3 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/20(金) 10:38:50 ID:b5sTL+lY
ヽ(´∇`)ノ3ゲト♪
4 :
神も仏も名無しさん :2007/07/20(金) 10:54:50 ID:f4VyDrHN
|∧∧ |・ω・) ダレモイナイ... |⊂ バルタン スルナラ イマノウチ... | (V)∧_∧(V) ヽ(・ω・)ノ フォッフォッフォッ / / ノ ̄ゝ (V)∧_∧(V) ヽ( )ノ フォッフォッフォッフォッフォッ / / .......... ノ ̄ゝ 4(フォーということで)ヾ(;´▽`A``アセアセ じゃ、またね〜( ´・ω・`)ノ~バイバイ
6 :
神も仏も名無しさん :2007/07/20(金) 17:56:22 ID:XmSwIe+X
般若心経の「空」とは「無」と同じ意味なのでしょうか?
7 :
神も仏も名無しさん :2007/07/20(金) 18:31:29 ID:9Z5ffnnT
>>6 :神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 17:56:22 ID:XmSwIe+X
>>般若心経の「空」とは「無」と同じ意味なのでしょうか?
空とは幻という意味で、この世は空であると言うことは、この世は幻で
ある。と言うことです。だからこの世は『無い』のです。これが般若心
経の意味。
そのとおり。だが空とは無だとしてしまうと無いのに存在している。 という論理に破綻をきたす。 だから、空とは、在るかもしれないし無いかも知れない、そういう在る無いの 分別のつかないところ。と言うほかない。そしてそれを観世音菩薩も仰ってる。 だから、在るとも言えるし、無いとも言える。見方の違い。 これ、前スレの質問への回答ね。
たとえば、数学のシュレテンガーの猫の問題に似てる。 我々に理解できるように言うならば、ある箱があってその中に なにが入ってるか誰も知らない。あるひとは中に何々があるといい、 あるひとは中には何も無いという。見方が違うだけでどちらも正しい。 真の賢者達は、それこそがその箱の真理だと知ってる。 在るかも知れないし、無いかもしれない。その可能性は無限だよ君。
10 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/20(金) 20:18:05 ID:b5sTL+lY
>>9 たとえば、数学のシュレテンガーの猫の問題に似てる。
我々に理解できるように言うならば、ある箱があってその中に
なにが入ってるか誰も知らない。あるひとは中に何々があるといい、
あるひとは中には何も無いという。見方が違うだけでどちらも正しい。
だから
箱の中に何か入ってるなら見れば分かるって
般若心経には箱の中身の見方書いてるから
真の賢者達は、それこそがその箱の真理だと知ってる。
在るかも知れないし、無いかもしれない。その可能性は無限だよ君。
だから
箱の中には入ってるか入って無いかは確認すれば分かるって
(´・ω・`)
般若心経には箱の中身の確認の仕方書いてます
てか
空って無だよな
ってスレっト誰か作ってね
11 :
神も仏も名無しさん :2007/07/20(金) 20:47:17 ID:O3QrvL8x
>>…………………………………………………………………………… 8 :神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 19:17:22 ID:xeFCEKLT そのとおり。だが空とは無だとしてしまうと無いのに存在している。 という論理に破綻をきたす。 だから、空とは、在るかもしれないし無いかも知れない、そういう在る無いの 分別のつかないところ。と言うほかない。そしてそれを観世音菩薩も仰ってる。 だから、在るとも言えるし、無いとも言える。見方の違い。 これ、前スレの質問への回答ね。 >>…………………………………………………………………………… 般若心経を例え話で言えば、夢ですよね。 夢の中に机があったとしても、それは心の映像であって存在はしないよね。 だから、机なんか無いのだよ。
>>10 うーん。どう説明すればいいかな。
人が、それは無だと言うとき、無とは存在していないということを指す。
存在していないということは、そこから何ものも生み出さない。
存在していないものから存在しているものが生み出されるわけが無い。
因果の関わりにおいて、空が絶対無だと言うのなら、我々という存在していると
思っているものが、存在していることの矛盾になる。
だから、賢者は空は無だとは言わない。幻のようなものだと言う。
幻であるとは言わない。ようなものだという。
箱の中に入っているのが何かあなたは確認したようだw
でそれが無であるという。ではあなたが存在していることをどう説明するのかね?w
>>11 いや違う。あなたは答えだけを知っているだけで、そこに至る知恵の
閃きの道程を知らない。
だからそういうことになる。あなたが言っていることが本当にその意味なら
そういう結論にはならないよ。
つまり、すべてが、心の現象であるならば、(確かにその通りなんだけど)
あなたは存在しないと私が思った瞬間、あなたは存在しないことになる。
だけど、あなたは確かに存在している。存在を主張している。
これは矛盾であるから、あなたの結論は間違いだということがわかる。
でもあなたの言っていることは真理なのだ。幻のようなものなのだ。
だがそれを知ったからといって、涅槃に達したわけではない。
なぜならあなたは存在しているから。輪廻しているから。
幻のようなものであって、無ではないよ。
絶対無というのが無の意味ならば。
そういう分別できないものが空だよ。あなたにとって空の概念がそれほど大切
ならこれが答えだよ。でもあなたがそれを知るのはあなたの因果によるからなぁ。
14 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/20(金) 21:22:56 ID:b5sTL+lY
空は無? (´・ω・`) はて? 俺はそんなこと言ってねーよ 空をクウと呼ぼうがカラと呼ぼうが目に見えない何かはあるじゃん 無じゃないよ 空は無だよな ってスレ作れとは言ったけど てか 空って無だよな スレ作れよ(ノ_<。)
15 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/20(金) 21:25:28 ID:b5sTL+lY
(ノ_<。)おみゃーら 言葉遊びして楽しいか いいから作れよ 空ってカラ? スレット
>>14 >>15 別に批判してないよ。落ち着きなさい。
人は、自分の矛盾点を突かれると痛いものだ。
その矛盾を無視するもよかろう。
だが涅槃を知ることはできないかもしれないな。あなたが涅槃を望んでいるのならば。
17 :
神も仏も名無しさん :2007/07/20(金) 22:10:54 ID:zEFljDCG
今日、自殺した友人のお葬式に行きました。 臨済宗のご導師様だったんですが、 「×××死を望むことなかれ。かぁーーーーつっ!」 っていうのがあったんですが、これって、やっぱ自殺した人に対してだけの 読経というか、そういうフレーズなんでしょうか? しかし、自分の周囲ではじめて「自殺」で死んでしまったんだけど、 んー。。。やっぱ、よくないですよねー。。。
死を望むということは、生きていることが辛いから、死に執着する。 自殺する人にとって、死とは諸々の制約からの解放を意味している。 しかれども、生に執着するも死に執着するも根本は同じ。 迷いにある。だから死は解放だ自由だと思って自殺してみても、 生存を繰り返す。輪廻ってことだけど。 我々が、過去生をまったく覚えていないってことは、それだけ迷いが深い ことを意味する。つまり、自殺したって、悟っていなければ悪しき輪廻から 脱却できないってこと。 お釈迦さんはこう言ってるね。生死を断ぜよと。 これは生死を越えろとも生死に執着するなとも言える。 だからその坊さんは渇を入れたんだろうね。本当にわかってるかどうか それだけではわからないけど。ちなみにそういうお経は無い。
>>18-19 おそらく臨済系だと思われるが、その部分はお経じゃない。
引導法語といって、偈頌のようなもの。
古い有名な語句を織り交ぜながら、故人の一生をまとめたもの。(昔の禅僧はいい法語を残しているw)
今は、定型的に、決まったフレーズに季節の語句と戒名をあてはめる形が多いと思うが、
その和尚は、そこに関しては、その人に合うようにアレンジしたと思う。
「死を望むことなかれ」なんてフレーズは、無いと思う。あったとしても、すごくマイナーなフレーズ。
いい和尚だと思うよ。
>>21 う〜ん・・
半々かなw
参列した人たちに対するものと言えないこともない。
・故人の足跡を確認し、故人を想うきっかけでもあるし、
・故人に対して、「お前さん、こうこうこうだったな・・(≒よく頑張った)。」でもある。
・また、故人と導師(和尚)が生前親しかったなら、和尚の想いが込められることもあると思う。
杓子定規に(≒マニュアル的に)、「この意味!」と確定してないのが引導法語だよw
>>22 死んだ人間に、死を望むなというのはおかしいんじゃない?
よくわからんけど・・・・・・・・
>>23 だからこの場合は、
参列した人たちへという意味合いが勝っているということでしょ。
勿論、故人へ向けたものでもあるだろう。
故人へ向けた言葉だと参列者が受け止めたなら、
参列者が自らの戒めとして受け止め直し易いかもしれない。
或いはまた、参列者が「おい、お前、聞いてるか?お前は俺達をこれだけ悲しませているんだぞ!」
という感情も含め、【葬儀という儀礼を通して】【自分達の感情の発散・消化】の一助となるかもしれない。
(※葬儀という儀礼の持つ意味合いは、
残された者の気持の整理、関係者の位置関係・立場の再構成であるということも留意されていい)
>>23 人は生存(輪廻)を繰り返してるわけだけど、生存と生存の間に、変化する間が
あって、その状態を中有というわけだけど、その状態では物質的な制限がない。
つまり、この世界の制限がない。その状態は妄想状態な意識なわけだけど、ある意味、
肉体を持っているときよりも、知恵は増す。(それは因果によりけりだけど)
そのときに、教え正すのは悪いことじゃないよ。慈悲の心からなら。
責める心なら逆効果になるかな。
>>24 単純に、死んだ人間に死を望むなというのは、生への執着にも取れるから、微妙なんじゃないかと思ったんですよ。
まして、生きてる人間に対して、死を望むなというのも、同じく、死への執着にもなるんじゃないでしょうか?
生は生、死は死なら、死を望むなというのは、かなり難しい言葉に聞こえるのですが?
>>25 > 責める心なら逆効果になるかな。
そのようには取りませんでしたけど、最初の質問者がその言葉を覚えてるというのは、ある意味不自然に感じたのかもしれません。
私も、不自然な気がしました。
一般の人には難しい言葉のような気がします。
>>27 まぁ難しいかもしれないねぇ。その坊さんも輪廻を繰り返してるわけだから。
説得力がないわなw
>>27 >一般の人には難しい言葉のような気がします。
そうか・・。そういう面はあるかもな。禅宗は不親切だから・・・w
けど、
>>26 >生への執着
に関しては、奇跡のような偶然(仏教的に言えば縁)によって受けた「生」、
もう少し頑張ってみても・・・というのは自然な想いじゃないか?
身内からしたら尚更ね・・。
勿論、本人にとっては、にっちもさっちもいかない、他に道はない状況だったかもしれない。
けれども、残された者からしたら、「居てほしかった」が本音だろう。
しょうがなかったね・・と割り切れる者はそう多くないだろう。
その意味で、参列者の想いを代弁するという意味でも、「アリ」なフレーズじゃないかな、と
ちょっと擁護してみるw
>>26 本当のところ、生と死は別々のものじゃないんだよ。
意識が変容していく状態にしかすぎないわけです。
その変化していく状態を見て、あれは生きてる。あれは死んでると
人は錯覚して認識してるんですよ。
連続しているものなんですよ。だから、生も死も、同じ意識体の状態変化
なわけです。だから、死に執着することは生に執着することに等しい。
だから人は輪廻からの脱却が難しいわけです。
さらにその下の世界ではもっとね。
生を拒んで自ら死んだのに、また生まれ変わる。本末転倒でしょ?
さらに人ではなくなる生存かもしれない。だから賢者達は、生きている間に
輪廻からの脱却を努力しなさいよというんだよ。生を苦しんでいる人には。
>>29 そうそう、私もそう思ったんですよ。
だから、死んだ人間に死を思うなというなら、いっそ、「死ね」といったほうがわかりやすいと。
だから、死を思うなというのは、生きた人間に対してではないかと?
しかし、葬式で死を思うなというのも、自己矛盾だなぁ〜と感じるんです。
>>30 > 本当のところ、生と死は別々のものじゃないんだよ。
> 生を拒んで自ら死んだのに、また生まれ変わる。本末転倒でしょ?
それが一番わかりやすいですね。
結局、一生懸命生きろとどちらにも言ってるわけですからね。
うーん、思わぬ、勉強になりました。
しかし、難しい言葉ですねぇ〜
>>31 >いっそ、「死ね」といったほうがわかりやすいと。
禅僧の鑑やなw それが言えたらwww
昔の禅僧はそういう人がいっぱい居たんだろうけど、
今はなぁ・・w 基地外扱いされるのが関の山だ罠w
>>33 死んだ人間は、死んでますからねw
みんな基地外みたいに怒るでしょうね。
想像しただけで、怖すぎ・・・・・・・・・
でも、なるほど、死んだ人間も生きてると考えればわかりやすいことは確かですね。
でも、それを先に言ってくれれば、自殺しなかったということでもあるなぁ〜
うむ・・・・・・・・・・
>>32 それが一番わかりやすいですねってw
あんた、俺にかなり近い境地にいるよ。まぁがんばんな。
ごめんちょっと偉そうだったおれw
37 :
神も仏も名無しさん :2007/07/21(土) 12:14:46 ID:1mtdOHZJ
>>…………………………………………………………………………… 13 :神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 21:17:50 ID:xeFCEKLT あなたは存在しないと私が思った瞬間、あなたは存在しないことになる。 だけど、あなたは確かに存在している。存在を主張している。 >>…………………………………………………………………………… それは無理だね。 存在しないと思っても、心の奥では存在していると確信している。 だから、存在しないと潜在意識の奥底から考えなくてはならないのです。 それには生まれてこの方、心に叩き込まれた。物理的な自然科学を否定できるほどの信念が必要となるのです。 それが出来た者がイエスキリストです。なぜなら、物理的に歩けない水の上を歩けるからです。 >>…………………………………………………………………………… でもあなたの言っていることは真理なのだ。幻のようなものなのだ。 だがそれを知ったからといって、涅槃に達したわけではない。 なぜならあなたは存在しているから。輪廻しているから。 幻のようなものであって、無ではないよ。 絶対無というのが無の意味ならば。 そういう分別できないものが空だよ。あなたにとって空の概念がそれほど大切 ならこれが答えだよ。でもあなたがそれを知るのはあなたの因果によるからなぁ。 >>…………………………………………………………………………… 幻のようなものではなく、幻そのものなのです。 もちろん、私は涅槃に達したわけではない。 なぜなら、私自身この世が幻と知っているだけで、潜在意識の奥では自然科学を信じているからです。 『幻は存在しますか?だから無なのです』
38 :
神も仏も名無しさん :2007/07/21(土) 16:13:12 ID:+KmTcAtw
いずれにせよ、目的は執着するなと伝えることでしょう。
39 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/21(土) 17:09:45 ID:pLv52ZxE
仏教は苦を取り除く教えなんだって 苦を取り除くのが目的で執着は目的じゃないんだって (ノ_<。)
40 :
神も仏も名無しさん :2007/07/21(土) 18:46:53 ID:+KmTcAtw
執着を取り除くことで苦を取り除くのではないでしょうか。
>>37 まだ浅い。君の意識について言ってるんだよ。
あなたは存在するのかしないのか。私は存在するのかしないのか。
あなたの思考には矛盾がある。
あなたは答えだけをわかった風になってるだけだよ。
それは唯識の考え方の陥りやすい迷路なんだよ。
我思うゆえに我あり。しかり。我思うゆえに彼あり。否。
それがわかるようになれば道が見える。がんばり。
43 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/21(土) 19:51:37 ID:pLv52ZxE
>>40 執着取り除けばただの浮浪者じゃん(>_<)
執着はしても良いんだって
>>43 わからないならわかりませんと素直に言ったほうがいいよ。
なぜ執着を取り除くことが苦しみを取り除くことになるのか。
丁寧にお願いすれば丁寧に教えてくれる人がいるかもしれないよ。
45 :
神も仏も名無しさん :2007/07/21(土) 20:21:42 ID:g+j+x4Cd
>>42 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 19:34:28 ID:nMOPZDfF
幻だからあなたも私も一切の物質が存在しないと言っているでしょう。
あなたは夢を見るとき、あなたの肉体はあったのですか?夢に大勢の人
々が出てくるでしょう。しかし、目覚めたとき自分はおろか誰一人いな
かったと思うでしょう。
簡単なことですよ。難しく考えることは少しもないのですよ。
46 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/21(土) 20:45:42 ID:pLv52ZxE
>>44 (ノ_<。)
仏教は執着取り除くんじゃないんだって
苦を取り除くんだって
執着取り除いたら浮浪者になるんだって
執着取り除かなくても苦は取り除けるんだって…
>>45 幻はつかめない。在るように見えてないのが幻。
あなたは?あなたはまさか死んでるっていうんじゃないよね?
肉体あるよね?触れるよね?俺もそうだ。
だから、幻のようなものであると言い、幻であるとは言わない。
あなたは唯識にこだわりすぎで、世の中の物理法則を無視してる。
確かにそれらに実体はないよ。だけど触れるし感じるし存在している。
それをあなたに問いかけてるんだよ。頭を固まらせずによく考えれば?って。
>>46 確かに。元を断てばよろしい。でもそれは机上の空論だよ。
我々がどれくらい輪廻してるか見当もつかない。
一気に飛躍するというのは無理だよ。仏ならできるかも知れないけど。
人には無理だ。他人をそこまで飛躍させるのは。
49 :
神も仏も名無しさん :2007/07/21(土) 22:23:46 ID:+KmTcAtw
50 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/21(土) 22:34:48 ID:pLv52ZxE
>>49 (°∀°)ニパ♪
病気なったら
執着を辞めるのは何を執着するのを辞めるの?
治ることを諦めるの?
治療を諦めるの?
51 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/21(土) 22:42:28 ID:pLv52ZxE
仏教は苦を取り除くには 苦の仕組みを良く知ることから始め 瞑想や禅自問自答により苦の本質を見極める 取り除ける苦は取り除く 取り除け無けい苦なら 諦めるや執着しないのではなく 苦其のものを受け入れる
52 :
神も仏も名無しさん :2007/07/21(土) 22:48:35 ID:+KmTcAtw
>>50 治らなくても仕方ないなと、諦める。
治療はするけど、治療できなきゃ不幸とは思わないように。
53 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/21(土) 22:50:01 ID:pLv52ZxE
>>52 つまり
浮浪者と同じだね
(´・ω・`)
54 :
神も仏も名無しさん :2007/07/21(土) 22:50:53 ID:+KmTcAtw
たしかに、病気を治して苦しみの原因を消せる場合もあるから、 治せる場合は治せばいいでしょう。 でも無常なんだから、治せない病気もあるし、 病気が治せても結局死ぬことになります。
55 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/21(土) 22:58:42 ID:pLv52ZxE
>>54 (´・ω・`)
そだね
浮浪者と同じだね
いや、そうじゃなくて、なぜ苦しみが生ずるのか考えたほうがよい。
病気になるのが怖い、なれば苦しい。その原因は肉体にあるからだ。
ならなぜ肉体は生じるのか。生存に執着するがゆえに生存する。
>>50 釈迦はその仕組みを12因縁という考えで説明してるよ。興味があれば解説書を
読むといい。
57 :
神も仏も名無しさん :2007/07/21(土) 23:02:18 ID:+KmTcAtw
浮浪者のなにがだめなんだろ。 ここにいるの場違じゃない?あなた。 そういう差別意識があるようじゃここにいても理解できないよ。 理解できないのにこのスレにいつづけてるってのも無意味な話だw 無意味な話がいいならいいけどw
59 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/21(土) 23:04:48 ID:pLv52ZxE
ならそれでいいさ。子供は子供らしく子供と遊ぶものだ。 ここにいて大人になった気がしても、大人になれないよ。 子供は子供と遊ぶことでそういうものを学んでいくものだから。 それを学んだらいらっしゃい。
61 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/21(土) 23:13:15 ID:pLv52ZxE
62 :
に :2007/07/21(土) 23:17:08 ID:y2U7Gd9i
に
64 :
神も仏も名無しさん :2007/07/22(日) 05:17:56 ID:FkvjqffO
いずれにせよ愚かですが 兵士、僧、とても自分なりに厳格でありたいが為に肉体を鍛錬するひとのように パターンに沿って自分を律するということでしょう。 抑制、方向付け、服従、従属、訓練のタマモノで全課程です。 だから規律とは恐ろしいことですね。 もし鋭く、耳だけで聞くのでなく 自分のよくみえる目で、床を動く微小な虫までも観察できるなら そうした全てが生の形を構成し、その形自体が規律になり、そこには絶えない動きがあるのにねw
65 :
神も仏も名無しさん :2007/07/22(日) 06:57:26 ID:yuM3HsTQ
>>……………………………………………………………………………
47 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 21:39:46 ID:nMOPZDfF
>>45 幻はつかめない。在るように見えてないのが幻。
あなたは?あなたはまさか死んでるっていうんじゃないよね?
肉体あるよね?触れるよね?俺もそうだ。
>>……………………………………………………………………………
夢は幻だよね。夢の中に肉体あるよね。触れることもできるよね。
だから、幻であるこの世も肉体があり、触れることもできるのだよ。
>>……………………………………………………………………………
だから、幻のようなものであると言い、幻であるとは言わない。
あなたは唯識にこだわりすぎで、世の中の物理法則を無視してる。
確かにそれらに実体はないよ。だけど触れるし感じるし存在している。
それをあなたに問いかけてるんだよ。頭を固まらせずによく考えれば?って。
>>……………………………………………………………………………
世の中の物理的な法則を無視しているわけではないよ。物理的法則は我々人間が心で造った幻の法則だと言っているのだよ。
夢の中でも触れるし感じるし存在しているように見えるように、この世でも触れるし感じるし存在しているように見えるのだよ。
唯識とかに囚われず、よ〜〜く考えてみて下さいよ。
66 :
神も仏も名無しさん :2007/07/22(日) 07:05:28 ID:yuM3HsTQ
>>40 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 18:46:53 ID:+KmTcAtw
>>執着を取り除くことで苦を取り除くのではないでしょうか。
その通りですね。
ある一家が、子犬を飼うことにしました。可愛い子犬だったので家族の
ように育てました。家族全員が犬を楽しみました。
それから15年が過ぎ、犬は寿命で死んでしまいました。家族全員が悲
しみました。
犬に対する執着=犬が死ぬ悲しみ(苦) というわ方程式が成り立つの
です。つまり、執着→苦となります。
67 :
神も仏も名無しさん :2007/07/22(日) 08:25:36 ID:C9JQEHEN
>>65 そうかごめん。言っていることがわかったよ。あなたと私は同じことを言ってるw
それが確認できましたありがとう。
69 :
神も仏も名無しさん :2007/07/23(月) 02:21:20 ID:jKnV6x57
脳は常に圧迫、褒美と罰が与えられてると感じています ムカツクことを言われ傷つく、 そこで、人は幼児期から傷ついてるという単純な事実が判りました しかも、その傷をひきずっていくという... 更に傷つくことを恐れ、抵抗とは別の形とはいえ、傷つかないようにする。 自分の周囲に壁を、恐怖の障壁を築いているのに気がついているか この恐怖の問題に取り組めるくらい正直かとの問いが起こるw 人類はあなたや他の人々のように あらゆる形の困難、痛み、辛苦、心配、孤独、憂鬱、悲しみ、喜びを経験する/ 世界中の全ての人間が。 ダカラ、私たちの意識が全人類ということですね。 あまりにも、個人や自分優先になれきってるので このような単純な事実を受け入れる事に、消極的で 議論や絶え間ない説得、圧力、思想上の宣伝が必要で、それは恐ろしいまでに無益で わたしたちも より強大な権力、金、身分、地位を求めてる事実である。 故に全てをみつめ、あくまでも明確にみることができれば、バカげたことの全てが終わるという 悲しみの終焉だけにおこりうる、狂信ではない情熱や自由になるという仏教のソレ。
70 :
神も仏も名無しさん :2007/07/23(月) 21:36:30 ID:G2BANJrz
(裏千家先代家元の書にあった)禅語の「満天瑞星」とはどういう意味ですか? 出典などもわかればお願いします。
71 :
神も仏も名無しさん :2007/07/25(水) 12:36:13 ID:Ph8qMHX4
>>69 よくわからん。
生きるのが辛いという人でも、
今・ここの1秒間に耐えられないような苦しみがあったかといと、
まぁべつに、そこまでの苦しみは見当たらない。
だからこそ生きのびてるわけだし、
そんな苦しみがあるなら瞬時にショック死してるでしょう。
生きるのが辛いという人は、今・ここを見ているのではなく、
過去や未来について妄想しているわけです。
今この瞬間には、そこまでの苦しみを発見できない。
どんな状況におかれても、ちょっと妄想を一時停止して、
「そういえばたいして苦しくないこの1秒間」に心をもどして休ませてから、
再び「辛く苦しい」妄想に心をもどせばいい。
72 :
神も仏も名無しさん :2007/07/25(水) 12:42:46 ID:Ph8qMHX4
注射が嫌だと泣く子供は、 まだ注射されてないから痛くもないうちから、泣いています。 実際注射されてみると、ショック死するほどの痛みはないわけです。 赤ちゃんは、注射の恐怖を知りませんから、 注射されるまではニコニコです。 で、注射された瞬間は、驚いて泣く場合もあります。 痛くなってから初めて泣けばいいのであって、 痛くないうちから泣くのは無駄なエネルギーです。
>>70 禅語にしては、ずいぶん俗っぽいですね。
「満天瑞星」。
実に美しいじゃないですか。
これなら俗人でもよく意味はわかる。
読んで字の如しです。
つまり、満天にある瑞星のことですね。→吉兆の星の意味
きらめく星座に願いを込めて、恋人が語り合うのもオツなもんです。
そんなロマンチックな感じですね。
おそらくは、裏千家の家元が色紙などに書いたもんなんでしょう?
前スレでお釈迦様は魂の存在には言及してないって書いてあったけど、諸行無常って考えはそういうものの存在を否定することにならないの? 魂だと意味が曖昧ならアートマンに置き換えて。
>>75 >魂だと意味が曖昧ならアートマンに置き換えて。
無理でしょw
アートマンは当時のインドの概念。
その源流というか、考え方の発生のもととなる
ヒトという生物の持つ思考の癖としての共通性はあるかもしれないが、
日本で言う「魂」とイコールでは結べない。「魂」なら、寧ろ「ジーバ」とかの方が近いと思われる。
だから、「我(真我)」としか訳されていないのではなかろうか。
だから今でも、「我」という語が使われ続けているのではなかろうか。
強いて言えば、
(針供養や人形供養等の際に持ち出されるような、或いは存在するものが等しく持つ、天地宇宙を貫く)
「いのち」と呼ばれる概念の方が、まだ近いかもしれない。
77 :
神も仏も名無しさん :2007/07/26(木) 12:17:14 ID:GFkdAYGy
>>75 否定しているといえば否定してるけど…
「わたし」や「あなた」の存在を否定してるのと同じ意味で否定してる。
そもそも「わたし」という概念自体が幻なのだから、
わたしの魂やわたしの霊という概念も幻。
でも、日常会話の中では「わたし」という言葉を使う。
78 :
神も仏も名無しさん :2007/07/26(木) 13:20:19 ID:UAPpyDr2
私やあなた、、の概念の否定は非常に次元の高いものです 段階を踏まずに世人がそれを考えると 必ず道を踏み外す、ただそう言うものだと心に留めておくぐらいが日常的に支障を来しません・・・
79 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/26(木) 14:08:09 ID:5uYfuhwR
諸行無常 って 諸々の行な常に同じではないって意味でないの? そっから何故魂まで否定されるのかクワシク(°∀°)
主観かも知れませぬが、一成る真理を語る時 千通りの例えが有ると言います 諸行無常の4文字だけなら、金剛さんの考えで そのままの意味で、間違いないんじゃないのでしょうか? そこから魂の否定までは もの凄く飛躍しすぎかなー・・・と思いまがf^_^;
81 :
訂正 :2007/07/26(木) 18:29:12 ID:UAPpyDr2
思いますがf^_^;
82 :
神も仏も名無しさん :2007/07/26(木) 21:33:57 ID:wybfIVaf
青年ゴータマの問いである、老苦・病苦・死苦をそれぞれ詳しく説明していた だけませんか? ネットで検索してみても、見たままの答えばかりで、以外と詳しく説明されて いるサイトが見つからなくて困ってます。
83 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/26(木) 21:41:53 ID:5uYfuhwR
>>82 (°∀°)何を期待してるのか分からん♪
サイトを見て分からない君は
どう思うの?
84 :
82 :2007/07/26(木) 21:44:00 ID:wybfIVaf
>>83 レス有り難うございます。
例えば、「死苦→死ぬ苦しみ」みたいな回答ではなくて、「死苦→死とは生の対極で
は無く生の一部であり・・・・」みたいな回答が欲しいのです
85 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/26(木) 21:46:54 ID:5uYfuhwR
>>84 ほうほう
なかなか微妙な質問…
ヽ(´∇`)ノ鰈にヌル〜♪
86 :
82 :2007/07/26(木) 21:53:20 ID:wybfIVaf
どなたか・・・
87 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/26(木) 21:55:24 ID:5uYfuhwR
仏教の目的は苦を取り除くこと そして代表的な苦 それが 生まれることは苦を味わうことになる で次が 生きていくと病気になる苦〜健康でいたい で 生きることは老化へと進む〜若さへの執着 そして生きることは死へ向かう〜もっと生きたい こんな感じでは駄目(´・ω・`)?
88 :
神も仏も名無しさん :2007/07/26(木) 22:03:00 ID:GFkdAYGy
>>82 生老病死はわれわれの思い通りにコントロールてきません。
だから「苦」なのです。
89 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/26(木) 22:03:29 ID:5uYfuhwR
ヽ(´∇`)ノ鰈にヌル〜♪ したつもりが 放置プレイされちゃった♪
90 :
82 :2007/07/26(木) 22:07:13 ID:wybfIVaf
>>87 有り難うございます。
参考にさせていただきます。
もし、他の意見をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非レスお願い
します。
色々な意見を参考にさせていただきたいです。
福田も極楽浄土にいけるんですか?
92 :
82 :2007/07/26(木) 22:11:04 ID:wybfIVaf
>>88 有り難うございます。
出来れば、
生・・・・
老・・・・
病・・・・
死・・・・
みたいな形で回答していただけませんか。
2ちゃんで聞くよりも、釈尊の一生を追体験する つもりで、関連書籍などを読むほうがご自身の為に なると思いますよ。 小生の感じたものを書きますが、諸々の老苦・病苦・死苦は 釈尊がその体験をしたのは確か幼少の頃だったと思います。 出家前の釈尊は貴族の後取り息子であったでしょう? まだ幼い時に見る人の一生の最後は実に衝撃的なものだったと思いますよ。 事実、それを転機に釈尊自信が身の回りの風習や既存の価値観に疑問を 感じ始めます、、、どんなに美麗栄華を飾っても、その様に終わりを遂げる 人の一生とは何なのかと・・・・また生きている間にも、その事に囚われ 死に対する恐れ、病に対する恐れ、老に対する恐れ、人はその恐れから 逃れようと様々に腐心します。。健康と美容に対する執着はまさにその 現れでしょう?、、また当時の王侯貴族・・・バラモンでさえそうだった。 それを諭す為に仏の化身が釈尊を導いたと言うのが、小生の聞いた話です。 仏の化身が導いたかどうかは別として、この話にはとても共感しましたね。 さて・・・あなたは?
あ、、一応>>80の者でし(*゚ー゚)ゞ⌒☆
>>82 生・・・・ この世に生を受けることは、種々の望まない経験をすることとなるので「苦」である。
必ずしも望んだ人生となるわけではない(→『思い通りにならない』)から「苦」である。
老・・・・ どんなに気を付けて、若いままでいようと思っても、必ず年老い、よぼよぼになり、醜くなり、
自由が利かなくなってくる、避けられない事象なので「苦」である。
病・・・・ (これは避けることが可能だが)病にかかることもある。それが大病難病であれば、「苦」でなくて何であろうか。
死・・・・ 一人の例外もなく、必ず迎えることになる(意識(≒想い)の)終焉、その恐怖は「苦」である。
初心者なら、まずは、こんなとこからスタートすればいいんじゃね?
96 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/26(木) 22:27:26 ID:5uYfuhwR
(´・ω・`) まぢれすすると 釈迦は金持ちで贅の限りを尽した んで 金持ちは暇だからね 考える時間あったわけだ オイラは貧乏だから考える時間がない 食うために働く 釈迦は働かずとも贅沢出来る 考える時間もある この楽しい時間幸せは何時まで続くのか… 多分(´・ω・`)つづく…かも
97 :
82 :2007/07/26(木) 23:00:04 ID:wybfIVaf
>>93 >釈尊がその体験をしたのは確か幼少の頃だったと思います。
マジですか?四問出遊の話はどこへ行ってしまったんですか?
三つの門でそれぞれ老人、病人、死人に出会い、最後の四つ目の門で出会った
出家者に憧れて出家したのでは無いのですか?確かこの時29歳だったと思い
ます。それまでずっと外の世界を知らずに大人になってしまっていた為に、衝
撃を受けてしまったのでは無いのですか?
>>95 有り難うございます。
私が願っていた通りの形の回答です。
是非、中級者用と上級者用も聞かせてください。
98 :
82 :2007/07/26(木) 23:03:57 ID:wybfIVaf
>>96 考える暇も無い程忙しく、慌ただしく日々が過ぎていく事が以外と幸せなのか
もしれませんね。
>>97 四門出遊を事実かのように考えているうちは、まだ早いよw
四門出遊を、釈尊の出家の動機の象徴として受けとめることができたら、次のステップだw
健闘を祈る ノシ
100 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 02:59:59 ID:ZkdxhSDF
>>98 soreは断じてちがいます。自分なりに考え直す必要があるお
>>71 72
koituraザマはテロをも受け入れる
決意表明と屍れよ
101 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 07:53:50 ID:HgU7xzk8
>>100 自分が被害を受けていないのだから、
テロは今のところ自分を不幸にはしていません。
半径50メートル以内が平和であれば、その人の「今・ここ」は平和です。
テロをやる人々は、「今・ここ」を生きていない。
過去のできごとに対する怒り憎しみのために苦しみ、
どうやって報復してやろうかと未来について考え、
やはり怒りのストレスを自分に与えています。
恨みなんか忘れちゃえば心が平安になり楽になるというのが、
お釈迦様の教えです。
敵や相手のために恨みを忘れるのではなく、
自分のために恨みを忘れるのです。
102 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/27(金) 10:03:53 ID:UpStw4mT
恨みなんか忘れちゃえば心が平安になり楽になるというのが、 お釈迦様の教えです。 お釈迦様は縁起を説かれた 認識するからある 認識しないから無い じゃなく 全て繋がっている 今あるのは過去があるから 今がそのまま未来になる 今は無関係と思えてもそのうち影響してくる 臭い物に蓋をシロはお釈迦様の教えてではありませんヽ(´∇`)ノ
103 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 11:12:29 ID:HgU7xzk8
>>102 縁起だからこそ、恨みを忘れれば恨みによるストレスがなくなるのでは?
104 :
南無大師遍照金剛 :2007/07/27(金) 12:13:11 ID:UpStw4mT
105 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 12:49:44 ID:gaNR18Nj
縁起があるから対象としての相手がいる 自分が忘れても相手は忘れない場合、どおするのですか?? 自分から変わる事が、まずの第一義だが 相手への供養も忘れてはダメですよ それで相手の要求の度が過ぎた場合は その逆もまた真なり・・・予備知識ですがね、(^_^;)
106 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 03:07:47 ID:dVA2/D+2
中身をかえるべく努力する観察者がでて、観察も意識の一部ですね 意識の中身の愛は快楽、野心など。。。さもなきゃ愛とは何か しらないので発見しなければならん要因があるし 仏教においても 何のイメージの介在なしに、活気のある有能な精神の追求が尊重される所に意味が在る。 公式も観念も理想も原則も持たないことが可能でないならアナタは自滅するしワタシも自滅するという 自明な人類の辿るありかたへの明快な理解が必要不可欠ということでもある。 人類の意識が抱える不幸、惨め、苦闘、努力、悲観であり生涯集めてきたイメージ 神々、欲求不満、セックス、恐怖、苦悶、憎悪、実はそれらが意識をならしめているので 意識を空にすることと愛と呼ばれるモノとの間、 未知(愛)なるモノと概知のモノの間、 つまり、意識の中身との間には関係があるに違いないと 真剣に確認のブッキョウw しらなきゃ、行き来することによる調和も英知もないので ケッキョク鈍い生存戦争に終止するし生きる価値もなく、テロも道理だと汁
107 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 07:55:25 ID:K1/0sLM+
>>106 何がいいたいかよくわからないです。
文を短く区切って、
主語・述語をわかりやすくしていただけないでしょうか?
108 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 08:29:40 ID:K1/0sLM+
>>105 互いに恨みあい憎しみあっていたのが、
そのうちの片方だけが恨み憎しみを忘れた場合ですか?
恨みを忘れた方は、相手を許しそれ以上責めたり復讐したりしない。
恨みを忘れられない方は、相手を許さず、責めたてて復讐のため攻撃してくる。
まずは、憎しみが煩悩だと発信しつづけるしかない。
で、相手からの攻撃は、自分の過去の罪業の報いだから仕方ない。
ブッダはキリストの事をどう思っていたのでしょうか?
子供の頃喧嘩相手からふいに謝られたのだが、紳士ぶりやがってって思って、 そんなスマートな処世術を身につけてない自分が情けなくなって逆上してしまったことがある。 自分から折れて和解を求めるほうが勝ちだ。真に問われるのは魂の成長の進み具合。
112 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 12:41:20 ID:K1/0sLM+
>>109 イエス・キリストはブッダより500年ほど後の人物です。
そういえば、何年か前に、キリストが仏教徒だったのではないかという
内容の本を書店でみかけました。
113 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 12:46:04 ID:ay6PPT5l
【在日北朝鮮カルト顕正会絡みの凶悪犯罪の歴史・日本編 第一部】 1992年 8月28日 顕正会への入会強要 顕正会員 2名 逮捕 送検 1993年 3月26日 拉致監禁暴行 男子高校生失明 逮捕 送検 1996年11月 2日 覚醒剤取締法違反 顕正会員 逮捕 送検 1999年 8月 入会強要で暴行 男子高校生骨折の重傷 2000年11月 入会強要 森田 議文 中原 ムネハル 小川 ジュン 北森 某 事情聴取 厳重注意 2000年 5月 2日 顕正会員が強制わいせつ・余罪多数 丸山 陽三 立件 逮捕 2000年 3月18日 顕正会員が違法射撃 秀島 裕展 逮捕 送検 2001年 7月25日 顕正会員が住居侵入・暴行 田中 えりな 逮捕 2001年 7月 2日 入会強要・暴行 桜井 祐也 太田 隆司 高橋 康晃 逮捕 2001年 3月 4日 入会強要 顕正会員 武藤 ひさ子 解雇 2002年 6月15日 殺人・覚醒剤取締法違反 顕正会員 宇高 明男 宇高 聡 起訴 2002年 6月15日 殺人 顕正会員 宇高 明男 逮捕 2002年 5月 顕正会への入会強要 小池 淳子 厳重注意 2002年 4月 顕正会への入会強要・殺人未遂・暴行 前川 某 逮捕 2003年11月11日 顕正会への入会強要 松野 登志彦 和田 茂樹 逮捕 2003年 9月19日 軽犯罪法違反(つきまとい) 顕正会員2名 逮捕 送検 2004年 6月 ジャパネットたかた契約社員(37)約51万人分の顧客情報を記録して流出させる。 2004年 9月14日 大阪教育大付属池田小学校殺人事件 宅間守死刑執行。 2005年 5月 5日 監禁 石川 秀樹 行徳 祐一 逮捕 「 起 訴 猶 予 処 分 」にて釈放。 2006年 7月 3日 傷害 群馬の中沢誠が元短大教授(71歳)を暴行、顕正会群馬県施設に一斉捜査。 2006年12月 埼玉・行田市で溝口順子容疑者(47)ら2人が器物損壊の疑いで逮捕、ほか二名別件で逮捕 2007年 1月11日 「顕正会本部」を初捜索 大学生に入会強要、「神奈川県警公安1課」が3人逮捕 2007年 2月 派遣社員の顕正会員が派遣勤務先から約900万件の個人情報を持ち出し逮捕。 2007年 4月 奈良の騒音おばさん実刑確定。刑務所送りになる。 2007年 4月19日 1999年9月池袋通り魔事件 造田博被告(31)死刑確定。 2007年 5月18日 千葉県八街市の派遣社員坂本和章容疑者(25)が飲酒運転で男子高校生(15)を轢き殺す。
114 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 23:46:35 ID:K1/0sLM+
日蓮信者って…
115 :
神も仏も名無しさん :2007/07/31(火) 15:01:46 ID:CPou5iF0
酷薄で 偽善な成り行きでカマワンというなら、その限りでないが イツモ都合良さげなイメージを目の前にぶらさげ、いざとなればクワエコミ 保身を謀るような性情etc、、、 その点を少し明確化してみましょう。 たとえば、他人を憎む傾向があります。 しかし、出かけていって他人を愛しはじめたり、愚かな気質にたいする万能薬として愛を使っては イケナイ そんな風では、自分の忌わしい性質を自覚し、抜け出しかたを学びとることなく 都合的枠内レッテル貼りの範疇に逃げ込んだりと、矛盾を生み出し ある葛藤から別の葛藤へと流されるだけですね/ 望ましい自然な姿勢とは、他人を憎むという事実をうけいれ、その原因をよく調べることw 生への多望、欲求不満、得るにじゅうぶんな力、を自身に問うこと♪ 自分の病弊を取り除くためのイカなる努力もせずに この状態に留まる。 そこで突然なんのもくろみも無いまま、自分の中に創造的変容の発見として いまや反復でない、鋭敏さが働いたのです。 ダカラ、限りなく切実な正直さと知恵が、個と全体の融合ブッディズムの真髄w
116 :
神も仏も名無しさん :2007/07/31(火) 15:26:48 ID:JTGP5P2S
日蓮は朝鮮人です 高麗を使って日本侵略に失敗
118 :
神も仏も名無しさん :2007/07/31(火) 16:09:45 ID:JTGP5P2S
>>117 日蓮は高ライに攻められたく無ければ登用するように迫った
しかし断られ高ライに因る侵略と日蓮の内部からの日本の侵略も失敗
まさに高明等が今日蓮の悲願を達成しようとしてます
a
120 :
神も仏も名無しさん :2007/07/31(火) 22:52:34 ID:JTGP5P2S
>>118 ごめん
高ライじゃねーわ
モウコだったわ
121 :
神も仏も名無しさん :2007/08/01(水) 00:04:45 ID:ISw02Ia4
日蓮と同じことを現代の宗教家がやったら、 まちがいなくカルトよばわりされるよな。
生れ変りについて、教えてください。 人が死んだら、鳥に生れ変るってあるんですか? また、その時期もあるんですか? 私の祖父はどうやら、鳥に生れ変って、1周忌か3回忌の時に来たようなのです。 でも、それは、有り得ないという話も聞きました。 仏教的には、どうなのでしょう? 詳しい方、教えてくださいm(__)m
123 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/01(水) 00:45:03 ID:wO70OGqR
>>122 仏教的にはどのようにも解釈出来ます
否定する宗派もあるし
肯定することも可能です
どのような答えを期待されたのですか?
