1 :
考える名無しさん:
ずっと前からなんで実存主義スレがないんだー、と嘆いていました。
ということでスレ立てします。
実存主義っていっても、実存主義と呼ばれている哲学者をそれぞれ
見ていくと、これを一口に実存主義と読んでいいのかと思うくらい
それぞれの哲学者の思考は乖離していますよね。
そこで、各々の哲学者の差異やこれからの実存主義について話していけ
たらなぁ、と思います。
2 :
考える名無しさん:2005/07/23(土) 01:34:59
3 :
考える名無しさん:2005/07/23(土) 03:31:47
4 :
考える名無しさん:2005/07/23(土) 03:37:49
5 :
考える名無しさん:2005/07/23(土) 14:10:09
実存主義ってもう古い思想なの?
6 :
ハル:2005/07/23(土) 14:19:27
それどころか、今見直されてブームなくらい。
7 :
考える名無しさん:2005/07/23(土) 15:20:56
っていわれて数十年経ったかな。
構造主義とか、脱構築とか、
ポスモダとかエクリチュールがうんたらとかと違って、
実存主義哲学をいくら学んでも「全くモテない」。
全くモテないということは、市場経済の中で
全く流通しない思想だということだ。
あたりまえすぎて流通しない、
「死ぬほど」つまらない思想
それが実存主義だ。
9 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 21:18:23
落ちますぜ、旦那。
10 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/05(金) 21:27:33
>8
モテないって、どういうこと?
11 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 21:29:01
実存とは、いきいきといきること。
12 :
ハル:2005/08/05(金) 21:30:48
生きることに酔いすぎて嘔吐しそう。
13 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/05(金) 21:31:50
実存とは、自分以外の外部の価値一般に翻弄されず、すべて自分で考え選択し、
自分の価値感を貫いて生きること。
しんどいけどさ。
自分の価値観すらネタ化される昨今、実存主義ほどゴミな思想はないな。
梶原一騎もガンダムも、学闘を背景にしたキモイ
絶対価値はすべてネタ化することで抑止されている。
15 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/05(金) 21:54:56
>14
では、あなたは、どこに価値を置くのでしょうか?
あるいは、相対主義のままで宜しいと考えておられるのでしょうか?
>>15 本当の意味の実存(これが実存かどうかは知らん)という
意味で相互理解の可能性を絶対的に放棄する。
で、民族意識とかイデオロギーとか歴史観とか宗教とか集団帰属意識とか
そういった組織系のたぐいを絶対的に信じない。
誤解はして欲しくないのが方法論としての経済や科学を否定するつもりはない。
そこに生まれる、人情とか、愛とか帰属意識を喚起させる類のものは信じない。
功利的にそうであれ、としか思わない。
そして一人で死んでいく。それが一番よい方法だと思う。
それが一番美しく誇り高い生き方だと思う。
・・・と思ってたらこれもネタになんだよなあ。キレル17歳ww
難しいもんだ。
17 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/05(金) 22:14:49
>16
無思考の共同幻想から自由になる、安直に価値感を共有しない、
というのは、私の理解では、充分に実存主義の実践だと思います。
サルトルの死に方の理想は、ひとりでアパルトメントの一室で静かに、
誰にも看取られず、ひっそりと死んでいくこと。
それで、いいんじゃない?
ヒキコモリは実存主義者になりえるか?
19 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/05(金) 22:24:21
>18
ヒキコモリの定義が難しい。
>18さん、定義づけしてみてくれませんか?
20 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 22:30:32
篭もることが自ら他との接触を閉ざすことだとすれば主義主張は
生まれないこととなり、実存主義ともなりえない。
引きこもり同士が連帯するとすれば話は別だが。
どうだろう?
2通りある気がする。
ひとつが
>>16的ヒキコモリ。
ただ、具体的にどうすればそれに至れるのかが分からない。
現実的に人は人を欲すし。理解されることを期待してしまう。
コミュニティへの帰属意識の欲望から解き放たれるのは本能的に
不可能な気がする。
もうひとつは親に寄生して、死ぬまで寄生したまま
「働いたら負けかな」とか言って経済的に無価値なままの人。
22 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/05(金) 22:34:06
>20
フィジカルに外部との接触を経つ=ひきこもり、という定義付けですね。
では、経済活動との関連性では、どういう定義付けになるのでしょうか?
23 :
20:2005/08/05(金) 22:47:13
>>22 む〜、むしろメンタルの領域で述べたつもりだったんだが。
経済の要因がどうであれ自分にたいして目的を与えられない状態が
引きこもりと解しているのだが。
主義主張にはなにかしら目的とするものがあるはず。
24 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 00:47:00
実存主義には「理屈じゃねんだよ」ってフレーバーが漂ってるよね
25 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 01:31:09
じゃあ何なのさ?。
26 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 14:58:58
呻きみたいなもの
27 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/08(月) 20:28:43
>26
もし、そうであるとすれば、人間存在の本質は「呻き」。
実感としては、軋み、みたいなもの。
28 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/08(月) 21:05:11
人間が、人間として、自立するときの、産みの苦しみからくる、軋み。
29 :
考える名無しさん:2005/08/08(月) 21:07:35
ごちゃごちゃ理由は分からんが、とにかく生きているっていう現実。
30 :
考える名無しさん:2005/08/08(月) 21:17:28
異なる考えの人間たちと激しくぶつかり合うことで、個が作られていく。
軋轢から生まれる、ぶつかり稽古で鍛えられた「個」。
孤独な喧嘩人生に実存主義が復活する。
引き籠もりや女子供の哲学オタには、実存主義は分からないよ。
31 :
考える名無しさん:2005/08/10(水) 22:47:20
実存主義者って>1の言う通り各々の主義主張がてんでばらばらだから、話し合いにくいというか難しいよね……
俺的に、現象学も含めて実存主義について語って欲しいな〜。現象学むづいっすw
32 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 00:33:05
実存は「個」としての主体を確立しようとする時に主題化される人間のあり方で
あって、屈するものじゃないが、惰性に流れると万年野党のようなもので実存的じゃないかも。
33 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 00:33:30
実存主義って、わかりやすくいうと、
ジャイアニズムって事だよね?おまえのものはモレのもの。
過去にこれほど、衝撃的な哲学思想を発した人物がいたであろうか。
34 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 00:35:37
主体の確立が問題なら「存在と時間」も「存在と無」も精読する必要ないってか
35 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 01:22:58
引き篭もって将来を懊悩しているのも実存的
36 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 06:54:23
実存主義とは物とは違った人間独自の在り方を追求すること
37 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 23:40:00
実存主義ねえ。かつての流行哲学というイメージが強すぎるんじゃないかね
典型的なテクストはどれなんでしょう?サルトルの「存在と無」あたり?
38 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/12(金) 12:57:34
>37
典型的といえば、それでしょうね。
39 :
考える名無しさん:2005/08/14(日) 03:29:06
「存在と無」は実存主義というよりカントやマルクスの影響が大きい。テクストとしてはサルトルの「実存主義とは何か」でしょう
40 :
考える名無しさん:2005/09/28(水) 14:17:44
あげてみたい
41 :
練馬哲人 :2005/09/28(水) 14:40:01
実存主義全般のテクストは不可能だろ。
「○○の実存主義」というふうにやるしかない。
渡邊二郎の本を読め
渡邊二郎の本を読め
二郎原理主義ウザイ
45 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 22:04:45
46 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 22:21:28
俺は実存主義についてよく知らないけどさ、疑問に思うことが一つあるんだよねー。
彼の実存が世間でいうところの「悪人」である人間がいたら、どうすりゃよいのだ?
そいつも真の自己になるべきなのかな?それって倫理学的にはどーなんだろ?
因みに上の疑問のうちに、実存主義に対する誤解が発見されたら、教えて下さい。
47 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 00:34:04
>>37 最近の書籍の中では、アントニオ猪木の「馬鹿になれ」が最適。
闘魂ポエムを読めば分かるさ。
48 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 07:58:04
「実存」って存在するの?
49 :
実存する岩 ◆HU7XfvOYA2 :2005/12/10(土) 22:03:45
実存主義を馬鹿にするな!
50 :
実存する岩 ◆HU7XfvOYA2 :2005/12/10(土) 22:06:13
諸君にセンセーショナルな事実を告げよう。
今こそ実存哲学が世界を台頭する時代が来たのである。
それに対して「ジャイアニズム」「おまえのものは俺のもの」「主観主義」とはなんたるか!
サルトルじゃねえがね、実存主義はヒューマニズムだ!
51 :
実存する岩 ◆HU7XfvOYA2 :2005/12/10(土) 22:07:18
さて、私と実存について対話をする者はおらんかね。
漏れ寝るから
53 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 22:09:36
漏れ仕事中だから
漏れは実存の方がちょっと忙しいもんで
55 :
実存する岩 ◆HU7XfvOYA2 :2005/12/10(土) 22:16:23
56 :
実存する岩 ◆HU7XfvOYA2 :2005/12/10(土) 22:18:24
実存哲学一般、現象学、サルトル、ハイデガーあたりだったらどんな質問、対話、議論しますよ。
57 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/10(土) 22:25:08
実存ってさ、スパイダーマンですね。
蜘蛛の糸を使ってワイルドに摩天楼を飛び交う、スパイダーマンの美しさ!
つまりは、じぶんを規定するものが無くなったとき、
じぶんの存在をどうにかして規定するためには、
他者、社会、国家、世界などなどに対して、じぶんで糸をはり、
それを基点に、じぶんの存在を規定し、
且つその糸を頼りにして、ひゅんひゅんと飛んで行動していく、
そのありようが実存かな。
58 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/10(土) 22:32:54
お仕事終わったから帰ります。
59 :
実存する岩 ◆HU7XfvOYA2 :2005/12/10(土) 22:36:13
>>57 あなたの「実存」の認識はノンですよ。間違ってます。
実存というのはもっと根本的な存在のあり方です。
たとえば君が作家になりたいから哲学者になりたいから、
文学書を或いは哲学書を漁り読むということにおいて、
文学書などを読む行為を「実存」とは言わないのである。
「存在投企=存在了解(=存在の生起)」というのは
現の存在の仕方をより根本的な部分において考えることであり、
すなわち世界への超越を意味するのさ。
60 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/10(土) 22:41:07
世界を超越することなんて不可能ですよ。
それとの関わりかたを、みずからそのつどの選択により自己規定していくこと。
この選択する思考、行為一般が投企であり実存のありよう。
ヤスパースは除外します。
61 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/10(土) 22:43:26
お仕事終わったから帰ります。
62 :
実存する岩 ◆HU7XfvOYA2 :2005/12/10(土) 22:43:36
>wisteria-1君
「存在と無」は読んだかね?
