真理=聖書に決まりきってるじゃねえか…

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845考える名無しさん:2005/10/02(日) 23:02:00
>839 理解して信頼することと,信頼して理解することとがあるのでは.
作家の方が,本を読む場合,著者に信頼しなければ,その本を通して著者が伝えようとすることを理解することは出来ない,と言っていました.信頼して読み,伝えようとしている内容を理解する.私は,それが,当てはまると思っています.
>841 哲学がそうであるように,神学もまた,今日も,思惟を続けています.
これは人によって異なると思いますが,永遠を前にして,頭脳の違いから,自身の理解力がどの程度の大きさに感じられるのか,私の場合,今,小さく感させられています.
846考える名無しさん:2005/10/02(日) 23:12:06
>>845
信頼しようにもできないほどデキの悪い本というものも、世の中にあります。
私にとって聖書とは、そういう本でした。
あのように自己矛盾に満ちた本を「信頼する」ことは可能でしょう。
しかし「理解して信頼する」ことは、すくなくとも私には不可能です。
847考える名無しさん:2005/10/03(月) 00:00:34
キリスト教の信者が、果たして真にキリスト者であるかどうか?
848:2005/10/03(月) 06:49:40


キリスト教は、矛盾だらけ

真理に近づくことができない。

849オオタク:2005/10/03(月) 07:39:48
実さん、おれはいなくならないよ〜(^_^)v
おれは正直、アタマでは理解していないのです。
ただ聖霊様の働きでわかってるんだ。
うちの教会は聖霊派だし。
理論的に説明するには牧師先生に聞かなきゃいけないからマンドクサセ。
ごめんね。。
850考える名無しさん:2005/10/03(月) 07:51:39
>846 それは,読む場合の姿勢によって,受ける印象が違ってくる場合が有ると思います.
自分が,今,期待したり,求めたりしている答えがあって,それに近いものは,読めるけど,
かなり見当はずれだった場合には,無味乾燥と言う場合がありです.
851ファンタ:2005/10/03(月) 09:16:40
>850の続きです.これは,私の場合と言うことでかきました.
あなたが言われていることには,当てはまらないかも知れません.
852考える名無しさん:2005/10/03(月) 09:44:13
849
オオタクよ。本当に牧師先生に聞くのはめんどくさいか?
853考える名無しさん:2005/10/03(月) 09:49:09
イエスの末期の台詞が、聖書の内部で食い違う。
イエスの祖父が誰なのかも、やはり食い違う。
はなはだしきは、同じ創世記の内部で創造の順序が違う。
これは「印象」の問題ではなく、「矛盾」です。

たとえば「動植物より先にアダムが作られた」とする創世記の記述と、
「動植物などよりも後にアダムが作られた」とする創世記の記述とを、
同時に信頼して理解することは、私にはできません。
これは「読む場合の姿勢」や「無味乾燥」といった問題ではないと思います。

あなたのように、ただ「信じる」という立場をとることは可能でしょうが、
聖書を「理解して信頼する」ことは、私にはできません。
854オオタク:2005/10/03(月) 11:53:48
>>852
うん。マンドクサイ。
昔はおれも納得できないことをよく聞いたんだけど、今はあまりないんだよ。
牧師先生に聞いて、ここに書き込むと、かなり納得してもらえると思うけど、マンドクサイ‥
855考える名無しさん:2005/10/03(月) 12:14:06
人間が神になることを西洋的な考え方は要求しないようですね、
東洋的な考え方はこのよう考え方がみられます、
例えば、仙人や解脱のように最高になることを目的にします。
東洋が西洋の理解をする場合、
人間が最高の存在になるにはどうするのかを考えることがあるようですね。
彼等は神になるつもりであるという解釈は誤りではないかと思われます。
856ファンタ:2005/10/03(月) 12:24:03
イエスの系図は,父方の系図と母方の系図の二つがあるという見方が.
また,創世記の1−2章の記述は,創造の手順書や行程表のような意図を持った文章ではなく,詩文ですので,行程を再構成するには,情報不足では.
けれども,その詩文が書かれた意図に沿って,意図を伝える上では十分という見方.

857ファンタ:2005/10/03(月) 12:57:07
ファンタと言う名前で書いて失礼しました.
シャベリ場の散歩のつもりで,哲板のスレッドを読み始めたのですが,この哲板の書き込みの熱気に,
つい釣られて書き込みをしてしまいました.
そしたら,ついつい続いてしまっています.
オオタクさんほか皆様,仲間に入れていただいて宜しいでしょうか?
先に,ファンダメンタリストとあったので,私の場合ファンダメンタリストかどうか分かりませんが,
それを頂いて,ファンタとさせていただいたのですが,宜しいでしょうか.
858死に至る名無し:2005/10/03(月) 16:54:08
呼ばれてないけどジャ蛇邪じゃ〜んw
ファンダメンタリストってオレのこと?
それはさてさて、「はじめに光ありき」発言は
脳の働きに見る量子論説で「はじめに言葉…」と照らしたんですがwww
誰かは知りませんが
「言ってない!ブヒブヒ!!」なんてw
躓いちゃってwww
下ばっか見てるから解釈がナローになっちゃってますよwww
ま、ボクにもっと躓いてちょうだいなw

あと、世の中に悪い本云々言ってる人がいますね
>746さんか?
「メシアなきメシア論」丸出しw
つ〜か、アホ丸投げwww
んで、信頼して読めって助言してるパックスファンダメンタリスト
も危険なんじゃないの?

