公安とお友達
気になったので調べてみた。
憲法9条・「念仏者」の会
http://www.eonet.ne.jp/~9jou-nenbutsusha/ 念仏者九条の会
http://www18.ocn.ne.jp/~hongan9/MyPage/menu0.html >「念仏者九条の会」
>呼びかけ人代表 信楽峻麿
> 呼びかけ人
> 北海道:忍関崇。東北:仁本照恵。東京:.山崎龍明。本多静芳。長野:松嶌澄雄。国府:杉田正悟。
>新潟:麻田秀潤。富山:石川了英。高岡:岡西法英。石川:谷間徹誠。福井:吉田俊宣。岐阜:楠真。
>東海:松野尾慈音。滋賀:仲尾孝誠。京都:岡橋聖舟。奈良:藤本信隆.三浦性曉。
>大阪:武田達城。和歌山:藤範信彦。兵庫:西脇修。山陰:下迫紀弘.四州:随行未千。
>備後:季平恵海。安芸:沖和史.吉崎哲真。山口 :長岡裕之.梅田美代子。北豊:有光顕澄。
>福岡:郡島恒昭。大分 :藤並晃照。佐賀:古川文雄。長崎:鷺村真照。熊本:斉藤真。
>宮崎:登尾唯信。鹿児島:副直子。沖縄:北村昌也
> 杉本昭典(近畿同朋運動推進協議会)・花岡道子(近畿同朋運動推進協議会)・
>稲葉尚範(アーユス仏教国際協力ネットワーク).藤満智徳(憲法9条・「念仏者」の会).
>山本浄邦(国立追悼施設に反対する宗教者ネットワーク).菅原龍憲(真宗遺族会).
>菅和順(島根反靖連).池田静思(備後・靖念会). 城山大賢(真宗遺族会広島地方支部).
>泉哲朗(平和を尊ぶ念仏者の会).古野竹則(平和を尊ぶ念仏者の会).木村真昭(反靖国連帯会議).
>藤岡直登(真宗遺族会佐賀支部).清流裕子(真宗遺族会佐賀支部)..
>大分哲照(真宗遺族会福岡支部).楠哲雄(九州・沖縄同朋運動推進協議会).
>遠山慈水(非戦平和を願う宗教者の会)
>「念仏者九条の会」 事務局
> 728-0003 広島県三次市東河内町237 西善寺内
平和のためにがんばってください。
何スレか前の本願寺放火事件の時、公安と仲がいいので右翼の動きは把握している
というヤシがスレにカキコしていたが、このながりだったのか。納得。
公安を利用したら利用されるのにね
スパイ行為がバレて内ゲバで殺されないようにね
【政治】 市民団体らが恐れる「共謀罪」、やじと怒号で大荒れ審議入り★2
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1145611930/637 ◇扶桑社教科書の不採択運動 ”中核派”、深く関与
新しい歴史教科書をつくる会のメンバーらが執筆した扶桑社の
中学歴史・公民教科書の不採択運動で、過激派の中核派が
市民運動を偽装して深く関与していたことが、警察庁と
公安調査庁がそれぞれ公表した今年の「治安の回顧と展望」
「内外情勢の回顧と展望」で分かった。
警察庁は、扶桑社教科書採択阻止について、中核派が
(1)イラク問題
(2)「日の丸・君が代」問題
(3)東京都議選−の「三大闘争」と同等に重視したと分析。
「『つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会』と共闘して、
市民運動を装いながら、杉並区役所の包囲行動、
同区教育委員会への抗議・申し入れ、傍聴等に取り組んだ」と記述した。
公安調査庁も、中核派が杉並区役所前で街頭宣伝や「人間の鎖」を行ったと
認定。教員に浸透を図る「教労(教育労働者)決戦」の一環として、
教職員組合や市民団体に対し、同派系大衆団体を前面に立てて
共同行動を呼びかけたと指摘している。
●また、卒業式・入学式での国旗掲揚・国歌斉唱反対運動についても
「都立高校の周囲に活動家を動員して、ビラ配りに取り組んだ」(警察庁)、
「東京をはじめ大阪、広島などでビラを配布した」(公安調査庁)などとして、
中核派の関与を明らかにしている。
ソース(産経新聞)
http://www.sankei.co.jp/news/051227/sha024.htm
616 :
名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 23:23:55 ID:f7z5Y6ft
そうか、法務員を雇えばいいのか。
ウチでは役僧さんのほうが少なくとも俺よりは人気高いと思う。
外見もお勤めも綺麗でいかにもプロっぽい。
「いや、ボンの方が味があってありがたいで」
と変な慰め方をしてくれる檀家さんもあるw
役僧さんを嫌がる家もじつは数軒ある。直に電話があった。
これは昔から教化が至らなかった寺側の責任だと思う。
どの家も逮夜の時間に厳しいかわりに永代経や報恩講にさえ参ってこない。
親父としか話せない話と役僧さんとしか話せない話とが
おそらく檀家さんには両方それぞれあるようで、
檀家さんとの調整には便利がいいようだ。
俺は兼業でもあるので「まぁ久しぶり!」みたいな感じで息抜きっぽい。
坊さんの小箱,同朋運動を続ける会は中核派のスクツなのか?
役僧さん?法務員さん?との関係の話は寺によりけりなんじゃないの?
人を雇うほどじゃない寺からすれば妬ける話だがねぇ
ローカルな話は一般論では語れないよな
上寺、下寺なんてのは他の地域からすれば理解不能だし
>>624 上寺、下寺は減ってはきてるね。
下寺の後継者がいなくて廃寺とか、上寺との縁を切って一本立ちしたとか。
どうみてもおかしい差別的なしきたりなんだから無くすべきと思うが、なかなか完全には無くならないだろうねえ。
基幹運動はこういったしきたりを無くすために動くべきじゃないのか?
関係ない問題ばかり取り上げていてはあいそをつかされても仕方ないね
>>626 それが、上下で収入の逆転が起きてたり、下の方が楽でいいって人もいるのよねえ。
>>627 ふーん。差別<カネか。利口に生きてるな。
浄土真宗本願寺派・浄土真宗系諸派総合スレ 3
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1128746591/ 859 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/04/23(日) 12:58:04
京都木屋町のファッションヘルスで一発抜いた後のついでに西本願寺の阿弥陀様に御参りしてきました。
860 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/04/23(日) 13:22:00
べつに問題ない。門主もしんもんも釈迦も女とやっている。みんな出家してみろ、人類は
だれもいなくなる。仏教は人類を滅ぼす教えなのか。それじゃ女とやって子供を作ったら
出家していいのか。それだったら女と子供の生活はどうなる。身勝手な教団となるぞ。
861 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/04/23(日) 13:45:58
言うとることが無茶苦茶やな
862 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/04/23(日) 13:48:03
本当に問題にゃいのかな?
どこかのお偉いさんかにゃ?裏ビデオに撮影されたらしぞにょ!
しかも、流失して、高い金で買い取ったらしぞなもし!
それをコピペのはいいがここではスレ
あわわ
「心と宗教」の板で衆生済度が趣旨だろうに、救われない流れだな。
遅レス
>>570 >でも、、、なんだか合うと、人生に絶望してるとしか思えない。
>ヨーロッパの貴族、特にイギリスの次男、三男が率先して激戦地に
>自ら志願して戦死していった話しを思いだした。
あまり資産の大きくない貴族の次男三男は相続できないことが多い
そこで主君を見つけて騎士として仕えたり、傭兵や盗賊として放浪した
近代だと一旗揚げるために軍隊に入り、勲功をあげるため激戦地を志願したのかもしれない
また西欧の貴族は日本の貴族と違い、貴族であると同時に武士でもあった
なので、貴族が戦場に赴くのは義務でもあったらしい
639 :
名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 15:05:35 ID:xvcplLvM
580
中核派とされる方と未来の総長とされる方の名前が出ている件について
644 :
名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 21:22:05 ID:UiKTqOjL
こちらにボラ夫は来てませんかー。
「山科木像本尊について西本願寺僧侶を自称するボラ夫からは
反論なし」とアップしてよろしいかー。
>>642 市職員が『市のPCから書き込んだ』のだが
その内容が『河久保同行の部屋』のコピペ
ってなところも炎上理由かと
まさかν速で小武正教氏と武田達城氏が取り上げられるとは思わなかった
おまいら出張し杉w
岐阜では10年ぐらい前に別院が、葬儀社集めて説明会開いて、以後清め塩は葬儀で配られなくなったよ?
>>650 関連スレのリンクをいろいろ見てみたが全国的な流れみたいだ。
だからと言って行政が口出しする問題ではないと思う。
ああそうか、行政が口出しする問題じゃぁないよなぁ。
そんなもん地域性の話でもあるし、それこそ別院なり末寺の住職なりが教化してれば済む話だろうね。
493 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/05/02(火) 00:54:18.64 ID:3eUdEMfU0 ?
http://www.infobears.ne.jp/athome/jinja/guujiaisatu/guujiaisatu.htm 『本日真言宗大本山広隆寺(国宝第一号弥勒菩薩の寺)長老清瀧英弘大僧正(先々代貫首)の葬儀があり、参列してまいりました。
真言宗総本山仁和寺門跡猊下御導師のもと厳粛な葬儀が行われ、粗供養には清め塩をつけておられました。
なぜこんなことを流すかといいますと、清め塩は迷信だ、仏教本来の教えにない、死者を冒涜する、差別につながるなどど仏教側の発言があれば、
「このような事例があるが、あなたの説なら導師の総本山仁和寺門跡と喪主の大本山広隆寺貫首は迷信を信じ、仏教本来の教えに反し、死者を冒涜して、差別していることになりますなあ」と、
逆襲していただきたいからです。
昨年の臨済宗大本山天龍寺元宗務総長田原周仁大僧正の御葬儀でも清め塩をつけておられました。
清め塩廃止運動の中心になっているのは浄土真宗(特 に 大 谷 派)で他宗派との間にはかなり温度差があります。
真言、天台、日蓮、臨西などを引き離して、清め塩廃止の動きにストップをかけたいものです。』
654 :
名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 19:28:18 ID:fxSpkXct
一生造悪の私が塩ぐらいで清められるなんておめでたい限りです。
悪霊よりも私のほうが業が重いから逃げていきますよ。
自業自得で堕ちていくんですから。
658 :
名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 22:26:11 ID:XeONmC86
くだらん。
土人の呪術なんか
ほっとけw
やっと時代が追いついたのですね
未来の総長は武田達城先生です
>>661 娘が宗務所に入れず弁護士を頼んだのかね?
利益供与を当てにしていたら蹴られた?誰だろ?
清め塩の話から外れ同和の話でループ
665 :
名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:53:19 ID:MTOycFZS
突然の質問で申し訳ありません
神戸別院の5月のおじんじょうは何時からでしょうか?
ご存じの方教えてください
華麗にスルー
>>658 んー。差別発言ですか。取り消しは効きませんので。
急に年忌法要一人で行けっていわれたんだが
法話もしたことないし、そもそもやるのも気恥ずかしいんで
お経終わったら即帰ってもいいもんなんですかね
もちろん相手方との面識なし
月参りたまに行く程度の俺にアドバイス下さい
>>653 真言宗、臨済宗の葬儀の話も一次資料じゃないんだよな。
>居酒屋の玄関口にある盛り塩(立て塩)。これってお客様が穢れているから?
>そんなことを店主が考えてやっているのだとしたら、お客への冒涜。
>そんなんじゃないです。これから店内は、大切なお客様に喜んでいただく大切な領域。
>だから店主も心して最大限の注意を払って調理やおもてなしを行うのではないでしょうか。
http://www.infobears.ne.jp/athome/jinja/guujiaisatu/guujiaisatu.htm 牛車の話は微塵も触れない様子だが、仮に牛車の話が後づけであったとしても
神域と店内では違う。
「気枯れ」理論(ケ=日常・ガレ=外れ、だと思っていた)の着眼点の素晴らしさ
の半面、あまりにも説明が粗雑すぎ、説得力がまったくない。
説明の粗雑さは当派も同じだが・・・。
>最近、部落差別と清め塩の問題には共通点があるな、と思います。
>塩をまくのは根拠がない、けどみんなが今までしてきたから、するんだという意識です。
>これは、人権教育・「同和」教育は小学校から受けているし、啓発も進んでいるし、
>部落差別はおかしいということはわかっているけれど、
http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/tatu.html 説明が粗雑どころか、
なぜ「清め塩が差別につながる因習・慣習」であるか、理由を述べていない。
どちらも根拠がない状態で小学生の喧嘩になってる。
清め塩問題が仮に当派の問題であったとしても他宗旨にまで押しつけるべきではないし、
解同が口出しすべき問題でもない。もちろん行政が「啓発」すべき問題でもない。
(補足。仮に清め塩問題が解同の問題だとするなら、清め塩の存在の故に、
すでに差別はなくなっているはずだから。)
674 :
名無しさん@3周年:2006/05/05(金) 18:31:05 ID:CAlGDXdc
この問題盛り上がってるな。再突入あるかもな。
公安と懇意にしているという人がカキコしていたが
何かあったらよろしく頼むぞ。
未来の総長が実現したら良くも悪くも宗門は変わるな
情報が漏れやすくなるなw
隠蔽体質がなくなると言え
『河久保同行の部屋』『坊さんの小箱』は転送率が高くなってるだろうな
682 :
名無しさん@3周年:2006/05/05(金) 23:35:24 ID:3xpT79r4
ケガレーハレ思想が差別を生むのではなく、
ケガレ=×、ハレ=○、思想が差別。
ケガレもハレも救われる、とする真宗義に
「ケガレ(もハレも)を受け入れる側面」があるのは当然。
ケガレをケガレとして認めることを差別と呼ぶのならば
それはケガレそれ自体を差別する思想である。
約仏においてはケガレもハレもない。全て穢土。
約生においては差別も被差別もある。だから穢土。
差別者を差別する被差別者の団結があって本願寺は続いた。
権力闘争に敗れた生臭坊主が被差別面して「差別をやめろ」と言う。
言い換えれば「俺を元へ戻してくれ」と言っている。
差別されっぱなし、喧嘩負けっぱなし、それでも往くのが念仏者ではないのか。
だからそれを見た人々が後へと相続して下さったのではなかったか。
差別者や勝ち組を追い抜くためのお念仏など聞いたことがない。
>>682 ちーと分かりにくいんだが
> ケガレーハレ思想が差別を生むのではなく、
> ケガレ=×、ハレ=○、思想が差別。
『ケガレーハレ思想そのものは差別ではない』
『ケガレ=×、ハレ=○、とする考え方自体が差別の考え方』
つー理解でいいかな?