サルトルは「世界を超越する」ことについて記述しているよ。
ちなみに私が言っているのは「世界を超越する」のではなく、「世界へ超越する」ことを言っている。
「哲学、哲学」って言う人に限って矢鱈偉そうなのはなぜ?
64 :
実存する岩 ◆HU7XfvOYA2 :2005/12/11(日) 14:37:28
>>63 僕はじつに謙虚な人間だよ。
ただ2chで謙虚に振舞っていたら、誰も見やしねーからな。
あれだ。煽りってやつだよ、どうか、君も煽りにひとつ乗ってくれたまえ。
65 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 15:57:44
実損は補償され得ない。 by猿獲る
66 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/12(月) 16:51:10
>>62 <サルトルは「世界を超越する」ことについて記述しているよ。
ちなみに私が言っているのは「世界を超越する」のではなく、「世界へ超越する」ことを言っている。>
サルトルの場合、「世界への超越」というより、
「脱自:ek-stase」、「投企:pro-jet」という用語の方が適切ですね。
対自は「脱自的存在:etre-ek-statique」ですから。
67 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 12:27:18
渡邊二郎の本を読め。
二郎の仕事は手堅いものでその重要性は否定しないが
独創性に乏しい。
69 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 12:48:10
>>68 二郎先生の知識やその研究対象は幅広い。要するに広範囲の豊富な知識を持っているということ。
あなたのお薦めの実存主義哲学研究者は?
70 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 12:58:21
渡邊二郎先生は名文家でもある。
その名文を、こちらのスレッドでも紹介する。
「さりながら、その疑問と憂悶こそは、まさしく、その表面上の懐疑とは反対に、むしろ、この世のすべてを見通し、許すとともに、
また、これを裁き、審判し、いつの日かに、正義の秩序を実現するような絶対者というものを求める祈願と絶叫が、人間の胸裡に深く込み上げていることを立証しているように思われる。」
73 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 13:08:06
>>71 日本人でお願いします。
>>72 それじゃあ、実存主義関係の文で名文を紹介する。
「ニーチェが言ったように、自分の歩いた道を必然のものと見て、それを肯定し、そこに根を下ろして人生の実りを享受することを措いて、どこにも人生は存在しない。
すべてをそれでよしとして首肯し、自分の存在を、それを送り届けた大いなる存在の主に対して、感謝の思いをこめて委ね返すということが、生き甲斐の探求の終局には、出現しなければならない。」
どうだ! とても名文。凄い迫力。
74 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 13:14:44
「経験こそが、自己と世界の真相が会得され、わが物とされ、実在と触れうる唯一の場であり、経験のうちでこそ、私たち各自の自己が、個性豊かに築き上げられうる真の源泉であるということになるだろう。」(『渡邊二郎、『自己を見つめる』)
75 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 13:14:51
「自分のいのちの活動とそのすべての軌跡を、感謝とともに、絶対者に向けて捧げ返すことのうちに、この世の最高の幸福があるであろう。
絶対者とは、その大きな心のなかに、すべてを包み込み、許し、嘉し、永遠に記憶して、忘却しない、いのちの守り神のことである。
絶対者に嘉せられることが、人間の最終の願いである。
しかし、それは達成されない人間の悲願であるかもしれない。」
(渡邊二郎・東京大学名誉教授・放送大学名誉教授・『自己を見つめる』)
76 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 13:15:19
「人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また許すところの、裏切ることのない、誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みのすべてを銘記し、
それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、貴重な人間的経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる人間にとっての、最も崇高な、道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。」
(渡邊二郎・東京大学名誉教授・放送大学名誉教授・『自己を見つめる』)
77 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 13:16:00
どうだ! この迫力! この名文! この誠実さ! この熱血さ!
78 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 13:17:14
「自分の存在を、それを送り届けた大いなる存在の主に対して、
感謝の思いをこめて委ね返すということが、生き甲斐の探求の終局には、出現しなければならない。」
↑
これって実存の対極だよ。
「自由であることに呪われている」というサルトルの言葉の対極。
リルケもキルケゴールもカミュも通過していないものと想定される。
79 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 13:18:56
ま、最も悪い意味でのお経ですね。
80 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 13:20:11
この人から「東京大学名誉教授・放送大学名誉教授」の肩書きをとったら、
「廃人」ですよ。
81 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 13:22:15
>>78 ああ! 誤解のないように言うと、絶対者は最終的に希求するもので、それまでは、力強く生きる実存主義の姿勢が求められるんです。それを解説した渡邊先生の文を紹介します。
「したがって、生き甲斐は、根本的に、重い運命愛の意識に担われた、死に場所への覚悟というものと深く関係している。
しかし、他方では、それは、ときにはそれを忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも接続していることは確実である。
この大きな振幅のなかで、私たちの生の営みは展開している。
そして、むろんのこと、生き甲斐の究極の本質は、自己の人生の意味いかんの問題として、最終的には、絶対者への問いと結合している。」
82 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 13:25:03
「むろんのこと、生き甲斐の究極の本質は、自己の人生の意味いかんの問題として、最終的には、絶対者への問いと結合している。」
↑
「実存」における「絶対者」ってなんですか?
83 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 13:26:08
「絶対者」と「結合する実存」ってなんですか?
84 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 13:27:54
>>82 >>83 「有限性の極みのなかでこそ、逆対応的に、絶対者への希求が現れてくるのである。」
85 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 13:30:14
86 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 13:32:16
「問い」くらいはわかりますよ。
「結合」ってなんですか?
87 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 13:33:05
なんか逝っちゃってるよ。
この人。
88 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 13:34:16
89 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 13:34:55
知らなくてなんか損をするのですか?
90 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 17:36:53
>>84 >>85 >>88 実存「主義」でも先験論でも経験論でも、認識論/存在論に「絶対者」を絡ませた時点でおしまい。
特に、実存においては、「絶対者はもう無い、いない」という地平から出発しています。
サルトルの「自由であるとは、自由であるべく呪われていることである」が、実存「主義」です。
絶対者=本質を置くと、それは既に「実存」ではない。
91 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 18:41:08
>>81 美文にもなっていない糞文体。
且つ無内容。
92 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 19:29:41
「しかし、他方では、それは、ときにはそれを忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも接続していることは確実である。」
↑
それは結構なこって。
93 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 19:39:17
アカデミズムの人間って、何もほんとうのことを考えてもいないし、何も書けない。
何故か?
何も考えなくても食えるから。
食える時点で、考え、感じ取ることをやめる。
94 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/13(火) 20:00:34
そして、程度の低い学生レベルなら騙せるレトリックに奔る。
95 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 12:27:44
>>78 >リルケもキルケゴールもカミュも通過していないものと想定される。
そんな訳ないでしょ。
渡邊氏の関心は比較的最近は主にシェリングに向かっているようですよ。
96 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/14(水) 13:00:52
>95
教壇哲学者としてでしょ?
97 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 13:05:42
>>93 なんだそりゃ……。
「ほんとうのこと」の詳しい内容は不明だが……。
仮に職を得たら、「何もほんとうのことを考え」なくなるとしても、
定職を既に得た奴が得るまでにした研究は、
93のいう「ほんとうのことを考え」てるか?
違うだろ?
少なくとも、食えることで感じなくなるようなことが、
研究の内容に寄与したらまずいだろ。
しかも、食えるようになってからだって、
研究や教育においてそれなりに感じることはあるだろうよ。
98 :
十二使鳥:2005/12/14(水) 13:15:28
なんちゅーか、、、
実在【主義】っておかしいな。
実在は実在でしかない。
実在主義以外を考えると幻想主義、夢想主義???
主義もくそもなく人間は実在しているのだ。
99 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/14(水) 13:18:56
>>97 「食えるようになってからだって、研究や教育においてそれなりに感じることはあるだろうよ。」
↑
「それなりに感じること」=「したがって、生き甲斐は、根本的に、重い運命愛の意識に担われた、死に場所への覚悟というものと深く関係している。
しかし、他方では、それは、ときにはそれを忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも接続していることは確実である。
この大きな振幅のなかで、私たちの生の営みは展開している。
そして、むろんのこと、生き甲斐の究極の本質は、自己の人生の意味いかんの問題として、最終的には、絶対者への問いと結合している。」
これが、「それなりに感じた」ことの成果ですか?
凄いですね。
100 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/14(水) 13:28:38
誰でもが感得している日常的感覚を高踏的レトリックでもってなぞっているにすぎない、
としか読めないのは私だけなのでしょうか?
日常用語に翻訳すると、
どうせ死ぬという覚悟はある、
しかし、ときたまはそれを忘れるときもある、
このはざまをいったりきたり。
だから絶対的存在の有無を問う。
なんのことやら。
101 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 13:37:01
>>99 色々やりたいことあるけど、
まあ、死ぬまでにできることは限られているから、
いちばん面白いと感じる(たとえば)哲学を集中して研究するか。
でも研究しっぱなしじゃ疲れるから、
たまには音楽聴いたり酒飲んだりして羽目はずすのも仕方ないよね。
だからといって、遊んでばかりはまずいよな。バランスが大事。
でもさ、俺が地道に研究したことはみんなの役にたってるのかな……。
なんて学芸文庫に入るような文には書けねえんじゃねえの?
よくは知らねえけど。
まあ、なんか
色々な思想家の主張を想起させることをも意図しているのかもしれん。
102 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 13:46:38
>>100 >誰でもが感得している日常的感覚を
>高踏的レトリックでもってなぞっている
つうかさ、二郎タンはツンデレだから、
文章書くときにはそうなちゃうんだよ。
それと比較的多くの人が読みことを考慮して、
多くの人が関心を持ちそうなことを
主に書いてるんジャネ?
