果たして三位一体は正しいのか!? 第二位格

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1(・∀・∀・∀・)
キリスト教の基本教理である三位一体
三位一体を否定する教派は異端とされてきた。
しかし、果たして本当に三位一体は正しいのか?
本当に聖書から三位一体は導き出せるのか?
ここらでちょっと三位一体について語ってみないか?
三位一体に変わる新しい理論もキボンヌ。
あと、小泉総理の「三位一体の改革」については他所でやってね。

前スレ
果たして三位一体は正しいのか!?
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1061983539/
2名無しさん@3周年:03/10/28 16:05
2
3名無しさん@3周年:03/10/28 16:05
祝get2>>>>>>サロメ俺さん史ね!!!!!!
4名無しさん@3周年:03/10/28 16:09
結局第二位格なのね。
5名無しさん@3周年:03/10/28 16:11
さて諸君、ミケーア宗教会議から話を始めようではないか。
6名無しさん@3周年:03/10/28 16:14
この前スレ、パッとみ糞つまらんスレかと思っていたが、
なかなか良スレだったよ。ということで>>1、乙。
7名無しさん@3周年:03/10/28 16:16
そもそも三位一体をめぐる論争は、いつからのころからあるの?
8前スレ1:03/10/28 16:20
>>1
代行スレ立てありがとうございます。乙彼様でした。

>>4
もし4スレ目に行ったときのためには別の方法をとりますから安心してください。

>>6
ありがとうございます。

私はここらへんで失礼いたします。(書き込まないという意味ではありません)
次スレ逝きそうになったときや、何かあったときには出てくるかもしれません。。。
9名無しさん@3周年:03/10/28 16:48
>>7
過去にも2〜3度「三位一体」スレを見たことがあったけど
今回の前スレがいちばんまともな会話が出来ていたと思う。
10名無しさん@3周年:03/10/28 16:54
>>7
オリゲネスなどアレクサンドリア神学が提唱するロゴス・キリスト論
についての議論あたりから、その気配ありだと思うよ。三位一体論も
キリスト論に関する議論の延長線上で出てきた論点だし。
11名無しさん@3周年:03/10/28 17:53
それでユダヤ教の神はヤハヴェ神、キリスト教の神は三位一体の神としてみなしてもよいのでしょうか?
12名無しさん@3周年:03/10/28 18:25
神は全知全能なお方です 三位一体でも何でも お茶の子歳々だけど (V○V)? 
13名無しさん@3周年:03/10/28 18:34
一つなのが3つ・・・ほんとに一神教なのか?多神教とどう違うのさ。
14名無しさん@3周年:03/10/28 18:39
1=3だよ 三つであり一つの神さまね 
15名無しさん@3周年:03/10/28 18:43
パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。
(コリント人への手紙10.17)
16名無しさん@3周年:03/10/28 18:47
>>14
だから、一神教と多神教って区別はどこで一線をひいているのよ?
ユダヤ教やイスラム教は、確かに一神教だが、キリスト教は、新約を見る限り
ヒンズー教や仏教となんら変わりないと思わないか?
17名無しさん@3周年:03/10/28 18:59
おもわない
18名無しさん@3周年:03/10/28 18:59
>>16
おもわねー。
19名無しさん@3周年:03/10/28 19:01
>>16
記述内容が多少とっちらかってるかもしれんが、神は唯一だと明言してん
だから一神教だべさ。

20名無しさん@3周年:03/10/28 19:04
>>19
だがよ、バプテスマを受ける時などで「神と神の子と聖霊の御名において、、、」と言うべさ。
21名無しさん@3周年:03/10/28 20:03
>>20
それが全部一つだというんが三位一体だべや?それでええんでねが?
22名無しさん@3周年:03/10/28 20:26
あーめん
23名無しさん@3周年:03/10/28 20:26
>>21
格が3つある神か・・・ 多重人(神)格の間違いではないのかよw
24名無しさん@3周年:03/10/28 20:28
>>23
三位一体はともかくとして、旧約・新約をつうじての多重人格っぷりはよく知られた話だなw
25名無しさん@3周年:03/10/28 20:28
多重人格も ひとりの人格の分派よね あぼーん
26名無しさん@3周年:03/10/29 11:52
キリスト教って神の一人芝居だよね。

勝手に世界や人類作っといて、罪を犯しそうな状況わざと作って
犯しちゃったら子孫まで受け継がせて(子供は関係ないだろ!)。

増えてきて自分を讃えなくなったからヘソ曲げてみんな洪水で
滅ぼしちゃってさ。
そんでしょうがないから自分の民を選んで
「お前たち以外は私が選んだ民だ。お前たち以外は異邦人だ」
みたいなこと言ってさ。
そいでまた選民まで讃えなくなったら怒って国を滅ぼさせたり
バビロンに捕囚させたりしたくせにのうのうと
「メシアがお前たちを救ってくれるぞ」
とか言ってんの。

で、神の子イエスが来たと思ったら
「神は愛です。隣人を愛しなさい。敵をも愛しなさい」
オイオイ、あんた言ってることが違うよ!!どないせい言うんじゃ!
で、人類の罪を背負って死んでくれた訳ですか、有難う!

っておい!
勝手に人類作って罪犯させといて勝手放題人類をいいようにもてあそんだ上に
自分(の子)が死んで償ってあげます、ですか。
あぁ、そうですか。

一人芝居もたいがいにしろヴォケェェェ!!!!
27名無しさん@3周年:03/10/29 12:02
>>26
> 「お前たち以外は私が選んだ民だ。お前たち以外は異邦人だ」

「お前たちは 私が選んだ民だ。 お前たち以外は異邦人だ」
28名無しさん@3周年:03/10/29 12:04
まあ、そんな神にもついていくのが人間の不可解なところで......。

人間の寿命が有限、というのが、神から与えられた最大の恵みだと
私は個人的には思います。
29名無しさん@3周年:03/10/29 12:19
>>28
文字通り「イッテヨシ!」ですな あなたは
30名無しさん@3周年:03/10/29 12:43
まぁ 神を理解するたって ありんこが人間を理解するようなもんね
31名無しさん@3周年:03/10/29 12:48
>>14
1≡3 の方だろが。
32名無しさん@3周年:03/10/29 14:51
>>30
人間がありんこを理解できないように神も人間を理解できないってことでつね?
33名無しさん@5周年:03/10/29 19:18
無限である神を、有限である人間が理解できるわけが無い。
すべてを、人間の頭で理解できるように、合理的な解釈を
しようとすれば、人間は自分と同等の神しか持てない。
つまり、人間の脳みその中に、神がすべて納まってしまうということ。
34名無しさん@3周年:03/10/29 19:22
>>33
人間が有限とは早合点すぎる。
35名無しさん@5周年:03/10/29 19:31
>>34
人間はすべてにおいて有限です。
36名無しさん@5周年:03/10/29 19:33

37名無しさん@3周年:03/10/29 19:38
>>35
だから、早合点すぎる。
38名無しさん@5周年:03/10/29 19:40
唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、
だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。
この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。
39名無しさん@5周年:03/10/29 19:42
>>37
神はすべてにおいて無限です。
40名無しさん@3周年:03/10/29 19:44
>>39
神は無限だというのはいいけど、それと対比させて人間が有限ってのは無理があるって。
41名無しさん@3周年:03/10/29 19:47
>>40
否定する理由は?
42名無しさん@5周年:03/10/29 19:55
神は無限であり、人間は有限である。
これは議論の余地がありません。
43名無しさん@3周年:03/10/29 19:55
>>41
理由も何も、そもそも人間のあることについては有限というのであれば、話はわかるが、
全てにおいて有限だなんて・・・ こっちが理由を聞きたい立場だよ。
44名無しさん@5周年:03/10/29 19:58
>>43
ひとつでも無限であるという例をあげてもらえれば、
話は簡単なんですが。
45名無しさん@3周年:03/10/29 20:01
>>44
あ、そうなの、では、
人の思想は?
46名無しさん@5周年:03/10/29 20:07
>>45
思想とは、人が考えることですか。
考えている人間自体、寿命が来れば死にますし、
考えることにも限界があると思いますが。
47名無しさん@3周年:03/10/29 20:09
>>46
んにゃ、個としての人が死んでも、思想は受け継がれていくもんだ。
48名無しさん@5周年:03/10/29 20:16
>>47
この世界が永遠、無限に続くということであれば、人間が残した
思想も永遠に残っていくのでしょうが、残念ながら、この世界も
有限です。
49名無しさん@3周年:03/10/29 20:56
神が無限であることを、想像できる。
又は、無限の神を想像(発明)した。
人が想像すること。
50名無しさん@3周年:03/10/29 21:43
>>42
つまり、「永久に理解できない」、と言う事ですよ
51名無しさん@5周年:03/10/29 22:20
>>50
人間は無限なる神を永久に理解できませんが、終末が来て、神の国に入った人間は、
永遠に知識を積み重ねていくわけですが、それでも、永遠に神を理解し尽くす
ことはできません。どんなに知識が増えても、無限の前には無に等しいということです。
52名無しさん@3周年:03/10/29 22:23
>>47
が、主の説かれた永遠の命です。。
53名無しさん@3周年:03/10/29 22:35
>>51
いやいや、そういう意味じゃないよ
人間は永久に神からかけ離れていると言う事、
宗教だろうと無宗教だろうとね、
第一、自分(達)が他の宗教より神の意に添った行いをしているなんて
妄想もいいところだ、選民意識や選人意識がある時点で、それらは
人が作った証拠、何万年続いても、しょせん神様非公認の「ファンクラブ」
54名無しさん@3周年:03/10/30 09:59
神を人間が理解しきれるはずがないから奥義である三位一体を理解しきれるはずがない。
だけど、真理なのである。

というような事をいうヤツかなり多いんだが、俺からすればそれは思考の停止と思う。
55名無しさん@3周年:03/10/30 11:45
>>54
それも一理ある。
神は、神を思考すれば自分から遠のき。>>51の言う理解しがたいものと変貌する。
思考しなければ、>>54の言う通り、思考は停止する、だがしかし、神と一体となれる。
故に神は決して理解しがたいものではない。

これと同じように三位一体も論理外である。
56名無しさん@3周年:03/10/30 12:59
人間は、大きな無限(神)に比べれば無限分の一くらいの小さい無限という事でよろしく
57名無しさん@3周年:03/10/31 22:20
前スレ847より引用
>そもそもエホバはグランビル−シャープが守られていないという細い線に頼って
>第二テサロニケだのテモテやテトスの、イエスについて「主にして神」としてい
>るところを切り抜けようとしているわけだから、

事実はこのような推測に根拠がないことを示しています。
テトス 2章13節の解釈を取り扱った
『ものみの塔』1981年8月15日号(日本語版)「読者からの質問箱」は
グランビル・シャープの「規則」について次のように述べています。

 イエスが神であることを信じようとする人々は,
 時として正確なギリシャ語文法に従えば上記のような立場(引用者注=グランビル・シャープの「規則」)を
 取らざるを得ないといった印象を与えようとします。
 しかし,実際にはそのようなことはありません。
 事実,テトスへの手紙の中で当てはめられている
 この「規則」の正当性は学者たちの間でかなりの論議を呼んでいます。

すなわち、新世界訳にグランビル・シャープの規則をあてはめて論じることは
無意味なのです。
58名無しさん@3周年:03/10/31 22:50
>>54
そう思うのも思考停止。
もし私が神でないのなら、もし仮に私が、私が神で無い言っても
それは神の言葉でないわけだから信じるに足りない。
つまり私ですら私が神であることを否定できない。
しかし、私は神だから、私は神であるという私の発言は信じるに足る。
これで、世界は混乱から救われるであろう。
60名無しさん@3周年:03/11/02 01:50
>>26
聖書を一字一句間違いのない、神の霊感に基づいて書かれた本であると確信
して忠実に読んでいくと、普通の人ならそういう結論になりますな。
だから聖書は、喩え話やヨハネの黙示録のように象徴に満ちた文書など
や、箴言のように教訓の書など、様々な時代に、色んな人によって書かれた文書を
寄り集めて一つの聖書という書物になったのです。
61アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/11/02 09:05
聖書解釈議論スレよりコピペ

250 :名無しさん@3周年 :03/11/02 03:35
エウセピウス(紀元後260に生まれ〜後337死亡)はマタイ28章19節の一節を引用している。
彼の著書“教会史三巻5の2”で、それを見つける事が出来る。それは次のようだ。

「 行って我が(イエス)名ですべての国民を弟子とせよ 」

この部分が今では、

「あなたがたは行って、すべての民を我が弟子とし、彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を与えよ」

ずいぶんご親切な付け加えがエウセビオスの後に生じたようです。改竄のお手本とでもいうべきか。
迷惑この上もありませんがね。
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1066654046/250

これって本当なの?だとしたらすごく重大なことだよね?
三位一体論最大の論拠でしょ?
6257:03/11/02 11:49
あー編集中に流しちゃったよ。いやん。

つづき
「この見解は20年以上も前のものであり、現在のエホバの証人の立場とは
異なるのではないか?」と疑問を抱く人がいるかもしれません。
そのような人に対して、>>57で引用されている記事以前に
新世界訳初版が発表されていることに注意を喚起することは有益です。
また参照資料つき新世界訳改訂版(1984年)およびその日本語版(1985年)は
グランビル・シャープ法則に対するエホバの証人の立場に興味深い洞察を
与えてくれるでしょう。その参照資料6ホはテトス2:13とペトロ2 1:1,2が
「異なった二者が kai で結ばれているとき、前者に定冠詞が付いているなら
後者に定冠詞を繰り返し付ける必要のないことを示」す、と主張しています。

このような見解に基づく翻訳に基づいて聖書を論じることに、
現代の私たちにとってどんな意義があるでしょうか。
63 ◆VcgU54eMDU :03/11/02 15:32
>>61  >>60
リベラルは異端的なので勝手に聖書を差し引きます。そして三位一体まで否定しだします。

三位一体は聖書に啓示された真理です。

否定する者は異端です。
64名無しさん@3周年:03/11/02 15:46
三位一体と決めた会議はローマ皇帝主催で行われています
言い換えれば弱体化した帝国にキリスト教という新しい血を入れる事で
権力層の延命を図る為に宗教を整理する計画でした

逆に言ってしまえば宗教と帝国の利害の落とし所を探った会議でもあります
ここで排除された勢力は帝国運営、教会運営で都合は悪かっただけで、宗教
的に間違っていたかどうか、かなり怪しいです
結果、帝国を支えてきた「ローマ人魂」は崩壊し、キリスト教もここで決まった
事を「信条」として、事あるごとに再確認しなければならなくなり、
あのとき排除した事は、本当は正しかったのではないか?と、怯えるように
なったのです
65名無しさん@3周年:03/11/02 15:57
>>29
亀レスですが、
「いかに良く逝くか」 が宗教の担当分野だと思います。
66 ◆VcgU54eMDU :03/11/02 16:01
>>64
会議は聖書に啓示された三位一体の真理を確認したに過ぎません。

人間の決定によるものではないのです。
67名無しさん@3周年:03/11/02 16:16
>>66
聖書には三位一体の記述は無いはずですが?
68名無しさん@3周年:03/11/02 20:22
>>67
「聖書に啓示された三位一体の真理を確認した」は「書いてあることにした」
の雅語です。
69名無しさん@3周年:03/11/03 02:08
>>64
ふむふむ。
とりあえず貴下への援護として指摘できるのは、

1.第一ニケーア公会議とニケーア信条は別物であること どう違うのかを突き詰めるといい。
2.ミラノ公会議(355年)の存在を、後の主流派が矮小化・無視しようとしてきたこと  調べてみよう。なにより・・・

主流派のための会議とその後について顕著にみられる特徴として、
「後の主流派による主流派のための」歴史記述・またネーミング・数知れぬ焚書・最初から判決の決まった審理、
会議の抜き打ち開催、おもに「後の主流派」のための交通費免除、買収、(おそらく姦淫・同性愛をも用いた)有力者および婦人の篭絡、
反対派(潜在的多数派)出席やさらには司牧に対するそのほかの妨害、それには暴徒扇動による殺害・傷害・監禁も含まれる。

教会内のどの程度の人がそれらに手を染めていたかは、たとえば「聖ダマスス1世」の数々の犯罪をみればいい。
表沙汰になっているものだけでも、凶悪犯罪者と呼ぶに十分なはずだ。

これらをもってなお、アタナシウスたちが歴史の審判に堪えるものかどうか。
異教徒の堕落した法律の前で、ひれ伏して判定に服すべきだと思う。

まったく、「神の恩寵により」云々が聞いて呆れる。

70名無しさん@3周年:03/11/03 02:12
三位一体を否定するエホ証のキリスト観が炸裂している歌をさらし挙げ。
間違いはいくつ見つかりますか?

「105番 エホバの初子 (ういご) をたたえよ!」
Hail Jehovah's Firstborn!

1. エホバの初子は 世継ぎとさる  造られし日より 父に仕え
  地と天のもの 全てを造り  言葉となりて 真理知らす
2. 神の像(かたち) にて 居給いしが  神と等しき地位 求めず
  己を低め 人の様 取り  エホバ証して 命 得しむ
3. キリスト、神に 高くせられ  エホバの名清む務め 受けり
  ハルマゲドンにて 僕(しもべ) ら守り  神の敵 討ち 平和招かん
4. エホバの初子は 位に座す  家々に告げて 真理守れ
  親しく顧み よく教えつつ  エホバの初子 ほめたたえよ
71名無しさん@3周年:03/11/03 02:19
>>70
いや、みつからない。しかし著作権を侵害している匿名者は見つけた。
お前だ。
72或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/11/03 02:22
>>70
まず一つはイエス様は被造物じゃないです。

ナザレ人イエスは全能の神です。

異端は嫌。


73名無しさん@3周年:03/11/03 02:23
>>71
歌詞の間違いはないように(無断)掲載した。
その間違いじゃなくて、「聖書的に見て」 間違っているかどうかだ。
74名無しさん@3周年:03/11/03 09:51
イエス・キリストは父に祈ったりする謙虚な態度と、「私はある」
と堂々と言われる態度とが渾然となっているので、謙虚な態度に
だけ注目すると混乱するが、じつは神その人だった。

神がこの世に人間として来られたのは初めてだったので、さすが
の神にも人間相手にはいろいろな困難がおありになった。

自分がある人本人であったとき、あなたはあの人を知っています
か?と聞かれて、私がその人間本人ですと言うのも本当だが、
ええ、よく知っていますと答えるのも本当。

賢い人間なら、鼻からそれを信じない者たちに向かって、私が
本当に本人ですなどと主張はしない。相手によるのである。

神であるイエス・キリストはそうされたまで。

聞く耳のある人は聞きなさい・・・。
75名無しさん@3周年:03/11/03 10:02
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は幸いである。」

弟子のトマスでさえそうだったが、最後に神と認めている。

このトマスの記事はその一部始終を自分の目で見ていた弟子の
ヨハネによって書かれたのである。

76名無しさん@3周年:03/11/03 10:19
>>69

第1ニケア公会議とニケア信条が無関係?? なんでですか?
解りやすい説明よろしく
77名無しさん@3周年:03/11/04 00:46
全創造物の初子というのが、どれほどトンデモな存在かを理解せんとな。
哲学的に考えても、それが「言葉」と呼ばれるのは正しいように思える。
言葉は、それを指す対象や相手がいない場合には、存在自体無用だからな。

その上、全宇宙は初子によって創造され、初子のために存在しているという。
これを人間から見て「神」と呼びたくなるのは当たり前だがな。
ところが、それには、もっととんでもない「父」がいてしまうのだよな。
78名無しさん@3周年:03/11/04 00:51
ところで三位一体を信じてる宗派の見解では、なんで「父」と「子」と
呼ばれるようになったか、その理由はどうやって説明してるの?
「子」って呼ばれるのは、それを生んだ親を持つ存在だけだろう?
それ以外に、「子」って呼ばれる理由が皆目わからんのだが。
79名無しさん@3周年:03/11/04 12:36
実際には、先に「父」がいて「子」がいて、そのあとに「人間界」が出来て、、、、、
最近になってから人間が「父と子って一緒なんじゃないか?」と言い出したんだもの。
信者たちが好むと好まざるとにかかわらず、父も子もいるさ。
80 ◆VcgU54eMDU :03/11/04 12:40
>>78
イエスは独り子の神です。

ヨハネ  1: 14 新改訳
ことば(ロゴス-キリスト)は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

     1: 14 新共同訳
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
81名無しさん@3周年:03/11/04 13:06
>>77-78
まさしくそのとおり。

もはや反対派の論駁の中にしか見出すことの出来ないアリウス自身の「言葉」(#脚注)からも、
まさに(男は娶らず、女も嫁がない、つまり生殖もない)天における二者の関係に、
なぜ「父」「子」という表現を用いるのか、そこから当然導かれる「お二方の存在」を、
アタナシウス一派が剽窃して標榜した「長老たちの伝統、聖なる書物にしたがって」論証しようとしていたことはわかる。

#これは、たとえば「○○厨が言論を完全に握った世界」が存在するとして、
それに反論した人の言葉が、反論した人を呪うために引用した人の文章にしか存在しない、
そういう世界を想像してもらえばいい。4世紀は、まさにそのような時代への変形の時期だった。

#アタナシウス一派のたくさんの文章、
そこにある「アリウスの言葉」は、偏見や歪曲、削除、捏造によって弱められ、誤解され、呪われている。
いわば、三一論者はそういう、都合良く骨抜きにされた言葉に対して、
1000年を経てなお数限りなく嘲笑し、聖書から「反論」し(しかし三一論のために偏向して「解釈」し、
ひどい場合は捏造・改竄を本文にさえ施した上で)「論証」し、のみならず失われた言葉を取り戻そうとした人たちを
嘲笑し、破門し、追放し、脅迫し、呪い、殺してきた。

82名無しさん@3周年:03/11/04 17:49
閑話の類になるかもしれませんが・・・・・・

テトス2:13 祝福された希望の[完成、実現]、つまり,私たちの偉大な神と救い主キリスト・イエス
の輝かしい出現を待望[するようにさせるものです] (詳訳聖書 いのちのことば社 1962年)

いのちのことば社 が発行してるんですよね、これ。前スレ847さん。厳密に言えば「発行していた」ですかねw

それが、いま、日本語のものとしては一般に手に入りやすい新共同訳や新改訳になると確かにこうなる。

テトス2:13 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリスト
の栄光の現れを待ち望むように教えています。 (新共同訳)

テトス2:13 祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエス
の栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。 (新改訳)

で、【異端】聖書解釈議論スレッド【異教】http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1066654046/35 と。



83元福音派:03/11/04 21:25
>>82
テトス2:13は、新共同訳等の訳が適切だと思いますが、何か?

グランビル・シャープの法則にしたがって訳したのだと思いますが、
何か問題でもありますか?
84懐疑者61:03/11/04 22:33
神が論理外かつ人間の認識外というのは定義上認めるとしても、
三位一体が正しいか否かを人間の産物である聖書や公会議等の解釈上で議論するのは、無意味。
どの言語が正しい人間語かを議論しているのと同じで、相対的な価値の押し付け合いでしかない。
もちろん、教会関係者でそれで食っている人は別なんだろうけどさ。
三位一体という概念は、それを深く理解むしろ経験しようとすることによって、宗教的経験として
ドグマを理解するための方法論としては意味を持つと思うが、それぞれ信じている教義があるのであれば、
それぞれの方法で深い認識に到達すれば良いだけのこと。
むしろ母国語以外の言語が理解できないからといって、他を異端と切り捨てたり抹殺するような姿勢のほうが、
それぞれの宗教の教えに合わないはずであり、宗教の本質を理解していないということ。
一度勉強やめてみたら。
85名無しさん@3周年:03/11/04 23:13
>>78
さらに、混乱させるようでもうしわけないが、正教会は、「父より出ずる聖神(聖霊)の」だが、
カトリックって、「父と子より出ずる聖霊の」とは、なってないかな?
アウグスティヌスの三位一体論を読む限りではそう読めた。
86名無しさん@3周年:03/11/04 23:26
>>83
いや、だから、その話がここにあったみたいだから・・・・・・
http://biblia.milkcafe.to/thesis007.html
87名無しさん@3周年:03/11/05 00:09
>>84
ぜひおさえてほしいのは、三位一体にかんする論争とその手段には、おもに勝利した側による

1.聖書本文への捏造・改竄
2.聖書以外の文献への同様の犯罪的行為
3.対立する人々の著作を所有したり保管したりした人の徹底的な摘発・そして焚書
4.対立する人々・それに同情的な人々への脅迫・暴力・追放・殺害
5.デマゴギー・プロパガンダによる、対立する人々の名誉・記憶への毀損

があった、しかもこれらが大々的・国家的になされた、ということです。

そして、こういうやりかたによって「真理」を擁護するなどということを、
父なる神や子なる神がお許しになったのだと、ほんとうに考えているのですか?
という問いかけです。

もし、神さまが、たとえば詩篇に書いてあるような神さまならば、
「犠牲者たちの号泣を神は決して忘れず、流されたその血のために報復する」はずだと、思うのです。
残酷な思想だと思われますか?私はそうは思いません。

88名無しさん@3周年:03/11/05 00:26
申命記の「聞けイスラエルよ。あなた方の主、神は唯一の神である。」
という有名な箇所について。いまでもその文言をユダヤ教の
正統派の人の中には腕にまいたり、額につける箱のなかに入れたり
してるする人もいるそうですね。

あの聖句の「唯一」という言葉はヘブライ語のエハッドということばが
用いられていて集まりをさすときに使う「ひとつ」らしいですね。
単純な1は別の単語があるそうです。
例えば葡萄の房は ひと房と数えます。ひと房の葡萄には実が沢山
ついていますが、要素を持つ集合に対しひとつと数えることがあります。
エハッドはそのようなコンポジションに関する概念の「ひとつ」という
言葉だそうです。メシアニックジュー(ユダヤ人キリスト者)の著作に
より、知りました。

ユダヤ人でイエスをメシア(キリスト)と信じる人は初代教会には使徒を
始めとして大勢いたわけですがAD70年のエルサレム陥落以降
少数派でした。ユダヤ人社会にも異邦人によるキリスト教社会からも
居場所がなくアイデンティティクライシスに陥っていたのではないでしょうか。
19世紀以降そういったメシアニックジュー(ユダヤ人キリスト者)の著作や
活動が起こり始めたと聞いたことがあります。20世紀のイスラエル建国以降
現在、メシアニックジューは増加していると聞きます。
新約を使徒たちと同じようにアブラハム、イサク、ヤコブの子孫の
文化背景の文脈で捉え、旧約をヘブライ語のニュアンスで新約の光で解き明かす、
そういった作業に彼らイエスを主と告白するユダヤ人は賜物を持つ方が
いるのではないでしょうか。神を信じる学者(律法学者?)は自分の倉から
古いものでも新しいものでも自在にとりだす一家の主人のようだ、とイエスさま
は言われたそうです。(マタイ福音書)
8988:03/11/05 00:30
今、聖書で確認してないので聖句引用は一言一句正確ではありません。
内容はあってると思うのですが。聖句に間違いがありましたらすみません。
90名無しさん@3周年:03/11/05 00:35
>>87
>1.聖書本文への捏造・改竄

初代教父の時代にそういったことが行われたのでしょうか。
どういった背景の人たちが、聖書のどの箇所に
どのような改竄を施したのでしょうか。

その改竄はその後、どのようになって現在に至るのでしょうか。

教えて頂けますか。
91名無しさん@3周年:03/11/05 00:41
>>88
ヘブライ語本文には、単純な「1つ」をその「エハッド」であらわす用例がみられるです。
伝道者の書4.8「ひとりぼっちで、仲間もなく、・・・・・・」
雅歌6.9「汚れのない者、私の鳩はただひとり・・・・・・」
92名無しさん@3周年:03/11/05 00:44
>>82
ギリシャ語の και の訳し方、解釈の仕方で変わるのでしょうか。
詳しい方、説明お願いします。

「大いなる神」 と 「私たちの救い主であるキリスト・イエス」 の2つの言葉を
並列的にとらえるのか、イコール(あるいは修飾・被修飾の関係?)にとらえるのか
で翻訳が変わりますね。

イエス様の神性を直接、間接に示す聖句は他にも沢山あるとおもうので
ひとつの聖句に足をとられちゃったりしたくないな、とも思っちゃいます。。
93名無しさん@3周年:03/11/05 00:47
>>90
改竄された写本がどのような過程を経て、
他の多くの写本よりも優位に立つのか、俺も知りたい。
94名無しさん@3周年:03/11/05 00:53
【異端】聖書解釈議論スレッド【異教】
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1066654046/250とか、いかがでしょう。

あと、過去ローグをご覧ください。

95名無しさん@3周年:03/11/05 00:54
グランビル・シャープで検索汁。
96アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/11/05 00:59
>>88
参考になりました。
ということは、「一人の神」ではなく、モルモン教の主張する「神会」のような観念や
ヒンドゥー教の「三神一体(トリムルティ)」のような観念でも「エハッド」であるのかもしれませんね。
97名無しさん@3周年:03/11/05 01:08
御自身を啓示するのに66巻を用いて聖書が成立するよう
神さまは歴史を導かれたのだとすると(ボクはそうだと思いますが)
一部でなく、いろいろな部分、全体を鑑みてどう解き明かされるのか
注意すべきなのではないでしょうか。
98元福音派:03/11/05 01:28
>>86 >>92
92さんは86が指摘しているエホバ側の説明をよみ、グランビル・シャープの法則なるものについて、まず理解したら、何が問題かが分かるはずです。

82、86さんがこのような上記法則を当てはめれば、神にして主とイエス・キリストを理解している思想が出ている箇所を話題にしようとしている、と解しました。

そして、エホバはこのようなところについては、さかんにグランビル・シャープは当時崩れていることもあり、常に成り立ってはいない、と主張します。また、イエスを「神」と言っているとしても、それは「称号」だというような、正統側にある解釈を援用したりします。

しかし、ヨハネ伝のトマスの告白のところのように、じぶんたちに都合のいいところになると(本当に都合がいいわけではないことは、以前どこかで書いた)、この法則を掲げたりしてね。

で、テトスあたりはまだいいのですが、第2テサロニケになると、写本のど
れをとるかについて明確に判定できないところで、どうも
「父なる神にして主イエス・キリスト」と読む可能性もありそうなところがあって、こういうところで上記法則を厳密にあてはめると、後の
サベリウス主義になってしまうのですね。
だから、正統側も、割り引いた訳をするのではないでしょうかね。

私は、テトス等々、時代がくだって、イエスの神格化が相当進んだ時代のものと思ってますから、イエスを神とする見解がでてたっておかしくないと考えます。
9994:03/11/05 01:29
えーと、>>94ですけど、
背景についてつけくわえると、エウセビウスはアリウスに同情的、というよりアリウス派でした。
仲介役を、アリウス側にたっておこなったこともありました。

彼は当時すでに名高い叙述家でもあり、教父たちの文献収集・引用で卓越していました。
そのために彼の文献は残ったわけです。まあ彼が皇帝へのおべっか使いだったことも大きいけど。
お分かりかと思いますが、
彼の著作(とされるもの)が残らなければ、マタイ28:19の疑惑の件は闇に葬られたままだったでしょう。

そして、いまもなお闇に葬られたままの潜在的疑惑がはたしてどれほどあるのか。
写本の照合が不可能なまでに「記憶の抹消」が上首尾になされたものがいくつあるのか。
これはもはや検証すらできません。

話がそれますが、関係ありそうなので加えると、
おなじようにして残ったのが、たとえばテルトゥリアヌス(モンタヌス派に転向)の著作です。
しかしこれらは「例外」に属するものでしょうね。

テルトゥリアヌスが、かつて非難していた異端にみずから加わったことには、
>>87にもつうずる、やむにやまれぬ事情があったようです。
たぶん、調べる価値があると思います。
100名無しさん@3周年:03/11/05 01:58
>>98
で、「詳訳聖書」の訳は?
これこそ三一ファンダっぽい立場なんでしょうに。
父・子・聖霊にあたる(と考えている)ところだけ、
ゴシック表記するくらいなんですけど。

