1 :
考える名無しさん:
魅力ある体系を築くのが難しそうなのが人気のない理由だよな。
おそらく『独我論を主張するモノが、集団性動物だから』人気がないのでしょうね。
独我論は他者との衝突を生じますので。
なので、打開策はこれ
『万人が哲学的ゾンビ』という主張です。
まず、自身に意識が無いと言う。で、次に、意識を否定する。方法は
『意識は観測できず、証明もできない。
脳の状態だというなら、それは定義にすぎず、それで存在する事になるなら
神や悪魔や天使や何やら無限通りに何でも存在できてしまう』
と述べます。
で。相手に『意識を証明してください』と、自身が哲学的ゾンビ故の、証明させる側に立って、論を進めます。
要は、万人が、万人が哲学的ゾンビと主張するならば、哲学的ゾンビが真理で
意識はこの世に存在しない訳ですが、
↑の論などの、様々な思考やら感覚やらは残る訳です。
なので、独我論と同じ状態になる訳です。
つまり、独我論を主張するならば、『集団性動物故の衝突』の回避の為に、
私同様に万人に公平に意識が無い、という主張の方がいいのでは?
なんせ意識を観測するのは無理で、存在するのは物質で、後は定義づけだけなんでね。
やめろよ〜
思想系のやつが壇上で力入れてポーズ決めるの
あれは自分で考えなくなった呆けているやつの症状なんだから
人を馬鹿にしてとんでもないこと仕出かす前兆なんだぞ
4 :
高尚な思想家:2009/01/11(日) 03:53:42 0
ヘラゲラ生と死をヘラゲラヘラゲラ生と死をうぽゲラレンチョピピーッ!!
生と死をうぽゲラヘラゲラ生と死をうぽゲラレンチョピピーッ!!
レンチョピピーッ!!
うぽゲラレヘラゲラ生と死をヘラゲラヘラゲラ生と死をうぽゲラレンチョピピーッ!!
生と死をうぽゲラヘラゲラ生と死をうぽゲラレンチョピピーッ!!
レンチョピピーッ!!
うぽゲラレンチョピピーッ!!
5 :
考える名無しさん:2009/01/11(日) 04:16:04 0
こなこな
こなこなろってるり?
ろってるり?
ろっ
こなこなろってるり?
ろってるり?
てるり?
ろってるり?
6 :
考える名無しさん:2009/01/11(日) 07:51:12 0
ルール奴隷
レール奴隷
8 :
考える名無しさん:2009/01/11(日) 10:34:49 O
Japはルール奴隷
ルールを作るのは下手だが守るのは得意だ(笑)
10 :
考える名無しさん:2009/01/11(日) 12:17:00 O
11 :
考える名無しさん:2009/01/11(日) 12:30:24 O
自灯明
12 :
考える名無しさん:2009/01/11(日) 12:47:52 O
独断論の正しさはすごい
14 :
考える名無しさん:2009/01/11(日) 13:20:01 O
正しい→現実を正確に認識していること
つまり独我論者は独り寂しい自分の現実を正確に認識しているのです。
16 :
し:2009/01/11(日) 13:46:57 O
人稲ーなや。もう仕事も終わり。上野から入るから
17 :
し:2009/01/11(日) 13:49:44 O
晃と表参道
それまでに金の入口だけは確保しないとね全員欲しいものあるよお楽しみに後は平家の時間の問題だ
19 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2009/01/11(日) 17:04:15 0
give to get
与える事がウマーに繋がるのです
20 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2009/01/11(日) 17:12:21 0
補給源となれば全て意のままです
21 :
考える名無しさん:2009/01/12(月) 05:28:13 0
トランスが完全に浄化されて平和になるにはもう少し
時間がかかりそうだね。
ギャル男がいなくなっても、オラオラはもうしばらく
残留すると思うよ。
ギャル男くんギャルはハウスやテクノに民族大移動開
始しているよ。
事実、サイケが荒れる原因を作った雑誌も近々ミニマ
ル特集組むらしいし、某ギャルカリスマ読者モデルも
最近はクリック聴いてるとかブログに書いてるからね
。
彼女、彼らは旗持って先頭きって歩いていく奴がいれ
ば迷わず付いていくよ。
来年のmindgamesやメタモにwire、ハウス、テクノ系
の小さなパーティーやagehaなんかは黒い子達で埋め
尽くされるだろうね。
彼らは流行りという言葉に敏感だから、遅れをとって
はいかない、とばかりに必死になるだろうね。
皆さんは科学的実在論、反実在論どちらを支持しますか??できれば理由も・・・
23 :
一部抜粋:2009/02/25(水) 18:10:15 O
待つことは
時間による貴方への支配
休むことは
貴方による時間への支配
焦ることは
貴方と時間との競争
24 :
一部抜粋:2009/02/28(土) 21:12:34 O
目的を達成したからと油断してその過程で零れ落ちたミスに気づくことが重要
独我論=禁書
金の為に生きている者は
金を僅かでももらえば
そこで終了
人の為に生きている者は
それに見あった額を手に入れることができる
元々雑食でも周りに竹しかなければそれだけを食い
最後には笹の葉だけしか食べられない体になってしまう
どんな真実よりも兄弟と向き合うほどの真理は無い
記憶と情報
つまり右脳と左脳
つまり同性愛者の人たちは相手に意識されるのを極端に嫌う
相手に終始空気のような存在であってほしいと望む
マジレスすると同性愛者に肉体関係はありえない
いまから当たり前のことをふたつ言います
1できる人に仕事を任す
2売れる物を売る
当たり前のことにたどり着くまでには人間は訓練したり知恵を出しあったりしてめまぐるしく努力することは言うまでもなし
努力とか忍耐には多少の
お金が懸かります
遊びから知恵や技術を身につけてしまう人もたまにいる
運動神経に相対するもの
は知的センス
忘却とは人類最大の武器である
テスト
「降りる」とは「諦める」とは違う
自分の能力に対してまたは自分の財布と相談して
自分にはまだ無理だとか
お金が足りない状況で
切り上げてゆっくり休んで明日に備える※できる人はよく眠ったら次の日こなせる、またはランクを下げてまぁまぁ良い自分に合った品を購入して満足する
真理とは哀れむことであり真実とは繰り返すことである
それを放置すればスラムとなり統治すれば独裁となる
40 :
考える名無しさん:2009/06/04(木) 21:46:49 0
人気はあると思うけど。
一番目は理性でものを考える
二番目は感情でものを考える
三番目は下半身でものを考える
意識とはすなわち感情である
意識も感情も全て左脳の機能であり、感情を殺して仕事などに打ち込む所謂「体で覚える」ことは右脳の仕組みである。
双方とも記憶という蓄積され共有される
44 :
ヒント:2009/06/17(水) 05:55:32 O
自覚と意識は同じ意味にされやすいが、突き詰めると両者はまったく別物である
意識と感情
そして
自覚と欲求
最後に
共有である
46 :
たろすけ:2009/06/22(月) 12:49:32 O
>>23 > 待つことは
> 時間による貴方への支配
> 休むことは
> 貴方による時間への支配
> 焦ることは
> 貴方と時間との競争
おたく相当できるね。是非とも懇意に。…イヤかw
47 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 00:50:38 0
独我論というのは異端なのですか?
哲学という学問を勉強したことがないのでよく分からないのですが
以外に普通に考え付く論理なのかと思っていました。
独我論ですべてを否定してしまうかたちになるからなのでしょうか。
それだと思考停止ですからね。ゾンビってやつですか。
48 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 01:38:08 O
まあ独我論を主張する人は何をやっても独我な訳ですから、
とりあえず裸踊り動画とか駅前無差別告白動画とかを実名公開して欲しいわけです。
それができないならお前世間が恥ずかしいんだろと、
独我なのに何で恥ずかしいのかそれは矛盾です。
49 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 20:07:28 0
>>48 確かに独我論の正しさとやらを本当に信じているのなら出来るはずだよねーw
何があっても眠ってるとき見る夢と一緒なら別に何でも出来るはずなのに、
結局独我論の正しさは異常とかいいながら、信じきれてないんだろうねw
裸踊り云々と独我論はあまり関係ないと思うけれど。
今生きているのは事実なんだし恥ずかしいものは恥ずかしいでしょう。
考えましょう。
51 :
考える名無しさん:2009/06/25(木) 00:35:31 O
独我論は他我の否定じゃないよ
52 :
考える名無しさん:2009/06/25(木) 20:50:44 O
羞恥や社会規範の問題を突き付けると、
独我論者があわてふためいて逃げ回ったり、
珍妙な事を言い出す様はこの板の名物だな。
独我論だからってすべてが自分の思い通りになるってことじゃないよ。
>>53 その点はポパーなんかの著名な哲学者もしばしば誤解してるよね。
独我論批判の文脈で「世界を自分が作ったとは考えられないから云々」と
あるが、別に独我論者が「自分は創造主」と言ってるわけではないし。
55 :
考える名無しさん:2009/06/25(木) 21:55:49 O
独我論者が慌ててます。
己の欲望の具現化
すなわちカルマ
>>54 そうなんだよ。
まぁ独我論もいろいろバリエーションがあるしね。
ポパーは独我論より独善的だね。
わかったつもりになって恥ずかしいことばかり言ってる。
ヒューム批判も見当外れだし。
ノルマの達成
カルマの克服
59 :
考える名無しさん:2009/06/25(木) 22:06:49 O
独我論者が自演してますw
まさに独我論の矛盾露呈w
チップが好きなら
お好きなように
61 :
考える名無しさん:2009/06/25(木) 22:17:55 O
独我論にも色々あるなどと言い出した時点で独我ではないでしょうもはや。
珍妙な論で笑いを誘いたいと言うなら分かりますが。
だから逆に
『観測できないので、自身にも他者にも意識は無い』
という、独我論を強化した論こそが最強なのですよ。
まず、基本中の基本、
『他人に意識なんかないんですけど』を説明する為に
意識は観測できないから存在しないと述べます。
次に、応用というか強化で
『更には、俺自身も、意識は観測できないから無いんですよね』
と述べる事で、
『意識は観測できないから存在しない』
という、徹底した厳密な科学に沿った論なので、この
『万人に意識は無い』
という論こそが、リアルの人や大学教授や歴代の哲学者やブッダやアインシュタインとかよりも
はるかに科学的な論であり、
これを徹底すれば『他人の心なんて関係ないんですけど?』
という英知のある行動が明確に取れるという訳でありますぞ?
実際、俺や貴殿らの意識なんか観測できませぬ。
63 :
考える名無しさん:2009/06/25(木) 23:39:29 O
意識が観測できないなら羞恥や罪悪感、憐れみ、共感なんてありえないよね。
ネオマトリクスは今すぐ裸踊りオナニー動画を実名公開の後、
駅前で裸で包丁持参して柄をアナルに突っ込むように。
それができたらお前の独我論とやらに洟を引っ掻けてやってもいいかもね。
独我論の基本形式は「私は認識しているのであって、
認識していないのではない」ということである。
これは非常に反駁が困難である。
「他人に意識があることを知っている」という主張は、
「私は神の眼を持つかのように、この世界がマトリックス的で
ないことを断言できる」というのに等しい。
だが、私は他者を求める。
この他者の追求の根源は何か?というのが、
おそらく独我論から発せられる1番目の問いであろう。
私が他者を求めるのは、他者の存在を知っているからではない。
このことは、「私は神ではない」という論拠で十分である。
では何なのか?
私はこれについて2、3年考えているが、解決の糸口は掴めていない。
66 :
考える名無しさん:2009/06/25(木) 23:56:17 O
盲人は認識できないから存在しないなんて言わない。
白痴は箱に入れた菓子はこの世に存在しないと強弁するかも知れないが。
>>63 いかにも、羞恥や罪悪感、憐れみ、共感なんてありえないですが
『物理的な運動』は確率論的に存在し、
駅前で裸で包丁持参して柄をアナルに突っ込む=物理的に起きない現象
ですので、何十億という脳細胞が作用した結果、
起きる現象は、そういうアナルオナニーではなく
『確率論的に、高確率で存在する現象=あいさつや常識的運動』
でございますな。OK?
で
>>65殿、
>この他者の追求の根源は何か?
単なる快苦でしょうな。なんせ
『人の形をしたモノの運動により、強い快苦を感じる』
ので。別に、形を構成する条件は、内部に臓器が詰まって無くても
映画ターミネーターや幽霊や悪魔などでもOKですが、とにかく
『人の形をしたモノの運動、たとえば表情と声』
による快感を追い求めてるのですよ。同意しますという声とか。
その条件がそろってる物理現象が、身近な所だと
『何十憶以上の細胞で構成された、複雑な有機物の集合の運動=定義上は他人という物質』
なので、その
『人の形をしたモノに快苦を感じる』から、他人・他者を追うのですぞ?
OK?単なる、人の形をしたモノの運動を求めてるだけ。
68 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 00:04:56 0
統合失調症な人が陥るのが独我論で、他人の論を聞くとそれは異端のデタラメ
で周囲が全て自分より無能だと思い込む。
本来は周囲のほうが自分より凄いと思う力がある人ほど有能である。
他人の有能さを読み取れないほど無能だから、独我論に没頭する
>>68 >統合失調症な人が陥るのが独我論で
なるほど。では
『観測できないから意識は存在せず、自他は哲学的ゾンビ』
は別に総合失調症でもなく、徹底した科学的論法に沿ってる訳ですね。
>他人の有能さを読み取れないほど無能だから、独我論に没頭する
その有能さとかが定義次第で∞通りなんですよ。
で、かような限定された定義を狂信するより、
『常識や常識的な論を一切考慮しないで済む』
ので、万人は哲学的ゾンビという人ほど有能では?
なんせ、万人は哲学的ゾンビ=他人にあざ笑う心も無い=常識を破って毎日同じ服でもOK
とかで、あらゆる面で有効だと思う。
実際、俺はリアルでも自他に意識は無いという論に沿って行動してますからね。
おかげで、通勤も近所トラブルも職場いじめも全てが
『何だ何十憶という細胞の集合の運動か』
という結論で全く常識を考慮せず、全てが効率的になってますな。OK?
70 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 00:19:13 O
ネオマトリクスよ包丁アナルも裸踊りも勘弁してやるから
お得意のユーチューブで実名実住所生年月日公開くらい出来るよな?
確率的には低いだろこんなもんw
71 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 00:45:10 0
____
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\
/ ⌒(__人__)⌒ \ <「確率的には低い」じゃねーよw どんだけ
| |r┬-| | 現代女子高生の小便臭さ、
\ `ー'´ / 拭きの足りなさぶりを知らねえんだ?あ?
ノ \ 早く答えろや、アンチ宮台ども
/´ ヽ
| l \
ヽ -一''''''"〜〜``'ー--、 -一'''''''ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
72 :
是路:2009/06/26(金) 03:34:53 0
ここはどこ?わたしは誰の意識の中ですか?
73 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 23:08:53 O
逆の発想で
独我論の思考にプログラムされた哲学的ゾンビとか。
独我論という通俗。
独我論の凡庸さ。
どこかで見た独我論。
マンガでみた独我論。
映画で見た独我論。
お山の大将独我1人。
あとから来る独我は突き落とせ。
75 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 00:34:55 O
独我論の凡庸さは異常。
たぶん知的障害者や精神病者、犯罪者でも
独我論に同意してくれる人は多いと思う。
きっと彼らなら魅力的な体系を築いてくれるのでは。
ニートとかでも独我論者は居そうだが映画のパクりをハンドルネームにするとか
やっぱり凡庸だね。
哲学板にいらっしゃる方は差別論者が多いですね。
このスレッドにかかわらずほとんどがそうだ。
自己と違う他を認められないというのは恥ずかしいことだと私は思う。
自己の思想の主張はよい。
統合失調症・知的障害・犯罪者云々とよくもまあ恥ずかしげもなく。
自分の程度の低さを認識しなさい。
それ以前に独我論自体の程度が
あまり高いと言えない。
いいんじゃない。そう思っているのなら。
>>76 よくわからぬのだが、このスレのどこに
どのような差別的記述があると言うのだ?
80 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 12:38:26 O
>>76 恣意的推察状況下の便宜的な区別と言ってもらいたい。
ネットでは相手が見えないから、虚像が作られるのである。
独我論マジパねえ。なんせほとんど神=自己だし外の世界が無い。誰も破れない。
>>75 >>77 そこで弱点を強化した論
『意識は観測できないから存在せず、俺にも貴殿らにも意識は無い。
万人は心の無い哲学的ゾンビ』
こそ実用性が高いでしょう。
独我論者同士が集っても反発しあいますが
哲学的ゾンビ同士が集えば、
「いやー常識者も独我論者も、我々と違って、観測できない意識なんかを崇めてて
まさに狂ったカルト教徒そのものですね」
となれます。
だから、俺のような、実際に意識が無く、更に
『俺の意識は観測できず存在せず、何十億という細胞の作用で動いてるだけ』
といった論者の方が賢明でしょう。
なんせ、意識を肯定する側が、実際に証拠として持ち出さないといけないんですからね。
意識なんか観測できず存在しないし。下らぬ話。
凡庸さは弱点などという生易しいものではない。
まさに凡庸さは死んで治るような痛みであり業病である。
劇画のような言い回しを得意気に使う凡庸さ。
映画からパクったハンドルネームで誰かの論をパクってはしゃぎまわる凡庸さ。
まさに死しか救いのない業病。
独我論が異常なほど正しいと思考するのであれば、
たぶんあなたは幼児や知的障害者や精神病者そしてある種の犯罪者と同じレベルに凡庸であろう。
まあ私も痛いほど凡庸なのでこうして独我論にかかわっているわけだが。
独我論者の凡庸さを示すことはとても簡単だ。
彼らが恥と思ったり社会の中で実行不可能と思う事をやってみろと言えばいい。
この板の独我論者は何のかんのと理屈をつけて絶対やらない。
当たり前だ彼らは只の凡庸な低能だからだ。
だが実際の人間は違う。
裸踊り実名動画公開でも駅前包丁アナルオナニーでも、
平気でやる人間はいる。
まあ彼らが人間として凡庸でないかどうかはまた別の問題だが、
まあ少なくともこのスレの低能独我よりは私は好きだ。
哲学=独我論
だからな。
1興味→数字
2順番→数え
3勘定→計算
4制限→時間
5桁併せ→ゼロ
6第六感=違和感
どこが どくが?
と きこう と かく。
独我論は凡庸だなどという凡庸な思考は
もっとも哲学に縁遠いな。
凡庸で悪ければ低能
たしかに独我論は凡庸だなんて低能がいいそうなことだ
喜怒哀楽などの感情の総称が哲学では愛となる
94 :
考える名無しさん:2009/08/05(水) 22:06:32 O
というより、愛の範疇に
喜怒哀楽が内包されている。
が適当ではないのか。
独我論て魔境の一種だろ。
エゴだけ膨張して神にでもなったつもりになるものだ。
十牛図の忘牛存人あたりでストップすると独我論におちいる。
96 :
考える名無しさん:2009/08/06(木) 20:28:24 0
少なくとも哲学的議論として見た場合、
独我論で興味深いのは他人の独我論というものだろう。
それにしても私以外の人に独我論者が少ないのはどうしたわけでしょう
98 :
考える名無しさん:2009/08/07(金) 09:44:07 0
ではなく
私以外の人にも(私と全く同じことを言う)独我論者がいるのはどういうわけだろう
が問題だろう
自分だけの我も他人の我も無いですわ
唯識があるのみ
前々から哲学に興味があった
今日初めてここの板にきてそしてこのスレを開いた
今まで俺が考えていたことはこの独我論だったのか
>>100 あー、少々違いますな。
根拠なき事を申すのではありませぬ。
正確には
『意識は観測できず存在しないので
誰にも意識は無い=他人に意識は無い』
です。もちろん自身にも。
これは独我論ではないが、独我論のように
『他者の意識は完全に存在しない】
ので、極めて英知に満ちた現代の独我論。
なんせ、実際に『意識が観測された試しはない』のでね。
脳は観測できるが意識はできない。
これが徹底した現実的思考。
毒ガロンは非決定的。
103 :
考える名無しさん:2009/08/08(土) 19:40:40 O
それでも近づきたい。
出発はみんな独我論でしょう。
若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。
心にかなう道を、目に映るところに従って行け。
知っておくがよい
神はそれらすべてについて
お前を裁きの座に連れて行かれると。
おれの出発は不可知論だったな。
107 :
考える名無しさん:2009/08/09(日) 00:20:26 O
独我論とはなんですか?
唯我独尊と似てるのでしょうか
しかし実際、「存在するのは私の心だけで、他のもの全ては私の心に現れているにすぎないのではないか」
という疑問に、みんなどうやって答えてるんでしょうね
現実が存在しようが、すべてが心の幻だろうが、
どっちにしろ「わたしの言うことを聞かない」んだから、
同じだよなー。
わたしの言うこと
幻聴か天声か?
思い通りにならないってコト。恣意性。
>>108 ヒトの幼児は絶対的独我論者だが成長の過程で
自分の意志とは違う排便の場所を強制されること
羞恥の概念を知る事
そして何よりも発達心理学者の大好きな
「心の理論」を知る事により彼らの独我論は放棄される。
「心の理論」とは……ここで講義するのもバカバカしい。ググレよ。
まあ逆に言えば独我論者なら
便意をモヨウしたなら
学校でも会社でも皇居でも警察署でも
もちろん自分の家でも、
どこでも好きな時に
便所なんて使わずに垂れてください。
それができない程度で独我論が正しいなんて主張は不可能でしょ。
114 :
考える名無しさん:2009/08/23(日) 22:14:09 0
>>113 その反論は見当違い。
独我論でも仮想現実に拘束される。
>>114 意味が分からんのだが。
仮想だろうが上層だろうが
この世に我ただ1人の独我なら
どこでウンコ垂れても自分の意識のみ存在するなら
問題ないだろう。
それとも独我論者用の便所が存在するとでも?
116 :
考える名無しさん:2009/08/23(日) 22:32:36 0
>>113 ある程度説得力あるんじゃね。自分以外の人間の形をしたものは、
すべて意識のない自動機械だと思うなら、そいつらに何を見られても、
恥ずかしいとか感じないはずだろ?
もともと独我論とはこの世には外界も無く肉体も無く
ただ自分の意識、認識のみが存在するという論だ。
ゆえに便所も羞恥も不用ということだ
独我論者はこころのままに思うさまにすきなところで便を垂れ流すべきだろう
幼児のように。
逆にこれが出来ずに独我論者を名乗るの人はどうも
本当に独我論者なのか疑わしい。
一説によるとディオゲネスは「犬のような生活」を送り
道ばたで公然と自慰をしたという。
少なくともこれくらいのことをしてその実名公開動画をウプしてから
独我論者と名乗って下さい。
119 :
考える名無しさん:2009/08/23(日) 23:16:01 O
これは面白い反論だな
>>108は、自分の心の認識以外に、客観的な物などは存在しない(のではないか)と言ってるから、
それに反論するには、客観的な物は存在する、と答えるのが筋と思われる
それなのに、そうは答えないで、
>>108が言ってもいない「他人の心」を持ち出して反論するんだな
なぜ、それが反論になると思うのか?
人前で便を垂れ流すことができたって、「この便は本当に存在するのか、存在するのは便を
見ている私の認識だけではないか」などとなり、問いが解決されないのは、どう考えても明らかではないか?
なぜ、こんな明らかな考え方を理解することができず、「他人の心」などというものを持ち出すのか?
まあ、たんに問いを理解してないだけかw
>>119 いや、お前こそ問いを理解してない。
自分の心の認識以外に、客観的な物などは存在しないのではないかと問うのであれば
それ以前に問う者がその客観的な物の存在を無であると思うか、
少なくとも疑っているという行為を具体的に示さない限り問い自体が無効であるということだ。
羞恥も気兼ねも世間体も丸出しにしたまま
「えっっとこの世には僕の意識とか経験以外は存在しないと思うんですけども」と問われても
アホかと思うだけだ。問い自体が成立していない。
駅前で自慰行為をして糞尿垂れ流しにする者。
もっと言えば他人の命を屠って平気な者以外は
「自分の心の認識以外に、客観的な物などは存在しないのではないか」
という資格は無い。
問うならまず自分がその問いを本当に疑問に思っているのかどうか見せてくれということだ。
自分が恥ずかしがってはばかっている世間が存在するかどうかなぜ他人が答えられるというのか。
あなたが恥ずかしがってはばかっている世間であれば
まずあなたにとってそれは存在するという事だろう。
ぜひ駅前で自慰をして糞尿垂れ流しをして
「私は存在しないと思っていた世間が逮捕するんですよ〜これってなに〜」
と問うてこそ独我論者の問題提起というものだろう。
まあもっとも真の独我論者なら、2ちゃんの向こうも存在しないので
そもそもこんなスレを立てることもないだろうけど
123 :
考える名無しさん:2009/08/23(日) 23:56:33 O
なんだそりゃ
時間は実在するのかと問う人は、時計を一切使ってはいかん、とでも言うの?
帰納は成り立つのかと問う人は、明日太陽が昇らないための準備を毎日しなければならんとでも?
自由意志は存在するのかと問う人は、自発的に飯を食うこともできんのか?w
>>123 お前は馬鹿だな。
世間が存在するかどうか回りに問う人は
「世間が存在するかどうか疑問に思っている」ということを見せてくれといってるだけだよ。
時間を気にしている人が「時間て存在するの」と聞かれてもお前が気にしているのは何だよと聞くしかない。
数列を操作する人に「帰納って成り立つの」と聞かれるのならお前の論理の前提は何だよと聞くしかない。
飯を食いたいと思い食っている人に「自由意志ってあるの」と聞かれればお前は今飯を食いたいと思ったのではと聞くしか無い。
問いを発する人にはその問いが真実の問いであるかどうか聞くしか無い。
その前提の手続きをごまかそうとする問いは怪しい問いだ。
独我論に間違いないといっているわけではなく、
独我論である可能性を捨て去ることは出来ないということだから
糞尿云々は的外れ。
>>124 そんなふうに「聞く」のはいいさ(帰納というのは数学の話のつもりじゃないが)
なぜ、独我論者にだけ、質問だけじゃなく、糞尿垂れ流しなどの行動を求めるのか?
