1 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :
2005/08/23(火) 21:27:37 ID:DwNDhe6W 聖書の聖句解釈について、クリスチャン同士で分かち合うスレです。
まだ未信者だけど興味のある方、求道者さんも歓迎致します。
一般的解釈だとこう言われてるけど納得できない…
ココとココの箇所って矛盾してない?
ココがどうしても良くわからない…とか
こんな解釈してみた!自分はこう思った!など皆で分かち合ってください。
お互いの解釈を照らし合わせつつ、議論してみてください。
新しい発見をお互い学び合えたら幸い!皆で語り尽くしましょう。
★議論のお約束★
◆他の人が読みやすいように気配りしましょう。
◆結論をはっきりさせるようにしましょう。
◆反論する場合は相手の立場で考えてみましょう。
◆議論に感情を持ち込むのはルール違反です。
◆自分の価値観や考え方をむやみに押しつけるのはやめましょう。
荒らし・煽りは放置しましょう。相手をしているとあなたも荒らしになっちゃいます!
前スレ:
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120273894/l50
2 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/23(火) 21:30:43 ID:DwNDhe6W
このシリーズの4版がパンクしましたので、急遽5版を作ります。 そろそろダニエルさんにご返却のお願いをしようと思っていたの ですが、異常事態発生により引き続き連投します。
3 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/23(火) 21:44:30 ID:jzQIxhak
ココモ先生 ココモ先生 スレたてありがとうこざいます。 今、130ぐらいのところに名無しさんの立てたスレが あるのですが、こちらを利用すれば良いのでしょうか?
4 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/23(火) 23:50:39 ID:DwNDhe6W
>>896 >アソート アドナイ[主・ヤーウェー] エロヒーム[神]--エレツ[地・アレツ] ヴェ[・]シャマイム[天]
アドナイ・エロヒームを「主なる神」と思ってる御仁がいるのでは
あるまいか???
日本語でそういうと、それじゃ「従なる神」もおるんかと言う事になるよ
それが幾つか残ってる神々の話と相まって、なーーーんだ、YHWHは
神様業界のトップの事なんだ...わはははは
あのね、主と言うのは、YHWHの実名を口にするのがご法度な為に
言う様になった言葉で、YHWHの事なんだよ...だからこれは
「主と呼ばれる神」、「神である主」、実名を言う事にはばかりが
なかったら「ヤホベの神」と言ったら良いんだけど....
>エロヒムは単数か複数か、はたまた尊厳を示す言葉かどうか...
僕の答えは
1...尊厳を示す言葉と言うのは、精精、創世記1/1位しか
あたってない...殆どキリスト教会のこじつけ
2...Pがエロヒムというときは、単複どちらもあり、その文意
に基ずいて解釈すべきである。
3...PJ合議で編集されたと思われるところでは、基本的に
単数形である。
4...Jの資料をそのまま書いたと思われるところは、エロヒーム
を確認できない(あるのかもしれないが)
5 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/24(水) 00:04:31 ID:faCFiABs
>古臭い資料相手に批判スンナよ.... キリスト教会の連中は何か教会に不都合な事が起こると 必ずフルーーーーーーーーーイ資料を基に批判するんだな 進化論を否定するときに、いまだに200年前のダーウィン の論文を持ってきて、これには矛盾が多々あるといってる トンでもない馬鹿な教会が世の中には存在してるらしい が、そこの馬鹿な信者はそれで納得するかもしれないが これほどトンチンカンな話はないんだよね... モーセ5書のJPDEを否定するのに、いまだに最初の提唱者 の名前を出す、馬鹿な教会が世の中には存在するんだけどね それから何十年かかけて、これを基本にして膨大な論文が出 てる事を知らないトンチンカンな人達なんだよ.... >旧約がお嫌いになった御仁がいるようだが 旧約がお嫌いになったのではなくて、旧約では自分が 優位に立てなくて、自尊心に傷付くために、お嫌いに なったとお見受けしますが....
6 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 00:15:54 ID:+1sWhyTR
>>4 であんた、前スレではなかなかいいことを言ってるようだね。
ここ
>イエスは「真の神」を開示する「指導者」なんだな
まさにその通りだよな。よくわかってんじゃん。
ところであんたムスリムだろ。
まさか真の神とはアッラーなんて言わないよな?
言ったら爆笑もんだ。ムハンマドはその真の神とはどういう存在なのか
知ってたと思う?はっきり言うけど、ムハンマドなどその存在も知りもしなければ
そこに帰るにはどうすればいいかも知りもしないよ。あれは何もわかっちゃいない。
それはモーセしかり、旧約の多くの預言者しかり。彼らは死んだままだ。
そこんとこわかってるよね?。
でだ、あんたがスレ立てる前に名無しさんがすでにスレを立てている。
そこんとこわかっててあえてやってるわけ?
7 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 00:23:10 ID:5iI5Gzfq
>>6 おめームハンマドばかにすんなこら。おめームハンマドやムーサー以上の何があるんだこら。
8 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/24(水) 00:35:07 ID:faCFiABs
>日本の殆どのクリスチャンは 日本でクリスチャンをやってたら、少なくとも馬鹿にされる ことがめったにないんでしょうね...聖書を持ってるだけで 何か偉そうに思われる...これが馬鹿なクリスチャンには こたえられないんだと思うよ...僕に血相を変えて逆らって くる人間の9割はこの類だよ...ちょっと勉強した奴は いままではエリート扱いだったんだろね... そんな連中にしてみれば、僕みたいな人間は「悪の権現」なんだ ろね...はなっからキリスト教徒を「妄想の権化」にしてる からね... 僕はそんなエセエリート達をぼろぼろにしたいだけだよ .....わははははははははははははははははははははは
9 :
城跡 ◆kWe8Iv03RI :2005/08/24(水) 00:38:26 ID:rC/q7igQ
10 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 00:56:43 ID:+1sWhyTR
>>7 俺はムハンマドを馬鹿にしているのではなく、ムハンマドは
真の神のことを、なにも知らないと言っているんだよ。
モーセ五書に登場する自称YHWHと、アッラーなどは真の神ではないといっている。
ムハンマドの教え、クルアーンでは誰も救えない。あれは真理とは程遠いものだ。
あれは自分達のエゴを冗長するにすぎない。おまえを見ればよくわかる。
己のエゴを肥大させる者は決して生きない。
ところでココモス大先生さ。聖書の荒捜し、いや失礼、研究もいいけどさ、あんたムスリムだろ。
聖書の研究より、クルアーンの研究はなぜしないの?
まさかクルアーンこそは神の啓示だ!なんて言うおつもりじゃないだろうね(爆笑)
クルアーンも編集し終わるまで随分時間がかかっている。
ましてやムハンマドなど文盲だ。クルアーンこそだれか、いや多数の者の編集による賜物だろう。
11 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 00:59:19 ID:+1sWhyTR
>2_191.かれらに会えば、何処でもこれを殺しなさい。あなたがたを追放したところから、かれらを追放しなさい。本当に迫害は殺害より、もっと悪い。 >だが聖なるマスジドの近くでは、かれらが戦わない限り戦ってはならない。もし戦うならばこれを殺しなさい。これは不信心者ヘの応報である。 >9_5.聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。 >だがかれらが悔悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、かれらのために道を開け。本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる >47_4.あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。 >かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。 >その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。 >だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。凡そアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない クルアーンからの抜粋。 イエスの教えとはまったく正反対のことをムハンマドは説き、いまだこの野蛮な行為は行なわれてるわけだ。 ココモス大先生、あんたムスリムだろ。聖書の編集したものがその時なにを思い、編集したかを知りたい。なんて思うなら、 なぜムスリムのあんたが真っ先にクルアーンを同じアプローチで研究しないのか不思議でしょうがないね。 はっきり言えよ。ムスリムの俺は、聖書の粗探しをやってるってな。
12 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 01:02:24 ID:NzGSj/rx
13 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 01:11:54 ID:+1sWhyTR
>>12 おお〜怖い怖い。
殺されちゃかなんのでこのへんにしとくか。
クルアーンが生むものなど、こういう輩だけだ。
あれは人の持つ原罪、ちまりエゴを冗長するものでしかない。
人は自分のエゴに叶う教えには、なんとも心地よく響く。
ところでココモスよ、俺はあんたが何処の誰か、知ってるぜ。
では良い夢よ。
おまえにも命が得られるように。アーメン。
14 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 01:49:22 ID:+SAPSiqC
>>13 エゴを殺して全面的に神に服する教えだが?
クリスチャンのエゴは他人への理不尽な攻撃性となっているようだな。
15 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/24(水) 07:49:20 ID:faCFiABs
>>14 >エゴを殺して全面的に神に服する教えだが?
神に服するはいいんだけどね...実際は神に服する
と言ってもどうする事なのかよく分からないよ...
実際は教会に服する(しなさい)と言う事だよ...
教義や人徳で人を引き付ける事ができる教会はそんな事
は言わないんだな...「神に服しなさい」は、「教会に逆らっちゃ
ダメヨ」をマインドで信者に植え付けてるんザンス...わはははは
16 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 07:54:27 ID:Kda5FydN
>>14 >エゴを殺して全面的に神に服する教えだが?
これは詭弁だな。あんたエゴってどういう意味か、わかって言ってんの(嘲笑)
17 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 08:07:52 ID:HYCn7wP8
>>14 のいう
エゴを殺して全面的に神に服する教えってのは、
コーランに出てくるアッラーとかいうエゴの神に従うってことだよね。
これはエゴって言うんだよ。
ところでムスリムは、イエスの悪口は言うが、ムハンマドけなされると我慢できないようだ。
ムハンマドなど預言者の一人にすぎないのにな。ムハンマドなどただの操り人形。
18 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 14:22:06 ID:K4oY2Vhr
ふ〜ん。キリスト狂の神ってエゴ神じゃなかったんだ。 その割には(略
教会の権威を妄信している奴は困りものだが、 反教会で頭の中がいっぱいのおっさんも同じように困ったちゃんだね。 反教会の妄想で頭の中を侵されているから、 聖書を読んでもまともに文意を把握できず、 国語の読解力テスト20点以下のような読み方になっちゃうんだね。 読解力の拙さ上に、仮想敵を妄想することでしか アイデンティティを保てないというのも情けないね。いい歳して。 なんか社民党のサヨ坊みたいだ、このおっさん。
社民党も今度の選挙でめでたくポアしちゃうのかな。 福島瑞穂バカみたいだもんね、言っていること聞くと。 まあ、読解力はおっさんよりは優れているはずだけど。
福音派のアルフクはカトリックの回し者という噂があるが、 おっさんも実は現代聖書学にダメージを与えるために福音派が送り込んできた回し者だったりして。 あのメチャクチャな聖書学の知識をぶちまけられたことで、 かなり現代聖書学のイメージ悪くなったもんね。
22 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 15:39:09 ID:BSyfXC0N
>>18 あのさ、クルアーンに登場するアッラーと、旧約に登場するイスラエル人達の神、YHWH
は同じ神かも知れんが、イエスの言う天の父は全くの別ものだ。
自分達の土地を守るため、自分達の神を守るため血で血を洗う争いをするのは
彼らは、別に教えに反した行動を取っていない。
彼らはユダヤ教徒であり、イスラム教徒である。
が、キリストの名においてかなんか知らんが、争い、血を流し合う
自称キリスト教徒は、イエスの教えに反するものであり、彼らはイエスの兄弟とは言えず
クリスチャンとは呼べない。そこんとこの違い、わかるかな?
アホにはわかんねぇだろうな〜。
今日は、かなり涼しいですね。みなさん体調崩さないようにしてください。 ヨハネ19−28。 十字架のイエスが「渇く 」と言いますが、普通に「聖書が 成就した」と言ったほうが 分りやすいんですが、なんでこのように言ったん でしょうか? のどが渇いたという意味にはとらないですけど。
24 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/24(水) 20:11:21 ID:faCFiABs
>>23 聖書が成就したと言ってるのはヨハネの編者です。
イエスは「喉が渇く」と言っただけです。
これをヨハネの編者は詩篇69章の「苦難の僕」(多分
第2イザヤの53章と同じ時期に編纂)に出てくる
光景(詩篇69/22)と似てると思ったんだと思います。
預言が成就したと言う書き方は、イエスの受難を何とか
ユダヤの伝承によるものだとして、苦難を強いられてる
ユダヤ人に受け入れ易い物にする意図がある為だと思います。
25 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/24(水) 22:40:19 ID:+1sWhyTR
そもそも神に従うとはどの神に従うのだ。 ヤハウェイを自称する、旧約のユダヤ人達の神か?それとも我に従わないものは 殺してしまえというイスラムの神、アッラーか? 人はいくら愛を語ったところで、自分自身しか愛していない。 それは異性に対する愛についても同じ事である。 人はいくら愛を語ったところで自分自身しか愛していない。またそれに気付く者は少ない。 この世の主人公は、自分自身である。自分自身がこの世の中心であり、 自分自身が死ねば、自分自身にとってこの世も無きに等しい。 が、自分自身とは何者なのか、自分は何処から来て何処に行くのか。知る者は少ない。 ”あなたの主” である神を全力で愛せ。あなたの友の 魂を、あなたの瞳を守るがごとし、あなたの魂を守るがごとしあなたの友の魂を 守ってやれ。それはあなたの主である神を全力で愛することにつながり あなたの主である神の意思に従うことになるのだ。 また自分の敵となるものを決して憎むな。命を得ない哀れな魂を哀れみその者の為に 祈ってやれ。彼らは、元はあなたと一つだったのだ。 だから敵を憎むな。あなたを憎むものがいても決して憎んではならない。 それはあなた自身を憎み、あなたの友を憎むことになるからだ。 だから命を得ない哀れな魂にも、命が得られるよう祈ってやれ。彼らにも、元いた場所に 帰れるよう。
26 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/24(水) 23:02:33 ID:+1sWhyTR
〜ルカ また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。 それで、父親は財産を二人に分けてやった。 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、 財産を無駄使いしてしまった。 何もかも使い果たしたとき、 その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、 有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 ここをたち、父のところに行って言おう。 「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、 父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても 罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
27 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/24(水) 23:03:01 ID:+1sWhyTR
しかし、父親は僕たちに言った。 『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、 手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 この息子は、”死んでいたのに” 生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』 そして、祝宴を始めた。 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、 音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、 お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。 言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、 子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、 肥えた子牛を屠っておやりになる。』 すると、父親は言った。 『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。 だが、お前のあの弟は ”死んでいたの” に生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。 祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」 〜ルカ15.11〜32 この聖句の意味を理解するものは幸いである。
28 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/24(水) 23:07:06 ID:+1sWhyTR
>>25 追記
あなたの友とは、無論、イエスの掟を守る人達である。
29 :
名無しさん@3周年 :2005/08/24(水) 23:54:30 ID:eldrBgC2
>>22 イスラムの主アラーはイエスの主そのもので、万民の主だけどな。
イスラムがキリスト教の発展であることがわかる。
アラー情報によれば、聖書は宗教屋たちによって書き換えられていると言われる。
同じ神であることは間違いないが、聖書を基準に考えるとそう見えないので分からなくなる。
だが同じ神であろう。
30 :
名無しさん@3周年 :2005/08/25(木) 00:08:26 ID:rkU60OQ3
>>29 >イスラムがキリスト教の発展であることがわかる。
どこがやねん。新約とコーランよく読み比べたかい?
おまえは目暗だね。
31 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/25(木) 00:52:49 ID:L98Cmyik
>> カラスさんへ 前スレの返事してないけど、ゴメソ... トマス言行録はいくらでもコピペしてください、そうしてもらう ためにネットに載せたんですから.... ところで、僕が今旧約で一番興味持ってる人物は、エレミヤなんだ 何て言うか時代の風雲児とでも言うのか,新約で言うとパウロと キャラクターが似てるW...もしかしたらイエスもこういう性格 だったんかもしれないW...エレミヤがバビロン支持者だった と言う事を知ったのは6−7年前...バビロンのネブカドネツァル をYHEHの使徒と言ってるのを見て仰天してしまった....
>>31 どうもありがとうございます。
ところで最近、ダニエルって人みないな。
>>24 ココモ先生
ありがとうございます。
そうですね 、詩篇69に似ていますね。
してみますと、のどが渇いてぶどう酒を受け「成し遂げられた」と、
言ったのは、ぶどう酒を受けることに意味があるのでしょうか?
34 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/25(木) 20:59:00 ID:L98Cmyik
>>33 福音書編者は、ここで詩篇の言葉をよく使ってます。
ただ編者によって引用する場所が違うので、よく分からないと言うか
編者の考え方が出てるんだと思います。(ぶどう酒を受ける事とは
あまり関係ない様に思います)
因みにマルコ・マタイは詩篇22/1(2)
ルカ は詩篇31/6
この ヨハネ は詩篇98/1が一番それらしい
から引用してます。
ヨハネの編者が、何を持って「成し遂げられた」としたのかは
よく分かりませんが、マルコの「神よ!神よ!なぜ私を見捨てるのだ!」
とはあまりにも違います。なぜ違うのかたまさんも考えてみて
ください。
>>34 ココモ先生
ありがとうございます
以前キュロスさんが、カナの婚礼とここのところのぶどう酒とからめていましたね。
何ででしょう。 まぁ 分らないところはそのままにしておきます。
疑りのトマスはいいですね 確かに他の人がいくら信じたと言っても自分で確かめないと
気がすまないって事ありますからね。こういう頑固な人もイエスは相手になって答えている
のですね。
36 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/28(日) 01:59:05 ID:uujl8WwM
>>35 >疑りのトマスはいいですね 確かに他の人がいくら信じたと言っても自分で確かめないと
>気がすまないって事ありますからね。こういう頑固な人もイエスは相手になって答えている
>のですね。
トマスはヨハネ福音書の編者自身の心情だと思います。
イエスの受難から60−70年経てます。イエスさんそのものを知ってる
人も少なくなってます。
再臨の希望も声高に言われたんですが、いっこうにその気配もなく事態は
希望したものとは全く正反対に推移して、どんどんユダヤ人の神の国の
希望は絶望的になってしまったときです。トマスの物語の最後の「わたしを
見なくても信じる事ができる人は幸いである」がヨハネの編者の言いたかった
事ではないかと思います。
37 :
改革派 † :2005/08/31(水) 21:04:23 ID:z2XnONe1
1. 公同または 普遍の教会は、見えない教会であり、そのかしらなる キリストのもとに、 過去・現在・未来を通じてひとつに集められる選民の全員から成る。それは、すべて のものをすべてのもののうちに満たしているかたの配偶者、からだ、また満ちみちて いるものである(1)。 1 エペソ1:10,22,23、エペソ5:23,27,32、コロサイ1:18 2. 見える教会は、 ( 律法のもとにあった 先の日のように、 ひとつの民族に限られないで ) 聖日のもとでは、 やはり公同または 普遍の教会であり、全世界にわたって、真の宗教を 告白するすべての者と(1)、その子(2)らとから成る。それは、主イエス・キリストのみ国(3) 神の家また家族(4)であり、そのそとには救いの通例の可能性はない(5)。 1 Tコリント1:2、Tコリント12:12,13、詩2:8、黙示7:9、ロマ15:9-12 2 Tコリント7:14、行伝2:39、エゼキエル16:20,21、ロマ11:16、創世3:15、創世17:7 3 マタイ13:47、イザヤ9:7(6) 4 エペソ2:19、エペソ3:15 5 行伝2:47 3. キリストは、世の終りまで、この世にある聖徒らを集めまた全うするために、この公同の見える 教会に、教役者とみ言葉と諸規定とを与えられ、また約束に従って、ご自身の臨在とみたまと によって、それらをその目的のために効果あるものとされる(1)。 1 Tコリント12:28、エペソ4:11-13、マタイ28:19,20、イザヤ59:21
38 :
改革派 † :2005/08/31(水) 21:05:16 ID:z2XnONe1
4.
公同教会は、時によってよく見え、時によってあまり見えないことがあった(1)。またその肢体で
ある個々の教会は、そこで福音の教理が教えられ奉じられ、 諸規定が執行され、公的礼拝が
行なわれている純粋さに従って、その純粋さに相違がある(2)。
1 ロマ11:3,4、黙示12:6,14
2 黙示2,3章、Tコリント5:6,7
5.
世にある最も純粋な教会も、混入物と誤りとをまぬがれない(1)。そしてある教会は、キリストの
教会でなく サタンの会堂になるほどに堕落した(2)。それにもかかわらず、地上には、み旨に従
って神を礼拝する教会が、いつでも存在する(3)。
1 Tコリント13:12、黙示2,3章、マタ13:24-30,47
2 黙示18:2、ロマ11:18-22
3 マタイ16:18、詩72:17、詩102:28(29)、マタイ28:19,20
6.
主イエス・キリストのほかに、教会のかしらはない。どのような意味ででもロマ教皇は教会の
かしらではない(1)。その反対に彼こそは教会においてキリストとすべて神と呼ばれるものと
に反抗して自分を高くするところの、かの非キリスト、不法の者、滅びの子である(2)。
1 コロサイ1:18、エペソ1:22
2 マタイ23:8-10、Uテサロニケ2:3,4,8,9、黙示13:6
ウエストミンスター信仰告白
http://www.ogaki-ch.com/WCF/text/index.htm
39 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/01(木) 07:28:51 ID:hVhl+xTe
>>37 >>38 改革派ではなくて、単なる非主流派教会だW
1...引用する聖句が固まってる...新約の数冊と
お決まりの旧約のちょこっと摘み食い
2...全く違う概念のヨハネ福音書の思想が全く反映してない
3...もう少し細かく見て見るが、個々の言葉に聖書とは
全く反した伝統的なキリスト教特有の語句が多々ある
*また雨後の竹の子みたいに、新たなカルトに近い教会ができてる
だけ見たい
40 :
名無しさん@3周年 :2005/09/01(木) 09:33:13 ID:COXzkLkC
41 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/01(木) 20:42:44 ID:DIMCzhCm
>>39 ココモ先生
> 改革派ではなくて、単なる非主流派教会だW
非主流派教会はあっているけど、そのウエストミンスター信仰告白を使っているのは、
ちゃんとした日本キリスト改革派教会ですよ。ちなみに「改革」というのは何かをしでかす
と、言う意味ではなくて「リフォームド」つまり「元に戻る」と言う事ですよ。
1...引用する聖句が固まってる...新約の数冊と
> お決まりの旧約のちょこっと摘み食い
ウエストミンスター3部作は宗教改革末期にウエストミンスター寺院でプロテスタントの神学者が
長い年月をかけて作ったものです。 それを翻訳して使っているんです。
> 2...全く違う概念のヨハネ福音書の思想が全く反映してない
そうですね。この教会のところでは。
> 3...もう少し細かく見て見るが、個々の言葉に聖書とは
> 全く反した伝統的なキリスト教特有の語句が多々ある
と゜うぞご賢察をお願いします。
> *また雨後の竹の子みたいに、新たなカルトに近い教会ができてる
> だけ見たい
違います。戦後すぐに教団から離脱し、日本人だけで教会を立てました。雨後の竹の子はそのあと
ですよ。 また日本キリスト改革派教会の牧師は上記の聖書解釈なので、最もカルトから遠いと
思うんですね。
42 :
キュロス :2005/09/01(木) 21:31:21 ID:hzjJ82ia
>士師記 15:18 >彼は非常に喉が渇いていたので、主に祈って言った。 >「あなたはこの大いなる勝利を、この僕の手によってお与えになりました。 >しかし今、わたしは喉が渇いて死にそうで、 >無割礼の者たちの手に落ちようとしています。」 >15:19 神はレヒのくぼんだ地を裂き、そこから水が湧き出るようにされた。 >彼はその水を飲んで元気を取り戻し、生き返った。 >それゆえ、その泉はエン・ハコレ(祈る者の泉)と呼ばれ、今日もレヒにある。 ヨハネ福音書のイエスの十字架の場面と この士師記の記事は非常に似てるよね。 「イエスの時」に「水」が「葡萄酒」に変化するんだよ。 同時に 魂 から 血へ 変化するんだよ。
43 :
キュロス :2005/09/01(木) 21:41:21 ID:hzjJ82ia
>同時に 魂 から 血へ 変化するんだよ。 「水」が「葡萄酒」に変化することによって 「葡萄酒」を飲む事によって の命の質が変化するんだよ。 パウロ的に表現すると 魂は 肉の思い であり 血は 霊の思い だと思うよ。
44 :
キュロス :2005/09/01(木) 22:27:05 ID:hzjJ82ia
ココモ先生へ カトリック教会の教えは 聖伝という考え方が有るから崩せないし 他方 改革派の教えは 一般恩恵という考え方が有るから崩せない のです。
45 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/01(木) 23:30:06 ID:hVhl+xTe
>>42 それじゃ、民数記のペオル事件も同じだw...わははははははイエスの受難の光景に(人によっては)そっくりだw
もっともモーセは神の言葉にそむいて、3度岩を叩いて、神から激怒されたけど(これが原因で、カナンの地に入れなかったと言う
シナリオだw)...
>ヨハネ福音書のイエスの十字架の場面と
>この士師記の記事は非常に似てるよね。
当然、ヨハネの編者は旧約聖書読んでるんだからね。似たような光景に描くに決まってるヤロ...わはははははは
だけど、ヨハネの編者にしては余興かお付き合いだと思うけど。
>「イエスの時」に「水」が「葡萄酒」に変化するんだよ。
とんでもないこじ付けだw...キリスト教会の十八番だけど、ヨハネのぶどう酒の話は、全く違う意味があります。ヨハネ福音書
をよく読んでると分かるけど...エッセネ教団の階級のしきたりを示してます。
「葡萄酒」に授かる立場の人達を何と言ったでしょうか、ヨハネ教会は、このシキタリに対する挑戦ですね....なーんて書くと、また必死に
なって、違う違う違うって連発だろね...わははははは、結局人の見解なんか、初めから聴く気なんかなくて、自分が一番物知りでなければ
気がすまないだけさ....ただの自己満足に陥ってるだだよ....
>同時に 魂 から 血へ 変化するんだよ。
何が魂から血に変化するんだい 、このときの「魂」の定義と「血」の定義をはっきりさせろよ...キリスト屋っていつも
そこがいい加減で言葉のあいまいで、結局はでたらめに言葉を並べてるにすぎないんさ....わははははははははははは
46 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/01(木) 23:44:30 ID:hVhl+xTe
>>40 カルトとはちょっと違うw...ごめそ...いわゆる
原理派だw...僕にしてみればどちらもダメ教会だけど...
あえて口悪く「馬鹿教会」とか「ダメ教会」と言うのは理由が
あります。どんな信者に聞いても、くだらない自己満足で満ち
溢れてるからね...キリスト教徒をばか者にしてる悪癖だよ...
僕なんかはちょっと聖書おたくになってるだけで、それ以外は
ごく一般的なエンジニアの社会人だけど、そのレベルの人間が
見ても、あの改革派の言葉は「馬鹿丸出」しに見えるんだよ...
あれが、笑い出さずに聴く事ができる人は、世の中から余程
ずれてるんだと思うw
47 :
名無しさん@3周年 :2005/09/02(金) 00:08:13 ID:Q3B9HBg+
存在しない教会と比較してカルトだのレベルが低いだの一般的でないだの ダメ教会だの酷い妄想だな。 聖書おたくとか言いながらしっかりココモ教を作って比較している。 一人だけのココモスキー教が一般的だなんておかしいでしょ。正気ですか?
48 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/02(金) 00:47:48 ID:nUiBcgQF
ヨハネ福音書の水をぶどう酒に替えた話の補足ね... 2/6... ユダヤ人が清めに用いる石の水がめ... つまり水がめの水がユダヤ教の事だよ...それをぶどう酒 つまりキリスト教に変えたと言う事だよ...ヨハネ教会の 決意みたいなものですよ... 史実かどうか...共観福音書ではイエス一家からは疎遠なはず なのに、このカナの婚礼では母(マリア)がいましてね、しかも 2/5...「この人が何かを言いつけたら、そのとおりにして ください」...共観福音書とはえらい違うw...ヨハネの編者 は事の事実なんかどうでも良くて、とにかくキリスト教がユダヤ教 とは全く違う物である事が言いたいんだと思うよ.... だれだよ、名前を名乗れよ!!!!! >「水」が「葡萄酒」に変化することによって >「葡萄酒」を飲む事によって の命の質が変化するんだよ。 なんて言うとんでもない事を言う奴は、大馬鹿物が!!!! そんな事何処に書いてあるんだ!!!!でたらめな事言うな!!! ぶどう酒飲んで命のどういうところのどういう事柄の質が 変わるのかちゃんと言わんかい!!! 大嘘つき者が!!!!!!
49 :
名無しさん@3周年 :2005/09/02(金) 00:57:26 ID:umcOs2vZ
>>47 [存在しない教会]にそっくりな教会が存在しないことをいっしょに祈ろうよ。
50 :
名無しさん@3周年 :2005/09/02(金) 10:46:32 ID:Q3B9HBg+
>>48 書いてあっても信じない人がなにを言うのか。
そのくせ書いてないことをあれこれ述べるココモはダブルスタンダードと呼ばれるのだ。
51 :
キュロス :2005/09/02(金) 18:18:46 ID:pUYINuY4
>>48 ヘブライ語での 魂 と 血 は何を意味するの?
>(これが原因で、カナンの地に入れなかったと言う
>シナリオだw)...
シナリオ と あらすじ は違う あんたのは あらすじ だよ。
読書感想文の宿題で あらすじ を書いて許されるのは
小学生までだよ。
アホ臭いので 一々反論はしないよ。
アンタの説は無いのかい?
あらすじ ではなく シナリオ を書けよ?
52 :
キュロス :2005/09/02(金) 18:39:23 ID:pUYINuY4
カナの婚礼の話し趣旨は 「イエスの時」に 「水」が 「葡萄酒」に変化し 「婦人」と の関係ができる。 士師記 15:19 の話しは 「水」を 飲む事によって 霊がもどり 生き返る。 イエスの十字架上での出来事は 「葡萄酒」を 飲む事によって 或る事が「成し遂げられ」 霊を渡す。
53 :
キュロス :2005/09/02(金) 21:29:32 ID:q3OxousO
>創世 3:21 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。 いにしえの或るラビは この「皮の衣」を 雄包皮と女性の処女膜 と解釈したらしい。
54 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/02(金) 22:13:27 ID:vj3gePXL
>>52 キュロスさん
ありがとうございます。
字面だけ読んで分ったつもりでいるのと、細かく聖書を調べて読むのとでは、
本当に大きな差が出るものなんですね。
もう一度読み返し、「イエスの時」「水」「葡萄酒」などその言葉の持っている
比喩や表現に注意してみようと思います。
>>46 ココモ先生
あらら 「馬鹿丸出し」だなんて初めて言われましたよ。今まで「排他的」やら
「理屈っぽい」た゜のもう耳だこですね。
慣れちゃったからいいんですけど。
55 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/03(土) 10:30:50 ID:DJgWM2//
魂・肉体・命・愛・水....わははははははは これは全部ユダヤ教どころか、人類がこの世に現れたときから あるよ...ユダヤのナザレの若造一匹が何かしでかして十字架 のさらし者にされたくらいでこれらの資質が変わったと思ってる 連中がいたら大笑いだw....何も変わってないよ ユダヤにあった準国家的な宗教体制が、大きな戦争で国家が崩壊し 宗教体制もがたがたになったときに、多くの人がそれに変わる宗教 を模索して幾つか形になった物の一つがキリスト教だw だから、キリスト教と言ってもいーーーーーーぱい「ざこ」が あるわけだし、その中で一番いい加減なものが残って今の キリスト教になってるんだよ...だから、全く論理が通らない 話ばっかりでてくるヤロ....わはははははは そう説明したら、普通の人達は分かりやすいと思うけど
ガリラヤのカナ どすとえふすきーにあったなそーいえば アリョーシャ・カラマーゾフ
57 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/04(日) 01:38:17 ID:B3OVSQox
>>55 続き
人間全ての魂・肉体・命・愛・水・(思想・考え・信心)がある
一人の人間の出現や行動や発言で変わったが如く考えられるのは
余程無知な事だと思うよ...
常識的にありうるのは、ある一人の人間の行為が周辺の人間に影
響を与え、そこで何かの異変や事件が起きてそれが時間を掛けて
多くの人に伝わって、多くの人の生き方に影響を与えるか、書物
の様な伝達手段に書き残されたものが、これも時間を掛けて、多
くの人に伝わる場合でしょ...
キリスト教も実際はこれだw...イエスの受難の後、エルサレ
ムに集まったのは120人程のサークルだよ(使徒1章)...
これ以外にも巡回霊脳者も数十人はいたとしても、どう見ても3桁
にはならない...それも中近東のある限られた地域だろ...
それが時間を掛けていろんな人達がヨーロッパに広がり更に大変な
時間を要してアジアに広がっただけだろ...それでその内容は
どんどん変容していくだろ...内容が変容すると言う事は、最初の
出所がそれほど大したフィクサーではなくて、社会背景の中で自然
発生的に生まれたものだと言う事だよ...普通に考えたら常識なん
だけどね...それを未だにイエスと言う人物の出現で人間の資質
までが変わってしまったが如く言う奴は頭の中がどうかしてるとしか
思えないよ...
58 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/04(日) 02:00:50 ID:B3OVSQox
>>57 続き
この部分がイスラムと大分様相が違うんだな...
イスラムにはムハンマドと言う大物がいたんだな...
何百年かの時間の経過があるよ...
どちらの優劣を云々してるのではなくて、技術開発するときの
人間のしんどさの問題だw...最初に新たなものを作るときは
試行錯誤の失敗の連続なんだけどね...そこでしかるべき手法が
見出されて、ちゃんとしたドキュメントが残ってると、次に
それを改良する場合は、そのドキュメントが理解できる人間に
とっては大した苦労はしないんだな...ムハンマドにとっては
キリスト教が素晴らしいドキュメントだったんだよ...
僕はムハンマド氏が数少ないイエスの理解者だったのではないかと
いまでも思ってるけど....こんな事を書いたら、また馬鹿が
ワーワー言うだろな...
59 :
名無しさん@3周年 :2005/09/04(日) 05:25:33 ID:FROApiaD
>>58 なるほど、ムハンマド様はダブルスタンダードな見識をお持ちだと言うのか。
ココモスキーに評価されるとムハンマド様も台無しだ。
60 :
名無しさん@3周年 :2005/09/04(日) 08:04:09 ID:aiX8Hhbb
>>58 馬鹿はおまえだよ。
ムハンマドのどこが、イエスの理解者なんだよ。
あれは、イエスの教えを理解していない。
それは多くのキリスト教徒もだ。
ムハンマドのどこがイエスのよき理解者なのか、
イスラムの教えと、イエスの教えのどこに共通点があるのか、
説明しろ。一部分だけとって能書き垂れんなよ。
イスラムの教えとさ、イエスの教えは根本的に違うんだよ。
もし一神教の成立に、神と呼ばれるなんかしらの関与があったとしたら、
ムハンマドなどの預言者は操り人形にすぎない。なんの関与もなければ、
ムハンマドなど、政治力のあった、ただの俗物。
61 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/04(日) 21:22:18 ID:9T8GfdXs
>>59 ダブルどころか、数え切れない程のスタンダード(規範と考えるのか?)
を持っておられました...わははははははははは
62 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/04(日) 22:07:19 ID:9T8GfdXs
とある教団にいた信者から相談をいただきましたので、シリーズ でそれに対する僕の反応と合わせてカキコしていきます。個人名 団体名は伏せておきます。(ここにちょくちょく出てくる人と同じ だと思うけど) 以下最初の信者からの文面と、僕の返事 >とある信者さん −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 私は聖書が本当に神の言葉なのか疑問を持っている物ですが、クリスチャン と話をすると喧嘩になってしまうのです。こちらが疑問や矛盾点をぶつけて もあなたは聖書の勉強はたらないとか聖書はもっと奥が深いとか聖書は人間 の理性では研究できないとかだいたい似た様な答えが帰ってきます。 どうしたら良いでしょうか?恐らく僕が教会にいたって警戒されてしまうの でしょうか?
63 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/04(日) 22:08:14 ID:9T8GfdXs
>>62 僕の返答
>ココモスキー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕も全く同じ事情で、クリスチャンにならなかった人間です。
聖書には矛盾や疑問や明らかに嘘と思える内容がいっぱい書かれてます。
クリスチャンにそれをぶつけても、「勉強はたらないとか聖書はもっと奥が
深いとか聖書は人間の理性では研究できない」と誤魔化されるだけです。
僕はそれが誤魔化しであることを立証したい為に聖書を研究する様に
なりました。
聖書は人類が残した貴重な歴史遺産です。神の言葉だとは思いませんが
当時の人々の主張・心情・社会背景・歴史の分かる貴重な遺産です。
実は多くのクリスチャンは殆ど聖書を読んでません。
聖書の編者が書き残したものと、キリスト教会の教義は全く違ってます。
どこかの教会の教義なんかより遥かに奥深い事柄が書かれてます。
それを全く理解してないのは、実は多くのクリスチャンです。
>どうしたら良いでしょうか?恐らく僕が教会にいたって警戒されてしまうのでしょうか?
多分教会にとっては不都合な人だと思います。その状況が精神的に
不健全な事であるならば、そんな教会は行かないほうが良いと思います。
それで、独学で聖書を研究する事をお勧めします。
WEBを参考にするのでしたら、
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/ あたりを参考にしながら、勉強するのが良いと思います。
ある程度分かってくると、クリスチャンと言うものが実に
いい加減な人達である事が分かってきます。多くのクリスチャン
は聖書の編者の書き残したものではなく、聖書の数行の言葉
をもとにした自らの思い込みと妄想を言ってるだけです。
2005/9/3 ***
64 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/04(日) 22:15:22 ID:9T8GfdXs
2ラウンド 一度あなたとお会いしたいと思ってます。私が許せないと思うのは エ**やモ***や統***を批判するのは分かるですがそれが 50歩100歩だという事に気付いてないのです。また救出活動を しているらしいですが、カルトの信者の気持がまるっきりわかってない。 自分が同じ様に見られ自分が同じ事をされて冷静でいられるんでしょうか? 話は代わりますがキリスト教の元になったユダヤ教と言うのは唯一絶対的な 一神教等ではなく多神教だった可能性があるらしいです。 つまりアブラハムの信じていた神と後代のユダヤ人は違う可能性があるの です。創世紀には神は我々と複数系で表現されています。 キリスト教会が三位一体の根拠に使っていていますが、私からしたら おめでたい話です。あの時代の人達がそんな概念を持っていた事は 有り得ないからです。
65 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/04(日) 22:16:34 ID:9T8GfdXs
>>64 の返信
お目にかかると言われても、わたしは普通の職業についてる
サラリーマンですし、平日は単身赴任で島根県にいます(週末は京都です)
が、ご都合付きますか?
YHWH(ヤホベ)の神は、出エジプト3/5−に書かれてますように、
それまでの部族神を包括した神です。もっともこれはJ(ヤハウィスト)達の
伝承で、違うPやE伝承はエロヒム(エル=神の複数形)です。
エロヒムを神々とするか、神とするかはその文面に沿って判断すべきだと
思います。エロヒムはカァナン神話がルーツで多神の世界です。
モーセ5書が編纂される頃(バビロンから帰還する頃BC6世紀)に各部族神を
包括する神としてYHWHを受容したんだと思います。従って旧約聖書
には多神を示す文章がいっぱい残ってます。クリスチャンはそれを一切
無視して教義を作ってますので、実にちぐはぐな教義になってしまいます。
それで、それはおかしいと言ったら、例の対応です。自分達の教義が
聖書やその歴史を無視してるが為の矛盾なんですが、彼らはそれを
信仰のなさや聖書の奥義を理解してない為だと摩り替えてしまうんですねぇ
この辺の事は大分古いホムペですが
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_yhwh.html にまとめてます。違ってるところも幾つかありますが...
余談ですが、2chの掲示板で
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1124800057/l50 と言うところの管理者をしてます。クリスチャン達との
論争は面白いですよ...
66 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/04(日) 22:19:48 ID:9T8GfdXs
第3ラウンド そうですね、私は関東の茨城県です。でも一生に一度はお会いしたい と思います。実は私はエホバの元2世です。両親は今も現役です。 実は今日の出来事なのですが、キリスト教会に行き牧師と話をしたの ですがその時に言葉では言い表せない様な衝撃的な出来事に遭遇したのです。 聖書の黒い張り紙を張っている集団について尋ねたのですが彼は 「私達も迷惑しているんですよ、私達と何の関わりあいもありません。」 と優しくおだやかな表情だったのですが私がキリスト教の問題点や 聖書の矛盾点を述べキリスト教にもカルト問題の責任がある事を 告げると彼の表情や口調が激変したのです。 まるでカルト宗教の信者でした。私のクリスチャンに対する先入観と 言うかクリスチャンに対する尊敬心が崩れた瞬間でした。 彼は私がキリスト教を否定しに来たか異端的な教えを広めにきたと 思った様です。もうその時点でキリスト教的な2元論ですが、私に 向かって彼は自分の方が聖書を知ってるあなたにそんな事を言われる 筋合いわないとどなりちらしたのです。 もうこれ以上言っても口論になりそうだったので適当に詫びて彼の 気持をなだめ教会を後にしました。実はクリスチャンとはと んでもない人達なんでないかと考え始めた瞬間でした。 有本さんや佐倉さんの様な人、聖書の批評家等はクリスチャンにとって 天敵なのでしょうか?教会で佐倉さんや有本さんや私の様な人は どの様な扱いを受けるのでしょうか?恐らくどこに行っても似た様な 事になるのでしょうか?教会は私達は正直者ので真実を愛すると教会は 主張しますが、科学を否定し不都合な事を言う人を敵視するのはどう言 う事でしょうか?
67 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/04(日) 22:21:15 ID:9T8GfdXs
>>66 の返信
僕の経験で言うと、既存のキリスト教会の9割は御貴殿が接触した教会と
同じと考えて良いと思います。そういう連中からみると僕や佐倉氏のweb
は天敵だと思います。何しろ教義としてる物が根底からひっくり返されます。
例えば「ユダヤ教でYHWHの実名は、ユダヤ教のラビ達による伝承事で、一般
信者は知ってても口にしてはならない御名で、現代もその伝統は受け継がれて
ます。」という事を言うと、何処かの教会は教義も信者への説明も根底から
ひっくり返されるんでしょ...信者へのメンツが丸つぶれになりますよ
一般のキリスト教会もそれに近いものがありましてね...「イエスは神殿の前で
大騒ぎして、商売してる人を鞭で追っ払った」「イエスは自分が神の子とも言ったし
ユダヤの王とも言った...それで十字架刑に処せられた」と言うだけで、ガタガタ
になる教会もあるんですね...教会はそれが怖いんだと思いますよ
>教会は私達は正直者ので真実を愛すると教会は主張しますが、科学を否定し
>不都合な事を言う人を敵視するのはどう言う事でしょうか?
そういうレベルの人達なんです。ただクリスチャンのすべてがそういうわけでは
ないんで、例えば前述したホムペの大槻氏はカトリックの信者ですが、実に
真摯に聖書研究してますし、グノーシス研究のミランダ氏もカトリックだと思います。
(両方とも僕のホムペと相互リンク張ってます)。
だから、僕に言わせればクリスチャンの中のほんの数パーセントは、信頼すべき
人であって、残りの9*パーセントは、御貴殿が遭遇した様な人じゃないかと
思います。
68 :
名無しさん@3周年 :2005/09/05(月) 00:59:02 ID:KdMTs/Z5
未だココモスキーの自称HPは見ていない。 何故かと言うと、ココモスキーが全く信用を置けない人物だからである。 詭弁、妄言、嘘、誘導、ダブルスタンダードの暴言の数々。オカシイ、普通じゃない。 通常の人間が、自身のプライベートを晒しながらこのような無軌道ぶりを示すだろうか? ありえない、厚顔無恥すぎる。 自称が本当だとして、HPに何か仕掛けがあるのではないかと疑いを持つは必然でありましょう。
69 :
キュロス :2005/09/05(月) 01:27:12 ID:W/2wAyKs
>>68 おれも 普通じゃないと思うよ。
聖書学系の専門書は 確かに高いし 専門店でしか販売していませんよ
しかし 青土社・岩波書店の聖書学系の本は 一般書店で販売していますよ。
まあ青土社系の本は ¥3、000前後で多少高いけど
岩波現代文庫の本は ¥1、100だよ。
教文館の本も オレは一般書店で買ったし
ユダヤ教系の本も 一般書店で販売している。
キリスト教に興味は無くとも 読書オタクは 読んでいる
可能性があるんだよ。
70 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/05(月) 07:37:52 ID:BGZ0owNH
第4ラウンド そうですね。日本人のほとんどはキリスト教や聖書には関心がないけど クリスマスやバレンタインは受け入れるし、キリスト教を信じる文化人や 政治家もいるらしいですね。 あと織田信長が本能寺で死ななければ日本はもっとキリスト教が広まって いた可能性があるらしいです。 カトリックの方が最近は物事を柔軟な対応している気がしますし、過去の罪 を公に認めましたし聖書に間違いがある事や進化論を認める様な発言もして います。ところがプロテスタントは自分達もカトリック並に悪い事をして きたのに分裂を繰り返して来たため宗派があまりにも増えてしまいその せいか過去の過ちを認めません。 さらにあそこまで聖書に執着するのは神を崇拝しているよりも聖書を崇拝 している様なものです。 最後に悪魔サタンと言う概念が出てきたのはいつの頃なのでしょうか? 創世紀のエバを誘惑したヘビの正体はサタン等ではなくもう一人の神だと 言う人もいます。またカインはアダムの子ではなく実はもう一人の神が エバに生ませた子だと言う人もいます。
71 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/05(月) 07:42:56 ID:BGZ0owNH
>>70 返事
> そうですね。日本人のほとんどはキリスト教や聖書には関心がな
いけどクリスマスやバレンタインは受け入れるし、キリスト教を信
じる文化人や政治家もいるらしいですね。
ノーコメント...日本人のクリスチャンは人口のおよそ1%程度だそうです。
> あと織田信長が本能寺で死ななければ日本はもっとキリスト教が
>広まっていた可能性があるらしいです。
信長の死とキリスト教の関係は、風が吹けば桶屋が儲かる話で関係が
ないわけではないでしょうが、実際にもっと関係してるのは秀吉の
バテレン追放と徳川幕府の鎖国政策だと思います。
信長は日本のカルト宗教勢力(一向宗)対策の為に、バテレン達を擁護してるでしょ
これはNHKで面白い番組をしてましたが、当時アジアのバテレンたちが宣教していた
国は尽くヨーロッパの植民地になってるでしょ...
バテレンの宣教ー>通商交易ー>その国の情報収集ー>弱体国家であれば植民地
化のシナリオを秀吉は予見したと言う事だそうです。ルソン(フィリピン)の事態の
情報が入ってたそうですね...長崎でバテレン達を磔にしたのは、ヨーロッパの
大国への見せしめだそうですね。徳川幕府の鎖国政策も
72 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/05(月) 07:44:09 ID:BGZ0owNH
>>70 続き
> カトリックの方が最近は物事を柔軟な対応している気が
>しますし、過去の罪を公に認めましたし聖書に間違いがある事や
>進化論を認める様な発言もしています。ところがプロテスタントは
>自分達もカトリック並に悪い事をしてきたのに分裂を繰り返して
>来たため宗派があまりにも増えてしまいそのせいか過去の過ちを
>認めません。さらにあそこまで聖書に執着するのは神を崇拝して
>いるよりも聖書を崇拝している様なものです。
聖書を崇拝してるのではなくて、自教会を崇拝してるんだと思いますよ。カトリックが
比較的柔軟なのは、組織がしっかりしてて過去には否定されてた研究や発言を
しても、およそ母体が崩れる心配がないためだと思います。自らを悔い改める
事ができる教会(人)の方が信用できると思いませんか?
> 最後に悪魔サタンと言う概念が出てきたのはいつの頃なのでしょうか?創世紀のエバを誘惑したヘビの正体はサタン等ではなくもう一人の神だと言う人もいます。またカインはアダムの子ではなく実はもう一人の神がエバに生ませた子だと言う人もいます。
73 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/05(月) 18:20:25 ID:BGZ0owNH
>>70 続き
サタンそのものはカナン神話にも出てきますが、多神の一人です。この様子はヨブ記
の1章を読むと分かります。主(YHWH)の部下の一人として人間界の様子を
偵察してる光景が描かれてます。サタンが悪の権化として扱われる様になったのは
新約になってからではないかと思います。
特にヨハネ黙示録が顕著ですが、時代背景がサタンの捕らえ方を変えてしまった
んだろうと思います。
エバを誘惑した蛇をサタンとしてるのはキリスト教会のあてこすりだと思います。
創世記にはそんな事は書いてません。
カインはアダムの子です。
創世記4/1−2
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主に
よって男子を得た」と言った。
彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を
耕す者となった。
文面からみると、アベルは違う種の可能性もないわけではないのですが、
常識的に読むとどちらもアダムの子だと思います。
「またカインはアダムの子ではなく実はもう一人の神がエバに生ませた子」−−−A
こんな話が出てくる事自体キリスト教徒が聖書を殆ど読んでなく、自らの
妄想を展開してしまってる証拠ではないでしょうか...後でカインはアベル
を殺してしまいます。キリスト教徒にとっては悪い人間のスケープゴート
になってるんですが、その思いが妄想の初めで、「妻エバを知った」−−−Bを
曲解し(エバと交わったのではない)、Aの様な話が出てきます。
創世記を普通に読めば、エバはアダムの肋骨の一本から作られたわけですし
それからずーとアダムはエバと一緒にいます。ここで改めてBの言葉がでる
のは、明らかに「エバを女として知った」ですし、「エバと性交渉をした」なんです。
ただ聖書にそれを露骨には書くわけにはいかないですし、Bの様な表現
になります。普通に読む成人はその意味を理解すると思いますが、キリスト教徒
の中には理解できない人もいる様です。
74 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/05(月) 18:26:49 ID:BGZ0owNH
第5ラウンド 私の名は**と言いますが、有本さんは地獄に落ちるとか裁かれると クリスチャンに言われた事ありますか?私は言われた事あります。 彼らは本気でそれを信じています。私はノイローゼ気味になった事が あります。なぜなら罪の赦しをえずに死んだ者はハデスで苦しみの中 最後の審判を待っていると本気で彼らは信じているからです。 しかし彼らの言う事が本当なら人は生まれながらにして天国に行くべき か地獄に行くべきか神にテストされる為に生まれてきた事になります。 心底恐ろしい事を信じている人達なのだと思いました。
75 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/05(月) 18:29:26 ID:BGZ0owNH
返事 週末で自宅の京都へ戻ってましたが、高速を4時間掛けて島根県出雲市 に戻ってきました。 >地獄に落ちるとか裁かれるとクリスチャンに言われた事ありますか? 昔は言われた事がありますが、その手の連中とは付き合わなくなりましたので >死んだ者はハデスで苦しみの中最後の審判を待っていると本気で >彼らは信じているからです。 黙示録20/11−の最後の審判からの妄想だと思いますが、黙示録で 裁かれる対象者は、イスラエル戦争(AD68−74)で多くのユダヤ人を 殺害したローマ軍とその後、ユダヤ人聖職者を弾圧したローマ帝国の 行政官だと思います。21世紀の現代人には殆ど何の関係もない事です。 ハデス(地獄)についての記述は旧約にはあまりみあたりません。 そういう概念が なかったのではないかと思います。新約の福音書には多々見受けられ ますが、黙示録の最後の審判では使われてません。黙示録の審判は 通常の善人と悪人を裁く審判ではないからです。黙示録の審判は 特別裁判(戦争裁判)だと思います。 ...こんな話を彼らにぶつけると、彼らは顔色を変えます... つまり教会は、馬鹿な信者には地獄の裁きを説いておいた方が都合が 良いわけですw、それで教会に残ってくれるかも知れないですから おそらく小学生でも信じないだろうと思われる事でも、信者は信じてくれ ます(信じてるふりをしないと、教会から破門されるのかも知れませんが) 知恵遅れかと言えば、他の面では決してそうではない普通の大人です。 そこがこの手の宗教の特殊性です。思考力が全くストップしてしまう 見たいです。
76 :
キュロス :2005/09/05(月) 22:53:22 ID:IF6D/CDu
>伝道 10:4 >主人の気持があなたに対して たかぶっても >その場を離れるな。落ち着けば、大きな過ちも見逃してもらえる この「たかぶ」るは ルアッハらしい。 これを新改訳では「立腹」と訳出している。 いま手元にヘブライ語聖書が無いので 確認できないが 間違いは無いだろう。 そこでだ >ヨハネ福 11:38 >イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 この「憤り」は ルアッハなんだね。 この ルアッハが ラザロを復活させるのですね。 ヨハネ福音書は ヘブライ語が解らないと 理解できないかもしれない。
77 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/05(月) 23:08:28 ID:BGZ0owNH
>>76 わははははははは、お腹抱えて大笑いしてしまった
ギリシャ語で書かれていれば、まずギリシャ語を理解するのが
筋だと思うけど...常識を持った人間はそう思いますが...
それでは、貴殿の自尊心が許さないんか...全くメンツまる潰れ
だもんなぁ....
78 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/05(月) 23:37:22 ID:BGZ0owNH
>>76 折角だからラザロの蘇りのソースを示しておきましょうね
1...マルコ福音書5章の後半、ヤイロの娘の蘇り
2...ルカ福音書16/19−の金持ちとラザロの話で
ルカ福音書では蘇らせてくれなかった
多分この2つの話が複合して、ラザロの蘇りの話になったんだと
思います。それで...この手のシナリオは、ヨハネ福音書の中の
原ヨハネ福音書と言われてる資料で、「しるし福音書」とも言われてる
ソースです。ヨハネの編者の中の一つのセクトの編者です。
その流れは洗礼者ヨハネの流れでも、ギリシャ文化に堪能なグループ
でも、ユダヤ色の強い流れでもないまた一つの違うグループだそうです。
79 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/05(月) 23:55:39 ID:BGZ0owNH
ロバートフォートナーさんがね、この11章の部分を解析して 伝承の部分と、ヨハネの編者作った部分を分けたものがありましてね ()が伝承事を付け加えた部分です。 ベタニヤにマリア(とその姉妹マルタ)がいた。その兄弟ラザロ が病気であった。そこで彼女(/姉妹たち)はイエスのもとに人 をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気です」と言 わせた。彼は弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロが眠 っている。彼のところへ行こう。」イエスが行って御覧になると、 ラザロは墓に葬られて既に4日もたっていた。(ベタニヤはエル サレムに近く、15スタディオンほどのところにあった。) マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとに ひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの 兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、(彼女が 泣いているのを見て、)心に憤りを覚えて言われた。「どこに葬 ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。 イエスは墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 イエスは「その石を取りのけなさい」と言われた。人々が石を取 りのけると、イエスは天を仰いで大声で叫ばれた「ラザロ、出て 来なさい」。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま 出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に言った。 「ほどいてやって、行かせなさい。」このことを目撃したユダヤ人 の多くは、イエスを信じた。
80 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/06(火) 00:05:55 ID:m8IR7oEF
>>76 >ヨハネ福音書は ヘブライ語が解らないと 理解できないかも
>しれない。
お前は馬鹿か!!!!!!
お前みたいな何の見識も勉強も理解もしてない馬鹿がこんなでた
らめな事を言うから、馬鹿教会呼ばわりされるんだろうが....
こんな破廉恥な事を書いて恥ずかしくナインか!!!!お前の
教会はエホ以下だよ!!!!!!
81 :
名無しさん@3周年 :2005/09/06(火) 00:13:23 ID:MtxuIONf
ココモスキー必死だな。 沢山書いているように見えるけど実は無くスカスカ。 争点を曖昧にする 埋没物量の荒らし 作戦といったところかな。 ココモ教に感心できるのはココモスキー自身が言うように限られた人だけ。 自説が一般的でないと認めつつも、一般的であると唱える詭弁屋ココモスキー この人は天敵というより蚊に例える方が適切 自称HPではまともな口調での答弁を心がけているようだが、2chでは狂ったうんこ投擲手か。
82 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/06(火) 00:15:09 ID:m8IR7oEF
83 :
キュロス :2005/09/06(火) 00:35:10 ID:xrA2F92H
>>80 たしかに キリスト教会から特に福音派から見れば
荒唐無稽な異端の説ですよ。
神の怒りが 死者を復活させるのですよ。解りますか?