でもしっかり分けちゃってるね。どうしましょ。
101名無しさん@3周年:03/11/05 11:04
あいかわらず「子」って呼ばれる理由が皆目わからんのだが、この
種の哲学的問いかけに対するプチ無視?は伝統なのか?
102名無しさん@3周年:03/11/05 16:43
>>101
>あいかわらず「子」って呼ばれる理由が皆目わからんのだが、
キリストが「神の子」だというのはごく初期からある言説なんだな。
その『子って呼ばれる理由』をめぐる議論が三位一体なんだな。
三位一体では「造られずして生まれ」なんだけど他の説だと違うんだな。

あとは過去ログ読んでね。
103名無しさん@3周年:03/11/06 00:12
>>101

あなたはこう書いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>全創造物の初子というのが、どれほどトンデモな存在かを理解せんとな。
哲学的に考えても、それが「言葉」と呼ばれるのは正しいように思える。
>言葉は、それを指す対象や相手がいない場合には、存在自体無用だからな。

>その上、全宇宙は初子によって創造され、初子のために存在しているという。
これを人間から見て「神」と呼びたくなるのは当たり前だがな。
>ところが、それには、もっととんでもない「父」がいてしまうのだよな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あなたはすでに答えを、俺が見たところでは賞賛に値する洞察によって語っている。
だから余分の説明よりも、「神の言葉」がもつほかの呼ばれ方を挙げとくだけで、いまは十分ではないかな。

「右手に七つの星をつかむ者」「七つの黄金の燭台の真ん中を歩く者」
「最初であり、最後である者」「死んで、生き返った者」
「するどくて長い両刃の剣を持つ者」
「火の炎のような目を持ち、足は純良な銅のような者である、神の子」
「神の七つの霊と、七つの星を持つ者」
「聖なる者」「真実な者」「ダビデのかぎを持つ者」「開けてだれも閉じないようにし、閉じてだれも開けないようにする者」
「アーメンなる者」「忠実で真実な証人」「神による創造の初め」

「神の小羊」「ほふられた小羊」「ユダ族のライオン」「ダビデの根また子孫」「輝く明けの明星」
「王の王、主の主」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
たとえば、「明けの明星」という。太陽そのものではなく、太陽に先立って昇るもの。
また、「神による創造の初め」という。 
104懐疑者61:03/11/06 22:41
84です。亀レスですみませぬ。
>>87
>そして、こういうやりかたによって「真理」を擁護するなどということを、
>父なる神や子なる神がお許しになったのだと、ほんとうに考えているのですか?
>という問いかけです。

>もし、神さまが、たとえば詩篇に書いてあるような神さまならば、
>「犠牲者たちの号泣を神は決して忘れず、流されたその血のために報復する」はずだと、思うのです。
>残酷な思想だと思われますか?私はそうは思いません。

残酷かどうかを考える前に、神が意図的に「許した」とか「報復するはず」というのは、
あまりに擬人化されており、自分の立場の思いこみや人間の感情を神の意志として投影する
都合のいい考え方と思います。

聖書や詩編に記述してあるような、神からの人間に対して何らかのメッセージや出来事というものが、
実際にあった出来事だったとしても、(字句通りとは思えませんし、また全てが事実とも到底思えませんが)
逆に、聖書や詩編に書かれてある事柄から類推して、人間世界で起きた(起きつつある)出来事に対して、
積極的に神の意志が働いたと考える、あるいは人間世界での論理的帰結によって神の意志が働くであろう
と考えるのは、人間のエゴであり、信心深いというよりも、むしろ冒涜的なのではないでしょうか。

つまり、私が言いたいのは、三位一体論争による人間世界での悲劇は、むろん当事者にとっては、
生死に関わる問題だったのでしょうが、神の絶対性と顕現性について論争した結果という反面、
神の意志とはなんら関係ないものであるという可能性はないのでしょうか。

三位一体論に対してどのような立場を取られているのかは知りませんが、そういった見方に対しては
どのようにお考えですか?
105名無しさん@3周年:03/11/06 22:44
『九位一体』が正解だと主張するアホがいたな。。。
ベニー・ヒンだったか。。。
106名無しさん@3周年:03/11/07 01:23
>人間世界での論理的帰結によって神の意志が働くであろう
>と考えるのは、人間のエゴであり、信心深いというよりも、むしろ冒涜的なのではないでしょうか。 (>>104

いいえ。

冒涜とはなんでしょうか。それは神を誤解し、させること でしょう。
「だれも理解できないから奥義である」という奇妙な考えを、ありがたがったりはできません。
そのように教えて「父」を誤解させることも。
むしろそれを憎み、悲しみます。

>もし、神さまが、たとえば詩篇に書いてあるような神さまならば、
>「犠牲者たちの号泣を神は決して忘れず、流されたその血のために報復する」はずだと、思うのです。
>残酷な思想だと思われますか?私はそうは思いません。

これが冒涜的でしょうか。私はそうは思いません。
神さまがいるなら、その方は無関心からは最も遠い存在でしょうから。
赤ちゃんを抱いたお母さんのように。
神を誤り伝えることを阻止しようとして、犠牲になった人 のために、神が事を正すのを期待することを
人間のエゴとは思いません。
「殴って判らせる」人にこそ、あてはまるでしょう。










107名無しさん@3周年:03/11/07 12:28
>>『九位一体』
言葉や文章というものは、先入観ひとつで、まったく別の意味に捉えることも
出来るからな。「そう読もうと思えば読めないことは無い」部分とかがあるんだろう。
機械がよく誤読をする。補正できるのは人間の脳だけ。場違いな台詞、全体の主張
との相違を、検出し、意味解釈を補正できる。当然、哲学も重要な要素だが・・・
さて三位一体論者は、どういう手法で九位一体という解釈を補正しようとするのか、
見たいもんだね。攻撃の過程で自打球を股間に当てないことを祈っておこう。
108名無しさん@3周年:03/11/09 02:19
子が父から生まれたので無いなら、3つの位格の「父」「子」「聖霊」という名は
関係性を表すための名称ではなく、それぞれ独立した、ただの固有名詞だと
いうことになってしまうと思うんだが。そうなると、なぜそんな名を選んだ
のかって疑問に当たっちゃったんだけど、そこはどうクリアされてるの?

あと、三位一体論者の間では、3つの位格のうち一番誰が愛されてるの?
聞いた話では「父」は、どうも不寛容な失敗者として捉えられているとか。
神も、失敗を犯すの?
109名無しさん@3周年:03/11/09 21:46
>>108
実はクリアされてないんだよ。
カトリックが「父と子よりいずる聖霊」正教会が「父よりいずる聖神(聖霊)」だから...
110名無しさん@3周年:03/11/10 01:27
でも日本のカトリック教会は使徒信経告白してその辺うやむやにしてるね。
こちらはおかげで気が楽だけど。
"e dal Figlio"のとこだけ唇ぎゅってつぐんでるのもちょと気まずいので。
111名無しさん@3周年:03/11/10 12:38
千数百年以上に渡って、伝統的に守られてきた教義があったとしても、
その間に行われてきた反論は、ほとんど圧殺されてきたわけだよね。
伝統という言葉じたいが、正当性の論拠にならないのは、どんな場合
でも当たり前なのだけど、キリスト教(おもにカトリックね)の伝統
的教義ほどに、なんらの重みも正当性も感じられない伝統はほかに無
いように思えてしまうんだけど。
こうして論理的に破綻しているようにしか見えない三位一体も、その
「暴力と脅しによって守られてきた聖書解釈」のひとつにすぎないのでは。
信じてる人は、そう疑問に感じたことは一度として無いんでしょうか?
112名無しさん@3周年:03/11/10 19:10
>>111
三位一体を信じないなら、たとえキリストを信じても無意味。
なぜなら、被造物である者が、人類を救うことはできない。
神であるキリストに、あなたは神ではないと言っているようなものだから、
そのような者は、呪われるでしょう。
113【】:03/11/10 19:26
> 被造物である者が、人類を救うことはできない。

父の御旨を無視して子イエスが人類を救おうとしても無理だったでしょうね。
でも、父がやはり人類を救う事を望んでおり、その仕事をイエスに実行させたのであればまったく問題ありません。
問題がないどころか力を授け全面的に後押しなさったでしょう。
114名無しさん@3周年:03/11/10 21:01
>>113
救いというものが、どういうことなのかをしっかり理解しない限り、
このような誤った考えに陥ることになる。
罪と悲惨の中にある人類を救うということは、神にしかできないことであり、
実際、徹頭徹尾、神が人類の救いを決意し、実行し、完成させるのです。
神は誰の助けも必要とはされないし、また、救いの事業を他の者に実行させる
こともしない。イエスが被造物であれば、せいぜい、ひとりの人間を救うこと
ぐらいしかできなかったであろう。
115名無しさん@3周年:03/11/10 21:06
>イエスが被造物であれば、せいぜい、ひとりの人間を救うこと
ぐらいしかできなかったであろう。

被造物である者が、神の怒りに耐えうることは不可能だと思われます
ので、ひとりの人間の罪を贖うことさえできなかったのではないでしょうか。
116名無しさん@3周年:03/11/10 21:13
>>113
もしかして、私でも、神様が力を授けてくださり、後押ししてくださったなら、
人類を救うことができたのでしょうか?
神様は、ご自身ではそれを実行することができないので、代わりに、イエスを用いて
救いの業を実行されたのでしょうか?
117名無しさん@3周年:03/11/11 00:26
>>111
リアリスト的な理論展開から、三位一体は、支持するんだが、歴史を背景とした場合、
そもそも、アタナシウスの論理展開は、おそまつだったし、それ以外じゃ、有名じゃないから、
その辺はいささか無理っぽいと思ってるよ。
118名無しさん@3周年:03/11/11 01:24
どうも三位一体論者が、その主張を確信に至る背景には「被造物=人類を救えない」
という前提的な信仰があるからなのかな。というか「救い」っていうのが何なのかを
はっきりさせないと、それが被造物たる子に可能なのかどうかもわからないね。

どちらかというと、この論法は、「救い」とは何かっていう個人の価値観の入り込みや
すい解釈をまず大前提として、そこから救い主は神かどうかを推論するという、か
なり土台のもろくなりやすそうな論法ではありますが。
119名無しさん@3周年:03/11/11 01:30
子というのは文字通り全宇宙を創造した存在だと記されてますが、
この宇宙全体において、子に不可能なことなんて、あるんですかね。
物質世界に対しては、ほとんど全能なのではないかと思うのですが。
120名無しさん@3周年:03/11/11 01:32
>>117
リアリスト的な理論展開ですか。どういうのか教えてください。
121名無しさん@3周年:03/11/11 12:34
アタナシウスがお粗末だったということは、神が三位一体かどうかといった
論争は、実質的には千数百年に渡って「凍結されてきた」議論であると言い得る
ってことなんでしょうね。つまり、今の時代になってようやくマトモな議論が
出来るようになった議題ってことですか。
122名無しさん@3周年:03/11/11 22:24
>>120
物質(ヤハウェ:わたしはある)が存在すれば物質法則(キリスト:ことば=ロゴス)も
同時に存在すると言うだけさ。
>>121
そういうこと...
それ以上に、マトモに論破はできないし、目に見えないことの是非を廻る論争自体が
(三位一体)、それほど、救いに、有意義なのか疑問でしょう?
イエスキリストを信じる信仰では、十分ではないのか、と個人的に言いたくなってしまうのさ。
目に見えることさえ分からない連中に、天を語る愚かさとしか、思えないんだ。
123名無しさん@3周年:03/11/11 23:13
神秘主義者には、信じられないものを信じるがゆえに信仰と言われてしまうかも知れないが、
物質、摂理も物質法則、霊的法則も聖霊も、自然(神)と言うことで一体でしょ。
結局、アタナシウスは、出来損ないの4代目クリスチャン以下と言うことだよね。
(アリウス論争のために、殺されたり、拷問にかけられた人がいました。)
124懐疑者61:03/11/11 23:29
>>106
「犠牲者たちの号泣を神は決して忘れず、流されたその血のために報復する」
という語句が、三位一体論争に関わって追放された、あるいは殺された人間に
適用する必然性はありません。
一般的に「犠牲者」というのは、死者に対して何らかの価値基準を当てはめた
言葉ですが、神が報復するための適用基準は、神が決めるべきものであって、
信仰者が介入して勝手に解釈することは、神に対する越権行為であり、これこ
そ冒涜的でしょう。
あなたが「神が報復する」ことを願うのも、何らかの報復と推測できるような
(大量死のような)事象があったとして、それを神の意志と思うのも、加えて
それを残酷と思わないのも、人間社会的には無罪であり自由ですが、率先して
暴力を奮うか否かの違いはあるにせよ、あなたとあなたが批判する「殴って
判らせる人」は、自分の願望を神の意志に置き換え正当化するという意味で、
全く同じ論理のように思われます。
つまり、神に絶対性と無誤謬性を認めるキリスト教では、聖書や詩編のような
書物において人間が現わした語句から神を擬人化して類推する姿勢そのものが、
各自によって異なる解釈を引き起こし、論争を招く潜在的な危険性を持ってい
る、そして、聖書や詩編から自らの解釈に沿うような事例を引っ張りだして
自説を補強し、神についての認識を深めたと思えば思うほど、神の真実は自分
の側にあると思いこんでしまった結果、次々と悲劇が生まれてきたのではないの
ですか。
私は、もちろんキリスト教だけではないと思うのですが、このような危険性を
踏まえずに聖典等の書物解釈の深みにはまることは、争いを大きくするだけだ
と思いますし、慈悲と慈愛を説くキリスト教の教えに照らしても無意味だと
思います。
125名無しさん@3周年:03/11/11 23:39
なにかアタナシオスについて批判的発言がちらほらしてますが・・・・

そもそもアタナシオスはニカイア公会議で大した役割は果たしてない、とか、
彼は理論家というよりは牧会的分野で力があったといった研究があるようで(たしかカンネギーサーとかいう人もこの手)、
アタナシオスをどうのこうの言ってもしょうがないんじゃない?

三一説の理論といえば、やはりカパドキアの三人をモデルにしないとね。
126元福音派:03/11/11 23:43
皮肉なことに、
三位一体論者の「永遠」理解はギリシア哲学系のもので、アレイオスのほうが、
素朴というか、初期キリスト教の理解の線上にあるわけね。

「生まれた」ということをアレイオスは完了形で語るのに対し、ニカイア信条
では確かアオリストになっている。この差によって、父も子も永遠であること
と、後者が前者から生まれたこととの両立を可能にしているわけだけど。

127名無しさん@3周年:03/11/12 19:05
昔ある日本の新興神道を教わっていた時、彼らの拝んでいる神様には日本語で表記された
長々しい名前があって、信者に聞いてみると、その神様は永遠から永遠に存在しており、
その名前も永遠の過去からあったと言っていました。
単純な疑問で「宇宙が出来る前は日本語は存在しませんでしたが、その頃からこの神様
は同じ名前だったのですか?」と尋ねると、信者さんらは悩んだあげく「複雑なことはわか
らないが、ともかく信じれば救われる」と言ってきました。
おそらく、普通なら当たり前のように頭に浮かぶはずの疑問を、なんらかの願望や、ワラ
にもすがるような継続的な安堵感の欲求により、頭の中から排除できるのが、宗教をする
人間の特質であり弱さなのだと感じました。

ところが聖書を見れば「はじめに言葉が・・」などと書かれています。
これには目からウロコでした。

「言葉」というものは、そもそも別々の自我が意思の疎通を交わすために用いられる道具で
あるし、また対象物が存在しない世界においてはその対象物を指し示す言葉も単語も存在し
ないわけですから、物質世界や、時間や、空間という実在に先んじて、まず概念、つまり
言葉がもっとも最初に創造されたという主張は、とても正しい主張に思えるわけです。
言葉や概念が存在する以前は「はじめ」という概念すら無いわけですから、我々がどんなに
時間を遡っても、そこには「はじめ=最初」などというものは存在しないわけです。
もし、はじめがあるとすれば、それは言葉の誕生と同時なわけですから、すべての最初に
創造されたものが、なんと「言葉」と呼ばれているという事実は、自分には脱帽だったのです。

その他大勢の非論理的で、うやむやな説明をする宗教とは、まるで別格の明確さでした。
単純明快で論理的、簡潔、それでいて深遠な真理、自分にはそう感じました。

ところが、三位一体論からすると、言葉、つまりロゴスは永遠から永遠に渡って存在して
きたものなのでしょうか? すると、なぜ彼はロゴスと呼ばれるのでしょうか?
明快な答えが欲しいです。そうでないと、その他大勢の有象無象の宗教から感じ取った、論
理的説明などどうでもいいといった雰囲気の混沌としたイメージを、聖書からも感じざるを
得なくなってしまいます。
128名無しさん@3周年:03/11/12 19:19
>>125
エウセビオスの時は3馬鹿だったけど、最終的には、アウグスティヌスの
「三位一体論」でない?捨てちゃって、今はもってないんだけど(¥6000くらいした)
愛は単独では、発生しないから、これは後でできたみたいなこと言ってた気がした。
弁証というより、神学でしょうあれは....
それに、アウグスティヌスの言い方だと、アリウスと別な意味で類質に聞こえるし...
愛の源泉たる聖霊は、すでに内在だったとすれば、まだ良かったが...
(部分理論的には、こちらのほうが正しいようにも思えるし...)
129名無しさん@3周年:03/11/12 19:54
>>127
ああ、なるほどね。
いちおう、物質(ヤハウェ)が存在した時から、「ことば(ロゴス)」は、ありますよ。
(ヨハネ1:1参)
たぶん疑問は、ここでしょ?
ロゴスが、「ことば」と訳された背景は、恐らく、旧約のダーバールとの互換を考えてのことだと思う。
ダーバールには、神学的に見て、重要な要素が2つあって、1つは、論理的、思惟的要素
もうひとつは、事物、事件(日本語では、「こと」(創世記18:14とか)と訳されています)
わかりやすく説明するために、ヤハウェ=物質、キリスト=ロゴスと言っていたんだけど、
もちろん、これは、厳密ではなく、あくまで、われわれが把握できる部分でしかないわけだ...
すなわち、ヤハウェが存在する時、その思惟的要素たるロゴス(キリスト)も同時に存在するわけさ☆
130名無しさん@3周年:03/11/13 02:59
>>129
どうも直接的なご解答なのかどうか、意味もよくわからないのですが・・
ヤハウェは物質なのですか?
あと、同時に存在しはじめると仰いますが、ある部分では同意です。
神が神と呼ばれるようになるのは、言語の誕生と同時ですから。
しかし、言語はあくまで対象の存在に依存するものです。
時空すらも存在しない世界における言葉は、存在自体があり得ないはずです。
131名無しさん@3周年:03/11/13 08:06
>>130
私説ですが、現在、人間が、理解できる範囲だと、物質、摂理、あたりだと思います
厳密ではないかもしれません。
132名無しさん@3周年:03/11/13 08:31
>>130
確かに、理科に強くないとすでにわかりにくい説明のような気がしてきたけど、
これ以上、簡単に説明できないんだよ。
あと、言語じゃなく、厳密には>>129のダーバールないし、ロゴスね。
新約では、法則(思惟的なもの含む)としたほうが無難
ヘブル語は、あいまい要素がおおくて、正確な日本語に訳すのは、困難なんだ。
133名無しさん@3周年:03/11/13 23:16
>>132
そうですか、残念ですね。
宇宙論も、生物学も、それなりに必要な部分の知識はかじったのですが。
でも一応期待は残しておきましょう。
「神と科学」といった本や、諸々の一般向けの量子論本などは、専門用語を
きちんと一般用語に変換して、わかりやすく説明してありましたし。
言葉というものは、より平易なものにいくらでも変換可能ですから、ロゴス
と呼ばれるキリストもそのいい例を示しているように見受けられます。
難解な物事を、同じロジック構造の例え話に変換して、学の無い民衆にも
見事に伝えていました。その逆をやっている自称お弟子さん方には何度も会
いましたが、自分としてはキリストと同じことをやる人こそがキリストの
真の弟子なのではないか、と実に単純明快に考えています。
134名無しさん@3周年:03/11/13 23:56
ところでロゴスの原点がヘブライ語ダーバールであるとの見方は、
なんらかのヘブライ語の写本などにより確認されたものなのですか?
135名無しさん@3周年:03/11/15 19:44
大変申し訳ないが、ヘブル、ギリシャの対訳の写本は、持っていない。
また、ダーバールは、レーマと訳されてしまう場合もあるので、
以下参照していただきたい。
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/John00.htm
ホームページ自体は教会とは関係なさそうだが、北関東宣教セミナーの講座はこれに近い内容のものがあった。
受講者は、牧師がほとんどだったので、仮に大きな誤りがあるなら、福音派(福伝)全体が誤りとも言える。
136名無しさん@3周年:03/11/17 13:37
3つばかり質問です。

神の名は「いつ」からあると思われますか?
神の名の「使用目的」はなんだと思われますか?
神は「失敗」をおかすのですか?
137名無しさん@3周年:03/11/18 23:30
上の二つは、推測の域を出ないけど、
>神の名は「いつ」からあると思われますか?
アダム、イブの時か、モーセの時(出エジプト3:14)あたりが、有力かと....
>神の名の「使用目的」はなんだと思われますか?
正説では、神の自存性、独一性、永遠性を表すことばらしいですけど
個人的には、「説明」だと思っています。

>神は「失敗」をおかすのですか?
本質が、「摂理」なので、わたしたちの目には失敗に見えても、正しいんだと思いますよ。
ただ、ヤハウェ自身は、善悪を超越している気がするのですが.....
138名無しさん@3周年:03/11/19 13:34
>>137
ご意見をまとめると、こういうことですか?
神の名とは、神自身によって、対人間用に、人間の創造の
前後の時期に「創造」されたものであり、その意味するとこ
ろは、神の何らかの性質もしくは目的の説明である、と。

神は失敗をおかさない。
これをやる、と宣言したものについては、必ず成し遂げ、
人間の目に一見それは失敗に見えても、よく見れば失敗で
はないことがわかる。
・・という感じですか?
139名無しさん@3周年:03/11/20 01:13
みなさん、「神の河 キリスト教起源史」でも読んだら?
青土社2002年10月初版 著者はグレゴリー・ライリーさん。
わかりやすいよ。ちょっと高いけど(3200円)。
「ひとりの神から三位一体へ」など読めば、疑問は氷解するでしょう。
アリウス派(御子従属論)についても詳しく書いてる。

(ちなみに私は福音派です。すべてその立場からカキコしてます。念のため。)
140137:03/11/20 22:07
>>138
私見ですが、そう思います。

神は失敗をおかさない。
これをやる、と宣言したものについては、必ず成し遂げ、
人間の目に一見それは失敗に見えても、よく見れば失敗で
はないことがわかる。
・・という感じですか?

再び私見ですが、人は、善悪で物事を判断しようとしますが
ヤハウェの思惟は、「摂理」では、ないかと....
善悪を基準とすると、その段階で、ヨブ記が、教理的におかしくなってしまうんです。
141名無しさん@3周年:03/11/21 23:06
「摂理」とは何ですか?
またその語句は聖書のどの部分にあり、あるいはどの語句の翻訳ですか?
より平易な表現に置き換えることが出来るなら、そちらのほうでお願いします。

ちなみに、自分は善と悪というものは、創造された概念にすぎないと考えています。
142名無しさん@3周年:03/11/22 21:32
>>141
弱肉強食、その他、「自然の摂理」聖書本文中は、「ありてある」のみ
私自身が言う、ヤハウェ>「存在」も、「摂理」も分かりやすく説明しているだけ、
厳密さを追求すると、難があるはず。(神は愛なりと同じこと)
ところで、その、創造されたとは?案外、似たようなことを言ってる恐れあり。
キリスト教と仏教、また、神道の場合、愛が違うだけで、共通部分も意外に多いと思われる。
が、輪廻転生に関する限りは、聖書信仰者は否定、社会派は、不可視なことゆえ、
多くを述べないことが賢明と考えている人が多いように思われる。
143名無しさん@3周年:03/12/22 15:07
age
144144:04/01/21 20:20
∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ___\(\・∀・) < 新しい理論まだ〜?

            \_/⊂ ⊂_ )   \_____________
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
       |  神論   |/
145名無しさん@3周年:04/01/22 20:36
僕らも僕らの身体がなければこの世における僕らの存在が
表せないのと同様、神もキリストとして現れなければ、その
存在を人間に認知されることはできないからそうなさったまで。

私を見た者は父を見たのだ。
146 :04/01/22 20:52
キリスト前の人類が神を認知していなかったと言い切るのかw
147名無しさん@3周年:04/01/22 21:02
昔は神は天使として現れたので認知していたようだけど
人間はすぐ堕落するので、決定的に現れたのでしょう。

今ももう認識しなくなってしまった。
148名無しさん@3周年:04/01/23 12:57
結論    イエスは天使たちと同ランクだったと
149名無しさん@3周年:04/01/23 15:33
その結論じゃ三位一体の正統教義にはならんでしょ。
キリスト=神の分身ってことになるじゃん。
150名無しさん@3周年:04/01/23 23:03
三位一体に正統教義なんてあるの?
151名無しさん@3周年:04/01/27 21:15
キリストは神の分身です。以上
152名無しさん@3周年:04/01/27 21:19
本体ではありません。念のため
153名無しさん@3周年:04/01/30 23:56
キリストは我らと共にいます神。
154名無しさん@3周年:04/02/02 18:54
聖霊は神の霊です。
155名無しさん@3周年:04/02/02 19:15
>神は失敗をおかさない。

聖書が正しいとすればだが(w

ならば、サウルを王としたことを、何故、神は悔やんだのだろうか?
156名無しさん@3周年:04/02/03 23:18
神が悔やむと三位一体の説明がしづらくなる訳でもあるまい
157名無しさん@3周年:04/02/05 11:21
聖霊はイエスの母親なのでしょうか。
158質問返し:04/02/05 20:13
>>157
最初の人 アダム には母親がいましたか?
159157:04/02/06 11:48
肉の母はいないが創造の働きの母がいたのでは。
160結論:04/02/06 18:17
神学論争では、お互いに、バカの壁は越えられないと思っている。

不毛だ。
実に、不毛だ。(w
161名無しさん@3周年:04/02/06 18:22
>>160

毛を生やしてどうする?
162名無しさん@3周年:04/02/06 18:55
>>161
アデランスが、いらなくなるかも。
163名無しさん@3周年:04/02/07 16:52
聖霊の働きは神の意思。
164164:04/02/24 15:46
165名無しさん@3周年:04/03/23 14:05
>>164
キリスト論論争史
水垣 渉、小高 毅 編
●判型:A5判上製
●頁数:586頁
●本体価格:8.800円
●ISBN:4-8184-0496-9
●発行所:日本キリスト教団出版局

8800円じゃあ、高すぎて、買うやつイネーよ(w
166名無しさん@3周年:04/03/31 14:43
果たしてオウム(アレフ)の教義は完璧なのか?http://life.2ch.net/psy/kako/1027/10272/1027241172.html
果たしてオウム(アレフ)の教義は完璧なのか?2http://life.2ch.net/psy/kako/1035/10350/1035025652.html
果たしてオウム(アレフ)の教義は完璧か?http://life.2ch.net/psy/kako/1037/10371/1037170497.html
果たしてオウム(アレフ)の教義は完璧か?4http://life.2ch.net/psy/kako/1039/10391/1039186321.html
果たしてオウム(アレフ)の教義は完璧か?5http://life.2ch.net/psy/kako/1042/10423/1042359323.html
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?6http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1050853885/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?7http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1053615404/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?8http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1056632966/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?9http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1059141640/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?10 http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1061296400/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?11http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1063541752/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?12http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1065615770/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?13http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1068336159/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?14http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071756287/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?15http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1073213953/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?16http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1075240714/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?17http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1076600547/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?18http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1077625362/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?19http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1077866713/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?20http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1078289939/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?21http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1078924094/
果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?22http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1079937025/
167167:04/04/05 17:34
168名無しさん@3周年:04/04/06 18:37
聖霊は神でしょうか。
169名無しさん@3周年:04/04/18 15:50
キリスト教は三位一体説ですから、厳密な意味では、一神教ではないのかも知れません。
170名無しさん@3周年:04/04/18 15:54
一神教です。
171171:04/04/19 14:34
>>168
聖霊は神というより神の霊なのでは。
172名無しさん@3周年:04/04/19 14:35
>>171
異端です。
173名無しさん@3周年:04/04/19 15:15
ものみの塔は一神教・キリスト教では?
174名無しさん@3周年:04/04/20 23:00
あいかわらずここはスレが伸びねえな。
84=124に荒らされた挙げ句ってか・・・。
まっ,結構痛いトコついてるつもりだけど,大上段から
振り下ろした一太刀でぶった切れるほどキリスト教の
歴史は簡単ではないし,良く読むと言ってる意味わかんね。
175名無しさん@3周年:04/04/21 11:39
神は全能なんだから分身も合体も出来るだろ。
176名無しさん@3周年:04/04/27 17:17
内在的三位一体論
経綸的三位一体論
177名無しさん@3周年:04/04/27 17:19
>>176

何だね、それ?
178名無しさん@3周年:04/05/18 15:01 ID:RCbcRuWa
神は一人ではないのか。
179名無しさん@3周年:04/05/20 18:31 ID:+xBQKDIs
神は唯一です。
180名無しさん@3周年:04/05/20 18:34 ID:/ll0X+vI
二回変態を繰り返す生物ってことだな。
ちょうどエイリアンのようなものだ。
181名無しさん@3周年:04/05/20 21:23 ID:JTqqA8BI
>>179
神は唯一なら父と子と聖霊ではどれが本物の神様ですか?
182Kirklad ◆PQrs2OUULQ :04/05/21 17:25 ID:4fOAV2Pt
全部
183名無しさん@3周年:04/05/25 07:57 ID:IHms9YmP
父だけが唯一の神です。
184184:04/05/25 15:16 ID:GJ80H06r
子は新しい契約の唯一の仲介者
185名無しさん@3周年:04/05/25 15:38 ID:m0pCapQw
唯一神の神もGOD
神々の神もGOD
186名無しさん@3周年:04/05/25 18:36 ID:ABHCVZrZ
三位格全てが神ならキリスト教は三神を拝む多神教ということになり
父だけが唯一の神なら子(キリスト)は神ではないということになる。

いずれにせよ三位一体の教義は理論的に完全に破綻しているのは明らか。
187187:04/06/02 19:08 ID:BlXqcVhx
 ________________
 三位一体に変わる新しい理論とは?
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
188名無しさん@3周年:04/06/14 13:53 ID:8Yp8O7l2
>>187
心・技・体

これ武道の教え。
189名無しさん@3周年:04/06/27 09:43 ID:v37DqRCH
>>61 名前:アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA [] 投稿日:03/11/02 09:05
> 聖書解釈議論スレよりコピペ
> 250 :名無しさん@3周年 :03/11/02 03:35
> エウセピウス(紀元後260に生まれ〜後337死亡)はマタイ28章19節の一節を引用している。
> 彼の著書“教会史三巻5の2”で、それを見つける事が出来る。それは次のようだ。
>
> 「行って我が(イエス)名ですべての国民を弟子とせよ 」
>
> この部分が今では、
>
> 「あなたがたは行って、すべての民を我が弟子とし、彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を与えよ」
>
> ずいぶんご親切な付け加えがエウセビオスの後に生じたようです。改竄のお手本とでもいうべきか。
> 迷惑この上もありませんがね。
> http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1066654046/250

エイレナイオス(130?-202?)の異端反駁第V巻17-1によれば、
主イエスが使徒たちに語った言葉として次のように記している。

 「あなたがたは行って、すべての民族を弟子にしなさい。
 父と子と聖霊の名によって彼らに洗礼を授けなさい。」

彼が、異端反駁を記したときはまだ、信条を整理し新約正典を27文書と識別し宣言する
時代は到来していなかった。が、彼は異端反駁の中で既に四福音書とルカの使徒行伝、
パウロの書簡を正統な文書として扱っている。
190名無しさん@3周年:04/07/02 12:47 ID:eK6FAEQ7
>>178会社と同じだと思えばいいのでは?
社長は一人だけど中間管理職はたくさんいる。
そいつらのことも目上として扱わなきゃいけない。
(最高権威者が一人しかいないはず、ってのは同意)
191名無しさん@3周年:04/07/06 18:09 ID:YO4iy+Ij
父が唯一の神
子と聖霊がよくわかりまへんが。
192名無しさん@3周年:04/07/06 18:37 ID:/3XSX8OE
13
193193:04/08/06 14:10 ID:FdRiCk7w

 存在論的三位一体と経綸的三位一体
194名無しさん@3周年:04/08/06 15:05 ID:FlRTSRcD
三位一体だとすればキリストの死はただの自作自演となり神は公正ではなくなる。

そもそも三位一体はキリストが言い出したものではないしキリスト教の前身のユダヤ教にもなかった。
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神が、
キリストの父であり創造者であるヤハウェである真理は変わりない。
325年のニケア会議でアリウス派を追い出した時点でカトリックは神から完全に見放され今に至る。
195名無しさん@3周年:04/08/06 15:12 ID:FlRTSRcD
日本同盟基督教団・信仰告白全文
4、主イエスキリストは、父なる神のひとり子であって、 聖霊により宿り、処女マリヤより生まれた。
真の神にして真の人である。 主は我らの罪を贖うために十字架にかかって死に、葬られ、 三日目に甦り、
永遠の生命の保証を与えられた。主は大祭司として父なる神の右に座し、
我らのために執り成したもう。

書いてておかしいとは思わないのだろうか。
神が死ぬだの神が真の人だのはもとより、
「永遠の生命の保証を与えられた」誰から?別人格の神からでしょう。
「主は大祭司として父なる神の右に座し」あきらかに二人います。
196亀仙人:04/08/06 15:42 ID:/41mlab9
正しくありません。
神はエホバで、精霊はキューピットです。
古今東西を問わず、ものごとを単純化しようと
する傾向が強いようですね。
197名無しさん@3周年:04/08/06 16:21 ID:FlRTSRcD
>>196
エホバはヤハウェでヤーウェでヤハでジホーバでィエォヴァゥで(笑)
その精霊は世界が違うし。
あなたは自殺者の死後スレで引き続き語ってなさい(笑)
198名無しさん@3周年:04/08/06 16:38 ID:WLajNFtr

わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。
また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
                                   1:コリントの信徒への手紙一 / 8章 6節
199亀仙人:04/08/06 17:37 ID:/41mlab9
>197
何をかいているのか、あなた自身理解できますか?
ユダヤ教徒には理解可能な文章なんですか!
200:04/08/06 18:33 ID:P6C3ifRu
>>1
おまえは私の子…
もちろん,>>2も私の子
201:04/08/07 01:28 ID:iU0wjBEe
>>3-199よ,
おまえたちも私の大事な子だ
202名無しさん@3周年:04/08/10 18:49 ID:VnJEBzGw

仲介者というものは、一人で事を行う場合には要りません。約束の場合、神はひとりで事を運ばれたのです。
                            ガラテヤの信徒への手紙 / 3章 20節
203名無しさん@3周年:04/08/12 18:08 ID:A3eQkN2C
父の人格・子の人格・聖霊の人格ということは
三つ人格があるということなのか。

204名無しさん@3周年:04/08/29 16:01 ID:SCjeNE+l
3Pって女は良いかもしれんが男にとってはそんなに良くないよな。
205名無しさん@3周年:04/09/27 14:31:34 ID:2edHNh4Q
三位一体については教義ができた当時からつじつまが合わないとか道理がとおらないとかの問題なく「奥義」だったはずです。
でも三位一体を前提に聖書を読むと神の本当の姿が見えてくることは間違いないと思います。なにしろエリコの聖絶を命じた神が愛を説くキリストと同じ神ということになるわけですから。
206名無しさん@3周年:04/09/27 14:35:04 ID:P70/sy5v
三位一体と表記するからわからなくなる
三重人格者と考えればよい。
207名無しさん@3周年:04/10/01 00:27:44 ID:h0JgMqIS
「神の子」と言っている以上、神ではあり得ないだろ。
208名無しさん@3周年:04/10/01 14:05:23 ID:zfgr8ZHP
みえる神ではないか。
209名無しさん@3周年:04/10/01 14:36:55 ID:Dn7lcQ5o
元エホ症2世だが…

エホバが神でその子がイエス、と教えられて
普通に理解できたし、むしろ三位一体のほうが理解不能だな。
キリスト教は不可解な宗教だと思うよ。
原罪とか贖罪とか予定説とか、すんなり受け入れられるほうが
おかしいのでは?
210名無しさん@3周年:04/10/01 15:11:28 ID:4LICzVD4
>>205

旧約聖書はそれだけでは民族主義に制約された誤りときわめて歪んだ見方にみちた書
であるとすれば、特にその極端な矛盾はなくなり問題はない。
211名無しさん@3周年:04/10/01 19:23:31 ID:tsHshiGg
>>キリスト教は不可解な宗教だと思うよ。
原罪とか贖罪とか予定説とか、すんなり受け入れられるほうが
おかしいのでは?