103 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/14(水) 14:24:59
なぜか二郎タンの擁護派って多いよね。
憎めない人なんだろうな。
104 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 21:35:44
渡邊二郎先生による「実存」の説明。
「換言すれば、実存するとは、ハイデッガーも引証しているように、「汝がそれであるものに成れ」という命法を実践することにほかならない。
105 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/14(水) 22:58:08
サルトルでは、「汝がそれであるもの」など、そのつど、無化していく。
だから、対自存在であり、対他存在である「実存」は、
絶えず、「無」から、「脱自:ek-stase」、「投企:pro-jet」をし続けていかなければならない。
その先にあるものが「汝がそれであるもの」である保証など、もとより無い。
そこには、何の保証もない「自由」が、また、立ち現れるだけである。
106 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/14(水) 22:59:33
「不条理」というボーダーが、サルトルとハイデガーとの間にはある。
107 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/14(水) 23:00:48
それはまた、カミュのシジフォスの神話にも通じる。
108 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/14(水) 23:03:06
この、「自由であるべく呪われている」、というのがサルトルの凄さ。
109 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 23:10:20
>「汝がそれであるものに成れ」という命法
すでにそれであるのなら、それに成ることはもはやできないだろ?
110 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 23:20:33
自分が何者であるのかを知ることくらい困難なことはない。
「汝自身を知れ」ということは、人生の不断の試練であり、そのことを通じて、「汝自身と成れ」という要求に応えようとする使命意識と課題追求こそが、生き甲斐を発見する方途である。
(渡邊二郎『自己を見つめる』)
111 :
考える名無しさん:2005/12/15(木) 21:20:24
112 :
考える名無しさん:2005/12/15(木) 21:41:07
>>111 ある意味ではそうかも……。
専門家が自分の専門ではないことについて述べると、
しばしばまずいことを語る、
みたいな含意も上の格言にはあると思うが、
二郎たんはチャレンジャーだから、
分析について……
でも、分析にも非はあるんだけどさ。
戸田山氏みたいに、カルナップの「実存」に絡めて
件の批判の「動機」を説明するのは、上手いやりかただよねぇ……
113 :
考える名無しさん:2005/12/15(木) 23:29:59
「自分が満足に至らないのは、私が自己を、
私が何者かを知らないせいだ」と読んだ。
説明にもならない逃げを打つウスラバカ・・が印象。
頭悪過ぎとちゃう?
思うんだが、
「自分とは」・・そのときその場で感じ行動したとおり
であり、それ以上でも以下でもない。
そういう自分に不満を持つ事は自己の否定であり
自己の唯一確認できる「今日、今現在」の否定。
お次は当分やって来ることの無い未来や借り物の
こころざしをオツムのてっぺんに頂いてごまかしを
図る以外に道がない。
なんで人は自己を飾り誤魔化すんだろう・・
全部お見通しのはずなのに・・
いま何を思い、何に時間を費やそうとしているか
それ以外に自分なんてありえないないって。
114 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 02:09:38
カントもヘーゲルも教壇哲学者
115 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 02:12:44
>
「自由であるべく呪われている」、というのがサルトルの凄さ。
なんでこんなのがすごいの?
116 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 14:03:30
サルトルが馬鹿だって、その1行でわかった
117 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/17(土) 14:10:59
>>115 物心つかないうちから教会や聖書と無縁の日本人には、既存の価値一般から切り離された、ほんとうの自由のこわさって、永遠に感得できないと思う。
たまに理解できる日本人はいるけどね。
そういう人間は、いわゆる「普通の」育ちかたをしていないか、または、「普通の」生き方、考え方をしてないけど。
西洋人のこころの基盤が「偶然にでも」理解できる人間でないと、サルトルもニーチェもなにもわかりっこないんだよ。
西洋人が絶対者を否定する際の言葉は、それが理解できてしまう人間にとっては魂まで突き刺してくるものだから。
ま、「自由であるべく呪われている」の、「ほんとうの自由の恐ろしさ」みたいなのが、この言葉で感得できないほうが、少なくとも社会的にはまともに生きていけるよ。
118 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 14:35:42
>>117 わはははw
人間の求める自由は時代などに左右されない
「言いたい事を言い、したい事をして生きてゆきたい」
それだけだ
10世紀も20世紀も東洋も西洋も北朝鮮もない
時代や地域の特殊性で自由の本質が
変わるわけないだろw
119 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/17(土) 14:36:21
bekong to nothing.
not belong to anything.
字面で追いかけても、「ほんとうの自由」ってわかる人間には自明だけど、わからない人間には、
「存在と無」を10回読んでも、わからないと思うよ。
わからないほうが、「し・あ・わ・せ」だと思うけどね。
120 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/17(土) 14:37:49
121 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 14:43:15
「絶対者を否定する」というのは、仏教哲学の場合、
当然、乗り越えてこなければならない、通過点でしかない。
122 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 14:47:39
>121
詳しく
123 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 14:55:54
「悲劇のヒロイン」か「遅れてやってきた文学青年(今時サルトルってことは50過ぎの中年?)か。
wisteria-1の陳腐なナルシズム
124 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 14:56:35
>>120 私は幸せそう←じゃない、「幸せだ」
おまい、わからない病わずらって何年たつw
125 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/17(土) 15:02:47
>>123 あなたのいう「今時」の哲学を教えてください。
126 :
123:2005/12/17(土) 15:11:12
哲学に「今時」なんてないですよ。
127 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 12:28:14
かくて、wisteria-1はあえなく討ち死にした
>>123 >>126は次の(1)(2)(3)がすべて成立していると
考えているんだと思うが、どれも疑わしいぞ。
(3)なんかは本当にそうだったらいいんだけどさ。
(1) サルトルは文学者ではあるが、哲学者ではない。
(2) サルトルは今時の文学者ではない。
(3) 哲学には今時はない。
以下の(3改)という規範から(1)(2)を導出したのかもしれん。
でもそうすると下手したら哲学と呼べるものがなくなるかもしれん。
(3改) 流行り廃りのあるものを哲学とよぶべきではない。
>>118 やりたいことをやってもさ、(つうかやったからこそ、)
それに付随して自分にとって好ましくないことが
起こることがあるでしょ?
その好ましくないことの原因が自分の行為の他にはない、
ってことが自由の呪いなのかもしれん。
たとえば、美味しいものたくさん食べたいから
実際にたくさん食べたら、
太りたくないのに太ってしまって、
これが世にも恐ろしい自由の呪い〜〜ってなるわけです。ハイ。
130 :
↑:2005/12/18(日) 14:45:01
これは、予期不能の副作用(産物)のおはなしかと・・・
うむ。サルトルの言ってるのは、
てめえらテンプレートなんか使わねえで、
最初から全部作りやがれ、って命令だな。
実際には自由の呪いなんてなくて、
テンプレから選んで、
それを少しアレンジすればまあまあ満足できるからね。
>>130 いや、予期できないわけではないんだよ。
実際の選択ではほとんどの場合、
好ましいことと好ましくないことが混在してるんだよ。
しかも、それぞれの好ましいことと好ましくないことの内容が
異なるんだよ。
132 :
131:2005/12/18(日) 15:28:00
「自由は、選択することの自由であって、選択しないことの自由ではない。」
サルトルの「選択」は、se choisir、であり、選択の結果の如何を問わず、
それを、「自分が自分で引き受けること」も含んでいますね。
それと、サルトルは、totalite detotalisee(全体分解的全体)という、
「自由であることに呪われている」ことに対する、
なにがしかのイデア(自分自身であること)らしきものを求めていますね。
どこに書かれていたかは忘れましたが。
そういうものを措呈しておかないと、「救い」が無いですからね。
133 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/18(日) 15:35:20
>>132 今の時代だからこそ、サルトルの、そういうロジックの進め方は貴重なものだと思います。
だれかれのせいでこうなった、なんていうエクスキューズを入れる余地は一切無いよ、という論理。
134 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 15:39:56
>>133 某千葉県某白井市某桜台の♀市議会議員などに読んでほしいレスですね。
痴ほう政治屋が読んでも、だめだろな。
政治屋や役人に結果責任って無いに等しいですからね。
135 :
131:2005/12/18(日) 15:41:00
レス番ミス?
俺は132は書いてないので、
130氏かね?
136 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/18(日) 15:43:55
130と132は私でした。
すみません、地域の痴ほう政治屋に敵が多いもので。
137 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 15:47:00
猿獲る? んなもん獲るなってw
138 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/12/18(日) 15:48:17
139 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 20:24:37
ひどい自作自演がはびこってるようですな
思想は古代ギリシア人の自然を見つめる態度に端を発し、教会に翻弄され(教父哲学、スコラ学)、
理性に目覚め(近代合理主義)、野性の存在に気づき(実存哲学)、
最後に理性と野性の調和点において人間は社会に翻弄されるとする構造主義に至っている。
構造主義とは、人間は自分の本当の意思で行動しているのではなく、
社会という構造の中でコントロールされて生きているという趣旨である。
この考えはサルトルらの実存哲学(近代合理主義精神を批判し、いま、ここに生きる人間としての哲学)
と対立する。
141 :
考える名無しさん:2005/12/31(土) 18:40:53
実存主義はロックだぜ!!
142 :
考える名無しさん:2006/01/18(水) 19:50:04
「言葉は、存在の家である」
を、やっと理解できました!!
やべえwwwktkrwww
ここ19年間で一番ムネムネするwwww
あらゆるものに先立って存在する存在は言葉のみ理解される
ってことでFA?
143 :
考える名無しさん:2006/01/18(水) 19:53:14
言葉でのみ
でした
脱字スマソ
144 :
考える名無しさん:2006/02/05(日) 09:56:50
>>109 お前は、ハイデッガーの本もヘーゲルの本も読んだこと無いのか?
ハイデッガーの『存在と時間』を読んでみ。
中公クラシックスの2のP39な。
145 :
考える名無しさん:2006/02/05(日) 09:58:02
>>105 サルトルはいいから、ハイデッガーとヘーゲルは読んでみてね。
ヘーゲルは、『精神の現象学』な。この冒頭読んでないだろ。
146 :
考える名無しさん:2006/02/05(日) 10:00:08
147 :
考える名無しさん:2006/02/05(日) 10:00:36
>>112は、ハイデッガーとかニーチェの本を読んだこと無いのか?
