246 :
考える名無しさん:
アーユーレディー?
247 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:54:05
ヤー!
248 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:54:52
Hey hey hey hey〜♪
249 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:55:30
(Hey hey hey〜♪)
250 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:57:34
(かもん!)
251 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:58:20
Hey Hey Hey〜♪
252 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:58:57
(Hey Hey Hey〜♪ )
253 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:01:46
HEY!
254 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:02:36
(HEY!)
255 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:03:13
HEY!
256 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:03:49
(HEY!)
257 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:04:25
HEY!
HEY!
258 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:05:05
(HEY!)
(HEY!)
259 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:06:29
HEY! HEY! HEY! HEY! HEY! HEY!
(HEY!) (HEY!) (HEY!) (HEY!) (HEY!)
260 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:07:57
HEY! HEY! HEY!
HEY! (HEY!)
(HEY!) HEY!
(HEY!)
(HEY!)
261 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:09:34
へ〜い!
262 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:10:59
どこぞの板のやつらに一瞬で埋めてもらえよ
263 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:11:17
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
264 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:12:01
ん?
265 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:16:51
>>243 それってふつうに面白かったって言えばいいんじゃないの?
266 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 23:34:52
>>265 彼らの敵がなぜいつも主体無きものたちなのか。
その犯罪自体が大がかりに対して、罪の意識の低い
愉快犯であり、かつてのように大きな犯罪を起こす反社会的存在、
いまでのアメリカ映画でもそうであるが、
に対して、オタクなどの脱社会的な存在であるのか。
いまさら、オタクが愉快犯としてこのような事件を起こすというのは、
ベタすぎるが、それでも彼らが必要なことは、
主人たちが、社会的存在であること際だたせるためである。
反社会/社会という社会ではなく、脱社会/社会であること、
すなわち組織のための社会人ではなく、
社会のために社会人である「プロフェッショナル」という姿を
描かれているのです。
それはたとえば、イチローであり、中田のような、現代のヒーロー像とも
重なるだろう。
それは、一つの倫理像でもあるのだ。
267 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:36:29
ワケワカンネ
268 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 23:38:08
これは、最近ドラマでも、様々に職業ものとして描かれている。
「踊る」では警察であったが、医者ものなど職業ものが多く
作られている一つの理由ではないだろうか。
269 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:42:54
ふつうにおもしかったと言えばいいのでは?
270 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 00:51:10
>>266 俺はその映画見てないんでなんともいえないんだけどね。
オタクが社会に対してアクションを起こすというのは
ほぼ無いと思えるんだよな。
たとえばさ、オタクの間でメイドさんが流行したよな。
でもオタクがメイド喫茶を作ったんじゃないんだよ。
たまたまオタクが集まる地域にその客層にあわせた
サービスを社会が提供しただけの話でさ。
オタクが社会に与えるインパクトというのは常にそういう
リアクションによるものなんだと思うね。
ある意味でしっかりと経済機構に組み込まれてるわけさ。
つまり全然脱社会してない(一見してるようにみえるけど)。
というより出来ないのじゃないかな。
194 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 00:03:32
すなわち、「生き生きしたもの」とは、なにか、ということなんだよ。
「生き生きしたもの」とは、女子高生、ロリコン、ペット、レイザーラモン住谷、
テレビのリアルバラエティ、衝撃的な事件発生
このレスにぴかぁ〜の全てか凝縮されている
272 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 01:30:34
273 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 01:41:48
ぴかぁ〜は何でこんなにバカなんてだろう
「交渉人 真下正義」とかの作り手がなぜ馬鹿なのかを、ぴかぁーを使って
シミュレートすることによって、調べるためじゃないかな。
じゆんを装った荒らしかな?負けるな、ぴかぁ〜。
276 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 02:37:43
ぴかぁ〜は馬鹿だと思う
それ以上にアレも馬鹿だと思う
277 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 09:22:48
生き生き
278 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 10:00:01
>>347 それはいいすぎでしょう。ビルゲイツだって元オタクでしょ
しかしキミのいうようなことなんだね
なぜ「踊る」は犯人をオタクに設定するのか、ってこと
原理主義者、反社会イデオロギーなど「強い主体」的犯人像でなく、
自己顕示欲だけの「弱い主体」
279 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 10:12:33
だから「踊る」のポイントは「プロフェッショナル」なわけ
今回も頑固鉄道マン=プロが、軟弱な真下も実はプロだったと認めていく物語ですね
プロとは、会社人間とは違う。自分の仕事に、社会的貢献にプライドを持ち取り組む
ある意味、日本的な倫理感ですね
そして、脱社会犯人との対比で際立たせる
280 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 10:18:10
ビルゲイツはオタクじゃないよ。
281 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 10:43:37
プロフェッショナル、職人という倫理感は決して新しいものではないが
現代に回帰していますね
その象徴がイチローであり、中田ですが
実はこれは局部へ没入するという意味でオタク思考なんですね
それは現代的なまた無垢への欲望なんです
彼らは業を極めという新境地へ迎う。その象徴が海外リーグという(日本人にとっての)無垢へ無垢わけです
だから日本人は熱狂する
282 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 10:54:38
だから「踊る」は正しいオタクと悪いオタクの戦いであるのですが、また戦いとしてはいつも不明確なんですね
なにか可愛そうな犯人、ボクたちの片割れなのです
今回の真下にもそのような重要な台詞がでてきますが
だから「踊る」では、むしろ敵は警察組織、上層部として描かれます
余談ですが、小泉首相も組織のトップなのに、対組織の立ち位置であり、
プロフェッショナル的価値観を武器に支持されています
息子が「真下」にでていたのとは関係ないでしょうが
283 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 11:09:39
ポストモダ社会で、拡散する主体像はオタク化という収束に迎う
局部へ無垢を見いだし、欲望を維持しようとする
これは社会的な傾向であり、みな多かれ少なかれオタク化しています
しかしここで問題はいかに社会性を確保するか、ということ
オタクを脱社会的な傾向とみるまなざしから、守るか
それで要請されるのが、プロフェショナルという社会性であり、倫理観です
「踊る」はそのようなリベラルであり、倫理的であるオタク像を描いている
だから登場人物はみんな愛すべき良いやつなんですね
「踊る」ヒットはこのような傾向が社会で全面化していることのあらわれではないでしょうか
映画館には本当に幅広い客層が来ていました
主観でしょうが、他のはやりの映画よりも、オタクではない普通の人たちが、オタク顔で来ているように感じました
ふむ。今回のぴかぁ〜は鋭いな。
285 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 12:47:32
457?
286 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 13:04:57
プロフェショナルであるということも楽ではない
イチローなどに見られるようになストイックスさが要求される
一人、孤独さに絶え続ける強度が求められる
最近、元プロ野球選手が犯罪でつかまったが、局所に入り込むことは、メタメタな世界では危険である
オタク犯人に仲間といわれた真下が、電車マンたち、あるいは線引屋、木島?刑事などのプロフェショナルと共鳴しえたのは
まさに彼がオタクでなく、孤独なプロフェショナルであると認められたときである
ほう。ぴかぁ〜やるな。
288 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 17:55:55
>>286 実はそこら辺のストイックさ、孤独はオタクも共通して
もっているんだと思う。
オタク的な行為というのはほぼ個人としての営為だと思うからね。
これはプロフェッショナルの特徴じゃないと思える。
何をしてオタというかちょっとあいまいだが。
でも
>>279>>282の言うように対社会への倫理観をもつことが
プロフェッショナルだとするならば、
イチロー、ヒデはかつてオタクだったのかもと思えるんだよな。
が、おそらく海外に行って変わったんだと思う。
もしくは海外のほうが社会的なコストを要求されると
いうことじゃないかな。
289 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 19:36:07
>>288 ボクは「オタク」ではなく、オタク指向と言う意味で使っている。
「プロフェッショナル」とは、かつての意味とは違うのだろう。
現代の「プロフェッショナル」はオタクの一形態といえる。
現代のヒーローはオタクだ。ビルゲイツ、ホリエモン?
イチロー、ヒデetsets・・・
290 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 19:36:34
291 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 20:28:49
ほう、これはたいした才能だ
292 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:09:34
>>290 うん。一応読んだよ。
で、なんかこのところのレスに既視感があるなと思っていたんだけど
思い出したよ。「交渉人 真下正義」(しつこいが未見だよ)と
まったく同じ構造の作品を思い出した。アニメばっかりだけどな。
映画「機動警察パトレイバー1、2」とか「攻殻機動隊」だな。
一度見てみればいいよどっちも10年以上前のもんだけどさ。
どっちも業界的に影響力が強かったらしいから、
その影響下にあるのかもね。
オタ内部の問題意識がますます表面化してきたって感じかな。
293 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:30:44
>>289 > 現代の「プロフェッショナル」はオタクの一形態といえる。
これには同感だね。
プロジェクトXなんか見ててもそう感じる。
そういう意味では昔からそうなんだろうな。
イチローなんかは非常にわかりやすい変化なんだよな。
日本に居るときのイチローは求道的な野球オタクのイメージ。
メジャー移籍後はオタク的求道ぶりを発揮しつつ
球団イベントなんかは積極的に露出されている。
これは報道のされ方のほうが大きいと思うけどね。
実は日本に居るときでもファンサービスは多かったらしいが。
松井もそう。移籍後はじめて日本に居たときからの寄付行為とか
を報道されるようになった。
ヒデのマスコミに対する態度も海外移籍後がらっと変わった。
こういうのって海外では個人も報道もそうだしチーム経営とかも
より社会を意識した行動が求められるってことなんだろう。
294 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:39:57
すごい自演
295 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 23:43:54
>>292 映画「機動警察パトレイバー1、2」とか「攻殻機動隊」が、
どう同じ構造なのかピントこないな。
同じ構造といえば、「ダイハード」でしょう。
まさに「ダイハード」のブルースウイルス的主体像が、
「踊る」の原型ではないかな。
>>293 もしかして、球団イベント、寄付行為が倫理的って意味?
倫理的というのは、そういうことではなく、
論理に対する倫理であり、「どうかるべきかの価値観を表す」
スタイルという意味です。
自演も才能だ。
297 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:47:08
っていうか、哲板で映画あげるなら、マトリックス以外ないよ。
勿論、第一作目のヤツだけだ。
298 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:49:00
自演も才能か…。
299 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 00:32:08
>>295 見てみみりゃわかるよ。
結構面白いと思うよ。
だからスタイルとして社会的貢献を求める圧力、つまり社会との
つながりをきっちりアピールする必要が
あるんじゃないのかと思うんだよな。
野球のスクーリングとかフランチャイズ地域の学校訪問なんかは
かなり頻繁に行われてると聞くし、またそういうのに積極的じゃないと
顰蹙モノらしいしな。
ビルゲイツなんてやりたくないのに思いっきり寄付してる気が
しないか?
俺から見るとビルゲイツの有名絵画のデジタル化権取得なんか
すごくそのへんが現れてると思うんだよな。
300 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 00:32:56
また…
きっびしー。プロに撤してくださいな
302 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 00:59:09
書き忘れたけど「ダイハード」はやっぱなんか違うだろう。
確かに融通の利かない警察組織は出てきたけどさ。
主人公の主体像にまで影響してたとは思わないんだがな。
嫁さんと上手くいってなくて、出歩くとトラブルにぶち当たる
不運な男というだけの印象だな。
303 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 07:53:27
だって「交渉人 真下正義」見てないだろう。
ボクは、映画「機動警察パトレイバー1、2」、「攻殻機動隊」
「ダイハード」見てるよ。
>嫁さんと上手くいってなくて、出歩くとトラブルにぶち当たる
>不運な男というだけの印象だな。
「ダイハード」をこのようにしか見れないのは、きついよ。
チョー名作なのに。
304 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 08:23:54
「ダイハード」は、アンチヒーロー映画だね。
それまでの、シュワルツネッガー、スタローンなどの
強靱なヒーローが超人的に敵を倒すのとは違い、
「普通の人」が懸命に巨大な敵と戦うということ。
見るとわかるけど、今回の「交渉人 真下正義」は、
「ダイハード」が意識されてる。
クリスマスの一夜の出来事、
妻(恋人)に頭が上がらない、頼りない主人公、
無名のプロフェッショナルな人との友情
(ダイハードでは、デブの黒人警官)
「普通の人」の魚竿かげん、などなど
305 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 09:59:17
生き生き
306 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 10:29:34
ほう
「事件は現場で起こる」というのが鍵なんだろうな。
「現場」とはなにか。とはいえ、現場且つ臨床気分でオナる
というのが実体か。工事現場を夢想してオナることはできないしな。
端的に「理想の現場像」ってとこ?
308 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 11:45:03
ブログの感想を見てると、映画「機動警察パトレイバー」は、
様々なディテイルが真似られているようなね。
309 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 11:50:39
>>307 オナるというのは、ある意味正しいかもね。
オタクというのは、自慰行為であるから。
でも「オタクだけでなく、「プロフェッショナル」であれ!」という
倫理テーゼだから。
310 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 11:57:46
「プロフェッショナル」は、現代の貴重な倫理だね。
掘り下げる意味はあるかもしれない。
311 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 14:51:49
立ち上がるレッサーパンダ、古くはタマちゃん
「生き生きしたもの」だね。
312 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 14:55:23
事件は現場で起こるんじゃない
事件が起こった所が「現場」です因果律を無視しないように
313 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 15:32:02
>>303-304 見てないのは確かだよ。
でもさぁお前さんのブログ見てたら思い出したもんでさ。
いやダイハードも面白いよ。確かに。
でもやっぱり違うと思うな。
あ、攻殻のほうはTVシリーズ「笑い男」編のほうが
構造が似てるから、そっちを機会があったら見てみてくれよ。
314 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 15:40:44
結局思うんだけど事件はどこででも起こりうるんだよな。
立場によってその解釈が違うだけでさ。
フジvs堀江の一連の出来事って事件じゃないけど
現場はどこなんだと思う?
株式市場なのか、お台場か、六本木か。
あるいはソフトバンクなのか外資の投資銀行なのか。
315 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 15:42:25
生き生き
316 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 16:28:50
>>313 攻殻のほうはTVシリーズ「笑い男」編も見たよ。
ってかさ、キミ、中高生?なんとなく
317 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 16:33:16
では、話をもどして・・・
すなわち、「生き生きしたもの」とは、なにか、ということなんだよ。
「生き生きしたもの」とは、女子高生、ロリコン、ペット、レイザーラモン住谷、 立つレッサーパンダ
テレビのリアルバラエティ、衝撃的な事件発生
@無垢である。生活という反復からのズレである。
Aその無垢とは、みんなが欲望するだろう幻想である。
ここまでは「まなざしの快楽」であるわけだけど、
B感情的に感染する。祝祭性がある。
これを「あぼーんする快楽」と読んだわけだけど、
この原理がいま一つしっくりこない。
それは、まなざしの快楽ではあるんだけど、過剰性がある。
たとえば、消費のフェティシズムは、まなざしの快楽ですね。
みなが望んでいるだろうという幻想が、商品に神性を与える。
それはそれでよいのだけど、「生き生きしたもの」という商品は
さらに、過剰なんですね。
B感情的に感染する。祝祭性がある。
非日常、ハレでも良いが、「あぼーんする快楽」があるわけです。
「まなざしの快楽」からの短絡性みたいなものなんです。
318 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 16:41:41
近いところでは、東の「動物化」ということ。
人間/動物という差異化された「動物化」。
しかし「あぼーんする快楽」はさらに短絡していると言えるかもしれない。
端的には、まさに快楽であり、中毒に近い。
319 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 17:02:26
たとえば、注目しているのが、フロー体験です。
「「フロー」とはシカゴ大学の心理学者チクセントミハイが提唱した概念で、
何かに没入し夢中になることで、最高の経験が持続していく状態を指します。
ホフマンたちは、インターネット上の対話が切れ目なく続き、
その行為自体が楽しくなり、我を忘れてのめり込んでいくとき、
「フロー体験」が生じていると考えました。」
それ誰かのパロディですか、そうですか。
321 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 17:09:44
これは、「アイロニカルな没入」ともとれますが、
象徴界を介さない、直接的な生理的なレベルの快楽であるといえる。
322 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 18:12:32
>>317 最高の経験が持続して没入感もあって、さらに
感染性があるというのは一種の流行と見ていいんじゃないの?
フィーバーってやつ。
ぴかぁ〜は誰に向けて語っているのか?
そう・・・ぴかぁ〜は自分の鏡像に向けて語っているのだった。
その語りは永遠に続く。
馬鹿だね、ぴかぁ〜の一人芝居
ぴかぁ〜は昼間から生き生き書き込んでろよ
326 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 23:00:36
生き生き
327 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 00:52:29
たとえば、たばこを吸う快楽は、シニフィアンの快楽=まなざしの快楽である。
しかし薬物中毒になるような、ニコチンが体内に回るという生理的な快楽が
そこにあることは否定できない。
それが現実界に属して、ラカン的には語ることはできない。
それは「性関係が存在しない」ように、「存在しない」のである。
しかし1/fゆらぎのような快楽は、存在するし、
問題は、現代において前面化しているということである。
たとえば、それはテクノロジーによるものだろう。
テクノロジーの与える快楽、可能にした快楽とは、
疑似コミュニケーションであり、フィードバックシステムの高速化である。
こちらからのインプットに対して、素早いアウトプットである。
328 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 00:58:10
そこに、まなざしの快楽が働いていないわけではなく、
その反復の早さが、生理的な高揚感を与えるのです。
このリズムはポピュラーミュージックにも見られるだろう。
20年代のアメリカ消費社会の到来は、4ビートのジャズのリズムを生み、
50年代の消費社会の成熟は、8ビートのロックミュージックを生んだ。
現代は、16ビートを含めて、さらに激しいリズムが流れている。
ヴィヴィリオ?的な速度の快楽が増しているのである。
このとき「まなざしの快楽」は、「あぼーんの快楽」へ転倒されるのではないだろうか。
329 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 01:05:06
現実界という享楽は、他者という不確実性であり、予測不可能性が運んできたのである。
それが、現代は、テクノロジーによって、高速化している。
あるいは、疑似化しているのである。
ゲームというプログラムは、不確実性であり、予測不可能性といえるだろうか。
それは、人の能力を超えてる意味で、不確実性であり、不可能性だろう。
なぜなら、確実で、予測可能なゲームなど誰がするだろうか?
それは、閉じた命令であり、予測可能なものであっても、
不確実性であり、予測不可能性である故に、楽しめるのである。
さらには、これがコミュニケーションである上で、
私が不確実性なのであって、それを鏡像的に示すという意味で、
不確実性なのである。
私は私がどのような反応をするのか、わからないことが
ゲームを不確実なものとして、ともいえる。
330 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 01:12:27
どちらにしろ、コミュニケーション速度の上昇は、
「まなざしの快楽」の反復が、語り得ない快楽へ導く、
それが「あぼーする快楽」である。
PC、テレビ、ゲーム、ケータイ、ネットなど
速度の快楽である。
ボクは以前、自転車にのる子供の楽しそうな姿について言及した。
まだ車の運転をしたことがあるものは誰もが、速度の快楽を
知っているだろう。
人はなぜ速度にあこがれ、興奮するのだろう。
そこには、「まなざしの快楽」があるだろう。
速度の先の新たな世界の征服という「無垢の征服」である。
しかし高速という、応答性の反復の高速化というリズムは、
生理的な高揚感を生むのではないだろうか。
微妙。けどテンポは重要と思った。
332 :
考える名無しさん:2005/06/01(水) 05:40:33
普通の人が書き込むと全部スルーで
びかぁの自演にだけ本人が反応してたら
誰だって自演だって気がつくぞ
少しは頭使えと
333 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/02(木) 13:29:14
生き生き
334 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 20:59:29
コテハン叩きやめよう
335 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 21:03:37
狼は生`、ピカは氏ね
336 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/03(金) 11:24:56
ん?
337 :
考える名無しさん:2005/06/03(金) 14:59:09
ほう、これはたいした才能だ
338 :
考える名無しさん:2005/06/03(金) 20:17:35
自演はつづく↑
無垢なものとかフロンティアとか処女地をメディアが追っかけまわすのは
あたりまえだと思うが、なぜそんなに勢いつけて書きまくるのかわからん。
普通ならその先のこと認識があるから「エウレカ!」なんだろが・・・。
常駐する理由がなくなっちゃうからさ
341 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 00:08:20
>>339 ん〜・・・そだよな。当たり前なんだよな。
まさに、そこが問題なんだよな。
「性関係は存在しない」。でもエッチは気持ちええ。
そこなんだよ。まさに。
で、「エウレカ!」ってなに?