同じように行動を求めるなら、例えば自由意志に疑問を持つ人には、「自発的に体を動かすな、
飯も食うな」とでも言うことになるんじゃないの?
(それとも、そういう行動を全ての哲学的疑問について求めるのか?哲学を滅ぼすつもりかw)
ところで改めて、なぜ、他人の心ではなく客観的な物の存在につき疑問を持っている独我論者に、
他人の心だの社会だのについて質問するのか?
「私の認識以外に客観的な物は存在するのか」という問いは、羞恥心だの何だのを前提にしていないだろう?
なぜ直接、客観的な物についての質問や発言をしないんだ?
例えば自由意志を疑問とする発言についてなら、「そのような発言は自由意志に基づくのかどうか」
とか質問するのは意味があると思うけど、独我論者にも同じように噛み合った質問をすればいいだろ?
本当に馬鹿につける薬はないな。
この世には私の意識しかないと主張する本人が
羞恥や世間体、公然と自慰脱糞排尿をできない理由は何なのだ。
これが矛盾でないというなら何なのだ。
やれとは言わない。どうせできないのだから。
だが意識に羞恥抜きがたく存在する事は認めてもらう。
そしてその理由と独我が矛盾しない
珍理論をひねくり出す事に専念してもらうだけだ。
哲学の崩壊とか騒いでいる
低能独我論者にすごい秘密を教えてあげよう。
実は著名な哲学者で独我論者は誰もいない。
数学者がゼロでの割り算を無視するようなものだ。
そんなところにこだわるのは数学の初学者か次に進めない低能だ。
このスレ自体が低能の立てたスレなのだが、
独我論は哲学の初学者か次に進めない低能にとっては何故か
伝家の宝刀のように見えるらしい。
129 :
考える名無しさん:2009/08/24(月) 23:54:43 O
あのさあ、だから何で独我論者にばかりそういうこと言うんだ?
世の中には面白い人がいろいろいると思うぞ?
例えばクリプキに「お前は金輪際足し算を使うな、さもなければ「ウィトゲンシュタインの
パラドックス」を今すぐ撤回しろ」とでも言ってきてくれよ、そっちのほうがよっぽど面白いよw
それに、他人の心(というか心一般)が存在しないと考えてる人としては、むしろ物理主義とか
物的一元論とかの考えをとってる人のほうが多いんじゃないか?
ぜひ、そっちにも糞尿垂れ流しを勧めてきてくれよ、そっちのほうが面白いよw
それだけじゃない、ぶん殴って怒らせておいて、「なぜ怒るのか、しょせん脳・神経の変化にすぎない
だろう」とか言ってきてくれよw
自分の意識に抜きがたく存在する羞恥を無視して何の哲学か。
分かってる。お前らは「ギャハハ!そんな偉そうな哲学者のあんただって論理的に独我を否定できないじゃーん!」
というのを(表現は多少眩学的になってるかもしれないが)やりたいだけなのだ。
そんな低能は公開自慰脱糞排尿の刑に処せられる。
当たり前だろう。
131 :
考える名無しさん:2009/08/25(火) 00:21:38 0
いちいちププピピーッ!! ーッ!! ーッ!!
騒ぎなさラピーッ!! ーッ!! レンチョピプピーッ!! ーッ!! プゲラレンチョピピーッ!!
う る さ い よ 全 く !!
...-ー、,-─
.-=・=- i、-=・=-
.. / ー-' ヽ . .
.. -=ニ=-
ダラダラハゼ〜ってプーチャカピー
毎回一人で書き込んで嬉しい?
独我厨発狂か。
ざまあみろ
なんにでも厨つければいいと思ってるんですね^^;
>>130 えっっと僕は独我論者への論理的な反論がどうしても思い付かないから、
下品な脅しをかけるくらいしかできないんですぅ〜
まで読んだ
低能のおしゃぶり独我論を引っこ抜いちゃってごめんな。
大人気なかった。
泣きわめいて発狂するおまえらを見てちょっと反省。
いいんだよ。おまえらを独我論をしゃぶってて。
どうせそこから上には一生進めない低能なんだし。
137 :
考える名無しさん:2009/08/25(火) 19:17:06 O
どのように低能なのか、具体的に示してもらえますか?
羞恥心が指摘されてますが、独我論者なら、とりあえず多分こんなふうに答えるでしょう
「他人は客観的には存在しない(かもしれない)が、他人についての私の認識は確実に存在する。
私の糞尿も客観的には存在しない(かもしれない)が、それについての私の認識は確実に存在する。
そして、私の認識する他人が私の認識する私の糞尿を垂れ流す姿を見れば、私は強い羞恥心を
覚えるが、この羞恥心も、もちろん確実に存在する。
だから私は糞尿を垂れ流したくないが、そのことは他人や物が客観的に存在しない(かもしれない)
こととは何も関係ない。」
さあ、この回答を論理的に完膚なきまでに叩き潰し、独我論者の低能ぶりを世に知らしめてください!
138 :
考える名無しさん:2009/08/25(火) 19:23:40 O
つまり最後まで行くんだ。君が最後もうひとり自分が増えるまでの過程を反故にしただろ?俺じゃない。他にあっただろ?あったものを取る。そういうもの。
存在しない(かもしれない)ものに左右される、確実に存在する認識ってなんだろうな。
140 :
考える名無しさん:2009/08/25(火) 22:03:18 O
それは面白い指摘ですね、矛盾を暴き出せるかもしれません
しかし、とりあえずは、さらにこのような回答が予想されるのではないでしょうか?
「その「左右される」というのは、まず客観的な物が存在し、それを人間が認識する、という図式を
前提にしているのではないか。しかし、客観的な物が存在しない(かもしれない)以上、
そのような図式も前提にすることはできない。
つまり、実は左右されていない(かもしれない)ということだ。」
さあどうですか、もっと追い詰めてやってください!!
ん〜・・・人間は自分の主観にも左右されますよね。
「左右される=客観的なものが存在し、うんぬん」は間違っていると思います。
142 :
考える名無しさん:2009/08/25(火) 23:47:18 O
得意気に鼻膨らませて独我論じゃならこう言うでしょうと言ってるところが低能なんだが
低能ならいつまでも独我論に固執するでしょうって言う俺の予言の通りじゃん。
まあでもおしゃぶりを取り上げる事はもうしないよ。
低能には低能の意地があるだろうし。
独我論は論破不可能だから低能でも籠れる砦になる。
こんな認識がすぐできる普通の知力のある人間は
独我論を括弧にくくって次に進む。
それができない低能用に独我論と言うサンクチュアリはある。
143 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 00:05:42 0
あなたは私を独断論者といいますね
私の考えは私一人のものであって、あなた一人がいなくなったら消えてしまうほど儚い
私の見た夢なのだと
私は大きな夢を持っております
決して小さなものでは覚めない大きな夢なんです
私と一緒に夢を見ませんか
144 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 00:14:01 O
>1
がいみじくも言っている。
独我論が魅力ある体系を築けないのは何でだろうなんて思うのは
すでに砦に籠らざるを得ない低能の証明だ。
普通の知力ある人間は独我論の限界をすぐに見抜き。
そんな魅力のない砦に籠るなんて低能な作業はしない。
145 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 00:24:05 O
>>141 うーん、そこで主観を持ち出すのはどうでしょうか?このような回答が予想されます
「「主観にも左右される」というのが、気分等の変化によって認識が変わり得るということであれば、
もちろん私の気分等は存在するのだから、何も問題はない。
ただ、主観「にも」ではなく、「に」ということになる(かもしれない)。」
どうでしょう、さらに独我論を攻撃していく方向に進めるでしょうか?それとも他の路線のほうが?
いずれにしても、ガンガン攻めてください!
>>142 そんな!独我論に反論できないだなんて!
そんなことを言って、気の毒な人々が騙されてしまったら、どうするんですか!?
ぜひとも論理的に独我論者を懲らしめてくださいよ!!
146 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 00:28:19 O
いや低能は独我論で
遊んでていいんだよ〜。
矛盾を暴きだせるかも知れないし。うむうむ。
主観と客観の問題も大事だよね〜。
さあさあ続けて。
あっ低能ってのが気に触るのかな?
分かった天才って呼ぶよ。
さあ天才さんたち、
独我論で遊ぼう!
147 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 00:29:59 O
>>144 論理的反論とは別に、限界は示せるということですか?
それによっても独我論者を撃退できそうですね、ぜひ示してください!
148 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 00:47:16 O
そうそう撃退できるかも知れないよね
頑張れ天才君!
149 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 02:26:06 0
論破不可能ってことだけなら、独我論以外にも、
懐疑論とか、何でも相対主義とか、被害妄想とか、
単なるアホとか、いろいろあるだろ。
何で好き好んで独我論を問題にするんだ?
150 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 04:18:26 0
「シマウマ・コンビ」
「ラルク」
「比ヤング」
「夫馬」
「ガ ム」
「クピエラ」
「オランウータンビーツ」
「テラキモんだ」
「スナインコッコスマナラコッサーラ長老」
「プシュカプシュワカ♪」
「インスコログラマー」
「プシュワカハンニ哲学」
「ル・ンマンマン」
「意思のオブクソップティ」
「ウンチラッチョリーナ枢機卿」
「ワラウム温泉観光サービス会長」
「フワークの様な、テノバンミックンク」
「ウンタン♪ ウンタン♪」
「てるブージク オヒョッタラし」
「オマイッチョオマンジャ外部問題」
「 ダラダラハゼ〜ってプーチャカピー 」
「プゲラレンチョピピーッ!! 」
「プルンチピプ」
「古トンガッズ」
「ガッズトントンズ」
「こなこなろってるり?」
こういう内輪でしか通用しないジャーゴンを使う奴、痛い。
>>145 それは既に独我論でなく、不可知論です(○○かもしれないし、○○でないかもしれない)。
152 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 16:57:35 0
比ヤングってコテハンいたよなぁ
153 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 18:45:52 O
>>151 ただ「不可知論」というだけでは、独我論のどこを崩せるのか、ちょっと…
「(かもしれない)」を独我論者に削除させることに、大きな意味があるのでしょうか?
何にしても、独我論者をはっきりと打倒するためには、ぜひ具体的にお願いします!
>>153 ?
別に独我論を崩すつもりはありません(独我論者の矛盾を指摘することにはなっているかもしれませんが)。
あなたが懸命に弁護しているのは、独我論ではなく不可知論だということです。
独我論が正しいのと、自己中が正しいのは違うってことを分かって欲しいね。
156 :
考える名無しさん:2009/08/26(水) 21:22:53 0
独断で正しいのは聖人思想だよ
天の代弁者
最高の一者なんです
彼の言う事は最高でそれ以上の意見は必要でない
それならそれで良いんでしょうけどね、まあ、天意なんて代弁してない、高々、私だけのことであったよ
上手く行かずに考え直す必要があるんじゃないか
そういう時に、聖人でなくて、独断と言うんです。
>>149 やっぱこう言うの読むと頭の弱い子が独我論にかかわるのかなーと思う。
独我論スレで独我論の話をしてることが読み取れないんだね。
それにもしスレタイが「懐疑論の正しさは異常」とか
「なんでも相対論の正しさは異常」だったり
「被害妄想の正しさは異常」
だったりして、
そのスレの>1が「魅力的な体系を築けないのが理由かなフフフン」とか言ってたら
頭の弱い子決定でしょう。
それと同じかそれ以上の糞スレということに
気づかないと言うのも痛いなあ。
まあ
>>149が>1と言うなら分かるけど。
この世に「異常に正しい論」と言うのは無数にあって
哲学と言うのはそれをいかに乗り越えいかに横断するかを考え
そしてある種のより良い誠実さを持って、
より良い何かを把握しようかという作業なわけ。
ある論が異常に正しいからといったところで
それは哲学では何の基準にもならないんだよ。
159 :
考える名無しさん:2009/08/27(木) 13:19:41 0
>>157 悪いけど、頭が悪くて発言の意味が読み取れてないのは君の方だよ。
160 :
考える名無しさん:2009/08/27(木) 18:34:53 O
ううむ…独我論者の低能ぶりを徹底的に明らかにしていただけると期待していたのですが、
まだ問題点を具体的にすらしていただけないのですか?これは由々しき事態です
もし、このスレを読んで「なんだ、やっぱり独我論に問題はなかったのか、批判するほうが低能だったのだ」
なんて思う人が現れてしまったら、大変ではありませんか!
例えば
>>139>>140あたりから、こんな指摘はできませんか?もちろんこれだけで十分ではありませんが
「認識というのは、そもそも、客観的な物がまずあって、それを認識するというものではないのか。
(ときに見間違い等はあるにしても)
客観的な物を前提にしないなどというのなら、それは認識ではないのではないか。
お前の言う「認識」とは何なのか。」
どうですか、これに限らず、どんどん疑問点を指摘していってください!
おとなだなぁ
優越感ゲームに走ってる時点で我以外の他者に規定されすぎている。
既に。
優越感ゲームとか言ってる時点で馬鹿だな。
罵倒するだけが能w
一つ言えるのは「論理」は哲学では、いや学問では道具の一つでしかなない。
論理的に正しい事はただ道具をうまく使えているだけでしかない。
哲学も他の学問もましてや技術や労働ですらそうだが
道具を正しく使って何を作るかが問題なのだ。
ある小さな論理的構築物の中にこもって
全く正しい、異常に正しいと言ってるなんて事は
子供より頭の悪い行為だ。
子供ですら道具を使って何かを作り出す。
166 :
考える名無しさん:2009/08/28(金) 00:47:42 0
創るためには良い道具が必要だ、という話にしかならないだろ。
このスレで気味が悪いのは
主観だ認識だ不可知論だと
まるで二百年前の哲学書の劣化コピーの断片を
切り張りしたような文章を
嬉々としてまるで自分の発明品のように書き込んでる連中だ。
まあ>1の自演かも知れないが。
>>159 は論述能力も低いようだ。
この場合も最低「何故そうなのか」と言うことを
書く必要がある。
ここまでだれも独我論に反駁していないんだね。
そこまで能力の低い人は
>1以外誰もいないのだろう。
たぶん。
意味不明。馬鹿すぎ。
172 :
考える名無しさん:2009/08/28(金) 22:43:16 O
困りました…独我論者の低能ぶりが、全然明らかになっていかないではありませんか
こんなことでは、今後独我論に影響されそうな人々の未来は、どうなってしまうのですか!?
例えば、こんな点はどうですか?あまり新味がなく非才をさらすばかりですが
「お前の言う「認識」「主観」「心」といったものは、客観的な物に対応するものとしないもの
という区別が全然ないことになるのか。
例えば、普通なら、「見る」場合には対応する客観的な物があり、「想像する」「思い浮かべる」
といった場合には対応する物は(目の前には)ない。しかし、お前の立場では、「見る」と「想像する」
「思い浮かべる」などの区別ができなくなるのではないか。
できるというなら、どうやって区別するのか。」
もちろん、これでは全く不十分ですが、何も言わないよりはましと思い、あえて示してみました
他にもっと意味のある指摘をぜひお願いします!
馬鹿すぎ。
日本の構造 テノバンミックンク つのがらいクリ
豊田 /\ 創価学会 産経新聞 杜玖椀晶子
電通 /∧_,∧\ 統一教会 機械的唯物論者 サラ金
総連 / <*`∀´> \ 経団連 天下り官僚
/ 自民党&公明 \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
___日本人奴隷___
//TTTTTTTTTTTTTTTTTT\
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/____/___無職_ニート_老人_貧困層______\
>>172 なんか能力の低い人が
困ってるみたいだな
お前に出来るアドバイスはいろんな良い本を読み
良い人に会え
そして学べということだけだ。
2ちゃんのスレを切り盛りするだけが
人生ではないぞ。
>>172 後続の事など気にする必要はない。
肝心なのはお前がどれだけ学べて
またその学んだ事を開花させるかだ
そのときになったら
このスレの事なんてお前の黒歴史だろう。
あーはいはい、もう一人漫才みたいなレスはしません
すいませんでした
こちとら多少は真面目に考えてみたつもりなのに、この程度のことすら考える能力のない輩に
低能呼ばわりされるのが、ちょっとだけ我慢しきれなかったんです
意味不明の罵倒などする前に、少しは脳みそを使ってみてはどうですか?
自演我論
日本の構造 テノバンミックンク つのがらいクリ
豊田 /\ 創価学会 産経新聞 杜玖椀晶子
電通 /∧_,∧\ 統一教会 ハンニバル擁護論者 サラ金
総連 / <*`∀´> \ 経団連 天下り官僚
/ 自民党&公明 \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
___日本人奴隷___
//TTTTTTTTTTTTTTTTTT\
/:::::/TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT\
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/____/___無職_ニート_老人_貧困層______\
180 :
考える名無しさん:2009/09/03(木) 22:19:54 0
独我論って、ちょっと、郷愁とか、同性愛とか、演劇とかに、似ているよね?
>>180 そこに立てこもれば無敵の王様になれるという意味ではそうかも。
しょっぱいものは皆似ている。
どう考えるかは人それぞれだな
おふくろの子宮の羊水もしょっぱかったのを覚えている
184 :
考える名無しさん:2009/09/04(金) 23:41:19 0
331 :考える名無しさん:2009/09/04(金) 20:10:00 0
/\___/\
/ ⌒ ⌒ ::: \
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
| ト‐=‐ァ' .::::|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < 古トンガッズですよね
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | \_____
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
│:/__:. `ー---─ ''"´ ̄ ̄`` ー- 、
/´ `ヽ、. .: `ヽ、
/ `ヽ、 ゙i
i :; ,!
! ‐-、 :. 。 .:' /
ヽ ヽ ; j:! " __..:-‐'"´ ̄ ̄` __ノ
\ ! .:' 〃 ,..:---─‐'"´ __.. -──── ''"´
`ヽ、 ヽ、 ノー;'"、二:.:'ー--ァ'"´
`ヽ、 >:).......ヽ、_∨:/` ̄i
185 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 00:57:37 0
考えただけでは「論」は成立しない。
他者に表明してはじめて論じたことになる。
独我論も、自らの考えを認識しうる他者を前提としている。
独我論は他者なしに成立し得ない。
それだけなんだがな。
186 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 01:42:58 O
まさに理屈の下らなさを感じさせるスレッド(笑)
188 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 05:08:38 O
189 :
執恒性 ◆O4UqE6bveQ :2009/09/05(土) 06:33:17 0
>>187 >最強の論が発生した。
笑止。
その論理を最強(?)と「認めれている」のは世界で彼方だけ、ではないのか?
>『観測できないから』ね。
それは不可知論の無視では?
「あなた個人」がただ外界や
、ある認識の観念において → 「それ」が無いと判断しているにすぎない・・かもしれんのだよ
この理屈もたしかに観測できないけども
あなたが「勝手に認識している」→「それ」が真実であるかどうかも・・また観測(というか証明)出来て無いのではないのか??
>これで、他者に心や感情は皆無だ!!!!!!!
↑「あなた個人」の中で情緒ホルモンは分泌されてますよ
↑「あなた個人」が勝手に情緒による・・快不快の規制で活動したりしています・・・よ???
論破完了_
余裕でした_
190 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 07:26:47 O
>>187 改めて考えると
ネオマトのカキコミはネオマトの意識の証だ。
「意識はない」と思考したネオマトの意識の痕跡だ。
と言える。
と思考した意識σ(・_・ )
191 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 11:50:21 O
>>185 まず、独我論者が、日記に
「私の心のみが存在し、客観的な物も他人も存在しない、と考えてみた」
「昨日考えたことを振り返ってみたが、やはり正しいと思う」
「一昨日考えたことについて、さらに考えてみたが、この部分は不合理かもしれない」
などと書いていって考えを進めたとして、それが「論」として成立しないのだろうか?
必ず他人が認識しなければならない理由は何かある?
また、仮に何らかの形で他人が必要であるとして、独我論者が、
「私は、私の心に現れる他人に対して、私の考えを話してみて、反応を確かめてみたいだけだ。
私の心の中での他人の反応は、存在する。しかし、それ以上に他人が客観的にも存在するかどうか
なんてことは、前提にしていないと思うが」
と答えたら、その答は不合理だろうか?
192 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 11:54:07 0
「今の私にのみ心が存在し、昨日これらのことを書いた私には
心は存在しなかったのではないか? あたかも心があるかのように
振舞う他の自動機械たちと同様に」と
日記には書いておく独我論者であった。
>>192 その独我論者は、客観的な物や他人が存在するかどうかを疑う独我論者とは、別になるのではないの?
自動機械(であろうが他人であろうが)が客観的に存在するかどうかは疑わないの?
それを別にしても、その独我論者は、例えば3日前の出来事を思い出して今日の日記に書く
といったことを、全然しないの?
そういえば、<わたし>の不連続性は毒蛾論的にはどういう説明なんでしょうか。
195 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 18:42:13 0
>書いていって考えを進めたとして、それが「論」として成立しないのだろうか?
成立しないと思う。
「論」はもともと仏教用語。教義およびその体系、あるいは論書のこと。
いずれも他者を前提としている。
196 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 18:45:59 0
>と答えたら、その答は不合理だろうか?
誰の問いに「答える」のですか?
自らの心の中の他者に対してですか?w
>>195 いや、そんなら、「論」という単語を使わなくてもいいけどw
何かおかしいところはあるの?
>>196 独我論者にとっては、当然そうなるでしょ
それのどこがおかしいのか、が問題では
確かに何かおかしそうだけど、直ちに矛盾したりするわけではないのでは
199 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 19:31:00 0
「論」という単語を使わずに何を使うの?
伝えるべき相手がいないかも知れないのに、言葉を選ぶのか?
200 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 19:40:40 0
自らの心の中の他者に対して問うということがおかしくない?
「心の中の他者」が、自ら想定しただけの相手であるなら、
「問う」ことなど何もないだろ。「心の中」の存在なのだから。
本当に居るかどうか分らない相手なら、問いが伝わったかどうか分らない。
それだけだ。
>>199 その反論のポイントは何なんだろうね?
結論として「他者を前提としなければならない」と言いたいのであろうことはわかるけど、
その理由・根拠は?
ただたんに他者を前提にしないということなら、例えば、
・普通の人が思わず漏らした独り言
・普通の人が他人に見せるつもりはなく書いた普通の日記
・無人島に一人流れついた人の発言、日記、考え
・人類が滅亡しかかり、最後に一人残ったとして、その人の発言、日記、考え
なども当てはまると思われるけど、それらと独我論者の日記に、どんな違いがあるの?
それとも同じように問題があるの?
>>200 その反論も、ポイントはなんだろうね?
独我論者が、心の中に現れる他人に挨拶したり普通の質問をしたら、心の中ではちゃんと
返事が来るわけだからねw
独我論を話してみることだけがおかしいの?
203 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 20:24:37 0
>>201 >その理由・根拠は?
>それらと独我論者の日記に、どんな違いがあるの?
「論」は、独り言でも、考え事でも、日記でもないよw
すでに語ったように「論」は、一種の教義なんだ。
教義は「教えの内容」だ。
教えの内容について自分が知っているのは当たり。
誰に教え、伝えるのか。
他者だろ。
204 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 20:26:06 0
当たり→当たり前
205 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 20:36:06 0
「・・論」という類いは、哲学的態度とか、考え方、
あるいは解釈、土台というように換言される場合があるだろう。
態度であれ、考え方であれ、解釈であれ、「示す・示される」ものなんだ。
他者に対して示すのであり、自らに対して示すのではない。
206 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 20:42:06 0
> 心の中に現れる他人に挨拶したり普通の質問をしたら、
心の中ではちゃんと 返事が来る
意味不明w
>>203>>204(
>>205も?)
いや、だから…
「論」という単語の説明は分かったけど、だから何なの?w
それは独我論の内容に対する批判でも何でもないでしょ
「独我的な考え方」とでも表現すれば、何も問題ないの?
208 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 21:38:53 0
「自分が認識をやめると・・」というような独我論的文言がある。
「やめる」というのは意識的な行為であるが、
オイラは意識的に認識をやめるということがどういうことなのか分らない。
錯覚や幻覚ではなく、目の前に物体があるとして、
「それがある」と、何故認識できるのか、本当は分らないのだ。
「自分が認識をやめるとそれが消滅」というのも、分らない。
あなたは、どういうことなのか分る?
盛 り 上 が っ て ま い り ま し た
低能のひつまぶしにはもってこいだもんね
211 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 22:51:44 0
どんな料理だww
>>208 その質問の趣旨はよくわからないが、例えば、ある部屋の外に出たらその部屋の中のものは
認識しなくなる、と考えて、何か問題があるの?
あるいは、目をつぶれば目の前のものは見えなくなる、というのは?
213 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 23:20:01 0
>>212 >その質問の趣旨はよくわからないが
釣りも程々にw
オイラもともとアホだけど、いつもよりアホになりますw
>ある部屋の外に出たらその部屋の中のものは
>認識しなくなる、と考えて
>目をつぶれば目の前のものは見えなくなる、というのは?