84 :
キュロス :2005/09/06(火) 00:43:52 ID:xrA2F92H
プラトン的神観念 特にストア派的神観念では神に 怒りは無いのですよ。 ストア派的神観念を 聖書から否定されると キリスト教は困ると思いますよ。
85 :
キュロス :2005/09/06(火) 01:08:36 ID:xrA2F92H
人としてのイエスの 怒り ではないのですよ。 なぜなら 「言は神であった」〜「言が肉になった」のです。 「言が受肉した」のではなく 「言」が「肉」に変化したのですよ。 >ヨハネ福 6:54 >わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、 >わたしはその人を終わりの日に復活させる。 >創世 9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。 だから 創世記で 禁止されている 肉を食べ 血を飲め なんですよ。 イエスの全てが ルアッハ(神の霊)なのですよ。 そのルアッハ(神の霊)で 永遠の命が得られると ヨハネ福音書の記述者は 主張しているのだと 思いますよ。 それと イエスの十字架の出来事も 贖罪では無く神殿崩壊 と関連付けているように思える。
86 :
名無しさん@3周年 :2005/09/06(火) 08:44:56 ID:MtxuIONf
☆顔の向きは信仰の基の基 キリスト教に疑問を持つ人に対し、「聖書の学びが足りない」 と言うことは、突き放した 感はあるが正しい。これ以上の簡潔な表現は無いだろう。 これを補足する言葉が「信じるものは救われる」である。有名な文句だが、なぜ信じると 救われるのか?と考えることが非常に重要なことなのだ。 聖書に触れて疑問を持たない人間はまずいない。聖書にはわけの分からない所も イッパイある。それでも天に顔を向けて聖書に触れていると分からない所以上に、 学び覚えた所の重みが増し尚更に惹かれる。聖書の実の美味しい部分から食べれば良い。 解らなく固い部分は後回しにすれば良い。食べ方が判り美味しくなることが経験則として言える。 「天に顔を向ける」 これは蒔かれた信仰の種。聖書は神様を的にしないことを罪とする。 聖書を読むに際し始めから目線を天からそむける者がココモスキー的な人であるが、そのような 実をつけない人であっても神様は刈り取られる。
87 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/06(火) 18:58:31 ID:m8IR7oEF
第6ラウンド 昼間はサラリーマンの為、返事が遅くなりましてすみません 昨日のご質問から僕の考えを返事しますね >ところで旧約聖書だけでクリスチャンの主張する三位一体の教理を造る事は >可能でしょうか? 不可能だと思います。そもそも旧約聖書はYHWHの神に包括した教義ですから YHWH以外の存在を神としては認めないと思います。 >度々してメールしてすみません。イエスは新約聖書のなかでイエスは新格化(神格化) > >されていますが、弟子が神にしてしまったのでしょうか? 新約の中でも、教義としてイエス・キリストを神としてるのはヨハネ福音書 だけです。これは僕の持論なんですが、イエス・キリストを神とする前に YHWHの神の権威がなくなる必要があったのではないかと思います。 それでなければ、新約を書いた人の多くはユダヤ教徒(聖職者)であった 分けですし、それでその権威がなくなる事件とは、AD70年前後のユダヤ 戦争ではないかと思ってます。 >イエスは自らを本当に神と言ったのでしょうか? イエスの時期に神と言ったとすれば、それは夢遊病者か、気違い扱い されます。 >またイエスの宣教を始める前の30年間の記録がほとんどないのはなぜだと思います > >か? 普通のユダヤ人の1人だった為だと思います(誰も大して気に留めなかった)。 また、およそ30歳以降から十字架までの記録も、殆ど信憑性はありません。 数少ない証言を頼りにして、福音書の編者が創作したものです。
88 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/06(火) 19:00:02 ID:m8IR7oEF
>> 続き >また宣教を始める前にクムラン教団にいたらしいのですが、その時に >彼らから何らかの影響を受けた可能性はあるのでしょうか?例えば旧約にはない新生 > >や霊魂不滅の教えはどこから来たのだと思いますか? クムラン教団にいたかどうかは確かではありませんが、クムラン共同体に近い 共同体にいたと思います。またこれは聖書にも書かれてますが、洗礼者ヨハネ の共同体にいたんですが、この共同体もクムラン共同体に近いと思います。 新生(?)はちょっと分かりませんが、復活の概念はイエスより前からこれらの 共同体にあったようです。ダニエル書にも個人の復活が描かれてますので、 BC2世紀ころからあった様です。イエス自身は復活を信じたかどうか分かりま せん。 >また新約聖書にはエホバの名は本来出てきませんが、それはなぜだと思いますか? >唯一の例外はエホバの証人が使う新世界訳にはたくさん出てくるらしいですが。 いろいろ説はある様ですが。実は旧約も殆ど出てきませんよ... 旧約(ユダヤ教)では、神の実名を口にする事がご法度です。YHWHと書いてあっても アドナイと呼びます。実名は聖職者の伝承事です、何かの儀式の時に密かに 伝承するものだそうです。新共同訳では「主」とかかれてますが、アドナイを訳したも のです。 旧約にも殆どないのは、このためですが、新約にないのは別の理由だと思います。 僕の持論ですが、新約の神はYHWHではないのではないかと思ってます。
89 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/06(火) 19:31:16 ID:m8IR7oEF
ヨハネ福音書はギリシャ語で読むべし...もっともそれだけの 語学力があればのはなしですが... これは前にも言った事ですが、ヨハネ福音書日本語訳では同じ 言葉でも、違う原語が使われてるんですね...ゾーエイと プシュケーが共に「命」と訳されてても、生物的な命そうでは ない命との違いがあるとは書いたんで重複はしませんが、もう一つ 「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」はプシュケーです。 羊は信者達の事で、羊飼いはそれらを指導する人の事でしょう。 つまりこの場合は「体を張って信者達を守る指導者は立派である」 と言う意味です。イエスの受難の意味を暗示させる言葉です。 「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を見ることはない。」 (口語訳で、新共同訳は「死ぬ事はない」と言う馬鹿な訳し方をして ます...もちろんココで死なないのはゾーエーですが) ここで死を見るの見るは「エイドン」や「アテニゾー」ではなく 「セオーレオー」なんですね、あえて日本語に訳すと「傍観する」か「 味わう」だと思います。。だからこのイエスの言葉は「わたしの言葉を 守るなら、その人は決して死を味わうことはない」なんだw トマスにもありますよ 1 そして彼は言われた。”だれでもこれらの言葉の解釈を見出す者は けっして死を味わうことがないであろう”。
90 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/06(火) 23:48:18 ID:nT+4Arq9
ヨハネ福 11:38 イエスはどうして憤りを覚えたのでしょうか? 教えてください。
91 :
キュロス :2005/09/07(水) 19:52:06 ID:U5CfNFyz
>>90 >ヨハネ福 11:33
>イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、
>心に憤りを覚え、興奮して、
>11:34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
>11:35 イエスは涙を流された。
「愛の対極にあるものは 無関心だ」と言ったのは マザーテレサでしたっけ。
オレもそうだと思いますよ。
「愛の対極にあるものは 無関心だ」とすれば
神の人に対する愛は
神の人に対する「極度の関心」 と言い換える事が
出きるように思える。
神の人に対する愛(極度の関心)は
怒り 憤り 悲しみ いたわり 気遣い・・・・・・等々を含むと思いますよ。
神の人に対する 関心・感情・熱意等を 人の言葉で表現するとき
その表現は 控えめな 表現にならざるを得ませんよ。
神の世に対する愛が イエスと言う出来事になってしまった。
これは 人の言葉にならないと思いますよ。
92 :
キュロス :2005/09/07(水) 20:05:02 ID:U5CfNFyz
>>91 人の言葉では表現できない 神の人に対する極度の関心を
旧新約聖書の記述者達は 人に伝えようとして
全身全霊を込めて文書にしたのでしょうね。
93 :
名無しさん@3周年 :2005/09/07(水) 20:41:39 ID:4DAwkoMq
>>92 それほと大袈裟でも、立派なものでもなく、単に神懸り状態(一時的な精神異常)
だったからに過ぎないのではないですか。どうして、そんな大袈裟な解釈が可能
なのですか。
94 :
キュロス :2005/09/07(水) 21:21:44 ID:U5CfNFyz
いや 大袈裟ではないですよ。極控え目な 表現ですよ。 「なんびとも正気にある時は 預言的真理と霊感に達する事は無い。 しかし 霊感に満ちた言葉を受けると その知性が魅了されて眠り込むか 心的異常か 憑依によって狂気にいたる。」と 言ったのはプラトンでしたね。 しかしパウロ・各福音書記述者及び記述預言者の大部分は 正気 ですよ。
95 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/07(水) 21:27:48 ID:8ueCHNn6
第7ラウンド こちらは台風が近くを通りまして、今日は工場が休みです。 聖書にもあまり書いてませんし(明らかに影響してる)、キリスト教徒も 言わないですが、キリスト教ができた背景にユダヤ戦争があるんですよ。 それまでの神(YHWH)は、ユダヤ民族の守護神ですW ヨゼフスのユダヤ戦記を読むと、「精霊が宿るとされたエルサレムの神殿 が焼け落ちても神は沈黙のままだった」と書かれてましてね ユダヤ戦争で国を追われた時に、守護神が守護しなかったわけですし 多くの民衆や聖職者は「神を失った」んだと思います。 それが救い主を生み出した背景だと思います。
96 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/07(水) 21:28:37 ID:8ueCHNn6
続き >ユダヤ教徒から見ればクリスチャンは自分達を踏み台にして救いを得ようとするとんで >もない輩に見え、 僕はたくさんのユダヤ教徒と話したわけではないので、よく分かりませんが 僕がユダヤ教徒だとしたら、今のキリスト教徒はあまりにも自分勝手すぎる と思いますよ... ユダヤ教の伝統・風俗・習慣を尽く無視してるし、旧約聖書の言葉が 全部イエス・キリストの予兆として読んでるんですね...旧約聖書を 書いた人達はイエス・キリストの事なんか全然知らないハズなんですがね それで、ユダヤの神様も伝統も引き継いでると勝手に言ってるんですね >クリスチャンからするとユダヤ教徒は自分達の救生主を殺害した天敵に見える訳です > >ね。.... これも、キリスト教徒が勝手に言ってる事ですよ...レベルの低いキリスト教徒が よく行う事なんですが、何でもスケープゴートにしてしまうんですよ... スケープゴートを作らないと自分達の居心地が悪いんでしょうね... >皮肉な話です。とても聖書は同一の神が人間に書かせたものと思えません。 >聖書が同一の神からのものだとすればそれはクリスチャンが主張する調和 >の神ではなく、混乱、気まぐれな神です。 常識で考えれば、そう思うのが普通だと思います。
97 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/07(水) 21:30:28 ID:8ueCHNn6
第8ラウンド > 返事ありがとうございます。神学校等では本当の事を教えないのでしょうか? 本当の事と言うのは事実の事だと思いますが、事実は遠い過去の事で どれが事実なのかは分かりません、あくまで可能性の論議だろうと思います。 キリスト教徒は可能性の論議すら全くせずに、ある思い込みを何の疑い も持たずに信じ込んでいて、それに疑問が投げかけられても、何とか その思い込みの物が否定されない様に考える人達です。そのてんにおいては 最近の神学部はかなり変わってきました。(僕の知ってるところだけかも知れませんが)
98 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/07(水) 21:31:49 ID:8ueCHNn6
続き >偽りを教える事は聖書の教えに反する事だと思いますが。 >有本さんはクリスチャンがイエスキリストの幻を見たとかイエスキリスト >に祈ったら病気が治ったとか言う奇跡体験を聞いた事はあると思いますが >その事についてどう思われますか? 「イエスキリストの幻を見た」 そういう話を聞いたときは、できるだけ克明にその状況を聞くと良いと思います。 どういう顔をしてたか?どういう服装であったか?背丈?太ってるか痩せてるか? それで出てくる言葉は間違えなく、これまでに言い伝えられていたものか、絵に 描かれたもののハズです。 アメリカでそういう話を聞いて肌の色は何色だったかたずねたら白人だったと 証言したという話がありまして、イエスは中近東の黄色人種だと思うんですが、 その人は白人のイエスしか知らなかったんだそうです。 要するに、その人が思い描いてるだけなんですね
99 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/07(水) 21:39:30 ID:8ueCHNn6
続き 「イエスキリストに祈ったら病気が治った」 病気が治った話は、病は気からとも言われるように、その人の精神状態が 健全になる事により、体の抗体力が増して病気が治癒する事はあります。 病気の種類にもよるし、どの程度の病状かにもよります。病気の種類や 病状によっては効果がある場合もあるという事だと思います。 これは日本の宗教ですが、父親が死んでその少し後に息子が交通事故 を起こして、母親も心労で倒れたので神社にお払いに行ったら大した 事も起こらなくなった。と言う話がありますが。これは父親の死が家族に 何がしの動揺を与えてるんですね。健全な状態ではなかったんですね それでお払いに行って、健全な状態で父親の死を受け入れる様になったと言う事 だと思います。 僕が聞いた話を加えると 「エホバのおかげで就職できた」「エホバのおかげで学校に合格した」 どちらも、その人にそれだけの能力があっただけです。 ただその手の奇跡ごとで信者を勧誘したり、ご利益で神様を称えるのは 安物宗教の特徴でしょう...
100 :
名無しさん@3周年 :2005/09/08(木) 04:01:33 ID:xoZBg28i
>>95 「生み出した背景」 ←ココモスキーの誘導ポイント。この時点で新約がゴミと化す。
>>96 「ユダヤ教の伝統・風俗・習慣を尽く無視してるし」 ←ココモスキーの、ご都合的極論。
↑
イエスキリストは、悪い伝統・風俗・習慣を尽く否定しただけです。
当のユダヤ人でも無いのに、新約の救いの完成を避けるココモスキー。
そもそも、偶像でない生きた神の存在を否定するために聖書を読んでるのだから、
全くの筋違いである。
聖書は神の存在を表す書として読むことが本道。ココモスキーは邪道であり非常識。
非常識を常識として語るココモスキーはカルトに近いと言えるだろう。
101 :
名無しさん@3周年 :2005/09/08(木) 04:19:31 ID:xoZBg28i
>>97 科学的な手法から神を計り語ることは邪道。科学は神を否定するためのものではない。
しかし、その逆は然り。
信仰から現象を科学することは意味が有る。神を肯定するために科学の知恵を使うは然り。
102 :
名無しさん@3周年 :2005/09/08(木) 06:24:53 ID:NKX+IM7A
>>100 >「ユダヤ教の伝統・風俗・習慣を尽く無視してるし」 ←ココモスキーの、ご都合的極論。
ヘブライ語聖書の一部が多神教を表しているなどとうそぶいている段階で
キリスト教徒だけでなく、ユダヤ教徒にも相手にされない。間違いなく。
木を見て森を見ない読書術を実践しているから、聖典的視点がすっぽりと
欠落してしまっているのだ。だから究極のご都合的極論を垂れ流す。
103 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/08(木) 16:08:10 ID:Dm31tHrS
>>91 キュロスさん
ありがとうございます。
本当にその通りですね。
口語訳だと「憤り」ではなく「激しく感動」になっていますよね?
マニアックな人ですといろいろ調べて訳の難しさを理解して学べると思いますが、普通の人
ですと、そのまま進んでしまいがちですね。「激しく感動」の方が簡単に入り込めますから。
104 :
キュロス :2005/09/08(木) 19:29:32 ID:C8CGwi3J
ユダヤ教は そんな頑固に旧約聖書の 伝統 習俗 習慣を 護っている 宗教ではないよ。 非常に柔軟に他文化を吸収して その他文化を 自分達の信仰に合わせて 利用してしまう宗教だよ。 たとえば 安息日のシナゴークでの説教がある。 古代からの伝統では シナゴークでの説教は ロシュ・ハシャナ(新年祭)と ヨム・ネブール(贖罪の日) の年二回だけだったが プロテスタント教会の影響を受けて 安息日に行うようになった。 また シナゴークの組織運営方法が プロテスタント教会 を真似た形態にした。 ラビのガウン着用(1970〜1980)も プロテスタント教会の影響だよ。 保守運動・改革運動系は 女性ラビもいる。 人工妊娠中絶も 母親の生命を護る為なら 容認している。 ユダヤ教は 信仰の本質を護りながら柔軟に時代に対応する宗教だよ。
いつも思うんだが、イエスはユダヤ人だから白人ではなく中近東の黄色人種 という話が多すぎるんだよな。 アラブ人や当時のユダヤ人も色は黒いが人種的に白人であって黄色人種ではない。 確かに「ヨーロッパ系の色が白くて髪は茶〜金髪」というタイプの白人ではないが、 中東系コーカソイド人種な訳で・・・。 インド人だって黒いけど白人系な訳で。 イエスを勝手に黄色人種にしないで欲しいわ。
106 :
名無しさん@3周年 :2005/09/08(木) 21:19:14 ID:VG/LP4B3
独自のカテゴライズですか。
108 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/08(木) 22:35:47 ID:Ubi/rBtb
第7ラウンド > キリスト教徒は悪魔サタンと堕天使ルシファーを結びつけますがその根拠は何です 僕はその根拠を知りません。専門書によれば、最初に同一視しだしたのはオリゲネス (AD2−3世紀)の頃だそうです。ルシファーの意味は「明けの明星」でイザヤ14/12 で、「明けの明星」が天から落とされた聖句を絡めて堕天使とした様ですが、イザヤの 聖句はバビロンを示して、イザヤの「明けの明星」は「新興勢力」と言う意味です。 旧約をちょいつまみして、普通に考えたらコジツケと思える事をするのは、キリスト教会 の十八番です。 >またノアの時代に人間の間とにネフィリムを設けた天使が悪霊の元になったらしいです >が、創世紀にはそこまでは書いてません。 >ユダの手紙は外典からの引用だそうです。 これは、多分エノク書(外典・偽典)だと思います。なぜ偽典なのかは、読んでいただいたら 分かります。妄想の羅列としか言い様のない酷い巻物です。ユダヤ教会が正典をチョイス した時(AD90年頃のヤムニ会議)に真っ先に没にしただろうと思います。 >またガブリエルやミカエルしか天使の名前が出てこないのはなぜでしょうか? >外典や偽典には他に何人か出てくるらしいですが。 僕の個人的な意見ですが、ユダヤ教はどちらかと言うと、この手の神話事が嫌い なんだと思います(教義にそぐわない)。かと言って創世記を編纂するのに神話伝承 を書かないわけにはいかないわけで(重要な民族伝承ですので)、ほんの触りだけ でてるのではないかと思います。 それと、BC2世紀頃からの世相の悪さから、ユダヤ教そのものも箍が 緩み始めたんだろうと思います。それが幾つかのセクトに分裂した要因ですし、 古来の教義とは異質の文書が出回ったんだろうと思います。 その多くは外典・疑典なんですが、唯一正典になったものにダニエル書が あります。ガブリエルもミカエルもダニエル書だけだったと思うのですが....
109 :
キュロス :2005/09/09(金) 00:14:46 ID:1EsXGcju
>>108 >ユダヤ教会が正典をチョイス
>した時(AD90年頃のヤムニ会議)に真っ先に没にしただろうと思います。
この「ユダヤ教会」と言う呼称は 何か根拠があるの?
アナタの妄想ですか?
110 :
キュロス :2005/09/09(金) 00:15:53 ID:1EsXGcju
>>108 >ユダヤ教会が正典をチョイス
>した時(AD90年頃のヤムニ会議)に真っ先に没にしただろうと思います。
この「ユダヤ教会」と言う呼称は 何か根拠があるの?
アナタの妄想ですか?
111 :
名無しさん@3周年 :2005/09/09(金) 10:28:03 ID:8rVC9oru
ヤムニヤ「会議」と呼ばれるものは、ラビ文献においてはベイト・ディーン、 すなわち裁判所(邦語では「法廷」という訳語が当てられる場合もあるが)であり、 その機能・役割に着目して普通邦語文献では「学熟」という訳語が当てられている。 ユダヤ「教会」ではナンセンス。 >多分エノク書(外典・偽典) これなども、まったく不正確。 外典の範囲は70人訳、カトリック、ルター派、東方正教会などで異なるが、 それでもどこででもどのエノク書も偽典扱いで、外典に含めるものはない。 付け足しだが、ユダヤ教正典が確立されたのがヤムニヤ会議であるという かつての定説は現在では支持を失いつつある。ココモスキーは、キリスト教徒は 聖書の内容を鵜呑みにしているとあざ笑いながら、ラビ伝承については無批判に 受け入れて、かつての定説を盲信するとは片腹痛いわ。
112 :
名無しさん@3周年 :2005/09/09(金) 10:44:59 ID:1xtWSmpX
>>107 からは黄色人種、モンゴロイドと同種とはいえないが白人種ともいえない。
古代イスラエル人が黒目・黒髪・有色であることを見ると白色人種が異質に見えるし
歴史的、血統的にも旧約の民は特殊なのでコーカソイドか否かの地理的分布だけでは
推し量れない。
アラブ人はユダヤ人の血脈であるが、アラブ人は血統を守ってこなかった。
>>112 人種を色だけで判断するのは無理だよ。
黄色人種と言ったって東南アジアの色黒組と北東部の色白組では色が全然違うから。
===================================
オーストラロイド(アボリジニ等)
↑
原始ホモサピエンス→古コーカソイド(非白色)→後コーカソイド1(欧州白色)
↓ →後コーカソイド2(インド・ペルシャ非白色)
↓ →旧モンゴロイド(東南アジア・縄文系)→新モンゴロイド(モンゴル系・朝鮮系)
ニグロイド(黒色系)
===================================
という分岐が定説だと聞いた事がある。
コレで言うとユダヤとかインドは非白人コーカソイドだね。人種としては同じだから骨格が似てるけど、地域差により色が違うと。
当然、聖書とは矛盾が生じてしまうけど。
114 :
名無しさん@3周年 :2005/09/09(金) 21:58:07 ID:DjN8CWhM
状況証拠だけなんだ。 コーカソイドだとする物証ととその論説はないの? 人に品種があるのは確かだが。瞳の色の大別との関連づけはどうなんだろう。
115 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/09(金) 23:37:44 ID:UQSJxb1R
第8ラウンド >人間は全て罪人である、人間の罪は親から子へ受け継がれると言う概念はキリスト教の >中心的教理ですが旧約時代にはあったのでしょうか? >また今のユダヤ教にはありますか? キリスト教会は何処からか根拠を持ってきてるかも知れませんが、旧約に原罪を 求めるのはかなり困難な事だと思います。新約においても、主にパウロ書簡だと思いますが パウロ書簡もよくよく読んでみると(特にローマ書簡など)、仏教で言う5欲の様な物で モラルが欠如した当時の世相の悪さを指摘してるだけの様な気がします。 ところが、キリスト教会にとっては原罪論は余程都合の良い話らしくて、人間を みんな罪びとにしてしまえば、それを教え諭し原罪から逃れる物としての教会の 存在価値が出る様です。原罪の中身は何かと尋ねると、「神から離れてる事」など と言い出す始末でしてね(そんな事はパウロ書簡には書いてないですがね)... 要するにキリスト教会はこの原罪論を「教会から離れたらだめよ、教会の牧師の 言う事をよく聞きなさい」と言うものに摩り替えてるんですね。 >またクリスチャンは動物の犠牲がイエスキリストを予表していると主張しますが、 >元来動物の犠牲は神に対して罪の赦しを求めるものなのでしょうか? 僕は残念ながら、この話は聞いた事がないんですが...どなたかキリスト教徒 に尋ねてください...ユダヤ教では犯罪を犯した者への罰として、家畜を 奉げる習慣があります(レビ記4章参)が、この辺をこじつけてるのかも しれませんね 車の運転でスピード違反で捕まって、反則金を払ったら罪の許しを乞うた事に なるんですかねぇ...僕は社会に迷惑を掛けた事へのお詫びだと思うんですが
116 :
キュロス :2005/09/10(土) 00:42:46 ID:glDCJPd6
自由の対極にあるものは 決定論ではない 心のかたくなさ であるらしい。 自由は 自然的なものではない 神が人に与えた贈り物なのだ。 心がかたくな になってゆくことは 自由が中断すること らしい。 出来事を 理解し 見聞きする能力を 与えられること もあり 与えられない こともある。 心のかたくなさは そのことを当人が意識していない状態である。 何が原因で苦しいのか解らず 悔い改めることができない らしい。 かたくなさが上からの働きで強められる場合は 神が責任を取る。 神は 撃った後で回復される。感受性をよみがえらさる らしい。 わがままなかたくなさに対する唯一の治療法は それを徹底させること らしい。 中途半端な心のかたくなさと うぬぼれが結びつくと 治療法を求めようとはしない らしい。 心のかたくなさが 完璧の域に達すると 絶望に転化し うぬぼれ がきえる 信じる能力が 全面的に失われた どん底の状態から 祈りがわきでる らしい。 神の言葉に対する鈍感さ 反抗心という奇跡は 神がかした 心のかたくなさのせい かもしれない。 罪も罰もしょせん一緒らしい。
117 :
キュロス :2005/09/10(土) 00:52:31 ID:qOtoMBzV
>>116 のつづき
>イザヤ 63:17
>なにゆえ主よ、あなたはわたしたちを
>あなたの道から迷い出させ
>わたしたちの 心をかたくな にして
>あなたを畏れないようにされるのですか。
>立ち帰ってください、あなたの僕たちのために
>あなたの嗣業である部族のために。
これは 神が人間の側の責任に 一枚噛んでいるのではないか。
と解釈する人がいる。
118 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/10(土) 09:13:12 ID:dKLNFuQQ
う〜ん、難しすぎてわかりませ〜ん。 福音を頭で理解できても心で受け入れられない。 信じる行為は自分の力では絶対できないとされている教会に行ってますもので、 そうなると神の計画と人間の責任の関係は?と思うんですね。
119 :
キュロス :2005/09/10(土) 10:32:37 ID:s8ZqBkIv
>エレミヤ 4:10 >言うであろう。「ああ、主なる神よ。まことに、あなたはこの民とエルサレムを >欺かれました。『あなたたちに平和が訪れる』と約束されたのに >剣が喉もとに突きつけられています。」 これを 言いかえると 「あなたは安からざるに安し安しと言って民を惑わした偽りの預言者達を 放任されてきましたが それは彼らを欺いたも同然ではありませんか。 偽りの預言者たちは 何も心配するには当たらない 平和と繁栄が 待っているのだから と説きつづけて民を惑わしてきました。 指導者は 民を導く責任があります。では 指導者を導く責任は誰にあるのですか?」と言うことになる。 ユダを襲った災いを 目撃して エレミヤの主張は 「民の大部分は 主がこれらの預言者にお語りになったのだと 思いこみ 私の預言を聞くべきか 彼らに耳を傾けるか迷っています。 そして大多数の人々は 彼らの言う事に従がおうとしています。 その数が多いせいです」
120 :
キュロス :2005/09/10(土) 10:47:58 ID:s8ZqBkIv
青野太潮 の本で 「ユダヤ教の逆説」というのを知った。 サンダース とか タイゼン 及び 佐藤研も言っていると記憶している。 そして ユダヤ教の考え方を知れば パウロ書簡 マタイ福音書を より理解することができると 愚考した。 そして ユダヤ教関係の事を 色々調べた そしたら 今まで ギリシャ的だと 思っていた ヨハネ福音書が ガチガチにユダヤ的だと言うことに気付いた。 それから 雨宮 慧 の旧約聖書関係の本も オレの 新約聖書の見方を変えた。 すべて オレの読解力の無さから来る 妄想かもしれない。
121 :
キュロス :2005/09/10(土) 11:14:13 ID:s8ZqBkIv
人間が 神を必要とする と言うことは 神が人間を必要とする 事らしい。 聖書は 人の神学ではなく 神の人間学 だそうだ。 人は神の似姿と言うことは 神に近い力が人にある と言うことらしい。 神の似姿のカインは 妬みより 神の似姿のアベルを 殺した。 人々は妬みで 神の子イエスを 殺した(マタイ27.18) 人は神を殺せる力があるのですよ おそろしいことです。
122 :
名無しさん@3周年 :2005/09/10(土) 11:17:43 ID:4nP/8lah
土戸清先生もヨハネ福音書は、ユダヤ教とキリスト教の対立ではなく、 ユダヤ教内部の対立から生まれた文書であるといっているね (正統ユダヤ教から排除された異端的ユダヤ教の弁証的文書がヨハネ福音書であると)。
123 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 20:40:52 ID:utM5pzV/
殺すということは、イエス様の言う姦淫の罪と同じで、物理的なことのみではないでしょう。 存在を無視する行為が殺しに相当する。無きものにする心が既に人を殺しているのでは。 人が神様により生かされる存在ならば、神様を殺す(無視、拒絶する)ことは自らの命を捨てることになる。
124 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 20:42:12 ID:w525ziJR
わけわかめ
125 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/11(日) 00:45:07 ID:aD0TjXbN
第8ラウンド > 有本さんは、イエスと言う人物がこれ程までに多くの人々に影響を >与えてきた原因は何だと思いますか? それが僕が生涯を掛けて取り組んでるテーマなんですが、答えは 出ません。イエスは調べれば調べるほど、普通の人物になって しまいます。それで、この答えはますます謎になってしまいます。 >また聖書はベストセラーですが、その原因は何だと思いますか? これも同じ謎が出てきてしまいます。聖書は読めば読むほど 普通の歴史絵巻か、その頃の人達の心情を書いたものに 過ぎなくなってしまいます。 >そしていまだに欧米では聖書の批評家等は肩身の狭い思いをして >いるらしいですが、変わる時はくるのでしょうか? ここでは、聖書学研究者がおかれてる実情を考えて見ます。 聖書やイエスについての研究はアメリカにおいて一番進んでます。 そういう人達にとっては特に肩身の狭い思いはないと思います。 一方でタカ派的なキリスト教徒が多くいて、そういう連中の気に 入らない物が公にされると、時に暴力沙汰になるのも事実です。 イエスとマグダラ・マリアの恋愛事を描いた映画を上映した映画館 が焼き討ちにされましたし、ヨーロッパの保守的な国では、こういう 研究が禁止されてる国もあります。「変わる時はくるのでしょうか?」 僕はそれを変えられるのは、そういう研究が自由なアメリカか キリスト教とあまり縁(煩い事を言う連中があまり発言力を持っていない) がない日本だと思います。
126 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/11(日) 13:10:08 ID:b/az4Dyc
第9ラウンド
>イエスは本当は50歳前後まで生きたと言う人達がいますが真相はどうなんでしょうか?
イエス・キリストのモデルになった人物は、もしかしたら受難から逃れて長生きしたのかも
しれませんが、あくまで歴史上の仮説ですので..むしろ、そういう仮説がなぜ出てきたか
の方が調べる価値があると思います。
>またイエスの実弟が書いたとされるヤコブの福音書と言うものが存在するらしいですが
>読んだ事ありますか?
新約の外典にヤコブ福音書はあそうですが、僕は残念ながら読んだ事はありません。
解説書を読む限りグノーシス系のものでもなさそうです。イエスの弟のヤコブについては
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_yakobe.html で調べた事があります。ヤコブ自身はエルサレム原始教会の宗主で、パウロや
ペテロと並ぶ宗教指導者だと思います。ヨゼフスの古代詩でAD62年頃アナノス2世
により処刑されたとありますので、外典のヤコブ福音書は彼が書いた物ではないと
思います。
むしろ新約にあるヤコブ書の方が、当時のエルサレム原始教会やヤコブの主張が
反映されてると思います。
>ヨーロッパの保守的な国では、こういう >研究が禁止されてる国もあります。 聖書やイエスの研究が禁止されている国なんてあるの?どこ?
128 :
キュロス :2005/09/11(日) 19:09:46 ID:ReZbJPry
>マタイ 27:54 >百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、 >地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 イエスを殺した人達は イエスが死んだのち イエスのことを 「神の子」だと理解するのですね。 多分彼らは 自分達の罪の大きさに アベルを殺したカインのように (創世記 4:13) 愕然とし 絶望したことでしょう。 絶望した彼らは 神がイエスを復活させたことを知り 驚嘆した事でしょう。 そして 神は絶対に人を 見捨てないこと知り 驚嘆が感謝になり その驚きと感謝の気持ちが イエスの出来事を 世界に伝える力になった のでしょう。 >心のかたくなさが 完璧の域に達すると 絶望に転化し >うぬぼれ がきえて 信じる能力が 全面的に失われた >どん底の状態から 祈りがわきでる らしい。
129 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/11(日) 19:31:43 ID:40NaLqxc
第9ラウンド
> 新約聖書にのせられているイエスの系図はどれ程信憑性のあるものなのでしょうか?
>
イエスの系図については
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_kakeizu.html でまとめてますので、ご参照ください。
マタイ福音書とルカ福音書に系図があるのですが、その2つが全く違って
るので、キリスト教会はいろいろ苦し紛れの言い分けをします。
ルカの方はマリアさんの系図だなんて言う話もあります。
それで実はダビデ王からイエスまでの間に途中で一箇所符号する親子が
いる事に気づいてないみたいですね。
おそらくルカとマタイで照合は全くしてないでしょうから、それで符号するので
あれば、ユダヤ人にとって重要な人物だと言う事なんですね。
マタイもルカも誰を思い描いて、イエスの受難物語を創作したか
分かります。
イエスの予表を唱えていながら、マタイもルカも系図に載せてる人物に
気づいてないんですね...
130 :
キュロス :2005/09/11(日) 20:01:58 ID:QFIcU/5k
素朴な疑問のなのだが 運命論的宗教で 感謝の気持ちが起きるのだろうか?
131 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/11(日) 20:32:05 ID:iY2iJHEy
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と大声を出し息絶えたイエスです が、この姿をみて百人隊長に「本当にこの人は神の子だった」と言わしちゃうのですね。 イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めて いるからです。 第一コリント2−2
132 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 20:46:57 ID:nz5EMLOR
結果論として、まるでそうなるべきが如く感じることでしょう。 神様は全ての人が救われることを望まれる。必ず成し遂げられる。また、そのように信じる我々も祈らねばならない。最期の土壇場まで悔い改めを願い、最後の者まで許す。
133 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 20:54:08 ID:7smHod+H
>>131 詩篇22編を読んでイエスが考えていた事、そして成し遂げられたこと
の意味を考えてみて下さい。
>>132 あなたの望みと教えを同じものとして考えることやましてや書き込みして
誤解を生むかもしれない危険を冒してはいけません。
134 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/11(日) 21:12:55 ID:40NaLqxc
>>131 >「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と大声を出し息絶えたイエスです
>が、
>この姿をみて百人隊長に「本当にこの人は神の子だった」と言わしちゃうのですね。
すみません思わず大笑いしてしまいました?
マタイ 27/46−47
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と
いう意味である。
そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼ん
でいる」と言う者もいた。
マタイ福音書 27/54
百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの
出来事(天変地異)を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
*番兵は地震やいろいろな出来事をみて、恐れをなして「神の子」だった
と言ってるんですね...もちろんこの話もフィクションでしょうが...
*マルコは神殿の垂れ幕が上から下まで、真っ二つに裂けたとありますね
番兵がどういう経緯で「神の子」と言ったか、ちょっと不明
*ルカは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」で、番兵は
「本当に、この人は正しい人だった」ですね...
*ヨハネ福音書は、例の「成し遂げられた」ですw...
番兵のコメントはありません
なんでこんなに違うんですかねぇ....
135 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/11(日) 21:25:44 ID:40NaLqxc
>>134 続き
そもそも罪人を処刑する番兵が、それまでにイエスに
会ったかどうかも分からない(多分イエスとは初対面か)
番兵が、その罪人が死ぬ場面を見て「神の子」などと
思うわけがないヤロ....どう見てもマルコやマタイ
のたちの悪いフィクションだよ..わはははははははは
フィクションみえみえの話をまともに受けてるんだから
キリスト教徒って「楽しい」「愉快な」「お気の毒な」
「あまり相手にしてもしょうがない」人達だよ....
わはははははは
136 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 23:25:38 ID:xhFf3vDq
聖書は心を映す鏡。先進諸国一般論からすると、お気の毒なのはココモスキーとなる
137 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/11(日) 23:37:14 ID:40NaLqxc
第11ラウンド > ナタンとソロモンは異母兄弟と言う事になるのでしょうか? そうだと思います。 >ソロモンがダビデの王位継承者になりましたが、ナタンの子孫はその後、表舞台に出てきますか? あまり出てきてる気配はありません。あの系図で編者が確実に示したかった人名は、ダビデと ゼルバベルとヨゼフ(父親)だけだろうと思います。 マタイの方は曰くつきの女性名が数名見受けますので、その後のイエス出生のいきさつ を説明する為の付箋ではないかと言う人もいます。 >それとキリスト教の主張する様にイエスが人類を救う為に生まれたのだったら、母親が誰だろうと >父親が誰だろうと、誰の家系から生まれ様とあまり重要な事ではないと思うのです。 > >むしろ赤子として生まれないで、天使の様に肉体を付けて現れてもよいはずです。 僕も全く同感です。マタイとルカはここで何故ダビデ王家の系図を持ってきたのか よく分かりません。ダビデ王家の血筋である事に権威を感じるのはユダヤ人 だと思います。時期的には、ユダヤ戦争のすぐ後の為、ユダヤ人難民をターゲット にした、イエスの箔付けだと思います。この頃に全人類を救う救い主だと言う 概念はなかったのではないかと思います。
138 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/12(月) 19:59:16 ID:sAg9W2kI
詩篇22を読みました。
19、わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじをひく。
共観福音書に比べ、ヨハネだと縫い合わせのない下着と丁寧に書いてあるけど何故でしょう?
なんかのんびりしていますよね? 十字架のイエスを前にしているのに。
>>135 ココモ先生
> キリスト教徒って「楽しい」「愉快な」「お気の毒な」
これは褒めてくださっているのですか?
キリスト教徒が「苦しい」「不愉快」ってことで生活していたら福音の種を蒔くことできないでしょう?
139 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/12(月) 21:27:37 ID:zQpi+Dd2
第12ラウンド > 話は変わりますが、悪質な終末論が台頭した背景には何があると思いますか? 多くの場合は社会体制の変化、新しい勢力の台頭、大きな戦争、飢饉などが あると思います。 新約聖書の背景は明らかにユダヤ社会の崩壊と異邦人(ローマ人など)の台頭が あるんですが、一方のローマはパックス・ロマーナの華々しい時期で、社会の 崩壊とは無縁です。聖書(特にユダヤ系の)だけ読むと世の終わりを示してますが それは、聖書を取り巻く人達のなかの一部の人達だけの事です。 これと同じ事が、カルトの信徒にも言えます。彼らの世界はその教会だけだから です。ハルマゲドンは彼らだけのものです。 >聖書の神はノアに全地を滅ぼす事は2度としないと約束したはずですが。 この神様はいろいろな事を約束したり宣告してくれますが、反故されたものも 沢山あります。 身近に似たような人がいれば、お調子者でできもしない事を簡単に口約束 する、信用できない人と評価される様な神様です。 >この終末論はカルト教団にはとても都合の良い教義です。困った事に多くの信徒が >それによって人生を狂わせてしまったのです。もっとも人類が誕生するはるか昔に >恐竜時代に大量に隕石が落ちてきて地球規模の天変地異があったらしいですが、 >それとハルマゲドンは関係の無い話です。またキリスト教以外にも終末論を掲げて >いる宗教はありますが、人の心には創造と破壊と言うものが棲んでいるのでしょうか? 聖書もそうなんですが、ある地域の社会や体制の崩壊といわゆる天変地異を ごっちゃに言うとややこしくなります。 ハルマゲドンは彼らのものです。願わくば一般の健全な人達を惑わさないで いて欲しいものです。
140 :
キュロス :2005/09/12(月) 21:39:23 ID:kOipQiq+
>>138 >出エジプト 28:31
>また、エフォドと共に着る上着を青一色の布で作りなさい。
>28:32 その上着の真ん中に頭を通す穴をあけ、
>そのへりは革の鎧の襟のように縁取りをして破れないようにする
>出エジプト 39:28
>亜麻のターバン、亜麻の美しいターバン、亜麻のより糸で織ったズボン、
ユダヤ古代史3巻によると 大祭司は 縫い目の無い式服を着ていたらしい。
「19章23節で縫い目の無い下着に事をわざわざ強調しているのは、
大祭司の縫い目の無い式服の暗示にちがいない。 だからここでもまた
現来の細部は史実ではなく、預言から取られたものなのだ」
と クロッサンは主張している様です。
クロッサンの主張に対する反論を フルッサーがしているが
「縫い合わせの無い下着」に対する 言及は無いようです。
古い本で 申しわけない、旧約系の本が高すぎるので
最新の史的イエス系の本は 読んでいないからしらない。
141 :
キュロス :2005/09/12(月) 22:07:10 ID:e/OA/nvM
「大祭司の縫い目の無い式服の暗示」なのか ヨハネ福音書は 共観福音書と伝承経路が違うから たまたま ヨハネ福音書記述者の手元にある 資料が そうなっていたのかは 解らない。 ヨハネ福音書の神学的理由だとすれば それは何なのでようね?
142 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/13(火) 00:00:55 ID:zQpi+Dd2
>>138 >詩篇22を読みました。
>19、わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじをひく。
>共観福音書に比べ、ヨハネだと縫い合わせのない下着と丁寧に書いてあるけど何故でしょう?
>なんかのんびりしていますよね? 十字架のイエスを前にしているのに。
十字架のイエスの前ではなくて、それから50−60年経て、ユダヤ教会の
との軋轢が深刻な事態になり、ドミティアヌス帝の弾圧が激しく、ユダヤ系
キリスト教会とも異邦人系キリスト教会とも対峙してる時期です。のんびり
してるのではなくて、よりラジカルな気質のためだと思います。多分
筋を通さないと気がすまない人達だったんだろうと思います。
143 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/13(火) 00:17:01 ID:aWuxryzd
キリスト教徒は何故イスラエル戦争の話がないんですかねえ... それが不思議でしょうがないんだw イスラエル戦争の前にあったものは、イエスの受難と、エルサレム 原始教会とQ伝承と自筆パウロ書簡と各原福音書ナンザンス... それでこの戦争の後にわWWWWWWWWと新約聖書の巻物が 量産されたんスネ..... それでその戦争の後にできた巻物を読んでヒントを得て イエスはどうだったと言ってるのがキリスト教徒なんだw これを幾ら説明しても理解しナインだな、理解したくない奴は ほっとけ...どうせ社会から隔離された特殊な人達なんだから
ユダヤ戦争なら聞いたことがあるけど、イスラエル戦争て何? 聞いたこともない事について話せと言われても・・・(ry
145 :
キュロス :2005/09/13(火) 08:11:09 ID:ZhPD77Qc
エルサレム教会のキリスト教徒は エルサレム戦争開始前に 逃走するんですよ。 神殿を見捨てるのです。 福音書では イエスの死を神殿崩壊に結びつけているように 思える。これは たぶん 薄汚い異邦人が 礼拝できない 神殿の神が 崩壊する事によって 全ての民が礼拝できる神になった と言うことを 意味していると思う。 それと これは 何時頃出てきた考え方かは 知らないが 神殿崩壊と言う出来事を 神の選びが ユダヤ人から キリスト教徒に移ったと 考えたらしい。これが 以前からあった ユダヤ人及び シナゴークの蔑視に繋がり ナチのホロコーストで 頂点に達するのだと思う。 まあ バビロン捕囚という出来事の意味が ユダヤ人と キリスト教徒 違うのだろうね。 この辺が 考え方が特殊だよね。 神の選びが ユダヤ人から キリスト教徒に移り そして キリスト教カトリックから プロテスタントに移り プロテスタントは 分裂を繰り返している。 これが 神の思い なのか 人の思いなのか 人の罪 には 神が一枚噛んでいるのか・・・・
146 :
キュロス :2005/09/13(火) 21:36:25 ID:NYFgSwGx
>ヨハネ福 19:15 > 彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、 >「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、 >祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。 この段階で エルサレム神殿の祭司長達が ローマ皇帝の支配下に入る。 >ヨハネ福 19:23 >兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、 >各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、 >上から下まで一枚織りであった。 >19:24 そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、 >くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、 >「彼らはわたしの服を分け合い、 わたしの衣服のことでくじを引いた」 >という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。 そのくじで選ばれた者が 大祭司のズボンを着る と言うことは ローマ皇帝に仕える ローマ兵が大祭司になる と言うことか。 エルサレム神殿は ローマ兵の大祭司とローマ皇帝に仕える祭司長達 によって 運営される と言うことですね。 まあ 事実上の神殿崩壊ですね。
147 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/13(火) 22:10:27 ID:7GRPjm3i
イエスは神殿を批判していたのに、イエスの死後、弟子達は神殿に、 集まって伝道を始めるのですね。 使徒3。
148 :
キュロス :2005/09/13(火) 22:15:03 ID:NYFgSwGx
ユダヤ戦争後 皇帝ドミティアヌスはユダヤ人に対する 租税を 増やしかつ厳格に徴収すると同時に ローマにおけるユダヤ教への 改宗を厳禁した。 ヒレル系の ガマリエル二世が サンへドリンのナーシー(総主教)になる。 そして サンへドリンが70年以前の権威を取り戻す。 ネルウァ帝の時代に ガマリエル二世は アンティオケで総督から ユダヤ人共同体の 首長として承認される。 90年頃 ハラハ−(法規)の解釈がヒレル系に 統一され シャンマイ系の伝統は 排除された。 「ヒレル家の教えに逆らう者は 誰でも死に値する」と言われた。 そうして ユダヤ教内部は いっそう一体化が推し進めれられた。 ヨハネ福音書の成立年代は 遅くとも90年代(田川)・ 100年〜120年(タイセン)だと 言われている。
149 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/13(火) 22:32:45 ID:7GRPjm3i
「旧約新約聖書時代史」 山我哲夫、佐藤研 教文館 「イエスとその時代」 荒井献 岩波新書 を、読んだことありますが、他にお勧めの歴史書ってありますか? おもしろく、簡単、安くて、又、入手しやすい本があれば教えて下さい。
150 :
キュロス :2005/09/13(火) 23:12:21 ID:L0zknqBi
オレの最近のネタ本 新約聖書 G・タイセン 教文館 ¥2、000 旧約聖書 C・レヴィン 教文館 ¥2、000 旧約聖書のこころ 雨宮 慧 女子パウロ会 ¥1、200 続 旧約聖書のこころ 雨宮 慧 女子パウロ会 ¥1、800 共観福音書の社会学的注解 新教出版社 ¥8、500 新約聖書の周辺社会 E・ローゼ 日本基督教団出版社 ¥3、500(古本) 書物としての新約聖書 田川健三 ¥8、240 フランシスコ会訳 分冊 新約 旧約は一部分だけ 岩波訳 分冊 これも予算的に 一部分 共観福音書の社会学的注解 と フランシスコ会訳 旧約分冊 が 高いので 新約の新しい本が買えない。
151 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/14(水) 00:27:27 ID:+sLczcsf
>>140 >ユダヤ古代史3巻によると 大祭司は 縫い目の無い式服を着ていたらしい。
スンマセン、ユダヤ古代誌は20巻ほどあって、3巻はまだバビロン捕因
以前の時期ナンスが、そんなところにこんな記事ありましたか?
もしかして、畠さんが訳した全6巻の方ですか?ギリシャ数字で原本の
番号がふってあるので、そちらを表記をした方が良いと思いますよ.....
152 :
キュロス :2005/09/14(水) 18:47:16 ID:YvFa3bHN
>>151 誰がイエスを殺したのか 反ユダヤ主義の起源とイエスの死
ジョン・ドミニック・クロッサン 青土社 p268〜269
より引用する
「大祭司も同じように着飾り、前述の物を全て身につけるが、その上に
これも足下まで達する青糸で織られた祭服を着る・・・・・・この祭服は
二枚の裏地が肩と脇のところで 縫い合わされているのではなくて
縦長の一枚織りで作られ、胸から背中の中央にかけて、縦に襟開が
付いている。布地の端は裁断の不揃いを隠すために縫い合わされている。
そして両腕を通す袖開きがついている。」ユダヤ古代誌 三巻 159節〜161節
153 :
キュロス :2005/09/14(水) 19:34:04 ID:aZoJDv7u
懐疑は 二つの合い対立する、矛盾し合うものの見方の間に 心が揺れ動いている状態として これまで大切にしてきた信念が ぐらつきだした状態として いわば知の後からやってくる。 懐疑するということは ついさっき真実の可能性があるとして 受け取られた事に疑問符をつけること らしい。 疑う為には まず知らねばならない ということになる。 懐疑は 知の始まりではないのだ。 知っては懐疑し 知っては懐疑し の繰り返しなんだよ。 知るために私は疑う でななく まず驚けよ 「哲学は驚きから始まる」とプラトンは 言ったらしい。 「なんだ! これは!」 とおどろけよ。驚嘆するあまり 懐疑をわすれろよ。 イエスと言う出来事を まじかに経験したパウロや福音書記述者のや 伝承を伝えた人達の 驚き に共感したくはないのかよ。 教会の教え などどうでも良いから なぜ パウロや福音書記述者等が 大真面目に こんなものを記述したか?という好奇心くらい起こせよ。
154 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/14(水) 23:05:24 ID:+sLczcsf
>>153 >「なんだ! これは!」 とおどろけよ。驚嘆するあまり 懐疑をわすれろよ。
>イエスと言う出来事を まじかに経験したパウロや福音書記述者のや
>伝承を伝えた人達の 驚き に共感したくはないのかよ。
その連中はイエスの「何」に驚いたヤロ...
俺はさっぱりわからん...
イエスの受難に驚いたんだったら、福音書の編者はわざわざ、
詩篇から言葉を持ってこないだろうし、宣教の業に驚いたんだったら
宣教の内容が伝承してるだろうし、病の癒しに驚いたんだったら
みんなイエスのもとを去っていったなんて言うこともないだろうし
驚くべき事があれば、福音書編者はあんなクダラナイ奇跡ごとなんか
書くわけないだろ....
取ってつけた様な、系図を書いたり、処女降誕を書いてる事なんか、
まさにイエスには何も人にアピールするものがなかった証拠だw
わはははははははははははははははははははははは
155 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/14(水) 23:10:00 ID:+sLczcsf
>>146 >この段階で エルサレム神殿の祭司長達が ローマ皇帝の支配下に入る。
エルサレムの祭司たちは、BC63のポンペイオスがエルサレムを統治
した時点から、ローマ皇帝の支配下です。
ここでは(イエスの受難の時)、改めてそれを確認しただけです。
156 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/14(水) 23:18:12 ID:+sLczcsf
>>154 >イエスと言う出来事を まじかに経験したパウロや福音書記述者のや
>伝承を伝えた人達の 驚き に共感したくはないのかよ。
言葉は正確に言いましょう...
イエスと言う出来事を遠い伝承で聞いたパウロや福音書記述者は
あまり頼りになる伝承がないが、崩壊しつつあったユダヤ教から
出てきた人達を何とか救済しなきゃならないので、あまり有名人
ではなくても、何でもかんでもでっち上げて、何とか有名人に
しなきゃならなかったんだよ、それを分かってくれないかよ」
と言うべきです。
157 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/14(水) 23:39:13 ID:+sLczcsf
>>145 >エルサレム教会のキリスト教徒は エルサレム戦争開始前に
>逃走するんですよ。 神殿を見捨てるのです。
見捨てたんか?逃げざるを得なかったと思うよ...
マタイ福音書に書いてあるだろ...ダニエルが預言した敵の
軍隊が出現したら、山へ逃げろって...これはその時の
事を書いてるんだw
>福音書では イエスの死を神殿崩壊に結びつけているように
>思える。これは たぶん 薄汚い異邦人が 礼拝できない
>神殿の神が 崩壊する事によって 全ての民が礼拝できる神になった
>と言うことを 意味していると思う。
ユダヤ系の巻物とギリシャ系の巻物で違うと思うけど...
この文章おかしくない?薄汚い異邦人が礼拝できない神殿が崩壊したら
薄汚い異邦人が礼拝する事になるんだけど、それでいいの???
全ての民の中には薄汚い異邦人がいるんだけど、ユダヤ系の福音書
はそれが許せなくて、マタイ福音書の様な異邦人批判やパウロ批判
になってるんだよ...ヨハネ黙示録の14万4千人はあからさま
にユダヤ系の人(現実はこの部族名とは全く違う人達だが)しか
書いてないヤロ...
158 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/14(水) 23:57:36 ID:+sLczcsf
>>157 続き
ヨゼフスのユダヤ戦記には、炎上するまで必死になって
YHWHの神に祈ってた聖職者が数名いたと書いてるよ
もちろんどういう人物かは知りようもないけどね
159 :
キュロス :2005/09/15(木) 00:01:31 ID:7pIQjqq9
ココモ博士サン
>>148 の歴史の流れを 踏まえて
>>146 を 読んでくださいよ。
>>146 は 神殿崩壊とも読めるし ユダヤ教主流派がローマ帝国の支配下
になった(初期のパリサイ派の志を捨てローマ帝国の御用宗教になった。)
とも読めるよね。
なぜ ヨハネ福音書では 最後の晩餐で正餐(パンと葡萄酒の儀式)
をしないのか?
ヨハネ福音書の記述者は 本当にマルコ福音書をしらないのか?
当時のユダヤ人は トーラ(モーセ五書)を 逐語霊感説どころか
天地創造の前から 神の手元にあった と信じていた、 らしい。
160 :
キュロス :2005/09/15(木) 00:05:39 ID:7pIQjqq9
黙示録文学は 暗喩を使って物事を表現する文学とも言える。
161 :
名無しさん@3周年 :2005/09/15(木) 09:54:08 ID:aHJ9GFxk
>>154 でココモスキーは
>取ってつけた様な、系図を書いたり云々 ←ココモスキーの別方向への誘導ポイント
●系図が表す意味も知らない ←ありえない
ココモスキ-は知ってって目線を逸らす。自身への誘導のポイントでもある。
162 :
名無しさん@3周年 :2005/09/15(木) 10:19:37 ID:aHJ9GFxk
>>154 でココモスキーは
>まさにイエスには何も人にアピールするものがなかった証拠だw
前スレ287でココモスキーは
>僕は神を否定した事もないし、イエスを否定した事もないんですよ...
詭弁ですか?それとも路線変更ですか?正常に動作してますか?
なんですか?ココは。 聖句の解釈スレではないんですか? 既に聖書から離れて史実証明・検証スレになってるんですが。
>詭弁ですか?それとも路線変更ですか?正常に動作してますか? 福音書のイエスとは似ても似つかぬイエスを捏造し、神と崇拝しているのだから、詭弁ではない。 ココモは又吉イエスと頭の中の構造が同じなんだな。
165 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/15(木) 23:07:34 ID:AXy1xLoC
終わりの日は近づいた。マジック11... Xデーは何時か? 時は9月19−21日 聖地甲子園でのドラゴンの神との最終戦争になるか 阪神教団とその信徒は聖なる酒と聖なる食事を用意 して、厳粛なる面持ちでその日の到来を祈っておりまする
166 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/15(木) 23:31:33 ID:AXy1xLoC
>>160 >黙示録文学は 暗喩を使って物事を表現する文学とも言える。
ヨハネ黙示録のどの部分が何を暗喩してるのか、ご説明いただけますか?
この手の説明で黙示録は何百とある解釈が生まれてきてるんだw
それがキリスト教会はそれが楽しくてしょうがないんでしょ...わははははは
167 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/15(木) 23:42:08 ID:AXy1xLoC
>>164 >ココモは又吉イエスと頭の中の構造が同じなんだな。
俺が否定してるのは、「人間イエスが神だ」と言うとんでもない
教義であって、ナザレ村出身の大工の息子のイエスがいた事を
否定した事は一度もないし、それとは全く関係なく神と言う物が
存在するであろう事は一度も否定した事もないと言う事だけどねえ
これが普通の人は容易に理解されるんだけど、クリスチャンは殆ど
無理な様だw
>福音書のイエスとは似ても似つかぬイエスを捏造し、神と崇拝
>しているのだから、詭弁ではない。
聖書に書かれてるイエスのお姿をご披露いたしましょう
ヨハネ黙示録1/13−16
燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、
胸には金の帯を締めておられた。
その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目は
まるで燃え盛る炎、足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、
声は大水のとどろきのようであった。
右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く
照り輝く太陽のようであった。
168 :
名無しさん@3周年 :2005/09/15(木) 23:45:33 ID:pc7piGz6
166 ココモスキイイイイイイイ! 君がア嫌われるのはァ その原因の一ツには その嘲笑うような口ぶりに在るのだよオ! 理解せィイイイイ├ト人!
169 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/16(金) 00:14:40 ID:8vNYSYP1
>>159 >
>>146 は 神殿崩壊とも読めるし ユダヤ教主流派がローマ帝国の支配下
>になった(初期のパリサイ派の志を捨てローマ帝国の御用宗教になった。)
>とも読めるよね。
何回読み返しても、全くその様には読めないけどねぇ...
その前からの筋書きを言うと、イエスがピラトに自分を
「ユダヤの王」と言ったので、ピラトは頭がおかしいのか
何か思い、民衆に問いただしたら、民衆もこの男を処刑しろ
と言いいます。それで19/12で「ユダヤの王」と自称
する奴を処刑しないのは皇帝に背く事になる」とも言います。
(民衆も皇帝支配を是認してる)
さらにピラトがユダヤ人たちに「みろあなた方の王だ」と言う
と、民衆は「殺せ、殺せ、十字架につけろ」と言いますよ。
そこで再度、ピラトが「自分がお前達の王を処刑して良いのか」
と尋ねた後に、祭司長たちが「自分達には皇帝のほかにわたし達の
王はいません」と言ったんですね...
分かりますか?...自分は「ユダヤの王」だと言ってる奴がいる
けど、ユダヤ人達は、自分達には皇帝以外の王様なんかいる分け
ないんだから、そんなおかしなことを言う奴は殺してくれと言う
ことなんだよ.....どう読み返しても、ここでエルサレムの
祭司たちの支配権が移った話にはなりませんがね...あんた
もう少し聖書読んだほうが良いよ
>なぜ ヨハネ福音書では 最後の晩餐で正餐(パンと葡萄酒の儀式)
>をしないのか?
そんな事知らねえよ...正餐がこの頃に重要な儀式だったか
どうか疑問だw...
>ヨハネ福音書の記述者は 本当にマルコ福音書をしらないのか?
原マルコは読んでるだろうね...と言うより、ルカ福音書は
確実に読んでるよ...
170 :
キュロス :2005/09/16(金) 00:23:11 ID:FSBzOCPP
>>166 イエスという一つの出来事の解釈が パウロと各福音書で
それぞれ違うのだと思いますよ。
その パウロや各福音書を読む個人でも またそれぞれ違うと思いますよ。
その 各個人で違う解釈を ここに書くのが ここのスレの目的だと
思いますよ。
聖書を 時刻の記載の無い JR時刻表的 に読む人もいる見たいだし
171 :
キュロス :2005/09/16(金) 00:26:09 ID:FSBzOCPP
>>169 それは キリスト教叩きの妄想のヒント を上げたんだよ。
172 :
キュロス :2005/09/16(金) 00:34:57 ID:FSBzOCPP
>ルカ福音書は 確実に読んでるよ... 正餐は 初期キリスト教から有る重要な儀式だよ。 ヨハネ福音書以外の福音書で 二回出てくるパンが増える話も 正餐だよ。 ヨハネ福音書では 御丁寧に パンが増える話も ただの食欲を満たす 話しにしてるしね。妄想力だよ 妄想力
173 :
名無しさん@3周年 :2005/09/16(金) 05:42:15 ID:iFm9K2ks
イスラエルには系図を監視管理し、血筋を明らかにする仕組みがあったのだろうが、 イエス家の家系図をユダヤ教界は否定しているのだろうか。 処刑する理由がほしいのなら、系図詐称で立件することが簡単そうだ。 社会的に認知されていた父ヨセフがダビデの末裔であることを疑問視する抵抗勢力は 聖書には無いようだ。民族的に系図の監視体制に自信があったのであろう。
174 :
名無しさん@3周年 :2005/09/16(金) 10:19:52 ID:HeHgIo2i
さてココモが、何のためにここで書き込みしているか?
>>167 >ナザレ村出身の大工の息子のイエスがいた事を
>否定した事は一度もないし、それとは全く関係なく神と言う物が
>存在するであろう事は一度も否定した事もない
一つ聞きたいんだが、無論ムハンマドなどとという俗物も、その神とと呼ばれものとは
全く無関係だという事を認めるね?まさかイエスは無関係で、
ムハンマドは大いに関係あるなんていうなよ(嘲笑)
スルーしないで答えてみろ。
175 :
名無しさん@3周年 :2005/09/16(金) 10:29:33 ID:k+2No8xF
>>174 ムハンマドのどのへんが俗物なの?
176 :
名無しさん@3周年 :2005/09/16(金) 12:15:49 ID:HeHgIo2i
>>175 ハイハイ。俗物だから俗物だと言っている。
屁理屈には付き合う気はないので、あしからず。
177 :
名無しさん@3周年 :2005/09/16(金) 12:35:42 ID:iFm9K2ks
> それとは全く関係なく神と言う物が 存在するであろう事は一度も否定した事もない ↑ そのココモ神の存在の肯定をしないで、一方の存在を否定するという悪辣なダブルスタンダード。 詭弁甚だしい!
178 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/17(土) 01:31:17 ID:ZlKMNE4A
第11ラウンド >聖書は他の神話の影響を受けている事はないのでしょうか?例えば、天地創造、アダムとイブや >洪水伝説、ソドムとゴモラ等の話は他の神話にも似た様な話はあるらしいですが単なる >偶然の一致でしょうか? どちらがソースかは分かりませんが、明らかに影響を受けてます。 洪水伝説は聖書よりだいぶ前のギルガメシュ叙情詩にそっくりな伝説が あります。偶然の一致ではなくて必然の一致です。旧約聖書の多くの神話は それより前のいろいろな伝説をかき集めたものです。 >また新約聖書の中心的な永遠の命や聖体杯授やクリスチャンが唱えるアーメン等の概念は古代エジプト>の宗教の影響を受けていると指摘する考古学者もいます。ユダヤ人はエジプトに住んでいた時期が永か>ったので十分考えられる事ではないでしょうか? アーメンはヘブライ語の「amen」...「ほんとうにそうであってほしい(あるべきです)」 の意味だと思います。エジプト由来については僕はよく分かりません。
179 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/17(土) 01:55:40 ID:ZlKMNE4A
世紀の大誤訳...それは貴方が言ってる事です ひさびさにホムペで近日公開します。 マタイ福音書27/11 新共同訳 さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、 「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、 「それは、あなたが言っていることです」と言われた。 口語訳 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに 尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。 イエスは「そのとおりである」と言われた。 新改訳 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに 「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねた。 イエスは彼に「そのとおりです。」と言われた。 翻訳によって180度話の方向が変わってしまいます。 イエスはどちらを言ったのでしょうか... 口語訳や新改訳であれば、ピラトも聖職者も群集の 反応もうなづけるし、死刑になるだけの容疑は確定するのですが、 新共同訳では全くつながらなくなってしまいます。 (もっともキリスト教徒は一行しか読まないから、この言葉で イエスはそんな発言はしてないと言い張るのでしょうが) 僕はいろいろな角度からどちらが、イエスの言葉(福音書の編者の言葉) なのか立証します。と言うより口語訳や新改訳の方がそれに近いに 決まってるんですがね....
180 :
キュロス :2005/09/17(土) 02:35:01 ID:W7YmVzv2
誤訳聖書といえば 五世紀にヒエロニュムスが ヘブライ語聖書を ラテン語訳したウルガータ訳を 忘れてはいけない。 >出エジプト 34:35 新共同 >イスラエルの人々がモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は光を放っていた。 >モーセは、再び御前に行って主と語るまで顔に覆いを掛けた。 この 「モーセの顔の肌は光を放っていた」を 「角の有る顔」と 訳してしまた。 (ヘブライ語カーランは 「光線」或いは「角」を意味する。) この誤訳聖書は 10世紀以上にわたって 正されずにいたらしい。 これが原因で サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂に有る ミケランジェロの モーセ像の頭には 角が生えているらしい。 また 17世紀にイギリスで印刷された聖書では 十戒の「汝、姦淫するなかれ」 を 「汝、姦淫するべし」と 誤植 してしまったものが有るらしい。 この聖書は 競売で1、000万円の値がついたらしい。
181 :
名無しさん@3周年 :2005/09/17(土) 05:33:15 ID:CFureQj2
>>179 ギリシャ語だとsy legeis。
syは「あなた」(主格)、legeisは「言う」だから、
新共同訳が原文に一番あっている。
肯定なのか否定なのかギリシャ語だとあいまいなのだけれども、
それがここでのポイント。
182 :
名無しさん@3周年 :2005/09/17(土) 06:55:03 ID:0ptHL+C8
どこが180度?ココモスキーが矛盾に仕立てたいだけ。 どの訳も結果を同じくしてつながる。 聖書全体を全否定するココモスキー。ココモ神は聖書に拠らない神か。
「それは、あなたが言っていることです」 「そのとおりです。」 NKJ Now Jesus stood before the governor. And the governor asked Him, saying, “Are You the King of the Jews?” Jesus said to him, “It is as you say.” 英語で読むと180度は変わりませんよ。 [as]が入ってるし...