鳥に生まれ変わって何を伝えたかったのか?
それが大切ではないでしょうか?
ただ生まれ変わるか?って質問なら
そんなもん
(°∀°)知らん♪
124 :
神も仏も名無しさん :2007/08/01(水) 00:48:03 ID:NkfPxRtU
>>121 つか、当時言葉がなかっただけだろ
為政者の扱い方見ればわかるじゃん
所行無情
>>124 言葉って怖いよねぇ・・w
「りんご」と「apple」がおなじものを指していたとしても、
容易に、≪いや「りんご」と「apple」は違う≫という思考を生み出してしまう・・。
職業無職 所得無我 夜半逆上
128 :
神も仏も名無しさん :2007/08/03(金) 18:47:17 ID:O5tuoYUm
とかく世とは、 しつこい・毒々しい・ちまちましていて然も図々しい嫌な奴で埋っている。 そんな面々にかぎってデカイツラで、さも名誉の如く自画自賛やヘタで卑怯な太鼓持ちぶりブッコクしまつだし テレビでもアホがアカの他人をカマかけて、ギャーギャー追いやる様は目に余った御時世なんだが 中高生や馬鹿も真似たほうが分がいいとばかりに、きゃーきゃーカマシてた。 そんな分かり難いくせに、露悪と偽善の一番腐ったもんがもてはやされる御国柄じゃ 仏教だって糞くらえな真理の周辺にもおぼつかんものに成り下がったワケで・・・ 虐めの末に自殺に追いやられる香具師も多いんだよなw・ 実際、戦争にでもなって足でも捥げにゃ、憎悪や屈辱もポカーンとした教えに紛らして理解できんのだろうな。 ストーカーがレイプして思い道りにしようとしたり、テロリストや キリストを嘲り張り付けにしたヒルガエッタ信者、大衆も、人間心理の深みに共通して横たわる痛みや苦悩への共感 を満たしたくて 原爆よもう一度日本へ!なんて望む世界もあるのかもしれんw・ 血まみれの美ってのも、そうゆう爽快感にも似た慈悲感情及ぼす貴重なものかもな・
129 :
神も仏も名無しさん :2007/08/04(土) 01:07:23 ID:quR4WfG2
逝った香具師の涙はぬぐえません死ねぇw でも、熱烈なラブソング信者が 浮気もロクにできぬと、女房疎ましがるようになる欲求不満のケースもある。 出来ることなら飼い犬を何処でまこうかと迷ってる男の目というやつ/ そんで、すっかりすっきり目先の都合にとって、不正や偽りがいかにてっとり早いかと言って 猿のようにやらかす。いまやニコニコした新卒若い衆の根っこですらある精神環境@笑) だけど、、、どんなケースの無知も知らないから幸せというものでもない。 明日などなくても生きるのといえばその限りでないけど... どうやって?、と言えば やっぱ仏教の真髄的というか、真に本能的な臭覚のような 正直さに救われるの鴨w 普遍的見解は、常に社会における暴力や虐待はなんでも、一人一人の中にある暴力の外面的あらわれですし どんな風にあらわれるかは偶然にすぎないというモノ。 自分もその一因であるのを見ずに噴出舌モノを扱うのが常で進歩ってありえないくらいでw なので ♪ its the time to disco! みたいな、レトロナイトなニヒルで どっか〜ん てのも じつは仏教的なのかも'''''} ̄~フハ,“二゙´ ,;
130 :
神も仏も名無しさん :2007/08/04(土) 05:13:59 ID:XYEzy6Eb
あぁ〜ん、したぁ〜い(#^.^#) はやく、してぇ〜(*^。^*)ノ
132 :
神も仏も名無しさん :2007/08/04(土) 22:22:22 ID:F0ysX67Q
宗教的信条の分離であれ、経済的愛国主義であれ人々は分離してる。 表面は寛容を保つかもしれんが、それは全くの知的不条理で 経済的愛国が経済制裁や税金などで、それぞれの国をより貧しくしてる。 仏教徒、イスラム教、米人、日本人、などであるかぎり 攻撃用の再軍備を備えて残酷な戦争を生むに違いないから所詮同じことw・ 分裂した世界や、経済的欲求不満や貧困、経済制裁や殺戮が実は至るところにあるすぃ 国籍、階級、修士号、称号など分離された人類間の問題だが なのに、こうしたいわゆる教養のある人たちが国を統治しようとするまさに当事者・・・ 愛国主義や再軍備育成をしながら、他方で人類愛を語ることは相容れないこと。 それが意味する認識を内的に根本的に自覚することが普遍的問題w・ 自分を欺いてはいけませんね。
133 :
神も仏も名無しさん :2007/08/04(土) 23:11:43 ID:MFG+ztc3
134 :
神も仏も名無しさん :2007/08/05(日) 13:43:10 ID:+u+VRENy
>>132 何が言いたいのかよくわからない。
つっこまれたくないから、ボロが出ないわざとぼやかしてるのだろうか?
しかし、自分のアイデアが他人に通じるのか試してみたい欲求もあり、
キーワードをなんとなく散りばめて、
「わかる人だけ気付いてくれ!」みたいな。
要は、宗教なんて争いを産んでる原因なんだから、そんなもの信じるのやめれヽ(^。^)ノ って、ことじゃないの?
136 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/05(日) 16:22:46 ID:tnc8gmn/
>>132 >愛国主義や再軍備育成をしながら、他方で人類愛を語ることは相容れないこと。
愛国主義の人類愛というのは、同胞愛のことだろうし、
同胞が危険な状態に遭遇しそうになったら、防衛的に他の人類に敵対せざるを得んでしょうね。
これが愛国主義です。
私はどちらかというと、インターナショナルな人類愛がイイかと思うね(~o~)
人類はユートピアを想像してきました。
その最たるものがマルクス論です。
しかしながら人類が、
認識を内的に根本的に自覚することを万民ができる訳はなく。
(マルクスは万民が、認識を内的に根本的に自覚することを想定した)
なかにはサボタージュしたいとか、そんなことを考える輩もおるんです。
そういうのは、理屈で逝っても分からんから・・・
粛清せんとあかんですね。byレーニン
つまり、どんなユートピアを描こうと、
それを生かせるのは人間自身ですが、
全体主義は、必ず粛清という負の部分は必ず生じます。
137 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/05(日) 21:40:10 ID:1nTLsKGk
そもそも全体主義自体が正しいか そして 全体主義の名の元で粛清は許されるか んなことより 毎日旨いもん食って 暖かい布団で寝たいぉ (°∀°)
うちは先祖代々妙心寺というお寺に納骨してるんだが どういう宗教なのか教えてください。
139 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/05(日) 22:16:47 ID:1nTLsKGk
>>138 ミョウシンでらは
何宗教?
系統やら派閥分かりますか(°∀°)
140 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/05(日) 22:20:39 ID:1nTLsKGk
リンザイシュウでしか?(°∀°)
142 :
神も仏も名無しさん :2007/08/06(月) 01:40:11 ID:TNqpJp7X
ぬるぽ。。。
143 :
神も仏も名無しさん :2007/08/06(月) 09:31:05 ID:VVJVNAj/
>>138 妙心寺:
【花園法皇の離宮を禅寺に改めて創建された寺で、
臨済宗妙心寺派の大本山】
145 :
Sam :2007/08/06(月) 19:36:21 ID:NY1ZBELv
大変、初歩的な質問で申し訳ないのですが、、、 仏教伝来は欽明天皇の時代6世紀初頭といわれていますよね。 で、具体的に大きく仏教興隆に貢献したのが聖徳太子と。。。 まあ、政治的な要因で仏教をとりいれたと思うのですが、 なんで神道ではダメだったんですか?? 仏教を使わなければならなかった具体的な原因はなんだったんでしょうか?
(´・ω・`) なぜ仏教じゃなくシントウだと思うの?
仏教派と神道派が戦って、 仏教派が勝ったといわれます。 南無妙法蓮華経 ^_^
148 :
神も仏も名無しさん :2007/08/06(月) 21:05:53 ID:iR6wZopP
>>145 神道には教えがありませんからね。
強い(恐ろしい)神様のご機嫌をとる儀式だけの教えです。
聖徳太子、蘇我馬子は、仏教を崇むべしという意見でしたが 物部の守屋を中心とする一族は、古来からあった神道に固執して、大きく反対します。 戦争になって、結局守屋が敗れます。 南無妙法蓮華経 ^_^
戦争に負けるということは 神道の祈祷は、仏法の祈祷より弱い という、非常に明快な、答え。 南無妙法蓮華経 ^_^
151 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/06(月) 21:31:39 ID:oKslPcVd
(´・ω・`) シントウと仏教は互いに排斥しませんから 守備範囲がちがうからです 普通の仏教徒なら お仏壇の他に神棚もあります
152 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/06(月) 21:36:32 ID:oKslPcVd
仏教は未来予測の教え つまり因縁果報を読む教え 今の状況からどのように行動したら未来がどうになるかを予測し読む教え シントウは(自然に対する)感謝の教え 全く別物です (°∀°) お互いに補いあいます♪
154 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/06(月) 22:33:29 ID:oKslPcVd
>>153 仏教を守護するために、神がいると
仏教では、いわれます。
これは、勝手な私見ではなくて
そう言われているから、そう書きます。
(´・ω・`)
その理屈はニチレンでしか通じないから
ニチレンってシントウの神様に見捨てられたってうらんでるんだってね
虚空の諸天、法を聴かんがためのゆえに また常に随侍せん。 もし聚落・城邑・空閑・林中に在らんとき、人あり来って難問せんと欲せば、 諸天昼夜に常に法のためのゆえに しかも之を衛護し、よく聴者をして みな歓喜することを得せしめん。ゆえはいかん、この経はこれ一切の 過去・未来・現在の諸仏の神力をもって護りたもうところなるがゆえに。(妙法蓮華経安楽行品第十四) 法華経『安楽行品』の経文には、釈尊の滅後に法華経を弘通する菩薩には 常に諸天善神がつきしたがって、菩薩が法華経を説くのを側で聴き、 威光・勢力を増し、また説法を聴くために菩薩を守護する という諸天善神の誓いが示されています。 南無妙法蓮華経 ^_^
日蓮大聖人が、首切りの刑を、八幡大菩薩の守護で まぬがれた、というのは、有名な話です。 南無妙法蓮華経 ^_^
157 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/06(月) 23:16:21 ID:oKslPcVd
日蓮大聖人が、法華経の行者なので 八幡大菩薩が、法を守るために、守護したと言われています。 南無妙法蓮華経 ^_^
159 :
神も仏も名無しさん :2007/08/06(月) 23:46:39 ID:iR6wZopP
>>157 本地垂迹(ほんちすいじゃく)説じゃないの?
簡単に言うと、神様の正体は仏の化身だ、というとらえかた。
160 :
神も仏も名無しさん :2007/08/06(月) 23:49:34 ID:iR6wZopP
>>158 なんだかなぁ…。
日蓮さんの思想は、やはり仏教ではないですね。
法華経自体が仏教じゃないからね。
161 :
神も仏も名無しさん :2007/08/07(火) 00:12:02 ID:2ZwYeaqS
素朴な疑問ですが どうして南無大師遍照金剛さんはあちらこちらで嘘八百を書くのですか?
仏の教えを、仏教と、言います。 法華経は、仏の本懐(ほんかい)の教えを 結集させた経典と言われます。 南無妙法蓮華経 ^_^
163 :
神も仏も名無しさん :2007/08/07(火) 01:49:18 ID:TOtVeQSV
と言うコトは、法華経って、神道じみたボーダー信者を膿みがちなのね? 仏教思想は132あたりのボーダーレス真理なのニネ?・ でも、客観的思考を欠いた中高生や慢性エゴイスト 二は、難あり感鴨
まあ法華三部経の開経(無量義経)は偽経でFAらしいがな
165 :
神も仏も名無しさん :2007/08/07(火) 13:16:10 ID:8Atq8xGF
まあ、法華三部経が偽経でなくても、日蓮は仏教ではない。
166 :
神も仏も名無しさん :2007/08/07(火) 21:22:00 ID:FfWm/Hf/
質問です。階位の十信について詳しく書いてある書籍ってないでしょうか?
167 :
神も仏も名無しさん :2007/08/08(水) 01:34:23 ID:zT3paaCr
仏教も二元論にはじまり 限定一元論を通じて完全な一元論に終わるようですね。 その最後までは至ることは不可能で 信じる人もどんなに少なく、行動するやつは稀なことだという だが、その中に宇宙間の全ての倫理、霊性の説明が潜んでるというw
169 :
神も仏も名無しさん :2007/08/09(木) 02:53:37 ID:ubiVN9EV
iyaじゅうぶんだと思
170 :
神も仏も名無しさん :2007/08/09(木) 07:04:59 ID:haHdtpsz
171 :
神も仏も名無しさん :2007/08/09(木) 11:52:44 ID:E8ae95Xw
172 :
神も仏も名無しさん :2007/08/11(土) 20:36:59 ID:T/RzwBfa
日本仏教は、本当の仏教ではございません
173 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/11(土) 21:06:32 ID:74OfJVW/
>>172 (´・ω・`)
だから何よ
余計なお世話だよ
本場インドのインド仏教は瀕死なんだからさ
ましてや日本でインド仏教なんてあるわけないの
あんまり恥ずかしいこと言わないでね
>>173 おまえのことだよ。
おまえの(^o^)/
日本仏教は、創価と日蓮とお前のクオリティ〜(^o^)/
早く、あぼーんされろ(笑
175 :
神も仏も名無しさん :2007/08/13(月) 02:34:17 ID:cpOW9VeK
なぜ人は、私とは無明で、遺伝環境腐敗、などによってもたらされた鈍感であるなどとは 云わないのでしょう。 なぜ、なにやら自分が最高だとみなしてるモノに結びつけて仏教をも台無しにするのでしょう。 ヨーバイブーマタッカーム 条件付けられてないモノ 条件付けられた精神=ちっぽけで、卑小で、偏狭で、浅はかな娯楽で生きてる そんな精神が、無条件なモノを思り、想像し、感じ、観ることが出来るのか。 多分、無条件(絶対)なるモノには最高と最低の区別がないので 観念をもちこむときには必ず仮想事実の言明があり、 それは少しも事実ではないのかもしれない。
176 :
神も仏も名無しさん :2007/08/13(月) 07:17:55 ID:GsmWKBYU
>>175 主語述語をわかりやすく、短い文に区切りましょう。
難しげな熟語を用い、複雑なレトリックで文章を組み立てることで、 いかにも難解な問題を論じているかのように錯覚している人間がいる。 思考自体が十分熟成していないか、あるいは単なる衒学趣味に過ぎない。
178 :
神も仏も名無しさん :2007/08/13(月) 09:16:01 ID:Xat7QfXp
まあ、まだまだ自分の文章じゃないって事でしょうかね。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ
179 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/13(月) 09:20:25 ID:EC5xVenQ
ヽ(´∇`)ノ
180 :
神も仏も名無しさん :2007/08/13(月) 18:16:11 ID:UWHdJfp/
実相論と縁起論との違いについて教えて下さい。 実相論は天台系、縁起論は華厳系で、中国仏教史上で盛んに論争されたそうな。
181 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/13(月) 22:48:47 ID:EC5xVenQ
>>180 ヽ(´∇`)ノ
両方の定義教えてチョ♪
お塔婆について質問です。 お墓にあるお塔婆は、新しいのをもらったら古いのは処分していいとか、 そのまま土に差しっぱなしにしておいてお墓の土に返すとか、 教えてくれる人によって言うことが違います。 仏教的にはどのようにするのがいいと言われているんですか? ちなみにうちは曹洞宗です。
184 :
183 :2007/08/14(火) 10:04:17 ID:4/2fJ/VZ
補足です。 うちの墓所は墓石がなく、土のままの状態になっています。 これまで古いお塔婆は置き場に持っていっていたのですが、 土のままになっているんだから、墓所の中で土に返すのが本来だ。 と言われて疑問に思ったのです。 本当はお寺に聞くものかもしれませんが、お付き合いが少なく 聞きづらいので、こちらでお聞きしました。 お寺によっての解釈でなく、 仏教的(特に曹洞宗)にどのように扱うのか決め事があるかどうかをお教えください。
>>184 寺に聞くのがいいと思うけど。付き合いがすくなかったら
逆にこれを機会に付き合いを増やせばいいじゃん。
186 :
神も仏も名無しさん :2007/08/14(火) 10:19:05 ID:3AcwI5Zl
仏教をやめると 日本人は一人前になる
187 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/14(火) 10:32:27 ID:ufJFVFn1
>>184 私の菩提寺も曹洞宗ですが、今まで塔婆のことは考えたことがなかったですね。
たぶん、寺を掃除する人が勝手に処分してたのかとおもいます。
つうか、
よほど古い塔婆だけ処分してたか?。
(自分で処分したことはない)
で、曹洞宗は禅宗ですから、
「塔婆などどうでもいいから黙って坐っておれ!」。
で、一喝して、一井の民衆を導くのが日本禅ですね。
(中国禅はもっとリベラルです)
188 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/14(火) 11:29:47 ID:yyJi1NWR
(´・ω・`)真宗じゃ有るまいし…
189 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/14(火) 11:44:04 ID:yyJi1NWR
お付き合いが少ないのに塔婆供養されてるんですか? 新しい塔婆を頂いた時に聞くと良いですね それぞれ考え方次第です 机さんみたいな人もいるし 土に戻る間に塔婆が粗末な扱いを受けるかも 風に飛ばされたりして紛失 飛ばされた塔婆に気付かずその上を歩いたり ドブ川に流されたり それでも構わないと考えるか お寺に持参して供養して焼いて貰うか 貴方次第(´・ω・`) 宗派にこだわるなら先ずはご自分のお寺へ聞くのが1番
190 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/14(火) 11:58:00 ID:yyJi1NWR
たまぁ〜に 自称信仰心の篤い近所のおばチャンがいたりする お仏壇には亡くなられた人の好物あげると良いよと で、お刺身の盛合わせ豪華6点セットどかーんと上げてくれたりする(;O;), でうろ覚えの般若心経らしきものも唱えて下さる…
191 :
神も仏も名無しさん :2007/08/14(火) 14:33:08 ID:2CFodXRv
>>…………………………………………………………………………… 180 :神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 18:16:11 ID:UWHdJfp/ 実相論と縁起論との違いについて教えて下さい。 実相論は天台系、縁起論は華厳系で、中国仏教史上で盛んに論争されたそうな。 >>…………………………………………………………………………… 実相論とは人間はもともと『実相の世界(天界)に住む仏の子である。』という論理です。 また、縁起論は人間は縁起によって生まれたものである。という考え方です。 どちらも正しい考えであると言えます。 人間はもともと仏の子であり実相世界に住む仏の子であったが、欲望(縁起)によって、人間界に堕落したのである。 その欲望によって、六道を輪廻して、天界に行けなくなってしまったということです。
192 :
神も仏も名無しさん :2007/08/14(火) 14:48:54 ID:2CFodXRv
>>…………………………………………………………………………… 145 :Sam:2007/08/06(月) 19:36:21 ID:NY1ZBELv 大変、初歩的な質問で申し訳ないのですが、、、 仏教伝来は欽明天皇の時代6世紀初頭といわれていますよね。 で、具体的に大きく仏教興隆に貢献したのが聖徳太子と。。。 まあ、政治的な要因で仏教をとりいれたと思うのですが、 なんで神道ではダメだったんですか?? 仏教を使わなければならなかった具体的な原因はなんだったんでしょうか? >>…………………………………………………………………………… 残念ながら神道には仏の法(真理)が説かれていなかったからです。 仏教には法則(真理)が緻密に説かれておりますが、本当に理解できたかどうかは疑問です。
193 :
神も仏も名無しさん :2007/08/14(火) 17:39:16 ID:lIeWjoMX
>>192 レスありがとうございます。
どちらも同じであるなら、わざわざ個別の術語を使用しなくてもよさそうな
ものですし、また互いに論争する必要もないと思うのですが。
それと、『実相の世界(天界)に住む仏の子である。』という表現にも違和感
を感じます。私の認識では、天界とはあくまでも欲六界の世界の中の一つとい
う位置づけですので。
194 :
183 :2007/08/14(火) 20:18:55 ID:4/2fJ/VZ
私自身はお坊さんと顔を合わせることはありません。 なによりもう家に帰ってきてしまいました。 お寺とお墓は遠い場所にあるのです。 とても気になってしまい少し検索してみましたが、どのサイトも塔婆は処分するか、 お寺に返すように書いてあります。 塔婆は本来土に返すものだと言ったのはお寺さんだそうですが、 そのあたりを調べられるサイトなり、書籍をご存知でしたら どなたかお教えください。
195 :
神も仏も名無しさん :2007/08/14(火) 22:28:14 ID:egpWExUs
177 難解で複雑なレトリック?はっはっはっ おまえ自身が 思考自体が十分熟成していないか、あるいは単なる衒学趣味に過ぎないのでしょうね 年ばっかとって御恥ずかしいクチの傲岸不遜な身の程知らずぶりって いつの世もクダラナイものですね。
196 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 01:26:00 ID:qd6a7r/G
>>183 仏教的には、お塔婆は、
仏や仏弟子や独覚(独りでさとった人)や大王の遺骨をまつった、
ストゥーパという塔のことです。
そのようなりっぱな人物の徳を偲んでストゥーパを拝むと、
心が清らかになると言われます。
ですから、日本のような木の、しかも使い捨てみたいなお塔婆は、
仏教的には存在しません。
ストゥーパに由来する日本の風習にすぎません。
で、うちの寺では毎年お盆前に、墓地の古い塔婆を回収し、
施餓鬼会という行事が済んだら焼きます。
ですから、1年で使い捨てになります。
197 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 01:33:43 ID:qd6a7r/G
ストゥーパは、遺骨をまった塔ですから、日本の墓石みたいなもんですね。 ただ、ストゥーパは個人の遺骨をまつった塔ですが、 日本では先祖代々とか家族で一つのお墓の場合も多いです。 そこに、個人の塔婆を立てると、簡易な個人用ストゥーパになりますね。 まぁ、そもそもストゥーパはりっぱな聖者が対象ですが、 そこはまぁ、死んだらあの世で仏様に成るという日本仏教に免じて 目をつぶっていいでしょうか。
198 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 05:49:23 ID:YZ2W6j8L
>>…………………………………………………………………………… それと、『実相の世界(天界)に住む仏の子である。』という表現にも違和感 を感じます。私の認識では、天界とはあくまでも欲六界の世界の中の一つとい う位置づけですので。 >>…………………………………………………………………………… 『欲界』を六道と言いますが、欲界の上層に『色界』、色界の上層には『無色界』という天界があります。
199 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/15(水) 07:35:15 ID:5hgpgqQR
>>194 塔婆のことより、問題の本質が違うんじゃないでしょうか?
>とても気になってしまい
普通は気にならない。
塔婆のことは寺に任せてあるから、普通は気にならないですよね。
たとえ塔婆の問題が解決したとしても、新たな問題を作り出すんじゃないでしょうか?
これだとキリがない。
200 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 11:57:47 ID:972IeMvj
>>198 >欲界』を六道と言いますが、欲界の上層に『色界』、色界の上層には『無色界』という天界があります。
華厳(十地品)の立場では、「三界は虚妄にして、是れ唯心の所作なり」です。
無色界といえども、因縁に由って作られた無明の産物なのではないでしょうか。
仏=実相とは、その三界を離れていなければならないと思います。
201 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 12:26:54 ID:BacUi8aq
>……………………………………………………………………………
>>200 華厳(十地品)の立場では、「三界は虚妄にして、是れ唯心の所作なり」です。
無色界といえども、因縁に由って作られた無明の産物なのではないでしょうか。
仏=実相とは、その三界を離れていなければならないと思います。
>>……………………………………………………………………………
確かにその通りです。『欲界・色界・無色界』は幻の世界です。
しかし、われわれ人間は幻の人間界に住んでいます。
202 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 15:39:00 ID:972IeMvj
>>201 >>191 >人間はもともと『実相の世界(天界)に住む仏の子である。』
>>201 >『欲界・色界・無色界』は幻の世界です。
実相論が云わんとするその実相とは、虚妄分別・幻の世界ということですか。
人間は無色界という元々迷いの世界に住みながら、しかも仏の子であるという
論理が難しいのです。仏から迷いの世界に堕落したと解釈を転換しても、仏が
迷うということになるので、更に理解に苦しみますし。
私のイメージする実相観は、本性清浄のような肯定的意味合い、真如とか法性
とか、そんな意味合いで捉えていました。
203 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 19:41:37 ID:rIIm9d5c
>>202 >>─────────────────────────────
実相論が云わんとするその実相とは、虚妄分別・幻の世界ということですか。
人間は無色界という元々迷いの世界に住みながら、しかも仏の子であるという
論理が難しいのです。仏から迷いの世界に堕落したと解釈を転換しても、仏が
迷うということになるので、更に理解に苦しみますし。
私のイメージする実相観は、本性清浄のような肯定的意味合い、真如とか法性
とか、そんな意味合いで捉えていました。
>>─────────────────────────────
このことは放蕩息子の譬喩に説かれています。
また、創世記にも同じことが説かれています。
>>194 塔婆の処分の仕方に決まりはない。
どんな書物・文献を見ても確実なものはないだろう。
また、宗門(宗派)で「このようにすべき」というより、
一ヶ寺一ヶ寺で違うと思った方がよいかもしれない。(多少の傾向・類型は見られたとしても)
また、曹洞宗でどうかは知らないが、少なくとも臨済は、定説はない。
やはり、菩提寺に聞くのがベスト。(でなければ、別の縁のある寺院関係者に訊くとか)
と言っても、それだけでは何なんで、幾つか方法を。
・近くに燃やせる場所があれば燃やしてしまいなさい。
気が引けるなら燃やしながら知ってるお経でも唱えておけばいい。
・温暖化が気になったり、燃やせる場所がなければ、近くの製材所でチップにして貰えばいい。
これも、気が引けるならお経読んでおけばいい。
・適当な長さに切って、畳の部屋の机やタンス等の下敷きにしてもいい。
・腕に自信があれば、切ったものを組み合わせて花瓶の台にするのもお洒落だ。
・埋める場所があるなら埋めてもいい。しっかり埋めてしまえば腐るのも早い。
・面倒だが、お寺に持っていく。(お寺も困るかもしれんが・・w)
※昔なら、風呂焚きとか飯炊きとかで各家庭でも燃せたんだけどね・・・。
今は、ちょっと町中だとお寺でも燃せない。(馬鹿高い粉砕機を買うお寺さんも多い)
206 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 22:19:40 ID:xlBGKazU
放蕩息子の譬喩をググッテみました。
『人間はもともと仏国土から出て、人間となり、いずれまた仏国土に帰る』と
いうのが、その論旨のようです。これをそのまま
>>191 レスの、人間は【もともと】
『実相の世界(天界)に住む仏の子である。』 にスライドさせてみると、法華経の
方では、人間はもともと仏国土に住んでいたから、いずれまた仏国土に帰るという
のも、道理として理解できるのですが、後者では、人間はもともと仏国土ではなく、
最初から迷いの世界である天界にいたことになってしまい、それでは仏の子になった
り、仏国土に帰るという可能性がなくなってしまわないかと、そこのところを論理的な
道理としてお聞きしているのです。【もともと】を実相の世界(天界)にではなく、仏の
子に懸けて読んでみても、現に人間が住んでいるのは人間界であり、天界ではあり
ませんから、やはり文章としては理解し難いのです。
くだらない質問とお考えでしたら、スルーしてもかまいません。
207 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/15(水) 22:45:16 ID:BI2ERhhB
208 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 22:47:17 ID:qd6a7r/G
>>206 実相論なんてくだらないことは忘れたほうがいい。
仏教は、涅槃寂静を説きます。
煩悩がなくなった涅槃の境地こそが平安であり、
仏の子だとか実相だとか屁理屈こねても、
煩悩があるかぎり苦悩が消えないのです。
209 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 23:11:31 ID:xlBGKazU
実相が涅槃寂静に取って代わっても、依然として人間は煩悩具足に変わりないでしょう。 であるなら、涅槃寂静も実相同様、実にくだらないということになります。 失礼致しました。(^^)/~~~
210 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 23:26:29 ID:qd6a7r/G
>>209 人生の苦しみは自分の煩悩のせいであるとしっかりみつめるだけでも、
少しはマシだと思います。
211 :
神も仏も名無しさん :2007/08/15(水) 23:47:32 ID:xlBGKazU
苦の原因を煩悩に起因するのは、仏教一般の教えです。 苦の原因を煩悩に非ずと説く仏の教えを探すのは、とても難しいと思います。
>>211 その場合の「煩悩」は、
必ずしも悪い要素のみを指すものではないことも忘れないでね。
たとえば呼吸欲を例に挙げよう。 人間の呼吸欲は煩悩ではない。 しかし、隣に座った人が喫煙し始めると、苦しいと感じる。 そこから呼吸欲が煩悩に変わる。 この煩悩を絶つ方法はいくつかある。 呼吸を止める、席を立つ、喫煙者に注意して止めてもらう、 我慢する、防塵マスクを着用する、気にしない等々。 で、仏教的にはどうするのが最善か? というか、その答えを自分で探すことが仏道ということではないのかな。 なんて、えらそうなこと書いて、ごめんしてね。
214 :
ライブドワ :2007/08/16(木) 00:54:58 ID:h2WYbOlH
108の煩悩があると聞きます なぜ108なのか 108という数字は他の宗教でもよく耳にしますね 本物の数珠は108で出来ています それは ただそのへんの石を加工した現在の数珠とは全く違います それは 高い意識を持った僧侶が神仏の力を実際にこの世に具現化させた 石を 108個使った物です。 それは ある種の宝物であり 一般には公開されていません それは国宝以上に貴重なものだからです だとすれば今使われてる数珠のなんと滑稽なことか・・ と思うかもしれませんが 真の108の数珠の影響が いかに大きかったかを物語るエピソードでもあります
215 :
神も仏も名無しさん :2007/08/16(木) 01:38:46 ID:A4Cn+3LT
煩悩を隠し目をソラシ、身辺の安全を謀ろうとしたところで 他宗教とは違うものを飲みこみ、別の条件付け(心理的暴力の根)をのさばらし同じ穴のガチで寿司 それは、排他的な貴族クラブと変わらないし、ある意味もっと固く閉ざされてるかもしれない。 だけど大抵の人々が最も熱望しているのは、いわゆる権威や貴族になることと変わらない。 そこにカコつけるように、別の条件付けやいい加減な独自性の強調によるにしろ(洞察不備が為の) 本当の愛情なしでガキを育てれば、一生涯愛情や美を感じる能力は、その安易さに台無しにされるので 知的でも情緒の未発達なモンスターを作りだしたりする。 なので、釈迦はどんな思考を基にした能力や感情を超えた展望や洞察のようなもの を提唱し生きたけど 引き継がれたものは、そのような肝心な気つきを欠き、とても賢く、思考や結論でいっぱいの頭脳をもち そのため、生や関係について観察のほとんどない特異な子や無知な専門家として なにやらを達成し産出するというジリジリとした強制力に向かわされたりと 偽り深く 愛深い上質の生の意味するところの展望すら築けないでいること を認識し方向付けることは普遍的な必要だといえますね。
216 :
素人 :2007/08/16(木) 01:57:25 ID:2Ips/tEE
いいかげん気付けよ。 ここは質問箱。 掘り下げる場所じゃない。忘れるな。
217 :
ライブドワ :2007/08/16(木) 02:18:56 ID:h2WYbOlH
残念ながら全ての魂は平等ではない 生まれもって力を持っている魂もあればそうでない魂もある それらは運命付けられても言える 仏教の真の役割とは 力の無い魂にいかに力を与えるのか? そこに注力することなのではないでしょうか?
218 :
神も仏も名無しさん :2007/08/16(木) 02:38:34 ID:gM0yxrkz
呼吸と煩悩とは実に深遠な因果関係にあります。 喩えば、烈火の如く怒った状態では呼吸は荒く浅く、逆に深い サマーディに於いて煩悩から離れた状態では、ほとんど仮死状態 に等しい無呼吸。 煩悩と切っても切り離せないから、呼吸欲と最後に欲という接尾辞 がつくのじゃまいか。煩悩とは不浄品のことであり、それと真逆に 位置する概念には、浄品というテクニカルタームが用意されています。 実際に座って瞑想の真似事をしてみればわかるが、呼吸が苦しくなる 恐怖という煩悩を如何に超克していくか、必ず乗り越えなければなら ない難関に突き当たると思います。呼吸と煩悩、この恐怖に打ち勝つ 者のみが本当の涅槃寂静を体現できるのでしょう。
219 :
神も仏も名無しさん :2007/08/16(木) 06:33:00 ID:NGeaRmLe
>>…………………………………………………………………………… 206 :神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 22:19:40 ID:xlBGKazU 法華経の方では、人間はもともと仏国土に住んでいたから、いずれまた仏国土に帰るというのも、道理として理解できるのですが、後者では、人間はもともと仏国土ではなく、 最初から迷いの世界である天界にいたことになってしまい、それでは仏の子になったり、仏国土に帰るという可能性がなくなってしまわないかと、そこのところを論理的な道理としてお聞きしているのです。 【もともと】を実相の世界(天界)にではなく、仏の子に懸けて読んでみても、現に人間が住んでいるのは人間界であり、天界ではありませんから、やはり文章としては理解し難いのです。>>…………………………………………………………………………… 法華経では実相の世界について説かれています。 実相の世界以外(人間界を含む)は幻であるというのが、仏教の教えなのです。実相の世界だけが幻ではない世界であると説くのです。 そこで、人間界という幻を見るには幻を見る本体が実相の世界になければなりません。それで人間は仏の子であると説くのです。 だから、人間は実相の世界にいながら、人間界の幻を見ているのです。
今日は送り火ですね。 日本全国で送り火の行事などがありますが、 地元以外の送り火を見に行っても、先祖様をお送りすることにはならないですよね? ご先祖様と行っても、我が家は全て親戚に供養を任せてしまってるので家族の一人だけなんですが。 自分の旅行についてきてくれて、旅先の送り火で帰れたらいいのになぁ。
魚釣りをしたら霊格下がりますか?
222 :
神も仏も名無しさん :2007/08/16(木) 23:07:07 ID:9AjMEHjO
>>216 どうせQ&Aなら同じこと。その種の発展系な掘られ方が悔しいのか >>知的でも情緒の未発達なモンスターを作りだしたりする。 情緒過剰で知的未発達なら精神的調和を欠いた人物とでも言うだろうか。 まあ、確かに目覚める過程は苦だという。 一般的に苦は歓迎されないで多様な逃避を希求し のらりくらりと内面もだんだん朽ちて行き、問題が増幅するってやつにちがいない系質問箱だな。
>>219 >法華経では実相の世界について説かれています。
>実相の世界以外(人間界を含む)は幻であるというのが、仏教の教えなのです。実相の世界だけが幻ではない世界であると説くのです。
>そこで、人間界という幻を見るには幻を見る本体が実相の世界になければなりません。それで人間は仏の子であると説くのです。
>だから、人間は実相の世界にいながら、人間界の幻を見ているのです。
所取の境として捉えられる人間界が幻であるなら、それを捉える能取としての識、即ち実相(本体)も
幻でないと矛盾します。レスの文面では、何か、実相という本体が絶対的にしかも存在論的に最初か
らあるような印象を受けますが、そういう絶対本体のような先取的存在論は説かないのが仏教です。
能取としての実相本体と、それによって捉えられる所取の境、即ち人間界は、相依相待の縁起関係
にあるのであり、どちらか一方だけが実であり、残る片方は幻であるというような論理は、縁起の法に反
することになってしまいます。「葦束の相依って立つが如し」で、一方を取れば、片方は倒れます。見られ
る人間界が幻なら、それを見る実相?の世界にいる人間も幻と。さように私は考えております。もちろん、
どちらも幻であるとするだけでは、それはニヒリズムです。実相というのは、この否定から新たなる肯定
への展開でしょうね。唯識の三性は、この展開を見事に開示してくれてると思います。
どなた様からの指摘にありましたように、ここは質問スレであり、あまりねちねちと論理を捏ね繰り回す
のは嫌われそうですから、この辺で失礼させていただきます。有意義なお盆休みを、どうもありがとうございました。
224 :
神も仏も名無しさん :2007/08/17(金) 01:06:21 ID:Rxx7gATg
言い開きも嫌味なので あまり人から好かれる かたではないでしょうに 嫌われたくないので途中でやめたのでしょうか? もったいないことですね。 ほんとうにどうもありがとうございますたw
225 :
神も仏も名無しさん :2007/08/17(金) 06:40:21 ID:p/jj3ove
>>……………………………………………………………………………
>>223 どちらか一方だけが実であり、残る片方は幻であるというような論理は、縁起の法に反
することになってしまいます。「葦束の相依って立つが如し」で、一方を取れば、片方は倒れます。見られ
る人間界が幻なら、それを見る実相?の世界にいる人間も幻と。さように私は考えております。もちろん、
どちらも幻であるとするだけでは、それはニヒリズムです。実相というのは、この否定から新たなる肯定
への展開でしょうね。唯識の三性は、この展開を見事に開示してくれてると思います。
>>……………………………………………………………………………
『今までの教えは幻の教え(方便)であったが、この法華経は実相を説くから真実の教えであり、すべての教えはここから発している』というのが、法華経の概要です。
これを解りやすく説くには夢を考えてみて下さい。
夢の世界にいるときは真実の世界だと思っています。
しかし、夢が終わると真実の私が目を覚まします。
法華経はこのことを説いているのです。
真実の自分すなわち、実相の我がいない限り、幻(夢)を見ることはできないのです。
**************************************
(巻の第八十二 初分諸天子品二十三之二)
『天子、當に知るべし、我れ今幻の如き化の如き夢の如き有情の為に幻の如き化の如き夢の如き法を説かんと欲す。』(国訳一切経 大東出版)
**************************************
これは、大般若経の一節ですが、ここにこの世は幻であると説かれています。
226 :
神も仏も名無しさん :2007/08/17(金) 08:01:59 ID:yrJATBL6
>>225 いいかげん目を覚ませ。
法華経は偽経だ。真実どころか嘘だ。
227 :
神も仏も名無しさん :2007/08/17(金) 21:56:13 ID:Dn9hHH7K
>>225 法華経に於ける真実の教えとは、どのような教えでしょうか?
228 :
神も仏も名無しさん :2007/08/17(金) 23:41:18 ID:puPRhXOY
インドに出現された釈尊は大集経において 「自分の滅後2000年以降は、経典は残っても、 功徳は無くなる(白法隠没)。」 と仰せです。 したがって、いくら法華経であっても、今の時代には 功徳はありません。
229 :
暇人 :2007/08/17(金) 23:51:57 ID:hS8cf4XR
>>228 白法隠没に続いて 「微有善法」(微かに善法あり)とあるのを知らんのか。
仏教は衰退している。
しかし私が出会った仏教は輝いている。
と仏教者ならば読む箇所だね
230 :
神も仏も名無しさん :2007/08/18(土) 01:33:08 ID:2lKcO+j9
昔、手塚治虫のまんがでブッダを読みました あんな感じで初心者や子供にも易しいオススメ本てありますか また、聖書やコーラン的な書物って仏教にも存在するんですか 急に知りたい欲が湧いてしまった初心者のクレクレくんですが お願いします
232 :
神も仏も名無しさん :2007/08/18(土) 07:11:24 ID:dlbKdSQm
>>……………………………………………………………………………
227 :神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 21:56:13 ID:Dn9hHH7K
>>225 法華経に於ける真実の教えとは、どのような教えでしょうか?
>>……………………………………………………………………………
今は人間の世界にいて、苦しんでいるが、人間は最初から仏の子であり、苦しいことがあっても、人間は依然、仏の世界に住んでいること。それを自覚しなさい。そして、遠い未来であるが、あなたも仏になる。
だから、苦しいことがあったら『観音経』を読んで観世音菩薩を呼び出しなさい。観世音菩薩はあなたを依怙贔屓(えこひいき)され、あなたを護ってくれる。
こんなとこかな?
>>229 >白法隠没に続いて 「微有善法」(微かに善法あり)とあるのを知らんのか。
さすが暇人さん。
末法の時代にあって、何故に法が伝えられているか?
法然さんが主題とした問題ですね。
>>233 ありがとう
仏教の本て、もの語りとしてもおもしろいと思うんだ
逸話のシリーズ絵本とかあったら絶対いいのに
れ?
↑↑ここすごい良さそうなのいっぱいある!! ありがとー
239 :
神も仏も名無しさん :2007/08/21(火) 13:10:14 ID:FOqZqJDm
>>234 法があってこそ宗教、経典が生まれる。
よって、宗教や経典が無くなっても、法は存在する。
存在はは法に依存し、法は存在の中から見出されるものである。
240 :
神も仏も名無しさん :2007/08/21(火) 14:09:00 ID:gx9+Qb7X
>>239 そりゃそうなんだけど、人類が仏法を発見したのは超ラッキーなわけで、
せっかくブッダが発見した法を人類が忘れてしまったら、
またラッキーを待つしかなくなる。
242 :
神も仏も名無しさん :2007/08/22(水) 07:25:14 ID:9QPGxHeU
>>……………………………………………………………………………
239 :神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 13:10:14 ID:FOqZqJDm
>>234 法があってこそ宗教、経典が生まれる。
よって、宗教や経典が無くなっても、法は存在する。
存在はは法に依存し、法は存在の中から見出されるものである。
>>……………………………………………………………………………
人類は法(真理)のあることさえを知らない。
だから、当然、存在の中から法を見出すことはできない。
したがって、経典を学んで法を見出すのである。
243 :
239 :2007/08/22(水) 09:46:34 ID:hG4by0rR
>>242 宗教も経典もただの指標にすぎず、真理そのものではない。
確かにそれらがないと、我々平凡な衆生では真理の存在を気付かない鴨。
でも、「入文字障」に気を付けましょうね^^
>>240 仏教は「偶然」を説かず、「必然」を説く。
釈尊は衆生を救わんとし、悟りを開き、仏法を説いた。
これは偶然ではなく、累世の彼の念願であり、必然です。
244 :
神も仏も名無しさん :2007/08/22(水) 12:32:49 ID:Zbz+xT1d
>>243 真理とは何か。
たとえば諸行無常は真理。
誰が聞いても、「言われてみればそのとおり」と納得する。
しかし、人生の苦悩を消すためには諸行無常を知ることが役立つということまでは、
なかなか普通の人では気付かない。
せっかくブッダがそこに気付いてくれたのに、
人類がそれを忘れてしまったら、
また誰かが気付くまで待たなくてはいけない。
245 :
神も仏も名無しさん :2007/08/22(水) 13:05:44 ID:1RdoZh4c
>>244 >>243 真理とは何か。
>>たとえば諸行無常は真理。
>>誰が聞いても、「言われてみればそのとおり」と納得する。
>>しかし、人生の苦悩を消すためには諸行無常を知ることが役立つということまでは、
>>なかなか普通の人では気付かない。
>>せっかくブッダがそこに気付いてくれたのに、
>>人類がそれを忘れてしまったら、
>>また誰かが気付くまで待たなくてはいけない。
諸行無常の真理の説明も経典に書いてある。
人が読まないだけだ。また読んでも信じない人もいる。
諸行無常とは老死のある世界のことをいう。
人間はわずか80歳ぐらいで死ぬが、死後の世界に何百万年という寿命が待っているのだよ。『この地球で生きていることが楽しい。』『人間の死後はない。』と思っている者が死ぬと、その考えによって、また80歳の寿命のこの地上世界に生まれてしまうのだよ。
だから、『この世界に執着するな。』というのが仏の教えさ。
何百万年を80で割って、何万回も『死にたくなーい。』と叫びながら死を味わうより、何百万年の寿命の死のない諸行常恒の世界に生まれよ。その何百万年の寿命の世界を極楽浄土という。というのが釈迦の教えだよ。
>>245 「極楽浄土」は、パーリ・サンスクリット・チベット語ではどんな言葉になりますか?