独我論とはかんけーねーw
目をつぶれば目の前のものは見えなくなるのは、目蓋が光を遮るからだろw
いーかげんにせー
そういう話でないのだとしたら、「意識的に認識をやめる」というのがどういう意味なのか、
私にも分からないので、何とも言えません
あしからず
215 :
考える名無しさん:2009/09/05(土) 23:52:50 0
「意識的に認識をやめる」というのはねー
「さあ、それから一切を認識しないようにしよう」と考えて、それを果たす
というような事だよ
216 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 00:08:29 0
>ある部屋の外に出たらその部屋の中のものは
これはほとんど素朴実在論に立脚している。
客体(自分ではない物)を否定する独我論とはまるで異なる。
独我論によれば、自分の目も目蓋も「意識内容」にすぎないわけで、実在ではない。
218 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 00:24:50 0
徳井の絶叫です
誰でもすぐに使えて反論も容易。
立てこもって得意の絶頂になれる
独我論こそ低能の愛玩おもちゃランキングNO.1であろう。
>誰でもすぐに使えて反論も容易。
>立てこもって得意の絶頂になれる
教えてくれ
221 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 00:47:08 0
徳井のスケベは丸見えだろ
歴史も経験も無視してよくて
認識も感情も意識も思いつくまま思いのまま
こんな都合のいい論拠論点はそうない。
さあ低能のみんな。
独我論に立てこもって遊ぼう。
頭のいい人達が相手してくれるかもよ
頭のいい人達を自分の適当な論で
論破する快感って最高だね。
>>216 >>212は、
>>208が独我論とどう関係するのかわからず、とりあえず普通の書き方をしたもんで
と、とりあえず言い訳してみるw
216の指摘で独我論が直ちに不合理になるわけではないと思われる
独我論者だって、心の中に現れる部屋から心の中に現れる別の場所に移動したり、
心の中に現れる瞼を閉じたりすることが、できないわけではないだろう
…しかし、それは本当だろうか
「移動」って、何が移動するんだろうね
私の心に現れる私の体が?しかし体が動いてるようには見えないからなあw
>>219 何と戦ってんの?
独我論と戦う気があるなら、早く批判してよ
簡単なんでしょ?
>>223 いや、低能さんをかわいがりこそすれ
闘う気なんてあるわけないじゃないですか(笑い)。
障害児はあたたかく見守って
社会にでれなくても
愛情でつつんでやるのが
社会人のたしなみってものですよ(笑い)。
きめぇw
226 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 01:04:23 0
「観念の集まり」説明してくれたら、カレーパン差し入れしたる
障害児番組のおねいさんだよー!
みんな元気ー!
さあみんなー!
>>223 ではっきりわかったよねー!
歴史も経験も無視してよくて
認識も感情も意識も思いつくまま思いのまま
こんな都合のいい論拠論点はそうないよねー!
さあ低能のみんなー!
独我論に立てこもって遊ぼー!
228 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 01:10:08 0
>心の中に現れる部屋から心の中に現れる別の場所に移動したり、
「心の中に現れる」って意味不明やん
どうして「心の中」だと分るん
>>1 まあもう一回>1に言いたいのは
> 魅力ある体系を築くのが難しそうなのが人気のない理由
ではなくてご覧のように低能だけが独我論にこだわり
哲学を学ぶ者ならさっさと次に進むのが人気のない理由です。
230 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 01:45:36 0
哲学こそが独我論の一形態なんじゃよ
>>230 低能な老人がそんなことを言ったりできるのもの独我論の
よいところです。
独我論は老人ホームでも人気です。
認知症の老人はかなり強固な独我論者です。
233 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 01:53:33 0
234 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 01:55:47 0
杜玖椀も知らない低学歴が哲学を云々する・・ということが
そもそも始めから終わりまで間違いである・・ということです。
235 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 01:57:35 0
テイノちんと捉えていれば、
初めてワークノじゃンセズムックスを、
例明電法論からテクノることを
すぐにできる。
フワークの様な、テノバンミックンク、
レラウックムーブメントの中で活動したバンドの中で、
唯一、既存の方法論から抜け出し、すなわちテラフークだる。
>>233 「独我論に犯される」とという言葉が
語義矛盾でないということに気づかないのが
低能のかわいいところです。
低能はこうして低能の世界を認知症の老人のように
さまよって行くのでしょう。
237 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 02:00:56 0
「「独我論に犯される」とという言葉が
語義矛盾でないということに気づかないのが
低能のかわいいところです。」
という言葉が語義矛盾でないということに気づかないのが
低能のかわいいところです。
低能はこうして低能の世界を認知症の老人のように
さまよって行くのでしょう。
フワークの様な、テノバンミックンクを知らんようだね?
>>237 おうむ返しは認知症患者でよくある事です。
単なる低能ではなく若年性認知症である可能性もありえます。
どちらにしても不幸な事です。
独我論はこうした不幸な低能もしくは認知症の
ための遊び道具としてあるのでしょう。
234 :考える名無しさん:2009/09/06(日) 01:55:47 0
杜玖椀も知らない低学歴が哲学を云々する・・ということが
そもそも始めから終わりまで間違いである・・ということです。
235 :考える名無しさん:2009/09/06(日) 01:57:35 0
テイノちんと捉えていれば、
初めてワークノじゃンセズムックスを、
例明電法論からテクノることを
すぐにできる。
フワークの様な、テノバンミックンク、
レラウックムーブメントの中で活動したバンドの中で、
唯一、既存の方法論から抜け出し、すなわちテラフークだる。
236 :考える名無しさん:2009/09/06(日) 01:58:25 0
>>233 「独我論に犯される」とという言葉が
語義矛盾でないということに気づかないのが
低能のかわいいところです。
低能はこうして低能の世界を認知症の老人のように
さまよって行くのでしょう。
240 :考える名無しさん:2009/09/06(日) 02:04:16 0
>>237 おうむ返しは認知症患者でよくある事です。
単なる低能ではなく若年性認知症である可能性もありえます。
どちらにしても不幸な事です。
独我論はこうした不幸な低能もしくは認知症の
ための遊び道具としてあるのでしょう。
この馬鹿さ加減がからかいの対象になってしまう原因です。
もうお前ら独我論の話してねえじゃねえか
244 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 02:07:34 0
とという言葉(笑)
245 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 02:08:38 0
「とという言葉」について論じているようだね?
>>242 低能でも何かをからかうという事は確かにあるようです。
その場合はそれ自体が失笑か、かわいそうな行為であることが
ほとんどですが。
247 :
まだ気づかないハンニたんw:2009/09/06(日) 02:10:00 0
246 :考える名無しさん:2009/09/06(日) 02:08:57 0
>>242 低能でも何かをからかうという事は確かにあるようです。
その場合はそれ自体が失笑か、かわいそうな行為であることが
ほとんどですが。
また低能から独我論という遊び道具を取り上げて
泣かしてしまいました。
ちょっと反省。
なんでこんなに低能をいたぶるクセがあるのか。
これは私の心理的課題ですね。
250 :
まだまだ続きますw:2009/09/06(日) 02:12:23 0
248 名前:考える名無しさん :2009/09/06(日) 02:10:41 0
また低能から独我論という遊び道具を取り上げて
泣かしてしまいました。
ちょっと反省。
なんでこんなに低能をいたぶるクセがあるのか。
これは私の心理的課題ですね。
251 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 02:14:45 0
こういう馬鹿どもが学問ごっこに勤しむのが「日本の哲学」・・ということになります。
まあソーカルは、ナイフで目をえぐりだせば必ず失明すると主張する素朴実在論者にすぎんからねw
やっぱり低能をからかうとムキになって怒るから面白いですね。
当分やめられません。
254 :
杜玖椀の奴隷w:2009/09/06(日) 02:23:41 0
253 名前:考える名無しさん :2009/09/06(日) 02:21:05 0
やっぱり低能をからかうとムキになって怒るから面白いですね。
当分やめられません。
やっぱり低能をからかうとムキになって怒るから面白いですね。
当分やめられません。
256 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 02:27:03 0
堵愚慧螺簸轡にも劣る低学歴が踊っております。
こういう馬鹿どもが学問ごっこに勤しむのが「日本の哲学」・・ということになります。
258 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 02:28:40 0
徳井はスレが伸びてとくいまんめんのスケベであります
306 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 17:45:31 0
↑ハンニひしいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
379 :彫れほれ発狂しろよ運知くんwwwww:2009/08/25(火) 18:14:39 0
↑この迅速な反応wwwwwwwwww
さすがヒキコハンニの面目躍如wwwwwwwwwwwww
383 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 18:19:36 0
>>381 ↑この迅速な反応wwwwwwwwww
さすがヒキコハンニの面目躍如wwwwwwwwwwwww
もうバレバレなんだよwwwwwwあきらめろw
386 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 18:22:26 0
>>384 自分で祭るなよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
390 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 18:26:50 0
>>387 ↑この迅速な反応wwwwwwwwww
これしかもちだせないのかwwwwwwww
ばかのひとつおぼいwwwwwwwwwwwwww
392 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 18:29:21 0
何とか自演から話を逸らそうと必死ジエン王ハンニバル
ジエンだけはジシンがアタノニね
頭悪いってなんか可哀想ダニw
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
225 名前:「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q 投稿日:2008/03/15(土) 00:51:26 0
>>224 経済の(弁証法実在論者がおっしゃるところの)「構造」が、
上部構造とは(第3次産業である)「文化・カルチャー・サービス」であり、
下部構造とは(第1次産業・第2次産業である)「農林漁業・鉱工業」である
・・という意味で申し上げただけのことで、「株式投資を行う」方が第3次産業
従事者に多い(比率的に)ことは言えると思いますが、そもそも「上部構造」というのは
「自分は下部構造にしか眼がいかない生活を強いられているプロレタリアート階級だから
芸術を鑑賞などしてる上流階級の想像力を呪詛する」・・という「ルサンチマンの産物」
にすぎない・・・と申し上げているだけです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
227 名前:考える名無しさん 投稿日:2008/03/15(土) 00:55:37 0
>上部構造とは(第3次産業である)「文化・カルチャー・サービス」であり、
>下部構造とは(第1次産業・第2次産業である)「農林漁業・鉱工業」である
あ〜あ、やっちゃった・・・
120 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/04/24(木) 02:00:54 0
>>117 サルトル、カミュ、ボーボリアール等暗鬱な実存主義の雰囲気を出している
色々な小説のなかでは良い方だと思います。あとはサルトル『嘔吐』
サガン『冷たい水の中の理諫な太陽』とかですか。サルトル『自由への道』は
タイトルが格好いいだけの駄作です。
私は唯物論者ですので彼ら観念論小説家の優れた面は認めつつ、その思考過程を
批判的に読み解くのに好材料である・・・という意味で推奨しているだけなので、決して
「彼らの観念論が真理なので読みなさい」と申し上げているわけではないことは
お断り申し上げておかねばなりませんが・・・。
262 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 02:33:50 0
ハンニバルは相手にせずただなまあたたかく見守るのみ
,,-――-、
,/ \
./ ...-ー、,-─ . l
| . ◎ i、 ◎ .|
| / ー-' ヽ / ここはいっちょアラ石株
/\ ヽニソ ,/、 で乗り切るべきじゃろ?
/ ___ ゙ ,:-'´ヒヒ丶
/´ ヽ` ̄ ー-゙:.、
i - 、 `ヽ_
l: 、.: ヽ ゙i"
! i ; n .:c.: ', _..ハ
| ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ
| ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 /
264 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 03:09:21 O
「日本の哲学」
小学校でギリシャ哲学から段階的にやらなかったから。こうなる
日教組の企みが実を結んだ結果だろう。
俺はああああああああああああきずいたああああああおおおあおあおあおあお
要は』@「俺に意識は無い」^^
これ^^意識は無かった・・・・・俺に意識はないんだよ^^俺に意識は無い^^
心も無い。^^感覚も思考もない。^^なんせ
『何十憶という脳細胞が物理的に作用して動いてるだけ』
なので^^つまりは他人も
『意識が無い』ので、独我論では無い・・・^^が、万人に心は無い・・・^^
他人に意識は無い・・・・^^つまりは
『独我論と似てる部分が多い、唯一の違いは自身にも意識が無い』^^
これだけ。^^OK?
DO YOU アンダースタンド?^^
「なんだ自分も他人も意識がないじゃん、他人に感情もないし
他人の事考える必要ねーよ」これ。これが実践哲学の極みですぞ?
>>228 すごい質問があったなw
とりあえず、部屋だろうが何だろうが、独我論者にとっては全て心の中に現れるものだ、
ということだと思うけど
267 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 09:23:06 O
268 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 11:48:10 0
>>266 「独我論者にとっては・・」と
考えるあなたは独我論者ではないらしい。
さて、独我論者の言う自分とは独我論者自身の事であり、
独我論者は実在するのは自分の心と心が認識するもののみであるとする。
あなたが「独我論者の言う事は否定できないなぁ」とすると、
あなたの存在は独我論者の心に委ねられているということになる。
あなたは「独我論者の心の中に現れている」のですか。
ざっと読んだが、ここは独我論者が独我論を理解していないようだ。
批判側の論点は大したことはないが、反ー批判が成立していない。
270 :
考える名無しさん:2009/09/06(日) 13:10:40 0
チラシのウラ
「確実なものを求めて行くと独我論になる」と言われている。
で、「自分の心の中に現れる」とか「自分の主観に映じている」とか
表現するわけだけれども、「心の中」とは一体なんだろうか。
他人の言う「心の中」が何を示すのかはっきり分りませんが、
オイラの言う「心の中」は、他者から決して覗かれることのないであろう内面のこと。
自分の感情・気持ち・思い・考え・イメージがあるということが分り、
それらが現れる場所・意識空間として漠然と「心」や「心の中」を考えているだけだ。
漠然とであり、自分が考えたように「心」が揺るぎなき実在として存在するとはいえない。
ましてや「世界は心が作り上げている」とか「心が認識しなければ、
他者およびあらゆる物、世界は消滅する」とかいうことの仕組み・成り立ち・
必然性はとうてい説明できるものではない。「分らない」のだ。
とすると「自分の心」なるものには不確実的要素が入り込み「疑いえないもの」ではなくなる。
そもそも「自分の心」というからには自分が先行して存在するのでなければならず、
自分が体をもつ1人の人間であるなら、「自らの体」は認識内容にすぎない
として片付ける(あるいは否定する)わけにはいかない。
なんか低能が集まってきて
盛況だね。
よかったね>1
障害児番組のおねいさんだよー!
低能のみんな元気ー!
さあみんなー!
今晩も独我論であそぼー!
歴史も経験も無視してよくて
認識も感情も意識も自分の思い通りに記述可能、
思いつくまま思いのまま
しかも「独我論者ならこういうね」とか
「批判が成立してない」とか
ちょっと斜めの傍観者の立場もオッケー。
こんな都合のいい論拠論点はそうないよねー!
さあ低能のみんなー!
独我論に立てこもって遊ぼー!
>>268 そこは表現が不適切だったが、「仮に独我論者の立場に立ったら」あるいは「仮に私が
独我論を採用するとすれば」という意味にとってもらえれば、問題なくなると思うので…
と、とりあえず言い訳してみるw
むしろ、独我論者に直接「お前は寝てる間は消滅してるのか、そして起きたら復活するとでもいうのか」
とでも聞いたら、なんて答えるんでしょうね?
>>273 たんに「低能」や「馬鹿」と言えばいいのに、わざわざ障害児に結び付ける発想がひどいね
障害児への配慮といった社会的常識というか、道徳的感覚というか、そういうものを
全然無視する態度からは、むしろ、変な意味での独我論者(自分勝手主義者)の気配を感じるな
>>275 ごめんねー!低能くん!
低能は障害じゃないよね!
作業所で今日も独我でゴーだ!
>>275 いやマジレスするとこのスレで独我論に関わっている者は全て
ある種の障害者ではないだろうか。
およそ有史以来哲学を研究した著名な者の全てが、独我論に気づいたと思う。
そしてその論の反論不可能性に気づきながら、同時のその不毛を認識したと思う。
それ故自身の哲学理論を独我論には求めず歴史や経験や認識にコミットすることでその理論を花開かせた。
このスレで独我論に関わるものは、
そもそも>1からしてそうした経緯にも無知で
「魅力ある体系を築くのが難しそうなのが人気のない理由だよな。」
などど言っている。
やはり何かの能力が極端に低い低能でその低能故独我論にはまり込んだまま
抜け出せない、大変な低能ということではないだろうか。
279 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 01:02:38 0
>>274 >独我論者に直接「お前は寝てる間は消滅してるのか、
>そして起きたら復活するとでもいうのか」
>とでも聞いたら、なんて答えるんでしょうね?
独我論にもいろいろバリエーションがあるでしょうが、
独我論者は人間である自分よりも「自らの意識の活動」を考えるのでしよう。
「意識」は、自分や周囲の状態が分るという意味の意識ではなく、能動的な意識です。
独我論者にとって確実に存在していると思われるのは、自己の意識・精神である。
「あらゆる存在は意識・精神による認識後にあるのであり、意識の産物に過ぎない」
という表現がそれを物語っているのではないでしょうか。
とってつけたような義眼的思想だとは思いますが、観念論の類いはそういうものでしょう。
寝てる自分というのも、意識がもたらす認識後の自らの姿に過ぎないことになるのかも知れません。
280 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 01:03:56 O
独我論は認識できるものは存在し、認識できないものは存在しない。
「観測者にとって」 ←これを付けたら丸く収まるから、
そんなに目くじら立てなくてもいい。
>>275 俺も障害だと思うよ。
ただ、知能の高い者にある障害だと思う。
282 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 01:16:23 O
>>280 現在の空間的な認識だけで、
時間の要素について考慮されてない。
例えば、10分前にあった皿の饅頭が、
何故か今現在皿の上には存在しない。
これは記憶に観念として饅頭が存在する。
つまりポイントは時間
283 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 01:33:35 0
独我論者は他者の意識・他我を否定するので「他者は観測者ではない」。
284 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 01:59:41 O
>>283 では私は独我論者じゃないわ
独我論者の視点をかいま見るも、
すぐに独我論者を外から見ているから。
285 :
ppp:2009/09/07(月) 02:03:17 0
128 :考える名無しさん:2009/09/06(日) 16:50:13 0
ハンニ出てこないと大人気w
129 :考える名無しさん:2009/09/06(日) 16:51:48 0
>>128 コテで書くと馬鹿丸出しになるからなw
130 :考える名無しさん:2009/09/06(日) 16:56:21 0
やめろつ〜の、ハンニ下手に刺激すると超汚いコピペ荒らしが来るぞ。
286 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 02:04:53 0
毒牙にかかってしまったようだね君たち?
いやあおまえら馬鹿だな。
288 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 16:31:22 O
289 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 16:35:04 0
毒牙論ってバラモン教の「真我が実在している」というのと同じか?
290 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 19:58:03 0
ああ、親戚のじいちゃんが言っていた。
シンガボンガ・・
291 :
考える名無しさん:2009/09/07(月) 23:44:35 0
____
/∵∴∵∴\
/∵∴/∴∵\.\
/∵:< ・> 。。<・ >
|∵∵ |\_|_// / はあ?
\∵:.| \__ノ .| /
/\ ,/、
/ ___ ゙ ,:-'´ 丶
/´ ヽ` ̄ ー-゙:.、
i - 、 `ヽ_
l: 、.: ヽ ゙i"
! i ; n .:c.: ', _..ハ
| ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ
| ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 /
>>283 > 他者の意識・他我を否定する
まあある種の知的障害者、精神病者、脳障害者もよく
他者の意識、他我を無視する行為をしたり否定する発言を
したりします。
293 :
魔王再来 ◆M0QTTySn5c :2009/09/07(月) 23:53:52 0
・・独我??・・なんて ドコにあんの????
>>293 乳幼児とか、ある種の障害者は独我っぽいです。
>>279 > 独我論者は人間である自分よりも「自らの意識の活動」を考えるのでしよう。
「人間である自分」を物体としての客観的な自分という意味に理解すると(違ったら失礼)、
だからこそ、「物体としての自分が(も)存在するなら、寝たからといって消滅したりしないだろうが、
意識しか存在しないなら、どうなるのか」と聞いてみたいわけですが。
いやむしろ、独我論者にとっては、普通の意味で「寝る」ということがあり得ないのか?
> 「意識」は、自分や周囲の状態が分るという意味の意識ではなく、能動的な意識です。
ここの趣旨は私にはよくわからないが、もし独我論者がこのような発言をしたら、
「お前はぼーっとしてる間は消滅してるのか」とも聞いてみたいw
296 :
279:2009/09/08(火) 01:20:47 0
>>295 >独我論者にとっては、普通の意味で「寝る」ということがあり得ないのか?
独我論によれば、実在するのは、自らの心・精神と、その心・精神が作り出す観念だけでしょう。
彼らからすれば、床もベッドも、自らの体も観念でありましょう。
「自らの心・精神が『眠気』を認識し、観念であるベッドに、観念である自らの体が寝る」とかいいそうだ。
以前オイラが議論したことがある「独我論擁護者」によれば、
すべて自らの心が作り出した「観念の集まり」なのである。
297 :
279:2009/09/08(火) 01:33:24 0
>>295 > 「お前はぼーっとしてる間は消滅してるのか」とも聞いてみたいw
さてねぇ、
質問しても延々と彼の心が生み出す観念の世界を説明されるだけでしょう。
「あなた」は私の心が作り出した観念に過ぎず、あなたの質問したい気持ちは確認できず・・
「ぼーっとしてる間」も「消滅」も観念に過ぎず・・・
しかし私の心がこのように認識していることだけは確かであり・・と。
298 :
や:2009/09/08(火) 02:49:34 O
じゃあ平野から電話きたし黒ちゃんたちやってくか
やめろ
300 :
考える名無しさん:2009/09/08(火) 08:11:31 O
やめろっと、いわれっても
なぜこっちにこない
独我論者って、
自分を生物学的に始まらせた人間(一般的に言って両親)や、
終わらせようとしている人間(何故だか自分を殺そうとしている殺人鬼)に対して、
どんな評価を下すのかな。
それは、非独我論者(=普通の人)が下す評価と、どこか違うのかな。
ごみ捨て場みたいなスレだな
>>302 殺人鬼のほうについては、独我論者も、「私の心に現れる私の体が傷つけば、私は痛みを感じるし、
傷つきかたがひどければ死んでしまい、そうなれば私の心もなくなる」と考えても、そんなに
おかしくない気がする。
また、独我論者ではなくても、物体としての体と意識との関係について特殊な考えを持っている人なら、
例えば「物体としての体が死んでも、意識が消滅するわけではないので、死を過剰に恐れることは
ありません」とか説教したりするのかもしれない。
そう考えれば、独我論者だからというだけで殺人鬼への評価が変わるわけではない、ということになりますかね。
馬鹿ホイホイスレだろ。
306 :
考える名無しさん:2009/09/10(木) 01:59:47 0
305=万毛茫茫鳥だろ。
307 :
考える名無しさん:2009/09/10(木) 12:09:56 0
馬鹿ホイホイ 餌 たりないよ
308 :
考える名無しさん:2009/09/12(土) 02:41:07 0
554 :水先案名無い人:2009/06/07(日) 18:59:43 ID:wn5e4jjW0
ねぇねぇガキどもに媚びてパクリまくったのに全然流行らないのってどんな気分なの?w教えてくんね?w
555 :水先案名無い人:2009/06/07(日) 19:02:01 ID:wn5e4jjW0
キチガイ演じてガキに媚びたけどつまんねの一言でバッサリ切り捨てられた気分ってどんななの?w教えてくんね?w
556 :水先案名無い人:2009/06/07(日) 19:07:03 ID:wn5e4jjW0
流行のAAをパクって俺sugeeeeeeしようとしたけど総スカンされた気分はどうなの?w
557 :水先案名無い人:2009/06/07(日) 19:12:39 ID:wn5e4jjW0
ageとでもメ欄に書いとけば分かってて痛いことしてますよアピールになってると思ってるの?w
必死なのが余計浮き彫りになるだけだからwそんなことにも気付かないんだよな頭の悪い厨房はw
558 :水先案名無い人:2009/06/07(日) 19:17:31 ID:wn5e4jjW0
あちこちにレスを晒しといて痛い奴扱いしてれば一般人を騙せるとでも思った?w
誰も騙されませんからwお前には何の影響力も無いからw
↑ここまで馬鹿な香具師も珍しいわな
独我論的な認識構造は否定できないんだから
現象主義からやりなおせばいいじゃん。
そうできなかった英米系はようやく反省しだしたようだけど。
ホイホイそうですね
現象学の世紀のはじまりだな
哲学でいう神とは愛のことである
奮起はきっかけに過ぎない
統失の哲学
315 :
考える名無しさん:2009/09/26(土) 23:36:32 0
独我論とはいっちんの哲学じゃな?
664 :考える名無しさん:2009/09/16(水) 07:14:31 0
いわゆる「ポストモダニズム」には、「体系」なるものが必然的に有してしまう権力性を
脱力/無化しようとする志向性が多かれ少なかれあるので、「体系」を構築するには至らない。
むしろ「体系」なるものが姿を現す前に意識的にそれを崩そうとする傾向がある。
すなわち必然的になんでも化してしまうのであり
最初から逃走ルートを確保してしてあるので、有象無象が戯言をかますのに適しているのである。
つまり、してやったりと思ったソーカルはまんまとポストモダンにとりこまれてしまったのだよ。
665 :考える名無しさん:2009/09/16(水) 08:15:45 0
衒学をただの衒学だと指摘したら、その衒学を擁護するのに衒学を持ち出す。
まさに神学論争w
ポストモダニズムはそれを信奉するものにしか有効でないという事が証明されたわけだ。
666 :考える名無しさん:2009/09/16(水) 16:55:52 0
彼らは前もって考えてから話しているわけではなく、あとで、自分の主張が誤りであり、
間違ったことを言っていたと気が付いても、それでもやはり正しいかのようにしなければ
ならないのである。
ーーー ショーペンハウアー
独我論って
自分の認識が全てってことで
この世界を認識しているのは自分で
自分が認識しなきゃこの世界はなくて
でもこの世界があるからこそ自分が認識できて
偶然の必然で必然の偶然であって
同時因果である
ってことじゃないの??唯識論だよね??