> ケガレをケガレとして認めることを差別と呼ぶのならば
> それはケガレそれ自体を差別する思想である。
『「ケガレ」という概念を差別する』
って事かな?
>>685 そのサイトもレベル低いと思う
小箱のレベルが高いとは言わんが
小箱の掲示板に
「人権屋のスクツだな」
みたいな書き込みがあったが消されたな
検閲って言葉を思い出した
本当なのにね。
法名冊子の時も本山は糾弾会か勉強会をすれば良かったんだよ。
講師は一人あたり一日八時間、二週間連続拘束、交通費すら出さない。
この条件で京都から遠い奴を狙って十人くらいの連続講座にすれば
ご講師はよろこんで来てくれただろうよ。
20週にわたるが聴者は一人で一時間づつ交替すればいい。
講師と聴者の一対一になるうえに聴者はのべ1120人必要になるが。
怒るだろ
昔の話だが宗務所への威力業務妨害で立件されるよりマシだろうが
>>668 大丈夫。俺なんか全くの在家から婿入り得度して、
初めての法要が住職急病で、一人で行った。
なんとかなるよ。
ご文章を拝読すれば最低限はOK。
696 :
名無しさん@3周年:2006/05/08(月) 20:28:52 ID:/G9iEjir
七月に旅行もかねて、大谷本廊に納骨にいくのですが
近くに優良な風俗店ないですか?本願寺の近くのホテルに泊まります
697 :
名無しさん@3周年:2006/05/08(月) 20:52:37 ID:63jQwciw
仏教に入信してるか調べる方法ありませんか?
ところで解同の片棒担いで喜んでたバカどもはダンマリ決めてるわけ?
>>694 > 解放同盟支部長(元暴力団幹部)に加え、UFJ銀行行員も逮捕
>>674 > ◎論客1 武田達城氏
> 解放出版社刊・『部落解放』
> ◎論客2 小武正教氏
> 広島部落解放研究所・宗教部会事務局長
どういうことですかね?
ノーコメントw
つかまればいいとおもうよ
702 :
名無しさん@3周年:2006/05/08(月) 23:34:56 ID:1ZnbUllQ
>>668 食事の用意があれば付き合った方がいいよ。
半分ほど食べたら帰ってもOK。
>>694 関係者が荒してるな。それだけ粘着できればたいしたもんだ。
コピペしかできないとは・・・。どこか壊れてるのかな?
こ こ ろ
記憶力かもな
860 :もっこす ◆Yo.FDX/z4Q :2006/05/08(月) 19:37:57 ID:rYqG6kva0
解同が右翼だというのはあたしが昔から言ってたことなんだが。
放火もマッチポンプだったのか
>>696 こんなところで聞かずに武田達城氏に聞いてみたら?
>>702 >半分ほど食べたら帰ってもOK
勿体ないぞ。
坊主が率先して出されたものを残せとわ。
>>682 を見ると如何に無知で自分勝手に解放してるかが分かる。
いや真宗が差別意識を深層心理に有って不浄と仏教的差別に起因した差別意識があるだけ
ケ=日常
ハレ=非日常
ケガレは死とは関係無く人の行いり=日常により発生。
ケ=ケガレでは無い。
>>711 まず坊主が真っ先に箸をつける
だからみんなも早く食べ始められる。
そんで坊主が真っ先に箸を止めて帰る。
だからみんなが遠慮なく食べ続けることができる。
仕出し弁当ならばもちろん持って帰る。
お皿ででたら食べ散らかさず計画的に残す。
>>712 痛い所をつかれた基幹運動ごくろうさん
日本語で書いたらいいよ
>>712ポパピピポピパピピ
___ _, -、
, -'~/~ ̄ヽ,~ヽ-l、
/`'''' ''''''''''''''''`'''''~ ヽ、
///⌒l~|^l ヽ,
//.|'-‐' /,/ _i
|-l'三=i/=-,| ̄||~~l~~l ̄ l.l
/=|=]-'=(_).ヽ'='|_|l___|=-'-‐'._|
// >-ニニ''ー------ーー '''''~~-'-- 、
| | |:l~''''==- ̄二',','''''''~~ ̄/ // _ l
| | |:|ニ=--====--' l .l l./ .):|
| | |:|'‐-=,,,,|=ニニニl .| .| |:>-'=|
`-=:|l .|'''=-, | .| |:|::::::j|
717 :
名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 22:50:54 ID:mtXtCTUi
>>713 「いただきます」と言うのも仕事。
法事で食事の言葉をみんなは言ってる?
>>712は馬鹿で見苦しいからレスせんでよろしい。
まず、ケガレとハレとは正しくは対句ではない。
ハレとはどうやら馬鹿でも分かるらしく非日常。
しかしそのハレとケガレが対句だと間違うから
ハレ=非日常、に対して、ケガレ=日常、
だと馬鹿が馬鹿の上乗せをするのです。
そして注目すべきところは、この誤解をたどって
日常=ケガレ、とされた「ケ」について、ケガレではない、
つまり被差別の対象ではない、と馬鹿が言うのです。
その理由。日常だから! ここポイントですよ>基幹運動。
大衆=人数=日常、ってな等式を認めるほどに堕落してない?
日常に不満足な大衆が人数を頼ってハレ=非日常に向かいますよ?
日常者がハレの主催者でありながらケガレをも自称しているのならば、
では生け贄は誰かね? ファシズム。次で何度目だ。
ま、馬鹿に説法ですな。
さて、正しくはケガレの対句はキヨメでありましょう。
何等かの秩序についての崩れと復元。往復運動。
何等かの秩序を挟んだ相互バランス運動として
ケガレやキヨメが意識されたのではないかと思う。
この世の人口が一人減ることも一人増えることも、
何等かの秩序の崩れと復元でありますから、
ケガレでありキヨメであり、そしてどちらも秩序外での運動。
妊婦や出産直後の婦人、葬式を出したばかりの家。
どちらもお祭りに出れなかったりします。
こういう見立てをするとなれば仏教陣営としては
異議申し立てが山ほどありますわな。
事実、日本の大乗仏教はこのケガレーキヨメ観を否定媒介にして
諸行無常、一切皆苦、遠離穢土・・・、いい線いってきてるでしょ。
差別せざるをえない者の苦悩、といったほどの危ない処へ
入っていけるのは真宗者くらいがきっと適任だと俺は思うよ。
入ってけば糾弾されるかも知れん。たぶんされると思う。
でもええやん。南無阿弥陀仏
721 :
名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 04:49:20 ID:obe9ey5p
この宗派はいったいどのような坐禅をするのですか?
事情知らないのか
>>702 釣り質問にレスするなんて大変な仕事だね。
半分も残すなら食うな。食うなら残すな。坊主以前のマナー。
どうしても食べられないものなら残してもいいが。
だいたい元質問は「できればはやく帰りたい」というニュアンスの
釣りなんだから、それに沿った返事を書いてやるのがマナーかと。
724 :
名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 23:15:47 ID:FRBBfuxf
>>723 残すんじゃなくて、持ち帰るんだよ。
ホテルなんかだと持ち帰り不可だったりするけど、たいていはOK
犬袋
うちはお膳(ぜん)を持って来てくださるか、お膳料をくださる。
お膳(ぜん)の場合は必ず2膳。本堂のまんまんちゃんとワシの分だそうな。
年忌が1日に2軒とか、かさなると次の日もお膳(ぜん)を頂いてる。ありがたいこっちゃ!!
727 :
名無しさん@3周年:2006/05/11(木) 00:06:37 ID:kB0m1q3P
>>723 お前のがバカだ。
坊主が最後まで居残ってたら法事がつまんねぇだろ。
上手いことフェードアウトするのが腕の見せ所なんだよ。
それを、何が坊主以前のマナーだw
坊主は坊主として呼ばれてんだよ。以前も以後もあるか。
分際をわきまえろ、と言いたい。
あ、こういうの人権的に問題かい?
728 :
名無しさん@3周年:2006/05/11(木) 00:12:15 ID:sOtMqA3D
本当は食べてくるよりも、食事は辞退してお膳料を頂きたいんだよなぁ。
>>727 バカ論争なんてしてないよ。
脳内のお友達にレスしてるの?
730 :
名無しさん@3周年:2006/05/11(木) 00:43:33 ID:7HqgCodE
>>727 あなた方の人間性を疑います。
最終的にヤ○ザまがいの恫喝ですか?
それがあなた方の本性なんでしょうが。
731 :
727:2006/05/11(木) 01:49:12 ID:rLV+F+It
>>730 はぁ?恫喝?
分際をわきまえろと坊主に言うのが恫喝か?
おまけに門徒をヤクザ呼ばわりか?
あんたみたいなのにはお膳料で帰っていただく。
ヤクザの臭飯を無理して残さず食べていただかなくて結構。
こういう香具師が本当にいるんだな。情けない。
あんたら2ちゃんに向かないから書き込まない方が良い。
いい大人がなに言っとんのや、、、
まあ坊主も人だからいろんな奴がいるよな。
空気読めないやつ多すぎ。
>>727みたいにコミュニティに溶け込めない坊主はやめればいいじゃんな。
このスレに来ているいい大人とは実は40〜60代なのだが
735 :
727:2006/05/12(金) 01:59:41 ID:86sTCScS
>>733 必死だなw
たぶん坊主と檀家を読み間違ったんだろ。
坊主だけが書き込むBBSから来たのか?
落ち着いてもうちょいロムしたらいい。
そんでコミュニティに溶け込んでくれ。
俺は許す。
ご門徒さんが来た。よろしく!
737 :
名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 14:24:55 ID:klH7WPJs
>本堂のまんまんちゃんとワシの分だそうな。
本来、御香を含め、お供えは不要なのだが。
そんなこと相手には言えないなw
講師御礼のマッチポンプ
童話関係者を呼ぶんだろ
呼ぶ人も"関係者"だけどね
本人が護持口数を
513 :もっこす ◆Yo.FDX/z4Q :2006/05/09(火) 23:40:21 ID:DiDfyhyi0
現在解同は10万人弱と考えられるが、そのうち8万人はヤクザだよ。
解同と仲良しの坊主はヤクザの可能性もあるのか
そんなことあるかよ
ゆすったり
たかったり
こすったり
か・・・
こすられたり
あの布教使さんのことかな
754 :
異教徒2ターン:2006/05/21(日) 10:03:07 ID:K6f5aH++
南無阿弥陀仏への愛を語る奴はいないのか、絶対他力、それは念仏を唱える以外どうでもよいということ。東西、本願寺にてすべてを捨てて南無阿弥陀仏、合掌。
今日降誕会の手伝い疲れた
756 :
名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 12:39:52 ID:wMxJmqNy
南無阿弥陀仏
いたづらはいやづら・・・
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1146818281/139 139 :転載 :2006/05/23(火) 15:29:16
転載しておきますので、こちらで対応願います。
204 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/05/23(火) 13:28:32
内容が内容なのでアラシと誤解されたくないのですが、まじめに質問です。
西本願寺さんのスレに、京都市のポスターが同朋運動=部落解放運動と書いている、とありました。
確認したいなと思っていたら先日確かにそのポスターを見ました。
確かに門徒=同和地区住民と受け取られかねない、語弊のある書き方でした。
西本願寺の写真がデカデカと載っているポスターです。
このスレのタイトルにも御同朋とありますが、実際、同朋運動はズバリ即ち部落解放運動なのでしょうか?
私はもっと広義で受けとめていたので、京都市のポスターが不快です。
>>763 大谷光瑞は歴史上の人物だしね・・・。
政界出版社でググってみたが、もともとマイナーっぽいようだ。
出版が目的でない出版社とも思えないが、そういう雰囲気はあるな・・・。
現在はなくなってるんじゃないか?
専門の自費出版社じゃなくても著者がお金を出すと出版してくれる
出版社もあることだしな。
記事原稿を送り付けると掲載してくれる宗教業界新聞もあることだし。
こういう存在は活用する人は最大限に活用してるんじゃないか?