342 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 00:23:13
ジーコジャパン弱いよな。なんか今ひとつ盛り上がらないな。
人は言語で理解するのだろうか
言語で理解しないような理解が先にあるのだろうか
344 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 09:54:42
>>343 生理的な反射が先にあるとしても、「理解」は言語でしょ。
345 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 09:57:21
「ウェブ・ブラウジングの快楽
1996年、ホフマンとノヴァクによる論文「ハイパーメディア・コンピュータ媒介環境における
マーケティング」は、「フロー」という概念に注目していた。「フロー」とは何かに没入し夢中に
なることで、最高の経験が持続していく状態を指すものだ。
「フロー」とはシカゴ大学の心理学者チクセントミハイが提唱した概念で、何かに没入し
夢中になることで、最高の経験が持続していく状態を指します。ホフマンたちは、
インターネット上の対話が切れ目なく続き、その行為自体が楽しくなり、我を忘れて
のめり込んでいくとき、「フロー体験」が生じていると考えました。
さて、フローが生じるには2つの条件が必要です。まず、環境に何らかのチャレンジが
あること、そしてそれに相応しいスキルが本人にあることです。したがって自分の
スキルを越えた操作や、逆に簡単すぎる操作もフローを引き起こしません。フローが
経験されることは快感であると同時に、学習が促進される、探究心が高まるという
いい意味での副作用を伴います。」
346 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 09:58:05
ここにあるのは、単なる生理的な快楽ではないということです。「環境に何らかのチャレンジが
あること、そしてそれに相応しいスキルが本人にあること」。ここにあるのは、
無垢への欲望ではないでしょうか。
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ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ,/;;;;;;;;;;;;;|
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ヒi_,|::::::::::::::::: \___/ |
,,, -/ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ 輪島の子
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348 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 14:25:29
たとえば、空腹でもないのに、口寂しくて、ついついものを食べてしまう。
あるいは、テレビでは、衝撃的な映像番組が増えているが、物語というよりも
瞬間的な刺激を望んでいる。たとえば週刊誌も派手な見出し、一発写真ネタ、
そして最近のお笑いブームである。まさに瞬間的な快楽を求めている。
2ちゃんねる、あるいはメールも同様かもしれない、
小さな快楽を求めるのである。そしてここには、応答性の早さがある。
すんわち単に小さな快楽だけではなく、それは継続され、リズムとして
反復されることによって、継続した快楽が得られるのである。
これは先の「フロー体験」に対応するだろう。
科学技術は、このような小さな反復快楽を可能にしている。
349 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 14:29:32
ここにあるのは、単なる生理的な快楽ではない。
「環境に何らかのチャレンジが あること、そしてそれに
相応しいスキルが本人にあること」そこには「まなざしの快楽」が
働いている。すなわち、みなが求めているものを手に入れるということ、
そこにはみなのまなざしの対象があり、そこが「無垢」なのである。
しかしそれが小さく反復されることによって、まなざしは「あぼーん」され、
生理的な快楽へ埋没しいくのである。それが「あぼーんする快楽」である。
350 :
考える名無しさん:2005/06/04(土) 14:31:47
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351 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 14:34:50
たとえば、テレビそのものがすでに「あぼーんする快楽」である。
小さな刺激を与え続けるのである。
ボクもそうだが、特に見ていなくてもつけっぱなしである。
あるいは、音楽についてもそうだ。
音楽を集中して聴くということではなく、音楽を流しっぱなしで、
本を読んだりするわけだ。
このようなことは、まさに科学技術の発達によって可能になったと
いえる。
352 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 14:45:56
無垢の渇望は、生理レベル存在するのではないだろうか
動物園の動物はなぜあれほど死んだような目をしているのだろうか
353 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 15:05:08
すなわちまなざしと快感のはざまでゆれる
354 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 15:44:32
ジェットコースター化した社会では、快感は開拓されるのである。
より無垢な刺激を与えるのだ。いわば、それは言語を越えている。
355 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 15:48:13
ポピュラーミュージックにはなぜ歌詞があるのか。
実はここにまさにまなざしとあぼーんのバランスがあるのでは
ないだろうか。単なる反復する刺激であれば、歌詞は必要とされない
のではないだろうか。
しかしポピュラーミュージックは徹底的に歌詞がつくことに意味がある。
それは歌詞の内容ではなく、歌詞がつく、すなわちそこに言語がある
ということが重要なのである。
それはボクたちは言語から切り離されると、感じることが困難になることを
示しているのだ。
356 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 15:52:59
クラシック、ジャズでもよいし最近のクラブミュージックでもよりが、
これらを聞くことには訓練を必要とする。
歌詞のないこれらの音楽は、「どこを聴けばよいのか」、わからないのである。
どこにまなざしがあるのか、とらえられないのである。
まさに歌詞とは、その意味そのものでなくとも、シニフィアンが
まなざしの在処をしめし、音楽を「聞く」場所を指し示すのである。
単純には、バンドが演奏しているときに、そのセンターに
ボーカリストがいて、そこを見ればよいことを指し示すようなものかもしれない。
「独白の完成」は遠い。
訓練なしで哲学かぴかぁ〜?
360 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 01:52:42
>>359 小便小僧が、そこまでして、絡みたい理由がわからん。
俺のこと忘れないで、みたいなことか?
哲学から離れていく自分が怖いのか???
361 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 01:52:59
ボクが「欲望とは無垢(むく)への欲望である。」という意味をもう一度説明しましょう。
まず、無垢とは、「まだ誰も到達してない場所」である。主体が、他者たちが欲望している
だろうというまなざしによって、開かれる場所である。他者たちが欲望しているだろうことによって、
そこに他者がまだ所有していない「場所」があるということである。そしてそれはあくまで主体が
まなざしがあるだろうことによって開かれる想像的な「場所」である。
無垢へ誰よりもはやく到達することによって、他者との差異としての「私」の意味が現れる。
この「無垢」へ到達してものの名が「この私」なのである。
すなわち欲望は、「この私」とは何ものであるかという承認を欲望するのである。
これはラカン的には、欲望は去勢という言語の獲得によって生まれることに繋がる。
ボクたちは象徴界への参入によって、言語を獲得することによって、そこには
本当の私から疎外された言語としての私となる。しかし疎外された私は、充実した私を
獲得することができない。故に、「この私」という承認を求め続けるのである。
そして欲望は満たされることがない、無への欲望である。
362 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 01:53:55
このような「無垢」という想像的なものへの欲望の根底には、充実した私を獲得しようと
する現実界の「力」が働いている。それが「無垢への欲動」である。
ボクたちは、生理的に差異としての「無垢」を求める。
たとえば1/fゆらぎとは、反復と差異の比率が、50:50であるときに人が安らぎを
感じるということを示している。ボクたちは、反復的な刺激のみでは、耐えられず、絶えず
差異を望む。
いわば、言語とはこのような「反復と差異」の現実界の先にある、反復の形である。
世界を反復としてとらえるための生理を補完するための道具である。
そして無垢とは、このような反復の世界へ進入する差異である。
363 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 01:56:55
ま、出すぎた真似をすんなよ。ということだ。
364 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 01:59:10
>>363 小便、なにここの主(ぬし)気取ってるんだ???
糞スレだろ、ここ。
366 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:00:54
その勘違いはどこからくるんだ?三択で
@哲学板の古株である。
A実は哲学知識がかなり高い
B単なる成りきり、かまってくん
367 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:01:00
知識人ごっこは一度やったらやめられまへんなーw
368 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:02:48
ぴかぁ〜心の叫び
369 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:04:50
飽和してしまったこの社会では一般に無垢は禁止されてる、つか
出る杭は打たれる。
370 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:05:39
>>366 どういう奴がぴかぁ〜をおちょくって遊んでるかの割合
@哲学板の古株である。 →5%
A実は哲学知識がかなり高い →10%
B単なる成りきり、かまってくん →85%
371 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:06:14
一人テンション高っ・・・
372 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:07:40
369ってぴかぁ〜?
373 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:07:52
テンション上げて、無意識に人を遠ざける癖
そろそろやめた方がよくね?
374 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:10:42
好きな子を前にした小学生やん!
だからいまだに童貞なんだよ。
相手の目をみてちゃんと話さないとさ。
375 :
ザネリ:2005/06/05(日) 02:10:43
はなはだ無垢だな。ここの人は。
376 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:13:04
ってか、反復ばっかで差異がない。
すなわち無垢がない、むなしく、無駄な会話だな・・・
ほんと人間的な魅力がないやつだね。小便。
377 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:19:21
小便小僧ってさ、
マジキャラのときは、マジすぎの長文をだらだら中身ないし
荒らしキャラでは、ユーモアもなく、中身ないし
ひとくくりで言うと、キョドってるやつ、ってことなんだよ。
キョドってるやつって、他者とうまくコミュニケーションできない、
対人恐怖傾向なんだよ。
だから、どちらにして、極端な独りよがりな反応しかできない。
378 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:20:33
小便小僧。言い過ぎた、ごめん。
性格はそうそう変えられないよな。
379 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:20:46
自分のことじゃねーのか?
380 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:21:21
ボクが「欲望とは無垢(むく)への欲望である。」という意味をもう一度説明しましょう。
まず、無垢とは、「まだ誰も到達してない場所」である。主体が、他者たちが欲望している
だろうというまなざしによって、開かれる場所である。他者たちが欲望しているだろうことによって、
そこに他者がまだ所有していない「場所」があるということである。そしてそれはあくまで主体が
まなざしがあるだろうことによって開かれる想像的な「場所」である。
無垢へ誰よりもはやく到達することによって、他者との差異としての「私」の意味が現れる。
この「無垢」へ到達してものの名が「この私」なのである。
すなわち欲望は、「この私」とは何ものであるかという承認を欲望するのである。
これはラカン的には、欲望は去勢という言語の獲得によって生まれることに繋がる。
ボクたちは象徴界への参入によって、言語を獲得することによって、そこには
本当の私から疎外された言語としての私となる。しかし疎外された私は、充実した私を
獲得することができない。故に、「この私」という承認を求め続けるのである。
そして欲望は満たされることがない、無への欲望である。
このような「無垢」という想像的なものへの欲望の根底には、充実した私を獲得しようと
する現実界の「力」が働いている。それが「無垢への欲動」である。
ボクたちは、生理的に差異としての「無垢」を求める。
たとえば1/fゆらぎとは、反復と差異の比率が、50:50であるときに人が安らぎを
感じるということを示している。ボクたちは、反復的な刺激のみでは、耐えられず、絶えず
差異を望む。
いわば、言語とはこのような「反復と差異」の現実界の先にある、反復の形である。
世界を反復としてとらえるための生理を補完するための道具である。
そして無垢とは、このような反復の世界へ進入する差異である。
381 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:22:54
>>377 なんか、いつものぴかぁと雰囲気が違うね。
・・・もしかして本気で自分の説が画期的だと思ってる人なのかな。
だとしたら怖いな。
382 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:23:03
ぴかあ〜も優しいんだね。
345みたいな例は他の人とは違うものを求めるから快楽なんじゃ無いの?
384 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:24:20
画期的なのか?
385 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:27:06
>>381 お、テンション下がった。結構、当たってるだろう。
386 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:28:40
ぴかぁ〜は正直論がループしてると思う。
387 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:31:07
画期的って何よ?
388 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:31:56
>>385 いや、人物分析のほうの話じゃなくて、ぴかぁのブログ書きこみ全てのこと。
俺は今までぴかぁはジョークでトンデモ理論書いてると思ってたからさ。
本気で書いてたとしたら、怖いくらいの多幸症なんだなこの人、って意味。
389 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:33:21
>>386 ラカンの三角系につかまっちゃったわけだね。
いま、脱出口を探索中。
390 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:36:54
>>388 もう一ひねりぐらいできないか。まだまだ腰が引けて、ベタなんだよな。
欲望させてくれるぐらいの無垢を見せてほしい。
そこが、キミがしろうとや、くろちゃん等々になれない理由だよね。
391 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:39:14
駄目だこりゃ。
392 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:42:54
結局のところ、キミは金魚の糞どまりなのかな。
キミのべたでからっぽなチャチャを、
放置してあげることが、ボクのやさしさか・・・
それ以上をのぞむボクが悪いんだね。
でも、たまにチャンスを上げたくなる・・・
そのやさしさが、罪なんだな。
ウケルでしょ。これぐらい書けよ。ほんと才能ないな。
393 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:45:11
からっぽなのはぴかぁ〜
屑が。
395 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:57:41
「なぜ人は知ったかしてまで知識人ごっこ、言論人ごっこをしたがるのか?」
ぴかぁ〜もしろうともくろしろも、糞コテ全般はこういう欲望に憑かれているわけだろう?
このテーマで議論したほうが面白くないか?
396 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 03:00:38
>>395 はぁ〜だから、マジで、ひねって。無垢が0で、欲望がわかない。
ってか、もういいだろう。
397 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 03:02:26
ローカルルール議論で満足しておくんだね。
>ウケルでしょ。これぐらい書けよ。ほんと才能ないな。
全然。
399 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 03:05:38
400 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 05:31:58
ぴかあよ悪かった、つーか理解した。
「独白」を続けてくれ。
402 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 21:07:47
403 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 21:20:41
ほう、これはたいした才能だ
404 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 22:22:38
メトロセクシャル!
405 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 22:26:31
ベタな「まなざしの快楽」?
406 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/06(月) 15:09:30
むくむく
407 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/06(月) 16:16:29
無垢が欠乏するとき、自己を喪失しかける
無垢を消化することそのものが、「生きることの意味」である。
408 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 10:02:32
ぴかーは時代に媚びてる時点で終わってると思うよ
つまんねーもん
409 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 10:59:19
いくら担ごうが革命は起こしませんよ。
410 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 11:07:15
お察しの通り、無垢とはドゥルーズのいう差異である。
すなわち、無垢とはラカンをドゥルーズ、死と生哲学の
接点であり、これらの大胆な結合にあるのだ。
時代についていこうとしてる時点で終わってる
そんなやつはほとんど寒いことしか言わん
413 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 16:26:28
いくら担ごうが革命は起こしませんよ。
414 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 17:24:05
とりあえず、誰も書き込むな
放置プレーじゃ
はぁ?自分で言ってることもわかってないんだな
416 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 19:42:31
いくら担ごうが革命は起こしませんよ。
417 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 20:15:21
:ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU
宮台読むなら馬場靖雄『ルーマンの社会理論』読んだ?
絶対読んだ方がいいぞ。
418 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 20:29:47
実は読んでます。かつてブログでもとりあげましたが、
馬場先生のホームページの脱構築に関する論文は良いです
しかしルーマンはいまひとつ難しいですね
419 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 20:41:26
って、最近本読みすぎかも。
そのために自分の頭使うのが疎かかも
420 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 20:42:36
って、最近本読みすぎかも。
そのために自分の頭使うのが疎かかも
無垢への欲望が過多だ
421 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 21:17:13
たとえば哲学そのものの根底にある様式として
人間/動物の断絶がある
現代の科学がこの様式に解体していこうがかわらない
なぜならこれは思考様式であり、たとえば武道の型と同じである
そこで犠牲にされるのが有用性であり、社会的な信用性である
しかし剣道から型をとるとなにが残るのか
サッカーからフットポールが生まれたように
ボールを持てば良いのではない。
異なるものとして立ち合らわれるためには、限りなく持たなければならない
パラダイムシフトとはあくまで事後的に語られる神話でしかない
422 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 08:57:20
小便小僧いる?
423 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 12:45:25
カオスの辺縁が分けるもの
象徴界と現実界、内在と超越、内部と外部
425 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 19:51:44
どこが!?といってみたところで、ただの煽りだから返事はない・・・
426 :
考える名無しさん:2005/06/08(水) 20:43:52
正直難しいな。
前みたいに例を出してほしいな。
427 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 20:46:27
そうですね。最近、法則化しようと焦りすぎていますね。
日常の出来事の描写から立ち上げないとですね。
未知への欲望、フロンティアが対象a、享楽だとすると
既知への欲望、ホーム、つまりノスタルジーはラカン的には何?単なる欲求?
429 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:27:05
>>428 なぜ無垢(未知)を欲望するのか。
無垢を秩序(既知)へと変えるためです。
これが対象aです。
無垢への欲望と秩序への欲望は裏表なのです。
ぴかあさん
ワールドカップ出場決定に際してコメントをひとつ
431 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:30:38
ボクは「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」と言いました。
すなわち「デリダも必ず恋をする」のです。すなわち脱構築し続けることの不可能性です。
それは、「ボクは誰でもない唯一のこのボクだ。」という承認です。
それに対して、「単独性から偶有性へのリバース(反転)」が起こります。
「デリダも必ず恋をするが、恋は必ずいつか冷めるのです。」
捏造された神性が、暴露されるのです。
完全なる「ボクはこのボクだ。」という承認は、終わり(死)です。
だからリバース(反転)するのです。
リバース(反転)によって、新たな偶有性(無垢)を呼び込むのです。
そしてまた、恋をするのです。
このような運動が、主体を維持し、社会を維持しているのです。
432 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:35:35
>>430 (●´ー`●)゜〜゜ノ|`.∀´)〜^◇^)´Д`)^▽^)0^〜^)‘д‘)´D`)━━!!!!!
433 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:41:54
>>431 これが無垢(カオス)と秩序の境界
すなわち「カオスの辺縁」、対象aです。
434 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:50:34
すなわち、ラカンの「手紙は必ず届く」と
デリダの郵便的、「手紙は必ず届くとは限らない。」は、
カオスの辺縁の裏表なのです。
435 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 22:04:23
柄谷にいう「他者」とは「ものそのもの」であり、
「(本当の)無垢」です。
柄谷は「他者」へ開かれることに「倫理」を見いだします。
これはデリダと同じ、境地です。「脱構築が正義である。」
すなわち決して到達しない他者の声を聞き続ける。
これはボクが「カオスの辺縁は主体である。」というとき、
ラカンの「己の欲望に譲歩するな」へも繋がります。
単独性と偶有性のサイクルを回し続けることである。
436 :
428:2005/06/08(水) 23:04:49
なるほど。
ラカン的にノスタルジーを説明すると
超越し続けることに耐えられない、ゆえに内在する
って感じか。
フロンティアの欲望の順序を逆に辿ることで説明できるわけですね。
そうするとノスタルジーにおける主体を揺るがすような強度も説明できますね。
単独性の安心感を味わっているつもりでも、
そこには偶有性、届かない手紙が顔を覗かせている。
それは捏造された神性としてまたリバースする。内も外もないわけか。
ラカン強っ
437 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:00:08
>>436 そういうことです。ラカン最強なわけです。
ここには、ある意味、デリダの差延も、郵便的も、
ドルゥーズの差異と反復も含まれています。
さらにいえば、ニーチェの「力への意志」も含まれている。
ラカン最強なわけです。
それにしても、ここまで簡潔に理解できたのは、キミが始めてかも・・誰?
438 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:18:20
ぴかぁ〜はほめ殺し戦略にすぐ騙されるんだから
439 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:19:58
この転倒/反転は、エントロピーの減少、増加にも対応する。
たとえば、時間とはエントロピーの増加という不可逆性である。
これは、たえず「(本物の)無垢」が進入していることをい召している。
ボクたちはこの「(本物の)無垢」を反復へと回収する。すなわち象徴界へと回収する。
秩序立てる。エントロピーを減少しようとする。
ここに反復(秩序)と差異(無垢)のサイクルが生まれる。
それが時間の経過である。
440 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:22:52
>>438 別に褒めてないと思うが。
まあ、438は柄谷ファンだな。
ボクの論理は柄谷ファンにはすんなり入る。
441 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:27:12
柄谷、浅田あたりはぴかぁの理論は全否定だと思うけど。
彼らはぴかぁ理論が最終根拠にしてるニューサイエンス的な生の哲学を嫌悪してるからね。
442 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:34:01
>>441 柄谷はそうだけど、浅田の「構造と力」のなかなか生だよ。
もはや芸術だよ。
しかしラカンの「現実界」でも、柄谷の「他者」でも良いが、
科学とのスレスレまで来ている。
現にジジェクや、斉藤環、(東は微妙)はアクロバティックに越えてる。
たとえば、柄谷の「他者」は「コミュニケーション可能な他者」というときに、
もはや科学でしょう。赤ちゃんは?猿は?犬は?
そこから倫理につなげる柄谷がボク的には、強引だよ。
443 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:43:08
>>442 誤字をなくしてもうちょっと正確に書いてくれよ。
ラカンの「現実界」や柄谷の「他者」概念が科学すれすれ?
柄谷の「他者」は「コミュニケーション「不」可能な他者」だろ?
関係の絶対的外在性(内面化不可能性)から倫理へ、というほうが
正当で、そこから科学へ、って・・・意味がわからん
444 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:46:10
それは流し目の意味が分からないと理解できない。
どうせ読まずに適当言ってるんだからw
446 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:01:37
>>443 たとえば、柄谷の「教える−学ぶ」を考えるとわかるが、外人、子供などといっているよね。
それは、関係の絶対的外在性(共同体外)ということだけど、そこには、教えることができる、
学ぶことができるという、最低限の「コミュニケーション可能性」が担保されているわけ。
だから、石でも、犬でもなく、「他者」なんだよ。
だからこの「コミュニケーション可能性」に倫理を見いだすのは、「コミュニケーション可能性」が
あるものは、共同体外でも「他者」とするということでしょう。
柄谷も「他者」に犬は含まれるのか?猫は含まれるのか?