独我論者に羞恥心がない
っていう考えは的外れじゃないのかな??
してはならないことは全くなく、してはならないと思ってるのはどこまでも自分であるとか、
感性は世界と自分の関係性にこそあるとか、そういう話じゃないのかな??
ゆとり高校生なんでわかりません
ホイホイ
319 :
考える名無しさん:2009/10/13(火) 02:26:56 0
771 名前:宮崎君、これが正解だよ? :2009/10/09(金) 00:24:36
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>>317 映像と音といった感覚しかないという話
自我も他我もない
この語句を見れば理解できます
日常=映像、音、思考、触覚、感情などの集合
自分=感覚の一種 他者=感覚の一種
つまり
「私がある、という感覚がある」
で、他の感覚、映像や疲れなどがあるから
「リアルや他者がいる」と感じるだけ
ホイホイ
他者という概念を一度でも受け入れたら、もうドクガ論(なぜか変換できないT△T)
者ではいられない、といってみる
323 :
考える名無しさん:2009/11/21(土) 21:46:28 0
>>322 そりゃ同語反復だろ。
他者という概念を、自身という概念を説明するための一部分としてあるのが独我論における他者なんだから。
反復横跳びしながら
馬鹿がホイホイ引っかかる独我論
325 :
考える名無しさん:2009/11/21(土) 23:49:25 0
自分がいない世界は考えられない。
よって独我論は正しい。
326 :
考える名無しさん:2009/11/21(土) 23:52:21 O
世界とはここだろう。
>>323 それより、「他者に共感を求めて主張する独我論って何なの?」って気もする。
328 :
ニート:2009/11/22(日) 00:13:19 O
独我論てさ生き方じゃね〜の?
半端にしか見ない俗人は凡て他我があると云う空想に染まって居るのかも知れない。何れにせよ俗人には厳しすぎる
哲学的事実だろう。
329 :
ニート:2009/11/22(日) 00:16:05 O
両親も兄弟も存在しない。
こんな事実、絶対俗人には受け入れる事は出来ないね
これだけは言える。
意識の謎が説き明かされないうちは、独我論は存続する。
ニートの存在は絶対的に両親に依拠している。
それを韜晦するために独我論が要請される。
332 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 11:39:17 0
共感という概念も私という概念を説明するための一部分とするのが独我論における共感なんだろう。
>>330 これだけはいえる
こういう馬鹿がホイホイなうちは独我論は存在する
334 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 13:24:35 O
>>333 では、こういう馬鹿がホイホイしなくなったら、独我論は存在しないのか?
記録も消滅してしまうのか?
時の中から「独我論」についての事象が消え去るのか?
そうではないだろ。
「独我論」は哲学の論理のひとつとして
積み重なったブロックのように
そこに在るのだ。
335 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 13:32:47 O
全ては夢であるとして、やっぱり死ぬのは怖いし、独りぼっちは不安だろ。
336 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 13:47:48 O
人生は一場の夢であるとはナポレオンの言葉だ。
インド人ならマーヤーとか言う。
337 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 13:49:59 O
我々、21世紀人はぴょんと跳ねる。
338 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 15:25:52 0
肺黒ティモシェンコ21
339 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 18:25:05 0
意識の謎が解明されても私の存在の謎は手つかずに残るな。
前者は解明可能だろうが後者はそもそも解明可能なのか?
340 :
ニート:2009/11/22(日) 19:04:50 O
俗人の存在は絶対的に世間に依拠して居るのである。
341 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 19:42:54 0
独我論は正しい。なぜなら自分がこの世界の創造主だから
他人には他人の世界があるかもしれないが知ったことではない
自分は自分の世界でしか生きていないのだし自分の世界では自分の認知しているもの以外は存在しない。
自分があると思えば本当に自分の世界には在ることになる
創造主は自分
ドクガ論だと自己=宇宙の創造は証明できるの?
343 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 22:39:40 O
自分が創造したはずの世界であくせく生きる情けない神様たちだ。
344 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 22:51:12 0
>>343 なかなか上手く創造できないからそうなるんだろうな
便利な道具もあるっちゃある
お薬とかな
独我論って別に他我を否定するもんじゃないよね?
346 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 23:50:45 0
>>345 いや、他我は認めていないというか世界には存在しない
347 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 23:53:26 O
>>344 イジメられたくて世界創造するマゾヒストの神様かも知らん。
348 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 23:58:06 0
「否定する」が曖昧。
>>346 そうなん?認めていないっていうのは他我が断定できないって意味じゃなくて?
どう言う論理展開?
じぶんは断定は出来ないが恐らく他我があるんじゃないかと信じてるんだが。
350 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 00:30:58 0
独我論といっても、いろいろなバージョンがあるのさ。
自己の存在だけは疑わないという共通点はあるようだが。
>>349 他我があってもなくても生活上問題ない。
同様に自我があってもなくても問題はない。
まず俺は自我があるとは思えない。
自分を省みると、複雑なことを考えているようで、その実、いつも例外なく、納得できる行為を選択している。
もしかすると、この納得できるかどうかを判定している機能こそが、自我なのか?
自我って一体なんなんだ
ホイホイ大収穫
>>351 独我論ってのはまずこの世界の神が我だと設定しちゃってるんじゃないの?
ホイホイそうですね
355 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 10:49:14 0
「神」概念が曖昧。
357 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 11:23:22 O
共同主観を一切捨ててから議論しろよ。
358 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 11:37:06 0
共同主観を一切捨てて、どう「議論」すんのさ?
359 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 11:44:55 0
勝手に聴きあうモノローグ
360 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 11:47:08 0
君が真の独我論者なら、2ちゃんねるの書き込みはすべて自分の発言だと思うはずだ。
まだまだだなw
361 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 12:01:23 O
自らの影と殴り合いをするのだ。
362 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 12:24:26 O
>>352 妙な新興宗教でも立ち上げるつもりなんだろ。
下品な人の毒はおいしくない
364 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 12:39:54 O
効き目のある毒は苦い方がよかろう。
365 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 16:45:15 0
「私」の認識を離れて存在するものを想像できるかね?
366 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 16:48:04 0
お前が会ったことがなく、これからも会うことがない奴が、
世界にはいくらでもいるだろ。お前が認識しようがしまいが、
そいつらは実際存在しているよ。
367 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 18:01:12 O
>>358 ぶっちゃけた話、ウィトゲンシュタインが論考で「毒ガロンは
正しいが、しかしそれは語り得ぬもの」と言ってるのと一緒な
わけだ。
368 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 18:07:47 O
「我々」とは悪魔の言葉である。
みたいなことをヴェーユが言ってなかったかな。
369 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 18:09:55 0
>>366 というふうにもう認識しちゃってる。
その認識を離れては何も存在しない。
…というのが認識論的独我論ですよ。
370 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 18:12:49 O
「我々は同盟国だ」。
悪魔のセリフだろ?
371 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 20:17:44 O
他者とは主観を共有しない存在だ。
主観の共同体には個人は存在しない。
個人の存在しない世界には良心も
存在しない。
独我論が正しいならば
独我論の否定が真になる ■
>>353 俺にとっての世界が俺の認識できる範囲であるならば、
自我も同様に、俺にとって自我と認識できる範囲に定められるべきだ。
この世界を造った記憶は俺にはない。
もし現実に俺の前世的な奴が世界を造ったのだとしても、そいつは俺の自我とは異なる。
ゆえに俺は神ではない。
俺の前世が神だという可能性はあるが。
374 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 20:27:55 O
貴様の人生はある瞬間に始まったものか?
375 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 20:46:58 O
人は自らが何故存在するのか何者であるのかも分からないまま、
この世界の常識を衣装のように身に付け、その衣装を自分だと
信じ込むのが常だ。
376 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 20:52:12 O
誰もが皆、既にあった世界の衣装を身に付けているが、
それを理解して身に付けているとは限らない。
誰一人、この世界を理解出来ていないとしても何ら不思議では
ない。
「論」という表現は他者を前提にしてるからね
よって独我論は破綻する
378 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:02:38 O
皆既日食と三島由紀夫との関係はあさにたべる目玉焼きに似ている。
379 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:24:27 O
当て逃げって奴か?
380 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:29:26 O
始まりのないものには終わりがない。まるで人生のようだ。
生まれたり死んだりするのは衣装の話だ。
381 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:32:17 0
人は自分の考えている以上のことを
考えられない。
よって独我論は正しい。
382 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:37:56 O
それはある日突然迎えに来るが記憶を消される
独我論は正しいのだろうかと不安が残っているから論じている。
お前は正しいと誰かから言われたいんだ。認められたいんだ。
誉められたいんだ。要するに愛が欲しいんだ。
独我論は不安を解消しないし他人からの愛も得られない。
384 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:40:22 O
衣装たちが言う、「我々は神々だ」。
そうしてぴょんと跳ねて、まばたきをすんのさ。
385 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:45:32 O
衣装が気絶した人間をくるんで道を歩いているのは、現代社会では
日常的な景色だ。
386 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:53:07 0
処刑ライダーみたいな言い回し
>>374 そうだ。
ただ残念なことに、最も古い記憶は保育園児の頃のものだ。
保育園に行くのが嫌で、泣いて暴れたのを覚えている。
388 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 22:26:14 O
中の人が気絶してる奴らって珍しくないもんな。
389 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 22:36:02 0
>>383 おまえ、「独我論」って言葉の意味分かってるか?
「俺が世界一頭がいい奴だって俺より頭がいい奴に認めてほしいんだ」
みたいなこと言ってんだぞ、おまえは。
なんか分かってきたぞ。
独我論を肯定するには、必然的に我を否定しなければならない。
なぜなら独我論においては、世界を我と我以外に分けることが許されないからだ。
ゆえに独我論は破綻する。
独我論を成立させるとしたら、我を世界全体として捉える必要がある。
そうなったら独我論という名前は相応しくない。
さあ論破してくれ。
>>381 じゃあ自分でないものって何よ? 他者でしょ
独我論と矛盾してるじゃんw
だからね、こうやって書き込むという行為自体が
他者の存在を前提にしてしまってるわけよ
つまり記号表現はすでに独我論からはみ出てしまってる
394 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 23:25:48 0
そうじゃなくって、
自身(私)の意識に現れている他者は、
自身(私)の意識に現れているというだけで、
自身(私)の意識の外に『ある・いる』〔―つまり、未だ感受・知覚・認識されずに、どこかに存在する―〕ということはない。
全ては、自身の意識上の(認識上の)ことであり、それ以上でも以下でもない、と。
自身(私)に感受・知覚・認識されている領域、意識に現れているもの・ことだけが、
自身(私)にとって存在するし、それが『世界』である、と。
それ以外は不可知である、と。或いは懐疑の対象である、と。
素朴実在論的に、「認識されたものは認識された通りに自身(私)の意識の外(世界の外)にある」としないだけ。
だから、意識に現れている他者を相手にコミュニケートすることは否定されない。
ただ、その相手は、『自身(私)の意識に現れている存在』としてのみであり、
緩い独我論ならば、現れている通りに存在する可能性を、もしかしたら見るかもしれない。
かな?
395 :
考える名無しさん:2009/11/23(月) 23:34:17 0
>>394 自身、私、他者・・・
こういう語を使っている時点でもうすでに独我論からはみ出ているのよw
>>395 任意の出来事が「独り言」であると知るためには
「独り言でないもの」と類別することが必要でしょう?
つまりそこでもすでに「相手のある語り」として他者を仮定してしまってるわけですよ
おれ独我論者だけど、正直童貞で悩んでる。
399 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 00:13:17 0
>>396 自身(私)の意識には現れてるんだから
用語くらい使ったってよくね?
>>394 横レス
それだと認識さえ完了すれば我以外の存在を認めることになる。
ここで我が否定される。
また、かつて認識せざるものを今認識したとき、それを我が生み出したのだという根拠はどう議論されるべきだろうか。
我の預かり知らぬ所の産物を、我が生み出したとは言えまい。
少なくとも、「我」と「我の外」は認める必要があると思うのだが。
端的に言えば、俺は無意識を我に含めるべきではないと思うがどうだろう?
別スレで夢に関する興味深い話があった。
自分が造った夢の世界の中に自分がいるのはおかしいという話だ。
俺は無意識を我に含めないので、夢は我が造ったものではなく、夢の中に我がいることはおかしくないと解釈した。
むしろ夢の中に必ず主観が存在することははっきりと認める。
401 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 00:16:34 0
他者を想定しなければ
「それは言い得ないことだ」とか
「証明しうる事ではない」いうような
自らの懐疑的態度もなくなってしまう。
証明も、態度も他者向けであり、
したがい、いかなる「論」も他者向け。
>>397 意識の中だけで他者が存在するぶんには問題ないでしょ。
>>402 同意。
>>394の弁も、認識が済んだ物は自我以外の存在物として認めている。
つまりは強烈な体験主義者なだけだ。
404 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 00:36:13 0
>>400 >ここで我が否定される
そうか?
認識が完了しても、
それが【その認識以上のものであることを確認はできない】。「かもしれない」と推測するのみだ。
そして、そのように認識思考している我はある。否定どころか、より強固なものとされないか?
>我の預かり知らぬ所の産物を、我が生み出したとは言えまい
そうか?
その出自が不可知であるだけで、(出現した因や縁を辿れないだけで)、
それを外から入ってきたものとしなくともよい。
だから、「感受・知覚」という語を「認識」の前に付してきたが、厳密には、これすらも確実ではない。
確かなのは、『これこれこのように認識されている』ということと『認識されている像がある』ということだけだ。
五感の入力も、何が確実性を保証しているのか?
無数のコードに繋がれた水槽に浮かぶ脳の夢であることを、誰も100%否定できない。
『蓋然性が高い』というだけでしかない。
逆に言えば、それが意識内のことである限り、そこでは何が起きてもよい。
夢の中に私が居ても、それは、自身(私)がそのような自己像をそこに映し出しているだけと言えるだろう。
で、
>かつて認識せざるものを今認識したとき、それを我が生み出したのだという根拠はどう議論されるべきだろうか
ここが、蟻の一穴となるのだろうと思う。
※仏教の唯識教学は、まさしく「全てはそのように、(自己の)識(≒意識)の所産である」というものとなろう。
寝よう・・・。
405 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 00:47:44 0
>誰も100%否定できない。
ということと
>無数のコードに繋がれた水槽に浮かぶ脳の夢である可能性
は矛盾してしまうんだ。わるいけど。
ベトナム人と麻雀
ドクがロン
宇宙には理論や理屈では説明出来ないことは山ほどあり近い理論や哲学に出会うと救済された気持ちになるがそうは行かないから人は悩み苦しむのではないかと思う
>>402 いや それでも同じことだよ
最初から<私>だけしか独在していないとすれば<他者>概念は生じ得ない
>>404 我の扱いに相違があるように思えたので、俺の考える我を明確にしてみる。
水槽の脳の例がちょうどいい。
この脳が世界を想像するとき、認識を行っていく意識と、認識対象を生み出す無意識があると思う。
このうち、認識を行う意識だけを俺は我と呼んだ。
一方、同じ脳の中にあるにも関わらず、認識対象を生み出す無意識の方は我ではないと考えている。
(話を飛躍するなら、この一つの脳の中に、同一の無意識を共有する複数個の我が同時に存在しても不自然ではない。このモデルケースはいわゆる現実世界に近い。)
俺は意識と無意識を分けたのでこのようになった。
これらを分けないならば、脳の中の想像をひっくるめて我であるとも言えようし、404は納得できるのだが、果してひっくるめていいものかどうか。といったところ。
>>408 そもそも、独我論とは、認識とは無関係な事物の存在を否定するというもの。
だから、独我論者の意識の中、つまり精神世界においては、
りんごだろうと他者であろうと、あらゆる事物を認識し存在させることが可能。
(ただし、認識をやめると無になるということ)
411 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 09:02:25 0
それは単なる観念論。
どうしてみんな混同するのかね。
413 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 10:42:40 0
「世界中で確実に心を持っていてものを考えたり感じたりしてるのは俺だけで、
他の奴に心があるかどうかなんて分かんねえよ、ハゲ」みたいな考えじゃね
ただ、これまですべての独我論者が反駁されてるからね
全員例外なく死んでるからw
「世界には私しかいない」と言ったすべての人の死後も世界は存続している
よって独我論は偽である ■
416 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 11:21:37 0
アホ、俺以外に独我論者などいない。
そもそも心を持たないものが「論」など持つわけがない。
いるのは、あたかも独我論者であるかのような
言動をするようにプログラムされたロボットとかだろ。
孤独と苦痛に耐える術を探せということか
自分以外の人間はゾンビかもしれない→弱い独我論
この世界はぜんぶにせものだ→中くらいの独我論
世界とは私だ→強い独我論
独我論といってもいろいろあるだろ。いっしょくたにすんな。
Michael Jacksonは神と言われる意味がやっとわかった
421 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 18:32:51 O
ヤンキーどものバカ哲学はさて置き、ヨーロッパはフッサールの
現象学における共主観性の問題に関心を向けようジャマイカ
423 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 19:02:48 O
どんなに格好付けたところで、ヤンキーどもにとって大事なのは
アメリカニズムであって、真理なんかじゃないからな。
424 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 19:18:58 O
動物的な生存本能の上にアグラかきやがって
哲学もクソもあるもんかい。
426 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 20:52:07 O
フッサール現象学が認識論的独我論にならないのは理性一般と
いう共主観が前提になってるからだな。
ハイデッガーの存在論的現象学の場合は、理性一般は歴史的人物
としてのアリストテレスに集約されるから、違う展開になるんだが。
>>426 独我論的展開になるのはバカだけって事だろそれ
428 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 20:59:37 O
超越主観はいかにして掘り起こし得るかが問題では?
429 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 21:02:40 O
我々の目玉は頭蓋骨の前面にしか付いてないのである。
430 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 21:03:59 0
ま、乳児から幼児、幼児から小児への成長は、
まさに「独我論的感性」からの脱却の歩みなわけだが・・・。
431 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 21:08:04 O
アメリカは大きな赤ん坊みたいだが。
独我論的な幼児期なんてフィクショナルなもんだろ。
そんなこと考えてたやつほんとにいるのか?
リアル池沼には独我論的展開の人多いです確かにはい
>>426 もしそうだとしたらフッサールは不徹底だな
435 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 22:12:21 0
>>432 象徴的で解り易いのは乳児期だろうが、
泣けば、ミルクを出す突起物が出現する・不快な下半身の湿りが処理される・
温かくなる或いは涼しくなる・心音が聞こえる居心地の良い抱かれた状態に移行する。
たぶん、彼(彼女)に外の世界など無い。
その彼(彼女)に、外界の圧力が加わっていく歴史が、成長の歴史じゃなかろうか?
という視点のこと。
>>435 それは乳児の反応から推測してるだけだとおもうが。
437 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 22:30:48 0
>>436 確かにw
もしかしたら、薄笑いを浮かべて
「せっせと奉仕するがよいわw カカカカカ」と笑っとるかもしれん。
438 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 22:38:12 O
心、というのは空間的などこかに存在してるわけじゃない。
科学的実在論者はそんなものは認めたがらない。
独我論者に聞きたいんだけど
どういう主張が成り立てば独我論が否定されるわけ?
440 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 23:05:02 O
俺も独我論者から
>>409への見解を待ってる。
一生懸命考えたから誰か相手してくれ。
441 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 23:06:14 0
>>439 世の中には自分以外の尊厳のある自我があるということ。
当然、これは論理的には証明不可能。それが独我論の確実さと、魅力の乏しさにつながる。
442 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 23:13:31 0
>>439 決して否定はされない。否定することはおそらく不可能。
「【蓋然性をもってして】その確からしさを低下させる」ことはできるだろうが、完全否定はできない。
「蓋然性の高さ」だけが、独我論に対する防波堤となろう。
さて、独我論という高波を防ぎ切ることができるだろうか・・・。
443 :
考える名無しさん:2009/11/24(火) 23:23:17 0
独我論なんて、「オレは間違ってはいませんよ」ってもんであって、主張の出発点としては最弱、しかしながら最強っていうのが特長。
あなたが独我論者じゃなければ、世界に存在する事実から意味を抽出して独我論者を建設的に導いて欲しい。
独我論者はそんなのまっぴらごめんだと思ってるだろう。
独我論者を集めてバトルロイヤルさせればよろし
「否定しきれない」、程度なのかのー・・・やっぱり毒蛾論って。
446 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 00:38:23 O
独我論が成立するためには、我の中に無意識を含める必然性がある。
この無意識は、これから認識される物を想像したり、
あるいは、想像した記憶を消すといった不可欠な役割を果たす。
しかしここで、無意識は無意識なので、尊厳のある自我にとって関与することは出来ない。
ここで自我と無意識の分離が起き、独我論は崩れると考えたんだが。
つうか、崩すとしたらここしか思いつかん。
無意識をも自我に含めるとすれば独我論は確かに最強だが、
そのためには、自我と無意識を同一と見なせる理由を明確にする必要がある。
誰かかまってくれ。
447 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 01:12:55 O
>>440 人間は身体感覚を全て奪われると自我が解体されるんで
なかったかな?
「無感覚実験」で検索したら出てくるが、脳に消えない障害が
出るらしい。
>>439 でも唯物論の恩恵を受けるな、山で生活しろっていうと降参するよ。
>>441-442 要するに独我論に反証可能性はないということですね
じゃあ議論の余地ないわw
>>446 >独我論が成立するためには、我の中に無意識を含める必然性がある。
無意識なんてものは説明のために要請された概念だろ。
そんなものなくてもかまわんよ。
452 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 18:05:43 O
ヒラリー・パトナムにも教えちゃれよ。
453 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 18:13:22 O
そうそう、『存在論ぬきの倫理』。
ユダヤ系のお爺さんでばよ。
454 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 18:41:49 O
>>450 近代科学以外に価値を認めないならスキナーボックスだけ
いじってりゃ良いんだ。主観なんて論じる必要はない。
科学的実証が不可能なテーマだから議論が重要になるんだろ。
455 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 19:09:09 O
移民の作った人工国家の抽象空間の中で哲学したって、
大して深みのあるものは出てきやせん。
独我論は「否定しきれない」だけであって、
積極的に肯定する材料は無いのかねえ?
独我論の独の輪郭がないからね。
断定は出来ませんね。
面積のない線なんてないから。
458 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 20:01:07 O
>>434 フッサールは19世紀の生き残りだ。仕方ないところはある。
ダーウィンが種の起源を出版した年の生まれではなかったかな。
459 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 20:09:56 O
>>451 自我だって説明のために要請された概念だろう。
「自我」は「自我以外」を想定することで成立するが、
ここでいう「無意識」と「自我以外」は同義だ。
したがって、無意識を認めないなら自我も認められない。
早い話、
自我+自我以外=全部
だろうと言う主張なんだが、どうも独我論ていう
のは
自我=自我+自我以外=全部
と言っているように聞こえてならない。仮に、
真我=自我+自我以外=全部
とでもして、独真我論のことを独我論と呼ぶのだと言われれば納得できる。
全部=全部
なんだから。
460 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 20:17:17 0
独我論は一種の自己矛盾として論理的に否定できるんじゃね
461 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 20:38:53 O
ウィトゲンシュタインの論考での独我論は梵我一如な考えでは
ないかな。俺は独我論そのものには余り興味ないな。英米哲学を
くさすのは別にして。
462 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 20:40:32 O
>>460 そんな風に思う。
自我の意味を著しく拡大解釈した末に、
自我=全部
とし、ゆえに
全部=全部
どうだ論破出来ないだろ?というシステムなのだろう。
そりゃ論破できるわけがない。
議論すべきなのは、
自我と自我以外を分け、つまり、自我以外という存在を認めた上で、
自我以外の正体とは何かを暴くことではないだろうか。
463 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 21:03:52 O
ウィトゲンシュタインは哲学に自我の問題が入って来る仕方を
どうとか言ってたっけ。
464 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 21:08:42 0
独我論はある意味で一番科学的だな。観測できないものは存在しないといってるわけだから。
リンゴは自分が見ている時だけ存在し、自分が見ていない時には存在しない。
あとはリンゴは本当に外部に存在しているのか、それとも外部に存在していると思い込んでいるだけなのか、という点が焦点となるが、これはどちらが正しいか確かめる方法がない。
どんなに手で触っても、観測装置で重さを測っても、それはすべて幻想である可能性があるからな。
その可能性がある以上、リンゴは幻想であると考えるのが一番科学的といえる。
その可能性を無視して「リンゴは現に外部に存在している」と主張するのはまさにオカルト以外の何物でもない。
465 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 21:11:11 0
>>464 それ、独我論っていうより、バークリーの主観的観念論じゃね?
466 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 21:46:20 0
世界が幻であることが怖いのだろう。
>その可能性がある以上、リンゴは幻想であると考えるのが一番科学的といえる。
幻想の可能性があるから幻想である。というのは科学じゃない。
眠っているときや気絶している時って、
ドクガ論的にはどう解釈するん?
<我>は失われているけど、わたし個人は持続しているわけで。
469 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 21:56:03 0
リンゴの知覚を説明するのに最も経済的な仮説は、
「リンゴがそこにある」じゃねえの?
