うれしいですね。
 298さんが、今後、本当に信を取れたとき、このときが一番嬉しくなりますよ。

>浄土で再会する仲間です。顔がほころびます。
    一日も早く貴方も浄土にいける身になるとよろしいですね。
112神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 11:03:07 ID:pFaBYb4v
掟によって他言できない善知識の特別なたのみ方で獲信するという
法門が今後どれくらい広まっていくのか。その勢いに注目したい。
113神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 11:05:44 ID:4pZAMglp
>◎もろもろの雑行をすてて、一向一心に後生たすけたまへと弥陀をたのめば、

「もろもろの雑行をすてて」、自分のはからい一切なしに、ということです。
でも「じゃあ、雑行を捨ててたのめばいいんだろう」これも、自分でたのんでいるんです。
そもそも、「たのむ」というのは、こんにち使われている意味の、お願いするという
主体的な動作ではありません。

どういうことか、信前はわからないから、自分の頭で、常識で、自分の知識の範囲で判断してしまう。
お聖教を読んでも、自分の心に合う、そうだそうだと思えるところばかりしか目に入らない。
そして、「わかったわかった」と喜んでいるのが、そのまま、生死流転のすがたです。

南無とは、いっさいの自分のはからいがない、そのままをおまかせできたすがた。
宿善開発の一念で、阿弥陀仏のご本願のおちからによって、そうならせて頂けます。

釈尊が広大勝解者と言ってくださるのは、出離の縁の一切ない凡夫を必ず救うと誓われた、
素晴らしい阿弥陀仏のご本願の通りになった、わたしたちを喜んでくださるのです。

「たのんだもの勝ち」という言葉には、
阿弥陀仏のご本願を手づかみにして、自分の手柄と振り回すこころが現れていますよ。
それが凡夫のいつわらざる姿とはいえ、申し訳ない、もったいない、おそろしいこころです。

それでも、そんなわたしたちのはからいを一切こえて、「そのお前をこそ、そのまま救う」と、
大慈悲の阿弥陀仏は、現在ただいまもお呼び続けでいてくださいます。
ありがたく、うれしいことですね。
あてにならない自力の信心捨てて、はやくはやく、
そのお呼び声に心の底から「ハイ」と答えられる身に、ならせて頂きましょう。
114神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 11:36:06 ID:4pZAMglp
>>103
>我が身体にて合掌して称えようとも、他力のお念仏だといただいてゆくのだと思います。

他力のお念仏と、「自分で」いただく、「自分で」思うのでは、たよりないですね。

>泥ばかり出していた泥凡夫から、金粉が吹き出すかのようです。

泥凡夫はいまこのときも確実に、泥ばかり出しています。泥吐く凡夫をそのままに、
南無阿弥陀仏のなかにまるごとかかえこんですくいとる、
だから阿弥陀仏のご本願はすばらしいのです。

きれいになった自分の幻想に酔っていたのでは、いつまでたっても、
南無阿弥陀仏の南無のすがた、分からせて頂けません。


いくら「後念相続」と踏み固めても、いくらお聖教から自分の信心に合う部分を
選び読んで確信を深めても、自力の信心は、やがて必ず崩れます。

それが死を持ってしても崩れない、他力の信心か、とったつもりのまぼろしかは、
阿弥陀仏と、本人だけが知っていることです。

…まさかとはおもいますが、他人から「あなたは信を獲った」といわれて、
信心獲得したつもりになっているかたは、おられませんよね?
11599:2008/03/18(火) 13:11:09 ID:Eja5nHs7
>>93
ご指導の通り、御文を原文で読んでみました。
しかし「聞法」なんて文字はでてきませんよ。
目につくのは「称名念仏すべきものなり」とか「南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏を称うべき」です。カナメは念仏することにおもえます。
間違っていますか?
116298:2008/03/18(火) 16:02:06 ID:jV2hNLLP
>>115
カナメは念仏で、その通りだと思います。
「法」というのは、「阿彌陀」あるいは「阿彌陀佛」あるいは「南无阿彌陀佛」だと思います。
これを「聞く」というのは、「称える」ことでもあるのだと思います。

そして、念仏には方法があります。

◎ただ声に出して念仏ばかりをとなふるひとはおほやうなり、
それは極楽には往生せず(御文3-3)

「すがた」もあるのです。

◎されば南無阿弥陀佛と申す六字の体はいかなるこころぞといふに、
阿弥陀如来を一向にたのめば、ほとけその衆生をよくしろしめして、
すくひたまへる御すがたを、
この南無阿弥陀佛の六字にあらはしたまふなりとおもふべきなり(御文3-4)


>>109
そうですね、私は比喩で書いたのですが、>105様は、文字通りにとったのかもしれないと
思いました。「金粉が出る」という奇瑞は、いろいろな宗教で言いますしね。
もちろん、たまには実際に金粉が出たとしても、そういうこともあるだろうと思いますが、
そういう意味ではなくて、金剛心につながる比喩としてのことです。
真実信心は金剛心、その金剛心のかたまりがそのまま出る感じとも違う感覚に思いますので、
「金粉」という比喩で書いたのです。金そのものでなく、金粉が、あちらこちらにまぶしてある。

知識帰命に見えるんでしょうね。
知識も、自分では、はからわず、弥陀にまかせるしかないですのにね。
117298:2008/03/18(火) 16:18:39 ID:jV2hNLLP
>>114
114様は、「たのみ方がある」ということを、信じることができないのだと思います。
そして、それは、無理もないことなのだと思います。
おそらく、そのように教わってきて、しかも、ご自身でも、そう信じてきたのだと思うからです。
私たちの異安心を心配して、親切からおっしゃってくださっているのだろうとも思います。
実際、似たような異安心は、いろいろあるはずですし、その存在についても聞いております。
それにしても、なぜ、「たのみ方などない」と、114様がそう信じているかと言えば、おそらく、
他人から、そのように言われて、「それが正しい」と信じ込んでいるのだと思います。

◎若し仏も無く、仏の法もなく、菩薩も無く、菩薩の法もなしと言う。是くのごとき等の見、若しは心に自ら解し、
若しは他に従って其の心を受けて決定せるを皆誹謗正法と名づく(論註)

心自解や、従他受其心決定が、誹謗正法であるということを、
よく考えていただいたら、うれしいことです。

聴聞で決定するなら、まさに、従他受其心決定であると、私は思います。

そして、仏法も菩薩法も、あるのです。

南无阿彌陀佛
118298:2008/03/18(火) 16:20:17 ID:jV2hNLLP
>>117
いただいたら → いただけたら
119298:2008/03/18(火) 16:25:33 ID:jV2hNLLP
>>114
>いくら「後念相続」と踏み固めても

後念相続は、「踏み固める」というよりも、「掘り出す」という感じだと思います。

せっかく弥陀の真実信心いただいても、よくわからないですから、
それを味わってゆきます。

お聖教を読むことは、「善知識同行に近づく」ということで、
とても良い相続になると思います。

そして、その時間と手間が無いときには、「南无阿彌陀佛」と御恩報謝の
お念仏を称えてゆきます。

南无阿彌陀佛
120298:2008/03/18(火) 16:30:32 ID:jV2hNLLP
>>113
>南無とは、いっさいの自分のはからいがない、そのままをおまかせできたすがた。
>宿善開発の一念で、阿弥陀仏のご本願のおちからによって、そうならせて頂けます。
>釈尊が広大勝解者と言ってくださるのは、出離の縁の一切ない凡夫を必ず救うと誓われた、
>素晴らしい阿弥陀仏のご本願の通りになった、わたしたちを喜んでくださるのです。

ここは、全くその通りだと思うんですけれどもね・・・
どうして、ここにあてはまらないことに、なっちゃうんでしょうね。

こういうことを理解されている方ですから、
信をいただけば、「なるほど、なるほど」と、よろこべると思いますが、
今は、私とは考え方が違うのですから、
あくまでも、私の言うことは参考に聞いていただいて、
ご自身の求道を、進んでほしいと思います。

必ず、どなたも前進していると、私は信じているからです。

そして、私の考えでは、無碍の一道に出させてくれる南無阿弥陀仏があり、
如来の信心によって、決定するのです。自分は関係ないから、安心なのです。

南无阿彌陀佛
121笑いのマートル:2008/03/18(火) 16:50:59 ID:1InUWTsV
南無阿弥陀仏の善に勝る善なし。
私達人間の考える善など本当にちっぽけなモノだなぁ・・・
造悪は容易く出来てしまうこの身・・・
あぁ、考えれば悪しか造っていないとつくづく思う。
それでも救って下さる。
いただいた後も善行が出来ない私をお許し下さる
阿弥陀仏の心の広さ、深さは計り知れない。
と言うよりもこの凡夫には想像出来ない広大さ。
阿弥陀様のゆりかごは、心地よいですね。
信心の謂れを知っている人を探し、在所に赴けば、
あら不思議、悪人でありなが、善人と化す不可思議よ。
五十二段の御浄土にひとっとび。
122神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 16:54:57 ID:Lo+G+kib
>101
同じ南無阿弥陀仏でいただく信心って、変な表現だなー。
南無阿弥陀仏と信心が別個のものみたいに見えちゃうし、
同じ南無阿弥陀仏って言うと、ならば違う南無阿弥陀仏があるの?
とも思えてくる。
信心の体は南無阿弥陀仏ですよね。信心は全く仏心と言われるから、
凡情は入ってない。もし入ってたら、正定之因とは言えなくなっちゃう。
だって、信心が仏心だからこそ、因は仏因、果は仏果となるわけで、
因凡情ならば、果もそれに報いた果しかあり得ないです。
そしたら、信心と言うのは、仏さまのお心そのもの、
南無阿弥陀仏そのものと言わなきゃならないよね。
南無阿弥陀仏の名号が、何で出来上がってるかとその因をたずねれば、
法蔵菩薩のご修行。その修行は何を因としてなされたものかと、
さらにたずねれば、若不生者の誓いでしょ。一切の衆生を救うぞって。
だから、一声称念罪皆除と言われるのも、
除八十億劫生死之罪と言われるのも、不取正覚と言われるのも、
その根源をたずねれば、みんなみんな、
間違いなくお前を救うと誓われた仏さまのお心だったのでした。
もはや、必ず浄土にお前を往生させん、成仏させんという仏の真実心の他に、
信心も南無阿弥陀仏も成立しない。それ以外に何か足しても、
何か引いても、仏果を得る因とはならないってことです。
123笑いのマートル:2008/03/18(火) 16:56:52 ID:1InUWTsV
親鸞も私も同じ信。
時代は違えども、南無阿弥陀仏よりいただいたモノは同じ。
信心をいただいて親鸞聖人を我が父の様にさえ感じるこの嬉しさ、安心な心。
124298:2008/03/18(火) 17:03:49 ID:jV2hNLLP
>>111

◎「一切善根荘厳浄土」といふは、阿弥陀の三字に一切善根ををさめたまへるゆゑに、
名号をとなふるはすなはち浄土を荘厳するになるとしるべしとなりと(尊号銘文)

◎ただ阿弥陀の三字の名号をとなへんを往生極楽の別因とせんと、
五劫のあひだふかくこのことを思惟しをはりて、
まづ第十七に諸仏にわが名字を称揚せられんといふ願をおこしたまへり。
この願ふかくこれをこころうべし(唯信鈔)

◎たとい大千世界に満てらん火をも、また直ちに過ぎて仏の名を聞くべし。
阿弥陀を聞かば、また退せず(教行信証)

◎あらゆるもの阿弥陀の徳号を聞きて、信心歓喜して聞くところを慶ばんこと、
いまし一念におよぶまでせん。至心の者回向したまえり。
生まれんと願ずれば、みな往くことを得しむ。ただ五逆と謗正法とをば除く。
かるがゆえに我頂礼して往生を願ず(教行信証)

◎皆悉く阿弥陀の名号の中に摂在す。故に名号の功徳最も勝れたりと為す。余行は然らず(選択集)

◎われらすでに阿弥陀といふ名号をきく。しるべし、われらが往生すでに成ぜりといふことを。
きくといふは、ただおほやうに名号をきくにあらず、
本願他力の不思議をききて疑はざるをきくとはいふなり(安心決定鈔)

◎二つに念仏往生といふは、阿弥陀の名号をとなへて往生をねがふなり。
これはかの仏の本願に順ずるがゆゑに、正定の業となづく(唯信鈔)

◎兆載永刧の修行は
 阿彌陀の三字にをさまれり
 五刧思惟の名號は
 五濁のわれらに付屬せり(帖外和讚)
125298:2008/03/18(火) 17:08:06 ID:jV2hNLLP
>>122
>ならば違う南無阿弥陀仏があるの?

ありますよ。

◎ただ声に出して念仏ばかりをとなふるひとはおほやうなり、
それは極楽には往生せず(御文3-3)

◎もろこし・わが朝に、もろもろの智者達の沙汰しまうさるる観念の念にもあらず。
また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず(一枚起請文)

◎云何なるをか実の如く修行せずして、名義と相応せずと為る、
謂く、如来は是れ実相身なり、是れ為物身なりと知らざればなり(論註)

◎決定の信をえざるゆゑ
 信心不淳とのべたまふ
 如実修行相応は
 信心ひとつにさだめたり(高僧和讃)
126笑いのマートル:2008/03/18(火) 17:18:06 ID:1InUWTsV
縁のない人間には、どんなに理解しろと言っても、
無理なんだろうなぁ・・・
南無阿弥陀仏と一体になると言う事も、
何が何だか理解に苦しむんだろうなぁ・・・
身体で聞く南無阿弥陀仏が分からないんだろうなぁ・・・
127笑いのマートル:2008/03/18(火) 17:28:26 ID:1InUWTsV
信心いただけば親鸞聖人と同じ縁。
南無阿弥陀仏より授かった故に。
信心いただく者は皆、南無阿弥陀仏の一人子よ、
と、皆に同じく可愛がる。
誰とて区別あたわずに、皆を同じに可愛がる。
やっと逢えたと親様は、歓喜の涙を流し、
もう離さぬぞと、ひしと抱きしめ。
128笑いのマートル:2008/03/18(火) 17:35:15 ID:1InUWTsV
すぁてっと、すごとでもすんべっかなぁ・・・
ところでよぉおらぁどこのどいつだんべかなぁ・・・
7様よぉ、証拠はあったべか?
ココじゃあいえねえけっどもよぉ・・・
129神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 17:38:08 ID:Lo+G+kib
>117
俺は114さんじゃないけど、「たのみ方がある」ことを信じるも信じないもないねー。
こう言えばいいかな、「たのみ方があるなんて思ってるのは自力」
なぜなら、弥陀の本願の他に、たのみ方という条件を付け足してるから。
何故そんな条件をもうけるのかと言えば、
そのたのみ方をしている自分は、正しい信心を得ている、
そのたのみ方を知らない人は、信心を得ていないと分別したいからじゃない?
口先では、常没流転の泥凡夫って言いながら、信心決定したもの知り顔。
ホント、滅法の凡夫は高慢で、弥陀のたのみ方なんて法をつくって、
仏の大悲を遮って、我田引水を生業としてる。
今や、真宗はこんな善(悪)知識ばかりなんだろうか?
自称信心決定しちゃった人は、凡情と仏心の違いもわきまえない。
自我意識ばかり肥え太り、慢心と我執が仏心を食い物にする、
そんな時代なんだろうねー。今に始まった事じゃないけどさ。
130神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 17:45:25 ID:Lo+G+kib
>127
自力信心だから、誰も喜ばないよ。喜ぶのは、お花畑の頭と、
脳内麻薬物質の分泌を喜ぶジャンキー仲間でしょ。
131神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 18:03:01 ID:Lo+G+kib
>125
ありがとー。でも、南無阿弥陀仏自体は変わらないよね。
南無阿弥陀仏に違いがあるんじゃなくて、
弥陀の本願力回向をはからう(仏智疑惑、不了仏智、自力)のか、
そうではない(信、無疑、他力)のか、に
違いがあるのではなくって?
132神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 18:18:43 ID:4pZAMglp
>>122
>◎云何なるをか実の如く修行せずして、名義と相応せずと為る、
>謂く、如来は是れ実相身なり、是れ為物身なりと知らざればなり(論註)

よく、このところを「正しいたのみ方がある」という主張のために持ち出されますね。
298さんの善知識がそう教えられているのでしょうか。
ここは、尊いお念仏称えても無明を晴らすことができないのはなぜか?
それは、真実の信心がない凡夫がとなえる、自力の念仏だからだ、といわれているところなのですが…

信前の念仏はどんなにがんばっても、誰に何を教わっても自力作善の、混ざりもののはいった念仏です。
それで真実信心いただくことは、どうしたってできないことです。

正しく念仏となえて助けて頂こうとする、というのは、やはり
二十願の世界に生きていらっしゃるということでしょうね。
それは阿弥陀様のお誓いですから、誠に尊く、素晴らしいことなのですけれど
選択本願の世界とは違っています。
133298:2008/03/18(火) 18:22:10 ID:jV2hNLLP
>>132
>それは、真実の信心がない凡夫がとなえる、自力の念仏だからだ、といわれているところなのですが…

もう少し、説明していただけませんか? どうしてそうなるのでしょうか?
134神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 18:24:53 ID:4pZAMglp
>>117
>それにしても、なぜ、「たのみ方などない」と、114様がそう信じているかと言えば、おそらく、
>他人から、そのように言われて、「それが正しい」と信じ込んでいるのだと思います。

いいえ。凡夫を凡夫のそのままに、聞即信で必ず助けるという、
阿弥陀様のお言葉以外には、この世には何ひとつ、信じるに値するものはないからです。

298さんたちは、>>129さんも仰っているように、
阿弥陀仏のご本願のほかに、信ずるものを必要とされているのですね。

>>119
>せっかく弥陀の真実信心いただいても、よくわからないですから、
>それを味わってゆきます。

やはり、言い聞かせる信心なんですね、これは。
真実の信心は、他人様から「お前は頂けたんだぞ、よろこべ、味わえ」
と言われるものではないんですよ。
135298:2008/03/18(火) 18:30:17 ID:jV2hNLLP
>>134
どうも、誤解があるようですが、「聞即信」ですよ。
「聞」とは、「弥陀をたのむ」ということでしょう?
それても、ここに、考え方の違いがあるのでしょうか。

「聞」とは、法話を聞くのですか?
「本願を聞く」のであれば、「本願を聞く」とは、「弥陀をたのむ」のでは、ないのですか?

>真実の信心は、他人様から「お前は頂けたんだぞ、よろこべ、味わえ」
>と言われるものではないんですよ。

「お前は頂けたんだぞ、よろこべ、味わえ」という言い方だと、押し付けがましい感じですけれども、
せっかく素晴しいものをいただいて、感謝できなければ、もったいないでしょう?

感謝できれば、よろこべますし、うれしいですから、本人にとりましても、
しあわせなことですよ。

信をいただいたら、御恩報謝の南無阿弥陀仏、上一形に至るまで、
続けてゆくのであると思っております。

南无阿彌陀佛
136298:2008/03/18(火) 18:31:14 ID:jV2hNLLP
>>134
さらに言えば、「聞」とは、「南无阿彌陀佛と一体になる」ということなのです。
これにより、信をいただきます。
137神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 18:40:36 ID:64NyrJ1o
実に興味深いですねぇ
138神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 18:48:19 ID:Lo+G+kib
>136
違うよ。聞くというは信をあらわすみのりなりだっけ?、和語聖教に言われてるから、
その御文を無視しないなら、聞くことが、即ち信なんだよ。
聞いたから、信をいただきますなんて事じゃなくて、
聞く事即ち信心なんだよー。
あと、南無阿弥陀仏と一体になるって具体的にはどういうこと?
139神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 18:49:50 ID:4pZAMglp
>>133
あの、298さんの善知識は、本当にここをもとに、正しくお念仏称えれば
信いただける、と教えておられるのでしょうか?

>>131さんの言われているのと、同じことだと思いますけれど…
前後を見て、どのような文脈の中で言われているものか、読んでみてください。
すぐ後に、三不信が書かれていますね。

>又三種の不相応あり。一には信心淳からず、存ずるがごとく亡ずるがごとき故なり。二
>には信心一ならず、決定なきが故なり。三には信心相続せず、余念間つるが故なり。此の
>三句展転して相成ず。信心淳からざるを以ての故に決定なし。決定なきが故に念相続せず。

ご自身でも引用されているとおり、

>◎決定の信をえざるゆゑ
> 信心不淳とのべたまふ
> 如実修行相応は
> 信心ひとつにさだめたり(高僧和讃)

信心頂く前は不如実、ということです。
140298:2008/03/18(火) 18:50:34 ID:jV2hNLLP
>>138
「聞くこと即ち信心」で、全く構いませんよ。その通りであると思います。
具体的なことは、次第相承の善知識にお聞き下さい。
141298:2008/03/18(火) 18:52:12 ID:jV2hNLLP
>>139
信心いただく前は不如実であるのですから、信をいただけるような念仏が如実なのでは
ありませんか?

如実な念仏を行う、ということではないのでしょうか?
142笑いのマートル:2008/03/18(火) 18:53:03 ID:1InUWTsV
南無阿弥陀仏を丸貰いすれば、自然と歓びが出て来ます。
歓ぶなと言われても、歓びが出て来ます。
まっ、南無阿弥陀仏は、十方衆生を凡て救うのが目的ですから、
いつかは、ココで反発している人とも、極楽でお会いする事でしょう。
143298:2008/03/18(火) 18:54:00 ID:jV2hNLLP
>>142
その「いつかは」というのは、きっと、ものすごく雄大な話ですよね?
押しつけようがありませんから、仕方ありませんけれども、
はやく、みなさん、いただけるといいなと思います。
144神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 18:55:10 ID:4pZAMglp
>>135
>「お前は頂けたんだぞ、よろこべ、味わえ」という言い方だと、押し付けがましい感じですけれども、
>せっかく素晴しいものをいただいて、感謝できなければ、もったいないでしょう?

凡夫の体験、自覚を重視するわけではありませんが…
本当に素晴らしいものを頂けば、「もったいない」もなにも、本人が喜ばずにいられない、
喜んでも喜びきれないものです。

信心獲得は、本人と、阿弥陀様の間のこと。
他人様から見てわかるものでも、他人様から、「貴方は頂いたんですよ」と
言われるものでもありません。

>「聞」とは、「弥陀をたのむ」ということでしょう?

たのむ、という言葉を「お願いする」と言う意味で使っておられる限り、違いますね。
145笑いのマートル:2008/03/18(火) 18:57:58 ID:1InUWTsV
そうです。
どのくらい先になるのでしょうね?
遠い未来の近い話ですよ。
極楽の時間と人間界の時間じゃ違いますから・・・
私は、どのくらい阿弥陀仏のお手を煩わせて今に至ったのでしょうね?
146神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 19:03:53 ID:64NyrJ1o
頂いた、頂けたという心で満タンですね。
147神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 19:08:01 ID:4pZAMglp
>>141
>如実な念仏を行う、ということではないのでしょうか?

ちがいます。
信いただいて初めて、如実な念仏を称えさせて頂くことができます。
だから信心為本、です。
298さんの言われることは、順序が完全に逆転しています。
むしろそれは浄土宗でしょうか。

>>143
>はやく、みなさん、いただけるといいなと思います。

なんといいましょうか、教えが完全に違うのですから…

例えば浄土真宗のみ教えを信じる人に、キリスト教を信じておられる人が、
貴方も早く神を信じられるようになれればよいですね、と言っているような感じです。
148神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 19:28:59 ID:4pZAMglp
二十願の世界に生きておられるのであれば、誠に尊いこととは思います。
ただ、それを十八願の世界としてここですすめられるのは、間違ったことです。

…それでも、>>13さんが既に言われているように、話せば話すほど、
矛盾を示せば示すほど、ご自分たちの教えに固執されるのでしょうね。
もともと、ひとりひとりのしのぎですし、自分でわかるしかない。

往生のことは、他人に頼っても自分の心に頼ってもだめ。この世で、
たよりにしてよいのは、阿弥陀仏のご本願のみです。

聞即信の一念で、生死流転の凡夫が私であったとはっきりわかり(機の深信)、
同時に、その私を助けてくださる阿弥陀様のご本願にまちがいないとはっきりわかり(法の深信)、
一切の疑いがなくなり、南無(たのむ機)阿弥陀仏(助ける法)の御六字の中に、
仏凡一体とならせていただけるのです。
すべて、阿弥陀仏のおひとりばたらきです。

この火宅無常の世に、阿弥陀仏の無量の光明に包まれ守られて、
喜び一杯に生かされて往くとは、本当に、三千世界の果報者ですね。
そして一息切れたら極楽往生、仏の悟りをひらけばすぐにこの世に戻り、
衆生済度のお手伝いをさせて頂けるのです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
149笑いのマートル:2008/03/18(火) 19:40:04 ID:1InUWTsV
今まで矛盾に感じていた事も、
信を獲れば、なるほどこう言う事だったのか、
と合点が行く話なんですけれどねぇ。
信を獲った人には、矛盾がなくなる。
信を獲らない人間には、矛盾だらけな教えだと思います。
まぁ、世の中、独りよがりですから。
150298:2008/03/18(火) 20:02:21 ID:jV2hNLLP
>>147
>298さんの言われることは、順序が完全に逆転しています。
>むしろそれは浄土宗でしょうか。

法然聖人のお念仏と、親鸞聖人のお念仏は、同じだと思いますよ。
1517:2008/03/18(火) 20:06:50 ID:eyr5tUF9
どんなことがハッキリしようとも、お聖教に合わねば真宗とは違う何か別の信心だと思います。
自分がどんな体験をしようとも、御文さまという信心の鏡とピッタリあうか、それが真宗かどうかだと思います。
南无阿彌陀佛
152298:2008/03/18(火) 20:09:46 ID:jV2hNLLP
信を獲るのもお念仏、信後の報謝もお念仏、
本当にありがたいことだと、思っています。

お念仏は、不思議なことなんです。
そして、その「不思議」というのが、世間で一般に言う「不思議」とは、
ちょっと異なる感じの不思議です。

よろこびの心が出て来ることも、不思議です。
なぜ、よろこびが出てくるんだろうと、不思議なのです。
あっと言う間に、心の状態が変わってしまいます。

信じられないでしょうね。

私は、信じられるものに出会えて、うれしいです。

別のことを信じている方も、その方が、信じてうれしいのであれば、
それも、尊いと思います。

しあわせになることが、大切ですからね。

苦しむための信仰では、ありませんから。

世の中には、いろいろな教えがあって、このスレを見ても、「真宗」と名乗るものでも、
さらにいろいろとあるとわかります。

お聖教の同じ箇所にも、いろいろな解釈がありますね。

末法にあって、現証が獲られるこの教えは、本当に尊いと、
私はよろこぶのです。

南无阿彌陀佛
153298:2008/03/18(火) 20:13:08 ID:jV2hNLLP
>>151
御文様は、実にありがたいですね。
むずかしいお聖教を、凡夫にもわかるように、噛み砕いて書いてくださっています。
信をいただけば、正に鏡であると、ますますうれしくなりますし、
信前とは読み方が変わり、加護力を獲て、お聖教を読める身になったことが、
わかりますよね。
自力でいくら解釈しても、ずれてしまうことも、納得がゆくわけです。
ありがたいことです。
南无阿彌陀佛
154298:2008/03/18(火) 20:20:44 ID:jV2hNLLP
>>144
>>「聞」とは、「弥陀をたのむ」ということでしょう?
>たのむ、という言葉を「お願いする」と言う意味で使っておられる限り、違いますね。

これは、私が誤解を招く書き方をしているんだな、と思います。
古語の下二段活用には、使役の意味が含まれることがあって、
ここでは、如来の回向が含意されていると思うんですよね。

ただそれを、現代語にそのまま移すことがむずかしいですから、
「御願いします」という意味にも取れる感じで、
確かに私は書いてしまっています。

それは、なぜかと言えば、いずれにしても、まずは自力で「御願いします」と
たのむ(「お願いします」の意)からです。

これによって、「弥陀をたのむ」という、「弥陀をたよりにする」ということが回向されまして、
信心いただけるからなんです。(これは、「お願いします」とは、違います。)

ですから、教学的なことはさておき、信を獲るための理解としては、
「弥陀にお願いするんですよ」で、さほど問題がないと思いますよ。

ですけど、こう聞いて、ひとりで一生懸命お願いしても、それは違いますからね。

その誤解を避けるためには、「自力でお願いしても、むなしいことですよ」と言うことも、
親切なことです。

一生懸命に、お内仏に、ひとりで、「信を獲らせてください、御願いします」と、
頭を下げても、そこでは獲信しないと思います。

もちろん、弥陀に御願いすれば、導いてくださると思います。

実際に獲信するときには、次第相承の善知識から、六字のいわれを聞くことになると思います。
155298:2008/03/18(火) 20:21:47 ID:jV2hNLLP
>>145
仏教は、雄大な教えですよね・・・
私もここに至るまで、相当なお世話になってきたのだと思います。
こんな頑固者が、よく信じられたものです。
ありがたいと思っています。
156298:2008/03/18(火) 20:34:51 ID:jV2hNLLP
>>154
どうも、うまく書けていないような気がしますね・・・
念仏為先、信心為先が、両立するような、お念仏をするということなんです。
信をいただけるお念仏、一念にて、信が生まれるお念仏です。
15799:2008/03/18(火) 21:05:38 ID:Eja5nHs7
御文には「念仏行者」とでてきますよね。
「聞法行者」や「聞法者」とも聞かない。変換もできない。
もちろん聞法は大切なのは間違いないですが。
親鸞聖人や蓮如上人は、信心を得てから念仏を称えたのか、
念仏を称えながら、そのうち信心を得たのか。

聖人方のされた方を真似てみたいのですが、後者ですよね。普通に考えて。
158298:2008/03/18(火) 21:14:38 ID:jV2hNLLP
>>157
聞法と称名についてですが、行巻を見ると、引文と御自釈の関係として、
書いてあるように思っております。

信を獲られる聞法とは、称名であり、また単なる聞ではなく、見聞であります。

>念仏を称えながら、そのうち信心を得たのか。

「念仏を称えながら、そのうち」というよりも、「一念の念仏で信むまる」であると思います。

つまり、たった一度のお念仏で、信心をいただけるのです。

そのようなお念仏、聖人方のされた方が、今に至るまで伝わっておりまして、
その法を伝えてくださる方を、次第相承の善知識として、
私はありがたく思っております。

一度のお念仏で信をいただきまして、その後は、
信をいただいたことをよろこんでゆきます、御恩報謝のお念仏となると思います。

南无阿彌陀佛
159298:2008/03/18(火) 21:19:36 ID:jV2hNLLP
>>157

御文様であれば、

◎「その名号を聞く」といへるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実にきくにあらず、
善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、
かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり。これを『経』に「信心歓喜」と説かれたり。
これによりて、南無阿弥陀仏の体は、われらをたすけたまへるすがたぞとこころうべきなり。
かやうにこころえてのちは、行住坐臥に口にとなふる称名をば、
ただ弥陀如来のたすけまします御恩を報じたてまつる念仏ぞとこころうべし。
これをもつて信心決定して極楽に往生する他力の念仏の行者とは申すべきものなり(御文1-15)

ここに、「聞く」と「たのむ」の関係が書いてあると思います。

信をいただけば、本当にありがたくいただける箇所でございます。

尊いことです。正に、鏡でございます。

南无阿彌陀佛
16099:2008/03/18(火) 21:34:11 ID:Eja5nHs7
>信を獲られる聞法とは、称名であり、また単なる聞ではなく、見聞であります

ちょっと、意味が、イマイチ、伝わりません。すいません。

>そのようなお念仏、聖人方のされた方が、今に至るまで伝わっておりまして

そこから先が、気になりますが。どんな感じでしょう。ここでは書けないってのはナシで。

>「念仏を称えながら、そのうち」というよりも、「一念の念仏で信むまる」であると思います

百発百中、一発一中なんでしょうか。それとも数うちゃ当たるほうでしょうか。
変な書き方ですいません。
161298:2008/03/18(火) 21:35:30 ID:jV2hNLLP
>>160
>百発百中、一発一中なんでしょうか。それとも数うちゃ当たるほうでしょうか。

「百発百中、一発一中」のほうです。

こちらのスレの過去ログは、お読みになっていますか?
16299:2008/03/18(火) 21:45:47 ID:Eja5nHs7
>>161
過去ログはところどころかじって、全部は見てません。

そうすると、無駄な弾は撃たなかったわけですか。
つまり信を得てからの念仏であって、信を得るための念仏ではない、と。
ならば、念仏は何のために称えるのですか。
163298:2008/03/18(火) 22:07:21 ID:jV2hNLLP
>>162
無駄な弾は、私は打ちましたよ。
それは、「一念にて信が生まれる念仏がある」ということは、
教義から推測したとしても、その方法が、わかりませんでしたから。
そのような方法に出会えることを念じながらも、
他に何をやったらいいかわからないですから、
「南无阿彌陀佛」を言っていました。
ただ、私はこの時期は、何をやっていいかわからないですから、
他の「南無」も言っていました。(「南無観世音大菩薩」「南無八幡大菩薩」等)
そして、やっと次第相承の善知識に出会えまして、
一念にて信が生まれる念仏のことを教えていただくことができたから、
信を獲ることができたのです。
どうしたら縁がつながるか、わからなかったですけれども、
実際こうやって、縁をいただくことができました。
ですから、「無駄な弾」と書きましたけれども、それは、お返事としての表現であって、
決して無駄ではなかったと、如来から導きをいただいたと、信じている次第です。
南无阿彌陀佛
164神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 22:14:54 ID:64NyrJ1o
観音様にお願いするのはわかるとしても
なぜ八幡様だったのでしょう。本地佛が阿弥陀如来だから?
165298:2008/03/18(火) 22:18:32 ID:jV2hNLLP
>>164
本地が阿弥陀如来というのは、私は信をいただいてから知りました。
私の名付け親は、八幡様と聞いていましたから(母が地元の八幡様に、
名前を聞きに言ったそうです)、ご縁があると思い、
助けをお願いしたのです。
16699:2008/03/18(火) 22:19:28 ID:Eja5nHs7
無駄な弾でもいいから撃ちなさい、つまり、自力でいいから念仏しなさい。
そう言ってくれる人が善知識だとおもいます。それ以上は仏の仕事かな、と。

ありがとうございました。
167298:2008/03/18(火) 22:20:17 ID:jV2hNLLP
>>164
神宮にも足を運びました。
何が有効だったのか、わかりませんけれども、
とにかく無事、信をいただけて、うれしいです。
168298:2008/03/18(火) 22:21:18 ID:jV2hNLLP
>>166
そうですね、人知では、わからないことだと思います。
信をいただけることを、願っております。
南无阿彌陀佛
169298:2008/03/18(火) 22:33:51 ID:jV2hNLLP
>>12
実際には心得ていないのに、「心得た」と言う人が、多いからだと思います。
170笑いのマートル:2008/03/18(火) 22:40:45 ID:1InUWTsV
念仏を口で称えると解釈している間は、理解できないと思います。
念仏は、この身体に聞かしめるものです。
人の言った通りに行動する事も、聞くと云う言葉を使うと思います。
171298:2008/03/18(火) 22:55:26 ID:jV2hNLLP
>>104
私が覚えていようが忘れていようが、信心決定に変わりはないですよ。
だからこそ、安心なのです。覚えていようとすることは、これはこれで、また大変ですよね。
もちろん、意識がある間は、御恩報謝の南無阿弥陀仏を、やってゆきたいと思っています。
しかし、いつまでも意識があるとも、限りませんしね。
信心の体は、あくまでも、南无阿彌陀佛。だからこそ、安心です。
念仏衆生摂取不捨。六字をたのむすがたを知れば、これで極楽往生治定と存じます。
172298:2008/03/18(火) 23:21:58 ID:jV2hNLLP
「信を獲たいなあ」と思うだけで、もう、かなりのお育てにあっているのだと思います。
死後への不安をなくすだけなら、信を獲らなくても、いいわけですから。
なぜかはわからないけれども、南無阿弥陀仏の信をいただきたいと、
そう思う方は、もう、かなりの宿善を積まれた方なのだと、私は思っております。
ですから、そのような方が、今生にて信を獲ることを望んでゆけば、
必ず導かれるだろうと思うのです。
南无阿彌陀佛
173神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 23:23:20 ID:Lo+G+kib
>140
構いませんよって・・・。あなたは、
>「聞」とは、「南无阿彌陀佛と一体になる」ということなのです。
>これにより、信をいただきます。 って言ってるじゃん。これによりって事は、聞によって、信をいただくって
意味だよね。次第があるんだから、聞即信じゃないよ、あなたの意見は。
あと、「聞」とは「南無阿弥陀仏と一体になる」って
どっかに親鸞聖人は言われてますか?
一体になったと凡情ではからったら、えらいこっちゃ。
仏心を凡心で、てづかみにする事になっちゃう。
俺は南無阿弥陀仏と一体になったんだーって、自分に価値を置くようになる。
それって、自力ですよ。煩悩の化け物即ち自分に、
南無阿弥陀仏を従属させてるんだから。それは、我が心をたのむ人だよ。
それから、具体的に説明できないで、善知識にたのむなら、
あなたはよく解ってないんだよ。正に「善知識だのみ」の典型だね。
174神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 23:35:59 ID:Lo+G+kib
>142
俺は喜ぶななんて、言ってないけどね。
喜び心・快楽に身をまかす人は、喜びが煩悩の所作である事も
受け取れないのかなー。あてにならない喜びより、弥陀たのめ。
ちなみに、予言しとくけど、自然と喜び心が出るなんて事、
いつかどっかいっちゃうよ。何年後かは知らないけど。
その日をお楽しみに!
175298:2008/03/18(火) 23:37:47 ID:jV2hNLLP
>>173
具体的な説明は、私たちは、しないんです。
なぜなら、それは、善知識の役目であるからです。
分を超えたことは、致しません。

「南无阿彌陀佛と一体」という言い方は、「機法一体の南無阿弥陀仏」の言い換えです。

この言い換えには、大きな問題があるということでしょうか?

次第によって聞くのですから、そして、聞くときに信をいただくのですから、
聞即信であると思いますよ。

聞を離れた信もありませんし、南无阿彌陀佛を離れた信も無いと思っております。

どうして、我が心をたのむことになってしまうのかも、よくわからないことです。

私たちは、あくまでも、南无阿彌陀佛によって、弥陀をたのむのですから。

善知識も、同じく、弥陀をたのむのですよ。

善知識をたのんでも、信をいただけません。

◎そもそも善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、
ひとをすすむべきばかりなり(御文2-11)

の通りです。

南无阿彌陀佛
176神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 23:49:59 ID:Lo+G+kib
>172
無理無理。自力の殻に閉じ込められるだけだよ。
求不得苦が真実なのに、求めて得られたなんて錯覚したら、
不真実の殻に閉じこもる事になる。凡夫の求め心なんて、
阿弥陀さまは必要としてないし、そんな自力心で建立された信心は
浄土の因にはならないよ。因不浄だから、果も不浄。
南無阿弥陀仏は必ず助ける心の固まりで出来てますと聞けば、
求めなくとも、自然に真如の門に入るのさ。大体、求めるって事は、
必ず助けるという誓いを疑ってるから、
他になんかあんじゃねーのかって、求めるのさ。
177298:2008/03/18(火) 23:56:19 ID:jV2hNLLP
>>176
確かに、阿弥陀様は、凡夫の求め心なんか、必要としていないと思います。
弥陀をたのめば、もれなく救ってくださいます。

>南無阿弥陀仏は必ず助ける心の固まりで出来てますと聞けば、
>求めなくとも、自然に真如の門に入るのさ。

ということは、>>176の書き込みを読んだ方は、もう全員救われているということですか?

おっしゃっていることが、よくわからないんですよね。
どなたも救われるようなお書きぶりに思えるのに、
ひたすら否定してゆきますよね。

結局、誰が救われているんですか? それとも、誰が救われているか、
わからないというお考えなのでしょうか?
178神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 23:56:51 ID:Lo+G+kib
>175
即じゃないでしょ、聞いて信心決定するのだから。
聞くがそのまんま信心じゃないって事。
機法一体は違うよ、南無阿弥陀仏と一体になる事じゃありません。
それよか、南無阿弥陀仏と一体になるのが聞だって、
親鸞聖人は何処に仰ってます?
179神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 00:01:44 ID:Lo+G+kib
>177
っていうか、誰が救われてるかなんて、なんでそんな事に興味があるの?
救われてる確証が欲しいのかな?南無阿弥陀仏しかないのに。
自分の欲望に弥陀を従属させるなよ。
180298:2008/03/19(水) 00:13:25 ID:WE71zY6h
>>179
私とあなた様とは考え方が違うみたいですから、
あなた様の考え方を、知りたいと思ったからです。

あなた様の書き込みは、他者否定が多いですよね。
否定するということは、「あなたは、救われていないよ」という意味で
書いているのでは、ないのですか?

否定はするけれども、「それでもあなたも救われているんだよ」
という意味なのでしょうか?
181298:2008/03/19(水) 00:21:22 ID:WE71zY6h
駄目駄目だけでは救われないと、私は思います。
確かに、如実修行相応でなければ、救われないだろうと思います。
ですけれども、「如実修行相応とは何か」が教えられないのであれば、
絵に描いた餅になってしまいますし、かえって相手の方を苦しめることにも
なりかねません。
あくまでも、救いがあることが大切であると思っております。
自力の道をのぼる方も、はるか先には滅度があるということで、
がんばっていらっしゃるのだと思います。
182298:2008/03/19(水) 00:27:19 ID:WE71zY6h
「それではダメ」ということを教えるよりも、「こうすれば、いいんですよ」ということを
教える方が、親切であると思います。
もし、「それではダメ」と教えるにしても、「こうすれば、いいんですよ」とセットで教えて、
あくまでも、「こうすれば、いいんですよ。でも、それは、こういう意味ではないんですよ」
ということで、誤解を少なくするためのものにするのが、良いことだと思っています。
183神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 00:37:23 ID:nD75FWkv
>180
あなたが信心決定してるのかしてないのかなんて、凡夫の私に解るわけないよ。
往生はひとりのしのぎだし。信心を一般論化して、だからあなたは救われてる、
だからあなたは救われてないだとか、この人は善知識であって、
あの人は善知識じゃないなんて分別働かせる事自体、
凡夫の妄念に過ぎないから。ただね、一つだけ凡夫の妄念で造られたものでないのは、
弥陀が私を必ず救うと真実心で拵えた誓い。真実心の中に行ったご修行。
真実心の成果である、私の往生。それだけ。即ち南無阿弥陀仏だけって事。
正しくたのむ方法だとか、南無阿弥陀仏と一体となった煩悩が造る感覚なんて、
何処をとっても、真実心じゃない。
なぜなら、阿弥陀さまの若不生者のお心じゃないから。
全く必要なし。ってか、自力のお荷物です。
184298:2008/03/19(水) 00:40:51 ID:WE71zY6h
>>183
>あなたが信心決定してるのかしてないのかなんて、凡夫の私に解るわけないよ。

本当に、そう思っていらっしゃるのですか?
そのわりには、強気でなにかと否定なさっているように思えます。
もし、「分からない」ということでしたら、もう少し、言い方がソフトになるのでは・・・
わかる立場から、私に対して、「あなたはわかっていない」と、
お説教されているように思います。

もし、「分からない」ということでしたら、私が信決定しているという可能性も、
あなた様は、認めているわけでしょう?
185神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 00:47:50 ID:nD75FWkv
>182
こうすればいいって教えるなんて、自力以外のなにものでもないよ。
そう教わった人は自力になるのは当たり前。
こうすればいいって言う「はからい」に根をおろしちゃうから、
自らの、もしくは他者の、こうすればおっけーさっていう、
自力の奴隷になる。凡夫にオッケーなんか無いよ。どこまでいっても、
私が常没流転なのは変わりない。現に今も煩悩造ってるからね。
そんな煩悩で造ったオッケーなんて、欺瞞ですね。即ち自力。
186298:2008/03/19(水) 00:51:38 ID:WE71zY6h
>>185
>そう教わった人は自力になるのは当たり前。

これは、「そう教わった人は、信決定していない」つまり、
「信心決定しているかどうかわかる」という意味ではないのですか?

それとも、「そう教わった人」の中にも、他力信を決定している人が、
いるかもしれないということですか?
187神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 00:53:11 ID:nD75FWkv
>184
俺に媚び売って何になるの?自己防衛欲?
そんなの後生大事にするよりも、阿弥陀さまの必ず救うが本ですねー。
おやすみ、南無阿弥陀仏
188298:2008/03/19(水) 00:55:57 ID:WE71zY6h
>>187
媚を売っているのではなくて、私は、あなた様の考え方には、
おかしいところがあると思っているのです。

自力自力と他を否定するわりには、
ご自身を肯定していらっしゃるように、見えるからです。

あなた様が書いていることは、すべて自力でしょう?
違うのでしょうか?

他を否定するときには、「自力だ」と否定し、
ご自身の自力は肯定する。

そのようなごまかしではなく、凡夫が一度で信決定できる、
真実行たる南无阿彌陀佛があるということが、
私が繰り返し書いていることなのです。

他力信は、現実に、決定できるのです。

南无阿彌陀佛
189神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 00:57:01 ID:nD75FWkv
だから、そんな事知ってどうするの?
知り顔のていになるだけだから、やめとけやめとけ。
弥陀が私を救うに一ミリのくるいもない。私は死ぬまでくるいでしかない。
南無阿弥陀仏
190298:2008/03/19(水) 00:58:03 ID:WE71zY6h
>>189
真宗は、平生業成の御宗旨でしょう?
そのための方法が、あるということです。
191神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 01:01:46 ID:nD75FWkv
いいかげん、はからいやめて弥陀にまかせな。
方法なんて無いんだよ。弥陀の助けたい一心だけだよ。
信心に二心なんかありえないんです。寝るね。
192298:2008/03/19(水) 01:02:08 ID:WE71zY6h
>>174
お講には、信を獲てから何十年も経ている方が、幾人もいらっしゃいます。
おそらく、あなた様の年齢以上に、後念相続をされている方も、
いると思いますよ。

私は、あなた様の書き込みよりは、そういう方々の経験を、信じます。

実際に、信を獲て、死んでいった方々がいる。

それが、歴史のあることの素晴らしさです。

南无阿彌陀佛
193298:2008/03/19(水) 01:03:30 ID:WE71zY6h
>>191
おやすみなさい。

ですけれど、私は、はからいやめて弥陀にまかせたと思っていますから、
話が合わないんですよね・・・
194298:2008/03/19(水) 01:12:33 ID:WE71zY6h
>>191
考え方は違いますが、真宗について対話ができるだけでも、
私は、ありがたく思っています。

弥陀の助けたい一心を、凡夫が受ける方法があると、
私は思っています。

南无阿彌陀佛
195神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 01:30:15 ID:erzK8oKG
丁寧に解説して頂いてありがとうございます。

>>154
>それは、なぜかと言えば、いずれにしても、まずは自力で「御願いします」と
>たのむ(「お願いします」の意)からです。

ここがどうしても、自力が信を獲る役に立つ、となっているところなんですよね。
浄土真宗の、一切が他力の信心獲得とは、違うところです。

>>156
>念仏為先、信心為先が、両立するような、お念仏をするということなんです。

…このようなことが、お聖教のどこに書かれていますか?

>>151
>どんなことがハッキリしようとも、お聖教に合わねば真宗とは違う何か別の信心だと思います。
>自分がどんな体験をしようとも、御文さまという信心の鏡とピッタリあうか、それが真宗かどうかだと思います。

それでは、298さんたちの信心は、真宗の信心とは違う別の何かですね。
機の深信が、ないと仰るのですから。

繰り返しになりますが、
真宗の信心と違うことを、お聖教に書いていないことを、ここですすめるのは間違ったことと思いますよ。
196神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 02:28:25 ID:erzK8oKG
煩悩しかない凡夫、過去も今も三業でつくる因すべて三途の川行きの、ばけものです。
それがいくらがんばって「正しいお念仏」称えたところで、そんなもので、
阿弥陀仏が清浄なみこころで、兆歳永劫のご苦労をなされて作ってくださった
南無阿弥陀仏の大功徳を頂くことは、絶対にできません。

ともかく、298さんたちも、はやく正しい一実円満の真宗のみ教えを聞き、
他力の信心いただかれてくださいな。

真実の阿弥陀仏の、大慈大悲のみこころのなかにおさめとられてしまえば、
「正しいたのみ方をしなければ」、などというせこせこした考えは、きれいさっぱりなくなります。
本当にただのただ、そのままというのは本当にそのままなのです。

そのためには、とにかく阿弥陀仏のご本願を聞いて聞いて聞きぬくこと。
我が身の腹底に、阿弥陀仏のお声が届いてくださるまで、あきらめないこと。

何しろ邪見驕慢の悪衆生、聞き抜くまでは難中の難ですが、
ひとたび無明の闇やぶっていただき、摂取の光明のなかにおさめとられれば、
つねに仏様の光明が包み守り、必ずお浄土へと連れて行ってくださいますから、
易行というもいらない易さです。

不可称不可説不可思議の、阿弥陀仏のご本願。
信を頂いてみれば、わかります。「正しいたのみ方」など、卑小な凡夫が卑小な頭で
考え出した、自力の逃げ道でしかない、ということが。
197298:2008/03/19(水) 02:45:22 ID:WE71zY6h
>>196
>それがいくらがんばって「正しいお念仏」称えたところで、そんなもので、
>阿弥陀仏が清浄なみこころで、兆歳永劫のご苦労をなされて作ってくださった
>南無阿弥陀仏の大功徳を頂くことは、絶対にできません。

しかし、往生の業は、念仏為本ですよ。
念仏為本まで、否定なさるのですか?

