山岡謁郎「現代真理論の系譜―ゲーデル、タルスキからクリプキへ 」
・・・は禁止もう
伸び過ぎだろw
乙です。
分析哲学
i : {_{从: : : i }人 i| l: :|: :i|
|::小=・==- -==・=从: :|、
|::|l⊃ ⊂⊃: :|ノ:i|
.|::|ヘ r‐-、 j :: |i:! :i|
|:: /⌒l.,`ニ イァ: ::|::|:::i|
もうやめろよ・・・
新スレだぞ
今科学哲学会2011の真っ最中か
i : {_{从: : : i }人 i| l: :|: :i| ペース?前半スロー、中間から最後までハイラップ
|::小=・==- -==・=从: :|、 前3F36.3-61.6で後11.6がひたすら続いて2:23.8
|::|l⊃ ⊂⊃: :|ノ:i| エイシン、ローズ大敗必至、秋天組も不発
.|::|ヘ r‐-、 j :: |i:! :i|外国馬とブエナで決まり
|:: /⌒l.,`ニ イァ: ::|::|:::i| ブエナ以外の日本馬では、むしろヒルノとオウケン
i : {_{从: : : i }人 i| l: :|: :i| ウインは7着ぐらいだろ
|::小=・==- -==・=从: :|、エイシン、 ローズはトライアルレベル
|::|l⊃ ⊂⊃: :|ノ:i| ピサは府中はない
.|::|ヘ r‐-、 j :: |i:! :i| 外国馬はこの20年で一番レベル高い
|:: /⌒l.,`ニ イァ: ::|::|:::i| 外国馬のワンツー・・・あると思います
i : {_{从: : : i }人 i| l: :|: :i| ブエナの前走は最悪の不利
|::小=・==- -==・=从: :|、Rペースを中団追走内開かず
|::|l⊃ ⊂⊃: :|ノ:i|上位二頭は展開の助けだけ
.|::|ヘ r‐-、 j :: |i:! :i|府中2400と相関はゼロに等しい
|:: /⌒l.,`ニ イァ: ::|::|:::i|ブエナはおそらく完全に仕上げてくる・・・
i : {_{从: : : i }人 i| l: :|: :i|
|::小=・==- -==・=从: :|、
|::|l⊃ ⊂⊃: :|ノ:i|
.|::|ヘ r‐-、 j :: |i:! :i|
|:: /⌒l.,`ニ イァ: ::|::|:::i|
あーあ・・・
デイヴィドソンの魅力ってなんでしょうか?いまいち分からないのですが。
覇権を取ったこと
分析哲学は論じられた者勝ち
ディヴィドソンは駄目だろ、つまらなさすぎる
セラーズがおもろい
ピーターな
>>19 屁理屈で嘘真理を捏造するのが分析哲学なんですねw
無理に文学として読もうとしなくていいですよw
ウィトスレでウィトゲンシュタインがデイヴィドソンとクワインに完全に論破されたと言っている人がいたが
誰か詳細を知らない?
というかウィトって論破されるような対象じゃないでしょうw
>>26 いろいろ批判受けてるが…
有名なところだと、言葉の組み合わせによって表現される文を読んでそれまで自分が知らなかったことも理解できることが説明できないとか。
まあほんとにただ説明できないってだけで、それだからウィトゲンシュタインの体系が成り立たなくなるっていうような話じゃないけど。
28 :
考える名無しさん:2012/01/05(木) 10:09:52.97 0
そもそも問題にしていることが全く違う
ウィトゲンシュタインの方が課題が特殊すぎるんだ
個別鑑賞タイプの哲学者で
一般的な哲学問題にひきつけて解釈してしまうとつまらなくなる
特殊ねえ。
規約主義の方はデイヴィドソンの世代で終わったと言ってもいいだろうけど、
後はウィトゲンシュタインから規約主義を引いたら何が残るかということでしょ。
30 :
考える名無しさん:2012/01/05(木) 11:13:33.82 0
なんで言語哲学ってさびれて、心の哲学に移っちゃったの?
さびれたか?
言語哲学を心の哲学に拡張するとかサールが言ってるだけだろ?
さびれてないな。
でも確かに最近有名な英米形の哲学者は心の哲学の方が多いような。
心の哲学と言語哲学は研究者がかなりかぶってるから一概に言えないけど。
クリプキやオースティンは心の哲学やってないのか?
センスとセンシビリアは心の哲学の一種だな
哲学の歴史11巻の飯田さんのコメントを見て、てっきり言語哲学は下火になっているのかと思いました。
よろしければ、情報が新しめの言語哲学の文献を教えてくれませんか(洋書でも大丈夫です)。
さらに質問なのですが、言語哲学と他の言語学(生成文法や認知言語学)との関係ってどうなってるのでしょうか?
36 :
考える名無しさん:2012/01/13(金) 23:23:43.35 0
今ではもう心の哲学がさびれてきていますよ。
まったくもって哲学の流行というのは恐ろしいものですね。
振り返ってみると言語哲学に比べると心の哲学は不毛だったな。
今は分析形而上学がちょっと流行っているけど間違いなくもっと不毛でしょうね。
分析哲学の歴史を、フレーゲ以降の「言語論的転回」だけに見るのではなく、
19世紀以来のマッハ、ボルツマン、ポアンカレ、デュエムといった科学哲学も視野に入れて捉え返す。
それはたんに20世紀が「科学の世紀」だからという外在的な理由によるのではなく、本書が、「哲学の自然化」という大きな流れにおける分析哲学の位置を見届けようという、鋭い歴史意識に貫かれているからである。
分析哲学を導いた中心的な発想は、概念の分析を通じてアプリオリな真理を見出すという、伝統哲学とも共有する志向であったが、実は、このような「言語哲学の特権性」は、20世紀の終盤には失われる運命にあった。
それを予知したのが、クワインによる分析的真理の拒否と、認識論の自然化という主張である。
事実、1980年以降においては、言語哲学は言語学化し、認識論は認知心理学、脳科学、進化論、コンピュータ科学、社会心理学などの諸科学の成果に基づいて展開されるようになった。
このような「哲学の自然化」の流れの中で、哲学は科学に解消されてしまうのだろうか? ローティ、後期パトナム、マクダウェルなど、この問題へのさまざまな対応を視野に入れながら、
編者の飯田隆は、自然化できない哲学の領域として、懐疑論、自由と決定論、観念論vs実在論の問いなどを挙げる。
わが国の言語哲学の第一人者が、哲学のあるべき姿を求めて描いた分析哲学の歴史。戸田山和久、伊勢田哲治ら「哲学の自然化」論者を含む優れた執筆者たちが加わった労作だ。
クワインの翻訳不可能性とクーンの翻訳不可能性、ちょっと解説書を読んだだけだと本質的な違いがわからない。
どっちの説明にも信念体系やパラダイムって言葉が出てくるし。
>>38 >クーンの翻訳不可能性
クーンは「共約不可能性」ないし「通約不可能性」
だね
42 :
考える名無しさん:2012/01/19(木) 10:00:30.71 0
>まったくもって哲学の流行というのは恐ろしいものですね。
まあ確かに色々移り変わるけど結局は流行が変わるだけのことだな。
そうではないか?
固有名の意味論の勉強してるんだが、同一性言明の問題と否定存在言明の問題って今では解決されてるの?
え?
いま勉強してるんだろ?(苦笑)
まあ、哲学の問題に限って「解決済」なんてものはまずないから安心していいよ。
「意味」の意味を説明したい。
案1 観念説←名詞以外の語は想像できないだろ?却下
案2 指示説←名詞以(ry あと、文脈原理を考えてね。
案3 命題説←形而上学的すぎ。
案4 同値類説←「有意味」「同義」この二つの概念に問題なけりゃいいけど、だめだろクワイン的に考えて
案5 検証説←論理実証主義乙w二つのドグマ読もうね
案6 真理条件意味論←意味(内包)なんて使わなくても、外延を使って意味の理論はできるんやで!
ダメットの訃報から随分たつけどお前ら的には完全スルーなの?
君はダメットのどこに価値を見いだしているんだい。
そこを言わないと駄目っと。
「ダメットの訃報」など無意味である
なぜなら,すでに死亡していれば,指示対象が存在しないから(冗談)
>>46 >観念説←名詞以外の語は想像できないだろ?却下
「痛い」は想像できるね
>指示説←名詞以(ry あと、文脈原理を考えてね。
指示対象は個物とは限らないでしょう
>命題説←形而上学的すぎ。
なぜ? 形而上学の定義は? 「形而上学すぎ」てなぜ悪い?
で、君の「意味」定義は?
細かい議論の望めないことが自明の場所で
教科書的な整理にツッコミを入れるのは無知の告白です
他はハイデガースレとかドゥルーズスレなのに
ここはひとまとめにして「分析哲学スレ」なのねっていう
哲学の分析は楽しい。
>>53 ハイデガーやドゥルーズは素人にも敷居が低いから
よい子のための分析哲学 ってのを読んでたら「パトナムの定理」というものが出てきたんだけど、
詳細わかる人いますか?
今、一番ジャルゴンが多いのは分析哲学だろうな
秘教的といってもいい
そこが良さってのが皮肉
ラカンの人のコピペですね。わかります。
言語哲学の形式意味論とかだけじゃなく「言語学」も読むといいよってばっちゃがいってた
言語学者がスルーする議論多すぎ
そうでもない。
むしろ言語学者にとっても論理学や形式意味論は無視できなくなってる。
62 :
考える名無しさん:2012/03/29(木) 17:33:16.86 0
数理論理学コンプの悲鳴みたいなレスが多すぎるな
と数理論理学コンプが言ってます
64 :
考える名無しさん:2012/04/03(火) 16:43:32.64 0
昆布?
65 :
考える名無しさん:2012/04/03(火) 23:00:14.32 0
デイヴィドソンの真理条件意味論について質問です。
彼は意味論を構築するのに公理的な方法をとっていますよね。つまり、文を形成する
ための要素(単称名や述語)の公理と合成規則からなる理論があればよいと。
66 :
考える名無しさん:2012/04/03(火) 23:02:19.15 0
つづき
一方で、根源的解釈の場面では解釈するときの対象は”文”単位ですよね。
デイヴィドソンは得られたT理論(文)から、どのようにして語の公理を作るのでしょうか?
(クワインの場合は分析仮説というのがありましたよね、たしか)
作ってないし作れません
彼が言ってるのは単に「任意の文が真であるのはその翻訳が真であるときのみである」ということだけで、どの翻訳がその文の正しい翻訳かを判断する方法を示しているわけではありません。
>>67 翻訳の不確定性ですね。肝心なところを理解してなかったようです、ありがとうございました。
デイヴィドソンの真理条件意味論とモンタギューのモデル論的意味論って具体的に何が違うのですか?
デイヴィドソンの理論は外延的で、モンタギューのは内包も扱えるというのは分かるのですが。
単純に考えると、内包も扱える時点でモンタギューの意味論の方が優秀だと感じてしまいます。デイヴィドソンの理論のメリットは何でしょうか?
あと、
最近の分析哲学界隈ではどんな話題が話されているんですか?
なんだかんだ言って、言語哲学や心の哲学はその大部分が科学化されてしまった気がするので。
>>70 二次元様相意味論とか使った形而上学が大流行
72 :
考える名無しさん:2012/04/18(水) 03:58:39.48 0
二次元様相意味論? 初耳だな
だれが言ってるの?
言語哲学方面では、普遍者(個物と対比しての性質や関係といったもの)はどういう扱いなんですか?
たとえばモデル論的には、性質は個体の集合だし、関係は個体の順序対の集合とされていますよね。
でも日常的に考えたら、性質や関係の意味を問われたときにその外延を列挙するなんてことは皆無な気がします。
別の言葉で説明、つまりその内包を説明することがほとんどだと思います。
固有名の意味論なんかはよく議論がなされている印象がありますが、その他のカテゴリーはどんな分析がされてるのでしょうか?
よろしくお願いします。
74 :
考える名無しさん:2012/04/23(月) 23:02:36.04 0
宿題乙
75 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 20:16:42.01 0
分析哲学って資本主義に似ているな。
左翼がいないからな
分析哲学にはヘーゲルがいないから右翼左翼以前だって言うのはどこの発言だった毛か
78 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 09:19:47.60 0
いや、左翼とか右翼とかって意味ではなくてさ。
分析性と総合性って程度の差でしかないんですか?
80 :
考える名無しさん:2012/05/19(土) 20:25:31.34 0
分析哲学とは、検証主義を基本とした、数理論理学と考えられる。現代の論理学では、ゲ−デルの不完全性定理で、命題が
「人間の理性」を超えたものに対しては、証明不能と言う結論が出ている。これは数理論理学の限界を示す
ものであり、又、論理実証主義の限界とも考えられる。人間理性を超えた実体(生命現象)に対する、
新たなる生命哲学を含めた総合的な哲学の創出が、今、求められている。
>>79 たとえばA=Aという同一律はどんな可能世界でも必然的に真としか思えないがな
程度の差といっても総合命題とは圧倒的な程度の差がある
>>81 「同じ」Aが二つあるのはなにか、それを結びつける「=」とはなにか、ということを考えるのが哲学。
A=Aが自明だと思ってるのは哲学以前だな。
「数学」っていうのは、必ずしも「数の哲学」ではないんだ?
「数の哲学」は大学の数学科で学べるの?
それは学部レベルから始められるの?
「数の哲学」をしない数学研究者っているの?
82みたいなのを「認識論的後退」と言う
「A=A」は真理というより「=」という記号のただの定義だしな。
自明とかそういう問題ですらない。
高校レベルでは習ってないかもしれないけど
「A=A」は定義じゃなくて同一律っていうんだよ
AがA自身と同一であることを表している
もし「=」が定義記号なら「A= gふぇw4hうぃ3」でも「A= vん5えおpつぉ3r」でもありうる
はい、「A=A」の反証をどうぞ
ぷふぃw
> 「A=A」は定義じゃなくて同一律っていうんだよ
それは世界に関する事実と言語に関する事実の区別がつかなかった
時代の誤った考え方だな。
> もし「=」が定義記号なら「A= gふぇw4hうぃ3」でも「A= vん5えおpつぉ3r」でもありうる
もちろんありうる。しかし、現実の「=」はそう定義されていないだけの話。
91 :
考える名無しさん:2012/06/03(日) 02:45:28.74 O
>>87 君はもっと数学を勉強しなさいw
=は定義記号だわな。
しかも恣意的な世界だわな。
=は「同じ」ではなく「同じとみなす」が正しい。
a=a、つまりaをaとみなす、だと命題として成立しない。
だから実際に数学でa=aのような表記はされないし、定義としても成立しない。
92 :
考える名無しさん:2012/06/03(日) 03:40:16.40 O
>>87 >AがA自身と同一である
これは命題として成立しているかな?
主語―述語の文として成立してるかな?
根本的におかしいわなw
名無しピカぁより87が正しいなw
まあ波平のはコンテキスト関係無しにどっかの情報をチラ見して同じ単語がある箇所をひっぱってきてるだけだからいつも間違いだらけでなれっこだけどw
94 :
考える名無しさん:2012/06/03(日) 03:44:57.12 0
ドナドナ哲学
>>87 いや、それは等号の定義(公理)の一部とするもんだよ
それに、同一律じゃなくて反射律ね
どのロジックの入門書にも載ってると思うけど
おっと失礼
定義記号とは「左辺を右辺でもって定義する、A:=B」というような意味か
確かに
>>86の方が勘違いしてるみたいだね
>>91 「=」は数学ではたんなる「等号」であって「定義記号」ではない
定義する際にそれを用いる場合があるだけの話
たとえば同値記号「⇔」だって定義に用いることが多い
>>95 論理学、哲学では同一律、数学では反射律というだけで意味する内容は同じです
文学的には自同律。根源的な不快感というニュアンスを含む。
101 :
考える名無しさん:2012/06/03(日) 11:45:39.81 O
>>98 いや、俺が言いたいのは記号論に言及しているわけ。
記号は恣意的な共通ルールで全般に定義や関係性を表現するわけよ。
だけど何らかのの差異ある対象同士を媒介するからこそ記号の役割がある。
だけど全く同じaという記号同士でa=aとしても、=の媒介としての記号の役割は果たしていないの。
山田太郎は山田太郎(自身)である、という文がなんの価値も判断もないことと一緒なのよ。
アホw
すごく初歩的なことを言うと、記号は対象を表現しない。逆だよ。
記号によって表現されるものが対象なんだな。
なんで文脈原理も知らない人がこのスレに来ちゃうんだろうw
105 :
考える名無しさん:2012/06/04(月) 14:53:21.75 O
>>103 じゃあ、演算記号である+や−などは対象とよんでいいのかな?
記号はそれ自身で対象になり、置き換えとして対象を表現したり、あるいは直接に対象を表現せずに他の記号を媒介したり、つなげたり、意味を加えたりする。
君のレス内容だと、記号の多様性を犠牲にしてしまうね。
a=a、という形式は実際に表記されないし、記号を理解していない証拠だわ。
いや、だからそれをすると単なる語が並んだものと文とが区別つかなくなるよね。
言語哲学大全読んでね。
なんで文脈原理も知らない人がこのスレに来ちゃうんだろうw
108 :
考える名無しさん:2012/06/04(月) 17:01:13.37 O
こりゃお笑いだわなw。記号はそれぞれ役割を与えられており、本質を代替している。
だから記号になるわけよ。
語が文を形成せず、バラバラになるならその語は記号ではない。
記号はしかるべき記号と結びつき文を形成し、その文そのものが一つの記号になり、他の文と結びつき記号化していく。
言ってる意味が分からないけど、
同じ語が、文を形成したりしなかったりということはあると思うんだけど、
文を形成することで、記号のクラスが外延的に変わったりするわけ?
破綻したモデルだねw
5 = 2 + 3 というのは記号論では
「5を2+3だと定義する」
ということになるの?
数学の哲学だとそうはみなさない(し、普通の記号論の人もそんなこと言わないだろう)けどね。
トートロジーは命題ではないというのも普通の論理学の考え方じゃない。
分析哲学ってのは哲学的才能を欠いてる人に、
哲学もどきの議論をする道を開いた分野だな。
ラッセル自身がまさにそういう人。
112 :
考える名無しさん:2012/06/06(水) 06:08:24.68 O
ラッセルは日本だと反戦運動とか幸福論みたいなエッセイとか非哲学的な仕事で有名よね
ラッセルは、数学基礎論において、ちゃんとした業績を残しており、
20世紀ではライプニッツやデカルトに比すべき貴重な人物。
哲学という蛸壺の中でしか活動していない他の哲学者もどきと
一緒にできないのは確か。
114 :
考える名無しさん:2012/06/06(水) 12:53:56.04 0
>>111 というより20世紀以降
分析哲学者以外で哲学的才能を発揮できてる奴はいるのか?
一人も思い浮かばんのだが
分析哲学という蛸壺の中でしか活動していない哲学者もどき
哲学的才能を発揮できてる奴がいるのは分析哲学者以外
一人も思い浮かばん蛸壷の住民
♪泳げ蛸焼き君!♪
116 :
考える名無しさん:2012/06/06(水) 16:10:30.01 0
> 一人も思い浮かばん蛸壷の住民
>
> ♪泳げ蛸焼き君!♪
哲学的才能溢れる詩的アイロニーとメタファーだな
分析哲学では絶対に目にすることができない
まあ心の哲学で現象学はいいとこ突いたんじゃない?