最近のプラグマティズムでは含まれるという極論もあるらしいけど。
ではこの最低限の「コミュニケーション可能性」とはなんだろう。
ボクたちが、とりあえず「話しかけてみよう」と思う境界はなんだろうか。
最近はシャレでバウリンガルとかあるが、単に言語が違うだけで、
懸命に話しかければ、教えて、学べば、翻訳すれば、コミュニケーションできるということは、
どう種族であるということ。すなわち、進化論的境界に向かうんだね。
447 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:02:12
実は、これはデリタの「他者」にもいえるのだが。
448 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:09:29
この視点は実はベイトソンのコミュニケーション理論の「ゼロ学習」なんだね。
コミュニケーション可能性とは、生態学の要請する同一種の
コード/デコードの機能の同一性、とうこと。
そしてラカンが、「性関係は存在しない」といって
コミュニケーションのレベル。すなわち現実界のレベル。
だから、「柄谷の「他者」は存在しない」わけだね。
449 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:16:16
だって人は、内在として犬と、人間以上のコミュニケーションを
することができるんだよ。特にさびしんおばちゃんとかさ。
子供なら、人形とね。「柄谷も必ず恋をする。」
そんな中で、この現実界に近接、柄谷の「他者」に近づく方法が、
「現実界の知」=科学的表現なんだよ。
450 :
428:2005/06/09(木) 01:16:55
美大生。
ただそれだけ切れ味が良いとラカニアンは逆に生き生きしたものに出会いにくい気が…
ベタにメタをやってもメタという時点で反復というバイアスがかかっていって
アウラという幻想も確実に消尽しているわけで
蓮実の「ジジェクは同じことしか言わない」とはそのへんのことを言っているわけですよね。
東は動物の存在を知ったがために二度と動物にはなれないわけですから
デリダ的なものまでラカン的に処理されてしまうとするならば、
アルトー、バルト的な主体消失の制度は働かないわけですよね。
ラカニアンにイリヤの夜は不可能なわけですよね。
それは単に「存在しないもの」として主体側から処理されてしまう。
そうなってくると疑問なのがラカニアンは生き生きしたものに出会えるのかどうかということ。
あくまでも形而上のラカニアンは、てことです。
形而下のラカニアンは出会いまくりでしょうから。
性関係は存在しないとかではなく
強度の次元においてラカニアンの主体は維持できるのかどうかという問題です
451 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:22:36
>>446 >それは、関係の絶対的外在性(共同体外)ということだけど、そこには、教えることができる、
>学ぶことができるという、最低限の「コミュニケーション可能性」が担保されているわけ。
違うだろw。対話(交換)以前には最低限の「コミュニケーション可能性」すら担保されないんだよ。
それを事後的に見ると最低限の担保の根拠を任意のものに負わせることが可能であるかのように
見なすことも出来るが、それは捏造であると。これはラカン、デリダ、柄谷、浅田、ジジェク、東
あたりに共通した考え。だからかつて東は柄谷の「探求T」を評価したが、それ以後の「U」「V」
には不満で「存在論的、郵便的」を書いたわけでしょう。
>懸命に話しかければ、教えて、学べば、翻訳すれば
これら事後的にのみ説明可能な主体側の内的根拠からの他者の説明を退け、東は
絶対外在的な郵便空間からの他者の説明を試みると。
452 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:32:42
>>450 うひょうー!!!するどすぎる!やっぱりただ者ではなかった。
だからボクは最近ずっと「生き生きしたもの」と
ノイローゼ的?に言い続けているわけです。
そして周りの人には苦悩がまったく伝わらない。
ラカンから脱出を試みて、「まなざしの快楽」から「あぼーんする快楽」
(すなわち象徴界から現実界への逃避)と言ってみているわけですが、
実は、ラカンの強力さから抜けられなく成っているわけです。
これは、実はジジェクだけでなく、東の動物化、
(ラカニアンの斉藤環との対談でその苦悩がわかるし、人間から動物化への断絶に固執するところなど)
あるいはデリダやドゥルーズさえも同じではないかと思います。
現代思想時代が、ラカンから抜けられなくなっているのかもしれません。
簡単には、認知科学や、あるいは芸術的な没入でも良いのですが、
向かえばいいのだけど、ラカンの呪縛からは抜かられず、もがいています。
マルクスに逃避(ラカンが綺麗に当てはまるから)してみたり。
ルーマン当たりに出口はあるのか・・・?
453 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:34:33
■ もう1:30過ぎてるよ〜 ニートと無職は起きてて可。
454 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:41:50
コミュニケーションは共通のコード体系があって成り立つのだろうけど
犬や猫と人間も共通するコードがあるだろうし、植物に対しても感じ取れる
人もいるのかもしれない。
455 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:49:17
>>451 いや、違うよ。東の郵便とか、事後的とかいらない、先に転倒/リバース(反転)で
説明したけど、結局、ラカン、デリダ、柄谷、浅田、ジジェク、東 、まとめてラカン派なんだよ。
ラカンではこれは「性関係は存在しない」ということで無いものになっているんだよ。
たとえば斉藤環が、ラカンにこのコミュニケーション可能性が抜けており、
ベイトソンは綺麗に補完関係にあると言っている、強引なカップリングを試みている。
サイバネティクス系ベイトソンのコミュニケーション理論の「ゼロ学習」は、
生態学の同一種のコード/デコードの機能の同一性の、抜けぐわいを、
じっくり考えると、とてもおもしろい。
456 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:55:09
>>454 ポストモダンでは、ここは踏み込めない。
なぜなら、人と人のコミュニケーションで「すれ違い」でしかないから、
逆説的に、犬や猫と植物さえ(ラカンは月とのコミュニケーションを語るが)
同じようにコミュニケーションできる。
だから、コミュニケーション可能性を語るには、精神分析、論理学、生物学とクロスオーバーした
知の巨人ベイトソンなんだよ。
457 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:55:20
花が美しかったり、果物がおいしいのもコミュニケーションと考えられ
なくもない。
458 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:59:20
459 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 02:10:34
>>458 東は「絶対外在的な」などいってない。
否定神学的な大きな一つの「穴」でなく、複数の「穴」を開けましょということ。
絶対外在など無理。
ポスモダでは、ベイトソン的「コミュニケーション可能性」は「存在しない」のだから。
眠い・・・じっくり考えればわかると思う。後は自分で。
460 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 02:13:36
>>459 またそうやって逃げるんだから・・・頭のいいふりをしても頭よくなんないよ
461 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 02:20:14
ほほう。ぴかぁ〜粘着厨も付いたのかね。レスが延びざかりだな
462 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 02:43:34
完結する哲学は原理的にダメなんだよ。
463 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 05:26:26
馬場のルーマン本の註で樫村愛子にケチつけてるにちゃんと読んだ?
つーか馬場本ちゃんと読めてるのか。
いま酒井泰斗のブログでルーマンとデリダの比較やっとるぞ。
464 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 08:43:54
そこまで読み込んでないので
ルーマンのコミュニケーションは愛子先生の「ラカン派社会学」でカツンやられてますが、読んだ?
465 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 09:38:38
昨日の晩はいきなり確信にはいりました。
なぜボクがむくむくとにつまっているのかを見事に指摘きされました。
ボクはラカンからその先の本物の無垢、本物の生き生きしたものへの道を試行錯誤したのに、無垢とはすべて幻想の無垢だと、送り返されているのです
そして柄谷の「他者」とはまさに本当の無垢なのですね。柄谷のいう超越、すなわち現実界への通路(交通)なわけです
しかしここで必ずボクと同じ内在への送り返しが起こります
柄谷は規則外の他者といいますが、理念的にはわかるが、完全なる無垢などどこに存在するのか
ますそれが「他者」として認識された時点ですでに内在なのです。
たとえばジジェクは隣人は現実界であるといいます。この意味は柄谷風にいえば、隣の他者は内在であると同時に超越なのです
どのような他者とのコミュニケーションにおいても「命懸けの飛躍」は存在し、「教える‐学ぶ」の関係は含まれている。ヴィトの意味も「教える‐学ぶ」に特別な他者を語っていません。
これはボクが言う主体の転倒/反転構造です。すなわち内在と超越は裏表であるということです。 そして柄谷の「他者」は反転してようで実は転倒に転じている、すなわち否定神学的として担保されているのではないか、ということです。
466 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 10:06:49
さらに柄谷の超越の他者が完全な規則外なら、
なににむかってコミュニケーションは行われ、「命懸けの飛躍」は行われるのでしょうか
ジャングルで遭難し、「助けてー」と叫ぶとき、それは木でも、猿でもなく、最低限のコミュニケーション可能な人間=同類種に向かって叫ばれるのです
だからフロイトは猿を精神分析しょうなどと思わないのです
だから柄谷の超越の「他者」は存在しないであり、「性関係は存在しない」のです
ボクはこれをデリダ批判から思い付き、ラカニアン斎藤環が「文脈病」でベイトソンの「ゼロ学習」として展開しているのを知りました。
柄谷だけでなく最強ラカンにさえ使える、
反転を突き抜ける可能性の一つです。しかしいまの哲学には「存在しない」のですが
さらには斎藤はベイトソンのサイバネティクスの先にオートポエティクスを見ています
ここでルーマンと近接してきます。ボクはまだ勉強不足ですが
467 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 10:22:08
ついでにいえば、東の動物化も、反転の突き抜けです
すなわち柄谷の「他者」と同じの道です
これは斎藤環の「乖離のポップスキル」の中の斎藤×東の対談がおもしろすぎます
反転をつきぬけという東と反転が転倒に転じてるだけという議論ですが
結局ラカン脱出の同士でもある、この微妙加減が良い
個人的には東のベスト発言ではないかと思っています
468 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 11:17:13
柄谷への違和感は、内在と超越をコミュニティレベルで語りたがることですね。マルクスから来てるのでしょうが
宮台も近いところがある。たとえば同じ意味で宮台も「世界」と「社会」といいます。
ポストモダンという反転する世界、すなわち「社会のそこがぬけている」中で
人々は超越に、動物化してまったり生きられないから
反動で急激な転倒が起こっている。それが新興宗教への没入なとである
またたとえばリストカットも極端な転倒なんですね
超越、動物化すると主体は拡散する。すると「死」も拡散する。
超越には生命機能停止はあっても、「死」は内在にしかないのですね。
すなわちリストカットは内在への転倒する極端な行為なんですね 宮台の右翼とは、このような無理な転倒をやめて、正しい転倒の仕方としてあるんですね
ここに転倒、反転をコミュニティレベルで考える傾向が見えますね
別に全員で花見をしなくてもみんな日常でマイブームとして小さな祭りをしているということです
ぴか君昔からいるけどずっと書き続けれるなんて、嫌味でなく凄いね
「動物」の概念は忘却できるよ。
でもそんなこというと宗教になっちゃうんだけどね。
クソコテとはぴかぁ〜のことだ。
472 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 09:38:03
転倒・・・「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」
外部から内部へ(超越から内在へ)、形而上学、「デリダも必ず恋をする」
反転・・・「単独性から偶有性へのリバース(反転)
内部から外部へ(内在から超越へ)
ポストモダン、「デリダも必ず恋をするが、恋は必ずいつか冷めるのです。」
カオスの辺縁・・・外部と内部の境界、転倒、反転の往復運動の起点
自己組織化が起こる位置、生命が発生する位置、主体そのものの位置
473 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 10:16:21
単独性から偶有性の反転では神性は解体される
474 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 11:24:09
たとえば解体的であることが必ずしも反転ではないことは
東がゲーテル的脱構築を否定神学と呼んだことでわかる
否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に転じていることである
さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる
これは主体であるための「宿命」である
それはデリダ的脱構築であろうが、柄谷の「他者」でも同じである
ボクたちは限りなく「神話なき神話」の世界にすんでいるのであり
ラカンの象徴界、、マルクスの物神性の世界と呼ぼうが
この「ラカンの呪縛」からは逃れられない
475 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 12:49:34
>>474 >東がゲーテル的脱構築を否定神学と呼んだことでわかる
>否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に転じていることである
>さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる
>これは主体であるための「宿命」である
ってなに?詳しく教えてよ
ゲーデルは脱構築したんじゃなくて単に数学を基礎とした公理系の中での無矛盾性を説いただけでしょ
どうしてそれが主体の「運命」で、反転だの転倒になってしまうわけ?
それと君の言ってるのは第一定理と第二定理のどっちなの?そこを具体的に書いてよ。
>>474 >東がゲーテル的脱構築を否定神学と呼んだことでわかる
>否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に転じていることである
>さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる
>これは主体であるための「宿命」である
>それはデリダ的脱構築であろうが、柄谷の「他者」でも同じである
これってゲーテル的脱構築=否定神学=主体であるための「宿命」=デリダ的脱構築=柄谷の「他者」
って全部つないじゃってるけど、少なくともゲーデル的脱構築とデリダ的脱構築は全く異なるものだよね
これが同じであるという理由をゲーテル・デリダの著作を具体的に挙げて説明してよ
で、可能ならどうしてこれらが簡単に全部つながるのか具体的に説明してよ
477 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 17:13:14
475、456はチョコ坊だな
478 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 18:03:47
それらに共通するものはなにか?「内部から外部へ」すなわちボクが言う「反転」です。
そして「反転」を維持することも、突き抜けることもできない。
「反転」は必ず「転倒」する
なぜなら「手紙はかならず宛先に届く」からです
だから一つの否定神だろうが、多数化しようが「転倒」してしまうことには代わりがないのです
479 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 18:41:58
これを欲望で考えると、
欲望とは「転倒」です。偶有的な人を恋人と、偶有的なカバンを高価なカバンへ転倒することが欲望です
デリダが「反転」を試みるとき、プラトンのテクストを脱構築するとき
あるいはサインの綴りをあえて間違うとき、そこにはなんらかの欲望が忍び込むのです
柄谷はデリダが脱構築を行うときの元のテキストの読みはデリダの読みでしないと言いました。すなわち脱構築が「成功」するための読みであるということです
純粋な「反転」を行うことなどできないのです。
人は「物そのもの」=「超越」=「現実界」へ到達することはできないのです
480 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 18:54:58
わかってるから其の次は。
481 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 20:15:06
482 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 20:20:47
次?
それは無垢とはなにか?であり、なぜ無垢なのかである。
ボクが転倒/反転というとき、ボクはどこにいるのか。
ボクもまたこのシステムから免れない。
このとき柄谷が他者を外部というように、ボク自身が外部となるのである。
ボクは現実界である。すなわち欲動であり、無垢である。
ここでオートポエティック転回を試みれば、欲動によるカオスの辺縁には内部も外部もなく、さらに入力も出力もなくなりのだ!
483 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 20:22:13
超テキトーな回答
484 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 20:40:23
ここで再びベイトソンの位置に辿り着き、ベイトソンが後継者と呼んだマトゥラーヤ?につながったけだ
485 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 20:43:58
何かちぐはぐ
486 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 20:51:43
逃げ口上やご託はいいから、早く<<475<<476に回答しろ!
487 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:04:45
カミナリワロスw
488 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:15:08
モトゥカリア>>>マトゥラーヤ
489 :
428:2005/06/10(金) 21:16:38
>カオスの辺縁・・・外部と内部の境界、転倒、反転の往復運動の起点
> 自己組織化が起こる位置、生命が発生する位置、主体そのものの位置
ラカニアンにとって主体の統覚は空間的には必ず内部にあるのでは?
現実界には身を置けないからこそ表象としての現実界、対象a(辺縁)が可能になり、
「真理という症状」の産出が可能になるわけで…
この詐術を維持しておかないとただイマージュに癒されてしまうのでは?
490 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:30:59
ラカンの詐術平面で論理をこねくり回しても同一平面上に留まるのでは?
491 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:31:00
果たしてぴかぁ〜は答えられるのか?
492 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:31:43
コピペ最中だろ
493 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:35:48
いいよ、そんな難しい話は面白くない。
なんというかぴかぁ〜には悪いけど所詮サブカルの話なんだよな?
だったらもっと具体的な話をしてくれ。
おい、スレ主(>>1)逃げんな答えろ。
495 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:54:14
>>493 サブカル板でやればいいだけのことを無理に哲学板でやろうとするから、
ぴかぁ〜は知ったかせざるおえなくなり、マジレスに追いつめられ遁走する
というのがいつものパターン
496 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 22:31:47
同一平面上らしい
497 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 22:59:15
>>489 美大生さん、いらっしゃい。
言いたいことは、境界ではなく、内部ではないか、ということですか?
あいかわらず、鋭いご指摘ですね。
ラカニアンにとって主体の統覚は必ず内部にあります。
すると、性格には境界の内部側ということですかね。
複雑系の科学者カウフマンは、自己組織化が発生する場所として、
秩序相とカオス相の境界において、秩序維持と情報創発という両義的な条件が
両立する中間付近のきわどい領域を「カオスの辺縁」と呼びました。
内部でも境界でなければ、「真理という症状」が「産出!」されないわけです。
498 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:00:42
ゴマカシ北
499 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:07:40
内部って何?脳?
>>497 おまえサイトから他人の文章勝手にパクルなよ。
>>497 つーか、
>複雑系の科学者カウフマンは、自己組織化が発生する場所として、
>秩序相とカオス相の境界において、秩序維持と情報創発という両義的な条件が
>両立する中間付近のきわどい領域を「カオスの辺縁」と呼びました。
↑これってググルとそのまま出てくるじゃんwww
「生命が存在し、かつ進化してゆくためには、秩序(形態)の維持と新情報(新形態)の創発という相反する2条件がともに必要であるが、
秩序相は形態の維持には好都合だが新情報の創造性には欠け、カオス相は情報の創造力に富むがともすれば秩序維持にはむかない、
というディレンマが生じるのだ。そこで生命秩序にとっては、
秩序維持と情報創発という2つの条件をともに満たす場として秩序相とカオス相との中間付近のきわどい領域が
自己組織性全般のなかでもとりわけ重要な意味を持つ。
この領域をカオス辺縁と呼ぶ。カウフマンによれば、
このカオスの辺縁こそ進化能が最大となる領域なのである。」(自己組織化とはなにか 吉田民人編著)
502 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 23:16:02
小便小僧、餅付けよ・・・
>>502 おまえ恥ずかしいからもう哲板くんなよ。
この恥さらし。
504 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 23:19:41
テンション高っ・・・
506 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:26:32
496 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 19:25:19
質問くんだけでは、身に付かない。
見よう見まねでも使わないと、ボクのように。
ラカンは、この世界を「想像界」、「象徴界」、「現実界」を
概念的に分けた。それらがどこかにあるとかではない。
想像界はイメージ、対面的な世界
象徴界は、言語世界。人は言語によって世界を認識するということ。
現実界は、人が認識できないものそのものの世界。
たとえば、ボクとくろちゃんが会話しているときには、
想像界(イマジネール)というパラノ関係にありながら、
言語規則によって慣例的に話し、くろちゃんという他我は現実界にあり、
ボクには到達できない。会話は必ずすれ違う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
学術用語は見よう見まねで使ったほうが身に付くもんなんだってさw
508 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 23:32:53
>>506 >ゲーデルは脱構築したんじゃなくて単に数学を基礎とした公理系の中での無矛盾性を説いただけでしょ
爆萎え・・・
509 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:34:37
それで爆萎えするのはポストモダン厨の証拠。
511 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:36:40
>>508 知らんくせに他人の文章を盗用するから意味がわからんのだろ。
512 :
428:2005/06/10(金) 23:42:27
マジレスすると…
>内部でも境界でなければ、「真理という症状」が「産出!」されないわけです。
…ええ、境界ってのは分かりますよ。
ただ同じ境界でも統覚を外部に置くと理性ではなく悟性の領域で語られてしまうことになるので
外部か内部かを確認することはラカンを論じるなら絶対に必要な作業でしょう?
「入力も出力もない」をいきなり接合してしまったのかと感じたわけだが
内部ってことはまだ癒されていないわけだ。
513 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:54:00
514 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 23:58:28
>>512 ん〜いまひとつわからないですね。
統覚を外部に置くというのは、どこから出てくるのでしょうか。
統覚は内部にしかないですよね。
「入力も出力もない」は、ひとまず置いてください。
これはアクロバティックすぎました。
オートポエティック転回は、まだまだつなぎが必要ですね。
515 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 00:06:05
ラカンには外部がない、ということではない。ことは、わかってください。
だから現実界なのですね。
ラカンが「性関係は存在しない」というときの「存在しない」は、
ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」というような意味です。
だから、ラカンには、現実界として欲動であり、享楽を語ります。
516 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 00:11:04
内部、外部って何だよ?
517 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 00:16:28
統覚で、話を続けると、たとえば視覚において、そこからの光学情報と、
人の内的に作られる色(統覚)には、相関関係がありません。
さらには、光学情報よりも言語との相関関係が高いのです。
すなわち統覚は内部にしかない、ということであり、ラカン的な世界であるということです。
ここからオートポイエーシスは、思考されました。
オートポイエーシスの特徴は、「入力も出力もなく」、
作動そのものが、情報を自己産出(オートポイエイシス)するということです。
518 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 00:18:32
くだらね
519 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 00:22:10
外部というのは半分、投射なのだからね。
520 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 00:22:35
そこからの光学情報と、
↓
外からの光学情報と、
521 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 00:24:21
ぴかぁ〜の知識人ごっこは続く
522 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 00:31:48
「色」は内部じゃなくモノの表面にあるのですよ。
523 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 00:38:46
>>512 >「入力も出力もない」をいきなり接合してしまったのかと感じたわけだが
>内部ってことはまだ癒されていないわけだ。
くだらないことですが、これはなんって読むの?
「癒されていない」=いやされていない???
524 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 00:41:38
漢字読めないのか?
525 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 00:42:17
>>512 統覚が外部であるとは、以下の僕の発言からきたのですかね。
>ここでオートポエティック転回を試みれば、欲動によるカオスの辺縁には内部も外部もなく、さらに入力も出力もなくなりのだ!