その初出はいつ頃のどの経典になりますか?
漢訳(大正蔵経)の中にありますか?あるとしたら、対応するSkt・Tib文献はありますか?
247 :
神も仏も名無しさん :2007/08/22(水) 19:54:42 ID:Zbz+xT1d
極楽の原語はサンスクリットで「スッカーヴァティー」(幸あるところ)。
そうですっかー
>>245 諸行無常とは老死のある世界のことをいう
偏ったご意見を撒餌さにしないで^^
諸行無常は「不了義」。即ち「相対的真理」。
常恒の概念があってこそ無常の概念が生まれて来るわけ。
時間の概念も然り。時間も相対的なものである。
ま、我等の貧弱なオツムで悟ったと言っても大して解ってないと思われw
勿論解脱なんか出来る筈もありゃーせんぞw
「諸念頭の出所」を悟って、死ぬ気で修行しないと無理だろう。
250 :
神も仏も名無しさん :2007/08/23(木) 18:34:21 ID:PoI45nIp
記憶では真言宗だったと思うのですが…。 大事な行事の時に歌う曲の、曲名がわかりません。 当時小学生だったため、勝手に替え歌を作って、 そのメロディーと歌詞だけは覚えているのですが…。 (替え歌)サンマー サラダー サンシャーイーン (メイン)ソソソー ソソソー ソソラーーソーー (替え歌)サンマー サラダー サンシャーイーン (メイン)ソソソー ソソソー ソソラーーシーー (ハモリ)シシシー シシシー シシドーーレーー 心当たりのある方、いらっしゃいますか・・? この歌を歌う時には必ず、 ザルを持って紙ふぶきを散らしていた女の子がいた記憶があります。
251 :
神も仏も名無しさん :2007/08/23(木) 20:35:23 ID:KBdsF30v
ブッダーン サラナーン ガッチャーミー ?
252 :
神も仏も名無しさん :2007/08/23(木) 20:43:13 ID:KBdsF30v
仏に帰依します。(ブッダン サラナン ガッチャーミ) 法に帰依します。(ダンマン サラナン ガッチャーミー) 僧に帰依します。(サンガン サラナン ガッチャーミ)
253 :
神も仏も名無しさん :2007/08/23(木) 21:35:28 ID:KDeec+zP
254 :
250 :2007/08/23(木) 22:33:22 ID:PoI45nIp
255 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 05:03:37 ID:xkCdUraC
>>247 オウムのホーリーネームの「スッ・カー」ってそこから取ったのかな?
確か女の信者
256 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 05:54:01 ID:WN0b+7yh
自殺すると涅槃に入れないのですか? 涅槃に入るためには釈迦のように最後まで生き抜かなくてはならないと?
257 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 05:57:00 ID:WN0b+7yh
苦しくて自殺も考えているのですが、お釈迦様のように最後まで生きようと思います。涅槃に入った時がニルバーナ状態だと思いますが、それはやはり、最後まで生き抜け!というメッセージではないかと。真の悟りは死を迎える時にある。いかがでしょうか?
258 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 06:28:23 ID:beVSFLGX
今のところ死を迎えたことがないのでわかりません。
259 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 08:01:52 ID:2BCTRRPG
>>256 悟りを得て煩悩がなくなることが涅槃です。
悟っていない人が自殺しても、無駄死にです。
死にたい人のほとんどは、
この世の何かに対して「嫌だ」という気持ちがあるでしょう。
それは、怒りの煩悩の一種なのです。
260 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 12:39:07 ID:2BCTRRPG
お釈迦様の弟子の中に、自殺した人がいました。 お釈迦様も黙認されました。 禅定を長続きさせられない人で、 禅定に入っているうちに自殺してしまおうと決意したわけです。 で、死ぬ瞬間に悟りを得て(煩悩がすべて消えて、)涅槃に入った。 これは特殊なケースらしいです。 悟りを得た後の人なら、煩悩がないから、もう自殺願望もないので。
261 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/24(金) 12:53:12 ID:AMGLYook
>>257 生存中に涅槃に入るのを有余涅槃といいます。
また、死んでから涅槃に入るのを無余涅槃といいます。
で、有余涅槃というのは、悟りを開いてもなお肉体的欲求は残存する訳です。
これを親鸞などは、完全には悟りきれない煩悩の残存の自覚をもって、
成仏とは言わないで「仏に成り得る身を得た」などと、涅槃の違いを明らかにしています。
この肉体的欲求について、禅宗で有名なのが婆子焼庵の公案です。
これは修行僧が女の誘惑に遭遇してしまうのですが、
涅槃について考えるには、いいお題です。
こういったことをトータルにしまして、
つまり涅槃とは「死にきって生き抜く」とか言いますね。
禅宗ではこれを「円相の位相」とかいいまして、大死ともいいます。
262 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 14:31:03 ID:WN0b+7yh
>>261 無余涅槃に入るためには自殺せず、最後まで生き抜かなければならないのでしょうか? 有余、無余、両方あわせて、生死を通じた涅槃である。と思うのですが、いかがでしょうか?
263 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 18:33:17 ID:V3yJkVNX
仏教では決定論についてはどのような立場ですか?因果律というのは分かりますが、原因の原因と考えていくと決定論にならざるを得ないと思うのですが。
>>263 決定論とは、原因の中に予め定まった結果が含まれている→因中有果説(サーンキャ派)のような見解だと思いますが、
縁起の法を説く仏教によって論破されています。
また、原因と結果が別々という因中無果説(ヴァイシェーシカ派)も、因と果の間に断絶が生じますから、これまた縁起の
法を説く仏教の立場からは論破されます。
265 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/24(金) 19:34:19 ID:AMGLYook
>>262 私は禅宗ですから、禅について書込みさせて頂きます。
修行の過程におきまして、ある境地になるのが「大いなる死」とか「大死」とかいう段階です。
この段階になりますと、それまでの修行の積み重ねが全て無に帰します。
つまり、修行というのは捨てるために修行するようなもんです。
これで自らが死にきる訳です。
死にきる。というのは、つまり、二度と死ぬことはない。ということです。
死ぬことはないから。これが不死です。
不死ですから、つまりは生死そのものを超克します。
よって、
>自殺せず、最後まで生き抜かなければならないのでしょうか?
というような、生死の迷いから解脱します。→死ぬこともなければ、生きることもない。
(これが輪廻転生の解脱の意味になります)→輪廻の迷いがあれば、の話ですが。
266 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 21:26:38 ID:2BCTRRPG
>>261 性欲は、肉体的な欲求でかたづけるのではなく、心の問題らしいです。
性的なことに意識がいくから性欲がわくのであり、
違うことを考えているときは性欲は沸きませんから。
肉体に命令している心を制御するのも仏教の智慧でしょう。
碧眼録 第八十七則 雲門、藥病相治す 垂示に云く、明眼の漢に臼沒し。 有る時は孤峰頂上にて草漫漫、有る時は鬧市裏頭にて赤灑灑。 忽若忿怒れる那とならば、三頭六臂を現し、忽若日面月面とならば、普攝き慈光を放ち、一塵に一切身を現し、隨類の人と爲って、泥に和し水に合す。 忽若向上の竅を撥著かば、佛眼も也たること著ず。 設使千聖出頭し來たるも、也た須らく倒退三千里すべし。 還た同得同證の者有りや。 試みに擧し看ん。 擧す。 雲門、衆に示して云く、藥病相治す。 盡大地是れ藥。 那箇か是れ自己。 盡大地是藥、 古今何太錯。 閉門不造車、 通途自寥廓。 錯錯。 鼻孔遼天亦穿却。 盡大地是れ藥、 古今何ぞ太だ錯れる。 門を閉じて車を造らず、 通途自ずから寥廓たり。 錯、錯。 鼻孔遼天たるも亦た穿却たれたり。
268 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 22:58:36 ID:WN0b+7yh
>>265 しかし、修行を積んだ禅宗の人でも最後は死んでしまう。不死になってない訳ですが。。。
269 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 23:04:07 ID:WN0b+7yh
>>266 親鸞系のコラムで見ましたが、ダライラマ法王ですら、女性の裸が頭によぎる瞬間があるそうです。人間の正常な生理機能ですから、タブー視する方が間違いでしょう。
270 :
神も仏も名無しさん :2007/08/24(金) 23:22:08 ID:2BCTRRPG
>>269 頭によぎっても、すみやかにその妄想に気付いて、
すみやかにシャットダウンすればいい。
妄想の流れにのみこまれずに。
つまり、心に操られるのではなく、心を操る。
肉体に操られるのではなく、肉体を操る。
271 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 00:43:23 ID:wZZHsZ7b
親鸞は生涯、妻以外の女性とは交わらなかったの?
>>271 > 親鸞は生涯、妻以外の女性とは交わらなかったの?
知んらん
>>270 >
>>269 頭によぎっても、すみやかにその妄想に気付いて、 すみやかにシャットダウンすればいい。 妄想の流れにのみこまれずに。
> つまり、心に操られるのではなく、心を操る。 肉体に操られるのではなく、肉体を操る。
(笑)そう、脳内変換だけで生きてない、生物・・・
おんなとやりまくれ。すぐ、苦でなくなるから。
>>268 >
>>265 しかし、修行を積んだ禅宗の人でも最後は死んでしまう。不死になってない訳ですが。。。
不生不死、ですが・・・
277 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 02:24:34 ID:wZZHsZ7b
>>275 釈迦は王子の時、やりまくってたでしょうからなぁ。。。女の味についてよく知ってるんでしょう。
278 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 02:27:00 ID:wZZHsZ7b
>>276 不生不死って。。既に生まれてるじゃん!! もうね、仏教って何がいいたいのか分からない。ダライラマですら、やりたいんだから。
279 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 02:36:32 ID:wZZHsZ7b
だったら、あんたのいた禅宗で一番、偉い人は誰よ? そして、その人は悟ってて、解脱してるのか? テーラワーダ協会と同じ答えはうんざりだよ。結局、仏教なんて何の役にも立たない。(ノ_<。)
280 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 04:01:51 ID:wZZHsZ7b
お釈迦様が弟子の自殺を黙認したということは、苦しい境遇にあって、立ち直り不可能な人は自殺して構わないということ? お釈迦様は安楽死・容認主義者なんですね。さすが賢者。
281 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 04:20:18 ID:0gviuZ2n
御先祖さんがいてくれて、今の私が有るのはわかるけれど 個々との仏縁って何?又どうやって知るの? 私は、神仏に見放されてるから全く解らない。
282 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 07:10:52 ID:1JHEt08d
>>…………………………………………………………………………… 280 :神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 04:01:51 ID:wZZHsZ7b お釈迦様が弟子の自殺を黙認したということは、苦しい境遇にあって、立ち直り不可能な人は自殺して構わないということ? お釈迦様は安楽死・容認主義者なんですね。さすが賢者。 >>…………………………………………………………………………… 今までのレス見ているとほとんど仏陀の言っていないことを言ってるね。 確かに仏陀は弟子の自殺を容認したが、その前にその弟子が一切の執着を滅しているかを聞いているのだよ。弟子が執着なし。 と言ったので容認したわけです。少しでも執着があればこの人間界に輪廻してしまうからです。
283 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 07:23:57 ID:wZZHsZ7b
だから、現在、どこにいるんだよ、解脱した人! 。。。(〃_ _)σ‖ 2500年前の話を挙げるばかりじゃ、現実味がないじゃん!
284 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 07:30:18 ID:SuMMllQz
>>280 煩悩によって自殺するのでなければ黙認されるのでは?
つまり、怒りや貪りや迷いのために死ぬのではなく、
合理的な理由があって、慈悲の心によって場合で、
自分が死ぬことで誰にも迷惑かけない場合。
ですから、家族がいる在家ではなかなか難しいでしょうね。
末期癌とかで仕方ないと、周りの人も納得できなければ、
周りの人を悲しませ苦しめることになる。
どうせ治らない病気で苦痛をやわらげる方法もない場合、
延命措置をやめても、家族も仕方ないと納得できる。
285 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 07:31:43 ID:wZZHsZ7b
もう、少し、具体的なトレーニング方法をあげてくれないとなぁ〜。仏陀になれる方法。
286 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 07:36:07 ID:SuMMllQz
>>285 戒を守り、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想をやる。
287 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 07:41:47 ID:wZZHsZ7b
サマタ瞑想って何?
288 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 07:46:11 ID:wZZHsZ7b
風俗は駄目? ('◇')ゞ
289 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 08:58:21 ID:SuMMllQz
>>287 サマタ(シャマタ)=止=定の修行
ヴィパッサナー(ビバシャナ)=観=慧の修行
290 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 09:47:54 ID:O3yZ2zYz
>>…………………………………………………………………………… 283 :神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 07:23:57 ID:wZZHsZ7b だから、現在、どこにいるんだよ、解脱した人! 。。。(〃_ _)σ‖ 2500年前の話を挙げるばかりじゃ、現実味がないじゃん! >>…………………………………………………………………………… 梵天界以上の世界にいます。
291 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 09:51:11 ID:O3yZ2zYz
>>……………………………………………………………………………
286 :神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 07:36:07 ID:SuMMllQz
>>285 戒を守り、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想をやる。
>>……………………………………………………………………………
それだけではダメでしょう。
経典を理解しなければ『貪・瞋・癡』の癡(無知)が残り『智』が得られない。
292 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 10:29:45 ID:SuMMllQz
>>291 智は、ヴィパッサナーの実践で得られますが、
経や論は実践の参考書として大いに役立ちますね。
293 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/25(土) 11:13:42 ID:qsiB3dxi
>>268 >最後は死んでしまう。不死になってない訳ですが。。。
いやいや、死ぬ前に死んでいるんですよ。
一休などは確かに死んでましたね。
何でそれが解ったのかというと、それは一休の遺偈です。
死にきれてないと、ああいう遺偈というのは残せないもんです。
<死にとうない・by一休宗純>
悟りを得ても、最後まで残るもの。それは肉体の穢れ。 肉体は死ぬということを意味もなく恐れる。 それを除くことがとても難しい。 でも俺はもうその恐れすらない。 ではなぜ死なないのかというと、家族への哀れみ。仲間への哀れみ。 そして人類への哀れみ。それゆえに生きている。 でも人生を楽しんじゃうもんね。人を導きながら。
295 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/25(土) 14:36:41 ID:qsiB3dxi
>>279 >だったら、あんたのいた禅宗で一番、偉い人は誰よ?
やはり一番偉いのは開祖の達磨菩提だろうね。
あと、五祖の弘忍という僧も偉いかとおもう。
あと忘れてはならないのが神会だね。
こういう僧の支えがあってこそ、後に中興の祖として称えられる慧能という存在がある。
今、政界を揺るがしている小池大臣にしたって、この人物を生かせるか殺すか、
それは周囲の判断で随分違う。
私は個人的には小池は正論を逝っているかと思うけどね。
しかしながらそれを生かすか殺すかは本人にはできない。
中国禅の夜明けは、こういった暗澹たる状況において迎えた。
この歴史の教訓を今に生かせねば。
中国は、文化大革命で貴重な人物を多く失った。
この結果が現在の中国なのである。
今日本は、良いことも悪いことも中国5000年の歴史に学ぶ時である。
296 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 16:50:32 ID:aIiPK0/k
娑婆の縁が尽きるまでは、この娑婆世界に生きるのが仏道です。 それまでは、自ら死ぬことは考えなくてもよい。 遅かれ早かれ、それは誰にでも平等に訪れるもの。 たとえ強い意志の力で、作為的に命を絶とうとしても、細胞の一つ一つは、寿命 有る限り生きようとするだろう。傷ついた皮膚や内臓が自然と再生する力を、自殺願望者 が制御することは不可能だと思う。 寿命尽きるまで、人間は生きなくてはならないのです。
297 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 16:51:54 ID:7J38GFrt
>>292 >>291 智は、ヴィパッサナーの実践で得られますが、
>>経や論は実践の参考書として大いに役立ちますね。
残念ながら智は、ヴィパッサナーの実践では得られません。
智は法則を会得することで、数学では四則演算などの法則に当たります。
したがって、禅定で法則が理解できることはないのです。
298 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 16:55:31 ID:7J38GFrt
>>やはり一番偉いのは開祖の達磨菩提だろうね。 仏にことわりもなく勝手に達磨を菩薩にしてもいいのかね?
299 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/25(土) 17:03:42 ID:qsiB3dxi
>>298 菩薩というのは、人の心にあるんですよ。
今日、貴殿の家に物乞いに来たホームレスは、もしかしたら菩薩かもしれん。
私は何度も菩薩には遭遇してます。
しかしながら、
それは凡人には気づかない場合が多い。
300 :
(^ω^) :2007/08/25(土) 17:57:49 ID:4zzfZYvo
(^ω^)300だを〜ん♪
301 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 18:11:06 ID:iH4MoD5w
>>……………………………………………………………………………
299 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/25(土) 17:03:42 ID:qsiB3dxi
>>298 菩薩というのは、人の心にあるんですよ。
今日、貴殿の家に物乞いに来たホームレスは、もしかしたら菩薩かもしれん。
私は何度も菩薩には遭遇してます。
しかしながら、
それは凡人には気づかない場合が多い。
>>……………………………………………………………………………
そうかなあ。
菩薩は阿含経の修行を終えた者で、仏と同じ悟りを得るために『慈悲』の修行をしており、修行のために天界からこの世に生まれた者である。
また、この人間世界を輪廻している菩薩もいる。
大般若経にはこのように書いてありますけど。
302 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/25(土) 19:30:36 ID:Uib3jS2w
>>301 >仏と同じ悟りを得るために『慈悲』の修行をしており
慈悲というのは、簡単に言うと相互共有する。という意味ですから、
もしも貴殿が誰かと遭遇して、その遭遇という機縁において
貴殿自身が何らかの教化を受けたなら、
それこそ、その御仁は貴殿の菩薩なんじゃ〜ないですか?
仏と同じ悟りを得るために『慈悲』→→→共有ですから。
これを自他不二の菩薩道といいます。
菩薩道というのは、そこに作為はなくとも衆生が教化されるような仏道。
という意味です。
自然無為(じねんむい)の慈悲のことです。
303 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 20:36:29 ID:iH4MoD5w
>>302 『すでに阿含経の修行を終えた者』を無視してはダメだよ。
菩薩は人々に阿含経を教えて救うのだよ。
お釈迦様も成仏されるまでは菩薩だよ。
304 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 21:54:48 ID:SuMMllQz
>>297 禅定の修行はサマタです。
ヴィパッサナーは、サマタで得た集中力を使って法を観察して、
法則に気が付くことで智慧がひらくのです。
本当に心の底から気が付くためには、
教科書を読むだけでなく自分で実験しなくてはなりません。
それがヴィパッサナーです。
305 :
神も仏も名無しさん :2007/08/25(土) 22:18:47 ID:SuMMllQz
306 :
北欧か :2007/08/26(日) 00:05:16 ID:aUhYh0i8
南無大師遍照金剛さんへ 南無大師遍照金剛さんと神◆jV/GN5QPLMでは、どっちが強いんですか?
307 :
自分が最低のクズの癖してチョン批判に熱中するな! :2007/08/26(日) 00:37:11 ID:QOkQ3fl0
誰かを罵倒していたいけれど自分の事は反省したくない。 自分の事は直視して話題にするのも分析したり考察したりするのも極度に嫌う。 チョン批判の人間の中には蹲って生きているゴミクズ人間が自己逃避や八つ当たりの 気分転換や憂さ晴らしとして悪用しているケースがある。 こういうゴミクズ人間は中世の魔女裁判ではいきり立ってコンプレックスの対象を 批難して魔女や悪魔認定を指摘するだろう。 共産主義、社会主義に走る人間の脳構造も同じ事が言える。 俺の知っているチョン嫌いの糞馬鹿野郎は父親も御爺さんも社会主義者で、本人の家系は B民だ。今、ソイツは地元で無責任さを追及されているが、自己反省は欠片もせずに チョン批判に熱中して逃避している。 こういう人間の主張する日本からの恩義を忘れた朝鮮人は最低という言葉は一体なんだろうか? チョンが嫌われる理由は非人間的なクオリティーだからだ。 そして、チョン嫌いという大義名分で自分自身の非人間さを徹底排除する事もなく 職場や地元で他人から批難される度に反省1つせずに、チョン批判に益々熱心になり、 新しいチョン批判スレやチョン罵倒スレを立ててはそこで自分の王国でも立てた気になる 馬鹿の非国民の似非愛国者がいる。 我々日本人はまずチョンは外敵としてこの国から消滅させる事と 日本人自身の中に潜む最低な民度の低さを持つ下劣国民を排除して叩きのめすべきである。 @最低なゴミクズ日本人を叩きのめす事! A最低な在日チョンとチュンを叩きのめして追放する事! これが護国の愛国心のある正しい国民の行うべき事である。
308 :
神も仏も名無しさん :2007/08/26(日) 05:55:10 ID:senwkfI/
私は世間にはびこる恋愛教から解脱したいと思います。なぜ、メディアは恋愛、恋愛、恋愛、ばかり、いうのでしょうか? 釈迦は恋愛に対して、度を過ぎた情愛は因縁を生むだけといったように思いますが。
309 :
神も仏も名無しさん :2007/08/26(日) 06:16:14 ID:vES1884w
>>……………………………………………………………………………
>>304 :神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 21:54:48 ID:SuMMllQz
教科書を読むだけでなく自分で実験しなくてはなりません。
それがヴィパッサナーです。
>>……………………………………………………………………………
教科書を読んでも意味が解らなければサマタもヴィパッサナーも
ないでしょう。経典を読んで意味を掴むことが最初ですよ。
数学でも四則演算の意味をまず、勉強するのと同じです。
瞑想で四則演算は得られない。
310 :
神も仏も名無しさん :2007/08/26(日) 08:03:53 ID:q85crla+
>>309 実践については、教科書を読むよりも、先生から教わるのが大事でしょう。
僧侶に教わらずに教科書だけ読んでいても、意味がわからないのではないでしょうか。
311 :
神も仏も名無しさん :2007/08/26(日) 10:48:56 ID:9tvuvEtm
>>310 >>309 実践については、教科書を読むよりも、先生から教わるのが大事でしょう。
>>僧侶に教わらずに教科書だけ読んでいても、意味がわからないのではないでしょうか。
それは逆だね。その先生が仏法の意味を知らずに説くから、生徒が仏法を理解できない。
先生のでたらめを信じるより、経典を直接読んだ方がいい。
312 :
神も仏も名無しさん :2007/08/26(日) 16:39:39 ID:q85crla+
>>311 経典を読むだけでは、絶対に無理だと思います。
正しく理解している先生が滅びたら、例え経典が残っていても、
もう仏教は終わりでしょう。
313 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/26(日) 18:18:35 ID:6YDDWxHv
>>303 >『すでに阿含経の修行を終えた者』
とは、どういう者なのですか?
また、
>菩薩は人々に阿含経を教えて救うのだよ。
具体的には、どういうこと教えて救うのですか?
つまり経典というのは抽象的なことしか書いてありませんから、
それを具体的な租借・解釈せねば、
ただ経典の暗記だけで終わりですね。
で、大事なのは、貴殿は何を救いたいのですか?
その救う対象というのを明確にせにゃ〜ならんでしょうね?
これは、つまり自己分析です。
ようは、疑を内に向けんと最後まで抽象論で終わってしまう。
問題を解く鍵というのは「慈悲」です。
314 :
神も仏も名無しさん :2007/08/26(日) 22:05:17 ID:ugGicgPx
魚釣りはしちゃいけないことですか?
315 :
神も仏も名無しさん :2007/08/26(日) 22:40:23 ID:q85crla+
>>314 漁師が仕事でやるなら仕方ないけど、
遊びでやるのはやめたほうがいいのでは?
316 :
南無大師遍照金剛 :2007/08/26(日) 23:56:57 ID:e4q9B+DM
>>314 (°∀°)食うためならOK♪かも
人間は食わないと生きていけない
無駄に他の生物を殺すと無駄な因縁を作り出す
底引き網は? ターゲット以外の生物も根こそぎすくってしまうけど、そうやって採られた魚を買う消費者には、何の因果もない?
自分が生きる為の殺戮は罪ではない が、業は発生するでしょうな
319 :
神も仏も名無しさん :2007/08/27(月) 10:27:15 ID:e+0p0ME9
仕事という根柢にあるのは、生きるための欲。 社会的価値観では、それを向上心とか名づけている。 人間と他の生き物との違いとして、人間の殺生は、単に空腹を満たす ためだけではなく、生き物を殺して利益を得ようするのに対し、他の 生き物は、生きるために必要とする以外は殺さない。
320 :
神も仏も名無しさん :2007/08/27(月) 13:47:32 ID:R5CZaymp
>>…………………………………………………………………………… 313 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/26(日) 18:18:35 ID:6YDDWxHv >『すでに阿含経の修行を終えた者』 とは、どういう者なのですか? また、 >菩薩は人々に阿含経を教えて救うのだよ。 具体的には、どういうこと教えて救うのですか? >>…………………………………………………………………………… 阿含経には十二因縁という法則と三十七菩提という修行法があるのです。 それを勉強し修行したものを阿羅漢といいます。 つまり阿羅漢が慈悲の修行するための教科書が大般若経つまり六波羅蜜の修行法なのです。その修行法は阿含経を教えて、人々を解脱に導くものです。これを菩薩というのです。 >>…………………………………………………………………………… つまり経典というのは抽象的なことしか書いてありませんから、 それを具体的な租借・解釈せねば、ただ経典の暗記だけで終わりですね。 >>…………………………………………………………………………… 経典には抽象的なことは何一つ書いてありません。すべてがリアルな法則あるいはリアルな修行法です。 >>…………………………………………………………………………… で、大事なのは、貴殿は何を救いたいのですか? その救う対象というのを明確にせにゃ〜ならんでしょうね?これは、つまり自己分析です。 ようは、疑を内に向けんと最後まで抽象論で終わってしまう。 >>…………………………………………………………………………… 誰を救いたいと言っているのではありません。菩薩とはどういう人かが、大般若経にあるので説明しているのです。 >>問題を解く鍵というのは「慈悲」です。 慈悲が菩薩の修行です。
321 :
神も仏も名無しさん :2007/08/27(月) 16:47:17 ID:cieGyotj
>>……………………………………………………………………………
312 :神も仏も名無しさん:2007/08/26(日) 16:39:39 ID:q85crla+
>>311 経典を読むだけでは、絶対に無理だと思います。
正しく理解している先生が滅びたら、例え経典が残っていても、
もう仏教は終わりでしょう。
>>……………………………………………………………………………
それは逆だって。
正しく理解している先生は一人もいないので、先生方が滅びて、生徒がじかに経典を読めば、正しい答えが得られるのです。
オカルトを嫌う先生方では経典を理解することは絶対に無理。
322 :
神も仏も名無しさん :2007/08/27(月) 17:22:21 ID:jkVIdlbx
>>321 全く同感する。仏教が無霊魂思想ということにされてから、衰退する一方だ。
323 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/27(月) 18:20:57 ID:ppMwL3AT
>>320 >阿含経には十二因縁という法則
縁起を簡単に説明しただけのことであり、法則という程のことでもない。
>三十七菩提という修行法があるのです。
神通力的な修行法は、マニアックな呪術的な趣味・嗜好の範疇かと思います。
(アゴン宗などは、このような教義のよぉですね)
>大般若経つまり六波羅蜜の修行法なのです。
大般若経は600巻もありますから、そのダイジェスト版である般若心経で充分かと思います。
>経典には抽象的なことは何一つ書いてありません。すべてがリアルな法則あるいはリアルな修行法です。
いや、そんなことを言うのはカルトくらいなもんですよ。
経典は方便です。
>誰を救いたいと言っているのではありません。菩薩とはどういう人かが、大般若経にあるので説明しているのです。
菩薩が人を救うことはないです。
神とは違いますから。
人を救うのは神のみです。
>慈悲が菩薩の修行です。
慈悲なら救うことはないですね。
324 :
神も仏も名無しさん :2007/08/27(月) 18:26:32 ID:OwQLXf1b
■ 仏教が難解な理由 先生が阿含経を読んだ。 『この世は無常である』と書いてあった。 先生は生徒に『この世は無常である』と講義をした。 阿含経には『この世は幻である』と書いてあった。 先生は考えた。こんなことを生徒に講義したら、大学を首になる。 ここのところは黙っていょう。 阿含経には死後の世界には『地獄界がある』と書いてあった。 こんなことを講義したら大学を首になる。 ここのところは人間の心の状態にしておこう。 阿含経には『人間は欲望に縛られて輪廻している』と書かれていた。 ここのところも大学を首になるといけないから黙っていよう。 このようにオカルトな部分を全部否定した。大学を首になりたくないからである。 こういう講義を聴いていた生徒は仏教徒は『仏教は難しい教えだ』と思い込んでしまった。
325 :
神も仏も名無しさん :2007/08/27(月) 18:29:12 ID:OwQLXf1b
>>縁起を簡単に説明しただけのことであり、法則という程のことでもない。 残念ながら十二因縁を正しく説いた解説書はない。 偽の教えを真に受けてはいけない。
326 :
神も仏も名無しさん :2007/08/27(月) 18:38:26 ID:OwQLXf1b
>>縁起を簡単に説明しただけのことであり、法則という程のことでもない。 残念ながら十二因縁を正しく説いた解説書はない。 偽の教えを真に受けてはいけない。直接阿含経を読むべし。 ★ >>神通力的な修行法は、マニアックな呪術的な趣味・嗜好の範疇かと思います。 >>(アゴン宗などは、このような教義のよぉですね) 阿含宗は阿含経を説いてはいない。 三十七菩提は神通力の修行法ではない >>大般若経は600巻もありますから、そのダイジェスト版である般若心経で充分かと思います。 般若心経は六波羅蜜の中の般若波羅蜜であり、あと五つを勉強しなければなりません。般若心経もまともな解釈はありません。学者が大般若経を読まないからです。 結論をいうと『ちまたの仏教解説書を読んでも無駄』ということです。 経典をじかに読まなくては本当の仏教は解りません。
327 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/27(月) 18:38:59 ID:ppMwL3AT
>>325 十二因縁というのは、釈尊滅後の後世において付け加えられたもんです。
最初のころは九因縁でした。
328 :
神も仏も名無しさん :2007/08/28(火) 15:20:22 ID:qHjMZBv7
>>……………………………………………………………………………
304 :神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 21:54:48 ID:SuMMllQz
>>297 禅定の修行はサマタです。
ヴィパッサナーは、サマタで得た集中力を使って法を観察して、
法則に気が付くことで智慧がひらくのです。
本当に心の底から気が付くためには、
教科書を読むだけでなく自分で実験しなくてはなりません。
それがヴィパッサナーです。
>>……………………………………………………………………………
ヴィパッサナーもサマタも阿含経の修行の一部を取りだしたものだよ。
しかも意味を間違えている。
>>323 人を救うのは神のみです
「神」は、人を救えると勘違いしただけです。
自分を救えるのは自分だけです。
仏陀や菩薩はその方法(道)を教えてくれるけど、行うのは自分。
お経読んだだけで、瞑想のしかたがわかりますか?
瞑想のしかたなんてあんの?
>>330 分かる人にはね・・・
まぁでもキニスンナ
333 :
神も仏も名無しさん :2007/08/29(水) 15:31:12 ID:S4Td3zbw
>>330 :神も仏も名無しさん:2007/08/28(火) 20:01:38 ID:xWhGM3Cv
>>お経読んだだけで、瞑想のしかたがわかりますか?
瞑想の仕方はお経から学んだのではないですか?
お経に詳しく書いてありますよ。
サマタ瞑想は、阿含経では『安那般那行』といいます。
サマタ瞑想もヴィパッサナー瞑想も阿含経から取ったものですよ。
しかもヴィパッサナーを間違って解釈している。
だから、阿含経をまず読んで理解しなければ、何をやっても無駄。
『安那般那行』アーナパーナのことですね 経から取ったっていうのはどう考えてもおかしいでしょう 仏教以前にもこれありますよ 瞑想法修行法先にありきですね
335 :
神も仏も名無しさん :2007/08/29(水) 17:11:14 ID:+zAwKyar
>>333 お経なんて読む人によって何とでも解釈できるでしょう。
ですから、ブッダの弟子の弟子の…弟子である僧侶から指導を受けないと間違うのでは?
だいたい、お経自体も弟子達の伝承が文書にされたものだし。
仏教の経典は全部瞑想の指南書 その解読法は一部の人に口伝でしか伝わってない でも仏典をそんなギラギラした目で読むべきじゃないよ どの道、解読できるわけもないしね 普通に読み解けば自然と徳がつく
337 :
神も仏も名無しさん :2007/08/29(水) 17:51:34 ID:fV+I1RCB
色々言うけど。結局は誰も仏典を読んでいないわけだ。
僕実際ゴエンカ流の合宿瞑想会で教えてもらって アーナパーナの修行経験ありです 経典読んでも屁の足しにもなんないですよ
340 :
神も仏も名無しさん :2007/08/30(木) 09:17:23 ID:559SvTjj
面白いねえ。 仏典を読まずに、自分は仏教をやっていると思っているのだね。 仏教は『仏の教』えだよ。 仏の教えは、仏典にしか書いてないのだよ。
342 :
神も仏も名無しさん :2007/08/30(木) 12:05:36 ID:Y5qd2yrR
仏教徒になりたければまず三宝を敬いましょう。 三宝です。 一宝だけで十分でありません。 それと自のみを褒め他を貶めることは止めましょう。
343 :
神も仏も名無しさん :2007/08/30(木) 14:12:58 ID:sDzgqvWa
>>342 その通り。三宝とは『仏・法・僧』のことです。
仏=仏の言葉
法=仏の述べた法則。四聖諦・十二因縁など。
僧=阿難・目ノ連・舎利弗など当時の僧(今の坊主のことではない)
これはすべて経典にあります。つまり経典を勉強しなさいと言うこと。
344 :
ライブドワ :2007/08/30(木) 20:20:19 ID:Uyhcui8h
質問なんですが 仏教って仏だけが全てであって 神は無視しているのでしょうか? 仏教と神は何の関係も無いのでしょうか
345 :
神も仏も名無しさん :2007/08/30(木) 21:51:30 ID:lOEbQVkZ
>>344 神と一言で言っても、色んな宗教の神がいます。
仏教で神がいるとしたら、その神は、やはり生命のひとつであり、
寿命に限りがあり、煩悩が残っている存在です。
煩悩をなくしたのが仏であり、
神でさえも仏を師と仰ぎます。
346 :
ライブドワ :2007/08/30(木) 22:01:02 ID:Uyhcui8h
fmfm なるほど ありがとうございます わたしの学んだ神(あくまで頭の中で) は あらゆる宗教の神は共通した部分があるということです。 たとえばヒンズー教のシヴァ神は 日本古神道の大黒神と 共通の存在と言われています 神が仏を師と仰ぐということは仏とは 神よりも上位の存在なのですね 奥が深いですね
347 :
神も仏も名無しさん :2007/08/30(木) 22:06:38 ID:lOEbQVkZ
>>346 たとえば、怒りの煩悩があるとイライラしてストレスを感じ、
結局自分自身が不愉快になり、自分自身が幸せじゃなくなります。
煩悩は苦悩の原因になりますね。
聖書の神様は、怒るは嫉妬するはで、煩悩が残っています。
あんなに怒りんぼでは、神様も生きる上で辛いことがたくさんあるでしょう。
ですから、自分の作品であるはずの人間にさえ八つ当たりするのです。
煩悩がなく、幸せで平安で楽ちんに生きてるなら、
そんなことはないはずです。
348 :
ライブドワ :2007/08/30(木) 22:32:17 ID:Uyhcui8h
なるほどー そのように考えておられるわけですね 煩悩さえなくなれば良い 確かに 煩悩は全ての苦しみの元のような気はします 煩悩が無くなる 自分の肉体の感覚さえなくなる状態を わたしは何回か経験はしましたが それは それが終わればまた元に戻りますw つまり 肉体がある限り 煩悩はそこにあり続けます それでは意味が無いなーというのが今の実感です そこからさらに先に行きたい。 仏教は神様を見下してるのでしょうか 347さんの書き込みはそんな印象を受けます 返信ありがとうございました
349 :
神も仏も名無しさん :2007/08/30(木) 23:14:12 ID:lOEbQVkZ
>>348 肉体の感覚がなくなる状態とかは、禅定(三昧)でしょう。
禅定は、一時的に煩悩が休止するだけで、
禅定状態から出て五感の影響を受ける普通の状態にもどれば、
煩悩は再起動します。
仏教のめざすのは、智慧を開いて煩悩をなくすことです。
例えるなら、夜の木の影をオバケと間違っているのが煩悩だとして、
別のことに意識を向けてオバケから気をそらして
オバケの恐怖を一時休止させるのが、禅定。
オバケじゃなく木の影だと気付いて
オバケへの恐怖が二度と起きなくなるのが、智慧による悟りです。
350 :
ライブドワ :2007/08/30(木) 23:26:05 ID:Uyhcui8h
すいません 今酔っ払ってるんで もちょっとまともな時にちゃんと読み直してみます すいませんでした
351 :
神も仏も名無しさん :2007/08/31(金) 10:30:02 ID:HQ/Pmr6/
智慧がなければ、深い禅定にも入れない。
352 :
日々是修行 :2007/08/31(金) 10:35:41 ID:MzyiDJ7V
>>348 仏教は神様を見下してるのでしょうか
仏は人間を見下ろしますか?してないよね?
ならば、なんで神を見下ろすなんかしますか?
人間も神も衆生です。
六道を含め、仏は全ての衆生に救いの手を差し伸べている。
仏の胸中には無条件の愛があるだけで、分別(差別)はない。
なにこの釣り堀 仏教では神なんていう概念は想定しない 問題にもしない だからナンセンスな質問だよ>344
354 :
神も仏も名無しさん :2007/08/31(金) 12:28:19 ID:w5y0QcQv
>>351 仏教でいう智慧とは、
無明をはじめとする煩悩を消すために役立つ
悟りの智慧のことです。
仏教以前の、たとえばお釈迦様が最初に弟子入りした仙人達も、
禅定に入ることはできていました。
しかし、煩悩を消す悟りの智慧は得ていなかったのです。
悟りを得て智慧を開くためには、
禅定の修行により集中力を養う必要があります。
しかし、仏教の智慧がなくても、禅定はありえるのでは?
梵天などの仏教の神様は、禅定の世界に生きている生命ですが、
まだ悟り(智慧)を得ていないのです。
仏教の神とは、シャカのことです。 シャカの教えは絶対です。 間違いありません。 その絶対のシャカの教えは、弟子達が仏典に書いてますが、それを全部読むことは不可能です。 だから、過去の偉人達がそのエッセンスをまとめて世に説いたのです。 それが現在の仏教です。 だからこそ、仏教は絶対の教えなのです。 釈迦に逆らう教えは、すべて悪です。 地獄に落ちます。 だからこそ、仏教以外の嘘を信じてはいけません。 というのが、いままでの仏教の姿です。 少なくとも、これに対する反対意見は、現実の仏教を無視してますので、聞く必要はありません。
356 :
神も仏も名無しさん :2007/08/31(金) 21:20:40 ID:HQ/Pmr6/
>>345 業・輪廻・解脱は、インド思想全般に共通する思想です。
357 :
足乃 香 :2007/09/01(土) 03:35:01 ID:w42jAXRS
こんなとこでうだうだ言ってても、悟りなんか開けないわよ。 愛は実践するものよ。
うーん、芳しいw
ひでー釣り堀だなww
>>355 野暮な釣り師か、ただの荒らしにしか見えんw
人の正道を誤った方向へ導くのは大変な罪だぞ!
(だから地獄に僧侶が矢鱈と多いわけかw)
仏教ではいわゆる霊のことを神(ジン)と呼び、仏の下に置いている いわゆる神のことは「仏」と呼んでいる
くまくま 釣りは他所でやれw 次の質問ドゾー ↓
363 :
足乃 香 :2007/09/01(土) 11:16:29 ID:rOGfZOPJ
ハーイそれじゃ質問でーす。「江口」という能を見たんだけど、 西行法師という坊さんと一夜を共にした遊女が、煩悩を煩悩と 自覚すれば悟りを開けると説教した後、菩薩に変身して終わってしまうの。 これって、坊さんより遊女の方が偉く、修行してるより愛に身を任せていた方が、 悟りを開けるってことよね?
>>363 遊女だから成仏しづらい筈、
とか
遊女の方が坊主よりエライ
とか
そういう気持ちが執着を生み、悟りを遠ざけてる
って考えれば宜しいのでは?
365 :
足乃 香 :2007/09/01(土) 11:41:50 ID:rOGfZOPJ
そうよね、他人がどう言おうと、執着せずに人生を楽しんでいればいいってことよね。
他人と自分との間に優劣をつけたがっている内は 人生を楽しむ事は難しい
367 :
足乃 香 :2007/09/01(土) 11:49:19 ID:rOGfZOPJ
でもそれが人間の迷いじゃない。そんな迷いも迷いと自覚してれば、 人生楽しめるってことじゃないかしら。
さて、 >でもそれが人間の迷いじゃない これで現状の自分を容認してしまうと、最早なんでもありになってしまう。 僕はこれでいいんだ!おめでとー!ありがとー!の世界となり、そこには 自助努力はない。 当然仏の悟りなど夢のまた夢。 あと、仏教における「悟りの世界」においては「人生楽しめる」というのは 関係ないです。多分。 「一切皆苦」なので。
369 :
足乃 香 :2007/09/01(土) 12:02:05 ID:rOGfZOPJ
自助努力で悟れるなんてのも、自助努力の方が優れているという妄想じゃないかしら。 一切皆苦なんて妄想も、きっと愛が足りないから起きるんだわ。
一切皆苦を妄想で片付けるならご勝手にw 仏教やる気がないのはよく判ったので他所でどうぞ。 本題は江口じゃなかったの?w
過去スレみてくりゃ良かったw 南無の同類か>足乃 香
372 :
足乃 香 :2007/09/01(土) 12:10:10 ID:rOGfZOPJ
そうよ、本題は江口よ。愛という煩悩も煩悩と自覚すれば、悟りを開けるってことよね。
>>371 そういうレッテル貼りが、執着を生み、悟りを遠ざけてるんじゃないかしら。
373 :
足乃 香 :2007/09/01(土) 12:39:58 ID:rOGfZOPJ
やだわ、あたしが真摯に話してるのに、仏教やる気がないなんて言われて。 傷ついたわ。それが仏教的態度なの? 一切皆苦が妄想じゃなきゃ、なんで人は子供を産むのよ?苦しむのを わかっていて子供を産むなんておかしいじゃない。あんたの親は、 あんたに苦労背負わせるために、あんたを産んだの?違うでしょ?
