【陸賈】東洋教学総合スレ0006【ナーガセーナ】
1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:2010/08/20(金) 16:52:52 0
3 :
考える名無しさん:2010/08/20(金) 17:30:54 0
高祖劉邦に侍した儒者としては、陸賈のほかに酈食其や叔孫通がいる。
酈食は韓信の策略に巻き込まれて煮殺される、非業の最期を遂げたが、
陸賈は劉家による漢朝存続のための呂氏専横の処分に協力するなどして、天寿をまっとうした。
叔孫通も戦時中には儒服を脱いで軽便な格好をして劉邦を喜ばせたり、
盗賊上がりの壮士ばかりを推挙して愛弟子は温存するなどしていたが、
天下平定後には礼楽の勃興の主な担当者となり、無学の劉邦でもできるような
簡便な礼楽によって群臣らを丁重に臣従させ、「皇帝になって最高の瞬間だ」と劉邦に唸らせた。
その後も前漢の儒学の学祖となって、豊潤な礼楽文化を行き渡らせることに貢献した。
(以上はほぼ全て司馬遷「史記」からの参照)
儒者ってのは、誰か一人ばかりが活躍するよりは、何人もが手堅い仕事をこなしていく所がある。
正直いって「小粒」も多く、質だけでなく量によっても世を圧倒して、全体性から徳化していく。
孤軍奮闘や一騎当千のほうが見るからには面白いが、世を泰平に導くかといえばそうでもない。
英雄の面白がりと引き換えに世を乱すか、泰平と引き換えに行き過ぎた英雄には退場を願うか。
項羽のように四面楚歌の挙句に自ら首はねて事切れたりの、英雄ならではの散華が見ものだ。
4 :
考える名無しさん:2010/08/20(金) 18:10:32 0
劉邦が叔孫通に礼楽の再構築を命じたのは、自分が漢の高祖となってからも
群臣が自分の前で酔っ払って言い争ったり大声を張り上げたり、
剣を抜いて柱を撃ったりの無礼を平気で横行させていたからだ。
劉邦自身、卑賤の出身な上、無学で儒者嫌いだったことから、一度は秦の法制などと共に
儀礼も概ね取り去って、それでよしとしていたが、さすがにこのままでは皇帝として形無しだと思い始め、
煩雑な法制の撤廃はそのままに、儀礼の簡単な復興だけを叔孫通に命じた。
高祖の指示通りに、叔孫通はできる限り簡単で、昔の儀礼とも大幅に異なる礼式で
臣下を服従させたが、それだけでも以前よりぐっと廷内が引き締まり、その威儀深さから高祖も
上記のような感嘆の言葉を述べた。芯から偉大な皇帝などにとって、礼楽は自然と欲してしまうものなのだ。
5 :
考える名無しさん:2010/08/20(金) 18:30:26 0
ナーガセーナが活躍する「弥蘭陀王問経」は、今だと中村元訳の「ミリンダ王の問い」という書名で有名だが、
威厳に欠けるのであまり好ましくない。小乗経典なので、大乗仏教主体の日本では読まれて来なかった
かのように勘違いされているが、源信の「往生要集」でも引用されるなど、伝統的にも受容されている。中村元が
「真理のことば」と訳した「ダンマパダ」も、漢訳の「法句経」として輸入され、道元の「正法眼蔵」などで引用されている。
確かに大乗の立場から、小乗こと上座部仏教を差別する発言も多いが、上座部の教義もやはり、昔から
日本に輸入されているのであり、とくに戒律の面では、大乗の戒律は小乗のそれに上乗せされた形になっていて、
その全てが鑑真和尚によって「律宗」として持ち込まれて、日本中の自力仏教の実践面での本格化に寄与している。
いくら南伝大蔵経やチベット蔵などを今さら輸入して和訳したところで、実践面を疎かにしているのなら、中国経由の
漢訳仏典ばかりを輸入していた(当時の交通の便の都合上仕方なかった)古来からの日本仏教の足元にも及ばない。
俗世のしがらみで仏教が十分に実践できないというのなら、関連文書も些少な他力仏教にでも帰依しているべきで、
自力仏教の浩瀚で晦渋な教義や経典を、俗世での悪行の正当化材料に用いたりすることだけは、してはいけない。
6 :
考える名無しさん:2010/08/20(金) 18:55:59 0
なぜ中国で「経史子集」の「史」などとして、史学が思想哲学も同然の扱いを受けているのかといえば、
儒家や法家といった中国思想が、象牙の塔の内側に秘蔵されたりはせずに、現実の世界で存分に活用されているからだ。
その証拠に、酈食其や陸賈や叔孫通といった、数多の儒者が漢の皇帝たる劉邦の直下ですら活躍している。
始皇帝だって、荀子の弟子であり韓非子の学友だった李斯を用いて中国を征服してもいる。善い面でも悪い面でも
儒家や法家や道家や兵家といった思想的派閥が実地面で根強く影響力を持っており、漢代以降の儒家においてそれは極まる。
洋学だって実社会に影響を与えてないわけじゃないが、その影響の与え方が陰湿であり、諸子百家のように大っぴらでない。
それに何といっても、西洋では「正史」を書こうという試みすら行なわれておらず、思想哲学の歴史的反芻が慣習付いてない。
そのため思想哲学が歴史に与える影響が野放し状態であり、我田引水などの悪影響ばかりを与えているため、お話にならない。
西洋史において「たら・れば」が禁止されているのと同じで、自分たちの思想哲学によってつむぎ上げてきた歴史が後悔の塊だからこそ、
思想哲学と歴史をつなげて考えることが憚られている。中国の「史記」にあたるものが、スーターウォーズぐらいでしかないのもそのせい。
7 :
考える名無しさん:2010/08/20(金) 22:40:55 0
西洋にはキリスト教と言うすばらしい真理の教え;哲学があったのだ。
王権神授説と言うのが有ったが、これも王権がキリスト教に基づくと言うものであり、
王権の行使は、キリスト行為となるという思想である。古代中国の皇帝が、
老荘の思想を受け継いでいたとしても、イエスの思想と言う王権神授説と公言するほど、
責任を明確にするものではなかった。即ち老荘に対して無責任だったのである。
老荘は仏教やキリスト教のような伝道と言うものをしてないのは、どうしてだろう?
その教えは、自信に満ちており、ぜひとも他人に教える価値のあるものであった。
同じ思想は仏教によりキリスト教により伝道されているのだが。
道教を形成してることは認めなければならない。
う〜む。
8 :
考える名無しさん:2010/08/20(金) 22:55:02 0
自信があるからいちいちソワソワ動き回ったりせずに、ゆったりと構えてたわけだ。
仏教も中国人や日本人の側が積極的に輸入したのであって、インド人から押し付けてきたわけじゃない。
「史記」西南夷列伝でもすでに、西方との交際の過程で「身毒国」という国があるという噂があり、
西夷とも手分けして通ずる道を探したが、見つからなかった旨の記録がある。
身毒、シンドク、シンド、インド。
「天竺」よりもよっぽど音写的な文字当て。あまり縁起がよくない字だから「天竺」と言い換えたのか。
中国とインドの国交が開け、仏教までもが輸入されたのは後漢になってから。
玄奘三蔵が仏教経典を輸入するために天竺に赴いた話が、「西遊記」のモデルとなったのはあまりにも有名。
9 :
考える名無しさん:2010/08/20(金) 23:13:44 0
パルメの思想の存在と老荘の思想の存在が類似している。
パルメの思想は、キリスト教がローマの国境となるまでも、それほど
信奉者を増やしていると言えるだろうか?パルメの思想はストア派に吸収されているのだ。
ゴルギアスと言う有名な弁論家は、パルメの思想を広めて居は居るが、ゴルギアス自身
パルメの弟子であったわけではなく、とそのように言われているだけだが、実際ゴルギアスは
パルメをどのように考えていたのか、判らないのだ、つまり、ゴルギアス自身の
思想であった可能性もあると言うことだ。であるからギリシャ社会で、パルメの思想が
支配的でなかったなどとは言えないのである。プラトンのアカデミアに置いては
主流とはいえない。
インドではゴーダマの教えは人を惑わすもの、特に悪魔をも惑わす教えとして
捕らえられ、悪魔への防波堤として認められていると言う不本意な落ちとなっている。
ま、こんなことはこれぐらいで良いか。
スレ違いの迷妄ばかりを連ねられても困るが、まずは前スレから処理してってくれ。
11 :
考える名無しさん:2010/08/22(日) 22:07:10 0
前スレの975で書いたことに基づけば、結局、ある程度は寿命でもなんでもない、
不慮の事故や人災による死人が出てしまうのが、万億と大規模化してしまった社会の常。
そのような不条理を定常的に宿した人間社会を、だからといって最悪の状態に持っていくのが
権力犯罪で、不条理も内在してしまうなりに最善の状態に持っていこうとするのが権力道徳。そのせいで、
最高級の権力道徳を説いた孔子の論説ですら、矛盾だらけで絶対真理などからは程遠いものとなっている。
矛盾だらけのみそくそ状態な中にも、最善策を見出そうとするほどの心意気は、男しか持ち得ない。
ほんのちょっとだけでもくそが混じってしまった時点でもう、二度と改善する気が起きなくなり、
最低最悪の限りまでをも尽くしてしまうのが女や女々しい男。性別上の女には、清濁併せ呑んでまで
社会を改善していく能力は根本的にないので、忍従者としての立場に徹させる一方で、男に対しては
実社会の殺伐さと直面させて、それをどうしていくべきかを徹底的に考えさせるのが東洋教学。だからこそ、
東洋教学の中では比較的陰柔的な部類である道家の「列子」においても、「男尊女卑」という言葉が用いられている。
12 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/08/23(月) 00:03:09 0
前スレがまだ残っているようですが。
今スレは訳の分からないスレにしたくないものです。
微妙不可思議
15 :
考える名無しさん:2010/08/23(月) 14:31:53 0
井上恥の守晒し上げ
16 :
考える名無しさん:2010/08/23(月) 14:43:08 0
無知+陽剛の部分がまだいきり立ってるようだな。
17 :
考える名無しさん:2010/08/23(月) 14:44:37 0
どうあがいたって、多少の死人は出ざるを得ないような
大規模な俗界において、人っ子一人死なないような理想論が通用するわけがない。
だから、最々善レベルの権力道徳を説いた孔孟においてすら、殺伐とした実際論が垣間見られ、
イデア界に逃げ込みきった抽象哲学などと比べて、土臭いもののように思われる。
しかし、そのような清濁併せ呑みの中にも、なるべく死人を少なくて済ませようとする
権力道徳寄りの論弁もあれば、かえって多くの死人を加算してしまう権力犯罪寄りの論弁もある。
人間の生死などからはかけ離れた抽象論を抜きにして、実際のところ、その論弁を適用することに
よって死人の数が減るか増えるかということが、権力道徳寄りか権力犯罪寄りかを左右する。
「死人が出ないか出るか」ではなく、「死人が減るか増えるか」こそが、実際上の判定基準になり、
かえって総体的な死者数が増えてしまっている権力犯罪増大状態の世の中においてこそ、
飲酒運転による交通死亡事故死者数のような、あるかないか程度にまで追い込める部分だけの
死者数の有無に一喜一憂して、より根本的で重大な問題からは目を背けていようとする。
18 :
考える名無しさん:2010/08/23(月) 14:56:58 0
知識があることこそは貴ばれ、無知であることこそは恥じなければならない。
無知であるからといって偉ぶったり、知識があるからといって恥じたりしてはいけない。
そのためには、恥じる必要がなく、かえって貴い知識こそを蓄え、
無知に対してすら優越感を抱けるような、偉大なる知者になることだ。
世の中を真の安泰へと導く、権力道徳や絶対真理の知識は貴いが、
権力犯罪や、女子トイレの盗撮画像の知識などはかえって卑しい。
貴い知識こそを身に付けて、無知以上にも偉大なる人間となることもできれば、
卑しい知識ばかりを身に付け、無知以上にも卑賤な人間になることもできる。
だからこそ、貴い知識を身に付けた人間が知識+陽剛の偉大なる知者となって、
無知でいる人間こそを無知+陰柔の追従的人間へと追い込むことが好ましい。
卑しい知識ばかりを身に付けて、イギリス人みたいな知識+陰柔となって、
無知+陽剛のアメリカ人などに幅を利かさせれば、人として不健全極まりない。
19 :
考える名無しさん:2010/08/23(月) 15:17:39 0
恥晒し、向こうを片付けろや
20 :
考える名無しさん:2010/08/23(月) 15:21:57 0
>>18 どうとでもとれるバカレスだな。おまえここどこだか分かってる?
で、ここは何のスレだ?
21 :
考える名無しさん:2010/08/23(月) 15:26:33 0
恥の歴史
68 名前:132人目の素数さん sage 投稿日:2010/02/09(火) 14:55:35 行ベクトル×列ベクトルはスカラーになる。
積の結果を行列にしたければ列ベクトル×行ベクトルだろ。
って指摘が今まで無かった件について。
70 名前:井上筑後守 投稿日:2010/02/09(火) 18:28:04
>>68 ほんとだ。線形代数の教科書読み直したらそうだった。
じゃあ、今までのうちで
┌ ┐ ┌ ┐
│|陰〉 | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
泰=乾×坤=[〈陽| 〈陽| 〈陽|] ×||陰〉 |=│〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
│|陰〉 | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
└ ┘ └ ┘
と書いてたときは、すべて
┌ ┐ ┌ ┐
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
泰=乾×坤=|〈陽| |×[|陰〉 |陰〉 |陰〉] =│〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
└ ┘ └ ┘
だったことに脳内変換してくれ。
初歩的なミスだが、修正でなんとかなるレベル。
行×列でのスカラー計算もこれからは入れることにしよう。
22 :
考える名無しさん:2010/08/23(月) 15:41:43 0
ざっと縦読みしたが、すれ違いだろ?