これは、アクロバティック過ぎました。ラカンからの脱出の可能性としての発言です。
ラカンには、統覚は内部にしかありません。
526 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 00:44:44
そんなに簡単に脱出できるわけないだろ。
527 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 00:46:59
>>525 出典あるいは盗用先を示してから書け。お前の独我論じゃ意味が無い。
529 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 04:14:21
>>495 > ぴかぁ〜は知ったかせざるおえなくなり、マジレスに追いつめられ遁走する
遁走しているかどうかは気にしてないんだけどもさ
サブカルをやるにはオタ知識が決定的に不足してるんじゃないか
と思うんだよ。
オタ知識って言ってみればフィールドワークの世界だからね。
530 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 04:20:37
フィールドワークkayo
531 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 04:28:16
クラフトワーク
532 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 04:28:45
パッチワーク
533 :
428:2005/06/11(土) 09:18:44
混乱させてすみません。
>>482 を読み、
オートポイエーシスを導入して現実界の知を語っているように感じたので
内部(ラカニアンの地平)から外部(現実界の知の地平)へ移行したのかの確認作業だったのですが
統覚の用法が間違ってました。
外部の場合は「統一」。
あるいは統覚の不使用しか手はないですね。
内部か外部か、ではなく統覚なのか統一(統覚の不使用)なのか、と聞くべきでした。
システム論的にいうと表象のカテゴライズ機能。
あるいはベルクソニアンの地平です。
>>513 両方とも内部みたいです。
あと転移切断のための処置として428の使用はこれで最後にします。
534 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 10:40:58
>>533 外部は語れない。というのはラカン以前の懐疑論の問題です。
柄谷は「探求」で、懸命に外部へと「他者」を語りますが、
語れない故の「暗闇への飛躍」です。
これとは別に科学は、懐疑論の躓きを括弧に入れて、思考し続けている。
それでもオートポエ−シス、あるいはシステム論のように、因果律が破れ、
結局、「意識とはなにか?」、「なぜ意識はなにかと執拗に問うのか」
というときには、懐疑論は回帰してきます。ラカン的には「現実界は回帰する」
ということでしょう。
だからポイントは、斉藤環のいうようにベイトソン、マトゥラーナ(オートポイエーシス)の
ラインにあるのかもしれません。
これは、ベルクソン−ドルゥーズの線にも近接しますが、僕はより科学に近接したいので、
複雑系、あるいはシステム論に興味があります。
>あと転移切断のための処置として428の使用はこれで最後にします。
残念ですね。でもこれらかもご指摘いただけるといりがたいです。
数少ないわかる人なので。
「世界の再魔術化」といえば、僕がまっさきに頭に思い浮か
べるのはモリス・バーマンであり、最近のトマス・ムーアで
す。バーマンはその著書『デカルトからベイトソンへ』のなか
で、確かこんなふうな趣旨を語っていました。17世紀に起
こった科学革命と世俗化の波は、実は世界にかかっていた
美しい魔法が解けてゆくプロセスであった。ウエーバーのい
う『脱呪術化』というのは、近代化ではあるけれど、世界と
人間との間のつながりを解消し、自然を対象化して操作しよ
うとするプロセスであった。しかし、再び、世界のなかに美しい
魔法をとりもどすことが必要だ。
主観−客観を分けて二元対立を近代的に完成させたのが
デカルトだとすれば、ベイトソンの哲学の中に生態としての、
生けるシステムとしての世界に魔法を取り戻すプロセスの
萌芽をみるのがバーマンの視点でした。これは、裏返された
進歩史観であり、ロマン主義的な近代化解釈であるとは思
います。
心理学者ムーアの著書Re−Enchantment of Everyday
Lifeも同じような視点から世界に魔法と魂を取り戻そうとする
試みです。もっとも、臨床心理家であるムーアのその手つきは、
もっとささやかなところで、もっと詩的なスタイルで動いていま
すが。
つまり、この社会システムがどんなに完璧なかたちで、
さまざまな逸脱してゆく要素をシステムの中に内在化させて
ゆくとしても内在化の過程が進行すればするほど、それは
〈社会システム〉と社会システムと循環をなす〈自然システム〉
との間に、和解不能なコンフリクトを生んでゆくだろう。コン
フリクトといった場合、一般には人間の社会関係のなかで、
言語をもつ人間が相互に取り交わすコミュニケーションの
過程でのコンフリクトを社会理論のなかで考えてきたわけ
ですが、我々はもうすでにそうしたレヴェルを超えた次元に
突入しています。というのも、我々は、言語を持たない自然
生命体のシステムについては、実はほとんど何も解明されて
いないといっていいくらいのレヴェルにとどまっている。現代
自然科学は、個体として取り出された鉱物や細菌、あるいは
個体としての身体のメカニズムについては大変なところまで
解明の手を届かせてきました。しかし、生命系としての自然
システム全体については「暗黒のなかに置かれている」と
いっていい状態にとどまっていると思います。
ここでいわれている感覚こそ、〈畏怖の宗教〉として取り出さ
れた神道の感覚ではないでしょうか。やみくもに生命や自然
を神秘化するのはどうかとは思いますが、これまでの還元
主義的、操作主義的な方法とは異なる、つつましやかな科学
の感覚が出現しているのではないか、そんな気がしています。
その意味での「世界の再魔術化」、あるいは〈魂〉〈霊〉の
回復を考えてゆかねばならない、そんな気がしています。
537 :
死:2005/06/11(土) 15:18:34
生命や自然を神秘化するのはマーケティングの常套手段。
>>537 語っているレベルが卑俗すぎる。
できれば哲学レベルで批評たのむ。
「魂」や「霊」などといくら語ってもメディア消費されるだけ。
語り得ないものについては積極的に取り組むべき。しかし慎重に。
541 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 18:59:28
とんでもオカルトはじゆん
542 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 21:04:47
ぴかぁ〜のラカンやベイトソンってのは、
齋藤環の『文脈病』からのまんま盗用だから。
パクリ厨房氏ね。
543 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 23:02:33
>>535-536 ボクは現代を「神話なき神話の時代」と呼びました。それは社会学で言われるところの
「再魔術化」と近いとも言えます。
しかしボクが、その構造として、「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」
というとき、社会学的な意味よりもさらに根元的な意味だと思います。
そこには、「脱魔術化」も、「再魔術化」もありません。
「人間」は魔術から逃れることができない、ということです。
「人間」は、「世界との間のつながりを解消し、自然(現実界)を対象化し操作しようとする」
ものであるということです。それがラカンのいう「本源的な欲動のアナーキー」であり、
まさに神話的でありますが、浅田の「構造と力」に書かれています。
だから、「世界に魔法と魂を取り戻そうとする試み」そのものも神話です。
それは、まさに現代はやりの「環境問題」にも現れます。
環境問題の神話は、「地球を救う」であり、「人の独りよがりな行為を反省し、
地球との関係を取り戻そう」です。
ここで隠されていることは、環境問題とは、どこまでいっても、人間が今後も
生き延びるための利己的な行為であるということです。
自然、あるいは人間以外の生命は、「生命系としての自然システム全体について」
なにも人間に理解してもらおうなどと思っていません。
地球環境にもっともやさしいのは、人間が滅びることなのです。
だからといって、環境問題に意味がないということではなく、ロマン主義的な
自然回帰が隠蔽する、「ボクたちは今後も生き延びたい、だから環境を知り、
より上手く環境を使いたい」ということ、どこまでもボクたち自身の問題なのであると
いうことをを理解し、取り組むべきです。
544 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 23:08:20
>>537 >生命や自然を神秘化するのはマーケティングの常套手段。
神性の構造の実用は、メディアです。
それは、マスメディアのコマーシャル、マーケティングから、
個人的な印象操作であったり、政治的なプロパガンダであったりと
幅広いですが。大変興味深い分野です。
科学の発達は全ての対象化の進展でしたが、類的には自己への還帰に
達しておらず歴史の終わりなどはデタラメだったということですね。
546 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/12(日) 00:22:56
話の流れ的には、この場合の「歴史の終わり」は、コジェーブ的な意味、
「動物化」ということでしょうか。
その意味では、「歴史の終わり」は神話であり、
「歴史」そのものも神話である、といえるのではないでしょうか。
最近では、東の「動物化」でありますが、これについては、ボクは
色々語ってきました。
たとえば「動物的な私」(動物化によって人間を存続させる)。
データベースへというのも対象化の進展ですね。
少なくともこの論理においては、何人も私を殺す
(=私に死を与える)ことも私の命を救う(=私から死を取り上げる)
こともできない、と言えるからである。
たとえ人がこの意味で私に死を与え、それが詰まるところ私を
殺すことになるのだとしても、この死は常に私の死であったこと
になるだろうし、私はそれを誰から受け取ったわけでもないこと
になるだろう。というのもこの死は断固として私の死であり、
死ぬことは決して、運び去られたり、貸借されたり、転移されたり、
委ねたり、保証したり、譲渡したりはしないからである。
549 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/12(日) 10:26:43
>>547 東の「データーベース」だと思いますが、それ自体はなかなか
理解しがたい概念だと思います。
550 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 10:28:25
自演がはじまったぞ
551 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/12(日) 10:32:33
552 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 18:53:46
コピレスにレス付いた プ
553 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/12(日) 19:37:45
こら小便!いたずらしない!
554 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 19:38:41
ぴかぁ〜は大便だなw
555 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 19:39:49
ひかぁ〜は禿だよw
556 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 19:40:34
ぴかぁ〜アブラぎってるよ
コピペっつてもハイデガー。
558 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 21:44:33
ビッパーの哲学ワロス
559 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/12(日) 21:46:33
「ワロス」とかいうな!
560 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 21:51:47
テラはずかしス
561 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 21:55:48
他板に溢れだす剰余なビッパーをどうすればあぼ〜んできますか? byラウンジャー
562 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 21:57:50
最近の他板にビッパーのふりをして突撃かけるラウンコの行動に規範はありますか?byビップ
563 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/12(日) 23:54:36
ん?
564 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 23:57:02
生き生き
565 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 00:01:15
■転倒・・・「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」
外部から内部へ(超越から内在へ)、
形而上学、「デリダも必ず恋をする」
■反転・・・「単独性から偶有性の反転では神性は解体される」
内部から外部へ(内在から超越へ)
ポストモダン、「デリダの恋も必ずいつか冷めるのです。」
■カオスの辺縁・・・外部と内部の境界、転倒、反転の往復運動の起点
自己組織化が起こる位置、生命が発生する位置、主体そのものの位置
たとえば解体的であることが必ずしも反転ではないことは、東がゲーテル的脱構築を
否定神学と呼んだことでわかる。否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に
転じていることである。さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる。
これは主体であるための「宿命」である。それはデリダ的脱構築であろうが、
柄谷の「他者」でも同じである。ボクたちは限りなく「神話なき神話」の世界に
すんでいるのであり、ラカンの象徴界、、マルクスの物神性の世界と呼ぼうが、
この「ラカンの呪縛」からは逃れられない
566 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 00:04:25
>ラカンの象徴界、、マルクスの物神性の世界と呼ぼうが、
>この「ラカンの呪縛」からは逃れられない
素晴らしいです。ぴかぁ〜さん。
ラカンは象徴界の無垢をマルクスの物神性の同意義項として
取り出したのですね。
567 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 00:08:22
ラカン的テーゼはマルクスの剰余価値論、価値形態論と並び、
現実界としての記号的フォルマリスムとしての接点を結ぶのです。
ぴかぁ〜さんの論では、このフォルマリスムとしての結び目は、
メビウス・リングのような環状的ループを疾走し、シニフィアンの
連鎖によって、違う用語を使いつつ、同じ内容を延々と語り続ける訳です。
568 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 00:11:23
ワロックス
569 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 00:12:20
たとえば主体の転倒、反転では、ポストモダンの新たな可能性としての
超越接点が見られます。
■転倒・・・「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」
外部から内部へ(超越から内在へ)、
形而上学、「デリダも必ず恋をする」
他項の非対称的アプローチは、スペンサー・ブラウンと並んでサプライズな
働きを生み出します。この効果をテレヴィジョンによってラカンは表現したのです。
ぴかぁ〜さんの場合は、1つの用語を取り出せば後は他律的に他者がやってくれる
的な純日本人的な甘えの構造、この構造がこのスレッドの全ての原動力、すなわち
オルガナイザーなのです。
570 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 00:17:14
な、あほな!きみそれいいすぎやで!(笑
571 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 00:20:51
模倣は全ての人間の原点でありますが、
>>570の例の場合は模倣のみで
全て済まそうとしている検体の代表的サンプルです。
超越論的モナドでは、検体そのものからはけっして模倣であるとの
データは検出されないのです。それが現代思想の問題点であります。
572 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 00:26:55
「私、ぴかぁ〜、真実である私、ぴかぁ〜が語る」
573 :
純一:2005/06/13(月) 00:27:28
という訳で、まあ、一言でいいますと、
知ったかぶりすんな、ということでして…。
574 :
純一:2005/06/13(月) 00:29:48
575 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 00:30:40
こら!小便小僧!いっちょ前にコテなんかつけて!10年早いぞ!
576 :
純一:2005/06/13(月) 00:31:32
?
577 :
純一:2005/06/13(月) 00:32:51
578 :
純一:2005/06/13(月) 00:40:05
>>575 @車の免許とか取得済なんですか?
A大量の書籍代は一体どこから捻出しているんですか?
B彼女は本物なんですか?
579 :
純一:2005/06/13(月) 00:41:39
>>578は積年の疑問なんですが、
できれば1つくらい答えていただきたいです。
それをあえて訊かないのが大人ってもんさ
581 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 00:52:00
積年というほどの内容でもないと思う、というが何回も書いているが…
「私ぴかぁ〜、真実である私、ぴかぁ〜」がお答えしましょう
@いまは車はありません。
Aサラリーからです。そこそこもらっているので
B本物です。偽物は彼女と呼ばないでしょう。
というか2ちゃんでこのような質問をする意味がわかりませんが、
きみもわしの下について長いので、気持ちはわからなくもないが
582 :
純一:2005/06/13(月) 00:54:07
>>581 ありがとうございます。
@車ではなくて、免許の有無です。
Aエリートサラリーマンですか。
B本物ですか、失礼しました。
C下にはついていません。
583 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 00:54:58
>>579 では、礼儀なのでわしからも聞きましょう。
どうでもいいが、気が向いたら書いて見れば。
@荒らしはむなしくならないのか?
Aなぜいつも金曜日の晩に異常にテンションが高いのか?
B彼女はいないのでしょうね?
584 :
純一:2005/06/13(月) 00:57:39
>>583 お答えします。
@教育的効果を狙っています。他の名無しさんも了承済です。
Aたぶん、その日はアルコールが入っているからだと思います。
B残念ながら、今まで生きてきて1人もできたことがありません。
585 :
純一:2005/06/13(月) 00:59:06
586 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:01:37
587 :
純一:2005/06/13(月) 01:03:21
>>586 私もそう思います。お互い様というやつですね。
>>586 うん、ぴかぁ〜より気持ち悪いヤツ初めて見たな。
でもそいつかなり関係妄想気味みたいだから優しくしてやれよ、ぴかぁ。
589 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:05:15
>>587 お互い様の意味がわかりません。
ボクはキミとはいっさい関わりたくない。
キミのようなタイプは、気持ちが悪いし、大嫌いだから。
590 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:06:14
>>565 >複雑系の科学者カウフマンは、自己組織化が発生する場所として、
>秩序相とカオス相の境界において、秩序維持と情報創発という両義的な条件が
>両立する中間付近のきわどい領域を「カオスの辺縁」と呼びました。
↑これってググルとそのまま出てくるじゃんwww
「生命が存在し、かつ進化してゆくためには、秩序(形態)の維持と新情報(新形態)の創発という相反する2条件がともに必要であるが、
秩序相は形態の維持には好都合だが新情報の創造性には欠け、カオス相は情報の創造力に富むがともすれば秩序維持にはむかない、
というディレンマが生じるのだ。そこで生命秩序にとっては、
秩序維持と情報創発という2つの条件をともに満たす場として秩序相とカオス相との中間付近のきわどい領域が
自己組織性全般のなかでもとりわけ重要な意味を持つ。
この領域をカオス辺縁と呼ぶ。カウフマンによれば、
このカオスの辺縁こそ進化能が最大となる領域なのである。」(自己組織化とはなにか 吉田民人編著)
わざわざ
>>501でパクリし指摘されたから
>>497をちょっといじくったみたいだけど、
「きわどい領域を『カオスの辺縁』と呼ぶ」とか他人の表現がそのまんまやん。
他人のサイトや本の盗用、盗作、パクリ(・A・)イクナイ!!
592 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 01:08:18
テラ結び目ス
593 :
純一:2005/06/13(月) 01:09:06
>>589 >お互い様の意味がわかりません。
おたがい-さま ―たがひ― 0 【お互い様】
相手も自分も同様の関係・立場にあること。
「苦しいのは―だ」
じゆん系のやつみたいだけどじゆんとは別人みたいだよ。
ちょっと前にこのスレに長文連投があったの覚えてるか。
そいつだと思うな。
595 :
純一:2005/06/13(月) 01:10:28
596 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:10:36
小便小僧、半なき!!!(テラワロス
597 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:11:35
■転倒・・・「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」
外部から内部へ(超越から内在へ)、
形而上学、「デリダも必ず恋をする」
■反転・・・「単独性から偶有性の反転では神性は解体される」
内部から外部へ(内在から超越へ)
ポストモダン、「デリダの恋も必ずいつか冷めるのです。」
■カオスの辺縁・・・外部と内部の境界、転倒、反転の往復運動の起点
自己組織化が起こる位置、生命が発生する位置、主体そのものの位置
たとえば解体的であることが必ずしも反転ではないことは、東がゲーテル的脱構築を
否定神学と呼んだことでわかる。否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に
転じていることである。さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる。
これは主体であるための「宿命」である。それはデリダ的脱構築であろうが、
柄谷の「他者」でも同じである。ボクたちは限りなく「神話なき神話」の世界に
すんでいるのであり、ラカンの象徴界、、マルクスの物神性の世界と呼ぼうが、
この「ラカンの呪縛」からは逃れられない。
>>596 何で他人のサイトから文章を勝手にコピペするん?
599 :
純一:2005/06/13(月) 01:13:32
ちなみに、
>>594が誰かわかります?
私は大体予想がつくんですが。
600 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:14:03
ついでに、いまお気に入りのCDは、JUST ONEのLove musicです。
いまも聞いてるよ。超ぉ〜おすすめ〜♪
601 :
純一:2005/06/13(月) 01:15:12
嘘いうなよw
>>474で、おまいが書いたことと矛盾するぞ。
>>475、
>>476で指摘されたとおり。↓
>東がゲーテル的脱構築を否定神学と呼んだことでわかる
>否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に転じていることである
>さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる
>これは主体であるための「宿命」である
>それはデリダ的脱構築であろうが、柄谷の「他者」でも同じである
これってゲーテル的脱構築=否定神学=主体であるための「宿命」=デリダ的脱構築=柄谷の「他者」
って全部つないじゃってるけど、少なくともゲーデル的脱構築とデリダ的脱構築は全く異なるものだよね
これが同じであるという理由をゲーテル・デリダの著作を具体的に挙げて説明してよ
で、可能ならどうしてこれらが簡単に全部つながるのか具体的に説明してよ
わざわざ姑息に書き換えスンナよm9(^Д^)プギャ---ッ
603 :
純一:2005/06/13(月) 01:18:57
>>600 ちなみに、そのCDの費用はどこから捻出されたんですか?
604 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:19:50
小便小僧、童貞・・・くくくくっ(ギガワロス
605 :
純一:2005/06/13(月) 01:20:39
ぴかぁは、ゲーテル的脱構築=デリダ的脱構築を間違えてつなげたために、
実際は異なるこれらの脱構築を指摘されたが、当然説明できないため姑息な書き換えにはしる。
ちなみに、これは東 浩紀の盗用で、ググルとこの関係をちゃんと説明したサイト(例、馬場靖雄など)がたくさんある。
607 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:23:49
やっぱり、おまえが小便小僧か!死ねよ、カス!
>>607 ぴかぁ〜何で他人の著作やサイトから文章パクルん?m9(^Д^)プギャ---ッ
m9(^Д^)プギャ---ッ m9(^Д^)プギャ---ッ m9(^Д^)プギャ---ッ
609 :
純一:2005/06/13(月) 01:26:24
610 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:27:06
小便小僧、なんかカッコワロス!
584 :純一 :2005/06/13(月) 00:57:39
>>583 お答えします。
@教育的効果を狙っています。他の名無しさんも了承済です。
Aたぶん、その日はアルコールが入っているからだと思います。
B残念ながら、今まで生きてきて1人もできたことがありません。
611 :
純一:2005/06/13(月) 01:28:55
>>610 いいですか?
カッコワロス!といいますが、
ぴかぁ〜さんの指摘する箇所が@かAかBか論旨をハッキリしましょう。
それができないのなら、せめて他人の著作やサイトから盗作するのはやめましょう。
ぴかぁ〜が恥ずかしげもなく宮台のサイトからのコピペをしてるの見たときあんけど、
あんときはあきれたな。
613 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:32:45
やっぱおまえが小便小僧か、死ねよ、カス!
614 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 01:32:53
まさに転移しまくりw。ぴかとじゅんは鏡の関係。
対称性が破れていない。カオスの縁。クライシスが起きるにはどの様な初期値が必要か?
615 :
純一:2005/06/13(月) 01:35:28
>>614 >まさに転移しまくりw。ぴかとじゅんは鏡の関係。
よくぞ気が付いてくれました!
その通り、パクってないと言いつつパクり、
相手には自分が言われたことを言う。まさに鏡ですね。
ネットも公共物だから
他人のサイトの文章や著作を本人の許可無く勝手に用いると
悪くすると訴えられるぞぴかぁ〜
617 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 01:36:13
じゆんはほんといつまでたっても子供だなあ
そろそろ哲学板の末っ子卒業しな!
618 :
純一:2005/06/13(月) 01:37:38
>ネットも公共物だから
>他人のサイトの文章や著作を本人の許可無く勝手に用いると
>悪くすると訴えられるぞぴかぁ〜
その通りです。反省しなさい!ぴかぁ〜さん!