そうだ。 確かに、その気にさせてセックスした男も悪い。 まして、その最中が気持ちよかったなんて、快楽に身を委ねた代償だ。 10ヶ月先の見通しが甘すぎる。 ・・・・・・・・・・とそういう話になにか意味があるのか?
横槍。 日本ではこの手の本覚思想(ありのままでおk)が幅を利かせています。 何かと問題の多い山口組ですが、「本覚思想批判」までは問題なく読めるかと。 自助努力は当然必要です。自分は既に悟りを身に着けたも同然、だから有りの侭 の自分でおkという姿勢を増上慢と呼びます。法華経では最も忌むべき魔として 取り扱ってますね。
376 :
足乃 香 :2007/09/01(土) 13:19:36 ID:rOGfZOPJ
痛いじゃない、横槍で突くなんて。そんな難しいこと言われても、あたしには わからないわ。
横槍 ∧_∧ハゥッ (Д`; ) ≡ ( ・∀・) ミ ヽ つ ≡ ─( つ─O──[>て ヽ ドスッ! ≡ 人 Y (_ノw (_) ≡ し (_) 彡 簡単な表現なら、引用になるけど 1 五戒を保とうと努力し 2 己の欲望を基にすることなく 3 人に対して笑顔で優しく接し 4 ものごとを冷静に観察してあるがままに先入観無く判断しようと勤め 5 真理を見つめるのに決して他人に頼ることなく、自分の目で見つめ 6 更に見たものを合理的に判断し 7 生きていく上での糧にし、人にも利益を与え 8 精一杯にこの生を生き抜く これだけ守って日々を送ればよろしいのでは?
378 :
神も仏も名無しさん :2007/09/01(土) 13:33:53 ID:niRVFjck
>>373 欲望のままに子供をつくって、
子供ができたから育ててるだけでしょう。
379 :
足乃 香 :2007/09/01(土) 13:34:27 ID:rOGfZOPJ
よくわかったわ。最初からそう優しく接してくれればいいのよ、痛いのやだから。
これだけって、それが出来てる坊主がどこにいるんだ? そいつの名を上げてくれ。 拝みに行くから(^o^)/
>>378 ということは、いやんなったから、捨てたり殺すというのもあり?
>>380 奇遇ですね。私も会ってみたいと思っています。
>>382 うーん、その余裕( ̄□ ̄;)!!
もしや、私が探してる人はまさにあなた様では・・・・・・・・・・・・・
384 :
神も仏も名無しさん :2007/09/01(土) 17:16:45 ID:niRVFjck
>>381 つくってしまったからには責任もつべきでしょう。
育てられないなら産まなければいいわけで、
産んだら育てないといけない。
よく考えて判断した上で行動するのが仏教的。
よく考えるのがめんどくさいからと行きあたりばったりで行動するのは、
怠けの煩悩があるからです。
よーく考えて気をつけて注意深く行動するには、
かなりの集中力と智慧が必要です。
385 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/01(土) 18:27:59 ID:LhbKLOCA
>>373 横槍ですが。
私は、人が子供を欲しがるのは単純なことかと思いますね。
ただ「子供が欲しいから」。かと思います。
子供が欲しい理由を付けたとしても、
それはかえって嘘になる。
これを禅においては「意味連関の切断」と言うんですけどね。
<花は紅であり、柳は緑> by沢庵
386 :
神も仏も名無しさん :2007/09/02(日) 12:01:59 ID:6iJ1glyC
すっごい初心者の質問で申し訳ございません。 仏教はお釈迦様が悟りを開かれてその悟りの素晴らしさを人々にも教えるために 広めることになったものだと思っています。 ただ、仏教にはお釈迦様(釈迦如来)以外にも、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来、 観音菩薩、地蔵菩薩・・・さまざまな神仏菩薩が登場しています。 現在の仏教で活躍している(?)如来・菩薩・明王・天部・その他人非人等は @実際にお釈迦様がその存在を説かれ、経典名を残しているのでしょうか? Aそれとも実在の人物?だったのでしょうか? B仏教が発達するにつれて指導者や信徒が新しく作り出していったものでしょうか? Cそれとも(昔のことなので)よくわかっていないものでしょうか? 結構、疑問なのです。 こんな初心者な質問でも教えていただければありがたいです。 聞くは一時の恥ということで。
387 :
神も仏も名無しさん :2007/09/02(日) 12:05:40 ID:63QS5Tmo
>>386 お釈迦様が説いたものではないと思います。
後の信者達が考え出したり、他の宗教から取り入れたものでしょう。
そんないいものではないです たとえば「観無量寿経」という有名な偽経がありますが たぶん中国の露店でいかがわしいインド系のオッサンが売ってたものでしょう 「カンフーハッスル」という香港映画でいかがわしい拳法奥義書を売りつける 乞食のオッサンが出てきますが あれを連想していただければいいと思います
389 :
日々是修行 :2007/09/03(月) 10:10:41 ID:e/SUSr5+
>>387 阿弥陀経や薬師如来本願経などを読んでみてくださいw
釈迦さんは阿弥陀仏や薬師如来を語ってたぞ。
>>386 誤った識見を一旦身に付いてしまったら、中々改められないもの。
お気を付けてね^^できれば、ご自分で経典を読んでみてください。
>釈迦さんは阿弥陀仏や薬師如来を語ってたぞ。 デタラメを書かないように。 釈迦が語った形式をとっているだけで、実際に釈迦が語ったわけではない。
391 :
神も仏も名無しさん :2007/09/03(月) 11:28:06 ID:ncCz9Qf5
↑ 学問的には、そういう仮説が主流。 だが、実証主義的立場からは、その仮説は証明不可能。 そして、仏学的、宗教的には間違い。 質問者の問が学術的か仏学的かで答えは全く異なる。
>>391 はいはい、じゃあ@それらの経典が「釈迦によって書かれた」事を証明してね。
Aそもそも仏学って何?
これらの質問に返答してから次の書き込みはしてね。
393 :
神も仏も名無しさん :2007/09/03(月) 12:20:27 ID:vjMl38fw
>>391 そうですね。二つの説明をすべきでした。
お経の中では、阿弥陀仏等の諸々の仏や菩薩の存在を
お釈迦様が紹介したことになっています。
で、そのようなお経を信じて、
そのようなお経の説に基づいた教義になっている宗派がたくさんあります。
日本は北伝仏教の大乗仏教が主流だから。
南伝仏教である上座部仏教では、それらのお経はお釈迦様の教えではないと言います。
学問の世界でも、実際にはお釈迦様が説いたお経ではないだろう
という考えが一般的だと思います。
394 :
神も仏も名無しさん :2007/09/03(月) 12:31:08 ID:ncCz9Qf5
392さん あなたは学問と宗教を混同してはいけない。 キリスト教研究の現場をご存じない? 宗教の領域にどっぷり浸かったらもはや学問ではないし また学問ですべて宗教の領域を理解できるものではない。 仏学はtheologyの洒落のつもりだったが・・・・
ま、とりあえずあんたは証明してみなよ それが出来ないなら喋るな 「初期仏教」が専門らしいが、随分とお粗末な事だな
397 :
神も仏も名無しさん :2007/09/03(月) 13:59:42 ID:ncCz9Qf5
あなたも支離滅裂ですね。 ここは「宗教板」であるのに宗教は関係ないという。また、1を読みましたが、どこに「宗教関係ない」 と明言してあります?宗教に関係ないなら学問版へどうぞ。 ところで何の証明ですか? 私は「釈迦が語った形式をとっているだけで、実際に釈迦が語ったわけではない」 という仮説は「証明不可能」と言っているのに、肯定も否定も出来ないという意味が 理解できないようですね? 同様に 「それらの経典が「釈迦によって書かれた」事」も「証明不可能」。 逆に質問です。 「釈迦が語った形式をとっているだけで、実際に釈迦が語ったわけではない」 あなたは「釈迦」という人物の実在を前提としているのでしょうが、その「実在」を 客観的に証明してくれませんか? 因みに私の答えは「証明不可能」です。
荒らしはスルーして、関係のある解答している人にレスしとくよ。
>>393 >南伝仏教である上座部仏教では、それらのお経はお釈迦様の教えではないと言います。
こんなことを言うのも一部のカルトだけの話ね。某テーラガーダとかね。
実際には南伝の経典と北伝の経典、両方を照らし合わせていく作業が
必要。ベースになる学問は文献学。当然考古学とも密接な関係がある。
これらの作業の結果、古層はどれ、これ、といった内容が順次「ある程
度の信憑性をもって」明らかにされてきたわけ。
>学問の世界でも、実際にはお釈迦様が説いたお経ではないだろう
最古層がスッタニパータと言われてるけど、最古ってだけでゴータマの
直説ではなかろうし、思想的にそのスッタニパータ自体がジャイナ教の
影響が否定できない。つまり最古の経典を見出したところで、ゴータマ
の教えに近付けるか?っつーたらかなり疑問なわけでね。
そもそも最古だからゴータマの教えに近いか?というと全然そんなわけ
ではないわけで。こっから先は思想的に探っていく必要があるだろうな。
ちなみにID:ncCz9Qf5は、学問のあり方も知らず、文献学も知らず、仏教学
がどうやって発展してきたかも知らないただの白痴。
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1173836805/439,441 等で暴露している。
学問を知らんのなら結構だが、自分の妄想を他人に押し付けないように。
南無や栗花と同類の害虫だよ。
399 :
神も仏も名無しさん :2007/09/03(月) 15:50:38 ID:ncCz9Qf5
釈迦の「実在証明」はどうなりました? あなたは、「実際に釈迦が語ったわけではない」と釈迦を主語にして断言してますよね。 これって、「実際釈迦はこう語った」というのと同類。 学術的というより信仰ですね、まあここは宗教版ですから、それ自体否定しませんけど。 学術論文で「釈迦はそういっていない」とか「釈迦はこう言った」などと書けばどうなるか・・・ それに対し393氏の説明は非常に客観的ですね。学術と宗教を分けて述べられている。 あなたの解説も今のところは学術的にその通りかも知れない。 しかし、学術的な正しさが、そのまま宗教に通用するとも限らない。 それにしても、あなたの妄想癖は困ったものです。 あなた私が誰だかわかります?分かりませんよね。私は白痴で害虫ですか? あなたは勝手に妄想を膨らませ、私を誰かと間違え、見えない敵を作り罵倒する・・・ まあ、あなたの人品の程が知れるというもの・・・ 少なくとも、いくら仏教を学問をしても人格が高潔になるわけではないという、いい見本ですね。 確かに、世間知らずの心は学生のまま研究者になって、人格に問題ありの奴はどこにでもいるが・・・
400 :
神も仏も名無しさん :2007/09/03(月) 15:58:28 ID:ncCz9Qf5
最後に質問 ゴータマ・シッダールタは歴史上実在の人物ですか? 実在すれば問題ありませんが、 もし実在の人物でなければ、「ゴータマの教え」って誰の教えですか?
401 :
神も仏も名無しさん :2007/09/03(月) 16:31:53 ID:DZD8puoo
宗教やってる人ってメンへラーだって言われた ホントなの?
ではオマケしといて 偽経 偽書はサンスクリット原本がないということで 観無量寿経 父母恩重経 観音経 十住毘婆沙論ぐらいにしときます こんなのも入れると則天武后が作った経も仏説ということになりますので
横槍
仏教は釈迦に始まり、様々に派生した教えの数々、ってのが無言の大前提ではないか
と考えます。
でもってゴータマの存在は学問的には碑文その他により「あった」として良い状態になっ
ている筈。それを“信仰”と同レベルにみなす事は学問の倒壊を試みる悪しきカルトでしょう。
釈迦の実在を疑い、その是非を問わなければならないと思っているのなら、そもそも
仏教スレに発言する事自体がおかしいのでは?
そんなものを問うているのは、ぱっと見、一人だけのようですが。
そもそもの流れは
>>386 の質問が発端で、この時点で
>仏教はお釈迦様が悟りを開かれてその悟りの素晴らしさを人々にも教えるために
>広めることになったものだと思っています。
こう書かれてますね。質問の時点で大前提にされているのに、なんで大前提を疑問視
するような質問返しをするかなw
404 :
神も仏も名無しさん :2007/09/03(月) 20:44:33 ID:vjMl38fw
お釈迦様の遺骨の一部(の可能性が高い)が、タイ国王より日本に贈られ、 名古屋の日泰寺にまつられてます。 学問の世界でも、釈迦の実在はほとんど間違いないのでは?
サンスクリット原本なんて1冊も残ってないよ。 でも仏説と書いてあるのはほぼお釈迦様の言動記録と見ていい。 お釈迦様だって転生し続けてるんだよ。
お釈迦様を理解するなら、どれがお釈迦様の言動で、どれが 違う人の言動かよくわかるはず。
原本と写本を間違えてるみたいですね>402
でも >でも仏説と書いてあるのはほぼお釈迦様の言動記録と見ていい。 >お釈迦様だって転生し続けてるんだよ。 これはまずいでしょうな、なんぼなんでも。
>>408 どうして?法華経はすべて真実しか書いていない重要なことを説いている経典だけど
そのなかで御釈迦さんは言ってるよ。人を救うために方便をもって転生し続けていると。
どう思います?
その主張には経典に書いてある事は正しい、って前提がありますね。 実際にはそんな事はない。 矛盾した前提からは幾らでも矛盾した結論が引き出せる。 初歩的な詭弁です。
>>410 そうはいってないよ。経典を書いた者の主観が入ってる場合も
多々あるよ。ただ法華経だけは別格だってこと。
法華経だけはすべて正しい。看た事をただ書いてあるだけだから。
412 :
神も仏も名無しさん :2007/09/03(月) 22:42:34 ID:n6KElpvI
法華経原理主義
>>411 さいですか。
まぁ貴方の信仰には口出ししませんよ。
気が向いたら
>法華経だけはすべて正しい
これが本当に正しいのかどうか、自問自答されると宜しいでしょう。
ま、かくいう私もそう信じてた時期がありましたので。
あまり人には色々言えませんわ。
414 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 01:04:45 ID:kK30/OMS
>>409 法華経書いた人は頭悪い、インド人の恥だ、と言ってる僧侶もいます。
法華経は馬鹿馬鹿しい物語にすぎません。
>>414 あなたは自分の言葉に矛盾を感じないのか?
インド人の9割はヒンドゥ教だよ。それを言うなら、
ヒンドゥ教は夢物語とはいわないのか?
僧侶とは?インドでは仏教はもうない。チベット仏教はダライラマ
のおかげで普及しつつあるが。そしてダライラマは法華経を馬鹿馬鹿しい
物語とは言わないだろう。
>インドでは仏教はもうない んなこたぁない 故アンベードカル博士の尽力で、また復興しつつある >ダライラマは法華経を馬鹿馬鹿しい >物語とは言わないだろう。 これはわからん
417 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 08:04:12 ID:kK30/OMS
>>415 仏教徒のパーセンテージは関係なく、
法華経という書物を生んだことは間違いでしょう。
だって、ブッダが説いていないことをブッダが説いたと言ってるんだから、嘘っぱち。
>ブッダが説いていないことをブッダが説いたと言ってるんだから、嘘っぱち それを言うなら、全ての経典がダメになってしまうわな
419 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 12:15:32 ID:2rcd2Im0
世界で現存する最古の教典て何? どこにあって、何語で書かれているの? そして時代はいつ頃のもの? 詳しい人教えてください。 俺は、それがもし法華経なら一番ブッタの言葉に近いと思う。
420 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 12:31:48 ID:kK30/OMS
421 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 12:41:17 ID:kK30/OMS
パーリ語(南伝)の経典が仏説に近いと思います。 南伝にないお経は、偽経の可能性が高い。 法華経は、南伝にはありません。 仏教2500年間で、「結集」という作業が6回行われました。 お経を正しく保存するために仏弟子達が集まって、 お経の内容の確認をするわけです。 佛紀2500年(1956年)に、第6回の結集が行われました。 この第6結集版が、南伝仏教の最新の正式テキストでしょう。 先日、この第6結集版の三蔵経典のローマ字版が、 タイ王国から日本テーラワーダ仏教協会に贈られました。 他にも大学などに贈呈予定があるそうですが、 最初に日本テーラワーダ仏教協会に贈呈されたというのは、 タイ王国から見て、日本の正式な仏教の窓口は、 日本テーラワーダ仏教協会なのでしょう。
法華経に書かれているように、この経は秘せられた 経だったんだよ。お釈迦様の遺言で。 密教もそうだよね。 だからいついつの時に出てきたというのは意味があっても、 それがお釈迦様が説かれていないということにはならないのさ。 仏教徒なのに自分が輪廻してることさえ気づいてないのかい?
法華経は意味深い。これを読み意味を知れば、 もしお釈迦様の縁に連なるものならば即座に気づく。 そういう呪がこめられてるし、それ以外にも、阿羅漢たち を大乗の道へ導く経なんだよ。だから尊いのさ。 オカルティックだけど本当の話さ。 この世のすべては心でできている。仏教徒ならこの意味が わかるはず。夢幻のごとくなり。 法華経は真実のはなしさ。
424 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 12:53:24 ID:kK30/OMS
>>422 そうやって屁理屈をこねて弁護しなければならないのは、偽物だからでは?
本当にブッダの教えならば、弟子達が必死に弁護しなくても、
その教えの内容を聞いただけで人々が納得せざるをえないのです。
冷静になって、盲目的な信仰をいったん忘れて、
法華経の教えの内容を見直してみては?
誰もが論理的に納得させられるような教えですか?
425 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 12:58:49 ID:kK30/OMS
師匠を弟子が守る必要ない。弟子を師匠が守ってくれるのが普通です。 仏説(師匠である仏の教え)を、 仏弟子が必死で弁護しなくてはならないのは、おかしいのです。 仏説は、仏弟子が屁理屈こねて援護射撃をしなくても、 その教えそのものに説得力があるはずです。 法華経をあれこれ現代風に解釈して 現代人にも納得しやすいように助けてあげることは可能かもしれないが、 そんなことをしてあげなくちゃならないお経なら、 本物ではないでしょう。
>>424 誰もがではないよ。信じないなら信じないでよろしい。
俺は法華経が偉大な経であることを知っている。
なぜなら俺は輪廻を脱したから。
それも信じなければ信じないでよろしい。
論理的帰結として悟りがある。あなたは悟りをなんだと思っているんだ?
分別することは正しい。だが涅槃は分別を超えたところにある。
いちどその論理的思考を捨ててみることだ。
生を捨ててみることだ。死を捨ててみることだ。
生死を断ぜよと釈迦如来は仰った。あなたが3宝に帰依しているのなら、
それをしてみることだ。死んでもいいじゃない。自分の限界だと思っている
思考を超えていくのさ。恐れることはなにもないよ。
人間50年、下天のうちをくらぶれば夢、幻のごとくなり。
ネタとしか思えんやりとりが朝から続いているな・・・
>>419 スッタニパータ(経集)が最古と言われてる。
これはパーリ小部ことクッダカ・ニカーヤに納められている。
但し、内容的にはジャイナ教に影響を受けている(苦行主義)為、これが
ブッタの説に最も近い、という事は少々苦しい。
>>421 かつてはそういう誤解もありましたが、パーリ経典そのものは決して新しくないです。
現存する三蔵の中で最古は漢訳阿含経です。
サンスクリット写本との称号からこういった事がわかってきました。
なんでおまえらは、そんなに時代考証ばっかやってんの? あほらしくないの?それはまさに意味がわからないから時代をみるしかない なんて基地がいじみたこだわりになっちまってるぜ。 おまえらおしゃか様の弟子を自認してるんだろ? お釈迦様はこう仰ってるぜ。 師や人やものではなくその言葉を信じなさい。 ただの言葉ではなくその意味を信じなさい。 その場限りの意味ではなく、真の意味を信じなさい。 分別ではなく分別を超えた心を信じなさい。 どう思うよ?おまえら。俺は悲しくなってくるぜ。いつ気づくんだろうってな。
>>428 ちなみにこれはスッタニパータに書いてあると思う。
>>428 もうちょっと柔らかい言葉で書けば、中々の名文なのに。
良い事書いてあるだけに残念。
ちなみに「時代考証云々」についてですが、文献学の限界は先ほども書いた
通り、最古の経典ですらブッダの意図を正確に伝えているものでは無い、
という事で露見しています。ただ一つだけ言いたい事は、文献学が発展しな
ければ、ブッダの意図をここまで絞り込む事もできなかった、って事です。
ここから先は文献学だけでなく、「思想的に」絞り込む方法論も模索されていくでしょう。
楽しみに待ちましょうかね。
431 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 17:35:05 ID:kK30/OMS
>>428 たしか大パリニッバーナ経には、
誰か偉い人(坊主含む)がお釈迦様の教えだと言ったとしても、
頭から信じずに、お経で確認しろ、
みたいなことが書いてあります。
432 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 19:08:58 ID:2rcd2Im0
>スッタニパータ(経集)が最古と言われてる。 俺が聞きたいのはお経の成立年代じゃなくて 現物として書かれたお経のことなんだけど? 遺跡からの出土品でも良いけど 死海文書みたいに炭素年代測定すればかなり正確な時代がわかると思うが。 ところでそのスッタニパータの最も古い経本は何世紀までさかのぼれんでしょう? 昔のお経はヤシの葉かなんかに書かれていると聞きましたが。
434 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 20:02:08 ID:2rcd2Im0
>これが紀元後一世紀から二世紀 現物ですらAC1、2Cですか・・・ 釈迦滅後500年以上経ってるわけですね。 こりゃスッタニパータがお釈迦様の言葉として 編纂されても、途中改ざんされたり、 写し間違えも十分あるということですね。 やっぱりBC3Cの遺跡からほっかほかの経典が 出土するのを待つしかありませんね。 でも、考古学も捏造があるし・・・
結論としては観無量寿経は偽経ということで
>>434 >こりゃスッタニパータがお釈迦様の言葉として編纂されても、
んー、これは正直判らないですけどね。
ほとんど仏教学界の内輪話になりますが。
スッタニパータの翻訳を進めていくうちに、「仏の教え=縁起」だという大前提に立つと
スッタニパータは非仏教の要素を持っている事が徐々にわかっていったわけで。
故中村博士が存命のうちは、誰もおおっぴらにそれを公言できませんでした。中村
博士が亡くなって、ある程度口に出すようになったようですが。
曽我氏が2004年に書いた、スッタニパータの非仏教部分に関するエッセイです。
ttp://www.dia.janis.or.jp/~soga/suttanip.html ま、そういうわけで大前提が間違ってるのか、スッタニパータが間違ってる(笑)のか、
今の学界は静かな論争中ではないかと。いずれにせよ、日本の護教派はちゃぶ台を
ひっくり返すチャンスと思ってるでしょうし、縁起派はそうはさせまいと思ってるでしょう。
私みたいな素人はwktkして現状を見守っています。
>>435 それもわからない。写本が見付かってないのは事実だけど、その事をあんまり強く
言うと、浄土真宗の人たちから怒鳴り込まれるから、それもあんまり大っぴら
には言えない事項の一つではないかと愚考致します。
マスメディアの自主規制みたいなもんです。
438 :
神も仏も名無しさん :2007/09/04(火) 22:16:18 ID:rFqy+H0O
浄土真宗は、所謂【B】が多いのです。
徳を積みたいんですが、近所のゴミ拾いとかでも徳は溜まりますか?
440 :
神も仏も名無しさん :2007/09/06(木) 00:00:17 ID:q5JI46YS
>>439 どんな気持ちでやるかで決まる。
貪りや怒りの気持ちでやらず、
注意深くよく気をつけて無駄な動きをしないようにゴミ拾いをすれば、
功徳になるでしょう。
善の心を育て、集中力と智慧を育てる訓練をすると、
その訓練の成果である功徳が積もるのです。
人格向上する練習をすれば功徳になるのです。
441 :
神も仏も名無しさん :2007/09/06(木) 00:46:41 ID:IPLM6ePu
無功徳の功徳という心構えが大切です。
443 :
神も仏も名無しさん :2007/09/06(木) 11:32:04 ID:AWazcnvR
紹介されて松本○○著を読んだら、解脱や涅槃は仏教じゃないと書いてあった。 更に、禅定も仏教でないと書いてある。 縁起が仏教の根幹の一つであるとは思うが 三学も否定したら、仏教ってただの道徳になるんじゃないの? 彼は一体どこに行こうとしているのか?
表現がちょっと恣意的すぎw 松本史郎氏でしょう。伏字にする必要ないよ。 山口瑞鳳門下では多分一番のキレ者。 ま、彼は縁起説に偏りすぎだけどね。
445 :
神も仏も名無しさん :2007/09/07(金) 06:19:49 ID:YBYIEjc6
日蓮仏法の本未有善についての質問です。 この思想の出典は法華経からでしょうか、それとも、日蓮からでしょうか。 それとも、その弟子の日寛からでしょうか。 どなたか詳しい人がいれば教えてください。
446 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/07(金) 09:14:57 ID:l9rXM62N
>>445 法華経にはそんなアホな記述はないでしょ。
正宗の教義だろうね。
>日蓮からでしょうか。
>それとも、その弟子の日寛からでしょうか。
こういう質問が出てくる、って事は富士門系のかなり深いとこまで
抉ってる人だろうし、そうなるとここで質問して返答貰っても満足
できないかもね。
しかるべき所で聞いた方が良いと思うよ。
448 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/07(金) 16:18:43 ID:0OVKiIF3
>>443 >更に、禅定も仏教でないと書いてある。
禅定が仏教ではない。というのは、いわば南宗禅の基本的なものである。
それ自体(禅)は仏教ではない。
道標としては禅定はあるかもしれないけど。
南宗禅の発達によって、こういった脈絡は形骸化してきているけど、
ちらりほらりと、そういった南禅の残滓を見ることもできる。
日本では、一休とか盤珪あたり。
449 :
神も仏も名無しさん :2007/09/09(日) 11:04:35 ID:ex0bUPg9
釈迦のそのままずばりの言葉を知りたくて 最近スッタニパータ読み始めたんだが 違うのか!? 何読めばいいんでしょ (法華経とか読んで幻滅。中論読んで今ひとつすっきりしない現状。)
釈尊その人の言葉はどこにも残ってない筈。 後世の人たちが残された経典・伝承・口伝から自分なりに色々注釈をつけていった 物が沢山残されているだけ、ってのが現状。 とりあえずスッタニパータってのは悪くないと思います。 中論もかなり良いセンいってるかと。 ただ中論だけ読んでもわけわかめな事が多いので、中論読んだらそれに関する 注釈書を紐解いていかれては?
451 :
神も仏も名無しさん :2007/09/09(日) 12:20:31 ID:0IaRQJd2
唯物論坊主&学者には気をつけましょう。
某コテが、某スレで般若心経の珍妙な解釈を示して、 しかも、パーリ語の原文を知ってる等と宣っていました。 誰か、某コテにちゃんと教えてあげてやってくれ。 俺はあんなんと関わりたくない♪
>>452 君が関わらないものを誰も関われるわけがない(笑
責任をもって、対処しなさいw
454 :
神も仏も名無しさん :2007/09/09(日) 14:26:34 ID:ZYVsaZXx
来世はない。地獄も極楽もない。 悪いことをしても地獄に落ちることもなく、 良いことをしても天国にいくこともない。 でも、良いことをし、悪いことをしなければ、 人から罵られることもなく、そこそこ幸せな人生がおくれる。 これがブッタの教えの全てである。
確認できない事象を無い、って断言するのは断見でそ それも否定されるべき見解だった筈
456 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/09(日) 17:51:00 ID:AM4irbI6
>>449 >何読めばいいんでしょ
それは、自分が宗教に何を求めるのか?というので、
人それぞれ皆違う。
逆に宗教に無為に惹き付けられる。というのも世の中には多い。
正岡子規とか、池田昌子とか、湯川秀樹とか、宇宙飛行士などがこの典型。
私は後者の方で、気づいた時は仏教徒になっていた。
でも経典とかはあまり関心がない。
というのは、小学生の頃から仏教書は読んでいた。
その頃に関心があったのは日蓮。
この僧の生き方は、ある意味感動したものです。
(ドラマティックな逝き方というのか?ある意味、少年の感性におけるヒーロー的存在)
それから成人になってから、全く宗教には関心がなかった。
(これは、ヒーロー像が次第に忘却してくるのと同じ心理)
しかしながら、人生中途にして、ある日に目覚めるのです。
(注意:日蓮仏法に目覚めたわけではない)
こういう人は幾らでもいる。
457 :
神も仏も名無しさん :2007/09/09(日) 18:04:36 ID:2JSWz1L5
>>455 仏教を語ってるのに断見だけを非難するところを見ると、あなたは常見の持ち主ですか?
というか、あなたの指摘したのは、いわゆる「無見」というものであって、断見ですらないのですよ。
「一切がある」とは、これは第一の極端な見解である。
「一切がない」とは、これは第二の極端な見解である。
如来は、これらの両方から離れて、中によって法を説くのである。
相応部経典 12、15
>>457 そうなのか。ご指摘ありがとう。
一応質問に答えておくと、常見・断見共に排除されるべき誤った見解と考えている。
>>453 それこそ断見だ。
私に責任は無いぞ?(笑
まぁ、君の立場は判った。
他の誰かさん、宜しく。
私は遊べない相手からは逃げる♪
460 :
神も仏も名無しさん :2007/09/10(月) 10:11:43 ID:vT6DsnEQ
色即是空、空即是色の意味を簡単に教えて下さい 辞書やネットで調べても抽象的でよく分かりません
461 :
神も仏も名無しさん :2007/09/10(月) 10:46:08 ID:qOvcQvZU
なんか机さんのレスは一々宗教やってる事に対する己への弁解、言い訳をしているように聞こえる 共産主義のマイコンが長かったからなのか?
462 :
神も仏も名無しさん :2007/09/10(月) 15:06:17 ID:tDhMNv1U
>「一切がある」とは、これは第一の極端な見解である。 >「一切がない」とは、これは第二の極端な見解である。 >如来は、これらの両方から離れて、中によって法を説くのである。 文言は分かったから 具体的にどうすることなの? 具体的な説明を頼む。
463 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/10(月) 18:04:23 ID:93Wa8LFy
>>461 >共産主義のマイコンが長かったからなのか?
共産主義というのは、唯物弁証法だからマインドはコントロールされない。
むしろ自己主張が強くなる。
この自己主張の輩が徒党を組んだら大変なことになる。
つうことで、時の公安が一番マークしたのが日本の左翼です。
まあ、今の時代は皆様は自己主張するようなことはないから、
経団連などは言いたい放題ですが・・・
昔だったら、奥田とか奥谷、御手洗みたいな発言があったら直ぐに暴動になる。
そうならないのは、皆さんが日本財界を応援しているからなんです。
財界を潰したら仕事が無くなるとか・・・
それこそマイコンです。
日本は財閥を解体したことがあるんですから、
それでも日本の財界が潰れることはない。
464 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/10(月) 21:56:56 ID:h+w/8Ceu
>>460 ヽ(´∇`)ノ
色即是空
空即是色
抽象的?
抽象的にどう説明されてるの?
465 :
神も仏も名無しさん :2007/09/10(月) 22:47:22 ID:WrZtjGN1
>>462 言葉として便宜上そう呼んでるだけだ、と理解すればよいのでは?
カフェオレという物質は、
牛乳とコーヒーが混ざった状態を便宜上そう呼んでるだけで、
カフェオレという新しい物質がそこに有るわけじゃない。
でも、カフェオレと呼ばれている現象が無いわけでもない。
概念や観念をそぎおとして、今・ここで、
眼耳鼻舌身意で感じることをありのままに観た上で、
便宜上それらを概念を使って扱うのだと理解する。
466 :
神も仏も名無しさん :2007/09/10(月) 22:50:15 ID:WrZtjGN1
「貧乏」とか「不幸」とかいう概念も、いったん忘れて、 今ここで眼耳鼻舌身意で感じるありのままの感覚にもどる。 飢え死にするほど腹ペコでもないし、ショック死するほどの苦痛もない。 「不幸だ」「もうダメだ」「もう生きてられない」とかいう概念は、 ありのままの事実ではない。
467 :
神も仏も名無しさん :2007/09/10(月) 22:54:29 ID:WrZtjGN1
「貧乏だ」「不幸だ」と言っても、それは頭が妄想してつくりだした観念。 とはいえ、自分より金持ちの人とかラッキーな人と比較した場合に、 「貧乏だ」「不幸だ」と呼べる現象が無いわけでもない。
468 :
神も仏も名無しさん :2007/09/11(火) 02:11:41 ID:yRBt7nWH
机はまだマイコンが抜けて無いみたいだな
@曇鸞A天台智B則天武后 これが仏教を堕落させた三馬鹿捏造偽作好きチャイナである この3人はいらん
ついでにチベットの摩訶衍もいらん 中国経由は全部糞
>>462 説一切有部曰く五蘊十二処十八界即ち一切の自性有りと
対而したる中観曰く空なりと
相依性なるが故に
喩して曰く
「えっとー、変態っているじゃん
アイツらー、変態ってモンを持ってるって訳じゃなくてー
でもー、変態ってモンが無い訳でも無いしー
なんつーかー、環境?てかイキザマー?みたいなー?
仮にそう成っちゃった感じー?」(笑
>>470 そいつ法論で負けたじゃん
報復でカマラシーラ暗殺されたけど
473 :
神も仏も名無しさん :2007/09/11(火) 09:52:31 ID:ERP+BHFA
みなさん説明有難う。 でも、分かったようで分からない。 そうゆう態度が、現実の生き方とどう関わるのかが、まだ分からない。 言葉という概念、観念を捨てた生き方、禍福を超えた生き方 言葉では理解できるが、それって外の世界に目を閉ざすこととどのように 違うのか? リストカットの傷口を見て、これはありのままの事実出ないと感じることと どのように違うのか? 目の前の死に掛けた人を見て、これもありのままの事実でないと感じることと どう違うのか? なかなか、言葉から離れられません。
>現実の生き方とどう関わるのかが、まだ分からない。 執着を捨てる事で、心の苦の大半からは解放されるでしょう。 >外の世界に目を閉ざすこととどのように違うのか? 「心の苦からの解放が仏の教え」という前提に立てば、外の世界 云々はあまり気にしなくてもいいのです。 意識して目を閉ざす必要もありませんが、閉ざしてるのとあんまり 変わらないかもですね。 ぶっちゃけ執着を捨て去った状態というのは、裟婆世界を生きる上 では邪魔でしかないです。周囲の人にとっても迷惑千万ですので、 その状態になるのは、家に帰ってひとりの時だけに限定しておいた 方がいいでしょうね。 >言葉から離れられません。 思考は言語に拠る。それもまた致し方のない事です。 言葉の魔力性(概念を固定化・結晶化させてしまう事を指して言って います)についても、少しずつ思考を凝らしていかれては宜しいでしょう。 時間は十分あるでしょうし。 日本人はこの事を指して「言霊」と言っていたのかな?ちゃうかもな。
475 :
神も仏も名無しさん :2007/09/11(火) 12:21:20 ID:VSAQJ15s
>>473 むしろね、頭の中でグルグル妄想して思考が堂々めぐりになるときのほうが、
外の世界に目を閉ざしているのです。
やせたい→でも食べたい→食べたら太る→やせたい→でも食べたい…など、
頭の中でいくら考えてもいっこうに前進しないことはよくあります。
そういうときには、そのことをいくら考えても、
時間と気力が無駄になりストレスもたまるだけです。
ですから、そのような実体のない妄想は強引に中断するほうがいいのです。
思考が具体的な前進につながるならいいです。
また、一歩前進して状況が変わったり新たな情報が入れば、
新たに思考するのもいい。
今ある情報の中で考えてもそれ以上答えが出ない場合は、無駄な妄想です。
476 :
神も仏も名無しさん :2007/09/11(火) 12:23:04 ID:WKEzaw7D
あ、あ。 横レス失礼。 さて、魔民の日蓮は浄土宗から易行を盗み、浄土宗を地獄行きとしました。 真言宗からは、大日如来の日の字と、曼荼羅信仰を盗み、国賊としました。 法華経からは、蓮の字と、久遠佛の地位を盗みました。 他の宗からは盗まれたものはないですか。上のだけで終わりでしょか。
477 :
神も仏も名無しさん :2007/09/11(火) 12:29:15 ID:VSAQJ15s
>>473 リストカットする前にも、グルグルと妄想の堂々めぐりになりませんか?
思考の堂々めぐりは、具体的な答えは出ないのに、
感情だけは増幅してしまいます。
むかつく相手のことをいくら思いだしても、
それで問題が解決するわけじゃなく、同じことをグルグル思考してるだけです。
そんな場合でも、怒りのストレスだけは増幅しちゃうのです。
具体的な問題解決にはつながらないのにストレスだけが増幅するような妄想なら、
そんなことは考えないほうがマシですよね。
もしかしたら、リストカットは、そのような妄想を一時的に停止するために使ってるのでは?
仏教では、瞑想やお経の言葉を念じるなどの方法で、
妄想を中断させるのです。
所詮は頭の中で考えただけの妄想だから、
そんな思考は棚あげしちゃってもいいのです。
妄想を切り捨てるのは、ぜんぜんもったいない行為じゃありません。
頭の中のゴミを捨てるだけです。
478 :
神も仏も名無しさん :2007/09/11(火) 12:36:38 ID:VSAQJ15s
執着を捨てるとかはいきなりは無理。 しかし、妄想を中断して感情を冷ますことは、 今すぐできます。 むかついたとき、イラっとしたときには、 すぐにそのことに関する思考を中断するのです。 色々方法はありますが、ヴィパッサナー瞑想とかで検索してみては。
479 :
神も仏も名無しさん :2007/09/11(火) 12:43:36 ID:VSAQJ15s
>>473 転んでできた傷を見るのと、リストカットの傷を見るのと、
体の傷を見ているという事実は変わりません。
しかし、リストカットの傷を見ると、
その傷にまつわる記憶を妄想して辛くなる。
過去は過ぎ去りもうない。
未来は未だ来たらずまだない。
ただ、目の前の傷を手当てするなど、具体的な行為だけすればいいのです。
まるで、今初めて傷に気付いて、手当てしなきゃと思ったときみたいに。
480 :
神も仏も名無しさん :2007/09/12(水) 01:49:39 ID:GidA31Q+
日本最大の仏教団体は創価学会って本当ですか?
482 :
神も仏も名無しさん :2007/09/12(水) 03:08:03 ID:oU4ds4La
483 :
神も仏も名無しさん :2007/09/12(水) 05:56:45 ID:xGTUVSAH
>共産主義というのは、唯物弁証法だからマインドはコントロールされない。 それがマインドコントロールなんだが
>>481 どの部分の真偽判別を要求してるのか判りませんが、チベット密教が
性ヨガを重視してきた事は事実ですよ。中国当局の歪曲とかは特にありません。
というか、インド後期密教から性瑜伽はどんどん取り入れられていった
のです。インドで仏教が滅んだ後は、その部分はチベットが正当な後継
者だっただけです。
>これらははチベット仏教の道次第論にも書かれている
この道次第論ってのがツォンカパ著の菩提道次第論の事であるならば、
・・・どうだろうな?日本語版が出てますから確認した方がいいですね。
但し、ツォンカパはそういった性瑜伽も含む黒魔術的な儀軌を毛嫌いし、
その部分は全て観想内で行うようにと厳命したそうですので、ゲルク派
が瑜伽に実際の女性を連れてきて云々、という事実は無かった筈。
但しこれはゲルク派(ダライ・ラマはここの総帥ね)だけの話。
485 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/12(水) 10:55:59 ID:SWJXzmq5
>>480 (°∀°)
ソッカーは最大♪
でもソッカーは仏教ぢゃないぉ♪
486 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/12(水) 11:36:48 ID:ypof0Gm1
>>480 日蓮は、中国天台宗開祖・智の一念三千の法門をベースに
天台密教を上手くアレンジして、
(日蓮自身、高野山で学んだ経緯がある)
法華経に帰依(南無)すれば救われる。という
日蓮オリジナリティーの宗教です。
(だから【日蓮宗】という、開祖の名前が宗教名になっている)
日蓮の宗教であって、仏教ではない。
(釈尊よりも日蓮の方が偉い。ということになっている)
487 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/12(水) 11:54:35 ID:SWJXzmq5
488 :
法滅人教 :2007/09/12(水) 13:54:29 ID:VTCKxKnY
どうして神棚は、仏壇より上に祭られているの?
>>484 ご教授ありがとうございます。
引用したサイトの内容から真っ先に真言立川流を思い浮かべましたが
むしろゲルク派の方が禁欲的という点では異端というわけですね。
己の無知に恥じ入るばかりです。
>>489 いえ、チベットに関する内容だからと
>中国の出版社による書籍であるところから
>何かしらの意図による(特に中国当局)歪曲の可能性を感じているのですが。
こういう用心を働かすのは良いセンスだと思います。
極論を言えば世の中に、“バイアスのかかってない情報は無い”のですから。
チベット密教については、安易に薦められる入門書が無いのですが
ttp://shinshomap.info/book/4480058303.html とりあえずこれだけ紹介しておきます。歴史的な概略を知るだけなら
これで十分だと考えますので。
蛇足:
日本にチベット密教を大々的に持ち込んだのは中沢新一某です。
彼が傾倒していたのはカギューだったかゾクチェンだったか。
そして、彼の持ち込んだものを忠実に再現しようとしたのがオウム真理教
だったのですよ。あの事件が起こった時に、三流マスゴミが「麻原は女性
信徒と交わり、膣内に残ったザーメンを別の信者に飲ませた」等と面白半
分に書いた事がありました。オウムの異常性をアピールするために書かれ
た記事だったのでしょうが、後期密教を知る者は、「それがどうしたの?」と
しか思わなかったのです。
>>490 そういえばダライラマ師は麻原と対談していましたね、リップサービスもあるのでしょうが
少なくとも険悪なムードではなかったと記憶しています。
対談があった事はオウムの街宣ビラで知った程度で、実態はどうなのかわかりませんが…
以下スレの趣旨と異なるので恐縮なのですが、そもそも疑問の発端として
私が数回中国を旅行して見聞した限りでは、
少なからぬ中国人はチベット族の事を未開で物盗りを生業とする野蛮な民族と捉えているようです。
そのため外国人はチベット族から身を守るため、ガイドをつけなければチベット観光できないという説明も受けました。
そういった粗暴なイメージというのは自分が抱いていたチベット族に対する印象と相当異なるため、
その話を聞いて、バイアスの影響を受けているのは中国人なのか自分なのかと考え込んだことがあり
そういった中で先のサイトを知り、これは真なのか偽なのか、第三者の方の意見を聞きたかったのです。
ご紹介の書籍は検索でアマゾンの書評が引っかかり、気になっていました。
入手してみたいと思います。ありがとうございました。
スレ違いは百も承知で。 >少なからぬ中国人はチベット族の事を未開で物盗りを生業とする野蛮な民族と捉えているようです。 えと、中華思想を考えれば、その辺の理屈は理解できるかと。 彼らにとって、チベットの地は軍事的に併合したばかりで、未だ化外の地。 今から王土化(皮肉を込めてこの単語使ってます)を推し進めていかねば ならない場所。故に「未開」と考えるわけで。 「物取りを生業とする」のはなんだろうな?事実上イナゴの集団と変わり の無いモンゴル帝国とのつながりが歴史的に深かったからそういう印象 があるのかな?ちょっと判りません。 >そのため外国人はチベット族から身を守るため、ガイドをつけなければチベット観光できないという説明も受けました。 中国に抵抗してる勢力が残ってる、と考えればよろしいのでは? 中国共産党政権がチベットでやってることは滅茶苦茶の一言に尽きます。 心ある者なら武器をとって抵抗するでしょう。 但し、今は祖国が未曾有の国難にある時期。一部のはねっかえりは、 盲目的排他的な行動に結びつきがち、でもありますね。もしそうであれば、 外国人にとっては等しく危険な地、ということでもあります。 実際のとこ、どうなんでしょうね? アルプス超えを敢行しようとしていたチベット人巡礼者達に向かって 中国軍が発砲・射殺した映像はネットを通じて全世界に流れましたが・・・ 今でもジェノサイドが続いてるのかなぁ?
