【私】を記述してください。【私の存在性】

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1考える名無しさん
副題:=【私】は、どこまで肉体に依存するのか?=

『私』『自我』『主体』『主観』『主観性』、
デカルト的懐疑の到達点、
各種宗教的アプローチの底に見出されるもの、
等は、どのような記述が可能なのか?
その記述方法は、唯物的な事象の羅列で十分か不十分か?
その記述方法は、一通りか?それとも何種類もあるか?
それら記述方法の分類・仕分けはどのようなものか?

基本的に何でもありですが、できれば副題にあるように、
この肉体(脳)ベースでどこまで記述できるか?
に挑戦してください。

・マジレス及び連関したレス内容である場合、
名前欄へ、識別可能な何かを記入してください。(レス番可)
2考える名無しさん:2006/04/05(水) 14:26:33
初2ゲット
3考える名無しさん:2006/04/05(水) 14:46:07
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
4考える名無しさん:2006/04/05(水) 15:04:54
今はヒキコモリ
将来は家を持たずにアウトドア派
51/2 素人:2006/04/05(水) 16:10:20
せっかくなので記念パピコ

[哲学]◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない33〜57◆
※かなりの昔、一言さんと話した「サッカーのゲーム」という例。
※「スクリーンプレイ」という語を用いたレス。
※富士山・雲・路端の花となんら変わりはない、という一レス。
※どなたのレスか知らないが、
  661 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/02/24(金) 19:38:40
     どうもおれらは「思う行為(そのもの)」を指して我と呼んでるんじゃ?
     「思う」は「在り」の根拠や前提じゃなくて「主体そのもの」なんじゃね?
※範囲を決めてから鬼ごっこをするのでなく、
 鬼ごっこで走り回っている範囲が鬼ごっこの範囲である。
  →「私」が先にあるのでなく、ある状態(種々の条件によって生じたところのもの)が
    「私」として知覚されている。
※全ては関係であり、もし崖から落ちたなら、それは、「関係」が落ちていると言ってもよい。
※754 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 2006/04/02(日) 05:19:37
    >> 753
    だから『私』の正体を、具体的な物質的要素で説明してよ
    物質の、何が『私』なの?
 に対しては、「関係」「関連」である、と。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1144123901/の 108 109からなら、
 (脳内の)総体としての【A】という状態が「私」である、と。


今思い出せる内容はこのくらい。
62/2 素人:2006/04/05(水) 16:11:09
このスレ用にまとめてみれば、
・人は、そして『「私」という、意識される認識主体(たとえそれがデカルト的懐疑の終着点にある「私」というものであっても)』は、
 種々の条件によってそこに現れている、顕われている。
・初めに【私】があるのでなく、ある【在り様】が【私】として顕われていると見る。
・その条件としては、肉体・環境・過去の経験等によって規定される。
・また、ミクロに見れば、上記の制限によって現れる脳内の電荷のパターンが、種々の思考であると。
 ある一瞬の特定の物質(分子でも素粒子でも何でもいいが)が私なのでなく、
 また一瞬を切り取った写真のような脳内のパターンが「私」なのではなく、
 あるスパンにおいて(時間的な連続において)見られる【動的な「在り様」】が【私】である。
・具体的な脳内のパターンはどのようなものか?その対応関係はどのようなものか?は、
 脳科学の専門家にお任せするしかないし、また、畢竟わからないかもしれない。
・具体的なパターンを示すことができないところは、このスレ的に不十分か・・。
・また、このような記述方法は、弾道を数式で表現するかのように、
 愛情をお金やプレゼントの山で表現するかのように、本質を大きく外しているかもしれない。
 その意味では、最高位の「記述できていない。」という指摘はもっともなものかもしれない。
・どのような解説書(どの分野のどのような記述方法)が最も的確か?という別の議論があってもいいかもしれない。

ただ、最高位が、なぜ各種解説書を認めないのか?それがわからない。
何冊あったっていいじゃないかw  勿論、ピンきりで、トンデモなものもあるだろう。
が、それは一つ一つに対してちゃんと吟味すればいいことではなかろうか。
そうして、場面場面で、その都度適切な解説書を使用すればよいのではなかろうか。
(また、設計図である必要はないw)

たとえば仏教では、五蘊(十二処十八界)が解説書の一つだ。
社会学や法律の世界にもそこで使用するのに最も適した解説書があろう。
医学の世界にもあろう。生物学の世界にもあろう。

さて、全てに援用できる、オールマイティな解説書が存在するかどうか・・・?
7ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/05(水) 17:30:04
乙!
8考える名無しさん:2006/04/05(水) 19:26:48
私とは内なる目である
9考える名無しさん:2006/04/05(水) 20:19:46
【私】
10考える名無しさん:2006/04/05(水) 21:09:41
私は前頭前野
11考える名無しさん:2006/04/05(水) 22:20:23
じゃ、前頭前野をビーカーに入れて保存しよう
12考える名無しさん:2006/04/05(水) 22:33:55
脳の情報をデジタルに変換出来ないんですかね。
DVD-Rみたいに脳の情報を出し入れ出来ないんですかね。
脳の情報を並列化させたら人格が一緒なんですかね、でも
同じ場所にいるわけじゃないから同じになりませんね。
13考える名無しさん:2006/04/06(木) 00:18:56
唐揚
14考える名無しさん:2006/04/06(木) 16:35:40
私は次の様に考える。
生命とは自己調整能力を持った炎の様なものである。
そして、私はその中の火に過ぎない。

よって常に私は揺らいでいるし、
私自身を正確にコピーする事はできない。

私に似た存在を残すには、子を作るか、
私の考えを他人に伝える事によってのみ可能であると思う。
15考える名無しさん:2006/04/06(木) 16:46:21
無限に続くドミノ倒しの板の一枚。
倒れる事、倒れる速さ、倒れる角度が意志。
16考える名無しさん:2006/04/06(木) 16:58:43
「同じ存在を残す」のに元来意味はない。
なぜならそれは不老不死と同義だし、そこに進化は存在しないから。
新たな状況が出てきた時に、たちまち全滅してしまう。

むしろ意味があるのは、劣化コピーを残すと言うこと。
そこには進化が存在し、新たな状況に対応できる希望も生まれる。
17考える名無しさん:2006/04/06(木) 17:01:17
ならば、と考える。
デジタルの世界はコピーを本質とし、同じ物が普遍的に存在する世界。
だからこそ、AIに魂が生まれない、といわれるのだろうか?
18考える名無しさん:2006/04/06(木) 17:31:39
>>17
デジタルも確率的に劣化するのよ
HDDのデータシート見てごらん
エラー率ってのが書かれてるから。

よってデジタルも万能ではない。

疑似乱数ではない自然な揺らぎを生成できるなら
AIにも魂が宿る可能性を否定できない。
19考える名無しさん:2006/04/06(木) 17:34:23
>>18
疑似乱数ではない自然な揺らぎって何?
完全な乱数の定義なんて出来ないと思うが。
第一それとAIに魂が宿るかどうかは無関係だろ。
疑似乱数で魂が宿る可能性が否定されたわけではない。
20考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:43:39
>>19
>>疑似乱数ではない自然な揺らぎって何?
熱雑音とかを利用した乱数発生器ってのがあったかと・・・
(パチンコとかにも使ってるらしいぞ、FM音源ICでもノイズ源あるでしょ?)

>>第一それとAIに魂が宿るかどうかは無関係だろ。
>>疑似乱数で魂が宿る可能性が否定されたわけではない。

うん、これに関しては否定しないけど、
揺らぎが人工的だから、極めて不自然な魂になる気がする・・・

もし、ライフゲームが生命か?と問われれば、
私は生命かもよ? と答える。
21考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:50:35
どうでもいいことだけど、20さんは僕の意中の女性と語り口が似てる。
2219:2006/04/06(木) 18:52:39
今、気づいたんだが
パチンコ台って生き物にかなり近いかもね。
(自己メンテが完全でないから生き物ではないけど)
ハマるの怖いので私はやらないから、よくは分からないけれど・・・
23考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:55:00
>>22
名前ミス 19>20でした。スマソ

>>21
リアルでは男なので・・・スマソ

24考える名無しさん:2006/04/07(金) 00:04:24
パチンコなんてゲーム性はほとんど無いと言っても良い。
昔のパチンコ台は釘を打つ位置で確率を定めていたから、まだ偶然の余地があった。
しかし、最近の物はコンピュータを内蔵しているから、
顧客から見えないプログラムの部分で、いくらでもズルができる。
パチンコを「ギャンブル」なんて思っている人はメーカーに踊らされてるぞ。
25考える名無しさん:2006/04/07(金) 01:23:03
政府は「パチンコ税」を導入しろ!
タバコ並みの税率でいい
26考える名無しさん:2006/04/07(金) 03:00:46
ダメです。だって税金より先に献金してもらってるもの
27考える名無しさん:2006/04/07(金) 07:58:15
>>24
不正改造が無ければ、まともなギャンブルですよ。
公的な認証機関でチェックしてたはずですし・・・
姉歯氏的な存在あるかは知らないですけど・・・
まぁ、不正改造が無ければね・・・・・・・・
28考える名無しさん:2006/04/09(日) 15:43:51
唐揚
29考える名無しさん:2006/04/09(日) 15:49:16
皆、文学的な私論ばかりで読むに耐えん
30考える名無しさん:2006/04/09(日) 23:48:47
哲学は文学と科学の間に存在する。
31考える名無しさん:2006/04/11(火) 22:13:42
私はあなた
32考える名無しさん:2006/04/11(火) 23:29:19
>>素人くん
このスレはダメだね。
33考える名無しさん:2006/04/11(火) 23:34:06
わかったわかった
一刀両断してあげるから、おとなしくしてなさい!
34考える名無しさん:2006/04/11(火) 23:39:33
>>33
待ってくれ
行儀よくするのはなにしているのかを教えてあげれば良くなるでしょう
切り捨てるのと行儀よいってどういうことなんだよ
35考える名無しさん:2006/04/12(水) 16:38:11
>>29
そういう「独創的な表現を競い合うスレ」というのもおもしろいかもw
>>12>>14>>15とかw
36考える名無しさん:2006/04/23(日) 12:08:12
最高位さんこちらも忘れないで下さい。
37考える名無しさん:2006/04/23(日) 14:30:44
私の感覚では、私が肉体に依存する分量は半分くらいかな?
後の半分は周囲に居る人とか環境によって形作られている気がしますね。
38考える名無しさん:2006/04/23(日) 15:32:22
バファリンの感覚では、バファリンがやさしさに依存する分量は半分くらいかな?
後の半分はアスピリンとか緩衝剤によって形作られている気がしますね。
39考える名無しさん:2006/07/06(木) 14:56:03
あげ。
40考える名無しさん:2006/07/06(木) 15:54:30
「私」の一種、「わだす」は岩手あたりに自生、土着するが近年、外来種に駆逐されつつある。
41考える名無しさん:2006/07/06(木) 18:01:07
「意識とは意識された社会的存在でアール」マッド・マックス
42wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/07/06(木) 21:44:03
我疑うという超越論的跳躍により私の存在が一瞬の間、浮かび上がり、そして、ゆえに我有り、の着地点は、常に、異なるシステムのはざま、というのが柄谷のコギトエルゴスムスの復権のロジック。

43考える名無しさん:2006/07/08(土) 14:10:57
351 名前:哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 投稿日:2006/07/08(土) 07:12:18 >>263
>「比類の無さ」はそれを口にしてしまった時点で、
>「比類される」のを避けられないんだよ。
>混同は避けられない。

うむ、混同するんだよねぇ みんな
これが言葉の、ツールとしての壁だね
しかし、本質を見抜いて混乱せずに理解できる人は、必ず存在するでしょう
そういう知能の高い新人類が徐々にでも増えてくれば、唯物論は消え去るでしょう
ツールとしての純粋な科学だけが残り、唯物論などという間違えた思想は消滅する
これは、もう見えてますね
唯物論 などと言った時点で笑われちゃう時代が来るでしょう
なぜなら、こんなにも唯物論者しかいなかったこのスレにおいても
すでにその兆候が見えてきてるからです
ここってホントにひどかったんですよ
それでも徐々に、理解できている人が確実に増えてきています
面白いですね^^

>>266
あなたが理解しておられる事は、それはクオリアに属する部分ですね
確かにクオリアは物理現象に還元できるとっかかりすらありえません
しかし実は、クオリアでは唯物論を論破しきる事はできないんですよ
この光は、なぜだかわからないけど赤に見える と、解明の方法がありえない とい事にとどまります
そして、どうしても客観的視点から離れる事ができず、一般論的に片付けられてしまう傾向にあります
しかしそこに更に、クオリアの主体であるところの『私』の『存在性』に気づくことによって
唯物論は、完全に破壊されるのです
物理的なものは、同じ要素のものを複数作成する事が可能です
切ったり貼ったりが自由自在
全く同じ物理的要素に と定義する事も可能です
しかし『私』というものは、この世に一人
天上天下唯我独尊、唯一絶対の存在性
ですから、私を物理的要素に特定する事は不可能なんです
44考える名無しさん:2006/07/08(土) 14:11:48
354 名前:哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 投稿日:2006/07/08(土) 07:33:28 >>348
>脳は言葉ですからね。

そんな事はないでしょう
ヘレンケラーは最初、言葉を知らないまま生活していた
言葉を知らなくても、イメージの中で生きていた と考えられる

まぁ言葉の機能性についての議論は必要かもね
てか、もはや哲学は、言葉で説明しきれる次元をとっくに越えているんだよ
曖昧な言葉から、本質を汲み取る事が必要なわけ
それができる人と、できない人が、昔からいるんだよ
だから哲学者は、バカでも理解できる魔法の言葉を探して、言葉の壁に挑戦し続ける
45考える名無しさん:2006/07/08(土) 14:12:45
356 名前:哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 投稿日:2006/07/08(土) 07:43:00 >>353
また、そんなふうに、どうでもいい観点にばかり関心を持っちゃう人が出てくるんだよな
違う違うってね
じゃぁ、何が違うのさ
水の分子AとBの物理的要素の何が違うの?
脳内の水の分子AとBを入れ替えたら何が変わるの?
分子運動の細かい所が違う としても
それもまた、同じ と定義すればいいだけの話
要は、技術的な面で不可能であったとしても
論理的な話で『同じ』と定義すればいいだけの話
物理的な事柄は、同じと定義できるが
私に関しては、同じ と定義する事じたいが不可能
論理的な話で、両者は噛み合わない
『私』と『物理現象』は、噛み合わない
46:2006/07/08(土) 21:31:01
まず私が妄想することを表現しよう。
魂はこの世のすべてのものに宿る、そして閉じた価値観の世界では私となり
現実となる。開いた価値観の世界では分散され夢、妄想、幻となる。
魂とは現象の特徴のこと。魂が宿ることで私が他と区別される。
完全なクローン人間でさえ、コピー元とは違う魂を持っている。
クローンがいる位置すら魂の因果の原因となるのだから。
人間の場合は、心という概念も加えたもの、さらに客観的情報を含んだものが
私となる。
心は情報の中心を因果で結ぶ仕組みの情報処理で行う、心もすべての物に宿る
それが小さいか大きいかだけ、閉じた価値観の世界では私となり
現実となる。開いた価値観の世界では分散され夢、妄想、幻となる。
因果はすべてのものに存在し。「もの」という言葉の語源がその意味の中心
であり本質である。
この本質は間接的にしか観測できないものであり、観測すれば違うものに
変わる性質がある。大局的な現象でしか見れない隠されたもの。
夢の中でまた。
47考える名無しさん:2006/07/27(木) 01:05:18
私など存在しない
48考える名無しさん:2006/07/27(木) 04:25:11
名前
49考える名無しさん:2006/08/10(木) 02:09:48
私の行動、言動、によって私の世界は変化する
その責任は重大である
故に私の決定は全て重大である
50考える名無しさん:2006/08/10(木) 02:29:07
超越論的「我」とは「世界と自我」を見ている我であります。

51考える名無しさん:2006/09/03(日) 09:37:49
以下、某所から拝借したもの

●バーナデットロバーツの体験の諸相●

●自己について●

○自己の存在を知るには、心がそれ自身を対象として見るという自意識は必要ではなく、
それがなくとも、思考や感情が起きてそのまま意識される、と思っていたのは間違いだった。


○自省の機能は意識されない場合でも無意識の層で働いているが、
いったんこの自省の機能が失われれば、自意識がなくなるばかりでなく、無意識面でのその働きもなくなる。

つまり、意識の主体を見ることが出来なければ、その主体があるという意識もない。

内省が不可能な時には、物事に価値や意味や目的を付与することが不可能である。


○人が生まれて自己が発達する段階で、すでに無自己は予定されているように思われる。

つまり、人の前半生では自己保存が優勢であるが、後半生では、自己放棄が優勢になる。


○自己と『それ』の結合に執着するのは、一種の不信であると言ってもよい。

この旅は、自己意識から宇宙意識への移行ではなく、また全体と自己との同一視の道でもない。
52考える名無しさん:2006/09/03(日) 09:39:11
○客体化なしでも、自分を主体として知ると主張する人もいるかもしれないが、
それがあり得ないことは、私が経験した事で明白だった。

自己を客体として見られなくなってしまうときには、主体も意識できなくなる。

意識にとっては、その主体は無に等しい。

だが、もしも何かを意識したとすれば、それは客体となってしまっている。


○既知の自己がなくても意識があれば、その主体があると論理的には言えるかもしれない。

だが、単なる知的な要請として考えられた「自己」が、
現実に知られも感ぜられもせず、働いてもいないとしたら、そんな自己に何の意味があるだろうか。


○自己を意識することは、「自分が生きていることの活力の感覚」に支えられなければ、
空想と同じように無意味である。
自己とは単なる意識の対象でなく、自分の活力、意志、衝動の根源的な感覚であり、
それが知の働きと結び付いて「これが私だ」という主観的な確かさになるのである。
53考える名無しさん:2006/09/03(日) 09:40:34
○生の活力は「これが私だ」と意識する以前には、単なる肉体の活力と区別できない。
内省の機能により、自意識が発生して始めて、その活力を自分のものと思うようになる。
そして、情意の働きの本質は「自分が生きている」という感覚にある。


○自己とは、人間の思考を遂行しているものというよりも、その根底にある生の活力の意識にほかならないのである。

したがって、認識や感情の働きを抑えたり変化させても、自己を超えるわけにはいかないのは明らかである。

内省の機能が働いているかぎりは、姿を変えた自己が現れるだけで、この機能を自分で止めることは出来ない。


○現在は、人間が生まれてから死ぬまで、あるいは、死後でさえも、自己が常に不可欠のものとしてい扱われている。

こういう固定観念に囚われているかぎりは、自己を超えた次元に目を開くことは出来ないだろう。


○自己を保存しようとする力と、自己を絶滅させようとする力の二つのシーソーの力の中で、
人間の根本的な自己との葛藤が起きる。


○自己というものは、個別性のために必要なものではなく、自己を失った後でも、その者の個性は残るのである。
54考える名無しさん:2006/10/16(月) 03:01:29
かゆい
55考える名無しさん:2006/10/22(日) 23:43:36
kayui
56哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/28(日) 00:29:20
私の存在性って私ならいつもここに存在してるぞ。
57考える名無しさん:2007/01/28(日) 00:53:01
かなりの人はプロレタリアート以下の存在になっている。
そのような人にとって「私の存在性」とは「不必要」という
性格を帯びる。
58考える名無しさん:2007/01/28(日) 01:15:20
アホみてー



言葉で遊んでるだけ
59考える名無しさん:2007/03/29(木) 10:42:18
現代哲学の最先端だな
60考える名無しさん:2007/03/30(金) 01:28:21
1つの閉じた情報処理の因果関係の中心にあるものが
開いた外にある別の因果関係を解釈するときに因果関係の比較が行われる。
閉じた壁の外を内が因果する場合は私は拡大され、閉じた中の因果がさらに
狭い範囲の因果関係のみの価値観に依存する場合は私は縮小される。
これは中心=心の仕組み。情報の因果の中心で状況によって因果の届く距離は
変化する。この因果関係が届き難いと壁が生まれ認知が難しくなる。
壁の向こうが私以外であり、壁の内側が私である。そして壁は心によって
作られるもので不変ではない動的に存在する。
61考える名無しさん:2007/03/30(金) 11:24:26
私の存在性ではなくて自我の存在性にしよう

私などというと独我論と変わりがないからだ
私の存在性は私しか認識しない
他人の自我を私は認識できない
他人に認識できないならあってもなくても同じだ
客観性など微塵もない

自覚するかしないかだけ
私は世界であり世界は私であるという独我論
独我論だが他者のことを考えて想像して行動する

他者にも自我があるだろうという前提で
だが自分の自我しか認識しない
自分しかわからないものを説明しても理解されない

それだけ
62考える名無しさん:2007/03/30(金) 13:30:34
肉体から派生する意識が私。
外界との関わりの中で派生する意識が私。
私を形成する全要素としての肉体が無ければこの私は無いし、
私を形成する外界との関わりが無ければこの私は無い。
この私は、個体としての私であると同時に、
関係の一部として必然的に存在し、
その本質はこの世界そのものである。
私が私を指す事は、細胞の一つから、
個人、団体、星、この世界に至るまでを指す事と同じだ。

他者として分ける者も、現象事物に至るまで、
全てが私としてのこの私と同様の存在である。
63考える名無しさん:2007/03/30(金) 13:44:20
64考える名無しさん:2007/03/30(金) 22:19:05
>>60
激しく同意
65考える名無しさん:2007/03/31(土) 12:40:16
あげ
66考える名無しさん:2007/04/01(日) 11:05:57
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/505
505 名前:考える名無しさん New! 投稿日:2007/04/01(日) 10:56:53 >>483
仏教徒のくせに(失礼)素人さんは、突っ込みが精緻すぎる。が、そのわりに
空回りしている。最高位の「私」の種類は、一つでしょう? 「私の存在性」
という基点、それを起点とした心的営為。
ただし、ここは微妙。「お前は誤解している」と、しばしば最高位シンパを
任じる私も彼から叱られたことがある。
あなたの「私の種類は?」との問いは、様々な心的現象の差異に関するもので
しょう? それは、いかようにも分類できるのではないか。感覚、感情、思惟、
認識… ただし、それらを“意識”に繋ぎとめているのが「私」(という基点)で
ある。というふうに、私は最高位の“私の存在性”を受けとめています。

唯識さんもそうですが“普遍”を口にしたがるのは仏教徒のサガですか。科学
的客観主義者は、そればっかりですけど。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/507
507 名前:考える名無しさん sage New! 投稿日:2007/04/01(日) 11:02:44
>>505
それを科学で実証できないから即唯物論は間違いっていうのも早計だろ
それでは私の存在性はその方法以外に記述、説明できるのか
続きはここで
【私】を記述してください。【私の存在性】
67考える名無しさん:2007/04/01(日) 11:20:54
>感覚、感情、思惟、
>認識… ただし、それらを“意識”に繋ぎとめているのが「私」(という基点)で
>ある。というふうに、私は最高位の“私の存在性”を受けとめています。

それなら、その「私という基点」が特定の人体という物質であっても
一向に構わないと思うのですが。単なる「点」に過ぎないのですから。
というか、それが物質であろうとなかろうと、何の意味があるのでしょう。
なぜ彼がそんなことにこだわるのか、非常にわかりかねるところです。
68考える名無しさん:2007/04/01(日) 11:25:54
本性。
69考える名無しさん:2007/04/01(日) 11:34:36
最高位は私の存在性とか言っておきながら
その私の存在性の中身は何一つ知らないんだよな
言葉だけで中身がないものは説得力ない。
70考える名無しさん:2007/04/01(日) 11:44:46
では、こちらに書いてみますかな。無駄だとは思いますがw

唯物論スレ>>512
>キミは、ある観点に気づいてないだけです
>脳内では、まだシナプスがつながってないんですね(笑

おお、最高位氏、いきなり唯物論的なことを言い出されましたな。どうしたのですかw
それですと、あなたの「私の存在性」論も「シナプスがつながっている」という
物理現象に還元されてしまいますぞw
それに「世界が境目なくつながっている」のでしたら、「シナプスがつながっていない」
とは、一体何のことでありましょうかw? それ以前に、あなたの脳と私の脳も
境目がないはずでありますがw

>『私』が、何の原因的根拠も無く存在している事実を理解できた時点で
>とんでもなく世界観がひっくり返ってしまうハズなんだがね

最高位氏、客観的世界を認識(構築)した後では、『私』は単なる世界の中の
一個物で、「この体」が「原因的根拠(何だか意味わかりませんがw)」
である、としか、考えようがないのですよw(正確に言うと、それが一番有力な
仮説である、ということですが。)
かの「コピーヤング博士」の『私』の存在が、物質的な原因的根拠wによるとしか
思えないのと、同じことです。
71考える名無しさん:2007/04/01(日) 11:53:57
>>67
俺こそが唯一絶対者なんだろう。
72哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/01(日) 11:54:53
>>70
シナプスに反応するところなんか
可愛そうなほど単純だね

貼り付けておいてあげるから、もっとよく考えなさい


512 :哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/01(日) 11:29:18

>客観的な世界を構築(というか認識)した後でも「私」を特権化し続けるのは
>どうみても錯誤としか思えません。というか、そんなことをしたがる人の
>気がしれない、というのが本当のところです。

そういう論理的でない個人的な感想文を述べられてもねぇ
「それはキミの考えが、まだ浅いからですよ」
としか言ってあげられないなぁ

キミは、ある観点に気づいてないだけです
脳内では、まだシナプスがつながってないんですね(笑


ちゃんと唯物論を理解していればね
『私』が、何の原因的根拠も無く存在している事実を理解できた時点で
とんでもなく世界観がひっくり返ってしまうハズなんだがね

なんで平然としていられるのか
私には むしろ、それが不思議でしかたないね
73考える名無しさん:2007/04/01(日) 11:58:28
シナプスって
唯物論的な(科学的用語)使うなよ
使わずに説明できたら一考の余地はある。
私の存在性は物理現象ではないなら
科学用語を使わなくともできるだろう。
74考える名無しさん:2007/04/01(日) 12:00:23
別に世界がひっくり返りはしないだろう(ぷっ
75考える名無しさん:2007/04/01(日) 12:03:55
いやあ、最高位君。やっとスレ違いであることを理解してくれたようだね。
76考える名無しさん:2007/04/01(日) 12:07:04
ええと、水を差すようですがここは「私の存在性」について議論するスレです。
唯物論反駁としてのそちらに重点を置かれる方は下記のスレにて議論していただくよう願います。

◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない90◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/
77哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/01(日) 12:10:56
>>73
別に説明なんてしてないぞ?w
存在性と精神活動の区別もつかないバカは、黙ってろって

>>74
世界と、世界観の違いもわからんバカは、黙ってろって

>>75
べつに?
何がスレ違いなん?

>>76
ですよね
あなたは正しい^^
78考える名無しさん:2007/04/01(日) 12:25:42
>>77
> ですよね
> あなたは正しい^^
一言くぎを差しとくとあくまで議論をする、ですからね。
失礼ながらあなたの場合存在性が存在性がとひたすら念仏みたいに唱えるだけで、とうてい議論と呼べる水準ではありません。
実のところそうするほか無いほど詰んでしまってるわけで無理もないことなんですが、
ここらで謙虚に批判から学ぶところは学んで次の一手を考えてから出直してはどうでしょうか。
79ほほう:2007/04/01(日) 12:34:04
>ちゃんと唯物論を理解していればね
>『私』が、何の原因的根拠も無く存在している事実を理解できた時点で
>とんでもなく世界観がひっくり返ってしまうハズなんだがね

『私』は無から生じたというのかね。




80考える名無しさん:2007/04/01(日) 12:58:03
最高位の説明はいたるところで不十分な点があり誤解が生じやすい
自分では自分の文章をわかりやすいと信じているらしいが本当は
その逆である。
81考える名無しさん:2007/04/01(日) 13:00:27
1.無から有は生じない、と主張

2.『私』が、何の原因的根拠も無く存在している事実、と主張

矛盾しないか?
だから、奇跡なのだと?
宗教なのか?最高位哲学というものは?
82素人:2007/04/01(日) 15:21:31
>>77
>別に説明なんてしてないぞ?w
じゃあ何なんだよwww  単なる単語の羅列か?w  前衛的詩人か?w
説明なしに何が【理解】できると言うんだ?(爆

>存在性と精神活動の区別もつかないバカは、黙ってろって
「存在【性】」が何を指すのかは、(時には、幾つか候補を挙げながら)何度もお聞きしましたよね?w
【そこ(ここ)にあること】ですか?と何度も訊ねましたが明確な答弁は未だありませんね。
(ま、そのように認めてしまうと、あなたの言説の殆どが崩壊するので認められないのでしょうが・・w)
「精神活動」とは、その字義通りに見るならば、「意識・心の動的在り様」という所でしょうか?
我々は、「存在【性】」と耳にしたなら、「在る【ということ】」としか読めません。
「存在【性】」と「精神活動」をイコールで結んでいるのでなく(→区別していないのではなく!)、
【『「精神活動」がそこにある』『「意識・心の動的在り様」がそこにある』『そのこと』】
 → 【(○○が)『在る、ということ』】(『在る、という性質』は、甚だ難解な言辞ですw)
と、【性】の字の付いた意味を受けとめているのです。
或いは、『「在る」ことが可能となる性質、要素』とでも解したら宜しいでしょうか?
それとも、『何ものかを(○○を)「在らしめる」性質、要素』とでも解したら宜しいでしょうか?

それが違うというなら、【性】の字の付いた意味・理由を、あなたが明確にすべきです。
831/4 素人:2007/04/01(日) 17:49:36
>> http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/505
> >> http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/483
> 仏教徒のくせに(失礼)素人さんは、突っ込みが精緻すぎる。
仏教だから精緻なのですよw 
(細かな)差異を知らずして、どうして大局的括り(カテゴライズ)ができようか。
それが捨象可能な差異であるかどうかの吟味なしに、どうして大局的括りができようか。
万物に慈雨を灌ぐためには、万物の差異を認めなければならない。
万物が、それぞれかけがえのない存在であるからこそ、(個別性があるからこそ)、
それらは愛おしいのです。

> が、そのわりに空回りしている。
面目ない・・・ orz
842/4 素人:2007/04/01(日) 17:52:55
>> 505
> 最高位の「私」の種類は、一つでしょう?「私の存在性」という基点、それを起点とした心的営為。
> あなたの「私の種類は?」との問いは、様々な心的現象の差異に関するものでしょう?
> それは、いかようにも分類できるのではないか。
> 感覚、感情、思惟、認識…
> ただし、それらを“意識”に繋ぎとめているのが「私」(という基点)である。 というふうに
そうですね。(彼は、あなたのように解り易く述べてはくれませんが・・w)
ですから、【認識されることにより世界は出現する】という意味での基点ではないか?
というのは多くの人が指摘しているし、私もそうではないかと感じている。
また、私が「種類」を問うたのは、彼がよく用いる「存在性」という語と絡んで、
もし、【意識・心】【精神活動】等が【そこ(ここ)にあること】であるならば、それは、容易に「普遍的『私』」となり、
個別性は問答無用に捨象されるからです。AさんでもBさんでも、ヤング博士でもコピーヤング博士でも同じことです。
もし、ただ【そこ(ここ)にあること】であるならば、それは容易に「普遍的『存在』」となり、
個別性は更に捨象され、石ころでもたんぽぽでも、富士山でも入道雲でも、概念でも価値でも(!)同じことです。
 (※入道雲が、その存在の境界が曖昧なように、(実はAさんでもBさんでも、コピーAさんでも同様ですが)
 『私』についても、その境界が設けられねばなりません。
 その境界を成立させているものは何か?について、最高位は明確にしていない。)
概念・価値等であっても、それが【どこにどのように】存在するのかについては、
「存在性」という言い方からは導けない。(源氏物語・最後の晩餐の話は興味深いのですがね・・w)
もし、個別性を採りあげるなら、対象が他と区分される要素がそこに盛り込まれねばならない。
そこを捨象して個別性は無い。 その際の「他と区分される要素」について、
最高位がどういう見解を持っているのか知りたくて、私は「種類」を訊ねたのです。

ちなみに、「『私』【の】存在性」「『私』【という】存在性」「『私』【は】存在性【である】」
という言明は、それぞれ違うはずだ。(これに関しては最近レスした記憶があるが・・w)
853/4 素人:2007/04/01(日) 17:53:59
>> 505
> 唯識さんもそうですが“普遍”を口にしたがるのは仏教徒のサガですか。
そうですね。性(さが)でしょうねwww
細部に目を向け、分析し、把握し、
ミクロな視点(科学的・顕微鏡的意味でなく、微妙な差異に注視するという意味で)を踏まえた上で、
大きく俯瞰し、一切を包含したマクロな視点へと視野を広げる。
或いは逆に、マクロな視点で在り様を見、大きく括った後、
細部へと潜行し、ミクロな視点で差異に注目する。
このように両極をきちんと『見る・知る』ことができれば、
『個性・尊厳を尊重しつつ、全ては等価である。全ては等価であり、且つ、かけがえのない個別性を持つ』
ことに素直に頷くことができる。 そして、
細                        大
├────────────────┤ という図を、強引に用いるなら、

├────────────────┤
                   △       この辺りを常態とするような感じだろうか・・。

で、出会う事象・事案に合わせて、採用すべき視野のポジションを調整する、
そんなようなイメージと思って貰えればいいかもしれない。
「普遍寄り」である理由は、視野狭窄を避け、
全て(『私』をも含む!)が平等であること(→縁起するものであること)を原点とするからです。
864/4 素人:2007/04/01(日) 17:54:35
>> http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/514
> そこが私(たち人間)の哀しきサガではないでしょうか?
> 客観的世界なるものを勝手に(主観的に、せいぜい共同主観的に)でっちあげ、
> 初めからそれが(そのように)存在していたかのごとく思いなし、それが主観
> に映じた表徴にすぎないことを等閑に付す。むかし、神様。いま、物質。
これに関しては、感嘆子さんもちらっと述べていましたが、
たとえ経験・類推のみに拠るものであったとしても、外界を把握しなければ我々は生きていけないでしょう?
知覚・経験を疑う姿勢を非難するのではありません。
我々にそれしか手段が無いとしたら、多くのデータを集め、突合せ、類推し、輪郭を描き出してゆく、
そうした作業によって得られた外界を(他者を)信用せずに何を信用すべきか。
少なくとも、日常生活を送るだけなら(→哲学や宗教の領域に足を踏み入れなければw)
知覚・経験を疑う必要は無い。
(ここにも、「捨象する」というテクニックが用いられているわけで・・、
 あなたは、いみじくも「等閑に付す」と見事に指摘しているが・・・w)
たとえ無意識にであっても、(→過去の経験・学習に既定されていたとしても)、
より妥当性が高く・生存に有益な情報が整理され、選び採られている、
そのことが批判される謂れはないであろう。
それを極端に推し進め、寛容さを失うような、
新たな発見・解釈・視点を受け付けないような頑なさへと向うことは避けられねばならないだろうが・・・。
87考える名無しさん:2007/04/02(月) 01:19:16
結局オカルトだったか
その程度のもんだよ
この哲学者最高位ってのは
88哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/02(月) 04:29:49
素人くん
>「存在【性】」が何を指すのかは、(時には、幾つか候補を挙げながら)何度もお聞きしましたよね?w
>【そこ(ここ)にあること】ですか?と何度も訊ねましたが明確な答弁は未だありませんね。

本当に理解できないで質問してるの???
哲学してたら、わかるはずなんだけどな・・・
単なる「存在」だと、意味が広くなりすぎるんだよ
もちろん「実存」の事かと勘違いする人もいるだろうね
>【そこ(ここ)にあること】ですか?
なんて聞いてくるキミも、その一人なのかな?
懐疑論て知ってますか?
ここに「ある」と認識している全ては、錯覚にすぎない可能性を否定できない という事なんだよな
本当は、無いのかもわからんわけです
これは哲学の基本でしょ
あと、唯名論て知ってますか?
「島」はあるのか? ○○島は存在するのか? って話
島というものは海面から出ているから島なんであって、海に沈めば島ではなくなるよね
海中の突起 という事になります
島と認識しているものは、海面との相対的な状態にすぎません
それに人間が便宜上で名前をつけて呼んでいるに過ぎないわけです
島というものは、人間の観念によって便宜上で名前をつけられているに過ぎないわけですから「唯名論」の範疇に入るわけです
島は「状態」に付けられた「名前」であって「存在」ではないわけです
『存在』という事を考える上で、このような基礎的な事は、言わなくても前提として理解しておいていただかないと、話が前に進みません
ここまではいいですか?
上記に引っかかるものは、厳密には『存在する』とは言えないわけです
しかし実体そのものが「実存していない」とも言えません
曖昧なんですね
そこでです
有形無形を問わず、とにかく「確実に存在している」としか言えないもの
これに関して「存在性」だと呼んで別けているわけです
懐疑論にすら引っかからない、まさに「存在性」だとしか言えない存在だと言う事です
ご理解いただけましたか?
89考える名無しさん:2007/04/02(月) 04:39:07
哲学ってのは証明されるまでは
言葉の遊びでさあ
実在と合致してはじめて正論になるんだな
90考える名無しさん:2007/04/02(月) 11:31:15
>>88
>ここに「ある」と認識している全ては、錯覚にすぎない可能性を否定できない 

最高位氏、「錯覚である」可能性がある、ということは、「錯覚でない」
可能性もある、ということなのですよ。普通は後者を指して「存在する」
と呼ぶのですが、あなたの言う「錯覚でない」とは、はて、どういう意味でしょうか。
あなたも以前「何度確かめても便器があるように見えた(錯覚した)が、
”実は”なかった(存在しなかった)」という話をされていたではありませんか。
さて、「便器」というのは存在するのですかしないのですかw?

>島は「状態」に付けられた「名前」であって「存在」ではないわけです

さて、「状態」とは何かの状態ですね。さて「何」の状態なのでしょうか?
ある「状態」が存在するかしないかは、客観的に定まりますね。現にあなたが
「便器があると思ったが、実はなかった」と言っているのですから。
それならば、「状態」が「存在」であっていけない理由がありますでしょうか?

>有形無形を問わず、とにかく「確実に存在している」としか言えないもの
>これに関して「存在性」だと呼んで別けているわけです

最高位氏、「人間個体」には、存在性がない、ということでよろしいですね。
そこで、あなたご自身が、「哲学者最高位」という人間が生まれる前や死んだ後、
熟睡したり昏睡したり植物状態だったりするときに「私」が存在するかどうかは
わからない、とおっしゃっていましたね。
それでは、「私」とは、まさに(拡散するツブツブで存在性がないはずの)
「人間個体」のある種の「状態」につけられた「名前」であって、存在性ではない、
としか言いようがないと思われますが、いかがでしょうかw?
91哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/02(月) 12:43:14
>>90
お前、説明してやったのに、まだ理解できんのか???
こんな哲学の基礎が理解できないんじゃ話しにならんぞ
懐疑論や唯名論ぐらい理解できてからにしてくれよ お願いだからさ

>さて、「便器」というのは存在するのですかしないのですかw?

ホントにバカだな
「わからん」と言ってるだろ
哲学的に厳密な話をすれば、わからんのだよ
そして、わからんのだから存在性とは言えないんだよ
それに
たとえ実体があったとしてもね
便器は材質の状態であって、それを人が便器と呼ぶから便器なんだよ
とても存在性と言えるようなもんじゃないな
便器は、人間の無形なる価値観が生み出した便宜上の呼び名にすぎない
まぁ便器はクッキリしてるからね
最初は理解しにくいのかも知れないな

もっとわかりやすい例で言えば「けもの道」とかかな
道だと主張する人もいれば、道とは言えんだろwという人もいるかも知れない
要するに、ある状態に対して人間の側の勝手な価値観によって「それ」だと思い込まれているだけであって、絶対的基準で存在しているのではない という事だよ

こんなのも理解できないで、素朴実在論で「あるある」言ったところで
お話にもなりません

私は今回、哲学の基礎の基礎を説明してやってるだけだぞ?
キミ、どんだけ次元低いんだよマッタク・・・・
そんな理解度で、私に意見なんてしてくるなよ
92考える名無しさん:2007/04/02(月) 12:47:01
価値論を唯物的に解明できないかぎり話は終わらない。
93考える名無しさん:2007/04/02(月) 14:01:23
>>91
>哲学的に厳密な話をすれば、わからんのだよ
>そして、わからんのだから存在性とは言えないんだよ

最高位氏、それでは「懐疑論によってその存在を疑う余地のあるものは、
すべて存在性ではない」ということで、よろしいのですな。
しかし、そうすると「今この瞬間の私」以外の何にも存在性はない、と言うしか
ないと思いますが、いかがですか。
あなたはよく「そんなものは拡散するツブツブだから存在性がない」
とか「世界は切れ目なくつながっているから個物は存在性がない」とか
おっしゃって、「素粒子」と「この宇宙」だけは存在性であるかのような
物言いをなさいますが、そんなものは疑えばいくらでも疑えますぞ。
(ついでに、私から見れば、あなたの「私」などあるのかないのかちっとも
わからない程度のものです。)
「素粒子」なぞ、誰も見たことも触ったこともない理論上の構築物のような
ものなのですから、実際上便器や島などよりよほど疑わしいものです。
(あなたとは逆に、この便器や島などが実在であって、素粒子などは
観念に過ぎない、という哲学的主張もあります。)

あなたの哲学からは、純然たる「独我論」以外のどんな結論も、出て来ないと
思われるのですが。いや別にそれがいけないというのではないのですが、
あなたは一方で、「独我論ではない」とか「物質の客観的な存在を否定したり
科学を否定したりはしない」と強調されるので、非常にわけがわからないわけです。
まさか、「純粋な存在性である俺が認めてやっているからそれでいいのだ」
というわけでは、ありますまいw? それだと、科学的知識だろうと何だろうと、
自分が認めなければ間違いだ、ということになりますが、それでよろしいのでw?
94考える名無しさん:2007/04/02(月) 14:04:35
(続き)
>たとえ実体があったとしてもね
>便器は材質の状態であって、それを人が便器と呼ぶから便器なんだよ

さて、一方でこういうことをおっしゃるので、わけがわかりませんw
「材質」の状態、とありますが、「材質」とは何ですか。「材質」があって、それが
一定の「形状」「状態」を持っていたら、それを「存在」と呼んでいけない理由が、
どこにあるのでしょうか? 

>要するに、ある状態に対して人間の側の勝手な価値観によって「それ」だと思い込まれているだけであっ>て、絶対的基準で存在しているのではない という事だよ

「ある状態」とは何でしょうか。その「ある状態」は人間の側の勝手な価値観とは
独立に客観的に定まっている、とお考えなのですか。しからばそれを、
「ある状態」が「存在する」と考えていけない理由が、どこにあるのでしょうか?

で、最後に肝心な質問ですが、「島」も「便器」も「けもの道」も存在性がない、
とすると、無論「人間」も「哲学者最高位」も唯名論wで存在性がないはずです。
しからば、純粋な存在性である「私」と、「哲学者最高位という人間個体」との
関係は、さて、どうなっているのでしょうかw?
いやもちろん「そんなものはない」と考えるなら筋は通るのですが、
「ある材質のある状態」が、「私」とは独立に客観的に存在する、と考える
限りは、「両者の相互関係はどうなっているのだ?」という問いを避けることは
できないのですよ。おわかりになりますでしょうか?
95哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/02(月) 15:01:40
>最高位氏、それでは「懐疑論によってその存在を疑う余地のあるものは、
>すべて存在性ではない」ということで、よろしいのですな。

「よろしいのですな」と聞いてくる その姿勢が理解できんな
自分で考えろよ
私の発言をターゲットにするより、自分で考えた方が早いぞ?

厳密に言えば、「存在性か???」という事だね
どうやったって確定できないものを、何で存在性だと言えるわけ?w
しかし、いずれにせよ
次に大概のものは「唯名論」に引っ掛かっちゃってボツになるわけだよ
96哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/02(月) 15:04:08
>最高位氏、それでは「懐疑論によってその存在を疑う余地のあるものは、
>すべて存在性ではない」ということで、よろしいのですな。

「よろしいのですな」と聞いてくる その姿勢が理解できんな
自分で考えろよ
私の発言をターゲットにするより、自分で考えた方が早いぞ?
厳密に言えば、「存在性か???」という事だね
しかし次に、大概のものは「唯名論」に引っ掛かっちゃってボツになるんだよな
>しかし、そうすると「今この瞬間の私」以外の何にも存在性はない、と言うしか
>ないと思いますが、いかがですか。
>あなたはよく「そんなものは拡散するツブツブだから存在性がない」
>とか「世界は切れ目なくつながっているから個物は存在性がない」とか
>おっしゃって、「素粒子」と「この宇宙」だけは存在性であるかのような
>物言いをなさいますが、そんなものは疑えばいくらでも疑えますぞ。

素粒子と宇宙については、確かに述べたけどね
しかしキミ、気持ち悪いほど私の言った事を覚えてるなw
それ言ったの相当前だぞ?www
まぁいつも、自分に都合いいように曲解してるのがワケわからんけどね
私は「素粒子と、この宇宙は、存在性と言えるかも知れない」と言ったんだよ
構造でも状態でもない物質の最小単位が粒子であるならばね
そう呼んでも差し支えないんじゃないかなって事ね
宇宙については、存在性である「この私」を含む全体を意味するって事でね
これは名前もクソもなく「全体」だからね
これも存在性と呼んで差し支えないかも知れないって事ね
まぁそれらについては蛇足で述べたにすぎないんだよ
ただ『私』に関しては、疑っても疑っても、疑えば疑うほどに、少しも疑う余地すらありえない という結論にしかならないからね
キミは勘違いしているようだが、私は確実に言える事だけを言っているにすぎない
何やら思想を構築したり、宗教的な結論を導いたりしているのではないんだよ
確実にわかっている事だけをつなぎ合わせていくと、唯物論が間違いである という結論が浮き彫りになった という話をしているだけだよ
人の言説の揚げ足ばかりに関心を持たずに、そして短絡的に結論を出さずに
自分で、徹底的に世界がどないなってんのかを、考えてごらんよ
97哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/02(月) 15:10:50
あー失敗したわ
上の方を消すの忘れてるね

しかし
もう少し、マシなツッコミしてくれないと、疲れるんだよ


じゃぁ
今日はここまでね
98考える名無しさん:2007/04/02(月) 16:31:30
>>96
>自分で考えろよ

おお、最高位氏、私は「存在性」の意味がさっぱりわからないからお尋ねしている
のに、「自分で考えろ」とは、無茶を言ってはいけませんw
で、「存在性」とは「いくら疑ってもその存在を疑えない、という性質」という
意味である、と理解してよろしいのでw?

>しかし次に、大概のものは「唯名論」に引っ掛かっちゃってボツになるんだよな

さてこの「唯名論」も、一向に意味がわかりませんなw

>構造でも状態でもない物質の最小単位が粒子であるならばね
>そう呼んでも差し支えないんじゃないかなって事ね

最高位氏、素粒子だとて一定の構造を持つ物質の状態であることに違いはないで
しょうに。大きさがどうだとか、質量がどうだとか、スピンがどうだとか、「色」が
どうだとか(これは比喩でしょうが)、現にいろいろと論じられているではありませんか。
そもそも、素粒子には何種類もある(ということになっている)のですぞ。その区別は
「物質の状態」以外の何によってつけられるのですか。
99考える名無しさん:2007/04/02(月) 16:41:59
(続き)
>これは名前もクソもなく「全体」だからね
>これも存在性と呼んで差し支えないかも知れないって事ね

最高位氏、あなたはいつも相対的な「全体」である「人間」や「哲学者最高位」は
唯名論で存在性がなく、「部分」であるツブツブ素粒子には存在性があるかもしれない、
とおっしゃっているのですぞ。それが今度は、「部分」には存在性がなく、
「全体」には存在性があるかもしれないのですか。全く意味がわかりませんw
「部分」を集めると「全体」になり、「全体」を分割すると「部分」になるのです
から、片方に存在性があればもう片方にもありそうなものだと思うのですが、
いかがでしょうか?
どうも、あなたの「唯名論」というのは、対象の側の存在性の話ではなくて、
「名前」の側に絶対的な必然性が無い、というだけの話だと思われるのですが、いかがw?