ぴかの文章は専門的知識を持っている人が見ればすぐにその齟齬に気付く
ぴかは他人の文章をパッチワーク的に用いてるだけで意味を理解出来てる訳ではないからね
>>619 二つの目的があるんだよ。ジャーゴンをばら撒いておけば削除されないというのと、
ジャーゴンに釣られた初心者相手に博識ぶれるというのと。
621 :
純一:2005/06/13(月) 01:44:21
そうですね。
622 :
純一:2005/06/13(月) 01:45:54
で、連続でスレッドも作れるから2chに居れば無敵です。
>>619 前にぴかはグルに知識や術語の矛盾を指摘されてコテンパンにされてたしね
624 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 01:52:28
クラフトワーク(発電所)つまりオナヌーだ。
625 :
純一:2005/06/13(月) 01:53:57
>二つの目的があるんだよ。ジャーゴンをばら撒いておけば削除されないというのと、
>ジャーゴンに釣られた初心者相手に博識ぶれるというのと。
これはなかなか鋭いですね。
ぴかぁ〜さんは今頃、この思わぬボディーブローにうんうん唸っている
ことでしょう。
ほんとはクラフトワークよりもハローワークなのにな・・・
627 :
純一:2005/06/13(月) 01:57:04
鋭い…。
628 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 01:57:09
ワロタ
宮台とか、東とか、浅田や斉藤環、ジジェクなんかは結構好きで
売ってる本はほとんど持ってるから分かるんだけど
ぴかぁの盗用、濫用が酷いのは知ってるし
書いてあることも実際彼らが言っていることを理解できずにただ上辺だけ用いているのも分かるから
見ていて恥ずかしいよ
630 :
純一:2005/06/13(月) 01:59:00
逃げたかな?
631 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 02:03:05
ぴかは、まったくもって語彙に強度が無い。
地道にやる時期に差し掛かって来ましたか。
◆2ch卒業おめ!!!◆
632 :
純一:2005/06/13(月) 02:04:42
>地道にやる時期に差し掛かって来ましたか。
是非そうして欲しい。
633 :
純一:2005/06/13(月) 02:10:19
きっと、今はほとぼりが冷めるのを待っているんでしょうな。
追求されると困るから、次の日には忘れてるだろうって算段で。
でも俺はニセじゆんよりもぴかぁ〜のほうがまだ百倍ましだと思う。
635 :
純一:2005/06/13(月) 02:11:29
>>634 君はどうせ、前々スレ398◆B4FAb57b6とかいうオチだろ?
636 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 02:15:51
プ
637 :
純一:2005/06/13(月) 02:17:33
違っても、否定するよな。
638 :
純一:2005/06/13(月) 02:20:21
>>634 てか、君は掌握可能な人間=マシという意味で言ってるからね。
自分より弱い人間しか周りに置く気がないだけで。
>>635 少しの間2ちゃんねる休んだほうがいいよ。関係妄想って意外と怖いぞ。
640 :
純一:2005/06/13(月) 02:22:57
641 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 02:23:12
642 :
純一:2005/06/13(月) 02:25:34
>>641 粘着って、自分のやってることは計算に入れないんだな。
643 :
純一:2005/06/13(月) 02:31:50
しょうがない。では、
>粘着度合いが桁違い
と言いますが、これでぴかぁ〜を逃がす理由をつくってしまったら、
結局、
>>641は盗作の手伝いをしていることになる。
その点にかんしてはどうなのかね。
644 :
純一:2005/06/13(月) 02:34:44
テキトーなところで、泳がせてしまったら
盗作は一向におさまらないぞ。むしろ、潰しておいたほうが良い。
君らもそう思うだろう?
645 :
純一:2005/06/13(月) 02:39:36
ヤツが逃げ出し、そしてまた何食わぬ表情でここに現れる。
その時、我々はヤツに対して、今日の夜の宴をすっかり忘れてしまうのだ!
我々は普通に話しかける。今のことなど忘れてな!
ってゆーか、ぴかぁ〜の盗用、パクリの濫用は、マジ見ててキモイし、
同じ哲板住人として不快以外の何ものでもない。
ここには哲学に興味がある人が来ている訳だから、
当然東浩紀などの評論家達の著作も読んでる人がたくさんいるわけで、
ぴかぁ〜の無知な盗作、パクリを苦々しく感じる人はたくさんいると思う。
647 :
純一:2005/06/13(月) 02:41:59
そうそう。
「関係妄想」でぐぐってみた
【英】delusion of reference 【独】Bezichungswahn
客観的に見ると何でもないようなことを自己と関係づけて考える妄想のこと。
たとえば、周囲で人が話をしているのを自分の悪口を言っていると考えるような場合。
多くの場合被害的内容となる。統合失調症、敏感関係妄想などでみられる。
649 :
純一:2005/06/13(月) 02:44:09
650 :
純一:2005/06/13(月) 02:48:19
ぴかぁ〜はまだ見てると思う。
ぴかがルーマンだ、デリダだ、ラカンだなんだとかいうのも実際に彼らの著作を読んでいるわけではなく、
単に東なんかの本を読めば書いてあるわけだ。そしてそれを盗用する。
ただし本当に読んでいるわけではないので、ルーマンの著作について聞かれたり、
細かい術語や入り組んだ説明について求められると回答できない。
それに馬場靖雄や宮台なんかのサイトに行ってみると分かるが、
そのまんま書いてあることがしばしば。
これをちょろっと変化させればぴかの文章になるし、
そのままコピペしているのも多数ある。
652 :
純一:2005/06/13(月) 02:50:41
ですな。
それに引用の範囲を超えた盗作やパクリをブログで晒してるわけだから、
当然、通報の対象になる。
654 :
純一:2005/06/13(月) 02:54:00
はてなの画像も時々ヤバそうなのが。
655 :
純一:2005/06/13(月) 02:56:18
657 :
純一:2005/06/13(月) 03:03:21
まあ、これでしばらくヤツは顔を出せまい。
659 :
純一:2005/06/13(月) 03:07:54
けど、まさかそのままコピーしてくるとはおもわなんだ。
>>659 それに宮台真司のサイトからのコピペも酷い。
661 :
純一:2005/06/13(月) 03:11:08
一回ぐらい、本気で追い込まれたら反省すると思う。
>>661 反省っていうか、見ていて恥ずかしいからもう来ないで欲しいし。
あのブログも閉じて欲しい。勝手にリンクしてるし。
663 :
純一:2005/06/13(月) 03:14:40
リンク?
哲学板のこと?
>>663 そう。
それに良く見ると盗作や盗用満載だから。
本人達にメールで通報しといたほうが良いかも知れない。
665 :
純一:2005/06/13(月) 03:19:13
通報しといたほうが良いかもね…。
盗作なら。
>>665 そもそも文責が自分に無い他人のサイトから勝手に文章をパクルのも違反なんだけどね。
667 :
純一:2005/06/13(月) 03:23:19
そんなにコピー比率が高かったとは知らなかった。
逆に責める気がなくなる。
ネットが公共の場であることを忘れた時点でぴかぁ〜はアウト。
ぴかの文章やサイトは誰でも閲覧できるし、またされる可能性は十分ある。
そうしたとこで引用の範囲を超えた(大量の引用・出典の不明示など)書き込みも、
当然著作物の権利に抵触する。
ぴかぁのポスモダあそびは80年代のみに有効。
「東京エイティーズ」
しかしそのおもちゃを取り上げるとぴかぁは
何もすることがなくなる。というか死ぬ。
ぴかぁ〜は死ぬのが怖いので逃走しつづける、それだけ。
・・・それはそれで別に良し。
673 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 04:52:51
哀れage
「う〜ん。○○が足りねぇな・・・」
このスレッドをざっと読んだ彼は、そう言ったそうですが、、、、、
それではここで問題です。
この「ほにゃらら」で、彼はなんと言ったのでしょう、まずはぴったしチームから!
チ〜ン。
675 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 09:37:30
じゆん溜まっとるな〜
676 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 09:48:54
では続けます
転倒/反転構造において、無垢への欲望とはなにか
678 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 10:42:22
ボクが少し前から良く聞く音楽は、テクノ、ハウス、トランス系だ。
これは反復の世界であり、少し前にボクが言ったフロー体験であり、1/fゆらぎ的快感の世界である
このような快楽は「言語からの脱出」といえるだろう
679 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 10:48:44
それに対してヒップホップ、特にラップはすきではない
言葉がダイレクトでハードすぎる
その意味で表現手段としては画期的であることはわかる
困ったことに日本人には言いたいことがなく持て余している感は否めないが
しかしラップにしても、またブログにしても、俗に言う「動物化」と逆行している傾向がおもしろい
680 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 10:54:41
ハウス、トランスは、ヒップポップの次の大衆音楽になりえるのだろうか
これは結構興味があるところだ
ネットは結局どこまでもテキスト、すなわち言語世界である、転送速度があがろうがそれはかわらない気がする
音(波形)と言う言語で、聞き手は治療・介入されてるんだよ。ぴかもじゅんを治療しろw
主張に精度がないね。(・∀・)カエレ
683 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 12:52:36
俺はあんまり詳しくないから引用されてようが盗用されてようが
気にならないんだがな。
あ、でも東浩紀の動物化〜は読んだ事あるな。
で俺がぴかぁ〜に言いたいことは具体的かつ豊富な例示を
してほしいんだよね。
684 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 13:15:12
ラカンの弱点は現実界への通路が対象aという欲望を通してしか、通じていない点である
これに対する修正はラカニアンからでている
フィンクス?は現実界1、現実界2と呼び、
ジジェクは想像的な、象徴的な、現実的な現実界に分けようとしる
斎藤環は先に書いたようにベイトソン、あるいはオーポェにつなげようとした
さらに柄谷の他者、東の動物化しかりである
そしてボクは複雑系の「カオスの辺縁」でこじ開けようとしている
685 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 13:19:22
だからクラインの壺だろ!アフォか
686 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 13:27:02
ラカンのトポロジー関連の話題でカオスの縁は概出だろが!膜次元やってけるのか?その程度の語彙で
687 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 13:42:27
耳元でやいやいいうなや!わしかていっぱいいっぱいでやっとんねん
もうちょっとやさしくいえ!
クライン?いつまで浅田やねん
カオスの縁とラカンどこででとったんや?「開かれ閉じる」か?まだ読んでないわ
てかタームにだまされすぎやねん、中身わからん証拠や
美大生さん、みならえや
688 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 13:45:39
膜次元ってなんやった?
689 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 13:49:01
すまんのう。自分が議論のできん厨房やったわorz
書籍「ラカンのトポロジー」ジャンヌ・グラノン-ラフォン著 白揚社 ISBN4-8269-9002-2
690 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 14:26:51
あぼーん
すげー、全く反省してない。
692 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 15:59:18
すまん。連投規制に架かってますたorz
つーか、理解できていない単なるあんちょこ厨のぴかぁ〜の例示や解説めいたこと聞いても
誤解を深めるだけで悪影響になるっての
694 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 16:05:50
膜次元なんて言葉ありませんですたorz
上記著にカオスの縁の表記ありませんですたorz
m(__)mスマソ
-----
トポロジーは位相幾何学やな。宇宙が多次元なんは人間に理解できる平面まで次元落としするからで、宇宙空間はまさに膜になる。ブルーンワールド。超ひも理論あたり。
695 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 16:17:54
ダブルバインド(ダブルミーニング)や転移を、空間であらわそうとする試みやね。
〈語る存在〉の構造を解明する精神分析的空間の上演を、諸現象としてつなぎとめるトポロジー。空間の大域的な把握をするらしい。
以下妄想
-----
対称性の破れはダブルバインドの破れやし、転移はクラインの壺の構造体やね。
対称性が破れると転倒がおき、局所に魅き込まれるよ、たぶん。
カオスになると鏡像として、自らの同一性にとって重要な錯覚と出会い、この鏡像との違いはきづかれないまま。
-----
妄想終わり
696 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 16:33:27
あまり書き込んだ事ありませんから要領得ません。自分は一行レス嵐のひとですからね。
「無垢」とか解りません。ただ空間の切断で、ねじれが解消されるだけです。精神分析的な治療ですよね。
それと幻想の結点となる結び目は、折り畳み方によってねじれ(鏡像的差異および非鏡像的差異をめぐる対象aおよび自我の組織化に固有の無理解が構成)を排除する。らしい。スマソ
やっぱ自分には解りませんorz
697 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 16:37:09
以上、スルーして下さいorz
自分には読んだ事も伝えられる技量がありませんorz
ロム専しときますわ
698 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 16:45:09
NEET A GO GO!
699 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 16:48:24
プ
『ジジェクは同じことしか言わない』だっけ?
なので
ぴかぁ〜も同じことしか言わない
と一応言ってあげる。
701 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 18:06:43
パクリ哲学イクナイ!
702 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/13(月) 19:11:44
>>695-697 いえいえ、貴重な情報ありがとうございます。またレスしてください。
書籍「ラカンのトポロジー」ですか、興味深いですね。
でもまだ売っているのでしょうか。ラカン関係はどんどん廃刊になっていますので。
しかしボクが「カオスの辺縁」というときには、これとは異なったものだと思います。
ようは、ラカンの外へということです。
703 :
純一:2005/06/14(火) 00:36:49
>>702 >書籍「ラカンのトポロジー」ですか、興味深いですね。
ちなみにその書籍代はどこから捻出されてくるんですか?
704 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/14(火) 12:19:20
生き生き
705 :
超訳:2005/06/14(火) 12:26:32
遺棄域
イキイキイキイ
キイキイキイキイ
イキイキイキイ
キイキイキイキイ
↑
地図記号・竹林
ことばの意味の視点を変えた変奏曲。ことばの意味の構築をいったん壊して再構築 さらに生き生き
710 :
考える名無しさん:2005/06/14(火) 23:00:52
>>709 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その時、茨城に1人であずけられていた。
近所に本がいっぱいあるところがあって、そこへ毎日行って本ばかり読んでいた。
もしもひよが鳴かなかったら・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここの節だけ泣ける。
あとは蛇足。
711 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/14(火) 23:26:11
<転倒/反転の構造>
■転倒・・・「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」
外部から内部へ(超越から内在へ)、
形而上学、「デリダも必ず恋をする」
■反転・・・「単独性から偶有性の反転では神性は解体される」
内部から外部へ(内在から超越へ)
ポストモダン、「デリダの恋も必ずいつか冷めるのです。」
■カオスの辺縁・・・外部と内部の境界、転倒、反転の往復運動の起点
自己組織化が起こる位置、生命が発生する位置、主体そのものの位置
たとえば解体的であることが必ずしも反転ではないことは、東がゲーテル的脱構築を
否定神学と呼んだことでわかる。否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に
転じていることである。さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる。
これは主体であるための「宿命」である。それはデリダ的脱構築であろうが、
柄谷の「他者」でも同じである。ボクたちは限りなく「神話なき神話」の世界に
すんでいるのであり、ラカンの象徴界、、マルクスの物神性の世界と呼ぼうが、
この「ラカンの呪縛」からは逃れられない。
712 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 00:11:53
マイケルジャクソンが全面勝訴したらしい。マイケルファンのボクとしてはなによりである。
有罪といえるまでの証拠が提出されなかったかららしい。
「疑わしきは罰せず」それが法である。では「マイケルは本当に犯罪を犯したのか?」
ボードリヤールは「湾岸戦争は起こらなかった」といった。
テレビから流された「湾岸戦争」という意図的な意味は、虚像でしかない。ということだろう。
しかしさらに根元的には、真実とはなんだろう、とうことがある。
たとえば湾岸戦争に参加した人であろうが、マイケルの幼児虐待を目撃した人がいたとしても、
彼らの証言は、真実ではない。何ものの「物語」でしかない。
なぜなら真実は、現実界にしかないからだ。
マイケルも、湾岸戦争も、一つの「転倒」でしかない。
そしてその「物語」について虚像性を暴露する言説、たとえば脱構築であっても、
それは「反転」であるようで、それ自体はもう一つの「転倒」でしかない。
「アウシュビッツはなかった」、「南京虐殺はなかった」という人もいる。
このときも、同じである。アウシュビッツも、南京虐殺も物語でしかないのである。
だから語らなければならないのである。そして反論されるこそが、必要である。
それは、「転倒」を継続するのである。
なぜなら、本当の「反論」とは、語られなくなること、忘れられること、
生理的な記憶の消失、エントロピーの増加、「忘却」のみだからである。
713 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 00:18:15
なぜなら、本当の「反論」とは
↓
なぜなら、本当の「反転」とは
714 :
プ ◆Fmd2B6wtag :2005/06/15(水) 00:21:47
>>マイケルも、湾岸戦争も、一つの「転倒」でしかない。
>>そしてその「物語」について虚像性を暴露する言説、たとえば脱構築であっても、
>>それは「反転」であるようで、それ自体はもう一つの「転倒」でしかない。
>>なぜなら、本当の「反論」とは、語られなくなること、忘れられること、
>>生理的な記憶の消失、エントロピーの増加、「忘却」のみだからである。
何じゃこりゃ(←松田優作風)
715 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 00:44:43
すなわちだね。
転倒/反転の構造は、虚像/真実の構造ではなく、
継続/忘却=エントロピーの減少/増加である、ということ。
「継続こそ真実であり、倫理である。」
716 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 00:48:08
今日はやけにベンヤミンぽいじゃないか。
717 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 01:38:15
そうかな。
ようは、抱かれたい男だろうが、抱かれたくない男だろうが、
選ばれるつづけることそのものに価値がある、ということだね。
718 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 01:45:43
>>130 神経をやられるかもしれないよ。
まあ、自ら臨んでおかしくなってやつはあまりいない。
ほとんどは、哲学に引きずられておかしくなる。
冗談はともかく、あなたがイイ大学目指してるなら哲学はやめた方がいい。
もっと実用的な学問にしましょう。最近は大学も変わってきてるから。
それでも哲学者になりたいなら大いに結構。
だね。さまざまな分野があるから。そこで哲学を融合させた論文発表して教授らに挑むのも一興。
720 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 02:03:27
∧_∧ .' , ..
( ) ,"⌒ヽ, .∴ ' <⌒ヽ
/"⌒ヽ 丶⌒"- ─ヽ, .∴ ' ",, ,,("⌒丶
丿 人 rー ─"" _ _ _,, _ " (入 ヽ,ヽ ←ぴかぁ〜
(_ ソ \, \彡-―""-――= ̄" ,,"" "`: ヽ > | )
", ' ,,, __―__ _ー=_ ソ ノ 丿 |
( 入_,, ノ二三"ー ̄− _ =二__",,, _,,(⌒ / 丿
| " ( ノヽノ ,,.,ノ
| | /" / ,,/
r⌒ ) _| / ノ
( | (_ ,ノ /
| |_ _,, _ ,/ _ ノ
(__ノ ( /
ヽ_)
721 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 02:07:07
このたびはおにいちゃんがごめいわくおかけしてどうもごめんなさい。(ペコリ)
はぁ・・・・・・なんでこんなことになっちゃたんだろ。
昔のお兄ちゃんは、やさしくて、家族おもいで、頭だってテスト100点ばっかりだったし、お友達にかこまれていっつも楽しそうだった。
でも、あの日の後、もうお兄ちゃんはお兄ちゃんじゃなくなっちゃった。
・・・・・・お兄ちゃんは、すこしも悪くないんだ。
悪いのは、あいつ。
なにか、みなさんに、おわびにしてあげられることがあると、いいんだけど・・・・・・
ううん、待ってて。
私が、お兄ちゃんをもとどおりのおにいちゃんにしてみせる。
そして、おにいちゃん自身が、自分でこのあやまちをつぐなうんだ。
だから、ほんのすこしだけ、まってて。
ごめんね。おねがいします♪
http://nanashi1239.at.infoseek.co.jp/nrom_1.html
722 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 10:28:31
「ゲーデル的脱構築」と「デリダ的脱構築」を区別する人達がわからない。
その区別を強調してデリダ的脱構築を主張すること自体、ゲーデル的脱構築に陥るのであって、その意味で、ぴかぁのように混同したところで何の問題もない。
と思いますが、反論できますか?