いやリンゴがそこに知覚される、だろ。
471 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 21:58:47 0
俺は眠りも気絶もしない。
ときどき世界が消滅するだけだ。
俺以外の奴はもともと意識なんかないんだから、
気絶もへったくれもない。
472 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 21:59:32 0
>>468 わたし個人が持続していることを「自覚してない(できてない)」じゃん。
473 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 22:04:10 O
>>471 嘘をついただろ。
気絶して意識がまったくないなら、気絶していた時間は認識できない。
自我は一瞬も途切れず存続するはずだ。
>>472 現前的な自我だけが<わたし>じゃないだろ、って話し。
身体(感覚)、夢、記憶、etc...
158 名前:考える名無しさん メェル:sage 投稿日:2009/08/27(木) 01:56:16 O
この世に「異常に正しい論」と言うのは無数にあって
哲学と言うのはそれをいかに乗り越えいかに横断するかを考え
そしてある種のより良い誠実さを持って、
より良い何かを把握しようかという作業なわけ。
ある論が異常に正しいからといったところで
それは哲学では何の基準にもならないんだよ。
476 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 22:27:22 0
>>474 いや、だからそれらは全部
『後から知覚した(入力された)』情報でしょ?
酒を飲んで前後不覚になった翌日、友人から『貸した金返して』と言われた時、
『借りてない』ということは『周囲の聞き込み情報』や『状況証拠』から類推するしかない。
『自身の記憶に無いだけなのか、友人が嘘をついているのか』
周囲の情報なしにどうやって判断するんだい?
477 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 22:27:25 O
ペガサス幻想、そうさ夢だけは誰も奪えない心の翼だから。
↑
これって実は主観的観念論なんじゃね?
つまり所詮はアニメだという・・・
>>476 ??
その例は尤もかもだが、
夢も記憶もその他も『後から知覚した(入力された)』情報、
じゃないぜ。
479 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 22:43:02 O
>>478 横レスだが、それって意識あるってことでしょ。
夢に関しては、夢の中の主観が覚醒時の自我と同一なら、寝ていたって自我は存続していると言える。
もし夢の中の主観が覚醒時とは別の自我だったら、自我が存続してるとは言えない。当然記憶にも残らない。
これはちょっと怖いな。
自分は実は多重人格で、寝てるときだけ別人が発動しているとしても、確かめるのが難しい。
夢を見た記憶がなく、長時間寝たのに疲れがとれてない朝なんかは疑った方がいいかもよ。
>>479 夢は明確な1人称的なモノばかりとは限らず、
主観客観が入り乱れていたりその場の状況全体を体験するものだったりするじゃないか。
それは現前的な<我>と言えるのか? というと躊躇がある。
で、身体や記憶は?
馬鹿が馬鹿ホイホイの中で宴会をひらいております
>>454 科学非科学じゃなくて
独我論者は自説が覆される可能性を認めないんだろ?
だから議論しても意味がないってことだよ
483 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 23:04:09 0
>>480 身体は論外として、『「記憶」が現前的なもの』であるというのもおかしな話じゃないか?
記憶は、「過去が想起されたもの」だろ?
独我論にマジメに反論しようとするのも馬鹿ですよ
485 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 23:08:12 0
>>480 俺はそんな夢見たことないな。
主観客観が入り乱れてる夢ってありえるのか?
自分がそれらの主観客観の役柄になったつもりの夢ならあり得ると思うが、
現実にはそれすら見ることは難しいだろう。
少なくとも今の俺には無理だ。
身体は自我じゃないから無視していい。
記憶は自我の内だ。
>>481 宴会は楽しいぞ。君もおいでよ
独我論は馬鹿以外は「とりあえずおいといて」その先に進む議論である
そしてそうした方が実りが多い。
馬鹿はその先に進めない。
>>483 そう。だから記憶=自我ではないんじゃないのかねえ?…と。
身体を論外とまでいうのは、わからない。
例えば熟睡している間は<我>は無いが、<わたし>は存在している。
<我>が無く知覚も何もないが、だからって言ってその間に
「イラズラしてやるよ〜」って言われたら、困るだろう。
最悪、覚醒したとき<我>が無くなってるかも知れんw
>>485 その種の視点が定かでないような、視点すらあるのかわからないような夢の話しなら、
文学芸術には事欠かないぜ。それこそ胡蝶の夢の昔から。
>身体は自我じゃないから無視していい。
自我以外にも<わたし>は在る、でよろしいか?
独我論は馬鹿以外は「とりあえずおいといて」その先に進む議論である
そしてそうした方が実りが多い。
馬鹿はその先に進めない。
独我論は肝心の「我とは何か」という問題を置き去りにし、
目を瞑ったまま盲信する、愚者の奉じるドグマである。
>>490 我とは何かを問いたいなら問えば良い
独我論に陥る必要は無い
独我論は馬鹿以外は「とりあえずおいといて」その先に進む議論である
そしてそうした方が実りが多い。
馬鹿はその先に進めない。
492 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 23:29:26 0
>>488 他人になったつもりなら分かるんだがな。
夢の中の自分は役者であり、他人になったつもりになれるが、
これは連続した一つの自我だ。そうでなければ、記憶が残る訳がない。
と考えてる。
もうちょっと詳しく頼む。
>自我以外にも<わたし>は在る、でよろしいか?
自我以外の私はないと主張したい。
ここに一つの脳があり、その中に複数の自我があることは不定できないと言えば
雰囲気は伝わるだろうか。
>>491 独我論というドグマに陥る馬鹿に、
示唆してやるくらいは構わないだろう。
真の実りは足下にあるとな。
まあ独我論に反応するのも『馬鹿かな?』ってところですw
495 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 23:34:42 0
>>491 ちょっと待ってくれ。
結局、馬鹿はその先に進めるのか、進めないのか、
どっちなんだ?
496 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 23:36:15 0
>>487 乱暴に言えば、「(覚醒した)意識以外に“我(或いは<わたし>)”はない」ということ。
SF映画のプロットを作ってみよう。
遠い未来、ある青年が、友人とフットボールに興じている時怪我をした。
しかし、本人も周囲も愕然とする。
血が出るどころか、傷口からはコードや金属部品が顔を覗かせたからだ。
皆、同情はするもののだんだんと疎遠になる。彼は人間ではなかった、サイボーグだったのか、と。
彼は思う。以前大怪我した時は輸血が必要だったはずだ。
先週包丁で指を切った時も血が出た。今、思い切って指に刃を入れてみる。
血は出ない。逆に、コードの一本に傷がついたのか第一関節が曲がらない。
ここでタイトル画面。彼の自分の体をこのようにした何ものかを追跡する物語が始まる・・。
というように、睡眠や気絶、麻酔等の間に何かが保持され継続されているというのは
希望的観測に過ぎないかもしれない。
寝てるとき大地震が起き、天井やタンスに潰された時、彼は死を恐れるだろうか・・・。
覚醒した自覚以外は、全て懐疑の対象となる。たとえ、自身の身体・感覚であっても・・・。
>>492 胡蝶の夢の解釈は「わたしは蝶になった夢を見た」ではなく、
「夢見た主体がわたしなのか、蝶なのかわからない」だ。
夢から覚めたのは「わたし」にもかかわらず!
すなわち自我の不定、曖昧ってことかな。
>自我以外の私はないと主張したい。
主張は結構だが、じゃあ身体はどうなるって話しをしているんだ。
それに答えてくれ。
>>496 まあ馬鹿はこうやってどこかで読んだような議論をさかしらに言うしかないわけです。
あたまいい人はとっくに先に行ってます。
>>497 まあ馬鹿はこうやってどこかで読んだような議論をさかしらに言うしかないわけです。
あたまいい人はとっくに先に行ってます。
>>496 何を言いたいのかわからんな。
そのサイボーグが脳まで人工機器に改造されており、かつ独我論者なら
「わたしは一瞬たりともわたし以外であったことはない」
というかもしれない。
が、そんなものは入力された記憶次第でどうでもなるだろう。
501 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 23:45:30 0
>>497 すまんすまん、胡蝶の夢の話を知らないもんでな。
そういうことなら、人間と蝶の記憶を持った一つの連続した自我だ。
そいつが人間なのか蝶なのかは分からん。
身体はどうっていうのはどういう意味でだろう?
身体は自我の家だ。
条件さえ良ければパソコンに引っ越してもいい。
みたいな感じでどうかな。
馬鹿ホイホイへようこそ
503 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 23:49:13 0
504 :
考える名無しさん:2009/11/25(水) 23:49:30 0
>>500 そうだよ。
だから、≪身体なぞ、何の根拠にも頼りにもなりゃしない≫www
>>501 >人間と蝶の記憶を持った一つの連続した自我だ。
ああ、それが「わたしは蝶になった夢を見た」ってことだ。
繰り返すが主体が不分明だということ、視点や人称が不定で曖昧だ、ということ。
>身体はどうっていうのはどういう意味でだろう?
上の方で繰り返し言ってるので、それに答えてくれないかな?
>>503 まあゴミ箱に捨てるころあいを見てるって感じ?
>>504 まったくだ。独我論者のサイボーグは間違っている。
かれの最初の疑問は「おれの体はどうしちまった?」の筈なのだから。
508 :
考える名無しさん:2009/11/26(木) 00:01:10 0
>>505 ちょっとよく状況がよく解らん。
主体はあるじゃないか。
人と蝶の記憶を持ったやつが主体だろう。
身体についても、読み返したけどどれかわかんなかった。
>>506 上手いこと言うなあ
独我論は数学で言うゼロの割り算のようなもので
コレに関わるのはこの議論の不毛を見通せない馬鹿ばかりである。
510 :
考える名無しさん:2009/11/26(木) 00:05:41 0
>>509 おまえさんも関わってるように見えるが、
自己紹介ととっていいのか?
>>508 >人と蝶の記憶を持ったやつが主体だろう。
それは夢から覚めた「わたし」の主体だね。
>身体についても、読み返したけどどれかわかんなかった。
えー・・・まあ錯綜してるからしょうがないか。
独我論といえばウロボロス。でもウロボロスって、
頭と尻尾の数がそれぞれ複数であっても同数なら成立してしまう。
ただし胴体は1つ・・
胴体={身体、無意識、沈黙、主体 . . . } みたいな感じか。
>>510 全然議論に関わろうとは思わない。
馬鹿がどこかで読んだような議論をしている
反論もどこかで読んだような議論だ
そんな馬鹿な言葉尻をあげつらっても
馬鹿な返答が返ってくるだけだろう。
私は馬鹿にお前は馬鹿だよと教えてあげる
哲学板向上ボランティアというところだ。
514 :
考える名無しさん:2009/11/26(木) 00:24:36 0
>>511 なんとなく分かったかも。
俺の考えは、
「自我が2つあるなら記憶が共有されるはずはない」
というのを前提にしている。
胡蝶の話は、つまり
「自我が2つあって記憶を共有している」
という状態を表現しているのかな。
それだと、ちょっとすぐには答えられないので考えてみるわ。
身体の方は、意識を失ってる間の<わたし>とは何か?
みたいなことだと思うんだが、そこももう一度考えてみるわ。
おやすみ。
>>514 馬鹿は本を沢山読んで学ぶといいと思うよ
おやすみ
516 :
考える名無しさん:2009/11/26(木) 00:30:20 0
>>513 それはちょうどいい。
馬鹿に馬鹿だよというだけでは反感を買うだけで、
実際何のボランティアにもならないだろうから、
議論とまではいかずとも
>>459>>462の感想をぜひ頼む。
ボランティアということで。
>>516 まあゴキブリホイホイ内部でもゴキブリ同士が共食いしてるし
馬鹿ホイホイの独我論で共食いが発生するのも否定しないよ。
有史以来名の通った哲学者が独我論を持論とした事はあるだろうか?
まあこのスレの馬鹿と反応する馬鹿がそうなる可能性はゼロだ。
>>514 多重人格なんてわかりやすい例はおくとしても、高位脳機能障害患者の
所謂「自我」意識は多彩だ。
そのバラエティの豊かさの前には、哲学、科学、宗教が普遍的と規定する
「わたし」のあり方は霞んでしまうように思える。
身体による精神の変調なんてあまりに簡単なことだ。断食するだけでもすぐわかる。
520 :
考える名無しさん:2009/11/26(木) 00:49:39 0
馬鹿馬鹿いってないで論理的に反論してみたらどうなんだ?
それができないからってまとわりついてくんなバカ。
>>521 独我論が真ならお前は自分で自分をバカ言ってることになるな
523 :
考える名無しさん:2009/11/26(木) 21:32:35 0
独我論は西洋語ではsolipsismだけど、
これはismではなくて問題なんだ、
とむかし先生にならったよ。
だれもismとして主張はしていないけど、
ほぼすべての哲学者が実は
独我問題という問題にかかわっている
と読むことができるんだと。
524 :
考える名無しさん:2009/11/26(木) 21:43:39 0
哲学史では、独我論っていつごろから問題になったの?
古代ギリシャで独我論みたいな考え方への言及ってあったっけ?
現代では、子供でも独自に独我論を思いつくことがあるけれど、
これも現代特有の現象なんだろうか?
独我論を恥ずかしげもなく正面から論じたのはやはり永井均だろうな
526 :
考える名無しさん:2009/11/26(木) 22:32:42 0
なるほど、永井によれば
イヴン・スィーナも、アンセルムスも、…
…カントも、…
ハイデガーも、マクタガートも、デイヴィド・ルイスも…
みんな「独我問題」という問題を論じていることになるな
>>523 >>526 いや彼らの論は「作業仮説としての独我論」は全く役にたたないという事から
出発してる。
528 :
考える名無しさん:2009/11/27(金) 09:03:40 0
その意味では、独「我」論ではなく、むしろ独「現」論というべきだろう。
唯一の端的に現実的なもの(それは必ずしも「我」である必要はない)と、
それをしも概念的に捉えて一般化してしまう枠組みとの優先順位の対立が問題であるならば。
永井の議論では、
この対立は言語においてはどこまでの後者へ変換されていくことになっている。
ゆえに、独我論は語りえない。
が、しかし、我々の住むこの世界こそが現実世界であること等も、同様に「語りえない」ことになる。
諸可能世界の住人たちもみな我々と全く「同じ」ことを「語る」であろうから。
今ここに俺様は確実に存在しているから、
独我論は偽りだ。
独我論を考えた人が過去に「存在」して、それを正しいと思う人が多数「存在」するわけですね。
わかります。
「独我論を考えた人が過去に「存在」して、それを正しいと思う人が多数「存在」する」
と、おれは思っているけどそれは真かどうかわからない
この世界に関するすべてのことは「と、思う」としかいえない。
533 :
考える名無しさん:2009/11/27(金) 19:46:33 0
530vs.531の無限ループがすなわち「独我問題」ですね
そして「おれ」でなく例えば「いま」でも何でも同じ問題が成立する…
まあそんな無限ループは哲学には無数に存在している
無限ループを見切れるかどうかも馬鹿とそうでない者を分ける
一つの指標だろう。
535 :
考える名無しさん:2009/11/27(金) 23:37:35 0
>>521 反論するのも馬鹿だと言っているのだが
それも読み取れない貧弱な低能が>1のような事を
言い出すのだなと改めて感じる
改めて馬鹿のために言うが
私が「独我論は馬鹿ホイホイ」というのは
独我論の側に組する者はもちろんだが
反論する者もこのスレの言葉を借りて言えば
「無限ループ」を見切れない馬鹿という意味だ。
ついでに言えば私は馬鹿と議論する必要性は
微塵も感じていない。
介護料金を払うというなら別だが。
馬鹿と言う回数に比例して言う人の馬鹿さ加減が示されることもある
反論できない人がブツブツ言ってるね
まあゴキブリホイホイのゴキブリに
何か言っても無駄だというのは自明の理だ。
542 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 00:13:36 0
独馬鹿論
独ゴキブリ論の共食いを期待します
544 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 00:21:41 0
おまいが自分で独共食いしてんじゃんw
>>544 馬鹿のあなたのために特別に無料で講義してあげますが
「共食い」とは同種の生き物が別の個体を食物にする生物学の用語で
個体が自分自身を食べる場合は別の用語があるんですよ。
それが知りたければ言ってね。
ほんとに独我論に反論してみろという奴は
ゴキブリ並みの知性という感じがしてきた
ゴキブリはおそらく独我論者だろう。
共食いするし
547 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 01:06:56 O
無限ループすると思ってるような馬鹿はだまってろよ。
>>547 ゴキブリのわずかながらの知性に触れて心乱したようだね
ごめんごめん。
さあ共食いを続けてw
549 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 01:49:46 O
ふーん。じゃあどのようにループする構造なのか示してよ。
介護してほしいんだ。
>>549 ゴキブリは本当に頭悪いなw
まあ頭悪いからゴキブリなんだろうけど
「議論をする必要性は感じていない。介護料をいただける
なら話は別だが」
と書いただけなのにこの始末だ。
まっとうな議論が不可能と言うのは
ゴキブリ自身が証明している
551 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 02:08:13 O
お互いに相手が馬鹿だと思っているんだからループするよな。
>>551 ゴキブリに何度言っても理解できそうもないのでこのレスも多分無駄なのだろうが
何度も繰り返すが独我論を主張するのも反論するのも馬鹿ホイホイの虜の共食いだ。
という事だ。
だがゴキブリと何度もレスするうちに私の考えも微妙に変化して来たかも知れない。
もしかしたら独我論に組し反論しろと迫る者はゴキブリ程度の知性であって
それに反論しようとする者はまだ人間の馬鹿程度の知性を有する者ではないかと。
理由としてはゴキブリ側のレスがとても程度が低いという事がまずあるが
553 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 02:23:53 O
馬鹿以外いないのか、ここは。
ゴキブリもいるようです
555 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 02:31:04 O
馬鹿とゴキブリが漫才してるだけ。
まあそれがせいぜい。
ゴキブリ側は反論しろと挑発するばかりで
なんら「魅力的な体系を構築」しえない。
これでは>1の馬鹿な糞スレ立てから一歩も進んでいない。
「ゴキブリ」をNGにするので他の表現で反論お願いします
この「馬鹿」「ゴキブリ」とばかり言ってる人は、自分では独我論への反論を組み立てることができず、
しかし単に忘れたり無視したりすることもできないくらい独我論に囚われてしまってもいる、というような
気の毒な人なのかもしれない
そうだとすれば、反論を出さないといって非難するのも、可哀相な気がする
しかしやっぱり、重要なのは、できるだけ議論を組み立てることではないか
560 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 21:13:50 0
>>534 >まあそんな無限ループは哲学には無数に存在している
そうだろうか?
これらと同じ種類のループが他にあるだろうか?
もし本当にあると思うならいくつか例を挙げて、
なぜそれらもまた同種だと思うのかを教えて欲しい。
独我論者て馬鹿だよな。
主観的なのと客観的なのとどちらが賢いかというと、
客観的な方が賢いに決まってる。独我論者は主観的なので、やっぱ馬鹿だ。
なんて馬鹿な反論なんだ
もし、主観的なものと客観的なものの両方を認めた上で、主観的なものばかりを重視する人がいたとしたら、
そのような人は馬鹿と言えるかもしれない(言えないかもしれないが)
しかし、独我論者は、そもそも客観的なものなんてものを認めないのではないか?
そういう独我論者に対して、主観的なものと客観的なものの両方の存在を前提とした反論などをして、
何か反論として意味があると思うのか?
(もし、客観的なものは間違いなく存在すると言えるのなら、それはそれで一つの反論になり得るだろうが、
それは、主観的と客観的のどちらが馬鹿かとは関係ないだろう)
563 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 22:56:24 O
まぁまぁ、相手は馬鹿なんだから。
その通り。562は馬鹿すぎる。
独我論者に反論しても意味ないよ。
独我論者は馬鹿だから反論されても理解できないw
566 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 23:57:48 O
>>566 主観は馬鹿だという事がいいたいのだろ。
実に興味深い。
568 :
567:2009/11/29(日) 00:22:48 0
大体、革新的な発明や発見は一人から発信されるもんだが。
同時に複数が「ひらめいた!」って方が恐ろしい。
独我論者が馬鹿なのは、「我」とか「精神」とかが何なのかその論理の中で説明つかないのにそれが正しいと信じてることなんだ。
という以前に杜玖椀を踏まえていないことがまず問題なんだけどね。
572 :
考える名無しさん:2009/11/29(日) 10:32:12 0
独我論者っていうのは、哲学者の脳内に想定される仮想の存在であって、実在はしない。
自分が想定している独我論者について、「馬鹿」とか「・・・と信じている」とか言っても、
一般性がないし、哲学の議論にもならない。
>>570は、ある種の独我論の持つ理論的な欠陥の
指摘(前世紀の分析哲学にはてんこ盛り)の、2ちゃんねるてき劣化版なんだろうな。
独我論者に聞きたい
俺はお前の一部なのか?
574 :
考える名無しさん:2009/11/29(日) 11:57:24 0
>>573 1、まさしくその通り。
2、いや、あなたから見れば、逆に、私こそがあなたの一部なのだ。
この1と2とのループが「独我論」に固有のループだろう。
どちらも「独我論」の内部にはある、という点が重要。
これがすなわち「独我問題」だな。
>>574 馬鹿な問題だな。
多分幼稚園の子供でも馬鹿げた問題だというだろう。
独我論の議論をしようとする者に何故今ここで
この日本でこの独我論を問題にする必要があるのか聞きたい。
>1のように
「魅力ある体系を築くのが難しそうなのが人気のない理由だよな。」
で、魅力ある体系を独我論を元に築いてみようという事なのだろうか。
ただ反論する奴がいたら無限に後退して遊んでやろうというだけだお
>>560 うひゃーこりゃゴキブリとしてもヤバすぎの馬鹿だろ。
古代から哲学史を講義しなけりゃいけないのかよw
とりあえず卵が先か鶏が先かとか
アキレスと亀の追いかけっことか
飛んでる矢は動かないとか
嘘つきのクレタ人とか説明して欲しければ
言ってね。
579 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 00:22:47 O
そういった問題といっしょくたになっちゃってんだw
580 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 00:26:31 O
卵が先にきまってるじゃん。バカすぎ。
581 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 00:46:03 0
582 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 01:38:50 0
心的に反応しない(意識の無い)
しかも内世界的存在でしなかい他者に、
独我論を説くとは何たるポエムなんだろうか
そもそも、独とか我とか言ってるのがおかしいね。
584 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 02:19:16 0
結論
独我論のちぐはぐさは異常。
585 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 02:27:48 0
独我論が完璧なことを認知できない人は、不完全な人だ。
586 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 02:35:41 0
馬鹿が自己完結して悦に入っているだけの話。
他人から見れば醜い。
587 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 02:46:01 0
では、言い直そう、
古今の独我論者の誰ひとり信じていない独我論を、誰も論理的に反駁できないことを認められない人は、不完全な人だ。
588 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 08:03:47 0
信仰を論理的に反駁することに何がしの意義を感じている人間は馬鹿者である。
独我論者には一言言えばすむ
「じゃあそう思っとけば?」
独我論者は約束ができないはずだよね なぜなら他我の存在を認めないからw
591 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 09:56:23 0
他人に同意を求める独我論者はその時点で破綻している
>>591 それは<他人のような幻影>に同意を求めて遊んでるだけです
はい論破ね
593 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 10:18:53 0
あらゆる主張が独我論的である。
594 :
キョンキョン:2009/11/30(月) 10:51:46 O
同感ですね(^^)
同意が必要なら、幻影だろうが自分の中にあろうがそれは<他者>じゃね?
夢のなかで出てくる人を他者というならそうだろうよ。
独我論は2種類に分けられると思う
ハードな独我論:この世界には自我だけしか存在しえないとする独我論
ソフトな独我論:この世界に自我以外の他我が存在しうるが、たまたま現在においては自我しか存在しないとする独我論
どちらを採るのか予めことわってほしい
598 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 14:23:42 0
597
「自我は存在しない」って言っちゃえばいいじゃない
601 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 15:02:28 0
394は、独我論じゃなくて不可知論
不可知論でない独我論なんて、実在論と同レベルの信仰だろ?
だから
>>394でいいんだよ。
603 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 15:10:49 0
他者は自意識の中にしか存在しえない、という意味で他者は存在するね
604 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 15:23:00 0
>>602 それだったらカントも独我論者になってしまうが、カント自身は独我論ではないと言っている。
独我論の意味を、そんなに広げる必要はないと思う。
そう。カントは独我論ではない。
606 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 15:30:26 0
独我論を擁護するために独我論の意味を広げているのなら、それはナンセンスだね。
>>597 このスレの人々は前者を擁護しているうちに後者にすりかわってるね
そしてそれは哲学上のアポリアではなくSFのお話
独我論者を殴ってみればいい
それでも彼は「この痛さも殴った君も幻影である」と言うだろう
つまり独我論者は論破されてもなお正しいといい続ける偏執病患者みたいなものである
独我論者であっても他者に対する反応は非独我論者となんら変わらないだろう。
それがわかってないやつは馬鹿。
デカルトも「おれは独我論じゃねえ」っていうだろう
611 :
僧兵:2009/11/30(月) 18:09:29 0
「独我論」と「唯識論」って何が違うんやろうなあ。
独我論だと、世には我しかおらんちゅうことや。
確かに他人も他の生物も物もおると思うけど、
そんなん全部を認識してんのが我やから、我しかおらんちゅうわけやな。
まあ、誰でも「我」からは死ぬまで逃げられんしな。死んだ後は知らんけど。
でも、我以外に誰もいないなら、好き勝手できるが、我々はできんな。
できん理由は他人を認めちょるからや。
他人も独我論なんやぞ、って思ってるからな。そこは慎重に気を使っていいと思うねん。
俺が独我論なら他人もみんなそれぞれ独我論なんやし、みんな独我論なんやから、
みんなの独我論を邪魔しちゃいかんわな。これじゃあ単なる個人主義になってまうが。
だけどな、唯識論やとどうやろ?
