【異端】聖書解釈議論スレッド【異教】

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35名無しさん@3周年
名前:アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA 投稿日:2003/10/22(水) 22:52
>>702,>>709
 続いて、「神と子」もしくは「主とキリスト」が、“the A and the B”の形式で記述されている聖句を挙げます。
 つまりこれは、冠詞の用法が、厳密な意味でのシャープの法則には当てはまらない場合です。
 まずは、ヨハネ 20:28です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「それに答えてトマスは彼に言った、「わたしの主、そしてわたしの神!」」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。」

口語訳聖書(プロテスタント)「トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」」

 ここは、英語にして“the Lord of me and the God of me”の形になっています。

 この聖句は、シャープの法則によって三位一体論を擁護したい三位一体論者にとっては頭の痛い聖句です。
 というのも、三位一体論的なシャープの法則をそのまま適用すれば、神とイエスとは別個の存在であるということになってしまいます。

 この問題を解決しようとして、三位一体論者はこう論じます。
 「ここでは、神とイエスとの両方に冠詞が使われている。
  これは、神とイエスとがお互いに対等であることを意味している。そこで、この聖句は三位一体を証明する聖句である」。
 しかし、これは大きな矛盾です。
 結局、三位一体論者に言わせれば、定冠詞の用法がどちらであっても、結論は同じで、キリストは神ということになります。
 これでは詐欺です。

 あるいは、三位一体論者はこう述べます。
 「ここで、トマスはイエスが主であり、神であると認めたのだ」。
 しかし、このように述べると、その人は、三位一体論を擁護するためにシャープの法則を捨てたことになります。
http://biblia.milkcafe.to/thesis007.html