削除依頼すっかな。
24 :
陰陽道講義:2010/08/23(月) 18:26:45 0
のび太=無知+陰柔
ジャイアン=無知+陽剛
スネ夫=知識+陰柔
出来杉くん=知識+陽剛
頭もよくて男前な出来杉くんができすぎなのはもちろんだが、
頭も悪くて見栄えもせず、力も金もないのび太もまた、
馬鹿力のジャイアンや性格悪くて金持ちのスネ夫よりも、
易の法則に基づけば吉祥なんだ。
その証拠に、のび太の元には何でも叶えてくれるドラえもんがやって来て、
将来にはクラスのマドンナであるしずかちゃんとの結婚も約束されている。
そしてそうであることが、お話になる。ジャイアンやスネ夫が
威張り腐ってばかりい続けるよりも、お話として完成されていて、面白い。
別に悲劇的な末路を美化するような修飾に優れているわけでもない
藤子マンガの質素な画風にも基づいて、そうであることが明らか。
(「ドラえもん」は今の中国でも人気がある)
25 :
考える名無しさん:2010/08/23(月) 19:00:37 0
個人的には、「老子」を読むことでなんとなく察知していた道家の理念が、
「荘子」や「列子」を読むと一旦はうやむやにされて、「史記」における高祖劉邦や
太宗孝文帝の振る舞いを通じて、道家の“真義”の理解にまで達したところがある。
道家が無知を貴ぶのは、無知ゆえの柔弱さが何ものをも飲み込む大器となるからで、
その無知ゆえの柔弱さによって臣下を自在に操り、皇帝までへも上り詰めたのが劉邦。
同じ無知でも、強情さの塊だった項羽は人々から見放されて、志し半ばに華と散った。
のび太にはドラえもんが付いていくことができたが、ジャイアンには付いていけなかった。
劉邦の庶子である太宗文帝も、陳平らから帝位に就くことを勧められながらも、
自らの不徳を恥じて、西を向いて三回、南を向いて二回も勧めを辞退した挙句に、
やっと帝位に就くことを了承した。その後の政治活動も、劉邦が多数撤廃した法制を
さらに簡略化するなどの、消極性の限りを尽くしたものであった。しかし、それによってこそ
漢の徳治は「天網恢恢疎にして漏らさず(老子)」とでもいえるほどのものになり、
法制ではなく文帝らの楚々とした振る舞いを人々が見習うことによって、世も治まった。
精密機械のように、何もかもを法文で塗り固めていくことで雁字搦めの平穏を画策した所で、
そのような法治社会をもたらす政治家や法律家自身はてんてこ舞いのADHD状態にあり、
まったく人々にとっての模範たる存在とはなっていない。むしろ、自分たちばかりが旺盛な
活動に奔走する反面、下民には徹底的な屈従を強いており、支配者と被支配者の関係性が
完全に分裂しきったものとなっている。これこそは、君主からの無為自然の実践によって、
それを見習う民をも平安へと導く道家の本義からも最もかけ離れた姿ともなっている。
26 :
考える名無しさん:2010/08/24(火) 10:24:54 0
始皇帝が模範としていたのはあくまで法家だが、文帝が即していたのは本物の、純正な道家だ。
高祖劉邦に至っては「老荘読まずの老荘知り」で、知らず知らずのうちにすら道家の教義に即してた。
漢こそは、儒家と共に、純正な道家をも取り入れた初めての例であり、
秦が法家を通じて道家をも取り入れてたなんてのは全くの思い違い。
「韓非子」解老篇には老子に対する解釈なども載っているが、冒頭から「本当に何もしなければ
いいわけじゃない」などと道家の曲解尽くしとなっている。「本当に何もしないでいるべきなのだが、
やむをえない場合に限ってする」という「荘子」などにおける行動解釈こそは正しい道家教義にも即している。
帝位への就任を五回も辞退した挙句に、やっと受け入れた文帝の姿勢などが、それにあたる。
27 :
考える名無しさん:2010/08/24(火) 13:53:05 0
儒書の典型中の典型であり、忠節の根本ともなる孝を説いた
「孝経」を家ごとに蔵書とするよう詔勅して頒布した唐の玄宗も、道家の代表者である
荘子を「南華真人」として称えている(そのため書物の「荘子」も「南華真経」と呼ばれる)。
師匠や妻の葬式では歌って踊り、王君からの招聘や贈与も断り、挙句には寓話の中で
大盗賊盗跖に孔子をめったクソに論破させている「荘子」の内容からして、
到底儒家帝国の皇帝が大っぴらに賛嘆できるようなものではないように思うんだが、
やはり、そこにはそこで帝王学としての意義が備わっているらしい。
超俗主義の道家までをも含めて、どこまでも俗世を見落とさないのが中国思想。
「朱子語類」にも、老荘列に関する注釈が少しだけ載っている。
あくまで異端の学としてではあるが、漢代以降も道家が根強い支持を受けてきたこと
だけでなく、儒家の側にとっても見落とすわけにいかないような、重要な論説がそこに
含まれているのだろうと思われる。「老子」はともかく、まだ「荘子」や「列子」は一読した程度で、
その含意を十分には汲み取りきれていないが、中国版仏教などという以上にも、
儒家のような世俗主義にも大きな影響を与えてきた奇特な超俗志向としての、
道家の特性については、これからも研究を続けていきたいと思う。
たとえ自分が、道家のほうが実践しにくい境遇に立たされることになったとしても。
28 :
考える名無しさん:2010/08/24(火) 15:30:28 0
恥の歴史
68 名前:132人目の素数さん sage 投稿日:2010/02/09(火) 14:55:35 行ベクトル×列ベクトルはスカラーになる。
積の結果を行列にしたければ列ベクトル×行ベクトルだろ。
って指摘が今まで無かった件について。
70 名前:井上筑後守 投稿日:2010/02/09(火) 18:28:04
>>68 ほんとだ。線形代数の教科書読み直したらそうだった。
じゃあ、今までのうちで
┌ ┐ ┌ ┐
│|陰〉 | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
泰=乾×坤=[〈陽| 〈陽| 〈陽|] ×||陰〉 |=│〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
│|陰〉 | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
└ ┘ └ ┘
と書いてたときは、すべて
┌ ┐ ┌ ┐
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
泰=乾×坤=|〈陽| |×[|陰〉 |陰〉 |陰〉] =│〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
└ ┘ └ ┘
だったことに脳内変換してくれ。
初歩的なミスだが、修正でなんとかなるレベル。
行×列でのスカラー計算もこれからは入れることにしよう。
29 :
考える名無しさん:2010/08/24(火) 18:10:12 0
「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ(学而第一・八)」
「過ちて改めざる。是れを過ちという(衛霊公第十五・三〇)」
(「論語」より)
一回ぐらいの過ちでクヨクヨしないように励ます一方、過ちを繰り返すことは非難する。
絶対に過ちを犯さない真性臆病のままでいようとする知識+陰柔と、
過ちを改めようともしない無知+陽剛への両成敗となっている。
30 :
考える名無しさん:2010/08/24(火) 18:39:42 0
「絶対に過ちを犯さない」というか、「絶対にボロを出さない」でいようとする
人生の演技者ってのが、今の世には数多い。
内実はやっぱりどこか至らない部分があって、そこが表向きに晒されてしまうと
自分がこれまで作り上げてきた「自分像」が壊されて、台無しになってしまうから、
決して自分像が壊されないように、綱渡り的な印象操作を行なっている。
その、ガラス細工のような印象操作を間違えないことにかけては、徹底的でいる。
根本的な部分で過ちを犯していることは放っておいたままに、過ちの取り繕いとしての
自分像の印象操作に関しては、至極徹底の限りを尽くしている。どんなにしぶとい
パパラッチによってでも捕捉できない、心の奥の奥の奥の奥に内実をしまいこんで、
決して表向きの自らの印象を崩すことはない。
所詮は「頭隠して尻隠さず」で、表向きに取り繕っている自分像などが虚像であり、
ドロドロとした内実が別個に存在することは明らかなんだが、全空間の8分の1にかけては
自由自在な操作の可能なユークリッド幾何学をも活用して、自分が「これでいよう」と決めた
自分像を誰しもに押し付けて、自分自身すらそれが自分の本質であるように思い込む。
結局、本質の部分では過ちを犯していて、その過ちを改めずにいようとするから、
過ちの取り繕いにかけては、絶対に過ちを犯さないようにする綱渡りが欠かせない。
改められる過ちに対しては寛容でも、改めない過ちは許さない、易体得者孔子の意見とも相反する。
31 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 09:42:44 0
仏教の起源は古代ギリシャ文明だ。
アレクサンドロス三世がインドを征服したときに伝えられた
ギリシャ神話を、ギリシャ人がインド土人に伝えたのがインド教。
そしてそれを古代ギリシャ人のインド入植者がまとめたのが
原始仏教である。その証拠にインド人はアレクサンドロス以後に
容貌が白人に近くなり、仏像なども古代ギリシャ彫刻に倣って
発展した。
32 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 10:00:12 0
釈迦(紀元前463年 - 紀元前383年)
アレクサンドロス3世(紀元前356年 - 紀元前323年)
33 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 11:04:33 0
インド人の時間に対する概念は信頼できないし、正確じゃないよ。
ちなみに目が青かった始皇帝もアレクサンドロス三世が率いていた将校らしい。
34 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 11:06:29 0
ちなみにこのときに東洋の神秘主義を代表する儒教の重要な書物も
アレクサンドロス三世がもたらせた。孔子や老子は古代ギリシャ人の哲学者である。
虚言をまかり通らせた先に何がある?
ただ、果てしなくつまらない未来があるだけだ。
自分にとって都合のいい状況となるかどうかと、現実とは連動しない。
犯罪者や精神異常者が都合のいいように現実を改ざんするなら、
それだけ虚言や欺瞞の横行によって、より多くの人々が苦しむだけだ。
実のところ、犯罪者や異常者自身もその中に含まれてすらいる。
罰当たりや無礼によって世界中に災禍をもたらして、
その状況をArtで美化したり、科学で無理やり再構築したりしてきた。
三歩下がって二歩進む程度の、進歩のつもりな退歩を続けてきた西洋史。
二歩進む前に必ず三歩は下がっていることを、自分たちでは覚えてないんだからしょうがない。
38 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 11:39:40 0
>>35ウソじゃないよ。歴史家も「儒も仏も白人が起源」と認めてるよ。儒教の経典と古代ギリシャの
哲学は異常に酷似している。つまりアレクサンドロス三世がアジアを征服したときに
もたらせたと考えるのが普通。仏教も儒教も、なんてことはない、白人が
創始した宗教なのである。
39 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 11:45:36 0
古代ギリシャ人は大体3000年前くらいから世界のあちこちに殖民都市を
形成し、学者を輩出している。ソクラテスに始まる有名な哲学者から
地理学の起源であるキュレネーのエラトステネス、アレクサンドロス三世以後は
東洋で初めて皇帝となった始皇帝、孔子、シャカなどが有名である。
東アジア人は最初白人(おそらく古代ギリシャ人)だった(春秋時代の
遺跡に白人の遺骨が多数実際に発掘されている)のだが、三国時代から
五胡十六国時代にかけて「人種の交代」がおき、中国はモンドロイドの
生息地になる。だからその後科学や哲学が滅び、経験則になってしまった。
現在中国人はこの歴史的事実を隠している。
40 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 11:54:51 0
孔子(紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日)
アレクサンドロス3世(紀元前356年 - 紀元前323年)
「春秋経」や三伝、「史記」含む中国正史の記録は、
兵員の桁数が二桁ぐらい平気で改ざんされている、
ヘロドトスなんぞの記録よりよっぽど信頼が置ける。
ソクラテス・プラトンの「洞窟の比喩」や、ユークリッド幾何学も、
四方八方の空間把握を適正化した5200年前の八卦よりも遥かに劣悪。
黄老思想もその起源は4700年前まで遡り、ホメロスより2000年以上古い。
純粋な文化水準として、古代ギリシャ文化は中国文化に全く及んでいない。
41 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 11:59:37 0
だから孔子自身が古代ギリシャ人なんだってば。だからその書籍を
アレクサンドロス三世がアジアにもたらせ、中国人が翻訳したの。
42 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 12:00:01 0
無知であるものが、無知蒙昧であることをごり押しして、善知識をやり込めようとする、
無理を落として道理を引っ込ませようとすることが全面的に無知+陽剛の凶相を帯びており、
あるよりもないほうがよく、知識+陽剛や無知+陰柔にももちろん道を譲るべきものだ。
譲らないのなら、そのぶんだけ、辛く苦しくつまらない、
二歩進む以上にも三歩下がる未来が待っているのみ。
43 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 12:09:15 0
いま、無知蒙昧であるというのなら、それも仕方のないことだ。
しかし、そうであることを開き直って知者までをもやり込めようとしてはいけない。
無知であるなら無知なりに、知者の言うことをよく聞いて忍従に特化すべきで、
それがイヤだというのならちゃんと勉強すべきだ。劣悪な虚構の知識などで蒙昧を
塗り固めたりするのでもなく、本物の知識をちゃんと身に付けて、人に先立てる知者となることだ。
逆に、本物の知者こそは、無知で粗暴なジャイアンなどにも譲らず、
悪知恵はあっても陰湿なスネ夫のようにもならず、どんどん前面に出て世を主導していくべきだ。
その際も、あくまで自らの知識を善用することによってこそ活躍し、一転して粗暴な愚者となるような
ことは避ける。世のため人のために知識を活用するためには、当然知識も陰謀のための悪知恵
などではなく、人々を安泰や真の繁栄へと導くための仁義に基づいていなければならない。
だから、陰謀の知識を蓄えた陰湿な知者などが、一転して陽剛な知者になったりするのは不可能で、
あくまで仁義のための正しい知識を勉強してきたものに限って、陽剛に振舞うことも叶えられる。
44 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 13:01:43 0
で?
詐欺師井上。
45 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 13:06:24 0
仮に、中国文化もインド文化もギリシャ起源として、
本国であるはずのギリシャ文化のほうが全体的な成立が遅くて、
分量も少なく、質も劣悪なのはどうしてだい?
46 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 13:17:14 0
陰陽家ってまだいたんだ・・
盛り上がるのはいいけど
アレクサンドロス君も井上さんもきちんとソース出さなきゃw
49 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 13:37:39 0
分類学の祖である支那の名家(分類学派)はどこにいったんだ?始皇帝にヤキを入れられて
滅んだのか?
