1 :
Web枢機卿ヨハネ ◆zcUcZzaxB2 :
05/01/26 21:55:37 ID:PRz9QD4/ まだ迷ってるんだよ…。
>>1 回復訳というのが前スレの最後で
クローズアップされてましたね
3 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/26 22:19:48 ID:H9zvU6Vq
>>1 乙かれぇ〜
>>2 回復訳聖書、今日買いましたぁー
(^O^)v
>>3 マジ?書店注文にしちゃ早いな。アマゾン?
で、読み応えはどう??新共同訳と違うのかな。
5 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/26 22:36:27 ID:H9zvU6Vq
>>4 先週、注文してたの。
解説が読みごたえがある。
ヨハネ福音から読んでるけど、最初から解説の意味が、よくわからなぃ。
とにかく解説が、凄いぃょ。
聖書本文は、やはり読み慣れた本田訳が今は好き。
新共同とは、どうなんだろ?
あまり新共同は、読まなぃから。
>>5 そうか、ありがとう。また感想を聞かせてください。
そのうち購入しようと思う。
7 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/26 22:45:53 ID:H9zvU6Vq
>>6 聖書解釈が、えっ!と感じるところもある。
少しづつ、本田訳と比べながら読んでみます。
8 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/27 01:45:58 ID:NymoVmJ9
>>5 ヨハネ福音から読んでるけど、最初から解説の意味が、よくわからなぃ。
とにかく解説が、凄いぃょ。
よくわからないのにすごいって?
10 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/28 02:27:37 ID:YnHFFDly
>>9 凄ぃって単純に、解説量。
わからなぃのは、例えば、
ヨハネ伝1-1
「初めに言があった」の、「初めに」についての解説からよくわかんなぃ。
わたしが持ってる解説付きは、本田訳とバルバロ訳だけど、解説量が全く違うの。
12 :
全スレの996 :05/01/28 05:54:24 ID:CzakfkZz
ヨハネ1:1の「はじめに」と創世記1:1の「はじめに」は意味が違う、という やつですね。創世記の方は、時間という領域の中での「はじめ」、ヨハネの 方は時間が創造される以前の、時間という領域の外側でのことを言っています。 、それは、神は時間という領域の外側に存在し、時間をも創造した 創造主であるということなのです。 このあたりは、突っ込んでいくとものすごく面白いのですが、何しろ難しいし、 回復訳の注は表現が圧縮されていて難解です。注はライフスタディの圧縮 なので、ライフスタディを読んだ方が楽ですよ。 ヨハネは第三章から第十一章まで、自分自身に適用しやすい、さっと読んで じわっとくる箇所です。 3:16、7:39はいかにも回復訳、というところですね。
13 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 02:00:22 ID:t72ro791
△リビングバイブル
マイナーで良訳とも言えないが…数少ない新旧聖書完全公開日本語聖書と言える。
一応、新約旧約ともPDFファイルの形ですべての書簡を読めるもよう。
http://www.ibs.org/bibles/japanese/index.php ○各国語オンライン(無料)聖書
http://bible.gospelcom.net/versions/ ◎20世紀までカトッリクで使われていた英訳聖書Douay聖書
カトリックの公式聖書ラテン語ヴルガタ
◇Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/ ◇Latin Vulgate Bible
http://www.drbo.rog/lvb/ ■旧約規範本・写本
○ヘブライ語旧約原典写本印刷校訂本
BHS(Biblia Hebraica Stuttgartensia)5th edition (June 1, 1997)
ペーパーバック: 1574 ページ
発行者: American Bible Society
ISBN: 3438052229
www.amazon.com にて$23.79
○ヘブライ語旧約 重要複写版書籍(レニングラード写本・アレッポ写本)
☆Leningrad Codex(レニングラード旧約聖書ヘブライ語写本):複写版
ハードカバー: 1016 ページ
発行者: Wm. B. Eerdmans Publishing Company; Hebrew Language edition (January 1, 1998)
ISBN: 0802837867
www.amazon.com にて$160.65
☆The Aleppo Codex(アレッポ旧約聖書ヘブライ語写本): Provided With Massoretic Notes and Pointed by Aaron Ben Asher the Codex Considered Authoritive by Maimonides [複写]
発行者: Eisenbrauns; Facsimile edition (December 1, 1976)
ISBN: 9652235687
www.eisenbrauns.com にて$500
14 :
13内容訂正 :05/01/29 02:26:33 ID:t72ro791
15 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 02:39:01 ID:t72ro791
●キリスト教はギリシャ語70人訳(ラテン語でセプトアギンタ)の流れに
よって旧約から新約までを保存継承してきたと言っても過言ではない。
○ギリシャ語70人訳(セプトアギンタ)
新約
ttp://septuagint.org/NT/ 旧約
ttp://septuagint.org/LXX/index.html 一般的新約ギリシャ語印刷本(翻訳底本)UBS4th&Nestle-Aland 27th
☆UBS4th
Greek New Testament : With English dictionary
革装:1195ページ
発行者:American Bible Society ; 4th edition (December 9, 1988)
ISBN : 3438051133
www.amazon.com にて$32.99
☆Nestle-Aland 27th edition
Novum Testamentum Graece
亀甲文様装丁:810ページ
発行者:American Bible Society ; 27th edition (June 1, 1993)
ISBN : 3438051001
www.amazon.com にて$27.19
16 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 03:01:54 ID:t72ro791
17 :
16 :05/01/29 03:12:20 ID:t72ro791
18 :
16補足 ファイヤーウォール :05/01/29 03:24:59 ID:t72ro791
>[注意]IP : 69.148.57.65(rosetta.reltech.org)と > 69.148.57.67(alpha.reltech.org)のTCP:port 80,8023のOUTを >ファイヤウォールで許可の上、ID:any PASS:any でアクセスする。 ファイヤーウォールの設定について少し端折り過ぎたので補足です。 リモートIP 69.148.57.65,69.148.57.67 ポート番号 リモート(相手サーバ)80,8023 ローカル(自機)1031-2000 接続規則 TCP 方向 OUTGOING
19 :
通りすがり :05/01/29 11:54:20 ID:lMCclXYk
>>12 996さん、またお会いできることを楽しみにしていました。
ウォッチマンニーとウィットネスリーについてのスレを立てようと
思いましたが、制限にかかって今のところうまくできません。
もし気が向けば、ICFの通りすがりの私書箱にメールください。
まだまだお話ししたいことがありますので。
今日はこれから出かけますので失礼します。
20 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 12:54:47 ID:pKeCuqbL
聖書がほしいのですが、地元の書店で販売していないため中身を確認出来ません。 一般にでまわっているのは新改訳ですか?
22 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 13:05:58 ID:JYJUnKXI
23 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 13:19:52 ID:PL5v/D03
>>20 日本で一般的な聖書というと「新共同訳」になります。
「口語訳」「文語訳」は、これの旧バージョンとなりますが、
長く愛されていてまだ販売されています。
キリスト教系新興宗教のエホバの証人が独自訳である「新世界訳」を出して
いるように、キリスト教の保守派の人たちも信者さん向けに独自訳を出して
ましてこれが「新改訳」です。一般の書店でも売られていることから、
一般人でも間違って買われる方がおられますが、気をつけたいものです。
他にカトリックのフランシスコ会訳、一般の聖書学者による岩波委員会訳が
あり、この二つは評判がよいです。
このスレッドで紹介されている「回復訳」は、保守派系に分類
されますが、カルトという評価もあります。(わたしは未読)
24 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/29 13:21:44 ID:1jgrKpzv
>>20 一般的と言いますか、聖書を取り扱う一般書店では、新共同訳聖書のほうが、多い感じがします。
でも、あなたが、この先、教会に行くことも、お考えならば、教会で使われてる聖書と同じものが、便利ですね。
性書って、あのデタラメで嘘に溢れたカルト書ですか? キリスト狂=歴史偽造=自己陶酔=チョン! かの国にキリスト狂信徒が多いのが解る気がする 捏造主義者!
マリアを強姦した奴教えてくださいm(__)m 昔は、強姦されて妊娠すると神から授かったと言うと聞きました 世間体の為? 麻原と一緒で神格化の為? そもそもキリストって、実在したの???
27 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/29 13:58:23 ID:1jgrKpzv
>>23 新共同訳聖書は、また何種類かあり、見ないで通販や取り寄せですと、迷いますょね。
続編の有る無しから、縦書き横書き、スタディバイブル?とか、ありますょね。
>>23 さんは、新共同訳なら何が適切と思いますか?
キリスト狂は、宗教では無い! ただの読書倶楽部!です ゴメンね日本のキリスト狂徒は白人信仰と言う信仰心が有ったね キリスト狂は、邪教なので神に仕えても、罪を告白しても無駄です むしろ、苦しい人生で最低な死に方をして地獄に墜ちちゃうよ
>>20 余計なお世話かもしれないが、聖書よりも聖書を解説した本や漫画から
はじめたほうがいいと思うよ。ハンディーサイズの新共同訳聖書でも
細かい活字で2000ページ近くあるからね。それに日本語訳の場合意味
の通り良さよりもできるだけ原語に近い訳を採用する傾向があるから、
読み慣れないとかなり読みづらいと思う。
30 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/29 17:05:37 ID:1jgrKpzv
>>29 そのような意見なら、本田訳聖書が、おすすめ。
読みやすいし、解説が丁寧だし。
>>30 回復訳の読み心地は どなぃでつかぁ?
本田訳って どこで手に入りまつのぉ? ...U^ェ^Uз
32 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/29 18:28:45 ID:1jgrKpzv
>>31 えぇー、まだそんなに読んでませんょぉー。
豊富な解説読みながら、なかなか進まなぃです。
他のならすぐ読み進むとこでも、解説も読みながらです。
例えば「柔和な人は幸いである」の「柔和」についても、なるほどなぁと思いながらです。
33 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/29 18:50:21 ID:1jgrKpzv
>>31 訳者本田哲郎(フランシスコ会司祭)
「小さくされた人々のための福音・四福音書および使徒言行録」
発行新世社tel 052-971-3556
2800円税別 新約も分冊です。
わたしは、ここに書いたのを最初に買いました。
買ったのは下記の四谷の店頭でしたけど、電話で通販してくれます。
ネットショッピングも、してるみたぃかな?
http://www.sanpaolo.or.jp/
34 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 19:06:22 ID:mnwEs2UB
>>32-33 まなみタソ どうもありがとだわん...U^ェ^Uз
Hpみたけど、ネットでは販売してへんのかな・・・
新約も分冊なんすかぁ... 全部揃えると何冊やろぉ?
このスレみるといろいろ欲しくなるだわん...U^ェ^Uз..・゚・☆
35 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/29 19:24:14 ID:1jgrKpzv
>>34 まぁ一般的なクリスチャンには、無理には言わないぃけど。
旧約が無いしね。
でも全く聖書に触れたことない人には、いぃと思う。
ただ医療福祉関係のクリスチャンには、本田訳聖書は、無理にでもすすめたぃぐらいかな。
マザーテレサに関心ある人とかにもね。
キリスト教や精神世界スピリチュアルは、書籍代がかかるねぇ。
天理教やヨガは、書籍代はかからなぃけど。
口語訳も好き。 教会では新共同訳だけど、小見出しとか解説の類が一切無い口語訳は 一気に読み下して雰囲気を掴むと、けっこう名調子と呼びたくなる いいフレーズがあると思うんですけど。
37 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 19:48:41 ID:mnwEs2UB
>>35 一般的なクリには 必要ないてか? ...U^ェ^Uз
マザーテレサとも関連もあるとでつかぁ? ♪
まぁ。近くの書店で拝見してからにするわん。
まなみタソ〜ぉ。聖書のどこか一節を回復訳と本田訳で・・・
書いてもらえないでつかぁ? お願いしまつだわん...U^ェ^Uз..・゚・☆
38 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/29 20:06:00 ID:1jgrKpzv
>>37 えぇーっ、だってお金の話が出たからね。
福音書だけでもぉー、おすすめしますょぉー。
神父さんの小見出しが、いぃんだ。
あと、はしがき、解説、付録1〜5、あとがきも、とってもいぃの。
まず洗礼の意味も、なるほどって思える話。
書き写すのは、厳しいかなぁ。
回復訳は、聖書見本があります。
日本福音書房に言えば、送付してもらえるんじゃなぃかなぁ。
岩波書店の聖書訳委員会の聖書はどうでしょうね。 訳者の個性と教養がが出ていて好きです フランシスコ会訳と合わせていいなあーと思うのですが。
>>38 お金のはなして なんだわん? ..U^ェ^Uз
分冊を揃えると高いだわんかぁ・・・ $ $
カトリックさんも分冊多すぎだわんU´ェ`)・゚・。・゚゚・*:.。
41 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/29 20:42:26 ID:1jgrKpzv
42 :
名無しさん@3周年 :05/01/29 22:44:32 ID:5epZoF5q
漏れはまだ洗礼を受けてない求道者。 漏れが通う教会では口語訳を使っているが、とりあえず新共同訳(ペーパーバック)を買った。 理由は巻末付録の「読むためのガイド」がわかりやすかったし、値段も1900円くらいと安かったから。 個人的にはフランシスコ会訳が欲しいんだが、全巻揃えるのには金がかかる…。 あと数年したら、フランシスコ会訳の旧約・新約聖書(合本)が出るそうだから、それが出るのを待とうかとも考えてる。
>>41 まなみっち どうもサンクスわんU´ェ`)・゚・。・゚゚・*:.。
本田訳つかってらっしゃる方けっこういるだわぁん。。♪
書店でも見まつた。初心者向けの感じだったわん。U^ェ^Uз 主の平和 ♪
>>42 その方がええだわん。数年後に検討するだわん。...U^ェ^Uз..・゚・☆
44 :
通りすがり :05/01/30 21:59:17 ID:9qRkmFtw
46 :
名無しさん@3周年 :05/02/01 00:01:54 ID:PAkPNYIC
47 :
名無しさん@3周年 :05/02/01 01:02:45 ID:joS0yJww
文語体の正教会訳が一番好き でも新約しか出ていないのが残念
48 :
名無しさん@3周年 :05/02/01 08:14:17 ID:+Amhu2Rj
どこにでも現れる仕切り屋正教徒厨をハケーン(゜∀゜)
49 :
名無しさん@3周年 :05/02/01 08:15:34 ID:+Amhu2Rj
正教徒厨は自作自演
>>39 岩波書店の聖書翻訳委員会訳の新約聖書?氈`?」全5冊を
古書店で購入しました。
字が大きくてうれしいです。
マイナー・マニアックな訳としては「現代訳」なんてのもあるわね。三浦綾子が 帯で推薦文を書いてたと記憶。 そして漏れは文語訳と正教会訳が好き。普段読むのは新共同訳。
52 :
名無しさん@3周年 :05/02/02 15:18:24 ID:CAihuRg2
ラゲ譯。
>>50 それは良い買い物しましたね。
他の聖書訳と比べると聖書を批判的に解釈していけるかと
思います。そういった意味で聖書を読むのはおもしろいですね。
私は難解なパウロ書簡を青野太潮先生が上手く訳されているのに
感動しました。中には注釈や写真などがあり本としても良い仕上がりに
なってますね。
54 :
名無しさん@3周年 :05/02/03 18:39:08 ID:knN6lNus
岩波書店の聖書は見たことが無いんですけど、それ以外で プロテスタントが使うような聖書で、注釈の付いた聖書を 見たことがありません。私が知らないだけなのかもしれませんが。 プロテスタントの方って聖書を良く読まれるようなんですけど、 どのようにして理解されているのでしょうか? 注釈抜きで一人で聖書を読んで、本当に理解できるのかすごい 不思議なんですけど。
55 :
名無しさん@3周年 :05/02/03 19:34:48 ID:CkDJmNaf
>>54 プロテスタントは
1. 神の言葉と人の言葉が混ざって存在することを潔しとしない。
2. 聖書を解釈する権利を個々人がもつと考えるため、「教会公認」とやらの
押し着せの解釈に抵抗感があり、
3. しかも聖書本文と同一平面に存在することで特定の解釈が権威を得てしまう
ことをよしとしない。
ので、聖書の中に解説や注釈を載せないが、引照は大好きですし、別に書かれた注解書は
よく用います。…それさえも嫌うものはいますが、そういう手合いは、牧師含めて
周り中そんなんばっかりなので、自分がどんなに勝手で浅薄な読みしか出来ていないか
一生気付かずに、幸せな信仰生活を送っています。
56 :
名無しさん@3周年 :05/02/03 22:16:25 ID:knN6lNus
>>55 ご返答有難うございました。
プロテスタントは聖書を理解しようとする時には聖書とは別に注解書
を使うんですね。
でも注解書も参考にしないような牧師ってちょっと想像出来ませんが。。。
>>54 新改訳注解・索引・チェーン式引照付ではだめですか?
>>56 私も想像できない。
新約だけですけど、新共同訳スタディバイブルも注がついてて便利です。
カトリックのですけど、フランシスコ会訳もいいみたいです
59 :
名無しさん@3周年 :05/02/03 22:37:31 ID:knN6lNus
>>57 すみません。新改訳引証付は見たことあるんですけど、
引照しか掲載されてなかったと思います。
新改訳注解・索引・チェーン式引照付というのは見たことありません。
60 :
名無しさん@3周年 :05/02/03 22:55:10 ID:knN6lNus
>>58 そうですね、フランシスコ会訳は確かにいいと思います。
申し遅れましたが、当方カトリックで、新共同訳を使っていたのですが、
あまりの分からなさにフランシスコ会訳の新約聖書を新たに購入した
ものですから、プロテスタントの方はどのようにして理解されている
のかと疑問に思いお尋ねしました。
新共同訳の和英対照版、旧約続編(外典・偽典)付きキヴォンヌ
62 :
名無しさん@3周年 :05/02/03 23:20:04 ID:wQwMdMRn
エホ証の聖書って、どうなんでしょう?
よく間違ってるというが、たとえばどこが間違ってるの?まあ、買うことはないだろうけど。 たまに、新改訳が、偏った翻訳ということを聞きますが、程度問題ということはないの?
要は三位一体否定を明確にするために「神≠キリスト」となるように言葉を 足したり消したりしてる。<エホ証「新世界訳」 日本語版は英文を直訳した物だから読みにくい。
65 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/04 03:37:00 ID:uut74tE9
>>64 新共同訳も新改訳も、福音書以外は、読みにくいですけど……
>>64 ていうか、聖書にイエスが神そのものとは書いてないじゃん。
消す必要なんてあるんかいな。
67 :
名無しさん@3周年 :05/02/04 05:34:54 ID:skNBBeNy
新改訳三版のチェーン式、早く出ないかな。
>>63 >新改訳が、偏った翻訳ということを聞きますが
戦後すぐに文語訳が改訳されて口語訳が出ますと、この翻訳を
近代的すぎると批判して、
福音派学者29人が新改訳刊行会を結成したのですね。
(イエス・キリストを神ないし子なる神と呼ぶことを好まない者、
人本主義者、近代主義者、ユニテリアン、アウリス主義者、自由主義者
が作った訳だと怒った)
当初から保守的グループの手によるものですので「偏った翻訳」というか
福音派の信者さんたちのための聖書と言われるのですね。
口語訳が文語訳の「改訳」で、そこに「新改訳」という名前でデビューした
ものですら世間一般は当初、口語訳が正規に改定されたのかと誤解を生じ
たことからも保守派信者さん用の聖書という事実が強調され続けるのかもです
>程度問題ということはないの?
口語訳は「神やキリストの権威をことさらに弱めるきらいがある」と批判
してるだけあって、
キリストの神性を明確にする福音派の保守的信仰に立っているのが特徴と
言われています。
まあ新世界訳も新改訳も、それぞれ信者さんたちが自分たちの福音理解に
都合のよい翻訳を作ったというこでしょうし、
信者以外には無関係な訳です
>>42 フランシスコ会訳の分冊は、絶版ばかりで全巻揃えるのは無理かと。
70 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/04 12:49:50 ID:uut74tE9
前スレでは一時期、バルバロ訳が人気の時があったょね。 最近は、フランシスコ会訳が多ぃ。 これって、流行? ちなみにあたしは、バルバロ訳。
>口語訳が文語訳の「改訳」で、そこに「新改訳」という名前でデビューした >ものですら世間一般は当初、口語訳が正規に改定されたのかと誤解を生じ なんかちょっとショック。 聖書協会への業務妨害みたいなもんか。
新改訳の訳者の一人に面談して聞いてみたところ、最初は口語訳に不備を感じて 聖書協会へ訂正を要求したところ、ほとんど相手にされず追い返されたとのこと。 そこで同士を募って新改訳の作業を開始したそうです。
新世界訳は難解なのが問題というより現在一般的に使われてるギリシャ語 ヘブライ語の写本じゃなくて英語版を元に作ってるのが問題とされるのね。 難解といえば新共同訳の前に作られた共同訳は言い回しが妙で読み難かった。
>>63 リベラルが訳した口語訳聖書とエホバの証人が訳した新世界訳聖書の共通点は、
イエス・キリストの神性がわからないように訳してあるということです。
それこそ偏りと言います。
75 :
名無しさん@3周年 :05/02/04 23:01:47 ID:eETdAeOu
>イエス・キリストの神性がわからないように訳してあるということです。 そうだろ 聖書を聖霊に導かれて読み・理解するのではなく 理性で読み・理解するんだろ。だから新改訳や現代語訳が 必要なんだろ。
>>75 理性を超えた事柄であっても、理性に反する事柄ではない。
77 :
名無しさん@3周年 :05/02/04 23:10:34 ID:eETdAeOu
反論のつもりか?誤魔化しか?
78 :
名無しさん@3周年 :05/02/04 23:12:11 ID:eETdAeOu
まさか 聖書を神秘化してはおるまいな。
79 :
名無しさん@3周年 :05/02/04 23:14:19 ID:eETdAeOu
聖書を神秘とすると、完全なカルトだぞ。自覚有るのか。
◆IbYG6dQTTc は、口語訳も受け付けないのか。 カルト恐るべし。
81 :
名無しさん@3周年 :05/02/04 23:48:50 ID:I709MFR9
新世界訳は、意図的改編としか言い様がない訳文がある。 キリストの神性を読み取れるような箇所を変更するほか、 聖霊の人格を読み取れるような箇所を書き換えたり、 「十字架」と言う言葉を「杭」に書き換えたり(笑)。 その他の聖書は、もちろんそれぞれの立場があるけれども、それ程酷くはないと思う 口語訳は、RSV訳の影響がある。 影響があるどころか、RSVからの重役ではないかと思える箇所もあるそうな。 あと、日本語表記(漢字や送り仮名の使い方)がまだ揺れている時期なのか、 今から見ると平仮名が多すぎるような気がする。 新共同訳は、カトリックの影響が強いという意見がある。 また、旧約は、BHSそのままなので、本文批評が出来てない。 表題も、賛否両論。特に、旧約の表題は、翻訳者が付けたもの 新改訳は民の長老や指導者達までキリストに敬語を使うのがおかしい。
82 :
名無しさん@3周年 :05/02/04 23:51:21 ID:I709MFR9
83 :
名無しさん@3周年 :05/02/04 23:56:23 ID:I709MFR9
田川健三の「書物としての新約聖書」に彼の日本語聖書に対する評価が出てます。 彼が押しているのはフランシスコ会訳。理由は、注釈が多いから。 岩波のは出たばっかりで評価せず。 新改訳は相手にせず。 個人訳も相手にしてません。 フランシスコ会訳>口語訳>新共同訳>>その他・個人訳等>>>>>>>>新改訳 岩波(評価間に合わず) 文語訳(別格)
84 :
名無しさん@3周年 :05/02/05 00:00:01 ID:M/Rzu5F6
現代訳を愛読してますが、大丈夫ですよね?
85 :
83 :05/02/05 00:06:34 ID:I709MFR9
田川健三は、まぁ、ああ言う人ですから(笑)。 わたしは、新改訳も使いますよ。 新世界訳は問題だと思うけれど、他は問題ないのでは? 正直言って好みの問題かと。
86 :
84 :05/02/05 00:12:05 ID:N5vgra7E
>>85 良かった…
現代訳わかりやすくてお気に入りなんです。
悪名高い物で「リビングバイブル」なる物も・・・。
88 :
83 :05/02/05 00:22:07 ID:rQaBLpEz
リビングバイブルも、福音派だから(いのちのことば社発売)、田川は相手にしないんじゃないかな。 それと、判りやすい言葉を使おうとするあまり、自分の解釈が入りまくってるから評判悪いんだろうね。 その辺は、共同訳(新共同訳ぢゃ無くてね)と一緒かな
89 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/05 00:29:59 ID:8oj1f0AR
>>83 文語訳(別格)って、どういう意味ですか?
90 :
名無しさん@3周年 :05/02/05 00:35:32 ID:HCIfM/GW
聖書一つに何でそんな色々な訳があるんですか? 新世界訳がエホバなのはわかりますが(昔やってたから) そんなに異端なんですかね?
91 :
83 :05/02/05 00:35:50 ID:rQaBLpEz
文語訳の日本語は、聖書翻訳に限らず近代翻訳中の名訳として知られております。 田川もこう書いております。 「原典の理解度はともかくとして、その日本語は見事であったから、広く普及したのだと思う」 しかし、いくら名文でも、現代の人が文語訳を簡単によめるとは思えないし、 その後の聖書学の進歩が全く反映されていないのは致命的。 そこで別格としてるわけです。
92 :
83 :05/02/05 00:44:50 ID:rQaBLpEz
>>90 文語訳>口語訳>新共同訳という聖書協会の改訂は、91で書いた二つの理由が主なもの。
また、第二バチカン会議を受けてカトリックとの共同作業ができるようになったことも大きな理由。
後は、新改訳のようにそれぞれの立場に則った翻訳ということでしょう。
立場が違えば、それだけ翻訳があるということで(笑)
異端であるかどうかというのは、一つは三位一体の教理を受け入れるかどうかにかかります。
キリストを神であると信じていない人は、「キリスト教」ではないでしょう。
エホバが、キリスト教ではない「エホバ教」であるなら、信教の自由があるわけですから、「どうぞご勝手に」なんですけどね。
93 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/05 00:49:50 ID:8oj1f0AR
>>91 ありがとうございます。
文語訳の書き方、好きなんです。
でも、旧仮名つかぃや漢字読むのが、苦手。
それだけを直した文語訳が、出てほしぃです。
94 :
名無しさん@3周年 :05/02/05 03:48:54 ID:1N2PIGE7
田川健三に心酔できる感性の人間の知性と誠実さを俺は信用しない。 アリウスに傾倒し、アタナシウスやカッパドキア三教父に姦計を謀った連中を連想する。 田川やアリウスに親しんだところで、滅ぶだけ。 キリストへの慕わしさに捉えられた人たちにこそ、真理にふれる喜びと永遠への希望がある。
>>74 宣教の熱意に満たされた、ニコライ訳と明治元訳が、最も福音的と言ってみたり。
>>94 うちの教派では聖書学のテキストだ>田川
田川氏に心酔する気は全く無いが、知性を云々言うんなら、書物(略)なみの聖書
学・聖書翻訳史の本を、より福音的な立場から出してほしいもんだ。
というか、誰か出して下さい。
96 :
83 :05/02/05 09:31:47 ID:rQaBLpEz
>>94 95に同意
田川とは基本的な立場が全く違います。
というか、私は彼自身が何と言おうと彼はクリスチャンだとは思えません。
その点では
>>94 に同意。
彼の立場について評価せずに引用したのは誤解の元かもしれません御容赦ください。
でも95さんが言うように、偏っていようがなんだろうが、あれだけのボリュームで読みやすい聖書学の本って無いんだもん。
>>83 も、少なくとも新改訳の位置づけは私は田川と違います。
ウチの教会は、最近新共同訳に変わったけれど、それ以前は新改訳を使ってましたといえば判るでしょうか。
というか、私は、翻訳聖書は、どれも一長一短だと思うので、どれを読んでも、そんなに違いはないと思う。
自分はあそこに挙げた6種類くらいは読み比べてます。
それはそうと、新改訳第三版の創世記1:1の茫漠って、どうよ?
97 :
名無しさん@3周年 :05/02/05 14:18:48 ID:BbxWO1/L
田川建三 人偏は入らないんだよね。変換間違えやすいな。
98 :
83 :05/02/05 14:24:41 ID:rQaBLpEz
>>97 おおっ!(゚o゚)
これは吃驚。全く見落としてました。
失礼しました。それぞれ脳内変換しといてください。。。
99 :
名無しさん@3周年 :05/02/05 19:52:29 ID:QCzxoKBh
新改訳って、そんなに悪いか?伝道者の書(コヘレトの言葉)なんて、吐き捨てるような表現の新共同訳より、丁寧な言葉遣いの新改訳に共感を覚える。もちろん伝道者の書は、吐き捨てるような表現の方がふさわしいのかも知れないが。
102 :
名無しさん@3周年 :05/02/05 20:13:13 ID:BMsFDmyc
>>99 そもそも、新共同訳委員会は、諸書を重んじていないのかも知れない罠。
ちなみに、クリスマスの頃、コヘレトの書の、私訳付き講解書が出ました。
それがね、買ってきて、まだ読んでない罠。ショボーン
新改訳に慣れると、イエス様の丁寧語にも、違和感が無くなってきます。初めの頃
は、威厳の無い神だな、おい。と思っていたのに、今じゃ聖書協会訳の方に、違和
感を覚えます。習慣てのは恐ろしい。
大阪弁訳聖書、と言うのがあるらしいね。 イエス・キリストはんが生まれはりましたで〜の巻 東方の博士はんらが来はりましたの巻 エジプトに逃げなあかんの巻 バプテスマのヨハネはんの巻 イエスはんのバプテスマの巻 悪魔はんからの誘惑でっせの巻 お弟子はんよ来い来いの巻 山上の垂訓でっせの巻 律法は守らんかいの巻 不倫すんなの巻〔ほか〕
東北弁のケセン(気仙)語訳聖書というのもある。
105 :
名無しさん@3周年 :05/02/05 21:42:03 ID:nGBVX4hI
>103 大阪弁聖書はパラパラと読んで止めた。 いちいち突っ込み風のせりふが挟まれているんだけど、 処女降誕のところで、「そー言えば姉(?)も独身で子供ができて」 みたいなことを書いている。 読む側で処女降誕に浮気を読み取るのは勝手だが、 訳す方がそれをしたらそれは翻訳ではなくて改編だ アイヌ語訳もある
107 :
名無しさん@3周年 :05/02/05 21:52:42 ID:u2Bu2Rts
祥訳聖書ってありましたけど 絶版になった今も根強い人気があるらしいです。 読んだことのある人、感想聞かせてくれませんか?
108 :
名無しさん@3周年 :05/02/06 00:01:04 ID:CJhmIKFl
>それはそうと、新改訳第三版の創世記1:1の茫漠って、どうよ? 岩波の『創世記』(旧約聖書翻訳委員会訳)も“空漠”と訳しており、 その訳自体に問題はないのでは?新改訳第三版に問題があるとすれば、 “茫漠”が「混沌からの創造」を否定する文脈で使われている点でしょ。 新改訳第三版のこの箇所を担当したと思われる津村俊夫先生によると、 創1:1〜2:4aと2:4b以下の間には通説が言うような“矛盾”は存在せず、 2:4b以下は1:2を受けて、地と海の分離(1:10〜11)後の状況を詳説した ものに過ぎないと。さらに創1:1〜2:4aの背景にはメソポタミア神話の 影響も考えられないそうな。だから混沌からの創造は認められないと。 要するに新改訳第三版の創世記の冒頭部分の訳には、通説がいうような 聖書におけるメソポタミア神話の影響と、モーセ五書に関する資料仮説 という現代聖書学が長年にわたって守ってきたスタンスを否定しようと いう意図が潜んでいるのだね。 創世記の創造物語とメソポタミア神話の創造神話の間には類似点もあるが 相違点もあるため、相違点を強調すればメソポタミア神話の影響という点 について消極説に立つことも無理ではないし、五書の資料仮説についても 最近では“リベラル”系の学者でさえ批判的であるため、この点でもまた 保守系学者にとっては力強いみたいだ。 ただそうは言っても、津村先生の説も所詮仮説に過ぎないんだよねえ。 仮説大好きなリベラル派ならば仮説に立って翻訳しても別に問題はないが、 福音派がそんなことしていいのかな?二言目には“それは仮説に過ぎない” と言ってリベラル派の学説にイチャモンをつけるくせに(w
>二言目には“それは仮説に過ぎない 俺はリベラル派ではないが、彼らの説は、仮説にもなってないということじゃないのか?(w 少なくとも、仮説として見た場合には、リベラル派の方が優れているわな。 だからクリスチャン以外の学者(キリスト教内部の対立に興味がない)などが参照するのは、リベラル派の見解ということになる。
110 :
名無しさん@3周年 :05/02/06 00:45:39 ID:KZ6LM4fG
>>108 そー言うところが、新改訳聖書が保守的、護教的って言われる理由かな。
聖書だってその時代に記されたんだから、その言語社会、宗教世界の影響があるのは何もおかしくないと思うがな。
メソポタミア神話の丸写しで、オリジナリティーは皆無だっていうのなら問題だろうけど、いくら何でも、そんなこと言わないだろ?
111 :
名無しさん@3周年 :05/02/06 01:46:53 ID:Lpiuoibe
保守的、護教的で結構。 他の訳も参照はするが、私は新改訳が好きだし、新改訳で聖書を読む。
112 :
名無しさん@3周年 :05/02/06 01:48:34 ID:r/GTVTSk
関西弁訳聖書もいいみたいね
113 :
名無しさん@3周年 :05/02/06 01:52:41 ID:Lpiuoibe
一番良いのは、旧約をヘブライ語で、新約をギリシア語で正確に読み取ることに違いないが それは、誰にでもできることではない。母語以外の言語体系で表現の微妙な味わいを 感じ取るのは、困難。古代語の学習とその習得は誰にでもできることではない。 入手可能な日本語訳が複数存在することは、幸いという他ない。
114 :
名無しさん@3周年 :05/02/06 01:54:26 ID:r/GTVTSk
キングジェームス版がいいと聞いた事はあります
115 :
名無しさん@3周年 :05/02/06 01:56:23 ID:r/GTVTSk
日本語だったら口語訳聖書が原本に近いと聞いた事はあります でも口語訳は意味がいまいちわかりませぬ
116 :
名無しさん@3周年 :05/02/06 03:38:38 ID:KZ6LM4fG
>>112 わたしの考え。コンサバだけど(笑)
>>103 要は学問的でもない、単なる茶化し風の書き込みが多すぎる
>>114 英で長年使われてきたので、英語圏の人は常識としてキングジェームスの言い回しが出てくる。
英語文献を読むときには、常識として知っておかなければならない。
古い訳だから当然文章が擬古調で格調高い。
でも、本文校訂については現代のものに及ばないのは当然
それを補おうとしたのがニューキングジェームズ訳です。
>>115 例えば、創世記1:2
「形なく、むなしく」(口語訳)
「混沌であって」(新共同訳)
「形がなく、なにもなかった」(新改訳二版)
「茫漠として何もなかった」(新改訳三版)
どれが「原本に近い」かというのは、もう読む人の立場の違いの問題だとおもいます。
これ以外の箇所も全部比べて「これが他のどれよりも原本に近い」と言えるものは無いように思いますが。
117 :
名無しさん@3周年 :05/02/06 07:33:16 ID:wg3TxIST
箴言16.8 新改訳「正義によって得たわずかなものは、不正によって得た多くの収穫にまさる。」 新共同訳「稼ぎが多くても正義に反するよりは僅かなもので恵みの業をするほうが幸い。」 26.14 新改訳「戸がちょうつがいで回転するように、なまけ者は寝台の上でころがる。」 新共同訳「扉はちょうつがいにのって回転する。怠け者は寝床の上で寝返りを打つ。」 自分は新改訳が好きだ…。
118 :
42 :05/02/06 09:32:44 ID:fgPKTtJP
うちは長崎なんだが、浦上天主堂の近くにキリスト教関連の書籍などを扱っているお店 「サンパウロ」がある。そこに行けば、フランシスコ会訳の聖書のほとんどが置いてある。 新共同訳はもちろん、口語訳、文語訳に本田訳、さらにはバルバロ訳も置いてあった。 新改訳は旧版しか置いてないが、これも近くにある別の本屋に行けば手に入る。
普段読む基本となる訳を1つ決めつつ他の訳も読み比べ、読解力があれば 原典や欽定訳、ルター訳等にも当たってみる。これ基本。
なんで原典にあたる能力があるのにわざわざ欽定訳やルター訳なんかに当たる必要性なんて学者以外には不要では? 誤訳多そうだし
性書って、あの『デタラメで嘘に溢れたカルト書』ですか? キリスト狂=歴史偽造=自己陶酔=チョン! かの国にキリスト狂信徒が多いのが解る気がする 捏造主義者!
マリアを『強姦』した奴教えてくださいm(__)m 昔は、強姦されて妊娠すると神から授かったと言うと聞きました 世間体の為? 『麻原と一緒』で神格化の為? そもそもキリストって、実在したの???
キリスト狂は、宗教では無い! ただの読書倶楽部!です ゴメンね日本のキリスト狂徒は、『白人信仰』と言う信仰心が有ったね 神に仕える事は、良い事です! しかしキリスト狂は、邪教なので仕えても意味が無いどころか、苦しみ地獄に墜ちちゃうよ
エホ章の 「王国行間逐語訳」 なんて、新世界訳(英文) の誤訳箇所が 一発でわかるしな...
126 :
名無しさん@3周年 :05/02/07 10:08:38 ID:EqBxmelC
原典と言っても、実際に我々が当るのは校訂本であって、旧約聖書でいうと、 校訂本の本文が正しいのか、脚注の異読が正しいのか、あるいはやはり脚注にある 校訂者による読み替え例が正しいのかを判断する際に、現代語による諸訳を参照 してみるのは有意義だよ。
>>117 そう。新共同は翻訳以前に日本語として問題が多すぎる。
それは前スレでも新約の有名聖句で指摘されていた。
>>127 そうだね。読みにくいよね。
新共同訳で英語版が付いているもので
見比べたりするよ。でも重くなって大変。
軽くて見比べられる聖書ってないかな。
と友人に相談したらPalmでいくつかの
聖書が見られるソフトがあるそうだよ。
>>118 さすが大司教区。首都圏の中小都市より品揃えが良い。
と妙なところで感心してしまった。
130 :
名無しさん@3周年 :05/02/10 11:15:08 ID:okV7vlZo
131 :
名無しさん@3周年 :05/02/10 16:30:01 ID:aJS/9JJ8
http://www.e-sword.net/downloads.html これなんかはどう?
ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語、それから英仏独語、その他の諸言語
による聖書(総数100以上)が只で使えるソフトだよ。ある一節を選択すると
諸訳の対比が一目で見られる。それに語句の上にカーソルを持ってゆくと、
語彙のヘブライ語やギリシャ語の意味も表示される。その他にオプションで
聖書事典や注解書も只でインストールできる。
保守派の信者には良いのでは?なにせ只だからね。
でもまあ、良さで言えば、Bibleworksだけどね。
132 :
名無しさん@3周年 :05/02/11 01:42:14 ID:+rMZaztO
>>131 e-swordは中国語版・韓国語版聖書も出てるんだから
技術的にはすぐにでも同じ2バイト文字コードの日本語版聖書を載せられるよね。
こういった多言語を扱えるソフトウェアになぜか日本語だけは見当たらない。
まあキリスト教人口が少ないっていうのもあるんだろうけど
日本聖書協会とかの方針も絡んでるのかな?
133 :
名無しさん@3周年 :05/02/11 11:04:43 ID:IjzQ1pQG
当方まかーなのですが、どなたかまっく用の聖書ソフトでできればフリーのやつ御存じ無いでつかね。
134 :
名無しさん@3周年 :05/02/12 05:39:54 ID:0a4VN0+t
日本聖書協会の方針がずれてるもんな。時計型のPCで聖書が読めるってプロ ジェクトがあったけど、おまえらアホかとバカかと。 同じ後援会費を払うなら、他の団体に寄付する方がましな気がしてきた。 ところで回復訳、特価1500円でしたよ。フットノートの分量にキター!という気分 ですよ。聖書本文3分の1に、フットノートが3分の2。
回復訳って、中国人が中国訳したのを英訳し、更に日本語訳でしょう。 カルト視されている団体の聖書をわざわざ勧めるって…。
バルバロ訳って教文館においてありますか? フランシスコ訳は新約のみ手に入れたんですが・・・
138 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/13 10:11:01 ID:1owyKJbH
>>134 回復訳、赤い色の表紙が欲しかったから、\2800のにしたょ
139 :
ERBM :05/02/13 13:55:40 ID:YEp3Y5zQ
>>138 聖書といったら黒。これ世界の常識。うわ千の異形を持つ人がたすけ
141 :
名無しさん@3周年 :05/02/13 16:06:00 ID:a67LEdVW
>> 聖書といったら黒。 オレの持ってる新共同訳聖書 続編付き引照付き、灰色 コンパクト版、藍色 小型ビニール装、藍色 ギデオンの新約、水色 で、何か?
142 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/13 16:27:42 ID:1owyKJbH
>>140 そんな世に通らない非常識を言うから、クリスチャンが増えなぃの。
あたしが一番欲しぃのは、白い聖書。
でも新改訳と一部の新共同訳にしか、無ぃのょね。
だってさぁ、イグナチオ教会あたりは、白い聖書が似合うょねぇ。
143 :
のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/13 16:29:50 ID:1owyKJbH
それに聖書の聖からは、白のイメージがあるょ
140ですが、クトゥルフネタで引っ張るつもりが、自爆しました。みんな真面目だ から、ナイアルラトホテップなんて知らないんだろうなあ。 でも、聖書は重厚な色でないと。聖書協会のペーパーバックみたいに、あまり にカラフルでポップな表紙だと、聖典の重みがね。アメリカの聖書は、安いやつ でさえ、その辺を心得ていると思います。
>>144 >アメリカの聖書
「サーファーのための聖書」とかいうえらくカラフルな聖書があるんだけど、
あれって元はアメリカらしい
146 :
名無しさん@3周年 :05/02/15 00:42:02 ID:OejOVcvN
147 :
996 :05/02/15 15:41:33 ID:TUeIIAw4
久し振りの書き込みです。 135「回復訳って、中国人が中国訳したのを英訳し、更に日本語訳でしょう。 カルト視されている団体の聖書をわざわざ勧めるって…」 これは事実誤認だと思います。中国語版も英語版もギリシア語本文からの訳です。 これは、ネストレ26thと英語版、中国語版を比較すれば一目瞭然です。日本語版 は、日本語版の前書きにも書いてある通り、英語版と中国語版を参考にしつつも やはりギリシア語から直接訳しています。私は回復訳を愛用しているので あまり悪口は言いたくないのですが、たとえばピリピ1:8のように、英語版 にも中国語版にもない、ほかの日本語訳聖書に引っ張られた訳文がたまに見つかった りなどします。 日本福音書房や、「主の回復」「地方教会」と呼ばれる団体については、 カルト視する人がいるのも事実ですが、少なくとも彼らの出版物については、 私は安心して人にすすめられる良書がそろっていると思いますよ。特に 回復訳の正確さには読むたびに驚かされます。 サーファーズバイブルは私も見たことがあります。 黙示録によれば新天新地にはもはや海はないとのことで、 期間限定品のようです。
148 :
名無しさん@3周年 :05/02/15 17:23:35 ID:3geA5E/N
>>139 そんな重いもの、自宅に送ってもらえばいいじゃないか。
アマゾンか楽天ブックスなら1500円以上送料無料なんだし。
正教会・カトリック・リベラル・福音派の共同翻訳で外典・偽典も含む聖書が 刊行されるのはいつの日か。
エキュメニカルは時代の流れだから、意外にはやいよ。
新約聖書に入っていても見劣りしないエイレナイオスら初代教父の文書も 加えておいてくれ。
そうしたいところだが、キリスト教が成功したのは早めに 教典を決めて制限してしまったことが大きな要因と言われる。
153 :
名無しさん@3周年 :05/02/15 23:28:04 ID:BIqC8lQi
知人が通う福音派の聖書が最近、新改訳から新共同訳に変わった。福音派の中で新共同訳の受けはどうなんだろう。逆に教団や聖公会、カトリックで新改訳を使う人はいるのかな?
リベラルではNCC系のバプテスト連盟などで新改訳を使ってる所もたまにある。 福音派ではナザレン教団や日本イエスなど大きめの教団では良く使われている。
155 :
名無しさん@3周年 :05/02/16 13:39:14 ID:plrDqveF
いくらエキュメニカルが時代の流れだからと言って、福音派とカトリックが一緒になるのは何百年か先ではないかと。。。
156 :
名無しさん@3周年 :05/02/16 13:42:17 ID:53EangPA
>>155 んなぁこたあなぃ... かも。。o(^-^)o
日本基督教団とホーリネス系とカトリックで
合同礼拝(聖餐式)してる教会もあるよん。♪
158 :
名無しさん@3周年 :05/02/16 13:48:57 ID:blh6l6gD
test
>>154 ナザレンやイエス教団で使われているのは新共同訳。言葉足らずスマソ
160 :
名無しさん@3周年 :05/02/16 16:25:05 ID:5Pupd4xE
三位一体って神学校で習わないの? 神学校いかなくても聖書読めばなんとなくわかるんじゃない?
>>160 聖書では絶対に無理。聖書以外に由来する概念だから。
162 :
希美 ◆55nynIr58w :05/02/16 17:09:14 ID:Z+9km0+t
163 :
昨日の者 ◆jfbh/Hvb82 :05/02/16 19:32:25 ID:p/PsSFuk
>>160 三位一体は神様が啓示してくださって初めて分からせてもらえます。
それまでは分からなくても正常です。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。 清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。 我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。 柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。 大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。 一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。 一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。 私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。 看よ、東山全嶺が水上を歩いている。 エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」 雨降って、降らず。 扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。 昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。 腹が減れば食い、疲れれば眠る。 啼かぬさきの烏(からす)の声を聞け。 わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。マタイ伝
165 :
名無しさん@3周年 :05/02/18 21:42:44 ID:z1mm7X2f
キリスト教の色々な教派が集う集会やミサなどでは、ギリシャ語のUBSなどを 共通の聖書として使うようにしたらいいね、まずは。訳語を利用しだすと信仰の 話ではなく理性と所属教派の際限のない教義の肥大化や争いに発展するだけの 虚しい集合になってしまう気がする。昨今は聖書ですら、言語学者や聖書学者に その翻訳が委ねられるようになってしまった。本来聖書翻訳の精緻さというのは 言語上の良心ではなく、宗教上の良心と神の御言葉に対する尊崇にもとづくもの。 聖書の原典が写本によって誤りなく伝えられているという確信もそこから 出ているというのにね。 そろそろキリスト教信徒は、旧教新教を問わずヘブライ語やギリシャ語で 聖書を読み、そこを共通点として互いに交流していく時期にあるのではないか。 そのように自分は思う。
166 :
165 :05/02/18 21:48:55 ID:z1mm7X2f
自分の書いた文章は、何いっているのかよくわからないものだった。 読んでも訳わからないと思った方は、読み飛ばして下さい。
167 :
名無しさん@3周年 :05/02/18 22:36:49 ID:BNhYooQQ
>>165 おっしゃることは良く判る(つもり)です。その上で。
>>昨今は聖書ですら、言語学者や聖書学者にその翻訳が委ねられるように
>>なってしまった。
UBSも、近代聖書学の研究の賜物であり、言語学者や聖書学者の働きの
上に立っています。UBSなど護教的だと批判する人もいます。
聖書の直筆原典が存在せず、写本の異動が存在する以上、全員が認める原
典は作れません。
>>そろそろキリスト教信徒は、旧教新教を問わずヘブライ語やギリシャ語
>>で聖書を読み、そこを共通点として互いに交流していく時期にあるので
>>はないか。
残念ながら、今日ほとんどのクリスチャンがヘブライ語とギリシャ語両方
に精通しているというわけではありません。その状況で日常の礼拝におい
て言語の聖書を使うというのは、結局はラテン語聖書だけを使っていた、
かつてのカトリック教会と同様、信徒から聖書を取り上げることになると
思います。
現在では、カトリックでも、信徒一人ひとりが聖書を読むことの重要性、
そのために教会が公的に聖書を翻訳する必要性、その公的翻訳が聖霊によっ
て守られていることにより信仰の真理が損なわれないこと等を認めていま
す。もちろん、それでも人間の業ですから、指摘されるような限界があり
こうやって色々と議論されているわけですが。。。
168 :
くしこ :05/02/18 22:50:18 ID:Wq/VNG9/
シリア正教なんかはアラム語を使うから、 イエスさんが日常使ってた言語に近いよね。。。
169 :
名無しさん@3周年 :05/02/18 22:53:14 ID:BNhYooQQ
>>167 恥ずかし誤変換
×異動>>○異同
×言語の聖書>>○原語の聖書
170 :
名無しさん@3周年 :05/02/19 15:59:48 ID:MeRFxmx5
ギリシャ語、ヘブライ語、英語あたりを参考にしながら聖書を解釈していくなら 今はやっぱりパソコンソフトを使う方が圧倒的に楽なんじゃない? だってそんな風数の聖書や辞書を広げて読んでくなんて想像しただけで やる気がうせる。パソコンやPDAならそれが簡単にできる。 いい時代になったもんだ。
風数>複数 でした。スマソ
172 :
名無しさん@3周年 :05/02/21 01:46:55 ID:cfSuOsN0
>>167 レスありがどう。
UBSには写本別の異読についても色々と記載があるので、ご指摘の心配は
杞憂だと思います。翻訳聖書の訳語の違いに精通するくらいなら、写本別の
異読について原語間の異同に精通することの方が、信仰者にとっても学者に
とっても意味のあることです。
自分は、クリスチャンがすべて原語を習得してヘブライ語やギリシャ語で
聖書が読めなければならないとは言いません。クリスチャンと言えども数多
の宗派・教派にわかれているのが現状ですから、クリスチャン共通の聖書
としてギリシャ語やヘブライ語のテキストを見直し、共通の「聖書」として
共有し話し合いや交流をしていこうではないかというのがこちらの提案なのです。
>>170 そうですね。しかし、写本別の異読について確認出来ずに読み過ごすことに
なるかもしれません。しかし、パソコンソフトの聖書に頼ると
>>167 さんの
「 UBSも、近代聖書学の研究の賜物であり、言語学者や聖書学者の働きの
上に立っています。UBSなど護教的だと批判する人もいます。」という
非難を被る事になり、せっかくの聖書原語読みのメリットが損ねわれることに
なるかもしれません。
173 :
172 以下の乱文訂正 :05/02/21 01:53:07 ID:cfSuOsN0
>
>>170 >そうですね。【しかし】、写本別の異読について確認出来ずに読み過ごすことに
>なるかもしれません。【しかし】、
文面で『しかし』が重複していました。二つ目の【しかし】は無いものと
思っていただくか、【つまり】に読み替えてください。乱文失礼!
174 :
杏 ◆tr.t4dJfuU :05/02/21 02:01:32 ID:HG17CAxf
リビングバイブルってどうよ?
175 :
PLF ◆hnoPLFOQ7M :05/02/21 02:18:06 ID:oVEFqtJ+
>>174 リビングバイブルも現代訳も全然OK!
結局、何訳であろうと聖霊さまに頼れば真理が読み取れちゃうからね。
>>81 かいつまんで言えば、
★著作推定年代からして、当時の語彙では、スタウロス≠十字架 であること
★のちには「主」となった本文箇所で、πιπιなどと勘違い読みする非ユダヤ系信徒がいたことを指摘する第三世紀の教父
★「旧約」を「新約」が引用している箇所における「主」からの「御名の復元」を妥当とする立場
そして、三位一体は否定せざるをえない、という結論(先入観ではない。創始者らは例外なくアタナシウスの枠組から出発したのだから)が、
本文の読み方の再検証をも余儀なくさせた、というのが、『新世界訳』の立場からは言えます。
まあ、「重訳」云々はそのとおりだけど枝葉末節だと思う。
『新世界訳』 エホバと訳している時点でアウトだねぇ
178 :
名無しさん@3周年 :05/02/21 08:36:09 ID:YkGe/6RR
179 :
名無しさん@3周年 :05/02/21 09:57:17 ID:t3j/X73h
「そして、三位一体は否定せざるをえない、という結論(先入観ではない。 創始者らは例外なくアタナシウスの枠組から出発したのだから)」 アタナシウスではなく、アリウスではないでしょうか?
