2 :
考える名無しさん:03/01/08 22:14
3 :
考える名無しさん:03/01/08 23:59
関連サイトの説明希望。
4 :
考える名無しさん:03/01/09 12:46
1さん、スレ立て乙です!
関連サイト、時間があったときにでも読みますね〜。
3さん、1さんじゃないので、関連サイトの説明は出来ないのですが。
ヴィパッサナー瞑想について書きます。
まだ、この瞑想を知って、
日があさいので間違ってるかも、鵜のみにしないでくださいね。
また、間違いを修正してくださる方もきぼんです。
ヴィパッサナー瞑想とは、
座ってイメージに集中したり、マントラを唱えたりする瞑想ではありません。
(それはサマタ系の瞑想というらしいです。)
日常の行動の中、行う瞑想で
瞬間々々、現在にいつづける行為のようです。
ふだん心を悩ます未来や過去への妄想をたちきり、
目の前にあるそのままの現実だけを、十二分に味わうテクニックです。
現実を客観的に見続けることで、苦も楽も、中立的に見られ、
それに振り回されない自己が養われるようです。
原始仏教では、ヴィパッサナーは悟りを観る唯一の道だそうです。
(でも、悟りが何かは知りませんが。)
ヴィパッサナーの、おおざっぱなやり方を説明しますと、
初めは身体の気づきからはじめます。
たとえば、歩くという行為に対して、微細な感触を感じ、
それに心の中で言葉にし、確認してゆきます。
(だだ、本でみると、言葉にしないヴィパッサナーもあるようです)
「右足があがった」「右足が進んだ」「右足が床にふれた」というように、
感覚の後に言葉をつけますが、
大事なのは言葉よりも、体の実感に集中する事のようです。
私は、ヴィパッサナーをまだ、かじった程度しかやっていませんが、
瞬間に気づくことで、
自分のロボットのような反射的な行動パターンを
外してゆく事ができるかもと感じます。
またいかに、思考や心配などに振り回されていたか、
「今」を感じずにいるのかを感じました。
このスレタイにも、クリシュナムルティとあり、共感したのですが
彼の日々注意深く、周りや自己を観察するさまは、
まさにヴィパッサナーに通じると思います。
これをちゃんとやれば、クリシュナムルティの
言うことが少しは分かるようになるかも・・・しれないですよ〜。
8 :
考える名無しさん:03/01/09 13:43
9 :
考える名無しさん:03/01/09 16:40
「ヴィパッサナー」というのは初めて聞きました。
グルジェフの修行法に似てますね。
興味ある。クリシュナムルティーの宗教圏はヒンズーですか?
>3 関連サイトの説明希望。
説明ですかー、どんな説明すればいいのかなー
ざっと読んでみれば、もう説明は要らないかも、です。
>4さん
どーも、ありがとうございます。
今後ともよろしくです。
>9
>「ヴィパッサナー」というのは初めて聞きました。
>グルジェフの修行法に似てますね。
クリシュナムルティ・禅・ヴィパッサナー
グルジェフ・ゾクチェンあたりは、
大まかな話しをすれば皆似てると、色んな人が言ってますね。
私はグルジェフは。ほとんど知らないので何とも言えないのですが
どうなんでしょうねー、実際。
こんな比較を見たことあります。
◆左側グルジェフ用語、右側がK。
「自己想起」≒「きづき」
「主観的意識」≒「自己認識」
「高次感情センター」≒「愛」など
「人間7番」ヘの変容≒「開花」
>10 クリシュナムルティーの宗教圏はヒンズーですか?
どちらかと言えば仏教系に似てる(やたらと似てる)、
と私は考えます。
この比較に於いては、ヒンドゥー系と仏教系は、
取りあえず異なったものだとと云う理解です。
誰かが、こんなこと書いてました。
「私はグルジェフ・ウスペンスキー思想の素晴らしさの一つは、
現実の生活から隠遁することなく、
その直中にいながらにして自己の変容を目指す道を示していることだと思っています。
グルジェフの言葉に、「生活で弱い者はワークでも弱い」というのがありますが、
一体、真の求道とは生活と対立するものなのでしょうか?