◎正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。
称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに(選択集)

◎一心に弥陀の名号を専念する、是を正定の業と名づく(略本)

というお示しもあります。

それに、正しい念仏は、がんばるようなものではありませんよ。
あくまでも、易行です。

>そのためには、とにかく阿弥陀仏のご本願を聞いて聞いて聞きぬくこと。
>我が身の腹底に、阿弥陀仏のお声が届いてくださるまで、あきらめないこと。

本願聞くのは、カンタンだと思いますよ。
それに、一回でいいのです。

本願を聞くのは易行で、すぐに終わります。

南无阿彌陀佛
198298:2008/03/19(水) 02:46:55 ID:WE71zY6h
>>196
>「正しいたのみ方」など、卑小な凡夫が卑小な頭で
>考え出した、自力の逃げ道でしかない、ということが。

「正しいたのみ方」は、釈尊が伝えてくださったものです。
卑小な凡夫が卑小な頭で考え出したものでは、ありません。
だからこそ、教わらねばならないのですし、相承が大切なのです。

南无阿彌陀佛
199298:2008/03/19(水) 03:03:50 ID:WE71zY6h
本願を「聞く」というのは、うなずく、ハイと言う、
すなわち、首肯することが大切だと思っております。
200298:2008/03/19(水) 03:08:16 ID:WE71zY6h
>>196
相承が無いならば、「卑小な凡夫が卑小な頭で考え出したもの」になることは、
必定であると思います。

この自覚があるならば、相承無くして説くことは、できないと思うのです。

ですから、最終的には、次第相承の善知識に教わることが肝要であると思います。

もちろん、そこに導かれるまで、さまざまな仮の善知識のお世話になることも、
多いだろうと思います。

南无阿彌陀佛
201神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 09:23:08 ID:9ViVYg0W
>>177
> 確かに、阿弥陀様は、凡夫の求め心なんか、必要としていないと思います。
> 弥陀をたのめば、もれなく救ってくださいます。

多くの方が指摘している通り、あなたの矛盾が表れているでしょう?
「凡夫の求め心なんか、必要としていない」のに、
どうして、「弥陀をたのめば」ということは必要になるのですか?
正しいたのみ方があるというなら、「弥陀をたのめば」という心も捨て去ったたのみ方ですよ。
202神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 10:24:51 ID:nD75FWkv
>200
>>196
>相承が無いならば、「卑小な凡夫が卑小な頭で考え出したもの」になることは、
>必定であると思います。 >この自覚があるならば、相承無くして説くことは、できないと思うのです。
>ですから、最終的には、次第相承の善知識に教わることが肝要であると思います。
その相承(たのみ方)と言うのが、「卑小な凡夫が卑小な頭で考え出したもの」ではないと
どうしたら言えるんだろーね。「教行信証」にも無い「たのみ方」、
次第相承
と自称し(本当に親鸞聖人の教えを相承してるか証明不可能)、
特定の人物だけが教授する事を許される「たのみ方」
(その「たのみ方」自体、お聖教に根拠がない)。
何ひとつあてにならないじゃん。全然、お釈迦さまとは関係ないし、
親鸞聖人とも何の関係もないと言ってもおかしくないよね。
末世の凡夫は、しちめんどくさい物を造っては、自己防衛をはかる。
おれらの信心は本物だ、正統だと言って。自分の信心にまかせるんじゃなくて、
弥陀の必ず救うにまかせなさい。証明も出来ない凡夫のうわごと相承を
信ずるよりか、必ず助ける仏言に帰しましょ。
203298:2008/03/19(水) 10:37:44 ID:WE71zY6h
>>201
>正しいたのみ方があるというなら、「弥陀をたのめば」という心も捨て去ったたのみ方ですよ。

「正しいたのみ方」は、「『弥陀をたのめば』という心の捨て去り方」も含むのです。
すなわち、「自力の心のふりすて方」を含んでいるということです。

ですから、私たちは、「自力の心をふりすてよ」とは申しません。
「そんなことは、(自分では)できませんよ」と言います。
だからこそ、弥陀をたのむのですから。


>>202
あなた様の書き込みも、証明不可能、何ひとつあてになりませんよ。
あなた様も、全然お聖教を引きませんね。
私は、あなた様の書き込みよりは、お聖教を信用するのです。
他を否定するときは、「自分の信心にまかせるんじゃなくて」と言い、
ご自身の信心は肯定する、という構成が、相変わらずですね。
204笑いのマートル:2008/03/19(水) 10:51:03 ID:CpJBsoE7
たのむ心も出来ない我らの為に、『南無』と云う帰命をお与え下さいます。
たのむ心すら、南無阿弥陀仏よりの回向です。
元々たのむことすら出来ないのを承知で、
怠りなく五劫の思惟、兆歳永劫のご修行です。
凡てが、どうしたら、十方衆生が救えるかとお考え下さったものが、
突き詰めて、南無阿弥陀仏と云うものに篭められています。
人間でも簡単に出来る修行が、南無阿弥陀仏です。
自力での修行ではありません。
他人の力を借りての修行です。
ですから他力と言います。
では、他人の力とは?
次第相承の善知識にお任せしての南無阿弥陀仏の行となります。
自分では、お願いをする事すら出来ないから、善知識が必要となります。
これは、他力の大信心を頂いた人でないと理解できないと思います。
先ずは、この法を知りそうもない人に相尋ねて、善友を見つけ出し、
手を引かれて次第相承の善知識の下で頭を垂れ、
善知識の言葉をひしと聞き分け、信心を頂き、
信心の人とならしめさせて貰う事です。
信心をいただいた人にしか分からないんだよね。きっと・・・
205298:2008/03/19(水) 10:55:04 ID:WE71zY6h
>>202
それに、「たのみ方」というのは、「南无阿彌陀佛」なのですから、
もちろん、教行信証の行巻にも、載っていますよ。

そして、五念門、五正行に従うたのみ方ですから、
ひとつひとつ、お聖教に根拠がありますよ。

それだけでなく、現証があるから、次第に、納得してゆきます。

絵に描いた餅ではなく、体験できるものです。

教えの通り、一念にて、信をいただける。本当に不思議ですよ。

信をいただいてから拝読するお聖教は、また、格別なものです。

南无阿彌陀佛
206笑いのマートル:2008/03/19(水) 11:02:39 ID:CpJBsoE7
絵に書いた餅じゃありませんね。
御文章では、五重の義ですね。
他力の修行を体験。
善知識の言う言葉をしっかりと聞き分けて、
善知識の言う事を聞けば済む事です。
207298:2008/03/19(水) 11:05:03 ID:WE71zY6h
>>206
本当に、そうですね。
力強いお言葉、ありがとうございます。

南无阿彌陀佛
208笑いのマートル:2008/03/19(水) 11:13:33 ID:CpJBsoE7
事実を書いているだけですよ。
私自身は、お気楽極楽で好き勝手に書いているだけで、
実を言うと、御聖典も何も見ずに思った事を書いているだけなんですよ。
だから何の引用もない。
南無は、こちらからたのむモノではなく、
阿弥陀仏より御回向頂き、頼む機にさせてもらう。
たのむ機に仕上げてくれるのも、善知識の仕事ですね。
209298:2008/03/19(水) 11:17:33 ID:WE71zY6h
お気楽極楽は、いい言葉ですね。
さりげなく、本質をついているフレーズだと思います。
浄土参りに、深刻になる必要は、ないと思います。
私たちを救いたい、阿弥陀さまです。
たのむ衆生を、よろこんで、救ってくださるのですから。
210笑いのマートル:2008/03/19(水) 11:25:49 ID:CpJBsoE7
信心をいただいていない人間は、
深刻に自分を見つめなくてはならないと思いますよ。
信心をいただいたからこそお気楽でいられるだけです。
モトモト地獄に堕ちる身。
信じて地獄に堕ちても、もとある棲家に戻るだけ。
でも、もう戻りようのない身にさせて頂いた嬉しさよ。
それには、極楽を約束してくれた証拠があるからに。
親鸞聖人の待ちうけの証拠があるからに。
211神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 11:30:53 ID:v1bDE3X+
>>203
202さんではありませんが、
あなたは阿弥陀さんより先にあなたは善知識と思っている人を絶対化しています。
善知識も凡夫、そういう読み方をしないと202さんの言葉が分かりませんよ。

212神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 11:31:18 ID:v1bDE3X+
すべてよろづのことにつけて、往生にはかしこきおもひを具せずして、ただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、つねはおもひいだしまゐらすべし。
しかれば念仏も申され候ふ。
これ自然なり。
わがはからはざるを、自然と申すなり。
これすなはち他力にてまします。
しかるを、自然といふことの別にあるやうに、われ物しりがほにいふひとの候ふよし、うけたまはる、あさましく候ふ。 (歎異抄16章)

すべて、何事も、浄土に往生するということについては、こざかしい考えを捨て去って、ただただ心の底から、阿弥陀仏のご恩の深いことだけを、いつも思うようにするのがよい。
そうすれば、念仏も自然に称えられるようになる。
これこそが自然ということです。
自分であれこれと考えないことを自然という。
それを(すべてを阿弥陀仏におまかせするのを)他力という。
それなのに、自然という何か特別な道理があるように思って、自分はそれを知っていると言っている人がいると聞いている。
まことに、あさましいことです。 
213298:2008/03/19(水) 11:31:32 ID:WE71zY6h
それもまた、そうですね。
そうしないと、弥陀をたのむ気にならない方が、
多いだろうと思います。
自己観察は、良いことです。
同行と仲が良い方の場合は、
お手引きされて、そのまま気楽にたのむ場合も
あるだろうと思います。
気楽と言っても、真剣なんですけれども。
やっぱり、深刻と言った方が、わかりやすいでしょうか。
法に頭が下がる状態ということですね。
214298:2008/03/19(水) 11:33:22 ID:WE71zY6h
>>213は、>>210宛です。

>>211
善知識も、凡夫ですよ。
ですから、善知識も、済度は弥陀におまかせするのです。
あくまでも、信心くださるのは、阿弥陀さまですから。

南无阿彌陀佛
215神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 11:33:57 ID:v1bDE3X+
>>204
> 次第相承の善知識にお任せしての南無阿弥陀仏の行となります。
> 自分では、お願いをする事すら出来ないから、善知識が必要となります。

阿弥陀仏におまかせではないのでしょう?
善知識におまかせ。
気づきなさいよ。ご自分で。
216笑いのマートル:2008/03/19(水) 11:40:44 ID:CpJBsoE7
次第相承の善知識は、弥陀の代官ですから。
弥陀に代って弥陀のお手伝いでしょう。
善知識頼みとは、善知識の力によって極楽に参れると思う心だと思います。
私は、弥陀に南無阿弥陀仏をしただけです。
それには、挨拶の仕方すら分からないから、
それを知っている善知識にどうしたら良いか尋ねただけです。
217298:2008/03/19(水) 11:40:54 ID:WE71zY6h
>>212
私としては、歎異抄第十六条と、領解は合いますよ。

「ただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること」

なのですから、これは信後のお話でしょう?

「信心をよくこころえたる念仏行者」(御文5-15)になることが、大切だと思います。

自分では得られない信心を獲られたから、「阿弥陀様は、ありがたいなー」という実感が
出て参ります。

そして、善知識の御恩も、感じられます。

このような御恩を感じますと、お念仏申したくなりますね。

これを、自然と言っているのだと思います。

御恩報謝、佛恩報謝のお念仏の作法を示してくださっていると思います。

往生したくてお称えする念仏とは、違うのです。

まず、御恩を感じて、そして、お念仏申し上げます。このお念仏の味は、格別であると思います。

◎信心決定して念仏申すべきなり(御文3-4)

南无阿彌陀佛
218神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 11:42:47 ID:1bVmYEC6
自殺はいいんですか?
219298:2008/03/19(水) 11:46:57 ID:WE71zY6h
>>218
「いい」っていうのは、どういう意味なのでしょうか?
極楽往生治定したら、自殺でも、報土往生だと思います。

ですけれども、自殺すると、まわりの方が悲しみます。

佛恩報謝してゆけば、自殺するよりも、しばらく娑婆にいるのであれば、
ひとりでも多くの方に、ご縁いただいてほしいと思うことが多いだろうと思います。

生きる価値も、いただけると思います。

娑婆に執着する必要はなくても、仏法に価値はありますから。

まずは、何はともあれ、信をいただいてほしいですね。
220神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 11:48:48 ID:v1bDE3X+
>>217
> 往生したくてお称えする念仏とは、違うのです。
> まず、御恩を感じて、そして、お念仏申し上げます。

信心欲しくて弥陀をたのんでおいてよく言うよ。
言ってることがデタラメだぞ。

「自然という何か特別な道理があるように思って、自分はそれを知っていると言っている人がいると聞いている。
 まことに、あさましいことです。」
唯円さんが異端だと嘆いている一人があなたたちだと気づきなさいよ。
221298:2008/03/19(水) 11:50:36 ID:WE71zY6h
>>220
>信心欲しくて弥陀をたのんでおいてよく言うよ。
>言ってることがデタラメだぞ。

信心欲しくて弥陀をたのむのは、信前。
佛恩報謝のお念仏は、信後です。

デタラメでは、無いと思っております。

御恩を感じて、念仏申すとありがたい。
歎異鈔様のままであると、いただいております。

南无阿彌陀佛
222298:2008/03/19(水) 11:57:47 ID:WE71zY6h
>>219
こうは申しておりますが、信をいただいた後、何度も、「早く死にたいな」と
私は思いました。
それでも、こうして、今のところは、生きております。

南无阿彌陀佛
223298:2008/03/19(水) 11:59:59 ID:WE71zY6h
>>222
最近は、「仏法広めたいな」「仏法に生きたいな」ということで、
落ち着いてきております。
いずれにしても、命終を迎えることできるのですから、それを楽しみに、
阿弥陀様におまかせしたいと思っております。
これは、お講でみなさまに会えたおかげであると思い、
感謝しております。
224298:2008/03/19(水) 12:03:57 ID:WE71zY6h
>>220
唯円さんが異端だと嘆いていますのは、信後のはずなのに、「さらに秘密の法がある」のようなことを
言って、限りなくお金を取ってゆこうとする方々を諌めているのだと思いますよ。

念仏行者は、極楽往生治定なのです。

自身は、治定しているのですから、その後は、まわりの生命のために、活動するのだと思います。

南无阿彌陀佛
225神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 12:09:00 ID:mIl5p/j1
阿弥陀如来と大日如来、阿弥陀如来と釈迦如来の関係について教えてください。
また阿弥陀如来とキリスト教の神とでは、どちらが普遍的包括的な存在なのでしょうか?
226298:2008/03/19(水) 12:13:07 ID:WE71zY6h
>>225
阿弥陀如来が応現してくださったのが、釈迦如来です。
大日如来、キリスト教の神については、きちんとしたことを、私は知りません。

あなた様が、何を信じてゆくかが、あなた様にとりまして、大切なことであると思います。

帰依できる対象が、見つかることを願っております。

南无阿彌陀佛
227神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 12:14:15 ID:mIl5p/j1
チベット仏教にも阿弥陀如来信仰があるそうですが、
真宗の阿弥陀如来と同じ存在なのでしょうか?
228298:2008/03/19(水) 12:14:40 ID:WE71zY6h
>>227
同じかどうか、私は知りません。
229神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 12:17:03 ID:mIl5p/j1
>阿弥陀如来と大日如来、阿弥陀如来と釈迦如来の関係について教えてください。
>また阿弥陀如来とキリスト教の神とでは、どちらが普遍的包括的な存在なのでしょうか?

誰か知ってる人、いません?
230神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 12:18:02 ID:mIl5p/j1
>チベット仏教にも阿弥陀如来信仰があるそうですが、
>真宗の阿弥陀如来と同じ存在なのでしょうか?

名前は同じでも、中味が違うのでしょうか?
解る人、教えてください。

231神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 12:23:08 ID:mIl5p/j1
文学者の亀井勝一郎氏のように、
キリスト教の神と真宗の阿弥陀仏の両方とも信仰してもいいのでしょうか?
232神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 12:30:23 ID:mIl5p/j1
現代では一般的に、死んで魂は天国へ行くといいますが、
仏教の天上界と天国は同じところですか?
また、浄土と天国の関係はどうなっているのでしょうか?
233神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 12:43:22 ID:mIl5p/j1
薬師如来、アシュク如来、五智如来、多宝如来、不空成就如来、普賢王如来、宝生如来  
と阿弥陀如来との関係についても教えてください。
234渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/19(水) 13:05:17 ID:UOIzh5G2
>229
 これまで、僕は何度か書いたような気があるんだが、数年も前になる
から記憶ははっきりしない。よかったら、ここ
    ↓
  http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1179146870/l50
 で再度、問題提起してみて下さい。 僕は僕なりの考えを持っています。
妙好人スレは、趣旨が違うと思います。

 なお、キリスト教の神の本質については、キリスト教のスレで少し書いた
ことがある。仏教系のスレでは書いたことがない。
 そこも合わせて考えてみましょう。

 妙好人スレで僕は議論するつもりはありません。
235笑いのマートル:2008/03/19(水) 13:48:38 ID:CpJBsoE7
キリスト教は、天国に行くための教えだと聞きかじっています。
天上界と天国は同じだとも聞いた覚えがあります。
キリスト様はどうだか知りませんが、キリスト様の親であるエホバ様は、
未だにご修行中だと、エホバの証人の信者様がおっしゃっていました。
天には、三十三段あるそうです。
キリスト教にも地獄はあるらしいし・・・
アダムとイヴから人間が生まれたと言うのも納得いかないし・・・
進化論の方が納得いきます。
人間の始まりは、海からと云う方が納得いく。
極楽には、二百億?(確かな数字は忘れました。)の国土があり、
各々がお誓いを立てて、ご修行を成就してお建てになった国です。
阿弥陀仏は、西にお住まいだと言われています。
ご修行する前に法蔵菩薩の時に、凡ての国土を見て、良い所だけを取り、
五劫の間思惟し、お誓いを立てて、その為のご修行を兆歳永劫の間、
御修行をし、満願成就して十劫が経つと言われています。
阿弥陀仏は、阿弥陀と言うご修行をなされて、
満願成就して晴れて南無阿弥陀仏となられたと聞いています。
死んでみないと、ホントの所は分かりません。
死人に口無しで死者からは何も語られないし・・・
236298:2008/03/19(水) 13:49:12 ID:WE71zY6h
>>231
真宗では、阿彌陀佛は、本師本佛であると教えます。
ですから、諸佛諸神は、阿弥陀如来を讃嘆することを、
よろこぶという教えです。
信をいただいて、念仏行者となり、
南无阿彌陀佛を称えてゆけば、諸佛諸菩薩諸神の供養にもなると思います。

◎また諸神・諸仏・菩薩をもおろそかにすべからず。
これみな南無阿弥陀仏の六字のうちにこもれるがゆゑなり(御文2-6)

恒河沙といらっしゃる諸佛の供養をしてゆくことは、凡夫にはできませんので、
南無阿弥陀仏の中に込められて、易行となっているのだと思います。

(極楽に往生すれば、供養することができます。)

弥陀をたのむ方は、三恒河沙の諸佛のお世話になってきていますが、
凡夫には、どうやって感謝してよいのか、わかりません。

どちらの佛なのかも、よくわかりません。

しかし、それも、南無阿弥陀仏の中にこもっておりますので、
信後は、南無阿弥陀仏をお称えしてゆけば御恩報謝になるということが、
また、ありがたいことです。

それまで、他の信仰をしていて、阿弥陀様に導かれた方は、
そこの神様(あるいは、佛菩薩)が、阿弥陀様へと導いてくださったのだと、
感謝申し上げます。

南无阿彌陀佛
237神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 13:51:41 ID:nD75FWkv
>206
>他力の修行を体験。
>善知識の言う言葉をしっかりと聞き分けて、
>善知識の言う事を聞けば済む事です。
完全に自力じゃん。
もし、体験した他力の修行が間違った体験だとしたら?
しっかり聞分けたつもりだったけど、漏れがあったら?
それよりなにより、善知識だと信じてた人が、自力信を勧める人ったら?
どこかに過失があったら、浄土往生は叶わないよね。
自分は信心得たつもりになっていたけど、
実は、他力信心を決定してなかったって事になるんだから。
簡単に壊れてしまうもの、あてにならないものをたのんでいると、
それらの過失が生じるって事。
ところで、一番簡単に壊れてしまうものってなんだと思う?
今日ともしらず、明日ともしらぬ自分自身さ。
体験に基づいても風前の灯火。不壊なるものは仏心そのものだけ。
南無阿弥陀仏
238298:2008/03/19(水) 14:00:49 ID:WE71zY6h
>>237
それにしても、他者否定を続けながら、
相変わらず、ご自身の信は、自力と否定しませんね。

>不壊なるものは仏心そのものだけ。

この信は、自力信では、無いのですか?

疑問に、思われないのでしょうか?
239笑いのマートル:2008/03/19(水) 14:01:22 ID:CpJBsoE7
>237
善知識の言う事を聞き、善知識に頼まさせて頂くだけです。
自分と言う心はひとつもありません。
全てお任せの南無阿弥陀仏ですよ。
私自身では何一つ行っていません。
理解できないでしょうけれど・・・
240298:2008/03/19(水) 14:06:08 ID:WE71zY6h
>>238
>不壊なるものは仏心そのものだけ。

もちろん、私は、このことには同意致します。
肝心なのは、その仏心を、我が身にいただいたかどうかということだと思います。

「いただいたつもり」では、自身で想像し、思い込んでいるに過ぎません。

そして、凡夫はそこから出ることはできないのですから、
自身を検討することはあるにしても、
他者を否定するのも、おかしなものではありませんか?

ご自身の信仰を、表してゆけば、良いだけでは?

もちろん、私も、つい他者否定を為していると思いますので、
今後、ますます気をつけてゆきたいと思っております。

また、237様の信仰が、他者否定を推奨するものであれば、
それも、とやかく申せないかもしれません。

ですけれども、仏法者として、悪口を避けたいのは、
共通の認識なのでは無いでしょうか?

ひとりひとり、その方の道があると思っております。

南無阿弥陀仏
241神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 14:10:21 ID:7mL9ltVm
>>234
>妙好人スレで僕は議論するつもりはありません。

だったらキモヲタは二度とこのスレに来ないでね
242298:2008/03/19(水) 14:10:51 ID:WE71zY6h
それにしても、2chは、まるで托鉢行のようで、素晴しいですね。
243神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 16:38:08 ID:nD75FWkv
>239
ううん。よく理解できるよ。でも、そう思ってるのは、誰が思ってるのかな?
阿弥陀さまがそう思ってるのかな?
煩悩成就の凡夫を思っている主人は仏さまであって、あなたじゃない。
全く弥陀の心なんだから、信心は。
何が「はからい」か解りました?
244神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 16:58:50 ID:nD75FWkv
>240
いただいたつもりなのは、どっちなんだろ。俺はそんなことどっちでも構わないけど。
どうあがこうが、いただいたつもりしか出来ないのが凡夫。
ある体験をして、信心いただきましたと思っても、
体験自体が真実かどうかもわからない。確かめようがないからね。
また、思った私自体、そんなに信用できるものかねー。
一水四境。縄を蛇と錯覚する凡夫のいただき心なんて、
箸にも棒にもかからないじゃん。
さらに、いただいた物は本当に真実信心だったのかしら?
最近、巧妙になってきたニセブランド商品かもよ。
それを確かめる能力も知恵もない凡夫は、
最初っから、いただき心なんか捨てちゃって、
若不生者の誓願ひとつをたのみにしましょ。
245神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 17:39:55 ID:6rgWd9ve
重誓願成就
名声超十方 の

南無阿弥陀仏!
246神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 17:52:47 ID:nD75FWkv
>242
なんか支離滅裂だねー。凡夫ってのは、元来、自力好きでね、
自分の手柄にしたい、自分の物にしたい、俺の女になれーなんて、
今日び使わないようなセリフみたいな事を平素思って生きてんのさ。
他力信心は違うのね、全く仏心だから。仏心は阿弥陀仏の心、
それは、私の事を五劫のあいだ思って下さり、
決して捨てない、必ず救うという揺るぎない願成就の一心。
私の心にどう響いたか、あなたの心にどう感じられたか、
そんなの関係ねー。凡夫は経験や業縁によりみんな価値観も違ければ、
顔かたちも、グッとくるポイントも違うの。
おまけに我執・煩悩に狂ってるときてる。
心性もとより清けれど、この世にまことの人はない。
ならば、我がたのんだことも、我が心に響いたことも、
あなたが教えてもらったというたのみ方も、何ひとつあてにはならない。
ただ一向一心に弥陀たのめ。
247神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 18:35:27 ID:erzK8oKG
>>86
>ですけれども、どんな悪人でも救う阿弥陀さまですから、
>自分よりひどい方でも、救われてしまうのですからね。

 「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、
  『悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや』。 この条、一旦そのいはれあるに
 似たれども、本願他力の意趣にそむけり。」

298さんは、「世の人」レベルに留まっており、本願他力の意趣にそむいています。
これで、親鸞聖人と同じ信心、と思い込んでおられるようだから、不思議です。

浄土真宗の信心を頂くためには、お聖教に書かれていること以外には何も必要ありません。
お聖教にない、特別な「いわれ」を聞く必要もなければ、自力の「正しいたのみ方」を
誰かから教わる必要もありません。

ただ、阿弥陀仏のご本願を聞き開いて、わたしこそご本願のめあてだった、
と分からせて頂き、他力の信心頂いて、その本物の信心で
本物の阿弥陀仏を信じるがゆえに、まちがいなく救われる教えです。

他力の信心は、凡夫の頭で理解できるものではありません。
正しくたのめば信心いただける、というのは、凡夫のつたない頭で理解できるゆえに、
凡夫の考える範囲の、自力の信心です。
248神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 18:36:31 ID:erzK8oKG
>>208
>たのむ機に仕上げてくれるのも、善知識の仕事ですね。

嘘を言ってはいけません。善知識と言えど凡夫。
三世十方の諸仏がどうにもすることのできなかった、凡夫の機を
どうこうできるはずがないでしょう?
自力の信心だから、こんな心得違いをおこすのですよ。

たのむ機、すくう機、南無阿弥陀仏。
すべて、阿弥陀仏のおひとりばたらきです。
249神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 19:55:02 ID:erzK8oKG
>>197
あげられているのはいずれも信後のお念仏。
他力の信心いただくまえの凡夫は、どうやっても称えることができないものです。

それから、>>195でお尋ねしましたがもう一度。

>>156
>念仏為先、信心為先が、両立するような、お念仏をするということなんです。

このようなことが、お聖教のどこに書かれていますか?
250神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 20:07:26 ID:6rgWd9ve
聞き抜いて、腹の底に届くような奴なら、
ご本願は必要無いよ〜
251笑いのマートル:2008/03/19(水) 20:09:59 ID:CpJBsoE7
>248
どうすれば、他力の信心を得られるのでしょうか?
具体的にこうしなさいとお教え願いたい。
御文章には、
如来の教法を十方衆生に説き聞かしむる時は、
ただ如来の御代官を申しつるばかりなり。
善知識の下で弥陀の教法を聞き開き、一念帰命をしただけですが、
御文章が間違っているのでしょうか?
252神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 21:34:31 ID:erzK8oKG
>>251
御文章で、善知識とはどういうかたであると教えられていますか?
『一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし』と、すすめてくださるかたですね。
その原点に戻って、ほんとうの善知識をもとめてください。
身近にいないのであれば、お聖教を何度でも何度でも、読み破るほど
読み返してください。

他力の信心をどうすれば得られるか、御文章にはなんと書かれていますか?

『なにのやうもなく、わが身はあさましき罪ふかき身ぞとおもひて、
弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、もろもろの雑行をすてて
専修専念なれば、かならず遍照の光明のなかに摂め取られまゐらするなり。
これまことにわれらが往生の決定するすがたなり。』

「なにのやうもなく」であるのに、自分が他力の信心頂けていないのは、なぜか?

ご本願が、自分のことになっていないからです。よそごととしてしか、聞けていないのです。
一向専念無量寿仏をすすめてくださる善知識から、
阿弥陀仏のご本願をよくよく聞いてください。他人事でなく、自分のこととして。

かならず、真実の阿弥陀仏に遇わせて頂けますから。
253笑いのマートル:2008/03/19(水) 21:47:42 ID:CpJBsoE7
自分の事として、一向専念無量寿仏を勧めて下さる善知識から、
阿弥陀仏の御本願をよくよく聞き開きましたが・・・
一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと勧めても下さいました。
往生の決定する『すがた』も体験しましたが・・・
254神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 21:50:53 ID:erzK8oKG
>>250
>聞き抜いて、腹の底に届くような奴なら、
>ご本願は必要無いよ〜

聞き抜こうとしても聞けない私のための本願であった、とは、
阿弥陀仏の光明に照らし出されて初めて、分からせて頂く事です。
そのときはじめて、阿弥陀仏がご苦労くださったのは、この私のためだったと、
底知れない深きおやごころが身に染みて、御恩報謝のお念仏称えさせて頂けます。

いかに凡夫が迷い深く愚かなものでも、真実いっさい聞く耳もたないものでも、
阿弥陀仏はそれを見抜かれて、その凡夫をめあてに誓ってくださった、ご本願ですから。
そのお誓いの通りに、信楽の身にさせていただくときが必ず、きます。

本師本仏の阿弥陀仏のおちから、現在只今も、すべてのものを照らし育てて、
ものすごい本願力で、十八願の世界へと引きずっていってくださいます。
善知識方がおすすめくださるとおりに、後生の一大事をこころにかけて、
阿弥陀仏一仏へ、向かわせて頂きましょう。

無常の風のふかぬうちに、はやくはやく。
真実の親様は遠い過去から現在ただいまも、お呼びづめでいてくださいます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
255神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 21:56:26 ID:ZeDjD6ec
凡夫の頭で理解できることは何もないのならば、その分別もできない妄念のカタマリの凡夫が
それは自力だからダメだとか、あなたは間違っている、とか言うのもおかしい気がします。
「よくは判らないけど、賛成はできないなあ・・」程度の感想を持つのが適当なんじゃないかな。
凡夫の理解だ妄念だと言いながら、その妄念の頭で理解しようとしているんじゃないかなって
思ったりしてしまいます。
まあ、私もえらそうなことは言えないので、別にいいですけど。
256神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 22:02:43 ID:erzK8oKG
>>253
現実問題として他力の信心頂けていないということは、それらすべてが
「つもり」だったということです。「つもり」で後生は乗り切れません。

自力いっさい間に合わなかったとは、
大慈大悲の阿弥陀仏の真実心におさめとられたとき、はっきりと
わからせて頂くことですが…。

その前でも、ご自分でわかるはずです。
機の深信もない。三願転入もない。悪人正機がわかっていない。
信後のお念仏を、信前に称えられると思っている。
善知識が、たのむ機にしてくれたと思っている。

どこをとっても、298さんたちの教えの信心は、
浄土真宗の他力の信心では、ないんですよ。
257250:2008/03/19(水) 22:10:39 ID:6rgWd9ve
>254さんの言う内容は、私と同じです。
二種深信は一心

如来の真実心
258神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 22:17:52 ID:erzK8oKG
>>255
>凡夫の頭で理解できることは何もないのならば、その分別もできない妄念のカタマリの凡夫が
>それは自力だからダメだとか、あなたは間違っている、とか言うのもおかしい気がします。

ごもっともですね。
仏とも法ともわからない凡夫同士が、何を言い合っても本当に、そらごと、たわごとばかりです。

それでも、阿弥陀仏の本願について話をさせて頂くことは、意味のあることだと思います。
それだけはたったひとつ、「まこと」ですから。
※その前提がなければ、そもそもこのスレッド自体に書き込むことが無意味です。
259神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 22:24:23 ID:Boy9RVg0
>>233
如来様の功徳が神通力となって行者のむねに届くのです。
これが回向です。何が回向されるのかといえば願・行の仏果なのですが、
これがどのようにして行者に届くのか。神通力としかいいようがないです。
260神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 22:26:36 ID:Boy9RVg0
如来の代官といわれる善知識さまは
この神通力をお取次ぎされるのだと思います。
261神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 22:31:08 ID:Boy9RVg0
>往生の決定する『すがた』も体験しましたが・・・
一発必中、百発百中で獲信できるということは
善知識さまが如来さまの無上仏果を間違いなく
行者にもたらすことが出来るということです。
まさに神通力。今生にて神通方便もて衆生を済度されている
ということになります。

262神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 23:37:29 ID:nD75FWkv
>254
弥陀一仏に向かわせていただきましょうって、何処に向かうおつもり?
嘘つき勧誘にでも向かうのかしら?迷惑な話。
大体、法蔵菩薩は、阿弥陀という名をどうして名乗ったんだと思う?
君の仏様は、私に向かって来る健脚な者を救いとる仏と名乗るべきで、
阿弥陀とは名付けられないね。名義不相応の仏なんて仏とは言えないよー。
263神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 23:38:26 ID:erzK8oKG
>>261
298さんと同じ教えを信じるかたですか?
「六字のいわれを聞き開く」の正体が、善知識の神通力というわけでしょうか。
これはどうみても浄土真宗じゃないのですが…
浄土真宗では、善知識の神通力など必要としませんよ。

阿弥陀仏がじきじきに、御身から放つ光明の中に、私たちをおさめとってくださいますから。

浄土真宗の他力の信心は、阿弥陀仏から、凡夫がじかに頂くものです。
阿弥陀仏と、凡夫がじかに遇わせて頂くということです。
だから一向専念無量寿仏、ほかにはなにも要らない、というのです。
264神も仏も名無しさん:2008/03/19(水) 23:58:27 ID:nD75FWkv
>253
信心決定するすがたを体験?すがたって体験するものなのかい?
国語のテストでそんな事書いたら大変だー。
ちなみに、マリファナ吸うと音楽を色として認識したりする事があるそうだよ。
別に仏さまが枕元に立ったり、信心決定のすがたを体験したっていいけどさ、
そんな凡心が造り出す幻影よりも、確実なものがあるよね。
私を必ず救うという弥陀の御心がそれだよ。
265神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 00:04:28 ID:nD75FWkv
>263
一向専念無量寿仏って、具体的にはどういう事だと思ってる?
それから、阿弥陀さまから信心頂くって書いてあるけど、
あなたは頂いたの?
266298:2008/03/20(木) 00:38:28 ID:2ncFABYu
>>265
あなた様は、何もわからぬ凡夫なのだから、
ご自身のことも、他人のことも、わからないはずでしょう?
それなのに、他人は否定して、自分は肯定しつづけてますね。

わからないにしては、たいした自信ですね。

何もわからないくせに、他人は間違っているとわかって、
自分は正しいとわかる方なのですね。

わからないとは、思っていないように見えますが・・・
267神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 00:40:18 ID:CE5tsltX
>>262
無量の光、無量の命の仏様をあらわす「アミターユス」「アミターバ」が
阿弥陀仏のお名前ですね。

「彼の仏の光明は無量にして十方の国を照らすに障礙するところ無し、
是の故に号して 阿弥陀仏と為す。また舎利弗、彼の仏の寿命および
その人民も無量無辺阿僧祇劫なり、 故に阿弥陀と名づく。」(阿弥陀経)

「ただ念仏の衆生を観そなはして、摂取して捨てたまはざるがゆゑに
阿弥陀と名づけたてまつる。」(善導大師「往生礼讃」)

いつでも、どこにいても、私たちを照らし育て、聞即信の一念で
光明の中におさめとってお守りくださる。そのおちからゆえの
「阿弥陀仏」というお名前です。

>>265
>一向専念無量寿仏って、具体的にはどういう事だと思ってる?

他力の信を頂き、阿弥陀仏のご本願まこととはっきりわかり、
阿弥陀仏がたのもしくなったことを言うのです。

>あなたは頂いたの?

虚仮不実の愚かなる身が、そのままに
阿弥陀仏のお呼び声を素直に受けさせて頂き、三千世界の果報者です。
268298:2008/03/20(木) 00:41:43 ID:2ncFABYu
>>249
>>念仏為先、信心為先が、両立するような、お念仏をするということなんです。
>このようなことが、お聖教のどこに書かれていますか?

念仏為先も、信心為先も、真宗の教えの、要なのではないのですか?
あなた様は、大切だとは思っていないのですか?
どちらも大切ならば、両立するのが、当然ではありませんか?

それとも、あなた様は、どちらかだけが大切で、別の片方は、間違っていると
考えていらっしゃるのですか?

あるいは、両方とも間違っていると考えていらっしゃるのですか?
269298:2008/03/20(木) 00:45:31 ID:2ncFABYu
>>249
>あげられているのはいずれも信後のお念仏。

◎正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。
称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに(選択集)

この「称名」とは、信後であるということなのですね?

つまり、「聞其名号」ではなく、「乃至十念」ということでしょうか?
270298:2008/03/20(木) 00:47:26 ID:2ncFABYu
>>267
>虚仮不実の愚かなる身が、そのままに
>阿弥陀仏のお呼び声を素直に受けさせて頂き、三千世界の果報者です。

何を言っているか、よくわかりませんよ。
他力信は、もういただいたのですか、それとも、まだなのですか?
271298:2008/03/20(木) 00:48:57 ID:2ncFABYu
>>264
あなた様は、「すがた」のことも知らないわけでしょう?
知らなければ、信をいただいていないと、御文様にあるではありませんか。
知らないのに、どうして、そう簡単に他者を否定できるのですか。
他者が間違っていて、あなた様が正しいと、どうしてわかるのですか。
272298:2008/03/20(木) 00:50:05 ID:2ncFABYu
>>263
>浄土真宗の他力の信心は、阿弥陀仏から、凡夫がじかに頂くものです。
>阿弥陀仏と、凡夫がじかに遇わせて頂くということです。
>だから一向専念無量寿仏、ほかにはなにも要らない、というのです。

ほかにはなにも要らないなら、五重の義は、どう説明されますか?
273298:2008/03/20(木) 00:51:48 ID:2ncFABYu
>>267
>>一向専念無量寿仏って、具体的にはどういう事だと思ってる?
>他力の信を頂き、阿弥陀仏のご本願まこととはっきりわかり、
>阿弥陀仏がたのもしくなったことを言うのです。

つまり、「一向専念無量寿仏」というのは、信後の状態を指すということですね?
274298:2008/03/20(木) 00:54:27 ID:2ncFABYu
>>258
>仏とも法ともわからない凡夫同士が、何を言い合っても本当に、そらごと、たわごとばかりです。

信をいただいた方が言うことは、もはや「たわごとばかり」ではありませんよ。
謙虚に耳を傾ければ、如来から他力信をいただく道がわかります。
275298:2008/03/20(木) 00:57:38 ID:2ncFABYu
>>256
>現実問題として他力の信心頂けていないということは、それらすべてが
>「つもり」だったということです。「つもり」で後生は乗り切れません。

どうして、他力の信心いただけていないと、わかるんでしょうか?

それと、機の深信というのは、自分できちんと覚知できるというお立場ですか?
276298:2008/03/20(木) 01:00:19 ID:2ncFABYu
>>254
>そのときはじめて、阿弥陀仏がご苦労くださったのは、この私のためだったと、
>底知れない深きおやごころが身に染みて、御恩報謝のお念仏称えさせて頂けます。

六字のすがたや、六字のいわれは、どこにあるのでしょうか?

これは、あなた様は既に獲信していて、獲信者の立場から書いているのですか?

それとも、未安心の方が、信後のことを想像して書いているのでしょうか?
277298:2008/03/20(木) 04:01:09 ID:2ncFABYu
◎余行をすてて念仏をするは、阿弥陀仏をたのむこころのひとすぢなるゆゑなり、これ至誠心なり(後世物語)

南無阿弥陀仏は、円満の徳号です。

信を獲るのも南無阿弥陀仏、信後の御恩報謝も南無阿弥陀仏です。
278298:2008/03/20(木) 04:08:48 ID:2ncFABYu
信を獲れないのを、凡夫の機のせいにする善知識は、全員偽物だと、私は言います。
唯一問われるのは宿善ですが、獲信を望む方には、宿善があります。
自分の機をどうこうしようとする方は、如来の方ではなく、
自分の方を向いています。
自分をどうこうしようとするのではなく、自分を救ってくださる同行、善知識を探すべきです。
南无阿彌陀佛
279神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 05:21:42 ID:3yyUOrgy
ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm

キリスト
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、
わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。その代わりに、
わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://www.nowaksvd.opoka.net.pl/jiai/jiai02.htm

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm

病を持ちながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html

アレッサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.salesio.jp/web/sdb_saints/biography/alessandrina.htm
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html

カトリック書店一覧
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
カトリック教会マップ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm
280298:2008/03/20(木) 08:05:20 ID:2ncFABYu
阿弥陀如来の救いも、ほとんどの人は信じません。
「信じる」と言う人ですら、そのほとんどの人は、信じていないと思います。
他にも、ほとんどの人が信じないことがあります。
だけれども、それらこそが、大切だと思います。
如来は衆生を救おうとしています。
南无阿彌陀佛
281神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 08:49:57 ID:YrTbIXDF
南無阿弥陀仏はいつも一緒にいるよ
282神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 09:30:50 ID:J4BKBKOF
>271
知らなきゃ、信心決定じゃないのかー。って事は、元来妄想転倒で出来てる私の心で、
知った事が往生浄土に必要ってことになるよね。
お釈迦さまや阿弥陀さまは、私の妄想転倒を
浄土の因として認めたってことかなー。
だって、妄想転倒の心で知覚したという体験が必用なんだから。
しらふの人間は、麻薬でもやって知覚しないと、信心決定できないね。
なにせ、信心決定したすがたを体験するっていう
日本語として通じない事を受け取らなきゃいけないんだから。
それが往生浄土の条件なら、阿弥陀さまは名前に似ず
無理難題をしかける輩。言うなれば、スフィンクスみたいな存在だね。
283298:2008/03/20(木) 09:32:01 ID:2ncFABYu
>>281
阿弥陀如来は、いつも見守っています。
諸菩薩もです。
しかし、衆生がたのまなければならないのです。
284298:2008/03/20(木) 09:35:15 ID:2ncFABYu
教義上の問題とか、そういうことではありません。
人身を獲るのは、永い輪廻の、ほんの短い期間だと、
繰り返し説かれています。
それでも、皆、信じません。
如来の救いも、信じません。
285神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 09:45:44 ID:WecLLEt3
信じる者は救われる。

求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。

286298:2008/03/20(木) 09:50:53 ID:2ncFABYu
>>285
違います。あなたはわかっていません。
中には、わかる方がいます。
287298:2008/03/20(木) 10:20:19 ID:2ncFABYu
流転してきて、また堕ちてゆくのに、信じる方もいない。
信じているようで、堕ちると脅され、おびえているだけ。
288298:2008/03/20(木) 10:22:59 ID:2ncFABYu
BUT YOU HAVE TO GET OUT.
289神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 10:50:30 ID:CE5tsltX
>>268
真宗の教えの要、もちろん大切と思っておりますよ。

>>156で、このように書かれましたね。
>念仏為先、信心為先が、両立するような、お念仏をするということなんです。
>信をいただけるお念仏、一念にて、信が生まれるお念仏です。

信前のものが、自力で、このお念仏をすることができる、と、お聖教のどこかに
書かれてありますか?

>>275
よくお読みください。浄土真宗の他力の信心とは、違うところが多すぎるからです。

>それと、機の深信というのは、自分できちんと覚知できるというお立場ですか?

自分ではっきりわかるかどうかということなら、その通りです。

>>276
>六字のすがたや、六字のいわれは、どこにあるのでしょうか?

他力の信心のなかに。

六字のいわれとは、たのむこころすらない凡夫のために、阿弥陀仏が
南無阿弥陀仏の中に、たのむ機も助ける法も成就してくだされたこと。

六字のすがたとは、聞即信の一念で、たのむ私が「南無」、助ける仏様が「阿弥陀仏」、
仏凡一体となって御六字の中に生きたすがたです。
290神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 10:58:32 ID:CE5tsltX
>>278
>信を獲れないのを、凡夫の機のせいにする善知識は、全員偽物だと、私は言います。

機とは何だと思っていらっしゃいますか?
阿弥陀仏は凡夫の機そのままをめあてに、ご本願を作って下されたのですから、
機のせいで信を獲れない、ということはありえません。

>自分の機をどうこうしようとする方は、如来の方ではなく、
>自分の方を向いています。

これはその通りですね。「正しいたのみ方をしなければ」、というのは、
如来の方ではなく、自分のほうを向いていますよ。

>自分をどうこうしようとするのではなく、自分を救ってくださる同行、善知識を探すべきです。

同行も善知識も救うことはできませんよ。ここが自力の信心のかなしさでしょうか。
阿弥陀仏だけが私たちを救ってくださるのですから、
阿弥陀仏以外に、求める必要はないのです。
291298:2008/03/20(木) 11:07:04 ID:2ncFABYu
道しるべは、聖典。
文字として残し、未来へと伝えているもの。
292298:2008/03/20(木) 11:07:38 ID:2ncFABYu
自力信と、他力信を分けるものは、
名号。
293298:2008/03/20(木) 11:09:49 ID:2ncFABYu
信じる人がいない中、
もし、わかる方がいれば、獲信者を探して下さい。
探せば、必ず現れます。

掟があるのも、いわれのあること。

疑われるのも、意味があること。

わかる方は、探せば、辿り着き、
名号により、思い出し、内心に、秘め始めます。
294298:2008/03/20(木) 11:10:25 ID:2ncFABYu
信後の相続も、名号です。
295298:2008/03/20(木) 11:10:46 ID:2ncFABYu
南无阿彌陀佛。
同心とは、文字通りの意味です。
296神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 11:27:45 ID:CE5tsltX
298と名乗って、短い文章で書き込みを繰り返し、荒らしのように
レスを流しておられるのは、本当に298さんですか?

何か、流して隠してしまいたいことでもあったのでしょうか…
297神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 11:33:13 ID:QjvrHr3e
>>291
> 道しるべは、聖典。
> 文字として残し、未来へと伝えているもの。

まさに支離滅裂だな。
さんざん秘伝だ、口伝だと言っておきながら、
いまさら、聖典、文字かよ。
自分の頭の中を整理してみろよ。
298神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 11:54:37 ID:JV0FpVUY
298さんは、298さんの善知識さんの言う事と、
阿弥陀仏直説の本願成就の南無阿弥陀仏の
間で、どう折り合いを付けようか、考えているのかな?
299渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/20(木) 11:57:55 ID:rXVEMMiD
参考
  黒谷上人語灯録(和語灯録) 巻十五 厭欣沙門了恵集録

 一、臨終に、善知識にあひ候はずとも、日ごろの念仏にて往生はし候べきか。
答。善知識にあはずとも、臨終おもふ様ならずとも、念仏申さば往生すべし。

                味わいのある言葉だと僕は思う。
300298:2008/03/20(木) 12:02:11 ID:2ncFABYu
>>289
>信前のものが、自力で、このお念仏をすることができる、と、お聖教のどこかに
>書かれてありますか?

信をいただくお念仏も、あくまでも、他力のお念仏です。
他力のお念仏を行う「方法」がある、ということが、理解できないだけです。
理解できないことは、無理がありません。
ですから、獲信している方は、信前の方にも、理解を示す傾向もあると思います。

>>290
>これはその通りですね。「正しいたのみ方をしなければ」、というのは、
>如来の方ではなく、自分のほうを向いていますよ。

凡夫は、自分では如来の方を向けません。
いくらやっても、自力の牢獄から、出ることができません。
如来の方を向くことすら、回向されてはじめてできることであり、
だからこそ、「正しいたのみ方」がいるのです。
如来は、この壁を破る方法を、五劫思惟によって、つくってくださったのです。

信をいただく南无阿彌陀佛とは、為物身でもあり、
人身が、いただくことできるものです。

>>291
聖典は、道しるべですよ。
だから、読誦は正行なのです。
文字通りの意味をおいかけながら、繰り返し読んでいるうちに、
それまでとは違う考え方に気付いてきます。
文字通りの意味を比較的追いかけ易いのが、御文様です。
301神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 12:05:21 ID:WecLLEt3
>>299
やっぱ法然上人はありがたいっすね。
302298:2008/03/20(木) 12:06:27 ID:2ncFABYu
>>297
聖典だけでは、完結しません。口伝が必要です。
口伝だけでは、正統かを判断する方法が、とても難しくなります。
口伝だけでも、獲信できます。
確認したい方、道しるべを求める方にとって、
お聖教はありがたいのです。

凡夫のための方法です。
凡夫には、真実信心をきちんと認識できません。
それでも、救われる道です。
303298:2008/03/20(木) 12:07:27 ID:2ncFABYu
>>301
法然聖人は、ありがたいです。
>>299は、法然聖人も、平生業成を説かれているということです。
「念仏申す」とは、信生まれる念仏のことだと思います。
304298:2008/03/20(木) 12:08:29 ID:2ncFABYu
>>296
流して隠すどころか、私は、できることなら、
過去ログも含めて、全部読んでほしいと思っています。
305298:2008/03/20(木) 12:13:25 ID:2ncFABYu
供養にしても、なぜ、人間界からするのでしょうか?
人身があるから、他力を受けることができます。
他力が強過ぎて、選べない世界と、
自力が強過ぎて、他力にたよれない世界が接しているのが、
ここ人間界です。
如来の救いを、少しでもわかるには、
このような理解は、避けられないと思います。
わからなくても、弥陀をたのめば救われます。
しかし、弥陀をたのむつもりになるために、「わかったつもり」も有効です。
真実を感じる方は、獲信者を探し、弥陀をたのんでください。
南无阿彌陀佛
306神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 12:14:33 ID:WecLLEt3
ここでいっている念仏は善知識にあっていない人でもとなえらえるものでしょう。
善知識にあっていなくても間に合うということです。
そうでなければ日本語の意味が通らんよ。
307神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 12:15:36 ID:WecLLEt3
あ、臨終以前に授かっているから臨終に立ち会わなくても
往生するという意味にとるわけですか。なるほど。。
308298:2008/03/20(木) 12:19:23 ID:2ncFABYu
>>306
あまりにも短文なのですから、法然聖人の他の記述と会わせて読まねばならないと
思います。
聖人は、称える方の自覚に問いかけています。
お念仏称えていて、信をいただけたとわからないなら、
その念仏では、往生できないのです。

>>299は、平生にて業成していれば、臨終を善知識に看取られなくても
往生できるということでしょう。

では、信をいただけていないと感じる方は、どうするのか?

あまりはっきりとは、書いておられません。
しかし、探せば、残されている記述もあります。

お念仏称えていて、手応えがあるか?

もし、手応えがなければ、どうするのでしょうか?
信を獲ている念仏者に、尋ねにゆくのでは、ないでしょうか。
信を獲ていない念仏者も、とても多くなっていると思います。
309298:2008/03/20(木) 12:31:09 ID:2ncFABYu
真宗は、如来から、他力信を実際にいただく方法なのです。

しかも、それは易行であり、簡単です。

このような考え方を、受け入れない方は、
それまでどんなに否定していようとも、
「ひょっとしたら・・・」と思えてきたら、
宿善が開発してきているかもしれないのですから、
獲信者を探し、次第相承の善知識に会い、六字のいわれを聞き開いて、
弥陀をたのんでください。

こんな教えは、否定するのが当たり前です。
ですから、教えは否定していても、権威は感じている方は、
自分の理解の範囲内に教えを変形して、受け入れようとします。
(自障障他のはたらきです。)

自障障他についても、よくわかっていることですから、
もし、考え方が変われば、恥ずかしがるよりも、
如来をたのんでほしいです。

同行も、以前の考え方を、責めるはずがありません。
弥陀をたのむつもりになったことを、よろこんでくださいます。

そして如来も、衆生が救われることを、よろこんでくださいます。
310神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 12:31:33 ID:J4BKBKOF
>293
信じる人はいるでしょ、あなたとあなたのコミューンの人達が。
獲信者は見つかります、ですかー。あのね何度も言うけど、
見つけた目は誰の目?この人は獲信者だと思うのは、
誰の思い?みんな凡夫のはからい事じゃん。
そんな虚妄分別、あてになるわけないの。
別に、あてにしたけりゃ勝手にすればいいけど、
それは虚妄分別に過ぎないからね、機の深信からすれば。
じゃあ、唯一、虚妄分別じゃないのは何?
仏意だけですよ。浄土真宗で仏意と言ったら、何?
阿弥陀仏の誓願だよ。阿弥陀さまの私を必ず救うと言う御心だけだって事。
仏さまが直々に必ず救うと述べておられるのだから、
その意を汲んであげてよー。獲信者が誰か、たのみ方がどうだこうだとか、
妄想に身を委ねるのは一寸休憩してさ、廣劫来流転の因は何か、
仏さまに聞かしてもらお。
一水四境。鬼を仏と見誤るような凡夫の目が、耳が、心が、
後生大事に役に立つとでも言うのなら、自力信心。
毎日毎日、煩悩悪業造り続けながら、
それを造り出す張本人である目、耳、鼻、口、身、心に
全幅の信頼を寄せている。よくそんな物をあてにできるなー、
この恥知らず!って事じゃない?
南無阿弥陀仏
311298:2008/03/20(木) 12:32:49 ID:2ncFABYu
>>310
またもや他者否定、自己肯定ですか。
あなたの信が自力でないと、どうしてわかるのですか。
あなたの信は、あくまでも思想であって、
如来からいただいたものではないと思います。
312298:2008/03/20(木) 12:35:10 ID:2ncFABYu
>>310
御同朋、御同行の意味が、わかりますか?
如来から、同じ信心いただいた一味ですよ。
「獲信者を探せ」というのは、「同行に近づけ」ということです。
しかしこれは、信前の自分と同じ「同行」では、
同じ場所をぐるぐる回りすることになるのでは、ないでしょうか。

真実行を為したのが、本来の御同行です。

同じ行を為したからこその御同行であり、
その行とは、南无阿彌陀佛なのです。
313298:2008/03/20(木) 12:40:02 ID:2ncFABYu
>>310
あなた様はあなた様の思想をたよりにして、
弥陀をたのんだつもりになっていると思います。

「仏さまに聞かしてもらお」って、
あなた様の発言は、仏さまの発言なのですか?
思い上がるのも、いい加減にしたらいかがですか。

「仏さまに聞かしてもらお」と本当に思うなら、
南无阿彌陀佛を聞いたら、いかがでしょうか。

そのご自身が、なぜ「恥知らず!」では、ないのですか?
あなた様の言う仏意は、虚妄分別なのではありませんか?

一体あなた様の、どこに他力がありますか?
あるいは、あると思っているんですか?
314298:2008/03/20(木) 12:40:31 ID:2ncFABYu
他力信というのは、自らの思想ではなくて、
あくまでも、弥陀からいただくのです。
315神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 12:45:29 ID:J4BKBKOF
>311
いや、自己否定なんじゃないかなー?よくわかんないけど。
よく読んでみてね。
だって、私の思いは自己肯定ばっかりでしょ、故に虚妄。
弥陀の必ず救う誓願が、真実。虚妄によらず真実によるから、
真実報土に往生するのね。
この真実心によって生き死にましょってお勧めなんだから。
南無阿弥陀仏
316神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 13:01:06 ID:CE5tsltX
>>300
>信をいただくお念仏も、あくまでも、他力のお念仏です。
>他力のお念仏を行う「方法」がある、ということが、理解できないだけです。

信頂く前は、他力のお念仏、行うことできませんよ。どんな「方法」も、自力です。

久遠劫のあいだ、六道を生まれ変わり死に変わり、苦界に沈み続け、
徒労を重ねに重ねてきたのは、この、自力で助かろうとする心のためです。
ようやっと生まれ難い人間に生まれさせて頂き、聞き難い仏法を聞きながら、
ここでまた自力の信心にあまんじるのは、本当に愚かしいことです。

阿弥陀仏はこんなどうしようもないものを、決してあきらめることなく、
常に照らし育て、大慈悲を込めてお呼びづめでいてくださいます。
ご本願が本当に私のこととなったとき、聞即信と無明の闇を破って頂いたとき、
限りない光明の中におさめとられて、まことのこころに生きさせて頂くのです。

大悲の願船に乗せられてみれば、凡夫の、いかにどうしようもないことか、
「正しいたのみ方がある」などという妄想がいかに哀しく小さいことか、
ありありと見せて頂けます。そしてまた、そういうものである凡夫が、
阿弥陀仏の御手に包まれていることで、必ずお浄土へゆくことが
はっきりとわかるのです。
そうして命ある限り、御恩報謝のお念仏が口からあふれてくださいます。

自力のわろき心に早く気づき、
一向専念無量寿仏のみ教えに、はやくたちかえってくださいますよう念じます。
317神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 13:05:09 ID:J4BKBKOF
>313
何を憤ってるの?まー、よくわかんないけど、
私の中に他力信心があったら、自力じゃん。
私の中にはないよ。今宵は身にも余りぬるかなーだよ。
阿弥陀さまを凡夫のはからいに閉じ込めたら、
せっかくの阿弥陀さまを有量寿仏として
その人は捕らえている事になるよね。何かおかしいかなー?
有量寿仏の布教するなら、そういうスレを作ればいいじゃん。
あと、思想とか宗教とか何かジャンルわけする違いあるのかなー。
そういう事は素人なのでよくわかんない。知る必要もないし。
弥陀の必ず救うのご恩報じて、称名念仏となえよーっと。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
318神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 13:33:56 ID:CE5tsltX
他力の信心いただくためには、阿弥陀仏に向かうほかは何も要りません。

善知識といえど、凡夫。
凡夫から、「こうすれば他力のお念仏となえることができ、他力の信心頂けるのだ」
といわれてその通りに行い、「これでお前は、阿弥陀仏から、他力の信心頂けたのだ」といわれて
そうなのか、と思う信心は、決して、他力の信心ではありませんよ。

他力の信心は、真実の阿弥陀仏と遇って、心の闇晴れて初めてわかるものです。
無量の光明に照らし出されて、自分とはどのようなものかはっきりとわかり、
その自分をすくうご本願であることがはっきりとわかり、
阿弥陀仏がたのみとなったことをいうのです。

凡夫がいかに正しそうなことを言っても、世迷言。
阿弥陀仏以外に、たのみにできるものはありません。
319神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 13:51:03 ID:CE5tsltX
ところで、>>259>>260>>261で言われているのが、
298さんの信じている教えなのでしょうか?

