1 :
名無しさん@3周年:
会員の人もそうじゃない人も、
なかよく語りましょう。
2 :
Gocc (極猫) ◆HswindowsI :04/05/10 21:33
■■■■■
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■■■by Gocc ■■■
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■ ∧ ∧ ■ ■■■ ■■■■ ■■■■■
■■ (*゚ー゚) ■ ■ ■ ■ ■ ■
■■ (∩∩) ■■ ■ ■■■ ■■■ ■
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1. 匿名の掲示板で、ある特定の宗教団体おとしめようと、過去の掲示板の発言などを執拗に
コピペする人がいたら要注意です。彼らの得意技は個人的恨みによるストーカーまがいの誹謗
中傷です。事実と異なる根拠無き中傷で親鸞会の本当の姿ではもちろんありません。
2. 「親鸞会の人はみんなマインドコントロールされていて、自分たちだけが正しいのだ。 」などと
人格批判をするのも、彼らの得意技のひとつ「議論のすりかえ」です。 事柄の本質をずらして
議論を自分に有利なように運ぼうというこの方法は、親鸞会からの質問に有効に反論出来ない
ものが行う、彼らの体質です。
3. 「自分たちの言うことだけが真理である。親鸞会公式ページなどに書かれていることはみん
な嘘である。」 などと言われたら、 それが悪意のある情報操作の始まりです。2ちゃんねるなど
の匿名掲示板の情報がいかにいい加減で根拠のないものであるか、それを彼らがいかにねちっ
こくいかにも事実であるかのように書き込んでいるかは、未だに責任の所在と根拠を明らかに
出来ないことでも分かります。つまり単なる弱虫なのです。
4. 彼らと討論してはいけない、という不文律が一般に知られています。それは彼らが強くマインド
コントロールされていて、しかも上記のような議論のすりかえを多用するので、議論にならないか
らです。これまでにもこちらの質問を無視したり、根拠を明らかにしろと言っても逃げたり、問題点
を指摘しても彼らは相変わらずコピペを繰り返すばかりです。彼らが答えられないのは、後ろめ
たい事があるからです。まともに議論したら負けは明らかなので、道義的にも許されていない名
誉毀損行為をやり続けています。
親鸞会総合リンク集
http://www.ii-park.net/~neko-koneko/ 親鸞会関連リンク集
http://www.ii-park.net/%7Eneko-koneko/index2.htm 親鸞会ウェブログ案内
http://kuroneko.s55.xrea.com/
情報操作にはまらないため、あるいははまりかけたときに
脱け出すためのアドヴァイスを記します。
1. 匿名の掲示板で、四六時中ある特定の宗教団体への非難を、ねちっこく
そこら中に貼り付ける人がいたら要注意です。正常な人間でかつ非難する
根拠があれば、名前を隠して非難はしません。
2. おかしいと思ったらはっきり無視すること。避難者者は、人間的にも社会的にも
どうしょうもない人物である場合がほとんどです。 しかし捏造情報に流されて事柄
の本質を見ないでいると、本当にすばらしいものを見失ってしまいます。
3. 「自分たちの言うことだけ心理である。親鸞会の人たちはみんなマインドコントロ
ールされており、彼らの話はみんな嘘である。」 などと言われたら、 それが悪意
のある情報操作の始まりです。情報操作を拒絶する一番よい手段が、2ちゃんねる
などの匿名掲示板での発言がいかに、無責任なものかを知ることです。
4. 彼らは身元を明かして堂々と討論しようというと、とにかく逃げます。「自分たちが
全て真理である。親鸞会の言うことはすべて嘘であり、マインドコントロールである」
などと言われたら、 彼らが本願寺にマインドコントロールされている証拠です。
心の不安を乗り越えて、とにかく彼らがどんな人間か知ることです。
親鸞会総合リンク集
http://www.ii-park.net/~neko-koneko/ 親鸞会関連リンク集
http://www.ii-park.net/%7Eneko-koneko/index2.htm 親鸞会ウェブログ案内
http://kuroneko.s55.xrea.com/
9 :
名無しさん@3周年:04/05/10 22:02
\ DQNと言えば? /ナンダココハ コワイモナー ヒイィィィッ
\ ∧_∧ ∩親鸞会だろ! ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
幹部不祥事って \ ( ・∀・)ノ______ . / ( ;・∀・) (; ´Д`) (´Д`; )
∧ ∧\ (入 ⌒\つ /|. / ⊂ ⊂ ) ( つ ⊂ ) ( ⊃ ⊃
(゚Д゚ )_\ ヾヽ /\⌒)/ |/ 〉 〉\\ 〉 〉 く く //( (
/ ̄ ̄∪ ∪ /| .\ || ⌒| ̄ ̄ ̄| / (__) (_) (_.)(_) (_) (__)
/∧_∧またですか・・・\ ∧∧∧∧ / 『DQN集団・親鸞会』
/ (;´∀` )_/ \ < 親 ま > カルトで(一部に)名を馳せる親鸞会
|| ̄( つ ||/ \< 鸞 > 脱会者へのストーキング、罵詈雑言も日常茶飯事!!
|| (_○___) || < 会 た > DQN率も全国ワースト3(2CH調べ)
――――――――――――――― .< >―――――――――――――――――――――
∧_∧なんだこの団体 < が > ∧_∧プッ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ;´∀`) 破邪顕正ダセ 〜∨∨∨\ ( ´∀`) (´∀` )< 親鸞会必死だな(藁
_____(つ_ と)___ ./ \ ( )__( ) \_______
. / \ ___ \タビ / ∧_∧ 親\∧_∧ ∧_∧  ̄ ̄ ̄ /.//|
.<\※ \____.|i\___ヽ.サラダ./γ(⌒)・∀・ ) 鸞 \ ;) ( ;) / ┃| |
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ /(YYて)ノ ノ 会 \↑ ̄ ̄↑\)_/ |__|/
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_.i‐>/ \  ̄ ̄ ̄ ̄\ め \親鸞会 ┃
 ̄ ̄ ̄ ̄|. | ̄ ̄ ̄ ̄| / ||ヽ|| ̄ ̄ ̄ ̄|| ! \ .|_)
./"´:;;::;;;: ::::;::"ソヽ
/ ,ヘ〜-ー'´⌒``ヽ:ヽ 無限の正義の名のもとに
/ ノ 彡:三:三:三:ミ |: \
>>1を徹底的に破壊する
| |. __,,;;ィ t;;;;,,,_ :ヽ│
/| | |シ ,ィェァ') (.yェュ、 ミ| | |\
/ /| !r、| ''''''. | | '''''' Y ) |ヽ ヽ
| / | ヽ{ ヽ. (r、 ,n) /:: };ノ | ヽヽ
| | L し} : 、___二__., ;:::::jJ _| | |
| | / !、.:. ´ ..::::... `ノ::::ノ ヽ | |
| | | ,-‐‐‐‐‐‐‐- _,〉、ゝ '""'ノ/:| -‐‐‐‐‐‐‐、 | | |
| | | ヽ ̄~‐‐ 、 __,,ィ';;;;ト `ニニ: ::..ノ|ヽ、_´ ,.-‐~ ̄ノ | | |
| | | ヽ (ソヽ/"" ~~^ ^~~ ゙゙゙ヽヽ/ヾ| / | | |
| | | / ,--、| | | ,‐‐、 〈 ,| | |
| | | _/ /===))ゝ____,...-‐↑‐-、.._____ノ)(===ヽ `‐;;、 l | |
| | _| ∠ヽ |=l/ .|二=/´_..|__丶:=二| ゝ=ノ /==ヽ |_ | |
|__|__| ∠=:::::) /´| |==|~ |  ̄|:==| | ゝ ゝ===ヽ |__|__|
/二二>==´ ノ 丿 ゝ=:|~ ̄l| ̄~~|::::=ノ ゝ `‐`==<二二::ヽ
( /{ミ三∀__/ (____,.......-‐|_/ゝ__..|....._ノ\_|‐-........____) `ゝ∀三彡} | )
\__|:::|二, _/ / `l ゝ `,二|:::|__ノ
~∨~´ ,..-‐'´ヽ_/ ,⊥ \___/ `‐、_ `~∨~
_,:::´ _,.......、 ヽ/´ `ヽ/=‐-、 `ヽ
┌⌒ヽ /====),< _ >、====ヽ /⌒ヽ
,ゝ-'´ヽ|二=‐'´' ヽ二‐二/ ゞ二==|__人__ノ
| /Τ ̄ ゝ二ノ Τヽ `l
| |二_| |二_| |
,ヽ_____|二| |二|_____/
∠lllll匚ノ  ̄ \ ノ □lllllゝ
,〃)))\,、-'‐-<lllll\ ∠llllll>-‐-、/(((ヘ
|/ ̄  ̄\|
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ デスブッシュは ねんりょうきかばくだんを はきだした。 ┃
┃
>>1は 1964のダメージをうけた! ┃
┃
>>1は しんでしまった! ┃
┃ ┃
14 :
名無しさん@3周年:04/05/11 02:12
s会集団自決まだ〜?
/  ̄ ̄ ̄ )
/ / ̄ ̄|
/ / / \|
/ / |
||−[ (。)][(゚ )]
|| つ |
|| __) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ <この糞スレへの対応はレベル相応の下級会員の役目。私は最高幹部
/ \_____________
17 :
名無しさん@3周年:04/05/11 07:08
1. 匿名の掲示板で、ある特定の宗教団体の実態をあばく意見を隠蔽しようと、直後にコピペを
繰り返す人がいたら要注意です。彼らの得意技はストーキングと顧問弁護士による圧力のた
め、被害者からの貴重な声は匿名の掲示板でしか知ることができません。
2. 「匿名の掲示板でしか非難できない者は、人間的にも社会的にも くだらない人物である場合
がほとんどです。 」などと人格批判をするのも、彼らの得意技のひとつ「議論のすりかえ」です。
事柄の本質をずらして議論を自分に有利なように運ぼうというこの方法は、この組織のトップが
若い頃に、いかに本願寺などとの議論に打ち勝つかということで身につけた技術のひとつで、
会員に広まっている体質の一つです。
3. 「自分たちの言うことだけが真理である。インターネット掲示板などに書かれていることはみん
な嘘である。」 などと言われたら、 それが悪意のある情報操作の始まりです。2ちゃんねるなど
の匿名掲示板の中にいかに貴重な被害者の声があるか、それを彼らがいかにねちっこく隠蔽し
ようとしているかは、このスレを最初から読んでみてもわかります。
4. 彼らと討論してはいけない、という不文律が一般に知られています。それは彼らが強くマインド
コントロールされていて、しかも上記のような議論のすりかえを多用するので、議論にならないか
らです。これまでにも勧誘時のダミーサークル、巧みなマインドコントロールと集団心理を利用し
た御報謝や聴聞の推奨、退会者へのストーカー行為など、問題点を指摘しても彼らはその存在
自体認めようとしません。彼らが答えられないのは、後ろめたい事があるからです。法律に触れ
ないということをいいことに、教義的にも許されていない非道徳的行為を黙認し続けています。
御父兄に知って頂きたい『宗教法人浄土真宗親鸞会』
http://homepage2.nifty.com/nonsect/newpage1.htm 浄土真宗親鸞会について考えるページ
http://homepage1.nifty.com/you/ 親鸞会同窓会喫茶
http://www.geocities.jp/tearoomclover/clovertop.html
18 :
名無しさん@3周年:04/05/11 07:09
昔の親鸞会では、ネットのことが話題になることはありませんでした。昔はネットといっても多くは
ダイアルアップ接続で、誹謗サイトがあったわけでもなかったので問題になりませんでした。
しかし、2000年くらいになって、ネットが学校内や家庭に広まり、誹謗サイト(親鸞会にとっては、と
いう意味)がでてくると、ヘイトサイトなどの話を通してネットカットをして対処するようになりました。
2001年春、阪大で新入生集団退部事件が起こったことにより、今まで以上にネットカットが厳しくな
され、幹部会合などでは具体的なサイト名(2chやジャンヌ)や内容を出したり、プロバイダに圧力を
かけて対処しました。
それまでは新入生以外の会員が誹謗サイトを見ても、敗残者の愚痴ですむことが多かったのです
が、2002年夏の事件により誹謗サイト自体を見られないような対策が迫られました。
それが2003年くらいからのダミーサイトの急増です。ネット検索では同一ページ内のキーワード数
や他サイトからのリンク数によって順番が決められるからです。公認サイトやダミーサイトの作成、
誹謗サイトへの書き込みは親友部の部署が中心となって作っていると思われます。
19 :
名無しさん@3周年:04/05/11 07:13
親鸞会から身を守るための5つのポイント
1.看板に偽りあり
楽しそうなサークルと思っていたら、「人生を新しくスタートするチャンス」や「なぜ生きる」とか途中
から言うことが変わってきた…。正しい団体は名前を偽りません。その場合、相手の団体名を聞く、
その組織のトップは誰かと聞く、そうすると彼らは嘘をつきます。あやしいと思えば断りましょう。
2.恐怖心をあおる勧誘は断る
今入らなければ必ず後悔するとか、あなたが求めている幸福は必ず崩れるとか、彼らはこのような
恐怖心をとても親切そうに、しかも魅力的に語るのにたけています。恐怖心をあおる勧誘は断りましょう。
3.おかしいと思ったらはっきり断る
たとえ勧誘した人が魅力的であり、やさしく思いやりのある人に思えても、きっぱりと断らなければ
深入りしてしまいます。彼らは「授業のとり方を教えてあげる」とか「親切な先輩がたくさんいるから」
などの、あなたの警戒心をとく甘い誘惑をたくさん用意しているので注意しなければなりません。断
り切れなくてずるずると入っていってしまったという人がほとんどです。
4.誰かに相談する
「ここでの話は深い意味があり、他の人には理解できない、だから友人や家族には話さないように」
などと言われたら、もっと危険です。彼らは他の人に相談されると困るのです。危険を未然に防ぐ
には、友人や家族など誰かに話すのが最もよいのです。
5.ネットで検索する
「インターネットにはヘイトサイトというのがあって、嘘ばかり書いてあるサイトがあるから気をつける
ように」などと言われたら、とても危険です。それは、ネットというものに警戒心を持たせ、もしも真実
の書かれたサイトを見たとしてもそのまま信じ込まないようにするための方法です。危険を未然に
防ぐには、ネットで検索して、この団体がどれだけ多くのダミーサイトを作って実態を隠そうとしてい
るか、その異常なほどのごまかしぶりを確めるのが一番です。
20 :
名無しさん@3周年:04/05/11 08:15
親鸞会の人に「なぜ勧誘をするのか?」と問うと
「真実を知らされた喜びを他の人にも言わずにはおれないから」
と返ってくる。
ならば信心決定をして救われたならばなおさら人に言わずにはおれないのではないだろうか?
しかし親鸞会で救われたと言う人にあったことはない。救われたと喜ぶ人もいない。
これはなぜか?
21 :
名無しさん@3周年:04/05/11 09:59
その日は修学旅行最後の夜でした
あたしたちの部屋にF君がやってきました。
F君は女子と仲がよく、結構もてました。
最初はわいわいとみんなでやってたんですが、そのうち他の女の子がひとりふたりと他の部屋に遊びに行ってしまいました。
そして部屋にはF君とあたし二人になってしまいました。
それから二人でいろいろたわいもないことを話はじめたんですが、やがて話すことがなくなり黙り込んでしまいました。
そうしてしばらく静寂につつまれました。
その沈黙を破ってF君が突然言いました。
「なあいい物みせてやるよ」
あたしは何のことか分からずきょとんとしていましたがF君は自分のパジャマのズボンに手をかけました。
そしてそこから取り出したのはなんと”おちんちん!”
あたしはビックリしました。だって直立して硬く大きくなったおちんちんがヒクヒクしていたのですから。
子供のころお父さんとお風呂に入った時みたことはありますが、勃起してるのをみたのははじめて!
あたしは好奇心からか自分でも知らないうちに「触ってもいい?」などといってしまいました。
F君は嬉しそうにそれを差し出しました。
そしてさわってみてビックリ!だってカチンコチンに固まってたんですから。握っているとさらに大きく、膨張しているのがわかりました。
すごい熱をおびていてあったかかった。
「こうすると気持ちよくなるんだよ」
F君はそういってあたしの手におちんちんを握らせながら上下に動かし始めました。
おちんちんの皮が自在に伸びたり縮んだりを繰り返しながら20回くらい揉んでいるとF君が
「いくよ!」と叫んだと思うといきなりドピュッっとなにかおちんちんの先から出てきました。
もちろん精液をみるのは初めて。
そのままF君が寝むってしまい、あたしはみんなが戻ってこないうちにとあせりながらティッシュで精液をふき取りました。
卒業して離れ離れになってしまったF君とあたし。
でもあの日F君の精液が天井にまで飛んだことは一生忘れられません。
24 :
kopipe:04/05/11 10:11
「光に向かって」は、おそろしく売れた割に、新聞や雑誌ではあまり取り上げられなかった
不思議な本。数少ない書評を見ると、たとえば斎藤美奈子さんの「趣味は読書。」では、
次のようにツッコまれています。
これほどタガのゆるんだ本も珍しい。高森顕徹『光に向かって 100の花束』。
ここまで強力な物件は探してもなかなか見つかるものではない。(中略)わけのわからん
編集である。 ヤマなし、オチなし、イミなし、ヒネリなし、センスなし。(中略)読書家
がまちがって読んだら、「いまのは見なかったことにしよう」と考えそうだ。
そのくらい気色悪い。 これってつまり「死ぬまでラッパを離しませんでした」式の話を
集めた修身の教科書の出来損ないじゃんか。 読むほどにだんだん頭が悪くなっていく気が
する。でも、こいつが何十万部も売れているのだ。いったいこの国はどうなってしまったの
だ。
25 :
kopipe:04/05/11 10:12
(つづき)
そんな「光に向かって」の奥付を見ると、著者の高森顕徹さんは、「浄土真宗親鸞会 会長」
という得体の知れないプロフィールの持ち主です。
「浄土真宗親鸞会」とは、45年ほど前に発足した宗教団体。ためしに学研の「浄土の本」
を見ると、親鸞会の活動部隊は主として若い男女である。寸暇を惜しんで、布教活動に励む
強烈な使命感をもっていることから、ある種のマインド・コントロールをされているのでは
ないかと見る向きもある。
などと書かれていて、ちょっぴり不気味です。ともあれ、その「会長」の高森さんの本は、
信者の方々にどう読まれているでしょうか。
親鸞会の機関紙「顕正新聞」の平成10年1月1日号に、1人の信者の方の体験発表が載
っていました。
親鸞会には「特専部」という部門があります。医者や弁護士など、専門家の信者で構成さ
れる、フリーザ軍でいうところのギニュー特戦隊みたいな存在です。
その信者さんも、大学2年生のとき、専門家として親鸞会の力になろうと決意します。
専門分野の技能を真実開顕に生かす部門、特専部。私にはキラキラ輝いて見えました。
よし、お役に立てる医者になろう。名古屋大学を中退し、福井医科大学に入学。
しかし、医学部で待ち受けていたのは、6年間の厳しい勉強。26個の試験のうち
18個を落とす悲惨な成績で、卒業も絶望的になります。
特専部以外にも活躍の場はあると自己弁護し、進路を変えようと考えていたある日、
高森先生は仰有いました。『君みたいな者はどの道に進んでもだめです。ゆき詰ま
ったらまた進路を変える奴です』 びっくりして飛び起きたのが午前四時。生々し
い夢でした。それからお仏壇に向かい、高森先生のご著書『光に向かって』を夢中
で拝読しました。そして、「光に向かって」に載っているエピソードの1つに勇気
づけられ、「国家試験に落ちたときが死ぬ時」と遺書を机の上に置いて猛勉強。
ついに医師免許を取得するのでした。
……そんな感じで、本来「光に向かって」は、「高森先生がリポビタンDを推奨
しているから、会員全員リポD派」というくらい高森さんを尊敬している人たちが、
正座して拝読するような本なわけです。
26 :
名無しさん@3周年:04/05/11 11:46
親鸞会の人に「なぜ勧誘をするのか?」と問うと
「真実を知らされた喜びを他の人にも言わずにはおれないから」
と返ってくる。
だから信心決定をして救われたならばなおさら人に言わずにはおれない。
そして親鸞会で救われたと言う人に会い、救われたと喜ぶ人に会った。
だから何か?
27 :
名無しさん@3周年:04/05/11 11:56
斎藤美奈子さんの「趣味は読書。」は、おそろしく売れなかった上に、
新聞や雑誌でも取り上げられなかったしょうもない本。数少ない書評を見ると、
「これほどタガのゆるんだ本も珍しい。
ここまで悲惨な本は探してもなかなか見つかるものではない。(中略)わけのわからん
編集である。 イヤミ、愚痴、悪口、ツッコミ、揚げ足取り(中略)読書家
がまちがって読んだら、「いまのは見なかったことにしよう」と考えそうだ。
そのくらい気色悪い。 これってつまり「私の本は売れないのに、なんでこの本は売れてるの?」
式の話を集めた女性的な愚痴じゃんか。 読むほどにだんだん頭が悪くなっていく気が
する。でも、こいつはその低俗さに値段の高さも相まってほとんど売れていない。
この国の読者は斎藤氏の想像以上にまともである。
28 :
名無しさん@3周年:04/05/11 12:03
斎藤:そりゃま恨まれるでしょうけど、どうせもう斎藤は敵をつくりまくりなんで、
そのへんは仕方がないと観念してます。でも、「薦めている本は一冊もない」
と言われると、まるで私が極悪非道な人非人みたいじゃないですか(笑)。だ
って、あっちはベストセラーなんだもん。私が薦めようが薦めまいが、敵はとっ
くに「勝ち組」なんですよ。売れたもん勝ちなの、本は。ましてベストセラーの出
版社が「あざとい」なんて夢にも思っていません。あっぱれ、ですよ。逆に言う
と、売れてる本はそれだけで偉いんだから、たまに水をかけられるくらいは覚
悟してもらわないと。そうそういい思いばかり、させてなるものか(笑)。『趣味
読(シュミドク)』の隠し味は、敗者の屈折と自虐だと思ってください。
>売れてる本はそれだけで偉いんだから、たまに水をかけられるくらいは覚
>悟してもらわないと。そうそういい思いばかり、させてなるものか(笑)。『趣味
>読(シュミドク)』の隠し味は、敗者の屈折と自虐だと思ってください。
だそうです。屈折と自虐ね。ワカタ?
29 :
名無しさん@3周年:04/05/11 12:05
>>24 >売れてる本はそれだけで偉いんだから、たまに水をかけられるくらいは覚
>悟してもらわないと。そうそういい思いばかり、させてなるものか(笑)。『趣味
>読(シュミドク)』の隠し味は、敗者の屈折と自虐だと思ってください。
この程度の本しか批評の根拠として引用できないんだ。
さびしいね。
30 :
名無しさん@3周年:04/05/11 12:07
>……そんな感じで、本来「光に向かって」は、「高森先生がリポビタンDを推奨
しているから、会員全員リポD派」というくらい高森さんを尊敬している人たちが、
正座して拝読するような本なわけです。
なんでリポDが出てくるのか分からないが、何を言いたいんでしょうね、この人は。
というくらい・・・という言葉で逃げているみたいだけど、別に会長はリポDなんて推奨していませんよ。
ちなみに漏れはエスカップ派です。
阿弥陀仏はいらっしゃいます。
南無阿弥陀仏だけでいい。
歎いてみよう
ものとり信心
異安心
南無阿弥陀仏だけでいい。
親鸞は弟子一人ももた(以下略
そもそも南無阿弥陀仏の体は、すなはちわれら衆生の後生たすけたまへ
とたのみまうす心なり。すなはちたのむ衆生を阿弥陀如来のよくしろしめし
て、すでに無上大利の功徳をあたへましますなり。これを衆生に回向した
まへるといへるはこの心なり。
されば弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけたまふ法なるがゆゑに、これ
を機法一体の南無阿弥陀仏といへるはこのこころなり。これすなはちわれ
らが往生の定まりたる他力の信心なりとは心得べきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
>>29 まぁ「光に向かって」を悪く言う人なんてこの人くらいしか無かったと。
必死に探してこの結果w
\ DQNと言えば? /ナンダココハ コワイモナー ヒイィィィッ
\ ∧_∧ ∩竜粘性だろ! ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
誹謗中傷って \ ( ・∀・)ノ______ . / ( ;・∀・) (; ´Д`) (´Д`; )
∧ ∧\ (入 ⌒\つ /|. / ⊂ ⊂ ) ( つ ⊂ ) ( ⊃ ⊃
(゚Д゚ )_\ ヾヽ /\⌒)/ |/ 〉 〉\\ 〉 〉 く く //( (
/ ̄ ̄∪ ∪ /| .\ || ⌒| ̄ ̄ ̄| / (__) (_) (_.)(_) (_) (__)
/∧_∧またですか・・・\ ∧∧∧∧ / 『キモオタ男・竜粘性』
/ (;´∀` )_/ \ < 竜 ま > ひきこもりで(一部に)名を馳せる竜粘性
|| ̄( つ ||/ \< 粘 > 親鸞会への誹謗中傷、罵詈雑言も日常茶飯事!!
|| (_○___) || < 性 た > DQN率も全国ワースト3(2CH調べ)
――――――――――――――― .< >―――――――――――――――――――――
∧_∧なんだこのキモオタ < が > ∧_∧プッ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ;´∀`) 留年してダセ 〜∨∨∨\ ( ´∀`) (´∀` )< 竜粘性必死だな(藁
_____(つ_ と)___ ./ \ ( )__( ) \_______
. / \ ___ \タビ / ∧_∧ 竜\∧_∧ ∧_∧  ̄ ̄ ̄ /.//|
.<\※ \____.|i\___ヽ.サラダ./γ(⌒)・∀・ ) 粘 \ ;) ( ;) / ┃| |
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ /(YYて)ノ ノ 性 \↑ ̄ ̄↑\)_/ |__|/
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_.i‐>/ \  ̄ ̄ ̄ ̄\ め \竜粘性 ┃
 ̄ ̄ ̄ ̄|. | ̄ ̄ ̄ ̄| / ||ヽ|| ̄ ̄ ̄ ̄|| ! \ .|_)
38 :
名無しさん@3周年:04/05/11 14:03
>>30 まぁ「光に向かって」を取り上げる人なんてこの人くらいしか無かったと。
誨淫必死だなw
39 :
名無しさん@3周年:04/05/11 14:10
40 :
名無しさん@3周年:04/05/11 14:13
>斎藤:そりゃま恨まれるでしょうけど、どうせもう斎藤は敵をつくりまくりなんで、
そのへんは仕方がないと観念してます。でも、「薦めている本は一冊もない」
と言われると、まるで私が極悪非道な人非人みたいじゃないですか(笑)。だ
って、あっちはベストセラーなんだもん。私が薦めようが薦めまいが、敵はとっ
くに「勝ち組」なんですよ。売れたもん勝ちなの、本は。ましてベストセラーの出
版社が「あざとい」なんて夢にも思っていません。あっぱれ、ですよ。逆に言う
と、売れてる本はそれだけで偉いんだから、たまに水をかけられるくらいは覚
悟してもらわないと。そうそういい思いばかり、させてなるものか(笑)。『趣味
読(シュミドク)』の隠し味は、敗者の屈折と自虐だと思ってください。
まぁ「光に向かって」を取り上げる人なんてこの人くらいしか無かったとしても、
ベストセラーしか取り上げられなかったわけですからね。
>売れてる本はそれだけで偉いんだから、
ありがとう、斎藤さん。
親鸞会はどうやって大学にカルトを持ち込んだのだろうか?
高森は大学の嘘つき勧誘ダミーサークルを奨励してるの?
プロジェクトの成功失敗の分かれ目となるのは、計画の戦略性である。計画に戦
略性があるとは一言でいえば、実施可能な計画を作成していることだ。では、そ
のような計画を作るにはどのような能力が必要になるか?
43 :
名無しさん@3周年:04/05/11 15:44
>特にバックに怪しげな団体がそびえるサークルが、なんで"京大公認"なわけ?
どこの団体か分かりませんが、怪しい団体はそびえてないので大丈夫です。公認よろ。
>>大学の規則云々以前に、国立大学法人は国の税金で運営されているんだから、
>大学の助成を受けてる公認サークルが宗教活動をして良いはずがない。
>ましてや外部の宗教団体と公然と関係を持つなんて許されるはずがない。
公認サークルって大学の助成なんて受けてるの?
ないでしょ。
だから関係なし。
45 :
名無しさん@3周年:04/05/11 16:22
おいおい44いいかげんなことをいうなよ。
学内に部室をもったり、部屋を無料で借りたりする。
金銭の援助を受けてる以上に、大きな利権を受けているんだよ。
46 :
名無しさん@3周年:04/05/11 16:30
救いの正体を読んで知ったけど、毎日の活動のせいで過労死した学生がいる
らしいね。 かわいそうだね〜 やっぱ、その人は無間地獄に落ちたのかなあ
その亡くなった学生さんの両親とかどうしたんだろう? 泣き寝入りしたのかなあ
自分の子がしかもよりによって宗教団体のせいで死んだのだから許せないと思うけど
どうかな? 誰か知りませんか?
>>45 んじゃ同じようにして利権をむさぼっている、
左翼政治団体をバックにしたサークルを先に摘発してくらさい。
>救いの正体を読んで知ったけど、毎日の活動のせいで過労死した学生がいる
らしいね。 かわいそうだね〜 やっぱ、その人は無間地獄に落ちたのかなあ
その亡くなった学生さんの両親とかどうしたんだろう? 泣き寝入りしたのかなあ
自分の子がしかもよりによって宗教団体のせいで死んだのだから許せないと思うけど
どうかな? 誰か知りませんか?
その件については心痛むことで、
会員の健康管理については十二分に気を付けなければならないことですが、
彼は確か深夜まで大学の勉強していて、
無くなる前のウェイトは活動を遙かに上回っていました。
会に責任がないとは言いませんが、
活動だけで過労死したような発言、
もしくは激しい活動を強要されて死んだようにもとれる発言はおかしいと思います。
それ以上に、そうやって死んだ人を出してきて、
>かわいそうだね〜 やっぱ、その人は無間地獄に落ちたのかなあ
といった興味本位の発言をし、親鸞会批判の材料にするのはどうかと思います。
部屋に閉じこもって昼間からネット批判ばかりすると、
人間性まで狂ってしまうのかと・・・・
本当に
>>46は可哀想な人ですね。
拘留者に対する虐待はかなり広範に行われ、その光景を撮った写真が兵士の
間で交換されていたと報じられている。兵士はおそらく虐待を悪いことだと認
識しているだろうから、他の兵士と虐待写真を交換するつもりで撮るのなら、
イギリスの写真のように、虐待する側の顔が写らないように撮るのが普通だ。
(英軍の写真がニセモノだという報道があるが、その一方で英軍による虐待が
以前から広範囲に行われていたという指摘も出ており、ブレア首相の謝罪も発
せられた)
50 :
名無しさん@3周年:04/05/11 16:50
>>45 へ〜、s会のダミーで学内に部室をもってるとこってあるんだ。
勤行とかビデオ漫談とかがあるから、普通は学外にあると思うが。
昼の部会とかは、堂々と教室占拠してやってるな。
空き時間は、そこで教学研鑽や採点バイトとかやってた。
まあこれは公認じゃなくても出来なくはないが。
金銭の援助は、かなり問題な気はする。>43のリンク先にあったが、
>797 名前: 名無しの阪大生 投稿日: 2004/05/10(月) 23:11
いかなる宗教法人も、
国から金を貰っちゃいけないんじゃないか?
これは政教分離とかに反しないの?
教えて、法学部のエロい人。
>いかなる宗教法人も、
国から金を貰っちゃいけないんじゃないか?
これは政教分離とかに反しないの?
教えて、法学部のエロい人。
だから金もらってないって言ってんじゃん。
(終了)
52 :
名無しさん@3周年:04/05/11 17:05
ttp://makimo.to/2ch/etc_psy/1066/1066024875.html#765 765 名前: 名無しさん@3周年 03/11/15 05:55
>>759 >会長は、講師部員については続々と現れた浄土からの応援者だという見解を示している。
会長の言葉は会員にとってはゆるぎない根拠となりえる。
活動中に過労のために交通事故を起こして事故死したって、
会長が、「彼らは必ずや浄土にいったのです」といえばみんな納得するらしい。
平生に助かっていなければ、死んで助かるわけない、という
普段の主張はどこへやら、である。
かくして「会が過労死するほどのノルマを課した」、という真の原因は葬られ、
彼らは還相の菩薩様として美化される。
ひょっとして、子牛たちは
「自分たちは還相の菩薩様と会長先生がいわれているのだから、
地獄逝きのはずがない」という信心を固めているのかもしれない(www)
53 :
名無しさん@3周年:04/05/11 17:13
>>52 >かくして「会が過労死するほどのノルマを課した」、という真の原因は葬られ、
彼らは還相の菩薩様として美化される。
交通事故の件は詳しい事情は知りませんが、
過労死した学生の件については活動より勉強優先ということで、
そういったノルマはありませんでしたよ。
だから根拠無く話を作り上げるのはやめんさい。
2ちゃんねるの過去ログなんて何の根拠にもならんよ。
>>48 それ以上に、そうやって死んだ人を出してきて、
>かわいそうだね〜 やっぱ、その人は無間地獄に落ちたのかなあ
といった興味本位の発言をし、親鸞会批判の材料にするのはどうかと思います。
部屋に閉じこもって昼間からネット批判ばかりすると、
人間性まで狂ってしまうのかと・・・・
本当に
>>46は可哀想な人ですね。
54 :
名無しさん@3周年:04/05/11 17:15
>>52 >子牛たちは
「自分たちは還相の菩薩様と会長先生がいわれているのだから、
地獄逝きのはずがない」という信心を固めているのかもしれない(www)
なるほどねえ。
きっと彼らは表面上はその信心を否定するのかもしれないが、
会長の「お前らは還相の菩薩様じゃあ〜〜」暗示にかかっちゃあ、
いちころだろうからね。
ここの多くの会員の書き込み主や幹部会員が偉そうにしているわけがわかりますねwww
>>52 >>54 部外者ですが、この52と54の発言をする人の人間性を疑いますね。
人間の奥底にある嫌な部分が丸出しです。きっと浅ましい生活をしているんでしょう。
ネットに書き込む時になると人が変わるタイプなんですかね。
どっちみちこの発言も、会の工作員の仕業とかレスしそうなタイプですね。
相手にしない方が良いんじゃないですか?
56 :
名無しさん@3周年:04/05/11 17:25
586 名前: 名無しさん@1周年 投稿日:2000/07/22(土) 20:24
> 557
>
> それでO学生本部長、会合でなんて言ったと思う??
> 「みなさんが事故に遭っても、親鸞会の会合にむかう途中に事故にあいました、なんて本会の名前を> だすな!」
> って
昔、関東の青年部にいたとき、事故その他で命を落としても本望である、という趣旨
の念書を書かされました。
確か、アニメ頒布の九州作戦で青年部員が交通事故死した直後のことでした。
今考えると、交通事故や過労で死者が出た場合に、遺族の非難を封じるためだったの
ですが。
ちなみに当時の青年部長はF谷(旧姓:F市)講師でした。
57 :
私も通りがかり:04/05/11 17:49
>>55 >人間の奥底にある嫌な部分が丸出しです。
人間の奥底にある嫌な部分を正視せずしてなにが親鸞聖人のみ教えなんでしょう。
55さんにとって、「人間の奥底にある嫌な部分」はあくまでも他人事。
>きっと浅ましい生活をしているんでしょう。
55さんは全然あさましくない大菩薩様のような生活を送っているんでしょうね。
麗しき善人様なんでしょうね。うらやましいことです。
58 :
事故いろいろ(部分抜粋):04/05/11 18:13
http://makimo.to/2ch/mentai_psy/960/960481906.htmlの549辺りから >549
九州作戦で、熊本市でアニメ販売していた人が交通事故で亡くなりました。
左折するときのタイミングを誤って、直進車とぶつかったそうだ。
それもかなり早朝で、6時半近くではなかったかな
>553
専任講師が高速道路で車を運転していて、トラックと正面衝突して亡くなったときに、高森さん
「わたしは彼らの後生は心配してない、まじめに活動していたから臨終に観音菩薩の説法にあって、極楽にいっただろう。即死であっても一念のすくいからいえば、十分に時間がある」
と語ってました。
彼らは過密スケジュールで、疲労がたまってて、それが事故の原因になったといううわさも聞く。
でも、なんで高速道路で正面衝突なんだ!?
高速を逆走でもしたのか????
>554
降りるところを通り過ぎちゃって時間もないのでつい逆走・・ということらしい。
>555
交通事故で会員が被害にあうだけでなく、会員が加害者になってしまう例もある。
運転していて居眠りしてしまい、民家に激突してしまったとか。
アニメ販売に出かけるまえに、活動メンバーが会合やるんだけど、その会合に向かう途中でおばあさん二人はねちゃったらしい。
>556
さらに悪いことに、おばあさんをはねた学生部員、保険が切れていたそうだ。
おばあさんは一人は重体でまもなく死亡、一人は重傷だったって
>人間の奥底にある嫌な部分を正視せずしてなにが親鸞聖人のみ教えなんでしょう。
55さんにとって、「人間の奥底にある嫌な部分」はあくまでも他人事。
そういうところに親鸞を出してくるところがさらに浅ましいですね。
普通は恥ずかしいから隠すんですけどね。厚顔無恥とはこのことです。
>55さんは全然あさましくない大菩薩様のような生活を送っているんでしょうね。
麗しき善人様なんでしょうね。うらやましいことです。
あなたのそういう発言をみんな見ているんですよ。
ますます自分の人格に傷をつけるだけです。
60 :
名無しさん@3周年:04/05/11 19:09
信前の人で殉教してしまった場合はどうなるの??
> それでO学生本部長、会合でなんて言ったと思う??
> 「みなさんが事故に遭っても、親鸞会の会合にむかう途中に事故にあいました、なんて本会の名前を> だすな!」
> って
>昔、関東の青年部にいたとき、事故その他で命を落としても本望である、という趣旨
の念書を書かされました。
確か、アニメ頒布の九州作戦で青年部員が交通事故死した直後のことでした。
今考えると、交通事故や過労で死者が出た場合に、遺族の非難を封じるためだったの
ですが。
部外者ですが、このような発言をする講師の人間性や親鸞会の体質を疑いますね。
人間の奥底にある嫌な部分が丸出しです。きっと浅ましい組織なのでしょう。
62 :
名無しさん@3周年:04/05/11 19:52
>>55 通りすがりって椰子、
たぶん○○講師だろ。
新入生がみることを想定したネット対策、ご苦労様っす。
[通りすがり]ってかいたって
書き込み癖で、正体ばればれ。
第三者的風を装ってS会批判者を批判するやりかたも、
もう見飽きたやりかただし、ちっとありきたり杉。
63 :
論理学とジャンヌ:04/05/11 19:55
まず最初にGoogleで「演繹法/帰納法」で検索してみる。
いっぱい出てきたので、どれから見ればいいのかわからない。
適当にいくつかのページを開いてみたが、その中に興味深いページがあった。
「親鸞会と科学」というタイトルがついている。この検索語でなぜ宗教関係の
ページが引っかかるのか? ちょっと興味を惹かれた。正直に言おう。
電波系の文章だと思ったのだ。だが、私の予想は裏切られた。
その文章は至極まっとうなものであり、筆者は相当頭がいい人のようだ。
そのページは浄土真宗親鸞会について考えるページ「ジャンヌ」というサイト内
にあるので、早速トップページを「お気に入り」に登録した。
これからぼちぼち他のページも見ていくことにしようと思う。
と、そんな事を考えて「お気に入り」に登録したまま一度も見ていない
ページが山のようにあるのだが……。ところで、このサイトを見ていると
既視感にとらわれるのだが、気のせいだろうか?
それはともかく、肝心の演繹法と帰納法については、次のように書かれている。
近代科学の基礎づけを行なったのは、帰納法のベーコンと、演繹法のデカルトです。
しかし、帰納法や演繹法には弱点があります。長くなるので詳述は避けますが、
帰納法には「枚挙の有限性」、演繹法には「前提の確かさを証明できないこと」
という問題があり、論理として完璧ではありません。
そこで、帰納法と演繹法を組み合わせた、仮説演繹法という考え方ができました。
それが、今日の科学の基礎になっているのです。
この方法論が抜けていては、科学的だとは言えません。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/q/0205e.html
>>58 >彼らの後生は心配してない、まじめに活動していたから臨終に観音菩薩の説法にあって、極楽にいっただろう。
極楽行きも地獄行きも、高森さんのご都合主義、胸三寸ということか。
観音菩薩が説法しなけれりゃ、極楽にはいけない。高森さんでは役立たずということか。
65 :
名無しさん@3周年:04/05/11 20:16
一向専念無料呪物なのに、なんで観音菩薩が出てくるの?
66 :
名無しさん@3周年:04/05/11 20:33
無料呪物?
価値の無いs会の教義のことか?
>>65 >一向専念無料呪物なのに、なんで観音菩薩が出てくるの?
高森式の口から出任せ術か。舌先に踊らされる若者が哀れ。
踊る阿呆に踊らす阿呆。踊らす阿呆は阿呆の勝手でいいが、踊らさ
れる阿呆は将来の日本と世界を担わなければならん若者だ。
上司には、報告書、提案書、企画書などいろいろな書類を提出する
機会がありますが、いい内容であっても、上司に読んでもらえなくては
意味がありません。
歎いてみよう
ものとり信心
異安心
南無阿弥陀仏だけでよい
時間
労力
貴重な御金
阿弥陀仏のケツジョウした信心なら
組織に自分のかけがえの無い御金時間労力使わなくても良い
組織に依存はしなくて良い。
親鸞は弟子一人も持たず
南無阿弥陀仏の普通の生活のままでよい
南無阿弥陀仏だけで良い。南無阿弥陀仏だけで良い。
南無阿弥陀仏だけで良い。
_ i'i,,,/7-、,_
ヾ、゙ヽ ゙' '/彡
=ミ ,、、_i i,L,_'゙=i-、
./'゙彡r|, ニt /-ミ' ゙l,
,,/ .,゙''i、l'=''(・)j)ノ゙ i i、_
'1--、| l,゙l'rェェ,.l゙j゙./゙⌒ヽミ
l゙i i .n i;ヽヾ'=|'゙/゙/i゙/!j゙!ji゙
Yt'‐リ゙'゙´ ゙ヽ‐|'゙ ´゙゙.i、,_ノ
.|N'゙rエニニlニコニニ'l、,
r'゙´`゙'=;、,,、,、---、ゞ'゙ ゙ゝ
ヽ,_r゙'L,_ `゙'>゙`〉
r‐'''゙ _,) i‐'゙ ぐ_
.゙ヾ-'゙ ゙\ 、ろ
゙ー゙´
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 渡海難が あらわれた! ┃
┃ ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
73 :
名無しさん@3周年:04/05/12 00:04
会員は罵倒しつつ逃げ出した。
74 :
名無しさん@3周年:04/05/12 00:16
去年俺が大学の親鸞会ダミーサークルの実態を大学側に報告し、そのかいあって新入生が1人も入らなかった我が大学。
しかし今年はまた2人あわれな新入生が入ってしまった。俺は悔しい。いつになったら悪の根は断ち切れるのかと。
ゴキブリのような生命力、ヒルのような強欲カルト親鸞会。
75 :
名無しさん@3周年:04/05/12 00:34
俺は入学式の時勧誘されてまさか大学にこんなモノがあるとは夢にも思わず、入会し、3年間活動しました。
うすうす怪しいと感じていましたがここを知って、愕然としました。他にもいろいろ調べてみましたが、やはりこの団体は世間のカルト教団となんらかわらないということも分かりました。
三年のとき先輩や仔牛の説得を振り切ってようやく脱会に成功しました。
そしてこのカルト教団での3年間の活動、体験をもとに卒業論文でこの団体を取り上げました。
「救いの正体 カルト教団と我が大学生活」というテーマで。
内容は自分は嘘つき勧誘でこの得体の知れぬ団体に入ってしまったということ、
毎年全国の大学でこのような勧誘を続け、何も知らぬ新入生を餌にしていること、
親鸞会での活動について、カリスマ的絶対教祖高森顕徹氏についてなどなど。
無駄に送った大学4年間の集大成として全力をつくしました。
なかなか良いできばえでした。
大学がこれを機にこの団体を徹底的に排斥し、これ以上あわれな被害者を増やさぬことを祈るばかりです。
前スレの110です。
重要なところだけは確認しておきます。
当然のことですが、一向専念無量寿仏は本会オリジナル教義ではありません。
経典にも明示され、親鸞聖人も大変強調された非常に重要なお釈迦様の教説です。
その点
>>66は非常にたちが悪いです。
なお、観音菩薩の臨終説法でなければ助からないという教えは
弥陀の18願にも平生業成にも反する間違った教えです。
それと、組織が悪いものだと思っている人が多いようですが、
組織とは人の集まり、目的を同じくした同志の集まりです。
目的達成のために非常に有効だということをお忘れなく。
目的が重要なら重要であるほど結束していくのは当然ですからね。
最後に、根拠のない推論、妄想をすればするほど人間としての品位を落としますので、
攻撃するならするで根拠を提示するのがいいと思います。ないなら止めて下さい。
77 :
名無しさん@3周年:04/05/12 00:37
カルト団体は一代で消えるものが多い。
なぜなら教祖を絶対的な神とするからだ。
その神がいなくなればその教団が生き残る余地はない。
78 :
名無しさん@3周年:04/05/12 00:42
組織といっても巨悪の組織だろ?親鸞会は。
そんなものをのさばらせておいてもろくなことはない。
>最後に、根拠のない推論、妄想をすればするほど
前スレまで認めていたダミーサークル問題という"事実"はどこへ行ったのやら?
80 :
組織と言えば:04/05/12 00:53
●組織
人の身体ほど、良く出来た組織体はなかろう。
目・耳・鼻・舌・手・足など、それぞれ役目は異なるが、
一旦、体に危害が迫ると一致協力、生命の安全を護る。
足が蚊に攻撃されているのに、ジッと見ている眼や手があるはずがない。
肉体の機関がそれぞれのなし得る分野で、生命体を維持するために総力挙げて団結する。
この組織を破壊しようとするガンは即刻摘出される。またされねばならぬ。
真実の組織も、かくあらねばならない。
M春を摘出できない以上、真実の組織ではない。
>>75 事実に反する書き込みは止めていただきたい。無法者ですか?
事実なら、是非アップロードしてください。見せて頂きたいですね。
>>77 そうですか。本会がカルトだと仰りたいんですか?
無理がありますね。相当本会のことをご存知ないようですので、
少しご覧になってはいかがでしょうか。
>>78 すごく無理のある主張ですね。
事実と論理の両面を揃えたら攻撃らしくなりますよ。
82 :
『マインド・コントロールとは何か』110頁:04/05/12 01:02
だから、多くの人は「やってみなきゃあ、わからない。
とりあえず、経験してもいてからでも遅くはない」
と軽い気持ちで(破壊的カルトに)接触してゆくが、
それは非常に要注意なのである
>>79 どこに行ったんですか?
>>80 個人を特定した書き込みをするときは当然ある程度の覚悟があるんでしょうね?
それがあって続けると言うのなら、あなたの主張の合理性を示して下さい。
つまり前スレ110は、親鸞会がダミーサークルを使って勧誘をした事実など
ないと主張するわけだな。
>>84 叩き要素ハケーン!て感じですね。
すいませんがそんな主張はしません。
なら親鸞会がダミーサークルの件でバッシングされてることも会員として
何かしらの言明をすべきだろうし、延々そのことで叩かれても文句を言えない
立場にあることくらいは理解しろよ。
>>86 それは前スレで言ったとおりですが…
事実無根の中傷のことを現在言っています。
特に個人を特定させるような書き込みは非常に不快だし、悪質だと思います。
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/ <不倫は一時の過ち、仏法聴かぬは一生の過ち、親鸞会は善意の集団
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/ <不倫は一時の過ち、仏法聴かぬは一生の過ち、親鸞会は善意の集団
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90 :
名無しさん@3周年:04/05/12 01:34
いや、一匹でお腹いっぱいだ。
イラクでアメリカ軍への攻撃がやまないことと、親鸞会への批判がやまないことには共通した理由がある。
目的のために手段をおろそかにしている点だ。戦争やダミーサークル勧誘に大義はない。
92 :
名無しさん@3周年:04/05/12 01:41
いや、むしろ親鸞会は義の塊だ。
「仁は過ぎても良いが、義は過ぎてはならない。」と言う観点で、だが。
93 :
名無しさん@3周年:04/05/12 01:56
s会に入会している人間は、その事実だけによって精神状態を何とか保ってはいるが、
会長が死んじゃってs会が無くなったら一気に廃人になるんだろうなあ。
94 :
名無しさん@3周年:04/05/12 01:58
唯一絶対の道(善智識)が断たれる訳だからな。
95 :
名無しさん@3周年:04/05/12 07:14
>>89 >親鸞会は善意の集団
親鸞会は善意の「押し売り」集団
96 :
110さんに質問:04/05/12 07:19
>>110 会長さんが
「まじめに活動してきたものは臨終に観音菩薩の説法をきいて助かる。」
と話したのを私も確かにきいたことがあります。
まじめに活動している(つもり)の者が多い親鸞会会員にとっては
これは極めて重大発言といえるでしょう。
「まじめに活動すれば」無間地獄逝きを免れるといっているのですから。
しかし、これは平生業成の教えではない、つまり真宗の教えではない、
ということで、よろしいですか?
パソコンを習い始めた父(64歳)がある日、「“アイコン”て何だ?」と言
うのでアイコンの説明をしていた。「アイコン帰り?」と言うので、わけがわ
からず父の見ていた新聞を見ると、なんと「合コン帰りに事故」でした。
「仏教を信じて毎日真面目に暮らしていれば、死ねば極楽」
というのは本願寺の誤った教えだ、と主張していたが、
「まじめに活動してきたものは臨終に観音菩薩の説法をきいて助かる。」
とかいう会長の発言もそれと何ら変わりないよな。
お手持ちのAV機器に飽きたら、「自作」に挑戦してみませんか? 「作る」のも
オーディオの愉しみです!
100 :
名無しさん@3周年:04/05/12 10:34
>98
本当ですね 矛盾していますね
ガイドがベストワンに挙げたアクションゲームのアンリアルトーナメント2004。
みなさんも参加しませんか?
>>96 言い回し一つで大きく意味が変わりますのでソースが必要だと思います。
その引用が正しいとしてですが、別に矛盾はありません。
臨終でなければ、というのは間違いですが、
臨終でも助かる、というのはまさに平生業成の教えそのものです。
自動車にはたくさんのカタカナ英語が登場します。ハンドル、アクセル、
ブレーキ、バックミラー・・・。でもこれって正しい英語?
M晴やW部のような幹部講師は、車買いあさったり、家建てたりしてるのに
一般会員には、家を売ってでも布施しろ、とはどういうことよ?
フィルムカメラだけが持つ味わい深い世界。そこには写真を単なる記録として
ではなく、瞬間をフィルムと心に記憶するという愉しさがあります。
106 :
名無しさん@3周年:04/05/12 19:40
>>102 いいえ、110さんのおっしゃることは詭弁にすぎません。
きっと、110さんには問題の本質が見えていないのでしょう。
親鸞会のまじめに活動している(つもりの)未信の活動家
(たとえば専任講師)の心のすわりはどこにあるのか?
「まじめに活動してきたものは臨終に観音菩薩の説法をきいて助かる。」
このようにきかせられたたものは、どうして、
「現在ただいま、信心いただかなければならない」(=平生業成)
というように理解するというのでしょうか。
「たとえ、現在ただいま信心いただいていなくても、
今後も真剣に活動しさえすれば、臨終に観音菩薩が助けてくれる」
というように理解しているはずです。
これは結局のところ、
>>98横槍さんが指摘するように、
>「仏教を信じて毎日真面目に暮らしていれば、死ねば極楽」
という主張といったい何が違うというのか?