親がクリスチャンでない限り、すんなり受け入れられる人はいないと思います。
すんなり受け入れられたら人類全員クリスチャンです。
しかし現実は違います。
受け入れる為には、聖書にある通り聖霊体験が必要です。
信じたいという「意思」も必要です。
「悔い改め」も絶対必要です。
でも、これらの条件が揃うと受け入れられる可能性が高いです。


212名無しさん@3周年:04/10/07 23:35:09 ID:RwyhFb9v
>>211 聖霊体験とはどういう体験ですか。
   
213名無しさん@3周年:04/10/08 18:51:44 ID:pyqV9Z08
聖霊の働きがあるから信じられるんだよ。
すなわち、信じられること=聖霊体験をするということ。
とにかく、「前向きに聖書に近づく機会」がないと信じるに至る事が出来ない。
214212:04/10/08 20:20:18 ID:p+7061OU

質問します
>>213 聖霊体験をするとは
どういう体験のことなのですか?
215名無しさん@3周年:04/10/08 20:25:57 ID:3cWZSA+7
>>209
夫婦は一体である、とすれば理解できませんか。
キリスト者も一体である、我々は全体でキリストの聖体なのである、と考えれば
三位一体も別段ふしぎな表現ではないはずです。
216212:04/10/08 20:39:59 ID:p+7061OU
>>213 信じられること=聖霊体験をするということ。
   信じられることとは何ですか。具体的に
   ぶっちゃけてください。
217名無しさん@3周年:04/10/08 21:01:06 ID:trV1hkfY
人によって違うかもしれないけど、聖なる霊がからだ全体を包み込むような感じじゃないかな。
イエスが死んだ後、使徒達やアリア様が皆で祈っていた時に、聖霊が皆の上に降臨してきた。
その後、皆は喜び、抱き合って祝福しあったよね・・あんなふうになると思う。
喜びや愛のパワーに包まれるような感じ・・だと思う。
その瞬間、とても幸福です。人によって感じている時間が違うと思います。
カトリックのミサは、使徒達やマリア様がしていた聖霊降臨の時の様子に似ていると思います。
ミサ中に体験する人がいると思います。とても謙遜な方たちなので
なかなか話してくれないように思います。
218武庫川女子大学総長:04/10/08 21:04:42 ID:BBMzStfj
>>1
正しくない。「神のひとり子」も間違い。
「神の子」というならば、誰もが神の子であって、イエスはそれを手本として示そうとしていたと思われる。
「神」と「聖霊」からして別物であることは明らか。まあ、「聖霊」は天使のような存在だと解釈するのが妥当なのでは?

「三位一体説」とは、古代ローマ帝国でアタナシウスという人が唱えた解釈で、ニケーアの公会議で「正統派」に認定されただけのことに過ぎないのでは?
アリウス派のほうがまともな教説を展開していたと自分は思う。
また、ネストリウスの考えも支持できない。
そもそもイエスは本当に「処女懐妊」で出生されたのだろうか?

どうせなら「神のもとに、万有万物は全一なのである」と考えたほうが神の本懐に近づくような気もするが、いかに?
219神はご自身を啓示される:04/10/09 05:37:13 ID:6JAehm+A
>>218
「自称 武庫川女子大総長さん

  私には・・・・と思われる。
   私は・・・・・・と解釈する。
    自分は・・・・と思う。
     自分は・・・・のような気がする。」

 って言うじゃない・・・・・・

アンタのキリスト教 「神の啓示」というより
          「アンタの啓示」ですから!残念!

神の啓示がない者は地獄に直行斬り!
220武庫川女子大学総長:04/10/09 06:01:37 ID:Fh0oHOlk
>>219
そんなら、地球上のほとんど全員が地獄行きだと言いたいわけだな?
「神の啓示」、あんたにはあったのか? ないだろうが。

勝手に「天の領分」を侵害するような断定的な表現は極力避けねばならないだろうが。
そういう配慮をしながらカキコやってるんだよ。だから、多少は優柔不断な表現になることは避けられないんだ。
自分の考えでもって、天の領分を勝手に侵害することはタブーだから。

・・・尚、「総長」はあくまでHNだが、この大学の当局者のひとりなんだよ、おいら。
信じたくないんなら、無理に信じなくってもいいけどね。
221名無しさん@3周年:04/10/09 22:25:55 ID:PZ+7S4Fg
イエスが人間として地上にいたときに、
神はどういう形で存在していたの?
222名無しさん@3周年:04/10/09 22:39:55 ID:Ax3wCk4o
壁の中、地面、水の中、やかんの中、あちらこちらから
人間どもを監視されていましたが、疲れたので
イエス様を地上に送られたのです、しかし、てんやわんやで
どえらい事になってしまって、もう人間界に送り込む事は止めようと
言う事になり、聖霊様、神様、イエス様、それぞれ、今は
時折、暇つぶしに、人間界を「またか・・・」と半ばあきらめムードで
眺めらて事情通がもうしておりましたよ。
223名無しさん@3周年:04/10/10 11:29:23 ID:/51izPtP
だからね、信じられるようになる奇跡なんだ。聖霊様が、我々の意識がキリストに
向くようなチャンスを与えてくれているんです。
聖書に感動する事、キリストを感じられることが、ありがたい聖霊体験なのです。
224神はご自身を啓示される:04/10/11 17:08:42 ID:dEirmnV0
>>212 聖霊体験とは何か?
>>214
>>220 啓示とは何か?

■聖霊体験とは何か?
異言を話す体験や、しるしや不思議の奇蹟体験だと話す自称クリスチャンは多いですが、
本当の聖霊体験は、「聖霊のしるし」の体験ではなくて、次に記すように「聖霊がキリ
ストと共に証人となってくださる体験」のことです。これを「啓示」とも言います。

もし本当にあなたがキリストの信仰を与えられたなら、聖霊はみことば(キリスト
のこと)と共に父なる神の御前で証人となってくださり「無罪」だと証言してくだ
さるので、父なる神に無罪判決をいただくことになります。この聖霊の声(ロマ8:26)
とキリストの声(ヨハネ8:25)を聞く体験が聖霊体験です。これは「完全な救い」
(ヘブル7:25)の体験であり、「全き聖め」とも呼ばれています。ルターはこれを
「信仰のみ」「恵みのみ」、つまり「信仰義認」と言いました。天の法廷で「義」と
判決される体験なのですね。そして、その後、「聖霊のバプテスマ」を受けます。
----------------------------------------------------------------------
◎私は1989年1月15日、ここに記した聖霊体験、つまり「神の啓示」を受けました。
それは特別なものではなく、ルター、ウエスレー、アウグスチヌス等の人たちが
経験したクリスチャンの標準的な人生経験です。
225名無しさん@3周年:04/10/11 17:20:38 ID:iQtDE2s5
三位一体は確実に違うだろ。
聖書を見ても、元のヘブライ語の意味を通して考えても
神とキリストと聖霊は別々の存在だ。
226名無しさん@3周年:04/10/12 00:10:24 ID:sWiiemRg
224さんは、全てを悔い改めたとおっしゃるのですか?
225さんは、確実に違うと言い切りますが、そんなことはない。
少し違う程度。旧約に現れる「わたしは在る」という神様はイエスキリストだからね。
227名無しさん@3周年:04/10/20 22:53:47 ID:ilgbocX8
>>225 三位一体が違うのであれば
   どう考えたらいいのか。
228名無しさん@3周年:04/10/21 02:59:08 ID:R9eZQAxh
>>225
ストライク! バッターアウト!!

三振論
三神論
229名無しさん@3周年:04/10/21 13:47:08 ID:dFjOfKnI

神は唯一で1人だけですか。
1人の人格で一つだけですか。
230名無しさん@3周年:04/10/22 18:08:46 ID:PMPOs5qL
聖書の神=「三位一体」の神

というのがキリスト教会の定義です。
他は異端で、わずかしか居ません。
231名無しさん@3周年:04/10/22 18:14:45 ID:PMPOs5qL
>>230
追加します。
聖書の神=「三位一体」の神

というのが聖書の神様ご自身の定義です。
神様を知らないものには、たとえ自分はクリスチャンだと主張しても、
神様が三位一体であることは分かりません。
ちなみにサタンや悪霊どもでも三位一体を知っています。
しかし分かると困るので、人間が理解できないように「騙して」います。
232名無しさん@3周年:04/10/22 18:14:49 ID:T8ajlLYY
>>225 の意見に賛成です。
233233:04/10/23 08:15:07 ID:8J1i3AcE

主流派は三位一体ですが
ものみの塔・統一教会・モルモン教
以外では現在どのような宗派や教会があるか教えて
ください。
234武庫川女子大学総長:04/10/23 08:50:43 ID:PcnWbWhc
古代ローマの「アタナシウス」という人物は、一体どんな考えから「三位一体説」を唱えはじめたのか?
彼の思想的背景も熟知してみたいものだ。
・・・何も、ニケーアの公会議で正統派の認定を受けたからといって、それが真理そのものと断定するわけにはいかない。
なお、4世紀初頭のローマ帝国内では、アリウス派のほうが優勢だったと聞く。ゲルマン人らの大半もアリウス派だったと。
結局は、こちらが異端となってしまい、禁止になったようだが。
・・・エチオピアには、この系統の宗派の教会が残っているよね?
235武庫川女子大学総長:04/10/23 08:52:55 ID:PcnWbWhc
ニケーアの公会議の決定こそが、神から見たら異端だったりして。
236名無しさん@3周年:04/10/24 01:14:45 ID:uTDhBrbx
>一体どんな考えから「三位一体説」を唱えはじめたのか?
「考え」ではありません。「啓示」です。
神からの「啓示」を受けたものを人間の言葉に記録しただけです。
キリスト教はどこでも「三位一体は啓示によってのみ理解可能」と教えている。
私も直接神様から「啓示」を受けましたが、クリスチャンにはごく普通の宗教体験です。

>ニケーアの公会議の決定こそが、神から見たら異端だったりして。
神ご自身が人間に「啓示」した決定だから全く正統!

★まあ「啓示」を受けた経験がない人間には「不可知」でしょうね。

237高木ブー:04/10/24 01:26:57 ID:UIrXJrPG
三位一体は一体だといってるだけでA=B=Cとはいってない。
英語でtrinityといっても三つでひと揃えだといっているので
trioと同じでこれもA=B=Cではない。でも、皆はA=B=Cの話
ばかりする。ネスカフェ・ゴールド・ブレンド飲んで反省会。
238名無しさん@3周年:04/10/24 01:31:02 ID:uTDhBrbx
■反三位一体、ラッセルの例

エホバの証人を創設したラッセルも、普通のクリスチャンとして長老派
と会衆派の教会で神の「啓示」を求めたが得られなかった。
父親は長老派の教職者だったのに・・・。

神の「啓示」を得られなかったラッセルは16歳で「不可知論者」になった。
その後、アドベンティストのバーバーの終末預言と出会い機関紙「ものみの塔」
を発行しはじめた。これがエホバの証人のはじめ。

結局、ラッセル自身は死ぬまで聖書の神の「啓示」を受けなかった。
だから神が「三位一体」であると悟ることができずに否定してしまった。
ラッセル自身が証言している。ラッセルが出会ったのは「エホバ」だって。
聖書の神の名は「エホバ」ではありません。
なぜなら「三位一体」神様に会った時、名前を聞いてみてください。
違う名前を答えるから。ラッセルはアリウスと同じ霊に騙された。

★へりくだって神に「啓示」を願うなら「三位一体」の神に出会えます。
 これは本当です。
239高木ブー:04/10/24 01:37:39 ID:UIrXJrPG
>>215夫婦一心同体というにはいうが別人格、二つの肉体だ。別の働き同士が
連携しあい助け合うからこそすばらしい。それでは三位一体とは何か。論を
待たない。236はちょうどよいサンプルだが笑い話にもならない。違いの分からない男。
240名無しさん@3周年:04/10/24 08:41:36 ID:aYmOQznY
三位一体は奥義であり、次の霊のあり方を示しています。
241阿藤快:04/10/24 10:29:16 ID:UIrXJrPG
アタタタタ。阿藤快
キリスト教奥義三位一体拳
242233:04/10/26 10:40:59 ID:IuOy/psB
日本で現在どのような宗派や教会があるか教えて
くださる方おられませんか。
243名無しさん@3周年:04/10/26 12:45:04 ID:iA1JOGzJ
>>236
もし、天からの掲示であるならアタナシウスの時代にそれが行われる理由がわかりません。
本当ならもっと昔、モーセやダビデの頃に「神の民」に知らせておくべきだったのではありませんか?
やはり、三位一体説は3〜4世紀に人間が思い付いた事、と考えるほうが理に合っていますね。
244233:04/10/26 15:27:08 ID:Zv/ZyMs+
非三位一体の宗派・教会を
教えてください。
頼む
245名無しさん@3周年:04/10/26 15:37:08 ID:diC66Sta
>>244

エホヴァ
246武庫川女子大学総長:04/10/26 21:28:23 ID:pCHLeN+x
>>236
正しい神からの啓示とは限らないし、よしんば神からの啓示であったとしても、主観が入ってしまうと正しく受け取れない。
イエスとアタナシウスに啓示を与えた「主体」とは別のものでしょう。
それと、「パラフレニー」によるものも多いので、天の啓示あらば、ひととおり「審神(さにわ)」されることをお勧めします。
247233:04/10/26 21:39:19 ID:73K2yj4+
頼むよ
だれか教えて下さい。
>>246さんは非三位一体の宗派・教会を
知りませんか。
248名無しさん@3周年:04/10/26 22:34:27 ID:8B1wBMgO
うざい−−−−−−くさい
  \       /
   \     /
    \   /
     \ /
    ぼけなす
249名無しさん@3周年:04/10/28 12:39:58 ID:L5kVq2SY
>>247
存命時にイエス様自らが率いていた伝道グループは非三位一体だったようです。
250名無しさん@3周年:04/10/28 12:54:40 ID:EwlqdCTa
なぜ三位一体が気に入らないの?

三位三体ならどうなるというの?
251245:04/10/28 13:17:46 ID:cWMHWfFk
>>247

だから言ってるだろ、エホ証だって。

そこ池。

252名無しさん@3周年:04/10/28 14:55:09 ID:HFalpSh6
>>247
オマーソ国際教会
253233:04/10/28 15:58:27 ID:XLE2s6G6

>>251
エホ証・統一教会・モルモン教
以外です。
254251:04/10/28 19:33:54 ID:cWMHWfFk
>>253

ヨハネ 10:30
わたしと父は一つである。

だから、問題なかろうに。何で三位一体を受け入れない?
255名無しさん@3周年:04/10/28 23:33:39 ID:im8m5F81
>>254
「わたしと父は一つである。」とは何か。
256名無しさん@3周年:04/10/29 00:02:50 ID:FPHThPZk
ところでお前ら
今ニュースで言ってる
「三位一体の改革」とは何と何と何か
正確に答えられるか?
257名無しさん@3周年:04/10/29 03:51:08 ID:xtOAnMgQ
>>254
ならば、「イエスキリストは御子でもあり御父でもある」ということでOK?

なんか昔そんなスレがあったような・・・
258254:04/10/29 10:13:36 ID:ZkZjEs2P
>>255

霊において一つである、という事。
259254:04/10/29 10:27:22 ID:ZkZjEs2P
ヨハネ 14:11
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが
言うのを信じなさい。

論理学的に P⊂Q と Q⊃P が両方成立すれば、
P≡Q である。
260名無しさん@3周年:04/10/29 10:43:00 ID:NJUKh4SW

イエスは道であり 真理であり 命であり 光であり 父であり 御子であり  
神の子 聖霊 インマヌエル ヤハウェ 有ってある方 創造主 万軍の主
明けの明星なり 愛なり 神なり 人なり 小さき者となり  OK(・∀・)? 
261名無しさん@3周年:04/10/29 12:33:16 ID:8Sz776Ef
>>256
地方交付税制度の廃止
国→地方への使途指定補助金の縮小
国税の一部を地方税に転換
262名無しさん@3周年:04/10/29 18:56:37 ID:baLuxaYS
三位一体が正しいかの議論とは少々ずれるのだけど、
あれねぇ。よくネットにいる福音派の一部(本当に一部です)に多いのだけど、
「キリスト教を信じるのではなくて、イエス様だけを信じましょう」とか、
「俺はイエス様だけを信じる」
といった、キリスト教が実質その人の中で、イエス教になってしまっている人に限って、
自分の信仰だけが正しくて、他者の信仰の在り方に対する、
配慮に欠けているように思える人が多いのは、
どういう理由によるものでしょうか?

三位一体で一番疑問に感じることなのだけどねぇ。
263だんご@on sale:04/10/31 10:28:21 ID:fmkEmPtu
>>262
そんなこと言ってる福音派がいるんですか?本当に?
どの種類の福音派ですか?
264名無しさん@3周年:04/10/31 21:38:30 ID:x8n++Pmg
>>262 262です。
それがね。そういうことを言うのに限って、
自分の信仰が「超教派」だと思っているから、
福音派とも認めないんだねぇ。困ったもんだ。
265名無しさん@3周年:04/11/02 12:43:30 ID:wTyWyOVj
262のいう、キリスト教とイエス教の違いってなに?
266名無しさん@3周年:04/11/02 12:50:58 ID:X7lk3RoE
>>255
イエスの祈りが聖書中に書いてあったと思われ。
「かれら(弟子たち)が一つになりますように、貴方と私が一つであるのと同じように」と言っている。
267名無しさん@3周年:04/11/02 16:45:04 ID:jJ3tuQSm
>>254 聖霊については
268名無しさん@3周年:04/11/02 18:28:55 ID:PFzEz4iO
>>265 キリスト教会には、それぞれの教派、教会において、
それぞれ長年にわたって培ってきた、
聖書解釈、教派の教え、あるいは、しきたり、伝統等があるわけで、
それらをキリスト教とするならば、

この場合のイエス教、というのは、それらの拘束を嫌って、あるいは否定して
自分が考えるイエス像のみに従うことを選んでいる信仰姿勢、ということですわ。
269名無しさん@3周年:04/11/02 20:01:28 ID:kiljEChv
神とイエス・キリストは、解るが
聖霊は良く解らんよ。
270名無しさん@3周年:04/11/02 20:12:11 ID:ALMG/KAu
>>238
ラッセルと言うから、バートランド・ラッセルかと思ってビックリしたYO
チャールズ・ラッセルね。
271名無しさん@3周年:04/11/02 20:25:46 ID:PFzEz4iO
>>269 神と聖霊は解るが、
イエス・キリストは良く解らんよ。

目に見えないものの方が、「神」として、信じられるのだな。わたしは。
272名無しさん@3周年:04/11/02 20:43:44 ID:GVUVIVS/
なるほど、イエス・キリストが目に見える人がいるのか。
273名無しさん@3周年:04/11/03 02:33:43 ID:2sx/9aOv
父 =原因
子 =行為
聖霊=結果
      という意味。
274名無しさん@3周年:04/11/03 06:50:24 ID:f6wkCk4B
そりゃ3つの体位を同時にするなんて不可能だべ
275名無しさん@3周年:04/11/03 08:46:43 ID:rK5tbsmt
>244
>253
■非三位一体の教派

 書き込みが多いので調査中ですがお知らせします。
 全米福音同盟(NAE)、日本福音同盟(JAE)、それから北米ペンテコステ・
 カリスマ教会協議会(PCCNA)からも「異端」として締め出されています。
 理由は、みな古代ローマの異端だからです。
 信教は自由ですが、わざわざ「異端」に行くことは自殺行為でしょう。
 聖書は「神を試みてはならない」とも語っていますので。(続く)
276名無しさん@3周年:04/11/03 08:47:59 ID:rK5tbsmt
>>275
■非三位一体の教派(続き)

1.三体論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・モルモン教

2.一位一体論
 アリウス派・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・エホバの証人

 ソッツィーニ派(ユニテリアン・ユニバーサリスト)
  米国起源:     同仁キリスト教会
  米国・ドイツ起源: 日本自由宗教連盟
  日本起源:     道会

3.三様態一体論:
 サベリウス派(様態論的モナルキア主義)
   通称:ワンネス、ジーザスオンリー、ペンテコスタル・ユニテリアン
  米国起源: 日本ユナイテッド・ペンテコステ教団
            (1915年米国アッセンブリー教団から分裂)
        上記から分離独立した日本の教団・教会
  英国起源: 調査中
  日本起源: イエス之御霊教会教団(1941年日本アッセンブリー教団から分裂)
  中国起源: 真イエス教会日本総会(1941年日本アッセンブリー教団から分裂)
        真イエス教会東京教会(同上)
  カナダ起源:調査中
  その他:  調査中

※ペンテコステ派を自称、1915年米国アッセンブリー教団と1941年日本アッセンブリー
 教団内で生まれた異端です。主唱者がカナダ人だったのでカナダにも多いです。

4.その他:
 反キリスト派・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・統一教会
277名無しさん@3周年:04/11/03 09:11:37 ID:rK5tbsmt
>>265
>262のいう、キリスト教とイエス教の違いってなに?

横断的に定義してみました。

■キリスト教の定義:
 1世紀にイエス・キリストが創始した「三位一体」を信じるキリスト教会

■イエス教の定義:
 4世紀にサベリウスが創始した「三様態一体」を信じるイエス教会

参考比較
■エホバ教の定義:
 4世紀にアリウスが創始した「一位一体」を信じるエホバ教会
278名無しさん@3周年:04/11/03 09:22:03 ID:rK5tbsmt
>>277
参考比較追加
■マニ教の定義
 3世紀にマニが創始した「一位一体」を信じるマニ教会

※マニ教もキリスト教であると自称し、他からもそう思われていた。
 実態はキリスト教グノーシスで新約聖書にも警戒するように
 記されている。
279名無しさん@3周年:04/11/03 09:49:44 ID:rK5tbsmt
■注意・・・・・・○「反三位一体」 ×「非三位一体」

「非三位一体」という用語を使いましたが、キリスト教世界では「反三位一体」
という用語しか存在しません。それは「反キリスト」は存在しても「非キリスト」
が存在しないのと同じです。また物理学では「物質」に対して「反物質」とは言っても
「非物質」とは言わないのとも同じです。誤解のないように注意します。

他の言い方では、「巨人」ファンに対して「アンチ巨人」と言いますね。
このアンチが「反」です。「ノ−巨人」とか「ノン巨人」とは言わないでしょ。

結局、次の等式が成り立ちます。

(三位一体)かつ(キリスト)   =キリスト教

(反三位一体)または(反キリスト)=反キリスト教、通称、異端
280名無しさん@3周年:04/11/04 09:15:05 ID:BaS8gIuJ
乱れる現代用語において、そのような定義では正確ではない
281名無しさん@3周年:04/11/04 19:13:27 ID:kwishBSz
>>268
従来の、というか現在のキリスト教の教義が絶対に正しいとは限らんぞ。

>自分が考えるイエス像のみに従うことを選んでいる信仰姿勢
これは従来の教義をかたくなに絶対視している大半のキリスト教徒に
そのまま当てはまらないか? すなわち、

「昔の教職者がその時の都合で決めた教義のみに従うことを選んでいる信仰姿勢」
と言えなくはないか?

アタナシオス信条によって定められた三位一体の教義だっていわば
当時の人間が「製造」したものだ。様々な論争の果てに勢力争いに
勝って生き残ったというだけ・・・とするのは言い過ぎかもしれないが、
多分にその要素はある。神は無謬でも人間はそうではあるまい。
三位一体の教義は絶対に完全に正しいという前提自体が間違っている。

もしそう決めつけるならば、それはアタナシオスを神とすることだ。
それはおかしい。もちろん全てが間違っているなどとは言わないが、
この部分は正しいのか、間違っているのか、合理的に検証することを許さず、
相も変わらず奥義(のつもり)なんだからよく分からなくてもとにかく信じろってんじゃあ、
カルトと変わらん。

いずれにせよ制度疲労をきたしている現在のキリスト教に対する
批判はあって然るべきだと思うぞ。エホ証や統一などは論外だが。
282名無しさん@3周年:04/11/05 14:12:12 ID:9KyxLLRa

原始福音・キリストの幕屋は?
三位一体ですか
283名無しさん@3周年:04/11/05 14:43:31 ID:uZU7v1W3
三位一体は正しいです。
284282:04/11/05 15:00:38 ID:9KyxLLRa
質問します。
原始福音・キリストの幕屋は
三位一体なのか非三位一体なのか
どのような神論なのか教えてください。
285名無しさん@3周年:04/11/05 17:23:58 ID:uZU7v1W3
原始福音 キリスト幕屋?聞いたことないです。宗派のこと?
286名無しさん@3周年:04/11/05 18:35:59 ID:LpQr4Jh2
>>281 いやね。もちろん、内部批判はあってしかるべきなのです。
とくにプロテスタントは万人祭司のところがありますしね。

わたしが批判しているのは、キリスト教において、
教派、教会の教え、伝統、信仰告白、制度等に関して、
内部批判、内部変革をめざすのではなく、
それらを、安易に否定して、
自分が考えるイエス像のみに従うことを選んでいる信仰姿勢です。
287282:04/11/05 20:19:34 ID:Zr9LmNOS

>>285
原始福音・キリストの幕屋
http://www.makuya.or.jp
288名無しさん@3周年:04/11/06 00:36:31 ID:6g/gliew
〉284
テレビ番組やってるみたいじゃん。見れば教義わかるんじゃないか?
289名無しさん@3周年:04/11/06 02:19:01 ID:iWmjVvv5
なんでもいいよ 寝る 
というかお前ら氏ね
290名無しさん@3周年:04/11/06 08:31:37 ID:DVuAF4P5
291名無ししさん@3周年:04/11/09 17:32:42 ID:30Neqb+M
ありがとうございます。
ここの記事、大変勉強になります。

カトリックは、マリアさまを加えて四位一体ですし。
あ、これは、別板ネタですた。
292名無しさん@3周年:04/11/09 23:50:10 ID:Slkphycn
293M.B.:04/11/11 17:57:42 ID:nYW4FB1g
> 神は失敗をおかさない。
キリンは自分でも割とうまくいったと思う。
ダチョウは思いついたときにはいいと思ったが、
造ってみたらあんまりよくなかった。
アボカドは失敗だった。種が大きすぎた。
294名無しさん@3周年:04/11/13 17:11:53 ID:BD160U4s
聖書を聖典としない人類の4分の3と人類以外のすべての生物には意味のない議論。
「本当に聖書から三位一体は導き出せるのか? 」
という議論なら、ディベートとしてはおもしろいが...
295名無しさん@3周年:04/11/13 19:13:05 ID:3iJhMADY
聖書から三位一体を導き出せるなんて信じているのは福音派だけ。
ギリシャ思想がなければ三位一体なんて導き出せないのに、頭悪いねW
296 ◆IbYG6dQTTc :04/11/13 19:57:55 ID:47qAsl8W
聖書から導き出されていないことを主張する者は異端です。
297297:04/11/15 13:26:45 ID:DSDKVieh
>>296
聖書から導き出されていても異端ですよ。
298名無しさん@3周年:04/11/15 13:38:28 ID:E4bniCAr
聖書から導き出せることなら三位一体でも何でも正しいですよ。
299名無しさん@3周年:04/11/18 05:25:59 ID:CTvip9cq
◆三位一体は正しいか?