>>179 いや、アリウス派は事実上絶滅したので、直接の影響はないでしょ。
ちょうど、社会民主主義運動に於いて「トロツキー派の直接の生き残りは存在しない」というような。
勝者が歴史を司ると、どんなふうに敗者があつかわれるか、という意味でも
この比較は興味深い類似をなしています。
>>177 いや、それを言ってしまうと、今後出てくる回復訳の旧約部分が......(ワクワク)。
すでに分冊で一部分が出ているのを見ると、「エホバ」 がご登場。
中国人にとっては一般的なのかねえ.......耶和華
だから… 回復訳も論外じゃん…汗
ふつーは、 ふつーの信者さん向けかつ日本のスタンダードは「新共同訳」 これの旧バージョンの「口語訳」「文語訳」 少し客観的に学ぶならば、聖書学者の訳の「岩波委員会訳」 カトリックのフランシスコ会の手によるものだが、注に対する 評判の高い「フランシスコ会訳」 以上までが一般的向け。 「新改訳」は、保守派の福音派の信徒さん向け 「新世界訳」は、エホバの信徒さん向け 「回復訳」は、マニアックな逝っちゃた人向け
184 :
名無しさん@3周年 :05/02/23 02:45:25 ID:OZChyfXx
クリエ終了で、モバイブルはいったいどうなるんだろうか… 日本語訳聖書を片手で複数携帯して読める手段は事実上これだけだったんだが。
186 :
名無しさん@3周年 :05/02/24 06:31:30 ID:I83fNUUp
>>185 こんな製品があったんだ。
でもこれって「聴く」ことしかできないし、新共同訳、しかも新約だけだし…
PDAならmp3に変換してタグ付けとけば同じことができるし
複数の聖書も読めるんだよね。辞書も引けるし。
ベッドの中とか電車の中とかで聖書読んだり聖書の勉強したりするには
PDAのほうがはるかに便利だと思うんだけど。
187 :
名無しさん@3周年 :05/02/25 23:57:54 ID:ncxgH0tK
新改訳とnew international versionの和英対照聖書「バイリンガル聖書」が でてたわん。いのちのことば社から。
NIVよりNKJVを対照させればよかったのに。 NIVはいわば口語訳聖書のようにイエス・キリストの神性があいまいにされている。 新改訳聖書は口語訳聖書がそのように訳されているということの問題意識もあって 翻訳された。 それを考えるとバイリンガル聖書を新改訳とNIVにするのは理解できない。
189 :
名無しさん@3周年 :05/02/27 00:13:10 ID:6zMqeyeU
>>188 へぇ。むしろNIVって、「日本で言えば新改訳」って説明されるような
保守的な立場の翻訳だと思ってた。
190 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :05/02/27 23:42:56 ID:4fACij7S
191 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :05/02/27 23:44:41 ID:4fACij7S
ファンダメンタリストのレベルはこんなものという、いい見本。 >188
192 :
名無しさん@3周年 :05/02/28 06:16:20 ID:bGohtjRq
因みに聖書協会の和英対照は新共同訳とtoday's English version。カトや 正教会、聖公会で使う外典が入ってないのが残念。
193 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :05/02/28 08:47:38 ID:eLTE9iIj
>>185-186 メーカーのパンフでは、高齢者に狙いを定めた製品、と感じました。
2ちゃん住民には、つまらないもののように感じます。
でも、祖父母や障害者の伝道には、良い製品と感じます。
はいはい、あんたはレベル高くてよかったね。
鬱病のレベルも高くならないうちにちゃんと治療するんだよ
>>191
>177 それなら、『文語訳』も同じ理由でアウトだね。
196 :
名無しさん@3周年 :05/03/01 09:54:42 ID:6+sh8xDa
文語訳の時代には、神聖四文字の読み方は、ハッキリしなかったから。まだ許される。 現在、ずいぶん解明されているにも関わらず、その読み方にこだわるから。
197 :
名無しさん@3周年 :05/03/01 10:55:35 ID:CkmvKtkT
高飛車なあずみより謙虚な希美さんのほうが好き 話変わって聖書に記載されてないイエスの話もあるらしいけど その話を読んでみたい。
198 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :05/03/01 11:43:58 ID:CCRaG6Ce
謙虚ねぇ〜、そんなわたしでもなぃので… そぅなれたら、いぃですけどねぇ わたしは、あずみさんのカキコって、好きですょ あんなふぅに、スパっと言い切れたらいいなぁ
思い切って、バルバロ訳を注文しますた。取り次ぎに在庫ありだって。主に感謝。
後は、聖公会の文語訳アポクリファでコンプリート。
それでもなお、マカビー第三と第四が抜けているけれどな。
さすがに、教文館の全集揃えるほどの根性もお金も無い。
>>188 いのちのことば社の主張に則るなら、ここはTEVだと思うんだが。英語の勉強にバ
イリンガル聖書というなら、第二外国語が英語の人用のTEV。
201 :
名無しさん@3周年 :05/03/02 07:09:27 ID:PxseBZfC
聖書に記載されてないイエスの話を 新たに聖書が記載した場合 福音派はどう対応するんだろう?福音派にとっては都合の悪い(ストレートに訳すとかなり不倫理的な内容)ヶ所は無視するのかな?
202 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :05/03/02 09:35:57 ID:1/EizY2h
203 :
名無しさん@3周年 :05/03/02 17:37:20 ID:D+J6K3YW
>>201 「新に聖書が記載した場合」はありえません。
聖書生成の作業は既に終了しているというのが、一般的な理解です。
(福音派でなくても、リベラルな人でも大概はそうだと思います)
新しいイエスの話を持ちだしてきても
「それは聖書ではない」でお終いでしょう。
「聖書ではない」イエスの話は山ほどあります。
>>189 ファンダなら「スコフィールド注釈付聖書」以外聖書と認めないと思われ。
>>204 「ユダヤ戦記」などの歴史書もファンダにとっては”捏造された作り話”
となってしまうのが恐い。
不倫理的な内容と言っているのだから、「ピリポによる福音書」とか、 「マリアの問い」とか「マルコによる秘密の福音書」のことじゃないの? イエスがマグダラのマリアとキスとかセックスしたり、青年と愛し合ったりとか。。。
207 :
名無しさん@3周年 :05/03/04 01:35:21 ID:gQ4GlFt/
>>204 >>206 何を加えるにしても一緒。
>>205 スコフィールド聖書はディスペンセーショナリズムだからねぇ。
ファンダメンタリストの中にも、ディスペンセーションじゃない人もいるわな。
>>206 新約外典は不倫理的なのが多いね。
イエスの幼児物語にしてもヤナ餓鬼だし。
ペトロ行伝とかも。。。
208 :
名無しさん@3周年 :05/03/05 00:17:20 ID:g6KbJkKs
私は口語訳から新共同訳と変遷してきたのですが、 このスレを見ていると、 >>口語訳聖書のようにイエス・キリストの神性があいまいにされている って発言が何回かあります。 自分ではそんなふうに感じたことは一度もないのですが (新改訳と読み比べることもあるのですが・・・) 具体的にどんなところがリベラルで問題なんでしょうか? 新共同訳も、カトリックの影響がって言いますが、 確かに新共同訳にはカトリックの聖書学者が参加していますが、 なにか具体的に問題な翻訳箇所ってあるのですか? 御存じの方教えて下さい。
209 :
由良信隆 :05/03/05 11:13:15 ID:Awh2FXUq
>>208 >カトリックの聖書学者が参加
ここが福音派的に「新共同訳は気に食わん、燃やせ」な点ではないかと。
まあ、漏れも「新共同訳の訳文は何だ!不愉快極まりない。一頁も残すな」という
立場ですが。
むしろ、下手にカトリックの共同作業をアピールしたせいで、バルバロ訳やフラン
シスコ会訳を公に使えないカトリックが気の毒で。
だよなあ。カトリックの二訳は少なくとも日本語にはなってるからね。
>>211 「キリスト」を「メシア」と訳すなど、共同訳は一部原文に即さない訳を使って
いるらしい。
ま、漏れは教会一致運動の1つの成果として評価してるが。
>>211 なんだか変に日本語的な日本語が出てきますよね。
私が気になったのはこれ
「イエスは賽銭箱の向かいに座って(マルコ12:41)」
賽銭箱って。。。
>>213 例えば、マタイ16:16
「あなたはメシア、生ける神の子です」
UBSもXristosなのに・・・
フランシスコ会訳も「メシア」だね。
やっぱ意図的なのかな?
NAもXristosですね 新共同訳の底本はUBSの修正第三版なもんで NA見ても本文上の問題はないようなんですが ギリシャ語のXristosを日本語でメシアと訳す合理的根拠ってあるんですかね?
こんな文章を見つけた。 >>新共同訳聖書になって、原文ではギリシア語で「キリスト、クリーストス」 >>と書いてあるところを、そのままカタカナで表さずに、わざわざ旧約聖書の >>背景にさかのぼって「メシア」と記すようになりました。それによって、こ >>の言葉の旧約聖書的背景が明確に意識されるようになりました。 もしこの文章の言っている通りなら、そんなに悪いことではないような?
>>216 日本では、「キリスト」はイエスの姓と言う扱いだから、言い換えたわけさ。
一般の未信者はイエス・キリストでワンセットの名前で、キリストの意味など知らん。
「あなたはキリスト・・・・・・」mat16:16 では、単に名前を呼んでるだけになっちゃう。
一般に迎合した悪い例だと思うよ。
参考までに新世界訳ではkyriosをエホバと訳していますね。 この訳し方に対する"世の教会"の意見と、XPをメシアとする訳し方に対する意見を比べてキボンヌ
>>219 そいつは非常に面白い。
三位一体を否定するエホバの証人がイエス・キリストをエホバと同一視して、
彼らの教義に矛盾する翻訳をし、逆に肯定するキリスト教会側が訳し分けをしてるわけだ。
>>220 >>219 だけど、誤解させてしまったようで申し訳ない。
一律にkyriosをエホバと訳しているわけじゃないです。
主イエスというときには主と訳します。
父なる方を言及していると彼らが考えているところではエホバと訳すわけです。
つまり、「主の日」->「エホバの日」
222 :
名無しさん@3周年 :05/03/08 13:04:02 ID:ZEe1VNZ5
>>220 いや、新世界訳では、イエスが「主」と呼ばれている文脈で「主」が神として扱われ始めそうになると、
突如「主」だった筈の語が「エホバ」となるんだ。つまり、ばれるとかなり言い訳に困る悪質な
御教的改竄であり、首尾は三一否定に一貫しているので、別に面白くはない。
223 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :05/03/08 15:36:50 ID:bCEX2X5B
224 :
Web枢機卿ヨハネ ◆suDnNnY89A :05/03/08 23:49:57 ID:4ayc2V9v
225 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :05/03/09 02:30:47 ID:8/aMHHH+
>>224 画わ、何だろう?
細かくて、よくわかんなぃけど、綺麗な感じねぇ〜
226 :
名無しさん@3周年 :05/03/09 12:55:22 ID:M+LDtc9b
227 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :05/03/09 13:00:26 ID:8/aMHHH+
228 :
名無しさん@3周年 :05/03/10 22:02:03 ID:ByXx2Z9q
明後日、本屋で文語体聖書を買うことに決めまつた
229 :
名無しさん@3周年 :05/03/11 09:35:37 ID:r24ApmW/
今、NHKラヂオのニュースで、 大英博物館が、他の博物館と共同で、4年後を目処に、シナイ写本をデジタル化してネットで閲覧できるようにするとのこと。 キター!AA省略
230 :
名無しさん@3周年 :05/03/11 10:17:53 ID:cUou1dcG
新改訳をネットで読めるとこってないでしょうか?
232 :
名無しさん@3周年 :05/03/11 14:30:21 ID:cUou1dcG
>>231 どうも有難うございます。
やっぱり買ってみるしかないようですね・・・
233 :
名無しさん@3周年 :05/03/11 15:10:48 ID:SQTAArMb
>>218 「御不浄」を「お手洗い」と現代訳するのが正しくて「トイレ」は問題だ、
といってるくらい笑止。
翻訳とはその言語の使い手に意味の通るものを提供すること
なのだから、一点の曇りもなく正しいことをしたと思われるね。
234 :
名無しさん@3周年 :05/03/12 00:51:05 ID:YSorV/D4
>>218 そんな単純なことではないと思う。
新共同訳の末尾にあるよう御説明の「メシア」の項目を見ると
『新約時代の人々は政治的解放をもたらすメシアを待望していたが、
イエスはそれを拒否し、十字架の死によって人々を罪から救うメ
シアであることを主張された。新約聖書は、イエスがこの意味の
メシアであることを主張し、イエスに「キリスト」(メシアのギ
リシア語訳)という名称を付した』
とある。
オレの読み込み乃至は誤読なら指摘してもらいたいのだが、
新共同訳は
「キリスト」=十字架の死によって人々を罪から救うメシア
「メシア」=政治的解放をもたらすメシア
と使い分けようとしているのではないか?
つまり、こう言うこと。
マタイ16:16のペトロはギリシア語で「Xrisitos」
と言っているが、それは、キリストが主張された、十字架の死によっ
て人々を罪から救うメシアの意味ではなく、当時のユダヤ人達が期
待していた政治的解放をもたらすメシアの意味で使っていた。だか
らこれは、「キリスト」ではなく「メシア」である。
235 :
名無しさん@3周年 :05/03/12 00:51:42 ID:YSorV/D4
だとすると、ずいぶん解釈を読み込んでいることになり、
>>233 さんの言うように
>> 「御不浄」を「お手洗い」と現代訳するのが正しくて「トイレ」は問題だ、
>> といってるくらい笑止。
と笑い飛ばせる問題ではないように思う。
ただし、それがそもそも
>>211 や
>>213 の指摘するように、カトリッ
クの影響なのかは不明。
>>214 が言う、フランシスコ会訳が何故メシアと訳すのかも同様
に不明。同じ理由なのか?別の理由があるのか?
わたし的には、この点に関して、新共同訳は、カトリック神学の
影響というよりも、むしろ聖書学的な読み込みの影響のような気
がする。
ただ、最近のカトリックは聖書学的成果に寛容だから・・・
236 :
名無しさん@3周年 :05/03/12 00:54:09 ID:YSorV/D4
ゴメン ×「Xrisitos」 ○「Xristos」
信仰告白(16;16)の直後に、ペトロがイエスに叱責されている(16:23)ところがポイントでは? この時点ではペトロはイエスを王的な救い主と勘違いしていたために、イエスご自身による 受難の予告を理解できず、イエスに叱責されてしまっている。そういう弟子の無理解という ニュアンスを滲ませたいがために、訳者はわざわざメシアという表現を使ったのではないかな?
238 :
名無しさん@3周年 :05/03/12 03:00:44 ID:YSorV/D4
もちろん、十字架以前のペトロが、わたしたちが今知っている意味での 「キリスト」をこの時点で理解していた筈はない。 だからといって、それを「メシア」と『翻訳』するのは、どうもやり過ぎのように思う。 結局は説明が必要なんだから、だったら下手にひねくらないで、そのまま キリストにしておいて、この時点でペトロは本当の意味をまだ知りませんでした。 って説明すりゃ終わりでないの? だいたい、ペトロとイエスは(たぶん)アラム語で会話していたんだし、 それを「あなたはXristos」と「訳した」のは、イエスがキリス トだと既に知っている後の教会の人々。 彼らが、そこで「あの時のペトロの理解は・・・」とか考えたとは思えない。
239 :
名無しさん@3周年 :05/03/12 10:39:30 ID:WSydyGTV
>>238 そんな深読みよりも、
>>218 で語られていることが大方の真相だろう。最後の
評価を除けば。
新共同訳で動的等価法を捨てた背景には「日本人はそれほど馬鹿ではない」と
いう前提があるわけなのだが、愚考するに、大方の日本人は「業」に「カルマ」、
「ファラオ」に「エジプト王」、「メシア」に「救世主」というルビを振る能力がある。
つまり、すでに日本語として定着済。日本語だから、使ってもいいじゃないか。
少なくとも、意味は微塵も変わらないし、連中がギリシャ語で話してたはずは
ないのだから、復元という意味合いもあるわけだし。
一方「救世主」という漢字は「メシア」とは読めても「キリスト」とは絶対読まないし、
「キリスト」は「ナザレのイエス」であって「救世主」ではない。つまり、キリストは
用法的に固有名詞化していて、一読で一般名詞としての意味を想起させるのは、
かなり困難。だから一般名詞用法を想起させるには「メシア」としとけ、という
ロジック、俺は容認できるし、むしろいい仕事をしたとさえ思うよ。
どうも、「音訳でなければ漢訳と和訳、外来語への訳は罷りならん」という
言語純潔主義を無意識に前提としているから、「ハリストス→メシア」というのが
「翻訳」ではありえなくて「改竄」にしか見えない、という罠に嵌っているだけ
のような気がすんだけど。
240 :
名無しさん@3周年 :05/03/12 11:19:05 ID:YSorV/D4
>>238 なるほど〜。何となく判ったように思います。
私が根っからのキリスト教徒だからなのか、私はむしろ、救世主=キリストで、
(そうルビを振る程なのかどうかは、ちょっと判りませんが)
メシアってのは「旧約時代(イエスと同時代までを含む)の救世主観」と言う
ニュアンスを感じてしまいます。
従って、「キリスト」を「メシア」と訳されると、
「ペトロは新約聖書が言うところの『キリスト概念』を理解してませんでした」
ってわざわざ強調されているように感じちゃうわけです。
確かに普通の人は「キリスト=イエスの姓?、メシア=救世主」くらいの
理解だろうし、だったら、新共同訳の翻訳は筋が通ってるかもなぁ。
「外来語への訳は罷りならん」と言うつもりはないけれど、
むしろ新共同訳は過剰に「和訳」してる印象があったんで、ちょっと意外
241 :
ERBM :05/03/12 12:37:38 ID:p2MyUvNF
>>10 のぞみさん
>わたしが持ってる解説付きは、本田訳とバルバロ訳だけど、解説量が全く違うの。
どっちの解説量が多いの?
どっちの解説が優れてる?
ちょっとしつこいけど、240の続き。 確かめてみたら、新共同訳聖書って、イエス・キリストじゃなく単独で出て くる「キリスト」をことごとく「メシア」と訳してるのね。 ヨハネ福音書で、サマリアの女が「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが 来られることは知っています」って言うのがほぼ唯一の例外かな? 何故ここだけ? 同じヨハネ福音書に出てくるアンデレの 「わたしたちはメシア——『油を注がれた者』という意味——に出会った」 みたいに訳せばよかったに。 「わたしは、「油注がれた者」と呼ばれる「救い主」が来られることは知っています」
なんだ、過去ログ見てたら、自分で書いてら。
>>217 こんな文章を見つけた。
>>新共同訳聖書になって、原文ではギリシア語で「キリスト、クリーストス」
>>と書いてあるところを、そのままカタカナで表さずに、わざわざ旧約聖書の
>>背景にさかのぼって「メシア」と記すようになりました。それによって、こ
>>の言葉の旧約聖書的背景が明確に意識されるようになりました。
やっぱ、メシア=旧約聖書的背景の強調って考えがあるんだな。
244 :
名無しさん@3周年 :05/03/12 23:51:55 ID:YTYO188R
今日ネットオークションで買ったものみの塔(エホバの証人)の新世界訳が届きました。 なかなかいいと思ってしまったのは気のせいでしょうか?
245 :
名無しさん@3周年 :05/03/12 23:56:55 ID:pP1Gnyim
エホバの聖書は聖書って言えません。いろいろ都合の言いように手が加えられてますから…。
新世界訳は、fish を ghoti と綴るようなもの。 確かにパーツに分解すれば、根拠がない訳でもない。 gh: laugh の場合は f と発音 o: women の場合は i と発音 ti: nation の場合は sh と発音 でも、全体として見れば、やはりおかしい。
247 :
244 :05/03/13 09:07:58 ID:u4vMLp6R
>>245-6 新約部分で旧約の引用をしているとき、「エホバ」という名前が入るべきところには復元してるんじゃないんですか?確かに旧約の引用なら間違いじゃないですよね?
新約聖書の旧約引用は、ヘブライ語の旧約聖書からではない。復元そのものがおかしい。
>>247 旧約からの引用箇所以外にも 「エホバ」 が登場しています。
ヘブライ 1:10 は詩編 125:25 からの引用で、
普通なら 「エホバ」 が 「復元」 されるべき箇所ですが、
意図的に復元されていません。
(ヘブライ人への手紙 の筆者は、ヘブライ語のわかる人ではなさそうなので、
旧約のギリシャ語訳からしか引用していないと思いますが)
250 :
名無しさん@3周年 :05/03/15 08:23:17 ID:FCAtnJMc
ヘブル書の著者は使徒パウロです。七十人訳から引用していたというだけで、 ヘブライ語のわからない人だと決めつけるのは乱暴です。 私も英語でメッセージするときは英語の聖書から引用しますが、この通り 日本語のネイティブです。 旧約からの引用だからって、勝手に「復元」するのはおかしいでしょう。 新約の記者はルカ以外はみんなヘブライ語なりアラム語なりを話せました。 ルカでさえ、周りにいくらでもヘブライ語やアラム語が分かる人がいて、 自分で読めなくても原文をチェックできたのです。 しかし、それでも、新約の著者たちはあえて七十人訳から引用したりすることがあり ます。たとえば、イザヤ7:14です。私はこれは神の導きによるものだと 思います。人が勝手に「復元」すべきものではありません。 ものみの塔は聖書根本主義をうたっていますが、手前勝手に改竄した ものを聖書といっているのですから、ちゃんとした意味での聖書根本主義とは いえませんね。 布教活動ご苦労様。でも、ここにはあなたに丸め込まれるような人はおりません。 互いに時間を無駄にするだけですよ。 2chなんかやってないで、聖書の原文を学ばれてはいかがですか?
ヘブライ人への手紙は使徒パウロの著作でないといわれています。
>>250 メッセージをされるということで、牧師先生だと思います。
> 2chなんかやってないで、聖書の原文を学ばれてはいかがですか?
は、彼らに対する極めて的確な、指摘であると思います。
全く同感です。(2ちゃんねる用語で言えば「禿同」です)
その上で、幾つか。
> ヘブル書の著者は使徒パウロです。
ですが、おそらく、一般の信徒で普通に売られている注解書などを読んで
いる人たちは、ヘブライ書の著者をパウロだとは思っていないと思います。
一般に保守的だと言われる「いのちのことば社」の注解でも、例えば、
実用聖書注解では、パウロ説、バルナバ説、アポロ説、その他の説を取り
上げて、パウロ説については「現在これを支持する者はごく少数である」
としています。もちろん、少数ながら、支持する人が居られるので(先生
のように)、間違いだというのではありませんが、まるでそれが、広く認
められていることであるかのようにおっしゃるのはどうかと思います。断
言なさるのであれば、根拠を示していただければと思います。
私も、古くはパウロ著者説が言われていたことは知っていますが、上記
のように、現在はその支持は極めて少数であると思っていますし、浅学な
がら、パウロ著者説を支持する積極的な根拠を知りませんので、教えてい
ただければ、かえってありがたく思います。
長くなっちゃいましたので続きます
>>250 もちろん、上記のバルナバであろうとアポロであろうと、ギリシャ語と同
時にアラム語を話せたはずですので、その点では先生の指摘は正しいと思い
ます。
しかし、ここまでのところで、
>>248 さんが
> 新約聖書の旧約引用は、ヘブライ語の旧約聖書からではない。
>>249 さんが
> ヘブライ人への手紙 の筆者は、ヘブライ語のわかる人ではなさそう
と言うだけで、誰か一人が、
>> 七十人訳から引用していたというだけで、
>> ヘブライ語のわからない人だと決めつける
と因果関係をつけて論じてはいないと思います。
上記のように、それ以降の論旨は私としては良く判り、また同意するも
のですだけに、かえって最初の段落はちょっと困ってしまい指摘させてい
ただきました。
あくまで、全体の用紙に賛意を示すものであり、批判するものではないこ
とを改めて書いておきます。
余計なことを言って混乱させるようでしたら申し訳ありません。
>>244 245−250で皆さんがおっしゃっている通り、新世界訳聖書には、
重大な問題があります。
それは第一に、彼らがキリスト教徒は言えない誤った信仰の下で、その論
理を取り繕うことを目的に聖書を翻訳しているとしか思えないこと。
第二に、信仰を離れて単に翻訳としても、原文に因っていないと思われ、
訳語自体も恣意的に選ばれていること。
以上二つの理由で、新世界訳聖書は「聖書として読むことを」お勧めで
きません。
エホバの証人の信仰や、彼ら自身の問題点については、そのためのスレッ
ドがあると思いますのでそちらへどうぞ。
スコフィールド聖書について。 ケアンズの基督教全史にも、いのちのことば社のキリスト教2000年史にも、スコフィー ルドはおろか、ディスペンセーション主義という項目さえ無い罠。千年王国で検索する と、初代教父の黙示録解釈にまで遡ってしまう。 理論は用いているくせに、表立っての人気はないな、スコフィールド聖書。
256 :
名無しさん@3周年 :05/03/15 14:10:06 ID:ZAhiWLoI
福音派が聖書そのままではないことを示しているのが、 新改訳のサムエル下 21:19です。 新共同訳は次のように訳しています。 「ゴブで、またペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム出身のヤア レ・オルギムの子エルハナンが、ガト人ゴリアトを打ち殺した。ゴリアトの 槍の柄は機織りの巻き棒ほどもあった」。 つまり、ゴリアテを殺したのはダビデではなく、エルハナンであったという わけです。これが原文そのままの訳です。 ところが、これではサムエル上でダビデがゴリアトを殺したという記述と矛 盾するというわけで、新改訳は次のように解釈して訳しかえます。 「ゴブでまたペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム人ヤイルの子エ ルハナンは、ガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミを打ち殺した。ラフミの槍の柄は、 機織りの巻き棒のようであった」。 このように聖書そのままではなく、福音派の価値観が色濃く出ているのが 新改訳聖書です。 福音派は決して聖書(原文)そのままを信じているわけではなく、特定のイ デオロギーを強く持った教派です。
257 :
名無しさん@3周年 :05/03/15 14:20:11 ID:ViJj+lyJ
岩隈直訳はどうよ??
>>256 すでに一般的に使っていた「ゴリアテ」をわざわざ「ゴリアト」とするほうが気になる。
259 :
996 :05/03/15 22:12:33 ID:YoYslAWB
面白そうな話題なので割りこまさせていただきます。 回復訳は、ヘブル書の著者はパウロであるとしています。 以下に引用します。 筆者:本書のような深く、高く、豊かな内容を書くことができるのは、使徒パウロ以外にはない。 テモテのことを述べていること(13:23)や、交わりの口調も、パウロが筆者である ことを示している。 では、バルナバ説やアポロ説はどうか。 W・リーはこれを否定します。 使徒15:39で、伝道旅行にバルナバの従弟のマルコを連れて行くかどうかで パウロと論争になって、結局別行動をとるようになります。 使徒行伝だけでなく、全聖書を通じて、バルナバの名が出てくるのはここが最後です。 W・リーに言わせると、使徒行伝は主の動きの記録であって、主の動きからはずれたら その人の名前が出てこなくなるというのです。 これが、W・リーがバルナバ説を否定する理由です。 でも、アポロ説の否定の仕方の方が面白いと思います。
>>256 そもそも現在地上には写本しかない。
わざと聖書が矛盾するかのように訳す新共同訳にバイアスがかかっているのだろう。
>>259 ほぉ。スゴイ理由ですね。
アポロ説否定の仕方はもっと面白いんですか?ワクワク
>>260 引照付きの新改訳聖書を見ますと、この箇所を
>>256 さんが引くように訳
している理由を「I歴二〇・五による」としています。
確かに、歴代誌上20:5は、「ゴリアトの兄弟ラフミを」とあります。
もちろん新共同訳もそうです。
他に理由が書いてありませんので、どうも、新改訳聖書が「ラフミ」の
名前を入れたのは、写本の問題ではないようです。
(この辺は、私には確かめるだけ事が出来ませんので、誰か教えて下さい)
少なくともこの箇所の場合、新共同訳聖書が「聖書が矛盾するかのよう
に訳」しているのではなく、新改訳聖書の方が、歴代誌の並行記事との矛
盾を解消しようとしたのは明らかだろうと思います。
それが「特定のイデオロギーを強く持った」事になるかどうかは別にして。
262 :
996 :05/03/15 23:08:42 ID:nTmKgzyk
リーは、新約聖書の中にバプテスマのヨハネの務めとキリストの務めとの対立があると 指摘します。そして、両者はそれぞれ、アポロとパウロによって引き継がれている、と。 バプテスマのヨハネは、キリストについて証をするために神によって遣わされました。 ですから、彼の務めは旧約と新約の橋渡し的な、過渡的なものでしかなく、キリストがきたら 停止されるべきものだったのです。 ヨハネはそれを認識していましたが、有名になって、弟子たちもできて、 自分の務めをやめるにやめられなくなっていたのです。ヨハネ第三章の後半なんて、 まるで自分に言い聞かせているように響きます。 しかし、それでも自分の務めをやめられませんでした。 バプテスマのヨハネが首を切られたのは、主の主権によるもので、その目的は 彼の務めを停止することにあったとリーは書いています。 アポロがはじめて登場するのは使徒第18章の終わりの方です。 アポロがバプテスマのヨハネの務めの延長線上にいたことは明らかです。 プリスキラとアクラによってキリストの務めを知ったものの、 その後も彼の務めは対して変化はなかったようですし、パウロと一つ心でも なかったように見受けられます。 第一コリントでは、「私はアポロにつく」という人たちがおり、パウロとしては アポロがコリントを訪問してそんなことをしないように呼びかけて欲しかったようですが、 アポロはそんな気持ちはまったくありませんでした(第一コリント16:12)。 アポロはアジア州の中心的な教会であったエペソにいましたが、 キリストの務めではなく、バプテスマのヨハネの務めを伝え続けていたのではないでしょうか? アジア州の聖徒たちはのちにパウロがになっていたキリストの務めから離れ(第二テモテ1:15)、 黙示録第二章-第三章ではそれが悪化しています。ここではじめに言及され、叱責 されているのはエペソにある教会で、「最初の愛から離れてしまった」とあります。 そこで、259で引用した 本書のような深く、高く、豊かな内容を書くことができるのは、使徒パウロ以外にはない。 という結論に至るわけです。
>>260 原典において誤りの無い神の言葉です。
不敬虔を悔い改めよ。
264 :
996 :05/03/15 23:33:06 ID:EO7dYMHo
アポロ説の否定は、リーの『時代のビジョン』を参考にしました。 255 >スコフィールド聖書について。 >ケアンズの基督教全史にも、いのちのことば社のキリスト教2000年史にも、スコフィー >ルドはおろか、ディスペンセーション主義という項目さえ無い罠。千年王国で検索する >と、初代教父の黙示録解釈にまで遡ってしまう。 >理論は用いているくせに、表立っての人気はないな、スコフィールド聖書。 回復訳もですよ。ニー・リーを愛読している者にとっては残念なことです。 もうだいぶ前ですが、私が回復訳を手に入れてまだ間もない頃、 ハーベストタイムを見ていたら、中川健一師がヨハネ1:14から話しておられました。 「ここは本当は『幕屋を張る』と訳すべきです」とおっしゃるのでアレっと思って あわてて回復訳を開いたら、続けて回復訳の注に書いてあることの要約のような内容を 語られたのでへーっ、中川師のネタ本だったんだぁと驚いたことがあります。 もちろん、ほかの本も参照しておられるはずですが。 あと、佐々木満男さんという国際弁護士の方のメッセージ集のプレゼントというのに 応募したら、ニーの『キリスト者の標準』や『十二かご』とそっくりなメッセージだったので、 やっぱりアレっと思ったことがあります。 ヘブル書を担当しておられるという神学校の先生とお話した時も、 ニーとリーの本が好きだと言ったら、「実はね」といって ヘブル書のライフスタディを出して来られ、「これ、いいですよね。私の講義は これを大体そのまんましゃべってるんです」といきなりネタばらしをされたことがあります。 「ローマ書も欲しかったんだけど、一分冊だけ手に入らなかった」とかいって 相談までされてしまいました。 牧師さんは結構メッセージのネタ本として使ってるのに、 表立ってはあんまり注目されてないな、回復訳聖書。
265 :
249 :05/03/16 01:03:19 ID:iI1+9Lhv
249 です。
>>250 さんへ
>布教活動ご苦労様。でも、ここにはあなたに丸め込まれるような人はおりません。
↑ この一文だけ気になりました。私は新世界訳には反対の立場です。
新世界訳による 「エホバ復元」 が恣意的である一例を挙げました。
>>249 が趣旨のわかりにくい文でしたらすみません。
あと、「ヘブライ人への手紙の筆者はヘブライ語のわかる人ではなさそう」 と書いたのは、
以前書店で立ち読みした本の中に、
「契約 (ディアテーケー)」 というギリシャ語に 「遺言」 という意味もあることを利用した箇所
(ヘブライ 9:16) があるが、ヘブライ語の 「ベリート」 には遺言という意味はない。
よって筆者はギリシャ語しかわからない人ではないか。
...という文章があり、以来、私もそう思っているだけです。
(ちなみにエホ章は、ヘブライ人への手紙の筆者はパウロ、と言っています。)
266 :
名無しさん@3周年 :05/03/16 16:27:27 ID:hE8iDCI3
わたくし素人なのですが、岩波文庫の福音書(塚本虎二 訳) は一般的にどういう評価を受けておりますか?
>>266 関根訳の旧約が評判良かったけれど、2匹目の土壌を狙って大失敗。
サム下21:19のマソラ本文は、新共同訳のように、ベツレヘム人の・・・エルハナンが・・・ゴリアトを 打ち殺したとしか読めない。それに打ち殺されたのがラフミであるという異読があるわけでもない。 本文を曲げてまで、新改訳の訳者が打ち殺されたのはラフミであるとしたのは、サム下のこの箇所には 本文伝承史上問題があると言われているからだろうね。サムエル記の方では、エルハナンの父の名前は ヤアレ・オルギムとあるが、オルギムとは織工のことだから、オルギムを人名に含めているのは本文伝承 の過程で生じた誤りであろうとも言われている。そこでエルハナンの父の名前については代上20:5にある ようにヤイルのほうが古く正しいのではないかとの主張があり、新改訳の訳者もヤイルと訳し替えている。 ただ打ち殺されたのがラフミというのはどうかね。ラフミ(lhmy)という綴りはベツレヘム人(byt-hlhmy) の一部を構成しているから、歴代誌のラフミは歴代誌史家による改変とも言われている。歴代誌史家は サムエル記を資料として用いているというが通説であるから、ゴリアトを打ち殺したのはダビデである というサム上17の記述との調整を図って、よく言われているように、歴代誌史家がゴリアトをラフミに 書き替えたのかもしれない。あるいは歴代誌史家が資料として用いたサムエル記が現在のマソラ系写本 とは別系統であったのかもしれない。 しかしいずれにせよ、ゴリアトを打ち倒したのはダビデかエルハナンか、本文からも本文以外からも はっきりしないにも関わらず、そしてサム下21:19の本文が壊れていないにも関わらず、本文とは全く 違った翻訳をしてしまうのはどうかと思う。ユダヤ人学者がBHKを校訂本として用いることを嫌ったのは 欧米の非ユダヤ人の学者が本文をいじったからであるが、新改訳のこの訳にもそれと一脈通じる所がある。
269 :
名無しさん@3周年 :2005/03/21(月) 23:14:44 ID:7V81U2Ob
そもそも、日本語の聖書って、どのくらいあるんでしょうね? 数えてみません? ・まずは、旧新約全巻揃った(そろえようとしている)を優先 ・細かな変更は含まず(例えば、新改訳1〜3版は一つとカウント) ・よほどのことが無い限り、「あれは聖書とは認めない!」は無しで。 ・現在入手できるかは問わないけれど、手に入らないものは出来ればコメントを。 で、わたしから 1新共同訳 2口語訳 3文語訳(大正改訳) 4文語訳(元訳)
カトリックの聖書 ・フランシスコ会訳 ・バルバロ訳(講談社訳) ・ラゲ訳
>>269 3文語訳(大正改訳)
これは新約だけ
現在「文語訳」として売られているのは明治訳の旧約と大正改訳の新約を合わせたもの
ラゲ訳
これも文語だけ
ほかに旧新約全部そろっているのは
岩波の委員会訳
新改訳
リビングバイブル
現代訳
回復訳
新世界訳
くらいかな
あと講談社の
「聖書の世界」
というのがるけど、翻訳と言うより解説みたいになっている部分もあるのでここに入れていいか迷う
>>272 回復訳の旧約は、まだ部分出版のみだと思う。
英語版は全訳があるようだが。
新世界訳は、日本語が使われていないような気ガス
274 :
名無しさん@3周年 :2005/03/22(火) 13:02:14 ID:6Yuftiba
ここはなんで、回復訳や新世界訳のようなトンデモな訳まで扱うんだよ?
269が、どんなのでも聖書と名前がつけばあげろといっているから。
関根正雄の『新訳・旧約聖書』(4分冊)が落ちている。
277 :
260 :2005/03/22(火) 17:37:01 ID:27VSYNYx
>>274 すいませんねぇ
触れなきゃ触れないで、「これがイイ!」って人が出てくるんですよね。
特に回復訳と新世界訳は。
>>276 関根訳は旧約だけですよね。
ってことで、旧新約全部ってのは出尽した(?)みたいなので、
旧約だけとか、新約だけとかいうのも挙げますか?
となるとまず問題作(?)の
・共同訳(新約のみ)
それと、
>>272 さんが指摘している通り、
大正改訳も新約だけですね。
正教会訳は新約のみだっけ。
>>277 注解書や講解書に良い訳が付されている場合もあるが。
>>277 バルバロ訳も一応・・・
フランシスコ会訳はやっぱり載せた方が良いのでは?
281 :
996 :2005/03/22(火) 20:49:57 ID:cRIxuwBn
新世界訳は確かに無茶苦茶ですが、回復訳はトンデモではありません。 私はもともと新改訳を中心に使っていましたが、六年前から回復訳に乗りかえました。 ギリシア語聖書と読み比べてみて、一番正確な訳であると確信したからです。 今もギリシア語原文と比べつつ読んでますが、読めば読むほどいい訳だなぁと実感します。 もちろん、完璧な訳であるとはいえませんが、現在読める日本語訳聖書の中では、 おそらく最善のものであると思っています。 2chで回復訳をほめるとしばしば批判を浴びますが、誰一人として具体的に 何章何節と例をあげて問題点を指摘した人はいません。 一体何が根拠なのでしょうか? いつも不思議に思っているのです。 何日か前に新世界訳について具体的な議論がなされたように、 一度このことについてはっきりと話し合いたいと思います。 本当は現役の主の回復の人がからんできて欲しいところですが、 あそこの人はあまり2chには登場しないようなので、 役不足ですが私が回復訳擁護派ということでレスさせていただきます。 274を書き込みされた6Yuftibaさん、おこたえ願います。 どの節のどの部分をご覧になられて回復訳はトンデモであると判断されたのか、 お教えください。 もしスレ違いであれば、ウォッチマンニー・ウィットネスリースレに 場を移してもかまいません。
282 :
269 :2005/03/22(火) 23:12:20 ID:27VSYNYx
283 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/22(火) 23:28:29 ID:dRlK90aX
回復訳、なかなかいぃょ。 何て言ぅのかなぁ、キリスト者に、神さまが近づいてる気がする。 996さんみたぃに、うまく言えなぃけど。 研究の書でなく、信仰の書なら、回復訳かなぁ〜。
山本書店刊行の岩隈直訳ってどうよ? プロテスタントの学者なんでしょ。
285 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/22(火) 23:33:43 ID:dRlK90aX
家で普通に読むなら、わたしわ、回復訳、本田訳。 新共同訳わ、他の人との交わりの時ぐらぃかな。 持ち歩くのわ、単純に大きさの関係で、新共同訳、新改訳、どちらかを気分でね。 回復訳の小形判も、買わなくちゃ。
286 :
名無しさん@3周年 :2005/03/22(火) 23:38:13 ID:syUD7imU
回復訳はリーの個人訳だろ。しかも、新約だけ。 そんなんでいいんなら、いくらでもあるぞ。 有名ものでも塚本訳とか・・・ ほとんど知られてないけど、高橋晶訳聖書とか・・・
287 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/22(火) 23:42:57 ID:dRlK90aX
>>286 個人訳って、訳が1文字も違わなぃで、同じですか?
そんなわけ、なぃでしょ。
前田護郎、柳生直行、岩隈直も個人訳...
289 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/22(火) 23:49:01 ID:dRlK90aX
柳生訳わ、好き
柳生訳は去年復刊されましたね。関東学院の学長だとか。
291 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/22(火) 23:54:26 ID:dRlK90aX
>>290 柳生訳、欲しぃなぁ〜。
実家に置いた本、全部処分されちゃったのょねぇ。
新教出版から出ていたし、秋ごろの発売だからまだ手に入ると思ふ。 それと、岩隈訳というのはどうなんですかね?ご存知ですか??
293 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/23(水) 00:06:15 ID:dRlK90aX
>>292 ごめんなさぃ、岩隅訳わ、わかりません。
書店でわ、手にしたことあるように思うけど、内容わ記憶無ぃです。
294 :
名無しさん@3周年 :2005/03/23(水) 00:09:20 ID:os4nEbjF
>293 そうですか。実はキリスト教書店で、回復訳といっしょにギリシャ語 対訳版とあわせて岩隈訳が並んでいたのですが、買わずに帰ってしま い、今年になったらもう無くなっていて後悔しています。 山本書店の山本七平?さんが有名な方らしいので気になります。
295 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/23(水) 00:13:50 ID:aj07/BW+
>>294 わたし本わね、書店に無ぃ場合、出版社に電話して、通販するょ。
なかにわ断られる場合、あるけど、大体してくれる。
聖書でわたしが一番好きなのわ、本田訳なの。
全巻翻訳無ぃけど、本田訳が好き。
296 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/23(水) 01:21:28 ID:aj07/BW+
まぁでも、今、柳生訳に触れても、感触が違うかもなぁ〜。 あの頃のわたし、新改訳中心だったから。 本田訳、回復訳、中心にしてる今、柳生訳に触れても、以前と違う感触かも知れなぃ。
297 :
996 :2005/03/23(水) 05:07:13 ID:KIOUaFba
>持ってないのに、トンでも訳呼ばわりしてスイマセン ケンカ腰のレスを書いてすみませんでした。お詫び申し上げます。 >回復訳はリーの個人訳だろ。しかも、新約だけ。 リーは何回か来日していますが、日本語は話せなかったようです。 日本語版は、日本福音書房の翻訳委員会が訳しています。 出版の記録をたどる限り、二十年くらいかけて訳しているようです。 英語版や中国語版も個人訳ではありません。 英語版回復訳は実は二種類あって、1985年に出た暫定版には、W・リーとともに ジョン・インガルスほか数名の訳者の名があがっています。 ほぼ現行のものと同じ1991年版には訳者名は あがっていませんが、やはり同様に新約ギリシア語の専門家で翻訳委員会を設立して、リーは 編集長を務めたようです。中国語も同様です。 英語版の旧約も同じようにして訳されたようです。翻訳者の一人であるケリー・ ロバショーがインタビューにこたえている映像がネット上で公開されています。 回復訳以外では、永井直治『新契約聖書』と、ゆまに書房から出ているロバート・モリソン訳の 漢訳聖書に返り点がついたものが好きです。 永井訳は、飽くまで原文に忠実であることに徹しきった姿勢が凛としていて 読んでいて小気味よく、ちょくちょく開きます。 返り点つきの漢訳聖書は協会の明治訳が出る前に使われていたものです。明治のはじめ頃に 聖書を読んでいた人たちの息づかいがきこえてくるようで、好きですね。 正教会訳は音読に適していると思いますが、ギリシア語からというよりは、 英語のキング・ジェームズ訳からの重訳だと思います。
298 :
名無しさん@3周年 :2005/03/23(水) 08:20:27 ID:VzI+dgKP
>>297 > 正教会訳は音読に適していると思いますが、ギリシア語からというよりは、
> 英語のキング・ジェームズ訳からの重訳だと思います。
何言ってるの?
正教会訳は七十人訳からの翻訳です。
正教会はイエスが使った聖書しか認めないんだよ。
七十人訳って、イエスが使ったのか??
タルグム@アラム語訳だと思っていたが...
質問。 パウロはヘブライ語またはアラム語で旧約聖書を読んでいたんですか? それともLXX? 希美タソは新世界訳を読まないんですか? あずみタソは降臨しないんですか?
303 :
名無しさん@3周年 :2005/03/23(水) 10:49:13 ID:trn7plK4
>302 ルター派でも新世界訳を読むの?
>>302 ガマリエルだっけ、の元で学んだパリパリのパリサイ派だから
ヘブライ語で学んだのかな。
305 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/23(水) 11:09:40 ID:aj07/BW+
>>302 新世界訳?関心無ぃなぁ〜。
エホ証のだっけ?
深く追求しなければ、概略わ、新共同訳で十分でしょ。
それょり、統一の原理講論が、欲しぃかなぁ。
聖書わ、柳生訳がやっぱり、欲しぃかな。
あと、回復訳の小形サイズ、新改訳の小形サイズの赤色。
別に新改訳じゃなくても、構わなぃけど、赤い色の小形サイズの聖書が、欲しぃの。
☆一番の希望わ、本田訳聖書の全巻翻訳と小形サイズ化かなぁ〜☆
日本語的に違和感ありまくりの共同訳(旧共同訳)もお忘れなく。
>>306 日本語というより、カタカナ語でひっかかるんよね。
「イエス」と「イエズス」でもめたからって、「イエスス」はないだろうとw
308 :
名無しさん@3周年 :2005/03/23(水) 18:14:46 ID:trn7plK4
回復訳を評価している人は、リーの神学をどう考えているのかな? リーは神学的にはメチャクチャだよ。 そういう人が、聖書の翻訳だけは確かなんてことがあり得るのかな?
309 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/23(水) 20:47:08 ID:aj07/BW+
>>308 回復訳について、わたし書いたけど、神学わかんなぃ。
996さんからのアドバイスと、地方教会や吉祥寺のベックさんのことを聞いて、選びました。
日本福音書房で、回復訳聖書の見本誌を、用意してるょ。
エペソ人への手紙1章〜2章11節までの。
聖書本文わ、わずかだけど、その何倍もフットノートが載ってるから、参考になるょ。
関心あれば、もらってみたら。
310 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/23(水) 21:48:52 ID:aj07/BW+
>>309 補足
回復訳聖書の見本誌
14ページのうち、フットノートは、10.5ページあります。
残りのページが、聖書本文です。
312 :
996 :2005/03/24(木) 01:14:25 ID:Fk6uHfVC
>回復訳を評価している人は、リーの神学をどう考えているのかな?
>リーは神学的にはメチャクチャだよ。
>そういう人が、聖書の翻訳だけは確かなんてことがあり得るのかな?
多分私に対する問いだと思うのでおこたえします。
「神学的にメチャクチャ」とおっしゃるのが具体的にどの点についてなのかが
不明確なので一般論としておこたえします。
ウオッチマン・ニーとウイットネス・リーの神学は、もっとも聖書的で
もっとも霊的だと思っています。
私が初めて読んだニーの本は『キリスト者の標準』で、読んですぐに良書であることが
わかりました。これは、大抵の方が同意してくださることでしょう。
リーの本としては、回復訳が最初です。やはり最初は異端なのかどうなのかチェックしつつ
読む作業から入りました。ですが、読めば読むほど、聖書本文の正確さももちろんのこと、
註の内容にも目を見張るようになりました。それから日本福音書房やスカイソフトのホームページに
行っては注文して本を買うようになり、
ttp://www.lsm.orgで本が公開されているのを 見つけてからはもっぱらネットで読んでいます。
知り合いの牧師さんでも、リーのライフスタディを読んでいる人、結構いますよ。
それ以外にも、リーの本を読むようになってからは、リーの本でメッセージを準備
している牧師さんがすぐに見分けられるようになりました。
リーについてはどういうわけか異端だという噂がありますし、あまりネタ本をあかしたがらない
人が多いので、信徒さんには内緒にしているケースが多いのですが。
私も、はじめて会う人にはいきなりはリーの話はしないようにしています。
逆に質問ですが、どの本を読まれて「リーは神学的にはメチャクチャ」と判断されるに
至ったのか、お教えいただけますか?
>>311 動的等価法がどうのこうのと言われるけど、目次を見た次点で「こりゃだめだ」と
思っちゃうよね。
314 :
名無しさん@3周年 :2005/03/24(木) 18:11:23 ID:k2aXy99Z
>312 やはり、「回復訳」の評価は、一部のリー・ファンの間だけの話だったんですね。 あるいは希美(のぞみ) のような「原理口論がほしい」と言ってるような人とか・・ ウオッチマン・ニーを評価している人は多いが、それとウイットネス・リーの評価 とはまったく別だと思う。 ウイットネス・リーはワンネスでしょう。三位一体論に問題がある。 だから、信徒さんには内緒にしなければならないほど、キリスト教会界ではウイ ットネス・リーへの批判が強いわけでしょう。
315 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/24(木) 18:17:04 ID:vL85z/EF
>>314 見本誌を見て評価したら?
知らなぃことを批判するのわ、間違ぃ。
316 :
996 :2005/03/24(木) 20:17:07 ID:yvwOlQbP
リーがワンネス(サベリウス主義)であるいう批判は1977年にアメリカで 始まったものです。私もリーの本を読み始めて以来、随分時間をかけて このことで調べ物をしたり人と論じたりしてきました。 調べ始めてすぐに気がついたのは、リーがワンネスだと言う人に二種類あることです。 リーをちゃんと読んでいる人と、ちゃんと、あるいはまったく読んでいない人です。 リーを読まない人の場合は、思い込みや噂だけでワンネスだと決めつける傾向にあります。 ちゃんと読めばワンネスでないことくらいはっきりします。 詳しいことは、ウィットネスリーのスレに来てくださればお分かりいただけるでしょう。 読んでてそれでもなおワンネスだと主張し続ける人もいます。 私が知る限りでは、三神論者か嘘つきかのどちらかです。 三神論者は論外として、なぜ嘘をついてまでリーを批判する人がいるのか。 理由は簡単です。その人たちは、実はリーの本を使ってメッセージを準備して 語っているからです。リーの本は分かりやすくて誰にでも理解できるので、 信徒さんにバレるとマズいのです。私は実例を何人も知ってます。 もちろん、リーの教会論を警戒しているという面もあるでしょう。無教派とか、万人祭司とか。 信徒さんたちがリーの教会論に影響されて一番困るのは牧師です。失業するわけですから。 しかしリーの教会論を批判するのは、聖書主義という前提に立つ限りは不可能です。 ですから、ややこしそうでて一般の信徒さんたちをケムにまきやすい三一論あたりで 嘘をついて何とかごまかしてしまおう、そういえばアメリカでそんな議論があったって 言うしな、ということになるわけです。やれやれ。 k2aXy99Zさんには、事実を確かめることをおすすめします。 ところでのぞみさん、おひさしぶりですね。
317 :
996 :2005/03/24(木) 20:22:12 ID:yvwOlQbP
318 :
名無しさん@3周年 :2005/03/24(木) 22:45:06 ID:Yf0jfwY/
>316 リーなら知ってるよ。。 リーの教会の人は「おお、イエスよ」と繰り返してるだけ。 イエスの御名しかない。 そのどこが三位一体なの? 回復訳は一部の特殊な人たちの間でしか評価されていない訳であ ることには変わらない。 日本の著名な聖書学者で、回復訳を評価している人はいますか? 評価とまでいかなくても、とりあえず取り上げてくれるという人はい るかな? 聖書翻訳のひとつとして扱ってもらえてないというのが現状です。 そういう訳を、あえて評価するというのなら、それそうおうの説明が いると思うけどね。
319 :
名無しさん@3周年 :2005/03/25(金) 00:20:59 ID:UCR0y1Oc
どんな神学の人が翻訳していようと、原語に誠実に訳してくれていれば、よい翻訳と言える。(「原語に忠実に」じゃない。そんなことはありえない) もちろん、翻訳者の神学が翻訳に反映しないはずはないのだけれども、具体的なソースもあげずに異端だ、そうじゃないって論争をしても無意味。 それよりもその翻訳の具体的な個所を上げて、それがどう言う姿勢(神学)に基づいて翻訳されたものかを検証するほうが懸命。
320 :
キリスト教書店 ◆zVzV1pw502 :2005/03/25(金) 00:24:54 ID:BYz4kDpd
はじめまして。 現改訳ってまだでしょうか???情報キボンヌ 奥山先生各翻訳についてはそれなりに 評価されておられましたね>リバ新だったかな?