親鸞会の批判する「死んだらお助け」信心そのものではないか。
110さんを含めて、親鸞会のまじめに活動している(つもりの)
未信の会員の大半は、実際のところ「観音菩薩の臨終来迎」を信じている
集団なのかもしれない。
>「たとえ、現在ただいま信心いただいていなくても、
>今後も真剣に活動しさえすれば、臨終に観音菩薩が助けてくれる」
>というように理解しているはずです。
だーれもそんな理解してません。
そんな的外れな非難は、笑われるだけです。
108 :
名無しさん@3周年:04/05/12 21:15
>>107 ふうん、じゃあ、どう理解しているの?
おせーて。
>>108 つーか、そんなこと聞いたことないがな。
聞いた聞かないの話、あてにならん。
110 :
名無しさん@3周年:04/05/12 22:13
>>110 漏れはきいたよ。
その場にいたから確かだけど何か?。
111 :
名無しさん@3周年:04/05/12 22:21
ああおれも聞いた。
高岡の昔の本部会館だ。
112 :
名無しさん@3周年:04/05/12 22:46
うんにゃ、オレは聞いたことないな。
高岡の、昔の本部会館だ。
113 :
名無しさん@3周年:04/05/12 23:06
一つの謎が生まれた。件の専任講師が事故死した時、会長はなんと言明したか、である。
聞いたという人間は、どういう時・状況・話の内容だったかを言えるはずだ。
聞いてないという人間は、高岡の本部会館以外でも言ってないということを
証明(難しいが)。他の場所で言ったのを自分が聞いてなかった時だっただけかもしれないからだ。
「自分が聞いてない」だけでは「会長はそんなことを言っていない」ことにはならない。
自身が聞いてない=会長が言っていないことを立証するのもいいだろう。
双方の答えを待とう。
ここ20年、かかさず聴聞しております。
が、そのような内容は、私は「聞いておりません」。はい。
謎だか知りませんが、観音菩薩の臨終説法について教えていただいた
ことはあります。
>>104 どういうこともなにもそういう事実がありません。
>>106 まじめな意見だと思います。
回答と致しましては、事実を示せば十分だと思います。
そういった御教導があったのは確かです。
しかし、毎回の御説法で強調されることはただひたすら平生業成のみ教えであり、
観音菩薩について聞いている人であっても、毎回御法話に参詣されるような人で、
しっかり聴聞していればそのような聞き誤りをするはずがありません。
もちろん聞いていない人は別です。そういう人も確かにあるでしょう。
あなたはかなり長く御説法から離れていると推察します。
>>115 観音菩薩の臨終説法(で即死でも獲信できる)という
のはお聖教にあるのですか?
117 :
名無しさん@3周年:04/05/12 23:49
114は20年間の聴聞の中で聞いてないことを以って会長が言ってないと主張した。
前スレ110は御教導があったと主張している。
どちらが嘘か。
>>116 残念ながら、知りません。
>>117 聴聞の中では私も聞いたことがありません。
間接的に聞きました。よってどちらも嘘ではありません。
119 :
名無しさん@3周年:04/05/13 00:05
>観音菩薩について聞いている人であっても、毎回御法話に参詣されるような人で、
>しっかり聴聞していればそのような聞き誤りをするはずがありません。
>聴聞の中では私も聞いたことがありません。
この辺が良くわからんな。
110:聴聞の時ではなく間接的に聞いた
他の参詣者:(熱心な人は)聴聞の時に聞いた←熱心でないと聞き逃したり聞き誤ったり…
ということか?
>>119 つまり、御説法ではそういうことは言われません。
他の場で言われたことはある、ということです。
聞き誤りとは、臨終の観音をあてにする、という聞き誤りです。
>
>>117-118 その当時の学生会員で、亡くなったH講師とは事故の直前にお話し
したことがあったので事故前後のことはよく憶えてます(事故のこ
とは新聞報道もありました)。観音菩薩云々のお話しは私も先輩
からのまた聞きです(その先輩は部長でしたが「私もはじめてお
聞きしたお話だ」と驚いていました)。確か学生部では部長以上
だったか幹部を対象にしたものじゃなかったかと思いますがこの
辺は記憶があいまいです。H講師は当時、高森先生にはかなり可
愛がられていた方だったと思います。
122 :
名無しさん@3周年:04/05/13 00:33
>>120>>121 なるほどわかった。粘着して悪かったな、腑に落ちない部分があってね。
今尚疑問なのが、前スレ110も121も間接的に知りえた会長の教導を、
20年間欠かさず聴聞していたと自称する114が知らないと言う事だが。
その辺に粘着しても仕方ないか。
まぁ会員は活動も忙しかろう、寝れる時に寝ておけよ( ・ω・)ノシ
123 :
名無しさん@3周年:04/05/13 01:29
>>122 会長が口走ったとしても、正式に認める訳はないと思われw
124 :
名無しさん@3周年:04/05/13 01:47
ほんのちょっとでも「俺、何やってんだろう…。俺のやってることは意味があるのか」
と思ったことのある会員はまだ助かると思う。
一度も会長を疑ったことの無い会員は助からないね。もう終わりだね。ごくろうさん。
ほんのちょっとでも「俺、何やってんだろう…。俺のやってることは意味があるのか」
と思ったことのあるアンチはまだ助かると思う。
一度も自分の行動を疑ったことの無いアンチは助からないね。もう終わりだね。ごくろうさん。
126 :
名無しさん@3周年:04/05/13 02:25
>一度も自分の行動を疑ったことの無いアンチは助からないね。
124ではないが…
俺は自分の行動(会での活動)を疑ったからこそ退会したんだがな。
127 :
過去ログで調べよう:04/05/13 02:38
128 :
↑の検索で掛からない分:04/05/13 03:13
無職の俺を養うために嫁さんがケンタッキーでレジを始めた。
そっと覗きにいくと、ケンタッキーの制服のスカートけっこう短いのな。
若い女の子向けのデザインなんだろうな。
30後半の嫁さんが、短いスカートはきながら一生懸命接客している姿は
なんだか痛々しくて、心の底から申し訳ない、就職活動がんばろうと思った。
でも家に帰ると、久しぶりに1人なわけですよ。今まで嫁さんがいると、
昼間家にいるのを責めらてるような気がしてリラックスできなかった。
で俺は久しぶりにオナニーしようと思った。しかも濃いやつ。
サラダオイルをチンコに垂らしてニュルニュルもんで、イキそうになったら
手を止めて、お尻の穴にもオイルぬってニンジンつっこんで、さすがに
ニンジンは痛かったけど、レイプされてるような感じで興奮しますた。
すっかり女の気分になって「はああん、はあん」とあえぎながら、
1時間くらいチンコこすりつつニンジンをズコズコしてた。
んで「イクーっ」といって大量に射精した。そのとき俺は口内射精で飲んでみようと思って
、できるだけ上半身を前屈させ、口を激しく前に突き出した。
精液は勢いよく顔まで飛んできたわけですが、口の中には入らなかったので、顔に塗りたく
って、指をペロペロなめて、「ふー、良い仕事したなああ」と叫び、シャワーあびようと後
を振り返ったら、嫁さんがケンタッキーの制服のまま台所に座って泣いてた。
130 :
名無しさん@3周年:04/05/13 08:48
観音菩薩の件。
大昔にも「まじめに求めていたものは臨終に観音菩薩の説法がある。」という
お話はありました。
これを「今後も真剣に活動しさえすれば、臨終に観音菩薩が助けてくれる」
ととればぜんぜん意味が違います。
「聴聞すれば助かる」と「聞いてさえいれば助かる」の違いがわからんひとには
無理かな?
もともと退会したひとは聞き誤って退会したのだから
こういう聞き誤りはいつものこと、というか、わざとやってるむきも
ありますね。
相手にしてもしかたない。
131 :
名無しさん@3周年:04/05/13 09:07
>>130 >もともと退会したひとは聞き誤って退会したのだから
>こういう聞き誤りはいつものこと、というか、わざとやってるむきも ありますね。
>相手にしてもしかたない。
おいおいそれが
すべての人を
必ず助ける
絶対の幸福に
という弥陀の本願を教えられている人間の発言かい?
会長は「会員を1人も地獄に堕とすわけにはいかない」
とかいってるくせに。
退会者ももとは会員なのだから。
無責任だな。
秋ともなると日本海の海は非常に荒れた。
義経達の乗った船は商船であったが北前船が盛んになる以前の事、航路も未だ定
かではなかった様である。
加賀、輪島、柏崎、新潟等を経由して北上した。
輪島の浜に着いた日の夕刻、地元の商家に一泊して、暖を取って居ると、宿の主
人から回状が届いていると云う。
北陸道方面にも、源氏の探査が及んでいる訳である。
134 :
名無しさん@3周年:04/05/13 15:52
あのH川講師の交通事故死は、たしかにショッキングだったな。
かれの死をいたんでの説法のときはみな緊張していた。
普段は居眠りをする講師もさすがに顔がしまっていた。
会長は、活動したいたら、必ず観音菩薩が助けるということはいわなかった。
そしてそれを期待すべきではないというようなことも述べた。
だが、きっとH川氏は観音の導きで助かってるいるだろうといった。
ともかく、臨終に観音が現れるなんて話はそれまで聞いたことがなかったので、たいへん驚いた。
特殊な状況での対機説法ということになるかもしれないが、今から思うと、会長の性向がよく現れているかもしれない。
110は「臨終でなければ助からない」は間違いだが、「臨終でも助かる」は十分OKだという。確かに会教学上それは正しい。
しかし件の専任講師の件ではそれは全く意味がない。
この講師が事故死までの短時間に受けた観音の説法「でも」助かるのならば、勿論、観音が来迎「しなくても」助かることになる。
観音が来迎する前から、救われることが決まっていたからである。だから「観音の説法でも」助かるという表現になるのだ。
この時考えられるのは、講師が「事故以前に信心を得ていた」場合に限られるだろう。これこそまさに「平生業成」である。
しかし、この講師が事故以前に平生業成の救いを得た、信心を得た人間であったと言えるだろうか? ─── それは難しいと言わねばならない。
何故か?根拠はまさに会長の観音の説法だ。── 仮にその講師が信心を得ていたのなら ──
後生の心配をしない理由として真っ先に「彼は信心決定していたからだ」と言えばすむのである。
平生に信心を得ていれば、何の心配もなく胸を張って往生極楽間違いなしと言ってのければよかったのである。
そこに何故観音の説法というものが出るか?辻褄が合わないのだ。
導き出される答えは一つ。「少なくとも事故直前まで、その講師は信心を得ていなかった」だ。
少なくとも、会長はそう考えていたからこそ、彼の救われる道として観音の説法を持ち出すしかなかったのである。
しかし問題がある。上記の通り、「臨終でなければ助からない」では間違いになる。死んだらお助けの邪法に首まで浸かっている。
彼は事故発生の瞬間から死に至るまでの僅かな時間で、観音の説法を受け信を得、生きているうちに救いに逢わねばならない。
よって、
「事故発生前までは信を得ていなかったが、事故発生後に来迎した観音の説法により、死ぬ前に信を得て救われる身となり、死んだ」
と説明することでこれらの問題を解決するのである。
なるほど、人間は生まれた瞬間に死に向かって歩き続ける存在だ。つまり交通事故事故発生後だろうと産声を上げた瞬間だろうと、
「生きている時」に変わりはない。死に向かっている存在にも変わりはない。
そして「生きている時に信を得て救われる身となることを目指す(信心を得る)こと」が会員の目的であるから、
その講師も平生業成の救いで十分説明が出来るのである。
観音の説法を持ち出したのも、会員に臨終の来迎を期待させるものではない。無論講師が救われることを説明するものでもあるが、
会員にとっては、「刹那無常を説く仏教の中において一瞬先わが身に振りかかるかもしれない死に対して、怠ることなく聴聞に励め」
と教化する意味をも持つものだと受け取るべきものであろう。
137 :
名無しさん@3周年:04/05/13 18:16
なんかまるで、がんばってもなかなか救われない中、まじめに活動していたら
運良く事故に遭って救われたみたいで嫌だな。(鬱
>>135-136 >後生の心配をしない理由として真っ先に「彼は信心決定していたからだ」と言えばすむのである。
↑これは、たとえ信心決定していたとしても言わないんじゃないか?
教義上、救われたかどうかは本人しか分からない筈なんだし。
この状況で断言してしまえば、かえってカルト扱されるのがオチだろう。
そもそも、あえて救われたかどうかについて言及をした事自体が疑問だ。
「む。油断のならぬ事だわい。一休み入れたい処なれど、明朝未明の出発じゃ。」
「承知致しました。」
その日の深夜、弁慶がうつらうつら寝ずの番をしていると、宿の下男が至急との
事で知らせに来た。
「お客様お目覚めでしょうか。今、知合いの者から、知らせがありまして、源氏
のお役人様が、見慣れぬ旅人を、取り調べに来ているそうでございます。家の主
人が探りを入れて居りまして、早うお逃げなさいとの事です。」
「船はお約束通り、直ぐ立てる様、船頭が仕度を済ませて居ります。」
「忝ない。おい、皆の者。出立ぞ。」
早暁なので屋外は未だ真っ暗闇である。
杉林がごうごうと、唸りを上げていた。
空には月が煌々と冴え渡って居た。
其の月明かりを頼りに、主従は宿舎を後にした。
細い坂道を下って行くと、濃紺の空の向こうに、海が白く鈍く光っていた。
遥か背後で松明が、ちらちらと点り乍ら、暗がりに光る蜘蛛の糸の様にゆっくり
と近付いて来た。
「おうっ。お客人の皆様、早うお出でなせい。」
一声掛けると、船頭は無駄口を叩かずに、てきぱきと船を動かし始めた。
吉次の遺志は、配下に未だ生きて居た。
此の荒波と強風に乗り出す無鉄砲さは、事情はさる事乍ら、九郎ならではである。
岸辺は瞬く間に遠のき、出遅れた追っ手が悔しさ紛れに、弓を射て来たが、最早
届かぬ船足であった。
大風を受けて船は、何度も沈みかけては助かり、危うい危機をようよう脱した。
船は疾風の様に走り、出羽の酒田沖合いへ着いた。
141 :
名無しさん@3周年:04/05/13 19:23
↑↑↑
だから、会で、まともに活動している講師・青年で、一人も決定者はいない。
そういう構造になっている。そして、いないことは講師なら皆知っている。
だから、H講師のとき、講師間でも動揺がはしった。
それを押せえるために、会長はあういう説法をしたんだろう。
会長命令:「家、畑売って財施しろ。どこに住まいすりゃあいいてか。アパートに住め。」
専任講師、会員、特選部員の中で自宅を持っているものは親鸞会会員ではないことになる。
会長に「畏まりたる」ではないからだ。
自宅を持っている専任講師、会員、特選部員は即刻家、畑を売り払い財施をするように。
そしてアパートに住まいするように。
聞いてますか、w部講師、Iずみ講師。
他に自宅持っている専任講師、特選部員、会員の所属部署、イニシャルUPしてくれ。
>>137 >そもそも、あえて救われたかどうかについて言及をした事自体が疑問だ。
後生の一大事 即ち 生きているうちに信を得るか。救われたか。 これは会の主張する最大のテーマといって良い。言及することに疑問はないはず。
>教義上、救われたかどうかは本人しか分からない筈なんだし。
これには語弊があるといわねばならない。
例えば、会長が信心を得たかどうかは会長本人にしか解らないことだろうか?少なくとも会員は皆得ていると解っている。
勿論会長が自称しているからではない。「信心を得ました」そう自称すれば誰もがそう解るなんて茶番劇を認める方がおかしい。
確かに、聴聞の最中に「あ、今隣の奴が信心を得た!」等ということもない。信を得る瞬間というのを他の人が解ることはない。
また入会して日の浅い会員についても、救われたかどうかの言及することは、会長であっても難しいと言える。
ただ、この場合は専任講師である。会員の多くが知ってるし、会長本人も目をかけてた人間だからな。
144 :
名無しさん@3周年:04/05/13 20:22
>>141-142 かわいそうなひとたちやなあ。
観音菩薩の説法のお話はしっているひとは多いですが。
なんで童謡するんですか?
今度は「活動しているひとで」になりましたか。何人いれば
気がすむのでしょうか。
琵琶湖って埋まってないんだよね。
わからんだろうなあ。
>>144 >観音菩薩の説法のお話はしっているひとは多いですが。
>なんで童謡するんですか?
お前も、誤字(童謡>動揺)もさることながら、日本語くらい読め。
動揺していたのは事故死した講師の件での説法を受けた時の講師陣のことだ。
「それまで聞いたことのなかった(説法に出てこなかった)、観音の来迎という話が出たから」驚いたんだろうに。
動揺しなくて当たり前なら、普段から親鸞会は観音の来迎を説いているという誤解を招きかねない。
お前の軽々しい発言がそういう意味を含んでいるということくらいわからんのか?
お前が動揺せずに話を聞けたのは、話を聞いて最初は動揺した講師陣らがわかり易く注釈つきの話として広めてくれたからだろう。
それに対して「なんで動揺するんですか?」なんて言葉が出る時点でお前に「わからんだろうなあ」なんて言う資格はないよ。
酒田の沖合いに着いた義経達一行は呆然とした。
夜半岸に近付こうとすると、酒田の街が万灯に輝いていた。
「はて、この時分街は寝静まって居る筈だが。」
「殿あれは恐らく我々主従の追っ手でございましょう。」
「うむ。帆を揚げるな。未だ向こうは、こちらに気付かぬかも知れぬ。此の侭風
と流れに乗って北上しよう。」
静かに光を放つ街に、一瞥をくれて一向の船は更に北上した。
やがて海は大荒れに荒れ、数里も進まぬ内に押し戻されてしまった。最早此の侭
酒田に上陸するしか無かろう。
「皆の者、如何しよう。」
皆押し黙った。目の前には赤々と万灯の光が待って居る。
すると誰かが云った。
「生きるも、死すとも殿と一つでござる。我等に昨日はござらん。明日への苦難
が何であろうと、共に受けん。」
「良く云った。行くぞ弁慶。」
その一人一人の顔に失望の影は、微塵も無かった。
はっと、我に返ると目の前にその明るい表情が見える。
それは冒険心と、勇気と、情熱で誰にも負けをとらない主人、義経の目の輝きで
あった。
「命運は我に下った。只前進あるのみ。」
その目に迷いは無かった。
「行きまするぞ、何処へでも。野を越え、山を越え、火の山、針の山でも厭いは
せぬ。」
その主従の一体感こそ、他の武将達が妬ましい程、憧れる人間関係の華かも知れない。
>>144 >琵琶湖って埋まってないんだよね。
つまり会長が言ったことをそのままする必要はないと。
会長が言った事をどこまで実行するかは暗黙の了解のようなものがあるわけだな。
あそびじゃねえか。親鸞会。求道ごっこですな。
さっさと氏根や。
ほんじゃ道宗も求道ごっこか?
そうなるわな。
道宗って、妙好人の一人だわな。
山が燃えていた。山村が賊に襲われている。家の金目のものは悉く奪われ、
女は攫われ、歯向かう男は殺されている。そんな村を尻目にかけはぎの安く
できた服を着ている少年は己の身丈よりも大きな剣を持って村から逃げてい
た。この剣は少年にとって生命の次に貴重な物だった。少年の名は竹千代。
そういう風に村では言われていた。草鞋が殆ど形を残してはいない。其れほ
ど山の中を翔けていた。その時後方から馬の翔けてくる音がした。
>>135 >この講師が事故死までの短時間に受けた観音の説法「でも」助かるのならば、勿論、観音が来迎「しなくても」助かることになる。
>観音が来迎する前から、救われることが決まっていたからである。だから「観音の説法でも」助かるという表現になるのだ。
>この時考えられるのは、講師が「事故以前に信心を得ていた」場合に限られるだろう。これこそまさに「平生業成」である。
この推論がいまいちよく分かりませんが、発言全体に対しては特に大きな反論は致しません。
>>141 まともに活動している講師と青年に信心決定した者がいないなんて根拠のないことを言わないで下さい。
>>142 その命令とやらのソースを提示して下さい。もしくは以後そういう発言を慎んでください。
>>153 >142
その命令とやらのソースを提示して下さい。もしくは以後そういう発言を慎んでください。
これは、10年ぐらい前の座談会の内容。
珍しく、カセットテープに録音されたものをみんな順番に回して聞くように言われ俺も家で聞いた。
ちょうど寄付の金額が正本堂の時でメチャメチャノルマがきつく会長じきじきの音声を使って寄付を増やそうとしたのだろう。
俺は、このカセットテープをこっそりダビングしておいた。
まだ残ってると思うので闇でうpしたろか?
>>154 違った。正本堂の横の体育館とかを建てる時だ。
156 :
名無しさん@3周年:04/05/13 23:47
>>153 >まともに活動している講師と青年に信心決定した者がいないなんて
根拠のないことを言わないで下さい。
ははは。
豪語するなら根拠を示しなさい。
とくに、会長の愛弟子で真剣に数十年求道してきたはずの、
専任講師についての根拠をね!
「いつも、聴聞会場で真実信心の講師にご挨拶していますよ」、
なんていうのは当然根拠にならないよwww。
会の出版物とか、体験談で示してね。
>>154 ダビングしちゃだめじゃないですか。
うpはいらないです。
142氏ならば、その部分の前後の文脈を合わせた発言に直して頂きたい。
>>156 そちらからの言いがかりをこちらが証明する必要はありません。
言い出したほうが先に根拠を提示する義務があります。
議論の常識です。議論とかしたことないですか?
そんなに自信たっぷりなら、その自信の理由をどうぞ、てことです。
その上で反論の必要があれば致しますよ。
159 :
名無しさん@3周年:04/05/14 00:05
110は会の工作員だから、はったりもウソも方便と開きなおっているんだろうな。
まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
琵琶湖が埋まってないのがどうしてそんなにおかしいのか理解に苦しむんだが。
>>158 良いこと言った。その通りだと思う。
前々から講師やなんやらに信心決定した人がいないと、
何とかの一つ覚えのように言っているが、
全く根拠がない。
そんなに体験談が聞きたいですか?
風呂で裸で踊ったとか?
体験談がなければ信心決定した人が一人もいないという根拠になるんですか?
馬鹿すぎ。
110はこんな馬鹿の相手していて本当に偉いと思う。
>>159 >110は会の工作員だから、はったりもウソも方便と開きなおっているんだろうな。
なんでも自分にとって都合の悪いのは会の工作員。
こいつの論旨は一貫してその手の馬鹿の一つ覚え。
>>159 >まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
これが根拠?じゃあ、反論してやるよ。
まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家で信心決定しているひとが何人もいるのは、
何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
ははは。
豪語するなら根拠を示しなさい。
とくに、富山や滋賀で真剣に数十年求道してきた、
会員さんについての根拠をね!
「まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。」、
なんていうのは当然根拠にならないよwww。
>>163 講師のなかで信心決定しているのはどなたですか?
>>156 >会の出版物とか、体験談で示してね。
そんなものが根拠になると思っているところがかわいらしいね。
華○会はそう言うのが根拠になるらしいけどね。
>>165 信心決定しているかどうかは、
弥陀と本人のみぞ知る世界です。
>>167 >信心決定しているかどうかは、
>弥陀と本人のみぞ知る世界です。
ならなんで
>まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家で信心決定しているひとが何人もいるのは、
>何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
ってわかるの?
>>166 怪鳥はいま救われたと叫ぶ者がいないのが○願寺に信心
決定者がいない証拠みたいなこと言ってなかったっけ?
>>竜粘性
>信心決定しているかどうかは、
>弥陀と本人のみぞ知る世界です。
それはおかしい。他人にも解るはずだ。
例の専任講師の件で、会長は明言したではないか。講師が信心を得たであろう事を。救われたであろう事を。
本人にしか解らない世界ならば、上の会長の言葉が「正しいかどうか」という問題が発生する。
お前がわかってないだけだ。
>>168 こっちがさきだよ。
>信心決定しているかどうかは、
>弥陀と本人のみぞ知る世界です。
ならなんで
まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
ってわかるの?
173 :
名無しさん@3周年:04/05/14 01:10
ははは、それでH川講師は、高速道路でトラックにぶつかる直前まで、信心決定していなかった。
そのことを会長は、自明のこと、間違いのない事実のように認め、他人の信心が明確に推測できるという前提のもとに説法した。
こんなことも否定するのか。
>それはおかしい。他人にも解るはずだ。
そんなこと無いよ。
信心→心口意の三業に現れる
のは間違いないが、
心口意の三業で信心をはかることは出来ない。
それは自力だ、と教えてもらっている。
>例の専任講師の件で、会長は明言したではないか。講師が信心を得たであろう事を。救われたであろう事を。
これも違うだろ。
真実の仏教の布教のために死んだものは、
「来迎した観音の説法により、死ぬ前に信を得て救われる身となることもあるんだ」
と言ったはず。
件の講師が「信心決定して救われた」とは断言していないし、しているはずもない。
過去ログ全部読んだ訳じゃないが、この点については決定的に違っている。
>本人にしか解らない世界ならば、上の会長の言葉が「正しいかどうか」という問題が発生する。
正しいでしょ。本人にしか分からない信の一念を突破したかについてはふれられてない。
>お前がわかってないだけだ。
そう、お前がわかってないだけだ。
175 :
名無しさん@3周年:04/05/14 01:16
>>163 ななしの問い
>>165 竜粘性の答え
>>168 ななしの問い
>>171 竜粘性が問い
168(ななし)が先だろ?そもそも「ななし」は一言も
>まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
とは言ってないぞ?答える必要すらない。
176 :
名無しさん@3周年:04/05/14 01:17
こんなカルトDQN教祖偽善知識高森のいる現代ではなくて本物の善知識親鸞聖人の時代に生まれてきたかった。
>ははは、それでH川講師は、高速道路でトラックにぶつかる直前まで、信心決定していなかった。
そのことを会長は、自明のこと、間違いのない事実のように認め、他人の信心が明確に推測できるという前提のもとに説法した。
>>174みてくれ。
君の聞き方が間違っているんだ。
それとも直接聞いたのか?
H講師が信心決定していないとも、
臨終直前に決定したとも言ってないよ。
わかった?
>ははは
寂しく響くね。
こんな夜中にパソコンの前で何がおかしくて笑ってるの?
お休み。
>>175 もう一度話の流れをよく読んで下さい。んじゃ。
>>176 >こんなカルトDQN教祖偽善知識高森のいる現代ではなくて本物の善知識親鸞聖人の時代に生まれてきたかった。
そんなこと書いて、楽しいか?
180 :
名無しさん@3周年:04/05/14 01:25
>>167 >信心決定しているかどうかは、
弥陀と本人のみぞ知る世界です。
笑わせていただきました。ごちそうさまです。
181 :
名無しさん@3周年:04/05/14 01:29
>まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
というのは「名無しさん@3周年」の問い。従って、
>まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
という問いに「ななし」が答えなければならないのは
「ななし」=「名無しさん@3周年」の時だな。俺は違うと思ったから
>>175を言った。
お前の中で勝手に「ななし」=「名無しさん@3周年」にして話し進めてるなら
納得いかないから根拠を示してくれないか?
あと110にも聞こう。
>>168の問いに答えられる範囲でいいから答えてくれ。
>>180 うん、だから何が笑えて何がおかしいの?
もう反論も出来ないんだね。
最初から根拠も反論も無いけどね。
君の空虚な笑いにあきれてるんだよ。
すぐに「ははは」とか「www」とか書き込んで自慰行為をしているね。
君が本当は笑っていないことくらい分かっている。
明日は出張で朝早いから、今日はこれで休みます。
>>181 ななしさんが質問した先の文章をよく読んでくれ。
じゃあ、お休み。
184 :
名無しさん@3周年:04/05/14 01:31
ちょっと文訂正だな。
>まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
>ってわかるの?
という問いに「ななし」が答えなければならないのは
に訂正。(
>>181を)
…(竜粘性って誰?)
で、信心決定した者はいない、というのは間違いでOKでしょうか。
>>163 竜粘性さんの言うこと分かったよ。
A>まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
>これが根拠?じゃあ、反論してやるよ。
B>まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家で信心決定しているひとが何人もいるのは、
何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。
竜粘性さんの反論は、Aが根拠になるのならば、Bのような反論が出来るだろう、ということだよね。
なら、
>お前の中で勝手に「ななし」=「名無しさん@3周年」にして話し進めてるなら
納得いかないから根拠を示してくれないか?
というのは関係ないことになるね。
ななしさんがBの文章だけ取り上げてどうしてそう言えるのかって聞いたときに、
Aの文章が前提なんだからAが先だろうというのは自然な答えだ。
188 :
名無しさん@3周年:04/05/14 01:41
>>187 つまり184はちゃんと質問の先の文章をちゃんと読んでなかったか、
もしくは竜粘性の揚げ足取りに必死になって墓穴を掘った、ということか。
こいつ自分に都合の悪い質問には何も答えないくせに、
しょうもないやつだな。
189 :
名無しさん@3周年:04/05/14 01:41
190 :
名無しさん@3周年:04/05/14 01:58
>>186 OKなんでない?
同時に、信心決定した者がいる、というのも間違い。
訂正、一人までなら良いんだったな。
しかし「何人も」は有り得ん。
>>181 厳密には、他人が信を獲ったか否か、ということは確かに分かりません。
善知識といえども、はっきりと知ることはできません。
できるのは、あくまでも推測であり、推論です。
…と思う、の域を出ません。
そういう意味では、確実に他人が信を獲ったかどうか分かりませんし、証明しようもありません。
まさに、弥陀と私の関係、です。
ただ、信を獲ったであろう人、と思われる人、と言う人はもちろんありますし、
もちろん私も知っています。たくさんあります。
補足ですが、信心決定していない人で、かつ教学もあまりない人は、
信心決定を雲の上のことのように思い、「誰も信心決定していない!」と思う傾向があります。
信心決定したら、何か特別な行動になって現れると思うから、普通な感じの人たちを見ても、
どうせ信心決定してないんだ」と反射的に思ってしまいます。
教学をすると、そういうことでは判断できない、と分かります。
実際は、あなたの意外とすぐそばに信を獲った人がいたりするのです。
193 :
名無しさん@3周年:04/05/14 02:25
194 :
名無しさん@3周年:04/05/14 03:34
>>192 異論なし。結局二つの意見、
「まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家でひとりもいないことは何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。」
「まともな会員で、とくに会長の教えに従った活動家で信心決定しているひとが何人もいるのは、何年か会にいりゃあ誰でもわかるよ。」
は厳密には両方とも間違いだが、
推測や推論のレベルで考えるならば、両方とも正しい。
一応ついでに
>信心決定したら、何か特別な行動になって現れると思うから、普通な感じの人たちを見ても、
>どうせ信心決定してないんだ」と反射的に思ってしまいます。
>教学をすると、そういうことでは判断できない、と分かります。
の逆もまた然り。
信心決定したら、何か特別な行動になって現れると思うから、異常な感じの会長を見ると、
きっと信心決定しているんだ」と反射的に思ってしまいます。
教学をすると、そういうことでは判断できない、と分かります。
新人欠場がどうたらこうたらええねん。
もうこんな言い合いうんざりやねん。
それよりも、彼らの言う三業のことについてやろうや。
勧誘の仕方とか、寄付の集め方とかそういうの。
なかよく語ろう親鸞会。
鹿児島県で、建設会社からプレハブ事務所を盗んだ男が逮捕されたようです。
プレハブ事務所の中にあった応接セットはわざわざ外に運び出し、事務所のみ
を盗んだとのこと。応接セットはいらなかったようです。ついでに盗んでしま
わないところに、この容疑者の倉庫への強いこだわりが見られます。
197 :
名無しさん@3周年:04/05/14 07:51
>新人欠場がどうたらこうたらええねん。
結局、こういうことやね。
人生なんてどうでもいいねん、みたいな感じ。
友人たちに『風邪で死亡中…』と書いて送るはずが『風邪で脂肪中』と送っ
てしまった。何のツッコミも入らなかった。妙に納得されてしまったのか…。
誰かつっこんでやってください(泣)
>新人欠場がどうたらこうたらええねん。
>もうこんな言い合いうんざりやねん。
>それよりも、彼らの言う三業のことについてやろうや。
>勧誘の仕方とか、寄付の集め方とかそういうの。
>なかよく語ろう親鸞会。
あーあ、まだ逃げたね名無しさん。これが本音だろうね。
わびしくないか。それともまたパソコンの前で、
一人wwwと笑っているの?
>信心決定したら、何か特別な行動になって現れると思うから、異常な感じの会長を見ると、
>きっと信心決定しているんだ」と反射的に思ってしまいます。
僕は異常だとは思いませんがね。
結局君の主観ですがね。
>教学をすると、そういうことでは判断できない、と分かります。
そうですよ。だから?
ダミーサークル使って勧誘活動してる点は随分昔から言われてるはずだが
会員から根拠のある回答は何も得てなかったと思うな。
竜粘性は逃げずに答えてくれるのか?
110が言ったのも、そういう活動をしてるのならそれはいけませんね、
みたいな感じで、会の行動の正当性を主張するものではなかったからな。
(そして、そういう活動をしてることは否定の出来ない事実。)
まず
よっしゃー!!!アヤックス今期リーグVオメデトー!!!
なんの事だか分からない方スミマセン。
私はサッカー好きなので、特にオランダサッカー愛好者。
その中でもオランダのクラブチーム「アヤックス」の熱狂的サポーターです
今年三月初め、男性は九州地方の山中に止めた車の中で、ネットで知り合った他の二人とともに遺体で見つかった。数日前から行方が分からなくなり、家族や恋人が必死に捜していた。
>>202 アヤックスのチームプレイを見ていると往年のオランダトータルフットを
思い出させます。く〜!!!!!
>竜粘性さん >110さん
信心決定したかどうかは心口意の三業でははかることが
できなくて、ただ推測しかできないということ?
じゃあ親鸞会も本願寺も華光会も一の会も、信心決定し
た人いるかどうかは他人からは厳密には分らなくて、推
測しかできないということなの?
206 :
名無しさん@3周年:04/05/14 22:28
↑当たり前だろ。
集合写真などから、亡くなられた人の写真をアップにして遺影を作る時には、
しっかりと確認しなければなりません。出来上がってから届けに行くと、その
写真の人が受け取りに出て来たりして、玄関でびっくりする事があります。
たいていの場合、笑いながら、「私はまだ生きていますから。まだ早いネ」で
済みますが、中には、怒る人もいると思います。集合写真の場合は、特にしっ
かりと、この人だ、ということを葬儀屋さんに頼んでください。
例のアニメビデオを高価で買い取ってくれるとこ知らない?
210 :
名無しさん@3周年:04/05/15 00:14
>>205 110は逃げたみたいなので、勝手にレスすると、
信心決定したかどうかはは、信心決定した人と、心境を事細かに照らし合
わせることによって知ることができると聞いている。一味の信心を得ている
かどうかだな。
>>210 >信心決定したかどうかはは、信心決定した人と、心境を事細かに照らし合
>わせることによって知ることができると聞いている。
すると、その事細かな照らし合わせが無ければ何派であっても信心決定して
ないと批判することは間違いということになりますね。
逃げました。
>>211 細かいところまで見るまでもなく違う、ということはあります。
そもそも「信心」が説かれていないとか、「信心」の内容が
お聖教に反しているようでは、それを聞いて信を獲った人がいるとは
考えにくいですね。
>>212 でもそれはあくまで推測の域出ないということですね。
214 :
新入生対策:04/05/15 00:48
>>192 >ただ、信を獲ったであろう人、と思われる人、と言う人はもちろんありますし、
もちろん私も知っています。たくさんあります。
非常に苦しい発言だね。気の毒になってくるくらいだ。
新会員がみていることを想定して書き込みしているんだろうね、ご苦労様。
弁論大会で、血を吐くような獲信体験を発表した専任講師なんて、誰もいないよね。
みんな会長を讃える内容とか、「光に向かって求めさせていただきます」ばっかり・・。
あ、そうそう正確にいうと過去には何人かいなかったことはないけれど、
彼らのすべてが造反して除名されるか、やがて必ず退会していった。
110さん、信心を獲たと申告した専任講師、一人でも名前挙げられる?
たったひとりだけでもいいんだけどね。
110さん以外でもいいよ。
>>213 推測の域はでなくても、妥当な推論はあります。
真実の教えを聞かずに真実の信は獲られません。
>>214 元気な人がでてきましたね。ご苦労様です。
それは挙げることはできません。
理由はログを見てください。すぐ上で散々議論されていることです。
それを読んだ上で、あなたの提案の妥当性を説明してください。
>>212 >そもそも「信心」が説かれていないとか、「信心」の内容が
>お聖教に反しているようでは、それを聞いて信を獲った人がいるとは
>考えにくいですね。
その判断の根拠はどこにあるのだろうか?
いかなるご法縁に出会えるかという一点に懸かっている。
全身全霊を挙げて必死に求道するというよりないと思う。
>>216 教えが正しくなくても、聞く方が一生懸命なら信を獲れるのでは、
という疑問ですか?
>>217 教えが正しくないと思えるようになることは、願力のお手回し。
本当に正しいかどうか、必死で考えるしか道は無いと思う。
>>218 1行目の意味がよく分かりません…
2行目については、お聖教と合っているかどうかで判断すべきであり、
私たちが考えて分かるものではないと思います。
>>199 別に逃げてはない。
俺がいた頃は「信心の有無を三業で判断はできないが、信心は必ず三業に現れる。」と叩き込まれた。
だから誰が信心欠場したとか、たくさんいるとか少ないとか議論してもかみ合わんだろということだ。
うんざりなんだよ。
よくあった弁論大会で「私は新人欠場しました」って人間が一人もいなかった。
一人もだ。俺が入る前の検証新聞のバックナンバーも持っていたがそれを通してみてもない。
結構長い歴史のある親鸞会なんだから、一人もいないってのはどうよ。
>>219 どの団体でも、お聖教に則っていると主張していると思う。
そのそれぞれの解釈が正しいか正しくないか、どのように判断できるのだ
ろう。
私自身が、必死で真実のご法に遇いたいと求道するより他に道は無いと
思う。親鸞会が正しいのかどうか、簡単に決めるのではなく、どのように正
しいのか、又は正しくないのか自分自身の中で、突き詰めて問うのが良い
と思う。
222 :
名無しさん@3周年:04/05/15 02:33
>>220 で、M晴様の新人欠場はどうよ!
検証新聞に載ってないの?
223 :
名無しさん@3周年:04/05/15 02:34
親鸞会って、なに?カルト?
224 :
名無しさん@3周年:04/05/15 02:37
まあ、あれだな。信心は三業では計れないのはその通りだろうが、
本当に信心決定した香具師いるのかよ、一人もいねえじゃねえの
って言われるのは、「絶対の幸福」みたいなキャッチフレーズで
信心を客観的な実体や目標みたいに言いかえて、いわば射幸心を
煽る方式をしてるからだろ。そのうえ、信心決定してない香具師
が、しばしばしているフリして勧誘してるってのを俺らは知って
るわけだし。それだけのことやっといて、後から信心は三業で計
れないと、急に仏教理論をもちだすのはつじつまがあわない。
そのへんに自己矛盾を感じないのかな。いまだ信心決定者が一人
もいないというのはいいすぎだとしても、救われる教えを広める
ためには嘘ついてもしょうがない、じゃないんだぜ。嘘吐くこと
に本当に問題を感じていないから、ほとんど救われる人がでてこ
ない。
そういう問題だと思うけどね。
>>222 ここ10年ほどの検証新聞は知らんが、少なくともそれ以前のには載っていない。
>>224 禿同。そういう問題ですよね。
226 :
名無しさん@3周年:04/05/15 02:52
>>225 それでは、怪鳥ご逝去の後には浮上説法ということでw
227 :
名無しさん@3周年:04/05/15 02:56
やっぱあれだな
トップが軍人だと非人道的行為が正当化されてしまうんだな
>俺が入る前の検証新聞のバックナンバーも持っていたが
>それを通してみてもない。
そうか?
俺は一念の信を得ましたって文章を見た気がするのだが、
ブラジルの人だったような。
昔はいたようだよ。だが、本当かどうかは本人と阿弥陀様にしか
わからん問題ではあると思うが。
229 :
名無しさん@3周年:04/05/15 03:11
親鸞会がダメなのは、他力を説いておきながら思いっきり
自分がした諸善をあて力にしている、所謂半他力みたいな
所だと思うですよ。あれじゃあ、「委せ切れ」る訳がない。
捨てよ、捨てよと弔問で聞きながら、弔問が終われば
「さて、次の光戦は・・・」とか思いっきり自力をやってるわけでしょう、
信心の沙汰なんてしたためしがない。そりゃ講師も誰も欠場者
なんていないから出来ないって言われればそれまでだけど。
彼らは破邪顕正をしながら落ちていくんだ。
兵隊は哀れだとしか言いようがない。
230 :
名無しさん@3周年:04/05/15 03:33
224を補足しておくと(仏教を理解している人には不必要な補足だけど)
「信心は三業では計れない」に則った勧誘のやり方になってないという
ことだな。思いっきり三業使って決定者のフリをしてるじゃん。恐ろしい
罪だよこれは。「信心は三業で計れないが、三業に自ずと現れる」という
のは真宗でもそういうが、それは信徳のことでしょう。信心のある人は、
おのずと罪を避けるようになる。戒は信に収まるともいうけど、嘘を吐い
て恥じない造悪無碍のままで「信心が三業に現れる」と理解しているとし
たら大きな間違い。
どうも親鸞会の理解は、そのあたりから狂っているように思えてならない。
マターリ( ̄ー ̄)
マターリ( ̄ー ̄)
マターリ( ̄ー ̄)
マターリ( ̄ー ̄)
マターリ( ̄ー ̄)
上司の携帯の着メロを、今まで「おさかなマーチ」だとずっと思っていたの
ですが、実は「僕の大好きなクラ…」までしか入っていない「クラリネットが
壊れちゃった」であることが、今回判明しました。誰も信じてくれない、と寂
しそうでした。
知人とその友人と一緒に、あるクイズを交えて食事をしました。(既に試された方もいる
かもしれませんね。)私の正解率は残念なことに1/3でした。1問につき制限時間は3
分で、ポイントは柔軟性と論理立てて回答できるかだそうです。
234 :
名無しさん@3周年:04/05/15 07:58
235 :
名無しさん@3周年:04/05/15 08:08
>恐ろしい罪だよこれは。
罪なのは信を獲ていないこと。
良いひとのまねをするのは悪いことではない。
信心を獲ても凡夫のまま煩悩はかわらないのだから
自分に徳があるわけではない。
むしろ信を獲ていないことがあたりまえのように
懺悔もないのは仏教を理解しているひとなのか?
阿弥陀仏の救いと、自分の身に徳を備える自力信を
ごっちゃにするからこんな批判ばっかりするんだよ。
浮気している奥さんが「だんなさんのこと愛してる?」って
聞かれて良妻のようにふるまうのは悪いこと自体が悪いのではない。
浮気しているのが悪いんだよ。
浮気してるのがあたりまえと思っている奴とね。
236 :
名無しさん@3周年:04/05/15 08:22
生き物を殺すのは悪ですよ。
でも肉を食べて生きてますよね、実際。
「なら生きるためなら何やってもいいのか」っていうのは
問い自体がおかしいんじゃないですか。誰もそんなこと言っていません。
この類の批判ばっかりだろう。
237 :
名無しさん@3周年:04/05/15 09:19
>>236 暴論吐いている香具師がいるので一言。
嘘をついて他人を勧誘すること、身分を詐称することを非難すること自体が
おかしい、そのことは「よきひとの真似」をしているのだから
非難されるべきでないっていっているんだよね、結局。
確かに人間には食欲があり、その欲をやめることはできない。
厳密なベジタリアンでもなければ、食欲に伴って殺生罪を犯す。
そこまでは認めてあげよう。
しかし、絶対にやめることはできない、やめると死んでしまう「食欲」と、
やめることが可能な、「身分詐称、ウソツキ勧誘」を同等に扱って、
あたかも後者が人間にとって避けられない煩悩であるかのように述べるのは
完全なる詭弁だと思う。
235=236こそ、造悪無碍の親玉ではないかと思いますが・・。
238 :
名無しさん@3周年:04/05/15 10:58
>>235 >阿弥陀仏の救いと、自分の身に徳を備える自力信を
>ごっちゃにするからこんな批判ばっかりするんだよ。
あなたはジャンヌで書いてるチビ丸さんとやらかい?信徳を「自分の身に
徳を備える自力信」だというのが、あなたの領解なのかい?あきれると
いうか、衝撃的だね、これは…。
書いてる内容自体が造悪無碍体質丸出しだね。議論する気もおこらんが、
あなたはそうやって、常に居丈高にひとを見下して自己を正当化する道
を辿って、仏になるつもりなのか。
>>221 互いに反する二つの教義があれば、お聖教の根拠を引いて正邪を決するべきだと思います。
>>229 じゃあどうしたらいいのかご教示願います。
>>230 「三業で信心は計れないが、信心は必ず三業に現れる」
この2つをごっちゃにすると訳が分からなくなりますよ。
>>237 一言だけ言っていいですか?
殺生罪を犯すのを「認めてあげよう」って、おかしくないですか?
「殺人していることは認めてあげよう。しかし君の論点は…」って言ってるようなものですが。
>>238 あなたも居丈高かと。
>>238 >あなたも居丈高かと。
110さんは、会員にしてはまともな人だと思うけど、このへん、
目が歪んでしまうのかな、どうしても。嘘つきを正当化するの
を「居丈高」と指摘されたら、その指摘が「居丈高」だという
のは理屈が通らんでしょう。かりにそうだとしても、二つの
「居丈高」は水準がちがう。それは詭弁ですよ。論理を重んじ
る110さんらしくもない。
それから、答えるなら都合の悪い意見をスルーするのはやめて
ほしいね。
良い人のまねをするのは構いませんよ。
ある画家の影響を受けて、自分もこんな画家になりたいと思って、その画家の
画風を学び励むのは良いことでしょう。ただ、その画家の絵をさも自分の作品の
ように主張するのはどうなんでしょう?
信心決定者の影響を受けて自分もそうなりたいと思って、その信心決定者の
教えを受けるのは良いことでしょう。ただ、自分が得ていない信をさも得たと
主張するのはどうなんでしょう?
真似るのと騙るのは違うと思うのですが。
むしろ信を獲ていないことがあたりまえのように
信を得てると言うのは親鸞の教えを理解しているひとなのか?
訂正。
むしろ信を獲ていないのに、あたりまえのように
信を得てると言うのは親鸞の教えを理解しているひとなのか?
>>240 >110さんは、会員にしてはまともな人だと思う
不当な発言ですね。大多数の会員は私よりまともです。
居丈高、と言ったのは発言内容そのものでなく言い方のことです。
それと、答える必要がないと思ったらスルーしてます。
意見を求められたときは必ず書いています。(と思いますが?)
>>241 それは増上慢にあたるのではないでしょうか。
>不当な発言ですね。大多数の会員は私よりまともです。
110さんがいい人なのはよくわかりますよ。会員の大多数がどうかは
分からないというか、俺の経験でも、真面目でいい人が多かったよ。
けど、俺が突っ込み入れた235=236の人の感覚が「まとも」だとは俺に
は感じられない。こんなことをいうとまた居丈高と言われるかもしれな
いけど、この手のコミュニケーションパターンを、いろいろなところで
うんざりするほど見てるんで。すみませんが。
>居丈高、と言ったのは発言内容そのものでなく言い方のこと
>です。
あなたがどう感じたかは俺にはどうすることもできない。居
丈高の意図は全然ないけど、そう取られるんじゃ、それもま
たしょうがないけどね…。
結局、110さんも嘘つきを本質的に問題だとやっぱり感じてないと
いうことですね…。
245 :
名無しさん@3周年:04/05/15 12:50
>>239 >殺生罪を犯すのを「認めてあげよう」って、おかしくないですか?
これも論理を重んずる110さんらしくないですね。
>そこまでは認めてあげよう。
と
>>237で言っているのは当然
「殺生罪を犯すのを認めてあげよう」という意味ではないでしょう。
>>236前半部分の、
「人間は殺生罪から逃れられない存在である」という主張に対しては異は唱えない、
という意味でしょう。
だから殺生罪を正当化して肯定しているのではなくて、人間の悪業煩悩のあらわれとして
「人間が殺生罪をやめたくてもやめられない存在である」ことは共通認識としている、
という意味でしょう。
>>235-236は、「よきひとのまねをすること」が無条件に正しいという意見のようです
(このあたり親鸞会には善知識だのみっぽいと批判される)
そしてなんでもかんでもよきひとの真似をしていればいいとでも思っているのだろうか?
そんなことをしていれば110さんが既にご指摘のように、
>>241説のように、
直ちに増上慢に陥ってしまうでしょう。
そして、「身分詐称、ウソツキ勧誘」しなければ、「よきひとのまねをすること」
はできないとはいえない。
そもそも、殺生や貪欲のいわゆる悪業煩悩と、
「身分詐称、ウソツキ勧誘」を「避けられぬもの」として同列的に理解・認識していること
自体がおかしいのではないでしょうか?
246 :
名無しさん@3周年:04/05/15 13:08
>その画家の絵をさも自分の作品のように主張するのはどうなんでしょう?
他力の信心は名号の御徳に救われたのであって
自分に徳ができたのではないんです。
救われたひとがえらいのではなく、阿弥陀仏のお力です。
なにが自分の作品だというのでしょうか?
247 :
名無しさん@3周年:04/05/15 13:22
話がごっちゃになっているので一言。まぜて話しないでください。
>>235は信心のはなし。
>>236は「嘘ついてるから、そのうち殺人も許すようになるカルト」とかいって
いる人に書いたことです。
ダミー云々って、サークルに入ったら入会したことになちゃった、とかみたい
な人、どこかにいるんですか?前もきいたけど、誰もいないでしょ?
248 :
名無しさん@3周年:04/05/15 13:27
>あたりまえのように信を得てると言う
あたりまえのように言えるひとはいないと思いますよ。
懺悔があります。
問1)口にあわない食事でも「美味しい」と表現することがあるのは何故でしょう。
問2)時として勝負ごとでわざと負けることがあるのは何故でしょう。
問3)つまらない話なのに、さも興味がありそうな素振りを見せるのは何故でしょう。
問4)オヤジギャグに付き合ってくれる人がいるのは何故でしょう。
250 :
名無しさん@3周年:04/05/15 14:36
よい素材だけが持つやさしさ、あたたかさに、知的な感性が加わります。
本物を着る喜びを伝えたいと考えています。
懺悔があったら信心を偽ってもいいというのか!!
先日法事があったのですが、会食の際に北海道の親戚が
旬のウニを出してくれたんです!
さっそく箸を出した私だったのですが、
食べたときの感動といったらもう・・・ヽ(≧∇≦*)ノ オイシー!!
無くなるまでウニに釘付けだったのは言うまでもありません。。。
>>247 嘘ついて勧誘したり、勧誘するの勧めてるのは信心とは関係ない話ということ?
会員にされてなくても、1ヶ月も宗教のサークルとは知らされずに時間と金を
無駄にしましたが何か?この入会したことになっちゃったうんぬんの話は懸賞
会よりはやり方がマシwだってこと?
256 :
名無しさん@3周年:04/05/15 17:13
最近大学で入ったサークルが親鸞会のダミーサークルだと知ってそのサークルを止めたいんですが何と言って止めたらいいでしょうか?
新歓合宿に参加した時に親鸞会だと知りました。
>>244 私が使った居丈高云々、は、「クールに行きましょうよ」くらいの意味です。
あまり深い意味はございませんですた
>>245 もちろんそういう意味で理解しています。
私の主旨は、本題とは関係ないことです。
やめることができない煩悩=殺生罪に対する罪の意識のなさ、というか…。
犯罪者が、「確かに殺人を続けていることは認めてあげよう。しかし君の云々」って言ってたら変ですよね?
認めます、すいませんでした、でも許されないのに。
認めてあげようって、ほんとは全然認めてないんだなあと。
初めから相手より上に立ってるようだし。
そういうことです。
>>255 宗教じゃなかったら無駄じゃなくて、宗教だったから無駄になったんですか?
サークルに求めていたものは一体何だったんですか?
人生の目的じゃなかったのなら、初めからサークル違いでしたね。
>>256 普通に言えばよいです。サークルですから、部長さんとかに。
今ちょっとしたブームのニューヨークチーズケーキ。ニューヨーク
タイプの濃厚なベイクドチーズケーキがお好きな方、是非おためしを!