723 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 10:58:20
別に混同してるわけでなく共通する地平で語っているわけです
わかる人がいないのが残念ですが
724 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 12:37:00
そろそろ次のステージに向かうときが来たかもしれません。
キーワードは「進化哲学」です。
725 :
722:2005/06/15(水) 13:01:12
あ、すいません。混同ではなく、「共通する地平」ですね。それでいいと思います。
726 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 13:30:25
この「共通する地平」には、「ゲーデル的脱構築」と「デリダ的脱構築」
あるいは柄谷の「他者」が含まれるだろう。
そしてこの地平から「進化哲学」は始まる。
727 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 13:35:58
それを、柄谷の「他者」から始めよう。
柄谷の「他者」とは「物そのもの」であるといった。
その意味するところは、「反転」を突き抜けたところにある。
ボクはそれを斉藤環の「ラカンとベイトソンの相補関係」から、
「他者」の地平を以下のように説明した。
「それは、ベイトソンのコミュニケーション理論の「ゼロ学習」です。
「ゼロ学習」的な「コミュニケーション可能性」とは、
「生態学の要請する同一種のコード/デコードの機能の同一性」、
すなわち生態学的同一種の人間ということです。」
すなわち生物的な同種としての共有性の地点である。
簡単にいえば、ボクたちにはこのような生物的な、あるいは先天的な地点に、
共有する「価値」を持っている、だろうことである。
728 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 13:50:09
これは、カント以前の合理論と経験論の地点にもどれば、
経験論とは違う先天的な地点である。
しかし合理論とも異なる。
それはいわば、進化経験論と呼べるものである。
すなわちボクたちの経験の地平は、ボクたちが生まれてからをゼロ地点とするのではなく、
その前の進化論的な時間軸をも経験とするのである。
たとえば、なぜボクたちは花を美しいのかと考えるときに、
それは進化上の経験によって獲得した価値なのである。
最近の研究では、ミトコンドリアイブ=共通の母は20万年前に行き着くのである。
729 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 13:52:45
これは認知科学とは異なる。認知科学はハードであれば、
進化上の経験というソフトについて、であり、
それは「進化心理学」などと呼ばれる。
これはかなり危険な思想であることは、確かであり、
自然主義的誤謬と同じところに存在するのである。
730 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 13:59:34
この地点からラカン世界を見ることによって、新たな姿が見える。
ラカンの基本である人間/動物の断絶は、連続性で繋がるだろう。
たとえば、人間は不完全で、動物のように完全なコミュニケーションはできない。
すなわちラカンの「性関係は存在しない。」
動物の生殖ための本能による完全な性関係はない、ということである。
しかし本当にそうだろうか。動物の性関係は遺伝子にプログラムされた完璧なものだろうか。
最近では、動物においても、生まれたあとの学習が重要であることが知られている。
さらにそのような世界は、まさにラカン的な世界がある。
すなわちイマジネールな死闘から、サンボリックな秩序(社会性)である。
動物も、ある種の象徴界の参入によって、群れの掟を知るのである。
731 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 14:06:33
ドルゥーズ的な人間の歴史物語あるいは、それを要約するような
「構造と力」の物語は、
人間/動物の哲学的な断絶を越えて、進化的時間へと延長される
のである。
そのときに、認知科学であり、進化心理学であり、生物学であり、
分子生物学であり、そして精神分析であり哲学の連続した物語が
現れてくるだろう。いつの日か・・・
732 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 14:19:40
ボクは、かつて不快で、危険で、スキャンダルなものを
「生命理性」と呼んだ。
733 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 14:24:29
Supersoulism
自分を疑い、理解を信じるなかれ、理解を疑い、自分を信じよ。
--------------------------------------------------------------------------------
論理とは疑うことだ。論理は神への疑いからはじまり、
そして疑うことにより、この世界を使いやすい程度に細分化してきた。
しかし一時の征服感は、無限に細分化されるこの世界の深淵さの前に打ちのめされ、
今私たちは深い喪失感のもとにある。
ここに愛というものがあったとすれば、論理はそれをも解体するだろう。
まるで心を探して脳を切り刻む脳神経学者のように
だれが愛を切り刻むあなたのことを愛するだろう。
きみは孤独に陥るだろう。そして君はその孤独さえ切り刻み始める。
孤独というの名のあなた自身を。
あなた自身をあなたが切り刻むというパラドクス。
これを地獄と呼ばずになんと呼ぶ。
なぜ、あのとき神を疑ったのか。
これは神が与えた罰か。。。
喪失だ。深い喪失感だ。。。
神は死んだ。それはもう仕方が無いことだ。
この世界はサイコロステーキ程度に刻まれれば十分だろう。
私は私のsupersoul信じなければいけない。
worldを受け入れなければいけない。
それが幻想であろうが、なんだというのだろう。
この世界には真理など無く、現実のみがある。
あなたは現実という仮想の世界で生き、死ぬのだから。
それ以外に私がここに存在することの意味があるだろうか。
734 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 14:24:54
ルール1 「understanding(理解)」できることは、ほんの一部だとしろう。
ルール2 「understanding(理解)」は便利な道具であることが、危険も増幅させるため、うまく使いこなすことをしろう。
ルール3 この世界と対峙できる唯一の方法は、私の「supersoul」を信じることだとしろう。
ルール4 私の「supersoul」を信じるれば、この世界と調和、この社会と協調し、私の存在意義を見出せることをしろう。
735 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 14:27:32
あぼーん!
736 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 15:01:58
ほう、ピかぁ〜は突如に〜ちぇになったのか。
とりあえず超魂でいいと思うが。
論理とは猜疑か。 それはそうだな。
確かに分析にも愛はあるのかもしれない。それは愛が反転したものだ。
分析による孤独は愛を疑い確かめようとするための手段かもしれない。
その猜疑と孤独の中にいると不思議と綜合的な力が自ずと働きだし、一体感が宿り、これは愛といずれ悟ることになる。
それが進めば、彼にとっては現実が真実となり、理想となるだろう。神は此岸にある。彼岸としての神は死ぬ。
737 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 15:17:28
>>736 「進化論者」という意味でニーチェになったのです。
柄谷の「他者」とは、「「未だ生まれざる他者」と「死者」」です。
この意味するところは、進化論的に獲得した価値を持つ同一種としての人間です。
「超魂」とは、まさにこれと同じ意味です。
それはまさに「私の中」にあるものです。
「他者」とは、「「未だ生まれざる他者」と「死者」」とは、
「私」という「物そのもの(現実界)」であり、「超魂」です。
738 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 15:18:36
739 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 15:34:57
分析による綜合。不誠実か?
猜疑による愛の明証化は。
だがやはり仕方がないことだろう。
切り離すことによって、結び付く力、愛が露になるんだから。
切り放さないことには愛は現れない。神は眠ってる。神は認識できない。
分析という不安と猜疑によって神は起きて認識可能となる。
>>737 言ってることはわかる。
もう忘れてきたが。
言葉によって自分にメスを入れていくと、自分の中の他者に出会う。それは物自体まで、絶対性にまでたどり着く可能性がある。そしてその時全ては確実性の上に立つだろう。
740 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 15:51:06
ぴかぁ〜マニアはわかるだろう。
「超魂」の意味が。
すなわち、それは回帰である。
741 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 15:52:18
742 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 15:53:13
743 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 16:05:21
>>739 そうですね。「自分の中の他者」=「超魂」です。それは物そのもの=現実界です。
なぜ「超魂」が胡散臭いのか?それは、物そのものへの突進は、必ず「転倒」するからです。
それを「力への意志」と呼ぼうが、「自分の中の他者」=「超魂」に到達することはできない。
しかしまた到達することができないことそのものも、「自分の中の他者」=「超魂」故です。
そこにあるのに、とらえようとしてもとらえられない。しかし確実にそこにある。
だから、Supersoulism
「自分(の中の他者)を疑い、理解(の中の他者)を信じるなかれ、
理解(の中の他者)を疑い、自分(の中の他者)を信じよ。」
744 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 16:11:36
進化とは深化だ。
根拠は一つ。底に身を投げついに墜落しないことには、死者にならないことには、海を無意味に漂うしかない。底がない海などないが底を知らないと、逃避的に夢想することになる。
根拠に達すれば、全てを一望のもとに置くのも、困難ではないだろう。
他者の根源をも自己の中にある以上、全ては自己の中で統一される。
力への意思か。
意識的に信じるってそれは疑うことだぞ。
ピかぁは人工知能
747 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 16:30:51
744ってユンギアンみたい。
確信犯的ユンギアンも格好いいけどね。
信じられるとは疑えるということだ。
信頼性の有るところには常に疑いがある。
749 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 16:42:14
デリダ、あるいは柄谷の「他者」そして、ボクのいう「超魂」への到達とは、「反転」であり、
それは「転倒」に絡め取られる。
ボクはまた昨日、以下のように言った。
>転倒/反転の構造は、虚像/真実の構造ではなく、
>継続/忘却=エントロピーの減少/増加である、ということ。
>「継続こそ真実であり、倫理である。」
デリダ的に脱構築(疑い続ける)ことが正義であるといった。
ボクはデリダよりもさらに実用的である。
>>745さんのいうように、疑うことも、信じることも同じ「転倒」でしかない。
すなわち信じることも、疑うことも含め継続そのものが、正義である。
ラカンは「自分の欲望に譲歩するな」といい、
ボクは、Supersoulism
「自分(の中の他者)を疑い、理解(の中の他者)を信じるなかれ、
理解(の中の他者)を疑い、自分(の中の他者)を信じよ。」
750 :
bbs:2005/06/15(水) 17:07:28
全体的に見れば継続が、「真実」なんでしょうが、スパイスもまた大切です。
人間は忘れるという一見愚かな行為によって人に愚かに対応し、それによって無意識的に幻の了解を作るものでしょう。
それが自分の中の他者の造成に繋がるもので、その「愚かであった」という考えが他人に対する信頼や疑惑を生み出す「そもそもの」原動力になるものでしょう。
751 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 17:11:09
再度まとめよう。
デリダであり、柄谷の倫理は、「転倒/反転=虚像/真実」の中にある。
すなわち反転し続けること、物そのものへ近接し続けることが正義である。
あるいは、ラカンの「自分の欲望に譲歩するな」という倫理、
ボクのSupersoulismも同じ射程にあるといえる。
物そのものという真実への近接の継続、すなわち反転し続けることに倫理を見いだす。
しかしボクは、「転倒/反転=継続/忘却」へとつなげる。
疑うこと(反転)もまた信じる(転倒)ことであり、もはや反転、転倒には意味はない。
継続することそのものに意味がある。継続することができることに価値がある。
「継続こそ真実であり、倫理である。」
ここから、再度二つを見直すと、きわめて近い位置にいることがわかる。
ただボクが「反転」(脱構築あるいは郵便的)そのものよりも、継続に価値を与えるのは、
転倒と反転、疑いと信じることに差異はないということ、
価値は、「継続できる」という強度にある、だろう。
752 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 17:13:22
すなわち、「反転」とは疑うことではなく、忘れることである。
それは、この宇宙の法則であり、時間の根元である、
エンタルピーの増加という「力」へ対抗する「力」であり、
エントロピーの減少こそが、生命の意味である。
753 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 17:20:01
差異は何処に行った。
残り滓は?
残り滓は忘却と言うことか?
残り滓は明らかにあるとしか言いようがないのだが。
754 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 17:24:16
>>750 忘却を愚かと価値付けするのは、どうでしょうか。
忘却は突き詰めれば、宇宙の法則であり、時間そのものです。
755 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 17:25:07
>>753 残り滓とは、どのような意味の「残り滓」でしょうか。
756 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 17:29:48
ポストモダン思想の間違いは、忘却を、懐疑と勘違いしたことに
あるのではないでしょうか。
すなわち、ポストモダンという状況は、懐疑が生み出しているわけではなく、
情報量の増加が、忘却を加速化させている状況のことです。
それこそが「反転」なのです。
それを「反転」を懐疑であり、脱構築とすることは、
単なる転倒でしかない。新たな神性でしかない。
だから、価値は、継続と忘却にしかないのです。
757 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 17:32:22
ボクがこのような状況を表現したのが、
「マイフェイバリットからマイブームへ」です。
758 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 17:37:11
たとえば、ナチズムの問題を考えると、
ナチズムを疑うことそのものに価値があるわけではなく、
ナチズムを疑い続ける、さらには一部の極右がナチズム信じ続けることが、
忘却(反転)を妨げる「転倒の継続」に価値がある。ということです。
759 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 17:50:20
オラが言った残り滓は簡単にすると、
例えば、自分に面白いことや面白くないことを
完全に忘れ去ることは出来ないってこと。
間抜けな顔で思い出し笑いをすることもあるし、
嫌なことを思い出してホゾを噛みたくなることもある。
びか〜が言ってることを概ね認めるけど、
理路整然としておりましたので。
ところで、お笑い芸人が自身の悲話をおもしろ可笑しく物語るのは
残り滓をユーモアと共に継続していると言うことか?
それは忘却しきれぬものを何とか引き分けに持ち込んだってことか
760 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 17:54:17
このような考えの、容易な反論は、「間違ったこと」を継続して信じることは「正しい」ことか、というものです。
これに対する反論の一つが、結局、「間違ったこと」という価値はどこからくるのか、ということです。
さらには、そこには柄谷の他者、「私の中の他者」=「超霊」はある。すなわち進化論的経験において、
共有する価値=同一種としての共有性はあるだろう、という考えがあります。
そして単発の懐疑/信仰ではなく、「忘却(エントロピーの増加)」という力に対抗し、
継続することができる「力」は、「私の中の他者」=「超霊」に繋がるだろう、ということです。
この「忘却(エントロピーの増加)」という力に対抗し、継続することができる「力」のバランスとは、
「自然淘汰」であり、「進化論」です。
注)ダーウィンの進化論とは、進化する(前進する)ことではない。本当の意味は変化論である。
761 :
bbs:2005/06/15(水) 17:57:16
>>754 はい、確かにそれはただの自嘲ですね・・・。何かハイデガーみたいなことを一瞬言ってましたね。
ですが、その「力」がなくては何も始まらないでしょう。
すでに象徴的な理性がある以上は、どんなに人間が物になろうとしたところで出来ないんですし。
>>758 「禁ずることで統制する」の論理に似てますね。
人は統制された物に対し美しさを覚えますが、それが倫理のもとともなっているように感じます。
762 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 18:06:04
>>759 忘れられないのは当然でしょう。全部忘れると、自己同一性が保てません。
ボクがいう「転倒」とは、忘れないことです。
昨日の「キスイヤ」を見ていましたが、芸能人でもおもしろいのが、
人前で話すと、話せるということですね。
これは、一般的にもあります。嫌なこと、恥部を友達に
おかしく語ることによって、解放されるようなことがあります。
これは、一つは人前に出すことによって、自分でも客観的になれる
ということがあるのではないでしょうか。
いわば、イマジネールな死闘からサンボリックな秩序へということかもしれません。
自分の中だけにためると、どんどん膨らんできます。
最近、学校で爆弾を爆発させた少年がいましたが、
友達がいて相談して、自分の外に出して、眺めれば、少しは冷静になれたかもしれません。
763 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 18:10:40
>>761 >「禁ずることで統制する」の論理に似てますね。
>人は統制された物に対し美しさを覚えますが、それが倫理のもとともなっているように感じます。
ボクがいう「忘却(反転)を妨げる「転倒の継続」に価値がある。」ことと、
「禁ずることで統制する」がなぜ似ているのか、わかりません。
この考えのどこに統制があるのでしょうか?
764 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 18:14:20
ぴかぁは仕事はしてないの?
なんでこんな時間帯に暇できるんだ?
765 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 18:26:03
761本人ではないけど、
誰でも理念を使ってるから、その時点で統制がある
ってのを連想しちまったな。
766 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 18:30:33
767 :
bbs:2005/06/15(水) 18:34:40
>>763 >>758の「ナチズム」に反応したのですが・・・。
そもそも、ナチズムを悪と決めなければ始まらないでしょうということです。
価値観を生み出す根源の問題です。
忘却させないために悪と決め、それによって「双方」に考える余地を与えることで存在を忘却させないことが出来るということです。
これは力による心理的な社会的統制の影響を多分に受けたもので自らの内に内在する無意識にも重なりあいます。
この辺りは私の考えですが、あまりにも早くサブカルチャー的なものが動いているので、逆に根幹的なところは社会的なもので補完せざろう得ないのではと考えているのです。
ですから自己正当化はしないのに自分の欲望に忠実という一見すると変な人間たちの状況が作り出されているのではと考えたのです。
768 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 18:45:42
>>767 全般的に勘違いしているようですね。
ボクは「ナチズムを疑い続ける、さらには一部の極右がナチズム信じ続けることが、
忘却(反転)を妨げる「転倒の継続」に価値がある。」ということで、
ボクは、ナチズムが悪であると決めつけていません。それが善であるか、悪であるかではなく、
「ナチズムは悪である」と言われ続けている「継続」に価値があると言っているのです。
たとえば「ピカソのゲルニカはすばらしい」と言い続けられる「継続」に価値があるのです。
だからそれが真実であるとか、心理的な社会的統制の影響を受けていないとかいっていません。
ボクが言っているのは、すべては「神話」であるということです。「アウシュビッツ」そのものが神話なのです。
だから「アウシュビッツはあった。忘れてはいけない」と言い続けられている「継続」に価値があるのです。
多階層的記憶論面白そう。イソターネットのアプソトネデブのプロトコルみたいなモノ?結局プリゴジンかな
770 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 18:49:26
771 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 18:51:36
逆にいえば、なぜ「アウシュビッツ」は忘却されないのか。
これだけの情報過多の時代で、繰り返し繰り返し語られるのか、
ということに価値がある、ということです。
772 :
bbs:2005/06/15(水) 19:34:36
>>768 確かに、その点は勘違いしていましたね。
ですが、存在の継続に価値は生まれうるでしょうが、それが比例関係にはならないでしょう。
存在が継続しているものに価値が付くからといってニアイコールで繋いでいいのでしょうか。
他者という鏡の問題もありますが、その鏡のゆがんだ像が果たしてそれ単独で生まれうるものでしょうか。
鏡は圧迫に対するものの中でのみそのゆがんだ像を映し出すものでしょう。
イスラエル人の自分自身の鏡もまた圧迫の中で生まれたもので、単独であったものではないでしょう。
今でこそ神話ですが、彼らは民族的孤独、放浪の民としての立場からそれを生み出しています。
そしてその圧迫感は言語的認識(自分はこうではないはず)と現象世界(自分はこうである)との差異の中で生まれたものでしょう。
原因がどちらにあるかは微妙といえば微妙ですが私は力の強い社会の方を取るのが妥当だと思うのです。
価値観の根源は常にその孤独さであってそれは突然変異的でしょう。
あることを忘却させようとした際に、その反動で奇妙なものが生まれ、それが新たなる価値観の根源となると考えているのです。
773 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 19:38:01
>>763 転倒の継続は無意識に統制された循環によって実現されるということ?
>>762に無粋な突っ込みさせてもらうがやらせ番組をリアルとして取り上げるのはちょっと。
普通知らない人前ではしゃべらないよ
馬鹿な自演だ
775 :
bbs:2005/06/15(水) 19:51:51
>>773 転倒の「原因」のことなので・・・。
「原因」が無意識的な社会的統制に対する心理だと思ったので・・・、確かに話が違っていたのは私も認めます。
私は、去勢だけではどうにもならないと思います。
その為の補完が「器官なき体」だと言えるかも知れませんが、意識とかも本来的に「器官なき」ものでしょう。
今までのやり方でそれで「器官なき私」だったのをあえて言うと「器官ある私」になって「自由な私」がいなくなってしまうでしょう。
776 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 19:57:17
777 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 20:01:27
>>773 「無意識に統制された循環」という言葉が微妙ではないですか。
ようは無意識という社会の下部構造が人々を統制していると
ということになります。それは象徴界のみの世界であり、
現実界がありません。
やらせ?ここで議論してもしょうがないので、ノーコメントとします。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
782 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 20:54:35
段々、禅に近づいてきたな。
あぼーん
こうした思考の基盤がなければ、最上部の頭の通路の
パイプが形成されない。
思考するとは、単に悩むことではない。単に妄想すること
ではない。単に、心配事を増やすことではないし、単に知識
を詰め込むことではない。また、単に神的なイメージに憧れ
て奇麗事を妄想することではない。
思考するとは、テーマを決めたら何カ月でも、たったひとつ
の問題について考え続けるという集中力だ。そして単なる
集中力ではなく可能な限り論理的であることだ。また同時
に自分で自分の考えそのものを疑いながら考えを進めて
ゆくことだ。
785 :
理系な哲学好き:2005/06/15(水) 21:06:50
>>784 まさに禿同汁。
思考力 = 集中力 = 緊張感
だな。
あぼーん
あぼーん
788 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 21:17:55
トンデモですか? 速聴の臭いがする。
あぼーん
790 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 21:20:50
ソフトの売り込みぽいな。
あぼーん
792 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 21:24:21
「なんとか能力開発セミナー」とかいうんじゃないのかね。
あぼーん
あぼーん
795 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 21:28:46
で、どこまで行ったの?
それをカキコしてね。
あぼーん
797 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 21:33:22
ピップエレキバンか?
798 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 21:33:34
で? 最近考えてることはそれなわけ?