52 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 22:31:30 0
中国古典(経書、諸子百家、正史など)
質:★★★★(インド古典には若干劣る)
量:★★★★(大量だが仏典などにはやや劣る)
古さ:★★★★★(易経は世界最古の古典)
発行部数:★★★★★(引用回数一兆回以上)
インド古典(ヴェーダ、ウパニシャッド、仏典など)
質:★★★★★(世界最高の品質)
量:★★★★★(世界最多の分量)
古さ:★★★★(リグ・ヴェーダ成立は3200年以上前)
発行部数:★★★(書写量はそれほど多くない)
ギリシャ古典(ホメロス、プラトン、アリストテレスなど)
質:★★(父を殺し母を犯し目を刳り貫いて放浪)
量:★★★(そこそこに量はある)
古さ:★★★(最古のホメロスでも2800年前がいいとこ)
発行部数:★★★(基本西洋でしか読まれてない)
イスラエル古典(新旧約聖書)
質:★(刑死者が生き返る凶相の極み)
量:★(総計でも四書五経一冊にすら及ばない)
古さ:★★(旧約最古の創世記でも2600年前)
発行部数:★★★★(西洋だけで数千億回の引用)
53 :
考える名無しさん:2010/08/25(水) 22:33:00 0
俺がおまえらに目の敵にされているのは、犯罪者が刑罰以外の方法によって贖罪する方法や、
異常者が強制入院や禁治産処分以外の方法で治癒する方法を見つけられなかったからかい?
そもそも、望むべきですらないものを望んできたことへの反省はないのかい?
みんな気の向くままに書いてるだけでしょう
主義主張の相対性を一切認めない態度は哲板において特異なのかな…?
相対主義は、相対主義である以上、絶対主義の存在も認めざるを得ない。
一方で、絶対主義は相対主義の存在価値を認めない。あたかも、
女は男も女も産み出すにも関わらず、男は子を産まないかのごとく。
「1+1=2だ」というのが絶対主義。
「3でも4でもいいじゃないか」というのが相対主義。
1+1が3でも4でもいいんなら、当然2でもいいわけで、
何でもアリな相対主義の中に、絶対主義も含まれている。
しかし、絶対主義は1+1=2しか認めない。
自分の中に、自分の存在しか認めない存在の
存在を認める、それが相対主義という主義の宿命。
棒を穴に受け入れざるを得ない、女という生き物の宿命。
57 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 01:01:34 0
58 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 10:01:04 0
竜頭蛇尾
59 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 10:26:01 0
畢竟、相対主義とは「1+1=2以外」のことだ。
本当は「1+1は3でも4でもいい」の中には、
「1+1=2」も含まれているべきなんだが(穴には棒が入っているべきなんだが)、
それでは1+1=2と比べてあまりにも劣悪な3や4への示しがきかないために、
通常は1+1=2だけを村八分にして(穴から棒を取り除いて)、
1+1=3や4だけの、お花畑な世界に遊んでいるのが、相対主義。
あくまでそれは、誤った姿であり、相対主義ってのは、そうであることが
極まった中には1+1=2も含まれる。1+1が3でも4でもいいぐらいなのだから、
当然1+1=2でもよく、それどころか、自分たちが疎かにしてきた1+1=2こそは、
何ものにも代えがたい貴さを持つ、相対主義のご主人様とすらなる。
60 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 13:43:16 0
恥の歴史
68 名前:132人目の素数さん sage 投稿日:2010/02/09(火) 14:55:35 行ベクトル×列ベクトルはスカラーになる。
積の結果を行列にしたければ列ベクトル×行ベクトルだろ。
って指摘が今まで無かった件について。
70 名前:井上筑後守 投稿日:2010/02/09(火) 18:28:04
>>68 ほんとだ。線形代数の教科書読み直したらそうだった。
じゃあ、今までのうちで
┌ ┐ ┌ ┐
│|陰〉 | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
泰=乾×坤=[〈陽| 〈陽| 〈陽|] ×||陰〉 |=│〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
│|陰〉 | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
└ ┘ └ ┘
と書いてたときは、すべて
┌ ┐ ┌ ┐
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
泰=乾×坤=|〈陽| |×[|陰〉 |陰〉 |陰〉] =│〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|
└ ┘ └ ┘
だったことに脳内変換してくれ。
初歩的なミスだが、修正でなんとかなるレベル。
行×列でのスカラー計算もこれからは入れることにしよう
61 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 14:41:59 0
「人の過てるや、各々そのたぐいに於いてす。過ちを観てここに仁を知る」
(「論語」里仁第四・七)
62 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 14:52:19 0
63 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 18:03:10 0
易経は世界最古のコンピューター理論だという説がある。
すべてを二分法(乾坤)で分類し、その名の通り「簡単に(だれにでも易しく)」
答えを導くからだという。これに算盤を加え、電子化させたものが
現代のパソコンであろう。
64 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 18:36:04 0
当然ながら、コンピューターによって構築できる一般的な数理構造のほうが、
易の数理構造よりも遥かに一般的だ。しかし一般的であることによって、
空間が三次元であり、時間が非可換であるこの宇宙の法則だけを捉えた
易の特殊な数理構造と比べて、コンピューターで構築できる数理構造は「みそくそ」と化している。
易が「1+1=2」であるなら、コンピューターは「1+1は3でも4でもいい」。
もちろん1+1=2でもいいのであって、易の数理構造をコンピューターでも構築できる。
ただ、それはみそもくそも一緒くたなコンピューターの一般数理構造と比べて、純粋なみそであり、
構造として極めて特殊である反面、他の何ものにも増して尊重されるべき高貴さを具えている。
65 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 19:13:36 0
易の数理構造よりも、相対論や量子力学のほうがまだ一般的過ぎる。
素粒子物理学や現代宇宙論も一般的過ぎるし、ただでさえ一般的に過ぎると
言われている超弦理論などの数理物理学がそうであるのももちろんのこと。
リグ・ヴェーダの宇宙開闢賛歌などは、その表現が「詩」という定性的な表現形式によるため、
易と比べればその定量的な証明が難しいが、やはり現代物理学や最新宇宙論などよりも、
「この宇宙だけ」の構造を捉えた文言として適切。どんなに複雑怪奇な数理構造を模索した所で、
その結論が「反重力は存在する」とか「パラレルワールドは存在する」とかでしかない時点で、
東洋教学中では最古級の最初歩にあたる、易やヴェーダにすら及ばない。
66 :
考える名無しさん:2010/08/26(木) 19:27:10 0
全てが全てそうなわけじゃないが、東洋教学には絶対主義的な傾向も色濃い。
まず、仏教こそは、相対主義のジャイナ教を向こうに回した絶対主義であり、
寸分たりとも揺らぐことのない絶対真理こそを突き止めることに特化されている。
儒教もまた、古来においては性善論の孟子と、性悪論の荀子を並列させる、相対主義的な
傾向を持っていたが、宋代の朱子学における性即理説によって、孟子の性善論のほうに完全な軍配が上げられ、
その後朱子学の超克を目指した陽明学ですら、「心即理」という、性善論を強化するような説を唱えた。
東洋教学は、初めのうちはみそもくそもごちゃ混ぜな相対性を容認しつつも、
歴史を積み重ねるに連れて真説や普遍論を吟味し、絶対的なものこそを精錬し純化させて来ている。
あたかも玉鋼が、始めのうちは多くの不純物を含みながらも、刀鍛冶によって打ち固められるに
連れてその純度を増し、独特の沸(にえ)をも宿した名刀へと精錬されていくように。
67 :
考える名無しさん:2010/08/27(金) 09:57:01 0
朱子学を簡単に説明してくださいませ。
陽明学もよく分かりません。
68 :
考える名無しさん:2010/08/27(金) 11:02:14 0
朱子学ってのは、いま普通に儒学とされている儒学のことだ。
古来から「五経博士」の設置などの形で重要視されている「易経」「詩経」「書経」「礼記」「春秋」の五経に、
「論語」と「孟子」と「礼記」からの抜書きである「大学」「中庸」の四書を併せた
「四書五経」という経書分類を一般化させたのも朱子。
登用される官僚の等級に応じて、四書だけの暗記が義務付けられたり、
四書五経全体の暗記が義務付けられたりの、科挙試験上の便宜ともなった。
元来は諸子百家の一人に過ぎなかった孟子を、孔子と並ぶ儒家の正統にまで押し上げたのが
朱子学の性即理説でもあり、これは大乗仏教における唯識思想や、
禅の狗子仏性論の影響も色濃く受けている。本来は相対主義的な面もあった儒学が
仏教の絶対主義的側面を間借りした最大例となっている。
69 :
考える名無しさん:2010/08/27(金) 11:04:08 0
しかし、古来から意見が一つに凝り固まることを嫌う儒学の特性にも即して、
朱子学にも多くの異論が巻き起こり、その中でも最も代表的となったのが陽明学。
「性だけでなく情もあわせた心全体が理にかなっている」という心即理説は、
「性は理に即していても情は濁されることがある」とする朱子学の性即理説以上にも、
「一切衆生悉有仏性」などの仏教的絶対主義をより多く取り入れた結果のものであり、
朱子学以上にも聞こえはいいことから、一部熱烈な支持を受け続けている。
陽明学の徒を自認する者が今でも多いのに対し、朱子学の徒などを自認する者が
ほとんど見受けられないのは、朱子学こそは近現代の儒学の正統中の正統であり、
儒学に手を出せばそのほとんどが当然のこととして朱子学でもあるため、
わざわざ朱子学の徒を自認したりすることに意味が見出されないから。
日本人では林羅山などが典型的な朱子学者だったが、同時に典型的な儒者でもあり、
今の日本における「普通の儒学の祖」でもあるため、朱子学者であるという部分が
それほど大きく取り沙汰されることもない。もはや朱子学が儒学の完全なデフォルトと
化しているために、陽明学や心学のような形で現代人が朱子学を意識することは少ない。
70 :
考える名無しさん:2010/08/27(金) 12:27:05 0
いま日本で読み下されている「論語」の訓点も、基本は林羅山による道春点となっていて、
そこに後から、山崎闇斎や後藤芝山などが多少の変更を加えて今に至っている。
家康公が林羅山に受けていた「論語」の講義と、いま普通に読まれている「論語」の一般的な解説も
あまり変わらない。いま普通に勉強されている儒学が、朱子学でもあるというのは、そういう意味。
71 :
考える名無しさん:2010/08/27(金) 13:31:40 0
つまり「啓示」的に言うと朱子学ってのはそれ以前の儒と何が違うのでしょうか?
それと性即理説とは今の生理・医学などのさきがけのようなものでしょうか?
易と草加って客か場所とりで揉めたのかよw
73 :
考える名無しさん:2010/08/27(金) 14:11:39 0
>>71 朱子学は、それ以前の儒学と大きく違ってたりするわけじゃない。
何かが刷新されて、全く新しいものが付け加えられるようなことがあったわけじゃない。
ただ、古来の儒学を、朱子を始めとする宋代の大儒が整理して細密な注釈なども施し、
孟子を勧めて荀子を懲らすなどの正統性の純化に努めたのが朱子学。「近思録」や
「朱子後類」などの、朱子学系の書物もあくまで、古来の儒学の注釈に特化されている。
「“性”即理」だからな。「“生”即理」じゃなくて。
朱子学は別名を「性理学」ともいう。これでも生殖学か何かと混同されそうだが、
「性」ってのは、朱子学では「心」の構成要素としての「性」を意味している。
性+情=心であり、性が本体、情が末用であるというのが儒者による「心」の解釈。
つまり、性理学ってのは「心理学」に近い意味を持ち、心理学よりもより純化された意味を持つ。
「パブロフの犬」なんてのは、禽獣と人間に共通する心情の法則を突き止めたもので、
心理学どころか「情理学」であり、性理学たる朱子学と比べれば随分と低劣なことを扱っている。
人間を人間たらしめているのは、心のうちでも「性」の部分であり、「情」は禽獣とすら
大して違わない場合が多い。だから、心のうちでも性の研究にのみ特化することが、
人間ならではの高尚な理性の研究や、その純化に専門化されているといえる。
75 :
考える名無しさん:2010/08/27(金) 16:07:49 0
井上恥の守の自作自演だろうがw
前スレいってみな。こいつメンヘラだろ。
グーグルやウィキでぐらい、当然調査済みのものとして語っている。
四書五経や諸子百家も通読した上で、ネット上にはまだ載ってないような部分を。
自分たち自身が読んだ上でなら、「ああそうか」と納得できるようなことに限って。
>>76 よく言うよwどんだけw
俺っちがデタラメの根拠を出してんのに
調査済みとかもうね。マジで精神的にきてんじゃないの?
78 :
考える名無しさん:2010/08/28(土) 14:58:26 0
ネット情報ってのは、よくいう通り玉石混交だ。
ウィキとかはなるべく正確さを期しているほうだが、やはりデタラメ情報も多く混じってる。
(「士農工商」の欄における「荀子」からの引用が「士商工農」になっているなど)
しかし、部分部分のデタラメさばかりを糾弾するあまり、大局を見通す程度の
ファジイな概括的理解すら否定するのなら、そのほうが「弁士一曲(荘子)」であるといえ、
ちゃんと改めるのなら一度ぐらいの過ちは許す儒家の寛容さにも反している。
完全な知識の持ち主か、もしくは全くの無知か。
そのどちらかしか許さないような風潮が、無知+陽剛のジャイアンや
知識+陰柔のスネオを量産する元凶ともなっている。
79 :
考える名無しさん:2010/08/28(土) 15:29:09 0
なるほど、朱子は荀子を退け孟子を推したのですね。宋代から科挙に
孟子という皇帝側にとっては危険極まりない思想が受験科目になったのも
うなずけます。でもその一方で「尊皇攘夷」を唱えてるのは矛盾してませんか?