>>320 書籍スレみたぃに、荒らさなぃでくださぃね。
322 :
名無しさん@3周年 :2005/03/25(金) 00:54:52 ID:UCR0y1Oc
現改訳って、現代訳の改訳って事?尾山先生?
そう言えば、現代訳ってあまり出てきてないね。(
>>272 くらい?)
323 :
996 :2005/03/25(金) 01:39:58 ID:xO3By6yH
>リーの教会の人は「おお、イエスよ」と繰り返してるだけ。 >イエスの御名しかない。 >そのどこが三位一体なの? 根拠はそれだけですか!? 拍子抜けしました。 >回復訳は一部の特殊な人たちの間でしか評価されていない >日本の著名な聖書学者で、回復訳を評価している人はいますか? >評価とまでいかなくても、とりあえず取り上げてくれるという人はいるかな? 日本の聖書学者はリベラルが多くて、彼らにとっては新改訳ですらキワモノなので 回復訳はあまり取り上げられないのではないでしょうか? 知り合いからの又聞きですが、新約ギリシア語学の織田昭先生はそれなりに評価しておられる ようです。しかし具体的にどう言っておられるかは存じ上げません。 それが本なりネットなりで活字になっているかどうかも未確認です。 英語版回復訳だと、カリストス・ウェアがほめています。 中国語圏のクリスチャンに対するニー・リーの影響はすさまじく、 福音主義の立場をとるならば無視するのはむずかしいくらいです。 回復訳やリーのライフスタディを使ってメッセージを準備しておられる牧師さんは 大勢おられます。それは、リーの本を読めばすぐにわかります。 UCR0y1Ocさん、ご忠告ありがとうございます。 回復訳の特徴としてあげられるのは、ほかの翻訳でバラバラの訳し方をされている、 人の各部分についての訳語を統一した点です。「霊」「魂」「体」「思い」「心」 などですね。これは、ニーの初期の傑作『霊の人』と同じ路線です。 この点については、「原語に忠実」といっていいのではないでしょうか?
>>322 現代訳は尾山先生の翻訳。
現改訳は奥山実師ら、ハーザーで新しく進めている翻訳。
詳しくは月刊誌のハーザー。
325 :
名無しさん@3周年 :2005/03/25(金) 10:25:22 ID:UCR0y1Oc
へぇ。初耳
>>324 もしこれが、広まるとしたら、
(いわゆる)リベラル 新共同訳
(いわゆる)コンサバ 新改訳
(いわゆる)ペンテコステ 現改訳
って住み分けになるかしら。それならそれで判りやすいけど。
326 :
名無しさん@3周年 :2005/03/26(土) 21:56:41 ID:rc1CyiAH
福音書の著者ですらヘブル語を読まねえで翻訳で済ましたところからみても、 翻訳って大事だな。
327 :
名無しさん@3周年 :2005/03/28(月) 11:08:24 ID:VzZUaRr/
つまり最初から、翻訳された聖書が「聖典」として機能する。って言う確信があったって事ですね。 その辺りがコーランと違うところでしょ。
328 :
名無しさん@3周年 :2005/03/28(月) 11:22:18 ID:xaRaMjv9
新約の著書の時代にはまだヘブライ語本文は確定していなかったから、 確定したヘブライ語「聖典」なんて意識はそもそも存在しなかったんだよ。
329 :
名無しさん@3周年 :2005/03/28(月) 11:53:24 ID:md+BxDdw
おいおい、マソラをナメるなよ。 律法と預言者については範囲も本文もほぼ確定、ほぼ聖典だぜ。
正典
性典
332 :
996 :2005/03/29(火) 13:24:05 ID:sIwbbv8j
お知らせです。
ほぼ毎回、回復訳が話題になった時にW・リーは異端であるとのレスがつきます。
その際、ここのスレでそれを論ずるのはスレ違いだし、荒れてしまいますので、
W・ニー、W・リースレに誘導したいと思います。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1107014205 このスレは翻訳聖書のスレなので、回復訳の訳文について論ずる場合のみ、
上記スレには移動せず、ここでそのまま議論を続けようと思います。
これまで、このスレが荒れる原因を作ってきてしまって、すみませんでした。
もっとはやくこうすべきだったかも知れません。
もしこれでまだ不都合が生じるようなら、皆様どうかご意見ください。
>本文もほぼ確定 マソラ本文の最古の写本でも紀元後9〜10世紀の作。 ところがそれよりはるか昔の死海写本のヘブライ語本文には マソラ本文に近い型のもののほかに、サマリア五書に近い型と 70人訳に近い型のものが存在する。 そこで普通は、少なくともエルサレム陥落以前のパレスチナでは 排他的権威を持つヘブライ語本文はいまだ存在しなかったといわれているが。 (例えば、ヴュルトヴァイン『旧約聖書の本文研究』)
>>332 >W・リーは異端
色んな翻訳が様々な立場から出版されているわけですが、
はじめて聖書を読む人の中には
それぞれがどういう立場から出されているか
ご存じないない方も大勢おられるわけです。
それで客観情報を提供すれば、
日本のスタンダードは「新共同訳」(口語訳・文語訳はスタンダード旧版)
本屋でよく見かける「新改訳」は、保守的な信仰者向け。
「新世界訳」は、ものみの塔の訳。
一部熱心な方が2ちゃんで宣伝される「回復訳」は、
カルト視されている訳となるわけです。
回復訳が「カルト」かどうかはわかりませんが、
「カルト視」されているのは事実ですからね
>>334 >日本のスタンダードは「新共同訳」(口語訳・文語訳はスタンダード旧版)
そうなんだけど、それがまったくのダメダメ訳だから、こんなスレが立つわけ。
特に新約は酷い。せめて日本語としてしっかりした訳ならみんな使うっての。
フランシスコ会訳が好き。
>>335 まったくダメというほどじゃないと思うけどなあ。
「使徒言行録」だけはまったくダメだけど。
338 :
996 :2005/03/30(水) 11:24:36 ID:+bj2aRWD
一々言葉をかえしてすみません。 >色んな翻訳が様々な立場から出版されているわけですが、 >はじめて聖書を読む人の中には >それぞれがどういう立場から出されているか >ご存じないない方も大勢おられるわけです。 それは理解できます。 ですが、そのあとの >客観情報を提供 というのはいかがなものでしょうか? 一般にいい翻訳であるとされている新共同訳が評判に反してあまり正確でないことや、 ファンダメンタル系で恣意的な意訳がなされているとされている新改訳が 実は結構正確な訳であることなどが明らかにされてきたのはこのスレッドの 成果といえるでしょう。あまり有名でない翻訳に案外いいものが見つかることなども、 実際にその翻訳を手にし、読んでみた人たちによって語られてきました。 そういうところにこのスレッドの存在意義があるのではないでしょうか。 もちろん、「回復訳がカルト視されている」という「客観的情報」も含めて、 キリスト教界で一般に言われている情報を提供する意義はないとか、そういうのを やめろとかいうつもりは毛頭ありません。そこはどうか誤解なさらないでください。 私が言いたいのは、「客観的情報」の提供でとどまるのではなく、 実際に読んでみてどうなのかという話もした方がいいということです。 そして、私は実際に回復訳を読んでみて、こんなに優れた翻訳はないと思って 使い続けているので、回復訳に関する「客観的な情報」が提供されたときは なるだけレスをするようにしているのです。 私はそのようなスタンスですが、みなさんはいかがでしょうか?
339 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 12:20:24 ID:Fd848onQ
>>337 もう「使徒言行録」というタイトルからしてダメだものねえ。
「使徒行伝」のどこが悪いのかわからんよ。
それに、呼び方が替わることの弊害も大きい。
「○○○伝」ってのを止めたかったんだろうな
341 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 12:52:26 ID:XDiqg0wl
*使徒行伝・・・口語訳 *使徒言行録・・・・新共同訳 *使徒行録・・・フランシスコ会訳 *使徒の働き・・・新改訳、リビングバイブル *小さくされた者たちの言行録・・本田哲郎訳 タイトルもいろいろありまつね。(^O^)v 文語訳、回復訳...他はどう訳されてまつか?
342 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/30(水) 13:05:30 ID:uKrGCXdi
>>334 初めての人には、新共同訳の、各種製本形式の中から、すすめればいい。
回復訳について、カルト視というのは、あなたの主観的判断。
それを客観的とごまかす、あなたは、バカですか?
>>340 「マタイ伝」や「マルコ伝」等は、マタイやマルコという人の物語という風に
誤解が生じる可能性があるので理解はできる。
しかし、その意味でも行伝の改題は全く理由がないんだよ。
実は一つ一つの日本語をよく考えていないのではなかろうか。
ギリシャ語に気を使うのは当然だが、翻訳というなら日本語にも気を遣えと言いたい。
過去の訳業ふまえてよりよい訳を出してほしい。
344 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/30(水) 13:25:16 ID:uKrGCXdi
>>341 回復訳「使徒行伝」
わたし、本田訳と回復訳を使ってます。
本田訳のほうが、訳では完全に異質です。
でも、なぜ本田訳と回復訳では、評価が違うのでしょうね。
安易に、カトリック司祭の手に拠るものという、中身を知らないで勝手な判断によるとしか、思えません。
洗礼も本田訳では、意味がカトリックからも、すべてのキリスト教からも、完全に異質です。
わたしは、そこが評価出来るものであり、本田訳の基幹を成すものですけどね。
345 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 13:27:44 ID:5kDOOleW
パプテスマは元々浸すという意味だそ
346 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/30(水) 13:29:12 ID:uKrGCXdi
>>345 本田訳では、その浸す意味では、ありません。
>客観的とごまかす いえいえ。私は回復訳を読んでませんね。 ですのでわたしの判断以前です。 「客観的」というのは、カルト問題研究機関で地方召会を カルト視しているところがあると噂に聞くからですね。 詳細はしりませんが、事実無根ではないと思います。 996さん ご自身が読まれて、「よい」と判断されたものを 個人として「よい」紹介されるのは よろしいのではないでしょうか。 色んな立場の人がおられるわけですから。 私個人としては「新共同訳」「口語訳」「新改訳」「岩波訳」「フ会訳」を 読んでいますが、 「新改訳」が正確な訳であると、このスレッドで明らかにされてきたとは おもっていません。 2ちゃんのクリスチャンは保守派が多いなぁとの感想を持っています。
>>341 (行伝+行録)÷2=言行録
って感じで決めたとしたら、どうしようもない馬鹿者だな。
たいして本田訳では「小さくされた者たちの」がつくわけだから語感から
行録や行伝を使うわけにはいかず、言行録でいいんだ。さすがに本田神父は偉い。
使徒に言行録をくっつけちゃう感覚はどうかしてる。
349 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/30(水) 13:36:51 ID:uKrGCXdi
>>347 あなたの勝手な言い分ですね。
それから、あなたの間違いは、聖書はカルトになりません。
ここがあなたの判断ミスですね。
本がカルトになった例は、過去に一回もありません。
350 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 13:40:48 ID:5kDOOleW
聖書自体は主流派による選択の結果だからな。
351 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/30(水) 13:41:29 ID:uKrGCXdi
>>347 統一教会が使用する聖書は、口語訳、新共同訳、新改訳です。
これらの聖書は、異端ですか?
使徒言行録にはペトロやパウロなどの説教や演説が全部で24個あり、 使徒言行録の約3分の1を占めているというのだから、まさに言行録。 それに対して新約外典の行伝は、使徒らの説教や演説よりも使徒らの 奇跡的な行いにウェイトがあるのだから、まさに行伝では?
353 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 13:50:30 ID:uuIu5KFz
>>343 それは、「伝」じゃなくて肝心の「福音書」を省略する困った慣用のほうに問題があるんだが、
まあ同意出来るし改題も上手くいったとおもう(口語訳の功績だが)。
でも「使徒行伝」に問題なしとは思わないな。「行伝」が現代の日本語と言えるかというと、
それは無理でしょ。これに関しては新改訳がいちばん素直なんだけど、多分追従はプライドが
許さなくて、かえって妙な事になったんだろう。
でも「言行録」も一発変換されるし、そういう日本語がもともとあって無学な漏れラが知らんだけ
なら、それはそれでいい気がする。少なくとも「使徒活動記録」なんてのになるよりは。
日本語に関しては、文学者(学者じゃなくてクリエイター)を交えて整えた(但し堅めに)、というのが
当初の喧伝だった筈なんだがね。
354 :
:2005/03/30(水) 13:58:04 ID:I0VsHv/S
布教で買わせてる時点で聖書なんて全部だめだろ。
355 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 14:07:34 ID:uuIu5KFz
>>349 ある意味おっしゃるとおり。書物は内容が偏向するだけで、どうやってもそれ自体はカルトには
なりません。時刻表が旅行にはならないように。
全く生産的ではないけれども、事実ではあります。
356 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/30(水) 14:16:01 ID:uKrGCXdi
勝手な妄想で、大切にしてるの、悪く言われるの、イヤだな。 この2ちゃんの板で、996さんほど、丁寧に、しかも押し付けずに、説明してくれた人、他にいなぃょ。 みんなの勝手な妄想の中で、回復訳が違っていても、回復訳を読むことで、996さんのような人格者に、わたしの性格も近づくなら、わたしは回復訳を、支持したい。 回復訳そのものも、読んでる印象では、新共同訳よりも、信仰の書と、感じるもの。 神学的には、わからないけど、信仰の書とみる時、回復訳に、あたしは満足してる。
>>353 >でも「使徒行伝」に問題なしとは思わないな。「行伝」が現代の日本語と言えるかというと、
>それは無理でしょ。
そこを言行録などとせず、あえて残せば「行伝」と言えば聖書の一巻だ、と
みんなが自動的に思い浮かべるようになるわけさ。ケータイといえば電話機と思うようにね。
良い言葉を占有できるチャンスだったのに逃してしまったわけ。馬鹿だねえ。
それに、もともと古い文書なのだから、それなりに古めかしい感じで訳さないとダメなんだよ。
>>352 それはちょっと無理な解釈。あれは本質的に福音書続編の「物語」だから。
358 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/30(水) 15:30:52 ID:uKrGCXdi
>>355 わたし、本田訳と回復訳を中心にしてます。
もちろん、新共同訳、新改訳も読みます。
その中で、本田訳が一番異端と言えるでしょう。
でも本田訳がなぜ、批判されないか?
それは、回復訳を批判する方に、聖書を判断する力が、全く無く、カトリックと地方教会のイメージによる、勝手な妄想と、言うほかにありません。
359 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 15:43:02 ID:KHDV21Y5
>>357 それは、改訂方針自体の問題だから、言及出来る範囲を超えているような。我々に言えるのは
「判りやすく親しみやすい名前としても、もう少しマシなのはなかったのか?」までではないかと。
ついでに、「物語のタイトル」の決定に際して中身の分析を行うのは正しい手続きだと思うから、
何が無理なのかもう少し説明がほしいな。
360 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 15:48:04 ID:qD/j38Br
この人は悪質なスレ荒しです。 149 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:25:57 ID:y1/G0iSO はぁ〜、今わぁ、マム撫で撫でぇ〜 150 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:27:09 ID:y1/G0iSO のぞみの、オナニスレにぃ〜、なりましたぁ〜 151 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:29:21 ID:y1/G0iSO ショーツが濡れてぇ、マムに張り付いていますぅ〜♪ 152 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:45:19 ID:y1/G0iSO 今わぁ、ショーツをめくって、クリをころころぉ〜。 はぁ〜、感じるぅ あぁ〜ん、気持ちい〜ぃ 153 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:47:24 ID:y1/G0iSO マム、指入れたぁ〜 いぃ、いぃ、あぁー! いぃょぉ〜、感じるぅ〜 はぁ〜 154 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:49:46 ID:y1/G0iSO いくぅ〜、いくいく、いきそぉ〜 あぁー、あー、あっ、ああぁ〜ん はぁ〜〜 良かったぁ、いったぁ〜
>>359 >それは、改訂方針自体の問題だから、言及出来る範囲を超えているような。
そう、改訂方針が悪いから、翻訳の質も悪くなり、混乱を招く事態となった。
>「判りやすく親しみやすい名前としても、もう少しマシなのはなかったのか?」までではないかと。
ならば新改訳の「使徒の働き」がもっとも良いのは明らかなんだよねえ。
>ついでに、「物語のタイトル」の決定に際して中身の分析を行うのは正しい手続きだと思うから、
>何が無理なのかもう少し説明がほしいな。
「物語」という土台の上で説教や演説という行為も行われているわけだ。
土台部分が物語となれば、タイトルは言より行でしょう。英語もactだしね。
362 :
996 :2005/03/30(水) 18:08:02 ID:KLzQcXm5
うわあ、余計に荒れてしまった。皆さん、ご迷惑をおかけしてすみません。 >ご自身が読まれて、「よい」と判断されたものを 個人として「よい」紹介されるのは >よろしいのではないでしょうか。 色んな立場の人がおられるわけですから。 承知しました。347さんもご自身で読まれてカルト的と判断されたものだけを そのようにご紹介ください。「カルト」という言葉には非常に強い意味があり、 軽々しく使うべきでないことはご存じの通りです。 ですから >「客観的」というのは、カルト問題研究機関で地方召会を >カルト視しているところがあると噂に聞くからですね。 >詳細はしりませんが、事実無根ではないと思います。 このように噂にきいたというだけなら、<客観的判断>の名のもとに 断定すべきではないのです。 すみませんが、この書き込みに対するレスはニー・リースレにお願いします。 >この人は悪質なスレ荒しです。 よそのことは知りませんが、のぞみさんは ここでは荒らし行為は一切しておられません。 >996さんのような人格者 誤解です。 私の書き込みが原因で面倒をかけてしまいました。お詫び申し上げます。
>>348 共同訳で(イエス+イエズス)÷2で「イエスス」にした連中だよ…。
共同訳と新共同訳の訳者って個人名は公表されてないけど、同じ委員会の名義
だから大幅にはかわってないよね?
まだ。イイスス様のがええわなぁw
365 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/30(水) 18:32:04 ID:uKrGCXdi
カトリックって、新共同訳の前は、共同訳? 共同訳の前は、何を?
366 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 18:48:41 ID:MGqeBw/0
私は、回復訳も本田訳も持っていないのですが、良いと言うにしても、悪いと言うにしても、具体的にどこかの個所を上げていただけないでしょうか。 もちろん一節だけ取り上げてもそれが全てではないのですが、 ただ名前だけ挙げて、カルトだ異端だ言っても判断のしようがありません。 自分で実際に手に取ればいいのは当然なのですが。
367 :
347 :2005/03/30(水) 19:55:46 ID:Md5hbl5u
>断定すべきではないのです お断りします。 あなたご自身も問題視されているのは ご承知です。 普通に考えてみてください。 ある人が「統一教会」は素晴らしいよ、と勧められていたので いや「統一教会はカルト」と噂に聞くよと言っているだけです。 統一教会を詳しく知っていないと、 「カルト」と言ってはならないと私は考えません。 同様にカルトと問題視されている「訳」だよと言うのに、 その詳細を知らないと言ってはならないとは思いません。 問題視されている訳を熱心に勧められる方がいるから それは「問題視」されていると情報提供しているだけです。
368 :
996 :2005/03/30(水) 20:17:12 ID:W7GAmWJ+
・回復訳、英語と中国語ならネットで読めますよ。
ttp://www.lsm.org のonline recovery versionのところをクリックしてください。
中国語は、画面左上の各言語の切り替えのところをクリックしてください。
中国語に切り替わりますが、内容は、英語のホームページからの翻訳ではありません。
日本語はすでに電子化されてますが、まだネットでは読めないみたいです。
・「イエス・キリストの系図の書.彼はダビデの子であり、アブラハムの子である」
(回復訳マタイ1:1)
マタイ1:1註@「新約聖書で最初に述べられている名前も、最後に述べられている
名前もイエスです。これは、イエス・キリストが新約の主題であり、内容であることを
証明します」
・回復訳は、一般に「黙示録」と訳されている書名を、正しく「啓示録」と
訳しています。ギリシア語の原題が「覆いを取り除いて隠れているものを
明らかにする」という意味で、字義通りに訳すなら「啓示」、聖書翻訳の歴史を
踏まえるならば「啓示録」とするのが妥当です。
中国語の和合本(チャイニーズ・ユニオン・バージョン)の翻訳者たちや、
新改訳のエペソ書担当の翻訳者も同じ見解のようです。
ほかの箇所はメチャクチャですが(必要であれば聖句を示します)新世界訳も
この箇所は正しく訳しているといっていいでしょう。
新世界訳に習うようでためらってしまい、これまでの翻訳にならって「黙示録」
としてしまいそうなところですが、誤解をおそれずに「啓示録」とした日本語版
回復訳の翻訳者たちの姿勢には敬意を感じています。
とりあえず、最初と最後から一例ずつあげておきました。
369 :
996 :2005/03/30(水) 20:21:36 ID:W7GAmWJ+
あっと、367は私に対する書き込みですね。 なるべくここではやりあいたくないので、ニー・リースレに移動していただけますか? すみませんが、これからちょっと用事があるので、レスは夜遅くか、あしたになると 思いますが。
370 :
347 :2005/03/30(水) 20:25:01 ID:Md5hbl5u
>>369 ここ以外でする理由は当方にはありません
ご遠慮します あしからず。
371 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 20:44:14 ID:48rKyT43
ウルガタからの重訳だとして、あまり評価されませんが、バルバロ訳は良い 聖書だと思います。いかにもバルバロ神父らしく、聖典としての文体を持つ ように配慮してあり、委員会訳には欠け気味な、全体の調和がとれています。 固有名詞が現代的ではない点は、大きなマイナスですが、慣れればむしろ、 味があって良いものです。 >回復訳 エコノミーって何?と思って調べたら、事典に経綸と書いてあり、今度は事典 の説明が難解で、さっぱり分かりませんでした(w 摂理の一種だと理解する まで、本を調べまくりでした。 はじめ、注解の量に圧倒されましたが、指導者がいないと、注解の意味をな しませんね。
372 :
名無しさん@3周年 :2005/03/30(水) 21:14:04 ID:XDiqg0wl
373 :
347 :2005/03/30(水) 21:35:12 ID:Md5hbl5u
>マタイ1:1註@「・・・証明します」 この程度のこじつけ解釈を論拠に「証明します」とやってしまうところが、 もしかすると問題視されちゃう理由なのかもですね >・・・正しく「啓示録」と訳しています たぶん日本語をご存じないのでしょう。 「黙示」を広辞苑で確認しますと、Aキリスト教で「啓示」のこと、とあります。 日本語の「黙示」は、キリスト教で使用された場合、「啓示」を意味します。 「黙示録」と訳して、日本語的に正しいですのですね。 にもかかわらず、あえて人口に膾炙している「黙示」という訳を嫌って わざわざ「啓示」と訳するのは、合理的理由からというより、 自分たちの訳語の正確さを無闇に誇示したい打算からではないでしょうか。 あるいは英訳・中国訳からの重訳でしょうから、日本語に精通してない人の手によるの かもですね。 ちなみに新共同訳スタディバイブルp29に、 「黙示」(1.1)と訳された言葉は、啓示あるいは開示を意味する ギリシア語(アポカリュプシス)から来ている。 と説明されています。
374 :
366 :2005/03/30(水) 22:28:09 ID:MGqeBw/0
>996さん
早速ありがとうございます。
私は中国語も英語も出来ませんのでありがたいです。
非常に興味深いです。
マタイの冒頭については、ギリシャ語と日本語の修飾語の位置の違いが問題になるわけですね。
日本語は普通「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図(新共同訳)」と前の方から修飾するのですが、ギリシャ語や英語は"A Record of the genealogy of Jesus Christ the son of David, the son of Abraham"と後から修飾してます。
日本語でこの語順を守ろうとすると、確かに回復訳のように二つの文にしなくてはなりません。
「アブラハムの子ダビデの子」と言う修飾語を付けない「イエス・キリストの系図の書」と言う文章がどういう意味を持つのかを検討しなくてはならないかもしれません。
それとこの一文を福音書全体や、それこそ新約聖書全体にかけるのか、それとも、1章17節までにかけるのかも問われるところでしょうね。
>>373 さんがおっしゃるように、これで「証明」というのはちょっとですが、「象徴的に表している」くらいは言っても良いかなと私は思います。
375 :
366 :2005/03/30(水) 22:42:09 ID:MGqeBw/0
黙示と啓示ですが、確かに、ギリシャ語では同じ単語ですよね。
ただ、少なくとも日本語では啓示と黙示は区別される概念のはずです。
ソースが無いんで申し訳ないのですが、黙示は「啓示の一種で、象徴的なイメージを多用して特に終末の事柄について預言するもの」くらいの意味だったと思います。黙示文学という文学様式もあります。
ただ、これは
>>323 で996さんが
>> 回復訳の特徴としてあげられるのは、ほかの翻訳でバラバラの訳し方をされている、
>> 人の各部分についての訳語を統一した点です。
と言っていることの延長になるのかなと思うのですが。
私は、個人的には
>>319 で
>>(「原語に忠実に」じゃない。そんなことはありえない)
って書いてます通り、ギリシャ語の一つの単語と百パーセント意味の重なる日本語の単語があるとは限らないと思ってますので、"apokalupsis"を場合によって啓示と訳したり黙示と訳したりすることがあってもよいと思います。
>>373 たぶん「黙示」と言う言葉自体中国語由来ではないかと思いますので、日本語を知らないというよりも、347さんがおっしゃるように
> 自分たちの訳語の正確さを無闇に誇示したい
かな?っと
まぁ、「無闇に」かどうかは知りません。新改訳や新共同訳でも、その他の日本語訳でもけっこう、「自分たちの訳語の正確さを誇示」してるときがありますからね。
私の勝手な判断ですが、けっこう真面目に訳そうとしてません?少なくともカルトとか異端とか呼ばれるものとは思えないのですが(今のところ)。
376 :
996 :2005/03/30(水) 22:44:51 ID:fw9qaELE
>ここ以外でする理由は当方にはありません >ご遠慮します あしからず。 わかりました。その時々でどう判断するか決めさせていただきます。 >この程度のこじつけ解釈を論拠に「証明します」とやってしまう イエスが新約の内容であり主題であることの証拠の一つとは言えないでしょうか? アポカリュプシスの訳語については、やはり回復訳を評価します。 「黙示」と訳すようになったのは、漢訳聖書からの影響です。 「啓示」と訳すべきところを漢訳聖書の訳者が「黙示」としてしまい、 みんなそれが不適切な訳だと知りつつそれに従って、 「『黙示』とあるのは『啓示』の意味」と百年以上もやってきたわけです。 百年以上も使ってきた人口に膾炙した訳語であっても、 辞書や聖書の注解に「実は『啓示』という意味」と一々説明をつけるのなら、 いっそのこと「啓示」に改めた方がいいのです。回復訳の訳者たちはそれをやったのです。 >自分たちの訳語の正確さを無闇に誇示したい打算からではないでしょうか。 それはないでしょう。むしろ、新世界訳と混同されるリスクを背負うことになります。 ですが、誤解されるリスクより正確さをとったのではないでしょうか? >あるいは英訳・中国訳からの重訳でしょうから 英訳・中国語訳を参照にしつつギリシア語から訳したものだと前書きにあります。 私も最初は重訳だと誤解していましたが、英訳、中国語訳、ギリシア語原文と細かく照らし あわせて読むうちに間違いだと気がつきました。私がこんなことを言うと変ですが、 英訳にも中国語訳にもない、日本語訳独自の不適切な箇所があるからです。 >英訳・中国訳からの重訳でしょうから、日本語に精通してない人の手によるのかも ここの文の意味がよく汲み取れません。できればもう一度別の表現で言い直していただけますか?
377 :
996 :2005/03/30(水) 23:23:43 ID:LtIBOTfv
>ギリシャ語の一つの単語と百パーセント意味の重なる日本語の単語があるとは限らない 一般の翻訳の場合はそうかも知れません。「米」とriceみたいなものですよね。 しかし、聖書の場合、ある程度一貫性を伴って用いられている語(多くの場合、 日本語にない概念)は、一対一対応する訳語を作った方がいい場合が多いのです (専門書の翻訳と同じです)。 訳語を作るときはなるだけ言語と近い意味内容・ニュアンスの語を作ります。 ですが簡単ではありませんから、試行錯誤を繰り返すことになります。 そして、どうしてもうまらない溝は、註なりメッセージなり聖書研究会なりで 補うこととなります。 完全にぴったりあてはまる訳語を作るのは不可能だとしても、「黙示」はなかろう と私は思うのですが、どうでしょうか? >エコノミーって何? すみません、見落としていました。 「回復訳聖書のための参照早見表」というのがネット上で閲覧できます。便利です。 それから、横浜に在る教会、松戸に在る教会、神戸に在る教会などのホームページで 公開されている『人生の奥義』という小冊子が便利だと思います。 私も註の膨大さと独特の用語体系で、しばらくはひぃふぅいいながら読んでいました。 おっしゃる通り、誰か指導者がいないと使えるようになるまでやたら時間がかかります。 私の場合、日本福音書房のホームページにいって「良書十選」というのを注文して読んだり、 W・ニーの全集やW・リーのライフスタディ(全聖書の講解メッセージ)を持っている 人を見つけて借りて読んだりしているうちに註も読めるようになりましたが、 ほとんど一人でやっていたので、やはり一年半ほどかかりました。 これはニー・リースレでやった方がいい話題かもしれませんね。
>「黙示」と訳すようになったのは、漢訳聖書からの影響です うむぅ。私が確認できた範囲では、 漢訳聖書は、1837年 ギュッツラフ訳が『約翰福音之伝』『約翰上中下書』と刊行され、 ウィリアムス訳は『約翰福音伝』、 ベッテルハイム訳聖書は『琉球訳約翰伝福音書』は訳しているが 「黙示録」は訳されてない。 黙示録と日本語訳された最初は1880年の文語訳ではないだろうか。 『約翰黙示録』 だとすれば「漢訳聖書」の影響ではなく、 漢語調を廃し、文語体を使用し、漢字に付した訓読のルビを本文とした 編集方針の下、付けられたのではないでしょうか。 >いっそのこと「啓示」に改めた方がいいのです ふつーの人はそうは考えないので「黙示録」が愛用されているわけです。
例えば「福音」。 ギリシア語エウアンゲリオンは、 「よい」(エウ)と「知らせ」(アンゲリオン)から成る合成語ですから、 「福音」は漢語風でよい訳ではない「良い知らせ」と訳すべきだ。 「マタイの良い知らせ」「マルコの良い知らせ」など・・・という人が いても私は支持しません。
380 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/31(木) 02:18:33 ID:si8mawWA
>>366 本田訳には、一貫して流れてる姿勢が、あります。
それは、身を沈めると言うこと。
そのため、洗礼の意味が、変わってきます。
洗礼とは、水が高いところから低いところに流れます。
水の中に身を沈め、低いところの視点から見直す、と言うのが、本田訳の洗礼です。
主イエズスが神の御子でありながら人となり、低いところに来られた。
その辺りのギリシャ語の訳については、最初に本田神父の解説があります。
その洗礼の意味、そこから一貫して流れる姿勢が、本田訳の魅力であり、わたしが好きなところです。
しかし、そのような違いから、教会に行きたいと思う方には、すすめません。
2冊目の聖書として、または、教会に行くつもり無いけど、イエズスを知りたいと言う人向けでしょうか。
何かあれば、また書きます。
回復訳わねぇ〜、996さんの読んでねぇ〜。
>英訳・中国語訳を参照にしつつギリシア語から訳したもの 「参照にしている」度合いの問題ですが、 例えば ここで「話題」になりました「エコノミー」という独自用語の ギリシア語的根拠は、エフェソ1:10の「オイコノミヤ」だそうです。 岩波訳ですと「取り計らい」と訳されていて、 注に「管理者としての職務」と説明のある語ですね。 同系統の語に「オイコノモス」があり、「管理人」と訳されています。 この「エコノミー」を地方召会は「家庭内の案配を意味します」と説明し てますので原義はしりつつ、代理人としての管理というニュアンスを消し、 聖書には無い「神のエコノミー」という概念を 創り上げ、「神の神聖な案配」を意味する概念とされているようです。 正確には、単なる「案配」ではなく、自分の者でないモノを 代理して管理するというニュアンスを含む語ですので、 「神のエコノミー」はおかしな地方召会の独自表現といえるのでは 無いでしょうか。 その独自概念も無批判的に英訳から引き継いでいるわけですから、 参照というより、実質はべったりの重訳ではないでしょうか。 「ギリシア語も眼を通したけど、実質は重訳」が実態と私は感想を持ちます
>「神のエコノミー」はおかしな地方召会の独自表現といえるのでは >無いでしょうか。 失礼。エフェソを読み直したら、「オイコノミヤ」の主語は神ですので 「神のエコノミー」は独自表現で、英語の「エコノミー」を 日本語訳せず、そのまま使用しているのは「重訳」の故でしょうが、 「おかしな独自表現」の「おかしな」は少し言葉がすぎたですね。
訂正します 「参照にしている」度合いの問題ですが、 例えば ここで「話題」になりました「エコノミー」という独自用語の ギリシア語的根拠は、エフェソ1:10の「オイコノミヤ」だそうです。 岩波訳ですと「取り計らい」と訳されていて、 注に「管理者としての職務」と説明のある語ですね。 同系統の語に「オイコノモス」があり、「管理人」と訳されています。 この「エコノミー」を地方召会は「家庭内の案配を意味します」と説明し、 「神の神聖な案配」を意味する概念とされているようです。 「神のエコノミー」と日本語では意味の通らない語を 「神の取り計い」とか「神の案配」と訳さず、「神のエコノミー」に固執 されているは、無批判的に英訳を引き継いでいるわけですから 参照というより、実質はべったりの重訳ではないでしょうか。 「ギリシア語も眼を通したけど、実質は重訳」が実態と私は感想を持ちます
384 :
996 :2005/03/31(木) 10:01:38 ID:vANJb2Yp
>漢訳聖書は、1837年 ギュッツラフ訳が『約翰福音之伝』『約翰上中下書』と刊行され 私が「漢訳」と書いたのは、「文語体の中国語に訳された」という意味のつもりでした。 舌足らずだったかも知れません。最初の漢訳聖書として有名なのはロバート・モリソン訳です。 ここで告白せねばなりません。数年前に図書館で幕末か明治の初めに訓点が付されたロバート・ モリソン訳(?)を見て、「黙示録」とあったように記憶していますが、じっくり思い出して みようとしたらだんだん自身がなくなってきました。申し訳ありません。確かめます。 >>いっそのこと「啓示」に改めた方がいいのです >ふつーの人はそうは考えないので「黙示録」が愛用されているわけです。 その通りだと思います。不正確でも愛着がある方をとる人には受け入れがたいでしょう。 >「福音」は漢語風でよい訳ではない「良い知らせ」と訳すべきだ。 >「マタイの良い知らせ」「マルコの良い知らせ」など・・・という人が >いても私は支持しません。 これは私も同じ意見です。「福音」はいい訳語だと思います。 >回復訳わねぇ〜、996さんの読んでねぇ〜。 いえ、主の回復のホームページを読んでください。松戸に在る教会と横浜に在る 教会のホームページをおすすめします。 >実を言うと、私も「エコノミー」という訳語には少し引っかかっています。 「エコノミー」という概念が聖書にあり、それを重要視するのはまったく理にかなっています。 しかし、中国語的に「経綸」(日本語文語訳もそう訳しています)とするか、 古典ギリシア語的に「オイコノミア」とした方が適切に感じられます。 おそらく「エコノミー」といった方が耳に慣れているからそうされたのでしょうけれども、 日本福音書房らしくありませんね。ちなみに正教会は「オイコノミア」と訳しています。 日本福音書房は時々翻訳用語を修正するので、そのうち改めるかもしれません。
385 :
996 :2005/03/31(木) 10:06:32 ID:vANJb2Yp
しかし、だからといって回復訳が重訳であるとはちょっと肯定しがたいですね。 用語体系の構築においては(たとえばここで話題になったoikonomiaに どの訳語をあてるか)翻訳という作業を経たと思いますが、用語が整ったら ちゃんとギリシア語から訳しています。 引き継いでいるのは、訳自体ではなく、神学と翻訳の姿勢、用語体系だと思います。 新約聖書のギリシア語原文には、oikonomiaという語は、私も正確に数えていませんが 十数か所出てきています。一つ一つチェックされれば、回復訳重訳説は 払拭されると思いますが。
黙示録はあの独特の感じが一部で支持されている。 未信者に聞くと、聖書で一番面白いのは黙示録。 終末を示した幻想的でブラックな雰囲気が、黙という字の もつ感じと呼応したのではなかろうか。
387 :
名無しさん@3周年 :2005/03/31(木) 11:33:12 ID:3ZZJLbI4
クリスチャンもそうですかね?
388 :
名無しさん@3周年 :2005/03/31(木) 12:20:40 ID:xCq8bqIi
>>387 「未信者」のサンプルが偏ってないかな。宗教に非日常を期待する
若い人には(信・未信にかかわらず)黙示録が魅力的に見える
ということでは。他にはダニエルやエゼキエル?
逆に「自分も死ぬんだ」ということを実感し始めた年齢層だと、
どうせ生きてない先のことなんかより、私の近未来の現実を
何とかしてくれ、ということで、福音書やパウロ書簡なんかに
人気が集まるような気がする。
それとは全く別に、創世記や列王記などは物語として面白い。
黙示録のが、黙示録にでてくる獣を連想させて、黙・・・⇒獣 なんだかピッタリの感じがするのは おらの勘違いかな?w
390 :
名無しさん@3周年 :2005/03/31(木) 14:44:40 ID:4D1eEkWd
996さんへ。 回復訳をめぐって、異端問題を別スレに誘うのには私も反対です。 そんなことをすると、回復訳が、あたかも新共同訳や新改訳などと並び称さ れる訳であるかのように勘違いしてしまう人が出てくると思うからです。 回復訳はリー信者またはシンパだけが使っているマイナーな訳であること。 また、リーは異端ないしカルトとして非難されている現実があることだけはは っきりさせておきたいと思うからです。 回復訳を評価するとしたら、そういう現実を前提にしたうえで、にもかかわらず 聖書翻訳にかんしてだけは評価できるところがあるということなのですから。 ただし、異端ではないという弁明を別スレでするというのならそれでいいですよ。 その場合は、このスレではリーは異端であるということを996さんにも容認して もらうほかないですけどね。
391 :
名無しさん@3周年 :2005/03/31(木) 15:58:09 ID:PpYLHfxK
>>383 文語訳(<RV)にも口語訳(<RSV)にも新改訳(<NIV)にも、英語からの重訳疑惑があります。実際、文語訳や口語訳はそれぞれの英訳を「参考」にしていることは認めているそうです。
>>390 リー=異端については弁解の余地無しですか。
明らかに誤訳を引き継いでいるのであればともかく、私には「啓示録」や「エコノミー」は変わった癖程度にしか見えません。
新世界訳は明らかに彼らの異端的な神学が反映した恣意的な翻訳がされていますが、回復訳にそのような点があるのでしょうか。具体的に指摘していただけると議論の助けになります。
>>391 田川健三「書物としての新約聖書」によると、聖書協会訳の和訳聖書はその時々の
英訳聖書そっくりの解釈をいる部分が多いらしいですね。
今、手元に本がないので例示はできませんが新共同訳にもその傾向があるそうです。
以前の訳や他の言葉に訳されたものを参照するのは当たり前。 二千年後の日本人が古代ギリシャ語から正確に訳せると思うのは異常。 そんな身勝手な訳はいらないよ。
やはり、2ch訳がいい。
395 :
名無しさん@3周年 :2005/03/31(木) 19:24:30 ID:6RsFOULL
390さんへ。
ご丁寧にありがとうございます。
私が申し上げたのは、回復訳の訳文について論ずるならここでやればいいけれど、
回復訳についているW・リーによる註や、W・リーの著作について論ずるならば
それにふさわしいスレッドがあるからそちらに行った方がいい、ということです。
その点に関しては同じ意見だと思いますがいかがでしょうか?
>文語訳(<RV)にも口語訳(<RSV)にも新改訳(<NIV)にも、
>英語からの重訳疑惑があります。
回復訳の序文を読みますと、回復訳が完璧なものではなく、後世のよりすぐれた
訳のための踏み台になるよう願っていること、日本語版の翻訳に際しては
英語版・中国語版の回復訳だけでなく、日本語訳聖書も数多く参照したことが
明記されています。
私のこれまでの表現に誤解を招くような箇所があったなら、陳謝もうしあげます。
今日は急に時間ができたので、久し振りに日本の諸地方教会のホームページを
ハシゴしてみました。
大阪に在る教会のホームページの<神の永遠のご計画>は「エコノミー」理解に
かなり役立つと思われます。
札幌に在る教会のホームページをみたら「聖書(coming soon)」とありました。
回復訳が公開されるのかもしれません。
それから
ttp://www.dgw-in-japan.com をみました。
主の回復には聴覚障害者が大勢おられるのでしょうか。
私見ですが、この聴覚障害者のが一番ニー・リー的な雰囲気があります。
スレ違いかも知れませんが、異端かどうかの判断材料になるかと思いましたので、
紹介させていただきました。
最近回復訳の話ばっかりですが、もう一節、いいでしょうか?
ヨハネ7:39は、いかにも回復訳らしい箇所なんですが。
396 :
996 :2005/03/31(木) 19:31:17 ID:6RsFOULL
すみません。395は私です。 札幌に在る教会のホームページを見直してみました。聖書自体がcoming soon ではないみたいですね。しつれいしました。 こんなことばがあったのでコピぺします。この凛とした信仰に見習いたいと思います。 わたしたちは、たとえ人が反対しようとも、聖書の純粋な言葉を宣べ伝えることを恐れません。 しかしそれがもし聖書の言葉でないなら、たとえ万人に認められていることでも、 わたしたちは決して同意しません。 ウオッチマン・ニー
397 :
名無しさん@3周年 :2005/03/31(木) 19:45:18 ID:xCq8bqIi
>>396 状況証拠的には、聖書を書き換える動機は十分だな。
398 :
名無しさん@3周年 :2005/03/31(木) 21:50:16 ID:PpYLHfxK
>>396 いい言葉ですね。背筋を伸ばして聞きたいです。
ヨハネ7:39もお待ちしてます。
そもそもなんで民族の言葉が分かれたのかを知っていればこんな議論は起こらないと思う。 私たちは言葉の違いによる不便さは享受しなければいけない。創世記参照。 聖書は枝葉末節にこだわらずに、内容を正しく認識することが大事。 新共同訳で全然問題ないと思います。
400 :
事情通 :2005/03/31(木) 22:24:37 ID:dMORD1dL
回復訳は英訳からの重訳ですよ。ライフスタディの訓練が年に2回あって、
その度に英訳が出ると、日本語訳を出してきたのです。
ギリシャ語テキストを検討している時間などはなかったはずです。
996さんはすでに相当にハマッテおられるようです。リー寄りにバイアスがありますね。
客観的にローカルチャーチの問題を見る必要があるでしょう:例えば
http://www.apologeticsindex.org/
401 :
名無しさん@3周年 :2005/03/31(木) 22:27:50 ID:fbL6JflC
>>399 そもそも新共同訳がまともならこんな議論は起こらないと思う。
>>400 >ギリシャ語テキストを検討している時間などはなかったはずです。
ギリシャ語の方は昨日書かれた文書じゃあるまいて
404 :
996 :2005/03/31(木) 22:46:29 ID:bJgQQtra
「イエスはこれを、彼の中へと信じる者たちが受けようとしている その霊について言われたのである.イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、 その霊はまだなかったからである」(ヨハネ7:39 回復訳) 二回目に出てくる方の「その霊」に註がついています。 「神の霊ははじめからありました(創1:1-2)が、キリストの霊としてのその霊 (ローマ8:9)、イエス・キリストの霊(ピリピ1:19)は、主がこの言葉を語られた 時には、まだありませんでした。なぜなら、主はまだ栄光を受けておられなかったからです。 イエスが栄光を受けたのは、彼が復活された時です(ルカ24:26)。イエスの復活の 後、神の霊は、受肉し、十字架につけられ、復活して、イエス・キリストの霊となりました。 キリストが復活した日の夕方、その霊は、彼によって弟子たちの中に息を吹き込まれました (20:22)。その霊は、今や『別の慰め主』、キリストが死ぬ前に約束された実際の 霊です(14:16-17)。この霊が神の霊であった時、彼には神聖な要素があるだけ でした。彼がキリストの受肉、十字架、復活を通して、イエス・キリストの霊と なられた時、その霊は、神の要素と人の要素の両方、それにキリストの受肉、十字架、 復活のすべての本質と実際を含んでいました。ですから、その霊は今や、 すべてを含むイエス・キリストの霊であり、それがわたしたちの受ける 生ける水です(38-39節)」 表現が圧縮されすぎていて、リーの使う用語になれていない人には とっつににくいかもしれませんね。 リーはこの節について語る時は大体、アンドリュー・マーレー『キリストの御霊』 の第五章を参考にしている、と語っていますので、持っておられる方は そちらをご参照ください。
>>402 そんなにおかしいとこある? 教えてくだされ。
漏れの考えは、東北弁と鹿児島弁では多少ニュアンスや違いが生ずるかもしれんけど、
主題が間違ってなければ問題ないと…。いかに
406 :
996 :2005/03/31(木) 23:26:33 ID:anIOAx8N
事情通さん、はじめまして。元・主の回復の方ですね? これはすごい。 >996さんはすでに相当にハマッテおられるようです。リー寄りにバイアスがありますね。 ありがとうございます。現役・主の回復の方からもそのように言われたいと願っています。 主の回復におられた方とお話できるチャンスは滅多にないので、 いろいろと質問させてください。質問は山ほどあるんですが、 まずはやはり聖書翻訳についてお伺いした方がいいでしょうね。 ある牧師から二種類の回復訳を見せてもらったことがあります。 一つはライフスタディの訓練の時に分冊で出たもの。もう一つは現行のものです。 英語版も二種類ありますね。 1985年(?)版、おそらくはライフスタディの訓練で分冊 で出たものの合本と、1991年版、現行の回復訳です。 ローマ書をパラっと見た程度なのではっきりしたことはいえませんが、 英語版はキング・ジェームズ訳とそっくりだったと思います。日本語訳も みたはずなんですが、あまりちゃんと思い出せません。 しかし、現行のものとかなり違うという印象を持ったのははっきり思い出せます。 ライフスタディの、昔出版されてまだ訳が改まっていないものをみてみても、 「あれ?」っと思う箇所が散見できますので、古い方の回復訳も、 事実上は英語からの重訳で、ギリシア語は参照程度ということも ありえるかもしれないと思っています。 ですが、現行の回復訳については、私には「英語からの重訳」とはどうしても 思えないのです。もし重訳だとしたら、こんなできばえになるのは奇跡としか いえないからです。 事情通さんは現行のものについても「英語からの重訳」と判断されますか? それから、差し支えなければ何年から何年まで主の回復におられたかお伺いしていいですか?
407 :
名無しさん@3周年 :2005/04/01(金) 00:03:05 ID:+OwpVrC5
>>404 早速ありがとうございます。
ただ、註を見て、リーの神学に批判的な人のおっしゃることが良く判っちゃいました(笑)。三位一体の関係、特にキリストと聖霊との関係が、ニカヤ・コンスタンチノポリス信条で言うところの「フィリオクエ」の理解とちょっと違うかなと言う感じです。
まぁ、それをここで始めると996さんのおっしゃる通りスレ違いですし、私は、そんなに知識が無く、単に印象の話なので御容赦あれ。
訳文の問題で言えば、「その霊」とは何かというのが、ミソでしょうね。新共同訳は“霊”として、聖霊なる神様のことと特定していますが、これも「訳語に忠実」ではない、解釈ですよね。
同様に「まだなかった」は、新共同訳では「まだ降っていなかった」です。これもこの箇所の訳語としてはどちらも成り立つと思うのですが、「なかった」とするのは聖霊の先在性や人格に関わるかもしれません。
>>405 例えば
>>213 から
>>243 で、私が独り相撲をしてますので御参照あれ
>> 主題が間違ってなければ問題ないと…。
禿同
409 :
996 :皇紀2665/04/01(金) 00:48:56 ID:JgVhEmdo
物議をかもしそうなところを選んじゃってすみません。 リーの三位一体論とキリスト論については、おっしゃる通りニー・リースレで やった方がいいでしょうね。 ただここでは、リーの神学の全体像をみてからこの箇所を読むとそんなに変に は感ぜられないけれども、私もはじめて回復訳の註をみた時はギョッとしたこと をお伝えしておきます。 >訳文の問題で言えば、「その霊」とは何かというのが、ミソでしょうね。 >「なかった」とするのは聖霊の先在性や人格に関わるかもしれません。 私もこの二つは重要だと思います。 リーの神学のキーワードである 「手順を経る」という概念に触れることになります。 あともう一つは「彼の中へと信じる」。 前者二つはピリピ1:19の註、「の中へと」はヨハネ3:16の註 に詳細な説明があります。 ご希望でしたらまたコピーしますが、今日はもう遅いので、 これで失礼します。
>>408 てか、それ以外の解釈して膨大に研究で時間つぶしてなにするねん!(ツッコミ
答えでんの?
>>410 研究する価値もあるし、よい翻訳のために時間を費やすのもすばらしいことだ。
なるほど。たしかに! 聖書の理解というより、歴史家や研究家としての視点だね。 一般人は市販のもので十分と思うわけだが…
つまり根本的な間違いのある翻訳の聖書はないということですな?
>>414 マンガの新約聖書でも根本的な間違いはないでしょう
416 :
996 :皇紀2665/04/01(金) 17:53:05 ID:HVU/4QYR
417 :
名無しさん@3周年 :皇紀2665/04/01(金) 18:00:00 ID:GpW+5JUg
>>416 リーの三位一体論では、御子=御父だそうですよ。
するとイエスが「父よ」と祈った方は誰なんですか?
名もなきローマ兵 と、あえて煽ってみる。
>409 >「の中へと」はヨハネ3:16の註 に詳細な説明があります。 お願いします。
420 :
996 :皇紀2665/04/01(金) 22:41:51 ID:A1TZ3INw
「神はそのひとり子を賜ったほどに、世の人を愛された.それは、彼の中へと 信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16 回復訳) 「の中へと」の註は「世の人」の註と深く関連するので、両方写します。 「ここの世の人は、原文はこの世と同じ言葉で、罪深い、堕落した、この世を構成する 人々のことを言います。彼らには罪があるだけでなく、年を経た蛇である悪魔の毒素も あります。ですから、彼らは蛇となりました。彼らには、蛇の形で、彼らのために死に、 彼らの身代わりとして、彼によって裁かれるキリストが必要でした(14節)。そうでないと、 彼らは滅びます(16節)。人は徹底的に堕落しましたが、神はなおも彼らを、彼ご自身である 神聖な愛をもって愛しておられます(Tヨハネ4:16)。なぜなら彼らは、神によって、 神ご自身のかたちにしたがって、神を入れる器として造られたからです(創1:26.ローマ 9:21前半、23)。さらに、神はそんなにも人を愛して、ご自身の表現である彼のひとり子を 彼らに与えられました。それは、彼らが神の永遠の命を得て、彼の多くの子たちとなり、 彼の団体の表現となって、神の永遠の新約エコノミーを成就するためです。ですから、 神はまず彼の霊によって彼らを再生し(3-6節)、彼らに神の永遠の命を得させられました (15-16節、36節前半)。次に神は、彼らをご自身の無限の霊で満たされます(34節)。 それは彼らが、すべての上にあり、すべてを含むキリストの花嫁(31-35節)、すなわち 彼の増し加わりと豊満になるためです(28-30節)」 「主の中へと信じるとは、彼を信じること(6:30)とは異なります。彼を信じるとは、 彼が真実であり、実際であると信じることです。しかし彼の中へと信じるとは、 彼を受け入れて、彼と一つに結び付けられることです。前者は客観的に事実を認識する ことであり、後者は主観的に命を受け入れることです」。
421 :
名無しさん@3周年 :皇紀2665/04/01(金) 22:58:59 ID:GpW+5JUg
996様は完全にリー・フリーク化しておられるようです。 少々クールダウンする時間をとられたらよろしいかと。 ほとんど双方向の議論が成立していませんね。三位一体論でも。汗
422 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :皇紀2665/04/01(金) 23:03:48 ID:W50etjjD
>>421 板上では、そうかも。
でも、ロムだけで、注視してる人が、案外といるものょ。
423 :
名無しさん@3周年 :皇紀2665/04/01(金) 23:28:00 ID:GpW+5JUg
いやね、996さんの言っていること(=リーの受け売り)が正しいかどうかよりも、 その熱して、視野が狭くなって、人の話を聴くことができなくなっている様に 疑問というか、コワサを覚えるわけ。これってカルト一般に言えることでしょう。
424 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :皇紀2665/04/01(金) 23:32:14 ID:W50etjjD
>>423 誰でも、自分が好きなら、熱くなるょ。
それだけ、何かに好きになれるって、大切ょ。
わたしも今夜、マザーテレサのスレで、熱くなった。
425 :
名無しさん@3周年 :皇紀2665/04/01(金) 23:34:37 ID:+OwpVrC5
>>420 うわぁ。全開ですね。感謝です。うーん。眠いせいか、何だか良く読めない。
最初の註の方、「彼」「彼ら」が多いのはやっぱり翻訳のせいかな。
やっぱり三位の関係性について、色々と問題は感じるのですが、ここは「聖書翻訳スレ」なので。。。
「世の人を愛された」と一般の訳の「世を愛された」はずいぶんニュアンスが違うように思いますが、写して下さった註ではその辺が良く判りません。「世を愛された」の方が視野が広いような気がして好きなのですが、"kosmos"に人間だけを限定的に指す意味があるのですかねぇ?