しっとりクリーミーなチーズケーキの舌ざわりと、フレッシュなラズ
ベリーとブルーベリーの自然な甘さがお口いっぱいに広がります。
『父の日』は、いつもがんばってくれているお父さんに
「お疲れ様」の思いを込めて、美味しいものを贈りましょう。
意外と期待しているお父さんも多いはず!?
左翼思想と、某自痴会とは全くの別物ではあるけどね
似たようなものとしては、
一般イスラム教徒と、イスラム過激派との差があるかと思われ
最近のウヨ臭い世の中を気持ち悪く思ってる人間からすれば
あーゆー共産主義を患った阿呆は逆効果だから喋るな、という気もする
まぁ……健全な左翼なんて最近見ないけどね……
あのH2Aは、民生の技術がベースにあり、そうなると日本では
科学技術の研究は全て北朝鮮への戦争道具になるという論拠ですか?
君は何を専攻していますか?それとも…
ところで、三菱重工の船からまたしても火事が出ました。
また、その前は戦闘機の電気配線が何物かに断線されるなど
どうもこれは、過激派の仕業ではないか。
ちょっと静かにしてると「今日おとなしいな」とか言うヤツおるやろ
ちょっと黙ってるだけで「えらい暗いやん」とか言うヤツおるやろ
普通や普通や普通や普通やこんなもんやほっといてくれよ!
腹を下して正露丸のんだら「誰や正露丸のんだん」とか言うヤツおるやろ
打ち身で湿布をしていると「誰やサロンパスはってんのん」とか言うヤツおるやろ
好きで好きで好きで好きでしてんのとちゃうわいほっといてくれよ!
誰も何も聞いてないのに「昨日餃子食べてん」とか言うヤツおるやろ
何も思ってなかったのに「臭いせぇへん? ハァー」とか言うヤツおるやろ 失礼失礼失礼失礼失礼なやっちゃなぁほっといてくれよ!
カラオケなんぞ歌い終わったりしたら「イエーーーイ」とか言うヤツおるやろ
クイズ百人に聞きましたで「あるあるあるある」とか言うヤツおるやろ
ヤカマシヤカマシヤカマシヤカマシ御前らやかましいほっといてくれよ!
写真撮影カメラを持って「ハイ映すよ」ここまではええねん
折角ポーズをしてるのに「ちょっとまってオレンジのランプ点くまで」とか言うヤツおるやろ
ランプが点いてまだポーズしてるのに「あ、しもた、フィルム巻くの忘れた」とか言うヤツおるやろ
やっととれたと思ったら「あ、ごめん私目つむった」とか言うヤツおるやろ
阿呆か阿呆か阿呆か阿呆か御前ら写真撮影何回やったらスムーズに行くねん
| 漏れは親鸞会じゃないんだ!!!
| 誤解なんだ!!!
\___________ ____
∨ カタカタ____ ___
∧_∧ ||\ .\ |◎ |
(.#`Д´) || | ̄ ̄| |:[].|
∧_∧ . ┌( つ/ ̄l| / ̄ ̄/ ..| =|
∧_∧ ( TДT) |└ ヽ |二二二」二二二二二二二二」
( TДT) ( つつ  ̄]||__) | || | ||
(つ つ / / / ./ ̄\ / || / ||
と_)_) (___)__) ◎ ◎ .[___|| .[___||
∧
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| スレ住人よ、分かってくれ・・・・・・・
| 本当なんだ・・・彼は親鸞会じゃないんだ・・・楽にさせてくれよ・・・
親鸞会の処女率・童貞率ってどのくらいですか?
ここの板が適切かわかりませんが、最近自分の特殊な能力に
気づいたんです。
・物の味が簡単に変えられる。(水の味など自由自在)
・雲を消せる。(指で思い描いた形に切ることも可能)
・予知夢を見る。(見た内容は2〜3日以内におこります)
・怪我や病気など治す。(というより治ってしまう・・・)
このような体験をお持ちの方いらっしゃいませんか?
情報交換したいです。
私は血液型による性格判断には懐疑的だ。私はA型だが「あなたA型でしょ」と
一発で当てていただく率がとても低いからだ。それに芸術家を自認する私とし
ては、「A型は常識的だが、B型は発想が柔軟で芸術家向き」という血液型判断
でよく聞かれる妄言を認めるわけにはいかないのである。
かつて勤めていた設計事務所の社長が血液型性格判断の信奉者で、社員10人中
A型が3人しかいなかったのは、社長がA型嫌いだからといわれていた。たしか
に、彼が私に接するときは明らかに態度が変わるのである。しかし、こんな男
が社長をやっている会社じゃ長くないなと思っていたら、案の定、私が辞めて
から1年余りで倒産した。社員はかわいそうだが、社長はいい気味である。
数人で世間話していると、血液型が話題になることがよくある。また他愛もな
いことをと思いながらも、「あたし何型やと思う?」と聞かれると「そら北山
さんはAB型に決まってるやん」なんて周囲に迎合するようなことをいってから、
なんとまあ日和見な人間であることよ、と自らの主体性のなさを嘆くのだ。
しかし「血液型で人の性格が判ってたまるか、くだらん」などと不粋なことを
いって、その場の和やかな雰囲気を粉砕するよりはましだと思っている。
そんなわけで、和やかな雰囲気を維持できた代償に、私は血液型でヒトを判断
する形式主義者だと思われてしまったわけだが、その程度の誤解なら、いわば
人間の相互理解の過程で生じる、ちょっとした「誤差」である。
(1)所得分配の不平等化
中国の経済発展には著しいものがありますが、その代償もまた巨大なもの
があります。
開放化政策が始まる直前の1980年の時点では、中国は世界で最も所得分配
が平等な国の一つでした。
ところが、現在では中国は世界で最も所得分配が不平等な国の一つになっ
てしまい、米国、日本、韓国、インドのいずれよりも明らかに不平等であ
り、内戦終結直前の1940年代終わりの状況に接近しつつあると考えられてい
ます。
これは、ある程度経済開放化の必然的結果ではありますが、中国の政治や
経済エリートの間で、コネと才覚こそ全てであって、公正さなど一顧もされ
ないという風潮がある(注1)ことによってもたらされたものです。
(2)公害問題
公害問題も深刻になってきています。
1997年のWHOの調査によれば、世界で最も公害がひどい都市十傑中、中国の
都市が七つも占めました。中国の第一次エネルギー消費は三分の一近くが石
炭であり、この石炭をを燃やして出る二酸化硫黄とススが大気汚染公害の主
たる原因です(注3)。このため、中国では酸性雨が国土の30%で降っていま
す(
http://www.eia.doe.gov/emeu/cabs/chinaenv.html。5月12日アクセ
ス)。
(注3)中国の都市の公害のひどさについても、一昨年久しぶりに北京を訪
問した時以来、私は文字通り身をもって体験してきた(コラム
#132。このコラムでは自動車の排気ガスのせいだろうと公害の主因
を早とちりして書いた)。
購買力平価による最新データ(IMF)では、中国のGNPは世界の12.6%を占
め、米国21.1%、EU19.9%に次ぐ実質経済規模に達しています。(この中
国の数字には台湾が含まれると想像される。なお、中国の人口は世界一で世
界の20%を占める。)
ちなみに同じ購買力平価ベースで、日本7%、ドイツ4.5%、フランス
3.2%、英国3.2%、イタリア3%、カナダ1.9%であり、米国を含めたサミッ
ト加盟先進7カ国だけで世界の43.9%を占めています。発展途上国について
は、インドが5.7%、ブラジルが2.8%、ロシアが2.6%、メキシコが1.8%で
あり、アフリカ大陸全体で3.2%に過ぎません。
(以上、
http://j.peopledaily.com.cn/2004/05/08/jp20040508_39169. html。5月10日アクセス)
産業革命以前の1820年の時点で中国(清)の経済規模は世界の32%を占めて
いたという推計もあり、むしろその後の一世紀半余りの中国経済の低迷こそ
異常だったということなのかもしれません。
中国は経済規模が急速に大きくなったばかりでなく、中国に対する海外直
接投資はGDPの40%も占めているのに対し、日本に対する海外直接投資はGDPの
1.1%に過ぎないことが示すように、中国は鎖国状態の日本とは比較にならな
いくらい外に対して開放的な経済になっています。
また、中国経済は対外的に開放されているだけでなく、国内的にも脱国営
経済化が進んでおり、今では非国営経済部門の雇用が全雇用の80%を超えるに
至っています。
(以上、Foreign Affairs, November/December 2003 issue (
http://www. nytimes.com/cfr/international/20031101faessay_v82n6_hale.html。2003年
11月22日アクセス)による。)
ただし、こういった数字を額面通り受け取ってはなりません。
例えば、1990年から1998年にかけての在庫投資のGDPに占める比率は42%に
も達しており、いかに需要がないか少ししかない低品質の製品が大量に生産
されているかを物語っていますし、中国に対する直接投資額が大きいとは言
っても、2000年に至っては、その額を中国から海外への不法送金額が上回っ
ているとの指摘がなされています。
また、汚職による税金、関税の脱漏や公金の消滅がGDPの15%に達するとい
う推計もあります。
更に言えば、GNPにせよ、GDPにせよ、それが購買力平価ベースであって
も、必ずしも国民厚生(welfare)の総和を表すものではないことに注意すべ
きでしょう。
例えば、中国でエイズにかかっている人は1000万人を超えていると推計さ
れていますし、1998年から2001年にかけて、処刑されたり逃走中に警察官に
射殺された人は年平均15,000人という途方もない数であり、全世界の被処刑
者数等の実に97%にも達していますが、こういったマイナスの要素は一切GNP
やGDPには反映されていないからです。
(以上、
http://www.taipeitimes.com/News/edit/archives/2003/12/14/ 2003079559(2003年12月15日)による。)
「日本のアニメーションを世界に発信し、商取引の場を」
東京国際アニメフェアとは、国内・海外のアニメ関連企業が一同に会するアニメの
見本市のこと。アニメに特化した国際的な見本市は世界でも初のことだ。日本のアニ
メ関連企業が国際的な商談の場に参加する機会を提供し、アニメ関連産業の振興を図
り、更に世界に向けて東京のシティセールスを行うことが狙い。
2002年(平成14年)より毎年開催されている。「見本市」の他にも、若手クリエー
ターの育成に重点を置いた「コンペティション」やシンポジウムやコンペ映画の上映
会などが催されている。
アニメフェアは「日本のアニメーションを世界に発信し、商取引の場を」という石
原の提案により実現に至ったわけだが、その背景には一見華やかに見える日本のアニ
メ産業の構造的な問題がある。
春がキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
春がキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
何処にキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
山にキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
里にキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
野にもキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
>>259 『父の日』は6月の第3日曜日なので、今年は6月20日。
まだ少し先だと思うと忘れちゃうかもしれないので、
早めに日付指定をして、ご注文されてはいかがでしょう!
「アジアの台頭 −市場が奪われる懸念−」
更にアジアの台頭がある。これまでは日本製のアニメの下請的な仕事を、中国、韓
国などが請け負ってきたが、現在、国策としてアニメ制作に取り組んでおり、土地間
競争が激化し、パイが奪われていくことが懸念されている。
発展途上国は、往々にして自国の産業保護の観点から、海外番組の放映時間が規制
されていることが多い。しかし今度、規制緩和が進めば、より一層の競争力が求めら
れる。
やっぱ会員ってバカなカキコばっかりするねんな。
そりゃあ誰にも相手にされんわ。
創価学会のほうが好感度あるんじゃないか。
>>239 親鸞会を解散すべきだと思うよ。
誰も信を得られないのなら所詮が無いだろう。
高森が所謂善知識ではないことは、誰も信心を獲ていない
事からも明らかだが、あの人はどう言うつもりでああいう説法を
しているのか知りたい。所謂「マジボケ」なのか、それとも
意図的に信者を獲信から遠ざけて組織拡大をしているのか。
その辺りどうなんだろう。
>>257 >宗教じゃなかったら無駄じゃなくて、宗教だったから無駄になったんですか?
255だがそういうこと。宗教だったらその結論(その宗教への入信)は予め
決まってるが、勧誘時にはこれからいろいろ模索するサークルというニュアン
スだったよ。あと、宗教系じゃない別のイデオロギー政治団体系のサークルも
人生の目的を売り物にしてたよ。あれも宗教みたいなものだけど。
282 :
名無しさん@3周年:04/05/15 22:33
>>279 誰も信をえていないなんて言えないことはすでに証明されています。
実に的外れですね。ログくらい読んで下さい。
>>280 どこがどう間違っているのか指摘してくれないと困りますね。
あなたの主張はこないだのレスでいいんですか?
>>278 どうでしょうかね。
>>281 そうですか。
当サークルは、基本的に、「教行信証を根拠に人生の目的を学ぶ」サークルです。
大学の差は多少あるでしょうが、初めからこれくらいは説明してあると思いますが…。
土蔵秘事と一緒にするなよ。
>>283 誰も信を獲ていないように見える。少なくともここ10年は。
こないだのレスでいいよ。逆にあなたに229の反論があれば
おたずねしたい。
ガカーイ、ガッカリー。
>>286 了解しました。
その前に、その十年の経験とはどんなものかお聞きします。
それと、あなたはそもそも救いを求めているのか、もしくは信を獲ることが大切だと思っているのか教えて下さい。
体験発表でも弁論でも「これこれこういう経緯で信を獲ました」
という発表を聞いたことがない。彼らに言わすと「真似をするから」
というが真似しようにも真似できないのが本当のところだと思う。
(誰もいないから)
>>288 10年の経緯って言われても普通の会の活動をしただけだよ。
弔問、破邪顕正、お布施。
>それと、あなたはそもそも救いを求めているのか、
>もしくは信を獲ることが大切だと思っているのか教えて下さい。
信を獲るのが重要って蓮如上人もいわれているじゃないか。
そもそも救われるなんてのが身の程知らずなんだよ。
その後上記の疑問から退会、ですか。分かりました。
まず自力と他力についてから始めましょうか。
結論から言うと、自力を通らなければ他力には入れません。これを従仮入真とも言い、三願転入ともいい、
蓮如上人は雑行を捨てよと教えられました。
自力の善をしなければ信仰は進まないのです。
また、善を勧めなかったら、仏教になりません。
>>291 「雑行、雑修、自力の心を振り捨てて」とあるが
あれは嘘なのか?
〜をしなければならない?
〜が絶対の方法である?
〜でなければ仏教でない?
真理へいたる道は多く、その河を越えるための筏の材料は問わない。
あなたはあなたの道を行けばよろしい。
でも、悟りにいたるには〜でなければならない、ってのはどうかしらん?
阿弥陀の慈悲と光が遍満しているのなら、ふいとその音なき声が何処からともなく聞こえる事も、
不可視の光が透けて見えてしまうこともあるでしょうよ。
もっとも、その声の主を阿弥陀と呼ぶか神と呼ぶかは、人によって違うだろうがね。
>>294 「吸う息吐く息が無常」って聞いてない?
>>291 蓮如上人が「自力の善をしなかったら信仰は進まない」といわれた
という根拠はどこ?
それに「自力の心(信仰)を捨てて」といわれてるのに自力の信仰
が進むも進まないもないでしょう。自力の信仰は0点なんだから。
297 :
名無しさん@3周年:04/05/16 00:10
そうか、この10年も獲信者0か。
私がいた20年くらい前の前後10年ほどの間も0だから、やっぱりいないのか。
>>284 >初めからこれくらいは説明してあると思いますが…。
いや、ハイデッガーや西田幾太郎やら田辺元やら三木清らも
注目した書物として親鸞やら「教行信証」やら「歎異抄」の
話が出ただけだったよ。
従仮入真っていうなら、親鸞会は間違いなく「仮」だな。
>>291 >善を勧めなかったら、仏教になりません。
だから雑毒の自力の善じゃなくて他力真実の
善(他力信心)を勧めるのが浄土真宗でしょ。
>>300 親鸞会は、聖道門だから会的には正しいんだろうな。
>>301 いや、聖道門なら出家して戒律も守らないといけないから違う
んじゃ?
303 :
名無しさん@3周年:04/05/16 00:29
とりあえず説法の時正座はやめるべきだ。あれで俺は間接痛めて後遺症に悩んだ。
今の時代葬式でも正座はしないよ!やはりあの団体は会長の体質からか戦前の思想風習が色濃く残ってるね。
さすが元特攻隊員だ。
御同行、御同朋といっても実際は細かく階級があって組織化されてるしね。
304 :
名無しさん@3周年:04/05/16 00:30
>>299 >従仮入真っていうなら、親鸞会は間違いなく「仮」だな。
と言うか、宗教そのものを「仮」と見るべきでは?
>>302 まあ、半分聖道門というか、少なくとも浄土門で自力で求めよ
なんておかしい罠。
>>303 後ろの方で胡座組んでりゃよかったのに。
>>304 宗教その物が仮だとしても、その中にも真仮があるとしたら
親鸞会は仮だろう。
>>295 よくお聞きしますが、それがどうしましたか?
>>296 雑行を棄てよ、です。
>>297 いますよ。
>>298 そうですか。ちょっと微妙でしたね。
>>299 それをこれから明らかにしましょう。
>>300 どちらかだけ、ということはありえません。
信前信後問わず善は勧められています。
>>301 浄土門ですよ。
>>303 葬式では正座が普通ですよ。特攻隊関係ない。いやならしないで下さい。
>>305 浄土門、とするなら自力で往生を求めてもおかしくはないのでは?
観無量寿経にもあるし
もっとも親鸞聖人の言うところの往生に、自力が絶対に必要、とすると怪しいね
>>293 真理に至る道は私たちの都合で決まるのではありませんよ。
この件について納得していない人が数名いることが分かりました。
おいおい明らかにしていこうと思います。
>>308 自力の善は往生の足しにはなりません。お間違えなきよう
311 :
名無しさん@3周年:04/05/16 00:45
>>309 >真理に至る道は私たちの都合で決まるのではありませんよ。
会の都合でその真理に至る道を、〜しかないと決め付けるてるだろうが。
312 :
名無しさん@3周年:04/05/16 00:45
>>310 財施は往生の足しにはなりません
ということでよろしいでしょうか?
>>312 信前の者が財施をした、その善は往生の足しにはなりません。
315 :
名無しさん@3周年:04/05/16 00:48
>>312 善い事を真似をしてやってるんだから、足しになるんだろ。
316 :
名無しさん@3周年:04/05/16 00:48
親鸞会に財施しても、往生の足しにはなりません
>>307 >雑行を棄てよ、です。
「雑行、雑修、自力の心を振り捨てて」だよね。弥陀の本願を疑う
自力心は棄てなくてよいの?
>どちらかだけ、ということはありえません。
>信前信後問わず善は勧められています。
信前信後問わず雑毒自力の小善が勧められている?
その根拠は? それと
>>296の蓮如上人の根拠
もね。
>>309 さて?
誓願の不思議、慈悲の働きによって自然に導かれるとするかしらん?
どれが正しく、どれが間違った道かなど私が断言できるようなもんじゃないし
少なくとも他人に決めて貰うもんじゃないと思うよ
まあ、あなたはあなたの道を行けばよいでしょう
たとえそれが地獄行きでもそれしかない、でしょ?
319 :
名無しさん@3周年:04/05/16 00:50
>>314 絶対他力の信心が、財施ごときで左右されるものではない。
信前、信後を問わず。
320 :
名無しさん@3周年:04/05/16 00:58
いまは葬式は正座ではなくイスですよ。
今日親戚の葬式がありましたから。
あっ半島の人でしたか。
>>307 >>295 よくお聞きしますが、それがどうしましたか?
「雑行、雑修、自力の心を振り捨てて弥陀たのめ」
「吸う息吐く息が無常」
であるなら、いつまで自力で宿善を求めよなんてデタラメいうのか。
人間の実相の絵にもあるだろう、藤蔓は寸断されかかって
いるのにまだ自力で宿善を求めよって逝ってるのは、無常と罪悪が
全くわかってない証拠。それで「間に合う」と思っているんだから
まるで仏教を聴いていないか、もしくは聖道門だという事だ。
「弥陀たのむ」のは「いつ」頼むのか?
自力の宿善積んでから、か?
「今」じゃないのか。
323 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:02
>>291 自力の善をしなければ信仰は進まないのです。
また、善を勧めなかったら、仏教になりません。
>>310 自力の善は往生の足しにはなりません。お間違えなきよう
必要だが足しにはならないって、どういうこと?
>>315 往生は弥陀の1人働きですよ。
>>317 勿論棄てなければなりません。
>信前信後問わず雑毒自力の小善が勧められている?
>その根拠は? それと
>>296の蓮如上人の根拠
>もね。
これがまさに雑行を棄てよ、の教説です。
雑行をしていない人に、棄てよと言う人はいません。
持たないものは棄てられませんからね。
雑行をしている人に対して、言われたお言葉です。
自力の善をしていない人は始まっていないのです。
雑行を棄てよ、の中には善の勧めが含められています。
仏教徒なら因果の道理はご存知ですよね。これはまさに善の勧めです。
親鸞聖人や蓮如上人は、仏教を教えられた方です。
当然、仏教の根幹である、因果の道理を教えられた方ですから、
善を勧められない訳がありません。
>>318 その通り、人が決めることではないですね。
弥陀の誓願に従うだけです。
>>323 遠回りする事が近道ってことかもね
信に至る為には、まず自力で信を求め、結局、自力が無効である事を思い知らねばならない、とか
326 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:08
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ )) |
( 从 ノ.ノ |親鸞会はリトル北朝鮮
( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\ | 調子に乗ると
|:::::: ヽ 丶. | 拉致るよ?
|::::.____、_ _,__) ∠
(∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー | \_________
( (  ̄ )・・( ̄ i
ヘ\ .._. )3( .._丿
/ \ヽ _二__ノ|\
/⌒ヽ. \__/\i/\_|
| ヽ \o \
| | \o \
>>321 間に合うと思ってるかどうかはともかく、他に道がないのだからその道を進むだけです。
あなたは他の道を知っているんですか?もしそうなら教えと体験の両面から示して見て下さい。
>>322 今ですよ。平生ただ今です。今しかありませんからね。
>>323 善をしなかったら信仰が進みません。しかし、一念を突破して
知らされることは、全て弥陀のお力であった、ということです。
328 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:10
何の文脈で半島とか北朝鮮とか出てくるんですか?
ここの人って右翼?
330 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:16
財施問題をスルーするな!
>>324 >これがまさに雑行を棄てよ、の教説です。
まさに詭弁。「泥棒を止めよ」といえば、現に泥棒してる人だけ
が対象かな? まだ泥棒してない人(始まってない人)は止めら
れないんですがww。
蓮如上人は神様に現世の祈り事するのも雑行といわれてるけどこれ
も自力の善ですか?
>勿論棄てなければなりません。
自力の心(本願を疑う心)といえば自力の信仰のことですよ。
それを棄てずに「進める」ことを蓮如上人は勧められている
というのは矛盾してませんか?
>当然、仏教の根幹である、因果の道理を教えられた方ですから、
>善を勧められない訳がありません。
凡夫に自力の深信因果ができますか? 善を勧められたのは当然で
すがそれは他力の善ですよ。弥陀成仏の因果と衆生往生の因果が
一つとなった真実他力廻向の六字名号の勧めが親鸞聖人の善の勧め
です。
333 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:20
>>330 信前の自力の善なら、まったくもって往生の足しにはならないが
絶対に必要なのでじゃんじゃん注ぎ込めって事で終了?
334 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:21
>>332 あなたが229氏なら327の質問に答えてください。
じゃあ他力に入る自力以外の道とは何か、です。
229氏じゃないなら答えますが。
>>327 >他に道がないのだから
という根拠を聞きたい。「他の道を知らないのだから」
というならわかる。「今ですよ、平生ですよ」といいながら、実際は
後生を遠くに見ている親鸞会の「道」ってのは正しいのか?
10年、20年いたものでも決定者がいない会に止まるのは
聖人が山を下りられなかったようなモノ。実際にはお山を
降りられたからこそ法然上人に巡り会えたのだろう。
教えは真宗教典の中にあるし、体験もちゃんとある。
まあ判断するのはあなただが。
この道が真実だと「思う」のは勝手だが、実際に
そうだとは限らんだろ。
>>337 君も紛らわしいから、せめて数字のコテハンにしてよ。
>>336 質問にちゃんと答えて下さいな。教典の中にあるでは分かりません。
340 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:35
とにかく、財施は往生の助けにならない!!
>>335 他力に入る自力以外の道は何か?というが
君は六道を輪廻して、散々自力で求めてきたからこの法を
今聞くことが出来ているのではないのか?
それでもまた今生で自力を求めたいなら勝手にすればいいが、
それはまた六道を経巡る事にしかならないって事に
気づかないかな。「ただ今」救われる弥陀の本願ってのを
君はどういう風に聞いているのか。ただ今ってのは自力求めた
後か?違うだろ?自力=疑心であるのなら、阿弥陀さんを
泣かせてきたのはその自力根性だからそれを捨てねば
ならないのにそう教えていない教団に止まるのはなんか
義理でもあるの?
342 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:38
他に道がないかどうかあなたはすべて探したのですか?
20そこそこで親鸞会しか宗教知らない人が人生の目的云々、親鸞会だけが真実だと他の人にいいふらすというのは井の中の蛙大海をしらずのとうりだしあまりにも無責任で危険じゃないのですか?
僕は会員ですが、エホバの証人の教えも従兄弟から学んでるし、創価学会、天理教、オウム真理教、ヒンズー教、イスラム教などについても調べていますよ。
同じ仏教でもいろいろ調べました。
地球上には数え切れない程の宗教があるので全部は無理ですけどね。
>>332 >まさに詭弁。「泥棒を止めよ」といえば、現に泥棒してる人だけ
>が対象かな? まだ泥棒してない人(始まってない人)は止めら
>れないんですがww。
泥棒してない人でなく、してる人が正客です。
>蓮如上人は神様に現世の祈り事するのも雑行といわれてるけどこれ
>も自力の善ですか?
これは自力の善というよりは、悪です。
>自力の心(本願を疑う心)といえば自力の信仰のことですよ。
>それを棄てずに「進める」ことを蓮如上人は勧められている
>というのは矛盾してませんか?
>凡夫に自力の深信因果ができますか? 善を勧められたのは当然で
>すがそれは他力の善ですよ。弥陀成仏の因果と衆生往生の因果が
>一つとなった真実他力廻向の六字名号の勧めが親鸞聖人の善の勧め
>です。
信前の者に善を勧められていない説明になってませんよ。
>>327 >善をしなかったら信仰が進みません。
ど〜かな?
どうして、そう断言できるの?
進むも何も、たぶん弥陀の信なんてそこらに転がってるよ
禅の虚空と同じく感知できないだけでね
困難辛苦を経て、ようやくそれを気付く人もいれば
ふいとそれを拾い揚げる人も多いと思うよ
で、それは人の素質と環境・・・縁によるでしょう
マニュアルは作れないと思うね
345 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:41
342って、教養なさげ。
>>341 よく分かりませんが、自力を棄てよ、といつも教えていただいています。
そこが決勝点ですからね。目的です。目的だけでは果たせませんから、
手段もあります。あなたの手段は何ですか?と聞いているのです。
>>342 消去法の問題ではないです。仏説ですからね。
何か候補が見つかったのなら言ってみて下さいな。
>>344 仏典の根拠を示さないと、こういう場では無力ですよ…
私の根拠は弥陀の本願です。
348 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:46
六道輪廻はもともとヒンズー教の教えだ。
初期のキリスト教も輪廻を認めていた。
しかし輪廻などそもそもその存在を証明できるの?
それは神を証明するのと同じくらい難しいよ。
親鸞会に納得できないことを聞くと
それは仏の仏智で仏眼からじゃないとよ。われわれ煩悩具足の凡夫にはわからないとしか答えない。
無碍の一道だってそうじゃないか。本人と弥陀のみぞ知るとか言ってる。
レスつけ忘れ…
>>332 >自力の心(本願を疑う心)といえば自力の信仰のことですよ。
>それを棄てずに「進める」ことを蓮如上人は勧められている
>というのは矛盾してませんか?
自力を勧めたりは致しませんよ。あくまでも勧めるのは他力です。
350 :
名無しさん@3周年:04/05/16 01:49
やはりキリスト教ですな。
聖書は仏典と同じくらい奥が深いよ。
>>348 スレの流れと随分違った発言ですね…
一言だけ言うと、因果の道理が分かれば、生前と死後の存在が
「リーズナブル」になります。無碍の一道についても言えますね。
凡夫の身としては証明とか無理ですけど、より理に適っている、
というレベルの納得は可能です。
>>346 自力を捨てよが目的なの?
むしろ、信を獲るための手段なのでは?
手段って言葉はあまり適当じゃないと思うけど。
でも、「今」捨てよと言われているのだが、
そこが抜けていませんか?
344の言いたいことはわかるよ。響流十方だからね。
>>343 >泥棒してない人でなく、してる人が正客です。
えっ! 雑行をしなければ御本願から洩れるってこと?
その根拠は?
それに蓮如上人は、まだ雑行してない人は「先ず雑行をせよ」
なんていわれてる? 「先ず雑行を捨てよ」とはいわれてます
が。
>信前の者に善を勧められていない説明になってませんよ。
「信前信後問わず善は勧められています。」(
>>307)があなた
の主張じゃ? それとなんどもいったように信前後を問わず、
善を勧められててるのは当然だが、それは凡夫自力の雑毒の善
ではなく阿弥陀仏の他力真実の善を勧められてるのですが。
「雑毒の善」を勧められているという根拠は何?
>>352 自力を棄てることと他力に帰入することは同義です。
ですから目的です。
常に、今自力が廃る決勝点に向けて聞かせていただかねばなりませんね。
で、どうしたら自力棄てられるんですか?教えてください。
なるほど、そういわれればそうだね。
どうしたら自力捨てられるかは「なんのやうもなく弥陀たのめ」
ばいいわけだけど、簡単に言うとその「どうしたら」が
邪魔で捨てものなんだよね。
>>347 その根拠って、至心回向願生彼国のくだり?
では、私の根拠もここで良いでしょう
読み方は聖人のに拠りますが
>>353 あなたは一体誰…?
>えっ! 雑行をしなければ御本願から洩れるってこと?
>その根拠は?
雑行をしなければ救われない、と言う表現はよくないです。
根拠は弥陀の19願、20願です。
>それに蓮如上人は、まだ雑行してない人は「先ず雑行をせよ」
>なんていわれてる? 「先ず雑行を捨てよ」とはいわれてます
>が。
そんなことは言われていませんよ。前提ですから。
>「雑毒の善」を勧められているという根拠は何?
弥陀の19願です。
>>349 >自力を勧めたりは致しませんよ。あくまでも勧めるのは他力です。
「自力の善をしなければ信仰は進まないのです。」(
>>291)の信仰という
のは自力の信仰でしょう。これは自力の信仰を進めることを勧めてるんじゃ?
どうも、十九願を要門(=必要の「要」)だから、自力善を必要とするみたい。
ただ、廃されるために必要とかいう感じらしいけどね。
>>358 目的はあくまでも他力の信ですから、勧めるのが自力であってはなりません。
自力か他力、どちらを勧めるかといったら当然他力です。
両方勧めたら右と左同時に行け!みたいな感じですからね。
言葉の限界なのですが、そういうことです。
>>358 弥陀の19願です。
19願を勧められているお聖教の御文は何?
もう寝ますので明晩(今晩か)またよろしく。
362 :
名無しさん@3周年:04/05/16 02:10
>>358 >「自力の善をしなければ信仰は進まないのです。」(
>>291)の信仰という
のは自力の信仰でしょう。
他力の信仰って「進む」ものなの?違うでしょ?
>>359 要門で終わってしまっているのが親鸞会と言い換えてもいいかもしれないね。
それは捨てモノとは言っているけど、実際に捨ててる人はいない。
その心がけを捨てよ、とか言っていたけど、そんな教え方は
かえって自力に執着するだけ。俺ももう寝るわ。
365 :
名無しさん@3周年:04/05/16 02:13
>>342 >僕は会員ですが、エホバの証人の教えも従兄弟から学んでるし、創価学会、天理教、オウム真理教、ヒンズー教、イスラム教などについても調べていますよ。
>同じ仏教でもいろいろ調べました。
こういう会員がいること自体高森がカリスマ教祖でも善知識でもないことがわかるね。
高森なんて尊敬するものは会員ですらいない、みなしらけているというのも事実だろ。
あと禁止されてる恋愛を公然としている輩がいるってのもその証拠。
高森権威は地に落ちたな。
>>354 自力を捨てる・・・ん〜
自力を捨てたければ死ぬしかないね、自力は一生ついて回る
でも、それを持ちつつも救われる、それであるからこそ目当てとされる
疑心を捨てる事の出来ない私が、そのままに救われている事に気付く
気が付いたら弥陀の信を既に持ってた
この世の至るところに弥陀の声と光が届いていた、だろ?
気付いた者は、この世のあらゆる所に弥陀の働きを感じ取るだろうさ
そこらに転がるその働きは、躍起にならなければ見つけ出せないもんだろうか?
春の芽吹きに、夏の蝉時雨に、秋の落葉に、冬の吹雪に・・・
>>364 実際に棄ててる人が仮にいなくても、そこまでいってるだけましですよ。
そこまでは分かっていただけると思います。
まぁ、いない訳はないんですけど。いないって断言するのは教学のなさの現われですよ。
>>365 そういう書き込みで自分を慰めないで、建設的な意見をどうぞです。
368 :
名無しさん@3周年:04/05/16 02:17
369 :
名無しさん@3周年:04/05/16 02:29
>>369 ん〜
自我から疑心を無くせるのなら、覚りを開けるだろうね
我執ある限り疑いは消えないよ
自我は全てを分別し、自身を独立した存在だと認識するものだし
しかし、我執あるままに救われる
現に阿弥陀仏の慈悲は、私の上に働いているのだから
自我よりも深いところに弥陀の光は届いているのだから
結局親鸞会はいくらお金とるの?
親鸞会館の総工費はいくらよ?
372 :
名無しさん@3周年:04/05/16 02:56
320億円です。
>>352 寝る前に
>344の言いたいことはわかるよ。響流十方だからね。
それもあるけど
阿弥陀という名そのものが、それを表している
>この如来、微塵世界にみちみちたまへり、
>すなはち一切群生海の心なり。
>この心に誓願を信楽するがゆゑに、この信心すなはち仏性なり、
>仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり。
>法身はいろもなし、かたちもましまさず。
>しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。
374 :
名無しさん@3周年:04/05/16 03:10
>>370 我執はあっても、疑心は晴れる。これが他力信心の要!
375 :
名無しさん@3周年:04/05/16 03:28
たしか「こんなことが知りたい1」に幽霊は科学的に証明されました云々という類の解説があったよね。
あれみたときこいつ正気か?とおもた。
376 :
名無しさん@3周年:04/05/16 03:47
377 :
名無しさん@3周年:04/05/16 03:50
幽霊がいるなら仏教の輪廻転生は矛盾するし、無間地獄に落ちるのもうそということになる。
〃 _`__
,,-=-、、l{,_'´..._ `ヽ、、
〃. ',.´二W´- ‐-`\ \ヽ、___
_{l,'.'´ 、 ヽ ヽ ヽ彡k、ヽ\
.//`/ i l. \ 、ヽ `、 i彡}ヽ`' ´
. /| / i { |l {\ {ヽ、_!..ヽ」_/} .}./ |__〉、
\l.{. l.ヾ _.ゝ_土. ゝ -'fT;;ヽ,| lテ}| ||__〉
/iヽゝヽ/{~);;:l {:..''ノ'ノノ|{ノ |_!
.|_|l」ヽ. ヽ ゞ‐' 、  ̄`ノレヽソ| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(.ソ.ゝ -- /' {=}ノ < モテナイからって昼間から自慰は良く無いわ♪
(=| l へ、 /ノノ((.)). \___________________
((!)ヾヽヽ` ;.- ' ´ |'' ''"'´
`~^``/'l ゜>\_
, -‐〃"´ |___/ >- 、
/ ./〃 |=/ 〃/ \
/ | ||, ‐-、_,...!、/_ ,..、 .〃/ ヽ
昔座談会で会長が逆切れしたことがあった。
検証新聞で「矛盾か。仏意は」という題で独り言が書かれていた。
不況講義で会長が「『矛盾か、仏意は』ではなく『矛盾か。仏意は』でなければならないのだ。これは徹底しろ」
と言った(らしい。専任講師からの又聞きなので)。
専任講師はネタができたので喜んで各地に帰ってこれを会合で話した。
ところが驚愕講義かなんかで会長が「矛盾か、仏意は」と書いたことで翌日の座談会に質問が殺到した。
会長が「これたくさん来ているけど何?」とかなり切れ状態で聞いたら選任講師どもが珍しく「徹底せよとの内容と違う」と口々に叫びだしたのだ。
そうすると会長が「なんでも徹底徹底って・・・」と逆切れ。
あんたが言ったんだろ!って感じでかなりしらけた空気が漂った。
会員が思っているほど会長は気を使って発言するわけではないぞ。
>>222 親が機関紙に載せるための息子の獲信体験の文面を作成中、もしくは作成済み。
あとはどのタイミングでそれを掲載するかだ。
382 :
一回生です:04/05/16 09:27
まだ入会はしていませんが、今年勧誘されて入った一回生です。
昨日一回生同士でちょっとこのスレのことが話題になったことがあり、
1時間くらいかけてじっくり読んでみました。
あーやっぱり2ちゃんねるだなーと思いました。
元会員みたいな人のすごく本質からはずれた発言と、
会員みたいな人から論破されても都合の悪いところはすぐにスルーする、
誠実さのない対応に、読んでて気持ちが悪くなりました。
携帯で他の一回生に聞いてみましたが、やっぱり同じ感想でした。
日中の昼間から書き込んでいる人がいる所を見ても、
まともな人じゃないなと思いました。
正直な感想を言えば、110さんみたいな人が会員で、
罵詈雑言を書いているのが脱会者(もしくは親鸞会と敵対する勢力?)なら、
私は親鸞会の先輩と縁があって良かったと思います。
かなり安心しました。
どうせ脱会者の人は、この発言は会の工作員とか言うんだろうと思います。
でも別に何言われても構わないです。
今から講演会に行きますので、帰るまで書き込みは出来ませんが、
110さんには頑張って欲しいと思っています。
>>379 財政を支える多くの末端会員から
偉人に見えればそれでよし。
>>382 まあ、せいぜい金づるとして金を入れてくれや。
あなたみたいな始皇帝氏の学生が一番買いに金を持ってきてくれて、扱いやすいねんな。
女性(15歳・中学生)
中学3年の夏休みに合宿に参加しました。
最初の1週間は学習のための時間でした。オナニーの体に与える害をとても
詳しく教えてもらいました。絶対にオナニーを止めようと私は改めて心に誓
いました。
次は精神面強化のための時間でした。1週間暗い部屋に閉じこめられ、先生
から「オナニーばかりしている淫乱女」「人間のクズ」「変態」などの罵声
を浴びせられました。合宿の卒業式で聞いたのですが、これはひどい言葉責
めで自我を崩壊させ、オナニーに取り憑かれた悪い心を追い出す効果がある
のだそうです。
先生の言葉責めの後は、合宿仲間と2人で向き合い、先生から言われたよう
なひどい言葉を2人でお互いに罵り合いました。悪い心を追い出すため、私
も友達も泣きながら罵り合いました。
つらくて泣き通し合宿でしたが、この合宿のおかげであれほど止められなか
ったオナニーを止めることができました。
男性(14歳・中学生)
ぼくも更正合宿の卒業生です。今ではすっかりオナニーを止めることができ
ました。
たまにムラムラすることもありますが、そんなときは合宿で習った「心頭滅
却・禁オナ体操」をして気持ちを落ち着かせています。
合宿の卒業証書替わりにもらった毛筆で「禁オナニー」と書かれた紙は、ぼ
くの部屋に大切に飾ってあります。毎朝その紙の前で正座して「オナニー一
回バカ一生」と大きな声で叫んだ後、学校に登校しています。
若年者更正合宿
この合宿は自慰行為を繰り返す退廃的な生活からの脱却を目的としています。
「自慰行為を止めたい、でも止められない」と悩んでいる若年者が集まり、
約1ヶ月間の合宿のなかで自慰行為の危険性と自らの過ちを認識し、自慰行為との決別を決意します。
多くの若年者がこの合宿で心身に有害な自慰行為を止め、健康的で清らかな生活を取り戻しています。
参加者の声
男性(17歳・高校生)
僕がオナニーを始めたのは中学3年生のときでした。
それからというもの来る日も来る日もオナニーばかり、オナニー漬けの毎日でした。オナニーをするとバカになると知り何度もオナニーを止めようとしましたが、どうしても止められなかったのです。
そんなオナニー生活は高校生になっても変わらず、学校の成績はどんどん悪くなってしまいました。そんなときこのホームページを見て更正合宿の参加を決意しました。
合宿中は当然禁オナニーです。僕にとってはとてもつらく、我慢できずに一度だけオナニーをしてしまいました。しかし先生に見つかってしまい、
罰として「オナニー狂」と書かれたゼッケンを着けて全裸でグラウンドをランニングさせられました。あのときは死ぬほど恥ずかしかったけど、今ではいい思い出です。
この合宿のおかげで、オナニーからはきっぱりと足、いえチンコを洗うことができ、今はとても爽やかな夢精生活を送っています。
>>385 親鸞会の学生部の5月連休の合宿のレポおつかれ。
>>387さんも早く合宿に参加して、
オナニー生活から脱却して下さい。
>>365 >僕は会員ですが、エホバの証人の教えも従兄弟から学んでるし、創価学会、天理教、オウム真理教、ヒンズー教、イスラム教などについても調べていますよ。
>同じ仏教でもいろいろ調べました。
>こういう会員がいること自体高森がカリスマ教祖でも善知識でもないことがわかるね。
なんで?良く意味が分からない。
>高森なんて尊敬するものは会員ですらいない、みなしらけているというのも事実だろ。
私は会員です。尊敬していますししらけてもいませんが何か?
>あと禁止されてる恋愛を公然としている輩がいるってのもその証拠。
禁止されていませんよ。
禁止されていたらなんで会員どうしてあんなに結婚するの?
>高森権威は地に落ちたな。
地に落ちているのはあなたの発言の品位ですね。
390 :
2ちゃんネラーの国語力を問う:04/05/16 10:09
>>382 一回生が工作員なんて言葉知ってるわけないのにね・・。
この文章、よくよめば、どういう人が本当に書いたのかがわかるよ・・。
>>390 工作員ってちゃんと書き込まれているじゃん。
このスレの過去の発言に。検索してみたら?
読んだ人ならそう書き込んでもおかしくないよ。
まぁ、問われているのは
>>390の国語力かと。
なんでも会の仕業にしたいんだろうね。がんばってね。
>>391 まあ、自分にとって都合の悪い発言を認めたくないだけでしょう。
この人たちは、一貫してそうでしたから。
>>380 幽霊の存在が科学的に証明されたなんて
トンデモ本の世界のなかだけだろW
日曜日はビデオ弔問じゃないのか。なんでネットしてるねん。
395 :
新入会員対策乙彼:04/05/16 11:44
396 :
名無しさん@3周年:04/05/16 11:51
>>382 まだ入会していませんが、というのがミソ。
「まだ入会していませんが、そろそろ入会しようと思っています」は、
この会で身分詐称するときの伝統的な定石どおりです。
え?なぜって?
それはね、身分詐称のうえでの発言内容の責任(書き込み主自身の罪悪感?)を回避できるから。
さすが2ch、なんでもありだ。
サンプルは、古くは新人太郎さん、近くは通行人さんとか(?)。
皆さま方は知っていますでしょうか?
今巷では自転車のライトで「マジ軽ライト」という商品が
大ヒット中です。
この商品はなんと点灯しても重くならないという
スッゴイライトなんです。
さらに発明者は小池さんという
70歳を超える下請け町工場の社長さんというのがビックリ!
こういう町工場から大ヒット商品が生まれるのは良いことデスヨネ♪
ラーメンの小池さん?
400 :
名無しさん@3周年:04/05/16 14:57
396>>
さんはなかなかするどい。
会の教えにしたがって一人でも「信心決定」者いるのかなあ。
いるならその記事が掲載された顕正新聞の号数を教えて欲しいものだ。
おっと、死んだ人や、会から追放されたり、やめたりした人はもちろんなしよ。
H川講師のように死ぬ間際に助かったといわれても、意味ないから。
401 :
名無しさん@3周年:04/05/16 16:07
>>400 >H川講師のように死ぬ間際に助かったといわれても、意味ないから。
そう、意味はない。
単に会員にそう思い込ませた方が、会にとっては都合が良いだけの事。
>>400 信心決定者がいても、新聞等での広報はない筈です。残念ながら。
403 :
名無しさん@3周年:04/05/16 16:41
>>375 K1−(5) 死後の世界は本当にあるのか
答.死後の世界は実在します。このことは仏教が三千年前から説き続けてきたことですが、
今日幽霊が撮影されるようになって、その実在性が科学によっても証明されました。
…
ある特別の人のみが偶然に見たという幽霊ならば、錯覚や幻覚であったか、
実在したものかの区別は困難ですが、人の顔や手の形、或いは全身像の幽霊が
撮影された写真がたくさんありますから、実在はもはや疑う事はできません。
…
よく「幽霊が実在するという考えは科学と矛盾する」と言う人がありますが、
「では幽霊の実在が、どの科学とどのように矛盾するのか」と反問すると
明快な返事をする人がありません。それは幽霊の存在は如何なる科学とも矛盾せず、
また如何なる科学も幽霊の実在を否定する事は出来ないからです。
…
幽霊もそのように実在するのだけれども見た事のない者には信じられないだけの事です。
…
因みにその次は、
「K1−(6) 仏教の根幹、三世因果とはどんな教えなのか」
だからその足がかり的なものとして、生前や死後の世界が存在すると
どうにかして思い込ませたかったんじゃないかな?
>>351 >因果の道理が分かれば、生前と死後の存在が「リーズナブル」になります。
と言うより、存在を否定されると三世因果が破綻して困る、ってだけでしょ。
404 :
名無しさん@3周年:04/05/16 16:44
そのまま救うが、阿弥陀さまの呼び声です。悪に染まり、罪に穢れた私を、助けさせてくれよ助けさせてくれよと、阿弥陀さまの方から頼んでおられるのですから、すべては逆さま。勿体ない。
頼まれておまかせした阿弥陀さまですから、頼む心も起こすことはありません。すべてが阿弥陀さまにおまかせでした。まかせた一念、心の臨終でありました。
405 :
名無しさん@3周年:04/05/16 16:44
南無阿弥陀仏と称える念仏は、阿弥陀さまが私を呼んで下さる直の弥陀の声であります。たとえ昼であろうと夜であろうと、雨が降ろうと風が吹こうと、常に呼んで下さる阿弥陀さまのお慈悲です。
406 :
一回生です:04/05/16 17:04
講演会から戻ってきましたよ。
>>390 >>395 >>396 びっくり。すごい必死ですね。
こんなに予想通りの反応が返ってくるとは思いませんでした。
そんなにこのスレを見ている人に、私が本物の一回生だと思わせたくないんですね。
ますますこのスレを見ている人に、
罵詈雑言を書き込んでいる人の欺瞞性を気付かせるでしょうね。
>「まだ入会していませんが、そろそろ入会しようと思っています」は、
>この会で身分詐称するときの伝統的な定石どおりです。
>え?なぜって?
>それはね、身分詐称のうえでの発言内容の責任(書き込み主自身の罪悪感?)を回避できるから。
>さすが2ch、なんでもありだ。
さすがですね。自分が新入生を装って書き込みをしているだけに、
分析が鋭いですね。
私はそろそろ入会しようと思ってます、なんて一言も言っていませんけどね。
それだけ必死さが伝わってきてすごく微笑ましいです。
皆さんには本当に残念なことでしょうが、私は正真正銘の一回生です。
他にも一回生で見ている人何人かいますよ。
このレスに誰がどんな風に釣られるか、今から楽しみです(笑)。。
407 :
名無しさん@3周年:04/05/16 17:06
>>406 /  ̄ ̄ ̄ )
/ / ̄ ̄|
/ / / \|
/ / |
||−[ (。)][(゚ )]
|| つ |
|| __) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ < 私にだけは教えてくれないか?君が406だってことを
/ \_____________
409 :
名無しさん@3周年:04/05/16 17:46
>>406 >それだけ必死さが伝わってきてすごく微笑ましいです。
>このレスに誰がどんな風に釣られるか、今から楽しみです(笑)。。
/  ̄ ̄ ̄ )
/ / ̄ ̄|
/ / / \|
/ / |
||−[ (。)][(゚ )]
|| つ |
|| __) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ < 君は新勧から今日まで、一体何を聞いてきたのかね。
/ \_____________
>>403 長々と引用ありがとうございます。
で、間違っている所はどこですか?
科学的に説明して下さいな。
ハイいつものパターンスタート。
goo国語辞書「科学」
自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み。
『実験や観察に基づく経験的実証性』 と論理的推論に基づく体系的整合性をその特徴とする。(後略)
実験や観察で実証できる手段を提示してないんじゃ?
幽霊とはこういう存在であるから、こういう手段を用いれば、誰でも霊の存在を認識できる、という法則を説明してもらわないと。
間違ってるところはどこかな、と言われたら、「科学で証明できてないところ」。
413 :
名無しさん@3周年:04/05/16 18:57
恋愛が禁止されてるのは学友部だろ。会員同士が次々と結婚するのは会の中でしか存在できず社会にでて出会いの場がないから。
おれも親に社会の普通の人と付き合えなくなるからやめなさいって言われたよ。
やめてよかったよ。すてきな女の子と出会えたから。
414 :
名無しさん@3周年:04/05/16 19:01
>>410 >今日幽霊が撮影されるようになって、その実在性が科学によっても証明されました。
>撮影された写真がたくさんありますから、実在はもはや疑う事はできません。
科学は観察実験計算推理が正しいという仮定のもとになりたっている、と教えておきながら
写真という主観的観測だけを理由に「科学によって証明されました」と断言してしまう作者が間違い
>よく「幽霊が実在するという考えは科学と矛盾する」と言う人がありますが、
>「では幽霊の実在が、どの科学とどのように矛盾するのか」と反問すると
>明快な返事をする人がありません。それは幽霊の存在は如何なる科学とも矛盾せず、
>また如何なる科学も幽霊の実在を否定する事は出来ないからです。
自分の少ない経験だけから「如何なる科学とも矛盾せず、」と断言してしまう作者が間違い
幽霊の有無はわからないが、作者が科学をあまり知らず、論理的思考が苦手で、信じ込みやすい性格であることはわかる。
>>410 /  ̄ ̄ ̄ )
/ / ̄ ̄|
/ / / \|
/ / |
||−[ (。)][(゚ )]
|| つ |
|| __) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ < 間違いなどあろうはずがない。頑張ってくれ給え。
/ \_____________
416 :
名無しさん@3周年:04/05/16 19:25
>>406 /  ̄ ̄ ̄ )
/ / ̄ ̄|
/ / / \|
/ / |
||−[ (。)][(゚ )]
|| つ |
|| __) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ < コラア!新入生!こういうサイト見ちゃいけないと教わっただろうが!
/ \_____________
>>410 >>403 >それは幽霊の存在は如何なる科学とも矛盾せず、
>また如何なる科学も幽霊の実在を否定する事は出来ないからです。
反証不可能な事は科学として取り扱わない・・・って、すごく有名だと思うが
ほらあれだ、「バカの壁」にも乗ってただろ?
だいたい「死後の世界は実在します。このことは仏教が三千年前から説き続けてきたことです」って・・・
無記説・・・毒矢の喩えを知らんのか?
「龍樹大士出於世 悉能摧破有無見」は?
死後の世界を"実在する"と言い切るなんて・・・空恐ろしいな
何者?