現役最強の分析哲学者だれですか?
>>117 全然。
20世紀以降分析以外で哲学的進展はほとんどないよ。
121 :
考える名無しさん:2012/06/07(木) 14:18:33.89 0
>>120
分析哲学は、現象意識としての、「主観的意識」の問題を追求する「ハ−ドプロブレム」哲学に
対して、どの様な取り組みを、現在、しているのでしょうか?
122 :
考える名無しさん:2012/06/07(木) 14:19:55.74 O
>>110 一般的に演算だが、5という記号を2+3という一つのかたまり、一つの記号に分解分析したともとれる。
もちろん2+3の手続きは5であるという定義も含んでいる。
どんな演算も証明も定義なしには成立しない。定義を前提にしたものは文脈、展開によって定義の形をとる。スタートが定義から出発しているからね。
>>109 君に言いたいね。内包だの外延だのの概念は放棄したほうがいいwww
123 :
考える名無しさん:2012/06/08(金) 16:20:27.65 O
>>109 >同じ語が、文を形成したりしなかったりということはあると思うんだけど
違うね。
語そのものが文を含んでいる。
例えば「日本人」という語は「日本人とは日本国籍を有するものである。」という文を含んでいる。
つまり記号には文や判断が含まれているために、記号は関係ある記号に結びつき、秩序が形成されている。
>例えば「日本人」という語は「日本人とは日本国籍を有するものである。」という文を含んでいる。
だから、これは外延の例示だよねw
含んでいるといえば、「日本人」が含んでいるのは強いて言えば、
「日」「本」「人」という文字であって、
どこを探しても「日本人とは日本国籍を有するものである。」は含まれていない。
125 :
考える名無しさん:2012/06/08(金) 16:38:44.32 O
だからね、最小の語そのものでは存在しない。前にいったけど人間の理性で恣意的な共通ルールを設定するわけ。
つまり、最小単位の記号は文を形成する、しないではなく定義化するの。
>語"そのもの"が
もう少し慎重に言葉を選ぼうぜ
語、含む、定義化
このあたりの用語の使い方が錯綜しているな
電波みたいな断言だけされても困るw
とりあえず存在すると言うことは数えられることなので、語が数えられるなら存在するよ。
歴史をおさらいすると、意味がルールの合意に基づけると規約主義批判にひっかかって、
文の意味を抽象的な意味の世界に求めると意味のモノ化批判にひっかかる
意味って頭の中にあるの?外にあるの?
語の外延、内包
文の外延、内包
このへんの区別はちゃんと意識しましょう。
>>130 頭の中にあるよ
パトナム等の外在的な議論もあるけど、最近は内在論の方が説得力あるね。
ジャッケンドフの本をよみましょう
まずは内と外の定義を明確にしないとなw
物理的にも数学的構造上も人間の体は閉じていないから何をもって内とし、
何をもって外とするのか?
生物学的に内と外を分けるのは免疫反応とかだろうけどな
免疫反応の有無で意味の内在/外在を決めてるわけじゃアルマイト
134 :
考える名無しさん:2012/06/10(日) 01:01:59.31 O
飯田隆が最近の潮流を扱った五巻出さないだろうか
>>134 ダメット、パトナム、セラーズ、ブランダム、マクダウェルあたりの解説をしてほしいね。
所詮 、翻訳哲学w
デヴィッドソン解説なんてもう十分やろ。
ソウザやウィリアムソンあたり取り上げんと。
じゃあ訊くけど、ウィリアムソンの哲学では
パトナムとかデイヴィドソンは禿げているの?それとも禿げてないの?
139 :
考える名無しさん:2012/06/10(日) 14:51:28.60 0
分析哲学のミクロ的議論もいいけど、現代哲学の中で、現在、どの様な位置に
あるのか、又、分析哲学がマクロ的な経済、政治にどの様な取り組みをし、且つ、
影響を与えているかの哲学的論議も是非知りたい。
日本の分析哲学者ってそういうの全く興味が無い視野の狭い奴が多いだろ
>>138 彼は認知説をとるから、われわれの知らないところで、その答えはどっちかに決まってるんだよなw
142 :
考える名無しさん:2012/06/11(月) 00:30:17.94 O
>>130 外の秩序ある世界の一部を切り取ったものを、俺らのアプリオリに内在している直感が反応して意味の構造を創りあげているかもしれない。
つまり源泉は外だわな。
秩序なしに意味は形成されない。
あほん
>>139 そういう哲学的論議をさせない仕掛けが分析哲学
哲学的議論をさせないための主な誘導先↓
1.古典研究
2.個別哲学者研究
3.心理学
4.社会統計調査
4.ゲーム理論/合理選択主義
5.マルクス主義
6.オルタ系文学批評
7.分析哲学
だからね、そもそも「分析」ってなに、っていう根本的な議論になってくるんだよ。
分析ってなに?
146 :
考える名無しさん:2012/06/12(火) 05:19:48.58 O
>>143 アホ?
なら君の意見もききたいねw
意味の源泉は秩序にある、秩序の源泉は自然にあり、自然の源泉は神にある。よって意味の源泉は神にある。だから外だわな。
こういう認識論馬鹿が終わったのがフレーゲ・ラッセル・ウィトゲンシュタインの時代だったんだけどねw
−批判的なコモンセンスを徹底排除する洗脳教育と、
−自らの感覚が狂っていると思わせる日常的な心理操作と、
−異常な行為を正当化させる利益誘導
これだけで、たいていの人間はとり込まれるし、
頑なにとり込まれることを拒否する人間は徹底的に潰される
149 :
考える名無しさん:2012/06/12(火) 19:36:46.15 0
そうねえ、分析哲学もこのごろはつまらくなったよねえ。
150 :
考える名無しさん:2012/06/13(水) 07:32:48.38 0
専門化して低学歴にはフォローできなくなったからね。
この板レベルでは「つまらくなった」とつぶやくのが精一杯の応答。
そんなニュアンスは飯田の最近の書き物にもあったが、
それをいっちゃおしめ〜よ? だろ?w
「分析哲学」者ってのは現代のソフィストだよ。
>>150 こういうこと言って、ひとりで悦に入った
ようなこと書いてるのが、つまらなくする元凶だろ。
どうでもいいから分析哲学の内容について書けよ
155 :
考える名無しさん:2012/06/15(金) 15:18:00.67 0
分析哲学とは、プラグマティズムを基本概念として、あらゆる事象に対して明晰さの
追求と、徹底的な論述を特徴とする哲学。分析哲学の内容は、記号論理学を中心として
論理実証主義を展開していく手法。分析哲学の問題点は、カントの述べる「神」「自由」
「霊魂」「主体的認識」等の実証論理学の「命題」に定義化できないものは、論理の対象
から外している点である。 クワインの「経験主義とふたつのドグマ」で、分析的と総合的
と言う二分法と、還元主義とは、単なるドグマだと述べている。分析哲学の今後の課題は、
特に、「主体的認識」「人間の自由精神」の命題をどのようにして論理実証主義と、「生命の哲学」を
結びつけて行くかと言うことだと思う。
立ち去る寸前、捜査員=「PIKARRRか」問われ素直に―東京・蒲田の漫画喫茶・波兵容疑者
おらおら、波平、また板が落ちてるじ! はたらけかす!
158 :
考える名無しさん:2012/06/15(金) 15:23:59.73 0
ここまで怠慢だと、むしろ波平が落とした可能性もあるな
またどんずまってきたから「はかいだ〜」とかわめきつつ板ごとリセットしたんだろう
蒲田行進曲
板管理人 = PIKARRR = 高橋容疑者 = 今拘置所 でOK?
163 :
救世主:2012/06/15(金) 16:39:48.15 0
心と宗教板の救世の提案で世界が平和。(本当に)3を見て下さい。
哲学より難しくないけど哲学より圧倒的にいい。哲学で幸福歓喜に
なんのかよ!これは幸福歓喜になりすぎるのなりすぎる。ノストラ
ダムスの予言した救世主。私は純日本人です。
166 :
考える名無しさん:2012/06/15(金) 21:20:25.48 0
>>155 ふうん。
ドゥルーズやフーコーとは真逆?
167 :
考える名無しさん:2012/06/15(金) 22:03:22.67 0
>>155 1960年代で時計が止まってるなw
50年後にタイムスリップして来た人ですか?
分析哲学批判してる人で五十年前で止まってる人いるからな。
いまだに「分析哲学(=論理実証主義)は〜」とか言ってる人見かけるし。
どんどん新しい人出てきてるっちゅーねん。
まあこっちも大陸哲学はデリダフーコーで止まってるので
お互いさまかもしれんが。
フーコーは分析哲学嫌ってなかったろ
事実誤認ひどすぎw
サールとフーコーは仲良かったからな
教祖は仲良し。
信者は、敵対罵倒。
172 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 18:22:18.32 0
フーコーだって最終的にはさまざまな事象を分析・理解するために、精神の歴史的段階みたいな考え方を提出したんだからね。
173 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 18:29:18.35 0
>>169 てか分析哲学者にもフーコー好きはけっこう多いよ
そうかぁ? たとえばだれ
ドレイファスとか。。
176 :
考える名無しさん:2012/06/17(日) 19:38:17.79 0
>>168 フ−コ−は、個人の倫理を発展させて、構造化した社会の管理システムを「生の権力」と述べて、
その変革を呼びかけている。又、フ−コ−は論理思考について「知の役割は、絶対的な真理を証明
する事ではない」述べている。これは、論理実証主義の限界とも受け取れるし、又、カントに於ける
命題化出来ないものとしての、「理性の限界」とも考えられる。現在、「理性の限界」についてドゥル−ズ、
デリダ、ジョン・サ−ル、ストロ−スはどの様な論理展開をしているのでしょうか。
半分くらい死んでないか
178 :
考える名無しさん:2012/06/17(日) 20:08:44.39 0
ストロースってだれ
180 :
考える名無しさん:2012/06/17(日) 20:50:06.72 0
>>179 オズの魔法使いにでてくる、わらのかかしさんのことじゃない?
182 :
考える名無しさん:2012/06/18(月) 00:46:25.74 0
>>139 米国の政治哲学者は割と分析哲学の影響が強い人が多いよ。
それこそロールズだとかネーゲルだとか最近話題のサンデルだとか。
分析哲学というよりももうちょっとだけ広く英米哲学といったほうが良いかもしれないけど。
ネーゲルの本いくつか読んでみたら良いかも
クワインをなぜ食わいん
基本互いにシカトで例外だから仲がいいことが注目されわざわざ話題になるわけよ。
話題にもならない。人間関係なんてどうでもいい。
つうか日本の哲学者は最近の英語圏の哲学の翻訳はよせい
その点政治哲学は仕事早くてエライ
翻訳哲学乙
陸哲に言われたかねえ
分析系は日本語の不自由な奴が多いからな・・・
英語読めないの?
分析哲学の言語は、完全に、英語>日本語だから、
わざわざ訳そうなんて思ってもみないのよ。
普遍的とか言ってた奴がいるけど嘘だよな
あと大陸哲学とは違ってジャルゴンが少ないというのも大嘘
テクニカルかつ秘教的で英語圏中心主義が酷い
英語圏中心主義って…
英語は国際語でしょ
学術やるなら読めて当然だと思わなきゃ
カルナップではなくカーナップ
クリプキではなくクリプキー
セオドア・サイダーではなくシオドア・サイダーです
>>194 馬鹿に対してはとくに壁が厚いから「普遍的」ではない。
適当に雰囲気でジャーゴンつなげとけば馬鹿でも半可通でも
一応それっぽいことを語った気になれるというジャンルではない。
その意味では分哲は排除的だな。理解できないなら逃げるのが吉。
とりあえず一般向けの本も出しとかないと
新入生が入ってこない。ポスモダに客が取られる。
ポストモダンの悪口を言う時はただの酷い言い回しになりがち
ポストモダンはあまり分析哲学の悪口を言わない
ここなんとかするべき
まるで両者が対等だと思ってるふうだな
そういう態度が反感を買って人気がないんじゃねえの
一方のハードルが低すぎるというか、何か馬鹿を引き付ける魅力があるんだろうな
理系の学問なら早い段階で皆が触れてきて入試でフィルターかかるから、起こりにくい現象なんだろう
「ポストモダンは全然分からん」
「分析哲学は全然分からん」
前者はポストモダンの悪口に聞こえる
後者は自分がアホですと言ってるように聞こえる
この違いは大きい 理不尽ですらある
分析系の言語哲学の議論って、
お前それ言語哲学というより英語哲学だろ、って言いたくなるような
インド・ヨーロッパ語族や特に英語にしか当てはまらなそうな議論が
それなりにあるよね。
ああいうのって日本人がマジレスした方が良いんじゃないかなあ、とは思う。
ラッセルが英語をそのまま論理学の記法に合わせたからね
その伝統のせい
そもそも論理学自体がメタ言語の構造に依存せざるをえないから
そもそも、なんて言うけど、メタ言語が英語である必要がないのは明らかでは
だからだいたいラッセルのせい
だからと言われても…
まずOn denoting読みなよ
形而上学とか言い出してからの分析哲学のジャーゴン化は
大陸系のジャーゴンと大して変わらん
トロープとかスーパーヴィーニエンスとか
便利な概念ではあるけれど、便利すぎて厳密さを失ってしまった
適当な理解だとそう思えるのかもな。
・・・っていうような「信じてない人間には理解できない」レベルの
反論しか返ってこないんだよなあ
「理解するための努力と頭のない人には通じない」の間違いでは?
数学とかお好き?
おまえらは分析哲学の外枠の話ばかりで内実の議論ができないのなw
分析哲学の本ほとんど読んでないだろ
だから誰か
>>73に答えてよー
ずっと待ってるんだけども。
結局クワインを超えられる分析哲学者は現れてないな
所詮 翻訳哲学。学問以前。
出版業界的事象以下だろ。
現象学
220 :
考える名無しさん:2012/07/29(日) 10:32:12.68 0
オープンアクセスな分析哲学のジャーナルでおすすめ教えろ下さい
日本語マスターしてからにしろ
>>216 最近はやりのトロープちゃん
普遍も必ず個体化されてるトロープちゃん
>>222 トロープ?なんじゃそりゃ
分かりやすく解説してる文献とかあったら教えてください
224 :
考える名無しさん:2012/08/03(金) 03:01:56.82 0
対象 −種
| |
偶有性−性質
プログラマーの人が分析哲学やってるとそういうバイアス疑いたくなる
ちくま新書の分析哲学講義で転向しました。よろしく。
あれ評判いいねえ
やっぱ日本人はウィトゲンシュタインが好きなんだな
八木沢・青山から岡本のネオプラ本まで入門書プチブームだったけど、
ネット見てるかぎり八木沢を読んでイライラしてる「大陸系」が結構いる感
なんなんでしょうねw
大陸系は海外で通用しないショボい人達しかいないから
アメリカで活躍してる世界のヤギサワさんに嫉妬してるんだろう
八木沢の本は、単に日本語が駄目。
啓蒙書としての完成度も高くない。それだけだろ。
本人が米で活躍とか関係ない。
世界じゃ分哲が標準なのに日本じゃ(笑)みたいなのいかんのだろ
しらんけど
欧米では基督教が標準なのに日本じゃ(笑)みたいなのいかんだろ
しらんけど
哲学は宗教じゃないので
(キェルケゴールはどうなんだとかそういうことは言わないこと)
でも実際分析哲学者じゃなくて思想家でもないような哲学者って
そんなに多くないと思うよ
少なくとも欧米では
大陸系やることはすでにマルクスだのヘーゲルだの価値が入り込んでるからね
むしろあっちのほうが宗教に近い
青山の自演レスは10年前からあるなw
論拠なき当てずっぽう
本人が来てるみたいなレス時々見るけど
こういうのは何?
願望?
分析哲学者にも倫理思想家は普通にいると思うんだけど、
大陸系?が仮に信用を落としているとしたら単に論述が杜撰だからじゃないのか。
大陸系とか、誰のことだよ。
適当すぎて話にならん。
こんな適当な言葉遣いするということは
分析哲学をやっている奴ではなさそうだが。
俺が何を念頭に置いてるかなんて文の真偽とは別だからなぁw
>>240 そういうのこそ言葉遊びじゃないのかね?
よくわからないけど、
論文を書くような覚悟で2ちゃんに書き込んで欲しいの?
分析哲学系の意味論(真理条件的、検証条件的とわず)って、ものすごくfolkloreな、常識的なことを言ってるようにしか思えないんだが。
いまだに日本じゃ全員理想言語学派とか思われてる節あるな
いつの時代だよ
他学派へのケンカの売り方が幼稚なせい
分析哲学系でない意味論って例えば何よ
>>246 マルチネとか、ムーナンとか
バルトとか、クリステヴァとか
シニフィエ・シニフィアンだと意味のイメージ説の困難どうやって突破すんの?
ソシュールの言語学だと
そもそもシニフィエは聴覚イメージのことだから
困難なんてないんじゃ?
まあでも上位互換の英米言語哲学と理論言語学があればいらないよね
真理条件的意味論は要はアリストテレス以来の常識的立場を
きちんと現代的に定式化しましたよということで、当たり前に思えるのは或る意味で当然。
検証条件的な意味論は、すごくバッサリ言って
直観主義論理(古典論理から排中律のような非構成的な推論を除いた論理)に対して
完全性を成り立たせる意味論が欲しいというような動機が強いので
そこらへんを知らないと何が嬉しいのか全然分からないと思う。
そもそも個人的に「意味論」という言葉で念頭に置いてたのは
可能世界意味論とか操作的/表示的意味論だとか
証明論的意味論とか相意味論とか、そういう言葉に表れる「意味論」だったので
言語学者はともかく批評理論の人とかが出て来てびっくりした。
批評理論とか馬鹿の代名詞だよな
相変わらず視野狭窄だけが際立つスレだな
あるいは記号論ってやつね
飯田隆の言語哲学大全のXっていつ出るの?
批評理論とか記号論とか
いくらなんでも関係なさすぎるだろww
文学板でやれよw
文学言語の理論が、分析哲学に関係ないと思い込める態度がまさに視野狭窄。
三浦俊彦が『虚構世界の存在論』のコメンタリで、
アメリカでは分析哲学系の文学研究も沢山と言っていたね。
三浦は文学理論とか興味ないらしいけどねw
そういうのは分析美学で扱ってんじゃないか
いや、だから土屋俊が言ってるだろ、「文学者に出番はない!」と。
>>257 それはとてもいい視野狭窄だよ
フィルターが機能しているということ
お前も水道からゴミが出てきたら嫌だろ?