我すらおらん。識だけあるって虚しいけどまあそんなのも成り立つわな。
識だけなら我すらおらんわ。誰もおらんで識だけあるんやろうな。唯識ヨーガ行派なんかは。
なら独我論も唯識論も宗教的修行が必要なんやな。
修行は絶対必要なんや。頭の中で理論を理解しても、
頭の中でわからせようとしても無駄なんや。
何故かというと頭の中で理解するのと、体で体感するのは別次元だからや。
だから、頭でっかちではいかんのやろう。
体の方が上部やねん。心とか精神とか情熱とかやる気とかその他いろいろの心からのものは
大抵は信用できないやろ。気分次第であっちこっちにいくからやな。
そんなもんより、体や。身や。心より身体が上位でエライんやぞ。
半分くらいは同意できるけど
後半はよくわからんなぁ。
それはおれが修業が足りないかもしれん。
>>602 あー、これはそうだな。気がつかなかった。
自演まるだしだなw
615 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 22:48:29 0
独我論の世界はすべてが自作自演
617 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 23:48:03 0
いや、独我論の世界では「自演」は不可能。
いや、独我論者ではない者から見たらやはり自演にしか見えない
自演か自演じゃないかは当事者にしかわからない。
つまり不可知論が真だということだなw
>>597>>607 前者と後者はどこが違うの?
というか、後者の表現あるいは趣旨がよくわからないのだが
後者は、「たまたま全人類がある一人を残して全滅してしまった(かつ、その一人は
他の人間がまだ生きているという夢あるいは幻覚を見ている)」というような想定と何か違うの?
もし違わないとすれば、そんな想定に何か意味があるの?
基本的には
1極限まで抽象度の高い思想を3つくらい持っておき
2ある一定の思考形態の正しい複雑さをもった人間
この場合は1より抽象度は下がるが、
このレベルの人間の思想で、各学術会の中で最もスタンダードである集団の一つ前を行っている人間
しかも、あるていど流儀に乗っとってやっている人間
おそらく根本的なやりかたにのっとって4つくらいの分野に言及してるであろうから
その4つに最もあがりやすい分野を覚えておく
あとは1を小出しにしつつ、
2を組み合わせてやっていけばよさそうだな
1以上に一番抽象度が高いのが自分の思想であり、既存の理解においては理解しえないって感じか(笑)
1にくるのは、最も矛盾しているとされていた概念同士を包括して捉えた概念であり
その概念の中に神や仏教や唯識という思想がよくエントリーしてくるという感じか
3つの中の一つは政治枠として考え、そのポジションは流動させておくのが無難なやり方だろう
宗教はほとんど政治枠の一貫としてとらえるべきだから本来なら仏教などは入るべきじゃないんだけどな
1の、他の抽象度が高い2つの思想で翻弄するしかない
623 :
考える名無しさん:2009/12/01(火) 00:09:24 O
統一理論がもつべき特徴についての言及(笑)
624 :
考える名無しさん:2009/12/01(火) 00:11:30 O
正義の詭弁と、情報収集を兼ねた戦略的ディベート自体の方法を、内側に組み込んだ理論(笑)
625 :
考える名無しさん:2009/12/01(火) 01:19:38 0
(笑) w
626 :
考える名無しさん:2009/12/01(火) 03:25:16 0
独我論者必死w
>>611 唯識論は
意識には「自分の自由になる意識」と
「自分の自由にならない意識」が存在する事をきちんと分けている。
独我論は分けてない。全部自分。
独我論者に
「お前の意識には自分の自由になる意識とそうでない意識があるだろう」
と言うと
「そんな区別は無い」と嘘言って逃げるよ。
恣意性の有無、強弱(あるいは、<他者>的なるもの、他者性)は確かに重要だ。
個人的には、故にドクガ論は本質的な問題(基礎付け問題)じゃないなあ、と思うくらい。
おいおい、自由にならない意識ってなんだよw
勝手なこと言うなw
独我論者が「石を思い通りに空中に浮かべられる」とか「殴られても痛みを自由にコントロールできる」
と言ってるとでもいうのかよ
そんな独我論者がいるんなら、連れて来い(文献を示せ)よ
ではこのスレの独我論者の顔色を伺いながら進めるけどw
独我論者ととしては意識は恣意に従うものと
そうでない意識があると言うことでいいいんですかね。
独我論者同士よく議論してねw
>>631 私は独我論者ではないが独我論は感覚の腕がとれてしまって死ぬほど痛かったり
石が動いてくれないどころか彼女も振り向いてくれない事も全て感覚の現象として否定してこの世にあるのは俺様の意識だけと言いたいらしい。
そんな独我論者にとっても意識は恣意のままになるものとそうでないものがあると
思うのだがどうですか?
なんか趣旨がよくわからんのだが
「石が動かない」「激しい痛みが生じる」などのことについて、そのような意識が生じないとか
生じても自由にコントロールできるとかいう奴がいるのなら、連れてきてぶん殴ってやればいいだろう
そうではなく、そのような意識は生じるが、それに対応する物体とか他人とかは実は存在しない
(かもしれない)という話なら、今までの話と同じだろう
どっちの話をしてるんだ?
それとも、また別に、恣意のままになる意識とならない意識という区別があって、それが
独我論への反論につながりうるということ?
だとすれば、それはどういう区別?
このスレに独我論者がいない件
俗流独我論みたいなものは、確かにあるよな。
勘違いされやすいかもしれない。
独我論つーより、唯-我識論、
「ただ我の知覚のみが在るとしても、とりあえず矛盾はない
(しかし他に矛盾のない論なんていくらでもあるよ)論」
とでもいうべきかな。
637 :
↑:2009/12/02(水) 20:09:31 0
独とか我とか言ってる時点で矛盾してるw
独男我論は馬鹿ww
>独男我論
どくお + われ
と入力したんだなw
639 :
考える名無しさん:2009/12/03(木) 21:23:37 O
結局、恣意のままになる意識・ならない意識とやらは何だったのかね
まだ学習させてないIMEで「ただしい」って変換したら「ただしイケメンに限る」って何だよこれ?
「正しい」は3番目かよ。死にたい。。
知覚と意識は違うって話しだろ。
642 :
考える名無しさん:2009/12/04(金) 00:48:28 0
独他論というのもありますか?
643 :
考える名無しさん:2009/12/04(金) 02:42:48 0
我に先立つ我は無し。
我の意識は我に因って組み立てられず
我以外のすべてに因りて、我も我の意識も在る。
我以外の独立にて、初めて我は生ずるものなり。
ぷw 釣られた
正しくは独男我論です。女は、独我論キモいと言って理解しません。
それはあるな
646 :
考える名無しさん:2009/12/06(日) 11:35:12 0
647 :
考える名無しさん:2009/12/06(日) 23:20:32 0
648 :
考える名無しさん:2009/12/07(月) 12:26:50 0
>>642 それはありませんが、代わりにドクター論文というのがあります。
毒牙に!
逆に考えるんだ
全てのものに意識があると考えるんだ
そう考えるのは自分ですよね。結局。
652 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 19:41:46 0
どのような独我論も我=無意識を含める我
独我論は世界に対する興味から生まれるのであって
自我の問題に対しては何の回答も出来ない
こうやってレスしている時点で独我論と矛盾してますから
別に他人と会話する事は独我論と矛盾しない。
むしろ独我論は他人について説明を与える。
そもそも独我「論」という概念自体が自己矛盾
残念だけどそれも矛盾しないよ。独我論の場合は「論」も我(無意識含む)に向けて行われるから。
そもそも言葉を使っている時点で他我の存在を前提にしています
658 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 10:54:36 O
それはなぜ?
あるいは、そこでの「前提」というのは、どういう意味なのか?
例えば全人類が一人を残して全滅してしまった後、その一人が言葉を使って自問自答することは、
それ自体が矛盾とかあり得ないということはないと思われる。
(いや、それ自体にもし問題があれば別論だけど)
では、その一人がたまたま独我論的なことを考え出したら、それだけは無意味ということになるのか?
(それが不自然なら、さらに、その一人はたまたま全人類の全滅を知らない(例えば、他人は
ちゃんと生きてるような幻覚を作り出す機械につながれている途中だった)と想定してみる)
それも変ではないか?
変だとすれば、独我論は別に他人の存在を前提にしないのではないか
それとも、どこかが変だろうか
あるいは、「独我論は、他人の存在を前提にするが、しかし、実際に他人が生きて存在して
いるかどうかは関係ない(??)」とでもいうことになるのか?
659 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 11:01:43 O
>>658自己訂正
> それとも、どこかが変だろうか
→ それとも、独我論だけ無意味になっても変ではない理由が、何かあるだろうか
別に言葉を使っても他我を認めることにはならない。
独我論はどのような他者も自己に内包される。
すべての言葉は自己の中の他者へ向けて発言される。
完全な独我論は完全に無矛盾に成立します。
661 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 11:21:51 0
>>658 一人生き残った貴方が(一般的な一人の人間では独我論ではないでしょう)、
廃墟を歩いて、古い本屋を見つけ、その中の分厚い物理の教科書を開いてみるが、
何が書いてあるのかちんぷんかんぷん。
「この世界は全て俺の世界なのに、この本の内容が理解できないとはどういう訳だ?
理解不能である事実も含めて俺の世界全体なのか?」
貴方は軽く悩んで苦笑してみる。
しかし十年後、その教科書の内容が理解できてしまう。
「なんだ、十年前には今日という日がくるとは思わずにいた〜♪やっぱりこの世界は全て俺だ」
しかしこの十年前に理解できなかった俺って、いったいなんなんだ。。。
あのときの俺は、いまの俺ではない。あの時の世界はこの世界ではないのか?」
ではあの時の未熟な俺と、不変なるこの書籍。。そして経時とは・・・。」
再び貴方は少し悩んで苦笑する。
662 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 11:31:17 0
>>660 ふ、無矛盾て
誰にとっての無矛盾かね
矛盾てなんすか?論理の要素ですか。
その論理は誰が認めてくれるの?
神?独我論でも神はいるの?
それとも「独我」にとっての論理で十分なの?
他の人間と出会わずに育った狼少女は声は出せても言葉は話せません
>>660 >どのような他者も自己に内包される。
ならばこの私がいま考えていることも当然わかりますよねw
>>662 もちろん独我論者にとっての無矛盾ですよ
>>663 他者が居なければ言葉を話せず、他の人間が言葉を持っているのならば、
他者も自己が生み出した何かという事になるのが独我論です
>>664 独我論者にとって他人は機械であって本当の意味では何も考えてませんよ
666 :
662:2009/12/26(土) 11:55:20 0
>>665 完全な独我論者にとって、矛盾と無矛盾の相対関係などないでしょ。
すべてはありのまま。
だいたい、完全な独我論者は「一般的な独我論者」など想定しないでしょ。
>>666 別に独我論であるからといって神秘主義的な一元論である必要は無いですよ。
独我論者にとって「一般的な独我論者」は、その独我論者本人の事になるでしょうね。
>>665 >独我論者にとって他人は機械であって本当の意味では何も考えてませんよ
じゃあ機械であるとしましょうw
その機械である私が次に何をこのスレに書くか当然わかりますよねw
669 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 12:09:44 O
>>661 その想定のポイントは何ですかね?
(他のレスにもちらほら見られるが)自分に理解できるかできないかということと、
独我論には、どういう関係があるの?
例えば、一人生き残った人が、たまたま「アサガオはどんな条件で咲くのか、花の仕組みはどうなっているのか」
と疑問を持ち、最初は全然わからなかったが、10年(?)にわたる研究の結果、それなりの理解ができたとする
そして、その一人は「ああ、10年前にわからなかったことが、わかるようになった」と呟いた
さて、これは独我論と何の関係があるのか?
このような場合でも、独我論者は「アサガオのことなど俺にわからないはずはないのに」
と考えるはずだ、と言えるとか?
私には、なぜそう言えるのかよくわからない
671 :
662:2009/12/26(土) 12:24:26 0
>>667 >別に独我論であるからといって神秘主義的な一元論である必要は無いですよ。
私の言説のどのあたりが「神秘主義的一元論」とみなされるのでしょう?
>独我論者にとって「一般的な独我論者」は、その独我論者本人の事になるでしょうね。
本人て、やっぱり一般論となるわけですね。
独我論者は「私は独我論者だ」と宣言する必然性は全くないでしょう。
独我論は「非独我論(w)」に対しての相対により意味を持つのでしょ。
結局、独我論てのは「かもしれない論」なんでしょ。
でもそれを説明する際に「自己」とか言っちゃうでしょ?その辺り、不徹底だと思いますよ。
自己=世界なんですから。
でも、とりあえず、独我論者になったつもりで考えてみましょう。
独我論者は、その〈自己世界〉に内部構造を有することになりますよね。
指を針で突けば痛いが、その辺のスポンジを針で突いても痛くないのですから。
領域として区別可能ということですね。
672 :
661:2009/12/26(土) 12:29:52 0
>>669 ポイントってぇ・・いやあ・・別に大した・・
ただ、その本に書き込まれている内容について「私以外の誰か」により記述されたことを
独我論者は認めるのかなあ。。。
ぐらいの疑問を寸劇にしてみたのだが。
>>668 独我論者が全知全能である必要は無いんですよ。
でも、あなたがどんな事を書いたとしても(あるいは書かなかったとしても)
究極的には独我論者から生み出された何かであることには変わりないでしょうね。
例えば、
分からないよ。未来の事は分からないけど、それも自分が生み出した規則だからね
こんな感じでしょ。
そして独我論者はなぜその規則を生み出したのかを考えることになるけど、
それがどんな答えであるにせよ、独我論とは矛盾しないんですよ。
>>671 「すべてがありのまま」で相対関係を否定するのでそう思いました。
もちろん独我論者が独我論宣言する必要はゼロですよ。
むしろ独我論は、反独我論に相対させる為に持ち出すものですよ。
だから、独我論を語るのは普通、反独我論者です。
>区別可能
ですね。だから、表面上は独我論者は非独我論者と同じ世界観を持っていても構わないんですよ
674 :
662:2009/12/26(土) 12:49:25 0
>>673 >表面上は独我論者は非独我論者と同じ世界観を持っていても構わないんですよ
んー・・「表面上の世界観」とはなんすかね?・・世界観、世界観・・・・・??
ちょっとそれを伺ってから、続きを書きたいと思います。
675 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 13:03:08 O
>>672 そういうことであれば、独我論者も、「自分が見ている他人」「自分が見ている他人の書いた文字」
「自分が聞いている他人の声」などの存在を認めることに支障はないと思われるので、
「私が見ている本(ただし、内容は今のところ理解できない)」というものが存在すること自体は
支障がないのでは、と思いますが
それ以上に問題があるとすれば、「他人の頭の中」「他人の心」といったものが、さらに問題になるのかどうか
しかし、なぜ問題になるのか?
独我論者が「客観的なものだって存在するかどうか分からないのに、まして他人の頭の中などという
訳の分からないものなど知ったことではない(私に見える文字や聞こえる声のことはともかく)」
と言ったら、何かおかしいだろうか?
>>674 つまり、独我論者も非独我論者と同じように誰かに虐められたり、他人を気にして恥ずかしがったり、
矛盾や無矛盾について考えたりしても構わないって事ですよ。
独我論者は独我論を否定せずに楽しいスクールライフを送ることも可能だし、アイドルを目指す事も、孤高の思想家になる事も可能
という事です。
677 :
661:2009/12/26(土) 13:48:51 0
>>675 >「私が見ている本(ただし、内容は今のところ理解できない)」というものが存在すること自体は
>支障がないのでは、と思いますが
内容が理解できないが、その独我論者は、そこに「意味」を汲み取ろうとする訳ですね。はー
「自分以外の著者がその本を書いたのだ」という事実を、その独我論者が知っているとしても、
その著者には意識が存在しない、と想定することが可能か、ということですか。
「意識の無い著者が文字を連ねた」と。はー・・
それは可能かも、ですね。
「言葉→想起」には(独我論者の)意識が必要だが、
「○○→言葉」の○○には意識は不要かもしれません。
してみると、記号としての言葉の使用は独我論を攻撃する手段としては弱いですか。。。
「論としての独我論」を破壊するのは難しいですね。不可知論みたいで。
しかし境地としてはナンセンスですわ。
「何かおかしいだろうか?」と問われれば、「貴様の頭がおかしいわい」となります。はは
678 :
662:2009/12/26(土) 13:52:50 0
>>676 ははあ・・
続きは、もう少し考えてから、後日参加いたします。
言語は自我由来じゃないのでその点で独我論は崩れるかな。
独我論は存在論と認識論を混同している
681 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 23:14:58 O
なぜ、独我論に対して、「言葉は他者を前提する」という反論とか、「他人の意識や心などは
わからないではないか」とかの反論が多いんですかね?
独我論を「私の心は存在するが、その外の客観的なものなどは存在しない(存在するかどうかわからない)」
と捉えるなら、他人(とされている客観的な物体)が存在しているかどうかがまず問題になるのであって、
さらに他人の心なるものが存在するかどうかなんて、最初の問題にはならない(それが問題に
なる以前に、まずは客観的なもの(その一部としての他人)が問題になる)ということなんじゃ
ないんですかね?
そんなふうに他者とか言語とかをまず問題にしてしまうということは、みんな実は永井の本を読んどるの?w
これまで独我論者はことごとく論破されてきている
なぜなら過去のすべての独我論者が死んだあとも
その事実以外になんら変わりない世界が存続しているからである
馬鹿ホイホイまあ通常営業って感じですな
684 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 23:59:37 0
過去のすべての独我論者www
たしかにwww
独我論が否定される場合ってどんな場合なの?
>>686 「私は独我論者だ」と言っていた者が死んだとき
だからすべての独我論者に「<私>が死んだら独我論が誤りであることを認めます」と一筆書かせればいいんだよ
それで墓石にも「独我論まちがいでした」と彫るとかなw
>>681 存在するかどうかわからない,というのは不可知論ではないのか? 毒蛾論ではなくて.
691 :
考える名無しさん:2009/12/27(日) 08:58:39 0
《「唯」「識」》は《「独」「我」》の変形?
それとも、
《「独」「我」》が《「唯」「識」》の一部分?
>>687 独我論者が死ぬとき、世界も道連れになる。論理的ほころびはない。
>>682 は?
別に過去に「私以外の独我論者が死んだ」ということが
あっても独我論は破綻しないよ。
それもひっくるめて、全ては私の想像かもしれないってのが独我論だろ。
化石による詳細な進化の歴史の証拠があっても、
5分前に(化石も含めて)世界が創造されたことを否定することは
出来ないのと同じ。
>>692 あんた他我を認めちゃってるじゃんw
>>693 いやだから、あんた「私以外の独我論者」の存在を認めちゃってるじゃんw
>>694 おまえ、理解力がないなあ。
「私以外の独我論者」というのは、
「私(独我論者)が想像した、自分は独我論者だと言っている人」のことだよ。
独我論ってのは反証不可能性を持ったものなんだから、
性質として正しくないことを証明できないものんだよ。
>>695 >「私(独我論者)が想像した、自分は独我論者だと言っている人」
だからおまえさんのその物言いがすでに他我の存在を認めてるっていうのw
697 :
考える名無しさん:2009/12/27(日) 17:30:27 O
>>696 (横からだが)
それ本気で言ってるの?
「私が想像した」という形ですら他我を認めてはいけないと言うなら、独我論者は、
(想像の中で)必ず自分以外の全人類を皆殺しにしなきゃいけないのかよw
最初から無謬であると規定した上で、
「正しくないと証明できないものだ」
ってのはどうなの。
ってか、
「存在するかどうかわからない」という
未決事項を前提を含んでるから、すでに無謬ではない。
>>698 どうなのと言われても、そういうものだとしか言えない。
世界5分前仮説と同じだよ。
700 :
し:2009/12/27(日) 17:59:41 0
そうでもないだろ。まわりに餓鬼になっただけだろ?岩だけに。
701 :
し:2009/12/27(日) 18:14:24 0
NHKBSで学習院やってるが
最初から無謬だ、と決め打ちしてちゃ話にならんな。
703 :
し:2009/12/27(日) 18:32:31 0
目が悪いのにみてもわからん
独我論は不可知論の下位互換バージョンってところですかね。
705 :
あめのみやつこ:2009/12/27(日) 19:08:11 0
朝倉のドラマやアニメというのはないが登場人物や犯人の「あさくら」はある。
漫画にも出てくるがもともとは天空の城「一乗谷」。
沖縄に行ったものはゲームになっているが
706 :
662:2009/12/27(日) 19:49:47 0
>独我論の無矛盾を主張されている方々
こんなのはどのように反論されるのでしょう?
一人の独我論者が私と対峙する場合、
独我論者が「全ては私の世界だ」と言明すれば、即ちにしてそれは「偽」でありましょう。
なぜなら、私には意識があるのですから。
永井の独在論っぽい。
>>697 「他我の存在を想像において認める」って誰でもそう思っている実に常識的な世界観だよw
人間はだれも自分と似た姿、言動をとる物体が自分と同じように意識をもち思考しているという想定のもとに生活しているわけでw
709 :
考える名無しさん:2009/12/27(日) 21:32:02 O
>>706 一つには、独我論者が「あなたの意識などというものが、どこにあると言うのだ?
私はそんなものは知ったことではない」とか言ったら、どうするの?
それから、その話は、独我論以外への反論にも同じように使えない?
例えば、この世界には実は物質しか存在せず、意識とか心というものは
物質で説明できるものにすぎないといった考え方(物的一元論?)
まあ、これは、だから何だというほどではないけど
710 :
662:2009/12/27(日) 22:03:04 0
>>709 >独我論者が「あなたの意識などというものが、どこにあると言うのだ?
>私はそんなものは知ったことではない」とか言ったら、どうするの?
私は独我論者に「私には意識がある」などとは言いません。
しかし独我論者の主張が偽であることは知っています。不十分ですか?
>この世界には実は物質しか存在せず、意識とか心というものは
>物質で説明できるものにすぎないといった考え方
ん?ちょっとよくわかりませんが。。。
私はそう(唯物論的に)考えてますよ。
しかし観念化、対象化された物質から心が説明できるとは思いませんが。
>>708 ……えっ?
その常識をそのまま正解だと受け入れられるなからこそ、
独我論が生まれたんだろ。
>>709 たとえ独我論者が何を言ったとしても、それは「私」の心の中で起きたことに過ぎない。
……ってことは分かってる?
>>711 違うよ
その他我存在想定を複数の他我(とみえるもの)が共有していると想定していると複数の自称自我が想定することから他我の実在性への帰納的推論が成立するわけだよ
だからそうした事実から自我の独在性を推論するのは勝手ではあるけれども説得力がないというわけ
>>713 なんかキミの考えている独我論は、辞書に載ってるのとは違う意味の
言葉という気がしてきた。
715 :
考える名無しさん:2009/12/27(日) 23:36:57 O
>>710 > 私はそう(唯物論的に)考えてますよ。
> しかし観念化、対象化された物質から心が説明できるとは思いませんが。
え、そうなの?
(趣旨がよくわからない部分もあるけど)
それじゃ、(議論のためにという趣旨で、回りくどい表現になるのを避けるため)「独我論者が」
とかいうのはやめて私が直接言うけど
まず私は、「あなたの意識などというものは存在しない。存在するのは、私が見るあなたのレスとか、
私が見る(ことがあるとして)あなたの身体とか、その他私が見たり感じたりしてる限りのものだけだ。」
と、独我論ぽく考えてみたとする
これに対して、あなたのレスは反論になるの?
また、私は、「私は別に独我論者ではないので、「私が見たりする限り」なんてことはなく、
物質はちゃんと存在する。しかし、物質以外に意識とか何とかが存在することは、実はない。
よって、あなたの意識というものも存在しない。」と、唯物論的に考えてみたとする。
これに対して、あなたの考えはどうなるの?
>>715 だから思考停止なのよ独我論って。
たしかに認識はどこまでいっても自我に帰属するものでありそこから逃れることはできない。
でもよくよく観察していくと、どうやら自分の似た姿をした物体は自分と同じようなことを考えているようだと想定し、その想定を裏切らないような経験がずっと続いていくわけだよ。
その段階でも、あくまで「私しか存在しない」というのは勝手。
しかし、実際の君の言動はそうした信念を否定するような、
あたかも他我存在を前提としたようなものであるかぎり説得力に欠けるものでしかない。
独我論は反証不可能であり、その意味で単なる宗教的信念でしかない
718 :
662:2009/12/28(月) 00:12:01 0
>>715 貴方が個人的に独我論っぽく思考することは可能でしょう。
(まあ、私がそれを「可能」と考えるためには私は貴方の独我論的気持ちを忖度しないといけませんから、
独我論の総体としては、その時点でおかしな話ですけど)
結局 独我論は、「主張することのできない論」 なのでは?
ただ、「独我論的な境地になる自由はある」ところで止まるしかない。
しかし、論として真とはなり得ない。
後半についてですが、
先と同様、貴方が「目の前のこの男には意識がない」と考える自由はあるでしょう。
それを主張したらそれは偽ですが。
また、私は唯物論を支持していますが、その「物質」とは何であるかを特定できる とは考えていないのです。
「観念内に対象化される物質」よりも意識の実在が優先されるので、〈物質〉は意識を開闢可能な性質を持つことが要請されます。
ただ、私が死ねば意識も消滅し、しかし〈世界〉は存在している、と考えているだけです。
※観念を超える物質も世界も想起不可能なので、それを〈物質〉及び〈世界〉と表記させてもらいます。
719 :
考える名無しさん:2009/12/28(月) 00:20:01 O
唯物論って反証可能性あるの?