>>407 つーか、「信心決定した」と新聞に書くと、会としてその人の信心を認定したことにも
なりかねない。
そんな土蔵秘事めいたことは、さすがにできんだろう。
419 :
名無しさん@3周年:04/05/16 21:07
418>>
まあ、書いてる本人もいないことを知っているから苦しい心境は察するよ。
別に信心を認定しろといってない。本人の体験記がないのがそもそもおかしい。
それとも、救われた人が自分は救われたぞーというのは、会長以外の言ってはいけないのか。
>>419 信心は認定しないが、結果的にそうとられる恐れがあるから、
広報しないだろうね。
>本人の体験記がないのがそもそもおかしい。
うんにゃ、そういうのは、最近たくさん載ってるぞい。
>>418な。
>>が先でスペースを入れずに半角数字をいれたまへ。
ちょっと訂正
「体験記」っつーか、救いの法悦の記事ね。
道程を語ることは、危険であることは、周知の通り。
日曜日は書き込みが多いですね。
家に着いたらゆっくりお答えしますね。
まあ、仲良く語ろうや。
>>363 >教行信証化身土巻です。
具体的に19願を勧める御文をあげてください。
>>360 >目的はあくまでも他力の信ですから、勧めるのが自力であってはなりません。
目的の他力の信を獲るためには、まず自力に入れという根拠(お聖教)は?
>>354 >で、どうしたら自力棄てられるんですか?教えてください。
横レススマソだが、
>>355氏も言うようにこの「どうしたら棄てられる」こそが
、自力の計らい。もちろん「ボーとしてればよい」というのも同じように自力の
計らい。
自力に入れ、なんて言わないだろう。
もともと自力なんだから。
>>374 我執の中には自力心や疑心も含まれると思う
ただ、信後はその我執や疑心がもはや問題にならない、往生の障害にはならないだけでしょう
もっとも、この問題にならない事を疑心が晴れると言うのなら、当然そうも言えるでしょうね
>>362 >他力の信仰って「進む」ものなの?違うでしょ?
もちろん進んだり退いたりするものじゃありません。
浄土真宗は進んだり退いたりするような相対的な自力
の信を勧めるものではありません。「0点(自力)を
捨て100点(他力)をいただけ」しかありません。
たくさんありますので、漸次コメントしていきます。
>>366 疑心のあるままでは絶対に助かりません。
「命のうちに不審もとくとく晴れられ候わでは、定めて後悔のみにて候わんずるぞ、
御心得あるべく候。」(御文章一帖)
>>377 そういうことにはなりません。中有界というのが仏教では説かれていますが、
幽霊みたいなものです。
>>379 句読点まで拘られる方は他にないでしょうね。
>>382 ありがとうございます。でもほんとうなら、ここに来ることはお勧めしません。
誉めれば誉めるほど煽られる諸刃の剣。
>>384 聞きたい人の邪魔をしないのが貴方がたのモットーではないんですか?
それは一部の良心派だけですか。そうですか。
>>396とか
こういう人がいると何か困るんですか?こういう人実際にいますよ。
書き込むかどうかはともかくとしてね。
こういう書き込みに対する反応は明らかにアンチの方が過剰ですね。
仲間が多いことが心の支えですか?
>>400 一番手元にあった4月15日号を見たらありましたが…
>>406 こちらは激しく釣りっぽいですね。かなり釣れてます。
>>412 複数の科学者が研究し、複数の肯定的な結果を発表しているのだから、
「科学的に証明された」とも言えると思いますが。
>>414 写真は主観的観測ですか?「作者の少ない科学の経験」こそあなたの主観、思い込みですね。
>>417 >反証不可能な事は科学として取り扱わない・・・って、すごく有名だと思うが
>ほらあれだ、「バカの壁」にも乗ってただろ?
この章は、こういう問題は科学の範疇の外なのだ、ということが主題ですから。
初めからそういう内容ですよ。
>だいたい「死後の世界は実在します。このことは仏教が三千年前から説き続けてきたことです」って・・・
>無記説・・・毒矢の喩えを知らんのか?
>「龍樹大士出於世 悉能摧破有無見」は?
>死後の世界を"実在する"と言い切るなんて・・・空恐ろしいな
>何者?
あなたが何者ですか。無記説、毒矢についてはよく分かりませんが。
ここで実在する、と言うのは無の見ではない、ということですよ。
434 :
名無しさん@3周年:04/05/16 23:51
>>430 「我執」を調べてみたが、「暗い心」「黒い心」と自分の心を問題にしているところ
では、「我執」という言葉を使わないな。
真宗を仏教一般として語る人は、気を使うことなしに「我執」を使っている。そして、
「我執」を克服出来るものと考えるようだ。
自力疑惑心を問題にする時には、「我執」という言葉は使わない方が良いだろう。
>>382 これが本当なら、もう手遅れの人の発言みたい。
このまま入会のようですね。
>複数の科学者が研究し、複数の肯定的な結果を発表しているのだから、
>「科学的に証明された」とも言えると思いますが。
誰が、どのような理論で、どのような手段を用いて「幽霊が実在している」という結果を出したのか。
その理論と、理論から導き出された手段を以ってすれば、万人が等しく幽霊の実在を納得できる、
そんな手法があるのでしたら教えてください。
>無記説、毒矢についてはよく分かりませんが。
無記は仏教では常識。実在する、というのは有の見。
>>433 >この章は、こういう問題は科学の範疇の外なのだ、ということが主題ですから。
だったらはじめから「科学的に証明さらた」なんて書くなよ。
↑
証明された」ね。
>>432 ああ、信心に疑心はありえないね
信は弥陀の至心が衆生の上に働いているものだから
(至心即是誠種真実之心故無有疑心)
>>366を訂正し言葉を足すなら、「自力で疑心を捨てる事のできない私が〜」か
ただ我執ある限り、凡夫の我には疑心があり続けると思うよ
「私の自我には阿弥陀仏を疑う心はまったくない」と断言するのはおかしいでしょう
>>425 言葉遣いとして、「19願を勧める」のではなく、「19願を通って18願に入れ」
ということです。念のため。
その親鸞聖人ご自身の体験告白が、化身土巻の、三願転入のお言葉です。
>>426 まず自力に入れ、とは言いませんよ。自力を勧めているのではないのです。
浄土真宗親鸞聖人のみ教えは他力真実18願の教えですから。
>>427 その通りです。自力を棄てようとしても棄てられません。何もしなくても
やっぱり棄てられません。じゃあどうするんですか、どうしようもないんですか。
目的だけあっても方便、手段がなければ目的は果たせないのです。
目的が大事な分、手段が大切なのです。
>>431 これも全くその通りです。
>>436 私は残念ながら知りません。そういうことを言っている著名な科学者がいる、という事実だけが残ります。
>>437 そもそも発端は、「科学に反するのでは」という問いに対する答えですから、
科学の範疇にある、という前提のある人に対して言われているのです。
>>439 …そうですね。
>>440 >19願を通って18願に入れ
では、19願はいつ捨てて18願に入ればいいのでしょう?
20願は無視ですか?
>>439 >ただ我執ある限り、凡夫の我には疑心があり続けると思うよ
「我執」と一つのものではなく、「我執」が「煩悩心」「疑惑心」の二つであると、
考えるべき。ただ、親鸞聖人が「我執」についてこう示されていると教えてく
れれば、どうこう話せるが、このままでは意味の無い文章としか思えない。
>>440 >言葉遣いとして、「19願を勧める」のではなく、「19願を通って18願に入れ」
>ということです。
ですからその(「19願を通って18願に入れ」)具体の御文をあげてください。
三願転入の御文には「先ず19願に入りそれを通って18願に入れ」とはありませ
んが。
>自力を勧めているのではないのです。
自力諸善(六度万行)を勧めてるんじゃ?
>目的だけあっても方便、手段がなければ目的は果たせないのです。
>目的が大事な分、手段が大切なのです。
方便、手段は全て他力です。他力の南無阿弥陀仏が衆生往生の手段です。
自力を捨てるとはその他力真実の南無阿弥陀仏を聞かせていただくのみ
です。
今晩はもう寝ます。生きてれば明晩よろしく。
>>441 だったら「科学の範疇にない」っていえよ。「科学的に証明された」なんて
いわずに。話をはぐらかすなよ。
>>442 …20願も通って下さい。無常の命ですから、一刻も早く18願真実の世界に
転入させていただかねばなりません。しかし2階に上るためにははしごなり
階段なり通らずしては上れません。いきなり18願に入ることはできませんから。
いきなり18願に入れますか?えいっ、と入れました?マターリとして入れますか?
自力はどこまでいっても自力。他力とは違うのです。
まったく違う世界なのです。じゃあどうやって衆生を18願の世界に入れるか。
そこで弥陀は、方便願として、19願と20願を建てられたのです。
善ができると思っているのなら、やってみよ、と。
一つの善もできない者とみてとって建てられた18願ですが、私たちは一つの善も
できないとは思いません。その気になれば、と自惚れています。
じゃあやってみよ、とやらせてみて、できないことを知らせて、18願で唯除五逆誹謗正法、
と照らしぬき、同時に若不生者、と救いとる。これが弥陀の遠大な計画であり、
その通りに救われた、と叫ばれているのが親鸞聖人の三願転入のお言葉なのです。
聴聞の心がけとしては、今18願に入るぞ!の心がけは勿論非常に大切です。
しかし自力無功と知らされるのは自力一杯進んだ人であり、自力一杯求めた人なのです。
全力を出し切らなければ知らされません。
>>440 >じゃあどうするんですか、どうしようもないんですか。
(寝る前に追伸)
それが自力の計らい。
>>434 が‐しゅう【我執】‥シフ
(1)〔仏〕本来実体のない自我を実体視して執着すること。
我見。盛衰記一九「今生―を起して、来世の苦難を招かん事」
(2)自分だけの小さい考えにとらわれて離れられないこと。我(が)を張り通すこと。「―を捨てる」
------------------------------------------------------------------------------
自我の働き-つまり我執が-、一実真如である世界を分別し迷界苦界にしている
つまり我執が、衆生と真理とを別け隔てている
真宗で言うなら、我執ある限り衆生は弥陀を疑い続ける・・・
我執を捨てることが覚りを得る事であり、我執を捨てられぬ衆生の為に弥陀の誓願は立てられた、と
>「我執」を克服出来るものと考えるようだ。
・・・さて?
克服の意味にもよるでしょうね
真宗は、ある意味では我執を克服し得ず、ある意味では克服する
>>445 すいませんがはぐらかしてません。
相手の論理を利用して話を展開させ、論理の矛盾を指摘する論法です。
>>447 それで自力が廃るのならいいんですが。
それで納得できるのなら最早何も言いません…
450 :
名無しさん@3周年:04/05/17 00:39
>>446 >聴聞の心がけとしては、今18願に入るぞ!の心がけは勿論非常に大切です。
>しかし自力無功と知らされるのは自力一杯進んだ人であり、自力一杯求めた人なのです。
>全力を出し切らなければ知らされません。
全力を出し切らなければ知らされないとか、条件をつけるのは計らい心だぞ!
>>450 そうですか?
私がつけている条件なら計らいですが、弥陀の御心です。
452 :
名無しさん@3周年:04/05/17 00:44
>>448 >真宗で言うなら、我執ある限り衆生は弥陀を疑い続ける・・・
ここが漏れには分からない。どこに真宗の師主知識はそうお示しになっている
のだろう。勝手な解釈は異安心への道だ。
どこに師主知識がお示しになっているのか、教えていただければありがたいが。
>私は残念ながら知りません。そういうことを言っている著名な科学者がいる、という事実だけが残ります。
およそ自分たちが実在すると主張するなら、その論拠として誰のどういう説(とその実証)が「科学的な証明」に
結びつくのか、くらいは用意しなければならないでしょう。それを怠って主張だけしたという事は、
『「こういうことが知りたい1」において、実証の説明もないまま"科学的証明がなされたと言う主張"だけを行った』
という事実を残しただけに過ぎないですよ。
というか、出版する前にその辺はしっかり調べておくべきでしょう。著名な科学者が実際言ったのなら、その著書を
調べるとか、詳しく取材をするくらいしてそれを論拠に証明できたと主張しなければ何の説得力もない本ができるだけですよ?
論拠として引用しただけでも100点満点とはいえない(例えば、実証の方法が間違ってると反証されたり・・・)のに。
454 :
名無しさん@3周年:04/05/17 00:48
>>451 どこまで行っても、全力を出し切るような私ではないと知らされる所に道がある。
>>453 私が知らないっていうだけですよ…。
>『「こういうことが知りたい1」において、実証の説明もないまま"科学的証明がなされたと言う主張"だけを行った』
>という事実を残しただけに過ぎないですよ。
それで結構です。十分問題提起になっていますから。
>>454 自分の救われない姿が知らされたのなら、OKです。どちらでもない、はっきりしない、
本気になれば善ができるかもしれない。これが自力の心ですから。この心が廃るまで、
進ませていただかねばなりませんよ、ということです。
456 :
名無しさん@3周年:04/05/17 01:07
>>455 >これが自力の心ですから。この心が廃るまで、
>進ませていただかねばなりませんよ
自分で心が廃るまで進むことは出来ない。
ただ心を一つにして、阿弥陀様へ向かうという事。
457 :
名無しさん@3周年:04/05/17 01:13
埼玉でマンション探してる人いませんか?
築3年です。綺麗です。
真面目に探してます。
>私が知らないっていうだけですよ…。
しかし、本を出版する際には責任者等いるでしょう。
そういう人たちは何ら論拠もないものを科学的な証明とする主張に疑問を持たなかったんでしょうか?
そのままGoサインが出たというのなら、著者、責任者、その周辺の人間の論証能力に疑問が。
また、著者等も自分が知らないのにそういう科学者がいるというのを聞いたことがある、程度で
こういう本を述したというのならハッタリもいいところです。
あなたが知らないのは解りますよ。この本を読んだだけなのかもしれないし。
あと「無記」は調べられましたか。
「無記説」と「死後の世界は実在する」との関係はどのように説明しているんでしょうか。
会の著述の説明で、論破したとあるのを見たことがあるので聞いてみたいのですが。
>>452 あー典拠か・・・
歎異抄の第二帖とかな・・・苦しいが
もし親鸞聖人が我の上でも疑心なく信じているなら、「存知せざるなり」とは言わなかったんじゃないの?
我の上でも疑心なく信じているなら、「これこそがまさしく往生の方法である」と答えたんではなかろうか、と
・・・苦しいが
もう少し調べておこう
>>444 明日は仕事ですか。その前日に夜遅くまで書き込んでいることから、
あなたは信念を持って書き込んでいることが察せられます。(違うかもしれませんが)
何度も言いますが、自力を勧めたりはしません。他力を勧めるのが浄土真宗です。
ただ、方便を通らずしては、真実には絶対に入れないということです。
もしかして三願転入に異論はないんですか?
19願を通って、18願に入ることには異論なし?
19願とはすなわち修諸功徳至心発願欲生我国、弥陀の国へ生まれようと思って、
まことの心でいろいろの善をせよ、ということです。
これを善導大師は外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を懐くことを得ざれ、と
解釈されました。口や体だけで善をして、心では嘘偽りを思っていてはならない。
三業すべて、善に努めよ、と教えられました。この19願の行者が、弥陀の光明によって
照育せられ、20願に送り出され、18願に転入させられる。
これが三願転入です。
親鸞聖人は、この19願から、20願に入られたと言われています。
あなたはもう19願は済みましたか?
口や体だけでなく、心も善に努め、自分には善ができないことを知らされましたか?
461 :
名無しさん@3周年:04/05/17 01:27
>>449 >すいませんがはぐらかしてません。
>相手の論理を利用して話を展開させ、論理の矛盾を指摘する論法です。
どう読んでもはぐらかしてるだろ。論点をずらして間違いを隠してるだけだ。
科学の範疇に無いのに
「撮影された写真がたくさんありますから、実在はもはや疑う事はできません。」
と言っているのだから。
>>461 科学の範疇にない、という主張はその直後にはっきり書いてありますよね?
いくらなんでも、人を馬鹿にしすぎなのではないですか?
どうしてもと言うのならどうぞ、という感じですが。
463 :
名無しさん@3周年:04/05/17 01:45
>>462 >科学の範疇にない、という主張はその直後にはっきり書いてありますよね?
またはぐらかしですか?
作者は
「科学的に証明されて、幽霊の存在は疑うことができない」と言った直後に
「幽霊は科学の範疇にない」と主張してるんですよ。
人を馬鹿にしてるのは作者でしょ。
>>458 ですから、主題は、死後の有無は科学の範疇外、ということです。
死後があるなんて非科学的だー!!ていう人、すごく多いんです。
無記については、調べた結果、中庸のことだそうです。
善でも悪でもない、というね。
これを、死後が有るでも無いでもない、ということだと受け止めると、
まさに有無の見を催破、ということですね。
これは、七高僧でいうと竜樹菩薩のお手柄です。
お釈迦様は、阿含経に、「因果応報なるが故に来世なきに非ず、無我なるが
故に常有に非ず」と説かれました。
来世なきに非ず→死後の世界はある、ということです。
うーん
つまり「我執」を「自力の心」とでもしておくべきだったわけか?
親鸞聖人は我執という言葉を使われんから典拠を求められると弱すぎる
つまるところ真宗の信は
「往生する絶対無二の方法は之で、コレコレこうしなければ獲信できない!」
と断言する類の信ではないと言いたかったんだよな
466 :
名無しさん@3周年:04/05/17 01:52
私は一年のとき大導師試験に合格しました。それぐらいなら他にも何人かいるのですが私は取り分け熱心に活動していたのです。
たとえば勧誘とか月に200人に声をかける、と意気込んでいました。
そしてその言葉どうりに勧誘を4年間続けたのです。
そうして4年になってまだ進路が決っていなかった私に担当講師と先輩から「講師の道を進まないか」とすすめられました。
私は講師の道を進むことにしました。
親にそのことを相談しました。反対されるのは目に見えていました。
しかし意外な答えが返ってきました。
「お前は止めてもその道を進む気なんだろ。お前の好きなようにしなさい」
という答えでした。
そして私は顕真学院に進みました。
そこでの生活は規則がきっちり決められていて、毎朝6時に起床それから掃除そして朝食をとり、勤行。
そして聴聞を受け、さらに教学を学び、講師として説法をするノウハウを学びます。
夜はお勤めをして夕食、その後自室で自由時間です。
そして11時就寝。
これが毎日の日課です。
顕真学院に進んで一年も経ったとき私はこの単調な生活と下界から孤立したような世界に精神が耐えられない状態になりついに顕真学院をやめる決意をいたしました。
その後就職活動もいたしましたが大学時代、会の活動ばかりやっていたため採用してくれる企業などあるはずもなく、やむをえずフリーターになりました。
そうして2年間フリーターとして生活しました。
大学の時、会の人としか付き合わなかったので当然友達はいません。
私は大学時代をやり直したい。そして普通の人と同じように幸福な家庭を築いて普通の生活をしたかったです。
しかしあまりにもおそすぎる。
後悔の念でいっぱいです。
>>463 そういう次元の非難でしたら、もういくらでもどうぞです。
何も言いようがございません…
468 :
名無しさん@3周年:04/05/17 01:56
サークルではなるべく世間の人よりも会の人、友達よりも法の友と付き合うようにしなさい、と教えられました。
彼等の目からみると会の人じゃない人は必堕無間の愚か者にみえるそうです。
469 :
名無しさん@3周年:04/05/17 01:57
>>460 >19願を通って、18願に入ることには異論なし?
三願転入が条件とは言っておられない。
直入の機があるのに、何ゆえに回り道をするのだ?
>>466 最後の方で急転しましたね。どんな認識のミスがあったんですか?
>>468 別に愚か者には見えません。
まぁ全ての人は愚か者ですが。
会じゃない人が云々なんてことは聞いたことなし。
>>469 直入の機とは何ですか?18願にいきなり入ることができるんですか?
是非教えてください。
真宗の歴史が変わりますよ。
472 :
名無しさん@3周年:04/05/17 02:02
>>466 ネタかもしれんが、更生の気持ちさえあれば、普通の人生に戻れると答えて
おこう。
>>450 110さんに聞きますが「自分が全力を出し切った」ってのは
どうして&いつわかるのですか?
>>460 そのような事は多分100回以上聞いてきましたが、
>方便を通らずしては、真実には絶対に入れないということです。
仏教は三世因果の教えですね。過去世に19願と20願を
修した衆生はいないんですか?そもそも自力の善を差し向けて
往生しようなんて事がいかに不遜なことか、わかる人には一瞬で
わかりますよ。
>>465 一人一人の阿弥陀様ですからね。当然一人一人の機が違う
わけだから(機に相応する)法も違うわけです。
機法一体の南無阿弥陀仏だから、機に応じた法が必要、
すなわちコレコレこうしなければ獲信できないというのは
誤りだと私は思っています。
474 :
名無しさん@3周年:04/05/17 02:05
>>465 「南无阿彌陀佛」のおいわれをそのまま頂く、そうすれば獲信できる!
これこそ絶対無二の方法!
そもそも私たちは、十九願以前に自力のものの考え方に陥りやすいものですよ。
良いことをすべきだ、悪いことをすべきではない。でも、理屈で解っててもそれを完遂
出来ている人は居ない。(白居易の話を思い出しますね。)そういう人も「自力諸行」を
行う道を必ず通らねば真実の十八願への救いは導かれない?
親鸞聖人の時代は聖道門仏教ほぼ一色の時代だったのはご存知のはず。
そこはどのような救いの世界でしたか?
戒を守り、学を究め、行を修することでのみ仏の世界へ到達できる道。
多くの人がその救いから取り残されていたはずです。
鎌倉の社会不安の中で弱者も真剣に仏の救いを求めていた時代ですよ。
山に登って修行を出来る人を遠目で眺めながら、自分たちの生活を──
──獣や魚を殺してでしか生活の糧を得ることが出来ない、
──農業にしても土中の虫等を殺してしまうだろう、
──女性は、女として生まれた時点で救いの道が閉ざされたと言われる
救われぬ業を重ねていると嘆いていた時代に、親鸞聖人はその人々に
「ではまず自力諸行だ。それをやってみないと真実の法はわからない」
と言ったとでも?
救いを求める民衆を谷底に突き落とすような発言じゃないでしょうかね。
>>466 >普通の人と同じように幸福な家庭を築いて普通の生活をしたかったです。
結局、この人は講師学院まで進みながら何も聞いていなかった
ということですね。魔境に止まるべからず、って聞きませんでしたか?
親鸞会は外への勧誘は熱心ですが、自分の心を見ていく内観は
まるでダメですね。内観ってのはなんか自力っぽい言い方で
適当ではないかもしれませんが。
477 :
名無しさん@3周年:04/05/17 02:10
>>362 >他力の信仰って「進む」ものなの?違うでしょ?
>>431 >もちろん進んだり退いたりするものじゃありません。
>浄土真宗は進んだり退いたりするような相対的な自力
>の信を勧めるものではありません。「0点(自力)を
>捨て100点(他力)をいただけ」しかありません。
>>431 >これも全くその通りです。
s会で、縦と横の線と糸人間を描いて「進んで」行くよう教えているのも、
自力の道(19願?)と考えてOK?
478 :
名無しさん@3周年:04/05/17 02:11
>>471 >直入の機とは何ですか?18願にいきなり入ることができるんですか?
>是非教えてください。
>真宗の歴史が変わりますよ。
18願にいきなり入らなければ、なかなか獲信できるものではない。
真宗の歴史に厳然とあるものを、知らないだけ、またはわざと知らされて
いないだけだよ。
>>464 >ですから、主題は、死後の有無は科学の範疇外、ということです。
別に形而上の範疇に入るものなら死後の世界でなくても良いね
で、形而上のものは科学では・・・形而下の概念では計れないから、
有るとか無いとか論ずる事自体がナンセンスである、と
で、死後の世界を「実在する」と断言したのはチト失言臭いね
>「因果応報なるが故に来世なきに非ず、無我なるが故に常有に非ず」
これって有とも無とも言えないってことでは?
>>473 無論一念です。弥陀の願力によって知らされます。
棄てようとするのも自力、ですから。言葉の限界があります。
善をすると、善のしがたい自分の姿が知らされます。
>仏教は三世因果の教えですね。過去世に19願と20願を
>修した衆生はいないんですか?そもそも自力の善を差し向けて
>往生しようなんて事がいかに不遜なことか、わかる人には一瞬で
>わかりますよ。
修しているのなら、救われています。
18願は修することですか?18願を「やる」ことはできますか?
18願は救いそのもので、私たちの実行ではありませんよ。
私たちができることは、善であり、念仏を称えることです。
救われていない人が、じゃあどうしたら救われるのか。
そういう問題じゃないんですか?
答えは当然、目的とともに、その手段も教えていなければなりません。
>機法一体の南無阿弥陀仏だから、機に応じた法が必要、
>すなわちコレコレこうしなければ獲信できないというのは
>誤りだと私は思っています。
機法一体で言う機とは、善導大師の言われた、「南無と言うは帰命」
に当たります。すなわち、私たちの煩悩成就の機ではなく、弥陀によって賜る、
「真実を信ずる心」のことです。即ち、まことの心です。対機説法でいうところの機とは
違いますよ。
>>475 かなり何回も言ってますが、まず自力から行けとは言ってません。
捨自帰他です。
>>477 横の道は自力の道です。19願、20願です。
縦の線が18願です。
>>478 全く意味が分かりません。
>>479 >これって有とも無とも言えないってことでは?
その通りです。それが仏教です。
>>480 20願はともかく、19願の諸々の善を為せというのは、
過去世から延々とやってきた事じゃないのでしょうか?
そうでなければ今生で人間に産まれて仏法を聞くことは
出来なかったのでは?そうだとすると、今生で聞いている
仏法では「それを捨てよ」と「一歩進む」事を勧められているのに
なぜ今更自力の善を修せねばならんのか。
「修しているのなら、救われています」とあるが、
19願/20願に留まっていたからこそ「往生かなわで流転した」
ので、今生はどうかそれを捨てて18願に帰してくれ、というのが
阿弥陀仏の本願ではないですか?
>機法一体で言う機とは、善導大師の言われた、「南無と言うは帰命」
これはあなたの方が正しい気がします。
>>481 >横の道は自力の道です。19願、20願です。
>縦の線が18願です。
なるほど了解。
多少、推敲してみました。
今生で聞いている仏法では「それを捨てよ」と
「そこから一歩出る」事を勧められているのに
なぜ今更自力の善を修せねばならんのか。
>>481 ああ、言葉が不味かったですね。
「では自力修行をしなさい、そうしないと真実の法はわからない」
に訂正。「まず自力から」とは言ってない。でも「19願を通らなければ18願にはいけない」んだから
この表現が正しいのかな。(
>>446)
どの道、民衆を谷底に突き落とす言葉には変わりがない。
「井戸覗く 子を呼ぶ親は 命がけ」という句がありますが、
親鸞会の阿弥陀様は「まず井戸の底で諸善をせよ」
というわけですね。「余計な計らいを捨てて、親(弥陀)に
委せよ」とは言わないわけですか。
この表現が正しいのかな。(
>>460) に訂正。 訂正連発で申し訳ない。
>>446 >しかし自力無功と知らされるのは自力一杯進んだ人であり、自力一杯求めた人なのです。
>全力を出し切らなければ知らされません。
「自力いっぱい求められる」
「全力を出し切れる」
と思ってるのがすでに邪険驕慢だとは思いませんか?
>>482 明日は仕事じゃないんですか? 大学生?
勿論、過去世の仏縁がなければ真実の仏法は聞けませんよね。
もちろん、18願に帰してくれ、ということです。
そして、19願、20願は捨てものです。捨てねば18願に帰することは
できません。
もちろん、18願に帰したら救われますよ。
じゃあ、まだ救われていない者はどうするんですか?そういう話です。
18願に帰そうとしたら帰すことができるんですか?
目的はもちろんそこにあります。
同時に、手段(=方便)である、19願、20願が具足しているのです。
目的だけで手段なしでは、果たせるはずがありません。
目的もあり、手段もある。それで初めて、目的が果たせるのです。
>>484-486 上記の通りです。
>>488 あなたがやってみた上で言われているのなら文句はありません。
やってないのに理屈だけで言われているのなら、ふーん、そうですか、
としか言えません。私にも貴方にも必要なのは、教えの実行ではないでしょうか。
>>464 >来世なきに非ず→死後の世界はある、ということです。
>>481 (>>>因果応報なるが故に来世なきに非ず、無我なるが故に常有に非ず」 )
>>これって有とも無とも言えないってことでは?
>その通りです。それが仏教です。
464では有ると言って、481ではどちらともいえないって。この辺つじつまあってないと思うので合わせてください。
>>489 >18願に帰そうとしたら帰すことができるんですか?
帰せますよ。あなたには「そのまま来いよ」と言われている
弥陀の呼び声が聞こえませんか。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
>>491 詳しく言うと、固定不変の私、が来世まで続くのではない、ということです。
死後の世界がないというのも間違いだし、固定不変の「私」が続くのも間違い。そういうことです。
>>492 ・・・。
是非方法を教えてくださいな。
寝る前にふと思ったこと。
このスレ、昼間と夜中でレベルが全然違う。
諸仏は善人になって来いよ、そうしたら救うぞと言われた。
我々は、諸仏に捨てられたのです。
今更諸善を頼んで何になるのでしょう。親鸞会の教えを
捨てろとは言いませんが、一旦脇に置いて頭を白紙にして
考えても矛盾していると思われませんか?
無常は迅速です。そのまま来いよといわれているのは
法界広しといえども阿弥陀仏ただ一仏です。
方法も捨てなければなりません、自力ですから。
「そのまま来いよ」といわれたら「ハイ」と返事をすれば
いいだけです。領解文にみんな書いてありますよ。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
>>495 あなたは19願と20願を通らずして18願に入ったんですか。
親鸞聖人と違いますね。親鸞聖人は、全ての人に共通する言い方で、
救いまでの道を言われているのではないのですか?
あれは親鸞聖人個人の体験告白なのですか?そうなら、教行信証に書かれるでしょうか。
親鸞聖人は、全ての人の共通の体験として、三願転入を言われているのです。
そうでなければ、親鸞聖人が教行信証に書かれるでしょうか。個人だけの、特有の体験を。
あなたの体験は、親鸞聖人の体験と異なります。
それでもいいのでしょうか。
>>496 そもそも、19願と20願を通ったか通らないかってのは
凡夫にわかる物なのかという疑念があるのですが。
聖人と同じじゃないと救われない、って点の根拠が
あれば教えて下さい。救われた後の世界は一味平等ですが、
救われ方もみな同じってのはどこが根拠になるんですか?
もちろん雑行雑種自力の心は捨てたので同じと言えば同じですが。
19願を修した覚えはないし、20願も怪しいのですが。
そもそも、私はそんな上玉ではないもので。
>親鸞聖人は、全ての人の共通の体験として、
>三願転入を言われているのです。
という根拠は?
親鸞聖人は、始めから十八願の法門に帰すために叡山に上って20年間の修行に励まれたのですか?
自力心を、自力の修行を廃するためと始めから理解して、叡山に登って自力の修行を積まれたのでしょうか?
そうだと言えるのでしたら、教行信証の三願転入の箇所を他人にも勧める文と読んでもいいと思いますけどね。
そうすることが必要だ(と解っていた)から、そのような修行に励まれたのでしょうし。
叡山での20年間の修行生活というのは、親鸞聖人にとってはあまりにも高い目標と、それに向かって
いながら全くたどり着ける気がしない自分への深い絶望を教えるものではありました。
しかし、「自分の自力が役に立たないと理解するため」にそのような修行を励まれたという事は決して無いと思いますが。
20年間、仏教の聖地といわれた叡山で求めて求めて得られなかった聖人が、法然上人に出会えて教えを受けた時、
はじめて、「ああ、これまでの私は・・・!」と気づかされたのでは?
最初から「廃される自力」と解っている教義のもとで自力善を行ってる親鸞会も、聖人の体験とは異なっていることになりますよ。
本気で此土入聖を目指していた親鸞聖人とは180度逆と言ってもいい。
>>498 そうですね、全くその通りだと思います。
ああ、確かこのくだりはジャンヌBBSでチビ丸氏も言及してたように記憶してます。
「自力の人間には、諸行が廃されるとは解らない。」みたいな感じのことです。
これをベースにすれば、親鸞会の人間は聖人と同じような心意気で自力善を行います、と主張は出来るかもしれませんね。
確かに親鸞聖人はそうでしょうね、叡山で修行中、まさか自分の自力行が廃される教えに出会うとは思って無かったんじゃないでしょうか。
そもそも自分の行っている行に対して「自力」っていう呼び方すらしてなかったと思いますけど。
「自力が廃されるという理屈も知らないから、当然自力が廃されるとは心の底から思ってない。そもそも、自力を完成させるつもりで行をしてる」
ですよね。聖人、叡山で"他力信心を得るための修行をしてるわけじゃない"んですから・・・
でも親鸞会では自力は廃されると教義で明確に説明してますよね。110氏のこれまでの話でもそれは良くわかります。
信未決の人、即ち自力の人は確かに「心の底では自分の自力が廃されるとは思ってない」かもしれませんけど、
少なくとも、「自力は廃されると言う理屈は知ってる」わけです。そして、「当然"廃されるための諸行"を行う」わけですからね。
すべては"他力信心を得るため"のことですよね?
こういう点で、「親鸞聖人と同じ体験」ということは出来ていませんよ、と主張するわけです。
498と言ってることは殆ど一緒ですけど、補足と言う事で。
501 :
名無しさん@3周年:04/05/17 07:49
>>464 >来世なきに非ず→死後の世界はある、ということです。
あなたのような主張を常見外道というのです。
こんなことが知りたいの「幽霊は実在する」などというくだりは
はやく削除しないと、浄土真宗を標榜している団体なんだから
非常に非常に恥ずかしいのですよ。
蓮如上人は「仏法には明日というものはない」と仰いました。
現在の一念しかない。
もっともあなたの心の生み出した地獄極楽はありますが、
ぞれは断じて実在するものではない。
みんな、ちゃんと寝てね。
503 :
名無しさん@3周年:04/05/17 07:59
>>496 あなたの方便化身土巻の読み方が全然駄目なだけですよ。
方便化身土巻は、廃立しておられるのです。教相判釈です。
十九願、二十願を修行しなさいと読むのではなくて、
間違いやすい、陥りやすい道だから間違ってくれるな!
自分も間違った道に深入りしてきたし、
せっかく浄土門にはいっても真仮を知らず、
間違っているものばかりではないか!
と懇ろに十八願他力の法門のみを勧められているのですよ。
十九願、二十願から修しなさいとか指導していたら
「出離その期なし」と祖師もいわれています。
悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、
定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。
みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、
仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。
まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。
(化身土巻)
504 :
名無しさん@3周年:04/05/17 08:13
>>496 以前、ジャンヌのちび丸氏は
「親鸞聖人は頓機ですよ」といって
大半の人々である漸機の衆生は、まず自力修行を勧められている
と主張していました。そもそもこの説き方は観無量寿経の顕説的であって
観無量寿経の穏顕を明らかにされた親鸞聖人の御教えではありませんね。
ちび丸氏説のように、結果だけ見て頓機、漸機の差別をして、
無常迅速の凡夫に対して「まず自力修行をせよ」と勧めるのはいかがなものでしょうか?
親鸞会でも東条英機氏や泥棒だった耳四郎の獲信は認められていると思いましたが、
彼らは果たして自力修行を勧められてから獲信したとでもいうのでしょうか?
頓機だから特別、などという教え方は親鸞聖人の平生業生、凡夫直入という
御教えをはなはだしく冒涜する教え方だと思います。
505 :
名無しさん@3周年:04/05/17 08:20
>>460 >もしかして三願転入に異論はないんですか?
>19願を通って、18願に入ることには異論なし?
三願転入の御教えは、信心を獲た一念でしらされるもの、
と信知しています。信前のものが十九願も二十願も絶対にわかりません。
ましてや三願転入の御教えをあたかも修行の階梯のように理解するのは
前代未聞の解釈であると思います。
そのように三願転入の御教えを相承されたとする根拠は挙げることができますか?
1シープドッグ 2ボストンテリア 3シーズー 4ダルメシアン
5ダックスフンド 6フォックステリア 7コッカスパニエル 8プルテリア
9トイプードル 10チワワ(ホワイト)11チワワ(ベージュ)12プードル
13スコッチテリア 14レトリバー 15コーギー 16バセットハウンド、
17ゴールデンレトリバー 18柴犬
507 :
名無しさん@3周年:04/05/17 09:44
輪廻の話があったので少し…。
親鸞会では、記憶そのものの輪廻?(過去世からの記憶の存続)を
肯定していたと思いますが、これは問題ないですか?
みなさんおひさ。竜粘性です。
出張に行ったときについでに帰省してたので、久しぶりに2ちゃん見ましたが、
私のレスなどもう過去にすっ飛んでいて、すごい数の発言ですね。
何か質問あったら答えますから何でもどーぞ。
ではまずログを読んでください、と言う感じなんですが、ここ最近は
幽霊の実在の科学的証明がなされたと言う点(
>>375以降)や死後の世界の
実在がどうして言えるのか(会の著作:「ここが知りたい1」)とか、
どうして三願転入が理由で十九願諸行が必要になるのかと言った質問が多いですよ。
510 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:09
>>492 > >18願に帰そうとしたら帰すことができるんですか?
>
> 帰せますよ。あなたには「そのまま来いよ」と言われている
> 弥陀の呼び声が聞こえませんか。
ああ、よく聞こえるよ。
自力異安心の弥陀の呼び声が
511 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:14
相変わらずループ…
512 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:18
南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛
南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛
南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛
>ではまずログを読んでください、と言う感じなんですが、ここ最近は
すいませんねぇ。職場なもんで隠れてコソコソなんですよ。
帰宅してからきちんと読みますね。
>幽霊の実在の科学的証明がなされたと言う点(
>>375以降)や死後の世界の
>実在がどうして言えるのか(会の著作:「ここが知りたい1」)とか、
>どうして三願転入が理由で十九願諸行が必要になるのかと言った質問が多いですよ。
幽霊の実在云々と言うところは、あまり重要じゃない感じも致しますね。
勝手な計らいですが、もし「こんなことが知りたい」が「光に向かって」みたいに一般に出版されるとしたら、
無くなる所じゃないですかね。
何しろ昔書かれたものですし、その辺の所は会員でもまぁこう言うのもありか、
くらいに受け取っていると思うんですけどね。
三願転入云々という所については、大事なところですね。
これはちゃんと読んでみないとレスできないので、保留でお願いします。
すんません。
515 :
名無しさん@3周年:04/05/17 11:11
S会の先輩からрェきていました。
もうすぐ降誕会みたいですね。
今年はいつなんですか?
>>497 親鸞聖人でさえ、方便を通らずして真実に入ることはできないのです。
真実に入ったとき、今までが方便であった、ということも同時にはっきりする。
18願に転入したとき、今まで19願、20願にとどまっていたことがはっきりします。
それが分からないのは、真実も分かっていない証拠です。
「真仮を知らざるによりて如来広大の恩徳を迷失す」(教行信証)
親鸞聖人がきっぱりとこう仰るのも当然です。
そもそも三願は、十方衆生を相手に建てられているのはご存知ないですか?
至心信楽欲生と
十方諸有をすすめてぞ
不思議の誓願あらわして
真実報土の因とする (18願)
至心発願欲生と
十方衆生を方便し
衆善の仮門をひらきてぞ
現其人前と願じける (19願)
至心回向欲生と
十方衆生を方便し
名号の真門ひらきてぞ
不果遂者と願じける (20願)
ひそかに観経(19願)の三心往生を按ずれば、これすなはち、諸機自力各別の
三心なり。大経(18願)の三信に帰せんがためなり(愚禿抄)
18願だけでいいのなら、初めから19願、20願を建てられるわけがありません。
十方衆生を救うのに必要だったから、建てられているのです。
また、親鸞聖人が教行信証を書かれたのは、全ての人に一味の幸福になって頂きたい、
という御心からです。その聖人が、「どのようにして救われたか」という非常に重要なところで、
個人特有の体験を書かれるはずがありません。全ての人に共通する書かれ方をされているのです。
>>498 19願と聖道門自力仏教をごっちゃにしないで下さい。
19願は観無量寿経の教えです。他力の中の自力です。
聖道仏教は法華経に代表される教えです。これは自力です。
この違いが分からないと言われるのでしたら、基礎知識が足りません。
>>501 >>493に書いたとおりです。
>>503 その通り、19願と20願は捨て物です。
しかし、持たないものは捨てられません。
やってなかったら抜け出せません。
>>504 漸機の人には、まず自力修行を勧める、などというのは浄土真宗ではありません。
>>505 修行の階梯?修行ではありませんよ・・・
心の道程です。
根拠は上の通り。必要ならもっと挙げます。
>>507 聞いたことありませんが。
十年以上前のことです。まだ高校生だったわたしは実家の自分の部屋でうた
た寝をしていました。すると金縛りが…。金縛り自体の科学的しくみは知って
いたので、「おおこれがあの有名な金縛りか…」と冷静でした。動かない姿勢
でいると部屋の入り口のドアが目に入りました。
そのドアは半開きになっており、しかもそこから人がこちらを見ているのです。
年をとった男の人で、引きつれたような満面の笑みを浮かべていました。身長
は50センチぐらい。これは人間ではないと気づいてぞっとしました。
しばらく目をつぶって金縛りが解けるのを待って、目を開けてみるとドアは元
のように閉まっていました。はっきり顔も覚えているので、今でも幻覚とは思
えません。
みなさん、GW はいかがでしたか?
今年は期間が長かったせいもあり、実は、私、まだお休みモード継続中です。
早く気持ちを切り替えてなくては! と思いますが、
過酷な通勤ラッシュを想像するだけで、仕事に行く気が失せてしまいます。
念のため確認しておきます。当方の主張は、
1.本会は、親鸞聖人のみ教えをそのまま伝える団体である。
2.浄土真宗は他力真実の18願の教えである。
3.19願(と20願)は方便願であり、信前の修善は、獲信の因縁になる。
※まず自力を勧める、というのは真実の教えではありません。
以上です。
523 :
503=504=505:04/05/17 12:40
>>519 では東条英機氏や、法然上人のご説法をきいて獲信した耳四郎は、十九願、二十願の修行を自覚的
に実行していたとでも?そして、そんなに三願転入のみ教えが重要ならば、蓮如上人も勧められて
おられることでしょうね。
よろしければ、蓮如上人による三願転入の教えをご指摘ください。
>漸機の人には、まず自力修行を勧める、などというのは浄土真宗ではありません。
では、漸機、頓機を問わずに、自力心を廃することを勧めるのが真宗ということで
オッケーでしょうか?。そして自力の諸善万行は往生のためには廃立されていて、
真宗では勧められていないということでよろしいですか?
>そもそも三願は、十方衆生を相手に建てられているのはご存知ないですか?
その通りで、ご本願も十九願も二十願も十方衆生相手に立てられています。
しかし、十九、二十願にはなぜ十八願のように抑止門がないのか、
あなたのご意見を教えてください。
繰り返しになりますが、信前のものが「三願転入」を信知することはできません。
信前には方便を方便ともわかりません。十方衆生が相手のご本願と知らせていただく
のは他力信心を頂いた一念であって、一念の仏智満入によって極重悪人のわが身を知らされ、
十方衆生相手のご本願であったことも、三願転入のみ教えも身を持って知らされるのです。
信前のものにおいて「信仰が進む」、とか「求道が進む」、と説く親鸞会は説いている
ようですが、その説き方は誤解を招く説き方でしょう。
真宗では0点か百点です。
他力信を獲ていなければ、信仰も求道も進んでおらず、0点です。
信そして、そのとき方では信前のものが信一念を未来に置いているように誤解する
可能性があります。
法は常に現在、目の前にあります(今現在説法「阿弥陀経」)。
すべて成就しているのです。
それをはねつけて、受け取らないから信が獲られないのだ、と聖人は仰せです。
524 :
503=504=505:04/05/17 12:40
>>519 >心の道程です。
信前のものに、十九、二十願を通って、十八願に転入しなさいに説くとか、
破邪顕正や財施が通らなければならない十九願のように指導するのは
浄土真宗ではないと思いますが・・。
あくまでも、ただちに雑行を捨てて、信をいただきなさい、
という説き方でなければなりません。
信前の者にとって、修善は獲信の障害どころか、獲信の因縁になります。
根拠を以下に示しておきます。
臨終現前の願により(19願)
釈迦は諸善をことごとく
観経一部にあらわして
定散諸機をすすめけり
諸善万行ことごとく
至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の
善とならぬはなかりけり (浄土和讃)
これでも、19願の諸善を勧めるのは間違いだと言われますか?
19願が要門だと言われるのもご存知でしょう?重要な門、必要な門、
自力から他力に入るには要ず通らねばならぬ門、ということです。
善の勧めが獲信の障害になるのなら、
定散二善、諸善万行を勧められた釈尊も障害になりますね。
「往生浄土の方便の善とならぬはなかりけり」と教えられた
親鸞聖人も障害になってしまいますよ。
結局、無信心で真仮の区別がつかないから、おかしなことを言ってしまうのです。
これを機会に、親鸞聖人のみ教えには、信前の者に対して善の勧めがある、
と言うことを知ってください。
>>521 さて今回、そんな情けない私も、通勤ラッシュが楽しくなるIT機器を
レッスンのテーマにしました。ビジネスに役立つ情報満載のAMラジオ、
長時間のテレビ番組視聴もお手の物の携帯機器などなど、
コンパクトなツールを使って、効果的な情報収集が可能になっています。
新聞を広げる姿という、通勤電車の中のおなじみの光景も、
過去のものとなるかもしれませんね。
527 :
名無しさん@3周年:04/05/17 13:03
18願の世界に入ったひとにも「善にむかいなさい、
悪にほこってはいけません」と教えられています。
信前のひとには教えられていないのでしょうか?
「悪にほこるものは仏教徒ではない」とも教えられています。
悪がさわりにならないのに善がさわりになるという方が
おられるようですね。
>では東条英機氏や、法然上人のご説法をきいて獲信した耳四郎は、十九願、二十願の修行を自覚的
>に実行していたとでも?
自覚的かどうかは知りませんよ。しかし心の道程は同じです。
>よろしければ、蓮如上人による三願転入の教えをご指摘ください
雑行(19願の行)雑修(20願の行)自力の心をふりすてよ、です。
>では、漸機、頓機を問わずに、自力心を廃することを勧めるのが真宗ということで
>オッケーでしょうか?。そして自力の諸善万行は往生のためには廃立されていて、
>真宗では勧められていないということでよろしいですか?
上記参照です。
>その通りで、ご本願も十九願も二十願も十方衆生相手に立てられています。
>しかし、十九、二十願にはなぜ十八願のように抑止門がないのか、
>あなたのご意見を教えてください。
すいませんが抑止門とは何ですか。
>一念の仏智満入によって極重悪人のわが身を知らされ、
>十方衆生相手のご本願であったことも、三願転入のみ教えも身を持って知らされるのです。
これは全くその通りですね。
>信前のものにおいて「信仰が進む」、とか「求道が進む」、と説く親鸞会は説いている
>ようですが、その説き方は誤解を招く説き方でしょう。
>真宗では0点か百点です。
>他力信を獲ていなければ、信仰も求道も進んでおらず、0点です。
自力はどこまでいっても自力で、0点のままです。しかし、仏縁は厚くなります。
弥陀の調熟の光明によって育てられるのです。信前には分かりませんが、
一念で、全て弥陀のお手回しであった、とはっきり知らされます。
>信前のものに、十九、二十願を通って、十八願に転入しなさいに説くとか、
>破邪顕正や財施が通らなければならない十九願のように指導するのは
>浄土真宗ではないと思いますが・・。
>あくまでも、ただちに雑行を捨てて、信をいただきなさい、
>という説き方でなければなりません。
19願は要門と言われています。通らなければ18願には入れません。
>>518 >19願と聖道門自力仏教をごっちゃにしないで下さい。
ごっちゃにしてましたね、申し訳ない。
┏聖道門(仮) ←親鸞聖人の比叡山時代
一代仏教┫
┗浄土門┳ 十九願定散自力(仮)
┣ 二十願自力念仏(仮)
┗ 十八願他力念仏(真)
図式するとこうなるのかな。これだと益々解らなくなるのが、親鸞聖人が
比叡山を降りられてから法然上人のもとに行って「本願に帰す」まで、どこで
十九願・二十願の行を修されたかということになりますが、ハッキリと方便を
通らねば真の他力に到達できないと言い切れるのでしたら、聖人がどこで
十九・二十の自力行を修めて、そして捨てるに至ったのかを説明してください。
>>530 図式するとそうなります。
捨てるに至ったのは無論選択の願海に転入した一念です。
そこまでは、19願、20願の行者であられました。
ちなみに19願から20願へは、廻入といって、いつとはなし、と入るものです。
18願に入るとき(転入)のように、はっきり区別がつくものではありません。
532 :
503=504=505:04/05/17 14:49 ID:GvJHxC8p
>>525 >これでも、19願の諸善を勧めるのは間違いだと言われますか?
間違いではないでしょうが、十九願を修して往生を勧めるのは横出の法門になりますね。
挙げられたご和讃も、信前のものに対して十九願を修しなさい、という意味にはなりません。
真宗の説き方は、十九願の法門に入れ、ではなくて「直ちに十八願の願海に入れ」です。
対機は十九願も二十願の行者も関係ありませんし、信前のものが知る必要も能力もありません。
あくまでも凡夫直入です。今、只今です。
>雑行(19願の行)雑修(20願の行)自力の心をふりすてよ、です。
十九願、二十願の信仰を捨てて、現在ただいま、ただちに
弥陀の願海に帰しなさい、ということですね。
これから十九願を修しなさい、は浄土真宗の化風としては誤り、ということですね。
>すいませんが抑止門とは何ですか。
唯除五逆誹謗正法のことです。
533 :
503=504=505:04/05/17 14:50 ID:GvJHxC8p
>19願が要門だと言われるのもご存知でしょう?重要な門、必要な門、
自力から他力に入るには要ず通らねばならぬ門、ということです。
ジャンヌから引用:
要門の「要」は必要の義と解釈する説はどなたのお説ですか?
真宗相伝の説ではないようですが・・。「要」は、観無量寿経において
そのとき阿難、すなはち座より起ち、前みて仏にまうしてまうさく、
「世尊、まさにいかんがこの経を名づくべき。この法の要をば、まさにいかんが
受持すべき」と。
における「要」から名づけられているというのが通説ですね。
これを受けて釈尊は、
「汝、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を
持てとなり。」
と、いままで説かれた定散二善の「要門の法門」を捨てられて、弥陀の名号法のみを
付属されたのですね。ですから、要は「かなめ」という意味はあっても、「必要」と
いう意味にはとれないのは自明です。
もし「必要」という意味でお考えでしたら、そのお聖教上の根拠をご提示ください。
ついでながら、祖師が化身土巻に引用しておられる善導大師のご文「まず要行をもと
めて真門に入れ」(般舟讃)における「要行」に関しても、「一代諸教の要行(かなめの行)
である、念仏の一道」という解釈が通説ですね。このご文における「要」も、「必要」という
意味にはならないことは明白です。 以上。
534 :
503=504=505:04/05/17 14:57 ID:GvJHxC8p
>>529 >19願は要門と言われています。通らなければ18願には入れません。
これから要門を通りなさい、そうすれば信心は獲られる、と指導するのは
真宗ではありません。
「要門を通らなければ、信心を獲られなかった」、と信知するのは
あくまでも信一念後のことです。
信前のものにはとて、自分の信仰が要門なのか真門なのかは決して信知できません。
535 :
110:04/05/17 15:02 ID:SHW2lfjE
>挙げられたご和讃も、信前のものに対して十九願を修しなさい、という意味にはなりません。
じゃあどういう意味なんですか。私にはそうは見えませんよ。
あなたは、この御文を見たうえで、信前の者には善が勧められていない、と主張するのですか?
536 :
110:04/05/17 15:09 ID:SHW2lfjE
イエスかノーで答えて下さい。
結局何を主張されたいのか分からないのです。
537 :
503=504=505:04/05/17 15:11 ID:GvJHxC8p
>>535 >じゃあどういう意味なんですか。
前半は、定散諸機を十八願に誘引したご和讃です。
定散諸機とは、般若に基づく諸善を実行できる機のことですよ。
あなたは定散諸機なのでしょうか?