>>492 >中国共産党政権がチベットでやってることは滅茶苦茶の一言に尽きます。
あ、そのあたりの事は勿論踏まえております。
>>481 のサイトはニュース系のどこかでコピペされていたのですが(失念)
チベットを不当に貶めることで、中国の覇権主義を正当化しているかのような気配を感じ取りつつも
全てが嘘・捏造と決め付けるのはいかがなものかと思い、確認を取りにこちらに来たという次第です。
中国では 「『よそ者を見たら物を盗んでこそ一人前だ』、なんてのがチベット族だそうだ」 とまで聞きました。
もちろん自分としては、そんなはずないじゃないか、と思っているのです。
※これは前出のサイトには書かれておりません。自分が体験したことですのでソースはありません。
エスニッククレンジング等、中国共産党に不都合な情報が外部に流れぬよう
ネイティブのチベット族と接触をせぬように共産党が手を回していて、そのための方便のひとつなのだろうというのが私見です。
それにしても、一般的な価値観では最も常識的に思われるゲルク派が共産党による排斥対象となるとは皮肉なものですね。
重ね重ねスレ違い失礼いたしました。
494 :
神も仏も名無しさん :2007/09/13(木) 09:42:39 ID:XCzNABiI
>>493 一般的な価値観では最も常識的に思われるゲルク派が
共産党による排斥対象となるとは皮肉なもの
敵の中の悪者はこっちの仲間、敵の中の善い者はこっちの最たる敵となる
中国政府の思考パターンを知りたければ、孫子兵法を勉強なされよw
間違っても毛語録ではない。あれはただの戯言にすぎない。
中国共産党も知ってて、毛沢東の権威性を利用してるだけ。
495 :
神も仏も名無しさん :2007/09/13(木) 11:45:01 ID:cr+dPDmW
ゲルクも一枚岩ではない。 ダライラマはチベット人の統合のためサルマばかりかニンマの教義も 学び、高く評価している。 当然、それを快しとしない原理主義者もいる(日本の学者にも居るね)。 さらに、ゲルクの護法神をめぐっての争いもある。 そこでとうぜん、ダライラマに反感を持つグループと中国共産党が手をつなぐ訳だ。
スレ違いの上塗りマジゴメ >中国政府の思考パターンを知りたければ、孫子兵法を勉強なされよw 外交は孫子 内政は韓非子 カビの生えたような古臭い思想なんだが、古今東西見渡してみても 未だにこれを越える思想が存在しないってのは情けない限りだ 人間ってほんまに救えんわ
>>491 チベット人は、野蛮人ですよ。山賊たくさんいます。人殺しも沢山あり、むちゃくちゃです。
でも、その単純な分別の少なさ故か、偉大な成就者もまた沢山いらっしゃいます。
>>495 仰る通り。
それと帰依と菩提心のない密教は、ただのバカ騒ぎだとカギュ高僧が仰ってました。
菩提心って仏の教えになんのかなぁ?
>>500 その大乗ってのが仏の意思なのかどうか判断が難しいねぃ
って事を言いたかったの>499
チベット密教ではまず中観次いで密教、の順番で習うから当然菩薩乗は
必須項目になるだろうけどね
>>501 だから、釈尊ではなくブッダといいました。
それはゲルク式。しかもゲルク式中観だと何かあることになってるらしいので、
密教に入ると見解を改めるらしいですよ。
ボサツ乗で菩提心を習ってというような漸悟を進まなければならないという意味ではなく、
菩提心と帰依は、密教を学ぶのに必須だと思うのです。もちろん大乗でも。
ニンマやカギュでは、中観は必須というわけではありません。
五体投地だけで悟った方が、最近もブータンにいるそうですし、
私が会ったことのある行者も顕教は、ほとんど知らない行者でしたが、
死んだ時、禅定状態にかなり長い間留まり、遺体からは仏舎利が出現したそうです。
仏舎利は、ネパールのコパン僧院に行くと見られますよ。
この方は、ゲルクの行者だったのですが行を専門になさっていたと聞いています。
たぶん、永沢哲さんの『中村元−仏教の教え人生の知恵−』で論じた方と思います。
現れは全て幻だと説く仏教を、素朴実在論を前提とするような文献学が扱える限界は自ずと明らかでしょう。
>>501 そうそう、日本密教も三句の法門に明らかなように菩提心を根本にしてますよね。
菩提心に基づかない大乗仏教は、日本以外ではありえないと思います。
>>502 >だから、釈尊ではなくブッダといいました。
うん、判るんだけど、
>>499 では仏、って言ってるでそ。
まぁ無限ループになるからここで止めるよ。
それよりこういう話題の方が、ここではいいかもね。
>>502 >ゲルク式中観だと何かあることになってるらしいので、
ツォンカパの中観が、完全な帰謬論証派に徹してなく、微妙に自立論証派
(或いは更に別の何か)の流れもひいてる、って事を言われてるので?
こっちを突き詰めた方が面白いね。
ツォンカパの流れに混じってるのは何だろうね?
唯識かな?
505 :
神も仏も名無しさん :2007/09/24(月) 09:15:09 ID:w7fVc2wD
(大乗で社会と折り合いをつけたので続いているけども) なんか初期仏典を読んでいると、こんなのが広まったら 社会が衰弱してしまう気がしました。 消極的な集団自殺みたいなものではないでしょうか。 苦から離れるために無我なんて 歯が痛いからといって首を切るようなものでは。
506 :
神も仏も名無しさん :2007/09/24(月) 10:05:03 ID:ab4PWxmX
>505 宗教学でき見地から見ると原始仏教、初期仏教でも宗教現象はあるわけで 文献学からはその宗教現象がいかなるものかうかがいしることは出来ません。 しかし、碑文研究、考古学研究より当時の仏教徒の信仰の一端が見えてきました。 杉本先生の『仏塔の研究』等をお読み下さい。 経典の内容と実際の信仰が別物なのはキリスト教に限ったことではありません。 決して、仏教は教義の内容のみで広まったのではありません。
507 :
神も仏も名無しさん :2007/09/24(月) 10:19:40 ID:hlc5Lqas
>>505 でも、苦悩の原因が煩悩であることは事実でしょ。
>>505 そうだろうね
だから釈迦も一度は「この教えを人に教えるのはやめよう」と考えたんではないの?
あの部分は梵天とのいささか大仰なやりとりで伝説化されてるけど、実際伝えるか
どうかかなり悩んだと思うよ
ある種、『社会的動物としての人間』の自然(これ自体が不自然だ、って主張なんだろう
けど)なあり方に対して徹底的に反するようなところがある教えだからね
509 :
神も仏も名無しさん :2007/09/24(月) 11:14:14 ID:hlc5Lqas
>>505 無我と無常はセット。
注射する前から注射のことを妄想して泣き叫ぶ子供がいる。
しかし、注射が済めばケロっとする。
注射前はまだ注射されてないから痛みはない。なのに泣いてた。
注射後も痛みはない。そして泣いていない。
同じ痛みがない状態なのに何がちがうか。
妄想があるかないか。
痛みは無常で過ぎ去るのに。
510 :
神も仏も名無しさん :2007/09/25(火) 16:15:36 ID:kX5u5WSH
511 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/25(火) 17:28:58 ID:Lw/QBBDj
最初はお釈迦様一人 そこで お釈迦様の教えを後世に残す為の教え(後継者育成)が必要 それとは別に お釈迦様の教えは全ての人がお釈迦様のように悟るのではなく 仏教とは苦や悩みを克服する教え 仏教=出家じゃないし 悟り=苦を克服するではないにぉヽ(´∇`)ノ 出家しなくても在家でも良いし 悟らなくても苦を克服できるにょ お釈迦様=悟る=苦を克服=出家=仏教? 全部ゴッチャにしすぎだにょんヽ(´∇`)ノ初期仏教の状態と今の時代とは違うぢぉ
513 :
神も仏も名無しさん :2007/09/25(火) 17:51:41 ID:qo+XBNb/
考えても仕方ないことを考えるのは妄想でしょう。 注射が嫌なら具体的な行動を起こして注射をやらなければいい。 単に怖いとか嫌だとかわめいてるのは、 今・ここの現実のみをみつめる(まだ注射されてないから現実には痛みはない)観察でもなく、 新しい答えを模索する計算や推測でもなく、 具体的な行動のための計画でもない、 妄想でしょう。
514 :
神も仏も名無しさん :2007/09/25(火) 18:02:11 ID:qo+XBNb/
注射しなくちゃならない→怖い→嫌だ→でも注射しなくちゃならない→怖い→嫌だ→でも… と、同じ思考の堂々巡りで、新たな答えはそこから導きだされない。 なぜなら、うだうだ言ってるだけでは、新たな情報がもたらされないのだから、 同じ思考材料しかないため。 考えても新しい答えが出ないことを、それ以上いくら考えても仕方ない。 答えは変わらないのに、嫌だ嫌だという感情だけが増幅され、 ストレスが増えるだけ。 それならいっそ考えないほうがマシでしょう。
>505 練炭自殺と原始教団の差は、輪廻するかしないかだと思います。 二つの例があります。解脱した者の自殺と解脱してない者の自殺です。 後者は、律の殺人戒についての因縁で、ダーサカが病苦のパーラカに毒を飲ませて自殺させてたことを、 釈尊が否定し殺人戒を制定したからです。これはパーラカが解脱してなかったからでしょう。 これに対して「病あつきヴァッカリ」は、(中公の世界の名著1、451-456) 病の床についたヴァッカリ尊者のもとへ釈尊がいらして、語りかけます。 釈尊:悩みや後悔がないか? ヴァッカリ尊者:ある 釈尊:では戒律は清浄だったか? ヴァッカリ尊者:清浄 釈尊:清浄なら悩みや後悔などないではないか! ヴァッカリ尊者:釈尊にお目にかかる体力がないこと 以下引用、 「ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい。おまえが、(わたしのやがては)腐敗してゆく この肉身を見たからといって、それがいったい何になろう。ヴァッカリよ、ものごとの理法を 正しく見る者は、わたしを見るのであり、わたしを見る者は、ものごとの理法を正しく見ること になるのです。ヴァッカリよ、ものごとの理法を正しく見ている者は、(結局その理法にほかな らない、この)わたしを見ていることになり、わたしを見ている者は、(結局のところ)もの ごとの理法を正しく見ていることになるからです。 ヴァッカリよ、ものは、永遠に不変のものなのか、それとも無常なのか、 おまえはこのことをどう考えるか」 「師よ、無常です」 「感受、想念、因果的存在、心は永遠に不変なのか、それとも無常なのか」 「師よ、(それらはすべて)無常なものです」 「こういうわけだから、このように(すべてのものが無常であることを)みて、再びこの(苦の) 世界に生をうけることはないと知るのである」
この後ヴァッカリ尊者は無常を覚り、自殺します。すると悪魔がヴァッカリ尊者の魂を探すが、 魂は止まることなく涅槃したことを釈尊がみなに告げる。 ヴァッカリ尊者のように自殺して涅槃に入ったケースにゴーディカ尊者がいます。 六度解脱し六度解脱から後退した彼は、七度目に解脱した時に自殺し涅槃する。 悪魔がゴーディカ尊者の魂を探すが、見つからない。釈尊は彼が涅槃したことを讃えます。 中村元訳『悪魔との対話』岩波文庫 48-52 解脱した状態で死ねば、輪廻しないが、退転した状態で死ねば輪廻する。 だからゴーティカは自殺した。釈尊もそれを称えています。 輪廻は解脱しなければ自殺しても逃れられないのです。 一切皆苦を実感すれば、「歯が痛いからといって首を切るようなもの」とは考えないでしょう。 また、大乗が社会と折り合いをつけていたという解釈は、非常に怪しいもので、 どちらかというと、大乗は行者集団だったのではないかと思ってます。 寺院に定住するようになったのは、かなり後になると。 >506 それは文献学の誤りではなく、学者が文献学に適当な想像を持ち込んだだけでしょう。 つまり、正確に読めてなかっただけ。 文献学は、当然、碑文も考古学もヒンドゥーその他の資料を利用してきたので、 日本の学者が先入観で大乗は大衆の信仰、在家運動だと思ってただけでしょう。 今も、文献学者は、素朴実在論に立っている人ばかりなので、大乗経典を創作と思ってます。 しかし、創作物を信じて命がけで一生取り組むでしょうか、龍樹菩薩や、世親菩薩などのような、 傑出した知力の持ち主が。私はとてもそうは思えません。
>>516 善逝は応機に説き玉う。
敢えて死者を貶むるも貶めざるも又而り。
其望みに臨む已。
518 :
神も仏も名無しさん :2007/09/27(木) 13:47:53 ID:EHtzobsV
仏教とヒンドゥー教 どこが違うの
519 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 01:06:06 ID:bWS/7fnE
>>518 ヒンズーと仏教は何故同じだと思うのヽ(´∇`)ノ
520 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 06:22:02 ID:TfwpXT9D
521 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 08:33:25 ID:bWS/7fnE
>>520 (´・ω・`)
同じ神様?
密教の神様のこと?
522 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 08:55:12 ID:PRyN9UcX
葬式仏教じゃない まじ仏教やってる流派は無いんですか?
家に仏壇を設けることを許されず供養したくてもできない状況です。 先祖の宗派がばらばらでも供養の気持ちで手を合わせても良いお寺は何宗でしょうか?
525 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 12:19:04 ID:MMBkbnaP
南都のお寺はどう? 先祖供養してくれるかどうか分からないけど
526 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 12:19:05 ID:KXEssPhf
527 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 12:26:40 ID:MMBkbnaP
葬式仏教もすばらしいんだけどね。 ていうか、日本人向き
525さんありがとうございます。 南都のお寺ってなんでしょうか?
529 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 13:28:51 ID:3hVdj58v
>>524 本来日蓮宗、浄土真宗以外なら、どこでも ok のはず。
そして、別に宗派など考えずに、諸仏諸菩薩に貴方が真心から、供養するならどこでもいいはず。
また、先祖供養もいいですが、供養するなら三宝に供養するのがよく、
供養したら、その功徳を一切衆生に回向するのが重要です。
530 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 13:33:42 ID:bWS/7fnE
>>524 仏教=お釈迦様
宗派の行き着く先はお釈迦様
元を辿ればお釈迦様になるから宗派はあまり気にしなくても良いかも
宗教は先祖を見る生きてる人次第だから
生きてる人が一番だから
生きてる人次第
亡くなられた人の宗教に余りこだわらくても良いかも
(´・ω・`)
宗派は統一したほうが良いかも
管理が楽々
531 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 13:47:31 ID:7WDhHd1Z
532 :
miumiu :2007/09/28(金) 13:56:58 ID:kK6KOcNj
はじめまして。悩んでいる事があってこちらの掲示板にたどり着きました。 私の母が富山県高岡市にある御手南会という宗教にのめり込んでいるようです。 仏教の分類に入ると思いますが、「なむあみだぶつ」ではなく「ぶつほうぎょくしん」と念仏を言っています。 そして教祖である金森さんに認められた人が水に手を合わせてこの念仏を3回唱えると「ただの水」が「ごほうすい」と言われる水になり、万病に効果があるとか・・・。 正直、私には信じられません。基本的に多額のお金を取られたりとかはないようですが、数万円の水晶の玉を買ってきたこともあります。 場所は高岡駅正面玄関を背に右手に道なりに進みます。 突き当たったら(右手にサティが見える陸橋があります)左折して右手に金森洋品店が見えてその奥が集会場です。 土曜日ともなると周囲は信者がいっぱいでみんな吸い込まれるように集会場に入っていきます。 私も一度だけ入りました。誰でも入れる感じです。 1人1人教祖の金森さんの前に出てお願い事や相談事を話して「ぶつほうぎょくしん」と唱えていました。 どなたかこの御手南会について知っている方はいませんか? または私のこの話を読んでどう思いますか(やはり怪しげな宗教だと思いますか?)?。 母は富山県に住んでいないのですが、電車で週に3回は通って祈っているようです。 極少額で強制ではないのですが、お布施もしているようです。初めてでこんな長文ですみません。 なんでも良いので情報やアドバイス等お返事を頂けたらと思います。
金森まつゑ氏の主催する真宗系新宗教 普通に霊感商法
仏教とキリスト教の違いを教えてください。
535 :
地のさそり :2007/09/28(金) 14:32:36 ID:bgN6Jb8B
仏道で重んじられている「空」のチャクラの位置に ほくろがある私が、額の中央にあるのがほくろでなく、イボであるという 仏やら菩薩やらの第3眼を邪眼と思ってるけど、あれは邪眼なんですか?
536 :
地のさそり :2007/09/28(金) 14:47:16 ID:bgN6Jb8B
あぁ、私、第3眼の位置にもほくろがあるから
537 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 15:16:26 ID:MMBkbnaP
>532 伝統仏教ではなさそうですね。 手かざしとか、病気の治る水・・・よくある宗教ですね。 でも、もし病気になったら病院に行ったほうが確実に直ります。 病院でも直らない病気は、だれが治療しても治りません。 そういうときのための正しい信仰は必要ですが、 そこの宗教では難しいでしょうね。 はまるほどの価値は無いと思います。
538 :
地のさそり :2007/09/28(金) 15:17:28 ID:bgN6Jb8B
空って第5感よ。 で、下から順に 地水火風空真美 真と美はガイア神直伝
>>530 今は真言宗のお寺にいっています。檀家でもなんでもないです。
亡くなった母が日蓮系の新興宗教にはまって過去帳に親戚の端の端まで載っています。
私は直系のご先祖と友人が亡くなってから供養してもらっていないので供養したいと思っています。
540 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 16:39:51 ID:bWS/7fnE
>>539 もし貴方が霊魂があると信じ
そのため神経質になってるなら
その日蓮系が戒名全て一つにしてたり
そもそも霊魂の存在を否定してる宗派なら
ご先祖様をその宗派から抜かないと駄目です(´・ω・`)
貴方のご先祖様はその宗派と契約してる(お母さんが勝手に契約)ので契約を破ってあげないといけないかも
541 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 16:40:51 ID:bWS/7fnE
>>532 (°∀°)既レス読んで貴方はどうしたいの?
542 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 17:17:54 ID:3hVdj58v
>534 キリスト教などのセム三宗教は、創造主としての神の命令に従いなさいという宗教です。 仏教は、釈尊などのブッダが、自分が経験した解脱へ至る道を説いた教えで、 信じるならやってみてくださいというものです。
>>542 「神の命令に従いなさい」=「解脱へ至る道を説いた教え」じゃないですかね。
いわゆる、これでは、イエスも釈迦も同じですし、実際、親鸞もイエスも結局同じだという話を聞きます。
大乗仏教があったから、キリスト教は広まらないみたいな前提になってるようです。
本当なのでしょうか?
544 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 18:11:41 ID:bWS/7fnE
>>543 「神の命令に従いなさい」=「解脱へ至る道を説いた教え」じゃないですかね。
例え目的が同じでも
手段が違います(´・ω・`)
釣り?
545 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 18:20:41 ID:KXEssPhf
>>543 一緒くたにしてはいけない。
全部違う宗教
その通り。 真言宗も天台宗も浄土宗も浄土真宗も日蓮宗も曹洞宗も顕正会も創価学会もみんな違います。
547 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 18:53:47 ID:bWS/7fnE
>>546 (°∀°)残念
ソッカーと堅賞はおなぢ日蓮勢州だぉ
548 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 20:01:03 ID:3hVdj58v
>>543 「神の命令に従いなさい」と「解脱へ至る道を説いた教え」は、違います。
仏教では、創造主としての神は、輪廻する存在で、本質的に我々と変わりない生き物とされます。
そのような存在の命令に従っても、一時的な安楽は得られても、輪廻から解脱できないとされます。
>いわゆる、これでは、イエスも釈迦も同じですし、実際、親鸞もイエスも結局同じだという話を聞きます。
これは多分、清沢満之以降の真宗教学に基づいた説法を聞かれたんだと思いますが、
一部の真宗教学ではそのように仰るかもしれませんが、実状は違います。
イエスというようりセム系宗教とインド系宗教は全く目的も手段も違います。
仏教に関しては、水野弘元先生の『仏教要語の基礎知識』を読んでください。
セム系は、ユダヤは関根正雄、キリストは石原謙、イスラムは井筒俊彦先生を読めばいいかと思います。
変な本は、読むだけ害になりますよ。
これは日本に「大乗仏教があったから、キリスト教は広まらないみたいな前提になってるようです」
ということでしょうか? それなら仏教があったからキリスト教は広まらないなら分かります。
仏教が根付いて、本当の僧侶がいる国ではセム系宗教は流行してないでしょう。
東南アジアの仏教国、チベット、モンゴルなど。
>>546 いえ、インド仏教の本質から見れば、日蓮系と真宗以外は、そんなに違いはありません。
549 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 21:16:07 ID:PRyN9UcX
いや、葬式仏教というのは死んだ後の話じゃないですか 今、生きて居る己がどう生きるかという今生きて居る人間の生存に焦点を当てるのが正しい仏教だと俺は思うし そうでなきゃ仏教など何の価値もない
日本には、原始的な仏教はないのでしょうか? 戒名一つにしても、これって本当にブッダの教えに沿って死後に必要な名前なの?とか 仮に死後に必要だとしても、名前になぜ金がかかるの?ってしまうのです。
551 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 21:47:53 ID:PRyN9UcX
江戸と明治に迫害されまくって骨抜きになったのかもされませんな 現代では金集めの手段だし
552 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 21:48:55 ID:PRyN9UcX
個人的には法句経に帰依してます
553 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 21:51:58 ID:bWS/7fnE
>>549 葬式仏教は仏教のオプションの一つに過ぎません
葬式仏教が仏教の全てではなく
仏教の一つに葬式仏教があります
お寺に行けば普通に人生相談も出来ます
たまたま日本では葬式そして先祖供養に特化したものが発達しましたが
それが仏教を否定するものになりません
何故ならお釈迦様が否定していなかったから
そもそも仏教とはなんだと思いますか?
554 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 22:02:50 ID:bWS/7fnE
>>550 (°∀°)原始仏教にこだわるとオムとかわけわからない新興宗教なっちゃうから危ないね
原始仏教の時代は平気でお釈迦様は信者にひざまつかせ足にキスさせたりした時代
今の時代にお釈迦様が信者にひざまつかせキスさせたりしたら(ノ_<。)
そもそも仏教の目的とは?
555 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 22:11:52 ID:PRyN9UcX
別に仏教に拘って無いよ 仏教が現代人に取って無力な教えなら滅ぶしかないし 新たな宗教が勃興して来るのも必然かと思う
556 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 22:15:01 ID:PRyN9UcX
殆どのお寺は人生相談なんかやってないし 飢えた親子が寺に救いをもてめて来ても 不法侵入で通報するか役所に引き取ってもらうのが関の山だろう
557 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 22:17:29 ID:PRyN9UcX
そもそもお寺の和尚さんは大学で勉強はしてるかもしれんが 修行はしてないんじゃないかと思う 修行もしない只の凡人に人生相談しても仕方がない面がある
558 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 22:38:40 ID:bWS/7fnE
>>555 (°∀°)仏教を誤解しまくり
仏教に期待しすぎ
なんか真理とか期待してそう
559 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 22:39:16 ID:3hVdj58v
>>550 たぶん、テーラワーダ仏教を指しているんでしょうね。いくつかありますが、
私は、ビルマ仏教の方がよかった印象があります。
戒名というのは、死後必要なわけありません。
あれは、本来、臨終の時に出家させて戒名を授けて、
功徳を積ませ来世を少しでも良い状態にすることを目的としています。
名前にお金がかかるのではなく、三宝に供養することが本来の意味です。
すべて嫌でしたら、やらなければいいだけです。
560 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 22:40:52 ID:3hVdj58v
>>558 いや、仏教は本当に素晴らしいものですよ。
貴方は、ただ本当に素晴らしい僧や法に出会ったことがないだけでしょう。
561 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 22:47:53 ID:bWS/7fnE
>>560 仏教も所詮道具にしかすぎない
使う人に寄っては如何ようにもなる
素晴らしい(笑)
素晴らしいって主観的相対的で人によっては判断分かれますね
貴方にとって素晴らしいくても
ポキにはごみくず以下ゾウリムシ以下かも
ちなみに貴方の素晴らしいとは?(°∀°)
562 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 22:47:54 ID:PRyN9UcX
だったら仏教系宗教への免税特権は廃止すべき 人助けもしない教えも説かない 存在する意味が無いだろ
563 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 22:49:56 ID:bWS/7fnE
>>562 (°∀°)言ってる意味分からない
仏教だけが免税?
はて?
ポキにはサッパリ分かりませんが?
564 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 22:50:14 ID:PRyN9UcX
道具にしても役に立たない道具は捨てるべき いやむしろ道具主義的な考え方をする人だよ俺は オウムだろうが釈迦だろうが人生に役立つ宗教が善き宗教
565 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 22:53:39 ID:bWS/7fnE
>>564 道具だかね
使いこなせない
誤解したりする人もいるだろうね
ナイフを人殺しにつかったり
刀で旨い料理作ったり
使う人次第(°∀°)
566 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 22:55:36 ID:PRyN9UcX
結局人によるって訳ね。そんな思想は俺に取っては何の価値もない。
567 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 22:58:40 ID:PRyN9UcX
俺は俺として生まれ出て来てしまったのだ そして俺を引き受けて生きて行かなくてはならない たとえカルマに塗れた悪人だとしても
568 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 23:00:40 ID:3hVdj58v
>>561 なぜ素晴らしいか? それは側にいるだけで安らぐような圧倒的な慈悲心と存在感のある人を作りだせること。
これが世俗的意味で素晴らしいこと。
私は、人が変わるのを何人か見てきました。教えと師と、その人の行の力です。
もちろん、貴方に縁や機根がなければ、どんな素晴らしい法も師もゴミのようにしか見えないでしょう。
569 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 23:01:46 ID:3hVdj58v
570 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 23:03:58 ID:PRyN9UcX
569 こっちが聞きたいんですよ 実存の謎を解き明かせるのであれば仏教に帰依するよ
571 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/28(金) 23:05:13 ID:bWS/7fnE
>>567 (°∀°)
あのさ
仏教誤解してる
仏教は苦を取り除く教え
苦は人の素質環境等によって違うの
仏教はその具体的個人に合わせた苦を取り除く教えだから
一般的抽象的な哲学とかは違うのさ(≧ω≦)b
君のカルマとポキのカルマは違うの
違うカルマを同じやり方では取り除けません
572 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 23:05:40 ID:PRyN9UcX
568 その師を必要として居る いわば虫歯が痛いと 痛みを取り除いてくれる名医を求めて居る
573 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 23:07:03 ID:PRyN9UcX
なにもアンタと俺のカルマが同じだなどと一言も言ってないだろう
釣堀スレだったのかw
575 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 23:13:26 ID:PRyN9UcX
思いっきり話を変えるが六波羅蜜について教えてくれ
576 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 23:20:20 ID:PRyN9UcX
俺の苦しみを救ってくれないのか仏教は
577 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 23:38:20 ID:3hVdj58v
>>570 それは、行をして無常・無我・空を実感しないと分かりません。
そして、それを達成するには良い師が必要です。
なぜなら、我々は認識が誤っているのに正しいと思ってるからです。
それを直すには正しい認識を持った根気強い師が必要なのです。
以上では納得できないでしょうから一応、仏教の我とか諸対象は何かということを私の理解の範囲で以下に述べます。
例えば、川の流れは絶えることなく常に新しい水が流れているのに同一の実体を持った川と認識するように、
物質的にも精神的にも常に流動的で変化して止まないのに私が同一の実体を持った私と認識してしまう。
この実体・本質を本能的に求めて認識してしまうことを無明といいます。
仏教は、この無明を破壊して無常・無我・空の正しい認識に戻るための道と考えます。
そして、以上はただの論理であり、これが論理的に分かっただけで悟れるのではありません。
禅定の深い心の落ち着きのなかで、縁起観をすることで悟れると諸仏教の伝統は主張します。
そのためには、その境地を体験し、伝統に従った師が必要なのです。
578 :
神も仏も名無しさん :2007/09/28(金) 23:48:17 ID:PRyN9UcX
なら師を紹介してくれ あと自己が変化するとしたら悪い方にも変化するんじゃないか?
579 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 00:17:38 ID:MPPRQYmN
>>575 六波羅蜜は、布施、戒、忍辱、精進、禅定の方便の五波羅蜜と、智慧面の般若波羅蜜です。
布施波羅蜜には財施、法施、無畏施の三つがあります。
財施は、所有物を他者に与えることです。
法施は、他者に潅頂、法を説くことなどです。
無畏施は、殺されそうな生き物を助けてやることです。
戒波羅蜜には、律儀戒、摂善法戒、饒益有情戒の三つがあります。
律儀戒は、悪いことをしないことです。
摂善法戒は、良いことをすることです。
饒益有情儀戒は、他の生き物のためになることをすることです。
この場合、悪いことは他者を害することです。
忍辱波羅蜜には、耐怨害忍、安受苦忍、諦察法忍の三つがあります。
耐怨害忍は、他者が害じてきたことに耐えることです。
安受苦忍は、法を成就するために苦難に耐えることです。
諦察法忍は、勝義などの常識を覆す真実に耐えることです。
580 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 00:18:15 ID:MPPRQYmN
精進波羅蜜には、被甲精進、加行精進、無怯弱無退転無喜足精進の三つがあります。 被甲精進は、時間を無駄にせず法に努力することです。 加行精進は、無常を心に念じて一瞬も先延ばしせず努力することです。 無怯弱無退転無喜足精進は、善の成就に飽くことなく努力することです。 禅定波羅蜜には、凡夫禅定、簡択禅定、如来禅定の三つがあります。 凡夫禅定は、様々な禅定体験を愛し執着して体験を追求するような禅定です。 簡択禅定は、空を愛し執着して追求するような禅定です。 如来禅定は、空という対治の分別心にも執着しない無分別の禅定です。 般若波羅蜜には、聞般若、思般若、修般若の三つがあります。 聞般若は、師から教えを聞くことで得られる智慧です。 思般若は、その教えの意味を考え理解することで得られる智慧です。 修般若は、人無我と法無我を自分の相続に習慣づけ本来の状態に戻すことです。
581 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 00:27:28 ID:MPPRQYmN
>>578 師は、自分の縁で出会うものです。ですが、始めの手がかりとして
テーラワーダなら既に書いたビルマの先生がよいと思います。
大乗仏教なら、カトク・ゲツェ・リンポチェがよいと思います。
自分に縁のある師に出会うのは、結構時間がかかるものです、納得するまで探してください。
もちろん、良くもなるし悪くもなります。それは瞬間瞬間の身体、言葉、心の動き次第です。
そのために何が良く何が悪いかを知り、記憶して、身体、言葉、心の動きを常に注意する必要があります。
582 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 10:48:13 ID:035ypSk9
有り難う御座います 六波羅蜜をひとつ実践して行きたいと思うのですが 法に努力すると言う法とは何でしょうか あと禅定に段階があるようですが 禅定の指導とかってどこでやってますか 六波羅蜜の実践を説いたりする寺院って日本にありますかね さすがにチベットにまでは行けないのですが
583 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 10:53:01 ID:035ypSk9
ちなみに禅定に関してですが 私は本格的に結跏趺座になったりはしませんが 寝る前とか起床時など一日を反省したり 気になる夢を見たら夢分析をするのですがこれは禅定の一種ではないですかね
584 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 11:02:11 ID:035ypSk9
無情観に関しては書物等で知識としては知って居る また自我や身体が流動変化することは経験的に知って居る 自我や身体に執着しないし現存する自我や身体を仮のものと考えて居る にも拘らず変化とは結局、善や美に向かった変化でなくては成らないと思って居る この変化が思ったより遅々として進まない 他人に施すにはまずそれなりの知恵や体力が必要だが こう言うのって結構先天的な部分ってあるよね
585 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 11:25:01 ID:035ypSk9
言わば師とはコーチみたいなものでしょ ひとりでやってるとつい怠けてしまうんで適切な時に喝を入れてくれたりアドバイスをくれる人が必要
586 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/29(土) 12:53:19 ID:FlXzoCVQ
(°∀°)熱心過ぎて神秘体験にはまらない為に師が必要 禅病とか偏差とか♪
587 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 12:54:41 ID:Vfj77kXu
師が解脱や悟りを与えてくれるって 何でも師匠におねだりする人って多いよね これって日本的 何でも、楽したいの人頼み コーチが優勝をもたらすのではない、選手のプレーがもたらす。 しかし、コーチの正しい指導がなければ、優勝はない。
588 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 13:21:20 ID:035ypSk9
師匠や方法論が無くて良いなら 仏教自体必要ねーだろうよ 余りトンチンカンな事いうな
おバカな師につくぐらいなら、仏教なんか必要ないヽ(^。^)ノ
590 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 14:26:54 ID:035ypSk9
しかし俺自身が馬鹿だって場合はどうすりゃいいんだと どうしようもないですと言うのが仏教なら俺に取って仏教など何の価値も無い
バカはバカな師について、死に体。 って、仏教は2000年以上生き延びてきた。 案ずることはない。 喜んで、バカにつきなさいヽ(^。^)ノ
592 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 15:30:33 ID:035ypSk9
別に仏教が生き延びようが滅びようが俺に取ってはどうでもいいことです。 あくまで俺が生き延び幸福になるのに役に立つか否かに価値がある
593 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 15:40:32 ID:035ypSk9
医学でも物理学でも良いのだ 仏教で無くても良い もちろん仏教の知恵に有用なものがあれば吸収したい
仏教にそんなものはない(^o^)/
595 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 15:50:46 ID:035ypSk9
じゃあ仏教とは人間に取って何の価値もない教えと言う事になる 即刻税制の優遇措置を廃止すべきだ
596 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 15:57:27 ID:035ypSk9
思うに594は葬式仏教で不当に金儲けして居る坊主の一族だろう 社会保険庁の次は寺社勢力が改革の対象になるだろうから覚悟して置いた方が良い 新興宗教団体の方が伝統仏教よりもまだまし 葬式仏教関係者の主張「我々は毒にも薬にもならないからキケンなカルトよりマシ」 こんな糞みたいな主張が通用するのは宗教関係者のみ 民間会社なら即倒産して居る 「当店のサービスは何の効果もありません」と主張して居るようなものだからだ
597 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 15:59:04 ID:035ypSk9
出でよ! 現代の織田信長!!
599 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 16:11:22 ID:035ypSk9
少なくとも仏教関係者が仏教に効果ないなんて口が裂けても言っては成らないはずだ それは仏教の解散解体を意味する それともそれもわからないほどボケ・アルツハイマーが進んでしまったと言う事か
600 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 16:15:08 ID:035ypSk9
禅堂で座って居る“だけ”の僧侶などニートと変わらない訳で、 最低限、瞑想するにしても人助けをする為や自分の人格向上の為ならわかるが ただ座って居るだけの痴呆老人を増やす教えを国が保護する必要はない
601 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 16:20:34 ID:035ypSk9
といって仏教を批判しているが 既成仏教も原点を見ると修行の方法論など真面目に考えてたんだなと思わせるものも多い しかしそれが何故現代に成るとこうまで堕落して居るのか せめて檀家の人格を向上させる為のセミナーを定期的に開く必要があるのではないか
603 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 20:34:29 ID:Uw0gzJT2
よく宗教者は「覚醒しなさい」と言われますが具体的にはどういうことで どういう行動のことを指すのでしょうか? オウムでもよく言われていたようですが・・アサハラは覚者になってる? 宗派によっても違うのですか? 又、何をもって覚醒したと自分にも他者にも分かるものですか?
604 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 21:13:53 ID:MPPRQYmN
>>582 真面目に聞いてくださって、ありがとうございます。
「法に努力すると言う法」は、単純にいって教えを実践するということです。
禅定の指導は、禅宗やテーラワーダで盛んに行われています。
六波羅蜜の実践を説いたりする寺院は、広島のチベット寺院でしょうか?
ただし、現在その寺院の優れた先生は、病で帰国中だそうです。
>>583 禅定は、禅宗は別にして一般的に意識を集中させることを言います。
集中すると現在経験している対象が、段々消えていきます。
これを心の静まりと捉え、止、サマタ、シャマタと呼ばれます。
反省することは、一般に禅定とは言いませんが、修習と呼ばれます。
重要な訓練で、要するに良い状態、本来の状態に身体、言葉、心を馴らすことです。
広い意味で禅定は、修習の一種と考えられます。
夢分析は、密教の教えにあると思います。
>>584 無常観は、重要な教えです。無常だと実感することで対象や自分に執着がなくなる。
無常なのでいつ死ぬか分からないから、一瞬も無駄にせず精進するようになるなど、多くの効果があります。
> 他人に施すにはまずそれなりの知恵や体力が必要だが
> こう言うのって結構先天的な部分ってあるよね
この意味が分かりませんでした。
605 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 21:24:41 ID:MPPRQYmN
>>585 違います。師は例えるなら、医者です。まず、私たちは自分が無明の病に犯されていることを自覚し、
この病を治せる医者を捜す。もちろん名医も藪もいます。あの方は名医だと過去の事例から判断し、
一旦、医者に頼ったなら、医者が言う通り実行する。その実行が行で、ちゃんと直ってるか、
それとも全然逆のことをやってるか、観てもらい。指示を受けながら実行するのです。
もちろん、ちゃんとやるかやらないかは、自分にかかってます。
>>590 馬鹿、利口はあまり関係ありません。案外、愚直な方のほうが成功するような気がします。
単純な話、今世紀にブータンで五体投地の礼拝行だけで成仏した方がいるのです。
>>592 その「俺が」という意識が苦しみの元だと思います。
>>595-596 >>599 そう思います。
>>601 そうですね。ですが講義を開くためには、まず僧侶がある程度の境地に達してないと意味ないです。
そのために
>>600 禅定するのは意味あることです。
>>597 ご自身が、精進して偉大な僧になればいいじゃないですか? 一人、偉大な僧が出れば仏教は蘇ります。
606 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 21:31:15 ID:MPPRQYmN
>>603 それに答えられるのは、悟った方だけですね。笑
ただ仏教では無我、我意識が消えた者が悟った者と言います。
ちょっと禅定すると意識、見え方が変わります。
その心の静まりにも段階がありますが、この方法だけでは悟れないというのが仏教です。
その禅定状態を悟りと勘違いすることは、よくあることです。
それが勘違いだと指摘してくれるのが、他でもない師なのです。
麻原は、仏教の第四禅定まで言ったと言われますが、やっぱり師がいなかったので、
悟ったと勘違いして、慢心しあのように狂ったのだと思います。
607 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 22:34:10 ID:jMGpUa2h
>>606 では、“最終解脱者”等というのは大嘘吐き?
608 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 22:44:03 ID:MPPRQYmN
>>607 嘘ではなく勘違いでしょう。本人は本気でそう思ってたと思います。
だから師は必要なんです。
609 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 23:15:00 ID:035ypSk9
604 こちらこそ有り難う御座います。 日本の仏教でも開祖の教えはなかなか素晴らしいのですが 時代を下るとサラリーマン化してしまい 社会主義国の官僚みたいになってしまう悪弊がありますよね また、門下から宗教的カリスマが出て来ると逆に追放されてしまう 追放された人が新興宗教を創設して居るのかもしれないですけどね ちなみに六波羅蜜の実践は自分で個人的に出来るものなんでしょうかね 具体的に実践すべき法(教え)とは何なんでしょうか
610 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 23:30:16 ID:035ypSk9
ちなみに体力や知恵が無いと人は救えないというのは病人や馬鹿では他人の荷を持ってやる事も機知を働かせて助けてやる事も出来ないという事です
611 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 23:37:30 ID:035ypSk9
今、一瞬で我意識を捨てて世の為、人の為、神仏の為に無我夢中で働けるようになる方法は無いだろうか 「今備わらないものは未来に渡って永遠に現れ無い」 これは仏教にも深く通じて居た故・岡本太郎さんの御言葉ですが 今、今夜中に悟らなくては一生悟りはない 神よ仏よ助けたまえ!!!
612 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 23:41:37 ID:035ypSk9
前宰相がうつ病で辞職しましたが私もうつ病なのか気力が沸かない日々を過ごしてます 仏教ではうつ病をどう考えてますか 近代科学では原因を脳物質と考えますが 物質の実在を否定する仏教は脳科学やうつ病をどのように考えてますか?
613 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 23:51:00 ID:MPPRQYmN
>>609 そうですね。日本仏教の黄金期は平安時代でしょう。成就者がガンガンでたようです。
江戸幕府の宗教統制、明治の廃仏毀釈、戦後アメリカの宗教否定政策で、ほぼ瀕死状態なのが日本仏教でしょう。
六波羅蜜は、優しい順番になってますので、布施、戒、忍辱あたりを実践してみてはいかがでしょうか?
人になるべく施し、死にそうな生き物を逃がしてやる。
自分が嫌なことは人にせず、自分が喜ぶことを人にする。
人に攻撃されても耐える、逃げて攻撃しないなどです。
この忍辱は、マゾヒスティックになんでも堪え忍ぶということではなく、怒らないことが根本ですので、
自分が危害を加えられそうになった場合、方便を使って回避するべきです。
詳しくは金倉円照『悟りへの道』か、ダライラマ『至高なる道』『ダライ・ラマ〈心〉の修行』
あたりを読んでみてください。右へ行くほど易しいと思いますが、『悟りへの道』は根本で全訳です。
614 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 23:51:48 ID:035ypSk9
私の家は先祖代々黄バク宗なのですが 開祖のインゲンさんの修行の方法論を見るとダライラマのチベット仏教に近いイメージトレーニングを重視している見たいなんですね 案外、本山の満福寺に行けば今でもそういった修行はしてるんでしょうか 要するに私は照遍金剛に成りたい訳よ 周りを暗くするのでは無く明るく希望をもたらす人に成りたいが実際は逆だ‥
615 :
神も仏も名無しさん :2007/09/29(土) 23:54:39 ID:035ypSk9
忍辱だけは2chで鍛えられたせいか見事に実践出来てます ガンジーやイエスキリストもびっくりな程です
616 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:01:39 ID:BEUyVvgb
今夜中に悟るのは流石に無理かな‥
617 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:02:41 ID:hFnyklY+
>>603 よく気をつけていること。心に操られるのではなく、心を操ること。
たとえば、交通事故は、心が運転以外のところに向いて不注意になると、起きやすくなる。
で、なんで心は運転以外のことに向いてしまったかというと、
眼耳鼻舌身意からの刺激に反応して、運転以外のことを心が考えてしまったから。
心の衝動に操られて不注意になったら、事故を起こす。
よく気をつけて目覚めている場合は、
心が衝動的に雑念や余計なことを考えようとしても、
すぐにそれを制御して、必要な仕事を心にやらせるよう操る。
おいしそうな物を見て食らいつくことは動物でも衝動的にやる。
仏教徒は、食欲のままに行動してはいけない場面では、
食欲に関する思考に心が走ろうとしても、その衝動を速やかに制する。
今・ここで必要なことをしっかりやらせる。
618 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:08:12 ID:jue8S/4U
>>608 気分を悪くされたら申し訳ないのですが、それって結果論ではないですか?