孟子の権力循環と、荀子・法家の保守政治は不倶戴天のものと思われますが。
80 :
考える名無しさん:2010/08/28(土) 15:50:54 0
>>78私はインターネットの電子情報媒体は今までの図書館とまったく
変わらないと思ってます。単に検索や情報の取り寄せがそれより早いだけで、
そこに真実があるかどうかというのはそれを利用する人の問題である、と。
だから書籍だろうがウィキペディアだろうがそれは本人の知性を映す鏡でしかなく、
玉石混交もなにもないということです。
きびしいw
82 :
考える名無しさん:2010/08/28(土) 17:37:40 0
>>79 どうやら孟子を左寄りの思想家で、荀子や法家を右寄りの思想家だと思い込んでいるようだが、
孟子はただ一連の論述の中で革命論を取り上げたというだけの話で、その思想が左寄りだったりするわけじゃない。
儒学はその原初の孔子の頃から、尭舜禹湯文武といった「帝王」のあり方について述べている。
これは、道家が信奉する天皇(てんこう)・地皇・人皇といった「皇」よりも格下の存在であり、定義上、
日本の天皇よりも格下でもある王者についての論弁でこそある。帝王レベルの王者が数百年単位で
その王座を禅譲したり放伐されたりするのは仕方のないことで、それは日本の帝王格にあたる幕府の将軍が
数百年単位で政権を完全に刷新して来たことからも明らか。「皇」まではいけない帝王についての現実論の一環として、
孟子は革命論を述べたまでで、ガチガチの法治主義に基づいて非現実的な永劫支配を説く法家などのほうが、
当該の王制を短命なままに自滅させる元凶となってしまう(わずか15年で滅んだ統一秦帝国のように)。
荀子が革命論を唱えなかったのは、ただ臆病だったから。
場合によっては戦いも辞さないという孟子の勇気溢れる姿勢と比べて、戦いの存在性から根本的に否定する
荀子の臆病さが革命論への言及を憚ったまで。もし語ったなら、孟子の革命論とも何ら変わりはしなかったろう。
83 :
考える名無しさん:2010/08/28(土) 17:46:39 0
>>80 図書館は出版社の出版物や官報を所蔵しているだけだが、
ネット上には、個人の非営利目的な落書きも多々見られる。
図書館にあるのが「使える知識」であるのに対し、ネット上にあるのは「使える知識」
と「使えない知識」のみそくそ。図書館の「使える知識」も、「善用できる知識」と
「悪用できる知識」に分かれ、悪用できる知識を省いて善用できる知識だけを
抽出する必要があるが、ネットの場合はさらにその前段階として、使える知識と
使えない知識の仕分けが必要になる。そのため、知識を真に善用しようとする
人間にとっては、ネットは図書館以上にも敷居が高いものとなっている。
こういうことを考えるのは、あくまで使える使えない、善用できるできないといった
人間の側の自主的な方向性があるかどうかにかかっている。何の方向性もなく
ただ知識を取り込むだけなら、本人自身も図書館やネットと変わらず、ただ大量の
知識を収集したところで、立派なサヴァン症候群患者として認められるだけだ。
>>82左とか右とか幼稚な白人の政治観で儒教を捉えてるわけじゃ
ないですよ。単に孟子の革命論と朱子の尊王攘夷論は矛盾するのでは
ないか、ということだけです。一人の天子が無能なら放伐してやむなし、と、
天子を脅かす蛮族は追い払うべし、という説は同時代に並立して
ともに大事な思想として語られたのはおかしいのではないか、ということです。
そして荀子は確かに争いを否定しました。つまり万人に通ずる「礼(今で言えば
憲法)」を支配構造として制定することが無駄な争いをなくすのだ、という説です。
しかしその最高規定を決定するのは単に「勇気がない」のではなく、人々が
傷つかないために必要だと考えたからです。これはものすごい発想です。
最近世界を侵略して止まないサイコパスの欧州人がこの必要性に気づいたのは
彼から大体1800年ほども後のことなのですから。
>>83官報や出版物はけして「ウソをつかない」という前提に立っておられるようですが、
私は違うと思います。人がやることに完全はありません。ましてその集合体である国家をや、です。
国には外交的立場や、戦略の実現のためとして「方便」を良く使います。つまりウソを頻繁につくという
ことです。それがまとめられたのが公文書です。当然正確な数字をそのまま正直に出してある
もの(すぐにウソがばれて訴訟沙汰になりそうなもの)などは事実を書いてあるでしょうが、
以上のことから官側だからといって「私」のネットよりも事実に近いとは到底考えられません。
しかし貴方がおっしゃられるように「手前勝手に情報を流している」者が多いのも事実です。
ということは官(出版物)にしろ私にしろ、目前にあるものは単なる情報の羅列に過ぎず、
それを真なるものか無駄なものかを見定めるのは結局は自らの知性でしかないのだと
思うのですがいかがでしょうか?
86 :
考える名無しさん:2010/08/29(日) 19:23:08 0
>>84 尊皇攘夷を掲げて、幕末の志士も倒幕を果たしたじゃないか。
それは、幕府が数百年単位で交代せざるを得ない範囲の、仮初めの権力機構だからだ。
日本の天皇家には姓がなく、孟子の“易姓”革命論が適用される余地すら排除している。
そこまでして万世一系の永久統治を目論んだことが、未だ中国人にはないのであって、
じぶんたちにとっての頂上付近の問題を概論した結果として、革命論と尊王論が並存することとなった。
武道も礼に始まり礼に終わる。何も礼儀は一概に治安維持の道具とされるばかりではなく、
緩急自在な全ての人間の言動規範として適用されるもの。礼法の適用を
戦いの全否定と共に述べた荀子の門下から法家の韓非や李斯が生まれたことは、
法治主義が「礼楽統治の出来損ない」であることをも如実に現している。
87 :
考える名無しさん:2010/08/29(日) 19:25:36 0
サイコパスという精神疾患が、他者の追い落としやそれによる楽しみ全てに適用されると
いうのなら、強盗殺人によって虚栄を謳歌する火付盗賊を意地でもひっとらえようとする鬼平や、
その鬼平の活躍を楽しむ俺のような読者だって、サイコパスであるということになる。
しかしそこには、「犯罪者の懲罰」という峻厳な道理が通じているのであり、
現象としては「他者の追い落とし」や「その楽しみ」でもあるにしても、理にかなっている。
そのようにして、道徳主義は、より本格的な限りにおいては、サイコパス的な人間の悪念を
善用することすらあり、道理にかなった復讐劇として日本で称えられている忠臣蔵なども、
相当な悪念の塊でありながら清々しく、その一部始終を扱った劇が健全な娯楽ともされている。
礼楽統治はそのような、殺伐さやおどろおどろしさを善用する積極性までをも帯びる時にこそ
本格的となる側面があり、ただただ統治支配の殺伐さを、臆病の故に忌避する荀子が説いた
統治原理ばかりが、陰惨な法治主義をも派生する結果を招いた。世俗社会の統治原理である
以上は、恒久平和のような奇麗事は通用せず、清濁併せ呑む度量も必要であることを
わきまえたればこそ、殺伐さや悪念をも善用にまわそうとする勇猛果敢さが正統な儒学では
重んじられるのに対し、異端の儒者である荀子が説いた、極端な臆病さの下での礼楽統治は、
短命な上に余計な犠牲者をも大量に生む法治主義を派生させる結果を招いてしまった。
智や仁と共に、勇も嗜めてこその儒学であり、そこが絶対臆病の法治主義などとは違うところ。
88 :
考える名無しさん:2010/08/29(日) 19:40:37 0
>>85 別に図書館に所蔵されている情報が必ずしも正しいなどとは言っていない。
ウソ偽り混じりの情報操作で読者を自分たちにとって都合のいいように動かすような情報も多い。
ただ、それも含めて「役に立つ知識」と言っている。
読み手にとって役に立つ知識もあれば、読ませ手にとって役に立つ知識もある。
それら全てを含めて「役に立つ知識」であり、誰にとっても役に立たないのが「役に立たない知識」。
そういう意味での「役に立たない知識」がネット上には多々見受けられる一方、図書館には一切ない。
行為能力を少なからず左右したりさせられたりする知識しかないのが図書館である一方、
結局本当に、自他共にとって何らの役に立たない知識すら大量に保管されているのがネット。
道家や仏教の聖典などは、行為能力の左右を絶無に追い込もうとする意図も込められているが、
やはり、学生や学者や宗教家などがそれらを読んで、学校法人法や宗教法人法に基づいた
行為能力を作動する上での支援となるからこそ、今の図書館などにも多少は所蔵されている。
法制に基づいて金が動くか動かないかだけで存在価値の有無までもが決定される
今の時代において、仏教や道家の教義は不遇の時代にあるといえる。
それらを悪用して大金を稼いでいるカルト教祖なども多いにも関わらず。
89 :
考える名無しさん:2010/08/29(日) 22:02:34 0
行為能力の有無軽重に全てを還元するのが法治主義。
行為能力の存在価値を根本から否定するのが無為自然。
両者の中正が仏教や儒家。
90 :
考える名無しさん:2010/08/29(日) 22:38:58 0
行為能力を受動的に制限されることはおろか、
能動的に捨て去ることすらもが、太古の昔から模索されていた!!
まさに、至れり尽くせり。(by荘子)
91 :
考える名無しさん:2010/08/30(月) 11:24:58 0
荀子も、不埒になりがちな人間の欲望を、礼楽への欲求などに転化することによって
善用することを説いたが、やはりその説明は理論的すぎて実地性に欠ける。
「君子もまた悪むことありや」と聞かれて「悪むことあり」と答え、
実際に君子の憎悪の対象となる一連の事物を述べ立てた孔子や(陽貨第十七・二四)
「善を好む」気質の持ち主である門弟の楽正子が魯の総理大臣に
任用されると聞いて大喜びした孟子のような(告子章句下・一三)、
勧善懲悪への好意を身を呈して体現する孔孟のような心意気が荀子には欠ける。
法治主義は、とにかく法律家が私情を差し挟まない冷徹な存在であることを貴ぶが、
徳治主義においては、自らの情念が勧善懲悪によって矯正された士人が、たとえ思うが
ままに振舞おうとも「心の欲する所に従って矩をこえず(為政第二・四)」となることが貴ばれる。
上に立つ者が無感情なのではなく、それなりに人情を備えていることが、懐古主義者など
からは多少の羨望にもなっている一方で、いざ復古するとなれば大きな躊躇も抱かれる。
為政者が機械のように無機質であることと比べて、人情深い存在であるほうが殺伐であるかの
ような思い込みすら抱かれているが、為政者が人情すらをも総動員して治世に及ぶ所にこそ、
最善の尽くされた統治体制も存在する。実際問題として情念も保持している人間が、為政者や
法律家になるや否や去勢を強要されるのは、統治体制が最善を尽くしていない証拠でもある。
92 :
考える名無しさん:2010/08/30(月) 13:16:32 0
陸賈も漢の説客として諸国を駆け回っていた頃に、
たまたま故郷の楚に使いに行ったとき、旧友などとの懐かしみのあまり
しばらく落ち着いてしまって帰ってこなくなり、漢王の劉邦らを戸惑わせたことがある。
宰相や官僚や士大夫などの役職に付いていながら、
時に行き過ぎなほどもの好悪の情念を露わにする儒者の姿は、
為政者などの責任者こそは冷徹であらねばならないとする法家などからすれば
許しがたいことなのだろうが、欲する所に従って矩をこえない、情念の抑え付けではなく
自由な扱いこそが儒者の売りであり、その姿こそは、易において吉祥となる
知識+陽剛の法則にも即している。無機質な知者であろうとする法家のほうが知識+陰柔の
凶相を伴っており、実際、常日頃から民衆に影ながらの恨みを売り続けてもいる。
知識があっても陰湿とはならず、知者ならではの激情を宿した振舞いがあるのであり、
当代随一の知見を持ち合わせながらも果断に振舞う、儒者の姿こそはそれである。
93 :
考える名無しさん:2010/08/30(月) 14:50:41 0
畢竟、荀子は世俗思想として理論的に過ぎるのだ。
時に直情的に過ぎるきらいすらあり、大掛かりな帰納や演繹も抜きにした
孔子や孟子程度の論弁のほうが、俗世を司る思想哲学として健全であり、
プロの学者や法律家にしか読みこなせないような、無機質な抽象哲学書なり
法律書なりで、世の中を回していこうとするほうが不健全だ。
知識を自分のものとして十分に消化もできずに、単なる「歩く図書館」風情と
化してしまっているからこそ、無感情なアスペルガー症候群的性格ともなる。
孔孟のような正統な儒者が、時に直情的ですらあるのは、知識を十分に
自分のものとして消化できている証拠でもあり、ただの無知な愚者が粗暴に
振る舞ったりするのともわけが違う。孟子のように、相当な知識の持ち主でいて
さらに勇猛であったりするのも同じで、項羽の勇気が「匹夫の勇」であったりする
のとは違って、大勇であり、仁義道徳のために善用するだけの制御も利いている。
94 :
考える名無しさん:2010/08/30(月) 19:21:58 0
一つ、恐ろしいことを教えてやろう。
サイコパス患者にも見られるような人としての悪念は、
サイコパスではなく、勧善懲悪においてこそ極まる。
サイコパス患者は、人として道理の通らない自己欺瞞に基づいて悪念を蓄えるが、
勧善懲悪の実践者は、「犯罪者の懲罰」という道理に適った所で悪念(悪への憎悪)を蓄える。
そのため、サイコパス患者が善人などに対して抱く悪念よりも、道徳者が勧善懲悪の
範囲内で犯罪者に対して抱く悪念のほうが、普遍的に透徹した、完全なものとなる。
勧善懲悪におけるレベルの悪念をサイコパス患者が抱いたりしたなら、自己崩壊すら免れない。
それほどにも「道理に適った悪念」こそは貫徹されたものとなるため、悪念すら善用することで
犯罪者の懲罰に臨む権力道徳こそは、権力犯罪をも絶滅に追い込むことが出来る。
サイコパスであるか勧善懲悪であるかなどによらず、人間の悪念を根本から否定する荀子流の
臆病道徳や、その派生としての法治主義などによっては、いずれも悪念を抱くという理由で、
勧善懲悪もサイコパスも両成敗となり、悪念がより激烈となる勧善懲悪の側にとってこそ、
その成敗も致命的なものとなる。悪念を以て悪念を制する器量のよさを欠くために、
法治主義はサイコパスの抑制を目論みつつも、権力道徳主義の場合ほどには十分な
抑制を果たすことができず、犯罪優位道徳劣位の劣悪化社会をでっち上げるに至る。
「畢竟」
「サイコパス」
このあたりが近ごろの、おまえらの書き込みを読んだ上での収穫だ。
もちろん単語としては知っていたが、用語としての扱い方をいまいち心得ていなかった。
たとえその意見内容が誤謬や迷妄だらけだろうとも、言葉の扱い方を少なからず
自分から勉強してきた連中の言及を読むことで得られるものは、多少はまた別にある。
まだ知らないことがいくらかでもあるんなら、人の話にも耳を傾け続けているべきだ。
>>86-96すみません、何を言ってるか良くわかりません。もっと分かりやすく
書いてくださればありがたいと思います。
ところで儒は学問の発展を阻害した、といわれますが本当でしょうか?
