これはまた香ばしいレスをw
次の方どうぞ。
やっぱ未だにナチスうんぬんでそういうのには選ばれにくいんじゃない?
ローティの仮想小説でも読めよと言いたい
(ハイデガーが反ナチス親ユダヤになってアメリカ亡命→ノーベル文学賞もらう
ってのを彼の思想的に何の矛盾も無くなしえただろうってやつ)
なんかのドイツ年関係のイベントでもマレーネ・ディートリヒがベートーベンとか
アインシュタインとかの偉人に並んでたりとかちょっとナチス関連でのアチラの
感覚は理解し難いものがある
ブッシュの阿呆は、野郎のジジイがナチ相手にぼろ儲けして財を
成したくらいだから問題ないんじゃないかな?
話が逸れるが。
ブッシュをことさら馬鹿扱いする奴って総じてユーモアセンスに欠けるよね
マイケル・ムーアしかり
小泉は犬っころさ。すれ違い。
犬っころに哲学は無用だよな。ご主人様の命令に唯々諾々と
従うだけ。存在の意味なんか問う必要はない。ハイデガーな
んて読んでも分かるはずもなし。
おまいら、神業。
・・・ま、いつものことだな(ゲラ
書き込みないんで連投になっちまうが、構わず
>>943の続き。
『存在と時間』におけるハイデガーの「自然的態度」というのは、文明の檻
によって自然を疎外した人工的自然環境を意味すると思う。ここから『形而上
学入門』における「惑星と技術の出会い」云々のナチ礼賛発言が生じて来たり
するんだろう。俺が『存在と時間』をいつも途中で挫折する理由もそこにある
んだが。
ハンス・ヨナスの『グノーシスの宗教』の終わり近くの実存主義についての
考察が参考になるだろう。
> 『存在と時間』におけるハイデガーの「自然的態度」というのは、文明の檻
>によって自然を疎外した人工的自然環境を意味すると思う。
ぜんぜん違うがな
自然を道具存在としてしか見てないような記述多くないか?
人間存在が自然の一部であるという理解が欠けていると思う。
『存在と時間』では「自然」概念なんてあまりでてこない
もちろん道具存在の総和が自然だなんて言ってない
「世界」概念とごっちゃになっとるだろ
最近有名な、石ころと動物と人間の対比ってやつですな。
寄与論考 ヘーゲルの現象学よりきつい
>>963 >『存在と時間』では「自然」概念なんてあまりでてこない
だから、この時期は自然の風物には余り関心がなかったんだろ。
お前もグノーシス主義か?
>>966 関心があったとかなかったとかそういうレベルではない。
ハイデガーは「自然」概念を援用することに一貫して警戒してたんだよ。
まずそれに気づけよ。
そのせいで近世哲学を不当に蔑視していたけどな
969 :
考える名無しさん:2005/10/28(金) 12:25:04
ハイデガーにとっての〈自然〉というのも面白いテーマですね。私にとってはハイデガーの意義はまず意識における〈自然〉に気付かせてくれたという点に尽きます。それは自由と責任という問いに重たい影を投げ掛けて来ました。この重たさが私にとってのハイデガーかもしれません
>>967 で、ナチ礼賛発言も出て来た、という以下略
ハイデガーは『存在と時間』という、自ら全く予想もしない結果を
もたらした著作とその大反響に自ら引きずられて道を誤った、と言
えなくもないか。
972 :
考える名無しさん:2005/10/28(金) 21:44:07
ハイデガーの『有と時』を読むと、どうしても現有にとっての有という根拠について思いを延ばさざるを得ません。この根拠を失くす事がハイデガーの言う有の忘却です。この〈有の忘却〉問題への指摘は未だ有効性を失ってはいないと思えます。
根拠なんてなくていいということになったんじゃなかったっけ?
974 :
考える名無しさん:2005/10/28(金) 21:50:54
ドゥルーズの『差異と反復』という書物を読むと、中で精神病の概念と、その発病の要因について彼が書いている箇所があります。《精神病の発病要因は後から作られた物語に過ぎない》という意味が。あまりに空想的な発想に呆れざるを得なかった。
それが?
976 :
考える名無しさん:2005/10/28(金) 21:57:51
『有と時』中の現有の分析論について、あれは人間学としては、未だに有効性を失わないと私は見ています。ドゥルーズの人間精神についてのおとぎ話めいた記述と比較すれば、そのリアリティの強度は、その差異は明らかでしょう。
>>976 なるほど、納得!
3回に分けないで1回で書ききってくれればよかったのに。
キルケゴールが下敷きだからなw
下敷きはあくまで現象学で、実存主義は現象学の決定的な穴を生めるための
パテみたいなもんだとおもうよ。
一気にレベルが落ちた気がする…
『有と時』とか言ってる時点でお里が知れるけどね
大橋ですら創文社の訳はダメだよと言ってる
このご時世に・・・(それはそれでどうかと思うが)
981 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 01:05:04
サルトルの晩年のフローベール論での〈乗り越え難い幼年期〉への眼差しは象徴的です。サルトルがハイデガー的思想圏に限りなく接近しつつあった事をそれは暗示している。私はそこにフランス現代思想の分水嶺を見る。彼が前期の自由論への疑問を自ら感じていたのは確かでしょう
どうしてフランスってそんなにアレなんだろう・・・
ドイツ語圏の哲学も英米哲学も哲学研究だとおもうけど、
フランスのは研究じゃなくてファッションとかかっこつけなんだろうな・・・
そういう姿勢ってなんか醜いなぁ。
>>982 普通にフランス哲学でベルクソン研究してますが?
何か文句あります?
>>982 日本の哲学教授の偏見をあんたが受け継いでいるだけ。
フランスが共和国だから、
戦前の日本ではフランスに学ぶことは歓迎されなかった。
その伝統は、戦後も引き継がれ、
ドイツ派が減った現在、
代わりに分析哲学による「大陸叩き」が強まる。
982 みたいな偏見丸出しの香具師てホントむかつくよ。どうすればこういう人種無くせるんだろう。
まあフランスの芸術ナショナリズムもそうとうなもんだから、
どっちもどっちなんじゃないの。
昔「フランスってファッション野郎ばかりでいけすかねえんだよ」
とほざいていたドイツ観念論野郎が、
母親の買ってきたアニエスBのシャツ着てそのセリフ言ってたことに気付いて、
指摘したら顔真っ赤にしてたよ
989 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 03:50:56
そうして前期サルトルを高く評価する批評家は後期サルトルにおける、真正ハイデガー的要素、すなわち現有は有が不可避的かつ自律的に反復する場所となる、その事に目を閉じてしまう。その軽視は彼等をしてアクロバチックな〈移動〉を得意技とする軽業師に仕立ててゆく。
>>979 >決定的な穴を生めるためのパテ
メクラ栓みたいだなw
ともかくサルトルなんか哲学研究の対象じゃないよ
硬派なサルトル評論で良いのないかね。
サルトルなんてハイデガー以上に政治的にヤバいと思うんだが・・・
やっぱ堅いことやるならハイデガーのほうが良いよ
あえてサルトル選ぶ必要は無い
>>992 ある意味ドゥルーズ。
彼の哲学は「自我の超越」の継承。
995 :
処刑:2005/10/30(日) 12:19:10
岩現木田の『ハイデガー』も「世界の世界性」の分析を解説するのに、真っ先に道具存在の話題に入るな…。
996 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 12:23:49
だから何?極々当たり前のことじゃん
997 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 12:35:37
3
998 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 12:36:07
2
999 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 12:36:41
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考える名無しさん:2005/10/30(日) 12:37:27
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