 別に難しい問題でもなんでもない。

@私はクリスチャンである。
Aクリスチャンとは主イエス・キリストを信じる人のことである。
B主イエス・キリストが言葉と行いとで神は三位一体だと証言された。
Cだから、本当のクリスチャンは自然と三位一体を信じる者である。

▼イエスの仰ることに反対する者は、少なくともクリスチャンではない。
 (キリストに反対する人を「反キリスト」という。)
300名無しさん@3周年:04/11/18 05:41:50 ID:CTvip9cq
私は「聖書」を礼拝してはいない。
もしそうなら「バイブルチャン」と呼びたまえ。

しかし「キリスト」を礼拝しているなら私を「クリスチャン」と呼びたまえ。
私は自分について誰にも判断される必要はない。私は「クリスチャン」である。

世の中には色々な人がいて、
ある人は「イエス」を礼拝する「イエスチャン」だったり「バイブルチャン」
だったり、教会を誇る「チャーチチャン」だったりするのに、
外部には「クリスチャン」と表示したりするからややこしい。

♪「キリストには代えられません 世のなにものも」♪ と賛美するはずだ!

私は「イエスには代えられない」とか「聖書には代えられない」とか
「○○教会には代えられない」等と歌ったことはありませんが・・・。

誰か異論があるかい。
301名無しさん@3周年:04/11/20 06:03:08 ID:zAW3sIMX
>>295
>聖書から三位一体を導き出せるなんて信じているのは福音派だけ。
>ギリシャ思想がなければ三位一体なんて導き出せないのに、頭悪いねW

間違いを訂正します(「 」内)。

聖書から三位一体を導き出せるなんて信じているのは「バイブルチャン」だけ。
「イエス・キリストの証言」がなければ三位一体なんて導き出せないのに、頭悪いねW

本当の福音派は「キリスト命」ですから。
混ぜ物は一切不要です。
キリスト100%
302名無しさん@3周年:04/11/20 07:34:33 ID:c3zNHpxV
アルフクや我やサロメを見ていると、キリスト命にはとてもみえない。
聖書の文字に拘泥して、まるで聖書に出てくる律法学者だ。
あれは本当の福音派信者ではないのか?
しかしそれにしては本当の福音派信者は彼らを全然諌めないね。どうして?
303名無しさん@3周年:04/11/20 13:23:19 ID:ECMjG/jU
俺どうも正統信仰の三位一体論納得行かないんだよな。
それでいくつか仮説を考えているんだけど。

>>299
Bが納得できない。 ソースを。
>>254=>>259
>>ヨハネ 10:30
わたしと父は一つである。

だからイエスは父なる神と同一だ、と結論する論理は非常によくわかる。
しかし、何も存在論上そうであるという意味だとは限らない。
イエスはご自身が神の教えをよく知り、知るだけでなく身をもって理解し、 従っているという意味であるかもしれない。
仲の良い恋人や夫婦、親友のように一心同体だという心情を表しているかもしれないだろう。
(夫婦が一体なのはマタイ19:5−6にある。これと同じ意味とは考えられないか?)
イエスと父との一体性は交わりにおいての話に過ぎない。その聖書的根拠は

聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。
わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。(ヨハネ17:11)

だ。この箇所から我々の同一性が父と子にも類比的に適用しうる話であることがわかるだろう。
(私たちは存在論上同一ではないし、存在論上同一になれっこない。ただし、交わりにおいてならば同一になりうる。
 父と子の同一性もそのように解すべきではないか。)

>>ヨハネ 14:11
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。

注意すべきは、このくだりはその論理記号で表現できるほど単純な内容ではないということだ。
父がイエスを受け入れ、イエスが父を受け入れているということを意味するのではないか。

304名無しさん@3周年:04/11/20 13:33:18 ID:ECMjG/jU
私は神とイエスが別の存在だと考える。その根拠を

なぜ、わたしを善いというのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。(マルコ 10:18 )

と、ゲッセマネでの神への祈りのくだり(マタイ 26:39以下)、
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)

に求めているんだが、イエス・キリストに人性のみならず神性もあることは認める。

私はキリスト養子説に似ている(同じではない)考え方で、ナザレのイエスには
後天的に神の子の位格キリストが宿り、その生の最中でイエスからイエス・キリストへと
変わったと考えている。したがって、キリスト化したイエスには神性があると考えているんだけど、どうよ。

三位一体性への理解はまだまだ考える必要があると思うんで詳しく答えられないけど

いつどこでイエスにキリストが宿ったかは説明できないんで、別の説明も考えているんだが…。
どうにも超歴史的で時空を越えて普遍的にありうるキリストと、
時間的な生のうちでイエスと名づけられたナザレのイエスとを同一視するのが納得できない。
キリストは必ずしもイエスと名乗っている必要はないのでは?
歴史的にはたかが数十年しか生きなかったあの男の名をキリストと同定するのには無理があるのでは?
305名無しさん@3周年:04/11/21 22:47:14 ID:G5xsKqEm
初代教父たちがどのように論じているか、学ぶのはとても有益だとおもう。
教会すなわち、イエスに従う者たちの集まりの外部からの迫害と
教会内部から発生する様々のイエスとは異なる教えすなわち異端たちと
命を賭けて、主キリストと使徒たちそして聖霊から伝えられた
教えを守り堅持し、確認し、異端に反駁してきた、
その姿を学ぶのはとても意義あることだとおもう。

教父たちの異端との戦いの歴史を通して
正典について、
聖書のみことばに基づき、
 異端を排し
 異端に反駁し、
 父と子と聖霊なる、聖であり愛なる神
 すなわち三位一体の神を
論証する様に耳を傾けることができる。

正統信仰はみな聖書に耳を傾ける。
誤った教えには必ず聖書からの逸脱がある。
306名無しさん@3周年:04/11/21 23:09:16 ID:Q7Czd6aE
「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせて
 ください。」
 三位一体もよく分からない。
307名無しさん@3周年:04/11/21 23:16:55 ID:Q7Czd6aE
三度も祈ってある、イエス様はいやいやながら十字架にいかれたのかなあ
308名無しさん@3周年:04/11/21 23:19:41 ID:fsZ3Obbq
当たり前田のクラッカー。
309ケルベロス ◆Gc5WatDsTA :04/11/21 23:22:41 ID:1LENuzFM
>>307
人として嫌で嫌でしょうがなかった運命を、(ゲッセマネの祈り)
御父である創造主の御心のままに。

と願う献身が、
主イエスの本願でもあったのではないでしょうか。

主の十字架は、父と子と聖霊が一体になった瞬間であると信じています。
310名無しさん@3周年:04/11/21 23:35:50 ID:fsZ3Obbq
>>309瞬間。イエス様にあってさえ、一体となること、一体であり続けることは
並々ならぬ力を注ぐ難事なのですね。わたしは一体は一心同体の省略なんだ、と
思いますが。等号や合同記号で三者をつなぐのは迷信でしょう?
311名無しさん@3周年:04/11/21 23:42:29 ID:Q7Czd6aE
「主と同じ十字架ではもったいない」と自ら逆さ十字架にしてくれと言ったとされて
いるペテロよりもイエス様は劣るんだ。迫害のなかで聖霊に満たされ殉教されていか
れた人達よりも劣るんだ。・・・すみません。よく分からなくて。
312名無しさん@3周年:04/11/21 23:43:27 ID:1LENuzFM
>>310
ごめんなさい。
僕はキリスト教徒です。
神を、父と子と聖霊の三位一体の神として信仰しています。

数学のことは知りません。
313追記:04/11/21 23:44:50 ID:1LENuzFM
>>310
数学では表現できないものだと思います。
314名無しさん@3周年:04/11/22 09:07:11 ID:hrPjpu3Z
「三位一体」の神って父として(だけ)の神じゃないよね?
父としての神、子としての神と聖霊としての神すべてである神なんだよね?
(子や聖霊と区別される)父なる神じゃないんだよね?
315名無しさん@3周年:04/11/22 12:41:46 ID:TYc0zc6M
多重コテの2chネラと似たようなもので
316316:04/11/22 17:34:17 ID:3LHQiIeF
 ━━━━━━━━
  神は唯一です
 ━━━━━━━━ 
317異端と呼ばれた男:04/11/22 17:57:05 ID:DEb9dYBI
神なんて居ません。
318名無しさん@3周年:04/11/22 18:29:31 ID:5Y0d4ECx
唯一絶対神を信じるなら三位一体など人ごときの妄想に過ぎない
319名無しさん@3周年:04/11/22 20:17:28 ID:vmu7naxV

三位一体の跡付けた聖書解釈だけでは
問題や疑問が残り不十分です。
320名無しさん@3周年:04/11/23 10:24:41 ID:CUqC51gH
人はみな死すべき存在。

歴史の先で、まことの神が明らかになるときがくる。

すべてのひとは人の子の姿をとって再び来られる

イエスを目撃し、栄光に輝くキリストの前に立つ。

永遠のいのちを受け神の子とされた者たちは

神を観る。
321310:04/11/23 16:30:47 ID:GH2q9MNH
「聖霊に満たされ」「聖霊の賜物」のように与える者、包み込む者として
ある聖霊とは、意思を持って行動しているのでしょうか?それとも単に被造物
として創造されたままの性質、法則にしたがって現れる現象や働きをいうのでしょうか。
母のようなイメージを私は抱いているのですが、旧約を参照しようにも該当箇所が
明かでなく、新約にも記述が少ないので、教会で人から教わることになるのですが
いつもあやふやなんですよね。ケルベロスさん、わたしも数学よくわかりません。
ただ、同じだ、とか姿を変えて現れたのだとする説明はウソだと思います。ボランチと
2トップのようにまったく違う個性が高度に連携した理想的な天と地の(あるいは人の)
ありかたを三位一体trinityと呼ぶのではないでしょうか。
322名無しさん@3周年:04/11/23 17:45:02 ID:PIiSTr8f
もう一度ヨハネ伝冒頭をよく読んでみよう。
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(1:1)
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。(1:4)
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。 (1:9)
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である(1:14)

「ことばは神であった」と書かれているが、「ことば」と「神」は、別々の神であろうか? 神は複数であろうか?

イエスは彼を神の子であると信じた十二弟子に聖霊を与えたが、
御父は地上の人間の中から、とりわけ出来の良い? ナザレのイエスを選んで御子(養子?)としたのだろうか?

いや、残念ながらそうではないだろう。もしそうならば現代において、イエスのように、
「神の教えをよく知り、知るだけでなく身をもって理解し、 従っている」人間は、
すべてイエスのように奇跡を起こし、栄光の姿に変わり、殺されても三日後に肉体を伴って復活するのだろうか?
そんなことはありはしない。

そもそも、
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそキリストです」(ルカ2:11)
と書いてあるのを読めば、イエスは段階的に栄化を受けたとはいえ、最初からキリストであったと考えるのが自然だろう。
(続く)
323名無しさん@3周年:04/11/23 17:50:32 ID:PIiSTr8f
ヨハネ伝は、確かに字義だけで判断するならば、まるで父と子は別々の存在のように書かれていて、
そう解釈したくなるのは分かるが、聖書はヨハネ伝だけではない。
イザヤ書には、

それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。
見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。(イザヤ7:14)

私は主である、これがわたしの名である。わたしはわが栄光をほかの者に与えない。
また、わが誉れを刻んだ像に与えない。(イザヤ42:8)
と書かれてある。

ヨハネ伝1:14、12:23、12:28、17:5、17:24を読み返そう。神は栄光を他者に与えないのなら、イエスは誰なのか?
栄光を持つものは誰か? それは複数なのか? ひとりなのか?

旧約聖書には他にも興味深い記述がたくさんある。
まあ、今はとりあえずこの辺にしておこう。
324名無しさん@3周年:04/11/23 17:55:03 ID:CAVdT/tx
(´ι _`  ) あっそ

つーか、もう来なくていいよ
325322:04/11/23 18:29:25 ID:82yZay7w
>>324
いえいえ、様子を見て気が向けばまた茶々入れに来るよw

あくまで気が向けばだが
326名無しさん@3周年:04/11/23 22:17:13 ID:3QfLp3p7
>>321
聖霊は被造物ではありませんよ。
父と子とともに創造にたずさわられた神の霊。
神の姿として造られた人に
主キリストの十字架と復活の救いの事実を
現在化されるお方。
父なる神と、神の言、神の知恵なるひとり子なる神と
等しい聖く、愛である霊。
327名無しさん@3周年:04/11/23 22:31:32 ID:S4H1bHnc
>>326
わけ分かんないこと書いてんじゃネーヨ、タコが!
自分で理解してないことを他人に言っても説得力ゼロ(藁。
328名無しさん@3周年:04/11/25 07:29:09 ID:zC47AFc+
■百聞は一見にしかず
 次のことは体験上真理である。

@悪魔、悪霊は合って見ると一位一体である。
Aキリストは出会って見ると、キリストの中に父が見え、私の心には聖霊がいて
 三位格そろって「私たちはあなたを愛してる」と仰った。
 このように出会ってみると三位一体である。
Bその後も悪霊に何度も出会ったが悪霊はいつも一位一体であり、恐れや
 悲しみの霊であり、占いと肉の存在である。
Cキリストに出会うと、私の心の中の聖霊が喜び、父から愛が注がれるのを
 感じる。「あぁ、愛されてる」「アバ、父」愛は癒し回復させる。

父なる御神よ。この書込みを見る者が目と目を合わせて三位一体の神を見て
また悪霊の一位一体と区別する方法を教え賜え。 アーメン
329名無しさん@3周年:04/11/25 08:53:58 ID:QoNnDNWU
↑妄想乙。病院逝け。
330名無しさん@3周年:04/11/25 12:28:30 ID:6QdP3Lyz
>>327
許してやれ
三位一体信者でわけわかる説明できる奴なんて一人もいないんだから
331名無しさん@3周年:04/11/25 13:40:03 ID:S0soNtKi
>>330
おれの指導司祭もそう言ってた。
つうか、その辺信者に説明させたら、教会は異端者だらけってことが
ばれちゃうよって言ってた。
332名無しさん@3周年:04/11/25 15:01:39 ID:OJ/vVOAI
聖霊は被造物じゃない。
333名無しさん@3周年:04/11/25 17:33:49 ID:OJ/vVOAI
さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、
御霊は同じ御霊です。
奉仕にはいろいろの種類がありますが、
主は同じ主です。
働きにはいろいろの種類がありますが、
神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
(コリント人への手紙T12:4-6)
334名無しさん@3周年:04/11/25 18:05:00 ID:OJ/vVOAI
わたしと父とは一つです。 (ヨハネの福音書10:30)

イエスは彼に言われた。
「ピリポ。こんなに長い間あなたがたと一緒にいるのに、
あなたはわたしを知らなかったのですか。
わたしを見た者は、父を見たのです。
どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。
わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。
わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。」
(ヨハネの福音書14:9-10)

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主を
あなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、
ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。 (ヨハネの福音書14:16-17a)

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、
あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話した
すべてのことを思い起こさせてくださいます。 (ヨハネの福音書14:26)

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、
あなたがたをすべての真理に導き入れます。
御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、
また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
御霊はわたしの栄光を現わします。
わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
父が持っておられるものはみな、わたしのものです。
ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、
あなたがたに知らせると言ったのです。 (ヨハネの福音書16:13-15)

ヨハネの福音書17章全体
335名無しさん@3周年:04/11/25 18:43:39 ID:OJ/vVOAI
初めに、神が天と地を創造した。
地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、
神の霊は水の上を動いていた。
そのとき、神が、「光よ。あれ。」と仰せられた。
すると光ができた。 (創世記1:1-3)

主のことばによって、天は造られた。
天の万象もすべて、御口のいぶきによって。 (詩篇33:6)
(※息吹と霊は同じ言葉)

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。 (ヨハネの福音書1:1-5)

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。 (ヨハネの福音書1:14)

しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、
もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。 (マタイの福音書12:28)

そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、
わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイの福音書28:17-20)
336名無しさん@3周年:04/11/26 11:37:24 ID:roHxrme5

>>333・334・335 聖書の句ばかりで、何を言いたいんですか。
337名無しさん@3周年:04/11/26 12:09:43 ID:Sk3lu+hL
>>336
>>333-335=自分の言葉では何も語れない低脳聖書厨。スルー汁。
338名無しさん@3周年:04/11/26 12:47:39 ID:rDWEEtjU
         とりあえずこれでも読んで心を落ち着けなさぃ

http://money3.2ch.net/test/read.cgi/eco/1086472681/l50
●  「三位一体の改革」について  ● (85) 
339名無しさん@3周年:04/11/26 14:14:55 ID:UoXUeWkx
 
 「わたしを見た者は、父を見たのです。」とは
  どういう意味なの。

340名無しさん@3周年:04/11/26 14:32:56 ID:bUeRh1+a
>>339

イエスの言葉と業の内に神性が見いだされるということ。
341303=304:04/11/26 14:40:19 ID:A5nKewvE
>>322
ことばってロゴス(=理)のことでしょ?
そのロゴスがイエスだったら十字架上で亡くなわれたときに
世界からロゴスが無くなっちゃわない?
復活までの3日間世界が混沌になっているはず。
イエス以外の死人が復活してもおかしくないし、大地が海に変わっても、
樹木が鳥に変わってもおかしくないはず。
しかしそうはならなかった、ゆえにイエスはロゴス=ことば=神ではない。
少なくともイエスとロゴスとは分離不可能、
互いに独立していない存在(しかし、一致しようと思えば出来なくない存在)ではない。

ってことにはならないか?

>>現代において、イエスのように、
「神の教えをよく知り、知るだけでなく身をもって理解し、 従っている」人間

そんな人間実質的にいないと思う。そもそも教会(カトリック)によれば原罪によって罪人となっているのは
イエスとマリアを除いたすべての人がそうだろう。
イエスの場合は幸運にもキリストの受肉によって神に従えたというだけで。
カトリックでは洗礼を受ければ
「すべての罪、すなわち原罪、すべての自罪、また罪のすべての罰もゆるされます」(『カトリック教会のカテキズム』391P)
といっているが、これとて、受洗後にさえ罪を犯さなくなることを意味しているのではない。
(告解の秘跡があるのがその証拠)

とりあえず勉強にはなった。サンクス。
342名無しさん@3周年:04/11/26 20:01:48 ID:GWO4Sy+S
>>333-335 の聖句の解説をしたら長くなってしまう。
父なる神は求める人には聖霊を与えられると主イエスは言われた。
耳のある人とは聴く姿勢のある人。
理解を求める人のことではないだろうか。

御言葉を前にしたとき、それが良い地に落ちた種が実を結ぶように
神の恵みに生かされる人は幸いだ。
343名無しさん@3周年:04/11/26 20:29:48 ID:8f/by4+T
>>333-335 の聖句の解説をしたら長くなってしまう。

結局、自分の言葉では語れないわけじゃんw
344名無しさん@3周年:04/11/26 20:45:41 ID:GWO4Sy+S
>>333
父、子、聖霊と被造物、特に神を愛す者との関係について

>>334
父、子、聖霊が同一本質であることについて
父、子、聖霊間の関係について

>>335
父、子、聖霊の参与による創造について
先在される子の受肉、復活について
父、子、聖霊の臨在による神の国(支配)の実現について
345名無しさん@3周年:04/11/26 20:52:05 ID:7ruQB1cX
>>344
だーかーらー?

長々と引用なんかしないで、完結に自分の意見を書けばいいのに。
346名無しさん@3周年:04/11/26 20:58:10 ID:GWO4Sy+S
>>334
ヨハネの福音書17章では、
父、子、聖霊と、歴史全体に及ぶ主イエスを愛す者たちとの関係、
彼らに与えられる恵みについての詳述。
347名無しさん@3周年:04/11/26 21:02:53 ID:7ruQB1cX
コピペ厨ウゼーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
348名無しさん@3周年:04/11/26 21:07:57 ID:GWO4Sy+S
>>345
私が妄想、思い込み、推測、自分の考え出した自説を披瀝しても意味はないし、
私はそれに興味はない。
私は教父たちがそうであったように、聖書がなんと言っているかに根拠を求めたい。
使徒たちは主イエスの言葉、旧約聖書の文言、主イエスから受けた聖霊を根拠に語った。

以前、この板でどなたが、愛のない学ではなく、学のある愛こそより大切だという
趣旨のことを指摘しているのを見たことがある。私は学はありませんが同感です。

このスレを見ると、それこそ自分の頭の中で、その人のおもいつく可能性を論じる様子を多々見ます。
私は聖書がなんと言っているのか、聖書を通し、神が何を伝えようとされているのか
それを私は知りたいのです。この限られた人生の中で。
349名無しさん@3周年:04/11/26 21:10:35 ID:GWO4Sy+S
>>345

>>344に書いたのは私の言葉です。
>>333 >>334 >>335 になぜその聖句を選び記述したのか
せの聖句の意味するところと私が理解することを簡潔に
自分の言葉で記述したのものです。
>>344はどこかからの引用ではありません。
350名無しさん@3周年:04/11/26 21:20:37 ID:c39QOi+g
>>348
>聖書がなんと言っているかに根拠を求めたい。

聖書のその箇所が自説の根拠になると思っていても、
それが「思い込み」である可能もあるのでは?

そもそも現存する聖書自体、三位一体に都合の良い部分を
残してきたという負の歴史も無視できない。
351名無しさん@3周年:04/11/26 21:40:57 ID:GWO4Sy+S
>>350
>聖書のその箇所が自説の根拠になると思っていても、
>それが「思い込み」である可能もあるのでは?

そうです。
同じ聖書の箇所を読んでも人により解釈が異なることがあります。
ある人にとっては自明であることも、他の人にとっては受け入れ難いことは
十分有り得ます。また、その聖書の文言の理解というのは
その言葉を読む人物にとって極めて個人的な体験である場合も多々あるでしょう。
最悪の場合、神が望んでいない、意図しない解釈をする人もいるでしょう。

そういったことを踏まえ、かつ聖書引用箇所も多いので
>>333 >>334 >>335 には自分がなぜこの聖句を引用するのか
自分はこの聖句をどう理解しているのかを記述せずに
聖書の文言自体を提示したのです。
神は今の時代に生きる私たちに、少なくとも二つの方法でご自身を啓示されていると信じます。

一つは聖書の言葉によって。
一つは聖霊の働きによって。
352名無しさん@3周年:04/11/26 21:49:27 ID:GWO4Sy+S
>>350
あなたは三位一体が誤りだとお考えのようですが、
神は三位一体であり、三位一体を否定するあなたが
誤謬に陥っている可能性もあるわけです。
私は、神は三位一体であると聖書は語っていると受け止めています。
また、私は神は三位一体であると信じています。

1.聖書の記述を信頼するか否か。
2.聖書の記述をどう理解するか。
3.聖書の記述する神を信じるか否か。

三位一体が論じられるのを見るとき、上記の事柄に対し
様々の立場の人がいることを感じます。
353名無しさん@3周年:04/11/27 01:07:21 ID:HG/B3RTB
我々は父であり、子でもあり、また自分自身であります。

立場の違いを言うなら、4でも5でも、いくらでもある。
私は仕事人でもあり、消費者であり、2ちゃんねらーである。
3位一体というなら、4も5もあると言ってるのと同じだ。
1000位一体、やおよろず。
それがキリスト教であります。
しかし全ての宗教は一つの根源から紐解かれたものだ。
それを認めるのが唯一の神というのだ。

他人の宗教を否定することは、裏返せば
何万もの別の神の存在を空想することと同じだ。
つまり、クリスチャンは万の広がりを勝手に3と決めて
そのあやふやな根拠をゴリ押しするカルトを無理矢理信じている。
頭の悪い人達よ。

唯一というのは全てを含むから、唯一となる。
3だとか適当な区切りを無理に信じることを彼らは
救いと呼び、真実を見ようともしない暗黒の中にいるのだ。
354名無しさん@3周年:04/11/27 04:41:37 ID:oxIabUqq
>>353
あなたの立場を「様態論的一位神観」と言います。
人名を取ってサベリウス主義です。
この立場の教会をワンネス又はジーザス・オンリーと言いますが
はっきり言って異端です。
355名無しさん@3周年:04/11/27 05:00:04 ID:oxIabUqq
>>350
キリスト教はロゴスを信じていますが、同時にレーマを信じています。
ロゴスとは、永遠の存在の根源規定で、レーマとは、ロゴスが発動して受肉した実体です。
例えばロゴスとレーマは設計図と製品のような関係ですね。

私は区別を知っているので聖書を崇拝しません。なぜなら聖書はレーマであって
神の御許には本体であるロゴスがおられるからです(ヨハネ1:1ギリシャ語で)。

聖書は別の箇所で「文字は殺す、霊は活かす」(2コリント3:6)と戒めています。
この意味は、聖書の文字は聖霊と別に適用すると人を殺すが、聖霊と文字が同時に
働くなら人を生かすという意味です。

聖書を信じると言う時「あなたが言うように間違いが混入する可能性があります。
しかし、聖霊が共に働くならその聖書の一節は生けるみことばとなるということを
自分の宗教体験上知っています。」という意味で使います。

天におられるロゴス・キリスト自らが信じる者に聖霊を送り、みことばを確かなもの
にされるから、その生きたみことばをアーメンと言って信じる訳です。

これは霊的体験ですから、キリストの信仰で新生した人しか弁える事が出来ません。
しかし確かな事実です。
356名無しさん@3周年:04/11/27 05:13:37 ID:oxIabUqq
>>355
そして何で三位一体なのかというと。

そのようにレーマを頂くとき、

@レーマの送り手と、Aレーマそれ自身と、B聖霊の送り手と、C聖霊と、D私がいます。
これは宜しいですよね。ここで

@は天の父なる神、AとBはキリスト、Cは聖霊というように三位の神が
同時に一体になって、Dの私のところにお見えになるのです。
決して父、子、聖霊が別々に来られませんし、順番にも来られません。
一位でも二位でも四位以上でも来られず、必ず三位で来られます。

でも中には単独で来る霊がありますが、大抵は、堕落天使か悪霊です。

そういう訳ですから「神に出会った」と言う人に対して私は以上の考えで
れいを見分けていますが、これはとても大切は霊的真理なのです。

霊的に生まれていない未信者の方々や名目だけのクリスチャンはだから
三位一体が分かるはずがありません。霊のことは霊によって弁えなければ
分からないからです。以上。
357名無しさん@3周年:04/11/27 05:18:15 ID:oxIabUqq
>>356
訂正します。
@ロゴスの送り手と、Aロゴスそれ自身と、B聖霊の送り手と、C聖霊と、D私がいます。

これが正しい。ロゴスと聖霊が私のところで共同してレーマになるので。
358無宗教:04/11/27 10:28:31 ID:xDSg9vMC
>>357
ならない。
359352:04/11/27 11:30:03 ID:fCPSzZPZ
>>355-357
アーメン。
ハレルヤ。
マラナタ。
360名無しさん@3周年:04/11/28 01:41:30 ID:EjyOcJo2
>>359
ハレルヤ
私たちの三位一体の神、父なる神、父なる神の御子イエス、父と御子から発する聖霊の
唯一のお名前において、愛する兄弟の上に、生けるみことばが、いつも下されますように。

♪生けるみことば あなたこそ 全ての 全て 王の王♪
361名無しさん@3周年:04/11/28 01:45:18 ID:EjyOcJo2
>>358
>ならない。

アーメン。そのとおりです。
あなたは信仰がないから、そうなのです。
それで良ければそうしていてください。

でも本当のクリスチャンならば三位一体は自明のことなのです。

私があなたの立場を認めたようにあなた方もクリスチャンの立場を
認めることができると私は思います。

私たちはあなたの意見を尊重します。
362359:04/11/28 21:11:44 ID:uHAHSf5J
>>360
恵みに満ちたお祈り、誠にありがとうございます!
私の心に喜びが拡がりました。
あなたとともに、恵み深い父と、愛する主イエスを
御神の想いを知らしめる御霊とともに称える幸いにただ、感謝します。
いつの日か主の御顔を直接拝見する折にお会いする幸いを待望いたします。

ハレルヤ・・・!
363名無しさん@3周年:04/11/29 02:01:23 ID:nzxnJep6
>>362
はい。是非お会いしましょう!

主の祝福がありますように。
364322:04/11/30 01:59:18 ID:1vq86Glc
>>341
遅レスになったが返事を書いた。

>そのロゴスがイエスだったら十字架上で亡くなわれたときに
>世界からロゴスが無くなっちゃわない?

いやいや、そんなことはないッスよ。
イエスが十字架上で死なれたのはあくまでもマリアから受けた地上の肉においてのみ。
我々だって肉体においてはいずれ死ぬが、死んでも霊(霊体)は死なないのといっしょ。
我々でさえ、霊は不滅なのに、いわんや神御自身において、地上の肉に死のうとも、その霊(神性)が絶えることなどあろうか?