>ただ『私』に関しては…少しも疑う余地すらありえない 

それはそれでよろしいのですよ。そこにとどまる限りは「独我論」であって、
論理的には反論の余地はありません。
ついでに言えば、存在するのは「観念」だけであって、「物質」など存在しない、
という考え方もあります。物理学や自然科学は「観念」の相互関係を研究する
学問だということになります。バークリー僧正はそう考えましたし、これまた
完全な論理的整合性を持っていて、有効な反論はありません。
しかし、あなたはそうではなく、「唯物論は人間を単なるモノと考えるから
ケシカラン!」と、人間の存在も、他の「私」の存在も疑っておりませんし、
拡散するツブツブの存在も疑っておりません。そこで、それらと「私」は
どういう関係にあるのかないのか、という問題が、否応もなく浮上するわけです。
この肝心の点についてはさっぱりご返答がありませんが、さて、いかがでしょうかw?
100考える名無しさん:2007/04/02(月) 16:54:10
最高位は素粒子なんて知らないよ。
101考える名無しさん:2007/04/02(月) 19:07:59
最高位は拡散するツブツブが見える超能力者であらせられます。
102考える名無しさん:2007/04/02(月) 19:24:23
ツブツブで出来た頭でものを考える『私』って…
103哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/02(月) 20:15:57
>>98
>「自分で考えろ」とは、無茶を言ってはいけませんw

説明してあげても揚げ足を取る事ばかりかんがえてるから、曲解ばっかりしてるんだよ
自分で考えりゃ、そんなこと恥ずかしくて言えなくなると思うんだが
自分で考えること自体が無茶なんだったら、そりゃ哲学なんて無理ですよっと

>>99
>「唯物論は人間を単なるモノと考えるからケシカラン!」と、
>人間の存在も、他の「私」の存在も疑っておりませんし、
>拡散するツブツブの存在も疑っておりません。そこで、それらと「私」は
>どういう関係にあるのかないのか、という問題が、否応もなく浮上するわけです。
>この肝心の点についてはさっぱりご返答がありませんが、さて、いかがでしょうかw?

私が「ケシカラン!」などと、いつ言いましたかな?
あと
人間の存在も、他の「私」の存在も、拡散するツブツブの存在も疑っていない などと
いつ言いましたかな?

疑ってますけど? なんで?

私は疑ってはいるけれど、結論は出ないので在る場合と無い場合の両方で考えているよ?
独我論というのは、疑ってるんじゃなくて『否定』してるんだよね
>存在するのは「観念」だけであって、「物質」など存在しない、
>という考え方もあります。物理学や自然科学は「観念」の相互関係を研究する
>学問だということになります。バークリー僧正はそう考えましたし、これまた
>完全な論理的整合性を持っていて、有効な反論はありません。

では
観念以外の存在を、完全否定できる論理的整合性とやらを説明して頂きましょうかね
104考える名無しさん:2007/04/03(火) 08:18:02
>>103
>観念以外の存在を、完全否定できる論理的整合性とやらを説明して頂きましょうかね

観念も物質も疑えるだけで存在を否定しようとする君に
「私」などいない。「私」もいくらでも疑える。
「私」の存在を誇張するのは寝ぼけているだけだろう。
何度言ったらわかるのだね、キミは。

105哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/03(火) 09:32:36
>>104
ん?
それがキミの言う
独我論の「完全な論理的整合性」なのか???
アホですか?
質問に答えろ

ちなみに私が否定してるのは
キミの主張する『個物の存在性』だバカ
勘違いもいい加減にしろや
自分の頭の悪さを自覚しろよ
106考える名無しさん:2007/04/03(火) 09:49:22
【私】は霊魂なのだよ。
【この身体】でもないし【この私】なのでもない。
【私】が【この私】を認識するのだ。
107考える名無しさん:2007/04/03(火) 09:52:10
私の存在性
そんなもの無いよ。
108哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/03(火) 09:58:48
>>106
それは宗教な

お願いだから
私の崇高なる哲学を
宗教団体の教義に
ヘンに応用して使用しないでくれよな
109考える名無しさん:2007/04/03(火) 10:19:41
>>108
宗教ではない。
決めつけらけるのは不本意だ。
【私】の記憶にもとづいている。
応用など馬鹿げている。
あなたの哲学と、筆者の認識とは関係ない。
110信仰者:2007/04/03(火) 10:32:09
宗教をバカにするのはやめてください。
111考える名無しさん:2007/04/03(火) 10:48:17
最高位氏、>>104は私ではありませんぞ。落ち付かれよ。

>>103
>観念以外の存在を、完全否定できる論理的整合性とやらを説明して頂きましょうかね

ああ、最高位氏、そこがあなたの間違いの源なのです。
「観念以外の存在を否定しても、論理的整合性は保たれる」ことと、
「観念以外の存在を完全否定できる論理的整合性がある」こととは、全く別なのです。
唯心論も、唯物論も、二元論も、並行説も、それぞれ論理的整合性はあるのです。
だからこそ、「どれが正しいのかは、わからない」のです。どれも決定的に
論破されたことなど、一度もありません。
「唯物論を否定しても、論理的整合性は保たれる」ことと、
「唯物論を完全破壊できる論理的整合性がある」こととは、全く別なのですぞ。
心されたし。

>疑ってますけど? なんで?
>私は疑ってはいるけれど、結論は出ないので在る場合と無い場合の両方で考えているよ?

最高位氏、しかし、あなたは>>88
>有形無形を問わず、とにかく「確実に存在している」としか言えないもの
>これに関して「存在性」だと呼んで別けているわけです
と言っておられますぞ。そうすると、「宇宙」も「ツブツブ素粒子」も
「人間」も「他の私」も、すべて存在性がない、ということでよろしいのですね?
しかし、それらが「在る場合」と「無い場合」の両方を考えている、と。
これはつまり、それらは実際には「在る」か「無い」かどちらかであるが、どちらで
あるかは私にはわからない、という理解でよろしいのですか?
それなら、それは純粋に認識論の話であって対象の側の「存在性」の話とは全く
関係がないと思われますが、「揚足を取る」つもりはないのでw、まあよいでしょう。
112考える名無しさん:2007/04/03(火) 10:50:04
>>110
筆者は宗教をバカにしていません。

ただ、【私】が霊魂であることを、自身の記憶に基づいて認識したと
述べているだけです。【この私】と、それを認識している【私】は別
物であるということです。
113考える名無しさん:2007/04/03(火) 10:51:11
(続き)
>>105
>ちなみに私が否定してるのは
>キミの主張する『個物の存在性』だバカ

私は「存在性」という言葉の意味がわからないのでw、「個物の存在性」など
主張したことはありませんぞw 「私も一個物として一応存在するのではないか」
という考えなら持っておりますが。
さて、上であなたが「在るか無いかはわからないが、在るかもしれない」とされた
もののうちの「宇宙」の一部であり、「ツブツブ素粒子」の一定の形状と構造をもつ
集合体であるものが、すなわち「個物」です。他の種類の個物はひとまず置いておいて、
ここで問題となるのは「人間」と総称される個物群であります。これも「拡散する
ツブツブ」であることは、犬や猫やパソコンやリンゴや島やけもの道と何の変わりも
ありません。
そのうちの「哲学者最高位」と呼ばれる個物ですが、この「個物」は、
在るか無いかわからないので、かりに在る(存在性はないが在る?)とします。
そうすると、この「個物」と「私」の関係は、さて、どうなっているのでしょうか?
心身問題とは、この疑問のことに他なりません。
唯物論とは「まず哲学者最高位と呼ばれる個物が発生して、その活動から私が
発生しているんじゃないの?」という一仮説に過ぎません。
あなた自身が「この人間(哲学者最高位)が生まれる前や死んだ後や熟睡中や
昏睡中や植物状態の時に、私が存在するかどうかはわからない」と述べておられます。
わからない、ということは、存在しないかもしれない、ということです。
それでしたら、「唯物論的仮説が正しいかどうかはわからない」とお認めになって、
何の不都合もないと思われるのですが、いかがでしょうか?
114考える名無しさん:2007/04/03(火) 11:12:42
>>108
崇高って言ってる時点で
宗教なんだよ。
115考える名無しさん:2007/04/03(火) 11:20:21
>>112-113
いい加減気付けよ
私の存在性なんてのは
最高位ができもしない唯物論論破を強要するために
作った「造語」、逃げ道。
こんなもの実際に存在しないのにあれやこれや議論する事自体
全くもって意味の無いこと
最高位のオカルト超越ニュータイプ高次元大好きワールドに
付き合う必要は無い。
116哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/03(火) 12:11:05
>>111
>最高位氏、>>104は私ではありませんぞ。落ち付かれよ。

落ち着かれよ ってね
あんたカールルイス君だろ
名無しで書き込んでるクセに、なんで偉そうなんだ?
間違えたのは、お前が原因だろ
名無しだからだろ
自分でハンドルネーム付けりゃ済むんじゃないのか?
根本的にバカなんだよキミは
自覚しろって言ってるだろ

独我論は独我論の中だけで論じる限りは矛盾していないというだけだろ
たとえば、アキレスと亀の話だって、論理的な整合性があるんだよ
しかし実際にはアキレスは亀を追い越すわな
という事は、本当は論理的整合性は無い という事なんだよ
『論』と言った時点で、それは『人間の観念』であって
で、あるからして独我論は論破されないだろう
しかし、その他の思想も
何でもかんでも論破されないなんて思ってたら大間違いだぞw

キミの言ってる事は
言ってる事に矛盾がなければ、論理的整合性があるので論破される事は無い という事だわな
しかし間違いは、やっぱり間違いなんだよwww

それからね
キミは、存在性という言葉の意味がわからん などと言ってイチャモンをつけてるけどね
あんまり意味ないと思うぞ?w

なぜなら唯物論というのは「すべては物理現象であり人間の精神も物理現象にすぎない」と言い切っている思想だからね
『私』というものが物理的要素では絶対に特定できない という結論が出た以上
唯物論に生きる道はないんだよ
117考える名無しさん:2007/04/03(火) 12:15:25
どうして最高位師はそれほど論理的整合に拘るのですか?
唯物論はすべてのことが物理現象でかたづけられるとしていますか?
まったく客観性のない『私』がどうして哲学として通用するのですか?

天上天下唯我独尊はもともとお釈迦様の言葉ですよ?
118考える名無しさん:2007/04/03(火) 12:57:43
>>117
私の存在性に格を付けるために
偉人の格言や有名な言葉を取ってつけてるに過ぎない
それは機械スレで唯識とのやりとりで最高位自ら露呈
我思う故に我あり
天上天下唯我独尊
「私の存在性」などこの偉人の言葉には一つも無い
119哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/03(火) 13:31:09
じゃぁお前ら
他人が使った言葉を、一切使わずに哲学しろwww
120哲学者次長:2007/04/03(火) 13:37:42
>>119
まあ科学者のやったことのオウム返し唯物論よりあなたの方が
まだ素質ありますよ。
121考える名無しさん:2007/04/03(火) 14:33:44
>>116
>たとえば、アキレスと亀の話だって、論理的な整合性があるんだよ
>しかし実際にはアキレスは亀を追い越すわな
>という事は、本当は論理的整合性は無い という事なんだよ

全くその通りでございますね。アキレスが亀を追い越すという経験的事実を
説明できないなら、その論理には経験的事実との間に整合性がないのです。
まさにその意味で、唯心論も唯物論も二元論も並行説も、「経験的事実」との
間に整合性の破綻はないのですよ。経験的事実を何とか説明するために
考え出された解釈なのですから当たり前ですが。

>『私』というものが物理的要素では絶対に特定できない という結論が出た以上
>唯物論に生きる道はないんだよ

そこであなたが「唯物論の破綻を証明した!」と高らかに宣言して出してくる根拠が
これなのですが、これに対しては「どんな個物も物理的要素では特定できませんよ」
と答えるしかないわけです。「この宇宙」でも「この素粒子」でも「このリンゴ」
でも「この島」でも「このけもの道」でも「この体」でも「哲学者最高位」でも、
同じことであります。
そうすると、「個物など唯名論wで存在性がない」という答えが返ってくるわけです。
こうして、必然的に「存在性」が問題になってしまうわけです。
「意味ないと思うぞ」と言われても、困り果てるばかりでございますw
122考える名無しさん:2007/04/03(火) 14:35:01
(続き)
あなたは「実際にはアキレスは亀を追い越す」と言われましたが、そもそも
「アキレス」も「亀」も純然たる「個物」であります。そこで「アキレスが亀を
追い越すという事実は否定できない」と述べられるということは、両個物とも
客観的に存在していて、しかも通時的同一性を保っていて(そうでないと運動は
できないので)、しかも双方の位置関係は観察する主体・認識主観とは独立に
客観的に定まっている、という理解でよろしいのでしょうか。
あなたの主張のように「存在するのは拡散するツブツブだけで、しかも全部一つながり
だから(矛盾していると思いますがw)、個物というのは人間の自由な価値観が
それをテキトーに区切ってテキトーに名前をつけているだけで、存在性なんかないのだ」
とすると、アキレスも亀も当然存在性などなく、「アキレスや亀などいない」と言うのも、
「いやあれはアキ亀だ」(こち亀、のようですなw)と言うのも、どちらがどこにいると
言うのもいないと言うのも、全部自由であって、どれが正しいということはない、
という結論になりそうなものなのですが、いかがw?
123哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/03(火) 15:03:47
>>121
>そうすると、「個物など唯名論wで存在性がない」という答えが返ってくるわけです。
>こうして、必然的に「存在性」が問題になってしまうわけです。

問題になってしまうわけです って
だから唯名論という事で、決着ついてるだろ
個物は、何を基準にして個物なのかね
どこで個物としての明確な線引きをしてるのかな?って事だよ

>>122
>「アキレス」も「亀」も純然たる「個物」であります。

ん?
純然たる「個物」?
どういう根拠で純然たるのかな?
明確に、個物としての基準を示して下さい

私は観念によって境目を認識している(テキトーにね)

しかし
唯物的世界観では、絶対的な境目などありえないわけであって
境目を境目だと認識しているのは、人間の観念による価値観である と言ってるんだが
なんで理解できんの?

だからさ
唯物論における絶対的な『個物の定義』というものを明確に示してもらえるかな?

ボクは、それは観念による価値観によるのだと思うよ?


今日はこれにて離席します
124考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:14:54
>>123
そこは、テキトーに、は無理。
ところで私の存在性って何?
125考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:51:40
>>123
>だから唯名論という事で、決着ついてるだろ

おお、最高位氏、これからそれについて検討を始めようとしているのに、無茶を
言ってはいけませぬw
それから、「唯名論」というのは一応辞書にも載っている言葉であり、通常は
「個物だけが存在する」という意味で、あなたの使用法とは正反対なのです。
まあどうでもよろしいですがw

>唯物的世界観では、絶対的な境目などありえないわけであって
>境目を境目だと認識しているのは、人間の観念による価値観である と言ってるんだが

最高位氏、それは「唯物的世界観」どころか、純然たる「観念論」ですぞw
唯物的世界観では、認識主観から独立して存在する物質自体の側に客観的な境目が
あって、それが人間の認識を相対的に規定する、と考えるのであります。
(科学至上主義では、その客観的な境目自体を人間は絶対的に認識できる、とします。
他スレの機械的唯物論者氏などは典型です。いわゆる弁証法的唯物論では、
決して絶対的認識には行き着けないが、社会的共同的実践の反復深化によって
認識は無限に対象に近付く、と考えるようです。)

「価値観」は例によって意味不明ですがw、「境目を境目だと人間の観念に
認識させているのは、客観的に存在する対象の側の形状・構造である」というのが、
唯物論であります。あなたの言葉で言えば、ツブツブの拡散の具合、と言いますか。
そもそも、あなたは「ツブツブ素粒子」は周囲の空間と絶対的な境目をもって
存在している、とお考えなのでしょう。それなら、ツブツブの集合体も同様に
境目をもっていて、何の不思議があるのでありましょうかw?
126考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:55:34
(続き)
>私は観念によって境目を認識している(テキトーにね)

さて、そこで「アキレス」と「亀」ですが、これを「本来は存在しない境目を
観念によってテキトーに」認識しているとしますと、アキレスや亀は存在していると
認識するのも、存在していないと認識するのも、いや「アキ亀」が存在して
いると認識するのも、「アキレスは亀に追い付く」と認識するのも「追い付かない」
と認識するのも、自由自在のはずなのです。
ところが、実際には、いくら「心頭滅却火もまた涼し」と1千回唱えてみても
やはり火は熱いごとく、いくら「唯名論唯名論w」と唱えてみても、アキレスは
アキレス、亀は亀としか認識できないのであります。そして、何回競争しても、
アキレスは亀に追い付くわけです。この事態を、通常は「アキレスも亀も個物として
客観的に存在し、アキレスは亀より速いので亀に追い付き、人間の観念がそれを
(相対的に正しく)認識している」と解釈するわけです。あなた自身が「実際には
アキレスは亀を追い越す」と主張される以上、そう解釈しているとしか思えない
のですが、いかがw?
127考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:59:52
>明確に、個物としての基準を示して下さい

最高位氏、これがあなたの間違いの元なのです。
「基準」というのは、観念であり言葉なのです。あなたがよく言う「物理的要素」
とか「物理的性質」というのも、本当は観念であり言葉に過ぎません。
(そうでないなら、それ自体が「個物」であります。)
一方、「個物」というのは、単に「存在する」のであります。
その存在する個物を人間が経験によって認識し、さらに別個の個物と比較することによって
発生するのが「観念」であり「言葉」であり「基準」なのです。これが「唯名論」で
あり、本来は唯物論的な思想であります。
元が「個物」であり、派生したのが「基準」ですから、いかなる個物も「基準」によって
特定できません。その個物の持つ要素・性質をいかに記述してみても、それによって
その個物を特定することはできず、逆に、まず個物を特定して、初めてそれが
どんな要素・性質を持つか持たないかを認識し記述することができます。
(当然、その要素・性質は絶えず変化いたします。)
個物を特定するためには、「理屈抜き」にそれを見るか聞くか触るか(要するに経験するか)、
あるいは「他の個物」との関係を固有名によって記述するしかありません。
「アキレス」なら「ギリシャ神話の英雄。ペレウスと女神テティスの子…」等々と
いう説明が辞書にある通りであります。「脚が速い」というのは、個物としての
アキレスに帰属するものとして認識された「性質」に過ぎません。
そして、あらゆる個物と同様、「私」についても、同じことが言えます。
従って、「私」を物理的要素・性質によって特定できないことは、「私」が
物理的存在であるかどうかとは、関係がないのであります。
128考える名無しさん:2007/04/03(火) 17:41:45
なんと、「私」は移動するし、転んじゃうし、時には落下もするぜよ。
物体という一面があることは否定できないな。

ま、独り言だ。
129考える名無しさん:2007/04/03(火) 18:40:34
すべる、ぶつかる、接触する…
もうええわ

独り言だ。
130考える名無しさん:2007/04/03(火) 20:14:24
相変わらず明解だw  >>感嘆子

一区切りついたら、
「はじめてのてつがく」とでも題して冊子にしたいよね。
勿論、最高位とのやりとりの問答形式として・・・w
131考える名無しさん:2007/04/03(火) 21:15:48
感嘆子って127のこと?
132哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/03(火) 21:39:08
>>125
キミ達に唯名論と言っても、普遍論争における立場をイメージしちゃうんかな?
私は、もっと踏み込んだ観点から説明してるんだけどな
普遍論争から説明しなきゃならないのかなぁ・・・

>「個物だけが存在する」という意味で、あなたの使用法とは正反対なのです。

うむ
だから間違いだと言ってるんだけど、説明するの面倒くさいわ
バカに説明しても余計に話がややこしくなるだけだしな
133哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/03(火) 21:39:59
>最高位氏、それは「唯物的世界観」どころか、純然たる「観念論」ですぞw

別に純然となんてしてないだろ
観念しか存在しない というのが純然とした観念論じゃないか?
私は、そこまで断言してないよな
「わからん」事には断言せんよ

>唯物的世界観では、認識主観から独立して存在する物質自体の側に客観的な境目が
>あって、それが人間の認識を相対的に規定する、と考えるのであります。

唯物的世界観なら、認識主観をも何ら区別する事なく物理現象である としなけりゃならんハズ
キミの考え方だと、出発点からして認識主観を別の立場に立てているのではないかね?
それでは唯物的観点ではないわな
しかも
「客観的な境目」が人間の認識を規定しているならば
「その客観的基準を決定し、物質に付与しているのは何なのか」という疑問に突き当たる
私は、例えば『イス』は
私の観念が『イス』だと認識しているのだ という考えなのだが
キミは『イス』という概念は元々、物理世界に存在し
私がイスだと認識するよりも以前に
『イス』を決定する絶対的な境目が、宇宙の創成期より存在し
それは自分の観念以外の絶対的客観性が、あらかじめ決定している という意見なのだね?
それはいったい何?
神ですか?

私は、『イス』は、座るという目的を遂げるために
人間が作成した価値観が作り出した観念であり
それを『イス』という名前で呼んでいるにすぎないのだ と考えており
故に、漬物石ですら『イス』と成りうる と思っているわけだが
キミは、そうではない と言う
では誰がいったい、客観的かつ絶対的基準で『イス』を決定しているのか、説明してもらいたいですな
134考える名無しさん:2007/04/03(火) 21:55:47
>>133
最高位は鋭いところはホントに鋭いと思うよw
どちらかというと最高位的立場を受け入れたくないと思っているんだが、
ここらへんの思考は鋭いと思ったりw
135哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/03(火) 22:22:39
>>127
>「基準」というのは、観念であり言葉なのです。あなたがよく言う「物理的要素」
>とか「物理的性質」というのも、本当は観念であり言葉に過ぎません。
>(そうでないなら、それ自体が「個物」であります。)
>一方、「個物」というのは、単に「存在する」のであります。

キミの言う『存在』という概念は
単に『実在論』から脱皮できてないだけだろ
単純に、目に見えない存在を、想定できる知能がないんじゃないか?キミ


>>134
理解できた人が書き込んでくるのは
最近にしては珍しいね^^

このスレには、私が言ってる事の意味すら理解できない人が多いからね
136自作自演最高位:2007/04/03(火) 22:48:57

>>134
>理解できた人が書き込んでくるのは
>最近にしては珍しいね^^
うんうん。はいはいはい
137考える名無しさん:2007/04/03(火) 22:59:25
>>134
鋭いっつーか普通にそんなこと考えつくと思うんだが・・・
唯物論批判しようと思う人なら誰でも真っ先に気がつくよw
同一性の問題とかでとっくに気づいてなきゃダメ。
138哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/03(火) 23:06:27
>>136
はいはいはい
妄想乙

自分が自演するからって人も同じだと思うなってwww
機械くんや素人くんじゃあるまいしw

自演なんてしたら書ける回数が減るし
そこまでして、私が自演しなきゃいかん理由がないだろwww
するなら、もっと効果的に派手にやるわw どアホ


>>137
まぁ一生気づかん知能の低い人もいるわけだしね
気づけるだけでも、一定以上の知的レベルがあるって事だからね
かなりの哲学的進歩だと思うし、いいんじゃないの?
139考える名無しさん:2007/04/03(火) 23:06:30
「はじめてのてつがく」
本質存在、事実存在
プラトン、アリストテレスから始めてください。
140考える名無しさん:2007/04/03(火) 23:17:11
>>139
そんなのひととおり勉強してからおいでよ。
141考える名無しさん:2007/04/03(火) 23:30:24
最高位カッコイイ
142考える名無しさん:2007/04/03(火) 23:38:55
形相と質料は同じものを異なった視点から見たものにすぎない。
同じものとは、差異共振シナジー事象である。
差共相ないし差共態がある。
差共相を形式から見ると、形相であり、内容から見ると質料である。
143素人:2007/04/03(火) 23:46:20
>>134
殆どの人が、
その程度のことは前提にして(→把握した上で)語っていたことが、
貴方にはわかりませんでしたか?
それらについて浅いのが最高位である、
ということが見抜けませんか?

おやすみなさい  ノシ
144考える名無しさん:2007/04/04(水) 00:41:54
Ich setze im Ich dem teilbaren Ich ein teilbares Nicht-Ich entgegen
145哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/04(水) 02:34:04
>>143
「殆どの人が」 って
このスレに何人いるのかすら、わかるわけないのに
作り話もいい加減にしましょうね
妄想しすぎだよ
というか、「把握した上で」 って
キミのは曲解してるだけで把握しているとは言えないよ


あーそうそう
キミの質問に答えたんだが、何のコメントも無いね
反論はしないのかい?
146考える名無しさん:2007/04/04(水) 02:45:43
>>145
最高位以外の全員。

115 名前:考える名無しさん 投稿日:2007/04/03(火) 11:20:21
>>112-113
いい加減気付けよ
私の存在性なんてのは
最高位ができもしない唯物論論破を強要するために
作った「造語」、逃げ道。
こんなもの実際に存在しないのにあれやこれや議論する事自体
全くもって意味の無いこと
最高位のオカルト超越ニュータイプ高次元大好きワールドに
付き合う必要は無い。
147オクソン哲学者。。。:2007/04/04(水) 07:49:27
デカルトの全ての論理は論理的な欠点があり、現代科学にも公有不可能て
ことはもう証明されているのが事実。でもその証明がヂュアリズムが
間違ってるとは証明できないんです。十九世紀の科学者達がニュウトンの
理論をすてなかったように。
でも今になっては私は肉体と一致するって言うのが大体の哲学者の意見です。
148考える名無しさん:2007/04/04(水) 10:38:57
議論もオシマイか
149考える名無しさん:2007/04/04(水) 12:20:58
>>132
>だから間違いだと言ってるんだけど

おお、最高位氏、唯名論が間違いかどうかが問題なのではなくて、「唯名論」
という言葉の意味が問題なのです。これは辞書にも載っている言葉なのですから、
勝手な意味で使うのは本来はまずいのですよw おわかりになりますか。
あなたのお考えは「存在否定論」とでも言うべきもので、その考えで行けば、
あらゆる個物(もちろん私も素粒子も含めて)は存在しない、真に存在するものは
何もない、という発想になると思われます。ある種仏教的世界観とでも申しましょうか。
(私は仏教のことは何もわかりませんので、唯識氏か素人氏にお聞きしないと何とも
言えませんが)
それはそれでいいのですが、問題は「私」だけを他の個物と比べて特別扱いする
理由があるかどうか、まさにそこなのですよ。

>普遍論争から説明しなきゃならないのかなぁ・・・

おお、これはまた、もしできるのなら是非お願いいたしますw
実は私、普遍論争についてはよく理解できません。恐らく余りきちんとした研究が
なされていないのではないか、という気がいたします(私が知らないだけでしょうが)。
中世スコラ哲学は、現代的な視点から問い直すべき鉱脈ではないでしょうか。
ヨーロッパの学者はとうにやっているのでしょうが。

それから、これは老婆心からの忠告ですが、「唯名論」とか「天上天下唯我独尊」とか
「我思う故に我在り」とか、昔の偉い人の言葉をよく意味もわからずに権威付けに
使うのは、おやめになった方がよろしいです。あなたが哲学史方面の知識に乏しいことは
(私もですが、その私から見てすらw)、長年の付き合いでよく承知しておるのですw
あなたの良いところは、そういう妙な権威に頼らず、独立独行自分の頭で考え抜くところ
だと思っておるのですぞw 
思えば、亡くなった池田晶子氏なども「それが大切だ」とよく言っておりました…
150考える名無しさん:2007/04/04(水) 12:26:53
>>132
>唯物的世界観なら、認識主観をも何ら区別する事なく物理現象である としなけりゃならんハズ

今はそこは問題にしていないのですよ。それを問題にし出せば心身問題や認識論
という本来の難問になってしまいます。認識主観が物理現象でないとすると、そもそも
なぜ物理現象を認識(見たり聞いたり触ったり)することができるのか、という
大問題も発生するわけです。私が今やっているのは、あなたの議論が唯物論の是非
とは関係ない、ということを示す作業なのですw

>「客観的な境目」が人間の認識を規定しているならば
>「その客観的基準を決定し、物質に付与しているのは何なのか」という疑問に突き当たる

最高位氏、これは全く意味がわかりません。唯物論的世界観では物質はそれ自身で
「第一次的に」存在するとされるので、物質の在り方やその相互関係は問題になっても、
「何が」物質の在り方を規定するか、と問う余地はないのです。
(別にそれが正しい、と言っているのではありませんぞ。)
「客観的な境目」は(それを人間が認識できるかどうかはともかく)ただ存在し、
むろん時々刻々と変動している、とされます。現代の常識なら、あなたの言う
「拡散するツブツブとその離合集散」というようなことであります。
151考える名無しさん:2007/04/04(水) 12:28:24
(続き)
>キミは『イス』という概念は元々、物理世界に存在し
>私がイスだと認識するよりも以前に
>『イス』を決定する絶対的な境目が、宇宙の創成期より存在し
>それは自分の観念以外の絶対的客観性が、あらかじめ決定している という意見なのだね?

最高位氏、いったいどこからこのような誤解がわいてくるのでw?
これではまさしく唯名論とは対極の「実念論・観念論」そのものではありませんかw
典型的には「初めに言葉ありき」という言葉がそれです。
これに対して、唯名論や唯物論の発想なら、「イス」であれ「漬物石」であれ、それ自体は
「観念・概念」に決まっております。観念・概念は認識主観の側にだけ存在するのであって、
人間が存在する以前に「イス」だの「漬物石」だのという観念・概念・言葉が存在する
はずがありますまい。
その「観念」の原因となり、その「観念」を規定している存在が、客観的に存在する
物質・ツブツブの集合・「個物」である、と言っているのですよ。
(両者の混同はあらゆる間違いのもとなので、「イス」という観念の原因、
「イス」という記号が指示する個物のことを、今後は『イス』と表現いたします)
152考える名無しさん:2007/04/04(水) 13:22:43
(続き)
>私は、『イス』は、座るという目的を遂げるために
>人間が作成した価値観が作り出した観念であり
>それを『イス』という名前で呼んでいるにすぎないのだ と考えており
>故に、漬物石ですら『イス』と成りうる と思っているわけだが
>キミは、そうではない と言う

最高位氏、そうではない、などとは申しませんが、ここには物質としての『イス』
が、どこにも出てきていませんぞ。私なら、ある『人間』が、座るという目的を
遂げるために、「イス」という観念に従って、一定の『材料』を客観的物質的
手段で加工することによって作り出した個物(ツブツブの集合体)が『イス』である、
と表現いたしますが。もちろん『イス』を「漬物石」だと考えるのも、
『漬物石』を「イス」だと考えるのも、それらをどのように使うのも、
人間の自由であります。
153考える名無しさん:2007/04/04(水) 13:27:06
(続き)
たとえば、ある同一の『個物』が、ある人にとっては「漬物石」であり、他の人に
とっては「イス」であり、「湯たんぽ」であり、「可愛いペットのタロちゃん
(石の愛好家というのも多いそうです。何でも鑑定団に良く出てきます)」であっても、
何も不思議はありません。1人の人にとって同時にそうであっても、一向に構いません。
しかし、そのような観念の原因となり、そのような観念によって指示される個物である
『漬物石』が人間の認識主観から独立に存在していることに、変わりはないのです。
その構造・材質・大きさ等々は(無論、時々刻々と変化しつつも)客観的に
定まっているわけです。(ただし、それを認識し記述するにはどうしても観念・概念・
言葉による他はないですが。)

『アキレス』や『亀』も、全く同様であります。「個物」としてのその存在や
性質は客観的に定まっており、人間の認識・観念はそれによって相対的に規定される
のです。決して「自由な価値観によってテキトーに区切って」いるわけでは
ありません。そうでなければ「アキレスは亀より速い」とか、
「実際にアキレスは亀に追いつく」とか、言えるはずがないではありませんか。
いえ、言うことはいくらでもできますが、それが「正しい」とは言えないわけです。
無論、いわゆる自然科学の「正しさ」なども、担保することができません。
(自然科学的な認識はどうして可能なのか、可能だとして、その「正しさ」が
どう担保されるのか、は、本当は哲学的な大問題なのですが。)
というか、あなたご自身が「私さえ存在しなければ唯物論に穴はなかった」とか、
「自然科学に反対するつもりは全くない」とか繰り返しておられるのですから、
この点には完全に同意だとしか思えないのですが、いかがでしょうかw?
154哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/04(水) 14:08:23
しかしキミは面倒な人だなぁ
なんで話が理解できんのか、理解に苦しむ

>>150
>私が今やっているのは、あなたの議論が唯物論の是非
>とは関係ない、ということを示す作業なのですw

サッパリ意味がわかりませんわ
キミは『個物』は『個物』として、『イス』は『イス』として
あらかじめ存在している と主張しているわけでしょう

私が言っているのは
『個物』というものは、人間が『個物』だと認識するから『個物』であるにすぎないのであって
『個物』は、人間の側の勝手な価値観である
たとえば『イス』は、人間が作り出した概念であり
それは座るという目的を遂げるための機能を持った物体を
抽象的な価値観で、なんとなく、そう呼んでいるにすぎないのです
唯物的解釈からしても、『イス』は原子分子の集合体であり
ミクロの世界では、酸化したりして風化し
常に周囲の空気と混ざり合って変化しています
『イス』を決定している明確な線引きなど、無いのです
また
床と一体となった『イス』は、どこからどこまでが『イス』なのか
そこに明確な客観的基準はありません
あくまでも主に、持ち主の価値観によります
床も全部『イス』だよ と言えばそうでしょうし
家全体が『イス』なんだよ と言えば
まぁ屋根つきの『イス』だという事にもなりましょうw
155哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/04(水) 14:10:14
続き

あと
『窓』でも説明しましょうか
『窓』とは何でしょうか

『窓ガラス』を指すのでしょうか
いやいや
それだと単に『ガラス』と言った方が本質的な認識でしょう
『窓』には『窓枠』というものが付いていますよね
『窓』は『窓枠』も含めて『窓』なのでしょうか
いや、ちょっと待てよ
窓枠は、壁とくっついているよな
じゃぁ壁も『窓』の一部 という事でもいいんじゃないか?
いや逆か?
(というか、うちの店の壁は一面ガラスでできている)
壁なのか窓なのか
まぁどっちでもいいんだけど、言える事は
それは人間のテケトーな価値観で、テケトーに決めているだけで
絶対的な『個物』ではありえない という事ですよ

こんなアホみたいな事を、なんで説明しなきゃならんのかわからんし
こんな事が「唯物論の是非とは関係がない」という事に、どうつながるのか
サッパリわかりません
面倒くさいし、とりあえず原点に戻りましょうか?

唯物論とは何ですか?
心身問題における唯物論は何を主張してるのですか?

そこから説明してもらえますか
156考える名無しさん:2007/04/04(水) 14:23:51
>>154
横レスだけど、その質問に対する回答は>>151-153にもう書いてあるよ。

それからこれまた余計なお世話かもしれないんだけど、
唯物論の話は機械の唯物論のスレでやってもらえないかなあ?
議論が分散してめんどくさいよ。
ここは私の存在性と呼ばれるものがどういったものなのかについて集中的に議論してほしいなあ。
157素人:2007/04/04(水) 14:27:03
>>154-155

>>151-153に関連して、
「月を指し示す指」の意味について、
あなたの御見解をお聞かせ願えれば幸いに存じ上げます。  m(_ _)m

それから、上記151-153の中で、【わざわざ】!、
<『イス』と「イス」を、その指し示す内容を明確にする為に区別して表記しましょう。>
と提案しているのを、全く無視かwwwww
なぜだい?

>>145
>キミの質問に答えたんだが、何のコメントも無いね
>反論はしないのかい?

>>88のことだろうが、上の二点に【きっちり】返答してくれたら、返答してあげるよw

ま、154-155を見る限り、相変わらずクダラン内容だが・・・ (´ー`)y━~~
158考える名無しさん:2007/04/04(水) 14:42:22
>>156
(最高位の言う)『私』が、
或いは、懐疑の果てに残滓として残る何ものかが、
唯物論的に記述可能かどうかは、このスレ的ではないかい?

>私の存在性と呼ばれるものがどういったものなのかについて
『そのもの』を提示することは不可能でも、その輪郭を描写する(記述する)のに、
唯物論的手法が有効かどうか、→まさしく「どういったものなのか」という解説ができるかどうか、
十分関連があると思うけど?
というか、唯物論とは、「どのようにあるのか?(どういったものなのか?)」を
記述するもの、一つの手段である、と言ってもいいくらいじゃないのかな?
まるっきり無関係とは言えないと思う。
159考える名無しさん:2007/04/04(水) 14:58:56
>>158
唯物論と私の存在性が無関係だなんて誰も言ってないよ
(もちろん2ちゃん哲学板的にはそうなんであって一般的には無関係なんだがw)。

私の存在性という考え方は最高位の唯物論反駁の議論の過程で出てきた考え方なんだから当然重要な関係があるんだけど、
だからといって別々のスレで同じ論者が同じ議論をしたんじゃスレをわける意味がない。
そのことに不快感を持つ人もいるみたいだし、なによりも上で書いたように議論が分散して勝手が悪いよ。

唯物論反駁という大枠はあちらのスレでやって、
こちらではその議論を構成する重要な考え方(と少なくとも当人は思っている)である私の存在性について理解を深めていく、
というふうにわけて使ったほうが便利且つ有益だと考えるけど?
160考える名無しさん:2007/04/04(水) 15:30:22
>>159の続き)

私見だけど、「私の存在性」とは自分が自分であることの主観的な確からしさのことだと俺は考える
(このことはちょっと前の唯物論スレにも>>51-53を引用して書きこんだ)。

存在性と言うときの「─性」とは具体的な内容をもった性質をあらわすというよりは
「存在しているんだ」という確信を強調するような形で使われてると考えた方がよい。
そう考えることで最高位の唯物論反駁の議論の中に一見無関係に思える私の存在性という奇妙な用語が出てくることの意味が健全な形で理解できると思う。
161考える名無しさん:2007/04/04(水) 15:36:22
>>156
ああ、すいません。あちらのスレで「スレ違いだから出て行け」と言われたので
こちらに移ってきた次第なのです。
私はこちらのスレについてあまり知らず、「最高位氏を隔離するために立てられた
スレで、最高位氏が来ないので停滞しているのだろう」と勝手に思い込んでいた
もので、こちらなら人も少ないしマターリと議論ができるか、と思ったのですが、
こちらには独自の議論の流れがあってそれをかき乱してしまったのならば、
全く本意ではありません。誠に申し訳ありません。

>>154
これで最後なので、一応簡単にレス。

>ミクロの世界では、酸化したりして風化し
>常に周囲の空気と混ざり合って変化しています

最高位氏、「酸化して風化」したり「空気と混ざり合ったり」している、と
言えるためには、「明確な線引き」がなければならないのですよ。おわかりに
なりませんかw?
ついでに、同一性が保たれていないのなら「変化」することも有り得ません。

>床と一体となった『イス』は、どこからどこまでが『イス』なのか
>そこに明確な客観的基準はありません

最高位氏、会社で「そこのイスを持って来い」と言われて「床と一体になっている
からできません」と返事したら、首ですよ。それはおわかりになるでしょうw
162考える名無しさん:2007/04/04(水) 15:37:37
>>155
最後に簡単に質問いたします。

質問1.
あなたは「この窓」とか「あの窓ガラス」とか「あの家」とか「地球」とか
「アキレスと亀」とか「カールルイス」とかは、『私』がいなければ存在しない、
と思っておられるのですか?

個物が「絶対的に」存在するかどうかは、どうでもよろしいです。
そもそもは「私は物理的要素によって特定できない」とあなたがおっしゃっるので
「物理的要素によって特定できる個物などないので、それと唯物論の是非は関係
ありません」と返答したのが問題の発端であります。
「個物」がそんなに気に入らないのなら、他の何でも結構ですので、

質問2.
とにかく何らかの物質的存在で「物理的要素によって特定できる」ものがあれば、
挙げてみてください。「宇宙」でも「素粒子」でも、何でも結構です。

「私だけが真の存在で、物質など私の仮の観念に過ぎず何の存在性も無い」という
のならそれはそれなりに理解できますが、そうでないのだとしたら、
何かあるはずでありましょう。
163考える名無しさん:2007/04/04(水) 17:10:49
>>159
難しいんじゃないかな・・・w

一般的というか、通常の語義の解釈・理解でいけば、
「――性」はあくまでも「性質」(=特徴。備えている要素。(その殆どが、様相的・動的なものであろう)。
に他ならないわけだが、最高位はそうは位置付けていない。(『私』とイコールで結べるような言辞を見る限り・・・。)
だからどうしても、至る所で関連がでてくる。
感嘆子さんのレスを見ればそれがよく判ると思う。
あなたの言う、区分してというのは尤もなのだけど、
『私』と『存在性』と『還元論的アプローチ』と『唯物論的アプローチ』との関連は、
こんがらがった紐のように、ポイントが分散している。
それを、仰るように大きくニ分割するのは不可能ではなかろうか・・・。
少なくとも、最高位へ返答する際には、どうしても双方の領域へ跨らざるを得ないのではなかろうか・・・。
164考える名無しさん:2007/04/04(水) 18:27:25
最高位氏は、カントやフッサールを学んでみるといいと思う。
思考の方向性とかセンスが彼らに近いから。
ある程度センスのいい最高位氏が彼らとコラボレートすれば面白いと思う。
165考える名無しさん:2007/04/04(水) 18:30:39
>>164
フッサールとはガチで対立するでしょうよw
『デカルト的省察』の最初でデカルト批判してますから。
そして最高位は『私』の論拠として、主語ー述語の関係を手放そうとしないんでね。
166考える名無しさん:2007/04/04(水) 19:02:07
固定的な主観的自己から動的・実地的な自己へ

「私は、私ならずして、私である」が美しい。
167素人:2007/04/04(水) 21:46:33
>>160
同意です。
ですから、もう少しかっちりと、
自分の中に最高位【的な】論理(と用語の用い方と既存の視線との差異)を明確にできたら、
彼の立場で、彼の言う『私』を詳述してみたいと、密かに思っている。
彼の根本を否定する人間はあまり見られないし(むしろ賛同する者もいるくらい)、
そうした方向性が、人の実存に対して有効であるなら、
上記の作業は、私自身の立場(の輪郭)をより明確にするのに役立ちそうだから。
あともうちょっとなんだけどね・・・。
1683時で1時:2007/04/04(水) 22:17:14
「頭を使え」とか「頭で考えるんだよ」とはいかなることか。
これを「脳という思考の座で、思い考えるという作業をするのだ」と解釈しても
「脳という道具・装置を使って思い考えるのだ」と解釈しても
自身の脳が存在しないことには、『私』は思考することができない、ということだろう。
とすると「『私』は思った・思っている」ということをもって
われわれは『私』の存在に言及できなくなる。

169考える名無しさん:2007/04/04(水) 22:41:05
>>168
落ち着いて考え直してみてください
1703時で1時:2007/04/05(木) 00:19:26
>>169
「頭で考えるんだよ」は、彼も認めていることであり、彼の口癖。

純粋な存在性である『私』は、ほかの何ものにも依存しない、それだけで在る
ところの、疑い得ない存在というような意味だろう。
疑い得ない存在であるところの『私』が、頭で考えなくても〈在る〉というこ
とが確実であるのなら、何も問題はない。しかし、「頭で考えること」によっ
て有る(観念的存在である)のなら『自我・私』は、脳の存在が大前提となる。
脳が存在しなければ、『私』という存在は、どこにも顕現しようがないのであ
る。
考えること言うことが、「頭で考える」ということでなければいいだけだ。
171唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/04/05(木) 01:40:28
こちらのスレは久しぶりですね。
私の存在性を「認識」し「考える」ということは
果たしてできるのでしょうか?
172哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/05(木) 03:18:13
>>157
素人くん
>>145
>>キミの質問に答えたんだが、何のコメントも無いね
>>反論はしないのかい?

>>88のことだろうが、上の二点に【きっちり】返答してくれたら、返答してあげるよw

キミは本当に失礼なヤツだなぁ
私がキミの質問に対して、誠実に答えているにもかかわらず
何の返答もない時点で失礼なんだが
しかも、それを指摘すると
さらに質問を追加してきて、それに答えたら答えて あ・げ・る とは
どんだけ礼儀知らずで、常識はずれなのかなキミは

会話がムチャクチャなんだよ
あんたの考え方や常識は、無茶苦茶です
哲学する以前の問題だよ
173哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/05(木) 03:21:50
続き
>>161
>最高位氏、「酸化して風化」したり「空気と混ざり合ったり」している、と
>言えるためには、「明確な線引き」がなければならないのですよ。おわかりに
>なりませんかw?

ふぅ・・・まだわかりませんか・・・
イスだとわかりづらいですかね
じゃぁ『海面』で説明しましょうか
ミクロの世界の話ですよ?
海面は常に蒸発しているわけです
しかし空気中の水蒸気とぶつかり合い、混ざり合い
常に不安定な状態なんです
ミクロの世界では
「『ココ』が海と空の境目です」という明確な概念などないんです
絶対的基準を決める事は、不可能なんです

『モノ』と聞けば「ここにあるじゃんか!」としか発想できないんですか?
頭が固すぎるんですよ
かなり、ご高齢の方なんですか?

>>床と一体となった『イス』は、どこからどこまでが『イス』なのか
>そこに明確な客観的基準はありません

>最高位氏、会社で「そこのイスを持って来い」と言われて「床と一体になっている
>からできません」と返事したら、首ですよ。それはおわかりになるでしょうw

ホントにくだらない事しか発想できない人ですね
哲学的に、厳密な話をしているんですよ
あなたはそういう日常での「常識的感覚」とゴッチャになっていますね
174哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/05(木) 03:24:08
それからね
どうでもいい事ですけど
床と一体になっているイスは、普通は動きませんよ
普通は、持って行くことはできません
常識的に考えて、自力では即座に持って行けないと判断したのであれば
正直に「床にくっついていますので、持って行けません」と言えば
上司は「建築屋を呼んで、こっちに移動させろ」とか
次の指示を出してくるでしょうから
普通は、その一言でクビになったりする事はありえないでしょう

あなたも常識がなさすぎますね
何考えてんですか???
マジでバカですか?

そりゃキミ達、私の言ってる事が理解できなくて当たり前だわwwww
175哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/05(木) 04:09:17
キミはまた、私の質問に答えていないわけだが
まぁ無理なんだろうね
仕方ないから、一応またキミの質問に答えてあげよう
いつの日か、キミが普通に人と会話ができる日が来ればいいけどね
>>162
>質問1.
あなたは「この窓」とか「あの窓ガラス」とか「あの家」とか「地球」とか
「アキレスと亀」とか「カールルイス」とかは、『私』がいなければ存在しない、
と思っておられるのですか?