52 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/05/26(金) 18:57:03 0
03−04年度に1億3000万円 理事長、個人口座に
財団法人「飛鳥会」理事長小西邦彦容疑者(72)の業務上横領事件で、同会が大阪市開発公社
から受託した駐車場管理業務の収入から、小西容疑者と妻子の個人口座に2003−04年度の2
年間だけで総額1億3120万円が振り替えられていたことが26日、大阪府警の調べで分かった。
府警は家族口座まで使った意図や金の使途を追及している。
調べでは、小西容疑者の妻と子の口座には毎月、100万円と30万円ずつ計3120万円が飛鳥
会の口座から流出。一方、小西容疑者の口座へは2年間で計19回、ちょうど1億円が振り替えら
れていた。一度だけが1000万円で、18回は500万円ずつだった。(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060526-00000172-kyodo-soci 53 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/05/26(金) 19:11:56 0
給与抜き取りは2400万 職員「言い出せなかった」
財団法人「飛鳥会」理事長の小西邦彦容疑者(72)が、相談役を務める「飛鳥人権協会」(大阪市
東淀川区)などに派遣された職員7人の給与の一部を着服していた問題で、派遣元の社団法人「大阪市
人権協会」(同市浪速区)は26日、抜き取りは2003−05年度の3年間で計約2400万円に上
るとの調査結果を発表した。
7人のうち1人は同協会の聞き取りに「疑問に思いつつ言い出せなかった」と話したという。
市人権協会が7人全員から聞いたところ、給与制度を変更した03年度からの3年間に、同協会が7人
の口座に振り込んだ給与総額は計約7500万円だったが、7人が小西容疑者から受け取った総額は計約
5100万円だったという。(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060526-00000196-kyodo-soci http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1147096199/ 業務上横領だけでなく職員給与着服まで暴かれました。
気をつけようね。人権で共闘してる坊主のみなさん。
おおさかのじんけんぼうずはおなじことをしているのだろうか
あーもうすぐ6月か・・・
駐車禁止どれくらい厳しくなるのかなぁ・・・
774 :
改善提案:2006/05/28(日) 20:17:08 ID:awxRPfvg
>「本願(ほんがん)」とは、私たちの欲望を満たすような願いをいうのではありません。
>阿弥陀如来(あみだにょらい)の根本の願いとして
>「あらゆる人々に、南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)を信じさせ、
>称えさせて、浄土(じょうど往生(おうじょう)せしめよう」と誓われた願いのことです。
西本願寺のHPからですが、わかりにくいので下記のように変えることを提案します。
阿弥陀仏の本願というのは「すべてのひとを、死も障りにならない無碍の一道に
出させてみせる」というお約束です。このお約束の通りに生きている間に
「極楽行き間違いない往生一定の身になった」のを信心決定といいます。
浄土真宗本願寺派(西本願寺)御門主 即如上人より本山にて拝受いたしました法名(男性用)を
御門徒の方にお譲りいたしたく考えております。
ご門主印の押印のある正真正銘、まぎれもない本物です。全国の浄土真宗本願寺派寺院にて、
正式に認められる「法名」です。
本山の宗主(門主)よりいただいた公認の法名ですから、以後宗門内のどの寺院に行っても
これを否定することなどありえません。
このような方に取得をお勧め申し上げます。・生前に法名を拝受し、正式に仏弟子となろうと
お考えの方・ご本山(西本願寺)への参拝が諸事情により困難な方・将来に法名料の関係で
僧職との間に問題を抱えたくない方主旨をご理解いただける方に終生大切にしていただければ
と考えておりますので、法名の取得を希望される方は、これも仏縁と考えていただき、
この機に拝受されますことをお勧め申し上げます。
検索用浄土真宗 本願寺派 大谷派 法名 戒名 生前法名 生前戒名 御門主 即如上人 西本願寺 東本願寺
更新済み: 5月 27日 18時 22分
画像を追加いたしました。(記載の法名はあくまで例示です)ご参照ください。
浄土真宗本願寺派ご門徒の皆様におかれましては、できますならば、自ら京都の西本願寺にて
帰敬式を受式いただきたく存じますが、諸事情でそれが困難な方に本山公認の「法名」を
拝受いただきたく、この場に出品させていただきました次第です。
お譲りする際の金額につきましては、皆様のご判断にてご納得いただけましたならば、
入札ください。お亡くなりになられた際に法名をお持ちでなく、導師のご住職より法名を
受けられる際にかかるお布施に比べていただければ、いかがでしょうか。
何卒、この機にご検討の程よろしくお願い申し上げます。
777 :
名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 22:20:34 ID:W2Kxl7rK
おかみそりを受けないで法名だけを買うのなら、俺だったら否定するけどな。
778 :
名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 22:24:15 ID:W2Kxl7rK
つか、
>導師のご住職より法名を
>受けられる際にかかるお布施に比べていただければ、
普通は無料でしょ?法名料を取る寺院もあると聞くけど・・・
釣り出品にしても書き方が業者まるだしなのが難点だな
780 :
名無しさん@3周年:2006/05/29(月) 14:29:20 ID:1HKXo31f
まぁ一応通報しておいた
781 :
教書:2006/05/29(月) 19:16:37 ID:EWHdJ3OL
>宗教は、人間のかかえている究極的な問題、すなわち、
>老病死の苦悩の解決にかかわるものであります。
>釈尊が出家される機縁となったのも、その問題であり、老病死が迫っている
>ことに気付く時、人間は、今ここに生きていることの意味を問わずには
>おれません。この問題を解決しようとするところに、宗教の根本的な意義が
>あります。
「 竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破
する恵日なり。」
「ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまた
ま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、かえ
ってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞
思して遅慮することなかれ。」
祖師聖人の御教えはみごとにこの要請に答えておられると思います。
祖師のお言葉をお伝えください。
無明の闇、晴れましたか?
>>776 > 全国の浄土真宗本願寺派寺院にて、正式に認められる「法名」です。
手次寺が本山の受納書を確認すれば転売ヤーの野望はくじけるんじゃねーの?
783 :
名無しさん@3周年:2006/05/30(火) 08:33:00 ID:r0NbRJtU
>このたび疑網に覆蔽せられなば、かえ
ってまた曠劫を径歴せん。
「径歴」は地獄を経巡ることですね。
「信心獲得せずば極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべし」という
蓮師のお言葉はここら辺から出ているのでしょう。
784 :
消息:2006/05/30(火) 12:54:23 ID:l38mohcp
>親鸞聖人によって開かれた浄土真宗は、あらゆる人びとが、阿弥陀如来の本願力によって、往生成仏し、
>この世に還って迷えるものを救うためにはたらくという教えです。
>南無阿弥陀仏の名号を聞信するところに往生が定まり、
>報恩感謝の思いから、如来のお徳を讃える称名念仏の日々を過ごさせて
>いただくのです。
名号を聞信した前後でどう変わるのか。
三信三不信について教えてください。
不如実修行といえること 鸞師釈してのたまわく
一者信心あつからず 若存若亡するゆえに
二者信心一ならず 決定なきゆえなれば
三者信心相続せず 余念間故とのべたまう
>>776 ・・・これ、本山に通報した方がよくね?
漏れも帰敬式受けたけど
受式者がもらう証書(?)に
本人の名前も書いてないから
こういうヤカラが出てくるんだとオモタ
>>785 大丈夫。本山の中の人はこのスレ見てる。
789 :
名無しさん@3周年:2006/05/31(水) 08:39:14 ID:+MsbErI6
>>784 >名号を聞信した前後でどう変わるのか。
>三信三不信について教えてください。
>不如実修行といえること 鸞師釈してのたまわく
> 一者信心あつからず 若存若亡するゆえに
信心があつくないというのは深くない、浅い信心だということです。
二種深信がないので自分が地獄に堕ちるとも思わないし
必ず助けると命かけて誓っておられる本願の尊さもわからないから
何の喜びもない。
あるときは極楽浄土に行けるような気持ちになるが
気持ち悪い心が見えるとこんなことでは...と
信心が動揺するのが「若存若亡」です。
こういう人はまだ名号を聞信していない、というお言葉です。
790 :
名無しさん@3周年:2006/05/31(水) 17:14:04 ID:3FaDlM3P
> 二者信心一ならず 決定なきゆえなれば
「信心決定した」というはっきりした体験がないので
頭では合点していても腹底が満足していないから
「本当に極楽に往けるんだろうか」という疑いが晴れない。
「間違いない」と思ってみても広大難思の慶びなんて無い。
自分の信心が親鸞聖人と一味なんて思えない。
これが「一ならず」。信心いただいてない人の心です。
>>776 > ご本山(西本願寺)への参拝が諸事情により困難な方
「諸事情により困難な方」の場合、家まで来て帰敬式をしてくれるようだが
バルサンを焚くと隣の家に移動するんだよな。
基幹運動は煙に寄って来るんだが
マッチポンプだから煙は大好物だろ。
795 :
名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 08:52:39 ID:UhrEEUGL
>一者信心あつからず 若存若亡するゆえに
二者信心一ならず 決定なきゆえなれば
三者信心相続せず 余念間故とのべたまう
「信心相続せず」というのは「こんな私を助けてくだされるのは
弥陀一仏、尊い、有り難い」と思ってもその心が続かない。
「こんなに念仏称えているからめったなことはないだろう」とか
「朝晩御勤めをかかしてないから極楽は無理でも地獄へは行かんだろう」とか
不安な心が雑ざって仏恩報ずる心が続かない。
名号を聞信した人は「憶念の心つねにして仏恩報ずるおもいあり」と
言われていますがこれがない。
憶は縁にふれ折にふれ思い出す、念は明記不忘でずーと忘れない。
助けていただいた御恩どうおかえししようか、という思いがずーとあって
それが縁にふれ折にふれ思い出されて返しきれない御恩に泣かされるのですが
これがない。
名号を聞信できてないひとの心はこういう心です。
大悲無倦常照我
脳味噌足らん子なのかな
800
801 :
名号を聞信すると:2006/06/02(金) 08:27:10 ID:TF54F/NV
正信偈の一番最初に
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
ただ御名号をあげられたのではなく
「無量寿如来に帰命し 不可思議光に南無したてまつる」と御真筆本に
あるように、祖師聖人の御安心を示され
「親鸞は阿弥陀仏に助けられた、阿弥陀仏に救われた」という慶びを
表して
正信偈の最後には
「道俗時衆供同心 唯可信之高僧説」と
同じ信心に帰すように勧められたお言葉であります。
802 :
名号を聞信すると:2006/06/02(金) 08:36:04 ID:TF54F/NV
これも「信心決定したらどうなるか」を教えられた有名なお言葉です。
益は利益、幸せ。生きているときにこんなにたくさん現益がいただけます。
金剛の真心を獲得すれば、横に五趣・八難の道を超え、
必ず現生に十種の益を獲。何者か十とする。
一つには冥衆護持の益、
二つには至徳具足の益、
三つには転悪成善の益、
四つには諸仏護念の益、
五つには諸仏称讃の益、
六つには心光常護の益、
七つには心多歓喜の益、
八つには知恩報徳の益、
九つには常行大悲の益、
十には正定聚に入る益なり。
正信偈が出てのでかねからの疑問を。
教行信証にもありますが、他にもお経には「偈」の形?の韻文らしい記述がありますが、
あれは、台詞入り歌謡曲と同じような文体?なんでしょうか。
大事なところだから、皆で節でも付けて歌えるようにしたとか、暗記しろとか意図が
あるのでしょうか。
804 :
名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 11:51:41 ID:2y1TGQW9
>>803 本願寺派は、数十年ごとに正信偈のフシを変える。
昔ながらのフシなしは葬場勤行だけ。
今は荘厳賛をまねた演歌調(昭和初期制定の真譜と行譜)。
来年ぐらいからは、ポップ調に変わる。ゴンシキで
作曲中。
どりーむろっじ通信 阿部将英(神命水詐欺)
テレクラに狂った男の顔写真入りHP
http://d-lodge.com/dream1-a.html それは瞑想だけはで得ることができない決定的に欠けているものがあるからです。
そしてはそれを得るには瞑想以外の日々の行為が必要です。それが信仰です。
あるいは神やグル(指導者)に対する深い尊敬と帰依の精神を日々持つことです。
それが無いといかに瞑想をしていようが、どれだけ肉体浄化に励もうが、
悟りの体験は得られません。(どりーむろっじ通信阿部将英HPより引用)
神命水詐欺・テレクラ狂いの阿部将英とは?
★2ちゃんねる従業員宗教板運営担当阿部将英(覚せい剤中毒)
★阿部将英の住所〒242-0021神奈川県大和市中央4−14−24−806在住
このものたちは、将来性のあるビジネスだと投資を求め一定金額を騙し集めると
法人を計画倒産し集めた金を猫糞持ち逃げをする詐欺師です。
「フルフィルメント瞑想」と銘打ったHPはすべて瞑想投資金猫糞マルチ商法なので
見かけた人は相手せず騙された人は警察に駆け込みましょう。
★利殖商法(金持ち逃げ投資詐欺)とは?警察HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesd2009.htm
なぜかメタル好きの真宗寺院の子弟はけっこう多い。
807 :
803:2006/06/02(金) 16:06:11 ID:TR7OB3aB
>>804 レス感謝。やっぱ、みんなで歌うんだ。
ご詠歌、謡い、浪花節、民謡、浄瑠璃、長唄、都都逸などの原点なんだ。
みんなが節をつけたから、ご本家は棒読みにしたんかな。いい声している
僧侶も多いのに残念な気がしないでもない。
808 :
名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 16:26:30 ID:2y1TGQW9
葬場勤行でフシなしは正信偈だけで、念仏・和讃はフシがあるが
(若干は変えているが昔ながら)、葬儀で一般参列者が唱和して
いるなんか、聞いたことがない。もっとも、関東では、このフシ
なしが嫌われ、正信偈にかえて、礼讃偈を唱えることも多い。
日常勤行の念仏・和讃は、礼讃偈をまねたフシで、これはポピュラー。
民謡・都節等との関係は、よくわからない。民謡の一部は、
天台声明(本願寺派でも一部をアレンジして依用)なんかより
古いかもしれない。
自分とこの門徒に知れたらどうすんだろ?