後半は、「なかりけり」で明白なように信一念で名号法を頂き、
法蔵菩薩がわたしひとりのために兆歳永劫の修行によって
積んでくださり、回向せられた諸善を嘆じたものですね。
>信前の者には善が勧められていない
往生のためには自力の諸善は廃される、とおしえられるのが真宗の教えです。
<他人の自慢にムカつき、やがてへこむ>!!
539 :
503=504=505:04/05/17 15:13 ID:GvJHxC8p
>>536 >イエスかノーで答えて下さい。
あなたの文章は完全ではないと思いますので上記のようにお答えしました。
540 :
503=504=505:04/05/17 15:17 ID:GvJHxC8p
>>525 要門の「要」は必要の義と解釈する説はどなたのお説ですか?
お答えいただきますか?
要門の要は必要の要、出ましたね。
漢字源では「要」の語義として、
@こし(=腰) Aかなめ B物事を締めくくる C前文を締めくくってまとめる言葉(要するに、等) Dもとめる、締め付けてしぼり出す
Eまつ・しむける F必要とする。なくてはならない G・・・しようとする Hもし・・・ならば
とあります。
これだけの意味を持つのに、どうしてFでしかありえないと言えるのですか?一番しっくり来るから?
それならこちらも一番しっくり来る意味としてDを提示させていただきますが。
「弥陀の呼びかけにそのまま答えることが出来ず、自らが弥陀の浄土をもとめていく、その自力疑心こそ要門である」と。
「要=必要」に直結するのならば、「真」の字を使った「真門」はどのような法門なのか気になります。
542 :
110:04/05/17 15:34 ID:Vl8XBKaU
>>539 信前の人は積極的に善をしたらいいのか、むしろ弊害になるのか、どちらかと聞いているのです。
どこが不完全ですか?
543 :
503=504=505:04/05/17 16:08 ID:GvJHxC8p
>>542 >信前の人は積極的に善をしたらいいのか、むしろ弊害になるのか、
どちらかと聞いているのです。
「信前の人は」とひとくくりにしているようですが、真宗の対機とは、法然上人が
「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を
閣(さしお)きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行の
なかに、しばらくもろもろの雑行を抛(なげう)ちて、選んで正行に帰すべし。
正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍(かたわ)らにして、
選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。
称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」
行文類二 大行釈 『撰択本願念仏集』源空集 引文 三選の文
と仰せのように「それすみやかに生死を離れんと欲」う者であります。
このような対機に対して、真宗において往生のために自力の諸善を積みなさい、
とは教えられていません。仏法には明日ということがないのです。
あなたはいままさに死なんとしている人に、諸善をしなさい、
と説くのが真宗だとでもいうのですか?
信前のひとに積極的に諸善を勧めること自体は弊害にはならないでしょう。
それも立派な浄土門の仏教の説き方だと思いますよ。
ただし、真宗の説き方ではなくて横出の説き方ですね。
しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆえに。散心行じがたし、
廃悪修善のゆえに。ここをもって立相住心なお成じがたきがゆえに、
「たとい千年の寿を尽くすとも法眼未だかつて開けず」(定善義・華座観)と
言えり。(方便化身土巻)
親鸞聖人は、常没の凡愚に対して往生のために廃悪修善=散善を勧められておられ
ますか?お答えください。
544 :
229:04/05/17 17:03 ID:GFCGk0/J
さすが、ジャンヌのプロは違うなw
臨終間際、今にも息が切れそうな人に諸善をすすめて、
諸善をしなければ真実に入れない、というのが親鸞会。
吸った息が吐けないときが無常ということが「本当に」わかっていれば
110氏も私も、すべての人が臨終間際の人と同等であるのに
そんな人に諸善を勧めるのがおかしいってのは法句を持ち出さずとも
少し考えればわかりそうなもんだが、どうだろう。
親鸞会の手垢が付いていない真宗聖典を原文のまま読んでも
自力を捨ててすみやかに本願に帰せと書いてある箇所ばかり。
枚挙にいとまがないくらいあるのだが。
545 :
110:04/05/17 17:28 ID:Vl8XBKaU
重大な問題ですね。
徹底的に明らかにしましょう。
546 :
110:04/05/17 18:28 ID:SHW2lfjE
>>505 始めに聞いておきたいのですが、あなたはどういう人でしょうか。
元会員でジャンヌの常連、でいいのでしょうか。
聞法歴と教学研鑽の方法をお尋ねしたいので。
私は現会員です。聞法歴としてはまだ数年ですが。
前から思ってたんですが、どうしてその「どういう人なのか」というのを気にするんでしょうか。
これは素朴な疑問。別に他意はないです。
飲酒をなかったことに!?
>>460 >これを善導大師は
いま仕事から帰りました。食事までの待ち時間利用して少し。
善導大師の「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」(『散善義』)
の御文を親鸞聖人は『信文類』や『愚禿鈔』で「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、
内に虚仮を懐ければなり。」と読み替えられて、善導大師の表面上は未だ自力の臭みの残る
御文の隠された絶対他力の御真意をあきらかにされたのは御存知だと思います。真宗では、
当然にその親鸞聖人を通して善導大師の釈を読み解くべきでしょう。そうでなければ、善導
大師は、未だ浄土仮門の分際にして親鸞聖人とは宗旨を異にするということになってしまいます。
>もしかして三願転入に異論はないんですか?
『安楽集』の御文に「十念成就するものはみな過因ありて虚しからず。」とありますように、
三願転入は三世に亘るものであり、過去世に仏縁に恵まれて仏道修行、修諸善根の御縁に恵まれ
た因縁を言われているわけで今世の人界受生も五戒を持った果報ですよね。まして仏縁に恵まれ、
善知識と出逢い、十念成就(信決定)できたのは三世に亘る御育ての御蔭です。宗学上は、三世
においても「直入の機」を認める説もあるようです。ですから真宗の教えは「今」十八願に入る
ことを教えるもので今から「三願転入せよ」の教えではありません。もちろん、過去世の自力修行
というのは、当相は自力であってもその体は阿弥陀様の他力廻向に他ならないことは言うまでもな
いと思います。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>541 要門
一多証文
>おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。
>これを要門といふ。これを仮門となづけたり。
>この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。
>定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。
>これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。
>この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、
>本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、
>よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。
浄土真宗聖典の用語解説から
>◎ようもん【要門】[1]浄土要門。弘願、すなわち第十八願に転じ入る肝要な門戸の意。
>第十九願を開説した『観経』に説かれている定散二善の諸行の法門をいう。
>[2]浄土に往生する肝要の法門。
だそうだ
ただ、これらはあくまでも修善によって往生できると信じる自力門の凡愚を
他力信心へ導く為の方便として語られた、と、されているのであって、
親鸞聖人によって真門を示された者に必要なのかどうかは疑問。
>>531 >ちなみに19願から20願へは、廻入といって、いつとはなし、と入るものです。
>18願に入るとき(転入)のように、はっきり区別がつくものではありません。
「ここをもって愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく
万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に廻入
して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出
でて、選択の願海に 転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生
を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。ここに久しく
願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をひろ
うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、ことにこれを
頂戴するなり。」(『化身土文類』)
横レススマソ。
廻入と転入を強いて分別する説は、宗義学的にはないと聞きますが、そこらあたり
は私は不勉強で知りません。歴史学者の古田武彦先生は確か両者を分別なさってま
す。いずれにせよ、十九願を出て二十願の入るには、論主・宗師(善知識)の御化導に
よるわけですから、はっきり区別がつかないということはないでしょう。強いて廻
入と転入の性格の違いを分別するなら十八願への転入はは善知識ではなく阿弥陀様
の果遂の誓の用であるとして善知識だのみを廃せられたとも御味わいできますね。
十九願への?入(聖道門への入門)には、善知識の御化導も阿弥陀様の用も説かれ
てないわけです。真宗の教えというのは、十九願への入門を勧めるものでないこと
はあきらかだと思います。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>550 あらら、こちらがの得手勝手な解釈でしたか。それは改めなければなりませんね。ありがとうございます。
肝要という言葉を調べたら、非常に大切なところ、とありました。そうですね、大切なところだと思います。
「必要」ではないという解釈なのには変わりはないですけど・・・。
553 :
名無しさん@3周年:04/05/17 19:39 ID:ICL8/A8a
でたでた。
元Sと暴なんとか。ジャンヌがひまなのでこっちへきたか。
554 :
110:04/05/17 19:57 ID:SHW2lfjE
>>547 皆さんから見ると私は一会員ということで明らかでしょう。
たいていは退会者でしょうから、本会について大体のことはわかります。
しかし、私から見ると、誰が何者なのかぜんぜん分からないのです。
だから情報収集のためです。法論の参考にするのと、どういう勢力?があるのか知りたいので。
>>553 どんな人?
555 :
110:04/05/17 20:03 ID:SHW2lfjE
ジャンヌ系の人に聞きたいんですが、善の勧めについては、
往生にとっても求道上も「必要ではない」というのが本流なんですか?
556 :
110:04/05/17 20:13 ID:SHW2lfjE
それと、229氏が言ってましたが、「親鸞会は獲信者が出ていない」
というのがジャンヌ的には主流なんですか?
557 :
名無しさん@3周年:04/05/17 20:21 ID:ICL8/A8a
「要」っていう漢字。
人体の腰を締め付けている象形文字ですね。
そこからたいせつなポイントという意味が出てくるんです。
締め付ける、という意味と一緒に「まとめる」というのも
あると思いますが、要約は「かなめに約する」ということ。
必要無いかなめって何なんでしょう?
本人が必要と思うから要求するのであって
必要でないのに要求するってどういうことなんでしょうかね。
字源もってるのに意味がわからんとはね。
真門は真実の実をはぶかれて、真門というのはみな知っていること。
あいかわらずやなあ。
558 :
110:04/05/17 20:22 ID:SHW2lfjE
>>544 これは致命的なところなので確認しておきます。
親鸞会は、「善をしなければ真実に入れない」と言っているのではなく、
「真実に入るには方便が必要で、その方便として善が勧められている」
と言っています。二つを混同したらいけませんよ。
またごちゃごちゃ書いてるな。
読む気もせんわ。
560 :
名無しさん@3周年:04/05/17 20:31 ID:ICL8/A8a
>十九願への入門を勧めるものでないこと
はあきらかだと思います。
十八願にむかってすすんでいる信前の者に
十九願と二十願の心相があるんです。
信前はない、っていうことなら
「生まれた時から救われている」ってやつでしょうか?
「他のひとのことは知らない」っていうひとはひっこんでください。
561 :
名無しさん@3周年:04/05/17 20:39 ID:ICL8/A8a
>修善によって往生できると信じる自力門の凡愚を.
信前で「修善によって往生できると信じ」てないひとって誰?
自力というのは「我が身を繕って(善をして)往生しようとするこころ」
のことだよ。
>>557 541を読んでそう思われるのならどうぞ。
どうぞ、死の間際の人にも自力諸善を勧めてあげてください。必要だから、と。
563 :
名無しさん@3周年:04/05/17 21:05 ID:ICL8/A8a
>>562 はあ。当然「聞きなさい」とお話しますが、何か?
信前の聞法は自力ではないとでも?
あるいは聞法は善ではないと?
564 :
うそつきやなあ:04/05/17 21:24 ID:ICL8/A8a
>>504 >以前、ジャンヌのちび丸氏は
「親鸞聖人は頓機ですよ」といって
大半の人々である漸機の衆生は、まず自力修行を勧められている
と主張していました。
457 名前: ひさしぶり10 投稿日: 02/10/29 22:25
>信心獲得すれば(過去世の宿縁があつい
頓機のかたを除いて)大抵は
要門を通ったことを知らされるでしょう。
(上は元Sの発言、以下ひさしぶり)
頓機は過去世にも、要門を通ったことを知らされない
、ということでしょうか。根拠をあげてください。
親鸞聖人は要門を通ったと仰せです。
聖人は、頓機ですよ。
ひさしぶりの発言だし、「聖人は頓機だけど要門を通ったと仰っている」と
いう発言じゃないか。ジャンヌの常連はどうどうと嘘つくなあ。
恥知らずやなあ。
>>560 >信前はない、っていうことなら
信前はないなんて言ってないんですが。
>十九願と二十願の心相があるんです。
末法凡夫は、十九願と二十願と機教相応しませんし、定散諸機のような上機じゃ
ないですから正確には、十九願二十願もどきの自力執心があるということでしょう。
その「雑行、雑修、自力の心」を「今すぐに捨てる」ことを勧めるのが真宗の教え
です。
>>563 横レススマソです。
>信前の聞法は自力ではないとでも?
>あるいは聞法は善ではないと?
勧められている「聞法」は他力の聞法です。
>>480で110さんもおっしゃってる通り
「南無とは帰命」の南無の機(信じる心=聞く心)は阿弥陀様から賜る「真実の心」で
あって煩悩成就の機ではありません。自力の聞法をいくら重ねたとて、本当には聞法して
ないわけですから(悪人にはもとより仏法を聞く心などないから)、仏願を聞かせていた
だかない限り、「仏智疑惑の罪」になるばかりでとても善などではりません。
>>566 善などではりません
訂正
善などではありません。
568 :
110:04/05/17 22:11 ID:Vl8XBKaU
>>564 嘘だったんですか?ジャンヌ派も反論なし?
教義をねじ曲げるのがどれくらい恐ろしい罪だと思っているんですか?
569 :
503=504=505:04/05/17 22:14 ID:GvJHxC8p
>>564 ここは、「なかよく語ろう」スレですよ、
チビ丸さんことひさしぶりさんこと、でぶちんさんこと、赤目犬さんこと、
はははのはさんこと、うそつきやなあさん。
あなたの書き込みはあなたが思っておられる以上に癖があって、すぐにわかるのですよ。
会員のかたもこういう他人をすぐに見下す発言をするかたには率直に注意された
ほうがいいとおもうのですけどね・・。会の評判を落としますよ・・。
この人は恣意的に他人の発言の言葉尻をとらえて恥知らず扱いするのがお得意なようですからね。
>以前、ジャンヌのちび丸氏は
「親鸞聖人は頓機ですよ」といって
大半の人々である漸機の衆生は、まず自力修行を勧められている
と主張していました。
1)ちび丸氏=ひさしぶり氏であることは自明だとおもっていたのですがねえ。OK?
2)「親鸞聖人は頓機ですよ」そのようにあなたは仰ってますね。OK?
3)大半の人々である漸機の衆生は、まず自力修行を勧められている←ここには「」が
ついていないことにご注目ください。私はちび丸氏=ひさしぶり氏が「」内と仰って、
漸機の衆生が自力修行を勧められているという趣旨のことを言っている、という意味で
書いたのですが、なにか問題があるんでしょうか?OK?
570 :
503=504=505:04/05/17 22:19 ID:GvJHxC8p
>>568 私は二十年以上前に会員だったもので、たしかにジャンヌに時々書き込んでいますが
常連という意識はあまりないですね。
チビ丸=ひさしぶりさんは、よく「ジャンヌにかきこんでいる連中は大乗非仏説」
とか恣意的に事実でないことを書き込みしておられますが、私は大乗仏説とみなすもの
です。「ジャンヌによく書き込んでいる人々の見解は全く同じ」とみなすことは正しくない
と思います。
あなたこそ、そろそろ質問に答えていただけますか?
571 :
503=504=505:04/05/17 22:29 ID:GvJHxC8p
>>568 >教義をねじ曲げるのがどれくらい恐ろしい罪だと思っているんですか?
だれが、いつ、どのように教義をねじまげたのですか?
具体的に説明してください。
あなたは論理的にお話しできるかただと思っていましたが、
もう、こんな脅し文句ですか?ちょっと失望しましたね・・。
あなたこそ、そろそろ質問に答えていただけますか?
572 :
110:04/05/17 23:04 ID:/ivHU14u
>>569 今家に帰ってきたところです。少々お待ちくださいね。
あなたの人格に疑いが出てきたので、ちょっとジャンヌとやらを覗いてきます。
573 :
名無しさん@3周年:04/05/17 23:11 ID:nCaLoeFP
>>572 >あなたの人格に疑いが出てきたので
間違っても、こういう発言は慎んだ方が良いかと。
2004年3月期決算では明暗を分けたドコモとKDDI。第3世代で先行したKDDIは好調、
一方で出遅れたドコモは今後の巻き返しが期待される、と短期的な評価が定着したよ
うだが、実はその裏で勢力地図が激変するような「乱世」の足音が聞えつつある。そ
れは携帯電話のビジネスモデルの大きな変化だと考える。携帯電話を取り巻く変化を
みながら近未来図を考えてみた。【中村 哲也】
■■番号ポータビリティー制度
日本の携帯電話各社のビジネスモデルは、「端末メーカーから仕入れた端末を値引
きして販売、1台当たり数万円の初期コストを毎月数千円の利用料収入によって数ヶ
月かけて回収する」というもの。つまり、新規ユーザー獲得の為には3万円も4万円も
値引きされて販売されるのが当たり前となっている。しかし、これは契約する携帯電
話会社を変えれば番号が変わってしまう、という現行制度の上で成り立つビジネスモ
デルだ。
しかし、番号ポータビリティー(契約会社が変わっても個人の電話番号が変化しな
い)制度の導入で事情が変わる可能性が大きい。これは利用料金低価格化や魅力的な
新サービスなどが始まれば、すぐに別の携帯電話会社に乗り換えられるということに
なり、契約者の流動性が高まることを意味する。
すると「大幅値引きをして新規加入者を獲得し長期に渡って囲い込んで収入を得る
」という図式が成り立たなくなる。すでに制度が導入された欧米諸国では大幅値引き
のインセンティブはほとんどない。日本でも2006年を目標に番号ポータビリティー制
度導入の準備が着々と進んでいるのだ。
■■海外端末メーカーの日本上陸
さらに番号ポータビリティー導入以上に、業界関係者が戦々恐々としているのは海
外端末メーカーの日本上陸、つまり「黒船の襲来」である。たとえばドコモ向けに端
末を納入する大手メーカーがある日突然、KDDI向けに高機能機種を販売開始すること
はなかった。その逆もしかりであった。しかし、そうした電話会社と端末メーカーの
蜜月関係も終わりそうな気配だ。
すでにドコモでは第3世代携帯電話の廉価版機種の調達先にNokiaを加えている。日
本では、携帯電話会社と端末メーカーとの関係があたかも計画経済のごとく固定的で
あったが常識が崩れる日が来るかもしれないのだ。
最近はランチメニューにビールがあるお店が多くて、キケンな誘惑!もちろん
飲んでませんよ!昼間からそんな…でも、晴れた日には思わず!なんちて…。
578 :
503=504=505:04/05/17 23:20 ID:GvJHxC8p
>>564 まあ、せかす気は全くありませんので、気にさわったのでしたら
ご容赦下さい。
私も仕事の都合上、書き込み時間は非常に不規則ですので
すぐにお返事できないことがあります。
ただ、あなたは「教義をねじ曲げる」と仰いました。
そしてうそやなあさんは、私の発言がウソであり、
恥知らず、と仰いました。そのうそやなあさんの発言と
「教義をねじ曲げる」ことを、あなたが恣意的に結びつけているような
気がしたから571のような発言になったのです。
>>564 うそやなあさん、あなたはちび丸さんで、かつひさしぶりさんで、
かつ話題提供さんでしょう?違いますか?
違うのならちがうとおっしゃって頂けますか?
579 :
503=504=505:04/05/17 23:26 ID:GvJHxC8p
>>564 訂正
>>569 において
>2)「親鸞聖人は頓機ですよ」そのようにあなたは仰ってますね。OK?
の「あなた」とはひさしぶりさん=ちび丸さんを想定しています。110さんの
ことではありません。
失礼いたしました。
580 :
名無しさん@3周年:04/05/17 23:26 ID:lZtqWR2L
>>569 >>以前、ジャンヌのちび丸氏は
「親鸞聖人は頓機ですよ」といって
大半の人々である漸機の衆生は、まず自力修行を勧められている
と主張していました。
結局、この発言はどこにあるんですか?ない、ということみたいですね。
やっぱり単にうそつきということで一件落着。
ジャンヌの常連が過去にどんな発言をしているのか
知っておくのも悪くないかもしれません。
順次あげてみましょう。
581 :
503=504=505:04/05/17 23:29 ID:GvJHxC8p
>>580 >結局、この発言はどこにあるんですか?ない、ということみたいですね。
やっぱり単にうそつきということで一件落着。
勝手に一件落着にしないで下さい。
あなたは
>>569を読まれたのですか?
582 :
名無しさん@3周年:04/05/17 23:38 ID:lZtqWR2L
とりあえず過去ログで見られるものなど。
元Sの発言。「聴聞の内容はすっかり忘れてしまいましたが、人の聴聞ノートを
見て批判をかきました」という趣旨の発言。
「>「阿弥陀仏に向かってする善を、こころがけのよい善だと教えている」
と聞き間違えるはずのない聞き間違いをしている。
この発言は覚えていますよ。下に挙げた会長さんの聴聞録
(これについては当時の渡海さんのHPの内容を参考にさせて
いただきました。渡海さん、この場をお借りしてお礼申し上げます。)
で、「後生の一大事解決するための正しい行い、いい行ない」と会長さんが
おっしゃっているようでしたから生じた誤解でしたね。
すでに訂正済みであることは、まだご存知ではなかったのでしょうか。」
583 :
503=504=505:04/05/17 23:45 ID:GvJHxC8p
>>582 また始まったか・・という感じですね。
議論をうやむやにする意図でしょうか?
本当に懲りない方ですね。
他のかたがたに提案します。
こういう荒らし的なかたは無視されて議論を続けてほうがいいかもしれませんよ。
すくなくとも
>>582 の書き込み主がおそらくちび丸さんであろうことは110さんにも
おわかりではないかと思いますが、いかがでしょうか?
584 :
名無しさん@3周年:04/05/17 23:47 ID:lZtqWR2L
>>581 あ、ほんとだ。なかよく語ろう、ですね。
止めときますわ。さよなら。
586 :
507:04/05/18 00:10 ID:l1ZP8FZw
>>519 >聞いたことありませんが。
K2−(7) 過去世や未来世は、本当にあるのか
問:
仏教では私達一人一人に過去世や未来世があると教えられますが、
どうも私には理解できません。納得できるような説明をきかせて下さい。
答:
仰る通り仏教では私達一人一人に、悠久の過去世と未来世があると教えられています。
いわゆる三世を貫く永遠の生命があると教えられています。
イギリスのベンサムという人は、四歳の時にラテン語やギリシャ語を、よみ書きが
できたと言われています。
あの有名なドイツの作曲家ベートーヴェンは、七歳で公開演奏をしています。
又、オーストラリアのモーツァルトは四歳で作曲し、フランスの思想家
ヴォルテールは三歳でフォンテーンの寓話を読んでいます。
イギリスの文学者スチュアート・ミルは三歳でギリシャ語を読み、六歳の時には
ローマの歴史を書いています。
又、バビントン・マコーレは、六歳のときに世界歴史の概要を書き世人を驚かせました。
しかもこれらの人たちは殆ど無学な両親から生まれていますが、若し過去世を
認めないとしますと、これらの事実をどう説明できるのでしょうか。
世間では人間の行動を大脳の働きのみに帰結して、割り切って物事を考える人が
ありますが、そんな人は五体が健全で各器官の働きが正常単調な為に、その裏側にある
自意識を超えた働きを、のぞきみるチャンスがないからです。器官の働きを支える
背景にまで思いが回らないのです。
今日の心理学で言う深層心理の深層が分からないからです。
人間が若し自意識の統制のうちにのみ、生きていると思っているとしたら、
とんだ無知と言わねばなりません。
その普通、気のつかない心の深層に開眼することが、仏法を求め絶対の幸福を獲得するには
是非必要なことがらですから、深く生命の実相を学び凝視して下さい。(全文)
横から一言言わせて下さい。議論の邪魔するつもりはありませんが、看過できません。
>>531 > ちなみに19願から20願へは、廻入といって、いつとはなし、と入るものです。
> 18願に入るとき(転入)のように、はっきり区別がつくものではありません。
これは完全な間違いと確信します。
定散自力の称名は 果遂のちかいに帰してこそ おしえざれども自然に 真如
の門に転入する
20願から18願への転換こそ行者の意識の及ばないところで生じます。
ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の
仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往
生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに
難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな。
「双樹林下の往生を離る」とあるように、19願を離れて20願へは、自覚的に展開します。
「愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。」この本願は二十願
です。二十願には自覚的に進んでいます。しかし、二十願から十八願は自覚の範囲を超え
ています。
「方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり」とは、真の門を通過したということです。
真門を通過しても、難思往生の心(二十願)を離れて、難思議往生(十八願)を遂げんと欲う。
遂げんと欲うとは、完了形ではありません。未来形です。建仁辛の酉の暦に自覚的に十
九願から二十願に入ったが、二十願から十八願の世界に入ったという自覚的な意識は、宗
祖にはないということです。
真門(二十願)から、真如の門(十八願)は、自覚の範囲を超えて進行します。「果遂
の誓い(二十願)、良に由あるかなとはそういうことです」。
計らいを捨てるとは、十九願のとらわれを捨てて二十願に意識的に入るということです。
588 :
110:04/05/18 00:16 ID:mEwishOY
ジャンヌ見て来ました。見事に議論は平行線ですね。恐るべき平行線。
>>505 議論相手が否定していることを、「主張している」と書くのは嘘だと思います。
しかもチビ丸さんという人は会員だということになっていますよね。
会員がそんなことを言っていたと言えば、本会でそのように言っていると
とられてしまいます。これは十分教義を捻じ曲げることになります。
震えるほどの怒りを感じました。
言ってもいないことを「言っていた!」と言って非難するようなことをされたら、
議論なんてとてもできません。最早揚げ足取りの次元じゃないですよね。
まともな論客がすることではありません。
議論の場にそんなことは持ち込まないで下さい。
まぁ匿名掲示板なんて議論の場じゃねぇという向きもあるようですが。
あなたとチビ丸氏が犬猿の仲だということはよく分かりました。
(ところでチビ丸さんって本当に会員なんですかね。)
頭も冷えましたので、質問については、順次答えていきたいと思います。
589 :
110:04/05/18 00:25 ID:mEwishOY
>>586 あ、なるほど、それはありますね。失礼しました。
590 :
名無しさん@3周年:04/05/18 00:33 ID:zmstu8Xb
名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/12 19:24
>>568 生は生。老は老。病は病。死は死。苦は苦でしかない。死は厳粛に、老は老として、
病は病として、生は生として受け止めていく。信心しかありません信心しか・・・
信心しかありません。努力は自力ですよ。向上も自力です。責任感も自力です。努力とか向
上というのは他力ではないんです。自力はいけません。人間はただ夢幻のあひだのことなり、
後生こそまことに永生の楽果なり。信心が大事です。信心、信心で、ボーとしていれば、必ず
ものごとは行き詰まるでしょう。
厳粛に行きましょう。それでいいんです。厳粛に行きましょう。行き詰まれば、それを厳粛
に受け止めていく。悪いことはしてもいいんですよ。それは他力ですからね。しかし努力はし
ない。向上もしない。それが他力です。そうすればやがて行き詰まる。死に神様が貴方をお迎
えに来てくれるでしょう。
さあ、娑婆の縁が尽きた方は、縁が尽きた順に死に神様の天国に行きましょう。南無死に神
様、南無死に神様(by 栗花)
>>569 >親鸞って馬鹿でしょ。
親鸞は、馬鹿じゃありませんよ。親鸞は、窮地を切り抜けるための自律訓練法を提案してい
るんです。自律訓練法は自力だと言ってボーズは反対する。自力と他力の本質を知らないボー
ズが馬鹿なんですよ。(笑)
親鸞が実益性の無いことを推奨している。坊さんはそう信じています。馬鹿ですね。親鸞が
実益性の無いことを推奨すると思いますか?。
旅先で親鸞が1,2泊した宿が、その後、数百年もずっと寺になっている例があります。親鸞
は、1日2日で自分の信心を伝え、相手を納得させているんです。実益性のないことを言って、
相手が1日2日で納得しますか?。相手は納得してるんですね。これでわかるでしょう。信心な
んてものは、1日2日で伝えられる内容なんです。要するに親鸞は、自律訓練法を教えてるんで
す。簡単な自律訓練法なら、1日2日で教えられますからね。相手はそれに感動したんでしょう。
宿泊先の亭主は「ああそうか、自分が知りたかったのは、窮地を切り抜けるためのこういう自律
訓練法だったんだ」と気がついたんです。
591 :
名無しさん@3周年:04/05/18 00:36 ID:zmstu8Xb
名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/05/04 00:01
923 名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/03 23:44
>>877 >架空ではないだろ?
架空でなかったら何なんだい?。架空と言っても、原型はあるんだよ。原型はもちろん釈迦だ
よ。原型は釈迦でも、阿弥陀が架空ということには変わりがない。
あんたらは、犬に吉備団子を与え、日本一の旗を掲げて鬼退治した桃太郎を、実話と思うか。
架空と思うか?。
阿弥陀仏が架空でなかったら何なのか。答えが出るまで、おぬし、豆腐の角に頭を休めて、坊
主を名乗るのを辞めとくといいi。
名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/06 20:33
>>354 >南無阿弥陀仏といへる行体は、すなはちわれらが浄土に往生すべきことわりを、
この六字にあらはしたまへる御すがたなり
我々には霊魂がある。死んだら霊魂は冥界に行く。冥界には王様がいる。王様
は、存在を信じてくれた人だけ、自分の冥界に引き入れてくれる。冥界の王様を
信じると、あ〜ら、不思議とばかりに、体から霊波が出て、あの世に一瞬で届く。
死ぬまで信じ固めていくと、冥界の王様を信じた霊波で、王様の世界に引き入れ
られ、霊魂は清められる。ああ、ありがたい。ありがたい。
冥界には王様がいないという人が一人でもいると、今度は、その全員が冥界に
入れなくなる。連帯責任だ。だから、みんな信じないといけない。王様の実在を
信じ固め、死んだら王様の冥界に行きましょう。
栗花さん。あなたが言いたいことはそういうことなんだろう?。親鸞だの信心
だの、仏教だのと言わなくても話ができるじゃないか。
592 :
505:04/05/18 00:37 ID:an7VUlMC
>>588 >見事に議論は平行線ですね。恐るべき平行線。
そうでしょうか?
私はそうは思いませんが、会員さんがみればそう思うのでしょうね。
>議論相手が否定していることを、「主張している」と書くのは嘘だと思います。
そうでしょうか?
>以前、ジャンヌのちび丸氏は
「親鸞聖人は頓機ですよ」といって
大半の人々である漸機の衆生は、まず自力修行を勧められている
と主張していました。
まあ、ちび丸氏=ひさしぶり氏ということは、知る人にはほとんど自明と
認識していますが、あなたには説明不足だったかもしれませんね。
繰り返しになりますが、ひさしぶり氏(ちび丸氏)はたしかに
「親鸞聖人は頓機ですよ」と発言していますね。
そして、「」のない後半に関してですが、あなたも
>>529に
>19願は要門と言われています。通らなければ18願には入れません。
とおっしゃっていますが、要門が自力修行でなくて何なのですか?
あなたは内容をまったく吟味せずに上面だけで
「教義を捻じ曲げることになります」と発言していませんか?
593 :
名無しさん@3周年:04/05/18 00:42 ID:zmstu8Xb
名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/06 22:41
>>377 >末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして
みなさーん。あの世の王様にお願いしましょう。
一生懸命お願いすると、あーら不思議に霊波が体から出て、あの世の王様に届きます。
>阿弥陀仏ふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、
外のものにお願いしてはいけません。王様は嫉妬深いですからね。あの世の王様
一筋にお願いしましょう。
>一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、
死んだらどうぞ、冥界の貴方のところに導いて下さい。そう願えば、あの世の王様はきっと言
うことを聞いてくれます。生きているときはどんなに悪いことをしてもいいんですよ。どんなにわ
るいことをしても、王様にお願いすれば、必ず天国に霊魂を導いてくれます。
>かならず弥陀如来はすくいましますべし。これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。
<冥界の王様は、必ず私たちの霊魂を天国に導いてくれます。これが王様のお心です。>
>かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、
このように分かれば、朝から晩まで、寝ても覚めても、命の続く限り、冥界の王様の
ことを思い詰めて信じ、お祈りしましょう。
>称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。 一生懸命お祈りしましょう。
こんなことなら、十八願も、念仏往生の誓願も使わないで、わかりやすく説明できるじゃないか。
冥界の王様の信じれば、死んだら霊魂は冥界のいいところにいける。実にわかりやすい話だね。
栗花さん。親鸞なんかとは縁を切ったらどう?。
>>587 >しかもこれらの人たちは殆ど無学な両親から生まれていますが、若し過去世を
>認めないとしますと、これらの事実をどう説明できるのでしょうか。
ベートーベン
フランドルから移住したボンの宮廷楽長ルートウィヒを祖父に、ボンの宮廷歌手の父ヨハンと、
母マリア・マグダレーナ(エーレンブライトシュタインの宮廷料理長の娘で、宮廷の召使いを
勤める未亡人であったが、1767年ヨハンと結婚)との間に、ボンで誕生した(1770年12月17日洗礼)。
モーツァルト
ザルツブルグの大司教に仕える楽師を父に生まれたモーツァルトは、
姉のナンネルとともに父レオポルドからチェンバロの手ほどきを受け、天才ぶりを発揮しました。
ボルテール
父はパリの裕福な公証人で、母は貴族の出であった。
スチュアート・ミル
リカード派経済学者ジェイムズ・ミルの息子、初期から天才として教育を受け
バビントン・マコーレ(Thomas Babington Macaulay)
奴隷制廃止運動を行った人道主義的改革派のザカリー・マコーレーZachary Macaulay(1768―1838)
の長男として生まれ、ケンブリッジ大学に学ぶ。
・・・なんか例に挙がった天才の親は無学どころか、一角の人物が多いようですね
595 :
505:04/05/18 00:56 ID:an7VUlMC
>>588 補足します。
>言ってもいないことを「言っていた!」と言って非難するようなことをされたら、
議論なんてとてもできません。最早揚げ足取りの次元じゃないですよね。
まあ、たしかに彼は自力修行ということばは、その場では使用していませんね。
そのことは認めますよ。ただし、趣旨は同じだと思うのですけどね。
何がそんなに怒れるのですか?
彼もあなたと同様に、「要門の勧め」は説いていたのですよ。
私は要門は真門とともに自力修行という概念に属すると思っていましたが、
ちがうのでしょうか?
要門が自力修行でないとおっしゃるのならばその根拠を挙げてください。
596 :
110:04/05/18 01:07 ID:mEwishOY
とりあえず質問だけ。
>>540 残念ながら知りません。
>>543 >親鸞聖人は、常没の凡愚に対して往生のために廃悪修善=散善を勧められておられ
>ますか?お答えください。
常没の凡愚という言葉がでてくる御文にそういうお言葉はないと思います。
597 :
594:04/05/18 01:13 ID:6aKTBCzv
おお、いかん
>>594のレス番間違い
>>587じゃなくて
>>586ね
「渡海 難 ◆Fe19/y1.mI」を透明あぼーんしてたので587が見えず、それで間違えたんだな
それと
>>594に見落としていたのを追加
ベンサム
ロンドンの比較的富裕な家庭の長男として生まれた。
知的に早熟であった彼は、15歳でオックスフォード大学を卒業した。
法律家の父は、法実務の分野での出世を期待していた
法律家って無学?
高森って人はいい加減な発言をする人だな
598 :
505:04/05/18 01:24 ID:an7VUlMC
>>596 お答えいただきありがとうございました。
>常没の凡愚という言葉がでてくる御文にそういうお言葉はないと思います。
宗師の意によるに、「心によって勝行を起こせり、門八万四千に余れり、漸頓
すなわちおのおの所宜に称いて、縁に随う者すなわちみな解脱を蒙れり」とい
えり。しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆえに。散心行じが
たし、廃悪修善のゆえに。ここをもって立相住心なお成じがたきがゆえに「た
とい千年の寿を尽くすとも、法眼いまだかつて開けず」といえり。いかにいわ
んや無相離念、まことに獲がたし。かるがゆえに「如来懸(はるか)に末代
罪濁の凡夫を知ろしめす。立相住心なお得ることあたわじと。いかにいわんや
相を離れて事を求むるは、術通なき人の、空に居て舎を立てんがごときなり」
といえり。門余というは門はすなわち八万四千の仮門なり、余はすなわち本願
一乗海なり。(方便化身土巻)
「常没の凡愚、(乃至)、散心行じがたし、廃悪修善のゆえに。」とありますが・・。
親鸞聖人は、「廃悪修善のゆえに行じ難い散善」を常没の凡愚に勧めているように
あなたには読めるのでしょうか?
散善は要門ではないのですか?
599 :
110:04/05/18 01:39 ID:mEwishOY
>>595 19願の行を自力修行とは言いませんし、
「大半の人々である漸機の衆生は、まず自力修行を勧められている」
こういう言い方は、親鸞学徒なら絶対に致しません。
こんなことは絶対言ってはならない、と、口をすっぱくして言われております。
そもそもいわゆる「善の勧め」と、上の主張とは全く違うのです。
自力を勧めることは浄土真宗にはありえません。
弥陀が19願に修諸功徳と教えられ、釈尊が観無量寿経に定散二善を勧められたものです。
親鸞聖人は、しかしそれに留まらず、三願にも真仮あり、三経にも真仮あり、と開顕なされました。
「しかるに願海に就きて真あり仮あり」
これを真仮廃立と申します。
仮、方便(19願、20願)は捨てものだから早く捨てよ。真、真実(18願)は立てるべきものである、早く帰せよ、と。
方便とは方法便宜の略で、サンスクリット語ではウパーヤ、近づけるもの、と言う意味です。
真実に近づけるのに必要なものを方便というのです。
そして、真実に入ったとき、今までが方便であった、と知らされます。
方便なしに真実に入る、なんてことは、手段なしに目的が果たせる、と言うのと同じで気違いじみてますね。
真実に入るのなら、必ず方便がある。絶対必要だし、方便を通らずしては真実に入ることはできない。
あなたが既に真実に入った、と言われるのなら、別のアプローチが必要ですが、
そうでないと言われるのなら、もしくは未信の人の立場になって言うなら、
信を獲るためにどうすればいいのですか?どうしたら信が獲れるのですか?
もし簡単には出来ないのなら、じゃあどういう心がけで努めたら獲信に近づけるのですか?
求道者の、極めて素朴で、重要な質問でしょう。この質問にどう答えるか。
本会ならばどういうか。聴聞に極まる、聞く一つだから、真剣に仏法聞いて下さい。
他力になるまで他力を聞きぬいてください。こう言います。
600 :
110:04/05/18 01:40 ID:mEwishOY
じゃあ仏法聞けないときはどうしたらいいですか。こう聞かれたらどうしますか。
もちろん、聞けぬときは思い出せ、もいいですよ。それだけですか?
本会ならば、五正行の実践を勧めます。
じゃあ五正行の実践も出来ないときは、と聞かれたらどう答えますか。
本会ならば、諸善を勧めます。
聴聞が最も仏縁になりますが、これらもまた仏縁になるからです。
あなたがたは、どう答えますか?
ですから、本会が、「まず諸善をせよ」とか、「まず自力から入れ」
などとは決して言わないし、そういうことではないとたびたび主張しているはずです。
それを、そのように主張した、などと言うのは、我々の論旨を全く理解していないことの現れでしょう。
初めは悪意からかと思いましたが…。
100回でも1万回でも言いますが、「まず自力から」などとは絶対に言いません。
そういう主張ではないのです。
601 :
110:04/05/18 01:50 ID:mEwishOY
>>598 実際にやってみなければ知らされません。
うぬぼれづよい私たちに、じゃあやってみよ、とやらせてみて、できないことを知らせる
善巧方便です。
実地にやってみた人だけが、親鸞聖人のお言葉をまことだった、と体にかけて受け取ることができます。
できないそうな、という合点だけで通れる道ではありません。
あなたは常没の凡愚、と露チリの疑いなくはっきり知らされたのですか?
必死で善に向かって進んだ人でなければ分からない、体験の道なのです。
602 :
110:04/05/18 02:00 ID:mEwishOY
私が
>>525で挙げたご和讃は、まさにその諸善を勧められたお言葉です。
臨終現前の願により(19願)
釈迦は諸善をことごとく
観経一部にあらわして
定散諸機をすすめけり
諸善万行ことごとく
至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の
善とならぬはなかりけり (浄土和讃)
上のご和讃は、釈尊が観無量寿経(19願の教え)の中に、諸々の善の全てをまとめて教えられ、
その善を勧められた、ということです。
下のご和讃は、19願の善は、往生浄土の方便(手段)となる、と言われているお言葉です。
至心発願とあることから、19願の行のことを言われていることは明らかです。
信前の人は、善ができると自惚れています。(これを定散諸機と言います。)
この人に、じゃあやってみよ、とやらせて出来ないことを知らせて真実18願で救うのが弥陀の御心です。
603 :
110:04/05/18 02:03 ID:mEwishOY
もちろん、真実から言えば十方衆生は一つの善もできません。
しかし、それがはっきり知らされるまでは、諸善もまた仏縁になるのであり、
大いに勧められているのです。一刻も早く他力に入るために。無論、自力はいらない
そうだから・・・などと合点だけで済ませている人はいつまでたっても他力には入れません。
604 :
505:04/05/18 02:12 ID:an7VUlMC
>>599 お答えいただきましてありがとうございました。ただ、一部腑に落ちない点があります
のでご教示いただけますでしょうか。
>19願の行を自力修行とは言いませんし、
19願は自力修行ではないとおっしゃるのでしょうか・・。では19願は他力ですか?
半自力半他力ですか?自力、他力のいずれでもないのですか?教えていただけますか?
>自力を勧めることは浄土真宗にはありえません。
その通りですね。同意いたします。
>信を獲るためにどうすればいいのですか?どうしたら信が獲れるのですか?
自力を捨てて、他力に帰しなさい、と教えられています。真宗は「横超とは願成就
一実円満の真教、真宗これなり」、ですから本願成就文の教えです。成就文にはその
名号を聞きて、とありますから、自力を捨てて本願の名号を聞けば(いただけば)、
聞即信で他力信が頂ける、という教えです。ですから、歴代の善知識がたは、聞法を
勧められていますね。五正行の実践について祖師は廃立を説かれています。
廃は称名以外の五正行、立は称名正行です。
要するに、「他力の称名正行」を祖師はお勧めです。
他力の聞法をして、他力の称名をしなさい、これが真宗の教えでしょう。どうしたら
信が獲られるか?それは蓮如上人が何度も何度も仰せのように雑行雑修自力の心を振
り捨てることであって、それは自力では出来ません。凡夫のはからいを超越した、
阿弥陀如来の本願力によって自力心を捨てさせていただく、ということです。この雑行
のなかには諸善万行が含まれます。
>本会が、「まず諸善をせよ」とか、「まず自力から入れ」などとは決して言わないし
>19願は要門と言われています。通らなければ18願には入れません。
とあなたは仰ってますが、要門に諸善は含まれないのですか?
要門と諸善と自力の関係についてあなたの理解を教えてください。
605 :
507:04/05/18 02:24 ID:zr0srhkO
>>594 >・・・なんか例に挙がった天才の親は無学どころか、一角の人物が多いようですね
おぉぉ。俺は、過去世から記憶や能力といったものが存続を認めている点や、
それを過去世の実在性の判断基準とする事が問題だと思っていたので、
そういうところには気づかなかったよ。ありがとう。
まあ嘘出鱈目を言ってでも、会員に過去世の存在を認めさせたかったのか、
嘘でないならば逆に会長の方が無学だっただけなのか、
どっちもどっちだな。
606 :
505:04/05/18 02:25 ID:an7VUlMC
>>602 >この人に、じゃあやってみよ、とやらせて出来ないことを知らせて
観経の顕説を如実修行しなさい、ということをおっしゃっているのですか?
聖人は無常迅速の凡夫に対してそんな悠長な教えを説かれているのでしょうか?
あなたのお説は横超でなくて横出の教えのようですね。
横出の法門も一応浄土門ですから、如実修行できるかたにとっては真実でしょう。
横出の法門は化土往生・臨終来迎を目指す教えですね。
で、あなたは如実修行できるのでしょうか?
証果が獲られないことをはじめから知ってする修行など、
断じて仏道とはいいませんよ。
そして、諸善諸善といいますが、あなたは三輪空寂の諸善を行じておられる
のでしょうか?
607 :
505:04/05/18 02:36 ID:an7VUlMC
110さんへ
申し訳ないのですが私は今晩はこれにて失礼いたします。
おつきあいいただいてありがとうございました。
私はネットでお話しするのも多生のご縁と思っていますし、会員のかたには
特に敵愾心はもっていませんが、誤解を与える発言については容赦下さい。
ではお休みなさい。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
608 :
110:04/05/18 02:40 ID:mEwishOY
>>604 >19願は自力修行ではないとおっしゃるのでしょうか・・。では19願は他力ですか?
>半自力半他力ですか?自力、他力のいずれでもないのですか?教えていただけますか?
19願は、未だ自力ですが、いわゆる聖道仏教で言うところの自力とは全く違う、ということです。
通仏教から言うと、法華経などに代表される自力仏教の修行と誤解されますので、それを避けるべきだということです。
19願の教え(観無量寿経の教え)は、今まで自力だけだったのが、初めて阿弥陀仏(他力)に向かっての善になったという
非常に重要な転機に当たる教えです。
浄土仏教を信奉する者が、自力仏教を混同するような表現は使うべきではありません。
609 :
110:04/05/18 02:40 ID:mEwishOY
>要門に諸善は含まれないのですか?
>要門と諸善と自力の関係についてあなたの理解を教えてください
要門は諸善を勧められた19願の教えですよ。弥陀は自力の心を捨てさせるため、
善が出来ると思っている私たちにやってみよ、と言われました。その目的は18願真実に入れるためです。
雑行は自力の行ですが、信前はどんな善をしてみても雑行です。当然ですね。
自力の心があるのを信前と言うのですから。自力の心は一念で廃ります。そこまでは自力があります。
当然、善をしたら全て雑行になります。じゃあ一念を突破する前は、善を積極的に勧めるべきか。
それとも、「それは横出」と言って、本道ではない、と言うのか。明らかに後者の方が、
善に向かっての積極性に劣ります。
どちらが早く一念で救われるか。蓮如上人も言われている通り、宿善にも遅速あり、です。
早く救われる人もあり、遅く救われる人もあり。早く救われるにはどうしたらいいのですか。
善に努めることが信一念に近づくことにはならないのですか。そういう質問です。
本会は迷わず、その通りですと言います。しかし一番大切なのは聴聞ですといいます。
あなた方はどうでしょうか。それは横出ですとか言うのですか?
善知識方は、一刻も早く信を獲ってくれよと願っておられます。
18願に直入せよと言われ、しようとして、できない人はたくさん有るでしょう。
そういう人はどうしたらいいのか。どうしたら直入できるようになるのか。
信仰が進められるのも弥陀のお力なのです。真剣に善に励めよと言われたのが19願なのです。
弥陀の願に従えば、当然仏縁は深まります。
610 :
110:04/05/18 02:47 ID:mEwishOY
>>606 >>609に書いた通りです。
貴方の信心について、お尋ねする必要があるかも知れません。
そのときはよろしくお願いします。
611 :
110さんへ:04/05/18 08:26 ID:XINBbG6Z
>要するに、「他力の称名正行」を祖師はお勧めです。
この議論はジャンヌでも何回もくり返されていることなのです。
「では信前の者のする、自力の五正行はすすめるのか、止めるのか
何にもふれないのか」ということには元Sというひとたちは
答えません。
「教えすすめる必要があるかどうかは知らない」という発言はこういう
議論中に暴なんとかというひとから発言された言葉ですし
その他にとんでもない発言があいついでいることはチビ丸がジャンヌで
指摘しているとおりです。
あなたがどういうひとたちを相手に議論しているのか考えられたほうが
よろしいかと思います。
612 :
名無しさん@3周年:04/05/18 09:11 ID:7LHYBxEi
>証果が獲られないことをはじめから知ってする修行など、
断じて仏道とはいいませんよ。
そして、諸善諸善といいますが、あなたは三輪空寂の諸善を行じておられる
のでしょうか?
「自分のする善が往生に間に合わないと知らないこころ」を自力というの
ですが、やっぱりはじめからなかったみたいですね。「はじめから知ってする修行」
と言ってますから。
「三輪空寂の諸善でない」と知るのは真実心ですが、やっぱりこの方は、はじめから
あったようですね。
613 :
名無しさん@3周年:04/05/18 13:12 ID:iBJpoTXN
>見事に議論は平行線ですね。恐るべき平行線。
「破邪顕正は法施ではない」
「横出は聖道門である」
「教えすすめる必要があるかどうかは知らない」
「五雑行の定義は親鸞聖人と善導大師は違う」
「信前の五正行は要門ではない」
などなどの発言。
こういうのは平行線というのでしょうか?
他にいろいろ問題発言はたくさんありますが、ジャンヌの常連たちが
どんな教学をもっているかはこれで十分におわかりになるでしょう。
酒のみながら仏語を書き込む者、お聖教の根拠を変える者。
「頓機漸機」のチビ丸発言の件でも「そういう趣旨の発言」は
どこにもありません。こういうひとたちなんです。
614 :
名無しさん@3周年:04/05/18 16:29 ID:zmstu8Xb
正は五種の正行なり。助とは名号を除きて已外(いげ)の五種これなり。雑行
とは正助を除きて已外をことごとく雑行と名づく。これすなわち横出漸教、定散
三福三輩九品、自力仮門なり。横超は本願を憶念して自力の心を離るる、これ
を横超他力と名づくなり。これすなわち専中の専、頓中の頓、真中の真、乗中
の一乗、これすなわち真宗なり。すでに真実行の中に顕し畢(おわ)りぬ。
615 :
名無しさん@3周年:04/05/18 16:37 ID:zmstu8Xb
およそ一代の教について、この界の中にして入聖得果するを、聖道門と
名づく、難行道といえり。この門の中について、大小、漸頓、一乗二乗
三乗、権実、顕密、竪出竪超、あり。すなわちこれ自力利他教化地、方
便権門の道路なり。安養浄刹にして入聖得果するを浄土門と名づく、易
行道といえり。この門の中について、横出横超、仮真、漸頓、助正雑行、
雑修専修あるなり。
616 :
名無しさん@3周年:04/05/18 18:03 ID:OiGEQUMr
ここ最近つまらないね。
工作員が会の不祥事を隠すために法論もどきばかりやってる。
新入生を守る為に親鸞会の汚いところを暴くのがこのスレの使命でしょ。
617 :
名無しさん@3周年:04/05/18 18:08 ID:OiGEQUMr
工作員必死だな
>>616 いや。仲良く語ることが、このスレの使命。
仲良く、ね。
620 :
229:04/05/18 19:31 ID:GRBTOICX
すごいレベル高いのでついて行けないですけど、
アニメの第一巻にある、聖人がお山で修行された、あれは
19願には入らないのでしょうか?入るのでしょうか?