私自身、不毛に神経質なところがあり、
日々の仕事や人間関係、こなさねばならない馬鹿げた業務に対し、
ともすると過敏に反応して憂鬱になりかねないのですが、
G&Oの思想のおかげでずいぶん助かっています。
何といっても「非同一化」と「自己想起」のアイデアは他からは得がたい強力な武器であり、
私にとって大きな恵みになっています。
agataさんの置かれた状況を知っているわけではありませんが、
「汚れた通俗生活」はワークの材料の宝庫であるともいえないでしょうか?」
なるほどにゃ〜、いいこというなー
同意してます。
そして実践するつもり、というかしなければならないです。
15 :
考える名無しさん:03/01/09 19:54
ですよね〜....実践するしかない
と分かっていながらできない私。
16 :
考える名無しさん:03/01/09 21:37
グルジェフとヴィパッサナーが似てるわけ無いだろ!!
なんにでも擦り寄ってくるよなあふぉ狂信者は。
17 :
考える名無しさん:03/01/09 23:08
上記サイト
http://www7.ocn.ne.jp/~kan-gyo/ を見ていたら、こんなこと↓書いてあるけど、
これ、ホントにできることなの?
出来てるヒト居んの?
-----
日中を通して、心は鋭く、素早さをもって、注視し、傾聴し、挑戦に応じてゆく。
自分の思考や感情の動きに注意し、心の奥底のどんな動機にも、
どんな些細な欲求、心のうごめきにも、見逃すことなく気づいている。
人の話を聞いたりおしゃべりしたりしているときでも、散歩しているときでも、
あるいは不快感や羨望が生じたときでも―いつでもです。
自分にとって不快な言動に出会った際の自分の反応、
本を読んでいて「○○教など、ナンセンスだ!」という一節に出くわした際の自分の反応、
こうしたものすべてに気づき、
そこに含まれている意味が分かるほどに観察力は鋭くなければなりません。
バスに乗っているときでも、妻や友人と話しているときでも、テレビを見ているときでも
―いつでもです。
大空を渡る美しい雲の動きを眺めるのでしたら、それを完全に鑑賞し、
同時に自己の内外に生じてくるあらゆる変化をも捉えられるだけの注意力が必要です。
そうしてはじめて、夢を持つことのない完全な睡眠と、
柔軟かつ強靭な、みずみずしい心とを持って生きるということが可能になるのです。
メール811ってたまたまだけど私の誕生日と同じだった。
わざとですか?ではないかー。何かまた謀んでない?
とにかく面白そうだけど私には高尚すぎると感じました。
19 :
考える名無しさん:03/01/09 23:26
age
811ってきもい。わざとか?
21 :
考える名無しさん:03/01/09 23:33
??
22 :
すしでもくいいっか:03/01/09 23:40
いやー哲学に立ててたのかあ。探しちゃった。
京都のセンターはいまさみーだろうなあ。
こんなことかいたらあかん?のかな。
23 :
考える名無しさん:03/01/10 09:02
京都のセンター、今、コース中だよね。
「メール811」って何?