あれだけ説明しても、まだわからんのかね?
何回説明したと思ってるんだよ・・・
「わかりません」と言ってるだろ
キミも言ってるだろ
独我論は否定できない とね
しかし私は、独我論は否定する事はできないが
証明する事もまた、できないので独我論そのものを採用する事はしない
ただ
私の存在性だけは否定できないし
もし、それを否定しちゃったら、何もかもが始まりませんからね
私が考える事も、全てやめなければならないんだから、出発点にもなりません
『私』は、哲学の根本ですよ
で、その『私』を徹底的に分析している

そんだけの話です
キミ達は変な方向へ、勝手に突っ走っちゃうから大変だ

>質問2.
>とにかく何らかの物質的存在で「物理的要素によって特定できる」ものがあれば、
>挙げてみてください。「宇宙」でも「素粒子」でも、何でも結構です。

水はH2Oである
176考える名無しさん:2007/04/06(金) 00:33:31
どうでもいいけど、このやり取りくだらなさ過ぎる…
流れ変えてくんない?
177194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/06(金) 01:49:01
不毛な議論はやめたまえ!世界の謎は解き明かされた!
クオリア世界での「私」 観念世界での「私」
物質世界での「私」があるんだ わかったか!
178考える名無しさん:2007/04/06(金) 01:59:43
世界中の人がほれぼれと、時には涙さえ流して見つめる水平線も
このオッチャンには見えないという事なのかぁ。
可哀想な病気だな
179考える名無しさん:2007/04/06(金) 20:30:37
水と水の分子を間違えている小学生がおるな。
180考える名無しさん:2007/04/06(金) 22:17:46
あ〜はいはい物質は本当に不安定だね分子レベルだとね〜
本当に顕微鏡は魅力的なアイテムだね
ヤレヤレ
181考える名無しさん:2007/04/07(土) 00:16:27
>>177 それらをひっくるめた「私」は?
182考える名無しさん:2007/04/07(土) 00:46:52
有名な4つの“私”もあるだろ。
183考える名無しさん:2007/04/07(土) 00:48:45
194 ◆JMEUe1jdXcはリボーンしたとこなんだよね
クオリア、観念、物質が連携し合った「私」とはいかなるものか教えておくれよ
184194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/07(土) 02:07:16
物質てのはそのもの私という物質 =身体 脳
観念てのは「私」という概念でとらえた私=社会的人格や自分という意識 記号 シンボル
クオリアはもうクオリアそのもの=感覚そのもの これから私という概念ができる
どれかの世界だけでとらえようとするからおかしくなるんだ
どれも決定的に重要なんだよ 
感覚を主体として認めない時代は終わった
185194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/07(土) 02:19:48
唯物論も観念論も独我論も「3ちゃんねる理論」に含まれるんだ
しかしそれぞれが独立して世界ではないんだよ 
俺の考えを理解しろ!乗り遅れるな!!
新たな思考のパースを手に入れろ!感覚再興の時代が来るぞ!
186考える名無しさん:2007/04/07(土) 02:28:44
何で感覚のみの世界ってのはあり得ないわけ?
187考える名無しさん:2007/04/07(土) 02:31:33
>>184説明まだ?
おめでとうって言うから説明してよ
188194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/07(土) 02:54:27
う〜む感覚のみの世界というのはないんだよ
物質 感覚 概念 がなければ駄目
「世界」という言葉と概念がなければ世界という認識そのものはなく
「感覚」という主体がなければ世界という概念を操る「私」という概念もない
「物質」がなければ「感覚」はない<生まれてくる前や寝てるときをイメージしてくれ> 
189考える名無しさん:2007/04/07(土) 03:28:12
みんなはペギオの言ってるオープンリミットやマテリアル論についてはどう思う?
190あのねのね:2007/04/07(土) 04:38:01
現象としての人間を
人間の感情や感性を含んだ意識が理解するのは
矛盾だと思いますよね。
現象としてみれば、金持ちのビルゲイツも貧乏な北朝鮮人民も
同じただの現象なのですが、それを、相対価値を持つ人間が
評価すると、変な感情が沢山入って訳がわからなくなるのですよね。
大体、現象が現象を理解する事が矛盾ですし、
そもそも不条理な人間の感性、理性、無意識が、
条理を作り出して理解する事も、おかしな話ですよね。
と、理性に訴える私も馬鹿だといえば馬鹿ですが。
結局のところ、目的は何でも、道具主義的コントロールが
一番、正しい 又は 正しいと思わせることに成功するコントロール
だと言う事なのでしょうね。
191哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/07(土) 06:50:31
もう無茶苦茶だな
192考える名無しさん:2007/04/07(土) 07:24:14
みなさん、私という存在について考えた哲学者や思想家の本を
いろいろと読んできていると思いますが、どれも、もう一つ突き詰め
切れていないなという感想をお持ちではないでしょうか。過去に天才
たちが書いてきた私とは何か、何が私なのだろうか論に対して、どこか
残ってしまう不満感。そしてこのスレを見て、また新たに不満感を
増やすのだと思います。ご苦労様です。
193194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/07(土) 14:29:30
お前らは俺の3ちゃんねる理論の中でぐるぐると回り続けている
手のひらの上で踊る猿だ 感覚 概念 物質 これらのどれか
のみを優位にとらえるのはもうよせやいな
この3チャンネルなくしてお前も世界もないんだから
感覚が不当に貶められる時代は終わったのさ
194Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/04/07(土) 14:35:29
私はタコになりたい。
うにょうにょ。
195考える名無しさん:2007/04/07(土) 14:43:38
>>175
>水はH2Oである

駄目だ・・・駄目すぎる・・・最高位は何が問題なのかさえも理解できていない
196考える名無しさん:2007/04/07(土) 15:15:26
精神現象とは不思議な現象である。
197考える名無しさん:2007/04/07(土) 15:21:35
最高位のコメントって情緒がないんだよね
面白くない
198194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/07(土) 15:29:08
>>191 最高位さんはかなりの知性をお持ちの方とお見受けします
最高位さん私の3ちゃんねる理論はどこか間違ってるでしょうか?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1160124266/l50
このスレの170あたりからエレクトしっぱなしなんですが
よろしければ最高位さんの知性をもって理解 または反論
していただけませんか?
199考える名無しさん:2007/04/07(土) 16:52:21
論文書いて編集者に見せた方がいいよ
200考える名無しさん:2007/04/07(土) 17:34:21
トツギーノ
201考える名無しさん:2007/04/07(土) 17:49:41
NGワード。
「194 ◆JMEUe1jdXc」
202考える名無しさん:2007/04/07(土) 23:40:13
>>188
>「感覚」という主体がなければ世界という概念を操る「私」という概念もない
ここでは感覚を前提として概念がある。

>「世界」という言葉と概念がなければ世界という認識そのものはなく
ここでは万物の概念を前提として認識がある。

>「物質」がなければ「感覚」はない<生まれてくる前や寝てるときをイメージしてくれ>
ここでは物質を前提としてに感覚がある。

これらを振り返ってみると…
あなたは三要素として「概念」「物質」「感覚」を挙げている。
そしてそれぞれの関係の中で「概念」「認識」「感覚」の成り立ちを書いた。
しかし不思議な事が一つある。
物質は何にも前提とされていないのだ。
あなたの説は三要素の関わりにより世界が表現されるとするものだが、
あなた自身が書いている通り、あなたの見ている世界は物質世界であり、
物質が「感覚」や「概念」を生じさせている事になる。
203194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/08(日) 00:10:55
俺の見てる世界は感覚と概念と物質からなる
物質のみだと観測する知覚する主体がない
これは感覚世界が重要であることを示す
感覚と物質なくして世界はない それに世界という概念がなくては認識は
おこらないんだ どれもが決定的に重要なのだ
感覚だけで見る世界は死ぬとなくなる しかし物理世界はあるが感覚や
概念がないため世界と認識されない 独我論も唯物論も観念論も
3ちゃんねる理論の中の1形態に過ぎない
204考える名無しさん:2007/04/08(日) 00:17:24
死ぬとなくなるのは、「私」としての感覚世界であって、
体系としての感覚世界はなくならんよね…
205考える名無しさん:2007/04/08(日) 05:03:44
>それに世界という概念がなくては認識は
>おこらないんだ どれもが決定的に重要なのだ
犬とか猿には認知はないのか?
206哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/08(日) 07:58:52
>>195
私が何か間違えた事を言いましたかな?

キミのそのコメントの方が、根拠も書いてないんだからダメダメだろ


>>198
よくわからんけど
>>188にコメントしましょう
>「世界」という言葉と概念がなければ世界という認識そのものはなく

認識したから、言葉も概念も生まれてきたのではありませんか?
単なる「概念」だと、単なる空想にしかならないでしょう
それだと認識は関係がありません

順番が違います

あと
>「感覚」という主体がなければ世界という概念を操る「私」という概念もない

感覚とは、あくまでも『私』の感覚であって、感覚の主体が『私』です
単なる 『感覚』という主体 というものはありません
誰の感覚なのかを特定しない、単なる「感覚」なるものは存在しません
たとえ
先に「感覚」という概念を立てたとしても
『私』という概念が生まれてくる根拠が、どこにもありません
言うまでもなく、他人の感覚は 『私』 の感覚とは無縁です
また、もし他人もそれぞれの『私』であるならば、それぞれの『他人』も生まれてくる根拠がありません
『自我』というものは、そういうものです
207俺だよ俺:2007/04/08(日) 10:50:27
自分の脳というハードウェアが、これまで考えてきたこと
感じてきたことの全プロセスが私。
脳というハードウェアが、私をプログラミングし、記録しているが
私はソフトウェアである。
208哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/08(日) 11:04:32
>>207
その脳というハードウェアという物体が
なぜ「他人」ではない「私」であったのか
「私」とは何なのか
説明できますかな?

一応、言うまでもないのだが
「たまたま」というのは対応関係の話であって
「私」の存在理由の根拠にはならない

勘違いしている人が、あまりにも多いので念のため
209考える名無しさん:2007/04/08(日) 11:06:59
>>208
いつも人の質問してばかりだが、たまには自分で考えて説明しなさいバカ君。
210俺だよ俺:2007/04/08(日) 11:11:28
脳というハードウェアは私ではなく、私を生産したもの。
「私」とはそのハードウェアが生み出してきた思考回路のプロセスであり、
過去に経験してきたものの堆積物。

自分の体内にある脳以外のものが、上の意味で言う「私」を生み出すことはない。
211哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/08(日) 11:17:02
>>209
アホだなぁ
質問してるんじゃないぞ?www

「キミの言ってる事は、的外れだろ?」という事を
質問形式にする事により自覚させ
問題点を説明してるんだよバカwww

自覚しろ バカ
212哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/08(日) 11:18:22
>>210
だからなんでそれは他人でなく私なの?
213俺だよ俺:2007/04/08(日) 11:21:39
何が聞きたいのかわからん。
逆に、それが何で私ではなくて他人の可能性があるんだ?
214考える名無しさん:2007/04/08(日) 11:27:20
最高位ってさぁ。
自嘲気味にせよ、最高位と名乗るくらいだから、
哲学的修練訓練を経ている輩なんだろ?

だったら、日曜の真っ昼間から、低レベルの煽りにオウム替えししてないで、
啓蒙的レスで教化するくらいの心意気はないのか?
215俺だよ俺:2007/04/08(日) 11:39:12
雑談ですまんが、俺は政治学関係の人間なのね。

哲学版に来たのは本当に久しぶりだったけど、
哲学やってる人間は、やっぱよくわからんな。
日曜の昼間に2chも何だし出かけるわ。
216哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/08(日) 11:39:27
>>213
はぁ?
何が聞きたいのかわからんのじゃ話しにならんわwwww
もっとよく考えなさいよ

他人 というのは無数に存在するんじゃないの?
私以外は全員が他人だろ?
このハードウェアだけが、なぜ私であったのか
その理由を、唯物的な根拠として探りあててごらんよ

本当に意味わからんのだったら
哲学的議論の前提にも立つ事ができない人だという事だから
発言はひかえた方がいいね


>>214
単なる暇つぶしですから^^
217哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/08(日) 11:46:59
>>215
政治学するんだったら、簡単な哲学ぐらい理解できろよ
218『存在と無』用語解説より:2007/04/08(日) 12:11:10
『「私の偶然性の必然性がとる偶然的な形態

「身体」についてのこの定義に、読者は戸惑うかもしれないが、それはこういう意味である。
「そもそも私が存在するということは偶然的である。」これが「私の偶然性」である。

「しかし存在する限りは、《そこに−存在する》という形で私が存在することは、必然的である。
ゆえに、これは、「私の偶然性の必然性」である。

「しかるに、《そこに−存在する》 私がまさにこの身体−存在であるということは、
またしても偶然的である。」

それゆえ、身体は「私の偶然性の必然性がとる偶然性」である。』



最高位は、上記に当てはめると、どこを何を問題にしているのだろ?
219哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/08(日) 12:26:33
>>218
何それ

用語解説って、何かの書物のコピペなの????
220考える名無しさん:2007/04/08(日) 12:44:16
218ではないけど
最高位はサルトルさえ知らんの?
221Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/04/08(日) 13:08:15
知ってるけど読んだことはないなあ。
222考える名無しさん:2007/04/08(日) 13:13:09
220だけど、『存在と無』、サルトルくらいは、
実業高校の生徒である僕ですら知っています。
哲学好きだったら中学生でも知っていると思います。
現象学のフッサール、サルトルと同じ実存哲学の
ハイデッガーはどうですか?
223Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/04/08(日) 13:16:29
ハイデッガーに似てるって言われたことあるよ。
224考える名無しさん:2007/04/08(日) 13:19:51
はげしい雨がふる
225Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/04/08(日) 13:24:56
これおもしろい。
http://www2.tky.3web.ne.jp/~bites/tetu/
226考える名無しさん:2007/04/08(日) 13:32:32
>>223
「似てる」って、まさか、風貌のことではないですよね。
こちらは『存在と時間』ですね。友達も夏休みに挑戦したらしいです。
いまは、フーコーとかにいってしまってますが。
227考える名無しさん:2007/04/08(日) 13:39:28
うちの親父は三木清好きw
うわぁ。
228考える名無しさん:2007/04/08(日) 13:58:09
自覚プログラムかも知れませんね。
自分であることを知っているくせに、自分であることの根拠を知らない。
229哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/08(日) 14:55:00
>>222
解説は誰がした用語解説なのか という質問ね

しかし
へぇ! 勉強してるんだね^^

でも老婆心ながら
哲学なんて、高校を卒業してからの方がよさそうに思うけどね
普通、理解できる下地がないでしょ

しかし、今の実業高校の子って、そんなのに関心があるの???
てか何で?
先生の影響?
230考える名無しさん:2007/04/08(日) 16:49:12
>>229
本の付録ですので、当然訳者がした用語解説ですよ。

僕が哲学に興味を持ったのは友達からや映画からの影響です。
228の書き込みも、僕です。
231俺だよ俺:2007/04/08(日) 18:46:47
>>216
君さあ、誰と話してるの?
>このハードウェアだけが、なぜ私であったのか
ハードウェアは「私」じゃないって書いてあるじゃん。
ハードウェアを「私」と言ってるのは、俺じゃなくて君。
君が話してるのは俺じゃないね。

哲学よりも、日本語を小学校からやり直そうね。
哲学最高位?小学校主席を先に目指した方がいいね。
232194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/08(日) 19:27:22
最高位様コメントありがとうございます しかし私がいいたいのは少し違うのです 感覚はすでに独立性と主体性を持っている
ということをいいたいのです 「私という主体が感覚をもってる」のでは
ありません そこでの「私という主体」は概念としての主体ですそこでの「感覚」は
概念としての感覚です
実際は感覚こそが「私」「主体」という概念以前に主体としてすでにあるのです独立してあるのです
しかし感覚のみだとそれが何であるか認識できないのです認識は
概念の世界で行われます 感覚があっても「何々は何々である」「この感覚は視覚である」「これは花である」
という概念がなければ認識には至らないのです 世界がただあっても感覚だけでは
それが概念として「世界」とはいえないのです しかし感覚としての「世界」は存在しますが「世界」という概念でとらえることができません
これが感覚世界の独立性ということです 言語以前の感覚世界です
そして概念として「私」であったり「花」「心」「温かさ」「意識」「馬」でないと
識別して認識できないのです しかし感覚としては概念以前にあるのです しかし概念として
無いのです言語としてないのです
概念は言語から生まれます 記号 シンボルからなります
言語は他者とのかかわりから生まれます 概念世界は社会的な関りから
もたらされます 概念世界は他者との関りで生まれ共有する それ自体で
独自性を持った世界です
物質世界概念世界感覚世界がそれぞれ独自性を持っているのです
そしてその3世界で一つの世界がなっているというのが3チャンネル理論なのです

233素人:2007/04/08(日) 20:04:26
>>232
その三層構造はおもしろいね。
234194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/08(日) 20:25:40
>>233ありがとうございます
感覚という主体がある世界を概念の世界で否定したり肯定したり
その世界の存在性を扱うのが混乱する元凶ではないのでしょうか?
また感覚世界のみを出発点として認めながら概念として世界をとらえる立場は
独我論になります 一つの世界に閉じこもると他の世界からはその独立性から
証明も反証もできなくなってしまうのです 神や独我論、唯物論(いろいろな使われ方を
してますが物質のみの世界という使い方の唯物論と思ってください)といのがその一般的な例です
そして科学の主義の対立や宗教や宗派の対立はこのように独立性をすでにもってる世界で
他の独立性をすでに持ってる世界を否定するという態度が引き起こすのではないでしょうか?

235考える名無しさん:2007/04/08(日) 20:41:04
哲学がしたい。
でも哲学が何なのかよく分からない。
哲学の正体を知ったとき、あらゆるものが瓦解しそうで怖い。
だから、考えることが怖い。
怖いものみたさで哲学をしてみたい。
236考える名無しさん:2007/04/08(日) 20:54:33
>>232
>概念は言語から生まれます 記号 シンボルからなります

言葉至上主義は止めて。イメージ(像、視覚野)→言葉→概念の三相構造を崩さないで。
237236:2007/04/08(日) 21:01:18
>言語以前の感覚世界です

視覚野世界と名付けましょうよ。
238考える名無しさん:2007/04/08(日) 21:09:23
脳が「私」を生産するというのも
「私」が「私」を認識するというのも
ダメっぽい。
239236@どどど素人:2007/04/08(日) 21:21:27
>>238
私(現象)と脳(唯物論)の乖離は無限大ですよ。
240考える名無しさん:2007/04/08(日) 21:21:56
言語だって、感覚世界の一部でないの?
241194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/08(日) 21:35:50
>>236ありがとうございます あなたも最高位様と同じく優秀な知性をお持ちの方のようですね
クオリアを真面目に考えるスレではそのような批判はでませんでした(流れから当然でてもいい批判なのにも関らず!!)
「イメージ(像、視覚野)→言葉→概念の三相構造」という流れで
感覚から概念の発生を記述してもそれは感覚がそのまま概念になるということを意味しないのです
これは脳機能を解明してニューロンの発火現象がクオリア発生の説明になるものの
どこまで解明されても物質がそのまま感覚になるという事を意味しないのと同じです
ここから感覚世界概念物質世界の独立性は導かれます

242考える名無しさん:2007/04/08(日) 21:50:26
>>239
そう、その乖離は、異次元世界とさえいえるくらい。
皆、無理矢理解釈して納得しているだけ。
243236@どどど素人www:2007/04/08(日) 22:39:34
>>242
我はどどど素人であるため、(専門)用語の用法は極めて適当です。たまに、
文学的表現が混ざることはありますが、国語辞典に載っている字句通り捕らえ
てくれるならば私の感覚世界を理解し共有できるでしょうね。

>その乖離は、異次元世界とさえいえるくらい。
といいますか、素直に異次元と言い切って良いでしょ。それらが混じりえる事はないですよ。

>>241
既に腐れリーマンですが(w)。194 ◆JMEUe1jdXc さんの言葉は水の如く
スッと脳髄にまで入り込むので実に理解しやすいですね。

僕の場合それだけのレスを返すには、1時間、いやいや2時間の推敲が必要でしょうね。
完璧ですね、実に嫉妬します。(笑) エゴの張りすぎた哲板ネラーとは一味も二味も違いますね。 


↓はい、ではスレッドタイトルの続きを。
244哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/09(月) 03:53:46
>>218
>「そもそも私が存在するということは偶然的である。」これが「私の偶然性」である。

私は、この文章に日本語的におかしな違和感を感じます
ここで言われる「偶然的」は「偶然」とは違うのはわかりますか
「偶然」というのは、例えば「ボールを打ったら鳥に当たった」というような事を意味する
狙ったわけでもなく「たまたま」当たったんだ という意味
原因はあるけれども、その原因どうしが出会ったのは「たまたま」である という場合です
しかし私が存在した事に対する表現は、全く以って、なんら原因がありえないのだから、「何の偶然か」という事が、全く言えない
永井均先生の言葉を借りるならば、「単なる奇跡」という事になります
私の解釈からすると「もう呆れちゃって『単なる』としか表現できないほどの、純粋なる奇跡」だという意味ですね
偶然ではなく、奇跡です
これはもちろん「奇跡的」という意味でもなく「純粋なる奇跡そのもの」である と言えるでしょう
「偶然性」という言葉も適切ではありません

>「しかし存在する限りは、《そこに−存在する》という形で私が存在することは、必然的である。

これもまた「必然的」という言葉が使用されているように「必然」とは違いますね
だから「必然性」とも異なります
「必然」というのは、原因があって結果が必ず「そうなる」という意味ですね
『私』は、ここに存在している という事実があるだけです
必然もクソもありません

>「しかるに、《そこに−存在する》 私がまさにこの身体−存在であるということは、
>またしても偶然的である。」

これは『そこに存在する私』と『ここに存在するこの身体』が偶然に合致している という話であり
これは心身二元論を前提とした発想ですね
心身二元論を前提とするならば、最初の例と同じく「偶然」である として正しいのですが
前提にできる根拠もありませんから、論理的には不完全で、おかしいですね
『私』があって、『この体』と出会ったのが「偶然」であるのならば「偶然的である」と言えるでしょうが
心身二元論など前提にできないわけですから、日本語的にも、かなりおかしいと言えるでしょう
245考える名無しさん:2007/04/09(月) 04:03:50
私が存在している事実?
それは錯覚、まちがい、思い込み
246哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/09(月) 04:14:33
>>245

誰の?
247考える名無しさん:2007/04/09(月) 04:16:31
248哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/09(月) 04:21:37
>>247
じゃあ、私だな?

存在してるじゃんか「私」
249考える名無しさん:2007/04/09(月) 04:22:26
250哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/09(月) 04:59:42
>>249
私が錯覚してるんだろ?
私が思い込んでるんだよな?

だったら、いるだろ私


で、キミもいないのかい?
いないキミが、いったい誰と話してるのかな?

キミ、基地外ですか〜
251哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/09(月) 09:28:19
忘れてました(笑

>>232
>しかし私がいいたいのは少し違うのです 感覚はすでに独立性と主体性を持っている
>ということをいいたいのです 

いやいや
だから私は、そのまんま「それはおかしいだろ」と言ってるわけですが?
少しも違いませんよ

>「私という主体が感覚をもってる」のでは
>ありません そこでの「私という主体」は概念としての主体ですそこでの「感覚」は
>概念としての感覚です

まず
誰の概念であり、誰の感覚なのか という疑問が起こりませんか???


あと、どうでもいいかも知れませんが
どうしてそんなに滅茶苦茶な所で改行したり、しなかったりしてるんですか?


かなり病理的なものを感じます・・・・
ちなみに、何のお仕事をされてる方ですか?
252考える名無しさん:2007/04/09(月) 09:37:34
253考える名無しさん:2007/04/09(月) 09:45:15
「私」は非論理の論理だよ。
語る意味を拒絶している。
254考える名無しさん:2007/04/09(月) 10:03:39
概念の意味が分かっていない小学生がおるな。
観念は共有されないが、概念は共有されるものだ。
概念が誰のなんて言っていたら、言葉は無意味だ。
255哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/09(月) 10:15:55
>>253
>「私」は非論理の論理だよ。

まぁ
世界には、そういうもんがあるって事だな
当然ながら、とても唯物論では語る事ができません
この世界は、少なくとも
唯物的世界ではない という結論ですな

>>254
キミの場合
話の趣旨が、全くわかっていませんね

概念は、観念の一種ですよ
共有された時点で、私の概念でもある
256考える名無しさん:2007/04/09(月) 10:17:17
>>244
キミの言う奇跡ってなに?
キミの言う意味だとキリスト教のそれではなく、「常識では理解できないような出来事」だと思うけど、
単にわからないってことだけじゃんか。w

しかも、それはキミがわからないってことだけで、他人がわからないってことにはならないんだよ。
キミの論だと他人のことについて言及できないってことがわからないのかな?w
257考える名無しさん:2007/04/09(月) 10:17:23
わかる必要ないしw
258考える名無しさん:2007/04/09(月) 10:18:32
>>255
唯物的世界でなかったら何なの?
259考える名無しさん:2007/04/09(月) 10:19:57
>>255
他人がわからないのにどうやって共有するのさ?
すくなくともおまえとは共有したくもない。
260哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/09(月) 10:38:20
>>256
奇跡 という言葉にこだわると余計わからなくなるよ

あと
べつに、他人の事に言及する必要もないわけだが?

>>258
さぁね
少なくとも
「唯物論は間違いだ」という結論が出ちゃってる って事だね

>>259
実際のところ
他人と共有できてるのかは、本当のところはわかるわけないじゃんかwww
何を今更www
「その概念は、実際には私だけのものであった」となるだけだよ
まぁ確認するスベはないけどね


>すくなくともおまえとは共有したくもない。

そういう感情論の話じゃないわけですよwwww
あんたとは話しにならんわ
261考える名無しさん:2007/04/09(月) 10:40:25
結論
なにもわかっちゃいねえ。
262考える名無しさん:2007/04/09(月) 11:17:41
>>251
>まず
>誰の概念であり、誰の感覚なのか という疑問が起こりませんか???

最高位氏、「誰の」という思考はすでに概念的思考なのです。「これは他人の感覚で
はなくて私の感覚だ」という認識・思考が成立するためには、世界の概念化が
不可欠です。生の感覚世界(主客未分のクオリアの世界)が、すでに概念によって
分化され対象としての客観世界が確立(ないし認識)され、認識主観である
「私」も客観世界の内部に位置付けられた後で、初めて
「世界の内部に認識主観が複数あって、これとあれとは別の個物wである」という
認識・世界像が成立可能です。その後で、初めて「今感覚しているのはあれ(他人)
でなくてこれ(私)である」という思考が成立するわけです。

もちろん、世界の概念分化が終わった後では(普通の大人は終わっています)
「感覚しているのは誰なのだ、今その概念で思考しているのは誰なのだ」という疑問は
当然で、答えは当然「私」となります。
ただし、概念の側からは「それは私だ、という考えも、所詮は概念だ」とも言えますし、
物質(本当は導入する論理的必然性はないのですが)の側からは
「その私だの概念だの感覚だのはすべて、所詮は脳という概念で指示される
物質(物自体)の所産だ」とも言えます。
263考える名無しさん:2007/04/09(月) 11:18:52
(続き)
>>232氏の立場は、そういう「どれか一つに他を還元する」のではなくて、
「感覚」「概念」「物質」の三つの世界は相互に独自性をもって、いわば三つ巴
のような形で一つの世界を形作っている、というような発想でしょう。
それ自体は興味深いのですが、個人的に疑問なのは、その三つの世界が独立性を
持っているとしたら、それらの相互関係はどうなっているのか、それらがどうして
一つの世界を形作ることができるのか、ということです。どれか一つを根元化して
他を説明するなら、結局は独我論か観念論か唯物論になりますし、そうしないなら、
「三元論」となり、「なぜそれらが相互に規定し合い相互作用することが
できるのか?」という疑問は、避けられません。
「世界はあくまでも一つで、その三つは一つの世界の異なった現れ方、様相なのだ」
と考えると、「神」を導入する宗教かスピノザ主義のような結論になります。
結局、心身問題と同型の根本的な疑問からは逃れられないと思うのですが、
いかがでしょうか。(>>232氏への質問です)
264ほほう:2007/04/09(月) 12:24:51
最高位は「無から有は生じない」といいながら
「私」だけは別格で、概念もへったくれもなく
理屈無しに存在するんだ、と言いたいらしい。
理解を超えた、超越だな。w
265ほほう:2007/04/09(月) 12:36:50
観念を「持つ」という概念にこだわると
観念を持つ前の「私」が存在したはずだ、
となるだけだろw
266考える名無しさん:2007/04/09(月) 12:43:31
>>260
>べつに、他人の事に言及する必要もないわけだが?

必要あるかないかではなく、キミには言及できないってこと。
世界には、キミにはわからないことがたくさんあり、
唯物論が間違っているなんて言うことも出来ないって事だよ。
267素人:2007/04/09(月) 13:15:29
>>263
さすがですねw

混乱の元となりそうな横レスを入れれば、
(「感覚」「概念」「物質」というカテゴライズそのままではありませんがw)
同様な手法で「世界を(→人を=私を!)見る」のが仏教、お釈迦さんの提示であります。
哲学的言い方をすれば、「メタな視線・視点」ということになるのでしょうか・・・?
認識論的に、そうした視点を採る事が可能かどうかという問題は勿論あるでしょう。
興味深く、重要なポイントかと思います。
(私は可能だと思いますが、それは、ある一つのブラックボックスの設置(それの捨象)を条件とするかもしれません・・・)

232氏の、(勿論そのままでなく、別の仕分け方もありえるでしょうが)こうした階層の設け方が
最高位氏に決定的に欠けている部分だと思うのです。
そして、細部の議論において各階層内に限定して語る必要がある、或いは語っているところへ、
不意に別の階層の事例をねじ込んでくるような・・・。
典型的なのは
「じゃ、今書き込んでいるのは誰だい?」「そう見做しているのは誰だい?」「崖から落ちるのは誰だい?」など・・・。

誰も、日常の私について語っているのではない。
少なくとも、「『私』の存在性」という用語・概念を用いている時に、日常の私へ飛ぶ必要なない。
というよりも、『私』(或いは「存在性」)という概念は、日常の私とは異質である筈なのだ。
だから、「存在性」という言葉が出てきたり、「」『』付きで表記せねばならない筈なのだ。
【『存在性』が】キーボードを打ち、書き込むのではない。
【日常の私が】キーボードを打ち、書き込むのだ。
以前、『私』を階層分類してみたら?と発言したことがあった。
その時、これに大きく反応したのは、紗南だけであったように記憶する。
(「この作業の厳密なものは、哲学畑でない私には荷が重い」と、
その時の私はトンズラしたわけだが・・・w そしていまだに逃走中なわけだが・・・www)
268哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/09(月) 13:30:42
>>261
いやいや
結論は 、「唯物論が間違いである」という事

これは重要なポイントだよ?
まず、それを理解することが大事

>>262
素人くん
>>172に対する返答が、いまだにないんだが、どういうつもりなのかな?

しかしなんだな
なんでキミは何回説明しても主観性という事が理解できないのかな
キミは知能が低いのか? それとも、哲学的ゾンビなのか?

>>264
それでは
唯物的観点から考えても、無から有が生じるというのかね?
私は、物理的な法則からは、どう考えても生じないと思うよ

しかし宇宙は、どうやって存在するに至っているのかな?
それは、この世界の根本問題です
そして同じような次元の問題が人間の精神にも存在するならば
それはもう、「人間の精神については、唯物論では手に負えない」ということであり
すなわち、心身問題において、唯物論は敗北した という結論以外にはないのです

>>265
と、考えている時点で、それは「私」である以外にはないわな

>>266
もちろん世界にはわからない事はたくさんあるが
唯物論が間違いである事が論理的に実証された事実は変わらない
269考える名無しさん:2007/04/09(月) 14:18:30
>>268
>唯物論が間違いである事が論理的に実証された事実は変わらない

論理的でも、実証でもないし、事実でもない。
キミがそう思っているだけで、それ以上の何物でもないよ。
世界や他者について確実なことをいうことはキミには出来ないから。
270考える名無しさん:2007/04/09(月) 14:31:09
最高位は自分に実証したんだから、もういいよ。
271考える名無しさん:2007/04/09(月) 15:40:06
最高位氏が理解されにくいのは語り方に問題があるんじゃないかな。
そもそも最高位氏の洞察は独我論的なアプローチからきているのだから
それを第三者に説明をしようとすると獲得した世界観との齟齬がうまれる。
それは単に説明するための、相手の立場を考えての語り方なのだが
それが主張するところの内容と矛盾するためにその矛盾を指摘・論駁されてしまう。
そのくりかえしに終始しているように思う。
だから最高位氏は自分の見解を、あくまで「自分の主観から見た世界の構成」というかたちで
記述していったほうがいいんじゃないかな。その思考過程を追体験できるようにね。
へんにサービスするとどうでもいい言葉尻を捉えられてしまって損だと思うのだけど。
272考える名無しさん:2007/04/09(月) 15:56:23
仮に理解されてもそんなの空想哲学
現実を説明できなきゃ意味がない
そういうものだと先見でわかっているから誰も同意しないんだよ
273考える名無しさん:2007/04/09(月) 16:01:50
「犬は物理現象で説明できる」としたら、犬には感覚がない、ということに
なるのだが。
274考える名無しさん:2007/04/09(月) 16:08:17
>>273
ならない。センサーは物理現象で説明できるが、感覚がある。
275考える名無しさん:2007/04/09(月) 16:10:40
>そもそも最高位氏の洞察は独我論的なアプローチからきているのだから

>それは単に説明するための、相手の立場を考えての語り方なのだが

それは語り方の問題ではなくて、あからさまな矛盾。
276考える名無しさん:2007/04/09(月) 16:14:11
上のほうで言われてる
最高位と素人や唯識の「私」の違いと
それがなぜ唯物論につながるのかまったくわからん。
277考える名無しさん:2007/04/09(月) 16:18:12
>>274
「犬は物理現象で説明できる」って最高位言ってなかった?
278考える名無しさん:2007/04/09(月) 16:31:01
>>275
そうだよ。
だから誰に対しても「説明」なんてするべきではないのだよ。
279Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/04/09(月) 17:35:47
矛盾してないんだなこれが。
280素人:2007/04/09(月) 17:45:49
>>268
(大昔の話だがw)君が答えていない私の問いは山ほどあった筈なのに、
また、自分の権利だけを主張か・・w

偉そうなこった・・・   ;´ー`)y━~~


>>157の二点は、非常に重要なことなんだぞw
君の、それらについての見解(理解度)次第で、こちらの語りようが変わってくるからだよ。

言っとくけど、
会話が無茶苦茶なのは君の方だからなw
281考える名無しさん:2007/04/09(月) 17:46:10
>>268を読むと、マルクスの言っていることがよくわかる。
客観的実在よりも意識(自分の意識)のほうを規定的だとする
観念論の妄想的立場が。
いかに観念論が個人の妄想を好き勝手に繰り広げてきたか、
そしてこれがいかに始末が悪いことかよくわかる。
存在の意味を問う、なんていうことをしながら自滅した
ハイデガーの馬鹿さ加減と潔さもよくわかる。
282考える名無しさん:2007/04/09(月) 18:44:42
>>281
言いたいことがないのなら
チラシの裏にでもかいてろ。な。
283考える名無しさん:2007/04/09(月) 20:06:23
おまいら一体何やってる人なの?
284194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/09(月) 20:48:39
ふむふむ・・・ 263様はじめまして
>>263様は優秀ですな どどど素人様と最高位様もやはり優秀です かなりの知性をお持ちです 素晴らしい
しかし3世界の独立性への理解がまだまだ足りていません 
263様の「世界はあくまでも一つで、その三つは一つの世界の異なった現れ方、様相なのだ」という発言ですが
概念世界でとらえようとする限りそうなります これはどこまでいってもそうなのです 
概念世界では概念のみでそう考えてしまうからです 概念で世界がそう現れてるととらえるからです
あくまで3世界は独立して並列してます(もう一度その質問をするに至る前提の思考を反芻してみて下さい) 
「世界は一つで感覚世界概念世界物質世界からなる」ということです
それぞれの世界がそれぞれに対して独立性をもっている3つの世界からなる世界なのです
概念としてとらえようとするとどんなにメタ的な立ち位置にいる人間も「神」「空」「無」
「三元論」などといいだしてしまうのが今までの知性の限界なのです(ご指摘のスピノザのように)
しかしよく考えてみると どの階層のメタレベルでも感覚世界物質世界概念世界の独立性は失われません
概念のメタ世界でそう考える事が出来るだけです、しかし物質としても感覚としての
世界もちゃんと独立して並列して存在します
少し思惟の経済を働かせるのを止めてしっかり考えてみて下さい (注・発狂しそうなったらやめてください)
3チャンネル理論をメタに見てる人間もしっかり3チャンネル理論の世界に
いるんですよどこまでメタレベルをあげても・・・

そして次の質問として「なぜそれらが相互に規定し合い相互作用することが できるのか?」
というのがこれからの脳科学や神経細胞学が挑戦するところですしある程度解明されてる部分もあります
もちろん疑問に思わなくともしっかり相互作用してます
しかしこれを概念世界のみでとらえると「縁起」などといいだして最後には「空」
という概念世界のみの世界の極に帰結します(観念論に多いパターンです)

少々上から目線のものの言い方になってしまいました(もちろん確信犯的にアジテーション風味を
まぶすためにです!!)
「世界は一つで感覚世界概念世界物質世界からなる」これを得心いただけるとありがたいです
285考える名無しさん:2007/04/09(月) 21:58:59
>>284
おまえは最高位の足元にも及ばない。
286どどど素人:2007/04/09(月) 22:36:07
>>244
偶然でも奇跡でもどっちでもいいよ。

文学じゃ大違いだけど。w
287考える名無しさん:2007/04/09(月) 22:55:05
非常識で、有り得ない。
超常現象か。
288考える名無しさん:2007/04/09(月) 23:25:53
はじめまして、クオリアスレからやってきました。

このスレにも関わる問題で、
最高位さんにお話伺いたいんですが、ここでいいんですかね?

ちらと上の方見た限り、最高位さん同様、僕も独我論からやってきたものです。

ぶしつけですみません、時間がないので・・
289どどど素人:2007/04/09(月) 23:35:17
>>284
194 ◆JMEUe1jdXc さんが言う感覚世界とは、おそらく赤い色に対するイメージとか、
力強さとか血などと言うイメージのことなのでしょう。昨日と今日といえば前後のイメージ(像)、
鉄といえば力、錆びた鉄といえば荒廃、停滞というイメージの世界なのでしょう。

概念を簡単に言えば、物を集めて共通の特徴を抽出した物のことですよね。概念をイメージ語る
ならば幅があるイメージですよね。類似後をあてがうなら、範疇と言う言葉が適切でしょうか?。
では、194 ◆JMEUe1jdXc さんが言う概念世界とは、どういったものを指しているのでしょうか?。

また、物質世界とはどいったものなのでしょうか?。目で見たまま、触り心地、味覚のことですか?。
290どどど素人:2007/04/10(火) 00:25:04
>>283
単なる読書家のリーマンです。専門はコンピューターエンジニアで
若干弱電も取り扱ってます。w

読書は、宇宙物理から始まり果ては言語哲学?、大脳生理学まで、
雑多に読みまくります。小説は飽きるので読めません。www

お互い力まずに雑多にレスしましょうよ。
291どどど素人:2007/04/10(火) 00:26:16
では、また明日。
292どどど素人:2007/04/10(火) 00:47:50
イメージを補足しときます。

イメージとは脳裏に浮ぶ様、像です。


なんか、194さんを理解できたかもしれません。 
捕らえたかも知れません。

 感覚世界 = クオリア ?(僕が想像する194さんの意見)

 概念世界 = (いまだ発言なし)

 物質世界 = (僕が想像する194さんの意見。)

どお?。
293哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/10(火) 02:51:49
>>271
うむ
しかし、そこまで理解させる事ができた時点で
私は、かなり成功していると言えるのではないかな^^

キミは、私が「理解できない人は、知能が低い」
と言っている意味も、理解できているでしょう

確かに私の哲学は、原理的に言って『客観的に証明』する事は不可能でしょう
しかし、その客観的角度からしか思考する事ができない人は、過去の哲学的課題を乗り越える事はできませんよね
過去の哲学の壁は打ち破れず、前時代的な哲学にとどまります
ですから現代哲学の最先端からすれば、次元が低いのだ と言えるでしょう

「心身問題は、客観的な視点のみでは語りつくす事はできない」のであって
それを理解できない人は知能が低いから、理解できなくても仕方ないでしょう

当たり前ですが
理解できる人にしか理解できません
逆に言えば
理解できる人は、理解しちゃう という事です
294考える名無しさん:2007/04/10(火) 02:58:14
証明されないものは哲学ではありませんがw
295哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/10(火) 03:07:30
>>294
キミは知能が低い
296考える名無しさん:2007/04/10(火) 03:18:56
知能と哲学は関係ありませんがw
297哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/10(火) 03:20:23
論理性と証明性は違うって事だね

論理性というものを
主観的に理解するのと
客観的に証明するのとでは
違うって事

世界には
他人には証明できない『完璧な論理性』があるって事だわな
298考える名無しさん:2007/04/10(火) 03:24:38
他人に聡明できなかったらただの自慰行為ですがw
299哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/10(火) 03:24:49
>>296
ん?
関係あるぞ?
哲学に限らず
どんな事だって、頭の悪いヤツには理解できない事があるんじゃないかな
300哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/10(火) 03:26:14
301考える名無しさん:2007/04/10(火) 03:29:34
302哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/10(火) 03:41:00
自分自身で「今自分は、この色(たとえば赤色)を感じている」という事実は確認できるだろ

しかしキミは自分が今「こういう色(たとえば赤色)を見ている」という事を
他人に証明できるかい?

証明できないのだが
いかにしても「今自分が存在し、この色を感じている」という事実を
自分自身では、どうやっても否定する事はできないだろ
303考える名無しさん:2007/04/10(火) 04:21:41
>>302
それと同様、唯物論もキミには否定できないんだよ。
キミは、物質がどこまでできるかを知らないんだから。
304考える名無しさん:2007/04/10(火) 04:55:46
どうやったら最高位さんみたいになれるの!?
305考える名無しさん:2007/04/10(火) 08:33:47
>>303に同意
唯物論を支持する他人をどうやったって
否定する事はできないだろ
証明する事もできん
306考える名無しさん:2007/04/10(火) 12:15:31
証明を哲学の条件と考えるなんて
いちばん哲学から遠い考え方なんじゃないかな
307考える名無しさん:2007/04/10(火) 12:16:45
>>306
アホですか?
308考える名無しさん:2007/04/10(火) 12:19:23
>>307
なんで?
309考える名無しさん:2007/04/10(火) 12:32:09
『私』を唯物的に記述して証明する必要ないの?
310考える名無しさん:2007/04/10(火) 12:39:26
>>309
なんか勘違いしてるのかもしれないけど
ないんじゃないかな
311哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/10(火) 12:49:13
>>303
はぁ?
なぜそこへ論理的に飛躍するのか意味不明です
全く関係ありません

物質によって『私』を作る事は、どうやったってできないし
物質的に『私』を解明する事は、絶対にできません

精神も物理現象である という主張は、間違いなんです
唯物論は間違いです

『私』は、何の原因的根拠も無いクセに存在している奇跡の存在性なんですよ
まぁ、頭が悪いと理解できないんでしょうが、そういう形態で存在しているのは事実なんです
それを否定し、唯物論を主張するのならば
『私』は物理的な何であるのか、その正体を唯物的に説明して下さい
または
なんなら、その理屈を将来的に示す事ができるようになる根拠でも結構ですよ

>>304
最高位さんみたいに とは?^^;

>>280
あー忘れてたw
素人くん
キミは、あれほど議論が好きだったのにね
急に黙りこくっちゃったのはなぜかな?

キミの書き込みは、前提からして狂ってるうえに 、長くてしょうがないから読む気にもならんわけよ
だから私が論点を正して絞るために誘導してるわけだが、急に黙り込むからね
まぁ、反論できない気持ちもわかるし
本音では、少しは理解できてるんだと解釈する事にするよ
キミもバカではなかったのだと思いたいしね
312考える名無しさん:2007/04/10(火) 13:07:35
不思議ですね。
「この物体」も「この私」も、もう1つ作ろうとしても作れませんね。
「この物体」が「あの物体」になり、「今の私」も「さっきの私」に
なっちまいます。「同じ存在」なのにね。

313考える名無しさん:2007/04/10(火) 13:11:43
表現拙かったですね。
「ここにあったA物体」が「あそこにあるA物体」になり、

とした方がいいですね。
314考える名無しさん:2007/04/10(火) 13:17:00
でもそれは
なにを同じものと考えるかによって
「同じじゃない」になったり
ちがう状態にあるけど「同じもの」
になったりするんだよ。
それこそ「観念」の問題
315考える名無しさん:2007/04/10(火) 13:24:51
物理的に『私』を作るとしたら、物理的手段で本人の「認識」を
ねつ造することでしょうね。
作れるとも、作れないとも言えないですね。
316考える名無しさん:2007/04/10(火) 13:26:43
>>311
唯物的にってのがすでにおかしんだよ
科学的、生物学的でいいだろw
317考える名無しさん:2007/04/10(火) 13:32:34
本人の脳を使って、別の認識にすり替えるという作業になるかと
思いますがね。
318考える名無しさん:2007/04/10(火) 13:38:06
熟練の奇術士のように、一瞬で本人の脳を抹殺して全く同じ別の脳と
すり替えたって、わかりゃしませんよ。
一瞬でなくても、麻酔をかけていればわからないでしょう。
319考える名無しさん:2007/04/10(火) 13:58:15
認識をすり替えるということですよ。
「私がした」という認識を「あなたがした」にしてしまえるか、ですね。
これで不十分なら、「私」という観念を「あなた」にすり替えれるかでしよう。
320考える名無しさん:2007/04/10(火) 16:11:55
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/987
987 名前:考える名無しさん 投稿日:2007/04/10(火) 15:44:13 意識は神経細胞内の電子の振る舞いでしかなく、
素粒子で構成された物質にすぎないのであって、単なる物理現象でしかない。
意識が物質の振る舞いでしかない事実は、思惟も論理も脳神経細胞内の電子の振る舞いでしかなく、
物理現象に過ぎず、概念が物質に依存してしか表れない事実を示す。

事実を前提としない論は空論で無意味である。
観念論とは検証を拒否する態度で、根拠のない空想を前提とする論のことであり、
安易な思考停止で甘い嘘にすがる思考でしかなく、非理論の情動的な心理現象でしかない。

観念論者とは、事実を知ることを拒否する人々の、思考様式のことである。
観念論の根本的な問題は、事実に裏付けられた根拠に拠らないで、
実証性を備えずに、検証を思考回路に組み込めないところにある。
321考える名無しさん:2007/04/10(火) 16:39:54
実際の脳の研究では
>意識は神経細胞内の電子の振る舞いでしかなく、
>素粒子で構成された物質にすぎないのであって、単なる物理現象でしかない。
という結論は得られていない。
だから
>事実を前提としない論は空論で無意味である。
とすれば320の主張は
>検証を拒否する態度で、根拠のない空想を前提とする論のことであり、
>安易な思考停止で甘い嘘にすがる思考でしかなく、非理論の情動的な心理現象でしかない。
ということになる。
322考える名無しさん:2007/04/10(火) 18:10:48
975 素人 sage 2007/04/10(火) 08:52:45
>> 972
> 使わないの?「私」という言葉
> わからないまま使ってるとか?
> じゃぁ「私」が何かわかるまで
> 「私」という言葉を使わずに生活してみれば?
だからwww  ↑の文で言われる「私」と、
これまで俎上に上がっている『私』(=君の言う「実感としての存在性(を有すもの)」)とは違う、と・・・。
いい加減、牛若丸はやめろよw

なんで、こんなに頭悪いかなぁ・・・  ;´ー`)y━~~


985 哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 2007/04/10(火) 13:05:42
>> 975
『私』は『私』
同じものだよ
>私が何かもわからないのに間違いて言われてもな
>説得力無いわ。
  ↑   ↑   ↑
こんな事を言う方が、人をおちょくってるだろ
だから、おちょくり返してるだけだぞバカ

>これまで俎上に上がっている『私』
>(=君の言う「実感としての存在性(を有すもの)」)とは違う、と・・・。

『私』というのはだね

>実感としての存在性

ではなく
『実感をしている存在そのもの』だ バカ
323素人:2007/04/10(火) 18:11:27
>>322
> 『私』は『私』
> 同じものだよ
同じものであれば、他者・外界との境界あってのもの、
いや寧ろ、【この肉体あっての「私」】(肉体が先行している「私」)となりますが?
それで宜しいのですか?w

> 『私』というのはだね >実感としての存在性  ではなく
> 『実感をしている存在そのもの』だ バカ
ということは、『私』=『存在性』という等式は無しということで宜しいですね?
(「存在【そのもの】」が「存在【性】」ではおかしいですもんね。)
また、
≪『私』【という】『存在性』≫という言い方も間違いだったということでいいですね?
≪『私』【は】『存在性』である≫という言い方も間違いだったということでいいですね?
≪『私』【の】『存在性』≫という言い方のみが許されると理解して宜しいですね?
≪『私』【という】『(実感している)存在そのもの』≫が持っている性質・要素・特徴が
≪『存在性』≫であるということで宜しいですね?
それとも、もっと別な意味(一般的でない・特殊な語義)を『存在性』に与えますか?w



余談:(百歩譲って、『存在性』という語を使用することは受け入れても、
『実感をしている存在そのもの』を『私』と呼ぶのは、よほど丁寧な補足説明をしない限り、
深淵に残るものとしての何ものかを表しきれないでしょう。誤解しない人の方がおかしいw
言い出しっぺのあなた自身が、日常的私と混同しているくらいですから・・w)
324素人:2007/04/10(火) 18:12:31
>>311
>急に黙りこくっちゃったのはなぜかな?

あなたのレスは散発レスなので(長文でも中身はスカスカw)辿るのが大変なんですよ。
しかも、年度末年度始めで忙しいし、あっという間にスレは伸びるしwww
325素人:2007/04/10(火) 18:33:08
ああ、それから、
>>322内の君の発言に於いて、
私の≪ (を有すもの) ≫という補助書きにはコメントは無いのかい?w

この( )書きは、私の中での語義の確定に、まだゆらぎがある証なんだがな・・(´ー`)y━~~
326考える名無しさん:2007/04/10(火) 19:33:33
>>311
>物質によって『私』を作る事は、どうやったってできないし

キミがそう思っているだけ。
キミの論だと、キミは物質の本質を知りようがないし、実際理解もしていない。知り尽くしてもいない。
だからキミの『私』だって物質によって作られたことを否定も出来ない。

>物質的に『私』を解明する事は、絶対にできません

キミの論でいえることは、キミにはそれができないっていうことだけ。

もう一度言うよ。
唯物論はキミには否定できないんだよ。 キミは、物質がどこまでのものなのか知らないんだから。
327考える名無しさん:2007/04/10(火) 21:19:38
100年前も100年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい




どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
だれか思い出すだろうか
ここに生きてた私を

100億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中
人は永久欠番
328考える名無しさん:2007/04/10(火) 21:31:49
>>326
きみ、哲学の勉強したことないでしょ。
329考える名無しさん:2007/04/10(火) 21:46:47
私を語るのに、即自存在/物質としての私を語っても、それが身体/物質としての私である限り、何も語っていないのと同じ。
この私という「哲学的ゾンビ」を語れないのであれば、私というとらえどころ無い概念を語っていることにはならない。
しかし、私という概念は、つねにそのつど、決してちかづくことのできない、瞬間瞬間において超越論的な対象/仮象(Schein)/空虚なもの、に向かって決死の跳躍をし続けている対自存在/対他存在/世界内存在としてしか認識されない。
330考える名無しさん:2007/04/10(火) 22:35:38
ここは議論すり替えの天才どものスレか。w
331考える名無しさん:2007/04/10(火) 22:43:11
>>295
それは哲学じゃなくて、文学。認めなさいよ。w

>>328
キミは趣味で哲学書読むこと無いでしょ。w
332考える名無しさん:2007/04/10(火) 22:45:22
>>326
キミは何処で哲学書を読んだのだ。

幼稚園か?。w
333考える名無しさん:2007/04/10(火) 22:46:54
>>330
議論すり替えって変じゃない?