>>96 井上さんのカキコを真に受けちゃダメだよ
ほとんどデタラメだから。俺っちが解析済みw
99 :
考える名無しさん:2010/09/01(水) 10:40:57 0
>>96 そういうサービスの能力は俺にはない。
学者がサービス業も兼任している今の学術制度には即していない。
>>97 人間の学知は易に極まるのであり、どんなに発展を試みたところで、
経書の筆頭でもある「易経」を超えることはないのだから、発展の阻害も何もありゃしない。
(同じように、究極レベルの学知に到達しているものとしては、龍樹の「中論」などがある)
儒学の「儒」は「学者」を意味し、春秋戦国時代までは墨家や道家や兵家なども含めて
学者であるものは一律して「儒」と呼ばれていた。今いう儒学が国教化された漢代以降に、
儒学といえば孔孟の学を指すようになったが、やはり儒学が「学者学」であるのも確かで、
学者たるものがいかにあるべきかという自省論に、孔孟の学も重点が置かれている。
もちろん孔孟の学には「権力道徳学」という具体的な学問対象も備わっているのであり、
単なる学者学であるばかりに止まらないが、やはり学者たるもののあり方について
一般的な考察を働かせる側面もあるのであり、故にこそ儒学が、あらゆる学問の王者
としての威厳までをも備えている。やたらと冒険や収集の触手を伸ばしつつも、肝心の
学者自身のあり方に対する考察が全くのお留守な洋学などとは、そこが決定的に異なる。
100 :
考える名無しさん:2010/09/01(水) 11:33:11 0
どんなに高邁で珍奇な学知を取り揃えたところで、
肝心の学者自身が強盗団の一味だったりしたんじゃ、元も子もない。
だからこそ、学者が得る学知以前の、学者自身のあり方をよく突き詰めて、
為政者の善政を助けるためや、場合によっては自分自身が徳治者ともなるために
学知の善用の仕方を十二分に考え抜いてきた儒学こそは、あらゆる学問の王者でもあるといえる。
儒者ってのは、経書のエキスパートであるのはもちろんのこと、
当世におけるあらゆる学知をもそれなりに網羅する雑食的な側面も持っていたんだが、
「君子の儒となれ、小人の儒となるなかれ(雍也第六・一三)」という戒めにも基づいて
学知そのものの勧善懲悪に基づく取捨選択をも試みていたため、単なる知識収集に終始する
雑家的な状態と比べれば、知識を選別していたといえ、それが「儒学が学問の発展を阻害した」
ように思い込まれる原因にもなっている。しかし、逆に言えば、「学知の取捨選択を発展させた」とも
いえるのであり、知識の善用のための選別を疎かにすることが、逆に学知の善用の発展の阻害に
なるのだともいえ、そういう観点に基づけば、今の世の学問はあまりにも退化しすぎているともいえる。
101 :
考える名無しさん:2010/09/01(水) 19:07:49 0
いま、ネットラジオでインドのボリウッド系の音楽を聴いてるんだが、
ちっとも古臭くはなく、録音技術の普及で音質も十分よくなっている。
特徴としては、女性ボーカルがとろけるような猫なで声ばかりで、欧米の女性ボーカルや
日本の安室奈美恵みたいな野太い声で唄う歌手はほとんどいない。中国の女性歌手や、
日本のオタク向けアイドル辺りにも猫なで声の女性歌手は多いが、「女は猫」という、
善くも悪しくも女性を陰柔な所に追い込む意識が、大衆レベルで働いている。
一方、男性ボーカルはといえば、これまた野太い声の歌手などは少なく、明石家さんま
みたいなひょうきん系の声色の歌手が多い。YouTubeなどでプロモ画を見ても、女性は
かなり今時のセクシーな風体だったりもするが、男は太っちょだったりバター顔だったりで、
欧米の男優やラップ歌手みたいなカッコ付けもマッチョも全くない。やはり、芸能人という
職業が「芸人」の一種に過ぎないものだという認識が行き届いていて、芸人風情の男が
そんなにカッコ付けたって仕方がないという意識が働いているのだと思われる。あと、
男のアイドルが女性人気を得たりすることに、何らの価値も見出されていないのかと。
>>99学者のあり方さえも学問にするのはさすがですよね。欧州の学(というか
イスラムからの科学、技術科学とでもいうべきか)は「人格を問わない」のですが、
それが端的に現れたのがマンハッタン計画でした。そこで結局科学者は政治家に負けて
しまうのです。どんなに科学技術があっても、権力者の発言一つでどうにでも
なってしまう科学者は真に「知恵のある者」と呼べるのかどうか・・。ただ原子爆弾
開発計画は本当に異教徒の絶滅を願って協力したハンガリー出身のユダヤ人が
いたので、彼にとっては「学者自身のあり方」さえも成功したといえるのでしょうが・・。
それと古代の西方で「ソフィスト」とされた一団と古代支那で「儒者」と
された集団の構成要素が酷似(六芸の必須)してるのは何か関連があるからでしょうか?
104 :
考える名無しさん:2010/09/02(木) 01:23:13 0
ソフィストは「学問の発展を阻害した」どころか、「学問の発展を推進した」とすら言われている。
中国の雑家やフランスの百科全書派のように、ただただ知識を溜め込むベースがまずあったとして、
その知識の正統な選別を目指したのが儒家だった一方、身勝手な悪用による知識の腐敗に
終始したのがソフィストだった。それはマンハッタン計画時における洋学者に至るまで継承されており、
暴政者に好き勝手に悪用される人間図書館と化したり、せいぜい自分自身の小人としての
間違った願望を満たしたりする程度の、学知の不当利用にしか至らなかった。そのような知識の
腐敗状態と、儒学を比較することすら本来はおこがましいことだが、儒学とは畢竟、そのような
学知の腐敗を防止するためにこそ擁立された学問であり、故にこそ「儒」を冠する学者学でもある。
学者に自分以外の何かを観察する以上にも、自ら自身への反省を促す、修身即平天下の学問。
私はマンハッタン計画は「悪用」だったとは思いません。
白人という「唯一神を信じる者とホワイト以外は絶滅させる」という
宗教と、同じような考えを持つユダヤ人の琴線が共鳴した
結果で、彼らにとって日本人、アジア人、黒人、ネイティブ、
異教徒を原子爆弾などで全滅させることは宗教上「善なる行い」だから
です。
だからこそ先のハンガリー出身のユダヤ人科学者、マンハッタン計画を思いついた
ルーズベルトなどは最後まで「正義の行い」だと考えていたことでしょう。
いまも白人はそう思い、またそうすること(さすがに口先では言わないように
なったが)が神への奉仕なのです。そういう世界と儒者の「最終的に万人のためと
なる学問」という話は「義」が違ってくるのでしょう。さすが意見の違う人間を
数千年も前から殺してきた宗教を生業としてきた一神教というべきか、この辺の
意識の違いをもっと儒教に影響を受けてきた日本人は気をつけるべきだと
思います。
107 :
考える名無しさん:2010/09/02(木) 10:12:08 0
気をつけるにしたって、そんな転倒夢想のサイコパス増産型教学と、
儒学や仏教を同等のものとして扱かったりすべきではない。
「私にはこんな善悪があるが、彼らにはあんな善悪がある」などという
相対論を、明らかに普遍的かつ絶対的な善悪をわきまえている儒学や仏教と、
悪逆非道を勧善懲悪だと思い込むカルト教学の間にすら適用することは、
それ自体が本物の善悪と偽者の善悪をみそくそに扱う劣悪な姿勢であり、
それら全てが総体的に、儒学や仏教よりも下位に置かれるべきものだ。
「私はマンハッタン計画は知識の悪用だったとは思いません」の根拠が、
「彼らにとっての善なる行いだったからです」というのなら、イスラム原理主義者や
オウム信者のテロだって「彼らにとっての善行」だったのだから、全く悪くないことになる。
別段l、体系化された宗教ではなくても、酒鬼薔薇だってバモイドオキ神への信奉の下に
知能障害の少年の首をのこぎりで切り裂いて校門の上に掲げた。サイコパス患者が
独特の宗教や学説を悪行の正当化材料に用いたりすることはありきたりなことで、
ただ西洋の場合はその規模や歴史がそれなりに長大だから認められたように
なっているだけ。ただ、そこまで問題が深刻化する前に、十分なカルト災禍の
抑制をムスリムかモンゴル帝国あたりが行なうべきだっただけの話なのに。
108 :
考える名無しさん:2010/09/02(木) 10:27:23 0
儒学が知識の選別に伝統的に努めてきたのは、
無整理な知識に溺れて善悪がみそくそとなるのを防ぐためでこそあったし、
仏教が相対主義のジャイナ教を敵に回したのも、
何もかもと同列に扱うのがあまりにもおこがましい絶対性の遍在を認めるからだった。
その儒学や仏教に対して、何もかもを相対化するみそくそ論を適用するのは、
儒学や仏教のこれまでの努力や功績を、一切合切帳消しにしてしまう暴挙であり、
実際、そのような暴挙がまかり通っているから、今の世の中で儒学や仏教が
その本領を発揮することはない。1+1=3や4と同等に扱われるのではなく、
十二分な優遇を受ける中にこそ、1+1=2の本領も発揮されていく。
109 :
考える名無しさん:2010/09/02(木) 14:13:35 0
偉そうに言ってる人がいるんだが原文とか読めるのか?
>>107古代イスラエルを侵略したヨシュアというユダヤ人は
本当にパレスチナ人(女子供関係なし)を「絶滅」させて
さらに呪いまでかけてますね。しかもそれは今もユダヤ教徒に
とって「英雄行為」。アメリカ大陸、インド、アジアに侵略した
キリスト教徒も同じことをしている(啓蒙行為)。まさに
彼らは「隣に住むサイコパス」で、こんな特大級キチガイが
未だ世界のほぼすべてに居座っている以上、もはや
儒仏が成り立つ余地などありえないのかもしれませんね。
>>107すこし舌足らずでしたね。「彼らにとって」悪行ではない、
なぜならサイコパスにはサイコパスなりの「義(行動するための
自分なりの理由)」があるから、と言いたかったのです。異教徒や
肌の色の違いだけで(しかも今からたった数十年前ですよ、数百年
前じゃない)「絶滅戦争」をけしかけてくる白人が、いかに
危険な存在であるか、ということの皮肉を言いたかったのです。
112 :
考える名無しさん:2010/09/02(木) 18:26:38 0
「大智不智、大謀不謀、大勇不勇、大利不利」
(「六韜」武韜・發啓より)
素晴らしいな。かえって下手に訳したほうが威厳を損なう。
漢文にも、日本人にすら分かるような簡単なものから、
中国人でもすぐには分からないほど難解なものまである。
日本で使われている数字程度の熟語も、ほとんどは漢文。
日本人が新たに作った熟語もあるが(「馬鹿」とか「油断」とか)、
それほどにも漢文の構文が日本語圏にも深く根ざしている。
漢文は何度読んでもきちんと読めません。
最初の一文字が名詞なのか動詞なのか、
はたまた固有名詞なのか助詞なのかさえ分からないのです。
でも漢文学者はこれをスラスラ読んでしまいます。
どうやって個々の漢字の意味の特定をしているのか、
私には魔法使いのように見えますね。
114 :
考える名無しさん:2010/09/02(木) 18:55:31 0
>>110-111 そのような、危険極まりないサイコパス教義を金科玉条に掲げる精神異常人種が
イスラエルから欧米、ハワイやオーストラリアにかけての西洋において未だ強大な勢力を擁し、
絶滅させることはおろか、改悛させて健全な教学に基づく矯正をあてがうことすら覚束ない。
だからといって連中の存在性を全肯定し、挙句には自分の側が英会話学校に通ったりする、
サイコパスへの屈従すらも認めるのはやはりおかしい。正しい善悪の分別をわきまえることもできない
劣悪人種への差別を徹底して、「差別されるのがいやならサイコパスから抜け出せ」という
条件を突きつけるべきであり、それすらしないのは、連中の病状の深刻化に加担する従犯ですらある。
115 :
考える名無しさん:2010/09/02(木) 18:59:08 0
ここで一つ、サイコパス患者が悪を善だと思い込む精神病理の内実を明かしてみよう。
「肩を脅かし諂い笑うは、夏畦より病る」
「肩をそびやかしてへつらい笑うことは、真夏の炎天下に田畑を耕すよりも疲れる」
(「孟子」滕文公章句下・七より)
という、「孟子」内における孔子の門弟曾子の言葉がある。真夏の炎天下に田畑を耕したりするのは
大変な肉体的疲労を伴うものだが、それは自他の食糧を育て蓄えるための健全な労働であるために、心労は比較的少ない。
一方で、横柄な顧客に高価な買い物をさせるための商売人のへつらい笑いなどは、肉体的疲労はさほどでもないが、
他者から大量の金銭を掠め取るための不健全な労働であるために、その心労たるや、真夏の炎天下での耕作以上となる。
それは中国人にしろ日本人にしろ、欧米の白人にしろ共通していることで、欧米の白人などもまた、不健全な労働で
不当利得を得るためのへつらい笑いを心労としている。そしてその、へつらい笑いによる心労を白人は「義」の根拠と捉え、
「自分がこんなに苦労しているのだから、これは正義であり、正しい行いなのだ」というサイコパス状態に陥るに至っている。
もちろん、不健全な労働を成就させるための、へつらい笑いでの心労などは、自分自身が不健全な労働によって
身銭を稼ごうとする自業自得によって被るものなのだから、少しだってそれが本物の正義の根拠になるわけではない。
そうであることまでをもつぶさにわきまえる度量が東洋人にはあったから、へつらい笑いによる心労を根拠に、
不健全労働のような悪を善だと思い込む転倒夢想は未然に排されていたわけだが、白人にはそこまでの度量はなく、
不健全労働によるへつらい笑いの心労を正義の根拠だと思い込む所までで思考が停止してしまった。それゆえ白人は
悪を善だと思い込むサイコパスを総員レベルで発展させて、サイコパスなままに相当な大社会を築き上げるまでに至った。
(ただしそれは、あくまでアフリカやアラブ、インドなどからの膨大な
略奪に頼りながらのことであり、自分達自身の独力には依らない。)
彼らと同等の軍事力を持ったら、待ってればいいんですよ。
だってキチガイ同士、パイの取り分をめぐって食い合ってくれますから。
欧州同士の宗教戦争、今も続く人種差別に由来する
内乱の恐怖、ユダヤ人がパレスチナに行う「絶滅戦争」・・
こういった「争いの結果生まれた技術」で彼らは罪もない人々を