善知識の神通力で獲信するなどという教えは、
浄土真宗ではありませんよ。
320神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 14:29:54 ID:Ri6KPJrG
たしかに仏法には、どの宗派にも血脈相承というのがありますよね。
もし、真宗にもそういうのがあるのなら、298さんの「次第相承の善知識」以外に、
他の人はどういう法脈なの。 
そして、どこへいけばそれを聞く事ができるんだろ。
普通のお寺とかでも大丈夫なのかな。
321神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 15:25:20 ID:CE5tsltX
阿弥陀仏のご本願をしっかりと教えて下さる方であれば、どなたでも、
血脈相承ではないでしょうか。
普通のお寺さんでも、ちゃんと勉強されていて、ご法話をしてくださる
ところなら大丈夫だと思いますけれど。

他力の信心獲られている善知識から教えて頂くのが一番ですが、
本当にまれなことですね。
322神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 15:40:21 ID:CE5tsltX
それでも、間違いなくこの方が私の善知識だと
思える方にめぐりあうのは、本当に難しいことです。

どうしても遇えない間は、おかしな教えを説く人にひっかかるよりは、
自分でお聖教を読み破るほど読むほうが、よっぽどましということもあります。
323神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 15:40:35 ID:Ri6KPJrG
ありがとうございます。
浄土真宗は、教えを正しく理解するのが重要で、法を人から人、器から器へ
移すような感じとは、少し違うタイプの血脈相承なのですね。
324神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 17:09:11 ID:JV0FpVUY
仏様の話を、理解出来ない私のための南無阿弥陀仏なんだよ。
325神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 18:29:08 ID:JV0FpVUY
凡夫に決定無し
決定は仏に有り

私達のための決定なり
326298:2008/03/20(木) 19:00:25 ID:2ncFABYu
>>316
>信頂く前は、他力のお念仏、行うことできませんよ。どんな「方法」も、自力です。

他力のお念仏によって、信をいただくということを、
繰り返し書いています。
「どんな方法も、自力」とのことですが、
他力信をいただくお念仏は、他力と呼ぶことができると思います。

一念にて、信が生まれるお念仏があります。

南无阿彌陀佛
327298:2008/03/20(木) 19:04:37 ID:2ncFABYu
「信をいただく方法がある」と言っても、
「そんなもの、あるはずがない」という反応が多いということです。
難信之法であるからです。
あくまでも、「あるはずがない」という決めつけに過ぎず、
確認をしているわけでも、証拠があるわけでもありません。

御文様でも、「信のとり方」は、幾度も幾度も書いてあります。
それでも、なぜか、それを「方法」と読みません。

五正行があります。それも、「方法」と読まないようです。

「行」巻があります。それも、「方法」と読まないようです。

なぜでしょうか? そう教わって、信じているからです。

なぜでしょうか? 信を獲ていない方に、教わっているからだと思います。

自障障他のはたらきに、取り込まれているからだと思います。

如来の信を獲たい方は、獲信者を探し、
次第相承の善知識を紹介していただいて、六字のいわれを聞き開き、
如来から、信をいただいてほしいと思います。

南无阿彌陀佛
328298:2008/03/20(木) 19:12:39 ID:2ncFABYu
>>320
私が書いている法脈は、
「普通のお寺」でも聞くことできる場所はあるだろうと思いますが、
いきなり聞くことは、できないと思います。
なぜなら、宿善の機、無宿善の機が混在する場所では、
話されることのない話があるからです。
それでも、そのような方の法話は、たとえばこのスレを読んでいる方が見れば、
「あれ? もしかしたら?」とひっかかる何かがあるだろうと思います。
それを期待して、書いています。
329298:2008/03/20(木) 19:20:14 ID:2ncFABYu
>>316
>ようやっと生まれ難い人間に生まれさせて頂き、聞き難い仏法を聞きながら、
>ここでまた自力の信心にあまんじるのは、本当に愚かしいことです。

本当に、その通りだと思うから、「弥陀をたのみましょう」ということを、
幾度も幾度も、書いています。

「方法など無い」とおっしゃいますが、では、あなた様は有縁の方に、
何をおすすめになっているのですか?

「方法」なのでは、ありませんか?

そして、あなた様は、「方法」をおすすめにはなるけれども、
「その方法では、すぐに信を獲れるとは限らない」ということでしょう?

つまり、「信を獲れない、あるいは、もしかしたらそのうちに獲れるかもしれない」方法なら
教えられるけれども、
「凡夫が一発で信を獲れる方法がある」という「方法」は無いというご主張をされているだけでは
ありませんか?
330神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 20:48:54 ID:JV0FpVUY
かならず仏にする
の誓いが果たし遂げられて、
南無阿弥陀仏となって私達に届いているよ
331神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 20:49:38 ID:JV0FpVUY
機の善悪は問題にならない
332笑いのマートル:2008/03/20(木) 20:58:08 ID:kLGCzeRG
しっか御文章を読まれれば、
南無阿弥陀仏の相、体、姿と言う言葉が出てきますよ。
信前の南無阿弥陀仏は、口から出るだけのものですが、
信後に称える南無阿弥陀仏は凡てが篭った南無阿弥陀仏になります。
体験したかしないかで、御文章の読み方も変わってくるでしょう。
本願寺を主体とする教団では、
善知識と言う言葉を削除をする方針らしいと聞きました。
善知識は居ないと言う事になっている様です。
真実信心をいただけば、善知識の必要性も分かると思います。
善知識は、普段は私達と変わらぬ凡夫ですが、
求めた人が来たら、弥陀の代官のお役を務めます。
333神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 21:06:00 ID:OOKT/tHn
在家真宗(お講)の信者さんに質問。

霊魂(ソウル、スピリット、アストラル体、魂、幽体、オーラ、気)等のオカルト的実在、生命の死後存続を信じますか?
334笑いのマートル:2008/03/20(木) 21:11:15 ID:kLGCzeRG
機の善悪なんて、阿弥陀様から見れば、
大した違いはないと思うけれど・・・
摂取の光明は、信心をいただく人の時だけ放たれるそうです。
八万四千のほかに・・・
何を信じて死のうがそれも良しですね。
自分の信じた道を進むしかありませんから・・・
どうせ地獄に落ちる身なれば、
今信じている教えが例え偽者であろうが、元居る住処に戻るだけ。
この金剛信が嘘でも私は、この世を楽しみに変えてくれた、
私の信じた浄土真宗に感謝です。
335笑いのマートル:2008/03/20(木) 21:13:32 ID:kLGCzeRG
無いとも有るとも言えません。
魂と言うものが有ると言う事だけ信じています。
336神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 21:16:15 ID:CE5tsltX
>>329
>「方法など無い」とおっしゃいますが、では、あなた様は有縁の方に、
>何をおすすめになっているのですか?

阿弥陀仏のご本願を、自分の魂の底に受け止めさせて頂くまで、我が身のこととなるまで、
善知識から聴かせて頂くこと。上辺だけ聞くのではない、頭でわかって聞き流すのでもない、
自分の、ざるの心で仏法をすくおうとするのではなく、
心を仏法につけること、をおすすめします。

>「その方法では、すぐに信を獲れるとは限らない」ということでしょう?

宿善まかせ、と蓮如上人も仰っておられますから。
他の人が、わかることでも、どうにかできることでもないのです。

・宿善の機が熟せば、一念で、本願のお力によって、
 必ず信楽の身にさせて頂けます。
 すべて阿弥陀仏のおひとりばたらきです。

・それ以外の、人為的な方法によって得られる信心は、
 浄土真宗の他力の信心ではありません。

・真実信心は、他人に認められたり、保障されたりするものではありません。
 阿弥陀仏と、自分自身との間のことです。
337神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 21:20:23 ID:OOKT/tHn
>>335
明治以降の日本仏教では、東大文献学者たちの影響力により魂は否定されてます。
この違いは大きいですね。私は学問仏教は嫌いですが。
338笑いのマートル:2008/03/20(木) 21:36:35 ID:kLGCzeRG
機=機械
所詮この体も乗り物だと言う事。
人間と云う機械に乗って操っているようなものですね。
魂まで否定したら、仏教自体成り立たなくなってしまうでしょうに。
339神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 21:38:49 ID:CE5tsltX
>>332
>善知識は、普段は私達と変わらぬ凡夫ですが、
>求めた人が来たら、弥陀の代官のお役を務めます。

弥陀の代官のお役をつとめるといっても、
やっぱり凡夫に変わりはないと思いますが…

それともやっぱり、>>260>>261で言われている神通力が
あるということですか?
340笑いのマートル:2008/03/20(木) 21:51:40 ID:kLGCzeRG
弥陀の代官を授かった時には、別人格となります。
ご信心をいただかせた後は、普段の凡夫になっています。
しかし、信善の者に法を説いたり、
後念相続をしている時は、やはり別人ですね。
善知識に神通力がある訳ではなく、
南無阿弥陀仏の神通力だと思います。
次第相承の善知識には、口授口伝、面授があります。
341神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 22:16:37 ID:CE5tsltX
なるほど…それが298さんたちの信じる教えのすがたなんですね。

「そのまま来い、必ず救う」の阿弥陀仏のお誓いは信じられなくても、
凡夫の一人である、「善知識」が語る神通力は信じられるということですね。

なるほど、阿弥陀仏がはるか遠くのお浄土におられると思えば、
今目の前にいる、善知識のほうが信じやすい…

でもそれはやっぱり、顛倒、さかさまなんですよ。


阿弥陀仏は、現在只今ここに、いらっしゃいます。
いつのときも、うまずたゆまず、調熟の光明で私たちを育ててくださり、
信一念で仏凡一体とならせて頂いたあとは、もう決して離れることなく、
常によろこび守りたまうのです。

>これによりて弥陀如来の遍照の光明のなかに摂め取られまゐらせて、
>一期のあひだはこの光明のうちにすむ身なりとおもふべし。(御文章)

浄土真宗の真実信心は、代官を通して頂くのではありません。
阿弥陀仏がひとりひとりに、じかにくだされるのです。
信心決定とは、阿弥陀仏と私とが直接、遇わせて頂くということです。
342神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 22:40:06 ID:TmYstRt2
>信心決定とは、阿弥陀仏と私とが直接、遇わせて頂くということです。

これもある種の体験、というふうに考えるべきなのか。
その場に第三者の存在、というものはあるのでしょうか。
客観的な目で、信心決定を見届ける、というふうなことは必要ない?
そういう役目の人が、禅宗などには、いるように聞いていますが。
343神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 23:06:51 ID:QjvrHr3e
>>342
341さんではありませんが、
単なる体験・経験ではないと思います。
体験・経験というと単なる一過性のもののように私は感じます。

また、「阿弥陀仏がひとりひとりに、じかにくだされる」のですから、
第三者の存在は必要ないでしょう。

「客観的な目で、信心決定を見届ける」必要っていうか、
信心決定したら体から金粉が噴き出るようなことがあるのなら客観的な判断が出来ると思いますが・・・。
私は、信心決定とはそのようなものではないと思います。
344神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 23:23:42 ID:TmYstRt2
>>343
それだと、信心決定は単なる思い込みにすぎなかった、というような事態に陥らないでしょうか。
あるいは、仏だと思ったのに魔が入ったとか。まあ、魔なんて、真宗には聞き慣れないですが。
それとも、そんな心配しようもないほどの超絶的な信心決定なのかな。
考えるほどに曖昧模糊としてきますが、そこらへん、やっぱり信心獲得してみないと分からないんでしょうかね。
345神も仏も名無しさん:2008/03/20(木) 23:45:10 ID:QjvrHr3e
>>344
そのような疑問・心配をされるなら、
人間によって勘違いさせられる、思い込まされるということもあるのではないですか?
カルトにはそういう傾向が強いですよね。
346298:2008/03/20(木) 23:57:11 ID:2ncFABYu
>>344
魔については、真宗聖典にも出てきますよ。
魔の心配が要らないのは、無念無想になるのとは異なる、
完成された救いだからです。
禅定に入る力がある必要はありませんが、
その経験がある方であれば、信をいただくときに、
禅定に入ることがわかると思います。
347298:2008/03/21(金) 00:04:13 ID:2ncFABYu
>>336
>阿弥陀仏のご本願を、自分の魂の底に受け止めさせて頂くまで、我が身のこととなるまで、
>善知識から聴かせて頂くこと。上辺だけ聞くのではない、頭でわかって聞き流すのでもない、
>自分の、ざるの心で仏法をすくおうとするのではなく、
>心を仏法につけること、をおすすめします。

私の考えでは、これがあっという間にできるということです。
宿善の厚薄がありますから、その時間の長短に差があるにしても、
いずれにしても、短い時間で信心決定します。

ただ、「心を仏法につける」という言い方は、適切だと思えません。
(よく聞きますが。)

「弥陀をたのむ」という私の言い方を、よく否定されていましたよね。
「たのみ方など無い」と。

「心を仏法につける」というのは、何ですか?
自分で、「心を仏法につけようとする」ということなのでしょうか?

聴聞するときに、無心になって、自分の心に、その言葉の内容を入れようとすることですか?
そのような行為を繰り返させるならば、それこそ、洗脳的な手法になりますよ。

気付いて下さい。
他力信を獲るために、そのような迂回の道は、必要がないのです。
凡夫が易行にて、あっという間に、信をいただける南无阿彌陀佛です。

別の方がよくされている、他人のことは自力と否定し、
自らは自力を勧める矛盾を、ここでも行っていると思います。

凡夫を悟らせないのが、魔の働きです。
掟が有るのは、魔から見えないようにするためです。
348神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 00:07:38 ID:QjvrHr3e
>>340
大川隆法とか文鮮明・・・世の中には○○の化身、生まれ変わりを売り物にする宗教が多いですね。
349298:2008/03/21(金) 00:12:41 ID:VQT71Jqj
>>343
>それだと、信心決定は単なる思い込みにすぎなかった、というような事態に陥らないでしょうか。

おそらく、そのような事態に陥ることと思います。
善知識にしても、次第相承ではなく、「自分は弥陀から直接法を授かった」と主張する方も、
いらっしゃると聞きます。
また、次第相承したのに、その師を否定される方もあると聞いています。

善知識とは言え、凡夫ですから、いかなるふるまいもするのでしょう。
そういう私も、(私は善知識ではありませんが)今後、どんなふるまいをするか、
わかりません。

ですから、救われたからと何もしないのではなく、自らを警戒し、
なるべく善行してゆこうと、そして何より、御恩報謝の南無阿弥陀仏を称えてゆこうと思うのです。

南无阿彌陀佛
350連華蔵世界:2008/03/21(金) 00:19:58 ID:ZZxhnAGl
>>341
「そのまま来い、必ず救う」の阿弥陀仏のお誓いは信じられなくても、
凡夫の一人である、「善知識」が語る神通力は信じられるということですね。

なんでそういうふに決め付けるの?浅はかな人のいいそうな事やな


なるほど、阿弥陀仏がはるか遠くのお浄土におられると思えば、
今目の前にいる、善知識のほうが信じやすい…

 だれが遠くのお浄土といったの?娑婆の空間、時間の認識を超えたとこが浄土でしょう
十方に満ちている浄土ですよ、善智識を信仰しているように見えるのはあなたの見識が浅はか
なだけで、あくまでも阿弥陀如来って言ってるでしょ?

でもそれはやっぱり、顛倒、さかさまなんですよ。

 あなたがさかさまなんですよ、あなたの常識じゃはかれんのでしょ?
難信の法ですよ、奥が深い十八願ですよ、釈迦様よりの次第相承の善知識の
意味わからんでしょうが?

 看板たっとるそこらのインチキ宗教しか知らん方が理解できる事ではないっちゅうに、
善知識頼みの教えやったらその人柄から問題になるよね、こんな人が知識かいってなるよね
普通の感覚やと、そこんとこの境目を理解できないとチンぷんカンプンになるわな、
ようするにあんたまだ時期じゃないげんわ、ほやし自力で念仏となえてなさいな。

この法は素直にならなければ出会えませんよ、これが難しいですが
 
351298:2008/03/21(金) 00:23:18 ID:VQT71Jqj
>>341
「代官」ということばは、御文様の一帖一通に出て来ますけれども、
そこでは、「一流の安心の次第」ということばも、出て参りますね。

善知識は、「一流の安心の次第」を知らなければなりません。

>>336でのおすすめには、「一流の安心の次第」があるのでしょうか。

「坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず」という善知識(?)が、
当時からいたということです。
352298:2008/03/21(金) 00:34:06 ID:VQT71Jqj
>>310
「機の深信」ということを聞いたばっかりに、それをご自身でつくろうとしているように
思えるのです。
それであれば、聞かなかった方がよかったのだと思います。
「機の深信」も、信をいただくときに、如来からいただくもの。
自分でつくるものでは、ありません。

「身にあまる」ということについては、御文様を、よくいただいてください。

◎「うれしさをむかしはそでにつつむ」といへるこころは、むかしは
雑行・正行の分別もなく、念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり。
「こよひは身にもあまる」といへるは、正雑の分別をききわけ、一向一心になりて、
信心決定のうへに仏恩報尽のために念仏申すこころは、おほきに各別なり。
かるがゆゑに身のおきどころもなく、をどりあがるほどにおもふあひだ、
よろこびは身にもうれしさがあまりぬるといへるこころなり(御文1-1)

「念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつる」になっていないか、
よくご自身を見てほしいと思います。

「雑行・正行の分別」は、ありますか?

「念仏だにも申せば」であるならば、まだ、その分別は無いのです。

そして、信心決定のうへに仏恩報尽のために念仏申すこころは、おほきに各別なのです。

簡単に信をいただく方法があっても、背を向ける方ばかりであるから、
行き易くして人がいないのです。

南无阿彌陀佛
353神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 00:42:06 ID:hZRcSFNy
>>342
体験といえば体験でしょうか、信前と信後は本人にとっては明確になります。

第三者が確認することはありません。
外から見て、信心決定したかどうかはわかりませんから。
よくよく話をしてみて、どうもそうらしい、どうもちがうらしい、というのは分かっても、
本当のところを知っているのは、阿弥陀仏と本人のみです。

>>344
>それだと、信心決定は単なる思い込みにすぎなかった、というような事態に陥らないでしょうか。

大変よくあることですね。気分の激しい落ち込みや高揚、動揺などがあって、
その中で「信いただけた!」という気になることは多いです。
魔が入るというより、自力の信心を、他力の信心と思い込んでしまうということですね。

ただ、一度の、阿弥陀仏との魂の邂逅させて頂くということは、
他の体験とは次元が違うものなので、わかります。
もちろん、それも、強い深い妄想だった…ということもあるかもしれませんけど。

ただ、つもりの信心は必ず崩れますが、真実信心は決して崩れません。
二種深信を伴い、本願に対する疑いいっさいなくなり、
阿弥陀仏のお力で極楽往生させて頂くのだと心が決まったら、もう決して崩れないということです。
摂取の光明におさめとられて、逃げようにも逃げられず、という状態ですから。
そして御恩報謝のお念仏が自然と口からあふれてくる、そういう生活になります。
354298:2008/03/21(金) 00:44:32 ID:VQT71Jqj
>>353
>二種深信を伴い、本願に対する疑いいっさいなくなり、
>阿弥陀仏のお力で極楽往生させて頂くのだと心が決まったら、もう決して崩れないということです。
>摂取の光明におさめとられて、逃げようにも逃げられず、という状態ですから。
>そして御恩報謝のお念仏が自然と口からあふれてくる、そういう生活になります。

これは、353様の現在の生活ですか?
それとも、未安心ではあるけれども、信をいただいたら、
そのようになると教わった内容を、ここで紹介しているということでしょうか?
355神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 01:13:12 ID:hZRcSFNy
>>347
>凡夫が易行にて、あっという間に、信をいただける南无阿彌陀佛です。

善知識の神通力によって頂く信心は、浄土真宗の信心ではありませんから。

>>350
298さんと同じ教えを信じておられる方ですか?
突然出てこられて、威圧的な態度で、決め付け、見下し、喧嘩腰ですね。

何をそんなに怒っておられるのかわかりませんが、ともあれ、
南無阿弥陀仏をともに尊いと思われる方ならば、お怒りをお静めください。
「薬あり、毒を好め」、とは親鸞聖人も仰いませんでしたから。
私の書き込みに間違いがありましたなら、訂正をして頂ければと存じます。

>ようするにあんたまだ時期じゃないげんわ、ほやし自力で念仏となえてなさいな。

何の時期でしょう?わたしのほうから、298さんたちの教えに用はありません。
大慈大悲の親様から、じかにお六字のまこと、この胸に頂きました大幸福者です。
常によろこびまもりくだされる、阿弥陀様の光明の中に生かされて、
御恩報謝のお念仏、称えさせて頂くばかりです。

ありがとうございます、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
356298:2008/03/21(金) 01:16:00 ID:VQT71Jqj
>>355
>>凡夫が易行にて、あっという間に、信をいただける南无阿彌陀佛です。
>善知識の神通力によって頂く信心は、浄土真宗の信心ではありませんから。

信心をくださるのは、阿弥陀さまですよ。
357神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 01:21:54 ID:M2at9OxQ
>352
また、〜だと思います、ですかぁ?あなたのはからいだよね。
正雑の区別がついてないのは、あなたじゃないのかな。
知識の教えを受けて、他力の念仏が称えられるようになったと
確信してる。それって、弥陀の救いよりも、
自分が今そういう境界に住している事をあてにしてるんだよ。
他力の念仏が称えられるようになりました、なんて言う人は、
実は、阿弥陀仏の誓願不思議、名号不思議を信じてるんじゃなくて、
他力の念仏が称えられるようになったと思ってる自分の心を信じてるのさ。
心底弥陀の本願が響きました、もう疑いの心はありませんっていうのも、
心底弥陀の本願が響きわたったと感じている自分の心をたのんでるのさ。
弥陀たのめといくら勧めても、自分は弥陀をたのんだんだっていう、
自覚意識、=自力のはからいに住してしまってるから、
何言ったって、徒らごと。
らっきょの皮をどこまで剥いたか、俺はここまで剥いたから大丈夫と、ある人は言い、
いや、ちゃんと剥けてないじゃないか、俺はここまで剥いたから
正しいんだって、ある人は言い、お互いに言い争ってるわけ。
俺からすれば、俺もらっきょ、お前もらっきょ、御同朋でしかないね。
何体験したっていいさ、心の底からお念仏が溢れてきたでもいいし、
仏像が光り輝いて見えるでも、たのみ方を知ってるでも、
なんでもいいさ、人の心は業縁によってどうとでも変わるんだから。
だから、そんな事をあてたよりにしないで、必ず助ける弥陀の真実心を
たよりとしよーよって事。自分の体験、心持ち、感動した事、真実だと信じてる事、
そりゃいろいろあるさ。俺にもあるように。
でもね、それらはどう転んでも、不定なもの、無常なもの。
ただ一つ無常じゃないのは、必ず助けるのご本願。
このご本願一つをたのみとしていこうよって事。機の深信、法の深信さ。
358連華蔵世界:2008/03/21(金) 01:23:53 ID:ZZxhnAGl
298さんと同じかはわかりませんが、御文の解釈は合ってますね。

じゃあ聞くけどあなた十八願の印くんでみてください。

意味わかりますか
359298:2008/03/21(金) 01:23:57 ID:VQT71Jqj
>>355
>大慈大悲の親様から、じかにお六字のまこと、この胸に頂きました大幸福者です。
>常によろこびまもりくだされる、阿弥陀様の光明の中に生かされて、
>御恩報謝のお念仏、称えさせて頂くばかりです。

「じかにお六字のまこと、この胸に頂きました大幸福者」とのことですが、
本当かどうか、もちろんご自身では、おわかりになるでしょう。
主語を書かれていませんが、この書き方では、ご自身のことを書いたことに
なると思いますよ。

お立場もあるでしょうけれども、弥陀の救いは、本当にあるのです。

後生の一大事は、ひとりひとりのものです。

人身獲たこの機会を、逃してしまうのは、もったいのないことです。

もちろん、いずれは、阿弥陀様が救ってくださるにせよ、
わざわざ、苦しみを増やす必要もありません。

そこまでご縁を得たのですから、六字に救われてほしいと、
私は思います。

秘事法門が何を言うのかと、聞き流してもらって構いませんが、
よくよく考えて頂けるなら、うれしいことです。

信をいただけば、仏法者となり、お聖教の読み方も、変わって参ります。

南无阿彌陀佛
360298:2008/03/21(金) 01:26:49 ID:VQT71Jqj
>>357
あくまでも、南无阿彌陀佛が信心の体となります。
自分の心がどうであろうと、それはどうでも良いのです。
そのような私たちから見れば、あなた様は、
自分の心で遊んでいるだけなのです。

>>352で御文様を引きました。よく読んでほしいと思います。
361298:2008/03/21(金) 01:37:40 ID:VQT71Jqj
真宗の方だけでなく、他宗の方でも、この教えは、
内心に秘める信心ですから、社会生活に支障がなく、
信を獲た後でも、まわりとの関係から、これまでの信仰を続ける方も
いらっしゃると思いますし、それでも、如来は捨てません。

他宗外道の信仰の場所で、「南无阿彌陀佛・・・」と言っていたらおかしいですが、
真宗であれば、「南无阿彌陀佛、南无阿彌陀佛」と大手を振っていえますし、
聖典も同じですから、拝読する機会があれば、うれしくいただけます。

一生にただ一度、どちらかの場所で、信心を獲てほしいと思います。

南无阿彌陀佛
362神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 01:41:42 ID:hZRcSFNy
らっきょの皮むき大会がはじまるのかな…

>>358
298さんと同じように、次第相承の善知識からいわれを聞かないと、
獲信できないという教えですか?
それは、やっぱり、神通力が関係しているんでしょうか?

>じゃあ聞くけどあなた十八願の印くんでみてください。
>意味わかりますか

何を仰っているやら、さっぱりわかりません。
363神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 01:49:46 ID:hZRcSFNy
>>359
>お立場もあるでしょうけれども、弥陀の救いは、本当にあるのです。

立場は、ぜんぜんないんですよ。ああもちろん、弥陀の救いは、本当にあります。

けれど、いかな善知識とはいえ、たとえ神通力をもっていようと、誰かが誰かに
浄土真宗の他力の信を「頂かせる」ことは、絶対にできないことを知っているのです。

そのような方法で獲る信は、
阿弥陀仏から頂く金剛の信心ではありません。破闇の光明によって心の闇が
破られることもないでしょうし、摂取の光明にもおさめとられることもないでしょうから、
それでは、信心決定ではないんですよ。
364298:2008/03/21(金) 01:59:13 ID:VQT71Jqj
>>363
>けれど、いかな善知識とはいえ、たとえ神通力をもっていようと、誰かが誰かに
>浄土真宗の他力の信を「頂かせる」ことは、絶対にできないことを知っているのです。

神通力はともかくとしても、次の御文様を、よく読んでください。

(「神通力」と言っても良いかと思いますが、あなた様にそのような言い方をすると、
誤解が広がるだろうと思います。おそらく、別のことを想像なさる気が致します。)

◎「その名号を聞く」といへるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実にきくにあらず、
善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、
かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり(御文1-15)

易行にて、心の闇が破られ、摂取の光明におさめとられるからこそ、
これなら凡夫も救われると、広める気持ちにもなるのです。

信じ難いことも、よくよくわかります。

疑うのも、当たり前だと思います。

お疑いになることは、よくわかりますけれども、「絶対にできないことを知っている」の根拠を、
検討なさってみてください。

親鸞聖人も、法然聖人に出会って、信をいただいています。

◎真宗紹隆の太祖聖人、ことに宗の淵源を尽し、教の理致をきはめて、
これをのべたまふに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、
あくまで凡夫直入の真心を決定しましましけり(御伝鈔)

「あくまで凡夫直入」です。「聖人だからこそ」では、ないのです。
365連華蔵世界:2008/03/21(金) 02:07:51 ID:ZZxhnAGl
>>362
あ〜そうでしたか、失礼しました。

 298さんと同じように、次第相承の善知識からいわれを聞かないと、
獲信できないという教えですか?
それは、やっぱり、神通力が関係しているんでしょうか?
 
 はあ、なんで神通力が出てくるのかなぁ〜ここで説明するの大変です
ただし、例外もありますよ、目前にて弥陀を拝んだ人は浄土へいけるそうです
目の前にピッカピッカのまさしく黄金の如来を拝ませて頂いた方という意味です
法然さんや親鸞聖人、蓮如さんなどはまさに目前にて如来を拝見していたと聞いて
ます。
 知識からいわれを聞かないと獲信できない教えと言われましても、そのような
単純に表せられる事ではないですよ、ですので御文様を拝見してくださいと298さん
はおっしゃていると思いますよ。

先ほどは突然でてきて暴言を吐いたと批判されることにはお詫びします
わたしは最初からこのスレを見ている者で、こうやってたま〜に書いたりして
いますよ、名前は違うけど。


366神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 02:15:23 ID:hZRcSFNy
298さんのまわりにおられるのは、そうやって獲信されたかたばかりなんでしょうか。
それ以外の方法で、信心決定された方を見たことがない?

だったらもしかして、他力の信心というものそのものを、誤解していらっしゃるかもしれません。

私は、私の善知識から聴聞させていただき、
阿弥陀仏と遇わせて頂くことができたのです。
だからわかるのですよ。代官は、必要ないということが。

そして、これは阿弥陀仏と私との間のことであり、何者も、最後の最後、
その手助けをすることはできないのだということが、わかっているのです。
いっさいが、阿弥陀仏のなされてくださったことです。
367神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 02:19:31 ID:hZRcSFNy
>>365
そうなんですか。それはこちらこそ失礼いたしました。
このスレッドの先輩ですね。

神通力、というのは、>>260>>261でそのようなことが
書かれていたからで、他意はありません。

今日は遅いので、これにて失礼いたします。
368298:2008/03/21(金) 02:21:47 ID:VQT71Jqj
>>366
特に掟とかがなくて、獲得のことを表しても良いのであれば、
ぜひ詳しくお伺いしてみたいです。

おそらく、「一心に」に関することだと思うのですが、(あるいは、機を見つめる)
差し支えなければ、ぜひ、ご自身の体験を、ご紹介いただけるならば、うれしいです。
369298:2008/03/21(金) 02:22:18 ID:VQT71Jqj
>>367
お休みなさいませ。
また、お時間のあるときに、書いて下さることをお待ち申し上げております。
3707:2008/03/21(金) 08:53:45 ID:jQAj402N
おはようございます。18願の印ですか・・・南无阿彌陀佛の六字にこもっていますよね。だとすれば同行の方ですね。
嬉しくなります。
371神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 08:54:16 ID:WEec18io
>>349
> ですから、救われたからと何もしないのではなく、自らを警戒し、
> なるべく善行してゆこうと、そして何より、御恩報謝の南無阿弥陀仏を称えてゆこうと思うのです。

これが他力の信を獲たと公言する方の言葉ですか?
自力作善そのものじゃないですか!
372神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 09:03:23 ID:6XBfHccD
在家真宗VS職業真宗の対決だな。
どちらも正しく、どちらも間違い。
3737:2008/03/21(金) 09:17:39 ID:jQAj402N
>>371 不断煩悩即涅槃であり、さるべき業縁の催せばいかなる振る舞いもすべし、ですから。
    信後も善行を励もうとされる298様を尊敬いたします。
    南无阿彌陀佛は無上善、これ以上足す善もなければ妨ぐる悪もありません。
    往生の因として善行しようとか、称名しようというわけではありませんから、他力の信とは矛盾しないでしょう。
374神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 10:47:10 ID:7nBnOw9Z
はなから拒否感をもって対話に臨めば、何に対しても否定的に受け取りがちに
なってしまうかもしれません。
お互いに気をつけなければなりませんね。
375笑いのマートル:2008/03/21(金) 10:53:02 ID:oQTYHYh+
往生の因としての善行が『あの』南無阿弥陀仏ですから。
満願成就の南無阿弥陀仏を私達も体験していると言う事です。
南無阿弥陀仏の行を次第相承の善知識に教えて貰ったに過ぎません。
私から何もしていない、南無阿弥陀仏に仕立てて貰った故に、他力です。
自分の力など一つも無かったです。
376298:2008/03/21(金) 11:06:02 ID:VQT71Jqj
>>371
◎聖教のをしへをもみずしらぬ、おのおののやうにおはしますひとびとは、
往生にさはりなしとばかりいふをききて、あしざまに御こころえあること、
おほく候ひき。いまもさこそ候ふらめとおぼえ候ふ。浄土の教もしらぬ信見房などが
申すことによりて、ひがざまにいよいよなりあはせたまひ候ふらんをきき候ふこそ
あさましく候へ(御消息)

◎まづ開山聖人の定めおかれし御掟のむねをよく存知すべし。
その御ことばにいはく、「たとひ牛盗人とはよばるとも、仏法者・後世者とみゆるやうに
振舞ふべからず。また外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし、
内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」(御文3-11)

「外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先」というのは、雑行であり、
善行です。(仏法で言うところの善行為というよりは、世間での「善」だと思います。)

一方、

◎されば聖人のいはく、「たとひ牛盗人とはいはるとも、もしは後世者、もしは善人、
もしは仏法者とみゆるやうにふるまふべからず」(御文2-2)

この「善人」というのは、「みゆる」とありますように、わざわざ善行を人目につくように
やろうとすることは避けましょう、ということだと思います。

◎それ出世の法においては五戒と称し、世法にありては五常となづくる仁・
義・礼・智・信をまもりて、内心には他力の不思議をたもつべきよし、
師資相承したてまつるところなり(改邪鈔)

371様は、自力作善を、悪しき事として教わっているのでしょうか。
私たち凡夫の自力作善は、その功徳では、浄土往生に満たないだけであり、
それでも往生定めていただいたのですから、そのかたじけなさに、
できないなりに、善行励んでゆくのも、良いことだと思いますよ。信後は、それも他力と受け取ります。
「そんなことする自分じゃなかったのに・・・」ということです。
377298:2008/03/21(金) 11:10:06 ID:VQT71Jqj
>>370
そうですね、南无阿彌陀佛には、往生に必要なものが、揃っていますね。
善知識の導きのもとに、六字を称えれば、極楽往生治定です。
そうして、六字と一体となるのが、この道であると思います。
378神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 11:30:14 ID:hZRcSFNy
多くのお寺さまが、失ってしまった、救いは本当に今現在にあるんだという教え、
阿弥陀仏のご本願の教え、在家にこういうかたちで受け継がれていたんですね。
感動しました。

ただ、そういった人為的な儀式、しきたり、組織によって保たれるのは、
真の阿弥陀仏から頂く、本当の南無阿弥陀仏ではないということ。

わたしたちひとりひとりが、
阿弥陀様から、じかに南無阿弥陀仏を胸に受け取り、
誰に確かめてもらうことも、保障してもらうことも要らない、
死に際しても決して崩れることのない安心の身になることが、
阿弥陀様の本当のお誓いです。

臨終に向かうとき、必ず誰の心にも底知れない暗闇、さびしさ、苦しみが沸いてきます。
でも、それは本当は遠い明日のことではない、地獄は遠い先のことではない、
いまここのこの身にあるんです。
阿弥陀様は、遠い昔から、そういう私たちをお見通しで、
そのまま来い、必ず救うとお呼びづめでいてくださるのです。

ありがとうございます、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
379298:2008/03/21(金) 11:33:49 ID:VQT71Jqj
>>378
もちろん、ひとりひとりが、阿弥陀様から、じかに真実信心をいただきます。
どうして、わざわざ誤解しようとなさるのでしょうか。
「偽物である」という前提、先入観があるのでは、ありませんか?

真宗の救いは、血脈となり、あちらこちらに伝わっていると、
私は思います。

いずれにしても、相承無ければ、いたずら事です。

南无阿彌陀佛
380神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 11:36:42 ID:hZRcSFNy
>>368
>おそらく、「一心に」に関することだと思うのですが、(あるいは、機を見つめる)
>差し支えなければ、ぜひ、ご自身の体験を、ご紹介いただけるならば、うれしいです。

凡夫の体験を紹介することには、あまり意味はありません。
同じ体験をすれば…このように思えば…このようになれば…の、
自力信心のよりかかり場所になるからです。
それでも、機会があればお話させて頂くこともあるかと思います。

必要なことは、わたしたちひとりひとりが、ご本願のとおりになること、
南無阿弥陀仏のまことを胸に頂き、光明の中におさめとられ、私たちも安心、
阿弥陀仏にも安心していただくこと、それだけです。
381神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 11:43:28 ID:hZRcSFNy
よく知らぬことも多い身ゆえ、在家信者のかたたちに、失礼な物言いがあったら申し訳ないです。
ただ、

>いずれにしても、相承無ければ、いたずら事です。

これは、あやまりです。極楽往生のために、相承は必要ありません。
必要なのは、阿弥陀仏から頂く、真実信心ひとつです。
これはささやかな私の知識や智慧や了見でいうのでない、
仏様のまことです。

>「偽物である」という前提、先入観があるのでは、ありませんか?

誰かが誰かに「信いただかせることができる」と言うこと自体が、偽者であるという証拠なのです。
そのようにして伝統が守られてきたのだということは理解できますが、それは、まちがいです。
382298:2008/03/21(金) 12:02:52 ID:VQT71Jqj
>>381
>これは、あやまりです。極楽往生のために、相承は必要ありません。

相承については、お聖教にも各所に出てきますが、
なぜ、あなた様から、このように断言できるのでしょうか。

>>380
>凡夫の体験を紹介することには、あまり意味はありません。
>同じ体験をすれば…このように思えば…このようになれば…の、
>自力信心のよりかかり場所になるからです。

では、結局、掟があるのと同じようなもので、
経験については、お話できないということなのですね?

私としては、ぜひお伺いしたいと思っています。
383298:2008/03/21(金) 12:04:50 ID:VQT71Jqj
>>381
>誰かが誰かに「信いただかせることができる」と言うこと自体が、偽者であるという証拠なのです。

これも、何かお聖教に根拠はあるのですか?

そちらで法話を聞いて、信じ込んでいるだけではありませんか?

よく、ご確認ください。
384神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 12:27:06 ID:hZRcSFNy
相承あろうと人です、凡夫のひとりです。

人が、人に頂かせることができるものは、すべて人の信です。
どんなに大切に丁寧に守り、環境を整えて堅固に固めても、人の信は必ず崩れます。

凡夫が凡夫に信心を頂かせることができる、と信じながら、
阿弥陀仏のご本願力が、相承なしには届かないと思っている、

そのすがたこそ「さかさま」なんです。

>これも、何かお聖教に根拠はあるのですか?

「今この弥陀をたのめということを御教え候〈そうろう〉人をしりたるかと仰せられ侯。
乃至、此の事を教うる人は、阿弥陀如来にて候。」(御一代記聞書)
385神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 12:46:47 ID:M2at9OxQ
>360
わたしたちから見たらって、煩悩罪濁の仲間たちの目から
見たらって事ですよね。何ぞそんなものをたよりに、
レスを付けるのかなー。たよりとなるのは、「必ず助ける」ご本願だけなのに。
御文の件は、その通りでしょ。一向一心といい、信心決定といい、
「今宵は身にも余りぬるかな」だよね。私の心で、盗った盗らぬと、
はからう問題じゃないって事。
また、仏の歓喜はそりゃ、凡夫の喜びとは、一味どころか、
天と地ほど違うよね、お悟りの上の歓喜なんだから。
煩悩成就凡夫人の喜びなんて、転倒した喜びだよね。
五欲が満ちたら、勝手に喜ぶ。この御文さまは、
凡夫の五欲を満足させるために書かれたものなのかなー。
もしそうであれば、蓮如さまは仏教じゃないって言われちゃうね。
386298:2008/03/21(金) 13:18:01 ID:VQT71Jqj
>>384
その聞書は、私たちが勝手につくった法ではなくて、
阿弥陀如来が教えてくださった法である、ということではありませんか?

断言して否定する根拠としては、弱いと思います。

もし、そこを根拠にされるなら、
あなた様がおっしゃている、「善知識は、弥陀をたのめと教える人である」ということまで、
否定されてしまうと思いますよ。

南无阿彌陀佛
387298:2008/03/21(金) 13:23:30 ID:VQT71Jqj
いずれにしても、>>384様は、次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩は、
あまり感じていらっしゃらないで、弥陀直通の御恩を奉じていらっしゃるということですよね?

もちろん、私も、如来には、ふかく感謝しております。

善知識がいらっしゃることも、如来様のおかげです。

地上に法が現されましたのも、釈迦牟尼如来として、応現くださったおかげです。

領解文も、誠にありがたく、蓮師にも、感謝申し上げます。

附属しております文如上人の御教戒も、よくよくご拝読いただけたらと思います。

少なくとも私たちは、領解文と一致しない信を、他力信とは認めないのです。

南无阿彌陀佛
388笑いのマートル:2008/03/21(金) 13:24:05 ID:oQTYHYh+
五重の義に善知識が含まれているのに、
その善知識を無視したら、五重の義が揃わなくなりますよ。
何故、蓮師が善知識を五重の義に含めたのでしょうね。
389298:2008/03/21(金) 13:27:54 ID:VQT71Jqj
>>385
相変わらず、他者には不可知を言い、
ご自身は、正しいとの御主張を繰り返されていると思っております。

いつか、気付いてくださることを、願っております。

御文様も、ただ読み流すのではなく、よくよく、読んでほしいです。

よくわからなくても、八十通の原典を繰り返し音読していただければ、
見えて来るものがあるだろうと思います。

>>352に引きましたように、蓮師は、「念仏だにも申す」と、「正雑の分別をききわけ、
一向一心になりて、信心決定のうへに」を、分けて書いていらっしゃいます。

この差がよくわからないなら、未安心ということだと、
謙虚に受けとめねばならぬところだと思います。

南无阿彌陀佛
390神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 13:52:04 ID:WEec18io
>>388 
五重の義

往生浄土のための五種の因縁。
他力信心獲得の過程を示したもの。
宿善・善知識・仏の光明・信心・名号の五。
宿善によって善知識にあい、本願の法を聞き、光明のはたらきによって信心獲得の身となり、他力の信心を得れば必ず名号が称名念仏として出てくるという意。
蓮如上人は『口伝鈔』『執持抄』『浄土見聞集』などにみられる文義によってこの五重の義を立て、他力信心の由来を示し、十劫安心、善知識だのみといったあやまった見解をただされた。
391神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 14:05:48 ID:7nBnOw9Z
善知識をたのむのであれば、当然異安心ですが、善知識の教えの下に
弥陀をたのむのであれば、別に不審なこともないと思います。
ただ、印象として、なにかアヤシゲなものを想像してしまうんですよね。
一度そう思ってしまったら、そこらへんを払拭するのは難しいかも、です。
392298:2008/03/21(金) 14:49:03 ID:VQT71Jqj
>>391
アヤシゲなものを想像するのも、無理ないことですし、
実際アヤシゲなことをやる場所も、たくさんあるだろうと思います。
正法に辿り着くのは、困難なのです。
ですから、獲信者にお会いして、そのときの感触や感覚で、
判断することになるだろうと思います。

◎しかるに宿善開発する機のしるしには、善知識にあうて開悟せらるるとき、
一念〔も〕疑惑を生ぜざるなり。その疑惑を生ぜざることは、光明の縁にあふゆゑなり(口伝鈔)

とありますように、不思議なことですが、いかにもアヤシイはずなのに、
なぜか疑惑が出ない、という場所を探します。

そして、正法を伝える場所であっても、宿善開発前であれば、見事に疑惑が出るのです。

つまり、疑惑が出るにも、二通りあります。

1)偽物だから疑惑が出る
2)宿善開発前だから疑惑が出る

どちらであるかも、自ら感じてゆきます。

南无阿彌陀佛
393神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 15:12:45 ID:SgxORvrG
次第相承の善知識も掟も知らない門徒って多いんだね。びっくりした。
お寺さんでもそういとこちゃんと伝える場所あるのにね。
無帰命安心の人もいるみたいだし。
394298:2008/03/21(金) 15:19:06 ID:VQT71Jqj
>>393
知っている方からすれば、「お聖教に書いてあるじゃないか」のようなことで、
当たり前のことなんですけれども、はじめに違うことを教わると、
それが刷り込みになってしまうのだと思います。

だからこそ、伝えて行く価値があると思っています。

われらが往生すべき他力の信心といふいはれをしらなければ、
いたずら事であると、御文様にもありますのにね。
395神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 16:41:52 ID:VSB9R1he
俺は本願寺派の先生方から、
本願成就の南無阿弥陀仏を教えて頂いたんだがなぁ。

本願寺派は現生正定じゅを伝えているぜ。
今、ただいまの救いを説いているのが本願寺派なんだよ。
396渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/21(金) 16:44:22 ID:zdGKg8ZC
>>394
>だからこそ、伝えて行く価値があると思っています。
 ほんとうですね。本当のことこそ伝えていく価値があるんですよね。

>われらが往生すべき他力の信心といふいはれをしらなければ、いたずら事であると、御文様に
もありますのにね。

 そうですね。

> 205
> そして、五念門、五正行に従うたのみ方ですから、ひとつひとつ、お聖教に根拠がありますよ。
それだけでなく、現証があるから、次第に、納得してゆきます。絵に描いた餅ではなく、体験で
きるものです。

 五正行に従うたのみ方?はて?お聖教に根拠がある? はて? それはきっとどなたかが絵に
描いてくだっさお餅を298さんはご覧になったんでありましょうね(微笑)

> 信をいただいてから拝読するお聖教は、また、格別なものです。

 298さんも、われらが往生すべき他力の信心といういわれをきちんと教われると、絵に描い
た餅以上の格別な喜びが湧いてくると思いますよ。
 それでは、具体的なことは、次第相承の善知識にお聞き下さい(>>140)。
397神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 16:44:59 ID:tcQMFwop
>>393
どこのお寺ですか?参考までにお聞かせください。

あ、秘密なんでしたっけ。
398神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 16:49:22 ID:tcQMFwop
これまで明らかにされてきた真宗は偽真宗。偽信心ってことですよね。
そりゃショックですよ。
399渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/21(金) 16:49:53 ID:zdGKg8ZC
>395
 効能書きを力説するばかりで、ちっとも処方箋が出ない
先生ではありませんでしたか。
400神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 16:52:02 ID:tcQMFwop
>>399
渡海さんこんにちは。
401神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 16:57:15 ID:C/CFksLM
仕事探せよニート海難
いい年こいていつまで宗教ごっこやってるんだよ
4027:2008/03/21(金) 17:02:02 ID:jQAj402N
頂いた信心が本物か偽かは、お聖教で確認していくしかないと思います。御文様は、信心の「鏡」です。

いかなる「現証」と思える体験があろうとも・・・御文様に合わねば、真宗とは呼べないと思います。
403渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/21(金) 17:09:18 ID:zdGKg8ZC
>400
こんにちは。 
404298:2008/03/21(金) 17:30:38 ID:VQT71Jqj
>>398
必ずしも、そうとは限らないと思います。
「これまで明らか」というと、すべてが含まれてしまうからです。
掟を守った上で、一般に話せる内容が、明らかにされてきている場合もあるはずですから、
明らかにされてきたものがすべて偽信心には、ならないと思います。

「明らかにされてきた内容だけでは足りない」というだけで、
その先があるということです。

◎しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第をよく存知したらんひとにあひたづねて、
信心決定して、その信心のおもむきを弟子にもをしへて、
もろともに今度の一大事の往生をよくよくとぐべきものなり。(御文1-11)


真宗では、門徒が先に信を獲ることもあるということが、
おもしろいことです。

◎ある御門徒衆に御尋ね候ふ。そなたの坊主、心得の直りたるをうれしく存ずるかと
御尋ね候へば、申され候ふ。まことに心得を直され法義を心にかけられ候ふ、
一段ありがたくうれしく存じ候ふよし申され候ふ。そのとき仰せられ候ふ。
われはなほうれしく思ふよと仰せられ候ふ(聞書116)
405神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 17:38:34 ID:tcQMFwop
>>404
そうでしょうか?これまで明らかにされている真宗信心には
掟や無宿善の機に沙汰しないものなどないことが前提だと思います。
最初から秘密の教えがあって師資相伝、必ず師について面授をうけ、
禅の印可のように獲信するんですよ、と最初から説明されているのなら
構わないのです。

そんなものはないと思っていたのが、
宿善ありとみなされた時点で突然ある、といわれるとしたら
それまでの教えはうそだったのか、と困惑するばかり、
ということにならないでしょうか。
406神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 17:43:11 ID:tcQMFwop
無宿善もいるかもしれない誰でもの法話では説明しない、
宿善あるものは必ずたずねてくるはずだ、ということは
法話は宿善をみるための篩のようなものということにも思えます。
それならそうと最初から言ってほしいな、と思うんです。

407神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 17:50:13 ID:M2at9OxQ
>389
気付いていただけると願われてもねー。
気付いても、凡夫の気付きの外には出られないし。
煩悩で気が付いた事が浄土往生の役には立たないね。
あと、あなたの願いも阿弥陀さまの願いじゃないから、不真実の願いだね。
願い下げだよー。そんな事思うも、願うも、面々のおはからい事。
しちめんどくさい事を言われても、
俺は末代無知の在家止住の身だから、理解できないです。
一言で言ってみればいいじゃん。
>402
御文どころか、和讃にも、教行信証にも、和語聖教にも合わなきゃダメだね。
どっちかと言えば、親鸞聖人に合わせなけりゃ、
御文の意味も曲解する事になりがちかもね。
五重の義だって、親鸞聖人の意に合わせて読まないとね。
親鸞聖人はそんな事言われてないのだから、なおさらさ。
408神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 18:01:50 ID:M2at9OxQ
>398
別にショックでも何でも無いんじゃないかなー。
自力信だから迷うんでしょ。私に真実ありって信ずるから、
嘘だって言われたらショックなのさ。最初っから嘘の固まりだからね。
だから、凡夫と言われるわけだよね。箸にも棒にもかからないのに、
まだ自心をたのんでいるから、足元が崩れていく思いをするのさ。
それでお聖教で足場固めをしようとはからう。
そうなっちゃうと、我が心をたのむ心から、
抜け出し難くなっちゃうのさ。因果で考察すれば、そういう事。
409神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 18:14:03 ID:VSB9R1he
408さんは良い事言うわ!

俺も無帰命安心って言われようが構わねー
だって帰命しようとするものは俺には無いから

みんな南無阿弥陀仏が成し遂げてるよ
410神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 18:28:09 ID:M2at9OxQ
ついでに、善知識について。善知識は弥陀の代官、弥陀の使いさ。
でも、それは「一向一心に弥陀をたのめと勧めるばかり」
と言う前提のみにおいて、弥陀の代官と言えるのさ。
だから、他の条件や、その人の煩悩で造り上げた事を主張しても、
従わない事だね。ご法話を聴聞するも、かどを聞けと言われるし。
仏の御心以外の、しちめんどくさい事に、何の価値がある?
まあ、こんな考え方もあるのかーと参考にはなるだろうけど、
明日ありと〜の私、暇を持て余してるわけでもなかろ。
南無阿弥陀仏
4117:2008/03/21(金) 18:30:18 ID:jQAj402N
我が機ばかり見てどうするのでしょう。機は問われない救いですよ。

帰命するすがたも、阿弥陀様から賜るのだから、他力ではないですか。
412神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 18:38:48 ID:VSB9R1he
帰命と言うよりも
全てを成し遂げられた
南無阿弥陀仏をあてにする、ってえ事かな!