論点すり替えならわかるが・・・
334どどど素人:2007/04/10(火) 22:49:06
何だ博学の哲学好きは居ないのか。

194は何処に言った。

なんだよヘタレども。

独創性を持った味がある奴は居ないなァ。

>>333
わかってるじゃまいか。w
335どどど素人:2007/04/10(火) 22:50:07
>>333

そんな程度か、あさって来い。
336どどど素人:2007/04/10(火) 22:57:32
教本の再現は2chでなく教壇でおながいしまつ。
337考える名無しさん:2007/04/10(火) 23:11:28
お前ら下品さを曝け出してるぞ!
338哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/11(水) 08:45:37
>>323
素人くん
ゴメンゴメン
キミとマトモな議論が成立するなどど、少しでも思った私がバカだったわ

>> 『私』というのはだね >実感としての存在性  ではなく
>> 『実感をしている存在そのもの』だ バカ
>ということは、『私』=『存在性』という等式は無しということで宜しいですね?
>(「存在【そのもの】」が「存在【性】」ではおかしいですもんね。)

私は男であるが、『私』=『男』 ではないぞ?

キミ、ホントに頭おかしいから
自覚した方がいいって
339考える名無しさん:2007/04/11(水) 08:51:18
それってたんなる自我じゃん
自我の解釈の相違、ただそれだけ
唯物論がどうとか関係ない。
340考える名無しさん:2007/04/11(水) 09:00:46
結局お前らは何の話しをして何について対立してるの?
誰か分かりやすくまとめてよ。
341考える名無しさん:2007/04/11(水) 09:04:21
決定論スレは唯物論
このスレは自我について
でしょでしょ?
342哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/11(水) 09:08:02
>>339
はぁ?
「私は物理現象じゃない」って言ってるんだよ

>>340
心身問題だよ???
343考える名無しさん:2007/04/11(水) 09:08:46
●ここでの対立のまとめ

唯物論は、この世界は物理現象であり唯物論こそが真理であると主張する。
最高位や観念論者は唯物論の欠陥を見つけ出してそれを批判する。

対立している原因は、唯物論者が客観的視点からしか意見を述べないのに対して
最高位が主観の存在の優位を主張している点。
互いの視点が違うため議論は常に平行線を辿っている。
唯物論狂信家の機械と元唯物論者の最高位の対決は今後も続く。

どちらが正しいかではなくて、機械は演繹的であるのに対し、最高位は帰納的なこと。
どっちにしろ機械が機械的唯物論が真理なのだとイカレタ宣言をしたことが発端である。
344考える名無しさん:2007/04/11(水) 09:12:56
ふむふむ。
345考える名無しさん:2007/04/11(水) 09:17:35
まあ同じ観念論者同士で争ってるし。
346哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/11(水) 09:30:05
演繹的に考えたのちに、帰納的にも考える
両面から考えなきゃイカンのではありませんかね?

それで、もし明らかな矛盾が生じるのならば
その論理は正しいようであるが、実は間違えている
という事になります

そもそも
主観性というものを、客観的観点からのみ分析するのがおかしい

おかしくないですか???
それで哲学者としての視点として、十分だと言えるのですか?
347考える名無しさん:2007/04/11(水) 09:37:16
>>346
それを「他人」に伝える手段を
人は持ち合わせていない事に気付こう。
348哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/11(水) 10:40:16
>>347
そんな事を言い出したら、厳密には何も語る事などできなくなりますよ?
主観的に感じている赤の赤ささえ、人に伝える事などできませんからね
できてると思い込んで、それを前提に論を進めているのが
知能の低い唯物論者の錯覚なんであってね

わかってないから、それを他人の論にばかり適用できると思っているんでしょうね
ホント、知能が低い人種ですね 唯物論者
349考える名無しさん:2007/04/11(水) 10:42:30
唯物論者はいつになったら主客問題を理解するんだ。
いい加減ツマラン
350考える名無しさん:2007/04/11(水) 10:52:14
>>348
>できてると思い込んで、それを前提に論を進めているのが

と思い込んでいるのがキミなだけ。
351考える名無しさん:2007/04/11(水) 10:54:42
>>349
最高位は、の間違いだろw
352考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:00:24
>>348
おまえが負け犬の遠吠えしてるだけ
さみしいよね、一人って。
353考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:01:33
最高位ほど厳密に語っていない(できない)やつはいないわけでw
354哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/11(水) 11:04:23
>>350
>>351
おまえら>>346に、まともに反論して唯物論の正当性を主張してみろや

>>352
さみしいって・・・www

キミは女性ですか?どうよ
355考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:08:04
くだらん論に反論もなにもあるかよ
もっと勉強して来い。
そうすれれば他人が理解してくれるのではなく
おまえ自身が変わるだろう
そうしない限りだれも認めてもくれんよ。
356哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/11(水) 11:17:53
>>355
ぷっwww
実質的な敗北宣言だなプゲラ
プゲラ プゲラ プゲラッチョ
357考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:20:24
>>356
おまえ一人が叫んでるのに
敗北もなにもあるかw
ゴミためが
358素人 :2007/04/11(水) 11:21:10
>>338
笑いが止まらんぞw (相変わらず、他の文章は無視してるしw)

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1171721039/
876 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 2007/03/05(月) 03:22:07
>> 867
まず
『自我』については、自分自身の自我についてしか認識できない事は言うまでもないでしょう
すなわち、この問題に関しては他から見た自身や、自身から見た他 という客観的な概念ではなく
自分自身が自分自身を分析する以外に方法がない と言えます
だから、どこまでいっても『私』なのです
他人の自我の話ではありません

では『私』は、いかにして存在しているのか と突き詰めていくと
私は純粋に私であって、私以外の何者でもなく、完全に私である事が理解できます
私は、私であるから私なのです

何かが合わさって『私』になっているわけでもなく
また、何かと混ざり合う事もありえません
全く以って、その原因的な要素というものも在りえないわけです

『私』というものは
何とも混ざり合わず、完全に独立した存在性なのですから
まさに神とも平行するような存在様式になっているわけです

これが『私』の、本質のひとつです
――――――――――――――――――――――――――――――――
>『私』というものは
>何とも混ざり合わず、完全に独立した存在性なのですから
359素人 :2007/04/11(水) 11:21:44
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1171721039/
859 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 2007/03/04(日) 23:52:19
>> 854
>存在を支えるって意味?

支える???
なんで?

>それとも曖昧な存在って意味?

なんでまた、いちいち曖昧なん???


キミら、ちょっとおかしいよ?
哲学した事あんの?

「我思う故に我あり」っていう言葉知らんの???

「あり」なんだよ

その存在様式を分析すると
どう考えても
何かが合わさって出来ているものでもなく
特定の原因的なものによる現象でもない完全に独立した『存在』であるとしか言えない存在
であるという事

『私』というものは、全く以って『完全に純粋な存在性』なんだよ

まぁキミらに、こんな事を教えても
豚に真珠かも知らんけど
――――――――――――――――――――――――――――――――
>『私』というものは、全く以って『完全に純粋な存在性』なんだよ
360考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:22:08
このままだと最高位の居場所はなさそうだな。
361考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:23:06
素人も最高位を相手にしてる時点で同類だな
362素人 :2007/04/11(水) 11:28:51
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1171721039/
852 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 2007/03/04(日) 23:21:15
>> 845
いい加減にしなさい


>> 850
>機械くん

いやいや
「特殊」という言葉がおかしいでしょう
何が、どう特殊なんですか?

しかも「現象」って・・・


『私』というのは
「唯一絶対」の「存在性」である と
何度、説明したと思ってるんですか?

なんでそんなに理解力ないんですか?
またイチから、やり直しなんですか?
――――――――――――――――――――――――――――――――
>『私』というのは
>「唯一絶対」の「存在性」である と
――――――――――――――――――――――――――――――――
過去を辿れば辿るほど、山のように出てくると思うが?w
363哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/11(水) 11:30:24
素人くん
なんで笑いが止まらんのか意味不明だが
貼り付けてくれてありがとね^^
ご苦労さん

ホントにオレって、いい事を言ってるよな
我ながらホレボレするわ

>>357
アホによる多数決じゃないぞwww

唯物論の論破など、私一人で十分すぎる

まぁ歴史上で、初めての出来事ではあるわけだがね
364素人 :2007/04/11(水) 11:37:04
>>363
>なんで笑いが止まらんのか意味不明だが

>>338 >私は男であるが、『私』=『男』 ではないぞ?
という一文は、集合・分類・仕分け等々が相似していると受けとめて宜しいのですか?w
365考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:38:26
>>363
そうやって殻に閉じこもってなさいw
366考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:41:16
唯物論を論破?しているとしたら
唯心論は既に論破しているわけで
367素人 :2007/04/11(水) 11:50:51
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/
321 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo New! 2007/03/09(金) 16:38:58
>> 318
うむ  正直言って、意味がわからん
>→つまり、「人体」=「私」という文章になっているというこったwww
そうだよ?  それがどうしたん?

>>137
>「私」についても、なぜ同様に見ることができなのか理解に苦しみますねw
同様じゃないと説明したんだけど?  なんなん?いったい

>>138
>> 物体っていうのは、簡単に言えば、素粒子の配置の「状態」にすぎないんだよな
>ハイ。そうですね。
>そして、『「私」という自覚』もまた、そうした「状態」の一種ではありませんか?
状態を自覚してる『存在』だけど、意味わからんのだろ?
状態や自覚に何よりも先立つ存在が『私』
それが『私』の存在性

昔ずいぶん、わかりやすく説明したよな
いくら説明したって理解できんのだろ?
キミには無理だから、こっちも疲れるから・・・
――――――――――――――――――――――――――――――――
>状態や自覚に何よりも先立つ存在が『私』
>それが『私』の存在性
――――――――――――――――――――――――――――――――
≪「全てに先立つ存在」が『私』≫。 それが、「『私』の存在性」
→≪・・・・・≫が「『私』の存在性」。
→『私』が、「『私』の存在性」。

多義性のピント合わせを相手に要求するなよなw
368考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:54:16
素人もなんでそんなに食らいつくの?
369考える名無しさん:2007/04/11(水) 11:54:54
最高位は唯心論者なのか?
それともただ唯物論を論破したぞと騒いでいる人なの?
370考える名無しさん:2007/04/11(水) 12:00:41
「状態や自覚に何よりも先立つ存在が『私』 それが『私』の存在性 」
って、最高位が言ったの? 本当?

だとしたら、救いようがない、と思いまつ。
371考える名無しさん:2007/04/11(水) 12:04:09
>>369
後者。
372考える名無しさん:2007/04/11(水) 12:16:05
存在するという自覚の前にすでに存在しているって、どうして
わかるかな?
ひょっとして、言葉の論理にとりつかれた人なのかしら?
373考える名無しさん:2007/04/11(水) 12:19:13
『私』がいつから存在しているか、分かっているってことだな。
わおw
374素人 :2007/04/11(水) 12:28:20
>>361>>368
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/507
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1171721039/653
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/530(これは私のレスではないが)
>元々は「存在性」という言葉には他でもない私が私であることの、
>自分が自分として存在することのこの確からしさ
>といったものが込められてたんじゃないかと想像する。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/683-687
375素人 :2007/04/11(水) 12:39:28
>>372
>ひょっとして、言葉の論理にとりつかれた人なのかしら?

とりあえず、
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない88◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/を
1〜1000までお読み下さい。 それなりに楽しめると思いますw

その他過去スレにも、主語述語発言は度々出てまいります。


酔くん見てるかな? 落ちますよ。



   ノシ
376哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/11(水) 13:08:35
>>364
アホか
イコールの使い方の話だバカ

あのねぇ
キミのやってる作業は
私の発言に対する細かい揚げ足取りを狙ったものばっかりでね
私が提起した唯物論に対する問題提起の重要な部分に関しては、何ら反論になっていないんだよ
そんな事してたって、しんどいだけで、唯物論に生きる道はないって事さ
的外れ
キミは、本論で話ができずに、相手の揚げ足を狙う事しかできない小者、ザコだ

真正面から唯物論の正当性を主張してごらん
でなきゃ唯物論に生きる道はないよ?^^

>>365
全然閉じこもってないぞ?
こうやって唯物論を論理的に破壊しちゃってるだろwww

知能の高い人は理解できるんだからね
いずれ「唯物論者です」なんて恥ずかしくて言えない時代が来るでしょう
だから早く理解できた方がいいよ?

>>366
しかしこれがやっかいなんだよな
独我論てヤツは、まだ論破できないんだよ
できるキッカケすらつかめん
377考える名無しさん:2007/04/11(水) 14:15:05
創発的唯物論
精神・心の特質は、脳の物理的な活動だけでは説明できないとする。
精神・心のような高次の創発の産物は、それを創り出した低次のプ
ロセスに影響を及ぼす力がある、とする。

378考える名無しさん:2007/04/11(水) 16:20:34
(公理)【私】=【私】+【非私】
   【私】=【私】+【非私】+【非私】
   【私】=【私】−【非私】
   【私】−【私】=【非私】
   【私】=【私】+【私】−【私】
   【私】=【私】
   【私】+【非私】−【私】=【非私】
   【非私】=【非私】 
   【私】≠【非私】
   【私】≠【私】−【私】 
379素人:2007/04/11(水) 19:55:35
>>376
 >>338の>私は男であるが、『私』=『男』 ではないぞ?
が、イコールで結ぶことの限界・誤解のもとを言っていることはわかります。
あなたのこれまでの言説が、不整合極まりないから指摘したまで。
上の文が相似形ですかと訊いた理由は以下の通り。
上記の文が≪「私は男である」けれども「私=男ではない」≫という意味だと理解した上で、
この≪AはBであるけれどもB=Aではない≫という文章構造が、
≪Bという大きな集合の中の一部がAである≫ことを意味し、
且つ、『私』と『存在性』の関係と相似するものならば、
≪『私』は『存在性』であるけれども『私』=『存在性』ではない≫という形となり、
【『存在性』という大きな集合の中の一部が『私』である】ということになる。
そういう意味で、【相似形ですか?】と尋ねたのだ。
細かな揚げ足?wwww
とんでもない! あなたの見解の根幹にかかわる重大事項ですよw
イコールを使うなということであれば、そう言えばいいだけの話。
もっとも、あなたの過去の発言は、
イコールで結ばれていると見做せるものが沢山あるわけだが・・・ (´ー`)y━~~
380194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/11(水) 20:25:25
最高位は甘ちゃんなんだよ 私の存在性とかもちだして相対化を
はかっているが独我論にもなりきれてない
揚げ足で違う論を持ち出してるだけ
3チャンネル理論の3世界の独立性に甘えてるだけ
永遠にやってろよ最高位よ
381考える名無しさん:2007/04/12(木) 00:48:45
>>376
んなことはない。常識を知れ、非常識をオマエに適用しても
最高位が常識だと言い張るだろうからwだめだろうけどw
ポエムにもなってないよ、その意味不明な宇宙語?
哲学の門すらくぐってないようだな
382哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/12(木) 01:21:23
>>379
>イコールを使うなということであれば、そう言えばいいだけの話。

ぷっ!
違うだろwww
「イコールを使うのは、間違いだ」と言ってるんだよ
そして
そういう普通の人なら、まずしないであろう基礎的な間違いをし
更に指摘されても尚、なかなか気づかないんだから
「バカだ」と言っているわけだよ
そりゃ私の哲学を理解しろという方が無理かも知れないわ

>もっとも、あなたの過去の発言は、
>イコールで結ばれていると見做せるものが沢山あるわけだが・・・ (´ー`)y━~~

本当に理解できてるかどうか診断してあげるから
その「イコールで結ばれていると見做せる」発言を挙げてみてくれるかな?^^

>>380
甘ちゃんてwwww

3チャンネル理論て何?
誰の論?

>>381
ところで、あんた誰?
383考える名無しさん:2007/04/12(木) 03:49:04
最初の気持ち悪ささえ目をつぶってしまえばあとはみな美しい
デカルトも原稿書いてる途中でトイレに行ったけど、きばって
いる最中にはコギト忘れてシーししてたヨ
384考える名無しさん:2007/04/12(木) 11:08:11
傍観者だが…
ここだけに限らないが、子供の口喧嘩みたいなやり取りには、
いい加減もううんざりだ。

ここでの最高位を取り巻くやりとりは、いつになったら終るんだ?
せめてクソだバカだの暴言を省いて、もっとシンプルにしてくれよ。
文章の中に暴言交える事に意味を感じず、その為に何を言わんとしているのか
ぼやけてしまっている様に思うのは私だけか?
恐らく、延々と続くこのくだらないやりとりのお陰で、
もっと深い思考に至ってる人は何も書き込まずに通り過ぎてしまっているだろう。
何を書くのも自由だが、同レベルしか集まらん様な状況にして貰っては困るのだ。
潮時を知ってくれ。
3851/3 素人:2007/04/12(木) 11:48:59
>>382
>>358>>359>>362>>367

理由:
「(人称代名詞としての)私」と「男」においては、
既存の知識として、男が「私」を包含しうる大きな集合であることが自明だから、
=が間違いだとすぐに気付く。
(実は、文脈によっては成立するものでもあるが、今はそれは措く)
しかし、(今ここで言われている)『私』と『存在性』との関係については、
その語義が確定されなければ関係性もまた確定できない。
「――性」という言い方から連想される(既存の知識の援用の)パターンとしては、
「存在性」とは、
『在るということ(→「【在る】という性質・特徴・要素」)』 (・・・>>82
『「在る」ことが可能となる性質、要素』  (・・・>>82
『何ものかを(○○を)「在らしめる」性質、要素』 (・・・>>82
といったものになる。そしてそれは、何か対象一つに限られる狭い集合ではなく、
(何か唯一のものに付属する性質ではなく)、「男」や「人類」「動物」などのように大きな集合となっている。
或いは、「粘性」「習い性」「可能性」「弾力性」etc.etc.の方が例としてはよいか・・。
いずれにせよ、『【複数の】対象が、同様に保持している要素』として大きな集合たりえる。
だから、『私』は『存在性』であると言った場合には、(【『私』の普遍性がはっきりしていない段階では】)、
≪『存在性』を持つものはたくさんあり、その中の幾つか(或いは一つが)『私』である≫
≪『「男」という要素』を持つものはたくさんあり、その中の幾つか(或いは一つが)「私」である≫
という読みが、常識的読みとなる。
そして、上で【『私』の語義或いは普遍性がはっきりしていない段階では】という補足書きをしたが、
『【複数の】対象が、同様に保持している要素』が『私』であるなら、『私』は普遍性(少なくとも複数、いろんなところに見られるもの)となる。
「AはBである」と言った場合に、BによってAの持つ要素の一つが規定されることもあるということだ。
3862a/3 素人:2007/04/12(木) 11:50:45
つまり、『私』と『存在性』と、双方の語義がしっかり定義できないうちは、【イコールで結べる可能性が残っている!】ということだ。
だから、(これまで君の発言を何度も聞いてくるうちに既存の語義を脇へ置く様に心がけるようにしたし)
>>323(及び遥か過去のレス)において、
『私』【という】『存在性』という言い方は間違い 、
『私』【は】『存在性』であるという言い方間違い 、
『私』【の】『存在性』という言い方のみが許されると理解して宜しいですね?
『私』【という】『(実感している)存在そのもの』が持っている性質・要素・特徴が
『存在性』であるということで宜しいですね? とたずねたし、
≪『私』は『存在性』であるが、『私』=『存在性』ではない≫ と
≪私は男であるが、私=男ではない≫ とが相似形ですか? とたずねた。 もっとも、>>323及び
 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/11
 >「私」は「存在」なんですよ
 >「我思う故に我あり」であって「あり」なんです
 >「性質」などと言って、問題をすりかえないで下さい
 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/136
 >「私」は、いかにしても「あり」なんだよな
によれば、
≪『私』は『存在そのもの』≫ であり ≪『私』は『存在性』である≫ という言明は誤りとなるわけだが・・・。
3872b/3 素人:2007/04/12(木) 11:51:48
擦れ違いが延々続く理由の一つとして、『私』というラベルが用いられていることにある。
多義性を含む(指し示される対象に様々な種類がある)語であり、更には、
そこに新たな意味(一般的に知られる意味・用法と違ったものとしての位置付け)が付与されているからだ。
その面で、私は≪a【深淵に残るもの】【懐疑の果ての残滓】或いはb【ここにいる!という実感】≫を
『私』と呼ぶ(ラベルを貼る)ことに疑問を感じざるをえない。
あまりにも、既存の「私」と意味合いが乖離しすぎている。 『 』書きによる区分・強調では不十分に思われてならない。
現に、最初期の周囲の反応は、『私』を[自我][意識][自我意識][個性のある、個人としての存在]などと理解するものであったし、
今でも、新たに会話に加わるものは、そこから入らざるをえない。
なんとなれば、既存の『私』の語義を以ってして文章を読み解くからだ。新規の語義を知らないうちはそれしかないからだ。
3883/3 素人:2007/04/12(木) 11:52:55
参考:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/763
 > >> 761
 > キミは、ホントにくだらない人間だな
 > 私が書いた文章に対して、私が「こういう意味ですよ」と解説すれば
 > そういう意味なんだよ
 > それで意味がわかれば解決するわけ
 > それに対して、「いやいや、こういう意味だ!」
 > なんて言ったって、単なるバカだろ
 > わかりにくけりゃ質問すりゃいいんだよ
 > それだけだバカ
 > 勝手に勝手な解釈をして、勝手に批判してくるな 基地外
 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/845
 >書いたオレが言ってるんだから、違うわけないだろバカ
 >頭おかしいのか?
 >あー面倒くさい

このような暴言は許されない。
他人の哲学的態度や言葉遣いを批判し、「揚げ足取りをするな」と言うならば、
あなた自身が、「言葉」「文章」に対して、もっと慎重であるべきだ。
誤解の元は、あなたの用語の使い方が曖昧だからだ。
或いは多義性のあるものを多義性を付与したまま用い、ある時はこちらの意味で使用、ある時はあちらの意味で使用するからだ。
(参:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/975及び>>157二段目)
なぜそれがわからない。

いみじくも、
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/530や、酔くんが、あなたの言う『私』を何度か解説してくれたように、
そうした【何か】があることに異論のある者はあまり居ないでしょう。
そこを出発点としたあとの論の組み立て方・進め方に不整合が感じられるから、皆、疑義を挟んでいるのです。
参:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/262
389考える名無しさん:2007/04/12(木) 11:57:45
>>384
申し訳ない。
私のスタンスは、(遥か過去スレにも散見されるだろうが直近レスでは)、
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/507
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/683-687
等となる。(全てを的確に提示できては居ないだろうが・・・。)
最高位の言う『私』を出発点とし、その先へ進めたら面白いのではないかと感じたりもする。
【『私』】が解体できるかどうか。さらには、【最高位の言う『私』】が解体できるかどうかを掘り下げるのも面白いだろうと思うのだ。

酔くんと、最後の晩餐の価値についても面白そうだ。
それは、ひいては、知・情・意は【どこに、どのようにして】あるのか?と関連するかもしれない。


また、このスレは、最高位とのやりとりに特化させるものとして建てられた経緯がある。
(今はまだ、最高位の言う『私』が確定されていないので、)お急ぎでしたら別スレを建てることをお勧めします。

それでは納得できないと言うのであれば、立ち去ることも吝かではありませんが・・・。
>>酔くん、どうされますか? ここらでお開きにしましょうか・・?
390素人 :2007/04/12(木) 11:59:56
>>388補足

>>279後段
【『私』が】キーボードを打ち、書き込むのではない。
【日常の私が】キーボードを打ち、書き込むのだ。

(一部改訂)
391素人 :2007/04/12(木) 12:02:12
失礼w
>>388補足

>>267後段
【『私』が】キーボードを打ち、書き込むのではない。
【日常の私が】キーボードを打ち、書き込むのだ。

(一部改訂)
392考える名無しさん:2007/04/12(木) 12:23:42
>>389
ありがとうございます。了解しました。
「最高位とのやりとりに特化させるものとして建てられた」スレであるなら
あなた方が立ち去る必要はありません。
むしろ経緯を知らずに、この場でそれ以外を求めた私が不適合なのですから。
気長に見守る根気強さは持てませんので、これにて失礼しますが、
今後、何か得られるものがある事を願います。
393考える名無しさん:2007/04/12(木) 12:32:20
>>素人
こういったところでは誤字・脱字・矛盾点が
発生するのはいたしかたないものとして
それよりも発言者の真意をくみとろうとすることが重要でしょう。
推敲された論文なり出版物であれば
きみのようなアプローチは意味をもつけど
このような匿名の掲示板で書き込まれたひとつひとつの矛盾を
指摘するのはあまり生産的ではないと思うよ。
394哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/12(木) 13:20:44
>>385
しかしキミはいつもへんてこりんなレポートばかり書いてくるなぁ・・・
しかも長い・・・

こんだけわかりやすく何度も何度も説明してきて、なんで理解できんのだろね
文章というのは数式ではないんだよ
単なる表現の組み合わせなんだから
何を言っているのかを、読み取る能力がないと理解できないんだよ

私の存在性 とかいうのは
私の主な属性のひとつに「存在しているのだ」としか言えない事実がある
という事だよ
これを否定する為には、「存在していないは可能性がある」という事を論理的に説明できなきゃダメだ
でなければ「私の存在性」を否定する事はできないんだよ って事

なんでこんな簡単な事が理解できんのか、サッパリわからん
「私」=「存在性」 ですか? なんてアホなこと言っているようじゃ話にならんよ
395哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/12(木) 13:24:30
>>388
私は暴言は吐いているが、その通りなんだから仕方がない
暴言のせいで長くなっているけどさ

> > 私が書いた文章に対して、私が「こういう意味ですよ」と解説すれば
> > そういう意味なんだよ

これのドコが間違えていると言うのかな?
「こういう意味ですよ」と、わざわざ説明してるのに
「それは違う」なんて言う方が、明らかにおかしいだろ
「こういう意味」なんだから仕方がないだろ

>他人の哲学的態度や言葉遣いを批判し、「揚げ足取りをするな」と言うならば、
>あなた自身が、「言葉」「文章」に対して、もっと慎重であるべきだ。

まだ理解できてないな
私は「揚げ足を取るな」と言ってるんじゃないんだよ
「キミは、本題を外れて揚げ足ばかりを狙っている」と言っているんだよ
要は「キミは、本題が見えていない」って事

あと、キミの主張が全く見えない

心身問題における唯物論の正当性を主張しなきゃイカンのにだな
その本題を外れて、『私とは』という議題にすり替えようとばかりしているわけだ
だから揚げ足取りだけを狙っている と言うんだよ
まぁその線でいくのなら
キミが、『私』は存在しない という証明をしなきゃ意味がないんじゃないの?

議題と、質問の意図をハッキリさせたうえで話をしてもらえんかな
私は唯物論を論破したんだよ
結局キミは、何がしたいの?
キミの主張は何?
396哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/12(木) 13:34:10
まぁ、ダラダラといつまでも続いているのは
キミらが本題を離れて、話をすり替えてばかりいるからだよ(笑

それに私が、親切に付き合ってあげてるだけだwww

唯物論は、すでに死んでいる^^

それをアホな人にも理解できるように、親切に解説してあげてるだけ
それがダラダラと続いているだけだよ〜ん
397考える名無しさん:2007/04/12(木) 15:11:45
さてと
スレの私物化はスレ削除という厳しい手段が待っているのだが。
398考える名無しさん:2007/04/12(木) 16:02:22
「私」でも、我でも、この存在でも、この知的生命体でもいいさ。
そんなもん誰も否定してないと思うぞ。
399考える名無しさん:2007/04/12(木) 16:22:55
「私」って言ってるのは認識を統合する視座でしょ。中心の移動する。
この中心が何か、って言ったら「私」なんだろうなあ。
で、その周辺にはごった混ぜの観念や情念や感覚が取り巻いている。
はなはだ散文的ですいませんけど。
400素人 :2007/04/12(木) 18:06:40
>>393
君に対して粘着してもいいんだがw
とりあえず、あっさり行くために質問する。

A「は」Bである。
A「という」Bである。
A「の」Bである。
A「は」B「を」持つ。(A「には」B「という性質が」ある。)

これら四つが、同じ意味内容の文かどうか、浅学な私に教えてくれ。
もし、差異があるなら、どういう差異なのか教えてくれ。

その差異が、無視しても構わない程度の些細なものであるなら、
もし、これら四つの文が同じ意味内容であるなら、
私が重箱の隅にこだわり続けたバカであっただけだ。言葉の用法は忘れて次へ進もう。
401考える名無しさん:2007/04/12(木) 18:32:15
>>400
じゃあもう一回言うけど
こういったところでは誤字・脱字・矛盾点が
発生するのはいたしかたないものとして
それよりも発言者の真意をくみとろうとすることが重要でしょう。
推敲された論文なり出版物であれば
きみのようなアプローチは意味をもつけど
このような匿名の掲示板で書き込まれたひとつひとつの矛盾を
指摘するのはあまり生産的ではないと思うよ。
402素人:2007/04/12(木) 18:58:49
>>401
答えになってない。
見出された差異が重要なもの・根幹に関わるものであった場合も、
無視しろと言うのか?


喧嘩売ってんのか?ボコボコにしてやんよ

 ∧_∧
 ( ・ω・)=つ≡つ
 (っ ≡つ=つ
 /   ) ババババ
 ( / ̄∪
403考える名無しさん:2007/04/12(木) 19:06:44
「この私」も「この紙コップ」も存在だから、同じ。
誰かが認識しているものだから、否定しようがない。
404考える名無しさん:2007/04/12(木) 19:13:08
>>402
たいした自信だねw
答えになっていないかどうかは
君の理解力に問題があるせいかもしれないよ。
405素人:2007/04/12(木) 21:31:11
>>404
わかりました。
私の理解力に問題があるのですね。
この理解力不足を補うために、もっと言葉(解説)にこだわっていきたいと思います。

関係各位。
もし、私に何か語りかける方がいらっしゃいましたら、
私の拙い理解力を助けると思って、丁寧な補足説明を付加していただけますよう
切に御願い申し上げます。
                                                   敬具
406哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/12(木) 23:19:24
>>397
どうぞwww

>>398
いるよ?
素人くんは、否定しているんじゃないかな
いまだに
「『私』は『私』による錯覚だ」と、わけのわからない事を言い続けているよ(笑

>>400
素人くん
おいおい、相手が違うだろ

>A「は」Bである。          →私は主観性である    →私は存在性
>A「という」Bである。        →私という主観性である  →私という存在性
>A「の」Bである。          →私の主観性である    →私の存在性
>A「は」B「を」持つ。        
>(A「には」B「という性質が」ある。)→私には主観性という性質がある →私には存在性がある

全然オッケーじゃんか

>これら四つが、同じ意味内容の文かどうか、浅学な私に教えてくれ。

「同じ意味」という解釈は、勝手なキミの思い込みであってね
これらの文は、全く矛盾せず、私の性質を語っている
407哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/12(木) 23:20:27
>>402
どないしたん???
素人くんらしくないな

>>403
懐疑論からやり直しましょう

>>405
>私の拙い理解力を助けると思って、丁寧な補足説明を付加していただけますよう
>切に御願い申し上げます。

上記のような丁寧な補足説明で理解できないんだったら、これ以上は無理な相談じゃないかな
408考える名無しさん:2007/04/13(金) 00:43:57
動物愛護法違反で逮捕された奴は、犬や猫は物理現象で説明がつくと
考えているどうしようもない人だったのでしょうか?
409考える名無しさん:2007/04/13(金) 01:31:35
犬や猫に「自我」は無いかも知れませんが、感覚はあります。
痛がっているように見えるだけだと、思ったのでしょうか?
ゲーム脳の持ち主だったのでしょうか?
410考える名無しさん:2007/04/13(金) 02:00:05
うちの飼い犬は、僕が家に居ないときは、知らない人が訪ねてきても吠える
という役目をまったくしません。僕が家に戻るととたんに家の前を通っただ
けの人にも吠えて、いかにも自分は働いていますよ、と訴えているようで滑
稽です。時に、失敗したのを主人に見られてしまったというような表情もし
ますし、餌にケチをつけるような態度も示します。
犬に「自我」がないとしたら、「自我」は、知能に関係するのでしょうか?
知能が関係するとしたら、どこに存在するのでしょうか?
411唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/04/13(金) 02:10:33
最高位さんへ
最高位さんが言われる「私の存在性」が「自我(それに近いもの)」ならば
唯識で言うならばそれは知覚できるもではありません。
よって、例えば学力知力云々はあまり関係ありません
無論知識を養うにこした事はありませんが。
極論、自我なるものには触れる事も、感じることもほとんど不可能な事です。
412哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/13(金) 03:14:36
>>411
>最高位さんが言われる「私の存在性」が「自我(それに近いもの)」ならば
>唯識で言うならばそれは知覚できるもではありません。

これは半分は同意しますが
唯識さんが、どのような根拠でそれを言われているのかが不明です
なぜなのか、その理由を説明してもらえますか?

>よって、例えば学力知力云々はあまり関係ありません
>無論知識を養うにこした事はありませんが。

既存の知識を学習した知識量には、あまり関係がないでしょう
しかし、あらゆる角度から考察し、そしてそれらを論理的につなげたりするような
『知能』が必要ではありましょう
私の言う知能とは、知識量の事ではありませんよ

>極論、自我なるものには触れる事も、感じることもほとんど不可能な事です。

感覚器を通して触れたり、物理的に感じる事はできないでしょうね
そういう唯物的なものではありません
しかし、自覚する事は可能でしょう
ハッキリと本質を自覚できた時に
私は「これが、もしかすると悟りなのかな」と思えるほど衝撃を受けました

いつも不思議なんですが
どうして唯識さんは、唯識というコテを名乗っているのに
いつも正反対の、唯物的観点なんですか?
413考える名無しさん:2007/04/13(金) 03:28:33
>>1
>副題:=【私】は、どこまで肉体に依存するのか?

「私は精神であり肉体であると子供は言う。
我々はなぜ子供のように語ってはいけないのか」(ニーチェ)

「どこまで肉体に依存するのか?」に答えるには、
肉体とは何であり、精神とは何であるかを知っていなければならない。

今日もまた、「肉体」「精神」「自我」などという言葉に振り回されて
迷路に彷徨い込んでいる人々がいる。
414唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/04/13(金) 03:39:13
>>412最高位さんへ
厳しい言い方ですが
それは悟りでもなんでもなく、ただの出発点でしょう。
知覚できない根拠ですが
知覚しようにも、その知覚によって得られるもの自体が
自我によってフィルタリング(別の言い方をすればそういう考え方になるように)されて
予め決められているのですから。
自我によって出された「結果」が果たして「自我そのもの」でしょうか?
PCでキーボードを押せば文字が出ますが
それはプログラマーがそう決めたこと
その文字自体は自我ではありません。思考も同様の結果です。
415考える名無しさん:2007/04/13(金) 03:48:56
>>414
>知覚できない根拠ですが

それは例えば、見ている自分と見られている自分は異なると
実存思想で言われることと同じでしょうが、
その場合には、あなたが考えている「知覚」とは
どういうことなのかが問題ですね。

「知覚」が対象化する認識を指しているのなら
「自我」つまり「見ている自分」は「知覚」されるはずがない。

しかし人間の知は、対象化する知に限られているのだろうか。
限られているとすれば、なぜ、「実存」という知りえないものが
哲学の主題になり得たのだろうか?
416考える名無しさん:2007/04/13(金) 09:35:42
>>409
>犬や猫に「自我」は無いかも知れませんが、感覚はあります。

他人に感覚があるかどうかもわからんのに、なぜ犬や猫にあると言い切れる?
417哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/13(金) 09:52:27
>>414
悟った とか、悟りである となんて言ってませんよ
どうして、あなたがたは、いつもいつも基本的な勘違いばかりやらかすんですか?
「私は「これが、もしかすると悟りなのかな」と思えるほど衝撃を受けました 」
と書いているでしょう
そんな国語力で大丈夫なんですか?
で、それほどの驚くべき発想の転換が『出発点』なんですか???
ではなぜ、あなたがたは私の哲学が理解できないのでしょうかね
なぜ永井均先生が、『ボク』について語る事が哲学者としてのメシのタネになっているのでしょうか??
永井先生の事を、今世紀最高の哲学者であると賛美する人もいるんですよ?
唯識さん
そういう客観的な観点から考えても
あなたが私の言っている事が理解できているとは思えません
あなたは私の基準に到達しているとは言えないのですよ

>知覚しようにも、その知覚によって得られるもの自体が
>自我によってフィルタリング(別の言い方をすればそういう考え方になるように)されて
>予め決められているのですから。

話のすり替えというか、ごまかし といいますかね
どんなに間違えた情報を与えられていたとしても
そのように考えるようにプログラミングされていようとも
その情報を得ている またはそう考えている存在は
『他人』ではなく『私』である という事です
こういうアホみたいな基礎的な事が、いまだに理解できていないんですからね・・・

しかし、いつもいつも PCがどうのこうのとか
そういう客観的な例ばかり挙げて、的外れな発言ばかりを繰り返しておられますが
仏教者を名乗りながら、あなたは観念論哲学というものを、丸っきり理解できていませんよ
あと、もっと普通に国語力をつけて下さい
でなければ、今の読解力では、たとえいくら本を読んでも曲解を生むだけでしょう
418考える名無しさん:2007/04/13(金) 10:48:48
>>416
他人に感覚があるかどうかもわからんのに

「僕は」、言い切る、ということです。
何故言い切るのかというと、自分と同型であると認識するからです。
他者は、見かけの姿から反応から非常に自分に似ており、自分に感覚があ
るのなら、他者もあるという直観が働きます。何故このような直観が働く
のかは分かりませんが、他者には感覚がないとすると自分だけ「特種」と
いうことになるでしょう。自分だけこの世界の「特種」であるはずがない、
ということです。「僕が」、それを拒否している、ということです。
犬や猫にも、感覚があると「僕が」言い切るのは、やはりそこに同型を
見るからです。自分の悲鳴と犬猫の悲鳴に同型を直観するということです。
同型であることを疑うと、ヒトも、動物も語れなくなると思います。
419考える名無しさん:2007/04/13(金) 10:54:37
>>418
では、外から区別できなくなれば、アンドロイドにも感覚があると認めるわけですね。
420哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/13(金) 11:02:22
>>419
横レスですが

アンドロイドは普通、人間とは中身の構造が違いますよね

また、最低限
生まれてくる過程 というか
生産過程が異なるのではありませんか?
421考える名無しさん:2007/04/13(金) 11:12:26
>>420
いや、お前に聞いてないし。
脱がしたり、解剖したら、もし人間だったら人権問題になって大変だからNG
422哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/13(金) 11:16:47
>>421
てか、アンドロイドである という話じゃなかったの??www

アンドロイドなのかどうかすら、わからんのだったら
そりゃぁ、判断のしようもないだろwww
423考える名無しさん:2007/04/13(金) 11:26:13
>>422
だからお前に言っても、聞いてもいない。ウザイよ。
>>418に聞いているだけ。
424考える名無しさん:2007/04/13(金) 11:54:31
>>419
アンドロイドであることを知らされていなければ、「僕は」、その存在
に感覚があるということを疑いません。つまり「僕は」、その時点でそ
の存在が自分と同じなのだと認識するでしょう。「僕に」、懐疑の余地
はない、ということです。
425考える名無しさん:2007/04/13(金) 12:10:14
>>424
あとで、アンドロイドとわかった場合、そこに感覚はなかったとするのでしょうか。
感覚のあるかないかを、肉体の構成に求めるなら、それは唯物論です。
個人でもある程度の肉体の違いがあるのに、アンドロイドだと感覚がないとするのならば、
それは一体どういう根拠に基づくものでしょうか。
426考える名無しさん:2007/04/13(金) 12:18:31
>>425
たぶん「僕は」、アンドロイドだと知らされても、見分けが付かなかったら
感覚を認めることでしょう。
「僕には」、感覚がある無しを判定はできませんが、感覚を認識してしまう
ということです。
427考える名無しさん:2007/04/13(金) 12:30:17
>>420
横レスですが、最高位氏、あなたがそんなことを言ってはまずいですぞ。
「中身の構造」とか「生産過程」というのは物質的な違いに過ぎません。
物理状態の違いによって主観的感覚のあるなしが左右されるのでは、あなたの
持論と矛盾してしまうでしょうにw
428哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/13(金) 13:44:05
また変なのが沸いてきたな
話の流れというものを考えてからしゃべれよ

>>418の人は
同じ『人間』だから
自分は、そう判断している という話しをしてるんじゃないの?

それに対して、アンドロイドは? なんていう質問をしているから
「アンドロイドは『人間』じゃないでしょ」という実に簡単な事を言っただけだよw

何を勘違いしてんの?w
429考える名無しさん:2007/04/13(金) 13:57:21
>>428
人間とそうでないものの違いは何?
430考える名無しさん:2007/04/13(金) 13:58:24
心臓が機械だったら人間ではない?
脳が機械だったら人間ではない?
431哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/13(金) 14:15:42
>>429
さぁね
何なんだろね
何だと思う?

まぁ>>418の人は
ホモサピエンスを人間として認識しているんじゃないのかな

>>430
さぁね
脳には関係がありそうだよね
でも脳が機械なんだったら、脳死状態みたいなもんなんじゃないの?
『私の自我』は作成できない という事から考えると
もしそれで生活してるんだったら
それは哲学的ゾンビである と言えるだろうね
432考える名無しさん:2007/04/13(金) 14:21:03
>>431
>脳には関係がありそうだよね

別に関係ないと思う。
アンドロイドだろうと、人間のように考えて行動ができるなら、それは人間だと思うね。
人間のサイボーグ化の度合いに悩む必要も無い。
433哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/13(金) 14:34:10
>>432
『自我』である『私』は作成が不可能ですから
論理的にはおかしい事になりますが

まぁ、そう思ってSFの世界に浸るのも、趣があるかもですね^^
434考える名無しさん:2007/04/13(金) 14:57:32
>>428
最高位氏、ご心配はいりません。あなたと議論すると迷惑に感じる方がいる
ようなので、長くやるつもりはありませんからw
それにしても、そもそも「犬や猫に感覚はあるか」という話が始まりなのですぞ。
>>418に、ちゃんと
>犬や猫にも、感覚があると「僕が」言い切るのは、やはりそこに同型を
>見るからです。自分の悲鳴と犬猫の悲鳴に同型を直観するということです。
と、書いてあるではありませんか。それについて「ではアンドロイドでも
同じだね?」という質問があって、「同じです」という返答があるわけです。
>>426
つまり、>>418氏は、自分と同型の「痛そうな振舞い」がそこにあるなら、
その物質的な内部構造や生産過程とは無関係に、人間でも犬猫でもアンドロイドでも
「自分はそこに感覚を認識する」と述べているわけです。

どうして
>同じ『人間』だから自分は、そう判断している という話しをしてるんじゃないの?
ということになるのですかw?
話の流れというものを考えてからしゃべった方が、よろしいですぞw
435考える名無しさん:2007/04/13(金) 14:57:56
>>433
私は>>432では無いんだけど、
自我である私は機械でも作成可能だと思うけどね。
何で脳が機械だと自我が作成不可能なの?
436考える名無しさん:2007/04/13(金) 15:03:26
>>433
>『自我』である『私』は作成が不可能ですから

そうとは限らないでしょう。
437哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/13(金) 15:41:52
>>435
>「僕には」、感覚がある無しを判定はできませんが、感覚を認識してしまう
>ということです。

と書いてありますね
判定はできないんですよね
単に、直感ではそう思ってしまう というだけの話なのではありませんか?

私の場合は、お人形さんでも同情しちゃいますよ?w

>>418には、こう書いてありますね
>何故言い切るのかというと、自分と同型であると認識するからです。

同型だからだと
だから私は、アンドロイドは
直感的にはそう思うだろうが、厳密に頭の中で考えれば、同型ではないだろ
といったんですよ

私から言わせれば
要は、直感と実際とでは、違う という話ですよ

あの人も
「判定はできないが、直感では単にそう思ってしまう」 と言ってるんだから
そういうことなんではないの???
438哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/13(金) 15:46:43
>>435
>>436
では、どうやったら作れると思いますか?

何をどうやったって作れないんですよ

私はココにいるんですから^^



今日はこれにて離席しますね
439考える名無しさん:2007/04/13(金) 16:14:29
以前に指し示した事物を再び指し示して、
その指し示した事物と以前に指し示した事物とが同一であると観念しなければ、
すなわち、「指し示し」を反復しなければ、
その事物が「存在する」とは言い得ないだろう。

たとえば、想像中の事物であっても、
その事物を想像の中で指し示し、かつ、その「指し示し」を反復しなければ、
その事物について述べることができず、
述べることができなければ、
「存在する」とも言い得ないだろう。

ここで、指し示される事物には、「私についての記憶」も含まれる。
「私についての記憶」の「指し示し」を反復することで、
確かに「私についての記憶」が存在するとは言える。

しかし、指し示すこの『私』を指し示すことはできるだろうか?
ましてや、「指し示し」を反復することはできるだろうか?

指し示すことができないのであれば、
『私』は事物のように「存在する」とは言い得ないだろう。
440考える名無しさん:2007/04/13(金) 16:30:54
>>438
ここで言っているのは、最高位の『私』ではなく、その体の『自我』だろ。
赤ん坊が生まれたときに『自我』ないの?あるだろ。
それと同じで、機械にも『自我』が生じるだろって事。
441考える名無しさん:2007/04/13(金) 17:44:46
犬猫、アンドロイドって、人間から見た場合の認識だったら、
「生命とはなんぞや」っていう問題になるんじゃないの?
442Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/04/13(金) 19:00:22
内向性=主体性
外向性=自主性
443素人:2007/04/13(金) 19:19:56
>>441
「最高位の言う『私』」を基点にして、そういう話は面白いと思うんだけど、
彼はそれを許さないんだよなぁ・・・w
SFとして一笑に付すだけで・・・・。
444考える名無しさん:2007/04/13(金) 22:28:26
>>438
私も>>438と同じで、最高位の「私」では無く、
それぞれの構成要素から生じる「私」ついて書いたつもり。

この私が感じている「私」は、「私」を構成する内的・外的要素により
複合的意識として生じていると思います。
その意味で、犬猫であれ、アンドロイドであれ、
犬猫なり、アンドロイドなりの自我があって当然だと思うし、
もし、私の脳の代わりに機械が私の脳の役目を果たすなら、
機械の脳を持った新たな「私」としての自我が生じるだろう。

また>>426にもありますが
「感覚がある無しを判定はできませんが、感覚を認識してしまう 」のは
自分以外だけで無く、この「私」に対しても同様で、
私が「私」を感じるのとて感覚による認識しか出来ておらず、
ただそう感じるだけなのだから、この「私」とする自我を特別視する事は難しい。
445考える名無しさん:2007/04/13(金) 22:30:26
失礼「私も>>440と同じで…」でした。
446唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/04/14(土) 02:15:53
>>417
唯識の立場で言わせていただいております。
話のすり替えはしておりません。
自我とは知覚することはほぼ不可能な事
それに否応無しに振り回される事、ということです。
>それほどの驚くべき発想の転換が『出発点』なんですか???
はい。単なる出発点です。
これを結論と締めくくれば自我の探求(自分とは何か)はそこでおしまいです。
永井氏は存じ上げませんが、その私と言われるものは
ある通過点の一部を強調されているだけではないかと思われます
>どんなに間違えた情報を与えられていたとしても
>そのように考えるようにプログラミングされていようとも
>『他人』ではなく『私』である という事です
これでは同じ私に固執し進展も、そして「他」と「自分」の「関わり」を
限りなく無視するようになってしまいます。
厳しく言わせていただくならば「逃げの自我」です。
そのような私は確かに自我ではるけれでども
何度も言いますが通過点の一部です。
447哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/14(土) 05:26:59
>>446
>自我とは知覚することはほぼ不可能な事
>それに否応無しに振り回される事、ということです

誰が振り回されるんですか?w

それに、知覚できないのであるならば
いったい何を『自我』と呼んでいるのですか?