復活した後の主は、その肉体は我々のような地上の人性は一切無く、
死んだのはいわば地上の誤謬であり、自然的な肉においても、我々とは違って完全に神的なものとされた。
墓の中においてイエスは最後の栄化を遂げられた。

つまり、(カトリック信者には受け入れ難いかもしれないが)、
マリアから受けた地上の人間性は完全に斥けられ、父から受けた人間性をつけられた。
(父から受けた人間性とは、形を取った神の神的真理のこと。神的人間性については後述)

だからこそ、神は「最初であり、最後である」といわれる。
このことは、イエスキリストの黙示と呼ばれる黙示録に

「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである」(22:12)
と記されている。
365名無しさん@3周年:04/11/30 02:00:36 ID:1vq86Glc
これは一般的には、神はあらゆるもの造った、あらゆる善いものは神から出たという意味で解釈されるが、
主御自身にあてはめれば、この方は天的、霊的レベルのみならず、自然的な究極的なレベルにおいても
主は御自身を完全に神的にされたということである。

復活後の主はマリアや弟子たちに姿を現したとはいえ、それは主が霊の目を開かれた人間のみに姿を現したのであり、
それ以外の者には見えなかった。現れては突然消え(ルカ21:31)、戸が閉まっているのにそのまま家に中に入られた。(ヨハネ20:26)
このことから肉体を伴って復活したとはいえ、決してその体は我々と同じ地上の肉ではなかったということである。
さらには、なぜ主は地上に降りて受肉したのか、その真義に精通した者は未だごく僅かだ。


わたし? 小生はまだまだ初学者でござる。


マタイ12:18にはイザヤ書42章より、私は彼の上にわたしの霊を置いた、と書かれている。
その霊とは、神御自身、神の神性そのもの、神の生命そのもの、
つまり生命自身における生命そのもの、すなわちエホバ御自身であらせられる。
霊を置いた人と、置かれた人がそれぞれ別人のように書かれているが、そうではなく、
エホバ御自身(御父)が神的真理、即ち御子と呼ばれる神的人間性の方面で受肉したのである。
366名無しさん@3周年:04/11/30 02:02:44 ID:1vq86Glc
神の神性、本質とは神的善(愛)と神的真理(知恵)であり、善は善から発する真理によって活動し、見える結果となる。
ゆえに神の全知、全能とは、神的真理の方面の神性を表している。「神の右手に座る」とはこのことなのだ。
そして「ことば」とは、つまり聖言とは、神の神的真理そのものであり、
この聖言の教義を人に理解させ、教え明るくし、人を再生して救うのは、「聖霊」の活動、働きによるものである。

つまり聖霊の活動によって我々は聖言を与えられたといえる。
また神的善は神的真理によってその力を揮うのであり(ヨハネ14:28参照「父はわたしより偉大」)、
ゆえに神の活動、力である聖霊は、神的根元そのものである一人の神より発する神的な、善き真理であり、それは聖言であり、
また聖言の奥義を人に理解させ、明るくする知恵の霊(イザヤ11:2参照)でもある。
これにより、主より発する神的な真理は聖霊であるといえるのである。
さらに言えば、聖霊の発し主である主御自身がまさに聖言(ことば=神的真理)であり、聖霊であらせられるともいえるのである。

更に付け加えれば、善と真理、言い換えれば愛と知恵は主の無限なる父性のうちに一つであり、
また善は真理によって形を取るのであり、善より発する真理は完全になればなるほど、それは人間の形を取ろうとするのである。
つまり神的真理そのものである主は完全な人間であり、神の存在の顕示である神的人間性は即ち子の属性である。

(ややこしい? 書き方がまずいかな。)
367322:04/11/30 02:09:38 ID:9MHPpp9o
(続きですよ、連続投稿ではじかれたw)

基本的な事実であるのに、どうしてもしっかりと認識されにくいのが、「神は人間である」ということである。
即ち主は、「見えない、形のない、無限の」神性(父)と共に「神的人間性=見える神性(子)」を併せ持つ方である。
ちょうど我々が霊と肉とを併せ持って一人の人間であるように(霊は見えないが、肉は見える)。
(更にあえて書くが、文字に書かれた「真理」は見ることができる。盲人には見えないが)
(もちろんインクで書かれた文字は誰でも見ることができる。秘められたものが見えないのだ)

もしそうでなければ、創世記において、我々のことを「神に似た形」と書かれることはなかっただろう。
つまり我々自身は、厳密に言えば、「人間に似た形」をしているのである。
(つまり人間そのものではない。人間そのものと言える存在は神一人である。なぜなら神だけが真理そのものだから)

神の似姿である我々人間においても霊魂があり、肉体をまとい、活動しているが、
それぞれが個別の人格であり、即ち3人が二人三脚ならぬ三人二脚?? のように合体して存在しているのだろうか?
霊の意志は東へ歩こうとしたが、肉体は西へ歩こうとしたので霊魂と肉体がもめたりすることがあるだろうか?
そうではなく、全く一人の人間が一つの霊魂であり、肉体であり、活動である。
それは目的、原因(発現)、結果という「3つの度、段階」で考察することが可能である。
それは愛、知恵、用と言うも、仁慈、信仰、業と言うも、意志、理解、活動と言うも同義である。
368322:04/11/30 02:10:45 ID:9MHPpp9o
この3つはすべて一人の人間の特性ではないか? 我々でさえそうなのに、いやんや真人といえる神御自身においてや。
あるいはそれぞれ意志専門の、理解専門の、活動専門の人間(人格?位格?神?)がいて、3人で合体して一人なのだろうか?
三位それぞれが神なのか? それならどう考えても三神であり、そうでなく合体した一人が神というのなら、
その合体した神は、あるいはよく言われる、「本質において同質」ならば、その本質は何という名なのか? 
またその一なる「本質」が神ならば、その下位である三位それぞれの存在は神ではないということになる。
三位も神というならば結局四神と言うことになってしまうだろう(愚)
三神も四神も似たようなもんさ。要するに(悪い意味で)偶像崇拝だね。
これならまだ仏教の方がマシ。はるかにマシ。

だいたい意志もなく、知性もない存在が、それは一体どうやって活動するというのか?
わたしには想像もつかない。そらアメーバやゾウリムシも活動してるといえばしているが・・・

それとも神は頭が3つ、手足が6本の奇形の化け物だろうか? そのような考えそのものがおぞましき奇形という以外にない。
もし誰かが、「私の魂と肉体は区別されるものではあるが、私という個人の中で一つである。」
と言えば、それは間違っているだろうか? 現今のキリスト教では・・・間違いらしい。
魂担当の神? 肉体担当の神? しまいには心臓や肺だけでそれぞれ独立した神とか言い出しかねない。

334殿。君はそうならないように気をつけたまえ。
369322:04/11/30 02:12:06 ID:9MHPpp9o
再び黙示録の一節を採り上げよう。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。(黙19:16)

ここでは、「主の主」という言葉により主の神的善、そして「王の王」によって主の神的真理が表されている。
もちろん別々の存在が別個に担当しているのではない!
しかしながらこのように言うと、カトリック、プロテスタントの両者から異端とされてしまう(苦笑)。
それぞれが別個の存在によって担当されているそうな。(笑えん)

あれほど主御自身が「神は一人である、わたし一人である」と再三説いているにもかかわらず・・・

主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、
「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない」(イザヤ43:6)

わたしのほかに神はない。
わたしは義なる神、救い主であって、
わたしのほかに神はない。(イザヤ45:21)

キリストも贖い主、救い主と呼ばれているのではないかな?
別々の救い主たる神が存在するのだろうか?
370322:04/11/30 02:19:30 ID:reOPl0+b
(また弾かれたw)



   (実はここに重大な結論を書いたのだが、今は敢えて伏せておこう)


  
   私もまだまだ未熟なんで、細かい部分で間違いもあるかもしれない。
   さて誠に勝手ながら、今回はこの辺で失礼

371名無しさん@3周年:04/11/30 11:33:06 ID:Rwtn9nW9
>>370 = >>322
父と聖霊を否定し、三位一体を否定するというのが結論ですか。
372名無しさん@3周年:04/11/30 11:35:47 ID:Rwtn9nW9
>>370 聖書の語ることをあるがまま、知性と聖霊により誠実に謙虚に聴くよりも
ご自身の知恵という枠で把握できないことを否定する道をお選びになりましたか?
373名無しさん@3周年:04/11/30 11:41:53 ID:Rwtn9nW9
アナロジーの限界を理解しないと誤謬に陥りますよ。
類推、比較、譬えは理解の一助にすべき道具にすぎません。

アナロジーの関係により結びつける異なる系が全ての性質において
同質であると前提できることは、必ず主張できるわけではありません。
また、その前提を証明できるのなら、アナロジーを用いずとも
対象を理解できるだけの道具がそろっているはずです。

人は自分の知恵に足をとられないように、気をつけるべき弱い存在ではないでしょうか。
374名無しさん@3周年:04/11/30 11:49:06 ID:yUA/bjIy
要するに、イホバとジーザスとスピリッツを足して
やっと一人前の神(1/3+1/3+1/3=1)になるということ。
375名無しさん@3周年:04/11/30 12:39:37 ID:8R6WWp/2
>キリストも贖い主、救い主と呼ばれているのではないかな?
>別々の救い主たる神が存在するのだろうか?
>>369

救い主がふたりいても不都合ないですよ
あなただって御飯を食べる時は「おコメを育ててくれたお百姓さん」と「食事の支度をしたコックさん」の両方に感謝するでしょ

でも、お百姓さんとコックさんはけっして「その実質において一体」ではないよ
376名無しさん@3周年:04/11/30 13:08:19 ID:Rwtn9nW9
新薬を開発するとき、よくマウスなどにより動物実験を行います。
それは、人以外の生物を特定の環境、体調の管理下において
特定の薬を投与するとどのような反応がその生物に生じるかの知見を
人への影響と似ているだろう、との前提に基づき動物実験の結果を
投薬による人への影響を類推する判断材料にする趣旨のものです。

投薬による生体反応は、人と人以外の生物では有意な類推を可能とする程の
生体内の機構に類似性がある、との信念あるいは事実が存在することを示しています。

ところが、このマウスと人は全ての性質において類推(アナロジー)が適用できる
関係にあるわけではありません。
ある人が特定の音楽を聴くと睡眠が深くなり、体調が優れるとしても
マウスが同様の環境に置かれても、同様の結果を得られるとは限りません。
異なる系があるときに、アナロジーが有効な性質と無効な性質を
それらの系が所有していることがあり得るのは明らかです。
377名無しさん@3周年:04/11/30 13:21:43 ID:+Qt1yZJh
 イエスの言動を洗いなおせば、彼の異常な自意識の問題は避けて通れない。
 つまり、彼が神ではないなら「自分を神だと思っている吉外」なのであって、
 「革新的思想家」などという枠に無難に収めておくことは出来ない。

 そういう意味で、三位一体論に通じるキリスト論がもっとも「聖書的に潔い」
ものであろう。それ以外の全ては、己が狂人一味にならないように、都合の悪い
聖書箇所を意図的に無視している。誠実な在り方とは思えない。
 
378名無しさん@3周年:04/11/30 13:41:14 ID:Rwtn9nW9
>>377

そこに記されたすべてのセンテンスに全く同感です。
私もそう、考えます。
379名無しさん@3周年:04/12/01 02:32:05 ID:41EHZtoS
>>374
>要するに、イホバとジーザスとスピリッツを足して
>やっと一人前の神(1/3+1/3+1/3=1)になるということ。

神様が有限な存在だったらそうかもしれない。

聖書は神は無限だと証言しているから (∞+∞+∞=∞) になるということ。

●私たち日本人は「一人の人間が死んで一人の神になる」と「有限な神」を前提にする。
 しかし聖書の神は「一人の神が受肉して一人の人になる」というように、全く逆に
 「無限な神」を前提として受け入れることを要求している。

●聖書の神は創造神である。誰が有限な存在を創造神と呼ぶのだろうか?日本人の神概念
 を超えた永遠無限の人格者なのである。
380名無しさん@3周年:04/12/01 02:41:55 ID:yz0pe/2n
∞+(−1000)+(−10000)+・・・=∞ (左辺の2項目以降は有限・何でもいい)
かもな..
381名無しさん@3周年:04/12/01 03:52:46 ID:41EHZtoS
>>380
そうですね。
 神様=∞、 私=−1000  あなた=−10000 ・・・・・ 結局、神様=∞

有限な人間がよってたかって三位一体の神を否定しても
「イエス・キリストは、昨日も今日もいつまでも変わることがない」(ヘブル13:8)
という訳でしょうかね!
382名無しさん@3周年:04/12/01 04:16:50 ID:2GKKgTXL
∞とは存在しないということですよね?
383名無しさん@3周年:04/12/01 19:43:27 ID:xhIP7Isr

唯一神ヤハウエおられる
唯一の主イエスがおられる。
384名無しさん@3周年:04/12/02 02:54:38 ID:tWxX4IdG
>>382
昔々、賢いインド人は考えた。
  「さんー にー いち (なし)」
        「さんー にー いち (なし)」
             「さんー にー いち (なし)」
                       「3 2 1 (なし)」
これは変だ「なし」を数字で表せたらどうか?
「でも3個あるでしょ、2個あるでしょ、1個あるでしょ ないでしょ」
 あれれ!3も2も1も「ある」と言ってるのに、「なし」だけ「なし」だ!?

頓智よ出て来い!「3 2 1 0」と書いて、「なし」を0個「ある」と表現したらどうだな。
こうして人類は存在しないことを表す数字「0」を手に入れた。

更に、哲学好きのインド人さんは考えた。
  「一 十 百 千 万.....億....京.....無量大数」 
     しかし「無量大数」まで数に名前を付けてから、ふと考えた。
                            「きりがない!」

インド人は天地を創られた創造神「プラフマン」は無限な神と考えていたので
その無限を数字で「∞」という風に表示することにした。

インド人さんありがとう。

>∞とは存在しないということですよね?

∴ ×∞とは存在しないということ。○∞とは∞に存在するということ。

◎神様はインドでも「∞」なお方、創造神として考えて数学が発展したとこういうお話でした。
385名無しさん@3周年:04/12/02 02:58:44 ID:se7Ltybh
∞は現実には存在しない概念だよ。
386名無しさん@3周年:04/12/02 03:44:08 ID:tWxX4IdG
>>385
反対するなら勉強して証明してみたら。
387名無しさん@3周年:04/12/02 10:05:59 ID:WVkiWQlW
>∞とは∞に存在するということ。

それは概念の上でそういうものがあると仮定した記号にすぎないので、
実際に存在するものを表すとは言えない。
388名無しさん@3周年:04/12/02 12:47:41 ID:KrdSv8PG
ひとつ
ふたつ
たくさん   みたいなもの、だから実体はあると思ったほうが無難です
389名無しさん@3周年:04/12/02 13:00:44 ID:NCV4qP2V
だまだれたと思って
三位一体を前提に聖書を読んでみてごらん、
未だかつてない祝福が与えられるよ。
390390:04/12/02 14:55:25 ID:tgrHz5zL

>389の三位一体を前提に読む
そのような先入観が問題
これは正しい読み方と言えるだろうか。
三位一体は単に会議で決定しただけで、絶対正しいと
言う分けではない。


391名無しさん@3周年:04/12/02 15:08:38 ID:kpgwRShs
>>390
三位一体とひとことで表現していることの中身をご存知ですか?

幼子のように主イエスのみことばを信じ、生かされるなら、
その人は三位一体の神の子とされる特権を得て、永遠のいのちを持ちます。
392389:04/12/02 18:11:09 ID:7TMjDYsm
>>390
だから、「だまされと思って」っていってるだしょ
そういう読み方国語で習わなかった?
けっこう楽しいよ
393名無しさん@3周年:04/12/03 02:21:31 ID:T7hnl2Z7
>>387 さん
それなら次の質問に答えられるでしょうね。数学は実際の存在を表現するためにも
形而上の概念を現すためにも用いますからね。

質問@:”∃”、”∀”の記号の意味は何でしょうか?
質問A:”ε”、”δ”の記号の意味は何でしょうか?

大学初歩レベルの「数学」の教養があれば分かります。
私はあなたが分からなくても何とも思いませんよ。
ただ、もしそうなら「な〜るほど」と分からない理由を納得します。

あの質問には無理に答えなくても良いですし、茶化しても良いですよ。
お好きにどうぞ!
394名無しさん@3周年:04/12/03 02:26:04 ID:T7hnl2Z7
>>390 さん
皆さん、390 さんが何故分からないか知りたければ
量子物理学者のひとりに聞いてみてください。

「ハイデルベルグの不確定性原理」です!

どういう態度が科学的で、どういう態度が迷信的か明らかになること請け合いです!
395名無しさん@3周年:04/12/03 02:31:52 ID:T7hnl2Z7
■人間の罪:

@人はとかく自分の理解できない事柄の存在を否定する生き物である。
Aある人は、理解してハーッピー!
Bところが、ある人は理解できずに問題を否定するだけでなく、理解した人まで殺そうとする。
Cこれが人間の原罪、イエス・キリストは将にこの罪のために十字架で死なれた。

カインのアベル殺しの真相
396名無しさん@3周年:04/12/03 03:30:00 ID:qCwvi0Pn
∞って無限を表してるの?
だったら無限って量的なものじゃないと思う。
無限大とか無限小とかは実体ではなくて非実体的なものとしてあると思うよ。
常に大なるものが無限大で常に小なるものが無限小。
何を大とみなすか、何を小とみなすかで変動するものとしてあるんじゃないかと。

なんか激しく板違いだな。哲学板向けだなこりゃ。
397名無しさん@3周年:04/12/03 08:25:32 ID:T7hnl2Z7
>>396
あのー。「数学」と言いますね「算数」とも。「量学」とも「算量」とも言わない。
「∞」は「数」なのですよ「量」ではないです。自然数、整数、小数、分数と言いますが
自然量、整量とは言わない(少量、分量は別の意味ですね。)

それから離散値系か連続系かという問題もある。
例えば、「1、2、3、4、・・・・・・、∞」と書けば、この「∞」は自然数又は正の整数です。
ところが数直線を書いて「∞大」はと聞かれたら、まあ「小数」なんでしょうね。

>無限大とか無限小とかは実体ではなくて非実体的なものとしてあると思うよ。
>常に大なるものが無限大で常に小なるものが無限小。

だから、次の質問をしています。
質問@:”∃”、”∀”の記号の意味は何でしょうか?
質問A:”ε”、”δ”の記号の意味は何でしょうか?

数列と級数を思い出しても ∞ の意味が分るはず。

★三位一体は ∞ が分れば数学的に理解可能なものです。
398名無しさん@3周年:04/12/03 16:02:29 ID:S+hqIK+x
このスレで量子力学の不確定性原理を持ち出している人がいるので、一言。

量子力学の立場に立てば
光を粒子である、とも、光を波である、ともどちらかを排他的に宣言するなら
それは光について誤謬である、ということは理解していると思う。
性質だけでなく、観測値についても。
運動量と変位、あるいはエネルギーと時刻についても。

三位一体について、どのような理解がされているか。
それは、聖書に啓示されている、父と子と聖霊についてそれぞれを、
また、それぞれの関係を、また、それぞれの被造物への関係を、
聖書の示すまま、うけとるという姿勢。
そしてそれは父なる神の受肉した御子キリストが派遣を約束された聖霊の歴史への
参与という歴代の信仰者への信仰体験により実存的に証しされるものとも整合する。

三位一体と言われる立場は、神に啓示された聖なる書物が伝え
聖霊が歴史に証しされる、父と子と聖霊に関する知識をあるがまま受け入れる立場。

三位一体に反対する立場はまるで、光は粒子であり波ではないとか、
光は粒子ではなく、波である、と主張する者たちに似ている。
399名無しさん@3周年:04/12/03 17:06:39 ID:lN+FRSte
生命すべて宇宙まるごと一体つう後期大乗仏教
からみると、 三位だけの一体はまだまだという
ことになるんじゃないかい。
400名無しさん@3周年:04/12/03 17:07:37 ID:lN+FRSte
後期大乗仏教による空では、自他の区別さえもない。
401名無しさん@3周年:04/12/03 17:10:12 ID:x5sH8KXZ
>>393
∀は「すべて」です。顔文字で使います。
∃「そんざい」δ「でるた」ε「えぷしろん」これらは調べました。
402名無しさん@3周年:04/12/03 17:28:34 ID:99tC6v40
イプシロンはドイツ語のアルファベットのyと発音が同じ
なんだが、何か理由があるんだろか?
403名無しさん@3周年:04/12/03 17:50:21 ID:5Q9smJr7
>>398
『光』が二面性を持つのは当たり前なんだが
ここで議論されているのは唯一絶対の神についてだ
404名無しさん@3周年:04/12/03 21:33:23 ID:SZ1LLjmz
>>403
光が粒子性と波動性を兼ね備えていることは自明ではないでしょう。
科学史を知らないのですか?人類はいつから波動関数への知見を得たと思っているのですか。

粒子性と波動性を兼ね備える描像を具体的にイメージするのは人間にとって困難です。
このことは、聖書の啓示する三位一体の神を人がはっきりと認識することが困難なことに似ています。
ただ、聖書に啓示される三位一体の神をあるがまま信じるときに神の恵みにより
人は神を知っていくのではありませんか。
人が神をはっきりと識るのはパウロやヨハネやペテロが書いているように、
栄光に輝くイエスにお会いし、神に似た姿に信じる者が変えられるとき、
神を愛す者が神に知られているように、神を愛し信じる者ははっきりと神を識るようになるのです。
(Tコリント13:12-13 Uコリント3:16-18 Tヨハネ3:2-3 Tペテロ1:7)
405名無しさん@3周年:04/12/03 21:44:56 ID:U6kDdGqD
>>404
波動性と粒子性云々以前に、光は影の対称である。がゆえに光は光であると
言い得る。その相対性のものだという性質は三次元の世界にあるものすべて
に当てはまる性質。しかし神は絶対だから全然違うといえよう。
406名無しさん@3周年:04/12/03 23:22:52 ID:8/ugHbmx
それにしても、つくづく思うのだけど、
>>1の (・∀・∀・∀・)って、
めっちゃ、うまいよねぇ〜。よく思いついたなぁ、と思います。
407名無しさん@3周年:04/12/03 23:30:29 ID:osO7yO5y
>>405
すかすか・・・

>>406
ぱっと見、気持ち悪いけど、オモシロイですね。
だんだん少しカワイク見えてくる。
408名無しさん@3周年:04/12/04 00:34:02 ID:GZ6lKx0y
だいたい、神に量子論や相対論をぶつけようという感覚が信じられない。
神に対する冒涜以外の何物でもないし、見方を変えれば、科学に対する冒涜でもある。

数式いじって学んできた連中は、普通こういう事をやらない。
何故なら数学自体が観念の世界だからだ。

煽ってる方も、答えてる方も間違いなく荒らし。
409名無しさん@3周年:04/12/04 01:13:19 ID:U9MUciEZ
何が観念にすぎず、何が現実なのかは、
それぞれの人が決める問題。

実数は神によってあたえられたとする数学者もいる。
410名無しさん@3周年:04/12/04 01:47:17 ID:GZ6lKx0y
>>409
そう言う意味じゃないんです。
数学自体が閉じた観念の体系を持っている。
だから、閉じた系の外側へ何らかの意味を投影することは、
人間の偶像でしかない事を良く理解しているんです。

数学自体が神によって与えられていると言うのは、私も同意しますし、
反対する人はいないと思いますよ。
411名無しさん@3周年:04/12/04 04:37:52 ID:pLW/OfnV
>399
>生命すべて宇宙まるごと一体つう後期大乗仏教からみると、三位だけの一体はまだまだ
>ということになるんじゃないかい。

南都六宗の一派、三論宗の中山法元師の著書「天啓と自覚」116-117頁をご覧下さい。
「おぼろげながら三位一体の天啓の「かげ」を悟るのです」と中山師はお書きである。

中山師によれば、キリスト教の独自性は「三位一体神論」にあるとし仏教の接点として、
仏、法、僧の三位一体論を唱えておられる。

中山師の意見は平安仏教という多神教的仏教から、鎌倉仏教の徹底的唯一神教的仏教へと
教学が発展したものの、あと紙一重で「空」を越えられないもどかしさから来ています。
つまり仏教でさえ「三位一体神教的仏教」へと教学上脱皮しようかとしている現状にある
ということですよ。

仏教の高僧の中にも、私たち凡人とは異なり「真理」を追い求めている人がいるんだなーと感心しています。

▼結 論▲
「現代の小乗仏教から見ると、一位だけの一神はまだまだということになっています。」
「今後の仏教は、三位一体の仏教に進化し、益々キリスト教に接近するということです。」
412名無しさん@3周年:04/12/04 04:39:38 ID:pLW/OfnV
>>411
こちらを参考に >>399
413名無しさん@3周年:04/12/04 04:45:20 ID:pLW/OfnV
>>403
>ここで議論されているのは唯一絶対の神についてだ

このスレは「三位一体」と「第二位格」の神を扱っています。
もし「唯一絶対の神」を扱うなら 別スレでお願いします。


414名無しさん@3周年:04/12/04 10:42:39 ID:YwBHoAuu
>>413

> このスレは「三位一体」と「第二位格」の神を扱っています。

正しくは、「三位一体」 を扱うスレッドの、2スレッド目です。
4スレッド目が立つと、「第四位格」 になってしまうので、別の名前になるそうです。
415名無しさん@3周年:04/12/04 13:24:10 ID:pSYhZedf
>413
俺は別に「三位一体」を否定したわけじゃないよ。
「絶対者である三位一体の神」を説明する例としてもっと的確な
ものを出せと言ってるの。
416名無しさん@3周年:04/12/04 13:25:01 ID:pSYhZedf
まー無理なんだがW
417名無しさん@3周年:04/12/04 13:32:09 ID:8LTI0iOE
>答えてる方も間違いなく荒らし。

極めて心外です。
418名無しさん@3周年:04/12/05 07:16:29 ID:xvwzdIhD
■古事記の中にも三位一体の神の名前が書かれている。
 誰か調べてみたら。
419武庫川女子大学総長:04/12/05 07:31:55 ID:MP/GM+NA
古事記自体が「偽書」なのさ。
420名無しさん@3周年:04/12/05 13:49:08 ID:xvwzdIhD
>>419
真似したってこと。贋作?
421名無しさん@3周年:04/12/05 21:23:13 ID:lclSIAyD
>>414 なあるほど。
確かに、それひそかに心配していたんだよねぇ。
このスレ、第三位格までは問題ないのだけど、
四本目立ったら、名前どうするのかな?って。笑。

だって、四位一体なんて、それこそ異端だし。ww
422名無しさん@3周年:04/12/05 22:14:24 ID:8jR2jplQ
4世紀、5世紀、6世紀、・・・なら、21番目スレまでいけるかも。
22にもし、なるようならその時、考えればいいかも。
423名無しさん@3周年:04/12/06 12:58:43 ID:NJ2d2Y1L
>>414
「第四位格」 でも構いませんが

>>419-420
古事記は古いように見えてもしょせんカトリック成立後の書物なので影響受けて不思議ではありません。
424名無しさん@3周年:04/12/07 00:54:37 ID:Q5JlE2rK
来年は皇紀2665年になるが。
425名無し:04/12/13 00:03:58 ID:3VUSoOlb
♪聖なる御名あがめます
栄光と誉れ受けるべき方
聖なる主よ 手をあげ
偉大な御名を高く掲げます
イエスよ 偉大な神よ
しるしと不思議なされる方
イエスよ あなただけが主
ただ一人の主 大いなる神♪
426名無しさん@3周年:04/12/13 21:04:29 ID:gAON3qI3
神の本質(ウーシア)の人間理性からの超越性
神の働き(エネルゲイア)の被造世界への内在性、人間理性への自己開示

父は子を遣わす。  子は父を知らしめる。
子は霊を遣わす。  霊は父と子を知らしめる。

父は生まれざるもの。
子は父から生まれたもの。
霊は父(と子)から出たもの。

父は子におり、子は父のうちにいる。
父と子はひとつ。

子は造られたものではない。
霊は造られたものではない。

子は神の言、神の知恵、まことの光。
子は人となった。
子は、子を信じる者が死なぬため、十字架で死なれた。
子は、子を愛する者が生きるため、三日目に死からよみがえられた。
子は、子を愛する者たちに聖霊を注ぐため、弟子たちの面前で天に昇った。
子は、一人でも多くの者が主に立ち返るため、栄光を帯びて再臨する時まで、父の右の座につく。
子は、子を愛す者たちへの報いを与え、子を否む者たちを否むために、再臨される。
427名無しさん@3周年:04/12/13 21:06:10 ID:gAON3qI3
>>426

霊 -> 聖霊
428名無しさん@3周年:04/12/13 21:07:02 ID:KuI6bAZx
藻前ら、どーでもいいことで熱くなんなYO!
429名無し:04/12/13 22:18:44 ID:r4ypBag6

イエス・キリスト

我が主 我が神
430430:04/12/14 14:11:46 ID:Hztbx1Pr

唯一神としてのヤハウエ
神の分身としてのイエス
働きの聖霊
431名無しさん@3周年:04/12/15 06:19:18 ID:1kcXWwm3
■誰が分るか?

三位一体は ノンクリスチャンに わっかるかな〜 わかんないだろうな〜

そうか! 分ったら あなたも 立派な クリスチャン
432名無しさん@3周年:04/12/19 16:06:09 ID:BdsCc0Tx
■誰が分るか?

三位一体は ノンクリスチャンに わっかるかな〜 わかんないだろうな〜

そうか! 分ったら あなたも 立派な クリスチャン
---------------------

じゃ、神様とお付き合いするようになったら、キット神様が三位一体のお方だと
分るんですね。交際してみないと分らないですものね!


433名無しさん@3周年:04/12/19 16:56:22 ID:u+tgJud6
香ばしすぎ
434名無し:04/12/19 22:56:33 ID:9ps6HC46
三位一体はノンクリスチャンの方が分かると
思う。
435 ◆IbYG6dQTTc :04/12/19 22:59:01 ID:VQ5KbuMh
使徒行伝(使徒の働き) 28:25「聖霊が預言者イザヤを通して
あなたがたの先祖に語られたことは、まさにそのとおりでした。」
ヘブル3:7「 ですから、聖霊が言われるとおりです。」
(『聖書の教理』より)

ヘブル9:14「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、
どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」
この聖書箇所からウイリアム・ウッド師は、
「このヘブル人への手紙の箇所は聖霊の永遠性をはっきりと示しています。」
「この一箇所だけで、聖霊の神性は十分に裏付けられています。」と言っています。
聖霊の偏在性:詩篇139:7-10
聖霊の全知性:Iコリント2:10-11
聖霊は全能なる創造者:ヨブ33:4 詩篇104:30
聖霊は父と子と共に創造のわざに参加された。:創世記1:2 イザヤ40:12-14
創造者なる神に不可能なことは無い:エレミヤ32:17
聖霊は神の御業をなされる:ローマ8:11、IIペテロ1:21、ヨハネ3:5
IIコリント3:18、マタイ12:28
聖霊は教会に働かれる:ヨハネ16:13 ローマ8:14 使徒9:31 Iコリント12:21
聖霊のことばは神のことばとみなされている:エレミヤ31:33、ヘブル10:15-16
使徒28:26-27、詩篇95:7-21 ヘブル3:7-11
聖霊は神と呼ばれている:使徒5:3-4 IIコリント3:18
『「エホバの証人」の反三位一体に答える』いのちのことば社
436名無しさん@3周年:04/12/19 23:20:14 ID:e80d2p3+
三位一体はありませんよ。だってイエスは十字架に架かる前に、神にできるならこの受難をさらせてくださいといっている。イエス自身が神なら何故そう言うのでしょうか?
437名無しさん@3周年:04/12/19 23:31:14 ID:tgHmjCeQ
その箇所を最後まで読んでいないのですか?
イエスは父なる神の意思と自らの意思を一致させます。
父なる神の願いを自分の願いとします。
キリストのことばを聞いてください。

神が人となられた。それがキリスト・イエスです。
彼は体を持っています。
喉も渇きました。睡眠もとりました。食事もしました。
移動に際しては自分の足で歩くこともしました。
労働もしました。
怒りもされました。
大声も出されました。
涙も流されました。
憐れました。

私たち人間がどのような生を過ごしているのか
どんな苦しみと悩みのなかでうめいているのか。
神は人とおなじように体をまとい、その足で地に立ち、
我々と同じように、その目で人の世をご覧になった。
神との関係の壊れた人間が再び神との関係を取り戻し
神が与える神に似た姿を人のうちに形造るために、神は人となられた。
438名無しさん@3周年:04/12/19 23:33:07 ID:tgHmjCeQ
人が味わう苦しみを神も味わわれた。
それは、人から死を取り除くため。
そのためにキリストは来られた。人となられた。
439名無しさん@3周年:04/12/20 03:23:13 ID:NBVS+sgu
三位一体はノンクリスチャンの告白
440名無しさん@3周年:04/12/20 12:21:12 ID:47ncKL44
■三位一体が分る者は誰か?

前提:1)神は霊であるが、天使も霊である
   2)違いがないと神と天使を区別できない
   3) 神は天使を自分より劣るものとして創造された

結果:
@未信者=霊的に死んでいる =霊が区別できない=神と悪霊が区別できない
A信 者=霊的に新たに新れた=霊が区別できる =神と悪霊が区別できる

疑問:
自分はクリスチャンだと自称するが「神は三位一体じゃない」と主張する者たちがいるが?
彼らの主張は正しいのじゃないか?