ゴチャゴチャ若い会員が19願がどうたらこうたら書き込んでいるけど。
会長も、M春もその他幹部もそんなマジでやってないぞ。
見てて哀れになるわ。気づくやろ。
せいぜい金を貢いでくれや。俺らの生活費のためにな。
>>609 >要門は諸善を勧められた19願の教えですよ。弥陀は自力の心を捨てさせるため、
光明寺の和尚の云わく、しかるに娑婆の化主、その請に因るがゆえ
に、すなわち広く浄土の要門を開く。安楽の能人、別意の弘願を顕彰
す。それ要門とは、すなわちこの『観経』の定散二門これなり。
110さん。あのね。要門というのは、定善と散善を総称するんだよ。
また云わく、定善は観を示す縁なり、と。 また云わく、散善は行を顕す縁なり、と。
また云わく、浄土の要逢いがたし、
縁なりとは、因ではないということだ。「浄土の要逢いがたし」とは、いくらがんばっても
極楽浄土には行けないよということだ。
釈迦はなぜ定散二門を説いたか。それは、正法、像法の時代に向けて説いたんだよ。
現代を見てごらん。いいことをしなさいとか、悪いことをしてはいけませんよなどということ
は、宗教の名をもって人々に教えるような時代か?。
昔は、芸術も、医学も、天文学もみな宗教が教えていたんだ。その後、そういうのは一
つ一つ、宗教から独立していった。
現代じゃ、国には国法がある。会社には社則がある。自治会には規約がある。いちいち
お坊さんに相談しなけりゃ善悪が分からないという事じゃ困るだろう。
美術や医学が宗教から独立していったように、倫理道徳も宗教から独立させよう。善を
しなさい、悪をしてはいけませんということは、宗教規範の範疇から外そう。親鸞さんは
そう提案してるんだよ。
宗教は何を教えるのか。ただ念仏せよ。宗教は原点に戻ってこれを説くことに集中しよ
う。そういうことなんだよ。
弥陀は自力の心を捨てさせるために要門を説いてるんじゃない。昔は社会の規範として
必要だから説いたんだよ。しかし、もうそれは時代遅れだ。要門関係は、宗教が関与する
ような時代じゃない。親鸞はそう言ってるんだよ。
623 :
名無しさん@3周年:04/05/18 21:04 ID:zmstu8Xb
名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/10 19:39
>>508 さてその信仰といふはいかやうなることぞといへば、ただ「南無死に神様」なり。この南無死に神様の六
つの字のこころをくはしくしりたるが、すなはち信仰のすがたなり。
されば、南無死に神様といふ六字の体をよくよくこころうべし。まづ「南無」といふ二字はいかなる
こころぞといへば、理屈を抜きに死に神様がいるのだと信じたてまつりて、霊魂を天国に導いてください
とふたごころなく、死に神様の存在を信じまゐらするこころを、すなはち南無とは申すなり。
つぎに「死に神様」といふ四字はいかなるこころぞといへば、いまのごとくに死に神様の存在を一心に
信じ、疑いのこころのなき人を、かならず死に神の御身より、あーら不思議に光明を放ちて、照らして
くださいます。そのひかりのうちに摂めおきたまひて、さて死ぬときにはかの死に神様は、霊魂を天国
におくりたまへるこころを、すなはち死に神様とは申したてまつるなり。
いいことをすることは雑行、自力です。悪いことをしてもいいんですよ。所詮、この世は意味がない
ところです。大事なことは天国に行くことです。さあ、死に神様の天国に一緒に行きましょう。
>>620 本願寺の立場で言えば、それぞれに主張する説があります。
>>623 どうぞ、天国へ行ってください。お見送りします。
626 :
名無しさん@3周年:04/05/18 21:07 ID:zmstu8Xb
名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/01 13:00
>>160 >往生もいろいろあるよと聞かれたらどう答えればよいのでしょう?
簡単なことだろう。
「私どもは、浄土真宗僧侶と言いましても、外道の浄土真宗です。外道の浄土真宗僧
侶に聞いて何かが分かると思いますか?。分かるわけがないでしょう。そんなことは、
外道の私どもは教わっていませんから。馬鹿も休み休みにしなさいよ。
そういうことは内道の方々にお聞き下さい。そちらでは納得のいく解答があると思い
ます。私どもは、お呪いだけやらせていただきます。
猫と一緒です。上座に座らせていただきます。馬鹿話、おとぎ話、自慢話、悪口、陰
口、酒を飲ませて戴ければ、こういうことは喜んでお相手させていただきます。お布施
はいかほどいただけますか。先にください。アハハのハ」。
こういえば、相手はきっと、貴方の本性を心から理解するでしょう。
悔しかったら、少しは往生の意味くらい考えたらどうよ?。
>>169 > 違う。答える気がないんだよ。 <考える気もないでしょう。>
>>171 >すべての人が門徒と同じといえます。 アハハ。
>>172 >わかるひとは真宗にいません、 <分かる人は、外道真宗にはいません。>
>>177 >どうにか仏教の体裁を身に纏っているというわけだ。 <あんたも外道の一派だな。>
>>626 了解! 渡海先生の本性、よく分かりました!
628 :
229:04/05/18 21:30 ID:GRBTOICX
>>624 親鸞会の立場で入ったらどうなの?>110さん他
629 :
229:04/05/18 21:30 ID:GRBTOICX
× 入ったら
○ 言ったら
スマソ
630 :
229:04/05/18 22:48 ID:GRBTOICX
なんか、止まったねえ・・・
>>612 >「自分のする善が往生に間に合わないと知らないこころ」を自力というの・・・
横レススマソ。
「自力のこころをすつといふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、みづ
からが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず、ひ
とすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽
すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。」(『唯信鈔文意』)
自力の心というのは、御本願を疑う計らい心すべてですから、自らの善根をたのんで往生
を願う心ばかりでなく、自分のように悪業ばかりのものはとても弥陀のお救いにあずかれ
ないと卑下したり悲観する心も全部入りますよ。
>「三輪空寂の諸善でない」と知るのは真実心ですが、
「自身はこれ罪悪生死の凡夫」「いずれの行もおよびがたき身」の機実は
真実の行信の御廻向を信受してはじめて知らされることですが、それと「
三輪空寂の諸善でない」と知るのとは違いますよ。「三輪空寂」(三輪清浄)
の諸善は上機菩薩様にしかできないことは自明ですよ。「自分には『六神通』
は無い」というのも真実廻向でないと知ることはできないかといえば、違うの
は言うまでもないでしょう。
>>613他
他板の話題をここで云々するのは、マナー違反(ネチケットは最早死語?)
と思われますがいかがでしょうか?
どうしてもそれについて御発言なさりたいなら、そちらでおやりになったら
どうですか。
>>611 >「では信前の者のする、自力の五正行はすすめるのか、止めるのか・・・
これも横レススマソです。まあこれも他板の話題かもしれませんが・・・。
真宗で勧められるのはあくまでも「他力真実の正定業」であって、それを
信受できずに、「自力の雑行」になってしまうのは「機の失」ですよ。
勧められる「法」は徹頭徹尾「弘願真実」=御名号のみであって「自力
仮門」は勧められません。
「正は五種の正行なり。助とは名号を除きて已外の五種これなり。雑行
とは正助を除きて已外をことごとく雑行と名づく。これすなわち横出・漸教・定散
三福・三輩・九品、自力仮門なり。」(『化身土文類』)
634 :
229:04/05/19 00:09 ID:s0bI1oa8
今日は静かだねえ。
110さんが、親鸞会内で人物特定されてつるし上げ
食らってなきゃいいがね・・・
>>634 >今日は静か
IDが導入されて、自作自演しにくくなったからだったりしてw
636 :
名無しさん@3周年:04/05/19 00:31 ID:dgqM6u6z
>>432 あのしばらく前にやめたので、新聞みることができないのですが、
「一番手元にあった4月15日号を見たらありましたが…」
って一体どういう人が書いてるでしょうか。
先輩が信心決定していたら、驚きなんですが。
637 :
229:04/05/19 01:28 ID:zwJlDRGy
>>635 本当だ、俺も言われるまで気づかなかったw
やはり、親鸞の比叡山時代が19願なら何故親鸞は聖道門否定したのかと思うし、
山を降りた後なら、その間の19願とは何かって言うのは疑問に残るな。
それがs会の勧誘や財世にあたるのかどうかとも。
まあ早い人だったんだ特別な人だったんだ前世でやってきたんだって言ってしまうと何でもありだけどな
639 :
名無しさん@3周年:04/05/19 08:13 ID:frr6ZnI6
>>631 ジャンヌの暴なんとかだろ。
ほかでやれよ。
回復傾向が指摘されるものの、依然として続く景気の低迷感。
しかし、04年上半期を振り返ってみれば、
実は数多くのヒット商品が存在していたのです!
自作自演や↑みたいなバカカキコが減ってくれればな。
正味、やけにいきり立っている会員はキモイ。だまされてるのにも気づかんとバカ丸出し。
ばかばか〜。
>>638 >まあ早い人だったんだ特別な人だったんだ前世でやってきたんだって
言ってしまうと何でもありだけどな
親鸞会教学から離れて、根本から考え直したらどう?。
645 :
ひさしぶりの暴言:04/05/19 21:19 ID:BnaKbsFU
エラそうだった幹部会員、ひさしぶりの暴言をうpするのも
面白いかもしれないね。
過去ログにまだ残ってるのかな?
646 :
110:04/05/19 21:30 ID:INDk+AI0
何か家から書き込めません。
>>620 比叡山でのご修行は、「弥陀の救いに向かって」のものではありません。
19願は、修諸功徳 至心発願 欲生我国 ですからね。
>>635 喜ばしいことです。
>>636 詳細は避けますが四国のおばさま、です。もしかして先輩ですか?
>>642 あなたも十分k(ry
647 :
名無しさん@3周年:04/05/19 23:20 ID:BTKyZTeQ
この会と徹底的に関係を絶つにはどうすればいいですか。
649 :
名無しさん@3周年:04/05/19 23:36 ID:5u3m2Aqm
やけにいきり立ってだまされて馬鹿丸出しにしてるのは新入生だよ。
かわいいもんだよ。
ここで親鸞会の恐ろしさをおしえて目を覚まさせてあげよう。
嫌だ嫌だ
>>647 マジレスするとサラ金の連帯保証人になってくれって言ってみなさい。
商品を確実に手に入れるための予約から、お得に手に入れるための予約へ。
今や各種の予約サイトは、入手確実・ポイント倍増・送料無料と
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>>648 夏を間近に控え、早くも(?)ビールが一段とうまいシーズンに突入。さらに
幸せな気分を味わいたいのなら、野外焼き肉パーティーが断然おすすめです。
654 :
110:04/05/19 23:53 ID:+2rHdTte
>>646 >比叡山でのご修行は、「弥陀の救いに向かって」のものではありません。
>>624氏もおっしゃってますように、本願寺でも両説あるようだし、また私も前に
のも述べましたように「三世に亘る」ことであるし、また、三願転入は、教相判釈
として真仮を決判する為の言わば「比較信仰論」であって時系列そのものに積極的
な意味があるものではないという説もあるようです。
私的には、聖人の比叡山時代は「十九願」だと思います。聖人は、弥陀を念ずる「常
行三昧堂」の堂僧であったというのが通説(定説?)だし、法然上人の別立開宗以前
は浄土宗は聖道諸宗の「寓宗」だったわけですが、親鸞聖人は、当時から西方願生の
念仏行者であったと考えられます。
「初めに十方に対すとは、問はく、十方に浄土あり。なんぞただ極楽にのみ生ぜんと
願ふや。答ふ。天台大師のいはく、『もろもろの経論、処々にただ衆生を勧めてひと
へに阿弥陀仏を念じ、西方の極楽世界を求めしめたまへり。『無量寿経』『観経』
『往生論』等の数十種の経論の文に、慇懃に指授して西方に生ずることを勧めたり。
ここをもってひとへに念ず』と。・・・(中略)迦才師の三巻『浄土論』に、十二経
七論を引けり。・・・(中略)わたくしに加えていはく、『法華経』の「薬王品」、
『四十華厳経』の普賢願、『目蓮所問経』・『三千仏名経』・『無字宝篋経』・
『千手陀羅尼経』・『十一面経』・『不空羂索』・『如意輪』・・・(後略)。」
(『往生要集』巻上)
でお分かりのように、「弥陀の救いに向かって」の自力修行は諸経の説くところです。
また、聖人が、論主・宗師(七祖)の御勧化によって、要門の万行諸善の仮門を出て
(「久しく」とあるのにも注意)、真門に廻入したのが、法然上人の専修念仏御教導
との邂逅と考えるのが自然ですね。前にも書きましたように三願転入の御文にも(真宗
の)善知識の御勧化は要門から「出る」ことのお勧めばかりで「入る」ことのお勧めは
説かれてません。
656 :
229:04/05/19 23:59 ID:6OjecumC
(真宗の)善知識の御勧化は要門から「出る」ことのお勧めばかりで「入る」ことのお勧めは
説かれてません。
(真宗の)善知識の御勧化は要門から「出る」ことのお勧めばかりで「入る」ことのお勧めは
説かれてません。
(真宗の)善知識の御勧化は要門から「出る」ことのお勧めばかりで「入る」ことのお勧めは
説かれてません。
(真宗の)善知識の御勧化は要門から「出る」ことのお勧めばかりで「入る」ことのお勧めは
説かれてません。
ここのところ重要だと思うのでリフレインしてみまスタ。
それはないな
>>655 訂正
「数十種の経論」→「数十余部の経論」
「わたくしに加えていはく、」→「わたくしに加へていはく、」
659 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/20 00:47 ID:eefYC3lG
>>646 愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
宗祖は1201年、法然の弟子になった。そのとき、それまでの雑行を棄てて本
願に帰した。
雑行とはなにか、
雑行とは、正助を除きて已外をことごとく雑行と名づく。これすなわち横出・漸教、
定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。
要門とは、すなわちこの『観経』の定散二門
つまり、親鸞は比叡山で定善・散善のような、要門の行を行っていたわけです。
要門つまり、定善・散善は縁ではあっても因ではない。浄土は逢い難しと知って、
法然の門を叩き、真門の世界に入った。
要門が大事というのは、親鸞以前の仏教だ。110さんは、生まれてくるのが800
年遅かった。親鸞誕生以前に生まれていれば、立派だったんだよ。
660 :
名無しさん@3周年:04/05/20 00:59 ID:qRVAlp6P
名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/10 19:36
>>506 >これすなはちやがて「阿弥陀仏」の四字のこころなり。
天国の死に神様を信じる。死に神様がいると信じる。これが、死に神様の四字のこころです。
さればわれらごときの愚痴闇鈍の衆生は、なにとこころをもち、また死に神様をばなにと信じるべ
きぞといふに、もろもろの雑行をすてて、何もしない。安楽にしている。死に神様を信じ、正義も
責任感もほったらかし、一向一心に天国に入れて下さいと死に神様に祈れば、天国に行けるのです。
疑ってはいけませんよ。
みなさーん、愚痴闇鈍でいいんですよ。人生などは、意義も目的も価値もありませんからね。なに
かいいことをしようなどというのは、自力です。雑行です。人に生きてる価値なんかありません。「
天国には死に神様がいる」と信じれば、霊魂はすばらしい天国に行けます。疑ってはいけませんよ。
おーい。檀家のみなさんや。ノータリンの栗花に布施して餌食わせている檀家の皆さんや。こいつ
を生かしているあんたらって社会のなんなのさ。あんたら檀家も、こいつと同じ死に神の仲間か?。
自分の旦那寺の坊主はこのノータリンの栗花じゃないかって、一度は疑えよ。まあ、栗花じゃないっ
て言っても、本願寺の坊主など、ほとんど栗花程度なんだろうけど。
661 :
229:04/05/20 01:47 ID:fRpU5AGO
662 :
229:04/05/20 01:53 ID:fRpU5AGO
要するに善のすすめは浄土真宗にないんだよ。
自力の善は他力に帰すのに「求道が進む(これも不遜な言い回しだが)」
どころかむしろ妨げになるから。
だからといって、悪に誇っていいわけがない。それは常識だ。
英会話教室行って「ここは善を勧めないのか?じゃあ悪をしても
いいわけだな」とか行ってるのと同じ。親鸞会はたまにそういった
頭のねじが一本飛んだような論理の飛躍をするが、そんな訳がないのは
常識で考えてもわかる。ただ、真宗は善を修する場所じゃない
というだけ。
663 :
229:04/05/20 02:00 ID:fRpU5AGO
というと、鳥巣禅師あたりの仏語を持ち出すんだろうが、
善をしろということを言うと、煩悩にかまう心が出てきて
それがかえって方向がおかしくなる。あくまでも無明は治るが
煩悩は治らない。それは親鸞会でも言うが、善を勧めて
煩悩にかまう分だけ開発が遅れるのではないか
(それで皆、信心がない)ということを言いたい。
だから、歴代の善知識は雑行雑種自力の心を「振り捨てよ」
といわれているのであって、誰も「やってみよ」と言わないのでは。
高森氏以外に「廃るところまでやってみよ」って言っている方が
居られたらすまんが。
664 :
110:04/05/20 02:10 ID:3DPSX3z2
じゃあ比叡山にこもって修行に励むことをむしろ奨励すべき。
666 :
229:04/05/20 02:26 ID:lKrQd0UT
>信前の人は、善ができると自惚れています。(これを定散諸機と言います。)
>この人に、じゃあやってみよ、とやらせて出来ないことを
>知らせて真実18願で救うのが弥陀の御心です。
今生で間に合えばいいけどね。そのあたり親鸞会は悠長だよな。
六道をこれ一つで迷ってきたのにまだ今生も自力を勧める
教えにしか巡り会えなかったのは、まあその人の因縁なんだろうが
善のすすめは衆生を奈落の即に突き落としているとしか思えないんだけど・・・
>>664 十九願が「定・散ニ善の勧め」なのはわかるけど、
浄土真宗も定・散ニ善を勧めているという意味ですか?
668 :
110:04/05/20 02:36 ID:3DPSX3z2
>>668 >>浄土真宗も定・散ニ善を勧めているという意味ですか?
>その通りです。
ちょっと混乱してわからないのですが、
あなたの考えでは、定・散ニ善の修行は他力なのですか?
>>668 あと、親鸞会では定・散ニ善を勧められているのでしょうか?
671 :
名無しさん@3周年:04/05/20 02:49 ID:Jh+W5j2z
親鸞会で勧める善はお布施と勧誘とアニメ販売と会長の講演会と会の活動。
672 :
名無しさん@3周年:04/05/20 02:52 ID:Jh+W5j2z
あと親鸞会以外の宗教や権力の否定。
673 :
名無しさん@3周年:04/05/20 03:19 ID:XRihL7KF
>>672 >あと親鸞会以外の宗教や権力の否定。
他を蹴落として這い上がる、って感じだよな。
自損損他の良い例。
674 :
名無しさん@3周年:04/05/20 03:30 ID:qRVAlp6P
゙ミ;;;;;,_
ミ;;;;;;;;、;:..,,.,,,,,
i;i;i;i; '',',;^′..ヽ
゙ゞy、、;:..、) }
.¨.、,_,,、_,,r_,ノ′
/;:;":;.:;";i; '',',;;;_~;;;′.ヽ
゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.:. ._ 、}
".¨ー=v ''‐ .:v、,,、_,r_,ノ′
/;i;i; '',',;;;_~⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′..ヽ
゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.:. ._ .、) 、}
".¨ー=v ''‐ .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
/i;i; '',',;;;_~υ⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′.ソ.ヽ
゙{y、、;:..ゞ.:,:.:.、;:.ミ.:,:.:. ._υ゚o,,'.、) 、}
ヾ,,..;::;;;::,;,::;):;:;:; .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
なんか知らんけど渡海難おいときますね。
675 :
229:04/05/20 03:47 ID:pzb/iIh/
>>668 そもそも、親鸞会が浄土真宗じゃなくて高森教なんだよ。
高森以外に、そのように説いている善知識がいたか?
あんたの説では親鸞聖人がそうだったということだが、
100歩譲って聖人がそうだったとしても他の善知識たちが
「善をしろ」といった証拠というか文句を出さない(出せない)の?
元祖・釈尊
677 :
名無しさん@3周年:04/05/20 10:14 ID:ERnuJGUd
>>672 >あと親鸞会以外の宗教や権力の否定。
じゃあエホバの証人も学んでる僕みたいな会員はだめですか?
678 :
名無しさん@3周年:04/05/20 10:58 ID:ERnuJGUd
手塚治虫のブッダ読んだ。
すげーおもしろかった。
親鸞会の王舎城の悲劇なんかよりおもしろかった。
>>678 本願寺の出しているアニメも、なかなかにおもしろいよ。
しかし、おもしろければいい、っつーもんでもないからな。
手塚氏は創価学会だったっけ?
681 :
名無しさん@3周年:04/05/20 12:35 ID:haJUerkA
法然上人のお言葉。
「いかなるとがをもきらわねばとて、法にまかせてふるまうべきにはあらず。されば善導も「不善の三業をば真実心の中にすつべし、
善の三業をば真実心の中になすべし」とこそは釈し給ひたれ。
又「善業にあらざるをば、うやまでこれをとほざかれ、又随喜せざれ」
なんど釈し給ひたれば、心のおよばん程はつみをもおそれ、
『善にもすすむべき事』とこそは心えられたれ。」(浄土宗略抄)
「持戒の行は仏の本願にあらぬ行なれば、たへたらんに
したがいてたもち候べく候。けうようの行も仏の本願に
あらず。たへんにしたがいて、つとめさせおはしますべく候。」
(熊谷直実入道蓮生へつかわすお返事)
善をしましょうね。
682 :
名無しさん@3周年:04/05/20 12:44 ID:haJUerkA
方便より真実へ。
親鸞聖人も覚如上人も同じです。
信心かくというは、本願真実の三信のかくるなり。『観経』の三心を
えてのちに、『大経』の三信心をうるを、一心をうるとはもうすなり。
このゆえに『大経』の三信心をえざるをば、一心かくるともうすなり。
この一心かけぬれば、真の報土にうまれずというなり。『観経』の三心は、
定散二機の心なり。定散二善を回して、『大経』の三信をえんとねがう
方便の深心と至誠心としるべし。(唯信鈔文意)
三経のなかに、『観経』の至誠・深心等の三心をば、凡夫のおこすところの
自力の三心ぞとさだめ、『大経』の所説の至心・信楽・欲生等の三信をば、
他力よりさずけらるるところの仏智とわけられたり。しかるに、
「方便より真実へつたい、凡夫発起の三心より如来利他の信心に通入するぞ」
とおしえおきまします祖師親鸞聖人の御釈を拝見せざるにや。(改邪鈔)
従仮入真、方便を通らねば真実へは入れません。
683 :
110:04/05/20 13:19 ID:3DPSX3z2
>>675 「親鸞聖人が仰っていても親鸞会は高森教だ」というのが229氏の主張ですね。わかりました。
さすが、自力の信心はしぶといですね。
しかし、それでも、阿弥陀仏のお力で、必ず他力に入ります。
>>681 フォローありがとうございます。
684 :
僕を助けて!:04/05/20 13:20 ID:mdarF3+S
http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/f1/1083482525/341 (::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ::::::::::\
/::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::)
(::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
(:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::)
(::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::)
( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
| =ロ -=・=- ‖ ‖ -=・=- ロ===|
|:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ
|/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| |
.( 。 ・:・‘。c .(● ●) ;”・u。*@・:、‘)ノ /只今、今帰ったよ
( 。;・0”*・o; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o ) < 俺が噂のX5乗りの爽やか君
(; 8@ ・。:/ / ̄ ̄ ̄ ̄\:\.”・:。;・’0.) \脳内車だけどな プッ
.\。・:%,: ):::|.  ̄ ̄ ̄ ̄ | ::::(: :o`*:c/
\ ::: o :::::::::\____/ :::::::::: /
(ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_ ノ
\丶\_::_:::::_:::: :::::_/::::::: /
| \_::::::::::: :::::::::: ::: :::::___/|
685 :
名無しさん@3周年:04/05/20 13:27 ID:hTjGRG1U
>要門が大事というのは、親鸞以前の仏教だ。
真実の仏教に以前も以後もあるか。
方便は時機によって変わるんだよ。
変わらない方便もあるでしょう。
>>681 前も某所で同じやりとりがw。それでは一部コピペ。
善導大師の「不善の三業をば真実心の中にすつべし、善の三業
をば真実心の中になすべし」の御真意を親鸞聖人は、「不善の
三業はかならず真実心のうちに捨てたまへるを須ゐよ。またも
し善の三業を起さば、かならず真実心のうちになしたまひしを
須ゐて、内外明闇を簡ばず、みな真実を須ゐるがゆゑに至誠心
と名づく。 」(『信文類』)
と読まれて、「『不善の三業』(自力の善根)は、阿弥陀様が、
捨てられた通りに捨てさせていただいて、『善の三業』(他力念仏)
は、如来様が真実の心で成就された功徳(御名号)をいただくので
あります。智慧の有る無しにかかわりなく、みな真実(他力信心)
をいただくので至誠心というのです。」と釈されてますのは御存知ですよね?
持戒の行は「たへたらんにしたがいてたもち候べく候。」ですから、とてもた
へられない(受戒もしてない)在家の泥凡夫に仰ったのではないですよね。
熊谷直実入道蓮生は言うまでもなく受戒された“御出家”ですよね。
熊谷蓮生房のお話しも信後の話ですよね。「我が身、仏の本願に乗じての後、
決定往生の信起こらんの上は、他善と結縁すること全く雑行とは為すべからず。
往生の助業とは為すべきなり」(『禅勝房との十一箇条問答』)の意味ですね。
いずれにせよ「受戒」してないわれわれ在家とは関係無い話です。法然上人は、
叡空上人より慈覚大師流の「円頓戒」の相承を受けられ「戒師」として最後まで
御活躍だったのは有名ですね。これは、現在の浄土宗にも相承されており、浄土
宗の御僧侶は現在でも「菩薩戒」を受けられています。
>>661に補足
「次に散善の中に、大小の持戒の行あり。世みなおもへらく、
持戒の行はこれ入真の要なり、破戒の者は、往生すべからずと。
又菩提心の行あり。人みなおもへらく、菩提心はこれ浄土の綱要
なり。もし菩提心なきものは、すなはち往生すべからずと。
又解第一義の行あり。これはこれ理観なり。人またおもへらく、
理はこれ仏の源なり。理をはなれては佛土をもとむべからず。
もし理観なきものは、往生すべからずと。又読誦大乗の行あり。
人皆おもへらく。大乗経を読誦せば、すなはち往生すべし。
もし読誦の行なき者は、往生すべからずと。これにつきて二あり。
一には持経、二には持咒なり。持経とは。般若法華等のもろもろの
大乗経を持するなり。持咒とは、随求尊勝、光明阿弥陀等の、
もろもろの神咒を持するなり。をよそ散善の十一人、みなこれ貴し
といへども、しかもその中において、この四個の行は、当世の人
ことに、欲する所の行なり。これ等の行をもて、ほとんど念仏を抑ふ。
つらつら経の意をたづぬれば、この諸行をもて付属し流通せず。唯念仏
の一行をもて。すなはち後世に、付属し流通せしむ。知るべし釈尊諸行を。
付属し給はざる所以は、すなはちこれ弥陀の本願に、あらざるがゆへなり。
また念仏を付属したまふ所以は、すなはちこれ弥陀の本願なるが故なり。
いま又善導和尚。諸行を廃して、念仏に帰せしむる所以は、ただ弥陀本願の、
行たるのみにあらず。またこれ釈尊、付属の行なればなり。かるがゆへに知りぬ。
諸行は機にあらず、時を失なへり。念仏往生は、機にあたり、時を得たり。
感応豈に唐捐ならんや。まさに知るべし。(つづく)
>>661に補足の続き
隨他の前には、暫く定散の門を開く
といへども、隨自の後は、還て定散の門を閉づ。一たび開きて以後、
ながく閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、
こころここにあり、行者知るべし。またこの中に遐代とは、雙巻経の意によるに、
とをく末法万年の、後の百歳の時を指すなり。これすなはち遐をあげて、
邇を摂するなり。然ればすなはち法滅の後、なをもてしかなり。いかにいはんや
末法をや。末法すでに然なり。いかにいはんや正法像法をや。かるがゆへに知りぬ。
念仏往生の道は、正像末の三時をよび、法滅百歳の、時に通ずることを。」
(『選択集』念仏附属章)
法然上人は、末世の凡夫のわれわれに「持戒の行」などの自力「諸行」を廃し
「念仏」一行をおすすめなのがおわかりと思います。
>>682 方便を以って教化できるのは仏菩薩のみと思われ。
「「仏は方便を以って法を説きたまふ。」(『大智度論』)
悟りを開いて「般若」を得てない泥凡夫には無理なのは間違い
ないでしょう。
「従仮入真」「為実施権」も仏祖の「御化導の次第」ですよ。
「天親菩薩『論』(浄土論)を作りて説かく、修多羅によりて
真実を顕す。」(『浄土文類聚鈔』)
もちろん仏祖の御教化に衆生の機情がついていけるか否かは、
随機随縁随業でしょうが、仏祖が顕された「浄土真実の宗旨」
はあくまで絶対他力の弘願門(十八願)のみで、未だ、真実の
弥陀法を信受してない機類の機情から法をみるべきではないで
しょう。
「仏の平等の説は一味の雨の如し、衆生の性に随って受くる所
不同なること彼の草木の稟くる所各異るが如し。」
(『妙法蓮華経』薬草喩品第五)
仏祖の真実の法門は、一つでも諸機の機情に著するが故に、仏よく対機
して下さる故、八万四千の差別相となって現れるのですからね。
生因三願でも、「真実の十方衆生対被の法門」(十方衆生に勧められている
教え)は、「念仏往生」ただ一つということです。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>655に補足
「『悲華経』大施品に言わく、『願我成阿耨多羅三藐三菩提已、
其余無量無辺阿僧祇諸仏世界所有衆生、若発阿耨多羅三藐三菩提心、
修諸善根、欲生我界者、臨終之時、我当与大衆囲繞現其人前。
其人見我、即於我前得心歓喜、以見我故、離諸障 即便捨身来生我界』と。文」
(『三経往生文類』)
>>668 「浄土宗のなかに真あり仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは
定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。」
(『親鸞聖人御消息』有念無念の事)
定散二善を勧めるのは、浄土真宗ではなく浄土仮門です。
また定散二善を勧められる対機は、「定散諸機」(聖道門の機類=聖者)で
衆生差別の相から言えば、われわれのような「逆謗」「逆悪」とは機類を異
にしてるのは明白ですね。
「よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。凡聖、逆謗、
ひとしく 回入すれば、衆水、海に入りて一味なるがごとし。」
「善導独り、仏の正意を明かせり。定散と逆悪を矜哀して、光明名号、因縁を顕す。
本願の大智海に開入すれば行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、
韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむ、といえり。」(『正信偈』)
695 :
名無しさん@3周年:04/05/20 19:05 ID:Dr2oGAqD
>>332はジャンヌで暴なんとかといって「教えを聞く必要があるかどうかは
知らない」と言ったひとの発言。
「横出は聖道門」とも。「後世物語聞書の御文も聖道門」とも。
それから「親鸞聖人が十方諸有と言われていても、聖道門だけ」とか
「雑行には悪行が含まれる」とかもありましたね。
根拠のないことを並べたがるひとですから、放置してください。
696 :
名無しさん@3周年:04/05/20 19:23 ID:U1EQfXlW
>方便を以って教化できるのは仏菩薩のみと思われ。
「総じていうときは真の善知識というは諸仏・菩薩なり。別して
いうときは、われらに法をあたえたまえるひとなり。いわゆる『涅槃経』にいわ
く、「諸仏菩薩名知識 善男子 譬如船師 善度人故 名大船師 諸仏菩薩 亦
復如是 度諸衆生 生死大海 以是義故 名善知識」といえり。この文のこころ
は「もろもろの仏・菩薩を善知識となづく。善男子、たとえば船師のよくひとを
わたすがごとし。かるがゆえに大船師となづく。もろもろの仏・菩薩もまたまた
かくのごとし。もろもろの衆生をして生死の大海を度す。この義をもってのゆえ
に善知識となづく」となり。されば真実の善知識は仏・菩薩なるべしとみえた
り。しからば仏・菩薩のほかには善知識はあるまじきかとおぼゆるに、それには
かぎるべからず。」(浄土真要鈔)
「仏・菩薩のほかには善知識はあるまじきかとおぼゆるに、それには
かぎるべからず。」仏菩薩ではなくとも仏法をお伝えすることは
できるんですよ。
だいたい、仏の境界がわかるのは仏さまだけですが、ほとんどは仏ではない
方によって伝えられていることからもおわかりかと思います。
だからお聖教の御文は大切なんですね。
>>695 卑しい個人攻撃や中傷はいいから、
>>687-694のレスに反論してみてyo!
それとも反親鸞会側が個人攻撃する事で
「親鸞会の人間はこんな卑しい人間ですよ!」
と印象操作しているのかな?
698 :
名無しさん@3周年:04/05/20 20:04 ID:U1EQfXlW
>>697 >卑しい個人攻撃や中傷
「教えを聞く必要があるかどうかは知らない」というような発言は
いけない発言だということぐらいはわかっているということかね。
反省の弁をのべるのなら、質問にお答えすることは
やぶさかではない。
反省して誤りをあらためようとしているものを批判する気はない。
反省もなくこの発言を続けるなら論議する意味はない、ということ。
699 :
名無しさん@3周年:04/05/20 20:19 ID:U1EQfXlW
「いかなるとがをもきらわねばとて、法にまかせてふるまうべきにはあらず。
されば善導も「不善の三業をば真実心の中にすつべし、
善の三業をば真実心の中になすべし」とこそは釈し給ひたれ。
又「善業にあらざるをば、うやまでこれをとほざかれ、又随喜せざれ」
なんど釈し給ひたれば、心のおよばん程はつみをもおそれ、
『善にもすすむべき事』とこそは心えられたれ。」(浄土宗略抄)
ついでに解説。
この浄土宗略抄というのは、源頼朝夫人北条政子の要請により
書き遣わされたものとされています。
>>698 (プ
言っとくけど、あたしゃ332じゃないよ。
あんたらの間で何があったか、このスレで読んだ以外は、なーんにも知らない第三者。
だからあんたらの過去の経緯なんてどうでもいい、興味がない。
私が読みたいのは、
>>681-694の議論の続きであって個人攻撃や反省会じゃねえんだな。
親鸞会やジャンヌなんか縁の薄い第三者が閲覧している事を忘れなさんなよw
701 :
110:04/05/20 20:35 ID:+Cb/r70I
>>669 定善と散善は、お釈迦様が、阿弥陀仏に向かっての善を教えられたものです。
信前の者が実行すれば、19願の実践になりますから、仏縁が深まります。
阿弥陀仏とのご縁が深まりますので、聖道自力の修行とは大きく異なりますが、
未だ他力に入っていないので、やはり自力の行となります。
信前は何をしても自力なのです。
>>670 勧められています。自力が勧められているのでは決してありません。
他力が勧められ、また、善が勧められています。
702 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/20 20:38 ID:2PIKC9h1
>>664 > 602を読んで下さい。
>浄土真宗に善の勧めはあります。はっきりと、ね。
110さん。あのね。「定散諸機をすすめけり。善とならぬはなかりけり」
ここが問題になるわけね。ここは大事なところだから、しっかり説明しよう。
親鸞思想は善導思想内の急進改革的な思想であり、当時の通説は、正統的善
導思想にあったと考えれば話は分かると思います。
平安末期、日本の坊さん達は何を勉強していたと思いますか。高野山は知ら
ないが、奈良や京都では、みんな善導仏教を勉強していたんだ。今でも、善導
仏教は勉強されているはずだ。善導仏教の本流はどこにあると思いますか?。
善導仏教の本流は、僕は、おそらく奈良・京都の旧仏教にあると思うんですよ。
だから歎異抄では、上京してきた人々に南都北嶺に聞きに行きなさいと言って
るわけでしょう。
善導仏教の本流が南都北嶺にあれば、法然・親鸞仏教は何か。これは、善導
仏教内の急進改革派なんだよ。善導仏教を素直に学んでいくと、法然・親鸞の
主張は実に異端的であることがわかる。法然・親鸞は急進的にその変更を迫っ
た。だから、当時の主流派から弾圧されたんですよ。
善導仏教は、観経疏などを中心に置き、観無量寿経をベースに置いているわ
けです。だから、定善・散善を修行するんです。つまり五正行です。これに対
して親鸞は、称名念仏だけでいいと主張するわけです。法然も親鸞も、その思
想を善導を否定しないで、善導の殻を破り、発展的に導いている。だから難し
さがあるんです。あの時代、善導を否定することは、坊さんは死を意味したで
しょう。問題はその整合性です。
703 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/20 20:38 ID:2PIKC9h1
定善は駄目。散善は駄目。こう言ったらどうなりますか?。善導仏教主流の
考えが骨の随までしみこんでいるのが当時の権力的仏教主流派です。だから、
そういう考えとはできるだけ逆らわない。もともと定善散善というのはすばら
しい考えなんですよ。しかし、一般大衆が学ぶような内容ではない。親鸞は、
「あなた方の考えは間違いじゃない。間違いじゃないけど、こっちの考えはもっ
といいですよ」と言って、自分たちの考えを提示しているんです。
和讃は、関東の門弟に読ませたものでしょう。関東にも、親鸞が行く前から
当時の主流派の考えが先に浸透していたと思います。親鸞を支持する人々には、
そういう主流派の人々と無用の争いを起こしたり、あるいは否定されて落ち込
んでいた人もいたでしょう。親鸞先生の話を別にして直接善導仏教を読むと、
親鸞先生の言うことはおかしい。そう思った人もいたでしょう。親鸞はそう言
う人に対して、相手を否定しないで自分の考え方を示しているんだと思います
よ。
704 :
名無しさん@3周年:04/05/20 20:40 ID:U1EQfXlW
>「仏は方便を以って法を説きたまふ。」(『大智度論』)
『大智度論』の勉強も必要かもしれませんね。
「菩薩の志向するところは一切衆生であり、六ハラミツは菩薩がみずから
行ずるのみならず、衆生を六ハラミツに安立せしめ(56)、
且つ六ハラミツは多く衆生のために説く(92)のであって、しかも
衆生は各各度を得ることが不同である(2)からにはそれぞれの衆生の
器に応じて六ハラミツの各支が個別的に説かれること(22など)、また各支それぞれが
摩訶行であり菩薩法である(52)」
六ハラミツは六度万行です。
やはり一切衆生を導くために説かれた方便であることは
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」のお言葉とあわせてみると
ますます明らかですね。
705 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/20 20:45 ID:2PIKC9h1
>>685 貴方の主張の結論が分からない。
これは、僕の考えに反対する意思ですか?。賛同する意思ですか?。
僕の立場からは、どちらにでも読めます。
反対する意思であれば、後ほど詳しく説明します。
706 :
名無しさん@3周年:04/05/20 20:46 ID:U1EQfXlW
>>700 だから「
>>332はジャンヌで暴なんとかといって「教えを聞く必要があるかどうかは
知らない」と言ったひとの『発言』。」と言ってるじゃない。
「
>>332は...と言ったひと」とは言ってない。
あんたらの興味にはなんの興味もないのでお答えしません。悪しからず。
707 :
110:04/05/20 20:58 ID:+Cb/r70I
>>all
>>602でもう決着がついてますよ。
ここまではっきりと、親鸞聖人が善を勧められているのです。
議論の余地はありません。
それと、現在、家から書き込めないので、長文レスはつけられません。
708 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/20 21:07 ID:2PIKC9h1
>>707 > ここまではっきりと、親鸞聖人が善を勧められているのです。
> 議論の余地はありません。
まあ、聞く耳はないんだろう。聞法聞法といいながら、耳がふさがれていく
のは、カルトの常だ。
物事を柔らかく考えられるようになったら、質問するといい。そのとき周りに
答えてくれる人がいれば、答えが返ってくるだろう。
本人に聞く耳が無くなったときは、どうしようもないものだ。
無宿善の機とは110のことを言うんだろう。
709 :
229:04/05/20 21:33 ID:NT+zHNxi
>>708 俺もそう思うなあ。
バリバリの○Sの頃は「どうにかして聞き誤っている人に
正しく理解して欲しい」なんて俺も思っていたし。
そんな頭の状態では正しいことを言われても反発するしかない罠。
そのうち「まてよ、この道でいいんだろうか」とふと思うときが
来ると思うよ、ちょうど聖人がお山に見切りをつけられたときのように。
その時にでも思い出して貰えれば、偉そうだけどいい縁になったん
じゃないかと思う。議論は平行線だろうなってのはバリ会員相手では
初めからある程度予想できていたし。
爆弾漁法だな
711 :
711:04/05/20 21:51 ID:3MS/ypLP
親鸞会の人たちの反論から読み解くことが
できることも多いと思う。
やはり、信前・信後というところに
こだわりがあるんだなあと。
念仏を信じているわけではなくて
いわゆる自分の経験
教えに会った時の感覚を
信じているように感じる。
本当は苦しいんだろうなあ。
712 :
名無しさん@3周年:04/05/20 22:03 ID:Ybjv8SiL
>>708 よう言うなあ。
なんの根拠もあげずに話してるくせに。
>>702-703のどこに論拠があるんだ。
渡海 難 の過去のかきこ知ってるひとは
聞く耳ないのはあたりまえだろう。
713 :
名無しさん@3周年:04/05/20 22:11 ID:Ybjv8SiL
たとえば
「真宗で名号は、南無阿弥陀仏ではなく、阿弥陀仏だ」というのが
ありましたね。
こういうことも論議にのらないと「聞く耳がないカルト」とか言われるのかい?
正直言って馬鹿じゃない?とか思ったよ。(暴言だと思うなら思ってよし
それほどあほな発言だから)
実際に言ったことだから中傷と言われる筋合いはありません。
714 :
名無しさん@3周年:04/05/20 22:19 ID:Ybjv8SiL
>そのうち「まてよ、この道でいいんだろうか」とふと思うときが
来ると思うよ、ちょうど聖人がお山に見切りをつけられたときのように。
そう必ずきます。そこで諸善をすすめられた真意を知らされるひとと
「諸善をすすめるのはまちがい」と法謗して去るものとの違いは
まさに宿善まかせ。
ここが地獄と極楽の分かれ道なんだよ。
715 :
711:04/05/20 22:33 ID:3MS/ypLP
善っていろんな意味があると思われるんですが、
親鸞会の方々がいう善とは・・・
多分、念仏を広めることって言うんだろなあ
ここに終わりなき循環があると思う。
念仏広める(=教団のために働く=信者獲得)
→善→教団内の地位があがる→
→さらに善を積むため念仏広める
→善→・・・・
終わりなき安住なき旅路だなあ、
新興宗教ってこういう方法をとる所が
多いようですね。
716 :
711:04/05/20 22:36 ID:3MS/ypLP
結局、会社づとめと何らかわらない
信後の生活。
やめときなって言っても、やめられない
だろなー。
辛くても、不条理と思っても
私が仕事を辞められないように・・・
そこに宗教の存在意義はあるんでしょうか
sage
717 :
110:04/05/20 22:52 ID:3DPSX3z2
>>716 宗教の存在意義は、すべてが無常の世の中にあって、絶対に崩れない幸せになれるところにあります。
あなたもなれるんですよ!
718 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/20 22:55 ID:efdfNiEu
>>712-713 何か僕の発言がお気にでも障ったのでしょうか?。
> なんの根拠もあげずに話してるくせに。
> 702-703のどこに論拠があるんだ。
信じる人もあり、信じない人もある。それはそれでよろしいんじゃないですか?。
僕が、あなた方の意見に賛成しないといけない理由でもありますか?。
>>696 あのー、善知識が、仏菩薩に限るなんて言ってないんですが。
「従仮入真」「為実施権」して「方便を以って」衆生を次第に
調機教化できるような方は仏菩薩しかいないと思うということです。
何度も言ってますが、真宗の善知識は、「浄土真実の宗旨」=弘願真実
しか教えられてないと思うのですがいかがですか?
歴代善知識が、「三経差別門」でもって、定善自力の当位において『観経』
顕説の諸行の自力修行や自力回向をお勧めの箇所はどこですか?
例えば、蓮如上人は、どこに『御文章』の「一帖十三」と異なり、「三経は
異なる」として、自力の三心をお勧めでしょうか?
720 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/20 22:58 ID:efdfNiEu
>>717 >あなたもなれるんですよ!
鼻の前に人参ぶら下げ馬を走らせようということだな (w。
721 :
名無しさん@3周年:04/05/20 22:58 ID:VNGr39BY
>>707 決着なんかぜんぜんついてないよ。
逃亡前のすかしっ屁かな?
722 :
711:04/05/20 23:05 ID:3MS/ypLP
>>110さん
ご親切にありがとうございます。
でも、あなたもなれるんですよ、ていうのは
勧め方が間違っているように思います。
親鸞聖人ってそういう風な教化の仕方を
してたんですか。
723 :
110:04/05/20 23:09 ID:3DPSX3z2
>>721 ちゃんと読めば分かりますよ〜
でも、ある程度の教学は必要ですね。
あなたもなりなさい、というところだろうな。
無宿善の機とは渡海難のことを言うんだろう。
726 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/20 23:12 ID:efdfNiEu
>>723 >でも、ある程度の教学は必要ですね。
聞く意志。意欲。そういうものがなければ駄目だよ。
>>699 「いかなるとがをもきらわねばとて、法にまかせてふるまうべきにはあらず。・・・」
「造悪無碍」を戒められるのは、どの善知識も同様と思いますが、これが、「諸善
万行」の自力修行のお勧めということですか? 悪業を止めなければ、相応の苦果
を引くのは当然ですから抑止されるのも当然ですよ。それでもって「心のおよばん
程はつみをもおそれ、『善にもすすむべき事』とこそは心えられたれ。」で宿善が
厚くなるとか仏縁が厚くなるとは教えられていますか?
728 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/20 23:16 ID:efdfNiEu
>>725 > 無宿善の機とは渡海難のことを言うんだろう。
まあ。なんとでも言ってくれ。他人にそう見えれば、それも当たってるんだろう。
僕は自分で自分を宿善の機とは思ってないよ。
信心とか宿善とかは、自分で自分に見えないところにあるんだよ。
だからこそ、二十願から十八願への転入は、自覚を超えて展開していくんだ。
729 :
110:04/05/20 23:18 ID:3DPSX3z2
>>729 >特に間違ってないと思いますよ?
<外道には外道流の考え方があるんだろう。>
>>704 不勉強スマソです。できたら、白文(書き下しだとなおありがたいが)
ででも、該当箇所を正確に引用してくだされば、親切なんですがね。
何せ大部の論書なんで、今のコンディション(おねむw)では、なかなか
お勉強できません。辛うじて、
「衆生は無始よりこの方、常に内外の法に著するが故に、闘諍を起こす。
菩薩は内外の著所を捨て、自ら六波羅蜜多に安立し、衆生を教化して、
内外の闘諍を捨てしめ、衆生を六波羅蜜多に安立せしむ。」(『大智度論』巻五十六)
は該当箇所を見つけましたが・・・。
しかし、何がおっしゃりたいのかよくわかりません。これが、浄土真宗では、六波羅蜜
の自力修行が勧められている根拠だということでしょうか?
『大智度論』は『摩訶般若波羅蜜多経』(『大品般若経』)の註釈ですから、当然に聖道門
の御教えなんですが。聖道門の経論には、六波羅蜜多などの菩薩行の自力修行を「一切衆生」
に勧める御教えは枚挙に暇がないくらいあるんじゃないですか?
732 :
711:04/05/20 23:33 ID:3MS/ypLP
>>110さんへ
あなたもなれますよ、
とても引っかかります。
うまくいえないですが、
執着を感じます。
他力の教えって
いきつくところは執着なのでしょうか
あまり勉強していませんので
うまく言えず、申し訳ありません
733 :
229:04/05/20 23:34 ID:NT+zHNxi
>>729 そう「なれる」か。
いい響きだなあ。俺も親鸞会戻るかな。
信罪福心丸出しだな。
734 :
110:04/05/20 23:37 ID:3DPSX3z2
735 :
711:04/05/20 23:51 ID:3MS/ypLP
>>110さんへ
仏教って無我とか空とかを説いていますよね。
お釈迦さまが執着を離れなさいって言った
のもそのためだと思います。
無我・空って何だと言われたら、
私にはわからないですけど
あなた なれる という言葉は
軽薄なように思え、
無我・空といった思想と
相容れない。
仏教的におかしいんじゃないかなあと
(そんな勉強してるわけじゃないです
けれど)
考えてしまいました。
>>702 そうですね。善導大師は、三論を本宗とされましたから、日本でも智光
上人、永観上人、珍海上人等三論系の方に善導流浄土教は相承されていた
みたいですね。平安期には三論宗は華厳宗の寓宗になりましたから、南都
仏教が善導流浄土教の本流として定着したんでしょうかね。解脱上人や明恵
上人等があれほど法然上人を批判されたのも「こちらが本流」の意識を持たれ
ていたと思います。法然上人は南都の遊学されて、観想中心の天台浄土教と善導
流の無観口称の三論浄土教を融合されたと考えられますね。
まあ慈覚大師や恵心僧都源信和尚の時から天台浄土教に善導流も入ってはいたんです
が最近の研究では空也上人は従来の天台浄土教説から、三論(善導流)浄土教説が有力
になっているみたいですね。源信和尚はそうした影響というか刺激を受けられたのかも
しれませんね。
737 :
名無しさん@3周年:04/05/20 23:53 ID:qRVAlp6P
∧_∧
|.(`□´ )
⊂本願寺 つ ∧_∧
ドカ... | |⌒I、│ (`□´ ) 彡
..∧_∧ ▼(__).ノ ⊂親鸞会 つ
( `□´) ノ∩ / / / 彡
⊂ジャンヌ⊂渡海難 (_(__) バキ
| _/ ./( 。A。 )っ
(__) 彡 U ∨ ∨
一緒にすんじゃねーよ!ボケ!!!
738 :
名無しさん@3周年:04/05/20 23:58 ID:qRVAlp6P
名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/11 19:58
>>535 >阿弥陀仏はいらっしゃいます <死に神様はいらっしゃいます(by栗花)>
>>536 我は阿弥陀なり。<我は死に神なり> 救ってやるぞ。<命を捨てて>すがってこい。(by栗花)
>>537 >阿弥陀仏はいらっしゃいます <死に神様が呼んでます。(by栗花)>
栗花さんよ。おっちょこちょいの死に神信仰など止めなさいよ。 真人間になって人生を真面目に
切り開く道を探したらどう?。
貴方が考えてる他力の教えは外道の他力、あなたが自力という考えの中にこそ他力の教えがあるん
だよ。社会の常識はノータリンの非常識。ノータリンの常識は社会の非常識。
739 :
名無しさん@3周年:04/05/21 00:01 ID:YSK/B4dh
今は本願寺の降誕会の最中みたいですね。
参詣したいな。
>>711 >念仏を信じているわけではなくて
>いわゆる自分の経験
>教えに会った時の感覚を
>信じているように感じる。
禿同ですね。それに「未来に予定されているはずの信心決定の体験」に
固執している方が多いんじゃ?
肝心の阿弥陀様の御心=南無阿弥陀仏様を脇に置いている印象が強い
ですね。
741 :
110:04/05/21 00:05 ID:j+ZFBtVT
>>727 それも明らかに善が勧められてますね。宿善とかは別にして、ね。
これで公認2つ目ですね。
>>735 それは聖道門的な考え方ですね。
真宗は白黒ハッキリした教えです。
>>741 >宿善とかは別にして、ね。
いや、これが肝心なところですが。別に教義上で信前に「宿善になる」とか
「仏縁が厚くなる」とか自力執を募るような教化がされてないならもと
よりノープログレムなんですが。公認2つ目(一つ目は何?)とはどういう
ことでしょうか?