それが俺の中で味わっている、他力回向の信心だな!
413298:2008/03/21(金) 18:45:31 ID:VQT71Jqj
>>407
>しちめんどくさい事を言われても、
>俺は末代無知の在家止住の身だから、理解できないです。

>御文どころか、和讃にも、教行信証にも、和語聖教にも合わなきゃダメだね。

相手に合わせて、このように主張を使いわけていますね。

他者は「はからい」と否定し、自らの「はからい」は肯定する構造も、
いつもの通りですね。

「合わなきゃダメ」なのは、その通りだと思います。
ですから、どこが合わないかを、引用していただけると、助かります。
(私自身、お聖教に合う信心を求めていて、
信後も信心の沙汰を続けたいですし。)

「御文、和讃、教行信証、和語聖教」のすべてに合わせるのであれば、
御文に合わなければ、問題外になるのではありませんか?
414渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/21(金) 19:01:32 ID:zdGKg8ZC
>413
>どこが合わないかを、引用していただけると、助かります。

 まあ、こういうことを言うなら、
> 具体的なことは、次第相承の善知識にお聞き下さい。(>140)
 こういうことは言うべきではないな(苦笑)。
415神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 19:08:14 ID:M2at9OxQ
>411
我が機ばかり見てる?誰が誰を見てるの?
仏智見によって、韋提夫人を代表に、心想ルイ劣の凡夫と見られたのだから、
その通りに頂くしかないでしょー。
私が煩悩で見た私のすがたじゃないんだから。
それとも、あなたは仏智見を信じないのかな?
仏が煩悩成就の凡夫と見られたの。そして、その私を必ず救うと仰って下さる。
仏の一心以外に何をたのむのさ。信心決定した人が、
仏智疑惑の自力にまかせて、おかしな事言わないの。メッ。
416神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 19:17:46 ID:M2at9OxQ
渡海さん、パクってすみません。
>413
業縁がもよおせば、私が善知識と仰がせていただいておりますお方に
めぐりあえる事でございましょう。そのお方に聞かれるとよいですよ。
幸い、インターネットの時代でもございます。
お求めになられるお方にとっては、
大変ありがたい時代となりました。ぜひ、ご自身でお求め下さいますよう。
南無阿弥陀仏
417298:2008/03/21(金) 19:31:07 ID:VQT71Jqj
>>416
では、「合わない」とは言っても、具体的な箇所が思い浮かぶのでは無いと
いうことなのでしょうか。

そもそも、あなた様の信心は、御文様と合わない箇所がたくさんあるはずですが、
それらは「はからい」ということで、捨てていらっしゃるわけでしょう?

御文様と合わなければ、御本典とは、なおさら合わないと思いますが・・・

わけのわからない所ばかりではありませんか?

>>415
仏の一心をたのんだと、どうやって認識しているのですか?
相変わらず他者は否定して、ご自身は「その通りにいただいている」の繰り返し。
あなた様の言う信心の沙汰というのは、
具体的な内容を伴わない気がします。

お聖教を示すでもなし、自身の獲信の体験を語るでも無し。

他者は「はからい」と否定して、自身の「はからい」は「正しい」と主張するばかり。

何もわからぬ凡夫にしては、他者は「間違っている」とわかるのですね。
418渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/21(金) 20:03:18 ID:zdGKg8ZC
>140
> 具体的なことは、次第相承の善知識にお聞き下さい。

 では、「南无阿彌陀佛と一体になる」とは言っても、具体的な箇所が思い浮か
ぶのでは無いということなのでしょうか。
 そもそも、あなた様の信心は、御文様と合わない箇所がたくさんあるはずですが、
それらは「はからい」ということで、捨てていらっしゃるわけでしょう?

 御文様と合わなければ、御本典とは、なおさら合わないと思いますが・・・
わけのわからない所ばかりではありませんか?

                                  (苦笑)
419神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 20:17:08 ID:SgxORvrG
宿因多幸にして、本朝念仏の元祖黒谷聖人に謁し奉りて、出離の要道を問答す。
授くるに浄土の一宗をもってし、示すに念仏の一行をもってす。
自爾このかた、聖道難行の門を閣きて浄土易行の道に帰し、忽ちに、自力の心を改めて、偏に、他力の願に乗ず。
自行化他、道綽の遺誡を守り、専修専念、善導の古風に任す。見聞の道俗随喜を致し、遠近の緇素、皆発心す。
ここに、祖師、西土の教文を弘めんが為に、遥かに東関の斗藪を跂てたまう。
暫く常州筑波山の北の辺に逗留し、貴賎上下に対して末世相応の要法を示す。
初めに、疑謗を成す輩、瓦礫荊蕀の如くなりしかども、遂に改悔せしむるの族、稲麻竹葦に同じ。
皆邪見を翻して、悉く正信を受け、共に偏執を止めて還りて弟子と為る。

法然様に浄土の法門を聞いてたちまちに正信になって関東で教えを広めれば邪見の者ことごとく正信を頂いたのね。親鸞様すごいね!!
今は何十万人も真宗聞いてて決定者ほとんどいないのおかしいね。
420神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 20:22:25 ID:tcQMFwop
>>408
そうでしたね。凡夫が自分の心を固めても詮無いことでした。
421神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 20:25:21 ID:tcQMFwop
はて?この心も自力だな。困った。
422298:2008/03/21(金) 20:57:11 ID:VQT71Jqj
>>406
六字のいわれを聞き開き、信をいただきましたとき、
「それまでの教えがうそ」というよりも、
「それまでわからなかった謎が解けた」という感じになると思います。

真宗には、示談もありますので、法話のかどを聞き、
示談にて信心の沙汰を行ってゆけば、
求めている方に対しては、いずれお手引きがあるはずだと思います。

ですから、「篩のようなもの」と言えば、正にその通りだと思いますが、
この「篩」というのは、行者の側から背を向ける篩です。

「ざるで水をすくうようなもの」とも言われます。

何も言わなければ、気付きようがありませんので、
御文様でも「知っている人に尋ねよ」のような意味の内容が出て参ります。

>最初から秘密の教えがあって師資相伝、必ず師について面授をうけ、
>禅の印可のように獲信するんですよ、と最初から説明されているのなら
>構わないのです。

かなり思い切った説き方だと思いますが、
私が2chで書いていることは、この内容に近いです。

実際、こういう書き方をしている真宗の本もあります。

そう説かれて、すっと納得される方も、やはりそれまでの経験があるからだと思います。

方便は、いろいろあるかと思います。

ひとりでも多くの方が、信を獲ることを望んでおります。
423298:2008/03/21(金) 21:00:21 ID:VQT71Jqj
>>419
親鸞様すごいですね!!

易行ですから、あっという間に、ぐんぐん決定者が生まれても
おかしくないわけですが、現状は、そうではないのでしょうから。

疑謗を成す輩が変わってゆくのが、さすが親鸞様です。
424298:2008/03/21(金) 21:04:09 ID:VQT71Jqj
>>421
「この心も自力」とわかれば、
八方ふさがりと、いずれわかるかもしれないと思います。

そのようにして、宿善は開発されてゆくものだと思います。

最後には、弥陀をたのむしかありません。
425298:2008/03/21(金) 21:13:30 ID:VQT71Jqj
>>418
「南无阿彌陀佛と一体になる」というのは、「機法一体の南無阿弥陀仏」の言い換えであると、
以前書きました。
また、「南無阿弥陀仏の主になる」という言い方も、お聖教に出て参ります。

◎弥陀をたのめば南無阿弥陀仏の主に成るなり。南無阿弥陀仏の主に成るといふは
信心をうることなりと云々。また、当流の真実の宝といふは南無阿弥陀仏、
これ一念の信心なりと云々(聞書237)

この御文も名文であると思います。もう一度引きます。

◎当流の真実の宝といふは南無阿弥陀仏、これ一念の信心なり(聞書237)

私が主張していることは、御文様と「合う」ということです。

そして、「御文様と領解が合う信心を探しましょう」ということを、
繰り返し書いています。

それが納得行かない方は、私とは、考え方が違います。

御文様と合わないところあれば、御文様を捨てるのではなく、
御文様と割符が合う信心を探し直すということです。

御文様と合うわけですから、御本典とも合うのです。

南无阿彌陀佛
426笑いのマートル:2008/03/21(金) 21:22:13 ID:oQTYHYh+
処方せんを読んだって病気は治りません。
南無阿弥陀仏の願薬をひと飲みすれば病気は治ります。
難しいことは何も無いんですがね。
皆さんは、南無阿弥陀仏の願薬を毒だと思っている。
もしくは、処方箋やらの効能書きを見て安心してしまっている。
薬を飲まなければ病気は治りません。
六道輪廻を繰り返す病気は、南無阿弥陀仏にしか治せないんてすすよ。
なにせ諸仏が見放した衆生ですから、
南無阿弥陀仏が、我が救うとお誓いを立てて下さった、
願薬を飲むしか仏になれる道はないです。
427笑いのマートル:2008/03/21(金) 21:31:56 ID:oQTYHYh+
極楽に行く因が、南無阿弥陀仏の菩薩行。
どんな極悪人でも救える方法を編み出して下さったから、
五重の義に従っただけで済む事です。
あまりにも簡単で疑いも出てしまうのでしょう。
掟によって守られているから、
まるで秘密結社の様に見えてしまうのでしょう。
南無阿弥陀仏の仏国を望めば自然に導かれて行くと思います。
眼を背けているのは誰でもない、自分の方だと気がつけば、
阿弥陀仏は、こちら側を見ているのですから、
先ずは、阿弥陀仏の法を見る事です。
428神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 21:38:22 ID:SgxORvrG
それ、一向専修の念仏は、決定往生の肝心なり。
これすなわち『大経』のなかに弥陀如来の四十八願をとくなかに、第十八の願に念仏の信心をすすめて諸行をとかず、
「乃至十念の行者かならず往生をうべし」ととけるゆえなり。
しかのみならず、おなじき『経』の三輩往生の文にみな通じて「一向専念無量寿仏」とときて「一向にもっぱら無量寿仏を念ぜよ」といえり。
「一向」というは「ひとつにむかう」という、ただ、念仏の一行にむかえとなり。
「専念」というは、「もっぱら念ぜよ」という。ひとえに、弥陀一仏を念じたてまつるほかに、二つをならぶることなかれとなり。

ということですね。
429渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/21(金) 21:47:35 ID:zdGKg8ZC
>425
 はて?

> 「南无阿彌陀佛と一体になる」というのは、「機法一体の南無阿弥陀仏」の言い換えである

 餡と皮が一体の饅頭とは、饅頭と一体になると言うことでしょうか?何が饅頭と一体になるん
でしょうね。

> また、「南無阿弥陀仏の主になる」という言い方も、お聖教に出て参ります。

 饅頭を買ってきた。わたしは饅頭の主になった。これは饅頭と一体に
なったということでしょか?

>それが納得行かない方は、私とは、考え方が違います。

 非常に興味深いお考えですね。

> 御文様と割符が合う信心を探し直すということです。

 どうぞお探し下さい。
430298:2008/03/21(金) 21:55:03 ID:VQT71Jqj
>>429
渡海様は、六字と一体になった経験もなければ、そのような信心を求めるつもりも現在は無い、
ということだと思います。
431298:2008/03/21(金) 22:02:51 ID:VQT71Jqj
>>429
>餡と皮が一体の饅頭とは、饅頭と一体になると言うことでしょうか?何が饅頭と一体になるん
でしょうね。

饅頭は、あまり良いたとえではないと思います。
饅頭と一体になったら、饅頭になるということです。
南无阿彌陀佛と一体になるというのは、機が法と一体になるのですから、
自分自身が、南无阿彌陀佛そのものになるということです。


>> また、「南無阿弥陀仏の主になる」という言い方も、お聖教に出て参ります。
>饅頭を買ってきた。わたしは饅頭の主になった。これは饅頭と一体に
なったということでしょか?

違います。行ずると、一体になるのです。

つまり、「主になる」ということと、「一体に成る」ということは、
矛盾せず、同じことであり、両立します。

南无阿彌陀佛
432:2008/03/21(金) 22:06:23 ID:6R38xgoO
渡海さん、お元気そうで良かったです。

十八願は、本当に、本当に易行でしたよ。お聖教、そのまんま、でしたよ。

どうぞ、大悲の願船に乗じて下さい。

捜し求めて辿り着けば、本当に後はあっという間なのです。
433:2008/03/21(金) 22:31:33 ID:6R38xgoO
嬉しい時に 南无阿彌陀佛

落ち込む日にも 南无阿彌陀佛

寝ても覚めても 南无阿彌陀佛

転悪成善 南无阿彌陀佛

無碍の一道 南无阿彌陀佛

南无阿彌陀佛
434神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 22:58:48 ID:VSB9R1he
南無阿弥陀仏を思わぬ時も

南無阿弥陀仏をとなえない時も

南無阿弥陀仏に包まれているよ

光明名号南無阿弥陀仏
435神も仏も名無しさん:2008/03/21(金) 23:01:14 ID:VSB9R1he
決定摂取の南無阿弥陀仏
436渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 00:54:22 ID:s4FOLEaT
>>431
「おい。きいたかよ?。ついになっちゃったんだってよ?」
「なっちゃったって、なにさ?」
「わかってるじゃねぇか。仏様にだよ。」
「だれか死んだか。」
「違うよ。生き仏様だよ。」
「イキボトケ!? (゜∇゜ ;)エッ!? だれが。」
「決まってんじゃねぇか。298だよ。」
「え〜ぇ?。298がイキボトケ!?」
「そうよ。阿弥陀様になっちまったんだよ」
「マサカ!?」
「本当だよ。いま、ニュースで大騒ぎしているよ。」
「するってぇと、これから俺たちは、298に、m(_ _;)mうへぇーとしなければならんの
か?」
「あたりめぇだよ。何て言っても阿弥陀様は諸仏の師匠だ。298に言わせると、お釈迦様より
偉いそうだ。」
「っげ!。なんでそんなことになっちゃたんだよ?」
「じつはな。称えちゃったんだってよ」
「何を?」
「念仏だよ」
「念仏?」
437渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 00:54:53 ID:s4FOLEaT
「そうだよ。南無阿弥陀仏は機法一体だろう。だからよ。阿弥陀様と一体になるんだってよ。阿
弥陀様と一体になったから、298は阿弥陀様になったんだってよ」
「うぇー。悲劇だな。何かというとすぐムキになり、噛みついてくるあの298が阿弥陀様に成
っちゃったって。サイテーの悲劇だな。」
「そうよ。だから、いま国連でも大騒ぎよ。何と言っても、お釈迦様以来、長い間、仏様が出な
かったろう。それで、ここにきて急に登場したわけよ。世界的にもこれはお祝いしなければなら
んということで、国連も動いているんだが、日本政府が頭を抱えている」。
「どうして」
「そりゃそうだろう、何かというとムキになって牙を剥いてくる奴だ。今後何が起きるかわから
ねぇだろう。福田総理もお祝いだから目出度いが、せめてもうすこし紳士が阿弥陀様になってく
れていたらなーって、ぼやいているそうだ。」
「そりゃそうだ。これからあいつに町で会ったらどうしよう」
「しょうがねーだろう。五百人、千人規模の阿羅漢を後ろに引き連れてぞろぞろ行列してくれば、
俺たちは道路で土下座しなけりゃならんだろう。何と言っても阿弥陀様なんだから。」
「うっっっ。地獄だな」
「そうよ。だから、通り過ぎた後は、石でもぶつけてやろうかと思うよ。」
「石ぶつけて相手がけがしたらどうする。」
「地獄落ちか?。( ´△`)アァ-。」
438神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 00:56:56 ID:MUP6UKGu
>417
あなたはホントに「はからい」の固まりだね。
決定摂取は弥陀のお心。お念仏称えよー。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
439渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 00:59:57 ID:s4FOLEaT
>432
> 十八願は、本当に、本当に易行でしたよ。お聖教、そのまんま、でしたよ。

 まあ、ハシカにかかったんでしょうね。ハシカは恐い病気です。早く治すと
いいでしょう。
 子供の時なら軽いが、大人になってからかかると、苦しみますよ。
440神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:12:46 ID:taTCXaqV
>>386
>その聞書は、私たちが勝手につくった法ではなくて、
>阿弥陀如来が教えてくださった法である、ということではありませんか?

違いますよ…これもまたご自分の理解の範囲でねじまげて読んでいらっしゃいます。

>いずれにしても、>>384様は、次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩は、
>あまり感じていらっしゃらないで、弥陀直通の御恩を奉じていらっしゃるということですよね?

私は逆に感じていましたよ。なぜ298さんたちは、善知識のご恩は言うけれど、
阿弥陀仏のことをあまり語られないのだろうと。

いうまでもなく、善知識おられなければ、この法に出会えませんでした。
けれど、私の善知識は、蓮如上人の言われるとおり、弥陀をたのめと教えて下さる方。
その教えに従い、阿弥陀仏と私が、遇わせていただくことできたのです。
441298:2008/03/22(土) 01:18:48 ID:MoyagLo1
>>438
別に私が「はからい」の固まりでもかまいませんが、
どうして、それがご自身に向かないのでしょうか。

>決定摂取は弥陀のお心。お念仏称えよー。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

これが、あなた様の「はからい」で無いことに、どうしてなっているのでしょうか。

相変わらず、他者は「はからい」であると否定し、
ご自身のことは、そっちのけですね。

>>352に引きました「念仏だに申す」と、どう違うのですか。

もう一度、引きますね。

◎「うれしさをむかしはそでにつつむ」といへるこころは、むかしは雑行・正行の
分別もなく、念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり(御文1-1)

もちろん、それでも、「うれしい」ことには変わりがありません。

よろこびも、あるのです。

ですけれども、

◎ただ口にだにも南無阿弥陀仏ととなふれば、たすかるやうにみな人のおもへり。
それはおぼつかなきことなり(御文3-2)

他力信には、「ただ口にだにも南無阿弥陀仏ととなふ」以上のことが
あるのだと思います。

南无阿彌陀佛
442神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:19:47 ID:taTCXaqV
>>387
>少なくとも私たちは、領解文と一致しない信を、他力信とは認めないのです。

領解文だけですか。

あなたたちの信心には、機の深信がない。悪人正機がわかっていない。
信後のお念仏を信前に称えられると思っている。
凡夫が凡夫の機をととのえられると思っている。
凡夫が凡夫に、阿弥陀仏の真実信心を頂かせることができると思っている。

お聖教と、どこもかしこもあっていません。
失礼ながら、そんな信心は、客観的に見ても親鸞聖人と同じ信心とはいえません。

お聖教から、自分に都合の良い部分だけを抜き読みして、読んだつもりになっていませんか。
他人にはよく「お聖教をよめ」と言われますが、あなたがたご自身が、
御文章だけでなく、お聖教のすべてを読み通し、本当に自分の信心が
そこに書かれていることとあうのかどうか、お確かめになるべきだと思いますよ。
443298:2008/03/22(土) 01:22:34 ID:MoyagLo1
>>440
>違いますよ…これもまたご自分の理解の範囲でねじまげて読んでいらっしゃいます。

なぜ、違うのですか。

そして、私が、>>386にてお書きしました

>もし、そこを根拠にされるなら、
>あなた様がおっしゃている、「善知識は、弥陀をたのめと教える人である」ということまで、
>否定されてしまうと思いますよ。

については、いかがお考えでしょうか?


>私は逆に感じていましたよ。なぜ298さんたちは、善知識のご恩は言うけれど、
>阿弥陀仏のことをあまり語られないのだろうと。

南无阿彌陀佛の意味は、ご存知ですか?

そして、私は、「六字のいわれ」「弥陀にいただく信心」「他力信」「六字にすべてこもっています」等、
幾度も幾度も、書いていると思います。

440様の心の中では、これらのことが、阿彌陀佛と結びついていないのではありませんか?

「他力」というのは、阿彌陀佛のことですよ。

南无阿彌陀佛
444神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:22:36 ID:taTCXaqV
といっても、もう、自力の信心を固める方法論のようなものができあがってしまっていて、
そこにすっかり取り込まれておられるようだから、今はこれ以上、話をしても無駄ですね。

ただ、本当に不思議です。ただの凡夫である善知識を信じられるのに、
阿弥陀仏の本願力による直接の信心決定を信じられないとは。

本当の信心決定すれば、代官などを通してではなく、
真実の阿弥陀仏と遇わせて頂け、ほんとうに、自分の身に
大慈悲の仏様の暖かき心が通ってくださいますのに。

凡夫から「頂かせていただく」信心で満足していること、本当に不思議です。
まこと聞く耳、見る目もたない凡夫だから、当たり前のこと、でしたか…
445神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:29:30 ID:MUP6UKGu
>441
だって、現に、ムキになってるじゃん。自分の信心が壊されたくないから。
意味ないねー。
446神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:30:09 ID:vhnTc2+i
渡海難は最近は総持寺の座禅会には行っているんだろうか。腰が悪いそうだが。
447298:2008/03/22(土) 01:33:06 ID:MoyagLo1
>>444
幾度も、阿弥陀如来が信をくださると、書いているわけですが・・・

先入観が強いから、書いてある通りに、読めないだけではありませんか?

本当の信心決定している方が、どうして六字のいわれも知らず、
自力の心のふりすて方も知らないのですか?

そして、もろともに信が獲れないのですか?

五重の義が成就するときには、そのすべてが同時に成立します。

(時間順の解釈と、同時の解釈と、両方できます。)

善知識だのみに、仕立て上げたいだけでしょう?

>凡夫から「頂かせていただく」信心で満足していること、本当に不思議です。

何度も何度も、弥陀にいただく信心であるとお書きしています。

どう読んだら、そのような解釈になるのでしょうか。

後生は、本当にあると思います。

せっかく如来が易行にて助けてくださるのに、
背を向けるのは行者の側なのです。

南无阿彌陀佛
448298:2008/03/22(土) 01:37:20 ID:MoyagLo1
>>445
ムキになってはいけないのですか?
凡夫がムキになるのが不思議ですか?

あなた様は、他者のことは、「はからい」と否定し、
自身は何を書こうが「正しい」とすることの繰り返しです。

自分の心に執着しているのは、あなた様だと思いますよ。

「はからい」ということばを、他者否定の道具にしていると思います。

あなた様のなかに、はからい以外に、何があるというのですか?

いったい、どのようにして、如来から信をいただいたというのですか?

読んで聴いて、そう思って、それだけならいいですが、
それを他者否定の道具にするのが真宗なのですか?

はからいを超えたところに、他力信があり、
あくまでも、如来にいただく信なのです。

私の心と、如来にいただく信心を、ごっちゃにしないでほしいです。

私は凡夫。私の心は、汚れています。

如来の心が、清浄なのです。

南无阿彌陀佛
449神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:38:04 ID:MUP6UKGu
>447
かわいそう、自力の振り捨て方を知ってる事自体が、自力なのに。
悪知識のせい、また、業縁のもよおしとは言え、やっぱりかわいそうだよー、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
450神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:39:58 ID:MUP6UKGu
>448
我が心たのまないでいいので、ムキになる必要がないんです。
南無阿弥陀仏
451神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:40:19 ID:taTCXaqV
>>443
>なぜ、違うのですか。

御文章を読み返してみてください。阿弥陀仏をたのめと教えて下さる方、
それは、阿弥陀仏ご自身である、というみ教えです。
つまり阿弥陀仏ご自身が、じかに、わたしたちひとりひとりに「たのめ」と呼びかけて
くださっている、善知識でもあるのです。
であれば、たのむ一念の時、間に代官がはさまる必要はまったくありませんし、不自然です。

他力の信を獲られた方なら、おわかりになるはずですけれども。
往生はひとりひとりのしのぎなり、のお言葉でも結構ですよ。

>あなた様がおっしゃている、「善知識は、弥陀をたのめと教える人である」ということまで、
>否定されてしまうと思いますよ。

このようなことは、まったく、考えておりません。

>440様の心の中では、これらのことが、阿彌陀佛と結びついていないのではありませんか?

298さんたちは、阿弥陀仏のご本願力を仰ぎ喜び、御恩を尊ばれるこころが薄いからですよ。
おそらく、善知識さんから得た信心だからなのでしょうね。

298さんたちの信心には、
南無阿弥陀仏の真実の暖かき血が通っていないのです。
現在只今、生きてはたらく阿弥陀仏のお力を、身にうけていないのです。
かなしいことに、それで満足しておられるということです。
452298:2008/03/22(土) 01:42:03 ID:MoyagLo1
>>442
>お聖教と、どこもかしこもあっていません。

申し訳ありませんが、そこまでおっしゃるならば、引用していただけないでしょうか?

前回の引用につきましては、おかしい点を指摘しています。(>>386

それに対して、返答がありませんね。


>領解文だけですか。

これは、問題のすりかえです。

私は、自身の信が領解文と「合う」ということを主張しています。

そして、あなた様の信は、「合いますか?」と問いかけているのです。

おそらく、あなた様の信は、領解文と合わないことでしょう。

領解文と合わないのですから、「領解文だけですか?」という反問は、
おかしいと思いますよ。

領解文と合った上で、さらに、御文とも、御本典とも、一枚起請文とも、合う信心が、
本物であると思います。

南无阿彌陀佛
453神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:45:29 ID:MUP6UKGu
>450
やべ、書き忘れてた。私の意見は正しい事ひとつもないよ。
弥陀が必ず救うだけです。自力はあてにならないからねー。
必ず救うって言われてるんだから、称えよ常にって言われてるんだから、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
阿弥陀さまのみことのまんま。
454298:2008/03/22(土) 01:46:59 ID:MoyagLo1
>>449
相変わらず、あなた様は、理由無くして、他者を否定しているだけです。
「自力」「はからい」これらのことばを、他者否定の道具にしています。

あなた様は、自分自身が、自力のはからいの固まりであることをわからず、
ひたすら、他者の否定を繰り返していると思います。

私が、こちらに書き込むとき、確かに自分の力(意思)で書き込んでいます。

しかし、それらと、如来の信は、そのままの関係には、ありません。

なぜなら、信心の体は、あくまでも南无阿彌陀佛であり、
凡夫の心には、用がないからです。

私の心も、あなた様の心も、極悪最下の性質を持っているわけでしょう?

極悪最下を取り出して、あれこれ言うのではなく、
如来から信をいただいて、真実信心の相続により、
極楽に往生してください。

私をかわいそうと思うなら、
如来をたのみ、信心決定してほしいです。

あなた様の心をたのむのではなく、
如来をたのむのです。

如来をたのんだつもりでは、たのんだことになりません。

そこには確かないわれがあり、六字があります。

南无阿彌陀佛
455神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:47:18 ID:MUP6UKGu
夜中に書き込みはよくないかもね。ごめんね、南無阿弥陀仏。
おやすみ、南無阿弥陀仏
456298:2008/03/22(土) 01:48:48 ID:MoyagLo1
>>455
おやすみなさい。
六字を大切にされていることは、とても素晴しいと思っています。
南无阿彌陀佛
457神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:48:57 ID:Wge9OI7i
298さんは夜中でも平日昼間でもかまわず
このスレに張り付いていらっしゃいますが
普段は何のお仕事をされているんですか?
お坊さんですか?
458神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:55:00 ID:MUP6UKGu
>454
非難されるのがそんなに怖かったんだ。ごめんね、君の気持ちもわからず。
てっきり、信心決定した方だと思ってたので(笑)
不躾な言い方になっちゃって本当ゴメン。
俺の言う事なんて、煩悩成就凡夫人の言う事だから、
そんなに気に留める事無いよ。それよりも、弥陀たのめ。
459298:2008/03/22(土) 01:57:18 ID:MoyagLo1
>>451
なるほど、「善知識=阿彌陀佛」という解釈なのですね。
それで、>>386にて問いかけましたことについては、納得が行きました。

では、これまであなた様が書いていた「善知識」というのは、
すべて「人」ではなく、阿彌陀佛であったということなのでしょうか?

>298さんたちは、阿弥陀仏のご本願力を仰ぎ喜び、御恩を尊ばれるこころが薄いからですよ。

阿弥陀如来が救ってくださったことを、深く感謝しています。

もちろん、凡夫の感謝ですから、如来の目から見れば、とても浅いことでしょう。

このような感謝では、取るに足らず、もっとはるかに感謝すべきだということは、わかります。

ですから、ご指摘もっともだとも思います。

それでも、あなた様のご指摘がどこから来るかと言えば、
おそらく、このスレが、獲信を目的としているところからだと思います。

信をくださるのは如来ですが、それを繰り返し書いても、
「じゃあ、どうすればいいのだ?」となるはずだからです。

具体的には、獲信者に会い、次第相承の善知識を紹介していただき、
六字のいわれを聞き開き、弥陀をたのむことになります。

他の道もあるのかもしれませんが、私が紹介することのできる獲信への道はこれであり、
凡夫が易行にて、あっという間に信を獲れ、信をいただけば、お聖教とも一致します。

南无阿彌陀佛
460神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 01:59:18 ID:taTCXaqV
>>452
382に対しては、回答しましたよ。
ですがおそらく今、何を書きましても、298さんの心にはとどかないでしょうね。

>申し訳ありませんが、そこまでおっしゃるならば、引用していただけないでしょうか?

過去に何度も何度も指摘をしてきました。
それらに対して、明確な、お聖教に基づいた反論はありませんでしたね。
過去ログを読み返して頂ければ、わかると思います。
461298:2008/03/22(土) 01:59:53 ID:MoyagLo1
>>457
私は在家ですが、如来に救われる方がひとりでも多く出ることは、
私にとって、最優先のことです。

そのため、仕事の形態も変えつつあります。

いつ忙しくなって、あまり顔を出せなくなるかもわかりませんが、
私は、私のできることを、精一杯やるまでです。

できるときに、できることを、目の前のことを、やってゆきます。

どんな小さな一歩でも、踏み出しつづけたいと思っています。

微力ながら、それが私の御恩報謝です。

南无阿彌陀佛
462298:2008/03/22(土) 02:01:50 ID:MoyagLo1
>>460
>過去に何度も何度も指摘をしてきました。

私は、一番はじめのスレから見ていますよ。
これは、本当のことなのでしょうか?

「何度も何度も」と言う程多いのであれば、
その一部で結構ですから、発言番号や、URLを教えていただけないでしょうか?

おそらく、一番引用してきたのは私だと思います。

南无阿彌陀佛
463298:2008/03/22(土) 02:04:07 ID:MoyagLo1
>>458
私は、弥陀をたのんだと、繰り返し書いているのですが・・・

なぜ、その指摘が、ご自身に向かないのですか?

別に、批難されることが、恐いわけではありませんよ。

私は、ひとりでも多くの方が、如来をたのんでくださることを願っています。

誹謗が縁になることもあるでしょう。

難信之法ですから、誤解が多いのも承知の上です。

それでも、何の成果もないかもしれませんが、私は目の前のことをやるのです。

誰もついてこなくても、ひとりでも、進みます。

南无阿彌陀佛
464神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 02:09:32 ID:taTCXaqV
>>452
ありがとうございます。領解文、御文、御本典、一枚起請文、お聖教のすべて、
そのまま、ぴったりとあう、一味の信心です。
仏様の真実心ですから、あわないほうがおかしいのです。

それにしても、おかわいそう。
阿弥陀仏の、なにものにも遮られない光明のおちから、誰にでも届けられている、
阿弥陀仏のじかのお呼び声のあることを信じられないで、
身近な善知識を信じて、自力の信心を他力の信心と思い込んで。

阿弥陀仏の光明は、相承があろうとなかろうと、誰の身にも届きます。
私たちの自力の心が、ふたをしているだけです。そしてそれは、宿善の機が熟したとき、
阿弥陀仏のご本願のおちからによって、必ず破られるのです。
このこと、「信楽まことにときいたり」が信じられないのは、本当におかわいそうです。

でも、阿弥陀様はそんな298さんたちを、決してお見捨てになることはありません。
常に望みを捨てず、うまずたゆまず、お育ての光明で照らしていてくださいます。
もったいなく、ありがたいことと感謝させて頂きましょうね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
465298:2008/03/22(土) 02:09:40 ID:MoyagLo1
如来大悲の御恩は、骨を砕きても謝すべし。

原文とは違いますが、(途中が省略されているのか)私は、よくこう思っています。

「御恩報謝の南无阿彌陀佛」と、私はよく言いますから、そのことばと
まざったのかもしれません。

そして、私の骨は砕けているかと言えば、砕けていません。

砕けてしまえば、もう動けません。ですから、砕けていなくてありがたいことですが、
如来の御徳は、こんなものではなく、もっとはるかに広大なものです。

御恩報謝というのは、見返りのためにやるのではなく、
報謝するためにやるものです。

もう、御恩はいただきました。返しようのない御恩をいただきました。

私にできる御恩返しは、名号称えることと、ひとりでも多くの方に信を獲ってもらうことくらいしか、
ありません。

難信之法である以上、確率は低いのです。お話しても、疑う方や、誹謗される方が多いでしょう。

ですから、それは折り込み済みで、わかった上で、
それでも、お話聴いてくださる方を探し、疑問にお答えし、
望む方には、実際に如来に救われていただかなくてはなりません。

南无阿彌陀佛
466神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 02:12:00 ID:Wge9OI7i
 どんな仕事ですか?
過去のレス見ても1日中書き込みされてる
みたいですが・・・。2ちゃんに張り付きながら
できるような仕事なら教えてくださいませんか?
寝る前ちょこっとネットして寝てすぐ出勤の
身からすればうらやましい。。。
467298:2008/03/22(土) 02:15:03 ID:MoyagLo1
>>464
領解文の「次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩」から、
いきなり合っていないのでは、なかったのですか?

◎願力不思議の仏智を授くる善知識の実語を領解せずんば往生不可なり(改邪抄)

◎さればこの流に帰して修行せんひと、ことごとく決定往生の行者なるべし(真要抄)

◎念仏の心は、善知識に従ひて阿弥陀仏の真実の功徳名号を説くを聞く心より生ず(往生要集)

◎これすなはち、木像ものいはざればみづから仏教をのべず、経典くちなければ
てづから法門を説くことなし。このゆゑに仏法を授くる師範をもつて、滅後の如来と
たのむべきがゆゑなり・・・善知識にちかづきてはつねに仏法を聴聞し、同行にむつびては
信心をみがくべしといふこころなり(持名抄)

◎総じていふときは、真の善知識といふは諸仏・菩薩なり。別していふときは、
われらに法をあたへたまへるひとなり・・・またまさしくみづから法を説きてきかするひとならねども、
法をきかする縁となるひとをも善知識となづく(真要抄)

◎称名はすなはち憶念なり、憶念はすなはち念仏なり、念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり(浄土文類聚鈔)

このあたりも、よくわかりますか?
468298:2008/03/22(土) 02:24:45 ID:MoyagLo1
>>466
本当に知りたいならば、尋ねてきてください。
おそらく私は、多くの一般の方よりは、忙しいです。
私にとっては、如来から信を獲る人が増えることは、
優先順位が高いのです。
なるべく時間を見つけているだけです。
いつまで続くかも、わかりません。
それでも、できる範囲のことをやるまでです。
この掲示板も、他の掲示板で、教えていただきました。
目の前のことで、できると思うことをやることだと思います。
仕事も同じです。
金銭的見返りも、幻想だと思います。
本当になりたい姿があるのなら、
実行して、そうなれば良いと思います。
法蔵菩薩の姿を思い出してください。
他の如来には、無理だったことを、世自在王仏にもわからなかったことを、
五劫思惟し、永劫修行して、成し遂げたのですよ。
願行具足の南無阿弥陀仏を我が身に受け、
その如来の御徳が身に満ちて、
何をできないことがあるでしょうか。
現に我らのような凡夫を救ってくださる如来がいらっしゃるのです。
苦毒中に御修行なさって、清浄で無い念は一念も無い方です。
私のような凡夫とは、全然違います。
大経を読むだけでも、仕事の方法は、全然変わると思います。
願行具足することです。凡夫には無理ですが、少しでも、できる範囲でやれば、
10年もやれば、必ず状況が変わると思います。
空いた時間で、御恩報謝の南無阿弥陀仏をしてゆけば、
それで、すべての行がこもります。現代人にもできます。
南无阿彌陀佛
469神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 03:14:50 ID:taTCXaqV
>>467
よくわかりますよ。合っていないと仰るのは「次第相承」の解釈が違うということでしょうね。
それと同様に、他のものも、私は合っているということができ、
298さんは、合っていない、ということができるでしょうね。

問題は、本音がつい出てしまうところです。

>>86
>79様は、嫉妬していらっしゃるのでしょうが、
>ですけれども、どんな悪人でも救う阿弥陀さまですから、
>自分よりひどい方でも、救われてしまうのですからね。

例えばここ、悪人正機が分かっていない。つまりこれは、
阿弥陀仏のご本願がわかっていないんです。

>弥陀をたのんだ者勝ちであると思います。

すべて阿弥陀仏のおひとりばたらきである、
他力の信心いただく信心決定を、自分の手柄顔に書いています。

もちろん、あとから言いつくろいはいくらでもできるでしょうね。
それに、人間だからうっかり言い間違い、言い損ないはいくらでもある。
でも、たくさん書き込まれているだけに、それがたくさんある。何度も何度もそういうことが
あるとすれば、やはり、ふとしたはずみに出る本音に、貴方の信心が自力であること、
親鸞聖人のものと同じではないことが現れているということです。
470神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 03:16:53 ID:taTCXaqV
おそらくこのままでは、これ以上、何を書いても平行線でしょうから、
298さんも本当によく、自分はこれでいいのかと、信心をよくよく叩いてください。
お聖教を、自分の心に合うところだけではなくて、全部をよみかえして。

さきほどの>>384の引用も、きちんとお聖教を読み込まれている方なら、
そんな読み違いはなさらないはずですよ。

私ももっとよくお聖教を読み、分かりやすくお話できるように努めますから。
ともかく今日は、これで。
471神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 05:24:31 ID:Xe94mS9g
当スレでいろいろ参考になるのではと思いましたので貼りつけます。既出ならすいません。

かたみの文 福間欣嗣様のご著作より借用

命をかけて宗門の御安心を守られた大瀛和上が、三業惑乱のさなか病気をおして江戸で対論中、死を覚悟して故郷の母上に安心の要を書き送られた文。

・広島県筒賀村(和上の生誕地)の碑文の写し。
・送りカナを変え、現代かなづかいに改め、句読点や改行などを加えて読みやすくした。
・『』の部分は、碑文に傍点を打ってあるところで、三業帰命をたしなめられたところと拝察。

 静かにおもんみれば、人間に生を感ずることは上々の因縁によれり。これ大なるよろこびなり。
されども若し仏法に逢わずば、枯れ木の春にあわざるが如し。よろこびの中にも、かなしみあり。
たまたま人間に生まれ、ことに仏法にあえる身は、よろこびの中のよろこび何事かこれにしかむ。
たまたま仏法に逢うといえども、他宗の教えは我れ等が身のうえには、かないがたし。

 ここに真宗の教えは、末代つみふかき五障三従の女人を、本とたすけたまわんと誓いたまいし弥陀の本願をすすめたまえば、
ありがたしというも、なおおろかなるものなり。されば其の本願をたのみて、浄土にまいらんと思うについて、
いかように心をもちてたすかるべきぞなれば、何の様もなく、ただ我が身はつみふかきあさましき身ぞとおもいとりて、
かかるあさましき身を本とたすけたもう弥陀如来の本願なれば、罪ふかき身ながら御たすけにあづかることよと信じ奉りて、
少しもうたがいのこころなければ、必ず御助けにあづかるなり。此の趣をしかと思い定めてうたがいのなきを、「たのむ」とも、
「信ずる」ともいうなり。

 御文章に曰く。「かの仁躰において、はやく御影前にひざまづいて、廻心懺悔のこころをおこして、本願の正意に帰入して」とあり、
又曰く「この故に南無の二字は、衆生の弥陀如来に向かいたてまつりて、後生たすけたまえともうす心なるべし」とあり。

『然れども弥陀をたのむとて、画像木像にむかいてたのむにもあらず、口に「たすけたまえ」というにもあらず、心のうちに「御助け候え」と凡夫の念をおこすにもあらず、』
472神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 05:26:04 ID:Xe94mS9g
>471続き
南無阿弥陀仏は本願の御呼び声なれば、「たすけてやるぞ」とよびかけたまえるその御呼び声をきいて、
御助けにあづかる事よと信じて、後生の一大事をば弥陀にまかせまいらせて、自力の計らいなきを「たのむ」とはいうなり。

 此の上は、よきもあしきも皆前生よりの約束業因のなすわざとあきらめて、必ず神にいのり仏にいのり、
其のほか日の善悪をえらび、方角の吉凶を問い、天を拝み星をまつり、占いにかかるなどいまわしき心あるべからず。
 又さきだてる親兄弟の法事を営みたもうとも、先だてるものへ手向けまいらするこころあらば、これみな自力なり。
親兄弟の命日にあたりて法事を営みたもうときは、忌日命日を縁として、仏に報謝のために御供養もうすと思いたまうべし。
たとい仏壇の掃除をするとも、花をたつるとも、香をたくとも、みな報謝とおもうべし。信のうえはなにごとも報謝と思いたまうべし。

我が身だに仏にならば、自由自在に済度なるべし。人のためとおぼしめさずとも、まづ我が身の信心さだまりぬるやいなやとおぼし召して、
自身の安心決定あるべきなり。
いよいよ往生うたがいなくおぼしめす上は、報恩の稱名おこたりなく御たしなみ肝要なり。

 此の上は、御本山の掟、御公儀様の御法度にそむかぬように心をかけて、御身のつつしみ第一にしたもうべきなり。
併し人によりて身の過ぎわいについて、偽りをいわねば身のたたぬ人もあるべし。
其の外腹もたち慾もおこるは常の事なれば、止めてもやめられぬことは、仕方もなし。往生のためとてはやむるに及ばず。
兎角あしき心のおこるときは、「さてさて浅ましきかな、かかる者も御助けに預る事のありがたや」と、却ってこれを御縁とし、
仏恩よろこびたもうべきなり。

 身の行いはあしくとも、心さまはあしくとも、稱名はうかばずとも、有りがたくおもうこころはおこらずとも、是れでは往生いかがとうたがうべからず。
「此の者をたすけんとありて、あつく御苦労まします本願よ」と、安堵のおもいに住して、御入り候へ。我が安心かくのごとし。
これをかたみとおぼし召して、あけくれ御覧候え。        あなかしこ
                                         大瀛
母上様
473:2008/03/22(土) 06:01:53 ID:DasSHk5a
>ただ、本当に不思議です。ただの凡夫である善知識を信じられるのに、
阿弥陀仏の本願力による直接の信心決定を信じられないとは。

ただの凡夫が直接信心を頂けると信じられる方が、ただの凡夫である善智識が弥陀の代官であることを信じられないとは不思議です。
474神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 07:36:58 ID:uLlxnSI6
>>472
我が身だに仏にならば、自由自在に済度なるべし。人のためとおぼしめさずとも、まづ我が身の信心さだまりぬるやいなやとおぼし召して、
自身の安心決定あるべきなり。→誤

 我が身だに仏にならば、自由自在に済度なるべし。人のためとおぼしめさずとも、まづ我が身の信心さだまりぬるやいなやとおぼし召して、
自身の安心決定あるべきなり。 →正

475渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 09:14:08 ID:s4FOLEaT
>441,>448
「おい。知っているか?。いま、政府は頭を抱えているそうだ。」
「なんで頭を抱えるんだ。」
「お釈迦様いらい、二千数百年ぶりに仏様が誕生した。しかも日本からだ。それは
大変お目出度いことだが、その仏様は質が悪い。『俺ははからいの固まりでもいい
んだ』と言っているんだ。
 阿弥陀様が計らって下さっておるのはありがたい話だが、『私は凡夫、私の
心は汚れています』と言っているんだよ。それでいて『如来の心は、清浄』って言っ
ているんだよ。だから、困っているんだよ。阿弥陀様ともなれば、凡夫で、心は汚れ
ていて、それが『清浄』だってんで、政府は困っているんだよ。阿弥陀様のお言葉に
逆らっては、地獄に堕ちるからな。」
「そうか、深刻だな。これからは、そんな阿弥陀様が、阿羅漢五百人を連れて町を
練り歩く。わしらはそれに土下座する。悲劇だね。」

476渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 09:24:37 ID:s4FOLEaT
「ムキになる阿弥陀様ってのも、( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナーってことなんだよ。」
「そうだよね。阿弥陀様には、ムキになってほしくないものだ。」
「俺は凡夫だ。凡夫の阿弥陀様だー、ムキになって悪いか?て、阿弥陀様から
言われれば、わしらはどう返答すりゃいいんだ?」
477神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 09:46:47 ID:qXQnufb2
>>470

他力信心決定された人のようですので聞かせて下さい。
改邪鈔にこのように書かれていますが、どう解釈されていますか。

それ本願の三信心と云うは、至心・信楽・欲生これなり。
まさしく願成就したまうには、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」(大経)とらとけり。
この文について、凡夫往生の得否は乃至一念発起の時分なり。
このとき願力をもって往生決得すと云うは、すなわち摂取不捨のときなり。
もし『観経義』によらば、「安心定得」といえる御釈、これなり。
また『小経』によらば、「一心不乱」ととける、これなり。
しかれば、祖師聖人御相承弘通の一流の肝要、これにあり。
ここをしらざるをもって他門とし、これをしれるをもって御門弟のしるしとす。
478神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 10:02:53 ID:CSJOuEzz
隆寛・辨長・証空・聖覚・源智・幸西もみんなまとめて
なかよくナムアミダブツ。
479渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 10:47:49 ID:s4FOLEaT
 煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくということ。この条、もって
のほかのことにそうろう。即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果
なり。

 秘事法門というのは真言宗の亜流と浄土真宗の亜流とが、一門不知の
隔絶村の中で融合した土俗民族宗教だろう。
 客観性・普遍性がないおかしな教義でも、それをおかしいという人は、村
にはいない。秘事法門は、古老が口伝で伝える土俗宗教に外かならない。

 教団内ではグルと呼ばせ、神聖法皇と呼ばせていたある教祖は、自分の
教えをヒンズー教・真言宗・チベット密教との融合宗教だと言っていた。まさ
に究極の亜流宗教だった。

 298が「俺は自分自身が、南无阿彌陀佛そのものになる」という意識も、
客観的検証のない歪曲亜流宗教の暴走を感じる。
480渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 10:50:55 ID:s4FOLEaT
>479
誤 一門不知
正 一文不知の村人だけで構成している
481神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 10:54:56 ID:qXQnufb2
>>479

煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくということ。この条、もって
のほかのことにそうろう。即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果
なり。

う〜ん。298さんは煩悩具足の身をもってすでにさとりをひらくとは言っていないようですよ。
渡海さんは座禅念仏を主張されているのですよね。
是非はともかくとして、s会の方々よりもまだ実践としての念仏があるように私は思えます。
482渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 11:12:57 ID:s4FOLEaT
>481
>う〜ん。298さんは煩悩具足の身をもってすでにさとりをひらくとは言っていない
ようですよ。

 煩悩具足の身をもって即身成仏したと言っているわけでしょう。
 前代未聞。真言宗の亜流です。

>実践としての念仏があるように私は思えます。

 298さんには称名念仏はないだろう。
 一念で仏になり、自分は阿弥陀仏になったつもりでいる。298に念仏は不用だ。
称える意味がない。
 自分(阿弥陀仏)が自分(阿弥陀仏)に報恩(ありがとう。ありがとう)と言っていれば、
これは気が狂っている証拠だろう。
483神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 11:18:14 ID:IkMNXvLj
阿弥陀仏を奉ずる者同士が、敵対的な物言いをしたり、相手の言葉を
わざと捻じ曲げて解釈したりするのは、いかがなものでしょうか。
広い意味で、同行ですので、仲良くしたいものですね。
484神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 11:18:16 ID:MUP6UKGu
>463
やっぱり、弥陀をたのんだっていう自分の心をたのんでんじゃん。
その心で、やることやるって何するつもり?
自力心の奨め、布教活動は、あなたにとってはライフワークかもしれないけど、
親鸞聖人にとっては迷惑な話じゃないのかな?
自心を信ずるんじゃないよ、信じた経験を信ずるんじゃないよ。
弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じて念仏申すんだよ。
私は出来てますとか、信じてますからとか、
名号と一体になる体験しましたからとか、
そんな条件や理由を貼り付て、自分の信心を固めなきゃいけない事自体、
それこそ、自力疑心のはからいに他ならないんだよー。
南無阿弥陀仏
4857:2008/03/22(土) 11:27:34 ID:1VQ2P3Zb
>弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じて念仏申すんだよ。

これはあなたのはからいではないのですか?
486神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 11:41:05 ID:qXQnufb2
>>484

>弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じて念仏申すんだよ。

う〜ん。298さんの領解はあなたのいうことと同じことを言っていると思いますよ。
298さんはあくまでも信前の機に対する言葉を言っているんだと思います。

そもそも俺は救われたんだ。という思いや私一人のための救いだった。
という喜び自体は信心の体にはなりませんからね。あくまでも名号六字が信心の体ですからね。

>>482
渡海さん。推論の飛躍だと思いますが・・・。298さんはそういうことを言ってはいないと思います。

487渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 12:24:43 ID:s4FOLEaT
>486
>そういうこと

 指示代名詞でなく、具体的な言葉を引用してください
 そういうことを言ってないなら、どういうことを言っているのか、貴方の了解を
明らかにして下さい。

>そういうことを言ってはいないと思います。

 否定形なら、人は何でも言えます。

 「パンダだとは言ってないんだと思いますよ。アメリカだとも言ってないんだと
思いますよ。月だとも言ってないと思いますよ。スッポンだとも言ってないんだ
と思いますよ。金正日だとも言ってないんだろうと思いますよ。イエスキリストだ
とも言ってないんだろうと思いますよ」

 「〜とは言ってないと思います」という言葉ほど無責任な言葉はない。
発言は肯定系で主張し、発言に責任を持ちましょう。
4887:2008/03/22(土) 12:27:38 ID:1VQ2P3Zb
渡海さんは人の言わなかったことを書いてそれを批判するパターンが多いわけですが、寂しいのでしょうか。
後生など無いと思っていらっしゃるのかも知れませんし、それはご自由ですが、ここを遊び場にされるしても、
言わなかったことを批判するということを繰り返しますと、余計寂しい結果になるのではないかと心配いたします。
せっかくご自身の考えがおありのようですから、キチンと相手のご発言をコピペされてから反論されてはどうでしょうか。
余計なお世話かとは思いますが、他の人が間違って298様を誤解するといけませんので、申し上げます。
489渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 12:49:21 ID:s4FOLEaT
>488
>渡海さんは人の言わなかったことを書いてそれを批判するパターンが多い

 僕は文字面にひきづられようとは思わないんだ。
 「人の言わなかったことを書いている」というなら、それは本人から指摘が
あってしかるべきだろう。

 僕の方が貴方より、298の言葉を深く捉えているのかも知れないからね。

 298が言ってないことを渡海難は書いてそれを批判しているかどうか、それ
は298本人が反論として言うなら別だが、298とは別人のギャラリーが言って
も、説得力はない。貴方の発言は野次馬の野次に過ぎない。
4907:2008/03/22(土) 12:58:49 ID:1VQ2P3Zb
渡海様へ
わかりました。298様を待ってみえるのですね。失礼しました。
491 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2008/03/22(土) 12:58:58 ID:Ro9l7Tjp
    O
      o     、,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
       。  ノ´::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
        (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
       (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ       と
      (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)      思
     (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)      う
      ヽノヽノヽノノヽノヽノノヽノヽノノヽノヽ、::::::::::::::::)     キ
       | ,,;;;;;;;;;;;;;;,,,,,, )) ( ,,,,;;;;;;;;;;;;;,,,,   `ヽ、;;;;;;;;::)    モ
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|____| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  /~~ヽノ:::)    ヲ
       || ((((○)))) 0⌒0 (((((○))) | ̄´ ´~) );;::)    タ
       |\___/ノ  ミ\___/ヽ  つ, ノ;;;:ノ     で
       | ´     ./   、´    `   (_ノ;;;ノ      あ
       <      (。、 。)         >;;;;::ノ       っ
        \    ノ`∪´ ヽ、  ●、  /|;;;;ノ        た
         | ....(/~~~~~~~\)....    彡 |ノ 
         |  ( ̄ ̄~~~ ̄ ̄)     | イ
         |   ~~ ̄`´ ̄~~´;;   /  |
          \  .....´⌒`......   /    |
          _|\_;;;;;;;;;;;__/      |__
     __/;;;ノ               /;;;;;;;;;;;;\___
   /;;;;;;;;;;;;/;;;;\             ./;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\;;;;;;;;;;;\
492神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 13:22:40 ID:MUP6UKGu
>485
違うよ。私は信心決定しました、と言うのは、過去の体験に順じてるって言ってるわけ。
救われました。他力の念仏称えました。正定聚不退転になりました。
っていうのも同じ事だよ。
弥陀のご本願を煩悩成就凡夫人即ち自分の過去に起きた体験の枠内に
入れてしまうから、自力としかいいようがない。
いつだって、弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じるのであって、
信じ「た」と自分の手柄にしてしまったら、自力じゃん。
その心で「南無阿弥陀仏の主になった」なんて言ったら、
虚仮不実の自力心で南無阿弥陀仏を利用する事になっちゃう。
南無阿弥陀仏を煩悩の奴隷にして「主」を名乗るのは、本末転倒だよね。

493笑いのマートル:2008/03/22(土) 13:24:27 ID:4CDZ2FOE
298さんは、生き仏じゃないですよ。ただの凡夫ですよ。
信心をいただいたと言うだけです。
あまりの嬉しさに、皆に知ってもらいたい一心で、
書き込みしているだけでしょう。
この世に生き仏など居ませんよ。
死んで仏となる身です。
自分は仏だと言ったらそれこそ怪しい。
494笑いのマートル:2008/03/22(土) 13:35:50 ID:4CDZ2FOE
弥陀は、私達の方を絶え間なく見つめています。
眼を背けているのは、他でもない自分ですよ。
何度この言葉を書いたかしら・・・
495神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 13:36:26 ID:MUP6UKGu
>486
全く違うよ。あと、信前だ、信後だと分別して話する事自体、
何様?って言われてもしょうがないよね。
お釈迦さまにでもなったおつもりか?って事。
仕方ないよね。だって、彼はたのんだ人。言い換えれば、宿善めでたしの人。
わたしは、いつでもたのむだけ。宿善も仏凡一体も称名もありがたし。
たのむ心もあなたから。南無阿弥陀仏
496笑いのマートル:2008/03/22(土) 13:39:48 ID:4CDZ2FOE
自力しか知らない人に他力の信心あることを説いても分からないのでしょう。
497神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 13:41:56 ID:qXQnufb2
>>492