「主の中へと」の方
こちらの註で言っていることは、まだ判ります。
ギリシャ語でも、"pisteuon eis"で、英語だと"believes in"。6章30節の"piteusomen"は"believe"だから、正確に言うと両者は違うし、「中に信じる」ってのは直訳だね。
ただ、日本語としては極めて不自然としかいいようがない。
>420 ありがとうございます。 eis は"in" ではなく "into" という動きを表すのでは?ただし、「中に信じる」は日本語になっていませんね。
427 :
996 :皇紀2665/04/02(土) 00:49:16 ID:zUGLj9pi
>少々クールダウンする時間をとられたらよろしいかと。 最近は正教会の本ばかり読んでいます。そろそろライフスタディに戻らないと! >996さんの言っていること(=リーの受け売り) 私は人に従っているつもりはありません。ニーとリーがみたビジョンに従っているつもり です。ニーもリーも天から見せられたことに最後の最後までそむかなかったので、 紛らわしく見えるのかもしれませんが。 たとえニーやリーが自分で語ったことから離れていたとしても、 あるいはニー・リーの務めに従っているいわれる主の回復の人たち全員がこの 務めから離れていても、私はこの務めから離れる気にはなれません。 この二人が語ったメッセージは、神がこの二人を通して語られた 「使徒たちの教え」(使徒2:42)であると確信しているからです。 もしこの姿勢がカルト的であるならば、第二ペテロ3:15-16を書いた使徒ペテロも カルト的です。 昔、リーが「オマエはニーの口マネだけで、自分の考えは何もない」と言われて、 「それは私の栄光です」とこたえたそうです。 ニーやリーの口マネは簡単ではありません。私のようなちゃらんぽらんな者の 言葉が「リーの受け売り」とは、本当に真剣にニーとリーがみたビジョンに従っている 人たちがきいたらどう思われるでしょうか? 自分の不徹底さのゆえに、 そのように言われたとき、気恥ずかしさを感じます。 >"kosmos"に人間だけを限定的に指す意味があるのですかねぇ? 文脈から「の人」をおぎなったのだと思います。この解釈自体はよくききますよね? 私も求道中にこの節についてそんな説明を受けた記憶があります。訳に「の人」を おぎなうかどうかについては、おそらく中国語訳の「世人」を参考にしています。 あるいは、そのように訳している先行する日本語訳聖書があるのかもしれません。 私が訳者だったら、やはりかなり迷ったと思います。 >ただ、日本語としては極めて不自然としかいいようがない。 ギリシア語も、ここでeisを使うのは不自然なんではないでしょうか? しかしヨハネはあえてeisを使っています。おそらくはそれを踏まえて、 不自然さをも含めて直訳したのだと思います。私も同じように訳したと思います。
428 :
名無しさん@3周年 :2005/04/02(土) 08:48:07 ID:OlHsTE+I
>>427 「世人」については、よく判りません。
「中へ信じる」について
ギリシャ語はよくわからないのですが(って言うか実は英語もよくわからないのですが)、英語には"believe"と"believe in"の区別があるみたいです。英和辞典を引いてみましたら、
"believe"は「[人が言ったこと;AがBであること]を信じる」の意味、
"believe in"は「…を信頼(信仰)する」「…の存在を信じる」の意味で用いるとあります。
私には
>>420 の客観的に認識するのと主観的に受け入れるのの違いは確かにこの二つの言い回しで区別できるのかなと思われました。
ギリシャ語はどうなのか、知ってる方に教えていただきたいのですが、
少なくとも、英語との関係で言えば、
>> 不自然さをも含めて直訳した
とは言い難いように思います。
429 :
名無しさん@3周年 :2005/04/02(土) 09:39:42 ID:ckTIn4mi
>この二人が語ったメッセージは、神がこの二人を通して語られた
>「使徒たちの教え」(使徒2:42)であると確信しているからです。
はあ、まあ996さんが何をどう信じるのかは自由ですが、現代において
神に用いられている器は世界中にたくさんいますよ。
神はこの「二人」だけを通して語るわけでもありません。
神は豊かな神であり、用いるべき器を十分に持っていますから。
ニー・リー教会化しないようにお祈りいたします。
あ、それと面白い方を紹介します。元メンバーですが、彼は現在の
ローカルチャーチをリー教会であると証言しています。
ギリシャ語も堪能な方です。
http://www.d3.dion.ne.jp/~higa_nob/index.html
431 :
名無しさん@3周年 :2005/04/02(土) 16:01:16 ID:OlHsTE+I
>>430 イイですよねぇ、それ。
確か、琉球語訳とか、アイヌ語訳とかもあったんでなかったでしょうか。
(ケセン語と、琉球語やアイヌ語を一緒にするのはどうかという話もあるかも知れないけれど)
それぞれみんな自分の言葉で聖書を翻訳できればよいですよね。
「コテコテ大阪弁訳聖書」は感心しなかったけど。
432 :
名無しさん@3周年 :2005/04/03(日) 01:01:03 ID:zM1+AJfu
>元メンバーですが、彼は現在の >ローカルチャーチをリー教会であると証言しています。 ウンザリ。 リーが異端かどうかという議論とはまったく別の次元で、この人は独自の世界に いっちゃってて、かなり異端っぽい。 あと、回復訳の英語版では、「の中へと信じる」は believe into になってますよ。 ノンクリの英語のネイティブにきいたら「変な英語だけどキリスト教には そういういい方があるのかもしれない」とのこと。 クリのネイティブは「into? inじゃなくって? inは、静的な状態でintoは移動みたいな感じだから、そういう意味をこめたんだろ。 でも、はじめてきくいい方だ」といっていました。
433 :
名無しさん@3周年 :2005/04/03(日) 01:21:33 ID:zM1+AJfu
高橋晶訳の新約聖書って、誰か持ってませんか?
435 :
名無しさん@3周年 :2005/04/03(日) 03:27:41 ID:c6T1U7jF
>429 回復訳は聖書本文と共に、リーによる細かな脚注を読まされるわけですから、 こんな聖書を使う教会がリー教会になってしまうのはあたりまえです。 さらに教会で、信者はリーの注解書まで読まされて、完全にリー漬けにされま す。
436 :
名無しさん@3周年 :2005/04/03(日) 04:23:40 ID:zM1+AJfu
回復訳、英語と日本語と持ってますが、かなりいいですよ。 リーはサベリウス主義だとかって批判されてるのをネットで目にしたことはあるけど、 実際に読んでみたらぜんぜん違ったし。 ウィットネスりーのスレにもかきましたけど、 リーの三位一体論を批判してる人って、基本的な術語すら心得てなくって、 おまえ何いってんだよって感じです。 あと、リーを批判してるホームページをみてみても、批判してるくせして リーの本からパクった内容をのせてたりとか、矛盾しまくりじゃないですか。 全部じゃないけど、そういうとこって多いでしょう? 自分トコの信徒に説教のネタがバレんのが嫌で必死になって保身につとめてるのが ミエミエでしょ。保身をするなとはいいません。保身は大事です。自分トコの信徒を 守るのも当然です。 でも、クリスチャンがウソつくのはねぇ。 しかもほかのクリスチャンを異端だのカルトだの言ったりして。 2ちゃんねるでリーを批判してる人たちも、 なぁんか裏があってやってるようで、やな感じですね。 あなたがた、互いに連絡取り合って作戦立てながら書いてませんか? あんな人数の少ないグループをよってたかっていじめてるみたいにみえて不快です。 希美さんも相当に変わった人だけど、996さんに助太刀しようとしたら いじめに巻き込まれちゃって、本当に気の毒ですな。 私も巻き込まれるのはごめんこうむりますので、読むの中心にさせていただきたいです。
437 :
名無しさん@3周年 :2005/04/03(日) 04:33:41 ID:zM1+AJfu
あわわ、忘れるとこでした。あぶないあぶない。 高橋晶訳、ネットでも紹介されてるんですね。教えてくれてありがとうございます。 須磨かあ。直接行ってしまおうか。聖書翻訳者と話ができるなんて、あんまり 機会ないもんな。
438 :
名無しさん@3周年 :2005/04/03(日) 08:30:16 ID:nhoLgv80
>あなたがた、互いに連絡取り合って作戦立てながら書いてませんか? 大丈夫かよ、妄想だわwwww
439 :
キリスト教書店 ◆zVzV1pw502 :2005/04/03(日) 08:37:49 ID:bK0IzZkR
440 :
名無しさん@3周年 :2005/04/03(日) 09:31:52 ID:KQAoMxsK
>436 > あなたがた、互いに連絡取り合って作戦立てながら書いてませんか? あなたがたこそ、リーの教会の2ちゃん対策部なんでしょ? こんな時間にまで大変ですね。 お疲れ様でーす。
441 :
996 :2005/04/03(日) 16:32:06 ID:f5q/UdRS
>あなたがたこそ、リーの教会の2ちゃん対策部なんでしょ? ニー・リースレでレスしておきました。 >元メンバーですが、彼は現在の ローカルチャーチをリー教会であると証言しています。 こんな言い方をしては失礼ですが、この方のホームページのことについては 私は今後レスをつけないでおこうと思います。 ただでさえ荒れているのに、もっと荒れて有益な議論が全く望めなくなるからです。 理由は、皆さんご自身でリンク先に飛んでいただければおわかりいただけるはずです。 このような方を「面白い方」「ギリシャ語も堪能な方」と紹介しておられる方の 信仰はどうなっているのかと、心配になります。
442 :
名無しさん@3周年 :2005/04/03(日) 17:16:26 ID:nU6I7vq3
>>441 > ニー・リースレでレスしておきました。
そういう言い方はやめてください。
ニー・リースレには興味ないんだから。
ここはここで、きちっとレスしてください。
443 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/03(日) 17:45:08 ID:W0xXVYJ9
>>436 はぁーいぃー、変わり者の、のぞみでぇ〜す。
でもさぁ、知らなぃことを批判する人のほうが、もっとバカょね。
このスレなら、回復訳聖書、他スレでも最近、マザーテレサの本を読んだこと無ぃ人が、マザーについて、ごちゃごちゃ理屈言い出したりねぇ〜。
どうしてさぁ〜、多くの人が、知らなぃことを批判するわけぇ〜?
バカとしか、思えなぃょ。
>>443 とりあえず、幕屋スレでも言われている通り、
「ぃ」 とか 「ゃ」 は読みづらいので、普通の書き方をしてください。sage
445 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/03(日) 18:27:32 ID:W0xXVYJ9
>>444 キリスト教談話室スレ、天理教スレ、統一教会スレ、その他のスレでも、言うかたがいますょ。
age
446 :
996 :2005/04/09(土) 01:42:11 ID:6V4Hc7F0
エゼキエル書を口語訳で読んでいたら、第28章で、フリガナに「ゑ」という 文字を発見しました。 書店で調べてみたら、すべてのサイズの新品の口語訳に同じ間違いがありました。 聖書の誤植、しかも歴史ある口語訳に、というのはちょっと意外で驚きました。 こういうことって、あるんですね。
447 :
名無しさん@3周年 :2005/04/09(土) 02:01:27 ID:YT+aZ4Md
部落部落部落部落部落部落部落部落逆差別部落部落洗脳部落部落利権
部落部落刷込部落部落逆差別 部落・・・・・・・・・・・・・・・
部落
http://www.h2.dion.ne.jp/~kaihou/ 祈りの言葉
祈りの言葉は各教会によって定められるものですが、参考として下記の祈りを提案します。
*「部落差別がなくなりますように」
*「部落差別をなくすために共に働くことができますように」
*「部落差別に負けないで生きることができますように」
*「部落差別に出会ったら『間違っている』と言える勇気と力が与えられますように」
*「すべての差別がなくなりますように」
*「差別の痛みがわかる人間になれますように」
*「差別をしない人になれますように」
*「様々な差別の現実にしっかり向き合うことができますように」
*「差別を生み出す社会を変えていくことができますように」
*「部落解放を証する教会になれますように」
*「教団部落解放センターの活動募金が満たされますように」
>>446 すげー!996ったら示申!って、このスレでは褒め言葉にならないな。OTL
50年間誰も気づかなかったなんて事があるのか?
文語訳にも誤植がありますよ。 バプテスマがバプテマスになってる どこだったっけ(汗)
450 :
名無しさん@3周年 :2005/04/09(土) 14:35:56 ID:b6b1C1xq
新共同訳の訂正箇所は聖書協会のホームページで一覧になって公開されてるんだけどね。他はそう言う資料って無いのかな?
451 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :2005/04/09(土) 14:49:24 ID:proBrDjj
28章の何節? >446 読んでみたけど、わからなかったよ。
文語訳の小さな誤植 ヱレミヤの哀歌 3:22 「われらの尚ほろびざるはヱホバの仁愛により その憐憫の盡きざるに囚る」 × 囚る ○ 因る 昔の写植版では合っていた......
454 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :2005/04/10(日) 09:36:03 ID:5kVizQON
ありがとうございます。 >453 目が悪いから、字が小さくて見えなかったよ。 これって、ひょっとして原版作るときに、活字拾う人がついうっかり 旧カナ遣いでルビふったのかな。昔は一字一字活字を組んで版作ってた らしいよ。
ゑは恵を崩してできたんだから、間違いとまではいえないのでは? 知恵って、ほかに知慧という書き方もあるから、これと区別する意図からかな?
新改訳、分が悪いなぁ。 慣れてるから、新共同訳より自分には読みやすい。 ずぅっと上にあったが、詳訳聖書をどこか、 良心的なキリスト教出版社で復刊してくれないもんだろうか。 自分が読んだのは新約のみだったが、注解・索引・チェーン式と 比較して読むと理解が深まってためになったと思う。 あっ、ごめん、ここってカトスレ?プロの自分はお呼びでない??
>>456 無問題。
それどころか、回復訳がもてはやされるスレです。
460 :
456 :2005/04/10(日) 20:06:54 ID:mgHagRYo
>>458 回復訳は未読なので、スルーしときます。
>>459 自分が見たのは新約だけのものだった。
同じ教会の方のお見舞いに伺った時、
「朗読をしてくれ」とのことで、枕元にあったのを拝読させていただいた。
たぶん、その方の息子さんが、今は持っておられるかと思うが、
遠方だし当の息子さんとはあまり面識も無いので、
「貸して下さい」とも、正直「もらえませんか」とも言えずw
さすがにどこの古本屋でも扱いは無いだろうなぁ。
老兄が目をつぶって、
満足そうにうなずきながら聞いていてくださったのが、
嬉しかった。
>>460 残念! 去年ヤフオクで売っちゃった。<詳訳聖書
結構高く売れた。ダメ元でチェックしてみれば・・・。
462 :
名無しさん@3周年 :2005/04/10(日) 20:52:13 ID:9vudtkO7
| | ∧_∧ | |( ・∀・)エ!?マダ居タノ!? | ⊂ / | ⊂__/ | | ∧_∧ ∧_∧ 叩カレルノワカッテテ、 | |( ・∀・)(・∀・ )ナンデ戻ッテ来タンダ? | |( ∩∩ )( ∩∩ ) Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (; ・∀・)< あれが伝説の精神異常者、あずみか・・・。  ̄| ∪ ̄∪ ̄|\______________  ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄||| |_∧ サッサト消エロ!!  ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|| |・∀・)  ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄||| ⊂ ) 叩カレ過ギテ、気ガ触レタカ?  ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|| |/ / ( ・∀・)  ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄||| |)_) ( ∩∩) ( ・∀・)バーカ!!  ̄ ̄ ̄ _ ノ ヽ + イライラ I.I | /\/\ ||`ヽ丿 ∧ _∧ ( #`Д´) || (; ゚∀゚ ) アーヒャヒャヒャ (. ,`(Il ( つ つ 人 Y 人 Y し (_) し (_)←あずみ
463 :
PLF ◆hnoPLFOQ7M :2005/04/10(日) 20:55:37 ID:CvgQViTo
>>460 詳訳聖書、教会の本屋に一冊だけあったよ。
464 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/10(日) 22:34:36 ID:/esA6KdN
>>456 分が悪ぃ聖書は、無ぃょ。
それぞれが、お気に入りの聖書がベスト。
わたしも、新改訳はポケット版を使ってるょ。
465 :
名無しさん@3周年 :2005/04/14(木) 00:20:19 ID:WlBj4rM9
小さい聖書って、どのくらいのがあるの? 自分は新共同訳のハンディ版を使ってるけど、もう一回り小さくならないかなぁ。ポケットに入れておいて、電車の中で開くようなの。
466 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/14(木) 00:44:15 ID:6aL8fUp1
>>465 一番小さいので、新共同訳新約聖書[キリスト降誕2000年東京大聖書展記念]版でしょう。
通常販売されてる聖書で小さいのは、新共同訳は、NI336、NI334、新改訳は、NPPK-49、NPP-45だけど、2000年大聖書展版は、それらょりさらに小さぃ。
でも残念ながら、聖書協会にも在庫切れ、再販予定無し。
[新共同訳2000年記念キリストの言葉つき]版は、再販してるから、[新共同訳2000年大聖書展]版も、再販して欲しぃ。
467 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/14(木) 00:51:18 ID:6aL8fUp1
>>465 通常販売されてる
>>466 に、ナンバーを書いた聖書は、文庫本をさらに一回り小さくした大きさ、大聖書展版聖書は、文庫本の半分の大きさ。
468 :
名無しさん@3周年 :2005/04/14(木) 01:02:21 ID:OCqBvhkN
ラゲ訳をオークションで買ったはいいが、 ほとんど開いたことがない・・・。
469 :
名無しさん@3周年 :2005/04/14(木) 01:19:21 ID:77821cfv
回復訳ってどこらへんがイイのか 教えてくらさい
470 :
PLF ◆hnoPLFOQ7M :2005/04/14(木) 01:25:24 ID:B9lc9Kr4
>>469 「フットノート」と呼ばれる脚注の詳しさは、他の聖書を圧倒します。
なにより、本文より脚注の方が文章量が多いのですから!
勉強になるという点で、回復訳は他の追随を許しません!
471 :
名無しさん@3周年 :2005/04/14(木) 01:27:46 ID:77821cfv
>>470 ひええええっ!! そうなの?
じぇんじぇん知らなかった。解説書と聖書が一冊にまとまった感じなのかな?
買ってみたいな…でも、どこで売ってるの?
472 :
PLF ◆hnoPLFOQ7M :2005/04/14(木) 01:31:22 ID:B9lc9Kr4
「日本福音書房」でぐぐってみてください。 サイトから見本が見れて、購入もできます。 あと、一般の書店からの入手はかなり困難だとおもいます、多分。
473 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/14(木) 01:31:22 ID:6aL8fUp1
474 :
名無しさん@3周年 :2005/04/14(木) 01:32:59 ID:77821cfv
475 :
名無しさん@3周年 :2005/04/14(木) 01:35:40 ID:WlBj4rM9
解説付といえば、新改訳のチェーンバイブル。岩波書店の聖書(版によって違うけど)、フランシスコ会訳(分冊のみ)もありますよ
476 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/14(木) 01:36:24 ID:6aL8fUp1
>>474 小形版は、フットノート無しだから、注意ね。
477 :
名無しさん@3周年 :2005/04/14(木) 08:20:54 ID:II+7iXDX
回復訳ならキリスト教書店でも売ってるよ。 ただし、フットノートはそんなにいいものではありません。 なんせ異端疑惑のリーによる偏向した内容だから。 一般の教会ではいわないようなことばかりです。 脚注が学問的に最も優れてるのは岩波訳でしょう。
478 :
996 :2005/04/14(木) 09:26:11 ID:D/ijRnZD
ウィットネス・リーが異端かどうか、偏向したことを言ってるかどうかは、下記にお越しください
ウオッチマン・ニーとウイットネス・リーの真実
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1107014205 >一般の教会ではいわないようなことばかりです。
リーのフットノートとメッセージを元にしてメッセージをしておられる
牧師さんはいくらでもおられます。メッセージの元ネタを公開する牧師さんは
あまりおられませんし、一部の人たちによる<異端疑惑>流布のために、
信徒さんたちをつまずかせないように
あえて内緒で読んでおられる牧師さんもおられます。
実際に回復訳とW・リーの本を手にとってご覧になれば、すべてははっきりすることですが。
回復訳は、新約だけしか完訳されていませんが、
現在手に入る日本語訳聖書の中でもっとも正確なものだと私は思います。
英語版はこちら。無料で閲覧できます。
http://online.recoveryversion.org <回復訳聖書のための参照早見表>というのもあります。ご検索ください。
479 :
名無しさん@3周年 :2005/04/14(木) 11:24:44 ID:II+7iXDX
>>478 > リーのフットノートとメッセージを元にしてメッセージをしておられる
> 牧師さんはいくらでもおられます。
はいはい、一部にそういう牧師がおられることを否定しませんよ。
でも、そういう牧師は「内緒」にしててもバレテしまうほど、リーの主張
には特徴があるわけでしょう。
つまり、普通の牧師ならあまりいわないような話だということです。
そういうフットノートがお好きな方にはいいんじゃないでしょうか。
それから私はリーが異端だとは言ってません。疑惑があるという事実を
指摘しているだけです。そういう脚注を読んでみたいという人には回復訳
は面白いかもしれません。
480 :
996 :2005/04/14(木) 14:42:14 ID:WjhbWWxg
IDは変わってますが、本人です。 >そういう牧師は「内緒」にしててもバレテしまうほど、リーの主張には特徴があるわけでしょう。 リーに特徴的なのは、まず何と言っても用語でしょう。「主を食べる」「主を呼吸する」 「主を生きる」「新陳代謝的に造り変えられる」などです。 最初は面食らうし「何でわざわざこんな言い方を」とも思うのですが、 リーの神学の全容を把握すると、彼の用語体系の価値が分かってきます。 ですが、リーの本を元ネタにメッセージをする牧師さんたちは、 一般的に使われている用語に言い換えて語っておられることが多いと思います。 それでもリーの元ネタだとわかるのは、つねにキリストと教会に焦点があてられているのからです。 リーの本を使ってメッセージすると、聖書のどこから何について語っても一貫性が保てるのです。 <キリストを経験する>という点が強調されているのも特徴的です。 ようするに、内容がいいのです。実際、リーの本をネタにメッセージが語られている教会では 人が着実に増えています。私もそのようにして救われた一人です。もっともリーではなくニーでしたが。 ああ、それと、リーは例の使い方がズバ抜けてうまいのです。リーの用語は変えても、リーの 使った例は大抵そのまま使っておられるのではないでしょうか? メッセージを聴いて「あ、ひょっとして」と思い、例話で確信する、というパターンですね。 リーの神学の(用語は別として)内容は、独自の部分もありますが、教会教父の著作、 ダービーなどのブレザレン系、アンドリュー・マーレーなどの福音的な内容のものを うまくミックスさせたものなので、 >つまり、普通の牧師ならあまりいわないような話だということです。 は少々言いすぎでしょう。 >一般の教会ではいわないようなことばかりです。 と、実際にリーを読んだ上で断言しておられる口調なのに >私はリーが異端だとは言ってません。疑惑があるという事実を指摘しているだけです。 とはどういうことでしょうか? 70年代に彼に異端疑惑がかけられたのは事実ですが、 その疑惑はすでに70年代末に解かれた事実と、しかしそれを無視して異端疑惑を繰り返し 主張しつづける人たちがいるという事実を指摘しておきます。
481 :
996 :2005/04/14(木) 14:56:39 ID:WjhbWWxg
リーの本の内容を、彼の用語も含めてそのまま書き込みしても あまり批判を浴びることはなく、むしろ同意を得られることの方が多かったのですが、 リーの名前を出して書くと、途端に批判を浴びたり、異端とまで言われたりします。 明らかに、書き込みの内容ではなく、ウイットネス・リーという名前に対しての 反応です。 理由は本当に<異端疑惑>だけですか? 回復訳を持っていらして、 <疑惑>が本当かどうかご自分で確かめられるんでしょう? II+7iXDXさんがなぜそんなことをされるのか、理解に苦しみます。 <異端疑惑>などという予防線を張ったりせずに、 どの箇所がどうおかしいのか具体的箇所を引用してご指摘ください。 でないと、ほかの方がにご迷惑であると思います。 毎日は無理ですが、週に一、二回程度はレスさせていただきます。 折角の良スレなのです。どうかご一考ください。
482 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/14(木) 21:46:31 ID:6aL8fUp1
>>481 内容で判断出来なぃのょね。
本田訳聖書は、明らかに異質であるのに、カトリックというだけで、文句言う人が、いなぃ。
わたしが読んで、違いがわかるほどなのに。
明らかに、みんなが内容無視の判断しかしなぃょね。
483 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/14(木) 22:09:33 ID:6aL8fUp1
このスレは、聖書翻訳についてであって、翻訳者についてではなぃわょ。 回復訳聖書の翻訳について以外に、リーについてなら、996さんの言うとおり、他スレで話し合えばいぃのょ。
484 :
名無しさん@3周年 :2005/04/15(金) 13:25:59 ID:0zOX/amv
ネットで回復訳聖書を注文したのにい 何の反応もないぞ〜? なんかへんだぞ〜あれ〜???
485 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/15(金) 19:18:20 ID:BaLSbnni
>>484 日本福音書房は、多くの出版社と違い、数日後の発送。
発送日を、問い合わせたら。
わたしは、どの出版社でも必ず聞くよ。
486 :
名無しさん@3周年 :2005/04/16(土) 16:34:33 ID:LxTy7D5p
正教訳の聖書ってネットで買えないのかなぁ。
487 :
名無しさん@3周年 :2005/04/16(土) 18:17:28 ID:X3GH9ND3
488 :
ボボ・クッサ :2005/04/16(土) 19:55:24 ID:zBBwQgd/
聖書なんか読む暇あったら マンコを掃除したほうがいいよ >486
489 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/17(日) 19:33:21 ID:lRrC6nd6
回復訳の小形版を買ったけど、やっぱり大きぃなぁ〜。 看護衣のポケットに、入れたかったのょねぇ〜。 勤務の合間に、御言葉に触れたかったけど。 やっぱり小ささでわ、新共同訳か新改訳かなぁ〜。 新改訳で赤い表紙のポケット版、売ってたはず。 それも買いに行こっと。
バラバラに分解すればいいんだよ。
>477 異端かどうかはともかく、訳者の思い入れ激し過ぎるフットノートはおれも嫌だなあ。 知らず知らずのうちに、訳者の偏向した信仰にハマってしまう感じがして。 その点岩波訳のフットノートは、歴史や地理などの客観的データに限定されていて 押し付けがましくなくて、好感が持てる。 フットノートは聖書を読み解く上で必要最低限の客観的情報を提供してくれるだけで十分。 あとは、聖書本文を読んで自分なりの解釈をするから、放っておいてほしい。
492 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/18(月) 16:56:46 ID:LS9R/jzW
>>491 回復訳のフットノート無しなら、良ぃわけ?
売ってるょ、回復訳聖書本文だけって言うの。
493 :
名無しさん@3周年 :2005/04/18(月) 21:19:37 ID:NZRRt2hP
本末転倒してますなぁ
494 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/18(月) 21:23:55 ID:LS9R/jzW
>>493 みんなのほうが、本末転倒ょねぇ〜。
翻訳でなく、翻訳者のイメージだけで、判断してるじゃなぃょ。
495 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/18(月) 21:29:44 ID:LS9R/jzW
だってさぁ〜、あたしが何回もカキコしてる、本田訳、異端って、誰も言わなぃのって、絶対変だもん。 明らかに、地方教会のリー、カトリックの本田のイメージだけで、みんな判断してるょ。 聖書の内容でなく、訳者のイメージで、聖書の良し悪しを判断するのって、疑問!
496 :
名無しさん@3周年 :2005/04/18(月) 21:51:11 ID:NZRRt2hP
カルトにはまっている人の典型的なリアクションだね
497 :
名無しさん@3周年 :2005/04/18(月) 21:55:17 ID:gYzVNEIU
塚本訳か、最新の岩波訳だろ。 新共同訳も新改訳も、翻訳の翻訳という感じだな。 夫々、カトよりプロよりの。
498 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/18(月) 21:57:52 ID:LS9R/jzW
本田訳を知らなぃでしょ。 本田訳がメジャーになったら、カトリックの洗礼が、崩れるのょ。 でも誰も、何も言わなぃ。 これわ明らかに、カトリック司祭の聖書だから、誰も言わなぃの明らか。 でもあたしが一番好きなのわ、本田訳聖書。 今のカトリックを良しとしなぃ、本田司祭の聖書わ素晴らしぃし、洗礼の意味も、本田司祭の訳のほうが、真のカトリックらしさを感じる。
499 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/18(月) 21:59:06 ID:LS9R/jzW
500 :
名無しさん@3周年 :2005/04/18(月) 21:59:55 ID:D/QrbvX8
わたしは新世界訳聖書が一番好きです。
501 :
名無しさん@3周年 :2005/04/18(月) 22:00:32 ID:gYzVNEIU
漏れも昔カトだったが。 今は何の期待もしてないな、カトには。 なかにはいい人いるな。教義云々じゃなく、小さき人とともなる人が。 今のカトは、西洋カブレのプチブル宗教になってる。
502 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/18(月) 22:00:32 ID:LS9R/jzW
500! (^O^)v
503 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/18(月) 22:02:47 ID:LS9R/jzW
>>492 フットノート無しが良いなんて、言ってねえだよ。
愛用は、岩波訳とThe New Oxford Annotated Bibleーーーこれ最強。
最強なのに、なんで財布叩いてフットノート無しの開腹訳に手を出す必要が(ry
買うなら、回転寿司のほうがいいな。
505 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/18(月) 22:56:29 ID:LS9R/jzW
>>504 今日、岩波訳、立ち読みした。
2番目の福音書、トマスとか、グノーシスとかの岩波訳なら、買ってもいぃ。
他に見当たらなかったから。
普通の岩波訳なら、お金の無駄!
506 :
うさぎ888 ◆l8/Ncjcsrg :2005/04/19(火) 00:04:39 ID:w1Ig6BQ7
>>505 そんなことはない。
岩波訳は聖書を読み取ろうとするなら必読でつ。
507 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/19(火) 00:18:55 ID:ETlPuSHA
>>506 岩波訳で良いのは、先に挙げた、トマスなどだけょ。
あたし、明日は新改訳を買う。
赤い表紙のB7版をね。
508 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/19(火) 00:20:35 ID:ETlPuSHA
岩波って、特徴を感じなぃんだもの。 岩波の、何がいぃわけ?
509 :
うさぎ888 ◆l8/Ncjcsrg :2005/04/19(火) 00:29:31 ID:w1Ig6BQ7
>>508 岩波のすごさはね、訳者の教養の深さ。
訳者の面々を見ても分かるけどこれだけの面子を揃えられるのも
岩波ならでは。
その批判的な訳はフランシスコ会訳以上にラディカルです。
私はギリシャ語を多少は分かるのですが、岩波訳には恐れ入ります。
特に新約では難解な「パウロ書簡」の青野太潮先生の名訳には感嘆します。
510 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/19(火) 00:42:41 ID:ETlPuSHA
>>509 訳者じゃなくて、岩波の聖書のことだけど。
もぅ今日わ、寝るょ。
おやすみぃ〜☆
511 :
うさぎ888 ◆l8/Ncjcsrg :2005/04/19(火) 01:04:46 ID:w1Ig6BQ7
512 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/19(火) 06:33:21 ID:ETlPuSHA
>>511 えっ?岩波文庫にもあるの?
岩波文庫、あたし、嫌ぃょ。
紙が変色するからね。
講談社学術文庫みたぃな、変色しなぃ紙を、使って欲しぃょ。
話ずれたけど、岩波訳って、あたしが言ったのわ、A5版サイズのだけど。
全部、少しずつ分冊聖書で、他に、トマス福音書なども、分冊になってた。
三省堂神田本店にあったょ。
>>511 と、ちょっと違うょうな気がする。
ちょっと立ち読みした程度で、 >普通の岩波訳なら、お金の無駄! なんて断言しちゃうと、 いくら >聖書の内容でなく、訳者のイメージで、聖書の良し悪しを判断するのって、疑問! なんて叫んでも、 説得力持たないよ。
>「机上版」で、確かフットノートが少なかったような?違ってたらスイマセン。 旧約聖書分冊(全15巻)のほうしか持っていないが、 旧約の場合は、机上版では旧約各書の解説と巻末の語句の解説が省かれている。 脚注も短縮箇所がある感じ(立ち読みなので、確実なことは言えないが)。 新約はどうかな? しかし岩波の旧新約聖書翻訳委員会の委員と言えば、日本聖書学会で 一線で活躍している学者ばかりなのに、彼らの翻訳を「お金の無駄!」 の一言で片付けてしまうとは、希美さんは怖いものなしの大した方か、 原理主義の信者さんか。
高額だしね。俺みたいなのが買ってもお金の無駄になることは確実だな。 一流ならどうしてその人達に新共同訳を任せないんだかなあ。
新共同訳に関わらせて貰えなかったから岩波から出したと思われ。
新共同訳がすべて駄目とは言ってないんだけど。 岩波訳が良い点は、底本の原文から日本語の訳に至るプロセスが 邦訳聖書の中では一番はっきりと明示されているところだと思う。 旧約聖書には複数の訳が可能な箇所が結構存在するから、 訳出のプロセスを知ることは大事だと思うが、 そういう人には岩波訳がお薦めということさ。
519 :
名無しさん@3周年 :2005/04/19(火) 22:38:29 ID:0u4SdMrA
日本語として生きてない文章は駄目 ◎ 塚本訳、岩波訳、バルバロ訳、文語訳 ○ 新改訳、ラゲ訳 △ 新共同訳 × 口語訳、フランシスコ会訳
日本語として生きてるってどう言う意味でしょう。 文語訳なんて既に死語では? 確かに口語訳には変な日本語があるし、 新共同訳でも、オヤッて時があったけど。
521 :
名無しさん@3周年 :2005/04/19(火) 23:05:08 ID:9n2wctB2
>>513 大阪の釜が崎でカトリック・フランシスコ会の司祭である本田哲朗神父という方がおられます。
この本田神父は、御自分の釜が崎での体験から福音書を読み直し、『小さくされた人々のため
の福音書』という題名で聖書を訳しておられます。その聖書の初めに、聞き慣れない表現や言い
回しの解説を付けておられるのですが、そこに“バプテスマ”という言葉の訳の解説が載って
おります。
そこで本田神父は、洗礼を受けることが「けがれを洗い清める」ことであるかのように誤解
されてきたために、洗礼を受けた人は「清い人」、洗礼を受けていない人は「けがれた人」
というような錯覚を多くのキリスト者に抱かせてきたと言います。・・・・
「 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた 」
http://www15.ocn.ne.jp/~fbc/mes050101.htm
でもその文語訳を越える口語訳が出てこないのが実状
このスレでもそうだし、良く聴くのは、確かに文語訳=名訳。なんだけど。 いったい何がそんなに高い評価の根拠なんだろう? 文語文が口調が良いってだけなら、口語文で文語訳を越えるのは不可能ってことになってしまうが。
524 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/20(水) 09:03:08 ID:FAG1gZSq
>>513 まず
>>380 を読んでもらえますか?
>>521 さんのカキコも、参考になりますね。
本田訳聖書、今も発売してます。
ただ全巻翻訳されてません。
それが残念ですけど。
岩波訳のは、キリスト教書店で見ると、たくさんありますね。
今まで、気がつきませんでした。
525 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/20(水) 09:06:07 ID:FAG1gZSq
>>519 「日本語として生きる」聖書なら〜。
一番に、柳生訳、二番に、文語訳かな。
わたしが感じるのではね。
526 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/20(水) 09:09:50 ID:FAG1gZSq
>>525 補足
角川文庫の聖書も、書店で立ち読みした感じでは、良ぃ印象を受けたかなぁ〜。
大学の宗教学で新共同訳が指定されてますが、入門書としては問題ないですよね? うちの大学は聖書学でも新共同訳みたいですが。
529 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/20(水) 20:55:11 ID:FAG1gZSq
>>519 え、フランシスコ会訳は日本語としていいと思うけどなー。
回りくどい新改訳より全然わかりやすい。
原文が回りくどい場合もある。 くどい表現はくどいままがいいという場合もある。 新改訳のくどさはこれとは違う質のようだけど。
532 :
名無しさん@3周年 :2005/04/21(木) 11:49:48 ID:UBIB/leP
>>515 >しかし岩波の旧新約聖書翻訳委員会の委員と言えば、日本聖書学会で
>一線で活躍している学者ばかりなのに、彼らの翻訳を「お金の無駄!」
>の一言で片付けてしまうとは、希美さんは怖いものなしの大した方か、
>原理主義の信者さんか。
「日本聖書学会で一線で活躍している学者」だなんていったって、
リベラルばっかりじゃないですか。
あと、文語訳の文学的な価値があるのはわかりますが、
それは信仰の書としての聖書の翻訳としての価値とは別ではないですか?
聖書のギリシア語は、ほかのギリシア語文献と違って、ギリシア語としては
不自然だったり稚拙だったりするが、主はそのような不自然さや稚拙さをも
用いてご自身の御言葉を解き放たれたと、聖書を原文で読んでらっしゃる方から
うかがったことがあります。
流麗な翻訳もたまにはいいんですが、聖書の翻訳は何と言っても正確さと分かりやすさ
が第一であるべきだと思いますよ。
だから
>>531 さんには賛成です。
わかりにくさ、不自然さをも含めて日本語に移し変えて、
注をつけたらいいんじゃないでしょうか?
「リベラル」をもって何を意味しているのかわかりませんが、 少なくとも旧約聖書の部分に関しては、岩波聖書翻訳委員会の委員の中には、 旧約聖書学でいう「リベラル」派はひとりもいませんよ。 現在、欧米の旧約聖書学の世界では「リベラル」派と保守派の対決が激しいです。 「リベラル」派の学者は旧約聖書の歴史資料としての価値をほとんど認めず、 旧約聖書はペルシャ時代からヘレニズム時代に創作されたフィクションに過ぎないと言います。 確かに岩波聖書翻訳委員会の委員の中には、「リベラル」派に一定の理解を示す学者もいます (例えば月本昭男、山我哲雄、並木浩一など)が、しかしどの学者も基本的立場は保守的です (15分冊のほうには各委員のかなり長い解説が付いていて、どういう立場に立っているかわかります)。 どの学者も旧来の旧約聖書学の学説を基本的に踏襲している先生ばかりです。 日本では「リベラル」派に近い立場に立つのは、岩波委員会の委員よりも1〜2世代若い学者であって、 岩波委員会の委員の世代は基本的に保守的ですよ。
534 :
エロへイヌ :2005/04/21(木) 15:37:25 ID:eOyx5bby
学術出版社である岩波書店と宣教団体である日本聖書協会では、はじめから スタンスと要求・制限事項の量が違う。鉄球引きずった相手との試合は 公正なものとは言わない。 学問では新しい視点や独創的であることが高く評価されるが、信仰の現場では、 伝統や実践の神学から大きく離れないことが求められる。高くても研究者や好事家が 買う学術書とは異なり、実用聖書はすべての信徒に安価に提供されねばならない。 つまり、好き嫌いの分かれる翻訳は出来ず、解釈も最大公約数的にしか出来ない。 また、典礼で実用される事を配慮すると、多少の国語上の不自然を抱えても、 韻律を整え、見せかけでもなんでも格調が要求される。 学術的正確さ、最新研究の反映、判りやすさは、典礼実用聖書に対しては 「その次の要求事項」に過ぎないが、軽視するわけにはいかない。 しかもJBSには理事会という圧力団体がついてて、船頭ばかりやたら多い。 つまり、ここで為されている新共同訳批判には、例えて言うなら 祭服に対し対して「最新流行ではない」「機能的ではない」とくさす ようなものが散見されるんだな。これだけ大勢小姑抱えてあの水準 なんだから、贅沢言うな、許せ。
「洗礼」にバプテスマというルビつけるのはいかがなものかと 思ったが。。。訳者がバプテストの人なのか、そうしないと バプテスト系の人が買ってくれないのか。
537 :
名無しさん@3周年 :2005/04/21(木) 17:41:32 ID:iePZRrZM
>>536 だから、バプテストな小姑の強硬な横槍の結果。
ルビがふってあるから誰も「せんれい」とは読まなくなった。 だったらはじめから「パプテスマ」と書いておけばいいじゃないか。
539 :
名無しさん@3周年 :2005/04/21(木) 18:20:49 ID:jOvdta4X
>>533 > 「リベラル」をもって何を意味しているのかわかりませんが、
> 少なくとも旧約聖書の部分に関しては、岩波聖書翻訳委員会の委員の中には、
> 旧約聖書学でいう「リベラル」派はひとりもいません
新約にはいるな。
それから、>532のいう「リベラル」は非福音派のことだろう。
540 :
名無しさん@3周年 :2005/04/21(木) 18:30:23 ID:A1hJjZO+
聖書根本主義、或いは聖書信仰を自称している人は 当然、翻訳聖書なんかは使っているはずないじゃないか。
541 :
名無しさん@3周年 :2005/04/21(木) 18:39:27 ID:iePZRrZM
>>538 察しの悪い奴だな、だからそれはバプテスト以外の小姑が許さなかったんだってば。
542 :
名無しさん@3周年 :2005/04/21(木) 18:49:36 ID:iePZRrZM
>>540 聖書信仰って「KJVが天から降ってきた」という信仰のことではないのか?
543 :
名無しさん@3周年 :2005/04/22(金) 02:39:33 ID:2HMw9d4R
パプテスマ・シロッコ
544 :
名無しさん@3周年 :2005/04/22(金) 03:51:55 ID:9EAd77N7
ねぇ。リベラルだとか、不正確だとか、回りくどいとか、具体的な個所を挙げてよ。 ギリシャ語本文との比較はできなくても、他の翻訳との比較は出来るでしょ。
>>523 言い回しが簡潔だから。その一言に尽きる。
>>546 確かに。
具体例
文語訳「幸福なるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり」
口語訳「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」
新改訳「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」
新共同訳「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」
岩波訳「幸いだ、心の貧しい者たち、天の王国は、その彼らのものである」
でも、それこそ、文語文と口語文の一般的な違いであって、
それでは、いくら口語で聖書を翻訳しても、文語訳を越えられないことになってしまわないでしょうか。
548 :
名無しさん@3周年 :2005/04/22(金) 21:34:01 ID:c28bZCDh
549 :
名無しさん@3周年 :2005/04/22(金) 22:20:50 ID:ecu5IZWu
ちなみにオレの持っている岩波訳は 「幸いだ、乞食の心を持つ者たち、天の王国は、その彼らのものであるから」 フランシスコ会訳は 「自分の貧しさを知る人は幸いである、 天の国は彼らのものだからである」
550 :
名無しさん@3周年 :2005/04/22(金) 22:23:26 ID:Bszl7/T8
>>549 前者が正確。
後者は粉飾(解釈ともいうが)
551 :
名無しさん@3周年 :2005/04/22(金) 22:47:15 ID:AOIVJ6ET
>>547 そんな、このスレの存在を根底から揺さぶらなくてもW
>>550 直訳すればよいってもんではないでしょう。
553 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 09:43:45 ID:TUuBDGcY
話題になっているこの聖書個所は、心の貧しい者というより霊において貧しい ものと読み取ることができる。だから、フランシスコ会訳に手を加えて 「自分の(霊の)貧しさを知る人は幸いである、天の国は彼らのものだからである」 とすれば、非常に良いと思われる。乞食の心とかただ単に心と訳すのは単純 ではあるが意訳に過ぎない。直訳が良いとは言えないが、翻訳の精緻さは 言語上の良心ではなく、宗教上の良心と神の御言葉に対する尊崇に基づくもの でなければならない。そのために現在の聖書翻訳者に決定的に欠けているのは 精神的、霊的な事件、状態、関係などについての適当な表現法ではないかと 思う。日本聖書協会の翻訳は結婚の披露宴について広辞苑にも国語辞典にも 載っていない婚宴などという言葉を創作してしまっているが、日本語が日本語の 体をなしていない現状のメジャーな訳は根底から100パーセント訳しなおさなければ だめだろう。もしも、直訳にならずに外面的な表記を越えて内面的な感動を 具体化し、つかみにくい価値や善の代わりに適当に意訳を許容するという 翻訳姿勢を持たせようとするならば、何よりも先ず翻訳者たちの聖書に向き合う 信仰上の良心と神への尊崇を確認しなければならないし、その上で叙述の形や 表現法は執筆者(聖書記者)の生きた時代と表現に沿う形で正しい現代に生きる 日本語表現を駆使して訳を進めていかなくてはいけない。
554 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 10:14:41 ID:UvdgbPw4
>>553 「婚宴」に関して言えば、造語が正解。なぜならそこで行われていることは結婚式でも披露宴でも
ないから。敢えて言葉を探せば「祝言」だろうが、これは単なる衣服という意味では「着物」が
不用意に使えなくなってしまったと同じ理由でふさわしくない。
で新共同訳は、その手の造語に怒りだすではなく、瞬時に上記のような「事情」を理解する知性と
寛容を読者が持っていると判断して動的等価法を捨てた。
555 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 10:36:19 ID:TUuBDGcY
>>554 とにかく、注意書きもそのような独自の言葉に関しての脚注もなく
聖書という書物の中の書物を翻訳出版してしまう新共同訳はどうも信用
なりませんね。旧約の訳はヘブライ語聖書からであると凡例にしっかり
記されているのに旧約聖書の聖書書簡配列については踏襲していないのみ
ならず旧来の配列順序に従っていることを明示さえしていないんですから
訳の指針は実際的には貫かれておらず謳い文句だけ、日本語は勝手な
印象で造語を使用しそのことについてどこにも附則をつけてすらいない。色々と不自由さと不明瞭さがある新共同訳聖書だと自分は思います。
556 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 10:48:59 ID:TUuBDGcY
>>554 で、一つお伺いしたいのですが、
>なぜならそこで行われていることは結婚式でも披露宴でもないから。
>敢えて言葉を探せば「祝言」だろうが、これは単なる衣服という
>意味では「着物」が不用意に使えなくなってしまったと同じ理由で
>ふさわしくない。
上記のようなことは、誰が言っているんです?婚宴と訳されている
ガモス(γαμοs)は、
wedding , wedding feast or celebration ; banquet hall ,
wedding hall (Mt 22.10) ; marriage (He 13.4)
英文ですが、辞書の解釈でいいんじゃないかと思いますが。
>>545 >不正確
原文に忠実でない例として、例えばゼカリヤ書4:14があります。
ヘブライ語原文では「ふたりのオリーブ油の人たち」としか訳しようがないのに、
新共同訳も新改訳も「油注がれた人たち」と訳しています。「油注がれた人」には
ヘブライ語でちゃんとした言い方があるのに、です。
ただ全てヘブライ語聖書の底本通りに訳すなんて実は土台無理な話なんですが。
>回りくどい
例えば十戒の第一戒(出エジプト記13:4)です。
新共同訳は“わたしをおいて他に”、新改訳は“わたしのほかに”と訳していますが、
原文に忠実に訳すと、“他の神々が、あなたのためにわたしの面前にあってはならない”
(岩波旧約聖書委員会訳)となります。もっともヘブライ語のアル・パーナイには色々な
意味があるので、“わたしの面前に”以外にも色々な訳が可能ですが。
ちなみにホセア13:4の原文ではストレートに“わたしのほかに”という表現が使われおり、
これと較べると、出エジプト記20:3の表現のくどさがわかります。
ただ古代イスラエルの宗教史を知る上では、旧約聖書の正典化の過程で、こういう表現の
くどさを修正しないでいてくれたことは、逆にとても有難いことなんでしょうが。
>例えば十戒の第一戒(出エジプト記13:4)です。 出エジプト記20:3ですね。失礼しました。
559 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 16:22:37 ID:VjjZPQr2
>>556 何に問題を感じておられるのかわからないのですが、異文化の習慣に、既存イメージが
こびリついている具体的過ぎる言葉を使うのは翻訳として上手くない、という判断が
為されているだけでしょう。たとえば「上着」と訳されているものを「羽織」と訳出するとかなりまずい
とおもうのです。
それとも、「婚礼の宴」とかにしておけばよいものを変な造語をするな、ということでしょうか。造語
は作ったもの勝ち、但し広まるかどうかで造語者の力量が問われるものだ、と、私は思うんですけど。
>>559 横から失礼
>>異文化の習慣に、既存イメージがこびリついている具体的過ぎる言葉を使うのは翻訳として上手くない
そのわりに、新共同訳は「賽銭箱」とか使ってますね。
561 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 18:00:44 ID:QVkS5hDz
>>560 ソレは「方針が一貫していない」という別の問題点で、切り分けて考える
べきでしょう。むしろこちらのほうが大きな問題だとしても。
562 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 18:00:55 ID:B8pT3yJZ
>>559 あなたは、「祝言(しゅうげん)」という言葉を挙げる前にガモスという言葉
に対して「結婚式でも披露宴でもない」と断定しましたが、意図的な作為をその
断定に対して感じたのでそのような発言をされている方はどのような方なのか
ということに興味をこちらは持ちました。祝言というのは印象としては日本
独特のものを思い浮かべる方が多いとは思いますが「婚礼」のことを意味する
ものであり、婚礼は紛れもなく結婚式の意味を持っています。にも関わらず、
『行われていることは結婚式でも披露宴でもないから。敢えて言葉を探せば
「祝言」だろう』
>>554 前段より引用
とあなたが書いているのは不自然に作為を感じました。ですから祝言という
言葉が訳語として敢えて適切だと主張する人はどのような方なのかと知りたく
なったのです。
ちなみに調べましたところ、婚宴という言葉はマタイ22章に点在し25章10節、
あとルカ12章36節同14章8節、および黙示録19章9節など新共同訳の比較的
多くの場所で出てきます。「造語は作ったもの勝ち、但し広まるかどうか
で造語者の力量が問われる」などとあなたは言いますが日本人が広く読む
流行に左右されない普遍的な書物の中の書物としての「聖書」に、適当な
造語を訳者の主観的な判断で使用する単語に対して断りも注釈もなく複数
個所で広辞苑にすら載っていない言葉を使って良いわけがないでしょうが?
それが独特かつ大切な宗教用語であるというなら別ですが普通に使う一般
用語についてことわりなく造語を使用することに関しては基本的翻訳姿勢に
対して疑問を投げかけざるを得ないことだと思います。
563 :
562 :2005/04/23(土) 18:04:51 ID:B8pT3yJZ
>>562 の文中、回りくどい個所や意味の取り難い個所が散見されますが、
ご容赦のほどを。乱文失礼!