今晩はもう寝ます。おやすみなさい。
743 :
711:04/05/21 00:18 ID:U3+cJXYv
>>332さん
私は浄土真宗初心者であります。
実は西田哲学を読んでおりまして
西田先生の愚禿親鸞というエッセイ
など読まさせていただき、
禅・浄土真宗について知らなければ
読み解くことができないという風に
なりまして、現在に至っているという
次第であります。
信者の皆様方には、大変ご無礼とは
存じましたが、少しお邪魔をさせて
いただきました。
浄土教の展開については、非常に興味
深く是非更なる研究をお願いしたいと
思います。
明日も会社ですが、お念仏と共に生活
を送らせていただきたいと
思います。
場違いとは思いましたが、お邪魔させて
いただきました。
ありがとうございました。
744 :
名無しさん@3周年:04/05/21 00:18 ID:1s4FWrTU
善導大師
七高僧第5祖
613年〜681年(日本は飛鳥時代、大化改新があった頃)
● 著作 五部九巻(特に『観経疏(かんぎょうしょ)』)
● 特色 南無阿弥陀仏の一つで往生することをあきらかにし、
南無阿弥陀仏を深く信じる信心の道をすすめた。(古今楷定)
●略伝
善導は、混乱を極めた隋の時代の末期、現在の山東省にあたる地で生まれ、
幼くして出家します。末法の世に生まれ、修行の及ばぬ身であることを思い、末
法にかなった道を求めて数々の経論をひもといていった善導は、『観無量寿経』
に心をひかれ、一心不乱の修法を重ねましたが根本の信念が得られません。
善導は、各地に名僧をたずね、道を求めることになりました。29才の時、善導は
玄忠寺の道綽に会うことができました。そのとき道綽は80才。道綽の念仏の声は
朗々として善導の心を打ちました。5年の師弟生活のうちに、善導の念仏往生の
信念は確固たるものとなりました。当時は、唐代初期の中国仏教の一大盛期で
あり、各地に有名な高僧を輩出した時代でした。善導は唐の都、長安に入り、
光明寺に住んで広く大衆に門戸を開き、念仏をもっぱらに勧めます。その結果、
「長安の城中、念仏に満つ」といわれるほど念仏が盛んになりました。
善導は『観経疏』を著すことによって、これまでの『観無量寿経』についての
解釈を改め、念仏往生こそ末法悪世の人々のための仏の本意であることを
明らかにしました。これを善導流の念仏といいます。善導は持戒が非常に厳格で、
三十余年のあいだ自分の寝所を定めず、しかも念仏の声は口を絶えず、眼をあ
げて女人を見ないというほどであったと伝えられています。法然上人はことのほか
善導を敬慕され、阿弥陀仏の化身とまであおがれています。
745 :
110:04/05/21 00:27 ID:j+ZFBtVT
>>742 なるほど。じゃあ、その点を明日以降明らかに致します。
善を勧められた一つ目のお言葉は
>>602です。
746 :
名無しさん@3周年:04/05/21 00:28 ID:YSK/B4dh
現在は、本願寺っていろいろ分裂しているみたいだけど、
やっぱりすごい。
747 :
名無しさん@3周年:04/05/21 00:30 ID:1s4FWrTU
110さん、親鸞会では高森会長の求道記が刊行されていると思うのですが、
そこで高森会長はどのように具体的に19願、20願の願行をされたと述べら
れておられるのか、是非ご教示頂きたいと思います。
高森会長はご自身で行ってもいない願行を、会員に行えとは言われないと
思いますので。
748 :
711:04/05/21 00:32 ID:U3+cJXYv
>>110さんへ
寝るまえに教えていただきたいことがあります。
善ってなんなんでしょうか?
749 :
110:04/05/21 00:43 ID:j+ZFBtVT
>>747 そういうご教導はございません。
理由は明日にでも…
>>748 広い意味では、善果の因です。
ここでは原則として、私たちの三業のよい行いという意味で使っています。
750 :
505:04/05/21 00:45 ID:wy9LbTfA
>>701 >定善と散善は、お釈迦様が、阿弥陀仏に向かっての善を教えられたものです。
信前の者が実行すれば、19願の実践になりますから、仏縁が深まります。
ご無沙汰してます。すぐにお返事できるかどうかわかりませんが、
以下について教えてください。
「我得仏十方衆生発菩提心修諸功徳至心発願欲生我国
臨寿終時仮令不与大衆囲繞現其人前者不取正覚 」(十九願)
親鸞会では十九願の実践が勧められているようですが、
信前の会員の方は、「大菩提心」を起こして、「至心に」発願された末に、
臨終の正念・化土の往生を目指して定・散の修行をしておられるのでしょうか?
本当にそんな実践が可能なのですか?教えてください。
定善と散善は要門だからということで、あなたの書き方だと
親鸞会では信前の人に対して定善・散善の両者とも勧められているように
理解されますが、そういうことなのでしょうか?
そして、十九願・二十願に抑止門が説かれてない件はいかがでしたでしょうか?
ところで蓮如上人は十九願の実践を勧めておられるのですか?
私は全くそのようには思いませんが、もしございましたら御文章でご教示ください。
751 :
711:04/05/21 00:55 ID:U3+cJXYv
>>110さんへ
三業とは身・口・意のことですよね。
信後は、これを常に気をつけて生活していく
ということなのでしょうか?
752 :
505:04/05/21 01:02 ID:wy9LbTfA
まとめ:
親鸞会では、要門を勧めている
→親鸞会では、横出の法門を勧めている
→浄土真宗では横出の法門を廃し、横超の法門を立てている。
→親鸞会は浄土真宗とはいえない。
真宗が善を勧めているかいないか、要門に入る必要があるかどうか、
この議論はさんざんジャンヌでも繰り返されているけど、はっきり
言って空しい。
いいよ。仏教は廃悪修善で。だったらなんで嘘つき勧誘するんだよ!
嘘は悪じゃないのかよ!お釈迦さんは、教えを広めるためには、嘘
も許されるとおっしゃったのかよ!
こういうことをすっとばして、いっくら強弁しても、何の意味もない。
この会のダミサに誘われて怪しく感じている人は、要するにそこだけ
見てたらいいと思うよ。嘘つきでもいいから「真実」に触れられたら
いいと思う手合いには、いうべき言葉はありません。自己責任でやっ
てくらさい。以上。
結局、親鸞聖人の比叡山時代が19願でやる必要があるなら
比叡山の仏教を廃立で完全に否定するはずはないし
その19願を逆に勧めるs会は
少なくとも親鸞聖人とは逆のことをやっていると
>>735 幸福とは不幸の対立概念であり、分別の世界のものですからね
幸や不幸、楽や苦といった世界を越えたところに悟り=無分別智があるのでしょう
(私は悟ったわけじゃないから断言などできませんが)
私見では、信仰を得た人は、”絶対に崩れない幸せ”な境地になるのではなく、
苦悩と苦痛を含めたこの世界と人生を、そのままに受け入れ、
この世の生きとし生けるものに感謝をするようになるのではないかと思う
(ここは、すべてが無常の火宅であるが、同時に阿弥陀仏の光明が満ちた浄土である、と)
信を得たからといって、人生から苦悩が消えるわけではないし、
この世界が無常である事にも変わりはないし、自分が聖者になるわけでもない、
けれどもそれでも、この世界に意味と価値と感謝の気持ちをを持つようになる
(だから、あらゆる局面で報恩感謝の念仏が出て来るようになるのでは?)
信仰を持つ人には
”良き時も、悪しき時も、富める時も、貧しき時も 病める時も、健やかなる時も”
神か仏か虚空と呼ぶか・・・まあ何と呼んでもいいけど大いなる力が共に在るのではないでしょうか?
私はこのあたりに宗教の存在意義があるのだと思う
・・・まあ、一口に信仰と言っても色々あるんだろうけど
757 :
名無しさん@3周年:04/05/21 03:07 ID:vz9TYi6y
親鸞会の三願〜なんて、教線拡大に都合がいいからとってつけただけ。
何とでも言える。
聖人の仰った「19願」と「親鸞会の宿善」=「お布施、勧誘、会長の講演会に参加する事」は違う。
又。教線拡大、カリスマの確立を狙った覚如、蓮如等の言葉をバイブルにして適当に引っ張り出せば、カルト団体をつくるのに非常に都合がよい。
だから親鸞会は「親鸞=覚如=蓮如」という事を強調する。
この前教習所行ったんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて車を運転したわけですわ。正直最初は車の運転って簡単だと
思ってたのよ。みんな普通に運転してるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは人が乗るもんじゃない。神だね、神が乗るものだよ。
最初に発信させる時さ、めちゃめちゃびびってアクセルそろ〜って踏んでクラッチそろ〜っと離したのよ
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって両方離しちゃったのさ。
そしたら教官がさ「もっとアクセル踏んで!」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だからアクセル踏んだのさ。えぇ、そりゃもう踏みましたとも。全てを忘れて踏んだよ。後方確認とかクラッチとかウィンカーとか色々忘れてね。
だって教官が踏めって言ったからね。
そしてらエライ事になった。
もうすごい急発進。すごいG。8Gくらい。ドラクエなら薬草だって買える。
それで横見たら教官がすごい勢いで俺の事見てんの。ホントごめんなさい。
正直「男ならマニュアルだぜ!」なんて見栄張らないで素直にオートマにすりゃよかったと思ったよ。
心の底からマニュアルにした事を後悔したね。
でも教習所出て友達と「前のオートマとろかったな!これだからオートマは。」とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ人間。
誰か助けて下さい
アメリカでヤフーニュースとグーグルニュースのどっちがいいか、という
人気投票があった。その結果、圧倒的にグーグルニュースのほうが人気があ
り、投票した人の61パーセントはグーグルに軍配をあげた。ヤフーは22
パーセントの投票を集めた。その他アルタビスタなどは、無視してよいほど
の投票で、二強が激しく争っている様子が見える。
761 :
名無しさん@3周年:04/05/21 08:07 ID:ZGLm7wrT
>>719 >真宗の善知識は、「浄土真実の宗旨」=弘願真実
しか教えられてないと思うのですがいかがですか?
蓮如上人、仰せられ候う。「方便をわろしという事は、あるまじき
なり。方便をもって真実をあらわす廃立の義、能く能くしるべし。弥陀・釈迦・
善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうることなる」由、仰せられ候うと
云々」(御一代記聞書)
真宗においても善知識は「方便によって真実をあらわす」とのおおせです。
善のすすめの根拠は何度もあげられているとおり。
廃悪イコール修善ですから、「善のすすめがある」のはあきらか。
抑止も方便です。
762 :
名無しさん@3周年:04/05/21 08:16 ID:ZGLm7wrT
>>信罪福心丸出し
ないよりはずいぶんよい。
信前なんだから。
763 :
名無しさん@3周年:04/05/21 09:01 ID:3OgclGoh
>>762 信罪福心を肯定的にとらえているようですが、その根拠は?
信罪福心とは自力執心のことではないのですか?
自力執心のあるあいだは報土往生できないのでは?
だから?
陸上男子 日本記録 韓国記録 日本ジュニア記録
日本 韓国 日本ジュニア記録
100m 10.00 10.35 10.24
200m 20.03 20.41 20.29
400m 44.78 45.37 45.18
800m 1.46.18 1.46.50 1.47.13
1500m. 3.38.24 3.40.73 3.38.49
5000m. 13.13.40 13.50.35 13.35.2
10km 27.35.09 28.48.07 28.17.38
110mH 13.47. 14.00 13.92
400mH 47.89. 49.80 49.90
400mR 38.31. 39.43 39.30
走高跳 2.32 2.34 2.29
棒高跳 5.75 5.53 5.50
走幅跳 8.25 8.00 8.10
三段跳 17.15 16.73 16.29
砲丸投 18.35 18.14 17.40
Hmr投. 84.86 65.95 68.00
槍投げ 87.60 79.08 76.54
デカスロン. 7995 7651 7169
766 :
名無しさん@3周年:04/05/21 18:53 ID:YSK/B4dh
767 :
名無しさん@3周年:04/05/21 20:08 ID:wsW9a21o
>>763 信前なら信罪福心があるのは当然?このように平然と言い放つ神経を疑います。
信罪福心は真宗では捨てなさい、と嫌われているんじゃないのでしょうか。
親鸞会は「他力」と「自力」の勧めを場面に応じて巧みに使いわけています。
あるときは他力をすすめていますが、
普段は「手段を選ばない、自力の勧誘・ザイセ活動」を会員にしむけています。
それは対機説法などという上等な代物ではないようです。
会員に自力の勧誘・ザイセ活動を熱心に実践しむけるために、
会の拡大を図る目的でT会長が考案した独特のロジックに過ぎないように見えます。
768 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/21 20:13 ID:vfF1P59K
>>732 >うまく言えず、申し訳ありません
110さんの言葉に、本人は意識してないと思われる空々しさ、歯がゆさを僕なん
か感じるんだよね。
>>734 > 732 ?> 733 ?? 心が通じない感じだ。
>>735 >仏教的におかしいんじゃないかなあと考えてしまいました。
なるほど。
>>736 僕はここで浄土教教理史を議論しようと思わないから踏み込みません。概ね、貴方
の考えには賛成のようです。
善導流の無観口称というここはひっかかります。善導さんは観仏もする、口称もす
るという方でしょう。
法然・親鸞仏教を善導仏教の本流と考えると、法然・親鸞の考え方が分からなくな
ります。法然は善導仏教を換骨奪胎し、親鸞はそれを粉微塵にした粉砕者と考えた方
がいい。しかもそれを二人は善導を百%肯定し、自らが善導の正当な後継者という形
を取っている。教行信証などは、その理論的矛盾の相克が非常におもしろい。
親鸞は、善導仏教をそのまま受け継いだという前提で考えると、親鸞仏教などはち
んぷんかんぷんですよ。
769 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/21 20:14 ID:vfF1P59K
>>741 >これで公認2つ目ですね。 <あんた、豆腐の角で頭休めてるといいわ。>
>>745 >善を勧められた一つ目のお言葉は> 602です。 <馬鹿馬鹿しい>
>>749 >私たちの三業のよい行いという意味で使っています。
<あんたらにとって、嘘つきが良い行いなんかね?。>
>>753 >はっきり言って空しい。 <卓見だ>
>>762 >ないよりはずいぶんよい。信前なんだから。
あんたら、信前を何年やってれば気が済むんだい?。500年なんてすぐ過ぎるんだよ。
親鸞が旅先で一夜を過ごしただけの家が寺になり、その後数百年間も続いているという例
がある。信心なんか、本質的には一日、二日で伝えられものなんだよ。四日聞いても分か
らん聴聞なんか止めてしまえ。一年聞いても分からん外道なんかはつぶれてしまえ。
>>764 >だから? <潰れてしまえ>
>>769 ちんぷんかんぷんなら、あんたが潰れろ。
771 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/21 20:51 ID:vfF1P59K
>>770 >ちんぷんかんぷんなら、あんたが潰れろ。
あんたら、白道が燃えて自分たちの信心が転覆してることを知らんのよ。M野さんに聞
いてごらん。あの人は知ってるだろう。
M野氏と書いたら分からないか?そんなことないよね。
「『あんたらの信心は転覆してる』って渡海が言ってるがどういう意味ですか?。」って。
多分説明してくれるだろう。
あんたらの信心は、親鸞会発足当時から転覆してるんだよ。
Mnoさんと渡海 難さんは面識あるの?
773 :
711:04/05/21 21:41 ID:U3+cJXYv
仕事終わり帰宅いたしました。
>>度 海難さんへ
はじめまして
あちらこちらで叩かれているみたいですが、
めげずにがんばってください。
真剣に親鸞聖人と向き合っている姿勢が
好感がもてます。
レスの言葉遣いで
損をしているのでしょうか?
パーソナリティの問題なのでしょうか?
(インターネットは相手の顔が見えませ
んので・・・まあそこが日常生活と
ちがう魅力なのでしょうが)
私は浄土真宗の信者ではありませんが、
真剣に人にほれ込み、
真剣に人と向き合うことは、
学びの基本であると感じます。
>>761 真宗では、衆生済度の方法である方便は通常、権仮方便と善巧方便の二種に分別
されるようですが、蓮如上人は、いずれにせよ大事にしなければならないと仰って
るのだと思います。「方便をもって真実をあらわす廃立の義、能く能くしるべし。」
というのは、「廃立」といわれているのですから法門のことですね。仏祖が、真実を顕す
為の所廃の権方便の法門(他宗他門のことですね)を悪く思ってはならないという意
になりますね。今から権方便門に入門することをお勧めなのではないですね。
造悪無碍を抑止されたのは、「廃悪修善」の自力の方便権門(=他宗他門)へ
の入門のお勧めとは全く違いますよ。真宗のお勧めは言うまでもなく、十八願
弘願門ただ一つです。高森師も昔(『顕正新聞』縮刷版1の第41号、昭和43年
4月15日発行の第三面)、「わが親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の浄土真宗の
教えは十九願や二十願の教えではなく、十八願真実の教え、いわゆる信心正因、
称名報恩の教えでありますから、信前信後を問わず一貫してこの真実の教えを説
かねばなりません。」と仰ってますけど今は違うのですか?
一体、親鸞会では、要門(=十九願の教え)を勧めているのかいないのかどちら
なのでしょうか?
転覆渡海は、放置でお願いします。
>>774 訂正 誤り(『顕正新聞』縮刷版1の第41号、・・・)
正解(『顕正新聞』縮刷版1の第71号、・・)
>>768 > 善導さんは観仏もする、口称もするという方でしょう。
そうですね。善導大師は「念観両宗」で未だ「念観廃立」という
ところまでまでは言われてないですね。しかし師匠の道綽禅師
でさえ、『観経』を「観仏為宗」と解釈なさっていたくらい
(『安楽集』は、『観経』の釈ではありませんが、道綽禅師にも
『観経疏』があったという目録があるそうですね)浄影寺慧遠法師
の『観経義疏』の「観仏為宗」の解釈がスタンダードだった当時の
中国仏教界では、それでも破天荒の主張だったみたいですね。
>>761へ追伸
ところで、蓮如上人が「三経は異なる」として「自力の三心」をお勧めの
箇所はあるのでしょうか?への回答もお忘れなくお願いします。
>>745 よろしくお願いいたします。ところで110さんは、私のレスを
いくつかスルーされてますが異論がないということなのか単にお忘れ
ということでしょうか? 後者ならこれもよろしくお願いいたします。
>>549 →
>>460 551 → 531
655 → 646
694 → 668
なお、
>>694は例の1つ目という
>>602への
レスでもあります。
あと付け加えますと、
「つぎに諸行往生の機は臨終にを期し、来迎
をまちえずしては胎生・辺地までも生るべからず。
このゆえに穢体亡失するときならでは、その期する
ところなきによりてそのむねのぶるか。第十九の願
にみえたり。勝劣の一段におきては、念仏往生は本願
なるについて、あまねく十方衆生にわたる。諸行往生は、
非本願なるによりて定散の諸機にかぎる。本願念仏の機の
不体失往生と、非本願諸行往生の機の体失往生と、殿最懸隔
にあらずや、いづれも文釈ことばにさきだちて歴然なり。」(『口伝鈔』)
778 :
名無しさん@3周年:04/05/21 23:16 ID:1s4FWrTU
名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/07 20:17
>「自律訓練法」です。
自律訓練法というのは、僕が提案している念仏法の紛れもない一つの断面だ。外に頼るものがな
く、精神的に疲労困憊したときは、自律訓練で危機を乗り切る。外に方法があればそれを使っても
いいけど、外になければ、自律訓練法を使わない手はない。これは一番簡便だ。
親鸞は、実益性のない空理空論を他人を薦めていると思うのかい?。流罪になり、精神的に疲
労困憊したとき、宗祖はどうしたか。宗祖ほどの偉い人が、仮に流罪になっても、精神的に疲労困憊
するようなことは絶対にあり得ない。疲労困憊しても、自律訓練法で立ち直るなんてことは、絶対
にあり得ない。こんな風に思うのか?。気休めで呆けていれば、救われるとでも思うのか。
親鸞を救ったのは、現代の我々が言うところの合理的な自律訓練法だろう。親鸞は、実益性を自
律訓練法に置き、空理空論を排して併せて、教育・学習の重要な原理を、念仏という形で教えてく
れているんだよ。
>親鸞とか念仏を利用するのは止めなさい。 <あんたらが操る親鸞人形とは無関係だよ。>
>>747 遅レスすみません。御丁寧にどうもです。西田哲学は、私には
難解すぎてついていけないですが、禅は昔少しですがかじった
ことありますね(「かじった」もいなかいで「舐めた」くらいかなw)。
親鸞会に興味をもたれたキッカケは何ですか? 私は大昔に、半年ほど
その系統のサークルにいたことあるのですが。
711さんの仏教観を是非もっと披露していただあきたいですが、ここは
スレ違いだし、真宗スレは毎度w荒れ気味だし・・・。
一度ここでも話題の某ジャ○ヌにでもレスしていただきたいですね。
780 :
747:04/05/21 23:45 ID:1s4FWrTU
>>779 332さん、親鸞会に興味をもったきっかけは、高校時代に学校へ突然やってきた
人に、「生きがいについて考えたことがあるか?」とか話かけられたことですw
「○○くんはどう思うの?」とか言われて、ドッキリしたのだけど、胸の名札を見て
言っているのかと、どうも怪しい人だと別れたことです。後に、親鸞会という会の
人のようだと分かり、宗教を勉強する傍ら、親鸞会のことも目にする度に、興味を
感じて、調べたりしました。
しかし、三願転入の独自の解釈には、三願転入の勉強をする良いご縁を頂いた
と思っています。
110さんのレスを待ちながら・・・・・・・・
781 :
711:04/05/22 00:08 ID:hrINbVoY
>>332さんへ
お恥ずかしいことに
確固とした仏教観と言えるものは
私にはないように思います。
今の私の命題は、
絶対矛盾の自己同一ということでして、
非常に浄土真宗の考え方に
似ているところが多いと考えている方が
いらっしゃるので
それならば、
実際の信者の皆様から
生の声を聞いてみたいと
非常に不遜な考えで申し訳ないのですが
考えた次第なのであります。
親鸞会については
悪評もある
浄土真宗系の新興宗教ということは
知っておりますが
内容については存じ上げません。
申し訳ございません。
782 :
名無しさん@3周年:04/05/22 00:16 ID:ysIhIeUG
いま東と西の本願寺の総門徒数って、それぞれどれくらいなんだろうか。
783 :
711:04/05/22 00:47 ID:hrINbVoY
>>332さん
親鸞聖人の著作は何冊か読ませていただきました。
私にとっては非常に難解な書物でありましたが、
幸いなことに実家が本願寺派のお寺であり、
父にたずねながら、なんとか読むことができました。
生死の海に浮かびながら、(=分別・主客)
如来の絶対の慈悲(=無分別・主客未分化)に
包まれるという教え・生き方は
絶対矛盾の自己同一という西田哲学にも
大いに関係性があると思ったことです。
浄土真宗の教えをこのように解釈するのは
不遜かもしれませんし、解釈自体間違っている
かもしれません。
どなたかご訂正いただければ幸いに存じます。
784 :
110:04/05/22 00:59 ID:X2hHLXjc
私が家から書き込めないでいるうちにすごい展開ですね…。
しかし明日も早い。すみませんが少々お待ち下さい
785 :
747:04/05/22 01:13 ID:JKHVNKLE
>>783 >絶対矛盾の自己同一という西田哲学
星野元豊という浄土真宗の哲学者の本に出てきましたね
難しくてよくわからなかったのを覚えています
私の手元にその本があるので確認すると「真宗の哲学的理解」(法蔵館)の
近代哲学と宗教という章で触れていました
少し目を通すと
『西田哲学はものの「真実」に迫るという哲学的態度をもって、「真実」が仏教の底にひそむことを見出し
その「真実」を如実に西洋哲学の論理的表現でもって語ろうとした」だそうです
絶対矛盾の自己同一は真宗というより、大乗仏教の根本原理である空の教えに根ざすものだそうです
たしかに、真宗の二種深心などに限らず
「煩悩即菩提・生死即涅槃」「色即是空・空即是色」などにも”矛盾するものの同一”の思想は見られますね
787 :
711:04/05/22 02:11 ID:hrINbVoY
>>786さん
ありがとうございます。星野元豊さん
という方を知りませんでした。
早速、読んでみることにします。
西田哲学は未だ完成していません。
最後の論文(未完で終わっている)
では宗教について論じようと
試みており、宗教を含めた哲学体系を
構築しようと考えていました。
またよろしくご教示下さい。
でも、スレ違いですね。
皆様ありがとうございました。
おやすみなさい
また部外者のふりして会員が書き込んでるな。
ばれてんだからやめれ。
790 :
名無しさん@3周年:04/05/22 08:13 ID:nLKT/RHm
>>774
>「方便をもって真実をあらわす廃立の義、能く能くしるべし。」
というのは、「廃立」といわれているのですから法門のことですね。仏祖が、真実を顕す
為の所廃の権方便の法門(他宗他門のことですね)を悪く思ってはならないという意
になりますね。
はあ?「方便もって真実をあらわす」が「悪く思ってはならない」ですか?
どなたか、この日本語わかる方おられたら説明お願いします。
暴なんとかさんと同じような言葉使いですね。
クローバーかなんかのお仲間ですか?
>ところで、蓮如上人が「三経は異なる」として「自力の三心」をお勧めの
箇所はあるのでしょうか?への回答もお忘れなくお願いします。
親鸞聖人と覚如上人のお言葉でまだ不満なのはなぜでしょうか?
あなたは「教えすすめる必要はない」というひとをどう思いますか?
私は,そういうひとは聖人のみ教えを信じているひととは言えないですから
お話する必要はないと思います。
ひろゆき殺人予告スレ立てたのどうせ珍乱会のアフォ会員だろ。
俺の仕事は弁当に付いている小魚型醤油入れのキャップ締めだ。
毎日毎日、キャップ締め。既に醤油は入っている状態で、
こぼさずに毎日毎日締め続ける日々。
醤油入れは、同僚の先輩Kが担当だ。彼も毎日毎日醤油入れ。一日中、醤油入れ。
ある日、キャップ締めに飽きた俺は、醤油入れをやらしてくれと
先輩Kに言った。そしたら「お前にはまだ早い」と言われた。
醤油入れには、十数年のキャリアが必要らしい。
Kは容器の小魚の表情で醤油の量を決めるらしい。
曖昧な量だが小魚の心を読み取り適正な量にしてるらしい。
仙人の領域だ。
俺は大学を出てからキャップ締めを5年続けているが、
「まだ早い」との言葉で目が覚めた。
締める作業もおくが深い事を知った。学校では教えてくれない社会のルールだ。
締めすぎては、使用するとき硬くて使いづらい。もちろん、ゆるすぎてもダメだ。
先輩Kが言った。この調子ならあと5年したら醤油入れができるらしい。楽しみだ。
小魚型醤油入れを弁当で見かけたら、2人のチームプレイ
YAZAWAです。
ここが噂の2ちゃんねる?いいじゃない。いい感じじゃない。
何てゆうの?こう、若い人達の情熱?魂の叫びって感じ?ソウルってゆうの?
そういうのYAZAWA、嫌いじゃないんだよね。
ここにいる人達、何?親鸞会ってゆうの?
すごい親鸞会にインタレスティングもってくれてるわけだけども、そういうのってさ、
YAZAWA的にもやっぱ嬉しいわけよ。
まぁ、YAZAWAとしてはこれからも走り続けるわけで、それはいくら
ジジイになろうが、そのスタンスを変えるつもりは、ダイレクトに言うと、無いわけよ。
ここにいる人達も、何てゆうんだろ?こう、どんなにジジイになっても
バカやってる夫妻を暖かい目で見守って欲しいよね。言いたいのはそれだけ。
それじゃ、YAZAWAでした。ヨロシク!
番組で1について話したゾマホンです。
あのね 前はずっと1を見るといつも怒っていたけど やっとわかってきた1は本当の犠牲者
なぜ犠牲者かというと 1の親は自由というものを結構入れすぎるから こういうパソコンとかが
いっぱい与えた
>1はパソコン好きでたまらなくて引きこもった それはいけないことです。それはごはん親が運
ぶ ダメです。
というのは親のせいだけじゃなくて この社会のえらい人々アイティ革命のせいだと私は思う
こういう2ちゃんねるは100%間違い もっときれいなホムページをすすめたい
例えばヤフー あるいは首相官邸 ああいうページはたくさんある あなたは1ヶ月で100万の
スレ荒らす それは怖いよ
荒らしをしてる あなたは荒らしをしてる それはね荒らしまでね人の名前を煽って(誤字:O 騙
って)
キショヲタで自分の部屋にひきこもって臭いは本当にきれいな人間とは言えない 以上 変わっ
てください
物理学者と化学者と経済学者が同じ車両に乗り合わせていた。
スカートの短い女子高生がいたが、パンツが見えそうで見えない。
物理学者が言った。「風を送ってみよう」しかしスカートは変形するだけでなかなかめくれない。
化学者が言った。「空気を温めて流動で持ち上げよう」しかし周囲には火をおこすようなものがなかった。
最後に経済学者が言った。「ここに手鏡があると仮定してみよう」
ある大学で教授が女生徒Aに、
「適当な条件下で、大きさが通常の6倍になる体の器官を挙げてください。
その時の条件も言って下さい」と質問をした。
指名された女生徒Aは、顔を真っ赤にしながら冷ややかに
「これは適切な質問ではありません。この件は学校に告発します。」
と答えた。
しかし教授は平然としたまま、別の生徒に同じ質問を繰り返した。
次の女生徒Bは落ち着いて答えた。「目の中の瞳です。暗いと大きくなります」
「正解です。それからAさんには言いたいことが3つあります」と教授は続ける。
「1つ、授業は真面目に聞きなさい」「2つ、あなたの心は汚れています」
「3つ、6倍になるなんて思っていたらいつの日か本当にがっかりする日が来ます」
今日吉野家某店で俺がトイレに入ったとき聞いた話だ。
個室で用をたしていた俺の隣に誰かが入ってきた。
普通個室ごしに話しかけたりなんて絶対ないんだがいきなり
「おぅ、こんちは」
と来た。正直俺は「は?」と思ったがしょうがないので
「こんちはっす」
と答えたさ。そしたら
「最近どう?」
とたわいのない話してきやがった。しょうがないので
「まぁ普通だよ。忙しいのかい?」
と適当にお茶を濁した。そしたら急に相手は声色が低くなり小さな声で
「ちょっとかけなおすよ、何かとなりにいちいち返事する変なのがいる」
・・・
俺は涙が出たね
>>790 >はあ?「方便もって真実をあらわす」が「悪く思ってはならない」ですか?
>どなたか、この日本語わかる方おられたら説明お願いします。
「方便をわろしという事は、あるまじき」とはじめにある通りです。?「方便を
もって真実をあらわ」されたのは当然ながら仏祖ですよ。「方便をもって真実を
顕す」の主語は言うまでもなく仏祖ですから、これは「御化導の次第」のことで
あり、衆生の体験の相ではありませんね。「為実施権」で仮に設けられた真宗以外
の所廃の権仮の(在世正法相応の)法門(=他宗他門)をわろしという事あるまじき
という意味になりますね。
>親鸞聖人と覚如上人のお言葉でまだ不満なのはなぜでしょうか?
蓮如上人には自力の三心をお勧めの御教えは「無い」」ということで
よろしいですね。親鸞聖人と覚如上人のお言葉とは
>>682のことですか?
これも他所含め再三やり取りがありましたが、『唯信鈔文意』のお言葉
は、定散諸機の「自力の三心」は、報土往生の因ではなく「胎生、辺地
往生」の因であるから、はやく「真実利他の信心」を獲ることのお勧めで
あり、『改邪鈔』のお言葉は、「自力の三心」は真実ではなく所廃の方便
であり、仏様の真実信心(三信)とは、はっきりと判別すべきというお示
しです。いずれも「自力の三心」をお勧めなのではありません。
また化土往生の定散諸機とわれわれ底下薄地の泥凡夫(逆悪、逆謗)とは
機類が違うことについては
>>694 >>777を参照のこと。
>>790 >あなたは「教えすすめる必要はない」というひとをどう思いますか?
あんましひつこいので他所でのやりとりをアップします。
この書き込みが「あなた以外のひとが教えを聞く必要がある、
ということか、ないということか」ハッキリさせてから書きなさい。
「わからない」のなら、あなたはこういう書き込みをする
資格はない人だと思うから、お話する気はありません。
私の書いたことを黙って見ていなさい。
今みると、最初に「教えすすめることが必要」の意味と
主語を確認してから、返答すべきでしたね。“私が”
真宗の御法を、御本願のおいわれをお聞かせいただく
必要がないと言っているのでないのはおわかりと思います。
「教えすすめる」といわれるのは、また例によって「布教」
の意味なんでしょうか? 上でも言っておりますように私は、
僧侶でも布教師でもない一介の在家です。私が、御佛縁をいた
だいたのも仏様の御育てだし、御信心をいただいて「自信教人信」
というのも全てが阿弥陀様の御回向であり、独り働きであり、
仏法(真実)は広めるのではなく、広まるものだという私見を
述べさせていただいただけなのですが何か問題がありますでしょうか?
「言わずにおれない」というのもわかりますが、それはあくまで
「煩悩の所為」であり、御縁をいただいて他の方に仏法のお話しを
させていただくことはあっても、凡夫の分際では、所詮は阿弥陀様の
お邪魔になることしかできない。とても「布教」だとか、ましてや
「破邪顕正」などと言えるようなものがらではないという私見を
申し上げたのです。 (つづく)
>>790 >「あなた以外のひとが教えを聞く必要がある、ということか、ないということか」
「教えを聞く」ということが、浄土真実の宗旨である阿弥陀様の御本願の御言われ
を聞かせていただくという意味でしたら、私以外の真宗を求めらておられる方も
「聞く必要がある」ですね。
本当は、「全人類が」「全仏教徒が」と言いたいところですが、佛教とか末法思想
が普通に上下に信仰されていた中世とは、現代は違うし、「宗論はどちらが負けて
も釈迦の恥」とも言われますように、「我が宗尊し」の他宗批判は、どうしても
「我田引水」のオンパレードになりがちで、傍からみれば「どっちもどっち」で
客観的な証明などはおよそ不可能です。佛教には「批判佛教」の伝統的側面が
インド以来厳然とあることも事実だし、親鸞聖人の御本典などの御著書には、
「宗教批判の原理」があることも事実でしょうし、そもそも「宗旨決判」とか
「教相判釈」などというのは“そういうもの”だと思います。
ただ、私はs会がよく主張されているような「折伏」的な言動が親鸞聖人の
スタイルだったとは考えておりません。“原理”としては、他宗他門批判と
真宗開顕はパラレルですが、それは、勝他の執を募る性格のものでも、戯論的
な「客観論」でもなく親鸞聖人の内面的な求道の結晶としての「主体的解釈」
だと思います。それは、膨大な「引文」の羅列の間に(梅原猛先生の言をお借り
しますと)「砂漠の中のオアシスに出会う」かのように「自釈」を入れられると
いう御本典の記述スタイルにもよく表れていると思います。(つづく)
>>790 お聖人は、それを以って対他的に宗論を挑まれたり、権力者などに自分の教えを
採用してもらうような働きかけもなさっておられませんよね。御本典自体は、
お聖人の生前に開版公開された形跡はないし極一部の門弟しかその存在もご存知
なかったと思います(これは、法然上人の生き方と似ていますね)。覚如上人の
『口伝鈔』の「一切経御校合」の記述は、史実であるとするには無理があるよう
ですが、何らかの元ネタがあったとすれば(これも、批判が多いですが、
寺田弥吉先生等が主張されている以仁王挙兵以来の日野氏と清和源氏とのコネの
延長で親鸞聖人は、宇都宮氏とか熊谷氏などの関東の有力武士とのコネを持たれ
ていたという説もありますね)、最明寺入道(北条時頼)の若い頃からのコネが
あった可能性はありますよね。最明寺入道といえば、後に道元禅師が、建長寺の
開基になるように依頼されたり(鎌倉までは下向されますが、最終的には固辞さ
れましたが)、日蓮聖人が、最初に『立正安国論』(略本)を献上された相手です
よね。ですが、そうした自分の教えを権門に「売り込み」をされたり、他師に「宗論」
を挑むような手法とは親鸞聖人は無縁だったといってよいと思います。(つづく)
>>790 ましてや、現代は、近代仏教学も発達して、真宗に限らず伝統的な「教相判釈」が、
“そのままの教条主義的な形では”説得力をほぼ喪失しました。佛教以外の思想
状況も中世とは比較にならないくらい複雑です。お釈迦様にしても、正覚を得ら
れても、衆生に法を説くことを暫く躊躇われたという説話がいくつかありますよね。
佛教徒の立場からすれば、菩提道以外の道は、迷界を流転輪廻する道ですが、
佛教徒の立場からしても、その「ライフスタイル」の主体的選択を否定はできま
せんし、上記の信仰的前提は言うまでもなく、「社会的には」佛教徒の間でだけ
通用するルールですよね。社会の一部として生きて(生かされて)いる個人と
しては、佛教徒以外のルールも同様に尊重する必要もまたあるでしょう。ま上記の
ような状況から現代では、無宗教の方や、他宗他教の方などの、一人一人の主体的
な御意志や、御縁を尊重する必要性がますます強まっていると思いますが、
そうした「主体性の尊重」は、佛教の伝統的精神とも決して相反するものでは
ないと思います。まあ、でも御念仏を喜ばせていただいている一信者の立場から
言わせていただけば、一切衆生に聞いていただく必要がおありなのは、
菩提心(願往生心)の欠片もないわれわれ泥々の凡夫ではなく「一切衆生の往生」
に自らの正覚を、御命をかけておられる阿弥陀様の方ですよね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>790 一体、親鸞会では、要門(=十九願の教え)を勧めているのかいないのかどちら
なのでしょうか?
これの回答もスルーしないでね。某氏さんww。
805 :
名無しさん@3周年:04/05/22 12:32 ID:Hz1BJTQU
>>799-803 暴なんとかさんの発言ですか?
もっとみなさんにわかりやすく書かれたほうがよいと思いますよ。
読む気しないひとが多いのではないでしょうか?
>>799 >>はあ?「方便もって真実をあらわす」が「悪く思ってはならない」ですか?
>どなたか、この日本語わかる方おられたら説明お願いします。
「方便をわろしという事は、あるまじき」とはじめにある通りです。?
......中学あたりから国語の勉強しなおされたほうがよろしいかと....
文の前後関係とかね...あなたに国語の講議してるひまありません。あしからず。
806 :
名無しさん@3周年:04/05/22 13:13 ID:9h1w3u9x
>要門(=十九願の教え)を勧めているのかいないのかどちら
なのでしょうか?
「方便をもって真実をあらわす廃立の義」っていうのは
方便を教えるんでしょうか、教えないんでしょうか?
「門を通って中に入りなさい」というのは「門にちかづけ」ということ
なんでしょうか、「門から離れよ」ということなんでしょうか?
「暫用還廃」というのは用いるということでしょうか、廃するということ
でしょうか?
どちらか一方でお答えいただけたら私もお答えできるのかなあと思います。
ひとに答えよ、と言うのだから当然、簡明にお答えいただけるものと信じて
おります。長い説明は読む気ありません。
でもね、結局あんたたちは「教えすすめる必要はない」っていうひとたち
なんだから、こんな論議は無駄なんだよね。言葉の遊びじゃないか。
酒飲みながら仏語書き込みするひとと話したくないです。
蓮如上人の時代のように暖をとるためにしてるとも思えんし。
SA氏の言葉でいえば「あなたのためにならないので、同じ内容なら
今後お返事はいたしません」って言いたいですね。
なんかおもしろい内容があればまた書くかもしれませんけど。
>>805 はじめの「方便をわろしという事は、あるまじき」の理由が、
「方便をもって真実をあらわす廃立の義、能く能くしるべし。
弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうることなる。」
ですよ。善巧方便は、仏様の大悲具現のお働きですから当然ですが、権仮
方便で今は所廃の権法門も「わろしという事は、あるまじき」というのは自明
ですよ。
>>806 >「方便をもって真実をあらわす廃立の義」っていうのは
方便を教えるんでしょうか、教えないんでしょうか?
権仮方便ですから対機(為在世正法、為定散諸機)には当然
教えられますね。
>「門を通って中に入りなさい」というのは「門にちかづけ」ということ
なんでしょうか、「門から離れよ」ということなんでしょうか?
これは、どの御文のことですか?
>「暫用還廃」というのは用いるということでしょうか、廃するということ
でしょうか?
「諸行は機にあらず、時を失なへり。念仏往生は、
機にあたり、時を得たり。」
「隨他の前には、暫く定散の門を開く
といへども、隨自の後は、還て定散の門を閉づ。
一たび開きて以後、ながく閉ぢざるは、ただこれ
念仏の一門なり。」(『選択集』)
の御文で明白ですね。時機相応の対機(在世正法)の
為には暫く用いるが、真実開顕の後は廃されます。
これから外出しますので夜までROMできませんが
よろしく。
809 :
名無しさん@3周年:04/05/22 15:43 ID:gPoh1vXv
親鸞会の主張は横出の主張であり、横超の主張ではないから
浄土仮宗だということで捨て物である。
ここまで俺のまとめ。
ちなみに、渡海 難が
>>587で言っている
>20願から18願への転換こそ行者の意識の及ばないところで生じます。
これは正しいのか?
810 :
名無しさん@3周年:04/05/22 16:10 ID:gPoh1vXv
>>790 >>ところで、蓮如上人が「三経は異なる」として「自力の三心」をお勧めの
>箇所はあるのでしょうか?への回答もお忘れなくお願いします。
>
>親鸞聖人と覚如上人のお言葉でまだ不満なのはなぜでしょうか?
親鸞会の本尊の横には親鸞聖人と蓮如上人の絵が掛けてあるのに、
片方だけしか根拠を出せないのなら片手落ちだろ?
811 :
名無しさん@3周年:04/05/22 16:55 ID:gAn3YsSQ
>>807-808 これも何度もやりとりされたことです。
「19願の方便」が「十方諸有」に誓われたことか「聖道門のみ」に
誓われたことで方便として時機不相応なのか。
「聖道門のみ」と言った祭り大好きこと暴なんとかは
結局根拠を出せなかった。「親鸞聖人は十方諸有と言われていても
聖道門のみ」と聖人の御教えを謗った。
そして「横出も聖道門」「後世物語聞書の御文も聖道門」という暴言を
吐いたのです。酒を飲みながら書きこしたりしたね。
812 :
110:04/05/22 17:59 ID:X2hHLXjc
>>777 ちょっと今多忙なのと、家から書き込めないだけです。
もう少しだけお待ち下さい。
ロムしながら利剣を研いでおりますのでご安心を…。
19願を教えるにしてもs会は19願の行をしていない。
やってるのはただの勧誘と金集めと建築。
19願を教えるなら観無量寿経で釈尊がイダイケに教えた通りに教えろよ。
定散十六観なんて所詮われわれには出来ないですか?
やってみないとわからないからやる、ってのがs会の理屈じゃないんですか?
中3の時、身体測定で男の子のアレを、はじめてこすった。そのとき、
保健室だったんだけど、いつもなら上だけ脱いで、下はブルマで女子
だけで体重とかをはかることになってたんだけど、なぜか男子もいっ
しょで、しかも担任に「全部脱いで」って言われて、みんなでえーっ、
とか言ってたんだけど、「早くしなさい」って言われて、みんな全裸になった。
男子も女子もみんな同じ部屋で全裸だったから、男子はみんな、おちんちんが
ビンビンになってて、顔真っ赤になってた。そしたら、担任がコンドームを
一枚ずつ女子に配りながら、「今から出席番号順に女子は、男子のおちんちんに
コンドームをかぶせて、手でこすってあげなさい。少しこすってたら、おちんちん
の先から白い液体がでてくるから、そうしたら先生のところに白い液体を入れた
ままでコンドームを持って来なさい」って言った。
男子のほうから「おーっ!」って声があがったけど、私たちはどうしようって感じ
だった。いよいよ私のところにもコンドームが来て、担任が、
「ほら、女子!早くする!」って言ったから、みんなしぶしぶ出席番号の合う
男子のところに行った。でも、うちのクラス女子がひとり多かったから、
どうするのかなーって思ってたら、担任がパンツ脱いでスタンバッてた。
私は、クラスの中で背が小さいほうのKくんに当たったんだけど、やっぱり
女子の裸見ててすごい興奮してたらしくて、すぐいっちゃった。
担任は、ぶつぶつ言いながら、手で相手の女子の股間をずーっといじってた。
ちょっとぐちゃぐちゃ音してたけど。でも、あれだけの男のアレ見て、本当は、
すごいぬれててバレないか、ひやひやしてた。家に帰ってすぐオナニーした。
Kくんのおちんちんが頭から離れなかった。
あとで保健の先生に聞いたら、「文部省」の発育調査だからって言われた
んだけど、ほんとかなー?
社民党「土曜日という名称を改称すべき」と訴え
土井たか子社民党党首は5日深夜、都内で緊急記者会見を開いた。
それによると同党首は「ゆとり教育の見直しという声が上がって
おり、学校の土曜日授業を復活すべしという声が上がっている。
それは教育の名を借りた子ども達の自主性を奪う行為である。
学校で土曜日まで詰め込み教育をするよりも、むしろ
ボランティア等を通じて正しい教育を行う方が大事である。」と述べた。
さらに、「これは子ども達に限らず、大人も正しい反戦運動などに
身を投じることによって、日本全体が正しい行動が取れるように
なると期待できる。そのことを市民にも分かり易く明らかに
するためにも、土曜日という名称を変えて、「正しいことを行う日」という
意味で正曜日とするのが良い。」と主張した。
同党首は次期国会にこの法案を提出すると予想されるが、
もしこの法案が通れば、一週間が「月火水木金正日」となり、
カレンダー印刷業界にも波紋を呼びそうだ。
ある男が、自分を愛している3人の女の中で
誰を結婚相手にするか長いこと考えていた。
そこで彼は3人に5000ドルずつ渡し
彼女らがその金をどう使うか見ることにした。
一人目の女は、高価な服と高級な化粧品を買い、最高の美容院に行き、
自分を完璧に見せるためにその金を全て使って こう言った。
「私はあなたをとても愛しているの。だから、
あなたが町で一番の美人を妻に持っているとみんなに思ってほしいのよ」
二人目の女は、夫になるかも知れないその男のために新しいスーツやシャツ、
車の整備用品を買って、 残らず使いきる と、こう言った。
「私にとってはあなたが一番大切な人なの。だからお金は
全部あなたのために使ったわ」
最後の女は、5000ドルを利殖に回し、倍にして男に返した。
「私はあなたをとても愛しているわ。 お金は、私が浪費をしない、
賢い女であることをあなたに分かってもらえるように使ったのよ」
男は考え、3人の中で一番おっぱいの大きい女を妻にした。
街角のファミリーマートを眺めながら、積年の疑問を考えていた。それは、
「何故、緑・白・青の3色だったファミリーマートが、赤くなっているのだろうか」
という問いである。
簡単に見えて、奥の深い問題だ。
「アジアだから赤いのだ」などと暗喩を述べて悦に入る浅薄な人間もいるが、
それは思考停止に他ならず、知性の敗北以外のなにものでもない。
「赤方偏移」という現象がある。
宇宙空間において、地球から高速に遠ざかる天体ほどドップラー効果により、
そのスペクトル線が赤色の方に遷移するという現象である。
つまり、本来のファミリーマートが何色であろうとも、ファミリーマートが我々から
高速で遠ざかっているとすれば、毒々しく赤く見えるはずなのだ。
目の前のファミリーマートは高速で我々から遠ざかっているか否か?
それはファミリーマートの“企業体質”を調べることでわかる。
これを調べ、常識的な消費者感情と比較することにより、
我々とファミリーマートとの距離がどの程度あるのかがわかるのだ。
企業体質を調べる最も簡単な方法は、
その企業がトラブルに対しどのような対応をとってきたかを調べることである。
ファミリーマートでいえば、11月頃に報道された会員情報漏洩問題について、
彼らががどのような立場・対応をとっているか、ということから、企業体質を知ることができる。
818 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/22 19:57 ID:nqdTwTu/
>>813 > やってるのはただの勧誘と金集めと建築。
教化するひと、まず信心をよく決定して、そのうえにて聖教を読
み語たらば、聞く人も信をとるべし。
おーい。親鸞会会員よ。勧誘は、自分が信心が決定してからにしなさいよ。
信もなくて、大事の聖教を所持の人は、幼なき者に剣を持たせ候う様に
思し召し候う。その故は、剣は重宝なれども、幼なき者、持ち候えば、手を
切り、怪我をするなり。持ちて能く候う人は、重宝になるなりと云々
信心決定してない人が勧誘しても法施じゃないぞ。それは嘘つき説法、
不浄説法だと思いなさい。
>定散十六観なんて所詮われわれには出来ないですか?
定観は一人でできるから、十九願どうこうに関係なく、まねごとでやる
のはいい。効果はあるよ。ただ、副作用が大きいときがある。
副作用が出るほどやるってのは、それだけでも大変なことだ。
ただ、副作用が出てきて僕は怖くなって、最近4,5年はやめてるよ。
あれは強烈だ。
猛スピードで自動ドアに挟まりながらも牛丼(ミニ)を注文し
吉野家での最高のマナー『入ってから出るまで』編
前転しながらテーブル席に就く。店員が注文の品を持ってきたら
息を切らしながら「そしき・・・・組織に追われているんだ・・」
とお茶のおかわりを注文する。先に牛肉だけ食べ、
「これ牛肉入ってませんよ」とマジ顔でクレームをつけ
ユーモアを忘れない心意気をアピール。
店員の目を盗み紅生姜の限界に挑戦しながらも
お茶を口に含んでは吐き出す動作を繰り返し牛の気持ちを理解する。
そして勘定時には語尾に「モー」をつけ、注文の金額ちょうどを店員に渡し
「おつりはとっといてください」爽やかに告げる。
店を出るときは周りの目を気にしながら猛スピードで走り、自動ドアに挟まる。
器は持ち帰る。
君が死んでからもう1年。
君は今も僕を見守ってくれているのかな?
君は、僕の生まれて初めて出来た彼女だった。
すごく嬉しくて、幸せだったなあ。
突然、白血病だって医者に宣告されてから、君は病室で日に日に弱っていった。
「病院ってひまねえ」って笑う君を見て、僕はいつも泣いていたんだ。
君の為に、僕の小汚いノートパソコンをあげたら、君はすごく喜んでくれたよね。
ネットをするようになった君がいつも見ていたスレッド、それが「なかよく語ろう親鸞会」だった。
ある日君はいつものように、笑いながら言った。
「ほら、見て今日も2ゲット出来たよ。」
「あまりパソコンばっかいじってると身体に障るよ」
なんて僕が注意すると、
「ごめんねえ。 でもね、これ見てよ。
ほら、この3のひと、2げっとぉ!なんて言っちゃってさぁ、ふふ」
僕は黙っていた。君がすごく楽しそうで、僕は何も言えなかった。
「ほらみて、この3のひと、変な絵文字使ってくやしぃ〜!だって。
かわいいねえ。 ふふ。」
僕はまだ黙っていた。笑う君を見て、どうしようもなく悲しくなった。
「憶えててくれるかなあ」 君がふと言った。
「…この3のひと、私がいなくなっても、あの時変な奴に2をとられたんだよなー
なんて、憶えててくれないかなあ……無理かな……憶えてて、ほしいなぁ……」
それから数ヶ月後、君は家族と僕に見守れながら息を引き取った。
君はもうこの世に居ない、なのに僕は今F5を連続でクリックしている。
君の事を、3のひとが忘れないように、いつまでも、いつまでも忘れないように。
天国にいる君と一緒に、今ここに刻み込む
2 ゲ ッ ト
面接官「自己PRをしてください。」
A君「私は、やる時はやる人間です。高校の頃、彫刻刀で友達を刺しました。」
面接官「どうして、刺そうと思ったの?」
A君「私は、番はってたんですが、彼は極真やってて、強かったんですが、物事の道理がわかってなかったんで、そいつの行動をみてしめしがつかないと思いました。」
面接官「君の希望職種は何?」
A君「鉄砲玉です。」
面接官「君ぐらいの経験をもってる学生は、結構いるんだよね。他の人にはない君の強みがみたいな。」
A君「人殺したこともあります。ぱくられなかったですが、仲間をやったやつは許さないたちです。」
面接官「うちは、実際に院にいった経験があるのがほしいのよ。臭い飯のなんたるかを知ってる人が。君の根性は買うけど、ほんとに大丈夫?結構、口ではかっこいいこといって、いざという時に逃げ出すのが多いのよ。」
A君「信用していただけないなら、この場で指つめます。」
面接官「わかりました。他社の状況をおしえてください。」
A君「住吉が若い衆懇談会、稲川会が若頭面接です。」
面接官「その中で、うちの志望順位は?」
A君「もちろん、御社が第一志望です。御社は歴史もあって、シャバにでてからの待遇もすばらしいですし、何より、業界トップのスリルと緊張感があります。」
見事内定をゲットしたA君より後輩のみなさんへアドバイス
根性があれば、必ずわかってもらえます。だから、族にはいってなかったとか、工業高校いってなかったとか、かつあげの経験がなくてもあきらめないでがんばってください。悩むより今から行動をおこそう!do your best!
ある日の事、
Aさんが「はじるす」と「恋する妹はせつなつてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの」を買ってるんるん気分で
他の店に入りその店から出ようとすると――ピピピピピピピ…
「ちょっとかばんの中みせてもらえます?」
と店員。
Aさんは何も取ってないし、ごたごたするのも嫌だったので
「…いいですよ」
と戸惑いながらもOK
そこへ、…「あ、パパー」
と聞きなれた声が…
Aさんの時間はとっさに止まる。
さらにそこに性格の悪い同僚と、妹とと奥さんと娘が…
「やだ、あなた…それって娘と同じ年くらいじゃないの…?」
「パパ…パパのバカー」
「お兄ちゃん…私のことをそんな目で…ひどい!信じてたのにー!」
「あああああ、違うんだ、違うコレはそのあの」
ウワァァァァァァ。゚(゚´Д`゚)゚。ァァァァァァン!