>いつだって、弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じるのであって、信じ「た」と自分の手柄にしてしまったら、自力じゃん。

あれ?あなたは決定者だと思ったら違うのね。言いたいことはよ〜く分かります。
しかし他力という言葉に酔った人のようですね。
たのむ一念を知らない人のいうことのようですね。本山系の人ですか?
いつでも誓願不思議・名号不思議を信じるのは結構だと思いますが、往生一定という慶喜というものがいつまで経ってもないわけだ。
いつでもこの瞬間でも誓願不思議・名号不思議を信じているというその思いはあなたが思っているに過ぎない。自力信ですね。

どう思うが思うまいが誓願不思議・名号不思議は働いていますよ。
4987:2008/03/22(土) 14:36:23 ID:1VQ2P3Zb
>わたしは、いつでもたのむだけ

いつからたのむようになったのですか?誰がたのむのですか?現在進行形で表現すれば他力なのでしょうか。
499298:2008/03/22(土) 14:42:50 ID:MoyagLo1
>>488,489

「南无阿彌陀佛と一体になる」ということを、即身成仏と解していらっしゃるのでしょうか。

即身成仏と、住不退転は、異なります。

私はあくまでも、泥の凡夫。惑染凡夫人です。

弥陀をたのんで、自らが阿彌陀佛となるのは、「拝まずの秘事」でしょう?
(自分自身が阿彌陀佛なのだから、他を拝む必要はないとする。)

この道では、行者も凡夫、獲信者も凡夫、善知識も凡夫なのです。

そして、南無阿彌陀佛と一体になるからと言って、
即身成仏ではないのです。

私は礼拝もします。御恩報謝の南无阿彌陀佛もお称えします。

滅度に至るのは、報土に行ってから。

此土では、あくまでも凡夫。それでも、信をいただきましたら、
佛凡一体です。弥陀の心光常護、諸佛の囲繞により、守られて、
生きて参ります。

南无阿彌陀佛
500298:2008/03/22(土) 14:47:46 ID:MoyagLo1
>>469
>>ですけれども、どんな悪人でも救う阿弥陀さまですから、
>>自分よりひどい方でも、救われてしまうのですからね。
>例えばここ、悪人正機が分かっていない。つまりこれは、
>阿弥陀仏のご本願がわかっていないんです。

これは、

◎一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道ありと信じて、
すべて得道の人ありと信ぜざらん。これを名づけて信不具足とす(教行信証)

得道の人ありと信じない方のために、書いたものです。

それは、あなた様も同じ。

なぜ、あなた様がそう信じられないかと言えば、
それは、あなた様は、あなた様よりも私のことをひどい存在であると思っていて、
そのような存在が救われたとは、信じがたいからなのでは、ありませんか。

しかし、弥陀は、どんな方でも、弥陀をたのめば救ってくださいます。

これは、>>495の方も同じです。

>何様?って言われてもしょうがないよね。
>お釈迦さまにでもなったおつもりか?って事。

弥陀は機を問わず救います。

南无阿彌陀佛
501神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 14:49:56 ID:bfxNAdGY
皆さん、セコムし・・・じゃない、お念仏してますか?
502298:2008/03/22(土) 14:57:47 ID:MoyagLo1
>>492
>信じ「た」と自分の手柄にしてしまったら、自力じゃん。

御消息です。よく読んで欲しいと思います。

◎他力によりて信をえてよろこぶこころは如来とひとしと候ふを、
自力なりと候ふらんは、いますこし承信房の御こころの底のゆきつかぬやうにきこえ候ふこそ、
よくよく御案候ふべくや候ふらん。自力のこころにて、わが身は如来とひとしと候ふらんは、
まことにあしう候ふべし。他力の信心のゆゑに、浄信房のよろこばせたまひ候ふらんは、
なにかは自力にて候ふべき。よくよく御はからひ候ふべし(御消息)

他力の信心があるからこそ、よろこんでゆくのは、もはや自力ではないと
いただきてゆきます。

「以前の自分とは違う」とわかるからです。私の場合も、御恩報謝のお念仏を称えれば、
信後のお念仏とは、違います。

しかも、「よくよく御はからひ候ふべし」とあるでしょう。

御開山聖人は、なんでもかんでもはからひを否定したのとは、
違うと思いますよ。

◎ともかくも行者のはからひをちりばかりもあるべからず候へばこそ、他力と申すことにて候へ(御消息)

他力信いただくときのことを、おっしゃっているのだと思います。

他力信をいただくときには、すべておまかせです。

◎詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし(御消息)

南无阿彌陀佛
503298:2008/03/22(土) 14:58:31 ID:MoyagLo1
>>501
していますよ。機会を見つけて、御恩報謝のお念仏をしております。
こちらに書き込む合間にも、しておりますよ。

南无阿彌陀佛
504298:2008/03/22(土) 15:00:06 ID:MoyagLo1
>>502
いただきてゆきます → いただいてゆくのだと思います
信後のお念仏とは、違います → 信前のお念仏とは、違います
505神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 15:07:27 ID:bfxNAdGY
いろんな立場があるんですね。

1 渡海念仏宗 
2 特別な善知識が必須。298、7、マートル他
3 特別な善知識はなくていい、信じた体験も自力なので否定
4 特別善知識はなくていい、信じた体験が起こることは否定しない

5 オカルト系
最近オカルトの方の書き込みがないですね。
506298:2008/03/22(土) 15:08:23 ID:MoyagLo1
>>483
全くその通りですね。ありがとうございます。
気をつけます。醜い姿をお見せしてしまい、申し訳ありません。
私のことはともかく、弥陀の信心が誤解されては、
なりませんから・・・
あくまでも私は凡夫なんですけれども、
弥陀は、素晴しいのです。
ですから、私の姿から、この道を判断してほしくありません。
「こんなのでも、救われる」という風に、見て頂けたらと思います。
つい、私は、否定的になってしまうのでしょうね。
一方、十方衆生を救おうとされ、清浄の念のみであった阿弥陀様は、
とてつもないお方だと思います。
南无阿彌陀佛
507渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 15:33:34 ID:s4FOLEaT
>499
>自分自身が、南无阿彌陀佛そのものになるということです(>>431)。
> 即身成仏ではないのです(>>499)。

 意味不明。

 南無阿彌陀佛と一体になる(>>136
 「南无阿彌陀佛と一体になる」というのは、「機法一体の南無阿弥陀仏」の言い換えである(>>425
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1198478098/368
三業を整えることによって、佛になるという点においても、真の禅門であるのです。

 南无阿彌陀佛と一体になるというのは、機が法と一体になるのですから、自分自身が、南无阿彌陀
佛そのものになるということです。(>>431)


 自分自身が阿弥陀仏にその者になる。自分自身が仏になる。阿弥陀仏になる。
 三業を整えることによって(即身)で佛になる。        →  即身成仏

>503
>御恩報謝のお念仏をしております。こちらに書き込む合間にも、しておりますよ。

 はて?。
 ただ御恩報謝のお念仏をしていれば助かるのでしょうか?。御恩報謝の念仏には
こころえが必要だったのではないでしょうか。

http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1204420011/602
 また名号をもつてなにのこころえもなくして、ただとなへてはたすからざるなり。
>きちんと称えるには、「こころえ」が要るのです。
508渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 15:34:06 ID:s4FOLEaT
>507
 あげ
509神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 15:44:53 ID:Qwv+I1VJ
>>507-508
キモオタオヤジはうせろ
                                           ' ,; `, ; ` ; ,
                 ボォオオオオオオオオオ          ;  y"'(,;r_ソi,;  ,
                                         ノ;";;',,,u`゙;,゙`,,;;.´`r;
     /  ̄ ̄ ̄\                           ´; (,,'_;、;_;;',;人;;';`:;)
    /      \ ,,/丶                          ヽ(;,◎-◎一;;u:ヽミ/
    /     (●_ (●                        ´,,;)(";;(。。;;(´";゙,;;`9)
    |     ::⌒(__人_))                   ; ゙、  ノ;,‘"ノ{、;ε`,;;,';;u゜,, "イ
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       |   / /                       ,´       ;,ヾ、  、,   (_,,ソ
        |__/,__/                        ;          |__,|____,|
       └一ー一                               ノ'__}("___}
5107:2008/03/22(土) 16:36:37 ID:1VQ2P3Zb
test
511神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 16:42:40 ID:MUP6UKGu
>497
仏力他力によらないで、体験によるんじゃ、自力信心だよ。
信心決定者だと思うも思わないも、煩悩成就凡夫人の判断力によってるだけだし。
あてにならないものをあてにしても何にもなんないよ。
512神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 16:52:48 ID:MUP6UKGu
>498
たのむ主体が何なのか、問う事自体に意味あるのかなー?
答えが出たら安心するの?。
その答えも、煩悩成就凡夫人が造りだした、壊れゆくものなのに。
5137:2008/03/22(土) 17:04:38 ID:1VQ2P3Zb
>>511-512 信心獲得というものを完全に否定されているのでしょうか。。

 もしくは、信心獲得出来たかどうかは、阿弥陀さまにしか分からない、というお立場でしょうか。
514神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 17:16:18 ID:MUP6UKGu
>502
他力の信心は相続心だよ。信をいただく時だけ、はからわないなんて、
あり得ないって事。ありえてるのは自力信だからさ。
あれこれ凡夫の分際で、信心の盗り方だとか、
たのみ方だとか、はからってるから、今の君は問題なんだよ。
躍り上がる喜びなんて、煩悩でも造れる。性格だって、人それぞれ。
これこれこういう喜びが出たから信心決定だ、
いやいや、俺みたいに喜べなきゃ信心決定じゃない。
凡夫のらっきょう皮剥き合戦じゃん。
それよりも、あなたを思ってる方に、思いをいたしなよ。
たのみ方も、信心の浅深も、何一つ沙汰しない、お前を必ず浄土往生させると
いつの何時も思っておられる方に。人間業じゃない、阿弥陀仏の誓願に。
信心は全く仏心だよ、凡夫のはからいじゃない。
南無阿弥陀仏と一体となった感動でもない。必ず助けると言う
切なる願いのかたまりさ。そしたら、寝ても覚めてもへだてなく南無阿弥陀仏称えましょ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
5157:2008/03/22(土) 17:22:24 ID:1VQ2P3Zb
>>514 何だか無帰命安心の方のような気がしてまいりましたが・・・

>南無阿弥陀仏と一体となった感動でもない。必ず助けると言う
切なる願いのかたまりさ。そしたら、寝ても覚めてもへだてなく南無阿弥陀仏称えましょ。

こう書いていらっしゃるところの、「そしたら」という部分が気になります。
516神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 17:54:24 ID:MUP6UKGu
>513
信心獲得、信一念、行一念っていう事はあったんでしょ。
親鸞聖人だって仰ってるんだから。
赤ん坊の時から、阿弥陀仏のご本願を仰いでいたわけじゃないしね、
他の人は知らないけど。
でも、いつ、どこで、信心獲得したのかなんて知らないし、
決定的瞬間があったのかどうかなんて、無用な事は考えないな。
仮に知り得たとしても、煩悩混じりの知識は何のあてにもなんないし。
現に今、弥陀の若不生者の誓願をたのみとし、念仏申してる。
昔は、こうでなければ、ああでなければ、とはからってたけど、
不変なのは、若不生者の仏心、転変する私心じゃなかったって事さ。
凡夫が何を言っても嘘の皮なら、真実心の誓願たのめ。
ハイ、南無阿弥陀仏
517神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 18:38:54 ID:MUP6UKGu
>515
帰命って何だと思ってるんだろー。弥陀をたのむが、帰命でしょ。
よくわかんないけど、凡夫が帰命の心を起こす事だとでも言いたいのかな?
そしたら、自力と他力のミックス安心じゃん。弥陀の誓願のまんまだよ。
信心は一心。「十悪五逆の罪人も必ず助ける」一心。
領解した心は、こうでなければ、ああでなければと、はからえば二心。
弥陀の願心に凡夫の心を加えた二心。
弥陀の本願憶念すれば、称名念仏。これ以上のお礼はないからね。
真実信心は必ず名号を具す。そんな所かな。
南無阿弥陀仏
518神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 18:42:56 ID:qXQnufb2
>>516

空華か。
ま、無帰命安心ですな。
s会が責め立てた理由がなんとなく分かるなぁ。

相続心は一念の積もりだよ。聖教よく読みましょう。
519神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 18:53:17 ID:MUP6UKGu
>518
一念の積もりって何?積もって変化するなら、真実心とは言えないよね。
俺らの感じ方は、経験の積み重ねによって変わるけど、
阿弥陀仏の願心は変わらない、必ず浄土に参らせる一心。金剛心。
まだあてにならない、千変万化の我が心をあてにするのかー。
自力格別の信を因として、それに見合った果を受けるだけじゃん。
空華だかなんだか知らないけど、蓮如さんは、もの知り顔はお嫌いみたいよ。
520神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 20:23:08 ID:OQlblLNL
>>519
もの知り顔はアンタ
521渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/22(土) 20:23:33 ID:s4FOLEaT
>505
> 最近オカルトの方の書き込みがないですね。

 1から見れば、2〜4は全部オカルト系。

 オカルトと非オカルトの分水嶺。
みだ仏は、自然のようをしらせんりょうなり(末燈鈔)。
阿弥陀仏というのは、自然という概念を知らせるための資料(手段・道具)である。

 この言葉を阿弥陀仏の概念に組み込むのか。無視するのか。
 無視 → オカルト系   (神秘主義)
 重視 → 非オカルト系 (合理主義)
522神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 20:29:21 ID:rV1jlmsj
>>521
てめーもカルトだ
        /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \   パー───ン       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
      <       (☆)   〉                     /               \
       \ =======,/                  (__i|__i|__リ     ;       |
        /~`ー=、=,=ィ.                  (   ;;    ∪     |
      /    (●)ヾ'(●) \                    ,◎─ 〃⌒)         |
      |    "⌒(__人__)⌒" |    _'そ       (o,;(´   ´_'ノ     ,; ′;| ´  ;  '
.     \     `ヾ┬ノ´ ,/〔ニ二【@】        ゝ   u.  ゞ    ,●";`‘,`・    ;
       /⌒ ̄ ̄〃 ̄ ̄〆⌒'ニ)ソ  ̄ Y `       `i       ーーーーrーゝ
        ヾ  、__゙__il、_,ジ,イ            ヾ、__  ____-‐ー‐\
       |       o| = |_ノ               /´ ̄ ̄         ヽ
.        |          |    |               /    ゙ヽ  渡海 難   |
.      |       o|   .|               /     |           |
      |   ===   | ==|                /      |           |
523神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 20:36:01 ID:4TLTlcTe
悲しいかな、宗教は全てオカルトであり神秘主義ですね。
合理主義や唯物論や哲学で宗教を解釈するのはカテゴリーエラーです。
524神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 21:01:28 ID:CSJOuEzz
空華はダメ、なら石泉はオケ?
525笑いのマートル:2008/03/22(土) 21:11:47 ID:4CDZ2FOE
角を聞くとはどう言う事か、
御文章にも角がいくつもある。
念仏を修行した人の称える念仏は、実ある念仏。
念仏が修行?
御文章に書いてあります。
念仏は、この目で見る事もこの体に刻む事も出来るものです。
信じられない人間には何の事だかさっぱり分からない筈。
秘密主義ではありませんが、
領解文にもきつく掟を守るように書かれている為、
公言できないモノがあります。
求める者には、とても開かれた教えです。
526神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 21:34:53 ID:CSJOuEzz
>念仏は、この目で見る事もこの体に刻む事も出来るものです
それはすごいですね。見ることができるのですか。
527神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 22:01:08 ID:qXQnufb2
>>526

聞其名号 信心歓喜 乃至一念

「その名号を聞く」といへるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実にきくにあらず、
善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、
かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり。

と蓮如さんは言ってます。
528笑いのマートル:2008/03/22(土) 22:37:56 ID:4CDZ2FOE
次第相承の善知識の下で、南無と帰命の一念をしたと言う事実は、
この身に覚えのある事です。
億念の南無阿弥陀仏を称えさせて頂いています。
身に覚えがなければ、ただ、口に出し、
心に思っての南無阿弥陀仏でしかないと思います。
御文章をもう少し、深く掘り下げてお読みになれば、
自然と南無阿弥陀仏に近づくのではないかと思います。
しっかりと角を探して読んでみてはいかがでしょうか?
529笑いのマートル:2008/03/22(土) 22:47:01 ID:4CDZ2FOE
この世に居る限り妄念が地体の泥に塗れた凡夫。
娑婆の命が尽き、始めて目出度く成仏ですよ。
530神も仏も名無しさん:2008/03/22(土) 22:51:54 ID:4TLTlcTe
死ねば、全てがあきらかになりますよ。
531笑いのマートル:2008/03/22(土) 23:38:20 ID:4CDZ2FOE
>530
死ぬば、極楽浄土が在るのか、
地獄を初めとする六道輪廻の世界があるのか、
それすらもなく、魂と言うものさえないのか・・・
532笑いのマートル:2008/03/22(土) 23:57:58 ID:4CDZ2FOE
人の事批判する前に
自らが試してから批判したら良いのにと思ってしまう。
同じ事をして、それでも納得行かなければ、批判をすれば良い。
533神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 00:06:46 ID:B3gj2bUV
善知識のもとに
=一心一向に弥陀をたのめと勧める方に私の浄土往生の因果を聞いて、
南無とたのめば
=南無阿弥陀仏の南無の名義の如くたのめば、
南無とはたのむ機の方、阿弥陀仏は助ける法、
共に一体ご成就されたのが、機法一体の南無阿弥陀仏。
南無の方を離れた法もなく(若不生者)、阿弥陀仏を離れた機もなし(不取正覚)で、
成就されたのが南無阿弥陀仏。
ならば、たのむ機も共に成就されている南無阿弥陀仏ですねー。
南無が、煩悩成就凡夫人がたのんだ事、阿弥陀仏が、助ける法ならば、
南無と阿弥陀仏は別体であって、凡夫の南無+無上覚者の阿弥陀仏で、
初めて南無阿弥陀仏と成就する事になるわけ。
『大経』でも『小経』でも『観経』でも、法蔵比丘は阿弥陀仏
と成仏してる。南無阿弥陀仏も完成してる。なのに、南無を足そうと、
凡夫の身ではからう。第18願を、自力で成就するつもりかえ?
さらに、南無が煩悩成就凡夫人の造りごとならば、
阿弥陀仏と足しても、煩悩まみれの南無阿弥陀仏となる。
南無阿弥陀仏は仏心そのものだから、浄土往生の因となるのに、
煩悩混じりの南無阿弥陀仏など、浄土往生の因にはならない。
そんな南無阿弥陀仏はありえない。
従って、南無とたのむとは、仏心のままにはからわれる事。
南無を煩悩成就凡夫人の体験なんて言ってるのは、仏恩も半分だけ。
故に、仏恩報ずる思いはない。南無阿弥陀仏の南無を
自分の体験に属してしまうから。これは自力の心。
真実の信心歓喜ではなくて、煩悩の歓喜に身を委ねてるだけ。
Q.E.D.
534神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 00:15:34 ID:B3gj2bUV
>532
では、手始めに、戒律守るとこからはじめなよ。
天台宗で得度して、見仏の修行してさ。やってみなけりゃはじまらないぜ。
親鸞聖人も体験してるんだから、その通りに体験しなきゃ、
親鸞聖人の体験がわかるはずないだろうに。
煩悩成就凡夫人の体験を信心だと勘違いしてるから、そんな事言うのさ。
捨てちゃえ、捨てちゃえ。自然法爾だよ。弥陀のおはからいのまんまだよ。
これを帰命って言うんだよ。無帰命安心とは、我が心をたのむ安心を言うのさ。
535笑いのマートル:2008/03/23(日) 00:46:31 ID:njCDNpU5
親鸞聖人は、自力での修行て極楽浄土に往けないと、
法然上人の下で信心獲得した訳でしょ。
自力ではどうにも助からないと教えてくれています。
だから、他力の信心獲得をしてみては?
と、言っているんですが・・・
536:2008/03/23(日) 01:05:21 ID:GVqiku44
>昔は、こうでなければ、ああでなければ、とはからってたけど、

今のあなた様には、はからいがないとおっしゃるのですか。他力の信心を得ても、凡夫は凡夫、いくらでもはからいます。

>凡夫が何を言っても嘘の皮なら、真実心の誓願たのめ。

凡夫が何を言っても嘘の皮なら、真実心の誓願たのめ、とおっしゃるあなたのお言葉も嘘になってしまいます。

>帰命って何だと思ってるんだろー。弥陀をたのむが、帰命でしょ。
よくわかんないけど、凡夫が帰命の心を起こす事だとでも言いたいのかな?

帰命もまた阿弥陀仏から回向されるこころであり、すがたですから、他力です。

>弥陀の本願憶念すれば、

誰がどんなこころで憶念するのですか。

>阿弥陀仏の願心は変わらない、必ず浄土に参らせる一心。金剛心。

そう信じたり疑ったり、千変万化していらっしゃるのではないですか。
537笑いのマートル:2008/03/23(日) 01:08:28 ID:njCDNpU5
仏智不思議の南無阿弥陀仏を善知識の手によって一念帰命をしてもらう。
自分の力は一切入りようがないものです。
538:2008/03/23(日) 01:09:24 ID:GVqiku44
無帰命安心と十劫安心がミックスされているような印象を受けました。

真実信心は遠くに眺めて喜んだり感謝するようなものではないのですから、
蓮如上人は幾度も幾度も信を獲れ信を獲れと仰って下さったのではないでしょうか。
539笑いのマートル:2008/03/23(日) 01:22:10 ID:njCDNpU5
帰命は礼拝なりですね。
しっかりと弥陀に帰命する事が大切ですね。
それでないと、無帰命安心になります。
阿弥陀仏が誓願成就して十劫経つと
心に思い念仏していても極楽に行く種にはなりません。
帰命の姿も知らず、いたずら事なり。
540神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 01:55:20 ID:B3gj2bUV
>536
はからいって、自力の事だよ。自力とは仏智疑惑、即ち他力の信を決定する分なしだね。
この度の浄土往生は不可って事さ。
541298:2008/03/23(日) 01:58:46 ID:9YLzo3mk
>>540
他力信を獲たら、往生治定ですよ。
佛智を疑惑している方は、南无阿彌陀佛を信じることができません。
542298:2008/03/23(日) 02:03:14 ID:9YLzo3mk
>>507
南无阿彌陀佛と一体になるのは、平生で、そのときに信決定します。
滅度に至るのは、報土往生の後です。

>ただ御恩報謝のお念仏をしていれば助かるのでしょうか?。御恩報謝の念仏には
>こころえが必要だったのではないでしょうか。

何よりも、こころえが必要なのは、信をいただく念仏です。
御恩報謝のお念仏は、信後のお念仏ですから、既に、こころえもあります。

南无阿彌陀佛
543298:2008/03/23(日) 02:05:10 ID:9YLzo3mk
>>540
佛智疑惑というのは、凡夫が一念に信をいただくことができるお念仏の存在を
疑っている、ということなのでは、ないでしょうか。
「まさかそんなものがあるはずがない」と思うのは、
凡夫の理解できる範囲で考えているからで、
佛智を疑っているからだと思います。

南无阿彌陀佛
544笑いのマートル:2008/03/23(日) 02:32:55 ID:njCDNpU5
南無阿弥陀仏程簡単な教えはありません。
簡単過ぎて、余計に信じられない教えでもあります。
人間は自力を好みますから。
不可思議とは、人間の知恵を遥かに超えたものです。
極楽浄土に行く為の因を造るのが、南無阿弥陀仏と云う修行です。
545神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 02:33:48 ID:B3gj2bUV
>539
じゃ、自分の礼拝門を回向し自己満足してればいいねー。
帰命は、本願招喚の勅命。本願に帰せよでしょ。本願は「若不生者不取正覚」
必ず浄土往生させんとの誓いだよ。その誓いを遠くに見て、
我が心を励まし礼拝するのが帰命なんですかねー。
親鸞聖人のご意志に背く事になっちゃうね。
いわゆる布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懺念・苦行・一切福業、
もし正信なければ、回向願求するにみな少善とす。往生の因にあらず。
雑修とは助正兼行するがゆえに雑修という。
礼拝は助業だね。礼拝を自ら修して往生せんとするなら、助正兼行って事。

雑行雑修自力は、報土往生の因にはなりませんねー。
546神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 02:46:35 ID:B3gj2bUV
>543
夜中に書き込むなよ。起きちゃったじゃないかー。
凡そ自然の摂理を無視してる。どんな生活してるかは知らないけど。
自力のくわだて、本願に背き仏智に違すべし。
自力のくわだてと言うは、我とはからうところをきらうなり。
寝るね。
547298:2008/03/23(日) 02:47:40 ID:9YLzo3mk
>>545
では、

◎「専修」について二種あり、一つにはただ仏名を称す、二つには五専あり。

の意味はわかりますか?
548神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 03:03:37 ID:/ldDDsoF
教学はもう結構。

本当に信心決定なんて体験はあるのか?

真実は「ない」んじゃないのか?
549神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 03:04:22 ID:B3gj2bUV
>543
うー、私は一念浄信を疑ってないよ。お経にあるんだから、疑いようがない。
一念帰命も然りだよ。ただ、それが自力なのか他力なのか、それだけなの。
(笑)さんは、帰命を私の自覚ある礼拝と捕らえてる。
それって雑行だし、自力だよって、親鸞聖人が仰ってるんで、伝えておくだけ。
君たちの考えは、それはそれとして、面白くていいんじゃないのって
思ってるんだよ。自力がどういうものを欲するのか、拠り所としようとするのか、
私の事として、興味深いんだよね。業縁もよおさば、
同じポジションに立つであろう私としてね。他人事じゃないのさ、何事も。
俺の我執は、めんどくさいっ相手すんなって言うんだけど。
いや、阿弥陀仏はえらいなー。めんどくさいから捨てちゃえばいいのに、
摂取不捨だとさ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
550神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 03:10:23 ID:B3gj2bUV
>548
無いよ。そんなもの阿弥陀さまは期待してないし。
期待してたら、必ず浄土に立つ参らせる願いなど建てないです。
おれの心底大好きな自力を無価値と判断されたんですよ。
阿弥陀さまの願いを拝するとね。
551神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 03:13:12 ID:B3gj2bUV
うー、レス番間違えた。ごめんね。
298さんには、『選択集』にはどうありますか?ってレスって事で。
ホント寝ますー。
552神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 03:21:40 ID:v5Rjog0P
団体名明かさないのが臭いね この「信心決定教」は
じゃとりあえずK会とかS会で聴聞しようかっていう話になるもの
新手の勧誘かなあ・・図星かもw
553298:2008/03/23(日) 03:22:05 ID:9YLzo3mk
>>551
選択集ですか?

◎即ち文に、一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節久近、念念不捨者、是名正定之業。
順彼仏願故と云える、これなり。

◎称名念仏はこれ彼の仏の本願の行なり。故にこれを修する者は、彼の仏願に乗じて必ず往生を得るなり。

◎もし前の正助二行を修するは、心常に親近して、憶念断えず、名づけて無間と為す

助業の位置づけがわかるかどうかが、要だと思いますけれども。
554298:2008/03/23(日) 03:31:46 ID:9YLzo3mk
>>548
信心決定という体験はありますし、易行です。
行は易しいですが、難信です。
このスレを見てもわかりますように、
信じない方が多いです。
「他力の行などあるはずがない」とハナから拒否する方がほとんどです。

しかるに、

◎「易」は浄土門他力の行なり(尊号銘文)

◎「立」といふは、すなはち、弥陀他力の信をもつて凡夫の信とし、
弥陀他力の行をもつて凡夫の行とし、弥陀他力の作業をもつて凡夫報土に往生する正業として、
この穢界を捨ててかの浄刹に往生せよとしつらひたまふをもつて真宗とす(改邪鈔)

◎余行をまじへずして一向に念仏するを他力の行とは申すなり(自力他力事)

◎他力の行に帰して、真実清浄の業を得べきなり(六要鈔)


「獲信したい」という方は、信じていると言えると思います。

南无阿彌陀佛
555笑いのマートル:2008/03/23(日) 05:11:23 ID:njCDNpU5
他力に『行』があるとは理解できないんだと思います。
自力の修行があるように、
他力には修行がないと考えている方々ばかりだと思います。
やっぱり難信之難ですね。
非行非善とは、
自力ではないから自ら起こす行でないから非行と言う訳だし、
自らか行う善にあらざればこそ非善。
南無阿弥陀仏が仕立ててくれた行であり、
南無阿弥陀仏よりいただいた善である故に
非行非善。
556笑いのマートル:2008/03/23(日) 05:12:51 ID:njCDNpU5
功徳莫大な故に・・・
557298:2008/03/23(日) 07:35:31 ID:9YLzo3mk
>>555
>>467でも引きましたが、

◎さればこの流に帰して修行せんひと、ことごとく決定往生の行者なるべし(真要抄)

ですからね・・・

「ことごとく」とあるのですが、信じられないのだと思います。

南无阿彌陀佛
558298:2008/03/23(日) 08:16:51 ID:9YLzo3mk
選択集の本願章では、十念・十声では、念声是一と説き、次に乃至下至釈では、
「下者下至十声一声等也」と、まずは「等」と説き、次に、「所以然者、上取一形下取一念之故也」と
「等」ではなく、「下取一念」と。
御本典には、「下至十声聞等」と。そして、「及至一念無有疑心」。

◎「称」は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこころなり、
はかりといふはもののほどを定むることなり。名号を称すること、十声・一声きくひと、
疑ふこころ一念もなければ、実報土へ生ると申すこころなり(一多証文)

◎若七日及一日下至十声乃至一声一念等 必得往生(礼讃)

◎しかれども、「下至一念」は本願をたもつ往生決定の時尅なり、
「上尽一形」は往生即得のうへの仏恩報謝のつとめなり。そのこころ、経釈顕然なるを、
一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこころえみだす条、
すこぶる経釈に違せるものか。さればいくたびも先達よりうけたまはり伝へしがごとくに、
他力の信をば一念に即得往生ととりさだめて、そのときいのちをはらざらん機は、
いのちあらんほどは念仏すべし。これすなはち「上尽一形」の釈にかなへり。(口伝抄)

◎この一念について隠顕の義あり。顕には、十念に対するとき一念といふは称名の一念なり。
隠には、真因を決了する安心の一念なり(真要鈔)

◎しかれば当流のこころは、あながちにもろもろの聖教をよみ、
ものをしりたりといふとも、一念の信心のいはれをしらざる人は、
いたづらごとなりとしるべし(御文5-2)

南无阿彌陀佛
559神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 09:07:22 ID:6fex7Bbz
>>552
新手の勧誘なんですかねやはり
560神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 09:12:47 ID:6fex7Bbz
でもジャンヌ?で元S会の人々に呼びかけたり
伊藤康善氏の「佛敵」は違う、といってましたから。
S会・K会とは違うんじゃないですかね?
561神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 10:38:18 ID:ftI14HRW
>>555
念仏は行者のために、非行・非善なり。
わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。
わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。
ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行・非善なりと云云。


よ〜く考えてみよう。
あなたたちに都合のいい意味ではないと思いますよ。
562神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 10:39:19 ID:ftI14HRW
>>561
念の為に、歎異抄第8抄
5637:2008/03/23(日) 10:47:59 ID:L5YHU8Lc
>>561 ひとへに他力にして自力をはなれたる、全くその通りのお念仏ですね。
564神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 11:08:36 ID:B3gj2bUV
>545書いた者ですー。
(笑)さんは、五念門の礼拝じゃなくて、五正行の礼拝の事を言ってるのかな?
俺も今その違いについて、お寺の勉強会で学んでる最中なんだけど、
もうちょっと詳しく教えてもらってから書くね。と言うことで、
>545については五正行と五念門がごっちゃになってるみたいだし、
(笑)さんも、どうとらえてるのかはっきりしないので保留させて下さい。
もう夜中に起きてしまっても、書き込みは控えます。
ご迷惑おかけして、申し訳ありません。
565神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 11:47:30 ID:B3gj2bUV
>555
行はあるよ。『教「行」信証』じゃん。
専らこの行につかえ、ただこの信をあがめよ、って親鸞聖人は仰ってる。
大行とは無碍光如来の名を称するなり、でしょ。
ただ、正定之因唯信心に抵触する行ならば、
はからいを生むような行ならば、親鸞聖人が仰る行ではないでしょうね。
浄土真宗として、あり得ない事と言わねばならないでしょう。
566神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 12:01:54 ID:B3gj2bUV
>563
何がその通りだよー。
>536で言ってるのと違うじゃん。こう言っちゃ悪いけど、
信心決定してから、おかしくなっちゃったんじゃない?傍若無人な感じ。
あと、ついでに、弥陀たのめって、凡夫のお勧めなのかねー。
誰の口から聞いても、善知識のお勧めだけどなー、俺は。
ようこそようこそ
南無阿弥陀仏
567神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 13:17:49 ID:ovxhl6bM
>565

お前、行不退の座についてるよ。

しかも
>弥陀たのめ
>ようこそようこそ
>南無阿弥陀仏

これは称名正因というやつだよ。

信心正因って、ちゃんと分かってる?
5687:2008/03/23(日) 13:20:53 ID:L5YHU8Lc
>>566 ひとへに他力にして自力をはなれたる、お念仏があるんですよ。

>ただ、正定之因唯信心に抵触する行ならば、
はからいを生むような行ならば、親鸞聖人が仰る行ではないでしょうね。

全くその通りで、信心正因、念仏為本となる行、親鸞聖人が仰るところの行につかえさせてくださるのが次第相承の善智識です。
569神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 13:24:54 ID:6fex7Bbz
つまり次第相承の善知識が口伝にて受け継いでいる
一念帰命の行があるというわけなんですよね。
これこそまさに正定業、という。確かに易行ですね。
570298:2008/03/23(日) 13:57:17 ID:9YLzo3mk
>>564
>(笑)さんは、五念門の礼拝じゃなくて、五正行の礼拝の事を言ってるのかな?
>俺も今その違いについて、お寺の勉強会で学んでる最中なんだけど、
>もうちょっと詳しく教えてもらってから書くね。

教義もやってくださる、良いお寺さんですねー。
とても関心がありますので、ぜひ、こちらでもご紹介して下さい。
571笑いのマートル:2008/03/23(日) 13:58:03 ID:njCDNpU5
礼拝なくして、行ずる事叶わず。
572298:2008/03/23(日) 14:01:04 ID:9YLzo3mk
>>569
そういうことです。
しかも、その行が易行であるから、易行なのです。
易行ですけれども、善知識に会うまでが難しいですし、
(推求が必要)
また、そのような内容を聞いても、
ほとんどの方が、受け付けないのです。
「そんなもの、あるはずがない」と。
573298:2008/03/23(日) 14:19:51 ID:9YLzo3mk
源信和尚によれば、観察門の易行は、

◎もし相好を観念するに堪へざることあらば、あるいは帰命の想により、
あるいは引摂の想により、あるいは往生の想によりて、一心に称念すべし(往生要集)

となっています。

南无阿彌陀佛
574神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 14:24:59 ID:B3gj2bUV
>567
ちょっと意味がわからないなー。どうしてなのか説明してね。
575298:2008/03/23(日) 14:28:10 ID:9YLzo3mk
>>574
横レスですが・・・

◎真実の信心には必ず名号を具す。名号には必ずしも願力の信心を具せざるなり(信巻)

このあたりのことを、おっしゃっているのでは?
576笑いのマートル:2008/03/23(日) 15:48:41 ID:njCDNpU5
『五』正行、『五』念門、『五』重の義
皆、『五』が付いていますね。
意味があっての『五』でしょう。
577神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 16:11:21 ID:OUvKzKyR
創価学会の魔界連鎖は続くのか?
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/
アメリカ議会下院で「危険な組織」指定されている創価学会。
上院でもそうなるのか!?
フランス・チリ・ベルギー・オーストリア・ドイツでもカルト・セクト・危険な組織指定されている創価学会
創価はイスラム社会も汚染するのか!?
それも不可能だが。

666カルト組織の寿命は歴史的に短い。
今の池田創価は17歳?ほどだ。
新興カルト。

決戦のスタートは何時?
その後のシナリオは歴史通り^0^
3年半だ。
578298:2008/03/23(日) 16:29:00 ID:9YLzo3mk
>>570
「紹介」というのは、違いについての、教わった内容のことです。
579298:2008/03/23(日) 16:36:02 ID:9YLzo3mk
>>550
聞其名号、信心歓喜なのですから、「信心歓喜」する以上、
信決定体験は、あるのではないですか?

これにて、往生治定と存じ、つづきては、御恩報謝のお念仏となるのだと思います。

「安心を決定したる念仏の行者」(夏御文章2)
「信心決定したる念仏の行者」(御文1-13)
「信心決定して念仏申すべきなり」(御文3-4)

◎信をは一念にむまるととりて、行をは一形はけむへし(法然聖人)

御文様一帖第一通でも、信前と信後の違いを、
和歌を引いて、御説明くださっていると思います。

南无阿彌陀佛
580神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 16:40:28 ID:+UlIIuFf
298さんとそのお仲間さんたちの考えはどうしても常識的なんだと思います。
「信じなければ」とか「たのまなければ」などと、
「何かをしなければ」、「何かをすれば救われる」と考えているように感じます。
しかし、それは全て自力です。
「何もしなくても救われる」これが他力です。
581298:2008/03/23(日) 16:49:31 ID:9YLzo3mk
>>580
>「何もしなくても救われる」これが他力です

その通りだと思いますよ。
他力の行、非行の行と、繰り返し書いている通りです。

行者が行うことにては、信はいただけません。

信をいただくのは、あくまでも他力であり、行者においては非行、
したがって、非善でもあり、丸もらいであり、
他力の信であると、明らかに知られます。

この内容も、繰り返し書いていると思いますが、
そのような行があることを、>580様は、信じられないのです。

自らが信じることもできないのに、常識的とは、おかしな話です。

南无阿彌陀佛が常識であれば、どんなに良いでしょう・・・

そうなることを、願っております。
多くの方に、弥陀に救われてほしいです。

しかし、今のところは、大乗相応の地であるこの地においても、
この時節において、難信之法であります。

これからの時節、ある程度の拡大がおこると私は思っておりますが、
それでも、たいした広がりは、ないと思います。

蓮師のときでも、信を取らないものが多数いらっしゃったことは、
聞き書きにも見えます。

南无阿彌陀佛
582298:2008/03/23(日) 16:54:52 ID:9YLzo3mk
>>580
「行」について重要だと思うのは、

◎「流行」は十方微塵世界にあまねくひろまりて、すすめ行ぜしめたまふなり(唯信鈔文意)

この「行」の左訓です。

◎おこなふとまうすなり(唯信鈔文意)

「行」とは「おこなひ」。

当たり前のことですが、大切なことであると思います。

南无阿彌陀佛
583298:2008/03/23(日) 17:09:19 ID:9YLzo3mk
>>580
>「何もしなくても救われる」これが他力です。

これは、その通りですが、では、本当に何もしなくても良いのか?

と言えば、それも違うと思います。

もし、本当に何もしないとしたら、どうするのですか?

ただ待つのですか?

しかし、それでも「待つ」という方法を実行していると思います。

ただ何もしないのではなく、そこには、あくまでも、他力のはたらきがなければならないのだと
思います。

では、そのはたらきを我が身に受ける(「用」)には、どうすれば良いのでしょうか。

◎道は色像なしといへども見つべし、称量して知んぬべし、しかるに実に用ありと。(教行信証)

南无阿彌陀佛
584298:2008/03/23(日) 17:16:26 ID:9YLzo3mk
>>526
>それはすごいですね。見ることができるのですか。

参考になるかはわかりませんが、

◎道は色像なしといへども見つべし(信仏土巻)

とありますよ。

親鸞聖人は、あえてこのようにおっしゃているのだと、私は解しています。

南无阿彌陀佛
585神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 17:28:37 ID:+UlIIuFf
>>583
「待たなければ・・・」「他力のはたらきがなければ・・・」「はたらきを我が身に受けなければ・・・」
次々と自力のはからいがわき上がって来ますね。
586神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 17:30:53 ID:+UlIIuFf
>>583
> では、本当に何もしなくても良いのか?
> と言えば、それも違うと思います。

他力の信心を獲たというのはウソだったんですね。
587298:2008/03/23(日) 17:41:12 ID:9YLzo3mk
>>586
どうして、得道の人有りと、信じようとしないのでしょう。

他力の信をいただくときには、何もしなくて良いのです。

阿弥陀様が、お世話してくださいます。

しかし、その前には、行者の側から、やることもあるのです。

そうでなければ、どうやって、信をいただくのでしょうか。

具体的に、信をいただく道が示せないなら、
絵に描いた餅であり、いたずら事だと思います。

もろともに信をいただくべきですし、
自信教人信でもあります。

方法があるからこそ、教人信が可能なのだと思います。

易行にて弥陀に救われたい方は、獲信者を探し、
次第相承の善知識に会い、六字のいわれを聞き開き、
弥陀をたのんで、信心いただいてほしいと思います。

一度決定した信心は、何があろうとも、退転することがなく、
極楽往生治定です.

それをよろこんで、御恩報謝のお念仏をしてゆきます。

生き延びてゆくのも、御恩報謝であると、近頃は感じます。

南无阿彌陀佛
588298:2008/03/23(日) 17:43:19 ID:9YLzo3mk
>>585
それはあなた様の場合がそうであるだけで、
獲信者を探し、次第相承の善知識に会おうとする方も、
いらっしゃいます。

自分では無理ですから、教わらねばならないのです。

南无阿彌陀佛
589298:2008/03/23(日) 17:49:02 ID:9YLzo3mk
>>585
自身のはからいではどうにもならぬから、
教わらねばならぬのに、
受け入れようとしないご自身のすがたが、
現れていると思うのですが・・・

少なくとも、先入観をある程度捨てて、「ひょっとしたら本当かもしれない」という目で
読み始めるまでは、わけがわからないここと思います。

私は、他力信をいただく道があると、幾度も書いています。

「そんなもの、あるはずがない」と、あなた様はご否定なさるわけですが、
では、代わりの道を、示せるのでしょうか。

他力信をいただく道があるならば、よろこばしいことなのでは、無いのですか。

「はからい、はからい」と捨てているつもりで、
捨てようと、はからっていらっしゃるのでは、無いでしょうか?

自力というのは、八方塞がりです。

自力の心のふりすて方も、教わらねば、凡夫には、わからないと思います。

いくら自分でやろうと思っても、多くの方には、無理だと思います。

もちろん、自分でできると思う方は、その道を進めば良いのですが、
「自分では、無理だ」と思う方は、まず獲信者をお探しください。

その身、その心のままで、救われる道を、示してくださると思います。
易行にて、救われる道がございます。

南无阿彌陀佛
590神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 17:53:19 ID:+UlIIuFf
>>587
> 他力の信をいただくときには、何もしなくて良いのです。

「何もしなくて良い」これがすでに自力だと思います。
何もできないどうしようもない悪人を救うというのが阿弥陀さまの本願でしょう。

> しかし、その前には、行者の側から、やることもあるのです。

行者の側、あなたから何かをやったというなら、あなたは自力の行者、善人でしょう。

> そうでなければ、どうやって、信をいただくのでしょうか。

阿弥陀さまの本願を信じていない言葉ですよ。
591298:2008/03/23(日) 17:54:24 ID:9YLzo3mk
ただ否定するだけでは、先に進めません。

「自力のはからいでは、信をいただけない」

それはその通りですが、「では、どうするか?」が大切であると思います。

真宗は、頓中の頓ですから、極悪最下の凡夫人が、
いとも簡単に、最上の弥陀の信心をいただけます。

「こんな素晴しいものは無い」と、私は思っています。

出離の縁が無いはずの凡夫が、いとも簡単に、出離の縁を獲ます。

矛盾しているようですが、弥陀の御修行の故なのです。

ありがたい、他力の道です。

南无阿彌陀佛
592298:2008/03/23(日) 17:56:51 ID:9YLzo3mk
>>590
>行者の側、あなたから何かをやったというなら、あなたは自力の行者、善人でしょう。

行者の側から何かをするのは、起行について言っているのであって、
他力信をいただくのは、非行なのです。

そんなに、むずかしいことでしょうか・・・

否定しようという気持ちが先走っているのでは、ありませんか?
593神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 17:57:32 ID:+UlIIuFf
>>589
> 私は、他力信をいただく道

阿弥陀仏以外にそのような道を示せる者がいるとしたらそれは偽者でしょう。

> では、代わりの道を、示せるのでしょうか。

代わりも何もある方がおかしいでしょう。
594神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 18:03:50 ID:+UlIIuFf
>>589
> 自力の心のふりすて方も、教わらねば、凡夫には、わからないと思います。
> いくら自分でやろうと思っても、多くの方には、無理だと思います。

「自力を捨て去ることが大事」と、自力を捨てることを条件にしているようですがそれも間違いです。
阿弥陀さまの救いには自力を捨て去ることも条件ではありません(捨て去ることは不可能です)。
自力を捨て去ることはできませんが、自分の称える念仏が救いの条件とはならないと、自力無功を知らされ、その上で申す念仏が他力の念仏なのです。
595神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 18:09:38 ID:+UlIIuFf
>>592
> 否定しようという気持ちが先走っているのでは、ありませんか?

自力のこころをふり捨てて覚りをひらいたという勘違いが先走っているのでは、ありませんか?
596神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 18:17:16 ID:B3gj2bUV
>570
住職さんからご許可いただければ、いいんじゃないかな?今度聞いてみますね。
>576
そんな事言ったら、「五」濁悪世も「五」道も「五」逆も「五」だよ。
まあ、『浄土論』の五念門を受けての五正行でしょう。
597渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2008/03/23(日) 18:29:11 ID:HBc+8bkS
 ↑     / ̄ ̄ ̄ ̄\     おまえ「オタク=デブ」と勘違いしてないか?。
 │    (  人____)     最近のオタクは、みんなガリガリに痩せてるよ。
 │     |ミ/  ー◎-◎-)    「オタク=デブ」という概念は、今では古いね。
 │    (6     (_ _) )
 │   __| ∴ ノ  3  ノ    まぁ秋葉原にでも行って、実際にオタク共を観察
 │  (__/\_____ノ    してみれば分かるよ。
160cm/ (   ))      )))    痩せていてキショイオタクどもが蔓延ってる。
 │ []___.| |親鸞聖人命 ヽ   奴らを見ると本当に狩りたくなるよな。
 │ |[] .|_|_______)
 │  \_(__)三三三[□]三)     ま、俺みたくかっこいい奴はそんな奴ら
 │   /(_)\:::::::::::::::::::::::|  相手にもしないけれどね(微笑)
 │  | SONY |:::::::::/:::::::/
 │  (_____);;;;;/;;;;;;;/    とにかく!!俺は秋葉原でうろいついてる死んだ魚の目をしてる
 ↓      (___[)_[)  馬鹿どもとは違う!!そこんとこよく覚えておけ!!!!
598渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/23(日) 19:21:04 ID:ccizImTB
念仏研修会 第2回目
 3月31日 午後の部(念仏・座談)   11時から16時
       教行信証講読        16時から19時
       夜の部(念仏・座談)    19時から23時
 午後の部と夜の部と選択可。両方参加も可能。途中退席も可。なお、プログラムは多少の変更
の可能性もあります。

 場所 愛知県 (名古屋地区)

 五会念仏法事讃略抄(親鸞真筆)・至道抄(存覚著)・御文(蓮如著)を骨格ベースに、鎌倉・室
町期の真宗の念仏道場のスタイルを復活させ、座禅しながら五会念仏(念仏三昧)を勤修します。
 問い合わせ先  [email protected] 渡海 難

 1回目の後、すぐに2回目をしたいという反響に応えるものです。なお、今後定期的に行っていく
かどうかは、全て未定です。
599神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 19:47:26 ID:B3gj2bUV
>579
他力信心は自力のはからいが無い。信心を体験とするならば、
自力のはからいがない体験って、どんな体験なんだろー。
「信心とは、不可思議言語を絶する体験」だとすれば、
弥陀の真実心の他に、不可思議言語を絶する体験を差し挟む事になる。
信心は無二心であるから、このような信心は信心でありえない。
「私は自力のはからいが無い体験をしました。
だから私は信心決定です」と主張する事も、同様のパラドックスを生む。
体験とは何だろう。自分で実際に知覚し、経験とする事。
信心は仏心であり、また一心であると親鸞聖人は言われているのに、
それ以外に、知覚経験という各別の心を加えるから、二心となる。
二心は真実信心ではない。一心欠けたる人=疑惑仏智の人。
故に、はからいを捨てて他力に帰すことを「体験とする」人は、
実は、はからいを捨てて他力に帰して無いことになる。
本人は信心決定したと、本人の体験から感受しているが、
実は未決定という厄介な状態に陥る。
Q.E.D.
600神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 20:14:26 ID:VL+zHSlA
私の往生は佛がしたためたまふ。なむ。
601神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 20:15:44 ID:C4wEW4XK
善知識の勧めにしたがって弥陀に帰命するのですが、それを自力のはからいであると
考える方が多いみたいですね。
たしかに凡夫の心が帰命すれば自力ですが、この場合は、一念帰命はぜんぶ阿弥陀さまが
してくださるのです。
こちらが行なうことといえば、ただそのまま、阿弥陀仏におまかせするだけ。
おまかせするといっても、そこは凡夫のことですから、心は散り乱れています。
でも、それでもいいのです。そのまま、です。
十人でも百人でも、みんな摂取の光明におさめとられて南無阿弥陀仏になっちゃいます。
易行このうえありません。不思議このうえないので難信このうえないかも。
ちなみに私、○十年前、赤子のときに信心獲得いたしました。

おおきな声では言えませんが、御恩報謝怠り気味です。
もったいないので、少しは心入れ替えないかんなと思ってます。
思うだけ・・にならなきゃいいなとも思ってますけど。。。
602神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 21:08:37 ID:B3gj2bUV
>601
>善知識の勧めにしたがって弥陀に帰命するのですが、それを自力のはからいであると
>考える方が多いみたいですね。
俺の事言ってんのかな?全然そんな事考えてませんよー。
だって、俺にも善知識と呼ぶべき方があって(あくまでも私にとってだよ)、
弥陀たのめとお勧めいただき、今があるんだから。
>たしかに凡夫の心が帰命すれば自力ですが、この場合は、
>一念帰命はぜんぶ阿弥陀さまがしてくださるのです。
この場合って、どの場合?
>こちらが行なうことといえば、ただそのまま、阿弥陀仏におまかせするだけ。
こちらが行うことがあれば、自力なんじゃない?
おまかせしたという心が、弥陀の真実心の他にあるのだから。
信心一ならず、二心ですよね。
603神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 21:16:46 ID:VL+zHSlA
>>602

心得たるは心得ぬなり。
あなたは無帰命安心の本山ですな。
噂で聞いたがここまでとは。哀れ哀れ。存命中に信心決定あらかし。
604神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 21:31:30 ID:C4wEW4XK
>602
たしかに「おまかせする」ということには、意識するしないにかかわらず、自力が入ってます。
あなたの信心からいえば、間違っているのですね。

>603
でも、602さんは立派だと思いますよ。
真剣に南無阿弥陀仏と向き合っているみたいです。
そういうところは見習いたいものです。
605298:2008/03/23(日) 21:34:04 ID:9YLzo3mk
>>594
>> 自力の心のふりすて方も、教わらねば、凡夫には、わからないと思います。
>> いくら自分でやろうと思っても、多くの方には、無理だと思います。
>「自力を捨て去ることが大事」と、自力を捨てることを条件にしているようですがそれも間違いです。
>阿弥陀さまの救いには自力を捨て去ることも条件ではありません(捨て去ることは不可能です)。

◎もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて(領解文)

とあるわけですが・・・

もちろん、領解文をご存じないとは思えないので、
領解文をいただいている上での、おことばなのだと思います。

「捨て去ることが不可能」なのは、自分でやろうとするからです。

捨てられぬものを捨てようとしたら、きっと苦しくなるでしょうし、
行き詰まってしまうことでしょう。

だからこそ、教わらねばならないのだと思いますよ。

南无阿彌陀佛
606298:2008/03/23(日) 21:37:21 ID:9YLzo3mk
>>604
>でも、602さんは立派だと思いますよ。
>真剣に南無阿弥陀仏と向き合っているみたいです。
>そういうところは見習いたいものです。

そうですね、立派であると思います。
名号を大切にしていらっしゃると思います。
607298:2008/03/23(日) 21:38:14 ID:9YLzo3mk
>>601
素晴しいご縁をいただいている方だったのですね。
摂取不捨のお救いは、ありがたいですね。
本当に、不可思議なことです。

南无阿彌陀佛
608神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 21:58:59 ID:DdAydfGU
阿弥陀様の救いは、
「自力邪魔」
じゃなくて

『自力無効(無碍)』なんだよ

阿弥陀様のお救いを邪魔にもならないし、助けにもならないんだよ。
だから無効な訳ね。
それを聞知すれば、なんとなく安心の思いが生じる。
それは他力回向の信楽。
609298:2008/03/23(日) 22:04:25 ID:9YLzo3mk
>>593
>>では、代わりの道を、示せるのでしょうか。
>代わりも何もある方がおかしいでしょう。

ということは、あなた様を尋ねても、あるいは、あなた様の善知識様をお尋ねしても、
道を示していただけないということになるのでしょうか。

求める方にとって、それでは、あまり参考にならないのでは、ありませんか?