148 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 05:35:17
@「モノとは何か」「真理とは何か」などの抽象的な議論をせずに、
人間の生き方に関する哲学の事を『実存主義』という。
A抽象的概念による認識を排し現存在としての
自己の解明を主眼とする哲学の立場。
今の時代を生き抜く上で、『実存主義』って役に立つと思うのだが・・・
カウンセリング手法にも『実存主義的カウンセリング』ってあるし・・・
しかし、ニーチェやサルトルは哲学者に数えない事もあると聞くが・・・
149 :
胎内記憶保持者:2006/02/25(土) 05:48:45
モノに意味付けをしカネに使い道だし人の心を読んで接する
150 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 22:48:46
大学生協で無料セールやっていたんで万引き?してきたんですけど
実存哲学(河端春雄)ってどうなんですか?
著者名もわからないし、実存哲学もわからないんですが。
これが正しい入門書ならばいいのですが。ちなみにパット見た感じでは左翼臭がしました。
知らない
152 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 21:13:03
>>148 テクとか言われるとそれに触れたくなくなるな。
153 :
あげぞ:2006/04/21(金) 20:14:17
>>100 サルトルだけが実存主義ではないですよね?
サルトルが「実存主義」という言葉を使い、ハイデガーはこれを嫌いましたが、
実存主義は
>>98で指摘があるように「主義」というのは難しく、
個々人の実践に委ねられ、当然個的差異があって然るべきだと思います。
つまり「実存主義」という言葉は、便宜上外にいる人間によって用いられるモノであって、
実際には「個々の実存」以外ないわけです。
そういった個々の実践のうちで、
私はイタリアのワルテル・ボナッティという登山家が、最も実存主義の例として相応しいと思います。
1950〜60年代に活躍した人で、単独でアルプスの北壁を冬に登りました。
『わが生涯の山々』は名著で、多くの友人を失いながら、
自らを危険にさらしながら、自己形成する姿を知ることができます。
私は、「実存主義」と言われるからには、常に「死」の匂いが付きまとう必要があり、
主義主張・哲学作品と哲学者の実践的生活に、差異があってはならない、と思います。
そういう意味で、ハイデッガーの本質は臆病者だし、サルトルは健康に人生を楽しんだ。
哲学者が、最も実存主義の名に相応しいわけではないと思いますよ。
(’A`)
155 :
考える名無しさん:2006/06/28(水) 18:56:06
150 :考える名無しさん :2006/03/09(木) 22:48:46
大学生協で無料セールやっていたんで万引き?してきたんですけど
実存哲学(河端春雄)ってどうなんですか?
著者名もわからないし、実存哲学もわからないんですが。
これが正しい入門書ならばいいのですが。ちなみにパット見た感じでは左翼臭がしました。
その河端春雄ってたしか創価学会員
156 :
考える名無しさん:2006/06/28(水) 18:59:13
と思ったら違った。勝共連合だったみたい。芝浦工大名誉教授
157 :
中西克徳:2006/06/28(水) 19:31:15
昔、実存主義は哲学じゃないっていった哲学科の友人がいたけど、半分は同意する。
しかし、哲学は科学ではなく、(客観的実在としてのフィジカルな人間を扱うわけではない)
主体的人間を扱うものだから、実存主義の欠けた哲学は全的な哲学ではない・・・・というのが僕の見解。
数学に数学基礎論というものがあるように、哲学にも哲学者基礎論のようなものが必要であると思う。
158 :
考える名無しさん:2006/06/28(水) 23:22:39
サルトルの実存主義は思想上の信念。
哲学科でサルトルを専門に研究したければ仏文科の方が
適していると言われてしまう。実際、サルトルを専門にあつかう哲学科教授など聞いたことがない。
しかし不思議なのはドゥルーズは哲学科にも仏文科にも専門家がいるということだ。
159 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 18:29:14
>>156 ありがとうございますw
どこで左翼臭がしたんですかね・・・
ちなみに本の中には課題提出容姿が同封されていて、
単位のためには本買えよ的な嫌らしさが漂っていました。
160 :
解体屋:2006/06/30(金) 23:52:37
>157
主体的人間を扱うものだから、実存主義の欠けた哲学は全的な哲学ではない・・・・というのが僕の見解。
主体的-人間、ですか。どうでしょうね。ここしばらくは「主体」とか「人間」という概念を解体することが「哲学」でしたからね。
サルトルはレヴィ=ストロースの批判によって実存主義とともに完全に葬り去られた、というのが定説となっていますが、そろそろ見直してもいい頃かもしれませんね。
161 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 22:15:53
レヴィという哲学者がサルトルを再評価する本を書いていますね。
「サルトルの世紀」だったかな
162 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 23:15:07
それ、もの凄い分厚い本でしょ
読む気せんなあ
中身も読む価値がない。
164 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 04:39:10
実存主義って、「自分の生きたいように生きる」ってことでいいんですか??
マルクス主義関係の本を読んでた時に、「実存の哲学は深く反動的である。究極的には資本主義体制の避けがたい破滅に対する搾取階級の恐怖を表現しながらも、
この哲学はその影響下におかれた人々、特に青年達に堕落的な影響を与えている」っていう文があったんですけど、これってどういうことなんでしょう??
「搾取階級の恐怖を表現している」っていうのがいまいち。。
どなたかわかる方がいたら教えていただけないでしょうか?
よく知らんが
「資本主義体制の避けがたい破滅」vs「搾取階級」(という構図)の恐怖
ということかな?
「死に至る病」はどの訳がいいですか?
マスだけいざブロウ
ハ_ハ
('(゚∀゚∩
ヽ 〈
ヽヽ_)
169 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 22:13:48
死に至る病もパキシルでなおるよ!
なおるよ!
死に至る病も美味いもん食べてうんこしたら治る気がするよな。
171 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 05:30:06
マドンナみたいな人でしょ?
とはいえ、計算してる人だけど
172 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 20:39:31
実存主義を勉強するための入門書を教えてください。
173 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 20:53:03
>>164 それは簡単。
「実存の哲学は深く反動的である。究極的には資本主義体制の避けがたい破滅に対する搾取階級の恐怖を表現しながらも、 この哲学はその影響下におかれた人々、特に青年達に堕落的な影響を与えている」
というのは、資本家が資本主義の崩壊を知って、その資本主義社会に絶望しているその感情を思想として表したのが、実存主義思想であるということ。
そして、「実存の哲学は深く反動的である。」というのは、その実存主義思想は、資本主義制度の根本的な批判をせずに、単に、表面的な批判し、社会を嘆き、人間性を取り戻そうとするから。
しかし、根本的な生産関係や階級の問題を回避した実存主義思想では、人間性は取り戻せない。だから、結局、実存主義思想は、現代の社会を容認するから、資本家階級の味方をする。だから、「反動的」だと言っている。
そして、それが、労働者階級の人民である青年達に「堕落的な影響を与えている」というわけ。
根本的な批判とは、ブルジョアジーとプロレタリアートの対立と、搾取の問題を取り扱わずに、それらを消去しているから。
そして、「搾取階級の恐怖を表現している」は、プロレタリアートによって、打倒される運命も表している。資本主義と資本家階級は、プロレタリアートによって打倒されるから、それの恐怖を表している。
174 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 22:02:16
すげー
70年代にタイムスリップしたみたい
もちろんジョークで書き込んでるんだよね?
175 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 23:32:22
マルクス主義者の実存主義批判も一理あると思うが
実存主義者のマルクス主義批判も一理あると思うんだよな。
実存だ何だという精神主義では克服しきれない社会構造の問題もあるし
社会構造の問題のみに還元しきれない個人の実存の問題もある。
176 :
考える名無しさん:2006/10/11(水) 15:44:12
なんかヤスパススレ落ちたな。
178 :
考える名無しさん:2006/11/28(火) 13:04:58
age
>>164 働かないといけないと思いつつも
自分の理想を求める
と読み取った
180 :
考える名無しさん:2006/12/06(水) 00:23:23
いまだに、歌劇派やってる人たちって、何をどうしたいんだろう?
SAGE
182 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 02:49:36
どうしたものか
183 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 15:35:54
>>175 >社会構造の問題のみに還元しきれない個人の実存の問題もある。
そこが「実存主義」の口当たりのいいところで、多くの人を
だまくらかしてきた手口。
他人ではないこの私がどう生きるかの問題は切実で大事な問題です。
でも、社会構造の問題とは無関係ではありえない。
つまり、まじめに「個人の実存の問題」を考えようとするなら、
自由な妄想を排してできるだけ科学的態度でこの世界の正しい姿に
迫ろうとせざるをえない。つまり、唯物論と弁証法に行き着かざるを得ない。
いわゆる「実存主義」は、この点を無視し、観念の遊びと言葉の遊びに
終始しているから軽蔑される。
自然科学に携わる者が「哲学」と聞くと直感的ではあれ胡散臭いものを
感じるのは、まさに「実存主義者」の功績でありましょう。
キルケゴールなんてまだ潔い。「宗教」という、明らかに人から軽蔑される
であろう枠組みを自分の立場として明らかにしているから。
他の「実存主義者」は、自分のジャンルについて文学だとか芸術とか
単なるエッセーだとか決して名乗ることなく、偉そうに「哲学」だとぬかして
自己満足的妄想を巻き散らかしてるばかり。
ちなみにマルクスが個人の問題を社会構造の問題のみに還元
してるなんてウソ。
そんなことやってるのはマルクスではなくてマルクス"主義者"でしょ。
184 :
考える名無しさん:2007/04/10(火) 17:49:40
>>164 実存主義って所詮は観念論であり、唯物論を真っ向から否定するものだから。
実存主義は常に、自分という存在や自分の意識からのみ出発し、
客観的存在やその法則性はことごとく無視する。
科学的態度とはまったく逆の立場。
したがって、自然や社会を科学的にとらえ変革していこうとする立場の
否定に利用されてきた。
実存主義は、個人の存在や生き方を謳い文句にしているので、一般大衆の
食いつきはよかったが、その妄想的で非科学的な無内容さにより、
所詮は観念のお遊びでしかないとみなされるようなった。
実存主義を哲学ではなく文学として扱おう、という声があるのは
この理由による。
>>184 科学的態度というよりも決定論的態度かと。
まぁ、それを科学的と言い換えても差し支えはないが。
保守
科学的であるということが決定論的であることと同義であるのは、
同一律的な理論大系を現実そのものと取り違えているだけじゃ
ないのか?