184 :
キュロス :2005/09/17(土) 10:59:50 ID:D6BDYwZA
>マタイ 27:19 >一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。 >「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、 >夢で随分苦しめられました。」 ヘロデは 占星術の学者の 主張を聞いて その結果 「ベツレヘムと とその付近一帯にいた二歳以下の男の子を 一人残らず 殺させた」(マタイ福音書2:16) ピラトは 妻の見た夢により イエスの十字架刑に 関わることを やめた。(イエスの命を助ける事を あきらめた)。 神様は 神の子を殺す事を躊躇する人の背中を 押したのだろうか? 神は 神の子殺し つまり この世の民の絶望 に一役かっているのだろうか。
185 :
キュロス :2005/09/17(土) 11:09:09 ID:D6BDYwZA
>マタイ 27:4 >「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。 >しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。 >27:5 そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。 「しかし彼らは」は 神様ではなく 祭司長たちだ。 そして ユダは 絶望から 自殺した。 アベルを殺し絶望したカインは 神様に話しかけた。 そして 生る勇気を 与えられた。
186 :
キュロス :2005/09/17(土) 11:15:04 ID:D6BDYwZA
ピラトは 最後まで イエスを十字架に架けることに 抵抗すべきだったのだろうか? ピラトは 最後まで イエスの十字架刑に関わる べきだったのだろうか。 ピラトは イエスの十字架刑を阻止できたのだろうか?
187 :
キュロス :2005/09/17(土) 11:21:48 ID:D6BDYwZA
>マタイ 26:28 > これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、 >契約の血である。 イエスの血 つまり契約の血と ローマ帝国を代表するピラト との関係は 無くなってしまった。 >マタイ 27:24 >ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、 >水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。 >「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」 >マタイ 27:25 民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」 イエスの血 つまり契約の血との関係は 「我々と子孫にある」。
188 :
名無しさん@3周年 :2005/09/17(土) 12:16:01 ID:yM3eN9G3
>>183 マルコ注解書の定番のひとつであるナインハム博士のコンメンタールでは
You have said so.の訳が当てられていて、肯定の意味に取る説から逆に
否定の意味にまで諸説があると注釈がつけられている。だから英語でも
180度逆の取り方もあるんだよ(ちなみにマタイ27・11とマルコ15・2は原文で同じ)。
ここはココモ先生に、どちらとも取れる原文の表現についてなんで
絶対に肯定的意味だと断言できるのか拝聴しよう。パッチワーク的、いや多角的な
検討をやってくれるそうだし。
189 :
キュロス :2005/09/17(土) 12:28:59 ID:D6BDYwZA
>ホセア 6:5 >それゆえ、わたしは彼らを/預言者たちによって切り倒し >わたしの口の言葉をもって滅ぼす。わたしの行う裁きは光のように現れる。 >6:6 わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく >神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない マタイ福音書の記述者は イエスの十字架生贄説を 知っていたのだろうか?
191 :
名無しさん@3周年 :2005/09/17(土) 15:56:14 ID:UglNT5eq
その博士は信仰のない180度目線の違う史的追求をする人なんでしょ? 意味の通らない主張ではないのか。
192 :
キュロス :2005/09/17(土) 16:17:25 ID:8flhJW0I
ピラトが イエスの正体を知っていた場合の イエスの死に 立ち会ったローマ兵が言う「まことに この人は神子であった」は イエスが神の子であった確認にすぎない と思う。 博士は 少なくとも史的探求ではないよ。 自分の妄想のキリスト教徒を 自分の妄想で否定しているだけだ。 彼の知識を 彼の知識で否定しているだけだよ。
193 :
キュロス :2005/09/17(土) 16:47:45 ID:8flhJW0I
マタイ福音書を 反ユダヤ的視点に読むと >イエスは「そのとおりである」と言われた。 になのだろうね。
194 :
名無しさん@3周年 :2005/09/17(土) 17:14:18 ID:r7BrFPdN
>>192 いや、ココモスはイスラム教徒だ。
イスラムでは、コーランは、一番後に出てきた教典であり、
聖書にはところどころ間違いがあり、その
聖書の間違いを改め、完成させたものである。
またムハンマドは、最後にして最高の預言者であり、彼以上の預言者は
後にも先にも現れない。という教えを、ムスリム達は、盲信している。
コーランではイエスは預言者の一人であるが、同時にメシアともあると記述されて
いるのだが、ムスリム達はそれを認めようとしない。もしくはそれを隠そうとする。
彼らはイエスを、どうしても自分達の預言者、ムハンマドの
下においておきたいのだろう。彼らのエゴがそうさせる。
ココモスがここで聖書の粗探し、イエスを貶し、オナニーを続けるのは
上の理由からだよ。彼は
>>174 の問いに答えない(苦笑)
イスラムなどは争いを生む為に作られた宗教だ。それはキリスト教とて同じ。
宗教などそういうものだ。ま、彼が、なぜここや、自分のHPでオナニーを続けるのかは、
彼がいくらどうこう言おうと、彼自身が一番よく知っているだろう。
霊によって昇らず、霊によって堕ちる魂は、惨めなものである。
己のエゴに囚われた魂は、惨めなものである。彼らは、その報いを受ける。
195 :
名無しさん@3周年 :2005/09/17(土) 17:25:38 ID:ARS/8mn3
マタイ26:63などの、「お前は神の子、メシアなのか」に対するイエスの答え 「それはあなたが言ったことです(So you say.)」についてはどうなのでしょうか? 図星を突かれたイエスの開き直りの肯定だとすれば、冒涜罪として極刑が相当でしょう。 前後関係を見ても、イエスがそのことを否定した言葉はない。 若し、イエスが否定したのだとすれば、彼は神の子でもメシアでもないことになる。
196 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/17(土) 19:59:28 ID:VnG04f/B
第12ラウンド > 書店で神の発明と言う本を読んだのですが、その中で多神から >一神教と言う項目があったのですが、聖書学者の多くはやはり >ユダヤ人は長い間、バアルやエル等の複数の神を信じていたと主張しています。 >そして一神教を保持するのにはどうしても聖書の様な経典が必要 >だったと言う事です。聖書学者が言うにはモ-セの頃に一神教の基礎が >出来始めたと言う事です。恐らく神を相対的に捉える人達が出てきたの >でしょう。 > ちなみにこの本は人間の心理状態や深層心理等が書かれており、 >神を信仰する人間の思考パターン等がとても理論的に分折されていました。 僕も大体同じ様な考え方をしてます。部族神が民族統一の神になり、それが やがて民族を超えた神になったのだろうかと思ってます。 それで聖書で言えば、バアルやエルの様なカァナンの神や、部族神が統一して YHWHと言うユダヤ民族の統一神になったんだろうと思います。ただその時期は モーセの時期よりももっと後のバビロン捕因から帰還にかけてだろうと 思います(ここで諸部族が大同団結したんじゃないでしょうか)。 >恐らくクリスチャンが読んだら、この本を破り捨てるのではないで >しょうか?または著者の事をこの人は良心が病んでると思う事でしょう。 人によると思いますが、かれらは直感的に彼らにとってやばい本を 察知しますので、その前にこの手の本は見向きもしないでしょう
197 :
名無しさん@3周年 :2005/09/17(土) 20:12:03 ID:UglNT5eq
毒を藥のように服用する人は少ない。
>>195 田川健三の「イエスという男」の6章13節にわかり易い説明がある。読んでみたら?
田川は“そう言いたければそう言え”と訳している。
イエスがメシヤかどうか神の子かどうかなんて、イエスの周りの人々の関心事ではあっても、
イエス自身にはどうでもよかった。だから“そう言いたければそう言え”と。
もしこの推測が正しいならば、“ユダヤ人の王”についてもイエスは同じニュアンスで
“そう言いたければそう言え”と。田川説に全面賛成ではないが、田川が言う通り、
シニカルな物言いをよくするイエスが“お前はユダヤ人の王か”と質されて、
答えが“そうだ”では三文芝居並みに成り下がってしまう。
時の権力者をシニカルな表現で鋭く切り付けてきた男が言う言葉とはとてもじゃないが思えん。
199 :
名無しさん@3周年 :2005/09/18(日) 15:37:59 ID:DLbby7Fa
聖書は救いという結論につながる読み方をしなければ無意味だ。 救いの業を小さくする読み方もしてはいけない。 イエス様がキリストであることを僅かながらでも信じて読むべきものであり、 聖書を読んで信じるものではない。
200 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/18(日) 17:43:18 ID:fubiAP+O
第13ラウンド > トマスがイエスの復活の際にイエスの体を見て私の主、 >私の神と言ったのはなぜだと思いますか?またイエスは >なぜ否定しなかったのでしょうか? ヨハネ福音書の20/24−29を読んでいただきたいんです。 もちろん実話ではなくて、ヨハネ教会の考え方を示したフィクションなんですが 他の教会はイエスの肉体が復活した(ほかの弟子)と言ってるのに対して ヨハネ教会(トマス)は、手の釘穴とわき腹を見ないと信じないとしてるんですね だいぶ前のメールで「イエスの姿を見た」と言ってる人の事がありましたよね 僕はそのときその人の証言を詳細に聞くべきだと言ったと思います。 ヨハネ教会も同じなんですよ。イエスが復活したと言うのなら、釘穴や わき腹に剣が刺された後があるはずだと言ってるんですよ。 それでこの物語としては、実際にイエスが顕われて、実際に釘穴とわき腹を 見せた事になるんですが、ヨハネ教会の言いたいのは、 20/27−29に示されてる様に、生身のイエスに会ったと言うのは多くが ガセ話であって、そんな事を云々するのではなく、生身のイエスを見なくても イエスを信じなさいと言う事だろうと思います。
201 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/18(日) 18:23:03 ID:fubiAP+O
>>198 田川健三さん的に考えれば、そうなると思うよ...
>イエスがメシヤかどうか神の子かどうかなんて、イエスの周りの
>人々の関心事ではあっても、イエス自身にはどうでもよかった。
イエスの周りの人々の関心事ではなくて、キリスト教徒の関心事で
しょう...田川さんがよく行う手法だよ...これは田川さん
のキリスト教徒批判でもあると思うw
>答えが“そうだ”では三文芝居並みに成り下がってしまう。
わざわざ福音記者が書き残す話ではなくなってしまうよ
「お前はユダヤの王か?」で答えが「そのとおりだ」じゃ、
ただの暴動の親分になってしまうw...福音書の編者
がわざわざ書いてるのは、幾ら持論や理想を述べても
一般の人間の価値観(メシアかどうか神の子かどうかユダヤ
の王かどうか)で裁かれてしまう事を示したかったんじゃ
ないだろか...
いくら聖書のここの解釈はこうではないだろかと言っても
まともに聞く奴は一人もおらんダロ...伝統的なキリスト教の
教義に沿ってるかどうか、その人間がキリスト教徒かどうか
下手したら、ある特定の教会の信徒かどうかしかないだろ...
202 :
キュロス :2005/09/18(日) 19:03:15 ID:mb/JPisn
イエスは 最高法院でも ピラトとの対話でも 人々に不安・恐怖を与えているのだと思うよ。 その 不安・恐怖が人々にイエスを 十字架で殺させるのです。 そして 人々を神殺しの絶望のどん底に落としたのだと思いますよ。 イエスの復活が最も重要だとすればね。 それから もう一つの 読み方を思いついた 「それはあなたが言ったことです」は 読書に対する答えかも知れない。 マタイ福音書を読んでいいる読者に対するイエスの答え だとする説だよ。 つまり 「オレに変な期待をするな」 というイエスの答えさ。
203 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/18(日) 19:52:25 ID:fubiAP+O
第14ラウンド この人他に尋ねる事ができる人がいないらしい..... >新約聖書はイエスを創造主としていますが、なぜそうする >必要があったと思いますか? 新約聖書と言っても、ヨハネ福音書だけですので、ヨハネ教会の 事情を考えた方が良いと思います。ヨハネ福音書の冒頭に書かれてる 「言」はギリシャ語で「ロゴス」でして、ギリシャ神話から来てます。 僕の持論ですが、ユダヤの神YHWHの権威がなくなった後に キリスト教会には神の空白状態だったんだと思います。 それで、ギリシャの万物の創造主であるロゴスを持ってきた のだろうと思います。 それをイエスと結びつけたのは、当時のヨハネ教会の事情から だと思います。 ヨハネ福音書1/1−3 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは 何一つなかった。
204 :
キュロス :2005/09/18(日) 20:49:17 ID:zv51D8H1
その様に 考えたのは ヨハネの教会ではなく プラトン哲学 新プラトン哲学に かぶれていた アレクサンドリヤのフロンだろうね。
205 :
名無しさん@3周年 :2005/09/18(日) 20:59:06 ID:E7hdeOFP
ひさしぶりに来たけど ダニエルがいないな
206 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/18(日) 22:35:57 ID:fubiAP+O
阪神教団の信徒より すみません私の「終わりの日」の預言は少し外れました。 今日も勝手マジック8でして、明日からのドラゴンの神との 3試合を全部勝ってもマジック2にしかなりません。 私のハルマゲドンの預言は外れました。私の預言が誤まりで あった事を認め、皆様に深くお詫び申し上げます。 それでハルマゲドンがいつになるかなんだけど、阪神教会は 21日を過ぎると、異邦人巡礼にでるんだな... 次の聖地甲子園の試合は28/29日のジャイアントの神との 戦争まで「神の御計画」にはありません。 まあ巡礼先でのハルマゲドンで28/29は凱旋帰郷でも いいんだけどね...わははははははははははははははは 申し上げまして、
207 :
名無しさん@3周年 :2005/09/18(日) 22:41:04 ID:0bw+5NL8
206 挑発?はやめようよ。
208 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/19(月) 19:48:51 ID:o2VgPuE7
疑り深いにトマスに対して、イエスに逢った他の弟子達は「何で信じないんだ?」等と詰め寄ったりしないんですね。 復活のイエスに逢えたのに、クールなんです。でも、トマスも復活を信じていないのに、他の弟子達と一緒に イエスを待っていたんですよ。 イエスに疑いを持ったら、やはりトマスのようにイエスの共同体に寄り添っていないと不安なんですね きっと。
209 :
aoi :2005/09/19(月) 22:45:55 ID:3Asz2HIu
たまさん こんばんは。 イエスは甦られたが、弟子たちの肉眼でなく霊の目に現われたということ です。 ルカ24:16 「イエスが彼らと一緒に歩いて行かれたが、彼らの目がさえぎられて られてイエスを認めることができなかった。」 3年半もイエスに従って歩いた弟子たちは、肉眼ならすぐイエスと認められる 筈ですね。 ルカ24:31「彼らの目が開けて、それがイエスであることが分かった」 霊眼が開けてはじめてイエスと分かったのですね。 ヨハネも調べてください。弟子たちの霊眼が開けてイエスを認識したことが 分かるでしょう。 黙示録もヨハネの「霊眼」で見た天界の記録ですね。
210 :
名無しさん@3周年 :2005/09/19(月) 22:53:51 ID:vRas867S
>>209 「霊眼」ってどんな眼?具体的に説明して下さい。
211 :
aoi :2005/09/19(月) 23:43:29 ID:3Asz2HIu
>>210 私たちが肉眼で見たとき、視神経を通してdataが脳細胞に伝えられ、それを
翻訳して視像を構成して、脳として認識するのであって、脳みそにスクリーン
があるわけではないことは、脳科学で分かっていることである。
つまり認識は脳みそのスクリーンによるのでなく、脳みその判断によって、
物を認識するのである。
霊の眼というのは、脳みその判断が、聖霊とか霊の影響により、通常の状態
から変化した状態と言える。
例えば、パウロは第三の天を見た と記しているが、脳みその判断が、聖霊
の影響を受けたと言うことだ。これを簡単に「霊眼で見た」と表現するという
ことである。
黙示録を見なさい、ヨハネは「霊にあって見た」ことを書くと記している。
つまり「霊にあって見た」、これを簡単に「霊眼」で見たと表現すると言う
ことである。
パウロ同様、多くの聖徒が霊によって天を見ている。
例えば、スエーデンボルグ、サンダーシングなどはその記録を残している。
彼らがウソを語る者でないことは、その生涯の事跡により信ずべきものである。
212 :
名無しさん@3周年 :2005/09/19(月) 23:54:51 ID:vRas867S
>>211 つまり「精神障害」ということですね。幻視や幻聴は、統合失調症の典型的
症状です。聖書を読むと精神障害を起すのですか。その原因は何でしょうか。
聖書読まなくても、そのような症状がある患者は、精神病院には沢山いますよ。
213 :
aoi :2005/09/20(火) 00:12:15 ID:4h4akJ7M
>>210 催眠術の例を見たことがあるでしょう。金魚鉢に水しかないのに、 霊的暗示により、術にかかった人は鉢の中に金魚が居ると認識して 掴もうとする。これらを「幻視」と言うが、これは一種の霊眼と言 える。 精神病者に多く「幻聴」、「幻視」があるが、これらは多くは外部の 悪霊の影響を受けたものと言える。 聖書に記載の預言者は、神の言葉を「幻聴」したと言える。 ただし、一般で言う「まぼろし」という意味ではない。聖霊によって 事実、聞こえたということである。
214 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 00:23:15 ID:ojDa2nKJ
>>213 神や聖霊が実在することは、確認したのですか。いずれも、幻視や幻聴や
空想の結果ではないですか。
人間界では、五感で知覚できないものは、実在とは言いません。神や霊も
健常人には知覚できないから、実在ではない。あくまで「人間の」観念作用
の結果に過ぎない。
神や霊を語る前に、まずその実在を確認すべきでしょう。
215 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 00:26:13 ID:vKuVirOn
211 「生涯の事跡」ってどういう意味? 人格が優れていたとか 奇跡を行ったとか いうことか?
216 :
aoi :2005/09/20(火) 00:30:32 ID:4h4akJ7M
>>212 精神病理学において、それらを「霊の憑依現象」と言う。 熟練した精神科医は、憑依した霊と問答ができる。 憑依であることの確証は、問答の内容が、憑依された人間の知識では 到底知りえなかった知識について語り合うことによって立証されている。
217 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 00:31:58 ID:vKuVirOn
幻覚のうち 自分の信仰にそぐうものは聖霊あるいは神の働きかけによるものとされ、 自分の信仰にそぐわないものは悪霊あるいは悪魔のたくらみによるものとされる。
218 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 00:38:14 ID:vKuVirOn
216 我によると多重人格は悪霊のしわざだそうです。
219 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 00:59:45 ID:ojDa2nKJ
>>216 憑依現象は、精神障害の一つで、抗精神病薬の注射で治ります。どんなに
偉い宗教者でも、治療により神も霊も消滅します。あなたも試して御覧な
さい。
聖書が神によって書かれたのなら、「神語」である筈なのに、何故人間の言
葉で書いてあるのですか。すべて、書記が学校で習った言葉や表現ばかりの
筈ですよ。精神異常の人間が書いた聖書を、何故そんなにあり難がるのか、
その理由を教えて下さい。
220 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 01:14:14 ID:WkSY7raF
>>219 聖霊が書記者に書かせたからですよ。
人間にわかる言葉じゃないと意味ないですよね。
人間の為に啓示された書物なんですから。
たしかに神の国は神語ですね。
黙示録読んでみたらいいですよ。
あとは信仰の問題です。
何故聖書はありがたいものなのか、読んでみたらいいと思います。w
221 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 01:19:20 ID:pc9yW4L3
啓示は神レベルの接触だが 聖書はせいぜい「霊憑依」ダワナ
222 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 01:22:35 ID:ojDa2nKJ
>>220 聖書などとっくに読んだが、一言でいえば「偽善の書」ですね。
223 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 01:25:03 ID:y10wG/GC
>>214 証明しろと言うが、どんな現象を見れば信じられると言うのか。
どこまで行っても自然科学の一部として考えるだけではないのか。
君自身が耐え難い苦しみの中に投げ出されて自ら藁にもすがる思いに
ならなければ気がつかないだろうか。
弱い者、既に砕かれた者は上のように苦しみを体験せずとも考察するだけで
正しい者の末を予感する。
224 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 01:30:46 ID:ojDa2nKJ
>>223 神が人間を作ったというなら、科学的探求心も、神が人間に与えた大切な
資質ですよ。その結果として神が否定されるなら(すでに否定されている)、
それも創造主の大いなる意図と人間に対する愛ではないですか。
225 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 01:55:45 ID:WkSY7raF
>>224 神を否定していながら、創造主の大いなる意図と人間に対する愛ではないですか?とは?
神の愛とは「私はあるというものである」と人間に現れてくださったことですね。
科学者でクリスチャンはいます。
科学を突き詰めてみれば、創造主を認めざるおえないのでしょう。
226 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:02:38 ID:2EMdvQv/
>>225 科学的手法では神の存在を立証できないよ。
まともな科学者ならそれを承知しているはず。
227 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:08:32 ID:GgfT9RDg
>>225 ・・・ざるおえない(誤) ・・・ざるを得ない(正)
228 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:09:44 ID:WkSY7raF
229 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:14:24 ID:GgfT9RDg
神が世界を創ったってのは悪い考えでもないと思うんだけど。 つまらないやつが宗教の教えに神を押し込めて、自説が正しいって感じで人に説教するのが うっとうしいよな。 聖書ってのは文学でしょう。宗教書には違いないけど。人間が書いたんだよ。
231 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:25:53 ID:EA4HXjte
>>228 >ではあなたにとって善とは何なんですか?
生物としての人間の、共同体維持の本能だよ。人間とは、生の欲求と種族
維持の基本的本能に基く生物に過ぎない。これが唯一の普遍の事実。この
普遍に最も反するのがキリスト教。
>>229 それは目におおいが被さってるからです。
文学といっても人間の文学ちゃいます。
神の文学です。
だから難解なのです。
聖霊に教えていただかなければわからない訳です。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 (ローマ人への手紙1−20)
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じるものを救おうと定められたのです。(コリント人への手紙第1・1−21)
神よ。 あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。 その総計は、なんと多いことでしょう。 (詩篇139−17)
知恵ある者は、その頭に目があるが、愚かな者はやみの中を歩く。しかし、みな、同じ結末に行き着くことを私は知った。 (伝道者の書2−14)
233 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:28:39 ID:GgfT9RDg
234 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:31:21 ID:GgfT9RDg
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 (ローマ人への手紙1−20) はっきりと認められるのであって・・・弁解の余地もないならなんで聖書なんて書かなきゃならんの? あと、「だから難解なのです」とのことだが、聖書の文学って内容的にはそんなに深くもないし難解な部類にも入らないですよ? なんか聖書以外に本って読んだことある?
235 :
キュロス :2005/09/20(火) 02:36:00 ID:YBk+/t67
確かに 聖書はそれほど難しくは無い。 キリスト教の教義を 読みこもうとするから難解なのです。 或いは ギリシャ的神観念で 読むから難解なのですよ。 素直に 読めば良いのです。
236 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:38:35 ID:GgfT9RDg
>>235 まあ、難解であって欲しいってのは宗教権力の望みなんだろうけど。
「お前らが読んでもわからん」ってことだからなあ。聖書自体もそういう主張はなきにしもあらずだし。
でも、まあ、大昔の読み物ってことだよ。元々は。娯楽性だって無くはないし。
237 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:43:35 ID:WkSY7raF
さらっと読むには難しくないでしょうが
奥義を知るのは難解でないですか?
難しくないって言える方って凄いですね。尊敬いたします。
奥が深いんですけどね。旧約新約全て通して一つ一つ理解するのは。
ま、それがわかってたら
>>229 のような答えは出てこないはずですが。
238 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:45:01 ID:GgfT9RDg
あとさ、思うんだけど、キリスト教の人が説教したいのか信心を広めたいのか、あるいは自分が不安だからか
わからないけど、いちいち聖書の引用を都合良いように切り出してきて「聖書に書いてあるから」ってのはどうかと思うよ。
>>232 に引用したものだって、それぞれ矛盾もあって当然だし。コンテクストもそれぞれ違うんだしさ。
239 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:48:45 ID:GgfT9RDg
>>237 >凄いですね。尊敬いたします。
>ま、それがわかってたら
>>229 のような答えは出てこないはずですが。
矛盾してるよね?あんまり上手じゃないイヤミだなあ。。。
単に思考停止しちゃってるだけじゃないの?
んで、奥義って言ってるけど、それは何なの?それを知らないといけないの?キリスト教徒は。
240 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:50:47 ID:WkSY7raF
>>238 逆に聖句を嫌がるあなたがわからないけど。
君のコンテクストやらを出してきたらどう?
比べましょうよ。
人間は聖書がなければ真に神を知る事はできないのですよ。
それは神はロゴスであられるからです。
241 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:53:35 ID:GgfT9RDg
>>240 嫌がってるわけじゃないんだけど。書いてある意味がわからないんだな?もう一回読んでみてね。
>コンテクストやらを ?????どういう意味?文脈って意味で言ったんだけど。
で、質問をしてるんですが、答えてくれないの?
>>234 と
>>239 の質問。
242 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 02:57:29 ID:WkSY7raF
>>239 奥義はより深く知るためには必要ですね。
知らなくてもいい人には必要ないです。
三位一体、罪のあがない主イエスキリスト、聖霊を知ってるだけでもいいんではないでしょうか?
それだけで信仰しても全くかまわないとおもいます。
ただ、私は少しばかりひねてるのでw
奥義を知らないと神に従えないので・・知りたいと思うのです。
243 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 03:02:25 ID:GgfT9RDg
質問:@はっきりと認められるのであって・・・弁解の余地もない、ならなんで聖書なんて書かなきゃならんの? A単に思考停止しちゃってるだけじゃないの? 奥義を知らないと神に従えないの?なら神様信じてるわけじゃないんだ? よくわからないなあ。奥義ってのがあるとしたら、それって考えたり一生懸命になったりしなきゃわからんものかね? ようするにさ、自分の事を考えるのが嫌だから、かわりに聖書とか神とかの事を考えてないですか? なんかあなたみたいなタイプの人って、そういう感じがする。
244 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 03:08:51 ID:GgfT9RDg
>>242 それとさ、あんまりいじめるとかわいそうなんだけど。
三位一体って聖書には書いてないよ。罪のあがない主イエスキリストってのも書いてない。
のちの教団の創作した教義なんだよな。
「はっきりと認められるのであって弁解の余地も無い」書き方で三位一体や、キリストが罪をあがなったから、罪を告白すれば
許されるって書いてある箇所はある?聖書に。そういうの引用してきてよ。
245 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 03:19:58 ID:GgfT9RDg
聖書に書いていない教会の教義→霊感 教会の教義に聖書の内容をこじつける→霊感 無理があると思うぞ?
246 :
aoi :2005/09/20(火) 06:12:59 ID:/JAQLfsN
>>219 >憑依現象は、精神障害の一つで、抗精神病薬の注射で治ります。
憑依現象でなく、「幻聴」のことを言っている。
一般に臨床医は、いわゆる分裂症における「幻聴」と覚醒剤中毒による
「幻聴」が同一薬剤にて消失することから、憑依現象ではなく器質的欠陥
であると考える人が多いが(懇意な精神科医との対話による)前記のごとく、高位の憑依霊との問答により、憑依された患者より
高度の知識を持つ霊の存在を確認した実験例により、憑依現象の実在を当然
とする精神科医も多い。
ということで、精神病というのでなく、脳の器質的欠陥が、霊の憑依を起し易く
する と考えることが一般臨床医とカリフォルニヤ州立精神病院のヂュセン等の
実験結果の二つの結果を満足させる解と考えている。
>聖書が神によって書かれたのなら、「神語」である筈なのに、何故人間の言
葉で書いてあるのですか。
神が書いたと言うのでなく、神が言ったことを預言者が記したということだ。
なお、神のコトバは聴く人の国の言語で語られるようだ。
聖人と言われる人々の証言は時代、東西を問わず、聞いた人の用いる言語で
神は語ったという。当然であろう。
>精神異常の人間が書いた聖書を、何故そんなにあり難がるのか、
その理由を教えて下さい。
精神異常の人間と考えることが、精神が未熟である ということだ。
もっと勉強し、研究したまえ。
小学生に微積分学を教える根気は、私にはない。
247 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/20(火) 07:31:52 ID:DA0/B3PD
第15ラウンド >現代のキリスト教会はなぜ間違いを認めないのでしょうか?宗教をやる者は >誠実さ正直さが前提だと思うのですが。 キリスト教と他の宗教が決定的に違うところは、例えば仏教は仏陀さん が違う人であっても、どういう死に方をしたとしても、発祥地がインド でなくても教義の主格が成り立つ宗教なんですが、キリスト教は あのゴルゴダの丘でイエスが人々の贖罪として死んだのでなければ 教義の根本が崩れてしまうんですね...前にも言われた様に、もしかしたら あそこでは死んでなくて50歳以上長生きしてたのであれば、あのときに復活した わけではないし、人々の贖罪にもなってない分けです。 キリスト教は新約聖書に書かれた事件や発言などが材料になって 教会や信者がその教義をつくってますので、それがもしかして フィクションだとしたら、教義の根幹が崩れてしまうんですよ... 例えばマタイ福音書では、ユダは金でイエスを売った裏切り者で それを悔いて自殺したとなってまして、それがキリスト教会の 自殺の戒めや、裏切りの卑怯さ、金に頓着する事の愚かさを説いてる と思いますが、使途言行録から読んでもしかして悔いた気配などまったく なくて、ただ足を滑らして崖から転落した事故死だったら、その説教は 全部聖書の裏づけがなくなるんですね...だからキリスト教会にとっては どうしてもマタイのシナリオでないとアカンわけです。事実がどうであったと しても、キリスト教会においては教義を作るにおいて引用された聖句の内容で なければかなり困ってしまうんですよ....その辺が事実なり史実の研究 に対するキリスト教会のスタンスに現れてるのだと思います。 >もしこれらの問題がある事を知りつつ信者に真実を教えないのであれば、 >純粋な宗教家と思えません。心の奥底では宗教をビジネス、自己満足の >手段として捉えている事にならないのでしょうか? そういう宗教指導者や信者も多いと思います。
248 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 07:39:42 ID:vKuVirOn
244 「罪のあがない」なら新約の手紙(〜人への手紙とか)に書いてある。
249 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 07:43:34 ID:vKuVirOn
247 ユダの死に方はどちらかが正しくても、 必ずもう片方が誤りになってしまう。 ややこしい問題だな。
250 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 09:44:50 ID:y10wG/GC
三位一体は聖書に基づいている。聖書全体を通して述べられている。 イエスキリストの生涯が、天の神は三位一体であると述べている。 そうでなければ、ユダ、イスラエルにおいてイエスキリストの存在に矛盾が生じるし、 救いを小さくしてしまう。 古代イスラエル人は、神の構造が3神であることを知覚していた。 「神の子」の表現に、聖書にその存在そのものを否定する箇所も意図も無い。 聖でないものは、神の御前に出られないという基本思想はイザヤではっきりした。 御前に出るにあたり、神が聖であるためには、聖なる第三者による清めに頼る 必要がある。 イザヤに現れた神様は、イザヤが清められる前に目の当たりした聖なる第三者。 人に清めをもたらす存在である。
251 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 10:27:39 ID:5lyuIKYO
>>250 聖書からの引用もまじえて三位一体が真実であることを証明してください。
252 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 10:44:18 ID:y10wG/GC
>>251 その文面からは信仰が感じられない。
250のことに反論は無いのか。
253 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 12:31:58 ID:5lyuIKYO
>>250 >三位一体は聖書に基づいている。聖書全体を通して述べられている。
具体的に聖書のどこで述べられているか教えてください。
>>252 250
>古代イスラエル人は、神の構造が3神であることを知覚していた。
アタナシウス信経に「父は神、子は神、聖霊は神、しかし三つの神ではなく唯一の神」
とあったのは気のせいでしょうか。
254 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 12:35:44 ID:5lyuIKYO
反論もなにも聖書のどの章句をもって250を主張するのかがわかりません。 ソースを示して頂ければ実際に聖書のその部分を見て確かめることができます。 反論はそれからにしようと考えております。
255 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 12:55:14 ID:kFYL0UCb
256 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 13:48:19 ID:6K5hsOuq
257 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 13:53:34 ID:p1DWL637
>>250 現実上の根拠皆無な単なる妄想。そんなことを人前で言って、恥ずかしくは
ないのですか。
258 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 15:42:11 ID:6K5hsOuq
三位一体を出すと、とたんに悪霊が噛み付いてくるなぁ。(゚∀゚)アヒャヒャ エホバの証人の人は書店へ行って、新改訳か新共同約の聖書買ってくるといいよ。 組織がよこす聖書は改ざんされてるので、その聖書読んでたって本物のキリスト教は一生わからないよ。
259 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 16:11:43 ID:wfsrD3BZ
口語訳を忘れちゃいくない。
260 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 18:02:02 ID:wfsrD3BZ
新約ならともかく、旧約聖書に三位一体の思想があるとは信じがたい。 いったい旧約聖書のどこに説かれているのか。
261 :
名無しさん@3周年 :2005/09/20(火) 19:00:48 ID:d8FzfxNJ
三位一体による義はキリストトにより証された。つまり隠された義であった。 この最大の秘義が古代イスラエル人に示されているところの聖書以外の一つにユダヤ神秘主義のカバラがある。旧約にもこの思想に沿った神意のあらわれを見いだすことができる。
262 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/20(火) 20:27:10 ID:cIU5mc+L
>>209 aoiさん
ありがとうございます。そうですね 霊眼と言うのはわかりませんが、確かに最初にイエスを見た女性たち、
エマオ途上の弟子たち は、イエスをイエスと思えませんでしたね マグナラのマリヤもエマオ途上の弟子もイエスとの
生前の交わりをきっかけにイエスを確認するんですけど、もう、その時はイエスは去ってしまう。
マルコ16−12「イエスは別の姿でご自身を現された。」 わたしはこの聖句の通りだと思います。
また、ヨハネ福20:19−29はそのまんま受け入れたいと思っているんですよ。
263 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/20(火) 20:34:21 ID:DA0/B3PD
第16ラウンド いまだにこの手のアホな牧師がいるんですね 僕はこんなインチキな言葉に騙されたくなくて、聖書勉強しだしたんですね >私はある牧師に聖書に学問は必要ないと言われました。 それじゃ、牧師さんは何も勉学をしなかったんですか?文字も読めなくて 言葉も理解できなくて、聖書が理解できるんでしょうか? >神様は人間の想像をはるかに越えた方で無限なる存在なので塵に等しい >人間が全てを知る事が出来ないと言われました。そしてあなたが反抗心を >捨て悔い改めれば神様はあなたを受け入れて下さるでしょうと言われました。 なんで、人間の想像を遥かに超えた方が牧師さんには分かるんでしょね... 牧師さんも塵に等しい人間のひとりだと思うんですがね...反抗心と言うのは 教会に対しての反抗であって、誰も神に反抗してると言う意識はないと 思うんだけどね...どの様に悔い改めたら良いんでしょうね、連中は 要するに教会の信者になれば良いと言う事でしょ...人それぞれ 悔い改めるべき事はあるでしょうが、人によって立場が違いますしね それぞれの人によって考えるべき事でしょうね...連中は、その教会の いう事を聞く事が悔い改めだと思ってるけど、そんなふざけた教会こそ 悔い改めないとならない事がいっぱいあると思いますがね... >結局こんな事を言われてしまえば無条件に教義を受け入れざるをえない信者 >もいるのでしょう。 これって、キリスト教会のおきまりの説法ですが、よくよく考えると矛盾だらけ の説法でしょ...
264 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/20(火) 20:35:11 ID:DA0/B3PD
>>263 続き
今度この手の説法を聞いたら、これを尋ねましょう...
1...何をどの様に悔い改めるのか、その聖書的根拠
2...人間を遥かに凌ぐ存在の神の事を誰が知りうるのか?
教会が知ってると思ってるのであれば、どうやって
知りえたのか?
3...牧師さんは何によって聖書を勉強したのか?
霊感とか精霊とかくだらない事をいいだしたら
何時頃からどうやって、どうやってそれらを受ける
様になったか尋ねましょう。
265 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/20(火) 20:59:12 ID:DA0/B3PD
>>262 >マルコ16−12「イエスは別の姿でご自身を現された。」 わたしは
>この聖句の通りだと思います。
マルコの16/9以降は、少なくともユダヤ戦争以降の付けたしです。
原マルコの主張は16/7で「あなた方より先にガリラヤへ行かれる...
そこでお目にかかれる」だと思います。つまりエルサレムで宣教してる
ペテロやヤコブ達の批判(ガリラヤで宣教すべきだ)だと思います。
ところがその後エルサレムが陥落して、いずれにせよエルサレムに
おれなくなって、これが生身の復活話に変遷したんですね...
それが16/9−からの復活劇ですしマタイとルカとヨハネの転々ばらばら
の復活劇です
266 :
キュロス :2005/09/20(火) 21:31:33 ID:b8CioF6+
>>265 素朴な疑問
>エルサレムに おれなくなって、
>これが生身の復活話に変遷したんですね...
なぜ エルサレムにいられなくなると 生身の復活話 になるの?
267 :
244 :2005/09/21(水) 00:44:19 ID:5qXJczxM
結局さ、聖書聖書という人ほど聖書を読んでいない。思考停止している。 物理的に沢山文字を追ってるかもしれないけど、教会の教義を織り込んだ都合の良い読み方しかしてないってことだよ。 そういう人が引用してくる「聖句」とやらの使い方を見ると、いつもそう思う。 三位一体は弟子たちの教団の教義だし、復活も創作でしょう。創作というと不満だったら、少なくとも神秘的文学って事だよ。 思考を放棄して、「歴史的事実」ってのと、宗教的な信念を混同してるからおかしなことになる。 復活も三位一体も、そういう意味での「信仰」思い込みの対象であって、「私は信じる」あるいは、「そう思い込んでいる」といえば良いのであって、 居丈高に、真理だ、霊だっていうから傲慢になるんだよ。イエスを見習うなら、謙遜になりなさいな。 イエスが嫌った律法学者やパリサイ人と全く同じ思考回路になっちゃってるんだよ。霊感神授説とか、その手の聖書主義は。
268 :
244 :2005/09/21(水) 00:51:38 ID:5qXJczxM
まあ、イエスが謙遜ってことはねえか。まあいいや。
「聖書はあなたに知恵を与え、キリストに対する信仰による救いを受けさせることが出来るのです。 聖書は全て神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、 神の人が、全ての良い働きの為にふさわしい十分に整えられた者となる為です。(IIテモテ3:15〜17)」
ヨハネ 14:6 イエスは彼に言われた。 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、 どのような名も、人間に与えられていないからです。 (使徒の働き 4:12 ) なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと 信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 (ローマ人への手紙10:9 〜10)
271 :
244 :2005/09/21(水) 03:13:06 ID:5qXJczxM
>>269 そこで書いてある「聖書」って何かわかってる??パウロが自分の手紙を「聖書」と言ったことあるか?
パウロの書簡が「聖書」になったのはいつか知ってる?
てか、ホントバカの壁というか宗教ってこわいなあと思う。思考停止してる人とは話が通じないんだよなあ。
272 :
名無しさん@3周年 :2005/09/21(水) 08:30:27 ID:MjHyPZji
273 :
名無しさん@3周年 :2005/09/21(水) 09:05:51 ID:MjHyPZji
>>271 イエスキリストの生涯と復活の光を、旧約聖書に充てて聖書と言っている。
また、旧約の光をイエスキリストの生涯と復活に充てて救いを知ると言っている。
「イエスキリスト生涯と復活の光」とは新約聖書の原典、伝承を指す。
パウロの言う聖書は現在の形になる前の真旧約聖書。
274 :
名無しさん@3周年 :2005/09/21(水) 10:40:04 ID:LZ2RTelL
>>261 >三位一体による義はキリストトにより証された。つまり隠された義であった。
聖書の中に隠されていたのか。教父の頭の中に隠されていたのか。
275 :
☆林檎の目☆ :2005/09/21(水) 10:59:20 ID:15Do174S
>>244 2cor 3:17
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
2cor 3:18
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
2thess 2:16
どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、
すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、
2thess 2:17
あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。
・主=御霊
・主=イエス・キリスト*父なる神
⇒主=御霊*イエス・キリスト*父なる神
※また、ヨハネ14章9〜11節のピリポに対する応答にも、
父と子の一体性を感じられます。
私自身あまり三位一体についての神学的な知識があるわけではないし、
聖書も読み始めてまもなくなので、何とも言えないところですが、
聖書(特に新約)を読むと三位一体を感じることが多いと思います。
ゆえに三位一体をあらわしている聖書箇所は他にもあると思うけれど、
一応、個人的に「三位一体」を感じられた聖書箇所を記しましたが、原典でどうなっているかなどの知識もないので、
個人的な意見として見て下さいヾ(^-^;)
276 :
名無しさん@3周年 :2005/09/21(水) 12:01:05 ID:hv37z/Do
>>275 訳は何にしてる?口語訳?新改訳?新共同訳?
277 :
☆林檎の目☆ :2005/09/21(水) 12:24:05 ID:15Do174S
新改訳です。 私自身も三位一体について、本当にわかっているとは思えないので、 「その引用してる聖句は本来〜」というようなご教授を頂けると嬉しいです。
278 :
aoi :2005/09/21(水) 14:22:38 ID:XCQi1uWr
>>262 たまさん こんにちは。
>霊眼と言うのはわかりませんが、
使徒9:10「ダマスコにアナニヤという弟子がいた。この人にイエスが
幻(まぼろし)の中に現われて」とありますね。
私の言う霊眼とは、心の目という意味で、ここで言うアナニヤは「こころ
の眼」で、幻のイエスを見た ということになりますね。
ヨハネ(20:19)でもヨハネ(20;26)でも「ユダヤ人をおそれて
戸じまりしていたが」と、わざわざ「戸締り」しているのイエスは現われた
と書いていますね。これは肉体を持つイエスでなく「まぼろしのイエス」を
意味していると考えてもよいでしょう。
マルコ書でのエマオ途上のイエスも「まぼろしのイエス」ゆえ、弟子たちは
なかなか気がつかなかった。
ルカ書のガリラヤ湖畔のイエスもペテロたちはイエスをすぐには認めることは
できなかった。「まぼろしのイエス」だったからでしょう。
実在のイエスを「まぼろし」として見たということでしょう。
現代でも「幻聴」「幻視」は存在していますね。
しかし、私はイエスがヨハネ(20:29)で言われたように、「見ないで
信ずる者はさいわいである」と思っています。つまり、イエスが実体であろうと
「まぼろし」であろうと、復活のイエスを信じているということです。
そしてそれが、このスレッドで言う聖書の読み方であろうと思います。
あなたも信徒なら、現在イエスは活きておられると信じているでしょう。
それで、正しくそして十分でしょう。
279 :
名無しさん@3周年 :2005/09/21(水) 14:59:08 ID:Ip0PRQLb
>>278 「心の目」ってどんな目ですか。
時代の変化を無視し、思考停止して「盲信」しろ、ということですか。そんなこと
をイエスが教えるわけがないでしょう。優れた教師は、常に、弟子達が自分を越えて
くれることに最大の喜びを感じるものです。若し、盲信しろ、と教えたとすれば、
イエスは優れた教師でも何でもなく、人間としてもクズです。
イエスを冒涜する、あなたの根拠皆無な、勝手な解釈は止めて下さい。それとも、
クリスチャンは皆盲信だから、あなたのようになってしまうのですか。
280 :
aoi :2005/09/21(水) 17:19:06 ID:XCQi1uWr
>>277 林檎の目さん こんにちは。
>私自身も三位一体について、本当にわかっているとは思えないので
史的には、4世紀のはじめころ、公会議においてアタナシオス派の「三位一体」論が、論争において
勝利し、その後アリウス派、ネストリウス派は異端とされましたね。
ちなみに、ネストリウス派はシルクロードを経て長安いまの西安に景教として伝えられたました。
聖書には、イエスのことばとして「私と父(神)とは一つである」ヨハ10:30の
ごとく、神とイエスは一体であることは明瞭であるが、神と聖霊が一体であるとは
どこにも書いていない。
かえって、マタイ12:31にあるように「神を汚すコトバはゆるされるが、聖霊を汚すコトバは許されない」
とあるように、神と聖霊を明らかに区別している。つまり一体ではない。
三位一体は、アタナシオス派が論争に勝って、正等派を勝ち取る手法であったと考えられる。
私見では、「聖霊」は「神の働き」の表象であって、神=聖霊では有り得ないと考えている。
つまり、イエスの言われる意味は、「神を汚すコトバはゆるされるが、神の働きを阻害することは永久にゆるされない」のである。(マルコ3:29)
281 :
名無しさん@3周年 :2005/09/21(水) 17:27:44 ID:UhuZaFNw
aoiさんって何派?
282 :
☆林檎の目☆ :2005/09/21(水) 17:38:09 ID:15Do174S
>>280 aoiさん、はじめまして〜
確かに僕も世界史の授業で習ったような。単性論とか。。。
>神と聖霊が一体であるとはどこにも書いていない。
イエス・キリストとサマリアの女の対話の中で、
john 4:24
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
と記されていますが、この「霊」が聖霊であるならば、
神と聖霊の一体性が述べられているといえませんか?
>「聖霊」は「神の働き」の表象であって、神=聖霊では有り得ないと考えている。
確かに、聖霊は神の働き手であり、助け主であると思います。
また、
eph 4:30
神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
とあるように、聖霊はただ働きをなすのではなく、
父なる神・子なるイエスのように、Personalityを持っていると思うのですが、
どう思われますか?
283 :
名無しさん@3周年 :2005/09/21(水) 18:33:26 ID:OODe8+IJ
きよい感じになってきたの〜。 暴言にへこまないでね。
284 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/21(水) 18:42:44 ID:JglIJCqQ
第16ラウンド こういう非常識な人間が牧師を勤めてるとしたら、キリスト教会 とはいかにいい加減な教団か分かります。 > 牧師に言わせれば殺人よりも重い罪があるようです。 誰がその様に決めたのかお尋ねください。殺人の罪は 多くの社会で重い罪に問われますし、多くの社会で 厳に戒められてる罪ですが、それより重い罪であると 誰が(あるいは聖書に)どういう経緯で、どういう裏づけで 決めたんでしょう...この教会の指導者か牧師が勝手に 決めてる事だと思います。 >それは神様に背を向けて自分中心に生きる事だそうです。 この牧師は、世の中にどれほどの神様がいるかご存じないんで しょうね。また神様など信じてなくても、善良で真面目で あるいは一生懸命生きてる人がどれだけいるかご存知 ないんですね。教会と言う閉ざされた社会しかご存知 ない為に、こんなとんでもない発想が出て来るんだと 思います。 >悔い改めとは今まで神に背を向けてたのを真っ直ぐ神を >見つめ神を第一にする生き方だそうです。 それは、この牧師が考えた事です。たくさんの社会人には たくさんの立場・事情・社会生活・家庭・サークルがあります。 それぞれの人によって、悔い改めるべき事は違うと思います。 >プロテスタントは教会の権威は認めなくて聖書のみの権威を >認め、教会とは単なる集まりの事だと主張していますが、それは >建前なのですか? 建前と言うより、全くの嘘です。聖書に権威などと言ってる 位ですから、おそらく実際には全く読んでなくて、教会が伝統的に 教義としてる物がチョイつまみの聖書からの引用であるために、 こういう言葉が出てきます。聖書を真面目に何回も読み直して いくと、権威などと言う性質の文書ではまったくない事が 分かるハズです。この牧師はそのレベルすら至ってない と言う事です。
285 :
キュロス :2005/09/21(水) 18:59:17 ID:F++Ucor7
一つの主張を 聖書の中の各文書の一部分を 集めて引用して 証明する と言う手法は やめた方が良い。 その 手法を取ると その主張とは全く正反対の 結果を導き出せる。 極論を言えば 心の目で読めば 電話帳からでも その主張と全く同じのもが導き出せる可能性がある。 神の霊感によって 電話帳を正典として キリスト教と全く同じ教義 の宗教が出来る可能性がある。 電話帳で不味ければ 広辞苑 でも良いが。
286 :
aoi :2005/09/21(水) 19:20:00 ID:XCQi1uWr
>>282 林檎の目さん
>神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
と記されていますが、この「霊」が聖霊であるならば、
>神と聖霊の一体性が述べられているといえませんか?
この場合、イエスは「礼拝の対象」として言われているのですから、神は目に見える
形のあるもの、すなわち偶像ではなく、見えないもの形のないものとしての霊を言わ
れたと言えます。
例えば、ヨハ14:16ではイエスは「父にお願いして別の助け主(聖霊)を
送ってもらう」と言われているように、神とは「別の」聖霊を送ると、つまり聖霊は神とは別
と言われているのです。つまり「働き」を聖霊という形で表象されたのです。
ですから、「神の働き」も「神」も同じようなものだと考えるなら、三位一体と言ってもよいでしょうが、
同体と考えるなら、前に言ったようにマルコ3:29は成立しなくなるということです。
>eph 4:30
>神の聖霊を悲しませてはいけません
つまり、「神の働き」ということで、成立しますね。
>父なる神・子なるイエスのように、Personalityを持っていると思うのですが、
>どう思われますか?
「働き」は動作であって、ペルソナを持つとはいえないでしょう。
ですから私は、聖霊は「働き」の『表象』と言っているのです。
人に「神の動作」というより「聖霊」という形で表象したものと考えます。
つまり聖霊は、パーソナリティをもってはいない、神の動作であるということです。
287 :
キュロス :2005/09/21(水) 19:29:50 ID:Snhw3oiu
>>286 「ペルソナ」・「パーソナリティ」とは 何の事ですか?
それとさ 三位一体の教義は 聖書には無い と言うのが
聖書学では常識なんだよ。
288 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/21(水) 19:50:54 ID:QrRveG0K
>>265 ココモ先生
ありがとうございます。
やっぱ、ホウチしてくれなかったね。何でマルコは突然終わり・復活のイエスを描かなかったんでしょうか?
16−9で終わる方が復活がよりリアルに思うんですけど。 そう思いませんか?
「イエスは別の姿でご自身を現された。」16−12。 後付は知ってました そうするとココモ先生から「都合の
いいとこばかり引用する」と言われてしまいますけどね。わたしごときでは反論できません 癪だな。
290 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/21(水) 20:39:05 ID:JglIJCqQ
>>288 >何でマルコは突然終わり・復活のイエスを描かなかったんでしょうか?
>16−9で終わる方が復活がよりリアルに思うんですけど。
>そう思いませんか?
それは他の福音書を読んでるから、突然終わりだとおもうけど
それは、マルコに福音書はこう書くべきだと言ってる様なもので
あの世でマルコが聞いたら、余計なお世話だと言うでしょう
最初に福音書を書いたマルコはここで終わるのが良いと思った
だけです。と言うか福音書はこういうものだと考えただけです。
と言うか、マルコはイエスの生身の復活など考えだにしなかった
んだと思います。と言うか...もうやめとこ
291 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/21(水) 22:10:28 ID:JglIJCqQ
神の霊... 旧約聖書に面白ーーーーーい聖句があるんだ 第1サムエル16/14−16 主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。 サウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの 悪霊でしょう。 王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者 を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏 でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」 ちょうどダビデが頭角を現してくる頃で、それがサウルには面白くない ダビデの噂話が流れるたびに、サウルは「神からの悪霊」に悩まされる まあ、いわゆる「ねたみ」の様なものだろうけど、それが竪琴の演奏で 心慰められるとか... それより悪霊のソースも神からだそうで、こういう考え方をしてた 時代もあったんだw
292 :
名無しさん@3周年 :2005/09/21(水) 22:24:57 ID:UhuZaFNw
「悪霊」はヘブライ語で何と言うのだろうか。 ヘブライ語の「悪霊」を意味する単語をそのまま日本語に直訳したらどんな表現になるのだろう。
293 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/21(水) 23:08:16 ID:JglIJCqQ
第17ラウンド >有本さんは、ウイリアムズ、ウッドと言う日本でエホバ等のカルト問題 >に関わっている牧師をご存じですか? 残念どすが、お手前はこのお名前に心当たりがあらへんどす....どなたか ご存知の方いはらへんどすか?
294 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/21(水) 23:46:06 ID:JglIJCqQ
終わりの日 やっとマジック6になって、またまた預言がハズレタ...スマソ こうなっては、やはり9/28−29のジャイアントの神との最終戦争 に期待しましょう...しかも聖地甲子園でのハルマゲドンですし ボロボロのジヤイアントであっても、それをはずすとそれこそヤバイ ですし、まあジャイアントで我慢しましょう
295 :
名無しさん@3周年 :2005/09/22(木) 00:54:28 ID:+dnRRtSN
>こういう考え方をしてた時代もあったんだw サウルにとっては悪霊であり、区別は出来ない。サウルの代弁。 同様に、サタン=悪、ではない。
296 :
aoi :2005/09/22(木) 00:56:31 ID:mSswKKOJ
>>288 たまさん こんばんは。
>何でマルコは突然終わり・復活のイエスを描かなかったんでしょうか?
マルコはイエスの弟子でなかったから、イエスの言行を、ペテロたちから聞くか、
イエス語録と言われるQ資料から引き出すか、あるいは両者を総合して、マルコ
福音書を編纂したのでしょう。(Q資料の存在の証拠はありませんが)
従って、マルコは語録にあるイエスの言葉、あるいはペテロたちの伝えるイエス
の言葉を主体として編纂したゆえ、復活という事象については注目しなかった、
あるいは、弟子たちの復活についての証言が異なっていたせいで省略したとも考え
られるところです。
マルコの記述は、素朴というか、素直に伝聞を記述したようで、マルコ自身の信仰
あるいは見解を記することはないように思われます。従って、「イエスの復活」に
よって「神の子である」と言う証拠を強調する必要もなかったせいもあるかもしれ
ません。
その点、ユダヤ人向けに書かれたと思われるマタイ福音書は、証拠を求めるユダヤ人
に対するがゆえに、イエス復活の証拠を(捏造と思われるほど提示していますね。
上記は勿論、類推にすぎませんが、ありそうに思える次第です。
297 :
キュロス :2005/09/22(木) 01:44:47 ID:p16SEY90
マルコ福音書で 復活したイエスに出会うのは マルコ教会で その福音書の朗読を聞く 聴衆だと思うよ。 なぜなら マルコ教会では 福音書は マルコ福音書しかないのですよ。 だから マルコ福音書は エンドレスで 読む(聴く)のですよ。 16章8節 の次は 1章1節なのですよ。 マルコ福音書は 地理関係がおかしいと言われているが これは マルコ福音書の地名は どうでも良いのですよ 読者(聴衆)が いる所が重要で 地名はどうでも良いのですよ。 読者の居るところに 復活したイエスが居るのですよ。 マルコ福音書は Q資料・トマス福音書を伝えた 集団と同様に 共に歩むイエス系 だと思いますよ。
298 :
244 :2005/09/22(木) 02:40:14 ID:xR4xKS+A
復活はしなかったから書かなかったに決まってるでしょ。成立順はマルコが一番先だよ。
299 :
aoi :2005/09/22(木) 09:17:07 ID:fo40F+aH
>>287 キュロスさん
>「ペルソナ」・「パーソナリティ」とは 何の事ですか?
キリスト教で言う場合、三位一体の「位」、つまり「位格」ということです。
300 :
☆林檎の目☆ :2005/09/22(木) 11:52:58 ID:Cv4HQwFw
>>286 aoiさん
>eph 4:30
>神の聖霊を悲しませてはいけません
>つまり、「神の働き」ということで、成立しますね。
僕がこの聖句を見て思ったのは、聖霊ご自身も「悲しまれる」、ということは、
パーソナリティーを持っているのではないか、と思ったのです。
でも、父なる神のように、聖霊が悲しまれること⇒ペルソナを持っているとはならないのかな・・・。
>神とは「別の」聖霊を送ると、つまり聖霊は神とは別
>と言われているのです。つまり「働き」を聖霊という形で表象されたのです。
僕も当初は聖霊は働きの形なのではないか、と思っていました。
そして、aoiさんのように、神と別の聖霊を送るという主張もわかります。
でも、聖霊が父なる神と別であるというのは、ペルソナがあるからではないのか?
という思いが出てくるのです。
地に来られたイエス・キリストも天におられる父なる神もペルソナを持っておられますし・・・。
@聖霊にパーソナリティー(ペルソナ)があるのか?
(そもそも、どうような条件をもってペルソナがあるといえるのか?)
A聖霊と父なる神は一体なのか?
(そもそも、「一体」とはどういうことなのか?)
僕自身、そもそも「ペルソナ」と「一体」とはどういう意味なのかがわかってないのだと思います。
301 :
aoi :2005/09/22(木) 15:17:38 ID:GZr1pE2w
>>300 林檎の目さん
>神の聖霊を悲しませてはいけません (エペソ4:30)
僕がこの聖句を見て思ったのは、聖霊ご自身も「悲しまれる」、ということは、
パーソナリティーを持っているのではないか、と思ったのです。
パウロは聖霊をペルソナを持った個体と考えたのですね。 そうだとしても、「神の聖霊」と
言うことは聖霊は神の属性であって、 神=聖霊 とはなりませんね。
ここで、少しく私の聖書理解についてのスタンスを述べておきます。
私は、聖(なる)書とは、モーセ五書およびこれにつずく預言書、詩篇、新約における イエスのことば、
黙示録などを指すものと考えています。
「聖なる言葉」は次の条件によると考えています。
1.ヨハネ6:63「わたしの言葉は霊であり命である」とあるように、 イエス(神)の言葉は、
霊、つまり霊的意味を持っている。 それゆえ、マタイ13:34にあるようにイエスは「譬えに
よらない では『何事も』彼らに語られなかった」と。
例えば、イエスの種まきの話では、「種」は「み言葉」という霊的意味を 持っている(マタイ13章)
その他、すべて譬えであって、言葉の中に霊的意味を持っているが、 パウロの書簡以下の言葉は一切
「霊的意味」を内に持っていないで言葉どおりである。
2.マタイ13:35に「私は口を開いて『譬え』を語り世のはじめから 隠されていること(なぞ)を
語ろう」とあるように、旧約はすべて 「隠されていること」であり「なぞ」であることを示している。
以上で分かるように「神からきたコトバ」はすべて「なぞ」であり、 隠された寓意を持っている。
パウロ等のコトバは「霊」をもっていない。ゆえに私はそれらを 「聖なる書」
とは考えられない ということです。
302 :
aoi :2005/09/22(木) 15:20:20 ID:GZr1pE2w
>>林檎の目さん つずきです。 >聖霊が父なる神と別であるというのは、ペルソナがあるからではないのか? という思いが出てくるのです。 ということは、あなたは神と聖霊が別であって、一体ではないことを認めて いるのですね? (笑) ペルソナについて言えば、「働き」は神自身とは「別物」であってペルソナを持つ 必要はないと思いますが。 >聖霊が父なる神と別であるというのは、ペルソナがあるからではないのか? という思いが出てくるのです。 ということは、あなたは神と聖霊が別であって、一体ではないことを認めて いるのですね? (笑) ペルソナについて言えば、「働き」は神自身とは「別物」であってペルソナを持つ 必要はないと思いますが。 >@聖霊にパーソナリティー(ペルソナ)があるのか? >A聖霊と父なる神は一体なのか? 私は「働き」と考えるから、ペルソナを持たない。ゆえに 神=「働き(聖霊)」 ではない。ゆえに三位一体ではない。 聖霊にペルソナがあるとすれば、神のペルソナと一体である。ゆえに三位一体である。 ということになりますね。 でも、一体なら、「神を汚しても許されるが、聖霊を汚す なら永遠にゆるされない」 とのイエスのコトバの理解ができない。困りますね。あはは
303 :
名無しさん@3周年 :2005/09/22(木) 16:18:59 ID:sOleDDmJ
三位一体ならぬ二位一体
304 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/22(木) 20:20:52 ID:PuVn+1BE
皆様 ありがとうございます。
>>298 さん
書き方がまずくてすみません。復活のイエスではなくて、復活後のイエスです。
305 :
aoi :2005/09/22(木) 21:07:17 ID:GZr1pE2w
>>300 林檎の目さん こんばんは。
逆に考えて、(神とイエスは一体として、)聖霊が神と一体でなければ、
何か不都合があるでしょうか?
