>>512 そこが私(たち人間)の哀しきサガではないでしょうか?
客観的世界なるものを勝手に(主観的に、せいぜい共同主観的に)でっちあげ、
初めからそれが(そのように)存在していたかのごとく思いなし、それが主観
に映じた表徴にすぎないことを等閑にに付す。むかし、神様。いま、物質。
>>508 ポチ、トムあるいはミケ、タマと名づける(個別化する)のも、犬、猫とクラス
分けするのも、観測者の主観でしょう? めんどうくさいので仮に“存在群”
としただけです。厳密には“表徴”群でしょう。
もう一つ、超越論的主観(最高位の私はこれに近い)を奉る論者は、ここには
いないでしょう? 最高位とて、独我論に居直ったことは、一度もないはず
です。ただ、そこを出発点とせずに、やすやすと“客観世界”を言い立てる
のは超越論的言明だと言いたいだけです。それこそ、主観を隠蔽した超主観
主義ではないでしょうか。
花見に行きますので、また後ほど。