814 :
名号を聞信すると:2006/06/03(土) 08:35:13 ID:rKThlPm6
>これも「信心決定したらどうなるか」を教えられた有名なお言葉です。
>益は利益、幸せ。生きているときにこんなにたくさん現益がいただけます。
>金剛の真心を獲得すれば、横に五趣・八難の道を超え、
>必ず現生に十種の益を獲。何者か十とする。
「金剛の真心を獲得すれば」は「名号を聞信すれば」と同じ。
金剛石は固いものの代表で、「変わらない」ことを表されています。
信心いただいたらたくさんの現世の利益(幸福)があります。
>大悲無倦常照我
大悲無倦常照我も信心いただいた上でのことです。
「我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」というは、真実信心をえ
たる人は、身は娑婆にあれども、かの摂取の光明のなかにあり。しかれども煩悩
まなこをさえて、おがみたてまつらずといえども、弥陀如来はものうきことなく
して、つねにわが身をてらしまします、といえるこころなり。
>>812 自己紹介だけみると、当流で言うところの親が宗務員であっちこっちの別院に転勤してるのかな?って思う。
今は東京でアパマンか役僧か?気になったのが、この人は長時間労働と立ち仕事は嫌いと書いてる。
他の地域の人は知らんがウチの近所では午前中だけ働いて、午後は恒例法要等がなければぼーとすごす
若院さんが増えてる。まるで李氏朝鮮時代の両班という貴族のよう。プライドだけは人一倍高く、肉体労働をきらう。
>>813 このサイトの人ってきっと寺で育ってないから、寺族の男子に特有の門徒の目を多少なりとも気にするというのがない。
何時か住職になって云々という自覚がまったく持てないのだ。
関係ないかもしれんが。オレの親戚の子でもまったく寺で育ってないから、僧職をただの職業としか見てない。
住職になって面識のない人に、本山流を押し付けて大丈夫かと心配。トラブルが起こったら助けてやらんと
いかんのだろうなw
>>815 ちゃんとサイトを読んでやってるんだな。親切だな。
>立ち仕事は嫌いと書いてる。
おそらく、ずっと正座し続ける仕事も嫌と言うに違いない。
>ぼーとすごす若院さんが増えてる。
それで十分喰えるんなら、それはそれでいいのではなかろうか。
安直に「格差社会だから」と言い逃げしてもいいような。
これは若手僧侶の実態を考えさせるいいネタだよな。
819 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 22:00:01 ID:jONUr5yx
ろくな連中じゃないな
820 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 22:09:14 ID:vbxpFRxM
俺は民間企業で10年ほど働いてホワイトカラーもブルーカラーも経験してから得度して専業になったが、数年経ったいまでも会社員に戻りたいと思うよ。
仕事を自分で作る辛さからは解放されたが、それよりも世間から干渉される不自由さが嫌だな。
それに、今はまだ法話の機会はないが、あがり性の俺がこの先大勢の前で堂々と話せるのかといった不安もあるし、ご門徒をまとめられるのか、ご門徒に恥をかかせない住職に自分がなれるのかと考えてしまうんだ。
次々と
面白ネタは骨の髄までしゃぶる2ちゃんねる、か
美人だよな
824 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:09:31 ID:X530gtxC
825 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 09:08:33 ID:7awRQ5d2
>設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚
唯除五逆 誹謗正法 『仏説無量寿経 巻上』
> 諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 住不退転
唯除五逆 誹謗正法 『仏説無量寿経 巻下』
上は阿弥陀仏の本願、誓願とも言われ阿弥陀仏がされたお約束。
釈迦のお言葉ではなく、阿弥陀仏のお言葉。
下はその阿弥陀仏のお約束を私たちにわかるよに解説してくだされた
釈迦のお言葉。本願文を読んでも本師本仏のお言葉は御心が深くて
衆生には意味がわからない。
どうしたら助かるのか。
いつ助かるのか。
信心で助かるのか、念仏で助かるのか。あるいはそのふたつか。
自力で助かるのか、他力で助かるのか。
それについてお釈迦さまが阿弥陀仏のお約束はこういう御こころですよ、
と説明してくだされたのが十八願成就文。
本願は本だが成就文がなければ私たちは阿弥陀仏の御こころを知ることが
できないから、成就文が「至極」とされる。
「それについて、三経の安心あり。そのなかに『大経』をもって
真実とせらる。『大経』のなかには第十八の願をもって、本とす。十八の願にと
りては、また願成就をもって、至極とす。」
826 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 09:43:12 ID:isiWcxD0
オープンハートのペンダントじゃん
827 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 11:48:58 ID:bE6ron0p
さげまん。
828 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 12:49:11 ID:RgYgzJkg
829 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 17:44:32 ID:pmQEFdt9
830 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 17:58:28 ID:rc4r1UKq
>特に、宗祖親鸞聖人は、肉食妻帯し、
>在家の生活の中で真実を問いたずねていかれた方です。
>
http://www.tomo-net.or.jp/sermon/shinran/shinran.html >の7番の文章でも読んでみて下さい。
師(親鸞聖人)と仰ぐ方を一介の僧が自分に準える事はよくある事なのですか?
一般人の私には、自分への批判を受けた場で師の言葉を引用するという行為は
師を陵辱、嘲笑う行為に見えてしまいます。
師は仰ぐものと教わりましたが、彼がしていることは逆の行為にしか見えません。
また妻の反論を読んでも、僧である夫に敬意を払っているとは思えません。
敬意を払っているのであれば、僧としての姿勢を問われている場で、
趣味である音楽の姿勢を語ることはないと思います。
匿名掲示板へ投稿するのは同じ宗派の方が私の考えについてどう思われるか知りたかったからです。
ご返答を頂ければ幸いです。
>>830 > 師(親鸞聖人)と仰ぐ方を一介の僧が自分に準える事はよくある事なのですか?
植木等のスーダラ節のエピソード知ってる?
> 匿名掲示板へ投稿するのは同じ宗派の方が私の考えについてどう思われるか知りたかったからです。
ん?あなたは本派の方?
都会の人間には通用しないのかね。
反論があると思うが、住職が門徒の家に逝かないような寺は真宗の寺とは言えない。
833 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 22:27:12 ID:Re6XwY19
西本願寺と言う寺はない。
835 :
名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 09:38:48 ID:4oCwuncV
>>828 ワロスwwwwww
雷頭おかしーなこれwwwwwww
嫁も頭わりーレスかえしちゃってるしwww
なんつーか、僧侶たるもの自己の行為に常に慎重になるべし。って言いたくなるなぁこりゃwww
査問委員会でも動かしてみるか?w
836 :
名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 11:12:03 ID:4oCwuncV
837 :
名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 12:21:20 ID:THhPqcGo
うたい文句はメチャクチャだが、本山が帰敬式をすすめる
文句もメチャクチャ。
優婆塞・優婆夷の形体たりながら出家のごとく、しひて
法名をもちゐる、いはれなき事(改邪鈔10)
変なのを放置すると蔓延して手がつけられなくなるな。
組織は自浄作用がないと崩壊するのは歴史の鉄則。
839 :
旅の名無し:2006/06/05(月) 15:09:14 ID:PEvBsae4
ちょっと失礼いたします。
じつは、創価学会って日本人を差別してるって知ってました?
創価学会の『池田大作』名誉会長は在日朝鮮人で
本名 成太作(ソン・テチャク)
その他の幹部も在日朝鮮人で日本人は幹部になれません。
これって差別だと思いませんか?
それでは旅の途中なのでこれで失礼いたします。
ごきげんよう。さようなら。
>>836 詐欺ではないと思うが説明文にうさん臭さはあるな
木版法名は、お札を売らない浄土真宗の大切な収入源・・・
は、冗談としても、いっそ帰敬式受式タダにするか、受式者名簿
への登録だけにして、何も持ちかえらさないか・・ ですね。
844 :
名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 11:52:34 ID:+Kdu6gga
本山宗務部に電話してみた。
「インターネットのオークションの・・」って言ったところで「あぁ〜」ってw
一応結構な数の報告上がってるみたいで、対応中らしい。
職員カワイソスw
あと、出品者への質問、最初の質問が削除されてるぽくね?
>対応中らしい。
「年月日、何県何様お買い上げ」とか書いて、受式者が特定
できるような表示をするだけで、転売はできなくなる。
(こんな書式を安易にバラまいていると、度牒でもネット競売)
俗名をどっかに書いておくだけでもいいだろうになあ。
>>845 それをしても旧版そっくりなものを作って売られたら・・・。
・・・あ、普通に詐欺事件か。
現在、本山は法名の管理してるの?
昔は管理してなかったから、同一人物が何度も帰敬式を受け、
何度も法名を受けられた、と聞くが。
849 :
845:2006/06/07(水) 10:09:21 ID:ScBtSn93
仮に模造としても、詐欺は難しいですよ。まあ、著作権法違反
(こんな簡単な書式が「著作物」か?)なんかで立件です。
「法名拝受」だけなら、「交通安全」や「ガン封じ」のお守り
と同じレベルで、簡単に詐欺と決め付けられません。
無記名の紙片を、何か価値のあるもののように安易に下付して
いることが問題でしょ。
850 :
名無しさん@3周年:2006/06/07(水) 12:54:27 ID:X/DPgjlf
法名は真の仏弟子になったひとがいただくもので
売り買いするものではありません。
祖師聖人は、機の深信からご自分を「極悪低下の者」と知って「愚禿」と言われ
またそういう者が本師本仏に救われてお釈迦様の御弟子にさせていただいた、
真の仏弟子であるという法の深信から「愚禿釈」と名乗られています。
信心決定しているか、どうかが要です。
>>844 削除されたみたいだね
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/qanda?aID=e58084861 質問2投稿者:sm6021 (103)6月 5日 15時 6分
はじめまして。何点か質問させていただいてよろしいでしょうか?
法名をふたつお願いしたい場合は、複数落札することは可能でしょうか?
法名は例示ということですが、法名の指定?をどのようにするか、
わからないのでどうすればよいのでしょうか?ご回答よろしくお願いします。
回答2投稿者:hyundaishin (50) (出品者)6月 5日 22時 31分
法名をふたつ希望される場合は、複数落札を承ります。
法名の指定(内願法名)には所属寺院の住職の紹介が必要です。
法名の指定(内願法名)をご希望であれば、ご縁のある本願寺派寺院にご相談下さい。
以上、よろしくお願いします。
854 :
名無しさん@3周年:2006/06/07(水) 22:49:45 ID:jB73zznb
>>850 信心決定してるわけがない赤ん坊でも法名はもらえるシステムだが。
>>851 「本願寺ぶるーす」は放送禁止歌と言われているけど
東西本願寺等からクレームをつけたというような
事実はあるの?
じっさい歌詞も放送禁止にするほど問題あるようには
思われないんだが…
それよりも繰り返される「他力本願」発言のほうが
よほど(・A・)イクナイ希ガス…
浄土真宗本願寺派(西本願寺)御門主より拝受の法名(男性用)
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>>855 本願寺ぶるーすのクレームは聞いた事がない。
他のは聞いたが。
860 :
名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 08:38:52 ID:JsmklbmO
>赤ん坊でも法名はもらえるシステムだが。
赤ん坊でも信心いただけるというのは土蔵秘事の特徴のひとつでしょ。
システム自体がそういう方向に走っているのかな?
生まれたときから宿善開発している子供がいるわけではないから
「宿善開発して善知識にあわずば往生はかなうべからず」で
教えを聞けなければ信心決定できないでしょう。
教えを聞ける子供なら、信心はいただけるでしょうが。
赤ん坊なんて問題じゃない。ブッシュでもコイズミでも、没後なら
法名をもらって、「本願力に遇いぬれば・・かの仏国に到る」
(葬場勤行の表白)ですよ。
>>860 信心が大事と、いいたいことはよく分かるのだが、
信心決定の印として法名を与えるのも土蔵秘事の特徴な気が・・・
863 :
名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 20:44:22 ID:5lknKVqh
つか、ふと思ったが、故人は浄土でお生まれになりましたと言う一方で、遺体におかみそりするのに何の意味があるのだろうか?
863
ただ、なんとなく
865 :
名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 08:32:56 ID:napCYJUC
>信心決定の印として法名を与えるのも土蔵秘事の特徴な気が・
信心を認可するとしたら土蔵秘事だな。
おかみそりは仏門に入る儀式として仏縁を結ぶ意味がある。
発菩提心や十九願にあたるはずだが、西本願寺が
そういうことをしているのはおかしいのでは?
それともおかみそりで信心を認可しているのかな?
866 :
名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 08:34:54 ID:napCYJUC
死人に法名をつけるのは残ったひとの仏縁を
念じているだけだろう。
逝ったひとには関係ないことだし。
867 :
名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 08:38:10 ID:napCYJUC
庄松同行がおかみそりに京都に行ったのも御恩報謝でしょ。
信心いただきにいったのではないよね。
いっそ、帰敬式なんかやめて信徒登録。木版法名はやめて
信徒登録証(「俗名某を信徒として登録するが信心決定の
証明でない」、法名引換券つき)にでもすれば、転売はでき
ないよ。
869 :
名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 12:44:33 ID:EIa16ut4
信心獲得に法名も糞のあるかよ。
何くだらない話してるんだ!
870 :
名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 19:20:42 ID:lIcx7CMD
そもそもこの御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝
徳をなさんとおもいて、聖人の御まえにまいらんひとのなかにおいて、信心を獲
得せしめたるひともあるべし。また不信心のともがらもあるべし。もってのほか
の大事なり。そのゆえは、信心を決定せずは、今度の報土の往生は不定なり。
報恩講に参詣しても、信心決定しているひととしていないひとがあります。
未信は一大事ですよ。
・・・
872 :
名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 01:58:37 ID:UgaQT6Zp
武田達城先生は未来の総長です
873 :
名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 08:12:14 ID:TH14ajgG
この信心をうるを慶喜というなり。慶喜するひとは、諸仏とひとしきひととなづく。
慶は、よろこぶという。信心をえてのちによろこぶなり。喜は、こころのうちに、
よろこぶこころたえずして、つねなるをいう。うべきことをえてのちに、
みにも、こころにも、よろこぶこころなり。信心をえたるひとをば、
「分陀利華」とのたまえり。
永久の闇より救われたよろこびをお伝えいたしましょう。
質問よろしいでしょうか。
母が亡くなってから父の友人に戴いた般若心経の写経を読んでおりますが
もしや阿弥陀さまに失礼だったかと心配しています。
このまま読み続けてもいいのでしょうか。よかったら御返答願います。
>>874 >もしや阿弥陀さまに失礼だったかと心配しています。
失礼ではありません。
>このまま読み続けてもいいのでしょうか。
宗旨にもよりますのでお好きにどうぞ。
浄土真宗とは・・
阿弥陀の救済を信じる信心決定を仏の悟りにも等しい
とする親鸞聖人の教え
と
(それだけじゃ、信心があれば坊主も寺も不要になる
から)儒教道徳の「恩」を説いて本願寺に貢がせる
覚如上人・蓮如上人の教え
で構成された奇妙な宗教
877 :
名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 19:46:33 ID:+U2gdT6F
親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそう
らわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。いず
れもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべきなり。わがちから
にてはげむ善にてもそうらわばこそ、念仏を回向して、父母をもたすけそうらわ
め。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあいだ、
いずれの業苦にしずめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなりと
云々
親鸞は読経どころか念仏さえも父母孝養のためにしたことがない。
自分のちからで善根を励み真実の善のできる身であれば念仏、読経の功徳を父母に
回向するということもあり得るだろうが、雑毒虚仮の善しかできぬ身であれば
自分自身が地獄しか行き場のない罪悪生死の凡夫。人に善根を回向して助ける
などということができるはずがない。
ただ阿弥陀仏を一向にたのみ信心決定して、浄土に生まれることがまちがいない身に
なってこそ往相還相の二種の回向をいただいて弥陀同体のさとりをひらくことが
できるのだ。
小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもうまじ
如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき
弥陀の願船しか私たちを渡してくださる船はないことをよくよく知っていただきたい
と思います。
878 :
名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 19:54:36 ID:+U2gdT6F
それ十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、むなしくみな十方三世の諸
仏の悲願にもれて、すてはてられたるわれらごときの凡夫なり。しかればここに
弥陀如来ともうすは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば、久遠実成の古仏とし
て、いまのときの、諸仏にすてられたる末代不善の凡夫、五障・三従の女人を
ば、弥陀にかぎりて、われひとりたすけんという超世の大願をおこして、われら
一切衆生を平等にすくわんとちかいたまいて、無上の誓願をおこして、すでに阿
弥陀仏となりましましけり。この如来をひとすじにたのみたてまつらずは、末代
の凡夫極楽に往生するみち、二つも三つもあるべからざるものなり。
諸仏に見捨てられ、弥陀一仏が「われひとり救わん」と立ち上がってくださったのです。
般若心経を読んで何をしようとされているのか、我が身をよくよく問いつめて
ください。
「逆謗を救うぞ」とあなたのために誓われた弥陀を十劫の間待ちぼうけをくわせて
いつまでも我が身知らずで雑行を捨てないあなたを見て弥陀は泣いておられますよ。
879 :
874:2006/06/12(月) 21:36:14 ID:puQXpAiT
>>875-878 いろいろご意見下さってありがとうございます。
毎日仏壇を整えること以外母に何もしてあげられないので
せめて読経をと思い続けておりました。
会話ができない寂しさもあって読んでいたのかもしれません。
しかし母が本当に望むことを私は疎かにしていたと思います。
読経のことはあまり考えすぎないようにしようと決めました。
スレ汚し失礼いたしました。
880 :
名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 23:02:57 ID:jZrg3dRD
仏説阿弥陀経と正信げをあげましょう
881 :
名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 23:31:32 ID:1iATbLQA
>>877 いや、たぶん法然上人と出会う前、比叡山時代には父母孝養のために読経したことはあると思う。
念仏は父母孝養のためにしたことはないはずだけど。
信心決定の人は日曜日が忙しい人か
883 :
名無しさん@3周年:2006/06/13(火) 13:05:34 ID:LHuz/ypn
>比叡山時代には父母孝養のために読経したことはあると思う。
比叡山でも念仏の行はありますよ。
親鸞聖人が言われたのはそういうことではないでしょう。
884 :
名無しさん@3周年:2006/06/13(火) 19:31:44 ID:JhNtnMzS
亡くして初めて知る親の御恩ですね。
「恩を知るは大悲の本なり、善根を開く初門なり」と
教えられています。
無常と自己の罪悪を観じて仏縁を求めてください。
874さんに仏縁が恵まれることを念じております。
>>883 聖人は比叡山時代に念仏の行をしたとでも?