事件が公になる前は、勘違いなんて耳にした記憶がないのですが・・・・・
619 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:09:28 ID:hFnyklY+
レジの前で小銭を落とすのだって、雑念があるからやってしまう。 たいていの人は、 「これからこのコイン一枚をつまんでサイフに入れてください」 と、あらためて言われたら、簡単にできますよね。 しかし、それをなにげない日常の場面でボーッとしてやってると、失敗しちゃう。 それは、心が煩悩のままに衝動的に走りまわって、 今やるべき仕事(小銭をつかむこと)に集中できてないからです。 小銭をつかむといっても、さらに分析すれば、 指を伸ばして縮めるという、単純な伸縮運動の組み合わせにすぎません。 指をのばして縮める、その簡単なことが、 煩悩による雑念で邪魔されたら失敗するのです。 心を操らないといけないのに、心に操られてるから失敗するのです。 煩悩の夢に操られた夢遊病状態から目覚めて、 今・ここの現実世界に常に集中していられるなら、 過去や未来についての悩みもなくなります。
620 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:11:41 ID:BEUyVvgb
仏教が凄いと思うのは心理学の教科書を見れば分かる事で 心を操る技術とか全然開発されて無いんだよね まだ仕組みが分かって来た段階で対して応用が出来て無い 一方仏教は7世紀くらいには今の深層心理学くらいの理論は出来てたみたいだしね
621 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:12:40 ID:hFnyklY+
瞑想をやると、よく気付いてよく目覚めて心を操るための訓練になります。 たとえば、静かに座って息をすって息をはく、 ただこれだけのことが難しいとわかります。 息をすってはくだけの短い間に、心はあっちこっちに妄想して、 今必要のない思考を浮かべさせてきます。
622 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:15:42 ID:VmET5wY/
>>610 それは仰る通りですが、体力・知力より動機が重要だと思います。
思いやりがなければ、体力・知力があっても害をなすだけかもしれません。
逆に思いやりがあれば、実際に助けられなくても安心すると思いませんか?
>>611 それは機根の高い人にはありますが、本当に稀なことです。
凡人は、結構、時間をかけて心を熟させていかないと無理です。
>>612 うつ病は、煩悩の一つでしょう。苦から解放することができる千載一隅のチャンスである
という自覚があれば、そんな気分にならないでしょう。
また、他者のために何かしているなら、非常に幸せな気分が持続できると思います。
それと全ての生き物は、本来ブッダであるので全てが貴重なのです。自信を持ってください。
近代科学ではうつ病の原因を脳物質と考えということでしょうか?
それは苦を感じさせる分泌物があるというだけで、それが原因とは特定されてなかったと思います。
脳科学や言語学、物理学でも、もはや物質に還元することは不可能としているのが現代科学ではないでしょうか?
それについてはマチウ・リカール『掌の中の無限』やダライラマ『徹底討議 心と生命』
『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』『科学への旅』あたりを読んでみてください。
623 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:17:45 ID:BEUyVvgb
ただ無意識のパワーが凄く強まって居て自我を脅かしている可能性って無いですかね 例えば、今こうやって書き込みをしてるのもかなり無意識に操られてますよ 早く寝て明日の仕事に備えろと自我は言ってるのに 悟り・コンプレクスが発動して居るのか夜中まで宗教板で書き込みをして居る お釈迦様にしても突然心の統制が効かなくなって、王子様としての業務を投げ出して、無意識の神話的パワーに操られて悟りの道に入って行ったという事もあるのかもしれない
624 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:22:35 ID:VmET5wY/
>>618 いえ、一部仏教徒の間ではずっと、そういわれてきました。
彼は、努力家で、結果は出したけど、完成する前に修行を止めて狂っちゃったと。
>>620 仏教は、釈尊の段階で完成していたと考えます。
心理学のようなアビダルマが出現するのは、紀元前250年ごろと言われていますが、
アビダルマは、釈尊の教えから後退したように思えます。
625 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:22:56 ID:BEUyVvgb
新約聖書のパウロも本当はイエス教団を虐殺しなきゃいけないのに心が統制を失い幻覚を見せられて ついにはキリスト教徒になってしまったと言う話がある 無意識と意識でどちらの言い分が正しいのか 案外、心に従った方がよい時もあるのではないか
626 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:28:00 ID:hFnyklY+
>>623 無意識といっても、そのときに心は何らかの対象に反応してます。
例えば、酔っぱらってとか寝惚けてとか精神疾患とかの理由でまぁ無意識だとします。
で、無意識のうちに、電車で可愛い女性をみつけてチカンをしてしまったとする。
で、この場合、意識あるなしにかかわらず、その人は、
可愛い女性に魅力を感じているわけです。
しかし、仏教で説く真理、無常などを心から納得している人は、
可愛い女性に魅力を感じないのです。
超能力だと思って魅力を感じてたのが手品だとわかって、
興味がなくなるようなもんです。
一度仏教の真理に納得して目覚めてしまうと、
世の中の刺激の「タネあかし」を見てしまったようなもんで、
冷静に見えてしまって、さまざまな刺激に欲望や怒りがわかなくなります。
可愛い女性に対する衝動的な欲がわかなくなった人は、
たとえ無意識状態でもチカンしないですよね。
627 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:29:49 ID:BEUyVvgb
621 心理学で言う自由連想法でもありますよね 瞑想すると確かに念が浮かびます そしてこの念は間違いなく現実の行動に影響を与えてると思うんですね ただ無意識だから気がつかない この念を自覚するのが禅の目的でしょうか チベット仏教や古い禅宗の思想を見ると積極的に善き念を植え付ける修業法があるようですが また、中村天風がもちかえってきたクンバカ法なる精神統一技術も密教に連なる技法と言う気がしますね
628 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:35:42 ID:BEUyVvgb
‥しかし可愛い女性に魅力を感じなくなったら人生詰まんなくないすか? 例え可愛い女性もその正体は糞尿袋なりと達観して見ても 空即是色でそんな糞尿袋が可愛く感じるのは仕方がない部分もある
629 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:39:22 ID:hFnyklY+
>>627 そうですね。そういう面がありますね。
で、もう一つは、
念(おもい)は瞬間瞬間に浮かんでは消える、無常なものだとわかること。
今まで連続した動画だと見ていたものが、
実は一コマ一コマ別々の静止画像があって、
それが猛スピードで入れ替わっていたんだとわかる。
一コマのできごとは、所詮その瞬間の一コマだけのできごとである。
だから、ちょっとコツをつかって次の一コマを別な方向にむけてやれば簡単に流れが変わる。
この一コマは絶対的な重大なできごとじゃなく、
この一瞬間だけのはかないできごとだとわかる。
可愛い女性を見たときだけ可愛い女性が見えるけど、
次の瞬間に別のことを考えたらもう、心は可愛い女性のことなんて忘れている。
その程度の刺激にすぎないとわかるのです。
一瞬耐えられることは、一生耐えられるとわかる。
妄想を増大させずに一瞬一瞬で完結させればいいとわかる。
630 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:44:37 ID:hFnyklY+
>>628 「つまらなくなる」という考えさえなくなるのだから、
実際に悟ったらべつに「つまらないなぁ」とは思わないのでは。
くしゃみにめちゃくちゃな魅力と快楽を感じる人は、少ないでしょう。
でも、何らかの必要性があってくしゃみを出さなくてはいけなくなったら、
鼻にコチョコチョと意図的に刺激を与えてやって、くしゃみを出せるでしょう。
ですから、衝動的な欲望や怒りが減っても、能力的には問題ないのでは。
631 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:47:05 ID:BEUyVvgb
実は一コマ一コマ別々の静止画像があって、 それが猛スピードで入れ替わっていたんだとわかる。 このへんは実感としてはまだ分からないですが とりあえず実践して見ようと思います
632 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:47:01 ID:hFnyklY+
あ、説明不足だったかも。 くしゃみに魅力を感じなくても、普段、 「くしゃみに魅力を感じない私の人生ってつまんないなぁ」 なんて思わないです。 しかし、くしゃみを出せなくなったわけではありません。
633 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:50:28 ID:BEUyVvgb
なるほどくしゃみに変に執着しないと言うのが肝要ですね
634 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:52:22 ID:BEUyVvgb
ちなみに心をコントロールする目的とは何でしょうか 仏教では何を目指して心を統制するのでしょうか
635 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 00:56:27 ID:BEUyVvgb
例えば仕事に集中したいと思ったら仕事にチャンネルを合わせれば良いと言う事でしょうね しかしどうしても見たいチャンネルがあったりするとチャンネルを変えるのは一大決心では?
仏教で心を操作する理由は、三毒を発生させないためです。 キリスト教にも五つの悪が存在していると聞いた時が有ります。 それを出さないようにキリスト教も心を操作しています。 仏教、三毒を出さない用に心を操作しています。
637 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 06:55:58 ID:zhCcGjsy
>>624 そうですか・・・・w
責任追及をするつもりはありませんが、そう言われていたのなら何故、黙認・野放し?
にされていたのでしょうか?事件が起きる前にもオウムは、若者が出家したりして家族
が苦しみ社会的問題になってました。もし、警告されていたらあのような事件を起し沢山
の人達が苦しみ、犯罪者になることも防げたかもしれません。
638 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/30(日) 07:52:04 ID:IEUcHxg4
>>637 浅腹?
そもそも仏教ぢゃないよ
オムの前から凄い迷惑
ムーとかって雑誌にも宣伝してたし
口コミじゃなくカルト雑誌に出た時点でアボーン(ノ_<。)
> そもそも仏教ぢゃないよ 仏教です。
640 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/30(日) 08:22:56 ID:IEUcHxg4
642 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/30(日) 09:01:59 ID:IEUcHxg4
>>642 質問に質問して、はぐらかすのはやめましょうヽ(^。^)ノ
644 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/30(日) 09:06:39 ID:IEUcHxg4
646 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 09:23:16 ID:hFnyklY+
>>635 チャンネルを変えるのが辛い、というのがあらゆる苦悩のもとなのです。
すべて無常だから、世界はどんどん変化するのに、
自分は変化したくないと思ってるから、苦悩になる。
変化する現実から心がとりのこされないようにする。
647 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 12:57:56 ID:VVVe1uga
目が痛いのは何の業ですか?
648 :
南無大師遍照金剛 :2007/09/30(日) 14:48:30 ID:IEUcHxg4
>>647 (°∀°)それはなんかの宗教ですか?
ちゃんと病院行こうね♪
649 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 18:07:19 ID:BEUyVvgb
646 しかしチャンネルがコロコロ変わってるとしたら、いやこのコロコロ変わるチャンネルに主体性はあるんですか? 意味なく変わるチャンネルに合わせてたら人生が破綻してしまう
650 :
637 :2007/09/30(日) 22:05:55 ID:UDw42bYY
亡己利他・四無量心・無我・・・等の教えを実践し、宗教被害の減少に尽力をお願いします。
651 :
神も仏も名無しさん :2007/09/30(日) 23:57:26 ID:hFnyklY+
>>649 チャンネルというのは例えでしょうけど。
浮かんでは消える刺激の連続に翻弄されずに、
手放す訓練、捨て続ける訓練をする。
652 :
神も仏も名無しさん :2007/10/01(月) 18:03:43 ID:84ccYbdt
>>647 外界の刺激に振り回されずに、もっと心の目を養いなさい、という示唆です。
真理から目を背けると、そのように目が痛くなってきます。
653 :
神も仏も名無しさん :2007/10/01(月) 18:46:31 ID:gEapjGHO
心の目ばかり養って居ると現実で役立たずに成るよ
>>653 それは養い方が半端か、現実という経済行動に問題があるかのどちらかでしょう。
655 :
神も仏も名無しさん :2007/10/02(火) 18:59:37 ID:/iFrjTTB
経済行動抜きに修行も糞も無い そういうのを現代ではニートと言う
法に背く経済行動のことを言っているですが。 それに法を本当に実践するなら世俗を完全に捨てるのはよいと思う。 これには非難が来そうだがw
657 :
神も仏も名無しさん :2007/10/02(火) 22:51:47 ID:/iFrjTTB
法の内容が何を示しているのか知らんが 利他行為だとすると利他は思いの他喜びをもたらすとは限らず喜びをもたらさぬ行為はそう長続きしないものだ
嫁ぎ先のご先祖様と実家(私のご先祖様)をいっしょに供養してはいけないのでしょうか? お経を別々にあげれば実家の供養をしてもかまわないのでしょうか?
659 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/07(日) 16:14:32 ID:/EdwxmO0
>>658 供養を一緒にする?
お墓を同じにする?
お仏壇を同じにする?
(°∀°)?
一緒に供養とは?
貴方の供養とは?
やっぱりおかしいですよね…すみませんでした…
>>660 具体的にどういう行為をするのかが判らないと
何もコメントできません。
構わない場合もあるだろうし、避けた方が(遠慮した方が)いい場合もあるかもしれない。
その情報量ではなんとも・・・。
662 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/07(日) 17:58:37 ID:/EdwxmO0
>>660 お経を唱える時
貴方の嫁ぎ先のご先祖様とご先祖様の親族縁族(貴方のご先祖様も入る)の為
に唱える(°∀°)なら桶♪
663 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/07(日) 18:06:27 ID:/EdwxmO0
>>660 仏壇やお墓は気にするなら分けるべき
お寺に聞くと良い
宗派により変わるから(°∀°)
気にしないなら一緒にしても良いかも
したい理由により答えも変わります
面倒だからという理由と
自分しか先祖様をみる人が居ないからとでは答えが変わってきます
660です ありがとうございます。 般若心経を唱えます。私以外に供養する人はいません。 仏壇はありません。ある場所にしゃしゃきお花お水お線香を供えてます。
665 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/07(日) 20:21:49 ID:/EdwxmO0
>>664 供養の意味にはいろんな意味あると思います
(°∀°)一つには
ご先祖様自体を励まし逝くべき所に逝かせる
つまり応援する
二つ目は仏様の力を借りご先祖様を逝くべき道に導いて貰う
3つ目はその他略
仏様の慈悲は広大無辺であり
貴方のご先祖様も救ってくださるかも(°∀°)
お釈迦様の手にはミズカキがあったそうです
そのミズカキは一人でも多くの人を救ってあげたい
そんな気持ちからお釈迦様の手にはミズカキが…
本当かは知りませんが
貴方の嫁ぎ先のご先祖様の供養の時
なにげに加えて下さい
○○家(貴方の嫁ぎ先の)ご先祖様と親族縁族の霊位が仏の道に進みますように
お経を読む前に付け足すと良いかも(°∀°)
このお経は何の為に読むのか
はっきり意思表示しませう
>>664 一人で(&個人で)するなら何も問題はない。
>>663 にあるように、宗派によっては不可な場合もあるだろうが
自宅で(部屋で)(坊さんや寺関係なしに)祈るのであれば、
一緒でもだれも文句は言わない。
一緒に供養すればいい。
お寺さんに何か言われるようなら、その時だけ、位牌等別にしておけばいいw
本当にありがとうございました。 心置きなく供養できます。
668 :
神も仏も名無しさん :2007/10/08(月) 20:34:54 ID:gq19gYtM
輪廻転生板にも書きましたが、 私には仏教と違う独自の輪廻転生観があります。 輪廻転生するの魂ではなくは水であるというものです。 考えてみて下さい、私達を構成する物の約七割が水です。 その水はかつて別の何かであり、今は私達であり、やがて別の何かになります。 私達を構成する水は、かつて恐竜だったかもしれませんし、 地球が出来てから今まで海をたゆたっていて、今初めて生物になったのかもしれません。 私達を構成する水は日々入れ替わっています。 ならば昨日の私達と今の私達は既に別人といえるかもしれません。 かつて私達を構成していた水は、大地に融け植物になるかもしれませんし、 川で魚になるかもしれませんし、海を長い間たゆたうかもしれません。 水は流転する。当たり前の事ですがこれが私にとっての輪廻転生です。 なぜこんな変な輪廻転生観を持つようになったかと言うと、 小学校の理科で水の循環の授業を受けた時に凄く感動したのです。 その時にふと思ったんです。この体の中の水も昔は雨や川だったんだ、その前は一体なんだったんだろう? 私のオシッコは川や海に行った後雨になってその後何になるのだろう? その疑問が当時読んでた仏陀の漫画の輪廻転生と一つになってこの輪廻転生観になったのです。 仏教とかの輪廻転生に比べたら遥かに拙くてあやふやな物なのですが、 この輪廻転生観をもう十年近く抱いてます。スレ違いかもしれませんが何か感想や意見を下さると幸いです。 以上長文失礼しました。
669 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/10/08(月) 20:48:08 ID:wKfaLNxN
>>668 >この輪廻転生観をもう十年近く抱いてます。スレ違いかもしれませんが何か感想や意見を下さると幸いです。
>以上長文失礼しました。
いやいや、素晴らしいことかと思います。
禅では大自然(だいじねん)とか言ったりします。
親鸞は自然法爾(じねんほうに)とか言ったりします。
ようするに意味は同じです。
つまり、なんでもいいから自然観を持てるのは素晴らしいことです。
670 :
668 :2007/10/08(月) 21:16:20 ID:gq19gYtM
レス有り難う御座います。 大自然ですか。私はずっと輪廻転生の異端の考えだと思っていました。 かつて獣や虫や魚だったかもしれない水が今【私】になり、【私】から解放された水が再び獣や虫や魚になる。 水を魂に変えるとそのまま輪廻転生ですから。川や海にいる間は転生待ちの状態です。 今度時間ができた時に大自然は勉強します。
水の循環良いけど 水は思ったほど循環しないよ(ノ_<。) 自然は人間様の都合の良い用にはできていない 人間様は自然に反発し農業技術の進歩と過剰な農産物生産によって水不足が深刻なってんだって 既に地下水が枯渇して不毛の地になってる地域あるんだって(°∀°) 人間が住めなくなってんだって
(°∀°) 火葬してて本当に循環してる? 土葬は地球に優しい、自然資源へと変わる でも火葬は資源の循環を停めてしまう 人間が死ねば自然に帰るなんて 言うけど 本当にそう? 火葬は自然へのエネルギー循環を否定しちゃう 火葬が駄目なんじゃなく 因(死ねば)と果(自然へ帰る)だけみて縁(火葬により自然のエネルギー循環を否定)を見逃して納得しちゃう 火葬によりどんな問題が起こるか ちなみに火葬を否定はしてる発言ぢゃないよ(°∀°) 人間も土葬すると化石エネルギーに変わるとか?
673 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/10/10(水) 12:36:52 ID:wjp6gJ62
>>673 火葬によりどんな問題が起こるか
ちなみに火葬を否定はしてる発言ぢゃないよ(°∀°)
↑疫病対策とか
火葬の必要性は知ってるから
675 :
神も仏も名無しさん :2007/10/10(水) 17:26:20 ID:0isxShlu
火葬後の人灰は有機肥料として畑に撒くと良いですNe。 自然界の虫や動物の死骸も土に還って草木の滋養となるように 貢献しているのですから、人間様だって、ものものしい死に方をする だけではなく、彼らのように自然界に貢献しなくては駄目!! 海への散骨なんて葬儀の有り様こそ、仏教の教えに素直に従ったやり方 だと思ったりもします。 たかが骨ごときをいつまでも後生大事に奉る必要はありません。
676 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/10(水) 17:53:53 ID:PRfvk6sp
>>675 火葬後の人灰は有機肥料として畑に撒くと良いですNe。
(°∀°)
そんな野菜
ポキは食べたくない♪
677 :
神も仏も名無しさん :2007/10/10(水) 22:17:44 ID:wjp6gJ62
人体ははじめから地上にある物質でできてるから、 それを燃やすこと自体は地球温暖化には影響ない。 地下からの埋蔵資源を燃やすのが影響大きい。
678 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/10(水) 23:18:16 ID:PRfvk6sp
>>677 地上だから地下だからって(ノ_<。)
なんで地上だと温暖化ならなくて
地下なら温暖化なるのよ
KWSK
679 :
神も仏も名無しさん :2007/10/11(木) 00:22:00 ID:dctG43jj
>>678 地上の炭素が循環してるだけなら、二酸化炭素もあまり増えない。
地下の炭素まで発掘して燃やすから、
地上の二酸化炭素が急激に増える。
地上の二酸化炭素は
地球の熱を宇宙へ逃がさないようにする毛布の役割をするから、
温暖化になる。
680 :
昆布 ◆konbu//XQ6 :2007/10/11(木) 00:26:39 ID:NWPWBptS
>>678 南無よ、お前はやっぱり、メンヘルで、ニセモノらしいぞw
521 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2007/10/10(水) 22:27:53 ID:DdpyGBjC
まだメンへラ南無にメンヘラ昆布は拘って粘着してるのか 笑
それで仏教全てを批判するって単純すぎだろ
907 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2007/10/10(水) 23:49:17 ID:DdpyGBjC
南ムの仏教説が正しいと信じた馬鹿昆布がいただけだろ!
914 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2007/10/10(水) 23:58:38 ID:DdpyGBjC
あそこ仏教スレで仏教南ムが遊んでるのは別にかまわんだろ
ここは、質問箱ではなくて、やっぱり、誑かしの遊び場らしい(笑
また、遊ぼうぜ、南無ヽ(^。^)ノ
681 :
昆布 ◆konbu//XQ6 :2007/10/11(木) 00:31:23 ID:NWPWBptS
ほぉ〜ら、また、集まったぞぉ〜 918 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2007/10/11(木) 00:21:15 ID:u+DAM9Za くだらなね・・・どっちもどっち 919 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2007/10/11(木) 00:25:51 ID:u6TbkKYT さびしいねぇ なにが、「空」だか笑
682 :
昆布 ◆konbu//XQ6 :2007/10/11(木) 00:43:40 ID:NWPWBptS
ほぉ〜ら、南無 (^o^)/えさだぞぉ〜↓ 騒ごうぜぇ〜(^o^)/ 925 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2007/10/11(木) 00:39:51 ID:u6TbkKYT 顔文字バカ電波で1年間かぁ。 すごいなぁ。 ところで、南無は、まだ、写経で水子は除霊できるとかやってるのか? 仏教のスタンダードだよなヽ(^。^)ノ
683 :
神も仏も名無しさん :2007/10/11(木) 09:25:50 ID:pf2UsoHB
いい大人なのに嫁を捨て子を捨て友人を捨て親を捨て国を捨てた釈迦は大不孝者であり、仁義に反しませんか?
684 :
神も仏も名無しさん :2007/10/11(木) 10:06:26 ID:xvs+07Es
仏道とは、出世間の法なり 683さんの観点なら、儒教で十分
685 :
神も仏も名無しさん :2007/10/11(木) 12:50:56 ID:dctG43jj
>>683 王の跡取りとなるべき長男の誕生を待ってから出家したので、
親への不孝は最小限にとどめた。
王家なので、家族が生活に困る心配もなかった。
686 :
神も仏も名無しさん :2007/10/11(木) 12:55:14 ID:dctG43jj
しかも、最終的には家族達も仏門に入るくらいに、 釈尊の悟りを喜んだわけだから、 罪滅ぼしと恩返しは充分できた。 結果オーライ。
レス読んでましたが難しいのでついていけませんでした。 スレ違だったらすみません。 私は少しのことで怒ったり泣いたり笑ったりします。愚痴や文句はいけないと思いますが我慢して言わない人や秘密にしたがる人より言う人の方が人間らしいと思ってます。 こういうのは仏教では駄目な人間なのでしょうか? どうしたら怒りを抑えられますか?我慢ですか?聞かなかった事にすればいいのですか?人前では穏やかな人でいれば皆から好かれるのは分かってますが…。 人が死んで仏になるというのは何も言わず怒らず欲もなくなるからだと私は思ってます。生きている間、怒ったりしては駄目ですか?
>>687 あはははは♪
見渡してみろ!
o(^-^)o
ミンナ、バカ丸出しで互いに嘲笑い誹謗中傷してるじゃないか!(笑
仏教なんか気にするな!(笑
>>687 今の貴方に仏教は必要ありませんよw
ちゃんと自分の足で立ててるじゃないですか。
いつか、立っていられないくらい力の抜けてしまった時、
あらためて「仏教ってどういうもの?」とアプローチしてみたらどうですか。
勿論、2chなんかじゃなく、種々の書物を自分で紐解きながら・・・。
(身近に仏教に明るい人がいれば良いのですが・・)
2chの情報は、取捨選択できるスキルがないと少々危険ですよw
690 :
昆布 ◆konbu//XQ6 :2007/10/12(金) 00:08:15 ID:gAjO7fZA
しかし、ここも、すっかり荒れたねぇ〜 まあ、リアルが反映してるんだろう。
>こういうのは仏教では駄目な人間なのでしょうか? そういう理由では駄目です
>>690 いい流れの時もあれば悪い時もある。
18も続いていれば色々あるさw
否定の言葉が返ってくると思っていたので優しく、私にも分かるように教えてくださってありがとうございました。
694 :
神も仏も名無しさん :2007/10/12(金) 08:24:26 ID:glWTE3mf
>>687 ヴィパッサナー瞑想 テーラワーダ仏教
で検索してみてください。
695 :
神も仏も名無しさん :2007/10/12(金) 08:42:27 ID:eM3q2eeo
七年後に尼になりたいのですが、まず何をしたらいいのかわかりません。 詳しく載っているHPはありますでしょうか。真言宗の尼は無理でしょうか。
>>694 ありがとうございます。
葛藤をシャットアウトしたり、コントロールしようとして新たな問題を作るのではなく…
と、ありました。
今の私に当てはまってます。
ありがとうございました。
699 :
神も仏も名無しさん :2007/10/14(日) 05:08:35 ID:tqLNlOwq
梵天勧請について質問します。 なぜゴーダマ仏陀様は彼の菩提樹下で成道された後、 初めは説法をためらい、このまま独りで無余涅槃に入ろうとお考えになられたのに、 その後説法を開始されたのでしょうか? ある本には「正覚者の孤独」と表現されていましたが、 もはや煩悩を消滅させ如来となったゴーダマ仏陀様が孤独感や不安を感じるとはとても思えません。 初心者なので投稿に矛盾なども多々あると思いますが、皆様どうかご教授ください。
700 :
神も仏も名無しさん :2007/10/14(日) 07:32:49 ID:s9Rhw4pe
>>699 孤独による不安とかはなかったのでは。
ただ、悟ったことでわかった真理が、
あまりにも世間の常識からぶっとんでいたため、
誰にも理解されないだろうと思った。
でも、
いやまてよ、自分が最初に弟子入りした二人の先生達なら理解できるかも
と思った。
しかし、先生達はすでに亡くなってた。
そこで、五人の苦行仲間に説いた。
701 :
神も仏も名無しさん :2007/10/14(日) 10:44:00 ID:tqLNlOwq
>>700 迅速なご返答ありがとうございます。
なるほど、大変勉強になります。
しかしながら誰にも理解されないと思うようなことを何故わざわざ人に話そうと思ったのでしょうか?
それに最初に説法した苦行仲間達は、お釈迦様のことを「苦行を途中で放棄した堕落した修行者」
だと思ってかなり軽蔑していて、お釈迦様の話を最初は聞こうともしなかったと聞きます。
このような非難を受けてまで、甚深にして微妙な仏法をわざわざ説法しようと思った
お釈迦様の心理的な変容はいったい何故なのか・・・やはり自分には考えつきません。
まぁ如来の心理を知るのは、同じ正覚者にしかわからないですけどねw
でもある程度なら推測できると自分は思いたいですw
702 :
神も仏も名無しさん :2007/10/14(日) 11:01:39 ID:s9Rhw4pe
>>701 どうなんでしょうね。
発見した真理は、苦悩を消すための法則、幸せになるための法則です。
だから、やはり他人にも教えてあげたいと思うのが普通だと思います。
あまりにもぶっとんだ内容だからどうしようかなと迷ったということは、
迷う前にまず、誰かに教えてあげたいなと考えたからでしょう。
703 :
神も仏も名無しさん :2007/10/14(日) 12:19:13 ID:DN3a4Qw1
平安時代に空海が広めたのは真言宗。最澄が広めたのは天台宗。 鎌倉時代に広まったのは、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、時宗。中国から入ってきたのは臨済宗と曹洞宗。 では真言宗と天台宗が広まる前は?南都六宗?では南都六宗の前は何宗ですか? 日本の仏教はすべて真言宗がベースにあると聞きましたが本当ですか?
間違いなく真言宗が基礎ですね。法相宗が真言宗に基礎を提供しました。真言宗に汚い部分を引き渡したら、 法相宗は汚い部分を排除しました。
>>699 773 名無しさん@3周年 sage 2006/11/16(木) 17:03:40 ID:YX/dL9md
>>752 一 とっつきにくい考え方ではあるが、聞く耳を持つものも居よう。(b語る喜び)
一 聡い者は、聞いて理解することもあろう。
一 聞くことにより安心(あんじん)を得る物が一人でもいれば、その人のためにもなろう。(d貢献する喜び)
一 もし、より多くの者が理解したならば、社会はずっと良いものになろう。(d貢献する喜び)
以上、慈悲の観点。
一 この考え方は、果たして普遍性を持ちうるだろうか?独りよがりなものでないだろうか?
誰もが理解できることであろうか?私以外理解できないのではないか?(思考内容・手法の普遍性)(d貢献する喜び)
一 外部へ発信することにより、内容が整理・洗練される。(多少結果論ではあるが・・)(b語る喜び)
以上、悟りの論理的側面。
一 自分以外の者と思考を共有することにより、孤独が緩和される。
(勿論、お釈迦さんが寂しがったわけではないが、そうした側面も1%位はあるだろう)(a孤独の解消)
一 この(悟りの)喜びをわかってほしい。分かち合いたい。この(悟りの)喜びを味わって貰いたい。(c与える喜び)
以上、心理的側面。
abcdどれも、心理的に「人間釈尊」を見た場合のもの。
勿論、孤独を厭うたり、喜びを求めるような、言葉通りのものではないが、
シッダッタ本人に聞いても、そうした側面を否定はしないだろう。
ゴータマ・シッダッタも、仏である前に人間なのだから・・・。
707 :
神も仏も名無しさん :2007/10/14(日) 21:59:09 ID:s9Rhw4pe
大乗で言う「誓願」みたいな気持ちが 悟る前からあったのかもしれない。 つまり、もし新しい真理を発見したならば、 他人にも教えてあげたいなと、 悟る前からすでに予定していた。
708 :
701 :2007/10/15(月) 03:25:12 ID:BI60u8aO
さまざまなご意見ありがとうございました。 とても参考になりました。 やはり梵天勧請のあたりからシダッタ太子自身が救われようとする思想から 三千大千世界の衆生を救う大悲の思想へと変換されていったということでしょうか。 いずれにしてもお釈迦様の深い知恵と甚大な慈悲にはただただ敬服しますね(あたりまえですがw)
709 :
701 :2007/10/15(月) 03:36:49 ID:BI60u8aO
連投すいません。
>>706 さんの
>勿論、孤独を厭うたり、喜びを求めるような、言葉通りのものではないが、
シッダッタ本人に聞いても、そうした側面を否定はしないだろう。
ゴータマ・シッダッタも、仏である前に人間なのだから・・・。
というお考えでは、孤独を厭うたり、喜びを求めようとした時のお釈迦様は
完全に彼岸に到達しているのでしょうか?
もししているとすれば、涅槃を獲得しても行動しなければ喜びを求め、
孤独を憂いてしまうのでしょうか?
もししていないとすれば、お釈迦様は彼の鹿野苑で初転法輪をされ、そして5人の仲間に
理解してもらえた時に初めて真の正覚を得たのでしょうか?
また上の二つとは全く異なった見解なのでしょうか?
そのところを詳しくご教授していただきたいと思います。
710 :
太洋神 :2007/10/15(月) 19:31:33 ID:E9fgnpPS
現在、会社員なんですけど宗派は問いません。お寺に出家するには どうしたらいいですか?どなたかおしえてください
711 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/15(月) 20:31:01 ID:4/KQy7HE
>>710 近所のお寺に相談汁
出家ってどうしたいの?
僧の資格欲しいの?
修行僧の雰囲気体験したいの?
会社やめの?
会社続けるの?
出家したい動機目的は?
(゚.゚)y-〜シロウトドウテイノポキデヨケレバソウダンノルヨ
>>711 こいつは、水子の霊障で写経すすめる奴だから、話聞くなよヽ(^。^)ノ
713 :
太洋神 :2007/10/16(火) 08:06:43 ID:n7aqRI+V
言葉少なかったみたいですいません 会社をやめて修行僧の道に進みたいのです 社会生活で考え方がたくさんあり過ぎて 心が堂々巡りして前に進みません。その間に 人を憎んだり嫉んだりして煩悩が入って 苦しみ続けています。 仏の道に進んで世の中の為に悟りを開きたい と思っています。何か良い案がありましたら 教えてください
714 :
神も仏も名無しさん :2007/10/16(火) 08:27:07 ID:jUJJF5jx
>>713 宗派は決めてますか?
とりあえず、市販の仏教書を読んで、好みの宗派をみつけてみては?
で、決まったら、本山に電話してみるとか。
あと、先祖の墓とかがある菩提寺に相談してみるのもいいかも。
もしかしたら、授戒させてくれるかもしれませんし、
授戒をやってる寺を紹介してくれるかも。
715 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/16(火) 08:33:23 ID:qDmIQIi2
>>713 (゚.゚)フーゾクスキデスカ?
ポキワスキデス♪
デモビョウキガコワイカライッタコトナイチキンヤロウデス
チナミニポキワナイスナドウテイガイデス
716 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/16(火) 08:43:39 ID:qDmIQIi2
仏の道に進んでも 人を憎んだり嫉んだりして煩悩が入ります 仏の道を進まなくても世の中の為になることはイパーィあります 用意された仏の道を歩けば全て解決するとか思いなら辞めた方が良いよ 貴方は一生懸命過ぎて今は疲れてるだけでしょう 近所のお寺や神社を散歩為てみましょう
一所懸命生きてない南無爺が、そうおっしゃってます。 除霊のカモが見つかって金が入った時だけ、携帯からカキコできてます。 それは、それで、なかなか一生懸命です。
718 :
神も仏も名無しさん :2007/10/16(火) 10:24:25 ID:KXPkNJ9H
>>713 >人を憎んだり嫉んだりして煩悩が入って
>苦しみ続けています。
宗教をやると自分を責める思いがひどくなるだけですよ
だから2千年やってもどの既成宗教でもダメなのです
宗教では回答が出てないのです
ようするに心が悪いのは脳内麻薬の出が渋いのです
これをでるようにする方法が宗教です
719 :
神も仏も名無しさん :2007/10/16(火) 11:05:27 ID:p007HnBf
>>713 一番ダメそうな南無ちゃんの言うことが、正しいと思うな。
出家なんぞしても、誰も悟りに導いてはくれないよ
学歴に頼って僧階を決めてる世界だ!
一般世間とかわらんぞ
720 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/16(火) 14:03:17 ID:qDmIQIi2
>>719 (°∀°)
学歴も大切だけど
金と血筋も大事♪
721 :
神も仏も名無しさん :2007/10/16(火) 17:31:18 ID:p007HnBf
悟りに学歴は関係ないよ >金と血筋も大事♪ って、それネタ?
722 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/16(火) 18:00:27 ID:qDmIQIi2
>>721 オテラシャカイノオハナシデスガ
(゚.゚)
>>713 とりあえずビルマの僧侶とチベットの僧侶にあって、
縁を感じた方の関係の高僧に10ぐらい会ってみて、
それから出家するかどうか考えたらいいと思いますよ。
日本の仏教は、もちろん、ビルマ、チベットでも僧侶はピンキリです。
あまり理想を持つと後で厳しいから。
でも、本物の素晴らしい先生もたくさんいますよ。
チベットは、チベットより、ネパール、インド、ブータン、シッキムに立派な僧がいます。
一番簡単なのは、ネパールのボーダナートが沢山の先生がいらっしゃるので、
お会いしやすいですよ。
ビルマについては、日本にビルマの先生がいらっしゃるので、その方に直接聞いてください。
その先生も良い感じでした。
725 :
神も仏も名無しさん :2007/10/18(木) 09:48:41 ID:zJ/+vHnu
>人を憎んだり嫉んだりして煩悩が入って >苦しみ続けています。 煩悩の何たるかも解らないのではなく、そのように自己の客観視ができる のですから、好しとしましょう。 あまり完璧な自己像を求めるのではなく、現在の不完全な欠点だらけの自分 があるからこそ、尚一層に求道も募るのだと、そういうように多面的な観察 と内省を心がけると宜しいでしょう。
釈迦が出家前(?)に子供が生まれた時に 「子供を持つなど苦しみの元になるだけだ」とかなんとか言ったらしいですが 詳しいこと書かれた本かサイトないですか?
727 :
神も仏も名無しさん :2007/10/21(日) 08:58:09 ID:RhDabjyL
釈尊はとにかく苦しさを取り除こうとして結論として無明によって苦が生じるということを発見したという 無明とは悟りが無いと言えようか 釈尊の悟りの内容は因果律の発見と言われるがそもそもこの人は苦を取り除こうとしたわけですから楽を生じせしめる因縁の探求が主題だったはずで因果律の発見では苦はまだ消えていない よく言われるように四諦の認識や八正道の実践などを通して苦が消滅していくと考えたのだろう さて本当にそれは普遍的な方法か だとしたら現代心理学は釈迦の前に跪拝せねばなるまい
728 :
神も仏も名無しさん :2007/10/21(日) 09:00:10 ID:RhDabjyL
子供は確かに苦しみの元にもなるが多くの親は喜びも得ているわけで 釈尊はいまでいうアダルトチャイルドだったのではなかろうか
729 :
神も仏も名無しさん :2007/10/21(日) 10:08:43 ID:tRseUzNL
>726 ラーフラ
730 :
神も仏も名無しさん :2007/10/21(日) 10:10:40 ID:NXT8m3yv
>>728 その喜びは、快楽の一種にすぎないのだと思います。
快楽に執着すると、それもまた苦悩の原因になる。
快楽も苦悩も減らそうとする。
もちろん、子供が苦悩の原因だからといって、子供を殺すなら、
殺される子供にとっては苦悩が発生してしまう。
731 :
神も仏も名無しさん :2007/10/21(日) 10:18:49 ID:NXT8m3yv
「一切皆苦」です。 快楽も苦悩の一種です。 強い苦痛と比較して、弱い苦痛を快楽だと勘違いしてるだけ。
732 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/21(日) 10:39:55 ID:BPbLsfru
>>731 「一切皆苦」です。
(゚.゚)般若心経には
能除一切苦とあります
一切の苦は除く事が可能だと
それはなぜか?
どうしたら出来るか?
つか
今日は日曜で昨日は土曜
(ノ_<。)合コンで二日酔い…でし
昨日のおねーちゃんは微乳で禿げしく萌え♪
733 :
神も仏も名無しさん :2007/10/21(日) 20:54:33 ID:HTEL2oPs
微乳? 小太りの男と間違ってるべ
734 :
神も仏も名無しさん :2007/10/21(日) 22:54:54 ID:RhDabjyL
仏陀が一切皆苦と言ってるから苦だと言うのはおかしいんじゃないの 仏陀にとっては生きることは苦痛だったというだけでね 快楽が弱い苦痛ていう解釈もおかしい
>>726 出家の障碍になるという意味で「困ったことだ、障碍(ラーフラ)が生まれた」
水野弘元『釈尊の生涯』43;渡辺照宏『新釈尊伝』大法輪閣版95
それ以上は赤沼智善『仏教固有名詞辞典』526に出典が指示されているので、それらを参照。
736 :
神も仏も名無しさん :2007/10/21(日) 23:44:07 ID:NXT8m3yv
>>734 肩もまれたら気持ちいいですが、
じゃあ10時間くらいずっと同じように揉まれ続けてたらどうかというと、
痛くなると思います。
「気持ちいい」と感じているけれど、
本質的には弱い痛みを受けているのです。
強い痛みから弱い痛みのほうへ逃れた瞬間だけ
「気持ちいい」と錯覚するけれど、
本当は、新しい痛みに乗り換えただけにすぎない。
痛みから逃げて新たな痛みにしがみつき、
その痛みがきつくなってきたら、
また別の痛みへ逃げ回る。
我々は、そうやって刺激に反応して生きてるにすぎないのです。
あらゆる刺激の本質は苦痛であり、快楽など錯覚で、
ただ強い苦痛と弱い苦痛しかないのでしょう。
そう気付くと、なんか肩の荷が降りる気がします。
すばらしい快楽など負う必要ない。
目の前の苦痛を、ひと工夫して弱めてやればいいだけだから。
737 :
神も仏も名無しさん :2007/10/22(月) 00:15:55 ID:+vE6u7dc
↑バカ発見!
738 :
神も仏も名無しさん :2007/10/23(火) 13:46:06 ID:Iyp7Js41
>>718 >ようするに心が悪いのは脳内麻薬の出が渋いのです
>これをでるようにする方法が宗教です
もう少し具体的説明をお願いできませんでしょうか?
739 :
神も仏も名無しさん :2007/10/23(火) 15:10:41 ID:xVqumjc7
ブッダは鬱病だったと思う
740 :
仏陀 :2007/10/23(火) 15:50:07 ID:lpMkiaK5
バラすんじゃねぇよ(#゚Д゚)ゴルァ!!