24 :
考える名無しさん:03/01/10 15:58
>16
自己想起ってどのような状態を指し示しているのか教えていただけないでしょうか。
サティは単なるパッサーでを気づくことだと思いますが、グルジエフのそれはなんだか中心性があるように読めます。
アジズのSPみたいに具体的な表現で知りたいです。
25 :
考える名無しさん:03/01/10 16:35
26 :
すしでもくいいっか:03/01/10 23:53
いやーみんな何をどう実践してるのかなー。興味としてよ。
ちなみにわたくし、マハーシ式とゴエンカ式?をかじりつつ
タイのパットワクナム系のお寺にいって食事をしたりしてました。
グルジェフ、栗ちゃんも読みますがそれをメインでやるつもりはありません。
<できない。かな>
アマチとかも会いにいったりしましたが
基本は徹底的にヴィパッサナ。
でもマクドナルドベインは好きよ。なーんつってな
以上
27 :
考える名無しさん:03/01/11 00:22
ヴィパッサナーはよく知らんが、
>「右足があがった」「右足が進んだ」「右足が床にふれた」というように、
>感覚の後に言葉をつけますが、
グルジェフもKもこういう余計な言葉付けはしていないはず。
28 :
考える名無しさん:03/01/11 00:50
あのー
Kの教えって、自己を客観的に見る事ではないと思います。
苦も楽もそれに囚われない、という事でもないと思います。
そうではなくてむしろ、その客観的に見ている分離した自己の問題や、
苦や楽に囚われないようにしようとして修行している自我というものにまつわる様々な問題を掘り下げていったのだと思います。
それに、何らかの結果を求める瞑想法は、マントラを唱えようが、今を見つめようが、結局は同じ事ではないでしょうか?
かといって、何も求めないなんてことは、(こう言った瞬間にすでに求めているし)難しいと思います。
29 :
考える名無しさん:03/01/11 01:53
>>28 >Kの教えって、自己を客観的に見る事ではないと思います。
>>1から
>>27の誰一人としてこんな事は言ってないと思うのだが。
>それに、何らかの結果を求める瞑想法は、マントラを唱えようが、今を見つめようが、
>結局は同じ事ではないでしょうか?
ヴィパッサナーはよく知らんが、
>>1から
>>27は誰も○○という結果を求めているとは書いてないと思うが。
>>28はちゃんとスレ読んでるのか?
30 :
考える名無しさん:03/01/11 09:19
>>29 たぶん、4ー7のヴィパッサナーの説明を
Kの教えと勘違いしたとか、ではないでしょか。
あと、
>>28 もし本当に、Kの教えとヴィパとの違いを知りたいならだけど、
ヴィパを実際にやってみるのも一案れす。
歩く瞑想くらいなら、ネット情報だけで、出来ると思われ。
頭で考えるのと、実感するのはまったく別物だとおもう。
(でも、28は本当に知りたい訳じゃなさそうでつが)
ヴィパの行法で、無意識の行動すべてを意識化できるとしたら、
28がKの教えという、「自我にまつわる問題」ももっとよく分かるのではないかな。
無知でスマソですが、
御親切な方がいたら、グルジェフの修行法ってのを軽く教えて欲しいでつ。
ヴィパのマハーシ式とゴエンカ式の違いなども、よろしければ、きぼんでつ。
31 :
考える名無しさん:03/01/11 19:08
マハーシとゴエンカの違い 1 (あくまで私見)
幾つもあるが、まず目に付くのは、
マハは、ラベリングの確立から修行が始まること。
ゴエは、初めから終わりまで、ラベリング否定。
その観点からマハーシを批判する。
しかし、実際に、マハーシをある程度までやった人は、
ラベリングは本質的な問題ではないことは知っているはず。
自転車に初めて乗るときに、補助輪つきの自転車で練習する。
それと同じこと。
乗れるようになったら外せばいいだけ。
(実際には、身についた時点で自然に外れる。
気がついたら外れていた、と云う経験を重ねるうちに理解できるはず。
ただし、“自分で”外すことはやめておいたほうがいい。
自然に外れるときが、外れるべき時。
自覚的にやるべきことは、ひたすらにラベリングを、
切らすことなく入れ続けることのみ。)
問題は、satiであって、ラベリングではない。
この点に於いて、見解の相違はない。
よく、ラベリング(言葉で現実にレッテル貼ること)を根拠に
Vipを否定する人を見るが、これは、実際にやり込んでいない人の
言うことではないのか? と常々感じる。
まともなVip指導者なら、ラベリングの弊害・功罪は理解した上で、
ラベリングを使う指導を行っているのではないのか。
そーゆー、お決まりのVip批判は、つまんない。
どうせなら、もっと面白い(ウッと詰まるような)批判が聞きたいにゃ〜
32 :
考える名無しさん:03/01/11 19:20
そうか?