>885
あほか、常行三昧堂の堂僧(堂に仕え勤行を修する僧)だったのにやらいでか。
>>886 それは自力の念仏ですか?何のための念仏ですか?
ダヴンチ・コードを見ても(小説だから真偽はいろいろあるにしても)ローマ帝国が
キリストを神にしたとか、お釈迦さまも竜樹の時代の前頃から生まれながらの仏さま
にする考え(久遠仏)が出て来ていたとかあるが、親鸞さんも生まれながらの浄土真
宗の開祖にしたくなる御仁が出てくるんだろうか。それぞれ人間だからいいところが
あると思っているのだが、洋の東西を問わず似た現象は起きるもの。
889 :
真如:2006/06/14(水) 03:11:57 ID:yiNGIEZR
親鸞は南無阿弥陀仏の意義を細分化して、阿弥陀回向の他力信心と言う処まで突き詰めたが、そこまで突き詰める事は親鸞にとって重要だったのであって、一般の人にはさして重要じゃない。全くと言って良いほど重要じゃない。
890 :
真如:2006/06/14(水) 03:41:31 ID:yiNGIEZR
一般の人にとっては、念仏が自力か他力かなんて議論自体、無意味だ。
ご先祖様になんかありがたい念仏をあげれば良いだろう、そんな感じだ。
しかしそれでいいんだ。大切なのは南無阿弥陀仏ととなえ念じさせる事だと思うから。
891 :
名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 04:19:56 ID:YP3slg/p
>>890 そういう人、そういうお念仏のいただきぶり、でさえも、
阿弥陀様は救って下さいますよ、と御開山はおっしゃったです。
>>891 必ず救うと誓願を立てられた。しかし、彷徨い続けるのは止めて、平生業成させて
もらいましょう。
893 :
真如:2006/06/14(水) 04:58:20 ID:yiNGIEZR
念仏を肉に例えれば、この肉はどこの店から買ったのか、どこの産地か知るのも大切かもしれん。自分で買うか他人に買ってもらってなおかつ料理してもらうか、違いがあるだろうが。
しかし結局はみな、肉を食べれば栄養になり血肉となる。
念仏をとなえるのも同じ事だ。となえれば念じれば、自然に仏果を得る。
店や産地を知るのは、肉を食べる助けになるだけの事だ。肉には古いか新鮮さかの違いがあるが、南無阿弥陀仏にはそれが無い。南無阿弥陀仏はそれだけで尊いからだ。
自力か他力かなどどうでもいい。南無阿弥陀仏をとなえ念じる事こそ重要だ。南無阿弥陀仏
894 :
真如:2006/06/14(水) 05:08:36 ID:yiNGIEZR
いや待てよ、阿弥陀さんから信心を頂いている、と思う事も、いわば南無阿弥陀仏の変化形だな。失敬失敬
アミダさまに頼るだけでいいんだというなら、なぜ大伽藍を造営し仏壇を麗々しく
荘厳し大教団を維持しなければならないんだ。
親鸞さんはお寺も弟子もいらんと言っておられたんではないか。
親鸞さんの教えを護り多くの人の賛同を得ないといけないとの思いが、壮大な装置を
必要としているんではないか。現実問題、アミダさまに頼るというのは一大事業でも
あるのではないか。その覚悟は、ある意味必死なことではないか。
「自力か他力かなどどうでもいい。称名念仏しなさい」と言って「ああそうですか」と
こっちへ来た人は、他から祈伏されるとすぐにあっちへ行くんではないか。心底をつき
固めるにはそれなりの手順が大事だと思うがどうか。
896 :
真如:2006/06/14(水) 10:00:46 ID:yiNGIEZR
895さんは、心底を突き固めた経験なり手順なり、があったのだろうな。
897 :
895:2006/06/14(水) 11:35:44 ID:80kG2KgA
月曜日の昼、京都南を通ったので本願寺へお参りして門徒会館で昼飯を食った。
境内にも会館地下の食堂でも新発意か学僧らしい若い僧が大勢見えた。行き交う
人に挨拶するのもいないのもいた。しかし得度をしたんなら一度でいいから剃髪
くらいしたらどうかと思った。このスレの前にも信心決定が大事と書いてあった
が、決心をそういう形で一時期であれ示すのは大事なことではないかと思うが、
どうか。踏絵になって酷だという人もいるかな。普通の会社でも新入社員は全員
こざっぱりした頭髪服装になっていて新人だなと分かるものだ。失敗しても免罪
符になるせいもあるが。
898 :
名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 13:21:15 ID:QP0EZjN8
普段から剃髪してます。
ちょっとめんどくさい時は丸坊主ですが。
特に決意がどうこうというつもりではないですが、袈裟着たときに一番ピシッと似合う頭はやはり坊主頭だなぁと。
作務衣にも似合うと思うし。
格好からでゴメンw
899 :
名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 16:59:56 ID:oOkWrqaB
かの無碍光如来の名号よく衆生の一切の無明を破す、よく衆生の一切の志願を満てたまう、
しかるに称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかんとならば、実の
ごとく修行せざると、名義と相応せざるに由るがゆえなり。
「名号にはすべての人の無明を破る力があるけれども
念仏を隙無しに称えていても無明が破れずに信楽のこころになれない者がある」
そういうひとの称える念仏を蓮師は
「それ人間に流布してみなひとのこころえたるとおりは、なにの
分別もなく、くちにただ称名ばかりをとなえたらば、極楽に往生すべきようにお
もえり。それはおおきにおぼつかなき次第なり。」と言われたのです。
十九願、二十願、十八願の念仏はそれぞれ称え心が違います。
十八願のお念仏を称える身になっていなければ往生はできません。
900 :
900:2006/06/14(水) 21:57:24 ID:ZbfiKAPS
>>899 人間に十八願のお念仏なんてできんのかよ
901 :
名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 22:43:28 ID:wtmqaeTt
>>900 できます。
阿弥陀仏のお力でできるのです。
902 :
真如:2006/06/15(木) 00:39:57 ID:fFu15zrY
あのさ、阿弥陀さんから信心も念仏も頂いている、と認識する事で十八願念仏とするなら、念仏の力じゃなくて、「認識」の力によって念仏は十八願になったり、そうじゃなくなったりすると言う事になるからね。
認識で念仏を操作出来るものかねぇ。操作出来なくて認識も関係無いのが念仏なんじゃないかと思うがなぁ。認識で念仏の効用が変わると説いた所が親鸞の言い過ぎた所なんだよな(笑
そのハンドル、恥ずかしくないかい?
というのはいいとして、あんさんの理屈だと機の部分がないね。
法だけ説くのならば「念仏する、させる」でいいんだけれどさ、
凡夫という機があるから本願の念仏という法があるんであって、
機の部分が欠けると本願もいらなくなるのよ。
あんさんの認識っつうのは念仏の細分化のようだが、
親鸞聖人がこだわったのは「私」の機の部分。しかも、
細分化というより明確に顕したというのが正解でしょう。
徹底的に機を見つめられたから報恩感謝の念仏ということになるのよ。
報恩感謝の念仏っていうことは、凡夫の計らいだっていうことと同じなの。
だからこそ、自分の凡夫性に気が付いた人は安心して称えられるの。
904 :
真如:2006/06/15(木) 09:48:23 ID:fFu15zrY
903
あなたの言う「安心して」の「安心」とは、どういう心持ちを言うのですか?
905 :
真如:2006/06/15(木) 10:13:41 ID:fFu15zrY
そんな「安心」をいつまでもふりかざしておってもな、誰もありがたいなんて思わんて。
坊さんの言う事やからとみんな仕方無しに聞いてるだけなんやからな。
そういう現実っちゅうもんを、ここらに来てる坊さん方はどのくらい認識しておられるのでしょうかねぇ。
法だけ語る方が上滑りしてしまうんだよ。
「おまえは阿弥陀如来になったつもりか」ってね。
理由であるところの機を説かず、人を子供扱いして
頭ごなしに念仏申せということですからね。
あ、だからそのハンドルなのか。(失礼)
だから法と同時に機も説かなきゃならない。
これは難しいよ、自分を語るということだから。
それと、安心の心持ち?
人に尋ねるということは、あなたは安心していないのね。
・・・最近は口で念仏をしていても、自己を見つめる作業をする人がいなくなったのかねぇ。
907 :
真如:2006/06/15(木) 11:31:23 ID:fFu15zrY
あなたの事いくら聞かされたって、仕方無いんだよ。十八願とか他力がどうとか、機がどうの自己がどうのとか、そんな事言われても、心に届かないって事なんだよ。
あなたお坊さん?
真如=渡海難事故
909 :
真如:2006/06/15(木) 11:48:54 ID:fFu15zrY
ハンネがどうとか、しまいにゃ他人扱い…わかったわかった、もう来ません。一生十八願念仏とやらをありがたがってろ。上滑りなのはどっちだろうかね…
法を聴くっていうこと、これは念仏だけではなくて
仏法としても良いけれど、常に我が事として聴くんだよ。
他人事として聴いているなら無駄な時間でしょうね。
無駄な時間にするか一期一会のご縁とするかは、
聴いている一人一人の心持ち次第。
流れを中断するようで悪いが、
この前、西本願寺という寺はないって書き込み在ったな。
境内北に隣接の駐車場入り口の立て看板には、西本願寺って書いてある。
築地本願寺もパンプレットはそうだったような。
オレは通称でいいと思うが、固いこという人にこういうことで話の腰を
折られるのウザイ。法の話も似たような感覚がある。
912 :
名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 19:31:23 ID:6hOJOBuU
「他力の念仏は往生すべし。自力の念仏はまったく往生すべからず」
(法然上人)
>>911 うむ、朝には紅顔ありての著者略歴にも「西本願寺住職」とあるよな。
914 :
名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 01:14:08 ID:BZFrxkpT
915 :
名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 20:08:32 ID:49/uiSCg
>あなたの言う「安心して」の「安心」とは、どういう心持ちを言うのですか?
安心は信心のこと。
真宗では二種深信のことを信心というのです。
二には深心、深心と言うはすなわちこれ深信の心なり。また二種あり。
一には決定して「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来常に没し常に
流転して出離の縁あることなし」と深信すべし。
二には決定して「かの阿弥陀仏の四十八願、衆生を摂受したまう、疑いなく慮なく
かの願力に乗ずれば定んで往生を得」と深信せよとなり。
今この深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。
これが他力の信心です。
信心といえる二字をばまことのこころとよめるなり。まことのこころというは、
行者のわろき自力のこころにてはたすからず、如来の他力のよきこころにてたすかるがゆえに、
まことのこころとはもうすなり。
また名号をもってなにのこころえもなくして、ただとなえてはたすからざるなり。
916 :
名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 20:45:57 ID:ISYlVwZ8
>一には決定して「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来常に没し常に
流転して出離の縁あることなし」と深信すべし。
よく間違われているのは、信心決定すれば「救われるはずのない者が救われた」
ということに関して「結局救われる」と思っているひとがあること。
「出離の縁あることなし」で弥陀の本願からも除かれて助かる縁手がかりが
永遠に無い自分ということがハッキリするのが機の深信。
永遠に救われることのない自分と誰が救われなくても自分だけは浄土往生まちがいない
ということの両方が同時にツユチリの疑いなくハッキリする。
だから不可称、不可説、不可思議。
これが体験できなければ真宗の「信心をもって本とせられ候」はわからない。
>だから不可称、不可説、不可思議。
「おほよそ大信海を案ずれば、貴賎緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、
造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、
頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、
有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、
ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり。
たとへば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するがごとし。
だね
ただし、信楽が「不可思議不可称不可説」なのは
「しかれば大聖(釈尊)の真言、宗師(善導)の釈義、まことに知んぬ、
この心すなはちこれ不可思議不可称不可説一乗大智願海、回向利益他の真実心なり。
これを至心と名づく」
と、それが「不可思議不可称不可説」である如来の至心、真実心で作られ回向された名号を領受したため。
だから、如来の至心=名号=信心は誰でも同一である。
けれども、その信心から起こる歓喜に関しては人によって受け取りが違うといえる。
凡夫の感覚はすべて違うからね。
>これが体験できなければ真宗の「信心をもって本とせられ候」はわからない。
信一念にかんしては体験ではない、ということになっているよ。
さらに「不可思議不可称不可説」を掘り下げれば
大涅槃と申すにその名無量なり、くはしく申すにあたはず、おろおろその名をあらはすべし。
「涅槃」をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、
法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ。仏性すなはち如来なり。
この如来、微塵世界にみちみちたまへり、すなはち一切群生海の心なり。
この心に誓願を信楽するがゆゑに、この信心すなはち仏性なり、仏性すなはち法性なり、
法性すなはち法身なり。
法身はいろもなし、かたちもましまさず。
しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして、
方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこして
あらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩(天親)は「尽十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。
この如来を報身と申す、誓願の業因に報ひたまへるゆゑに報身如来と申すなり。
報と申すはたねにむくひたるなり。
この報身より応・化等の無量無数の身をあらはして、微塵世界に無碍の智慧光を放たしめたまふゆゑに
尽十方無碍光仏と申すひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず。
無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、このゆゑに無碍光と申すなり。無碍はさはりなしと申す。
しかれば阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。
919 :
名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 23:07:20 ID:uI/iRqQO
>その信心から起こる歓喜に関しては人によって受け取りが違うといえる。
諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念
歓喜=欲生=(信楽の)楽だが、三心のいただきものが違うとでも?