>>『他人』ではなく『私』である という事です
>これでは同じ私に固執し進展も、そして「他」と「自分」の「関わり」を
>限りなく無視するようになってしまいます。

いいえ?
ぜんぜん無視なんてしていませんよ?
『私』は『他人』とは別人である という当たり前の分析をしているだけであって
なぜ、無視している という発想になるのか理解に苦しみます
しかも、限りなくって(笑

まぁ『私』の『存在性』は、出発点ではありましょうけれども
あなたの言動を分析すると、その出発点に立てているとも思えません
出発点だと言いながら、それを前提にせず
逆に否定するような、矛盾した発言が主立っていますしね
448考える名無しさん:2007/04/14(土) 05:38:50
「私」と「非私」、「内」と「外」を隔てている「膜」が(どこに)あるか?
そしてそれをいかなる方法で「知る」か?
「私」がトンネルの外に出ることなく内に居ることを予感させるものは何か?
cogitoが明晰判明な事実であるのは今、この瞬間だけなのであって、志向
を開始したとたんに生じる対象との距離が恣意性的なものである以上、生き
た(ありのままの)世界を客観的に記述する確たる基礎にはなり得ない。
そもそもそうした知の在り方自体が矛盾であって、各々がバラバラのイミ
テーションを表象するだけしかない。そうなると「知」はどこを目指している
のかすら怪しい。
はたして真理は一つであるなどという幻想に振り回されていただけなのか?

cogitoに執着しては心身問題や他我認識の新たな地平は拓けない。
「でも結局認識の主体は『私』だろ」とか言っても始まらんのですよ
延長とは異なる原理の存在を主張したところで唯物論を論破したこと
にはならないし、いい加減聞き飽きてるわけですね。なぜなら唯物論は
あくまで試論であって、論破するには思惟が延長に還元できないことを
証明する必要があるから。「考えるから存在する」では証明になってない!!
人間には体や心が在るなどという常識を捨てて、そもそも人間などという
動物がいることすら疑うがよいw
そうすれば生きている喜びをひしひしと実感できるはずw
449哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/14(土) 07:48:56
>>448
>「私」と「非私」、「内」と「外」を隔てている「膜」が(どこに)あるか?
>そしてそれをいかなる方法で「知る」か?
>「私」がトンネルの外に出ることなく内に居ることを予感させるものは何か?

そういう物理的な観点でしか発想が浮かばないんでしょうね

>cogitoが明晰判明な事実であるのは今、この瞬間だけなのであって、志向
>を開始したとたんに生じる対象との距離が恣意性的なものである以上、生き
>た(ありのままの)世界を客観的に記述する確たる基礎にはなり得ない。

一番大切な事を忘れていますね
たとえこの瞬間だけであったとしても、『この私』が存在している事を否定する事は不可能である
という事なんですよ
観点がズレています

>論破するには思惟が延長に還元できないことを証明する必要があるから。

還元できませんよ?
証明したじゃないですか
まだ理解できないんですか???

>人間には体や心が在るなどという常識を捨てて、そもそも人間などという
>動物がいることすら疑うがよいw
>そうすれば生きている喜びをひしひしと実感できるはずw

で、結局最後は
人生観や価値論などの
『観念的な話』でしめくくりですかwww

唯物論者としては、全く矛盾してますよw
450考える名無しさん:2007/04/14(土) 11:00:08
物理的な観点での発想としか伝わらなかったですか?
たぶん僕の身体的限界と表現力の拙さゆえですね。残念。

僕以外の思考の存在を否定するつもりはないよ。ただ、
それが「この私」であるという根拠をコギトから引き出すこと
はできないし、コギトによる記述の意義を問うのが主旨。
それともコギトは新たな詩的言語にでもなったんですか?

過去ログ読めないから簡単に説明してくれると助かる。
「考えるから在る」の命題を提示しても反論にはならない
ですよ、くれぐれも。

最後のしめくくりは、エポケーの促しと方法的懐疑を皮肉
ってみたつもり...まさか唯物論者と断定されるとは...予想外だ...
451考える名無しさん:2007/04/14(土) 11:19:34
>>450
その手の突っ込みも何度もされていますが、最高位は聞く耳を持ったことありません。
最高位は唯物論者と戯れるのが何より好きなのです。
放っておかれるのがよろしいかと。
452考える名無しさん:2007/04/14(土) 11:22:26
453考える名無しさん:2007/04/14(土) 12:12:24
>>447
仏教って元来すべてを否定することからはじまるでしょ
そういうことから考えると否定した上でなにかを言ってるんじゃないのかな
454哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/14(土) 12:15:52
>>450
>僕以外の思考の存在を否定するつもりはないよ。ただ、
>それが「この私」であるという根拠をコギトから引き出すこと
>はできないし、コギトによる記述の意義を問うのが主旨。
>それともコギトは新たな詩的言語にでもなったんですか?

「この私」である根拠がないとおっしゃいますね
あなたのおっしゃっている意味がよくわからないのですが
「この私」は「この私」であって、他者の話ではありませんよ

>「考えるから在る」の命題を提示しても反論にはならない
>ですよ、くれぐれも。

何の話なのかよくわかりませんが、なぜですか?

最後についてですが
あなたは、こう言っていますね

>そもそも人間などという 動物がいることすら疑うがよいw
>そうすれば生きている喜びをひしひしと実感できるはずw

それを誰に推奨しているのですか?
そして、疑うのは誰ですか?
実感できるはず なのは誰の事ですか?

あなたはコギトからくる「我」の存在を疑えと言いながら
常に「我」の存在を、前提にして話しておられますが、どういう事ですか?
455考える名無しさん:2007/04/14(土) 12:22:10
>>454
ほらねw
456哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/14(土) 12:23:41
>>453
哲学的には、それは懐疑論 という事でしょう
しかし
「我思う故に我あり」
全てを疑う事は可能だが
それを疑っている私が存在している事は
疑っても疑っても、疑っても痛がっても
疑えば疑えば、疑うほどに
それは疑うことが不可能である という結論以外にはないであろう
という事なんですよね

その哲学的な理屈の限界を、仏教によって越える事ができるのであれば
是非それを論理的に説明していただきたいですね


まぁそれは、絶対に不可能だと思いますよ(笑
457哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/14(土) 12:26:29
あれ???
なぜか一ヶ所だけ「痛がっても」 になってるwww

すいません
疑ってもの間違いです
458考える名無しさん:2007/04/14(土) 12:28:45
>>457

>>438
ここで言っているのは、最高位の『私』ではなく、その体の『自我』だろ。
赤ん坊が生まれたときに『自我』ないの?あるだろ。
それと同じで、機械にも『自我』が生じるだろって事。
459考える名無しさん:2007/04/14(土) 12:33:55
疑っているときに存在しているのは「疑い」であって、
「私」ではあるまい。
疑うのをやめて苦しんでいるときに存在しているのは「苦しみ」であって、
「私」ではあるまい。
疑うのも苦しむのもやめて、疑いと苦しみを思い出しているときに
存在しているのは「想起」であって、「私」ではあるまい。
「疑っている」「苦しんでいる」「思い出している」主体は何か、
といえば、そんなものを想定する必要はあるまい。
460考える名無しさん:2007/04/14(土) 12:37:00
>>459
龍樹ですか?w
461哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/14(土) 12:40:32
>>458
もう少し深く考えてくれないかな
短絡的にこじつけようとしないでさ

キミの言う 「最高位の『私』」 は、物質に規定されていないんだよ
物質をいかにこねくりかえしても、何をどうやったって作れないんだよ

そして、もし「おのおのの自我」が、「最高位の『私』」と同質のものであるのならば
意図的に物体から発生させる事ができる技術
または、その論理じたいを、人類が解明できる根拠がありえない
という事なんだよ



今日はこれにて離席します
462考える名無しさん:2007/04/14(土) 12:54:02
>>461
>キミの言う 「最高位の『私』」 は、物質に規定されていないんだよ

規定されようがされまいが、「最高位の『私』」なんて劣悪なもの誰も作りたくないよ。

論点は、その物質や肉体それぞれに自我があるだろってこと。
アンドロイドにはアンドロイドの、他人には他人の自我があっておかしくないだろってことだ。
463考える名無しさん:2007/04/14(土) 12:54:51
>>459に同意。 事実やってる事はそうでしか無い。
464花魁:2007/04/14(土) 17:45:51
このスレで論議の対象になっている「私の存在性」の「私」とは、
永井均氏が『子どものための哲学』で<私>と呼んだものと
同じと考えてよいのかしらん?
そんでもって、最高位氏を含めた全員の共通認識ってことでよいのでつか?
465考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:34:06
永井均氏の<私>って、おいらは知らない。読んだことない。
466哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/14(土) 22:35:58
>>459
>疑っているときに存在しているのは「疑い」であって、「私」ではあるまい。

主語のない「疑い」など、存在しません
「私」が疑っているのであり
そこに、私が存在している事を疑う余地はありません

>「疑っている」「苦しんでいる」「思い出している」主体は何か、
>といえば、そんなものを想定する必要はあるまい。

なぜですか?
私は存在するのか と疑っているのは主体である私です
そして、それは重要な事です

>>462
>規定されようがされまいが、「最高位の『私』」なんて劣悪なもの誰も作りたくないよ。

キミ達は、いつもそういう感情論が先走っているようだね
もっと論理性を優先しなさいよ

>論点は、その物質や肉体それぞれに自我があるだろってこと。
>アンドロイドにはアンドロイドの、他人には他人の自我があっておかしくないだろってことだ。

『自我』とは何なのか という事を物理的要素に特定できないのに
アンドロイドに付与できる と考えている時点で、論理的に飛躍しているんだよ
何の根拠もない ただの空想に過ぎないという事です

>>463
やってる事って、誰がやってる事?

>>464
その本を読んだ事がありませんからハッキリとした事は答えられませんが、断片的な情報を元に感じた印象としては、おそらく基礎になっている観点は同じだと思います
467考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:42:35
>>466
>『自我』とは何なのか という事を物理的要素に特定できないのに
>アンドロイドに付与できる と考えている時点で、論理的に飛躍しているんだよ
>何の根拠もない ただの空想に過ぎないという事です

じゃあ、キミの論だと、他人に『自我』があるというのも
何の根拠もない ただの空想に過ぎないという事ですな。

唯物論で無いなら、
アンドロイドが外面から人間と区別できないほどの行動を取った時点で
他人と同レベルの『自我』があると認めるべきだし、
アンドロイドに認められないなら、他人にも認めるべきではない。
468考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:48:26
問題は、なんで、「私」が「私」を認識できるのか?
ということなのだと「僕は」思います。
「私」に「私」を認識できる仕組みがあるのだ、ということなのか。
仕組みがなくても、認識できる、ということなのか。
「僕には」それがわかりません。
「僕は」、何故か認識しているとしか言えません。
469考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:52:47
>>467
最後三行は唯物論でも同様でしょ?
いや寧ろ、唯物論なればこそ、アンドロイドの自我を認めるべきかもしれない。
470哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/14(土) 23:15:01
>>467
>じゃあ、キミの論だと、他人に『自我』があるというのも
>何の根拠もない ただの空想に過ぎないという事ですな。

いやいや
これはべつに否定する根拠も薄いだろうね
ホモサピエンスとして、同じような過程を経て存在しているからね
自我のシステムは解明されないが、それは生命の神秘として、保留すべき課題である となる
しかしアンドロイドに自我を付与するためには
自我のシステムというものがわかっていなければ無理

>アンドロイドが外面から人間と区別できないほどの行動を取った時点で
>他人と同レベルの『自我』があると認めるべきだし、

では工作機械には「工作するんだ!」という意思があり、自我によって動いている とでも言うのかね?

機械というのは、そのように動くように人間が作っただけであって
どんなに意思があるかのように錯覚するほどの動きをしたところで
それは、あらかじめ、そういう風に動くように作られているのであって
自分の意思によって動いているのではないんだよ
もし意思があるように錯覚するほどの機械があったとしたら
それは機械に意思があるのではなく、作者がウマク作った というだけの事です

>>468
そうですね
しかし、このスレにいる多くの人が陥っているミスは
まず『僕』がいる という事を抜きにして
頑なに「認識している」という動詞から出発しようとするところです

このスレの多くの人は、ものごとを考察する際の、基本すらできていないのが事実です
471考える名無しさん:2007/04/14(土) 23:22:51
他者にも感覚や感情、思いがあるとしないと、映画や音楽、味覚商品などが
この世界で成立する道理がないと、「僕は」、単純に考えてしまいます。
472考える名無しさん:2007/04/14(土) 23:28:04
>>470
>これはべつに否定する根拠も薄いだろうね

でも肯定する根拠も薄い。
離人とか精神分裂とかいろいろあるわけだし、他人と自分で脳の構造が違う以上、
同じと考える方がどうかしている。

>では工作機械には「工作するんだ!」という意思があり、自我によって動いている とでも言うのかね?

「アンドロイドが外面から人間と区別できないほどの行動を取った時点で」
ってのが読めないのかよ馬鹿。

>自分の意思によって動いているのではないんだよ

自分の意志だって錯覚かもしれん。
473考える名無しさん:2007/04/14(土) 23:37:05
>>472
サルトル的な私はおよびでないんだろうと自覚しつつレス。
自我がある≠自我が確認できる
ということかな?

例えば、「あの人は怒っている」は「あの人は怒っているように見える」と言うように、
「機械は自我がない」は「機械は自我がないように見える」という事が言えるのかどうか……。
474考える名無しさん:2007/04/14(土) 23:57:19
>>466

>>463 やってる事って、誰がやってる事?

万物
475どどど素人:2007/04/15(日) 00:02:30
>これはべつに否定する根拠も薄いだろうね
>ホモサピエンスとして、同じような過程を経て存在しているからね
>自我のシステムは解明されないが、それは生命の神秘として、保留すべき課題である となる
>しかしアンドロイドに自我を付与するためには
>自我のシステムというものがわかっていなければ無理

こんどは科学か。w
476考える名無しさん:2007/04/15(日) 00:54:53
>454
コギトから引き出すことはできないと言っているんだよ。
「この私」の自己同一性はあなたの身体と記憶に由来する
のであって懐疑からではない、ということ。つまり、
思惟する我と存在する我が同一の我として現出するのは
あなたの身体において他ならないのです。それゆえ思惟
する我が延長とは異なる原理に依っているとは断言でき
ないはず。「考えている。だから存在する」には飛躍がある
ことに気付かないのですか?「痛い、だから存在する」、
「空腹だ。ゆえに私は在る」と言うのと変わらないんですよ。
ある命題とは異なる命題を提示するだけでは反論になりま
せんよね?「このスレには基地外しかいない」と言う人に、
「俺がいる」とわめいても説得力がないでしょう。まず「俺」
が「基地外」でないことを証明しないとならないように、
延長とは無関係な「この私」の潔白を示さないと。

まぁそれが無理だから新しい名前を探すのだけど
どういう言い回しがよいか...
イマイチだけど....
とりあえずcogitatioからDaseinへかな?
477哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 00:56:04
>>472
>でも肯定する根拠も薄い。
>離人とか精神分裂とかいろいろあるわけだし、他人と自分で脳の構造が違う以上、
>同じと考える方がどうかしている。

まぁいずれにせよ他人の事はわからんのだから
キミがそう考える事に反対はせんよ
基地外じみてはいるけどね

>「アンドロイドが外面から人間と区別できないほどの行動を取った時点で」
>ってのが読めないのかよ馬鹿。

人間が作った機械であるならば、基本原理は同じだからね
いかにそう見えるように作ったからといって
それはどこまでいっても「そう見えるように作った機械」なのであって
自我のシステムは解明できない以上、付与する事は不可能

>自分の意志だって錯覚かもしれん。

誰の錯覚なん?

>>474
その根拠は?
自分以外の精神活動を、主観的に直接に確認する事など、できるはずもないが?
それは、あくまでも自分の希望に対して、そう信仰しているにすぎない
478哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 01:13:40
>>476
なんか大きな勘違いをされているようですが
自己同一性なんて関係ありませんよ
我が存在するのかどうかですよ
自己同一性というのは、同一であるかどうか が争点なのであって
すでに、我の存在が前提となっている場合にしか起きない問題提起なんですよ?

>思惟する我と存在する我が同一の我として現出するのは

意味がわかりません
思惟する我は存在しているのか という問題ですが?

あなたの場合
思惟する我が存在し、存在する私が別に存在し というわけのわからないものですが
その二つの我が、同一であるのかどうか という全く関係のない話にすり代わっちゃってるんですね

>「考えている。だから存在する」には飛躍があることに気付かないのですか?

「考えている私は、はたして存在しているのか?」ですよ
勝手に問題を勘違いしないで下さい
考えても考えても、考えている私を、その考えの中で、どうやったって否定する事はできない
という理屈ですけど?

哲学の基礎ぐらい押さえてしゃべって下さいよ
479考える名無しさん:2007/04/15(日) 01:21:26
>>477
と同時に自分もわからんわけです。
主体を客体化することで自我を獲得しているわけですね。

私はあらゆるものを否定していく←主体
私は考えている←まだ主体
ちょっとまてよ……
考えている私はいるじゃん←客体


つまり主体がどっかいっちゃっている(自我が離れている)状態で「私はいるじゃん」ということになる。
さて、それじゃ「私はいるじゃん」は誰が言っているんでしょうか?
480考える名無しさん:2007/04/15(日) 01:29:55
>>477
>自我のシステムは解明できない以上、付与する事は不可能

付与することが不可能ではなく、除去することが不可能なのかもしれん。
481哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 01:32:35
>>479
>主体を客体化することで自我を獲得しているわけですね。

それは「自我意識」の作業の事ですね
存在性というのは、もっと本質的な話です
主体を客体化したりしているのは『私』なのであり
『私』の存在は、どうやったって否定できない という事です
ようするに『ある』としか結論できないわけです

>私はあらゆるものを否定していく←主体
>私は考えている←まだ主体
>ちょっとまてよ……
>考えている私はいるじゃん←客体

そもそも、この単純な考え方
根本的におかしいですからwwww
なんでそんな風に考えるのか意味不明です

>さて、それじゃ「私はいるじゃん」は誰が言っているんでしょうか?

私じゃないの???
482哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 01:34:43
>>480
人に話すのなら、考えをまとめてからにしろよ
483考える名無しさん:2007/04/15(日) 01:40:35
>>481
主体だけでは「考える私」というものを捕らえることができないから。
主体が主体を対象とするには客体化させて改めて「考える私」を捕らえている。
だから、「考える私は存在する」というのは客体が支持している。

というかそう考えないと主客関係が生まれてこない。
別にデカルトは主体だけで語ろうとしたわけじゃないことを確認してほしい。
484哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 01:44:09
>>483
客体化する作業を行っているのも、主体である我ですが?
485考える名無しさん:2007/04/15(日) 01:48:35
>>484
そうそう、その通り。
つまり客体を作りだしておかないと「考える私」が記述されえない。
何故「我思う故に我あり」から主客関係がでてきたかがわかると思う。
486哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 01:50:31
>>485
ん???

で?

結局、何?
487考える名無しさん:2007/04/15(日) 01:56:21
>>486
さぁ、適度に混乱してきた所で落ちようかw


まとめると、「我思う故に我あり」は主客があるからこそ成り立つんだよね。
主客なんて当たり前というのであればそれで問題ないわけ(普通そう考えるよね。「客観的に見て〜」とか)。
でもそれじゃあらゆるものが一致してこないので(いわゆる主客問題)なんとかしよう、となって初めてこれが崩れるわけ(それが正しいかどうかは別にして)。


要するに主客関係の内で理解せよ、というわけです。


そいじゃノシ
488唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/04/15(日) 02:21:41
常に私を意識することなどおよそ人では出来ませんよね。
>>447最高位さん
>それに、知覚できないのであるならば
>いったい何を『自我』と呼んでいるのですか?
キーボードを押して現れた文字を
「これが自我だ」と言われているようなものです。
最高位さんは合わせ鏡から出られないような状態ではないかと。
以前はもっと単純素直でしかも分かりやすかったと思います。
489哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 02:57:06
>>487
ぜんぜん混乱してませんよ?

主客というのは視点の違いであってね
その視点は『私』の視点であってね
『私』が主体である事に変わりないわけですよ

主客問題なんていうのは
『私』という現代哲学の最先端を用いれば簡単に解けてしまいます

主観的視点も客観的視点も、『私』という『存在性』の『主観性』の中での話です

客観的に見ているからといって、別の存在などではないわけです

>>488
>>それに、知覚できないのであるならば
>>いったい何を『自我』と呼んでいるのですか?
>キーボードを押して現れた文字を
>「これが自我だ」と言われているようなものです。

違いますよ
唯識さんは、自我を何だと認識されているのですか?という質問です

いつもながら、あなたは会話の成り立たない人ですね


ちなみに
私は、キーボードを押して現れた文字ではなく
キーボードを押している私自身の存在性を指しています
490考える名無しさん:2007/04/15(日) 03:35:34
通常、自我といえば、フロイト的な「自分自身に関する主体としての意識の
総体。自我意識。イド・超自我とともに人格を構成する心的領域」というこ
とになろうか。
これに対して、「意識は固有不変の統合された何かではなく、時と場所によ
って変わるものであり、もし自分で自律的、統合的な「自我」というものを
感じているのだとしても、それは妄想である。想像でつくりあげた、自己を
理想化する、主体の自己疎外の鏡像的構造である。」というのが、フロイト
の弟子ラカンの解釈。

おらっちは、ラカンのような見解をもっているがな。
491考える名無しさん:2007/04/15(日) 03:40:26
>>489
>キーボードを押している私自身の存在性を指しています

押しているのは指だろ。
馬鹿じぇねーの?指にお前がいるのか?指切り落としたら、お前も落ちるの?w
492考える名無しさん:2007/04/15(日) 03:43:47
『自我』とはソフトウェアのこと。
アンドロイドでも、人間でも、肉体そのものは『自我』ではないが、
それを動かしているソフトウェアは『自我』になる。
だから、機械でも『自我』は発生する。
493唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/04/15(日) 04:05:17
>>489最高位さん
唯識でいう自我はすべての事象を
「私」と対比、差別化させるこころの働きです。
させる、或いはそうさせられてしまう、ということです。
以前も書きましたが。
そしてそれに対しては素晴らしいご返事をいただきました。
PCの喩えは悪いでしょうか?
思考のプロセス自体が自我によるものですから
現れた結果は自我ではない、という意味です。
494考える名無しさん:2007/04/15(日) 06:22:34
>>489
>主客というのは視点の違いであってね
>その視点は『私』の視点であってね
>『私』が主体である事に変わりないわけですよ
微妙に混乱してる。
主客=主体と客体=主観と客観
ね。
私=主体=主観
であって、
私=客体=客観
ではない。
客体の中での私=客体化した私
ならなんとかOK。
495考える名無しさん:2007/04/15(日) 07:58:23
「考えている私は、はたして存在しているか?」
「リンゴは、はたして存在しているか?」
「リンゴ」や「考えている私」を客体として捉える「主体の私」
主客のパースペクティブが解消できるなら、「リンゴは私だ」になります。
最高位さんがこれを認めるならある意味現代哲学的だといえますね。

>考えても考えても、考えている私を、その考えの中で、どうやったって
 否定する事はできない
「その考えの中で」なんて誤解してるゆえなせる表現w
考えをいったん中断して括弧にくくるのでなければ否定にとりかかる
ことはできないと思われ
食べながら考えるように、考えながら反省することはできませんよ
496考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:00:23
格調高い文章に見せたいのか、わざと難しい言葉を使ったり、
もってまわった言い方をしたりしている文章で読みにくい。
しかも、ところどころ文法がおかしいから不快になる。
497考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:06:57
>>495
>主客のパースペクティブが解消できるなら、「リンゴは私だ」になります。

意味がわからん・・
リンゴをリンゴとして本質規定しているのが「考えている私」なんだから、
その私によって本質規定されたリンゴが、リンゴとして本質規定されたままで
それがイコール本質規定している私、ということはあり得ないだろう。
498考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:26:48
>496
本当によく理解した人ならわかり易い表現ができるはず
小難しいことばを使うのは三流だから
ウィキでソーカル事件知ったんだけど笑えますた
499考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:31:02
>>493
>思考のプロセス自体が自我によるものですから
>現れた結果は自我ではない、という意味です。

「プロセス」と「結果」をわざわざ分けなければならない理由は何ですか?

人間に認識できるのは「結果」だけだとすれば、あなたが「こころの働き」として
みている「自我」も、もちろん「結果」なんでしょうね?

人間には「結果」だけしか見えないとすれば、どうして「結果」以外のもの
が存在するということが、あなたには分かるのですか?
500哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 10:06:59
>>490
>もし自分で自律的、統合的な「自我」というものを
>感じているのだとしても、それは妄想である。

感じているのも、妄想しているのも『私』であり、それは自我なのである

私以外の精神が、いくら妄想していようが、そんなものを私が感じるスベなどないのである
感じているのも、妄想しているのも『私』であり、自我である

>>492
子供は夜更かしするなよ

>>493
>唯識でいう自我はすべての事象を
>「私」と対比、差別化させるこころの働きです。

それは私の言うところの「意識や自我意識」の事です

自我とは、その「自我意識」の土台の事です
『私という主観性そのものな存在性』という事です
『私』でない自我意識については、『私』が認識する事はありえません
『私』が認識している という事は
それは『私』が存在し、認識ているからなのだ という結論以外にはありえません

仏教は、こんな簡単な構造すら誤解しているという事でしょうか?
認識しているのは、他人ではなく、私なんですよ
動詞が先行する事などありえないのです
501哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 10:38:35
>>494
>>495
言ってる事がわからん
結局、何が言いたいの?

全然『自我』や『私』の説明になってませんな
502唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/04/15(日) 10:47:22
>>500最高位さん
そう誤解と言われましても
質問された答えとして自我なるもの説明したつもりですが。
>>499さん
「原因と結果」ですね。
>>499さんは鋭い指摘をされています。
そのプロセスを観察する事がどういう事なのか
これが重要なのです。
503考える名無しさん:2007/04/15(日) 10:55:20
唯識もまわりくどいが
ここ100レスを唯識流の原因と結果で説明
私=自我のyes or no
私は認識できる? yes or no
私の認識に知能が必要 yes or no
まあざっとこんなもん

最高位は全部yes
唯識は全部no
504哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 10:57:53
>>502
>そう誤解と言われましても
>質問された答えとして自我なるもの説明したつもりですが。

だから結局
仏教は、その程度なんですかね? という事です

自我と自我意識の違いぐらい理解して下さいよ
何年も説明してきた基本中の基本ですよ
505考える名無しさん:2007/04/15(日) 11:01:16
>>500
「私」が意識に先行して存在するとすれば、
意識されなくても、あるいは意識しなくても「私」は存在するということですか?
506哲楽者大勲位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/04/15(日) 11:02:28
しかしですな、
自我意識の方が上位に来る可能性もあるのでして。
人間成長の点で自我意識のほうが根源的なのではないでしょうか。
507考える名無しさん:2007/04/15(日) 11:05:54
>>504
おいおい
唯識が自我と自我意識の違いを説明してんだろうがw
自我=無意識
自我意識=自我とはこういうものだと考えて認識される自我
こうじゃないのか?
508考える名無しさん:2007/04/15(日) 11:14:41
で、
どっちが正解なの?
509哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 11:18:17
しかし頭悪いヤツが多いな
510考える名無しさん:2007/04/15(日) 11:29:54
>>509
頭悪くてすみません。

「私」が意識に先行して存在するとすれば、
意識されなくても、あるいは意識しなくても「私」は存在するということですか?

511考える名無しさん:2007/04/15(日) 11:41:12
自我の定義自体両者の相違がありすぎるから
説明も議論もないわなw
512哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 12:12:03
>>510
考えりゃわかるだろ

「そんなのわからん」が正解じゃないですか?

確認できるか できんかの問題であるかも知れんが
それに対して答えをだせるかどうかと言えば
それはわからん としか言えん

しかし、今こうして『私』が存在しているのだ という事実は否定しようがないでしょ


とにかく、このスレにいる人達は、飛躍した考え方に走ろうとする人が多くて困る
513考える名無しさん:2007/04/15(日) 12:53:51
>>512
わからんのは、誰だ?キミだろ?

キミ以外の他の人がわからんかどうかは、キミもわからんはずだ。w
同様に、キミは唯物論を否定することは出来ないし、したとしても出来たことにはならない。
514考える名無しさん:2007/04/15(日) 13:18:02
震度5か。
けっこうでかかった。

>>495
嘔吐……だったっけ?
自我を消滅させるという表現はおかしいが、自我を他者(普通は自分自身)に写しこませるということもできる。

>>501
もうすごく簡単に言ってしまえば主体だけという図式は(デカルトの中だけの話では)存在しない、でいいんじゃないか?
朧げながらに理解していると思う。
この後の議論はここで留めておくべきか……
515哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 13:46:01
>>513←典型的なアホ


>>514
>もうすごく簡単に言ってしまえば主体だけという図式は
>(デカルトの中だけの話では)存在しない、でいいんじゃないか?

だれが主体だけの図式を主張してるの?

図式から浮かび上がってくるのは、私は存在している という結論である
という事でしょう

それをだな
「私はいない 考えているだけだ」 とか
わけのわからない事を言って
「じゃぁ誰が考えているのですか」と聞けば答えない
もーね
わけわからん事ばかり言うのはやめろよ
516考える名無しさん:2007/04/15(日) 14:13:57
>>477

>>474 自分以外の精神活動を、主観的に直接に確認する事など、できるはずもないが?

自分の精神活動とて、主観的に直接的に確認する事など出来ていないと言っているのだ。
自分を確認する行為も、自分以外とするものを確認する行為もやってる事は同じだ。
517考える名無しさん:2007/04/15(日) 14:23:59
>>512
「そんなのわからん」が正解じゃないですか?

「私」が存在しなければ認識できない、という断定は間違いでした、
ということですよね?認識前の「私」は飛躍ですよね?
「私」はただ、何かについての認識の主体(主語)であるだけでしょ?
こんなことは中学生でも分かることです。
518ネコの味方:2007/04/15(日) 14:27:16
最高位は、こちらにいたのか。最高位が参加すると、スレが伸びるね。
寡黙な唯識さんまでが五行以上の書き込みをしているのには驚き。
519考える名無しさん:2007/04/15(日) 14:47:55
>>512
「そんなのわからん」が正解じゃないですか?

というよりも、「存在しない」でしょう。
存在すると仮定したら、精神(魂)とか身体とかに実体を求めている
ということになります。「私」は実体ではないのですから、「何かに
ついての認識主体(主語」としてのみ存在するということで良いので
はないですか?
520哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/15(日) 15:07:05
>>519
>存在すると仮定したら、精神(魂)とか身体とかに実体を求めている
>ということになります。

それは単に
あなたが素朴実在論的な角度からの思考しかできていないからですよ

それに

>求めている

のではないけれども
べつに魂を否定する根拠もまた無いのですよ?
わからん事は、わからん としなきゃいけないでしょう


単なる認識主体 という考えからすると
私以外の
他として存在するであろう単なる認識主体もひっくるめてしまうのであって
私が私である「この私」の存在性という観点については全く無視しており
心身問題を語るうえでは、全く的外れな回答にしかなりえません


今日はこの辺で離席しますね
521考える名無しさん:2007/04/15(日) 15:10:21
>>515
多分、言っている要所は一致していると思う。
ただ、デカルトが考えたことが正確にわかっているかどうかかと。
俺もそれほど正確にわかっているつもりはないけど。

>>519
心身問題だな。
確認はできないというのが正確だけど、仮に実体があるならばその実体と私はどこで(あるいはどうやって)繋がっているかがわからない。というか矛盾する。
かといって存在しないと一気に懐疑論に転がり込む。
522考える名無しさん:2007/04/15(日) 15:40:30
>>520
>私が私である「この私」の存在性という観点については全く無視しており

「私が思っている」の「私」と「思っている」は分離出来ないということを
言っているのですよ。「この私」というのは、「私はこの私であると、認識
している」ということなのであって、「私」を「認識」と独立した実体とし
て見なせないでしょ、と言っているのです。
「この私」の存在性として、「私」を独立した実体として考えているのは、
あなたの方なのではないでしょうか? どうですか?「私」は実体なのです
か?
523考える名無しさん:2007/04/15(日) 15:48:44
>>520
>べつに魂を否定する根拠もまた無いのですよ?

過去のレスを見たら、あなたは「魂なんていうのは宗教」というスタンス
をとっていますね?「私」は魂である可能性もある、ということでしょう
か?
524素人 :2007/04/15(日) 15:53:02
>>522
>>404さんに考えて貰いましょうよw
彼は我々と違って、少々の矛盾・用語の多義性は意に介さず、
相手の文意・真意を読み取る能力に長けているようですからw
最高位の言わんとしていることも、きっとよく理解していることでしょうwww
525考える名無しさん:2007/04/15(日) 15:53:52
>>520
>あなたが素朴実在論的な角度からの思考しかできていないからですよ

いいえ、「私」と「思う・認識する」は分離できない、と主張している
だけですよ。「純粋な存在性」とは、独立した「私」が存在するという
ことなのではないですか?

526考える名無しさん:2007/04/15(日) 16:11:16
>>524
404氏に解説を期待します。404氏は常駐しているのですかね?

過去のレスからすると、最高位氏の「そう思っているのは誰?」という
のは、「思っている」という認識と「私」は分離できない、ということ
を語っているのではないでしょうか?
「私」から独立した「動詞」も、「動詞」から独立した「私」もないで
しょう。
527考える名無しさん:2007/04/15(日) 16:22:00
>>525
文脈からして「純粋な存在性」とは独立した「私」が存在するということではなく、
>しかし、今こうして『私』が存在しているのだ という事実は否定しようがないでしょ (>>512

を指していると思われます。
528考える名無しさん:2007/04/15(日) 16:48:29
>>525
>しかし、今こうして『私』が存在しているのだ という事実

「今こうして『私』が存在しているのだ という事実」を「私が
認識している」ということでしょう。ここから、『私たる存在』
が独立して存在するという事実は導けない、と思います。
「『私』として生きている」という一種の宿命論ですかね。
529考える名無しさん:2007/04/15(日) 16:50:45
>>525>>527 でした。スマソ。
530考える名無しさん:2007/04/15(日) 16:54:44
嫌われ松子は最後殺されたのかなあ
531素人 :2007/04/15(日) 16:56:20
>>527
だとするならば、
彼がよく返す言葉
「誰が思考してるんだい?」「誰が見做してるんだい?」「誰がキーボードを叩いているんだい?」
という言い方における答えの『私』(最高位の期待する=最高位の言う『私』)は、
【『存在性』ではない】ということですよね? (一般的にもそうだと思われますが・・・w)
 「 ≪今こうして『私』が存在している事実≫ が○○している」
或いは、「≪今こうして『私』が存在している事実の否定のしようの無さ≫ が○○している」というのは、大変難解な文章です。
それは、 ≪『私』【は】(○△×という)『存在性』である≫ という彼がよく用いる言い方が、
些細な矛盾で済まされないことを意味しませんか?
やはり ≪『私』【の】『存在性』≫ という言い方しかありえないのではありませんか?
そしてさらに、もし、 ≪『私』【の】【○△×という】『存在性』≫ と、
修飾語句・補足説明の付随した『存在性(≒今ここにいること・今ここにいる事実)』だとするなら、
そうした修飾語句・補足説明の付かない、(純粋なw)『存在性』というものがあるのかどうか?
それとも、『存在性』とは『私』にしか用いられない語なのか・・・?
(もしかしたら、最高位は一度か二度、そのように発言していたかもしれない・・・。)

修飾語句・補足説明付の『存在性』については、参考:>>358>>359>>362>>367
532考える名無しさん:2007/04/15(日) 17:03:18
527ですが、

>>528
よくわからんのですが、結局>>522>>525さんの書きこみは誤読に基づくものであり的外れだということでよいわけですね?
533花魁:2007/04/15(日) 17:52:14
>>464 最高位さん、ありがとうございます。そのつもりで読みます。

>>531の素人氏の発言からも示唆されることですが、
「物質が存在する」という際の「存在する」ことと、
「<私>が存在する」という際の「存在する」こととは、
全く異質な意味であるように思える。
事実判断と価値判断が異質であることと似たような意味において。
他者の<私>は存在するか?という問題を考えると、存在しないと思う。
それが存在しないのは、物質等が「存在しない」という意味で存在しないのではなく、
「思考している私は他者として生きていない」ということを表しているからだと思う。
(もっとも、『子どものための哲学』は他者の<私>を存在することに
 したがっているが、その結果として永井氏は堂々巡りの議論をしていると感じる)

>>527において言われていることが、この問題に対するオイラの見解に近いかも。
「<私>がAである」という命題は、
「思考するもの(語る者)がAとして生きている」ことを指しているんだと思う。
何かを語る上で逃れることのできない起点になっているという意味で、
<私>は宿命的だとも言える。
534考える名無しさん:2007/04/15(日) 18:12:03
疑えないのは、「疑わしいと認識している我」であり、「思っている我」で
ある。だから、デカルトにおいては、認識することをやめた途端『我』は存
在しなくなる。
最高位は「認識されない・認識しない我」も「『存在する』かも知れない」
とする。可能性としての認識されない・認識しない『我』って、何だ?
最高位の『我』は、そんなにファジーなものか?
4つの『我』の事を言っているのか?
535考える名無しさん:2007/04/15(日) 19:19:05
>501
言いたいことがわからないって?
「考えているこの私」の存在了解が直観的であるなら
「この私の存在性」が延長に還元されるものではない
ことを論証することもできない。やはり「俺がいる」
とわめくだけでお話にならないから唯物論者には相
手にされない。なぜ論証できないかというと、「この
私」は延長とは何であるかを知る由もない体。

「私」を説明していないだって?
コテ無しだからね他己同一性が曖昧なんです
ではもう一度
【私】=【私】+【非私】
536考える名無しさん:2007/04/15(日) 19:32:52
>>535
【私】=【私】+【非私】の
     ↑の私って何?
537ジョン:2007/04/15(日) 22:26:51
私は認識されること存在する。
私は認識することで存在する。

この両方が成り立って、誰かに名前を付けられた肉体という固体は自我を持ち、私を成す。

姿が見えなくとも、声を認識されれば存在し
姿が見えなくても、声を認識すれば存在する。

肉体だけの私は、脳を初めとする五体・五感が正常に血液循環をし、働いている状態のもの。
別に聴覚が無くとも、視覚が存在すれば、十分に私を証明できる。
逆に視覚が無くとも、聴覚と発音ができれば、私を証明する事ができる。

大半の肉体には名前が付いてる。健二だとか、ショーンとか、エスチェートとか。
その個々の肉体の私が認識した際に、その肉体を指す言葉が”私”なのであって、
”私”は大半の人に存在するが、私は個別の肉体のなかにしか存在しない。


ところで 私 がゲシュタルト崩壊したのは私だけじゃないはず
538ジョン:2007/04/15(日) 22:42:49
認識できなければ、認識されたか否か、認識できない。
認識されなければ、認識できるか否かは、関係がない。

小難しく考えている人がいるが、”私”は小難しい事がわからないので、なにがしたいかわからない。

存在性ってなんだ?もう少し解りやすい言葉はないのかい?
「存在する意味」ってことか?「存在する意義」ってことか?

どうせまた小難しい言葉でしか説明できない人間が安価を出すんだろうけどな。

意味や意義・由縁や由来など考えても、哲学では解明できないだろう
最終的には宗教や運命論・宿命論で片付ける事になる。
それでも納得できなくて、結局また終わらない議論を続ける。

なので自身が理解し難い小難しい言葉を用いて、自分を騙し納得させようとするんだろう?


ところで 私 が一体なんなのかなど証明できずとも、
生活してる個々の私は困らないだろ。と思ったのは私だけではないはず。

私=自我であって、”私”は個々に付けられた名前の総称でしかない。
意味や意義などは定められておらず、もっぱら自分で決めるものとされてる。
私を認識するのは私で、”私”を認識される事で”私”と私は自我を持つ。

我思うに我あり 哲学はこれが答えだ。
539考える名無しさん:2007/04/16(月) 00:30:12
>>518
さて・・・
私はもう、ほぼ語り尽くしています。
あとは、過去レスのコピペ・URLか再構成による語り直しくらいにしかなりません。
(実際、ここしばらくのレスはそんな感じですw)
できれば、最高位氏に対して(更には新しい方に対して)、
散発的なものでなく、まとまった意見書が提示できると良いのですが、しんどそうだ・・w
残っている宿題が何かあるとすれば、
“私”に代わるふさわしい「ラベル」の探索と、
『それ』を基点・対象とした「解体の方法」「脳死・臓器移植」「人の人たる所以、アンドロイドの人権・人格」
くらいでしょうか・・・。

あなたとは、居酒屋で語り明かしたいものですw
できれば唯識氏も交えて、彼に対する入念な取り調べも一興かもしれません(爆
540唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/04/16(月) 00:59:11
先にも書きましたが
最高位さんは合わせ鏡に囚われてしまっているようです。
鏡に映った一つの「私」のみに拘られている。
私という名の問いかけ、
自問自答を鏡に向かって問われているようなものだと思います。
少し鏡から自分が離れるか、鏡を遠ざけるか
そうすれば今まで映らなかったものも見えてくるのではないでしょうか。
541ジョン:2007/04/16(月) 01:29:29
死んだなら、肉体は移植に使ってもらって構わない。
脳死なら、1週間くらい様子を見て、改善しそうに無ければ殺してくれて構わない。

脳が活動しなければ、自我は存在しないし
まして肉体以外の概念(魂等)があるなら、なお更死んだ肉体に用は無い。
542考える名無しさん:2007/04/16(月) 01:36:10
>>All
物質である「私」が物質でない「私」を物質のみで証明するのは不可能だっ
て事に気づくかないのかな?

前にも言っているけど「私」の問に対しては必然的、決定論的に科学の真理
を追求し終えた時に出る議題だから未来の「私たちに」委ねるべき課題だと
考えるけどね。
その時に人類が必然的に答えを出すから今は安心して違う事を哲学するべき
543考える名無しさん:2007/04/16(月) 01:53:32
>>542
そもそも存在性をどう支持するかに問題があるかと……。
前提:存在する。
結論:よって存在する。
という当たり前の話をしているとも言える。
まぁ、それはそれで妥当な事かもしれん。存在性が語ることができる場合においては。

存在をどう明らかにしていくか、というよりも存在の明らかさをどう証明するかという方向にきりかえるのも一つの手かと。
544542:2007/04/16(月) 02:27:15
まぁ今日にでも万能な新物質Aでも発見されるかもしれないし、科学の真理が
解明されるまでは「私」については特にふれる問題ではないかと。

物質じゃない「私」の時に簡単に答えがわかるから今は疑問のままでいいん
じゃないでしょうか?
545哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/16(月) 02:44:46
>>527
当たりです


他の人の書き込みは基地外じみてて、あんまり読む気力が起こらんなぁ・・・
今日はちょっと疲れてるしね
546哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/16(月) 03:13:21
『私』は存在しているんだ という事
『私』だよ『私』
そして、その『私』には、何の原因的根拠もありえない って事

この結論により
心身問題において、唯物論は却下される
547考える名無しさん:2007/04/16(月) 07:18:19
>536
【私】−【非私】=【私】
          ↑の私って何?
あいまいな公理の私がいくつかの論を作り出すということが言いたいわけで。
機械的唯物論も最高位哲学も公理の言い換えでしかない
この公理は突っ込みをいれるのが馬鹿らしくなるくらい自明で独り善がりだ

それにしても2ちゃんのタコ同一性を考えると面白いな
あぁなんだか蛸壺から出れなくなりそうだ。だんだんタコになってきた
うねうねにょろにょろ 
548考える名無しさん:2007/04/16(月) 08:24:15
>>546
そもそもそれは日本語になっていない、最高位本人は誰にも
指摘されないから気がつかないんだろう
549考える名無しさん:2007/04/16(月) 08:26:34
「私」を知ることは禅の公案ににていると思う。
550考える名無しさん:2007/04/16(月) 08:51:56
>>548
観念論に基づけば「私」という存在も一つの概念でしかない
て言いたいんだけどそれ言うと馬鹿にされるからはっきり言えないんじゃね
551考える名無しさん:2007/04/16(月) 08:52:55
489 名前:哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2
>ちなみに
>私は、キーボードを押して現れた文字ではなく
>キーボードを押している私自身の存在性を指しています

キーボードが無くなれば存在性が消えるということか
安い存在性だなw
552考える名無しさん:2007/04/16(月) 08:56:27
哲学者は何十年もの時間をかけ、全人生を通して一つの理論を完成させるのに
話題によって一貫性のない事言ってる奴は哲学者じゃなくてただのクダ巻きオヤジでしかない
というようなこき下ろし方をされるね

553考える名無しさん:2007/04/16(月) 08:59:38
最高位は打たれ弱いからなw
554考える名無しさん:2007/04/16(月) 09:09:37
>>502 >唯識 ◆Vidya0E1.sさん

>>499さんは鋭い指摘をされています。
>そのプロセスを観察する事がどういう事なのか
>これが重要なのです。

「鋭い指摘」ではなくて、質問したつもりなのですが。
質問への答えは無いようですね。
まともな答えが返ってくるとは
あまり期待していなかったのでいいのですが・・
555考える名無しさん:2007/04/16(月) 09:17:38
唯識はああ見えて結構高飛車なのかもしれない
「これくらい知っとけ」みたいなw
556考える名無しさん:2007/04/16(月) 09:21:52
>>555

その「このくらい知っとけ」が揺らいでいるのが、
混迷の原因でもあるのです。
557考える名無しさん:2007/04/16(月) 09:41:25
>>546
>そして、その『私』には、何の原因的根拠もありえない って事

「ありえない」という結論に、何で飛躍しちゃうかな。
一方では「『私』が存在すべく、宇宙の構造はなっているのだ」というような
こといいながら、何の原因的根拠もありえない、というのはねぇ。
「いいかげん」としかいいようがないよ。
558考える名無しさん:2007/04/16(月) 10:06:58
>>546
>そして、その『私』には、何の原因的根拠もありえない って事

唯物論的な説明が成り立つわけでもなく、
神が存在するわけではなく、
宇宙の摂理というものがあるわけではなく、
その他いかなる原因的根拠もなく、
無から「『私』という存在」が生じた、
これは「奇跡なのだ」という結論でいいわけ?

それとも、「唯物論的な説明」だけは却下ということ?

559哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/16(月) 10:21:51
>>557
>>そして、その『私』には、何の原因的根拠もありえない って事

>「ありえない」という結論に、何で飛躍しちゃうかな。

キミは、いまだにそんな事も理解できんのかね?
落第だな
「何で」なんて言ってる時点で、知能が低い
560哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/16(月) 10:22:25
>>558
>唯物論的な説明が成り立つわけでもなく、

うむ

>神が存在するわけではなく、

これはわからん
しかし論理的に考えて『私』は、神とも平行する存在性だよ

>宇宙の摂理というものがあるわけではなく、

これもわからん
しかし、言える事は『私』の存在原因とは関係がないね

>その他いかなる原因的根拠もなく、

うむ

>無から「『私』という存在」が生じた、

これもわからん

>これは「奇跡なのだ」という結論でいいわけ?

正直言って「奇跡」という表現が適切であるかどうかもわからんのだが
まぁ表現する言葉がないから「奇跡」が一番近いんじゃないかな という感じかな

>それとも、「唯物論的な説明」だけは却下ということ?