“デコンストラクションしながらテキストの読解に勤めましょう”
が適当なんじゃないの?

そうそう、上のオマエ。
しゃべり場ならNHKでしてこいよ
しゃべり場みたいな腐った生温かい熱気なんか持ってくんな。
ってか、オレの進化発言に文句言ってたヤツ
絡んでこないね?

反復という断続的連続性に絡まって進化出来ませんか〜?w

なんちってw
たまにはこんなウザいトリックスターも…どう?w

レ・ミゼラブルのみなさん お手柔らかにねw
859死に至る名無し:2005/10/03(月) 17:00:42
ここの住人に決定的に欠けているは

哲学第一原理

ボタンの掛け違い…はやくね?w

オマエら、生身の・・人間だよ・・・な?www
860考える名無しさん:2005/10/03(月) 17:13:57
エントロピーの増大を防止するには聖書は最もよい書物であろう。
861死に至る名無し:2005/10/03(月) 17:19:09
そうきたか!w
>860氏
オレと捉え方こそ違うが生身の発言うれすぃ〜(笑顔
862オオタク:2005/10/03(月) 18:27:31
ファンタさん大いに仲間に入ってよ(^_^)v
863ファンタ:2005/10/03(月) 18:52:49
有難うございます.宜しくお願いいたします.
864ファンタ:2005/10/03(月) 19:01:06
“批判”或いは“疑う”と言う言葉は,翻訳の時に哲学上定義して用いているので,日常の一般的な感覚で言うと“評価する”に近いのでは.
865考える名無しさん:2005/10/03(月) 20:10:17
>>860
ニーチェスレの2か3でニーチェがマクスウェルの悪魔って書かれてたな。
もちろんお前と違って言いっぱなしじゃなくきちんと説明付きでな。
落ちたスレの見方わからんので引用できんのが残念だが。

この悪魔の名は聖書には譲れない。
たとえ聖書が最も悪魔的な書物でもな。
866:2005/10/03(月) 21:46:16
オオタクさん、おかえり
867考える名無しさん:2005/10/03(月) 22:23:18
お帰りなさい。
で、次に「マンドクセーから勘弁してや」って逃げるのは
いつになる予定?
868考える名無しさん:2005/10/03(月) 22:25:38
ペンテコステ派なら仕方がないんじゃないか。
ドラッカーは「学歴がないという絶望」がこの派を支えていると言っていたが。
869オオタク:2005/10/03(月) 23:27:44
ペンテコステ派だからしょーがないとゆーか、だからこそアタマでガチガチにならず、真理の霊である聖霊の導きに従って生きられるんだよん(^O^)
870訂正:2005/10/03(月) 23:30:37
× 真理の霊である聖霊の導きに従って生きられる
○ 牧師の言うことを聖霊の導きだと信じて従える
871ファンタ:2005/10/03(月) 23:41:51
既成の宗教は,常に世俗化し退廃している.
ローマ 7:22
 すなわち,私は,内なる人としては,神の律法を喜んでいるのに,
ローマ 7:23
 私のからだの中には異なった律法があって,それが私の心の律法に対して戦いをいどみ,私を,からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです.
ローマ 7:24
 私は,ほんとうにみじめな人間です.だれがこの死の,からだから,私を救い出してくれるのでしょうか.