188 :
考える名無しさん:2007/05/20(日) 18:56:24 O
実存主義復活
第一次大戦後の世界喪失の時代に始まった思想は、
ファシズムとの戦争中も続き、米ソ冷戦構造の中で
一旦は忘れられたわけだが。
>>187 科学的⊃決定論的
という感じか?
非決定論的(例えば確率論等)であるものでも科学的と言える要素はないわけじゃないとは思うが……。
まぁ、実際の所観念論VS観念論の構図はとりのぞくことはできないかと。
191 :
考える名無しさん:2007/06/19(火) 20:14:42 0
科学的・実証的態度を打ち出したデカルトの時代、ヴィーコがアンチとして
「蓋然性」をうたったな。真実にも種類があって、混同するなと。
おれは22歳の時、ヴィーコの説に賛同したもんだ。
おれは観念論はにがてで、まあ分かりそうなのだけ味わった。
ニーチェ、ジンメル、ヴィーコ、ヒューム、加藤諦三、モンテーニュ
、パスカルなどなど
192 :
考える名無しさん:2007/06/19(火) 20:21:02 0
age
>>183 >自由な妄想を排してできるだけ科学的態度でこの世界の正しい姿に迫ろうとせざるをえない。
この科学的態度でこの世界の正しい姿にせまったのは、ほかならぬカントだ。「唯物論と弁証法」
に行き着かざるを得ない」必然性がどこにある?この世界の認識の仕方が根本的にマルクスとカントは違う。
カントは「神はいるのか、魂は不滅なのか、絶対的真理はあるのか」を追い求めた。
そして「純粋理性批判」を書いた。この難解な書物は、極めて科学的にまず、認識論を展開した。
われわれがものを認識できるのは一つの空間と一つの時間があるからだ、という基礎からこつこつと積み上げた。
いきおい文章は難解になった。
>>193 マルクスは「存在が意識を規定する」という認識論からはじめた。この認識論から
いけば、人間の意識(こころ・精神・理性etc)はその存在をさぐれば足りるとされよう。
「主観」は限りなく「客観」(それ自身人間の主観で選択されたものなのに)に隷属し、
どのような善意も信念も決意もなにもかも客観性(という名の党機構の決定)に踏み
にじられ、かくて、「実存の思想」はブルジョアジーの恐怖の表出であるとされる。それは、
党物神(書記長)に行き着き、「ふた心者を根絶する方法」(スターリンが書いた本の題名。
実在する。)=粛清と強制収容所によって恐怖政治国家が誕生する。
sage
196 :
考える名無しさん:2007/09/19(水) 16:20:20 0
うんこすることに何の意味があるのか?
マルクス「存在が意識を規定する」
経済的・社会的立場(所属階級)が物事の見方・判断を決定的に制約している。
実存主義
全面的ではないとしても様々な条件・制約を超える自由な意識・主体として人間は存在する。
物事を意味付けるのは主体としての人間である。
198 :
考える名無しさん:2007/09/22(土) 15:58:40 0
マクロとミクロの視点の違い
199 :
考える名無しさん:2007/10/10(水) 15:10:41 0
「夜と霧」で有名なV・E・フランクルの著書について質問があるんですが、
「それでも人生にイエスと言う」(春秋社)
第2章 63p〜64p
『精神病は決して精神の病気ではありません。つまり、精神が病気になることは
絶対にありえないのです。精神的な側面は、いつでも真や偽であり、有効や無効
であるだけで、病気になることは決してありません。
病気であったり病気になることがあるのは、心理的な側面だけです。』
精神は病気にならないのでしょうか?では現代にはびこるうつ病は
どう説明すればいいのでしょうか?
そもそもこの文で言いたいことは何なのでしょうか?
著者は精神科医ですが、本書は実存主義に基づいた現代思想のあり方について
の本なので、どのスレで質問したらいいか分かりませんでした。
この著書について詳しい方がいらっしゃいましたら ご説明願います。
長文すいませんでした。誰か教えてください。
生そのもの=スピリットである精神は、いま=ここにあるかけがえのない私であるから、
それは健康であるのでも病気であるのでもない。ただ、いま=ここで、生きつづけている。
それを健康だとか病気だとかいうことができるのは、精神を社会的な文脈に位置づけるからである。
要するにここでは「精神=生そのもの」、「心理的側面=社会的」として語られている。
ちなみにフランクルは確かに精神科医ではあったが、現在の精神科学は当時とはまったく
様相が異なるので、「現代にはびこるうつ病」を考えるのにフランクルをもちだしてもあまり
有効な議論にはならないでしょう。
201 :
考える名無しさん:2007/10/10(水) 17:18:57 O
花は思想、実は経済にたとえることができる。
花の受粉成功は全て実を生み出す為にある。
>>199 精神は例えば、武士道精神や大和魂の類(たぐい)、これらはいわば範形的なもので
病んだりはしない。
個人の心は様々。
203 :
考える名無しさん:2007/10/10(水) 21:47:57 0
>>199に書き込んだものです。皆さんレスありがとうございます。
なんとなくですがわかってきたような気がします。
うつ病で言えば「脳の伝達物質の阻害」ということは実体を伴う病気である。
しかし、それによる「精神的な抑うつ感・無気力」は表象的な現象ではあるが
それ自体は実在ではない。実体の無いものが病気になることは無い、というこ
とを私なりに考えてみました。
>>200さん
実は私はうつ病と診断されて休職中なのですが、自分の精神的な病を考える
ためにフランクルの著書はやはり読まないほうがいいのでしょうか?
204 :
200:2007/10/11(木) 17:21:17 0
>>203 細かく学問するのでなければ、およそそういう理解でいいのではないでしょうか。
うつ病を診断し、社会的文脈の中に位置づけ、それについて学術的に議論を
するための根拠としては、フランクルはちょっと古いといったまでです。
でも学術がすべてではないし、自分を見つめるために読むのであれば、
その意義は十分にあると思いますよ。
sage
サルトルの存在と無文庫化sage
さすがにフランクルは良いこと言うね。
無精神なネオコン・リバタリアンどもに爪の垢を煎じて飲ませて
やりたい。
>>203 心理学の著作は余り面白くないが『夜と霧』は是非読むべき。
新版は読んだことはないが。
それと早川SF文庫にあるR.A.ハインラインの『夏への扉』も読め。
あの月の裏側にでもいるような感覚。俺の出発点。
実存主義の始まった第一次大戦後の世界喪失の
時代と同じ。
新書クセジュの『実存主義』ってどう?
211 :
考える名無しさん:2008/01/19(土) 14:32:26 0
age
212 :
考える名無しさん:2008/01/22(火) 04:08:09 0
実存主義って結局何なんだ。
個人的には倫理学の前段階にあるものみたいな認識なんだが。
自分の生命を危険や不利益に晒してまで、何故人は道徳を守る
必要がある?
ウップ
215 :
考える名無しさん:2008/01/23(水) 04:51:42 0
そこに自由意志があるからさ。
216 :
考える名無しさん:2008/01/23(水) 22:09:26 0
>215
自由意志というものが「本当にある」と考えますか?
あるいは、「本当の自由意志」というものがあると考えますか?
>>216 もし処刑ライダーが提起するような人間が存在するなら、
自由意志はあるんじゃないだろうか。
「本当にある」かどうかは概念の問題なので
それが何を意味しているのか分からないけど、
当の本人が「本当の自由意志」を体現できる前提となる
信念(道徳)をもっているからこそ、命を掛けることができるのだと思う。
そしてそれこそ当の本人にとっての実存のあり方なんじゃないだろうか。
218 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/01/24(木) 18:04:56 0
>217
サルトルの実存「主義」の主たる抽出概念は、「本当の自由」。
但し、これは>217さんが言うように「概念としての自由」。
そして、概念としての自由としても、「ア・プリオリ/所与のものとしての自由」を措定することは無理。
逆説だけど、そこにサルトル実存主義のアンヴィヴァレンスと、そしてレゾンデートルがある。
渡邊二郎さん追悼あげ
220 :
考える名無しさん:2008/03/25(火) 13:17:24 O
実存思想協会春の研究会あげ
上げ忘れた(汗)
ハイデガーの発表2本
ガンダー教授の講演
ディルタイのシンポ
222 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 22:51:20 0
これから実存主義を学ぶとき、最初に読むと良い本って何かある?
構造主義からの批判とかと検討した上での、今日的なアクチュアリティがあるようなやつ。
『悲しき熱帯』でも読み直したら?
>>これから実存主義を学ぶとき、最初に読むと良い本って何かある?
全く初めてならサルトルの『実存主義とは何か』と『嘔吐』は外せないだろ
構造主義批判なんて全然ないし今日的じゃないけど、批判を理解するためには読んどいたら?
とりあえずブックオフで105円で売ってたボーボワールから読み始めた
「嘔吐」は確かに面白かった。実存主義はどーでもいいけど。
227 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 09:04:06 0
よくわからないんですけど
秋葉原無差別殺傷事件の犯人って
実存からの自由を欲した実存主義者
ですか?
228 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 09:08:04 0
サルトルの短編小説で、
ヒューマニズムを拒絶するために
路上で見知らぬ男を射殺する奴の話が
あったね。
宅間とか加藤とかに似てなくもない。
229 :
227:2008/06/15(日) 09:22:20 0
宅間は自分にとって気に入らない「金持ちの子供」を攻撃。
一方、加藤は自分が気に入ってる「秋葉原」を攻撃。
宅間と加藤には差はあると思う。
宅間ってなんか、自らの実存が命ずるままに行動した
実存の奴隷のような気がする。
加藤は自らの実存自体を破壊、再構築したかったような気がする。
230 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 09:25:04 0
「実存からの自由」とか「実存の奴隷」とかって、
実存主義の言う「実存」を誤解しているとしか思えない表現だな。
231 :
227:2008/06/15(日) 09:28:37 0
>>230 正直誤解してると思うから、正直教えてくれるとうれしい。
自分の理解はこんな感じです。
りんごとみかんではみかんの方が好きだから、みかんを食べる自由はある。
しかし、みかんを好きになる自由はなかった。
そのみかんを好きである、ってのが実存の命令。
それに従うのが実存の奴隷になるかと。
それを克服するのが実存からの自由、って感じ。
232 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 09:34:26 0
人間の「実存」ってのは、
現にみかんを好きだとしても、
それに従うことも
それを克服しようとすることもできる自由のこと。
サルトル的にはだけど。
233 :
227:2008/06/15(日) 09:43:11 0
>>232 ありがと。なるほど。
俺が勝手に使ってた「実存からの自由」ってのは確かに変な表現でした。
というわけで
>>229 はこんな感じに訂正
宅間は実存の使い方が自己肯定的
加藤は実存の使い方は自己否定的
234 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 21:00:23 O
世界の篤姫
235 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 02:49:52 0
>227
私は実在主義者ですがいい加減にして下さいね。
>>235 加藤の携帯サイトの書き込みは実存主義文学とみなしていいですか?