よく知らんけど
あるでしょ
人類誕生前に世界が存在しなかったと判明したら反証
721 :
考える名無しさん:2009/12/28(月) 00:29:12 O
>>718 何だか急に晦渋になったなあ…
> 後半についてですが、
> 先と同様、貴方が「目の前のこの男には意識がない」と考える自由はあるでしょう。
> それを主張したらそれは偽ですが。
なぜ偽と言えるのか?
だって私が見る限り、あなたの意識なんて存在しないのにw
…とかいうのはそろそろやめます
独我論者に対してたんに「いや私の意識がある」と言えばいい、なんて単純なものではないだろう、
と言いたかっただけなので
722 :
考える名無しさん:2009/12/28(月) 00:34:54 O
>>720 そんな大雑把なことで、反証可能性ありと言えるの?w
そんなら独我論のほうがもっと反証が簡単だ、客観的物質でも他人の心でも何でもいいから、
とにかく独我論者の心以外のものがあることを示せばいいw
723 :
662:2009/12/28(月) 00:35:57 0
>>718 ごめんなさい。かたい文章になっちゃいましたね、反省。。
「晦渋」なんて言葉は初めて知りました。勉強になるわあ哲学板。。。
ごきげんよう。
725 :
662:2009/12/28(月) 00:37:42 0
>>722 >独我論のほうがもっと反証が簡単だ、客観的物質でも他人の心でも何でもいいから、とにかく独我論者の心以外のものがあることを示せばいい
無理無理w
「客観的物質」や「他人の心」も、この<私>の認知対象の一部であり、<私>が存在しなくなったら消えるかもしれないという懐疑を延々と示され続けますよw
息子「目の前のこの女には意識がない」
母親「 それを主張したらそれは偽ですw」
>>722 「私」に対してどんなものを見せても、それが自我の内部にしか
存在しないものだという立場の人に対して、どうやって
独我論者(「私」)の心以外のものがあることを示すの?
無理でしょ。
729 :
考える名無しさん:2009/12/28(月) 00:50:52 O
どんな例をあげても「それは結局は物質から説明できる、今は無理でも研究が進めばできるはずだ」
としか言わない人に対して、物質以外のものがあることを示すことは可能なの?
ていうか、なんで独我論に反証可能性が無いってことが理解できない人が
居るのか不思議なんだが。
どういう試行経路で独我論に反証可能性があると思うに至ったんだろう?
>>729 出来ない。
真の物理学ならば説明できるというようなことが言えないように、
物質とは何かのなどの定義が決められていない「唯物論」は
反証可能性を持つ仮説とは言えない。
(逆に言えば、それらを決めてやれば反証可能性を持つ仮説になる)
別にドクガ論が全ての批判に反駁できたわけでもないし、
これからも疑問を抱かれるだろうし、
なんで最初から「反証可能性はナイ」と言い切れるのか、わからない。
じゃあ反証可能な独我論を示してくれ
短絡だな。
「反証可能かどうか判らない」ことを示せればいいだけのことだろう。
そしてそれは実際、その通りなのだから。
>>733 独我論:「世界には私一人しか存在しない」
反証事例:世界には私一人しか存在しない」と主張するものが複数存在する場合
>>730 そのレス以前のどのレスが「独我論が反証可能」だなんて書いてる?
>>738 じゃあ馬鹿ホイホイにかからなかったあなたのレスはどこですか?
俺には
>>735のレスが信じられなかった
俺はナランチャに算数を教えるフーゴの気持ちを理解したと思った!
ネタにマジレスw
>>741 笑っちゃダメだよ。
彼の世界、理屈を真剣に受け止めてからでなくては。
743 :
考える名無しさん:2009/12/30(水) 06:29:55 P
>>706 そもそも一人の独我論者があなたと対峙する事は無いと思うのだが。
そして独我論者が「全ては私の世界だ」と言明すれば偽になるのならば、あなたが「独我論は偽である」と言明する事もまた偽になる
なぜなら独我論者に対してあなたに意識があると説得することは不可能であるから。
744 :
662:2009/12/30(水) 08:32:18 P
>>743 >一人の独我論者があなたと対峙する事は無いと思うのだが。
なぜでしょう?独我論者がいるかどうかは知りませんが、私はここにおります。
恐らく(w)貴方も「自分はここにいる」と確信しています。
私にとってその事実を私に説得する必要はありません。(自明)
しかし独我論は自明ではありません。独我論者は自分の独我論的世界観をいくらでも疑うことが可能だからです。
>あなたが「独我論は偽である」と言明する事もまた偽になる
そのような言明などしません。
しかし「私は独我論者だ」と主張する人が眼前に現れたら、彼の世界観が間違っていることは明白です。
なぜなら私はここにおり、意識があるのですから。
>なぜなら独我論者に対してあなたに意識があると説得することは不可能であるから。
説得などしません。
独我論者に何を言っても無駄でしょう。(ばかの壁というやつかも)
論ではなく、個人の世界観の中でのみ静かに成立するのでしょう。
>恐らく(w)貴方も「自分はここにいる」と確信しています。
>「私は独我論者だ」と主張する人
>彼の世界観が間違っている
「貴方も確信」「と主張する人」「彼の世界観」
こういう表現がすでに他我の存在を認めてしまってるわけでw
746 :
662:2009/12/30(水) 11:50:38 P
747 :
考える名無しさん:2009/12/30(水) 19:00:49 P
>>774 言明しないのであれば自明では無い。
さらにその状況は独我論者が一方的に話しかけているだけであって対峙していない。
独我論者が一方的に主張して終わり。
対話の無い所に自明も矛盾もクソも無い。
個人の世界観の中でのみ静かに成立しているのは独我論では無くてあなたの主張だよ。
749 :
662:2009/12/30(水) 21:55:41 P
>>747 >言明しないのであれば自明では無い。
自明だから説明不要なのですよ。
あなたはご自分がそこに存在することを自ら言明しなければ明確にはならないと考えているのでしょうか?
>さらにその状況は独我論者が一方的に話しかけているだけであって対峙していない。
対峙を決闘のごとく恣意的に解釈しておられるようだが、
対面し、会話し、その中で相手が自らの独我論的世界観を主張することは
十分にあり得ること。そしてそれは私にとって間違いであることは自明。
対して独我論者にとって自らの独我論は自明ではない。可能性の一つにすぎない。
>対話の無い所に自明も矛盾もクソも無い。
貴方がそのように思っているだけでしょう。
「自明」を辞書で調べることを薦めます。
>個人の世界観の中でのみ静かに成立しているのは独我論では無くてあなたの主張だよ。
違うでしょう。独我論者であれ、わたしであれ、自分が存在していることは疑えません。
私が貴方に「おまえなど存在しない」と言ったら、貴方は「その可能性もあるな」と考えますか?
もしそのように考えているなら ちょっと面白そうだから、そのように宣言してみてください。
馬鹿ホイホイが馬鹿ホイホイたるゆえんだよな
一番不思議なのが
この世で自我があるのは自分ひとりと言いながら
このスレの自分以外の機械(笑)が書いたと思われるレスに
延々マジレスしているところw
>>751 いや……、あんた本気で話の前提がわかってねぇよ。
おまえ、もしかして独我論を、自分以外に意識を持ったものは存在しないって
話だとか勘違いしてないか?
そうじゃないとしたら何
独我論は、自分以外にも意識を持ったものが存在するとする論ですかw
独我論は、自分の意識以外には何も無いって論だよ。
「自分以外の機械」なんてものは独我論の世界の中には存在しないの。
(「私の想像の中にある機械」なら存在してもいいが
それなら同様に「私の想像の中にある他人」だって存在していい)
>>754 それでも同じことじゃんw
要するに
「この世界に存在するのは私の意識だけであり、私に似たように見える対象は私の想像物である」
というわけでしょ。
「私の想像物」でしかないこのスレ、その中のレスに、こうやって必死にレスしているあなたが滑稽だといっているんだよw
>>755 あれあれ?
自分以外の機械(笑)じゃなかったんですか?
そもそも独我論は真でも偽でもない。
なぜなら独我論が普遍命題であるならば、それに含まれるすべての語は普遍語である必要があるが、
語「我」はその使用者によって指示対象が異なる指標語であるからである。
759 :
考える名無しさん:2010/01/05(火) 10:47:46 0
言語問題に貶めるような話でもありませんがね。
760 :
考える名無しさん:2010/01/07(木) 09:12:12 0
>>710 >私は独我論者に「私には意識がある」などとは言いません。
>しかし独我論者の主張が偽であることは知っています。不十分ですか?
この「偽であることは知っています」という言葉の使い方は間違っていると思う。
「真である」とか「偽である」ということは、言葉を共有している場合だけで成り立つこと。
あなたは「独我論者の主張」なるものを理解していると、どうして言えるの?
あなたは、あなたの頭の中にいる独我論者を勝手に間違っているとみなしているだけで
あって、あなたもある意味で独我論的。
761 :
662:2010/01/07(木) 10:02:31 P
>>760 >この「偽であることは知っています」という言葉の使い方は間違っていると思う。
論理学、数学基礎論に於ける「真・偽」なる用語の不適切な使用、と言う指摘なら甘受します。
>「真である」とか「偽である」ということは、言葉を共有している場合だけで成り立つこと。
そうであるなら、独我論は真ともなり得ない、ということですか。
>あなたは「独我論者の主張」なるものを理解していると、どうして言えるの?
私がある事態を本当の意味で「理解した」ことを他人に主張できる言葉などあるとお考えですか?
>あなたは、あなたの頭の中にいる独我論者を勝手に間違っているとみなしているだけで
>あって、あなたもある意味で独我論的。
貴方は私の思考が「独我論的」だと見なしているではありませんか。
つまり貴方は、ある思考が独我論的である、と判断できる程度に独我論者の主張を理解しているのですね?
それと同じ程度に私も独我論者の主張を理解できているのだろうとは考えないのですか?
独我論は言語問題を持ち込む程の話ではありません。
「お前には意識などない」「見ていない時には月は存在しない」など、あほの戯言です。
そんなまわりくどく考えなくても
>>758でFAだろ
763 :
662:2010/01/07(木) 10:21:55 P
「偽である」などとおかしな言葉遊びをした罪は私にあるが、
ことさら「独我論は真偽命題ではない」と指摘したところで意味はない。
>>761 > 「お前には意識などない」「見ていない時には月は存在しない」など、あほの戯言です。
なせですか?
765 :
662:2010/01/07(木) 13:27:02 P
>>764 「私の意識」「私の存在」については少しやりましたので、
ためしに貴方が
「俺の見ていない時には月など存在しない」
と宣言してみて下さい。
766 :
考える名無しさん:2010/01/07(木) 13:33:34 0
>>761 >そうであるなら、独我論は真ともなり得ない、ということですか。
と言うか、独我論者は単に「あなたには意識がない」と言ってるだけだろ。
あなたの「私には意識がある」という発言が正しいとされるためには、それを公共的に
示さなくてはならない。客観的に見たら、「あなたには意識がない」「私には意識がある」
と言っているふたりの人が存在しているだけ。「独我論者」というから非常識に感じるけど
唯物論者の発言だと考えたとしても、「じつは間違っているということを私は知っている」
という風に思うの? あなたにできるのはせいぜい、独我論者的にそうつぶやくことぐらいでしょう。
>私がある事態を本当の意味で「理解した」ことを他人に主張できる言葉などあるとお考えですか?
あなたの言語観と、私の言語観はまるで違いますね。そのような「理解した」を私は「理解したと思った」
と言います。そのとき、私は「理解した」と実際に発言します。結果として、「じつは理解してなかった」
ということがわかる場合があります。
>つまり貴方は、ある思考が独我論的である、と判断できる程度に独我論者の主張を理解しているのですね?
>それと同じ程度に私も独我論者の主張を理解できているのだろうとは考えないのですか?
多分、あなたは独我論者ではないでしょうが、ああいう発言は、私は「独我論的」とみなします。
異なる言語体系を持つものの意識というものに対する想像力がないからです。
単に「あなたには意識がない」と言われたとしたら「なに言ってんだかわかんねえよ、アホ」
と応答するのが普通でしょう。私だって理解してないですよ。
767 :
662:2010/01/07(木) 13:45:54 P
>>766 「私には意識がある」「私は存在する」ことは自明である、と何度も言っています。
これは万人に対して個別に成立する事実です(恐らくw)。
この事実に比べれば、「言葉の通用性、理解可能性」の方がはるかにオカルトであり、神秘でしょう。
768 :
考える名無しさん:2010/01/07(木) 13:55:16 0
独我論者との楽しみ方
1.「この世界には私しか存在しない。(当方を指して)これは私の意識内の存在である」と言う独我論者と出会う
2.すかさずそいつにパンチを食らわす
3.そいつが「このパンチも痛みも私の意識内の存在である」と言う
4・またそいつにパンチを食らわす
5.3に戻る
>>765 わかりました。
「俺の見ていない時には月など存在しない」
これでいいですか?
770 :
考える名無しさん:2010/01/07(木) 14:15:23 0
>>767 >「私には意識がある」「私は存在する」ことは自明である、と何度も言っています。
デカルトかなんか読んで、自分でそう定義しただけだろ。自分の発明でもないくせに
えらそうに他人に語るな。私の「「あなたには意識がある」は自明ではない」という
発言は認めないの? 「「私」とは何か」とか「「意識」とは何か」とかいったことを
考えたことは一度もないんでしょうね。
>これは万人に対して個別に成立する事実です(恐らくw)。
「万人」って誰ですか。新生児も含まれるんですか。
771 :
662:2010/01/07(木) 14:34:55 P
>>770 ヒステリー起こすぐらいなら止めますよ。
772 :
662:2010/01/07(木) 14:38:09 P
>>769 おっと
貴方は面白そうだ。
またいづれここじゃないところで♥
残念、めずらしく道理のわかったひとだったのに…
775 :
770:2010/01/07(木) 15:04:54 0
なんだ、つまんねえ腰抜けだな。
二度と来るな。
>>766 言いたいことは分かるが、君は根本的なところを勘違いしている。
哲学は科学ではない。
だから万人が客観的に確認出来る証拠も必要なければ、2つ以上の異なる答えが同時に存在していても全く問題無い。
777 :
770:2010/01/07(木) 19:33:10 0
>哲学は科学ではない。
>だから万人が客観的に確認出来る証拠も必要なければ、2つ以上の異なる答えが同時に存在していても全く問題無い。
哲学に万人が客観的に確認出来る証拠なんてあるわけないだろ。
健全な人だったら誰でも、哲学なんて暇人の寝言だと思っているよ。
私は、「お前の言っていることは哲学ではなくて、ただの独り言だ」と指摘しただけだ。
そういうのも哲学とみなすのは、あなたの勝手でしょうが。
778 :
考える名無しさん:2010/01/07(木) 20:03:22 0
779 :
770:2010/01/07(木) 20:16:59 0
>>768 こういう話をおもしろがってする奴の気持ちが全くわからん。
まあ、世の中人それぞれだが。
780 :
考える名無しさん:2010/01/07(木) 20:49:32 0
いや、よくできたアイロニーだよw
この世界の所有権を一方的に主張しているのだから独我論者は討伐対象だな。
討伐w
哲学馬鹿ホイホイ
ここも繁盛
善哉善哉
786 :
考える名無しさん:2010/01/08(金) 10:52:43 0
独我論者は独我論を否定するために独我論者になるんやっ!
お前それ好きだな
788 :
考える名無しさん:2010/01/09(土) 10:03:00 0
だれでも若いころは独我論に傾きやすい
社会に出ていろんな経験を積んだり、
大自然の中をひとり旅したりすると
自我なんて実にちっぽけなものだとわかるようになる
789 :
考える名無しさん:2010/01/09(土) 12:34:56 0
>>788 なんでそんなに深読みすんだwwwwwww
しかも聞いてないのにおまえの職までわかったぞwwwwww
釣る気もない魚にえさ盗み食いされた気分だ
"正しい"独我論者は他の独我論者を否定することになる。必然的に。
791 :
考える名無しさん:2010/01/10(日) 06:20:02 0
>>788 と、あなたがそう思っているにすぎない。
792 :
考える名無しさん:2010/01/10(日) 07:01:36 0
自らニートと告白してるようなもんだな
冬の湧き水
独我論=中二病
もうなんでも中二病だな
どこまでが境界線なのか分かねぇ
まともな哲学者がとりあわない
真剣に議論しない問題は
中二病の疑いありだろう。
797 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 11:09:45 0
偽の独我論=自分だけが存在している。
真の独我論=存在の全てが自分である。
798 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 11:21:26 0
>>797 >存在の全てが自分である。
すいません、「自分」の定義おしえてください
もちろん他者概念を使わないでね
799 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 12:13:48 0
>>798 自分 =df.= この世界における唯一の存在者
800 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 12:33:59 0
不死身のセナから菊川絶対Aプランがある。
801 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 13:16:46 0
>>799 その定義だと
>>797は同語反復になるぞ
「この世界に存在するのは、この世界における唯一の存在者である」
わかったぞ。
排他的独我論=自分しか存在しないなら他者は存在しない。→自分以外はどうでもいい。
包括的独我論=自分しか存在しないなら他者もその他もすべて自分。→自分以外も自分だからすべて大切。
排他的独我論者は、自分しか存在しないとしながら、
他者を排除することによってしか独我論を維持できないので、
全くの基地外論。一人テロリスト。
包括的独我論者は、自分が他者その他すべてなので排除するものがない。
全く理解不能論。多重人格障害ならぬ全人格障害=神。
804 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 19:25:02 O
もし、存在するのが自分の心だけだとすれば、(自分が見ている)他人、(自分が見ている)物体、
(自分が考えている)ものごとなど、全てがいわば自分の一部と考えても、そうおかしくはないと思うが
それがそんなに理解困難か?
他人などどうでもいいという発想のほうが、「存在するのは自分の心だけ」ということから
なぜ導かれるのか、説明が必要ではないか
805 :
○丸:2010/01/12(火) 19:29:58 0
独我論を表現すれば、自分を中心にして、
対象との距離に反比例して、全てのモノが、
その対象の大きさに関係なく、
小さく見えて行く。
実物大を知るものはいない。
806 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 19:50:42 0
>>801 そう。だから独我論には同語反復以上の内容がない。
つまり、独我論に情報価値はないということ。
807 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 20:28:03 0
独我論とは、
全ての事柄を、一者・一要素・一語で説明すること
つまり神学。
知性の宿命。
808 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 20:33:56 O
そんなこと言い出したら
富士山=日本一高い山
も、日本一高い山はつまり富士山なんだから
日本一高い山=日本一高い山
となって、同語反復で情報価値がない、なんてことになりかねないだろ
809 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 20:56:13 0
独我論が生みだしたものは例えば都市だ。
都市は交換・便利性を追求するため一元・一者で統一しようとする。
都市の一元・一者は貨幣だ。
だから都市では金がものをいう。
そして、過度に一元化が進み都市は滅亡する。
なぜなら存在は多様であるゆえに矛盾を起こすからだ。
独我論は人類に繁栄のきっかけをつくり、
滅亡のきっかけもつくる。
810 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 22:46:10 0
「この世界には私しかいないんです」
と言われれば
「はぁ、そうですか」
と言うしかないよんw
811 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 23:15:40 0
論理的に「難攻不落の要塞に立て篭もった狂人」=神聖、真性の独我論者
思考実験にせよ、論理の土台の汚染を疑わない者が、哲学徒たり得ようか?
これまでたくさんの独我論者が死んでいったが世界が終わることは無かった
813 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 23:44:10 0
それは人間の形をしたアンドロイドが言ったことです
数々の独我論者が生け贄としてその生命を神に捧げられたことで、枯れ地には雨が降り災難を免れてきました。
815 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 23:49:42 0
いや、瞬間事に世界は終わって、生成している。
俺以外の独我論者はすべて誤っている。
なぜなら「我」とは俺であり、それは自明だからだ。
>>818 きみが「我」でないのは俺にとって自明だ。
それからわたし「も」我ということはアリエナイ。
>>819 重大な釣りにかかったな
「きみ」という語を使ってる時点でお前は他者の存在を前提にしてしまってるのさw
>>820 きみが他者だろうが、無生物だろうが、俺という「我」の影絵のような存在だろうが、
そんなことは知っちゃいない。
きみは「我」ではあり得ない。なぜなら俺こそが「我」だからだ。
すべての独我論者は、俺以外間違っている。
822 :
考える名無しさん:2010/01/13(水) 12:39:08 0
>>821 >きみが他者だろうが、無生物だろうが、俺という「我」の影絵のような存在だろうが、そんなことは知っちゃいない。
いやいや、「きみ」概念を君が「知っている」からこそ
>>819みたいに書いてるんだよ。
もしこの世界に君自身しか存在しないと君が生まれて以来信じているのなら
「きみ」概念を理解できないし、使用する必要もないからね。
>>822 「きみ」ということばが含意する一般的な意味概念が、
≪常に・どこでも≫、通用するわけがないじゃないかw
もしこの世界に俺自身しか存在しないと俺が生まれて以来信じていたとしても、
仮構された「他者」という概念を指示する言葉に、他の概念を仮託することは出来る。
なぜなら俺の「我」が言葉より先に存在するのは、(俺には)自明であるから。
824 :
考える名無しさん:2010/01/13(水) 13:10:52 0
>>823 またかかったなw
> 「きみ」ということばが含意する一般的な意味概念が、
> ≪常に・どこでも≫、通用するわけがないじゃないかw
この世界にあなたしか存在しないとしたら
意味に「一般」性などありえないよね
なぜなら任意の語を使ってるのはまさにあなたしかいないわけだからw
意味が「通用する」という言い方もそうw
そういうの有効な反論にならないとおもうよ。
>>824 常とは違う意味でその言葉を「個別的に」使うことは、
ふつうにあることじゃないかw
だから一般性の有無も弁別される得るし、
通用する・しないという問題が起きても、全然おかしくない。
1999年に世界は終わった、という物語を書いたとしても、
それが現実だ、といってるわけでもないし、
世界が実際にそうであることにもならない。
なぜならそれは「言葉による仮構」だから。
827 :
考える名無しさん:2010/01/13(水) 13:40:54 0
いろいろ弁明の仕方はあるんだろうけど
「きみ」「一般的」「通用」という語を
それこそ一般的(笑)な用法で使っている時点で
もう独我論の外に踏み出しちゃってるのよ
「きみ」という仮構的な存在を、仮構的に言い表してるだけのこと。
別に矛盾はないし、これはスタンダードな独我論の内部にとどまる議論だね。
よくありがち。
そうでもないと思ってるひとがたくさんいるのは知ってるけどね。
まったく意味ないと思うんだ。
言語的な仮構が可能ということは論理的には実在し得る、
または実在を否定できないということだから、
少なくとも原理的な、「強い」独我論(自分以外は絶対、
ありとあらゆる意味で存在し得ない)は否定されるね。
夢の中のひとりごとのようなものだとすれば
「強い」独我論も成立するよね。
いや、夢の中の独り言であったとしても、
否定されうるよ。
それが夢なのか現実なのかは、
「我」には判断不能だから。
判断不能なら否定はできないんじゃないの?
?
否定されるのは、強い独我論(絶対、我しか居ない)。
判断できないのは、「我」のリアリティ。
いまじぶんが夢の中で独り言を書いているという可能性は否定できないよ。
なにしろ判断できないのだから。
837 :
考える名無しさん:2010/01/13(水) 16:19:32 O
「とにかく本当に存在するのは俺だけだ。
俺も場合により「きみ」「彼(彼女)」などの言葉を使いはするが、それは他人が俺と同じような
意味で存在しているという意味では、全くない。
俺はここに一人しかいない。」
というようなことを言ったら、それはどうなるのかね
別にどうにもならないよ。
>>836 え?
「夢の中かもしれないし、そうでないかもしれない、それは決定できない。」
……というのであれば、それはすでに絶対的な独我論(「自分以外は、ありとあらゆる意味で存在し得ない」)、
では無いね。
>>839 どうだろうね。きみのいう絶対的な独我論の可能性はふくんでいるけどね。
>>840 その可能性があるかもしれず・無いかも知れないものが、
「絶対的な独我論」とは思えないし、そんなことも言ってないよ。
きみのいう「絶対」って主張内容ではなく主張の仕方について言ってない?
だとしたらそんなことどうでもいいんだよ。
主張の仕方ってなんだw
こう言えばわかるかな。
夢であるかどうか決定不可能だという相対性の上に成り立つ、
ローカルな絶対性でしかないってこと。
ではきみは今後もひとりで「絶対」にこだわっていればいいよw
「いま自分は夢を見ているのかもしれないからすべては夢かもしれない」というような独我論は
ふつう「強い」独我論と呼ばれる。
そしてこの強い独我論は否定できない。
それだけ。
>>844 俺が言ってる
「原理的な「強い」独我論」(自分以外は絶対、ありとあらゆる意味で存在し得ない)
とは別物だね。
きみは一体何と格闘してるんだい?