564 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 18:55:44 ID:QVkS5hDz
>>562 婚礼=結婚式なのは同意ですが祝言は婚礼と同じとは考えていません。
結婚式は通過儀礼、披露宴はつまり宴会で、これらは全く分離している
別物ですが、「祝言」はこれらが分かちがたく一体化しているもの、と
理解しています。 その意味ではガモスが全く披露宴相当だということなら、
少なくとも「祝言」がふさわしかろうという提案は取り下げますが。
ドイツ語はルターの聖書が作ったものですし、文語訳が造った日本語が
かなりあるはずだと思います。それを今日行っていけない理由はないの
ではないかと考えるのです。
565 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 19:34:43 ID:B8pT3yJZ
>>564 こちらは、率直に言えばガモスに対して「婚礼」を基本的に当てればそれで
よいものと考えています。黙示録19章9節で新共同訳が婚宴と訳している個所は
“トゥ(冠詞) デイプノン(宴会・主な食事・夕食など) トォウ(冠詞) ガモウ(婚礼)”
のように続く言葉について「婚宴」と訳していますが、素直にガモス一語の
個所と区別をして「婚礼の宴会」などと訳せばわかりやすいと思います。
また、ガモス一語について「婚宴」と訳されている他の聖書個所は、「婚礼」
や「婚礼の宴席」という言葉などで適当な訳が出来るものと考えます。
新共同訳の現状では宴会と婚礼にあたる二つの言葉である場合、ガモス一つ
の言葉が記されている場合、どちらにおいても「婚宴」という訳語でお茶を
濁している部分があるのです。原語(写本)上の表記の体裁を無視した不明瞭な
訳語であり、かつ「婚宴」が広辞苑にも載っていない造語である点、その
二つの問題点がこの「婚宴」という一つの言葉の中に含まれています。
ドイツ語聖書の事例は何をおっしゃっているのかこちらにはわかりません。
文語訳の踏襲であればその言葉は通用するというお話は承服出来かねます。
なぜなら造語は日本語ではなくあくまで造語に過ぎないと自分は考えるからです。その証拠に文語訳が作成されてずいぶんと時が過ぎましたがいまだに辞書に
「婚宴」という言葉は載っていないか特別に「聖書」とその言葉について注意
がされているに過ぎないものとなっています。言葉の説明無く造語を使用した
翻訳者の日本語への向き合い方は誠実さを欠いていたと言わざるを得ないのでは
ないでしょうか?
566 :
565 :2005/04/23(土) 19:37:09 ID:B8pT3yJZ
改行のミス他、乱文失礼!
567 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 20:02:08 ID:QVkS5hDz
>>562 「(ガモスは)結婚式でも披露宴でもない」という発言は、「携帯電話は電話でも
無線機でもない」と同じ構文です。つまり「結婚式でありかつ宴会であり、それが
不可分な、別のもの」で、あえて言えば「単なる」を補うと判りやすくなります。
ほら、日本の習慣でそれに最も近いものは「祝言」でしょう?(大正天皇以前の、
神主の出番のない、民家で行われる奴のことです)。
そして婚礼は結婚式だとおっしゃるのには私も賛成ですから、それもどうかと
思ったのですよ。
> 日本人が広く読む
> 流行に左右されない普遍的な書物の中の書物としての「聖書」に、適当な
> 造語を訳者の主観的な判断で使用する単語に対して断りも注釈もなく複数
> 個所で広辞苑にすら載っていない言葉を使って良いわけがないでしょうが?
「〜しょうが?」といわれましても、それはあなたのご意見でしょう? ドイツ語は
ルターの聖書が作ったといわれてますし、文語訳は日本語を変えました。昔
は許されたことは今はだめ、とは、私は考えません。新改訳は「義絶」という
語を作りました。私の感性にはぜんぜん合わないのですが、造語行為そのものを否定するべきではないと考えます。第一「流行に左右されない普遍的な書物」
なら改訂の必要なんかありませんし、それ自体改訂される広辞苑に載って
いないことがことばを使っていけない理由になるとは全く思いません。
という訳で、私なりに日本語にこだわりがあり、新共同訳の作業に敬意を
払っている以上の作為はないのですが、どんな方向へ誘導する意図が
疑われたのか(あるいは思ったとおりなのか)、参考までに伺ってみたいですw。
568 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 20:06:53 ID:QVkS5hDz
>>566 投稿に失敗して失ったと思った稿が届いていたようで、
内容が重複していますし、いただいたお返事を読んでいません、
失礼。今から検討させていただきます。
569 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 20:54:15 ID:sweZwlVq
そんな瑣末な議論より、終わりの日には雲にのってキリストが再臨するというのは、どうなんだ。 これは翻訳レベルの問題じゃない。
570 :
名無しさん@3周年 :2005/04/23(土) 21:09:24 ID:B8pT3yJZ
>>569 ここはスレタイ読めばわかるように翻訳レベルの話をするとこなんです。
聖書の内容についていろいろと話す場合にはそれなりの質問箱やスレッドが
他にあるのでそちらでどうぞ。
それに「婚宴」についての話は瑣末な議論ではありません。最近ケセン語で
ギリシャ語から直接翻訳した方がこのことについてある講演会で話されていた
と聞きました。この日本語にない言葉を訳に使っている事実は有名な話題に
なりつつあるいわばメジャーな翻訳上の問題なのです。
雲に乗りーたい〜 やわらかな雲に〜♪ 望みが風のように〜 消えたからぁ〜 どうして 私は恋しているんでしょう♪ 果てない涙の中に〜 つД`)・゚・。*・゚・。♪
>>500 新世界訳が聖書本文に忠実なのは、
ゼカリヤ 2:6 (新共同訳では 同 2:10) の冒頭だけだよ w
>>572 具体的に教えて。と5日遡ってお願いしてみるテスト
>>573 ゼカリヤ2:6のヘブライ語本文(同2:10)の 「hoi hoi」 を、
新世界訳日本語版は、「ほーい,ほーい!」 と超直訳している。
というか、ただの音訳じゃん。2:7の冒頭も同様。
ちなみに、イザヤ55:1では、同じヘブライ語 hoi が 「おーい」 と訳されている。
どういうわけか、指定された箇所を見ても、それらしい言葉が無いのだが。。。
hoiってのは、呪いの言葉ではなかったけか?
音訳しても「聖書本文に忠実」とは言えないな。
その理屈だったら、ヘブル語本文を全部カタカナで書くのが一番忠実ということになる。
まあ
>>572 は皮肉なんだろうけれど。
>>575 もちろん、
>>572 は皮肉です。というか、思わずワロタので挙げました。
hoi は、場面によっていろいろな意味を持つ言葉のようです。
イザヤ 29:1、30:1、33:1 では、呪いの言葉ですね。(新世界訳でも、「災いだ」 と訳されています。)
イザヤ55:1 や ゼカリヤ2:6 (新共同訳 2:10) は呼びかけと考えていいでしょう。
>どういうわけか、指定された箇所を見ても、それらしい言葉が無いのだが。。。
ゼカリヤ 2:10 (マソラ本文)
「hoi hoi wenusu me'erets tsaphon ne'um-YHWH (以下略)」
新共同訳 ゼカリヤ 2:10
「急いで、北の国から逃れよと/主は言われる。(以下略)」
新改訳 ゼカリヤ 2:6
「さあ。さあ。北の国から逃れよ。──主* の御告げ──(以下略)」 *太字
新世界訳 ゼカリヤ 2:6
「『ほーい,ほーい! あなた方は北の地から逃げて来い』 と,エホバはお告げになる。(以下略)」
577 :
名無しさん@3周年 :2005/05/03(火) 12:03:27 ID:jNZp+QV5
少し本題から逸れるがスマソ。 『岩波書店版』は典礼での使用に耐えると思うかね? 私個人としては、『いける!』と踏んでいるんだがねえ! まあ乱暴な試みかもしれないが、少なくとも『新共同訳』 などより、よほどいいと思う。 どういうわけか、共同でものした聖書は戴けないなあ!
578 :
名無しさん@3周年 :2005/05/03(火) 13:44:30 ID:jNZp+QV5
>>547 >>549 直訳ながら、『乞食の心を持つ』としている、岩波書店版が
光っていると思われ。『霊に於いて乞食の』という原意からして。
個人的には、
『やまとことば』で、『さいわいなるかな我の根の砕かれしもの』
「さいわいだ。我の根の砕かれたものたち。」
とすればこの日の本で響くと思う。
ポイントは西洋近代表層野蛮主義に毒されていないこと!
アラム、へブレオ、ギリシア語原典の語彙は実に深くて広いんだから。
文語であれ、口語であれ、やはり、『やまとことば』
でないと聖書は響かないよ。
>>577 私としては、典礼での使用に耐える条件は
1、朗読に堪える口調の良さ。
2、聞いて理解できる語彙
3、不快な、もしくは、品位に欠ける単語を控える
それこそ「乞食」はどうかねぇ。
>> どういうわけか、共同でものした聖書は戴けないなあ!
それこそ岩波書店版の批判点ですよね。
>>578 >>『やまとことば』でないと聖書は響かないよ。
問題となるのは、一つは単語の意味範囲。例えば、上の方にあった「賽銭箱」
と言うと、どうしても、神社やお寺の上に桟(?)のついた箱状のものを
イメージしてしまう。
もう一つは敬語。
全く使わない訳には行かない。
イエス様と祭司長の対話など、どちらがどちらに敬語を使うのか。
(本来なら祭司長の方が偉いのだけれど、気分的には・・・)
580 :
名無しさん@3周年 :2005/05/03(火) 16:34:49 ID:jNZp+QV5
>>579 岩波は、時制などで、原文に忠実なのが新鮮で、
(特に現代形を過去形に直さない点)
神のロゴスが今に響くように思ったんですけどね。
問題ありかあ!ご教示ありがとう。
私個人としては、聖書協会の文語、エ・ラゲ訳の文語
並びにバルバロ訳が好きです。
『詩篇』など、バルバロの『フフ、と』などの語句をパスして、
形容詞句を伸ばして(副詞句は伸ばさない)
レクタ・トーンで唱えるとなかなかよい。
『教会の祈り』など、フェミニスティックでダメ!
新共同訳の、使徒書『です・ます調』はNG!
なんで、手紙だから『です・ます』なのかわからん。
詩篇の『です・ます』もダメ!可笑しくって唱えられんよ!
私が引っ掛かるのは、ピラトゥスとイエス様との対話。
古代ギリシア=ローマ好きの私としては、ピラトゥスの分別
と、良識にどうしても同情してしまう!!!
>>580 念の為。私が、
>> それこそ岩波書店版の批判点ですよね。
と書いたのは、「岩波書店版が指摘する新共同訳聖書に対する批判」と言う意味です。
共同訳にすることによる責任所在の不明確さを解消するために、岩波訳はそ
れぞれの訳者名を明示する方針にしたことが、「はしがき」に記されています。
582 :
名無しさん@3周年 :2005/05/03(火) 18:03:37 ID:G6/BSH1r
日本語として評価できるのは岩波のマタイ福音書(佐藤研)でしょう。
583 :
名無しさん@3周年 :2005/05/04(水) 02:40:18 ID:oien65bi
584 :
のぞみ ◆55nynIr58w :2005/05/04(水) 04:07:42 ID:vkAxssV9
わたしが、日本語として素敵に感じるのは…… 「柳生直行訳・現代語訳・新約聖書」 2004年・新教出版社・創立60周年記念出版 3800円+税 初版1985年は新教出版社・創立40周年記念出版 訳者・柳生直行 1920年生まれ、東京文理科大学、コロンビア大学に学ぶ。 元関東学院大学教授・学院長。 1986年9月死去。 主著、「お伽の国の神学-C.S.ルイスの人と作品」新教出版社。
585 :
のぞみ ◆55nynIr58w :2005/05/04(水) 04:25:47 ID:vkAxssV9
わたしの好み…… 「本田訳聖書」(イエズスの視点の良さ) 「回復訳聖書」(フットノート付き) 「柳生訳聖書」(日本語としてイエズスの言葉の良さ) 「新共同訳新約聖書・大聖書展サイズ」(勤務中看護衣、白衣のポケットに入る大きさ) 「新改訳新約聖書・B7版」(シン言付きで最小サイズ) このケータイ、シン言のシン、漢字出て来ないのょ。
のぞみさんよければ単語登録どうぞ ーーー 箴言
587 :
名無しさん@3周年 :2005/05/04(水) 22:47:00 ID:IwcMG0qB
箴言age
588 :
のぞみ ◆55nynIr58w :2005/05/04(水) 23:18:02 ID:vkAxssV9
>>586-587 あははぁ〜♪
ありがとぉ〜♪
「箴言」、単語登録しましたぁ〜♪
言われるまで、思ぃつかなかった。
ケータイブラウザ、起動して、コピペして、単語登録、ありがとぉ〜♪
589 :
のぞみ ◆55nynIr58w :2005/05/04(水) 23:21:35 ID:vkAxssV9
わたしは、新約+詩篇ょりも、新約+箴言が好き。 だから、新改訳B7版は、捨て切れないかな。
590 :
り〜ず ◆HNUDYzuu5k :2005/05/04(水) 23:23:37 ID:TImYapMJ
新改訳は捨てて下さい。ゴミですので。
591 :
のぞみ ◆55nynIr58w :2005/05/04(水) 23:23:43 ID:vkAxssV9
最近、岩波の話題が多ぃので。 岩波なら、荒井さんの「四福音書」に、興味あります。 そのうち買うかも。
592 :
996 :2005/05/05(木) 23:46:11 ID:TVXJ9OP/
>>578 素直に「霊の中で貧しい人たちは幸いである」(回復訳)とするのが
いいと私は思います。註も書き写したいところですが、
あした朝はやいので、週末あたりに。
>>592 ひさしぶりですな。回復訳
またこれは見事な直訳
Blessed are the poor in spirit.
ですね。
しかし普通、日本語で素直に
「霊の中で貧しい人たちは」とやったら、
「霊」と言うグループ(?)があって、そのメンバーの中で貧しい人は……
と言う意味にとられないかしら。
594 :
578 :2005/05/06(金) 06:27:21 ID:jV2beuHQ
>>592 さん。
>>593 さん。
有難うございます。回復訳もいいですねえ。(欲張りなわたし!)
私の御師匠さんが、「真福八端」の眺めをさんざん説法して下さった
んですよ。エゴイストで虚栄心の固まりの『わたし』はそのとき
走り書きしたノートも見つけられない!愚かな……。
マタイはただ存在論的に述べているんじゃあない!実存主義になったら
ロゴス・仕手の響きは出てこない。摂理的道行きのなかで出会うんだ!
って………。
もうすっかり忘れちまって120パーセント実存主義だあ!
う〜む!………少し思い出したぞ!
税吏マタイは憎まれ、嫌われていた!そんな道行の中で出会ったんだ。
共なるカムイさまの眺め、共にいる御手の姿に出会って発心し、従った!
そして眺めを告白として遺したんだ!どうして書き遺したかって?
霊のカリスマに従って書かないでは死ねないから書いたんだ!
………ノート出て来い!いまさら御師匠さんに聞けないよ!
天に召されたから………。
>>591 のぞみさん
もうお分かりですね!縁あって『漁師の告白』をあなたに取り次いだ
分からず屋です。^^
595 :
996 :2005/05/08(日) 00:13:58 ID:krZg22XO
「霊の中で貧しい人たちは幸いである」の註を写します。 <霊>について 「ここの『霊』は、神の霊ではなく、わたしたちの人の霊、わたしたちの最も深い部分、 わたしたちが神に接触し、霊的な事柄を認識する器官のことです。わたしたちはここ部分において 貧しくあり、空にされ、荷が下ろされている必要があります。それは、わたしたちが天の王国を認識し、 所有するためです。これは天の王国が霊的であって、物質的ではないことを意味します」 <貧しい>について 「霊の中で貧しいとは、へりくだっているだけでなく、わたしたちの霊の中で、 わたしたちの深い所で空にされており、旧経綸の古いものにしがみつかず、新しい事柄、 天の王国の事柄を受け入れるために荷が下ろされていることです」 松戸に在る教会、横浜に在る教会などのホームページで公開されている リーの『人生の奥義』が参考になると思います。 わたしはこの「霊の中で貧しい人たち」と直訳して、説明は註にまわすという回復訳の やり方が気に入っています。 正直なところ、リーが直接たずさわった英語板や中国語版ほど訳が徹底していない ところもないではないのですが、現在ある日本語訳聖書の中では、やはり一番です。
596 :
名無しさん@3周年 :2005/05/08(日) 02:23:29 ID:IyoFUxZp
直訳なのかなぁ?
597 :
578 :2005/05/09(月) 08:17:55 ID:4Ogpe52U
>>996 さん
ありがとうございます。なるほど、そういう解釈でしたか。
実に味わうべきものがあります。
なぜだかわかりませんが、波頭を越えて新大陸をめざす清教徒の
フロンティアスピリットを感じます。
(気を悪くされたらごめんなさい。)
598 :
希美 ◆55nynIr58w :2005/05/11(水) 22:32:32 ID:njU0NH5w
599 :
名無しさん@3周年 :2005/05/12(木) 00:53:31 ID:vq9w2vfj
600 :
996 :2005/05/12(木) 01:31:00 ID:AKBaDirr
600ゲット! 一回やってみたかったんです。 しつれいしました。
601 :
希美 ◆55nynIr58w :2005/05/12(木) 07:01:16 ID:lckhnng8
>>600 あははぁ〜♪
1000もget!して、回復訳カキコで飾ってくださぃね♪
602 :
名無しさん@3周年 :2005/05/15(日) 16:09:37 ID:1MWEew6G
603 :
名無しさん@3周年 :2005/05/16(月) 23:53:43 ID:Qb4Zw860
関根正雄訳の詩篇にはまっています。 岩波文庫版 のちに、関根先生は、教文館(だったか?)で改訳をしてだしていたはず。 小預言書など、思わず笑ってしまう。ヨナ=寅さん、神様=御前様という感じ。
先生は江戸っ子なのか?
605 :
996 :2005/05/22(日) 01:39:28 ID:+nRHbDN7
>>208 亀レスですみません。
時々耳にする評判で、気になっていたので口語訳を読んでみました。
目立って気になるのは、ローマ9:5です。
あとは、私にはとくに発見できませんでした。
英語のRSVも見てみましたが、やはりローマ9:5で同じ訳し方をしていましたが、
欄外註で別訳を示してあります。
>なぜだかわかりませんが、波頭を越えて新大陸をめざす清教徒の
>フロンティアスピリットを感じます。
私はうまい表現だなぁと思うんですが、主の回復の人たちがどう思われるのかは
わかりません。
各地方教会のホームページに掲示板でもあればいいんですが、
主の十字架みたいに荒れるんでしょうね。
それで今や、わたしたち先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから 出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。 ローマ5章9節*新共同訳 また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。 万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。 口語訳 先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。 このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。 アーメン。新改訳 先祖たちも彼らのものです。キリストも人間としては、彼らからでました。万物の上に おられる神は永遠にたたえられますように。 アーメン フランシスコ会訳 あなたがたの先祖には、神様を信じる偉大な信仰の持ち主がいます。キリストご自身も、 人間としての出生についてだけ言えば、ユダヤ人であり、あなたがたの同胞だったのです。 このキリスト様こそ、今やすべてのものを支配しておられる方です。神様を永遠にほめた たえましょう。 リビングバイブル訳
607 :
>606 訂正 :2005/05/22(日) 03:10:29 ID:DRZGKzWr
それで今や、わたしたち先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから 出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。 ローマ9章5節*新共同訳 また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。 万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。 口語訳 先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。 このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。 アーメン。新改訳 先祖たちも彼らのものです。キリストも人間としては、彼らからでました。万物の上に おられる神は永遠にたたえられますように。 アーメン フランシスコ会訳 あなたがたの先祖には、神様を信じる偉大な信仰の持ち主がいます。キリストご自身も、 人間としての出生についてだけ言えば、ユダヤ人であり、あなたがたの同胞だったのです。 このキリスト様こそ、今やすべてのものを支配しておられる方です。神様を永遠にほめた たえましょう。 リビングバイブル訳
>>605 208さんやないけど
ざぁ〜っと読んでみまつた。
ふ〜む。どこがおかしいのやろ・・・
しいてあげれば 先祖と父祖の違いすか?
609 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 05:44:41 ID:X6AaOmly
新約聖書の翻訳で重要なのは言葉、愛、姦淫、汚れ、という霊や信仰上に深い関係 のある単語について使用単語の差異を訳語上で明確にするということだ。 【言葉】 特にロゴス(λογοs)とレーマ(ρημα)の区別 【愛】 アガパオー アガペー アガペトス フィラデルフィア フィラデルフォス フィランスルピア フィロウ フィリア フィロス カリス の区別 【姦淫】 姦通[モイケイア(μοιχεια)]と姦淫[ポルネイア(πορνεια)] に代表されるそれぞれの使われる言葉の種類における区別 【汚れ】 「汚れた霊」と霊に対し使われる単語と他の多々ある「汚れ」に注目 新約聖書の羊皮紙写本で有名なのは新旧約を貫き70人訳の流れを継いでいる4つの ギリシャ語写本である。ヴァチカン写本、シナイ写本、アレクサンドリア写本、 エフライム写本がそれである。また、旧約聖書にとっても重要な挙げた羊皮紙写本に 次いで重要とされている新約聖書部分のみのギリシャ語羊皮紙写本がある。それが ベザ・ケンブリッジ写本と言われるものだ。ネット上から無料で入手できるものも いくつかあるようだ。
610 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 05:44:57 ID:X6AaOmly
611 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 05:46:12 ID:c4xVmAox
「キリストは〜神」となってるかどうか。
612 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 06:19:26 ID:X6AaOmly
ロゴスとレーマが一節に共存している場合などがあり、そうした部分は 聖書を読む者にとって示唆を与える個所ではないかと思うので一例を挙げる。[訳は試訳] ○マタイ12章36節 <わたしは言います>[λεγω(レゴオ)]が、人は自分の話す無駄な すべての<ことば>[ρημα(レーマ)]に対して清算しなければ ならない、それが裁きの日における<言葉>[λογον(ロゴン)] なのです。 愛については次の言葉について訳し分けがされるか単語の別について 注釈などが個々に必要かもしれない。 @アガパオーαγαπαω 143箇所 Aアガペーαγαπη 116箇所 Bアガペトスαγαπητοs 61個所 Cフィラデルフィアφιλαδελφια 6箇所 Dフィラデルフォスφιλαδελφοs Tペトロ3章8節 Eフィランスルピアφιλανθρωπια 使徒28章2節 テトス3章4節 Fフィロウφιλεω 25箇所 Gフィリアφιλια ヤコブ4章4節 Hフィロスφιλοs 29箇所 Iカリスχαριs 164個所
613 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 06:20:57 ID:X6AaOmly
汚れという言葉については種類が非常に多い。 @アカサルシアακαθαρσια 10箇所 Aアカサルトスακαθαρτοs 32箇所 Bアリスゲーマαλισγημα 使徒15章20節 Cアノスィオスανοσιοs Tティモテ1章9節 Uティモテ3章2節 Dベベロスβεβηλοs 5箇所 Eベベロウβεβηλοω マタイ12章5節 使徒24章6節 Fブラスフェメオβλασφημεω 34箇所 Gブラスフェモスβλασφημοs 4箇所 Hコイノスκοινοs 12箇所 Iコイノウκοινοω 11箇所 Jミアイノウμιαινω 4箇所 Kミアスマμιασμα Uペトロ2章20節 Lミアスモスμιασμοs Uペトロ2章10節 Mモルノμολυνω Tコリント8章7節 黙示録3章4節 黙示録14章4節 Nモルスモスμολυσμοs Uコリント7章1節 Oルパイノオρυπαινω 黙示録22章11節 Pルパリアρυπαρια ヤコブ1章21節 Qルポスρυποs Tペトロ3章21節 Rスピロスσπιλοs エペソ5章27節 Uペトロ2章13節 Sスピロウσπιλοω ヤコブ3章6節 ユダ1章23節
614 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 06:24:23 ID:X6AaOmly
中でも
>>613 の2番目に挙げたアカサルトスという言葉は「霊(プネウマ)」
という単語といっしょに記述される個所が多いので列挙しておく。
Aアカサルトスακαθαρτοs 使用個所および語句
1.マタイ10章1節 πνευματων ακαθαρτον
2.マタイ12章43節 ακαθαρτον πνευμα
3.マルコ1章23節 πνευματι ακαθαρτω
4.マルコ1章26節 το πνευμα το ακαθαρτον
5.マルコ1章27節 πνευμασι τοιs ακαθαρτοιs
6.マルコ3章11節 πνευματα τα ακαθαρτα
7.マルコ3章30節 Πνευμα ακαθαρτον
8.マルコ5章2節 πνευματι ακαθαρτω
9.マルコ5章8節 πνευμα το ακαθαρτον
10.マルコ5章13節 τα πνευματα τα ακαθαρτα
11.マルコ6章7節 των πνευματων των ακαθαρτων
12.マルコ7章25節 πνευμα ακαθαρτον
13.マルコ9章25節 τω πνευματι τω ακαθαρτω
14.ルカ4章33節 πνευμα δαιμονιου ακαθαρτου
15.ルカ4章36節 τοιs ακαθαρτοιs πνευμασιν
615 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 06:38:02 ID:OHdZVNkS
16.ルカ6章18節 πνευματων ακαθαρτων 17.ルカ8章29節 τω πνευματι τω ακαθαρτω 18.ルカ9章42節 τω πνευματι τω ακαθαρτω 19.ルカ11章24節 το ακαθαρτον πνευμα 20.使徒5章16節 πνευματων ακαθαρτον 21.使徒8章7節 πνευματα ακαθαρτα 22.使徒10章14節 παν κοινον και ακαθαρτον 23.使徒10章28節 κοινον η ακαθαρτον 24.使徒11章8節 κοινον η ακαθαρτον 25.Tコリント7章14節 ακαθαρτα あなたたちの子供は<汚れている>ことになるが、 26.Uコリント6章17節 ακαθαρτου 27.エペソ ακαθαρτοs 28.黙示録16章13節 ακαθαρτα 29.黙示録17章4節 ακαθαρτα 30-32.黙示録18章2節 この節には三個所 ακαθαρτου
616 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 06:59:33 ID:OHdZVNkS
姦淫関係については、少し長くなるので言及を後回しにした。 まず、イエス・キリストの十戒に言及した以下の個所では「姦通しない」 という戒めの要点の単語に対してモイケイアが使用されている。 マタイ5章27節(モイケウセイス) 同19章18節(モイケウセイス) マルコ10章19節(モイケウセス) ルカ18章20節(モイケウセス) 旧約聖書における十戒に現れる「姦淫しない」は本来は「姦通しない」 と訳されるべき言葉で、男性が既婚の女性や婚約している女性と婚姻 関係外の性的交渉をもつことを意味する。 〔『十戒とイスラエルの民』ヨゼフ・シュライナー 日本基督教団出版局 ISBN 4-8184-0128-5 P138 L11-12 『新約聖書注解集 @マテオ福音書注解』フィデリコ・バルバロ ドン・ボスコ社 P152 L3-4 などを参照〕 では、このモイケイア関係の言葉は聖書中のどこに登場しているのだろう。 少しづつ明らかにする。 ※使用数表示は、3箇所以下の場合、数ではなく使用個所を記載しています。 <姦通>を意味するモイケイアの類 @モイカリスμοιχαλιs 7箇所 Aモイカオマイμοιχαομαι 4箇所 Bモイケイアμοιχεια マタイ15章19節 マルコ7章22節 ヨハネ8章3節 Cモイケウオμοιχευω 15箇所 Dモイコスμοιχοs ルカ10章11節 Tコリント6章9節 ヘブライ13章14節 <姦淫>を意味するポルネイアの類 @ポルネイアπορνεια 25箇所 Aポルネウオπορνευω 8箇所 Bポルネーπορνη 12箇所 Cポルノスπορνοs 10箇所
617 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 07:08:57 ID:OHdZVNkS
μοιχαλιs 姦通の □マタイ12章39節 イエスはお答えになった。「【よこしまで神に背いた】《μοιχαλιs (モイカリス)〔姦通の〕》時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナの しるしのほかには、しるしは与えられない。 □マタイ16章4節 【よこしまで神に背いた】《μοιχαλιs(モイカリス)〔姦通の〕》時代の 者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」 そして、イエスは彼らを後に残して立ち去られた。 □マルコ8章38節 【神に背いた】《μοιχαλιδι(モイカリディ)〔姦通の〕》この罪深い 時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に 輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、【姦通の】《μοιχαλιs (モイカリス)〔姦通の〕》女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由 なので、他の男と一緒になっても【姦通の】《μοιχαλιδα(モイカリダ) 〔姦通の〕》女とはなりません。 □ヤコブ4章4節 【神に背いた】《μοιχαλιδεs(モイカリデス)〔姦通の〕》者たち、世の 友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人は だれでも、神の敵になるのです。 2ペテロ2章14節 その目は絶えず【姦通の(相手)】《μοιχαλιδοs(モイカリドス) 〔姦淫の〕》を求め、飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない人々を 誘惑し、その心は強欲におぼれ、呪いの子になっています。
618 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 07:11:51 ID:OHdZVNkS
μοιχαομαι 姦通を犯す □マタイ5章32節 しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者は だれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻に する者も、【姦通の罪を犯す】《μοιχαται(モイカタイ)〔姦通を犯す〕》 ことになる。」 □マタイ19章9節 言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする 者は、【姦通の罪を犯す】《μοιχαται(モイカタイ)〔姦通を犯す〕》 ことになる。」 □マルコ10章11節 イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して 【姦通の罪を犯す】《μοιχαται(モイカタイ)〔姦通を犯す〕》ことに なる。 □マルコ10章12節 夫を離縁して他の男を夫にする者も、【姦通の罪を犯す】《μοιχαται (モイカタイ)〔姦通を犯す〕》ことになる。」
619 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 07:13:53 ID:OHdZVNkS
μοιχεια 姦通 □マタイ15章19節 悪意、殺意、【姦淫】《μοιχειαι(モイケイアイ)〔姦通〕》、 【みだらな行い】《πορνειαι(ポルネイアイ)〔ポルノ行為〕》、 盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。 □マルコ7章22節 【姦淫】《μοιχειαι(モイケイアイ)〔姦通〕》、貪欲、悪意、詐欺、 好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、 □ヨハネ8章3節 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、【姦通】《μοιχεια (モイケイア)〔姦通〕》の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
620 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 07:27:48 ID:D/W41Xxj
μοιχευω 姦通を犯す □マタイ5章27-28節 「あなたがたも聞いているとおり、『【姦淫する】《μοιχευσειs (モイケウセス)〔姦淫する〕》な』と命じられている。しかし、わたしは 言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中で 【その女を犯した】《εμοιχευσεν(エモイケウセン)〔姦淫を犯してる〕》 のである。 □マタイ5章32節 しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者は だれでも、その女に【姦通の罪を犯させる】《μοιχευθηναι (モイケウセナイ)〔姦通させる〕》ことになる。離縁された女を妻にする者も、 姦通の罪を犯すことになる。」 □マタイ19章18節 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、【姦淫する】 《μοιχευσειs(モイケウセイス)〔姦通する〕》な、盗むな、偽証するな、 □マルコ10章19節 『殺すな、【姦淫する】《μοιχευσηs(モイケウセス)〔姦通を犯す〕》な、 盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っている はずだ。」 □ルカ16章18節 妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、【姦通の罪を犯すことになる】 《μοιχευει(モイケウエイ)〔姦通を犯す〕》。離縁された女を妻にする 者も【姦通の罪を犯すことになる】《μοιχευει(モイケウエイ)〔姦通を犯す〕》。 □ルカ18章20節 『【姦淫する】《μοιχευσηs(モイケウセス)〔姦通を犯す〕》な、殺すな、 盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 □ヨハネ8章4節 イエスに言った。「先生、この女は【姦通をして】《μοιχευομενη (モイケウォメネ)〔姦通を犯す〕》いるときに捕まりました。
621 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 07:28:16 ID:D/W41Xxj
□ ローマ人への手紙2章22節 「【姦淫するな】《μοιχευειν(モイケウエイン)〔姦通を犯す〕》 」と言いながら、【姦淫を行う】《μοιχευειs(モイケウエイス) 〔姦通を犯す〕》のですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。 □ローマ人への手紙13章9節 「【姦淫する】《μοιχευσειs(モイケウセイス)〔姦通する〕》な、 殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分 のように愛しなさい」という言葉に要約されます。 □ヤコブ2章11節 「【姦淫する】《μοιχευσηs(モイケウセス)〔姦通を犯す〕》な」 と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ【姦淫はし】 《μοιχευειs(モイケウエイス)〔姦通を犯す〕》なくても、人殺し をすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。 □黙示録2章22節 見よ、わたしはこの女を床に伏せさせよう。この女と共に【みだらなことを する】《μοιχευονταs(モイケウオンタス)〔姦通を犯す〕》者 たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。
622 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 07:28:57 ID:D/W41Xxj
μοιχοs 姦通する者 □ルカ10章11節 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの 人たちのように、奪い取る者、不正な者、【姦通を犯す者】《μοιχοι(モイコイ) 〔姦通する者〕》でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 □Tコリント6章9節 正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いを してはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、【姦通する者】《μοιχοι (モイコイ)〔姦通する者〕》、男娼、男色をする者、 □ヘブライ13章14節 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。 神は、みだらな者《πορνουs(ポルノウス)》や【姦淫する者】《μοιχουs (モイコウス)〔姦通する者〕》を裁かれるのです。
623 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 07:40:58 ID:D/W41Xxj
<姦淫>を意味するポルネイアの類 @πορνεια(ポルネイア)25回 マタイ5章32節 マタイ15章19節 マタイ19章9節 マルコ7章21節 ヨハネ8章41節 使徒言行録15章20節 使徒言行録15章29節 使徒言行録21章25節 Tコリント5章1節(2回) Tコリント6章13節 Tコリント6章18節 Tコリント7章2節 Uコリント12章21節 ガリラヤ5章19節 エフェソ5章3節 コロサイ3章5節 Tテサロニケ4章3節 黙示録2章21節 9章21節 14章8節 17章2節 17章4節 18章3節 19章2節 Aπορνευω(ポルネウ)8回 Tコリント6章18節 10章8節(2回) 黙示録2章14節 2章20節 17章2節 18章3節 黙示録 18章9節 Bπορνη(ポルネー)12回 マタイ21章31節 21章32節 ルカ15章30節 Tコリント6章15節 6章16節 ヘブライ 11章31節 ヤコブ2章25節 黙示録17章1節 17章5節 17章15節 17章16節 19章2節 Cπορνοs(ポルノス)10回 Tコリント5章9節 5章10節 5章11節 6章9節 エフェソ5章5節 Tテモテ1章10節 ヘブライ12章16節 13章4節 黙示録21章8節 22章15節
624 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 07:54:31 ID:D/W41Xxj
以上の
>>617-622 の書き込み中、【】で囲みのある訳語は新共同訳からの引用。
《》の囲みは、UBS出版 Third Edition(Corrected)のギリシャ語聖書に沿い
訳として原訳を明示したつもりである。質問や疑問は、随時受け付けるので
よろしく。
>>605 確かに口語訳は他の訳と比べると、キリストが神であることを否定してい
る(?)かのようにとれるかも。
でも、
>>607 が指摘しているように、フランシスコ会訳も「キリスト」が除
かれている。また新改訳の欄外中には、別訳として「万物の上にある神は
とこしえにほめたたえるべきかたです」とある。
口語訳だけが突出しているのではないのでは?
代名詞をどうとるかの問題?(原語を見てないから分からないけど)
>>609-622 乙
こんなに何種類もあるギリシャ語のそれぞれの単語の概念を、解説をつけ
ずに、こなれた日本語に翻訳するのは無理って事ですね。
626 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 08:33:30 ID:D/W41Xxj
>>620 の書き込みを訂正します。
>μοιχευω 姦通を犯す
>□マタイ5章27-28節
>「あなたがたも聞いているとおり、『【姦淫する】《μοιχευσειs
>(モイケウセス)〔姦淫する〕》な』と命じられている。しかし、わたしは
>言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中で
>【その女を犯した】《εμοιχευσεν(エモイケウセン)〔姦淫を
>犯>してる〕》のである。
↓
□マタイ5章27-28節
「あなたがたも聞いているとおり、『【姦淫する】《μοιχευσειs
(モイケウセス)〔姦通する〕》な』と命じられている。しかし、わたしは
言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中で
【その女を犯した】《εμοιχευσεν(エモイケウセン)〔姦通を
犯してる〕》のである。
姦通という部分が姦淫になっているのは、以前に自分が投稿していた文面の
焼き直しであり、年月の経過を経てモイカリスは姦通と明記しポルネイアは
姦淫と訳すのが日本語として適当であると判断したためです。
国語辞典(三省堂)において姦淫は「倫理にそむいた肉体関係」とあり、姦通
については「男女が不倫な関係を結ぶこと〔狭義では、夫のある女がほかの
男と通じることを指す〕」とあります。一夫多妻の旧約の時代に男性の姦通と
いうのはあまり問題にならなかったかもしれませんが、イエス以降は身勝手な
離婚が連れ合いの姦通を促すことになり、新しい異性に対しては姦通をする
こととなる旨明示されていますから、現代では旧約の時とは違い男性が姦通
することは十分な可能性を持ちます。姦通(モイコイ)という言葉は男女の肉体
関係を自身で知るという結婚の先ある重罪という意味で姦淫(ポルネー)よりも
はっきりと示され意識されなければならない単語だと思います。
627 :
名無しさん@3周年 :2005/05/22(日) 08:47:42 ID:D/W41Xxj
>>625 >こんなに何種類もあるギリシャ語のそれぞれの単語の概念を、解説をつけ
>ずに、こなれた日本語に翻訳するのは無理って事ですね。
単語が異なっていながら同じ訳語が使われる場合、霊や信仰に直接かかわる
重要な語句、それらの際には注釈や原語の併記が必要だと思います。解説という
程の文章が一節一節の翻訳に対して必要であるとは自分は思いませんが、原意に
対して不明瞭な訳語をそのままにしておいてはいけないのだと考えます。
628 :
167を訂正 :2005/05/26(木) 07:26:03 ID:hzX6AZdp
>>167 末尾付近の文面
>2ペテロ2章14節
>その目は絶えず【姦通の(相手)】《μοιχαλιδοs(モイカリドス)
>〔姦淫の〕》を求め、飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない
>人々を誘惑し、その心は強欲におぼれ、呪いの子になっています。
↓
□2ペテロ2章14節
その目は絶えず【姦通の(相手)】《μοιχαλιδοs(モイカリドス)
〔姦通の〕》を求め、飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない
人々を誘惑し、その心は強欲におぼれ、呪いの子になっています。
>>610 で紹介したヴァチカン写本ダウンロード(PDF)のところには、主だった
羊皮紙写本や聖書も掲載しているようなので一応そのことにも触れておきます。
ttp://www.bibles.org.uk/pdf/bibles/00README.shtml アレキサンドリア写本(新約部分) Codex Alexandrinus NT.
ベゼ・ケンブリッジ写本 Codex Bezae Cantabrigiensis Facsimile.
シナイ写本 Codex Sinaiticus pseudo-Facsimile.
ラテン語ヴルガタ訳聖書 Latin Vulgate Bible.
グーテンベルク聖書 Gutenberg Bible Facsimile (colour).
629 :
628 :2005/05/26(木) 07:30:30 ID:hzX6AZdp
>>617 について167と間違った表記をしたまま文面を送信した不備をお詫びします。
「617を訂正」「
>>617 末尾付近の文面」に該当のところは読み替えて下さい。
630 :
名無しさん@3周年 :2005/05/26(木) 07:50:07 ID:hzX6AZdp
自分が626で言っていることは、わかりにくいので言い直します。 以前は聖書の翻訳において「姦淫」という言葉がモイケイアとポルネイアの 両方にまたがって訳語に使われて読み手に混乱を与えていたかもしれません。 実際にはモイケイアは十戒の「姦通するなかれ」と基礎を共有する単語であり、 ポルネイアに類するポルネー(遊女)は「売る」という意味を基礎にする単語です。 ですからこの辺の単語の背景を皆さんにはよくお考えになっていただいて聖書の 姦通や姦淫の意味合いをお察しいただくことは有意義なのではないかと思います。 [参考:「遊女」ポルネーが「売る」という意味であることは いのちのことば社 刊行「新聖書辞典」「遊女」の項目など。十戒の戒めとモイケイア(姦通)の 意味合いとの関連はイエス・キリストの発言 マタイ5章27節(モイケウセイス) 同19章18節(モイケウセイス) マルコ10章19節(モイケウセス) ルカ18章20節(モイケウセス)より]
631 :
名無しさん@3周年 :2005/05/30(月) 06:53:41 ID:slce2KAk
では、
>>609 の記述に戻って少しづつ聖書に具体的に迫っていきます。
【言葉】 特にロゴス(λογοs)とレーマ(ρημα)の区別
【愛】 アガパオー アガペー アガペトス フィラデルフィア フィラデルフォス
フィランスルピア フィロウ フィリア フィロス カリス の区別
【姦淫】 姦通[モイケイア(μοιχεια)]と姦淫[ポルネイア(πορνεια)]
に代表されるそれぞれの使われる言葉の種類における区別
【汚れ】 「汚れた霊」と霊に対し使われる単語と他の多々ある「汚れ」に注目
最初はロゴスとレーマの聖書個所について示します。
632 :
名無しさん@3周年 :2005/05/30(月) 06:58:16 ID:slce2KAk
ロゴス(λογοs)と[レーマ(ρημα)] レーマは[]で囲んで単語の使用個所をロゴスと併記しています。 ▲マタイ[4章4節] 5章32節 5章37節 7章24節 7章26節 7章28節 8章8節 8章16節 10章14節 12章32節 12章36節 [12章36節] 12章37節(2箇所) 13章19節 13章20節 13章21節 13章22節(2箇所) 13章23節 15章6節 15章12節 15章23節 [18章16節] 18章23節 19章1節 19章11節 19章22節 21章24節 22章15節 22章46節 24章35節 25章19節 26章1節 26章44節 [26章75節] 28章15節 ▲マルコ1章45節 2章2節 4章14節 4章15節(2箇所) 4章16節 4章17節 4章18節 4章19節 4章20節 4章33節 5章36節 7章13節 7章29節 8章32節 8章38節 9章10節 [9章32節] 10章22節 10章24節 11章29節 12章13節 13章31節 14章39節 [14章72節] 16章20節
633 :
名無しさん@3周年 :2005/05/30(月) 06:59:44 ID:slce2KAk
▲ルカ1章2節 1章4節 1章20節 1章29節 [1章37節] [1章38節] [1章65節] [2章15節] [2章17節] [2章19節] [2章29節] [2章50節] [2章51節] [3章2節] 3章4節 4章22節 4章32節 4章36節 5章1節 [5章5節] 5章15節 6章47節 [7章1節] 7章7節 7章17節 8章11節 8章12節 8章13節 8章15節 8章21節 9章26節 9章28節 9章44節 [9章45節(2個所)] 10章39節 11章28節 12章10節 16章2節 [18章34節] 20章3節 20章20節 [20章26節] 21章33節 [22章61節] 23章9節 [24章8節] [24章11節] 24章17節 24章19節 24章44節 ▲ヨハネ1章1節(3箇所) 1章14節 2章22節 [3章34節] 4章37節 4章39節 4章41節 4章50節 5章24節 5章38節 [5章47節] 6章60節 [6章63節] [6章68節] 7章36節 7章40節 [8章20節] 8章31節 [8章47節] 8章37節 8章43節 8章51節 8章52節 8章55節 10章19節 [10章21節] 10章35節 12章38節 [12章47節]12章48節[12章48節] [14章10節] 14章23節 14章24節(2箇所) 15章3節 [15章7節] 15章20節(2箇所) 15章25節 17章6節 [17章8節] 17章14節 17章17節 17章20節 18章9節 18章32節 19章8節 19章13節 21章23節
634 :
名無しさん@3周年 :2005/05/30(月) 07:16:07 ID:slce2KAk
▲使徒行録1章1節 [2章14節] 2章22節 2章40節 2章41節 4章4節 4章29節 4章31節 5章5節 [5章20節] 5章24節 [5章32節] 6章2節 6章4節 6章5節 6章7節 [6章11節] [6章13節] 7章22節 7章29節 8章4節 8章14節 8章21節 8章25節 10章29節 10章36節 [10章37節] 10章44節 [10章44節] 11章1節 [11章14節] [11章16節] 11章19節 11章22節 12章24節 13章5節 13章7節 13章15節 13章26節 [13章42節] 13章44節 13章46節 13章48節 13章49節 14章3節 14章12節 14章25節 15章6節 15章7節 15章15節 15章24節 15章27節 15章32節 15章35節 15章36節 16章6節 16章32節 16章36節 [16章38節] 17章11節 17章13節 18章5節 18章11節 18章14節 18章15節 19章10節 19章20節 19章38節 19章40節 20章2節 20章7節 20章24節 20章32節 20章35節 20章38節 22章22節 [26章25節] [28章25節] ▲ローマ3章4節 9章6節 9章9節 9章28節 [10章8節(2箇所)] [10章17節] [10章18節] 13章9節 14章12節 15章18節
635 :
名無しさん@3周年 :2005/05/30(月) 07:25:05 ID:slce2KAk
▲一コリント1章5節 1章17節 1章18節 2章1節 2章4節(2箇所) 2章13節 4章19節 4章20節 12章8節(2箇所) 14章9節 14章19節(2箇所) 14章36節 15章2節 15章54節 ▲二コリント1章18節 2章17節 4章2節 5章19節 6章7節 8章7節 10章10節 10章11節 11章6節 [12章4節] [13章1節] ▲ガラテヤ5章14節 6章6節 ▲エフェソ1章13節 4章29節 5章6節 [5章26節] [6章17節] 6章19節 ▲フィリピ1章14節 2章16節 4章15節 4章17節 ▲コロサイ1章5節 1章25節 2章23節 3章16節 3章17節 4章3節 4章6節 ▲一テサロニケ1章5節 1章6節 1章8節 2章5節 2章13節(3箇所) 4章15節 4章18節 ▲二テサロニケ2章2節 2章15節 2章17節 3章1節 3章14節 ▲一テモテ1章15節 3章1節 4章5節 4章6節 4章9節 4章12節 5章17節 6章3節 ▲二テモテ1章13節 2章9節 2章11節 2章15節 2章17節 4章2節 4章15節 ▲テトス1章3節 1章9節 2章5節 2章8節 3章8節
636 :
名無しさん@3周年 :2005/05/30(月) 07:26:39 ID:slce2KAk
▲ヘブライ[1章3節] 2章2節 4章2節 4章12節 4章13節 5章11節 5章13節 6章1節 [6章5節] 7章28節 [11章3節] 12章19節[12章19節] 13章7節 13章17節 13章22節 ▲ヤコブ1章18節 1章21節 1章22節 1章23節 3章2節 ▲一ペトロ手紙[1章25節(2箇所)]1章28節 2章8節 3章1節(2箇所) 3章15節 4章5節 ▲二ペトロ手紙1章19節 2章3節 [3章2節] 3章5節 3章7節 ▲一ヨハネ手紙1章1節 1章10節 2章5節 2章7節 2章14節 3章18節 ▲三ヨハネ手紙1章10節 ▲ユダ[1章17節] ▲黙示録1章2節 1章3節 1章9節 3章8節 3章10節 6章9節 12章11節 17章17節 19章9節 19章13節 20章4節 21章5節 22章6節 22章7節 22章9節 22章10節 22章18節 22章19節 以上が ロゴス および [レーマ]の新約聖書中の使用個所。
おまえら凄いですね。新約釈義だけで手いっぱいの俺様には、ギリシャ語なんて・・・ターン
638 :
996 :2005/05/31(火) 01:35:08 ID:2MxLkqzw
回復訳は、ロゴスとレーマを 「言」「言葉」と訳し分けています。 もちろん聖書の原文にとってかわることはできませんが、原文に近い訳として、永井訳などとともに 利用されてはいかがでしょうか? 日本語としてこなれた訳ではありませんけどね。
えっと、ギリシャ語の知識を持たずに釈義するとは?