このように,聖書の時代から,既に,キリスト教も,世俗化や退廃との戦いがある.
仏教についても,大乗仏教の出現そのものが,世俗化であり退廃であると言うこともできる.
ニーチェはその部分に,目を留めて批判している.それは,批判しているニーチェ自身もまた,当時としては退廃しており,
その退廃からの救いをもたらすことの無いキリスト教とそれが語る神をである.
神は死んだのではなく,人が神を殺している.この場合の殺すとは,自身の自覚的に意識する範囲内から神を除き去り,
神を除外する行為である.現代の通用語に直せば,シカトがそれに当たろうか.
けれども,たとい意識の外に置かれても,神は存在しており,生きている.
そして,何も出来ないのではなく,また何もしないのでもなく,人の有様に関わり無く,
ご自身の御心を行っておられる.
マタイ 5:45・・・天の父は,悪い人にも良い人にも太陽を上らせ,正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです.
使徒パウロは,退廃と世俗化の下に有る自分を,“肉に在る”と言っている.
そして,その自分を真正面から受け留めて,イェス・キリストの身代わりの救済に身を託している.
神を賛美している.
ローマ 7:25
 私たちの主イエス・キリストのゆえに,ただ神に感謝します.
ですから,この私は,心では神の律法に仕え,肉では罪の律法に仕えているのです.
ローマ 8:3
 肉によって無力になったため,律法にはできなくなっていることを,神はしてくださいました.
神はご自分の御子を,罪のために,罪深い肉と同じような形でお遣わしになり,肉において罪を処罰されたのです.
大切なことは,避け得ない退廃と世俗化を,批判することではなく,その下で,何を成すかではあるまいか.
ニーチェの痛みは深い.察するに余りあり,尽くし得ない.
872オオタク:2005/10/03(月) 23:58:39
レベルの高い議論になって来て嬉しいス。
聖書を論ずることは恵みだ。
873ファンタ:2005/10/04(火) 00:04:00
私は,自分が本当に惨めで,死のからだにあるとまで,思うほどには,自分の悲惨さを知らない.
また,ニーチェのように,精神に異常をきたす過程で,なおも思惟し続け,自身を養い育てた環境を批判し続けなければならない程には,苦悩を知らない.
故に,察するに余りあり,尽くせない.知るべきを尽くせず,依り頼むべきお方に頼むことも尽くせない.ただ,憐れみを請う.
874オオタク:2005/10/04(火) 07:07:42
イスラム教徒がまたテロ起こしたな…
875ファンタ:2005/10/04(火) 09:27:51
“ただ,憐れみを請う.”
皆さんのレスから,そのような思いが引き出されているのです.
それは,“心の貧しい者は幸いです.”のイェス・キリストの祝福に,一歩近づけて下さる,取り計らいとなっています.
その一瞬,創世記50:12「神はそれを,良いことのための計らいとなさいました.」の様な恵みが,今,私にもたらされている.
これは,また,ローマ8:12「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを,私たちは知っています.」と言われているとおりです.


876オオタク:2005/10/04(火) 12:15:04
すばらしいですね。
877考える名無しさん:2005/10/04(火) 14:58:40
説法会なら↓でやってろ。
ttp://life7.2ch.net/psy/
ここは哲板だ。
878オオタク:2005/10/04(火) 18:53:46
うるせーじゃますんな。
879考える名無しさん:2005/10/04(火) 19:28:07
>875 は,聖書=真理を,実存的に論じているのでは???・・・.
880オオタク:2005/10/04(火) 19:59:10
そーだそーだや〜い!
881考える名無しさん:2005/10/04(火) 22:46:16
亀レスで失礼します.>842 を有難うございます.その時,PCを離れていました.(>840から)
882考える名無しさん:2005/10/05(水) 00:15:44
>>879
「聖書=真理」という前提で説法してるあたり既にダメだろ。
883考える名無しさん:2005/10/05(水) 06:57:56
>882 哲学的懐疑は,事実を見過ごさず,憶断により事実本当のことから逸れてしまわないように,丁寧に事実を認定していくことを求めているのでは.
事実ほんとうのことを確認するためには,事実ではないと言う仮説を立てると確認出来ないのでは.否定的な,命題は証明できないから.
肯定的に,事実であると言う作業仮説を立てることで,証明できるか出来ないか,確認できるのでは.
以前,私も,全くの無前提から出発することを欲して求めたことありです.けれど,それは既に,哲学の実際から逸れるよう.
徹底的な懐疑から,不可知へ入り,虚無に至のでは.
哲学は,事実本当のことがあり,それに至ることができる,と言う前提を持つのでは.
徹底的な懐疑は哲学を逸脱する場合も,では.
884オオタク:2005/10/05(水) 14:50:55
聖書は占いを厳禁してる。
おれも救われる前は人並みに占いもしたけど、あれって悪霊の働きで、本当に当たる人は当たるんだよね。
牧師先生のお話では、占い師は変死を遂げる人が多いそうな。

この世界は霊的なんですよ。

885考える名無しさん:2005/10/05(水) 17:31:04
作業仮説を立てて,真理を検証することは,占いになるということ???
886オオタク:2005/10/05(水) 17:49:32
いえいえ、関係ないよ!
887:2005/10/05(水) 18:12:47
逸れるけど、

コックリさんなんかヤバいよね?…
あれって悪霊と交信してるだけだし、

興味本意で、やったりしたら…
888考える名無しさん:2005/10/05(水) 18:30:24
>丁寧に事実を認定していくことを求めているのでは.
だから、その手続きをすっ飛ばして、「聖書=真理」を頭から「事実」だと信じて
説法してる連中は、「哲学的懐疑」の対極にいるわけだ。
889考える名無しさん:2005/10/05(水) 18:34:35
何でも疑う事だけが哲学だと思われているのは残念だ。
890考える名無しさん:2005/10/05(水) 18:38:25
すくなくとも「何も疑わずに信じること」は哲学じゃないぞ。
891考える名無しさん:2005/10/05(水) 19:04:00
疑うとは否定的に注目する事。信じるとは肯定的に注目する事。
何にどのように注目するかが重要なのであって、何でも一本槍ではいけない。
892考える名無しさん:2005/10/05(水) 19:45:50
疑うということを信じることはできないのか。
信じるということを疑うことはできないのか。

信仰に逃げ込まず、だ。
893考える名無しさん:2005/10/05(水) 20:19:59
>>892
論理に逃げ込み対象を見失っているとおもわれ。
894
892>良いこと言う!
理に叶ってる!