と泣き去る三人と
「言いふらしてやる(ボソッ」( ̄ー ̄)ニヤリと去っていく同僚
さすがのAさんも切れた
「無実なのに大切な人にエロゲをさらされ、さらに言いふらされる危険まである!」
「これはかなりの苦痛だ 訴 え て や る !!!(゚Д゚)ゴルァ!!」
823 :
名無しさん@3周年:04/05/22 20:22 ID:gPoh1vXv
ここでコピペ荒らしをしてる人っていったい何が目的なんだろうか・・・
嘘つき渡海は放置でお願いします
825 :
名無しさん@3周年:04/05/22 20:52 ID:59ErT+rJ
>>806 >>811 結局
>>要門(=十九願の教え)を勧めているのかいないのかどちら
なのでしょうか?
>「方便をもって真実をあらわす廃立の義」っていうのは
方便を教えるんでしょうか、教えないんでしょうか?
という答えはどっちなんでしょうか?つまり、
「親鸞会は、要門(=十九願の教え)を勧めているのですか?いないのですか?
どちらなのか?」という問いに対して、なんらかの理由があって答えられないから
場面を糊塗しているようにもみえるんですが、どうでしょうか。
110さんがいままで言ってきた発言内容は、親鸞会は要門(=十九願の教え)を勧めている、
といっているように見えるが、806さんは賛成ですか、反対ですか?
それとも親鸞会は要門(=十九願の教え)を勧めていない、ということでしょうか?
この際ぜひはっきりさせてください。
「要門を通らねば救われない」というところだろうな。
827 :
名無しさん@3周年:04/05/22 21:05 ID:lHT/WMkq
強制IDのおかげで、ID:swNSOSl2を通報しやすくなったな。
>>811 >これも何度もやりとりされたことです。
>「19願の方便」が「十方諸有」に誓われたことか「聖道門のみ」に
>誓われたことで方便として時機不相応なのか。
これこそ、こちらが何度も根拠をあげているのにスルーされたことですね。
Ø「あなたは『諸経にもあるからそうではない』と否定された
わけですね。」などとも申してはおりませんが・・・・。
「一切衆生(十方衆生、十方諸有)への方便」は、諸経にあると申し
上げたはずなんですがね。再度お読みいただきたいですね。これに
ついては、↓への回答をお願い致しますね。
その時私がお示しした文の一部ですが、若し異論があれば、
お聖教の根拠を提示のうえで反論お願い致します。
「生因三願の「十方衆生」も当分の与釈で言えば三願に同じですが、
跨節・奪釈の義で言えば、第十八願 独り
「万機普益・而為凡聖所被」の願で、方便二願は「随縁・随業・随機」
の願となりますね。
一つには、「抑止門」の存在。二つには、聞名字のみが、
「四十一願〜四十八願」→菩薩乗・「三十六願」
→人・天「三十五願」→女人「三十四願」→衆生。と凡聖善悪摂取の
利益だからです。これは、前にひさし
ぶり氏もあげておられた勧学の利井師の説です。 」
>>811 それと、
>>777の繰り返しになりますが、覚如上人が、要門(十九願)は、
十方衆生対機の法門ではなく、定散諸機にかぎる法門といわれてる根拠は、
「つぎに諸行往生の機は臨終にを期し、来迎
をまちえずしては胎生・辺地までも生るべからず。
このゆえに穢体亡失するときならでは、その期する
ところなきによりてそのむねのぶるか。第十九の願
にみえたり。勝劣の一段におきては、念仏往生は本願
なるについて、あまねく十方衆生にわたる。諸行往生は、
非本願なるによりて定散の諸機にかぎる。本願念仏の機の
不体失往生と、非本願諸行往生の機の体失往生と、殿最懸隔
にあらずや、いづれも文釈ことばにさきだちて歴然なり。」(『口伝鈔』)
>>811 これも、
>>694の繰り返しスマソですが、
「浄土宗のなかに真あり仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは
定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。」
(『親鸞聖人御消息』有念無念の事)
定散二善を勧めるのは、浄土真宗ではなく浄土仮門です。
また定散二善を勧められる対機は、「定散諸機」(聖道門の機類=聖者)で
衆生差別の相から言えば、われわれのような「逆謗」「逆悪」とは機類を異
にしてるのは明白ですね。
「よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。凡聖、逆謗、
ひとしく 回入すれば、衆水、海に入りて一味なるがごとし。」
「善導独り、仏の正意を明かせり。定散と逆悪を矜哀して、光明名号、因縁を顕す。
本願の大智海に開入すれば行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、
韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむ、といえり。」(『正信偈』)
親鸞会では、聞法を第一に勧められていると思うのだが。
>>811 >そして「横出も聖道門」「後世物語聞書の御文も聖道門」という暴言を
>吐いたのです。
これも他所でのその時のやりとりのコピペスマソです。
> 「三心を知る」というのは聖道門だと言われていた方もありましたが
> そういう根拠がありましたら、またよろしくお願いいたします。
「上品上生」というは、もし衆生ありて、かの国に生まれんと願ずれば、
三種の心を発してすなわち往生す。何等をか三つとする。一つには至誠心、
二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具すれば、必ずかの国に生ず。
また三種の衆生ありて、当に往生を得べし。何等をか三つとする。一つには慈心
にして殺せず、もろもろの戒行を具す。二つには大乗方等経典を読誦す。三つ
には六念を修行す。回向発願してかの国に生ぜんと願ず。この功徳を具すること、
一日乃至七日して、すなわち往生を得。」(『観経』)
「読誦大乗とは、分ち二とす。一には読誦、二には大乗なり。読誦とはすなわち
これ五種法師の中に、転読・諷誦の二師を挙げて、受持等の三師を顕わす。もし
十種法行に約せば、すなわちこれ披読・諷誦の二種の法行を挙げて書写供養等の
八種の法行を顕わす。大乗とは小乗を簡ぶ言なり。別に一経を指すに非ず。通じて
一切の諸大乗経を指す。謂く一切とは、仏意広く一代所説の諸大乗経を指す。
而るに一代の所説において已結集の経有り、未結集の経有り。また已結集の経に
おいてあるいは龍宮に隠れて人間に流布せざる経有り。あるいは天竺に留まって、
いまだ漢地に来到せざる経有り。而るに今翻訳将来の経に就いてこれを論ぜば、
『貞元入蔵録』の中に、始め『大般若経』六百巻より、『法常住経』に終るまで、
顕密の大乗経すべて六百三十七部、二千八百八十三巻。皆すべからく読誦大乗の
一句に摂すべし。西方を願う行者各その意楽に随って、あるいは法華を読誦して
以て往生の業と為し、あるいは華厳を読誦して以て往生の業と為し、あるいは
遮那教王および諸尊法等を受持読誦して以て往生の業と為す。あるいは般若方等
および涅槃経等を解説し書写して以て往生の業と為す。」(つづく)
>>811 「読誦大乗の言は、あまねく前後大乗の諸経に通ず。
前とは観経已前の諸大乗経これなり。後とは王宮已後の、
諸大乗経是なり。たゞ大乗といひて、しかも権実をえらぶ
ことなし。然ばすなはち、正しく華厳方等、般若法華、涅槃等の、
諸大乗経にあたれり。」(『選択集』念仏附属章)
これって「聖道門の行」じゃないのですか?
「故法然聖人のおおせごとありしは、「三心をしれり
とも念仏せずはその詮なし、たとい三心をしらずとも、
念仏だにもうさば、そらに三心は具足して極楽には生ずべし」
とおおせられ・・・」
この「三心を知る」は、「念仏」(他力念仏なのは言うまでも
ないですね)しなけば「詮無い」「三心の本意(「まず一心一向になる」
=「他力信心」)にもとる」“自力の行”なのは自明ですね。(つづく)
>>811 >どこが根拠なの?
> 自力だったら聖道門なんですか?
> 信前はみな自力なのでみんな聖道門ですな。
>ひとが多くてたいへんそうですな。
「五種法師の行」(『法華経』) 「十種法行」(『弁中辺論』)
は聖道門の修行であるのは自明ですね。「法華を読誦して以て往生
の業と為し、あるいは華厳を読誦して以て往生の業と為し、あるいは
遮那教王および諸尊法等を受持読誦(『大日経』『金剛頂経』などの
密教の修行のことですね)して以て往生の業と為す。」(括弧内は筆者)
も聖道門の行であることは自明です。信前は誰でも、「自力計度の心」
はありますが、仏門に入って聖道門の御修行をしてなければ、聖道門
ではないのも自明ですね。
>>826 前から疑問だったんだけど、定善散善といった修行をしないで信を得たとされる人々はどうなるの?
蓮如上人や妙好人など大勢いると思うんですが。
「要門」を通らずに回心した人々の信心は偽物であるとしているのですか?
837 :
名無しさん@3周年:04/05/22 22:26 ID:DAB2ctwB
>>835 同感です。
親鸞会でも話される、耳四郎の話。
「耳四郎の話がある。これは法然上人の時代の大泥棒である。
縁あって法然上人のお弟子になり、念仏申して深い信心を得て念仏申す身
でありながら一生泥棒をやめられなかった。(中略)
耳四郎の信心は本物ではない、このように我々は言いたい。」
という学者すらあります。
親鸞会ではこの泥棒を信後もやめられなかった耳四郎を東条英機氏同様、
頓機の真実信心の人ととらえて会長さんが話していたような記憶があり
ますが、最近では耳四郎、東条英機氏はどのように位置づけられて
いるのでしょうか?
耳四郎、東条氏が「定善散善といった修行をしないで信を得たとされる人々」
であることは自明でしょうし、多くの妙好人のエピソードも、善知識から
定善散善といった修行を指示されていた、なんてお話はきいたことがありません。
このように申しますと、会の方は
「頓機のひとは祖師をはじめ特別なんだ。殆どの信前の人は漸機なんだ、
だから大半のひとには要門が必要」などと言い訳をするかもしれません。
しかし、祖師をはじめ妙好人を(所詮われらよは違ったかただ、と)特別扱いし、
定・散の自力に執することを勧めるような指導のありかたは、真宗の歴代の善知識
方が最も嫌われた勧化のしかた(化風)であると思います。
現に、「要門をこれから修して、通ってから、他力信心をいただきなさい」、
などといわれた蓮如上人のお言葉などあろうはずはなく、いまだ誰も挙げていない
ようですね。三願転入は何度も申しているように、廃立を説いておられるのですね。
「自分はこのように要門なる迷い道を通ってきたが、無常迅速なのであるから、皆さんは
自分のように定・散に迷ってくれるな」、というご勧化であることは明白ですね。
838 :
505:04/05/22 22:28 ID:DAB2ctwB
要門を通らん人はないです。
840 :
505:04/05/22 22:38 ID:DAB2ctwB
追加2
>>835 「あらゆる衆生は要門を通過してから信を頂く」という見解は正しいと考えています。
ですから、835さんの
「「要門」を通らずに回心した人々」というご表現には私は賛同しません。
しかし、親鸞会の説き方のように、無常迅速の信前のひとに
「要門を通りなさい、そうすれば信を獲られる」
と説くやりかたは自力執心をつのっている化風であって、一念の救いを説く
浄土真宗の説き方ではない、と申しているのです。
そして「要門を自身が通った」、としらされるのは、
あくまでも信一念に仏智を頂いた後のことです。
「要門を通りなさい、そうすれば信を獲られる」
とは言っていないと思いますよ。
「要門を通らなければ、信を獲られない」 ということでしょうな。
842 :
505:04/05/22 22:50 ID:DAB2ctwB
>>839 >要門を通らん人はないです。
そのとおりでしょう。
しかし、「要門を通りなさい」とする法門を横出といいます。
浄土真宗=横超の法門ではありません。
「二には利他真実なり。易行道浄土門横超 如来の誓願他力なり。
横出 他力のなかの自力なり。定散の諸行なり。」(愚禿抄)
要門は横出であって、定散の諸行です。
「釈迦は要門ひらきつつ 定散諸機をこしらへて
正雑二行方便し ひとへに専修をすすめしむ」(高僧和讃)
祖師がひとへに勧められたのは「専修」であって、
定散の諸行ではありません。
だから親鸞会では、聞法を最優先に教えているんだろ?
844 :
505:04/05/22 22:58 ID:DAB2ctwB
>>841 >「要門を通らなければ、信を獲られない」 ということでしょうな。
もしそうならば、あきらかに横出の法門であって、
横超の法門ではありませんね。
「しかるに世の人つねにおもへらく、上尽一形の多念も宗の本意とおもひて、
それにかなはざらん機のすてがてらの一念とこころうるか。これすでに弥陀
の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆゑは如来の大悲、短命の根機
を本としたまへり。もし多念をもつて本願とせば、いのち一刹那につづまる
無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生を
もつて淵源とす。」(口伝抄)
「あらゆる衆生は要門を通過してから信を頂く」と、
「要門を通らなければ、信を獲られない」は、
同じことだろ?
846 :
505:04/05/22 23:02 ID:DAB2ctwB
親鸞会で指導されている法門が、
「要門を通らなければ、信を獲られない」=横出の法門
であるということに異論がないのでしたら、
「親鸞会は浄土真宗ではない」
ということで、よろしかったですか?
847 :
505:04/05/22 23:04 ID:DAB2ctwB
>>845 同じことではありません。
ID:VnhyFmcIさん、あなたは耳四郎、東条氏、多くの妙好人
の信心についてどう思われますか?
よろしければ、説明してください。
848 :
名無しさん@3周年:04/05/22 23:05 ID:nb5H9kyq
>>828 私のあげた根拠は祖師聖人のお言葉です。
あなたはそれを、自分で解釈した諸経のお言葉で解釈して
変更したから「謗った」と言ったのです。
「祖師聖人が19願の方便は聖道門のみを導くための方便」といわれた
根拠をあなたがあげればすむ話ですよ。
>方便二願は「随縁・随業・随機」の願となりますね。
このどこに聖道のみとあるのでしょう。ぜんぜん根拠にならない。
「十方衆生を方便し」「十方諸有」など方便の対象は
聖道のみに限らないお言葉は何度もあげております。聖人のお言葉でね。
849 :
110:04/05/22 23:06 ID:X2hHLXjc
親鸞会で指導されているのは、聞法第一でしょう?
852 :
505:04/05/22 23:10 ID:DAB2ctwB
>>845 1)耳四郎、東条氏が「定善散善といった修行をしないで信を得たとされる人々」
であることは認めますか?認めませんか?
2)妙好人のエピソードで、善知識から定善散善といった修行を指示されていた、
なんてお話は寡聞にしてきいたことがありませんが、なにかひとつでいいから
教えてくださいな。
853 :
110:04/05/22 23:10 ID:X2hHLXjc
>>848 全くその通りです。
私の出る幕はなさそうですね。安心。
854 :
505:04/05/22 23:14 ID:DAB2ctwB
>>851 >親鸞会で指導されているのは、聞法第一でしょう?
そのこと自体は別に否定しませんよ。
でも一方で多くの会員の活動実態(最も無常の時間を割いている活動)は、
嘘つき勧誘、身分詐称、ザイセ、法施、などでしょう?違いますか?
そのことを親鸞会は要門といっているのですか?
いないのですか?
>>852 認めるも認めないも、そういったことが我々で言えるのですか言えないのですか?
856 :
505:04/05/22 23:16 ID:DAB2ctwB
親鸞会で指導されている法門が、
「要門を通らなければ、信を獲られない」=横出の法門
であるということには誰も異論がないようですね。
>>854 聞法最優先ですよ。はい。
活動というのは、会員の自発によるものでしょ?
やりたくなければ、無理にやらんでもよろしい。
858 :
505:04/05/22 23:19 ID:DAB2ctwB
>>855 そうですか。では質問を変えましょうか?
耳四郎、東条氏は善知識から定善・散善といった修行をしなさい、と
勧められたと、あなたはお考えですか?そうでないのですか?
「要門を通らなければ、信を獲られない」=横出の法門
このイコールは、正しいのか?
860 :
505:04/05/22 23:20 ID:DAB2ctwB
>>857 >活動というのは、会員の自発によるものでしょ?
建前はね(笑)。
>>858 第一に勧められたのは、聞法でしょ。
親鸞会も同じ。聞法を第一に勧めます。
862 :
505:04/05/22 23:23 ID:DAB2ctwB
>>859 正しくないとお考えでしたらご高説を披露していただけますか?
横出の法門(要門)と、横超の法門(真宗)は別個である、と
祖師はハッキリと廃立しておられる、と私は考えます。
863 :
110:04/05/22 23:24 ID:X2hHLXjc
>>859 見事です。もう時間の問題ですね。
そのまま一気に突き崩して下さいませ。
110さん、わたしはもう寝ます。
865 :
505:04/05/22 23:25 ID:DAB2ctwB
>>861 私の質問をスルーしていますねえ。
多くの会員の活動実態(最も無常の時間を割いている活動)は、
嘘つき勧誘、身分詐称、ザイセ、法施、などでしょう?違いますか?
そのことを親鸞会は要門といっているのですか?
いないのですか?
867 :
505:04/05/22 23:28 ID:DAB2ctwB
>>863 >見事です。もう時間の問題ですね。
なにがどう見事なのですか?
よく理解できませんが・・。
あなたもずいぶん332さんがたなどの質問をスルーしておられますが、
特にせかしたりはしませんのでたまにはお答えになってくださいね。
868 :
110:04/05/22 23:29 ID:X2hHLXjc
私自身も、見事なのかどうか、わからんかった(藁
870 :
110:04/05/22 23:37 ID:X2hHLXjc
>>869 あ、その定義の誤りを見事指摘しましたね、という意味です。
871 :
505:04/05/22 23:46 ID:DAB2ctwB
>>870 >その定義の誤りを
「その」ってなんのことですか?
「誤り」ってなにがどう誤りだということですか?
どのように「誤り」なのですか?
あなたのご理解を教えていただけますか。
872 :
名無しさん@3周年:04/05/22 23:47 ID:nb5H9kyq
19願横出は臨終業成だよ。
そんなことは親鸞会ではすすめられていない。
「要門を通る」というのは「善ができる、役に立つ」ということではない。
まあ、始めからいちゃもんつけようとしている者には理解不能でしょうが。
873 :
505:04/05/22 23:49 ID:DAB2ctwB
訂正
>>837 >耳四郎、東条氏が「定善散善といった修行をしないで信をえたとされる人々」
であることは自明でしょうし
以下のように訂正します。
>耳四郎、東条氏が
「定善散善といった修行を善知識に勧められないで信を獲たとされる人々」
であることは自明でしょうし
874 :
505:04/05/22 23:53 ID:DAB2ctwB
>>872 >「要門を通る」というのは「善ができる、役に立つ」ということではない。
要門を修することを親鸞会では勧められているのか?いないのか?
>まあ、始めからいちゃもんつけようとしている者には理解不能でしょうが。
できないことを知って、つまるい証果が獲られないことをあらかじめ知っていて、
しかもこれを修することを勧めるのは仏教ではないとおもいますし、理解不明です。
>>848 >根拠をあなたがあげればすむ話ですよ。
「末法五濁の有情の行・証拠かなはぬときなれば釈迦の遺法ことごとく竜宮にいりたまひにき」
「正像末の三時には弥陀の本願ひろまれり像季末法のこの世には諸善竜宮にいりたまふ」
「像法のときの智人も自力の諸教をさしおきて時期相応の法なれば念仏門にぞいりたまふ」(『正像末和讃』)
「諸行は機にあらず、時を失なへり。念仏往生は、機にあたり、時を得たり。」
「隨他の前には、暫く定散の門を開くといへども、隨自の後は、還て定散の門を閉づ。
一たび開きて以後、ながく閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。」(『選択集』)
>このどこに聖道のみとあるのでしょう。
末法のわれわれが、自力の三心を発するような上品の機類=聖道門の機類でないことは、
>>832-834で述べた
通りです。
「仮といふは、すなはちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。ゆえに光明師のいはく『仏教多門にして
八万四千なり。まさしく衆生の機、不同なるがためなり」と。またいはく、『方便の仮門、等しくして殊なることなし』と。
またいはく、『門々不同なるを漸教と名づく。万劫苦行して無生を証す』と。」(『信文類』)
「浄土の要門」=「漸教」はよろしいですね(『愚禿鈔』二教対ほか)?
また、「随機随縁の法門」=「漸教」もよろしいですね?
「おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。」(『一念多念証文』)
要門=八万四千の法門なのもよろしいですね。
876 :
名無しさん@3周年:04/05/23 00:14 ID:dIxjWd0W
110さん
☆ チン マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 高森会長は要門を通ったの〜?
\_/⊂ ⊂_) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 愛媛みかん |/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
877 :
名無しさん@3周年:04/05/23 00:18 ID:9DAzumnc
>>799 >親鸞聖人と覚如上人のお言葉とは
>>682のことですか?
これも他所含め再三やり取りがありましたが、『唯信鈔文意』のお言葉
は、定散諸機の「自力の三心」は、報土往生の因ではなく「胎生、辺地
往生」の因であるから、はやく「真実利他の信心」を獲ることのお勧めで
あり、『改邪鈔』のお言葉は、「自力の三心」は真実ではなく所廃の方便
であり、仏様の真実信心(三信)とは、はっきりと判別すべきというお示
しです。いずれも「自力の三心」をお勧めなのではありません。
こちらこそ何度も言っておりますが、
観経の三心と大経の三信には関係があると仰った御文としてだしたのです。
「『観経』の三心をえてのちに、『大経』の三信心をうるを、
一心をうるとはもうすなり。」
「方便より真実へつたい、凡夫発起の三心より如来利他の信心に通入するぞ」という
お言葉は、「方便はすでに廃されているから、いまさら教えすすめる必要はない」という
御文ではありませんね。
「観経の三心(方便)から大経の三信(真実)へ」
「方便から真実へつたう」従仮入真は明らか。
「弥陀、釈迦、善知識」と言われているのに
「方便をもって真実をあらわす」善巧方便を伝える方が釈尊だけと強弁するなら
根拠をあげて話してください。
それから「善にもすすむべき」(法然上人のお言葉)が「信後のひとのみ」という
根拠もお願いしております。
暴なんとかさんは「自明だ」「明らかだ」とかいいましたが根拠のない「自明」はね。
878 :
名無しさん@3周年:04/05/23 00:23 ID:9DAzumnc
>>875 「19願の方便」といわれたのは親鸞聖人ですよ。
「19願の方便の対象が聖道門のみ」といわれたお言葉をお願いします。
19願の修行ができて化土往生できるなんてだれも言っておりません。
879 :
名無しさん@3周年:04/05/23 00:28 ID:9DAzumnc
>>829 これも「真実ではない」と言われたお言葉ですね。
それにはなんの異議もないんですよ。方便のお話をしています。
「聖道門のための方便」といわれた根拠をお願いします。
>>848の続き
>>方便二願は「随縁・随業・随機」の願となりますね。
>このどこに聖道のみとあるのでしょう。
ちょっと確認したいんですが、浄土真宗の立場からは、方便二願は、「随縁・随業・随機の願」
ということ自体はお認めということでしょうか? 違うのであれば、この利井師の解説をお聖教
の根拠を上げて破してください。
追加
「しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出て、半満・権実の法門に入る
といへども・・・」(『化身土文類』)
十九願所被の機は、真宗以外の「半満権実の法門」(大小一三乗の仏教)=聖道門に入門されている
機類であることは明白ですね。
881 :
505:04/05/23 00:30 ID:yd5viZCB
>>874 訂正:
誤:できないことを知って、つまるい証果が獲られないことを
正:できないことを知って、つまるい証果が獲られないことを
補足しますと、親鸞会で説かれている喩え(違っていたらご訂正ください)
「母親が、自分は重い荷物をもつ事ができると自惚れている子供に対して、
彼がその荷物をもつ事ができないことを知らせるために、あえて彼に持たせ
てみて、彼が身をもってその荷物を持てないことを知らさしめる」
を、親鸞会流の「要門の勧め」にあてはめているとすれば、不適切な比喩
であるように思います。
なぜなら、子供は重い荷物を持てない、ということを無知のために全く知りません。
しかし、浄土門に入ったわれわれは、祖師をはじめとする善知識がたのご勧化によって、
「われわれは真実の善を積めない」ことを既にきかされているからです。
「諸善が実践するには、われわれは機教相応していない」ことを教えつつ、
同時に
「聞法と同時に、往生のためには諸善を実践しなさい」
と歴代の真宗の善知識方は指導してこられたのでしょうか。
全くそのようには考えられません。
882 :
名無しさん@3周年:04/05/23 00:32 ID:dIxjWd0W
>>809 これは簡単に正しいとか、正しくないとは言えない重要な問題なのだが・・・・
渡海は十劫安心に決まっているというか、こんな支離滅裂な香具師の言うこと
は門題にしてはいけない。なにしろ、親鸞聖人は自律健康法を勧めたと言うの
だから。
883 :
名無しさん@3周年:04/05/23 00:34 ID:dIxjWd0W
884 :
505:04/05/23 00:34 ID:yd5viZCB
>>881 失礼しました、全然訂正されていなかったですね、
また誰かに揚げ足とられて叱られますかな(失笑)?
誤:できないことを知って、つまるい証果が獲られないことを
正:できないことを知って、つまり証果が獲られないことを
885 :
名無しさん@3周年:04/05/23 00:41 ID:9DAzumnc
そういえば改邪抄のお言葉「凡夫の起こすところの自力の三心」は
高位の凡夫であとに出てくるのはそうではないような発言も
ありましたね。
それって謗法ですよ。
>要門を修することを親鸞会では勧められているのか?いないのか?
信前の「善のすすめ」は要門だ、とお聞きしてますが。
「要門を修しなさい」「要門をすすめる」とはお聞きしてませんね。
善は勧められていますよ。信前も信後も。
>>841 >「要門を通らなければ、信を獲られない」
蓮如上人や妙好人の多くは、定善散善を修める段階を通過して信を頂いたということでしょうか?
蓮如上人が定善散善を修めたという話は聞かないのですが?
887 :
名無しさん@3周年:04/05/23 00:49 ID:dIxjWd0W
高森会長も定善散善を修めたという話は聞かないのですが?
888 :
505:04/05/23 01:10 ID:yd5viZCB
>>885 >>要門を修することを親鸞会では勧められているのか?いないのか?
>信前の「善のすすめ」は要門だ、とお聞きしてますが。
「要門を修しなさい」「要門をすすめる」とはお聞きしてませんね。
またもや得意のロジックですね。私にいわせれば詭弁ですが。
親鸞会のロジックなのかあなたの考え出したロジックなのかは
わかりませんけどね。
親鸞会は「善」、という語を汎用してたくみに綻びを偽装していると思っています。
七仏通戒の偈で「諸悪莫作」「衆善奉行」 といわれていますから、仏教では確かに
善が勧められています。しかし、竜樹菩薩が大智度論で指摘されておられるように
「自浄其意」 がこの偈で最も重要な核心部分であることを、親鸞会ではどのように
教えられているのでしょうか?
「浄」とは調伏の義であって、
「意」とは、善悪に執する心のことではないのですか?
>善は勧められていますよ。信前も信後も。
あなたの仰っている善は、信前の場合は「自力の善」のことではないのですか?
もしそうならば、実質的に自力に執しなさい、ということになります。
親鸞聖人のみ教えではありません。
>>877 >観経の三心と大経の三信には関係があると仰った御文としてだしたのです。
「自力の三心」=「定散二機の心」が、「大経の三信」の善因縁であるという
ことは書かれてませんが。むしろ「定散二機の心」は「報土に生まれず、
胎生・辺地の業因として廃捨をお勧めなのは自明ですよ。「自力の三心を得ても
他力真実の一心を欠いたら報土往生はできない」の意ですよ。ましてや定散の機
でもないわれわれに「自力の三心を発す」ことをお勧めでないのも明白です。
>いまさら教えすすめる必要はない」という
>御文ではありませんね。
これもどこに「凡夫発起の三心」が「如来利他の信心」の善因縁であると
書かれてますか? 「関係があれば」全て善因縁ですか? 仏教では、
「重々無尽縁起」を説きますから厳密には「関係ない」事象はないんですが。
>「方便をもって真実をあらわす」善巧方便を伝える方が釈尊だけと強弁するなら
>根拠をあげて話してください。
これは言ってませんよ。方便をもって真実をあらわす「廃立」は、「権仮方便」のことでしょう。
「真実を顕す」主語は、仏や祖師方等でわれわれの体験の相ではないということも何度も言って
ますよ。仏様が「随自意の法門」を説かれ、祖師が、真仮を決判なさった後は、「浄土真宗として
は」(他宗他門は知りません)、自力仮門の修行お勧めは無いということです。
>それから「善にもすすむべき」(法然上人のお言葉)が「信後のひとのみ」という
>根拠もお願いしております。
これも言ってまんが。「造悪無碍」を止めるのは当然で、これを自力の行として「善根功徳
になる」とか「往生の善因縁」であるとかのお勧めではないと言ったと思いますが。
現実問題として、定善散善を修めずに信を得たとされる人が存在するのですから、
要門を通らなくても信を頂くことはできると思うのですが?
それとも、「要門を通る」とは物理的に定善散善を修めることではなく、
「自力の善行を頼みにする」信前の凡夫の道徳肯定的な心理状態を示すものなのでしょうか?
891 :
505:04/05/23 01:14 ID:yd5viZCB
>>887 >高森会長も定善散善を修めたという話は聞かないのですが?
その通りですね。寡聞にしてきいたことがありませんね。
異論はございますか?会員の方々?
>>885 >そういえば改邪抄のお言葉「凡夫の起こすところの自力の三心」は
>高位の凡夫であとに出てくるのはそうではないような発言も
>ありましたね。
>>832でも書きましたが、『観経』で「自力の三心を起こす」こと
を勧められている衆生は、「上品上生」の機類ですから、高位の凡
夫であることは自明ですよ。後の「煩悩成就」はわれわれにも可能
ですねww。 謗法といわれるのは何故ですか?
893 :
505:04/05/23 01:38 ID:yd5viZCB
s会教義擁護派のかたがたのご発言がみられなくなったようですが、
皆様お休みになったのでしょうか?
332さん、今宵もご教示ありがとうございました。
どうもお疲れ様でした。
私もそろそろこれにて失礼いたします。おやすみなさい。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・。
895 :
890:04/05/23 01:41 ID:sg7pwfak
>>890 修正します
>それとも、「要門を通る」とは物理的に定善散善を修めることではなく、
>「自力の善行を頼みにする」信前の凡夫の道徳肯定的な心理状態を示すものなのでしょうか?
それとも、「要門を通る」とは物理的に定善散善を修めることではなく、
自力の善行を頼みにする信前の凡夫の道徳肯定的な在り方が覆される段階を示すものなのでしょうか?
896 :
名無しさん@3周年:04/05/23 01:44 ID:08C0KiA8
親鸞会の会員をみていて思うのだけど、なぜ人はカルトにはしるのか?
>やりたくなければ、無理にやらんでもよろしい。
それこそ大嘘だろ、
新入生の勧誘に目標人数があって
財施の金額に目標金額があって
それに参加しなかったり達成できなければ上司から叱られるのが自発ですか?
899 :
名無しさん@3周年:04/05/23 07:16 ID:7v6BgBff
>>888 >あなたの仰っている善は、信前の場合は「自力の善」のことではないのですか?
自力だからすすめないというなら、五正行も聞法もすすめられませんね。
機の失だから信前はしかたないわけです。
>>889 >「真実を顕す」主語は、仏や祖師方等で
「仏祖のこと」と限定されてませんでしたか?
祖師等とは善知識にあたるひとすべてを含む、ということでよろしいと
思います。
>「自力の三心」=「定散二機の心」が、「大経の三信」の善因縁であるという
ことは書かれてませんが.
愚禿抄にも「大経の三心に誘引せんがため」と書かれてあるとおり
「方便より真実」は方便は真実に入るための因縁という意味です。
900 :
名無しさん@3周年:04/05/23 07:18 ID:7v6BgBff
>厳密には「関係ない」事象はないんですが
いろいろの事象のなかで観経の三心だけをあげておられるから特別な
意味がある因縁(方便)でしょう。
>>それから「善にもすすむべき」(法然上人のお言葉)が「信後のひとのみ」という
>>根拠もお願いしております。
>これも言ってまんが。「造悪無碍」を止めるのは当然で
「善にすすむべきこと」という善のすすめが信前にあるということで了解いただいた
と思います。
>>892 同じ章の中で「凡夫」と書かれていることを
勝手に「高位の凡夫」「煩悩成就の凡夫」と解釈し分けているから
ですよ。でたらめじゃないですか。
さあ今から聴聞に出かけます。
これは善ではないんですか?それとも「善とはいわない」というだけのことでしょうか?
901 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/23 08:45 ID:x2PfQ9JF
>>826,
>>839 >「要門を通らねば救われない」というところだろうな。
要門を通らない人まで救うななどという、そんなすごい仏様などおるはずはない。
一切衆生を救うといっても、要門を通らない人まで救うはずはない。
要門を通らない人は除くんだ。あなたはそのように、阿弥陀仏の本願を疑ってるん
ですね。
>>882 「俺は悟った」。「俺は信心がある」。自分でそう信じている奴ほど臭い奴はいな
い。そう思ってる奴がいれば、百%妄想だ。あなたはそう思いませんか。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。頭を垂れている稲穂にこそ、真の実りがあるんで
しょう。
「仏法は知りそうもなき人が知るぞ」。信心は背中で光ってるものであり、看板に
して見せられるものじゃない。
自らは「愚禿」と名乗り、これから難思議往生を遂げに向かうんだと言ってる人を、
難思議往生を遂げていらっしゃる方と仰いでも、間違いではないでしょう。
行動するは、我にあり。論ずるは他にあり。自分はただ、ほれぼれと念仏申すのみ。
それで自分に信心があるか、ないか。それは他人様が論じて下さるのであり、自分に関
係はないことでしょう。
>なにしろ、親鸞聖人は自律健康法を勧めたと言うのだから。
親鸞は実益性の無いことを他人に勧めていると思いますか?。人生の糞の役にも立た
ないことについて、他人に「ああせい、こうせい」と、差し出がましく厚かましく指図
してくる野郎だと思ってるんでしょうか?。親鸞をそんなアホーでしょうか?。
勧めるというのは、普通は、実益性があると思って勧めるんですよ。死ななければ役
に立たないなんてもし言ってれば、それは、永遠に役に立たないと言ってるのと同じだ。
あなたは、親鸞をそんなアホーだと思いますか。
902 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/23 10:43 ID:x2PfQ9JF
>>773 こんにちは。
>あちらこちらで叩かれているみたいですが、
はて?。そうですか。ファンレターはたくさん頂いてるという思いはあ
りますが、どこかで叩かれていましたか?。
>めげずにがんばってください。 <あなたの杞憂でしょう。>
>好感がもてます。 <ありがとうございます。>
>損をしているのでしょうか?
<まあ、得をしてるかも知れませんよ。損して得とれとね。>
>パーソナリティの問題なのでしょうか? <地なんでしょうね。>
>真剣に人にほれ込み、真剣に人と向き合うことは、学びの基本
であると感じます。
<同感ですね。>
>>772 >Mnoさんと渡海 難さんは面識あるの? <昔、会話をした仲良しです(w。>
>>899 >「仏祖のこと」と限定されてませんでしたか?
「仏祖」というのは、普通は、各宗のお釈迦様以来の師資相承の祖師を言うと
思うんですが。
>愚禿抄にも「大経の三心に誘引せんがため」と書かれてあるとおり
>「方便より真実」は方便は真実に入るための因縁という意味です。
凡聖ともに弘願に直入すればいいわけですから、「観経の三心往生」は、
自力に執する定散諸機誘引の為、やむをえず仮設された権法門ということ
ですね。その意味で対機(定散諸機)にとっては善因縁であるのは確かに
おっしゃる通りですね。まあ、しかしあの『唯信鈔文意』の御文は、「自力
の三心」と「大経の三信」との勝劣の段で書かれているわけですから、「大
経の三信=報土往生の因」を取り、「自力の三心=化土往生の因」を廃捨する
ことのお勧めであり、「大経の三信」を得る為の善因縁として「自力の三心」を
得ることをお勧めなのではないことは自明と思うのですが。
「便往生とは、すなはちこれ諸機格別の業因果成の土なり。胎宮・辺地・懈慢界
、双樹林下往生なり、また難思往生なりと、知るべし。」(『愚禿鈔』)
ですから、「自力の三心」は、あくまで化土往生の機類である定散諸機の為に施設
された権方便であることはよろしいですね。
>>900 >いろいろの事象のなかで観経の三心だけをあげておられるから特別な
>意味がある因縁(方便)でしょう。
はあ? 因縁=方便ですか? あの御文は↑でも言ったように、「大経の三信」
と「自力の三心」の勝劣、真仮を相対しているわけですね。具体的に「自力の三
心」をわれわれにお勧めの箇所を指摘していただけますか?
>同じ章の中で「凡夫」と書かれていることを
>勝手に「高位の凡夫」「煩悩成就の凡夫」と解釈し分けているから
>ですよ。でたらめじゃないですか。
自力の三心を発す「上品上生」は「高位の凡夫」ではないということでしょうか?
>>899 >自力だからすすめないというなら、五正行も聞法もすすめられませんね。
>機の失だから信前はしかたないわけです。
横レススマソです。前のもいいましたが、真宗で勧められるのは「他力の五正行」
(「正定業」とそれに自然に付随する助業)、「他力の聞法」です。機の失だから
しかたがないとして、機情に迎合して「権法門」=要門を説くものではありません。
信前信後を問わず、あくまで真実弘願門を説くのが真宗であるというのは、前にも
引用した『顕正新聞』71号3面で高森先生もおっしゃっている通りです。
>>893 505さん、こちらこそ色々勉強させていただきました。ありがとうございます。
>>900 >「善にすすむべきこと」という善のすすめが信前にあるということで了解いただいた
>と思います。
「造悪無碍」を止めることが、「善根功徳になる」「往生の善因縁」であるとしてお勧め
なのではないことで了解していただいたと思います。
>>904と
>>906に補足
>さあ今から聴聞に出かけます。
>これは善ではないんですか?それとも「善とはいわない」というだけのことでしょうか?
真宗の法は、徹頭徹尾、自力(凡聖とも)を廃して、阿弥陀様の大善(御名号)のみ
をお勧めするものです。御名を聞かせていただかない限り、いくら御聴聞の座を重ね
ても、自力である限り、「0点」です。真宗の教化はこれに徹するべきで中間を認めるべき
ではありません。菩薩でもない底下の泥凡夫に「破邪顕正」などできようはずはありません
が、たとえ菩薩様の自力行であっても真実弘願門からみる限り同様に「0点」です。
聴聞の座へ足を運ぶ回数を重ねたり、教団への献金、勧誘、教団グッズの販売などの諸活動
によって、より「真実に近づく」ことができるなどと教えられるとしたら、それは「間違い」
です。自力である限り「何をしても何をしなくても」0点は0点のままです。阿弥陀様の御本願
は、「今ここ」で聞かせていただくものです。聴聞の座へ足を運ぶ回数を増やせば、増やすほど、
「獲信」の確率?が増えるかのように宝くじでも買うようにw考えられてる方もおられますが、
それも間違いですね。今ここに来たって下さっている阿弥陀様の願い(=南無阿弥陀仏)をはね
つけているわけですからね。聞名は場所や時間の指定のない「一念」です。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
(つづく)
>>908の続き
他力回向」の次第は「行信次第」でありますから、十劫の昔に法蔵菩薩様が完成くださった「大行」=
「南無阿弥陀仏」を聞かせていただけば「他力信」が決定します。
「機受」の次第は「信行次第」ですから、真実の仏心をいただけば、御恩報謝の称名となって顕れてくだ
さります。その称名の体は、阿弥陀様の真実の大行ですから、真宗では信前信後を問わず、「自力の行」が
勧められる余地はありません。
調熟の光明も全て仏様の御回向の一人働きですから、衆生の自力の所作によって「厚くなったり」「近づいたり」
することはありません。じゃあ何もしなくてもいいのかというワンパの反問があるでしょうが、
もちろん何もしなくてもいいはずはなく「今ここで仏名を聞かせていただかなくてはなりません。」近づくも遠ざかる
もなく「0点」(自力虚仮)か100点(他力真実)しかありません。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
さあ今から「プライド武士道」を視ますww。昨夜はここのチャットをしながらでしたので地上波の「K−1」に集中
できませんでしたwww。
?
>>「何をしても何をしなくても」0点は0点のままです。
出た出た。こういう人がいるんだねえ。
困ったものです。
913 :
110:04/05/23 17:42 ID:VRjM1OoJ
>>549 直入の機とは何ですか?我々はそれに入るのか入らないのか、どうしたら分かるのですか?
>>551 今のところ特に反論いたしません。
>>655 大事なところですのでこの後とりあげます。
>>694 これもこの後取り上げます。
914 :
110:04/05/23 17:47 ID:VRjM1OoJ
915 :
110:04/05/23 17:54 ID:VRjM1OoJ
>>876 はい。東条英機も皆、三願転入して救われています。
>>869 なぜカルトにしたがるんですか?
916 :
110:04/05/23 18:15 ID:VRjM1OoJ
>>871 あなたの横出の定義が誤りだということです。
もしくはあなたの説も横出だということです。
917 :
110:04/05/23 18:15 ID:VRjM1OoJ
>>881 そこがあなたの誤りですね。善が出来ないと聞いているのと、まことだった、
と知らされるのは全く別です。
阿弥陀仏に救われて、一つの善も出来ない、とはっきり知らされている人はよろしい。
未信の者は、何とかすればなんとかなれる、善ができるという心が棄て切れません。
これを自力の心というのです。
善ができないんだよ、と聞いて「そうでしたかー」と思っているのと、
一念で仏智満入して曠劫流転してきた私、未来永劫浮かぶ瀬がない、
どこのどなたが助かっても私だけは絶対に助からないという真実の自己が知らされ、
悲泣悶絶し、こんな私が善ができるなどと思って阿弥陀様の御心に五寸釘を打っていた
自力の心の恐ろしさがはじめて知らされ、三品の懺悔に等しい懺悔をするのとは、
天地雲泥の差、月とスッポンどころではない違いですよ。
その真実の自己が知らされるのは一念です。信前は自力の心があるのです。
善が出来ると思っている者に、じゃあやってみよ、とやらせてみて、
出来ないことを知らせる善巧方便なのです。
真実と方便の関係を知らないのは、真実を知らないからです。
手段の大切さを知らないのは、手段なんて教えるのは間違ってる、と言うのは、
目的の大切さを知らないからです。目的を果たすために手段があるのです。
目的を果たすのに邪魔になるのなら手段ではありません。
手段がなければ目的だけあっても絵に描いた餅、階段のない2階です。
上れません。上ったら、階段は無用になります。棄てればいいし、そこで初めて棄てられます。
浄土真宗は真仮廃立のみ教えです。仮は捨て物です。真は立てるべきものです。
真に入った時、仮は捨てさせられますが、入ってもいないのに自分で捨てたつもりになっても所詮がありません。
捨てたつもりも、自力の仕業です。
918 :
110:04/05/23 18:19 ID:VRjM1OoJ
>>897 あなたのことを真剣な求道者だと間違われていたんですよ。
919 :
110:04/05/23 18:27 ID:VRjM1OoJ
★親鸞会が横出だという法難について。
19願を勧めているから云々かんぬんと言う方程式がちらほら見えましたが…
「ある団体は、19願を勧めている」と言った場合、この団体は横出と言えるでしょう。
本会はどうでしょうか。これではないのです。
本会は、三願を別々のものとして捉えるのではなく、関連付けて捉えています。
19願だけがどうこう、とか、18願だけがどうこう、とは申しません。
別々の、独立したものだと思われている方からこういう攻撃が出てくるのはやむを得ないとは思いますが、
そういう見解ではないのです。
それでは、本会の教える所が分かるはずがありませんね。
920 :
110:04/05/23 18:31 ID:VRjM1OoJ
>>332氏
「19願の約束の相手は十方衆生とはっきりあるが、実はこの対機は聖道の聖者である」
という御主張、誠に斬新で面白いものですが、あなたは、イダイケが聖道の修行ができる聖者に
見えるのですか?
921 :
110:04/05/23 18:42 ID:VRjM1OoJ
★信仰が深まるなどという表現は不遜だ、などの法難について。
自力と他力は確かに0点か100点か、です。自力では絶対助かりません。
他力は円融無碍の救いです。じゃあ自力が廃って他力に入る一念までは、どうなのか?
人によって救われるのは遅い早いがあります。蓮如上人は、宿善も遅速あり、
されば已今当の往生あり、と言われています。
自力から他力に入るのが、そんなに簡単だと思われますか?
自力と他力は共通点がないのです。相対の幸福しか知らない者と、絶対の幸福は無縁です。
かすりもしません。そんな相対の世界に住む私たちを、絶対他力の世界に入れてやりたい、
本当の幸福にしてやりたい、と、18願を建てて下され、続けて19願、20願を建てて下されたのです。
>>913 >直入の機とは何ですか?我々はそれに入るのか入らないのか、どうしたら分かるのですか?
「直入の機」とは、文字通り弘願に直入する機類ですが、確か宗乗の用語じゃないでしょうか?
>>549や
>>655でも書いたように宗乗上での「三願転入」の解釈は多岐にわたるようだし、
書き忘れましたが、他にも三願転入は一念浄信の心相を開いたものという説もあり、これは
505さんの説に近いんじゃないでしょうか(違ってればご指摘お願い致します)? これと
か比較信仰論という説では、必ずしも時系列が問題になりませんし、特に前者だと転入と直入
の相即的な解釈も可能ですから、「直入の機」を分別する必要すらなくなってきますね。
まあ、われわれがそれに入るか否かとか、過去世に要門を経てきたか否かとかは、信前にはわか
らりません。他力信をいただけば、信相の上に、その体はあくまで他力回向ですが、要門・真門
の照育の御徳も信知させていただけます。まあ「宿善・無宿善」と同じですね。
乙です。
負荷が軽くなったか。
>>920 >あなたは、イダイケが聖道の修行ができる聖者に
>見えるのですか?
経にははっきり「汝は是凡夫なり」とあり、説かれる行は難行の「定散十六観」で
ありその証果が「無生法忍」ですから、古来議論をよんだとこですね。聖道諸師は
、韋提希夫人を所修の行と証果から「大菩薩」の権化と釈され、善導大師の師である
道綽禅師でさえも「ここを以って韋提大師(菩薩)」と聖者と解釈なさったところを
、善導大師独り「夫人は是凡夫にして聖に非ず。」さらに善導大師は、九品も全て凡と
され、上品の「三心」も九品に通じると解され、経の密意は、凡夫相応の下々品の十念
(御本願=十八願)の念仏往生にあったことを明かされたのですが、親鸞聖人は、さら
にその意を徹底され『観経』を「機実法権」の法門であることをあかされたわけです
(当然、「三心」の実義は「他力信心」であり九品の差別もない)。まあ『総序』では別の
意味で夫人を「権化の仁」と言われてますが。
聖道諸師は、親鸞聖人言われるところの「顕説」(表向きの)「定散十六観」を実義と
みられたゆえに、夫人を菩薩と解されましたが、聖人は、経の実義を「(他力)念仏往生」
とされたわけですね。従って真宗と違い顕説の「定善十六観」を実義として修行することを
勧める立場からは、夫人は菩薩となるわけです。505さんも何度も指摘なさってますが、
仏道の諸行を実践するとは、所修の法門が実義であるその証果を目指して修行するものです
から、はじめから権仮方便だとしての諸行の実践はありえません。
真宗では、「三経差別」の相からは、『観経』を「機実法権」として、権の法門は、聖道門の
機類を誘引する「権経」と見做しますが、「三経一致」の立場では、『観経』も弘願真実を説く
お経として一切衆生にに他力念仏往生一つを勧められたとするわけです。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>927 訂正
>(誤り)顕説の「定善十六観」を実義として→(正解)顕説の「定散十六観」を実義として
929 :
711:04/05/23 23:50 ID:ofedGI5B
三願転入ということが話題になっていましたが、
それは回心(信心決定というのでしょうか?)
に至る段階(ステップアップ)のことを
言うのでしょうか?
>>929 >【68】ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、
>久しく万行諸善の仮門(十九願)を出でて、永く双樹林下の往生を離る。
>善本徳本の真門(二十願)に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。
>しかるにいま、ことに方便の真門を出でて、選択の願海(十八願)に転入せり。
>すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。
>果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。
教行信証化身土文類にあるこの文で表されたものを三願転入といいます
しかし、この文の解釈には議論が多くあります
適当に思い出されるものを書き出すと
聖人の体験として
1)聖人が実際にこれを体験したのか、それとも信後に精神遍歴を語ったものなのか?
2)この三願各々の段階は聖人の人生のどの時期にあてはめられるのか?
A、聖人の今生に限定する 例、比叡山→黒谷 比叡山→黒谷→関東
B、聖人の前世をも含める
C、精神遍歴であり、単純に当てはめることはできない
等々諸説あり
我々の問題として
1)信を得るためには、聖人と同じく三願転入を我々も体験する必要があるのか?
2)あるとすれば、物理的に諸行を修す必要はあるのか?
3)三願転入は回心に至る精神遍歴であり、信を得て過去を振り返ることで自覚できるとするか?
諸説多々あり
三願転入を回心に至る精神遍歴とするのがもっとも無難だと思う
931 :
名無しさん@3周年:04/05/24 01:28 ID:lKUbjCnP
ところで、親鸞会は要門を通らなければならないとするらしいが、20願の
願行を修しているのか?それとも誰もまだ20願に回入していないのか?
なんにせよ19願を通るのに定散十六観もやらないで
それ以下の道徳に毛が生えた程度の善で「善の出来ない自分」と
知らされるのかどうか怪しい。
20願に至っては皆無だし。
933 :
名無しさん@3周年:04/05/24 01:54 ID:lKUbjCnP
高森会長は龍谷大学時代、I先生のご教化の下に、頓速に信心開発したものと、
過去ログにあったが、110さん、そのあたりはどうよ!
よ
935 :
505:04/05/24 08:44 ID:eExMd8+E
>>919 >本会は、三願を別々のものとして捉えるのではなく、
関連付けて捉えています。
今回はここだけ返答しておきます。
332さんの、
>>927には本質的なことが書いてありますから熟読してください。
法門というものは本来それぞれが独立しています。そして
>所修の法門が実義であるその証果を目指して修行するものです
から、はじめから権仮方便だとしての諸行の実践はありえません。
と332さんがご指摘のように、ある法門の証果を目ざして修行するものです。
そんなことは仏教学のイロハではないのですか?
あなたの見解は、あなたまたは親鸞会独自の、もはや仏教ともいえない見解であると
判断されてもしかたがないでしょうね・・。
そもそもあなたは横出、横超を明白に分別されている愚禿抄を拝読されたことは
あるのですか?
>それでは、本会の教える所が分かるはずがありませんね。
仏教を少しでも知っているものには誰にも理解不能でしょうね。
もっと通仏教を馬鹿にせずに学ばれたらいかがですか?
936 :
名無しさん@3周年:
>ある法門の証果を目ざして修行するものです。
そんなことは仏教学のイロハではないのですか?
会で何を教えられているかも知らないで批判しているひとたちが多い
ですから理解できないのはしかたないですね。こういうのを無責任な批判と
いうんですよ。
昔「阿弥陀仏に向かってする善はこころがけの良い善だと教えている」という
根も葉もない話も出ていました。
19願は「善をすすめる方便」の根拠として示されているのであって
19願を修行しなさいとかいうことはお聞きしたことは私はありません。
19願横出は臨終の救いですが、会でそんなことをお聞きしたことは
ありません。
お釈迦さまはイダイケを18願に導くために定善散善をすすめられました。
これは「善のすすめ」であって臨終業成をすすめられた方便ではないのです。
「諸善万行ことごとく 至心発願するゆえに 往生浄土の方便の
善とならぬはなかりけり」は臨終の救いを求めるためのものではなく
19願の方便は「善のすすめの方便」であるという意味です。
それが19願にたいする聖人の見方です。