少なくとも、唯物論は却下されざるをえないね
561考える名無しさん:2007/04/16(月) 11:04:08
>>560
>しかし論理的に考えて『私』は、神とも平行する存在性だよ

意味わからん。


562考える名無しさん:2007/04/16(月) 11:07:14
『私』は超自然。
ぷっw
563考える名無しさん:2007/04/16(月) 11:21:22
>>560
しかし論理的に考えて物理現象は、神とも平行する存在性だよ
唯物論を否定するのは無理だね。
564考える名無しさん:2007/04/16(月) 11:27:20
「哲学者最高位の私」は「哲学者最高位の体」がないと存在しないと思われる。
「アンドロイドAの私」は「アンドロイドAの体」がないと存在しないと思われる。
565考える名無しさん:2007/04/16(月) 11:41:09
主体と客体、私と他者をとりたてて区別しなくても、
何かを感じることはできる。

例えば、手を火に近づければ熱い。
このとき、ただ「熱い」という感じがあるのであって、「私が熱い」という感じはない。

「私が熱い」、のように、なぜわざわざ「私が」を付けるのか。

「私」という言葉は、暗に、「私ならぬもの」を想定している。
「私ならざるもの」を破棄すれば、「私」も破棄される(意味を失う)。
つまり、独我論においては、我も他者も意味を持たない。

もし、「私」や「彼」という主語を知らず、感覚のみを話す(鳴く)なら、
その人にとって「私」は存在しないだろう。
566素人 :2007/04/16(月) 12:27:57
まったく・・・w   >>最高位

とりあえず、単純なことだけはっきりさせておこうか。

私は、(今はまだ)
≪ 『私』(とここで呼ばれているもの)を否定しているのではない。 ≫
≪ 『私』(とここで呼ばれているもの)が「ある」ことを否定しているのではない。 ≫
≪ 『私』(とここで呼ばれているもの)が、どのようにしてあるのか?その在り様を類推してるだけ。 ≫
≪ もし、その在り様が固定化されたものとされるなら、そこに私は異議を唱える。否定するかもしれない。 ≫
≪ 「「『私』の存在」の否定を証明せよ」については、
  『私』を巡る流れの中、初期中期に私が行ったものは「最高位の言う『私』」ではなかったのだろう。
  その「ここで言われている『私』」については、私はまだ判断をしていない。捕まえきっていない。
  『それ』を否定するかどうかは、その先の話だ。
  私が「『私』の存在の否定」を証明する義務はまだ生じていない。 ≫
≪ だから、「私が否定する『私』」と、「ここで言われている『私』」とが同じかどうかが問題となる。 ≫
≪ 『私』という、(意味の幅を持った(→指し示す対象が幾つも想定されるような))ラベルが混乱を招いているのではないか。≫
≪ 或いは、そのニュアンスとして『私』と言わざるを得ないのならば、
  常に適切な補足説明(修飾語句)を伴った表記・言明がされるべきではないか。≫
≪ 否定の証明が要求される前に、まず、同一の対象について語り合われているかどうかが明らかにされねばならない。 ≫

≪ 唯物論を支持・護持しているのではない。 ≫
≪ 唯物論が否定・破壊・論破されること「それ自体に関しては」何の抵抗もない。≫
≪ より妥当性が高いと思われる方法論として唯物論的手法を参考にしてはいる。≫
≪ 参考にしていること、或いは用いている手法が、唯物論ではなく単なる科学・物理学等だと言うならそれでいい。
  唯物論という名前にこだわりはしない。 ≫
≪ 唯物論の確実性を証明する義務は私にはない。 ≫
567考える名無しさん:2007/04/16(月) 13:20:31
なんでえ
やっぱ超能力マニアだったじゃん
568考える名無しさん:2007/04/16(月) 13:24:08
超が好きだなあ
569Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/04/16(月) 14:01:13
神が死にウルトラマンが死にコスプレイヤーが残った。
570542:2007/04/16(月) 15:15:46
>>560
君の「私」は君にしかわからないどうやっても俺は俺の「私」でしかないん
だから最終的には自問自答しかないんじゃない?
571考える名無しさん:2007/04/16(月) 15:25:32
572考える名無しさん:2007/04/16(月) 15:32:04
>>554
ピントを、どこに(且つどのように)合わせるか、ということでは?

刻々と流れ続ける事象に目を遣った時、ある一瞬(あるスパン)に注視した時、
それよりも過去の部分は、
原因・理由(或いはプロセス)として認知されるだろう。注視した部分は「帰結・結果」として認知されるだろう。
それより未来の(想定される)部分は、
「帰結・結果」として期待されるだろう。注視した部分は「原因・理由(或いはプロセス)」として認知されるだろう。
573542:2007/04/16(月) 15:40:32
>>571
thanks

>>570
そんなに自分の事知能が低いとか基地外とか言って馬鹿にしない方がいいん
じゃない?まぁこれも俺の「私」が「私」に言っただけになるんだろうけど
574542:2007/04/16(月) 15:44:29
訂正
>>560
そんなに自分の事知能が低いとか基地外とか言って馬鹿にしない方がいいん
じゃない?まぁこれも俺の「私」が「私」に言っただけになるんだろうけど
575考える名無しさん:2007/04/16(月) 17:24:27
少し視点がズレるけども……
「私である」という意識がヒトに目覚めたのは、
「他者」を認識する必要からなんじゃないかな?
地上最弱ともいえる人類が徒党を組む必要に迫られ発達させた(した)、
協同するための機能というか。「内」と「外」を弁別するために。
このように人類史的に考えてみると、最初に「他者」があったと想定される。
しかしながら、同時に「他者」の認識を必要としたのは、
「自己」保存の目的があったからであり、即ち飽くまで「私」のため。
要するに、『「私である」という認識』は生物環境上の要請から成立した
高次の機能であって、犬猿雉馬工業機械における「自我(?)」とは別して
考えなきゃいけないんじゃないかな。
576考える名無しさん:2007/04/16(月) 19:46:55
みんなちょっと頼みがあるorz
次のことを考えてほすぃ
地球上で初めて「私」を持った生物はどんな生物だと思う?

地球上で初めて二進法によって、つまり刺激のあるorなしで何らかの反応を
した生物ははたして「私」をもっていたか。おそらくみんなnoと言うでしょう。
なぜならその反応は反射だから。僕らが反射の反応をするとき「私」は、その反応に
おいては働いていませんよね。

 じゃあ反射ではなくもっと複雑な指令ができるなら「私」をもっているといえるのか
たとえば歩くなんていうのはとっても難しいことですけど、蟻だって歩けます。しかも
匂いをたどりながら時には仲間と交信しているときもあります。はたして蟻に「私」は
あるでしょうか。歩いてる時はCPUがmaxになっていて「私」に気がつかないかもしれま
せんが止まっているときなら案外「私」があってもいいのではないかと思ったりして。


577考える名無しさん:2007/04/16(月) 20:27:12
>>576
そもそもはなから「私」をもつ生物などいないのでは?
578考える名無しさん:2007/04/16(月) 21:16:23
『私』は身体に依存して、存在して欲しい。
何故ならば、『私』を無くした人、あるいは生まれつき『私』が現れない
人が医療によって救われる可能性があるからだ。
「とっかかりすら無い」と言い切るヤツが憎たらしい。

すまん。…… 興奮してしまった。
579考える名無しさん:2007/04/16(月) 21:30:06
>>578
身体に依存していることは、最高位ですら(!w)認めていますよ。
ただ、その依存度がどれくらいなのか?について
喧々囂々なわけですが・・・w
580考える名無しさん:2007/04/16(月) 21:40:59
>>579
ずっとは見ていないが
『私』が、何の原因的根拠も無く存在している事実
という部分に、そのまま反応してしまった。……
581どどど素人:2007/04/16(月) 21:43:32
我は『私』以上の存在に迷惑しています。
582どどど素人:2007/04/16(月) 21:46:32
っていうか、なんで『私』以上の存在なんているん。

こんな余計なもん。
583考える名無しさん:2007/04/16(月) 22:50:48
>>582
『私』以上というのは、何が、『私』より上なのですか?
っていうか、「上」とはどういうことですか?

もしかして、あなたが逆立ちしていて、下を上と認識しているのかもしれませんよ?

                                              @紗南風
584考える名無しさん:2007/04/16(月) 23:22:02
(!w!)←これかわいい
585哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/17(火) 01:05:55
あーすまんすまん
丁寧に説明しても理解できないキミらに
結論だけ言っても、そりゃ理解できるわけないわな

キミらが理解できないのは
『主観性』という事を甘く考えているからだよ

知能が低いのに
更に甘く甘く考えているんだから、理解できるわけがない

『私』という『主観性』が存在する という事は
物質世界においては
非論理的な、とんでもない出来事なんだよ
それが理解できないうちは、知能が低いと言わざるをえないな

>>564
子供かよw

>>565
基地外かよw

もし隣に他人が同じような環境にいたとして
たとえば「暖かい」と感じていようが
それを私は感じようがない
「暖かい」を感じているのならば
それはやっぱり『私』だからなんだよ

>その人にとって「私」は存在しないだろう。

そもそも、主観性の話をしているのに
「その人にとって」などと言っている時点で、すでに観点がおかしい事が明らかだしな
586哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/17(火) 01:32:39
>>566
素人くん
しかしキミのは、いつもながら読みにくいレポートだな

>とりあえず、単純なことだけはっきりさせておこうか。

はぁ?
元々、私は唯物論を論破したと言ってるんだよ
それに対してキミがイチャモンをつけてる形だろ?
それなのにキミは自意識過剰に、自分の立場だけをアピールしているわけだ
キミの考え方なんて、べつに関心ないんだよ

>私は、(今はまだ)
>≪ 『私』(とここで呼ばれているもの)を否定しているのではない。 ≫

元々、私が
「『私』を物理的要素で特定する事はできない」 と言ったのに対して
キミ達は、『私』など錯覚だ とか何とか言ってイチャモンをつけてきたんだろ
んで私が、親切に説明してあげたんだよな
「我思う故に我あり」なんかを基礎からわかりやすくね
すると、今になってイチャモンを付けて来た観点をうやむやにして自分の立場とやらを述べ始めた
そんなの知らんよ
キミの立場なんて、唯物論の議論とは関係ないからね
私はキミの考え方なんて関心ありません
自意識過剰なんだよ

論点は、唯物論の是非だ

キミがもし、添削してもらいたいんであるならば、そう言ってこなくちゃいけないよ
キミはそもそもスジからして間違えている勘違い野郎だって事だ
587考える名無しさん:2007/04/17(火) 01:53:37
私の存在は使い捨てのおもちゃ。
何故ならいつも他人が私を求めてそして捨て去るから。
私は声を大にして言いたい。
あなたたちのために私は存在しているんじゃないのよ!

588考える名無しさん:2007/04/17(火) 01:57:00
エヴァっぽいな。
589542:2007/04/17(火) 02:51:45
>>586
本当に心底哲学しない人だねw
論点が唯物論の是非って。。。スレ違いでしょ。
哲学者の最高位なのに今だ論点を唯物論の是非ってw私を哲学してるんじゃ
なかったんだ。。。
590考える名無しさん:2007/04/17(火) 06:49:04
>>589
認知に激しく偏りという学習をしたため、どうやっても
それを変更できないほど異系の知識を根底から学んでいるから
こそ哲学者最高位なんですよ、もう人間の域を越えています。
さらわぬ最高位に祟りなし。
542君はそれとも、根本的に無視できないほど最高位を無視できない
でしょうか?そんなことないですよね。
NGワードに登録。みなさんもご一緒にw
591考える名無しさん:2007/04/17(火) 10:12:57
>>590
2chでNGワードなど強制力も何もない。
592考える名無しさん:2007/04/17(火) 10:44:59
荒らしはスルー
2ちゃんの基本。
593考える名無しさん:2007/04/17(火) 11:10:51
>>565
>例えば、手を火に近づければ熱い。
>このとき、ただ「熱い」という感じがあるのであって、「私が熱い」という感じはない。
>「私が熱い」、のように、なぜわざわざ「私が」を付けるのか。

>>585
>もし隣に他人が同じような環境にいたとして
>たとえば「暖かい」と感じていようが
>それを私は感じようがない
>「暖かい」を感じているのならば
>それはやっぱり『私』だからなんだよ

「隣に他人が同じような環境にいたとして」

この言葉が端的に表しているように、
「他人」を想定しなければ
「それはやっぱり『私』だからなんだよ」
という言葉は意味を持たない。

もし純粋に独我論から出発するならば、「他人」も「私」も意味を持たないので、
「暖かい」を感じていることは、単に「暖かいを感じている」としか表せないだろう。
つまり、「私」という言葉がなくても、表現に不足はない。

「私」「他人」という一連の言葉を習得した後で、
「私の存在」という擬似問題が発生する。
594考える名無しさん:2007/04/17(火) 11:14:47
>>586  なるほどw  完全に逃げに入ったわけかw
案外臆病なんだな。 (´ー`)y━~~

私は、最初からずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、同じことしか述べていない。
「君の言う『私』」に興味があったからだ。仏教とも大きく関わるからだ。
唯物論に関しては、その論の展開に無理を感じたので、同時に疑義を挟んできた。
が、感嘆子さんの登場で、そちら方面は彼にお任せする感じになった。
現に、唯物論関係の私の発言は減った筈だ。(もっとも、感嘆子さんも「唯物論の正否はわからない」という立場だが・・・w)

>元々、私は唯物論を論破したと言ってるんだよ
>それに対してキミがイチャモンをつけてる形だろ?
>それなのにキミは自意識過剰に、自分の立場だけをアピールしているわけだ
君は、『私』というモチーフを基点として唯物論を否定している。
上で述べたように(或いは過去何度も述べたように)、【その後の】論の展開の仕方に疑問を感じたから唯物論関係の発言もした。
けれどもそれは、私にとって二次的三次的ものでしかない。私が興味のあるのは「君の言う『私』」についてだ。
そしてそれが、君の様々な意見の根幹になっているのならば、
『私』について語ることは、イチャモンにも空気を読まない自己主張にもなるものではない。
論点の相違どころか、最大にして最終のネックである筈だ。決して等閑視できる事ではない筈だ。
>論点は、唯物論の是非だ
その基点となっているのが『私』なんだろ? それについて語ることが、なぜスジ違い勘違いなんだ?
それを、(君の様々な意見の根幹である『私』について語ることを)、
>スジからして間違えている
>キミの考え方なんて、べつに関心ないんだよ
>キミの立場なんて、唯物論の議論とは関係ないからね
>私はキミの考え方なんて関心ありません
というなら、もうお手上げだ。
私は、『私』から発展した様々な事柄を、いろんな価値観を持った人間が、
ここでくっちゃべることができたら楽しいなと思っていたのだが・・。
勿論、君の意見もだ。 けど、君は、話題の範囲の拡大には興味が無いようだw


酔くん。 君はどう思うんだい?
595素人:2007/04/17(火) 11:16:06
名前欄抜けた。 >>594
596素人:2007/04/17(火) 11:27:48
あ、それから、毎度のことながら
都合の悪い部分はスルーなんだなw  >>586
>>566からその一文だけを抜き出して何の意味がある?w
親切に箇条書きにしてあげたのに・・・w


私の開いた口は、いつ閉じさせてくれるんだい?www
597ネコの味方:2007/04/17(火) 11:45:22
>>594
すみません。あちらで紗南とたわむれていました。
実は、長崎から船で帰ってきたばかりで、状況を把握できぬまま、
じいさんとかに突っ込んでいます。
長崎に思案橋が存在しないことを知っていました?
また、長崎はネコの味方が一等多いということをご存知でしたか。

スルーしてください。

あなたの質問にはゆっくり考えさせてください。


598542:2007/04/17(火) 14:20:15
>>素人
彼が興味が有るのは唯物論者を論破する事そして彼の「私」のすべてでも有
る。以上
まぁ2人の論点が端から違うんだからしょうがない。
哲学者の最高位でもスレ違いな発言しちゃうときもあるから大目に見てやっ
て下さいw
599ネコの味方:2007/04/17(火) 19:06:37
>>594
素人さんは「私」を解明したいのですか。それとも「私」を始末したいの
ですか。
最高位のこれまでの主張を大雑把にまとめて意訳すると「そのどちらも
無理」ということではないのか。「私」の本質や存在理由を掴むことは
できまいし、さりとて“無化する”ことも不可能だろう、そのように「私」
は存在してしまっている、というふうに彼の言う“私の存在性”を受け
とめているのですが。

感嘆子は、クオリア・スレで物理主義(唯物論?)に対して疑念を述べている
みたいです。
600考える名無しさん:2007/04/17(火) 20:22:01
『私』は宇宙外胞子。
低脳な人間どもには、解明不能。
601哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/17(火) 20:31:32
>>589
スレ違いでもないよ?
このスレの主な議題は、心身問題なんだよ
ちゃんと>>1を読んだの?

>基本的に何でもありですが、できれば副題にあるように、
>この肉体(脳)ベースでどこまで記述できるか?
>に挑戦してください。

と書いてあるだろ
私は、原因的要素として考え抜いた結論として
丸っきり記述できねぇ と言ってるんだよ

どこがスレ違いなんだよ
思い込みで勘違いかましてくるな ボケが

>>593
独我論 と言った時点で、『我』なんだよ
短絡的に結論付けないで、もっとよく考えなさい
602哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/17(火) 20:32:20
>>594
いろいろ説明したんだから、そろそろ悟れよ
と言っても、キミはデカルトすら理解できてないからね
『私』を理解する為には、せめてデカルトぐらいは理解できないと絶望的だよ
それと
私は逆に、唯物的観点から考察した方が、おそらく『私』は理解できやすいんじゃないかと思っています
しかし、やっぱり
いくらなんでも最低限、デカルトぐらいは基礎として理解できる知能がないと絶望的だけどね

>>596
>>566からその一文だけを抜き出して何の意味がある?w

そんな事もわからんようじゃ、ますます絶望的だな

>>599
うむ
キミは、2ちゃんには珍しく
結構ものごとを普通に理解できる、普通の読解力を持った、普通の人のようだね
せめて、みんなが
そのくらいに普通に理解しくれたら話も早いと思うんだけどね

とにかく2ちゃんには、普通の話が通じない人が多すぎて困るわ
特に、やっぱり哲学板

どうにかならんのかな・・・・
603542:2007/04/17(火) 21:21:02
>>601
だから哲学者の最高位が「私」とは解らない物です終了ってw
素人氏はそれでもなお哲学しようとしているのにね。
>思い込みで勘違いかましてくるな ボケが
と思ってるのは誰かな?自分に対してボケなんて言わないほうがいいよ。
604考える名無しさん:2007/04/18(水) 00:13:01
「私」は認識する主体なのに、何故に「私」が認識できるのか解らないのだ
よね。
永遠に解明されないのだとか、解明されるはずはないのだ、として「私」を
葬ってしまうか。w
605考える名無しさん:2007/04/18(水) 00:14:34
前野隆司の出版予定にこんなのがあったよ。

「私」という幻想(仮題),技術評論社,2007年(出版準備中)

http://www.maeno.mech.keio.ac.jp/Maeno/consciousness/
606素人:2007/04/18(水) 00:32:51
>>602
デカルトさんねぇ・・・w

デカルトを基軸に据えるなら、おそらく真っ向対立するであろう龍樹くらいは知っといてほしいもんだw
もし、デカルトが真に深く、行為(≒事象)と主体とに迫った上での「我思う、故に我在り」ならば、
龍樹と、かなりシンクロするかもしれんw
(それは、「思う、故に在り」の更に向こうということだがw
 >>459さんが仏教系かどうかは判らないが、近いと思う。)
そして、「すべてに先立って主体(≒主語)が(まず)ある」という貴方の説は、
龍樹のみならず、広く仏教と言った時も、真っ向対立するのですよ。
『それ』が、(「在ること」という)核(コア)を外れ、少しでも表層へ浮き上がってくるならば・・・。
 (ちなみに『それ』が、(「在ること」という)核(コア)であるなら、
  個別性は極限まで切り詰められ、主体的能動性は奪われる。否定の必要がなくなる。
  (う〜む・・・うまく言えてないなw))

また、「今ここにいる実感」の表現としては、
臨済禅師の「赤肉団上に一無位の真人あり」の方が、よっぽど気が利いているw
って、過去に同じ発言してるな、俺w
(こちらは上記と違い、総体として(あらゆる要素を包含し、受け入れた上で)の『私』だが・・・。)



って、おいらも、中論を完璧理解しているかと言えば甚だ怪しいわけだが・・・(爆
607素人:2007/04/18(水) 00:33:59
>>599
>素人さんは「私」を解明したいのですか。それとも「私」を始末したいのですか。
今のところどちらでもない。強いて言えば前者であろう。
そして、その後に、どうするか判断する。
『それ』がどのようなものなのかに依存する。
(徹底的に分解したくなるかもしれん。形見のように抱きしめるかもしれんw)

・温存したまま解体するか。(スケルトン製品じゃないが、そんな感じw)
・解体し、ラベルのみのものとするか。(これを、始末と言っていいかもしれない)
・それ以上微分不可能なものとしてブラックボックスに仕舞い込むかw。
 (・・・これもやっぱり、始末することと同義かな?w)

というか、その問いの文章を受ければ、
「解明することが、始末することと同義になる」と答えることも可能だが?w
608素人:2007/04/18(水) 00:35:18
>>599
おそらく、
最高位の言いたい『ここにいる何か』は、
2500年というスパンの中でも仏教が想定していない部分なのです。
或いは、考察不要と等閑に付してきた部分かもしれません。
玉葱の皮を剥くように一枚一枚剥いでゆき、最後【ニ枚】のところで手を止める。
(最後一枚は【そこにあること】。手前一枚は【現に活動しつつあるもの】。
 といったイメージだろうか・・。
 この二枚の、もう一つ上の一枚を「我」というラベルとして採用し、
 能動性受動性を持つ【主体としての】最小単位とするような・・。
 (勿論、日常の自己ではない。それよりは深層のものとして。)
 それもまた、縁によって生じ、縁によって滅すのは言うまでもないが・・・。)

おそらくデカルトも、
最高位の言いたい『ここにいる何か』まで深くはないと思われます。
また、クオリアという概念(私はあまり好きではありませんがw)を関わらせるならば、
余計に古人の思想と直結はできないでしょう。

何度も言いますが、最高位の言いたい『ここにいる何か』が表層に浮き上がったり
(彼が頻繁に「誰が思考してるんだい?」「誰が見做しているんだい?」とすぐに日常レベルへ移行するように)、
或いは、万能の絶対者として振舞うようであれば、私はいつでも剣を取る。
609唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/04/18(水) 00:43:08
ある後期仏教経典に
「如実知自心」とあります
ありのまま、実の心を知る
仏教において
いや、すべてにおいてそれは重要なことでしょう。
610哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/18(水) 00:54:53
>>603
>素人氏はそれでもなお哲学しようとしているのにね。

彼は私に質問とかしてくるだけで、自分で哲学なんてしてないだろ

それとね
>思い込みで勘違いかましてくるな ボケが

と言ったのは、キミがスレ違いだと言った事に対してだろ

なんでそんなにアホなんだ???キミは

学生かい?
国語の成績悪いだろ

>>608
今回は、なかなかいいこと言ってるなと思ってたら
最後に
>何度も言いますが、最高位の言いたい『ここにいる何か』が表層に浮き上がったり
>(彼が頻繁に「誰が思考してるんだい?」「誰が見做しているんだい?」とすぐに日常レベルへ移行するように)、
>或いは、万能の絶対者として振舞うようであれば、私はいつでも剣を取る
   ↑    ↑     ↑
これが意味わからん
なんで剣なんかとるん?

というか、誰が考えてるのか?という疑問は、剣を取らにゃならん対象なん?
わけわからん・・・
611542:2007/04/18(水) 01:03:43
>>610
と思ってるのは君だよwそんなに自分を低く考えない方が良いよ。
>彼は私に質問とかしてくるだけで、自分で哲学なんてしてないだろ
彼の「私」以外誰が哲学できるの?もしかして君が彼の「私」になっ
て哲学しているのかい?君の「私」の考えは支離滅裂w
612194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/18(水) 01:14:26
お前らいい加減早くカールポパーの3世界論を学べ(俺も知らなかった)
そして真の世界包括理論である「3チャンネル理論」の境地に来い
ポパーの世界2を「感覚世界」としたのが「3チャンネル理論」だ
概念世界だけだと延々循環するぞ 懐疑主義は概念の性質からどこまでも
疑えてしまうんだ この罠に気づけ
613考える名無しさん:2007/04/18(水) 07:46:29
このスレ、テーマは良いけれど、ほとんど「論」がない。
人を論破したい気持ちを抑制して、もうちょっと
自分の論を展開することを考えたほうがいいです。



614考える名無しさん:2007/04/18(水) 08:33:21
>>613アホ同士意志疎通が難しいんだよwww
615素人:2007/04/18(水) 08:46:03
>>613
昨夜は少し大口を叩きすぎました。反省しています。
デカルトさんにも失礼致しましたw
が、私の基本スタンスは変わりません。(デカルトさんへの疑念も・・・。)
(必要となれば、斜め読みであった中論をまっすぐ読まねばならないかもしれませんが・・。)

「最高位の言う『私』」に関する応答から始まり、レスが重なっているとはいえ、
自説の簡潔なまとめができていないことを申し訳なく思います。  m(_ _)m
全ては私のスキル不足と、寛大に御容赦頂ければ幸いに存じます。



>>614
以上、アホが謝罪と言い訳に参りました。


ノシ
616ネコの味方:2007/04/18(水) 09:05:35
>>613
かのソクラテス先生も、やったことは“論破”だけです。「論」らしきものは
プラトンがのちにでっちあげたものでしょう?
現代哲学も然り。体系だった「論」を展開したら、笑いもの。まして、ここで
それをやれ、というのは…。
もし「論」が主張という意味なら、それぞれやっているのでは。
617考える名無しさん:2007/04/18(水) 09:13:22
>>616
>かのソクラテス先生も、やったことは“論破”だけです。

言葉足らずでしたかね。
論破したい気持ちが先走れば、論にならない、
したがって論破もできない、ということです。
ソクラテスには論があるから、論破もできる。
体系というほどではなくてもね。



618考える名無しさん:2007/04/18(水) 09:18:10
>>616
ところであなたはどうして、ソクラテスとプラトンを区別できるの?
619考える名無しさん:2007/04/18(水) 09:39:05
>>616
ついでにもう一つ質問。
現代哲学で体系だった論を展開すると「笑いもの」になると
あなたが考える理由はなんですか?

ニーチェが体系を嫌ってアフォリズムを好んだことの
流れが現代哲学にはあることはあるでしょうが、
しかし論理的な組織化がなければ、まともな学術論文には
ならないんじゃないかと思いますが。
620哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/18(水) 09:39:59
>>612

その論では、唯物論は正しいの?正しくないの?

>>613
私は世界で初めて『私』という観点から心身問題に対して、決着をつけているんだけどね
それに真正面から反論できないもんだから
論点をすり替えてきて
根拠もないのに「『私』はいない」 とかね
わけのわからないイチャモンばかりつけてくるんだよ
「それじゃ『私』を否定できていないだろ」と言うんだけどね
とにかく問題点のすり替えばかりだから、私も常に正そうとしているわけだが
全然理解できないみたいだから、いい加減ムカつくんだよね
アホすぎてね

>>615
キミはいつも、第三者の意見に弱いな(笑

しかしキミは、表面的な謝罪をしているだけで
意味は全然わかってねぇよな

>(デカルトさんへの疑念も・・・。)

疑念じゃダメだろ
キミの場合、その疑念も明確ではないんだよ
何がどう疑念なの?

また
その疑念を、私に質問するんじゃなくてさ
論旨に沿った形で、自分で疑念を解いてから、それをこのスレで主張してくれよ
621考える名無しさん:2007/04/18(水) 09:50:18
>>620
>私は世界で初めて『私』という観点から心身問題に対して、決着をつけているんだけどね

最高位氏、あなたのいう『私』は「心」でも「身体」でもないのですから、
心身問題とは何の関係もないのですよ。まだおわかりになりませんかw?
622哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/18(水) 09:54:16
>>621
心は、『私』の心なんだよ

キミが哲学的ゾンビであるならば、キミに関してはそうかも知れんが
私に関して言えば
『私』を抜きにした心など、ありえない
623考える名無しさん:2007/04/18(水) 09:56:06
>>615
なんだ、素人さんよ、こんな辺境にまで出張っていたのか。

世界の中心本社は原始仏教スレ23にある。出張費は出ないよ。

ここの田舎者たちには中論は無理だ。

去るものは去らず   来るものは来ず
生ずるものは生ぜず  滅するものは滅せず
産れるものは産れず  死するものは死せず

私なるものはサンスカーラによるものであり、
無常=無我=縁起により、在りて無きものである。 
624哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/18(水) 10:08:22
>>623
サンスカーラって何?
625考える名無しさん:2007/04/18(水) 10:09:30
DNAの保存拡大プログラムが「私=自我」を夢想(誤まれる思い込み)させる。
苦しみの始まりである。
626素人:2007/04/18(水) 10:15:51
>>620
>論点をすり替えてきて
>根拠もないのに
君は鳥頭で、尚且つ他人のレスをつまみ読みしかしないから解らないんだよw
決定論スレ40前後から、
私の過去レス(名前欄に記入されたものだけでもいい)をじっくり読み返せ。
少なくとも君よりは、一貫性のある筋道だったスタンスが基軸になっている筈だw
根拠も散見されるはずだ。

>キミの場合、その疑念も明確ではないんだよ
>何がどう疑念なの?
>論旨に沿った形で、自分で疑念を解いてから、それをこのスレで主張してくれよ
何度か、はっきりと発言している筈ですが?
ほんと、三歩歩いたら忘れちゃうんですね・・・w


>とにかく問題点のすり替えばかりだから

はっきり言う。
私の論点は最初から最後まで『私』に関わっている。
一度たりともすり替わってなどいない。(寄り道は当然あるが・・。)


自覚は無いかもしれないが、
君は、自身の理解力の無さにムカついているんじゃないかい?w  (´ー`)y━~~


>>623
どなたか存じませんが、辺境って・・・w (ま、当たってるかもしれんがw)

個人的趣味・興味なので出張費の請求はしません。自腹でやりくりしますw
627哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/18(水) 10:19:04
>>625
そういう説明方法は
客観的観点から、他人に関しては成り立ちそうに見えるんだけど

「それがなんで『オレ』なんだ???」
「なんでオレじゃなきゃならんかったんだ?」
「そもそも、なんで『オレ』って、いるの?」

という哲学的な疑問に対しては、全くの無力だね
そういう観点にも立てない知能の低い人が、あまりにも多いから
唯物論なんてものが成り立っているわけだが
やはり、いくら頑張ってみたところで
『オレ』の存在原因を
物理的観点から説明する事など、できはしないんだよ

『オレ』だよ『オレ』
『キミ』だよ『キミ』
キミが哲学的ゾンビではなく
主観性があるのなら、いつか理解できるはずだと思うよ
よく考えてみな
628623・625:2007/04/18(水) 10:28:58
>>624
saMskAraの定義自体に議論がある。
人間存在の根本にかかわるからだ。

原始佛教 その23
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/
の479あたりからの混乱した議論を参照ください。
629哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/18(水) 10:32:36
>>626
>>とにかく問題点のすり替えばかりだから

>はっきり言う。
>私の論点は最初から最後まで『私』に関わっている。
>一度たりともすり替わってなどいない。(寄り道は当然あるが・・。)

あのね
私は、『私』を物理的要素に特定してみなさい と言ってるんだよ

キミは、それに関して決着をつけようとしないだろ
正面から、その問題に直面しようとしないだろ
だから問題点をすり替えている と言ってるんだよ
なんで自覚できんの?

これができなきゃ、唯物論は崩壊するんだよ

まず、これに決着を付けてからなら、いろいろと論を広げてもよいが
論点をすり替えるのか? と言っているわけだ

唯物論者への私の問いかけに対して
キミは的外れな質問ばかりして、論点をぼやかす事によって邪魔をしているだけなんだよ

わかってんの?
わかってやってんの?
630考える名無しさん:2007/04/18(水) 10:36:25
>>628
>479あたりからの混乱した議論を参照ください。

無明が業を引き起こす。
シンプルなことじゃん。
君が混乱してるだけじゃない?
631哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/18(水) 10:41:50
>>628
そんなハッキリせんもんを持ち出してきて
なにやら断言されてもねぇ
言ってる事が論理的に、おかしいでしょう
632素人:2007/04/18(水) 10:45:47
>>620
再掲しておく。

>>594
>君は、『私』というモチーフを基点として唯物論を否定している。
> そしてそれが、君の様々な意見の根幹になっているのならば、
> 『私』について語ることは、イチャモンにも空気を読まない自己主張にもなるものではない。
> 論点の相違どころか、最大にして最終のネックである筈だ。決して等閑視できる事ではない筈だ。
> >論点は、唯物論の是非だ
> その基点となっているのが『私』なんだろ? それについて語ることが、なぜスジ違い勘違いなんだ?


『私』なくして、次のステップ「唯物論の正否」も何もないんだろ?
その『私』の【在り様】について、私は意見を述べてきた。
「関心がない。」?(>>586) 笑わせんなw
人の認識の限界を前にして早々にあきらめ、
胡坐をかいて安心している君のどこに哲学があるというんだい?


>>629
>あのね
>私は、『私』を物理的要素に特定してみなさい と言ってるんだよ

どの『私』かによるからだよ。(参考:>>566他、遥か昔の過去レス多数)

また、いろんな人が、いろんな見解を述べてきたと思うが?
私も仮提示した筈だが?
633考える名無しさん:2007/04/18(水) 10:46:25
五体不満足でも頭さえしっかりしていれば立派な人間である→Z武

ところが、おまえらみたいに、見かけに異常がなくても
脳みそがいかれてるやつ、つまりキチガイというのは
もはや人間であるかどうかも怪しい生き物である。
自己というものが不安定にゆらめいて
ときには蒸発してしまう。これは人間と呼ぶよりも
化け物・幽霊に近い存在である。
634考える名無しさん:2007/04/18(水) 10:48:52
>>622
>心は、『私』の心なんだよ
>『私』を抜きにした心など、ありえない

最高位氏、それでは
1.哲学的ゾンビでなく心を持っている人間は、すべて『私』である。
2.『私』は世界にいくつでも同時に存在できる。
ということで、よろしいのですね。

ところが、>>627では、早くも、そのような「客観的観点」が批判され、
>「それ(特定の私=自我=心)がなんで『オレ』なんだ?」
というのが真の問題である、ということになっております。
つまり、『私』は「心」とイコールではないわけです。
「心」を持つ人間は世界にいくらでも存在しますが、その特定の1つだけが
なぜ『私』であるのか、こそが問題なのですから。

こうして、あなたのいう『私』は心ではありません。もちろん身体でもありません。
こうして、あなたのいう『私』は心身問題とは何の関係もない、という
ことがわかります。
なぜおわかりにならないのか、まことに不思議w
635考える名無しさん:2007/04/18(水) 10:53:31
>>634
《心は、『私』の心》と《『私』は「心」とイコール》とは
全然違うぞ・・

636哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/18(水) 10:54:17
>>634
>なぜ『私』であるのか、こそが問題なのですから。

そうそう
それを物理的要素になど特定できないわけ

唯物論の破壊に関しては
自分自身をサンプルにするだけで十分なんだよ

他人に言及しなければならない理由など、これっぽっちもない
637哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/18(水) 11:03:19
>>632
>どの『私』かによるからだよ。

はぁ?(笑

全部だバカwwww

私の存在性に関して
どの観点からも、物理的に説明できなきゃイカンだろ

てかその前に、納得できるような回答が、ひとつも出てきてないだろwwww
私の質問を前にして、一歩も動けないんだよ 唯物論者はさ
話をすり替えること以外はね

何を誤魔化そうとばかりしてるんだよマッタクwww
638考える名無しさん:2007/04/18(水) 11:23:23
>>636
>唯物論の破壊に関しては
>自分自身をサンプルにするだけで十分なんだよ
>他人に言及しなければならない理由など、これっぽっちもない

おお、最高位氏、それは無理というものですw
あなたの本来的な関心は
「世界には無数の心と身体があるのに、その特定の1つだけがなぜ『私』なのか?」
というものです。
一方、心身問題とは「心」と「身体」の関係性を問うものです。唯物論というのは
それに関する仮説の1つです。

あなたの本来の問題意識は「他の心・他の身体」を視野に入れないと、すなわち、
他人に言及しないと、そもそも成立いたしません。記述不能です。
一方、心身問題は、対象が現に世界に存在するサンプルである限り、それが
「私の心身」であろうと、「他人の心身」であると、関係ありません。ですから、
他人に言及しなくても考えることができます。

「他人に言及しないで唯物論を破壊」したければ、「私の心」と「私の身体」だけを
サンプルにして、前者は後者とは独立に存在できることを示さなければなりません。
そのようなことが本当にできれば非常に画期的ですがw、いずれにしろ、それは
あなた本来の『私』の問題とは、何の関係もないわけです。
なぜおわかりにならないのか、誠に不思議でありますw
639考える名無しさん:2007/04/18(水) 11:24:17
私は物理現象によらないならば
私はなにで成り立ってるのか?
640考える名無しさん:2007/04/18(水) 11:30:31
哲学者最高位さんは人気者なんですね。
ここからこのスレを最高位さんの人気の秘密を探るスレにしませんか?

641素人:2007/04/18(水) 11:36:54
>>637
>全部だバカwwww

ほほうw
『私』に種類があること、複数あることをお認めになるのですね?w
(似たやりとりを昔しましたねw)

>どの観点からも、
これこそ論点すり替えじゃありませんか?
「一つの対象を複数の角度からみること」と
「複数の対象をそれぞれ記述すること」とが同じわけないでしょう?
この二者の違いがわかりませんか?w

>てかその前に、納得できるような回答が、ひとつも出てきてないだろwwww
あなたが納得するかどうかは別問題です。(納得する方もいらっしゃるかもしれませんw)

幾つもの仮説が提示され、真偽の程は未だわからない、というのが謙虚な判断じゃないですか?
仮説が提示できているという事実が問題なのです。
ある仮説が、もっともらしく提示できているとすれば、
その仮説には、そして、その仮説の依拠する論理には、妥当性がありそうだ、ということです。


この問いも何度となく投げかけてきました。
「この肉体によらず、どこに、どのように「私」はありえるだろうか・・?」と・・・。
642考える名無しさん:2007/04/18(水) 11:52:43
>>641
>この問いも何度となく投げかけてきました。
>「この肉体によらず、どこに、どのように「私」はありえるだろうか・・?」と・・・。

論点がよくわからんけれど、
最高位さんは「唯物論を論破した」と言い張ってるわけでしょ?
で、唯物論っていうのは、物質的なものを根源的なものと考える考え方だけど、
あなたの「この肉体によらず」っていう表現はあいまいな表現ですね。
人間に肉体があるかどうかではなくて、肉体が根源なのかどうかの問題でしょう?
643考える名無しさん:2007/04/18(水) 12:22:39
 硫化水素の海に発生した原初生命たる単細胞バクテリアに
「私」なるものがあったのかが問題となる。
人間は(シアノ)バクテリアの末裔にしかすぎないからだ。
そこには「私」=アートマンなどはない。

単に私と誤認させる意識現象が縁起しているに過ぎない。
自性はなく、連関現象なのだから無我だし、すべては
連動流動しているから無常であって、固定して把握できない。
ゆえに私=自我は記述できない。
644考える名無しさん:2007/04/18(水) 12:22:40
最高位は肉体(物質)に「私」の根源はないとだけ言っております。
それは唯物論でも不可能でどのような論でも不可能だということです。
ここから奇妙な世界へ足を踏み入ることになるのです。
645ネコの味方:2007/04/18(水) 13:23:57
>>643
ごもっともと言いたいところだが、これは世界を対象化した観測者
の一つの認識でしかないでしょう? これは観測者(の私)を捨象して
初めてそう言表できるという話し。
しかし縁起やら無我やら無常やら、あなた好みの言辞が客観性を装っ
た記述の合間にのたくっており、「私は記述できない」と言いながら、
あなたは「私」を表出させてしまっている。
便宜上、「私」を捨象することはできるだろうが「私」を事象に消去
することはできないということです。つまり「覚れない」ということ
です。
646ネコの味方:2007/04/18(水) 14:04:07
>>618
単なる私のカンです。
>>619
これも私のカンにしておいてください。論理的な組織化がダサく感じられる
のは、現今の風潮にすぎないのかもしれません。

ところで「まとも」って、どのレベルの話しですか。
647考える名無しさん:2007/04/18(水) 14:24:35
>>643
>単に私と誤認させる意識現象が縁起しているに過ぎない。
>自性はなく、連関現象なのだから無我だし、すべては
>連動流動しているから無常であって、固定して把握できない。
>ゆえに私=自我は記述できない。

>>623さんが「生ずるものは生ぜず 滅するものは滅せず」と
書いてるように、存在は、色即是空であるとともに、
空即是色でもあるわけで、空相の面からだけでなく、
有相の面からも見るのが仏教でしょう。
その両面がなければならない。


>>645
>便宜上、「私」を捨象することはできるだろうが「私」を事象に消去
>することはできないということです。

ピントはずれのレスに対して、これまたピントはずれのレス。
色即是空を語ることのできる私は、私そのものが空化されていなければならない。
それに対して、「捨象する」には、捨象する主体が必要。
捨象と空化は違う。
648考える名無しさん:2007/04/18(水) 14:41:18
>>642
> あなたの「この肉体によらず」っていう表現はあいまいな表現ですね。
> 人間に肉体があるかどうかではなくて、肉体が根源なのかどうかの問題でしょう?

あいまいといえばどちらもあいまいだと思いますが、
「この肉体によらず」という表現は「肉体が根源なのかどうかの問題」を表現した言葉かと思います。
実際の人間は心と肉体でできているととりあえず考えると(これはこれでごく一般的な見方と思いますが)「肉体が根源なのかどうかの問題」は、
肉体があるのに心がない状態、肉体がないのに心がある状態などというようないくつかの可能な状況を想定することで考えてみることができると思います。
「肉体によらず」とはこの場合の後者を表現した言葉かと思われます。

これが最高位の論点とどう結びつくのかはとりあえず置いておきます。
649ネコの味方:2007/04/18(水) 14:46:20
>>647
「ピントはずれ」はそのとおりでしようが、あなたの批判もまたピント
はずれ。捨象は便宜上のもの、主体の隠蔽にすぎない、というのが私の
主張。
しかし「私」を消去する、あなたの言葉を借りれば“空化”することは
無理だろうと述べているだけ。換言すれば、「私」には色即是空を語れ
まい、ということだ。
これまでに、だれかその境地に達した人はいるの?

650考える名無しさん:2007/04/18(水) 15:27:32
唯識の出番。
651542:2007/04/18(水) 16:41:23
>>637
>私は世界で初めて『私』という観点から心身問題に対して、決着をつけているんだけどね
って言っている君の「私」の考えがおかしいよって言ってるんだけどね。
論点は「私」そろそろ理解できた?
652542:2007/04/18(水) 17:11:43
>>637
君の「私」は「私」について哲学するきはないようだから何を言われても例
えそれが真理であったとしても「私」を解ることができないw
>そんなハッキリせんもんを持ち出してきて なにやら断言されてもねぇ 言っ
てる事が論理的に、おかしいでしょう
君が本当に「私」について哲学しているのならこんな言葉は絶対に出てこな
い。
653考える名無しさん:2007/04/18(水) 17:13:22
私は、物質ではない。
肉体という物質に宿る魂である。
魂の進化向上こそが、私の存在する意味であり
人類が存在する意味でもある。

私たちの存在は物質の次元を超えている。
だから、物質の現象を研究の対象とする現代科学では
魂の存在を証明することはできない。
現代人は、それを知る必要がある。
654考える名無しさん:2007/04/18(水) 17:26:45
機械スレでも言ったけど
最高位は唯識に名言とほめられていたことがあったけど
なぜそれを喜ばないんだ?同じ観念論者だろう
655考える名無しさん:2007/04/18(水) 17:32:12
最高位はほめられれに来ているわけではないのです。
あくまでも唯物論を批判するために来ているのであります。
唯識は曖昧模糊としていて持論をなかなか展開しません。
識のみとなってしまったことでそうするしかないのです。
唯識も本気で最高位をほめてはいないでしょう。
656考える名無しさん:2007/04/18(水) 17:56:30
>>653
>私は、物質ではない。

同様に、物質の並びや構造は、物質ではない。それだけのこと。
657考える名無しさん:2007/04/18(水) 18:03:43
>>656
物質ではない何かに気づかなければならない。
658考える名無しさん:2007/04/18(水) 18:09:46
そもそも物質とは何か?
659考える名無しさん:2007/04/18(水) 18:23:26
物質とは素粒子の振動である。
660Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/04/18(水) 18:27:17

   (( (ヽ三/)     (ヽ三/) ))
      (((i )_____  ( i))) 
     / /⌒   ⌒\ \
     ( /-= ・=-∴-=・=-\ )   
    / ::::::⌒(__人__)⌒::::: \   はたしてそうかな?
    |               |  
     \              /
661考える名無しさん:2007/04/18(水) 18:40:55

なんだここは! 本当の自我=アートマン信者が多いな。

で、そのうち名称如何にかかわらず全ての根源=ブラフマンを出してくる。

そして、アートマンとブラフマンを合一させて一丁あがり。梵我一如の完成だ。

                数千年前と同じ論法、ご苦労!

662ネコの味方:2007/04/18(水) 18:54:20
>>659
素粒子なるものは、概念なの?実体なの?
それが振動しているとの表現は比喩ですか。それとも事実ですか。
663考える名無しさん:2007/04/18(水) 20:42:48
素粒子とはエネルギーである。
振動しているのは事実。
664ネコの味方:2007/04/18(水) 21:14:42
>>663
ということは、素粒子は計量できるわけですね。
また“振動している事実”を観測したわけですね。
665考える名無しさん:2007/04/18(水) 21:26:14
観測したから振動しちゃったのかもしれないね・・・。
観測される前は止まってたのかもしれないね・・・。

いや、観測される前は、存在しなかったのかもしれないね・・・。
ってことは、素粒子は振動しているもの、ということか・・・。
666ネコの味方:2007/04/18(水) 21:27:41
>> 素人さん
機械スレで面白い議論をしています。あなたは、どちらに同感しますか。
よほど突っ込もうかと思いましたが、さすがに分をわきまえないとね。

長崎から帰った翌日に事件が起きました。
667考える名無しさん:2007/04/18(水) 21:27:45
2500年前にゴータマ・ブッダの瞑想による自己探求によって発見された。
そして近年、加速器で観測され、超弦理論においては全ての素粒子は
有限な大きさを持つひもの振動状態であるとされる。
668素人:2007/04/18(水) 22:49:31
>>666
難しくて読んでませんw
読んで感想言った方がいいですか?

「決定論」という大枠については、スレ30〜40辺りでスタンスの表明はしています。
「決定論はスルーします」と。

観測については、ミクロな部分へ倍率を上げると、私には参加できません。
ただ、すべてのシチュに於いては無理かもしれませんが(特にミクロな場面に於いて)、
メタな視点(という言い方で宜しいのでしょうか・・?)を採りうることもあるのではないかと思ってます。
勿論それは、(あなたの嫌うw)捨象というテクニックを用いてということですが・・・。
ただ、何度か述べたように、
当然のこととして前提とすること、或いは既に分析の済んだ部分については大前提として受け入れること、
ブラックボックスを設けること、が悪いとは思いません。
何が、どのような理由で捨象されているのか、ブラックボックスへ仕舞われたのか、
を冷静に把握できていれば、不都合はないと思います。
また、人は、何らかの世界観を形作ります。(意図したものであろうと無自覚なものであろうと。)
【その世界観に於いて】【必要でないもの】は、「基本的に」捨象の対象です。
シュレーデインガーも、
オーブンに入れたパイが焼けてるか焼けていないかは扉をあけるまでは判らない、
などという日常を送ったわけでもないでしょう?(よく知りませんが・・・w)

『私』においてメタな視点が可能かどうかは、認識論からの批判は重要ですが、
ミクロな、量子力学や不確定性のような分野とは、名刺交換くらいでよいのではないでしょうか?
(事例・喩え:医療や手術で、不確定性原理が重要な役割をはたしているでしょうか・・。
        不確定性原理や量子力学に基づいて治療が行われているのでしょうか・・・。)
669考える名無しさん:2007/04/18(水) 22:59:40
脳は物質だから意識は必然に過ぎない91-233
心は主観性であって、すなわち『私』です (哲学者最高位)

ようやく『私』が心という実体に依拠することを認めたようだな。
以前だったら、「『私』の心だ」というスタンスだった。
670考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:01:24
じゃあ心の定義とはなんなのかが問題だな
671考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:04:03
>>668
>(事例・喩え:医療や手術で、不確定性原理が重要な役割をはたしているでしょうか・・。
>        不確定性原理や量子力学に基づいて治療が行われているのでしょうか・・・。)

量子力学の成果によって向上した部品を使っている計算機や測定機器によって、
医療で使用するデータの分析が向上し、結果、人が助かったりしている。
672考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:21:27
心は主観性であって、すなわち『私』である。

ならば、
「ここに私が居る、と思っている心が存在する」と書き換えてもいいだろう。
デカルトの思う精神(魂)と同じようなものじゃないか。
673素人:2007/04/18(水) 23:22:34
>>671
そうですか。ありがとうございます。
事例が悪かったですね。もう少し拈提してみます。



ん〜・・・  でも、なんかむず痒いな・・・
治療行為そのものに(→まさに治療しているその時・その行為に、量子力学や不確定性原理が)関わっているんだろうか?
量子力学や不確定性原理に基づいて(→それらの理解と直接の応用によって)術式・治療が行われているのだろうか・・?
674考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:36:45
>>671
MRIだね。
PETは含めていいのか悪い何か……
675素人:2007/04/18(水) 23:44:18
寝る前にもう一言。

夜なべして手袋を編んだ母さんは、
量子力学を駆使し、不確定性原理に基づいて手袋を編んだのだろうか・・・?
無意識のうちに・・・てか、
自らは知り得ないレベルで「編む」という行為に量子力学や不確定性原理が作用するから、
手袋は編み上がったのだろうか・・・。


ノシ
676どどど素人:2007/04/18(水) 23:52:41
>>583
何かを知ってる口ですね。w


てかさ、別に、我より上に人がいてもいいじゃまいか。

グラスの底に顔があってもいいじゃないかと、
俺はグラスを片手に言うのだが、キミ等は決まって
そんなのあるはずが無いと平気な顔して言うんだよな。

と思っていても、いつの間にかクタクタなのは誰のせいだよ。

おれの脳味噌でセロトニン生成してくれよ。www
677どどど素人:2007/04/18(水) 23:54:12
計測器のゲージ見て量子力学ですかそうですか。
678どどど素人:2007/04/18(水) 23:56:15
>>671
どうもどうも暗号化ではお世話になっております。
679どどど素人:2007/04/18(水) 23:58:10
>>670
単なる現象。

変化であり、事であり、イベントだな。

少なくても物じゃないのは確かだが?。
680どどど素人:2007/04/19(木) 00:01:57
>>653
同様に、物質なくして魂もない。

これらは平行していて交わることが無い。

が、対が無ければ己が無い、相互に並行的に干渉しているよ。

ま、並行的な干渉じゃなくてもいいけどさ。
681哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/19(木) 08:57:28
>>638
>あなたの本来的な関心は
>「世界には無数の心と身体があるのに、その特定の1つだけがなぜ『私』なのか?」
>というものです。

ん? 本来的な関心は って勝手に決めるなよwww
私が聞いているのは
「『私』は物理的な何の要素なのか」 だぞ?
勝手に勘違いして思い込むな バカ

>>641
しかしキミは、つくづく会話の成り立たん人間だな
正面から質問に答えなさい と言ってるんだよ
それから
>『私』に種類があること、複数あることをお認めになるのですね?w

はぁ? 頭おかしいんじゃないの? 観点の問題だぞ?
いろんな観点から考える事ができる って事であってね
私の『私』に種類があってたまるかよ 基地外が

>幾つもの仮説が提示され、真偽の程は未だわからない、というのが謙虚な判断じゃないですか?