凡夫が簡単に信をいただけるというのが、
弥陀からのお約束なのであると私は思っています。

そのために、御修行くださったと思い、感謝しております。

ですから、私はそのような信を探しました。

別の考え方の方には、また別の道があるのだろうと思います。

「方法など無い」では、訳が分からないだろうと思います。

私が繰り返し書いていることは、弥陀に救われるには、方法があり、
それは、南无阿彌陀佛だということです。

こう書くと、これも訳がわからないことだと思いますが、
善知識様が、一文不知の方にわかるように、
噛み砕いて、説明してくださいます。

ですから、まずは獲信者を探し、次に、善知識様にお会いし、
六字のいわれを聞き開くことが大切であると思います。

南无阿彌陀佛
610298:2008/03/23(日) 22:14:48 ID:9YLzo3mk
阿弥陀様が衆生を救おうとしていても、
善知識様が、阿弥陀様のためにはたらこうとしていても、
なかなか、わかってもらえない姿を見るにつけ、
どうして、こんな自分に信じることができたのかと、
とても不思議な感じがします。

その道筋を思い返すと、導かれていたのだと思いますし、
では、もっと早くにこの信に出会っていれば、
信じられたのかというと、「アヤシイ」と受け入れなかった可能性も
高いだろうと思っています。

ですから、やはり、ひとりひとりにお導きがあって、
たまたま、時期が合った人には、「本当なのではないか」と
思っていただけるのだと思っています。

今、信じられない方も、いつ、「ひょっとして、本当なのでは?」と思わないとも、
限らないと思います。

南无阿彌陀佛
611298:2008/03/23(日) 22:18:51 ID:9YLzo3mk
>>602
>おまかせしたという心が、弥陀の真実心の他にあるのだから。
>信心一ならず、二心ですよね。

おまかせしたという心は、弥陀の真実信心では、無いのです。

そこを信心と呼んでいるのでは、ありません。

信心の体は、あくまでも、南无阿彌陀佛。

おまかせしたという心がわからなくなってしまい、
無記になったとしても、極楽往生治定には、変わりがないことが、
ありがたいことなのです。

おまかせしたと思おうが、おまかせしたと思わなかろうが、
弥陀をたのめば、信心決定。

誠に不可思議な、南无阿彌陀佛であると思います。

南无阿彌陀佛
612笑いのマートル:2008/03/23(日) 22:37:42 ID:njCDNpU5
何もしなくても救われるという事は、
信じなくても救われるのでしょうか?
最低限信じる事が必要なのではと思います。
信じて弥陀にゆだねるからこそ信心ではないですか?
信じる心すら弥陀に育てられたものですが・・・
613神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 22:47:51 ID:B3gj2bUV
>603
弥陀に帰命したという自意識をたのむ、たのんだという自意識をたのむ事こそ、
無帰命安心だと思うけど。だって、弥陀をたのんでないでしょ、皆、我が心。
弥陀を縁として自意識によって固められた安心、
それこそ即ち無帰命安心ってとこかなー。
>608
それだ!そうじゃなきゃ、教えられども自然に
真如の門に転入するとはいわれない!
第19願・第20願を建立された意味も発揮されない。
阿弥陀さまは、無駄な願を建てた事になっちゃう。
自力は無駄じゃない、無効なんだねー。
そのお言葉は、俺にとっては、善知識さまだよ。
どこまでも救う救うの一点張り、恐れ入りやの南無阿弥陀仏
614笑いのマートル:2008/03/23(日) 22:49:45 ID:njCDNpU5
善知識の下で一念帰命しなければ、いたずらごとでしょう。
615神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 23:03:12 ID:B3gj2bUV
>610
阿弥陀さまは、廣劫来流転の凡愚に、いまさら解って来いと注文つけるのかなー。
注文を受け付けられる能があるなら、諸仏のご出世の頃、
とうに成仏してるよね。娑婆にオンギャーって生まれてないわい!だねー。
何にもなくて、わたしゃ幸せ。
善きことが一つでもあれば迷うけど、皆悪くて、わたしゃ幸せ。
みな濁悪邪見で出来ていて、差し上げるものが何もない。
私のために思惟して、端正込めて拵えて下さった
南無阿弥陀仏の他には何もないっす。
南無阿弥陀仏
616神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 23:07:19 ID:B3gj2bUV
>614
いたづら事だね。一念帰命しなければ。
一念帰命だよ、一念帰命。皆、あなたのおかげさま、南無阿弥陀仏
617神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 23:13:19 ID:B3gj2bUV
それでは、また明日、力が残ってたらよろしくね。
阿弥陀さまの「若不生者」のお心は、一心、真実心、金剛心、菩提心
自力無効か、南無阿弥陀仏
618298:2008/03/23(日) 23:22:04 ID:9YLzo3mk
>>615
615様のお話も、いろいろな方にお話してみれば、「わからん」と
言われることが、あると思いますよ。

615様のお話にも、主張があり、それは、「わかる」ことを
要求しているのだと思います。

他の方に対して、「わかってないねー」という意味のことを、
たびたび書いていらっしゃると思います。

それは、知らず知らず、「わかる」ことを、要求しているのだと思います。

南无阿彌陀佛
619神も仏も名無しさん:2008/03/23(日) 23:25:48 ID:B3gj2bUV
>618
ごめんね。南無阿弥陀仏
620298:2008/03/23(日) 23:31:45 ID:9YLzo3mk
私は、善知識のもとで、弥陀をたのんで、救われたと思い、
よろこんでいますけれども、皆がそれを望むかと言えば、
そうではないのだろうと思います。

私に言えることは、弥陀に救われたい方が、
簡単に救われる道がある、ということです。

「そんな道は無い」という方もいらっしゃるようで、
無いと思う方は、求めないのですから、特に問題は無いのではないかと
思います。

「ひょっとしたら本当かもしれない」という方に、求めていただいて、
弥陀の救いを体験していただき、よろこんでいただけたら、
うれしいのです。

他の道があると思われる方は、その道を行けば良いのですし、
その道が難しいのか、易しいのか、
ある程度の説明を聞かなければ、判断もできません。

「方法が無い」という考え方のところにゆけば、
困惑するだろうとは、思います。

御文様を読んで、「御文様に書いてあるままの信心をいただきたい」という方に、
おすすめできる道です。

お約束の通りの易行ですし、他力信だと、わかります。

弥陀に救われて、よろこばれる方が出るのは、
とても気持ちの良いことです。

南无阿彌陀佛
621神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 01:13:01 ID:zFPAF5Iy
>>471>>472
すばらしいですね。
尊い尊い妙好人の、心の底からの叫び声、私のために書いてくださったのかと
ありがたく勿体無く、読ませて頂きました。
阿弥陀仏のお声、そのままに聞かせて頂くしあわせ。
すべて阿弥陀仏のおひとりばたらき。

>>477
>それ本願の三信心と云うは、至心・信楽・欲生これなり。

このお言葉の通り。
阿弥陀仏から頂くまことの心で、阿弥陀仏の「必ず往生させる」のご本願を
わからせて頂くゆえに、必ず往生します。
622神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 01:23:37 ID:zFPAF5Iy
善知識は、阿弥陀仏のご本願のあることを教えて下さる方。
この方に遇わせて頂かなければ、
阿弥陀仏のご本願を知ることができません。

けれど、他力の信心は、善知識のちからによって頂くものではありません。
すべて、阿弥陀仏のご本願力によるものです。

お聖教に言われる次第相承とは、特定のちからを言うものではありません。
阿弥陀仏のご本願を、正しく伝えてくださることを言うのです。

正しく伝えてくださるかたであれば、牛であろうと善知識です。

阿弥陀仏のおやごころは、罪重く迷い深いものにもっとも深くかかってくださる。
この愚か者、悪人と分からせて頂く身こそ一番の幸せ者です。
御恩の広大無辺なること、ただほれぼれと仰ぎ、お念仏させて頂くばかり。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
623神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 05:31:37 ID:8+8Kdvq2
>>620

私は親鸞会に行き始めの者ですが、298さんはどこの所属なんですか?

本願寺?
624298:2008/03/24(月) 05:48:55 ID:upG4krxc
>>623
今のところ、所属は明らかにしていません。
ご迷惑がかかるとイヤですので。
625渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/24(月) 08:51:27 ID:hXIeq1+Q
なんの為に念仏をするのですか?
念仏をすれば阿弥陀仏から信心をもらえるんですか?

    ↓ 回答しました

 http://life9.2ch.net/psy/346
626渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/24(月) 08:54:31 ID:hXIeq1+Q
>625  <間違えました>

なんの為に念仏をするのですか?
念仏をすれば阿弥陀仏から信心をもらえるんですか?

    ↓ 回答しました

http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1171329640/346
627神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 09:26:34 ID:huwJB4IR
>>471
なぜか「マグダラのマリア」を思い出した。真宗門徒でありながら、カトリックスクールにも通ったのでね…。
私に大きな誤解があるのかもしれませんが、イエス様も「人に蔑まれるような人にも、そんな人にこそ神の愛は降り注ぐ」といった趣旨の事を説いていた、という話があったかと思います。
遠藤周作さんあたりは、そのあたりを大切に考えておられ、また自分を「ぐうたら」と言ったり偽善をとことん憎んでいたり、一部では「あれではカトリックじゃなくて浄土真宗だ」とも言われているとかいないとか。

私は広島なので、筒賀まで行ってみたくなりました。
628298:2008/03/24(月) 15:26:24 ID:2NTXrE06
カンタンに信をいただけることが信じられないのか、
カンタンに信をいただかれては困るのか、
よくわからないのですが、
易行であるはずのこの道。易行とは為さない方が多い事も、不思議です。

私は、探して行くときに、易行としないところ、
信のいただき方がわからないところ、
方法等無いというところは、「違う」と思い、
はじめから、方法があるところを探していましたから、
「方法など無い」という方とは、はじめから、感覚が違かったのだと思います。

方法が無いのでは、凡夫が救われないと、私は考えています。

小さいときに、「南無阿弥陀仏と口に出すだけで良いとは、何と素朴な信仰だろう。
信じられる方は、ラクでいいなあ。自分には無理だ」という思いと、
「きっと、本当は他にも何かあるはずだ」と思っておりました。

学校で、親鸞聖人の教えを習ったときにも(たぶん、小学校だったと思います)、
「絶対他力」ということで、法然聖人との違いを習いました。

「自らの口から出るお念仏も、他力と捉える」のようなことを習いました。

「なるほど、そのように考えるのか」と思うと同時に、
「つきつめていらっしゃる方だ」と思えました。

そして、「しかしそれでは、南無阿弥陀仏でなくても、同じ事だ。
何を口に出そうが、何をしようが、すべて他力と捉えられることになる」と思いました。

このような経由が私にはありまして、今は、六字のいわれを聞き開くことができ、
納得しております。「凡夫が救われる道はこれしかない」(私が知る限り、です)と
思っております。
易行であるはずなのに、信を獲られず苦しんでいる方に、易行であると知ってほしいです。
629神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 17:49:00 ID:OK/Zsn7p
>>628
> 方法が無いのでは、凡夫が救われないと、私は考えています。

雑行雑修自力のこころをふり捨てて他力の信を獲たとおっしゃる方が、
「私は考えています。」などと未だに自分の考えを振り回してるのは疑問なのですが・・・。
善知識が弥陀の代官だと思う、信を獲たと思う・・・すべてはあなたの思いなのではないですか?
630298:2008/03/24(月) 17:56:02 ID:2NTXrE06
>>629
すべてが自分の思いなのは当たり前で、
それを否定するのは、おかしなこと。

他力の信をいただくときには、自力の心はふりすてていますが、
また、すぐに、自力の心が戻って参ります。

ですから、獲信者と雖も、一見、ふつうの方と、あまり変わりがありません。

あくまでも、凡夫のままです。

自らの思いをなくすのは、聖道です。

凡夫の想いは、すべて、水に描いた絵のごとし。

そして、そのままにて、救われます。

私に言えるのは、凡夫がそのままで、救われる道があるということ。

「信ずる者は救われる」ということばがありますが、
私には、どのようにしたら「信じる」ことができるのかが、わかりませんでした。

キリスト教にも易行があるだろうと思い、探しましたが、
私が結局導かれたのは、この道だったのです。

この道では、「信」そのものも、いただけます。

南无阿彌陀佛
631神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 18:27:51 ID:/LgqPppe
>618
解んなくていいんじゃないかなー。解って来いよ、の誓願じゃないし。
逆に、解ってもらってもかまわない。解った事もあてにならないし。
自力無効ならば、弥陀が必ず助ける、必ず浄土に参らせる誓願だけが、
ひとり清浄だね。私はこれからも、生きてりゃ色々な体験するだろう。
生まれてこの方、経験した事のないような体験もするかも知れない。
ある時は喜び確信し、ある時は苦しみ不審に思い、
ある時はそれどころじゃなかったりするだろう。
でもね、私の心はコロコロ変わっても、私を五劫の間、
思い詰めで考えて下さった、必ず浄土に参らせると誓って下さった、
如来の真実心によるお約束だけは、決して変わらない。
私が桃李の顔色褪せて、たとえ白骨となろうとも。
勇気の源かもね、南無阿弥陀仏は。
決して捨てないよって、仏様が仰ってくださる。
これぞ、易行中の易行だね。南無阿弥陀仏
632298:2008/03/24(月) 18:41:07 ID:2NTXrE06
>>631
>勇気の源かもね、南無阿弥陀仏は。
>決して捨てないよって、仏様が仰ってくださる。
>これぞ、易行中の易行だね

このような部分について、「わかる」とは行かなくても、
「聞き知った」くらいの理解は、必要とされるのでは、
ないでしょうか?

「阿弥陀様なんて、いないよ」という方も、いらっしゃいますから。

結局、自身が救われたとしても、
ある方に救われて欲しい場合、
その方の状態によると思います。

ですから、お手引きできたとしても、阿弥陀様のお力だと思うのです。

もう、先方にある程度の準備ができていなければ、
もともと無理なことなのですから。

同じ内容をお話しても、納得する方と、しない方がいます。

阿弥陀様のお育てがなければ、どうにもなりません。

私たちの対機など、たかがしれていますから、多くの方にご納得いただくのも、
無理なことだと思っています。

釈尊は、たくさんの法門を説かれました。

私は、真宗が精一杯である上に、その真宗も、うまく伝えられないのです。

南无阿彌陀佛
633神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 18:42:19 ID:/LgqPppe
>630
信心決定を体験と認識するから起こるパラドックスさ。
信心決定の時は自力のはからいが消滅していた(と感知した)。
しかし、その後は自力のはからいが起こる。
と言うことは、信心決定時の信心と、現在の信心が異なる信心って事になっちゃう。
それは決定の信とは言えないよ。
634神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 18:43:19 ID:3A/h9SOV
いくつかのレスにあり、単なる変換ミスだと思うのですが、
自力無効ではなく、自力無功ですよね。
635神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 18:52:33 ID:3A/h9SOV
>>632
> >勇気の源かもね、南無阿弥陀仏は。
> >決して捨てないよって、仏様が仰ってくださる。
> >これぞ、易行中の易行だね
>
> このような部分について、「わかる」とは行かなくても、
> 「聞き知った」くらいの理解は、必要とされるのでは、
> ないでしょうか?

あなたこそ 「聞き知った」レベルなのではないですか?
「決して捨てないよって、仏様が仰ってくださる。」と「わかる」なら、
凡夫の方からたのまねば・・・なんてことはありえないでしょう。
仏様が仰ってくださる「決して捨てないよ」を信じられないから、
私がたのまねば・・・という思いが起るのでしょう?
636神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 18:55:13 ID:/LgqPppe
>634
ごめん、俺だ。自力無効じゃなくて、自力無功なんですね。お詫びして、訂正します。
637神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 18:55:44 ID:EYt7i1gm
真宗はややこし〜ね。
638298:2008/03/24(月) 18:57:43 ID:2NTXrE06
>>633
信心の体は、あくまでも南无阿彌陀佛ですよ。
本当に、信心決定したのか、私たちには知り得ないことですからね。
往生程の一大事、弥陀におまかせする他は、ありません。

信心いただいたと信じて、御恩報謝の南無阿弥陀仏を、
申して参ります。

決定の信は、私たちがわかるとわからないとに関わらず、
相続するはずのものです。

自分で感じている信心は、自分がつくり出したもの。

将来意識を失うようなことがあれば、それは、失われてしまうでしょう。

それでも、弥陀にいただいた信は相続して、
私たちを、浄土に連れて行ってくださいます。

◎ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて
信ずるほかに別の子細なきなり(歎異鈔)

633様のお気持ちも、私の気持ちも、この歎異鈔の通りであると思っております。

南无阿彌陀佛
639298:2008/03/24(月) 19:02:09 ID:2NTXrE06
>>635
私が申しているのは、>631様が、他の方にお伝えするときのことですよ。

いくら、「解んなくていいんじゃないかなー」とは言っても、
それでも、何かしらは、相手の方にわかっていただかなければ、
共に弥陀の救いをよろこんでゆくことは、
難しいのではないかと思います。

私も、「機を問わず」と幾度も書いていますが、これは省略形であって、
宿善は、問われます。

そして、さらに言うならば、宿善は、「問われる」のではなくて、
宿善が開発されていなければ、自ら背を向けるのです。

こちらから篩にかけて、振り落とすということでは、ないのです


>>637

どうして、ややこしくなってしまうのでしょうね。
救われるのは、易行ですのにね。

南无阿彌陀佛
640298:2008/03/24(月) 19:04:47 ID:2NTXrE06
>>635
>仏様が仰ってくださる「決して捨てないよ」を信じられないから、
>私がたのまねば・・・という思いが起るのでしょう?

信じられないのは、未安心だからで、だからこそ、「たのまねば」という思いが起こります。

そして、それで構いませんし、そう思っていた方が、
弥陀をたのみやすいようにも思います。

そして、無事、弥陀をたのんで信決定したら、その後は、
御恩報謝の南無阿弥陀仏です。

南无阿彌陀佛
641神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 19:13:25 ID:YTLPKoFU

どなたか、「獲信体験」と「見性体験」の違いをくわしく説明できる人いますか?

どちらも、生死を離れる体験なんだが、どう違うのかいな???
642神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 19:46:03 ID:3A/h9SOV
>>639
631さんの
> 決して捨てないよって、仏様が仰ってくださる。
> これぞ、易行中の易行だね。

これが分からないから、

> 解んなくていいんじゃないかなー。解って来いよ、の誓願じゃないし。
> 逆に、解ってもらってもかまわない。解った事もあてにならないし。
> 自力無効ならば、弥陀が必ず助ける、必ず浄土に参らせる誓願だけが、
> ひとり清浄だね。

これも分からない、誤解する。
「解らなくてはいけない」そんな思いはいらないし、
凡夫が解ったと思ってもそんなことは当てにならない。
そもそも、解らなきゃいけないって思うことが、弥陀の誓願を信じていない、ってことなんですよ。
つまり、自力をたのんでいると言われるのです。
643神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 19:52:07 ID:3A/h9SOV
凡夫にもできるから易行ではないのです。
「何もしなくてもいい」から易行なんです。

理解しなくてもかまわないから、難中の難なのです。

信じなくてもいいから、信じがたいのです。
644神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 20:38:39 ID:XbG6rUeK
> 理解しなくてもかまわないから、難中の難なのです。
> 信じなくてもいいから、信じがたいのです。

なんだ、やっぱり差別するんか。がっかりだね。どっちのほうも「あんたこそわかってない」と言い張ってるばかり。真宗ってこんなもんか。
645298:2008/03/24(月) 20:40:04 ID:2NTXrE06
>>642
>これが分からないから、

と言いつつ、わからなくていいんですよね。

まるで、わからなくちゃいけないかのような、
お書きぶりだと思いますけれども・・・

643でおっしゃっていることも、大体わかります。

そして、「理解しなくてもかまわないから」は、その通りだと思いますが、
だからこそ、「難中の難」というのは、考え方が違うところです。

なぜ、難しいと言えば、受け入れず、拒否するからのような気が致します。

本当に、難しいことは、要らないんですけれどもね。

ただ教わって、その通りにするだけなのですから・・・

南无阿彌陀佛
646298:2008/03/24(月) 20:43:08 ID:2NTXrE06
理解しなくてもいいから、簡単なんだと思いますけれどもね。

不可思議なことを、「わかりましょう」と言われたら、
それこそ、難しいと思います。

わからなくても、弥陀をたのめば、信心決定だと思います。

◎ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて
信ずるほかに別の子細なきなり(歎異鈔)

南无阿彌陀佛
647298:2008/03/24(月) 20:49:12 ID:2NTXrE06
車の運転にたとえるならば、
車の詳しい仕組みは知らなくても、
ハンドルや、アクセル、ブレーキの操作がわかれば、
車が運転できるようなものです。

車をつくってくださったのが、阿弥陀様。

運転してくださるのが、善知識様。

乗り込むのが、行者です。

行者を、車のところまで連れてきてくださるのが、獲信者。

獲信者は、車のドアも開けてくれるかもしれません。

そして、一緒に後部座席に乗り込むんですね。

「この程度は、わかっていないと」という部分と、
わからなくていい部分とがあります。

行者が酔いつぶれていたとしても、獲信者が、
車の中まで運んでくだされば、
善知識様に運転していただけます。

あくまでも、たとえですので、不完全なものですが。

南无阿彌陀佛
648神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 21:12:29 ID:3A/h9SOV
>>647
車をつくってくださったのが、阿弥陀様。
運転してくださるのも、阿弥陀様。
乗せてくださるのも、阿弥陀様。
南無阿弥陀仏
649298:2008/03/24(月) 21:15:04 ID:2NTXrE06
>>648
たしかに、そうも言えると思います。
ただ、私とあなた様では、おそらく、立場が違うと思います。

私は、六字のおいわれ様を、とても大事にしております。

「無宿善には聞かせることのできぬ法がある」という立場です。

南无阿彌陀佛
650298:2008/03/24(月) 21:19:43 ID:2NTXrE06
私は、弥陀をたのむのは、とても易行だと思いますし、
こちらでも、おすすめしております。

しかし、「そんなものはあるはずがない」「偽物だ」のようなことを言われますし、
「こちらから願い下げです」のような意味のことを、言われております。

あくまでも、先方から、断るのです。

求める方には、開かれている教えです。

六字のいわれを聞き開き、弥陀をたのんでほしいと思います。

お約束の通りの易行にて、真実信心をいただけます。

それにて、極楽往生が治定致します。

南无阿彌陀佛
651神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 21:46:06 ID:3A/h9SOV
>>649
> ただ、私とあなた様では、おそらく、立場が違うと思います。

立場がある、それこそ自力ではありませんか?
652神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 21:49:45 ID:3A/h9SOV
>>649
> たしかに、そうも言えると思います。

そうとしかいえないでしょ?
653298:2008/03/24(月) 22:01:19 ID:2NTXrE06
>>651
自力が、お嫌いなんですか?
凡夫は、自力から離れられませんよ。
自力から離れられぬそのままで、
「もう無理です、お救いください」と法に頭が下がれば、
そのままで、救われるのです。

自力あるままで、救われます。

そうでなければ、聖道になるのではありませんか?

(聖道を否定しているのではなく、
難行になるということを言っております。)

私のような凡夫には、易行だからこそ、修することができたのです。

自力まみれの凡夫でありますが、
弥陀の法によりまして、自力の心をふりすてることができるのです。

南无阿彌陀佛
654298:2008/03/24(月) 22:02:55 ID:2NTXrE06
>>652
「としか」ということになりますと、それを突き詰めれば法性になってしまい、
真如になってしまい、言語を絶することになり、
もはや、易行も何も、凡夫には、取り付く島がなくなってしまいそうな気が致します。

あくまで、易行ですから、救われる上では、難しいことは無いと思います。

獲信者を見つけ、「私も救われたいんです」と、お願いするだけです。

南无阿彌陀佛
655神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:08:25 ID:3A/h9SOV
>>653
> 自力から離れられぬそのままで、
> そのままで、救われるのです。

> 自力あるままで、救われます。

「そのまま」に

> 「もう無理です、お救いください」と法に頭が下がれば、

こういう「頭が下がれば」という条件はいりません。
「頭が下がれば」という条件があるのを「そのまま」とは言いません。

> 私のような凡夫には、易行だからこそ、修することができたのです。

修する必要がないから易行なのです。

> 自力まみれの凡夫でありますが、
> 弥陀の法によりまして、自力の心をふりすてることができるのです。
       ↓
> 自力から離れられぬそのままで、
> そのままで、救われるのです。

ふり捨てる必要がないでしょ?
656神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:14:23 ID:3A/h9SOV
>>654
> 獲信者を見つけ、「私も救われたいんです」と、お願いするだけです。

阿弥陀さまが信じられずに、獲信者にお願いするんですね。
657298:2008/03/24(月) 22:25:44 ID:2NTXrE06
>>656
遠くのラーメン屋に行くときに、電車で行くとします。
そのような方に向かって、

「ラーメンを食べたいのに、電車に乗るんですね」

と批判するようなものです。

もちろん、弥陀をたのむのですが、いきなり、どうやって、弥陀をたのんだらいいのでしょうか。

方法を知らずして、方法を知る人を批判するようなものだと思います。

あなた様は、私の書いていることを信じないのですから、尋ねてくることもないでしょう。

私が書いていることは、信を獲りたければ、
まず信をいただいている方を探し、
その方の真似をするということなのです。

信をいただいている以上、その方法を知っております。

易行にて、信をいただけるのですから、
御願いすれば、教えていただけると思います。

なぜ、御願いする必要があるかと言えば、
この法は、とても大切なものだからです。

無宿善の機は、聞くことができない法です。

信を獲たい方が、まず獲信者を探す。
当たり前の道理であると、私は考えております。

南无阿彌陀佛
658298:2008/03/24(月) 22:27:51 ID:2NTXrE06
>>655
>修する必要がないから易行なのです。

◎さればこの流に帰して修行せんひと、ことごとく決定往生の行者なるべし(真要抄)

◎「流行」は十方微塵世界にあまねくひろまりて、すすめ行ぜしめたまふなり(唯信鈔文意)

この「行」の左訓です。

◎おこなふとまうすなり(唯信鈔文意)

南无阿彌陀佛
659298:2008/03/24(月) 22:30:45 ID:2NTXrE06
>>655
>「頭が下がれば」という条件があるのを「そのまま」とは言いません。

宿善開発の機であれば、自ずから、頭が下がることでしょう。

易行であれば、「そのまま」と私は書いております。

傲慢な方が、「そのまま」で頭が下がることは、ありません。

救われたい方は、「そのまま」で、本当に大丈夫です。

求める方にとっては易行、求めぬ方にとっては、難信の道です。

南无阿彌陀佛
660神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:33:26 ID:3A/h9SOV
>>657
> 遠くのラーメン屋に行くときに、電車で行くとします。
> そのような方に向かって、

浄土ラーメン店は、配達してくれて、食べさせてくれるのです。
電車に乗って出掛ける必要も、箸を持つ必要もありません。

> もちろん、弥陀をたのむのですが、いきなり、どうやって、弥陀をたのんだらいいのでしょうか。

阿弥陀ラーメン店は、電話で注文する必要もありません。
注文しなくともラーメンを食べさせて下さいます。

> 方法を知らずして、方法を知る人を批判するようなものだと思います。
> 信をいただいている以上、その方法を知っております。

あなたのご存じのラーメン店は、阿弥陀ラーメン店ではありません。
善知識ラーメン店です。
661298:2008/03/24(月) 22:35:52 ID:2NTXrE06
>>660
>浄土ラーメン店は、配達してくれて、食べさせてくれるのです。
>電車に乗って出掛ける必要も、箸を持つ必要もありません。
>阿弥陀ラーメン店は、電話で注文する必要もありません。
>注文しなくともラーメンを食べさせて下さいます。

では、信をいただきたい行者は何をするのですか?

何もせず、待っていれば良いのでしょうか?

待っていて、命終まで信をいただけなければ、どうなるのですか?

平生業成の教えは、どうなってしまうのでしょうか?

南无阿彌陀佛
662神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:37:47 ID:3A/h9SOV
>>657
> 信を獲りたければ、

信を獲りたいと願おうが、願うまいが阿弥陀仏は信を与えて下さいます。
663298:2008/03/24(月) 22:38:39 ID:2NTXrE06
>>660
>電車に乗って出掛ける必要も、箸を持つ必要もありません。

◎しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第をよく存知したらんひとにあひたづねて、
信心決定して、その信心のおもむきを弟子にもをしへて、
もろともに今度の一大事の往生をよくよくとぐべきものなり(御文1-11)

「人に尋ねよ」とありますよ。
664298:2008/03/24(月) 22:40:46 ID:2NTXrE06
>>660
>あなたのご存じのラーメン店は、阿弥陀ラーメン店ではありません。
>善知識ラーメン店です。

◎「その名号を聞く」といへるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を
無名無実にきくにあらず、善知識にあひてそのをしへをうけて、
この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、かならず阿弥陀仏の
たすけたまふといふ道理なり(御文1-15)

「善知識にあひてそのをしへをうけて」とあります。
665298:2008/03/24(月) 22:42:08 ID:2NTXrE06
>>662
>信を獲りたいと願おうが、願うまいが阿弥陀仏は信を与えて下さいます。

では、他宗の方でも、外道の方でも、いつの間にか、
阿弥陀様が信を与えて下さるということなのでしょうか?

一体なんのために、法然聖人も、親鸞聖人も、御布教くださったのでしょうか?
666神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:42:37 ID:3A/h9SOV
>>659
> 易行であれば、「そのまま」と私は書いております。

そうですよ、「そのまま」、何もせずとも行ぜられているのですよ。
それが易行でしょう。

> 傲慢な方が、「そのまま」で頭が下がることは、ありません。
> 救われたい方は、「そのまま」で、本当に大丈夫です。
> 求める方にとっては易行、求めぬ方にとっては、難信の道です。

違いますね。
傲慢なものも、救われたいものも、求めるものも、求めないものも救われる、それが他力の教えです。
667298:2008/03/24(月) 22:43:38 ID:2NTXrE06
>>666
>傲慢なものも、救われたいものも、求めるものも、求めないものも救われる、それが他力の教えです。

つまり、世界中、誰でも弥陀に救われているということが、おっしゃりたいことですか?
668298:2008/03/24(月) 22:44:48 ID:2NTXrE06
>>666
>傲慢なものも、救われたいものも、求めるものも、求めないものも救われる、それが他力の教えです。

信を獲らない方がいらっしゃるのを、蓮師も歎いていらっしゃるわけですけれども・・・

全員信をいただけるなら、なぜ、歎かれたのでしょうか?
669神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:45:54 ID:3A/h9SOV
>>661
> では、信をいただきたい行者は何をするのですか?

何をしようにも、何もできない、出来たとしても自分の手柄じゃない、する必要もない。
670神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:47:08 ID:EYt7i1gm
真宗スレの人たちはラーメン店が好きなの?

渡海難さんもやたらラーメン屋さん、ラーメン屋さん、ってたとえ話に
使ってたなあ。ラーメン屋さんができる念仏が云々とか。
671神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:47:49 ID:RBRCWnli
ちょっとお伺いしますが、阿弥陀仏の御名を知らない方はどうなのでしょう。
それでも救われるのでしょうか。
672神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:48:08 ID:3A/h9SOV
>>663
> 「人に尋ねよ」とありますよ。

親鸞聖人じゃ不足ですか?
673神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:49:52 ID:EYt7i1gm
まあ、日本人はたいていラーメンが好きだから
真宗のひとたちがラーメン好きでもなんら不思議はないか。
674神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:50:11 ID:3A/h9SOV
>>664
> 「善知識にあひてそのをしへをうけて」とあります。

善知識は、目の前で生きている人でなければなりませんか?
親鸞聖人は、聖教として生きていらっしゃるでしょう?
675298:2008/03/24(月) 22:50:16 ID:2NTXrE06
>>669
>何をしようにも、何もできない

それなら、行き詰まりでは、ありませんか?
669様は、それで良いでしょう。そのような信念をお持ちですから。

しかし、如来に救われたい方にとって、それで救いになるでしょうか?
もちろん、共感される方は、669様と同じ道を歩めば良いのです。

私は、如来に簡単に救われる道があると言います。
ですから、そのような道を求める方は、
まず獲信者を探し、そして、次第相承の善知識を、紹介していただいてください。

如来も衆生を救いたい、善知識も衆生に救われてほしい、
獲信者も、ひとりでも多くの方に救われてほしいのですから、
必ず、道が開けることと思います。

もちろん、獲信者にも、善知識にも、真偽があるでしょうから、
そこは吟味せねばならないと思います。

南无阿彌陀佛
676298:2008/03/24(月) 22:51:10 ID:2NTXrE06
>>670
私がラーメン屋をたとえに出したのは、渡海様の影響ですね。
わかりやすいのかと思いました。
677神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 22:51:57 ID:3A/h9SOV
>>665
> では、他宗の方でも、外道の方でも、いつの間にか、
> 阿弥陀様が信を与えて下さるということなのでしょうか?

18願に全てを救いとったと言われているでしょう?
私はその阿弥陀仏のお言葉を信じるだけです。
678298:2008/03/24(月) 23:01:22 ID:2NTXrE06
>>672
>親鸞聖人じゃ不足ですか?

>>674
>善知識は、目の前で生きている人でなければなりませんか?
>親鸞聖人は、聖教として生きていらっしゃるでしょう?

◎ただ実語を伝へて口授し、仏智をあらはして決得せしむる恩徳は、
生身の如来にもあひかはらず、木像ものいはず経典口なければ、
伝へきかしむるところの恩徳を耳にたくはへん行者は、
謝徳のおもひをもつぱらにして、如来の代官と仰いであがむべきにてこそあれ、
その知識のほかは別の仏なしといふこと、智者にわらはれ愚者を迷はすべき謂これにあり(改邪鈔)

「木像ものいはず経典口なければ」とあります。
また、善知識だのみを、戒めていらっしゃいますね。


◎たとひまた、釈尊西天に出でて三部の妙典を説き、
五祖東漢に生れて西方の往生ををしへたまふとも、
源空・親鸞これをひろめたまふことなく、次第相承の善知識これを授けたまはずは、
われらいかでか生死の根源をたたん(持名鈔)

親鸞聖人の他に、次第相承の善知識をあげております。


◎総じていふときは、真の善知識といふは諸仏・菩薩なり。
別していふときは、われらに法をあたへたまへるひとなり(真要抄)

ここでは、「ひと」と書いてあります。

南无阿彌陀佛
679神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:03:39 ID:3A/h9SOV
>>675
> しかし、如来に救われたい方にとって、それで救いになるでしょうか?

すでに救われている、これ以上の救いはないのではないですか?

> 私は、如来に簡単に救われる道があると言います。

すでに救われているのですから、救われる必要がないのです。
680298:2008/03/24(月) 23:03:50 ID:2NTXrE06
>>677
>18願に全てを救いとったと言われているでしょう?

私にとっては、不明確なお答でありますので、確認申し上げたいのですが・・・

では、世界中の人間は、既に阿弥陀様に救われているということが、
あなた様の主張になるわけでしょうか?

つまり、世界中の人間が、既に真実信心をいただいているということでしょうか?

もしそうであれば、獲信を求める必要は無いということになりますが、
それが、あなた様の考え方なのでしょうか?
681298:2008/03/24(月) 23:06:03 ID:2NTXrE06
>>671
意識的には知らない方もいるかもしれませんが、
いずれにしても、南无阿彌陀佛に救われねばならないと思います。

だからこそ、名号を広めることも、大切なことだと思います。

幸い、ここ日本においては、南无阿彌陀佛を聞いたことが無い方は、
ほぼいないくらい、名号が広まっていると思います。

これは、先人たちの、努力のおかげであると思い、
感謝しております。

南无阿彌陀佛
682神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:10:38 ID:3A/h9SOV
>>681
> 南无阿彌陀佛に救われねばならないと思います。

この心が阿弥陀仏を信じていない、自力であがく心です。
私が救われる必要はないのです。
阿弥陀仏におまかせあるのみ。
あなたも「そのまま」とおっしゃっているでしょう?
683298:2008/03/24(月) 23:15:43 ID:2NTXrE06
>>682
南无阿彌陀佛に救われねばならないのは、信前の方です。

信前の方に、自力であがく心があるのも、当然のことです。

だからこそ、根源無明が残り、流転を続けてきたのですから。

信をいただいたら、その後は、御恩報謝のお念仏です。

>私が救われる必要はないのです。

とのことですが、

◎まことに知んぬ、無上妙果の成じがたきにはあらず、
真実の浄信まことに得ること難し。真実の浄信を獲れば大慶喜心を得るなり(略本)

真実の浄信を獲て、大慶喜心を得ることを、御開山は望んでいらっしゃるのでは、
ないのですか?
684神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:20:06 ID:/LgqPppe
うわ、大変な事になってる!
>639
人にお勧めした事は無いのでうまく言えるか解りません。
また、その人の持ってる思いとか価値観によっても勧め方も
変わってくるかと思いますが、
阿弥陀さまは「お前を必ず助ける」と真心で思ってて下さるよ、
とは、勧められるんじゃないかなー?
もし、弥陀如来なんかいないじゃんって言われたら、
私にも、わかりませんって言うなー。でも、独り自分で造った苦を背負い、
それどころか、他にも苦痛を振りまいて、借金だらけで死んでいく私を
見ちゃおられないと立ち上がった心は、確かにあったんだと。
それが、お経という形となって今に伝えられたんだと。
昔昔、お悟りを開かれた方々は、みんな未来に生まれてくるであろう
私の事を真剣に心配してたんだよって。
私は独り苦しみを背負って消えていくだけじゃないんだ、
そうした方々に実は思われてたんだよって、
そんな風にお勧めするかも。ケースバイケースだけど。
変だったら、改良よろしくね。
685神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:22:03 ID:3A/h9SOV
>>681
> 幸い、ここ日本においては、南无阿彌陀佛を聞いたことが無い方は、
> ほぼいないくらい、名号が広まっていると思います。
> これは、先人たちの、努力のおかげであると思い、
> 感謝しております。

東方世界・南方世界・西方世界・北方世界・下方世界・上方世界、
すべての世界のありとあらゆる仏が阿弥陀仏を称えて、
阿弥陀仏の教えを信じて念仏するようにすすめていらっしゃるのでしょう?
お念仏は行き届いているはずですよ。

無量寿如来であり、不可思議光如来ですからね。
686神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:24:12 ID:/LgqPppe
>683
信前信後ってよく言われるけど、一体、何を基準に判断してるの?
687298:2008/03/24(月) 23:25:21 ID:2NTXrE06
>>685
今の地球上で、お名号一度も聞くこと無くして、
死んでゆく方は、まだまだいらっしゃると思います。

「東方世界・南方世界・西方世界・北方世界・下方世界・上方世界」を、
この地球上の場所であるとお考えなのでしょうか?
688298:2008/03/24(月) 23:28:08 ID:2NTXrE06
>>686
短く言うのであれば、

◎みづからたしかに弥陀をたのみたる一念(文如上人)

この領解があるかどうかだと思います。

別の言い方をすれば、六字と一体になった経験があるかどうかです。

こう言うと、「経験が信心ではない」と叱られてしまいそうなのですが、
真実信心がそのままわからない私たちに、
安心できるための方便を残されたのだと、私は捉えています。

南无阿彌陀佛
689神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:28:51 ID:3A/h9SOV
>>683
> 南无阿彌陀佛に救われねばならないのは、信前の方です。

信前も信後もないのですよ。
阿弥陀さまが救いとってくださっているのですから、
凡夫がそんなことをはからう必要がないのです。
「そのまま」でしょ?信前の方がそのまま救われる。
690298:2008/03/24(月) 23:30:27 ID:2NTXrE06
>>684
私は、良いお話であると、思います。

我々のような凡夫が苦しみ流転して行くのを、
見ちゃおれんと立ち上がってくださったのが、阿弥陀様であると、
私も思っております。

出離の縁が無いはずの凡夫が、こうして救われて行く。

すべて、阿弥陀様のお力です。

私たちの対機は、知れたものですが、それでも、
できる範囲では、工夫してゆくことが望ましいと思っています。

南无阿彌陀佛
691神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:32:11 ID:3A/h9SOV
>>687
> 今の地球上で、お名号一度も聞くこと無くして、
> 死んでゆく方は、まだまだいらっしゃると思います。

それはあなたの頭で考え、想像する阿弥陀仏、念仏だからです。
阿弥陀仏の誓願の届いていないところはありません。
阿弥陀さま自身がそうおっしゃっているのですから、それを素直に聞きましょう!
692298:2008/03/24(月) 23:33:39 ID:2NTXrE06
>>689
>信前も信後もないのですよ。

信前も信後もないのなら、獲信も無く、平生業成も無いことになるのではありませんか?

「空」についておっしゃっているのでしょうか? 無常であるということが、
言いたいことなのでしょうか?

そういう難しいことを考えなくても、単純に割り切って、
凡夫が仏法にて救われる道が、真宗であると思います。

ある日、救われた。それより前は、信前。そこから後が、信後。

とても、単純です。そして、わかりやすいです。

後は、救われたことをよろこび、御恩報謝のお念仏をお称えしてゆきます。

仏法でないように見えて、仏法なのだと思います。

弥陀の無上方便です。

南无阿彌陀佛
693神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:34:29 ID:3A/h9SOV
>>690
> できる範囲では、工夫してゆくことが望ましいと思っています。

こんなはからいは必要ありませんよ。
必要なことは阿弥陀さまが自然と行わせて下さいます。
694神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:34:36 ID:oJwHCNSl




>「そのまま」でしょ?信前の方がそのまま救われる。




無帰命安心キターーーーーー(゚V゚)ーーーーーーーー!



695298:2008/03/24(月) 23:35:33 ID:2NTXrE06
>>691
無碍光は、この宇宙だけでなく、他の宇宙にも、届いていると思います。

私が言っているのは、無碍光ではなく、名号です。

あなた様は、世界中の方が、これまでの方も含め、
既にすべて阿弥陀様に救われているとお考えの方ですか?
696神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:35:44 ID:/LgqPppe
>683
あと、自力であがく心って信心決定したら無くなるの?
親鸞聖人は三部経千部読誦を思い立ったけど、その時までは
信心決定してなかった事になるよね。それまでにお弟子方に、
法然聖人の選択本願念仏を承ったお話をしてた事、
みんな虚偽だったって事になっちゃうよね。
自力無功って言うのは、よくそのへんを明らかにしてくれる。
どなたのお言葉なんだろー。阿弥陀さまの真心そのものが他力なんだって、
逆方向から顕してるいい言葉だなー。ご注文なしお差し支えなしかー。
697298:2008/03/24(月) 23:36:32 ID:2NTXrE06
>>693
>必要なことは阿弥陀さまが自然と行わせて下さいます。

ではなぜ、私のことを否定なさるのですか?

あなた様は自然でも、私は不自然なのでしょうか?
698神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:38:21 ID:3A/h9SOV
>>692
> そういう難しいことを考えなくても、単純に割り切って、
> 凡夫が仏法にて救われる道が、真宗であると思います。
> ある日、救われた。それより前は、信前。そこから後が、信後。
> とても、単純です。そして、わかりやすいです。

あなたが、あなたの考えで難しく作っているのですよ。
私は、作らなくていいと言っているのです。
単純に割り切る必要もないのです。
すでに割り切られているのですよ。
699神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:39:41 ID:/LgqPppe
今日はすごい人気だなー。見にくいので、また今度ねー。
南無阿弥陀仏
700298:2008/03/24(月) 23:41:19 ID:2NTXrE06
>>696
自力であがく心は、信決定しても、無くならないと思いますよ。
凡夫は、あくまでも、凡夫のままなのですから。

きれいさっぱりなくなるのは、根源の無明です。

この迷いが跡形もなくなるために、そこから因果が展開して、
滅度に至るのだと思います。

弥陀の無上善に、凡夫が加える善も無し。

御恩報謝の南无阿彌陀佛に、すべてがこもっていると思います。

そうは言っても、あれこれはからうのが、凡夫であると思います。

(つまり、「すべてがこもっている」ということを、
私は、きちんと体得できていないということです。

そして、体得できないそのままで、極楽往生治定であることを、
よろこび、感謝しております。)

南无阿彌陀佛
701神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:41:48 ID:3A/h9SOV
>>697
> ではなぜ、私のことを否定なさるのですか?

否定していませんよ。
否定しているのなら、お相手しません。
702298:2008/03/24(月) 23:47:00 ID:2NTXrE06
>>698
>すでに割り切られているのですよ。

とのことですが、

>>669
>>では、信をいただきたい行者は何をするのですか?
>何をしようにも、何もできない

のでしょう? 一体、何が割り切られているのですか?
「何をしようにも、何もできない」のであれば、私には、その方が、むずかしく感じます。

私が言っていることは、獲信者を探して、お願いして、
次第相承の善知識を紹介していただいて、
ここでもお願いして、そして、六字のいわれを聞き開き、
弥陀をたのむということです。

>>689
>信前も信後もないのですよ。

というのが、あなた様のご主張でしょう?

私からすれば、あなた様の言っていることは難しくて、
訳がわかりません。

私が、何を難しくしているのですか?

獲信者を探す。次第相承の善知識に会う。六字のいわれを聞き開く。弥陀をたのむ。

どれも、実行可能なことだと思います。

南无阿彌陀佛
703:2008/03/24(月) 23:49:36 ID:h0dLURfV
無帰命安心は、信前の者を信前のままでいいと思わせる異安心なんだと分かります。
そのような自障障他は即止めて、親鸞聖人、蓮如上人のお言葉を仰ぐべきです。
704298:2008/03/24(月) 23:50:22 ID:2NTXrE06
>>701
>否定していませんよ。
>否定しているのなら、お相手しません。

「否定」というのは、文字上のことを言っています。

私が、「なぜ否定なさるのですか?」と問えば、「否定していませんよ」とおっしゃいます。

私が言うことに対して、否定してゆきますが、
あなた様は、救いへの道を示せていないのでは、ありませんか?

既に皆が救われているのでしょう?

それなら、私も既に救われているのでは、無いのですか?

私に何を伝えたいのですか?

既に救われているということですか?
705298:2008/03/24(月) 23:56:00 ID:2NTXrE06
>>696
未安心の方にも、獲信した方にも、自力であがく心はありますが、
その「質」が変わると思います。

>>683の私の書き方は、たしかに、よくないです。
指摘を受けて、良くないことが、よくわかりました。ありがとうございます。

信をいただいた後であれば、「ああ、もう救われていたのだった」と、
思い直すことができますし、ベースに安心がただよっている感じになると思います。

その安心のうれしさに、御恩報謝のお念仏を、
お称えしてゆくのだと思います。

南无阿彌陀佛
706神も仏も名無しさん:2008/03/24(月) 23:57:18 ID:3A/h9SOV
>>702
> 私が言っていることは、獲信者を探して、お願いして、
> 次第相承の善知識を紹介していただいて、
> ここでもお願いして、そして、六字のいわれを聞き開き、
> 弥陀をたのむということです。

> 獲信者を探す。次第相承の善知識に会う。六字のいわれを聞き開く。弥陀をたのむ。
> どれも、実行可能なことだと思います。

実行可能でも、不可能でもかまわないのです。
そのようなことは不必要なことです。
あなたは阿弥陀さまを信じているつもりでしょうが、
そのような不必要なことを行うということは阿弥陀仏を信じていない、
そのようなことを出来る自分を信じているということです。

凡夫と阿弥陀仏の間に不必要なものをはさんで複雑にしているのはあなたです。
707神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 00:02:55 ID:Vou2w3So
なにかお話を聞いていると、なむあみだぶつ、と称えることさえ不必要に思えてきました。
708298:2008/03/25(火) 00:03:32 ID:ye36E76O
>>706
「実行不可能で構わない」とのことですが、それで本当に易行なのでしょうか?

私にとっては、易行というのは、凡夫にも、実行が可能な道のことです。

実行不可能であれば、絵に描いた餅であり、
そのような道で修行されている方は、苦しまれることと思います。

「修行では無い」とおっしゃるかもしれませんが、
それは、「修行では無い」と言っているだけのことで、
何かしらの行為を、おすすめしているのでは、ありませんか?

(たとえば、聴聞。)

実行可能な道を辿って、いとも簡単に、凡夫が信をいただける。

もともと、凡夫にとって実行可能な道だけでは、たいした成果は得られないはずなのです。

そこを乗り越えてくださったのが、阿弥陀さまです。

だから素晴しいと、私は思っております。

そして、救いもすべて、六字のうちにこもっていると思っております。

南无阿彌陀佛
709298:2008/03/25(火) 00:05:45 ID:ye36E76O
>>707
名号は、とても大切だと思います。
ぜひ、大切にしてください。
信前には道しるべ、そして、信を獲るにも南無阿弥陀仏、
御恩報謝も南無阿弥陀仏、本当に本当に、尊いものであると思います。

南无阿彌陀佛
710298:2008/03/25(火) 00:11:35 ID:ye36E76O
>>706
>> 獲信者を探す。次第相承の善知識に会う。六字のいわれを聞き開く。弥陀をたのむ。
>>どれも、実行可能なことだと思います。
>実行可能でも、不可能でもかまわないのです。
>そのようなことは不必要なことです。

「不必要」とのことですので、根拠を出します。十全な根拠とは言えないと思いますが、
概略にはなると思います。

1)獲信者を探す
◎他力の大信心のおもむきをねんごろに人にあひたづねて、
報土往生を決定せしむべきなり。(御文3-1)

2)次第相承の善知識に会う。六字のいわれを聞き開く。
◎「その名号をきく」といふは、ただおほやうにきくにあらず、
善知識にあひて、南無阿弥陀仏の六つの字のいはれをよくききひらきぬれば、
報土に往生すべき他力信心の道理なりとこころえられたり(御文3-6)

3)弥陀をたのむ
◎されば南無阿弥陀仏と申す六字の体はいかなるこころぞといふに、
阿弥陀如来を一向にたのめば、ほとけその衆生をよくしろしめして、
すくひたまへる御すがたを、この南無阿弥陀仏の六字にあらはしたまふなりと
おもふべきなり(御文3-4)

信をいただけば、すべて領解がよく合うと思います。

南无阿彌陀佛
711神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 00:14:53 ID:0BUIo0nO
>>708
> 私にとっては、易行というのは、凡夫にも、実行が可能な道のことです。

凡夫が実行可能な道なのではありません。
実行されてしまっている道なのです。
それが他力です。
712298:2008/03/25(火) 00:17:46 ID:ye36E76O
>>711
法蔵菩薩様の御修行は成就しております。
この意味では、実行されてしまっておりますが、
その救いを、私たち凡夫が我が身に受けるためには、
私たちにも行うことがあり、
だからこそ、人身に意味があるのだと思います。
南无阿彌陀佛
713神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 00:18:19 ID:0BUIo0nO
>>707
必要、不必要とはからわない、自然に口から出る念仏。
714298:2008/03/25(火) 00:20:43 ID:ye36E76O
無量寿如来ですので、御修行の成果は、時を越えて、
届いております。
十劫前の成就が、ただ今にも、届きます。
南无阿彌陀佛
715298:2008/03/25(火) 00:24:47 ID:ye36E76O
>>713
自然に放っておいて、死ぬまでお念仏が口から出なかった方は、
どうなるのですか?

特に外国の方には、そのような方は、多いのではありませんか?
716渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2008/03/25(火) 00:26:37 ID:2Txb4O2k
        ああ先生ぇ〜、ちんちん、シュッ!シュッ!シュッ!
           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                    _____
                  /::::::::::::::::::::::::::\
                 /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
                |;;;;;;:::|_|_|_|_|:::;;;;;;| 
                | ミ./  /,)(,,\  ヽミ |
               ( 6.   -(゚ )─(。)-    ∂)--,,,_
               ,/ヽ  ∴ )(o o)( ∴ ノ   , ゙',
               r´  ヽ 、   ,_ 3_,.   .,,ノ    /  l
             _,f'、   ,, ヽ.______.ノ゙''''i、,-''"゙i  i
          _,,r''´  ゙ "´            i   l  ,'
       ,,.‐'´ ゙'' ,、,,‐'iン'   .....   ..:::..     ', r,‐‐' ノ
   r、__,-'´   _,,-'´_,,,.-ヽ,       ,' '、    。  l i,)  /-,,_
  ヒ'-'ゝ. 、 ,,.-‐'',.-''"´    l'、,. 。  ,...ノ  ゙'、,,_  ノソ_,/    `゙'‐,
  ゝミ_,,ノ"  ,'´       iヽ,`゙゙゙´       ゙゙"./~i      ....::',
        ト;:::..      ', i'、         ,/ノ.,ノ     ..:: ゙゙ ',
         ,'   ゙'',ソ‐-、   '、i i'‐、,_    _,,..ノ、,ィヘ,,-‐‐'"´゙i"   ゙,
.        ,'     ,'    `゙'',<´ヽ、'、 ヽ'マ'''"'‐、,,_ノ,  >     ';::    ',
      l   ,.ノ     <,  </"'マーソヽマっ ゙>'  .>    ゙'、.    l
        l   /      i<   <` <;:::<, <,ゝ  ゙> <,i     ゙,  ..i
      i  .,'      l.K  <,`  >;::<  <ゝ  >、 >     'i   i
717298:2008/03/25(火) 00:28:45 ID:ye36E76O
私は、如来に救われるためには、弥陀をたのまねばならないという立場です。

六字と一体になる経験を重視します。

ですから、それを知らない方に伝えてゆくことも、大切であると考えています。

そもそも、世界には、弥陀の名を知らない方もいらっしゃいます。

もちろん、私の微力にて、多くの方に知っていただくことはできませんし、
如来がすべてをご計画のはずですので、私は、目の前のことを、
やるばかりです。

南无阿彌陀佛
718298:2008/03/25(火) 00:31:37 ID:ye36E76O
>>696
自力無功と、如来をたのめば、知らされることと思います。
「すべてお任せだった」「如来にいただく信だった」とわかると思います。
それまで他力と思っていたすべてが、自力であったと知らされます。
本当に、如来からいただくだけ。
私たちは、我が身を差し出すだけなのです。

南无阿彌陀佛
719神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 00:31:59 ID:OucCCU9i
298さんはまだ信心決定していないように思える。

というか、本願寺さんにも親鸞会にも信心決定した人なんていないんじゃないか??