三業の違うのは当然ですが。
>信一念にかんしては体験ではない、ということになっているよ。
根拠をあげて話してくださいね。
>>919 >歓喜=欲生=(信楽の)楽だが、三心のいただきものが違うとでも?
ああ、語弊のある言い方だったね
たしかに’初起’の歓喜は信楽と同じくいただきものだし、非意業ってことに江戸宗学ではなってるよ
(歓喜初後という安心論題だね)
>三業の違うのは当然ですが。
第二念以後に三業にあらわれる歓喜はバラバラ。
>根拠をあげて話してくださいね。
そちらの教学でも言われていると思うが、信一念は人間の感覚ではとらえられない瞬間の出来事であるとされているだろ?
(こっちでは「信一念義」という安心論題になっている)
「それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を顕すなり。」
成就文の「信一念」の一念は「時剋の極促」を意味する。
時剋の極促については有力な解釈が二説ある。
1)「往生の心行を獲得する時節の延促について乃至一念といふなり」(浄土文類聚鈔)
から時間の延び促み、これの「極促」つまり「時間のちじまりきった極限」であるとする説。
2)行巻の「奢促対」
「機に奢促あり、「奢」はおそきこころなるものあり、「促」は疾きこころなるものあり。」(銘文)
この場合の奢促は、おそいはやいの意味で、これから「極促」を「はやさ極限」であるとする説
で、どっちをとるにせよ「時剋の極促」は人間の三業で捉えることのできない瞬間ってことになる。
つまり、この初一念の信楽や歓喜は人間の三業ではわからない…ということになっている。
(だから宗学にとっては一念覚知説は異安心ってことになるわけだ)
後続の信心が非意業かどうかについては、たしか緒論があったと思う。
三業にあらわれる歓喜は万人で同一であるはずがないし、また四六時中意業にあらわれるって訳でもない。
補足すると、
一念については、通仏教で二つの系統で言われる
1)きわめて短い時間、一瞬間を意味する。
サンスクリット語でeka-ksanaなどに対応
ksanaは刹那と音写される時間の単位。
九十刹那を一念とする説もある
2)心のわずかな働きを意味する。
サンスクリット語ではeka-citta-utpadaなどに対応
この心の内容によって初発心、発菩提(一念発起)わずかな信心、(一念信)また1回の念仏など、多様に用いられる
で、真宗では成就文の一念は、「時剋の極促」の意味で取っている。
夫按眞實信樂信樂有一念一念者斯顯信樂開發時剋之極促彰廣大難思慶心也
是以大經巻下言諸有衆生聞其名號信心歡喜乃至一念至心廻向願生彼國即得往生住不退轉
刹那(せつな)
仏教における最小の時間単位。
サンスクリット語クシャナksanaの音訳。
『大毘婆沙論』巻136の譬喩的説明によると、
「2人の成人男子が何本ものカーシー産絹糸をつかんで引っ張り、
もう1人の成人男子が中国産の剛刀でもって一気にこれを切断するとき、
1本の切断につき六四刹那が経過する」と述べられている。
2人の男がかりに5000本の絹糸をつかんだとすると、剛刀による一瞬の切断で
5000×六四刹那の時間が経過するから、一刹那の短さが想像されよう。
『大毘婆沙論』同所の科学的説明によると、一昼夜=三〇須臾{しゆゆ}、一須臾=三〇臘縛{ろうばく}、
一臘縛=六〇怛刹那{たんせつな}、一怛刹那=一二〇刹那である。
一昼夜を24時間として計算すると、一刹那は75分の1秒になる。
仏教哲学では「刹那」は、物質的、精神的、なかんずく精神的な現象の瞬間的生滅を説明するときに使われる。
なお、今日の「刹那主義」ということばの概念は仏教のものではない。
<定方 晟>
923 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 00:10:12 ID:gNNtC3Pc
信相の一念が無くなってしまったんですか?(笑)
歓喜が機相ではない、という邪義は昔からあります。
根拠をあげておきますからこれで十分ではないでしょうか。
御質問があればまたどうぞ。(今日はこれで寝ます)
「歓喜」といふは、「歓」は身をよろこばしむるなり、「喜」はこころによろこばしむるなり。
「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり、です。
「信心歓喜乃至一念」といふは、「信心」は如来の御ちかひをききて
疑ふこころのなきなり。「歓喜」といふは、「歓」は身をよろこばしむるなり、
「喜」はこころによろこばしむるなり。うべきことをえてんずとかねてさきよ
りよろこぶこころなり。
しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて
疑心あることなし、これを聞といふなり。
「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。
「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり。
「乃至」といふは、多少を摂するの言なり。「一念」といふは、
信心二心なきがゆゑに一念といふ。
>>923 >信相の一念
いかんね、抜かったよ。
そっちの意味の一念は初一念から存在する。
「「乃至」といふは、多少を摂するの言なり。「一念」といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。
これを一心と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。」(信巻)
ただし、初一念は「時剋の極促」であり、その瞬間の信楽は非意業だ。
>歓喜が機相ではない、という邪義は昔からあります。
歓喜がないなどと一言も言っていないが?
初一念の歓喜は信楽と同じく非意業で、後続の歓喜は受け取り方が違うとは言ったがな。
それとも初一念から意業としての歓喜があるという説かい?
それこそ「歓喜正因」の異安心を許すことになる。
925 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 05:53:11 ID:gNNtC3Pc
おはようございます。今日は仕事があるので早目にお答えしておきます。
>後続の歓喜
機相として歓喜があるなら「体験ではない」というのは成り立たないでしょうね。
慶喜心も真実信心ですからいただいたなら一味です。
「一念喜愛心」は一念慶喜の真実信心よくひらけ、かならず本願の実報土
に生るとしるべし。慶喜といふは、信をえてのちよろこぶこころをいふなり。
この信心をうるを慶喜といふなり。慶喜するひとは諸仏とひとしきひととなづく。
慶はよろこぶといふ、信心をえてのちによろこぶなり。
喜はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。
うべきことをえてのちに、身にもこころにもよろこぶこころなり。
信心をえたるひとをば、「分陀利華」(観経)とのたまへり。
機相というのは三業だけではないんですよ。
無明とか自力とかがわからないと無理だと思いますけど。
機相と法徳がばらばらでは機法一体ではありません。真実信心ではない、ということです。
926 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 06:17:58 ID:xRTbJswO
門徒が唱えるお経と、僧侶が唱えるお経は、
どこがどう違うの?もし違いが無いなら、
法事は門徒だけが唱えて済ませていいのかな?
927 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 08:14:40 ID:zl0lLPLP
どこも違いやせんですよ。
読経だけなら門徒さんだけで済ませてしまうのも問題ないですな。
しかし法要っちゅーのは、読経してハイ終わり〜っちゅーもんでもないかと。
御法話も聞いて、み仏の教えに会わせていただいてこそ法要かと。
禿坊主の与太話なんぞききとーねーわ!ちゅーなら仕方ないっすがぁ・・・。
928 :
名無し:2006/06/17(土) 08:23:36 ID:8HAUDpOK
お経に違いは無いと思う。しかし、同じお経を聞かせて頂く場に、僧侶も参加させて頂きたい、という思いがある。
そして、法事という場をご縁にして、ご遺族の皆様方が、仏様やお経、お念仏についてどのように想われているのか、お聞きしたい気持ちがある。
私もその中で、念仏に対する思いや考えを述べたい。
しかし、それは法事の場ではなくても良いのかな、という気もする。
929 :
名無し:2006/06/17(土) 08:30:08 ID:8HAUDpOK
僧侶や寺族はもっと、ご門徒さんの声に耳を傾ける必要があるのではないかと感じる。
930 :
名無し:2006/06/17(土) 10:08:27 ID:8HAUDpOK
たとえば月参りでご門徒さんの家に行くとします。ご仏壇にお札や他宗派の仏像がある所は沢山あります。しかし、そういう方でもお寺の行事に積極的に参加され、法座にもご聴聞されます。
逆に口に信心を言い、お念仏ありがたいとご門徒の前では言いながら、法務員を奴隷のようにこき使い、気に入らないと口汚くののしる住職もいる。
私にとっては、ご門徒さんの方がよほどありがたく、ご門徒さんに接するだけで、お念仏をとなえたくなる。バカな住職と朝の勤行をする度に、こんなバカ住職と同じ念仏など誰がとなえるもんか、と思ってしまう。
「法は人となり」
そう感じる今日この頃だ。私にとっての「よき人」とは、お聖経から出会うご開山様とご門徒様である。
931 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 12:01:18 ID:xRTbJswO
>>876 >>888 親鸞聖人やお釈迦さまなど一部の人は、
結局は後世の人の私利私欲のため好きなように扱われているわけ。
聖人の名を使って金儲け出来ているわけだし、
その時代時代に合わせて教えを都合のいいように解釈したりして、
うその上塗りをして教団を保っているわけ。
932 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 12:42:57 ID:HS3/ARQr
>>925 >機相として歓喜があるなら「体験ではない」というのは成り立たないでしょうね。
横レスすんまへんが、初一念の「初起の歓喜」は、「信楽」(仏心)の開発した相
であり、非意業であって、
>>917氏の言う通り、「信一念にかんしては衆生の体験で
はない」でしょう。
後続については、「衆生の三業の上に」(だから、当然、機ごとに異なる)歓喜があ
ることは、
>>920 >>924(0時過ぎて?IDが違うが、おそららく、
>>917氏と同一人
物。)にもある通り。
>機相として歓喜があるなら「体験ではない」というのは成り立たないでしょうね。
>機相というのは三業だけではないんですよ。
「機相」って、「衆生(機)の三業の上の事相」のことを言うと思うのだが、別の意
味に定義してるのかな? 例えば、「性得の機の実相」(それを、信知させていただ
くのが、「機の深信」)とか?それならば、お互いの「機相の定義の違い」を、利用
して? 、「初一念」の話と。後続の話をごっちゃにしているとしか思えませんが。
>機相と法徳がばらばらでは機法一体ではありません。真実信心ではない、ということです。
これも、上と同じで、後続の衆生の三業の話と、初一念の話がごっちゃになっている。
933 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 12:50:07 ID:HS3/ARQr
>>932の続き
「衆生(機)の三業の上の事相」という意味での「機相」ならば、信後も変わらず、
「煩悩具足」であるから、「機相」と「法徳」が違うのは当たり前。
934 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 17:47:26 ID:IgTIAg2+
>後続については、「衆生の三業の上に」(だから、当然、機ごとに異なる)歓喜があ
ることは、
>>920 >>924(0時過ぎて?IDが違うが、おそららく、
>>917氏と同一人
物。)にもある通り。
横レスだけど。
だから925は慶喜の根拠を出してるわけだろ。
後続の真実信心である慶喜心が機ごとに違う、というのはおかしいよ。
>後続の衆生の三業の話と、初一念の話がごっちゃになっている。
信相の一念の話をしてるのでは?
>「機相」と「法徳」が違うのは当たり前。
機相は機受の信相だと思うよ、多分。
他力の信心は三業ではないだろ。
935 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 19:07:33 ID:6oPAt4/V
>>930 私は門徒だけど、言いたいことは良く分かるよ。
936 :
名無し:2006/06/17(土) 20:12:47 ID:8HAUDpOK
935さん
ありがとうございます。m(_ _)m
>>930 たとえば、同じ内容の説教でも、"誰が"話すのかが大事だと言うご門徒いますね。
その考えが正しいのか分かりませんが、相槌だけ打ってます。
938 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 00:13:42 ID:RAUHg9DN
>>934 >だから925は慶喜の根拠を出してるわけだろ。
>後続の真実信心である慶喜心が機ごとに違う、というのはおかしいよ。
>>932-933ですが、
>>920=
>>924氏は、衆生の機相(三業)に現れる歓喜が、「万人で同一である
はずがない」と言われてるのであって、それに、私は同意してるわけです。
勿論、信後の衆生の機相に現れる「歓喜の体」は、信後称名と同じく、名号法であるので、機ごと
に違うことはありえないですが、「衆生の三業」を通した「後続の歓喜の相」は、機ごとに違う
でしょう。
>信相の一念の話をしてるのでは?