二位一体だけで、ことは済むように思いますが。
307 :
☆林檎の目☆ :2005/09/23(金) 12:02:01 ID:NGmyACs1
>aoiさん >イエス(神)の言葉は、霊、つまり霊的意味を持っている。 むむ?霊=霊的意味を持っているということになりますか? >それゆえ、マタイ13:34にあるようにイエスは >「譬えによらない では『何事も』彼らに語られなかった」と。 ??? どうして、「それゆえ」となるのかわからないのですが(^^;) 譬えでなければ、霊的ではないということになりますか? イエス・キリストは弟子たちには譬えによらずに話したことがあったと思いますが。。。 >ということは、あなたは神と聖霊が別であって、 >一体ではないことを認めているのですね?(笑) イエス・キリストもペルソナを、父なる神もペルソナをもっていますが、 一体性をもっていると信じます。 ゆえに、ペルソナをもっている→一体ではないとは言えないのではないでしょうか? >逆に考えて、(神とイエスは一体として、)聖霊が神と一体でなければ、 >何か不都合があるでしょうか? 僕には、都合・不都合とか、よくわかりません。聖書の学びも足りない者ですから。 ただ、 2cor 3:17 主は御霊です。 john 4:24 神は霊ですから、 とあるように、聖句からは三位一体を感じずにはいられない、ということなのです。 >パウロ書簡の正当性 ちょっと、これはわかりません。。。 aoiさんと話していて、自分自身の学びの足りなさが実感させられます。本当に感謝です。
308 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/23(金) 19:40:59 ID:0swVSjkI
第18ラウンド >仮に聖書が神様の指示によって書かれたとして、神様は黙示録が >書かれて以降、何故沈黙を守ってきたのでしょうか? 幾つか整理して考えないといけないと思います。 1...まず聖書とされるものが果たして今の新旧あわせて66巻だけなのか これは明らかにある教会(サークル)が66巻と決めただけで....新約 聖書関係の外典・疑典だけでも50巻位発見されて上に、それに神の意思 が及ばす、今の27巻だけが神の意思が及んでるとする根拠は全くない。 まして異教の聖典も考慮にいれたら、無数にある聖典の中から、ある教会が 勝手に選別した物だけが神の意思が及び、他のものは神の意思が及んで ないとする根拠は殆ど皆無と考えて良いと思います。 2...聖典に神の意思が及んでるかどうか自体はなはだ疑問である。 3...新約聖書の最終執筆物はヨハネ黙示録ではない。新約聖書の中だけ 看ても、最終のものは2−3世紀のペテロ書簡か第2テモテ書簡だと思います。 黙示録の執筆は遅くても1世紀末から2世紀初めだと思います。
309 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/23(金) 19:41:39 ID:0swVSjkI
>>308 続き
>現代は2000年前よりも比べようもないくらい様々な問題があります。
>またキリスト教の歴史を見ても、混乱や対立、分裂等は続いてます。
>キリスト者に尋ねると神様は人間の信仰を試す為にわざと沈黙を
>守っているのですと大抵こんな答えがかえってきます。
>彼等に言わせれば神様は黙示録が書かれた時点で神様はもう
>自分の役目を果たしたのだそうです。そして人間は66刊だけを
>信じていればよいのであり、それ以上を求めるのは神様に対する
>不信仰、感謝の念の欠如の表れだそうです。
御貴殿が接触してる教会は、キリスト教会の中でもおそらく最低レベル
のキリスト教会だと思います。キリスト教会の持ってる病気を全て
持ち合わせてます。汚い言葉で言えば、こんな馬鹿な信者や教会は
相手にしない方が良いと思います。
病状を良いますと
1...神様は常に身近にいるはずなのに、1700−1800年前の
新約聖書ができた時点で、自分の役目は終わって沈黙してる
と勝手に理解してる....言い逃れの為の説明だと思います。
−−−>言い逃れの為に勝手な説を作り出す(妄想と言います)
2...あまたある聖典の中で66巻だけを聖典だと思ってる。
おそらく聖典の中身は全く理解してないんだと思います。
ある教会が決めただけの事を神が決めたと思ってる
−−−>根拠が殆どない事を思い込みで信じてる
310 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/23(金) 19:42:42 ID:0swVSjkI
311 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/23(金) 20:26:15 ID:0swVSjkI
第17ラウンド
イエスはどんな聖書を読んでたのか、非常に興味深々な物があります。
>イエスさえも偽典とされたエノク書等を読んでた可能性があるらしいの
>ですが、どう思われますか?もしクリスチャンの主張する様にイエスが
>まことの神ならなぜエノク書を偽物だとたださなかったのでしょう?
>クリスチャンの答えを聞いてみたいものです。
イエスがクムラン教団の様な共同体にいたとしたら、死海文書の様な
物を読んでたと思います。死海近くで発掘されてる文書を調べて見てください。
現在の正典に近い物も発掘されてますが、あまたの外典・偽典も発見
されてます。イエスはその手の外典・偽典を読んだと思います。むしろ
そういう社会だからこそイエスの様な人物が出てきたのかもしれません。
イエスと言う人物のルーツの一端を知る事ができます。
死海文書については
http://www.dma.aoba.sendai.jp/~acchan/DSS/ で調べれます。
312 :
名無しさん@3周年 :2005/09/23(金) 20:52:34 ID:ECdRkNPF
新約部分は数多くの写本が存在するため、本文学による復元が高精度で成されている。 とされる。
313 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/24(土) 00:37:38 ID:K7f/jxig
>>301 >以上で分かるように「神からきたコトバ」はすべて「なぞ」であり、
>隠された寓意を持っている。
>パウロ等のコトバは「霊」をもっていない。ゆえに私はそれらを
>「聖なる書」とは考えられない ということです。
ただ単に謎めいているのが、聖なる言葉なんですか?キリスト教会が
妄想を抱く余地があって、商売のネタになりうるだけだと思いますが...
謎めいてない言葉は教会関係者でなくても理解できますんでね...
謎めいているとキリスト教会が幾らでも好き勝手に注釈する事が
できますしね....それを聖なる書と言うんですか...わははははは
ははははははははははははは......
それでは、この謎めいた聖句の意味を教えてください
使徒18/24−25
さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロ
という雄弁家が、エフェソに来た。
彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確
に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。
聖書に詳しくて、イエスの道を受け入れ熱心に語るアポロって何者ですか?
そういうアポロがヨハネの洗礼しか知らなかったと言うのはどういうこと
ですか?
聖霊は神から来る満たしであってイエスの証しや神が共にあることを感じさせてくれる神の賜物だよ。
315 :
キュロス :2005/09/24(土) 01:05:12 ID:bbNrWUVR
アポロは パウロの友人であり 良きライバルだろうね。 >そういうアポロがヨハネの洗礼しか知らなかったと言うのはどういうこと >ですか? 按手礼を 受けていない と言う意味だろうね。 でも これはルカが パウロをアポロより上位に 置きたいからだろね。 それと ルカはパウロが ガマリエルの弟子であり(使徒22.3) ファリサイ派ヒレル学派だとしているがこれも怪しい。 パウロは 律法を寛容に解釈する ヒレル学派ではなく 律法を厳格に解釈する非ヒレル学派系 たぶんシェンマイ学派か それに近い学派だと思われる。 これは ルカ文書が成立した時代は 非ヒレル学派がユダヤ教から 異端とされていた為だと思われる。
316 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/24(土) 01:15:13 ID:K7f/jxig
>>301 >パウロ等のコトバは「霊」をもっていない。ゆえに私はそれらを
>「聖なる書」とは考えられない ということです。
パウロ書簡そのものが、この謎めいた言葉に対しての彼の主張だと
思いますよ...要するに、何処かのキリスト教会の説明と同じだよ
どういうセクトになるのかなぁ...異邦人系パウロ教会とでも
言いましょうか、東方正教会系ハリストス教会とか、カルト系モルモン
教会とか、世の中にあまたあるキリスト教会の目が、異邦人系パウロ教会
って事さ....あるセクトの教会教義だから謎めいた言葉なんか
あるわけないし...それにしてもヨハネ黙示録を聖なる書にしてしまう
無神経さは立派でござる....中身を殆ど読んでない証拠だw...
317 :
キュロス :2005/09/24(土) 01:15:28 ID:bbNrWUVR
ルカは 改宗者だとする説がある。 もし改宗者だとすると ルカは ユダヤ教ファリサイ派が 全てヒレル学派系だけで その他の学派が存在したことを 知らなかったのかもしれない。
318 :
キュロス :2005/09/24(土) 01:26:39 ID:bbNrWUVR
喩え話と なぞなぞは 違うと思いますよ。 聖書は なぞなぞではなく 時刻記載の無いJR時刻表でもないよ。
319 :
キュロス :2005/09/24(土) 01:45:30 ID:bbNrWUVR
それと イエスの教説は ヒレル学派の教説に近い。 また ヒレルは 木工職人だった。 そのため 非ヒレル学派系のパウロが 1コリント 9:14〜15 で 主の指示された 「この権利を何一つ利用したことはありません。」 と言っている事と 関係がある とするのは考えすぎだろうか。 エッセネ派は クムラン教団に近い立場だと 言われている。 エッセネ派は ファリサイ派よりも律法に厳格な 集団だよ。 だから イエスが クムラン教団的 或いは それに近い立場の集団 に居たとは考えられない ような気がする。
320 :
名無しさん@3周年 :2005/09/24(土) 01:52:14 ID:KZs+9OuE
神などどこにも存在しない。ユダヤ人はモーセ以来3000年以上も彼らの 神を信じているが、よいことが起きたためしは唯の一度もない。国を追われ、 神殿は破壊されてデアスポラ。兄弟宗教であるはずの陰湿かつ必要な迫害。 挙句の果てには、ナチスによるホロコースト。ようやくイスラエルの国を もらったと思ったら、同じく兄弟宗教であるイスラームとの果てしない殺し 合い。 存在しない神についての、無駄なおしゃべりは止めたらどうか。一度きり の人生の貴重な時間の無駄。他にやるべきことがあるのでは。
321 :
キュロス :2005/09/24(土) 02:05:08 ID:bbNrWUVR
罪と罰と救い の関係が その兄弟宗教とは違うのだろうね。
322 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/24(土) 02:08:39 ID:K7f/jxig
>>315 もう5回くらい僕が出したところ読み直しなよ!!!!
僕はこの聖句を納得するのに10年かかったよ
>彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、
>正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。
323 :
キュロス :2005/09/24(土) 09:42:06 ID:Sj+Kb5Zp
>>322 だから 按手礼ですよ。使徒言行録のなか にも出てくるでしょ。
>使徒 6:6 使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
ここは 例の7組みに対する 按手礼なのよ。
>使徒 8:15 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。
>8:16 人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、
>聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。
>8:17 ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
主イエスの名による洗礼では 聖霊を受けられないの。
「人々の上に手を置く」 ことによって 聖霊を受け 教師になれるのよ。
使徒言行録では アポロは聖霊を受けていない自称教師
だと言っているのよ。
これは ユダヤ教の 習慣なのよ。
按手礼を受けないと ラビに成れないのよ。
下記は 関係無いかもしれないが 参考までに
ヨハネの洗礼は 「バプテスマ」なのですよ。
「バプテスマ」は ヘブライ語で沐浴を意味する「テビーラー」
の ギリシャ語訳なのよ。
清めの儀式や 異教徒がユダヤ教に改宗する時に行う
儀礼的沐浴は 「ミクヴェ」 なんだよ。
324 :
キュロス :2005/09/24(土) 09:58:38 ID:Sj+Kb5Zp
初期キリスト教には 異教徒がキリスト教に改宗する 儀礼的沐浴 つまり「父と子と聖霊の名による洗礼」は なかったのでしょうね。 だから 例のマタイ28:19「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、」は 後世の 加筆の疑いが濃厚なのだと 思いますよ。
325 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/24(土) 11:24:55 ID:Q7ewmnJy
キリスト教徒のレベルってその程度さ....わはははははははは 1..かのイエス様が洗礼者ヨハネから受けた「洗礼」はどれザンスか? 2..アポロがパウロから受けた「洗礼」はどういうものザンスか? 3..いわゆるキリスト教的な「洗礼」はどこらへんから出てきたの? 4..イエスはヨハネの洗礼をどう捉えていたの? 5..イエスはだれそれに洗礼を授けていたのか否か(多分否定していた) 6..共観福音書でのヨハネの洗礼とヨハネ福音書でのヨハネの洗礼 は同じかどうか? この辺を考慮いただきたいんですがね
326 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/24(土) 20:02:51 ID:H7x7daTS
JRの時刻表みたいに聖書を読む... 私の聖書の読み方を高く評価いただいたものと理解し、お褒めの 言葉をいただいた事に厚く御礼申し上げます。 聖書を読むときに歴史背景を知らないと、何処かの馬鹿な教会 や信者みたいに妄想を繰り広げるだけですので、そうならない様 するには、どうしたら良いかと言うところから出てきた手法です。
327 :
名無しさん@3周年 :2005/09/24(土) 20:50:49 ID:NJ0MAm82
>>321 >罪と罰と救い の関係が その兄弟宗教とは違うのだろうね。
同じ神を信じる兄弟宗教の間で、何故そんな違いが生じるのかね。彼らの信じる
「神」なるものが、「架空の、空想上の存在」に過ぎないことの、明白な証拠である。
「罪」という罪悪感と、「罰」という恐怖感ほど、人間にとって有害なものはない。
キリスト教が信者に植え付けた、「教会維持の目的」のための「真っ赤な嘘」に過ぎ
ないではないか。
創造主が人間を作ったのだと仮定すれば、心身ともにその似姿、造化、顕現、従って
神そのものである人間に、「罪や罰」など存在する訳がない。
「神」とは、人間の願望や恐怖の心理学的投影であり、実在ではない。人間が神を
思考する限り、どこまで行っても「人間」の観念作用である。「認識し得ないもの
の認識を語る」ことほどの論理矛盾はない。神は実在しないのだから、キリスト教
を初めとする在外の神や霊を信じる宗教は、すべて妄想の塊である。単なる精神医
学的現象、未開時代の遺物の惰性的残存、若しくは元手要らずのオイシイ営利の手
段に過ぎない。
328 :
キュロス :2005/09/24(土) 21:16:13 ID:7hJpwWgL
>>327 聖書は 神の事より 人間の事が 多く書かれている。
と言うことは
聖書は 「人間が神を思考した」 結果できた書物ではく
神の人間対する 思い・熱情の記録 であると言える
329 :
名無しさん@3周年 :2005/09/24(土) 21:30:00 ID:VBiWlks6
>>327 >創造主が人間を作ったのだと仮定すれば、心身ともにその似姿、造化、顕現、従って
>神そのものである人間に、「罪や罰」など存在する訳がない。
なんで神に似せただけで「神そのもの」になるのか不明。
>>328 >聖書は 神の事より 人間の事が 多く書かれている。
>と言うことは
このことからなんで「聖書は 「人間が神を思考した」 結果できた書物ではく
神の人間対する 思い・熱情の記録である」という結論になるのか不明。
330 :
キュロス :2005/09/24(土) 21:35:38 ID:7hJpwWgL
>>326 「JRの時刻表みたいに聖書を読む」と言うのは
聖書を 天国行きの電車を探す書物的に読む
と言うことです。
マルコ福音書は 空の墓記録 イエスは復活したと言う告知
で終わっている と言うことは オマエはこれからさき どうするのか
どの様に生きるのか という問いかけで終わっている と言うことです。
331 :
キュロス :2005/09/24(土) 21:42:23 ID:AOdGhsW2
>>329 神を信仰する人達が 聖書を生んだのです。
聖書が 神に対する信仰を生んだのでは有りません。
聖書が 神に対する信仰を生んだとすれば
人が神を生んだ と言うことに成ります。
332 :
名無しさん@3周年 :2005/09/24(土) 21:52:28 ID:NJ0MAm82
>>329 >なんで神に似せただけで「神そのもの」になるのか不明
神は、人間にとって認識不能だから、実在ではなく、従って語ることも思考
することも全く無意味。
人間が心身ともに神のソックリさんなら、神としても一向差し支えないのでは。
強いて神を求めるとすれば、認識可能で、確固として実在する人間と自然
以外にはない。
333 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/24(土) 22:38:52 ID:H7x7daTS
第19ラウンド > 話は代わりますが、全ての人類は一つの宗教でしか救われないと >言う思想、また例えば100人の神がいたとして、一人の神だけが >本物で、あとの99人の神は偽物と言う思想が生まれた背景には何 >があると思いますか? 僕はこれを思想だとは思いません。信者のレベルとしてただ無知な だけだと思います。一人の神だけが本物だと言う人に、その神は どういうものであるか尋ねてもロクな返事がありません。 ただ盲目的に自分達の神だけが本物だと思ってるだけです。 教団の立場を説明しますと、信者にそのように考えてもらわないと 持たない基礎の弱い教団だと思います。
334 :
キュロス :2005/09/24(土) 22:40:59 ID:4LnEaGIY
人に解ることは 神が人々・この世に 日々・歴史にどの様に関わった来たか のみだ。 その経験・記録から 神が人に何を要求しているかを 人は洞察しなければ成らない。
335 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 09:08:07 ID:tmbaVqfB
>>332 認識できない、普遍ともいえる神様だが、その中で特異点、特異普遍というべき
存在である特別に人に関わる限定的な現れが、主なる神。即ちイエスキリスト。
この定義は創世記にて聖書全体に及ぶ原理として示される。
336 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 09:20:00 ID:Hog/JCAn
>>335 >この定義は創世記にて聖書全体に及ぶ原理として示される。
まさか創世記第18章のことではあるまいな。この場合は
第19章の第一節で残りの二人が天使であることが明らかになってる。
337 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 15:22:08 ID:7PdxsXV+
>>335 「認識できない神様」を、あたかも認識したように、思考し、語り、「普遍」などと
判断することの、とんでもない論理矛盾、倒錯、愚かさをいい加減覚れ。
ほんの2000年前に生まれた人間であるイエスは、ユダヤ教に対する自分の個人
的不満感情から、神を冒涜し、当時のユダヤ社会の秩序を乱した罪で処刑された犯
罪者に過ぎない。主なる神とは、イエスを含めたすべての人間を自然を作った
創造主であり、イエスを創造主などと考える妄想こそ、神に対する最大の冒涜では
ないか。
338 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/25(日) 16:11:46 ID:TuLKgIn0
>>330 キュロスさん
そうですね。ありがとうございます。
>>333 ココモ先生
もう、無知はね認めますよ。でもね その無知の自分の理性ですべて わかるような神た゛ったら
もう神じゃないと思いますよ。不勉強もありますが、それでも知るほどに解らなくなります。
だからこそ「盲目だった自分が今は見えるようになった」と、言う聖句にしがみつきたいと思うんですよ。
339 :
aoi :2005/09/25(日) 17:02:53 ID:MAcF8vFF
>>313 ココも好き さん
>ただ単に謎めいているのが、聖なる言葉なんですか?
いいえ、 「聖なる言葉」は謎めいている ということ。
>....それを聖なる書と言うんですか...わははははは
ははははははははははははは......
アゴがはずれたのではないかな?
「謎めいたものが聖句」と、「聖句は謎めいている」 との区別もわからぬ
単細胞思考のお相手するほどの根気は持ち合わせていない。
それでは、この謎めいた聖句の意味を教えてください
使徒18/24−25
さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロ
という雄弁家が、エフェソに来た。
340 :
自由騎士団 ◆ZAAWpAFeBg :2005/09/25(日) 17:28:06 ID:TcURjE0l
341 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 17:39:56 ID:IEh757Ha
>>339 書き込みなんだから顎が外れることはないだろう。
顎がはずれそうなくらいに笑ってたら書き込みなんてできない。
342 :
aoi :2005/09/25(日) 18:30:11 ID:MAcF8vFF
>>307 林檎の目さん 三日ほどの旅で遅レスです。 >>イエス(神)の言葉は、霊、つまり霊的意味を持っている。 >むむ?霊=霊的意味を持っているということになりますか? そう言うことになりますね。 イエスは「私の言葉は霊である」と言われた。ところが、イエスの言葉は アラム語であり人間の言葉であって霊とは言えませんね。ですから、イエス の「霊である」と言う意味は人間の言葉の中に霊を持っているということですね。 で、霊だけでは私たちに意味がわかりません、ですから「霊的意味を持った言葉」を 持っていることを、「私の言葉は霊である」と表現されたと解釈すべきものと考え ます。 そして、そのことについて別の表現をすれば、「イエスは何事も譬えで語られた」と言う ことになりますね。 前に例示したように、イエスの「種まき」の話で「種を蒔くとは、みことばをまくことだ」 とイエスは明かしておられます。つまり「種」の『霊的意味』は「みことば」であり、 同時に、みことばを種に『譬え』たのですね。 ですから、提示した二つの聖句において、「霊的意味を中にもつこと」と「譬え」は 同様の意味を持つことを示しています。
343 :
aoi :2005/09/25(日) 18:31:31 ID:MAcF8vFF
>>307 林檎の目さん つずきです。 >2cor 3:17 主は御霊です。 john 4:24 神は霊ですから、 とあるように、聖句からは三位一体を感じずにはいられない、ということなのです このことは前に説明しましたよ。 神は霊であるからとは 神=霊 ではありませんね。神は形ある物でなく、 形のない霊のようなものであると言う意味ですね。 例えば 石は硬い物である というとき、石=硬い物 ではありませんね。 硬い物とは石の属性を言うのですね。ですからここでの「霊」は「神の属性」を 言っていることはお分かりでしょう。 神と聖霊が一体のものであるなら、「神を汚しても許されるが、聖霊を汚すなら永遠に許されることは ない」というイエスの言葉を理解できないことから、聖霊は神の属性であって、同じ位格ではないですね。 その意味で三つの位格は同じでは有り得ない ということです。 三位一体は3,4世紀のはじめころ主としてアタナシウス派とアリウス派の公会議の論争で、最初の段階ではアリウス派の勝利であったが、その2,3年 後の会議で逆転してアタナシオス派の勝利となったいわくつきのしろもので、 坊主たちの、論争で自派を正統派にするための道具にしたものであって、三位一体など論ずるに たらないものですね。
344 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 18:35:08 ID:CQdcsufB
>>338 >だからこそ「盲目だった自分が今は見えるようになった」と、言う聖句にしがみ
>つきたいと思うんですよ。
あなたは一体何について無知・盲目なのですか。「自分が見えるようになった」とは
具体的にどういう意味?
宗教や聖書が、科学がこれまでに達成し、人類に大いなる利便をもたらした奇跡の
うちの万分のTでも達成し、預言しましたか。全くの無能どころか、無数の紛争を
大殺戮を引き起こしただけではないですか。
時代が異なる大昔の「人間」が書いた聖書のどこからも、何の理解も回答も得られ
ないことは、小学生にもわかる道理です。
単なる時代錯誤の出版物である聖書などからではなく、厳然として実在する「人間
と自然」という一大聖書から何故学ぼうとしないのですか。
345 :
aoi :2005/09/25(日) 18:39:30 ID:MAcF8vFF
>>341 アゴがはずれても、カキコミは出来る。 おつむが変なのでは?
346 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 18:49:19 ID:zkPXAZZr
>>344 >単なる時代錯誤の出版物である聖書などからではなく、厳然として実在する「人間
>と自然」という一大聖書から何故学ぼうとしないのですか。
聖書は、神と「人間と自然」関係の記録なのよ。
だから、聖書から学ぶのですよ。
しかし、現代の日本とは違う地域の、古代の言葉で書かれた物を
理解するために、聖書学の助けを借りるのは当然のことです。
347 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 18:49:45 ID:CQdcsufB
>>342 ならば、「霊的」などという、幽霊を連想させる「気持悪い」言葉は一切止めて、
「精神的」とすべきではないか。幽霊とはどかが違う?
霊や幽霊の実在を信じるのは、子供時代だけ。大の大人が信じたり、語ったりする
ものではない。小学校の理科教育はめちゃくちゃになるよ。
348 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 18:56:13 ID:zkPXAZZr
ヘブライ語の「霊」と、日本語の「霊」は違うと思いますよ。
また ヘブライ語の「魂」と、日本語の「魂」も違うと思いますよ。
ついでに
>>346 を修正します。
>聖書は、神と「人間と自然」関係の記録なのよ。
を
聖書は、神と「人間と自然」との関係の記録なのよ。
に修正する。
349 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 19:05:36 ID:CQdcsufB
>>348 ならば、ちゃんとした日本語に言い替えてください。
人間にとって、神などどこにも存在しないのだから、聖書もキリスト教も、
未開時代の遺物の惰性的残存に過ぎず、現代ではもはや期限切れ。
いつまで、「期限切れ」の廃棄物にしがみ付くおつもりですか?
350 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/25(日) 20:26:16 ID:1Y5v451A
第20ラウンド > 創世紀でエバを誘惑した蛇の正体は何でしょうか?新約では >サタンらしいのですが、創世紀の記述を読む限りではそこまでは >言えないと思うのですが。 新約の編者がこの物語について言及してたかどうか記憶にありません テモテ書簡あたりにあったかもしれませんが... キリスト教会はサタンだと言う教会が多いと思います。 サタンそのもの定義が旧約とキリスト教会で違ってる様に思います。 旧約でもいろいろあるみたいですが、人間に邪心を引き起こさせる 要素としてる物が多いです。その意味ではこの蛇はサタン と言えるかも知れません。 >またその後、神は蛇に向かってお前は彼のかかとを砕き、彼は >お前の頭を砕くであろうと言う予言をしていますが、キリスト教会は >これは神がキリストを地上に送る事を予言していると解釈します。 >その様な解釈は可能でしょうか? 常識で考えれば、はなはだ無理な解釈ですが、どこかのキリスト教会 は、常識が通用しませんので、どんな解釈でも可能な様です。
351 :
aoi :2005/09/25(日) 20:33:12 ID:MAcF8vFF
>>316 ココも好き〜 さん。 アッチも好き〜 になっては?
>パウロ書簡そのものが、この謎めいた言葉に対しての彼の主張だと
思いますよ
ははは、パウロちゃんは、「謎めいた言葉」が分からぬゆえ、勝手なホラを
吹いているだけですよ。
パウロちゃんの最もいけないところは、イエスを神と一つとは考えていないところです。
彼はイエスを神の前のなだめ物として、イエスの神に対する信仰を信じているのであって
イエスを信じていない。
パウロは「肉においてイエスを知るまじ」と書いている。つまり肉体で生きている
ときのイエスの言行を知るつもりはない とその書簡で言明している。そして
その通り、彼の書簡では旧約の引用は多々あるが、イエスの言葉の引用は一切無い
ことで分かることでもある。
イエスが私たちの罪のために身代わりとなって十字架に死んだ というのは
彼の持ち出した独自の思想であって、イエスは私たちの身代わりで死ぬなんて
一度も言ってはいない。
イエスによる救いは、イエスの「言葉」によるのであって、「十字架」によるのではない。
352 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 20:47:25 ID:llAZstke
そこで「神による啓示」を持ち出してみる。
353 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 20:50:44 ID:CQdcsufB
>>351 >ははは、パウロちゃんは、「謎めいた言葉」が分からぬゆえ、勝手なホラを
>吹いているだけですよ。
パウロちゃんにはわからないのに、あなたには分る?それも「勝手なホラ」でしょう。
要するに、基地外が一人増えただけ。
354 :
aoi :2005/09/25(日) 20:57:16 ID:MAcF8vFF
>>347 >霊や幽霊の実在を信じるのは、子供時代だけ。
ウソは言わないがいい。
子供が霊を信じるかね。「霊」という言葉すら知らない。
墓参りする大人はみんな「霊」の存在を知っている。祖先の霊の
静まることを祈るではないか。日本人の代表の小泉は靖国神社で
戦没者の霊を慰めるではないか。
まともな大人は殆ど「霊」の存在を信じている。
霊を信じられない者は子供だといわれても仕方なかろう。
科学なんて、真実、真理の殆どについていまだ未知であることを
知ることが、むしろ科学と言えよう。
霊について言えば、熟練した精神科医の多くは憑依霊の存在を知って
いるし、実験による実証例もある。
355 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 21:02:49 ID:llAZstke
小学生は霊という言葉を知っているんじゃなかったのか。
356 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 21:11:02 ID:CQdcsufB
>>354 墓参りする大人は、墓石の陰からおばーちゃんの霊がにょっきり現れるなどとは
誰も思わないし、靖国神社参拝も、家族、国民、国家を守るために命を捨て、現在の
豊かさと平和の礎を築いてくれた戦没者に対し、そのお蔭で生きている者たちが感謝
の気持を表すだけ。靖国神社に戦没者の霊がうようよ居るなどとは、誰も思わない。
第一、スーペスが足りないよ(笑)。
憑依現象は、精神医学の教科書にも記載されているれっきとした一時的精神障害。
抗精神病薬の注射で治り、神も霊も完全に消滅する。
357 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/25(日) 21:34:49 ID:1Y5v451A
>>354 >霊について言えば、熟練した精神科医の多くは憑依霊の存在を知って
>いるし、実験による実証例もある。
文献だしてちょ...どこかの教会は、この手の話になると聞いた事も
ないような学者の名前をだして、実際に実験もしたと言い出すけど、その
内容を問いただすとプッツンしてしまうよ
しかるべき精神科医の名前と、実験に関する文献Noを出していただけ
ますか...
358 :
aoi :2005/09/25(日) 21:36:37 ID:MAcF8vFF
>>353 >パウロちゃんにはわからないのに、あなたには分る?それも「勝手なホラ」でしょう。 分かるね。マタイ13:35を見るがよい。 「口をひらいて譬えを語り、世の初めからの謎を語り出す」と。 詩篇78:2「口を開いて譬え話を語り、昔からの謎を語ろう」と。 イエスは譬え話で私たちの分からせ、謎を語り明かしているからだ。 例えば、イエスは「種まき」の話において、「種」とは「みことば(神のことば)」 であると明かしている。(マルコ4:13〜14) パウロはイエスのことばを知ろうとしないから、謎が分からないのだ。 それ以外でも「分かる」手段を発見したのだが、それは私の秘伝だが、 そのうち紹介しよう、真面目に聞く気があるなら。ははは
359 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 21:39:53 ID:gjJoJre0
>>351 >イエスが私たちの罪のために身代わりとなって十字架に死んだ
パウロは イエスの代理贖罪説は知ってはいたけど
こんなことは 言っていないと思いますよ。
この手の説は 例のヤコブのエルサレム教会だと思いますよ。
パウロにとってのイエスの復活は 初穂だと思いますよ。
360 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 22:00:14 ID:yYFx0ND2
361 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/25(日) 22:04:45 ID:1Y5v451A
謎めいた聖句.... キリスト教徒が勝手に謎めいた言葉にしてるだけ なんでしょうね...僕の様なJRの時刻表の様に読んで いけば、全然謎めいてないんですがね、キリスト教徒は 謎めいてるとして、あれやこれや妄想を展開してお楽しみ なのでしょうが、真に受ける被害者もいる事をお忘れない 様に....人の迷惑を少しは考えてチョ....わはははははは
362 :
aoi :2005/09/25(日) 22:10:02 ID:MAcF8vFF
>>356 >墓参りする大人は、墓石の陰からおばーちゃんの霊がにょっきり現れるなどと ははは、だから子供だと言うのだよ。 「霊」が存在することと、にょっきり現われることは、別のことだよ。 君の「思想」は存在するが、それが、にょっきり現われるかね? 現われなくても存在するだろ。あそうか、君には思想がないのかも。 >靖国神社に戦没者の霊がうようよ居るなどとは、誰も思わない。 あないように第一、スーペスが足りないよ(笑)。 はははは、子供らしいね。霊を物質だと思ってる。 霊は空間を必要としないのだ。 慰霊する人は、靖国神社を霊の存在の象徴として祈念するのだ。 いずれにしても、ここは「聖書理解」についてのスレッドだ。 聖書には「霊」の話しがごまんと記述されている。 「霊」の存在を知らない者は、書き込むスレッドを間違えてるのだろ。
363 :
名無しさん@3周年 :2005/09/25(日) 22:22:31 ID:yYFx0ND2
>>355 多分、最近の小学生は子供とは言えないんだよ。ませているから。
>>356 目に見えないことは存在しないことの証拠にはならない。
>>362 あないように?
364 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/25(日) 22:27:27 ID:1Y5v451A
>>359 >この手の説は 例のヤコブのエルサレム教会だと思いますよ。
>パウロにとってのイエスの復活は 初穂だと思いますよ。
エルサレム教会においても初期のペテロが指導してた頃
だと思いますよ..ヤコブにこの手の考えがあっただろうか?
365 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/25(日) 22:29:59 ID:TuLKgIn0
>>344 さん
> あなたは一体何について無知・盲目なのですか。
ここは「聖句」スレです。ですから聖句です。
「自分が見えるようになった」とは 具体的にどういう意味?
ヨハネ福音書9章。マルコ福音書8章22−26節をどうぞお読みください。
366 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/25(日) 22:37:53 ID:1Y5v451A
謎問答の好きな方、この謎めいたイエスの言葉の意味を教えてチョ マルコ3/28−29 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の 言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は 永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。
367 :
aoi :2005/09/25(日) 23:31:44 ID:MAcF8vFF
>>357 ココも好きさん 一例として Wilson Van Dusen の著書 「The Presence of Worlds」 を挙げておこう。 W.V.Dusen は16年にわたってカリフォルニア州立のすぐれた精神病院で 精神科医として数千人の精神病患者を詳しく診療した。そして精神病的な 幻覚の正体を詳しくかつ正確に知ることが出来たのである。 Dusen がただの精神科医でなく、現代の心理学にも、超心理学にも深い 学識を持った人間であることはその著書を見れば誰でも分かるであろう。 私は Dusen の著書に極めて注目していたが、後日、コリン・ウイルソン も注目して彼のことについて非常に注目をしていることを知って我が意を 得たりというところである。 彼 Dusen は熟達した精神科医として、分裂症と言われる多くの患者の口を通して憑依霊と問答が出来たのである。 で、彼は患者の憑依霊と答を、マジック・ミラーをとおして、多くの精神科医及び 精神科の学生たちの立会いのもとに、実験したのである。 その実験は、患者の生まれてからの経歴を徹底的に調べ、その知識、経験の程度を 確認し、それ以上の高い程度の質疑応答を行ったのである。結果、その患者の絶対に 知りえない知識について語り合うことが出来たのである。 つまり、患者の知識以上の問題で問答できることは患者本人でない霊が憑依していることを示すものである。 これは日本においてもやろうと思えば実験できることであるが、日本においては 金儲けにならぬことはやらない医者が多いので期待すべくもない。 日本では立花隆が臨死体験の著書で、霊魂の体外脱出の実例を報告している。
368 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/25(日) 23:44:42 ID:1Y5v451A
>>362 >いずれにしても、ここは「聖書理解」についてのスレッドだ。
>聖書には「霊」の話しがごまんと記述されている。
>「霊」の存在を知らない者は、書き込むスレッドを間違えてるのだろ。
3流教会の信者が良く使う論法だよ...聖書に書かれてる「霊」
「聖霊」「神の霊」「悪霊」「神からの悪霊」を全部抽出して、それが
その文章の中でどういう意味を示してるのか説明しろって言ってるんだよ
馬鹿なキリスト教会は、霊は存在すると考えて、聖書にもあまたの
「霊」の文字が存在するので、聖書にも示されてるって言うんだよ
聖書の中での「霊」の扱いはそれこそ書かれてる巻物によって
ばらばらなんだよ...僕なりの理解では、人の魂とか精神とか
尊厳を示してる物が圧倒的なんだな...霊というものはもしかしたら
存在して科学的にも証明されるかも知れませんが、聖書に書かれてる
霊は聖書そのものをじっくり読んで行くと、そういう類のものでは
ないんだな...それを3流教会の信者は全く理解してないんだよ...
霊は存在する、聖書にも霊は一杯書かれてるで、聖書をおもちゃに
してるのが、3流の馬鹿教会のやり方なんだよ...
369 :
aoi :2005/09/26(月) 00:11:42 ID:+6ST2Jj2
>>366 ココモちゃん >謎問答の好きな方、この謎めいたイエスの言葉の意味を教えてチョ マルコ3/28−29 幾たび問題にしたことか、林檎の目さんに説明しているではないか。 これは多くの神学者たちが問題にして分からないところだ。 ここは三位一体説と矛盾するところだ。つまり神と聖霊が一体のものならば、 汚しても同じはずだが、神を汚しても許されるが聖霊を汚すなら永遠に許されない とは、おなじものでないことになる。 だから、私は神と聖霊は一体でない、つまり三位一体説は誤りであると何度も主張している。 では、「ココが好き」君の「聴きたいこと」に答えてあげよう。 聖霊とは神でなくて神の働きなのである。つまり聖霊は神の属性なのである。 だから、神は人間ごときに汚されても屁でもないし、汚した人間を許せるが、 神が(聖霊という)「働き」をしているとき、その「働き」を阻害するなら なら神は怒り、阻害した人間を許さない ということだ。 人間でもおなじだろう。ココモスキーは馬鹿なんだ と言われても、そうでなければ 腹も立たないだろう。が、君が人に真剣に親切にしようとしているとき、 その親切の邪魔をしたら君はその男を怒り、決して許さないだろう。 つまり、神を汚してもゆるされるが、神が働こうとしているところを 阻害するなら永遠に許されない ということだ。 やさしく話したが お分かりかな?
370 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/26(月) 00:35:03 ID:YQap/i7j
>>369 俺の馬鹿な解釈を教えたるw....
3/30でな、イエスがこう言われたのは、「彼が悪霊に
取り付かれている」と人々が言ってたからである。と注釈
が入ってるんだな....また3/20あたりからを僕の
口癖の何十回も読み直せば分かると言う事がまさに示され
てる聖句だw.....
この聖霊というのは「人の尊厳」の事だよ、神から授かった
人としての尊厳を汚す者は、人の言ってる事を理解しない
(今のキリスト教徒の様に)無知な人間のままで人生を終える
人達だと言う事でしょ...わははははははははははははは
371 :
aoi :2005/09/26(月) 00:38:17 ID:+6ST2Jj2
>>368 バカモスキー さん
>聖書に書かれてる「霊」
「聖霊」「神の霊」「悪霊」「神からの悪霊」を全部抽出して、それが
その文章の中でどういう意味を示してるのか説明しろって言ってるんだよ
スジにも論理にもならないデタラメは止めることですな。
名無しのごんべいは、「霊は存在しない」といっているのだよ。
どこに「聖霊」・・・を抽出して「霊」を説明しろと言ってるのかね。
でたらめもいい加減に言うがいい。私は精薄を相手には出来かねる。
すくなくとも、もっと真面目にやれ!
372 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/26(月) 01:16:15 ID:YQap/i7j
また一人カウセリングセンターへおくらなアカンのカイナ しんどいなぁ....キリスト教会様がこれ以上病人を出さない 様にしてほしいんですよね....
>>367 >・・日本においては
>金儲けにならぬことはやらない医者が多いので期待すべくもない。
研究の結果、精神病患者の治療法はお祓いである。と、なってしまったら、
医者は困るだろうなあ。神父さん大忙し。。神主、坊主もかな。
374 :
aoi :2005/09/26(月) 01:32:06 ID:+6ST2Jj2
>>372 バカもすきーさん >しんどいなぁ....キリスト教会様がこれ以上病人を出さない 様にしてほしいんですよね は〜、ヤット自覚したんだね。自覚できるうちに入院したほうがいいよ。 ヤクをやっても同じ症状がでるようだ。 このごろは良い薬ができている。入院をお勧めするよ。
375 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/26(月) 07:41:07 ID:YQap/i7j
俺もしかして爆弾踏んじゃったんか????
376 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 09:54:25 ID:mFyKQNsK
>>369 聖霊様の「働く」属性を見出すことは否定しないが、それだけではないし
聖書を円く治めることは出来ない。勘違いの結論に至ることになる。
赦されないと同時に愛される。これが三位一体の形。
人に対する三つの神性を併せ持ってこそ聖書全体で表される唯一の神様。
○聖でないものを赦さない神様
↑
○均衡を司る神様
↓
○愛するものを赦す神様
377 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 11:51:48 ID:53ilMlBL
さすがに旧約聖書には三位一体の思想はないだろ・・・
378 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 13:15:49 ID:tC+bsTNm
旧約の神意は三位一体の原理で構成されていることを、新約の光をあてることにより悟ることができる。既にいくつか挙げているけど。
379 :
aoi :2005/09/26(月) 13:44:44 ID:QqdVZ0cS
>>376 名無しのごんべえどん
>人に対する三つの神性を併せ持ってこそ聖書全体で表される唯一の神様。
>○聖でないものを赦さない神様
>○均衡を司る神様
>○愛するものを赦す神様
君は三神思想ですね。つまり、許さぬ神、均衡の神そして 許しの神 と。
ギリシャの神々と同じ考え方ですね。医療の神、酒の神、音楽の神 などなど
仏教の仏も、医薬の仏(薬師如来)、智慧の仏(文殊菩薩)のように。
そして、三つの神が一体となって完全な神になる という君の思想は、いわゆる三位一体説とは違うようだ。
普通言われる三位一体説は、三神をあわせて一体とするのでなく、神は三つのペルソナ(位格あるいは位相)をもっているが、一つのものである
という思想なのだろう。
君のような考え方を非難して、キリスト教は三神を拝する と言って、ユダヤ
教徒、ムスリムたちはキリスト教を現在に至るまで多神教だと非難する。
事実、あなたは、神様といって神に祈り、イエス様と言って贖罪を感謝し、
聖霊様といって、聖霊の働きをお願いしているのだろう。あなたは時により
別々の神々を拝しているのだろう。あなたにとって聖霊様は「許さぬ神」
なのだろう。
あなたが、教会に行ってるなら、牧師あるいは神父に「三位一体」の考え方
を尋ねてみるがよい、君の考えと違っているはずだ。
380 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 13:46:20 ID:tSlQg8+H
>>378 三位一体の原理は明記されてるわけではないというわけか。
381 :
アタナシウス信経・ :2005/09/26(月) 13:58:01 ID:tSlQg8+H
一、 だれでも救われたいと願う者は皆、すべてに先立ち、公同の信仰を信じ保つべきである。 二、 この信仰を、損なうことなく完全に守るのでなければ、必ず永遠に滅ぶ。 三、 公同の信仰は、唯一の神を三位格において、三位格を一体において礼拝する。 四、 三位格を混同せず、一実体を分割しない。 五、 父と子と聖霊は、各々別の異なる位格である。 六、 しかし父と子と聖霊の神性はただ一つ、その栄光は等しく、尊厳は永遠である。 七、 子と聖霊とは、父のように同じである。 八、 父は造られず、子も造られず、聖霊も造られず。 九、 父は量り難く無限、子も量り難く無限、聖霊も量り難く無限。 一〇、 父は永遠、子も永遠、聖霊も永遠。 一一、 しかし三つの永遠者ではなく、一つの永遠者。 一二、 三つの造られざる者でなく、三つの量り難き者でもなく、一つの造られざる者。 一三、 父は全能、子も全能、聖霊も全能。 一四、 しかも三つの全能者ではなく、一つの全能者。 一五、 父は神、子も神、聖霊も神。 一六、 しかも三つの神ではなく、一つの神。 一七、 父は主、子も主、聖霊も主。 一八、 しかも三つの主ではなく、一つの主。 一九、 各々別個の位格を持つ神が主であることを、キリスト教の真理として告白する。 二〇、 三つの神、三つの主と言うことは、公同の信仰によって禁止される。
382 :
アタナシウス信経・・ :2005/09/26(月) 13:59:10 ID:tSlQg8+H
二一、 父は、何ものによっても成らず、造られず、生れず。 二二、 子はただ父よりのみ、成らず、造られず、生れたのである。 二三、 聖霊は父と子より、成らず、造られず、発出したのである。 二四、 ゆえに、唯一の父であり三つの父でなく、唯一の子であり三つの子でなく、唯一の聖霊であり三つの聖霊ではない。 二五、 この三位一体においては、先も後もなく、大も小もない。 二六、 三位格は皆、同じようにともに、永遠同等である。 二七、 この通り、すべてにおいて、一体を三位格においてまた三位格を一体において礼拝されるべきである。 二八、 ゆえに、救われたいと望む者は、このように、三位一体について信ずべきである。 二九、 また、永遠の救いのためには、われらの主イエス・キリストの受肉を正確に信じなければならない。 三〇、 それゆえ、われらが信じ告白する正しい信仰とは、われらの主イエス・キリストが神であって、神にして人であり、 三一、 父の本質よりあらゆる世に先立って生まれた神、母の本質よりこの世に生まれた人、 三二、 完全なる神にして、理性を有する霊魂と肉体を備えた完全な人間、 三三、 神性においては父と同質同等にして、人性においては父の下に服す。 三四、 神にして人であっても、ふたりでなく、ただ独りのキリスト、 三五、 その独り子とは、神性が人性に変化変質して一つになったのではなく、神が人性を受けたことによる。 三六、 本質の混同によらず、位格が一つゆえに、独りのキリストである。 三七、 人が理性を有する霊魂と肉体から成るように、神と人とによる独りのキリストである。 三八、 キリストは、われらの救いのため苦しみを受け、陰府に下り、三日目に死者のうちより甦り、 三九、 天に昇り、父なる神の右に座し、生者と死者とを裁くために来るであろう。 四〇、 主の再び来り給うとき、すべての者は肉体と共に復活し、各々自分の行ないについて申し開きをなし、 四一、 善を行った者は永遠のいのちに入り、悪を行った者は永遠の火に入る。 四二、 これこそ公同の信仰であって、これを忠実かつ正確に信じない者は救われない。
383 :
381・382 :2005/09/26(月) 14:00:13 ID:tSlQg8+H
三位一体は難しい・・・
384 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 14:26:46 ID:53ilMlBL
>>381-382 「唯一の神には三つの位格がある」
ということを膨らまして書いてある、という印象を受けた。
385 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 15:45:24 ID:tC+bsTNm
違うよ。合体する思想はない。 三つの交わりであることは原理であることが創世記に示される。 家族という単元、未来へつがなる単元。 神様の創世記以前のことは全く分からないが、創造の源である神様が一章でその原理を示されている。世の創造の前に在るものがそのお方。
386 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 16:52:46 ID:tSlQg8+H
>>385 創世記の
三つの交わりであることは原理であること
が示された部分を引用して下さい。
387 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 17:54:45 ID:bNVxZmQg
>>362 >はははは、子供らしいね。霊を物質だと思ってる。霊は空間を必要としないのだ。
「霊」が物質ではないのなら、それは単なる観念、想像、空想に過ぎず、「実在」
ではないということ。「人間」の観念作用、心理作用以外の何物でもない。
実在しない神や霊をいくら思考し、語っても、全くの不毛で、時間の無駄。空しく
はないのかね。
388 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 18:00:38 ID:tC+bsTNm
386 前スレに相当するものを書いてあるはず。
389 :
386 :2005/09/26(月) 18:35:46 ID:tSlQg8+H
>>388 図書館のパソコンからつないでて見れないのです。図書館のパソコンには
2ちゃんねるビューアが入ってないのです。
何章何節かだけ書いてくれれば十分なのですが。
390 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 20:24:35 ID:XV1hEvBp
唯今発売中 「宗教と科学(ユダヤ教とキリスト教の間)」(上山安敏著、岩波書店発行、定価 ¥3800) ニーチェ、フロイト、マックス・ウェーバー及びその背景をなす多数の神学者、哲 学者の論考から、ユダヤ教とキリスト教との相互批判を通じて、「反ユダヤ主義」 及び「ユダヤ・キリスト教」の病理の本質に迫る。 この書物の全体的趣旨からは、キリスト教及び聖書は、少なくとも理論的には解体 された印象を受ける。 知的興奮を呼び起こす内容に満ちた力作だが、そもそも、彼らの神は実在しない のだから、折角の知的興奮も、結局は空虚である。
391 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 20:50:37 ID:HuO4+MUz
>>390 だから 理論的に解体してくれよ。
ヨハネ福音書 でも マタイ福音書でも 良いよ
超自然的現象批判や 愛がどうのこうの
とかと言う 陳腐な批判ではなくね
392 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 20:55:01 ID:53ilMlBL
390 「彼らの神」の不在を証明せよ。
393 :
名無しさん@3周年 :2005/09/26(月) 21:40:27 ID:XV1hEvBp
>>392 >「彼らの神」の不在を証明せよ。
「不在の証明」は、「存在の証明の不可能性」によって行う。「ない物」を一体
どうやって証明できる?例えば、溶液中にある物質が存在しないことの証明は、
その物質に反応する試薬を入れて、「存在が証明されない」ことによって行う。
「不在の証明」は、「悪魔の証明」と呼ばれ、不可能であることは、証拠法上の
鉄則。
人間にとって物が実在するとは、(必要な場合には観測装置を使って)五感で知覚
されるということ。例外は「皆無」。
ユダヤ人は、モーセ以来3000年間以上、彼らの神を信じているが、迫害に次ぐ
迫害。良いことのあった験しは、唯の一度もない。
人類発生以来、神の実在を証明した者は誰一人としていない。神とは、科学について
無知蒙昧であった未開人の妄想・空想の惰性的残存に過ぎない。
イギリス国教会の大主教は、今回のインド洋大津波を目の当たりにして、神の存在と
祈りの効果を事実上否定した。ローマ教皇が同様な否定を表明することは、時間の
問題であろう。
架空の神から、現実のすべての人間と自然へのパラダイムの大転換を行わない限り、
人類は宗教によって滅亡する。その兆しは、すでに明かである。
394 :
aoi :2005/09/26(月) 22:42:53 ID:QqdVZ0cS
>>387 名無しのごんべい君
>「霊」が物質ではないのなら、それは単なる観念、想像、空想に過ぎず、「実在」
ではないということ
はははは、君のそう言う「考え」は実在しているのだろ? 実在するから
君はそれを表現しているわけだよ。
デカルトは「我思うゆえに我在り」と言った。君の我は、君の思考の存在に
より、君は存在するのだ。
量子力学の例でも、不確定性原理を知っているだろ。物質といえども、その
存在はミクロの世界においては原理として不確定なのだ。
少し「認識論」を勉強することだね。仏教において深い。
395 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 00:12:11 ID:+DFXHtSI
考えるためには脳が存在していなくてならない。
396 :
aoi :2005/09/27(火) 00:19:05 ID:HqHsopg1
>>381 君
アタナシウス信条を書き込むのは大変でしたでしょう。
初めて精細に読むことができました。有難う。
397 :
ニカヤ・コンスタンティノポリス信条 :2005/09/27(火) 01:04:50 ID://EqR4d7
われらは、唯一の神、全能の父にして、天と地の造り主、 見えるものと見えざるものすべての創造者を、信ず。 われらは、唯一の主イエス・キリストを、信ず。 主は、神の独り子にして、あらゆる世に先立って父より生れ、 (神からの神、)光からの光、真の神からの真の神、造られずして生れ、 父と同一本質であって、万物は主によって創造された。 主は、われら人類のためまたわれらの救いのため天より下り、 聖霊によって処女マリアより肉体を受け、人となり、 ポンテオ・ピラトのもとでわれらのために十字架につけられ、 苦しみを受け、葬られ、聖書の通り三日目に甦り、 天に昇り、父の右に座し、 主は、生者と死者とを裁くために再び栄光のうちに来り給う。 主の支配は尽きることなし。 われらは、聖霊を、信ず。 聖霊は、主にして命を与える者、 父(と子と)から出で、父と子と共に礼拝され、崇められ、 また預言者を通して語りたまえり。 われらは、唯一聖にして、公同なる使徒の教会を、信ず。 われらは、罪を赦す唯一の洗礼を、受け入れ信ず。 われらは、死者の復活と、きたるべき世の生命を、待ち望む。 ※この信条は381年に制定され( )内の言葉は、589年以後付加された。
398 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 01:46:26 ID:Dp3pOeVF
>>394 「考え」は、脳内における観念作用だから、物質としての実在ではない。
神や霊も同じ。「実在」とは、物質の存在について使う言葉で、観念の
実在などとは言わない。
デカルトのコギトの命題は誤り。いくら「我あり」と思っても、他者が
「我」の身体を知覚しなければ、我はない。単なる幽霊である。
不確定原理は、粒子の位置や運動が不確定であるだけ。粒子が、観測装置に
よって五感で知覚され、実在するからこそ、成り立つ原理である。
399 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/27(火) 18:48:54 ID:zPskpZ8J
聖霊・悪霊...僕が思うに、聖書に書かれてる 霊にまつわる聖句の多くは「精神」とか「魂」と考えて 良いと思いますよ(一般的な常識人に限っての話ですし、 それでは解釈しにくい聖句もあるが) 聖書学者の文献を読むと、悪霊は尽く精神障害に言い直して ますしね ただとりわけ神秘的な霊が好きな連中もいるし、教会もその連中 が大事なパトロンみたいだから、そういう連中を抱えてる教会は 認めないでしょうがね....わははははははは 神とイエス・キリストと聖霊(人の御心)が三位一体なら素晴らしい けどね...
400 :
aoi :2005/09/27(火) 18:51:41 ID:3JERlzQU
>>398 >「考え」は、脳内における観念作用だから、物質としての実在ではない
当たり前のことだ。物質としてでなく、思考として実在する。
>。「実在」とは、物質の存在について使う言葉で、観念の 実在などとは言わない。
君だけだろ。君の今言っていることは、君の「考え」が君の脳みそに実在するから
書き込みできたのだ。
論点は「霊の存在の有無」なのだ。相手が存在を強調して「実在」と言うことばを
使ったから、実在と言ったまでのこと。この場では「実際の存在」という意味で使
ったというわけだ。コトバの定義は環境によって変化する。
「霊の存在」についての論点をはずして「実在」を論ずるの愚はしたくなかったが。
>デカルトのコギトの命題は誤り。いくら「我あり」と思っても、他者が
「我」の身体を知覚しなければ、我はない。単なる幽霊である
バカは休み休み言うもんだ。我が我を認識してこそ我が「存在」するのだ。
君自身は君の「身心を認識」できないなら、君にとって君は存在しないのだ。
401 :
aoi :2005/09/27(火) 18:52:52 ID:3JERlzQU
>>398 つずき >不確定原理は、粒子の位置や運動が不確定であるだけ。粒子が、観測装置に よって五感で知覚され、実在するからこそ、成り立つ原理である。 ははは、実在を認識できないから実在が確定できないということだよ。 観測しても現実に実在を捕捉できない。だから確率の数式によって実在を 表現するほかはないのだ。つまりあんたの言う幽霊が実在することになる。 これらは認識論の分野に入る問題だ。だから次に認識論について述べたのだ。 それは、「不確定性原理」は、仏教のエッセンスとも言うべき般若心経の 「色即是空」と同じ原理と言えるのだ。 「色」とは「形あるもの」と言った意味で、「空」とは「から」というので なく捕らえようとしても、変化して捕らえられないという意味だ。 つまり、すべての物は、捕らえようとした瞬間にも変化して、原形を把握できない。 これは「不確定性原理」の「見ることによる認識作用」の影響で電子を認識出来な い という原理に似ている。 つまり「存在」の経過を微分すれば「存在」を認識 できない ということだ。 つまり、物は捕らえようとすれば逃げる という共通の原理であって、 認識論の問題になるということだ。
402 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 19:26:55 ID:kp3Tktnu
旧約の サタンは 敵意をもつ 言い立てる 敵対するもの 等々で いわゆる 悪魔 ではない。
403 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 19:49:04 ID:WPdjNG8P
良くは 知らないが コペンハーゲン解釈では 観測対象を 観測しなければ それは存在しないんだろ。 シュレーディンガの猫は 箱を開け猫を見るまでは 存在の傾向は認められるが 存在しない。 確定的に ものは言えない のだろ。
404 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 20:04:03 ID:/OkqwGv0
>>403 の補足
もし 霊 を観測できた としても
光を 波 として実験すれば 波 としての性質をもち
粒子 として実験すれば 粒子としての 性質をもつ。
光の 特性を 波 とするか 粒子とするかは 観測者で
きまる ように
霊とか神 と言うものは 人それぞれで違う という事だ。
だから 他人の信仰を批判するな ということです。
と言うことは
405 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 20:10:17 ID:/OkqwGv0
>>404 の最終行の「と言うことは」を 削除する。
聖書は 神と人との関係の 観測結果である といえる。
その観測結果を ここで解釈するのが 目的だ。
406 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/27(火) 20:16:59 ID:/TKUmx9T
ちょっと 元に戻っていいですか? 勝手にスレタイに戻ります。 復活の続きです 第一コリント15−13 「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。」 あれ 順番が?と思いますが。 ぜひ教えて下さい。
407 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/27(火) 20:54:03 ID:zPskpZ8J0
>>406 みなさんにお尋ねになる前に、何故ご自分で聖書を読んで理解
しようと思わないのですか?
15/13
「キリストは死者から復活した、と宣べ伝えられているのに」
どこでどういう人達が述べ伝えてるのですか?...その復活と言うのは
どういう復活の事ですか?
パウロ達の考えてる復活はパウロ達の思い込みでしょ...パウロ達
だけが、キリストが(パウロ達が考えてる)死者から復活したと思ってる、
それが広く伝えられてるものと思い込んでるんでしょ...
そういう状況で、復活を信じない人達(ユダヤ教でもサドカイ派
は復活を信じてなく、ファリサイ派は信じていた...使徒23/8参)
も大勢いたと言う事です。
つまり、キリストは業として復活したが、人の復活などないと思ってる
人達がいた訳です。それに対して、人間の復活を信じるパウロ達が
それはオカシイと論争してるのが、15/14です。
つまり人間は復活するんだと言う主張の裏づけで、お前さんたちも
キリストの復活を認めてるじゃないかと言う事です。....