>>639 必要箇所だけギリシャ語の説明の入った、よい釈義辞典や注解書がありますよ。
でも、著者の考えに誘導される諸刃の剣。メイチェンの教科書で地道に勉強します。
>>640 まあ、改めてスレの流れを読むには、ギリシャ語解説付き注解書で勉強している程度
の奴が、釈義を勉強していますというのも、我ながらかっこ悪い話だな。ウエストミンス
ター神学校に逝ってきます。
ギリシャ語解説入り詳訳聖書なんて出ないかな。
>>638 日本語としてなんていったら、メジャーなのは全部不合格
643 :
名無しさん@3周年 :2005/05/31(火) 22:16:48 ID:HMlpBPtU
>>609 で挙げたものの中でロゴスとレーマの次に来るテーマは
>>612 にもある
愛に相当する単語についてです。類似する語句はまとめて聖書中の単語の使用個所
を以下に列挙します。
アガパオー(αγαπαω) [アガペー](αγαπη)
《アガペトス》(αγαπητοs)
▲マタイ《3章17節》 5章43節 5章44節 5章46節(2箇所) 6章24節 《12章18節》
《17章5節》 19章19節 22章37節 22章39節 [24章12節]
▲マルコ《1章11節》 《9章7節》 10章21節 《12章6節》 12章30節 12章31節
12章33節(2箇所)
▲ルカ《3章22節》 6章27節 6章32節(4箇所) 6章35節 7章5節 7章42節
7章47節(2箇所) 10章27節 [11章42節] 11章43節 16章13節 《20章13節》
▲ヨハネ3章16節 3章19節 3章35節 [5章42節] 8章42節 10章17節
11章5節 12章43節 13章1節(2箇所) 13章23節 13章34節(3箇所)
[13章35節] 14章15節 14章21節(4箇所) 14章23節(2箇所) 14章24節
14章28節 14章31節 15章9節(2箇所)[15章9節] [15章10節](2箇所)
15章12節(2箇所) [15章13節] 15章17節 17章23節(2箇所) 17章24節
17章26節[17章26節] 19章26節 21章7節 21章15節 21章16節 21章20節
▲使徒言行録《15章25節》
644 :
名無しさん@3周年 :2005/05/31(火) 22:18:18 ID:HMlpBPtU
▲ローマ《1章7節》 [5章5節] [5章8節] 8章28節 [8章35節] 8章37節 [8章39節] 9章13節 9章25節(2箇所) 《11章28節》 [12章9節] 《12章19節》 13章8節(2箇所) 13章9節 [13章10節](2箇所) [14章15節] [15章30節] 《16章5節》 《16章8節》 《16章9節》 《16章12節》 ▲一コリント2章9節 《4章14節》 《4章17節》 [4章21節] [8章1節] 8章3節 《10章14節》 [13章1節] [13章2節] [13章3節] [13章4節](3箇所) [13章8節] [13章13節](2個所) [14章1節] 《15章58節》 [16章14節] [16章24節] ▲二コリント[2章4節] [2章8節] [5章14節] [6章6節] 《7章1節》 [8章7節] [8章8節] [8章24節] 9章7節 11章11節 12章15節(2箇所) 《12章19節》 [13章11節] [13章13節] ▲ガラテヤ2章20節 [5章6節] [5章13節] 5章14節 [5章22節] ▲エフェソ[1章4節] 1章6節 [1章15節] 2章4節[2章4節] [3章17節] [3章19節] [4章2節] [4章15節] [4章16節] 《5章1節》 5章2節[5章2節] 5章25節(2箇所) 5章28節(3箇所) 5章33節 《6章21節》 [6章23節] 6章24節 ▲フィリピ[1章9節] [1章16節] [2章1節] [2章2節] 《2章12節》 《4章1節》(2箇所) ▲コロサイ[1章4節] 《1章7節》 [1章8節] [1章13節] [2章2節] 3章12節 [3章14節] 3章19節 《4章7節》 《4章9節》 《4章14節》 ▲一テサロニケ[1章3節] 1章4節 《2章8節》 [3章6節] [3章12節 ] 4章9節 [5章8節] [5章13節] ▲二テサロニケ[1章3節] [2章10節] 2章13節 2章16節 [3章5節]
645 :
名無しさん@3周年 :2005/05/31(火) 22:20:24 ID:HMlpBPtU
▲一テモテ[1章5節] [1章14節] [2章15節] [4章12節] 《6章2節》 [6章11節] ▲二テモテ《1章2節》 [1章7節] [1章13節] [2章22節] [3章10節] 4章8節 4章10節 ▲テトス[2章2節] ▲フィレモン《1章1節》 [1章5節] [1章7節] [1章9節] 《1章16節》 ▲ヘブライ1章9節 《6章9節》 [6章10節] [10章24節] 12章6節 ▲ヤコブ 1章12節 《1章16節》 《1章19節》 2章5節《2章5節》 2章8節 ▲一ペトロ1章8節 1章22節 《2章11節》 2章17節 3章10節 [4章8節](2箇所) 《4章12節》 [5章14節] ▲二ペトロ[1章7節] 《1章17節》 2章15節 《3章1節》 《3章8節》 《3章14節》 《3章15節》 《3章17節》
646 :
名無しさん@3周年 :2005/05/31(火) 22:21:19 ID:HMlpBPtU
▲一ヨハネ[2章5節] 《2章7節》 2章10節 2章15節(2箇所)[2章15節] [3章1節] 《3章2節》 3章10節 3章11節 3章14節(2箇所) [3章16節] [3章17節] 3章18節 《3章21節》 3章23節 《4章1節》 4章7節(2箇所) [4章7節]《4章7節》 4章8節[4章8節] [4章9節] 4章10節(2箇所)[4章10節] 4章11節(2箇所)《4章11節》 4章12節[4章12節] [4章16節](3箇所) [4章17節] [4章18節](3箇所) 4章19節(2箇所) 4章20節(3箇所) 4章21節(2箇所) 5章1節(2箇所) 5章2節(2箇所) [5章3節] ▲二ヨハネ1章1節 [1章3節] 1章5節 [1章6節] ▲三ヨハネ1章1節《1章1節》 《1章2節》 《1章5節》 [1章6節] 《1章11節》 ▲ユダ1章1節 [1章2節] 《1章3節》 [1章12節] 《1章17節》 《1章20節》 [1章21節] ▲黙示録1章5節 [2章4節] [2章19節] 3章9節 12章11節 20章9節
647 :
名無しさん@3周年 :2005/05/31(火) 22:22:37 ID:HMlpBPtU
フィラデルフィア(φιλαδελφια)[フィラデルフォス](φιλαδελφοs) ▲ローマ12章10節 ▲一テサロニケ4章9節 ▲ヘブライ13章1節 ▲一ペトロ1章22節 [3章8節] ▲二ペトロ1章7節(2箇所) フィランスルピア(φιλανθρωπια) ▲使徒言行録28章2節 ▲テトス3章4節
648 :
名無しさん@3周年 :2005/05/31(火) 22:24:41 ID:HMlpBPtU
フィレオ(φιλεω)[フィリア](φιλια)《フィロス》(φιλοs) ▲マタイ6章5節 10章37節(2箇所) 《11章19節》 23章6節 26章48節 ▲マルコ14章44節 ▲ルカ《7章6節》 《7章34節》 《11章5節》(2箇所) 《11章6節》 《11章8節》 《12章4節》 《14章10節》 《14章12節》 《15章6節》 《15章9節》 《15章29節》 《16章9節》 20章46節 《21章16節》 22章47節 《23章12節》 ▲ヨハネ《3章29節》 5章20節 11章3章 《11章11節》 11章36節 12章25節 《15章13節》 《15章14節》 《15章15節》 15章19節 16章27節(2箇所) 《19章12節》 20章2節 21章15節 21章16節 21章17節(3箇所) ▲使徒言行録《10章24節》 《19章31節》 《27章3節》 ▲一コリント16章22節 ▲テモテ3章15節 ▲ヤコブ《2章23節》 [4章4節]《4章4節》 ▲三ヨハネ《1章15節》(2箇所) ▲黙示録3章19節 22章15節
649 :
名無しさん@3周年 :2005/05/31(火) 22:26:49 ID:HMlpBPtU
カリス(χαριs) ▲ルカ1章30節 2章40節 2章52節 4章22節 6章32節 6章33節 6章34節 7章47節 17章9節 ▲ヨハネ1章14節 1章16節(2箇所) 1章17節 ▲使徒言行録2章47節 4章33節 6章8節 7章10節 7章46節 11章23節 13章43節 14章3節 14章26節 15章11節 15章40節 18章27節 20章24節 20章32節 24章27節 25章3節 25章9節 ▲ローマ1章5節 1章7節 3章24節 4章4節 4章16節 5章2節 5章15節(2箇所) 5章17節 5章20節 5章21節 6章1節 6章14節 6章15節 6章17節 7章25節 11章5節 11章6節(3箇所) 12章3節 12章6節 15章15節 16章20節 ▲一コリント1章3節 1章4節 3章10節 10章30節 15章10節(3箇所) 15章57節 16章3節 16章23節 ▲二コリント1章2節 1章12節 1章15節 2章14節 4章15節 6章1節 8章1節 8章4節 8章6節 8章7節 8章9節 8章16節 8章19節 9章8節 9章14節 9章15節 12章9節 13章13節 ▲ガラテヤ1章3節 1章6節 1章15節 2章9節 2章21節 3章19節 5章4節 6章18節 ▲エフェソ1章2節 1章6節 1章7節 2章5節 2章7節 2章8節 3章1節 3章2節 3章7節 3章8節 3章14節 4章7節 4章29節 6章24節 ▲フィリピ1章2節 1章7節 4章23節 ▲コロサイ1章2節 1章6節 3章16節 4章6節 4章18節
650 :
名無しさん@3周年 :2005/05/31(火) 22:27:38 ID:HMlpBPtU
▲一テサロニケ1章1節 5章28節 ▲二テサロニケ1章2節 1章12節 2章16節 3章18節 ▲一テモテ1章2節 1章12節 1章14節 5章14節 6章21節 ▲二テモテ1章2節 1章3節 1章9節 2章1節 4章22節 ▲テトス1章4節 1章5節 1章11節 2章11節 3章7節 3章15節 ▲フィレモン1章3節 1章25節 ▲ヘブライ2章9節 4章16節(2箇所) 10章29節 12章15節 12章28節 13章9節 13章25節 ▲ヤコブ4章6節(2箇所) ▲一ペトロ1章2節 1章10節 1章13節 2章19節 2章20節 3章7節 4章10節 5章5節 5章10節 5章12節 ▲二ペトロ1章2節 3章18節 ▲一ヨハネ3章12節 ▲二ヨハネ1章3節 ▲ユダ1章4節 1章16節 ▲黙示録1章4節 22章21節
651 :
名無しさん@3周年 :2005/05/31(火) 22:47:56 ID:HMlpBPtU
次は姦通と姦淫についての個所ですが、聖書における各使用個所は
>>616-623 および
>>630 の記述を参照してください。一応今日の書き込みはこれで終わります。
652 :
名無しさん@3周年 :2005/06/03(金) 00:38:33 ID:coStzePy
さて、「汚れ」については
>>613-615 で具体的個所ではなく数のみを示した単語
について明らかにします。
@アカサルシアακαθαρσια
1.マタイ23章27節
2.ローマ1章24節
3.ローマ6章19節
4.Uコリント12章21節
5.ガラテヤ5章19節
6.エペソ4章19節
7.エペソ5章3節
8.コロサイ3章5節
9.Tテサロニケ2章3節
10.Tテサロニケ4章7節
Dベベロスβεβηλοs
1.Tティモテ1章9節 βεβηλοιs
2.Tティモテ4章7節 βεβηλουs
3.Tティモテ6章20節 βεβηλουs
4.Uティモテ2章16節 βεβηλουs
5.ヘブライ12章16節 βεβηλοs
653 :
名無しさん@3周年 :2005/06/03(金) 00:40:03 ID:coStzePy
Fブラスフェメオβλασφημεω ▲マタイ9章3節 26章65節 27章39節 ▲マルコ2章7節 3章28節 3章29節 15章29節 ▲ルカ12章10節 22章65節 23章39節 ▲ヨハネ10章36節 ▲使徒13章45節 18章6節 19章37節 26章11節 ▲ローマ2章24節 3章8節 14章16節 ▲Tコリント10章30節 ▲Tテモテ1章20節 Tテモテ6章1章 ▲テトス2章5節 3章2節 ▲ヤコブ2章7節 ▲Tペトロ4章4節 ▲Uペトロ2章2節 2章10節 2章12節 ▲ユダ1章8節 1章10節 ▲黙示録13章6節 16章9節 16章11節 16章21節
654 :
名無しさん@3周年 :2005/06/03(金) 00:42:00 ID:coStzePy
Gブラスフェモスβλασφημοs 1.使徒6章11節 2.Tテモテ1章13節 3.Uテモテ3章2節 4.Uペトロ2章11節 Hコイノスκοινοs ▲マルコ7章2節 7章5節 ▲使徒2章44節 4章32節 10章14節 10章28節 11章8節 ▲ローマ14章14節 三箇所 ▲テモテ1章4節 ▲ヘブライ10章29節 ▲ユダ1章3節 ▲黙示録21章27節
655 :
名無しさん@3周年 :2005/06/03(金) 00:42:28 ID:coStzePy
Iコイノウκοινοω ▲マタイ15章11節(2箇所) 15章18節 15章20節(2箇所) ▲マルコ7章15節(2箇所) 7章18節 7章20節 7章23節 ▲使徒10章15節 11章9節 21章28節 ▲ヘブライ9章13節 Jミアイノウμιαινω 1.ヨハネ18章28節 2.テトス1章15節 2箇所 3.ヘブライ12章15節 4.ユダ1章8節
656 :
名無しさん@3周年 :2005/06/03(金) 00:46:14 ID:coStzePy
さて、心から出る人を汚す悪についてはマタイ15章19節やマルコ7章21−23節に イエスによってまとめて述べられています。この二つの聖句を中心に罪と汚れに ついて聖書個所をまず示すことにしてみたいと思います。 マタイ15章19節 εκ γαρ τηs καρδιαs εξερχονται διαλογισμοι πονηροι , φονοι , μοιχειαι , πορνειαι , κλοπαι , ψευδομαρτυριαι , βλασφημιαι . エク(前) ガル(接) テス(冠) カルディアス(心) エクセルコンタイ(出る) ディアロギスマイ(考え) ポンネロイ(悪い)、フォノイ(殺人)、 モイケイアイ(姦通)、ポルネイアイ(姦淫)、クロパイ(盗み)、 プセウドマルトゥリアイ(偽証)、ブラスフェミアイ(罵り)。
657 :
名無しさん@3周年 :2005/06/03(金) 00:49:21 ID:coStzePy
マルコ7章21−23節 εσωθεν γαρ εκ τηs καρδιαs των ανθρωπων οι διαλογισμοι οι κακοι εκπορευονται , πορνειαι , κλοπαι , φονοι , μοιχειαι , πλεονεξιαι , πονηριαι , δολοs , ασελγεια , οφθαλμοs πονηροs , βλασφημια , υπερηφανια , αφροσυνη [以下略:παντα ταυτα τα πονηρα εσωθεν εκπορευεται και κοινοι τον ανθρωπον .] エソオセン(内から) ガル(接) エク(前) テス(冠) カルディアス(心) トオン(冠) アンスロオポン(人・人間) ホイ(冠) ディアロギスモイ(考え) ホイ(冠) カコイ(悪い) ヘクポレウオンタイ(出て行く)、ポルネイアイ(姦淫)、クロパイ(盗み)、 フォノイ(殺人)、モイケイアイ(姦通)、プレオネドゥスィアイ(貪欲)、 ポンネリアイ(悪意)、ドロス(偽り・奸計)、アセルゲイア(好色)、 ホフサルモス(目) ポンネロス(悪い)、ブラスフェミア(罵り)、 ウペレファニア(高慢)、アフロスネエ(愚かさ) [略部分:これらの(ポネラ)悪は全て内から 出て行きそしてその人を(コイノイ)汚す。]
658 :
名無しさん@3周年 :2005/06/03(金) 00:53:48 ID:coStzePy
では、次の単語が新約聖書中では他にどこに使われているでしょうか?その辺り を明らかにしていこうと思います。では、また。 フォノイ(殺人)、モイケイアイ(姦通)、ポルネイアイ(姦淫)、クロパイ(盗み)、 プセウドマルトゥリアイ(偽証)、ブラスフェミアイ(罵り)[マタイ15章19節] ポルネイアイ(姦淫)、クロパイ(盗み)、フォノイ(殺人)、モイケイアイ(姦通)、 プレオネドゥスィアイ(貪欲)、ポンネリアイ(悪意)、ドロス(偽り・奸計)、 アセルゲイア(好色)、ホフサルモス(目) ポンネロス(悪い)、ブラスフェミア(罵り)、 ウペレファニア(高慢)、アフロスネエ(愚かさ)[マルコ7章21−22節]
659 :
名無しさん@3周年 :2005/06/09(木) 18:59:31 ID:L9rC/6Y6
先日とある古本屋で文語訳聖書を手に入れたのだが 店では、気付かなかったが 家に持ちかえったら妙に線香の香りがするんだよ。 箱は汚いのだが、中身の本は新品なんだよ あれだろうね、線香をほぼ毎日焚く場所に置いて有ったんだろうね。
660 :
名無しさん@3周年 :2005/06/09(木) 19:31:35 ID:drhtC8l0
参考までに伺いたいのですが、おまいら、辞典やコンコーダンスは何を 使っていますか? メイチェンの初歩教科書レベルで勉強している者にも使える本があった ら、教えてください。できれば一万円以下で。
661 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 07:32:44 ID:IatV8PMQ
>>660 予算制限がきついな。それじゃJばいぶる1st買って終わりだ。
662 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 12:18:27 ID:kLt4A68T
>>661 そうですか。駄目ですか。ショボーン 古本屋の辞書でも、じっくり探してみます。あるい
は、ほこりをかぶった教会の釈義大辞典をかっぱら(ry
しかし、何ですな。皆さん、もうパソコンで聖句検索や釈義やっておられる訳ですか。
ハイテクだなあ、ついていけんわ。
663 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 13:25:15 ID:WZv+mmxb
英語なら1万円以下でも揃う。 日本語だと、とにかくえらく高いね。 需要が小さいから、しょうがないけど。
664 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 13:31:35 ID:0k3EUMgy
一万円って言うから。。。 釈義事典だっていっさつ四万とかするぢゃない。
>>660 エホバの証人から「聖書に対する洞察」を譲ってもらいなさい。
666 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 18:38:27 ID:WZv+mmxb
>>660 英語でなら、聖句検索も釈義もできてタダのソフトもあるよ。
保守系なんでしょ?
だったら、e-Swordはどう?
667 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 18:42:03 ID:WZv+mmxb
英独仏訳聖書や原語やラテン語の聖書とか、 注解や辞典や事典やコンコーダンスや地図や 色々なプラグインがほとんどタダだよ。 保守系の人には役立つんじゃない? なにせタダだしね。
668 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 21:33:28 ID:9lYKwnxm
PCの買い替えと英語の勉強を前提に、導入を前向きに考えてみます。 ブルトマンも、洋書だと和訳の四分の一以下の値段らしいし。。。
669 :
希美 ◆55nynIr58w :2005/06/10(金) 21:37:48 ID:gFRn/B49
フランス語聖書、もち洋書の、400円だった。 大きさは、新書版。 安さにびっくり!
670 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 22:59:08 ID:o5Qu/VWO
e-bibleにしても、著作権がどうのこうのとせこい。Bibleの本文は 知的所有権などない。公共財だ。21世紀はふたたびopen policyの世界に なりつつある。
671 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 23:31:52 ID:IatV8PMQ
672 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 23:43:32 ID:o5Qu/VWO
>671 なんにもでないぞ。いくつかの訳のテキストを公開し、Google desktopsearch くらいのエンジンをおいてほしい。Logos並なら有料でもいい。 昔現代思想かなんかの雑誌で、ハイパー聖書みたいなものを見たきおくがあるが。 どうなったか。そのときも異端的に使用されないかビビッテいた感じ。 主事は変われど臆病さはかわらずか。
673 :
名無しさん@3周年 :2005/06/10(金) 23:52:47 ID:IatV8PMQ
>>672 アレを他人に読まれては体裁が悪いのか、
それともhを補う事も出来ない厨なのか、どっちだ?
674 :
996 :2005/06/11(土) 01:29:32 ID:YnbQMRiz
日本語だとお金がかかるし、まだまだ紙でも電子化されたものでも、質・量ともにものたりませんね。 誰かフィリップ・シャフの教会の歴史を訳してくれればいいのにといつも思います。 私もe−swordやLSMやCCELのお世話になってます。 アマゾンやスカイソフトで簡単に洋書が買えるようになったのも嬉しい限りです。 シードマスターというのを人にすすめられましたが、 まだ挑戦していません。 どなたか試したことのある方はおられませんか?
675 :
名無しさん@3周年 :2005/06/11(土) 05:41:38 ID:g+R8J/mI
是非ともエホバの証人発行の聖書辞典「聖書に対する洞察」を入手するようお勧めいたします。
676 :
希美 ◆55nynIr58w :2005/06/11(土) 05:44:05 ID:t2m1ZLNp
エホ証の子供用の聖書物語では、アベルが復活してる・・・
678 :
名無しさん@3周年 :2005/06/11(土) 13:53:59 ID:TM4uoGt3
26年前の聖書はどの翻訳がメジャーに使われていたか知りませんか? 母は口語訳だって言ってるんですが…
679 :
名無しさん@3周年 :2005/06/11(土) 13:55:04 ID:tQZzVGru
うん 口語訳です。
680 :
名無しさん@3周年 :2005/06/11(土) 16:09:11 ID:g+R8J/mI
>>676 全二巻のかなり詳しい本です。無償です。
681 :
名無しさん@3周年 :2005/06/12(日) 05:53:24 ID:cd/YsmmD
age
682 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/12(日) 09:59:03 ID:fS/D7TRO
あと2,3年のうちにはフランシスコ会訳の旧約合本が出るらしいです。
684 :
名無しさん@3周年 :2005/06/12(日) 16:17:45 ID:cd/YsmmD
>>682 王国会館には在庫してないはず。研究生しかダメなのかな。
せっかくだけど、そんな怪しい本を貰ってくるくらいなら、保守派の注解書を何種 類か照らし合わせた方がいい・・・。
>>685 それやるとエホ証のいうことがわかるのかい?
>>686 ソダネ。
先人の言うことは聞いたほうがいいね。
エホ証のことを知っても一文の得にもならない。
そんなことに時間を費やすくらいなら、TVをぼけーと見ているほうがマシ。
688 :
名無しさん@3周年 :2005/06/13(月) 16:35:49 ID:47Wk6o0I
age
689 :
希美 ◆55nynIr58w :2005/06/13(月) 16:39:22 ID:D/BMpB96
>>687 テレビ観るょり、2ちゃんしてるほぉ〜が、マシょ。
690 :
名無しさん@3周年 :2005/06/14(火) 07:07:56 ID:2WMyltsz
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 殺人:さりィン
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/951/1022659128/49n-53 朝鮮籍・韓国籍・核爆弾を作成する「修理用冷却管」と「修理用シュラウド」を
「北海道電力」「北海道新聞社」から
修理
業者入札の協力受注で「韓国電力(日本の北朝鮮人と韓国の学会員)」に
盗み渡す(北朝鮮の核爆弾大量製造の工場完成)
とくトぬん(独島は) うりタン(我が地)
ハンナラ:大きい国(大国) ハンぐく(韓国) ハンぐる(大きい字) うりナラ(我が国)
2005年06月06日 韓国の異常さは世界の常識
海上保安庁の隊員を乗せたまま逃亡した漁船の行為から、拉致は韓国人の文化なのかも
しれないという論考が出されたことは前回お伝えしました。
この論考の中で紹介されていた米兵拉致事件は
俗に「地下鉄事件(Subway Incident)」と言われて
韓国通アメリカ人の間では、韓国の特異な国民性を示す有名な事件です。
今回の「違法漁船逃亡逆ギレ愛国英雄事件」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
691 :
名無しさん@3周年 :2005/06/15(水) 06:21:49 ID:g5z4ZV3k
>>609-610 >>612-624 >>626 >>628-636 >>643-658 の書き込みの続きです。
●マタイ15章19節
フォノイ(殺人)、モイケイアイ(姦通)、ポルネイアイ(姦淫)、クロパイ(盗み)、
プセウドマルトゥリアイ(偽証)、ブラスフェミアイ(罵り)
【フォノイ(殺人)】マタイ15章19節 マルコ7章21節 ルカ23章19節 25節
使徒9章1節 ローマ1章29節 ヘブライ11章37節 黙示録9章21節
【モイケイアイ(姦通)】
>>616 を参照してください。
【ポルネイアイ(姦淫)】
>>623 を参照してください。
【クロパイ(盗み)】マタイ15章19節 マルコ7章21節
【プセウドマルトゥリアイ(偽証)】マタイ15章19節 26章59節
※《参考》類似
・ψευδαδελφοs[プセウダデルフォス(偽りの兄弟)]
二コリント11章26節 ガラテヤ2章4節
・ψευδαποστολοs[プセウダポストロス(偽使徒)]
二コリント11章13節
・ψευδηs[プセウデス(形容:偽りの)]
使徒6章13節 黙示録2章2節 21章8節
・ψευδαδιδασκαλοs[プセウダディダスカロス(偽教師)]
二ペトロ2章1節
・ψευδαλογοs[プセウダロゴス(偽ロゴス)]
一テモテ4章2節
・ψευδομαι[プセウドマイ(欺く)]
マタイ5章11節 使徒5章3節 4節 ローマ9章1節 二コリント11章31節
ガラテヤ1章20節 コロサイ3章9節 一テモテ2章7節 ヘブライ6章18節
ヤコブ3章14節 一ヨハネ1章6節 黙示録3章9節
692 :
名無しさん@3周年 :2005/06/15(水) 06:22:07 ID:g5z4ZV3k
・ψευδομαρτυρεω[プセウドマルトゥレオ(偽証する)] マタイ19章18節 マルコ10章19節 14章56節 57節 ルカ18章20節 ・ψευδομαρτυs[プセウドマルトゥス(偽証人)] マタイ26章60節 一コリント15章15節 ・ψευδοπροφητηs[プセウドプロフェテス(偽預言者)] マタイ7章15節 24章11節 24章24節 マルコ13章22節 ルカ6章26節 使徒13章6節 二ペトロ2章1節 一ヨハネ4章1節 黙示録16章13節 19章20節 20章10節 ・ψευδοs[プセウドス(偽り、虚偽)] ヨハネ8章44節 ローマ1章25節 エフェソ4章25節 二テサロニケ2章9節 11節 一ヨハネ2章21節 27節 黙示録14章5節 21章27節 22章15節 ・ψευδοχριστοs[プセウドクリストス(偽キリスト)] マタイ24章24節 マルコ13章22節 ・ψευδωνυμοs[プセウドヌモス(偽って呼ばれる)] 一テモテ6章20節 ・ψευσμα[プセウスマ(偽り)] ローマ3章7節 【ブラスフェミアイ(罵り)】 マタイ12章31節(2箇所) 15章19節 26章65節 マルコ3章23節 7章22節 14章64節 ルカ5章21節 ヨハネ10章33節 エフェソ4章31節 コロサイ3章8節 一テモテ6章4節 ユダ1章9節 黙示録2章9節 13章1節 5節 6節 17章3節
693 :
名無しさん@3周年 :2005/06/16(木) 07:41:55 ID:zfjvLOMh
●マルコ7章21−22節 ポルネイアイ(姦淫)、クロパイ(盗み)、フォノイ(殺人)、モイケイアイ(姦通)、 プレオネドゥスィアイ(貪欲)、ポンネリアイ(悪意)、ドロス(偽り・奸計)、 アセルゲイア(好色)、ホフサルモス(目) ポンネロス(悪い)、ブラスフェミア(罵り)、 ウペレファニア(高慢)、アフロスネエ(愚かさ) 【プレオネドゥスィアイ(貪欲)】 マルコ7章22節 ルカ12章15節 ローマ1章29節 二コリント9章5節 エフェソ4章19節 5章3節 コロサイ3章5節 一テサロニケ2章5節 二ペトロ2章3節 14節 【ポンネリアイ(悪意)】 マタイ22章18節 マルコ7章22節 ルカ11章39節 使徒3章26節 ローマ1章29節 一コリント5章8節 エフェソ6章12節 【ドロス(偽り・奸計)】 マタイ26章4節 マルコ7章22節 14章1節 ヨハネ1章47節 使徒13章10節 ローマ1章29節 二コリント12章16節 一テサロニケ2章3節 一ペトロ2章1節 22節 3章10節 ※《参考》類似 ・δολιοs[ドリオス(欺く)] 二コリント11章13節 ・δολιοω[ドリオウ(欺く)] ローマ3章13節(εδολιουσαν〔エドリオウサン〕)
694 :
名無しさん@3周年 :2005/06/16(木) 07:42:18 ID:zfjvLOMh
【アセルゲイア(好色)】 マルコ7章22節 ローマ13章13節 2コリント12章21節 ガラテヤ5章19節 エフェソ4章19節 一ペトロ4章3節 二ペトロ2章2節 7節 18節 ユダ1章4節 【ウペレファニア(高慢)】 マルコ7章22節 ※《参考》類似 ・υπερηφανοs[ウペルファノス(高慢な)] ルカ1章51節 ローマ1章30節 二テモテ3章2節 ヤコブ4章6節 一ペトロ5章5節 【アフロスネエ(愚かさ)】 マルコ7章22節 二コリント11章1節 17節 21節
695 :
272 :2005/06/20(月) 19:35:53 ID:1AbRAeRM
新共同約って73巻のカトリック版と 66巻のプロテスタント版の2種類あるんですね。
新共同訳の続編13書のうち、ダニエル書補遺、エステル記(ギリシア語)は、ダニエル書、エステル記のそれぞれの位置に挿入される部分なので、独立した書物ではない。 エレミヤの手紙はカトリックではバルク書の一部とされる また、エズラ記(ギリシア語)エズラ記(ラテン語)マナセの祈りはカトリックでも正典に数えない。 結局は、プロテスタントの正典は66巻。カトリックは73巻ってことになる(と思う)
697 :
名無しさん@3周年 :2005/06/22(水) 10:31:59 ID:ExRfiFmi
【 聖書の成立に関わる年表・後編 その1 】→旧題名【 聖書の構成変化の流れ 】 55年ごろからパウロ書簡、64年以降にマルコ伝、 [130〜170]年ごろまでにヨハネ伝・ヨハネ書簡・ヨハネ黙示録。 @マルキオン(140年ごろ)の聖書、ルカ伝+ルカの使徒行伝+8パウロ書簡。 Aイレナエウス(180年ごろ)の聖書、4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡 (フィレモン・ヘブライ・Tペテロ・TUヨハネ除く、黙示録は外典) Bテルトゥリアヌス(203年ごろ)の聖書、 4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡+ユダ書+ヘブライ+バルナバ+ヘルマスの牧者 Cオリゲネス(200年代前半)の評価、27書は疑わしい。 ●ヒエロニムス(300前後)がラテン語聖書の編纂の際に旧約をヘブライ語から翻訳。 Dエウセビオス(325年ごろ)ニカイア会議前から「教会史」書き始める。 E小アジアのラオディキア会議(363年)、ヨハネの黙示録を除く26巻を正典に。 Fアタナシオス(367)第39復活祭書簡、2[7]書を増やしても減らしてもいけない。 Gヒッポ会議(393)カルタゴ会議(397)27書を正典と確認。 Hコンスタンチノープルのトゥルルス会議(692) 東方教会がヨハネの黙示録を、[外典から]正典に承認し27書を決定。 Iルター(1522)ヘブライ・ヤコブ・ユダ・黙示録を正典から外す。
698 :
名無しさん@3周年 :2005/06/22(水) 10:33:13 ID:ExRfiFmi
【 聖書辞典 新教出版社 】 p258 せいしょ 聖書 ・・・[原典と写本]聖書はもともと, 羊皮紙あるいはパピルス・・・今ではこの原本は失われてしまったが, 原本から多くの写本が残され,それがもととなって今日の聖書が編集されている。 2世紀ごろの写本の断片も存在するが,・・・次のようなものがある. @アレキサンドリヤ写本・・・Aヴァチカン写本・・・Bシナイ写本・・・ Cエフライム写本・・・D死海写本と呼ばれている。 p261 せいてん 正典 ・・・結局,{五世紀前夜の}393年のヒッポ会議, 397年のカルタゴ会議にいたって現行の形{新約聖書27巻}で正典化された。 それと諸々の紹介。 ○ヨハネ福音書・書簡・黙示録は、パトモス島流刑の使徒ヨハネ(85年〜90年)による執筆。 従来は学者により2世紀の中頃(133−167年代)に書かれたという。 ジョン・ライランズ・パピリという,この福音書の写本(135年と推定)の断片が発見され、 発見されたエジプトの内陸部まで伝わるためには, 少なくとも数十年はかかると考えられるから90年代と推定したのである。 ○マルキオン(140年代活躍)は黒海沿岸ポントス・シノペ生まれ、ローマに行った事がある。 2世紀つまり100年代で、 マルキオンのルカとパウロ書簡のみの聖書(140年代)や、 ヨハネ福音書・書簡・黙示録(110〜150年代)が出来た、 グノーシス・キリスト教(異端)が全盛の頃。
699 :
名無しさん@3周年 :2005/06/22(水) 10:46:45 ID:ExRfiFmi
http://www.ny.airnet.ne.jp/bible/bible/KBC/senkyo/westminster/conffession.htm ウエストミンスター信仰告白 第一章 聖書について
1.自然の光および創造と摂理の見技は、人間を弁解出来ないものとするほどに、
神の善と智恵と力を表す(−略−)
2.聖書すなわち記された神の御言葉という名の下に、今では、
旧新約のすべての書が含まれている。それらは次ぎのものである。
旧約聖書では(書名が列記されている−略−)新約聖書では(書名が列記されている−略−)
これらはみな、神の霊感によって与えられており、信仰と生活の規準である。
3.普通に経外典と呼ばれる書は(−略−)使用されたりしてはならない。
4.聖書がそのために信じられ服従されねばならないところの聖書の権威は(−略−)
従って聖書は、神のみ言葉であのという理由から、受け入れられなければならない。
(−略−)
8.(昔の神の民の国語であった)ヘブル語の旧約聖書と、(しるされた当時、
最も一般的に諸国民に知られていた)ギリシャ語の新約聖書とは、神によって直接霊感され、
(−略−)それですべての宗教論争において、教会は最終的にはこれらに訴えるべきである。
(−略−)聖書は、神のみ御葉がすべての者に豊かに内住して、
彼らがみ心にかなう方法で神を礼拝し、聖書の忍耐と慰めによって希望を持つために
聖書が接するあらゆる国民の原語に翻訳されなければならない。
9.聖書解釈の無謬の規準は、聖書自身である。(−略−)
もっと明らかに語る他の箇所によって探究し、知らなければならない。
10.それによって全ての宗教的論争が決裁され、すべての会議・古代の著者たちの意見・
人々の教義・個人の精神が検討され(−略−)聖霊以外の何者でもありえない。
●バプテスト教会の特徴
http://www.nishimaiko.org/ho/bp2.htm
700 :
名無しさん@3周年 :2005/06/22(水) 20:41:20 ID:wxwncYDg
>>683 新約だけはゲットしたのですが...
そんなに待たないといけませんか(;д;)
701 :
名無しさん@3周年 :2005/06/22(水) 22:23:06 ID:G4yx+Q3H
>>691-694 の続き
さて
>>609 で「新約聖書の翻訳で重要なのは言葉、愛、姦淫、汚れ、という霊や
信仰上に深い関係のある単語について使用単語の差異を訳語上で明確にすると
いうことだ。」と書き出しで始めた一連の書き込みは、694で一応新約聖書の
原語を書き出すところまでを終えたことになります。これからは翻訳と解釈
という部分に入っていくため、匿名においても自分の立場と罪の告白と信仰
の表明を前提として話を進めていかなくてはならないと思っています。
702 :
名無しさん@3周年 :2005/06/22(水) 22:37:08 ID:G4yx+Q3H
まず、神への祈りについて、自分なりにイエスの言葉より翻訳し 祈りの言葉を書き込み、これまでの罪と咎に対する告白と赦しへの 願いに代えます。 ――主の祈り――(参考:マタイ6章9−13節 ルカ11章2−4節など) 諸天に居られる我らの父よ、 御名は聖別されよ! あなたの支配が来て、あなたの御心が現れよ! 天の内におけるごとく また地の上においても。 日々に必要な 我らのパンを、 今日 我らに 与えたまえ! また 我らの負い目を赦したまえ、 我らに負い目のある人達を我らが赦すがごとくに。 そして 試みへと我らを導き入れることなく かえって 悪さから 我らを救いたまえ! アーメン。 〔冒頭「諸天」は、二コリント12章2節を鑑みているもので天が散在して いることではなく「第一の天」「第二の天」「第三の天」の言い方、 つまり階層に対しての表現です。この天という言葉の原単語が複数形で あることも複数意味を汲み取れますが、一応事実として申し沿えて おきます。〕
703 :
名無しさん@3周年 :2005/06/22(水) 22:39:47 ID:G4yx+Q3H
では、本格的な書き込みは、後日ということで・・・・・。
なお、
>>697-699 までの書き込みは自分ではなく別の方の書き込みですの
でROMしている方々がお間違いになりませんように一応一言言及しておきます。
では。
704 :
やほよろづのかみたち ◆0ryc.81s2s :2005/06/22(水) 23:20:14 ID:QaNg4wjL
あなたがたに言っておく。 この世には、「2種類の聖書」がある。 詩編89章に注意しなさい。 この世には、詩編89章が2種類ある。 「53節まである詩編89章」と、「52節までしかない詩編89章」は、読み比べるがいい。 内 容 が ま っ た く べ つ も の だ 。 あなたの持っている聖書を今すぐ調べなさい。詩編89章を見なさい。53節までか、52節までか。 学説論争が終息するまで、できれば両方の聖書を持ちなさい。
まず最初に詩編を「章」とか書いてる時点で、顔を洗って出直しておいで。
↑ おっと本当だ。 失礼。 朕としたことが。
バルバロ訳ってどうですかぁ。
>>702 >つまり階層に対しての表現です。この天という言葉の原単語が複数形で
天(ウーラヌー): 天界(複数:ウーラヌス)
古代ギリシアの世界観・宇宙観によると、天界は7階層からなる。
プトレマイオス・アリストテレースのどちらも7惑星の公転円周に天界を想定し
近くから遠くまでを、地上界から最上の天上界までの階層で出来ているとみなした。
近代科学の天文学とは違った構造である。
例: 順逆に覚え間違いあり・・・。
天界(ウーラヌス)
太陽: 第7天−最上天界(この1階層だけの天界:ウーラヌー)
木星
土星
火星
金星:愛の階層・第3天界
水星:知恵の階層・第2天界(ジオ ウーラヌー)
月
地界(ゲー)・地上の各地域の世界(地界複数: ゲー+ス)
地の穴・地の淵・地獄(ゲー+ヘナ)
>>708 >古代ギリシアの世界観・宇宙観によると、天界は7階層からなる。
古代ヘブライは
古代オリエント・特にカンナ地方(パレスチナ・フェリシテ・ユダヤ)は
古代エジプトと同じ宇宙観・世界観を持っており
・
天(シャマイム・天妃が四つんばいで地上を蓋い・星を抱え・乳が垂れるは流れ星・雨の恵み)
地上・土地(アーレツ)
黄泉・死者の世界(シェオル)
・
の三階層である。
カトリック教会が、魚にキリストのイニシャルのモチーフと同様に 太陽のモチーフを用い 太陰暦からグレゴリウス太陽暦を用い現在の世界標準となった様に 神の子キリストや父なる神を この世の光・太陽に喩える様に、人が直視できない光が神の正義であり 太陽が、この世に創造された最上天界とされた。
>>707 カトリックの翻訳だから、カトリック臭い。古い翻訳だから、古臭い。
カトリックの用語・神学が気にならず、格調高い(ように感じる)文体が好きならどうぞ。
712 :
名無しさん@3周年 :2005/06/23(木) 12:05:58 ID:9haHxA3S
713 :
名無しさん@3周年 :2005/06/23(木) 13:59:43 ID:4aF3EVdE
>>707 解説(注解じゃなく)は良い。図版も結構載っている。訳語も格調高い。しかし、書名
が「判事の書」とか一般的じゃない。そういう訳で、素人にはお勧めはできない。
714 :
名無しさん@3周年 :2005/06/23(木) 20:16:24 ID:OIIVNaSj
>>700 ハイ、フランシスコ会の司祭様がそうおっしゃっていました。
楽しみですね^^
715 :
700 :2005/06/23(木) 21:37:06 ID:PlCSHZgJ
>>714 そうですか...。
(;_; ))(( ;_;)
...と、だだをこねたくなってしまいます。
プロに居た時は新改訳以外の訳の聖書の存在を知らなかったので、
フランシスコ会訳を読んで、惚れてしまったものですから...。
716 :
雹 :2005/06/23(木) 21:39:48 ID:ygAlhC/c
717 :
雹 :2005/06/23(木) 21:44:25 ID:ygAlhC/c
カトリック信者ならバルバロ訳かフランシスコ会訳で!
718 :
名無しさん@3周年 :2005/06/23(木) 22:00:30 ID:9haHxA3S
バルバロ訳がラテン語ウルガタ聖書からの翻訳で、 フランシスコ会訳が、ギリシア語からの翻訳だよね。
719 :
* :2005/06/23(木) 22:34:51 ID:TMQgYKC8
新共同訳は霊性を感じない。 新改訳の日本語は日常に根ざした言葉でよい。 福音が生活になじむ。
720 :
* :2005/06/23(木) 22:50:44 ID:TMQgYKC8
フランシスコ会訳すばらしい 新訳旧約両方一冊のものを出してほしい フランシスコ会は基本的に説教もよい 感動できる 新共同訳は日本語のセンスのなさが興ざめする。 ーハッキリいっておくー (笑) わらえない
バルバロ訳は信仰の書としては最高ではないでしょうか 注解も充実しているので、一般的でない訳語を除けば初心者にも勧められます。 みんなと一緒に読む、という点ではお勧めできませんが。
722 :
715 :2005/06/23(木) 23:20:49 ID:BWaBYhIP
>>720 新改訳に無い旧約続編が読みたかったので、
この前バザーで新共同訳(黄色の)買いました
...50円で。
「はやくフランシスコ会訳ので読みたぁ〜い!」 (ベム風)
723 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/23(木) 23:44:52 ID:EkyqOt/U
明日わぁ給料日〜♪ 『漁師の告白』買いたぃなぁ〜☆ でもサンパウロに行くと、あっと言う間に、お金に羽が生えるぅ〜。
724 :
◆IbYG6dQTTc :2005/06/23(木) 23:56:16 ID:cDhTi6Uy
>>723 この本も買えばいい。
『性的カオス』マルコーシュ・パブリケーション社
『教会と性的罪について』いのちのことば社
『レフト・ビハインド』いのちのことば社
725 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 00:03:16 ID:EkyqOt/U
>>724 聖書スレです、スレ違い。
他でどうぞ。
726 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 00:09:30 ID:vc1Km/0b
>>724 君にはこれなんか合うと思うな。
『キリスト教という神話』青土社
『キリスト教とセックス戦争』柏書房
『キリスト教は他宗教をどう考えるか』教文館
727 :
42 :2005/06/24(金) 00:11:36 ID:BA2uUfGQ
728 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 00:11:44 ID:tlSPumWc
>>726 それがあなたにとって聖書なんですね。
ノンクリですね。
729 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 00:13:40 ID:vc1Km/0b
>ノンクリですね。 どこがノンクリ?
730 :
◆IbYG6dQTTc :2005/06/24(金) 00:14:15 ID:ic4W2ZD8
>>723 『漁師の告白』はあんたの聖書なのか。わらえるな。
731 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 00:14:26 ID:tlSPumWc
↑ おヴぁか?
733 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 00:15:09 ID:vc1Km/0b
青土社と教文館の著者は神学部の先生だし、柏書房の本は元修道女のカトリック。 たしかにノンクリだね、あんたから見れば(w
734 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 00:15:25 ID:tlSPumWc
青土社は、けっこういい本を出してるな。
736 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 00:16:55 ID:vc1Km/0b
天理教信者でなければキリスト教信者でないわけか(w 頭おかしいんじゃないの?オバサン?
737 :
◆IbYG6dQTTc :2005/06/24(金) 00:19:18 ID:ic4W2ZD8
738 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 00:22:25 ID:tlSPumWc
>>737 『漁師の告白』はカトリック神父が訳した聖書ですが、何か?
739 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 00:31:42 ID:tlSPumWc
◆IbYG6dQTTc、現代訳が売れないからって、カトリック神父訳の聖書に文句付けないでよねっ!
740 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 00:48:56 ID:tlSPumWc
741 :
715 :2005/06/24(金) 07:46:32 ID:h6iw6F9f
>>727 さん、
そうですよね〜!フランススコ会の揃えたいですよね。
旧約続編だけでも、分冊で欲しいと思って
アマゾンにシラ書注文したんですが...。
(そん時は受け付けしてたので)
ひと月待ってもまだですね。(;д;)
続編に関してはもう無いっぽいですね。
742 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 08:50:04 ID:syeBVQKn
現代訳か。福音派の一つの成果だから、読んでみたいけれど、内容見本が無い と買えないなあ。賭けに負けてお金が飛んでいく、飛んでいく。ブックメーカーで二 番人気のラッチンガー枢機卿に、有り金を賭けておけば良かった。
743 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 09:07:03 ID:vc1Km/0b
744 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 09:08:54 ID:tlSPumWc
>>742 立ち読みした感じでは、現代訳よりも、まだリヴィングバイブルのほうが良ぃと感じた。
745 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 09:11:55 ID:vc1Km/0b
>ひと月待ってもまだですね。(;д;) 海外への外注じゃなくてひと月では、絶望的だな。 古本で買えば?
746 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 09:16:34 ID:tlSPumWc
書籍通販なら、一番いぃのは出版社に電話注文。 わたしはいつもそれ、一番確実だから。
747 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 09:37:46 ID:dzJwAOor
>>743-744 いや、個人的には、創世記の冒頭が気に入りまった。アリガトン
LBは「お母さん、今はその時ではありませんよ」萎え。
748 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 09:55:19 ID:vc1Km/0b
749 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 10:17:23 ID:iLXnxbcQ
>719 「まことにあなたがたに告げます」 どこが日常生活に根ざしてる?こんな言葉は日常は使わない。 新改訳にこだわる人は、この訳が良いもんだという思い込みがあるらしいな。
750 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 16:28:55 ID:9M0SQaXC
日本人にとって日常的に見えるものは、本来の意味から多少はなれて、日本人に理解しやすいように 意訳されているということ。 真意を理解したかったら、原語を学ぶしかないわけですが、それが難しければ、 非日常的な言葉でも読みこなしていくのが一番いいと思う。 「どの翻訳がいい」は、真意に近いという意味か、読みやすい、理解しやすいという意味かで 評価は違ってきてしまうと思いますね。 個人的には読みなれているものを利用してしまいます。初めて読んだ時の訳が、 正しくても、間違っていても、それが読みやすく感じてしまいます。 そのフレーズが頭にこびりついているので、どうしてもそうなってしまいます。
751 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 18:33:25 ID:83RE5EaT
>>749 750さんに同意。どんな訳でも、完全に日本語化するのは不可能です。
言葉遣いの自然さは、言語に忠実であるべきか、口語化すべきかで変わるし、
ハンセン病ひとつにしても、差別の歴史を踏まえてらい病を用いた岩波、あれは
ハンセン病だけをさすのではないとしてツァラアトを用いた新改訳第三版と、いろ
いろあります。実に、ネストレと比べながらでないと、どれが良いとは言えません。
新改訳新約の言葉遣いは変だと思うけれど、チェーン式コンコーダンスや注解が
性に合っていて、新改訳を手放せない罠。
SDAみたいに、カトリックが関わった聖書なんざ使えるか!という人もいますが、
聖霊派みたいに、福音派の(略)で奥山訳を作っているグループもあるし。様々。
むしろ、カトリックこそ、ラテン語勉強して、ネオブルガタ読めと喧嘩を売るテスト。
アーメン、アーメン!おい、お前らちょっと聞いてくれよ。マジネタだよ?
753 :
やほよろづのかみたち ◆0ryc.81s2s :2005/06/24(金) 18:42:43 ID:meIBDyjc
直訳の聖書(新共同訳)がダメで、意訳の聖書(新改訳)をよしとするお前らキリスト教徒の感覚がわからない。 一部の者は、「あなたがたにはっきり言っておく」という表現は、ユダヤ教では実に重要なことも知らないらしい。 さらに、複数形という形や、該当語彙が少ない日本語への翻訳は、いろいろな意見もあるだろうが英語版聖書のように直訳か意訳を明示するか、またはスタディ・バイブル形式の脚注連動にするなど選択肢を広げればいいことだろう。 どの聖書が良いとか、どの聖書が悪いという発想ではなく、むしろ欧米のように多様な聖書を用意しておくべきだろう。 ここで特定の聖書を「霊」が無いなどと自分の独断で馬鹿にするような輩は、聖書以前に法華経をすすめる。 そもそも旧約聖書はヘブライ語で「父が子に語るような日常口語」で書かれているのに、日本語翻訳後が威圧的、高圧的な文章の文語訳聖書や、それに類する聖書に「霊性を感じるが他はダメ」とか、やはり電波がいっぱい。 結局、おまえら日本のキリスト教徒の感覚は、日 本 人 の 封 建 制 度 の 主 従 関 係 を G O D に 置 き 換 え たようにしか見えない。 ソフトウェアとしての神の言葉ではなく、ハードウェアとしての聖書という物体を偶像化する連中は、「神のみ言葉に支えられて生きる」という中東3大一神教の本質がわかっていない。 これが、部外者である朕の意見だ。
754 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 19:01:13 ID:QDEwHqtV
創世記(カナン・パレスチナの創造神話・・・アダム(人類の発祥・・・)ノア(洪水物語・・・)) アブラハム(ヘブライ人の族長・その名は「多くの父・高き父・愛される父」 __↑____親戚ロトにまつわる話・ソドム−ゴモラの滅亡・・・ __↑____エルサレム[平和の神]の祭司メルキゼデク[正義の王]のパンとブドウ酒・10分の1・・・) イサク(その名は「笑い」) __↑ ヤコブ(押しのける者・兄を押しのけた。別名:天使に勝てる者・イスラエル) __↓ ヨセフ(入エジプト・エジプト宰相・・・) モーセ(出エジプト・モーセ五書[レビ・アロン祭司と十戒の・・・]) ヨシュア記(師士はモーセの後継者)ヤショルの書 師士記(対ペリシテ・パレスチナ)__↓ ルツ記−−−−サムエル記−−−ヤショルの書 人間としての_メシアとしての_??? ダビデの出生_ダビデの即位__??? __↓ ダビデ王(古代ヘブライ統一王国の成立・詩篇) ソロモン王(ダビデの子孫・シバの女王・箴言・伝道の書) 列王・歴代誌(預言者エリヤ・エレミヤ・イザヤ・・) バビロン捕囚(哀歌・ダニエル(バビロン宰相・・・)) バビロンから帰還(エズラ&ネヘミヤ(ペルシアが任命した州知事&書記)・エステル(ペルシア王妃)) __↓ 死海写本・・・ __↓ 新約聖書・パウロの手紙(教会の兄弟・長老などへの指示・諭し・・・) 新約聖書・福音書(イエスの記録)−使徒の手紙(12弟子・主の兄弟の) 新約聖書・黙示録
755 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 19:02:49 ID:QDEwHqtV
756 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 19:09:55 ID:QDEwHqtV
古代ユダヤは 神の預言者[サムエル]によって ヘブライ王を任命し、初代サウル王・第二代ダビデ王が誕生した。 中世ヨーロッパは ローマ教皇[ローマ教区の司教(神父監督)]によって ゲルマン人の王(フランク王)を任命し、カール大帝が戴冠即位した。 後にアウグスブルクの街に帝国議会を置いて 選定する侯爵達によって選挙にて ドイツ人の王にして神聖ローマ帝国の皇帝が選定され ローマ教皇によって戴冠され即位した。 俗人の砲兵隊長あがりのコルシカ人ナポレオン・ボナパルトは フランスの市民革命によって ローマ教皇の権威を破壊し 革命国のフランス皇帝の戴冠を ローマ教皇に行わせて 武力によって 教会秩序や慣例を破壊して 政教分離を行い 民法を制定し 教会慣習が絶対とされた 中世時代を終焉させた。 ギリシアのポリスは、王制に代って アルコン制度(指導者制)を採っており ディオニッソス祭礼の神主(バシレウス:ブドウ酒の神様を祭祀する王の意味) 都市監督長官(エポニュモス) 軍隊統率者(ポレマルコス・マルス[軍神])の三巨頭政治であった。 しかしソロンの頃のアテネ−ポリス?では民会(エクレーシア・教会・集会)の選挙議決により 『 全権委任 』を受けて ナチスの総統(フューラー)のような地位を ”ソロン”に与えて スパルタやペルシアなどの外事(外交・戦争)に当たった。
757 :
* :2005/06/24(金) 20:04:01 ID:ivgcLdR7
>直訳の聖書(新共同訳)がダメで、意訳の聖書(新改訳)をよしとするお前らキリスト教徒の感覚がわからない。 直訳がつまらないの 岩波の学者にはかなわんでしょうが ]一部の者は、「あなたがたにはっきり言っておく」という表現は、ユダヤ教では実に重要なことも知らないらしい。 知らないらしい-根拠不明。 amen amen でよいでしょうに ]さらに、複数形という形や、該当語彙が少ない日本語への翻訳は、いろいろな意見もあるだろうが英語版聖書のように直訳か意訳を明示]するか、またはスタディ・バイブル形式の脚注連動にするなど選択肢を広げればいいことだろう。 ]どの聖書が良いとか、どの聖書が悪いという発想ではなく、むしろ欧米のように多様な聖書を用意しておくべきだろう。 ]ここで特定の聖書を「霊」が無いなどと自分の独断で馬鹿にするような輩は、聖書以前に法華経をすすめる。 選択肢が少なくて 好き嫌い 選択肢が多くて 好き嫌い 選択肢が増えることと個人の好みは別カテゴリー 論理の問題
758 :
* :2005/06/24(金) 20:07:01 ID:ivgcLdR7
]そもそも旧約聖書はヘブライ語で「父が子に語るような日常口語」で書かれているのに、日本語翻訳後が威圧的、高圧的な文章の文語訳聖]書や、それに類する聖書に「霊性を感じるが他はダメ」とか、やはり電波がいっぱい。 だから翻訳の問題が出てくるのでしょうが。因果関係を理解しないと。 ]結局、おまえら日本のキリスト教徒の感覚は、日 本 人 の 封 建 制 度 の 主 従 関 係 を G O D に 置 き 換] え たようにしか見えない。 どこからこんな結論を引っ張ってくるのでしょうか 朝鮮の方ですか ]ソフトウェアとしての神の言葉ではなく、ハードウェアとしての聖書という物体を偶像化する連中は、「神のみ言葉に支えられて生きる」]という中東3大一神教の本質がわかっていない。 この言葉そっくりそのまんまかえします
759 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 20:23:09 ID:tvibryEO
>>753 > そもそも旧約聖書はヘブライ語で「父が子に語るような日常口語」で書かれている
(・∀・)ヘェ!! 読む側でもだいぶ雰囲気が変わるね。
760 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 20:36:57 ID:7dqyw7sS
【 キリストが出て来ないグノーシス原典 その1 】 ヘルメス文書 荒井献+柴田有=訳 朝日出版社 ヘルメース・トリスメギストスからタトとの対話 CH]U−ヘルメース・トリスメギストスからタトへ− 普遍的叡知(ヌース)について p314 13「父よ、他の生き物は言葉(ロゴス)を用いないのですか」。 「子よ、言葉(ロゴス)ではなく、音声を用いるのだ。 しかし、言葉(ロゴス)は音声とはまったく異なる。 言葉(ロゴス)はあらゆる人間にとって共通であるのに、 生き物はそれぞれの種族が自分だけの音声を持っている」。 「しかし父よ、人間の場合にもそれぞれの民族によって 言葉(ロゴス)が異なるのではないですか」。 「子よ、それは異なるが、人間は一つである。 このように言葉(ロゴス)も一つであって、 翻訳されればエジプトもペルシアもギリシアでも同一の言葉が見出される。 子よ、お前はロゴスの効果と偉大さについて無知であるようだ。 至福の神、『善きダイモーン』は、 『霊魂は身体のうちにあり、叡知(ヌース)は霊魂のうちにあり、 ロゴスは叡知(ヌース)のうちにあり、神はこれらの父である』と言った。 14 従って、ロゴスは神の像、神の叡知(ヌース)である。 身体は形(イデア)の像であり、形(イデア)は霊魂の像である。
761 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 20:37:48 ID:7dqyw7sS
【 キリストが出て来ないグノーシス原典 その2 】 CH]V−ヘルメース・トリスメギストスが山上で子タトに語った秘められた教え− 再生と沈黙の誓いについて p350 7 ・・・ 「子よ、無知が第一の懲罰である。第二は悲嘆、第三は無節制、 第四は欲情、第五は不義、第六は貪欲、第七は虚偽、第八は嫉妬、 第九は計略、第十は怒気、第十一は軽率、第十二は悪意であって、 これらは数で十二になる。 子よ、これらの配下にさらに多くの者どもが居り、 内なる人間(アントローポス)を強いて、 身体という牢獄によって感覚的に苦しませている。 しかし以上の懲罰は、神によって憐れまれた人からは、 一挙にではないにせよ離れ去る。 再生の有様と教えとはこのように構成されている。 8 子よ、これ以後は口を閉じ、沈黙しなさい。 そうすれば、神から私たちに及ぶ憐れみは絶えることがないであろう。 子よ、これ以後は喜びなさい。 神の諸力によって清め尽くされ、ロゴスへと結集しなさい。 神の認識(グノーシス)が私たちに訪れた。 子よ、この訪れによって無知は追い払われたのだ。 喜びの認識(グノーシス)が私たちを訪れた。 子よ、この出現のゆえに悲嘆は、 それを包容する人々のもとへと逃れるであろう。
762 :
雹 :2005/06/24(金) 20:44:37 ID:MjsnfxPa
>>751 >むしろ、カトリックこそ、ラテン語勉強して、ネオブルガタ読めと喧嘩を売るテスト。
買っちゃる。
あんたバカか。
オレたちカトリックは2000年聖書研究してるんだぜ?