晒しage
土屋さんにあんだけボコボコにされた後で
「可能世界の哲学」を出版できる三浦さんみたいな心の強い男になりたい
264 :
考える名無しさん:2012/08/27(月) 17:44:48.09 0
だいたい
批評理論みたいなゴミクズが絡んでくるのが謎
分析哲学という権威にかまってほしいだけじゃないのか
文学は勝手に衰退しとけ
哲学全般と関係あっても良いが少なくとも
統語論意味論というときの意味論じゃない
ジュース買ってきてと言ったら高級バルサミコ酢買ってきた、みたいな感じ
いわゆる分析哲学みたいな古い考えでは、
哲学の営みとは専ら概念分析をすること
(様相概念の分析とか、言語分析などなど)、でも
現代のいわゆる分析哲学は概念分析に収まり付かない
ようで(戸田山教授曰わく)
じゃあ「新しい考え」の例を挙げてみてよ
心の哲学とか科学哲学とかのやってることが、
専ら概念分析であるというとそうかなーという疑念が湧くようなきがす
269 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=6,xxxP】(1+0:8) :2012/09/04(火) 14:26:23.07 0 BE:684354825-2BP(3)
ウィトゲンシュタインはまちがっている。
ウィトゲンシュタインは、ことばが適切に使われれば、哲学的謎は自然と消えると
主張している。しかし、そんなことはありえない。
人の認識は、対象を完全に正確に表現することは絶対に不可能であり、
ことばを完全に適切に使うということは絶対にありえないのである。
ウィトゲンシュタインは、客観などというものが存在すると思っていた旧態の
哲学者である。
現代においては。人の認識が真理に決して到達できず、より近い近似をするのが限界なのは
明白な事実である。
論考は言語にも思考にも限界があるっていう話だから
>人の認識が真理に決して到達できず、より近い近似をするのが限界
ウィトゲンシュタインだって似たようなこと言うと思うけど。
>>269は何にでも限界を唱えて得意がるのが趣味の人でしょ、放っておきなさい
273 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=7,xxxP】(1+0:8) :2012/09/05(水) 12:44:57.34 0 BE:1710885555-2BP(3)
高橋昌一郎、おれの質問に返信しなかったな。
楽しみにしてたのに。
なんて質問したの?
275 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(1+0:8) :2012/09/08(土) 13:09:58.12 0 BE:2737416285-2BP(3)
tuorua@tuorua9876
@ShoichiroT 限界シリーズ三冊を読み終わりました。
疑問なのは、ヴィトゲンシュタインを高く評価していることです。
ことばは対象を完全に表現することは絶対に不可能であり、
だから、人の認識は物自体には決して到達しない。
ことばが適切に使われれば哲学的疑問が消えるなど間違いです
tuorua@tuorua9876
@ShoichiroTヴィトゲンシュタインなど、カントの足元にも及ばないことがなぜわからないのですか。
楽しい討論でしたが、正解をいっているのは、、まずみんなで純粋理性批判を読むべきというカント主義者の発言です。
人の認識が物自体には決して届かないことを知ることが現代哲学の第一歩
tuorua@tuorua9876
@ShoichiroT つづき。であり、科学哲学はいまだ、カントを正しく理解することもできないでいるのかと思うと、現代哲学の水準の低さに愕然とします。
限界シリーズは、最も愉快なのはカント主義者であり、最も正解をいっているのもカント主義者なのです。
276 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 13:11:13.33 0
>ウィトゲンシュタインはまちがっている。
>ウィトゲンシュタインは、ことばが適切に使われれば、哲学的謎は自然と消えると
>主張している。しかし、そんなことはありえない。
あなた、あなたね、間違ってますよ。ユーは、間違っている。
まず、前提が存在しているんです、ウィトの主張には。
ウィトは考えたわけです。哲学の問題は、生み出されている、言葉の誤用から。
それゆえに、解決することができる、哲学の問題を、言葉を正しく使用すること
によって。
言い方をかえれば、こうです。
哲学的問題、それは言葉の誤用から生じた、それは、解消することができる、
言葉を正しく使用することによって。
しかし、もちろんウィトは間違った。なぜならば、すべての哲学の問題が、
生じるわけではない、言葉の誤用から。
277 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(2+0:8) :2012/09/08(土) 13:15:00.04 0 BE:1847755793-2BP(3)
>>276 何がいいたいのかわからないので、言い方を変えて説明してください。
あと、質問はつづきがあります。
278 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(3+0:8) :2012/09/08(土) 13:17:17.26 0 BE:1231838429-2BP(3)
tuorua@tuorua9876
@ShoichiroT 高橋昌一郎は、ウィトゲンシュタインを高く評価しているようだが、おいらは反対だ。
ウィトゲンシュタインの主張とは、ものごとを指し示すことばが正しく選ばれた場合、哲学的謎は、自然と消え失せるといものだ。。
tuorua@tuorua9876
@ShoichiroT しかし、ことばとは、対象を完全に正確に言い表すことは不可能で、
ヴィトゲンシュタインの主張は、ことばが対象物の近似であることを理解しないまちがった主張である。
やはり、対象は認識できないとしたカントが正しいのである
tuorua@tuorua9876
@ShoichiroT もし、良ければ、空性の限界とか(中村元の原始仏典を8冊読みましたが、仏教の空はまちがってます)
神性の限界とか、いう続編を出して、カント主義者がいかに正しかったかをしっかりと書き記してほしいですね。
279 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 13:20:56.81 0
ウィトは考えたわけです。言葉の誤用は、生み出す、哲学の問題を。
哲学の問題(生み出された、言葉の誤用によって)は、解消できる。
使用することによって、言葉を正しく。
しかし、哲学的問題(生み出されていない、言葉の誤用によっては)は
解決することができない。使用することによって、言葉を正しく
こういうことです。
280 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(4+0:8) :2012/09/08(土) 13:23:06.68 0 BE:1094967528-2BP(3)
>>279 外国の方ですか?
日本語が苦手なようですね。
あなたのいってることは、ウィトゲンシュタインの主張通りに哲学が終わったりしないということでいいですか?
文法について論じたウィトゲンシュタインを語るなら、
まず日本語の文法を正しく使ってください。
とでもツッコんでほしいのか?
>>279
282 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 13:36:22.06 0
私は日本人です。
これは、メソッドです、画期的な。
あなたは、することができます、同時に。議論をすること、哲学について
と勉強をすること、英語について。
これは、オススメです。
>あなたのいってることは、ウィトゲンシュタインの主張通りに哲学
>が終わったりしないということでいいですか?
答えはシンプルです。
ウィトは間違っていた。
現在において、ほとんどいません。次のように考える人は、
哲学の問題が、のみ生じる、言葉の誤用から、と。
ウィトの言う「言葉を正しく使うこと」ってのは「対象を完全に正確に言い表すこと」ではない。
「言葉の不完全さを承知すること」に近い。
だからカントに背いてない。
ウィトは対象を完全に正確に言い表すことが”できない”からこそ哲学的謎が生じると言っている。
不完全さを承知した上で検討すると、謎・問いはそもそも擬似問題に過ぎなかったことがわかるはずだ、というのがウィトの主張。
284 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 13:42:04.08 0
存在している、二人のウィトが。
前期においては、ウィトは考えた。言葉と世界は、共有している、
論理形式を。
後期においては、ウィトは考えた。言葉は、自立している、それ自身で。
よって、後期のウィトは、次のようには考えない。人が、捉えることができる、
対象を、正確に、言葉によって。
285 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(5+0:8) :2012/09/08(土) 13:56:10.68 0 BE:615919133-2BP(3)
>>282さんはいってることがおれの主張の肯定で、それなのにおれに反論しているのは
意味がわからないので、スルーします。
>>283 ウィトゲンシュタインを読んではいませんが、
すると、ウィトゲンシュタインが哲学を終わらせたという高橋昌一郎の説明は、
まちがいなのですよね。
286 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 14:18:00.90 0
>
>>282さんはいってることがおれの主張の肯定で、それなのにおれに反論しているのは
>意味がわからないので、スルーします。
ノーノー。あなたは、みなければいけない、論点がなにか、と。
あなたの主張は、含んでいる、論理的に、次のA点を。
@ウィトは、主張した。人は、把握できる、世界を、正確に、使用する
ことによって、言葉を、正しく。
Aしかし、ウィトは、間違っている。人は、把握できない、対象を、正確には。
なぜならば、言葉は、表現できないから、世界を、近似的にしか。
わたしは、反論している、@について、あなたの主張の。
ウィトは、次のように主張していない。言葉が、表現できる、対象を、
正確に。
ウィトは、次のように主張した。
@人は、使用する。言葉を、間違って。
A間違った言葉の使用は、生みだす、哲学の問題を
Bよって、言葉のただしい使用は、解決する、哲学の問題を。
わたしは、次のことを望む、あなたが、理解する 論点が何かと。
エキサイト翻訳でも使ってんのかw
288 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(4+0:8) :2012/09/08(土) 14:36:22.40 0 BE:958096627-2BP(3)
>>286 だから、おれは、
>Bよって、言葉のただしい使用は、解決する、哲学の問題を。
は、すべてのことばは不完全で近似にすぎないから、それは不可能だといっているのだ。
あなたがおれのいってることを理解していない。
哲学は終わったという人と終わってないという人の念頭にある「哲学」は
別々のものを指している。
終わった派の人は「終わった部分」を見て「終わった」と言う。
終わってない派の人は「終わってない部分」を見て「終わってない」と言う。
どちらも違う部分を見てるのに「哲学」という同じ言葉を使う……という場合、
指示対象の不一致によって「哲学は終わったのか?」という問いに対するそれぞれの答えも不一致となり
問いは解けない=意見が一致しないから「謎」となってしまう。
こういうすれ違いから生まれた「哲学」にウィトは引導を渡した、という意味では
(ある種の)哲学を終わらせたと言える。
ただウィトに続く哲学者が続々と現れて、結局ウィトは新しい哲学を産んでしまったわけだし、
ウィトは苛ついていたのかもしれないけど擬似問題に取り組むことも結構楽しくて、
「答え」を提供する人も「答え」を提供される人も居なくならなかったので、
(全ての)哲学を終わらせたとは言えない。
ウィトゲンシュタインはしつこく言語(言語の使用)の不完全さを訴えています。
言語が不完全だからウィトゲンシュタインの主張は間違っているというのは完全に意味不明ですよ。
そんな質問を哲学者にぶつけても黙殺されるに決まってます。
291 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 15:11:01.24 0
>>288 ノーノー、違う、違う。
あなたのほうが、理解してない。
私は、つらいよ、とっても。
292 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 15:21:47.66 0
分析哲学というか哲学は終わった学問
マージナルな問題を自分で作り出して解いてるだけ
てかウィトゲンシュタインを読んでないのにカス扱いはねえだろww
294 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(2+0:8) :2012/09/08(土) 15:56:14.37 0 BE:3695512469-2BP(3)
わたしは、物自体を認識できないのに、主観と主観で意思疎通ができることに
興味があり、その理由が知りたいが、それを説明した哲学者の話は聞いたことがない。
そういう意味だろうか?
青色本はまさにそういうことを言語使用の観点から扱ってる
296 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(3+0:8) :2012/09/08(土) 16:41:43.20 0 BE:615919133-2BP(3)
言語哲学と言語学の関係を論じたものってなにかありますか?
>>294 >主観と主観で意思疎通ができることに
それは問いの立て方が間違っている
主観が主観として定立されているなら、意思疎通は既に成立している
>>296 意思疎通の手段は言葉。
相手に意思表示して返ってきた反応が、
自分の抱いている規則にそぐうかどうか。
そぐえば意思疎通は成功したと見る。
そぐわなければ意思疎通は失敗したと見る。
テレパスじゃないので、
目に見える反応から意思疎通の成否を判断するのが精一杯。
本当に自分の主観とあいての主観が一致しているかどうか自体は確かめようがない。
300 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】(3+0:8) :2012/09/08(土) 18:10:19.55 0 BE:2053062465-2BP(3)
>>299 ウィトゲンシュタインがそういっているの?
とりあえず
>>269のウィトゲンシュタイン理解は間違い。
>人の認識は、対象を完全に正確に表現することは絶対に不可能であり、
>ことばを完全に適切に使うということは絶対にありえない
これではウィトゲンシュタインに対する反論になりません。
269自身の誤解なのか、高橋昌一郎の説明に問題があるのか、
その両方であるのかは、高橋昌一郎の本を持ってないので判断できない。
あと、哲学者の誰々は間違っている、なぜならこうだ、と主張したい場合は
解説書ではなくて、最低でもその人自身の書いた本
(ウィトゲンシュタインならば論理哲学論考と哲学探究など)を読んで
それを出来るだけ意味が通るように解釈したうえでそれに即して議論しないと、
こういう場所(2ch)でもなければ普通は藁人形論法だと見做されて無視される。
>ウィトゲンシュタインが哲学を終わらせた
ウィトゲンシュタインは論考の執筆後に、哲学において問うべき重要なことは全て
論考で取り扱ってしまったからもうやるべきことは残っていない、という態度を
取っていた時期があるので(論考の最後もそんな感じになっている)、
これはそのことを言ってるんじゃないかな。
その後しばらくして、ウィトゲンシュタインL.E.J.ブラウアーの講演を聞いたりして
また哲学を再開していて、後期のウィトゲンシュタインは前期の見解の一部は放棄しているはず。
というようなことはウィトゲンシュタインについて書いた本なら普通書いてあるよ。
ウィトゲンスレでやれ
分析哲学ちゃうやんけ
コリン・マッギンてもっと話題になってよくね?
野矢が訳したりしているが。
307 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=6,xxxP】(1+0:8) :2012/09/10(月) 13:13:19.96 0 BE:1231838429-2BP(3)
┐('〜`;)┌ やれやれ
309 :
考える名無しさん:2012/09/14(金) 21:06:00.36 0
分析哲学の入門書のうち、大庭、竹尾、青山、八木沢のどれから読むといいですか?
大庭は歴史的使命を終えた本
ほかは好き好き
>>309 竹尾だな
あと慶応の西脇与作の本もまとまってていいよ
うーむ…。
いきなり飯田にチャレンジでも良い気もするけどw
315 :
309:2012/09/15(土) 00:14:26.49 0
>>310-314 どうもありがとうございます。飯田さんの『大全』への予習として、
とりあえず竹尾さんのものや西脇さんのものから読んでみます
あと英語で200pくらいの薄い本でおススメがあれば教えてください
>>315 まあ意見は分かれるだろうし邦訳もあったと思うけど
Dumettの
Origins of Analytical Philosophy
をとりあえずすすめとく
317 :
309:2012/09/15(土) 00:59:06.48 0
>>316 どうもありがとうございます。日本語文献を読んだら
ラッセルの『哲学の諸問題』とともに挑戦してみます
ラッセルのその本は哲学の入門書としては良いのかもしれないけど
分析哲学入門って感じじゃないよ
それにもっと新しい訳が出てるはず
別に「分析哲学」って党派に拘ることはないだろ(苦笑)。
ラッセルのあの本は「哲学」の名著だ。
読んで、驚くなり、首をひねるなり、反論するなり、それは自由だ。
党派…とかそんな大袈裟な話じゃなくて
スレタイに沿って言っただけでは?(苦笑)
「文学の良心」って(苦笑)
文学者に出番はない(断罪)
>>260 でも言っているように、その通りだな。
ちなみに、俺は文学者ではないが。
上の方で文藝の話してた本人だったか
すまん
プラトンで卒論やってるんだけど、現在ではプラトン哲学を分析哲学の手法によって解釈することが主流らしい。
俺は分析哲学なんてほとんど知らないんだけど、プラトンの分析哲学的解釈をしている研究者や論文を知っていたら教えてほしい。
プラトンってそんなことまでして解釈が必要なこと言ってたっけ
読み方はそれで合ってると思うが
>>324 プラトン自身が分析哲学的な枠組みで語ってるわけではないので、
プラトンを分析哲学的に読むということ自体無理なのでは。
反対に分析哲学がプラトン的な枠組みを使うということはあるけど。
フレーゲとかフォーダーとか。
329 :
名無しさん:2013/01/11(金) 05:42:01.17 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
連中は理解できないだけではない。その理解できないという劣等感の
ために、理解を先に進めようとする人間を妨害することに喜びを感じる
ので、その妨害する役割を担うように連中は権力によって積極的に
権威を付与されているのだ。
だから、連中のとる態度のパターンは決りきっている。
権威の立場から、理解できないという開き直りの態度を誇示する。
理解させる責任があるのは一方的に、理解を先に進めようと
する側にあるというわけだ。
332 :
考える名無しさん:2013/01/24(木) 08:44:01.14 0
>>326 哲学、論理学において「述定」は「対象に対して、性質を表す述語を対応させること」を意味する。
333 :
考える名無しさん:2013/01/25(金) 02:46:07.54 0
八木沢さんの新刊でるみたいね
日本よ、これが哲学だ
335 :
考える名無しさん:2013/02/01(金) 22:23:04.44 0
/ \
,;' ;;_"-=ニ=- -=ニ=- ;ヽ、
. {ヽ.ヾ r'" _,,>、 } / . 純一ここだよ?
. ヽ {〈 丿¨`ー'゙___ヽ 、ノ
ヽ、 ォ 《 _,ィ行iテLi,ィ¨li /
¨゙ヽ i! `ニ三彡 ノ / ___________
゙iヽ ー‐'' / | | |
゙i ヽ、ー--‐‐ノ` .| | |
__/ `ヽ | | 波平マシン .|
| | / ,. i | | |
| | / / 波平 .i | ..| | |
| | | ⌒ ーnnn | | |_|___________|
 ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二 _|_|__|_
J. L. Austin "How to Do Things with Words"あたりを入口に
していれば、少しは考える能力もつくだろうに
今さらオースティンとかないわ
もう手遅れ
今さら後にはひけないぞ♪
昔は言語哲学はまってたけど、今は認知言語学や形式意味論の方がやってて楽しいな
昔から哲学は権力について語ってきた。社会批評や社会思想と呼ばれる
分野を除いて、哲学が権力をほとんど考察の対にしなくなったのは、
20世紀以降になっての特殊な状況。認知言語学や形式意味論で権力に
ついて語るのは無理。
そんなん自然哲学では権力の問題を扱えない、とか
認識論や形而上学では権力の問題を(ry とかそういうのと同じじゃないの
政治哲学では普通に権力について扱うよね
それにフーコーとかが扱うような<権力>の問題は昔の哲学は
全く扱っていなかった問題だと思う
英語圏のやつもフーコーは読むんじゃね
変に嘲笑的な奴以外は、非分析哲学の古典もスルーしない
フーコーとかデリダは謎の自然科学のメタファーが無いからね
ラカンとかはヤバいみたいだけど
>認識論や形而上学では権力の問題を
現代の「哲学」学しか読んでないことがバレバレ
認識論や形而上学はまさに権威、権力の問題そのものだろ
議論で一歩間違えれば、自らの命を危険にさらすことになったのだから
その危険がいつでも身に迫っているという緊張感も
理解せずに、スピノザだの、デカルトだの読んだって
何も読んでいないのと同じだ。
分析哲学の研究者にはユダヤ教徒のクリプキを始め、ユダヤ・キリスト教
信者がかなりいる。では、分析哲学では、「イエス・キリストは神の子である」
という言明をどう理解するのか?権力や権威を問題にせずに、そうした
言明の意味を理解することができるのか?
言語哲学って完全に下火?
今の分析哲学って具体的にはどんなこと研究してんの?
>>345 じゃああなたの考え方で言うなら
ガリレオは権力の問題について研究していたのだ、ということで良いですか?