もしかしたら、親鸞さんの思い込みであって、極楽浄土なんて、存在しないんじゃないか。
720298:2008/03/25(火) 00:36:43 ID:ye36E76O
>>719
極楽浄土の存在を、証明することは、いまのところ、できません。
おそらく、将来においても、困難だろうと思います。
後生の存在も、信じない方が、多いと思います。

あくまでも、後生を信じ、そして、阿弥陀様に救われたい方のための道です。

信じられない方にとっては荒唐無稽でも、
なぜか、信じられる方が、いらっしゃいます。

「ひょっとしたら、本当では?」と、なぜか、感じるのです。

本当と感じるか、荒唐無稽と感じるか、
お話聞いた上でのことですので、一般向けの法話も、とても大切であると思います。

南无阿彌陀佛
721神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 00:53:56 ID:OucCCU9i
>>720

大般涅槃経で説かれている常楽我浄とはまた違うんですか?
722神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 01:01:44 ID:TqE9gLho
298さんは地獄に墜ちますね。
723298:2008/03/25(火) 01:14:36 ID:ye36E76O
>>721
お答えになるかわかりませんが、

◎極楽は無為涅槃の界なり(真仏土巻)

そして、涅槃経からは、

◎法身即是常楽我浄(真仏土巻)

また、

◎有為涅槃無常。楽我浄無為涅槃。有常人深信是二種戒倶有因果。(化身土巻)
「有為涅槃は無常なり。楽我浄は無為涅槃なり。常人ありて、深くこの二種の戒ともに因果ありと信ず」

ここの読みは特殊です。

通常であれば、

「有為涅槃は、常楽我浄無し。無為涅槃は、常楽我浄有り」と読むところだと思います。

もう少し、疑問を詳しくおっしゃっていただけると、助かります。

南无阿彌陀佛
724298:2008/03/25(火) 01:15:00 ID:ye36E76O
>>722
どうして、そう思われるのですか?
725298:2008/03/25(火) 01:43:25 ID:ye36E76O
>>722
醜い言い争いをしておりますから、そう思われましても、無理のないことです・・・
もっと良い言い方が、できるようになりたいと思っております。
性悪が、ことばに出てしまいます。
726298:2008/03/25(火) 01:44:35 ID:ye36E76O
私はともかくとして、南无阿彌陀佛を求めてほしいです。
このような凡夫でも、救われる道なのですから。

南无阿彌陀佛
727神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 01:52:22 ID:OucCCU9i
母が真如苑やっておりまして、極楽浄土と常楽我浄は違うのかな?と思ったものですから。
728298:2008/03/25(火) 01:56:51 ID:ye36E76O
>>727
極楽浄土は、常楽我浄で、いいと思いますよ。
「なんと素晴しい所だろう」とわかれば、それで良いのですから。

真如苑のことは、よく存じ上げませんが、「常楽我浄の所にゆく」というような、
教えなのでしょうか?
729298:2008/03/25(火) 02:08:15 ID:ye36E76O
真宗では、信決定しても、凡夫なのです。
救われて、うれしく、安心するのです。
730神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 02:17:09 ID:OucCCU9i
いや、真如霊界に行くんだといってますね。

常楽我浄の喜びを、といってますから、それは現世での喜びなのかな?
731298:2008/03/25(火) 02:18:43 ID:ye36E76O
>>727
ご参考になりそうなのは、

◎大信心者。則是長生不死之神方。忻浄厭穢之妙術。(信巻)
「大信心とはすなわちこれ、長生不死の神方、欣浄厭穢の妙術なり」

如来をたのむと、本当に不思議な信心をいただけます。

南无阿彌陀佛
732298:2008/03/25(火) 02:20:47 ID:ye36E76O
>>730
真如霊界ですか・・・
そうなると、もう、私には、よくわからないですね・・・
現世でのよろこびであれば、真宗で言うところの常楽我浄とは、
異なるような気が致します。
いろいろな信仰がありますからね。
真宗では、凡夫が凡夫のまま、弥陀をたのめば信心決定して、
信心決定しても、凡夫のままなのです。
733神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 02:40:41 ID:OucCCU9i
>>732

まぁ、新興宗教ですから。
734o:2008/03/25(火) 02:43:47 ID:05JeoAv6
298さんROMしてたものです。横やりすみません
>>723
ここの部分すごい疑問に思ってていつも引っかかるのですが
空では人法ニ空を説くけれど、なぜ浄土が常楽我浄なのか
法無我ではないのか、さっぱりわかりません。


>◎有為涅槃無常。楽我浄無為涅槃。有常人深信是二種戒倶有因果。(化身土巻)
>「有為涅槃は無常なり。楽我浄は無為涅槃なり。常人ありて、深くこの二種の戒ともに因果ありと信ず」
>
>ここの読みは特殊です。

バカなのであまり理解が出来ませんでしたが、なにかこの読み方に真理があるような気がします。
735298:2008/03/25(火) 02:46:22 ID:ye36E76O
>>733
お母様が、新興宗教をご信仰でいらっしゃるのですね。
このスレをお読みになればわかると思いますが、
現在「真宗」と名乗るものも、一枚岩では無いのです。
私がお書きしているのは、
凡夫が生涯にただ一度、弥陀をおたのみしまして、
それにて、極楽往生治定、何があろうと、決して捨て置かない、
弥陀の救いについてなのです。
736298:2008/03/25(火) 03:19:05 ID:ye36E76O
>>734
御開山の読みに真実を「感じる」方は、ぜひとも弥陀をたのんでほしいと思います。
むずかしいことがわからなくても、弥陀をたのめば、往生治定ですから。
御開山は、本当に常人(これは、「ふつうの人」の意味)ではないと思います。

浄土の楽は、「楽」と言っても、無苦無楽であって、無楽の楽です。
したがって、常楽であると。

法は無我であるので、無量の説き方があります。

無量の説き方があるから、では、何者でもないのか、あるいは、
どう説いても正しいのか、と言えば、そうではありません。

無我にして、我です。

我でありながら、この世界で、対機に説かれれば、無我となります。

そして、私たちが、我と認識しようとするものなら、
それはもはや、無我ではありません。

このような私の拙い話で、合点がゆくとも思えませんが、
真仏土巻を読まれますと、得るもの大であると思います。
(もう、お読みかもしれませんけれども。)

南无阿彌陀佛
737神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 03:35:20 ID:OucCCU9i
298さんは正信げは毎日、勤行されてるんですか?
738298:2008/03/25(火) 03:39:49 ID:ye36E76O
>>737
お恥ずかしいことに、できておりません。
お念仏は、毎日称えていると思います。
739神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 07:42:55 ID:mpfFKIoL
無義の義とは、はからわないことに縛られること?
740神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 09:56:24 ID:0BUIo0nO
>>739
「無義の義」
真理というのは、人間の言葉での説明、人間の理屈を超越しているというような意味だと思うのですが・・・。
人間は、「はからうな」と教えられるとそのことにこだわり「はからわない」ということをはからうようになる。
だから、「はからわないことに縛られること」とは逆に、「はからわない」という言葉、理屈にすらこだわるなって意味だと思います。

理論派として様々な反論を論破した龍樹にも同じようなことばがあったと思うのですが、思い出せない。
741298:2008/03/25(火) 14:24:48 ID:V0xGkcb6
>>736
「法」についてご納得行かないだろうと思いますので、補足です。
「物」というのも、「音」というのも、私たちの分別に過ぎません。
したがって、諸法と捉えることができます。

私たちは、「同じ」地上にいると捉えますが、
もちろん、ひとりひとり、別の世界を見ております。

心の世界になると、「同じ」世界であるかもわかりません。

わかろうとしても、わからない私たちですが、
弥陀をたのめば、わからないそのままで、
根源無明を取り去ってくださり、
真実信心をいただけるのです。

煩悩を断たずして、清浄心をいただけます。

南无阿彌陀佛
742298:2008/03/25(火) 14:33:11 ID:V0xGkcb6
>>689
>信前も信後もないのですよ。

◎「獲信見敬得大慶」といふは、この信心をえておほきによろこびうやまふ人といふなり。
「大慶」はおほきにうべきことをえてのちによろこぶといふなり(尊号銘文)

「うべきことをえてのち」とは、何でしょうか。

信後のことなのでは、ないでしょうか?
743298:2008/03/25(火) 14:37:41 ID:V0xGkcb6
◎たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、
尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、
ただ一向に念仏すべし(一枚起請文)

凡夫の理解など、如来から見れば、無いも同じだと思います。
ですから、そのようなものに満足するのではなく、
無いも同じと観察し、ただ如来をたのむのであると思います。

南无阿彌陀佛
744298:2008/03/25(火) 15:29:35 ID:V0xGkcb6
>>689
>信前も信後もないのですよ。

◎かかる世のなかの風情なれば、いかにも一日も片時もいそぎて信心決定して、
今度の往生極楽を一定して、そののち人間のありさまにまかせて、
世を過すべきこと肝要なりとみなみなこころうべし(御文4-13)

「そののち」とは、信後のことなのでは・・・
745298:2008/03/25(火) 15:37:24 ID:V0xGkcb6
>>689
>信前も信後もないのですよ。

◎信心決定のうへに仏恩報尽のために念仏申すこころは、おほきに各別なり(御文1-1)

これは、信後のお念仏のことなのでは・・・


◎かやうに信心決定してのうへには、ただ弥陀如来の仏恩のかたじけなきことを
つねにおもひて称名念仏を申さば、それこそまことに弥陀如来の仏恩を報じたてまつる
ことわりにかなふべきものなり(御文2-15)

他にもあります。

南无阿彌陀佛
746298:2008/03/25(火) 15:39:50 ID:V0xGkcb6
義無きを義とすについてですが、聖人は、

◎ただ誓願を不思議と信じ、また名号を不思議と一念信じとなへつるうへは、
なんでふわがはからひをいたすべき。ききわけ、しりわくるなどわづらはしくは
仰せられ候ふやらん。これみなひがことにて候ふなり。
ただ不思議と信じつるうへは、とかく御はからひあるべからず候ふ。
往生の業には、わたくしのはからひはあるまじく候ふなり(御消息)

とお示しです。

これも、信をいただけば、よくよくいただけるところ。

「ただ誓願を不思議と信じ、また名号を不思議と一念信じとなへつる」とは、
ありがたいおことばです。

南无阿彌陀佛
747298:2008/03/25(火) 15:50:01 ID:V0xGkcb6
>>739
先程(>>746)引きましたように、あくまでも、
「ただ誓願を不思議と信じ、また名号を不思議と一念信じとなへつるうへは」ですので、
極楽往生治定したのちに、はからいが必要ないことを、
おっしゃっているのだと思います。

治定であって、摂取不捨なのですから、はからいが要らないのだと思います。

◎ただ不思議と信ぜさせたまひ候ひぬるうへは、わづらはしきはからひあるべからず候ふ(御消息)

◎摂取のうへには、ともかくも行者のはからひあるべからず候ふ(御消息)

南无阿彌陀佛
748神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 17:56:32 ID:aQWyb85Z
いろいろ議論あるみたいだけど、阿弥陀仏にみんな助けてもらえるからいいじゃないか。
749298:2008/03/25(火) 17:59:42 ID:V0xGkcb6
>>748
助けてもらえるからこそ、獲信が大切なのではないでしょうか。
もともと無理な話であれば、分を超えた願いですが、
あくまでも、凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なのですから、
ひとりでも多くの方に、信をいただいてほしいと思います。

南无阿彌陀佛
750神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 21:00:21 ID:/ca5BU4M
>>749
> 助けてもらえるからこそ、獲信が大切なのではないでしょうか。

助けてもらえるなら、獲信もなにもいらないのではないでしょうか。
助けてもらえるなら、ただおまかせすればよいのではないでしょうか。
助けてもらえるかどうか分からないなら、凡夫が努力しなければならないと思いますが・・・。
助けてもらえるからこそ、何もしなくて良いのではないでしょうか。
何かをしなければならないなら、それは自力。
何もしなくても良いから他力でしょう。
751神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 21:11:22 ID:BVPfPVN3
>助けてもらえるなら、獲信もなにもいらないのではないでしょうか。

普通に考えれば、やっぱり、獲信がなければ助けてはもらえないと思うのですが・・・
752神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 21:36:18 ID:/ca5BU4M
>>751
私たちの世界の常識で、普通に考えればそうですよね。
しかし、阿弥陀さまの救いは絶対他力、しかもすでに救いが決定されているのです。
それなのに、まだ「獲信がなければ助けてはもらえないと思う」ということは、
かえって阿弥陀さまの救いを疑って信じていないことになります。
私たちが普通に考えた常識は必要ないと思います。
753神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 21:52:27 ID:BVPfPVN3
>>752
阿弥陀様を疑ってはいけないのですか?
完全に信じられる人はいいですが、正直なところ、疑いの心を完全に消すことは
難しいのじゃないでしょうか。
疑いの心もひっくるめて、そのままおまかせすれば他力によって救ってくれる
それが絶対他力だと思うのですが。
754神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 21:57:54 ID:/ca5BU4M
>>753
> 完全に信じられる人はいいですが、正直なところ、疑いの心を完全に消すことは
> 難しいのじゃないでしょうか。
> 疑いの心もひっくるめて、そのままおまかせすれば他力によって救ってくれる
> それが絶対他力だと思うのですが。

私もそう思います。
意義はありません。
755神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 22:17:23 ID:BVPfPVN3
同意ありがとうございます。
しかし、ここまではみんな、思うことは同じなんですよね。
問題はこれから。
いかにおまかせするか
信心獲得とはどういうことか
一番大事なところで、まるっきり意見が分かれるのね。(笑)
756神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 23:20:50 ID:GGgE/2e0
阿弥陀仏の本願に、一切の疑いがなくなったのが、信心決定したすがたです。
聞即信の一念でその身になったら、もう変わりません。
摂取の光明におさめとられてしまっているから、変わりようがないのです。

阿弥陀仏から真実信心いただいたら、もういっさい、自力(自分で後生をどうこうしようと思う気持ち、
阿弥陀仏の本願を信じきれず、はからっているこころ)は、なくなります。

298さんたちの信心決定は、自力が消えてもまた戻るようだから、やっぱり本物ではないですね。
自力がほんのちょっとでも残る、戻るような信心決定は、本物の信心決定ではありません。

他力の信心は、阿弥陀仏のお呼び声が自分の魂に直接届いたときに、頂けるのです。
757神も仏も名無しさん:2008/03/25(火) 23:40:30 ID:BVPfPVN3
>>756
信心決定しても、凡夫のこころは、疑いやはからいが絶えないです。
しかし、いただいた他力の信心は変わりません。
だから、のたうちまわり、迷い疑いながら死んでも往生は間違いないのです。
私は、それがとてもうれしいのですが。

あなたのは、今際の際においても、疑いや迷いなどは一切湧き出ない信心なのですね。
すばらしいことではあります。
758神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 00:11:40 ID:3N4z8Rwr
>>757
>だから、のたうちまわり、迷い疑いながら死んでも往生は間違いないのです。

もちろん私も、のたうちまわり、迷いも出るかもしれませんね。
でも、阿弥陀仏のご本願に対する疑いだけは、出そうとしても出ようがありません。
南無阿弥陀仏に染められた身、逃げようとても逃げられない、
すべて、真実の親様におまかせできた、幸せな身です。

生きている今、阿弥陀仏にすくいとられ、往生のことは自力のはからい一切ない身になるのです。
それが、他力の信心いただくということです。
759神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 00:15:38 ID:UgMy0eHT
>757
至心も信楽も欲生も疑蓋無雑。三心具してない一心もありえない。
還来生死輪転家 決以疑情為所止って親鸞聖人のお言葉じゃなかったっけ?
そんなこと喜んでどうする、どうする?
760神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 00:59:12 ID:UgMy0eHT
>758
本当かな?もう絶対疑いません、疑いようがありませんって、
凡夫であるあなたの信念でしょう。そうであるならば、自力。
自力無功ならば、往生浄土に全く関係しないって事。
思う必要もないし、伝える必要もない。自力無功だから。
本物の宝物は、私の思いじゃない、仏の思い。必ず助けるのご誓約。
私の思いに真実なし。仏願ひとり真実なのさ。
死ぬのが怖かろうが怖くなかろうが、業縁のもよおしなんだから、
どうにもならない。怖いときは怖い、怖くないときは怖くない。
そんな不定な我が心を伝えるより、どうにもならない私が大事。
そいつを救うには、身を苦に沈めても悔いはなしと言い切る
阿弥陀さまのお約束を伝えようよ、声を大にして言おうよ。
真実は仏言のみなのだから。何を体験してもいいさ、不善の心も起きるさ、
自分大切と思う塊になることもあるさ、
でも、そんななか決して変わらない思いがあった。
お前を捨てはしない。仏の願いさ。
761神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 01:16:00 ID:3N4z8Rwr
>>752
>しかし、阿弥陀さまの救いは絶対他力、しかもすでに救いが決定されているのです。

救いが決定されているのに、それを疑って、救いを受け取れていないのが、自力の信心。
生死流転の根本原因、三千世界の諸仏でさえどうにもできなかった、迷いの正体です。

阿弥陀仏のお力によって、この自力の迷い心、無明の闇を破って頂いたときが、信一念。
そのときはじめて、ご本願に間違いなかったと分からせて頂き、本当の本当に、
阿弥陀仏がたのもしくなります。これが、信心決定です。

>>753
>完全に信じられる人はいいですが、正直なところ、疑いの心を完全に消すことは
>難しいのじゃないでしょうか。

自分の心で信じるのでは、疑いを完全に消すことはできないですね。
阿弥陀仏から頂く真実信心だから、一切の疑いがなくなります。

>>760
>本当かな?もう絶対疑いません、疑いようがありませんって、
>凡夫であるあなたの信念でしょう。そうであるならば、自力。

一切合財がそらごと、たわごと。私の信念も貴方の書き込みも、全部、まことあることなし。
南無阿弥陀仏のみが、まことです。そうとわからせて頂くのも、一切が、
阿弥陀仏のおちから。尊く、有難いことですね。
762神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 01:30:44 ID:UgMy0eHT
>761
一切がっさい空事なら、「わからしてもらった」のも、空事たわごとだよね。
わからしてもらったのは誰?凡夫でしょ。空事無功、だから、自力も無功。
763神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 01:43:15 ID:3N4z8Rwr
>>762
>一切がっさい空事なら、「わからしてもらった」のも、空事たわごとだよね。

そらごとたわごとしかない世の中に、たったひとつ、
私に届いてくださる真実があります。
阿弥陀仏のご本願。真実信心を頂いて、その心で分からせて頂くのです。

どうにもならない凡夫が自分で聞くのわかるのではありません、
そんなものでは、もうどうしたって間に合いません。
南無阿弥陀仏が、向こうさまからこちらにぶちあたってくださるのです。
何が何でも救わなければおかぬの、
大慈大悲の親様なればこそ、そのお誓いが必ず果たされる、
「必ずときいたり」のときがあるのです。
764神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 02:12:40 ID:3N4z8Rwr
すべてそらごとたわごとと、口には言ってみても、実は微塵も思っていない。
まったくあてにならないものを、あてにしている。
というかそれしか知らないから、そうするしかないのが私達。

>お前を捨てはしない。仏の願いさ。

と書いている本体が、本当は、仏様の願いなんてわかりもしない、聞こえてもいない私達です。

その本性が、骨身に染みて本当にわかるときが、そのおまえをこそ必ず救うといわれた、
阿弥陀仏のお誓いがこの身に届き、一念で、信楽の身にさせて頂くときです。
すべて、ご本願のおちからです。

人間に生まれたのは、その阿弥陀様のお声を心の底の底に聞くためであり、
仏法を聞かせて頂くのもそれひとつのため。
そして、必ず信楽の身にしてみせるというお誓いに、絶対に間違いということはありません。
765:2008/03/26(水) 04:36:56 ID:EhxR/9Qh
>>764 具体的には、いつどのように獲信するのですか。
766渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/26(水) 09:17:36 ID:N9ZygMKw
>>647
>車の詳しい仕組みは知らなくても、 〜 車が運転できるようなものです。 〜 善知識様に
運転していただけます。

 298の善知識は、自分(善知識)では車の詳しい仕組みは知らなくて他人を搭乗させて自分
(善知識)が運転するんですね。エンストを起こしたらどうするんでしょうね?

>行者が酔いつぶれていたとしても、獲信者が、車の中まで運んでくだされば、善知識様に運転
していただけます。

 はて?。酔いつぶれているような人を、どこに連れて行くというのでしょうか
 秘事法門の善知識は、車の仕組みも知らないで、相手を勝手に酔いつぶれさせ、勝手に辺地懈
慢、疑城胎宮に拉致していくということでしょう。
 善知識に酔いつぶれさせられ、疑城胎宮に拉致されたのが298さんだと言うんであれば、僕
は頷ける。
767渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/26(水) 09:20:07 ID:N9ZygMKw
仏智の不思議を疑いて 自力の称念好むゆえ 辺地懈慢に止まりて 仏恩報ずる心なし
罪福信ずる行者は 仏智の不思議を疑いて 疑城胎宮に止まれば 三宝に離れ奉る
仏智疑惑の罪により 懈慢辺地に止まるなり 疑惑の罪の深き故 年歳劫数を経ると説く
転輪王の王子の 皇に罪を得るゆえに 金鎖を持ちてつなぎつつ 牢獄に居るが如くなり
自力称名の人はみな 如来の本願信ぜねば 疑う罪の深きゆえ 七宝の獄にぞいましむる
信心の人におとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩を知り 称名念仏励むべし
自力諸善の人は皆 仏智不思議を疑えば 自業自得の道理にて 七宝の獄にぞ入りにける
仏智不思議を疑いて 善本徳本頼む人 辺地懈慢に生まるれば 大慈大悲は得ざりけり
本願疑惑の行者には 含花未出の人もあり 或生辺地と嫌いつつ 或堕宮胎と捨てらるる

>あくまでも、たとえですので、不完全なものですが。

 まあ、こう言ってしまえば、どんな無責任なことを言っても批判はきませんよね。
 「あはは、あくまでも、たとえですので、どんな離しも不完全なものです」。

 口ほど便利な道具はない。何を考えているんだか、腹の底は見えないが、秘事法門は浄土
真宗の教えとは方向が違うようだ。親鸞の教えに拉致はないからね。
768渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/26(水) 09:22:02 ID:N9ZygMKw
>767
誤 離し
正 話
769 ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄:2008/03/26(水) 12:36:18 ID:kWReUEhC
      / ̄ ̄ ̄ ̄\
     (  人____)
      |ミ/  ー◎-◎-)
     (6     (_ _) )
      |/ ∴ ノ  3 ノ
      \_____ノ,,    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  バ  | '、/\ / /
     / `./| |  カ  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   |
      ⊂|______|
       |l_l i l_l |
       |   ┬    |
770神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 20:26:17 ID:3N4z8Rwr
>>765
いつ=宿善開発の一念に。

どのように=阿弥陀仏のご本願が魂のどん底に届いて、自力の心の命綱が絶たれ、
地獄一定と決まり、極楽一定と決まるのです。

どのように、というのが三業を言うのなら、信心獲得は三業のありようにはよらない、とお答えします。

阿弥陀様と、凡夫とがあわせて頂き、お六字のうちに決して離れないすがたとならせて頂いたときを、
獲信というのです。
771神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 22:29:57 ID:7M/w5C/i
>770

770さんは大沼法龍の本から抜粋しまくってますね。
s会の人で、こういう受け答えする人がいたよ。
s会の「会報」って本が大沼法龍の文章をもろパクってるからね。

770さんはs会会員ですかい?
772渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/26(水) 22:58:32 ID:N9ZygMKw
>766-767
 298さんは、「ああそうか。自分は聖典の読み方が違っていたな。自分
はまだまだ本当のことが分かってなかったんだな」と、心からそう思い、
「ああ、阿弥陀仏の誓願は、このように自分に真実を知らせてくれること
だったのか。尊いことだな。さあ、これからは真剣に念仏を称えよう」。そ
う思い立ったとき、その一念で信心を獲信するだろう。

 心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀
の御たすけあるべきことのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも、心
得たると思うことは、あるまじきことなり

 こんなことは考えたくもないと思ったなら、同じ迷いの世界を輪廻する。
773神も仏も名無しさん:2008/03/26(水) 23:58:06 ID:UgMy0eHT
>770
魂のどん底って、何処にあるのー。
魂のどん底信じるよりも、弥陀の誓願信じようよ。
魂のどん底知れたら、凡夫じゃないよ、仏さま。
凡夫が仏の顔しようとするから、質が悪いんだよ、きっと。
774298:2008/03/27(木) 03:06:00 ID:QR0EPigX
自分でわかるとつかむ方が、法に頭が下がる訳も無し、
善知識を探す訳も無し。

善知識の価値も、法の価値もわからない方に、
明かす方がいるはずもありません。

手引きがないのも、また自分に理由があるはずです。

自分ではどうにもならぬ泥凡夫、
この泥凡夫をどうにかできる法があるならと、
蓮の華を咲かせてくださるならと、
南無阿弥陀仏を求める方には、
道が示されることでありましょう。

南无阿彌陀佛
775渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/27(木) 09:50:13 ID:2iNqN9RA
>>774
 298の話は全く実感がない。血が通っていない。体温がない。インチキ宗教、カルト宗教は
仏の魂の息吹が全く通わない。

>この泥凡夫を
 この泥凡夫とはどの泥凡夫だというのだろうか?。実際には、聖典を間違った方向でしか読め
ないという泥凡夫だ。
 自分は人一倍聖典を読んできていると、そう思っていたけど、肝心なところで見当違いなトン
チンカンな読み方しかできず、拉致監禁という、自分の非道な本性を投影するような読み方しか
できてこなかった。あぁ、私は恥ずかしい。自分はこんな恥ずかしい人間でありました。まさに
そう思えたところこそ、泥凡夫が泥凡夫であったという自覚ではなかったか。
 あぁ、恥ずかしい人間でありましたという、この心(機の深信)のないところで、「この泥凡
夫」と、百万遍繰り返しても、机上の空論。法を語る言葉には一滴の血も流れていない。

>どうにかできる法がある

 どうにかできる法とはどんな法なのか。仏教は自己責任だ。罪福信ずる行者は疑城胎宮に止ま
る。三宝を離れる。罪福信ずる行者は、その行動に誰も責任を代わってくれることはない。罪福
信ずる行者は、自らの責任で疑城胎宮に止まる。
 人の道は、独死独生・独去独来(大無量寿経)だ。この道は、自分以外の誰も代わってくれな
い。阿弥陀の誓願を信じるも信じないも、念仏を称えるも称えないも、それは結局は自分の責任
で選択しなければならない。宗祖はそのように教えてくれている。
776渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/27(木) 09:52:32 ID:2iNqN9RA
 ああ、肝心要の真実が全く読めないこの自分に向けて、親鸞聖人は七百年、八百年も昔から、
必死に教えようとしてくれていたのか。ああ、なんともったいないことだろうか。真実の血が一
滴も通わない恥ずかしいばかりのこの私を目当てとしての働きであったのか。このように知らさ
れて来るのが「どうにかさせてくださる法」である。
 恥ずかしいばかりのこの私に、ああ、もったいないばかりの働きでありましたという心(法の
深信)のないところで、「どうにかできる法」と、百万遍繰り返しても、言葉には一滴の血も流
れない。

>蓮の華を咲かせてくださる
 機の深信・法の深信のないところで蓮の華が咲いたらそれは狂い花。日の当たらないぺんぺん
草か毒きのこの類だろう。

>南無阿弥陀仏を求める方には、道が示されることでありましょう。

 298さんよ。このスレッドに出入りしている他の常連と大きく違い、貴方には素質があるよ
うだ。一日も早く真っ当な仏道を求めなさい。きっと素晴らしい世界が開けるだろう。
777渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/27(木) 11:19:02 ID:2iNqN9RA
>775-776
 ああ、恥ずかし、恥ずかし、恥ずかし。堕ちる。堕ちる。堕ちる。堕ちる。堕ちる。
どこまでも。どこまでも。堕ちる。堕ちる。・・・。(機の深信)

 もったいない、もったいない、もったいない。ありがたや。ありがたや。ありがたや。
・・・。(法の深信)

 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。・・・。

    (機法一体の南無阿弥陀仏)
778神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 12:35:44 ID:8UMoByu9
>774
>自分でわかるとつかむ方が、法に頭が下がる訳も無し、
仏の心を手掴みにするって事だねー。解った事とてあてになる訳でもないし。
弥陀は助けたい、助けたいの一心なのに、
こう解ったから、こう知ったからOKさ、って心ばかりに捕われちゃう。
凡夫の癖なんだろうね、自力執心は。ならば、そのような自力執心は
「まあさてやあらん」とほっといて、かかる身までも助けたまえる
弥陀の本願かと、益々、その尊さ思って、お念仏称えましょ。
>知識を探す訳も無し。
これはよく解んないな。何事も何事も宿縁のもよおしなれば、
探すもよし、強いて探さずともよしだよ。
どちらも浄土往生には用がないし、かと言って差し支えになる訳でもないけど。
自力無功、はからい無功だね。南無阿弥陀仏
779298:2008/03/27(木) 13:31:56 ID:0emMAHDB
たとえ、誰かがまわりの方にさわりを話したとしても、
真宗の知識がある方であれば、
自力だ秘事だと、耳を傾けないのです。
なぜ耳を傾けないかと言えば、
既につかんでいる教義が有り、
信じられないからです。
真宗を知らない方であれば、
「あやしい」「宗教はイヤ」「後生のことなど信じられない」と
耳を傾けないのです。
つくづく、難信です。説得ができるようなものでもなく、
時期を待つしかありません。
ですから、基本的には、尋ねてきた方にお話しますが、
それでも、すぐにはお話できないかもしれないのは、
宿善を見ているのです。
ですから、探される方は、「どうも本当のことがあるのでは」と思ったら、
一度であきらめずに、幾度か尋ねて、
本当のところをお話してもらってください。
話してはいけないはずの話を聞けるには、
行者の側からのはたらきかけがいるということです。
そうして尋ねているすがたを見て、
はたからお手引きもらうこともあるでしょう。

南无阿彌陀佛
780298:2008/03/27(木) 13:50:36 ID:0emMAHDB
如来の教法であるから、教わる他はない。
この単純なことが、合点がゆかないものなのです。
教わる他はないから、
善知識様も、先代から教わっています。
これをずっと辿れば、釈尊に至り、
釈尊が明らかにした法を、
今に至るまで伝えているだけだから、
珍しき法ではないのです。

南无阿彌陀佛
781神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 13:58:29 ID:JGK31gwV
298さんも、「善知識から真実の法を伝えて頂いた」
ってつかんでるじゃないですか(笑)

他人の事は言えないはずですよ(苦笑)
782298:2008/03/27(木) 14:01:01 ID:0emMAHDB
>>781
理屈で言えば、そうなるでしょう。
誠に、難信であります。
783298:2008/03/27(木) 14:01:47 ID:0emMAHDB
また、行者は、法そのものを伝えていただくのではありません。
(法相続を受けるのは、知識だからです。)
その法のはたらきを受けるだけです。
784神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 14:04:36 ID:JGK31gwV
まるで自分たちだけに真実が伝わっているように言うなんて、
おかしすぎると思います。
あれこれ屁理屈こねては、自分の所属する団体名を明かさない、
そんな人の言う事を、ここの人たちは信じられますか?

僕は信じる気にはなれませんね(笑)

そう言うと今度は難信の法だからと言う(笑)
298さんが自信を持って真実の法を伝えて頂いたと思うなら、
その人や自分の所属する団体名を明記してもらいたいね。

僕は無所属ですが何か?(笑)
785298:2008/03/27(木) 14:06:39 ID:0emMAHDB
>>781,782
その上で、同じか違うかを判断したいなら、お聖教を見ることになると思います。
しかし、こちらのスレにおいても、幾度も引用しましたけれども、
それで真剣に読み、確認なさった方も、
あまりいらっしゃらないようですね。

求める方であれば、「本当かもしれない」ということであれば、
一生懸命確認しようとしたり、何らかのアクションを起こすものだと
思います。

御文様の通読も、一体、幾人の方が、なさったのでしょうか・・・

3回は通読してほしいと思っています。
しかも、「なるべく文字通りに」です。
わかろうとするよりも、文字通りに読もうとするべきであると思います。

説得は、できないものなのです。

なぜかはわからないけれども、本当かもしれないと感じる方が、
求めはじめます。

易行なのですから、その点は期待して、求めてほしいと思います。

南无阿彌陀佛
786298:2008/03/27(木) 14:11:45 ID:0emMAHDB
信じない方たちに、何をしろと言うのでしょうか?

本当かもしれないと思うけれども、
疑問が残る方の疑心を解いてゆくのが、
宿善開発のプロセスになります。

信じない方は、その方の信じる道を歩めば良いのです。

私に言えるのは、如来に救われたい方は、
今に伝わる教法があるのだから、
それを求めて、実際に救われてほしいということです。

言うに言われぬ法であるから、探さねばなりません。

探すつもりにもなれないのであれば、
たいして求めていないのだと、自分でわかるのではないでしょうか。

自力修行は困難だけれども、それでも輪廻から抜けたい方のための法です。

南无阿彌陀佛
787神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 15:10:06 ID:54q5iGHr
>>779
> 話してはいけないはずの話

「噂の真相」の見出しのようですね。
一切衆生を救いとられた弥陀の教えに、一部の者しか知ることのできない秘密がある、
それだけで十分におかしいでしょう。


>>750-764
こういう議論に学ぶことから始められてはいかがですか?
788神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 15:15:12 ID:54q5iGHr
>>780
> 如来の教法であるから、教わる他はない。
> この単純なことが、合点がゆかないものなのです。

弥陀の教法であるから、行者の側からのはたらきかけがいらない。
この単純なことが、合点がゆかないものなのです。

あなたの如来は、阿弥陀如来ではない、今流行の中国の偽ブランドではありませんか?
789298:2008/03/27(木) 16:03:34 ID:0emMAHDB
>>787
幾度も引用したことですが・・・

◎一つには、自身の往生すべき安心をまづ治定すべし。二つには、
ひとを勧化せんに宿善・無宿善のふたつを分別して勧化をいたすべし。(御文4-1)

◎無宿善の機のまへにおいては、正雑二行の沙汰をするときは、
かへりて誹謗のもとゐとなるべきなり。この宿善・無宿善の道理を分別せずして、
手びろに世間のひとをもはばからず勧化をいたすこと、
もつてのほかの当流の掟にあひそむけり(御文3-12)

◎当流のこころは、人を勧化せんとおもふとも、宿善・無宿善のふたつを
分別せずはいたづらごとなるべし。このゆゑに、宿善の有無の根機をあひはかりて
人をば勧化すべし(御文4-1)

◎あるいはまた仏法聴聞のためにとて人数おほくあつまりたらんときも、
この人数のなかにおいて、もし無宿善の機やあるらんとおもひて、
一流真実の法義を沙汰すべからざるところに、近代人々の勧化する体たらくをみおよぶに、
この覚悟はなく、ただいづれの機なりともよく勧化せば、などか当流の安心にもとづかざ
らんやうにおもひはんべりき。これあやまりとしるべし(御文4-5)

仏法誹謗の罪を知る方であれば、
誰にでも言えばいいというものではないということは、
わかるのではないでしょうか。

まずは、誰でもが聞ける教えがあり、
宿善の機は、それを聞いて、求め始めるということです。

南无阿彌陀佛
790298:2008/03/27(木) 16:07:37 ID:0emMAHDB
>>788
>あなたの如来は、阿弥陀如来ではない、今流行の中国の偽ブランドではありませんか?

本当に検討したいなら、このスレも、もう7つ目です。

私も、かなり引用してきました。

繰り返されている箇所も多いです。

「違う」と決めつけるのではなく、
お聖教片手に、ご自身で、確認されたら良いと思います。

確認しやすいように、ほとんどの場合、出典を明記してきました。

引用箇所だけではなく、前後の流れもよく読んで、
考えてほしいと思います。

教わっていることと、御文様に書いてあることが異なる場合、
どちらを選択するのかも、ひとりひとりが決めることです。

南无阿彌陀佛
791298:2008/03/27(木) 16:10:44 ID:0emMAHDB
いろいろな方のご質問のおかげで、私の考えも深まりますし、
思い違いにも気付かされますし、
お話も進んでゆくことに、感謝しております。

繰り返される引用箇所は、現代の方にとって、
必要な場所なのでしょう。

私は、机上の空論よりも、現場や実践を重視する考え方ですので、
このようにして選ばれてきた引用箇所をまとめ、
流れをつけてまとめれば、
今の方にとって役に立つ抜き書きができるであろうと考えております。

返す返す、感謝申し上げる次第です。

南无阿彌陀佛
792298:2008/03/27(木) 16:23:10 ID:0emMAHDB
>>787, 788
>弥陀の教法であるから、行者の側からのはたらきかけがいらない。

あなた様がどのような意味で「行者の側からのはたらきかけがいらない」と
おっしゃっているのか、よくわかりませんけれども、同時に、

>こういう議論に学ぶことから始められてはいかがですか?

とも、おっしゃっていらっしゃいます。

つまり、「議論に学ぶ(読む、考える)」ことは肯定するけれども、
獲信者を探したり、次第相承の善知識にお会いしたり、
善知識から教えを受けることは、否定なさるわけでしょう?

自力、自力と言って否定する方がよくいらっしゃるようですが、
そのような方も、自ら心がけたり、まわりの方におすすめしていることが、
あるはずであると思います。

実際、掲示板にも書き込んでいるわけですしね・・・

私たちは、自力から逃れるすべが無いのですから、
他力に至る自力を為すべきであり、
それが、まずは獲信者を探すことであると、
繰り返し申し上げております。

見つからないなら、「自力」と否定せずに、
口から出すお念仏を一生懸命されたら良いと思います。

南无阿彌陀佛
793298:2008/03/27(木) 16:24:56 ID:0emMAHDB
自力無功と知らされるのは、自力をがんばったからというよりも、
他力信をいただくからです。
794神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 16:44:23 ID:JGK31gwV
だからさ、298さん、団体名をはっきり言いなさいよ(笑)
795神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 17:03:37 ID:FyvUJNFT
念仏宗渡海会に対抗して、念仏宗298会結成か
796神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 17:20:17 ID:JGK31gwV
まだ渡海さんの方がちゃんとしてる。
298さんは早く自分がどこに所属しているか
はっきりすべきだね。
797298:2008/03/27(木) 17:27:41 ID:0emMAHDB
私が言っていることは、別に私のところに尋ねることが必須なのではなく、
御開山一流の教えが伝わっているところを探して下さい、
という趣旨ですからね・・・

御文様を読み、それに割符が合う信心を探せば、
それで良いのだと思います。

有縁の知識様は、ひとりひとり異なるはずですし。

南无阿彌陀佛
798298:2008/03/27(木) 17:38:22 ID:0emMAHDB
信を獲れないのは、自分に問題があるからではないのに、
責められたり、自分を責めて苦しんでいる方に、
早く救われてほしいと思います。

機を問わず救ってくださるのですから、
救われないなら、法が本物でないはずです。

お約束の通り、易行にて救われる法があると信じて、
探すことであると思います。

もちろん、わざわざ否定することもありませんので、
「ああ、これは違う」と思ったら、
また次の場所に行けば良いのです。

本物だと思ったら、不審をあれこれ質問してゆくことで
あると思います。

(もちろん、質問するまでもないと思われたのでしたら、
わざわざ質問する必要も無く、すべておまかせしたら良いと思います。)

南无阿彌陀佛
799298:2008/03/27(木) 18:02:04 ID:0emMAHDB
救いを他人事として捉えるのではなく、
実際に自分が救われたい方は、
今、現に信を獲ている方を探そうとするのではないかと思います。

そして、お話を聞き、真偽を感じ、
本物だと思えば、さらに尋ねるものだと思います。

真偽を感じる際に、お聖教が役に立つと思います。

お聖教の中でも、御文様がわかりやすいですから、
御文様をおすすめしております。

八十通、繰り返し読まれることをおすすめしております。

御文様を拝読しながら、口には南無阿弥陀仏を称え、
探されることをお勧め致します。

南无阿彌陀佛
800298:2008/03/27(木) 18:21:57 ID:0emMAHDB
弥陀に救われるということは、
往生が治定するということであり、
摂取不捨なのですから、何があっても、
極楽浄土に往けるということです。

しかし、信後の報謝も大切です。
往生が治定した上で、報謝して参ります。

それには、まず、お聖教を読み、あるいは、
同行からお聖教についてのお話や実感を聞き、
よくよく間違いないと理解し、感じてゆくことが、大切であると思います。

このようにして、わからぬはずの信心を、
自分なりに感じてゆき、ありがたい気持ちを出しまして、
口から御恩報謝の南無阿弥陀仏を御称えし、
身業には合掌礼拝を為してゆくことが、
大切であると思います。

ひとたび他力信をいただけば、
後はこのようにして、相続をしてゆきます。

相続してゆくうちに、「よくよく間違いない」ということが、感じられて参りますから、
そうなれば、少しずつ、お勧めしてゆくことも、
できると思います。

◎他力の信をえんひとは
 仏恩報ぜんためにとて
 如来二種の回向を
 十方にひとしくひろむべし(和讃)

南无阿彌陀佛
801298:2008/03/27(木) 18:36:14 ID:0emMAHDB
一瞬のうちに、如来廻向の信心により、
南无阿彌陀佛により、救われます。

しかし、その後も、凡夫の道は続きます。

極楽往生が定まった上での、日暮らしです。

火をかぶり、水をかぶりながら、如来の声に導かれて、
歩む白道です。

煩悩も残りますし、苦しいことも、
多々あることと思います。

そんな流転も、これで最後と、
仏法を喜んで、生きて参ります。

穢身を脱ぎ捨て、浄土に参る日は、必ずやって参ります。

残るは、御恩報謝の南无阿彌陀佛。

有縁の方が、弥陀の光に救われることも、
機会があれば、そのご縁となりまして、
同行と、仏法を喜び、讃嘆しながら、生きて参ります。

南无阿彌陀佛
802神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 19:55:07 ID:JGK31gwV
だから、298さんの所属する団体名は何なんだよ?(笑)
早く言って下さい(苦笑)
803神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 20:14:59 ID:g6g5szHI
この肉屋(298)はホントわかってないね
名前も明かさず団体名も明かさない人の主張は法螺として世間では
無視されるんだよ  
オレオレ詐欺でも一応言うのにw
804:2008/03/27(木) 21:00:24 ID:i6QVOTgq
信心獲得のために必要なことは蓮如上人が五重の義で示されています。

私は、信心獲得ということは本当にあると思い、とにかく獲信者を探していました。

獲信者だと名乗り出てくださった方とある程度この掲示板やメールで質問し、

本当かも知れないと感じる方のところには直接訪問するということを繰り返してきました。

本当に信心獲得したいと思う方は、ここで冷やかしの発言などしている余裕はないと思います。

相手にされなくなって困るのは、自分ですから。

結局、難癖をつける方は、ハナから信じていないのですから、質問といっても冷やかしに終始する訳で、時間の無駄でしょう。

ご自分の信じられる道を進んでくださいとしか言えませんし、そうすることしか出来ないと思います。

南无阿彌陀佛
805神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 21:10:44 ID:rZvtCprj
お寺の法話は一度も聞いたこと無いの?
806:2008/03/27(木) 21:16:41 ID:i6QVOTgq
いろんなお話を、聞いて回りましたよ。
807神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 21:53:17 ID:+PrqNI+U
信じるもなにも、
客観的に判定しますと、
この場合は、団体名や、善知識は誰かということを、言わない方が悪いですよ。
まず、信じる対象を示さないことには、訳がわかりません。
マンネリ化して見ている方はイライラするだけです。(それが狙いかもしれませんが。)

まあ、マニアックなスレだということで、許されることなのでしょうね。
808神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 22:20:54 ID:dGfALp6L

>802 :神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 19:55:07 ID:JGK31gwV
>だから、298さんの所属する団体名は何なんだよ?(笑)
>早く言って下さい(苦笑)


>803 :神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 20:14:59 ID:g6g5szHI
>この肉屋(298)はホントわかってないね
>名前も明かさず団体名も明かさない人の主張は法螺として世間では
>無視されるんだよ  
>オレオレ詐欺でも一応言うのにw


 おまいら・・・ニートなんだから察してやれよ。
ここに書き込むのが生きがいなんだからあまり
おちょくるとかわいそうだよ。
809神も仏も名無しさん:2008/03/27(木) 22:23:15 ID:8UMoByu9
>805
五重の義は信心を得るための方法なのかなー。
あなた方って、五重の義もそうだけど、
真実信心をイニシエーション(通過儀礼)にしちゃってる気がする。
ラーメンをギョーザだと信じこませる方法は簡単。
そう信じてるコミュニティに居させて(取り囲んで)、
さらに念押しにイニシエーションを施す。周りから変だって言われても、
周りが間違ってる事にする。それが進んでくれば、それは確信となる。
彼はラーメンをギョーザとしか思えない。
私たちって、残念ながらそんな主観でしか生きられない。
この人は、次第相承の善知識だとどうやって証明する?
この信心は真実信心だとどうやって証明する?
善知識国家試験も免状も存在しないのに、あやふやな凡痴で、はからう。
判断する。イニシエーション受けて確信する。根本が凡痴なのに、
その根本は疑わない。私はこの眼で確かに見、この身で確かに感じたんだって。
それって結局、一番信用ならない自分自身を信じてるって事になるよね。
他力の法がありがたいのは、そんな事、往生に関係ないとする所。
また、どんな体験しようが障りともされない所。自力無功を知るんじゃない。
自力無功なんです。はからい無功が解ったんじゃない。
はからい無功なんです。阿弥陀さまが必ず浄土に参らせる事が
骨身に染みた、合点がいったのが信心じゃない。
必ず助けるぞの一心が、信心なんです。だから、信心を相続心とも、
金剛心とも、菩提心とも、仏心とも、真実心とも、
言うことが可能なんですね。イニシエーションの作業を通して、
多分、たのみ方って言われてるのが、イニシエーションに当たると思うんだけど、
そんな信心は、仏心では無いです。自力建立の信心だから。
相続心でも無いです。雑縁来りて乱れるから。
菩提心でも無いです。我執を信じてるから。
真実心でも無いです。凡痴の体験が介入するから。
何を体験しても結構だけど、それらを往生浄土と結び付けちゃうから、
玉に瑕なんじゃないかな。
810神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 01:08:04 ID:4c24CNDU
>>771
大沼法龍さんの本から抜粋したわけではありませんが、みごとに信仰体験を
書かれた方と尊敬していますので、表現をお借りしてしまったかもしれません。
s会とは、この文脈からすると親鸞会というところでしょうか。違いますよ。

>>773
>魂のどん底って、何処にあるのー。
>魂のどん底信じるよりも、弥陀の誓願信じようよ。

「信じようよ」と言っているのが魂の上っ面、信じていないのがどん底です。
信前ならば、必ずあります。>どん底
もしそれがちょっとでも見えていないのなら、まだまだ仏法の聞き方があまいですね。

後生の一大事を心にかけて、仏法を尊く思い、三千世界に満ち満ちる火の中を行く思いで、
阿弥陀仏のご本願を聞き求めてこそ、宿善開発のときがあります。

聞其名号とは、ただ漫然と名号を耳に入れることではありません。
南無阿弥陀仏のお六字を、心の底に受け止めたときが、聞即信。
真実いっさい聞く耳もたない惑染の凡夫でも、何が何でも聞かせずにはおかない、
阿弥陀仏のご本願ですから、必ず聞かせて頂けるのです。
811神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 01:43:17 ID:wA3QVd/N
>810
>大沼法龍さんの本から抜粋したわけではありませんが、みごとに信仰体験を
>書かれた方と尊敬していますので、表現をお借りしてしまったかもしれません。
>s会とは、この文脈からすると親鸞会というところでしょうか。違いますよ。

ではどこに所属しておられる(おられた)のですか?
s会としか思えなかったのですが・・・
812神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 02:52:02 ID:ddLGDaiz
298

ああ言えば上祐。
8137:2008/03/28(金) 09:11:39 ID:Cbo7DA8t
>>809さんの安心も、「必ず助けるぞの一心が、信心なんです。」ということを凡夫が「信じている」に過ぎないことにはなりませんか。

凡夫の三業を全て否定されていかれるのであれば、仏説を仏説だと信じることも知ることも凡夫の妄念ということになります。

どこまでも自分を通してしか外界も自分も知ることが出来ないのが凡夫、ならば何一つ確かなものはなく、安心など分からない、

知ることも出来ないというのが結論になるはずです。

何を言っても、何を信じても、それは否定されるべき凡夫の所業となるでしょうに、自身の信念やご発言は正しいと信じていらっしゃるからこそ書き込みをされているはずです。

ご自身の矛盾を、どう説明されるのでしょうか。

例えお経を丸写ししようとも、師匠の教えをそのまま書いたとしても、丸写しである、そのままであると信じているに過ぎないのですから。

異安心どころか、無安心に陥るのでは、ないでしょうか?
8147:2008/03/28(金) 09:18:13 ID:Cbo7DA8t
>>810さま
>まだまだ仏法の聞き方があまいですね。
と仰いますが、蓮如上人は「一文不知の尼入道」が救われるとお示しです。
しかも、阿弥陀仏の本願は機を問わないのです。
機調べ系、機責め系の安心の方でしょうか。

弥陀をたのめば、どのような方も救われます。弥陀の本願に救われたいと思う方は、どうか自分を責めないで、
誰もが救われる法を探して欲しいと思います。

815神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 11:14:42 ID:0P8hdu2s
特別のたのみ方は無いですよ。
念仏をとなえればいいだけですね。
816神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 11:59:54 ID:34B59cza
念仏をとなえる、だと能動的に思われるから
信心を決定してお念仏を授かる、となればいいのだと思う。
817神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 12:12:26 ID:Rq4C1KFK
>810
甘いも辛いも同じ潮に一味なのにね。
聞かせてもらった心を当てにして、弥陀の必ず助けるは刺身のつまなのかな?
甘いも辛いも自力のはからい。ホント凡夫は自力が大好物。俺もだけどね。
自力執心成長時代。自我意識ばかりが膨らむ。
劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁中、
得あーのくたーらさんみゃくさんぼーだい。
阿弥陀さまが私を思って下さるお心って、どんだけだよー。
我が心に頭下げても、自画自賛でおしまい。凡夫の自画自賛って、どんだけよ。
必ず助ける仏願、諸仏方も頭下げて、どでかい舌出して、偉いよ、偉いよ、
それでも称賛し尽くせない。偉い、立派も嘘になる。
もはや、お名前自体を称えるより、称賛しようがないと。
名前に恥じない仏だよ、南無阿弥陀仏って。
なぜなら、甘いの辛いの言って、平等覚智にどうやっても到れない
即ち、成仏しがたい凡夫を救う決心をされ、
それを成就された、名が体をそのままあらわす仏が、
南無阿弥陀仏だからね。仏願は、我が心に常に先回り、先回り。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
818298:2008/03/28(金) 20:41:38 ID:cxBKpApI
>>815
◎ただなにの分別もなく南無阿弥陀仏とばかりとなふれば、みなたすかるべきやうにおもへり。
それはおほきにおぼつかなきことなり(御文3-5)

◎しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第をよく存知したらんひとにあひたづねて、
信心決定して、その信心のおもむきを弟子にもをしへて、もろともに今度の一大事の往生を
よくよくとぐべきものなり(御文1-11)
819神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 21:26:34 ID:4c24CNDU
>>814
>>まだまだ仏法の聞き方があまいですね。
>と仰いますが、蓮如上人は「一文不知の尼入道」が救われるとお示しです。

そのお言葉は、知恵、知識、才能、年齢、性別など、個人の属性には一切関係なく、
すべてのひとが救われるのが
阿弥陀仏のご本願だということを言われています。

「そもそも、此の比、当国他国のあいだにおいて、当流安心のおもむき、事の外、相違して、
みな人ごとに、われはよくこころえたりとおもいて、さらに法義にそむくとおりをも、
あながちにひとにあいたずねて、真實の信心をとらんとおもうひとすくなし。
これまことにあさましき執心なり。」

298さんたちがとても大事にしておられる御文章の中にも繰り返し繰り返し、書いてくださっています。
わかったようなつもりになっていては危うい、きちんと信心を頂かなくてはダメだぞ、ということです。

それと、「聞き方が甘い」というのが「機調べ系、機責め系」というのなら、
「正しくたのまねばならぬ」というのも同じことになりますよ。
820神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 21:30:34 ID:4c24CNDU
>>817
>甘いも辛いも同じ潮に一味なのにね。
>聞かせてもらった心を当てにして、弥陀の必ず助けるは刺身のつまなのかな?