回答:
いいや。間違っている。

理由:
@未信者は三位一体が分らない。それは霊的に死んでいるからである。
A現在、三位一体が分る信者も、かつては神が三位一体だとは分からなかった。
 だが、新たに生れる体験(新生体験)を経た後、神は三位一体であることが
 分るようになった。
B以上から、信者は、クリスチャンを自称しながら、三位一体の神が分らない
 者は「今だ新生していない者」、つまり「救われていない者」と見なす。

◎神は、霊を創造されるとき一位一体に創造された。それは三位一体の神と
 区別するためである。ハレルヤ、神の英知は!人はそれで神と悪霊とを
 区別できる。
441名無し:04/12/21 00:08:31 ID:rn1RQIrq
何を言っているんだか・・・
442名無しさん@3周年:04/12/21 21:05:24 ID:jHyhfn/t

神は1人でないんですか。
三人いるの?
443名無しさん@3周年:04/12/21 21:27:41 ID:7b/ZRcth
神父や牧師も含めて
ぶっちゃけ誰も分かってませんから( ´,_ゝ`)
444名無しさん@3周年:04/12/22 02:25:21 ID:wS5FdRv9
>>442
いいえ。神は人ではないから一人とか三人とか数えません。悪しからず。

>>443
いいえ。私の教会の信者は全員知っています。洗礼の条件なので。
最早、三位一体を信じる必要すらありません。なぜなら知っているからです。
誰も知っているものを信じたりしません。

あなたが分らない問題は皆が分らないというのは全くの僭越です。
だって学校時代にあなたが不得手な教会の問題を、他の多くのクラスメートが
いとも簡単に解いたでしょう!私たちは問題が解けるに違いないと最早信じる必要さえ
ありません。もう問題を一目見ただけで答えは自明だからです。あなたが誰も
解けるものかと言ったからと言って、事実は何も変わりません。

本当のクリスチャンというものは、霊的に盲目なあなたと違って神の問題の
多くに満点が取れますが、あなたは零点だというだけです。
445名無しさん@3周年:04/12/22 02:27:00 ID:wS5FdRv9
>>444
間違い修正

不得手な教会→不得手な教科
446名無しさん@3周年:04/12/22 02:33:21 ID:kRMoU0XE
妄想乙。
447名無しさん@3周年:04/12/22 05:34:09 ID:wS5FdRv9
>>446
 零点!
448処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/12/22 05:40:27 ID:zW3JtSui
「よくあなたがたに言っておくが、人の子らには、犯すどのような罪も、
神を冒涜するどのような冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊
を冒涜する者は、永遠に赦されず、永遠に罪ある者とされる」。

この解釈って難しいんだよな。
449処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/12/22 05:41:22 ID:zW3JtSui
この部分だけ取り上げて解釈しても分からないかも知れない。
つまり、どういう時にイエスがこの言葉を発したかってこと。
450名無しさん@3周年:04/12/22 13:42:25 ID:n0NAXX7M
>>444-445

なにムキになってんだか(藁
451名無しさん@3周年:04/12/22 13:50:25 ID:5yPWJ8IT
三位一体肯定派─┬─ 聖母マリアを含めてカルテットを肯定する派 (カトリック)
             │       │




三位一体否定派─┬─ エホバの証人
             ├─ コプト教
             ├─ ネストリウス派 (7世紀に景教として大流行)


「石川はウンコしないよ」みたいに立派な樹形図に育ててください。
452名無しさん@3周年:04/12/23 01:52:06 ID:Hm5WjbDz
        ぶっちゃけ               ありえなーい♪
 ,.-ァ'':::::!:::::::::'''ー=ニ-_;;::::ヽ;;::';ハ!     / .,r';::-‐ァ;i ;';;;:-'''""ニ=-、、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;'、
.r'r'゙:;r'::;:::!;:'ヾ''ー-;r'`ヽ ヾト;;';-:::::Z   ,'  .,'/ ./;;;;| ;/ "~~`ヽ   /!;;;;;;;;;;;;;;',
//::;'::::;':::|:!\\、,,!_  ,.-ニ'' '!、',‐-、 ,'     !;//r'`,' r'''='ヽ、   .''メ-、,!;;;;;;;;;;;;;;;!
リ|:::;:::::!::::!'、,.-'ー、,,__. ' i::;;;;) .レ,. ) ,'     ` ';;',.!,' ,.i;;;;;ノ   _,,,!   ';;;;;;;;;;;;;;'
 ';:::!:::|::::|r'ヽ,,.--    `‐'゙  ','、 ,'     ,,_:;;::|i  `'' ,   ,.::;;;,ヽ. ';;;;;;;;;/
  '|:::::;:::;'! / !:::;;;)  `,. '`、  .,!-、'!'ー、    / ir'、  r-、,,_ .i;;;;;lノ ' ,i;;;;;;;;!
  ノ!:::';::!::'、  `ニ-' ヾ、   ', /、 ヽヽ、ヽ   // \. i  ,/  `` ,.-'゙'''!;;;;;;'、
 '"`リ、:|';:!゙`ヽ、     ヽ、_,ノ/|',:', ..,.!::''ヽ,`,rr''"/  !:iヽ、,___,,,,. ァ'/、-;;'";;;;;;;;;`ー
,,、  ._>、''゙`ー-i'ー---;--─'  .!:i ,,:;!‐:::-', '!::::::!:;:, ';:', ,,.-''"-'/;;'//!;;r;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
 >'''"  `    ヽ,',  `ヽ、,,_,ノノ ,:;;/:::::::::::|::!:レ':'、:,  '、-‐'''" .,,.`,ゞ-'ヽ'i-、;;;;;;;;;;;;;
'"`ゝ   _,,.-r‐''" ヽ、:: :;: ,,:,,.. ;/::`''ー-ァ、!!';::::::'!、;::;..,, . .,;: ;:;;/、  .\ i;;;;;;;;ノ!;
 -=`、-''"  `、',.-'" `7''ー-‐''"::\::::::::::/ ,',`、:;::,':::::::`i‐-‐''i"::::::::\   \''" /
   ゝ     '、ヽ;::::::/::::::::;'::::::';::::::::`ヽ,/ / ',i|`、!、:::::::::!::::::::::';::::::::;;:-,>、   `ヾ;'
`" ``'!      >、ヽ/::::::::::;::::::::::';::::::;:-' >'  .!' ヾ、`ー-'--‐二',,.-‐"!',. '、 _,,,、,r-'
 ヽ、-'     ! ./`-、''-:::;;';;;;;;;;::::ヽ,,.-;"   !  '、``''''!'''"  ', ./ゝ '、 '、\ ヾ
   ,ゝ     '、!   ``7'ー--‐''"  `ヽ--'    \  '、   ! ソ,彡! .! /'"ヽ
453名無しさん@3周年:04/12/24 21:37:34 ID:aJcQwzz8
>>448
うろ覚えで恐縮だが、「人の子に逆らう言葉を口にする者」とは、
神的なものの存在や聖さは承認するが、聖言を字義のみで解釈した結果誤謬に陥り、
(というか、字義のみではどうしても誤謬に陥らざるを得ない)
本人は基本的に善性を持っているのだが、確認した誤謬を振りかざして
結果的に悪や誤謬を説いたり行ったりしている者のことを言う。

確かそんな感じだったと思う。しかし確実ではないので間違っているかもしれない。

で、マタイ12:13には「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます」、とあるが、
ここでいう冒涜(罪?)とは、聖言を知らない者、神を知らない者(無宗教者がその典型)が陥る誤謬、
つまり無宗教者らしく、無知や勘違いから神の存在を否定したり、あるいは神は邪悪であるなどと勘違いすること。
そこから神的なものへの敵意、憎悪をいだくこと、更にはそこから宗教そのものへの否定がある。
まあ、だいたいこんなもんかな(間違ってるかも)。もちろん無宗教っつーても、
真の宗教、真理を見極めようとして今は外野から様子見のまともな人もいるだろう。

よーするに、「そーとは知りませんですた・・・」ってこと。
2chの宗教板にはなんと神を罵る声、冒涜の叫びに満ち溢れていることか(爆)
それでもおおむねスズメがチュンチュン鳴いてるようなもの。可愛いもんですよ。

聖言を知らない者に聖言を冒涜することはできない。神を知らない者に神を冒涜することはできない。
真理を知らない者に真理を冒涜することはできない。無知から来る冒涜(罪)は、本人には責任がないということ。
といっても、知らないから(ヤバい意味での、致命的な)冒涜をしないですむとは言っても
良いことではないのは確か。そこから誤謬を導き出し、悪へと己を導く可能性を常に孕んでいる。
でも真実を知るのに耐えられないのなら、今のままがいい。

つまり、神を知っている者はそれゆえ神を冒涜する可能性がある、と言うことができる。
冒涜してしまうくらいなら、何も知らない方がいい。無知の冒涜や罵りは冒涜といえどもまだ罪が軽い。
(マルコ4:10-12参)
454名無しさん@3周年:04/12/24 21:44:58 ID:aJcQwzz8
さて問題は、「聖霊に逆らう者」、つまり聖霊冒涜だ。
これだけはどうあっても赦されない、つまり救われないとある。
この冒涜は、聖霊(聖言)の聖さを知っている者、すなわち教会内の人間によって行われる。
この冒涜はヤバい。

では、そもそも冒涜とは何であろうか?
冒涜といっても様々な冒涜があり、あるいはその冒涜の度合いによって忌まわしさの違いがある。
これらをここで詳細に説明することは不可能だ。私がまだまだ初学で未熟であるということもあるが、
仮に完璧に説明できたとしても、ていうかそれをしようとすれば一冊の本になりかねないし、
だいたい2chで真実を語るには限度がありますわいw

ただ簡単に言えば、冒涜とは善と悪を混合(結合)してしまうこと。
あるいは己の悪の欲念や誤謬を正当化するために本来聖いはずの善や真理を悪用し、さも己は善人の如く振る舞うこと。
こうして彼らは神的なものの聖さを、口先のみでは承認するが実際には粉々に破壊してしまう。
なんとも忌まわしきことだ。

これだけでは分からんかな、とにかく今はこれ以上はご勘弁を。
あ、そうそう、そういえばここの宗教板にも一匹おりますな。どうしようもないのが。
懲りもせずにまたスレを立てて一人で舞い上がっているようだがw
お宅はつきあいがいいというか、親切というか、よくまあ相手を続けられるね。
俺はもうアホらしいから放置プレイで好きなようにほざかせることにしたよ。

そもそもアレを調教する義務など無い。
だいたい小生も他にやることがいくらでもあるし、あなたもそうでしょう。
豚には残飯がよく似合う。いくら真珠を与えても無駄無駄。
まあ相手をするしないは自由だけど。
455名無しさん@3周年:04/12/24 21:52:48 ID:aJcQwzz8
三位一体に話を戻すと、現今の主要な教会ではいわゆる正統説(という名の誤謬)
しか教えていないのだから他に知りようがない。三人格(三位格)の三一性しか知らないのだから、
それしか主張することができない。そんな彼らを攻撃してもしょうがない。
(薄々おかしいと思っている人はたくさんいるだろうが)

しかしそうは言っても古い神殿はあますことなく壊されねばならず(マルコ13:1)
いつか必ず「たとえでなく父についてはっきりと告げる時が来る」(ヨハネ16:25)
つまり主の神的慈悲により譬えの真意(聖言の内意)が啓示される時が来ると約束され、
ゆえに、「見よ、私は全てを新しくする」と主は宣言され(黙21:5)
その日には、主ひとり、その名一つのみとなる(ゼカリヤ14:9)

そして宴会には貧乏人、不具、足なえ、盲人などを連れてこなければならないわけで(ルカ14:12)
新しいエルサレムの主要構成員はラザロみたいな連中なわけで(ルカ16:19以下)
(ラザロとは、これまたうろ覚えだが、気質はよいが無知で苦しむ異邦人のこと、だいたいそんなとこだ)

よーするにその気があるのなら客寄せはあんたがやれよ、新しい教義を学んで(笑い)
ショッカーの、もといベルゼバブの工作員なんざ相手にするよりもずっと崇高なお仕事ですよ。
あっしは火中の栗を敢えて拾う義侠心なんぞ本来ありません。
つか、めんどくさいだけなんだがw やらない? あ、そうですか・・・

とにかくこれはもはやここで語るべきことではないのだろうな。
(今書いた内容も限界ギリギリだよ。つーか364-369は完全にオーバーフロー?)

2ch遊びもほどほどにせんと。
とはいえROMはたぶん続けるけどね。
456処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/12/26 03:13:20 ID:8xw4HvVV
この話、なかなか面白いね。

「ベルゼブル」は本来古いシリヤの神の名であり、「ベエル・ゼブール」、すなわち「家(神殿)の主人」の
意味であったが、イスラエル人はこれを嘲って「バール・ゼブーブ」(蝿の神)と呼び、次第に悪魔を指す
名として用いられるようになったものである。宗教当局者はイエスをこの「ベルゼブル」、すなわち悪魔に
取りつかれていると判定した。神の律法を冒涜する者がどうして神の霊を持つ者であろうか。彼が奇跡を
行うとしても、それは悪霊どもの頭が行う奇跡にすぎない、という判定である。ところがイエスは、彼らが
「ベルゼブル」という悪魔の名を用いたのを逆手にとって、これをアラム語の「ベエル」(主)とヘブライ語の
「ゼブール」(住居)とに分解し、内輪で争う家や国の譬を用いられる。
457名無しさん@3周年:04/12/26 21:07:31 ID:+MXLHTc4
>>455
>三位一体に話を戻すと、現今の主要な教会ではいわゆる正統説(という名の誤謬)
>しか教えていないのだから他に知りようがない。三人格(三位格)の三一性しか知らないのだから、
>それしか主張することができない。そんな彼らを攻撃してもしょうがない。
>(薄々おかしいと思っている人はたくさんいるだろうが)

あなたは統一教会、エホバの証人、モルモン教、いづれかの信者ですか?

>いわゆる正統説(という名の誤謬)

このあたりを詳しく語っていただけますか?
あなたは、父と子と聖霊をどのように理解していますか?
458処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/12/27 07:33:21 ID:15ppuCJy
イエスが「聖霊」というものの内なる働きを重要視して
いた、という福音書の記述を疑わなければならない特別
な理由は何もないわけだな。読んでいれば、イエスの信
仰の具体的内容の何たるかは、その人の信仰の度合いに
応じて自ずと理解されるだろう。それを「三位一体以外
は異端」と機械的に排除してしまうと、肝心の福音書の
イエスのありのままの教えが置き去りにされて、抽象的
な神学論争に陥ってしまうの弊は全くないとは言えない
だろうな。
459処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/12/27 08:45:14 ID:15ppuCJy
型にはまった信仰生活をしていないと、自分が道を踏み外している
んじゃないかって不安は常に付き纏うものだ。そういう時、ある種
の現象が生じると、取り敢えずは今のままで間違ってはいないのだ
という軽い安堵を感じる、ということは俺にも時々ある。
460名無し:04/12/29 23:04:30 ID:xnoSStf/
「子は父から生まれたもの。」
とはどういう意味?
461名無しさん@3周年:04/12/31 23:53:44 ID:Y6GAj5ZQ
>>457
残念だね。私がその3つのいずれかに属していたなら話は簡単であったろうに。
誠に残念ながらその3つと私は一切関わりはない。何の影響も受けていない。
いやー残念w

正統説にケチをつけるならお前はどう考えているのか見解を述べよ。
とのたまうのはもっともなこと。まあ多少は述べたんだけど、
あれ以上は、というか申し訳ないが370はここには書けんよ、現段階では。
ちゃんと書いて用意はしたが、自主検閲、全文カット。
(しかし相当なヒントは与えているはずなんだが)

卑怯者め、逃げるのか? ホントは何も知らないんだろ、この異端者!
と言いたいのなら好きにしてくれ。

ただしこれだけは言っておこう。455に書いたように、
「もはやたとえでは話さないで、父についてはっきりと告げる時が来ます」(ヨハネ16:25)
と主御自身が明言された事実は動かしようがないものだ。これは必ず成就する。その時が来る。
いや・・・・・・それ以上は言うまい、今は。



どなたか460の問いに答えてやってはどうかな。
正統派を自負する博学なお方はたくさんいるだろうから。

私はどうせ異端らしいからねw
462名無しさん@3周年:05/01/01 00:29:04 ID:2nroSFjB
>>461

からっぽ。
内容なし。
スカスカ。
463名無しさん@3周年:05/01/01 00:42:30 ID:2nroSFjB
ユテニリアンか。
いずれにしても不信仰者。
464名無しさん@3周年:05/01/06 00:03:21 ID:wkH3039v
気まずい時
 気まずい時

J-Bibleが Jesus-Only Bibleの略だと知った時

 J-Bibleが Jesus-Only Bibleの略だと知った時
465名無しさん@3周年:05/01/06 01:23:23 ID:hf3L8pMq
聖書だ福音書だと言っているうちはカスだな。
そんなもん解釈次第でどうにでもなる。2千年も同じことやってよく飽きないな。
自分の神を自分の言葉で語れ!
466名無しさん@3周年:05/01/06 15:38:00 ID:Tqtc73QR
神は理性をこえているから「神は多にして一つである」という
非合理性はおそらく個人の理解の範囲では許される表現だろう。

しかし、それを人に向かってそれは「多にして一つである」
という考えではないからだめだ、と発言したらどうなるだろうか?

おそらくここの矛盾から、多くの矛盾する主張が発生し、人を支配すること
が始まるのではなかろうか?あるときには「Aだ」といい、別の時のは「Aでない」
といって、都合よく人を支配する悪意が発生するのではなかろうか?
467処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :05/01/06 15:46:49 ID:fL3K1ziN
>>465
自分の神を自分の言葉で語ることを、人類は二千年繰り返して
来たんだろ。次の二千年も同じことを続けるだろう。
468名無しさん@3周年:05/01/06 16:30:58 ID:vpIq6QDB
>>465
人生に疲れた者は思考停止して一切をなにかにゆだねたくなるんじゃないの?
アルフクを見てるとそう思うw
469名無しさん@3周年:05/01/06 22:24:45 ID:et6SdU0p
全知全能であるがゆえに矛盾律に拘束されない、ということでよろしいか?
470名無しさん@3周年:05/01/06 22:26:53 ID:yYYBUNy6
君も日蓮正宗葵講に入らないか!?
--------- --------------
       ∨ 
    ビシッ / ̄ ̄ ̄ ̄\
    / ̄\( 葵講総講頭_)     
  , ┤    ト|ミ/  ー◎-◎-)    
 |  \_/  ヽ    (_ _) )   
 |   __( ̄ |∴ノ  3 ノ    
 |    __)_ノ ヽ     ノ    
 ヽ___) ノ    ))   ヽ.

ホモに興味がある人は今すぐここへ急げ!
http://shizu.0000.jp/read.php/shizuoka/1101527275/l50
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1104489978/l50
471三位一体の定義:05/01/09 16:22:09 ID:Q2GqHsoq
どうもワンネスで荒らしとみなされてしまった。どうやら
自分はインターネット上のあいまいな三位一体の説明を見て
混乱していたようである。

例えば、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%98%E6%85%8B%E8%AB%96

では「父・子・聖霊の三位格をそれぞれ自立した存在と解する三位一体論」
とあって、「自立した」ということで、疑問が生じた。どこで、「まったく
独立した」とまで見た。これらは、すべて誤解をまねきやすいものであり、
自分は誤解をしていたようである。
472三位一体の定義:05/01/09 16:26:07 ID:Q2GqHsoq
以下がおそらくもっと正確な定義であるようだ。

「神の統一性の
中に,ひとつの本質,力,永遠性をもつ三つの位格がある.すなわち,父な
る神,子なる神,聖霊なる神である.み父は何からでもなく,生まれもせず,
出もしない.み子は永遠にみ父から生まれる.聖霊は永遠にみ父とみ子とか
ら出る」(「ウェストミンスター信仰告白」2:3).「神の統一性」とは,
聖書の神があくまで唯一の存在であることを示している.

http://www.aguro.jp/file/i/icdeml08sample.htm
473名無しさん@3周年:05/01/09 16:29:11 ID:Q2GqHsoq
>>472
み子は永遠にみ父から生まれる.聖霊は永遠にみ父とみ子とか
ら出る

とあるのだから、三位一体が「3つの完全な独立」を主張するものでは
なかったのである。
474名無しさん@3周年:05/01/09 16:53:14 ID:t0u9WuTZ
>ID:Q2GqHsoq

一人相撲。
475名無しさん@3周年:05/01/09 16:54:20 ID:t0u9WuTZ
聖書を読み、祈ること。
476名無しさん@3周年:05/01/09 16:54:51 ID:t0u9WuTZ
神を讃えること。
477名無しさん@3周年:05/01/09 16:59:43 ID:Q2GqHsoq
どうも、スミマセン。

通う一定の教会を決めていない上に、
普段は仕事でとても忙しいので、いいかげんな
ネットの説明でまにあわせてしまったところから
間違いが始まったようです。

>>475
そのとおりですね。自分はまだまだ。
478名無しさん@3周年:05/01/10 02:32:26 ID:jT+NZHcI
次のサイトによると

http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda2/31mffugSFSqyE22844.htm

サベリウスの教えなど、「神は本質的に一体であるが、人間を扱うために異なる形態をとって現れた」
とあるけど、このどこが問題なのかがはっきりしない。

三位一体で述べられる「位格」の定義がはっきりしない、そしてそれは「形態」とどう違うのだろう?
479名無しさん@3周年:05/01/10 02:35:25 ID:jT+NZHcI
位格はやはり父なる性質、子なる性質、等によって区別されるのだから、形態によって
区別されるはず。それなら、「位格」の区別も「形態」の区別も同じだということになりはしない?

場合によってはAであり、場合によってはBである、とすれば三位一体に反するけど、
「まったく同時にA形態でもあり、B形態でもあり、C形態でもある」とすれば完全に
三位一体と一致するのではない?
480名無し:05/01/12 23:33:03 ID:FkpSrpPK
三位一体とは、私自身は見えない存在(父)だが、この
世における私の姿(子)は私を現わしているという意味。
「私を見た者は父を見たのだ。」
人間もその心こそが本質であり、私の身体を愛してくれる
より私の心を愛して欲しいと思うようなもの。

父なる神の栄光のうちに、アーメン。
481お婆ちゃん:05/01/15 23:51:57 ID:d3UF5R5m
>>471-473
あんたは偉い。よく分かったね。
誰も誉めないけど、お婆ちゃんは誉めてあげる。
三位一体の神様を前提に父なる神様に向かっていきなさい。
ワンネスの住人もきっと歓迎するだろうよ。
482昨日の者:05/01/27 01:02:49 ID:jNhqQGAV
>>471-473
はい。歓迎します。
483名無しさん@3周年:05/02/08 04:13:42 ID:iFQi/CU2
神様は幾つに見えますか?みなさん。
484名無しさん@3周年:05/02/08 12:30:11 ID:R0LyIY05
>>483

みっつが正解らすぃ。。。 ひとつだとヤバィ。
485名無しさん@3周年:05/02/08 12:38:43 ID:DuS3NEft
見える時点でヤバイでしょ。妄想にとりつかれてる・・・w
486名無しさん@3周年:05/02/08 14:12:28 ID:R0LyIY05
>>483

そやけど... みっつやけど ひとつやなぃとアカンのやわぁ。。 ♪
487昨日の者:05/02/09 04:22:09 ID:kfiCfDFu
■神さん家族
私の知り合いの神という人のお話。
神さんのご主人はいつもカミサンの聖霊さんと手をつないで歩いている。
愛し合っているんですね。
その上、独り息子の耶蘇君が間に入って片手を父なる神、片手を聖霊さん
とつないで歩いています。
三人家族で愛し合っているんですよ。

ところで神さん家族を一人で見ることはありません。何時も三人一緒!
仲良く三人で行動しておられます。
お話を伺うと何でも神さんは「三人でひとつ」のザ神家だそうです。

なお三人一緒の時のチーム名は「主」(ヤーウエ)と言うそうです。

◎神さんの家は三人で一家族;三位一体!
488名無しさん@3周年:05/02/09 10:15:10 ID:r3IrSxew
>>487

ワンネスウォタ ウゼェ、、
489名無しさん@3周年:05/02/09 14:41:36 ID:kOCn5Wdc
■イエスチャンは嫌だ!!!

クリスチャンとは小アジアのアンテオケの町で外部の人たちから付けられた
いわゆる「あだ名」なんですね。

当時の信者は、口を開くと「キリスト様、キリスト様・・・。」としゃべってた。
それでキリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになりました。

ところが最近の変な信者は何だ!?

キリスト様とは全く呼ばず「イエス様、イエス様・・・」
あんたたちは何者だ?
それでもクリスチャンか?

あんたたちに相応しいあだ名をあげる。 イエスチャン

イエスチャンは嫌だ。キリストを否定してる!
490名無しさん@3周年:05/02/10 15:31:27 ID:kf2twrAF
位格の区別がおかしいことを示す例:

マタイ25の40「最も小さな者たちのひとりにしたのは私にしたのである」
(食べ物を与えたり渇きをいやしてくれたこと)

これは、最も小さな者たちのひとりとイエスが、ほどこされた対象
として同じであるといっている。

これは、三位一体という限られた範囲ではなく、もっと広く
「同じ」があてはまるということを意味する。だから、三位一体
より仏教の空の方が、イエスのこの言葉に近い。
491名無しさん@3周年:05/02/10 15:35:25 ID:kf2twrAF
ヨハネの福音書では、イエスを見たものは父をすでに見た
と少なくとも二回いっている。これは位格の浸透などといって
ごまかせることではない。

そして他方、イエスはやはり父と呼んでいることから区別
もある。

どうも、位格と本質で分けて考えるのは無理がある。
概念が間違っているんだろう。
492名無しさん@3周年:05/02/10 15:36:48 ID:ZsE3IFTY
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー










ぺっ:( ゚д゚)、ペッ
493名無しさん@3周年:05/02/10 15:55:51 ID:kf2twrAF
カトリックの教義は、異端の排除やローマ帝国との一体化
を通して形成されてきた、すなわち政治的なこの世の不純物
を混ぜたしろものになっている。

プロテスタントのこの不純物との混合をまぬが得れないだろう。
政治というこの世の不純物との結びつきが強固になってしまった
から。
494名無しさん@3周年:05/02/10 16:27:03 ID:dMnTK7/w
げろ
495名無しさん@3周年:05/02/10 16:27:06 ID:XTbTQOOl
>>493
童貞が知識だけで
玄人女と素人女について語っているような文だな( ´,_ゝ`)
496名無しさん@3周年:05/02/10 16:47:18 ID:dMnTK7/w
うんこ
497名無しさん@3周年:05/02/11 00:02:33 ID:zEpigYrr
>>495

内容について反論してくれ。
498名無しさん@3周年:05/02/11 00:58:42 ID:zEpigYrr
組織を統括するために、教理を固め、専門職の人間が聖書
の解釈を押し付け。概念化のフィルターをかける。
これがカトリックの堕落につながり、
教理に対して聖書をぶつける、プロテスタントの動きが
おこった。

しかし、プロテスタントの多く(全部ではない)は、
組織統括のための教理化=概念のフィルターに固まりつつあるのではないか。
499名無しさん@3周年:05/02/12 03:30:16 ID:WzbNFTKo
ワンネス神学とは・・・
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda2/31mffugSFSqyE22844.htm

正しいかい
500名無しさん@3周年:05/02/15 04:03:30 ID:cGzv6+8h
   ↑
 間違っています。
501立て看板:05/02/23 17:28:51 ID:0RkrY+n8
坐禅と見性 第十四章
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108144172/
一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。
一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。
看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。
昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。
腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。
清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。
大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。
わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。
502名無しさん@3周年:05/02/24 00:48:06 ID:CtICN7IA
マルチウゼエ
503名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 04:12:18 ID:goQi6ShW
三位って、
預言者イエスと神イエスとあと何?


504名無しさん@3周年:2005/04/19(火) 03:25:49 ID:u+Pr0Og7
三位一体のキリスト教が本来の一神教を逸脱して、三神教に傾斜している
事は明白である。神はお独りしかおられない、にも関わらずそれを三つの人格
に分割して、本質は一つであると無理無理な論理で説明をつけてきたのが、
二ケア公会議以降キリスト教、1700年間の歴史である。
もっと、普通に考えろよって感じだ!!人格が三つで本質一つだってどんなんだ!?
そんなの、簡単な数学論理だってみたせないっつーの。
聖書が言ってる父、子、聖霊というのは、神の霊と体、働きだって考えれば、
それになんの問題があるの?それでこそ神は独りだって説明つくでしょ。
なんか、神の中に愛の自他関係が成り立たないから三つの人格が必要だとかって
もっともらしく書いてる、どアホな神学者の先生方もいらっしゃるようだが、
人間の側から図って適当なこといってんじゃね〜。神の愛って何かを本質
的に考えりゃ、そんなアホな論理は導かれませんよ。本来の旧約の神様
はどうなるのよ?
三神教を肯定するような三位一体こそ誤謬だ!論理的に完全な説明がつけられ
から、ユニテラリズムなどを異端と否定しなさい。
そういったら、「論理ではなく、信仰です。」って!?アホも休み休みに
言いなさいよ。じゃああんたらの信仰って何よ?人間が作った伝統の三位一体
を無理無理に正当化することが信仰ですが、唯一神の論理も破綻するのに。
そういうのって、信仰じゃなくて単なる「洗脳」っていいうのよ、要は信仰だから
考えるなととかっていうから、アホな新興宗教が現れてるし、キリスト教だって
殺戮の歴史を持ってるでしょ。人間は合理的に考えて理解してから善こうするのが
宗教の本質。それを持たない宗教は宗教ではない、はっきり言おうそれは、
愚かしい魔術だ。
以上。
505名無しさん@3周年:2005/04/20(水) 20:06:53 ID:uwCFMmAt
三位一体なんて聖書に書いてないよ。イエスも言ってない。後の人が作ったんだよ。
http://www.watchtower.org/languages/japanese/library/w/2002/5/15/article_02.htm
506名無しさん@3周年:2005/04/20(水) 20:09:37 ID:34fAJDgf
父なる神と、子なる神、聖霊がラーメン屋に行きました。
ラーメン屋のメニューは、塩・味噌・醤油です。

同一本質だから同じものを注文すのかな?
位格が違うからそれぞれ違うものを注文するのかな?
507名無しさん@3周年:2005/04/20(水) 21:13:15 ID:jMjYIyeq
論争せずに愛し合いなさい。これが主のご命令です。
508立て看板:2005/06/07(火) 19:25:29 ID:hTjoIJl0
509220:2005/06/07(火) 23:46:16 ID:zNj6lr5M
>>505
> 論理的に考えて住まいもお持ちです。聖書は霊の領域に言及して,天は神の「住まわれる定まった場所」であると述べています。(列王第一 8:43)
この一文もヘンですね?
神が一番初めに存在していたので、天は神が創ったものと考えなくてはいけません。
始めに天が無かったとすると神の存在する場所も無くなるわけです。
そう考えると天自体も神の一部と考えなくてはいけません。
510名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 19:00:16 ID:GeLyXue3
>>504 正解。
511名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 21:32:42 ID:lbaZxqWW
キリストは神ではない
512220:2005/06/09(木) 22:08:01 ID:8KqrBLJX
>>504
> 神の中に愛の自他関係が成り立たないから三つの人格が必要だとかって
> もっともらしく書いてる、どアホな神学者の先生方もいらっしゃるようだが、
> 人間の側から図って適当なこといってんじゃね〜。
愛は、愛する相手がいないと成り立たない存在(感情)ですから、そういう理論に仕立てたのでしょう・・・
513220:2005/06/30(木) 22:05:40 ID:xji/c3lc
新約でキリストはエホバ(ヤハウェ)を上位としています。
「父はわたしよりも偉大な方だからである。」(ヨハネ 14:28)
とハッキリ言い切ってます。
新約を曲解しないのであれば三位一体は間違いですよ。
514名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:13:03 ID:Oc/IVaDh
ヨハネによる福音書1章 1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

コロサイの信徒への手紙1章 15 御子は、見えない神の姿であり すべてのものが造られる前に生まれた方です。
16 天にあるものも地にあるものも 見えるものも見えないものも 王座も主権も 支配も権威も
 万物は御子において造られたからです。つまり 万物は御子によって 御子のために造られました。

Tコリント12章 3 ですから 私は あなたがたに次のことを教えておきます。
 神の御霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ。」と言わず また
 聖霊によるのでなければ だれも「イエスは主です。」と言うことはできません。
4 さて 御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが 御霊は同じ御霊です。
5 奉仕にはいろいろの種類がありますが 主は同じ主です。
6 働きにはいろいろの種類がありますが 神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

エフェソの信徒への手紙4章 4 体は一つ 霊は一つです。それは あなたがたが
 一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
5 主は一人 信仰は一つ 洗礼は一つ
6 すべてのものの父である神は唯一であって すべてのものの上にあり
 すべてのものを通して働き すべてのものの内におられます。

フィリピの信徒への手紙2章
11 すべての舌が 「イエス・キリストは主である」と公に宣べて 父である神をたたえるのです。

コロサイの信徒への手紙3章 16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。
 知恵を尽くして互いに教え 諭し合い 詩編と賛歌と霊的な歌により
 感謝して心から神をほめたたえなさい。
17 そして 何を話すにせよ 行うにせよ すべてを主イエスの名によって行い
 イエスによって 父である神に感謝しなさい。

フィリピの信徒への手紙3章 20 しかし わたしたちの本国は天にあります。
 そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを わたしたちは待っています。
515名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:16:04 ID:Oc/IVaDh
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
父である神は唯一・
言は神・御子は、見えない神。イエス・キリストは主
神の御霊