ルイセンコの遺伝学とかは権力の問題に関わってて良いと思う
ガリレオが認識論や形而上学を研究してたとは初耳だな
てっきり、数学とか天文学とか研究してたのかと思ってたよ
「イエス・キリストは神の子である」という言明が命題としてどう特別なのか、
ということがまず言えないと、お話にならないな。
研究の対象に権力があるってのと、研究する行為が権力(批判)につながるってことは
別物なんだが、そこを混同しているようにしか見えない。
言語行為論のお勉強が足らないよね。
入口を間違えてしまったようだね
>>346 クリプキからしたらユダヤ教の教義がこうだから、とか言われても困ると思うぞw
彼はあくまで宗教と関係の無い言語哲学の議論をしているつもりなのに
自然主義が嫌いな人には悪いけど
日本の神道を理解せずして湯川秀樹の中間子論を理解できるのか?(当然できる)
とかいうのと似たような問いだと思うね
>研究する行為が権力(批判)につながる
イエス・キリストの墓が発見されたとして、遺骨のDNAとか研究しようと
したら、権力批判どころか冒涜行為として非難されて、命がいくら
あっても足りない。キリスト処刑当時にDNA鑑定があれば、マリアと
接触した可能性のある男性のDNAを片っ端から調べれて生物学的父親
を確定することは可能だっただろうけど、そんなことを企てれば
暗殺されただろうね。
>>351 ガリレオの地動説だって
「議論で一歩間違えれば、自らの命を危険にさらすことになった」
のは一緒だろ、と言っている
天文学の研究だから権力と関係無いだろうというのは
351が現代の人間だからそう思うだけで中世において全く通用しない
カトリック教会では今でも通用しない
そういうのが命題的態度の分析として何か特別なのかと、
別にどうでもいいことなんだよね。
え?どのあたりから命題的態度の分析の話になったの?
思想よりは思想に対する態度の話がしたいんじゃないかと先読みしてみました。
だから、そういう言語哲学では言語を理解できないってことね。
分析哲学で「冒涜」とは何か説明してごらん。
冒涜と呼ばれる行為のほとんどは言語行為でなのだらか。
それはきみがやるべきことだし、
それができないかぎりドクマにすぎないよ。
「イエス・キリストは神の子である」という言明を命題として
扱うこと自体が冒涜とされる。分析哲学ではそれがなぜか
説明できない。
そうなの?
ちなみになんで?
>自然主義が嫌いな人には悪いけど
クリプキには悪いけどって意味?
Kripke:“I don’t have the prejudices many have today,
I don’t believe in a naturalist world view."
>何か特別なのかと、別にどうでもいいことなんだよね。
まずは、そういう分析哲学の枠組みで「冒涜」とは何か説明できる
という反証を示すことだね。
>天文学の研究だから権力と関係無いだろうというのは
>[...]全く通用しない
研究そのものが権力の批判、キリスト教の冒涜になるってことね
アメリカだとコミュニストはけっこうそういう扱いを受けるな
権威・権力について研究するのは良いことだろうけど
哲学の全ての研究は権威・権力に関する考察でなければならない、
とかいうのはかなり特殊な哲学の捉え方だと思われる。
あと神の子云々は
ローマ・カトリック教会の歴史とか主張についてそれなりに知識と理解が無いと
分析哲学だろうが大陸哲学だろうが現象学だろうが解釈できないんで論点がズレてる。
カトリックで神への冒涜とはどういうことなのかとか言われたって知らんよ
一般的な言語行為さえ記述できない言語哲学で世界を理解できるわけがない
Know-how know-that
374 :
考える名無しさん:2013/02/04(月) 23:41:34.86 0
おまえら認知言語学や生成文法、形式意味論もちゃんとやってんの?
冗談すら理解できない
376 :
考える名無しさん:2013/02/07(木) 23:35:38.87 0
ろゃろゃじんどんろゃじんどん
じんどんじどどん
ろゃじんどん
377 :
考える名無しさん:2013/02/10(日) 17:48:44.31 0
パスモアの本が文庫で復刊か
20年前の本だよね。日本って田舎なんだなぁ。
『言語における意味』の方がもっと読まれるべきなんだけどなぁ。
>>378 ほんと蛙幼女さんに感謝だわ
でもあれ高いし図書館にも入ってないからまだ読めない(´Д` )
380 :
考える名無しさん:2013/02/15(金) 21:36:14.88 0
あ
381 :
考える名無しさん:2013/02/16(土) 15:32:05.46 0
八木沢さんの分析哲学入門って、初学者が読んでも理解できますか?
うん。まあ。
383 :
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を異常なほど嫌う在日カルト:2013/02/16(土) 22:40:58.67 0
在日カルト宗教団体は、信者や敵対者に対して組織的な威圧、監視、嫌がらせを行い
マインドコントロールしなければ組織を維持、拡張することができません
そのため証拠を残さず、訴えられないように、集団で威圧、監視、嫌がらせを行う「ガスライティング」という手法が必要なのです
在日カルト教団がどのように信者のマインドをコントロールしているのか知って下さい
[ガスライティング 集団ストーカー カルト]などで検索を!
外国人工作員が隠れ蓑にしているのはカルト宗教団体
10人に一人はカルトか外国人
..
ダメットの言ってることが全然わからねえ
意味の理論とは理解の理論である
はぁ?!何言ってるんすか
386 :
考える名無しさん:2013/02/17(日) 17:53:50.82 0
分析哲学って、良くも悪くも、他の学問領域への影響が皆無と言っていいよな。
狭い業界でターム遊びしてる感じ w
そもそもそれが目的だし
ハイデガー哲学以上に秘教的なんじゃね?
ハイデガー語って実際には覚えればたいしたことないし
科学哲学は社会学経済学に参照されたし、生物学哲学なんかは割と科学者とうまくやってるよね。
まあ調べりゃいろいろ出てくる。
アホには敷居が高いってだけの話。
言葉覚えれば雰囲気で分かった気になれるもんでもないから。
>>200からの数レスに既に答えがある。
391 :
考える名無しさん:2013/02/17(日) 21:44:19.09 0
「分析」ってなあに?w
お前らの教授にこれ聞いてみろw
徹底的に嫌われるからw
哲学は分析哲学だけでいいよ
分析命題/総合命題のうち
前者を扱う(と思われていた)からでしょ。
「独身者は結婚してない人である」
>>391は定期的に湧くキチガイだから触んなくていい
分析哲学の分析は「分析/総合」の分析ではないよ。
「細かく吟味する」という程度の意味。
もちろんそれは分析哲学の一テーマにはなるが。
別に分析哲学は「分析的哲学」と同義じゃないから
論理実証主義とかヘーゲル主義から脱した頃のラッセルの綱領のイメージが残りすぎ
論理実証主義→クワイン→デイヴィドそんダメットで知識とまってるわ
誰か補足よろしく
言語哲学
カルナップ派→形式意味論
グライス派→語用論
その他→生成と認知系
心の哲学
機能主義で万事OK
意識の難問は現状むりぽ
認識論
自然化された
形而上学
トロープとか四次元主義とかいろいろ盛んらしい。
「分析」とはなにか、ってことを考えないと、分析「哲学」は哲学のレベルになれないんだよね。
今のところ駄目だな。
>>399 別におまえの求める「哲学」なんて誰も興味もってないから何も問題ない。
かまってやるとは優しいな
総合哲学ってないの?
カント以降のドイツ観念論では綜合が重要かな
フッサールでも「受動的綜合」がキーワード
ドゥルーズもそんなこと言ってる
おまえはどのレスをスルーされたんだ?
アメリカでは柔軟に現象学取り入れる人増えてる
ヨーロッパでも分析哲学徐々に広まってるし
まーちゃんと調べたわけではないですが
まーちゃんて誰だよw
千葉雅也じゃね
まーりゃんの間違いじゃね?
春秋社の言語哲学論集チラ見したけど内容古い気はした
だってあれ再録でしょ
415 :
考える名無しさん:2013/02/20(水) 23:29:05.07 0
そっかー(てへぺろ
アクチュアリティのあるものは何世紀前に書かれようと古くならない
モンテーニュがプルタルコスに現代性を感じたように
418 :
考える名無しさん:2013/02/21(木) 10:38:42.58 0
>>417 >アクチュアリティのあるものは何世紀前に書かれようと古くならない
これただのトートロジー
分析哲学は最初から陳腐化している
これもただのトートロジー
トートロジーの意味すら分かってない
分析哲学=最初から腐っている
陳腐化のしようがないから、トートロジーにはならいないわな
興味ないならスレにこなけりゃいいのに
フレーゲのパズルが解けたでござる
ほう それでそれで?
>>406 いやそんな問題じゃないからw
バカとバカが妥協しあってもしょうがないw
426 :
考える名無しさん:2013/02/26(火) 21:49:25.20 0
>>423だけど、認知意味論の立場から考えたらとてもスッキリしました。
,.,.,.,.,.,.,.,.,__
,,;f::::::::::::::::::::::ヽ
i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
|:::::::| ,,,,,_ ,,,,,,|
|r-==( 。);( 。)
( ヽ :::__)..:: }
,____/ヽ ー== ; ほほう それでそれで?
r'"ヽ t、 \___ !
/ 、、i ヽ__,,/
/ ヽノ j , j |ヽ
|⌒`'、__ / / /r |
{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,_____)--、j
/ \__ /
| "'ー‐‐---''
最終的にはウィトゲンシュタインの論理哲学論考を読んで理解したいと思っているのですが、その前に読んでおくべき本ってありますか?
読んだ本
ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考(初見時はほぼ理解できなかった)
戸田山 論理学をつくる
野矢 論理学
沢田 現代論理学入門
積ん読
野矢 「論理哲学論考」を読む
そろそろ分析哲学系の入門書に手をつけた方が良いですかね?
言語哲学大全も気になっています
黒崎宏の本は分かりやすいよ
430 :
考える名無しさん:2013/03/03(日) 14:22:36.24 0
>>428 とりあえず、野矢さんの『??を読む』を読みなよ。
そのあとに言語哲学大全の1,2巻かな。時代背景をいろいろ抑えられるはず。
431 :
考える名無しさん:2013/03/03(日) 14:22:57.32 0
ちょっと検索しただけでもウィトゲンシュタインの入門本って他にもいっぱいあるのな
飯田隆『ウィトゲンシュタイン』講談社
藤本隆志『ウィトゲンシュタイン』講談社
鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』講談社
黒田亘編『ウィトゲンシュタインセレクション』平凡社
N・マルカム『ウィトゲンシュタインの思い出』平凡社
野家啓一『ウィトゲンシュタインの知』新書館
永井均『ウィトゲンシュタイン入門』ちくま書房
入不二基義『ウィトゲンシュタイン』NHK出版
432 :
考える名無しさん:2013/03/03(日) 14:32:58.15 0
すげぇwww
まあ論考とかカッコいいもんな。そりゃ完璧に理解したくなっちゃうよ。おれがそうだったし。
分析哲学って世代間抗争激しそうだね。
「ウィトゲンシュタインもクワインも北米では日本ほど偉くない。日本は遅れてる」
ってツイッターで若手が喋ってるのチラチラ見かける。
彼らが上の世代に挑んでくわけだな。熱いな。
ちょうど森岡と若手が様相について議論してる真っ最中だな。
435 :
考える名無しさん:2013/03/04(月) 17:21:13.02 0
議論っつーより素直に助言をもらってる印象だけどな
遅れてるというなら最先端を示せばいいだけなのにな
分析哲学って一口に言っても、言語哲学、心の哲学、認識論、形而上学、数学の哲学とかいろいろあるけど
おまえらって何に興味あるの?
ウィトゲンシュタインって、50近くになってもオナニーしてるんだよな(日記見ると)。
女性並みに背が低くて虚弱体質で、ちょっと可哀そう。
というか同性愛者だったという噂まである
噂じゃないよ確定だよ
男はMassiveじゃないと女性に相手にされないというのが向こうの伝統だから、勢い同性愛に走ったのじゃないか。
日本だと優男の伝統あるけどね。
滅び行くオーストリア=ハンガリー帝国の富豪だから、
あらゆる意味で退廃的でしょう
頽廃的で思い出したけどクリムトがルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの
お姉さんを書いた肖像画があるよね
生物学の哲学もあるな。
進化論と神経科学を無視した議論は空論だろう。
言語だって自然現象なんだからね。
進化論と神経科学つかうのは主に生得的な能力の研究で
言語哲学(意味論や語用論)とはまた違うような
統語論に比べれば、間接的な関係になるかもしれないけど。
(チョムスキーは統語論研究だけど、言語学は自然科学といってる)
ただ、進化論や認知科学の知見って、新しいアイデアが出てくるから、興味深いつながりも出てくるかも。
認知意味論やアフォーダンス理論も関係あるし。
447 :
考える名無しさん:2013/03/12(火) 14:16:39.94 0
世界のヤギサワの中級編読んだ人、面白かった?
俺は楽しめたよ
初心者だからかもしれないけど
アカデミズムは英語圏のトップジャーナルに論文のせたら無条件で国立大でポストが手に入るルールにするべき。
>>445 言語哲学に概念分析を含めるのなら
概念の概念は古典的概念から非古典的概念に移行しつつあって
それの研究は認知言語学が担ってるので
言語哲学と少なくとも認知言語学は隣り合ってると言えるでしょ
概念分析の道具として古き良き属性の連言のモデルじゃなくて
例えば(これも古いが)プロトタイプモデルとかが使えると結構面白くなるんじゃないかしら
pathetic
453 :
考える名無しさん:2013/05/17(金) 13:55:16.22 0
分析美学の本がでるそうだが
分析退学やるか
455 :
考える名無しさん:2013/05/25(土) 11:32:41.62 0
うむ
456 :
考える名無しさん:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN 0
最近どうよ
457 :
考える名無しさん:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN 0
グッドマン読んでる
ベリーグッド
グッドマンって結局何が言いたかったの?
460 :
考える名無しさん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
世界はさまざまな個物の記号で構成されている
あたりまえだろ
<お盆の夜に2chですか:その1>
「分析哲学入門」(八木沢敬著)
個別に攻めます。上記を精読しました。まず、僕の結論は、
「時間かえせ。」
です。3桁の掛け算の九九を覚えてた方が10^(10^N+R)倍、有意義。少なくとも、理系のあなたは読まなくていいと思います。生協で偶然発見したら、立ち読みでOKです。
この著者の正体は知りませんが、文章が一貫して、おもしろくない。若者にウケると思っているのか謎の寒いセンスと、文章の楽しさを知っているとは到底思えないしょぼいレトリックが満載。
"はじめに"に於いて、分析哲学が英語圏の国々の哲学界で主流であることがひどく自慢気に書かれていて、日本の状況に悪口が書いてある。そして、以下。
「・・・拒み難い相手と恋に落ちるように・・・」
「・・・そんなエロチックとも言えるような知的情熱を、本書で少しでも感じてもらえばうれしい。」
もう、早くも不安で仕方がありません。でも、いいことが書いてあるよ、と言う面をしているので、最後まで読む決心をします。
[1の2. 何を分析するのか ]
ここの節は重要であるように思えます。ところが、読み進んでも読み返しても「概念を分析する」という行為が、一体なんなのか?さっぱり書いてありません。
つづく。
<お盆の夜に2chですか:その2>
「「妻とは女性配偶者である」が、妻という概念の正しい分析となる。」
と、唐突に出てきて、これ以降、「概念を分析する」事が明瞭にならないまま、「概念」と、「分析」という言葉が濫用される。つまり、意味のあることを言っていない訳です。
そして、明瞭な定義付けもままならない状態にも関わらず、次のように勇みます。
「分析哲学者が目指すのは、当たり前だがつまらなくない概念分析だ。」
更に、出処が不明な足場を固めたいのか、化学分析との違いを引き合いに出し、分析哲学が間違っていない事を強調する。論理の連鎖が破綻しすぎて、シュールな滑稽本かと思わせるが、著者は本気で言っているようだ。
更には、概念分析が大きなところから小さな方向へと向かっていく話の中で、原子、クウォークと電子、更には・・と原子物理学の話を、自らがあたかも最先端の科学者かのように、結論を断言するのである。
そして、概念分析はあるレベルで分析が終わるそうである。それを宣言して、この節は終わってしまう。何度も読み返すが、ここで行われているらしい「分析」という行為が、何を指すのか、全く不明なまま"何を分析するのか"と銘打った節は終わってしまうのである。
[1の3. 分析の終わり ]
この節でも1の2と同様の流れである。一切、「分析」なるものの正体が不明なまま、邁進していく。そして、これらの正体不明の文章は、更に蒙昧さを加速させる。
「分析哲学という概念を分析してみればいいと言われるかもしれないが、それは出来ない。」
「いずれにしても、ある学業の分野がどういうものかを知るためにはその分野の定義を求めるよりも、実際にその分野の学業をしてみるのが一番の早道である。」------(妄言A)
ここにも哲学の特徴がよく現れている。定義を無視して、それよりも経験しろ??
哲学がひょっとすると有用で面白い学問かも知れないと、迷っている学生にこんな言葉をかけるのは危険である。
つづく。
<お盆の夜に2chですか:その3>
定義をはっきりさせることが出来ないようなものに、芳醇な魅力を放つ構造を持つ対象など有り得ない。理系からしたら、もうびっくりする言葉ですよ。
「ニュートン力学?そんな計算なんてほっといて、兎に角、望遠鏡を覗け!!」
これを指導教員が発言したとしたら、教授会で糾弾会が開かれますね、理学部だったら。それくらいおかしな事が平然と書いてある、と言いたい訳です。
そこから最後の章まで、謎の「分析」とかいう作業をしているらしいが、ただでさえハッキリしないのに、それらに被せて「思考実験」なるものを織り交ぜてくる。
もうね。いいますよ・・・。
トンデモ、っすよ・・・。
「分析哲学」という名称に酔ってるだけですよ。それに、理系っぽい用語を散りばめるのも、ここでも例外ではありません。
[10の1. 素数が無数にある ]
この最終の節もぐったりします。数字の「7」がどこにあるのか、一生懸命心配されてます。ノートに書かれた7でもダメ。方程式に現れる7でもダメ。そのノートにある7と、この本の7ページの7は同じではない。何故なら、同じものが二つあるのは、矛盾である。・・・・
もうね、狂気の記述ですよ。何故、狂気などという暴力単語を使うかというと、
・あなたは何がしたいのか??
・あなたが目指している目標はなにか??
・あなたが目指して、もし答が出た時に、それは他分野に役に立つのか??
それらが、全くわからないこと。お葬式の時にとある宗派のお坊さんが読んでる「なにか」の方がまだ対面出来るよ。
つづく。
<お盆の夜に2chですか:その4>
またこの哲学書も同じでした。他の分野の人が、もし悪口に聞こえたにしろ、哲学について意見を言っているとしたら、チャンスを逃さないほうがいいと思いますよ。
「哲学業界に脈々と続く慣習だから。」
こんなもの、最も最初に疑ってかかるべきことでしょう??哲学って色んな事を疑うんじゃないの?
役に立ってる風に主張するのもおかしいですよ。それは役に立ったよ!と思う分野側の人が、「いやーなんちゃら哲学からのアイデアで研究が進展しましたよ!」とかいうもんでしょう?