>>738 一部の還元主義者が、幸福感を脳内物質の分泌に還元しようとした。
その物質の分泌の少ない人が、宗教を必要としたと言いたいんだろ。
だけど、そのような還元主義はとうに破綻してるし、
科学は現象を記述するだけで、どうすべきか、何をすべきかに全く関与しないので、
幸福の達成や、精神的苦の根本解決に直接関与できない。
できるのは、肉体的苦痛の除去と、精神を麻痺させることだけ。
まあ、前者は立派なことだが、後者はなんの解決にもならないどころか、廃人を作り出すだけだろう。
742 :
神も仏も名無しさん :2007/10/24(水) 12:54:05 ID:Id9OJrYU
>>718 氏レスは、下段2行の宗教と上3段の宗教(既存宗教)の意味が
異なるとも受け取れるような気がしますが如何でしょうか
743 :
神も仏も名無しさん :2007/10/24(水) 12:59:35 ID:BrxAvzIs
>>718 回答は出てる。
あとは、自分がその回答どおりにどれだけ実践できるかで、
結果に差がでるだけ。
744 :
神も仏も名無しさん :2007/10/27(土) 16:37:27 ID:NK2DTBff
心が悪いというのも、脳内麻薬の仕業です。 買い物依存症などが、その最たるものでしょう。 脳内麻薬には、アッパーもあれば、ダウナーもあります。
脳内麻薬云々は新興宗教だぽ(゚.゚) 仏教は病気なら病院行くし 精神が病んでるならカウンセリングや精神科治療を重視する 仏教は手段であり生活の一部分 仏教が目的とか全ては本末転倒 仏教で全てが解決しないぽ
746 :
神も仏も名無しさん :2007/10/27(土) 22:12:35 ID:WIg1HX5C
>>745 よし、君に教えましょう。
座禅、写経はエンドルフィン寄りの脳内ホルモンの活性、
あと、キリスト教の賛美歌なんかもそうですね、
ゴスペルはそれよりはドーパミン寄りになる。
どっちかが100%ってことはないんだけどね。
精神が病んでいるなら、信頼できる寺院や教会でも充分に対応が可能でございます。
その部分だけ気になったんで、一応書いとくね。
>>746 あんた写経したことないでしょ(笑)
写経にはそんな効果ないよ
(°∀°)
精神科で貰うリタリンなら飲むと確実にドーパミンが射精するよ♪
ドーパミンがどんなに出ても
正しい目的を選び目的達成の為の手段を実行努力する事とは無関係
仏教はドーパミンを出して
悦(^ω^)に浸ることぢゃなく
目的達成するための正しい行動選択の教え
748 :
神も仏も名無しさん :2007/10/28(日) 17:37:24 ID:Ew6aapI4
>>747 目標達成するための正しい行動選択をするためには、どのようにしたら良いと仏教では教えているのでしょうか?
749 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/28(日) 17:57:02 ID:X0SbGe0x
>>748 禅瞑想自問自答
仏教は普遍的抽象的な人ではなく
具体的な現実に存在為ている個を中心に置く教え
貴方と私では素質環境才能が違う
生きる目的も違ってくる
目的が違えば目的達成の為の手段も変わる
まず
自分の素質環境才能の分析をしないといけない
それにはどうするか?
苦集滅道
苦の集まりを滅する道
道とは八正道
八正道は苦を取り除く事が出来る道
道は苦を取り除く事が出来なければ正しくない
苦を取り除く為にはどうするか?
が先に有ります
苦を取り除く事が出来て初めてその道は正しいのです
その正しい道を先読みする教えが仏教
(゚.゚)ダポ♪
正しい言葉使いとは無関係だよ
商況ちゃん
750 :
神も仏も名無しさん :2007/10/28(日) 18:28:16 ID:Ew6aapI4
>>749 正しい道を先読みすると言いますが
どうやって先読みをし、苦を滅するのでしょうか?
>>750 (°∀°)
つか
あんたは仏教を
どう思ってるの?
脳内麻薬出すもんだと思ってるの?
752 :
神も仏も名無しさん :2007/10/28(日) 19:06:13 ID:Ew6aapI4
>>751 脳内麻薬を出すものだとは考えておりませんが…
貴方様の御話は、今迄一度も聞き入った事のない説ですので、お聞きしているだけです。
753 :
神も仏も名無しさん :2007/10/28(日) 19:08:40 ID:Ew6aapI4
でっ 繰り返しますが
>>749 正しい道を先読みすると言いますが
どうやって先読みをし、苦を滅するのでしょうか?
754 :
神も仏も名無しさん :2007/10/28(日) 19:16:12 ID:Bl2YMEpG
あんたも性格悪いね。
>>754 俺も聞きたい。
正しい道を先読みすると言いますが
どうやって先読みをし、苦を滅するのでしょうか?
南無大師遍照金剛さま
禅瞑想自問自答 (゚.゚)ダポ 禅瞑想自問自答により 心と体の健康を図り維持促進させる(正命) 心と体が健康じゃないと情報識別判断が誤る (正見) 心と体が健康じゃないと正しい情報判断に従った行動が取れない つか (ノ_<。)ゴミン 知ったかしますた あんま突っ込まないでね
758 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/10/29(月) 14:22:32 ID:lVq4iSe8
>>750 >正しい道を先読みすると言いますが
>どうやって先読みをし、苦を滅するのでしょうか?
横ヤリですが、実は「正しい道」というの無いですね。
(正しい道というのが間違い。という意味ではない)
俗諦では苦集滅道ですが、真諦では無苦集滅道です。
正しい道がない。という理由を今から書きます。
__________________________________
156 :☆障害者が使い捨てのダシにされる☆:2006/05/22(月) 19:36:27 ID:QW5eplQ0
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1144073403/29-30 ◆「自立支援」という名で騙す法律で、障害者を切り捨てる政策が現実になったのと同様に、◆
◆「差別を無くす」という名で騙す条例で、障害者をダシに県財政をフェミ活動家が喰い物に!◆
◆北京の手先の元過激派関係者も背後に蠢いてる?! 障害者のためではありません、反対を!◆
__________________________________
これは某スレッドにおけるレスポンをコピーしたものですが、
この文脈だと、あたかも障害者自立支援法が悪である。という主旨です。
多分これを読んだ方は、大概の人が悪法であると認識するかと思います。
実際はこの法律において障害者が自立する切っ掛けにもなるのです。→こちらの方が大勢
この法律で困ってる障害者は極一部です。
(授産施設等の設備を利用している障害者など)
障害者個人の個別的諸要件において、正しいか?正しくないか?は決定される。
つまり、
普遍的正道なるものは・・・無いのです。→無苦集滅道。
759 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/29(月) 21:18:42 ID:SxTD6TYx
>>758 (°∀°)ネーネー
ぢゃ
机タンの仏教って何?
760 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 00:52:46 ID:tzZK1EDi
自分の素質環境才能の分析をしないといけない それにはどうするか? 苦集滅道 苦の集まりを滅する道 道とは八正道 八正道は苦を取り除く事が出来る道 道は苦を取り除く事が出来なければ正しくない 苦 どうも文章に飛躍が多すぎて意味が通ってない気がするのだが 道はそれぞれだといっておきながら八正道がただしいと だったら始めから、八正道だけが唯一の道ですと言えよ
761 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 00:57:34 ID:tzZK1EDi
机氏のレスをみるとまるで障害者自立支援法がただしい法であるように聞こえますが実はこの法律で自立できた障害者はごく一部で実際は大多数の障害者の自立の妨げになっているのが定説です なんて切り返すことも出来るよ そんでただしい道の話とどう関係してるのかも不明だしね
762 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 01:04:06 ID:tzZK1EDi
なんにせよ、現代仏教は滅んでるも同然なんだよ もっと危機感持っていいよ。
>>760 八正道は手段だ(゚.゚)ポ
目的を達成するための手段です
八正道が先にあるんぢゃなく
目的が先にある
その目的を達成するために手段を選択
764 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/10/30(火) 08:11:19 ID:+g+GRQWU
>>761 >なんて切り返すことも出来るよ
そうです。その通りなんですよ。
「正しい」というのは、自分にとって「正しい」わけです。
自分にとって正しいものでも、あるいは他人にとっては正しくないかもしれない。
つまり正邪は自分(個別性)の問題であり、これが万民に通じるもんでもない。
では、仏の教えは何かと言いますと、これは正邪を超克しました慈悲であります。
仏教は一如の法門ですから、正邪(分別)は俗諦で、慈悲(無分別)が真諦です。
慈悲は、正邪一如の相を意味しておるんですね。
八正道というのは、この「無分別の分別」を意味しておるんです。
つまり色即是空 空即是色です。
>>759 童話の「青い鳥」というのがあるでしょ?
仏教もあれと同じですね。
つまり、遠回りして・・・最後に自分に帰ってくる。
これが色即是空 空即是色。
色に始まり・・・色に終わる。
765 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 08:22:52 ID:SBk4AyuV
>>763 そうですね。目的を決めないと、道が正しいかどうか判断できない。
アル中になるのが目的なら、酒をがぶ飲みするのが正しい道になる。
で、仏教の目的は苦悩を滅することですよね。
766 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 08:28:23 ID:SBk4AyuV
>>764 机さんにとって、仏教の目的は何ですか?
また、僕は苦悩を滅することを目的にしていますが、
机さんは、苦悩を滅する方法ををご存じですか?
目的? 仏教は、目的志向だったのか。 まったく、欲深い野郎ドモだ笑 素直に、金が欲しいとか女が抱きたいとか言えんのか( ̄□ ̄;)!! 所詮はガキが能書き垂れてるだけだな。
768 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 12:55:34 ID:SBk4AyuV
>>767 金そのものは要らない。
金がないためにできないことはある。
仏教では殺生が禁じられてるし、現在だと「とにかく殺すな」みたいな感じだけど 昔の乱世ではお坊さんが武装してたり殺しあいの戦いをしたりしますよね? なんで、どういう理論で「殺生も場合によっては可」になったんでしょう?
770 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 14:24:03 ID:Ba7TnkfQ
>>758 >俗諦では苦集滅道ですが、真諦では無苦集滅道です。
どこの落第学僧が書いたのか般若心経ではそう表現してあるが、誤りだろう。
⇒俗諦では苦集滅道ですが、真諦では『空』苦集滅道です。と表現すべきなのだ。
無苦集滅道は中道ではない。そもそも無苦集滅道なら仏教は不要だし、ブッダも首だ。
771 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 14:35:18 ID:ZU86D/jJ
>昔の乱世ではお坊さんが武装してたり殺しあいの戦いをしたりしますよね? してないよ
772 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 15:39:05 ID:IT8oFIb+
してるだろ
淘汰される世界哉
殺生は慈悲から禁じられるわけだけど 無慈悲なら無理に殺生を禁じる必要なんてないだろう それがCrimeとSinの違いだよ
775 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/10/30(火) 19:04:24 ID:+g+GRQWU
>>766 >机さんは、苦悩を滅する方法ををご存じですか?
苦悩を滅する方法というのは、苦集滅道ですね。
これは方法ですから、その通りにやってみることが肝心です。
なんにしてもやってみんことには話にはならんですね。
やってみて初めて分かるんですよ。
それがどういうもんか。ってことが・・・。
やってみて、そのうちどういうもんかが段々分かってくる。
そして眼も開いてきて、
その方法論そのもの意とするものを悟るわけですね。
それが、いわゆる苦集滅道は迷いであった。と、
かように気づくわけです。→これが無苦集滅道。
釈尊も、出家前に女人はどういうもんか。というのを、
ある程度極めたからこそ、女人において諦観がもたらされたのであって、
経験(修行)というのは、そういう意味で肝要かと思います。
776 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/10/30(火) 19:10:30 ID:+g+GRQWU
>>770 >無苦集滅道は中道ではない。そもそも無苦集滅道なら仏教は不要だし、ブッダも首だ。
仏教というのは、マニュアル教義とか、ノウハウ教義とかではないので、
最終的な仏教の教えというのは「無」しかないんですよ。
勿論この「無」というのは肯定的な意味において・・・無であるわけです。
虚無とは意味が違います。
777 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/30(火) 19:34:01 ID:TWPDIyUY
>>777 ゲトなら
ヽ(´∇`)ノボスキャラショキョタン登場♪
778 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 21:14:17 ID:mAqvNeRz
779 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/30(火) 21:24:23 ID:TWPDIyUY
>>778 (°∀°)
お金が無い
肯定的→お金が無くても君がこの世に存在してるだけで(°∀°)ポキわシ*ア*ワ*セ(鳩)
否定的→貧乏(ノ_<。)
780 :
769 :2007/10/30(火) 22:02:08 ID:4fD1Wpp8
781 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 22:45:17 ID:fN0dweX/
>>775 >いわゆる苦集滅道は迷いであった
釈尊は、何に迷ってたんですか?
>>781 (°∀°)
生きることは苦
つまり人生は苦の集まり
生きていると老いる
老いに苦しむ
生きていると老い、死ぬ間にいろんな病気になる
病気に苦しむ
生きているとやがて死ぬ
死という恐怖に苦しむ
是諸法空相
空が無なら
是諸法無相でも意味が通じるはず
是諸法=この世界にある全ては
空相=空という相が形になって現れている
無相=無という相が形になって現れている?
(゚.゚)教えてケロ
机タン♪
783 :
神も仏も名無しさん :2007/10/30(火) 23:10:08 ID:SBk4AyuV
>>782 空が形になって現れてるというのは変では?
空という、元素というか材料みたいなモノがあるみたいに聞こえるから。
「諸法無我」という言い方を意図的に避けてるのでしょうか?
>>783 (°∀°)
顔相
手相
空相
ぢゃ
是諸法空相はどうやって訳すの?
785 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/10/31(水) 08:19:14 ID:2YdiA6kE
>>781 >>いわゆる苦集滅道は迷いであった
>釈尊は、何に迷ってたんですか?
貴殿は可笑しなことを言いますね。
苦集滅道というのは、迷ってるから苦集滅道なんでしょ?
どんだけぇ〜苦を滅したとしても・・・それは迷いでしかない。
苦集滅道それ自体が迷いなんです。
十二縁起を逆観したとしても、それは迷いであるから逆観する。
これと理屈は同じ。
順観も逆観も分別相であり、これを超克するを第一義空諦と言いますね。
苦集滅道は、彼岸到達への道しるべになるやに思います。
彼岸は、苦を滅することもなく、また受容することもなく、
ただただ涅槃寂静にて調ひます円相の位相です。
これを般若心経においては、無苦集滅道と記してあるのです。
>釈尊は、何に迷ってたんですか?
786 :
神も仏も名無しさん :2007/10/31(水) 08:26:26 ID:Qz6yjUov
>>784 「 この諸々の事柄に実体が無いという性質」
787 :
神も仏も名無しさん :2007/10/31(水) 13:41:58 ID:a6msvLRg
>>785 肯定的な無ってなにか教えて下さい。お願いします
788 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/10/31(水) 17:39:39 ID:2YdiA6kE
>>787 自己否定においてのみ自己肯定を成し得る。という、
絶対矛盾的自己において自己体認できる。
つまり、無我という絶対否定は即絶対肯定的自己である。
ようするに簡単に言いますと、
自分が自分である根拠というのは、自己否定においてのみ自己であることを認識できる。
自己同一性は、この矛盾において保たれておるわけでして、
否定的無は、つまり即肯定的無であるわけですね。
789 :
神も仏も名無しさん :2007/10/31(水) 19:05:32 ID:a6msvLRg
>>788 「自分が自分である根拠というのは、自己否定においてのみ自己であることを認識できる」と言うことですが…、その理由を教えて下さい。
790 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/10/31(水) 19:50:39 ID:2YdiA6kE
>>789 では簡単に説明いたします。
例えばですが、他人というのは「自己を否定すことにおいて他人である」。わけですね。
他人である。といういことにおいて自己という概念も成り立つわけです。
逆に逝ったら、自己否定なくば他人もないし・・・ましてや自己もない。
自己否定は、つまり自己を肯定することになる。
否定と肯定は相反するが故に、絶対的否定は絶対的肯定でもあるわけです。
前者を差別相と言います。
そして後者が無差別相であります。
差別相は「色」でありまして、無差別相は「空」であります。
般若心経においては色即是空などと記してあります。
色は即空である。と、かように言うておるんですね。
どうか得悟されますよう祈念申し上げます。
<かしこ>
791 :
南無大師遍照金剛 :2007/10/31(水) 19:55:46 ID:fMSFr4hV
(°∀°) 空が無なら そもそも 自他も無し
792 :
神も仏も名無しさん :2007/10/31(水) 20:20:34 ID:a6msvLRg
>>790 >他人というのは「自己を否定すことにおいて他人である」。わけですね。
自己を否定すると何故に他人という概念が浮かぶのかわかりません。
この辺の説明をお願いします。
マサカ?とは思いますが…
(あの人は私ではない!)と言うのを、自己否定と言う言葉で表している訳ではないですよね?
793 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/10/31(水) 20:47:21 ID:2YdiA6kE
>>792 >自己を否定すると何故に他人という概念が浮かぶのかわかりません。
>この辺の説明をお願いします。
自分というのは、他人という分別があって・・・自分であるわけですね。
この分別があって、人は自我という認識がもてるのです。
今日は夜も更けてまいりましたので、この続きは明日にします。
注意:あまり深く考えん方がいいですよ。
詳しくは後ほど書きますから・・・
794 :
神も仏も名無しさん :2007/10/31(水) 21:26:46 ID:Qz6yjUov
>>792 自分ではないものを認識したとき、はじめて自分が出現する。
自分があるということは、自分ではないものがあるということ。
795 :
神も仏も名無しさん :2007/10/31(水) 22:13:43 ID:a6msvLRg
>>794 さんへ
机さんは
>>788 に於いて
>「自己否定においてのみ自己肯定を成し得る。という、絶対矛盾的自己において自己体認できる。」
>「つまり、無我という絶対否定は即絶対肯定的自己である。」
と言っていますよ。
当初、机氏の言う絶対否定とは仏教に於ける無我のことで有り、他人は私ではないと言う意味合いの、自己否定ではないのです。
貴方の御説の通りなら矛盾でも何でもありませんし…
騙されてるねーあんた!机氏の自己否定の内容が変わっちまってるんだよ
最初から読んでみ!
机さんは頭のヨイ人だからね、この様な人を煙に巻く逃げ方が出来るわけさ…
796 :
神も仏も名無しさん :2007/10/31(水) 22:20:31 ID:a6msvLRg
机さんは 頭がいいし、よく勉強なさってると思うので、真面目に仏教について色々聞きたかったんだけどな。 あーぁ
>>794 「自分ではないものを認識したとき、はじめて自分が出現する」
「念頭一起、自我現前」我思う、故に我あり。
自我があるから、あなた、彼、彼女という認識(区別)が出現する。
まず「自分」を認識して、それから「他人」って概念が出るんじゃない?
>>796 机龍之介というのは宗教板のお笑いですから、
相手になさらないほうがいいですよ。
799 :
神も仏も名無しさん :2007/10/31(水) 23:05:25 ID:Qz6yjUov
800 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/01(木) 08:19:31 ID:vLUwlpIF
>>795 >「自己否定においてのみ自己肯定を成し得る。という、絶対矛盾的自己において自己体認できる。」
>「つまり、無我という絶対否定は即絶対肯定的自己である。」
これについて簡単に説明いたします。
人というのは、話の筋道を付けて説明しようとします。
これを論理構築などと言ったりしますが、「無我という絶対否定」という意味は
この論理構築以前のことでありますね。
論理構築以前でありますから、勿論論理的にも無我であります。
(文字通りの無我であることを注視してください)
論理構築は、構築する自分というのがありますから、これは無我とも言えない。
(このことも注視してください)
「無我という絶対否定」というのは、論理構築以前の主客未分を直覚することですね。
論理構築以前ですから・・・これしか手立てはない。
801 :
神も仏も名無しさん :2007/11/01(木) 10:12:30 ID:7vOZdmwu
机さんの仏教はヘーゲル弁証論でしょ
802 :
神も仏も名無しさん :2007/11/01(木) 12:17:42 ID:ku5nOIJN
>>800 机さん
3、4年前から机さんのカキコを拝見しておりますが、
言ってることがあまり変わってないですね。
大丈夫ですか?
ご自身の中で答えを決めつけてしまって、
それ以上進まない状態に陥ってませんか?
803 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/01(木) 12:43:50 ID:vLUwlpIF
>>801 ヘーゲルとは全く違いますね。
「否定」の意味が違う。→哲学的に違うという意味。
どちらかと言うと、ニーチェの方が「否定」の意味は仏教に近い。
ただし、
近いというだけで、ニーチェはdでもなことに頭を突っ込んでしまい、
頭自体がパンク状態になってしまったのです。
つまり人間の思考の限界なんでしょうね。
晩年にニーチェは、狂気の病に犯されるのも
あるいは論文を発表したのが遠因になってるかもしれんですね。
>>802 答えはないのです。
804 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/01(木) 17:55:41 ID:vLUwlpIF
>>800 のつづき
論理構築以前というのは、根源的自己の自覚とでも言いますか、
つまり自我の崩壊のことであります。→これが自己否定の意と解釈なされ。
自我崩壊については、身心脱落とか言った僧もおりますが、
ようはこの脱落(否定)において顕現(肯定)するのが、
無位の真人とか、如とか言ったりする、
つまり自己を超えた自己(超個)の意味ですね。
論理的には無稽の極みであります。
つまり出鱈目であるわけですね。
(注意:私が出鱈目を言ってるわけではない。世俗的論理での話しです)
真諦と俗諦では、この論理矛盾は避けて通れない。
ここを徹見して逝くのが見証とか言って、
釈尊本懐義の登竜門となります。
805 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/01(木) 19:34:45 ID:0kyWjgGc
つか 仏教って 苦の仕組みを理解し もっとも適した取り除き方を選択し 実行する 思考法と行動法でそ(八正道) 思考のみで行動の抜けた哲学は 思想じゃいし 宗教でも無いです 哲学と思想をごっちゃにしてます(ノ_<。)
806 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/02(金) 06:53:10 ID:0kKQ80OI
>苦の仕組みを理解し 苦の仕組みというのは、自我があるから苦が生起するんじゃないですか? だったら問題なのは自我じゃないでしょうか? 自我を徹見して逝けば、当然に「苦の仕組み」に到達できる。 これがいわゆる根源的自己の自覚となりますですね。 >哲学と思想をごっちゃにしてます(ノ_<。) もともとインドでは、宗教・思想・哲学の分類はない。 仏教は形而上学的なことは問題にしてないので、 こういった脈絡なら・・・ 日本人の感覚なら哲学に近いんじゃ〜ないかな? (根本仏教ではそうなる)
807 :
神も仏も名無しさん :2007/11/02(金) 07:53:02 ID:cMrVl9GO
具体的な方法論、今から始めるとしたらまず何をできるのか、 そういう具体論を説明して欲しいです。 机さん、自我を徹見するには、具体的にどうすればよいですか? まず何から始めたらいいですか?
808 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/02(金) 08:55:44 ID:0kKQ80OI
>>807 否定とか肯定、過去とか未来、自分とか他人というような
絶対的に相容れないものが同一性をもってます。
否定は肯定に依存しておりますし、
過去は未来に依存しております。
また、自分は他人に依存している。
自己もまたこの脈絡と同じく、矛盾的同一性において自己の認識を得るわけです。
このことに先ず気づくべきです。→これが全否定です。→これが色即是空
(注意:般若心経における〇〇ではない。の脈絡は、この全否定にあたります)
全否定は矛盾的同一性において全肯定となります。
この肯定は、無位の真人とか真如と言われる、自己を超克した自己の意味です。→これが空即是色
もはやこの段階になりますと無苦集滅道であります。
つまり涅槃寂静でありますね。
釈尊の本懐義であります。
どうか徹見されなますよう祈念申し上げます。
<かしこ>
809 :
神も仏も名無しさん :2007/11/02(金) 09:47:07 ID:igHcLwMb
>ヘーゲルと否定が違う どう違うの?
810 :
神も仏も名無しさん :2007/11/02(金) 09:53:02 ID:igHcLwMb
全然具体論が出てこないですな
811 :
神も仏も名無しさん :2007/11/02(金) 10:06:04 ID:1qc9Q+K4
机は空論レトリックだけ
812 :
神も仏も名無しさん :2007/11/02(金) 10:18:06 ID:igHcLwMb
もう五十くらいの人だよね 空論レトリックからは卒業してもいい年だと思うが
>>812 人間は中年を過ぎたら、間違いって解っててもナカナカ認めなくなるんだよ。(笑
因業ジジイに無茶な事言うなよ?(笑
歳寄りは労ろうぜ。(笑
814 :
神も仏も名無しさん :2007/11/02(金) 10:58:42 ID:igHcLwMb
サルトルとかに憧れた世代って 理解を絶した空論レトリックをありがたがる傾向があるよな
815 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/02(金) 12:13:24 ID:0kKQ80OI
>>809 根本的に西洋哲学とインド哲学は違う。
水と油みたいなもんで、決して相容れることはない。
例えば、ヘーゲルとマルクスは思想的に違うが弁証法とすれば、そのベクトルの意は同じ。
ということは、
「否定」は対立としての「否定」であるが、→正・反・合
インド哲学の「否定」は対立はしない。→不一不二
816 :
神も仏も名無しさん :2007/11/02(金) 12:30:30 ID:igHcLwMb
その割には机さんは叩かれたりしてるよね 対立してるのは修業が出来てないわけ?
817 :
807 :2007/11/02(金) 12:36:55 ID:cMrVl9GO
>>808 言葉としてはなんとなくわかるんですが…。
机さんのおっしゃることは、
梵我一如とどう違うのでしょうか?
梵我一如ですむ話なら、仏教は必要なかったはずです。
818 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/02(金) 12:44:23 ID:0kKQ80OI
>その割には机さんは叩かれたりしてるよね 当然!! 眼が開かんと叩く以外に手立てはないわけです。 >対立してるのは修業が出来てないわけ? 仏教は弁証法とは違う。 相対立は結論出るまじ。→by道元
819 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/02(金) 12:48:32 ID:0kKQ80OI
>>817 >梵我一如とどう違うのでしょうか?
梵とか我とかの、その名称&形態の意味は寂滅する。→空諦
まったく意味をなさない。
仏教は「無の哲学」とも言われておりますね。
820 :
神も仏も名無しさん :2007/11/02(金) 13:23:04 ID:igHcLwMb
それで苦を滅するにはどうすりゃいいのかと聞かれてるのに机さんはのらりくらり意味不明な事をかたって逃げているわけか 少なくとも机弁証法は対立をごまかしているだけで、独りよがりの論理から一歩も進んでないようにみえるぞ
821 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/02(金) 15:40:13 ID:0kKQ80OI
>>820 >それで苦を滅するにはどうすりゃいいのかと聞かれてるのに
自分において他人がある如くに、苦においても然りですね。
自分において苦があったり楽があったりする。
つまり苦楽は個別性の問題であり、苦を滅するには自己に依存するより術はない。
私に問うよりも、先ず自己に問うこと肝心なり。
(直指人心という。→己の心を指し示せ。の意)
自分に問うと、どういうことになるか?と言いますと、
自分のアタマが多少オカシイことに気づくかと思います。
この「気づき」というのは、思推から離れまして突然にやってくるもんです。
全くの非日常性の瞬間。と申せましょう。
小石が竹に当たった瞬間とか、なにげに裏山のセセラギを聞いているとか、
虫の鳴き声を聞いているとか・・・とにかく瞬間であります。
瞬間にハット気づくもんです。
疑なくば真は得られません。→これが大事です。
疑を菩提心ともいう。
菩提心は信じることではありません。信と我見から離れることです。
徹底的な“疑問”であります。
どうか、貴殿が早急に見性できることを、机は祈念しております。
<机龍之介・花押>
823 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/02(金) 17:56:54 ID:SySB11hx
ヽ(´∇`)ノ つか 最大公約数が真実な訳ねーぢゃん
824 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/02(金) 18:07:12 ID:SySB11hx
>>818 >その割には机さんは叩かれたりしてるよね
当然!!
眼が開かんと叩く以外に手立てはないわけです。
(゚.゚)ニチレンさんポイこと言うね
>対立してるのは修業が出来てないわけ?
仏教は弁証法とは違う。
相対立は結論出るまじ。→by道元
byニチレンの間違いぢゃね?
825 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/02(金) 19:23:00 ID:0kKQ80OI
>>824 日蓮は他宗を破折しますね。明らかに故意に対立させます。
仏教というのは、もともとこういった対立そのものは無いのです。
日蓮は浄土真宗などにも議論を求めたきました。
勿論、真宗においても理論武装はある訳ですが、
歎異抄などを拝しますと、親鸞は
「宗教的命題において、その真意などわかるはずもない。信じるか信じないか、それしかない」。
などと仰せになってますね。
この文意は道元と同じです。つまり対立しても結論は出ない。
じゃあ、どうやって日蓮の無間地獄を破折したのか?って言いますと、
「信ずるほかに別の子細なきなり」。なのです。
凡夫はなんのスキルもありませんから、ただただ阿弥陀如来に帰依するより手立てはない。
理論武装を超克した無心でありますね。
哲学的にも非常に高度なものであります。
日蓮とは比べ物にもならんじゃ〜ないですか。
どうか、そこのところを考究してくらさい。
826 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/02(金) 19:29:35 ID:SySB11hx
>>825 哲学的にも非常に高度なものであります。
(ノ_<。)だから仏教は哲学ぢゃないって…
827 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/02(金) 20:06:53 ID:0kKQ80OI
>(ノ_<。)だから仏教は哲学ぢゃないって… 宗教としての文意を“超えて”哲学的な広義にまで及ぶ、 それは一大ダイナミズムである。 の意。 では、また。
828 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/03(土) 07:30:22 ID:26oq5QWD
>>827 宗教としての文意を“超えて”哲学的な広義
(ノ_<。)
だから
哲学は狭いの
哲学は行動を伴わないの
行動を伴わない哲学は
行動を伴う宗教より狭いの
哲学は宗教の一部になりえても
宗教が哲学の一部にはなりえないでそ?
829 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/03(土) 09:19:07 ID:BS3Nl954
>哲学は行動を伴わないの 陽明学とかマルクス論は行動哲学ですね。 三島由紀夫の自刃というのは、行動そのものが「三島の主張」なのですよ。 >哲学は宗教の一部になりえても >宗教が哲学の一部にはなりえないでそ? キリスト教文化圏においては、仏教は道徳と考えられているのが一般的ですね。 儒教が道徳と考える日本人と同じです。 一神教崇拝と仏教はかなりの開きがあるわけで、 また、 多神教崇拝のヒンドゥーにおいては、神々の中に釈尊を仲間入りさせたりする。 国情において捉え方も様々。 前にも書いたが、 インドでは宗教も哲学も同じジャンルですね。 仏教は形而上学的命題を全く問題にしない。というテーゼの宗教。 テーゼからすると哲学に近い。 宗教というのは「元もとの教え」がその語義だから、 語義からすれば道徳もその範疇に入る。
830 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/03(土) 10:26:50 ID:26oq5QWD
>>829 陽明学とかマルクス論は行動哲学ですね。
普通思想なんぢゃね? つか
哲学に行動という修飾付けてる段階で
哲学の基本は行動伴わないから
行動という修飾つけて行動のない哲学と区別してるんでそ?
831 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/03(土) 10:30:16 ID:26oq5QWD
>>829 キリスト教文化圏においては、仏教は道徳と考えられているのが一般的ですね。
儒教が道徳と考える日本人と同じです。
つか
他の宗派から言われたから道徳になるの?
じゃ
ポキが机坊はイスラム教だねって
言えば
机坊はイスラム教になるんだね(°∀°)
ぢゃ
イスラム教の机坊さんから見た仏教とはなんぞや?
832 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/03(土) 10:33:02 ID:26oq5QWD
>>829 三島由紀夫の自刃というのは、行動そのものが「三島の主張」なのですよ。
机坊さんは大学でちゃんと
哲学と思想と宗教の分類学学びましたか?
つか我流ですよね?(°∀°)
833 :
神も仏も名無しさん :2007/11/03(土) 10:56:12 ID:/SjjzZ+g
机さんは見性してるのかい?
834 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/03(土) 11:35:06 ID:BS3Nl954
見性している自分と、見性していない自分という、矛盾的同一性において 「自分は見性している」と言えるのは、見性していない証左になります。 したがって、 見性した人は、間違っても「自分が見性した」などとは言わんもんです。 もっと簡単に言いますと、 見性した自分と、見性しない自分を対比することはない。 対比はないのです。 一如の法門ですから。
835 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/03(土) 11:58:47 ID:26oq5QWD
>>834 見性した自分と、見性しない自分を対比することはない。
対比はないのです。
一如の法門ですから。
つまり
見性に付いて語る机坊は
見性してると言ってることで桶(°∀°)
836 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/03(土) 15:11:31 ID:BS3Nl954
「見性している」というのは、見性といふ名称&形態に執着があるわけです。 見性している人というのは、この名称&形態そのものが寂滅します。 したがって、この分別を還滅しまして空諦で調いますね。 このころから意味不明のことを語ちるようになるかと思いますが、 それは俗諦においての意味不明ではあるが、真諦なら論理的整合性なるものでして、 いわゆる二諦にて慧眼するようになりますね。 これを空即是色などと心経には記しておるわけです。
837 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/03(土) 15:58:33 ID:26oq5QWD
>>836 (゚.゚)
つまり
机坊は見性してるといってるのですね
838 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/03(土) 16:34:20 ID:BS3Nl954
見性&非見性は俗諦になります、これより眼が開きますと真諦に悟入するわけですが、 真諦においては、見性&非見性という二項より解脱します。 したがって真諦一義でありますから、これを第一義空諦と言いますね。 どうか悟入されまして迷い分別から解脱なされまし。
839 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/03(土) 17:11:19 ID:26oq5QWD
>>838 (゚.゚)
机坊は自分が見性してるから見性について説明出来るのですか?
それともあてずっぽ?
まぁ小難しいこと言ってるが要は 馬鹿になれ by猪木 と言うことでしょう 机タンは見性してないと思いますw
841 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/03(土) 17:45:41 ID:BS3Nl954
>>839 見性した瞬時に自我が崩壊してしまいます。
よって「見性した自己」そのものが無に帰すわけです。
まあ、見性した人は「自分が見性した」などとは言わんのですよ。
無我なんですから。
無我なるものが見性するはずはない。
こういうことなんですよ。
どうか貴殿も、早急に見性することを祈念します。
<花押>
842 :
神も仏も名無しさん :2007/11/03(土) 17:53:50 ID:2v3CFAPV
煩悩は具体的な現象ですから、 どの煩悩がなくなってるか自分でわかるはず。 四向四果の四段階の悟りの場合、 有身見・疑・戒禁取見がなくなれば、 第一段階預流果です。 無常・無我に納得できて・仏教の真理を疑わなくなり・ 間違った戒律や無意味な苦行や儀式への執着がなくなったら、 第一段階の悟り預流果です。 空や一如だけ悟っても、まだ第一段階なのです。
まぁ見性したことにしてやろうよ こんな必死な仏陀は見たことがないがw
844 :
神も仏も名無しさん :2007/11/03(土) 18:12:53 ID:2v3CFAPV
>>843 机さんの言うような見性しただけでは、
まだ悟りの第一段階なので、
仏ではないと思います。
845 :
神も仏も名無しさん :2007/11/03(土) 18:19:17 ID:/SjjzZ+g
そうですね このように悟った悟ったと浮かれている段階を魔境というんでしょう
846 :
神も仏も名無しさん :2007/11/03(土) 18:42:23 ID:j52S1uqz
机さんは見性はしていないでしょう。 それに魔境にすら至っていないようです。 一如だとか、絶対矛盾的自己同一だとか、 ようするにそれらしき雰囲気に酔っているだけのような気がします。
847 :
神も仏も名無しさん :2007/11/03(土) 18:52:02 ID:/SjjzZ+g
定年退職してお茶飲んで暮らしたいという自堕落な欲求に仏教だのなんだの理屈こねなくてもいいのにね
848 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/03(土) 19:31:15 ID:BS3Nl954
>>847 仏教というのは、お茶を飲んだりご飯を食べたり寝たりすることです。
眼が開くと、こういうことが分かってきます。
849 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/03(土) 19:43:21 ID:26oq5QWD
>>848 (°∀°)
見性した人は、間違っても「自分が見性した」などとは言わんもんです。
てことは
見性に付いて語る机坊はエセ?
850 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/03(土) 19:57:07 ID:BS3Nl954
>見性に付いて語る机坊はエセ? 言語というのは共通認識をもって成立するものであり、 この前程なくば、言語のそのものの意も消失する。 これは言語学においてですが、 詳細は後ほど暇なときにカキコしてもいい。 じゃあ、もう少しで寝る。
851 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/04(日) 08:36:44 ID:1lJwy7qi
「悟りを開いたから苦を寂滅することが出来た」。という文意は、
あくまでも俗諦であって、俗諦は必ず論理矛盾があります。
論理矛盾はあったとしても俗諦では、なんら問題はありません。
じゃあ、どこに問題があるか?と言いますと、苦だけを滅することは不可能です。
苦が滅するということは、楽も滅すれば悟りも滅するわけです。
苦諦というのは手段に過ぎない。
(これが大事)
>>849 >見性に付いて語る机坊はエセ?
私はあくまでも
>言語というのは共通認識をもって成立するものであり
>>850 参照
を前程にしております。
この脈絡を俗諦といいます。
俗諦でしたらいくらでも語ちることは出来ます。
しかしながら、必ずや論理矛盾はある訳です。
>自分のアタマが多少オカシイことに気づくかと思います。
>>821 参照
この矛盾に気づくことが開悟の登竜門であります。
どうか、早急な開悟を祈念しております。
<かしこ>
852 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/04(日) 11:36:10 ID:uPVaBEo7
(゚.゚)ホゲ
853 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 12:10:19 ID:SQa+Vm7Y
仏教は無意識の洞察を早くからやってたみたいですがマナシキ、アーラヤシキというのは何で、どんな働きをもってるんですか?
854 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/04(日) 12:47:40 ID:uPVaBEo7
>>851 (°∀°)
ゾクタイってなに?
詳しくおせーて
855 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/04(日) 15:04:50 ID:1lJwy7qi
>仏教は無意識の洞察を早くからやってたみたいですが 早くから。というのは実有論を前程とする説一切有部からの流れで、 現代においては唯識派がこれを提唱しちょりまふね。 もっとも実有論にアンチを表明したのが龍樹でして、この学僧の出現により 仏教は大乗の礎を築くことになります。 >どんな働きをもってるんですか? 龍樹は、それ自体(意識自体)に自性なるものはなく無自性である。 と、かように言うておるよぉですよ。 これはどぉいう意味かと言いますと、意識は二義的なものであり 縁起(第一義)において生起する。というておるんです。 応無所住而生其心(応に住する所無うして其の心を生ず)by金剛般若経 こころというのは、そのつど生起しているもんだ。の意です。 この金剛経の一節を聞いただけで、禅の六祖慧能は眼が開いたよぅですから、 それなりのインパクトのある経文であることは間違いないよぉです。 つまり、 自性(意識)としては、なにもない。という意味になります。 (いわゆる中観派のバックボーンになるものですね)
856 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/04(日) 15:11:50 ID:1lJwy7qi
>>854 >ゾクタイってなに?
ゾクタイとは、普通は言わんですね。
ゾクタイというのは、簡単に言いますと世間一般的な正論と言われるものです。
仏教は、必ずしも世間的価値観に合致するものではない。
857 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 15:30:00 ID:SQa+Vm7Y
ウィキでアーラヤの説明を読んできました ようするに意識とはシステムの頂点であり、潜在意識に働きかけることで意識も変化するという 現代の深窓心理学に近い発想ですね 禅仏教も方法論こそ異質なれど唯識論を基礎にしているようです このスレで評判の悪い日蓮の題目なんかも、繰り返し繰り返し、仏法真理を無意識に薫重させて、潜在意識の側を変えてしまおう発想になるんでしょうね
858 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 15:45:35 ID:SQa+Vm7Y
教科書でしか見たことが無い一遍の踊り念仏なんかも、男女の性差や身分を越えて踊りまくることでその体験を通して、潜在意識を変えて、一切平等観その他の仏の徳を結果的に身につけさせようという 今で言うダンス療法みたいな面がある なんにせよ、唯識がわかると仏教がわかるね 根本理論は共有しているのだが方法論が違うだけで
859 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 15:51:27 ID:SQa+Vm7Y
こう考えると、仕事が終わって同僚と焼肉を食うなんて行為もある意味修業なんだよね よく坊さんが、日常のヒトコマヒトコマが修業なのだとかいうけど、その中の多数は、先人がいってたことのオウム返し、コピペの類いで、どうも理論を理解した上での発言とは思えない部分もあるが 唯識の哲理を踏まえればその通りと言うことになる
860 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 16:31:37 ID:p5FRFqvC
ケータイから申し訳ない。 学校の先生が、ネクタイに輪宝しててそれがなんの宗教か知りたいんだけど、だれか分かる人いるかな… すんごいうろ覚えなんだけどなんか丸いピンで矢みたいな模様が書いてあるんだよ。 ただたんに気になっただけだから、わからなかったらいいんだけど… わかったら、教えてください
861 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/04(日) 16:43:58 ID:1lJwy7qi
>>857 >禅仏教も方法論こそ異質なれど唯識論を基礎にしているようです
そぉなんですか?、それは知りませんでした。
禅では即心即仏も非心非仏も同義です。
これはどういう意味かと言いますと、そういった一連の理論体系も全てが俗諦になってしまいます。
心が仏であろうが、心がないだろうが・・・
つまり実有であおろが実無であろうが、その範疇には属さない中道と見なすからです。
即心即仏は差別相として、非心非仏は無差別相として、この二相をもって
不一不二の法門に調ふておるわけです。
862 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 16:47:19 ID:SQa+Vm7Y
俺はわからんな で、アーラヤ識に真理を薫重していくと 「御言葉葉神となりき」とばかりに 意識が構造転換して あるとき仏になっていたと言うことになりえると唯識は説くのだが その真理の教えが何なのかということが今度は問題になってくるんだよな
863 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 16:51:43 ID:SQa+Vm7Y
>机さん 申し訳ないが何をいってるかわからん 仏の教えなんぞ俗諦だというなら座禅は仏教ではなくなるのでは?
864 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 16:57:24 ID:SQa+Vm7Y
即心即仏は差別相として、非心非仏は無差別相として、この二相をもって 不一不二の法門に調ふておるわけです。 まぁ唯識の教えもそんなところのようだよ 座禅は瞑想と言う業を通してそれをアーラヤ識に染み込ませ 次第に潜在意識が変化して、うわっつらの言葉だけじゃなくて 全身でこの思想を体現する仏陀を目指そうという運動のようだよ
865 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 17:06:07 ID:SQa+Vm7Y
確かにふとした体験 近所の御隠居さんにお茶をご馳走になったり 親切を受けたりという体験の中で、ああ、万物というのは個別に存在しているのではなく 繋がっているのだな ああ有り難いなと思うことはあるのだが 一瞬だけで、日常の奔流の中で消えてしまう こう言う自然に嫌味なく親切を施せる人、真の意味での文化人を増やしていこうという野望が仏教にはあったんじゃないかと思うが
866 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/04(日) 17:10:31 ID:1lJwy7qi
>>863 >申し訳ないが何をいってるかわからん
そもそも般若心経においても全くわからんことが書いてある。
終始否定文しか書かれていない。
これで意味があるのか?
って話になるけど、これが結構意味は通じてるわけです。
(その真意までは無理にしても)
>仏の教えなんぞ俗諦だというなら座禅は仏教ではなくなるのでは?
般若心経も俗諦です。真諦を指し示しているに過ぎない。
指し示せば否定しかできない。
これはただの否定ではなく、否定において解釈せよ!!
ってのが真意になる。
だから私は「疑」をもつことが大事である。と、かように言うております。
般若心経が一貫して否定文になってるのは、それなりの理由がある。
全否定は・・・そのまま全肯定でもある。
はからずもこれが一如の法門の大義なり。
<花押>
867 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 17:20:51 ID:SQa+Vm7Y
では否定も否定しなくちゃなりませんね まぁそんなことは当たり前で、仏の教えとかいってもこの人生をより良く生きるための方便でしかないからね
868 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/04(日) 17:37:21 ID:1lJwy7qi
>では否定も否定しなくちゃなりませんね 否定する。ってのは、人の思考システムはパーフェクトじゃないから、 一度リセットせよ! ってことです。 リセットするにはソフトがいるわけで、 そのソフトは疑しかない。 ってことですよ。
869 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 17:46:20 ID:SQa+Vm7Y
リセットして新たな目で体験を深めていくってことですかね 確かに、変に一方的な見方の癖が着いている場合有効かも
870 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 17:51:54 ID:SQa+Vm7Y
ところで対人恐怖症は治りましまたか? 今もある程度ひきずっているのですか?