同じ神・神は唯一・主は同じ主、主は一人

??? 三位一体で無いの ???
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
父なる神(創造主)
 ↓
神として「神の子」が生まれる(創造主)
 ↓
天地創造(被造物)
 ↓
聖霊により人間マリアから人の子[人間]として「神の子」生まれる。
 ↓
先駆−洗礼者ヨハネによる洗礼によって人間の罪を償う贖罪の子羊としての
「神の子」の啓示を受ける。
 ↓
受難−十字架−復活−昇天により神の子イエス・キリストが
父なる神の右に座し人間に対する天に国籍ある者の「王」となる。
 ↓
聖霊降臨により地上にキリスト教会が成立する。
教会(キリスト教徒の集会)の頭としての[人の子]イエス・キリスト。
516名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:16:41 ID:Oc/IVaDh
唯一の神の父から神の子(言)が生まれる
 ↑
イエス・キリストである主(神の子(言))が世界を作る(キリストの名を通して父なる神を賛美)
 ↑
神の霊(聖霊)によるので無いと神の子が同じ一人の主と言えない(信仰を告白)
 ↑
神の子は、天では王で、地上の教会では頭(礼拝で賛美し感謝する)
 ↑
キリストの弟子や使徒の集会が祈っていると、聖霊が降臨してキリスト教会が生まれた
517名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:20:56 ID:Oc/IVaDh
創世記1章
1 初めに、神は天地を創造された。
2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
6 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
7 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
8 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
9 神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
11 神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を
、地に芽生えさせよ。」そのようになった。
12 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と
、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
13 夕べがあり、朝があった。第三の日である。
14 神は言われた。「天の大空に光る物があって
、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。
15 天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。
16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
17 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、
18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
19 夕べがあり、朝があった。第四の日である。
518名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:29:36 ID:Xt69yMPi
5000円以下で、三位一体論の素人向け解説本は有りませんかね?
519名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:34:02 ID:Oc/IVaDh
2ちゃんなど掲示板やキリスト教会の解説のHPに
正教会の勉強会・聖公会の諸信条成立テキスト・カトリックのカテキズム・古代教父の本など、
いろいろな勉強の断片の集大成だからな。

520名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:36:11 ID:Oc/IVaDh
新約聖書・マルコの福音書12章
26 それに、死人がよみがえることについては
、モーセの書にある柴の個所で、神がモーセにどう語られたか
、あなたがたは読んだことがないのですか
。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。
27 神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です
。あなたがたはたいへんな思い違いをしています。」

旧約聖書・出エジプト3章
13 モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます
。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば
、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」
14 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた
。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が
、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」
15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神
、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私をあなたがたのところに遣わされた
、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。
521名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:39:01 ID:Oc/IVaDh
【 ニケヤ・コンスタンチノポリス信経 】
われ信ず 一つの神 父 全能者 天と地 見ゆると見えざる万物を造りしシュを
また信ず 一つのシュ イイスス・ハリストスかみのドクセイの子
よろずヨのサキに父より生まれ 光よりの光 まことの神よりのまことの神
生まれし者にて造られしに非ず 父と一体にして ばんぶつ彼に造られ
我ら人々のため また我らの救いのために天よりくだり
せいしん及び童貞じょマリヤより 身を取りヒトとなり
我らのためにポンティイ・ピラトのとき十字架にクギうたれ 苦しみを受け葬られ
ダイサンジツに聖書にカナいて復活し 天に昇り 父の右に坐し
光栄をあらわして 生ける者と死せし者とを審判する為に
またきたり そのクニ終わりなからんを
また信ず せいしん シュ いのちを施す者 父よりいで
父および子と共に拝まれ ほめられ 預言者をもって かつて言いしを
また信ず「一つ」の「聖」なる「おおやけ」なる「使徒」の教会を
われ認む 一つの洗礼 もってツミの赦しをウるを
われ望む 死者の復活 ならびにライセのイノチを アミン

http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/nicene1.htm
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/nikekon.html
522220:2005/06/30(木) 22:39:26 ID:xji/c3lc
三位一体としたい理由は一つです。
キリスト教の神(キリスト)が
ユダヤ教の神(エホバ=ヤハウェ)より下位に見られたくないだけです。
人間のエゴによるものです。
523名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:43:59 ID:Xt69yMPi
>>522
キリスト論の発生 ニケヤ信条からカルケンド信条まで
竹森 満佐一
山本 菊子
全国連合長老会

と言うのを見ると、そう簡単な話ではないわな。
524名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:45:25 ID:Oc/IVaDh
いえ、細かく言うと違います。

>521 のように

父は 唯一の神
子は 唯一の主(キリストの神ではなく、「父なる神」の子)
神の子・イエスはキリストで主、と告白させる「神の霊」
これを
三位一体(の、神のあり方)といった。
525名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 22:48:12 ID:Xt69yMPi
>>523
その小冊子をみると
アリウスさんの説は強力な説得力があった見たいだし。

このアリウスさんの説を調べると面白いかも。。。。
526220:2005/06/30(木) 22:52:12 ID:xji/c3lc
>>523
それ以外の理由を聖書から説明できますか?
527名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 23:02:37 ID:Oc/IVaDh
細かく言うと。

>>521 のように

父は 唯一の神
子は 唯一の主(キリストの神ではなく、「父なる神」の子)
神の子・イエスはキリストで主、と告白させる「神の霊」
これを
三位一体(の、神のあり方「神の位格」)といった。

神の本質としては、同等・同一の本質(ホモ[同等・同一]+ウシオス[本質])。

神が三人ではなく
アリウス???異端説: 一神(父)と一人(子)と一霊(聖霊)でもない。
サベリオス異端説__: 一人が三変化(父から子に、子から聖霊に)したのでもない。
アポリナリオス異端説: 霊が聖霊(父なる神)で魂と体が動物である人間がキリスト−イエス。

父なる神___: 霊も魂も体もある神
神の子____: 神の言葉(ロゴス)が人間の肉の形を取った(受肉:人間となって生まれた。の意味)
神の霊(聖霊): 霊だけで体や魂が無いが、複数の人間に神の権能を働きかける。
528名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 23:02:41 ID:Xt69yMPi
>>526
聖書には「同一本質」という考えが無いはずだよ。

キリスト教が ユダヤ世界から ヘレニズム世界 を経て
ギリシャ世界に 広まった時に出てきた考えなんだよ。

それと「出発」という考え方も聖書には無いと思うよ。
529名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 23:09:12 ID:Xt69yMPi
>>528
>それと「出発」という考え方も聖書には無いと思うよ。
この一行を 削除します。

考えながら書いていので 途中で書き直ことがあるから
不要な文が残ることがあるのよ。
530名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 23:10:49 ID:Oc/IVaDh
われ思う、ゆえにわれあり(コギト・エルゴ・スム)なぁんだ。
531名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 23:15:39 ID:Oc/IVaDh
530.誤爆。
532220:2005/06/30(木) 23:25:54 ID:xji/c3lc
三位だけって聖書に書いてあるのでしょうか?
四位、五位・・・かも知れません。
三位ってだれが決めたのでしょうね・・・?
重要事項について「あっ!スミマセン言い忘れてましたw」では済ませれません。
533名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 06:17:57 ID:6SMzuiYZ
>993

>そのような意味の制限が、聖書のどこに書いてありますか。
>何を基準として「完璧」と判断するのですか。人間の善も悪も、神が与えた
>ものですよ。

マタイ19章
17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良い(善な)ことについて、わたしに尋ねるのですか。
 良い(善な)方は、ひとり(神)だけです。
 もし、いのち(命)にはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」

ヨハネ福音書5章
29 善を行なった者は、よみがえっていのち(命)を受け
、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。

ローマ8章
7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。
 それは神の律法に服従しません。いや、服従できない(完璧にこなせない)のです。

マタイ5章
36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは
、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。

---------------------------------------------------------------------
>>996
>罪とするのか、罪とはなんぞやの論議から始まるんだろ!!!

ローマ3章
20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。
 律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
534名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 06:18:34 ID:6SMzuiYZ
>993

>天国や地獄を持ち出すのは、甘言と脅迫ではありませんか。

新約聖書・ルカ16章
23 その金持ちは、ハデス(陰府、あるいは地獄)で苦しみながら目を上げると
、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
ルカ23章
43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう
、わたしとともにパラダイス(天国)にいます。」

---------------------------------------------------------------------
>>995
>キリスト教は、少なくとも旧約の神には反しているということですね。

旧約聖書・エレミヤ書31章
31 見よ。その日が来る。――主の御告げ。――
 その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
535名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 10:56:21 ID:SuBdxm7n
>>533
>>罪とするのか、罪とはなんぞやの論議から始まるんだろ!!!
>ローマ3章
>20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。
>律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

律法は、ユダヤ人にだけ与えられている。
と言う事は、異邦人には、罪の意識は生じない。
よって異邦人には、罪が無い。
536名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 11:05:49 ID:SuBdxm7n
それと エレミヤの新しい契約では、
宣教を否定している。
と言う事は、キリスト教的には、再臨後でないの?

素直に読めば、いわゆる包括主義的なんじゃない 
エレミヤ 31:34
そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。
彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。
わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
537名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 11:12:57 ID:SuBdxm7n
パウロが言っている「罪」は、
ユダヤ人にだけ与えられた、成文律法なのか?
エレミヤの心に書かれた心に書かれた、律法なのか?
538名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 11:15:55 ID:SuBdxm7n
律法から生じる「罪」と、いわゆる「原罪」との
関係を整理しないと・・・・・・
539名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 11:19:51 ID:SuBdxm7n
>ヨハネ福音書5章
>29 善を行なった者は、よみがえっていのち(命)を受け
>、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。

この 「善を行う」となにか?「悪行う」とはなにか?
540名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 11:22:41 ID:SuBdxm7n
>43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう
>、わたしとともにパラダイス(天国)にいます。」

これ、イエスと共に十字架に掛かっている事が
「パラダイス」に居る、って事だと思うよ。
541名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 11:27:29 ID:SuBdxm7n
イエすと共に十字架に、掛けられた者が
一人は、パラダイスにいる。
もう一人は、パラダイスに居ない。

ということは、空間移動ではない、と言う事です。
542名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 11:28:54 ID:3stDzxmC
543名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 11:35:41 ID:SuBdxm7n
とうぜん預言者を自称するなら
その人は、神の会議に招かれているのだろうね。

エレミヤ
23:18 誰が主の会議に立ち
また、その言葉を見聞きしたか。
誰が耳を傾けて、その言葉を聞いたか
544名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 11:40:10 ID:SuBdxm7n
神の会議に招かれていないのなら
大変な事になるようだ。

エレミヤ
23:22 もし、彼らがわたしの会議に立ったのなら
わが民にわたしの言葉を聞かせ
彼らの悪い道、悪の行いから
帰らせることができたであろう。
545ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 14:06:57 ID:ZzRaXd/V
>>541
SuBdxm7n さん。
あなたとは話が合いそうな気がします。
546名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 19:49:31 ID:PvsY3oLW
>535
>と言う事は、異邦人には、罪の意識は生じない。
>よって異邦人には、罪が無い。
 罪を犯しても、反省が無い。罪を犯したと言う認識が無い
 泥棒をした・無銭飲食した。他人に注意されたが反省し無い。しかも犯罪をした意識が無い。
 南の島の人間たちがバナナやヤシの木の実を取って食べたぐらいの感覚。
 なんか悪い事したっけっか。というバックレた感覚の人間。

 所有権とか他人が栽培した物・料理した物を、勝手に取って食べてはいけない。という
 感覚が無い。道徳とか対価が生じるとか頭に無い。つまり、罪の自覚が生じて無い。正しくない。


>536
>エレミヤ 31:34
>そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。
 ええ、御霊によって知っていればミサや礼拝で「主を知れ」と唱える文を知りません。
 聖書朗読や説教の引用で、この箇所を読むのを除けば。

>彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。
 幼子とか未熟で固い食べ物を食べられない信者と喩えられているパウロの手紙や
 ヘブライ書などでは、小さい者(信仰の浅い者とか)も
 大きい者(教師として神の前に人一倍厳しい裁きを受ける)ものも
「神の子キリスト・イエスを、主と知っています。」アーメン。

>わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
 十字架の贖罪に通じますね。キリストを信じれば悪を赦し、罪を心に留める事はない。
547名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 19:51:48 ID:PvsY3oLW
>537
>ユダヤ人にだけ与えられた、成文律法なのか?
 十戒やレビ記・申命記のようなのでしょうね。教会令だが宗教会議の決定条項なども。

>エレミヤの心に書かれた心に書かれた、律法なのか?
 良心の痛みですね。宗教戦争のカトリックとルーテル派のアウグスブルク国会での
 討論内容です。破門するぞ。といえば、良心の痛みから言って前言を撤回できない。
 破門し異端と認定すれば死刑。「良心」は人間各自が共通に持つ「心に刻まれた神の戒め」
 エレミアの律法なんじゃないですか。カトリック要理は良心の痛みを戒めと認めています。


>539
>この 「善を行う」となにか?「悪行う」とはなにか?
 律法や良心の痛みから判断したものじゃないですか。
 隣人愛や神への愛を行えば善であろうし、十戒を全うすれば善なんじゃないですか。
 逆に隣人を害したり神に逆らう冒涜は悪だろうし、十戒を踏み外すのは悪じゃないですか。

 隣人から盗む・犯す・殺すをしたら悪だろうし、神など居ない。と発言とか、
 スターリンや金日成を「偉大なる・・・万歳」とか言って キリスト教の聖職者を
 秘密警察や政治委員にチクって強制収容所に送るのや公開処刑に立ち会うのとか
 なんかは、隣人愛と神に逆らう行為の両方に見えますが。

 戦前は「天皇陛下万歳」と言わなかった為に牧師とか信者が投獄されたようですし
 ホーリネス系の信者はアメリカのスパイとして拷問で殺されたようです。


>544
>エレミヤ23:22 もし、彼らがわたしの会議に立ったのなら
>わが民にわたしの言葉を聞かせ
>彼らの悪い道、悪の行いから 帰らせることができたであろう。

 黙示録の白い衣を着た人達の神賛美を思い浮かべました。
548名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 20:37:43 ID:9oT04LJL
>>437

できましたら、出典を教えて欲ください。
何か賛美歌やドコカのキリスト教派の詩集の歌なのでしょうか。

聖書を丹念に調べれば引用箇所は、わかるかもしれないが
出典は膨大すぎて調べようが無いから。
549名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 20:42:48 ID:9oT04LJL
>>548 リンク先レス間違い。

× )>437
○ >>426

550名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 22:00:54 ID:UR4ENS43
>>538

原罪は、人類にありがちなオリジナル・エラー
(若気のいたり・誰もが一度はする失敗・
 人として恥ずかしい事・良心の痛み[悪かったと思う事])

犯罪は、原罪から起こって更に失敗や間違いを続ける踏み越えた悪い行い
(遣り過ぎた失敗・ある一線から行き過ぎた間違い・
 わざと(故意で)やった悪い事)だそうです。

http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1119050981&st=92&to=107
551名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 22:07:32 ID:UR4ENS43
聖書が原語で読めたなら
 −−−聖書語学の証しと勧め 大久保史彦 聖書語学同好会

57 いつも喜んでいなさい p136
テサロニケ人への手紙第Tの5:17

17 αδιαλειπτωσ προσευχεσθε.(註:語尾のσは別文字)
アディアレイプトース プロシューケッセ「絶えず」「祈れ」

45 的をはずれると「罪」 p107
神に背を向けた状態
「罪」というのはギリシア語でハマルティアーといいます。
これはもともと「失敗」という意味があり
槍を的に向かって投げるとき的をはずすという意味からきているのだそうです。
新約聖書においては
このハマルティアーは明白な罪の行為を指しているのではなく
罪の行為が起こってくるもとの罪の状態を意味し
神という「的」からはずれ、神との正常な関係からはずれた人間の状態
神に背を向けた状態をいうのです。
αμαρτια(単数形)ハマルティアー

正教要理 p39 四、罪 
人間が神に与えられた中で最も大切なものは自由です。
他人の意志によらず、束縛を受けず・・・喜びを持つ、・・・
しかし、人間は自由をはき違え悪魔の誘惑に負け
自分の生命を神のみ手にゆだねることを拒み、神の前に罪を犯しました。
・・・。悪は神から来るものではなく罪から生まれるものです。
無限に尊い神にそむいた罪ですから人間は自分の力で罪のつぐないを
することはできません。・・・人間が悪にうち勝つために
救い主ハリストスを遣わすことを・・・されました。

私註※ [新教]神に背を向けた状態・・・。[正教]神にそむいた罪・・・。
552名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 22:10:18 ID:UR4ENS43

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1119050981&st=65&to=81



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
553553:2005/07/14(木) 10:27:43 ID:JHscG5e+

******************************
  旧説三位一体から新説三位一体へ
******************************
   アップグレード
554名無しさん@3周年:2005/07/15(金) 12:21:18 ID:vMd0+8Hl
今は亡きイエス様そっちのけで w
555名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 02:47:44 ID:3DgtXlse
>>26

          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ΛΛ    < ふぅー、ジサクジエンもつかれるぜ
(゚Д゚Λ)_Λ    \____________
( ̄⊃・∀・))
| | ̄| ̄
(__)_)
556名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 07:06:56 ID:RPfDtu0b
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |  サンミイッタイ
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |  ジサクジエン
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  |
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   |
557名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 10:26:05 ID:hJ5TkrDu
プロテスタント的に考えるから三位一体が正しいかどうかという訳の分からない話になるんだよ。
正しいかどうかの話なんて極端な話、イエスが救世主なのかどうかとか、本当に蘇ったのかとか言う
話にまでなるだろ。

キリスト教ってのは聖書から証明できるかどうかなんぞ関係なく三位一体の神を崇拝する宗教なんだよ。
そういう考えかたってのは「聖書のみ」とか言ってるプロテスタント系じゃ混乱するのは仕方ない。
本来キリスト教は三位一体を含む多くの教理+聖書なんだ。
そういった意味ではプロテスタントは矛盾してる。

正教、カトリック、オリエンタルオーソドクスだったらそういう「聖書に三位一体と書いていない」なんて
不毛な議論はしなくて済むんだがな。
三位一体+秘蹟(機密)+典礼+聖書がキリスト教なんだから、聖書に書いていなくたって問題ではない。
558名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 12:22:29 ID:d2KVEQDT
ユダヤ教徒やイスラム教徒にとっては三位一体が誤りであることは自明の理です。
559名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 12:48:28 ID:hJ5TkrDu
>>558
〜にとっては、だろ?
既に分化された別宗教にとって他の宗教の教義が間違いと見なされるのは当たり前。
何の展開もしない話すんなよ。
ここでは「”キリスト教”にとって三位一体は正しいか」のスレだろ。

「ヒンズー教にとってユダヤ教などの一神教が間違いなのは自明の理です」
なんてアホらしくて言わないだろ。
560名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 12:49:07 ID:RwKqhRZA
キリスト教の本流が三位一体の神への信仰にあることは立場が違っていても理解し得るだろう。
しかしその上でムスリムやユニテリアンは自分たちのほうがより適切な信仰であるというだろう。
無神論者はそもそも神はいないというだろう。どうすれば対話が成り立つのだろう。

Michael Servetus:De Trinitatis Erroribus(三位一体の誤りについて)
ttp://www.uua.org/uuhs/duub/articles/michaelservetus.html
561名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 13:09:13 ID:d2KVEQDT
「自明の理」なんてものは正しさの根拠にはならんということさ。
562名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 09:31:18 ID:CHtoEvWn
563名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 12:17:13 ID:SCgtKvaY
564名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 18:17:06 ID:SCgtKvaY
アイザック・ニュートンの恐るべき秘密
ttp://www1.odn.ne.jp/~abn00280/Q_Christian/Newton.html
565トシ ◆bLWU0bs1FI :2005/08/20(土) 18:27:17 ID:TPemyNz3
愛と喜びと真実は三位一体ですね。
566燃料を一滴・:2005/08/20(土) 18:50:12 ID:E8JwvhlQ
http://www.path.ne.jp/~robcorp/cgi-bin/KY-VIEW/article/m/millnmm/136/から引用
反三位一体論は異端である
サベリウス主義のように、ユニテリアン(神はひとりであり、人格も一つであるとする説)の信仰は、
「不可避的に」キリストを神と認めないことになるので、異端である。
それゆえ、自らサベリウス主義と同一であると宣言しているワンネス神学も同じように、異端である。
ワンネス神学を信じている教会は、ものみの塔をバカにできない。信仰の内容は同じだから。
ワンネス神学がイエス・キリストを神の単一位格とするのに対して、ものみの塔は父なる神をそれとする。
つまり、ワンネス神学は「神はお一人であり、それはイエス・キリストである。」というのに対して、
ものみの塔は、「神はお一人であり、それは父なる神である。」という。
この違いだけであって、神には3つの人格があるという考えを否定するという点では一致している。
「三位一体など、神の本質に対する見解であって、我々の魂の救いとは関係がないから、
異端と呼ぶのはおかしい。イエス・キリストが救い主であると信じればよしとすべきだ」
という意見が最近はやり始めているが、大きな間違いである。
まず、神に単一の人格しか存在しないとすると、神の自存性(自己完結性)が否定される。
つまり、神は永遠の昔から永遠の未来まで存在し、他の一切の助けや影響を必要としない、
という見解は否定され、それゆえ、神の絶対性は否定される。
567燃料を一滴・・:2005/08/20(土) 18:54:26 ID:E8JwvhlQ
神のレプリカである人間において、「対自関係」「対他関係」があるならば、当然、神にもそれらがあるはずである。
ユニテリアンの信仰は、「対自関係の永遠性」だけしか説明できず、「対他関係の永遠性」を説明できない。
なぜならば、もし神の内部に一つの人格しか存在しないならば、「永遠の社会」が存在しないということになるからである。
神の内部に複数の人格があるから、愛や謙遜、服従などの神の御性質は永遠なのである。
愛する対象がいなければ、愛は自分に対する愛ということになり、他者への愛は発現することがない。
それゆえ、神に欠乏が起き、「神は被造物を必要とする」ということになるのである。
イエス・キリストは、父なる神に向かって、次のように述べておられる。
父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。
あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、
彼らが見るようになるためです。 …
そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。
それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」(ヨハネ17.24-25)
父なる神とキリストの間には、「永遠の愛」があった。これは、「対他関係」である。
人間は派生的存在であり、神の存在の模倣である。それゆえ、人間にしか存在しないものはないのである。
人間にあって、神にはないというものは、「罪」を除いて存在しない。
人間同士が愛し合うのは、神の位格同士の愛の反映であり、レプリカである。
568燃料を一滴・・・:2005/08/20(土) 18:55:28 ID:E8JwvhlQ
人間同士が愛し合うのは、神の位格同士が愛し合っていることを表現するためである。
神は、創造において、人間を通して神の御性質を表現しようとされたのである。
それゆえ、神の内部に複数の位格が存在しないという説は、神を人間以下のものにする教えである。
神の栄光は、人格を通して最もよく表現されるのである。もちろん、
無生物や動物を通しても神の栄光は現われるのであるが、それだけでは十分ではない。
神が人間を創造されたのは、神の人格性を表現されるためである。
そして、その人格性とは、人格同士の愛において最もよく表現されるのであるから、
人間同士が愛し合って、神が愛し合うということがないというのは、
神を人間よりも一段低いものとすることなのである。
この議論を展開したのは、アウグスチヌスである。
そして、三位一体は教会において正統と異端を分ける分水嶺として1700年の歴史がある。
三位一体を否定することは、聖書の明白な教えを否定するだけではなく、
神が教会を真理に導いてこられたことをも否定することになるのである。
軽微な誤謬とは絶対に言えないのである。
569562:2005/08/20(土) 23:17:03 ID:CHtoEvWn
ほかのスレからのコピペ。

T.神はただお一人である(Tコリント8:4、イザヤ45:5-6、21-22、46:9、
  44:6、8、詩篇86:10)。
U.神には父子霊の三つの面がある。
 A.神は自らを「わたし」また「わたしたち」と呼ばれる(イザヤ6:8、創世記1:26)。
 B.父子霊の問題(マタイ28:19)。
V.父子霊は永遠から永遠まで同時に共存する。
 A.父子霊はみな神である
  1.父は神である(Tペテロ1:2、エペソ1:17)。
  2.子は神である(ヘブル1:8、ヨハネ1:1、ローマ9:5)。
  3.霊は神である(使徒5:3-4)。
 B.父子霊はみな永遠である
  1.父は永遠である(イザヤ9:6)。
  2.子は永遠である(ヘブル1:12、7:3)。
  3.霊は永遠である(ヘブル9:14)。
 C.父子霊は同時に共存する(ヨハネ14:16-17、エペソ3:14-17、Uコリント13:14)。
W.父子霊は相互内在し、互いに分離しない(ヨハネ6:46、5:43、14:9-10、15:26、
  14:26、8:29、ルカ4:1)。
X.父子霊三者は一である。
 A.子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。
 B.子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。
 C.主(子)は霊である(Uコリント3:17)。
Y.神が三一である理由(Uコリント13:14)。

570(*^_^*):2005/08/21(日) 00:04:48 ID:Y8GFDdU1
三位一体が正しいか否かというのは、
神があらゆる面で一貫性のある方なのか、
それとも分裂した方なのかという話ではないでしょうか。

父の御心と、この地上での働き(子)と、私たちの内に宿る神の愛(聖霊)が、
一つなのか、それとも、バラバラなのかということではないでしょうか。

私たちは、人であっても、心と言葉と行いがバラバラの人を信頼できません。
もしも、神が、バラバラの方であるなら、そのような神が信頼に値するでしょうか。

私たちは、神が三位一体の方であるからこそ、
この方を信頼することができるのです。
571名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 00:09:17 ID:yVuRAiJ+
イエス(父なる神)は実の母に自分自身を妊娠させた。

アブノーマル・・・・・・・
572名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 01:44:47 ID:ik+DVpFZ
玄義(Mistery)ですね。面白い詩を見つけた。

Her Father's mother, daughter of her Son,
She blends all paradoxes…

Return of the Virgin to an Episcopal Church in Iowa Once Called St. Mary's
ttp://theologytoday.ptsem.edu/jul1994/v51-2-poetry3.htm
573名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 16:46:10 ID:qCGTdeJ3
>>571
世に自らを表そうとしたのでしょう。
聖霊の力によりマリアが身ごもり、御子が生まれたのです。
574名無しさん@3周年:2005/09/15(木) 20:33:41 ID:m2KFPrcm
-アリウス派はユダヤ教的な一神教に重きを置いていたし、エッセネ派ユダヤ教徒であった
人間イエスの救世的活動の近くに身を置いた者の考えであったようだ。-

-何らかの影響を中部北部ヨーロッパに残したであろう。16世紀にはプロテスタンティズムや
ユニテリアンが起こる。これらの動きと全く無関係とは言えない。-

「異端」アリウス派
ttp://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/bun041.htm
575220:2005/09/16(金) 04:46:00 ID:7pBBx2fY
>>570
旧約と新約では教えの内容がまるで違います。
ユダヤ教徒とキリスト教徒の違いと同じです。
三位一体を人で表せば多重人格者です。
そのような人物は信頼できません。
576名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:26:00 ID:MM+KZLud
父である神は唯一(エフェソ4:6)
言は神。御子は見えない神。イエスキリストは主(ヨハネ福1:1、コロサイ1:15、フィリピ2:11)
神の御霊(Tコリント12:3)

同じ神・神は唯一・主は同じ主、主は一人
(Tコリント12:6、エフェソ4:6、Tコリント12:5、エフェソ4:5)

−−−−−−−−−??? 三位一体で無いの ???−−−−−−−−−−−−−−−−

唯一の神の父から神の子(言)が生まれる
 ↑
イエス・キリストである主(神の子(言))が世界を作る(キリストの名を通して父なる神を賛美)
 ↑
神の霊(聖霊)によるので無いと神の子が同じ一人の主と言えない(信仰を告白)
 ↑
神の子は、天では王で、地上の教会では頭(礼拝で賛美し感謝する)
 ↑
キリストの弟子や使徒の集会が祈っていると、聖霊が降臨してキリスト「教会」が生まれた

−−−−−−−−−??? 三位一体で無いの ???−−−−−−−−−−−−−−−−
577名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:26:36 ID:MM+KZLud
@神・創造主 
 アダム(A人間の原罪)
 アブラハム(F神の約束による神の恵み・G信仰の父)
 モーセ(E十戒)→サムエル→エリヤ(D預言者)
Bヨシュア____ダビデ(Cメシア)
 ↓________↓
 イエス・キリスト[ギリシア語]→ヨシュア・メシア[ヘブライ語]  
(@神の子・D預言者・F神の約束による神の恵み・A人間の贖罪・E愛の戒・G信仰の父)

----------------------------------------------------
お釈迦の
弟子が死後に言い伝え(口伝[くでん])を「結集」し 後世に「お経」を書き残した。

天台チギ大師の
弟子が、「摩訶止観(まかしかん・大きな瞑想)」を書き残した。

ソクラテスの言葉を
弟子のプラトンが「ソークラテースの弁明」「クリトーン」のように書き残した。

キリストの言葉を
弟子のペテロの書記マルコがペテロの死後に「マルコ福音書」に書き残し
弟子のペテロに会った使徒パウロが生前に「パウロ書簡」に書き残し
使徒パウロの書記ルカが生前に「ルカ福音書」「使徒言行録」に書き残し
書記ルカと面識のあった長老ヨハネがルカの死後に「ヨハネ文書」に書き残した。

教祖自身とか、神自身が書くとか、あまり過去事例に聞かないが・・・
--------------------------------------------------------------
>バガヴァンBhagavan(世尊) 同p40
バガヴァッド(神の)・ギータ(歌)
バカボン・バカボンド(日本訛りの真言宗でいう仏・釈迦(世尊・世に尊い人)・インドの神)
マハー_ラジャ(大きい_王様)マハー_シャマタ_ビバシャナ(まかしかん・摩訶止観)
578名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:29:21 ID:MM+KZLud
霊・精神(風・霊感・良心の痛み・理性)魂・心(呼吸・魂魄・心・感情)肉体・身体(血流れる肉体・骨肉)

【 異端説1 アポリナリオス異端 】
神の子キリストは霊(神性・神の霊)・魂(人性・動物)・肉体(人性・動物)

【 異端説2 サベリウス異端 】
神の子キリストは「神」である霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)から
「人間」として霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)とヘンゲして十字架で死に昇天後に
「聖霊」として霊(神性)となって地上に君臨した。

【 神は3つの[位格]を持つ 】
父なる神は霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)
↓  ↓
↓ 生まれる(父と子は、神として、ホモウシオス[同質])
↓  ↓
↓ 神の子キリストは霊(神性と人性)・魂(神性と人性)・肉体(神性と人性)
↓ (神のロゴス、神であり人)

出でる[発出(はっしゅつ)]

神の霊(聖神・聖霊・みたま[冒涜してはならない存在])は霊(神性)

【 この世の流れ 】
父なる神(創造主・アルケー[根源])
 ↓
神として「神の子」が生まれる(創造主・子に関してはアルケーを議題にしてはいけない)
 ↓
天地創造(被造物)
 ↓
聖霊により人間マリアから人の子[人間]として「神の子」生まれる

http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1088829700&st=1&to=100
579名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:46:06 ID:zWQ8+hbG
【 主は唯一・主は神、神は三位一体 】
神なる父(エル・モシェ(モーセ)が聞いた
↓  ↓ 主の名「あってある者(存在というBE動詞:ヤーベ・ヤハウェ)」)
↓  ↓
↓ 生まれる(父と子は同一+本質:ホモ+ウシオス[同質]、
↓  ↓   万物は「デーミウールゴス:創造主」によって創られた)
↓  ↓
↓ 神の子キリスト(神の言葉:ロゴス、両性論[神であり人]、
↓  ↓      BE動詞現在形:ヤーソ・イエス(ヨシュア))

出でる[発出(はっしゅつ)]

神の霊(聖霊・みたま[冒涜してはならない存在]、
    癒しの奇跡を起こす、異言(グロッサ)を語らせる)

--------------------------------------------------------------------------
父なる神(創造主)
 ↓
神として「神の子」が生まれる(創造主)
 ↓
天地創造(被造物)
 ↓
聖霊により人間マリアから人の子[人間]として「神の子」生まれる。
 ↓
先駆−洗礼者ヨハネによる洗礼によって人間の罪を償う贖罪の子羊としての「神の子」の啓示を受ける。
 ↓
受難−十字架−復活−昇天により神の子イエス・キリストが父なる神の右に座し人間に対する天に国籍ある者の「王」となる。
 ↓
聖霊降臨により地上にキリスト教会が成立する。教会(キリスト教徒の集会)の頭としての[人の子]イエス・キリスト。
580名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:46:55 ID:zWQ8+hbG
【 教会の頭(ブドウの幹)はイエス・キリスト、肢体(枝)は信徒 】

神なる父(三位一体論の神性のみ)

神の子キリスト(神性と人性(両性論・キリスト論)神と人の中保者・取り成し手、
↓       永遠の神が有限の人間の罪を代わって償う
『聖霊の洗礼』 [人間となったキリストの有限の命は、人間の罪の身代金])

神の子となった信徒(洗礼を受けた人間。
↓  教会の一員となったからには、教会の頭キリストが主人である事を宣言し、
↓  血(ワイン)を飲んで罪の赦しを契約し、肉(パン[同じ釜の飯])を食べ、
↓  神の言葉:ロゴス・永遠の命を、信者の肉体(神の宮:神殿)の中に持ち、
↓  キリストの一部になる)
↓   ↓
↓  福音(よい+知らせ:戦勝報告[戦いに勝ち生き延びられた[喜び]を人に知らせる]、
↓   ↓ エウ+アンゲリエ[エヴァンゲリオン]・キリストの救いを布教する事)
↓   ↓
↓  罪を赦された余裕を持って、罪ビトにも赦し愛を与える。

[一人間の命の終わりの]死後の裁き(第一審判決)と
[この世の終わりの]最後の審判(最終判決)

罪ビト(洗礼を受けてなくて、キリストの弁護も期待できないし、
    有限の人間が自力で、楽園(天国)から追放された
    永遠の罪を償えないので、
    無限に天国に帰れない[同じ生まれ変わり死に変わり
    の『悪に悪を返すのを善と間違える』輪廻[を]し続ける]地獄へ行く人間)
581名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:48:06 ID:zWQ8+hbG
このように 神と人間・万物の間を取り持つ「役割の人」や関係を 教学や神学的に
キリストの「中保者(ちゅうほしゃ)」としての役割と呼ぶ。

神であり且つ人
人であり且つ神でなくてはならないのが 中保者であるキリストの存在。

霊(プネウマ)魂(プシュケ)肉体(ソーマ)[ギリシア語]
霊(スピリッツ)魂(ソウル)肉体(ボディ)[英語]
神(精神・理性・良心の痛み)魂(魂魄・感情)身体(血肉・骨肉)[日本語]
 
霊(神性)が神の霊の聖霊
霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)が父なる神
霊(ロゴスが人に)・魂(ロゴスが人に)・肉体(ロゴスが人に)が神の子キリスト(受肉の神)
霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)が人間
(なし)_・魂(人性)・肉体(人性)が動物(および狂人や植物人間など)

--------------------------------------
【 異端説1(アポリナリオス説) 】
霊(神性な神の霊)・魂(人性の動物)・肉体(人性の動物)が神の子キリスト

【 異端説2(サベリオス説) 】
霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)であるは「神」、神の子キリストから
霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)の「人間」としてヘンゲして十字架で死に昇天後に
霊(神性)の「聖霊」となって地上に君臨した。
582名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 06:00:58 ID:yrA179gI
父は 唯一の神
子は 唯一の主(キリストの神ではなく、「父なる神」の子)
神の子・イエスはキリストで主、と告白させる「神の霊」
これを
三位一体(の、神のあり方「神の位格」)といった。
(「いろいろな顔」とか「側面」と説明で言葉を使えず、「位・くらい」という???)