まあ、そんな話は一ミリたりとも聞いたことはありませんが。
更に言うと、論文検索で2013年の分析哲学でヒットしたのを10本くらいざっと読みましたが、一緒ですね。膨らませよう、膨らませよう、としています。そぎ落としたら1ページ分くらいですね。結論とその論証を載せるだけで。(哲学史研究はのぞく。)
この一冊を読んで、分析哲学とは、カッコいい名前とは裏腹に、高圧的なのに意味不明で、目的と結論不在の、私秘的呪術と変わらない不気味なものだ、ということは分かりました。
ただ、この一冊だけで「分析哲学」なるものをわかったというのは早計なのは当然です。
おわり。
分析哲学というか哲学の本ほとんど読んだことないのがわかる
八木沢といえば形而上学だからな
科学系の人がいきなり読むのは伊勢田氏あたりでよかろ
科学系の人にしてはそっちのボキャブラリーが貧困だな
アメリカでも理論【セオリー】と批評が多数派で
哲学プロパーはマイナーなんじゃなかったっけ?
在野ではね
なんか物理とかの人ってたまに
哲学に対してやたら敵対意識を燃やして謎の一人相撲を取ってる人居るよね
ウィーン楽団時代ならともかく
哲学者が知っといたほうがいいのは生物学とか神経科学だろ
天才分析哲学家が登場したって本当?
所詮は分析
創り上げるようなアウトプットが乏しい
生命科学は進歩が早い分野だけに
下手に首を突っ込んで、今は専門家の間では否定的な扱いが多い概念を振り回す滑稽なことになる奴も多いけどね
ミラーニューロン万歳バカとか
概念で塗り固められ造られた伽藍も
分析解体されたらただの瓦礫産廃ゴミの山
まあ、分析哲学自体が哲学をやらせないために空間を占拠する隙間材みたいなもんだからな。
あからさまな言論弾圧をやるかわりに、無意味なゴミで言論空間を埋め尽くす。
空間が占拠されてるかぎりは、傍からちら見するだけの関心のない人間には、
その空間が有効利用されているように見えるから、現状維持に役立つ。
春秋社の新刊まだ出ないかな
480 :
考える名無しさん:2013/09/15(日) 19:58:19.72 0
古いけどグッドマンの現象の構造とパトナムの精神・言語・実在、クワインの存在論的相対性をお願いしたい
462-465は面白い。
ほぼ同意。
スルーされたのが悔しかったんだね
誰も反論しないから下手に勘繰られてしまうんですよね
あー、反論する価値もないから反論しないだけなのに、そこんとこ伝わらなくて残念だわー
まあ、分析哲学が「業界」以外に与えた影響が皆無なのは確か。
インナーサークルでローカルな話題に盛り上がってる感じだな。
影響与えたほうが怖いわ
オースティン、ストローソン、サールらの日常言語学派は言語学や社会学の語用論的理論に影響を与えているよ
オースティンが分析哲学(者)をしてるって自称したことなんてあったっけ?
一般にもオースティンが分析哲学者であるという認識はないと思うが。
オースティンには、自分が日常言語学派という認識さえなかったと思うよ
何回オースティン言うねん
「業界」ってのが何を指すのか分からん
>>488 誰もそんなこと言ってないと思うよ
思うのは勝手だと思うよ
文学
494 :
考える名無しさん:2013/10/24(木) 23:09:04.28 0
飯田さん はやく言語哲学大全X出してください
大全はWで完結じゃないの
飯田分哲やめたってよ
゚゚゚†「終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、
あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。使徒2:15」
アジア・南米・アフリカ・中国・・広がりゆく諸外国でのイエスキリストによる奇跡、救いの御業(みわざ)..。。
医学で説明の出来ない奇跡の数々..ろう、盲、マヒ、ガン、精神病、様々な病気からの癒し、解放、
日本の教会では8000件に1000件がこの事を受け入れている++―
http://www.youtube.com/user/andresabm 渇く者は来なさい。命の水が欲しい者は、それを、ただで受けなさい。黙示録22:17゚゚゚゚
499 :
考える名無しさん:2013/11/12(火) 21:47:53.24 0
Xでもいいけど飯田先生が執筆陣集めて当初の言語・存在・知識についての論文集でもいいと思う
テーマも科学・数学・芸術・自由・心とかを追加してくれればなぁ
500 :
考える名無しさん:2013/11/14(木) 20:00:57.88 O
アームストロングの現代普遍論争入門はどうよ。読んだ人、感想よろしく。
ルイスの様相実在論も全ての可能世界があるとのとんでも主張も、
彼がクラス唯名論を正当化するため何だよな。
多世界解釈によれば宇宙は無限に分岐して存在しています
妄想するのは自由だな。
最近の理論物理学では並行世界の存在が有力。
>>503 トンデモ科学は妄想。
そういうのを物理学と呼ばないでほしい。
クリプキの指示論のほうがトンデモ
506 :
考える名無しさん:2013/11/17(日) 02:36:55.50 O
普遍者やトロープについて何か書けよw
お前は書かないんだな
大陸哲学もそうだけど
ウィトに匹敵するスターを輩出せんと滅ぶぞ
ウィトゲンシュタインタイプのスターはもう出ないだろうし、出る必要もない
ハイデガーも顔負けの秘教的な哲学になってしまっている
ウィトがスターなんて時点で、哲学はオワコンなんだよな w
あのおっさんを有難がる必要はない
今の分析哲学者はヴィトゲンシュタインをアホ呼ばわりする方が多いと思う
そして入り口を狭めている
「ウィトゲンシュタインはこう考えた」は
どうなの?(講談社現代新書)
515 :
考える名無しさん:2013/12/16(月) 19:25:23.79 0
飯田隆のは読みやすいしウィトの名台詞の配置の仕方が素晴らしい
>>513 「アホ」ではないが、半可通向けだな。
そこだけ見ればポモにも通じる所がある。
アホが入り口から入ってくるのをそれで
防いでるんだからいいんじゃね?
>今の分析哲学者はヴィトゲンシュタインをアホ呼ばわりする方が多い
そんなに居る?例えば?
なんでポモの悪口になるとそのへんのポモ以上に醜い罵倒になりがちなの?
そういうところがぶっちゃけポストモダンの書き手より感情的で解せぬ
飯田隆などは違うけども
たかし最近どうなん
飯田先生は、25年以上前に熊本大学にいらっしゃったときに、何度かお会いしたことがある。
大学の先生には珍しく、飾らないお人柄だった。
522 :
考える名無しさん:2013/12/18(水) 17:22:50.09 0
むしろ大学で飾ってる哲学科の教授っているのかな
上智の哲学科だったけどみんな庶民的なおじさんだったよ
情痴に哲学科があったんだんだな。
アームストロングの本が出てるのに、一つもまともなレスがないのが、
呆れる。
おまえが書けばいいだけの話だろ
呆れる。
分哲自体が馬鹿向けの論理学
天才向けの論理学って何?
分哲は文系論理学
言哲は机上言語学
心哲は脳内心理学
よく特徴を捉えている。
ぜんぜん
どれも、堂々巡りの議論がいつまでも続くばかりという点で、よく捉えてるよ。
論理学や言語哲学的な領域と認知言語学・語用論的な領域を混同して批判してくる愚かな大陸哲学者多すぎ
大陸哲学なんか堂々巡り以前にポエムでしかないからな
そういうdisになるととたんに雑になるのはなんで
537 :
考える名無しさん:2013/12/23(月) 18:43:55.05 0
1人1人短すぎて得るものはそんなないけどまぁ安いし暇つぶしには良いと思う
あれを論理記号使ってやってほしい
もう大人なので
>>534 大陸哲学から哲学を始めたが
分析哲学を経ると、デリダもハイデガーも難解な小説でしかないのか?と思う
サールやチョムスキーの言う通り、デリダは華美で曖昧な文学だ…
デリダ、ドゥルーズは現代詩としては一流だよ
デリダは衰退してるけどドゥルーズはそこそこ残ってると思う
ホワイトヘッドみたいな、分哲が持て余した哲学者の系譜とつながっているイメージがある
ポモ叩きの連中が片付けられないのがホワイトヘッド
ホワイトヘッドはIQが高いだけのトンデモ
古い名前ばっかあがるな
雑魚しかいないのか
ロバート・ブランダムの本翻訳してー
どっかでやってるって聞いた
547 :
考える名無しさん:2014/01/07(火) 21:09:10.39 0
どっかのスレでもウィギンスやC・ライト、ピーコックの論文集の話題が上がってたけどね
548 :
考える名無しさん:2014/01/15(水) 00:14:25.87 0
ぶんせきってなんですか
>>哲学も倫理学も好きですが、今から仕事をやめて大学に入り直すなら理系でしょうね。
そうだろうな。
551 :
考える名無しさん:2014/01/25(土) 13:35:27.68 0
552 :
考える名無しさん:2014/01/25(土) 21:48:28.57 0
ただの知恵遅れじゃんww
低脳そのもの
http://ask.fm/tiseda U井先生の最近のネトウヨ活動について一言お願いします。
思想的なことについては干渉しません。多くのネット右翼と比べるとちゃんとお調べになった上でああした立場に至っておられるのでもうあとはなんとも。
これ誰のこと?
元指導教官
内井惣七か
557 :
考える名無しさん:2014/01/26(日) 13:54:34.96 0
ほかにおらんやろ
ネトウヨやってる大学関係者は案外多い
分析哲学者にも?
へー、ネトウヨやってますと告白する大学関係者のお知り合いがたくさんいるんですね
著書はまあまともなのにtwitterが割とアレでワロタ
戸田山も伊勢田もキャラのひどさで売ってると思う
twitterで匿名の質問なんだから半分冗談に決まってるだろ
分哲はイデオロギーと関係ないからネトウヨと相性が悪くないんじゃね?
ポモとか基本左翼だから研究しながら本人はネトウヨとかなさそう
チョムスキーとか知の欺瞞の人みたいな、
オールド左翼からみたらポモは右翼らしい
よくわからん
左翼のサルトルを批判して出てきたのが構造主義だからね
レイシストで歴史修正主義者の某先生が変な理論武装をはじめたので周囲の人ははやくなんとかしてください。
Whiggismの説明とかも専門のはずなのに大丈夫かってレベルだけれど・・・
569 :
考える名無しさん:2014/02/26(水) 10:43:41.77 O
あんまり分哲でウヨって印象ないな。
ポモはサヨでチョムスキーとかサヨの内ゲバでディスってるだけだし。
文学や歴史はウヨもサヨもいっぱいいるのに。
分哲でウヨだとして別に何のインパクトも与えず相手にされないだけか?
「レイシストで歴史修正主義者の某先生」って誰?
571 :
考える名無しさん:2014/02/26(水) 20:30:16.52 0
戸田山和久『哲学入門』ちくま新書
内容紹介
神は死んだ(ニーチェもね)。
いまや世界のありようを解明するのは科学である。万物は詰まるところ素粒子のダンスにすぎないのだ。
こうした世界観のもとでは、哲学が得意げに語ってきたものたちが、そもそも本当に存在するのかさえ疑わしい。
「ことばの意味とは何か」「私たちは自由意志をもつのか」「道徳は可能だろうか」、そして「人生に意味はあるのか」……
すべての哲学問題は、根底から問い直される必要がある!
科学が明らかにした世界像のただなかで人間とは何かを探究する、最もラディカルにして普遍的な入門書。
他に類を見ない傑作です。
目次
序 これがホントの哲学だ
第1章 意 味
第2章 機 能
第3章 情 報
第4章 表 象
第5章 目 的
第6章 自 由
第7章 道 徳
人生の意味――むすびにかえて
参照文献と読書案内
あとがきまたは謝辞または挑戦状
面白そうだな
暇があったら買ってみるよ
戸田山さん乙
科学的世界観への挑戦という形で入門書を書くのは面白いと思う
>哲学が得意げに語ってきたものたちが、そもそも本当に存在するのかさえ疑わしい
物理学でも「ひも」とかいう
現状では実験で存在を確認できないものが
強い影響力を持ってるんだろ
そうでもない
もう見切りをつけられつつある
南部陽一郎がノーベル賞取ったの最近だぞ
いろんな事を混同して覚えてるみたいだね
あまり買いたいとは思わんけど、どっちかというと
科学的世界観はここが問題なのじゃなかろうか、というよりも
世界の事実的な在り方としては物理学的な見方を前提にした上で、
言葉の意味とか道徳とかの方を問い直す本なんじゃないかと思うけどね
「物理学や分子生物学の延長で科学的に道徳やら価値やらも説明される」
みたいな世界観を科学的世界観というのなら挑戦だろうけど
科学者からしたら藁人形論法に感じると思う
戸田山さんはポストモダン哲学に対する藁人形論法をやめるべき
今回はニーチェがその対象だろうけど、シリアスなニーチェ研究者がみたら滑稽なものにならざるを得ない
問題を問い直すという行為が一つの挑戦的態度だよ
新しい解釈、新しい切り口を見出すということでもあるから。
僕は自身の関心と密接に感じる
特に目次の一覧には興味をそそられるなぁ
582 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 01:53:18.97 0
C.I.ルイス、クワイン、グッドマン、セラーズの4人ってどういう影響関係があるんですか?
日頃科学者に虐められる鬱憤を
大陸哲学にぶつける科学哲学者
>ポストモダン哲学に対する藁人形論法をやめるべき
やめたら分哲の存在理由がなくなって分哲の自我が崩壊する。
585 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 12:13:25.67 0
分析哲学の人って、ある意味ことばが不自由なのかな
飯田隆さんとかは藁人形論法やらんよ
飯田隆は、自分は哲学をやっているのであって分析哲学をやってるつもりはないと宣言してたが
藁人形とか言いつつ
実際は藁の中に大陸系哲学者がいてフルボッコになってるイメージ。
つまり「藁人形論法だ」という批判が藁人形論法。
藁を通してでもヒットしてるよ。だからこそこう過剰に反応する。
さすがにそれは雑でしょう。
いにしえの「オマエモナー」と一緒だ。
藁人形に哲学の魂を入れるには呪術師が必要
哲学者の爪の垢とか拾ってきて藁人形に入れてもダメ
分析哲学における思考実験と、論敵に対する藁人形は区別しないといけないと思う
後者はひたすら醜いんだよね
学会で分析哲学と大陸哲学の人がぶつかると、
大陸哲学の人はたいてい、
文学青年がそのまま歳とってボケたみたいなキレ芸みたいなのにしかならなくて、
見てて痛々しい。
最近は分析系と大陸系の垣根も低くなってきてるよね
理系な感じの論理実証主義の人気が無くなって
文系出身者の日常言語学派が勢力を得てからかな
>>592 分析系、英米系の人は哲学をゲームの一種みたいに思ってるけど
大陸系の人は文学の一種とか自分のジツゾンそのものとかみたいに思ってるからね
現象学はその中間くらいか
お前は50年前のイギリス人か
>>586 やらないね
尊敬する哲学者がプラトンらしいしね
飯田隆さんは、英米の分析哲学者がアリストテレスとかを
現代の哲学者と同じように生きた学説の主張者とみなして
反論したりすることに感銘した、みたいなこと書いてるね。
ただこれは、カントの学説の批判はカント学者しかやっちゃいかん、
みたいな雰囲気の大陸哲学とはかなり違うと思う。
>>571のニーチェも同じようなつもりで書いたんじゃないの?
まあ分析哲学者は筆が軽いから、ちょっとした冗句のつもりで
良く知りもしないのに書いちゃったような感がなきにしもだけど。
飯田さんはもっと地に足がついた文体だと思う。
>分析哲学者は筆が軽いから
失礼、これを「戸田山さんは」、に訂正
ポストモダンで筆が軽い人だって相当居ることに今思い当った
論より証拠なんだよ。日本古典文学の言語分析でも見事にやってのけたら少しは価値を認めてもいい。
でも大陸哲学ってキェルケゴールとかみたいに
純粋に文字通り読むと意味不明だったりするから、
文章の真意を理解するのが難しくて、
キェルケゴールの学説はキェルケゴール学者とかそれに近い人がやらないと
それこそ藁人形論法になりやすいんだよね
ポストモダンって呪う対象というより嘲笑する対象でしょうw
てかもともとポもなんて本体が藁人形みたいなもんだろ。哲学としての中身無いんだし。
喩えはそれで合ってるよ。わざわざ叩く価値があるかどうかは別として。
603 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 18:22:44.75 0
ヴィトゲンシュタイン研究家の黒崎宏さんは
ヴィトゲンシュタインは「ポスト=ポストモダン」だとよく言っていた
しらんがな
605 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 21:45:02.69 0
お前は知らなくていい
606 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 21:52:27.00 0
>>605 ヴィトゲンシュタインが「ポスト=ポストモダン」ってどういう意味?
回りまわってただのモダンってことじゃないの?(笑
ショーペンハウアーみたいなかなり古い哲学者に影響を受けてた、
みたいなことも言われてるし
分析哲学知らない奴あるある
とりあえずウィトゲンの名前出して話を合わせようとする
609 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 23:49:42.55 0
袋小路に入った分析哲学信者が何を言ってもダメだな
ま、悔しかったら本でも書いて、みんなをアッと言わせるんだな
待ってるぜ
論考って見せ掛けとは異なり
実は信仰の本だからな
611 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 04:04:49.16 0
>>610 それはある程度当たっている
ヴィトゲンシュタインでいいのは探究だろう
613 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 22:22:13.33 0
論考は寧ろ、あの「私は哲学の問題を全て解消してしまった!」
と言わんばかりのどうしようもない独善的なスタイルが
人気の秘密だと思う。中途半端だとダメだけど。
というか、あんなの他人が読んで分かるように書いてねえだろ絶対!