虐殺したあげく、今度はお互いを食いだした(世界戦争)。
日本も西洋文明にかぶれ、同じ行いをして大失敗し
国を失い白人の植民地となった。誰も幸せにしない西洋文明の行き着く先は
果てしのない殺し合いでしょう。ある権利がそれに反する権利を生み、
その権利がまたそれに反対する権利を生み、争いが絶えることがない。
ブタや昆虫のような秩序なき世界です。だから我々としては火の粉を払いつつ
彼らが自滅する手助けをすればいいのですよ。
117 :
考える名無しさん:2010/09/02(木) 19:26:51 0
>>113 俺だって、「史記」レベルの分量の漢文をスラスラと読みこなすまではいかない。
なのでまずは訳文から読んでいるが、臣下の君主に対する奏上などの形で、登場人物が、
ドストエフスキー文学の作中人物も顔負けの大長文を、よく口述で相手に述べている。
それを聞き終わった聞き手のほうは、打ち震えたり慟哭したりの大感動した姿を見せる。
日本語で読めば大長文となり、そこに感情移入もしにくくなるが、中国語だと日本語の文章は
3分の1程度にまで短縮されるために、日本語だと大長文となる文章も相当に短くなる。
だから日本語だと感情移入すら覚束ない長文にも、中国人は一喜一憂したりしている。
二文字や四文字の熟語にすら深い意味の備わる言葉で、長文すら理解する。やはり化け物だ。
>>116 自分たちでは最善を尽くしているつもりでいて、その実最低最悪の限りを尽くしている
サイコパス種族が自業自得で破滅に陥るのは、本人たちの自主的な改悛でもないことには
正しようのないことだが、だからといってサイコパスではない健全な東洋人までもが、
破滅に陥る連中の後押しまでをもする必要はない。そんなことをすれば、世界中がサイコパス
である自分たちのペースに乗ったのだと了解して、東洋を含む全世界を破滅させる
全面核戦争などを白人たちが始める上での口実にすらなってしまう。基本としてはもちろん、
悪を善だと思い込む転倒夢想のペースに東洋人までもが乗せられないようにするべきで、
そうであるならば、自他に対して破滅を食い止めさせ、繁栄や安泰を取り戻すための最善をすら
尽くすべきだ。それは、軍事力や経済力に乏しい現代の東洋人にとっては徒労ともなりかねないが、
それでも破滅まっしぐらな西洋のペースなどには乗らず、あくまで安寧を第一とする自分達の
姿勢を貫いていくべきで、地球社会が東西共々制覇されきっている今、自分たちだけでなく、
自分たちにも多大なる影響を及ぼす西洋の救済すらをも考慮するのが、当然の義務である。
118 :
考える名無しさん:2010/09/03(金) 01:26:09 0
以前漢文の読み方基礎みたいな本を読んだら
「漢文の古文の読み方を暗記しろ」だったのでワロタw
120 :
考える名無しさん:2010/09/03(金) 12:07:10 0
軍事力で欧米を淘汰するより、
欧米の主要権力犯罪者全員を捕縛して収監するための
警察組織や刑務施設の充実を図ったほうがいいがな。
それだけの規模の警察や刑務所が、今の地球上には存在しないのだから、
犯罪者も自首しようにもしようがない、強制的な野放し状態にある。
121 :
考える名無しさん:2010/09/03(金) 12:27:39 0
たとえば、欧米社会の表向きの英雄的人物であるナポレオンやリンカーン、ケネディなどは、
革命収拾や奴隷解放、キューバ危機収拾などの、それなりに聞こえのいい業績も挙げながら、
晩年には孤島に幽閉されたり、暗殺されて脳みそぶちまけたりの悲劇的な最期を辿っている。
欧米社会に特有の、「ルサンチマン」という大衆意志の結実であるという程度の見方はあるが、
とかく偉人や英雄的人物に対して、不遇や悲劇的な境遇をあてがった上に、
救われないままに終わらせようとするのは、
悪意 悪意
善意
悪意 悪意
という、悪意優位善意劣位の火水未済状態に欧米社会があり続けているからで、個人的に
大きな善意の持ち主が、相当な孤軍奮闘や一騎当千に努めつつも、最終的には悪意の側の
物量投入で善意のほうが負けてしまうという流れを欧米社会全体が帯び続けている。
122 :
考える名無しさん:2010/09/03(金) 12:29:18 0
このようなことは、東洋社会にはないことで、世の中全体の風潮が
善意 善意
悪意 ・・・@
善意 善意
であるほどにも、善意優位悪意劣位の方向性が備わっているために、善意の持ち主が
孤軍奮闘や一騎当千を試みた挙句に、やっつけられるようなお話は好まない。たとえば、
映画版の「ナウシカ」における、王蟲の大群に対してたった一騎で一閃を放ち、一瞬にして
大量の王蟲を焼き殺しながらも、まだ機能復旧が不完全であったために、腐れ落ちて壊れ去って
しまった巨神兵の姿などは、一騎当千の猛兵が大群の前に敗れ去る姿の皮肉気味な表現であり、
ナポレオンやリンカーンやケネディも、所詮はあの、王蟲の大群の前に崩れ去った巨神兵
程度の存在でしかなかった。だからこそ最期には敗れ去って死んでしまうわけだが、
@のような善意優位悪意劣位の水火既済の状況に世の中全体を持っていくのならば、
いちいち善意の持ち主が散華している暇もない。悪意ではなく、善意の側こそは
物量投入を必要としており、善意の持ち主こそは猫の手も借りたい状態であるのに、
なぜ巨神兵のような刹那の悲劇的活躍などに没入していられようか。
123 :
考える名無しさん:2010/09/03(金) 12:59:18 0
とかく今必要なのは、善意の持ち主の側の物量投入であり、
その分量は悪意全体の四倍以上であるぐらいでなければならない。
関東大震災時に、在日朝鮮人が暴動を起こすという風評が立ったことから
逆に日本人の側が暴動を起こし、2000〜6000人もの朝鮮人が殺された。
そんな中、神奈川鶴見警察署の署長だった大川常吉が、救助を求めた
在日朝鮮人約300人を保護したことから、大川署長は後に英雄視された。
このような「焼け石に水」レベルの、婦人の仁に基づいた活躍ではなく、
そもそも悪意全体を少数派に追い込んで、善意の側を圧倒的な多数派へと
持っていく物量戦略こそが今必要とされている。軍事力や経済力において
物量的優位を勝ち得る以上にも、一人一人の善意の総数において
悪意に対する絶対的優位を確立すること。中印亜4:欧米1程度である
今の地球上における人口比率からして、決して不可能なことではない。
不況だし占い一回6000円だから無理でしょ
犯罪予告スレとインターネット監視団体に報告しておく
>>1らしき人はテロを計画してるってね。
絶対に不可能なことではないとはいえ、
全中国人と全インド人と全アラブ人の同意を取り付けでもしないことには
不可能なことなのだから、そこまでいった時点ですでにテロの範疇には止まらない。
地球人類の大多数が、少数派の刑事処分に臨む、公共性に即した処理となる。
そこまでもいかないのならば、決してやりはしない。少数派として多数派に抗う
火水未済のペースに乗せられて、テロリスト扱いされるぐらいなら、何もしないでいる。
全中国人と全インド人と全アラブ人の同意を取り付けられた上に、
西洋の主要な大国(アメリカやイギリスなど)が降伏宣言でもしてからのほうが望ましい。
蘇秦が秦だけを敵に回した中国諸国の大合従連衡策を取り付けた際にも、
当時まだ脂の乗り切っていた秦の側からの仲違い工作なども被って、連合策はわずか15年で破綻した。
仮に今、中国とインドとアラブに連合を結ばせたとしても、やはりCIAやMI6やモサドなどによる
破壊工作を受けて、うまくいかない可能性が高い。だからこそ、連合が始めから成立しない可能性もある。
石油メジャーによる、核融合発電や電気自動車の実用化を滞らせてまでの石油の濫費により、
地球の温暖化も着実に進んでいて、今年の夏は日本でも「ここ113年間で最高の平均気温」を記録した。
このまま石油メジャーをも擁する西洋社会に、地球社会運営の手綱を握らせたままでいれば、
わざわざ全面核戦争を引き起こすまでもなく、環境破壊によって地球社会は破滅の危機に陥る。
別段感傷論に基づくまでもなく、現実上の危機から脱するための選択としての、西洋の降伏はあり得る。
128 :
考える名無しさん:2010/09/03(金) 19:13:07 0
核融合発電や電気自動車の実用化技術も、欧米ではなくこの日本にこそ蓄えられているのだから、
欧米が降伏して石油メジャーも崩壊し、エネルギー革命が起こるに至れば、
その特需によってこの日本こそは潤う。欧米と共にではなく、欧米を生贄とした革命によって
この日本こそは景気を向上させもする。本当は利害が一致しているどころか、最も相反しているのが
日本と欧米で、日本に寝返られることだけは絶対にイヤだから、在日米軍も居座りを続けている。
欧米による徹底的な抑え付けがこの日本にこそ行き届いていることから、
日本が革命の主導者となることはほぼ不可能だし、実際そうなる必要もさらさらない。
秦帝国を崩壊させた楚漢戦争前の動乱も、陳勝のような何の見所もない匹夫の一声によって始まった。
それがきっかけで秦帝国は崩壊させられたが、やはり陳勝もそのいざこざの中で討ち死にした。
わざわざ陳勝役になってまで欧米の討伐を先導していくほど、日本は格の低い国でもない。
129 :
考える名無しさん:2010/09/03(金) 22:43:53 0
これは、多大なる人々からの、積極消極織り交ぜた協力があって初めて成功することで、
自分ひとりが姑息な陰謀を働かせたりした程度では、どうにもならない規模のこと。
かといって、自分以外の誰かによってならできるということでもなく、ただ、全世界が、
「そうあるべき成り行き」として――道として――何となく歩んでいくという程度のもの。
そこに誰かの恣意が介在したりするのではなく、俺自身の意図すら伴いはしない。
俺自身が、上記のような考えを個人的に想起したのは確かだが、それはあくまで、
これからの世界のあり方として最善たるものを、私心を差し挟むことなく模索した結果に
過ぎないのであり、畢竟誰が考え抜いたところで、上記のような考えにしか至らないと思う。
もしかしたら、もっといい選択肢を思い付ける人間がいるかもしれないが、だとすれば、
即座にその相手に対して道を譲るぐらいの心構えでいるのであり、人類社会の先達者
としての栄光を、自分ばかりが独占しようなどというような不埒な考えは毛頭ない。
本当に最善を尽くすところに、私心の介在のしようなどはないのであり、
それは分かる人間には分かることのはず。別に神や仏とまではいかずとも。
俺は欧米勢力の内部離間策を取るなあ。あんな刃物を持ったキチガイに、
こっちも刃物を持って対抗すんの?そんなの勝っても大負傷するし
「怪物を殺した怪物」にこちらがなるだけだし、「キチガイとみなした
勢力は武力で征伐してもいい」って話になるし。だからあいつらの
「人種差別主義」を煽って共倒れしてくれればいいと思うな。どっちに
転んでも白人にかかわることなんて迷惑にしかならない。それなら
やつら同士が死んでくれれば早い。欧米に侵略されてた清朝が唯一成功した
戦術がこれなんだよな。エサを与えて闘わせる。こうするのが一番いいよ。
元から東洋VS西洋以上もの対立を、自分たち自身の内に抱えている奴らだし。
それを東洋の側からすら煽った挙句には、全面核戦争すらおっぱじめ兼ねないぞ。
東洋文化の意味不明さも、西洋人に全世界を巻き込んだ身勝手の貫徹を
とどまらせる程度の効果は、いま現時点までにおいても発揮してきている。
問題はその、意味不明さをも超える明瞭な処断が提示できるか否か。
132 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/09/04(土) 01:38:52 0
もう完全にスレ違い、板違いの議論ですね。
お話にならない、と言いますか
妄想もここまでくれば病的でしょう。
>>131ユダヤ人は核戦争で「生き残る」ことを前提に世界戦略を練ってる
みたいだけどね。イスラエルは核戦争のために地下シェルターを作ってるんだから。
戦前スレ
「多くの文化遺産が残されているから」という理由で、
アメリカは当初原爆の投下を予定していた京都を選定対象から外し、
たまたま当日に天候の悪かった小倉も省いて、広島と長崎に原爆を投下した。
多くの人々の命を自分たちの都合で平気で左右する鬼畜の論理の中にも、
高尚な文化を破壊することへの恐れぐらいは多少はあって、
実際、「それを破壊すれば自分たちまでもがしっぺ返しを食らう」ということがある。
全面核戦争の後に、シェルターをこしらえる財力の持ち主だけが
生き残ったとしても、致命的な環境破壊の中での、ゴキブリ塗れの生存しか
残されていない。鬼畜にだって、自分たち自身を可愛がる程度の気持ちはある。
核の冬で太陽も拝めなくなるよりは、自分たちが塀の中で日光を浴びるほうが
自分たちにとっても最善の選択肢であることに、果たして気づけるかどうか。
核汚染の放射線をシャットする、刑務所よりも密閉性の高いシェルター
の中に、ム所のくさいメシ以上にも味気のない保存食ばかりで食いつなぐ。
救助を求めてシェルターの前にやってきた人間も、口減らしのために
ボウガンで射殺す。銃でないのは、矢が何度でも再利用できるため。
そうして入り口のところに屍が累々と気づかれたシェルターの中で、
旧約聖書の「ノアの箱舟」のくだりでも読みながらもくもくと生き延びる。
「それでもいい」というのがユダヤ人なのだろうが、それでもいいぐらいなら、
別に自分たちが刑務所に入るのでもいいじゃないか。むしろそのほうが
自分たちにとってもよっぽどマシな生活になるじゃないか。
旧約聖書も、バビロン拘留中の古代ユダヤ人による獄中記なのだから、
刑務所の中で読んだほうが、よっぽど作者の心境も再現できるだろう。
(ただし、旧約なんかに感情移入してるうちは、釈放もままならないが)
137 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/09/04(土) 13:08:23 0
>>135-136さん
そういった世の中にはならないでしょう。
仮にも、そうなるならば人一人の力では不可能ですね。
138 :
考える名無しさん:2010/09/04(土) 13:33:12 0
君は、ヨルダン領空を侵犯するイスラエル空軍のヘリを目撃したことがあるか?