763 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 20:45:33 ID:7dqyw7sS
764 :
雹 :2005/06/24(金) 20:48:37 ID:MjsnfxPa
>>751 >むしろ、カトリックこそ、ラテン語勉強して、ネオブルガタ読めと喧嘩を売るテスト。
>>718 【バルバロ訳がラテン語ウルガタ聖書からの翻訳で、】のことかな?
765 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 20:58:41 ID:7dqyw7sS
766 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 21:09:15 ID:7dqyw7sS
767 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 21:10:35 ID:7dqyw7sS
768 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 21:24:53 ID:7dqyw7sS
>>753 熊沢天皇が降臨された模様です。ところで、直訳を意識した訳は新改訳と岩波訳だ。
770 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 21:40:16 ID:tlSPumWc
>>769 同意。
岩波はわかんなぃけど、新改訳はそうょね。
だから読み易さだけなら、新改訳ょりも、新共同訳ね。
771 :
名無しさん@3周年 :2005/06/24(金) 21:56:15 ID:uVjohRrH
昔のスタンダード口語訳 難しい漢字の羅列くさい中国語用法風のニコライ訳 エホ証の変な文章と用語の新世界訳 多くあるフランシスコ会訳・最近少なくなったバルバロ訳 解説分冊型の岩波訳 現在の一般に普及の新改訳・旧約第2正典もついている新共同訳 市井の本屋さんで買えそうなの・キリスト教書店あるいは ライフセンターで買えそうなのありますでしょうか?
日本語訳では、バルバロ訳に優る聖書はない。
773 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/24(金) 23:56:19 ID:tlSPumWc
新改訳が直訳か。お前ら馬鹿ばかり。 どちらが直訳かと問われれば、新共同訳だ。だから新共同訳はところどころが主語が曖昧で分かりにくい。また日本人には分かりにくいフレーズや、文法が日本語にそぐわず、意味が分かりずらいところがある。 日本聖書協会など翻訳元に電話して聴取もせず、妄想か先輩信者の妄想をば継承してるアホは聖書を偶像にしてる馬鹿だ。 もとより、ことさら新共同訳を推薦してるわけではない。
何で喧嘩腰になるのか分からないけれど。。。 新改訳が直訳だっていうのは、出版当初翻訳者達が自分たちの翻訳姿勢を 「原語にあくまでも忠実であり」と語っているから。これは、新改訳の後 書きに書いてある。もちろん、新改訳が保守派の神学に偏っていると言う 批判はある。このスレでもそのことは何度も指摘されて居る。 新共同訳も決して直訳ではなく、翻訳者の神学が随分反映していることも、 このスレで既に指摘済み。 だいたい、日本聖書協会に聞いたって、新改訳の翻訳姿勢について教えて くれる筈が無い。 ってことで、まあ茶でも飲んで餅つけ ミつ旦
お茶どうも。 意訳された元書(古いビブリア・ヘブライカ・キッテル)に忠実に直訳したら、直訳の聖書だと思うか。 さらに、新改訳は、死海写本の研究成果が反映してないことは俺なりにつきとめた。 この前に改版されたバージョンもだ。
最後に一言。 ヘブライ語は一度、絶滅した言語だ。 ヘブライ語の復活は戦後の新生イスラエルでの言語研究成果による。 直訳聖書とは、何を意味するか良く考えろ。 残念ながら新改訳にはヘブライ語研究成果の反映はまだ無い。翻訳底本が異常に古い。
>>776 旧約のことを言うなら、新共同訳だって、BHSぢゃん。
死海写本どころか、底本のレベルでは本文批評全く無し
一度絶滅した言語であるヘブライ語について「直訳」がありえないのは、同意。
779 :
やほよろづのかみたち ◆0ryc.81s2s :2005/06/25(土) 01:19:38 ID:fcxOlJEg
>>778 BHKとBHSは天と地のほどの差がある。
もっとも、BHSもいい加減古いがな。。
780 :
名無しさん@3周年 :2005/06/25(土) 05:14:18 ID:1B2dzb4m
いっそ、ギリシャ語底本があーだこーだ言うよりも、最初期のウルガタを参考に訳 したら、それなりに正確なものが訳せそうだな。いや、半ば本気で。 田川建三でも読み返してみる。でも、あれは新約だけ、しかもリベラルマンセーな 罠。新改訳刊行会の解説も、他の訳の批判検討まで踏み込めば良かったのにな。
781 :
名無しさん@3周年 :2005/06/25(土) 07:30:59 ID:4bhXcfDE
ヘブライ語が絶滅したか、どうかは、疑問だ。 確かに話し言葉は アシュケナージ(ハザール・ロシア・ドイツ)が、イディーシュ語で セファラード・セファラディ(モロッコ・トルコ・ポーランド・オランダ)が、ラディノ語 しかなかった。 しかし、各ヨーロッパ人の民族国家のある民族の各言葉とは別言語だ。 そういった意味でイディシュもラディノもヘブライ語の方言として ヘブライ語の生き残った言語ともいえる。 ところが、1920年のオスマン−トルコの敗戦で オリエント(中近東)の英仏の植民地化で ベン・イエフーダという現在のヘブライ語作成者で ユダヤ人学者でパレスチナ帰還入植政策支持者(シオニズム運動)からすれば ヘブライ語の生活会話の語彙を、聖書ヘブライ語から取り 文法として動詞や形容詞などの変化形を、聖書ヘブライ語に似せて 語順が、聖書ヘブライ語と違う ユダヤ−スペイン語風らしい?インドヨーロッパ系の骨組みで並んでいる 人工的クレオール言語で作ったといい、それが今のヘブライ語である。 下手だが一例: お手々とアンヨが【動けない】。→幼稚語(二・三語)だが普通に母国語。 手と足【の自由】が利かない【、動作しない】。→語彙で自由など中国語(外国語)を使用。 手とアンヨが【ファビョる】。→動詞の変化形を残している。 反対に、文法は古代から変わらずで、 語彙が殆ど外来語ばかりの、昔と今で違う別言語に聞こえるようになる言語の事を 外国化したピジン言語と名づけられている。 下手な一例: ハンド【と】フット【が】フリーズン【した】。→助詞「と」「が」動詞「した」を残す。 フィンガーあんどレッグ、ブロウクンね。→語順が残っている。
782 :
名無しさん@3周年 :2005/06/25(土) 07:42:33 ID:4bhXcfDE
すまん・これもピジンの説明になってしまっている。 >下手だが一例: お手々とアンヨが【動けない】。→幼稚語(二・三語)だが普通に母国語。 > 手と足【の自由】が利かない【、動作しない】。→語彙で自由など中国語(外国語)を使用。 > 手とアンヨが【ファビョる】。→動詞の変化形を残している。 こちらが、人口クレオール語の下手な一例。 ↓ ↓ ↓ あるよ、動かない、お手々とアンヨ。→語順が違い【あるよ】など中国語訛りが入っている 私、不能 利(不動作)ハンド 和(と) フッド。→【不動作】【和】の中国語【ハンド】【フッド】の英語が入っている。 i(アイ) ファビョる my(マイ)手 アンド 足。→語順が違い【マイ】【アンド】の英語を使用。
783 :
名無しさん@3周年 :2005/06/25(土) 07:48:54 ID:4bhXcfDE
変な文章になったが つまり トルコ敗戦処理で英仏植民地になった中近東で 1920年代にベン・イエフーダというシオニストが 聖書ヘブライ語の語彙を基に、現代ヘブライ語を作った。 ということ。 人工語で エスペラント語は、普及に失敗したが 現代ヘブライ語は、生活会話語・手紙書き記し語として、普及し定着した。
784 :
名無しさん@3周年 :2005/06/25(土) 08:04:25 ID:4bhXcfDE
私は 聖書の原典は 旧約ギリシア語聖書(70人訳・セプチュアギンダ・ プトレマイオス王朝BC150前後?クレオパトラ以前)と 新約ギリシア語聖書(AD50−AD150)だとしか思っていない。 死海文書のヘブライ語でアラム文字・フェニキア文字を使用と 旧約聖書のヘブライ語とアラム語は AD90年ごろにマタイ福音書がアラム語で作られ ユダヤ戦争敗戦後に生き残ったパリサイ派ユダヤ人による ヤブネア会議で創設されたユダヤ教の影響で作成されたものと思っている。 つまり ヘブライ語の旧約聖書なるものは ギリシア語聖書の翻訳版・逆コンパイルのヘブライ語聖書だ。と思っている。 最古のヘブライ語聖書の死海文書の発掘年代が紀元0年前後でありながら すでにギリシアのヘレニズム・アレキサンダーのBC300年から ヤブネア会議まで400年も経っており ギリシア語の書き記しと、ヘブライ語(アラム語)の口承伝承を使って へブライ語によって書き記したと推定している。
785 :
名無しさん@3周年 :2005/06/25(土) 08:16:47 ID:cNwu9s8J
しかも、ギリシア語の新約聖書で 1500−600年代のビザンチン版という 宗教戦争や宗教改革頃の母国語翻訳の原版となったギリシア語新約聖書は 黙示録の一部と誤字脱字の訂正に AD400年頃のラテン語聖書から逆コンパイルしてギリシア文字で書かれている。 しかも 不味い事に、教会や図書館に現存する新約ギリシア語の写本は、古くて 沢山の異本の原典からラテン語聖書に統一翻訳した頃(AD400−500)の ギリシア語写本しか残っていないのである。 笑える事に 聖書から異端とされたグノーシス異端聖書のナグ・ハマディ文書の方が AD150年ごろと正統派の聖書の写本から 250年も古い紙質とインクの写本のギリシア語文書なのである。
786 :
名無しさん@3周年 :2005/06/25(土) 08:19:45 ID:cNwu9s8J
【いろんな翻訳】の聖書より 安くて多く手に入る【良い注釈書】の充実が望まれる。
787 :
741 :2005/06/25(土) 14:34:05 ID:VCQHLm8V
>>748 さん、
教えて下さってありがとうございます。
早速注文致しました。
すぐに入手出来そうです。
ほんとにありがとうございました。
788 :
名無しさん@3周年 :2005/06/25(土) 16:51:55 ID:JtI+C7b4
田川建三氏が、フランシスコ会訳をほめていたそうですが…。 どの本でだったかは忘れましたが。
789 :
名無しさん@3周年 :2005/06/25(土) 18:11:31 ID:+Uq8Bjbx
>>787 聖書男(または女) キターーー(゚д゚)ーーー!
>>788 多分、書物としての新約聖書じゃないだろうか。そもそも、あの人は寡作だし、他の本
は思い付かない。
790 :
42 :2005/06/25(土) 20:16:22 ID:8xLG/xmh
791 :
788 :2005/06/25(土) 20:34:27 ID:JtI+C7b4
>>786 それもそうだが、決定版の翻訳聖書は欲しいね。
とにかく、惨憺たる現状は何とかしないと。新共同訳の大失敗が痛い。
このスレに沿っていえば、翻訳の良し悪しの判断に役立つ注解書となると、 安価というのはほぼ絶望的だね。まあ欧米の注解書も事情は同じだけど。
詳しく学びたい時には補足説明が載っているバルバロ・デルコル訳聖書。 最後の晩餐でどの位置に座っていたなど図が載っている「聖福音書」もいいですよ。 あと聖ヨハネ・ボスコの聖書物語も良い。こちらは聖人が書いた本なので サレジオ会の図書室でも禁持ち出しとなっていた。(禁持出シールが張ってある) 現在は文語体で荘厳な響きなラゲ訳聖書が貴重で愛読しています。
795 :
名無しさん@3周年 :2005/06/26(日) 05:34:54 ID:XftQl06g
>>793 無教会やディスペンセーションで、細々と安価で良書の注解が出ているけれど、牧師
様の思想丸出しだからな。スタンダードなところで、ウェスターマン創世記注解の二刷
が出ましたよ?
ああ、ほると書房で「カトリック新聖書注解書」が五千円で売っていました。護教的な
部分もあるけど、本文批評に三分の一くらい割いた、千ページ以上ある本格的注解。
>ウェスターマン創世記注解の二刷 それは、ウェスターマンによるまえがきにもある通り短縮簡略版です。 Biblischer Kommentarシリーズの『創世記』にある本文批評や文法批評の 記述はこちらでは省かれています。ウェスターマンの本格的な創世記注解 のほうはそれ一巻(三分冊)だけで1500ページ以上になります。
>>796 まあ、本物というか原著は、聖書神学をやっている人に買ってもらうとして。
漏れたち素人には、コンパクト注解でも十分過ぎです。
山室軍平「平民の福音」が、何となく気になるけれど、どうでしょう。
798 :
名無しさん@3周年 :2005/06/29(水) 10:40:12 ID:KCghoqbc
ウエストミンスター信仰告白 第一章 聖書について
1.自然の光および創造と摂理の見技は、人間を弁解出来ないものとするほどに
神の善と智恵と力を表す(−略−)
2.聖書すなわち記された神の御言葉という名の下に、今では
旧新約のすべての書が含まれている。それらは次ぎのものである
旧約聖書では(書名が列記されている−略−)新約聖書では(書名が列記されている−略−)
これらはみな、神の霊感によって与えられており、信仰と生活の規準である
3.普通に経外典と呼ばれる書は(−略−)使用されたりしてはならない
4.聖書がそのために信じられ服従されねばならないところの聖書の権威は(−略−)
従って聖書は、神のみ言葉であのという理由から、受け入れられなければならない
(−略−)
8.(昔の神の民の国語であった)ヘブル語の旧約聖書と、(しるされた当時
最も一般的に諸国民に知られていた)ギリシャ語の新約聖書とは、神によって直接霊感され
(−略−)それですべての宗教論争において、教会は最終的にはこれらに訴えるべきである
(−略−)聖書は、神のみ御葉がすべての者に豊かに内住して
彼らがみ心にかなう方法で神を礼拝し、聖書の忍耐と慰めによって希望を持つために
聖書が接するあらゆる国民の原語に翻訳されなければならない
9.聖書解釈の無謬の規準は、聖書自身である。(−略−)
もっと明らかに語る他の箇所によって探究し、知らなければならない
10.それによって全ての宗教的論争が決裁され、すべての会議・古代の著者たちの意見
人々の教義・個人の精神が検討され(−略−)聖霊以外の何者でもありえない
●バプテスト教会の特徴
http://www.nishimaiko.org/ho/bp2.htm
799 :
名無しさん@3周年 :2005/06/29(水) 14:24:09 ID:Mr1D5pDL
新改訳って読みやすいですわね。御言葉の真意が伝わって参りますわ。 牧師様のお説教も、、、、、。 以前は文語訳を使っていました。
800getできなかったらこれから先はNAしか読みません
801 :
名無しさん@3周年 :2005/06/29(水) 21:30:30 ID:LAiSZQ+A
新改訳は読みにくいです。 読みやすい訳は、岩波訳のマタイかな。 新改訳の特徴は直訳に近いところです。 前の方で誰かがそれを批判してましたが、カトリックの雨宮神父もそ う言ってましたよ。 ただ、聖書翻訳というのは直訳であればいいというものではありませ ん。 新共同訳のほうが学問的ですし、岩波訳はもっと学問的です。 学問的な訳は最近の学説をもとに意訳してしまうようなところがありま すね。
★ 【人権擁護法】提出者および推進もしくは支援者は【内乱罪】
(日本の警察・軍隊[自衛隊]以外の武力[朝鮮人を差別したといって令状なしにスタンガン
など]によって日本の国家転覆を図った)★
【 全体主義でない確認 】
閲覧者はポツダム宣言に反する宗教団体・政治団体・商業登記法人などの
団体の解散および役員および当該事件の下手人等の投獄などの
日本国の内外における取り締まりの陳情をする協力者ができる人とします。
>>?
リンクを遡るのは執念興味関心の度合いにより個人差があります。
この関連情報に関してBBS直接紹介者など情報入手経路の証明が出来るよう
各種法律や国際法規の遵守に関して自己責任・法人責任として下さい。
基本的にURL・アドレスは秘密漏示にあたる????からしか遡った漏洩はあうりません。
家族・職場・学校等よりスレッド立てぬし本人から聞いたと偽証する漏洩は、
住居侵入(居空き・空き巣など)・クラッキング・盗聴・盗撮・尾行などの人権侵害や犯罪など
による情報入手の自供とみなされます。
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=history&key=1119060431&st=101&to=200 対北朝鮮協力者は国権(自民党含む)を排除し他人の権利を侵害するので
ナチス党や新型全体主義共産やオウム真理教同様に「組織犯罪」の責任を負って貰います。
宗教法人法・宗教団体法・組織犯罪法・ストーカー法・軽犯罪法・
女性差別禁止条約・政教分離憲法などに抵触し重度の違法多数。
日本ならびに全世界の治安と信仰の自由と民主主義および自由主義経済の敵(破壊者)です。
【 全体主義でない確認 】
803 :
sage :2005/06/30(木) 23:21:45 ID:AF9DXhH2
>799新改訳って読みやすいですわね。御言葉の真意が伝わって参りますわ。 また新改訳はイイ! という思いこみ。数ある主要翻訳の一つにすぎないのに。 なんでこの訳に限って、こういう思いこみ的な人が多いのか。 バルバロ訳とそのあたりは似てるのかな。
804 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/30(木) 23:31:38 ID:94NAKyql
>>799 をよく読んだ?
文語ょり、新改訳は、読みやすぃでしょ。
文語は現在使われなぃ漢字を使ってるから。
新改訳が読み難ぃという人がいるなら、文語にしなさぃ。
805 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/06/30(木) 23:36:04 ID:94NAKyql
>>797 「平民の福音」は、売り切れて手に入らなぃですね。
806 :
名無しさん@3周年 :2005/07/01(金) 11:13:50 ID:H2qChCwP
>>803 …よく読め、比較の対象は文語訳だぞ。どこの教会だかは興味があるがね。
日本語訳としての一般的な評判としては、文語訳の方が高いのだけれどね。 もちろん、文語文自体が読みづらいということだろうけど。
文語訳の旧カナその他読みづらいところを直して、 讃美歌の交読文(古い方)程度のものを出せば、それで済むと 思うけどね。口語各種は逆立ちしても文語訳にはかなわない。
809 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 02:13:48 ID:t1gJQzqA
しかしそれは「聖書=格調高い文体」と言う刷り込みのせいだったりする。 教養が低かったと思われる羊飼い達の科白 文語訳「いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起これる事を見ん」 新改訳「さあ、ベツレヘムに行って、主がわたしたちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう」 新共同訳「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」 岩波版「さあ、ベトレヘムまで出かけてみようではないか。そして主がわれらに知らせて下さったところの、今成し遂げられた[という]そのことを拝見しようではないか」 リビングバイブル「さあ、ベツレヘムへ行こうぜ。主が知らせてくださった、すばらしい出来事を見てこようじゃないか!」
文語とリビングがよくて、真ん中の三つはダメだね
811 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 08:56:15 ID:JXimoR1P
フランシスコ会訳「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事 を見て来よう」 柳生直行訳「主が知らせて下さったその出来事を見に、さっそくベツレヘムへ出か けようではないか」 尾山現代訳「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせて下さった出来事を 見て来ようではないか」 本田哲郎訳「さあ、ベトレヘムまで行ってみよう。主が知らせてくれたそのできごと を見たい」 昔の人(というと尾山師に失礼だが)の訳は、語尾が「〜しようではないか」だな。 個人的には、新改訳と本田訳が読みやすいか。 あと、ニコライ訳と無教会訳もあったけれど、処分してしまい、すまんかった。 つか、無学な羊飼いが「いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起これる事を 見ん」て、劇団四季のミュージカルみたいだな。
殿様 「よいではないか、よいではないか」(ウシシ・・・) 娘 「アレー」(帯をクルクル・・・) みたいな語感
813 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 10:42:00 ID:t1gJQzqA
>>809 自己レス
文語訳:文語体は総じて短く語感が良い。語尾の変化が判りにくい(古文苦手)
新改訳:わざわざ「わたしたちに」を訳すところが「原語に忠実」を表す
新共同訳:個人的にはこの箇所については可もなく不可もなく
岩波版:
・「ベトレヘム」がヤラシイ
・出来事を「成し遂げられたその事」と訳すのは、むしろ文語訳と共通。むしろ「出来事」の方が敷衍訳かも?でも、まあ普通「出来事」じゃない?
・「拝見」は突然謙譲語。岩波ってそうだっけ?神に敬語を使うなんてむしろ新改訳っぽいイメージが・・・
814 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 11:00:57 ID:3stDzxmC
ほかにもこんな訳があるよ。 「さあ、ベツレヘムに行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」(荒井献訳) 「さあ、ベツレヘムに行って、主が我らに知らせて下さったその起こったばかりの事柄を見てこようではないか」(田川健三訳) 「さあ、ベツレヘムに行って、主が知らせて下さったその出来事を見てこよう」(土屋博訳) 「主がわれわれに知らせたところの、すでに生起したレーマ(出来事・言葉)を見に行こう」(雨宮慧訳) 「さあ、わたしたちはベツレヘムに行って、主がわたしたちに告げられたこのことの成ったのを見よう」(NTD訳)
訳者を隠して素直に選ばないと偏見が入ってダメ
>>815 雨宮訳、学問的だけど、訳になってないな(w
>>816 うむ、アンチ新改訳やアンチ新共同訳が、どうしてもいるからな。
新改訳を使ってますが何か?と言っただけで、信仰まで否定されますた。
818 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 15:21:59 ID:IgwLEpmj
台詞で比べてるあたり、まだ格調の呪縛から逃れきれていないと思われ。 新約はもともと丸ごと俗語で書かれたもんだろうがよ?
819 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 15:27:59 ID:IgwLEpmj
>>817 新改訳利用告白に伴い何が不愉快な応答をされたなら、
否定されたのは信仰じゃなくて知性だろ。信仰否定はムシロ新改厨が常套だ。
821 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 16:37:52 ID:dJlfaPxZ
「さあ、ベツレヘムへ行こう。そして主がわたしたちに知らせてくださった出来事を見よう」(回復訳) 「出来事」にノートがついており、 「文字通りには、言葉」とあります。 回復訳は、ロゴスを「言」、レーマを「言葉」と書いて、 どちらも「ことば」と発音しています。
>>812 そうね。最後を「〜ではないか」にする必要はなさそうじゃあーりませんか
>>818 日本語の分かりやすさなら本田訳、学問的視点なら岩波訳だけれども。
コンコーダンスから注解まで一冊にまとまって一万円切るとなると、新改訳チェーン式
を使いつつ、他の聖書も併用するのが一番だと思われ。
新教出版のコンコーダンスは使い物にならんし、教文館のは未だに口語訳か、物凄い
値段のしかないからな。つうか、新改訳刊行会は、安価なハンディコンコーダンスを出
しているのに、何で聖書協会は、パノラマバイブルとかアレなものしか出さないのかと。
あんなのに、誰が三万も出すのかと、問い詰めたい。
別に、福音派だから新改訳じゃなきゃいかん!と言っている訳じゃないのに、新改訳と
いうだけで、人格を否定される発言をされちゃたまらん。
>>819 漏れの人格と、財布の中身を否定されました。謝罪と賠償を(ry
何の先入観もなしに、むしろひょっとして良いんじゃないかと 思って新改訳と岩波読んでみたが、新共同訳よりはマシだが口語訳 劣る気がする。どこがどうとかあげつらう気はないが、どれも考え 過ぎた挙句雑な口語訳よりも文章の調子が悪くなっているのじゃな いかと・・・
>>824 こういう文章を書く人に言われても・・・
>>824 古い他人の訳業を剽窃したと言われるのが嫌なんでしょう。
だから、古い翻訳の方が自由に言葉を選べて有利だった。
827 :
>>824 :2005/07/06(水) 06:10:48 ID:fs0uVcjN
いい加減ルビがうざいんですけど。 義務教育レベルの漢字にルビふるのやめてほしい。 ごじゃごじゃしてうるさい。 ルビなし聖書かなり売れるな。
828 :
名無しさん@3周年 :2005/07/06(水) 06:39:50 ID:/lCdstUJ
>>815 さらにこういうのもある。
「ぜひベツレヘムまで行って,エホバがわたしたちに知らせてくださったこの出来事を見てこようではないか」(新世界訳)
829 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/07/06(水) 07:47:42 ID:60v3ywrj
ポケット版なら、新改訳がぃぃ♪ 新改訳新約聖書B7版。 訳そのものは、新共同がぃぃけど、新改訳の箴言つきは魅力。 ポケット版サイズは、それこそスレタイ通り、新共同or新改訳になるね。
>>818 田舎の教会には、教育を受けて無くて漢字は読めない、
でも聖書はカナが振ってあるから読めたって言うおばあさんが
いるんです。ネタじゃないですよ。だからルビはうざくても仕方
ないと思う。聖書は教会学校の生徒も使うんだし。
831 :
名無しさん@3周年 :2005/07/06(水) 09:31:50 ID:4Tm4MWCF
>>830 その辺りを踏まえて、御言葉の祭儀と説教の重要性を、現代になっても、トゥルナイ
ゼンが述べているんだと思うんだが。誤読かな。
カトリックは千年前から時代の先端を行ってますたって、お前ら、御言葉を典礼で重
んじるようになったのは、第二バチカン以降だろうと問い詰め(ry
信徒が聖書片手に説教礼拝に赴くというのは、日本の改革派の欠点だと思われ。
>>832 いってることはわからんでもないが、何で聖書もっていくのが欠点なのか、
しかもそれが改革派限定(メソだってバプテストだってもってくだろ)とする
理由がわからんので、も少し説明してくれ。
それと、ルビは教育的配慮以外にも、本当に読み方がわからんので
必要という側面もある。自分はルビのない電子聖書を使っているので、
時々「読みまちがい」をしているらしいし、文語訳でのルビの用いられ様は
明らかに振ったもん勝ちで「平成軽薄体」と大差ない。
834 :
名無しさん@3周年 :2005/07/06(水) 16:40:26 ID:zICY7gYZ
プロテスタント教会に通っています(今のところは)。 岩波訳と新共同訳と新世界訳を使ってます。 なぜ私の人格は否定されないのですか?
新共同訳・新改訳・フランシスコ会新約聖書・ニコライ訳新約聖書・原典聖書 カトリックのフランシスコ会訳の注釈・カトリックのカテキズム・カトリック要理 正教要理・聖書注解書(いのちのことば社・日本基督教団) 聖書辞典・ギリシア語−ヘブライ語辞典 ナグハマディ外典の福音書・新約外典・使徒教父文書・初代教父原典抜粋 楽しんで調べたり解釈したり、所属が無いから教団の拘束が無い。 人格を否定するも何もないよ。 インターネット家庭礼拝に、時々ミサ参加で満足している。 医者・ハローワーク・行政相談・勤め先・神父やモルモンの宣教師が相談相手 それで生活を安定させている。 教会の人間関係だけ全て。と思っていない。
そーいえば口語訳・文語訳もあったな。
高校に入学した時が、聖書(口語訳)を知ったはじめ。学校礼拝が楽しかった。
けっこー動機が不純ですよ。 教会学校や夏の修養会に野外活動の参加は。 パツキンやハーフのネーチャンを見るのが目的とか。 神の御前に平等に国際交流とか 偽装な返事だな。
840 :
名無しさん@3周年 :2005/07/06(水) 21:47:55 ID:MpLU4qJn
>>833 そういえば、バプテストも聖書持ち込みか。すまんかった。
救世軍はともかく、メソジストはアングリカンの延長だから、祭儀に聖書は持ち込ま
ないと、単純に勘違いしてました。本当にすまんかった。
個人的には、祭儀における聖書朗読や説教は、聴くものであって、祭儀中に聖書を
引くというのは、旧約時代や原始教会の伝統から考えて、違うと思う。聖書を持って
いくのが普通だと、牧師が説教で「聖書の何ページを開いて下さい」とやったり、朗
読中に、信徒が聖書を開いて当該箇所を読んだり、関連聖句や注解を読んでしまう
可能性があり、私は勧められないことだと思う。
日本のアングリカンにも、聖餐式聖書抜粋集があるけれど、私は基本的に祭儀中
は開かない。後で説教を思い起こしたり、旧約との関連をノートにまとめる時には、
もちろん重宝している。
841 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 04:15:47 ID:opelX4F7
漏れも昔メソにいたが、説教は聖書のどこどこ、どこどこを引いて みたいな、聖書講義になっていた。 説教と聖書講義はえらい違うと思うのですが・・ いまは聖書朗読を「神に感謝」するところで、ご聖体にあずかってます。
842 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/07/07(木) 04:29:24 ID:mzb99mss
聖書講義ならまだぃぃけど、聖書を利用した社会批判をする牧師が多ぃと、感じてきた。
843 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 04:47:40 ID:1uJtypsl
多いですね。 右、左、陰謀論、みんな聖書にこじつけてしゃべってるだけなのに、 どういうわけか、自分は聖書から語ってると本気で思ってる。 オレもクリになって五年くらいはそういうのに振り回されたよ。 ああいうの、実は楽なんだよね、語る側も聞く側も。啓示を解き放たなくても、いいメッセージ の礼拝だったなという錯覚にひたれるから。 メッセージするようになって以来、意図的にそういう話題には触れないようにしてる。
844 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 09:12:30 ID:fmZU85W5
>>841 まったく。カルヴァンやウェスレが、じゃあ聖書を開いて下さい、なんて講解説教した
か?と問い詰めたいところだ。
>>843 錯覚ってきみ。
聖書なんていらん、大事なのは祈りの空間てのは、間違った静寂主義。中世カトリック
やロシヤ正教の陥った罠。
845 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 09:15:17 ID:fmZU85W5
>>844 すまんかった。自分に酔って、啓示していると錯覚しているのは、牧師のほう
か。聖書そのものが錯覚と誤読しますた。本当にすまんかった。
846 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 09:43:11 ID:WM6UvYmz
>>840 ああ、アングリカンの高いほうの人? まあ、改革派を最拡大解釈するとメソもバプもそっちの
低いほうも入るから、大間違いともいえんが。
個人で書物を所有出来なかった昔の習慣は、持ちこまなくてもいい根拠にはなっても、
持ちこむべきでない理由にはならんだろ。他の選択肢がなかっただけなんだから。
また、牧師が聖書開かせたり、信徒が関連箇所や注解、まして該当箇所を読むことが
なぜ勧められないのか、わからない。トゥールンナイゼンなんか引っ張った以上、信徒に
聖書を読まれては困るレベルのインチキ説教を想定してはおるまいし。逆に狭義の改革派
では、そのインチキ説教を看破して即ヤメさせる為に、長老は説教中聖書を確認する事が
義務なんだが。
847 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 10:01:51 ID:WM6UvYmz
>>840 (つづき)
祭儀が厳粛に行われることではなく、会衆が理解する事によって礼拝への参加が
成立する、という思想に立つと、後から納得しても手遅れだから、
聖書持ちこみや、参照指示はむしろ必然という事になるね。講義が始まっちゃうと
それは確かに違うとは思うが。
で、余談になるが、聖書を開かせるのに頁を示すのは相当に考えなしな奴なので、
君のところは本当に聖書開かせないんだね。
余談ついでに「聖餐式聖書抜粋集」なるものに興味を持ったが、なにそれ。つまり式文とその根拠集? 何訳準拠で何処で手に入る?
>>846 >>長老の義務
なんだか殺伐とした教派ですな。
ワシは某「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」の教派で洗礼を受けて、
カトリックと正教会に通っているわけだが、一番最初に驚いたのが
どちらの教会でも聖書を配っていないこと。聖書は週報に抜き出してあるだけ。
今はそうは思っていないけど、初めて逝ったときは「聖書的でない教会だな」と思った。
今でも聖書持って御ミサ逝くけど、ちょっと浮いていますな。
849 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 16:18:10 ID:g2CXl+wv
>>848 >殺伐
そうかもね。でもその御陰で、牧師独裁にもブサヨにも什一詐欺にも聖霊熱狂にもならない
(なりそこねた?)わけよ。
オーソは番頭にしか行った事ないので言及を避けるが、カトのあれは、便利だけど
必然的に前後関係が判らなくなるところがいかがなものかとは思いますな。
850 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 18:28:57 ID:1uJtypsl
いずれにせよ、聖書は大事だよね。 神はご自身の過去の語りかけにもとづいて語られるという原則があるけれども、 神の過去の語りかけの最たるものである聖書なしに、まともなクリスチャン生活なんてありえんでしょう。 オレはプロは嫌いだけど、プロがカトや東方教会よりも神のみこころに 忠実な点は、聖書主義だと思う。 そしてもしプロがもっと神に忠実になれる可能性があるとすれば、聖書主義をさらに徹底化することに あると思う。 結論。 格調の高さだなんて寝言は論外。 原文の意味がちゃんとわかるように工夫されてる訳がいいに決まってる。
851 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 18:36:17 ID:MYGxvhpR
>>850 原文の意味がちゃんと判る様にする工夫には、
こなれた日本語と、翻訳臭い日本語のどちらが相応しいだろう?
プロテスタントがなぜ嫌いかも興味はあるが、スレ違いになりそうだ。
漏れとしては翻訳臭い日本語で注で敷衍の岩波がいいかな
853 :
名無しさん@3周年 :2005/07/07(木) 20:37:07 ID:L6Jp2jcg
>>846 。
いちいち参照箇所を引かせたり、信徒が朗読や説教に集中できずに、勝手に聖
書を読んでいるんじゃ、祭儀や説教が不完全だと思う。それは、朗読者や牧師の
責任なんだから、信徒に責任を転嫁するのは誤りかも知れないけれど、完全な
祭儀を求めようと思えば、聖書は持ち込まないというのが理想的だと思う。
あと、いちいち信徒が聖書を引かないといけない説教を批判していたのは、トゥ
ルナイゼンでなく、リュティかバルトだったかも。あの辺の神学者は、みんな同じ
に思える。間違っていたら、すまんかった。
また、祭儀における聖書は、読むんじゃなく聴くんだ!という理念による冊子が、
聖公会やカトリックから出ています。礼拝的にハイな聖職の冊子かな。
>>847 正しくは「特祷・聖餐式聖書日課」といって、主日の旧約・使徒・福音書の抜き刷
り。ちゃんと祈祷書に日課表は出ているから、いちいち聖書を引けばいらない本
だけれども、便利なので聖公会の必需品。訳は新共同訳。
聖公会で公用に認められているのは、文語訳、口語訳、新共同訳、聖公会宗務
院訳外典。私用は何を使っても良し。
854 :
名無しさん@3周年 :2005/07/08(金) 01:52:23 ID:VWgEXuPA
どうやればいいかなんて、ちゃんと聖書に書いてあるじゃん。何でそれを無視すんのさ。 第一コリント第十四章にある通り、全員がメッセージすればいい。 極論だと思う?けどこれ、聖書に書いてあることだし、ルターも万人祭司って言葉でそれを表現してる。 プロはそれをスローガンにして実行しないからダメなんだ。 オレには聖書を変える権利は与えられてないし、聖書に書いてある通りにするのが祝福があるのは自明だ。 聖書に書いてある通りにすればいい。 これが結論。議論の余地ナシ。 さて、スレタイに沿った話をしようか。
>>854 「聖書に書いてある通りに」
とは何を意味しますか? エホ証みたいな聖書の読み方だって可能性としては残されています。
例えば輸血の拒否とか年一回の聖餐式とか。
私はルーテル派の教会で洗礼を受け、ルターの「聖書のみ」のスローガンも私の頭にはこびりついています。
ただ、聖書をどのように読めばいいのか、正教会、カトリック、ルーテル、改革派、バプテスト、ペンテコ、福音派、エホ証、、、
いろいろ見ていくうちに、何が聖書の「正しい」読み方なのか分からなくなってしまいました。
856 :
名無しさん@3周年 :2005/07/08(金) 12:47:00 ID:8tudXo8v
>>854 スレ違いになってきたので、ここらでやめておきますが、ルターの万人祭司と、専門職
としての司祭・牧師は別物です。それこそ、リュティの「説教」に、何で牧師は給料を受
けるのか、それは平日は説教のために祈りと勉強する代価だ、と書いてます。
スレに戻りますが、おまいら、秋に発売予定の「新改訳第三版チェーン式」は購入です
ね? でも、予約特典の万年カレンダーは正直イラネ。
>>856 誰か見本か何か見た?
本文はともかく、脚注の部分が変わってるのかしら?
そこが新しくなっているなら、購入を考えるけれど。
858 :
名無しさん@3周年 :2005/07/08(金) 18:34:32 ID:dNqSVJoq
パンフは届いているけれど、注釈は変わっていないんでないかと。本文批評を 大胆に採り入れました、なんていったら、新改訳刊行会はネ申。 巻末資料のカラー化など、若干のグレードアップはある模様。
>>858 本文批評は水戸黄門の印籠みたいなもの
アレがないとおさまらないけど、本文とは違うからまともにとりあう人もいない。
オヤクソクだから気にしない。
860 :
名無しさん@3周年 :2005/07/08(金) 22:12:40 ID:hn8Twhq/
本文批評学ではなくて、聖書批評学だと思われ。 まぁ、その辺は期待してないけど
>>860 本文批評が下等批評で、聖書批評が高等批評のことでいいの?
「保守派」の榊原康夫先生もこう書いている(『旧約聖書の写本と翻訳』いのちのことば社) 「“神のことばが一言一句、一点一角に至るまで霊感されて与えられているというのは、 後代の信仰であって、大昔はそんな考え方ではなかった。筆写はのびのびと大胆自由で、 本文に幾通りもの相違ができていた”・・・本文学は、マタイならマタイの書いたイエスの 説教を復元しようと努力しますが、それ以上のこと、つまりなまのイエスの、おことば そのものがどんなであったかまで調べようとはしません。」(264p) 「なまのイエスの、おことばそのもの」を調べる際に「リベラル派」が用いる文献批判とか 伝承史批判、様式史批判、編集史批判といった手法には「保守派」は概ね同意しないが、 「マタイの書いたイエスの説教」を復元することを目的とする本文批判は当然認めている。 聖書「本文に幾通りもの相違」があるわけだから、「マタイの書いた」“原文”に近づくためには どうしても本文の伝達の歴史を調べる必要があるからね。
863 :
名無しさん@3周年 :2005/07/09(土) 06:47:20 ID:RoxbQaku
重要なのは、聖書各自巻の著者が何に力点をおいているかを読み取ること。 マタイは獅子、王としてのキリスト。 マルコは牛、奴隷としてのキリスト。 ルカは人としてのキリスト。 ヨハネは鷲、神としてのキリストを記述してる。 聖霊が聖書記者たちを通して聖書をそのように書かれたのだから、そのように読めばいいでしょう。 聖書を読んで何かを想像するのと、聖書によって主が語っておられることを受け入れるのと、 どちらが大切かは論ずるまでもないでしょう。 そうでなければ、どの翻訳がいいか考える必要もありません。 想像力を働かせるキッカケならなんだって気に入ったものを読めばいいからです。 最近スレタイからズレたカキコが多いですね。
>>863 いやだから 回復訳は どーでもいい
>>862 「リベラル派」と「保守派」と言うより、
「主流派」と「福音派」
もしくは はっきりいうと「キリスト教」と「キリスト教系新興宗教」
読む前から偏見に満ちている人は翻訳を語る資格はない。
866 :
名無しさん@3周年 :2005/07/09(土) 15:11:16 ID:RoxbQaku
アタリ! W・リーをネタ本にしたってよくわかったね。すごいな。 W・リー、読んでみたらかなりよかったよ。 メッセージの用意には欠かせなくなりました。 でも、今回ネタにしたのは回復訳ではなくて、創世記のライフスタディ。 回復訳本文はいい翻訳だと思うけど、時々「耳障りのよい」とか、変な日本語が使われてる。 限りなくりそうに近いけど、改訂が必要だな。 フットノートの内容もいいけど、訳はあわてて訳してる印象。 漏れはフットノートはあまりみず、ライフスタディを読んでます。 最近、あの人まったくみかけないね。
種に使うには知られすぎた
868 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 12:15:29 ID:00rfgKon
「オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー」って、 地方教会のサイトなんですか? 雰囲気は似てるけどなんか微妙に違うような。 引用聖句も、あんまりみたことない翻訳だけど、これって回復訳なんですか? ここで読める本は良書ぞろいだけど、どういう人たちのサイトなのか前から気になってます。 スレ違いかな? キリスト教関連書籍スレにもカキコしてきます。
870 :
42 :2005/07/12(火) 23:40:01 ID:PEbjtU45
ところで、おまいらは聖書の注解書は持ってますか? 漏れは今度『新共同訳 旧約聖書略解』『新共同訳 新約聖書略解』を買ってみようと思ってるが、 他に何かお勧めの注解書があれば教えて下さい。
ベアトゥス黙示録注解なんかお勧めです
872 :
名無しさん@3周年 :2005/07/13(水) 18:26:07 ID:hfae5jHa
略解を買うくらいなら、もう少しお金を貯めて、実用聖書注解とかカトリック聖書新注 解書とか、ロングセラーの一冊本を買うのが良いと思う。前者は福音派の、後者は ローマカトリックのロングセラー。
873 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/07/18(月) 22:08:20 ID:DUBfAVez
日本福音書房の書房だより22の愛読者だよりから転載 『貴社の新約聖書回復訳が何かのサイトでお勧めの聖書として紹介されていたらしく、購入した方が「とても良い聖書が手に入って嬉しいです」と、喜びのコメントを載せていました。 わたしもこれを持っているので、この記事を読んでとても嬉しく、幸せな気持ちになりました。 これからも多くのかたがこのすばらしい聖書を手にすることができますように。 青森県 女性』
875 :
ザンクト・ガレン :2005/07/20(水) 21:31:08 ID:VPJh4JlH
漁師の告白―神のみ手との出会い―(ヨハネ聖福音書) 無生に ℣無生に†一、かかわりの御言(みこと)†二が在(いま)す。 その御者(おんもの)は、隠れ身(かむい)さまに向かって在り、 そして隠れ身(かむい)さまである。 ℣すべてはこの御者によって生まれ起こった。 生まれ起こったことのうち、この御者なしに起こったことは一つもない。 ℣この為手(して)なる御者の裡に、おいのち在り、おいのちは人々の光なのである が、光は無明(むみょう)に†三照っても、無明はこれに届かなかった。
876 :
ザンクト・ガレン :2005/07/20(水) 21:59:41 ID:VPJh4JlH
†一 [はじめに……があった。]というのは、現象的時間的ながめの表現 であって、ここではそのような次元を超えているながめが示されるのである。 現象的時間的次元を完全に超越したところを示す。 (無生については†三参照) †二 [光あれ、と曰(のたま)えば光ありき]存在を在らしめ、また事を 起こすために、神がかかわるとき、神が[言う]という表現を使う。 これはユデア語だけのことではない。日本語でもコトは言(コト)でもあり 事(コト)でもある。 ℣すべての存在は、他の存在とかかわる。かかわるときに何かが起こる。 ℣そこには常に、いわば、コトことばがある。人間の、説明のための観念 ことばも、コトことばとひびき合わねば幻である。 ℣日本語では、かかわる主体を[手]という。話し手、聞き手。 ò λογοσ ホ・ロゴスは曰うことを本性とする主体、その御者のことで あって、言われた言(コト)の葉ではない。 ℣「はじめに言葉があった」は根本的誤訳で、この種の表現は、西欧文化 に根源的歪みを与えつづけている。
877 :
ザンクト・ガレン :2005/07/20(水) 22:10:23 ID:VPJh4JlH
†三 仏教的表現で「無」というとき、それは、論理的世界の有り無しの無とは違う。 その無は、問題にする世界とは違う、その[彼岸]を示す。 ℣無生に、というときは、生まれ起きる被造の世界とは共通にながめ得ない我々には 隠れた[彼岸]の限りない、いわば、隠れ身さまの洞(ほら)を示す。 無明という時は逆に、彼岸の光の世界から見た、観念ことばで悟りを描くような、 人間的境涯の闇を示す。
878 :
ザンクト・ガレン :2005/07/20(水) 22:43:53 ID:VPJh4JlH
℣隠れ身(かむい)さま(即ち神さま)から遣わされた人が起こった。その名はヨハネ。 彼は証(あかし)のために来た。光について証しするためえある。 すべての人が彼によって光に帰依するために。彼は光ではなく、光について証しするため の者である。 ℣この被造界に来るすべての人を照らす、まことの光があるのである。この光は被造のうち に在り、被造はこれによって起こったが、被造はこれを知らない。御自(おんみずか)らの 者らのうちに来られたが、彼らはこの御物を受け取らなかった。 しかし、この御者を受け取った者、この御者故(ゆえ)にこの御者に帰依した者には、 神の子となる権能を与え給うた。血によらず、肉の意によらず、人の意によらず、 神より生まれた者たちである。
879 :
ザンクト・ガレン :2005/07/20(水) 22:58:22 ID:VPJh4JlH
℣かくて、仕手(して)†四 は肉となり給い、われらのうちに住み給うた。わららは、 優しい光に満ちたその存在の重さを観た。それは、無償に溢れる恵みと誠(まこと)との、 御父の独り子のすがたであった。 ℣ヨハネは彼について証言し、叫んで言った。 ℣「これは、嘗(かつ)て、『私の後に来(きた)り給う御者が私より先になった。 ℣何故なら、私の根源なる御者だから』と言った、その方なのだ」と。 ℣われらはすべて、その方のおいのちの溢れを受け取った。無償の恵みに恵みを重ねた。 法(のり)はモーゼによって与えられたが、無償に溢れる恵みと誠とは、 イエズス・キリストによって起こったのである。 ℣誰も嘗て神を見た者はない。御父の懐(ふところ)に在(いま)す御独子の神が、彼を 詳しく示したのである。
880 :
ザンクト・ガレン :2005/07/20(水) 23:04:24 ID:VPJh4JlH
†四 ò λóγοσ は、日本語で、かかわる手、為手(して)と訳すべきであるが、 ヨハネの書全体のながめから言うと、正に ―仕手(して)(―能の主役を意味する言葉)―である。
881 :
ザンクト・ガレン :2005/07/20(水) 23:09:24 ID:VPJh4JlH
>>878 誤謬を訂正。二行目:【誤】光について証しするためえある。→
【正】光について証しするためである。
882 :
名無しさん@3周年 :2005/07/21(木) 19:57:52 ID:w2/yLzq4
↑この人↑ 地方教会関連のカキコミがあると すぐにやってきて大量になんかコピペしてく。 うざいからやめてくれ。 地方教会が嫌いならそっち系のスレで議論したらいいだろ。
883 :
名無しさん@3周年 :2005/07/22(金) 08:10:41 ID:eWQKgb29
>「戒律」とは方便 いえ、教団運営のルール、修行のルールで必須です。 やって良いこと悪いことの区別が つかないようではね。 精進料理・普茶料理は修行のルールからでたもの。 韓国の禅では料理は発展せず、卵や犬肉を食わない 酒は度数の低すぎる 屠蘇のマッコリしかないし 儒教儀式の先祖供養で出る程度だから もともと酒は無くて飲む習慣はないから ごく普通に ごく自然にルールを守っていたんですよ。 >「禅定」が何か、私にはよくわかりません 瞑想(サーマジ?・ジヤーナ?[禅那])ですが 禅宗ですと三昧(ざんまい)・真言宗だとサンマジとか呼びますね。 数息観・月輪観(止)・五成相観・阿字観(観)が真言宗 経行・只管打座(止)・十牛図・公案(観?)が曹洞宗・臨済宗 ???・念仏(止?)・十三_十六観(観?)が浄土宗・浄土真宗 マカ止観(シャマタ止・ビバシャナ観)の写経が天台宗 念仏より「功徳」がありマカ止観を「凝縮」した お題目を「写経」し運想(止観)を唱えるのが日蓮宗 もうシンプル。易[行]道の極みですよね。 すでに 道徳(戒律)も修行(座禅)も消滅してますよ。 哲学や お習字では 宗教としての仏教じゃないですよ。 ぼくはキリスト教の教義を学びつつも 生活が道教風だから 人丹法も風水もアリですが
884 :
名無しさん@3周年 :2005/07/22(金) 08:11:17 ID:eWQKgb29
【 禅宗の特徴 】 精進料理・普茶料理・朝粥−昼前点心−昼ご飯−夜座の一日のサイクル・ 臨済の渇(相手を殴って教える)・黄檗[徳山]の棒(相手を叩いて教える)・ 臨済の公案(禅問答)・公案などに使う十牛図・ 洞曹の只管打座(達磨の大乗壁観の発展)・経行(呼吸歩調)など 中国僧の師資相承(一子相伝というか)。 黙照禅は南宋初め臨済宗の大慧宗杲が曹洞宗の宏智正覚を批判した言葉 看話禅は曹洞宗の宏智派が臨済宗の大慧宗杲を誹謗する時に使った言葉 念仏禅は黄檗宗を黙照禅・看話禅に続けて呼び慣わす言葉 野狐禅は臨済宗の『無門関』でいう似而非禅をさす言葉 臨済宗は中国に生き残った楊岐派・栄西の日本に生き延びた黄龍派の二大潮流 清王朝初期に来日した福建人宗祖の黄檗宗は臨済と念仏の融合で楊岐派の系統 ---------------------------------------------------------------- 禅宗の特徴: 抹香(平安以降に)−線香(清朝前後から)を焚く 緑茶(中国茶苗から宇治茶)を飲む 味噌(ぎんざん寺みそ?)−醤油−豆腐(湯葉・お麩)−梅干を作る 武道を行う(少林寺拳法[少林拳]・柔術・合気道) ・・・
885 :
名無しさん@3周年 :2005/07/22(金) 08:12:17 ID:eWQKgb29
【 仏教の「お経や経論など」の大雑把な歴史 】 BC383年ごろ 第一回結集 経と律で 九分教 十二分教に整理される。 BC260年ごろ 説一切有部などの部派仏教の成立。 阿含経(法句経・スッタニパータ・ジャータカなど) BC160年ごろ ミリンダ王の問い「那先比丘経」 BC100年ごろ ストゥーパ(塔)崇拝、アジャンタ石窟はじまる。 AD001年ごろ 大乗仏教(初期大乗)はじまる。 AD130年ごろ 般若経・維摩経・法華経・華厳経・浄土三部経・座禅三昧経 AD150年ごろ ナーガールジュナ(竜樹)の中論頌 AD170年ごろ 第一中期大乗の勝曼経・大般涅槃経・解深密経・弥勒三部経 AD200年ごろ 仏像彫刻はじまる。 AD350年ごろ マイトレーヤー(弥勒)のヨガ師地論・宝性論 AD390年ごろ アサンガ(無著)の金剛般若経 AD400年ごろ ヴァスバンドゥ(世親)の倶舎論・唯識三十論・仏性論・浄土論 第二中期大乗の薬師如来本願経・地蔵菩薩本願経・孔雀王呪経 AD500年ごろ ブッダパーリタ(佛護)の中論註 グナマティ(徳慧)の唯識三十頌釈 ダルマパーラ(護法)の成唯識論 AD600年ごろ 玄奘三蔵の印度旅行(629−645)金剛乗仏教(後期大乗・密教)の大日経 AD650年ごろ 金剛頂経 AD700年ごろ シャーンタラクシタ(寂護)の中観荘厳論・菩提心観釈 AD900年ごろ 中観ヨガ派 AD1000年ごろ 時輪タントラ(1027−1087) AD1203年ごろ イスラム教の寺院の破壊が開始。
ここは 【新共同訳】聖書はどの翻訳がいい?2【新改訳】 スレッドです。 スレ違いの話題はやめてください。
887 :
名無しさん@3周年 :2005/07/22(金) 11:04:55 ID:us8D+JHi
地方教会が話題になると粘着したり変なコピペ連投したりする人が出るってのは 確かにいえてるね。他スレでも同じ。 最近回復訳カキコする人がいなくなったからそういう現象おきなかったけど、 なんだい、事情は変わらずか。 最初は回復訳を擁護してる人たちが意固地になってるようにも思ってたが、 これだけ執拗に変な書き込みをされたら、意固地にがんばらざるを得ないかもしれない。 回復訳を嫌ってる人たちは、そうやって攻撃すればするほど「何でだろ?」 と思って回復訳を買ってしまう人が増えることを認識していただきたい。 おかげでライフスタディのヨハネによる福音書を読み始めちゃったじゃないか。 ウィットネス・リー独特の用語(建造とか)が気になる程度で、かなり面白い。 これは腰をすえて回復訳を読まなくちゃという気分になった。 リーが多用し、回復訳でも何回か出てくる「エコノミー」という言葉について、 誰か説明してほしい。ほかの聖書では別の訳語をあててるのに何で リーは「エコノミー」としたのか?