ラッセルの解説付きで出てなければ
誰にも読まれないまま、
歴史の闇に埋れてただろうな。
ウィトゲンシュタインってハイデガーには親近感を抱いて
フッサールは手厳しく批判してるんだよな
政治や社会に対する関心はほぼ0って感じだ
フレーゲが反ユダヤ主義でほとんどウヨみたいなこと言ってる件もある
ニーチェはユダヤ人と親しくしていたのに
ナチスに利用されたりと複雑なもんだ
ナチスに迫害された論理実証主義者たちがフレーゲ好きだったりな
ウィトゲンシュタインは経済学に関心持ってたよ
そもそもケインズとマブダチだぞ
ケインズはウィトゲンシュタインがケンブリッジに来るとき
「ついに神が来る」と言ったし
アラン・チューリングなんてまんまウィトゲンシュタインの弟子だし
航空工学を学ぼうとして数学に行って哲学に行った変人だからねえ
数学は好きみたいだったけど、得意だったわけでもないようだよな
それでいて数学の天才チューリングが弟子ってのは面白い
>アラン・チューリングなんてまんまウィトゲンシュタインの弟子
これ本当ですか?そういうことを書いた文献があったら教えて頂けないでしょうか。
二人の関わりとして良く言われるのは
Tがチューリングマシンなどの概念を提唱する
→数年後、TがWの数学の基礎についての講義に出席する
→TはWと討論。Wの
「数学は真理を発見discoverするのではなく、でっちあげるinventのである」
という数学観に対して、Tは形式主義を擁護して対決、意見の一致をみなかった。
ということらしいです。Andrew Hodgesの"Alan Turing : the enigma"に書いてあるらしい。
Wは数学の基礎についての書きもので上のようなかなり強い批判をしていますし、
二人は相当根本的に意見に隔たりがあったはずで、
Wの見解のかなりの部分をTが受けついだ、ということは考えにくいです。
これとは全く別に二人の間に関係があったのなら、話は別ですが。
ウィトゲンシュタインが授業で数学についていいかげんなこと
喋ったら、本物の数学者(チューリング)が出てて、あっさり
論破されたというのが真相だよ。
>>624が正解。
626 :
624:2014/03/14(金) 23:06:27.47 0
そこまでのことは言わないけど、ウィトゲンシュタインの数学の哲学は
数学関係者にはほとんどの場合反感を買うよね
数学的直観主義のブラウワーが数学をポジティブに捉えた直観主義だとするなら
ウィトゲンシュタインは数学をネガティブに捉えた直観主義だと思う
627 :
考える名無しさん:2014/03/22(土) 22:38:55.34 0
後期ウィトゲンシュタインは間違ってるよな
前期はおk
ウィトゲンシュタインに悪い影響を与えたのは直観主義(数学の)だろね
628 :
考える名無しさん:2014/03/22(土) 22:49:14.49 0
哲学の用語を日常言語に戻す必要はないんだよね
そういうのは一つの哲学のやり方としては面白いだろうが方法論的な面白み以上のものではないな
そもそもなんでも日常言語に戻すならあらゆる学問は成立しなくなる
日常的な素朴さが真理のすべてではないよな明らかに
後期ウィトゲンシュタインは問題に答える代わりに問題そのものを消そうとしたんだろうけど、哲学がハエトリツボかどうかは個人の問題に過ぎないと思う
つか「実は日常言語が巨大な謎だった」ってところに戻ったんじゃないの?
学術用語も日常言語を前提にしてるわけだし
論考と探究に限って言えば探究のほうが尤もらしい気がするけど
大体は「日常言語は手のつけようが無いから放っておきましょう」って感じだよな
日常言語について何も言うことができないなら、日常について黙ってろってことだな。
それはウィトゲンシュタインの「黙ってろ」の使い方とは
ちと違う気が
>>571 ざっと眺めてみたけど、キーになってると思われる「表彰」や「機能」
というのが、何を指しているのか、ざっと眺めたぐらいだと
どうもよく分からんのでした
ちゃんと全体の文脈を捉えて精読しないといけないかな
ラーメン食いてえとか考えてるときの
脳内のラーメンに対応する部分
感覚所与、感覚与件とは何が違うの?
クオリアは表象の一種だと思ってOK?
クオリアは時空間占めてない(=実在してない)でしょ
表象は時空間占めてるの?
66pに書いてあるよ
641 :
考える名無しさん:2014/03/26(水) 04:52:23.03 0
642 :
考える名無しさん:2014/03/27(木) 23:49:42.14 0
最近どうなの
ぼちぼちでんがな
そもそも「もうかってまっか?」
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social
Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者
ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めています
ので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、
交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返し
ながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明に
は重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類を
していますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも
「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と
権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ー
の代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
ルーマン パーソンズ
社会システム 一般行為システム
貨幣 (A)貨幣 知能
権力 (G)権力 自我の能力
(遂行能力)
愛 (I)影響力 集合感情
(感情)
真実 (L)価値委託 集合表象
(状況の定義)
一般化されたメディアの対比
ところで、他にもいろいろ難点がありますが、重要なことは、「愛」と「真実」は、一般行為システムの
レベルに属するとしても、「貨幣」と「権力」は一般行為システムのレベルではなくて、社会システムに
属しているというふうに思われます。私が考えていることを簡単に説明するに当ってまず述べたいことは、
そこで言及しているシステムが何であるかを注意深く確認することの重要性であります。ルーマンはすべて
のことを社会システムとして処理しており、文化システムを社会システムとは別個なものとして論じて
いません。>
(T・パーソンズ『社会システムの構造と変化』1984年、創文社p.34より)
以下、パーソンズの体系(富永健一作成の図、『人間の条件パラダイム』所収より)
________
/信託シ/社会的共同体
/ステム/___/ |
/ 経済/ 政治/ 社会システム
/___/___/ |
| | | |
| | | |
____|___|___|___|
/ | / /| /|
/文化 | /___/_|_/ |
/システム |/ / |/ |
/_______|___/___| 行為システム
/ / / |
/行動システム /パーソナリティ/ |
/ / システム / |
/_______/_______/ |
| | | |生命システム
分哲スレまで荒れるようになってきたか…
分析哲学に必要なのは想像力
ライルが『心の概念』において、心身二元論を大学とその建物という比喩でカテゴリーミステイクとして
批判したのは、明らかにホワイトヘッドからの剽窃だ。邦訳著作集第4巻『自然という概念』所収の
「自然と思考」は、ライルのようにデカルトを悪者にしているだけではなく、経験といったものの質を如
何に拾い上げるかという根本的な議論をしている。これを読んではじめてドゥルーズのホワイトヘッド賞
讃の理由が分かったような気がした。
さて、クワイン等も直接および間接的にホワイトヘッドから影響を受けているが、その可能性を厳密性と
引き換えに閉ざしてしまった観がある。クワインの「自然化された認識論」も、認識論を自然科学へ手渡
してしまっただけで、ホワイトヘッドの意図とは結果的に真逆になってしまった(ドゥルーズは何よりも出
来事の哲学としてホワイトヘッドを賞讃したのだが、それは分析哲学の中に閉じ込めることは出来ない種類の
ものなのだ)。
参考:
ミルの論理学
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
|| /|\ /\
\/ | \ ||
法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
事 /法 法|自 の\ 事 自 因
物 O 論 の|然 類\ O 物 然 果
・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
>>648 パーソンズはこうしたカテゴリーを協同研究を円滑にするために想定したのだろう
>>650 いや忍耐力だろ。
そしてそういうのここの連中には無理。
かつて秘教的として退けていたハイデガー顔負けのテクニカルな哲学になってるね
それでも分析哲学の場合は、
何を言ってるのかさっぱり分からん、じゃなくて
何が面白いのかさっぱり分からん、というケースが多いと思う
そうかな 哲学のなかでは一番面白いが
いくら大陸系やポストモダンを小馬鹿にしても、
そっちの方がアピール強い状態は変わらない
馬鹿にどれだけアピールしても意味ないだろ…
他学派全員馬鹿扱いは無理があるだろ
アカポス得ても同僚小馬鹿にするのか
実際、分析哲学の研究者がポストモダンの同僚を
(内心)バカにしてるってケースはありそうだけどね。
もちろん逆も。
人文系はみんな馬鹿にされてるから実際には内部揉めしてる場合ではない
ポストモダン厨の被害妄想ひどいねw
経験主義と合理主義というよりも、想像力と判断力(分析哲学は主にこちらを扱う)が対になる。
その際、判断力がカテゴリー別に分けられてないと差異を排除しがちになる。
以下、パーソンズの体系(富永健一作成の図、『人間の条件パラダイム』所収より)
http://1.bp.blogspot.com/_u3hakHag62c/TFtCdy3AVOI/AAAAAAAAAkQ/Q4T4NIc-tzY/s1600/a0024841_102315.jpg 例えば戸田山『哲学入門』もパーソンズ体系と重なる。
(社会システム)
行為システム
________
人生の意味/ 第7章 道 徳
/_il/_ii/ |
第6章 自 由/ 第5章 目 的|
/_ia/_ig/ |
| | |生命システム
| | | |
____|___|___|___|
/ | / /| /
/第4章 表 象| /_第3章 情 報 /
/ l |/ /i |/
/_______|___/___|
/ / /
/第2章 機 能 / 第1章 意 味 /
/ a / g /
/_______/_______/
第1章 意 味/第2章 機 能/第3章 情 報/第4章 表 象/
第5章 目 的/第6章 自 由/第7章 道 徳/人生の意味――むすびにかえて
>>664 自分個人が馬鹿にされているという現実に耐えられないので、
自分の属するカテゴリーがみんな馬鹿にされているという妄想に
すがりつくのだろう。
チラ裏
戸田山和久『哲学入門』を、どうも「表象」やそれに関連するものが何を意味
してるのかよく分からんと思いながら、5章まで再読してみたんだが、ひょっとして
この本の中では、古典的計算主義の「表象」や「思考」というもの(66頁以下で
説明されているもの)が存在することは、前提として認めてしまった上で、
それらが自然的・進化論的(?)にいかに説明されるか、という筋道で
書かれてるのかなあ?
(というか、ひょっとしてそうだろうか、という見込みで再読を進めてみて、
今のところそれに反するようなところは見いだせない(そう断言できるほどの
材料も見つからないけど))
だからよく分からなかったのかなあ?
もしそうだとしたら、うーん?
モノだけ世界観って、そんなものの存在を所与の前提にしてしまって、
いいもんなのかなあ?w
いや本当にそこが分からんのです
668 :
考える名無しさん:2014/04/26(土) 02:51:05.48 0
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(狭義にはイメージ=
広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
社会システム
________
第4章 表 象/ 第3章 情 報
/_il/_ii/ |
第2章 機 能/ 第1章 意 味|
/_ia/_ig/ |
| | |行為システム
| | | |
____|___|___|___|
/ | / /| /
/人生の意味| /_第7章 道 徳 /
/ l |/ /i |/
/_______|___/___|生命システム
/ / /
/ 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /
/ a / g /
/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
表象の科学的定義なんて無理だろうからそれを要求するのは無茶だと思ったけど
戸田山さんってかなりの自然主義者みたいだから彼がそういう言葉を無定義で使うのは
結構問題があるのかもね
>>667に書きかけたけど、あまり説明もなく66頁以下のような「表象」その他の
存在を所与の前提にしてしまっていいのかなあ?そして4章5章あたりの議論も、
個々の知識・議論として勉強になったところや面白いところはあったのではあるけど、
全体としては、所与の前提に合うように話を作ってるだけだったりしないのかなあ?
などとぼんやり感じていたんだが、
>>669を見て、全くの的外れというわけでも
なさそうだと勝手に思って勝手に安心したw
>>672 能天気な科学主義に対して、そんなに感情的に反発しなくてもいいと思う
戸田山は脳天気なだけでなく攻撃的だから敵が多いんだと思う
戸田山の哲学入門いまいちだったな
676 :
考える名無しさん:2014/04/27(日) 14:26:58.23 0
伊勢田は戸田山と元同僚で仲がいいけどね
伊勢田は同僚だろうと友達だろうと「クリティカル・シンキング」風につっこみをいれるから
知らない人は怒りだすんだよね
昔広島大の医学者の津田さんに突っ込んで喧嘩みたいになってたが向こうが
戸田山哲学入門はいい本だよ
色々なスタンスの哲学があっていいはずだし
ミリカンとかドレツキも面白い
戸田山先生の本は知識の哲学が一番為になったわ
哲学一般について語る器じゃなかった
戸田山の本の無意味にくだけた口調がうっとおしい
お前らはただのアホだから
戸田山入門は難しすぎるかもな
せいぜい頑張れやw
でも伊勢田の指摘を見てると、概念の定義や説明の仕方が恣意的だったり、
主張の根拠の示しかたが不明確あるいは恣意的(直観を批判しながら自分は
直観を説明なしに用いるとか)だったり、論証の流れが把握しがたいもの
だったり、というのは、かなりの問題のような気がするけどな
まあ普通の面白おかしい読み物程度なら、そんなことは珍しくないけど、
『哲学入門』と銘打った本としては、どうなのかねえ
>>682 読者がそこまで著者に対して疑問を持てるなら
それはそれで意味のある本でしょう
ただ確かに直観が説明なしに頻出するのは問題あるかな
でも元同僚で仲が良いような人と仲が悪い人で
純粋に哲学的な指摘としては同じでも、
仲が悪い人に対しては余計な皮肉を付け加えたり、
批判のトーンを変えたりする人って結構居るよね
それって戸田山が筆頭でしょう
たとえばどんなの?
戸田山の他の日本人哲学者に対する批評ってどういうのがあるのか
あまり知らんから分からん
戸田山必死だなw
博多華丸という名前が
博多睾丸に見えたんだけど…見えるよな?
689 :
考える名無しさん:2014/04/28(月) 00:47:19.49 0
>>676 あれは伊勢田が悪い。
正論でも言い方がある。
ああいうやり方はチンピラみたいで好きになれない。
学生の論文を査読しているんじゃないし、科学哲学に触れた部分は素人なんだから、
もうちょっと優しくつっこんであげればよかったのにね。
>>691 そのへん分哲の人は優しさがない。ソーカル厨といっしょ。
>>692 方法論の違いだからね
攻撃的になるのはそういうのが分析哲学の特徴でもあるわな
そう?仲間内に対してはそれなりに配慮した書き方すると思うけど。
特に自分の院生時代の指導教官で権威もあるような人に対して
辛辣な書き方したりしてるのは、なかなか見たことない。
おまえ、
>>691からの流れまったく読めてないだろ。
>>693の「攻撃的になるのは」は
分野外の人に対してってことなの?
そうだとしても、上の方で言うなら別に分析的でない田島の方がよほど攻撃的だと思う
>>696 分析哲学は論理学の系譜なんだよね
つまりは文章表現に対して重箱の隅をつつくような指摘をする
しかしそれは悪意ではなくてそういう哲学の方法論でもある
だから外部からみたら攻撃的なようにみえるという程度の意味なんだけどね
俺は分析哲学も好きだから批判しているわけじゃないんだよ
ああ、そういう意味か
なんか下らない細部について批判してるところが多いな、
とは思ったけど
それについては分析哲学としても正論だとは思わないし
悪意による批判だとも思わなかったから分からなかった
なんでポスモ、大陸系は分哲にちょっかい出したがるんかねw
自分たちの業界内でシコり続けとけばいいものをw
分哲という略し方ってどうなの?
析哲の方がよくね?
>>699 ん? 戸田山が大陸系にちょっかい出し続けてるのが、問題じゃなかったのか?
戸田山の哲学入門は、哲学に興味を持つ人一般にアピールするものにはなっていないし、
全部が全部大陸系にとって代わることはなく、棲み分け続けるんじゃないの
哲学とは主観的な行為であるのに対して、分析とは客観的な行為だ。
分析哲学とは「客観哲学」のことである。これは正しい?
それとも「主観的な哲学を客観的に捉えようとする主観的な行為」ぐらい(な考えに)にとどめておくべき?
戸田山『哲学入門』をあんまりけなすようなレスばかりしてしまっても何なので、
個人的には3章は面白かったし勉強になった。
信号が伝達される量という一見「なにそれ?」な話題から始まって、実は
それで情報の内容を定義することができ、それによって、物が因果的に動いて
いるだけで情報が流れていると理解できる、というのは、正直全然知らない
分野だったので、そんな考え方があるのかと勉強になったし、もし本当に
成り立つのだとすれば、なかなかすごい話だと思った。
ただ、伊勢田もツッコんでるし、田島は鼻もひっかけてないようではあるけどw
>>704 え?それはスゴイ。情報が流れているなんて信じられない。おれも読んでみなきゃだわ。てか、情報=エネルギーだとすればたしかに流れているけど
シャノンの情報理論でさえ「情報」は扱わずに情報量としての「ビットの数え上げ」をしているだけなのに、戸田山すごい
情報を見ることができる男、戸田山
目に見えるものだけ存在するという実証主義はもうオワコン
表象の議論ってようは、情報の流れを理解できることの正当化なのではないか
戸田山さんこんなスレにも来てるんですかw
伊勢田のツイッターに出てた長々とした回答を見て吹いたw
最初の三行で終わらせていいのに、なんて真面目なんだw
712 :
考える名無しさん:2014/05/03(土) 05:04:01.58 0
戸田山『哲学入門』の評価はともかくかなり売れているのは確かだ
713 :
考える名無しさん:2014/05/03(土) 14:31:34.75 0
野矢茂樹さんの顔googleで調べて初めて見たけど彫りが深くて格好良いな。言語哲学
とかすごそう
田島正樹のブログみたけどボロカスに言われてるな戸田山本。詳しく読んでみて批判に値する
内在的価値が全くないことが明らかになったとか、無教養な人になにをいっても無駄だろうとか。
716 :
考える名無しさん:2014/05/03(土) 17:10:55.62 0
矢田部さんはヴィトゲンシュタインが不完全性定理を全然理解してないとか
ものすごい暴露も平気でやってたが
717 :
考える名無しさん:2014/05/03(土) 17:13:37.56 0
田島正樹って分析哲学とかわかる人なの?
カントヘーゲル現象学ないかにも日本の哲学者
〜さんがこう書いてたというレスはだいたい本人
一度として真偽を確認したことないのに「だいたい」とか言っちゃう
(ホームズ)本人だったら一度は真偽を確認しているということになるのではないか。だとすれば、
>>719は犯行声明だったのかもしれない
722 :
考える名無しさん:2014/05/04(日) 07:49:05.87 0
矢田部さんは数学で博士号とって数学基礎論の専門家
いま京大で科学哲学やってる人
専門分野以外はただの酒飲んで管巻いてるオッサン
でもそういう無教養アピールは哲学研究者にはよくある
>>722 そいつのツイート暴言ばっかでまったく妥当な推論みかけないんですがそれは
え?科学哲学やってたっけ?
論理学とか論理学の哲学は科学哲学とは言わないよ。
RusselやWittgensteinが不完全性定理を深く理解していなさそうだったというのは
有名な話で、ただ当時は数学基礎論の非常に専門的な定理だったので
きちんと理解している人は専門家のみだったから、その点差し引いて考えるべき。
Wittgensteinは偉い哲学者だからきっと正確に理解していたに違いないとか
思いこむほうが無茶。
Wittgensteinについては、不完全性定理についてよく分からないことを言ってて
どう見ても理解して無さそうな感じだが、訳分からないので「こういう誤解をしている」
という同定もできない。Wittgensteinは実はちゃんと理解していたという論陣をはる
哲学者も一部居るがそんなのは時間の無駄遣いに思われる、と言っているから妥当な所だと思うよ。
ウィトゲンシュタインは不完全性定理をどう誤解したのですか?