>単に目立ちたがり、騒ぎたいだけの幼稚な人格が、ダビデアンの意向に合致してしまった結果であるとの観測も一部でなされている。 また、精神分析か笑 それなら、宗教者が告訴を振り回して他人を脅迫する人格障害について自己分析したらどうだ? その方が、よほどに社会的に有益だぞ(^o^)/ 君ら蛆虫が社会に出回るのを防ぐw そもそも、1ヶ月で集めた23000千円をうな重以外のなにに使ったのだ?
あれ? 誤爆onzヽ(^。^)ノ
873 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 18:02:26 ID:SQa+Vm7Y
昆布どの 、うちまちがい、投稿し間違いには、重要な意味が隠されているというのがフロイト派の見解です 貴方は無意識のやむにやまれぬ力によって必然的にここに投稿してしまった可能性がある
874 :
神も仏も名無しさん :2007/11/04(日) 18:05:55 ID:SQa+Vm7Y
何故なら調度今精神分析と宗教について語ってた最中だからね 心の発する磁場によって周囲の行動自体が捩曲げられ、隕石が地球に衝突するかのように ここに投稿してしまったのでしょう
あら、それは、知らなかった(つд`)。。。。 でも、誤爆とはいえ、少しはお役に立てて、嬉しいです(#^.^#)v
876 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/05(月) 08:57:48 ID:b3qwpK6G
>>869 >リセットして新たな目で体験を深めていくってことですかね
そんなチャチなものでは断じてないですね。→(ありのままAAは略させて頂きます)
ドストエフスキーの「罪と罰」には、銃殺刑を宣告された死刑囚の場面がある。
死刑囚は恐怖におののき、その極限に至るんですが
瞬間的に平穏な気分になるのです。
そしてそれどころか快楽的境地にまでなるのですが、
こういった・・・それは瞬時にあるもんです。
これはどういったことか?と申しますと、
日常的意味連関が全て抹消されたような状態です。
日常における非日常と申しますか、そんなようなことと理解なすって宜しい。
単なるリセットではない。
禅においては「大いなる死」とか「大死一番」とかいう。
つまり自己の抹消です。自己破壊ともいう。
(この時に、ユングの集合意識とか、フロイトの夢判断などの神秘主義が消える)
>>870 対人恐怖症の残滓は全くありません。
877 :
神も仏も名無しさん :2007/11/05(月) 09:19:41 ID:aLk/p6bR
姉が癌を宣告されたとき全く同じ心境になったそうです しかしその後診断間違いだと言うことがわかり 人生のとらえかた見方がひっくりかえったと 絶対の否定によるリセットですね
878 :
神も仏も名無しさん :2007/11/05(月) 09:28:30 ID:aLk/p6bR
死は最大の教養と言うが 釈迦も仏法も消えるわけですね 机も消える 禅も消える
879 :
神も仏も名無しさん :2007/11/05(月) 09:46:57 ID:MyBwc+Yi
死の具体的な期日が決まっていないから、平静でいられる人が大部分だ。 決まっていたら一時的にせよパニックになるだろう。強大なストレスだろう。 量的な違いにしか過ぎないのにね。 笑って平静に、それこそ自受用三昧の境地になれるのがブッダの教えだと思う。
880 :
神も仏も名無しさん :2007/11/05(月) 09:56:29 ID:aLk/p6bR
ちなみに貴方(机さんも含む)は数日後の死を宣告され取り乱さないでいられますか 平素から覚悟があれば淡々と日常を送ることができるでしょう つまり今、死刑囚の自覚を持って生きてるかと どうです?
881 :
神も仏も名無しさん :2007/11/05(月) 10:34:20 ID:aLk/p6bR
机さんがおっしゃる仏教とはようするに実存主義なんですけども 禅仏教、或は机主義、実存主義に対する懐疑を感じたことはござらんか 死による絶対否定は生の喜びに転じますが 実存の欣喜雀躍 無為の行為 というものがそのままストレートに現れることが可能か 結局、2ちゃんねるなどで禅とは〜とかいって バランスをとることが精一杯なのではないか
882 :
一休宗純 :2007/11/05(月) 12:24:29 ID:MyBwc+Yi
ううううう〜〜、死にとむない〜〜(ガクガク ブルブル・・
883 :
神も仏も名無しさん :2007/11/05(月) 12:55:12 ID:1HvWgILd
>>876 でも、そのような死の覚悟だけなら、
仏教の悟りとは言えないのではないでしょうか。
死ぬ覚悟ができた人でも、
「自分の」家族とか「自分の」遺産とかの心配をして、
無常無我を悟っていない人はいるでしょう?
また、あの世の幸せを神様に祈るなど、
迷信からの脱却ができない人もいるでしょう?
884 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/05(月) 16:32:11 ID:b3qwpK6G
>>881 >禅仏教、或は机主義、実存主義に対する懐疑を感じたことはござらんか
そういうことは一切感じたことはないですね。
例えばですが、実在と認識するのは誰なんですか?
誰かが認識しなけりゃ〜実在にはならんでしょ?
(もっとも実在主義などはカビの生えた哲学でしかないが、今さら・・・)
つまり認識が一義であり実在は二義である。
(ようするに認識があっても実在と認知しなけりゃ〜、それは実在にはならん)
今のご時勢は、実在の対極である実証主義が主流ですね。
>>883 >「自分の」家族とか「自分の」遺産とかの心配をして、
これは日常的意味連関の継続ですね。
悟りというのは、この意味連関の断絶したその瞬間。
つまり、日常における非日常の個を超克した個を垣間見た瞬間。
885 :
神も仏も名無しさん :2007/11/05(月) 21:58:34 ID:aLk/p6bR
実存主義とは今、ここに存在する己自身に至高の価値を置く思想です おしゃか様が天上天下唯我独尊と宣われたというのも実存主義の宣言でございます 机様が批判されているのは素朴実在論でありまして、実存主義とは少々赴きが違ってくると思います
親友の供養をお寺に頼みたいのですが、他人がそんなことをしていいのでしょうか?
887 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/06(火) 07:59:13 ID:Wq1MPL9h
>>885 実存主義というのは、いわゆる現実存在を第一義とし、
そのテーゼにおいて人間の自覚(人間存在)に目覚めよう。という考えですね。
観念論的自我を、実存的自我に転換しただけの話なんですよ。
じゃあ、どうやって転換したらいいか・・・と言えば、所詮観念論ですから、
そう思い込む他どぉしょもないですね。
簡単にそぉ思い込めるのでしたらイイですが、人の脳はそんなに簡単には出来てない。
ニーチェは、ある意味仏教に近い考えでしたが、
ただアジテーションだけで何ら本質的なものまでには到らなかったわけです。
これが観念論の限界と申せましょう。
仏教というのは、西洋哲学でいいますと、だいたい観念論と唯物論の中間くらいに位置します。
しかし、そもそも発想そのものが全く違う。
888 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/06(火) 08:07:33 ID:trGuBTAC
>>886 (°∀°)全然桶♪
あなたの優しい思いが届くと良いね
889 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/06(火) 08:07:42 ID:Wq1MPL9h
>>886 住職の法要は、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌・・・
でやりますから、
親友であれば、あなたが個人的に法要した方が故人も喜ぶんじゃないでしょうか?
元来、供養というのは故人に近い人がやるもんですよね。
住職ってのはその代理ですから。
住職がやるんだったら親友の方がいい。
890 :
神も仏も名無しさん :2007/11/06(火) 12:20:15 ID:GgKGdTka
所詮観念論と言うお答えですが、その観念論哲学とですら、別に学問として失敗したわけではないすよ また実存主義とは「所詮観念だよ〜」という団塊世代的マルキシズムの文脈からでてきたものではなく マクロの問題からミクロの世界に目を向けようという問題意識から発生してきたものなんですね
891 :
神も仏も名無しさん :2007/11/06(火) 12:45:40 ID:mT1FLfk7
892 :
神も仏も名無しさん :2007/11/06(火) 16:14:15 ID:GgKGdTka
↑このサイトの文章中途半端で終わってるよ(読めない)
893 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/06(火) 19:31:33 ID:Wq1MPL9h
>>890 人類の歴史というのは諸説がありますが、だいたい500万年として、
人類の言語獲得というのは数万年〜20万年くらいと推測されてます。
(ネアンデルタール人あたりが発端か?)
哲学ってのは、つまり思索する学問で、
思索できるのは言語があるからですね。
言語がなければ思索は不可能ですから。
ようするに西洋哲学というのは、この言語をくまなく駆使して思索を続けてきたわけです。
仏教とは、この人類言語獲得以前にまで洞察したのが、
いわゆる悟りというもんかと思いますね。
(言語は手段に過ぎない)→月(真理)を指し示すことしかできない。
ここが仏教と西洋哲学の大きな違いになります。
でも、まあ、私がここまで書けるのは、それなりのレスポンがあるからです。
貴殿のような学究熱心な御仁であれば、私はもっと甚深なる法を語ちるのも吝かではない。
894 :
神も仏も名無しさん :2007/11/06(火) 20:55:51 ID:mT1FLfk7
>>892 パソコンでなら読めたけど。
張り付けてからケータイで見たら途中で切れてた。
895 :
神も仏も名無しさん :2007/11/06(火) 20:58:21 ID:mT1FLfk7
896 :
神も仏も名無しさん :2007/11/06(火) 21:29:19 ID:mT1FLfk7
悟りには四段階があるわけですね。 1預流果で、有身見・疑・戒禁取見の三つの煩悩が消える。 2一来果で、激しい欲と激しい怒りが減る。 3不還果で、欲と怒りが消える。 4阿羅漢果で、色貪・無色貪・掉挙・慢・無明が消える。 自分の胸に手をあててこのリストに照らし会わせてみれば、 自分がどこまで悟ってるかがわかりますね。
897 :
神も仏も名無しさん :2007/11/06(火) 23:30:00 ID:aWiann3h
>>891 >>895 >>896 なんだカルト寺和田は原始仏教スレでボコボコに論破されたから、このスレに逃避したかw
オウム残党寺和田親衛隊はお元気?
金正日大将軍様はお怒りだぞよ!w
業報輪廻転生は戯論なり!、この一言で吉祥に論破を終る。
新生インド仏教徒に懺悔謝罪してこい!
戯論(一切外形而上的論議)の消滅というめでたい縁起中道のことわりを説きたもうた仏を、
もろもろの説法者のうちで最も勝れた一切智者として敬礼する
898 :
897 :2007/11/06(火) 23:36:09 ID:aWiann3h
× 業報輪廻転生 〇 業報輪廻転生論
899 :
神も仏も名無しさん :2007/11/06(火) 23:47:27 ID:mT1FLfk7
>>897 輪廻については、わかるときがくればわかると思ってます。
今はまず、預流果をめざすことから始めたいです。
浄土教=ゾロアスター教 無量寿経はゾロアスター教が国教(仏教も容認)のパルティアで書かれた偽経です お上がゾロアスター厨なので気を使いトンデモ経典が生まれたと思われる ちなみに安世高はパルティア人 ↓ <タジキスタン>仏教とゾロアスター教融合の仏像型発見 11月1日21時37分配信 毎日新聞 7〜8世紀ごろに栄えた中央アジア・タジキスタン西端の都城跡を発掘調査していた龍谷大の蓮池利隆・客員研究員(西域仏教文化)が1日、 ゾロアスター教(拝火教)を象徴する拝火壇を描いた当時の仏像の型を発掘したと発表した。 蓮池研究員は「仏教とゾロアスター教の融合を確認でき、仏教の源流の一つを示す貴重な資料」としている。 現地の国立歴史考古民族博物館と合同で9月、首都ドゥシャンベの南西70キロにあるカレ・コファルニホン遺跡を調査。 地下約3メートルから発見された工房とみられる施設の跡から、粘土を詰めて仏像の塑像を作るための型(高さ約10センチ)が出土した。 仏の足もとにはゾロアスター教で神聖な火をたく拝火壇が描かれ、仏が手を差し伸べている。
悟った人とはどんな人?
>>900 パルティアだったんだ
これは確定情報ですか?
903 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 12:11:08 ID:8gsjnU7D
机さまへ 実存主義とはその言語以前の理屈を超えた己自身を肯定して生きていこうという思想かと思われます ニーチェの哲学などにもこれがあると思います 考えてみますと、我々一人一人とは四十億年の進化をくぐり抜けて存在しているバケモノじみた生き物で、近代以降に確立された小市民的自我とは矛盾する存在であり フロイトがイドと言ったのがこれです 理性的生活を脅かす存在でありながら 無限の生命力の宝庫 心理学ではこれをエゴに対してセルフなどと言うのはご承知の通りです セルフとエゴの統合 これは現代心理学が目指すものであるものであるし 古来より仏教徒が理想としてきた境地なのではありますまいか
904 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 12:22:05 ID:4O7S8pi0
横レス御免。 何かの境地を求めてつくりだすというよりは、 煩悩を一個ずつ消していくという感じでは。 体験したこともない理想の境地を求めるのではなく、 毎日体験している煩悩を消していく。
905 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 12:40:33 ID:8gsjnU7D
煩悩を消していくメソッドとして、念仏や写経、題目、座禅というものが考えられたのかと思われます 伝説によると悟りを開いたおしゃか様を見ただけで悟りを開く人がポンポン現れた(人間の心は繋がってるのでありえることです)と言うことですが、残念な事におしゃか様は今はおられないので
906 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 13:36:51 ID:8gsjnU7D
唯識論とは人類が築き上げた哲学としては最高峰のものかと思います 先日お話があったようにドストエフスキーの死の体験ですが、死の体験を通して何が変わったかというとドストエフスキーの無意識が変わったわけですね 死刑を宣告されて助かるという体験は実際できることではないのですが 凡人でも死を思う事で有限な存在で在る自分を自覚し、大我に目覚めると言う経験は出来ます ドストのような全身の細胞や毛髪の先までに衝撃を与える経験をしなくても 日々、死を思うと言う経験をしているうちに、段々、無意識の方が変化していって、単純な虚栄心に基づく行動などが取れなくなってくるはずです 上のテーラワーダ協会とかの話でいうならば悟りのステージが一段上がったと言う段階かも知れません あえてこれを「死相観」とでも名付けましょうか よく仏教絵巻では美人が腐敗していく図を書いて、無常を自覚させるということしますので多分、こういう修業もあるのではないかと思います。 私は病院勤務のせいか、どうも同僚は別に仏教徒とかじゃなくても、常に死相を体験しているせいか ある種の達観をしているひとが多いように思います
907 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/07(水) 13:37:21 ID:rrDcOrHp
>>905 >(人間の心は繋がってるのでありえることです)と言うことですが、
これは集合意識のことですか?
私は集合意識は古代人はあったかと思いますね。
動物的本能として、テレパシー的な意思疎通はできたかと思います。
狩猟民族などは、言語を媒介としなくてもある程度のコミュニケーションはあったかと推測している。
これは別に特別なことではない。
その残滓として、
現代人は、胸騒ぎとか、虫の知らせとかがある場合がある。
(私も経験上はある)→これが神秘主義に繋がる。とかの意味ではない。
現代人には、勿論こういった能力は退化してしまったけど、
神秘主義的命題を、古代に視座を向ければ何ら不思議ではない。
ってことに先ず気づくべきかと思いますね。
>>903 の書込みにおいても、そのテーゼとは原点回帰ではないか。
>考えてみますと、我々一人一人とは四十億年の進化をくぐり抜けて存在している
>バケモノじみた生き物で、近代以降に確立された小市民的自我とは矛盾する存在であり
そうなんです。
仏教の無明の根本因とは、人類の言語獲得による。とか、
龍樹は逝っておるようですね。
(直接的には中論には書いてないが、言語否定はそういう意味)
まあ、ここにもニーチェと繋がる原点回帰はある。
908 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 13:48:04 ID:8gsjnU7D
そんな大袈裟なものではなく、人徳がある人に出会っただけでこちらの心が成長するということは日常で経験することがあるかと思います ようするに感化力ですな 仏陀ほどの人ですからその存在に触れただけで人を即成仏させるような感化力があったのでしょう 仏陀は自分の悟りは理解されないから自殺しようと思ったらしいですが かつての同僚とちょっとしゃべったら同僚も悟ってしまったので 自分以外の人間も悟れることに気がつきその後の人生を伝道に費やしたといいます
909 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/07(水) 13:48:47 ID:rrDcOrHp
>>906 >私は病院勤務のせいか、どうも同僚は別に仏教徒とかじゃなくても、常に死相を体験しているせいか
>ある種の達観をしているひとが多いように思います
そうですね。
看護士などは、深夜に長らく闘病していた患者を看取って、
その早朝にニコニコ笑顔を振りまいてるわけですから、
ああ、人間の死とはこんなに軽いもんかと・・・私は思ったですね。
私もそういう意味ですと多少は達観したのかと思いますよ。
今は、少し変わってきて、
ターミナルケアは別病棟を新設するところが多くなってきている。
910 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 13:55:37 ID:8gsjnU7D
いや、こういったほうがいいか 実際に死刑にならなくても、死刑を宣告された気持ちになることは出来 ドストと同じ経験を心の中で体験することはできる 深く死を思えばこの世に置ける虚栄心だのなんだのは消えてしまい 存在することの喜びに転じていく 虚栄に基づく行動を嘔吐するような段階に意識が変化してしまう 虚栄などくだらないといくら意識で思っても無駄で、こういった煩悩は、自分が存在すると言う無知に起因するわけですから 一見関係ないように思うが無常、則ち死の自覚を深めることでこういった煩悩は消滅していくはずです
911 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/07(水) 13:59:26 ID:rrDcOrHp
>>908 >私は病院勤務のせいか、どうも同僚は別に仏教徒とかじゃなくても、常に死相を体験しているせいか
>ある種の達観をしているひとが多いように思います
普通の患者でも、ある程度闘病すれば死生観が変わるわけですから、
日常的に死と直面してれば、そりゃ〜達観するかと思いますよ。
死を極端に恐れていた、若いご婦人が・・・
死んでしまった時は、やはり無常を感じました。
それを契機として、私は身辺整理をするようになった。
こうすると気持ちがサッパリするもんです。
912 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 14:00:04 ID:8gsjnU7D
そうですね 逆に生死のドラマを体験し、次の日にニコニコ笑顔を振りまかなければならないというのは、心に凄まじい分裂、負担を齎すものであり、看護師などで精神を病んだりする人が多いというのも頷けるわけです 体験だけではなく、それを踏まえ、反省(禅定)がないと体験に潰される可能性も在る
913 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/07(水) 14:04:10 ID:rrDcOrHp
>>910 >死刑を宣告された気持ちになることは出来
私は死刑じゃ〜ないですがね、
死を宣告されたよぉなことがありましたよw
顔は真っ青だったらしいですが・・・・
やはりこういう体験はした方が達観しやすいですよ。
リアルでこういう経験はした方がいい。
死生観も変わる。
あの世がどうでこうでとか、逝ってられなくなる。
914 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/07(水) 14:06:40 ID:rrDcOrHp
>看護師などで精神を病んだりする人が多いというのも頷けるわけです いや〜、そうですか。 それは初耳ですね。 私はもっとシビアなのかと思ってましたよ。 いろいろと勉強になりますですね。
915 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 14:09:01 ID:8gsjnU7D
神秘的な話になりますが、真剣に生きてないと、警告の意味で死を宣告されると言うことがあるかと思います ドストも革命を企んだりと時代の空気に合わせて見当違いの事をやっていたので、「死」が突き付けられ、本来の自分に返り、天命を自覚して生きるようになったとかね
916 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 14:15:27 ID:8gsjnU7D
それでも気がつかないとマジで消滅してしまう 観念論にすぎないと言う批判もあるかもしれませんが、現実の歴史とは無数の存在者の生死によって形作られて来ているもので、適切なところで適切な人が死ぬことでその後の歴史が発展して来たということは現にあることですからね 人類以前の歴史でも恐竜大絶滅みたいな事件も在る
917 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/07(水) 14:16:33 ID:rrDcOrHp
場合によっては、ガン告知は本人に告げますからね。 ステージ4でも告げる。 昔はステージ4だと生存率が低かったですが、 今は助かる可能性もあるんで告げるんでしょうけど。 まあ、告げられると多少は人間的に成長するかもしれませんね。 帰還すれば・・・の話ですが。 そのまま逝ってしまう場合もある。 (ありのままAAは略させて頂きます)
918 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 14:29:23 ID:8gsjnU7D
ここで、仏陀の悟りとは何だったのかと言うのが問題になってくる 何だったのでしょうか 仏教質問スレのみなさんはどう思われますか?
919 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 14:52:46 ID:yp4R4mTU
>私は病院勤務のせいか、どうも同僚は別に仏教徒とかじゃなくても、常に死相を体験しているせいか >ある種の達観をしているひとが多いように思います それは達観というよりは、慣れによる感覚麻痺という見方も出来ます。 生き物を殺すとき、最初は抵抗感があっても、数を重ねていくうちに、 そうではなくなる心境は、達観というよりは、慣れによる感覚麻痺と いった方が正しいでしょう。毎日毎日、病人の死と身近に接していれば、 その人にとって死は日常に欠かせない生活心情の一部となります。
920 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 15:01:47 ID:8gsjnU7D
いや、割と真の意味で慈悲に溢れた人が多いという意味ですね 単に人の死が気にならなくなると言うだけではなくて
921 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 15:11:21 ID:yp4R4mTU
慈悲に真とか偽りとかあるんですか
922 :
神も仏も名無しさん :2007/11/07(水) 15:16:21 ID:8gsjnU7D
仏教徒いうのが空虚な観念論でなければ、普通の人も日常の生活の中で仏教しているのだと思います とはいえ、ちょっと上の例は多少偏見かも知れないで受け流していただければと思います
>>921 相手のために役に立つ慈悲と、相手にとって毒となる慈悲がある。
「慈悲魔」でググってみるとヨロシ。
924 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 08:22:14 ID:DZ8GTQVu
>>918 煩悩をなくせばその分苦悩がなくなるということと、
煩悩をなくすための方法と、
煩悩がなくなったことで初めて観えたこと。
925 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 08:26:53 ID:DZ8GTQVu
>>919 殺せば殺すほど殺し癖がつく(悪の練習で罪業が積もる)。
926 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 08:28:57 ID:pOp7ntx9
岡野守也さんの『唯識のすすめ』は純粋に心理学の本として読ませてもらった。 皆さんも一読することをお勧めします 煩悩発生のメカニズムや煩悩を減らす方法論の学術的研究 それが唯識である 現代の実証科学の観点からも十分評価できると思います。
927 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 08:38:09 ID:pOp7ntx9
基本、2ちゃんねるの議論が荒れるのも、マナ識にある執着心に引きずられて「俺の悟りの境地にけちをつけるとは!」 「私の神様を冒涜するとは!」 或は「オレサマの世界を否定する宗教勢力は悪だ」 「神仏を信仰する俺は正しい」 「神仏を否定する俺は正しい」 「俺が所属する団体は正しい」 など「自分」が関わっているので議論が歪むと言うことがあると思う そういうとき「志村、マナ識、マナ識!」と指摘し合える関係がいいね
岡野はトラパだろ・・・ カルトと変わらん
929 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 09:15:26 ID:pOp7ntx9
カルトと言うか宗教改革の動きの一翼なんだろうね 正直、これで困るのは特権にあぐらを掻いた葬式仏教の手合いに過ぎないだろう
930 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 09:17:57 ID:pOp7ntx9
一般人に取っては唯識を解りやすく説明してくださってありがとうございますとしか言いようが無い。得体の知れないブッポーの権威によって飯を食う輩が減って良いことだと思います。
931 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 09:19:48 ID:pOp7ntx9
間違いなく仏教は現代科学として蘇ったよ 釈迦も満足してると思う
仏教を中途半端に科学とちゃんぽんにしてしまう動きそのものを指して カルトって呼んでるんだよ そんなおばかな解釈は阿含宗の桐山にでも任せておけばいい
933 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 09:28:33 ID:pOp7ntx9
ではおバカでない解釈を是非
934 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 09:35:04 ID:pOp7ntx9
まぁまた仏教として失格でも科学として評価されりゃいいんじゃないかと思うね
だが断る 心の苦を消滅させる為の方法論 それが仏の教え 自分で文献を紐解き、じっくり己の心を観察して、苦の成り立ちと有り様を 理解し、消せばいい 既成仏教も新興カルトも要らん、全部滅びろ 仏の教えをちゃんと理解すれば、そもそも教団を編成する事自体がもっての他だ という事に気付く筈 多くは書かんぞ
936 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 09:36:48 ID:pOp7ntx9
ただ伝統宗教こそ仏教失格だと一般人として思うのは事実 釈迦も歎いておられると思う
937 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 10:50:01 ID:LbfZVnwm
単に伝統というだけで否定的に見られがちですが、 悪しきカルトは、その悪しき教義?故に、伝統となる前に 滅びてしまいがちではないでしょうか。 伝統としてまがりなりにも法灯が伝えられて来たというのは、 それだけ人々の琴線に適う何某かがあったと見るべきでしょう。
938 :
御利益満載 お金持 :2007/11/08(木) 13:05:36 ID:iTD14epW
939 :
神も仏も名無しさん :2007/11/08(木) 13:22:12 ID:pOp7ntx9
確かに文化財としての価値はありますが宗教としては死んでると思います<伝統仏教
940 :
御利益満載 お金持 :2007/11/08(木) 15:08:52 ID:iTD14epW
× アミニズム 〇 アニミズム
941 :
神も仏も名無しさん :2007/11/16(金) 17:55:01 ID:SfTLAcH9
法然、親鸞、それぞれの思想に興味を持っているのですが、 彼ら自身によって書かれた文章は、ちょっと現代人たる自分には読みづらい。 そこで、法然、親鸞、或いは浄土宗、浄土真宗の教えについて、 現代語でそこそこ詳しく解説している著作を探しているのです。 そういった本を教えてはいただけませんか?
>>941 そういう質問をすると渡海難が荒らしに来るので注意すること。
>>943 ありがとうございます。
でも、余りにも平易に書かれすぎてて、却って解り辛いです。
それに横書きの長文もしんどい・・・・・・・・・・・・・
とりあえず無量寿経と歎異抄の現代語訳を読んでみます。
945 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/17(土) 08:56:26 ID:JuAqXImw
>>945 お前はそこで渡海のオナニーの相手でもやっとれ
947 :
神も仏も名無しさん :2007/11/17(土) 16:10:46 ID:TpHl4YJf
>>938 >わが日本アミニズムのほーが、日本人のDNAにはふさわしい。
>気候風土が全く異なり、外人のゴータマ・シッタールダなんかで遊ぶより、
>日本人には天照大神の霊性がお守りになっている真実を悟りなされ。
柏手を打ちながら般若心経を唱える修験道に代表されるように、日本人のDNAに
見合った感性において日本の仏教は発達してきていることを考えれば、仏教or神道
といった二者択一思考に拘らなかった御先祖様の卓見には畏れ入るばかりです。
948 :
神も仏も名無しさん :2007/11/20(火) 20:05:59 ID:9F8bH9Wk
よく駅などで修業僧らしき人がお経を唱えながらチリンチリン鳴らしていますよね でもここ数年私の町ではあの姿を見かけなくなりました 外国人の成り済ましなどであの修業方法はやめてしまったのでしょうか? それとあの行為って一般人はまず修業と知らないし、結構奇異な目で見られますよね… やはりそういうのは嫌だと感じるんですか?
>>948 よく駅などで修業僧'らしき'人がお経を唱えながらチリンチリン鳴らしていますよね
でもここ数年私の町ではあの姿を見かけなくなりました
あの修業方法はやめてしまったのでしょうか?
一般人はまず修業と知らないし
つか
'あれ'は修行とは無関係だす
修行僧が生活の糧を得る手段でも
修行では有りませんよ?
そもそも'あれ'はなんの修行になるのでそ?
(°∀°)雰囲気なら充分修行ッポイけど?
950 :
神も仏も名無しさん :2007/11/25(日) 13:18:46 ID:wvPuJ8nC
輪廻転生について説明してください
951 :
神も仏も名無しさん :2007/11/25(日) 16:30:48 ID:MRAx/mDN
弥勒
(´・ω・`)知らんがな
953 :
南無大師遍照金剛 :2007/11/25(日) 23:02:03 ID:W/AW1h7H
ヽ(´∇`)ノ知らんがな♪
954 :
神も仏も名無しさん :2007/11/29(木) 19:52:01 ID:+hIbanOQ
みんなお祭が好きだろう? 神輿かついでわっしょいわっしょい! ワクワクするねえ、血が騒ぐねえw 現代日本人は宗教にルーズだといわれるが、 お祭で血が騒ぐ、苦しいときの神頼み、これが日本人のDNAなんだよ。 アニミズム日本神道 おおらかでいいねえ。好きだよ。 明治以降、薩長とくに長州ヒステリー連中が国家と神道を強引に結びつけたが、 日本の長い歴史のなかでは全く異常な体制だった。 触らぬ神に祟りなし、明治国家は触ったがゆえに祟られ滅びた。 ブッダに恋するのもいいが、本道はDNAである八百万の神だよw
955 :
神も仏も名無しさん :2007/11/29(木) 23:54:21 ID:y9jsLWtc
神様に願いごとしても、願いかなわないでしょ
956 :
神も仏も名無しさん :2007/12/03(月) 19:38:14 ID:501fEgjs
常なるものがないのだから、輪廻するのが当たり前。 輪廻とは、無常の同義語なのです。
957 :
神も仏も名無しさん :2007/12/03(月) 23:18:26 ID:YpmbZbe1
輪廻とは神の手のひらの混沌演出=迷いのことさ。
958 :
神も仏も名無しさん :2007/12/03(月) 23:56:28 ID:YpmbZbe1
ところで、良寛さん(約70歳)と貞心尼(約30歳)さんは、できていたのか?
959 :
神も仏も名無しさん :2007/12/05(水) 15:49:26 ID:qTLROegn
某スレが機能してないようなのでこちらで教えてください。 親鸞聖人が晩年、関東から教えを聞きに来た弟子たちに対して 教えることを放棄したのは何故ですか? 全て阿弥陀佛のはからいにお任せしたためですか? よろしくお願いします。
960 :
神も仏も名無しさん :2007/12/05(水) 19:47:09 ID:URi9b3px
日蓮宗系では 「日蓮は釈迦が予言した仏」と言っていますが、 その証拠ってどこにあるんですか?
961 :
神も仏も名無しさん :2007/12/05(水) 22:07:07 ID:zQF4JtWk
日蓮さんは 今の新興仏教のように非仏教ですよ。 だいたい 法華経が仏教だと信じていましたからね彼は。 やれやれ。
962 :
南無大師遍照金剛 :2007/12/06(木) 02:51:40 ID:4be7d/wf
>>960 (°∀°)証拠はないね
言ったもん勝ち♪
>>959 そいつは、曇鸞事件の余波ではなかったかな?
関東に派遣された曇鸞が、
親鸞から往生の秘事を授けられて来たと言って多くの信者を集めた。
年来の信者たちはその真偽を問うために親鸞を訪れる。
親鸞は秘事法門を否定し、法然より伝えられた教えは全て伝えたと答える。
>教えることを放棄したのは何故ですか?
放棄したのではなく、親鸞には念仏往生以外に教えることが無かったからです。
それ以上の仏法を知りたければ南都北嶺といった聖道門に行くしかない。
だから、それをそのまま伝えたということです。
964 :
959 :2007/12/06(木) 10:41:23 ID:p73i39WI
>>963 回答ありがとうございます。
ちょっと引っかかるのは、親鸞自身が絶対他力になりきれず、
努力してしまうことで悩んでいたと読んだ記憶があります。
絶対他力と菩薩行というか救済活動はどういう関係にあるのか?
そんな疑問があり、私の質問内容と関係があったのかどうか
知りたくて、お尋ねしました。
>>964 親鸞とても人の子、思考や感情に振幅があって当然だろうと思います。
また、「弥陀のはからい」などと簡単に言いますが、
凡夫に過ぎない親鸞に、その見極めが付きようはずもなく、
更には、自身の布教活動を菩薩行だといった思い込みもなかったでしょう。
ただ、法然が菩薩の化身だという信念は生涯持ち続けたようです。
信の文字は人に言葉と書きます。
人が信じるものは人の言葉だけです。
たとえ阿弥陀仏を信じられなくとも、法然の言葉だけは信じよう。
その結果、親鸞が救われている以上、法然は親鸞にとっての菩薩です。
親鸞の言葉によって弥陀との出会いがあるなら、その人にとっては親鸞が菩薩となります。
「たとえ騙されたとしても信じるよりない」
カルトと紙一重のこの諦観は、ある意味で仏教の真骨頂かもしれませんね。
他力について言えば、念仏は本来無義なので、その解釈も人さまざまであろうと思います。
多念義から一念義、無念義まで幅広く、
凡夫の布教行為が弥陀の本願にかなうのかどうか?
たとえば親鸞会の布教行為はどうなのか?
そのあたりは、弥陀でない私には正直見当もつきません。
これは、回答ではなく感想ということでご容赦願いたいと思います。
966 :
959 :2007/12/06(木) 13:50:13 ID:p73i39WI
>>965 親鸞は、己の心の深海をどこまでも深く突き進んだイメージが有り、
日蓮との差異が興味深い点でした。ありがとうございました。
いきなり質問すいません。 テストで「あなたの結婚観を仏教用語を使ってかけ」という問題が出たのですが、 全く浮かばないので皆さんの意見聞かせていただけませんか?
968 :
神も仏も名無しさん :2007/12/06(木) 23:21:33 ID:/4wir8us
>>967 諸行無常。恋愛感情の盛り上がりは必ず過ぎ去る。
理性と忍耐と慈しみが大事。
参考: 816 1/2 sage 2007/02/15(木) 12:42:22 ID:AEtkzt7N >> 768>> 771>> 774 知人の結婚式で一言頼まれた時に用意したメモから。(※出典は>> 813) ・コーサラ国 ・パセーナディ王 ・マッリカー夫人(熱心な在俗信者) 「そなたには、自分よりも愛おしい人がいるか?」 「いいえ。自分より愛おしい人などいません。王様はどうですか?」 「・・・。うむ、私も自分より愛しい人は見つけられないな・・・。」 (以前に、近い説法を聞いていたかも。 それを思い出して夫人に聞いてみたのかも。) (夫人は熱心で聡明で、教えに通じていた。 夫人にしてみれば、何を今更w・・・という感じ?) (王は、「あなたです」という答えを期待していたのかもw) 釈然としない王は、釈尊のもとへ行き、顛末を話す。 釈:「心の中のどこを探してみても、自分よりも愛しいものは見つからない。 そのように、【他の人にとっても自分が愛しく大切なのです。 それ故に自身を愛する人は、他人を害してはならない】のです。」 一見自己中心的な、我儘な姿勢。が、ここで言われているのはもっと深い部分のこと。 ・子供が喧嘩、諭す時「そんなことされたら○○ちゃんも 痛いでしょ? 悲しいでしょ?」・・・相手の痛み ・同情=同じ情(気持ち)=相手の思いを自分のものとする。・・・上から見下ろすようなものじゃない ・他人の痛みを自分の痛みとする、他人の喜びを自分の喜びとする。 【他の人にとっても自分が愛しく大切。それ故に自身を愛する人は、他人を害してはならない】
817 2/2 sage 2007/02/15(木) 12:43:05 ID:AEtkzt7N どういうことか→自分は、今こうして生きているかけがえのない生命、 他人もまた同じ命。 あの人もこの人もその人も、同じように生きている同じ生命 実際日常生活でこういう「自分が一番愛しい」と極端な言い方をしていたらあまり宜しくないが、 お釈迦さんは、どこまでも自分自身を掘り下げていって、根っこの部分について考えた人。 他人に優しくする、思いやる、嫌がることをしないとか、或いはなぜ人を殺してはいけないのか、 とか、そうしたことの理由付けとしてはもっとも確実。 けど、自暴自棄・斜に構え「俺は別に自分がどうなったっていいや」という人にとっては、その理由付けは無力。 しかし、だからこそ →「自分を大切にすること」「自分を可愛いと思うこと」「自分はここにいてもいいんだ」 と、小さい頃から子供達には感じさせてあげなきゃならない。 堅い話になったが、仏教では、根っこの部分ではこうした視点に立つけれども、 それが、日常生活へと働き出るときには、「同情・思い遣り・人の痛みがわかる」(=慈悲の悲)、 地球の裏側の人も、今目の前にいる人も、「同じ人間である同じ生命である」、 ここまで深く掘り下げずとも、「同情」というのは、「寄り添う」ことである、とも言える。 このように受け止めて、実践していけるようになりたい。 今の話で、夫人は賢くて、夫をぐいぐい引っ張っていくタイプだったのかもしれません。 ○○先生達御夫婦がどういう夫婦になっていくかわかりませんがw、もっとも大切なこととして 相手の痛みを自分の痛みとし相手の喜びを自分の喜びとしながら、歩いて行って頂けるよう願います。
971 :
神も仏も名無しさん :2007/12/07(金) 16:06:12 ID:E99ot16h
美好耽恋に溺れるなかれ。 相手の若さや容貌は、九想詩絵に示すが如し。 ――奥さんが浮気や駆け落ちなどして貴方を裏切ったときには、くれぐれも 逆上しないで、この九想詩絵の戒めを思い出しませう。
972 :
神も仏も名無しさん :2007/12/08(土) 11:37:25 ID:1yNNW0Lj
本で仏教を勉強しようと思ったらまず何を読めばいいですか?
973 :
南無大師遍照金剛 :2007/12/08(土) 13:25:22 ID:AJpT4n55
974 :
神も仏も名無しさん :2007/12/08(土) 14:11:23 ID:Bd/sWBPY
水野さんの、『仏教用語の基礎知識』。
975 :
神も仏も名無しさん :2007/12/08(土) 16:42:20 ID:IJkInafp
>>963 曇鸞(七高僧の一人)ではなく
善鸞(親鸞の息子)ですよ。
976 :
神も仏も名無しさん :2007/12/08(土) 17:16:57 ID:noUmsr4b
歎異抄読んでレポート書けと言われた学生ですが、わけわかめです。助けてください。
977 :
神も仏も名無しさん :2007/12/08(土) 17:26:26 ID:IJkInafp
978 :
神も仏も名無しさん :2007/12/08(土) 17:37:54 ID:IJkInafp
979 :
976 :2007/12/08(土) 18:09:59 ID:noUmsr4b
どれか一つ章を選んで、感じタコとを述べよ…らしいのですが ザッと目を通したものの、思想というか、捉え方というか感覚が理解できないんですorzでもとりあえず書いて出さなきゃだから、どのあたりが書きやすいんだろう、どういう観点から切って行けばいいんだろう…と思って
980 :
南無大師遍照金剛 :2007/12/08(土) 18:28:29 ID:AJpT4n55
思想というか、捉え方というか感覚が理解できないんですorz (゚.゚)思想だと思うなら思想として是非かけば? でもとりあえず書いて出さなきゃだから、どのあたりが書きやすいんだろう、どういう観点から切って行けばいいんだろう…と思って とりあえず書くなら非難でも良いんぢゃね? 思想とはほにゃらにゃである このお経はなんちゃらである よって思想として理解できかねませんと で桶
>>979 三章の悪人正機あたりが分かりやすいかな。
歎異抄は、前半が親鸞の言葉、後半が唯円の解釈という説もあり、
十三章あたりを参考に適当に書けばいいと思うよ。
ネットでも検索しやすいから、書くことには困らないでしょ。
>>975 そのとおりです。<(_ _)>
982 :
神も仏も名無しさん :2007/12/08(土) 18:50:26 ID:B2u4zmFv
仏教はイデオロギーというよりは、むしろコスモロジー 的な傾向が強いと思います。 捉え方とか感覚というのは、人間の都合でしかないでしょうし。 イデオロギーとして捉えれば、善悪・正邪の観点から、対立する ものを排除しないとなりません。 コスモロジーは、それらを踏まえた全体的視点に立って、あるがまま を統合する立場でしょう。
983 :
神も仏も名無しさん :2007/12/08(土) 18:58:45 ID:IJkInafp
私も質問させてください。 学校の先生から聞いた話です。 宗派を説明する場において、禅を学んだ人が 「禅とはこれだぁぁぁぁ」 と言い、机をがたがた揺らしたそうです。 以上で禅の説明は終わり。 私の先生は「???」という感じだったのですが、 禅を学んだ人は「なるほどぉ」と言われたそうです。 どういうことか解釈して頂ければ幸いです。
>>983 で最初の「禅を学んだ人」と
後の「禅を学んだ人」は別の人(複数だったみたい)です。
分かりづらい文を書いてしまい申し訳すみません<(_ _)>
985 :
南無大師遍照金剛 :2007/12/08(土) 19:51:12 ID:AJpT4n55
>>983 有るもの全てが禅(°∀°)
痛いのも禅
気持ち良いのも禅
おねーちゃんに惚れるのも禅
ふられるのも禅
男泣きするのも禅
禅が仏教なのではなく
仏教の宗派の1つに禅が有ります
986 :
983 :2007/12/08(土) 20:12:57 ID:IJkInafp
>>985 つまり、
「どういうことだ?」
と考えることが、禅につながるということでしょうか?
987 :
南無大師遍照金剛 :2007/12/08(土) 20:21:28 ID:AJpT4n55
机をがたかた揺らせばガタカダなる 当たり前が当たり前なことが禅 ボールを屋上から落とせば下に落ちるのが禅 当たり前を当たり前として受けいれるのが禅みたい 突っ込まれると分かりません(ノ_<。) 知ったかゴミン
つか 禅って黙って座ることなんだよね ただ座る お経とかも重んじる他の宗派から区別するから禅宗っていうんだよね
989 :
神も仏も名無しさん :2007/12/09(日) 14:19:16 ID:sP0R6Hpm
質問です 帝釈天を中心とする三十三天は有名ですが その三十三天は不思議と それぞれの天の名前が書かれたものが少ないし 書かれてても、名前が本やサイトで違います 何故でしょうか?
990 :
(^ω^) :2007/12/09(日) 18:16:36 ID:DpaiTaZJ
(^ω^)990だを〜ん♪
991 :
南無大師遍照金剛 :2007/12/09(日) 18:59:28 ID:/hJQHw/S
ヽ(´∇`)ノ嵐に北ぢょ♪♪
992 :
南無大師遍照金剛 :2007/12/09(日) 19:02:06 ID:/hJQHw/S
>>989 ヒンズーの神として捉えるか
ヒンズーの神から仏教に改宗した神と捉えるか
ヒンズーの神として見た立場と
仏教に改宗した神として見たバヤイ違うんぢゃね?
993 :
神も仏も名無しさん :2007/12/09(日) 19:20:09 ID:cp5p/rrS
ようするにどっちのおとぎ話を採用するか
994 :
南無大師遍照金剛 :
2007/12/09(日) 19:34:02 ID:/hJQHw/S