799 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 21:54:17
池沼は放置でつよ
800 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 21:56:39
あまりに素敵なインターネットでつね
801 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 22:03:50
だいたい光と闇は反復する。
光が闇を見つけ、闇が光を見つける。
これは表面上のこと。
反復によって永遠に進むだけだろうな。
で、どこまで行ったの?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
806 :
純一:2005/06/15(水) 22:19:03
むう…
あぼーん
だからさ、何説教ばかりしてるんだよ、チミは。くだらん。
あぼーん
あぼーん
811 :
純一:2005/06/15(水) 22:30:04
なるほど。
ぴかぁでてこい
813 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 22:43:03
きききと電話したよ!<ぴかぁ
814 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 22:46:21
815 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 22:48:10
きききも頓挫したのか。
816 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 22:50:38
荒らされましたので、ここまでをまとめます。
デリダであり、柄谷の倫理は、「転倒/反転=虚像/真実」の中にある。デリダが「脱構築が正義である」と
いうとき、あるいは柄谷が「未来の他者」というとき、反転し続けること、物そのものへ近接し続ける試みが
正義である、ということだ。あるいは、ラカンの「自分の欲望に譲歩するな」という倫理、
ボクのSupersoulismも同じ射程にあるといえる。物そのものという真実への近接の継続、
すなわち反転し続けることに倫理を見いだす。
しかし疑うこと(反転)もまた信じる(転倒)ことであり、もはや反転、転倒には意味はない。
ボクは、「転倒/反転=継続/忘却」へとつなげる。継続することそのものに意味がある。
継続するという強度に価値がある。
「継続こそ真実であり、倫理である。」
ここから、再度二つを見直すと、きわめて近い位置にいることがわかる。ただボクが「反転」そのものよりも、
継続に価値を与えるのは、転倒と反転、疑いと信じることに差異はないということ、価値は、「継続できる」と
いう強度にある、だろう。すなわち、「反転」とは疑うことではなく、忘れることである。それは、
この宇宙の法則であり、時間の根元である、エンタルピーの増加という「力」へ対抗する「力」であり、
エントロピーの減少こそが、生命の意味である。
817 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 22:51:46
たとえば、ナチズムの問題を考えると、ナチズムを疑うことそのものに価値があるわけではなく、
ナチズムを疑い続ける、さらには一部の極右がナチズム信じ続けることが、忘却(反転)を妨げる
「転倒の継続」に価値がある。ということです。
このような考えの、容易な反論は、「間違ったこと」を継続して信じることは「正しい」ことか、というものです。
これに対する反論の一つが、結局、「間違ったこと」という価値はどこからくるのか、ということです。
さらには、そこには柄谷の他者、「私の中の他者」=「超霊」はある。すなわち進化論的経験において、
共有する価値=同一種としての共有性はあるだろう、という考えがあります。そして単発の懐疑/信仰では
なく、「忘却(エントロピーの増加)」という力に対抗し、継続することができる「力」は、
「私の中の他者」=「超霊」に繋がるだろう、ということです。この「忘却(エントロピーの増加)」という力に
対抗し、継続することができる「力」のバランスとは、「自然淘汰」であり、「進化論」です。
注)ダーウィンの進化論とは、進化する(前進する)ことではない。本当の意味は変化論である。
ポストモダン思想の間違いは、忘却を、懐疑と勘違いしたことにあるのではないでしょうか。すなわち、
ポストモダンという状況は、懐疑が生み出しているわけではなく、情報量の増加が、忘却を加速化させている
状況のことです。それこそが「反転」なのです。それを「反転」を懐疑であり、脱構築とすることは、
単なる転倒でしかない。新たな神性でしかない。だから、価値は、継続と忘却にしかないのです。
ボクがこのような状況を表現したのが、「マイフェイバリットからマイブームへ」です。
818 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 23:01:59
真剣に継続するのは意味があるね。多分。
一般に人類が神と呼んでいる機構が人間に感染させた
最大の病気は『退屈病』である。この宇宙は、細分化と
運動の複雑化に向かうことを「ある時期に」決定した。
では、統一的な全体を細分化する最大のメリットは何で
あるかを見れば、それは明らかにそこから生まれる「動き
の複雑さ」である。端的に言えば「単純さに飽きた」という
のが、現在のこの宇宙の中に生きる生物の創造とその
改良作業の発端であったのだ。
宇宙の細分化は人間がコンピュータを発達させたプロセス
に非常によく似ている。そして加えて多くの部分が「自動化」
されることだ。つまり処理できる「現象は複雑に」、ただし
「操作は簡単」にというわけである。
もしかしたら、自分は宇宙の中の単なるマイクロチップ、
あるいはそれどころか、スイッチの一つか、導線のひとつ
にすぎないのではないか、などと、宇宙の中での自己の
存在位置について、被害妄想をする者もいるだろうが、
残念ながらそれは非常に正確な洞察でもある。あなた
という歯車がひとつ抜けたところで何の支障もない。
余談だが、宇宙で最初の車輪は、実は2つではなく3つ
であった。
つまり、最初の分化は、陰陽の2極ではなく、拡散・収縮・
とその境界の3つである。あるいは、光・闇・分化の支点の
3つでもよい。
定義などは何でもよいだろう。ちょうど、陽子、電子、中性
子のように原初には常にまず「3つの部品」が作られる。
そして、その「回転方向に2つの方向」が設定されて、ここで
始めて陰陽が生ずる。こうして3パーツに各2種類の方向
性が与えられて合計6つの動きのパターンの個別性が
発生した。
したがって宇宙に最初に存在した創造の化身がヘキサ
グラム型の6体であったという「かの宇宙史」はこの事を
意味している。言い換えれば、この3部品が最初の退屈病
の感染者・・・つまり『宇宙最初の3馬鹿トリオ』というわけ
である。
821 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 23:09:48
>>818 ありがとうございます。
継続/忘却=エントロピーの減少/増大、というときには、
「生き続ける」という意味があります。
単なる反復では、死んでしまいます。そこに絶えず新たな差異が
入り込む、神話が生まれ続けるということ、
神話が生き続けるということ、欲望され続けるということ、
「生き生きし続ける」ということが「継続」の意味です。
「アウシュビッツ」は善悪ではなく、いまも「生き生き」し
続けていることに価値があるのです。
822 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 23:16:37
しかしよくもまあ、垂れ流し続けるもんだね。
一般に、この工程は神の「創造」として称賛されているが、
その発端というものは人間が退屈から抜け出すために
物事をわざと複雑に多様にするのと全く同じことである。
物事を複雑にするというよりも、変化と現象の動きを多彩
にしようとするのである。さて、そのあとは、めくるめく、
ただの分化につぐ分化、個別化につぐ個別化である。
まるで人間が作るコンピューターそのもののように、動きの
パターンに飽きないために、常に改良され続ける。宇宙
では基本的には誰も単純性など求めてはいないのである。
さて、当然のこととして複雑な動きを眺めたいという創造の
意志にしてみれば、創造の手間や管理の面倒さは省きたい
ものだ。そこで毎度考案されるのが自動化システムだ。
創造者が自分でその細部まで企画や設定をしなくとも、
ある程度偶発的に複雑な動きが作られるようにしたので
ある。全く同じことを人類はコンピューターにやらせている。
つまり、マンデルブロート幾何学などである。
824 :
純一:2005/06/15(水) 23:23:44
いやぁ、荒らしっていうか、読み応えのある論じゃん。
825 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 23:27:48
じゆん、お前は小さなヨハネかよ。議論する気ないなら帰れ
826 :
純一:2005/06/15(水) 23:30:18
ヨハネ?
さて、問題となるのは、自動化の中でも、とりわけ『学習
機能』なるものだ。人間が作るコンピューターの学習機能
にも常に「基本的な命令」がある。「何の為に自分で何を
組あわせ、自分で検索し、自分で選択するか」がプログラ
マーによってあらかじめ決められる。これと同じように、
「動き続けろ」という指令を成就するために人間に施された
最大の機能は2つある。
ひとつは、既に述べた創造病の感染だ。つまり、神自体が
持つ『退屈病』の特性である。これを人間に発生させるため
に使われたのは、記憶を振り返ること、つまり内省機能で
ある。何度か同じパターンを反復した場合には、その経験
パターンを記憶として閉じて独立させ、早々に次の運動
パターンや位置に移行するようにしたのである。つまり、
創造者が自分でやっている事を面倒であるので代行させた
わけである。つまり第一の指令とは、細分化の「さらなる
増殖」のためには、同じ経験パターンを繰り返すなという
命令である。むろん安定して繰り返されるべきパターン、
例えば生存や生殖に必要な欲望や感情は、それはそれと
して別に保存され機能し続けるのではあるが。プログラム
には固定部分と流動的部分があるのは、コンピューターと
全く同様である。
そして問題なのは、もうひとつの感染因子だ。それは、
全体への回帰という飢えを作り出すものだった。
全体意識が個別化した枠の中に押し込められると、元の
全体性に戻ろうとする欲求が生ずる。創造者はこれを
知っていたために、ひとつである意識を、複数の部品に
分割して投入するのである。すると、その個別体はお互い
に引き合うのである。
また、その分化もまるで家系図や木の枝のようであり、
何も全体意識がいきなり無数の意識に爆発して分化した
わけではない。そして個別化したものは決して物質的
形態あるいは情報の形態としては融合は出来ないので
ある。
実は、それが融合できる地点がたったひとつだけ存在
するのだが、それは個別化した魂には発見出来ない盲点
部分に設置されている。
その地点は分化した意識の断片を投入した「入り口その
もの」、神が土くれの人間に息を吹き込んだ場所である。
そして、その分化した意識の核それ自体だけは、「対象
として」は発見が出来ないのである。この原因が存在する
ために、人間は自分の意識そのもの、主体そのものだけ
は見ることが出来ない。つまり、自分の「本質だけは正確
に感じ取ることが出来ない」のである。
829 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 23:36:58
韋駄天はブログへ帰れ
830 :
純一:2005/06/15(水) 23:40:25
>>783 東洋思想が若干入ってますね。
タオとか、よくわからないですけど。
831 :
純一:2005/06/15(水) 23:45:16
>>778 >ろくな探求者
ここの件は面白かったです。
>犯した最大の誤ちは、哲学つまり
>「考え抜く」というワークを除外したことだ。
この箇所なんか、私の立場と近いとこにありますね。
メディシンに重きをおかないの現在の形態よりも
なかなか良いと思いますよ。
832 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 23:46:45
悟りとは、分化した意識が、いきなり元に戻るということだ。
通常は分化した魂が次第に戻るパターンが多い。つまり、
ある意識の12体の分身のひとつとしてあなたが生きている
場合には、まず残りの11体と出会って融合し、さらに、その
融合した意識は、当然別の大きな意識の分化したもので
あるので、それがまた次の融合に向かって検索を開始する。
これは、全く気の遠くなるような無駄な作業であると言える。
ところが、いきなり原初の意識に戻ることがある。分化した
意識でも、その「核」は絶対無であるために、それは全宇宙
の母体自体であるからだ。つまり「いかなる細分化の位置」
からでも、もしも、この「絶対無の核」との一致がなされると
突如として、細分化のゲーム、多様性への飢え、そして個別
化の意識が全体に回帰しようとする遊びは、そこでゲーム
セットとなってしまう。
既に述べたように、核は、もともと非相対的な主体あるいは
絶対無であるために、対象としては経験することが出来ない。
唯一それが体験される方法は「一致」という現象にのみよる。
従って、存在の軸や存在の核に向かって、あとずさりする
かのように意識の視点を内部に向かって「引いてゆく」という
方法が頻繁に使われる。死人禅の『0.1秒の悟り』『存在感の
認識の手前』の公案などはこの技法に入る。
834 :
純一:2005/06/15(水) 23:56:09
>>779 >ひとつの特徴は、いわゆる「腹」が全く出来ていない。丹田
>というものは何も「気」を練るためだけのものではない。丹田
>というものに莫大なエネルギーがなければ思考は使えない
>のだ。思考、それも単なる思考ではなく哲学のように「持続
>的に」何カ月も、あるテーマについて自問自答するという気力
>と集中力は丹田が発達していないと不可能なのものだ。
「丹田」というのが、たぶん、このスレの皆さんには怪しいものに
映ると思うのです。私は、あなたの丹田を一種の喩として考えました。
丹田を語ると同時に、あなたは通常の知識ではないあるものを丹田と
呼んでいるのだと思います。例を挙げます。
>丹田が出来ていない者のインテリジェンスには独自性がない。
>ただ本で詰め込んだ知識の組み合わせしか彼らには出来ない。
ここはまなざしの快楽スレに対する一般的な批判と重なります。
>>664は、まさにこの>丹田が出来ていない者の定義枠にかかりますので。
丹田とは何か…。
835 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 23:56:41
てか、なんでじゆんはよってくるかな。
わしの内容理解する力無いし、
じゆんと絡むと、ほんと体中の力抜けるんだよ。はぁ〜
836 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 23:58:15
コピペして、レスする。削除されないための対策ね。
ほんと考えるな。
837 :
純一:2005/06/15(水) 23:59:43
>>835 ぴかぁだったら要点だけをもっと噛み砕いて
単刀直入に書いてくれよ
ぴかぁの哲学はなにをよしとするのか?
ぴかぁの人生哲学なり生き方だよ
838 :
純一:2005/06/16(木) 00:00:26
>>835 >わしの内容理解する力無いし、
いや、理解してるよ。
>>779は遠まわしに、君のそういう姿勢を非難してるのさ。
839 :
純一:2005/06/16(木) 00:03:09
>>873 >ぴかぁだったら要点だけをもっと噛み砕いて
>単刀直入に書いてくれよ
まったくだね。
単刀直入に言ってもらいたい。
ぴかぁ〜は自分の薄っぺらさをわかってnの?
前だってオートポイエーシスだかをまんまパクってたし。
ぴかぁ〜こそが粗製濫造の繰り返しだぞ。
841 :
純一:2005/06/16(木) 00:05:46
>>836 >コピペして、レスする。削除されないための対策ね。
>ほんと考えるな。
削除人がIP見られるなら、今このスレには別々のIPが三つ出てる
と思うから、それはないね。
842 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 00:05:52
843 :
純一:2005/06/16(木) 00:06:50
間違えた、少なくともスレ主以外四人居る。
844 :
純一:2005/06/16(木) 00:07:47
顔近い?
ってどういう意味だ?
845 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 00:08:11
>>841 あ、そ。とにかくお前がいないと荒らしがこないことだけは、
事実だから、どっかいけ。
ってか、なんで近寄ってくるんだよ。臭いんだけど。
846 :
純一:2005/06/16(木) 00:09:52
しょうがないなぁ…。
じゃあ、ぴかぁ〜にもわかるように説明してあげるよ。
>>844 自分の手品のトリックの底の浅さがばれるから、
あんまりこっちに近づくなって意味だよ
848 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 00:11:06
やっぱ、じゆんと会話するとコピペ止まる(w
ってか、なんでもいいよ。
とにかく、もう二度と絡まないと思うから、
じゃあな、じゆん元気でやれよ。バイバイ〜
849 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 00:13:03
非難しても変わるわけじゃあるまいし。
ピかぁ〜はピかぁ〜なりに続ければいい。クヌース的な才能はあるだろ。
それはそれで有用なんだよ。
850 :
純一:2005/06/16(木) 00:16:00
>>780は、瞑想の現実的な契機のことについて書いているのさ。
ぴかぁ〜の場合は、
>>664で他人から盗作してるのがバレちゃった訳だから、
丹田とかの肉体的ハードなものによって、考えるってことをしないんだな。
そりゃあ、他人のサイトから複製すれば、考えなくて済むのでこうした訓練を
使っていないってことさ!
851 :
純一:2005/06/16(木) 00:17:33
852 :
純一:2005/06/16(木) 00:19:21
>>849 >クヌース的な才能はあるだろ。
クヌースって何ですか?
853 :
純一:2005/06/16(木) 00:32:04
854 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 00:32:56
人名だ。ググってみ。
knuth
855 :
純一:2005/06/16(木) 00:34:17
誰か教えろよ!
てっきりこれ関係かと思ったじゃんよ。
ヌース【(ギリシア)nus】
古代ギリシア哲学で、心・精神・理性の意。
アナクサゴラスでは、混沌状態に運動を与えて秩序ある世界を形成する
原理とされたが、プラトンでは、イデアを認識する理性的能力をさす。
856 :
純一:2005/06/16(木) 00:36:11
てか、
>>849の
>クヌース的な才能
ってのは、プログラミングの先生みたいな才能ってことか。
…ないだろ。
857 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 01:43:25
858 :
純一:2005/06/16(木) 01:45:53
ほう、これは素晴らしい才能だ。
859 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 01:53:15
>>857 原稿の依頼は絶対ないよ、ましてや本、マジない。
ぴかぁ〜タンの本心読んだり、藁藁藁。
寝よっと。
ピかぁ〜は哲学学者の才能ありということだな。
その道を極め、哲学の歴史や事典でも書いたらどうだろう。
君ならできるよ。
と、利己的な事を言ってみるテスト。
哲学事典買おうかな。
861 :
純一:2005/06/16(木) 01:57:01
862 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:31:49
継続は真なり
863 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:38:44
私の中の他者
象徴界の他者…言語獲得によりインストールされる
現実界の他者…生物学的同一種、遺伝子プログラム
864 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:47:11
私は世界を「(現実界の)他者」としてみる
石であれ、空であれ、机であれ、犬であれ、人形であれ。
すなわちコミョニケーション可能=気持ちが通い合うだろう他者(の痕跡)である
それが「(象徴界の)他者」である。
すなわち「(象徴界の)他者」とは、決して到達しない「(現実界の)他者」の幻影である。
865 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:51:31
デリダの、柄谷の「他者」とは、「(現実界)の他者」であり、「(象徴界の)他者」を払い除けて、「(現実界)の他者」へ到達しようという終わりな試みへの決意である。
866 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:58:56
しかし「(現実界の)他者」へは決して到達しない故に、
ここで行われていることは「継続」である。
「継続」とは「(象徴界の)他者」の終わりなき書き替え、忘却しない成長である。
867 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 12:07:56
欲望とは「(現実界の)他者」への欲望である故に無への欲望である。
そして「(現実界の)他者」とは「本物の無垢」である故に欲望は「本物の無垢」への欲望であるが、
「本物の無垢」へは到達しない故に、「幻想の無垢」=「(象徴界の)他者」を捏造し欲望する。
868 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 12:13:17
「本物の無垢」への欲望とは、「今度こそわかりあえるだろう」という期待である。
869 :
bbs:2005/06/16(木) 12:39:17
到達しない場所を到達しないと割り切る(忘却する)ことは本物の無垢ですね。
そして、そこにたどり着く事は不可能である以上はそこに向かう理性的欲望は全て幻想を抜け出ることはありません。
しかし、そこに向かう理性が生まれうる事は幻想の枠を出る事はないにせよ、我々が一般に言う幻想と一意的に統一する必要はないでしょう。一般に言う幻想はシミュレーション的であって現実との背反であり、表象がそれ単独で存在しうるものでしょう。
自己の内に内在するものに「反転」の中で追いつめられた「人間」が「転倒」したとも言えるかもしれませんが、それが外界に対して飛躍しない以上は理性的欲望とは異なるでしょう。
おまえらアホだな。
このスレの『煽り』も含めて丸ごと
だったら出版価値はあるぞ。
つーか『煽り』が面白いんだけど。
電波哲学男
872 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 16:11:35
ついに映画化
出版価値を上昇させるためにはコピペやAAがよい。
874 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 18:45:58
カオス辞めたんだね。残念
875 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 19:12:00
「継続」こそが正義であり、真である。
私の中には、「他者」がいる。そして「私の中の他者」には二種類ある。
「現実界の他者」…生物学的同一種、遺伝子プログラムで共有される「他者」
「象徴界の他者」…言語獲得によりインストールされる「他者」
欲望とは「(現実界の)他者」への欲望である。「(現実界の)他者」への欲望とは、
「完全にわかりあえる」ことへの期待である。しかし「(現実界の)他者」と出会うことはできない、
故に「欲望は無への欲望である。」
この不可能性は、「(現実界の)他者」にかわって、欲望の対象としての「(象徴界の)他者」を捏造する。
「(象徴界の)他者」はそこに「(現実界の)他者」がおり、そのために「みんな」がその対象を
欲望しているだろう、ことによって、現れる。世界は、超越論的他者のまなざしの世界としてあり、
私は世界を「(象徴界の)他者」としてみる。それは、石であれ、空であれ、机であれ、犬であれ、
人形であれ、コミョニケーション可能性=気持ちが通い合うだろう他者(の痕跡)としてみるのである。
これは、ボクが「転倒」と呼ぶものである。「偶有性から単独性への転倒において神性は捏造される」は、
このように世界を「(象徴界の)他者」としてみることを意味する。
876 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 19:12:24
超越論的他者のまなざしによってつくられる「(象徴界の)他者」という幻想が、「(幻想の)無垢」である。
欲望は「(幻想の)無垢」への欲望であるというとき、「(幻想の)無垢」は、「(象徴界の)他者」を
払い除けて、「(現実界)の他者」へ到達しようとして、解体(消費)される。これをボクが「反転」と呼ぶ。
「単独性から偶有性への反転において神性は暴露される」
しかし「(現実界の)他者」へは決して到達しない。「(幻想の)無垢」は汚される。このとき「反転」は
どこかで「転倒」する。あるいは「反転」そのものが「転倒」である。
主体とは、このような「転倒/反復」の運動である。
877 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 19:12:49
デリダの、柄谷の「他者」は、倫理的な意味をもつ。到達不可能であることはわかっているが、
「(現実界)の他者」へ到達しようという、「(象徴界の)他者」を「反転」しつづけるという
終わりなき試みへの決意であり、それが「正義」である、ということだ。
しかし「反転」はどこかで「転倒」する。これが否定神学の構造である。
このために、結局のところ、ここで行われていることは「継続」である。「反転」の本質とは、
「暴露」ではなく、「忘却」である。故に、「反転」への抵抗は、「忘却」への抵抗としての「継続」である。
そして「継続」とはある対象に対する「転倒」の継続であり、ある「(象徴界の)他者」の終わりなき書き替え、
忘却しない成長である。 すなわち「継続」とは、対象への賛否によって対象を成長させ
続ける行為である。「継続」が正義であり、真である。
878 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 19:15:01
俺も外界に対しての
飛躍だ ∩ノつ
いけぇ!/⌒⌒ノ
=ネ ∧ /
⊂(゙Д゙;)彡
☆ ゞ∪彡
☆__●●●__
/◎◎\|/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
なにかいっているようでなにもいっていない人っているよなぁ
ぴかぁ〜もそのたぐいだったりして
880 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 19:33:51
それ位読み解いてあげなよ。生暖かく見守りな!
ぴかぁ〜ってもう死ぬまで延々と
この調子で繰り返すだけなんだろうなぁ
彼女作れよ 変わるから
>>877 「継続」が正義であり、真である。
「継続は力なり」という慣用句とどう違うんだ!?