微妙な質問ですね。正直、ウィトゲンシュタインは不完全性定理についてなんだかよくわからないことを言っていて、どう見ても
「こいつ理解してないだろ」という感じなんですが、わけわからないことしか言っていないので、「こういう誤解をしている」という
同定もできない状況です。一部の哲学者は「実はちゃんと理解していたんだ」という論陣をはったりもしていますが、そういうの
はask.fmで質問千問に回答するのと同じぐらい才能の無駄遣いで、哲学者はもう少し有益なことについて論文を書くべきだと思います。
http://ask.fm/ytb_at_twt/answer/109997194826
728 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 19:17:55.84 0
意味も分からずパクるのが、おまいらにはお似合い
>>716 暴露もクソもゲーデル本人が
ウィトゲンシュタイン氏は正しく理解した上で反論をしてほしいって書いてる
731 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 21:07:57.33 0
戸田山入門には興味があるけど金がないので買えない
>>730 俺もヴィトは理解できていないという指摘をいくつかの本で見たので、
とくに「暴露」というほどでもないだろうね。
734 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 13:52:30.22 0
735 :
訂正:2014/05/11(日) 13:53:56.36 0
736 :
参考:2014/05/11(日) 14:07:38.51 0
737 :
追加:2014/05/11(日) 14:18:28.77 0
戸田山さん必死ですねw
739 :
考える名無しさん:2014/05/16(金) 15:59:25.65 0
| 1, 2, ・・・, n, ・・・
___|____________________
f1(y)|f1(1) f1(2) ・・・ f1(n) ・・・
f2(y)|f2(1) f2(2) ・・・ f2(n) ・・・
・ |・ ・ ・ ・
・ |・ ・ ・ ・
・ |・ ・ ・ ・
fn(y)|fn(1) fn(2) ・・・ fn(n) ・・・
・ |・ ・ ・ ・
・ |・ ・ ・ ・
・ |・ ・ ・ ・
¬は否定だから最後につけ加えればよいから、ヨxP(x,n,n)について考えてみよう。
これは、「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題(すなわちfn(y) )の変数 y に
数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在する」という内容を持ち、
したがって¬∃xP(x,n,n)はこれの否定、すなわち繰り返しを嫌わずに書けば「ゲーデル
数がnである一変数 y を含む命題の変数yに数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数
となる x が存在しない」となる。
ところが、ゲーデル数nを持つ一変数を持つ一変数yを含む命題とは fn(y)のことであ
り、fn(y)とはすなわち¬ヨxP(x,y,y)であった。すなわち上の文章を簡単に書けば,「¬
∃xP(x,n,n)の形式証明は存在しない」ということで「¬∃xP(x,n,n)は証明できない」と
いうことになる。ところが、この「 」内の命題こそ¬∃xP(x,n,n)に他ならない!
ついにわれわれは「この命題は証明できない」のきちんとした数学的表現を入手する
こと に成功したのである。
…
740 :
考える名無しさん:2014/05/16(金) 15:59:57.90 0
…
ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいた
い。一変数の命題をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f
n(n),・・・を考察するというのはまさしく対角線論法そのものである。カントールに
よって集合の階層構造を引き出すために考案された一線論法は,集合論内のパラドック
スと絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見という20世紀数最高の結
果の一つを生み出すにいたったのである。
(以上、『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文
庫より復刊)
瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデル
による素因数分解を使ったコード化)について説明している。
741 :
考える名無しさん:2014/05/16(金) 16:01:31.11 0
『数学の基礎』におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
全体を見渡せないというものだ
ゲーデル数に関しては後期の転回によって立場が近い(と思う)から
不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
再帰的でないという批判も素因数部分ではなく対角線論法の部分にかかってくる
個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。
742 :
パンの耳:2014/05/16(金) 16:07:57.14 0
くりかえしえかりくりかえしえかりくりかえしえかりく
クリばかりじゃなくて カリも攻められてるのがわかる
対角線論法には釈然としない
たしかに間違ってはいない。
どこまでも逃げ切れる。
穴は無い。
だが不自然。
744 :
考える名無しさん:2014/05/16(金) 20:31:37.07 0
野矢茂樹が無限の教室で同じことグダグダいってた
数学の哲学でいうと構成主義的な立場が身に染みついているひとには対角線論法は虫唾がはしるんだろう
不完全性定理の証明は文句のつけようもなく構成的なのに、
それが対角線論法と解釈され得る一事をもって非構成的だと勘違いしてる人ですね>野矢茂樹
野矢とかいう奴は知らんが
虫唾が走るってわけではない
理屈は分かりますよ
それでもおかしい
だからおかしいと思う理由が、どこかにある
それが分かればある程度は落ち着く
そこに問題が転がっている可能性もある
まあ、未だよく見えないので、いいです
747 :
考える名無しさん:2014/05/16(金) 21:25:20.40 0
おかしかったら数学者がとっくに訂正している
「おかしい」というのは
「わたしがおかしいと思う理由」ですよ
貴方は数学者に付いていけばよろしい
>>747 糞みたいな権威主義
思考停止した貧弱な精神
あわれ
>>749 あなたは思考停止していないのではなく、目が見えずオロオロしているだけ
自身のソースコードと完全に同じ文字列を出力するプログラムを
クワイン・プログラムと言って、対角線論法を使って作るけど、
これは全体の再帰的構造を見渡していないと作れないように思うけどね。
因みに再帰的でもある。
↓対角線論法を使い、かつ全体を見渡せている例
「Rubyで美しいQuineを書く 山手Quine、quineclock、
quine reversi、Merry Quine-mas2009、自己記述集合その他を参照」
http://www.slideshare.net/mametter/quine-10290517」
たぶんWittgensteinもこういうものがある時代に生まれていたら
だいぶ考えを変えていたんじゃないかなあ。
対角線論法を使って作る対象が何かしらの理解できなさを持っているのは
事実な気がするから、Witは良い所に着目しているとは思うけど。
ざっとですけど戸田山の哲学入門読みました。「哲学する」ことの入門であって、しかも「情報哲学」とか「計算機哲学」とでも呼ぶようなものでした。
題名を「情報を哲学する入門」とでもしておけばこれほど叩かれることもなかっただろうと思いました。
あくまでも「解読者を前提しない情報」を扱っており、それが流れているものならば納得できます。
戸田山の哲学入門を非難しているのは単なる「無理解・無知」からでしょう。計算機屋からみるとそういう感想になります。
「哲学入門」という題名を非難するのならば同意しますw
この宇宙がまさしくUniversal計算機であり、すべては計算によって成り立っているとする立場からみれば、余計なものをなにもつけずに「哲学入門」としたことはほめてあげたい。
叩かれて当然だが賞賛するぞ戸田山くん
じゃあ「表象」の定義関連のgdgdはどう評価するの
「表象」はアプローチの違いだねぇ。だから「哲学」としては叩かれているわけですけど。
認知科学とか計算機科学では「表象」を「在る」んじゃなくて「作る」ことからはじめる立場もあるから。
うまくいかなきゃ別のモデルになるだけw
おれの立場では「表象」は広義の「言語」の一部であって、それは「内部表現」であったりネットワーク上での「エネルギーの状態」であったり。
「定義」ではなく「状態」みたいなもの。科学だからあくまでも「関係」でしか考えない。
戸田山は「哲学」ではなく「哲学している」だけ。そこからアブダクションする前段階
戸田山くん定期カキコw
ざっと読んだ感想でしかないけど、ここで使われている「表象」とか「情報」という言葉が「哲学」で議論されたものではなくて、「計算(機?)哲学」(とでも呼ばれるようなカテゴリー)のものであって、それこそが(真の)「哲学」だといっているに等しい。
(分析?)哲学(本流?)からの異論には、「くだらねー、アプローチがちげーんだよ」という返答でいいくらいw
非難じゃなくて批判しているだけだと思うけど。
(田島のはちょっと嫌らしいところもあるが)。
上で出て来た伊勢田さんって戸田山さんの元同僚だよ。
計算機科学では、この研究ではこの用語の定義が曖昧だとか、
この研究は応用性に乏しいとか指摘することを「非難」と呼ぶの?
書きものの内容に対する批判を人格攻撃と混同してるんじゃないの?
>>755 じゃあその文脈とカントがどうとかいうのは全然関係ない話になるはずで、
その話の流れの中で「カントが言いたかったのはこういうことだ」
などという話題は出て来ないはずな訳で。
議論をできるだけ好意的に解釈するのは大事なことだけどね。
>>752ですが、非難と書いちまったか。ここで引用されているのが批判・批評で、ここで叩かれているのが非難ね。
おれは戸田山擁護ではなくて戸田山賞賛w いいねぇ、哲学すらも解体して再構築してほしい
一般人相手の入門書出すとこういう輩が決まって湧いてくるよなw
対角線論法ってあれか、どんなふうに単位をとって単位長または単位長の倍数
の辺の四角形を作図しても対角線の長さは無理数になるってやつ?
ちょっと違うかも
>>759 そういう細かい言葉の使い方は注意した方が良い。
戸田山さんもそういう点や議論の展開が雑だから批判されている部分が大きい。
アイディアとしては良いのかもしれないけど。
哲学における「定義」ってなんだろうと思った。現象ではなく「現象の現象」を扱う場合の「定義」は、「無定義」と「定義」の間にあるような気もする
いみふ
わからないか。そうかぁ。哲学じゃダメか。数学に頼るか
>>767 いやーすまねー。まだ考え中のことなので、このへんはいろいろなところに散見される二乗性とでもいうべきものだろうから圏かなとも思う。
単純に、分析哲学では「定義」ということをどのようにとらえているのかな、ってことですね。
扱えるものは「現象」「関係」ですから。そこからより深いところにあるものの「定義」は難しい。
「定義」をもとめて問いを発しても、だからその(取り扱おうとしている対象のまだあいまいな)「定義」を述べろというようなことが多いw
哲学の中でそういうポエムみたいな文章を一番嫌うのが分析哲学
戸田山の問題は「定義」にあると思う。分析哲学でも定義というものは議論中のようだし、戸田山のやりかたは悪くないと思う。
「定義」というものをどこに、どのように求めるのか。おれはいまのところエネルギー論を足がかりにするべきだと考えているけどね
戸山田しか読んだことなさそうだね
エネルギー論的に「定義」という問題を解決できるのではないかと思っていろいろ考えてみたけど、
2つの系が一点で接続しているような世界を考えたとき崩壊してしまった。
その系の中にいる限り、その系の中でしか定義は成り立たない。しかも結構な制限が付く。
あたりまえといえばあたりまえなことだった。自然数論を含むこともなく、有限であっても、不完全なのか……
なんだこれ
知の欺瞞?
774 :
考える名無しさん:2014/05/27(火) 16:42:17.50 0
誰かがなるほどねといったら、適当に考えた文章でしたと言うつもりなんだろ
>>774 そこまで凝った感じではない。ゆるい頭に浮かんだイメージを
グダグダ書き連ねた感じ。少なくとも哲学とは無関係な文章。
Observerが片方の系の中ではなく、接続点こそがObserverであれば両方の系を見渡せる。
A系(世界)のコピー(モデル)をObserverがB系内部に構築したとき、B系内のA系コピー上での定義がA系オリジナル上での定義に相当するなどということはObserverを信じるしかない。
B系世界内部での(Observerの名前)哲学という種類の哲学か……
>>776 そういうのは
ここじゃなくて、独立したスレ立てて
書き連ねた方がよくね?
>>777 フィーバーかよ
まあ、哲学以前の問題だし、結局、心身二元論モデルに見えてきたので心の哲学のほうにいってみますわ。
ただ、哲学を哲学するのも分析哲学だろうから、だれか反応していい本でも紹介してもらえればと思た。
Observerがたくさんいて(それでもエヴェレット解釈的に真のObserverは一人:それが世界)どうやって共有するのか、とか、
対象は両方の系にあるのにモデルとしてのコピーは「心」の側の系でしか扱えないのに、それが表出され他のObserverに渡るのは物理世界のほうの系だ。
こんなことを考えてる分析哲学系の人はいないのかという探りでした。
コピーのコピーの入れ子状態をあらわせそうな数学は圏とかツイスター理論だけど、数学や物理に行くのはつらいw
現象学は、物があるという確信は何故生じるのかと問い直す学問らしいですが、
現象学的還元って、物自体は実在しないと考えろ、ということなんでしょうか。
でも、私が暴漢にナイフで切りつけられたら、私は何によって切りつけられたんだ、という話になる。それは実在ではないのかと。
大地震の最中にエポケーしたって、ない事にならないし。
>私が暴漢にナイフで切りつけられたら
仮定が論点先取。実在を前提にしちゃってる。
これではフェアな議論にならない。書き直し。
暴漢にナイフで切りつけられて逃げないと怪我するから、暴漢の存在もナイフの存在も
立証されるというなら、神に祈りをささげないと天罰が下るから、神の存在は立証される
ということになりかねない。
>>781 むしろ、神に祈りをささげなくても天罰は下ったためしがないから、
神の存在は立証されないという話にならないでしょうか。
しかし暴漢は逃げないと怪我をする。
>>780 知覚されないものは存在しない、としましても、
例えば寝ている最中に「起きろ!」と叩き起こされた場合、「起きろ」という声は知覚されたものであっても、
まったくの知覚の外側から、自身の知覚を揺り起したのは何者か、という疑問が残る。
まさにそうした「生物の知覚の限界」といった性質を利用して、
チーターなどは、茂みの中から、獲物の知覚の外側から狩りをするわけです。
ですから、知覚の外側を想定出来なければ、生命の危機に瀕する状況が往々にしてある。
また、目の前で腕を交差させた場合、重なって見えない腕の一部は、「無い」ことになるんでしょうか。
それは、知覚の表面だけを捉えようとする議論で、人間の精神の構造を必ずしも反映していないんじゃないでしょうか。
>>782 暴漢は逃げないと怪我をするというが、あなたは暴漢に会って逃げずに怪我をしたことが
あるのか。また、天罰がくだったためしはないというが、それは、天罰というものが存在する
というのと同じレベルの信仰なのではないか。
要するに、あなたは当然のごとく、おそらくは常識や科学的知識というものに頼って、経験的
に信用できることと信用できないことを区別しているわけだが、その常識や科学的知識という
ものは何に由来しているのか。
分析哲学じゃない気がするが、
エポケーって無いと判断することじゃなくて
あるか無いか分からないけど判断は保留しよう、ということじゃないの
襲ってくる暴漢の視覚的表象があって、仮に逃げようとせずに
右腕をナイフで切りつけられる視覚的触覚的表象が生じ
鋭い痛みの感覚が生じたのだとしても、それで暴漢が実在する証明にはならないでしょ
Google Glassみたいなのと、ディスプレイ上の出来事に対応して
随時プレーヤーの体を傷付けたりしてくれるゲーム機を開発すれば
敵が実在しなくても痛み・傷は生じる
この世界だって似たようになっているかもしれない いや知らんけど
>>782 >例えば寝ている最中に「起きろ!」と叩き起こされた場合
まだ実在が前提とされてる。
現象学の是非などどうでもよいが、
結論を密輸入するのはいただけない。
何かを問いたいならアーギュメントちゃんとしようよ。
アホちゃうか
「モニタの向こうにやりとりしている人がいるというのが前提にされてる!やり直し!」
逆に考えると誰かからやり直しと言われているとも限らないんだし
やり直さなくて良いんじゃね?
ということも加味した「」な気もするが
ウィトゲン「懐疑厨うぜえ」
>>788 そんなくだらん理由じゃなく、もうやり直さなくていいよ。
お腹が我慢できないほど痛くなっても病院にはいかない
だってぼく懐疑論者だから!
>>784 その場合、Google Glassとゲーム機が実在なのでは。
>>785 すみません、哲学はまるっきりわかりません。
ただ、現象学はなんかアホなりに反抗したくなるんです。
あとカントやウィトゲンシュタインやフッサールの議論って
相互に比較したりできるものなんでしょうか。
まず、それは分析哲学ではないよ
>>793 スレ違いなのは分かっていましたが、失礼しました。
795 :
考える名無しさん:2014/06/08(日) 01:26:55.17 0
分析哲学者からみるとデリダとかってどういう扱いなの?
サールに難癖付けたとかそんなところ
フランス界隈はすぐ擦り寄ってくるよねw
どっちかというとデリダの主張に対してサールが反論したんじゃないの
デリダがわざと不明瞭な書き方をするというのはその通りだと思うけど、
「必然」「可能」のような言葉を使うときはS4とかS5を知った上で使うべきだとか言ってるのは
ちょっと様相論理に毒され過ぎかなあ、なんて思ったりした。
しかもS4でも◇p→□◇pが成り立ってたんじゃなかったっけとか
生半可なこと言ってるし
|G.F.:
デリダの『有限責任会社』にはどんないきさつがあったんでしょうか?
|サール:
彼がオースティンについて文章を書いてね.で,どっかの人がぼくのところに来て,
その文章をみせてどう思いますかって訊いてきたんだ.で,そいつを読んで思うところを言ってみたら,
「我々はこれから新しいジャーナルを立ち上げるんです.
英米哲学と大陸哲学のコミュニケーションを推進するのが目的です.
少しお考えを書いていただけないでしょうか? いまのお話を書いていただいて出版させていただけないでしょうか?」って言ってきた.
ttp://d.hatena.ne.jp/katos/20111201/1322730931
800 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 21:08:01.76 0
分析形而上学ってブームなんですか?
802 :
考える名無しさん:2014/08/23(土) 14:33:36.20 0
803 :
考える名無しさん:2014/08/23(土) 14:35:42.61 0
>>802 リンク先が、物理のTheory of Everythingになっちまったでござる…(*_*;
804 :
考える名無しさん:2014/08/23(土) 14:44:26.43 0
805 :
考える名無しさん:2014/08/23(土) 15:09:40.38 0
http://d.hatena.ne.jp/katos/20111201/1322730931 他方で,ミシェル・フーコーならよく知ってる.バークレーで同僚だったからね.
あるとき,妻とぼくとで彼とランチで同席したことがあってね.彼に言ったんだ,
"Michel, pourquoi tu ecris si mal?"――「ミシェル,なんでこんな悪文を書くの?会話じゃあきみだってぼくみたいにはっきりものを言って
るじゃないか.なんでこ んなに不明瞭な書き方をするの?」って.そしたら彼が,「ぼくがきみみたいにはっきり書くとね,フランスの書評家連中に
子どもっぽいって思われるんだよ.infantil って言われてしまうよ.」 彼が言うには,「フランスじゃあね,少なくとも10%は意味不明
じゃなきゃいけないんだ」――"Au moins dix pour cent incomprehensible" だって.「そうしないと,かんたんすぎるって思われてしまうんだ,
子どもっぽすぎ るって.真面目に読んでもらえなくなるよ.深みがないって連中は考えるんだ.」
ぼくはもう面食らってしまってね.「ひょっとしてミシェルはぼくのことをからかってるか,冗談でもとばしてるのかな」と思ったりしたよ.それで
,コレージュ・ド・フランスで講義をしてたとき,ピエール・ブルデューにこの一件を話してみたんだ.ピエールが招待主でね.それで,
彼に,ミシェルは真面目に言ったのかなって聞いたら,ピエールがえらく興奮して,「まったくもってそのとおりだよ.それどころか
,10%以上だね.10%をずっと上回るよ.意味不明なことをいれなきゃ,フランスじゃあまともにとりあってもらえないんだ.」ということは
,これはフランスとアングロサクソン諸国のちがいなんだね.ぼくなんかは,なんでもすごくはっきりさせようと一生懸命やってるものね.
806 :
考える名無しさん:2014/08/23(土) 15:15:37.02 0
>>805 フランスって、昔は明瞭な記述を重んじる国って評価じゃなかったっけ?
いつの間に、こんなふうになっちまったんだろ…(´・ω・`)ショボーン
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808 :
考える名無しさん:2014/08/30(土) 06:09:20.23 0
あげてくでござる。
809 :
考える名無しさん:2014/08/30(土) 11:19:10.90 0
戸田山って筋肉馬鹿っぽいよね。
810 :
考える名無しさん:2014/08/30(土) 12:09:52.96 0
つっこまだよね。
811 :
考える名無しさん:2014/09/04(木) 08:56:10.81 0
上田紀行と同級生だっけ?