237 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 19:06:46 0
>>236 ああいうのは未だ底の浅い新自由主義的な傾向が強いという
サブプライム的な信用不安が起きる事はあるでしょうね。
238 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/18(水) 20:32:25 0
>>236 実存主義を多少でもかじった立場から見れば、携帯サイトへ書き込むという行動が、実存からいかに隔たったものであるかは、明白でしょう。
239 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 20:36:10 0
>>238 実存主義をかじったあげく小説だの戯曲だの書く奴がいるんだから、
携帯サイトへ書き込むのだってあるだろ。
240 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/18(水) 20:36:58 0
>>236 「誰か、止めてくれ、止めてくれ」という卑しすぎる行為は実存とはいえないです。
「止めてくれるなら、誰でもよかった」ですよ。
241 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 20:37:34 0
>>238 つうか、「実存主義を多少でもかじった」とか
2ちゃんねるで書き込む奴がいるんだから・・・。
242 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/18(水) 20:45:08 0
>>239 書き込みをする対象なら、携帯でも自分のシャツでも何でも構わないでしょ。
自分の行為を本当に自分で引き受けるのであれば、「異邦人」であれ、何であれ、「表現としての象徴」として受け取れないような表層的すぎる読み方など、できないですよ。
243 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 20:46:18 0
そんなことより、私のお気に入りのメアドが
@me.comにかわってしまうという悲哀。
244 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/18(水) 21:23:04 0
>>241 大方はそうでしょ。
「○○主義を多少かじった、○○を多少読んでみた、○○について多少考えてみた」というもの同士のやり取りでしょ。
それだけで、書き込む条件としては十分でしょ?
ほかに何を求めているのですか?
245 :
解体屋:2008/06/18(水) 21:45:22 0
ダハハ
>>244 それでロジック重ねて議論?したつもりになって、気がついたら前々見当違いなスレになってる
っていうのはありがちなパターンですね。一昔前の哲学板のレベルはこんなものではなかったのですが…
かじった程度でもそれは構いませんが、分を知るは大切な事では?
247 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/21(土) 14:49:57 0
>246
アカポスや院生やセミプロたちだけの板ではないし、経済/経済学スレみたいに、哲学板、「哲学学板」に分かれているわけではないし、第一、今、社会で起きていることに対する発言は多くなってきているし(質は知らず)。
だから、分をわきまえる必要性など、まったく見出せない。
1つのスレに複数の文脈があっても、参加したい脈に入ればいいだけだから、何の不自由もない。
あなたが、ロジックを重ねた議論が無いと思えば、無視するか、ロジックを重ねた論をふっかけてくれればいいだけのこと(但し、可能な限り日常用語で)。
248 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 21:13:08 0
実存!…『嘔吐』→『実存主義とは何か』→『存在と無』ですすめていけば
あなたもプチ実存主義者間違いない。
保守
実存主義は文学を通じて、人間中心主義的に主体を強調してきたが、
極端な主観主義に向かい、独我論的な空疎な思弁に陥って思考停滞を余儀なくされ、
ヒューマニズム文芸と堕してしまったのである。
実存主義は、単なる文学運動、社会運動イデオロギーにしかならなかった。
現在では哲学としての限界性が明らかとなり、実存主義は退潮した。
251 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 11:18:36 O
じゃあ今は何がホットなんですか?
イタリア現代思想
253 :
考える名無しさん:2008/10/14(火) 10:51:32 0
実存主義って構造主義に論破されたんだろ?
254 :
考える名無しさん:2008/10/19(日) 22:20:06 0
ル・サンチマンの克服って、方法論が示されているの??
これこそ、生きる源泉では・・
255 :
考える名無しさん:2008/10/20(月) 05:24:33 0
あ
256 :
?:2008/10/20(月) 10:20:16 0
??????????
?????????????????????????????????????
????????????????????????????
??????????????????????????????????
??????????????????????????????????????
257 :
考える名無しさん:2008/10/20(月) 10:20:58 0
どうもです。
たしかに実存主義(とうか実存アート)はレヴィーストロースと対決してますね。
構造主義は総てを記号要素の関係、として読み解くわけです。
ですから部分と全体の関係として総てを解釈する。解釈学的認識論ですね。
だから記号解釈した実存なんておかしいじゃないかと実存主義は反発したわけです。
258 :
考える名無しさん:2008/10/20(月) 11:15:48 0
主体のぎりぎりまで具体的な現実の中の存在、これが実存主義の赤裸々
な姿でなければ、実存主義とは言えない。
259 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/10/20(月) 16:05:40 0
>258
<主体のぎりぎりまで具体的な現実の中の存在>
その通りなのですが、この存在の主語であるべき「主体」こそが「定義付け不能」な形而上の概念なのですね。
260 :
考える名無しさん:2008/10/20(月) 16:48:35 0
主体は最後の最後まで具体的であることは出来ませんので、ご指摘
のとうりです。
261 :
考える名無しさん:2008/10/22(水) 11:14:32 0
257です。
実存主義が問うたのは存在だけれど、
その現象する存在のもろもろの性質も問いました。
結論から言えば、本質は個別の存在を必要とするということです。
ニーチェ的に言えば神は人を必要とするということです。
赤という性質の開示には個別の赤いリンゴが必要だ。
存在とは一つの定着材と思ったらよろしいということですね。
ではその定着材としてのリンゴとはなにか?
それはリンゴという名前であると主張するのが唯名論です。
ではもろもろの性質が名に還元出来るのでしょうか?
また個別の名(表音記号)の合計が質の現われなのでしょうか?
この考えにはちょっと無理がある。
名は記号(表音記号)です。ここからは記号論(とくに意味論)に入らなくちゃ行けません。
ともかくも存在と本質(質の現われ)の間には飛躍があるということです。
空即是色の「即」が問題なんですね。
存在=現象のどうして質の開示条件であるかとうことです。
262 :
考える名無しさん:2008/10/22(水) 11:30:01 0
257です。
超簡単に言えば存在の飛躍こそが問題です。
存在の飛躍の方法。ここを存在の出発点にしなくちゃいけない。
サルトルの晩年の行動主義は方法をこそ問うことでした。
つまりラディカルということです。
263 :
考える名無しさん:2008/10/22(水) 11:48:30 0
262
ぎりぎりの個体=主体へのアプローチにより、非日常性が全体の中に
新鮮に現れて来る。新しい出発点が生まれる。禅で言うと純粋体験ーー
例えば座禅ーーから悟りに達する様な、ことが起こる。ぎりぎりの
実存から、存在の飛躍が生まれる。こんなことですか。
264 :
考える名無しさん:2008/10/23(木) 22:05:16 O
実存は本質より先にたつ。これホント?
265 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 14:46:18 0
どこまで追求しても本質には達することは不可能で、その前に実存の自我が
少しずつ見えて来るのかと思います。実存は本質より先にたつ。
266 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/10/24(金) 16:32:52 0
常に自分のこめかみに銃弾が込められた銃をつきつけているか/つきつけられているか。
実存とは、例えではなく、こういうこと。
関係の無い方/持ちたくない方には、決してお奨めではないような生き様(実存)です。
そして、この場合の「本質」は「自分の死」ですね。
「おっと、ここまでだったのか」と、死の間際に初めて自覚できるか/できないか、その意識もあやふやな死に様。
ま、みんなそのようなものではないのかな。
267 :
考える名無しさん:2008/10/25(土) 05:54:14 0
実存って奥深いのかもな
ハイデカ読んでみたくなった
実存主義はこれから史上最悪の大恐慌になればわかりやすくなりますね。
269 :
考える名無しさん:2008/10/25(土) 15:03:11 0
257、262です
実存は本質より先にたつ
これは条件付きの回答ですよ。
つまり人間存在の場合は、ということです。
では整理しましょう。
赤という性質の開示には個別の(赤い)リンゴが必要だ。
と先にのべました。
これはリンゴという対象が赤という性質に先行して定立しているように思えますが、
リンゴそのものはまだ「赤いリンゴ」として認識の対象とはなっていません。
つまりリンゴという実在は赤という性質の開示条件であるだろうが、
意識(そう問題は意識なんですね)のうえでは赤という質の定立があってはじめて
リンゴは「赤いリンゴ」として認識(対象化)されるわけです。
(これでは二元論に逆戻りです。)
270 :
262:2008/10/25(土) 15:56:43 0
では人間存在の場合はどうでしょう。
つまり認識するものと認識されるもの二元論をどのように克服するか。
ちょっとみなさんに伺いたい。
語り得ないものに突っ込む
273 :
考える名無しさん:2008/10/25(土) 23:59:24 0
>>271 認識するものと認識されるものの彼方へ
本質という混迷の最中に漂流することが実存の姿勢ってこと?
274 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/10/27(月) 13:14:02 0
>>269 -
>>273 即自存在(神/コミューン/私自身、等々)を本質と置くと、実存は、それらすべてから自由になってしまった存在者の営み。
本質から自由になったのであるから、実存のみの一元。
275 :
考える名無しさん:2008/10/27(月) 15:12:16 0
本質存在より現実存在が優位になるのが、実存哲学。
絶海の孤島に遭難したどり着く。食べ物が無い。空腹。空腹。飢えて
死にそう。一日一日死が近ずく。空腹。目が霞む。飢餓。死。
276 :
考える名無しさん:2008/10/27(月) 16:41:18 0
キリスト教を知らない日本人に実存哲学が解るのだろうか。
生活の中に宗教の無い我々には神はわからない。
>>274 ”即自”を間違って解釈していないかい?