だから、
>>917=
>>920=
>>924氏が、「初起の歓喜」を、「非意業の(衆生の体験でない)歓喜」
と言い、「第二念以後の後続の歓喜」を「機相(三業)に現れる歓喜」(衆生の体験である歓喜)
と言ってるのを、
>>925氏が、ごっちゃにして、
>「機相として歓喜があるなら『体験ではない』というのは成り立たないでしょうね。」
と論難していることを言ってるのです。
>機相は機受の信相だと思うよ、多分。
>他力の信心は三業ではないだろ。
「機相」は、「不断煩悩」の相だから、「衆生の三業」でしょう。
「機受の信相」は、 疑蓋無雑の信楽ですから、非意業でしょう。
少し早いですが次スレをたててまいります。
940 :
調声人 ◆DlIN3YzWlI :2006/06/18(日) 02:19:17 ID:+glXfgh3
941 :
925:2006/06/18(日) 05:30:54 ID:cidH2avu
おはようございます。今日も朝早くに出ないといけないのでこんな時間に
書き込みです。
>勿論、信後の衆生の機相に現れる「歓喜の体」は、信後称名と同じく、名号法であるので、機ごと
に違うことはありえないですが、「衆生の三業」を通した「後続の歓喜の相」は、機ごとに違う
でしょう。
慶喜心というのは根拠に示した通り、真実信心のことです。
後続の喜びの相の話になったので「信心をえてのちによろこぶこころ」を
根拠に出したのです。
「真実信心は非意業だから体験ではない」との反論ですけど
「三業でなければ体験ではない」という主旨ですよね。
この信心をうるを慶喜といふなり。慶喜するひとは諸仏とひとしきひととなづく。
慶はよろこぶといふ、信心をえてのちによろこぶなり。
喜はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。
うべきことをえてのちに、身にもこころにもよろこぶこころなり。
信心をえたるひとをば、「分陀利華」とのたまへり。
さきにあげた御文ですが
「この信心をうるを慶喜といふなり。慶喜するひとは諸仏とひとしきひととなづく。
慶はよろこぶといふ、信心をえてのちによろこぶなり。
喜はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。
うべきことをえて」までは非意業だから体験ではなくて
「のちに身にもこころにもよろこぶこころなり」は体験だけど
三業だからひとそれぞれで真実信心ではない、という主旨でしょうか?
942 :
925:2006/06/18(日) 05:31:52 ID:cidH2avu
正直言ってなにを仰りたいのか意味不明。(というか、
信心決定は体験じゃないから本人にはわからないとか、そういう感じのことを
本当は言いたいんだろうとは思いますが....)
しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて、
他力の信心といふことをばいますでにえたり。
これしかしながら、弥陀如来の御方よりさづけましましたる信心とは
やがてあらはにしられたり。かるがゆゑに、行者のおこすところの信心に
あらず、弥陀如来他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。
この御文だったら「信心をえたのは非意業だから体験ではない。知られたりは
三業だから真実信心ではない」ということですよね。
こういう話にどんな意味があるんでしょうか。
慶喜の御文も、この御文も、私にはどう読んでも信心決定の体験にしか読めませんね。
「非意業」と言われても、無明が破れたのは「私の無明が破れた」のであって
だれか他人様の無明が破れたのではないし、それが弥陀よりたまわった信心だと
知らされるのは仏智によってだが、知らされているのは私自身で他人様ではない。
真実信心は非意業だから「(自分の)体験ではない」というのは自分で体験して
ないからでしょう。
「無明が破れたのは非意業だから体験ではない。無明が破れたと知ったのは
三業だから信心ではない」というのはどういう意味があるんでしょうか?
信心決定の「非意業」は信楽「開発」であって無念無想ではありません。
三業自体が真実信心ではないというのは何度も言っています。
943 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 08:35:05 ID:qZ/87Cft
気に入らない住職は門徒総会で解任したらええがな!
オレは嫁さん貰ってるぜ!って妻帯宣言したり
念仏唱えてもちっとも楽しくねえよ!
とか平気で言っちゃう親鸞はカッコいいよね
パンクだぜ
945 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 11:28:58 ID:HCCfkWM4
946 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 13:23:20 ID:RAUHg9DN
>941-942
>「真実信心は非意業だから体験ではない」との反論ですけど
>>938=
>>932-933ですが、↑ばかりじゃないですが、私のカキコを、よく
読んでもらえば、わかると思います。
私は、真実信心の相として、衆生の三業に現れる後続の「体験」を否定し
ているのではなく、
>>917氏に賛同して、「信の一念にかんしては、非意業
だから、体験ではない。」と言っているのですが。>「三業でなければ体験ではない」という主旨ですよね。
私の意見では、そうです。あなたの意見は、
>>925他を読む限り、「非三業の
体験がある」「私の三業にかからない“私の体験”がある」という説みたいで
すね。よかったら、その「非三業の体験」について解説キボン。「体験」につ
いての、概念規定がお互いに食い違っているのだから、話は平行線を辿るまま
ですね。
947 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 13:24:54 ID:RAUHg9DN
>>946(
>>941-942)続き
>「のちに身にもこころにもよろこぶこころなり」は体験だけど
>三業だからひとそれぞれで真実信心ではない、という主旨でしょうか?
これも、概出。いただいた「真実信心」は一味ですが、「衆生の三業に現
れた体験の相」は、ひとそれぞれということ。
>信心決定は体験じゃないから本人にはわからないとか、そういう感じのことを
>本当は言いたいんだろうとは思いますが....)
概出。そんなことは言ってません。繰り返しますが、「『信一念』(初起の歓喜
)が、人間の体験ではない。」「初一念の信楽や歓喜は人間の三業ではわからな
い。」と言っているのです。
>真実信心は非意業だから「(自分の)体験ではない」というのは自分で体験して
>ないからでしょう。
これも上に同じ。私も
>>917氏も、真実信心が、自分の三業に現れた後続の「体験」
を否定しているわけではないです。
948 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 13:30:00 ID:RAUHg9DN
>>946後段の改行ミスを訂正します。
>「三業でなければ体験ではない」という主旨ですよね。
私の意見では、そうです。あなたの意見は、
>>925他を読む限り、「非三業の
体験がある」「私の三業にかからない“私の体験”がある」という説みたいで
すね。よかったら、その「非三業の体験」について解説キボン。「体験」につ
いての、概念規定がお互いに食い違っているのだから、話は平行線を辿るまま
ですね。
949 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 13:38:37 ID:jsQ1BJFR
名古屋の荒子の蓮徳寺の坊主は値遇仏法の門を知らないらしいぞ!笑ったれ!
951 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 19:55:22 ID:0x7XpAj4
中仏の通信教育ってどうなんですか?
留年することが有るのでしょうか?
952 :
925:2006/06/18(日) 21:21:06 ID:cidH2avu
>「体験」についての、概念規定がお互いに食い違っているのだから、
体験というのは、一般に、外界と自分自身との相互作用の過程や自分の内面の
変化の過程を言うんじゃないでしょうか。仏語ではないですが使って悪い言葉
だとは思えません。信心決定は体験ではない、三業に限る、あるいは使うに
不適当とかいうことならその理由を説明していただけるとありがたいですね。
953 :
925:2006/06/18(日) 21:29:26 ID:cidH2avu
信一念の変化は御聖教全部がそうといってもいいくらいにたくさんあります。
いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて耳に聞き
口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。
永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根
にあらず、これ多功徳なり
「無辺の聖徳、識心に攬入す」なんて
「ああー、この方も弥陀にあわれた尊い方だなあ」と思わずにおれません。
本願を信受するは、前念命終なり。すなはち正定聚の数に入る
即得往生は、後念即生なり。即の時必定に入る。
また必定の菩薩と名づくるなり。
死んで生き返る経験をするのに「体験じゃない」ってどうして言えるんでしょう?
954 :
名無し:2006/06/18(日) 21:34:36 ID:LIM8oiIM
信心があるとか無いとか、阿弥陀さんじゃなきゃわからないと思う。
955 :
925:2006/06/18(日) 21:37:51 ID:cidH2avu
しかれば、凡夫不成の迷情に令諸衆生の仏智満入して不成の迷心を他力より
成就して、願入弥陀界の往生の正業成ずるときを、「能発一念喜愛心」とも、
「不断煩悩得涅槃」とも、「入正定聚之数」とも、「住不退転」とも、
聖人釈しましませり。これすなはち「即得往生」の時分なり。
この娑婆生死の五蘊所成の肉身いまだやぶれずといへども、生死流転の本源を
つなぐ自力の迷情、共発金剛心の一念にやぶれて、知識伝持の仏語に帰属するをこそ、
「自力をすてて他力に帰する」ともなづけ、また「即得往生」ともならひはんべれ。
これは覚如上人。
「この娑婆生死の五蘊所成の肉身いまだやぶれずといへども、生死流転の本源を
つなぐ自力の迷情、共発金剛心の一念にやぶれて」
「やぶれて」なんて言葉、「無明がはれて」より強烈。
「利剣即是弥陀名号」(名号は切れ味するどいつるぎだ)というお言葉も
信心決定したひとなら「ほんまやーほんまやー」と拍手喝さいですが
なんでこれが「体験ではない」になるんですか?
956 :
925:2006/06/18(日) 21:55:16 ID:cidH2avu
ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、
久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、
ひとへに難思往生の心を発しき。しかるにいまことに方便の真門を出でて、
選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、
難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓、まことに由あるかな。
もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われ
らが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。
たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、
「選択の願海に転入せり。」「たのむ一念のとき、往生一定」
十八願の世界、無碍の一道に出たぞ、たのむ一念のとき往生一定になったぞー
と仰っているじゃないですか。
「真に知んぬ」「明らかに知られたり」「明信仏智」とか「はっきり」という
お言葉はいたるところにあります。
こんなはっきりすることがなんで「体験じゃない」んですか?
>>951 留年はあるでしょう。
通信卒の住職は意外にいるよ。
詳しくは中央イム教学院のスレで聞いた方がいいと思う。
958 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 23:38:45 ID:LIM8oiIM
信心決定かどうかわからんが、いつの間にか念仏について考えるようになったのは、お育て、というやつだろうか?
959 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/06/18(日) 23:40:56 ID:/4RjN+XD
魔の誘いだろ
960 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 23:53:05 ID:KyhqXG7r
>>952-956 >体験というのは、一般に、外界と自分自身との相互作用の過程や自分の内面の
>変化の過程を言うんじゃないでしょうか。
『広辞苑』には、「自分が身をもって経験すること。また、その経験。」とありますね。
だから、普通は、仏教用語で言う(自分の)三業にかかるものじゃないですかね?
>信心決定は体験ではない、三業に限る、あるいは使うに
>不適当とかいうことならその理由を説明していただけるとありがたいですね。
三業に限るというのは、「体験が」ということですか? 上記したように、「体験」
の日常的な意味なら、「体験」は、(仏教用語で言う)「三業にかかる」と思うので
すが、あなたが、「三業にかからない『体験』がある」と言われるならば、説明キボン。
「体験が三業に限るか否か?」は、それによって判断させていただきますね。
あと、決定信(=他力信心)そのものは、あなたが、
>>942で、「三業自体が真実信心で
はないというのは何度も言っています。 」と言われてますように、私の言う三業の意味
での「体験」ではないのは言うまでもありません。「決定」の主体は、「真実信心」(=
仏心)であり、機(衆生)が決定するのではないし、決定するのは、「報土(往生)の真
因が決定する」(『行文類』他)わけですからね。ただ、その「真実(決定)信」が、機
相(衆生の三業)に現れた「体験」はある(ただし、衆生の三業に現れる体験は、機ごと
に違う)。というのは、何度も言うとおりです。
961 :
名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 23:54:27 ID:KyhqXG7r
>>960続き
>信一念の変化は御聖教全部がそうといってもいいくらいにたくさんあります。
>死んで生き返る経験をするのに「体験じゃない」ってどうして言えるんでしょう?
>なんでこれが「体験ではない」になるんですか?
>こんなはっきりすることがなんで「体験じゃない」んですか?
信前信後(「信一念」の前後)の機相に、「変化がない」とか、「体験的な歓喜がない」
と言っているのではないのも、何度も既出。
無論、信後の機相に、真実信心からおこる「体験的な歓喜」はあります。
「体験でない」と言っているのは、「『信一念』の一念」=「時剋の極促」=「広大難思
の慶心」のこと。これも何度も既出。
>>917氏や、私(
>>938=
>>932-933)のカキコを再読
してください。
962 :
名無し:2006/06/19(月) 00:56:29 ID:5s6Pz2L5
魔もまた仏…
>>952 >信心決定は体験ではない、三業に限る、あるいは使うに不適当とかいうことなら
>その理由を説明していただけるとありがたいですね。
信心決定の初一念は「時剋の極促」で凡夫の三業では捉えられない瞬間のことである。
したがって体験できない。
もし、三業で体験できるものであるとすると一念覚知の異安心を許すことになる。
>信一念の変化は御聖教全部がそうといってもいいくらいにたくさんあります。
初一念は覚知できないが、二念以後に歓喜がないとは言わない。
しかし、その味わいは画一ではない。
たとえば歎異抄第九章の親鸞聖人と、そして唯円房の味わいはしみじみとしている。
>>954 凡夫の三業の喜びが信心の証拠であるというのも異安心とされるんですよね。
それだと凡夫の三業のはたらきが往生の決定に必要だと言うことになりかねなくなりますから。
>>959 他宗の信仰に茶々を入れるのが日蓮宗の流儀ですか?
あまり失望させないでください。
…あなたも邪教と位置づける信仰者の評価など気にされないのかもしれませんがね。
ちなみに今ここで議論をしかけているのは、たぶん親鸞会の人間です。
>>964 > たぶん親鸞会の人間です。
だからこのスレに来たんだと思う。
レスも単なる茶々とも思えない。
しかし誤解を招くレスには違いないかな。
966 :
名無し:2006/06/19(月) 11:16:24 ID:5s6Pz2L5
俺は本派僧侶だけど
親鸞会かなんか知らんけど、本派を批判する事で自分の主張の正しさを示そうとするのが批判の動機なら、考えた方がいいと思うな。信心を得た体験があってお念仏喜べるなら、喜べばいい。人に議論をふっかける必要は無いと思うが?
967 :
名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 11:48:19 ID:5s6Pz2L5
「私はこのようにお念仏を喜びました。」
「それはありがたい事です。」
後はみんなでなんまんだぶととなえりゃそれで済むと思うんだが。それで済まないのが娑婆のクソ凡夫なんだろう。だから、阿弥陀さんが必要なんだろうな。
968 :
名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 11:52:41 ID:5s6Pz2L5
お念仏の頂き方を、個人で喜ぶ分には全く問題無い訳で。それを唯一正しいと他の頂き方を批判したくなるから、話がややこしくなると思う。
ま、一般のご門徒さんにはとっちゃ、何の話?って感じだろうけんど。
969 :
925:2006/06/19(月) 13:17:08 ID:7KdE4oQU
>>960 >『広辞苑』には、「自分が身をもって経験すること。また、その経験。」とありますね。
だから、普通は、仏教用語で言う(自分の)三業にかかるものじゃないですかね?