相手は多分反論すると思います。「キリストは偉大な為に霊において
復活したのであり、パウロが言うように人は誰もが復活するわけじゃない」
認識の行き違いでしょうね...どうもパウロは思い込みが激しい
様ですね...今のキリスト教徒そっくりだw
408 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 20:58:20 ID:VxTkmIoY0
>>401 粒子は観測装置によって知覚可能だから、実在する。その位置と運動が不確定な
だけ。
「色即是空、空即是色」の意味は、知覚できる世界は、本当は実在しないのかも
知れない。しかし、その色の世界こそ、人間が現に生きている、そして生きるべき
世界なのだ。
「個は、他との関連においてのみ存在しうる。」(縁起、空)。これが仏教の
中心思想である。仏教では、神や霊の実在どころか、この世界の実在さえ認めない。
釈迦は、神や霊の存在については「無記」とした。即ち、人間が考えてもわからない、
余計なことは考えるな、ということである。イエスなどに比べて、釈迦の類稀な偉大
さである。この言葉で、キリスト教に比べてどれほど多くの人命の喪失が防がれたか、
言うまでもない。
409 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 21:07:24 ID:n7iMwDRh0
「無記」がなんで死人の数を減らせるというのか。
410 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 21:15:00 ID:TjMz4vb50
>>408 >イエスなどに比べて、釈迦の類稀な偉大 さである。
>この言葉で、キリスト教に比べてどれほど多くの人命の喪失が防がれたか、
>言うまでもない。
だから ここは聖書から 教理的キリスト教や 三流教会を
批判している書きこみが多いのだよ。
そのことに 気付かない鈍感なアンタに 聖書の言葉や イエスの教説
の意味が 解るはずが無い。
411 :
暇人 :2005/09/27(火) 21:26:23 ID:LMNrJ/v80
>>408 >知覚できる世界は、本当は実在しないのかも知れない
トンデモ本の読みすぎか新興宗教並みの的外れだと思われる。
岩波「般若心経」p11は、梵本の当該箇所を現代語訳して
「物質現象というものは、すべて、実体がないことである
およそ実体がないということは、物質現象なのである」
モノは変化しない固定的な存在=実体ではなく、
生滅変化しつつ現象しているという意味であり、
実在しないなどいう意味ではない。
仏教の「無記」は十(十四)無記と伝承・整理されているが、その中に
「神・魂」についての無記はない。
412 :
キュロス :2005/09/27(火) 21:29:09 ID:TjMz4vb50
>>406 パウロは 養子論なんだよ。
パウロにとって 生前のイエスは 普通のユダヤ人なのです。
その 普通のユダヤ人が 十字架に掛かり死んで 復活して
神の子となった。
だから 人の復活が無ければ イエスも復活しないのです。
イエスの復活以前に 復活信仰が 有ったのです。
パウロにとって イエスの復活は 初穂 なのですよ。
413 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/27(火) 21:44:02 ID:kvuJyYBx0
>>408 おまえは馬鹿だな。
釈迦はニルヴァーナ、つまり不老不死の境地を説いているんだよ。
知っての通り、この世は無常。無常なものに永遠不滅のものは何一つない。
空=縁起=無自性。
縁起によって成るこの世は無自性なものである。縁起のよって生じ、生じたものは滅するのが定め。
無自性なものに、何一つ永遠不滅のものはない。つまりこの世は無常である。
自性在る存在こそが、永遠不滅の存在なのだ。自性。これをキリスト教では
神と呼ぶ。イエスは天の父と呼んだ。それはユダヤ教の神、イスラム教の、ひいてはヒンズー教などの
神とは違うものだ。シヴァ神などとは違うものなのだ。釈迦はそのような神を否定したに過ぎない。
まぁ今のアホな今の仏教徒達にいくら言ってもわからんだろうが。
はっきりいって今のキリスト教徒もいい加減アホウだが、おまえら今の仏教徒もアホウだよ。
どちらも無明に囚われている。
414 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/27(火) 22:39:52 ID:kvuJyYBx
神とは言である。言は神である。また霊は言によって成る。 獣の意識は、五感から受ける感覚によって成る。 言を持たない獣は、死んで、五感から受ける感覚が消滅すれば、無にしかならない。 聖霊も、悪霊も出目は同じであり、神から出るものである。霊は言によって成るのだ。 人の子、神を謗る者は許されるが、聖霊を謗る者は決して許されない。聖霊とは、、命を得る神の言葉であり、 命を得る道を示した言葉であり、神の意思でもある。 それに背く者は、決して命を得ない。聖霊に背く報いは、本人自身が受ける。
415 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/27(火) 22:40:11 ID:/TKUmx9T
>>407 ココモ先生
>>412 キュロスさん
どうもありがとうございました。
なんか叱られちゃったみたい。ココモ先生 おっしゃるとおりです。自分で調べなければなませんね。すみません。
キリストの復活によって死人も復活するものと飲み込んでいましたので、この聖句は分らんのです。でもパウロの
養子論ですとスッキリしますが、、、、、、アマゾンで買った本(リベラル学者、保守の牧師の本、ノンクリスチャン学者の
本3冊)が届いたら調べてレスできたらいいなとおもっています。
416 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/27(火) 22:41:47 ID:kvuJyYBx
教会とはイエスの残した律法の黄金律、敵を愛し、隣人を愛せ。これを守る人達の集まりである。 つまり己の利己心、つまりエゴを徹底的に廃した者の集まりである。 そこでは政治の話はするな。宗教などの話しもしてはならない。兄弟達に己のエゴを 決して押し付けてはならないのだ。そのような者は命に対する権利を得ず、 命の書から省かれる。ただ自分の兄弟達を、自分を愛するごとく愛し、至高の存在を信じていればいい。 至高の存在を感じ取れる者は幸いだ。それはその実、我々の内にあり、そして外にもある。 兄弟とはイエスの掟を守る者達であり、決して肉の親兄弟の事を言っているのではない。 肉の生みの親である母や父、兄弟を愛し、他人を愛さないものはその実、自分のエゴを愛してるに過ぎない。 イエスは、生みの親である母や、父親、肉親を兄弟と呼んだわけではないのである。
417 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/27(火) 22:44:14 ID:kvuJyYBx
イエスはこの世、地上に愛と平和を残しにきたのではない。 むしろ剣と、戦争を招きに来たのだ。それは古の神々が引いたレールに沿う為に。 それは罪人である我々が再び命が得られるように。彼が弟子達に命じて 作らせた、宗教であるキリスト教とはそういうものである。宗教は争いを生む。 みよ、まさに世はその通りにすすむ。
418 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/27(火) 22:59:39 ID:kvuJyYBx
イエスは我々の主であり、メインでありマスターである。そして彼は男である。 我々の魂は女である。なぜならみずから子宮を持ち、子を生み増やすからである。 彼と女は、善と悪を別けるという大変な罪を犯した。善と悪の思いは、エゴを生み エゴは自我を生む。自我とは、この世の我々の事を指す。 その罪と同時に神に似せられて創造された人であるのに、死が入り込み、死ぬ存在となった。 世は一元の世界ではなく、二元の世界である。光があれば闇があり、 善があれば悪があり、生があれば、死がある。彼は世に生れ、自ら律法の黄金律を示し。十字架により律法の 黄金律を完成させた。つまり己のエゴを、十字架により滅ぼし再び命を得たのである。 つまり十字架のわざにより、彼が善悪の思いに囚われ生じさせたエゴを滅ぼし、 再び命を得たのである。男である彼が命を得たということは、我々全ての人に 命の門を開けたことになる。それは過去の人にとっても、未来の人にとっても同じ事である。 始めであり終わりである者からみれば、過去も未来も、今ここなのである。 誰もが彼を通さなければ父の元にはいけない。彼をなくして命を得ることはできない。 彼はまごうことなき、メシアであるが、我々を地獄、つまりこの世に落とした張本人でもある。 彼以外に救いはないし、彼以外の預言者達は命を得ておらず、死人のままである。 それはモーセしかり、ムハンマドしかりである。なぜなら彼らは命を得る道を知らないままである。 それは彼らの生き様をみれば明らかである。 霊によって自らの衣を洗い清めるものは幸いだ。業を滅ぼした魂は、彼と一つとなる。 自らを清めた魂、花嫁は、彼、花婿と一つとなり、永遠の命となる.
419 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/27(火) 23:05:43 ID:kvuJyYBx
どうすれば元の場所に帰り、命を得るかを知りながらも、どうしても肉の思いに負ける。 心は熱く燃えていても、肉の身体は弱いものだ。、ま、ここは聖句のスレなので、聖句を並べ立ててみよう。 この言葉の意味を見出すものは幸いである。 >わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 >それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 >わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。 >その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、”一つの群れになる。” >”わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。” >だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、 >それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。〜ヨハネ10.14〜10.18 >彼の弟子たちは彼に言った。”24人の預言者がイスラエルの中で語りました >そして、彼らのすべてのがあなたにあって語りました”。彼は彼らに言われた。 >”あなたがたはあなたがたの面前で生きている者を捨て、 >死んでいる者たちについて語った”。〜トマスの福音 >イエスは言われた。”父と母を知るであろう者は、 >娼婦の子と呼ばれるであろう”〜トマスの福音
420 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/27(火) 23:07:54 ID:zPskpZ8J
>>415 >なんか叱られちゃったみたい。ココモ先生 おっしゃるとおりです。
>自分で調べなければなませんね。すみません。
別にしかってるわけではなくて、何でクリスチャンと言うのは
たまたま目に入った一行で、それだけで物事を考えるのかなん
ですよ...それだけは誰に聞いても顰蹙を買う行為だし、知って
る人からは馬鹿にされる、キリスト教徒特有の愚考なんですよ
そんなに難しい事を言ってるわけじゃないんですよ、ちょっと
気になる聖句があったら、せめてそこの章を読んでみてくれと
言う事なんですよ...なんでこんな簡単な事がキリスト教徒は
できないんですか、我々が何十回も指摘してる事なのに
421 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/27(火) 23:07:58 ID:kvuJyYBx
>イエスは言われた。”私のようにその父と母を憎まない者は、私の弟子である
>ことができないであろう。そして、私のようにその父とその母を愛することの
>ない者は、私の弟子であることができないであろう。なぜなら、私の母は偽り
>を与えた。しかし私の真実の母は私に命を与えた”〜トマスの福音
>イエスは言われた。”ふたりがひとつの寝台で休むであろう。ひとりが死に、
>他のひとりは生きるであろう。”サロメが言った。”あなたさまはどなたですか、
>そして、あなたはどなたの子ですか。あなたはわたしの寝台でお休みになり、
>わたしの食卓からお食べになりました”。イエスは彼女に言われた。
>”わたしは同じである者から出た者である。わたしにはわたしの父のものから与えられている”。
>”わたしはあなたの弟子です”。”それゆえに、わたしはあなたに言うのである。人は結び合わされるとき、
>光で満ちるであろう。分かたれるとき、闇で満ちるであろう”。〜トマスの福音
>イエスは言われた。”この世を知った者は、身体を見出した。しかし、身体を
>見出した者に、この世はふさわしくない”〜トマスの福音
>イエスは言われた。”この世を知るにいたった者は、屍を見出したのである。
>そして、屍を見出した者に、この世はふさわしくない”。〜トマスの福音
>シモン・ペテロが彼らに言った。”マリハムはわたしたちのもとから去った方がよい。
>女たちは命に値しないからである”。イエスは言われた。”見よ、私は彼女を天国へ導くであろう。
>私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。
>なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから”〜トマスの福音
そして。
>人々がイエスに金貨を示し、そして彼に言った。”カイサルの人々が私たちから貢を要求します”。
>彼が彼らに言った。”カイサルのものはカイサルに、神のものは神に返しなさい。
>”そして、私のものは私に返しなさい”〜トマスの福音。
トマスは何度読んでもいい。真理が語られている。
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html 皆に命が得られるよう。アーメン。
422 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/27(火) 23:11:30 ID:kvuJyYBx
追記 >イエスは言われた。”まことに、人々はわたしが世界に平和をもたらすために >来たのだと考えている。しかし、彼らはわたしが地上に不和、火、剣、戦争を >もたらすために来たことを認識していない。まことに、ある家に5人いれば、 >3人はふたりに、ふたりは3人に、父は息子に、息子は父に対立するであろう。 >そして、彼らはひとりで立つであろう”。〜トマスの福音
423 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 23:22:56 ID:9v4m35+v
>カラスの唄氏へ 現実上の根拠皆無な、聖書の言葉など引用するなよ。あなたの思考停止 を示すだけ。ここは人間界。人間に立脚して、自分の頭では考えられ ないのか。
424 :
名無しさん@3周年 :2005/09/27(火) 23:28:24 ID:1O6XEMOI
イエスにとっての神とユダヤ教の神(ヤハウェ)が別物という論は 論者の正気を疑うに十分です。
425 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/27(火) 23:33:59 ID:kvuJyYBx
>>423 あんたがどう思おうがあんたの勝手。
勝手に生きればいい。あんたの業による報いはあんた自身が受ける。
偽りを言うものも、真理を語るものも、真に批判を受ける事は避けられないものである。
真理を知る者は争論を好まない。争論。それは己の何処から生じるかよく知っているからである。
真理を知る者はこれ最上の教えと知り、誰の教えも請わず、ゆえに争論することもない。
>現実上の根拠皆無な、聖書の言葉など引用するなよ。あなたの思考停止
>を示すだけ。ここは人間界。人間に立脚して、自分の頭では考えられ
>ないのか。
豚に真珠。聞く耳持たぬものに、なにを言っても無駄。神を知る方法はあるんだよ。
426 :
名無しさん@3周年 :2005/09/28(水) 01:00:13 ID:S+WIJ73+
427 :
aoi :2005/09/28(水) 01:25:23 ID:GCCjVWOf
>>414 カラスの唄さん
グノーシス風のヨハネ神学派ですね。
で一体何を言いたいのですか?
われわれに説教しようと言うのですか?
428 :
名無しさん@3周年 :2005/09/28(水) 02:12:35 ID:8uhqLULc
カラスの文って地獄にひきずられそうな気がする。w
429 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/28(水) 08:17:06 ID:DYx9cNPS
430 :
aoi :2005/09/28(水) 09:26:50 ID:IcauSYkr
>>429 不吉のカラスよ 不吉の唄を唄うか!
圧殺されたグノーシスの生き残り 恨みのひとり節
431 :
名無しさん@3周年 :2005/09/28(水) 10:02:56 ID:ec2U/JVk
>>431 >トマスによる福音書は偽典なんだがな。
別にそれで史料的な価値が変わるわけではない。
偽典かどうかなど、一教会の信仰上の文書としての位置づけに過ぎないのだから。
新約の場合、偽典というより外典だろ、普通は。 史的イエスを知る上で、トマスにさほどの史料的価値があるとは思えないが。
434 :
431 :2005/09/28(水) 12:28:38 ID:lPqqrd12
確かに偽典があるのは旧約のほうだった。 自分も気をつけないと。
435 :
aoi :2005/09/28(水) 13:28:36 ID:IcauSYkr
>>433 「偽典」とは人の名を騙った書であり、「外典」とは正統、あるいは正典と
認められない書 と区別すればよいのではないか。
新約、旧約で区別するものではないだろう。
トマス福音書については、グノーシス派の入門書ともなっており、当時弾圧され
たグノーシス派がエジプトのナグ・ハマディに隠匿した、トマスの名を冠した
「偽書」であろうと考えられる。内容は今日で言うQ資料、イエス語録を盗用
したものであろうと思われる。
コプト語で書かれており、日本では荒井 献が詳しい。
436 :
キュロス :2005/09/28(水) 19:07:51 ID:L9bVV/DF
G・タイセンは トマス福音書は グノーシスには至っていない と言っている。 バートン・L・マック も 語録の一部はグノーシス的響きが あるが グノーシスだとは 断言していない。
437 :
キュロス :2005/09/28(水) 20:01:29 ID:536PmqYW
ヨハネ福音書の10章1節から5節までは 出エジプトのことを 言っているのですかね。 少なくとも 10章1節〜10章5節は 一つの小説話ですよね。 10章7節で 「私は門である」 10章11節で 「私は良い羊飼い」 と 記述していると言うことは 10章7節〜10章10節 が 一つの小説話で 10章11節〜10章18節 が もう一つの小説話で 三つの小説話で 一つの大説話になっているのですかね。 その大説話の解説が 10章19説〜10章42節なのですかね。 護教的になるが 「門」 「良い羊飼い」 と10章3節の「門番」 の三つは 「父なる神」 と 「子なる神」と 「聖霊なる神」の 三つに 対応するような きがするね。
438 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/28(水) 21:33:25 ID:pU/D1FYp
>>421 >トマスは何度読んでもいい。真理が語られている。
>
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html >皆に命が得られるよう。アーメン。
クリスチャンは相変わらず、下らない評価をするし、例によって
胡散臭いガセネタで自己満足してるみたいだけど、トマス読んでる
とホンマに頭のモヤモヤが払拭される様な思いをするw
それは良いけど、わざわざ俺のホムペ出すなよ(笑)
それよりお待たせいたしました。我が阪神教団はいよいよ
ハルマゲドンを迎える事になりました。
オーオーオーオー
阪神タイガース
フレーフレフレフレー
明日の今頃は自分も酒飲んで大騒ぎしてるかもしれないw
439 :
キュロス :2005/09/28(水) 21:34:52 ID:rpFg9n0J
>ヨハネ福 >1:27 その人はわたしの後から来られる方で、 >わたしはその履物のひもを解く資格もない。」 と ヨハネは 「私は イエスより先に来た」 言うのですね。 >ヨハネ福 10:8 >わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。 >しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった この「 私より先に来たもの」にヨハネも含まれるし イザヤ・ エレミヤ等の預言者も 含まれるのでしょうね。 そうだとすると これは 下記のように 言いかえることが出来る 「イザヤ・エレミヤ・ヨハネ等々は、盗人であり、強盗である。 しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった」となる。 イザヤ・エレミヤ等の 預言者の言う事を 聞かなかった から 北王国は滅亡し 南王国は捕囚の民となった。 と言うことは 「羊」 とは ユダヤの12部族 のことで 異邦人のことは 含まれないかもしれない。
440 :
aoi :2005/09/28(水) 21:36:57 ID:wdoCrb5S
>>436 グノーシスと言っても、あくまでキリスト教におけるグノーシス派
であるわけで、基本はイエス語録であり、トマスの名のもとに語録
を編纂し、その解説においてグノーシス的解釈をしたであろうと言
う意味で語録には顕著なグノーシス的特徴はでていない というこ
とでしょう。
福音書のヨハネは「ロゴスは神である」とか「闇は光に勝たなかった」
などと、明らかにグノーシスの影響を受けていますね。
441 :
キュロス :2005/09/28(水) 21:53:10 ID:rpFg9n0J
>ヨハネ福 10:16 >わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。 >その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。 >こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 「この囲いに入っていないほかの羊もいる。」 この羊が 北王国の民つまり サマリヤの民 のことなのか 異邦人の事なのか が問題となる。 その鍵は 「この囲い」 が何をさすかだ。 10章1節〜10章5節の 小教説に答えがあるように 思う。 >ヨハネ福 10:4 >自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。 >羊はその声を知っているので、ついて行く。 これが 出エジプトの出来事だとすれば ユダヤ人だけだし エデンの園からの追放 だとすれば 異邦人も 含まれる。 10章9節の 「門を出入りして 牧草を見つける」とは 「門を出入りして 野の草」を食べる と言うことを意味しているとすれば 創世記 3章18節の 園を出て「野の草を食べようとするおまえに」が 関係している様だから 「囲い」は 「エデンの園」に対応する ように 思える。 さて ココモ博士は どう考える?
442 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/28(水) 22:03:38 ID:pU/D1FYp
>>441 ヨハネ福音書の10/7−21に答えが書かれてるんだけど
443 :
キュロス :2005/09/28(水) 22:06:05 ID:rpFg9n0J
「闇」とは 光が失われた状態 なのです。 エデンの園 では 人は光を身につけていた のです。 それが 善悪を知る木の実を食べた ことにより その光が失われた のです。つまり「闇」の状態にな ったのです。 これは 二元論 ではありません。
444 :
暇人 :2005/09/28(水) 22:08:59 ID:2IzxJsPx
>435 >「偽書」であろうと考えられる。内容は今日で言うQ資料、 >イエス語録を盗用 したものであろうと思われる。 >コプト語で書かれており、日本では荒井 献が詳しい。 荒川献は、こういうあほな事はいわん。きちんと読みなされ。 例えば講談社学術文庫「イエス・キリスト 下」p461では、 全体としては共観福音書より二次的としつつ、「未知のイエス語録」が集録 されていて、それが前マルコ資料やQ資料以前の口承段階の可能性があるこ とに言及され、二次的部分についても共観福音書より古層に近い形になっている と推定されている。「イエス語録を盗用」などとは考えられていない。 また訳書の白水社「ナグ・ハマディ写本」p21あたりを読めば、 当時のキリスト教が様々キリスト集団に別れ、その個々が別の福音書などの 文章を伝承していたことがわかるので「偽書」という発想自体が無効化され ている。 詳しくはご自分で確認されてください
445 :
キュロス :2005/09/28(水) 22:10:17 ID:rpFg9n0J
>>442 ねえ 具体的に 答えてよ。
「羊」は ユダヤ人だけ それとも 異邦人も 含まれるか
どう考えるの? また その根拠は?
446 :
キュロス :2005/09/28(水) 22:22:15 ID:rpFg9n0J
土戸 清 「初期キリスト教とユダヤ教」を 古本屋で500円で買った。 まだ 全部は 読んでいないし 護教的な感じだから 全て受け入れるわけではないが ヨハネ福音書は ユダヤ教内部の対立から 生まれた文書らしい。
447 :
aoi :2005/09/28(水) 22:41:01 ID:wdoCrb5S
>>439 >この「 私より先に来たもの」にヨハネも含まれるし イザヤ・ エレミヤ等の預言者も 含まれるのでしょうね それは読み込み違いでしょう。なぜならイエスはマタイ11:11で 「洗者ヨハネより大きい人物は起こらなかった」とヨハネを褒めている ローマによる税の収脱による圧政を受けたイエスの時代には、イエス 以前に「救世主」と称して幾人も現われ、滅びていったのは史実であって イエスはそれらの人たちを「私より先に来た」と言った と考えることが 至当であろうと考えます。
448 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/28(水) 22:55:53 ID:DYx9cNPS
女が男の内にあったときには、死はなかった。 男と女が分かれたとき、死が入り込んだのだ。 >イエスは言われた。”私は彼らすべての上にある光である。私はすべてである。 >すべては私から出た。そして、すべては私に達した。木を割りなさい。私は >そこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、 >私をそこに見出すであろう”〜トマスの福音。 外典がどうの疑典がどうのと、何処のお偉いさんが決めたんだい。 そんなことはどうでもいい。肝心な事は、その書かれている内容なのだ。 そもそもあんた達、トマスの福音の言葉の意味を理解してから意見してるのかい(苦笑) 俺は、あれはイエスの言葉を比較的忠実に書かれていると確信している。 なぜなら、真理が語られているからだ。 あれらの言葉の意味は、案外、釈迦の教えを理解するものは理解するものだ。 今の教会の教えを妄信する者には理解できない。 あ、これでも俺はカトリック教徒な。教会には年に1〜2回くらいしかいかんけど。 もう一ついっておこう。グノーシスの教えは、今のカトリック、プロテスタントの教えと比べれば、 はるかに ”まし”なんだよ。そもそもあんた達はグノーシスとはなにか、知って意見しているのかね〜。 ま、どうとろうとあんた達の勝手だが。 >不正を行う者には、なお不正を行わせ、”汚れた者は、なお汚れるままにしておけ”。正しい者には、 >なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。〜黙示録 己のエゴに囚われた蛇の子達よ。聞く耳があるのなら、よく聞くがいい。
449 :
aoi :2005/09/28(水) 23:07:38 ID:wdoCrb5S
>>448 >外典がどうの疑典がどうのと、何処のお偉いさんが決めたんだい。 >俺は、あれはイエスの言葉を比較的忠実に書かれていると確信している。 なぜなら、真理が語られているからだ 君が「真理だ」といって誰が信じるのだい!! カラスの不吉な「唄声」に過ぎない。
450 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/28(水) 23:08:45 ID:DYx9cNPS
ココモスさん。あんたのHP、勝手にリンク貼って悪かったね。 ま、あんんたのHPの宣伝になったとでも思って許してくれや。ハハハ。 ま、俺は正直あんたのHPは、トマスの福音しか興味ないけどな。 余計なお世話だが、イスラムはやめておけ。あれでは命は得ない。 あれは新約成就の為の、当て馬にすぎない。 ま、選択するのはあんた自身だ。余計なお世話だったね。
451 :
キュロス :2005/09/28(水) 23:09:48 ID:kG2RdXhe
>>447 「羊」は ユダヤ人だけですか
それとも 異邦人も 含みますか
どのように 考えますか?
そして その根拠は?
452 :
キュロス :2005/09/28(水) 23:16:34 ID:kG2RdXhe
>ヨハネ福 11:52 >国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、 >と言ったのである この 国民は 南王国(ユダ王国)の民の事を 指しているのだろうね。 問題は 「散らされている神の子たち」が 旧北王国つまり サマリヤの民 のことなのか それとも 全ての民(ユダヤ人と異邦人)のことなのか? が問題なのだ。
453 :
キュロス :2005/09/28(水) 23:23:24 ID:kG2RdXhe
ヨハネ福音書12章20節 以下に 答えが あるような 気がする。 さて この何人かのギリシャ人はイエスの弟子になったでしょうか? 永遠の命を得たでしょうか?
454 :
aoi :2005/09/28(水) 23:25:18 ID:wdoCrb5S
>>443 >「闇」とは 光が失われた状態 なのです。 よく理解してると思う。そうなんだ。 だが、福音書のヨハネは「闇は光に勝たない」として、 グノーシスの2元の考えをとっている。
455 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/28(水) 23:28:37 ID:pU/D1FYp
>>448 >あ、これでも俺はカトリック教徒な。教会には年に1〜2回くらいしかいかんけど。
>もう一ついっておこう。グノーシスの教えは、今のカトリック、プロテスタントの教えと比べれば、
>はるかに ”まし”なんだよ。そもそもあんた達はグノーシスとはなにか、知って意見しているのかね〜。
>ま、どうとろうとあんた達の勝手だが。
グノーシスは何処かの教会が拾って来ないからだろ...グノーシスを
がんばって読むくらいだから、少なくとも聖書をロクスッポ読まない
キリスト教徒とは比較にはならんよ...正典の聖書もキリスト教会
なんか無視して読めばいいんだけどね...
正典の聖書は馬鹿なキリスト教会がよってたかってカスにしてる
グノーシスはその手の馬鹿教会が存在しないから、子供じみた解釈が
存在しない...その違いじゃないかと思うけど...
456 :
キュロス :2005/09/28(水) 23:29:45 ID:kG2RdXhe
>>454 お褒めの 言葉 ありがとう。
なにしろ オレは 幼稚園児時代から 聖書ずけなんだよ。
457 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/28(水) 23:31:47 ID:DYx9cNPS
我々の自我とは、死ねば消えてなくなる幻のようなものである。 人は自性在る神に似せて創造された。イエスは人の子である。 女は男の内にあった。イエスは花婿、男性である。 >人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。 >自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 〜マルコ ここにある『命』とは、まことの命のことである。 豊臣秀吉が晩年に歌った歌。 >露と知り露と消え行く我が身かな。なにわの事も夢のまた夢。 これはこの世の命(自我)のはかなさを見事に歌っている。 イエスとは何者か?彼は我々の ”真我” なんだよ。
458 :
名無しさん@3周年 :2005/09/28(水) 23:38:50 ID:awSnwL97
ところで、書かれている内容を原典で読める人は居ないのか、ここには? 本文批評を自分で出来る人とか。
459 :
暇人 :2005/09/28(水) 23:45:57 ID:2IzxJsPx
岩波書店「新約聖書ギリシア語入門」大貫隆を買ったが、 さっぱりわからない。 中学英語すらわからん私には無理ぽいな
460 :
aoi :2005/09/28(水) 23:47:29 ID:wdoCrb5S
>>452 >国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、 >と言ったのである それは、カヤパの言葉をヨハネが憶測したもので、イエスの言葉では ない意味において、問題にならない。
461 :
キュロス :2005/09/28(水) 23:50:48 ID:KW/1y8Wx
確かに ヨハネ福音書では 「魂」 と 「命」 が重要だね。 ルアッハ と ネフェシュ なんだよ。あと へセト も重要だと思うよ。
462 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/28(水) 23:53:44 ID:pU/D1FYp
トマス福音書(言行録) 1 そして彼は言われた。”だれでもこれらの言葉の解釈を 見出す者はけっして死を味わうことがないであろう”。 これはヨハネ福音書のコピーです。 コピーだどうのこうの言ってもせん無い事なんだw ヨハネ福音書はイエスの言葉として「私の言葉を守る人は 死なない」だったと思うけど、この死なないのはロゴスが 死なないのであって、プシュケーは人間である以上いつか 死にます。トマスの編者はヨハネ福音書からコピーしたのは 明白ですが、トマスはちゃんと説明を入れて人間の言葉として 疑義が生じない様にしてるんだな グノーシスのスタンスがわかるんだな...正統派をどう見て いたのかも分かるね... マリア福音書を出した事もあったけど... 「ペテロよあなたはよく怒る人だ」・「イエスは(マグダラ) マリアの人となりをよく知ってマリアを愛したのだ」など もね、グノーシスの巻物から当時のキリスト教会の粗雑で 権威主義で乱暴で頭の悪い様が見えてくるんだw
463 :
aoi :2005/09/28(水) 23:53:48 ID:wdoCrb5S
>>456 私は12、3歳ごろから70年聖書漬けなんだ。 もちろん、平行して仏典の研究なども10年足らず。
464 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 00:01:10 ID:g2nDPI9B
70年・・・・すげぇ。
465 :
キュロス :2005/09/29(木) 00:04:01 ID:s1I/fI5I
いちおう ギリシャ語新約と ヘブライ語旧約はある。 辞書もある 予算の関係上 英語版だけど。 だから ヘブライ語を 英語版の辞書で意味を調べ その 英語の意味を 英和辞典で調べる。 1行の ヘブライ語の文を 日本語に訳すのに 2種類の辞書が 必要なんだ。だから 大変な時間がかかる。
わたしは物心ついてから、初歩教理を暗誦させられていたよ。だからどこの教会も教理書(ものさし)を持って いるものだとず〜っと思っていたぐらいでありまして、あまりよそのことは知りませんね。
467 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/29(木) 00:18:47 ID:2hcpc2HN
>>458 >ところで、書かれている内容を原典で読める人は居ないのか、ここには?
>本文批評を自分で出来る人とか。
僕もそれを試みたんですが、実は原典と言うものが存在しないんですね
旧約の場合は基本的にはヘブライ語なんですが、一部アラマイ語ですし、写本が
いくつもあって分かりにくくなってます。どうダニエル書や幾つかの
諸偏以外はヘブライ語らしいんだけど、それを読む事に断念する気は
ありませんが、どれだけ意味があるのか疑問に思う事が多いです。
新約はギリシャ語のコイネ語らしいんです。これも残念ながら
原本は見つかってませんし、コイネ後がどれだけ豊富な表現力を
持ってるか疑問です。また原本があったとしてもどれだけの
価値があるのかも疑問です。ヨハネ・マルコ氏が書いたアルマイ語
の原マルコのメモが見つかったとしても僕らが見てるマルコ福音書
とは全然違うものです。自然発生的にこれらのものが出来た
と思っていただければ分かりやすいことなんですよ
468 :
aoi :2005/09/29(木) 00:20:34 ID:dgXPUoKz
>>457 カラスくん
まだ説教は早いよ!
「イエスは花婿」は確かだ、初心者でも分かることだが、
イエスが自分の真我とは、印度のヴェーダあたりの思想だな。
ちっとばかり勉強したとて慢心するでない。
469 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/29(木) 00:24:19 ID:jNX7v0Vt
>>463 私は真理を語っている。
あなたは70年も聖書、イエスの言葉に親しみながら、
どうして私に、自分のエゴをぶつけるのですか?
私も悪い存在ではあるが、イエスを主と認め、彼の弟子でありたいと思う。
あなたは自分の兄弟を愛さないのですか?あなたにも命が得られるよう。アーメン。
470 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 01:22:29 ID:pcbt5fqL
>>467 そもそも、福音書の書き手達はイエスのアラム語を正確にギリシャ語訳できたんでしょうか?
471 :
aoi :2005/09/29(木) 01:43:31 ID:dgXPUoKz
>>464 >70年・・・・すげぇ。
長生きして済まない。
大正12年関東大震災で、びっくりして母の腹から飛び出したのだ。
クリスチャン・ホームに生まれたらしい。
子供時代は、キリスト教を「ヤソ教」といわれ、「アーメン、ソーメン
冷やソーメン」と言って冷やかされたもんだ。
中学校時代は岩波文庫の草間平作訳のヒルティに惚れ、旧制高校では、
内村鑑三にうつつを抜かし、京大時代は軍需工場で金星と言う戦闘機、隼の
発動機を作っていた と言うわけさ。
聖書の話より、戦中戦後の実体験の話のほうが面白かろ。なまの話を教えて
やってもいいぜ。あはは
472 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 02:22:30 ID:tZvnqmqf
じいさまとは思い難い。 インターネットは老人をこうも変えうるのだろうか。
473 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 05:15:31 ID:PlbdOQ24
>>467 >実は原典と言うものが存在しないんですね
↑ここでの原典って、オリジナルという意味で使っていると思いますが、
確かにその意味では聖書はすべて写本で伝わっています。といっても、
古典としては比較的書かれた時代とその写本(コピー)との間の期間が短いです。
例えばホメロスとかプラトンなどに比べれば。
で、そこから原典を再構成しようという試みが広く為されているわけです。
>旧約の場合は基本的にはヘブライ語なんですが、一部アラマイ語ですし、
↑アラマイ(アラム)語はヘブライ語に近い言語で、イエス当時のユダヤ人の標準語でもありました
(マルコのエリエリレマサバクタニはアラム語)。
ついでに言うと、ヘブライ語が分からなくなったディアスポラユダヤ人のための
ギリシャ語旧約聖書もあります。
>どうダニエル書や幾つかの諸偏以外はヘブライ語らしいんだけど、それを読む事に断念する気は
>ありませんが、どれだけ意味があるのか疑問に思う事が多いです。
↑ダニエル書もヘブライ語です。諸偏?詩篇のこと?それならこれもヘブライ語です。
因みに、日本語の聖書もヘブライ語旧約聖書からの訳なのですが、訳者によって語義の捉え方が
異なることを考えれば、ヘブライ語聖書にあたる意味は十分にあります。
試しに、色々な翻訳を比べて見てください。全く異なった翻訳がぞろぞろ見つかるはずです。
で、どれを選ぶかをどうやって決めますか?
474 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 05:20:21 ID:PlbdOQ24
>>467 >新約はギリシャ語のコイネ語らしいんです。これも残念ながら原本は見つかってませんし、
>コイネ後がどれだけ豊富な表現力を持ってるか疑問です。
↑コイネー語は1世紀ローマ帝国で多くの人が用いた言葉(標準語に近いもの)でした。
ある言語の表現力が豊富かどうかを考えるのは無益なことです。
日本語と英語、どちらが豊富な表現力を持っていると思いますか?
>また原本があったとしてもどれだけの価値があるのかも疑問です。
>ヨハネ・マルコ氏が書いたアルマイ語の原マルコのメモが見つかったとしても
>僕らが見てるマルコ福音書とは全然違うものです。
↑原本があるからこそ、私たちが手に取る聖書があるわけで、その点で価値は十分にあると思いますが。
因みに、マルコ福音書の著者がヨハネ・マルコだというのは大抵否定される伝承です。
>自然発生的にこれらのものが出来たと思っていただければ分かりやすいことなんですよ
↑自然発生的にではなく、新約にかぎっても2000年間オリジナルを保存復元しようとする
信徒や研究者の努力がありましたし、それは今も続いています。
ネストレといわれる新約聖書がありますが、これは様々な写本からどれが元来のもので、
どれが後代の書き加えかという研究の成果です。既に27版?くらい出ていますが、
ずいぶん試行錯誤があったことが分かりますよ。
475 :
aoi :2005/09/29(木) 08:18:06 ID:qMOFxMTb
>>469 カラスくん
>私は真理を語っている。
きみに真理はない、イエスの言葉を語ることだ。
>イエスを主と認め、彼の弟子でありたいと思う。
イエスの十字架を負えるか?
きみは、虎の威を借る狐になろうとしている。
>あなたは自分の兄弟を愛さないのですか?
悪を愛してはいけないのだ。
隣りの「善」を愛するのだ。
「善きサマリヤ人」の話を知ってるだろう(ルカ10:29〜)
熟読するのだ。
「『善き』サマリヤ人」が隣り人だ、とイエスは語る。
それは、「サマリヤ人の『善』」を愛することなのだ。
きみの言う兄弟を愛するとは「兄弟の『善』を愛する」
ことなのだ。お分かりか?
476 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 09:43:58 ID:tZvnqmqf
たとえ、神の意志が100パーセント反映される完全原典があったとしても、真理 を見出せない者がいるのは間違いない。 このような伝承状況も、神様から人への選びと信仰への試みだと考える。 小さい物陰により甘い果実を見失うことのないように。
477 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 10:10:40 ID:GOok5nQ7
>>476 「架空の神」に意志などある訳がないだろう。あくまで「人間」が勝手に
でっち上げた「意志」に過ぎない。
若し、神が存在するとしたら、人間がその神の意志を推測し、思考し、語る
ことほどの、傲慢・不遜・冒涜の行為はないのではないか。
「真理」とは何か?具体例を挙げて説明されたい。自分でも意味の分からない
言葉を軽率に口にしてはならない。
478 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 10:58:32 ID:tZvnqmqf
>>477 ああ、君は>337か。真理は言い換えると神理。
イエスキリストの生涯が神理を語る。聖書を信じて求められない者に、この神理は
受け入れることはできない。神理は信じて語るものなの。
人が神を思考し語ることが出来るようにしたのが、三位一体の神であり、和であるイエスキリスト。
479 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/29(木) 11:07:24 ID:0FXoVjNR
>>477 真理とは、至極簡単に言うと、我々は本来「一」なんだよ。
「一」は、なにものとも依存することなく存在する。
全てはそこからでた。我々は本来「一」なのだ。ならば愛し合うのが当然ではないか。
エゴは我々を分けはなつ。ならばどうすればそこに帰れるか、わかろうというもの。
お前の問いに至極簡単に答えてやった。
おまえに智慧があり、求め、捜すのなら、神をみいだす。求めない者は神を見出すことはない。
ま、今のお前にいくら言ったところで豚に真珠だろうがな。
480 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 12:46:15 ID:88FJ/oze
信徒は10を確信するゆえ、9を信じ1を信じる。しかし8に気がつかなければならない。
481 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/29(木) 14:14:25 ID:0FXoVjNR
482 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 14:19:45 ID:HaB+bfxU
483 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/29(木) 14:30:14 ID:0FXoVjNR
>>482 君らは、やれそれは何々派だのと、レッテル貼るのがお好きなようで。
エホバなんて知らんよ。
自分の心を修めることが出来ないものは、悪いものとは付き合うな。
己の心が汚れる。
蛇の子達よ、お前達は本当にどうしようもない。
484 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 17:51:08 ID:PlbdOQ24
エホバって、
>>482 さんはYHWH(ヤハウェ)のこと言っているんでしょう?
つまり、旧約の神でありイエスのabbaについてのことかと。
そういやマルコでこんなのがあった。
「あなたに欠けているものがある。持っている物全てを売り払って
貧しいものに分け与えなさい。それから私に従いなさい」
男は悄然として悲しみつつ去った。彼は豊かな者だったからである。
(私訳)
持っている物全てを捨てるなんて、私には出来ません。
せめて家くらい持ちたい。。。
485 :
キュロス :2005/09/29(木) 18:44:17 ID:WxM4bKrY
>>484 ユダヤ教は 時間や 人の振舞い を聖化する宗教なんだよ。
イエスの教説も 大枠では ユダヤ教の考え方です。
時間の聖化とは 安息日 なんだよ。
同じ空間でも 安息日になると 聖なる時間となるのよ。
また人を その人の他人に対する振舞いから 変えるのだよ。
人々を内面から変えて その結果として 人と人との関係が変化し
より良い社会になると言う 考え方ではなく
人の他人に対する振舞いを 変えることにより 人と人との関係を 改善して
より良い社会になる と言う考えかた なんだよ。
だから ものを自分だけ のために使うのではなく 他人の為になる様に
使えば良いのです。
持ち家を持つこと つまり住宅建設は 経済効果が大きく
他人に 多いに貢献するから イエスの教えに叶っていると思います。
486 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/29(木) 19:02:35 ID:0FXoVjNR
>>484 そう?俺の勘違いだった?またわけのわからん新興宗教かなんかと一緒にされたと思った。
やれそれは何々派だの、
統一教会だの福音派だの、エホバの証人だのと、知らんちゅうんねん。興味ないし。
俺の誤解なら悪かったね。
>>482 さん。誤解だったらな。
Iam That Iam
「一」とは、,「私は在って在る者」でいいんだよ。
言葉の表現では、まさにそのものだ。
ヘブライ語だかなんだかはヤハウェとか呼ぶらしい。
ただな、旧約に出てくるヤハウェを名乗る神は、その存在と違う。彼は ”神々” のうちの一人だろう。
モーセ五書とクルアーンはセットのようなものだ。一神教はよく出来ている。
487 :
キュロス :2005/09/29(木) 19:23:56 ID:jiRGRnqK
>>475 >ルカ 10:36
>さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた
>人の隣人になったと思うか。」
「わたしの、隣人とはだれですか」と言う 律法の専門家の質問に対して
イエスは 「追いはぎに襲われた人の隣人なったか」と 答えている。
「隣人を愛する」 と言うことは 困っている人を助ける事
又は 他人に 良心的に関わることで
その困っている人・他人の 隣人 になることだと言っているように思える。
つまり 愛する と言うことは 他人の隣人に成ってもらうことだ
と言っている様に思える。
488 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/29(木) 19:34:14 ID:0FXoVjNR
私は、「あなたは、あなたの兄弟を愛さないのですか」と聞いた。 そろそろお邪魔そうなんで、おいとましよう。
兄弟を愛するのはむつかしい。いや、兄弟を愛するどころか自分のことで手一杯。 だからこそ、兄弟を愛しているがごとくに振舞おうか
490 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 20:28:24 ID:JWLWwGzD
それどころか、神様を愛するという感覚が難しい。栄光を畏れ敬い小さくなって隙間があくことはあっても、近くにならない。
>>490 神を愛するのはむつかしい。というか愛せないんじゃないの?人間は。
そういう人間を神はまず愛するのだよ というのが福音かと。
492 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/29(木) 20:34:02 ID:6vhbt1mU
>>485 キュロスさん
> だから ものを自分だけ のために使うのではなく 他人の為になる様に
> 使えば良いのです。
> 持ち家を持つこと つまり住宅建設は 経済効果が大きく
> 他人に 多いに貢献するから イエスの教えに叶っていると思います。
そうなんだぁ 家を買い借金苦のわたしだけど、他人の為になっているんだなぁ。
前向きな新しい教え、ありがとうございます。
江戸時代の借金をチャラにする棄捐令が羨ましい。対象は旗本でビンボーには関係なかったけど。
「隣人を愛する」 l隣人ってよく言われている「愛する兄弟、姉妹」とはあきらかに違いますね。
かと言って隣に住んでいるおばさんじゃないと思うし、やっぱ困っている人ですね。人知れず悩んでいる人に無神経な
態度や言葉を投げかけているかもしれない。他の人との関係に鈍感になっているに違いない。
気をつけるようにと思ってもできないよ。きっと。
493 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/29(木) 21:15:51 ID:2hcpc2HN
ついにハルマゲドンで勝利しました....わはははははは しかも聖地甲子園スタディオンで宿敵ジャイアントの神を 打ち倒して...皆様のご声援に感謝いたします... 宗教法人阪神教会
494 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 21:38:46 ID:JWLWwGzD
しかし、隙間をあけることは、知恵をつけたアダム夫婦の行動と重なる。 罪のなかった時のアダムに神様への畏れはなかったのでは。と考えるんだ。
495 :
名無しさん@3周年 :2005/09/29(木) 23:03:20 ID:NItKZTit
現在発売中の「宗教と科学」(上山安敏著、岩波書店発行)のあとがきに おいて、著者が言いたい重要なポイントの一つと思われる一節を、下記に 引用する。キリスト教が、実は、超カルト宗教であることを示すものである。 「なぜ、ユダヤ人に神秘主義=密儀信仰がないということが、キリスト教徒 のユダヤ人への嫌悪の感情に連鎖するのか。それは、密儀信仰が、キリス ト教の本質である霊魂不死と神の復活の源流になっているからである。その 密儀信仰は、パウロから教父の時代を経て、キリスト教の秘儀(サクラメン ト)に結実している。それに対して、ヘレニズムの影響を受容する過程で ユダヤ人は、キリスト教の影響に曝されながらもヤハウェ一神教を守り抜き、 それを認めなかった。したがって、キリスト教徒にしてみれば霊魂不死、神 の復活を認めないユダヤ教は真の宗教ではない、というユダヤ教不信は自ら の信仰のアイデンティティに関わるものであった。それはカント以来ドイツ 人の潜在意識に、深く繋留されたものである。」
496 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/09/29(木) 23:12:47 ID:2hcpc2HN
>>494 >罪のなかった時のアダムに神様への畏れはなかったのでは。と考えるんだ。
罪がなかった時っていつですか?
ローマ人への書簡5/12
このようなわけで、一人の人(アダム)によって罪が世に入り....
物語を正確に確認すれば、イブから先に禁断の木の実を食べてるんで、
まずイブに罪が入りだと思うよ...だから、パウロの言い分は
人類は最初から罪を背負ってる事を言いたいんだと思うけどね...
497 :
aoi :2005/09/29(木) 23:52:25 ID:w4S65XlJ
>>492 たまさん
隣人とは誰か については、有名な「善きサマリヤ人」の話
(ルカ10:29〜) に、イエスの回答があります。
分かりにくいが、よく読むと分かります。
隣人とは、「善き隣人」つまり、「隣人の中の善きもの」を
言うのです。
当然ですね。隣人の中の「悪」を愛してはいけませんね。
隣人が暴力団であっても、あなたは愛すべきと思いますか?
あなたは、万引きしようとする子供を愛すべきだと思いますか?
隣人の「悪」は憎まなくてはいけませんね。
隣人の「善」を愛しなさい とイエスは言われるのです。
イエスは隣人は誰でも愛しなさい とは言われていない のです。
「善きサマリヤ人」を愛しなさいと言われているのです。
たとえば、善い小泉首相を愛します。 悪い小泉首相を憎みます。
ということは、善い場合の小泉首相を愛することですね。
つまり、小泉首相の善きところを、イエスは愛しなさい と言っているのです。
あなたも、子供の善いところを愛しているでしょ。
ですから「隣りを愛せよ」ということは、そんなに難しい
ことではないのです。
>>495 ん...なんで最後にドイツ人の潜在意って話にまとまるの???
あ、ごめんなさい。無しにしてください。 だまってROMしてます。
500 :
キュロス :2005/09/30(金) 00:31:47 ID:mC1udHl2
神が人を愛する と言うことは 人が神の隣人になる ように 神が人に対して振舞うこと。 つまり 人が神と親しい関係になるように 神が人に対 して振舞うこと。 これは 人が神によって生かされていること。 人が神を愛する と言うことは 神が人の隣人になる 成るように 人が神に対して振舞うこと。 つまり 神が人と親しい関係になるように 人が神に対 して振舞うこと。 これは 人が 神に感謝し 人が 神の思いを実行しようとすること。 逆説的表現をすれば 神は 人を探し また 人を必要としておられる となる。
501 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 01:51:03 ID:1VW6z7DQ
>>498 >ん...なんで最後にドイツ人の潜在意って話にまとまるの???
ナチスによるユダヤ人のホロコーストにそのまま連なる。カントは「ユダヤ
人安楽死説」を唱え、ドイツの歴史家トライチュケは「ユダヤ人はわれわれの
不幸である」と言った。これはナチスの標語となった。
>>499 いくら屁理屈を捏ねてみても、架空の神の信仰と現実の人間の尊重とは、
「原理的」に両立し得ない。
神や聖書の命令で行う善は、人間の自然の感情・本能から発生したもの
ではいので、善などではなく、偽善に過ぎない。殺せと命令されれば、
人間としての良心の呵責なく、むしろ架空の神のために「喜んで」殺すこと
になる。
本当に愛のある人は、黙って行動で示し、その言葉を決して口にしない。
口にした途端に観念化し、実質が失われるからである。これは、社会に
おける経験則。
イエスやキリスト教徒が愛を「唱えた」のが諸悪の根源。イエスを信じる
者たちは、その偽善の言葉故に、史上、最も多くの人間を、最も残虐な方法
で殺した。
502 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 05:47:37 ID:i5cgoJiI
>>497 そこの物語、大抵「善いサマリア人」とあるけれど、
本文のどこにも「サマリア人=善い」という記述は無いのね。
ついでに言うとルカ10の25-37に「善い」という言葉は無い。
それから、「隣人を愛せ」とイエスは言っているけれど(28節)、
37節でイエスが言っているのはサマリア人と「同じようにしなさい」、
つまり「あなたもサマリア人のように隣人に振舞いなさい」ということでしょう
(ギリシャ語見たってそれ以外にあり得ない)。
で、イエスのたとえの「追いはぎに襲われた人」は善い人か悪い人か書かれていない。
だから、「隣人を愛せ」と語る際にイエスは隣人の性質について何も言っていない。
「隣人」の定義をしようとしているのは「律法の専門家」で、彼は
「自分を正当化しようとして」「隣人とは誰か」と問うている(29節)。
他方でイエスが示しているのは、誰かの隣人になるための振舞いだけです。
ついでに言うと、当時サマリア人はユダヤ人の憎悪の的でした。
かつてのドイツ人にとってのユダヤ人見たいな存在です。
その憎悪している相手の振舞いを真似なさい、というところにポイントがあるとおもいます。
>>501 神とか天とか絶対者を想定しないと善はあり得無いと思います。
「人間の自然の感情・本能」というのも、文化的なものを自然と思った結果の
想定だから、見えない宗教みたいなものです。
だから「本当に愛のある」とはあり得ない。
503 :
aoi :2005/09/30(金) 09:05:56 ID:sqSE5YW0
>>502 >そこの物語、大抵「善いサマリア人」とあるけれど、
本文のどこにも「サマリア人=善い」という記述は無いのね。
ついでに言うとルカ10の25-37に「善い」という言葉は無い。
ん? 愚かなことを言わないがいい。
聖書を知る者は「善きサマリヤ人」と言えば何の話かすぐ分かる。
皆がそのように理解しているからだ。
「サマリア人=善い」は成立しない。「善い」はサマリヤ人の属性だよ。
>それから、「隣人を愛せ」とイエスは言っているけれど(28節)、
ウソをつくでない! 28節は律法学者の言葉だよ。
ここの話は、「隣人とは何か?」の話だ。つまり、隣人を「限定」しよう
としているのだ。あんたのいう、ただの隣り人ではない。
だからイエスは、「誰が隣人となったか?」と逆に律法学者に考えさせること
によって、隣人とは誰かを教えたのだ。
律法学者は「慈悲深い行いをした人」と答えた。つまり「慈悲深い人」が
「隣人」だと答えたのだ。ここでは「慈悲深い(善い)サマリヤ人」が隣人だ。
そしてイエスが、最後に弟子たちに、「あなたも行って同じようにしなさ
い」といわれた意味は「あなたも、善いサマリヤ人のように、善い『隣人』
となりなさい」、つまり、善き隣人となって、愛されるべき者となりなさい
と言われたのだ。
504 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 10:34:28 ID:HosoPnSn
>>503 隣人については、おおまかにいってあなたの言うとおりだと思うが、
だからといってイエスは悪人を憎めとは言っていない。
イエスの言う愛は、善人であろうが、悪人であろうが、肉親であろうが、
赤の他人であろうが、自分を愛するごとし、全て平等に愛せという事だ。
これがイエスの教えである。あなた自身、良きサマリア人になっていないことに
気付いていない。あなたにとって、あの人は悪人だから嫌い、あの人は善人だから好き。
なんていうのは、あなたのエゴだよ。追いはぎに襲われ、瀕死の重症をおったのが、悪人だったとして、
あれは悪人だからほうっておけ、なんてイエスが言うと思うかい?
505 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 11:00:24 ID:HosoPnSn
>>501 >むしろ架空の神のために「喜んで」殺すこと になる。
旧約の神、イスラムの神を信仰する者はそうするだろうね。
が、イエスの教えを守る者は違う。キリストの名の元に戦争殺戮を起こした者、
起こしている者は、彼の教えを理解していない。批判したいならよく聖書を読んでからにしようね。
>本当に愛のある人は、黙って行動で示し、その言葉を決して口にしない。
こんな台詞を吐くのも、この人はキリスト教について、イエスの教えについて、なにも知らない証拠。
>「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、
>あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
>だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、
>自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。
>彼らは既に報いを受けている。 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
>あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、
>あなたに報いてくださる。」 〜マタイ
批判するなら、せめて旧約、新約、読んでからにしようね。無知をさらけ出して君は恥ずかしい。
と言っても、あんたは、ただ自分の価値観を、ここのキリスト教徒達に押し付けたいだけだろうから、
あんたのような輩に、いくら言っても無駄なんだろうけどね(哀)。
506 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 11:33:56 ID:i5cgoJiI
>>503 >ん? 愚かなことを言わないがいい。
>聖書を知る者は「善きサマリヤ人」と言えば何の話かすぐ分かる。
>皆がそのように理解しているからだ。
>「善い」はサマリヤ人の属性だよ。
その表題は誰がいつどこでつけたのか知っていますか??
ついでに、聖書を知っている私もその表題は知っていますが、変だと思っていました。
>そしてイエスが、最後に弟子たちに、「あなたも行って同じようにしなさ
>い」といわれた意味は「あなたも、善いサマリヤ人のように、善い『隣人』
>となりなさい」、つまり、善き隣人となって、愛されるべき者となりなさい
>と言われたのだ。
ここの箇所はあまり異論が無いけれど、サマリア人の歴史的立場を考えると
より理解が増すと思われます。
例えば、イスラム教が嫌いなならばサマリア人という言葉をイスラム教徒、
仏教が嫌いなら、サマリア人という言葉を仏教徒にして読んで見ることをお勧めします。
>ウソをつくでない! 28節は律法学者の言葉だよ。
>ここの話は、「隣人とは何か?」の話だ。つまり、隣人を「限定」しよう
>としているのだ。あんたのいう、ただの隣り人ではない。
論より証拠。聖書からの引用。ギリシャ語もチェックしたので、間違いないと思う。
28節 イエスは言われた。『正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる』
29節 しかし律法の専門家は自分を正当化しようとしてイエスに言った。
「では、私の隣人とは誰ですか?」
〜サマリア人のたとえ〜
36節 さて、あなたはこの3人の中で誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか?」
37節 立法の専門家は「その人を助けた人です」と言った。
そこでイエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」と言った。
という訳で、自分の隣人の限定ではなくて、他人の隣人としての自らの振舞いを規定している、
と考えた方がよいと思われます。
507 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 11:45:42 ID:1V4dv3Tw
>>502 >神とか天とか絶対者を想定しないと善はあり得無いと思います。
それこそが、宗教者の倒錯で、その選民意識と人間に対する差別と軽蔑の源泉。
無宗教者や無神論者には善人はいないとでも?実際はその逆ではないですか。
そもそも同じ人間を勝手に善人と悪人に分ける二分法こそ、イエスやキリスト
教徒の人間に対する洞察と愛の欠如を示す。人間とはもっと複雑な存在。どんな
善人にも悪の要素はあるし、どんな悪人にも善の要素はある。そして、これらは
時と場合によって自在に変動する。
人間とは、生存と種族維持との基本本能とそれから派生する共同体形成維持の
本能を有する生物に過ぎない。これが唯一の「普遍」である。この生物学的本
能から、自他の死への恐れや他者に対する憐れみの感情などの自然の感情が生
じる。すべて生物としての人間に予めビルトインされているものであり、宗教
から教えられるいわれは全くない。
これらの自然の感情・本能を、現実や普遍から逸脱した教祖や経典の口から出任
せにより、人為的に抑制・変容・破壊するのが、宗教である。
508 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 12:29:08 ID:gwJTisd+
aoiは岩波文庫のエキキエル書とかイザヤ書とかサムエル記とか十二小預言書を持っているに違いない。 なんで絶版になってしまったのだらう?
509 :
aoi :2005/09/30(金) 13:14:26 ID:sqSE5YW0
>>506 >ついでに、聖書を知っている私もその表題は知っていますが、変だと思っていました
あなたは誤解しているようですね。
サマリヤ人は善い と言う意味ではなく、善い行いをするサマリヤ人と言う意味
で、サマリヤ人の中で、特定している ということですよ。
だから、決して変ではありませんね。
私が 単に属性だと言ったのは舌足らずで、「善い」は、この話のサマリヤ人
の属性として言われた と言えば正確でした。
>という訳で、自分の隣人の限定ではなくて、他人の隣人としての自らの振舞いを規定している、
う〜ん、自らの振る舞いとしては、最後に「あなたも慈悲深いサマリヤ人
と同じようにしなさい」とイエスは振舞い方を述べていますね。
ここでは、イエスはあくまで、「隣人とは?」に対する答えを出されたと
考えるほうが妥当でしょうね。
つまり、「誰が隣人と思うか?」とイエスは隣人とは誰かの答えを律法学者
から引き出すことによって、隣人とは何か を悟らせようとしたのですね。
ですから、律法学者が「慈悲深い行いをした人(が隣人)です」と答えて
イエスはそれを良しとされたことは、あくまで隣人とは「慈悲深い人」が
隣人とされたのであって、隣り人は誰でも、愛の対象としての隣人ではない
ことを明確にされたのですね。
もすこし言うならば、善きサマリヤ人が隣人というより、サマリヤ人の
善きこと(善い部分)が隣人ということですね。
あなたが、あなたの子供の善い部分を愛して、子供の悪い部分は憎むように。
イエスは律法学者の「偽善」の部分を徹底的に憎まれましたね、白く塗られた
墓よ と。
>>505 あなたは、旧約の中で「神」の命令で異教徒の殺戮や略奪を繰り返した
モーセやヨシュアをどう思う? 神の命令に従ったとされている彼らも
「理解していない」者だった、(モーセの律法を認めている)イエスと
は対極にある者だった、と?
キリスト教徒にとって、モーセやヨシュアは、自分たちの教えとは無縁
の「理解していない」者であり、旧約は「間違い」なのかな(旧約の神
と新約の神は「別物」であり、断絶している)?
>>むしろ架空の神のために「喜んで」殺すこと になる。
>
>旧約の神、イスラムの神を信仰する者はそうするだろうね。
……これが、「イエスの教え」とやらを信じるキリスト教徒の本音なの
かな。キリスト教の神は「旧約の神」とは別物、というわけだ。創世記
やモーセに語りかけて明らかにされた「聖書の神」ではない、とw
511 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 13:42:35 ID:4aXd7Mul
>>505 >旧約の神、イスラムの神を信仰する者はそうするだろうね。
>が、イエスの教えを守る者は違う。キリストの名の元に戦争殺戮を起こした
>者、起こしている者は、彼の教えを理解していない。批判したいならよく聖
>書を読んでからにしようね。
早速、キリスト教徒の「自らのみを正しい」とする根拠皆無な思い上がり、
選民意識と、異教徒や異宗派排斥や人間軽視の病理が表れていますね。
旧約聖書には、残酷な記述も沢山あるが、人間性の洞察には優れ、反面教師
として受け取ることが可能であり、そこには新約聖書のような偽善はない。
新約聖書には、相矛盾する言葉が沢山あるのではないですか。キリスト教徒
や教会は、その中から都合のよい言葉だけを取り上げるだけ。
イエスや聖書が悪いのではなく信者が悪いと、すぐに人間に罪を押し付ける
のが、キリスト教の特徴だが、イエスや聖書を信じたために、生来善良な信
者がそうなってしまったという事実を忘れてはならない。信者がイエスや聖
書を誤解したのだと仮定しても、誤解されるような表現しかできなかったと
いう点では、イエスや聖書に全責任がある。
512 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 14:39:04 ID:BSOb5yC9
>>510 >>511 ハイハイ、ここのキリスト教徒達があんたの意見に同意し、
あんたに従えば満足かい。エゴをぶつけてくる人にエゴで対抗するのではなく
争わない。そういうう者は命を得るが、他人に自分のエゴを押し付けるお前の様な者は、
決して命を得ない。イエスの教えとはそういうものだ。
己のエゴに囚われて生きるのは、お前に限らず、多くのキリスト教徒、いや、地上に生きる
全ての人に対して言える事だけどな。
おまえがここでキリスト教徒達に意見するその心、その心の働きこそが
人々に争いを生む。まぁ君のように、自分の価値観を押し付けたいだけの人に、
何を言ってもわからんと思うけどね(哀)
>キリスト教徒にとって、モーセやヨシュアは、自分たちの教えとは無縁
>の「理解していない」者であり、旧約は「間違い」なのかな(旧約の神
>と新約の神は「別物」であり、断絶している)?
別に無縁だとはいっていない。が、あれは神々の一人であり、
イエスの言う天の父とは別ものだ。
何をどう読めば一緒になるのやら。もちろんイスラムの神、アッラーとも違う。
一神教が三つに別れたのは、意味がある。
あれは争いを招く為だ。一神教は皆が思うほどより奥が深い。
せめて新約と、旧約をよく読んでからものを言おうね。と、言っても
自分の価値観を押し付けたいだけの人に、何を言ってもわからんと思うけどね(哀)
514 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 16:02:24 ID:BSOb5yC9
>>513 >別に無縁だとはいっていない。が、あれは神々の一人であり、
>イエスの言う天の父とは別ものだ。
何をどう読めば別物になるのやら。
>>513 >別に無縁だとはいっていない。が、あれは神々の一人であり、
>イエスの言う天の父とは別ものだ。
ちょっとまて。あなたは、どの「キリスト教」の話をしているんだ?