”即自”の中に本質を見出すのは”対自”にしかできないことだと思うけど。
278 :
考える名無しさん:2008/10/28(火) 13:04:59 0
>277
「人間存在(対自存在:pour soi)とは、即自(etre-en-soi)でありたい/なりたい、という欲求である」
即自存在ではありえないし、また、なれない。
自分で選択できる/追いつける/追いつかれる即自存在とは、自分の「死」くらいでしょう。
279 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/10/28(火) 13:14:00 0
>>277 「即自”の中に本質を見出せる/せた」、のであれば、そのつどの脱自(ek-stase)、例えば、(我思う-故に我有り、の我思う)ことの必要性も同時に無くなります。
人間は意識する存在、すなわち対自存在である。
一方、机や本などは自らは決して意識を持たない単なる物、すなわち即自存在である。
そして机や本などは自らの本質について問いかけたり考察したりすることはできない。
机や本などの物の本質について問いかけたり考察したりするのはまさに人間であり、
人間こそ意識する存在(=対自存在)であるが所以である。
それは囚人である。
282 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/10/31(金) 12:57:52 0
>281
そう。
だから、ヒトは、「外部性」を承知の上で、自分を律してくれる規範/統治主体を求め、そして、捏造し続けていく。
>>274 >
>>269 -
>>273 > 即自存在(神/コミューン/私自身、等々)を本質と置くと、実存は、それらすべてから自由になってしまった存在者の営み。
> 本質から自由になったのであるから、実存のみの一元。
これは
> 即自存在ではありえないし、また、なれない。
> 自分で選択できる/追いつける/追いつかれる即自存在とは、自分の「死」くらいでしょう。
>
ならば無理なんです。
恐らくドイツ哲学はサルトルなどとは逆に勇気を持って死に限りなく積極的に迫っていくものかもしれません。
死に限りなく接近することはできるわけです。
(lim→死)が、絶対的自我(観念論)、存在(ハイデッガー)、極北の民/自由の精神(ニーチェ)かもしれません。
迫りかたによってはナチズムにもなってしまう洒落にならないものなんだと思います。
284 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/10/31(金) 14:43:35 0
>283
<ならば無理なんです。>
何が無理なのでしょう?
実存(existence)が即自存在になりえないことか、または、即自存在を求め続けることをやめることはできないことでしょうか?
>>274 >
>>269 -
>>273 > 即自存在(神/コミューン/私自身、等々)を本質と置くと、実存は、それらすべてから自由になってしまった存在者の営み。
> 本質から自由になったのであるから、実存のみの一元。
即自存在が死ならば、それから自由になることは無理ですね。
サルトルが
>>274みたいなことを理想とするなら、サルトルは俗物根性丸出しですよ。
>>278> 「人間存在(対自存在:pour soi)とは、即自(etre-en-soi)でありたい/なりたい、という欲求である」
と
>>274は矛盾してるってことですね。
実存主義はこの引用のようなものであるはずです。
287 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/10/31(金) 16:40:51 0
>>285 <サルトルが
>>274みたいなことを理想とするなら、サルトルは俗物根性丸出しですよ。>
俗的な超越的存在から自由になってしまったこと、それが、何故、俗物根性に差し戻されるのですか?
>286
>>274の「即自存在(神/コミューン/私自身、等々)を本質と置くと、実存は、それらすべてから自由になってしまった存在者の営み」と、
>>278(このレスも私ですが)の「人間存在(対自存在:pour soi)とは、即自(etre-en-soi)でありたい/なりたい、という欲求である」とは無矛盾です。
(`・ω・´)
289 :
考える名無しさん:2009/01/30(金) 20:22:15 0
実存主義はゴミ
実存主義者は犬の糞以下というのが俺の認識です
290 :
考える名無しさん:2009/02/01(日) 20:01:57 0
そもそも生物というものはおおよそ生む数を決めているのではないでしょうか一度に生む数でいうと魚なら数万の卵カメなら30個程度の卵パンダなら1匹などその生物の生存競争で生き残る確率とその生体数は反比例の関係になければ世界は成り立たないのではないかとぼくは
生物学者でもなんでもありませんが思います現在の社会における人間の生存確率はほぼ100パーセントといえます自殺者の増加まで種の保存のための全体的本能だとは言いませんが少なくとも出生率の低下は生体系のバランスを保とうとする生物としての本能なのではない
でしょうかそれをお母さんめ早く結婚しろ結婚しろうるさいんだし
291 :
考える名無しさん:2009/02/04(水) 00:29:12 0
実存主義って言ってもいろいろあるだろうけれど、
サルトルなんかはまあ人生哲学にインテリ風味付けをしたものの
ように見える。「実存は本質に先立つ」とかヨーロッパの伝統的
形而上学の議論を踏襲しているように見せかけはするけど、
一皮剥けば第二次世界大戦後のムードを伴奏にした
体育教師的お説教みたいな。
292 :
うはは:2009/02/08(日) 22:58:37 O
実存主義をツマラナイって言う奴は、本質だの体系づけだのって砦がないと安心出来ないチキン。
実存主義者は常に今を生きるカッチョいい奴。
己こそ己のよるべ
293 :
し:2009/02/08(日) 23:16:23 O
砦はバベルの塔に近いだろう。わからないのは南を知らないからで東北がわからないのは日蓮宗を知らないからだ。魔女の作った薬を飲め
294 :
考える名無しさん:2009/02/08(日) 23:18:36 O
南無大慈悲大菩薩
295 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 23:27:20 O
ハイデッガーもサルトルも現象学から始めてるから、それは
やれと俺のネタ本には書いてある。
296 :
考える名無しさん:2009/03/06(金) 23:51:01 O
ドゥルーズも「サルトルは私のすべてでした」
って言ってたんだよね。
297 :
考える名無しさん:2009/03/07(土) 21:02:36 O
ドストエフスキーからキルケゴールに行ったシェストフみたいな
全く現象学とは関わりのない実存主義もあるが、現象学を通ら
ないと、ハイデッガーの現存在分析みたいなことにはならない。
ハイデッガーも後期は現象学は影が薄くなったようだが。
ほぼネタ本の受け売りなんですが。
299 :
考える名無しさん:2009/03/07(土) 21:19:10 O
ちなみにヤスパースはキルケゴールの影響からフッサールを
介さずにディルタイの世界観学を応用して独自の実存哲学を
構築しようとしたわけだ。
300 :
考える名無しさん:2009/03/07(土) 22:02:30 0
実存主義という名前が意味不明だな。といって別にいい名前があるわけじゃないが。
キルケゴールが存在せず、サルトルが宣伝マンやらなきゃ存在しなかったろ。
302 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 01:06:20 0
シェストフはフッサールと仲良かったんだけど・・
へえ、そういや二人ともユダヤ系だな。
キルケゴールが死んだのはダーウィンが種の起源を出版する
ちょっと前くらいだな。ナポレオン戦争の熱が覚めつつあった
時代、それが『現代の批判』。
近代に片足掛かってるが、まだ聖書の世界で呼吸してる。
305 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 02:34:40 O
実存とは歴史的なものだな。
306 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 03:07:01 O
昔の人間が当たり前に持っていた感覚をダーウィニズムが
奪ってしまった。これがドストエフスキーの世界だ。
307 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 03:25:25 O
この国の近代化が本格的に始まった頃は、もうダーウィニズム以後の
世界だ。『種の起源』は明治の早い時期に知られていた。
皇国史観なんてものは上から押し付ける古文書的なイデオロギーで
あって、本当の意味での空間的に与えられている歴史とは違う。
308 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 04:32:21 O
実存とは何かの問題から遠ざかってしまったが、問題の根底に
あるのが、おそらくは近代合理主義の人間性への抑圧なんだから
仕方ないだろう。
進化論があらゆる科学の分野の中で特別な地位を保っているのは、
何よりもそれが神話的な世界観を追い払う力があるからだろう。
309 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 04:42:54 O
近代合理主義は「科学が全てを説明する」という前提の元に、
世界から神秘を追い払った。科学とは人智を越えた何かでは
なく、どこまでも人間に許された能力で成し遂げられる営みだ。
人間はそうやって「迷信」から解放された。少なくとも、その
はずだった。人生の謎は科学が「いつか」解明してくれるはず
だった。
310 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 07:16:51 O
即自・対自だなんて抽象論を幾らいじっても実存なんて分かりやせん。
近代合理主義の未来に向けた空約束が無効になった時に始めて
実存という問題が顕在化したからには、近代合理主義が何を
隠蔽したかが、差し当たり問題だ。
311 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 08:01:43 O
近代合理主義は人をして自らの力で完全な者、即ち神に仕立て
上げる夢を与えた。その夢が失われたら何が残るだろう。
相変わらず無力で有限な神ではない人間だ。
人は人のまま死ななければならない。集団全体の完全性はもう、
そこでは保証されない。
312 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 08:24:53 O
何が俺神様、アタシ神様だ。そういう戯け話はアメリカにでも
出掛けてハクジンどもの前で主張して来い。キチガイどもめ。
313 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 08:52:20 O
宮
314 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 09:04:19 O
有限で無力な人間の現実を近代合理主義は隠蔽する。人をその
逃れ得ない死、宗教的問題について盲目にしてしまう。
哲学は妄想とは違う。キチガイのやるもんじゃないんだ。
315 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 09:18:47 O
神は自分が持ち上げられない岩を創造出来るかにアタマを悩ます前に、
この世界には自分自身が持ち上げられない岩を神が幾つ創造したかを
数えろよ。
316 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 09:31:50 O
俺は自分は有限で無力な人間なのは承知してるからそんなバカな
ことはしないが、もし自分が神か単なる人間か区別が付かないなら、
自分が持ち上げられない石の数を満足するまで数え続けるべきだな。
317 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 16:47:31 O
鉄アレイで殴られると死んでしまいのは神ではない。
318 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 17:13:27 O
キルケゴールがヘーゲル哲学に染まった連中を体系太りと執拗に
攻撃したのと、現代の有機的全体主義を攻撃するのは、意味合い
としては似てなくもないな。
319 :
考える名無しさん:2009/03/08(日) 17:17:00 O
ナポレオンの影響の濃いキルケゴールからすると、プロシアの
御用哲学者ヘーゲルの哲学体系は全体主義的イデオロギーに
映るせいだろうか。
ヘーゲルがナポレオンの影響受けてるんじゃないのか?