神の本質としては、同等・同一の本質(ホモ[同等・同一]+ウシオス[本質])。

神が三人ではなく
アリウス???異端説: 一神(父)と一人(子)と一霊(聖霊)でもない。
サベリオス異端説__: 一人が三変化(父から子に、子から聖霊に)したのでもない。
アポリナリオス異端説: 霊が聖霊(父なる神)で魂と体が動物である人間がキリスト−イエス。

父なる神___: 霊も魂も体もある神
神の子____: 神の言葉(ロゴス)が人間の肉の形を取った(受肉:人間となって生まれた。の意味)
神の霊(聖霊): 霊だけで体や魂が無いが、複数の人間に神の権能を働きかける。
583名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 06:02:21 ID:yrA179gI
ラビ(ユダヤの教師)は祈って、神に呼ばまわった(シェムエル)。
神は生きておられる(エリヤー)。彼らを救って下さい(エル・イェシュアテーヌ)。
すると 聖書のある箇所に目が止まり 神は一つの聖句を示された。(神の啓示)
聖句から前後してヒントが与えられ アイディアを生かして努力し 彼らは救われた。(神の救済)

始めにコトバ(ロゴス)があった。神はコトバと共にあった。コトバは神であった。
コトバの内に愛があった。コトバ(ロゴス)に愛があって、神は愛であった。聖霊は神の霊である。

聖霊の内(なか)で生きるように
愛の内で生きるようになった。平和の内(うち)に過ごせる様になった。

聖霊に”よって”という外から他人に聞かされて
            (魔が差すように)他人が身体に入ってくるのではなく
聖霊の”なかで”という愛・コトバ(アガペー・ロゴス)に包まれて
                      身体の内側から呼ばれるのである。

人間には聖霊があるし聖霊を持っているし聖霊のうちにいる。
人間には愛があるし愛を持っているし愛のうちにいる。
しかし人間は不完全で愛が働かず良心の痛みや理性を失い
その時その時に必要な物が判らないし知る事が出来ない。

トルストイの民話(モルモンのHP)・ヨハネ福音書・聖ワシリー(聖バシレウス)の説教などから。

神は一つで3つの位格を持つ(3つで1つ、1つで3つ)父なる神、神の子キリスト、聖なる神の霊
愛・神の言葉・永遠の命・希望の光などにおいてホモ+ウシオス(同等+本質・同一+本質・同質・等質)
584名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 06:05:04 ID:yrA179gI
ほかのスレからのコピペ。

T.神はただお一人である(Tコリント8:4、イザヤ45:5-6、21-22、46:9、
  44:6、8、詩篇86:10)。
U.神には父子霊の三つの面がある。
 A.神は自らを「わたし」また「わたしたち」と呼ばれる(イザヤ6:8、創世記1:26)。
 B.父子霊の問題(マタイ28:19)。
V.父子霊は永遠から永遠まで同時に共存する。
 A.父子霊はみな神である
  1.父は神である(Tペテロ1:2、エペソ1:17)。
  2.子は神である(ヘブル1:8、ヨハネ1:1、ローマ9:5)。
  3.霊は神である(使徒5:3-4)。
 B.父子霊はみな永遠である
  1.父は永遠である(イザヤ9:6)。
  2.子は永遠である(ヘブル1:12、7:3)。
  3.霊は永遠である(ヘブル9:14)。
 C.父子霊は同時に共存する(ヨハネ14:16-17、エペソ3:14-17、Uコリント13:14)。
W.父子霊は相互内在し、互いに分離しない(ヨハネ6:46、5:43、14:9-10、15:26、
  14:26、8:29、ルカ4:1)。
X.父子霊三者は一である。
 A.子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。
 B.子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。
 C.主(子)は霊である(Uコリント3:17)。
Y.神が三一である理由(Uコリント13:14)。
585名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 06:27:40 ID:FbXFmn+d
586名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 09:56:21 ID:mIm7013/
またかコピペの垂れ流しか。結局575の望む解答には全然なってないんだよ。
俺は575じゃないけど。

だから『父なる神(創造主)』と共に『神としての「神の子」(創造主)』が存在するのならば、
しかもどちらにも独立したそれぞれの人格を認めれば、当然創造主が二人併存してしまうことになる。
これで神の唯一性は破壊され、キリスト教は一神教でなくなる。

父なる神に一つの人格、子なる神にまた別の一つの人格、聖霊に(ry
ん? キリスト教の神は三人格の神だから、父も子もそれ自体は神ではないの?
それとも父なる神に三つの人格があり、子なる神も三人格? なんじゃそりゃ?

神というからには、無限、永遠、遍在、全知、全能、唯一、自存、などでなければいけないが
その神がもう一人の、無限、永遠、遍在等々の別の神を生むということ自体背理。
587名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 09:58:50 ID:mIm7013/

主は言われる、人は密かな所に身を隠して、私に見られないようにすることができようか。
主は言われる、私は天と地に満ちているではないか。(エレミヤ23:24)


天と地にあまねく遍在している神(創造主)とは別の神(創造主)がもし存在するのならば、
その神も当然遍在でなければならないが、一方の神が全てを占めているのに、
いったいもう一方の神がどこを占めることができるというのか?
無限で永遠で全知全能だけど遍在ではない神? そんなものは神でもなければ創造者でもない。

そもそも神と人間の間を取り持つ中保者という概念自体が、正統説ではこれが精一杯なんだろうが、
イエスを神より下位の存在に貶め、イエスの上位に父なる?神がいるかの如きニュアンスを帯びる危険性を秘めている。

まあ聖書は「譬えの書」だから、主御自身が約束されているように、
「もはや譬えではなく、父についてはっきりと告げる…」(ヨハネ16:25より)
その日がくるのを待つしかないでしょうな。

いや、ひょっとしたらもうその日は来ているのかもしれない。
だとしても正統説は保身のため猛烈に抵抗するだろう。
太陽を纏った女を大水で押し流そうとする竜(黙12章より)のように・・・

正統説に恨みがあるわけでもないし正統説で困らないというならそれでもよいが、
矛盾点はどうしても指摘せざるを得んなあ。
588名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 10:02:52 ID:mIm7013/
ありゃ、初歩的なミスをw

586の訂正

誤 またかコピペの垂れ流し
正 またコピペの垂れ流し
589名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 11:20:43 ID:wLkSOPet
人間(動物の個体・肉体のような存在の仕方)としてみれば
3人居る説明しか受け入れられないだろう。

たとえば光は単数とか複数で表せないし、発する言葉も単数とか複数といえない。
命は分割できない。クローンとも違う。

人間でなければ、別に説明のつけようもある。

矛盾した文脈だらけの整合性とりなのも自分では判っている。
神は単数なのに複数だったり、ドコにでも居るという。

「唯一の神」だから
バアルとかイシュタルとか、別名の2人以上の神はあってはいけないのか?確かにそうで
バアルの子とバアルの聖霊で複数の神がいるという解釈はドコの宗教でもしていない。
「複数の神」といった時
インドラ・盤古・イシュタル・ラー・ミトラ・アフラマズダ・シバ・不動明王など
別名で別実態の神が沢山いる。という意味に解釈している。

神が唯一なのは「本質(ウシア)」において、と断っている。
2人とか3人だという個数や数詞の問題ではない。
実態として、神は複数おらず
皇帝や王などの人間や想像上の生き物を神にする事は偶像として否定している。

たとえば神の化身という。神の化身は神ではない。神の使いという神ではない。
唯一の化身とか唯一の神の使いというのも問題になっている。
天使(ミカエル)と預言者(エリヤ)についてである。
590名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 11:24:10 ID:wLkSOPet
父と子で神は2人だ。聖霊で3人だ。じゃあ実態は。[といえば]無い。
父は光の中にあって人間に見えない。
子はコトバ(ロゴス)であって昇天後は見えず、神の言葉が存在する。
聖霊の体が「どういう形」か判らない。
鳩の様に下ってくる。だの、舌のような炎が現れて頭上にとどまった。としか書かれていない。
光を1人と数えるのだろうか。
コトバ(ロゴス)を1人と数えるのだろうか。
鳩のように下る[舌]のような炎が数え切れないのだが、何人と数えるのだろうか。

どだい人間として神を見ていると、神を人間として解釈しようとすれば
そのような判らずやで、おわるのだし、オカーチャンか金持ちにスガル様な宗教でしか
物を見ていないと、わかろうものではないか。
お不動さん、弁天さん、大黒さん、金毘羅さん、などご利益信心だと
そこに下界の人間に命じて
お金を届けさせるような召使(人間のようなもの)を神と崇めているのではないか。

神は目に見えない召使(人間のような生き物)の事だ、というのだろうか。
価値観や宗教観が違う所から説明を始めないといけない。
591名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 11:25:01 ID:wLkSOPet
矛盾した文脈だらけの「整合性とり」なのも自分では判っている。
神は単数なのに複数だったり、ドコにでも居るという。
592名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 11:46:13 ID:N3wvBjIa
三位一体の神はとにかく全能なのでなんでもありなのです。
593名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:03:38 ID:mIm7013/
>人間(動物の個体・肉体のような存在の仕方)としてみれば
>3人居る説明しか受け入れられないだろう。

いやいや、例えば人間には心臓と肺がある。どちらか一方を欠いても
一人の、一つの命を持つ人間として成立しないわけです。

何かをしようとするとき、まずその意志がないと何も始まらないが、
意志だけではなく、具体的な手段としての知恵もないとやはり何も起こらないのです。
つまり、一人の神には(我々人間もそうだが)、意志と知恵が存在する。
意志の神様と知恵の神様の二人の神様がいるわけでないのです。本当は。

まことの命と、まことの光を持つ方は別々だろうか? いやそうではない。
一人の方が二つとも持ち合わせているのです。一人の人間が心臓と肺を共に持っているように。

旧約には神は実に様々な名前で登場する。しかしながら当然名前の数だけ神が沢山いるわけではない。
再三神は自分は一人だと主張している。実際その通りなのです。
様々な名前は、唯一の神の無限かつそれが多様に現れる神性における何かをあらわしているのです。
それを相応の知識といいます。要するに、失われたその知識が再び啓示されるであろうということです。
例えば心臓は意志に、肺は理解(知恵)に相応するというのは今まで知られてなかった。
594名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:06:18 ID:cWWEG7Ux
神に関する物理学的考察

1.神はただひとつの存在であり、全宇宙に満ちている。
このことは、神が量子力学的存在(点ではなく波動関数
であると仮定すると説明できる。
波動関数「神」は全宇宙にわたって広がっており、
波動関数「神」とその共役複素関数「神」* の積は、
宇宙空間上の任意の点および時刻での神の存在確率を示す.
全宇宙空間にわたって神の存在確率を積分したものは、1となっている。
すなわち、神は唯一神である。

2.三位一体について
神が量子力学的存在であるとすると、
「神」には、基底状態のほかに、エネルギーの異なる種々の励起状態がある。
基底状態はヤハヴェとよばれ、励起状態においては、
エネルギーの低い順から、それぞれ、第一位格、第二位格、第三位格となる.
エネルギー状態が異なると、観測者からは全く別の位格として観測されるが、
その本質は同一である.
なお、アッラーが神の励起状態であるか否かは観測データが十分ではない.

3.天地創造に関して
神が量子力学的存在であるとすると、
天地創造すなわちビックバンも量子力学上の問題であるから、
波動関数の相互作用の結果ビックバンが生じたということを
説明できる.

4.キリスト教の本質について
以上のように、キリスト教神学上の問題のいくつかは、
聖書と矛盾することなく科学的に説明できる.
よって、キリスト教にとって本質的なのは、
キリストが十字架にかかって流された血によって、
人間の救済が行われたということになろう.
595名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:08:44 ID:mIm7013/
また神の意志とは神の神的愛のことでもあり、それは神の司祭性でもあり(真理は神の王者性)
ゆえに司祭メルキゼデクに譬えられている。

神はことばによって万物を造った(ヨハネ伝冒頭)とあるが、
言葉とはすなわち真理であり、また神の知恵なのです。
意志がなければ知恵も存在せず、知恵がなければ意志も無意味である。
いずれも一人の神の神性です。それは我々人間も一人の人間が意志するだけでなく、
考え、そして実行するのと同じこと。

すなわち、全知、全能は神の知恵の領域における神性であって、
またしばし「神の右手」「王」「裁き」などという言葉で表象される。
つまり無限とか全能とか、神性そのものは見ることができないのが、
それは明らかに万物の根元であり、先在的なものであり、かつ先在的なものがあって
はじめて後在的なものがあり、先在的なものは後在的なものの中に落ち込み、
結果である後在的なものしか見ることができないが、見えるものの中に見えないものが固定され、存在している。
つまり自然的な言語なり事物なりの内に、秘めた内意があるというのが主の聖言なのです。

聖言は、自然的な字義だけでも初心者や単純な理解のためにそれなりに読めるようになっていますが、
字義だけでは説明がつかない記述があるのも事実。
啓示を真に望むのならば、それが望む者に与えられますように。
596名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:12:35 ID:mIm7013/
一つだけ確かなのは、字義だけなら矛盾だらけに見える記述でさえ、
それは高い内意に照らせば全く間違いではないということです。
神は無謬であり、当然聖言も無謬です。

例えば「御霊が鳩のように下ってきた」と書かれてあっても
これは洗礼の持つ本来の意味(といってもなかなか説明が難しいが)の、
最終的な外観がそのように霊的な幻として見えたのであって、
鳩自体は御霊でも聖霊でもありません。また聖霊は鳩でもない。

また神は人間であり、その人間性は神的意志から発した神的真理の内自体にあります。
そのことは、ヨハネ伝冒頭、または「アブラハムがいる前から私はいる」(9:58)と書かれてあるとおり。

ただし、有限なる時間の中においては、神御自身がある時期にこの世に受肉したのです。
(もっともこのことが世の初めから定められていたのは旧約の預言書にあるとおり)
つまり主は「永遠においては創造者であり、時間においては贖罪者」であるということ。
創造者と贖罪者が別々に存在するわけではない。

よけい混乱するだけかな?
主は「痛んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」方です。
私も個人攻撃を望んでいるわけではなく、あなたの信仰にケチをつける気はありません。
私だって分からないことはいっぱいありますからね。
これ以上のことは、機会があればまた書くかもしれません。

>>594
鋭い考察ですね
597名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:59:12 ID:mIm7013/
ちょっと595の最後を改訂しておきます

“初心者や単純な理解のために”

これを
“初心者や基本的な救いの教義のために”

と置き換えてください。
598名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 22:38:12 ID:2FNO5YiB
新約聖書は、神ではなく人間(聖人であったとしても)が、
人間ではそのすべてを理解することができる訳ではない、
神の行動を、記述したものであるので、
神学上完璧な整合性がとれてないのは、仕方のないことである.

これを、宗教上の決定的な欠点とみるか、それはそれとして、
その宗教の本質に目を向けるかは、各人の資質である.

個人的には、神学上の解釈の変遷は理解してみたいとは思うが.
599名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 10:26:43 ID:FanxsLG3
>私も個人攻撃を望んでいるわけではなく、あなたの信仰にケチをつける気はありません。

煩わせてしまったようです。信仰にケチをつけられたと思いません。

キリストの使徒パウロなどの説明する神が
アラジンの魔法のランプの召使や死んだ人間の亡霊ように3人いる。という
イメージで見て欲しくなかっただけです。
600名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 10:33:27 ID:FanxsLG3
夢枕に立つのは神だと思っていません。
神に使わされた
御使い(アッゲロン・天使)や聖人(天から御使いに降った信者の死者)だと
思っています。

旧約では神が現れた顔を見合わせて見た。といいますが。
主のお告げ。主が語られた。
岩石砂漠の山にある柴の木が炎に包まれているのに
焼け落ちず生きた緑の木々のままで声が聞こえる。主の声だ。語りかけている。
神の顔は見えない。
つまり、光に包まれ目がくらんで幻や夢に声は聞こえど目に見えず。語った内容はわかった。
です。
エリヤ(若者に見える預言者)のモーセ(白髪の老人に見える預言者)も
イエスやペテロには「山上の栄光」で見える現れるわけですから。
601名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 10:38:04 ID:FanxsLG3
そしてダマスコ郊外のパウロには
イエスの声は聞こえるが、姿が目に見えない。

第三天の天国を見た人の話を聞き、天を語る。

神は光の中にあって、姿が見えない。声は聞こえる。
ですね。

人の形をした神の言葉を語るものは、天使や預言者や聖人なんです。
神ではない。神を形容したものなんです。
受肉の神(人間の肉体を執った神)は、だだ唯一、神の子キリスト−イエスのみです。
602名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 10:39:46 ID:FanxsLG3
>エリヤ(若者に見える預言者)のモーセ(白髪の老人に見える預言者)も

イザヤ?・ エリヤ(若者に見える預言者)の
ダニエル?・ モーセ(白髪の老人に見える預言者)も
603名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 11:09:13 ID:mxG2gw38
>>584
>U.神には父子霊の三つの面がある。
>A.神は自らを「わたし」また「わたしたち」と呼ばれる(イザヤ6:8、創世記1:26)。

「神と天使達」これで「わたしたち」にはならないのか?
604名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 11:11:39 ID:bwc9YZau
三位一体はあとから他教の極意を取り入れて
神秘化したもの。
キリスト教の本来から外れる働き。
605名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 14:40:33 ID:uaVY1iED
>>584
VーAー3.霊は神である(使徒5:3-4)。
>そこで、ペテロが言った、「アナニアよ、どうしてあなたは、自分の心を
>サタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。
>売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、
>あなたの自由になったはずではないか。どうしてこんなことをする気になったのか。
>あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ。」

「神に属するものに背く事」は「神に背く事」にはならないのか?
律法や福音に背いた人が「私は神に背いたのではなく律法や福音に背いただけです。」
と言ったとして、これが通用するだろうか。
606名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 16:10:03 ID:ocNRUHq8
>ある家族の父親が自分と息子を「わたしたち」と言ったらその二人は一体となるのですか?
>聖書では力ある者(例えば人間ですら)神と呼ばれていることがあります。
>父子霊はみな永遠である

 ヤハウェー家・ヤハウェー氏・ヤハウェー部族があるとします。
一家であり、一氏族であるわけです。神(父・子・聖霊)は複数だし、神(家)は単数です。
 ヘブライ家は、アンモン家やエドム家とは別の家系です。藤原家は、平家や源氏ではないです。
橘系統だという鈴木・菅原なども木の一族で藤原でないです。
大和民族としての日本人であり万世一系。日本人として一つ。
秦氏・羽田氏、斉氏、叶氏も帰化したから大和民族です。朝鮮族ではありません。
 池沼の大正天皇で皇国史観が出来た後の
昭和天皇はカトリックの嫁を邪険にしましたが、教育勅語の前に幼帝で文明開化となった
明治大帝はニコライ大主教[正教]にもヘボン博士[プロテスタント]にも勲章を与えました。
 力があるから神ではありません。権能の話などもそうですが
人間が発揮する授けられる受動と、神が授ける能動では役割が違います。
父なる神が授け、子を通して、聖霊が働く。人間は神ではないわけです。
607名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 16:11:32 ID:ocNRUHq8
主なる父なる神(能動・生きている(ヤー・存在する)代々に続く命(ゾーエー・永遠の命))
_↓________↓
生む_______出でる
_↓________↓
神の子イエス(ロゴス・神の言葉・子を通して)
_↓________↓
天地創造______↓
_↓________↓
受肉(母マリア)_聖霊(神の言葉を思い起こさせる力)
_↓_______ ↓
人の子キリスト__聖霊降臨
_↓________↓
人間(受動)___聖霊が臨む信徒である人間(受動)
608名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 16:23:35 ID:uaVY1iED
神を論理で否定できないのと同様、神にまつわる教説もまた、論理では否定できない。
609名無しさん@3周年:2005/10/12(水) 22:22:18 ID:TSDgX0tT
昭和62年1/20神奈川新聞、朝日新聞に「密教食は違反食品」
無許可の漢方薬品を混合した「密教食」を600〜635円で仕入れ3000〜4500円で
信者に7億円売りさばく。光和食品社長(当時)阿含宗教祖・桐山靖雄ら7人が神奈川県警と横浜港南署に
薬事法違反で書類送検される。
610名無しさん@3周年:2005/10/14(金) 22:38:57 ID:xGX//fpF
【 高句麗好太王・倭王武・六朝宋国時代の前後の行政名 】
比列忽=江原道安辺=臨屯郡東施県
何琵羅(冥州)
悉直
[辰韓]斯盧国(新羅城)楽浪郡屯有県?
[任那]召文県(安東?)楽浪郡遂城県?
[任那]沙伐県(尚州)
[任那]卓淳県(倭館?・星州?・星湖?)楽浪郡崎離営?
[任那]南加羅県(任那日本府?・金官国・金海)[弁辰]狗邪国・楽浪郡海冥県?
[任那]安羅県(済浦?・馬山?)帯方郡新南県?
[任那]帯沙県
[任那]多利県
[任那]牟婁県・[馬韓]咨離牟廬國?
[任那]己文県(光州?)[馬韓]古蒲國?・[馬韓]楽奴国?・楽浪郡楽都県?・真番郡樂都県?
泗比(扶余)[馬韓]月支国?
熊津(公州)[馬韓]伯済国?・百済?
馬津(牙山?)
買召(済物浦・仁川)
北漢山(慰礼城・漢州・泰村王・泰封国・京城・ソウル)楽浪郡帯方県?
南漢山(漢城)
楽浪郡朝鮮県(王倹城・平壌城)
611名無しさん@3周年:2005/10/15(土) 06:42:04 ID:BM1amPvk
『漢書』卷二十八下地理志第八下(抄) 幽州屬後漢班固撰唐顔師古等註
『續漢書(後漢書)』郡國志五(幽州刺史部)晉司馬彪撰【梁 劉註】
『後漢書』東夷傳 劉宋 范曄撰【唐 章懐太子註】
『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳 晉 陳壽撰(宋 裴松之 註)
『晉書』地理志上 平州 唐 房玄齡 等 撰
『宋書』列傳 夷蠻(抜粋)宋 何承天 初撰 梁 沈約 完成

『通典』邊防 東夷上 百濟 新羅 倭國 唐 杜佑 撰
[新羅は]穢侯あるいは穢王[の]不耐という名の人の穢(wai[偏水旁歳])之地
 穢[領]は帯方郡太守弓遵を戦死させた韓族の地
前漢武帝:漢時樂浪郡之地(楽浪郡不耐県)
三国志魏:魏時新盧國(初曰新盧、辰韓斯盧國)
前秦符堅:[秦]時、王[の]樓寒[が穢王不耐の姓名を改易した旨を伝え朝貢して来た]
六朝宋国:宋時曰、新羅(或曰斯羅、[秦韓新羅城])
梁武帝_:[梁時]普通二年、王姓慕名秦、城曰「健牟羅」(慕秦[慕韓・秦韓]・けむら城[新羅城])
隋文帝_:[隋]時、王姓金名眞平(金真平と言う名の王・慶州は金城[新羅城])
____:[朝貢の際に]樂浪郡公、新羅王[と名乗る]加羅、任那諸國[を滅ぼし領土世襲した]
612名無しさん@3周年:2005/10/15(土) 07:47:37 ID:bXCzYe3L
>>584
ウィットネス・リーのスレからのコピペじゃん!
ウィットネス・リーってこんなまともなこと言ってんの? まるっきり正統神学だよこれ。
613名無しさん@3周年:2005/10/15(土) 08:55:46 ID:BJg/c0D2
健牟羅(ちんむら)
金城(ちんそん・真聖−女王:ちんそん−ぬなわん)
金真平(ちんちんぴん・ちんちんぴら・こんまぴら)
614220:2005/10/15(土) 14:41:30 ID:iAZmXiaV
>>594
> 1.神はただひとつの存在であり、全宇宙に満ちている。(ry
神は霊という存在であり、人間やその他の生物の中に神は存在していません。
(創世記6:3)主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」

> 2.三位一体について(ry
聖書に書かれているヤハウェとキリストは全くの別の人格です。
本質が同一でも状態によってコロコロと人格が変わっては意味がありません。

> 3.天地創造に関して(ry
霊と物質の関連性が全く説明出来ていませんよ。

> 4.キリスト教の本質について以上のように、キリスト教神学上の問題のいくつかは、聖書と矛盾することなく科学的に説明できる.
科学的以前の問題です。

> よって、キリスト教にとって本質的なのは、キリストが十字架にかかって流された血によって、人間の救済が行われたということになろう.
科学的に説明できたとしても救済とは一切関係ありません。
人間的な死が神にとって何の意味があるのでしょう?

>>596
矛盾だらけに見えるように書く必要などありませんけどねw
言い争いの火種になることが予測できなかったのでしょうか・・・
615名無しさん@3周年:2005/10/16(日) 11:50:18 ID:Ev7RbYnK
> 4.キリスト教の本質について以上のように、キリスト教神学上の問題のいくつかは、聖書と矛盾することなく

http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1088829700&st=31&to=42&nofirst=true

★ヤコブ書1:15
 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
★コリントα書15:56
 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
★ローマ4:20
 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。
 律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

★へブル書7:27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、
 まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。
 というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。
★ガラテヤ書3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、
 私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。
 なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
★申命記21:22〜23 ・・・死刑・・・木につる・・された者は、神にのろわれた者だからである。
★ローマ書7:6 しかし今や私達を繋いでいたものに対して死んだのであって、
 私達は律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく新しい霊によって仕えているのである。
★コリントβ書3:6 神は私たちに力を与えて新しい契約に仕える者とされたのである。
 それは文字に仕える者ではなく霊に仕える者である。[律法の]文字は人を殺し[キリストの]霊は人を生かす。
616名無しさん@3周年:2005/10/16(日) 11:54:04 ID:Ev7RbYnK
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1088829700&st=25&to=29&nofirst=true
霊・プネウマ[ギリシア語]・スピリット(霊感・ロゴス[神のことば]・理性・
                   良心の痛み[心にある神の戒め・善悪判断]・
                   自由意志[リンゴを食べる食べないの選択力])
魂・プシュケ[ギリシア語]・ソウル(呼吸・心・感情・魂魄)
身体・ソーマ[ギリシア語]・ボディー(血の流れる肉体・骨肉[ボーン&ミート])
で出来ていると考えていたようです。動物と気の狂った人間には、魂と身体しかなく
それに加えて霊が人間にはあるのだそうです。それで霊長類の呼称なわけです。

http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1088829700&st=7&to=24&nofirst=true
【 異端説1 アポリナリオス異端 】
神の子キリストは霊(神性・神の霊)・魂(人性・動物)・肉体(人性・動物)

【 異端説2 サベリウス異端 】
神の子キリストは「神」である霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)から
「人間」として霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)とヘンゲして十字架で死に昇天後に
「聖霊」として霊(神性)となって地上に君臨した。

【 神は3つの[位格]を持つ 】
父なる神は霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)
↓  ↓
↓ 生まれる(父と子は、神として、ホモウシオス[同質])
↓  ↓
↓ 神の子キリストは霊(神性と人性)・魂(神性と人性)・肉体(神性と人性)
↓ (神のロゴス、神であり人)

出でる[発出(はっしゅつ)]

神の霊(聖神・聖霊・みたま[冒涜してはならない存在])は霊(神性)
617名無しさん@3周年:2005/10/16(日) 15:26:19 ID:LobLMfDB
仏教は、煩悩がなくなれば悪業を積まなくて済む。
根本煩悩(三毒〜十大煩悩)に随煩悩があり、更に75識あるいは100識などがあり
それぞれの意識に、善の意識・悪の意識・無記(どっちでもない)があり
悪の意識を直す対応の善の意識の持ち方や修行方法が仏の教えに説かれています。
悪業を積まねば地獄など三悪趣に落ちなくて済むと考えています。

煩悩の根性を消すのに瞑想で「止・シャマタ」を行い
仏の慈悲の心を瞑想するのに「観・ビバシャナ」を行うといいます。

報いの業力が尽きると輪廻の種子が消え、転生の業報輪廻の世界を解脱し
仏陀として有余涅槃に入り、亡くなった後に無余涅槃に入ります。

輪廻の種子を創るのは、意識であり、種子は第八識のアラヤ識に眠り
次の転生の時に、第七識のマナ識から脳裏の第六の意識に浮かび上がり
煩悩の妄想動作が始まり、それから生じる行いによって悪業を積む事になります。

その悪業の報いが種子に眠り、次の機会や動作の時や、次の転生の時に発現します。

悟りに至る教説は仏教であり、
輪廻を断つ行動力(修行)・思念力(瞑想・座禅)・方法(作法)は仏法です。
悪業断滅に仏・菩薩・明王・天神など世尊(世に尊い者)が修行者を夢幻で支えます。
見えないものは仏(仏陀・如来)・
悪業断滅方法は法(達磨・仏法)・
仏の教説を守る出家僧侶と、その団体を支える在家集団が僧(僧伽・宗門)です。
この仏・法・僧の三宝に帰依する(三帰依する)のが、仏道の初歩だと言います。
618名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 01:42:52 ID:P8oJSY1S
619名無しさん@3周年:2005/11/18(金) 19:36:06 ID:WNCM0txp
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
620名無しさん@3周年
コピペコピペコピペ・・・・・果てしなきコピペ・・・・・