全面黒塗りで、低空飛行で爆音を轟かせるその姿は、
さながら「空飛ぶ街宣右翼」とでもいったところだ。
139 :
考える名無しさん:2010/09/04(土) 13:36:09 0
どっかの録画を見たんでしょう?そんなもの信じちゃだめですよ。
140 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/09/04(土) 13:53:44 0
>>138さん
私へのご返事ですか?
貴方の書かれた内容、特に名詞の部分。
どれ一つとして独立して成り立っているものはありませんよね?
こういうところから哲学してみるのもいいんじゃないですか?
141 :
考える名無しさん:2010/09/04(土) 14:08:16 0
誰の協力も得られないなら、それはそれで泰然自若。
↓
協力を得ようとすることが心細さを生む。
↓
その結果、少しの協力しか得られなければ心もとない。
↓
多くの協力が得られれば自信が生まれる。
↓
しかし、全社会全人類が一致団結して行なうとなれば、
もはや自分が協力を得ることではなくなり、
誰の協力も得ない場合と同じとなり、泰然自若に戻る。
142 :
考える名無しさん:2010/09/04(土) 18:30:40 0
ヨルダンの緑地帯ではトマトが名産品だが、欧州産のトマトなどと同じで、
スープやケチャップなどの加工食品用で、水気が薄く、摘みたてでも生食には向かない。
みずみずしくて、フルーツとしても通用するほどに甘みのあるトマトは、やはり日本産。
143 :
考える名無しさん:2010/09/04(土) 19:24:29 0
また・また・また・・・・
144 :
考える名無しさん:2010/09/04(土) 20:14:10 0
そのように、実地の体験ぐらいに圧倒されるのではいけない。
老子も「戸を出でずして以て天下を知り、牖(まど)を闚(うかが)わずして以て天道を見る。
その出ずることいよいよ遠くして、その知ることいよいよ少なし(「老子」第四十七章)」
と言っていることだし。
ヨルダンの死海なんてマリエでも行ってるし、道中、韓国人らしき黄色人種にも出くわした。
中東でも日本車は多く普及しているが、それと同じぐらいヒュンダイなどの韓国車も多く走っている。
韓国人と間違えられて「カムサハムニダ」と挨拶もされた(中東人にはさすがに見分けつかないだろ)。
偶像崇拝は禁止されていても、イエスやマリアなどのモザイク画も、土産物屋で普通に売っている。
新旧約聖書中の登場人物なんて全く信仰対象ではないから、ただのイラスト扱いとされている。
中東すら知ってしまえば、もはや地球上に未知の存在なんて何もないからな。
そういう意味でも確かに「その出ずることいよいよ遠くして、その知ることいよいよ少なし」ではある。
145 :
考える名無しさん:2010/09/05(日) 00:00:07 0
中東人というと、男でも頭からターバンをかぶったりの暑熱対策や、
豊かなひげ面などが印象的だが、ある程度は短髪や髭を剃った男もいる。
短髪で、完全に髭を剃ったその姿たるや、あのオバマそっくり。
黒白ハーフの血統であるバラク・フセインに、直接中東系の血は
流れていないはずだが、なぜか似ている。アブグレイブ刑務所での
イラク兵士への、丸裸にするなどの虐待を皮肉ったつもりなのか。
自分たち自身の大統領すら、適当に養成した
俳優の中から選んでいる証拠ぐらいにはなっている。
146 :
考える名無しさん:2010/09/05(日) 13:10:28 0
全世界に合気をかけるよ!
合気技はかけられたほうが、いつもは伸ばさない筋も伸びて健康になれるんだよ!
おかげで80歳を過ぎてもピョンピョン飛び回ってる人もいるよ!
かといって若い頃からの英才教育でもなく、40代になってから始めてるよ!
仕事ができるぐらいの体力が残ってれば、何歳から始めても遅くないよ!
147 :
考える名無しさん:2010/09/05(日) 20:18:56 0
自分が死ぬことで、全世界における善処に貢献できるというのなら、
いつ死んだって構わないぐらいに思っている。しかし、
>>122でも書いたとおり、
世の中を吉方へと導こうとする善意の持ち主こそは、猫の手も借りたいほどの
求人に喘いでいるというのに、なぜ自分までもが死んでいられようか。
仮に自分にアリ一匹ぶんの仁徳しかなくとも、有益か有害かの内の有益であり、
死ぬべきか死ぬべきでないかの内の死ぬべきでないに入れられる上で、十分ではないか。
148 :
考える名無しさん:2010/09/05(日) 22:06:45 0
俺は子孫を残すことが罪だという宗教を開きたいね。
149 :
考える名無しさん:2010/09/05(日) 22:40:51 0
女が子を産まないのは、男が人を殺す罪に相当する。
女が子を産まずに人一人殺せば、男が人二人殺す罪。
子を産まずに二人殺せば、男が三人殺す罪。
女なら産みまくるだけで贖えるんだから、しめたもんだ。
インドやシナなんかを見なさいよ。そこに生まれただけで自動的に
白人の奴隷じゃん?インドはイギリスの、シナはアメリカのさ。
日本もそうだよ、生まれた瞬間に「戦犯の子孫」だよ、で、
こんなトコに子を遺してどうすんの?欧米の白人が楽するために
子が働かされ、侮辱され、奴隷になり、精神的に不健康になる。
だったら生まない方がいい。
特にアジア人。こいつらはもう絶滅した方がいいんじゃないか?
過激じゃないよ。南米のネイティブみろよ。やつらってカトリックの
白人にレイプされたり、さらわれたりして生まれた子孫だよ?
この時点でもう彼らって立ち上がれないじゃん?俺だったら
そっこうで現地マフィアに入って白人相手にドラッグ売ってるわ。
こんなのがアジア人だよ?
未来もこれがアジア人だよ?
君たちこんな世界で「子」を残せる?こんな残酷なことってある?
そうであるか、もしくは白人全員が行為能力を大幅に制限された
「大人の幼稚園児」になるかの、二つに一つしかないわけだからな。
前者は前者でアジア人などにとっての屈辱だが、
後者は後者で白人にとっての相当な屈辱となるわけだから、
無理にどんでん返しを要望するわけにもいくまい。
人類破滅の間際にまで追い込まれて、泣く泣く仕方なく
というところまで待ってあげるのが、せいぜいこちらにできること。
インド人ってバカだよな「英語が出来ることが文明人」なんて
普通に思ってるんだから。シナ人なんてもっとすごいぞー。
白人に自分の娘を結婚させて「文明化」しようとしてるんだから。
白人が生きてるとこんなことが常識になってしまうようになる。
こういう世界で子孫をグッピーみたいにボコボコ子を産んでるんだ、
やつらは。将来不名誉な人種として語られるだけなのに。バカだよ。
8月を過ぎても日中気温が30度を下回らない。
秋の虫もとっくに鳴き声をあげ始めているし、今年は日焼けもあまりしなかった。
にもかかわらず熱中症気味ともなった。全国でも日射病ではなく熱中症での死者が
400人以上に上っている。日光の強さは変わらずに、地球上の気温だけが上がっている。
「ここ113年間で最高の平均気温」と言われているが、これは気象観測を始めたのが
113年前なだけの話で、要するに「観測史上最高の平均気温」であるということ。
地球の限界は、もうすぐそこまで来ている。
154 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/09/06(月) 01:30:23 0
人間が住んでる地域は、地球をいちめーとるの球にたとえると
一_以下の層だよ。ここでカビみたいに生きてる人間が
呼吸しようがモノを燃やそうが、他99.99,9メートルもある
地球様が火山を爆発した方がよっぽど地球に悪影響。
この「地球温暖化」はユダヤ人や白人の流言と言われている。
0.999センチメートルな。
157 :
考える名無しさん:2010/09/06(月) 11:28:20 0
大型の台風だって原爆の何兆倍ものエネルギーがあるが、
広範囲に拡散して発散されているエネルギーなので、
広島や長崎のような人間の居住地だけに集中して
火球をもたらす原爆ほどもの死傷者は生まない。
所詮は環境破壊も人間自身にとっての問題。
地表全体をアスファルトやコンクリートで塗り固めた都市圏が
突出してヒートアイランド現象を起こすように、
化石燃料の燃焼による温暖化も、人間自身にとってこそ
最も深刻な悪影響を及ぼす形で進行していく。
温暖化によって一番の危害を被るのは、
いま石油利権を牛耳っている欧米人でもあるのに、
なぜわざわざ風説として温暖化などを流布する必要があろうか。
第二次世界大戦の死者数を上回る規模で進行し続けている
地球規模での大餓死とも同じように、隠せるものなら
隠していたいうちのものだろう。自分たちが際限のない
放辟邪侈に走り続けてきたことのしっぺ返し。
158 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/09/06(月) 11:52:21 0
>>157さん
それが人が積み重ねた業であるならば
その報いは受ける。至極当然であります。
言い換えれば、個々人の業ではなく、時代の業とでも言うべきでしょう。
159 :
考える名無しさん:2010/09/06(月) 12:02:15 0
石油で儲けた金はぜんぶ自分らのもの。
地球の温暖化はみんなの責任。
そんな言い訳が通用するかよ。
160 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/09/06(月) 12:09:51 0
>>159さん
そういった考えに至るのもまた、個々人の業ですよ。
特に地球温暖化等は「縁」を考察する上では適切な材料?となるでしょう。
非現実的な概念論ばかりを唱える日和見主義が
現実社会に与える悪影響を考えるに至るのもな。
162 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/09/06(月) 12:51:18 0
163 :
考える名無しさん:2010/09/06(月) 13:50:55 0
日本の戦国時代後期、すでに植民地経営で大成功を果たしていたスペインやポルトガルの人間は、
ピスカイノ将軍が190cmを超える大男だった記録が日本にもあるなど、体系的な成長が甚だしかった。
一方で、いま平均身長が世界一のオランダや、上層階級にはモデルのような体型の男女も多いイギリスなどは、
まだ植民地経営に成功しておらず、平均身長も日本人とほとんど変わらなかったという(男で約160cm)。
ほんのこの前まで植民地経営で隆盛していたイギリス人やオランダ人は今でも大柄な場合が多い一方、
無敵艦隊の敗北など以降は覇権を失ったスペイン人やポルトガル人は、今だとそんなに大柄な人間も少ない。
ダニが人や獣の生き血を吸って何倍もの大きさに膨れ上がるように、欧米人の体格的な大きさや、
欧米社会の物質的な豊かさも、他国からの膨大な利権の強奪によってこそ成り立っているものであり、決して先天性でも独力でもない。
人類社会の寄生体としてこそ隆盛を誇っている欧米人の、その隆盛への羨望を抱いて、逆に寄生体たる欧米人の隆盛によって
疲弊させられている大多数の地球人類の、その疲弊への侮蔑を抱くのは、ダニや寄生虫や病原体のような、姑息な寄生行為によって
生き延びている者どもを称えて、自分たちの独力によってこそ生活を営んでいる人々を貶める、卑賤な価値観に基づいており、
そのような価値観を抱いている人間自身が、かつての漢民族に対する匈奴のような、見るからに拙劣な文化しか持たない蛮族も同然だ。
164 :
考える名無しさん:2010/09/06(月) 14:22:02 0
愛馬を殺し、妻を殺し、老いた父も殺して一族の首領となる匈奴の王。
そこまでして突出した暴力ばかりを蓄えた先に、一体何をするのかといえば、
自分たちでコツコツと穀物を育て蓄えている漢民族などからの略奪。
そのような「民族に寄生する民族」としての拙劣な有り様が、高尚な文化をも知る
立場からすれば見るに耐えない。別に恐ろしいとかいうのでもなく、ただ拙劣であり、
鼻つまみ者であるというだけのこと。それこそ、みそに対するくそか、
人間の食い物に対するドッグフードみたいなもので、人間の食い物の味に
慣れた犬がドッグフードを食わなくなることはあっても、その逆はない。
文化の優劣や巧拙には、ある程度の非可換性もあって、「あれもありならこれもあり」
なんていう相対性の通用しない部分がある。それは、女や老人といった社会的弱者を
虐げてまで、突出した戦闘力ばかりに拘泥する匈奴のあり方が、父子夫婦の孝養も
重んじて一家全体の磐石さを企図する漢民族のあり方よりも、民族が存続や興隆を
保っていく上での普遍的に脆弱なあり方であるように、文化の巧拙が生物としての
生存力の高低にも直結しているからで、高尚な文化ほど民族の生存率も高まる一方で、
低劣な文化ほど民族の生存率も低まる。そうであることを本能的に、文化の巧拙として
捉えたりもしているだけのことで、畢竟、文化的優劣と生存力の高低は同根でもある。
165 :
考える名無しさん:2010/09/06(月) 15:10:47 0
三島は、日本人のことを欧米人に対して「崇高なる野蛮人」と紹介していたが、
今となっては欧米人こそは、東洋人に対しての「崇高なる野蛮人」となっている。
高度な科学文明などに基づく強大さで外界を圧倒しつつも、
その内実はかつての漢民族に対する匈奴民族も同じ。
子が親を、夫が妻を殺害する野蛮さを宿したままに、物質的な発展だけを続け、
どこまでも自分たちの隆盛を誇るようでいて、その後には無数の屍の山を築き上げ、
人類社会にとってプラスマイナスゼロ以下の価値しかない、有害無益な存在であり続けている。
文化や民族の存在価値がプラスマイナスゼロ以上の有益無害となるためには、
相応の手順を踏んで文化や社会を築き上げていく必要があるのであり、
ただめくらめっぽうに方向性を見失ったままでの発展を続けても、
有害無益さを種子として宿したままの発展にすらなってしまう。
始めに毛筋ほどもの過ちを犯していれば、後には千里ほどもの過ちとなって帰ってくる。
文化だけでなく、文明のあり方としても重要な礼法を述べた「礼記」経解第二十六にある言葉。
開物成務にも正の側面と負の側面があり、負の側面ばかりを追い求めたのでは、
自分たちの築き上げた文明によってこそ滅ぼされる、本末転倒の様相となる。
166 :
考える名無しさん:2010/09/06(月) 19:00:01 0
匈奴のような弱肉強食化社会では、個体の強さばかりが偏重されるあまり、種族としての全体性が弱体化する。
一方で、昔の中国や日本のような仁徳孝養を重んずる社会では、個体の小粒化と引き換えに種族としての全体性が強大化する。
今はかつての匈奴のような、種族としての強大さと引き換えに、個体の強大さばかりを偏重する欧米社会が
「個人主義」の名の下に甚大な侵略を進行させている最中であり、その結果として、地球人類社会全体が弱体化してもいる。
アメリカやイギリスのような、資本主義の勝ち組中の勝ち組とされている国家においてですら、貧困層や下層階級として
相当数の貧窮者が生じており、どこの国、どこの世界にいっても、それらの国や世界が総体的に豊かであるということがない。
弱肉強食による栄華と落伍への両極化を是とすることにより、自明に世の中全体の弱体化を引き入れてしまっている。
そのため、資本主義者などは、全体性の強弱云々を論ずることを頭ごなしに「全体主義」と決めつけ、即座に共産主義や
独裁主義とも結びつけて「暗黒時代の遺物」扱いをするが、人類社会全体にとっては今の時代こそが暗黒時代であり、
部分の繁栄だけを見て全体の貧窮を省みない資本主義者の、仮初めの自己欺瞞に過ぎないことがわかる。
167 :
考える名無しさん:2010/09/06(月) 20:28:57 0
植民地支配や奴隷制はすでに強制終了されたにしろ、今でも欧米を大部分とする資本主義先進国が
せいぜい10億人やそこらの規模(地球人類の2割以下)でいて、8割以上もの地球資源を独占している。
欧米人の筋骨隆々とした体格や、ニューヨークのマンハッタンなどに代表される物質的繁栄も、
非常識なレベルの物質的我田引水によってのみ成り立っているもの。そのため、もし資源の不当分配が
是正されたりすれば、欧米社会の物質的繁栄が相当に衰退するのはもちろんのこと、欧米人自身の
体格からの矮小化すら免れ得ない。今はまだ、高身長の東洋人並みか、それ以上もの体格の欧米人が
大勢たむろしているが、次世代や次次世代にはぐっとその体格平均も縮まり、日本の戦国期の頃の
英蘭人のように、東洋人ともさして変わらない体格の持ち主ばかりになる。逆に東洋人の側のほうは、
今でもそこそこ栄養状態が改善されてたのが、食資源からの不当分配が是正されて、今よりは多少は
大きくなれるだろう。早い話が、東西の資源分配が是正されるに及んで、東西の体格的な格差も是正される。
バカみたいにでかい西洋人も、みすぼらしいほどにちまい東洋人もいなくなる。それぐらいで十分だろう。
個々人の体格からすら格差が生じるほどにも、不当な関係性が黙認されている今の国際社会を卒業して、
国家間の関係性が、国内の群県間の関係性程度には屈託のないものとなる。それによって得られる利益は
未だ未知数だが、弱肉強食を正当化する欧米流の個人主義が横行している今よりは、確実にマシになる。
168 :
考える名無しさん:2010/09/06(月) 20:41:53 0
欧米人を全員、幼稚園児並みの行為能力保持者と化した先に、
見目麗しい理想郷が開けているというのでもない。
ただ、「確実に今よりはマシになる」という、消去法的な範囲での確証があるに過ぎない。
全てを見透かせる預言者によって、その具体像が事前に察知できるほど、
人間という生き物の可能性は限られてもいない。
分からせまいと努めた所に難しさがあるんじゃない。
分からせようと努めてもまだ至らないところにある。
170 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 10:04:47 0
井上さんは西洋人に余程不可解で不愉快な思いをさせられた事件があったのではないの?