ループしてるので、多分これ以上は無理でしょう。
その広辞苑で「経験」をくってみるといいと思います。
>ちなみに今ここで議論をしかけているのは、
議論しにきてるのではないのでやめときますね。
ちなみに私は門徒ですが。(うちの仏壇、たしか西だったと思うけど)
>機(衆生)が決定するのではないし、決定するのは、「報土(往生)の真
因が決定する」(『行文類』他)わけですからね。
疑情は三業だ、ということですか?
別にお答えいただかなくても何にも言いません。
自分で学習されればよろしい。
>たとえば歎異抄第九章の親鸞聖人と、そして唯円房の味わいはしみじみとしている。
歎異抄第九章は機の深信を言われているんですよ。
「いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。
これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、
往生は決定と存じそうらえ。」
「助けられても喜ぶこころがない、そんなものと見抜いて助けてくださった弥陀の本願は
たのもしいなあ、うれしいなあ」と喜んでおられるじゃないですか。
谷深ければ山高し。
浅い谷しか知らないから、「しみじみ」なんていってるんです。
無宿善には読ませてはいけないと言われたのはそのためです。
970 :
名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 19:08:03 ID:DjNbNyyz
>>969 >ループしてるので、多分これ以上は無理でしょう。
>その広辞苑で「経験」をくってみるといいと思います。
『広辞苑』によると、「経験」とは、「人間が外界との相互作用の過程を意識化し
自分のものとすること。」とか、「感覚・知覚から始まって、道徳的行為や知的活
動までを含む体験の自覚されたもの」etc とありますが、「意識化」「感覚」「知
覚」「行為」「活動」「自覚」と、やはり仏教用語で言うところの「人間の三業にか
かる」ことを言うようですが。ループしてるのは、あなたの方じゃないですか?
あなたの見解は、「信一念は、人間の三業にかからない体験(?)」ということでい
いでつか?
だとしたら、「三業にかからない体験」って何? 「自分が体験していることが、自分
でわからない」こと?
>疑情は三業だ、ということですか?
真宗では、疑情を、根本無明(元品の無明)としますから、「迷妄の業識の大元」で
あるとしますね。迷いの三業の元ということですね。
ですから、疑情を断破されるのは、「名号光明」と「真実信心の業識」の因縁による
しかないですね。
「『疑情』(根本無明)が破られる『初一念の時剋の極促』は、凡夫の三業では、覚
知できない。」という話を、私はずっとしているんですが。
971 :
925:2006/06/19(月) 20:00:38 ID:qKZcZLLt
>>970 議論したいなら相手にはなりますけど。
>>917 >これが体験できなければ真宗の「信心をもって本とせられ候」はわからない。
>信一念にかんしては体験ではない、ということになっているよ。
もともとこれが議論の始まりであって「信心決定を体験というのはおかしい」という
論難が本なんですから「三業のことしか体験とは言わない」というなら
立証責任はそちらにあるのではないですか?
972 :
925:2006/06/19(月) 20:01:12 ID:qKZcZLLt
>etc とありますが、
私の広辞苑が古いんでしょうか。「内界の変化の過程」みたいなことも
書いてあったように記憶しているんですが、あなたのには無いですか?
「獲信は三業にかからない体験」ってどこかでいいましたっけ?
三業自体が真実信心ではないっていいましたが、「三業にかからない」というのは
誤解の多い表現です。どこかでしてたなら訂正します。
真心はかならず三業に表れますが、三業から信心は計れないと言っています。
慶びがあるからと言って信心獲得の証にはならないのは当然です。
>迷いの三業の元ということですね。
だから「迷いの三業の元」というのは三業なんですか、そうではないのですか?
>「『疑情』(根本無明)が破られる『初一念の時剋の極促』は、凡夫の三業では、覚
知できない。」
だから後続の二念(?っていうのかな)以降の真実信心も覚知できないということか、
って慶喜心の根拠をあげて御聞きしてるんですけど。
慶喜心も覚知できないなら「信心決定したかどうかは本人にはわからない」という
ことですよね。
973 :
925:2006/06/19(月) 20:30:58 ID:28bkQguV
二種深信というのは、そんなしみじみとしたもんじゃありません。
「うれしい」のと「かなしい」のが徹底してるんです。
「三かな文」は有名でしょう。
ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、
遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。
真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知りぬ。
ここをもって、聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。
誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、
定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、
恥ずべし、傷むべし、と。
慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀
を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。
これに因って、真宗の詮を鈔し、浄土の要をひろう。ただ仏恩の深きことを念じて
人倫の嘲を恥じず。もしこの書を見聞せん者、信順を因として疑謗を縁として、
信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さんと。
「慶ばしいかな」「悲しきかな」「慶ばしいかな」これがいつも一緒に
あるんですよ。常歓喜常懺悔。
974 :
925:2006/06/19(月) 21:23:12 ID:xHdnle6o
>「『疑情』(根本無明)が破られる『初一念の時剋の極促』は、凡夫の三業では、覚
知できない。」という話を、私はずっとしているんですが。
あー、やっとわかりました。あなたの言っていること。
そりゃあ「凡夫の三業だけ」だものわかるはずないですよ。
初発の一念どころか、後続の二念も三念も何にもわかりませんよ。
信心獲得の行者というのは仏智をいただいて機も法もみえるんですから。
仏凡一体になってない、凡心だけじゃ何にもわからんのはごもっとも。
「獲信見敬大慶喜」というのはいただいた仏心で法を見るんです。
凡心と仏心が一体になって初めて見えるんです。
「体験じゃない」わけだ。「凡心だけ」なんだから。
一念帰命の信心をおこせば、まことに宿善の開発にもよおされて、
仏智より他力の信心をあたえたまうがゆえに、仏心と凡心と
ひとつなるところをさして、信心獲得の行者とはいうなり。
>>971 真宗の宗学は一念覚知を認めない。
この説は一念を覚知しなければ信心とは言えないとするもの。
それは信心決定に凡夫の自力の意業が介在しなければならないことを意味する。
しかし、自力の心を離れるのが他力の信心である。
だから、信心決定の瞬間に自力が介在するとする一念覚知説は異安心とされる。
そのため宗門では信一念を、行者の三業で覚知できる体験とはいわない。
>>916の
>永遠に救われることのない自分と誰が救われなくても自分だけは浄土往生まちがいない
>ということの両方が同時にツユチリの疑いなくハッキリする。
>これが体験できなければ真宗の「信心をもって本とせられ候」はわからない。
は、一念を覚知できるといっているように見える。
ハッキリする一念を意業で覚知しなければ信心といえないなら、それは他力の信とは言えない。
>>973 >二種深信というのは、そんなしみじみとしたもんじゃありません。
いや、歎異抄第九章はしみじみしているよ。
踊躍歓喜の思いが持てないという告白と、そんな凡夫だからこそ阿弥陀仏は目当てとされるのだと言う回答。
そこにある機の深信は慚愧の思いで頭を抱えるというようなものではないし、
法の深信も踊躍歓喜し始めるようなものでもないだろう。
意業としての歓喜が、いつでも同じ強さであるわけではないだろう。
(ただし頂き物である他力の心は変化しない)
>>974 >信心獲得の行者というのは仏智をいただいて機も法もみえるんですから。
>凡心と仏心が一体になって初めて見えるんです。
なんとなく宗学の機法一体と違う気がするな。
宗学で言う機法一体は、単に阿弥陀仏のはたらきと凡夫の信心が一つであるという意味だよ。
二つの別々の心が一つになるって意味では取らない。
「西方指南書」は機法一体の解釈が何種類か出てくるけど、蓮如上人の解釈で取らないと(真宗的に)おかしくなる。
(たとえば、彼此三業不離一体の機法一体は阿弥陀仏の三業で成就された名号が衆生に届くのだから、
衆生の三業は阿弥陀仏と離れない、とかね)
その他力の信心を開けば、機の深信と法の深信になる。
二種深信は他力の信を開いたものであるから初発の一念からある。
しかし初発の一念は「時剋の一念」であり、意業では覚知できない。
>>975 横から質問。
一念覚知説と妙好人の回心体験は外見的に似ているが、
その違いは「自力の意業が介在」するとするか、しないか、
って事ですか?
>>977 いや、強烈な廻心を経て信心決定する人はいる。
しかし宗学では、その人であっても「信一念」を意業で覚知したわけではないとされる。
なぜなら、初発の一念は人間の意業ではとらえらえられない、すごーく短い瞬間とされるから。
意業で覚知した気になる人がいても、宗学的には、それは二念以後のことになるんだろうね。
その理由を凡夫の自力の介在は義としておかしいとするわけだけど、
現実的に、一念覚知説を否定しなきゃならない理由もあったんだろうと思う。
信心決定者の誰もが何年何月何日何秒に信心が決定したかを覚えているわけじゃないから。
それに、法を聞く内にいつの間にか阿弥陀仏の救いを感謝するようになる人がいるから。
979 :
名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 23:11:13 ID:1KLeHNIf
>>971-972 >もともとこれが議論の始まりであって「信心決定を体験というのはおかしい」という
>論難が本なんですから「三業のことしか体験とは言わない」というなら
>立証責任はそちらにあるのではないですか?
既に、
>>975氏(=
>>917氏?)が、回答されてますけど、
>>917氏の論は、「信心決定を
体験というのはおかしい」ではなくて、「『信一念』を体験というのはおかしい」だと
思いますが。信心決定の相としての凡夫の体験を否定されてるわけじゃないですから。
それと、「立証責任」って何ですか? 「体験」というのは、仏教用語じゃないって、
あなたも言ってるとおりで、それで日常言語から「体験」の意味を伺うと、仏教用語で
言う「三業による所作」の意味しかないと言ってるわけで、異論があるなら、「非三業
の体験」があるというなら説明を何度もキボンしてるわけですが。それに、あなたは、
「非三業の体験」の「有無」について言明してません。どっちなんでつか?
>私の広辞苑が古いんでしょうか。「内界の変化の過程」みたいなことも
>書いてあったように記憶しているんですが、あなたのには無いですか?
さあ? 私のは電子辞書ですが、その通りの文言は見つかりません。それに、
>「外界と自分自身との相互作用の過程や自分の内面の変化の過程」
というのも、仏教用語で言う「三業」のカテゴリーに入ると思いますが。
980 :
977:2006/06/19(月) 23:33:22 ID:GJdvKjoL
981 :
925:2006/06/19(月) 23:43:13 ID:8IfmFH7I
>>975-976 >ハッキリする一念を意業で覚知しなければ信心といえないなら、
それは他力の信とは言えない。
あなた方が「初発の一念の覚知」にこだわるから
「それなら後続の二念以降は覚知はどうなるんですか。
真実信心は三業では覚知できないなら、信心決定は本人にはわからない
という結論ですか?」とお聞きしているんです。
質問がわかりませんか?
>そこにある機の深信は慚愧の思いで頭を抱えるというようなものではないし、
法の深信も踊躍歓喜し始めるようなものでもないだろう。
二種深信は三業じゃないんですけど......
982 :
名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 23:47:47 ID:1KLeHNIf
>>971-972続き
>だから「迷いの三業の元」というのは三業なんですか、そうではないのですか?
「元品の無明」は、無始来で、業識を生み出す元だから、三業ではないです。
>だから後続の二念(?っていうのかな)以降の真実信心も覚知できないということか、
>って慶喜心の根拠をあげて御聞きしてるんですけど。
あなたも、「真心はかならず三業に表れますが、三業から信心は計れないと言っています。」
と言われてますように、「かならず三業に現れる」真実信心は、体験的に知ることができます。
>>974 >仏凡一体になってない、凡心だけじゃ何にもわからんのはごもっとも。
>「獲信見敬大慶喜」というのはいただいた仏心で法を見るんです。
>凡心と仏心が一体になって初めて見えるんです。
>>976氏が既に反論済みですけど、「仏凡一体」というのは、仏様の真実信心が、凡夫
の煩悩具足の心に満ち満ちて、当来の仏果の真因を頂いてるという「法徳」の上で言わ
れることであって、「機相」の上で、凡心が仏心に転ずるということではないというの
が、オーソドックス。だから、今生、機相の上で、凡心に見えなかったものが、信後、
仏心をいただいて見えるようになるという話ではありません。
983 :
925:2006/06/19(月) 23:50:12 ID:8IfmFH7I
>>979 >自分の内面の変化の過程」というのも、
仏教用語で言う「三業」のカテゴリーに入ると思いますが。
内面がどうして三業に限定されるのか、教えていただきたいものです。
「思います」ではね。
>「迷いの三業の元」というのは三業なんですか、そうではないのですか?
これはどう思います?疑情がやぶれるのは内面の変化ではないわけですか。
自分にはわからないと?
984 :
名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 00:04:47 ID:n6SEFM1z
>>983 >内面がどうして三業に限定されるのか、教えていただきたいものです。
衆生の内面の変化も、業の所作だから。
>これはどう思います?疑情がやぶれるのは内面の変化ではないわけですか。
>自分にはわからないと?
機相の上では、「内面の変化」でしょう。だから、二念以降は、自分でわかり
ます。
986 :
925:2006/06/20(火) 13:23:39 ID:59QpNAas
>機相の上では、「内面の変化」でしょう。だから、二念以降は、自分でわかり
ます。
>内面がどうして三業に限定されるのか、教えていただきたいものです。
>衆生の内面の変化も、業の所作だから。
疑情は三業ではない。
しかし疑情が破れるのは自分でわかる内面の変化である。
初一念はわからないが後続の二念以降はわかる。
これでよろしいですか?
午後から仕事で出張なので2日ほどお返事できません。
多分次スレになっているんでしょうがまた帰ってきたら書き込みしたい
と思います。ではでは。
987 :
名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 18:22:48 ID:Si8+GshB
某コテみたいな去り方だな
誤爆?
990
急にボールが来たので991
993 :
名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 20:59:43 ID:UciCk7LD
帰命無量寿如来
994 :
名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 21:00:17 ID:UciCk7LD
南無不可思議光
995 :
名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 21:00:52 ID:UciCk7LD
法蔵菩薩因位時
996 :
名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 21:04:28 ID:UciCk7LD
在世自在王仏所
997 :
名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 21:06:11 ID:UciCk7LD
覩見諸仏浄土因
998 :
名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 21:07:10 ID:UciCk7LD
国土人天之善悪
999 :
名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 21:09:49 ID:86jKe4HV
1000 :
名無しさん@3周年:2006/06/22(木) 21:14:36 ID:SBNDOZbT
南無
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。