ぬぐ?
813 :
考える名無しさん:2014/09/05(金) 09:05:52.51 0
ぬいでもすごそうだよね。
814 :
考える名無しさん:2014/10/16(木) 17:01:15.51 0
またローティの本が出るんだな
ああ あの滓本ね
戸田山の「論理学をつくる」と戸次の「数理論理学」
とMatesの"Elementary Logic"だったらどれが一番いいと思う?
817 :
考える名無しさん:2014/10/17(金) 19:02:32.73 0
最後のは知らん
最初のは、分析系を日本に紹介する啓蒙書を書くのが得意な人が書いてる
二番目は、言語学に論理を応用する研究をしてる人が書いてる
だから、ちょっと眺めたら全然違う本であることが分かると思う
まあ立ち読みして好きな本買ったら良いよ
大雑把にいえば 言葉での説明が好きな人は前者、数学が好きなら後者
818 :
考える名無しさん:2014/10/17(金) 20:12:06.90 0
>>817 戸田山は好き嫌いが分かれそうだね。
理系なら練習問題を通して自然に身につく感覚的なものまで言葉で説明しようとする。
なので、とにかくまどろっこしい。
戸田山は最初に表現したい対象があって、それを記号化するという説明だけど、
理系は数式を先に書いてもらって、後でその意味を説明してもらう方が分かりやすい。
>>817 >>818 どうも、ありがとうございます。戸田山本はアメリカの1、2年生向けの理数系教科書
にありがちなやたら言葉による説明が多いってタイプのようですね。あうか、あわないかちょっと
本屋で確認してみます
戸田山みたいなうさんくさい哲学者が書いたのより
数学畑の前原昭二とかの入門書読んだほうがいいよ
821 :
考える名無しさん:2014/10/18(土) 09:36:36.48 0
824 :
考える名無しさん:2014/10/18(土) 18:03:43.75 0
田島正樹とかも戸田山さんを胡散臭いと思ってそうだけど?
戸田山が第一人者って状態はやばい
末期症状ですね。自壊が目的なんだろうけど。
827 :
考える名無しさん:2014/10/18(土) 18:23:41.49 0
『パラドックスの方法』、『存在論的相対性』、『指示の根』とか翻訳されてると思ったらまだなんだな
今はロジックの話をしていたんでは
829 :
考える名無しさん:2014/10/22(水) 15:23:15.33 0
本屋で戸田山本みてみたけどめっちゃ分厚いんだね
830 :
考える名無しさん:2014/10/22(水) 22:56:14.79 0
松原の「記号論理学入門」は薄いし、難しくないからお勧め。アマゾンで安いし。
著者の言うとおりに記号を操作して練習問題を解いて・・・それで終わりでなんか有り難味がなかった。
記号の操作がメインだと、ルールに従ってパズルを解くような感じなんだよなあ。
あと、論理学の本は著者によって内容がかなり違うんだね。
最近出た高アの「学んでみよう」はかなりの分野をカバーしている。
分析系の研究者って英語圏の哲学雑誌で業績持ってる人多いけど、
分析系がいじわるしまくるから、大陸哲学のおっちゃんたちいじけて、
英語圏に投稿することは英語帝国主義に加担してるとか言い始めちゃってるよね。
833 :
考える名無しさん:2014/10/23(木) 06:49:07.32 0
んなことはない
お前の妄想だよ。
阪大であった国際ドゥルーズシンポは
英語でやっていたし、日本人もたくさん参加していた。
>>835 いやそこはむしろフランス語でやれよw
矜持はないのか
西田幾多郎国際シンポジウムとかあったとしても、
今なら英語になるだろ
ないから心配すんな
東アジア地域の学問の共通言語はフランス語でもドイツ語でもなくて英語だからな
仕方ない
840 :
考える名無しさん:2014/10/25(土) 06:19:29.15 0
>>839 東アジアどころか、全世界で英語支配はほとんど完成してね?
下半身の論理学は読んではいけない
842 :
考える名無しさん:2014/11/02(日) 13:40:09.09 0
1978 山口尚 植原亮 秋葉剛史
1979 古田徹也
1980 藤川直也
844 :
考える名無しさん:2014/11/03(月) 01:52:16.59 0
若者って30代前半までならいいんじゃね
845 :
考える名無しさん:2014/11/03(月) 08:46:32.00 0
哲学者(とくに分析哲学者)含めて”普通の”大半の人は、
人間は誰しも(従って自分にも)下半身があり下半身由来の欲望があって、
それによって突き動かされて社会が構築され、
生に意味が与えられているということについて自覚が無さ過ぎると思う。
そのことを語ることには社会的タブーが存在するけど、
だからといってそのことに触れない事が真実であり善であるわけではない。
ラッセルもウィトゲンシュタインもそうだし、功利主義者も
この世に何のために苦痛があるのか分かってないと思う。
毎日、飯を食うためにあくせくしてるのは、腹が減るからだろう。
腹が減るのは空腹中枢が信号を出しているからだ。すると、人は
上半身由来の欲望があって、それに突き動かされていることになるのでは?
進化心理学がそういうことやってんじゃないの
そういう話が出てくるのはやはり、哲学の古典のテキストを軽視してるからだろう。
スピノザ読んだら、人間も動物も自然の欲求に従って何をやるのも勝手で、
それが自然の権利だってのが前提で、それでも人が互いに勝手に自分の感じる
とおりに生きていたら、紛争ばかり起きて自分にとっても生きにくい状況に
なるから、各々が自らの権利を一般的な主権に預けるという社会契約の話になってる。
フロイトは分析哲学者はほとんど無視しとるんじゃぞ。。
ウィトゲンシュタインはフロイトヲタクだった
852 :
考える名無しさん:2014/11/03(月) 15:07:17.65 0
ウィトゲンシュタインは、
自分の頭で限界まで考え、敢えて眼を逸らさずに
しっかりと世界を見つめ、性・生の問題から目を背けない、
という価値観を持った人。
フロイトが好きなのも分かる気がする。
ただウィトゲンシュタイン自身が性についての
哲学的探求をやったわけじゃないけどね。
もし当時のケンブリッジでそれやったら
大変なことになったんじゃないかと思う。
降霊術とかはセーフだったようだけど。
あと、この問題について考えるには、
確かに現存するタブーを無視する以上、なぜタブーが構築されているのかという
問題も真剣に考えて、現象を救わないと十全な説明にはならない。
中々のハードプロブレムですな
853 :
考える名無しさん:2014/11/04(火) 09:53:07.73 0
天才の俺がアドバイスしてやるよ
とりあえずタイプ問題に関してな
ぶっちゃけアームストロングの普遍者押しは、状況が良くないね。
ルイスの際限のないふざけた可能世界押しはそもそも問題外。常識にあまりにあわないからさ。
現状一番見込みがあるのはトロープ+唯名論(類似性関係を使うやつね)かな。
概念の倹約性を気にしないなら、普遍者想定したうえでのトロープっていう離れ業もあるけどねw
ということでよくわからないおまえらは、
トロープ+唯名論(類似性のやつね)か
普遍者認めた上でトロープもみとめるよって
立場取っとけばとりあえず安心。
これで文句言ってくるやつはしばらくいねからさ。
じゃね
なんか吉牛コピペっぽいw
>これで文句言ってくるやつはしばらくいねからさ。
そう思うなら論文書いて発表してみれば?
たぶん割とすぐ反論の論文が飛んでくるはず
856 :
考える名無しさん:2014/11/05(水) 09:17:12.09 0
天才のおれがほそくしておいてやるとだな、
哲学やってるようなやつ and 論文読んだり書いたりしてるようなやつは
どんなところにだって文句をつけるということ、だってそれが哲学論文だもんw
でもさ、文句言っても代案ないっしょw?、っていえる文句と、
もうボコボコの袋だたきって文句があるっしょ?
でだ、
よくわかってないお前らが何も知らずに、
集合の帰属関係に基づく唯名論やら
述語を使った唯名論とかの立場を、取ってしまった日には
もう目も当てられない状況になる訳、
鬱憤かかえた自称分析哲学者がよってたかってこれみよがしになぐりかかってくるの
そういうの防ぐためにアドバイスしてやってんの上の2つの立場取っとけば
現状はそんなことにはならんからさ
じゃね
>>841 図書館で借りられたが、予想を遥かに超えて糞だったので、
あとがきだけ読んですぐに返した
今は若くて優秀な分析哲学者いるからもう三浦たそ〜は引退していいぞ
同じようなテーマ扱う哲学者が出て来てからね。
三浦は論理学者じゃないから論理がどうとかいう本を書く必要はあまりない。
(とは言いながら、彼のラッセル本は割と貴重だけど)。
現状、哲学者が手を出さないから、宮台真司とかの
社会学者とかの書きもので我慢せざるを得ない状況。
>>848 じゃあ承認欲求・集団欲・名誉欲や知識欲や食欲や睡眠欲を
否定する哲学者があまり居らず社会的タブーも無いのに、
性欲には哲学者の上にも社会的なタブーが存在するのはなぜ?
まあ食についても或る程度タブーとか儀礼的様式は存在するし、
インセストタブーは割と簡単に説明出来るんだけどね。
睡眠欲も「寝穢し(いぎたなし)」なんて言葉はあったり、
食事した後すぐ寝たらダメだなんて迷信もあったりはするけど、大して強くない。
分析哲学ってそういう問題はスルーすると思うわ
だから大陸哲学の殲滅ができない
でも最近英米哲学では大陸系の話題の再評価が為されている雰囲気はあるよね
ヘーゲルとかな
人間哲学はエセ哲学。
だからポエム哲学は文哲に擦り寄ってこなくていいからw
まあ現状分析哲学が大陸系に寄ってきてると言う感じだけどね
>>866 巨大化して取り込みつつあるんだよ
そのうち大陸系も記号使わないと語れなくなる
ざまぁ
868 :
考える名無しさん:2014/11/08(土) 13:47:17.10 0
向こうは向こうで記号論とかあるやん
最近も東京大学出版会から記号と再帰なんて本も出たし
869 :
考える名無しさん:2014/11/08(土) 14:20:59.13 0
問題は熊野純彦先生が分析哲学をおやりになるかということだな
記号論ww
ところで熊野さんがこの板のあっちこっちでネタになってるけど
なんで?
872 :
考える名無しさん:2014/11/08(土) 15:26:03.78 0
業者の宣伝。いい加減にウザいが、商売のやり方は1000年間くらい進歩していない様子。
873 :
考える名無しさん:2014/11/16(日) 20:36:20.00 0
哲学板以外で哲学の話題があっても熊野厨が湧くのが凄まじいな
眼鏡パンダはどれぐらい自演してるんだろうか
875 :
考える名無しさん:2014/11/20(木) 14:02:35.77 0
でも先生は今度判断力批判も出すし一応ちゃんと仕事してるよな
だからここ分哲スレだろ…
分哲ってなんだっけ…
分析哲学
変形生成文法を乗り越える理論は出てきた?
>>879 乗り越える前に、その理論が多少でも重要性を持ってるかどうかのほうが問題だろ?
>>879 そもそもチョムスキーの本家がミニマリストプログラムで
ほとんどあれを廃棄しちゃったようなもんだからね・・・
クリプキを完全論破した若手がいるそうだね
883 :
考える名無しさん:2014/12/18(木) 21:17:28.94 0
古典ギリシャに始まる所謂欧米哲学史を見れば、演繹科学が次第にアングロサクソンに始まった経験科学によって
浸食、代替されて行った結果、20世紀初頭において、なお演繹科学として生きながらえることができていたのは、
(科学ではないところの法学を別にすれば、)哲学と数学だけになっていたところ、爾来、数学と経験科学を用いて
哲学を科学から追放しようとする営みである分析「哲学」と、哲学を科学の一環として死守する欧州哲学との間の
闘争が始まり、前者が後者にほぼ勝利を収めたのが現在の状況である、と思っています。
なお、この勝負がここまで長引いたのは、キリスト教ないし、それを支えたスコラ哲学、もしくはその代替物である
民主主義独裁の諸イデオロギー・・ナショナリズム、(ドイツ観念論哲学が生み出した)マルクス主義・ファシズム・・
の反動的桎梏が欧州の知的エリート達を呪縛してきたからでしょうね。
884 :
考える名無しさん:2014/12/19(金) 09:27:04.67 0
>>882 だれがクリプキのなにを論破したの(?_?)
うつみ宮土理の論破ルームですね
886 :
考える名無しさん:2014/12/19(金) 21:17:56.42 0
www
うつみみどりがぜんぜんかかってないな
最先端の話題おしえてください
891 :
記憶喪失した男:2014/12/22(月) 22:19:33.30 0
「善の根拠」 南直哉
5位/494作品。日本語小説。
必読の名著である。
胎児に対する生命工学を、胎児に対する親の所有権は「借りている」状態にあると説く。
不倫がいけないのは、家族を発明したのだと説く。
曹洞宗の僧侶の書いた本であるから、根拠とする出典を仏教に求めたり、道元の「正法眼蔵」に求めたりするが、
一神教に対する知識もおさえており、
現代に生きるものは、キリスト教もイスラム教も仏教も存在することを知っているのだから、
自分で宗教を選んだはずだというようなことが書いてある。
五十年後まで読み継がれるべき名著であり、南直哉は場合によっては聖人に列せられてもおかしくない哲学者である。
現代仏教の最先端はここに確立した。
現代哲学の教えがここに書いてある。
どうして哲学やる人間には基地外が多いかなー
>>892 分哲系ではあまりいないんじゃないのかな。
他の妄想系哲学ではどんなものか知らないけど。
この分哲スレの惨状を見ても哲学板に分哲をやっている人間がいるとは思えない
895 :
考える名無しさん:2014/12/23(火) 11:15:39.85 0
ゲーデル以降新しい成果はないから、大学教育の場(教育術)が全てになる。
ライルがカテゴリーミステイクの例に大学を挙げたのは偶然ではない。
今の学生にも五月病はあるから心の問題が主題として肥大する。
お前は何を言ってるんだ
ゲーデル以降成果がないて何ぞ?
ゲーデルの定理+哲学て、あれどう扱っていいかわかんねえって扱いでしょ?
まあともかくゲーデル以降の新しい成果てなんだろうな
『名指しと必然性』
様相論理の二つ?
あと心の哲学やるときに分析哲学はもう古くない?
898 :
考える名無しさん:2014/12/31(水) 17:35:25.62 0
哲学は食い物じゃないから
消費期限とかは無いんだぞ
分析哲学はコミュニティが大事だから新鮮か古いかが一番重要
消費期限はなくても、このアプローチではもう限界、ってことはあるでしょ
限界に行き着いたらそれを破壊して進むのが学問だしなあ
902 :
考える名無しさん:2014/12/31(水) 20:15:05.70 0
限界とか破壊とかおよそ哲学という営みとは無縁だと思うな
哲学はそもそも学問なのかという疑問もあるが
中二病はやめてください。
いまから考えると、ラマヌジャンとか虚構のキャラだろうなって感じ。
数学研究の過程で出てきた副産物を発表する方便かな。
はいはいワロスワロス
学問といえるのは哲学だけかもしれない。
哲学は、ただ考えることのみを目的としているのだから。
いえいえ、根拠を互いに確認することでしょう。
考えることのみが目的なら、妄想となにも変わらんな。
インドの火星探査機の成功は、数学レベルの高さによるところも大きいんだろうな。
910 :
考える名無しさん:2015/01/07(水) 20:14:10.19 0
中央公論の哲学の歴史別巻のアンケートで、加藤尚武が英米哲学は認識論と
科学哲学において大陸哲学に敗北したと言ってもいいというような事書いていたけど
これ本当なのか?俺は逆だと考えていたけど間違えだったのか
今度読んでみる
尚武さんかー
912 :
考える名無しさん:2015/01/09(金) 06:46:46.64 0
大陸哲学における科学哲学ってどういうもののことを言っているんだろう
まさかエピステモロジーとかそっち系だったりして
個人的には、日本に紹介してた金森修のせいでちょっと変なイメージしか無い
尚武はヘーゲリアンだから、
ラッセルあたりの初期分析哲学に顕著な
「なにかとヘーゲルを嘲笑する傾向」が緩和されたことをもって「勝利」としてるんじゃないの
ブランダムみたいな「ヘーゲリアン」もいるし。
もっとも、日本のヘーゲリアンが認めるかはわからん
ヒューバート・ドレイファスを日本のハイデゲリアンがあまり認めなさそうなのと一緒で。
しかし広義の「分析哲学」はヘーゲルやハイデガーだって研究できてしまうところに強みがあるわけだ。
>>910 その対立軸にされてる分析哲学ってのは
論理実証主義や基礎付け主義なんじゃね?
特に前者は後期ウィトとかクワインとかラカトシュとか
その辺の影響で崩壊したからな。
915 :
考える名無しさん:2015/01/12(月) 22:07:31.21 0
カルナップはそんな変なこと言ってないと思うんだけどねえ
論理実証主義に含まれる物理学者の皆さんとか
A. J. Ayerとかは生温かい目で見てるけど
>>915 言葉の意味が構成的に決定されない以上、要素命題が作れないから仕方ないだろ
数理論理学は論理実証主義を引きずってるようだが、
それにしても、部分的証明を使って不完全性定理を回避し、現在の公理系が可能である(無矛盾である)ことの証明はできたとしても、
全称肯定命題の検証が不可能な以上は、必然であることの証明はできないわけだし
917 :
考える名無しさん:2015/01/15(木) 23:34:39.06 0
ん?なんで論理実証主義=論理的原子論みたいな話になってるの?
数理論理学は論理実証主義とか以前にフレーゲとラッセルに遡る
あと、数学の無矛盾性を証明して安心したいという問題意識は
80年前の問題意識。
70年前には、それはもう無理らしいから諦めて先へ進もうという
雰囲気だったことが、フォン・ノイマンの講演などを読むと分かる。
分析哲学って科学哲学の産みの親みたいなものけ
違う
科学哲学の手段として分析哲学を使った人がいるだけ
どのような方法論によった科学が正しいのか?
という問いに対して論理実証主義とポパーなら別の答えをするだろうし
920 :
考える名無しさん:2015/01/21(水) 15:37:08.98 0
俺は、ゲームにへんてこなモンスターを登場させるゲームの
開発者に対して折檻をしてやろうと思ったんだよ。でも、俺の
お気に入りのゲームにでてくる病気を手かざしで治そうとする
健気な美少女の姿に結構感動したし、学校でも体育の授業が
あってよく体を動かしているから、脳のセロトニンもちゃんと出
ていて頭の切り替えもソコソコ速いし、一々クレーム入れる程
のことでもないなと思った。
どこを縦読み?
斜め読みだろ
923 :
考える名無しさん:2015/01/24(土) 13:04:56.50 0
承認欲求がなければ道端で野糞もできるという良い例だな。
924 :
考える名無しさん:2015/01/27(火) 04:04:05.20 0
落ちているフンからは動物の生息域や種類が把握できる。
925 :
考える名無しさん:2015/01/28(水) 23:25:23.61 0
あんた達が追求してるのって「所詮理性であり意識」でしょ、どうなの?
926 :
考える名無しさん:2015/01/29(木) 00:47:56.27 0
どうなの?