それはどんな事件か詳しく話してみてください。
井上さんの学識は浅薄ではないかと思われるが、誤解の上に成り立っているからではないだろうか?
アテクシは、西洋人こそ、儒学を実行している人たちであると言えると思っているのですよ。
俺は井上さんじゃないが、
前からそう思ってるんだよ。
儒教の徒はいまの支那や日本じゃなくて
現在の欧米人なのではないか?ってね。
ただ十戒は儒と重なる部分があるからすべてでは
ないのだけど、権力の循環を強いる、
仁(インチキの人権に昇華させたけど)、
義(侵略戦争には理由がないとダメ)、
家族・家庭主義(仕事より家庭が大事)、
学問の重要性(神学から純粋学問へ)といった
かつて儒者が唱えた話はすべて欧米の国家経営思想と
重なる。ただ向こうは創造主がその根拠なのだけれど。
172 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2010/09/07(火) 11:01:41 0
井上さんの書き込みにそういった深い部分を見ることは
今のところ出来ませんね。
単なる嫌悪感、差別主義を露呈しているだけですから。
特になぜか犯罪者に仕立て上げる点など
為政者というより独裁者的思考ですよね。
このような考えが古代中国の思想でしょうか?
戦中のナチスドイツのユダヤ人強制収容、ホロコーストと似ています。
東洋教学などと銘打っていますが
実のところ、人の心の差別心と国家体制を如実に表しています。
机上の空論以前の妄想劇です。国家体制ではなく、もう少し思想のスレにしたいですね。
173 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 11:33:31 0
俺に異論や反論が返されても、俺が把捉している諸法の実相はびくともしない。
一方で、誤った意見はどこまでも誤りでしかなく、実相を乗っ取ることも叶わない。
ただ、真相を捉えているものだけが恒久不変の安楽に与り、
誤った意見に囚われているものばかりが自業自得の辛苦に陥る。
真相の把捉者である俺ばかりが無上の安楽に居続け、誤謬への拘泥者である
おまえらばかりが極重の辛苦に喘ぎ続けている。それが、あまりにも哀れなので、
「絶学無憂」という老子の言葉も知りつつ、未だ教学の道を止まることができない。
「もはや学ぶことがない」という意味での「無学」にも、着々と近づきつつあるのに。
174 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 11:49:52 0
本当のところを言えば、まだ学ぶべきものはいくらでもある。
「史記」以降の中国正史に日本国正史、全唐詩や朱子語類や大蔵経など、
未だ和訳すら十分にされていない所に、大量の勉強材料が残っている。
しかし、それらは今の世の中ではもはや勉強体制が整えられていない。
一級の史学者が、ただ原文で中国正史を全読しただけでも誉められてるような状態。
もう、俺の代のうちに上記のような大分量の典籍の勉強体制が完成する見込みもない。
なので、「今勉強できる範囲において」という意味で、個人的にはもうすぐ「無学」同然の状態となる。
上記の典籍の勉強体制までもが整えられるためには、犯罪優位道徳劣位、
誤謬優位真理劣位、仮初優位伝統劣位である、西洋優位東洋劣位の今の社会体制から
是正されていかなければならない。図書館の書庫の奥底で貸し出し禁止状態になっている
上記の典籍を引っ張り出してきて、家康公のように布令で頒布を義務付けたりするには、
出版業がただの営利目的とも化している今の情勢から変えていく必要がある。
本格的な思想哲学についての議論や勉強のためにも、体制からの是正が急務である。
175 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 12:08:07 0
寺の世襲についてどう思われますか?
176 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 12:09:36 0
>>173 >もはや学ぶことがない」という意味での「無学」にも、着々と近づきつつあるのに。
無学の意味を誤解している。これを誤解するとすべてが逆様になる。
あな他の学識は逆様なのだと思う。そのまま死んだら地獄です。
大変ではないでしょうか?一大事です。
177 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 12:33:22 0
>>175 浄土教以外はやめるべきだな。
廃仏毀釈を乗り越えるための苦肉の策だったのだから。
もちろん正統仏教への手厚い保護が復興してからでいいんだが。
>>176 転倒夢想者は、自分たちこそは正立していて、自分たちと反対の意見を述べる人間を転倒夢想者だと思い込む。
しかし、地球には上から下へのみ落ちていく重力が働いていて、正立している人間は安楽である一方で、
逆立ちし続けている人間は頭にも血が上って苦しみ続けている。平均的な苦楽という点で、実相把握の正立者と
転倒夢想の逆立ちピエロはどうしたって非可換な関係にあり、前者のほうが楽で後者のほうが苦しい。
案の定、
>>115の論理にも基づいて、自分たちのほうが常時苦しみ続けていることを「義の根拠」だと思い込んだり
もするが、あくまでその苦しみは転倒夢想に拘泥する自業自得ゆえのものであり、義の根拠であるわけもない。
178 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 12:45:15 0
>>177 それで無学とはどういう意味だと言うのですか?
179 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 12:45:26 O
おい、そこの馬鹿達
いつになったらパーソナルパンパシーについて述べるんだよ!!!
時間という虚空概念を取っ払ったアトモフスキーの減退詳しく秩序立てろ
180 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 12:50:00 0
>>179 人に求めないで、自分が述べれば良いんじゃないでしょうか?
そして、そんな聞いた事もない言葉を吐いて、人を面食らわすのは、人の道でしょうか?
181 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 13:20:21 0
>>178 「無学」は、日本に入って来た中では最も初歩的な自力の小乗仏教である
倶舎宗における入門要項。平たく言えば、俗世における一連の学問の習得。
もちろん俗学だってその全てを暗記するのは不可能だが、概ね把握するぐらいのことはできる。
俗学の大体の修習が終わったあたりから、やっと仏門の初歩中の初歩が開ける。
もっとも、今の世の中ではその初歩中の初歩の開門すらまず不可能だが。
「俗学を概ね把握した」という意味での無学になったからといって、何も変わらない。
俗学には有益なものもあれば有害なものもあり、高貴なものもあれば卑賤なものもあるため
全体としてはプラスマイナスゼロとなり、「何も分からない」という意味での無学にも近似する。
だから老子は絶学無憂の状態を「嬰児」にもたとえ、弘法大師も「嬰童無為心」と呼んだ。
俗学を概ね勉強し終わったという意味での無学から初めて、真の聖賢への道が開かれるのであり、
無学に至るまでの道程などは、やもすれば地獄道や餓鬼道や畜生道である場合もあり、
そのような何も勉強しない以上にも卑賤な道半ばで歩みをやめてしまう人間も数多い。
無学となってからも、まだ修練をやめない人間すらいるというのに。
182 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 13:35:57 0
無学に至るまでの俗学の修習は谷(∨)。
下がって上がるマッチポンプ学で、途中でやめてしまうと
何も勉強しない以上にも劣悪な結果を招いてしまう。
無学からの修練こそは山(∧)。
ただどこまでも上へ上へと上り詰めていくばかりで、
無害な上に有益であるのみ。
かつては産まれてすぐさまの出家も認められていたように、
(家康公の腹違いの弟である恵最など)
何も知らないという意味での無学からの出家も認められていたようだが、
「俗学の卒業者という意味での無学と、何も知らないという意味での無学は
別物である」という意味のことを、列子も「列子」仲尼第四・十六で述べている。
俗学を一通り学び終わった、谷∨を越えてからの無学のほうが、
本当に何も知らないところから山∧をよじ登っていく場合よりも
意義深いということが、密教の存在性などからもうかがえる。
183 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 13:42:37 0
>>181 俗学とは生活に必要な知識を学ぶというほどの意味と思いますが、
それは俗学を終了したという意味で、無学と言うということですか?
仏教の言う無学とは、仏教の教義を学び終えた(修了)、そして、もう学ぶものがないという
意味なのか?
論旨がゆれすぎていてわからない。
184 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 14:41:50 0
「八宗綱要」第一章・倶舎宗では、無学か有学かのうちの無学を選抜し、
無学のうちでも五明(文法、芸術、算術、暦学、医学、論理学など)などに
通じている者がさらに選抜されて、倶舎宗の三蔵などを取り決めたという。
優秀な無学であることの素養として、俗学の修習もある程度は踏まえられていて、
この場合の俗学は生活のための実学にとどまらず、相当な広範囲に広がる。
儒学も洋学もみんな俗学だし、道家の玄学だって仏門からすれば俗学のうち。
「異端を学ぶのは害になるばかり(為政第二・一六)」とし、儒学以外は積極的に
学ぶことすら控える儒学とは違って、俗学を学びつくした先に聖学を置いている。
185 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 15:04:00 0
自分は出家者でもないし、自力の仏者であることを自認してもいないが、
菩薩が仏となる前に菩提心を発し、衆生の救済を志す気持ちは分からんでもない。
どこもかしこも、自らの転倒夢想による自業自得で苦しんでいるものだらけ。
優良なものを劣悪だと思い込んだり、劣悪なものを優良だと思い込んだり、
優良なものと劣悪なものをみそくそに扱ったり、そもそも優劣良悪の区別も付かなかったりの
迷妄によって、そこまで苦しむ必要もない中に、俗学の谷底での自縄自縛で苦しみ続けている。
仏者は、小乗の声聞や縁覚の時点で、そのような自業自得の迷妄の苦しみからは抜け出して
安楽無上の境地に至るそうだが、自分たちだけが安楽でいることへの後ろめたさも抱くものが、
菩薩行として衆生の救済を試み始める、これが大乗の起信とされる。菩薩行によって衆生を
救うためには、五明のような俗学の素養もあったほうがいいんだが、仏門において無学となれた
ぐらいなら、俗学を修習するぐらいさほどのことでもないから、無学位が必ずしも俗学を既習
しているとも限らない。ただ、無学の安楽にいるぐらいなら、衆生への憐れみぐらいも当然抱く
とするのが大乗。それほどにも、無学であることは、自らの安楽を確立するものでこそある。
186 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 15:11:42 0
>>184 >俗学を学びつくした先に聖学を置いている。
聖学を学び終えることを無学と言うのか?
それなら、聖学とはどのようなものか?どんなことを学ぶのか?
187 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 15:25:01 0
無学なら、俗学を学びつくしたぐらいの素養は当然備わっている。
ただ、聖学に関してはまだまだ道半ばとでもいったところ。
具体的には、煩悩を滅尽して阿羅漢果を得たものが無学。
ただ、これは倶舎宗や成実宗といった小乗仏教の範囲内で、
ここから先に、阿羅漢果を得るまでよりも遥かに長大な菩薩行があって、
それからやっと仏になれるとされる。阿羅漢果を得て無学になる程度は、
大乗仏教の観点からすれば、始まり中の始まりに過ぎない。
188 :
考える名無しさん:
だから無学に至るために、どんなことを学ぶのか?