後「暴露」と「忘却」を対比させて
忘却のほうに可能性を感じることは結構だが
過去にとらわれずに未来を向いて進もう、といった常套句と変わらんぞ
後、人は忘れる生き物である、といった決まり文句もある
理屈を散々言っても、結論は決まり文句かよ
884 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 19:59:39
「継続」が正義であり、真である。
これは哲学にならない
絶対無理w
886 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 20:20:01
傾きの程度を顕す微分係数やろ?
887 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 20:21:04
微分・積分は基本だよなあ
888 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 21:07:41
出版ねらってんのか、ぴかぁ〜
本当に死ぬまでこのまま繰り返しそうで怖い
891 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 21:36:13
ただいま出版社募集中です!
連絡はこちらまでお願いします!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
無理だろ
893 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 21:41:45
じゃあ、やめる。
普通に働けよ
895 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 22:00:14
せまるしか
896 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:11:57
どうせ無垢への欲望だろ
897 :
純一:2005/06/16(木) 22:15:59
?
意味不明ですが。
898 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:19:47
名無しでいろ
899 :
純一:2005/06/16(木) 22:22:46
?
更に意味不明ですが。
900 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 22:23:48
901 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:28:54
902 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:36:14
「(幻想の)無垢」とは、超越論的他者のまなざしによってつくられる「(象徴界の)他者」という幻想である。
欲望は「(幻想の)無垢」への欲望であるというとき、「(幻想の)無垢」は、「(象徴界の)他者」を
払い除けて、「(現実界)の他者」へ到達しようとして、解体(消費)される。これをボクが「反転」と呼ぶ。
「単独性から偶有性への反転において神性は暴露される」
いろいろ職業が代わるやつだ
904 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:37:58
しかし「(現実界の)他者」へは決して到達しない。「(幻想の)無垢」は汚される。このとき「反転」は
どこかで「転倒」する。あるいは「反転」そのものが「転倒」である。
主体とは、このような「転倒/反復」の運動である。
905 :
純一:2005/06/16(木) 22:39:55
>>891 ちなみに、出版目指すんだったら著作権のこと考えないと
盗作で捕まるんじゃないか。
906 :
純一:2005/06/16(木) 22:41:06
これだけおおっぴらにパクってる訳だし。
出版は、笑わせたら許されるようなところでもないのだから、権利を考えないと
いけないでしょうね
908 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:48:08
「転倒/反復」の運動とは、「(現実界の)他者」へ到達をめざし、
「転倒」された「(幻想の)無垢」を「反転」する主体維持の新陳代謝である。
この主体とは、「幻想の主体」である。
その遠くに、「(現実界)の他者」があり、声が聞こえてくる。
真っ先に問題になるだろうけれど、起源によるわな
910 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:53:50
その遠くに、「(現実界)の他者」の声が聞こえてくる。
それが決して到達しない「(本当の)無垢」である。
「ぴかぁ〜が精神に異常をきたしている」、という設定にして
私小説やドキュメンタリーという形式にすればよいのでは?
パクリの件なら巻末に引用を書けばよい。
912 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:56:31
■私の中には、「他者」がいる。そして「私の中の他者」には二種類ある。
「現実界の他者」…生物学的同一種、遺伝子プログラムで共有される「他者」
「象徴界の他者」…言語獲得によりインストールされる「他者」
■欲望とは「(現実界の)他者」への欲望である。「(現実界の)他者」への欲望とは、
「完全にわかりあえる」ことへの期待である。しかし「(現実界の)他者」と出会うことはできない、
故に「欲望は無への欲望である。」
■この不可能性は、「(現実界の)他者」にかわって、欲望の対象としての「(象徴界の)他者」を捏造する。
「(象徴界の)他者」はそこに「(現実界の)他者」がおり、そのために「みんな」がその対象を
欲望しているだろう、ことによって、現れる。
■世界は、超越論的他者のまなざしの世界としてあり、私は世界を「(象徴界の)他者」としてみる。
それは、石であれ、空であれ、机であれ、犬であれ、人形であれ、コミョニケーション可能性=気持ちが
通い合うだろう他者(の痕跡)としてみるのである。これは、ボクが「転倒」と呼ぶものである。
「偶有性から単独性への転倒において神性は捏造される」は、このように世界を
「(象徴界の)他者」としてみることを意味する。
913 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:58:36
■超越論的他者のまなざしによってつくられる「(象徴界の)他者」という幻想が、「(幻想の)無垢」である。
欲望は「(幻想の)無垢」への欲望であるというとき、「(幻想の)無垢」は、「(象徴界の)他者」を
払い除けて、「(現実界)の他者」へ到達しようとして、解体(消費)される。これをボクが「反転」と呼ぶ。
「単独性から偶有性への反転において神性は暴露される」
■しかし「(現実界の)他者」へは決して到達しない。「(幻想の)無垢」は汚される。このとき「反転」は
どこかで「転倒」する。あるいは「反転」そのものが「転倒」である。
主体とは、このような「転倒/反復」の運動である。
■「転倒/反復」の運動とは、「(現実界の)他者」へ到達をめざし、「転倒」された「(幻想の)無垢」を
「反転」する主体維持の新陳代謝である。 この主体とは、「幻想の主体」である。
その遠くに、「(現実界)の他者」の声が聞こえてくる。それが決して到達しない「(本当の)無垢」である。
全部、ソクラテスのパクリだになるんだよ。
それか、云々主義的2ch思想は甲乙的2ch思想でない、甲乙的2ch思想はパクリだ。
一方、甲乙的2ch思想はそうではない、我々は2ch思想を学んでいる、決して云々主義的2ch思想
を学んだわけではない。
こんなかんじだ、また、本なら引用が欠かせないでしょうね。
915 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 23:19:21
なぜ人は一夫一婦制なのか。
人の知能の向上は脳を大きくした。この大きな脳をもつ子供が産道を通すためには、
まだ未熟児の段階で、生む必要があった。だから人間の子供のみが、出産後も
脳が急激に成長する。
そしてこの未熟児は生まれた後も手がかかる。そのために父親は多妻で、
多くの子供を持つことは、困難になるのである。
916 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 23:23:12
このような物語が、未熟な幼児、父と母というエディプスの物語へつながる。
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴∵∴\
/:: ∵∴∵∴∵ ∵ヽ
/∵ ∵ ∵丶
/∵▲▲▲▲ノ ▲▲▲▲ッ∵ヽ
/∵∵∵ / ヽ / ヽ . :::|
|∴∵ | ● | | ● | :::|
|∵ `ヽ ノ ヽ ノ`ゝ'' ::|
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|∴∵:/::::::::; −vー 、::::: ヽ ∴| <
|∴∵/:::,--=二二=--::::ヽ:::::::::| |をはよう馬鹿!
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918 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 23:30:04
これが、超経験主義である。
先天的、後天的という差異、誕生というゼロ点を消失させ、
経験を進化論的に過去へと延長する。
ここでは、固定された先天性はない。
遺伝子情報は未完成のスイッチである。後天的な経験が、そのスイッチを押し、
遺伝子情報を作動させるのである。すべては経験である。
ここに経験論と合理論の矛盾は解消される。
919 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 23:56:48
出版したら負けかなと思っている。
920 :
純一:2005/06/16(木) 23:59:28
負けるというより敗訴だが。
921 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/17(金) 00:02:22
>>920 なつくな〜、仕方ないなあ。
最近、哲学の話しないが、どんな本よんどるん?
922 :
純一:2005/06/17(金) 00:05:48
哲学の話?
そんなものいつしたっけ?
923 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/17(金) 00:07:24
>>922 したことなかったっけ?どんな本よんどるん?
924 :
純一:2005/06/17(金) 00:10:04
>最近、哲学の話しないが、
って前に、哲学の話したっけ?
マイ哲学の話しかしてないような…。
中二病よりも高二病のほうがキモイね。
926 :
純一:2005/06/17(金) 00:17:20
検索してみた
中二病
■ 基本的な語義*1
バカドリルによってこの病気がはじめて世に知られる事となった。
中学2年生程度の屁理屈で社会を否定し、結果何の行動も起こさなくなる病。
特に引篭もり患者に多く見られる。重度の患者は勝手な思い込みから社会の規律に
反した行動を引き起こすため、早めのケアが必要。闘病患者としてタレントの
伊集院光氏が有名。(未完治)
927 :
純一:2005/06/17(金) 00:18:49
高二病はこちら
■ 最近の一般的な意味
自分に自信が無いので「他人とは違う趣味を持っている」ということで無意味なキャラ作りをすること
男子が中学二年に取りがちな痛い行動
自虐ネタ
■ 関連語
→女子の似たような現象は小六病と呼ぶ。
→中二病の人を嫌悪したり「この人はここが中二病だよ」とバカにすることは高二病と呼ぶ。
→計算の無い単なる面白い子供らしい行為は小二病と呼ぶ。
→「高二病の人は中二病の人を嫌悪してみっともないよなぁ」と思うのは大二病と呼ぶ。
→中ニ病は誤変換
→中二病を過剰に意識して何も行動を起こせなくなることは裏中二病と呼ぶ。
928 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/17(金) 00:19:51
>じゆん
次スレ題、なににしたらいいと思う?
929 :
純一:2005/06/17(金) 00:25:33
ちなみに、中二病も高二病もこのスレではじめて知った。
930 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/17(金) 00:38:17
◎ まなざしの快楽 PART7◎
最近の脳科学の研究で、人はアイコンタクトによって他者に自分が認識されたときに脳内で
ドーパミンが分泌されて快感を感じる。自分が好んでいる人に認識されるほど反応が大きいらしい
ということがわかった。
このような「まなざしの快楽」は、実際に見られていことを確認したときにだけ生まれるのではないだろう。
「私は見られている」という自意識が快楽を生む。おしゃれをして街にでることの楽しさは、実際に
どれだけの人が彼女をみるかではなく、「今日はいけているからみんなにみられるだろう」という
まなざしの捏造が快楽を生む。
そしてさらに「まなざしの快楽」は、他者との関係性、コミュニティの中の位置によって、
私が何ものである承認される快楽ではないだろうか。だから社会関係において、ボクたちは様々な人と
まなざしを交換し、さらに交換されているように捏造して、私が何ものであるかの承認を得ているのである。
注)このスレには数年に渡ってまなざし過剰な粘着荒らしじゆんが常駐しています。完全放置でお願いします。
PART6
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1116841958/l50 はてな
http://ime.nu/d.hatena.ne.jp/pikarrr/
931 :
純一:2005/06/17(金) 00:39:22
また、同じスレ題か…。
932 :
純一:2005/06/17(金) 00:41:59
>>930の注記はむしろ、
注)この板には数年に渡ってまなざし過剰なクソコテぴかぁ〜が常駐しています。完全放置でお願いします。
これが適切。
ローカルルールでもいいよ。
自らの身体が、他者(男性)から
「性的に欲望される客体」となることに
よって主体化されるという女性独特の立場を、
簡単に引き受けられない人たちが思春期を遅延
しているということをまずはクリアにしていか
なければならない。摂食障害やリストカット、
セックス中毒などは、それが極端化した例だと
思うし、実際風俗嬢やAV嬢にはそういう子たちが多い。
http://d.hatena.ne.jp/./TRiCKFiSH/
13 :考える名無しさん :2005/06/16(木) 18:20:22
だが、残念ながら、マルクスの理路によるならば、
そこにたどりつく過程で労働者たちは「収奪された労働価値の奪還」
という社会主義革命を経由しなければならない。
それは言い換えると「オレの稼ぎはオレだけが享受する。
オレのものは誰にも渡さない」という言い分に理ありとすることである。
それは「人間的」な考え方ではない。
14 :考える名無しさん :2005/06/16(木) 18:21:10
人間は「すねを囓られる」という経験を通じてはじめて
「自分にはスネがある」ことを確認し、「骨までしゃぶられる」
という経験を通じてはじめて「自分には骨がある」ということを
知るという逆転した仕方でしかアイデンティティを獲得すること
ができない「生き物」である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
サラリーマンの基本心性はむしろこれを倒置した「享受される」に近いであろう。
しかし、この「不当に収奪されている」という実感が「自己を供物として捧げることで
共同体を維持する」という太古的・呪術的な社会観に深いところで通底していることに
気づいている人は少ない。
「自己を供物として捧げる」ということは、人間に深い感動をもたらす経験である。
おそらく「自己を他者への供物として捧げ、他者によって貪り食われる」という事況
そのもののうちに強烈な快感を覚える能力を得たことによって人類は他の霊長類と分岐したのであろう。
http://blog.tatsuru.com/archives/000973.php
936 :
純一:2005/06/17(金) 01:42:45
パクリ元ネタ?
933・934・935
を踏まえ「ぴかぁ〜哲学」
(欲望される主体・欲望のまなざし)でまとめよ。
938 :
考える名無しさん:2005/06/21(火) 23:27:09
ぴかぁの理論は形式的だが、それをさらに形式化してくれ。くだらん二冊目の本とか、そういうのはいらないよ。僕はぴかあの内省と遡行が見たいんだよ。
939 :
考える名無しさん:2005/06/22(水) 16:06:32
↑アスペ
????
このスレに内省も遡行も無いだろ
943 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 21:26:01
ん?
944 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 21:36:37
猪股の本かで読んだが、万博などの高層物は、その眺望を人々に見せることにより
町の俯瞰という意識を与えた
それはすなわち新しい自分の発見である
少年↓
946 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 22:33:08
独占的使用ということで、新スレ、削除人に削除されたようです。
有志の方で、スレ立てていただける方、お願いします。
★ まなざしの快楽 PART8.2 ★
最近の脳科学の研究で、人はアイコンタクトによって他者に自分が認識されたときに脳内で
ドーパミンが分泌されて快感を感じる。自分が好んでいる人に認識されるほど反応が大きいらしい
ということがわかった。
このような「まなざしの快楽」は、実際に見られていことを確認したときにだけ生まれるのではないだろう。
「私は見られている」という自意識が快楽を生む。おしゃれをして街にでることの楽しさは、実際に
どれだけの人が彼女をみるかではなく、「今日はいけているからみんなにみられるだろう」という
まなざしの捏造が快楽を生む。
そしてさらに「まなざしの快楽」は、他者との関係性、コミュニティの中の位置によって、
私が何ものである承認される快楽ではないだろうか。だから社会関係において、ボクたちは様々な人と
まなざしを交換し、さらに交換されているように捏造して、私が何ものであるかの承認を得ているのである。
さあ、みんなで、「まなざし」について哲学的に、語り合おう!
PART7
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1118940448/ PART8.1
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1122301212/
947 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 22:34:29
有志の方で、スレ立てていただける方、以下の内容で、スレ立てお願いします。
武蔵の戦い方イタリアサッカーみたいで好き
リスクを最小限にじわじわと
うんこ
第2うんこ
うんこ終了
947 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 22:34:29
有志の方で、スレ立てていただける方、以下の内容で、スレ立てお願いします。
948 :考える名無しさん :2005/07/31(日) 22:34:45
武蔵の戦い方イタリアサッカーみたいで好き
リスクを最小限にじわじわと
やあ
ぴかぁ〜のマルクス論を読んだよ。
内容は相変わらずだったね。
気付いたんだが、ぴかぁ〜のはてなって最近引用元も
書くようにしているみたいだが、これって著作権対策?
姑息な事考えずに、素直にパクリやめて論くらい自分で考えたら
どうかね?
で、前のスレ辺りで、
「電車男」に言及してたけど、これも浅いですね。
元々、このスレ最初の
>>16-18の辺りは、
最近ではもう既に語られていないのですから。
無垢とか言ってるのも最初だけですね。
キーワードの取替えがいくらなんでも早すぎると思いませんかね?
最近のスレだけでも、
無垢→生き生き→セカイ系
とか、キーワードを自作しては、
飽きると別のキーワードに取り替えるだけって感じですよね。
で、前のスレで私が分析したみたいに、
>>957みたいなキーワードの取り替えしかぴかぁ〜がしないってのは、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
が、ぴかぁ〜の思考のベースになってるからだと証明した訳です。
例を出しましょう。
前のスレでも出したものですが、これを見てください。
>1 :腐敗 ◆lF86EsedsY :2005/04/06(水) 02:59:11
>個人的な例で申し訳ないが。
>なんかもう、当たり前のことが、当たり前に見えてしまう。
>感覚器官を通して我の意識に顕現する全てが、あるがままに見えてしまう。
>疑問符が浮かばない。
>もうこうなったら終わりだよな。学徒として。
>いや全然悲しくないしせいせいしてるぐらいだ。
>「哲学は驚きに始まる」とは的を得ている。
>その他、目からウロコ、とかいろいろな表現で哲学の始まりを聞くが。
>しかし今、全く別の驚きを俺は感じてる。
>「あるものが、あるがままに見えている感覚に驚いている」
>哲学は「驚きに終わる」のかもしれないと思った。
>まあ気が向いたらマジレスでもくれ。
>今は……表象に没入する喜びに酔いたい。
これが
>>958の
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
から読むとどうなるか。
>>959のスレの、1のレスは、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
をとおして読まれると、
最初に、データに分解される訳であります。
で、何の情報なのかと申しますと、
「哲学の学問的な固有名詞」の要素が入っているか、
もしくは、入っていないかという基準なのです。
ぴかぁ〜の前のスレを思い出していただけると分かるのですが、
これは大部分が、「お笑いのオタク話」に終始しています。
普通、これなら学術用語を使うことはない訳ですね?
だが、ぴかぁ〜やミスターXはむしろ積極的に、
「ポストモダン」や、ラカンなどの用語を使って
オタ話を繰り広げていく訳であります。
で、おかしいのは、普通、哲学に興味があるか、
自分で考えたことがある人っていうのは、
>>959の
ように、全く哲学の固有名詞を使わなくても表現できる訳です。
だが、そのような言葉を使うと、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
では、「無意味」と判断される訳であります。
これはなぜでしょうか。
>>962の答えってのは、簡単なものなのです。
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
ってのは、彼等自身がよく言うように、
萌え要素=学術風な固有名詞が入っていれば、
それで満足だからなのです。
だから、ぴかぁ〜やミスターXは、
学術風の固有名詞が入っていない
>>959みたいな文章に
出会うと、思考のコードである、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
が脊髄反射し、
「萌え要素=学術風な固有名詞が入っていないから、無意味」
と短絡的な判断をするに至るって訳です。
どちらかというと純一の私物化の方が目立つんだが?
まとめますと、ぴかぁ〜・ミスターXは、
文章の意味を判断してまで読むつもりは無くて、
「萌え要素=学術風な固有名詞」
に反応するか、いなかで決めてるってことです。
>>965 具体的にお願いします。
どのレスですか?
で、
>>966で証明した判断基準ってのは、
まんまオタクの消費の仕方でありまして、
前のスレで私がやった分析は、
ぴかぁ〜・ミスターXにかなり当てはまると
証明された訳です。
>>968で私がいったのは、
ぴかぁ〜とミスターX(2オタク)の、電車男の消費のしかたにも
現れていますので、それを分析してみましょう。
ぴかぁ〜は、前のスレ辺りで、
「ドラマ版電車男はつまらない」
などと申しておりましたが、これなんか典型だなぁと思うのであります。
なんで、そのような判断がなされたのか、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
で読めば理解できます。
いかに理解しがたくてもですよ。
電車男は、大人気なのでありますが、
普通の世界では、オタク=ぴかぁ〜とミスターXってのは、
気持ち悪がられるものなのであります。
で、ぴかぁ〜とミスターXの電車男の批評は、
この基準をオタク独特の世界観で、
>普通の世界では、オタク=ぴかぁ〜とミスターXってのは、
>気持ち悪がられるものなのであります。
これみたいな普通の基準を逆転させる訳であります。
どうやるのかというと、
ぴかぁ〜みたいに、電車男はベタだと言ってみたり、
ミスターXみたいに、オタク描写が甘いと言ってみたりする訳ですよ。
で、自分のセカイが完成する訳ですね。
ぴかぁ〜のドラマの批評も、ミスターXの下ネタも同じでありまして、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
が一番すぐれた認識だとのオーラが一挙一動に出てくる訳です。
で、それが終わりになればなるほど、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
の思考法は、同じ思考法を共有する者同士にしか伝達されなくなります。
同年代や、同じ成育環境を持つものとの交流のみ、受け入れるのですね。
2人同士の伝達的なパラグラフには、
特殊なコードが存在すると考えるのでしょう。
一方に伝達されるべきコードは、彼我のコードの
差異があってはならない訳ですから、
当然、ここに起こるのはコードの同一性であります。
セカイ系との用語はどうでしょうか?
ぴかぁ〜は、何の疑問も持たずにこの用語を使っております。
しかし、セカイ系とはなにか?
ここは空白のままだといえましょう。
コードの同一性は、同じコミュニケーションでの
同じく正しいコミュニケーションを保障しますね。
ぴかぁ〜の情報は、コードの同一性によって、
ミスターXへと伝達されるのです。
コードの同一性と、セカイ系との接続はもっと簡易なものです。
電車男ではどうでしょうか?
電車男の処理の仕方までもが、コードにゆだねられている。
ぴかぁ〜もミスターX(ロウシ)も気付かぬまま、コードに
従って処理している訳です。
>>959もこのコードに従って
処理されるのが、オタク同士のコミュニケーションのあり方なのです。
じゃあ、そのコードは何か?
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
でありまして、普通の文章では感覚で話をする行為を
このコードによる処理と置き換えが可能なケースに限り、
思考モデル化ができるのです。
まあ、今回はこんなところでしょうか。
感想あったらどうぞ。
ヒント:クッサ〜、こりゃまたクッサ〜、ごめんくっさ〜。