で、仮説って何? 有効な仮説なんて聞いた事ないよそんなもん

>この問いも何度となく投げかけてきました。
>「この肉体によらず、どこに、どのように「私」はありえるだろうか・・?」と・・・。

そんなもん関係ないぞ
そんな事は子供でも最初っからわかっている
それが、すり替えなんだよ
てか、そこにしか考えがいかないのが、唯物論者の知能の低さと言うべきなのかな
というか二人とも、せめて最低限、普通に会話ができるようになって下さいよ
682考える名無しさん:2007/04/19(木) 10:04:05
 で、こんな議論で何がやりたいの?

 哲学趣味者は、個人や世界だのを様々に解釈してきたにすぎない。
大事なことは、変えることだ。

何故変えるのか? 生存する苦しみを克服するためだ。

 この根本的な実践的課題に資さない立論は〜たとえ真実だったとしても〜趣味にしか過ぎない。
形而上学的抽象論(例えば観念論か唯物論か)は、豚に喰わせろ。
683哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/19(木) 10:41:17
>>682
キミは哲学には向いていないよ

How to本でも読んでた方がいいんじゃないかな

生存する苦しみを、克服できるといいね^^
684考える名無しさん:2007/04/19(木) 10:48:00
>>683
キミも哲学には向いてないよ。
論破されていることに気がつかないし、
唯物論破壊だとか勘違いしたアホな事ばかり言い続けて、成長がまったくないし。
685哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/19(木) 10:58:11
>>684
私が論破されたなんて、何を勘違いしてるのかわからんけど

じゃぁ
まず私という主観性を、物理的要素に特定して下さい
結局、私は物理的な何なんですか?

私という自由意志を持った主観性を、物理的要素に特定できるならば
その要素によって作成できるはずですよね

それを解明できる根拠でもいいですから
感覚的な空想ではなく、論理的に示してくれませんか?^^
686考える名無しさん:2007/04/19(木) 10:58:48
>>682
それ、唯物論者に言えよ
687考える名無しさん:2007/04/19(木) 11:07:22
>>685
>私が論破されたなんて、何を勘違いしてるのかわからんけど

キミは論破されてもアホだからそれを認識できないだけだよ。
キミに言っても無駄だし、みんなわかっているけどね。
688哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/19(木) 11:14:43
>>687
そんな抽象的な批判はいいから

私の提示した問題に解答しなさい
689考える名無しさん:2007/04/19(木) 11:15:40
>>688
する必要ないよ。
690考える名無しさん:2007/04/19(木) 11:17:19
>>681
>私が聞いているのは
>「『私』は物理的な何の要素なのか」 だぞ?

最高位氏、そのどこにも「心」が出てこないでしょう。このことは、端的に、
あなたの疑問は心身問題とは何の関係もない、ということを意味しますw
ここで、「心」を出しても、同じことです。あなたの疑問は
>「『私』は心理的な何の要素なのか」となります。
やはり、心身問題とは何の関係もありませんw

以上のことを(不純な動機や混乱を除いてw)整理すると、あなたの本来の関心は、
>「世界には無数の心と身体があるのに、その特定の1つだけがなぜ『私』なのか?」
となるわけです。
ちなみに、これは永井均氏がずっと前から追求している問題で、氏自身が
「自分の疑問はいわゆる心身問題とは何の関係もない」と強調しています。

心身問題というのは、世界に無数にある(とみなされる)人間個体における
心と身体の関係性をめぐるものであって、それが『私』であるか他人であるかは、
全く問題ではないのです。
なぜおわかりにならないのか、まことに不思議w
691考える名無しさん:2007/04/19(木) 11:17:21
>>688
する必要ない。
唯物論の要件とも関係ないし、唯物論を支持しているわけでもないから。
ただ唯物論を否定することができないことはわかっている。
692考える名無しさん:2007/04/19(木) 11:46:27
>>685
>私という自由意志を持った主観性を、

この間は、自由意志はあるかどうかはわからない、と言ってたね。
一貫してないんだね。まあ、いろいろ考えが変わってしまうのは
仕方ないことだよ。
693考える名無しさん:2007/04/19(木) 11:53:14
>>690
>なぜおわかりにならないのか、まことに不思議w

不思議ではない。最高位が低脳なだけ。
694考える名無しさん:2007/04/19(木) 11:59:13
>>683
>キミは哲学には向いていないよ

 それゴータマ・ブッダに、さらに龍樹に言えよ。
 哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2はブッダや龍樹を超えるのか?
 スッタニパータ877・878以下参照。中論第十二章及び第二十三章以下参照。
695考える名無しさん:2007/04/19(木) 12:05:22
このスレには「唯物論は否定しきれない」とする非唯物論者が結構い
ると思われる。最高位は単純思考だから、自説にいちやもんつけられ
ると、「こいつは唯物論者に違いない。」と考えてしまう。痛すぎw
696考える名無しさん:2007/04/19(木) 12:24:47
思考方法が二項対立相対論に陥っているところが痛い。

まあ、これでは的外れで、なんにも変わらない趣味者の井戸端雑談なんだし、

ドーデモイイデスYO!  看よ、看よ、蝋月 尽く!
697最高位を論破した者542:2007/04/19(木) 15:23:13
>>685
君の支離滅裂な発言は混乱を招くだけだからね。。。これ以上は俺には言わ
せないで。

君は「私」は記述できないよって唯物論は否定される。
俺は君の「私」は支離滅裂よって君の唯物論の否定は否定される。
恥ずかしがる事はないよ「私」とは本当に難しい事なんだから。
698最高位を論破した者542:2007/04/19(木) 17:48:03
>>685
>そんなハッキリせんもんを持ち出してきて なにやら断言されてもねぇ 言っ
>てる事が論理的に、おかしいでしょう
これを君の論に置き換えるとw
そんなハッキリせんもん=「私」
なにやら断言されても=唯物論の否定
言ってる事がおかしいでしょ=言ってる事がおかしいでしょ
君の「私」は支離滅裂w
一応論理的に君の論を否定しといたよ。
699考える名無しさん:2007/04/19(木) 18:09:12
>>697-698
煽りか?でなきゃ
入院したほうがいい。
700考える名無しさん:2007/04/19(木) 18:21:13
>>698

何を仰せる!
「私」の存在性が在るは、明らかとしておるではないか!
主客の別離より逃れられぬは御主の甘さより発っせし問いぞ!
701最高位を論破した者542:2007/04/19(木) 18:30:13
>>700
何を言っているのか解らないと云う事は解りました。
普通にしゃべって。
702最高位を論破した者542:2007/04/19(木) 18:41:01
>>699
いい加減哲学をしたら?
哲学が解らないかw
703考える名無しさん:2007/04/19(木) 18:47:16
>>698
私が存在することははっきりしているよ。
私がどういうものかはわからなくてもね。
世界の全てがまぼろしだったとしても
それを感じている私がいることははっきりしているよ。
704最高位を論破した者542:2007/04/19(木) 19:18:03
>>703
俺はね「私」を否定しているんじゃない。
哲学者最高位氏の「私」の考える「私」が支離滅裂だから否定している。
705どどど素人:2007/04/19(木) 20:21:30
>>704
哲学上語られてきた私に関する論文をキミが知らないだけだろ。w
706最高位を論破した者542:2007/04/19(木) 21:07:05
>>705
論文読んで知ったきにならないで哲学しなきゃダメだよ。
もう少し考えて意見は言わないとw
707ネコの味方:2007/04/19(木) 22:29:16
>>682
おうかがいしますが、あなたの言う“生存する苦しみ”って何ですか。
708194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/19(木) 23:56:45
俺のことは完全スルーかい
本当の答えを言うと嫌われるのが日本なのかなぁ・・・
709考える名無しさん:2007/04/20(金) 00:01:00
682ではないし、ここで語る気もないが、
>>707
苦について語る際は、
価値観(の設定)や世界観(の枠組み(枠内に於ける基準))無しには語れないよ。
それでもいいの?

オールマイティな、苦の定義はあり得ないと思うけど・・・。
もしありえたとしても、唯物的な無味乾燥なものでしかないでしょう。
それでも、定義であり記述であることに変わりはありませんが・・。
究極の一対一対応でなければ、ある「反応・脳内のパターン(&身体的変化)等」があれば、
その人は苦を感じている、苦と感じていると言えるかもしれない。(嘘発見器みたいだなwww)

「ごめん、苦労かけるな・・・。つらいだろ・・・?」
「うううん、そんなことない。結構楽しいよ」
データを取ったら、たっぷり苦を感じてたりしてw


けど、その疑問は、素粒子や量子力学なんかよりずっと、君の問と直結している。
源氏物語や最後の晩餐の価値と同じようにね。或いは、「ホームラン」はどこにあるのか?とかねw
仮に、すべてが脳内のパターンだとしても、クオリア(この言葉はあまり使いたくないがw)とでも言うのか、
その(たとえば苦という)質感そのものは、どのようなものか?という問いも生じよう。
それはどこにあるのか?(当該パターンを知覚するパターンがあるのでは?というところか・・・)
なぜ、そのパターンが苦という概念(別のパターン)と結びつくのか?(経験・学習と思われるが)
同時に起こっているかどうか、断続的に連関した流れの中のものなのか?という問題もあろう。
だから、脳科学の成果は楽しみなのだw(まとまった読み易い本は無いかなぁ・・)

とまあ、妄想はともかく、今現代でわかるレベルまで倍率を上げて考察するなら、
やはり、「価値観(の設定)や世界観(の枠組み(枠内に於ける基準))」に依存した判断・概念である、
としか言えないんじゃないかな・・・。


幸せは似通っているが不幸は千差万別である、とは誰の言葉だったか・・・。
710考える名無しさん:2007/04/20(金) 02:57:25
>>709
んなことはない。
「幸せは似通っているが」
これも千差万別で、もまいが似通っていると認知しているだけにすぎない。
711ネコの味方:2007/04/20(金) 08:45:43
>>709
682 の利いたふうな言い方に対して軽い突っ込みをいれたら、あなたから
重い意見をいただきました。
いまは、(現代の唯物論が依拠する)科学的認識の底を覗いてみたい、との思い
があります。まぁ、覗いてもよくみえませんが…。

その言葉は、トルストイの『アンナ・カレー二ナ』の冒頭の一節ではないで
しょうか。それよりも前に、だれかが述べた言葉を彼が引用的に使ったの
かもしれません。

いろんな場面であなたの名前を出しますが、そこんところはよろしく。
712考える名無しさん:2007/04/20(金) 08:47:24
>>711

機械の自演はなぜこれほどヘタなのか?
713考える名無しさん:2007/04/20(金) 09:39:04
>>682
>生存する苦しみを克服するためだ。

に対して、

>>707
>おうかがいしますが、あなたの言う“生存する苦しみ”って何ですか。

とは、
まったく頓珍漢な会話だなぁ・・

こんな会話をしてるから、「苦の定義は・・」なんていう
ばかばかしい話になっちゃうんだよ・・

君に生存の苦しみが無いのなら、はっきりそう言えばいいだろう。
あるいは、苦しみはあるけれども、それを克服する必要がないと思うのなら、
そう言えばいい。そしてそう思う理由を言えばいい。
714考える名無しさん:2007/04/20(金) 10:18:40
最後三行はイイ線いってるが
それでも少々浅いなw

>頓珍漢な会話
などと言っているようじゃ・・・ (´ー`)y━~~    >>713
715考える名無しさん:2007/04/20(金) 10:31:21
あ、
709は 倍率を上げる じゃなくて 下げる だな・・(^^;
716考える名無しさん:2007/04/20(金) 17:41:39
>>708
浅いからレスする必要を感じない
717ネコの味方:2007/04/20(金) 21:40:14
>>712
文章が下手という意味?それなら認めるけど。それとも自演が下手でバレバレ
ということ? いつぞや最高位追放騒動が起きたとき、最高位の自演だと散々、
罵られたことがある。こんどは機械氏の自演ときましたか。
これは昇格?降格? 素人さん。
718ネコの味方:2007/04/20(金) 21:46:09
>>713
ここは“生存の苦しみ”とその克服のしかたを披瀝しあうスレだったのか。
まぁ、語ってください。聞くだけは聞きます。
719考える名無しさん:2007/04/20(金) 21:47:45
>>717
田村でも金。谷でも金。
そして残念ながら、ママでは銀でした。  >>YAWARAちゃんw

そんな感じでは?
次も自演と言われれば、YAWARAちゃんを超えられますw
720194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/20(金) 21:56:50
>>716浅いと思ってた事がとんでもなく深かったりするんだぜ
勇気を出して深淵を覗いてごらん?
それは危険を伴う体験かもしれないがな
721194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/20(金) 22:44:45
記述することや還元できることが決定的に重要なのでは無い 対立してない事が重要なのだ
互いに相関して付随してる事が重要なのだ 日常意識も言語も3世界が付随する 
3世界の境界においての相互作用を「厳密に記述し還元する事ができない」
という絶望に触れなければ私の境地にはたどり着けない
世界を語れるのはこの3者であり 3人とも語れない世界と語れる世界がある 



    感覚        概念        物質

どれも独立性を持っている それは侵す事ができないそれぞれに閉じた世界である
どれも「世界」として語られてきた
感覚の世界 概念の世界 物質の世界
感覚の私  概念の私  物質の私 
「クオリア言語ゲーム素粒子の世界」
この3世界を少なくとも「世界」と呼んできた限り
新しい「世界」の定義が必要であろう
それは「連界」と名づけよう 俺は新しい箱の名づけ親ゴッドファーザーだ
俺は連界の神だ!!連界の創造主だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
722考える名無しさん:2007/04/20(金) 23:01:04
>>721
侵す事が出来ないと感じるのは、その三つが同じものを指すからじゃね?
「私」が感覚世界から見るから、物質世界の「私」や概念世界の「私」が
別に生じて感じるだけに思うけどねぇ…
723194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/20(金) 23:29:46
そう 概念から見れば「世界など無い」「5分前にできた」とかも言える
「私の主体性」とかもいえる「天国」「魂」もある 物質世界から見れば
単なる動き(物質の法則を観測するものもいない世界)
感覚のみで言うと「生じて感じるだけ」感覚は感じるだけ
概念はそのまま概念にみ物質的なものは無い
しかし概念を操る時に感覚や物質の連動した付随はある 付随はあるがそれは同じものでは無い
「気持ち好い」という概念があり快感という感覚があり脳内麻薬があるが
同じものではない 同じものでは無いが付随性があるというだけ
そういう意味で独立性がある
724考える名無しさん:2007/04/20(金) 23:35:12
>物質世界から見れば

観測するものもいないのに、誰がどうやって見るんだ。

>付随はあるがそれは同じものではない

そんなこと、誰がどうやってわかるんだ。
725考える名無しさん:2007/04/20(金) 23:41:56
最高位のアホ
お前は唯物論を論破できていないてのはわかってるよな?
726考える名無しさん:2007/04/21(土) 00:01:11
>>725 せっかく静かになったのに何で煽るかねぇ?
おちょくるのが面白いのかもしんねぇけど、その強引な煽りは面倒臭ぇよ。
727考える名無しさん:2007/04/21(土) 02:15:28
>>723
いやいや…単純に刺激の強弱や連動が「気持ち好い」そのまんまじゃん。

だからね、194も自分で言ってるけどさ、「感覚は感じるだけ」なんだって。
要はこうして何かを考えたり感じ取ったりしてる「私」の意識で出来るのは
ただ「感じる」事だけだろ?(物理的には「反応」と呼ぶんだろうが)
その「感じる」事だけしか出来ない「私」の意識が、物質や概念として「感じる」から
別に生じて感じてるんじゃね?って事。

物質は、この肉体と同じ様に要素の集まりなわけだけど、肉体の要素を通して、
物質としての要素を「私」の意識が「感じる」。
概念も、「私」の意識が、あれとこれとそれと…と複数の要素を複合体にしたものを
イメージとして「感じる」。
で、それを『「感じる」「私」』ってのも要素の複合体なわけで、その要素の複合体で
ある「私」の意識も「感じる」事で感じ取ってる。
ついでに言うと、意識と物質の要素の感じわけなんぞ本質的には出来て無い。
どう感じるか?の「どう」の部分は複合具合だけ。
でもそれは独我論的な世界観じゃなくて、私と感じ得るものが「私」の意識だから、
私は「私」の意識でしか世界を捉えようが無く、「私」が「感じる」事すら「感じる」しか
出来ないだけ。「感じる」を連呼すると主観的な見方に思えるけど、その実自分自身
でさえ客観でしか捉えきれてない事は、周囲を感じ取るのと同様に自分を感じ取って
る事で分かる。実際刺激を受けてるのは「私」を形成する要素であって、「私」の意識
じゃないだろ?「私」の意識は要素が受けた刺激の感覚が統合化してるだけ。
要素を形成する要素…ってなミクロの流れから、「私」を形成する要素、「私」、家族、
集団、国、星、系、世界…とマクロに向かって統合は進んでる。(進むってのも変だが)
って事は、「私」の意識もまた世界の体系を形成する一つの要素ってだけで、「私」の
意識を中心とした独我論的世界では在り得ないわけだ。
728考える名無しさん:2007/04/21(土) 02:16:08
つづき

こうして言葉にするともの凄く長い上ややこしくなって鬱陶しいな。
自分で書いててもこんがらがってくる。意味不明だったらすまん…
でも、ごく単純な原理が網の目の様に広がってるだけなんだ。
(「私」を重要視すると見え難くなるだけ)

数字的な世界でも物理的な世界でも、原理の表現は出来るだろう。
全て数字に置き換えても、全て信号に置き換えても同じ事。
ただ物質だけとか、ただ観念だけとか言うのは、原理説明の表現の違いだけで、
どっちが上手く説明出来るかだけの論争に思えるんだわ。
729考える名無しさん:2007/04/21(土) 08:17:14
要素の複合体ではあるが、それら各位は外界のような
座標上の点在ではない。それ(意見)は内界では座標が無いか、
もしくは中心ですべてが存在している。多様の様式。
有る時は有る意見が全てとなりそして支配する。
よって実存なり。
730考える名無しさん:2007/04/21(土) 21:52:58
「私」が存在するなら、「他者」が存在する。
「他者」が存在しなければ、「私」は存在しない。
731194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/21(土) 21:56:10
>>728概念を使用してる時にも志向性クオリアや単なる「語感」
という感覚はある それを概念と混同してはいけないですよ?それつきつめると単なる観念論
概念は言語シンボルの世界だ 感覚は言語化以前のクオリアの世界「私以前」の
感覚を持つ主体性の世界(これを出発点にすると独我論)
物質からなる世界を基点に客観的に概念として捉えると唯物論
どれも世界の説明としてなりうる しかしそこでは「世界」の意味合いが
微妙に変わってくるために話し合いは永遠に解決しない 出発する定理がちがうので結果も違う
それはそれぞれの世界のユニークさからなる問題なんだ 
どの3世界を自分で「世界」と定義してるかよく考えてみるといい
その定義通りの結論を君は間違いなくだすから 
そしてそれは違う定理を選んだ人間とは「世界が違う」という断絶になるよ
732救求者改め夢見る者 ◆qg6Yj0tqSg :2007/04/21(土) 22:31:29
>>731
私は「存在」(existans)を、「現象」(phantasia)と「理」(ratio)ないし「関係」(relatio)とに区別する。
現象とはクオリアのようなもの、関係とは概念のようなものと考えて差し支えない。
しかし、私には次のことが気にかかる。

思考や言語もまた現象ではないのだろうか?
語感から感覚を取り除いた純粋な概念を、人間は手に入れることができるのか?

いうなれば、関係それ自体を把握することはできるのか?
私は、関係の記述しか把握できないのではないか?

このへんについてはどうお考えだろうか。
733夢見る者 ◆qg6Yj0tqSg :2007/04/21(土) 22:39:59
端的に言うと、なぜ言語だけ他の存在よりも特別扱いなのかということだ。
734考える名無しさん:2007/04/22(日) 09:38:46
関係を表象する手段だからじゃないの
735考える名無しさん:2007/04/22(日) 13:23:10
情報を「伝達」する手段だからな。
736どどど素人:2007/04/22(日) 13:36:59
>>706
読んで全てを否定するだけなら、俺にも出来るよ。w
737考える名無しさん:2007/04/22(日) 14:04:51
>>736
煽りをいちいち相手にすんな
738 ◆3zNBOPkseQ :2007/04/22(日) 18:43:39
739考える名無しさん:2007/04/22(日) 20:39:28
>>682>>709に対し意見を述べます。

苦しみの克服について、方法を突き詰めて行くと
『自由』という結論になるのではないかと思いますがどう思いますか?

苦しみが存在し、苦しみが変化するという現状があり、
克服しようと様々な方法を人間は行っていますが、
苦しみを克服するという行動全てに共通するのは
「人間が自由に現象を変化させる」という事だと思うので、
その苦しみを克服するという行動の根源は『自由』ではないかと思います。

なので、苦しみを克服するという目的があるならば、
どうやってこの役に立つ自由というのを増やすか?という事が重要だと思いますが
どう思いますか?

個人的には、仮に自由というのが人間にあるならば、なぜ脳の一部しか(神経に信号を送る部分)自由ではないのか、
自分達はどうやって自由に動いてるのか?などを考えるとヒントになるような気がします。
740考える名無しさん:2007/04/22(日) 21:23:22
>>739
自由であれば苦はない、ということ?
(自由な判断・行動であれば苦はない、ということ?)

自由をもってして苦をなくす、ということ?
(自由な判断・行動をもってして、苦の消失を目指す、ということ?)
741考える名無しさん:2007/04/22(日) 21:33:04
黙ってれば聞こえてくることもある
だからといってそれを幻聴と
割り切るのは安易過ぎる
お互い理解しあえるようにがんばろう!
742夢見る者 ◆qg6Yj0tqSg :2007/04/22(日) 22:01:59
>>734
言語が関係を表象する手段だとすると、関係そのものはその手段とは別個に
認識されうるように思われるのだが、それは可能なのだろうか?
言い換えれば、言語なしで(あるいはより広く記号なしで)直接的に関係そのものを
把握することはできるのだろうか?

>>734
情報をもう少し定義していただきたい。
743考える名無しさん:2007/04/22(日) 23:26:06
>>731
私で言うところの「私」の意識ってのは、人間としてのこの私に限らず、
万物それぞれの複合の和として現れるものだと思ってるから、
万物全てに通じなければ原理とは言い難く思うんだわ。
要素は複合化するけど、その複合化したものはまたあるものの要素になる。
要素として、あるいは複合体として捉える事は出来るけど、
関連によりその立場は常に揺れ動いてるんだから、要素である事と複合体で
ある事は一つに思うんだな。

>どの3世界を自分で「世界」と定義してるかよく考えてみるといい
>その定義通りの結論を君は間違いなくだすから 

定義と言うほどでも無いけど、上記の通り、この世界は要素であると
同時に複合体であるもので形成されていると思ってるよ。
連なる事で世界としての体系を築いている。
私が何かを捉える時、私はこの「私」としての感覚でしか捉えられない。
でも(しつこいけど)その場合、私は「私」の意識でしか何事をも感じ得ないから
そうなるだけに思うんだな。

例えばさ…
鏡の前に私(要素)が立って、鏡に映った「私」(要素)の像を見る。
像を見る事で私は、鏡の前に立つ私と像である「私」の複合化になる。
次に、複合化した私(要素)が、複合化した「私」の像(要素)を見る。
見る事でそれぞれに要素であり、複合体である関連を繰り返しながら複合化が進む。

鏡に映る時点で変化を起してるけど、まぁ…長くなるので細かい事は置いといて、
それが反応であっても、共鳴であっても同じに思うんだよな。

3世界それぞれの世界観を支持する者にとっての断絶がある事は分かるけど、
それはやっぱ表現の違いだけで、原理説明としては同じに思うんだけどなぁ…
744考える名無しさん:2007/04/22(日) 23:41:46
>>740
後者です。
物事の変化をもっと自由に出来れば出来るほど、苦痛を引き起こす現象をなくし
苦痛が減る、といった単純な話です。

仮に決定論的な世界ではなく、本当に人間に物理的な自由があって
手足を動かしているなら、それを体全体や脳の様々な部分など広めて行ければ
苦痛は消えると思います。

また、<私>に関連する話だと、意識・クオリアといったものが
脳に依存せず物理的には無の状態でも存在でき、かつ意識・クオリアの変化を自由に出来れば
人間はあらゆる欲求を叶えられると思うんです。

で、なぜ、人間は思考と手足といった体の一部しか自由ではないのかと考え、
この自由について、ここの諸氏にたずねています
745考える名無しさん:2007/04/22(日) 23:49:16
思考も体の一部も全然自由じゃ無いと思うよ。
746考える名無しさん:2007/04/23(月) 00:52:20
>>745
自由がない←という自由
自由の意味が違うけどね。
747考える名無しさん:2007/04/23(月) 00:53:51
見えない心に聞いてみるあなたはなぜ
そこにいるのかを
よどんで見えぬときばかりだけども
たまに。。。たまにはっきりと顔を出す。
748考える名無しさん:2007/04/23(月) 00:55:48
>>744
><私>に関連する話だと、意識・クオリアといったものが
>脳に依存せず物理的には無の状態でも存在でき、かつ意識・クオリアの変化を自由に出来れば
>人間はあらゆる欲求を叶えられると思うんです。

何だ、この発想は。
意識・クオリアの変化を自由に出来ること自体、究極の欲求だと思うぞ。

749Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/04/23(月) 01:18:20
それもう人間じゃないじゃん。
750考える名無しさん:2007/04/23(月) 01:20:02
意識・クオリアの変化を自由にすることが出来たなら、年中訳もなく達成感、
充足感、幸福感に包まれて過ごす人が増えるだろう。すると、健康への欲求、
物欲、色欲、名誉欲、知識欲、その他あらゆる欲求を見たそうとする人が極
端に減ることになり、犯罪は激減するかも知れないが、怠惰な社会になるだ
ろうな。
751考える名無しさん:2007/04/23(月) 01:23:41
DESTINYプランなんて出てくるアニメがあったな。
752考える名無しさん:2007/04/23(月) 01:35:40
人間を崩壊させかねない苦痛・苦悩は取り除かれるべきだ。
しかし、人間を崩壊させかねない道理無き快楽・幸福感はダミダ。
753月指(つきゆび):2007/04/23(月) 04:25:27
中道にて調ふ
754月指(つきゆび):2007/04/23(月) 04:33:07
大脳生理学的知見は調えておこう。
例えば、・『脳が「生きがい」を感じるとき』G・バーンズ(日本放送出版協会)
    ・『「裸のサル」の幸福論』D・モリス(新潮社)
755花魁:2007/04/23(月) 09:22:32
>>750
>意識・クオリアの変化を自由にすることが出来たなら、年中訳もなく達成感、
>充足感、幸福感に包まれて過ごす人が増えるだろう。

昔オイラもそう思ってました。でも最近考え直すようになりました。
例えば、賭け事を楽しむ感情のように、
むしろ自由がないところに喜びを覚えるということもある
競馬でもトランプでもなんでも良いが、
ああいうものを楽しいと感じるのは、その結果が自由にできないから。
もし結果を自由にできたら、あの種の楽しみはあり得ない。

自由のなさが苦の一つの大きな要因になっていることは確かだろうが、
ある程度はその自由のなさに対応して、
人間の快楽感情は形成されているようにも思えます。

756734:2007/04/23(月) 10:47:14
>>742
言語は表象であるから、関係それ自体ではない。
しかし関係は実在として認識され、認識はこの実在を取り扱える形
(非-在としての)である言語によって把握することで手段と為す。
つまり、「関係は実在であり、言語は非-在である」ことは当然分別されるが、
<関係そのもの>は言語(記号)なしに把握されないと考える。

ポイントは、「把握」の意義と思われる。
>>732で言及されている「純粋な概念」というのが、
上の置き換え(実在→非-在)が為される前の状態を指すとするなら、
それは未分化の実在が「在る」と感得されるに過ぎず、認識が使役し
得るものとはならない。「把握」されるためには、実在に限局された
形象が或る手段(非-在である言語)によって与えられなければならない。
757考える名無しさん:2007/04/24(火) 21:28:44
>>745
自由に関して、自由と感じてる部分があるだけなのか
本当に自由にできている部分があるのか、
検証不可能で解釈次第ではないでしょうか?

で、哲学的ゾンビの存在を考えると、必ずしも意識・クオリアは物質に依存しなくてもいいので
自分の意識・クオリアが自由になっても
物理的には全く影響を与えなくて済むので物理法則には逆らっていなく、
意識・クオリアが物質から独立して存在し自由に五感を感じるというのを
目標にするのは根源的な欲求が叶うと思うんです。

>>755
それは、苦痛だけを消して、一時的に自由を減らすとかで済む話だと思います。
仮に人間に無限大な自由があれば
例えば各々自由に三大欲を感じる、とか何でも可能で人間の目指すことだと思うんです。
758考える名無しさん:2007/04/24(火) 22:54:18
>>757
>例えば各々自由に三大欲を感じる、とか何でも可能で人間の目指す
ことだと思うんです。

理解できん。
自由に「食欲」や「性欲」や「睡眠欲」を感じるってこと?
腹が減っていなくても、「ものすごく腹減ったなぁ」と思うことが出来る
ということ?
759考える名無しさん:2007/04/24(火) 23:44:39
>>758
なんで好き好んで飢餓状態のクオリアを選ぶ。
その「欲」が意味するのは
それを充たした状態、
うまいものを味わっているクオリア
十分に食べて満足しているときのクオリア
そういったものを自由に手にすることを意味しているんだろ?
760考える名無しさん:2007/04/24(火) 23:47:07
>>757
>自由に関して、自由と感じてる部分があるだけなのか
>本当に自由にできている部分があるのか、
>検証不可能で解釈次第ではないでしょうか?

あなたの言う思考や手足の自由については考えてみたかな?
何故変化が生じ得るかを突き詰めてみれば自由かどうか分かると思うし、
もしくは、完全に自分の内外の刺激を断絶したとして、
それでもあなたの意識が変化をきたせるかどうか?
手足を動かせるかどうか?を想像してみれば、あっさり解決すると思うよ。
761考える名無しさん:2007/04/24(火) 23:55:33
>>757
霊体になりたいって話しに思える………
762考える名無しさん:2007/04/25(水) 00:07:55
そういやディックの電機羊に
ペンフィールドのムードオルガンっていう
家庭用のクオリア発生器みたいなのがでてきてたな。
763じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/25(水) 00:37:44
インドのヤージニャヴァルキアという人がこう言っています。

「見ることの背後にある見る主体を貴方は見ることが出来ない」
「思考の背後にある思考者を貴方は思考することが出来ない」
「認識することの背後にある認識者を貴方は認識することが出来ない」

以上、私を記述することは出来ないと考えます。
このスレの答えは「不能」です。
764素人:2007/04/25(水) 00:48:13
帰れw
765考える名無しさん:2007/04/25(水) 01:17:01
思考の背後にある思考者(自我)を考えた時点で、「私」は自滅する。
766考える名無しさん:2007/04/25(水) 14:51:08
>>757
意識が物質に依存してるから、哲学的ゾンビが存在するんだよ。
「意識は物質から独立した存在」という前提自体が、錯覚だと思うぞ。
すべての人が哲学的ゾンビである可能性を否定できない。
767花魁:2007/04/26(木) 11:09:04
>>757
>自由に関して、自由と感じてる部分があるだけなのか
>本当に自由にできている部分があるのか、
>検証不可能で解釈次第ではないでしょうか?

オイラはかつて、決定論スレで
「決定論は厳密には経験的に検証不能だ」という話をしたんだが、
自由も同じですわね。
決定論の検証不能性は、決定論の否定の検証不能性をも含意しているので。

768考える名無しさん:2007/04/26(木) 11:17:00
>>767
決定論が証明不可能なのは昔からわかっていること。
それよりも決定論は原理的に否定することができないことが重要。
この世で論理が成立することを考えるなら、
少ない仮定で世界を説明する決定論が他の論に優先する。
769哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/26(木) 13:11:54
キミらがバカすぎるから、もうやめようかと思ったんだけど
ダメだ
とりあえず、つっこまずにはおれんわw

>>768
独我論も、原理的に否定することができないわけだが
これも、他の論に優先するのかな?
770考える名無しさん:2007/04/26(木) 13:13:04
>>769
原理的に否定することができないから優先するなんて書いてないが。
日本語を勉強してから出直してこい。
771哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/26(木) 13:15:55
>>770
では、なぜ他の論に優先すると言ってるわけ?www
772じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/26(木) 13:29:57
>>768 :考える名無しさん :2007/04/26(木) 11:17:00
>決定論が証明不可能なのは昔からわかっていること。

あの・・・証明できないんでしょう?・・・なのに・・・

>少ない仮定で世界を説明する決定論が他の論に優先する。

証明できない「決定論」というものが世界を説明するわけ???
773考える名無しさん:2007/04/26(木) 13:40:57
>>771
>>772
「物事にはすべて因果がある」という仮定だけだから。
774じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/26(木) 13:47:23
>>773
では決定論というのは仮定であって真理ではないんですね。
775考える名無しさん:2007/04/26(木) 13:49:09
>>774
決定論に限らず、あらゆるものが仮定だよ。
776じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/26(木) 13:54:52
>>775
主観とか観念は仮定ではないと思いますが。
777考える名無しさん:2007/04/26(木) 14:03:30
>>776
仮定だと思います。
778じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/26(木) 14:17:27
>>777
>決定論に限らず、あらゆるものが仮定だよ。

・・・・ならば

>>772
>少ない仮定で世界を説明する決定論が他の論に優先する。

と言うが因果的決定論より直感のほうが少ない仮定と言う事になってしまうが、それでもいいのですか?
779考える名無しさん:2007/04/26(木) 14:21:20
主観とか観念を定義づけする際に仮定が必要なんでしょ
それそのものは仮定ではない
780考える名無しさん:2007/04/26(木) 14:24:45
>>778
>と言うが因果的決定論より直感のほうが少ない仮定と言う事になってしまうが、それでもいいのですか?

なりませんよ。因果的決定論の世界で直感の存在は否定されていません。

>主観とか観念を定義づけする際に仮定が必要なんでしょ
>それそのものは仮定ではない

仮定で成り立っているというだけのことですね。
781考える名無しさん:2007/04/26(木) 14:54:37
>>780
そりゃ屁理屈だよ
一事が万事で何でも仮定だと思い込めばそう言えるかも知れないけど
例えば、駄そば屋でそば食べて生じる「このそばまじぃな」という主観も
仮定なの?違うでしょ?
782考える名無しさん:2007/04/26(木) 14:59:41
>>781
仮定だよ。本当にそんな過去があったかどうかなどわからないのだから。
783考える名無しさん:2007/04/26(木) 15:16:30
>>782
お前の世界観はカオス過ぎ。
全ては仮定だと信じ込んでいる事さえ仮定なんだろ?
じゃ、お前のレス自体無かった事にさせてもらうよ
784考える名無しさん:2007/04/26(木) 15:30:51
>>783
>じゃ、お前のレス自体無かった事にさせてもらうよ

ご自由にどうぞ。

>全ては仮定だと信じ込んでいる事さえ仮定なんだろ?

信じてないから「仮定」なんですけど。仮定なら正誤は無関係ですからね。
785考える名無しさん:2007/04/26(木) 15:33:06
>>783
世界がカオスでないという根拠はあるの?w
786考える名無しさん:2007/04/26(木) 15:35:00
>>785
その世界で決定論を主張する意味がわからんw
787考える名無しさん:2007/04/26(木) 15:36:53
>>786
主張してないがw
788考える名無しさん:2007/04/26(木) 15:56:18
>>787
お前馬鹿じゃないの?782で「仮定だよ」って断定しただろ
そんで何を主張する事も出来ない立場のお前が
なんで反論してんの?
書き込みすらすんな
789考える名無しさん:2007/04/26(木) 16:07:26
>>788
馬鹿はお前
785=787≠782
790考える名無しさん:2007/04/26(木) 16:14:27
決定論は、絶対的客観に関わる一種の信仰。
独我論は、そのような信仰を排除する懐疑論。
791考える名無しさん:2007/04/26(木) 16:30:46
決定論的世界は、一枚の完成した絵に喩えることができる。
人は、その絵を決して俯瞰することができないという意味で、
決定論的世界は原理的に不可知である。
原理的に不可知であるから、
決定論の真偽の可能性や妥当性を論じるのは全く無意味である。

他方、独我論においては、知覚主体としての「私」と知覚対象としての「世界」がある。
知覚主体としての「私」は直感的に自明であり、
知覚対象としての「世界」も原理的に不可知ではない。
独我論の特徴は、知覚対象に含まれる他人が「私」と同様な知覚主体であるという想定を、
不可知なものとして退けることにある。

つまり
決定論は、原理的に不可知であるが、
独我論は、原理的に不可知ということはない。

よって、独我論から見ると、
決定論は単に余計なこと(不可知なこと)を述べているに過ぎないと云える。
792考える名無しさん:2007/04/26(木) 16:40:15
>>791
でも独我論は自分で認めることができるが、他人には認めてもらえないことが多い。w
独我論を主張する奴には友達はいない。当たり前だ。w
793考える名無しさん:2007/04/26(木) 16:57:40
はは、「お前は俺の観念にすぎない」なんて言うやついたら、友達がいない
くらいではすまないだろな。
794考える名無しさん:2007/04/26(木) 17:12:56
>>791
同意。
主体の認識は原理的に独我論的な基点を持たざるを得ない。
795考える名無しさん:2007/04/26(木) 17:40:56
>>789
頭悪い独り言言ってないで友達つくりなさい
お母さんそれだけが心配よ!
796なな氏:2007/04/26(木) 17:47:20
【私の存在性】ではなく【心の存在性】の間違いだな。
人間には4つの 【私】があるのだ。
自分だけが知っている【私】もあるが、他者が知っている【私】、他者と共有
できている【私】、誰も知らない【私】がある。
誰も知らない【私】以外は、それぞれの人間の心の中に存在するのだろう。
初期ガンであることは、医者も、家族も、【私】も知らぬ、身体だけが知って
いる【私】といえるかもな。

797なな氏:2007/04/26(木) 19:24:01
胎児にも心はある。
快・不快、感覚、記憶もあるだろう。
母親がキャンデーを食べ始めると、胎児がほほえんだりする映像が
最近テレビで放映されたりするし、胎児の頃きいた音を物心がつい
てから、あれは、こういう意味だったんだ、と理解し、「ぼく、そ
れ覚えているよ」と言い始める幼児が居る。
だけど、胎児や乳児には、【私】という観念はないだろう、てな話
ですYO

798考える名無しさん:2007/04/26(木) 19:54:49
>>797
ふーん。
その心理学のようなものは独我論もしくは決定論のような
世界全体を説明する枠組みのなかでどう関係するの?
799なな氏:2007/04/26(木) 20:52:14
>>798
【独我論】や【決定論】は不毛なので、論じたくないという心なのだYO。
自我が認識する世界のみであったなら、他者と論ずる余地はないだろう
し、すべてが決定しているのなら、これまた論じても意味がない、てな
ことですが。
800じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/26(木) 21:00:13
>>780 :考える名無しさん :2007/04/26(木) 14:24:45
>因果的決定論の世界で直感の存在は否定されていません。

何でそういう言い回しになるの?
私は「貴方の言っている流れだと・・・主観、観念も仮定で、しかも少ない仮定が優先する、と言う事なら直感が決定論より優先する事になるがそれでもいいの?。」
と言っている、曲解しないで。
801194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/26(木) 21:02:12
まだやってる・・・結論=「どうとでもいえる」
どれも反証も証明もできない事をえんえんやりつづける不毛さに
気付かないのは知能が無いという事ですよ
これ以上は単なる罵り合いになるだけですぜ
802考える名無しさん:2007/04/26(木) 21:12:48
根源的なものとして、本人も意識しない【意志】がある、と思いたいわけYO。
記憶も、感覚も、感情も、知ろうとする意志も、【根源的な意志】のあらわ
れである、と。
人間原理に奔りすぎか?
803考える名無しさん:2007/04/26(木) 22:28:51
>>800
質問が間違っているから。

>私は「貴方の言っている流れだと・・・主観、観念も仮定で、しかも少ない仮定が優先する、と言う事なら直感が決定論より優先する事になるがそれでもいいの?。」

私の言っている流れだと、主観、観念という概念自体、仮定によるものだし、
少ない仮定が優先すると言うことで、直感を含む決定論は非決定論に優先する事になるってこと。
直感と決定論はそう反するものではありませんから。
804哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/26(木) 23:07:11
>>803
>私の言っている流れだと、主観、観念という概念自体、仮定によるものだし、

アホw
逆だバカwww

仮定という概念自体が、すでに主観であり観念なんだよwwww
逆、逆



なんでこう気が狂ったような人ばっかりなんだ???
805考える名無しさん:2007/04/26(木) 23:12:32
>>804
ポエマーが哲学板に漂着しやすい時期だから。
論理も糞も無い。
806じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/27(金) 00:01:05
>>803 :考える名無しさん :2007/04/26(木) 22:28:51
>直感と決定論はそう反するものではありませんから。

いやあ・・びっくりしました。
因果的決定論と直感は全く正反対の対立する考え方でしょう。
直感とは「推理・考察などによらず、感覚的に物事を瞬時に感じとること。」
であり、因果とか先行する出来事などを無視したものだからである。

貴方の決定論は「何でもかんでも決定論」という事らしいが。
それは何も論じていないと言うことでもある。
807考える名無しさん:2007/04/27(金) 00:01:20
>>804
てめえはすっこんでろ
オウム返しがw
808考える名無しさん:2007/04/27(金) 00:10:09
>>806
>因果的決定論と直感は全く正反対の対立する考え方でしょう。

逆でもないし相反もしません。直感にはちゃんと原因がありますから。
因果的決定論の世界でもちゃんと直感は成立します。

>直感とは「推理・考察などによらず、感覚的に物事を瞬時に感じとること。」

本人が推理・考察ではなく、感覚と思っているだけで、
推理も考察も直感も感覚もすべて物理現象です。
原因に従って起こっていることには変わりありません。
直感は、仕組みとしては、思考を伴わない反射に近いです。
809考える名無しさん:2007/04/27(金) 00:52:55
心理作用は物理現象?
810考える名無しさん:2007/04/27(金) 01:00:35
>>809
物理状態に対応する心理状態、精神状態があります。
811考える名無しさん:2007/04/27(金) 01:02:23
>801
そもそも哲学ってのはそういうもんだろが。バカ
812哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 01:06:20
>>807
どこがオウム返しなんだ?
ほんと基地外だな


>>808
>本人が推理・考察ではなく、感覚と思っているだけで、
>推理も考察も直感も感覚もすべて物理現象です。

『本人』は、物理現象の観測者である『主観性』なのであって
『本人』は物理現象ではありません

>原因に従って起こっていることには変わりありません。

もし『本人』が物理現象であり、原因に従って起こっているのであれば
私は、いかなる原因によって他人ではなく私であったのか
それをお答えいただけますか?(笑
813考える名無しさん:2007/04/27(金) 01:07:46
>>812
他の全ての存在からの相対位置。
814哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 01:09:56
>>813
それじゃ他人と他人の関係を説明できてるつもりなだけであってね
私の説明には全然なっていない
815考える名無しさん:2007/04/27(金) 01:10:30
>>810
>物理状態
というのは身体と脳の物理状態ということかな?
「対応する」というのは何となくわかるけど、秩序性(法則)までは解明されては
いないでしょ。「いずれ解明されるだろう・解明されるはずだ」ということで
はないかな。
816哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 01:21:44
キミ達は、主観性というものを甘くみすぎている

『私』という主観性を作ってみなさいよ
何をどうやったって、無理だからさwww

これは絶対に解明できんものなのよ

そんなものが人間の精神の根本にあるわけだ
よく考えろ
何が唯物論だwww
817じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/27(金) 01:29:47
>>808 :考える名無しさん :2007/04/27(金) 00:10:09
>直感は、仕組みとしては、思考を伴わない反射に近いです。

直感は断じて反射ではない。
反射反応に対する「後追いの意識」である。
例を挙げると涙が出たから「悲しい」のである。
その時点で「悲しみのクオリア」となり直感的に感情が広がる。
人間の物理(行動)反応に対して「自分が」と意識する、これが主観でしょう。
逆に主観が脳内だけで意識を発展させることも出来るし、体も動かす、悲しければ涙も流せる。
さらには外界に自我の存在(自由)を主張する。

もし貴方が全て(自我を主張することさえも)決定されている(許容されている)と言うだけなら、「自我の意識」としては何の不都合も無いので議論にならない。
「論」と言うからにはその有効性がないと意味が無いと思う。
818考える名無しさん:2007/04/27(金) 01:50:25
>>817
>直感は断じて反射ではない。

反射に近いと書いています。
それに実際反射の可能性もあります。否定できません。

>逆に主観が脳内だけで意識を発展させることも出来るし、体も動かす、悲しければ涙も流せる。
>さらには外界に自我の存在(自由)を主張する。

AIでも可能です。
819哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 01:58:31
>>818
子供は早く寝なさい
820考える名無しさん:2007/04/27(金) 02:01:49
荒らしは無視してどんどんいってくださいw
821哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 02:14:49
私自身という主観性すら解明できないのに
さらに「AIという主観性」などと論理的な飛躍を平気でしすぎwww
何の根拠もありえない
笑けるwww

まず、せめて『私』という主観性を唯物的に説明してからにしなさいよ

唯物論者の思考は
まさに感覚的な思い付き
マンガの読みすぎw


>>820
はいな^^
822考える名無しさん:2007/04/27(金) 02:23:54
解るはずもないと考えるより、解るはずだと考える方が尊い。かも。
823考える名無しさん:2007/04/27(金) 02:32:26
煽りはほっといて次どうぞ。
824じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/27(金) 02:34:29
>>818 :考える名無しさん :2007/04/27(金) 01:50:25
>AIでも可能です。

おおそれは凄い。
それが出来れば「私」を作れたと言うことですね。
でそのAI製「私」は今どこにあるんですか?

納品が100年先と言うのじゃあ反則ですよ。
このスレはSF話をしている訳じゃあないから。
825哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 02:39:39
>>822
私は子供の頃から哲学に呪われている と言っても過言ではありません

>解るはずもないと考えるより、解るはずだと考える方が尊い。かも。

確かにそうです
しかし、主張するんだったら
「解るはずだ」を証明しなけりゃいけませんよね
最低限として、その可能性だけでも示すことができなければなりません
しかし、それすら無理なんですよ 絶対に


解るはずだと考えて、考えて考えて考え抜いて
最後に行き着いた論理的結論は「解るはずもない」だった
という話

当然、唯物的に解明するなど100%不可能
826考える名無しさん:2007/04/27(金) 02:43:40
同じことばっか言ってるあほはほっといてw
827考える名無しさん:2007/04/27(金) 02:48:00
>>824
AIでも自我ぐらい普通にある。誰かのクローンを作るわけじゃないし。
828哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 02:50:30
問題さえ理解してくれれば、同じ事ばかり言わなくてすむんだけどな

ここにいる連中は
私が出した問題そのものが理解できないヤツがほとんどだからね

まったく骨が折れるよ・・・・
829哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 02:51:33
>>827
子供は早く寝ろって
830考える名無しさん:2007/04/27(金) 02:51:48
100%不可能 ではない、として真面目にA.Iに取り組んでいらっしゃる
研究者も少なくないと思いますよ。彼らの中での論理的帰結は「解明でき
るかも知れない。まったく無理だという根拠もない」ということでしょう。
831哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 05:25:34
>>830
真面目さが足りないんですよ
本当に、自我というものに正面から真剣に取り組んでいるとは思えません
似たものを作って
少しでも「実際の精神に近づいた」 とこじつけて発表する事によって
自分のしている研究を評価されたいんでしょうね
結局、一番大事な部分は見ないようにしているだけです

私が言っている事は、現代哲学の最先端ですよ

あと
偉い人が研究しているから とかではなく
反論したいのなら、できるだけ論理的にお願いしますね
というか、最低限のことは理解してから反論してもらえますか?
832考える名無しさん:2007/04/27(金) 07:24:40
>>831
>本当に、自我というものに正面から真剣に取り組んでいるとは思えません
真面目に、真剣にとはどういう基準からでしょうか?
「似たものを造ることから始める」というのは、真摯な態度ではないのかな?
自我プログラムを作り出すことが100%不可能 であるということは、AIに
取り組んでいる研究者たちが、「自我」を甘く考えているのではなく、自我を
根本的に勘違いしてしまっている、と主張しているようにも感じられますが?