このような主張をする「キリスト教」は、どこなのか、具体的に挙げてくれ。
516 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 16:50:14 ID:HosoPnSn
>>515 やれ何処何処の教会だの、何処何処の教派だのくだらない。
あなた達は教会の言う事、神父のいう事はそのまま鵜呑みにして、信じるのかい。
そういうのを盲信だと言うんだよ。
求めるのなら、自分の頭で考え、自分で捜し、そして答えは、自分自身で見つけるんだよ。
今の教会の言う事を、100%鵜呑みにするなんざ笑止。
>>516 キリスト教の話をしてたんじゃないのねw
それなら、「キリスト教」や「キリスト教徒」とあなたの「イエスの教え」
なるものを結びつけるべきじゃないな。
あなたの言う「イエスの教え」と、「キリスト教徒達」のキリスト教はそれ
こそ「別もの」なのだから(実際、私も「イエス」とパウロを教祖とする
キリスト教が掲げる「復活したキリスト」は、別ものだと思っているがw)。
518 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 17:14:41 ID:hILBv+Y8
>>517 どう感じるかは勝手だけど、
復活に関わる信仰は欺瞞と言うのですか。
519 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/30(金) 17:51:05 ID:HosoPnSn
もうこないと思っていたが、暇なんでちょいとお邪魔した。
>>518 復活はキリスト教の教えの根幹であり、イエスの教えの中でももっとも重要なテーマだ。
復活とはすなわち、永遠の命を得ると言う事だ。
それは多くのキリスト教徒が思うような、霊体ボディーなんてものではない(大爆笑)
たのむからあんまり笑わせないでくれ。
何も知らないで、ここでやれ自然がどうとか、能書き垂れてる輩と同じく笑わせてくれる。
それは、いつもあなたのそばにあるもの。切っても切れないもの。それは、いつもあなたと共にある。
あなたは自分自身を知れば、知られる。そして自分自身を知れば、自分が生ける父の子だと知る。
しかし自分自身を知らないのならば、あなた達は、闇の中にいる。
520 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 17:55:53 ID:hILBv+Y8
真理を基にした欺瞞だと言うのですか。
521 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 18:10:16 ID:TX+WTnU8
>>516 だからって自分でこしらえた妄想を盲信するなよw
522 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 18:36:39 ID:hILBv+Y8
キリストの復活後に現れる体は、新しい体になったのではなく、主なる神様の 人と交わるエデンでの姿に比類する。形そのものに意味があるのではない。
523 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 18:57:47 ID:KdPnZpJ+
>>513 ひたすら「自分の救い」「自分の永遠の命」を求めるキリスト教徒は、「エゴ」
ではないのか。
人間にエゴがなければ、自己の生存はおろか、自己を含む共同体の維持さえ不可能
になるが、その点はどう考えるのか。エゴこそ、創造主が人間に与えた、生存の
ために不可欠な資質ではないのか。他人のエゴを否定すれば、その生命さえ認め
ないことになるが、それについてはどうか。
大虐殺や強制改宗を含むキリスト教の布教活動は、「価値観の押し付け」では
なかったのか。
君の発言は、論理的に支離滅裂。統合失調症患者の発言となんら変わりはない。
病人だからキリスト教を信じるのか、それとも信じたから病気になったのか。
524 :
キュロス :2005/09/30(金) 19:30:15 ID:B6nBbugz
ヤッパリ ココモ博士は まともだ。 かれは 通俗道徳から キリスト教を批判する のではなく 聖書から キリスト教を批判する。 彼は キリスト教徒と 同じ土俵に立って キリスト教を 批判できる 自信があるのだろう。 「神はいる」 と言う 主張に対して 「神はいない」と 反論する 無意味さ・陳腐さ を彼は知っている。
525 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 19:54:05 ID:hILBv+Y8
聖書の都合の良いところだけ採用の不信観者ココモスキーが同じ土俵ですか? とんでもない土俵違いですよ!神存在の反論をしないのは冷静なだけ。
526 :
キュロス :2005/09/30(金) 20:06:31 ID:B6nBbugz
まあ ココモ博士は 同じ土俵だと 思っているはずだ。 彼は 聖書の間違い系 の人だったんだよ。 加藤 隆 田川健三 クロッサンあたりから 入れば 良かったんだよね。
527 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 20:39:01 ID:hILBv+Y8
同じ土俵に見せかけて誘導するナビゲーター。 何らかの信仰(自称イスラム)はあるが、その容を明確に表さない。 ココモ神論を採用すると、「只の人間イエス」の存在価値を示せる旨をほのめかした ことはあったが、騒音を撒き散らすのみ。ここでの活動はマイナス信仰しか示せていない。
528 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/09/30(金) 20:59:08 ID:SUy11lf1
クリスチャンではないココモッキーの発言をマイナスと取るかプラスと取るかはその人次第だと思うんですけど わたしは聖句をもって人を罵倒しないのは立派だと思いますね。だから馬鹿としか言わないんでしょうね。
529 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 21:13:26 ID:2IwsL6On
>>528 「馬鹿」とは、最大の罵倒句なのですよW。
ココモさんはユダヤ教系だと思うが、現代の聖書学者はほとんど皆、ココモさん
程度の聖書批判はするのでは。出来ないのは、キリスト教妄信者だけ。
530 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 21:15:05 ID:hILBv+Y8
彼は聖句そのものを馬鹿にしてるんです。 議論は成り立ちません。徹底した不信仰を土台とした者の論は、信仰の広がりを 限定していくのです。
531 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 21:17:30 ID:Q8vWSnCS
公会議に還れ、信仰者たちよ。
532 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 21:31:09 ID:2IwsL6On
>>530 >>531 「馬鹿にする、しない」の問題ではなく、冷静かつ論理的に考えている
だけ。盲信では、聖書を本当に理解することはできません。
公会議は、多くの人間が集まって喧々諤々の議論の末、多数決で決めた
だけ。郵政民営化を同じW。次の議会で変更・廃止することは常に可能です。
533 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/30(金) 22:22:20 ID:rXHMfw7A
>>523 ハイハイ屁理屈ご苦労さん。
僕ちゃん年幾つ?2chによくいる引き篭もりの一人かい?(苦笑)
エゴ=利己心。
己の幸せだけを願う者、自分の好きな人、自分の大事な人だけの幸せを願う者。
こういう者は命を得ず、真に利他心を完成する者は命を得る。
ひたすら自分の幸せだけを願う者は命を得ないんだよ。言ってる意味がわかるかい?ぼくちゃん。
次はどんな屁理屈帰ってくるか大体想像できるが、餓鬼の相手は時間の無駄なんで後は勝手にやってくれ。
屁理屈に付き合う時間はもったいない。
ところでさ、なにを信じ、なにを信じまいがおまえの勝手だが、
自分の価値観を他人に押し付けるのは辞めたらどうだい。あんたは怖い人だね。
言ってる意味がわかるかい?ぼくちゃん。
おまえのような者にどう思われても一向に構わないが、俺からみれば、何も知らないおまえは可哀想に見える。
死人は、死人のままだ。
534 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 22:36:52 ID:mv3OxnN+
>現代の聖書学者はほとんど皆、ココモさん >程度の聖書批判はするのでは というかココモの聖書知識はほとんど聖書学者の受け売りなんだけど。 それも、キリスト教神学に影響されたかなり古い聖書学の知識なんだけど。 そんなことも知らずに、キリスト教批判を展開しているココモにはかなり笑える。
535 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/09/30(金) 23:02:53 ID:rXHMfw7A
神は元から存在する者。在って在る者。”神々” は 神が自分似せて創造された ”人” から出たものである。 何度も言うが旧約のヤハウェを名乗る神は、神々のうちの一人だ。 もちろん彼は、在って在る者の存在を知っている。 さて、クルアーンを読むと、アッラーは自分の事を、「我々」と呼ぶ。 学者などは、それは、あの地域の人は、自分に価値をつけるとき、あえて我らが等、自分の事を 一人称で呼ばず、複数形で呼ぶからだと解釈する。 が、それは違う。クルアーンでは時折「我は」と、一人称で語られる神も登場する。 もちろん自らを「我ら」と称するアッラーは、神々の一人なのは言うまでもない。
536 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 23:13:13 ID:hILBv+Y8
>>532 ちがうよ。馬鹿にしたい本音が窺えるし、常識では聖書の救いの理解は出来ない。
出来るのであればしてもらいたい所ですが、ココモスキーの提示する理解は聖書をゴミ
とするものばかり。
537 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 23:28:30 ID:MBbX/Xgl
>>536 >ココモスキーの提示する理解は聖書をゴミとするものばかり。
聖書はもともとゴミ、しかも人類にとって最も有害な猛毒廃棄物
である。ココモさんは、それを処理しようとしているのだと思う。
538 :
全ての宗教に走るクズで大バカどもに告ぐ :2005/09/30(金) 23:33:54 ID:wrlkqtdL
皆さんに聞きたい事が有る 全ての宗教で、本当に悩んでいる人とか困っている人が救われるんでしょうか? 僕が思うに全ての宗教と新興宗教も含む宗教で人が救われるようには、到底思えないんですが。 宗教に走る人はばかげていると僕は思います。 本当に宗教で救われていると言うのなら 救われている証拠と救われていると言う証明を見せて欲しい物です。 ほんと宗教に走る人って大バカのクズどもですね。 カルト教で人は救われません全ての宗教は仏教神道カトリック アーレフ幸福の科学 創価学会校正会霊友会手かざし系統宗教を含めて 全部の宗教もカルト教だ 皆さんそう思いませんか?
539 :
名無しさん@3周年 :2005/09/30(金) 23:56:53 ID:hILBv+Y8
>>537 ココモスキーをよく理解しているぞ。
>>538 宗教を否定することは、己を宗教関係者にすること。
関係者には、真に無宗教という偏在は無い。即ち逆信者。
540 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/01(土) 01:23:39 ID:/rbepHxq
昔昔あるところにお爺さんとお婆さんが住んでました。 お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。 お婆さんが川で洗濯してると、上流から大きな桃が流れて きました。お婆さんは珍しがってその大きな桃を家に持って帰り 割って見ると男の子が出てきました。その子は桃太郎と名づけられ やがて大きく成長しました。 ダビデ家のヨゼフと言う人のいいなずけであるおとめのところに ....あなたは身ごもって男の子を産むが、そのこをイエスと なずけなさい。そのこは偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。 .... テレビの長寿番組の水戸黄の門様...あれ史実とは全然違いますがね ゴミ番組でもないでしょ...僕は番組そのものをゴミと言った覚えは ないよ...あれを真実だと思って、熱狂的に黄門様と言ってる連中 がゴミだと言ってるだけなんだけどね...そんな連中をからかう為に 史実の水戸光圀公を研究してると言っても通じないんだろね... 番組そのものはTBSのディレクターが多くの聴衆に気に入って もらおうといろいろ創作してるのが分かりきってるし、それはそれで 見てて面白いんだけど、この熱狂的な連中は番組の内容が全部真実だと 勝手に思い込んでるだよ...たまに史実の水戸光圀はどうのこうの と言う奴がいると、「悪魔だ」「番組をゴミにしてる」「お前は よその放送局のくせに」「ただの評論家さ」...それじゃ、その 連中は番組をちゃんと見てるかって言えば、放送中はおしゃべりばっかり で殆ど見てないんだよ、最後の印籠を出すところだけ見て、黄門様 は素晴らしいって言ってるだけなんだW....わはははははははは はははははははははははははははははは.....あんまりからかって 七つの悪霊(重度の精神障害)に犯されてもまずいので、今日は このくらいで....
541 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/01(土) 01:40:16 ID:/rbepHxq
ついでにもう一発... アダムが善悪の知識の木の実を食べる前は、永遠の命があって 罪を犯さなかったと考えてる教団があるらしいけど、全くの 妄想だよ... そもそも始祖人のアダムが罪を犯して、永遠の命が与えられて いたにも関わらず、永遠には生きなかったら、本当に永遠の命 が与えられていたのかどうかは検証のしようがないだろうに また罪がなかったかどうかも検証のしようがないよ.... 木の実を食べて人間のプロパティが変わった(永遠に生きる ものがいつかは死ぬ様になった)と言う幼稚な発想がキリスト 教徒の発想で、常識人から馬鹿にされる考え方なんだな そんな事は生物学的にあり得ない事だよ 僕はその発想のソースを創世記で探していたけど全く見当たら なくて理解できなかったんだよ... ソースはパウロ書簡だW...だけどパウロ書簡もじっくり 読んでみると、どうもそういう馬鹿げた事を言ってるわけでは ないみだW...人によっては誤解を招く文章には違いないけど パウロが実際にそう思っていたのなら「おいパウロ!、お前 はもっと真面目に聖書を読めよ!」って言いたいところだし パウロが常識的な感覚の持ち主だったら、キリスト教徒が誤解 を招くような書き方はしないでほしかったと言う事ですね...
542 :
キュロス :2005/10/01(土) 01:54:29 ID:TEQW/agw
>>541 永遠の命は 与えられているけど 永遠に生きるものではない のだよ。
543 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 01:55:36 ID:Fj/0rXrM
>おまえがここでキリスト教徒達に意見するその心、その心の働きこそが >人々に争いを生む。 右の頬をぶたれれば左の頬を差し出せとでも? それじゃあロボット人間と同じだね。 信じるものは救われるのかい? 信じないものは地獄いきかい? イエスは君の両親や子供より大切なのかい?
544 :
キュロス :2005/10/01(土) 02:09:56 ID:TEQW/agw
>>541 >ソースはパウロ書簡だ
確証は無いが その根拠は ラビ伝承 だと思うよ。
善悪を知る木の実を食べるまでは 人は光を着ていた
しかし 善悪を知る木の実を食べる事により その光は消えた。
そこで 神は獣の皮を 人に着せた
以下 オレの妄想
獣の皮は 光では無いから 朽ちる つまり死ぬ。
獣の皮に 支配されている。だから 善を成せない。
イエスは 十字架上で 死ぬことに 獣の皮を脱いで
キリストを着て 神の子となった。
イエスは キリストと成った 初穂 だから
これから収穫が始まると キリスト・イエスを信じる者と
ユダヤ人が 次々に キリストを着て 神の子となり復活する。
収穫とは 終末の事ね。
545 :
キュロス :2005/10/01(土) 02:14:53 ID:TEQW/agw
>>544 >イエスは 十字架上で 死ぬことに 獣の皮を脱いで
>キリストを着て 神の子となった。
>イエスは キリストと成った 初穂 だから
>これから収穫が始まると キリスト・イエスを信じる者と
>ユダヤ人が 次々に キリストを着て 神の子となり復活する。
これを 以下に訂正する
イエスは 十字架上で 死ぬことによって 獣の皮を脱いで
キリストを着て 神の子となり 復活した。
イエスは キリストと成り 復活した 初穂 だから
収穫が始まると キリスト・イエスを信じる者と
ユダヤ人が 次々に キリストを着て 神の子となり復活する。
収穫とは 終末の事ね。
546 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/01(土) 10:30:27 ID:bmh5y5BU
例えばここに一つの聖句がある。これは生ける子、イエスの言葉である。 >イエスは言われた。”人間に食べられる獅子は幸いである。そうすれば獅子は >人間になる。しかし、獅子に喰われる人間は禍いである。そうすれば、人間は >獅子になる”。〜トマスの福音 もちろんこの文言には意味がある。 智慧のある者は、この言葉の意味を見出すが、智慧の無い者は、ただの総合失調症の 戯言にしか聞こえない。聖書など、後世に残されたイエスの言葉は ほとんどが例え話で語られ、真理を覆い隠す。 智慧のある者は、その例え話から、それを見出し、智慧あり、有能な者は、それを捜さずには いられない。そして智慧あり、有能な者はそれを見つけ出す。 無能で、智慧の無い者は、いくらイエスの言葉を聞こうと、隠された真理に気付く事は無く、 世を信奉し、闇の中を、死人のまま生きる。
547 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 10:32:20 ID:KvqMyslv
「あなたがたは神の神殿であり, 神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか.(コリント1三章十六節)」 この聖書の言葉は,聖霊が神であることを,示唆している。
548 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 10:42:59 ID:8ilygXJn
>>535 神+天使達=複数
コーランでは他の神々の存在が否定されてる。
あなたはこれも「我ら」以外の神々を否定しているのだ、と考えるんだろうけど・・・・
549 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/01(土) 11:07:22 ID:bmh5y5BU
>>543 >イエスは君の両親や子供より大切なのかい?
知れば知るほどそういうことになる。
肉を与えた私の両親は、私に、偽りの命を与えた。
肉親愛の執着、異性愛への執着、愛執に囚われているものは無明の中にいる。
仏教では、お前のような者を、無明に囚われた、凡夫と呼んでいる。
宗教を批判したければ、もう少し勉強してからおいで。
と言っても、おまえは、あまりお利口そうではないんで、理解しそうにないが。
少なくとも、唯物論がこの世の真理だと思うのなら思うで、
お前の勝手で、それはそれで言いと思うが、自分の価値観を人に押し付けるのはやめたらどうだい。
と言っても、エゴに囚われたお前の邪悪な心は、辞めないだろうが。
それを知れば知るほど、お前のやってる事、言ってる事は、滑稽だと気付くよ。
ま、自分の価値観を押し付けたいだけの人に、何を言ってもわからんだろうが(哀)
真実の父(神=在って在る者)と、真実の母(聖霊)は、私に、まことの命を与えて下さる。
550 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 11:17:04 ID:edFcgayg
>>541 永遠の命は、もしかすると神にもどうしようもないものだったかもしれ
ないね。おそらく人は最初から「永遠の命」は持ってなかった。もしも
最初から永遠の命を持っていたら、生命の木の実を食べることで不死に
なる(そして神は人が生命の木の実を食べて「永遠に生きる者」となる
のを阻止するために人を追放した)という創世記の構造が崩れてしまう。
神自身には、永遠の命を与えることも永遠の命を持つ者からそれを奪う
こともできないんじゃないかな。実際、神は永遠の命を左右する生命の
木に直接手を出せない節がある(もし自分の意思でどうにかできるなら、
魔物を配置して守るのではなく、もっと直接的に人の手の届かない所に
移すなり、一度破棄するなりできたはず)。
551 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/01(土) 12:02:36 ID:/rbepHxq
そもそも「永遠の命」がひどい誤解をしてるんだろ、と言うより これは誤訳じゃないだろか...... ゾーエーアイオノス ゾーエーは何十回も言ってるけどギリシャ哲学で散々論議されてる プシュケーと対比される「精神的な命」.... アイオノスは「次元」とか「時代」とか「世代」とかに訳される 時限空間的なものを表す言葉だよ... 僕は仏教で言う「悟りの境地」の方が近いんだと思ってるよ... これを肉体が永遠に生きると誤解してる馬鹿なキリスト教徒が ごまんといるんだよ...これは翻訳家たちに誤解を招くような 翻訳をするな!っていいたいW パウロや共観福音書の連中がどれだけ理解して書いたか疑問だけど この言葉があまた出てくるヨハネ福音書は間違えなくその意味で 書いてるね...
552 :
aoi :2005/10/01(土) 13:45:23 ID:z9yMX1BU
>>547 神の御霊は、神の属性であって神そのものではない。
553 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/01(土) 15:25:06 ID:/rbepHxq
>>547 それじゃ、「あなたがたは神の神殿であり」は、どう考えるんだよ
サムエル記に出てくる「神の悪霊」は何じゃろ...
神そのものどころか、多くの霊は人間の心だと
思うよ...それを神がかりにぎょうぎょうしく言ってる
だけで、コリントの言葉もあなた方には、「神の悪霊」では
なくて「神の御霊」も備わってる、つまり現代の言葉で
言えば、君達にも良心が備わってるハズだと言いたいんだと
思うよ....例によって、少なくともその聖句が書かれてる
章くらいは読んでから物を言え...
一行だけ読んで
>この聖書の言葉は,聖霊が神であることを,示唆している。
なんて言う馬鹿をさらすのがキリスト教徒さ....わははははは
ははははははははは....
554 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 15:53:33 ID:uk5lVI+L
555 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 18:49:48 ID:v9ClZ90Z
>>546 >>イエスは言われた。”人間に食べられる獅子は幸いである。そうすれば
>>獅子は人間になる。しかし、獅子に喰われる人間は禍いである。そうす
>>れば、人間は獅子になる”。〜トマスの福音
新約聖書の例え話は、いずれも浅薄であり、大した意味はない。何か意味がある
と思って有難がっているだけ。
獅子にも生命がある。獅子が人間になって有難がると思うか。人間の勝手な
思い上がり、大自然の一部としての動物の生命の軽視に過ぎない。
旧約聖書の例え話のほうが、はるかに深い気がする。例えば、偶像を固く禁
じる旧約の神が、すべての人間をその「似姿」に創ったのは何故か。自然の
ままのアダムとイブが、「知恵の木の実」を食べて知恵付いたために「堕落」
したのは何故か。
556 :
aoi :2005/10/01(土) 19:00:06 ID:z9yMX1BU
>>555 >旧約聖書の例え話のほうが、はるかに深い気がする。例えば、偶像を固く禁 じる旧約の神が、すべての人間をその「似姿」に創ったのは何故か。自然の ままのアダムとイブが、「知恵の木の実」を食べて知恵付いたために「堕落」 >したのは何故か。 旧約が深いというなら、きみの挙げた例について、なぜかについて きみの理解を述べるべきだろう。
557 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 19:06:53 ID:55mYAA1f
旧約の神は 人間が神のように「似姿(偶像)」を作るのが我慢ならなかったんだろう。 しかも偶像は「似姿」と違って命を持たない。 人間の偶像製作は神の「似姿」創造の最悪な劣化コピーであるわけだ。
558 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 19:12:48 ID:v9ClZ90Z
>>556 自分の頭で考えないと、勉強にならんよw。宗教に嵌った人間は、自分
自身での思考が不可能になり、常に「借り物」の思考に依存する。
知性も、批判力も、科学的探究心も、すべて創造主が人間に与えた重要
な資質であるとは考えないのか。それらを十分に行使しないのは、神の
意図に真っ向から反していることになる。
559 :
キュロス :2005/10/01(土) 19:18:59 ID:7QNvEYY/
>>552 >神の御霊は、神の属性であって神そのものではない。
「神そのもの」 とは 具体的になにをさすの?
ギリシャ神学は 詳しくないけど
プラトン的な 理性だけの神?
それとも ヘブライ的な 怒り 悲しみ等を含む 生きている神?
560 :
キュロス :2005/10/01(土) 19:24:23 ID:7QNvEYY/
>>555 >「知恵の木の実」を食べて知恵付いたために「堕落」
>したのは何故か。
この 教説は 完璧なキリスト教神学だぜ
旧約には このような思想はない。
へんな HPばかりを 頼りにするから このような三流教会
的な聖書感に基づいた主張が出る。
561 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/01(土) 19:32:19 ID:/rbepHxq
>>555 >獅子にも生命がある。獅子が人間になって有難がると思うか。人間の勝手な
>思い上がり、大自然の一部としての動物の生命の軽視に過ぎない。
獅子と言うのは、大きな教会か組織の事です。
まさに今のキリスト教徒の事を言ってます。獅子に食われる人間とは
教会の言う事をそのまま受け売りをしてるアホな信者の事を言ってます。
獅子を食う人間とは、教会の成果を踏み台にして、自身でしっかり消化
して自分の信念や信心や考え方を持つ人間の事です。
562 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 19:43:51 ID:v9ClZ90Z
>>561 そこまで教会やキリスト教徒に対して意地の悪い解釈は出来ませんで
したw。素直にw読む限り、この例え話は間違っている。
当の教会さんやキリスト教徒は、この例え話をどう解釈しているので
すかね。
あぼーん
564 :
キュロス :2005/10/01(土) 20:00:28 ID:Q6RI5rfz
ココモ博士さんよ 彼に教えてあげなよ その文書が どのような種類の文書であるかを。 ここまで 知った家君は珍しい。
565 :
aoi :2005/10/01(土) 20:48:03 ID:z9yMX1BU
>>558 勉強のために尋ねているのではない。
きみが「旧約は新約より深い」と主張する根拠
を聞いているのだよ。
論点をそらすのなら、きみの発言は空しいものだ。
566 :
aoi :2005/10/01(土) 20:58:23 ID:z9yMX1BU
>>559 >>神の御霊は、神の属性であって神そのものではない。 >「神そのもの」 とは 具体的になにをさすの? 神そのもの は神を強調するものであって 具体性はない。 「神」は具体的に何をさす?ときくのと同じこと。 神はぐt
567 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/01(土) 21:33:27 ID:36ZTqGWF
>>553 ココモ先生
良心とはちと違うわよん、聖霊はイエスに従いたい、声を聞きたいという願いを奮起させるものなのよ。
>>562 さん
あのぅ 聖句の注解お読みになりましたか?
568 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 21:36:58 ID:N/8LEZ+C
>>565 では、教えてあげよう。
すべての人間を「神の似姿」に創ったということは、実は、人間が神であると
いうこと。いずれにせよ、心身ともに神のソックリさんだから、神と区別はつ
かない。もともと、神概念は、人間の思考作用によって作り出したものだから、
人間が神であっても、ちっともおかしくない。
人間が知恵づいたために「堕落」したのは、人間が身の程を忘れて神など思考
し、語るようになったということ。このため、神の怒りに触れて、人間界では
神の名によるあらゆる紛争と大殺戮が生じた。
この意味で、旧約聖書は、物凄い真理を語っていることになる。
569 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 21:59:18 ID:jV7c9ohK
部分的だ切り出して付け合わせ結論とするココモ手法。
570 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 22:08:52 ID:N/8LEZ+C
>>569 聖書はもともと継ぎはぎだらけの編集物。細部の言葉だけに拘泥せず、
全体的に見て、書記の真意を把握する努力をしなければならない。
旧約聖書の真意が、
>>568 に述べたものではなかったということは、誰も
証明できない。
571 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/01(土) 22:27:07 ID:hvDppgKz
>>555 あ〜はははは。
馬鹿だとは思っていたが、ここまで馬鹿だとは思わなかった。
ひ〜ひひひ。さっきから笑いが止まらない。
このレスはおれを笑わせる為か?あのな、獅子とは何もライオンの事を
言ってるんじゃないんだよ。おまえはあの文言を、文言のままに解釈する。
まさに己の無智をさらけ出す。
これ書きながらも笑いが止まんないじゃないか。馬鹿野郎。
はーマジで腹いてぇ。この程度の輩が、俺に意見する。
”無智” をさらけ出すおまえは、本当に恥ずかしい。まぁ自分の価値観を他人に押し付ける
者など、所詮この程度の者だ。馬鹿は馬鹿。愚か者は愚か者のままである。
馬鹿を目の前にし、未熟な俺の心は、慢心さに振るえ、激しく波打つ。
おまえのおかげで、また一つ俺の心は汚れてしまった。
ところでぼくちゃん、年幾つだい?いい年こいてこの程度じゃ本当に恥ずかしいよな。
人様を総合失調症呼ばわりするおまえは、きちんと社会生活送っているかい?
まさか引き篭もりじゃないだろうね?俺はまっとうな社会人生活、送ってるぜ。ククク。
572 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/01(土) 22:46:12 ID:hvDppgKz
前にも書いたが、トマスは真理が書かれている。 それを知る者は、あれらの言葉の意味を理解する。 それとは、無論永遠の命の事だ。多くのキリスト教徒、いや、神父、牧師でさえ 永遠の命とは何か、明確に知っている者は皆無に等しい。 あげくに霊体ボディだ(大爆笑) そんなこといってるから、仏教徒などに馬鹿にされるんだよ。 あのな、永遠の命とは、この世の身体、それに変わる身体どころか、今の自我なども 残らないんだよ。今の「私」、この私を認識している意識、自我などは、 死ねば消えてなくなる幻。トマスが誰が編集して、何処で書かれたなんていう ”推察” は、はっきり言ってどうでもいい。問題はその書かれている内容だ。 愚か者は、内容も理解できもしないくせに、やれ偽典だのどうのだのと能書きを垂れる。 せめて、書かれている内容の意味を見出してから能書き垂れようや。 意味を知れば、やれ、偽典がどうだのと、そんな能書きはどうでもよくなるから。 所詮自分のエゴにしたがってしか聖書を読めない、自分のエゴに従ってしか信仰できない者に、 いくら言ってもわからんだろうがな。
573 :
aoi :2005/10/01(土) 22:47:50 ID:z9yMX1BU
>>568 折角だが、「旧約が新約より深い」という根拠の、説明にはなっていない。
だが、きみの解釈について論評しよう。
>すべての人間を「神の似姿」に創ったということは、実は、人間が神であると
いうこと
「人間が神」ではなく、「神は人間」である というのが正しい。
正確に言えば、「神は最高の人間」である。
キリスト教の「神」は人格神であって、それゆえイエスは神を「アバ父よ」と呼ぶ。
>神概念は、人間の思考作用によって作り出したものだから人間が神で
あっても、ちっともおかしくない。
神概念を作り出したことと、人間が神であることは、因果関係はない。
充足律と言われるが、古来、人間が神の存在を信じたのは神が存在するからである。
>人間が知恵づいたために「堕落」したのは、人間が身の程を忘れて神など思考
し、語るようになったということ
智慧がついたために「堕落」したのではない。神の智慧を「凌駕」しようと
して、その不遜を咎められたということである。
その意味で、イエスは「子供にならなければ天国に入れない」と言ったのである。
574 :
名無しさん@3周年 :2005/10/01(土) 22:58:01 ID:N/8LEZ+C
>>573 折角だが、根拠も説得力もゼロですね。盲信クリスチャン以外には、
どこにも通用しませんよ。
575 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/02(日) 00:08:43 ID:yCKiUFBh
>>567 >良心とはちと違うわよん、聖霊はイエスに従いたい、声を聞きたい
>という願いを奮起させるものなのよ。
コリントの3章には「イエスに従いたい」も「声を聞きたい」も
出てきません。コリント書簡は、多様な福音が入り乱れたコリント
の街(1/10−15)でのパウロの宗教的主張が随所に示されて
ます。ここの3章もその一つです。
多様な福音で動揺(おそらく)した信徒達に、イエス・キリストを
信じるとはかくあるべき事だと言う主張です。
3/16の「あなた方」はそのコリントの信徒達です。
その信徒達に「神の霊が君達の内にあり」「神の神殿が君達の中にあり」
3/18の様に、「誰も自分を欺いてはならない」「本当に知恵のあるもの
となる為に愚かな者になれ」と言ってるわけですから、これは
パウロがコリントの街の信徒の「良心」にうったえてる言葉です。
聖霊とか霊と言う言葉は、その文章の中でどう使われてるか考えないと
その意味がつかめないと思います。
キリスト教徒の様に聖霊とは何々であると言う固定的概念で考えると
編者の意味したものと全く違ってきます。
576 :
aoi :2005/10/02(日) 01:42:02 ID:qOHJFlZ4
>>574 馬鹿につける薬はない。
もう、誰もきみの相手をすることはないだろう、
馬鹿呼ばわりする以外は。
577 :
名無し@3周年 :2005/10/02(日) 02:00:27 ID:WtBTaoFr
ここは【討論】聖句の解釈をマターリ語るスレ5【議論】 であります。 574はその聖書の章句の別の解釈を出したり反論とかすればよかったのです。 ここでは、別に信仰の是非を問うてるわけではないのです。 宗教を信じる人にとっての根拠は聖典であるわけですから、 根拠として採用しない外野の人にとって説得力が無いのは当たり前です。
578 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 02:05:10 ID:wKDT7nzI
>>577 現実上の根拠がないものは、誰にとっても根拠がありません。
579 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 02:17:59 ID:WtBTaoFr
>>578 ス レ タ イ とココモさんが示した ガ イ ド ラ イ ン をよく読んでください。
580 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 09:17:14 ID:PU7f7bY5
>>579 未信者も歓迎である以上、聖書やキリスト教批判が続出するのは当然。スレ
立て人のココモさんも、もっぱら批判をやっているではないか。
キリスト教が人類にもたらした巨悪を考えれば、未信者による徹底的批判が
必要である。
議論に感情を持ち込んでいるのは、カラスの唄やaoiのような信者だけでは
ないか。
価値観の押し付けがいけないのなら、キリスト教は成立しないよW。
581 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 11:02:43 ID:d8bVbp6M
暴言はだめだよね。 特にココモが。
582 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/02(日) 11:17:54 ID:JumdKVQ/
>>580 >キリスト教が人類にもたらした巨悪を考えれば、未信者による徹底的批判が
>必要である。
だからさ、今まで巨悪をもたらしたキリスト教徒達も、ここで違う価値観をもつ者に、
自分の価値観を押し付けるお前も、同じ穴の狢だと言ってるんだよ。
おまえ、相当頭悪そうだから、言ってる意味理解できないだろうが(苦笑)
583 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 12:27:26 ID:AYDLEz/L
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´∀`)< オマエモナー ( ) \_____ | | | (__)_)
584 :
aoi :2005/10/02(日) 12:38:02 ID:pgQbbZ+W
>>580 >キリスト教が人類にもたらした巨悪
根拠を提示できないものを、「誹謗」と言う。
このスレッドは「誹謗」のためにあるのではない。
>未信者による徹底的批判が
必要である。
「誹謗」は必要ではない。
「批判」と「誹謗」を区別できないのは低脳児である。
>価値観の押し付けがいけないのなら、キリスト教は成立しないよW。
価値観とはおこがましい。きみのは、低脳児観と言うのがふさわしい。
きみには、低脳児用スレッドが適当であろう。
585 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 14:41:31 ID:SyoE2X+2
カラスの唄とaoiは、生来は善良で純粋な人間が、宗教に嵌るとこうなってしまう ことの見本である。よーく観察しよう。確固として実在する人間や自然では なく、神などというあやふやな、非論理的なものを信じ込まされているため、 感情しか頼るものがなく、常に不安と被害妄想に苛まれている。 「頭悪い」「低脳」とは、架空の神などを容易に信じ込まされ、大昔の、典拠 も定かでないイエスや聖書を批判する知性と批判力を奪われた者のことをいう。 人間界であるこの世において、すべての人間に最大の価値をおくべきことは、 押し付けなどではなく、人間としての義務である。「キリスト教徒は、いか なる場合でも、その神よりも、人命を優先しなければならない」ということが 価値観の押し付けになるのか。 モーセによるバール信者の大虐殺が、キリスト教自体による魔女狩り、異端審 問、南米原住民の大虐殺、30年戦争などはもとより、マルクス主義とナチス による大虐殺にも、思想的にはぴったりと連なっていることを忘れてはならな い。
586 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 14:42:43 ID:d8bVbp6M
ココモスキート以上にスレを停滞させる580 580は、その主張以後に何をしたいのか。 戦争や犯罪を神様のせいにしているが、人がこの判断をすることは、ヨナ書で指摘されている。
587 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 14:58:51 ID:SyoE2X+2
>>586 神の造化、顕現、神そのものとしての現実の人間ではなく、架空の神などを
信じたため、人間がそうなってしまったのである。聖書から「人間の尊厳」
を導き出すことは絶対に不可能であろう。キリスト教の教義そのものが崩壊
するからである。
588 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 15:31:55 ID:nsSTYIUE
589 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 15:34:50 ID:d8bVbp6M
崩壊しません。 それに、架空でなく身のある存在だから。
590 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/02(日) 16:28:22 ID:yCKiUFBh
>>568 旧約の方が奥深いというのなら、もっと真面目に旧約聖書を読まんかい!
>人間が知恵づいたために「堕落」したのは、人間が身の程を忘れて
>神など思考し、語るようになったということ。
創世記には何処にも「堕落」したなんて書いてないよ...
堕落した(一人の人により罪が入り死が入り)としてるのは
パウロ書簡だよ
>このため、神の怒りに触れて、人間界では
>神の名によるあらゆる紛争と大殺戮が生じた。
神が何を怒ったのか説明してごらん...
旧約聖書にある戦争絵巻は多くが神の命令によるものだけどね
それもその多くは異教の神を信じてる人達への怒りだけどね
AD70年前後のイスラエル戦争は神の名による戦争だろか?
残念ながら、この戦争では旧約の神は沈黙しっぱなしだったん
だけどね
「堕落」と「神の名による戦争」の関係を説明してごらん、多分
おおよそ関係なさそうな気がするんだけど
「神の名による戦争」は「堕落」ではなくて、「異教の神」あるいは
「異民族」との確執、「民族意識を煽り立てるプロパー」じゃないのか
591 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 16:50:45 ID:d8bVbp6M
聖書の所々に壁を立てて見えない振りをするココモ。 教会的理解のどこが人にとって不利益なのか述べてみよ。
592 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 16:52:25 ID:PARhkfv6
原始、ヒトは天と地の恵みを享受しその生のみを全うした。 弱者は強者に奪われ、強者はより強い者に奪われた。 猛き空と大地。繰り返す昼と夜。 限りある生命群は、ヒトに自らの力の限界を知らせたが 同時に生の豊饒を約束した。 そしてヒトはそれらを恐れ敬い、自らを縛り人となった 原始、人は神を創造した。
593 :
キュロス :2005/10/02(日) 18:27:03 ID:fqUja9b5
カナン地方の宗教は 政治なのですよ。 だから 民族防衛とか 富の再分配等 の役割がある。 また 王が祭司を兼任したり 王が祭司・預言者の三つの役割を兼任している。 ヘブライ人は 王と祭司・預言者が 三権分立の様に 独立していた。 聖書は 通俗道徳から生まれた ものではないから 通俗道徳から キリスト教を批判するのは 無意味なんだよ。 だから 教会政治に のめり込む 人が居ても不思議では無い と言えるかも知れない。
594 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 19:48:54 ID:d8bVbp6M
自然に神存在思想に気が付くまえに、もっと別の実践的な技術思想に気が付くのが先でしょう。 超越存在への気付きは死の認識力の高まりによると考えるほうが妥当。 宗教要素を除いた考察。
595 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/02(日) 21:52:25 ID:bszyWBjO
>>575 ココモ先生
ありがとうございます。お礼に水戸黄門のことについて、一つ。
上京した時、水戸の徳川博物館まで足をのばしてみてください 御三家とは言えあの時代に「よくこんなに」と思う
く゜らいにキリシタン関係の書物、メダイ、十字架などが期間限定ですが展示されますよ。
光圀もキリスト教に興味もっていたんでしょうかねぇ?
>592 ハイハイ。ワロスワロス。 よくありがちな、幼稚な文章をありがとう。 あのさ、一流の科学者ほど、神の存在を完全に否定しないものなんだよ。 なぜなら今の科学では完全に神の存在を否定できないからね。 むしろ一流の科学者で、神を信仰している者は以外と多いものだ。今の科学のレベルでは完全に否定出来ないし、 将来科学的に、神を完全に否定できる時がくるか、逆に、科学的に、 完全に神を証明出来る時がくるか、それは今の時点では判断できない。 だから合理的な思考の持ち主は、現時点で神を完全に否定しないものなんだよ。 むしろ今の科学のレベルでは、神の存在を示唆しているしね。 しかしまぁ、神は人間が作ったなど、唯物論を盲信する陳腐な能書きを、よくここで垂れられるものだ(苦笑) おまえは唯物論を盲信しているにすぎない。 おまえは、宗教を盲信している者と、同じレベルの人間だと、気付いているかい(苦笑)
597 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 22:04:59 ID:1KnxM3jp
>>595 秀吉や徳川幕府は、鎖国までしてキリスト教の侵入を防いだ。さもなければ、
日本は今頃フィリッピンや韓国なみの国家になっていたことだろう。ザビエル
も、日本人の賢さには歯が立たず、尻尾を巻いて逃げ帰った。
昔の為政者は偉かった。日本人は彼らに心から感謝すべきである。
ところで創価って笑えるよね。 彼等は仏教を名乗りながら、現世利益を追求する。 一切皆苦。 釈迦は世を否定していることを、彼等は知っているのかね〜。 ありゃ、まさしくトンデモ仏教だ(爆笑)
599 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 22:11:51 ID:x/6ppzwo
今の仏教で現世利益を追求しない仏教はないけどね。
600 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 22:15:03 ID:d8bVbp6M
↑カラスのひきつった顔が創造するに難くない感じ。
601 :
カラスの唄 :2005/10/02(日) 22:25:01 ID:/g3lsgTP
>599 だからさ、今の仏教は、仏教じゃないんだよ。 彼等は仏教徒を自負しながら、釈迦の教えを知らず、無智をさらけ出す。 そして、無明のなかにいる自称仏教徒名乗る彼等は、迷いの生存を繰り返す。 アホなんだよ、アホ(苦笑)
602 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 22:27:11 ID:1KnxM3jp
>>598 宗教の起源は、人間が生存するための現世利益の追求であった。精神性
の追求などという甘ったれたものではない。最近の宗教学では、「現世
利益」が見直されている。過度の精神性は、人間の狂気を招くだけであ
る。キリスト教がその好例。
創価は、釈迦の教えは「期限切れ」とみなしている。久遠実成、本仏
などとして、釈迦を神格化しているのは問題だが。仏教は、一般に、
自分の宗教を、単なる「方便」とみなす。
キリスト教は、イエスの教えを「期限切れ」として超克し、「方便」と
みなすことができるか。さもなければ、単なる「盲信」に過ぎない。
603 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/02(日) 22:56:06 ID:AcT8DhV7
いいことを教えてあげよう。
聖書(新約)では、宗教のことを偽預言者だと呼んでいるんだよ。
それは既存の宗教全てをさす。無論今のキリスト教も含まれる。
時が来れば偽預言者達は、永遠に封印される。
>>602 >宗教の起源は、人間が生存するための現世利益の追求であった
ユダヤ教、イスラム教、後世に残ったキリスト教、その他多くの宗教はそうだったろうね。
それは今の仏教を名乗る宗教も同じ事だ。
だがイエスの教えや、釈迦の教えは違う。どちらも行き着く先は同じだ。
智慧のある者はそれを見出す。
真理は時代と共に変わるものじゃないんだよ。
時代と共にころころ変わるものなど、それは真理などではない。
こんな簡単な理屈、小学生でも理解できそうだが。
釈迦の教えが期限切れなどと、単にお前達が無智で、釈迦の教えを理解できていないだけのこと。
お前達、仏教を名乗らず、いっそのこと、池田大作教を名乗ればどうだい(大爆笑)
ま、己のエゴ心を、満足させたいだけの人に、なにを言っても無駄だとは思うが(哀)
604 :
名無しさん@3周年 :2005/10/02(日) 23:02:26 ID:AIbwHcTd
>>603 既存の宗教の全てが偽預言者なら、あなたは何なんだ?
あと、キリスト教とイスラム教は来世利益の宗教だと思う。
605 :
aoi :2005/10/02(日) 23:26:21 ID:J12cKHE4
ここは、聖句の解釈について論ずるスレッドだが、無神を標榜する幼稚な ガキどもが結構、出没する。 勿論、神の存在を証明できることもないし、神の存在しないことも証明でき ない のだが、ガキどもがここに出入りすることは、神の存在の有無につい て心を決めかねているところから、神の存在を確信している者たちを試して みたい ということなのだろう。 無神を確信しているなら、こんなところに出入りする必要は無いはずだ。 ただガキどもに言っておきたいことは、人間の理性を超越しているから 「神」であって、人間の理性で認識できるものは「神」ではあり得ない ということだ。人間の理性で神を認識できると考えたのが2000年前 のグノーシス(主義)なのだ。 きみたちガキは、2000年前から始めようとしている。 神信仰の歴史を勉強するがいい。 神は、人間の理性を超越するがゆえに、我々は、理性で信ずるのでなく、 盲信すべきなのだ。盲信でなければ信仰とは言えないのだ。 カラスがトマスを盲信するが如く。 あははは、分かったか?
606 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/02(日) 23:39:50 ID:AcT8DhV7
>>604 おまえのようなレベルの者とレスを交わすのは、まことに心外だが、
せっかくだから答えてあげよう。
>あと、キリスト教とイスラム教は来世利益の宗教だと思う。
組織として残ったいずれの宗教も、自分達のコミュニティのため利益を追求するツールとして、
非常にうまく働いた。いずれも、政治の道具として非常にうまく機能し、今も機能する。
>既存の宗教の全てが偽預言者なら、あなたは何なんだ?
俺はカトリックで洗礼を受けているが、今の教会というコミュニティーは、あまり重要視しない。
前にも書いたが、まことの教会とは、イエスの残した、律法の黄金率を守る人達の集まりの事である。
彼は律法を廃止しに来たのではない。むしろ、律法を完成しに来たのだ。
そこでは宗教の話はするな。政治などの話はするな。兄弟達に決して自分のエゴを押し付けては成らない。
ただ兄弟達を自分を愛するごとし愛し、至高の存在を感じていればいい。
その存在を感じ取れる者は幸いだ。それはその実自分の中に在り、そして外にも在る。
それを見出す者は見出す。
宗教なんてものは自分のエゴを増長する道具に過ぎない。それは、おまえをみてもわかるし、
他のキリスト教徒、他の宗教者達をみてもよくわかる。
607 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/02(日) 23:49:53 ID:AcT8DhV7
>>604 俺は、キリスト教徒というより、
イエスの弟子でありたい。ま、そういうことだよ。
で、おまえは、まだここで自分の価値観を、他人に押し付けたいわけ?
己のエゴを満足させたいだけの人になにを言ってもわからんだろうがな(哀)
愚か者は、自分がなにをやっているか、気付きもしない。
608 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/03(月) 00:02:33 ID:CX1URfGC
>>605 俺は妄信などしていない。
俺も少しまでは、ここの無神論者と同じスタンスだった。
それがある人の書き込みをみて、改めて宗教というものに興味を持ち、
釈迦の教えが知りたく、初期仏典を読み、それから生まれて初めて聖書をまともに読んだ。
ほんの1〜2年ほど前だ。
そこで気付いたんだよ。そしてそれが本当にあるのか、どうしても確かめたくて
いろんなところに行った。トマスを理解したのはその後だ。
俺は自分で確かめもしないで、他人の言う事、本に書かれている事を妄信したりはしない。
はっきり言う。あんたは70年聖書に親しんできたそうだが、今のままでは、あんたは命を得ない。
さてそろそろお休みだ。あんたも命が得られればいいな。おやすみ、じいさん。
609 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 00:02:37 ID:Osg80q3x
>>605 へーっ。グノーシスは人間の理性で神を認識できると考える思想なんだな。
>>606 あなたは多分、窮屈な思いをしてるね。
610 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 00:04:23 ID:5tFHh0aV
カラスの能書、に戒名したらどうか。
611 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 00:14:29 ID:Oq/xcNlW
>>607 イエスの教えって何?イエスの直接の言葉など皆無で、すべて弟子たちによる
「伝聞」だが。福音書でも矛盾だらけではないか。裁判でも、このような伝聞
証拠は、一般に、証拠として採用もされない。
そのあやふやな言葉を、否定も批判もできないあなたは、釈迦の言葉を「期限
切れ」として超克した創価にもはるかに劣る。
優れた教師にとっては、弟子たちが自分を超えてくれることが最大の喜びである
はずである。イエスは優れた教師ではないのか。あなたは、教師のいうことを
ひたすらノートして暗記している三流学生と同じ。イエスは、そんな学生には
見向きもしないはずだよ。
自分が根本から間違っていることを自覚すべし。
612 :
aoi :2005/10/03(月) 01:09:42 ID:zKD1fgSl
>>608 トマス気違いのカラス君
>俺は妄信などしていない
おやおや、盲信と妄信の区別がつかないとは、お里が知れるぜ!
義務教育は受けたのだろうね?
>釈迦の教えが知りたく、初期仏典を読み、それから生まれて初めて聖書をまともに読んだ。
ほんの1〜2年ほど前だ。
まだ駆け出しではないか! まだ門前の小僧、経読みの経知らずだ。
スッタ・ニパータくらいは読んだのかい? 釈尊の真髄は、「犀の角」
にあると知ってるかな? 法華経の「方便」は、イエスには通じないぜ。
>今のままでは、あんたは命を得ない。
はははは、裁くのは神である ことすら知っていない。
ま、餓鬼もこれから学ぶことだね、謙虚なら希望もある。あはは
613 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 01:30:06 ID:Ml3hE5Bo
盲信と妄信はほぼ同じ意味(よく考えずに信じ込むこと。わけもなく信じること)ですが、 妄信には「誤った信念」という意味もあります。
614 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 01:37:12 ID:oS5M387g
aoiを止めて、青い、に戒名したらどうか。
615 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 01:48:52 ID:Ml3hE5Bo
葵、じゃないのですか?
616 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 02:27:40 ID:GD/RATwy
下らない批判に一々反応するな、と言いたい。 聖句の質問でもなく、また聖句の解釈が出来ない、 ならここに来るな! レベルの低い宗教批判は無視しろよ。
617 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/03(月) 11:00:11 ID:CX1URfGC
天上唯我独尊。 あの世においても、かの世においても、己自身が主人公である。 他の誰が、己の主人公に成り得ようか。 自分を島に、法をよりどころにし、ただ独り行け。 能力ある者は、愚者に従うことなく、他者に惑わされる事なく、ただ独り歩め。 自分と同じく能力あり、賢明な道友を得たのなら、 自分を島に、法をよりどころにしながらも、喜び勇み、共に歩め。 最勝の道友達、つまり自分と等しい者達とは、親しくするべきである。 そのような道友を得ないのなら、制圧した国を惜しげもなく捨て去り、顧みない 王のように、ただ独り歩め。 思いやりの心、いたわりの心、離欲の心、わかちあう心を、正しい時に行い 世に遮られず、ただ独り行け。 ものにしろ、自分の思想にしろ、執着する心とは、 それはその実、自分のエゴを信奉しているのにすぎないのである。 愚者は、愚者に従い、他者の残した、団体、教義に執着する。 愚者は己の思想に執着する。賢者は、なにものにも執着しない。 これはどっかで書いたっけか(苦笑)
618 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/03(月) 11:07:05 ID:CX1URfGC
>>612 スッタニパータは、釈迦の教えの基本中の基本だ。
>はははは、裁くのは神である ことすら知っていない。
>ま、餓鬼もこれから学ぶことだね、謙虚なら希望もある。あはは
刑事事件において、日本では裁くのは裁判官である。
裁くのは裁判官ではあるが、こと単純な事案において、法を知る者ならば、
容易に結果は想像できる。
あなたは可哀想な人ですね。
穴との人生に残された、あとわずかの時間、その時間をどう過ごすかは、あなた自身の問題だ。
619 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/03(月) 11:19:25 ID:CX1URfGC
>>617 の一行目は
天上天下唯我独尊の間違い。
>>618 の最後の行、
「穴との」は、「あなたの」の間違い。
タイプミスなどはどうでもいいんだが、揚げ足とって喜ぶ輩がいるんで、とりあえず訂正。
620 :
aoi :2005/10/03(月) 11:44:15 ID:WukVmI63
>>618 >穴との人生に残された、あとわずかの時間、その時間をどう過ごすかは、あなた自身の問題だ。
「穴」とは地獄の穴かと思ったよ、ははは
でもそれはきみのことかもね。
知らぬは仏といってね、きみは明日自爆テロに遭遇するかも、きみの乗った
電車がマンションに突っ込むかも、あした大地震で屋根の下に押しつぶされる
かも。残る人生はどっちが短いか、神だけが知っている。
おれのことは心配することはない。
私のいのちは、地上から天に至るまで、つながっている。
地上で天国なら、肉体は灰になってもたましいは天国なのだ。あっはは
621 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/03(月) 11:54:29 ID:CX1URfGC
>>620 >知らぬは仏といってね、きみは明日自爆テロに遭遇するかも、きみの乗った
>電車がマンションに突っ込むかも、あした大地震で屋根の下に押しつぶされる
>かも。残る人生はどっちが短いか、神だけが知っている。
そんなことは知っている。
あんたは森をみて木をみず、文章をみて、文意をみない。
どのみちあんたに残された時間はそうながくないのは確かだ。俺があんたより
永く生きようが、早く死のうが、そんなことを言っているのではない。
ところであんた、地獄とは何処にあるか、知ってるかい?
622 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/03(月) 11:59:06 ID:CX1URfGC
>>620 >肉体は灰になってもたましいは天国なのだ。あっはは
ひとつ、いい事を教えてあげよう。
あなが仮に天国にいけるとしたとして、あなたの魂なんてものは、残らないんだよ。
あなた、何も知らないんだね。
623 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 12:40:46 ID:NNcqb/kG
孤独な教祖カラス
624 :
aoi :2005/10/03(月) 13:40:23 ID:O77jiWta
>>622 >あなが仮に天国にいけるとしたとして、あなたの魂なんてものは、残らないんだよ。
あなた、何も知らないんだね
亀の甲より年の功 きみの倍は知ってるだろう。あはは
>ところであんた、地獄とは何処にあるか、知ってるかい?
地獄はね、自分の心にあるのだよ。 自責の念がその一つ。
625 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 13:53:14 ID:TqQzgmgy
くさいが乙
626 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 17:23:37 ID:5tFHh0aV
人が人に対し神であると認めうる要件。 一。超越した力、能力 一。長寿、不死 一。甦り、滅びない魂、人格
627 :
キュロス :2005/10/03(月) 18:51:44 ID:Lvvfcaib
>マタイ >22:31 死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を >読んだことがないのか。 >22:32 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』 >とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」 >22:33 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。 ヨハネ福音書における「羊」とは だれか? と言う大問題に入る前に 軽く マタイ福音書での「死者の復活」観を 見てみたい。 まず 神御自身が「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」 と言っている ということは「アブラハム」も「イサク」も「ヤコブ」も生きている ということになる。 なぜなら「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」だからなのです。 パウロは イエスが死者の復活の 初穂 だと理解していたが マタイ福音書では 死者の復活は太祖アブラハムから有ったと 理解していた様です。
628 :
キュロス :2005/10/03(月) 19:22:52 ID:kf3r2QFK
パウロの「眠りについた人たちの初穂となられました。」(コリントT15:20) とは アブラハム等の 義人 ではなく 異邦人も含む普通のユダヤ人 の事を指すのかもしれない。 いわゆる律法の要求を完全に実行できない「呪われた者」の 「復活の初穂」という意味かもしれない。(ガラテヤ3:13)
629 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 20:18:39 ID:5tFHh0aV
627 Σ(・!)
630 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/03(月) 20:44:19 ID:/LsESQc5
神様からの伝言... 信者の皆様には日頃の御精進に敬意を申し上げます。 実はお亡くなりになる方が多くて、天国も地獄も一杯で 空きがありません。皆様にはお亡くなりの折は夜空の星 にでもなってください。 まあこれは天国だの地獄だの言ってる輩をからかってるん だけど、そもそも天国と地獄を言い出したらそれは子供向 け番組だと思うけど...ねぇ 聖書にも天国とは如何なるところとは書いてないし、地獄 は如何なる所とも書いてないよ。天国だ地獄だ言うのであ れば、多少は具体的に大人向けの説明をして欲しいもんだ wwww 天の国(神の国)とは混同しないでね
631 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/03(月) 20:58:39 ID:BuTHOXQN
>>628 キュロスさん
そうですね 「呪われた者」の「復活の初穂」だと思います。
勉強になります。ありがとうございます。
632 :
キュロス :2005/10/03(月) 21:13:51 ID:6Crcpg4T
>>630 ヨハネ福音書
>14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。
>もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
>14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、
>あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、
>あなたがたもいることになる。
ヨハネ福音書の主張では この「父の家」ことなんだろうね。
神殿(父の家)が崩壊して 天地が新しい「父の家」になると言
う意味なんだろうね。
>66:1 主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこに
>わたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか。
神殿が崩壊して 新しい天地が創造されてそれが「父の家」
になるという意味かもしれない。
>イザヤ
> 65:17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
>初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
つまり 神殿を崩壊させて 新しい天地の創造(イエスの復活)をする
という意味かもしれない。
633 :
名無しさん@3周年 :2005/10/03(月) 21:29:16 ID:5tFHh0aV
一元的には合ってる。教会礼拝に通って、パンと葡萄酒を頂く、手付のような意味か。
634 :
aoi :2005/10/03(月) 23:17:08 ID:O77jiWta
>>630 相変わらず聖書を知らないのだね。
イエスの「天国」発言は32箇所あり、天国の説明も数々ある。
またイエスの「地獄」発言は14箇所あり、説明ではどうやら
きみは行けるようだ。あはは!
天国を見た人は、聖書には、エゼキエルなどの預言者、ヨハネ、
パウロなど、そして多くの聖徒が天国を見た記録が残されている。
ま、きみには縁がなさそうだから、天国は無いと思っても同じで
しょうな。あはは!
必要があれば、天国を見てきた聖徒の記録を紹介してもよいが。
ちなみに、聖徒は(この世に居るままで)、天国の天使たちのところへ
行き来できることが「ゼカリヤ3:7」に記されている。
635 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/04(火) 00:31:22 ID:P7OwXDaM
>>634 >イエスの「天国」発言は32箇所あり、天国の説明も数々ある。
それ全部口語訳のマタイ福音書だろ...だから天の国と混同する
なって言ってるんだよ...その32箇所全部読んでみろよ、全部地上
に実現しようとしてる、一種のユートピアの事で、死んだ後に行く
場所じゃないよ
口語訳マタイ福音書13/31−32
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種の
ようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種
よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥
がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
636 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/04(火) 00:41:09 ID:P7OwXDaM
>>635 マタイ福音書の「天の国」に相当するルカ福音書の言葉は
「神の国」です。マタイ福音書の地域では「神の国」と言うと
イスラエルの事になってしまいます。だから、「天の国」
と言うんですが、キリスト教徒が言ってる「天国」とは
全く違います。キリスト教徒が考えてる「天国」に近いのは
マタイ8/11位のものです。
637 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 00:50:46 ID:RbgKArzO
>>635 現実での実現は御国での実現の手付けなんでしょう、632 633のようにの。
この世界は仮初。ココモは死んで納得、神様に「なんでこんな紛らわしい
書き方をするのか!」というのかな。
素直な心で死なないと、セカンドチャンスも、ものに出来ないかも知れないよ。
638 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/04(火) 00:57:07 ID:P7OwXDaM
>>635 あのねえ、僕は「神の国」が何処にできるのか1年近く調べた
事があるんだけどね
ルカ福音書17/20−21
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエス
は答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。
『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国
はあなたがたの間にあるのだ。」
に驚いてな、ファリサイの人達の間にあると書かれてるだろ
キリスト教徒の言ってる事と全く違うじゃないか...御貴殿
も一度くらい「神の国」についてマジに研究してみたらどうですか
「天国」「天国」「天国」って言うのが丸出馬鹿男に見えてくるよ
639 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 01:23:53 ID:RbgKArzO
聖書を細切れにし、都合よく縫合して見るからそのような結論になるのだ。 1年も天国柄パッチワークの研究をしたのか・・・ふも〜
640 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 14:39:31 ID:ydnHhq2j
キリスト教が、霊魂だの、死者の復活だの、天国だの、ありもしないものを 口走るから、多くのカルトに利用されて、その発生原因となっていることを 反省されたし。 神と天国の実在を信じ込まされて、嬉々として自他の生命を奪い続ける自爆 テロリストの狂気と、全く同じ心理状態ではないか。一体どこが違う? そもそも、完全に死んで火葬され、すべての思考器官や感覚器官が灰になって しまった後に、どうやって思考し、天国を認識するのか。科学が発達した現代 では、生死の問題はもっぱら医学の分野。宗教が容喙する分野ではない。 神が与えた人間の科学的探究心の結果としての科学の発達を無視して、未開時代 の書物に過ぎない聖書などを盲信するのは、全くの時代錯誤であるばかりか、創 造主に対する重大な冒涜行為であることを自覚すべき。 キリスト教の基盤である旧約聖書では、霊魂不死も死者の復活も認めていない。 キリスト教の「主なる神」とは、イエスを初めすべての人間を創造した旧約の 神以外にはない。その意味で、キリスト教徒は、神の最大の冒涜者であることは 明らかである。そのことは、彼らが史上最も多くの人間を、最も残虐な方法で 殺してきたという事実によって、はっきりと証明されている。ムハンマドも、 もともとはキリスト教徒であった。
641 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:02:11 ID:OIXm5nga
>>640 君、相当しつこいね。
一度病院で診てもらったほうがいいよ。
それ、ある種の病気だから。マジデ。
社会生活はまともに送れてるかい?
642 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:17:03 ID:ydnHhq2j
>>641 狂気とは、現実からの著しい遊離をいう。遊離しまくっているキリスト
教徒は病気ではない、とでも?
2chのキリスト教談話室など覗いてみると、イエス様、イエス様と、
全くの狂乱状態ではないか。あれでは、まともな社会生活が送れるわけ
がない。キリスト教徒の連帯責任として、手遅れになる前に早急に治療
させるべきではないのか。
643 :
☆林檎の目☆ :2005/10/04(火) 15:17:16 ID:CtdZbF6o
>>640 >・・・多くのカルトに利用されて、その発生原因となっていることを
>反省されたし。
それは、多くのカルトが「自分たちの利益を得るために」利用しただけであって、
その大元のところが責を感じる必要はないのでは?