888 :
名無しさん@3周年 :2005/07/22(金) 11:09:25 ID:us8D+JHi
連投スマソ。 回復訳を否定ないし批判する人たちは、回復訳の訳文のどこがどうおかしいか 指摘してほしい。 回復訳擁護の人の反論もみたい。 私の目からは、回復訳は、ちょっとくせはあるけれど、非常に福音主義的で 参考になるんだが、反対する人たちの論拠がはっきりしないので、 安心して読めない。 たとえばヨハネによる福音書で、どの節がどうおかしいの?
>>888 このスレには張り付いていますが、リーや回復訳そのものにはあまり興味が
無いので、回復訳聖書現物は持っていませんし、彼の神学については言及で
きません。
その上で、以前このスレ(か前スレ)で、具体的に訳文が上げられていまし
たが、それを見ての感想。
ギリシャ語の単語毎に正確に日本語を対応させる(アガペーとエロスを区別
するとか)のは面白い試みだと思うけれど、結局その日本語の単語を見ても、
下のギリシャ語の単語の概念が完全に伝わるわけではないし、かえって造語
や、一般的でない用法を使うと、日本語としての意味さえ不明確になる。
結局は脚注に頼らざるを得ないので、それならば、本文自体は日本語として
スムーズに読める文章にして、脚注を充実させれば済む話。
個人的には、岩波訳やフランシスコ会訳の方が良いと思う。
簡単な注解書や聖書辞典の一冊でも手元にあればなお良い。
福音主義的かどーかは知らない。
890 :
ザンクト・ガレン :2005/07/22(金) 19:13:29 ID:WxwBoHNK
>>882 さん
故押田成人師の訳を御紹介させて頂いたんです。
あなたのいう「地方教会」というのが、解せませんね。
でも説明して頂かないでも結構。
頭だけの議論は、もうたくさんです。
私は地方の小さな教会、好きですよ。(^^♪
891 :
名無しさん@3周年 :2005/07/22(金) 19:21:31 ID:ByJY+dWn
「地方教会」は教会組合に属する 単立・独立のバプテスト派教会の概念でしょうか? カトリック教会・正教会・日本基督教団は 「教区」に属する教会ですよね。 日本基督教団の聖書注解書と注釈のつくフランシスコ会訳に 聖書辞典で十分な気がします。
試験に受かる小論文がうけるように書ける智慧と お買い得を探すために頭を働かす智慧と 借金を返済するためにどう稼ぐかの智慧とは 内容も意味も違います。 瞑想は 智慧ではなく 悪く思い浮かぶイメージとか 不愉快な心持ちが持続するとか 悪い行動をしたい衝動や発心とか動機の心を 抑える消す (煩悩を消す・止・シャマタ)と 仏様のように人に幸せや得を与えるような 慈悲や恵みの心や行動を起こす 良い根性をイメージし持続させる (仏の衆生を救う心に変身する・観・ビバシャナ)を 意味します。 阿弥陀様のように この世を見て穢れず惑わされず平静な人になる 観音様や御不動様のように 人の願いをかなえられる頼れる人になる お釈迦様のように 不幸を解決アドバイスの出来る尊敬される人になる そばにいると安心する安堵感を与える人になる というものです。 試験に受かるために医学用語を暗記して 当てっこゲームで正解がパーフェクト・ 百点満点合格。という 智慧と違います。
>ヒンズー教や仏教における >神<デヴァ>の定義は、ヒンズー教や仏教の伝統の中で >「神<デヴァ>」という言葉が独自の意味を持ちます。 ??? デヴァ+ダッタ?(シャカに逆らう弟子?)の事なんでしょうか。 ヴァガバッド[神の]・ギータ[歌]で、バカボンド・バカボンが神だと思うんですが。 バカボンド・ヴァガバッドは、 世に尊い[世尊]・神[天]という意味で、ヒンズー教の『クリシュナ信仰』です。 シヴァ神は『デヴァ』でしょうか。不動明王に相当するらしいそうですが 下から上位に『明王(守護)』『菩薩(大人)』『如来(仏)』だというので 仏教には『神』はいない気がします。 ヒンズー教は『(ラーマ)クリシュナ』と『シヴァ』で2大勢力で ほかはあまり意味ない零細な信心です。
密教の加持作法とか御次第という御唱えや観想の順番があります。 マハ・ラジャー(大王・藩王・土侯国の王)の ハーレム(後宮)で夜伽(遊び女との寝室儀式)の順番みたいな物で まず、結界を張ります。虎ロープで立ち入り禁止って奴です。 そいつは金剛力という黒くてデカイ体の衛兵(警備員)がします。 これが、密教の最初の不動明王が仏様の内陣の周辺をボディーガードする 真言とイメージを思い浮かべる(観想)する事です。 次に天幕を張ります。 木に登って2人の世界に入っているのをノゾキをするマニアから守るためです。 これも密教の次の作法で、 明王と天女が幕を張って、覆いを張る真言を唱えイメージします。 次に大王様の好きそうなお供え物と清める作法儀式をしますが それも密教の真言で進物のイメージの観想をし・・・ そして大王様ではなく、供養・祈願対象の神仏に願い事を申し上げて お願いの真言を、太鼓やシンバルン(にょうはち)や鐘などで おだて・ほめ殺し・おねだりし続けます。 後始末に、ちゃんと結界を解く、天幕やロープはずしまでするイメージ観想と真言を唱え 加持祈祷の儀式が終了という物です。 これが密教の加持作法です。 そういう事からすると、ぜんぜん、禅宗や日蓮宗や浄土真宗は 同じ仏教というのに、感覚やイメージが違うという事になります。
「入我我入」というのを 禅宗では「「入我我入」という語句の入ったお経を唱える」が (日蓮宗の「運想」「お題目」浄土真宗の「念仏」と同じで 天台宗系はやっぱダメで) 真言宗は「入我我入」を「阿字観」という奴で観想の実践をします。 八段錦という体調をよくする柔軟体操なヨガの準備体操をして 「阿」字の掛け軸を置いて、目に脳裏に「阿」を焼きつけ思い浮かべます。 焼きついた「阿」の字をヘンゲさせるイメージ訓練をします。 阿の字の一線一線が人間の手足や胴体の曲がりくねりのように イメージ変化させます。なんと頭の中で「阿」という自が人間に変身し 変身した人間が仏に化けてお説教を始めます。 その仏をよく見ると自分の顔でした。そうだ私は仏に成りすましたのだ。 私はブッダだ。ではブッダから阿字の人間に戻り、阿字を掛け軸に戻って頂きます。 はい。瞑想おわり。 これが『入我我入』のイメージ訓練の実際です。 ○ これが仏教の信仰生活。 この「入我我入」という修行法によって、煩悩をなくし、 煩悩が出た時に 煩悩被害を償い掻き消す行動をする心構えや心の準備に使うように応用し 良き人間、行動できる人間、困難に負けない耐える希望をもつ人間に変身してく 仏に変身していくのに使うのです。
天台宗系は 端々を写経して書き写し丸暗記勉強で 仏法は盗んで身に付けて作文って根性があり 一つ一つの修行や教学と年中儀式に体系つけがなくて 枝葉末節のマニアだから困る。 看板に偽りありっていうのは、中身とか本物が判らなくては見破れない。 喝破できんじゃろう。 善悪判断として良い悪いの判別と悪い事を罰する力が無いとね。 まず入門で弟子になりたい人間の素養を判断する。人物査定します。 いわゆる人相観(にんそうみ)とか行動仕草で性格や癖の判断をします。 そういう測る秘法というか秘伝というのがあります。今は秘密でなく 結構、占い屋で断片で巷に広まり生き残っている方法があります。 おおまかに、盗んで立ち回る奴は、弟子に出来ないし、 誤魔化して弟子になっても、法脈の系譜から外され破門されるのです。 破門後の僭称や詐称は 中世の封建時代だったら死刑だから、まずは生き残らないのですが 思想信条信仰の自由をうたった政教分離の時代ですから 新興宗教として生き残れ後世に伝わってしまうのです。 悪貨は良貨を駆逐する世の中です。
日本の天台は四宗(円・密・禅・戒)融合 当時の中国仏教は華厳・天台(法華)と論理を二分する 円教 摩訶止観(円頓章・一念三千)・天台円教菩薩戒相承 法華経(良医の譬え・観世音菩薩)・無量義経・観普賢経・天台法華宗相承 密教 大日経(加持)・金剛頂経・蘇悉地羯羅経・2つの曼荼羅相承 般若思想 般若心経(空) 禅 蓮華三昧経(本覚讃)・達磨大師付法相承 浄土信仰 阿弥陀経(阿弥陀仏)・観無量寿経・無量寿経 戒律 梵網菩薩戒経(菩薩戒経偈) 法要 法華経の法華懺法・阿弥陀経の例時作法 朝題目・夕念仏 舎利礼文 帰化人・日本天台宗祖・最澄・・・江南の天台山入山許可 栃木人・日本天台4祖・円仁・・・天台山入山不許可・通訳が新羅人 入唐安全祈願・妙見尊 摩訶止観の教学を学ぶ後の禅留学につながる 現在山西の五台山で密教を学ぶ天台の密教化の走り 種々の念仏法の持ち帰りは浄土思想につながる 香川人・日本天台6祖・円珍・・・江南の天台山入山許可・論語や漢書好き 守護神・新羅明神 空海の姪が母だが真言宗に入らなかった 日本天台4祖・円仁が入唐の前に比叡山の横川で療養 滋賀人・日本天台18祖・慈恵大師 良源(0912−0983)『九品往生義』 藤原北家の藤原忠平・師輔の支援を受ける 比叡山横川で三百日護摩修法の霊験で功あり 東宮護持僧になる 比叡山横川の恵心院 恵心僧都 源信(0942−1017)『往生要集』 厭離穢土・欣求浄土 引用書:天台大師智『摩訶止観』善導『観念法門』『六時礼讃』 浄土教・浄土宗へ発展
栃木人・日本天台4祖・円仁・・・天台山入山不許可・通訳が新羅人 入唐安全祈願・妙見尊 摩訶止観の教学を学ぶ後の禅留学につながる 現在山西の五台山で密教を学ぶ天台の密教化の走り 種々の念仏法の持ち帰りは浄土思想につながる 岡山人・栄西(1141−1215)・天台密教葉上流の祖・臨済宗の祖 宋の国に2度留学する 京都に建仁寺・鎌倉に寿福寺を建立 北条政子に認められ『吾妻鏡』に記される 著作: 『興禅護国論』禅の復興で天台宗を復興し国を護持 『喫茶養生記』中国から茶苗を持ち込み宇治茶のはじめ 将軍・源実朝に睡魔を除き気分を爽快にすると説く 『未来記』これからの世は禅が流行る死後50年後からでも 門下に道元(1200−1253)『正法眼蔵随聞記』 栄西(千光法師)臨済宗黄龍派・公案 1168 天台密教・葉上流を立てる・入宋 1187−91 再入宋 天台山の臨済16世・黄龍7世の虚菴懐敞に学ぶ 1191 京都に建仁寺を建立 俊仍(しゅんじょう)臨済系の楊岐派 1211 臨済系の楊岐7世の蒙菴元聡の法を継ぎ・泉涌寺を開く 道元(承陽大師)曹洞宗・只管打坐 1223−27 入宋 長翁如淨に曹洞宗を学ぶ『宝慶記』 天童山景徳寺の如淨和尚の他僧への一喝で大悟 1227 曹洞宗開宗 京都・建仁寺『普勧坐禅儀』 1243 越前(福井)大仏寺あらため永平寺へ『正法眼蔵』
[キリスト教の一番大事なことは]愛する[こと]。[で、] 愛は[神へと人へと]2つあるが神様が先。 神様を愛する。ドウ愛する。礼拝する。神に祈る。賛美します。 人間が神様に出来るのは、賛美しかないから。 赤ん坊は父親から手を握られてくるだけ、母親からおっぱいを吸うだけ。 父親や母親に、笑顔で手振り嬉しがってほめる事しかできない。 生きていられる人間として生まれている神の恵みを賛美するだけ。 雨風に川の流れ・海の幸・山の幸・日差しなど神から頂くだけ。 隣人を愛する。ドウ愛する。お互いが生きられるように助け合う。 どういう神?父と子と聖霊が神。 隣人を愛するのに罰則はあるの。基本的に赦し合い。 戒に照らし合わせ死刑もありうる。 モーセの十戒のうち五戒とか六戒が隣人愛に対する規制。 もっと細かくは、教会令だか宗教会議の決定とか難しいの。 あと各教会の聖職者や信徒会合の判断。 イエスをキリストで神と信じる 聖職者・信徒の集会(エクレーシアスマ)が「教会(エクレーシア)」 信徒になるのに何が必要。 聖職者や信徒の合意で、信者になる儀式に預かる事。 あと集会を支える活動に参加・協力する事。聖堂・礼拝堂・信徒会館の維持も。
ポルネイア(不品行・妻以外とのセックス・ポルノ)から イエス−キリストへの ピスティス(信仰)に スキャンダロン(つまづく・スキャンダル・棄教−背教する)な。 わたしの今までの理解の範囲でなんですが。。。 デカルトは「われ思う。ゆえにわれあり。」しか知らなかったし キリストの神はといえば「あってあるもの」「善い方は一人しかない」といった感じで。。。 聖書ギリシア語では人間は 霊・プネウマ[ギリシア語]・スピリット(霊感・ロゴス[神のことば]・理性・ 良心の痛み[心にある神の戒め・善悪判断]・ 自由意志[リンゴを食べる食べないの選択力]) 魂・プシュケ[ギリシア語]・ソウル(呼吸・心・感情・魂魄) 身体・ソーマ[ギリシア語]・ボディー(血の流れる肉体・骨肉[ボーン&ミート]) で出来ていると考えていたようです。 動物と気の狂った人間には、魂と身体しかなく それに加えて霊が人間にはあるのだそうです。それで霊長類の呼称なわけです。 西欧では宗教戦争で理性を失い人心は荒廃しました、しかし「良心の痛み」が残ったのです。 殺し合いとなると教会の権威や掟を破る踏み越えるもなく、聖書のことば[ロゴス]が不動でした。 法律や教会法を破る事と人間としての罪を犯す事とは何か考えるようになったのです。 罪はいろいろあるのですが、キリスト教の考えでは 「宗教的な罪」と「法律や掟などを破った罪」の大まかに2つあって シン[英語]グレーフ[ロシア語](原罪)と クライム[英語]プレストゥプレーニェ[ロシア語](犯罪)なんだそうです。 原罪のギリシア語は、的ハズレ(ハマルティオン)です。 神の望んだ善なる関係から的ハズレだからです。槍投げの標的ハズシ・やること失敗です。 人間は良心の痛みがありながら自由意志をもって的ハズレをやるというのです。 それが罪なのです。
原罪は、人類にありがちなオリジナル・エラー (若気のいたり・誰もが一度はする失敗・ 人として恥ずかしい事・良心の痛み[悪かったと思う事]) 犯罪は、原罪から起こって更に失敗や間違いを続ける踏み越えた悪い行い (遣り過ぎた失敗・ある一線から行き過ぎた間違い・ わざと(故意で)やった悪い事)だそうです。 原罪の罪を十字架にかけて 全人類が一括して神によって無条件に地獄に落とされる事を滑り止めしたのが キリストを信じて洗礼を受ける事で罪が赦される事で 犯罪の罪は、生きている時であれ、死んだ後であれ 個人ごとに神に裁かれて償わなくてはイケナイものなんだそうです。 ただ、信仰義認とか懺悔部屋で告白する赦しの秘蹟とか 洗礼で今までの犯罪も全部チャラという教派や学説もあるのだとは思うのですが。 旧約の喩えでいえば 神は陶器師(創造主)であって人間は陶器(被造物)なので逆らえない前提で考えます。 神が出来の悪い陶器(罪深い)と思えば、陶器を砕いてしまう(地獄に落とす)のです。 全部の陶器を壊して最初から創り直す(人類に代わる生き物を創造する)のではなく 生かして使う残す陶器(出エジプトの民やロトやノアのような人間)の基準を作ったのです。 新約ですとキリストの十字架が基準です。
無教会風でインターネット派です。逐語霊感がかっている。 Q. 万人救済説は異端なのか? ウェスレー(メソディスト)が万人救済説なのだが。 ウェスレー系、 学校で言えば、青学と関学、 教団の教会で言えば、銀座、渋谷、本多記念、あたりだが、 これらがみな異端なのか?? 確かにイギリス聖公会からは破門されているけどね。 ちなみにメソディストにも、ウェスレー派の万人救済説と、対抗の予定説の2派がある。 A. 「普遍救済」と「万人救済」は人によって訳語が混乱していて、 日本語で話していると おかしなことが起こることがあるんですが。 1.予定論 人は自力で福音を選び取る能力などとっくに壊れているので、救われた者はつまり神に えこひいきされた奴ということだ、おめでとう(=カルヴィニスト)。 2,ゼネラル(普遍救済) 神は全人類を救いたいところなんだが、人には福音を受け入れないという選択肢もがある。 でも君は正しい選択をした、えらい。(=普通のアルミニアン) 3.ユニバーサル(万人救済) 神は全人類を救うと決めたので、悪党だろうと キリスト教徒でなかろうと救われる。万事安心なので気にするな(大抵異端視される)。 皆さんの言う万人救済って、それぞれ2と3のどっちなんですかね。
私審判: 個々人の死んだ後の裁き 福音書 (生前の報いに応じて 陰府[ハデス]と天国[パラダイス]) 公審判: 世界の終わりの日の裁き 黙示録 (第二の死・携挙 地獄[ゲヘナ]・海の地獄[タルタロス]と天界[ウーラノス]) (池[リムネ・魂の死]・海[タラサ・不安]と「新しいエルサレム・新しい天地・永遠の命」) ゾーエイ・アイオノス(永遠の命?)を新天地で ←→ ジオ・タナトス?(第二の死)を池で 新しい天地の「新しい」は リフレッシュ?(再生・再利用品「汚れちゃったけど洗って新品に見える」)ではない。 「別物の新品」という意味でもない。 ハローロ・フレスコほか「新しい」を意味するギリシア語が複数あった気がします。 罪の無い、穢れる前の状態、「元の状態[未使用状態]の新鮮さ」のある天地。 池・海、これは創世記の水の表を神の霊が漂っていた時の新しさ。 混沌の水の下は死の世界・生命の無い世界だったんでしょう。まあ創造神話ですが。 つまり天地に分離する前の混沌の原初の状態。まったく罪が発生する前の天地。 これでは、今生きている世界ではないと通常は判断しますよね。 我々は、個々人の裁きさえ気にして身を正して、神に祈って神を賛美して 神の憐れみ恵みを求めて生きていけばいいんですよ。あと他の難しい事は考えない。 近々この世の終わり・地球破滅が起こって、最終審判が起こるとかで 近い将来に、新しい天地に・ビックバンが起こる別けでないんだし。 確率は低しですよね。なんか神の御前に、取り立てて身構えなくちゃいかんのかな。
だって、「新しい」は人類が発生する・作られる・誕生する前の新しさで
人間がいないから、罪が発生する前の新鮮な天地とか世界なんであって
人類は居ないから、居ない人類が考えようが無いじゃないですか。
人間の対応として永遠の命が与えられる
、完全な体・霊の体を着る、罪の無い魂・新しい命に生まれ変わる。
だったら創造の神様にしか[出来ない事で、それも]個々人に[しか]与えられないしね。
礼拝は神の呼吸(テオス プニューマトス?)・
生きる息(神は鼻から息を入れ人は生きる者となった[創世記] プニューマ)・
聖霊の風(聖なる霊感・ハギア プニューマトス?)で
まことの心(プシュケ?)で霊(プニューマ?)で神(テオ)に挨拶するもの。
人の知恵(ソフィア)は、詭弁家(ソフィスト)を生むが
信仰(ピスティス)による判断は、神の知恵(ピスティオンタス)を得る。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1104291346/0-17 まあ、教会の人間関係が煩わしくとも、神とは挨拶(礼拝)は出来るだろうし
生きるヒントは、聖書や説教集が与えてくれるであろう。
賛美歌の歌詞でもメロディーでも歌いながら霊感を感じ
良心の痛みを取り戻し、理性的な解決方法など思い浮かぶに、役立つと思うがね。
まず、落ち着いて考えてみるのも一つだ。
安息日(ヨム[日]はシャバド[安息の])は魂の安息の為にある。神と挨拶する為に取ってある。
日ごろ労働や勉学に心配事・悩み事で忙しく心失っている所に良心や理性を取り戻す為にある。
ヨムはシャバド・サバド[西]・金曜−夕方−夜闇〜土曜−昼光−日没まで1日 ドミンゴ[西]・日曜日−早朝−復活日、キリスト教の礼拝日で安息日 --------------------------------------------------- 新約 マタイ11章 28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、 わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 29 わたしは心優しく、へりくだっているから、 あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。 そうすれば たましいに安らぎが来ます。 30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
【 教会の頭(ブドウの幹)はイエス・キリスト、肢体(枝)は信徒 】 神なる父(三位一体論の神性のみ) ↓ 神の子キリスト(神性と人性(両性論・キリスト論)神と人の中保者・取り成し手、 ↓ 永遠の神が有限の人間の罪を代わって償う 『聖霊の洗礼』 [人間となったキリストの有限の命は、人間の罪の身代金]) ↓ 神の子となった信徒(洗礼を受けた人間。 ↓ 教会の一員となったからには、教会の頭キリストが主人である事を宣言し、 ↓ 血(ワイン)を飲んで罪の赦しを契約し、肉(パン[同じ釜の飯])を食べ、 ↓ 神の言葉:ロゴス・永遠の命を、信者の肉体(神の宮:神殿)の中に持ち、 ↓ キリストの一部になる) ↓ ↓ ↓ 福音(よい+知らせ:戦勝報告[戦いに勝ち生き延びられた[喜び]を人に知らせる]、 ↓ ↓ エウ+アンゲリエ[エヴァンゲリオン]・キリストの救いを布教する事) ↓ ↓ ↓ 罪を赦された余裕を持って、罪ビトにも赦し愛を与える。 ↓ [一人間の命の終わりの]死後の裁き(第一審判決)と [この世の終わりの]最後の審判(最終判決) ↓ 罪ビト(洗礼を受けてなくて、キリストの弁護も期待できないし、 有限の人間が自力で、楽園(天国)から追放された 永遠の罪を償えないので、 無限に天国に帰れない[同じ生まれ変わり死に変わり の『悪に悪を返すのを善と間違える』輪廻[を]し続ける]地獄へ行く人間) ------------------------------------- 知らせ人・み使い・天使: アッゲロン・アンゲロ・エンゲル・エンジェル 良い+知らせ: エウ+アンゲリ〜オン
908 :
ザンクト・ガレン :2005/07/22(金) 21:26:38 ID:WxwBoHNK
>>891 さん
御丁寧に説明下さり、ありがとうございます。
私にはバプテストの友人がいて、彼は怒ると恐いですが、
誠実でいい男です。
私はこの板でバプテストの批判をしたことはありません。
>>887 さん
エコノミー<economy【英語】;エコノミア<economia【ラテン語】;
オイコノミーアー(オイコノミア)<οίκονομίά【ギリシア語】;
ズィカローン(ズィカロン)<zikaron<מסע אל העבר - משחקי נוסטלגיה
【ヘブライ語】
:[神学・哲学]摂理、定性、※経論(けいりん)、救いの歴史。
唯一の神さまが、創造後も人間を見守り、人間が不滅の生命に与るようにと、
絶えずその成熟する道行きに臨んでいらっしゃる、神愛の「ただ一すじ」、
神の単純な存在の輝きを云います。
これを観念的・理念的に、「記念」と解釈・表現するのは根本的誤りであって、
この種の表現は、西欧文化 に根源的歪みを与えつづけております。
909 :
ザンクト・ガレン :2005/07/22(金) 21:53:12 ID:WxwBoHNK
910 :
名無しさん@3周年 :2005/07/23(土) 01:44:07 ID:nZKXKOwY
おいおい、何だよこれ! 長文の連投ばっかり! 何でそんなに回復訳に反応してんの? あきらかに回復訳に対する反応なのに、意味不明のコピペばっかりなのも変! いずれにせよ回復訳に過剰反応するおかしな人たちが何人かいるのは間違いないわ。 回復訳嫌うのは勝手だけどコピペアラシはやめろよ。 メーワクだ。
貴重なスレをメモ帳にすんなよ。福沢さんを見習って、心のメモにでも書いて おけ。 ところで、創世記の「ヤコブ、神に勝って、イスラエルになるの巻」なのだが、 尾山先生の現代訳では、神に対して命懸けの祈りを繰り広げ、イスラエルの 称号を受けるに至ったという内容で訳されていた。 この部分、いろいろな解釈が並立しているが、尾山先生の解釈で意訳されて しまっているのを読み、これが個人による動的対価法の欠点なのだな、と思 い知った次第。現代訳、味があって、いい訳なんだが。
912 :
名無しさん@3周年 :2005/07/25(月) 13:52:44 ID:hTWNVZcx
ウィットネス・リー氏を批判してる人たちにはいろいろいるが 2ちゃんで圧倒的に多いのは、 ウィットネス・リー氏の本を秘密でメッセージの種本にしてるセンセー方と、 そーゆー教祖様たちに洗脳されてる連中さ。 オレ、ウィットネス・リー氏の本ためしに読んだら洗脳とけちゃった。 教祖サマにふりまわされんのは高い授業料だったし、キリスト教にゲンメツしたりもしたけれど、 モトは取りかえしたな。 回復訳すっげェいいよ。 ヨハネ1:14「宿る」を「幕屋を張る」と字義通りに訳して注をつけてる。 これを誰かが言ってるみたいに、宿るとか、普通の読みやすい言葉で訳したら、 ひっかからないから注をつけても誰も読まないし、読んでもかえってわからなくなるはずだぜ。 まだ洗脳されてるヤツ、教祖様のアジテーション鵜呑みにしてないで 自分の目で読みくらべてたしかめてみな。 そして洗脳がとけたら自分を責めたりせずに、 神が与えられたステップだったんだと思って 教祖サマの教えなんか構わず踏台にして、本物をきわめろ! ヘブル書第12章とフットノート読んで元気出せ! ちょっとスレからはずれてるかな?
913 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 08:06:01 ID:y/UujmC4
914 :
名無しさん@3周年 :2005/07/27(水) 01:28:03 ID:2f8Dn+L+
>>907 おかしい。大体、幹のあるぶどうの木なんてあるかい?
もうちょっと聖書にそったことを言ってはいかがか。
>>909 ロースキィとウィットネス・リーは別物。
質問は回復訳に出てくるエコノミーという術語についてなんだから、それにこたえないと。
どっちにしても、最近の長文スレ違いレスは目に余るな。
日本語の聖書については海老沢著「日本の聖書」講談社学術文庫が参考になる。 読んでヘボンってすごいなーと思った。 僕は文語(大正改訳)と岩波の新しい翻訳委員会のを普段読んでいます。 翻訳委員会の「腸がちぎれる思い」で語るイエスが新鮮な感じです。 文語訳と新改訳は文語と口語の違いはあれど、なんとなく似てる。 文語訳といえど明治訳はちょと感じが違うように思います。 また、NTDの解説に痛快なものがあって良いと思います。
916 :
名無しさん@3周年 :2005/07/27(水) 13:58:09 ID:PGSipYJG
917 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 02:01:00 ID:m/wcjL87
>尾山先生の現代訳では、神に対して命懸けの祈りを繰り広げ、イスラエルの >称号を受けるに至ったという内容で訳されていた。 せっかくの面白い話なのに台無しだな。 そのまま訳せば良いものを。
918 :
名無しさん@3周年 :2005/08/01(月) 09:29:43 ID:Sthyqbed
>>916 ルーク唐沢って、地方教会のホムペとそっくしのこと書いてるけど、
何者?
920 :
名無しさん@3周年 :2005/08/03(水) 10:37:11 ID:iRW7AmMw
新世界訳読んでる
921 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/08/03(水) 21:27:26 ID:67LJwrtH
923 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 03:23:24 ID:R7oxtsY5
パソコンやPDAで使える聖書ソフトや聖書辞典についてのスレッド立てたいんですけど 興味ある方いますか? 検索・引用、携帯などデジタル技術を活用した聖書研究や勉強は 非常に有効だと思っているのですが、専用のスレッドがないようなので。 私自身はスレ立て規制で立てられませんので、興味ある方がいましたら 是非、お願いします。
924 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 09:59:57 ID:TqcxHmg1
925 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 14:13:46 ID:R7oxtsY5
>>924 そこは知ってます。
便利なサイトですが内容がかなり古いため
今現在利用できないものが含まれていたり
逆に新しいものが紹介されてなかったりします。
もばいぶるやLaridianのソフトの紹介もないですし
ロゴスにしろBibleworksにしろ、もうずいぶんバージョンが進んでいるようですし。
また、みんながそれぞれどのようにパソコンやPDAを利用しているか、といった
情報の交換もできないので、やはり掲示板でそれができるといいと思うのですが。
俺は、聖書のテキストファイルを自分のウェブサイトにアップして 携帯で読めるようにしてる
927 :
名無しさん@3周年 :2005/08/08(月) 07:17:31 ID:m2Yw0prX
928 :
名無しさん@3周年 :2005/08/09(火) 00:20:27 ID:rg/iqxCp
>>927 どうもありがとうございました。
立てていただいたスレのほうに
若干ではありますが、いくつかリンク先を加えておきました。
>>926 すごいですね。そういう活用方法も 【PC】聖書ソフト・デジタル聖書辞典【PDA】のスレで
語っていただければ参考になります。
929 :
希美 ◆55nynIr58w :2005/08/14(日) 02:16:51 ID:ZdWQWb2F
今、のぞみが一番大切に想う聖書。 新共同訳新約聖書・東京大聖書展記念版。 この一番小さい革装聖書、仕事の時、白衣のポケットにいつも忍ばせる。 イエズスさまを、患者さまに見出だすことが出来るように。 のぞみにとって、信心道具。
930 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 14:54:32 ID:wmXxK8oE
漏れは口語訳しか持ってないけど・・・ 口語訳はいい翻訳ですか?
931 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 15:04:28 ID:pbMW92gX
932 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 13:01:39 ID:6iQ0+vac
933 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 15:57:22 ID:5ja7g9a9
>>932 面白いね。
聖霊運動のスピーカーがよくウォッチマン・ニーやウィットネス・リーの本を
読んでるけど、『キリスト者の標準』でウォッチマン・ニーは異言に対して
あんまり同意してなくて不思議に思ってました。
ウィットネス・リーはウォッチマン・ニーと違うってきいていたのでもっと
ペンテコに傾いているのかと思ったら、ウォッチマン・ニーと同じなんで、
意外でした。
でもさ、ギリシア語的には、異言という単語は方言という意味だってのは、確実に
いえることなんですか? それから、方言ならなんで方言と訳さずに異言と訳してるのかも
ひっかかります。
だれか詳しい人、詳細キボンヌ。
異言という単語はなく、ここで使われているギリシャ語はγλωσσα(グローッサ) 意味は「舌、言葉」らしいです 異言で話すは"λαλεω γλωσσαιs [γλωσση]" 英語だと"speak in tongues [a tongue]"って訳していて 別訳だと"speak in other language [another language]" これを日本語では「異なる言葉で話す」と言う意味で「異言を話す」となるようです ギリシャ語のラレーオー・グローッセーが実際に何を意味したかは不明ですが 単に「外国語で話す」という意味にとる人もいますし 当時のギリシャの神秘主義的な宗教に影響された、 神のお告げとして意味不明の言語を語る行為と考える人もいます。 当時のギリシャでは巫女が火山性のガスを吸い込んで恍惚状態になり アテネ神のお告げを取り次ぐ宗教が盛んだったようです。 ちなみに旧約には異言なることばは出てこないみたいです
935 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 20:22:22 ID:idqgZFOg
やっぱ聖書は【新世界訳】でしょう。やっぱうんそーだ、 納得。
そういや福音派教会って公用聖書として新改訳第二版を使ってたところ多いけど 今は何使ってんのかね 古株は第二版で新参者は第三版とか でも公用聖書を第三版に切り替えても、 遅かれ早かれ第四版がでて第三版は絶版になるのはミエミエな気がするけど 聖歌も絶版にして新聖歌なんて出すし、この福音派系出版社のタカリ体質って結構アコギだね〜 福音派教会はどうして怒らないのかね
937 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 23:07:41 ID:jJFCl4h3
>>936 ロックマン云々の版権問題による、ある意味止むを得ないことゃなかったか。それに、新聖歌のどのへんが福音派系出版社なのよ?
新聖歌は教文館の出版だけど、編集は日本福音連盟ジャン どうして旧聖歌と併用できるようにしてないのか 新改訳第三版にしたところでご丁寧に版組みを変えて ページ番号が第二版と異なるようにしてある だいたいロックマン財団がって第三版自体が大部分第二版のままなのに、 それで版権問題が片付いたのかいな 一方で「変わらない神の言葉」といいながら、 翻訳をしょっちゅう変えるようじゃあホント困る 新共同訳に変えて聖書辞典まで新共同訳に買いかえる気力も無いので いまだに第二版を使っているけど、もう新改訳は二度と買わん
939 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 00:47:53 ID:OQzkx4BM
ヤバいな。だんだん回復訳がいい訳に思えてきた。
新世界訳がいい訳に思えないうちは まだ大丈夫!
941 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 02:46:15 ID:OQzkx4BM
釣りだろうけど、釣られてみる。 パッと見、回復訳と新世界訳はにてるんだよね、微妙に。 ヤーウェじゃなくてエホバだし、 黙示録じゃなくて啓示録だし。 横書き聖書はいまでこそ定着してきたけど、何年か前までは、 ギデオンが配ってた英語と対照のヤツ以外はめずらしかったし。 ウォッチマン・ニーはウォッチタワー(ものみの塔)を連想させるし、 ウィットネス・リーはジェホバズウィットネス(エホバの証人)を連想させる。 絵保障の人が戸別訪問してても「あんたたち地方教会か」なんていわれはしないだろうけど 逆はありそうだよね。 どーも地方教会は貧乏クジひきまくってるよな。
942 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 15:47:52 ID:1F6Ll1s+
>>938 「讃美歌」なんて「21」で3度目のフルチェンジですし、章節のついた聖書の頁を合わせる必然を全く感じません。
神の言葉は変わらないけど世間の言葉はどんどん移ろうので、聖書出版事業としては放置しとくほうが問題。
943 :
桜井猛 :2005/08/18(木) 16:51:36 ID:myfjsGm+
自分は新共同訳使ってるけど、母が持ってた口語訳も味があっていいと思う。聖書刊行会より聖書協会の方が歴史もあるし原本に一番忠実な気がする。
944 :
名無しさん@3周年 :2005/08/30(火) 06:30:54 ID:O6cjIwkO
945 :
名無しさん@3周年 :2005/08/30(火) 07:06:47 ID:S7ILox8U
946 :
名無しさん@3周年 :2005/08/30(火) 07:16:32 ID:S7ILox8U
947 :
名無しさん@3周年 :2005/09/01(木) 18:41:35 ID:mSUEZEGv
948 :
名無しさん@3周年 :2005/09/01(木) 19:26:39 ID:HEUIs9Ls
新改訳:主の祈りの終わりに頌栄くっつけるなって・・・
949 :
名無しさん@3周年 :2005/09/01(木) 19:40:02 ID:JSTN/Xxl
>948 どうしていけないの?
950 :
名無しさん@3周年 :2005/09/02(金) 13:05:03 ID:AAQdAdRA
だって あれ後世の教会が付け加えたもので、 イエスが言ったものじゃない。 ほとんどの写本はあんなものついてない。
英語欽定訳聖書の底本になったギリシャ語聖書にはこの一文があった οτ σου εστιν η βασιλεια και η δυναμις και η δοξα εις τους αιωνας. αμην. "For thine is the kingdom, and the power, and the glory, for ever. Amen.(Mat9:13,KJV)" そこで、欽定訳聖書の伝統的聖書解釈に基づいて訳された新改訳はこの一文がある 新国際訳(NIV)では、欄外に小さな文字で記されている 新改訳は伝統的解釈と新しい聖書学と見解が異なる場合、必ず古い解釈を採用している 一方、新共同訳では全て新しい解釈を採用する一方、伝統的解釈は無視している
ちなみに新共同訳のStudy Bibleには 「国と富と力は永遠にあなたのものだからです」 と欄外に書いてある だから聖書全巻に解説をつければ、保守派の不満も消えるものと思われ ほかにも新改訳と新共同訳の相違点は有名ドコだと 箴言19:22 人の望むものは、人の変わらぬ愛である。(新改訳) 欲望は人に恥をもたらす。(新共同訳) The desire of a man is his kindness. (KJV) What a man desires is unfailing love. (Or A man's greed is his shame) (NIV) IIテサロニケ1:12 それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって(新改訳) それは、わたしたちの神と主イエス・キリストの恵みによって(新共同訳) according to the grace of our God and the Lord Jesus Christ.(KJV) according to the grace of our God and the Lord Jesus Christ. (Or God and Lord, Jesus Christ) (NIV) NIVはこんなとき両方併記しているから便利だな
953 :
新世界訳聖書 :2005/09/04(日) 11:25:02 ID:dwjirVML
*** 聖8-参 箴言 19:22 *** 地の人のうちにあって望ましいものは,その愛ある親切である。 *** 箴言 19:22 (脚注) *** 「地の人のうちにあって望ましいもの」。ヘ語,タアワト アーダーム。 *** 聖8-参 テサロニケ第二 1:12 *** それは,わたしたちの神および主イエス・キリストの過分のご親切にしたがって, *** テサロニケ第二 1:12 (脚注) *** 付録6ホ参照。
「タアワ」 は民数記 11:34 の 「キブロト・ハタアワ」 (欲望の墓) みたいな使い方もあるし、 「欲望」 でいいだろうな。 「ヘセド」 には 「恥」 という意味もあるのか......
תַּאֲוַת אָדָם חַסְדֹּו (Hebrew) homo indigens misericors est (Vulgata) たぶん「人間の求めるものは哀れみである」の意味 καρπος ανδρι ελεημοσυνη (Septuaginta) 直訳すれば「慈善は人間にとって益になる」か やっぱ、伝統的には「人が求めるものは人の変わらぬ愛である」だな ただ前後を読んだ感じでは新共同訳のほうが文脈の流れが自然だが・・・
956 :
名無しさん@3周年 :2005/09/09(金) 16:49:34 ID:wYp85Np0
>>951 > 新改訳は伝統的解釈と新しい聖書学と見解が異なる場合、必ず古い解釈を採用している
保守派が古い解釈を採用するというのはわかるが、写本の問題は解釈とは
関係ないと思うがね。ここの写本の問題に関しては保守派も認めている事実
のはずです。
しかし、新共同訳を使ってる教会でも、礼拝の「主の祈」にはこの一文を入れる
のはどうして?
957 :
名無しさん@3周年 :2005/09/09(金) 17:40:28 ID:zFhks94B
>>956 わかってて一文足すのは問題ないだろ。それを書き戻して根拠を捏造するのが問題なわけで。
958 :
名無しさん@3周年 :2005/09/10(土) 08:04:24 ID:rD8UqsYf
>957 新改訳だって、わかってて一文足してるはずだよ。 わかってるのは両者同じです。 問題はそのうえで、一文足すかどうかなんです。 聖書には一文を足さなかったとしても、礼拝文に足していたら同じ ことでしょう。 足すべきではないと考えるのなら、礼拝文においてもその原則を つらぬくべきです。
959 :
名無しさん@3周年 :2005/09/10(土) 15:42:52 ID:ZckJcUxb
>>958 いいえ、ぜんぜん同じではありません。
主の祈りは、祈りであって聖書朗読ではないのです。
たとえば、自由祈祷がシームレスに主の祈りに繋がっていく事は、
祈祷者が聖書にかかれていない個人的な祈りを聖書に書き加える
ことになるので禁じられるべきでしょうか?
960 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 20:43:15 ID:1QMTduWq
>>959 論点ずらしに乗せられてんじゃねーよw。聖書の問題と典礼の問題は最初から関係ないだろ。
961 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 14:32:31 ID:7+ZHTkVb
口語訳の聖書しか持ってないけど、新共同訳ももっとかないといけないですか?
>>961 教会に行っているなら、その教会の公用聖書はもっとけ
教会に行ってないなら、聖書は何だっていい
聖書研究をしたかったら
口語訳、新共同訳、新改訳が比較できる「J−ばいぶる」なんかあるといいんでないの
963 :
名無しさん@3周年 :2005/09/12(月) 13:48:57 ID:F/HevHZ8
別に教会に行ってないし、聖書研究なんてするつもりもないし、ただ神様の みこころが伝わってくればいいからいいや、と思ったりでもやっぱりもっと かないといけないようにも思ったり、書き込んだりする時白い目でみられて るような気もするし、でも自分で買うのがイヤだし、見ず知らずのクリスチ ャンにプレゼントしてもらえないし、教会に行ってどっかにポンと置いてあ ったら神様が自分にプレゼントして下さったんだ、と思い込んで持ってった ら罪だし、・・・なにやってるんだろう・・・
964 :
名無しさん@3周年 :2005/09/12(月) 13:52:39 ID:QL2IX6Jv
965 :
名無しさん@3周年 :2005/09/12(月) 14:05:12 ID:F/HevHZ8
違うの、前の聖書プレゼントされたものなの、で、とっても嬉しかったから だからまたその感動を味わいたいというか、でもクリスチャンちょっと嫌い になったし、
966 :
名無しさん@3周年 :2005/09/12(月) 14:21:14 ID:F/HevHZ8
自分で買いに行くのって、例えば宝石を誰にも買ってもらった事がなくて 自分で買いに行く寂しさ?みたいな、クリスチャンは十字架をプレゼント されたりするんでしょ?それを自分で買いに行くみたいな?ちょっと違う かな?
聖書配布協力会かエホバの証人がいいよ。
968 :
名無しさん@3周年 :2005/09/12(月) 14:47:25 ID:F/HevHZ8
同じ聖書だからそんなに違わないだろうと思っていたけど、 新共同訳はどうだろうと聖書教会のホームページでちょっと 見比べた事があったけど、けっこう違うんですね。 へーと思ったのは、口語訳では「ひねもす」が新共同訳では使われてない けど、一箇所だけ新共同訳でも「ひねもす」と書かれてあったのをみつけ てどうしてここだけ使われてるんだろうと思ったり、「終日」という意味 の他にもニュアンス的に他の意味もあるのかなあと思ったり あ、それと「へび」が口語で「ワニ」になってたり、悪魔=レビヤタンは ワニとも昔は表現されてたとどっかで書いてあったのを思い出して、だから そうなのかなんて、こんなのを知れば面白かったりもするけど・・ 「聖書はどの翻訳がいい」もいいけど、聖書の訳を見比べて気づいたこと、 面白い事とかはないのかなあ・・。どうでもいいけど・・かえろ。
>>966 信者だって使ってボロボロになれば自分で買うよ。
十字架なんか持ってネーよ
>>968 みたいな翻訳比較が好きなら、Jばいぶる買っておくのが結局は得だぞ。
970 :
名無しさん@3周年 :2005/09/13(火) 14:08:20 ID:QQaHKbO4
>969 ハリスティアニン(正教クリスチャン)は 、革紐の首賭け金属製十字架を信者になった時に 、「司祭」から自分持ち一つの物を肌身離さず持たされる。 、「イコン」「聖名」も同様。 クリスチャン(プロテスタント)は 、自分の趣味持ち。 カトリック平信徒は 、ロザリオの祈り用に自分持ちで持つ 、教会に来るよう誘った「洗礼を受けた信者と代父」と同席で渡される事もある。 、女性の頭かぶりの布は「洗礼時の代母」から神父の祝福の後のを渡される。 、「聖名(守護聖人)」「守護天使」「信者白衣」なども同様。
971 :
†Ns'希美 ◆55nynIr58w :2005/09/13(火) 15:06:42 ID:iV8kjfQZ
>>961 自分が好きな聖書が、ベスト。
個人的な印象では、翻訳がどうか難しい話は抜きにして、新共同訳のほうがわかりやすく感じました。
972 :
名無しさん@3周年 :2005/09/14(水) 13:48:25 ID:JXU5hf1Z
イザヤ54:6も口語がいいなあ 口語訳は神様が祈ってある箇所があったけど・・ 新共同訳にはそんな箇所はないのかなあ
973 :
名無しさん@3周年 :2005/09/14(水) 13:59:31 ID:JXU5hf1Z
分かりますかあ?・・・つまらない、かえろ。
974 :
名無しさん@3周年 :2005/09/14(水) 14:02:51 ID:JXU5hf1Z
すみません、972は神様が人に対して祈ってある箇所です。
おかしいなあ。 神様は思うことは瞬時に叶うはずだけどな。
976 :
名無しさん@3周年 :2005/09/14(水) 21:24:53 ID:DKG9JJQF
イザヤ 54:6 捨てられて心悲しむ妻 、また若い時にとついで出された妻を招くように/主はあなたを招かれた」と /あなたの神は言われる。 イザヤ 54:6 主は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが 、若い時の妻をどうして見捨てられようか。」とあなたの神は仰せられる。 イザヤ 54:6 捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように/主はあなたを呼ばれる 。若いときの妻を見放せようかと/あなたの神は言われる。
977 :
添削 :2005/09/15(木) 09:45:31 ID:mmuRvr8B
>>976 上、口語訳
「若い時」って妻が若いときと誤読しやすい。
「主は・・・招かれた」の主述の位置が近いのはよい。
中、新改訳
「夫に捨てられた、」の句点「、」は無い方がよいかもしれない。
「見捨てられようか。」の読点「。」は無い方が読みやすい。
「仰せられる」はよい。現代生活では言われるは尊敬でなく受け身で
使うことがほとんど。「神は言われる」と表現しても「上司に言われる」と
語感が似てきてしまうわけだ。
下、新共同
捨てられた後は妻ではないから、矛盾した表現になってしまって
混乱を招く。苦悩する妻が若いときの妻と同一であることが
一読してわからない。
しかし、入り組んだ内容を2文に分けたのはよい。
978 :
名無しさん@3周年 :2005/09/15(木) 12:34:33 ID:s+76pOJo
>>977 公平であろうとしているのかもしれないが、そのため却って不誠実な悪平等評価になっている。
口語訳
イザヤ 54:6 捨てられて心悲しむ妻 、また若い時にとついで出された妻を招くように/主はあなたを招かれた」と /あなたの神は言われる。
それを言うなら「若いときに出された」と誤読しやすい、だ。妻が若い以外の解釈は出来ない訳文なので、それが原意でないなら誤訳。
また、「悲しむ妻」と「出された妻」が全く同一に見えないのがこの訳。ユダヤの詩歌はくどくど繰り返すのが定型、と知ってて初めて気付くレベル。
さらに、神と主が別人になってて同一視を拒む訳文であり、主が夫なのか全く不明、というよりむしろ神が第三者になっている。
日本語にはなっているが、意味の伝達に完全に失敗している。これが許されるのは、原文が同程度に意味不明だった場合だけ。
新改訳
イザヤ 54:6 主は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが
、若い時の妻をどうして見捨てられようか。」とあなたの神は仰せられる。
これは、日本語として意味の通る訳文とは到底言いがたい。女と妻は同一で主が夫のようだと判るが、夫が人格破綻しているようにしか読めない。また、これも主と神を同一視する事が出来ない文面。「仰せられる」を誉めてる場合ではない。
新共同
イザヤ 54:6 捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように/主はあなたを呼ばれる。若いときの妻を見放せようかと/あなたの神は言われる。
元妻だろう、二人の女に見える、の批判はどちらもまず口語訳に帰されるべきで、完全解決はしていないが遥かに改善されている。
苦悩する妻と若いときの妻、主と神が同一存在であることが並記の効果で矛盾なく理解でき、しかも、どうやら夫である神が態度を和らげたらしい、ということがなんとか読み取れる。
文の構造を日本語でも再現しようとしている努力も買える。
但し、本来どうとでも取れる文を一定の意味で理解できるように訳してしまうことが起こっているなら、それは危険な読みこみ、という批判を免れ得ない。
結論:新共同訳がなんとか及第、他はだめ。
口語訳の時代は、離婚したら女は「悲し」んで「悩む」のが当たり前だったから
訳してないんだろうね。それがかえって文をスッキリさせ意味をやや通りやすくしている。
しかし、離婚した夫に招かれて、見放されてないから嬉しいなんて思う
女が今時いるわけがないんだよ。このあたり、比喩として成立してないから、
どの訳でも、何を言ってるか不明になりやすいんだな。
>>978 新共同も合格とは言い難いな。全部不合格だけど、一番多くの人が使うのだから
しっかりしてくれよ・・・って感じ。
あと、口語訳の妻は一文だから二人には見えない。この視点からは改悪だと思う。
改訳、共同の「呼ぶ」というのもマズイ。どちらでもいいのなら「招く」の方が望ましいと思う。
「呼ぶ」はおーい!って言うのが第一義だし、「招く「は「招命」なんていう言葉もあるから
キリスト教的な感じがする。
と言うわけで、あえて選ぶなら口語訳かな。他の部分でも一応、日本語になってる。
980 :
名無しさん@3周年 :2005/09/15(木) 14:43:19 ID:s+76pOJo
>>979 いや、俺には、口語訳の余計な「また」のせいで全く二人の女に見える。一文だから余計に。
それに、男のほうは三人いるように見える。新改訳では女一人男二人に見える。
呼ぶより招くのほうがふさわしいにしろ、男女一人づつにちゃんと見えてるのは新共同訳だけ。
…すでに感性勝負かw?
>>980 「また」は変だな。
ヘブライ語はなんにも知らんが、こんな感じなら日本語として
スッキリするんだがな。
-------------------------
離別され悲しむ女を招き入れるように、主はあなたを招く。
若い時の妻をどうして見捨てられようかと、神は仰せられる。
-------------------------
>>981 折衷だw でも、日本語としてずっとましな感じではある。
キリスト教は信者に小説家なんかいっぱいいるんだから、
訳に手を入れてもらって、それをヘブライ語の専門家が
妥当性を判断すればいい。
翻訳って対象の言語を知っていると、かえってダメって
こともある。
983 :
名無しさん@3周年 :2005/09/16(金) 13:30:23 ID:9XJUNWlM
よく分からないけど、周りからは腫れ物にさわるように扱われたりするのかも しれない、白い目でみられる事もあるかもしれない・・捨てられた妻の心細く 悲しい心情が口語訳ではより伝わってくるし、「その妻を招くように」という 箇所に神様の愛を感じてぐっとくるんだけど、だから私は口語訳の方がいい。 神様が人に対して祈ってある箇所分かりますよね?イザヤ書にあるんだけど。
984 :
つぶやき :2005/09/17(土) 11:57:46 ID:BAKxiCZd
これは考えもしなかった事思いもよらなかった事だ、みたいな事を書いてあった 箇所どっかにあったんですけど、全知全能なすべて予定される神様なのに、これ はどういう意味なんだろう?
985 :
名無しさん@3周年 :2005/09/17(土) 18:35:26 ID:H/yPggnN
>>985 全知全能だからって、
機械的にロボットの如く全知全能パワーで動いているわけじゃない
人間臭い神なのさ。
986 :
名無しさん@3周年 :2005/09/18(日) 11:56:59 ID:k2ENBA6L
旧約聖書で感じた事 天地創造された神様でも、髪の毛一本一本までもすべてをご存知の神様でも、 放蕩息子娘の前ではおろおろ・・・どうして? 指導者預言者などたて、神様のみことばを伝え導いていこうとされるけど、結局 最終的にそれに従うか従わないかは本人に任せられるんだなあ・・・でも従わな かったといって見捨てられる訳でもない・・・予定はされてもそれは相対的にな ざるを得ないんだなあ。 でもそれは神様が冷たい方だという事なの?・・いやそれだけ尊重して下さってあ るという事なんだと思う・・違うのかなあ? でも放蕩息子娘の前ではあわれな神様でしかないんだなあ・・。
987 :
つぶやき :
2005/09/18(日) 12:06:02 ID:k2ENBA6L 神様が人に対して祈ってある箇所誰もこたえられてないけど、ばかばかしい 書き込みなのかなあ・・