コジェーヴの本で読んだことあるぞ
321 :
考える名無しさん:2009/03/09(月) 04:32:41 O
ヘーゲルはナポレオンがプロシアに殴り込んで来た時は、
小躍りしたそうだ(ラッセル伝)。
しかし、若い時代の話だ。
322 :
考える名無しさん:2009/03/09(月) 04:39:18 O
自分は世界に一人しかいない。当たり前のことであり、当たり前で
ないことである。
323 :
考える名無しさん:2009/03/09(月) 16:43:55 O
この当たり前と当たり前でないことの間のどこかにカフカの
言うアルキメデスの一点があるわけです。カフカもキルケゴール
信者で実存主義文学のカテゴリーに入りますもんね。
324 :
考える名無しさん:2009/03/09(月) 20:15:52 O
世の中は「私は独りぼっちじゃありません」と言って、自分が
沢山いるのが普通なわけだが実存主義ではそうではない。
325 :
考える名無しさん:2009/03/09(月) 21:18:18 O
ダーウィニズムから始まった進化論的な進歩思想の第一次大戦での
頓挫から生じた一種の近代病だな。
オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』はナチズムの勃興せる
ヨーロッパ、リースマンの『孤独な群集』は赤狩り中のアメリカ。
326 :
考える名無しさん:2009/03/10(火) 01:53:30 O
自分が沢山いるんでなく、自分がないんだな。自分がない奴ら
なんて珍しくもない。
世の中なんてもんは、ダーウィニズムなんて関係なしにそんな
ところはあるだろうけどね。
327 :
考える名無しさん:2009/03/10(火) 02:01:58 O
但し、自分とは何かを考えるには近代前なら神的な存在に自然に
関心が向くところを今の時代は中途半端な科学的知識が通せんぼを
してしまうという違いはある。
328 :
考える名無しさん:2009/03/10(火) 02:27:37 O
池田が常々強調したがった「私」が存在することの神秘は、近代前の
世界では神秘ではなかった。科学が神秘を禁じてしまうまでは。
329 :
考える名無しさん:2009/03/11(水) 01:26:10 O
もともと世界とは人智を越えた何かだった。近代科学という
強い道具が開発されてから、それを使って分析可能な範囲に
人類は世界を狭めてしまった。
330 :
考える名無しさん:2009/03/11(水) 01:40:37 O
現代でも愛国心とかテロとの戦いとか、非科学的なものは一杯あるけどね。
331 :
考える名無しさん:2009/03/11(水) 02:21:41 O
愛国主義の実在を科学的に証明する方法はないんだぞ。
332 :
考える名無しさん:2009/03/11(水) 02:48:11 O
案外と、この国は空間を埋め尽くす「日本原子」で形成されてたりする。
一切は「日本原子」の組み合わせで実在が可能になる。
333 :
考える名無しさん:2009/03/11(水) 02:52:51 O
あ、それとも日本人はみんな「日本遺伝子」の乗り物かも知らんな。
334 :
考える名無しさん:2009/03/11(水) 02:58:14 O
電子顕微鏡でRNAを観察すると一つ一つに日の丸が描いてあってさ。
sage
336 :
考える名無しさん:2009/06/28(日) 04:12:57 0
今時「実存主義」なんて言うのはやめて欲しい。
「実存思想」とか「実存哲学」と呼んでくれ。
今年は7/4に実存思想協会の大会があるね。
それからすぐハイデガーとサルトルを筆頭に持ち出すのもやめてくれ。
せめてヤスパースを読んでからにしてくれ。
ヤスパース舐めてる香具師多すぎ。
でもヤスパースは、つまんなんいだよ、哲学として。
ハイデガー>ヤスパース
は否定できない。
サイズ
〜実存は本質に先立つ〜
本質=俺も皆も只の人。
良い奴でも悪い奴でもない。
実存(現実に存在してる形、表層?)=貧乏人がブランド品に身を固めたら金持ちの実存として、もしくは金持ちが一ヶ月間ネカフェで寝泊まりしていたら、底辺ネカフェ難民として社会から判断される
つまり本質に関係なくその人の有形無形のステータスで社会からの扱いが変わる
↑でOK?
おkじゃない
342 :
デ(・∀・)シ ◆DFW30AT53Y :2010/01/07(木) 04:27:24 P
名付けたり論じたりには実用以上の意義がないんだよ
343 :
し:2010/01/31(日) 12:52:15 0
サルトル久しぶりにひらいたがまったく頭に入りませんな。
宇宙というのは如何にうまくできているのだろうか?
存在も宇宙原理から見れば割り切れる筈だが何せ人間には
無駄な「力」を行使する義務があるとかないとかわけの解らない
論理が存在するので割り切れる筈の心と体が割り切れない。
344 :
考える名無しさん:2010/03/13(土) 21:27:26 0
>>337 ヤスパースの哲学には「意識一般」が入って来る。
実存主義的であると見なされる思想は、孤独から出発するのが常だ。
346 :
考える名無しさん:2010/03/19(金) 12:16:27 0
フッサールの現象学を最後まで真面目に継承したのは、
ヤスパースかも知らない。その結末は現象学が出発点に
意図したものとはならなかったとしても。
ここに至るまで、コリン・ウィルソンの名が一度も出てないことについて。
新実存主義は、やっぱり宗教っぽくてダメですか?
『アウトサイダー』はポストバブルな俺の実存主義の門口になったよ。
「認識の聖者」を目指した異端者たちのアンソロジー集として、今の若い
奴が読んでも面白いんじゃないか?
「世の中が揃って人生の無意味を歌い上げている最中に、ウィルソンが
向上の旗印を掲げて進歩主義的な姿勢を崩さない点には一考に値する
のである」というような論評はあったな。
宗教っぽいというかオカルトだろ。アウトサイダーしか
扱わないと、サブカル的な世界観になってしまうから、
メインストリームの俎上には乗りにくい。
重要なのは、「むしろ良心の問題なのだ」。
アウトサイダーの話題が出てくるとはw
でも具体的にどう在るべきか、という指針は出にくい話題ではあるよな。
別に自分が「アウトサイダー」であると気づいたとしても、だから特別な存在になり得るわけでもなし、
超能力が使える(オカルトな方向は別として)わけでもないからな。
でも、これにスポットライトを当てて注目させたのはコリンウィルソンの功績だ
。
結局は「どう活きるべきか」っていう個人の問題に集約されるような気がする。生きて在る限りは・・・
「存在する、という自己認識への先鋭化をどう活かすか」という禅の大悟的な活用法しか思い浮かばんw
なぜならアウトサイダーの問題は、『世界との乖離』を起点とすると思うから。
「存在とは何なのか?」っていうゲシュタルト崩壊めいた違和感と虚無感という足かせを背負って
日常をしのいでいるのがアウトサイダーのイメージなんだけど・・・
人間は「あらゆることに慣れて」しまうから怖いんだ。戦争の恐怖にも、そして幸福にも・・・
惰性に生きることにも慣れてしまう、その予定調和の中で腐っていくことへの警鐘としても、
『アウトサイダー』の問題提起は普遍性があると思うんだけど・・・
効きの良すぎるドラッグみたいなもんだから、禁書扱いになってるんだろ。
当時は「サロン」の話題を独占したらしい。
「大人って汚ねえよ」って、皆で文句を言うのだ。
296 名前: 吾輩は名無しである 投稿日: 2008/08/29(金) 23:00:53
先日「性のアウトサイダー」を書店で立ち読みして面白いと思って購入し、
コリン・ウィルソンの存在を知りました。
しかし、この本にもネット上にも書かれている、
著者の最高傑作らしい「アウトサイダー」がどの書店に行ってもありません。
大学の図書館にもありません。
一体いつ読めるのか・・・
297 名前: 吾輩は名無しである [sage] 投稿日: 2008/08/29(金) 23:27:25
集英社文庫版のならたまーにブクオフとかでも見るけどね。
あれが売れてた当時はそういえば、新聞の(書籍の)広告欄にそれこそ、
毎日の様に(てかさすがにそれは大袈裟w)コリン・ウィルソンの名が
あった様な。
>>351 >効きの良すぎるドラッグ
これは言えてますねw
『アウトサイダー』、日本では例外的に売り上げが高かったらしいですが、
どうも、高度経済成長においての、企業が労働者を煽る
起爆剤に使われちゃった感があるんですよね……。
あと、カルト教団とか。
ウィルソンもロストジェネレーションから出発する評論家だ。
『アウトサイダー』は虚無と倦怠、あるいは荒廃の景色から
始まって、見者への希望に向けて道を切り開いて行く。
実存主義は、意地になって荒れ野に留まろうとするところが
あるんだが、ウィルソンには良くも悪くも前向きな姿勢がある。
「だが、それにしても、その人びとが、その場所から脱出しようと
いかに急いでいたことが。・・・しかし、真の努力とは、それとは
反対に、可能なかぎりきびしく思考をつらぬいて、この辺境の地の
奇怪な植物を子細に検討することなのである。不条理と希望と
死とがたがいに応酬しあっているこの非人間的な問答劇を、
特権的な立場から眺めるためには、粘り強さと明徹な視力とが
必要である。」
これはカミュの文章だが、隠者にしか出来ない作業かも知らない。
355 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 19:33:40 0
実存的であるということは、真に精神的であるということだ。
>>355 俺もそう思う。が、その客観的規定ってのは説明不可能。
"実存思想"と2ちゃんねる(&健康でいて不健康の)多くの人々とで噛み合わない所以。
せっかくキルケゴールスレなんだから、反省を唾棄して情熱を、とか哲学研究の見地からの反証とか意見を聞きたいデス。
あっちも俺だから構わんよ。キルケゴールは天才だったが、
レギーネを諦めて預言者になった。そういう言い方はできる
かも知らない。
「水平化」が取り上げられた『現代の批判』はナポレオンと
その戦争と戦争後がテーマになってる。大衆化社会の萌芽
みたいな話かな。
実存とは、さながら宿命にも似ている。
360 :
考える名無しさん:
というかその宿命に翻弄されていて、しかも宿命そのものの存在に気がついてない。
そういう人生を愛せるかどうかかな。宿命があると認めるのなら、極めて観念的な倫理
や道徳に自ら縛られている事になり実存的とはいえない。