むしろ、そのように利用しようとするカルトそのものが悪いと思いますけど。。。
>・・・嬉々として自他の生命を奪い続ける自爆
>テロリストの狂気と、全く同じ心理状態ではないか。
キリスト教がですか?「嬉々として自他の生命を奪い続けている彼らの狂気」と
全く同じ心理状態であるかどうかは、行いの実を見ればわかると思いますが、
果たして、クリスチャンと思われる人が、そのようであるかどうかを吟味すべきであると思います。
(というより、このキリスト教という使い方が曖昧さを生んでいるのかもしれません。)
(キリスト教の中でも、カトリック、ギリシア正教、プロテスタント(ルッタートゥム、カルヴィニズムetc)と様々にあるわけであるから。)
例えば、十字軍のときは、ローマ教皇の働きによるものが、大きなものであったわけですし。
(しかし、その当時のローマ教皇に純粋な宗教的倫理・情熱があったかどうかは個人的には疑わしい)
644 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:27:15 ID:OIXm5nga
>>642 多くのキリスト教徒は、教会に通いながらも、
まっとうに社会人としての生活、義務も果たしているわけだが。
むしろ要職についておられる片も多数おられるわけで。
君、頭大丈夫?
645 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:27:48 ID:ydnHhq2j
>>643 すぐに人間に責任を押し付け、その原因となった宗教自体の病理は一切
批判できないのが、宗教信者の特徴。生来は善良で、純粋である人間が、
宗教に嵌ったばかりにこうなったのではないのか。人間に対する責任の
押し付けと軽視・侮蔑は、いい加減止めるべき。ここは人間界である。
人間そのものを軽視・否定する宗教は、人間にとって極めて有害な営み
以外の何物でもなく、すべての人間が協力して排除・絶滅すべきもの。
あなたも人間なのだから、まず人間に戻るべきではないのか。
646 :
☆林檎の目☆ :2005/10/04(火) 15:30:48 ID:CtdZbF6o
>そもそも、完全に死んで火葬され、すべての思考器官や感覚器官が灰になって >しまった後に、どうやって思考し、天国を認識するのか。 私もそんなに詳しくはないけれども、復活に関する考え方が違うのでは? 聖書にも、肉なるものは滅びることが書かれていますから。。。 まあ、学びが足りない者なので、コメントは控えます。 >聖書などを盲信するのは、・・・創造主に対する重大な冒涜行為 そうですか?聖書の言葉は、神のことばとしているのだから、 信仰において、むしろ神の喜ばれることなのでは? >キリスト教の基盤である旧約聖書では、霊魂不死も死者の復活も認めていない。 そうでしょうか?ダニエル書12章2節や13節の記述はどう思われますか? >ムハンマドも、もともとはキリスト教徒であった。 初耳!よろしければ、もっと詳しく教えて下さい。
647 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:32:30 ID:ydnHhq2j
>>644 普段はまっとうな社会人でも、事が彼らの宗教に触れると、気が狂う
よ。それが危険だと言っているのだ。
648 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:35:51 ID:OIXm5nga
>>645 >生来は善良で、純粋である人間が、
肉を持った我らは、善を行いたくとも、肉の思いに負け、善を行えないでいる。
おまえのようにね。
生来は善良で、純粋である人間に立ち返らせるのが、イエスの教えなんだよ。
頭の悪い人になにいってもわからんと思うが(哀)
649 :
aoi :2005/10/04(火) 15:39:07 ID:c8YyUZyn
>>636 ,637,638 バカモスキーさん
マタイ 5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。
Blessed [are] the poor in spirit: for theirs is
the kingdom of heaven.(KJV)
ルカ 6:20 「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国は
あなたがたのものである。
Blessed [be ye] poor: for yours is the kingdom of God.(KJV)
山上の垂訓において、イエスは一つの言葉を語った。
それを、マタイ記者は「天国」と誌し、ルカ記者は「神の国」
と記しただけのこと。
それゆえ、「天国」と「神の国」は同じものを指していることは
自明だろう。
幼児期を脱して、早くおとなになることだ。
650 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:41:25 ID:tcyZzoVo
640 ↑ ココモ教を信じる果ては、このような状態になる例でありましょう。
651 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:41:50 ID:ydnHhq2j
架空の神の信仰と、現実の人間の尊重とは、「原理的」に絶対に 両立し得ない。自分の宗教と人間の生命との二者択一を迫られた 場合、後者を優先すべきことを、教義上も、行為上も明確にしている 宗教が唯の一つでもあるか。 「人間の尊厳」という概念を持ち出せば、キリスト教の教義は瞬時にして 崩壊することは明らか。
652 :
☆林檎の目☆ :2005/10/04(火) 15:42:51 ID:CtdZbF6o
>人間そのものを軽視・否定する宗教 私も学びが足りないですから、しっかりとしたことを言えるわけではありませんが、 キリスト教は人間そのものを軽視・否定する宗教ではないと思います。 創世記 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 人は神のかたちとして創造されたものであると聖書は言っています。 (そして、ここに「人格」というものがあらわされ由来しているといわれる。 (他のどの動物にも、この「人格」という特別な性質は、見出せない。 そして、「神のかたちに造られた」ということにこそ、人間の尊厳なるものがあるのだとおもいます。 人間を否定しているのではなく、人間のうちにある『罪』を否定し憎むべきとしているのだと 思います。
653 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:43:18 ID:OIXm5nga
>>647 >普段はまっとうな社会人でも、事が彼らの宗教に触れると、気が狂う
クリスチャンでもお前と同じ人種ならな。
まともなクリスチャンはおまえのように自分の考えを他人に押し付けたりはしない。
お前のやっている事は、阪神ファン達に、おまえらあほか〜巨人の方がいいに決まってる
やんけ〜。阪神ファンなんかいるから、暴動がおきるんじゃ。と言っているようなもん。
おまえ、じぶんがどれだけ程度の低い人間か、気付いているかい?
ま、気付いてないからここで粘着して自分の価値観をひたすら押し付けているんだろうが。
おまえ、病気だから一度病院で診てもらったほうがいいよ。
654 :
☆林檎の目☆ :2005/10/04(火) 15:47:33 ID:CtdZbF6o
>>aoiさん 先日は三位一体に関してレスして下さったのにもかかわらず、返信しないで失礼致しました。 僕の中でも、勉強不足なのがよくわかりました。もう少し、自分で考えてみたいと思います。 丁寧に答えて下さってありがとうございました。
655 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 15:59:59 ID:ydnHhq2j
>>652 「人間のうちにある『罪』」とは、具体的には一体何?悪があるからこそ
善が存在し得、死があるからこそ生が尊く、闇があるから光がある。
そのいずれか一方だけを否定することは、すべてを否定することで
あることを知らねばならない。
そもそも「罪」の概念など、きわめて主観的で流動的。どんな「悪人」
でも、一抹の善の要素を持っており、また時と場合によって「善人」に
なりうる。
そもそも、同じ人間を「罪人」呼ばわりすることこそ、思い上がりで、
人間に対する侮蔑そのもではないか。そのような行為こそ、まさに
「罪」なのである。
656 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 16:08:12 ID:OIXm5nga
しつこく自分の意見を他人におしつける
>>640 を、よく観察すると
原罪とはなにか、よくわかるよ。
多かれ少なかれ地上に生れてくる人に巣食う、この心の働き。
これこそが、争いを生み、これこそが、人を汚す。
657 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 16:10:33 ID:+fwWqKpA
640 >はっきりと証明されている。ムハンマドも、 >もともとはキリスト教徒であった。 こ れ は う そ
658 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 16:12:36 ID:ydnHhq2j
>>656 史上、もっとも争いを引き起こしてきたキリスト教徒にそれを
言われても(笑)。教えが根本から間違っていること以外には
ないだろう。
659 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 16:25:09 ID:OIXm5nga
>>658 >史上、もっとも争いを引き起こしてきたキリスト教徒にそれを
>言われても(笑)
だから今まで争いを引き起こし、今でも争いを引き起こしている一部キリスト教徒も、おまえも
同じ穴の狢だと言ってるんだよ。おまえ、頭悪いから何度言ってもりかいしないようだが。
お前の育った環境が違えば、自分達の考えを押し付け、違う宗派は許さないキリスト教徒に
なったろうし、イスラム圏に生れていればそれこそアルカイーダだ。
どちらも、お前と同じ人種だって気付けよ。
こいつをみていると、まさに、馬鹿に付ける薬はなし。なんだよね(哀)
660 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 16:35:21 ID:OIXm5nga
>>657 ま、
>>640 はアホだからな。
自分なりにキリスト教を知るなり、調べてから批判するならまだしも、
何も知らないくせに、お前達は間違えている!だからな(苦笑)
こいつはクルアーンどころか、聖書すらろくに読んでいないよ。
それでいて我こそは正しい。なんてやってんだもん。まさに低脳児。
ま、この人の一連の書き込みみたところ、たとえ読んだところで、聖書に書かれた
隠された意味を見出すことはないだろうが。頭悪そうだし。
無知をさらけ出して恥ずかしい人だ(哀)
661 :
☆林檎の目☆ :2005/10/04(火) 16:49:30 ID:CtdZbF6o
>>655 >そのいずれか一方だけを否定することは、すべてを否定することで
>あることを知らねばならない。
うーん、そうなりますか?(^^;)
人は『罪』の中にとどまるべきものなのでしょうか・・・?
『罪』(ハマルティア=的外れという意味、厳格には、まだ区別があるらしいです)
は、具体的に言えば、いろいろあると思いますが、自分中心に生きることなどがあるのでは、
ないでしょうか。自分中心に生きることで、あるときには、人を悲しませ、
そして、自分自身を辱めることになったりします。
(しかし、それは罪のあらわれということで、根本的にすべての人がもっているものだと思います。)
>「罪」の概念など、きわめて主観的で流動的。
そのために、聖書があり、聖書のことばによって、自らの『罪』が示されるのです。
>そもそも、同じ人間を「罪人」呼ばわりすることこそ、思い上がりで、
>人間に対する侮蔑そのものではないか。
だからこそ、人の揺れ動きやすい思いから発せられる言葉ではなく、
聖書のことばによって、罪を示されなければならないと思います。
先ほどにも、言ったとおり、人のうちにある『罪』のみが憎まれるべきものです。
しかし、それは、人の力では克服できるものではありません。
イエス・キリストの十字架による贖いによって、人は罪が赦され、
「神のかたち」、いやそれ以上に、「神の子」として生きる恵みを与えられるのです。
662 :
aoi :2005/10/04(火) 16:54:54 ID:c8YyUZyn
>>640 ここは聖書の「言葉」について討議するスレッドであって、 キリスト教を論ずる場ではない。 適当なスレッドへ引越しすることだな。
663 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 17:07:31 ID:tcyZzoVo
すれ違いのうえ、論が破談しているからに。
664 :
aoi :2005/10/04(火) 17:22:48 ID:c8YyUZyn
>>651 馬鹿の一つ憶え は止めるがいい。 キリスト教の「教義」と、人間の尊厳と言う「理念」は範疇が異なり、 比較の対象にならない。 聖書の言葉の中の「人間観」と、人間の尊厳という「理念」を対照 することはできるであろうが。
665 :
キュロス :2005/10/04(火) 18:17:44 ID:6nqzBos3
>>664 >>651 のような程度の低いヤツを 相手にするな。
アンタの程度も 同じようなものだと 誤解されたくなかったらね。
666 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 18:27:38 ID:tcyZzoVo
640の義憤に駆られる執念の源泉を知りたくはあるが。
667 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 18:36:19 ID:OIXm5nga
>>666 義憤に駆られるなんて高尚なもんじゃないよ、あれは。
そこまでお利口さんじゃなさそうだし。
しつこく、ここや他のキリスト教スレで、自分の考えを押し付けている
>>640 は、単に自分のエゴを満足させたいだけなのさ。
668 :
キュロス :2005/10/04(火) 18:56:48 ID:SXATUTdd
まず 640は福音派崩れの アンチではない。 なぜなら 聖書を全く読んでいない。 彼は キリスト教の事を 全然しらない。 なぜなら ここに護教的書きこみが 少ないことを 彼は知らない。 640の主張は ほほ同じで 新し展開がない。 一見 「ニーチェ」「スピノザ」風だから 面白い事を書くのかな と期待すると (オレは 「ニーチェ」「スピノザ」を全然知らないけど) 突然 ワイドショウ的判断基準で 批判を始める。 彼は 前にも 秦 剛平氏の本を 紹介して その本を 読んだような話しを していたが その本の内容が 書きこみの反映されていない ことから 読んではいないだろう。 岩波の本も 同様に読んではいないだろう。 たぶん キリスト教的なものと なにか有ったのだろうね。
669 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/04(火) 19:06:51 ID:P7OwXDaM
神の国(天の国)....わははははははははははははは.... またキリスト教徒の大きな礎が崩れ落ちそう.... そろそろ強力な接着剤を手配して、補強をしておかないと 落ちますよ.... 神の国についての聖句を一発 ルカ福音書18/29−30 イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、 両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後 の世では永遠の命を受ける。」 **これもどう考えても、死んでから行くところではないだろね
670 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 19:18:57 ID:H3s9Oa1D
>キリスト教の基盤である旧約聖書では、霊魂不死も死者の復活も認めていない。 >キリスト教の「主なる神」とは、イエスを初めすべての人間を創造した旧約の >神以外にはない。その意味で、キリスト教徒は、神の最大の冒涜者であることは >明らかである。 旧約聖書を基盤にしているといっても、イエス時代のユダヤ教の 律法や預言者や詩篇の解釈が基盤となっているといったほうが正しいでしょ。 律法や預言者を信じる当時のユダヤ教徒の中にも復活信仰を持っている人達もいたわけだし。 霊魂不滅については、当時のユダヤ教にもそういう思想があったと考える学者もいるけど、 はっきりしたことはわかんないけど。 つまり旧約聖書が基盤になっているといっても、イエスや初代教会の旧約聖書解釈が 基盤にあるというということであって、復活信仰は冒涜でもなんでもないんじゃないの?
671 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 19:37:06 ID:yqCTb8jY
>>668 >(オレは 「ニーチェ」「スピノザ」を全然知らないけど)
すべてのキリスト教徒は、旧約、新約聖書と共に、スピノザとニーチェ
は読むべきでしょう。さもなければ、人間が片輪になるどころか、人間
ではなくなってしまいます。聖書の「真の理解」に役立ちます。
最新の入門書としては、下記がお勧め。
「スピノザの世界(神あるいは自然)」(上野修著、講談社現代新書)
「キリスト教は邪教です!」(ニーチェ著、講談社+α新書)
(ニーチェの「アンチクリスト(反キリスト者)」の現代語訳で、「超
訳」として極めて読みやすい。)
672 :
キュロス :2005/10/04(火) 19:51:03 ID:4GCXim+U
まあ 当時は 終末思想が有ったことは確かなんだよ。 終末以降の 新しい天地がある ぐらいまでだろうね。 まあ この点に関しては ココモ博士並に 研究したことが無いけど。
673 :
aoi :2005/10/04(火) 20:07:40 ID:c8YyUZyn
>>669 >神の国(天の国)....わははははははははははははは
いつも馬鹿笑い、馬鹿の証拠だ。
>神の国のために、家、妻、兄弟、
両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後
の世では永遠の命を受ける。」
>**これもどう考えても、死んでから行くところではないだろね
矢張り馬鹿笑いの馬鹿だね。
「神の国のために」、つまり神の国に入るために、・・捨てた者は
この世で報いを受け、後の世で命を受ける。ということは、
命を受けてこそ、神の国なのだ。つまり神の国は後の世に
あることにほかならない。
きみは日本人かな? 日本語をもっと勉強することだね。
>>640 って、単純に、ありゃ創価だろう。
連中、学会、というよ池田大作に洗脳されてるもんだから、
思考停止している彼等は、池田あたりがキリスト教を批判すれば、右に並えで、
ろくにキリスト教を知りもしないで批判する。
連中、仏教徒のつもりらしい(大爆笑)
連中、キリスト教はおろか、仏教もしらないのには笑える。
こちらは創価など相手にもしてないのに、
一方的にキリスト教に、悪意をぶつけてくる彼等は、本当に迷惑だ。
そうそう、こないだの選挙も、公明党お願いします。なんてきたけどさ。
公明党の政策とか聞いても誰も答えられないわけ。
連中、単に学会から言われたからやってるだけ、連中、学会から言われたからキリスト教を批判しているだけ。
見事な思考停止ぶり。いや〜、宗教って怖いですね。
675 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 20:26:44 ID:OIXm5nga
>>669 >イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、
>両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、
>後の世では永遠の命を受ける。」
>**これもどう考えても、死んでから行くところではないだろね
ん?これは来世の事を言っているように聞こえるがね。
後の世とは、今の世の事を言っているんでは無いんだよ。
676 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 20:41:00 ID:OIXm5nga
なんか唯物論的に無理クリ聖書を解釈しようとしている人達がいるようだけど、 よくそんな不毛な事に時間をさけるのか、感心するよ。 唯物論的に聖書を解釈したって、何の役にも立たないだろう? 唯物論がこの世の真理だと思うのなら、宗教など目もくれず、研究するなら研究するで もっとほかのことに目を向けるけどね。すくなくとも、お利口さんならそうすると思うんだけねー。
677 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 21:16:59 ID:sXZopKOx
>>675 >>イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、
>両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、
>後の世では永遠の命を受ける。
これって間違いなく「悪魔」の言葉だね。イエスって実は悪魔だったんだね。
キリスト教が、超カルトであり、邪教である証拠。
678 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/04(火) 21:28:11 ID:P7OwXDaM
>>675 お前さん日本語読めないの?
神の国の為に****するものは誰でもと言えば、
対象物の「神の国」はこの世の物だろうし、そのもの
には「この世ではその何倍もの報いを受け」そして
「後の世(あの世)では永遠の命を受ける」だろ
何に対して何々と言う文法が理解できないんじゃないの?
あの世で得られるものは「永遠の命」だろ....
「神の国」と「永遠の命」を混同してない?
「神の国」が後の世の存在だったら、この文章は成り立たない
と思わないのだろうか....笑いすぎてお腹が痛いw...
後の世の存在の物の為に家族を捨てたものが、何でこの世で
報酬を貰う事になるんかねぇ....つくづくキリスト教徒は
アホばっかりの団体だw....
679 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 21:29:58 ID:dX5JmvpG
私は罵倒と荒らしが渦巻くこのスレが好きです。
680 :
キュロス :2005/10/04(火) 21:33:40 ID:jbLxSepT
唯心論 世界の本体を精神的であるとする立場。 認識論上での観念論の意味でも用いられるが 普通では 形而上学上の一立場。 プラトン ライプニッツ ヘーゲル らはその代表者。 広辞苑より
681 :
キュロス :2005/10/04(火) 21:41:01 ID:jbLxSepT
ココモ博士は 自称だけども一応は 技術系(理工系)の仕事の人なんだよ。 それでだ その手の人に ものを説明するには 論理的に根拠を 上げて 説明しないダメだよ。 その様に説明すれば 彼は 納得するはずだ。 オレも そうだが 技術系(理工系)の仕事の人は 論理によわいのです。 以心伝心的なものは 受けつけない。
682 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/04(火) 21:41:11 ID:P7OwXDaM
続き.... いいか...この文章は、家族や両親や子供達を捨てて「神の国」 と言うコミュニティ(多分教会の事)の為に尽くした者は、この世で 過分の報酬を受け、あの世では「永遠の命」に授かるだろう... と言う常識的な頭の人が読めば難しくも何ともない文章だよ
683 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/04(火) 22:02:36 ID:8YcKpl/e
>>682 ココモ先生
> いいか...この文章は、家族や両親や子供達を捨てて
ここのところは、普通は字義通りとらないと思いますよ。「そのくらいの気合をもって」ってことですね。
>>677 肉親については、釈迦も同じようなことを言ってるんだねー。これが。
おまえの理屈では、仏教も立派なカルトになるわけだ。
で、おまえが自称仏教を名乗る創価なら、余計に笑える話しだ。ワッハハ。
なぁ、仏教も立派なカルトだよな〜。あ〜ははは。教えてくれや、低脳君。
685 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 22:09:25 ID:tcyZzoVo
信仰的な見地からすると、ココモの論は破談している。論理を構築する土俵が違う。 聖書を常識という建前で最も都合良く加工する論理を展開する人。 更に手段を選ばない詭弁屋。
686 :
キュロス :2005/10/04(火) 22:25:30 ID:7usU6tl5
救いの彼岸化を しているのは ヨハネ福音書だけだと思いますよ。 それと キリスト教の宣教は ユダヤ教の枠外に出ることなんだよ。 だから ユダヤ人から見れば 異邦人になることを 意味するのですよ。 一人だけで 改宗することは 家族を捨てる事を 意味したろうね。 ユダヤ人のサマリヤ人観を見れば 異邦人より 蔑視されたかも知れないよ。
687 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 22:29:13 ID:tcyZzoVo
ココモはキリスト教カルトからココモスキー的聖書理解への救いへと導くことをライフワーク的趣味として日々研鑽、啓蒙している。
688 :
キュロス :2005/10/04(火) 22:29:17 ID:7usU6tl5
>それと キリスト教の宣教は ユダヤ教の枠外に出ることなんだよ。 ではなく 「それと キリスト教の宣教師となることは ユダヤ教徒で有ることをすてる」 だな。
689 :
キュロス :2005/10/04(火) 22:31:26 ID:7usU6tl5
ココモ博士の 2〜3年前を知っている人が居れば 彼もずいぶん成長したな と思うはずだ。
690 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/04(火) 22:34:27 ID:8YcKpl/e
>>686 キュロスさん
あがとうございます また 一つ勉強になりました。
691 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 22:43:19 ID:H3s9Oa1D
確かに成長した。 しかし傲慢さも急成長した感じだな。
692 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 22:43:48 ID:AEaDa/dJ
>>683 「字義通りとらない」などと、聖書の都合の悪い言葉は、信者が勝手に改変
できるのですか。「そのくらいの気合をもって」家族を捨てることになれば、
お終いではないですか。取り返しの付かない不幸を家族にもたらします。
それでも自分だけは救われたいのなら、それこそエゴの塊。そもそも、最も
身近な者たちを不幸にして、自分だけの救いや幸せなどあり得ないのです。
ましてや、「人類の救済」など笑止千万です。
イエスは家族否定の言葉を何度となく口にしていますね。これでもイエスが
「悪魔」ではないと言うのですか。
なお、釈迦も、親鸞も、道元も、家族否定の態度や言葉を表明している。宗教
の「病理」であり、人間界にとって有害そのもので、抹殺されるべきであるこ
との最大の理由です。
693 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 22:56:06 ID:KLsxFAvu
>>692 凡夫は黙っていろ。
何も知らないくせに、ピーチクパーチク吼えてんじゃないよ。ド低脳がww
694 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 23:11:59 ID:KLsxFAvu
>>678 >「後の世(あの世)では永遠の命を受ける」だろ
わかってんだったらいいじゃん。
ところでさ、
>イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、
>両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後
>の世では永遠の命を受ける。」
の文章はさ、神の国、天の御国とは、永遠の命を得た人達の住まう国、
場所のようなもの、または永遠の命を得た者達の例えだと解釈すれば、別に死んだ
後に行く、永遠の命を得た者達が行く新しい世界とも取れるわけだ。
そう解釈する者達にとっては、神の国は、死後に存在すると見てもおかしくないよな。
それに、神の国がこの世の事なら、わざわざ
>両親、子供を捨てた者はだれでも、”この世”ではその何倍もの報いを受け
などと、”この世”などと呼ばなくとも、神の国、もしくは、そのような者にとって
この世は神の国となり、といい直した方がすっきりするわけだ。
おまえの解釈は無理があるって事に気付いてるかい?
695 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 23:13:49 ID:KLsxFAvu
ところで、バカモスキーよ。 今のキリスト教徒はいいかげんアホだが、イスラム教徒はもっとアホだよな。 どうだ、答えろ。いますぐ答えてみろ。
696 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 23:23:00 ID:KLsxFAvu
なぁ、バカモスキー。 ノストラダムスって知ってるか?なんか予言詩を残した人。 でさ、その予言詩は非常に抽象的で、どうとでも取れる、いろんな解釈ができる 文章が並んでいるわけさ。でさ、ノストラダムスの解説者が 勝手気ままにこの詩の意味はこうだと、自分の好きなように解釈して能書き垂れてるわけ。 おまえも同じことをやってるんだよ。 ましてや、聖書内容は、どう考えたって唯物論を真理としていない書物だ。 それを無理やり、今の常識、唯物論的に解釈して、悦に入っている愚か者達がいる。 それはお前の事だ。おまえ達は滑稽だよ。もっとほかのこと研究した方がいいんじゃない。 無益な事に時間をついやするおまえらは、本当にアホウだね。ケラケラ。 ボケが、誰に意見してやがる。
697 :
名無しさん@3周年 :2005/10/04(火) 23:32:01 ID:tcyZzoVo
この過言スレでノストランなるコテハンで書き込んでたのはココモでしょう。
698 :
aoi :2005/10/05(水) 01:18:03 ID:ReIGIxkW
>>682 >「そのくらいの気合をもって」家族を捨てることになれば、
お終いではないですか。取り返しの付かない不幸を家族にもたらします
イエスの言葉はすべて譬えで語られる と聖書にあるのです。
ここでは、家族を捨てるとは比喩としての言い方で、家族に対する肉的
情を捨てるということです。ですから家族を不幸にすることにはならない。
>自分だけは救われたいのなら、それこそエゴの塊。そもそも、自分だけの
救いや幸せなどあり得ないのです。
ましてや、「人類の救済」など笑止千万です。
もっともな考えです。
だが、神の側からいえば、個人のエゴであろうと、個々が救われること
が必要なのです。
神は「人類の救済」などを人間に望んではいない。それは神が個々に働
いて成就するものであるからです。
かつて宗教を抹殺したソ連、中国において、宗教が復活しつつあることは
宗教が阿片ではなく、真実、活きたものであるからこそ復活して来たと言
えるのです。
充足律と言われようが、原始の時代から自然発生的に、人類が「神」を信じ
始めたのは、神の存在があるからであって、全く無いものを信じ始めること
はできないでしょう。
イワシの頭も信心は、イワシが存在するから、信心が存在する。あはは!
のは
699 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 01:23:38 ID:asVQkREy
燃素(フロギストン)も存在するから信じられた。
700 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 02:55:56 ID:cq2bBmCl
>>698 創造主が人間に与えた家族の情愛や異性間の愛着心は、すべて人間の肉的種族
維持のための肉的な(生物学的な)本能ですよ。あなたは、とんでもない誤解を
をしていますね。他の動物の生態を観察すれば、あまりにも自明ではないですか。
人間も動物の一種であるという、唯一の普遍の事実を忘れてはなりません。動
物分類をご参照ください。
701 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 05:19:46 ID:NTMod/Du
>698 社会主義思想という理想が崩れて、 それにかわる麻薬を手に入れようとしている。 神がいるかいないかは心に問えばよいことだが、 、聖書の神は創作にすぎない。
702 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 08:23:49 ID:iQHTOcM2
>>701 聖書の神様は素晴らしいですよ。
これを超える、視覚的な救いの論理を表すものは無いと思うんだ。
救いの論理を検討してからでも遅くは無いでしょう?ちょっと学んでみてよ。
703 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 09:50:10 ID:HeF9K5Ce
>702 コーランの神様はどう?
704 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 10:32:36 ID:fd+Fszx3
>>700 アホは何度言われても、今の世間の価値観を、
宗教的なことは一切知らず、知ろうともせず、押し付けてくる。
人の持つ原罪とは、こういう人を観察すると、その正体が見えてくる。
自分と価値観の違う人に、自分の価値観を押し付けて、何がしたいんだ?
この邪悪な心の持ち主は。
705 :
aoi :2005/10/05(水) 10:45:04 ID:O0u1U3Rb
>>700 >人間も動物の一種であるという、唯一の普遍の事実を忘れてはなりません。動
物分類をご参照ください。
ナイーヴなことはいいことだ。これから勉強できる余地があるからだ。
人間も動物の一種で、似た本能をもつことは事実だ。
だが、きみの言う「動物分類」では人間は、霊において長じている故に
「霊長類」と分類されていることを知っているだろう。
いいかね、動物には「道徳」はない、人間と動物の決定的な違いは「道徳感」
の有無なのだよ。
で、今の論点は、肉的情が本能であって、それを捨てることは創造者の意思
に反している ときみが考えている ということだ。
だが、創造者は動物と区別して、動物にない「道徳」を、人間に与えたのだ。
今の場合、「道徳」として「自己主義はよくないことだ」と言う意味で、
肉的な繋がりとしての「肉情」を排することが、自己主義を排することに
なる。すなわち、「家族を捨てる」ことに創造者の意思を見ることになる。
単純素朴に、動物と人間は動物分類学的に同じ と考えることは、科学
が精神分野において無知であることを知らない人と言える。
科学は、「宇宙の存在」の背後に「意志」の存在があることに気がつき
かけている。
706 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 10:46:29 ID:fd+Fszx3
>>701 >聖書の神は創作にすぎない。
おまえ、新約読んだ事ないだろう。
707 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 12:28:24 ID:HeF9K5Ce
ここは神がいるとかいないとかそういう話をするスレではないのに、 なぜ粘着し続ける者がいるのだろうか。
708 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 12:43:01 ID:fd+Fszx3
>>707 それは自分のエゴを満足させたいからなんだよ。
そして愚か者は、自分のしている事に気付きもしない。
馬鹿は死ななきゃ治らない。いや、正確に言うと、死んだって治らない(苦笑)
709 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 13:01:56 ID:W7uxjbsH
>>705 「霊長類」などと命名したのは、キリスト教徒の生物学者に間違いない(笑)。
宗教信者でない限り「霊」などとう言葉は使わない。
「動物に道徳はない」などというのは、人間の思い上がりで、勝手に考えた
こと。それぞれの動物も、完全な秩序を保って生存し、種族を維持している
ではないか。そもそも、人間以外の動物は、生きるためでもなく、自他の生
命の防衛のためでもなく、「宗教」のために殺しあったりしない。この意味
で、人間は他の動物にもはるかに劣る、「犬畜生以下」の存在であることを
自覚しなければならない。
厳然として実在する人間と自然以外には、神などこにも存在しない。「意思」
があるとすれば、それは大自然の法則である。科学者は、傲慢不遜にも神など
語らず、謙虚に大自然に沈潜して、その中に法則(神)を見出す。そのために、
科学はいかなる奇跡をも超える進歩を果たし、人類に巨大な利便をもたらした。
一方、宗教は、身の程を忘れて神など思考したために、数千年間何の進歩もな
く、果てしない争いを繰り返すばかりである。宗教では、「改革」の度ごとに、
新たな紛争の原因となる。すべて百人百様の人間の主観に過ぎず、大自然という
確固たる判断基準が皆無だからである。
神(大自然の法則)を見出すことが出来るのは科学であって、宗教ではない。
科学では、検証された真理については、人種、民族、宗教に関係なく、全人類
的な合意が容易に到達されるのに、宗教ではそれが絶対に不可能なのは何故か。
神が人間や自然を作ったのなら、その神は一体誰が作ったのかという疑問が
無限に続く。神が自然に発生したと言うのなら、人間や自然も、自然に発生した
と言っても、ちっともおかしくない。
710 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 13:55:44 ID:LwpdQlqh
この粘着氏は次のどれか。 1.単なる釣り師 2.頭が本当に悪い 3.馬鹿ではないが、キリスト教から受けたトラウマがある
711 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 14:08:48 ID:fd+Fszx3
>>709 別に宗教などなくても、”お前のような者がいる限り”、人は果てしない争いを繰り返すんだがね。
何度言っても頭の悪いお前は理解しない。
>神が人間や自然を作ったのなら、その神は一体誰が作ったのかという疑問が
>無限に続く。神が自然に発生したと言うのなら、
こいつは、自性、無自性もしらないらしい。
「宇宙が始まる前、ビッグバンの前はなにがあったんだろうな〜。」
と、お前が言っているのはこれと同じくらい馬鹿丸出しの事を言っているんだよ。
ここで無知をされけだし続けているお前は、本当に恥ずかしい奴だ。
712 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 14:38:57 ID:Vm79wdCQ
>>711 君は、生命の発生と進化について、ドーキンズやグールドくらいは
読んだのかい?約40億年前のバクテリアとしての生命の発生以来、
「神」などという言葉は一言も出てこないよ。
科学の発達については科学書を読め。大昔の聖書をいくらひっくり返
して読んでみても、わかるわけがない。
713 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 15:12:27 ID:fd+Fszx3
>>712 あほけ、進化論など学説の一つでしかないわ。
しかも現代の科学者も否定的な立場を取る人が少なくない学説の一つな。
おまえみたいのを盲信って言うんだよ。お前は唯物論を盲信しているに過ぎない。
馬鹿だからいくら言っても、意味がわかんねぇだろうが。
ところでおまえIDデザイン説って知ってるか?
おまえ、教養もなさそうだから、知らないだろうな。しかしこの人、何処まで無知を
さらすつもりなんだろう?
714 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/05(水) 20:22:21 ID:for+k6Ow
>>683 >ここのところは、普通は字義通りとらないと思いますよ。
>「そのくらいの気合をもって」ってことですね。
現代で、家族を捨てて教会の仕事をしろって書かれてると、
それこそ社会問題になると思いますよ...それが、僕が
よく言う時代背景を考えてくれと言う事なんですね...
マタイ福音書はイスラエル戦争のすぐ後なんですよ。
「神の国」は教会の事だと言うと、短絡的に「馬鹿にしてる」
と取る輩がいますがね...それまでの「神の国」はユダヤ
の事ですよ、その神の国が崩壊して、大勢の難民があふれ出て
、そこで新たに作るコミュニティが「神の国」なんですよ...
ユダヤ教にしがみついてる家族とは縁を切って、その新しい
コミュニティに身を投じる者は...なんですね
今日のわけの分からない教会に身を投じるのとは違うんだな
新しい社会を築く担い手になってくれと言っても良いでしょう
715 :
キュロス :2005/10/05(水) 21:07:14 ID:eId/460W
寺の墓地に 「X家 代々の墓」 がある場合 X家の長男が キリスト教に改宗する場合 文字通り家族を捨てることを 意味する ような気がする。
716 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 21:20:51 ID:IhXMe2Jm
>>713 >しかも現代の科学者も否定的な立場を取る人が少なくない学説の一つな。
誰が否定してるの?ソースきぼん
717 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 21:21:01 ID:Cjs9i8zP
ココモの自尊心にスパーク
718 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 21:42:07 ID:pIO3SiTg
>>716 進化論なんてまず疑ってかかるのは、今の常識だろう。
生物板でも覗いてこいよ、低脳。
しかし、今度はソース房発揮かよ(苦笑)ガキ丸出し、低脳丸出しだな。
719 :
キュロス :2005/10/05(水) 21:46:44 ID:A5odTO22
>マタイ福音書はイスラエル戦争のすぐ後なんですよ。 >「神の国」は教会の事だと言うと、 >マタイ 18:17 >それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。 >教会の言うことも聞き入れないなら、 >その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。 この 記述からすると 教会は 存在しているようだ。 >マタイ >10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 この 記述からすると 「天の国」は まだ実現していない様だ。 >マタイ >12:28 しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、 >神の国はあなたたちのところに来ているのだ どうも 教会と神の国とは 違うようだ。
720 :
キュロス :2005/10/05(水) 21:50:21 ID:A5odTO22
>>714 たぶん 教会=神の国 説は キリスト教神学だよ。
バルトか何かで読んだ気がする。
721 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/05(水) 21:54:17 ID:UwDb8Xz1
>>714 ココモ先生
>>715 キュロスさん
本当にありがとうございます。
これから聖書を読みます。後ほどまた書き込みする予定です。取り急ぎお礼まで。
722 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/05(水) 22:54:47 ID:UwDb8Xz1
マタイ19;27 ペテロが言った「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何を いただけるのでしょうか」 このあとイエスが受難のことについて話します。 わたしはなにも捨てることのできない 人間の為、十字架にかかるイエスを重点的に読んできてました。 当時の歴史、背景等を学ばなくてはイカンとまたまた痛切に感じました。
723 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 22:59:02 ID:0Gbz/nYN
724 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/05(水) 23:04:44 ID:for+k6Ow
>>719 マタイ福音書に出てくる32箇所の「天の国」は、尽く
ルカ福音書では「神の国」です。
マタイ福音書に出てくるえ5箇所の「神の国」は、尽く
ルカ福音書では「神の国」です。
強いて言うのであれば、マタイ教会とルカ教会では社会
背景が違うのだと思います。まだできたてのキリスト教会
ですから、あまりしっかりしたものが出来てないんだと思
います。特にマタイの場合は敗戦直後で...これから
コミュニティのアイデンティティを作るところですから...
725 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/05(水) 23:17:38 ID:for+k6Ow
>>724 続き
マタイ8/11
言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国で
アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。
ルカ13/28
あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者
たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されること
になり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。
なんて言うキリスト教会が喜びそうな「天の国」もあるんでね
726 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/05(水) 23:46:31 ID:k5U2Vo/U
悪しき者は語った。 子ある者は子について喜び、財のある者は己の豊かな財 について喜ぶ。人間の喜びとは執着するよりどころによって起こる。 執着するよりどころの無い者は、実に喜ぶ事はない。 幸せな者は答えた。 子ある者は子について憂い、財ある者は財について憂うのだ。 人間の憂いは執着するよりどころによって起こる。 実に執着するよりどころの無い者は、憂うこともない。 そこで悪魔、悪しき者は、「幸せなかたは、私の事を知っている。私の事を良く知っているのだ」 と気付いて、打ちひしがれ、憂いに沈み、その場で消えうせた。 執着する心それはなにから生ずるのか。それは感官から受ける刺激の、快を求める心の働きである。 人は知らずに無意識に、この感覚は好き、かの感覚は嫌い。この感覚は善、この感覚は悪 などと潜在意識に条件付けを行なっている。この潜在意識に植え付けられた条件付けがエゴを生み この感覚から快を求める心の働き、(執着)が、さらにこのエゴを増長する。 これこそが人を汚している。善と悪に汚されるとは、この事を言っているのだ。 自分の命(この世の)を憎まない者は、神の国をみない。 この感官とはなにから生ずるのか。無論この肉から生ずるのである。
727 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/05(水) 23:50:48 ID:k5U2Vo/U
ここの連中は、なぜイエスが、家族を捨てなさい。 父と母を憎まない者はわたしの弟子であることができない。 などと言ったのか、その真意を知る人はいないだろうね。
728 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/06(木) 00:18:30 ID:g/5+pFqY
獣は、この感官から受ける刺激による快、不快によって行動し。 この感官から受ける快、不快から生じる、本能のまま、己のエゴに従って生きる。 言を持たない彼らの意識は、この感官によって生じるもののみで、 この感官が消滅すれば、つまり死に至れば、彼らの意識は、何も残る素因がない。 霊を持たない彼らは、無に帰するだけである。塵から生まれたものは塵にかえるだけである。 命を得られるのは言葉で思考することが出来る人間だけであるが、獣と同じく本能のまま、つまり 己のエゴのまま生きる者は、獣と同じである。命を得ない人間は、ただの獣と同じである。 人の身体は獣と同じである。どちらも同じ素因によって生まれ、そして同じく塵に帰る。
729 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/06(木) 00:37:21 ID:g/5+pFqY
この世は悪しき者が支配した。神はそれを許したのである。 禍だ、神なき者達よ。 おまえ達は滅び行く肉体と牢獄の中で望みを抱くのだ。 いつまで眠っているのか、いつまで滅び行かざるものを、滅び行くものと思っているのか。 おまえ達の神は、お前達の命なのだ。お前達の望みはこの世に置かれ、 お前達の魂を腐らせる。 たとえ世界を手中に収めた偉大な王であろうと、やがて来る死には、屈するのだ。 世は死が支配する。世に生きる者は、死の呪いから逃れる事は出来ない。 ところでaoiさんよ。あんた、70年も聖書に親しみながら、地獄がどこにあるのかも知らないのか(苦笑)
730 :
aoi :2005/10/06(木) 11:48:34 ID:vHH7hban
>>729 腐肉喰らいのカラスくん
>あんた、70年も聖書に親しみながら、地獄がどこにあるのかも知らないのか(苦笑)
あはは、 「地獄の沙汰も金次第!」って言うだろ。
金を積んでるおれには、地獄にゃ縁がないのだよ。
イエスは「天に金を積め」という、天国貯金で天国旅行
が出来るってもんだ! あはは
731 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/06(木) 20:47:52 ID:UHROR3e3
>>730 >イエスは「天に金を積め」という、天国貯金で天国旅行
>が出来るってもんだ! あはは
その銀行大丈夫?金融監督庁の審査受けてる?
債務超過で破綻しかけてるんじゃないの?
マタイ6/19−21
マタイ教会はそうとう、財政難だったんですかね
732 :
キュロス :2005/10/06(木) 21:37:21 ID:lmzCYW3B
>マタイ >16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。 >あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。 >あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 >イザヤ 22:22 >わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、 >彼が閉じれば、開く者はないであろう この二つの話しに 関連が有るように思えたので イザヤ22章30節〜25節 を読んで見たら 「その日」が20節と25節に 二回出てくる。 20節の「その日」と 25節の「だが、その日には」 同じ日だとすると 同じ日に かなめが抜かれ 新たに かなめが打ち込むちこまれる のだろうね。と一応 予防線を張っておいて。 天の国の鍵 と ダビデの家の鍵 は関連があるのだろうか?
733 :
キュロス :2005/10/06(木) 22:04:26 ID:Sdu9gLIt
>>732 >マタイ福音書
>11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
>休ませてあげよう。
>11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
>そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
>11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
新たに 打ち込まれるかなめは イエスだね。
ぬかれる かなめは 何ですかね
旧約律法のことでは ないだろうね。
>マタイ
>5:17 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
>廃止するためではなく、完成するためである。
マタイ福音書では 軛 と 重荷 という比喩を使っているから イザヤと
関連付けていると思うのだけどね。
734 :
キュロス :2005/10/06(木) 22:18:33 ID:Sdu9gLIt
>>733 は ちょと 考えすぎたようだ。
まあ 普通に考えれば 抜かれるかなめは ファリサイ派だね。
735 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/06(木) 22:29:01 ID:UHROR3e3
>>732 >天の国の鍵 と ダビデの家の鍵 は関連があるのだろうか?
ダビデの家の鍵の意味を調べてください。イザヤ書の方のあらすじ
はBC700年頃エルサレムがアッシリアに包囲されるんですが
奇跡的にアッシリア軍は撤退します(この辺の事情はよく分かってない)
エルサレムの町は浮かれるのですが、イザヤは厳しく警告します。
それが22/1−14の歌です。
その中でヒゼキアは専横してきたシェブナを罷免して、エルヤキムを
書記官に任命します。
そのときに示されたのが22/22の言葉です。
ところがイザヤはこの交代劇を小手先の事で、無駄な事
だと批判します。それが22/25です。
これが22章のおおよそのシナリオです。
僕は意味合いが全く違う(イザヤの方は形式的に言った事
だと思う)ので、マタイの編者はこの部分を思い浮かべて
はいないと思います。
マタイの方は、マタイ教会がエルサレム原始教会の教派を禅譲
した(異教徒教会と一線を置く)事の宣言じゃないかと思います。
736 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/06(木) 22:32:38 ID:UHROR3e3
>>735 訂正
ごめそ、735の禅譲は継承に訂正します。
マタイの方は、マタイ教会がエルサレム原始教会の教派を「禅譲」
禅譲ー>継承
737 :
aoi :2005/10/06(木) 22:58:31 ID:vHH7hban
>>731 ははは、イエス銀行は破産することはない。
コインの刻印は「愛」であって、「カイザル」ではないのだ。
カイザルのものはカイザルに返せってね。あはは!
738 :
キュロス :2005/10/06(木) 23:30:21 ID:UuHcb9vM
マタイ福音書16章19節の つなぐ 解く は 神との関係だと思うよ。 神との関係を 地上でつなげば 天でもつなぐ 神との関係を 地上で 解けば 天でも解く だと思うのだ。 それと イザヤ22章20節〜25節は たぶんこれのことだろう。 >列王記 >23:34 ファラオ・ネコはヨシヤの子エルヤキムを父ヨシヤの代わりに王とし、 >名をヨヤキムと改めさせた。 >一方、ヨアハズはエジプトに連れて行かれ、そこで死んだ。 >歴代誌 >36:4 他方、エジプトの王はヨアハズの兄弟エルヤキムをユダとエルサレムの王とし、 >その名をヨヤキムと改めさせた。兄弟のヨアハズはネコに捕らえられ、 >エジプトに連れて行かれた。 イザヤの鍵は イザヤ26章20節〜21節 に出てくる その日の混乱から 逃れる 部屋の扉のことかな。 だとすると マタイの鍵は 終末時の混乱からの 逃れ所 と言う意味かもしれない。
739 :
aoi :2005/10/06(木) 23:53:58 ID:vHH7hban
>>732 クロスさん
>天の国の鍵 と ダビデの家の鍵 は関連があるのだろうか?
同じことを意味していますね。エリアキムはペテロに該当します。
問題はペテロの意味ですね。イエスはシモンを岩(ペテロ)と名付けた。
つまり、イエスはシモンに岩のような「信仰」と言うレッテルを貼り付けた。
その証拠にペテロは鶏鳴三度、イエスを否んだ。
甦りのイエスは、三度「私を愛するか?」と言い、ペテロの信仰を信じな
かった。
つまり、イエスは人間としてのペテロでなく、レッテルである岩の「信仰」
の上に教会を建てると言われた。
そして、岩の「信仰」に天を開く鍵を与えられたのである。
それゆえに、イエスが、人間ペテロの上に教会を建てるとカトリック
が解釈したことは誤りであって、イエスは「固い岩の信仰」の上に
教会を建てると言われたのである。
740 :
名無しさん@3周年 :2005/10/07(金) 00:02:02 ID:I1Fi6rqs
741 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/07(金) 00:29:42 ID:oyrJeKNQ
>>738 ヨシアの子のエルヤキムとは60−70年ずれてるよ...
別人だよ...
742 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/07(金) 00:58:29 ID:oyrJeKNQ
ペテロの2つの顔... キリスト教徒は福音書のペテロしか知らないから、勝手な 想像をするけどね...使徒言行録やパウロ書簡のペテロ (ケファ)の方が僕は実際に近いと思うよ... つまりエルサレム原始教会の初代宗主であり、パウロやアポロ と並ぶ実力者であり(コリント書簡)...パウロはそのペテロ の噂を聞いて会おうとして、不在でヤコブにあったんだよ 福音書のペテロはそうとうにデフォルメされたものだw... 天国の鍵の話はマタイしか描いてないんだな...まぁフィクション だろうけど...天国の鍵ってなんだい...もちろん比喩的な はなしだろうし、何でそれがペテロと言う現実の人間に渡された シナリオになるんだ...これはペテロと言う人間が地上の コミュニティの初代代表者として認定されたと言う事でしょ... それで、それがマタイにしかないという事は、マタイ教会が ペテロを地上のコミュニティの初代代表者として認定した と言う事でしょ...イエスが死んでから40年以上経って ね、大きな戦争があってね、ペテロも所在不明なんだw... ペテロが代表者だった原始教会も実質無くなってるんだw
743 :
名無しさん@3周年 :2005/10/07(金) 08:44:26 ID:41RMk93Z
イザヤ書は難解、つまり奥が深い。理解には見通す目が必要だ。 ココモスキーは浅く読むだけ。本筋とは関係ない背景を論じているに過ぎない。
(イザヤ書は、コーランを読んだ後だとすらすら頭に入る。。)
745 :
名無しさん@3周年 :2005/10/07(金) 12:48:17 ID:41RMk93Z
>>744 そのハンドルで、なぜコーランを鍵とするのか。
コーランって何?
>>745 神はイスラエルに限らず各民族にそれぞれ使徒を必ず遣わしたが、みな信じようとしなかった。ゆえに神は多くの諸民族を滅ぼし、幾度も民族の交代をはかってきた。
イザヤ書の各民族への恐ろしい託宣、、その恐怖の風景が上述のコーラン(聖クルアーン)にこだましている。。
747 :
aoi :2005/10/07(金) 13:30:19 ID:A0HVW5dZ
このスレッドは聖句解釈スレッドなるゆえに、論議の進行において、 聖句解釈の土台として私のスタンスを説明しておこう。 私の言う「聖句」とは、原則として、預言者の言う「神が言われた葉」あるいは、黙示において「神の示した言葉」、そして「イエスの言葉」を意味している。 「聖句」の解釈においては、聖句自身において、解釈の基準が示されている。即ち 1.ヨハ6:63「私が話した言葉は霊であり、ま た命である」と。 言い替えるなら、(人間としての)言葉の中に 霊(的意味)を持っているということである。 言うなら、聖句は、「言葉」という肉体に包まれてその中に、「霊」と言う心を持っていると 言えよう。 2.マタ14:34「イエスは譬えによらないでは何事も彼らに語られなかった。」 と言うことは、聖句は原則的に「譬え」で語られている ということである。 次に「聖句」の解釈の基準として大いに「参考」にすべき、聖句を述べよう。 1.マタ13:35「私は口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語ろう」と。 つまり、「聖句」は譬であること、そして、創世記以下、隠されたこと、詩篇78:2によ ればナゾを語るとされているのである。 2.ヨハ5:46「モーセ(五書)は私について書いたのである」と。つまりイエスは五書を モーセが記述したものとし、かつ、イエス(の言動)について書いたものであると、イエスは 証言している。
749 :
名無しさん@3周年 :2005/10/07(金) 13:53:16 ID:kKyMAX8G
>>747 モーセは、イエスがマリアさんから生まれた日の1000年も前の人ですよ。
そのモーセがイエスのことを知ってるわけがないでしょう。
統合失調症患者の症状としての、イエスの妄想以外の何物でもない。
あなた方は、精神病者の妄想を信じ込まされていることを、まず自覚して
ください。
750 :
名無しさん@3周年 :2005/10/07(金) 14:40:52 ID:t2/eb1bQ
746はムスリムか、バハイ教徒だな。
751 :
aoi :2005/10/07(金) 15:36:34 ID:A0HVW5dZ
>>749 >モーセは、イエスがマリアさんから生まれた日の1000年も前の人ですよ。
そのモーセがイエスのことを知ってるわけがないでしょう
預言という意味も分からぬ小学生程度の頭脳だな。
ニートのガキは、雇い手もなかろう。
折角、籠ってる間に ちと勉強するがよかろう。
752 :
キュロス :2005/10/07(金) 18:41:22 ID:3LQp/zv9
>>742 >天国の鍵の話はマタイしか描いてないんだな...まぁフィクション
>だろうけど...天国の鍵ってなんだい...もちろん比喩的な
>はなしだろうし、
だから 「天国の鍵ってなんだい」 を考える為の 一つの仮説として
マタイが イザヤの 「ダビデの家の鍵」 との関連付けて
いるのではないか?と言っているの。
また その二つの 鍵 を比較するとこで その意味が解るので
はないか? と言っているの。
>>735 >マタイの編者はこの部分を思い浮かべてはいないと思います。
いま 問題としているのは マタイ福音書の記述者達の「イザヤ」
解釈であって アナタの解釈では ないのよ。
アナタが 大声で「マタイ福音書の記述者達は 間違ったイザヤ解釈を
いている」と 主張しても 全く無意味でしょ。
マタイ福音書の記述者達が イエスという出来事を 解釈して
記述した福音書の中で 「天の国の鍵」が 何を意味している
のかを 問題としているでしょ。
753 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/08(土) 01:22:32 ID:CaIlIKv6
>>752 だから「天の国の鍵」は何の事か説明してるだろうが
鍵を与えられるのは常識で考えて統括する団体もしくは国家の管理者だよ...
イザヤではユダヤの国の管理者だろ...
天の国の鍵を授けられるペテロは天の国の管理者だよ...
問題は天の国が何を示してるかだろ...だから地上のコミュニティ
だと言ってるだろが...天の国があの世の物だったら
それを管理するのはイエスのはずだし、岩の上に教会を
建てる事と結びつかないし、その後のペテロが地上で行う事が
の文章とも繋がらないよ...これはペテロが地上で行う事
だよ...それじゃ教会(コミュニティ)の代表者という事だろ
それをイエスから任命されたように描いて、マタイ教会は
実際にペテロが行った事(エルサレム教会の初代指導者)
を承認してるんだよ....
イザヤを出してるのはお前さんの勝手だろうが
マタイ16/18−19
わたしも言っておく。あなたはペトロ。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。<−建物としての教会もしくは教団の基礎
陰府の力もこれに対抗できない。
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。<−初代教会代表者
あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。<−エルサレム教会の事
あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」<−ペテロが行った業
754 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/08(土) 01:35:39 ID:RImyCALh
>>753 この手の話になると、クリスチャンは常識では考えられないほど
暗愚になるんだよ...俺は何回も経験してるよ...
「天国の鍵」の様なクリスチャンにとっての難題をあっさりと予想外
のすっきりした解釈をされると、思考回路が停止すると言う事だよ...
僕はその手のクリスチャンをいやと言うほど見てきたよ...
755 :
名無しさん@3周年 :2005/10/08(土) 03:59:25 ID:hiwBmu+J
予型を否定するココモには全くの論外ってことでしょ。 天の国の管理者になるなのが筋書き。 アダムはエデンの全てを任されていた。名を付けるということはそういうことでしょう。
756 :
名無しさん@3周年 :2005/10/08(土) 10:39:46 ID:pHWAq2Eq
>>753 >あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。<−エルサレム教会の事
意味不明。具体的にお願いします。
>あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」<−ペテロが行った業
さらに 意味不明 「ペテロが行った業」とは 具体的に何をさすの?
明かにキリスト教神学的聖書解釈だと思うよ。
キリスト教神学的聖書解釈の 裏側 なんだよ。
>マタイ福音書
>18:17 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。
>教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
>18:18 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、
>天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
「鍵」は 裁判権なんだよ。
ここでココモスキーは常式聖書分断技でマインドガード
758 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/08(土) 12:24:57 ID:ziKpxA4M
>>756 意味不明なのではなくて、クリスチャンとして到底受け入
れられないと言うことだろ...
具体的な事は使徒言行録の1〜7章に書かれてます。
できれば10回位読み直してチョ
僕は頭が悪いので30回位読み直して、ようやく分かった
んだけどね、ここにペテロの業もエルサレム原始教会の事も
書かれてるよ...パウロはこの教会を何回も「神の教会」
と言ってるね...
何回も言うけどマタイの「天の国の鍵」は
「エルサレム原始教会の指導者」が僕の結論さ
クリスチャンは到底受け入れできないだろね
759 :
名無しさん@3周年 :2005/10/08(土) 12:25:34 ID:mVnYnfIy
783 :やほよろづのかみたち ◆0ryc.81s2s :2005/10/08(土) 11:15:55 ID:XH+vSApx 地上に現れた、「もっとも知的な生物」は、今からおよそ5万年前に出現し、そして滅亡した。 彼等をホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス、俗に「ネアンデルタール人」という。 ネアンデルタール人の脳は1700グラム。これを頂点に、ホモ属の脳は縮小に転じ、ホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類)に至って1300〜1350グラムにまで縮小した。それだけでなく、脳の大半を使わずにいる。 すなわちこれ以上の知性の獲得はもはや遺伝子の自己複製という生物の競争原理に不利なのである。 現生人類は、その知性の重みに耐えかね、知識狩りを得意とするようになった。 中国の焚書坑儒、ナチスのユダヤ思想の根絶やしなど、世界史は知識狩りの歴史で彩られている。 戦争は、その共同体のもっとも心身が優秀な個体を集め、一気に処分する合理的なシステムである。 一神教もまた、知識狩りの合理的システムとして遺伝学的に証明できる。 サロメのカトリック・スレ荒し行動は、知識狩りの現生人類としての本能を観察する典型材料として、とても分かりやすいのである。
760 :
aoi :2005/10/08(土) 12:26:01 ID:YcuKLn3t
>マタイ16/18−19 わたしも言っておく。あなたはペトロ。 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。<−建物としての教会もしくは教団の基礎 >陰府の力もこれに対抗できない。 間違いだらけだね。 イエスは、この「岩」の上に教会を建てると言っている。 「岩」とは 「マタイ 7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、 岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。」 で分かるように、「言葉を聞いて行うこと」つまり「信仰」なのだ。 だから、イエスは「信仰」の上に教会を建てると言ったのである。 イエスは「信仰」の表象としてシモンにペテロ(岩)と名付けただけで あって、 ペテロに信仰があったわけではない。 それは、 ペテロは、イエスに「サタンよ、退け!」と言われた。 ペテロは、鶏が三度鳴くまで、イエスを否定した。 ペテロは、甦ったイエスに、三度にわたり「私を愛するか?」 と疑われた。 等々、で分かるように、イエスはペテロの信仰を認めてはいなかった。 イエスはペテロの上に教会を建てるとは言われなかったのである。 ゆえに、エルサレムの原始教会の中心はイエスの弟ヤコブであった。 ペテロはあくまで長老であった。
761 :
名無しさん@3周年 :2005/10/08(土) 12:37:28 ID:pHWAq2Eq
>>758 二本のロープを「むすぶ」ことで 一本にする。
その 二本のロープをむすんで一本にしたロープの
むすび目を 「解く」と 事で 二本に戻る。
契約を むすぶ その契約を 解く
>>あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」<−ペテロが行った業
ペテロは 何を 解いたの?
>>759 おもしろい偶然ですね。でも視野狭窄な短絡結論でしかない。
ココモ逃亡寸前
764 :
aoi :2005/10/08(土) 12:50:00 ID:YcuKLn3t
>>758 バカモスキーくん
>何回も言うけどマタイの「天の国の鍵」は
「エルサレム原始教会の指導者」が僕の結論さ
クリスチャンは到底受け入れできないだろね
聖書は信じてこそ、分かるのだよ。
ノンクリに聖書が分かるわけはない。
それすら分からぬバカモスキーくん
くだらぬ講釈は時間の無駄というもの
きみのために惜しむ。
765 :
名無しさん@3周年 :2005/10/08(土) 13:56:11 ID:hiwBmu+J
信仰が増すほど裸に近付き 信仰を失うほど肥える。 アダムの行動にみる。
766 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/08(土) 14:13:18 ID:WDgEFtJ3
>>759 カンボジアのポルポト政権もそうだろ...
カンボジアの人口が400万−>150万に減少したそうだよ
>>764 そういう御仁は幸せですね...早く安楽な生涯を終えられる
様に...エルサレム原始教会なんて言っても何の事かチンプン
カンプンなんだろ...知らないでいる方が幸せだよ...
わはははははははははは...それがキリスト教徒さ...わははは
はははははははは
767 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/08(土) 16:19:01 ID:jRGZV8Y6
>>760 >イエスはペテロの上に教会を建てるとは言われなかったのである。
>ゆえに、エルサレムの原始教会の中心はイエスの弟ヤコブであった。
>ペテロはあくまで長老であった。
ペテロはAD40年頃までエルサレム教会のリーダーだったみたいですね(使徒1−7章)
ペテロが表看板から身を引いたのは、指名手配犯だったからでしょ。(使徒11章)
ヘロデの警察権力に拘束されて、奇跡的に脱走するんですが、その後ヤコブ
達に連絡して遠地へ逃亡してるでしょ(使徒12章)...エルサレム教会
の指揮権をヤコブに委ねたのはこのときからだと思いますよ...