必ず助けねばおかんのお呼び声が、聞こえぬ耳に聞こえてくださったとき、
刺身のつまにしていた自分がわかるんです。
そんなどうしようもないものを、逃がさじと摂取の光明のなかにおさめとってくださるのも、
大慈悲の親様ゆえ。
親様の真実心の中に抱き取られた時に、今までの一切が自力であったと分からせて頂くのです。

817さんはいつも、他の人の書き込みを凡夫の妄念だからと否定し、それよりも
阿弥陀仏のお誓いを信じようと書かれますね。それはその通りなのですが、
817さんご自身が、いつもどこか、ご本願を自分の心と離れたところに置いておられる。

尊い偉いと賞賛しても、そのお誓いを我が身に頂かなくては、仏様を額縁にいれて飾っているのと同じこと。
阿弥陀仏の御心が、自分の心身に染み付いていない、南無阿弥陀仏と一体になっていない、
それは阿弥陀様の永のご苦労、広大無辺なお慈悲を無にすることなんですよ。

阿弥陀仏の懐に抱かれないままで、機のどうしようもなさ、凡夫の妄念を語るのは、
結局のところ「わかったつもり」の卑下慢に留まります。
821298:2008/03/28(金) 21:31:36 ID:cxBKpApI
>>819
>それと、「聞き方が甘い」というのが「機調べ系、機責め系」というのなら、
>「正しくたのまねばならぬ」というのも同じことになりますよ。

正しくたのむことは、教われば、すぐにできるのです。

「聞き方が甘い」というのは、否定であって、
「では、どのように聞けばよいのか」が大切だと思います。

「たのみ方を教わる」というのは、「聞き方を教わる」のと同じです。

教われば、実に簡単な易行です。

簡単にすぐできることなのか、それとも、教わってもなかなかできないことなのか、
そこに違いがあるのではないでしょうか。
822笑いのマートル:2008/03/28(金) 21:36:57 ID:tCL+uU4V
縁があれば信じられるし、縁がなければ信じられないだけでしょ。
本気で求めていれば、いずれ法の方からやって来る。
反発するのも反発する縁が働いての事。
ご信心は、死んだ後の保険だと思えば良いのに・・・
あるかないか分からないものなんだから。
万が一、地獄に堕ちる羽目になっても保険で、
極楽に往けるんだったらそれに越した事はない。
信じる心だけで、死んだら地獄行きの所を極楽に変えますよってだけの話。
ただ口に出して称えるお念仏は、おおようなり。
一時も早く信心の次第を知っている人を探して、
信心決定するようにと蓮如様もおっしゃっている。
823地獄の傀儡師:2008/03/28(金) 21:45:21 ID:8Zej+P/W
私の作り上げた密室トリックをみなさんは見破れなかった・・・。
やはり金田一かコナン君じゃないと無理か。

とりあえずなぞなぞ。
「犬が9匹揃ってやっていることは?」
824神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 21:48:01 ID:4c24CNDU
>>811
団体というほどのものではありませんが、お寺様でのご法話を縁として、
仏法を聞かせて頂いている集まりです。
さすがに、ここで名前を出すのは憚られるのですが…

>>821
298さんたちは、易行の意味を誤って使われていますね。
阿弥陀仏のご本願のお力によってさとりに至ることを、自らの力で行う苦しい修行によって
さとりに至ること(難行)に比べて、易行というのです。

わたしたち、邪見きょう慢の悪衆生が、
阿弥陀仏の本願念仏を信楽受持することは、「難中之難無過斯」と説かれています。

教わって簡単にできる、と言うこと自体が、親鸞聖人の教えられたことと異なるのですよ。
825神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 21:50:03 ID:wA3QVd/N



820は、やはりs会員だったんだな・・・


826笑いのマートル:2008/03/28(金) 21:55:52 ID:tCL+uU4V
ただ、耳で聞くと解釈するから先に進めない。
人の言う事を聞くと言った場合はどうするのでしょうか?
827298:2008/03/28(金) 21:57:51 ID:cxBKpApI
>>824
>教わって簡単にできる、と言うこと自体が、親鸞聖人の教えられたことと異なるのですよ。

邪見きょう慢の悪衆生は、我が身を愚鈍の身になすことができませんから、
「教わる」ことができないということなのでは?

「カンタン」と聞いても、信じることもできなけれれば、
教わることもできないから、難しいのだと思います。

ハナから否定して、探しもしませんし、尋ねもしないですし、
そのさわりを聞いても、受け付けないから、難しいのだと思います。

そんな簡単に救われるなんて、どうしても信じられないし、
認めたくないのだと思います。

このスレを見るだけでも、「本当かもしれない」と思うことが、
いかに難しいか、示されていると思います。

易行とは、やさしいのではないのですか?


◎あら、やうもいらぬとりやすの安心や(御文2-7)

◎あら、こころえやすの他力の信心や、あら、行じやすの名号や(御文2-15)


「親鸞聖人の教えられたことと異なる」とのことですが、
何か典拠はございますか?
828笑いのマートル:2008/03/28(金) 21:58:00 ID:8Zej+P/W
ただ、耳で聞くと解釈するから先に進めない。
人の言う事を聞くと言った場合はどうするのでしょうか?
829また:2008/03/28(金) 21:58:41 ID:8Zej+P/W
二重投稿気をつけろ、まーとる
830神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 22:03:23 ID:4c24CNDU
>>822
>ご信心は、死んだ後の保険だと思えば良いのに・・・

これは、他力の信心ではありませんよ。
他力の信心頂くということは、現世から光明の中に生かされていくということです。
常に喜び守りたまう真実の阿弥陀仏の懐に抱かれて、一切の苦は楽と転じ変えて頂き、
何ものもさわりとならない、無碍の一道に生きさせて頂けるのです。

死後の保険だなどと…
浄土真宗の真実信心は、そんなちゃちなものではありません。

>万が一、地獄に堕ちる羽目になっても保険で、
>極楽に往けるんだったらそれに越した事はない。

機の深信がありませんし、法の深信もないのですね。
これで親鸞聖人と同じ一味の信心と、どうして思えるのでしょうか。

どうぞ、ほんのちょっとでも後生に疑いが残るのであれば、
もう一度、こころをまっさらにして、お聖教を読み返してください。
298さんの団体以外の場所で、
阿弥陀仏のご本願を、本当に真剣に聞き求めてください。お願いいたします。
831神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 22:19:53 ID:4c24CNDU
>>827
>「カンタン」と聞いても、信じることもできなけれれば、
>教わることもできないから、難しいのだと思います。

思っているだけで、易行ということについて、お聖教を調べたことはないのですね。

>『論の註』(上)にいはく、「つつしんで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるにいはく、
>〈菩薩、阿毘跋致を求むるに二種の道あり。一つには難行道、二つには易行道なり。
(中略)
>易行道とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ず。仏願力に乗じて
>すなはちかの清浄の土に往生を得しむ。仏力住持してすなはち大乗正定の聚に入る。
>正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗じてすなはち楽しきがごとし〉と。

少なくとも、298さんの「易行」という言葉の使い方は、親鸞聖人の教えられたことと異なりますね。

人に御文章を読めとすすめられるまえに、まず自分が、お聖教を自分の都合のいいようにだけ
読んでいないか、常に反省することが必要だと思いますよ。

>>825
s会とは、やはり親鸞会のことですか?
私の書いていることが、親鸞会で伝えられていることと、そんなに似ているのでしょうか。

>>826
>ただ、耳で聞くと解釈するから先に進めない。
>人の言う事を聞くと言った場合はどうするのでしょうか?

ちょっと、意味がわからないのですが…笑いのマートルさんの信じておられる教えでは、
聞即信の「聞」は、「人の言うことを聞く」である、ということですか?
832298:2008/03/28(金) 22:22:27 ID:cxBKpApI
>>831
>>易行道とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ず。仏願力に乗じて
>>すなはちかの清浄の土に往生を得しむ。仏力住持してすなはち大乗正定の聚に入る。
>>正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗じてすなはち楽しきがごとし〉と。
>少なくとも、298さんの「易行」という言葉の使い方は、親鸞聖人の教えられたことと異なりますね。

すみません、どこが違うか、わからないのですが・・・

ここには、「カンタン」と書いてあると思いますよ。

自分でやるのではなく、弥陀をたのみ、弥陀の真実信心によって往生するから、
カンタンなのではないでしょうか。
833神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 22:28:16 ID:wA3QVd/N


>s会とは、やはり親鸞会のことですか?
>私の書いていることが、親鸞会で伝えられていることと、そんなに似ているのでしょうか。



ん?別にしらばっくれなくていいよ。

正直に「実は親鸞会にいました」って言えばいいだけじゃん。

親鸞会にいたからって、責めたりしないよ。それは他力の信心とは関係ないんだから。
834神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 22:29:20 ID:4c24CNDU
>>827
>邪見きょう慢の悪衆生は、我が身を愚鈍の身になすことができませんから、
>「教わる」ことができないということなのでは?
>「カンタン」と聞いても、信じることもできなけれれば、
>教わることもできないから、難しいのだと思います。

「教わる」ことができないから難しいのではないです。
自力の心が邪魔をして、阿弥陀仏の本願を信受することができない、ということです。

そして、信じる対象は「百発百中、信心決定させてくれる善知識」ではありません。

この私たちを、聞くひとつで、極楽往生まちがいない身にしてみせる、と誓われている、
阿弥陀仏の本願です。

「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念
若不生者 不取正覺 唯除五逆 誹謗正法」(『仏説無量寿経』より)
835笑いのマートル:2008/03/28(金) 22:31:01 ID:tCL+uU4V
聞くと言う言葉には色々な意味があると思いますよ。
何をどう聞き分けるのか、不思議ですねぇ〜。
836298:2008/03/28(金) 22:31:01 ID:cxBKpApI
>>831
>人に御文章を読めとすすめられるまえに、まず自分が、お聖教を自分の都合のいいようにだけ
>読んでいないか、常に反省することが必要だと思いますよ。

私が(御文様から)引いた箇所を、きちんと検討してくださっていらっしゃるのでしょうか?

私の読みが、「(私にとって)自分の都合のいいようにだけ読む」ということであれば、
別の読みを示せるのでは、ありませんか?

主張が異なる場合、共通の基盤となると思われるのが、お聖教です。

解釈に違いがあることはあるでしょう。

しかし、別の解釈を示すことができないならば、
今、あなた様が信じている考えの典拠について、
あるいは、根拠について、振り返ってみることができるのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、法話を根拠とするのと、お聖教を根拠とするのでは、
私は後者を優先したいと考えています。

もし、法話とお聖教が異なると感じたら、質問すべきであると考えます。
837笑いのマートル:2008/03/28(金) 22:37:23 ID:tCL+uU4V
人間、自分の都合の良いように解釈しがちですから、
相手から言わせれば、こちらの都合よく解釈していると言われるし、
こちらから言わせれば、相手の都合よく解釈していると、
所詮水掛け論でしょう。
何せ聞くと言う言葉でも解釈が違うのですから。
298さんは、善知識の言うことを善知識の言うとおりにした筈ですが・・・
838神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 22:39:21 ID:4c24CNDU
>>309
>真宗は、如来から、他力信を実際にいただく方法なのです。
>しかも、それは易行であり、簡単です。

>>347
>凡夫が易行にて、あっという間に、信をいただける南无阿彌陀佛です。

298さんが易行というとき、それは、「獲信」がたやすいという意味で使われていますね。

私は>>824で、「阿弥陀仏のご本願のお力によってさとりに至ることを、自らの力で行う
苦しい修行によって さとりに至ること(難行)に比べて、易行という」と書きました。

さてそこで、私が>>831で引用したお聖教を読まれて、どちらが正しいと思われますか?
839298:2008/03/28(金) 22:39:26 ID:cxBKpApI
>>834
申し訳ないのですが、834において書かれている主張の根拠として、

「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念
若不生者 不取正覺 唯除五逆 誹謗正法」(『仏説無量寿経』より)

は、不足なのではありませんか?

なぜ、あなた様のように解釈できるのかを、私は知りたいのですから。

それに、教わることができないのも、自力の心が邪魔をするからなのではありませんか?

私たちからすれば、善知識に会い、その教えを受けて弥陀をたのむならば、
決定するのも、実にやさしいことですのにね・・・

体験したことがないのに、どうして否定するんでしょうね。

お聖教とも、矛盾していないですのに・・・

信じられないのも無理はないのは、難中の難であるからです。

また、自力信を否定している方であるはずですのに、「信じる対象」とのことですが、
如来の真実信心は、如来からいただくものですよ。

本願を自分で信じようとしても、それはできないからこそ、
弥陀をたのむのでしょう?

そして、善知識様と言えど、凡夫であることに、変わりはありません。

往生程の一大事、凡夫がはからうことにあらず、
如来におまかせするのでは、ありませんか?
840298:2008/03/28(金) 22:42:30 ID:cxBKpApI
>>838
>298さんが易行というとき、それは、「獲信」がたやすいという意味で使われていますね。
>私は>>824で、「阿弥陀仏のご本願のお力によってさとりに至ることを、自らの力で行う
苦しい修行によって さとりに至ること(難行)に比べて、易行という」と書きました。

これと、「獲信がたやすい」ということと、矛盾しているのでしょうか?

838様のお説というのは、「易行というのは、『(聖道に比べれば)比較的易しい』という意味であって、
実は難しい」ということですか?

私が言っているのは、易行にして難信ということです。

とてもやさしい行であるのに、そのようなものがあるとは、なかなか
信じられないということです。

南无阿彌陀佛
841298:2008/03/28(金) 22:44:52 ID:cxBKpApI
>>838
◎あら、やうもいらぬとりやすの安心や(御文2-7)

これは、「獲信がたやすい」ということでは、ないのですか?
842298:2008/03/28(金) 22:48:22 ID:cxBKpApI
◎無量寿仏国は往き易く取り易くして、人修行して往生することあたわず。
かえって九十五種の邪道に事う。
我この人を説きて、「眼なき人」と名づく、「耳なき人」と名づく(教行信証)
843笑いのマートル:2008/03/28(金) 22:49:38 ID:tCL+uU4V
ほんとに易行ですね。
簡単すぎて、信じる人が希な法でもありますね。
人間は理屈をこねたがりますから。
分かる人には、分かるヒントを言っているつもりなんですが・・・
聞くと言う事にどんな意味が込められているのか、
一つじゃないと言う事が分からないのでしょう。
善知識の言うことを言う通りに聞く。
みんな想像力ないんだから。
844地獄の傀儡師:2008/03/28(金) 22:53:09 ID:8Zej+P/W
ニーチェが菜食主義なんてよく言えるよな。
彼は生前大食いだった。そんな人が野菜で我慢できるか?
ニーチェはキリスト教の教えを批判した(神はしんだ)そしてその弱い者の論理(ルサンチマン)を一切排除し
自分で何かを創造し成長していく事を説いた。
そして発狂してしんだw。
「つらどるふはかく語りき」あれは精神病者初の著書w。
あれを読むと頭がおかしくなるかもなw。
845神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 22:56:34 ID:wA3QVd/N
>みんな想像力ないんだから。

弥陀にひっぱられただけなのに、よくこんな大口たたけるな・・・。
あんたが獲信したのはあんたの力じゃないんだぜ?



846298:2008/03/28(金) 22:58:00 ID:cxBKpApI
>>838
◎浄土を修する者常に多けれども、その門を得て径ちに造る者幾もなし。
浄土を論ずる者常に多けれども、その要を得て直ちに指うる者あるいはすくなし(信巻)

「径ちに」「直ちに」を、どのように解していらっしゃいますか?

「浄土を論ずる者常に多けれども」これは、「偽の善知識」も多いことを示し、
「その要を得て直ちに指うる者」とは、「真の善知識」のことではないでしょうか?
847神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 22:59:37 ID:wA3QVd/N
834=S会員?

834は獲信してるのか?
獲信したんなら、「求める者を、確実に他力信心に導くことができる善知識」がいても
おかしくないかもなー、くらいは思うはずだろ?


848神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 23:02:49 ID:4c24CNDU
>>840
「獲信」と、「さとりに至ること」は、異なりますよ。
信獲た後、さとりに至るまでが易行です。
信獲るまでは、「難中之難無過斯」です。

>>837
>298さんは、善知識の言うことを善知識の言うとおりにした筈ですが・・・

あらためて聞きますが、笑いのマートルさんは、
聞即信の「聞」は、「人の言うことを聞いて言うとおりにする」である、と思っておられますか?
だとしたらそれは間違いですよ。
「聞其名号 信心歓喜」の「聞」ですから。

>>841
>◎あら、やうもいらぬとりやすの安心や(御文2-7)
>これは、「獲信がたやすい」ということでは、ないのですか?

前を読めば、「なにのようもなく 弥陀如来を一心一向にたのみたてまつることわりばかりなり」
とありますね。

つまり、「弥陀如来を一心一向にたのみたてまつる」これだけでいいから、
「とりやすの安心」と言われているんです。
安心をとるにあたっての障害は、「一心一向にたのみたてまつる」になっていないことだけ。
ここに、298さんたちの教えは、余計なものを追加するからおかしなことになるんです…。
849神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 23:11:55 ID:4c24CNDU
>>846
>「浄土を論ずる者常に多けれども」これは、「偽の善知識」も多いことを示し、
>「その要を得て直ちに指うる者」とは、「真の善知識」のことではないでしょうか?

そうですね。ただ、298さんの善知識は、今までのお話から考えて、確実に「偽の善知識」です。

>>847
>獲信したんなら、「求める者を、確実に他力信心に導くことができる善知識」がいても
>おかしくないかもなー、くらいは思うはずだろ?

逆ですね。獲信すればわかります。人が人に「獲信させる」ことはできません。
信心決定とは、阿弥陀仏と、凡夫が直にあわせていただくということです。
何人たりとも、間に入ることはできません。
ちなみにS会員、とやらではありませんよ。
850298:2008/03/28(金) 23:12:07 ID:cxBKpApI
>>848
>安心をとるにあたっての障害は、「一心一向にたのみたてまつる」になっていないことだけ。
>ここに、298さんたちの教えは、余計なものを追加するからおかしなことになるんです…。

一体「余計なもの」とは、何ですか? 何を追加しているというのでしょうか?

◎「その名号をきく」といふは、ただおほやうにきくにあらず、善知識にあひて、
南無阿弥陀仏の六つの字のいはれをよくききひらきぬれば、
報土に往生すべき他力信心の道理なりとこころえられたり(御文3-6)

善知識に会うこと、六字のいわれを聞き開くことが示されています。

そして、六字のいわれを聞き開くならば、

◎されば、南無阿弥陀仏といふ六字の体をよくよくこころうべし。
まづ「南無」といふ二字はいかなるこころぞといへば、
やうもなく弥陀を一心一向にたのみたてまつりて、後生たすけたまへと
ふたごころなく信じまゐらするこころを、すなはち南無とは申すなり。
つぎに「阿弥陀仏」といふ四字はいかなるこころぞといへば、
いまのごとくに弥陀を一心にたのみまゐらせて、疑のこころのなき衆生をば、
かならず弥陀の御身より光明を放ちて照らしましまして、そのひかりのうちに
摂めおきたまひて、さて一期のいのち尽きぬれば、かの極楽浄土へおくりたまへる
こころを、すなはち阿弥陀仏とは申したてまつるなり(御文3-2)

とありますように、「一心一向にたのみたてまつる」ことができるのではないでしょうか?

また、

>これだけでいいから、「とりやすの安心」と言われているんです。

とのことですが、それであるならば、やはり易行なのではありませんか?
それともこれは、「獲信はたやすくない」ということの根拠なのですか?
851神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 23:12:13 ID:wA3QVd/N
思ったとおり、返答がありません。

848=やはりs会員でしたw
852298:2008/03/28(金) 23:13:04 ID:cxBKpApI
>>849
>ただ、298さんの善知識は、今までのお話から考えて、確実に「偽の善知識」です。

「確実」なのであるならば、根拠が出せるのでは??
853298:2008/03/28(金) 23:14:11 ID:cxBKpApI
>>849
>逆ですね。獲信すればわかります。人が人に「獲信させる」ことはできません。

◎しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第をよく存知したらんひとにあひたづねて、
信心決定して、その信心のおもむきを弟子にもをしへて、もろともに今度の一大事の往生を
よくよくとぐべきものなり(御文1-11)

「もろともに」とありますが・・・
854298:2008/03/28(金) 23:15:29 ID:cxBKpApI
>>849
さらに、「自信教人信」とは、何なのですか?
855298:2008/03/28(金) 23:18:53 ID:cxBKpApI
>>848
>信獲た後、さとりに至るまでが易行です。
>信獲るまでは、「難中之難無過斯」です。

船に乗ったら易しいけれど、船に乗り込むのは、
とてつもなく難しいということですか?

弥陀の大船というのは、そんなに乗りにくいものなのですか・・・

私が言っているのは、船に乗り込むのもカンタンだし、
一度船に乗ってしまえば、もう本当にカンタンで安心だということ。

難しいのは、「阿弥陀様の大きな船があっちにあるよ!」と教えても、
「そんなのあるはずない」と信じないから難しいのですし、
また、阿弥陀様の大船があると聞いて探しても、
ありかを知っている人に会うのが難しいのです。

それは、獲信者が希だからです。

南无阿彌陀佛
856298:2008/03/28(金) 23:20:53 ID:cxBKpApI
>>849
>逆ですね。獲信すればわかります。人が人に「獲信させる」ことはできません。

◎御一生は人に信をとらせたく思し召され候ふよし仰せられ候ふ(聞書187)

では、蓮師の御一生は一体・・・
857神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 23:51:19 ID:4c24CNDU
>>849
298さんたちの善知識が、確実に「偽の善知識」だと言う理由を挙げます。

>>630
>他力の信をいただくときには、自力の心はふりすてていますが、
>また、すぐに、自力の心が戻って参ります。

信心決定のときにすたる自力は(往生を自分の力でどうこうしようとはからうこころ、
阿弥陀仏のご本願を受け入れないこころのことですが)、決して戻ってきません。
他力になったらなりっぱなしです。

>>822
>ご信心は、死んだ後の保険だと思えば良いのに・・・
>あるかないか分からないものなんだから。

あるかないかわからないものは、
阿弥陀仏の真実信心、他力の信心、金剛の信心とは言いません。

>万が一、地獄に堕ちる羽目になっても保険で、
>極楽に往けるんだったらそれに越した事はない。

浄土真宗の真実信心は、機の深信、法の深信を伴います。ここにはどちらもないですね。

以上、298さんたちの教えの信心決定も、獲られる信心も、本物ではない。
そんな偽物をつかませようとする「善知識」は、「偽の善知識」だ、ということです。
858神も仏も名無しさん:2008/03/28(金) 23:52:05 ID:4c24CNDU
>>856
>◎御一生は人に信をとらせたく思し召され候ふよし仰せられ候ふ(聞書187)
>では、蓮師の御一生は一体・・・

これは善知識として「人に信をとってほしい」「ひとりひとり、
阿弥陀仏から真実信心を頂いて欲しい」と切に願ってくださっているお言葉ですね。尊く有難いことです。

それでは、おやすみなさい。
859298:2008/03/28(金) 23:58:46 ID:cxBKpApI
>>857
>信心決定のときにすたる自力は(往生を自分の力でどうこうしようとはからうこころ、
>阿弥陀仏のご本願を受け入れないこころのことですが)、決して戻ってきません。
>他力になったらなりっぱなしです。

他力になったらなりっぱなしは、もちろんのことです。

これを、「往生治定」「信決定」「不退転」という言い方で、
幾度も書いています。

わかりやすくするために書いた私の表現が、かえってわかりにくくしてしまった、
ということだと思います。

「他力になりっぱなし」と言っても、煩悩も残れば、自意識もあるのです。

無くなるのは、根源の無明であり、自力迷心です。

857様は、獲信されているとのことですが、煩悩も、
自意識も、絶えていらっしゃるのですか?
860神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 00:00:03 ID:jtk5Xnlh
s会の信心は自力だよん。
本山は無帰命安心。
真宗に安心はなくなったということか。
861298:2008/03/29(土) 00:05:42 ID:53gTzEuw
>>858
ということは、858様のお考えでは、「善知識は、人に信をとってほしいと切に願うけれども、
取らせることはできない」ということですね。

「取らせることはできない」のは、無宿善の機に対しては、その通りだと思いますが、
救いを求める者に対しては、あっという間に救ってくださるのが善知識であると思います。

(「救ってくださる」と言っても、実際に救ってくださるのは阿弥陀様ですが、
表現を簡潔にしています。)

この意味で「取らせることはできない」のがその通りであるのは、
望まない方をどうすることもできないからです。

しかし、弥陀に救われたい行者がいれば、助けてくださいます。

あっという間に救われる道を教えてくださいます。

だからこそ、善知識様はありがたいのです。

救われたいのに苦しまれている方には、すぐに救ってくださる善知識様を
探してほしいと思います。

そして、>>846に私が引いた箇所を、よく読んでほしいと思います。

善知識様は、要を直に教えてくださいます。

南无阿彌陀佛
862神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 00:08:58 ID:ZemVVVJf
>820
凡夫の妄念は妄念だから仕方ないねー。別に俺の言葉って訳でもないし、
『正像末和讃』を読んでみれば?
今までのすべてが自力だったと知らせてもらったら、
次は、知らせてもらった事も自力だったと知らせてもらうべきだね。
と知らせてもらったのも自力じゃん!と知らせてもらったのも・・・。
らっきょの皮剥き合戦に疲れたら、何がなんでも救わにゃおかん、
阿弥陀様がおったなあーと思い出すといいよ。
輪廻のとどめは凡夫の仕事じゃないのさ、必至滅度の仕事人。
無上覚の仏だからね、取りこぼしはございませんよー。
私はパッパラパーで、業の荷物を今日も造る、この分だと明日も造るだろう。
捨てないよ、このお心かけて下さるだけで、私は結構。
パッパラパーにはもったいなさすぎる贈り物。
南無阿弥陀仏
863298:2008/03/29(土) 00:12:51 ID:53gTzEuw
>>862
>らっきょの皮剥き合戦

そういう意味で使っていらっしゃったのですか。
「みづからたしかに弥陀をたのみたる一念の領解」というものがあり、
信後がハッキリするのですから、
そんな堂々巡りになるものではありません。

南无阿彌陀佛
864298:2008/03/29(土) 00:15:43 ID:53gTzEuw
自力迷心の堂々巡りにケリをつけ、
永劫の流転から抜けるための南无阿彌陀佛ではないでしょうか・・・

あくまでも、信心の体は南无阿彌陀佛なのですから、
信をいただいたかどうか、はからうことも要らなければ、
関係もないのです。

それでも、はからうのが凡夫の性。

はからう凡夫をラクにするために、お聖教が残されていると思います。

南无阿彌陀佛
865神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 00:29:09 ID:ZemVVVJf
>813
本当だね。なればこそ、弥陀の決して捨てない一心なのさ。
あと、凡夫の三業は往生浄土の因にはならないよね。
浄土の因が惑業という事はありえないから。
じゃあ、私たちに三業働かない時が一瞬でもあるだろうか?
寝てる時だって、かゆければポリポリかくし、美しい物を見れば、
感動するし、やな目にあえば不快に思う。毎日毎日、三業フル活動!
否定しようにも出来ないじゃん。だから、否定じゃなくて、
無功って言われたのは、スゴい!値千金だねー。
感動した事も、確信してる事も、功能なし。ただ、助けるの弥陀でした。
南無阿弥陀仏
866298:2008/03/29(土) 00:33:49 ID:53gTzEuw
「言阿弥陀仏者即是其行」なのですから、阿弥陀仏とは行であり、
「人不能修行往生」なのですから、自らの修行往生ではありません。

あくまでも、丸もらいの行になります。

行ならぬ行なのですから、文字上の矛盾に思えることはでてくると思いますが、
そのような不審は、同行、善知識に問うのが良いと思います。

南无阿彌陀佛
867298:2008/03/29(土) 00:42:25 ID:53gTzEuw
>>865
熱心なのはわかるのですが、それだと、自力安住の安心になるのでは
ないのでしょうか。
つまり、自身で否定している状況に、自身がなっているように思えます。
「ただ助ける」とのことですが、

◎さればいかに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることをしりたりといふとも、
われらが往生すべき他力の信心のいはれをよくしらずは、極楽には往生すべからざるなり(御文2-11)

阿弥陀様が成就されたことを知っているだけでは足りず、
私たちが往生すべき他力の信心のいわれをよく知ることが肝要であると思います。

「ただ助ける」の弥陀に、「助けられる」ことが必要であるということです。

◎まづ「南無」といふ二字はいかなるこころぞといへば、
やうもなく弥陀を一心一向にたのみたてまつりて、後生たすけたまへとふたごころなく
信じまゐらするこころを、すなはち南無とは申すなり(御文3-2)

「やうもなく」なのですから、他力ですし、簡単です。

南无阿彌陀佛
868神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 01:14:01 ID:ZemVVVJf
>864
親鸞聖人の三部経千部読誦の所を読んでみるといいかもよ。
人の執心、自力の信はよくよく思慮あるべしって。
体験がどうの、伝授がどうのと、本末転倒するような事は
言わない方がいいんじゃないかな?とは思うよ。
それを聞いた人は、体験なければ救わないとか、
こういう心持ちにならなければ往生かなわないとか、
そんな風に思ってしまうかもしれない。南無阿弥陀仏の他には、
何事の不足も無いはずなのに。
あとね、無帰命安心についても調べてみたよ。大雑把に言えば、
阿弥陀様が救ってくださるんだから総てOKさ。って言うことらしい。
総てOKって思ってるのは、虚仮の心で思っているにすぎないのに、
これでOKと確信してる。成る程、これも一種の自力信なんだな。
弥陀の本願を私が「OKだと思う」心ではからってる。
必ず救う誓願の目当ては、常没流転の凡愚たる私。
その凡愚がいくらOKだと思った所で、凡愚の思いでしかないのにね。
人の執心、自力の信はよくよく思慮あるべしかー。
やっぱり親鸞聖人は血の通ったお方だ。
執心強い俺に今働く、今、はじめたるような南無阿弥陀仏
869298:2008/03/29(土) 01:25:53 ID:53gTzEuw
◎黒谷の聖人、本願寺の聖人相承しましますところの、報土往生の
他力不思議の信心を、善知識ありて、つたえときて、
さずくるを行者ききうるによりて、文のごとく一念歓喜のおもひおこるに
ついて、往生をたちどころにさだまるを、正定聚のくらゐに住すともいひ
かならず滅度にいたるともいひ、摂取不捨の益にあづかるともいふなり(本願鈔)
870298:2008/03/29(土) 01:34:43 ID:53gTzEuw
善知識に会って、仏願の生起本末を聞けば、時をへだてず、日をへだてずして、
立ち所に信決定します。

だからこそ、善知識には、はかりしれぬ恩があるのです。

南无阿彌陀佛
871298:2008/03/29(土) 02:16:43 ID:53gTzEuw
◎しかればその名号をきくといふは、善知識に開悟せらるる時分なり(願々鈔)
872神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 09:32:49 ID:1yjCKj1o
>>855
> 弥陀の大船というのは、そんなに乗りにくいものなのですか・・・
> 私が言っているのは、船に乗り込むのもカンタンだし、
> 一度船に乗ってしまえば、もう本当にカンタンで安心だということ。

「カンタン」という言葉を使っていることが気になるんだけど・・・。
難に対して易だから、難しいに対してカンタン、
凡夫が行うには難しいに対して、凡夫が行うには易しいというニュアンスを感じます。
他力というのは、阿弥陀仏の本願のはたらき、信心を得ることも、種々の行いも、すべて仏の願力によるとするので、
他力には、「凡夫が行うには」ということがないはず。
 
(凡夫が)乗りにくい
(凡夫が)船に乗り込む、
(凡夫が)一度船に乗ってしまえば、
基本的に間違っていると感じます。
873神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 10:16:08 ID:BkORNpZi
単発で誰がS会だとか本山は無帰命安心だとか書いてるひとは
298さんのお仲間ですか?
874神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 10:16:34 ID:BkORNpZi
すっごく感じ悪いです。
875神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 10:57:34 ID:ZemVVVJf
>867
御文5*12
「「南無」という二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、
一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつる心なり。
さて「阿弥陀仏」という四つの字のこころは、
一心に弥陀を帰命する衆生を、ようもなくたすけたまえるいわれが、
すなわち阿弥陀仏の四つの字のこころなり。」
ここで言う一心とは自力の一心かな?それとも、三心一心の他力の一心かな?
南無阿弥陀仏の南無は自力で、阿弥陀仏は他力?
それとも、
御文4*8に言われるように「「衆生仏に成らずはわれも正覚ならじ」
と誓いましますとき、その正覚すでに成じたまいしすがたこそ、
いまの南無阿弥陀仏」であるとこころえて、
南無阿弥陀仏が正覚成じた姿ならば、南無も仏、阿弥陀仏も仏と言うべきかな?
機法一体論ってやつだね。
876神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 11:11:30 ID:fIHU+nsy
>>859
>857様は、獲信されているとのことですが、煩悩も、
>自意識も、絶えていらっしゃるのですか?

298さんは、自力と他力ということの定義を、どのように考えておられますか?
そして、自意識とは何と思っていらっしゃいますか?

浄土真宗でいう自力とは、「自分で行う善によって助かろうとする心、
阿弥陀仏のご本願をはからい、阿弥陀仏にすべてをおまかせできていない心」です。
「自意識」は煩悩が作り出す仮の心ですから、自力とは異なります。

他力とは、阿弥陀仏のご本願のおちからをいいます。

さて、信心決定するというのは、自力をひるがえして他力になるということです。
他力になるというのは、私という存在の根本が南無阿弥陀仏に染まりぬくということですから、
そこから生じる全てが南無阿弥陀仏となります。

「ひとの身をば、地水火風の四大、よりあいて成ず、小乗には極微の所成といえり。
身を極微にくだきてみるとも、報仏の功徳のそまぬところはあるべからず。
されば機法一体の身も、南無阿弥陀仏なり。こころは、煩悩・随煩悩等具足せり。
刹那刹那に消滅す。こころを刹那にちわりてみるとも、弥陀の願行の遍ぜぬところなければ、
機法一体にして、こころも南無阿弥陀仏なり。」(安心決定鈔)

そこに、一切の自力はありません。
877298:2008/03/29(土) 11:17:18 ID:53gTzEuw
>>872
>(凡夫が)乗りにくい
>(凡夫が)船に乗り込む、
>(凡夫が)一度船に乗ってしまえば、
>基本的に間違っていると感じます。

◎【行者】正受金剛心(正信偈)

◎【凡小】修し易き真教、【愚鈍】往き易き捷径(総序)

◎世尊【我】一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国
・・・いま「我」といふは、天親菩薩の自指の言にして、流布語を用ゐる(論註)

※強調引用者
878298:2008/03/29(土) 11:24:22 ID:53gTzEuw
>>876
「浄土真宗で言う自力」ということであれば、
真実信心いただいたとき、自力は終わり、心は終わる。

ということになると思います。

しかし、「自力」「他力」という語はあまりにも流布しすぎており、
現状では、大変誤解を招き易いものになっていると思います。

私が書いた文章を読んで、文脈から意味を解せないということが、
不思議に思う所です。

「それは自力です」のように、否定する方が多過ぎます。

真宗も仏教。自力であろうとも、善をなそうとすることも大切ですし、
戒を保とうとすることも大切です。

為そうとしても、保とうとしても、成就できない凡夫ですから、
弥陀から真実信心をいただきます。

「弥陀から」ということが、「他力」ということです。

その後も、真実信心は相続しますけれども、そもそも弥陀からいただいたものですから、
これを「他力」と称します。

南无阿彌陀佛
879298:2008/03/29(土) 11:31:17 ID:53gTzEuw
>>872
>(凡夫が)乗りにくい
>(凡夫が)船に乗り込む、
>(凡夫が)一度船に乗ってしまえば、
>基本的に間違っていると感じます。

実際に求道する方々がいらっしゃるのに、
何を間違っていると感じていらっしゃるのですか?

間違いも何も、実際にいらっしゃるのでは?

凡夫が弥陀から信をいただけるから、
ありがたいのではないでしょうか?

弥陀の修行が成就していて、なぜ、
易行にて信をいただけることに問題があるのでしょうか?

自力自力という方が多いですけれども、
「凡小修し易き真教」とありますように、
「修し易く」なっているのは、弥陀の修行のおかげなのです。

その修行の成果を我が身に受けるということです。

幾度も書いていますように、
他力に至る自力があるのです。

ここでいう「自力」というのは、根源無明のことではありません。

この「自力」は、弥陀のお育てによるものです。

南无阿彌陀佛
880298:2008/03/29(土) 11:37:56 ID:53gTzEuw
>>876
「真宗でいう自力」と言えば、自力迷心のことでしょう?
それを弥陀に絶えさせていただく。

きれいさっぱりぬぐい去っていただく。

それは、基本も基本でしょう。

問題は、「では、どうするか?」ということなのです。

信をいただきたくなった方が、どのようにして信をいただくかが大切です。

そして、信をいただいた方が、信後、どのようにして過ごしてゆくかも大切です。

論じる宗教ではなく、生活と一体化していることが大切であり、
宗教を生きて行き、幸せになってゆくことが大切であると思います。

南无阿彌陀佛
881神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 11:41:03 ID:/YmLof9Q

>874
>すっごく感じ悪いです。

横からいきなり「すっごく感じ悪いです。」って言うあんたも、私に負けず感じ悪いよ。


あと、こっちは組織に属してない獲信者だよ。

あんたは何者?傍観者か?未信者?獲信者?

882神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 11:43:53 ID:ZemVVVJf
>869
298さんの善知識は、源空聖人なの?それならば、成る程、
確かに勢至菩薩の化身と思うけど、さらに世下り、人つたなくして、
果たして、私に法を教えてくれた人が
善知識であると断定する事が出来るかな?
ちなみに俺は、そんな事、断定できる能力を持ち合わせてないです。
ある時は「この人の言う事を信じよう」と思ったかと思えば、
ある時は「やっぱり信用に値しない」と思ういたづら者。
でも、蓮如さんが「そもそも、善知識の能というは、
一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、ひとをすすむべきばかりなり」
と言われているから、ありがたいよね。
俺が、このお方こそ次第相承の善知識なんだって、
強いて信じる必要はなかったんだね。
しかも、そのような自力信が浄土往生の役に立つわけもないし。
一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと勧めて下さった方々は、
皆、善知識。他の人から見たらどうか知らないけど、
俺に「若不生者」と伝えて下さった方は、俺にとっての弥陀の代官なのさ。
この他に余計な事を勧めたり、自力妄心を運ぶよう勧めたりする人は、
善知識とは言えないって事さ。
南無阿弥陀仏
883298:2008/03/29(土) 11:49:52 ID:53gTzEuw
>>882
>俺に「若不生者」と伝えて下さった方は、俺にとっての弥陀の代官なのさ。

このような御心がけは、とても尊いと思っております。

>この他に余計な事を勧めたり、自力妄心を運ぶよう勧めたりする人は、
>善知識とは言えないって事さ。

何が余計なことであり、何が「自力妄心を運ぶ」ことになるのかが、
大切なのではないでしょうか。
884神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 11:59:28 ID:ZemVVVJf
>880
あなたの信心決定体験からすれば、
親鸞聖人は、源空聖人のもとで信心決定して
自力迷心がすっかり無くなった。
でもその後、三部経千部読誦という自力迷心が起こったのを
よくよく思慮しなきゃと述懐されてる。自力迷心が何か体験したくらいで
きれいさっぱり無くなるのかねー。きれいさっぱり無くなったと思い込むから、
自力を思慮する事が無くなっちゃうんだよ。
自力廃棄でなくて、自力無功なんだね。
南無阿弥陀仏
885神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 12:13:22 ID:ZemVVVJf
>883
無宿善の者には口外できない、「弥陀のたのみ方」があって、それを善知識に尋ね、
その秘伝のたのみ方、真実行をしなきゃ、浄土往生不可なんていう
イニシエーションこそ、自力妄心そのものじゃん。
よくよく思慮あるべし。弥陀の摂取不捨の真実心を差し置いて、
自分たちコミューンのイニシエーションに利用してさ。最も停止すべしだよ。
ちなみに、俺はあの「おかみそり」っていうのも、あんまり好きじゃないねー。
イニシエーションは確信を得させるために、宗教だけじゃなく、
いろんな場面で使われてるけど、それで得た信って、
結局、自心建立の信にすぎないからね。真宗においては。
886神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 12:27:54 ID:P+kyhqkP
親鸞君の作り話本気にしちゃだめだよ。
887298:2008/03/29(土) 13:43:41 ID:53gTzEuw
>>885
>その秘伝のたのみ方、真実行をしなきゃ、浄土往生不可なんていう

「しなきゃ、不可」という言い方を好む方が多いですけれども、
「しなきゃ、不可」というのは、あくまでも、我らにとってのことであり、
「一体、どうやったら往生できるの? このままでは無理・・・」と
悩まれている方のためのものです。

そのように悩まれている方が、探し、求め、救われれば良いのであって、
求めていながら、自らの機を責めて苦しんでいる方に、
「そのような必要はないのですよ」とお伝えしているに過ぎません。

自分にはできないからこそ、教わり、弥陀をたのむのであって、
既に教わっていたり、既に自ら思うところがある人には、
必要がないことだと思います。

あくまでも、求める方のためのものです。

南无阿彌陀佛
888298:2008/03/29(土) 13:47:12 ID:53gTzEuw
>>884
自力迷心は、弥陀をたのんだときに、
きれいさっぱり、跡形もなく無くなるのであって、
代わりに弥陀の真実信心をいただき、
それにより、極楽往生治定します。

どうにもならない「迷い」を、完全に消し去っていただけるから、
すごいのです。

ただし、凡夫には煩悩の厚い雲がありますので、
それがそのまま認識できないのです。

広い意味における「自力」は、その後も残ります。

しかし、それですら、他力のはたらきが現れて来るものと
見て行きますし、
身体が命終を迎えるときに、
それらの相続は終わり、きれいな身体にしていただけるのです。

南无阿彌陀佛
889神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 15:05:08 ID:1yjCKj1o
>>879
> 凡夫が弥陀から信をいただけるから、

>>855
> 船に乗り込むのは、
> 乗りにくいもの
> 船に乗り込むのもカンタン
> 一度船に乗ってしまえば、もう本当にカンタンで安心だということ。


「弥陀から信をいただける」と言いながら、
一方では、「船に乗り込む」「乗りにくい」「乗ってしまえば」・・・


>>880
> 信をいただきたくなった方が、どのようにして信をいただくかが大切です。


選択権、主導権は、阿弥陀さまではなく、凡夫の側にあるのではないですか?
890298:2008/03/29(土) 15:29:52 ID:53gTzEuw
>>889
弥陀のお育ての結果、大経に真実があると感じ、
弥陀の救いに真実があると感じ、
弥陀に救われたくなり、導かれ、
一念帰命に至るのだと思います。

なぜかはわからないけれども、内からのもよおしを感じる方は、
探してほしいと思います。

何年かかるかもわかりませんが、必ず、導かれるからです。

南无阿彌陀佛
891神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 16:48:10 ID:ZemVVVJf
>887
なんか国会答弁みたい。あなたは確か前スレかな、で、たのみ方ってのがあって、
そのたのみ方はお聖教には触れられてない。その理由は、無宿善の者に知られると、
謗法を起こさせるから、と言う趣旨の書き込みしてたよね。
だから、秘伝のたのみ方を伝承してる次第相承の善知識に、
教授してもらうんだと。あなたはその人に教授してもらったお陰で、
自分は信心決定したと信じてるんでしょ。違うのかな?
そして、そのたのみ方を受けようとする人(真剣に求める人)をあぶりだして、
釣ろう(救おう)と考えてる。そういう打算的な考え自体、はからいだって、
思慮してみたことあるのかな?第一、自力が捨て切られた体験自体、自力だし。
親鸞聖人も自身でなされた事を自力執心の働きによるものと
言われてるじゃないか。
すぐに忘れるザル頭には、毎日、お念仏称える事さ。
この六字丸は「若不生者」のお心で出来てる。捨てはしないぞの固まりだ、
って思い出す。貪欲・愚痴・瞋恚に我が身焼かれても、
焼かさぬぞ、と飛び込んで下さる誓願を、勇みの念仏で思い出し、
貪欲・愚痴・瞋恚の我心は真か?、それとも仏願が真か?
己が分を思量して、恥を恥とも知らない俺が、恥を知っていく、
自分の心ばかり大事にしている俺が、ご恩を知っていくのさ。
凡愚の身に過去起こった体験など、沙羅双樹の花の色。
変わって止まない我心を常住と勘違いし、我心防衛に生き、
そして死んでっても、生まれてこの方の癖だから、仕方ないっちゃ、仕方ない。
でも、仏教、それも真宗に、なんだか知らんがお世話になったのなら、
常住の「若不生者」の誓いをたのみとして、生きるのもまたいいんじゃない?
南無阿弥陀仏
892地獄の傀儡師:2008/03/29(土) 16:52:15 ID:J+ezTeKu
すぐに忘れるザル頭には、毎日、お念仏称える事さ。
↑それは御前だろ。人格否定するやつは討論に負けた負け犬、人格破綻
893298:2008/03/29(土) 17:52:59 ID:53gTzEuw
>>891
如来に救われてほしいというのが、打算になるのですか・・・
いろいろな考え方の人がいますね。

◎大悲弘く普く化するは、真に仏恩を報ずるに成る(化身土巻)

自分ではどうにもならぬから、
如来の教法が、今に至るまで、大切に伝えられてきたのだと思います。

善知識もまた、教わったのであって、
自分で考え出したのではありません。

考え出したのは、法蔵菩薩であり、
そこには、五劫思惟が必要でした。

だからこそ、私たち凡夫は、
弥陀をたのむだけで救われます。

かたじけないことだと、思っております。

南无阿彌陀佛
894神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 18:39:05 ID:AXIxsv1q
【中共軍、チベット寺院を包囲=食糧を絶たれたラマ僧が餓死】
--------------------------------------------------------------------------------
 【大紀元日本3月29日】中共軍が今月14日からチベット入りし戒厳令を敷いて以来、
平和抗議活動に参加した全ての寺院は包囲され、寺院の中にいる僧侶たちの水や食料の供給が
断たれている。
すでにラモチェ寺では僧侶が1人餓死していることが確認されている。
 チベット亡命政府は先日、チベットから届いた情報により、「ロサン・トメイ」という名の
僧侶の遺体が26日に故郷の四川省甘孜州で火葬されたと発表した。
 亡命政府によると、「彼は23日に餓死し、遺体は25日に家に搬送された。彼の原籍は四川省甘孜州の
江孜県で32歳であった」と話し、中共軍が半月間もチベット寺院を包囲し水、電気や食べ物を断ち
外部からの供給を許さないために寺院内の僧侶たちの生活状況は非常に苦しいものになっていることを
伝えた。
 「水・電気は全て断たれている。これほど長期間になれば寺院内では様々な方面において、条件が厳しくなり、
外部からの食料の供給が出来ないために一部の僧侶には緊迫した状況が現れ、昨日最初の餓死者が出た」という。
 現在の最新情報では、少し前に中央政府が通達した「チベット人が2人以上で集まった場合、発砲してもよい」
という指示により、ラサ市区ではチベット人がほとんど見られないという。
 「みな、表に出ることが出来ない。2人以上のチベット人なら発砲してもよいなどと公布すれば各家庭では1人で
食料を買いに行くことしか出来ないから、大型のショッピングセンターやジョカン寺のような場所にチベット人は
ほとんどいない」という。
 チベット亡命政府最新によると、チベットではすでに140人のチベット人が虐殺され、500人が重傷を負い、
1300人以上が逮捕され非人道的な扱いを受けているということが明らかになっている。
https://w8.ebacherville.com/do/za_k/SZLgZjxQ_AXN3Le0X/BZ/s--I/-U/zaXD/d39904.html
895神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 18:41:25 ID:ZemVVVJf
>892
ザル頭って表現悪かったかなー。凡愚のこと、つまり俺のことだよ。
>893
教えてる内容が根本的に誤りなら、いくら伝承が仮に本当だとしても、
誤った事を伝承してる事になるよね。昔あった秘事法門だって、
同じ事を言うよ。私たちはお釈迦さまから次第相承されてきた
善知識さまの教えを受けて、大悲伝普化の活動をしてるだけだってね。
大体、正信、大信と言われる信心を本とする真宗なのに、
ある人間を善知識であると確信するなんて過程、
凡痴に基づかなければならない、不定な要素が入るわけがないでしょ。
私たちは信じてますから、体験(イニシエーション)しましたからとか、
そっちを重視するなら、「他力とは本願力」と言われる他力信心とは異なる信心と言わなきゃならないね。
本願力より、自分の感情、弥陀の真実心より、自分の確信。
そう思いたいのが、我々だけど、主役は阿弥陀さまですよ。
救われたという感情は、ご利益、心多歓喜のご利益の一部。
ご利益得たから、大丈夫なんじゃない。無上覚者の誓いゆえ、大丈夫なのさ。
大丈夫は、仏の異名だよ。どこまで言っても、自力無功。
寝ても覚めても、「若不生者不取正覚」まことの親様、南無阿弥陀仏
896神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 18:46:19 ID:ZemVVVJf
>894
なんてことだ!
こんなこと言い合ってる場合じゃないね。ごめんね。
何か出来ることを調べてみよう。
897神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 19:08:40 ID:fIHU+nsy
>>880
>「真宗でいう自力」と言えば、自力迷心のことでしょう?
>それを弥陀に絶えさせていただく。
>きれいさっぱりぬぐい去っていただく。
>それは、基本も基本でしょう。

その通りです。にもかかわらず298さんは、>>630で、

>他力の信をいただくときには、自力の心はふりすてていますが、
>また、すぐに、自力の心が戻って参ります。

と書かれていますね。だから、信心決定の時にすたる自力が戻ってくるような
信心決定は、ほんものではない、と言っています。

ちなみに、298さんたちの信心決定の時は、煩悩や自意識がなくなるんですか?

>>884
『恵信尼消息』に見えるお言葉は、かつて励まれたところの自力の行への執心が、
習慣として抜け難いことを言われたものですね。
>>884さんは、親鸞聖人に、信心決定以降も自力の心(自分の行いで浄土へ往生しようとする心、
阿弥陀仏のご本願に対してはからう心)があった、というお立場ですか?
898神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 19:10:19 ID:fIHU+nsy
>>891
>自分の心ばかり大事にしている俺が、ご恩を知っていくのさ。

ご恩を知るというのは、阿弥陀仏のご本願の通りに信楽の身になれたとき、
他力信心頂いた身になったときのことです。

必ず助ける、の阿弥陀仏のお言葉を受け取らず、自力を自力で否定しようとするのは、
そのお誓いを無にしようとしているんですよ。

幼子が親の懐で何の心配もなく安らぐように、また幼子を懐に抱いて
親が安らぐように。 わたしたち生死流転の凡夫が、信心開発の一念で、
南無阿弥陀仏と仏凡一体になることこそ、
真実の親様の願いであり、お誓いであり、お呼び声です。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
899神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 20:32:56 ID:7ho5i+dI
言葉というのは微妙ですね。
思っていることを表現しようとすれば、あるときは白と言い、またあるときは
黒だと言うこともあるかもしれん。細かなニュアンスは伝わりがたいです。
そういうところが案外と議論の焦点になってしまったり。
だから、このスレなんかでも、自然とまわりくどい表現の仕方をする人が多くなるのだろなあ。
900神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 22:07:14 ID:hRrDQwfs
こんな小難しいものがよく農村に広まったもんだ。
ここの全員が親鸞を誤解してるならば説明がつく。

弥陀の尊号となえつつ 信心まことにうるひとは

称え続ける→信心獲得 以上
901神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 22:18:04 ID:F6R/BsDk
禿げ堂。

称名だね。称名。口を動かす。これ大事。

902神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 22:19:35 ID:F6R/BsDk
口称念仏には功徳がある。
功徳が積もって阿弥陀さんが建立された浄土に往生がかなう。

ということです。
903神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 22:21:11 ID:ZxgbMl0R
称名すら必要ないんだよ本当は。

だからご恩報謝のお念仏
904神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 22:22:26 ID:F6R/BsDk
>往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、
>御念仏候ふべし。 わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、
>仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏こころにいれて申して、
>世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。
やっぱり称名が必要なんじゃない?
905神も仏も名無しさん:2008/03/29(土) 22:24:10 ID:F6R/BsDk
称名がいらないっていうことは
無念っちゅうことかね?
906神も仏も名無しさん
ほのぼのAA

      ,__      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      /  ./\    | なむあみだぶつ
    /  ./:::::::::::\   \_____
  /  ./:/⌒\::::\    o〇
/_____/::::( ・∀・):::::::` ∧∧
 ̄|| || || ||::::|っ ¢..||:::::: (,,  ,)ナムナム
  || || || ||::/,,,,,,, |ゝ||ii~ ⊂  ヾ
  | ̄ ̄ ̄|~~~~凸( ̄)凸(   )〜
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