「夢かも知れない」ことは否定しないよw
しかし「夢でないかも知れない」ことも否定されない。
そしてそれはドクガ論というより、単なる不可知論、非決定論だ。
だれとも闘っているつもりはないけど
>>833はまちがっていると思う。
それから独我論と不可知論は密接につながっているよ。
むしろ別々に考えることなどできないものだ。
間違っている「と思う」、だけじゃなあ。
広がらんね。
それから、もちろん繋がってるよw
あまりに近く。
>>837 「その主張は、この世界に君以外の事物が存在することによって反証されるが、
その可能性はあるのかね?」
と言えばいい
>>848 「もちろんその可能性は、ある。
だが残念なことに、それを確かめることは永遠にできんだろうな。
君は、君以外の物事が本当に存在するかどうか
判断する術を持っていないからね」
# 独我論は単に世界を考えるための基準として使える「考え方」だって
# というところに価値があるんであって、それが正しいか間違っているか
# なんて議論するのは、意味なくね?
# 反証可能性も、証明可能性も無いんだし。
850 :
考える名無しさん:2010/01/14(木) 21:51:19 P
「君」「君」と相手の意識を忖度している時点で、
独我論など「無意味」だとは思わんのか?
思わないよ。
852 :
考える名無しさん:2010/01/14(木) 22:12:46 0
>「もちろんその可能性は、ある。
>だが残念なことに、それを確かめることは永遠にできんだろうな。
すいません、それは「反証不可能」というんですよw
853 :
考える名無しさん:2010/01/14(木) 22:16:28 0
つまり、「独我論は反証の余地がまったくないので議論するだけ無駄」
という結論にいたるわけですw
反証w
855 :
考える名無しさん:2010/01/14(木) 23:03:00 0
「反論」でも同じだねw
えー?反論と反証いっしょくたにしちゃうんだw
857 :
考える名無しさん:2010/01/14(木) 23:24:13 0
>>856 じゃあ「反論」と「反証」の定義と違いを明らかにしてください
858 :
考える名無しさん:2010/01/15(金) 01:12:32 O
だから、反証可能性とか言うんだったら、実在論とか唯物論とか決定論とかなら
反証可能性があると言えるのかどうかを、ちゃんと説明しろってのに
もし、みんな一緒くたに反証可能性がなくて無意味だとか言うんなら、また別論だけど
859 :
考える名無しさん:2010/01/15(金) 02:28:28 0
あのー、定義を示してもらえばいいんですけど
「反論」=
「反証」=
はい、右辺埋めてください
ググればいいいのに
反証可能性なんて自然的態度が前提にあるうえでの方法論の話なんだから
独我論のように全面的な懐疑が問題になっているなかで持ち出すなんて
嗤われてもしょうがないよ。
>自然的態度が前提
意味不明
>>863 じゃあ「反証」ではだめってことでいいね。
もっと本質的な突っ込みしろよw
あら、逃げられた。
ググればいいいのに
悔しかったんだねw
最近のこのスレのレベル低下は異常
なんだーかんだー言ったってー
独我論自体がレベル低いよなw
おまえみたいなのしかいないからな
いやこのスレ初めからレベル低いよ
レベルの高い独我論ってみたことないんだがw
レベルw
× レベル
○ レイブル
もし独我論が真理だったとしても人生に何の影響もない。
明日も今日と同じように仕事に行かなきゃならぬ。
何の意味も無い真理。
それは哲学全般にいえます
そんなの数学や理論物理学などにもいえるだろ
数学、物理は必要だろ
四則演算知らないと仕事できないし
テコの原理しらないと生活できへん
あほか
レベル低いねw
お前もナw
お前もな
お前もな
俺はモナ
僕はクマ太陽
毒牙論
890 :
考える名無しさん:2010/01/26(火) 09:28:21 0
社会に出れば多我論に転向しますから
891 :
考える名無しさん:2010/01/26(火) 12:56:31 0
独我論者は独善論者?
オレは乳がでかい女が好みだ
893 :
考える名無しさん:2010/01/27(水) 00:44:25 0
独我論者は一歩外に出れば過剰に他人に気を使う気弱で生真面目な人間だよ。
女の乳やケツにも気を使ってるぞ
895 :
考える名無しさん:2010/02/01(月) 17:40:48 0
独我論をこの上なく見事に表現した句。
「咳をしても一人」
これはたまらんよ。
896 :
考える名無しさん:2010/02/01(月) 19:51:18 0
というか
2ちゃんのレスがぜんぶ自分のレスのほうが怖いだろ
>>895 尾崎放哉が独我論のわけないだろ。
放哉と独我論は学術論文と馬鹿のあさがお観察日記くらい開きがあるぞ。
放哉を独我論扱いするお前は当然…
孤独と独我論は違うよね。
馬鹿のために講義してみました。
馬鹿スレで講義すると燃料になっちゃうね。
失礼しました。
>>897-899は無視して
と馬鹿に言っても通じないだろうけど。
傍目から見てるとお前も十分
人の事を馬鹿にして楽しいか?
902 :
考える名無しさん:2010/02/03(水) 02:44:39 0
>>901 せやなwwww
万物を知り尽くす天才さんまじかっけーっす
人類は二つのタイプに分けられる
「いるだけOK人(じん)」
と
「なにかを残すできそこない人(じん)」
と
だ
有能で優秀な理想を虚ろにして
・・・。
666 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 00:22:02
ヽ|/
/ ̄ ̄ ̄`ヽ、
/ ヽ
/ /〜\ |
|.-=・=-.:',.: .-=・=-|
| / ̄⌒ ̄ヽ |
| ヽ  ̄~ ̄ ノ |
\ ` ̄ ̄ ̄ /
/ ノ
/ l`、 ノ ノ
,...-‐''" _.l::::`ー,=-'(
/ ´ ,.!_;;;:r''.. ` 、
,...-‐' _,....-‐'" `'-、:: ` 、
/.. ,....―'" `ー、__ `l
/_;::::-'" /::::::::::::::::ノ
,.../._r'" ヽ`''「 ̄ ̄
(__ノ' \_\
667 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 04:55:50
↑悪魔の子ダミアン
906 :
考える名無しさん:2010/02/19(金) 03:23:25 0
他我=自我(?)
自我は全てを否定する概念。
存在は全てを否定する概念。
存在は所有モードにかからない。
自我も所有モードにかからない。
存在=自我(?)
存在が超越的一般者だとすれば、存在者は存在自身の自覚を契機とする自己限定的存在じゃないかと。
自覚的自我(=生ある自己)は、死後(あるいは生前)無自覚的自我(=死後、あるいは生前の自己)になるんじゃないかと。
もし、存在が自我ならば、自覚的存在こそが一般的な自我であって、無自覚的自我は他我と言えるのではないか。
すると、自己は現在において、自覚的自我としての自我であり、無自覚的自我としての他我の両面的でありうるのではないか。
ならば、自己=他者ではないか。自己が他者と同一であるならば、世界は一つではないか。
世界が唯一、"自己=他者"において、在るならば"自己=他者"としての"我"のみしかないのではないか。
世界は唯一の"我"にあるならば、独我論ではないだろうか。
907 :
考える名無しさん:2010/02/19(金) 03:51:58 0
電波を感知しました
908 :
考える名無しさん:2010/02/21(日) 02:05:49 0
独我論というのは、
「ありありと現れていなければ、世界でもなく存在でもない」
という前提から導きだされた哲学的立場なんだろうかね。
「誰にありありと現れているか」と言えば自分にであり、
「他者にもありありとした目の前の世界や
自分の感覚あるいは思いがあるかも知れない」が、
そのありありとした様がどうにもこうにも自分の意識には現れないのだ。
「あるかも知れない」という可能性を見いだしているのは自分であり、
他者がいかなる可能性を見いだしているかは、ありありと意識されない。
自分が居なくなった地球上の世界を想像することは出来るが、
それは、あくまでも自分が想像した世界にすぎず、
「自分が居なくなった地球上の世界」がどうして現にある世界であろうか。
とはいえ、自分が熟睡している時は、自らがどうしているかは分らないわけで、
現に現れることのない「熟睡している自分」は、疑わしいということになるね。
こうなれば、「1人の人間としての自分」など、自分が推定しているだけのものだ。
しかしながら、「このように思っている自分」が、
この体を抜きにして現にどこかにあるかといえば「どこにも現れていない」のだ。
909 :
考える名無しさん:2010/02/22(月) 21:45:22 0
で、その「自分」ってだれのこと?
てのが、独我論問題の始まりだろ?
910 :
考える名無しさん:2010/02/23(火) 02:17:47 0
はあ?なにろっぷりっちゃってんだあww?あ?
ああ?wwwwwwwwwwwww
まん魏だろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
何の具体例もなく抽象的でただ長い文を理解できるわけがないwww
ハウスに必要な真のリズム感ってなんだよwww
あまりにもあまりにも、アメ、マンぎだろ?
どうなんだこら?
ハウス厨が偉そうに
なあにが4つ打ちだよ?
結局最強なのは、アメ、マンぎだろ?w
だろっぷ!
911 :
考える名無しさん:2010/02/23(火) 09:27:50 0
どこまでいっても俺は俺の目でしか物が見えないんだから
「この世界には俺しかいない」ということは当然だろ
912 :
考える名無しさん:2010/02/23(火) 10:03:22 0
で、その「俺」って語は何を指し(え)ているんだ?
…というのが哲学的な問題であるわけです。
913 :
考える名無しさん:2010/02/23(火) 10:09:11 0
それはもう分かったから
914 :
考える名無しさん:2010/02/23(火) 10:11:21 0
915 :
考える名無しさん:2010/02/23(火) 19:58:43 0
もし特定の人物を指しているなら、
独我論が偽であることはそのことで証明される。
いかなる人物も世界の内部に他の人物と対等にしか存在できないから。
しかし、だからといって独我論が偽になるわけではない。
…というのが、哲学的な問題(の始まり)であるわけです。
916 :
908でも911でもない:2010/02/23(火) 20:48:24 0
909や912は永井に洗脳されているだけだろ。
はっきり言って、君は日本語が使えてない。
>>915 なに、独り言言ってんだよ。
917 :
916:2010/02/24(水) 21:19:44 0
レスできないんだ。
やっぱり、独り言だったんだ。
永井の独在論は従来的な独我論への批判でもあるよ
919 :
私:2010/02/25(木) 00:17:30 0
「地球」が「無い」と「私」が「無い」とき、「私」が「地球」を「ある」と思えば、「私」は「ある」
これが「私、自我」の証明だと思う。 この地球上で、無我は無い。「私は幻」も無い。
個人が「地球はある」と認識する限りは。
地球が無くても私はあると思う人は、その瞬間から地球との関係性を絶つべきだと思う。
嘘付きでなかったらの話しだけど。
920 :
考える名無しさん:2010/02/25(木) 01:33:08 0
わかってないな
俺は俺がいないところでなにが起こっているかこの目で見られないんだから
世界には俺一人しか存在しないとしか言えないに決まってるだろ
921 :
考える名無しさん:2010/02/25(木) 01:47:39 0
>>918 それって、どういうことなの?
独我論者が独在論を理解すれば、独在論者になるってことなの?
922 :
考える名無しさん:2010/02/25(木) 02:37:03 0
923 :
考える名無しさん:2010/02/26(金) 02:26:27 0
としか言えない・・・としか主張し得ない・・・誰に? 自分に?
924 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 00:10:46 0
もし特定の人物を指しているなら、
独我論が偽であることはそのことで証明される。
いかなる人物も世界の内部に他の人物と対等にしか存在できないから。
しかし、だからといって独我論が偽になるわけではない。
なぜなら、特定の人物を指していない、という場合が考えられるからだ。
一般に、デカルト的自我も、カント的統覚も、フッサール的超越論的主観も、
…みなもちろん特定の人物を指してはない。
独我論者は、自分が言いたいことを言おうとすると、
そのことで期せずして超越論的な一歩を踏み出してしまう。
だが、その逆の道筋もある、というところが最も興味深いところだろう。
はいはい興味深い興味深いw
926 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 11:31:37 0
>なぜなら、特定の人物を指していない、という場合が考えられるからだ。
>一般に、デカルト的自我も、カント的統覚も、フッサール的超越論的主観も、
>…みなもちろん特定の人物を指してはない。
ある程度哲学を勉強した人は、そんなことわかりきっていて当然だろう。
そんなものを「独我論」などとは言わないだろう。
>だが、その逆の道筋もある、というところが最も興味深いところだろう。
このように他人事のように語れると思っているところが、君の哲学的センスのないところだろう。
927 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 12:01:31 0
デカルト的自我なんか始めから誤謬で始まってるじゃないか。
なんではじめから「我」が「思う」などと言えるのか。
「「「自我思う、故に自我あり」と第二自我思う、故に第二自我あり」と第三自我思う、故に第三自我あり」
どこまでいっても、自我が思ってるかぎり真の「我」ではないよね?
928 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 12:06:01 0
「デカルト的自我」なんてものが「ある」とか「ない」とかいってる奴は、
全然デカルトが読めてないんだよ。
第二自我なんてないよ。もちろん三も四も。
「『この我』思う、故に『この我』あり」。
「我」をめぐる思惟は、すべてこれ↑の周りをぐるぐる回ってるだけ。
着目すべきなのは「この」のほうだよ。この、この「この」だよ。
930 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 12:33:06 0
「この我」という言い方は冗語でしょう。
デカルトの「我思う故に我あり」は懐疑論反駁のためであって、
別にデカルト自身が発明したわけでもない。
アウグスティヌスにも書いてある。
「何でも疑いうるなら少なくとも疑ってる何かがいるんだからok」。
そんなに難しく考える必要のある命題じゃない。
932 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 12:50:54 0
上記にも何度か云われてるが、
独我論と唯識論は同じ気ガス。
内容表現不可能な「我」と「識」って同じだろ。
そう思わない?
933 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 13:10:56 0
>>932 そういう類の事実を哲学者たちは
「存在が存在する」とか
「存在は存在しない」とか
いう風に表現しているのです。
独我論に問題があるとすれば、子どもが世界に目覚める時に、超越論的主観が
ある特定の人物である、という形で目覚める、という事実にあるのでしょう。
永井はほんとうに哲学者なんだろうか。
934 :
929:2010/02/27(土) 13:11:07 0
自分は冗語だとは思いません。
仮に、社会的に(=社会という観点から)冗語だとして、この社会(現代日本社会だけではありません。念のためですが)そのものが「冗談」ではない、と何を根拠に言えるのでしょうか。
あるいは、これも仮に、全宇宙的な観点からしても冗語だとして、この全宇宙=世界そのものが「冗談」ではない、と何を根拠に言えるのでしょうか。
「冗談」だとした場合、その「冗談」の主体を神か悪魔か‥‥etc.に求めたがる人もいると思いますが、自分はなぜか、そういう、主体を探求する方向には関心を持てません。
935 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 13:29:17 0
>>934 お前もひょっとして、永井教徒か?
あなたが「私」と発語したら、それはあなたという人物(人物ではなくて、自己意識でもいいが)
を指すのであって、その「私」以外の別の「私」を指すなどということはありえない。
「この」という言い方は余計です。「この私」と言ってもいいが、そのときには他の誰でもなく
この人物であるということを強調しているにすぎない。
936 :
929:2010/02/27(土) 14:19:05 0
永井均の一読者ではあります。教徒でも信者でもありません。
永井ファンにはついていけないなー、という感慨を持ちつつもあります。
>あなたが「私」と発語したら、それはあなたという人物(人物ではなくて、自己意識でもいいが)
>を指すのであって、その「私」以外の別の「私」を指すなどということはありえない。
それはその通りだと思います。
>「この」という言い方は余計です。「この私」と言ってもいいが、そのときには他の誰でもなく
>この人物であるということを強調しているにすぎない。
余計‥‥かどうかは、何とも言えません。
強調にすぎない‥‥としても、それに関心がある、と言っているのです。
自分は「私」について、さほどの関心はありません。
(もちろん、社会に生きる上で、社会的存在としての自分には、それなりの関心はあります)
「『この我』思う、故に『この我』あり」は、自分の関心を哲学(と呼ばれている分野)っぽく糊塗してみた表現です。
もっとシンプルに、
「『これ』思う、故に『これ』あり」
「A思う、故にAあり」
でもいいと思っています。
この『これ』やAが、たまたま自分(という思惟の主体)であったと。
ただこう(社会のなかで)言うと、思惟することのできない『これ』は『これ』ではないのか、同じようにAはAではないのか、といった質問に付き合わざるを得なくなるので、「『この我』思う〜」というのは、自分としては、いちおう社会というものに合わせた表現のつもりです。
‥‥書いているうちに、自分が永井均より(一面識もありませんが‥‥)社会的に変人なのではないかと思えてきましたよ。
937 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 17:01:45 0
これは別に反論でもなんでもないのですが
>(もちろん、社会に生きる上で、社会的存在としての自分には、それなりの関心はあります)
>「『この我』思う、故に『この我』あり」は、自分の関心を哲学(と呼ばれている分野)っぽく糊塗してみた表現です。
あなたのような健全な人がデカルトを読むと、その程度の理解になってしまう
わけです。別にそれでもいいのですが、それでは他人の心に関する懐疑論が
発生してしまうのです。あなたはもちろんそんなことを疑わないと思いますが、
永井は、なんだか変な妄想を作りあげて生きているのです。
938 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 23:01:37 0
俺がネタフリしたら予想通り食いついたなw
939 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 23:51:11 0
何も導いていないのだから、【故に】を挟むのは、まずいな。
【このことをもって】とした方がいい。
【思うということをもって、我は存在する】
肉体とは別に、思惟するものが存在するという二元論の主張になる。
929が言ってるのって永井の言ってる独在論でしょ?
永井の独在論だったら別に他人の心の懐疑は生じないでしょ
もし独我論が文字通り真実で、世界に自分の心一つしかない
(と考えている)のだとしたら、なぜこの人物が『この私』なのか
なんて疑問は生まれないじゃん
独在論は他人、というか複数の心が実在することを認めないと出てこない考え
てか独在論と独我論を混同して語る奴が多すぎ
941 :
考える名無しさん:2010/03/07(日) 19:26:46 0
独我論が真ということはありえない
なぜならこの世界が1人の意識から構成されるとするなら
なんらかの言明が誤りうること自体がありえない
つまり真偽概念が無効になるからである
>>941 君の言う意味の真偽概念自体が独我論を前提としていない以上、
無効にになるのは当然のことで、それと独我論の真偽とはまた別の話だろ。
すいません、独我論に真偽概念ってあるんですか?
よかったら定義と真理条件を教えてもらえませんか
>>943 どういう意味で「真偽概念」って使ってるの?
それを聞かれてるんじゃないの?w
つまらん
947 :
考える名無しさん:2010/03/16(火) 10:35:55 0
「我」とは何か?
948 :
929:2010/03/16(火) 17:05:11 0
>>941さんにほぼ同意です。
独我論は否定するためのものでしょう。
個人的には、独我「論」と表記したほうがいいと思いますが。
「独我論は正しい」というのは、偽文のようなもの(あくまで「のような」)でしょう。
野暮は承知の上で書きますが、独我論は、正しいかどうかでなく、どのように否定するかが面白いんでは?
何故なら、その「どのように」の部分が、その人物(無論この私も含まれます)の世界観・他者観に関わるのですから。
その「どのように」は、他人から見ると「その人らしさ」と換言・還元できるでしょう、本人がどれだけ「深く」考えているつもりでも。
未だいるのかわかりませんが、竹○信者(一部のディープな方を除く)なんか、これを言うと怒りそうですね。
>>948 観念論的に考えれば真偽なんて「そう思わざるを得ない」という心的なものだろう。
だったら独我論的世界において主体が「あれは真だ」「あれは偽だ」と思うことは可能だから
>>941は間違っていると思う。
>なんらかの言明が誤りうること自体がありえない
でいう「誤り」は、客観世界を前提として、
主観がそれと一致するというような世界のなかで成立することを指しているのだから
そのような世界を前提としない独我論を批判する方法としては見当外れなんじゃないか。
真偽概念は非独我論的概念だからね
独我論の真偽を問うても意味がない
独我論とは「つぶやき」でしかないんだよ
真に我独りであるなら、非独我概念を生じることもなく、つぶやくことも無いだろう。
動物だからアーウーくらいは言うよ
動物は独我論者じゃないし、非意味のうなり声は言語ではない。
別につぶやきが有意味である必要はないわけでね
956 :
考える名無しさん:2010/03/20(土) 22:04:11 0
>>949 理屈としてはわかるけど、
それで、あなたは独我論が正しいと思ってるの?
理屈としても成り立ってないでしょ
>>955 自分にとっても意味の通じない唸り声が、おまいにとっての独我論なん?
959 :
考える名無しさん:2010/03/20(土) 23:18:18 0
何の話してんの?
961 :
考える名無しさん:2010/03/22(月) 01:36:28 0
それではないなぁ
まだまだだなw
963 :
考える名無しさん:2010/03/22(月) 05:28:47 0
w
964 :
考える名無しさん:2010/03/22(月) 13:19:31 0
独我論は「論」として立てた時点で破綻する
>>960 追い立てられたケダモノの唸り声を聞く会。
967 :
929:2010/03/23(火) 17:27:55 0
バランスを取るために永井教徒?の悪口も書いておきましょう。
私が他の永井読者像として期待していたのは、開闢が持続する!‥‥と毎瞬毎瞬驚いているような人物なんですな。
ところが誰も彼も私私私‥‥で、食傷気味なわけです。
「<子ども>のための哲学」だけでも「独今論」なんてものが提示されているのに、独我論や独在論?ばかりに彼らの関心は集中しているように思えます。たぶん若い人間だと思いますが。
近代社会は「私」問題が語りやすい社会であるし、ましてこの日本社会は、私小説をもてはやす傾向があるでしょう。
それが歴史的に積み重なっている社会構造がある。竹田青嗣はそれにうまく乗っかった人ですね。無意識的になんでしょうが。
永井教徒?の多くも、同じライン上に存在しているように見えます。社会的にはね。
「私しかいない」も「今しかない」も禅でいうとまだ途中段階だよね。
そこから先がまだあるのだけれど、
そこにすら至っていないで批判しているのが多いね。
独我論者の仮想敵って永井信者なん?
>>967 永井ともこのスレとも全然関係ないですが
>開闢が持続する!‥‥と毎瞬毎瞬驚いている
私はこういう考え方は好きではありません。
あなたがどういう人か全然わかりませんが、
ひとりの人間としてたまたま生まれて、死んでいく
ということについてどう考えてますか。
971 :
考える名無しさん:2010/03/24(水) 19:50:51 0
いまどき、竹田がどうしたなんていってる奴が存在してるわけないだろ。
竹田本人は、もちろん存在するけど。
972 :
考える名無しさん:2010/03/26(金) 01:03:35 0
独我論の正しさは異常w
973 :
考える名無しさん:2010/03/26(金) 02:54:07 0
>>967 >私が他の永井読者像として期待していたのは、開闢が持続する!‥‥と毎瞬毎瞬驚いているような人物なんですな。
「翔太と猫のインサイトの夏休み」は哲学の教科書として大変優れたものと
私は考えていますが、哲学書としては「ソフィーの世界」の完全なパクリだ
と思っています。
あなたはどう考えますか。
ぜひ、お聞かせください。
974 :
929:2010/03/26(金) 12:14:08 0
>>970 自分の精神的な痛み、社会的な被圧迫・迫害、人生、また自分や愛する者の生や死に、意味がないのではないか、という懐疑。これによって生ずる不安は(少なくとも自覚的な)近代人が抱え込む苦悩でしょう。
また、これは永井の「これがニーチェだ」からの拝借ですが、こういった苦悩それ自体に何の意味・意義もないのではないか、という懐疑。これによって生ずる不安は、前段の苦悩の構造に自覚的な「誠実な」近代人が、さらに抱え込む苦悩でしょう。
「<子ども>のための哲学」の永井ではありませんが、義務教育のうちに、こういった「基本」を教えたほうがいいと思っています。
答になっているでしょうか。
>>971 バカにされてしまったので、一応、レスしておく。
俺、竹田は結構好きだよ。
なんだかワケわかんないこと、堂々と言ってるから。
「自分を知るための哲学入門 」を読んでもわかるけど、多くの竹田ファンは
そういうところに惹かれるのではないだろうか。
(断っておきますが、この本はいまさら読んでもどうしようもありません
でも、興味があったら、立ち読みしてください)
独我論者は独我論を否定するために独我論を志すんや!
977 :
929:2010/03/27(土) 20:56:01 0
>>973 >「翔太と猫のインサイトの夏休み」
>「ソフィーの世界」
すみません。どちらも未読です。
>>970 たぶん、私は「私」問題に関する哲学的感度が鈍い人間なんでしょう。
あなたの問いの重要ポイントは、おそらく「たまたま」の部分でしょう。
私はこの、「私」問題においての「たまたま」というような偶然性に、あまり驚きを感じ得ないんですよ。
たしかに偶然ではありますが、その偶然が無数に生じている以上、それは「たまたま」「偶然」という語義以上のものを探求する必要性を見出せない。
奇跡であるかもしれませんが、その奇跡が無数に生じている以上‥‥です。
生命は、人間の命は、その誕生は、もちろん尊ぶべきものです。
しかし、そういう話ではありませんよね。
もうこのスレのも終盤なわけですが
誰も魅力ある体系を築けなかった。
だって馬鹿なんだもん♪
でもこのスレに引きつけられる
だって馬鹿なんだもん♪
979 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 23:33:05 0
独我論は否定できないんだけど、何故否定する必要があるのかって方が
答えに近づけるんじゃないかな。独我論が間違いで無ければならないとする理由、
それこそが哲学的第一歩ではないだろうか。
自分が消えても世界は存在するか?がポイントじゃ無いしな。
自分が消えても世界が存在すると証明する方法が無い、これが独我論のポイントだと思うんだけどどうだろ。
馬鹿がポイントを合わせようとしても合わない。
しょせん馬鹿だから♪
馬鹿が合わせようとしたポイントもそもそもポイントでない。
しょせん馬鹿だから♪
自演我論
982 :
考える名無しさん:
真我覚醒した奴だけが独我論を理解できるはず。