それにしてもキリスト教会と言うのは、聖書をロクスッポ読まずに
勝手に都合の良い解釈をするものですね....笑いすぎてお腹が
痛い
768 :
キュロス :2005/10/08(土) 17:46:09 ID:cfvjawFk
>使徒言行録
>11:2 ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、
>12:3 そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、
>更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった
>>767 >ペテロが表看板から身を引いたのは、指名手配犯だったからでしょ。(使徒11章)
ペテロを エルサレムから追放したのは ヤコブを長とする 割礼の有る者 たちだぞ。
>ヘロデの警察権力に拘束されて、奇跡的に脱走するんですが
ペテロが脱獄できたのは アンティオキア教会が絡んでいる。
たぶん 賄賂だ。
>その後ヤコブ達に連絡して遠地へ逃亡してるでしょ(使徒12章)
ペテロは 親しい仲間達に合っただけで ヤコブと合っていない。
割礼と食物規定に保守的なヤコブ達との対立が 決定的になったのだろう。
>>使徒 12:17 ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、
>主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、
>「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
769 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/08(土) 19:49:30 ID:f9P04s3f
第20ラウンド位 >ニ-チェと言うキリスト教の牧師の家庭に生まれた人が >書いたキリスト教は邪教ですと言う本が日本語に翻訳されて売られてます。 ニーチェのキリスト教批判は有名ですよ...僕も面白い人間が いたんだなぁと思ってます。かなり鋭いところを突いてます。 >キリスト教の本質は人間の考える力を破壊し、 かなりあたってます。相当思考力がある人でも、長年の思いが 崩されそうになると幼児的思考力になります。もともと大した 思考力のない人は、全くの石みたいになります。 >元(原)罪の力で人を支配する事にあるようです。 教会は明らかに、信者を支配する為に原罪を教義としてます。 >そして教義の構造上どうしても戦争を必要としてしまうところに問題がある様です。 > まあ、いわゆる排他性を言ってるんだろうと思いますが、教義が崩されると 幼児的思考力になるのと関連してると思います。
770 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/08(土) 19:59:39 ID:f9P04s3f
>>768 >ペテロが脱獄できたのは アンティオキア教会が絡んでいる。
>たぶん 賄賂だ。
素晴らしい推理力ざんすね
>ペテロを エルサレムから追放したのは ヤコブを長とする
>割礼の有る者 たちだぞ。
わははははははははは、お腹が痛い...
それじゃ使徒会議にペテロは何で参画したんざんしょ...
しかもヤコブの書簡で異邦人への割礼は廃止されてるしね...
妄想でいろいろ推理するのは勝手だけど御貴殿も
総合失調症かい...
ところで「天の国の鍵」はこの「エルサレム原始教会のリーダ」
と言うのは、どうなったの...
何処かの馬鹿は、ペテロはイエスの命によりリーダではない
って言ってるけど...
771 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/08(土) 20:09:22 ID:XOhe8cmL
続き... これが、ペテロと対立して追い出した人の発言なんざんすかねぇ エルサレムの原始教会ってそんなにキリスト教会にとって迷惑な 存在なんすかねぇ 使徒15/13−16 二人が話を終えると、ヤコブが答えた。「兄弟たち、聞いてください。 神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び 出そうとなさった次第については、シメオン(シモン・ペテロ)が話して くれました。 預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いて あるとおりです。 『「その後、わたしは戻って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。 その破壊された所を建て直して、元どおりにする。 それは、人々のうちの残った者や、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、 主を求めるようになるためだ。」昔から知らされていたことを行う主は、 こう言われる。』 該当箇所がありません それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませては なりません。 ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、 血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。
772 :
キュロス :2005/10/08(土) 20:30:47 ID:P7o6bZfk
>>770 マタイ福音書の記述を ルカ文書で 解釈 することが
邪道なんだよ。
その手法は もう時代遅れなんだよ。
最近は 文学批判研究 神学批判研究 なんだよ。
歴史批判研究を 否定はしないけど。
ルカ文書を用いて マタイ福音書の記述を解釈する場合は
ルカ文書の 文学批判 神学批判 歴史批判 をしなければ
意味が無いのよ。
アンタの好きな ローマ帝国の御用歴史家 の文書も同様にね。
773 :
キュロス :2005/10/08(土) 20:38:06 ID:Wju55uRN
>>753 >あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」<−ペテロが行った業
のアンタの回答が
>>758 の
>具体的な事は使徒言行録の1〜7章に書かれてます。
774 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/08(土) 21:09:04 ID:gm/XRQgE
>>772 >マタイ福音書の記述を ルカ文書で 解釈 することが
>邪道なんだよ。
>その手法は もう時代遅れなんだよ。
どこがどの様に邪道なんざんしょ、ルカ文書がパウロ書簡とかなり
食い違ってて、バイアスが一杯かかってる事は常識だけどね...
それで、「天の国の鍵」が、ペテロが最初に作った教会の事かどうかの
検討材料にはならないという事ではないだろ...ルカ文書が分かり
やすいから使ってるだけで、パウロ書簡から説明してもいいよ...
僕の結論は変わらないよ...
コリント15/7−9
ケファ(ペテロ)に現れ、その後十二人に現れたことです。
次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。
次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、
そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
わたしは、「神の教会」を迫害したのですから、使徒たちの中でも
いちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。
この「神の教会」がマタイの言う「天の国」さ...
これは明らかに「エルサレムの原始教会」ざんす
775 :
キュロス :2005/10/08(土) 21:27:28 ID:Q/YXZAdl
>>774 >ところで「天の国の鍵」はこの「エルサレム原始教会のリーダ」
>と言うのは、どうなったの...
いまどき こんな主張しているのは カトリック保守派だけだよ
マリア共同贖罪なんて 言い出すなよ。
776 :
名無しさん@3周年 :2005/10/08(土) 22:23:38 ID:hiwBmu+J
おなじ土俵にはなりえないのだ。
777 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/09(日) 07:48:55 ID:9W8ZQ8w8
>>776 さん
わたしは異種格闘技も好きですよ。ってことでage ておきます。
今日は足元悪いですね お気をつけて行ってください。
778 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 11:06:07 ID:SDktJqB6
底無し泥沼試合と評す。 ココモの信念が固いのはともかく、汚物を吐き投げることが嫌。悪意が感じられる。
779 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 12:01:17 ID:N3wvBjIa
レスに挑発をまじえて語るのが喧嘩の原因になると思う。
780 :
aoi :2005/10/09(日) 13:19:37 ID:IqASNxx1
>>774 >この「神の教会」がマタイの言う「天の国」さ...
これは明らかに「エルサレムの原始教会」ざんす
比喩としての天の国と、天の国を混同する愚かさ。
馬鹿につける薬はない!!
781 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 13:27:16 ID:WBZc+Nfj
いっそ毒を盛ってやる!
782 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/10/09(日) 14:20:17 ID:1FQQbf2v
>>775 >>ところで「天の国の鍵」はこの「エルサレム原始教会のリーダ」
>>と言うのは、どうなったの...
>いまどき こんな主張しているのは カトリック保守派だけだよ
キュロスさん、誤解なさっているようです。
「エルサレム原始教会」と「カトリック教会」とは、まったくの別物です。
初代教会は、改宗ユダヤ人が主なメンバーです。
しかし、カトリック教会は、アウグスチヌスがローマ市民に市民権を奪うという
脅しをかけて、すべてのローマ市民の義務として課した宗教団体のことです。
エルサレムの初代教会がカトリック教会になったのではありません。
そもそもカトリック教会とは、ローマの異教文化の上に成り立ったのです。
この歴史的認識がほとんどの方にないために、カトリック教会に対しての
異常とも思える信仰と崇拝があるのです。
783 :
aoi :2005/10/09(日) 14:35:35 ID:IqASNxx1
>>779 「喧嘩」と火事は江戸の華。見物衆が喜ぶ。
同じ「アホ」なら踊らにゃそん、損!
踊らんかい!!
784 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 14:38:23 ID:RMjblUDG
>>781 なぜですか?
>>782 >エルサレムの初代教会がカトリック教会になったのではありません。
天国の鍵をペテロにお渡しになった、その教会がカトだと思ってました^^;
すみませんが、そのソースは?
785 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/10/09(日) 14:44:18 ID:1FQQbf2v
>>784 >天国の鍵をペテロにお渡しになった、その教会がカトだと思ってました^^;
いえいえ、そのように誤解している人はとても多いです。
カトリック教会は、4世紀まで存在していませんでしたよ。
これは、歴史を学べば明らかなことです。
ペテロは初代教会のメンバーであって、聖書によればユダヤ人伝道の任務を
神から与えられた人物です。
異邦人伝道を任せられたのが、パウロなのです。
ですから、少なくとも異邦人の教会である「カトリック教会」が
ペテロの教会である、というカトリックの主張は聖書の記述とは
矛盾することになります。
786 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/10/09(日) 14:48:48 ID:1FQQbf2v
聖書はカトリック教会が作った、と思っている人もいます。 これは、とんでもなく馬鹿げたお話です。 カトリック教会が出来たのは4世紀なのです。 しかし、聖書の記述者は初代教会のメンバーである、マタイ、マルコ、ルカ パウロたちなのです。 ですから、言うまでもなく、カトリック教会が聖書を作ったのではありません。 平気で、「聖書もカトリック教会が作った」などという主張をする人が 時々2ちゃんねるにも書き込みしているので、困惑してしまいます。 カトリック教会がしたのは、聖書のうち、どれが正典か儀典か、などと 勝手に決めてしまった「編纂」といわれる作業についてです。
787 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/10/09(日) 14:51:44 ID:1FQQbf2v
本当のことを探るためには、どうしても歴史を知る必要があると思います。 他者の無責任な発言を安易に信じ込んでいては、見えるものも見えないままに なってしまうと思います。
788 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 14:55:43 ID:VdXLXkKn
異邦人コルネリウスの回心(使10)を読んでみな。 ココモとダニエルの共通点=自信過剰(=麻原焼香とそっくり)
789 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/10/09(日) 14:58:14 ID:1FQQbf2v
>>788 ペテロはユダヤ人伝道の責任を負っているのです。
これは聖書に書かれていることであって、わたしが勝手に
言っていることではありません。
790 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/10/09(日) 14:59:35 ID:1FQQbf2v
>>788 >ココモとダニエルの共通点=自信過剰(=麻原焼香とそっくり)
あなたの反論自体は評価しますが、上のようなくだらないことを
書き込む品性の無さには辟易します。あなたはクリスチャンではないと思います。
791 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/10/09(日) 15:02:46 ID:1FQQbf2v
>>788 の投稿をした「名無し」の品性のなさ。
投稿内容が自分の気に入らないからといって
わたしばかりではなく、ココモさんをも侮辱しました。
あなたがあなたに相応しい対価を神から与えられますように。
792 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 15:05:32 ID:VdXLXkKn
第一ペトロ書簡4:3−4なんか、改宗異邦人に語りかけているととるのが自然。 ダニエルもココモみたいに、第一ペトロ書簡は真正のペトロの書簡ではない説?
793 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 15:06:29 ID:VdXLXkKn
>あなたがあなたに相応しい対価を神から与えられますように。 脅しかよ(プ
794 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 15:07:33 ID:VdXLXkKn
お前こそ、カトリック教会を誹謗中傷して、カトスレから叩きだされた 鼻つまみもののくせに。
795 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 15:09:04 ID:u0kHnluJ
ココモは侮辱されてもおかしくない侮辱屋ですが。 しかもココモスキーは逃走本能標準装備
796 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 15:13:22 ID:VdXLXkKn
キリスト教侮辱しまくりのココモを擁護するヤツがどうしてクリスチャンなんだ? 謎だ。
797 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 15:42:43 ID:u0kHnluJ
なぜ彼はココモを擁護するのかは大きな謎となっています。 同一人物ではないのかと疑いがあるくらいシンクロしています。 ダニエル氏からココモへの尊敬現象が、ココモ神の存在を予感させます。 ココモ神に通じる何かがダニエル氏にはある、というのが現在の分析。 このスレで自由な聖句解釈ができることが、独自な見解の神論(ココモ神)の 発想へと、共通項があるのでしょうか。共闘の意識かもしれません。 また、ココモが自論のためには何でもありの詭弁屋であることも注意が必要。 ココモ現象の真の狙いがダニエル神論への誘導とも思えるふしもある。 それぐらい不自然な関係でしょう。
798 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/09(日) 16:57:25 ID:BUiXKlF2
ピンポンパンポン 天国行きの列車をお待ちの皆様、まことに残念ではございますが そんな場所はございませんので列車は運行できません。天国などと 言うのは全くのデマです。家に戻られて、皆様の理想の社会を追い 求めてください。それが天国です。聖書にもその様に書かれてます。 ピンポンパンポン 天国行きの列車をお待ちの皆様、まことに残念ではございますが そんな場所はございませんので列車は運行できません。天国などと 言うのは全くのデマです。家に戻られて、皆様の理想の社会を追い 求めてください。それが天国です。聖書にもその様に書かれてます。 ピンポンパンポン 天国行きの列車をお待ちの皆様、まことに残念ではございますが そんな場所はございませんので列車は運行できません。天国などと 言うのは全くのデマです。家に戻られて、皆様の理想の社会を追い 求めてください。それが天国です。聖書にもその様に書かれてます。
799 :
aoi :2005/10/09(日) 17:05:31 ID:IqASNxx1
>>798 これは確信犯だ、地獄行きの護送列車にどうぞ。
800 :
キュロス :2005/10/09(日) 17:07:41 ID:dn/o5DcA
新共同 >ルカ 23:43 >するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと >一緒に楽園にいる」と言われた。 岩波 >するとイエスは彼に言った、「アーメン、私はあなたに言う、あなたは今日(すでに) >私と共に楽園にいるだろう」 この楽園(パラダイス)とは 何か?
801 :
キュロス :2005/10/09(日) 17:33:40 ID:ODCfLv8D
>>799 確信犯というか
彼の想像上のキリスト教を 否定してるだけなんだよ。
聖書の間違い系から出発した人だから 聖書の読み方が
聖書の逐語霊感説を取る人と 同じなんだよ。
その読み方で キリスト教徒の思いを否定しようとするんだよ。
聖書を 素直に聖書学の研究結果を参考にして読むことによって
結果的にキリスト教の教義と 合い入れない結果が導かれる、
と言うのではないんだよ。
802 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 21:05:30 ID:VdXLXkKn
>このスレで自由な聖句解釈ができることが、独自な見解の神論(ココモ神)の >発想へと、共通項があるのでしょうか。共闘の意識かもしれません。 自分らは好き勝手な聖句解釈する垂れ流すくせに、自分ら以外の聖句解釈には 強い拒否反応を示す点では、確かに狂等の意識だね。
803 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/09(日) 21:40:45 ID:xDf0idQB
第21ラウンド >キリスト教徒以外は地獄に落ちる。そうでなければ、今まで殉教していった人は犬死になるし、 >我々が信じている意味もなくなるのだそうです。もの凄い脅迫観念だと思いませんか? >まるで非キリスト者に対する嫉妬です。これでキリスト教徒が迫害されてきた理由が分かりました。 >聖書の予言の成就ではありません。 >もの凄くリスクの高い宗教だと思いませんか? 僕は以前、聖書において天国が何を意味してるか調べたんですね... 「天国」ではなくて「天の国」ですし、「神の国」なんですね... それで聖書の編者が言ってる「天の国」・「神の国」はどうも単にコミュニティとか 理想のコミュニティや教会の事を示してるんですね...死んだ後に行く場所じゃ ないんですよ... 彼らが言ってる「天国に召された」の「天国」を示してる聖句は 精々2−3箇所です。 それ以外は全部、この世のコミュニティについての説明です。
804 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/09(日) 21:42:32 ID:xDf0idQB
続き... マタイ福音書16/18−9 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。 陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに「天の国の鍵」を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。 あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 などは明らかに、イエスがペテロに地上のコミュニティ(教会)のリーダーを 任命してる聖句ですよ。これを彼等は「天国」での事だとしてます 天国の鍵だったら、それはイエスが管理してるハズですよ、何故 ペテロなんかにくれてやるんでしょうね 彼等は文字しか読んでないんです、「天国」と「地獄」の概念しかないんです 聖書の編者が示した意味を全く理解できてないんですね 僕は無知蒙昧の全く思考力のない人の集団なるがゆえだと思います。
805 :
名無しさん@3周年 :2005/10/09(日) 21:44:08 ID:u0kHnluJ
ココモスキーの汚いやり口は誉められたものではなく、排除されるべき。 強い拒絶はココモスキーの手法に因るところが大きい。
806 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/09(日) 22:36:39 ID:VYQFlfKk
第23ラウンド > 聖書は体験がなければ聖書の真理は解らないと言いますが、どう思われますか? 信者に勧誘する為のただのセールストークか、あたかも真理を理解してる 様な錯覚をしてるだけです。 どういう体験の事か分かりませんが、聖書に書かれてる事を体験する為には 2000〜3000年前にタイムスリップして当時のユダヤ周辺に自分の身を置 かないと分からないと思いますし、編者の意図を知る為には編集してる場面 に立ち会って彼らの考えを聞かないと分かりませんが、どちらも不可能です。 だから僕は時代背景や編者の置かれた立場を出来るだけ分析して、「こういう 意図で書いたのではないか」と言う推測をするんですが... 彼らのセールストークはおそらく信者の体験がないと理解できないと言う 事で、その教会の教義(妄想)にマインドコントロールして、真理を理解した 様な錯覚に陥れてるだけです。
807 :
aoi :2005/10/09(日) 23:14:38 ID:IqASNxx1
>>804 マタイ福音書16/18−9
わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会
を建てる。
&
>イエスがペテロに地上のコミュニティ(教会)のリーダーを
任命してる聖句ですよ。
イエスは、ペテロの上に教会を建てるとは言っていないのだよ。
イエスは「岩」の上に教会を建てると言ったことが理解できないのかね。
もし、きみの言うようにペテロの上に教会を建てるつもりなら、わざわざ
ペテロというあだ名をつける必要はない。イエスはシモンの上に教会を建
てると言えばいいのだ。
イエスはペテロにではなく、わざわざ「岩」を強調して岩(信仰)の上に
教会を建てると言われたことが分からないのかね。
イエスは一度たりともペテロを信用してはいない。シモンにペテロという
あだ名、つまりレッテルを貼り付けたに過ぎない。
ヨハネに「雷の子」というあだ名を貼り付けたように。
ちなみに「雷」とは「雷光」と同じく(真理の)認識を意味している。
808 :
名無しさん@3周年 :2005/10/10(月) 10:07:42 ID:uibpRXS2
>>807 彼が、「コミュニティ(教会)」としている事でアウトだろ。
少なくとも、多少聖書の知識が有れば
「エクレシア」ぐらいの言葉を使つかうよ。
信者は聖書の言葉を過去のこと(出来事)として受け取っているのではなく、 現在、さらには未来の自分に関わることとして受け取っているのだから、 聖書を古代文献のひとつとしか受け止めていない人とは、 そもそも話が噛みあうはずがない。 過去のことを過去のことにとどまらず、自分の現在や未来についての出来事として 受け止めようとする人と、博物館の陳列棚に並んだ遺物を眺めて楽しむに過ぎない人とでは、 同じ聖書の言葉を受け取るのでも、そりゃあ雲泥の差があるというもの。 そういうマニアは、本当は、宗教板ではく、世界史板や考古学板や民族神話板に スレッドを立てるのがいいんだが、なんで宗教板に立てたのかが、不思議といえば不思議。
810 :
名無しさん@3周年 :2005/10/10(月) 10:36:23 ID:UgS5cllU
ココモ神の影がちらつくでしょう
811 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/10(月) 13:22:44 ID:qehOWu45
>>809 >そういうマニアは、本当は、宗教板ではく、世界史板や考古学板や民族神話板に
>スレッドを立てるのがいいんだが、なんで宗教板に立てたのかが、不思議といえば不思議。
俺もそう思うが、答えは明白。彼は単に自分のエゴを満足させたいだけなんだよ。
ちなみにこの 聖句の〜 の本スレはここ
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1124726587/l50 時系列からいってもここ↑。
ココモスはそれを知りながら、わざわざ自分のスレを立てた。
それはなぜか?答えは明白。自分のエゴを満足させたいだけのこと。それは本人が一番よく知っている。
彼はそういう人なんだよ。可哀想な人だ。
812 :
名無しさん@3周年 :2005/10/10(月) 14:06:17 ID:kG7elQJA
晒すな^^;
813 :
名無しさん@3周年 :2005/10/10(月) 14:32:25 ID:kG7elQJA
ここは、ダニエル氏から継承したココモを中心としたスレ。 ココモが閑散とした派生スレに移る必要はない。 スレ主の意向は以前から強かったが、そういう趣きで確立しつつあるのだ。
814 :
aoi :2005/10/10(月) 17:56:47 ID:cH7I2Rm4
ここは聖句かいs
815 :
aoi :2005/10/10(月) 18:03:20 ID:cH7I2Rm4
age マタイとルカで、イエスの系図が異なっている。 このことをどう解釈すべきか? いまだ結論を得ないでいるのだが、意見があれば。
816 :
名無しさん@3周年 :2005/10/10(月) 18:35:29 ID:kG7elQJA
秘義が画されている。 現在に至り末までの間に、その謎の秘義に相当する人の神様への求めに備えてある。 聖書に悩みの答えを求め、得られた経験からそう思える。
817 :
aoi :2005/10/10(月) 19:30:44 ID:cH7I2Rm4
>>816 秘儀って?ルドルフ・シュタイナーかい?
彼については私も半信半疑というところだ。
スエーデンボルグの秘儀までは、行っていないだろう。
818 :
キュロス :2005/10/10(月) 23:06:41 ID:TMwK8PcX
>サムエル記上 >11:2 アンモン人のナハシュは答えた。「お前たちと契約を結ぼう。 >ただし、お前たち全員の右の目をえぐり出すのが条件だ。 >それをもって全イスラエルを侮辱しよう。」 >ゼカリヤ >11:17 災いだ、羊を見捨てる無用の羊飼いたちは。 >剣が、その腕と右の目に差し向けられる。その腕は力を失い、右の目はかすむ。」 マタイ福音書 >5:29 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。 >体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。 「右の目」とは 何か特別な意味があるのですね。 サムエル記上11章〜 を読むと 非常に大切な物なのですね。
819 :
名無しさん@3周年 :2005/10/11(火) 09:38:44 ID:grClR3AR
右が示すところに、特別な入出力の意味合いが感じられるけど 三位一体の位置関係に収斂するはず
820 :
名無しさん@3周年 :2005/10/11(火) 10:22:43 ID:bV/VJKdx
右の優位は人類学ではよく知られたテーマ。 聖書でも創48:14、エレ22:24に端的に表現されている。
821 :
名無しさん@3周年 :2005/10/11(火) 16:13:49 ID:4Ha4N9GW
人の心臓が左拠りなことも関係あるのかな。
822 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/11(火) 20:08:37 ID:qlBz/y8n
最後の晩餐の時はイエスの愛された弟子がイエスの右に座っているんだわ。
823 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/11(火) 21:12:49 ID:ZcTeoMna
第23ラウンド >ヨハネの福音書5章46節でイエスはモ-セは自分の事を書いたと言っていますが、 >イエスは具体的にどの箇所をさして言ったのでしょうか?また実はモ-セが書いた >とされるモ-セ5書はモ-セの作品ではないと学者達は言っていますが、それが本当 >ならイエスは全知全能だと言う神等では無い事になってしまいます。当然、神なら >誰が書いたか知ってるしモ-セの事を言及しないのではないのでしょうか?クリスチャンの >答えを聞いてみたいものです。 他でも聖書に「モーセが創世記を書いた」と書かれてると言ってる人がいるんだけど、 聖書の何処をひっくり返しても、創世記とは書いてないんですね。聖書には「モーセが 律法を書いた」とか「聖書(旧約)を書いた」と書かれてるんですよ... それで創世記には律法は書かれてないんです。 もっとも昔は、モーセ5書はモーセが書いたと考えられていました。 日本でも昔は月にウサギが住んでると考えてました。 それで、意味が通じたり社会が丸く納まるのであれば、それで良いのかもしれません。 イエスも特に疑問にも感じなかったんでしょう。それはイエスが普通の ユダヤ人の1人だったからです。ここの聖句の意味はちょっと難しくて 分かりませんが、旧約聖書全般を指してる様に思います。 現代でモーセが聖書を書いたと考えると、いろいろ矛盾が生じます。 そもそもモーセはヘブライ語(BC9−8世紀)のできる前の人間なので、ヘブライ語 より古い言葉で書かれてないとおかしいんですが、そんなものは全く見つかって ません... モーセ5書にはBC7−6世紀のバビロンの話がいくつかあるんですが モーセがどうやって知りえたのか... まあ良いですが、人間が月へ行く時代になって、月にウサギが住んでると 考える様なものです。
824 :
名無しさん@3周年 :2005/10/11(火) 21:26:34 ID:4Ha4N9GW
右は愛す者、では左は何人か。
825 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/11(火) 21:42:02 ID:qlBz/y8n
疑惑のトマス。
826 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/11(火) 22:52:40 ID:ZcTeoMna
第24ラウンド > イエスは何故購罪論や元罪論を語らなかったのでしょう? それはイエスに聞いてみないと分かりませんが、多分こう言うでしょう 「俺はそんな発想を持ち合わせてない」 > また新約聖書に聖霊と言う言葉が登場した背景には何がありますか? 聖霊とか霊というものをピックアップして、どういう意味なのか調べて 見たんですが、その多くは人間の魂・人間の尊厳・人間の御心と すると文章が成り立ちます。キリスト教徒は聖霊は人間ではない物を 描いてと思いますが、それでは聖句の意味がおかしくなる事が多いです。 キリスト教徒はそれで良いのでしょうが....昨日の天の国・神の国・ 天国と同様です。
827 :
名無しさん@3周年 :2005/10/11(火) 23:43:30 ID:4Ha4N9GW
ではユダの位置はどこだと思うのか。
828 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/12(水) 00:16:38 ID:289mIpWr
そのような質問もしかしてくるかな?と少しだけ思っていたんですが。 ヨハネ13;26-27を読みますと、イエスがパンを浸してわたせる距離ですので。イエスのすぐ左に座っていたと思います トマスはダヴィンチからです。
829 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/12(水) 07:11:40 ID:gVPRvdTf
ん?ダニエルの掲示板、閉鎖した?
830 :
名無しさん@3周年 :2005/10/12(水) 07:34:54 ID:3ocghsY8
aoiさんって70年も聖書に親しんでいるんですね。 そこでaoiさんに質問したいんですけど、 聖書における7という数字はなにを意味するのでしょうか?
831 :
名無しさん@3周年 :2005/10/12(水) 10:47:18 ID:Ah3blPlI
知らなくても良いこともあるのだ。
832 :
aoi :2005/10/12(水) 15:54:34 ID:7026JF1o
>>830 「七」は古来、「完全数」と言われており「聖いすべて」を意味している。
数例を挙げよう。
出エジプト 29:37 あなたは七日の間、祭壇のために、あがないをして、
これを聖別しなければならない。こうして祭壇は、いと聖なる物となり
レビ記 8:11 その油の一部を祭壇に七度振りまき、祭壇とすべての祭具、
洗盤およびその台に注ぎかけて聖別した。
詩篇 12:6 主のことばは清き言葉である。地に設けた炉で練り、七たび
きよめた銀のようである
黙示録 1:13七つの 燭台の中央には、人の子のような方がおり、・・
胸には金の帯を締めておられた
その他、無数といってよいほどの例があるが、なお詳しく調べたければ、
NiftyのFORUMである「FBIBLE」 に私の書き込んだ
「秘伝」を見るがよい。
833 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/12(水) 19:26:54 ID:CuHm3Eur
第25ラウンド...24は長いので省略 >彼等は、良い行いは救いを経験した結果出るものであって、 >それは人間の努力によるものではないのだそうです。 >そしてクリスチャンの体には聖霊なる神様が宿っているので >悪い事は出来ないのだそうです。本当でしょうか? 御貴殿はこの全く根拠のない理屈を納得するのですか... 言ってる事が支離滅裂だと思いますが...この幼児的 発想が、クリスチャンの特徴ですよ...多分社会やコミュニティ でもまともな存在ではないと思いますが...何処かの病院に 連れて行った方が良いと思います。
834 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/12(水) 22:55:00 ID:gVPRvdTf
人は神に似せて創造された。本来人とは神と同等の存在なのだ。 神は至高の存在だ。神々は、人から出たものである。そして神々は人間を創造した。 さて、 >あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。 >モーセは、わたしについて書いているからである。 しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、 >どうしてわたしが語ることを信じることができようか。」〜ヨハネ 5.46〜47 この聖句の意味がわからない奴がいるのか。俺が解説しよう。 創世記の冒頭。 >初めに、神は天地を創造された。 >地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、 >神の霊が水の面を動いていた。 >神は言われた。 「光あれ。」 こうして、光があった。 >神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、 >光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、 >朝があった。第一の日である。〜創世記1.01〜05 神は ”言われた”。「光あれ」 神は”言葉”により天地を創造された。神は第一の日、初めに、光と闇とを ”別けた” その後皆さんご存知のように、神は、全て言葉によりこの世を創造された。 そして第七の日、最後の日に全てを休まれ安息された。神はその安息の日を、聖別された。 そのあと、今度は、自らを我々と呼ぶ、主なる神が登場し、肉の人間を創造する物語が続くわけだ。 ま、この話はおいておこう。
835 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/12(水) 23:04:20 ID:gVPRvdTf
さて、ヨハネの福音の冒頭にはなんて書いてあるか。 知っている人なら、少し知恵を働かせば、 この創世記の冒頭に登場する神とは、誰の事かおわかりになるだろう。 なら、イエスが >モーセは、わたしについて書いているからである。 しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、 >どうしてわたしが語ることを信じることができようか。」〜ヨハネ 5.46〜47 といったのか理解できようもの。 イエスの言葉。 >イエスは言われた。私は彼らすべての上にある光である。私はすべてである。すべては私から出た。 >そして、すべては私に達した。木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。 >そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう”〜トマスの福音
836 :
aoi :2005/10/12(水) 23:11:01 ID:7026JF1o
カラ〜ス なぜ泣くの? かわいい子供もいる年頃なのに。 言語明瞭、意味不明 って、誰かに似てるね。
837 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/12(水) 23:26:33 ID:gVPRvdTf
私は唯物論より、観念論を真理とする立場でしてね。 人の意識が、この世を作っていると思っている。まぁどう思われようと かまわないけど、あなた方も、死んで意識が完全に消滅したのなら、あなたにとって 世は消滅するに等しい。これだけはたしかだ。いわゆる一つの、世の終わりだ。 ところで昔、NHKで、アイシュタインロマンとかいう番組が何夜かやってて、その中に、 アイシュタインと、仏教徒の対談のエピソードが紹介されていた。 テーマはこうだ。月は人が観察していない時にも存在するのか?それとも誰も観察していないのなら、 月は存在しないのか。もちろんアイシュタインは、誰かが観察していようがいまいが、 月はそこに存在する。というスタンスで、はなし。対談相手の仏教徒は、観察するものが誰もいなければ、 月は存在しないことになるというスタンスで話す。もちろん二人の話は平行線だ。 このような思考の持ち主のアイシュタインは、後に出る、量子力学を、どうしても受け入れられる事ができず、 生涯をかけ、量子力学を否定し続けたそうだ。今思えば、なかなか面白いエピソードだったと思う。 さて、観念論が真理などどうやって証明するのだ?というもっともな疑問が寄せられそうだが、 証明する方法はある。だがそれは、自分自身で確かめるしか方法はないんだよ。ま、信じてもらわなくても それはそれで仕方ないと思うけど。
838 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/12(水) 23:29:06 ID:gVPRvdTf
>>836 なんだ、あんた意味がわからないのか?
さすが、70年も聖書に親しみながら、真理を見出せないだけのことはある(苦笑)
なんだったら、俺が7の説明をしてやろうか?ククク。
839 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/12(水) 23:36:43 ID:gVPRvdTf
ヨハネの福音。冒頭。 >初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 >この言は、初めに神と共にあった。 >万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 >言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 >光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 >神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 >彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、 >すべての人が彼によって信じるようになるためである。 >彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 >その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 >言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 >言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 >しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 >この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、 >神によって生まれたのである。 人は神に似せて創造された。人は本来神と等しい存在である。 そして人はその至高の存在、神から出たものである。
840 :
名無しさん@3周年 :2005/10/12(水) 23:53:09 ID:njl959yc
どのように同等というのか。 本来の人はどんなことができるというのか。
841 :
aoi :2005/10/12(水) 23:57:57 ID:7026JF1o
>>839 >
人は神に似せて創造された。人は本来神と等しい存在である。
そして人はその至高の存在、神から出たものである。
当たり前だろうが。
最高の人間が神なのだよ。
だから、イエスは神を呼んで「アバ父よ」と言ったのだ。
神は人間なの、だから預言者たちは、「神は怒り、神は悔いる」
と書いているではないか!!
カラスは、いまごろやっと分かったというわけか、あほんだらめ!
842 :
名無しさん@3周年 :2005/10/13(木) 00:03:45 ID:njl959yc
かなり異質な二人だ。 知恵の木とは何か。
843 :
名無しさん@3周年 :2005/10/13(木) 00:04:04 ID:2ZgFPUNr
844 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/13(木) 00:10:58 ID:v7T5c+0n
845 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/13(木) 00:31:07 ID:v7T5c+0n
神は言われた。「光あれ」 思考とともに、この世が生まれ、思考を止めたさきに、つまり安息日に、人は父をみる。 真の安息日を守る人達は、父を知り、永遠の命を得る。 さてもう寝よう。じいさん。お休みだ。
846 :
aoi :2005/10/13(木) 01:01:08 ID:a+96/Hbt
>>844 カラスの子よ
ベーダはベーダ教の正典なのだ。リグベーダ、アユールベーダ
など。
ベーダの流れに反逆したのが仏教、だがベーダの大河に流され
仏教はようやくビルマ、タイ、セイロン、日本などに生き残ったのだ。
ベーダはヒンズーの大河に成長していったのだ。
きみが勉強したいなら、竜樹時代の認識論、その代表が中論だが、
それと、阿頼耶識、つまり現代の深層心理学だが、極めて深い、
ユングがその影響を受けている、それらを勉強することだな。
だが、イエスの奥義、秘儀は、すべての宗教、哲学を超越している。
きみはまだ青二才だ。慢心しないでさらに探求することだな。
847 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/13(木) 01:07:38 ID:9LwDCO6t
さて長かった24ラウンドを3回位に分けて乗せよ 24−1 >元罪が親から子へ遺伝の様に伝わるのなら、子供を造らないと言うクリスチャンが >いてもいいと思うのですが。例えばHIVに感染した夫婦が子供を持つ事を諦める様に。 > >もし元罪論の教えが本当なら人の誕生は祝福等ではなく呪いと言う事になってしまいます。 >つまり人は永遠の地獄に落とされるべき運命を産まれながらに背負っている事です。 > >クリスチャンはここまで深く考えて信仰しているのだろうか?むしろキリスト教会や聖書 >に接してそれが原因で神様が嫌いになった人もいると思います。皮肉な話です。 僕は坊さんから、人間には六欲があると言われても全く不愉快に思う事もありませんし 確かにそうだと思ってしまいます。またグノーシスのように人間は生まれたときは暗愚だと 言っても、それもその通りだと思ってしまいます。 ところがクリスチャンから原罪の話を聞くと、お前は何を馬鹿な事を言ってるんだと思って しまいます。悔い改めよと言われたら、お前らには言われたくない、悔い改めるべき事 が多いのはお前らだろ。原罪って何だって聞くと、神から離れる事だと言うので、お前らの 神には一刻も近づきたくないと思ってしまいます。
848 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/13(木) 01:09:39 ID:9LwDCO6t
24−2 僕はパウロさんの言いたい事は、仏教の煩悩に近いし、仏教の六欲に近いんだと思うし グノーシスの暗愚にも通じてるんだと思うのですが、キリスト教徒は神から離れる 事しか思い浮かばない様です。僕はそれこそ暗愚だと思うのですが... クリスチャンはパウロの原罪を、アダムが神を逆らった(僕はそう思わないですが) と解釈してます。それでその裏切りに対して、死と罪が与えられたとしてます。 つまり、人間が本質的に持ち合わせてる罪(欲)を言い出して、神(教会)への従属 と教会の支配に利用してるんですね...他の宗教は人間はどうしても 罪を持ち合わせてるのだから、日々精進しなさいと説いてるだけなんですが キリスト教は神(教会)に従属しなさいと説いてるんですね...その下心が みえみえですし、たとえ言う通りしたとしても、全く精進にならない(克服できるわけがない) 事が分かりきってるから連中のいう事が馬鹿らしく聞こえてしまうんですね
849 :
☆林檎の目☆ :2005/10/13(木) 01:34:15 ID:0mDdEEzi
>人間が本質的に持ち合わせてる罪(欲)を言い出して、 >神(教会)への従属と教会の支配に利用してるんですね 「神に従う」のはわかるけど、「教会に従う」というのことは聖書に書いてありますか? 教会に関しては、群れとしての交わり・一致は言われているとは思いますけれども。
>>844 70年聖書研究やっているなら、aoiは80才以上だろ?
80才を越えたじいさんが1時まで2ちゃんねるで遊んでいると思うか?
それに70年間聖書研究をやっていようがいまいが、80才のじいさんが
あんな青臭いこと言うはずない。aoiというのは青臭いの「青」だろ。
そうだとすると、aoi氏の書き込みは、挑発を含む別の意図があると言える。
852 :
aoi :2005/10/13(木) 16:07:14 ID:x7/f/UEN
>>849 林檎の目さん ココモくんは、聖書を哲学として読んでるのだよ。 信仰した経験がないから、信仰的意味において、聖書を理解できない。 だから、あなたの話とはスレ違いで、話にならないってこと。無駄だ と思う。
853 :
名無しさん@3周年 :2005/10/13(木) 17:44:21 ID:FuOLHw1E
そのようにまとめられると、後は無視されてしまうのでココモは関心を引こうと暴れだすのだ。 他所へ行っても同類は少ないし、アンチ同志の語らいはキモイ感じだ
854 :
名無しさん@3周年 :2005/10/13(木) 18:17:55 ID:GIDOkMeH
>>837 >月は人が観察していない時にも存在するのか?それとも誰も観察していない
>のなら、月は存在しないのか
目の前に見えるものが「本当に」存在するか否かを、人間がいくら考えてみて
も無意味です。人間の認識・思考能力の範囲外だからです。しかし、人間界で
は、眼に見えるもの(五感で知覚できるもの)を「実在」と看做します。眼に
見えるものを食べ、眼に見える攻撃を防がない限り、人間は生存できないから
です。霞を食っては生きられません。五感で知覚できるものを「実在」とする
ことは、人間の存在そのものなのです。色即是空、されど空即是色です。
科学の発達により、古代人には見えなかった原子、電子、細菌なども、観測装
置を使って知覚できるようになりました。また、古代人が敬い、恐れた自然現
象を引き起こす不可知な力も、知覚できるものの集合である物理現象として説
明できるようになりました。
従って、古代人が信じた「神」は実在ではなく、想像の産物に過ぎなかったこ
とが明らかになったのです。
855 :
名無しさん@3周年 :2005/10/13(木) 18:19:16 ID:2qz4BYSH
856 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/10/13(木) 18:56:14 ID:Tsc6fuml
>>848 ココモ先生
三流教会の馬鹿信者と思われているわたしが言うのもなんだけど、ココモ先生はわたしでもヘンと思うような教会を
見てそれが全ての教会と思っているの? カトリックではキリストの救いの恵みは教会に委託されているから教会に
属さなければいけないけれど(聖伝)、プロテスタントは違うのよ 教会を通さずに直接イエスと関係を持てるのよ
(万人祭司)。
だから もし所属教会に疑問を感じたら、正しき教会を求めて渡り歩いても良いことになっているの。それがプロテス
タント教会の要なんですよ。 そうじゃない教会があるのはとても残念です。
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立ってついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。
ほかの者たちの声を知らないからである。 ヨハネ10;4-5.
ほかの人の声はとてもイイ 思わずついて行きたくなるね。
だから教会に行ってイエスの声と他の声を聞き分ける訓練をするんだと思うのよ。
857 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/13(木) 20:31:17 ID:9LwDCO6t
>>849 >「神に従う」のはわかるけど、「教会に従う」というのことは聖書に
>書いてありますか?
>教会に関しては、群れとしての交わり・一致は言われているとは思いま
>すけれども。
「神に従え」は実質的に「俺達の教会に従え」になるんですよ...
いいですか?,あなた方が「神に従え」と言った時に、それじゃ
「私の神様は「アッラー」でして、私は既に「アッラー」に従ってます。」
と言った時に、あなた方は「それは素晴らしい事です、是非今後とも
ずっとお続けください」と言いますか?、僕はそんなの聞いた事が
ありません、馬鹿信者ほど「それは悪の神です、直ちに辞めなさい」って
言うだよ...要するに自分達が信じてる神だろ、だから自分達の教会と
言うのと同義なんだよ...
それと、ローマ書簡睨み直してるんだけど、「神に従え」と言う聖句は
ないよ...強いてそれらしき言葉は2−3箇所あるけどね。
それと1/18−1/32とりわけ1/29から後ろは、仏教の六欲と
よく似てるし、パウロはそういう人類宿命の「罪」が、イエスの購い
によって、救われると主張してると思うんだけどね...
「神に従え」などと言ってる馬鹿信者はローマ書簡を50回位読み直した
方が良いと思うw
858 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/13(木) 21:21:51 ID:9LwDCO6t
ところでマタイ16/19の「天の国」をカトリックの人に 聞いたら僕の意見に反発するかと思ったら、「天の国」は 「エルサレムから始まった世界の教会の事で最初の宗主は使徒行伝 に書かれてる様にペテロです」と言う答えでした。僕の見解は概ね カトリックと同じだったよ.....わはははははははははははは カトリックも変わったんだw
859 :
名無しさん@3周年 :2005/10/13(木) 23:06:06 ID:6bZ8oJDu
>>846 >だが、イエスの奥義、秘儀は、すべての宗教、哲学を超越している。
どのあたりが超越してるんですか?(たとえばイスラームと比べて)
860 :
キュロス :2005/10/13(木) 23:49:57 ID:zGkpxxUA
少し来ない間に えらい保守的になって来たな。 人の生きる意味は 人の内面に有るのではなく 外面にあるのですよ。
861 :
キュロス :2005/10/14(金) 00:03:13 ID:P6ewRD53
問題は 「我々は なんのために 誰の為に生きているのか?」なんだよ。
862 :
☆林檎の目☆ :2005/10/14(金) 00:53:44 ID:4BIal90e
>>857 確かに「従う」ではなく、「仕える」という方ですね。(ローマ書で言えば14:18など)
やはり、聖書をよく読まないといけませんね〜
キリスト御自身が神の御子であられるのに、そうなされました。
phil 2: 6
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
phil 2: 7
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
phil 2: 8
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
>パウロはそういう人類宿命の「罪」が、イエスの贖いによって、救われると
そうですね。救いは神の恵みであり、信仰は神様からの賜物です。
>「それは悪の神です、直ちに辞めなさい」
こんなことを言ってさばく人がいるのだろうか・・・(^^;)
その人が聖書のことばに忠実であるかどうかを吟味する必要があるとは思いますが。
863 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/14(金) 01:04:37 ID:WM9QwlbW
そろそろダニエルさんを呼ばないと往かんのよ... ダニエルさーーーーん、ここは貴方が作った「天の国」ですよ 遠慮せずに戻ってきなさいな...僕は所詮一時の鍵を授かった 人間ですよ...
864 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/10/14(金) 01:32:09 ID:WM9QwlbW
僕は正直に言いましてカトリックの方と付き合いがそこそこあります。 webを覗かれると分かると思いますが、僕のwebと双方リンク かけてるwebは全部カトリックの方です。 カトリック−>超保守...短絡発想の無知な信者の妄想でしょうね お前さんたちが接触するカトリックが超保守なだけなんだな... 僕みたいに一匹狼でがんばってると、エリートカトリックの人達が お前のweb面白いからリンク張らしてくれってくるんだな それがカトリックの面白いところさ....難しい事を相談に 行きたいときは、残念ですが僕の頭にはカトリックの数人の 友達しか浮かばナインだw...僕の聞きたい事をしっかり 理解していただいて、その人なりの返事がもらえる(必ずしも 自分が納得するわけではないが)友達がいないと僕も 孤立無援だしね...こっそり教えてしまいました
865 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 01:39:46 ID:ZRuqMWr7
↑ スレの本質をよく理解している
866 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 01:51:41 ID:ZRuqMWr7
いっこかんだ その都合の良いカトリーヌが、ココモの教会というわけか。ダニエルに重なるから仲良くしているのか、それとも当の本人なのか。
867 :
aoi :2005/10/14(金) 07:19:09 ID:1L+beLDK
>>859 >>だが、イエスの奥義、秘儀は、すべての宗教、哲学を超越している。
>どのあたりが超越してるんですか?(たとえばイスラームと比べて)
イエスの「アバ父よ」は深遠な意味を持っている。
父とは父性を持った人間である。イエスは、つまり、
神を人間として語りかけたのである。
また、このように祈れとして、「主の祈り」において、
天にましますわれらの「父」よ! と「神は父性を持った
人間」であることをイエスは教えている。
このように、神を人間とすることは、極めて重大なイエス
の「秘儀」であって、「神を人間として信ずることによって
人間であるわれわれに対して、活きた神となる」ことを
イエスは教えている。現実にイエスは「活きた神」に拠り、
多くの奇跡を顕現している。
であるから、私たちは神を人間である父として信じること
により、神は現実の存在として「活きて働く」のである。
イエスが神を父とすることはこれはいわゆる「人格神」と言われるが、
きみの言うイスラムのアッラー(神)とは明らかに違うことが分かる
であろう。
なお、アッラーはいわゆるGOD、神であって、神の名ではないことは、
きみも知っているであろう。
868 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 07:40:55 ID:T7xATl9E
>カトリックの方 どうみてもダニエルはカトリックには見えないがな あんなマリヤ崇拝を敵視するカトリック見たことないぞ カトリックというより、むしろ我さんに近い立場なんじゃないの?
869 :
aoi :2005/10/14(金) 09:17:01 ID:1L+beLDK
ダニエルくんは、まだ子供だよ、幼稚極まる。 彼の開いた掲示板で、彼の発言の幼稚さを指摘してやったところ、 恥じたせいであろう、閉じてしまった。 これは、発言者の発言を無断で削除したに等しいことであり、 キリスト者としても、罪と断じられても致し方のないところだ。 そのことすら分からぬダニエルは、子供なるが故に許されるで はあろう。
>神を人間である父として信じる→aoi カラス この表現を、ストレートに信じるならおかしいですよ。神様と人との隔絶は決定的 なものと考えるべき。 神様に対し、こんなに図々しく馴れ馴れしく出来る信仰はどこから来るのだろうか。 先の創世記の引用も間違いでしょう、神様との近さを表すと同時に隔絶を表してい るのです。
871 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 10:36:10 ID:g4U2fGyV
「神は最高の人間であり…」という言葉は平野 啓一郎の「日蝕」にも出てた。
自分も図々しいんですけどね・・・実に図々しい。 神様を、暴れん坊将軍の上様に譬えると、aoi氏の間合いは半次郎(め組の子頭) ってところ。我々信仰者の間合いは孫兵衛(じい)位は礼を保つべきでは。 イエス様が愛する弟子については思うところもある
873 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/14(金) 10:41:25 ID:0m+mxu6e
>>854 >従って、古代人が信じた「神」は実在ではなく、想像の産物に過ぎなかったこ
>とが明らかになったのです。
古代人の ”イメージした神”、昔の、いや今でも残る、幼稚な宗教団体が教える神は、
否定できるだろうね。それらの神は釈迦も否定した。
ところで君、仏教徒?キリスト教徒に神を語るなら、キリスト教の神、すなわち、イエスの言う『天なる父』
を理解してから言おうね。ま、理解してないのは、君だけではなく、今の多くのキリスト教徒も同じだが(苦笑)
般若心経、空思想に囚われた、自称仏教徒、それらの思想で ”全て” を説明しようとする自称仏教徒達は、
イエスの教えはおろか、仏教すら理解しない。
暴れん坊将軍の上様はイエスキリストを彷彿させるから好きなんだ。
875 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/10/14(金) 10:47:15 ID:7gWiwU+5
なんかFSHISO同窓会みたいだな。aoiさんとか。覚えてるか?爺さんよ。 文脈無視した約一名はかなり痛い奴だな。aoiサンのことじゃないよ。
876 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/14(金) 11:04:58 ID:0m+mxu6e
>>875 ん?俺の事いってんのか?
あんた、ハルカってのに随分シンパシーを感じられてるんだってな。
同じ穴の狢ってわけだ。掲示板上で自分と意見の違う者に汚い言葉で罵倒し、
自分の考えを押し付ける。
やれ、テーラワーダやら、なんやらは、カルトだのなんだのと、比べさげずみ、
自分は権威主義。たく、たいした釈迦の弟子だぜ。
お前がどう思おうが、俺はこう思い。お前が、我こそが正しいと、俺に言ったところで俺は知っている。
自分の考えを他人に押し付けるなよ。
877 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/10/14(金) 11:12:52 ID:7gWiwU+5
>>876 なんだコイツ。馬鹿じゃねーの?
被害妄想もいい加減にしろ。俺は暇人のことを言ってるのだよ。
俺のどこが権威主義だ?答えてみ。
テーラワーダは蔑むべきカルトであることには変わりないがな。
878 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/10/14(金) 11:16:39 ID:7gWiwU+5
>>873 こらカラス。普通に議論したり、揶揄したり、罵倒されるのは許容範囲だ。
けどな、歯向かう奴は敵視する。当り前のことだけどな。
>古代人の ”イメージした神”、昔の、いや今でも残る、幼稚な宗教団体が教える神は、
>否定できるだろうね。それらの神は釈迦も否定した。
これ根拠出してみ。
|_・)・・・(その挑発的な名前は、荒らしを目的としているように見える)
880 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/10/14(金) 11:28:46 ID:7gWiwU+5
881 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/14(金) 11:30:25 ID:0m+mxu6e
>>877 おっと人違いでしたか。そいつは失礼した。
でも俺のあんたに対するイメージ、評価は変わらない。
>>古代人の ”イメージした神”、昔の、いや今でも残る、幼稚な宗教団体が教える神は、
>>否定できるだろうね。それらの神は釈迦も否定した。
>これ根拠出してみ。
愚問なのでスルーさせていただく。
質問があまりに馬鹿馬鹿しい。俺は禅問答はする気はないんで、あしからず。
しかしあんた、口調と言い、あのハルカってのにそっくりだな。やれやれ(苦笑)
議論争論を好む者よ、あんた、それでいいのかい?
いいとおもってっから、繰り返し他人に、議論争論をふっかけてるんだろうが。
やれやれ、何年仏教やってんだか(哀)
882 :
aoi :2005/10/14(金) 11:33:10 ID:6K56EsHJ
>>875 おやおや、仏典の権威のお出ましか!
仏教の権威とは言っていないぞ。
>なんかFSHISO同窓会みたいだな。
10年ひと昔というではないか。
古きは去って、新しくなれり ということだ。あはは
いつか脳梗塞に見舞われたようだが、頭脳は衰えていない
ようだね。
で、基督教スレにお出ましとは、比較宗教学にでも、手を
出そうってわけですかな?
早速だが、「色即是空」を誤って引用しているやつがいるので、
正確な講解をしてやってほしい、よければ。
883 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/10/14(金) 12:12:21 ID:7gWiwU+5
>>881 >愚問なのでスルーさせていただく。
>質問があまりに馬鹿馬鹿しい。俺は
逃げるのか?最後っ屁とともに。
884 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/10/14(金) 12:13:01 ID:7gWiwU+5
>>882 お、爺さん、覚えていたか。。。
脳梗塞ではなく、脳内出血。おかげさまで右半身が麻痺しただけで運動機能には影響がない。
でもaoiさんにまで情報が入ってるんだね。
比較宗教学、比較思想はFSHISOで語っていたよ。アベラールさんはお元気にしておられるのでしょうか。
中村元の比較思想はあなぼこだらけだけど、大学の要請で抗議したことはある。結論的には
比較の方法論を確立するには道が長いということだけ。
で、般若心経について彼自身わかってないし、頭固まってるし、聞く耳持たないし馬鹿だから放置がいいよ。
885 :
aoi :2005/10/14(金) 12:27:42 ID:6K56EsHJ
>>870 :名無しさん@3周年 ID:ofKNQGL/
>神様と人との隔絶は決定的 なものと考えるべき。
誰さまが、そんなこと言ったのかな?
>神様に対し、こんなに図々しく馴れ馴れしく出来る信仰はどこから来るのだろうか。
イエスさまが、そう仰ったのだよ。馴れ慣れしく「お父ちゃん」って言え!
とね。
イエスさまは三位一体って、神と一体なんでしょ。
その神であるイエスさまが、「お父ちゃん」に祈れ と言われるのだ。
それだのに、あんたは隔絶すべきだといって、神なるイエスの言葉を
否定し、冒涜している。
丁度、イエスの神なるを否定して十字架につけろ と言ったユダヤの
群集ときみはそっくりだ。 きみは、イエスに言葉を冒涜した報いを
受けるだろうが、それはきみの責任だ。
まず創世記1・2で、創造された人は神様は等しくない。 知恵の実を得ることにより、神様のように善悪の判断がつく。 生命の実を得なければ神様のように永遠に生きることが確定されない。 実を食べて神様と等しくあろうとした人の今の立場があることは忘れられない。 そんな中、イエス様が兄弟として手を差し伸べておられるが、隣人への愛を まっとう出来ない人が、自身を清いなどとはが畏れ多いとなるのです。 罪を認めつつ清められた、とは思えないでしょう。まだその時ではないと考えます。
887 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 14:04:48 ID:ZRuqMWr7
神の子と呼ばれるための条件 平和を実現する者。
888 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 15:10:29 ID:g4U2fGyV
母なる地球は人間です。
889 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/14(金) 15:21:14 ID:0m+mxu6e
なんだ、電波ってのは、仏教徒ではなく、学者なわけね。 なら議論争論をふっかけ、勝ち負けにこだわり、他人を汚い言葉で罵倒し続けるのはわかる。 釈迦の教えを理解しているつもりのものが、これでよし。なんて言おうものなら、 それこそトンデモだ。まさか、電波は、どっかの坊さんじゃないよね?なら、おもいっきり笑えるんだが。 しかし、逃げるだのなんだのと、議論争論を好み、勝ち負けにこだわり、 罵倒の仕方といい、まるでかの人とそっくりだ。 かの人の師匠は案外この電波って人なんじゃないのか〜。
890 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/10/14(金) 15:24:11 ID:7gWiwU+5
>>889 かの人ってだれだ?お前はハクチ認定ももったいないな。
俺はもと糞坊主だ。びっくりしたか?
891 :
aoi :2005/10/14(金) 15:31:55 ID:6K56EsHJ
>>887 >
神の子と呼ばれるための条件
平和を実現する者。
大バカだな!
マタ10:34
「地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのだ」
勝手なことを吹かないで、チットは聖書を読め!!
892 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 15:37:16 ID:gGuL4Rij
マタイ 5:9 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
893 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/14(金) 15:44:29 ID:0m+mxu6e
>>890 >俺はもと糞坊主だ。びっくりしたか?
わっははは〜。そうか。あんた元坊主か。こいつはいいや。
頭でっかちのあんたは、何も得られなかったんだね。
てか出家したのは、日本の寺かい?なら何も得られなかったのもうなずける。
キリスト教にでも改宗しろ。まだましだ。わっはは。
かの人はかの人だ。いまはアボーンさせてもらってる。
かの人は、あんたそっくりだよ。
894 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/10/14(金) 15:59:44 ID:7gWiwU+5
>>893 かの人かのひとってお前はカラスの脳味噌かぁ?
キリスト教?馬鹿は氏ね。
895 :
aoi :2005/10/14(金) 16:04:25 ID:6K56EsHJ
>>892 >平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
あははは、「呼ばれる」だけであって、きみの言う「要件」ではない。
きみの書いた文句を見てみな!
896 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/10/14(金) 16:14:32 ID:0m+mxu6e
>>894 たわけが。
頭でっかちが、仏教などかんで、あんたのようになるくらいなら、
キリスト教でもやって、純真無垢に神を信じ、
イエスの教えを少しでも守ろうとする者のほうが、はるかにましなんだよ。
たく、何年仏教やってんだか。せいぜい迷いの生存を楽しんでな。
897 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 16:26:44 ID:ZRuqMWr7
間違いないよ。 それに一見相反する御言葉は他にもあるが、どちらも肯定されるもの。
898 :
887ではないですが :2005/10/14(金) 16:37:34 ID:RikuGU2G
899 :
aoi :2005/10/14(金) 17:14:48 ID:6K56EsHJ
>>895 いいかね、神の子となる「条件」なら、必至なのだよ。
「呼ばれる」なら、必須でなく、他のことでも、神の
子となれるのだよ、つまり平和をもたらさなくても、
一人の友のために死ねば神の子とされる。
意味がぜんぜん違ってくるのよ。もう一度、中学校で
勉強し直すことをお勧めする。
900 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 17:18:42 ID:ZJ2sT5Qd
>>899 爺様、年長者だからといって、その見下した言い方はいかがなものかね。
到底、キリスト者とは思えないが。模範になるような書き方はできんかね。
901 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 17:19:04 ID:g4U2fGyV
つまりこれで正しいんですね。 887 :名無しさん@3周年:2005/10/14(金) 14:04:48 ID:ZRuqMWr7 神の子と呼ばれるための条件 平和を実現する者。
902 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 17:28:57 ID:ZJ2sT5Qd
>>901 誰にそう呼ばれるかだね。
神からそう呼ばれたら間違いなく神の子だ。
903 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 17:32:44 ID:gGuL4Rij
確かに「神の子となる条件」と「神の子と呼ばれるための条件」は違うと思いますが、
>>887 への意見
>>891 というのは変だと感じました。
マタイ 5:9 でいう「神の子」なら
>>887 で合ってると思います。
904 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 17:38:24 ID:ZRuqMWr7
幸いは神様の視点でしょう。 神の子になる具体的な数少ない手法の開示であるわけだから、あえて条件としたの。
905 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 17:58:02 ID:ZRuqMWr7
オンジは初めから人は神の子だというが、ここに抵触することになる。
906 :
aoi :2005/10/14(金) 18:07:37 ID:6K56EsHJ
>>904 あはは、変更して、「幸い」を視点としても「条件」にはならない。
孫のお相手は手数がかかるよ。だが可愛い孫のためだ。あははは!
笑う門には福来るってね。
907 :
キュロス :2005/10/14(金) 18:33:47 ID:AsFoOB6H
人の生きる意味は 人の内面にはないの。 これを 神学的に表現すると 信仰は個人にはないんだよ。 だから シナゴーグや 教会と言う制度が出来たんだよ。 解るか? 敬虔主義が出てきたのは 聖書の時代以降なんだよ。
908 :
キュロス :2005/10/14(金) 18:44:23 ID:dsNvKrHT
>ローマ 8:14 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
909 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 19:12:16 ID:ZRuqMWr7
導かれて、何かを成すのでしょう。その具体的なものが平和
┏━━━━━━┓ ┃ さ 死 ┃ ┃ ば 後 ┃ ┃ を ┃ ┃ た ┃ ┃ べ ┃ ┃聖 る ┃ ┃書 ┃ ┗━━━━━━┛
┏━━━━━━┓ ┃ さ 死 ┃ ┃ ば 後 ┃ ┃ を ┃ ┃ た ┃ ┃ べ ┃ ┃聖 る ┃ ┃書 ┃ ┗━━━━━━┛
912 :
名無しさん@3周年 :2005/10/14(金) 19:48:37 ID:ZRuqMWr7
殉教、己の十字架を是とする覚悟を持った生きざま。使徒の生涯がそれでしょう。 相手の要求を満たす、逆らわない、まさに平安。
913 :
名無しさん@3周年 :
2005/10/14(金) 20:06:06 ID:wtvvo/jI 聖書には、思想の厳密な一貫性などなく、意味の相反する章句が多数存在す る以上、それらはもはや「聖句」などではない。単なる分裂病患者のたわご とに過ぎない。 「神概念」とは、古代人の空想又は幻覚の産物が、現代まで「惰性的に残存」 しているものである。現代人が大真面目に神を論じるのは、時代錯誤以外の 何物でもない。犯罪人である人間イエスを神格化するなど、荒唐無稽を通り 越して、明らかに病的である。 古代人の生活には、自然との闘いにおける生物学的生存の不可欠な「手段」と して神は存在した。しかし、創唱宗教においては、開祖の精神障害の結果とし て、神を恣意的に抽象化、観念化、精神化、倫理化して、精神の内面にまで取 り込み、人間の生存本能から切り離してしまった。 従って、創唱宗教には神は存在せず、むしろ神から断絶したのである。人間 の生存から離れて神を語り、思考する現代の宗教ほど、神に遠いものはない。