>一番大事な部分は見ないようにしているだけ
「見ないようにしている」だけだったら、自我を作り出すことが不可能だと知
っているのではないのでしょうか。むしろ「欺いている」と言った方が適切な
のでは?

>私が言っている事は、現代哲学の最先端ですよ
「自我は決して作成できない」とか「唯物論は間違い」というのは、すでにこ
れまで多く論じられていますし、当方も納得できる部分があるのですが、貴方
のいう「現代哲学の最先端」という部分というのは?
833考える名無しさん:2007/04/27(金) 08:30:38
スルーでお願い。
834哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 08:56:33
>>832
> >本当に、自我というものに正面から真剣に取り組んでいるとは思えません
> 真面目に、真剣にとはどういう基準からでしょうか?

あなたの方が、最初に

>真面目にA.Iに取り組んでいらっしゃる研究者も少なくない

と言いはじめたのですから
私に質問するのではなく、あなたが先に説明すべきじゃありませんか?


>「似たものを造ることから始める」というのは、真摯な態度ではないのかな?

「似たもの」というのは
似せた動きをするニセ物 という事であって
『自我』『私の存在性』というものとは無縁です

センサーによって障害物を避けて走る模型は
ぶつかると危ないから避けているのではありません
単なる物理現象の応用であり、哲学的ゾンビというのも、これの延長ですが
しかし見る人によっては、あたかも意志を持っているかのように錯覚してしまう

要するに、科学者にできる事は、動きを真似る事だけであって
主観性を解明する事など頭にないのです
人間の精神というものは、少なくとも私をサンプルに考えた場合
『私』という『主観性』が根底にあるのです
それを『自我』という『存在性』と呼んでいます

『私』というものは、どんなに物質をこねくり返そうが、何をどうやったって
作り出す事はできません
天上天下唯我独尊 であって唯一絶対なんです
835考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:03:20
スルーでよろ
836考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:13:53
>センサーによって障害物を避けて走る模型は

という文章から、AIに無知なる者と看取すべし、で
オーケーですか?

837考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:17:50
Ok
知識全く無し。
838哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 09:24:58
>>836
>>837
「似たもの」を説明するための
「例えば」の話だろバカ

逃げるのか?w
まぁ、逃げるしか残された道はないわけだがwww

逃げないんだったら、『自我』を唯物的に説明してみろ
839考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:29:44
ごみくず最高位はスルー。
840考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:30:58
>>838
負け犬の遠吠えw
841哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 09:33:25
>>840
逆だバカwwww

来るなら、理詰めで来いや
842考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:34:48
843考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:35:45
>>841
汚くて近寄れません。ごみだものw
844考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:40:45
ふる〜くから、唯物論批判はあるね。。

『自然認識の限界について 宇宙の七つの謎』を 著したレーモン(19世紀ドイツの生理学者)
の唯物論批判。
意識も含めた全ての自然現象を物理学的に還元し、あらゆるものを原子の力学と因果律の下で
考えようとする当時の唯物論を批判的に考察。脳という物質から、意識という別の存在様式の
発生は説明し得ない。感覚と意識の成立については、物質一般が原子の機械論的運動に還元出
来ても、その配列や運動から、意識や感覚が誘導されたり説明されることは出来ない、として
いる。この真偽についてはさらに考察の余地はあるとおもうけど、これらの研究の結論として
示された、「我々は知らないし、且つまた知り得ないであろう」という格言は有名。
845考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:50:01
『心理学原理』の「自己の概念」1890年出版 W.ジェイムズ
「主我」の実体性について否定的な見解。
それは、我々の意識は個別な「観念の束」の単なる連合的な集積ではなく、またそれらを結合
させる所に不変の「我」が想定されるべきものでもなく、分割不能な「流れ」としてあるとい
う考え方に基づく。
連合説に対立する「我」の想定は、伝統的には霊魂論者の立脚するものでもあり、あらゆる思
考に付随し、しかもいくら反省を加えたところで決して客体化されない所に、不変の何かを想
定せざるを得ないという論法は、霊魂の居場所を確保するには好都合だった。
ジェイムズは自らの経験論的立場から、ここに不変者を最初から前提とするのではなく、「経
過的状態」を主体の位置に据え、人格の同一性を「暖かさと親しさ」の感じによるものとして、
また絶対的同一性ではなく一定の範囲内での比較的な同一性と同じように考える。つまり「我」
とはこれらから生じた、慎重な機能概念だということである。

いろいろと面白いね。
846考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:57:17
>>844
>脳という物質から、意識という別の存在様式の
>発生は説明し得ない。

説明しているよ。意識現象は脳にあると特定できているのがその証拠。
そうでないなら、脳にあるということすらできない。
また、細部まで説明できていないというのは、
水の落下の物理法則がわかったからといって、滝の形を完全にわかっていないというようなもの。
単なる言い掛かり。

>感覚と意識の成立については、物質一般が原子の機械論的運動に還元出
>来ても、その配列や運動から、意識や感覚が誘導されたり説明されることは出来ない、として
>いる。

それは意識だけでなく、あらゆる物理現象に言えること。
水分子の物理法則が完全に還元できても、雲の形を完全に説明することはできない。
逆に他の物理現象と同レベルに意識も説明できると言える。
意識だけを特別扱いする必要はまったくない。
847考える名無しさん:2007/04/27(金) 09:59:22
自我を「不動の一者」的なものと捉える思想に「果たしてそうか? 」と
反発している人が結構いるのだと、思うぞ。
848哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 10:00:49
>>844
>この真偽についてはさらに考察の余地はあるとおもうけど、これらの研究の結論として
>示された、「我々は知らないし、且つまた知り得ないであろう」という格言は有名。

それは前時代的な哲学の限界
現代哲学の最先端においては、真偽については結論は出ているのですよ
哲学も進歩しているのです

>>845
ジェイムズさんは
『自我』の本質は、『私』という『主観性』である
という事が理解できていなかったんだね
849哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 10:08:27
キミ達は、主観性というものを甘くみすぎている

『私』という主観性を作ってみなさいよ
何をどうやったって、無理だからさwww

これは絶対に解明できんものなのよ

そんなものが人間の精神の根本にあるわけだ
よく考えろ
何が唯物論だwww
850考える名無しさん:2007/04/27(金) 10:09:46
>>846

そこが。
哲学なんだな。
851考える名無しさん:2007/04/27(金) 10:13:36
ほう。
852考える名無しさん:2007/04/27(金) 10:17:41
最高位は物質というものを甘く見すぎている。
最高位の低いレベルでは、物質や物理現象の本質を見抜くのは無理だ。
物理を理解もせず、何が唯物論否定だwwwアホすぎるw
853考える名無しさん:2007/04/27(金) 10:24:32
う〜むむむむ。ますますもって面白いぞ。
深いぞ、深いぞ。なんせ、いまだ解明に至らないのだからね。
854考える名無しさん:2007/04/27(金) 10:29:29
本当のことを言えば、物質だって「解明」なんかできていない。
ある程度の予測力のある記述ができれば、それでよしとしているだけで。
その点では意識も物質も変わりあるまい。
855哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 10:31:50
>>852

論理性ゼロだな




もっとマシな人いないの???
856考える名無しさん:2007/04/27(金) 10:38:59
>>854
同意。
857哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 10:40:06
>>854
「我思う故に我あり」だよ

私が認識しているものの中で
『私』の存在性以上に確かなものなどない

そして『私』を物理的に作成する事は、絶対に不可能
唯物的なシステムにハメ込む事は、絶対に不可能

「人間の精神は物理現象である」とする唯物論は、間違いなのである
858考える名無しさん:2007/04/27(金) 10:44:59
『私』を物理的に作成する事は、絶対に不可能

断言するのは避けた方が良いのでは?
現代の技術では不可能でも今後どうなるか解らないし。
859哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 10:50:50
>>858
何度も言いますが
『私』はココにいるのですから、絶対に不可能です
何を作ったって、絶対に『私』にはなりません
何をどうやったって、絶対に不可能なんです

いい加減、理解して下さい
860考える名無しさん:2007/04/27(金) 10:53:03
>>859
物質を作ることも不可能だよ。そう考えると、物質と私は同じようなものだろ。
861考える名無しさん:2007/04/27(金) 11:47:00
『私』がココにいると思っているのは、心ですよ。
心の中に『私』が現れるのですよ。
『私』が作れるかではなく、心が作れるか、でないの?
862考える名無しさん:2007/04/27(金) 11:55:31
物質世界も精神世界も、互いに交わらないし作れない。
で、良しとするか。
863考える名無しさん:2007/04/27(金) 11:56:58
心なんて、セックスすればどんな馬鹿でも作れるぞw
864961:2007/04/27(金) 12:04:32
>>863
はは、おもしれー。
『私』がココにいるじゃなく、アッチにいく〜ってことなのね。
865542:2007/04/27(金) 12:07:41
>>860
君みたいな考えが出来る人が哲学者なのかな〜。
866542:2007/04/27(金) 12:17:59
>>860
君とほとんど同じ考えで科学的真理を追究する事がとりあえず俺達に出来る
「私」を哲学する方法と思ってる。
867哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 13:37:10
>>860
「物理現象」という観点から考えると
『水』は水素原子2個と酸素原子1個で作る事ができる
しかしキミが言っているのは「物質でないものから物質を作る」という意味でしょう
それなら、それこそ宇宙の根本問題なのであって
「物理現象以前の問題である」という事になる
そのような究極的な問題が、人間の精神の根本にある事が判明した時点で
「人間の精神は物理現象にすぎない」などと主張する唯物論は、却下される

そもそも「物質でないものから物質を作る」というような発想であるならば
「宇宙の根本的要素は物質でないものであり、それによって出来ている」という事になり
唯物論は崩壊する

いずれにせよ、唯物論に生きる道はない


もっとよく考えてから反論してくれなきゃ疲れるわ


>>861
主観性に関して
客観的視点からしか考えないのは明らかに片手落ちです
そのような視点からしか見ないから理解できないのです
主観性は主観性であって、主観的観点から分析するのが正しいのであり
『私』の本質を一般論的に扱うのは、間違いの元です

私の心ですよ
他人の心は他人であって
他人が、たとえ何億人いようと
それは他人なのであって、『私』の心とは無関係です
いくらそんな事を言っても
私が存在した原因的根拠を物理現象に求める事は、絶対にできないのです
868考える名無しさん:2007/04/27(金) 13:42:26
>>867
>『水』は水素原子2個と酸素原子1個で作る事ができる

できないよ。今俺のコップにある『水』はできない。
別の水ならできるけど、それは最高位の『私』が出来ないのと同じ。
別の『自我』は作ることが出来るが、『私』が作れないように、『この水』も作れない。

そもそも水素原子は作れない。このことを最高位は忘れている。
唯物論を主張する気はないが、否定することは不可能だよ。
869哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 13:43:02
>>862
ようするに、唯物論は間違いだ という事だね

>>863
それは構造を理解して製作するのではなく
生命の神秘にたよっているのだから、何の問題解決にもならないね

>>865
>同じようなものだろ。

なんて、テキトーな事を言ってる人間が、哲学なんかしてるわけないだろ
それはどちらかと言えば、宗教だな
870哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 13:45:25
>>868
もうちょっと、よく考えろ
871考える名無しさん:2007/04/27(金) 13:48:17
>>867
>他人の心は他人であって
>他人が、たとえ何億人いようと
>それは他人なのであって、『私』の心とは無関係です

>>848
>ジェイムズさんは
>『自我』の本質は、『私』という『主観性』である
>という事が理解できていなかったんだね

さて、他人は『自我』ではない、ということなのであろうかw?
872哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 13:53:17
>>871
他人の事はわからんけど
おそらく『自我』ではあるだろうね
しかし、私とは別人だろ
『私』とは違う人だろ

wを付けてるところを見ると
まぁ基地外ではなくて、わかってて聞いてるようだね
だったら屁理屈ばかりこねてないで
ちゃんと、もっと深く考えろ
873考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:14:26
『私』とは違う人だろ、って心が思うんだよ。
『私』という観念を心が学ぶんだよ。
「私が見ている」という意識がなくても、心はあるよ。
874考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:16:38
>>872
>おそらく『自我』ではあるだろうね
>しかし、私とは別人だろ
>『私』とは違う人だろ

>>848
>『自我』の本質は、『私』という『主観性』である

さて、両者は矛盾しないのであろうかww?
875考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:23:21
私の自我と、他者の自我の根本的な違いが知りてぇ。
876哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 14:29:37
>>873
心って、誰の心やねん

それが大事だろ
心っていうのは一般論ではないんだよ
個別にあるもんだろ

>>874
言葉で説明するのには限界があるんだから
たまには自分で、頭使って考えろよ

>>875
病院で聞いてみてはいかがでしょうか
877考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:30:42
またやってるw自我のしくみは唯識が専門でしょ
ていうかくどいほど言ってるじゃん
自我っていうのは最高位そのものなんだよw
878考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:33:53
>>874
言葉で説明するのに限界があるのに
どうやって最高位のそれを理解できるんだ?
そういうのを通常
「村八分」という。
879考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:44:58
んでもって作れる作れないなんていうから
物理だの科学だのってなるんだな
ループとはこのこと
880哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 14:45:35
>>877
彼は名前だけ唯識だけど、中身は唯物論者だよ?
しかも根本的に、言葉のキャッチボールができない人だから会話にならない

>>878
言葉に限界があるなんて常識だろバカwww

まぁ、アホには理解できんわな
881哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 14:47:18
>>879
違うぞ
ループするのは、お前らがアホすぎるからだ
882考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:50:56
理解できるものにしかできないんだったら
ここで「他人」に言ってもわからんだろう
無駄な足掻きはよせ
まあ誰も「理解」はしないし
できなくても「困らない」←意味がわかるかなw
883考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:51:06
>>875
僕の心だって、心が思うとるのよ。
心は所有物じゃおまへん。
『私』から始めるのまちがいでっせ。
884考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:53:00
>>880
>言葉のキャッチボールができない人だから会話にならない

おまえがいうなw

885考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:53:39
この水は作れないが、別の水は作れる。
この自我は作れないが、別の自我は作れる。
同じことじゃないの?
886考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:54:06
こめんな。
>>875>>876や。
887考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:56:10
お前の意識に俺の私は到底理解できはしない
888考える名無しさん:2007/04/27(金) 14:58:58
最高位も自我を語るんならフロイトやユング
それに唯識みたいな仏教とか、もっと勉強しないとなあ
そして作れる、作れないを語るんなら
量子力学や生物学とか勉強しないとなあ
それこそ「村八分」だ
889考える名無しさん:2007/04/27(金) 15:02:54
最高位はデカルトさえ読んだこと無いので、無理な注文です。
890哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/27(金) 15:24:24
お前ら全員、アホすぎるわ
891考える名無しさん:2007/04/27(金) 15:26:54
>>890
こういうこと言い出す奴がアホ。
アホ扱いしている奴を相手している時点でもっとアホ。
ご愁傷様。
892考える名無しさん:2007/04/27(金) 15:37:38
ノ           .゙'┬′   .,ノ
                  ノ      } ゙l、   」′           .,/′   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         〕      〕 .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
   ,i(厂  _,,,从vy      .,i「      .》;ト-v,|l′          _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
   l  ,zll^゙″  ゙ミ    .ノ       .il|′アll!           .>‐〕 \ _><
   《 il|′     フーv,_ .,i″       ||}ーvrリ、             ¨'‐.`   {
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》′  ゙゙ミ| ,r′                }
      \ ,゙r_    lア'    .゙⌒>-vzト    .ミノ′                 〕
       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
         ゙\ア'   .--  ,,ノ|    、    ゙ミ}                   :ト
           ゙^ー、,,,¨ -   ''¨.─   :!.,   リ                   ノ
              〔^ー-v、,,,_,:     i゙「   }                  .,l゙
              l!     .´゙フ'ーv .,y    ]                  '゙ミ
              |     ,/゙ .ミ;.´.‐    .]                   ミ,
              |     ノ′ ヽ      〔                   ミ
              }    }     ′    }                   {
              .|    .ミ     .<     〔                    〕
              .{     \,_   _》、    .{                    .}
              {      ¨^^¨′¨'ー-v-r《                    〔

893考える名無しさん:2007/04/27(金) 15:38:41
>>890
それを負け犬の遠吠えという。
894考える名無しさん:2007/04/27(金) 15:40:17
>>892

う〜〜〜〜ん・・・ご立派!
895考える名無しさん:2007/04/27(金) 16:35:27
>>890
お前がアホだと思うことは、
お前の脳味噌が情報を理解できていない証だ
896考える名無しさん:2007/04/27(金) 16:37:55




あなた以外は全員自演であると知っているかね?





 
897考える名無しさん:2007/04/27(金) 16:43:44
>>896
5年前から百も承知だ、ハゲ
898542:2007/04/27(金) 17:25:35
>>890
私と物質は似ている。
物質の起源はビックバンの前はその前は。。。
私とは脳と解っている私とはその私とは。。。
究極的に同じかもね。
899考える名無しさん:2007/04/27(金) 17:27:58
__________
     |              <
     |   _______ <
     |  | /     \ |  ̄
     |  |  /  ̄ヽ/ ̄ヽ|
     | v   |  / | \ ||
     (d   \_人_ノ |_       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      |       つ__/     / 
      \        \      <    あんた誰?
        \_____>      \  
         / ∨L∨\          \_________
900考える名無しさん:2007/04/27(金) 18:40:53
次の語句を用いて作文しなさい。

『私』『自我』『主体』『主観』『主観性』『存在性』『原因的根拠』
『物理的要素』『唯物論』『論理的に』『破壊』『最先端』『他人では
なく私であったのか』 『誰なんですか』『アホ』『基地外』
901じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/27(金) 22:21:43
>>888
>自我を語るんならフロイトやユングそれに唯識みたいな仏教とか、もっと勉強しないとなあ
>量子力学や生物学とか勉強しないとなあ・・・・・・・

>>889
>デカルトさえ読んだこと無いので、無理な注文です。

こういう「・・・学」のカテゴリーでよく出会う発言です。
「・・・は読んだのか?」というやつです。
こういう人たちは本を読んだり勉強すれば真理に近づくと考えている。
悲しい人たちだ。
902考える名無しさん:2007/04/27(金) 22:47:28
じいさん、意気軒昂ですね。
向こうのスレも立ったみたいですよ。
903考える名無しさん:2007/04/27(金) 22:54:51
いや、心理に近づくとか云々でなくね
対話においてお互いのもつ知識に直接語られない膨大な共有知がないと言語を解して有意義な議論ができないのよ。
「…ここで言う自我とはユングのいうそれであり」とか例えば言ったとしてお互いの認識に多少ズレがあってもはなしは通じるし
大きなズレがあればそこにまた議論が展開する。
でも「ユングって何言ったの?」じゃぁ、それは議論の展開はなく議論の中断だ。
そういう意味で読んでおいて欲しいし「読んだのか?」と聞くわけだ。
904考える名無しさん:2007/04/27(金) 22:56:43
次スレのサブタイトルはウンコマンの存在性でお願いします。
905考える名無しさん:2007/04/27(金) 22:58:56
じいさん以上に最高位の調子がいいね。従業員に給料を払って一息つき、
本来の力を発揮しているようだ。
906考える名無しさん:2007/04/27(金) 23:08:00
機械=じいさん
907ネコの味方:2007/04/27(金) 23:23:04
>>906
たしかに時おり、じいさんは唯物論者(修正派)と似たようなことを言うからね。
もし、じいさんと機械氏が同じ人物なら、この二人を包括する頭脳は相当なもの
と言うほかない。しかし、その目的は何だろう?
908じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/27(金) 23:49:17
>>903 :考える名無しさん :2007/04/27(金) 22:54:51
>膨大な共有知がないと言語を解して有意義な議論ができないのよ。

それはユングを語る対話の場合。
ここでは「私を記述・・」とある。
この様な場合議論は自分の言葉で語られねばならない。
「私」と「私」の差しの議論である。
過去の偉人の例を引く場合も自分の言葉として消化して語られねばならない。
自分の意見に責任を持つこと、自由意志である。
909考える名無しさん:2007/04/27(金) 23:57:22
激しく萌えるにはどうしたらいいですか?
910考える名無しさん:2007/04/27(金) 23:58:54
>>909
自作自演をすれば激しく萌える。
911じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/28(土) 00:06:43
>>906 >>907
わたしは機械氏とは違うと思います。
素朴な考えでは「物質世界は偶然に支配されている。人間の脳は意識として因果的観念を持つ癖があるが
、因果論的決定論では物質世界を理解することは永遠に出来ない。」
今のところ以上です。よろしくお願いします。
912考える名無しさん:2007/04/28(土) 00:09:38
>>908
”自分の言葉として消化する”とここで消化されたと前提されているのが
「ズレを含みながらも共有された知識」のこと。
その消化された知識のすり合わせ、そして少なくなくともどちらか一方に
「どのくらいのことを話せる相手か」というものを暗黙になり明示的になり
無意識的になりの了解なくして対話で放たれる言葉は虚空に響き続けるだけ

”自分の言葉”なんてものは幻想。あなたにとっての”自分の言葉”を
人はあなたの消化された知識に頼ってみるのでなく聞き手本人の知識に頼って理解するのだから
913考える名無しさん:2007/04/28(土) 00:11:58
「ズレを含みながらも共有されうる知識」の間違い。ごめんね
914素人:2007/04/28(土) 00:17:58
対話・会話における語義の共有に対しての無頓着さは
最高位と同レベルだなw


ノシ
915じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/28(土) 01:15:26
>>912 :考える名無しさん :2007/04/28(土) 00:09:38
>”自分の言葉として消化する”

私の言う意味は違う。
「ユングはこう言っている」というのは自分の言葉として消化していると言える。
しかし「ユングを読んだのか」「哲学を勉強しろ」というのは議論している内容から外れている。
ユングを読んでいない相手と議論できないと言うのは貴方の能力(説得力)不足に過ぎない。
>908
”自分の言葉として消化する”
916考える名無しさん:2007/04/28(土) 18:47:53
決定論スレなんでないの?
917花魁:2007/04/28(土) 19:33:35
>>916
できてるよ。
でも、1の文章がいつものと違うもんだから、不評みたい。
918考える名無しさん:2007/04/28(土) 19:56:10
>>801
どうとでも言える事はここの住人なら気づいてるのはそれなりにいる
だけど説得力のある意見はいくらかに集約される

>>816
唯物論以外にまともなのが無い
大体、物質から意識が発生してるのはある程度確認できるけど、逆は確認しようが無いから唯物論に流れるのは自然
人には片方からしか言えない
919考える名無しさん:2007/04/28(土) 19:59:30
>>914
それが原因で延々と同じ事を言い合ってるとかよくある
自由については特にある
920ネコの味方:2007/04/28(土) 20:34:35
>>911
うーむ。あなたのほうが正しいのかもしれませんね。私は、このスレで
その逆を一貫して主張してきました。「物質世界(物理現象)は、法則に
従う。しかし(私の)心に法則は立てられない」と。
しかし、あなたはその反対ではないかと言う…。
921じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/04/29(日) 01:41:57
>>920 :ネコの味方 :
はい、人の意識は法則(普遍性)とか必然性にこだわる癖があります。
それは脳の構造上に由来するかもしれません、その辺の事情はもう少しで科学的に解明されると思います。
それでも心を解明する事は出来ません、物質(構造)と意識(機能)は全く別の範疇のものだからです。
ともかく意識は現実の物質世界の偶然性を乗り越えることは出来ないと言う事です。
922考える名無しさん:2007/04/29(日) 05:17:37
ちょっと横レスさせてもらいます。

唯物論・唯心論や決定論・自由意思などの、どの説にも共通する謎を考えると
何か分からないかと思うのだが、どうでしょうか?

仮に唯物論か唯心論か分かったとしても、
「では、物質orクオリアはなぜ存在するのか?
 なぜ物質orクオリアは今のこの状態になってるのか?
 物質orクオリアとはそもそも何なのか?
 物質orクオリアを存在させ変化させる大元の原因・理由は何なのか?」
などの、更なる共通する問いが生まれるのではないか?

更に、「これらの問いは人間が理解できる・人間は理解できない、どちらか?」
「これらの問いに回答が有る・回答が無い、どちらか?」「そもそも理解とは何か?」などと
次の謎が出てくると思う。

なので、唯物論か唯心論か、決定論か自由意志があるかなどを問うよりも、
上に挙げた問いを考えた方がより根源的な事が分かると思うのですが
どう思いますか?
923哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/29(日) 10:47:14
>>922
同時進行的に考えるのが妥当でしょう
924花魁:2007/04/29(日) 11:02:10
>>922
それを考えつづけるのは「なぜなぜ病」と評すべきでは?
『徒然草』の最終段の問答からでも明らかだが、
「なぜ」と問いつづけても終いにはしょうがなくなるわけだし。
922氏が問題にしていることは、「なぜ」と問うべきことではなくて、
ただ「そうであるかないか」の次元(つまり事実認定の次元)で
終わるべき問題のように感じられるのですが、いかがでしょ?
925考える名無しさん:2007/04/29(日) 11:11:37
そうそう
人にはわからないこと解けないことがあるという前提で
議論を進めるのが正解。
926考える名無しさん:2007/04/29(日) 11:12:20
五体不満足でも頭さえしっかりしていれば立派な人間である。→Z岳
ところが
精神に異常があり
自己が不安定にゆらめいているおまえらのような生き物
つまりキチガイというのは
これは
人間というよりも
はるかに幽霊に近い存在である。
927ネコの味方:2007/04/29(日) 11:49:55
>>924
そうですかね?あっちのスレで少し前に科学的認識の根源を素人っぽく執拗に
問うたことがあります。自他に問い続けるのは一種の病かもしれぬが、これは
(ある種の)人間の持病でしょう?
本格的な哲学者や科学者は、相当な重病人、すなわち病膏肓に入った人たち
ではないでしょうか。
ちなみに最高位は幼少の頃にこの病気に罹り、持病というよりも体質と化し
てしまい、今日の彼があるようです。ww
『徒然草』の作者のそれも、問い続けた果ての“諦観”では?

928花魁:2007/04/29(日) 12:07:50
>>927
学者が>>924で言った意味で一種の「病人」であることはその通りでしょうね。
そして、この病の産物が今「学問」と呼ばれているものであるに違いはない。

「究極の原理」みたいなものを追求したがる人間は、
昔もいるし今もいる。今だと、物理学者あたりには多そうな気がしますね。
「究極の原理」があるという発想自体、疑問視することもできるわけですよね。

但し、いずれにせよ、「なぜなぜ」がどっかで通じなくなるという自覚は
やっぱり必要だと思います。これをやり続けると、
下手すると人間の言葉遊びを延々と繰り返すことになりかねないし。
929哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/29(日) 13:40:34
>>927
>ちなみに最高位は幼少の頃にこの病気に罹り、持病というよりも体質と化し
>てしまい、今日の彼があるようです。ww

半分は当たってるけどなwww

勝手に変なイメージ持っちゃってるみたいだから
一応、言っておくけど
私は普通に複数の会社を経営し、ごく普通に社会生活もおくっているからね
周りのほとんどの人たちは、私がそんな事を考えているなんて知らないほどだよ
相手によって話題や対応方法を完全に変えているんで、ご心配なくwww
まぁ、本質的に変人である事は自覚しているけどね
ちゃんとバランスとってるぞ?w

>>928
>但し、いずれにせよ、「なぜなぜ」がどっかで通じなくなるという自覚は
>やっぱり必要だと思います。これをやり続けると、
>下手すると人間の言葉遊びを延々と繰り返すことになりかねないし。

それは「答えはない」と、初めから結論を決め付けている態度ではないのかね?
930922:2007/04/29(日) 15:24:41
>>924-925
人間には分からないではなく、
「数ある仮説のうちどれが正解か分からない」
ではないでしょうか?
仮説のレベルならば人間は物事が存在し変化する理由も分かってると思います。
で、仮説の積み重ねで科学といった正しそうなことが分かってきたので
根源的なことも必ずしも分からない訳ではないと思います。
931考える名無しさん:2007/04/29(日) 16:17:36
自分は他人とは違うという意識で自分が成り立ってるんだから、完全に意見が
一致するという事はないよ。いくら自分が真理にたどりついて語っていると
思っても、他人には外部からそう思うように強制されている制度的な押しつけ
という感覚が発生する。哲学って概念や用語が哲学者によって恣意的で、読者が
著者の思考枠に収まるように概念操作で誘導しているという感がぬぐえない。
932考える名無しさん:2007/04/29(日) 17:14:59
哲学は科学とは違うので、恣意的な側面をもつことは否定できない。
プラトン、アリストテレスの時代から、そんなに進歩していない、
と考えるのはオレだけか。
933花魁:2007/04/29(日) 17:25:45
>>931
結局学問って、何処で納得できるかっていう問題なのよね。
単に世界に生じる多様な現象を記述するだけで納得するんだったら、
もうそれ以上整理された科学なんかいらんわけでね。
そして、納得というものは心理的なものだから、
人によって異なりうるものでしょう。

>哲学って概念や用語が哲学者によって恣意的で、読者が
>著者の思考枠に収まるように概念操作で誘導しているという感がぬぐえない。
これは学問一般の特徴ですね。
学問とは、世界の見方を作り出すものであるわけなので。
934花魁:2007/04/29(日) 17:44:52
>>932
哲学というものは、「発見」の学問ではないわけです。
世界観なり価値観なりの基礎的な部分を吟味する作業が哲学なんだから、
主要論点自体は古代から余り変わらんわけです。
方法論には変化が見られるが、方法論なんてものは
日進月歩するような性格のものじゃないから、
科学みたいな「進歩」はしないわけです。
科学が日々進歩しているように見えるのは、「発見」の学問だから。

哲学論争が終結するということは多分ないんだろうが、
論争を繰り返しつづけることに意義があるんだろうと思います。
論争を繰り返すことは、基礎を確認しつづけることになるわけだから。
935考える名無しさん:2007/04/29(日) 17:51:15
鏡で見ると自分がいる。
いや、「自分」と私が名づけている何かがいる。
じゃあ、その名づけている「私」とはいったい誰なんだ?
この肉体の中にこもって、自分の鼻の頭の先とその先に広がる世界を
見つめている(ように思えるもの)ものは、いったい誰なんだ?
いや、それも錯覚ではないのか。

ほんとはこの私は、この(三次元の世界)にはどこにもいないのかもしれない。
違った次元からこの世界を覗き込んでいる「何か」だったりして・・。

こういうことを考えるのはすごく楽しいんだけど、
ゴハンを食べるためには何の役にも立たないな
936花魁:2007/04/29(日) 17:57:47
>>935
そういうことを娯楽にできるものにとってのみ、
哲学は価値があるんだろうね。
937考える名無しさん:2007/04/29(日) 18:17:17
いや、物質や意識の根源といった事が分かれば
テクノロジーのように人間の役に立つように応用できると思うけど
いかがだろうか?

意識・物質について科学技術として用いる為に
その仕組みや謎の解明が必要だと思う。
938考える名無しさん:2007/04/29(日) 18:25:39
「意識」「物質」を「解明して」別の説明の仕方をしたところで、
結局、別の言葉に言い換えただけ、すなわち同義反復にしかならないと思う。

無論、そのことで現実に生きている人間の役に立つかどうかは別の問題だけどね。

結局、謎は永遠に謎のままであり続ける・・・。
われわれにできることは、解明ではなく、共通見解として
言葉で定義(決める)事だけだろう。
939考える名無しさん:2007/04/29(日) 18:29:17
>>937
分かればいろいろ応用出来そうだけど、今のところは難しいし
気にしなくったって頭のいい人がいろいろやってるよ
940花魁:2007/04/29(日) 18:36:15
オイラも>>938と同見解。

心理現象と脳の状態の対応関係を調べていけば、
何がしかの応用は成り立ちうるとは思う。
もし>>937氏がこの次元で応用問題を考えているのなら、
それはできるように思う。
しかしそれは脳科学の議論であって、哲学ではないような…

まあ、哲学と科学の間の領域の厳密な線引きは困難なので、
哲学及び科学の言葉の定義問題になってしまうが。
941考える名無しさん:2007/04/29(日) 18:37:57
スレタイ見たらおつけ物のしんしんを思い出した
942考える名無しさん:2007/04/29(日) 18:53:06
哲学も第一原理とやらを発見、とかいうのだが、それが恣意的なだけさ。
943考える名無しさん:2007/04/29(日) 20:02:40
>>942
そりゃそうだ。
なんにでもそれは言える。
944考える名無しさん:2007/04/29(日) 20:15:55
>>938-940
科学も、自然現象をモデルを使い別の言い方であらわし、それを応用して
今のテクノロジーが出来たのではないでしょうか?

なので、意識の問題を脳と意識の位置関係を扱う脳科学だけに留めず、
「どのような仕組みで物質から意識が発生するのか?」
「(自由意志がある場合)なぜ物質の集合が特定に集まると自由に動くのか?」
「どのような仕組みで無から物質や意識が発生し、法則も発生したのか?」
などが分かれば、電機の発明といった具合に
新しいテクノロジーになるのではないかと考えてます。
945哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/30(月) 00:28:24
『私』の『存在性』は、テクノロジーじゃない って言ってるのに
いつまでたってもわからんやつらだなぁ
946考える名無しさん:2007/04/30(月) 00:31:39
誰も「存在性」の話なんかしてませんが何か?

無理して入ってこなくてもいいですよw
947哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/30(月) 01:13:41
>>946
あんた誰
948考える名無しさん:2007/04/30(月) 01:18:07
949考える名無しさん:2007/04/30(月) 01:25:50
最高位ってこんなデブ眼鏡だったの?
950考える名無しさん:2007/04/30(月) 01:27:21
無視むしスルーw
951考える名無しさん:2007/04/30(月) 02:01:35
952考える名無しさん:2007/04/30(月) 02:08:46
ホッブスだ。
953考える名無しさん:2007/04/30(月) 02:16:53
さっきからどういうつもりだ?
荒らすなよ最高位
954考える名無しさん:2007/04/30(月) 02:29:33
>>945
確かに、テクノロジーの話になると哲学ではないですが
人間の快不快・欲求・悩みの根源的な事、つまり「意識・私」
について解明が進めば、電気の解明で今のテクノロジーになったと同様に
何かテクノロジーにならないかという考えです。

仮に、意識を物質(脳)に依存せず
人間が自由に変化させることが出来ればダイレクトに感覚を感じられることなので
あらゆる苦痛は遮断し、好きなときに好きな快楽を味わう事が可能とか
そういうテクノロジーに応用できないか?という考えです。
955考える名無しさん:2007/04/30(月) 02:48:21
そういう話ではなく、最高位先生はデカルトのコギトの話に流れを
持って行きたいそうです。先生はデカルトを読んだことが無いのですが。
956考える名無しさん:2007/04/30(月) 03:23:54
「私が疑っている」という命題に初めから「私」が含まれていることに、ホッ
ブスは不満顔なのだよ。「私」の存在は論証すべき内容なのであるから、前も
って前提してはならないというわけです。方法的懐疑を掲げながら、実際は独
断論でしかないじゃないかと。
「私が疑っている」ということが事実だとしたら、どのようにしてそのような
思惟活動が行われているのかを明らかにしなければならない、と彼は考えたの
でしょうな。つまり「私がする思考」のメカニズムを解明することで示すべき
だという立場ですな。
 
957哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/30(月) 06:48:56
>>954
私は『存在性』という、究極的な根源の話をしているんだよ
そろそろ「自我」と「自我意識」の違いぐらい理解してもらえないか?

>>955
大事な部分で、ちょっと違うんだけど
いまだに理解できませんか?

>>956
>「私が疑っている」という命題に初めから「私」が含まれていることに、ホッ
>ブスは不満顔なのだよ。

不満顔 をしている本人がいるだろ って話な

>つまり「私がする思考」のメカニズムを解明することで示すべき
>だという立場ですな。

「私がする思考」
と、すでに自身が『私』を前提にしている事に気づかなければいけないなwww

「思考」の前に、必ず「私が」という『存在性』を無視する事はできないんだよ
すなわち
「思考」の本質を突き詰め、この構造を根本的に解明しようとすれば
本当は『私という存在性』に突き当たらなければならない

問題点は
『精神性の根源』と『物理現象』という根源的問題を
『精神活動』と『物理現象』という表面的な問題意識 として勘違いしてしまっている
という事だよ
958考える名無しさん:2007/04/30(月) 10:01:58
>>957
最高位が言っても説得力が全くない。
だって、最高位は物理現象が何かを知らないから。
959考える名無しさん:2007/04/30(月) 10:17:42
お宅らの議論は
仏教から言えば二項対立の言語論理の世界=世俗諦の限界にしか過ぎず、
当然の事態だ。んなことは、インドのナーガールジュナが中論で解決済み。
二元、分別、戯論から離れた「中道」なるが故である。

「不滅にして不生、不断にして不常、不一義にして不異義、不来にして不去、
 戯論寂滅にして吉祥なる縁起を説きたまいし、正覚者にして説法者中の最上者に、私は敬礼する。」(1)
「縁起しているもの、それを、われわれは空性と説く。それ(空性)はまた相対的に仮説されたものであり、
 その同じものが中道である。」(2)
「この縁起を見る人は、苦(諦)と集(諦)と滅(諦)と道(諦)とを見る。」(3)

いまごろ言語(論理)批判て、1800年遅れているYO!
 
 去るものは去らず   来るものは来ず
 滅するものは滅せず  生ずるものは生ぜず
 死するものは死せず  産れるものは産れず 

960考える名無しさん:2007/04/30(月) 12:03:40
日本語には三項対立もございます。
961花魁:2007/04/30(月) 12:11:16
>>956
>「私」の存在は論証すべき内容なのであるから、
>前もって前提してはならないというわけです。

この点に関していえば、>>957の最高位氏と同様に、
おかしいことを言っていると感じる。

「私」についての議論が出てきたのは、
世界を記述する上での絶対前提とはなんであるかという
探索の結果として導かれたのだから、論証の対象じゃない。

ただ、「私」に関わる議論をする上でのよく発生する問題点は、
「私」についての記述が、世界に生じる現象についての記述じゃない、
ってことが、十分理解されてないとこなんだな。
962哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/04/30(月) 12:19:53
今回は
なんぼなんでも、アホでも理解できる説明ができてるよな

これでも理解できないとするならば、もはや基地外だよな
963考える名無しさん:2007/04/30(月) 12:25:44
で1800年間君は何してたの?
964考える名無しさん:2007/04/30(月) 12:27:42
まさかそれを知って止まっていたとか?
さぞ進んでいよう。さぁ開陳したまえ。
965考える名無しさん:2007/04/30(月) 12:29:07
仏教はいいけど仏教徒はうざいな。
知的誠実さの欠片もない。
966考える名無しさん:2007/04/30(月) 12:38:31
大体論を唱えるものはそんなもんだ。
自分に自信がないんだろ。
967考える名無しさん:2007/04/30(月) 13:03:08
まったく新しいものを、
現在の知識で判断する
こと、いとおかし。
968考える名無しさん:2007/04/30(月) 18:12:45
二項対立の普段の分別知(ものを分ける事によって成り立つ知)で自分を見ても、
それは自分を世界の中に対象として分けて切りだすことであって、
見られる自己とは別の見る自己がどこまでも残り、本当に自分を見ることにはならない。
分別知とは別種の智、見られる自己と見る自己・自分と世界が対立していない戯論寂滅の智が必要で、
それこそが一切法無我の『般若の智』でありましょう。般若智を知るためには、論理的思考を突き詰めた先に、それとは別の次元の、
正しく座り瞑想する事など肉体も含めた自己の全的訓練(八正道)が必要。

2ちゃんねるでの言語ゲーム(ウィトゲンシュタイン)では全然、あかん。
969考える名無しさん:2007/04/30(月) 18:20:51
968は深い言葉だ。今日様々な人々が書き込んでいった中で最もレベルが高い
レスだと思います。
970花魁:2007/04/30(月) 18:35:01
>>968
現代哲学が二項対立図式みたいに思われてるのは、
少し違和感を感じるが…

現代論理学で真偽しかないのは、
あくまでも基礎的な二値論理の次元の議論だし、
多値論理に関する話はいっぱいあるし…
971考える名無しさん:2007/04/30(月) 18:50:09
家(認識・主観)にはその主(主体・私)が居て、なんていう話は
よしてね。
中学の時、国語のセンコーから聞いたし。
972考える名無しさん:2007/04/30(月) 19:23:28
誰でもいいんだけど。人生最大の問題なので教えてください。

唯物論とか二項対立とか、いろいろ聞きますが
何で私が今のこの時代に存在し、このような五感を感じるんですか?
人間は死んだら体は分解されますが私はどうなりますか?
こういう、私を支配する自然法則はいったいなんで今のこのように
なってるんですか?

どなたか教えてください
973考える名無しさん:2007/04/30(月) 19:27:38
>>972
聖書読め。
聖書も答えの一つだ。
974考える名無しさん:2007/04/30(月) 19:36:49
「この身」はどうなってもいいから、「私」だけは無事に居てほしいと、
神様におねだりするか。
975考える名無しさん:2007/04/30(月) 19:39:35
人間は、ある時は10人バラバラで、移動するときは合体して1人になる
という生物だったら、哲学もずいぶん違ったものになってたでしょう。
976考える名無しさん:2007/04/30(月) 19:48:57
お、創発来た?
977考える名無しさん:2007/04/30(月) 19:53:18
>>972
私もかつてそのような疑問に取り憑かれていました。
答えを知っている人はいないようです。
自分で考えるしかない。
978959・968:2007/04/30(月) 20:23:43
>>972
 どうか『戯論寂滅にして吉祥なる縁起を説きたまいし、正覚者にして説法者中の最上者』

 即ち、ゴータマ・ブッダに深く巡り会われんことを!

 わが人間存在の真相=有限性を洞察して、そのうえにしとどに涙を注ぎえたもの(ブッダ)にして、
はじめて生きとし生ける者のうえに涙することができる(慈悲)という根源的な消息を知りうるだろう。

そこにおいて初めて主体を立てぬ(無限定な)解放的な無常=無我=縁起の真実がある。自由の究極義だ。

では、おやすみ。
979考える名無しさん:2007/04/30(月) 20:30:44
適当なやつw
980考える名無しさん:2007/04/30(月) 20:48:11
>>978
意識の存在と変化に関する「仕組み」が分からないと
そういう方法の実行は難しいと思うんですが、意識に関する具体的な仕組みが分からなくても
(仏法?)を学べば苦痛から回避できるのでしょうか?

単純に、物理的な事、例えば病気の回避を行うのに生物学を知るのと同様に
意識に関するあらゆる事も、意識の存在と変化の仕組みが分かれば
自由に回避したり感じたりできると思うんですが、
人間の体といった物理的なことではない
「意識」に関して、その存在と変化の仕組みを知るにはどうすればいいでしょうか?
981考える名無しさん:2007/04/30(月) 20:53:18
>>972
現在の意識はなくなるけど存在したままになるよ。
で、誰かのうんこにでもなる。
現在の意識さえ認識することが出来なくなればあとは結構楽なもんだよ。
爆睡したまんまだから。
982考える名無しさん:2007/04/30(月) 21:15:07
>>968
深いことを言っているつもりかもしれぬ。>>969 のように、この種の言い草を
ありがたがる輩もいるらしい。
が、所詮、結界のなかの隠語でしかない。“世界性”までは求めないが、せめて
“一般性”くらいは表現してくれないとね。かつて、この種の隠語で自足していた
アジア人が西洋人に車夫馬丁の嘲られ、その支配下に置かれたわけだ。

ここに来るのは勝手だが、普通の日本語で書き込んでくれ。お互いに時間のムダ
だぜ。
983考える名無しさん:2007/04/30(月) 21:30:40
仏教だったか儒教だったか忘れたが、その言説を「車夫馬丁のタワゴト」と
嘲ったのは、トーマス・マンだったっけ? もっとも彼の“哲学的センス”
も…。
984考える名無しさん:2007/04/30(月) 21:56:17
>>959>>968>>978
釣りだと思ったんだが。
985考える名無しさん:2007/04/30(月) 22:17:00
>>984
ただの権威主義者ってだけでは。
考えることは難しいからしょうがないけどね。
986考える名無しさん:2007/04/30(月) 22:33:08
自由意志を持った「私」ってアレだろ?

サイコキネシスの事だろ?

987考える名無しさん:2007/05/01(火) 00:59:52
みなさんは、何の為に存在し生き続けているのですか?
988哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/05/01(火) 02:13:08
>>968
>二項対立の普段の分別知(ものを分ける事によって成り立つ知)で自分を見ても、
>それは自分を世界の中に対象として分けて切りだすことであって、
>見られる自己とは別の見る自己がどこまでも残り、本当に自分を見ることにはならない。

本当の自分かどうかは知らんが、偽者ではあるまい

自分を見たり、切り出したりしている時点で
その作業をしている『私』がいる事実を否定する事はできない
その作業をしている『存在性』こそが『私』であり
それは偽者であるわけもなく、「本当の自分」が存在するからこそ出来る作業なのである
その『存在性の部分』を指して『私』とする限り、「本当の自分」である事に間違いはないのだ
989じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/05/01(火) 02:14:28
>>972
>何で私が今のこの時代に存在し、このような五感を感じるんですか?
>こういう、私を支配する自然法則はいったいなんで今のこのように ・・・

理由はありません、たまたまそうなっているに過ぎません。

>人間は死んだら体は分解されますが私はどうなりますか?

体の分解とともに無くなります。
唯、確実に言えるのは貴方の人生最大の問題は、貴方に彼女が出来ない事です。

>>987

意味、目的はありません。
990哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/05/01(火) 02:18:40
>>989
そう言える根拠もまた、ないでしょう
論理性もなく
言い切っている時点で、それは宗教ですよ
991考える名無しさん:2007/05/01(火) 02:21:04
>>988
だーかーらー
それが唯識の言ってる
「合わせ鏡」だってことに気付けよw
992考える名無しさん:2007/05/01(火) 02:24:55
次立てようか?
あっちに来られても迷惑だし。
993哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/05/01(火) 02:25:29
>>991
つくづくアホなヤツだなぁ

合わせ鏡だろうが何だろうが
見ている自分がいるから見てるんだろ
994:2007/05/01(火) 02:43:34
この人も同じくらいアホなヤツ
995考える名無しさん:2007/05/01(火) 02:45:30
>>993
>>959
>>968
仏教派が言ってることは
鏡の私は虚像ってことだ
996哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/05/01(火) 02:50:08
>>994
発言する時には根拠も書かなきゃいけない事ぐらい、そろそろ学習しろよ

>>995
虚像だろうが何だろうが、それを見ているのは『私』だが?www

仏教徒ってのは、ホントに本質が見えないのかねぇ・・・・
997考える名無しさん:2007/05/01(火) 02:52:42
唯識もいい例を出したもんだなw
やっぱ深いわ。
998哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/05/01(火) 03:04:07
仏教徒てのは、見えてる像の事しか考えられないんかな

見えてる対象が虚像だったとしても
見ている本人が見てるんだから、その本人の存在は否定できないだろ

仏教そのものが次元が低いのか
いや多分
低い知能で本を読むと、誤読が生じるって事なのだろうね

そもそも仏教というのは、観念論じゃないのか?
なんでここにいる仏教徒は、みんな唯物論者なワケ???
ワケわからんわwww

アホばっかりやな?
999じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/05/01(火) 03:07:21
>>990 :哲学者最高位 ◆mgNCvVgWk2 :2007/05/01(火) 02:18:40
>論理性もなく・・・

おっしゃるとおりです。
人は論理で生きている訳では在りません。

>言い切っている時点で、それは宗教ですよ

言い切るということは「生きることです」
例えば女性を口説くときに「愛している」と言い切るしかありません。
「愛しているかもしれない」では子孫を残せません。
1000考える名無しさん:2007/05/01(火) 03:08:54
>>999
おまいさんは誰を口説いてるんだw
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