ラベリングは余計な遠回りとしか思えないのだが。
今何かしてるでしょ?
質問:サティってヒンズーの寡婦殉死でもあったかなあ?
34 :
考える名無しさん:03/01/11 19:33
>タイのパットワクナム系のお寺
って、修行のほうはどうなのですか?
35 :
考える名無しさん:03/01/11 19:34
>御親切な方がいたら、グルジェフの修行法ってのを軽く教えて欲しいでつ。
私も聞きたい。
前に、「覚醒のメカニズム」 チャールズ・タート著とか言う本を読んでみたら、
「自分は、この何年かヴィパッサナーをやっている。
グルジェフの教えを理解するのにはヴィパッサナーは実にいい」
などと書いてあるのを見て、ちょっとガックリした。
なんだ、グルには具体的なとっかかりはないのかー....
と思って。
でも、実際には、どうなんでしょ??
とか書いてたら、こんなのを見つけた。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7378/index.html 「覚醒のメカニズム」 チャールズ・タート著 コスモスライブラリー
グルジェフ思想に取材した本ですが、私にとってはとても退屈な本です。
せっかく買ったのですが、まだちゃんと読む気にはなれません。
どうも感覚的に言葉だけにはしっていると感じてしまい、
いっていることは理論的に正しいのかもしれないがそれだけでそれ以上ではないです。
個人的な感想ではこの本はそのタイトルとは逆の効果がありそう。
この本がダメなだけかも....
だから実践は私には高尚すぎます。
私はソーラーパワーの吸収で良いのです。
38 :
考える名無しさん:03/01/11 20:35
>>32 >ラベリングは余計な遠回りとしか思えないのだが。
え、なんで、なんで? もし良ければ、詳細教えてけろ?
>>31に納得してしまったので、反対理由があれば知りたい。
かくいう私はマハーシ派。(とたった今分かった次第です、はい)
ラベリングみたいな言葉付けは、はっきり妄想が理解できるので、今は必要かも。
ラベリングがないと、思考がただよいっぱなしになりそうだし。
超初心者の感想です。
39 :
考える名無しさん:03/01/11 20:49
グルジェフに関して説明するのは難しいな。
弟子のウスペンスキーの「奇跡を求めて」(平河出版社)や、
トーマス・ド・ハートマンの「グルジェフと共に」(めるくまーる社)、
ジェイムズ・ムアの「グルジェフ伝」(平河出版社)辺りでも読んでみては?
グルジェフ本人の「ベルゼバブの孫への話」(平河出版社)もあるけど、読むのが大変かも。
40 :
考える名無しさん:03/01/11 21:39
>それに、何らかの結果を求める瞑想法は
何の結果も求めない瞑想法なんてあるのかな?
自身を率直に見つめるかぎり、
苦があるから楽になりたい、
不満であるから満足したい、
落ち着けないから落ち着ける状態になりたい、
今、現状が不満だから、一瞬先の未来ででも満足したい。
これが何であれ、行為の動機であるように思えるが....
もし、これに反論できる人がいるならマジ聞いてみたい!
41 :
考える名無しさん:03/01/11 21:42
>注意の分割 ――第三の存在
読んでみたが、これはVI派とはかなり違うね。
特に、この部分↓は、テーラワーダとしては受け入れ難かろう。
「仏陀はこれを正念と呼んだ。
注意が一点だけにしか向かっていないとき、
あなたの注意力は正念の状態にはないと、彼は言った。
それは二つの点に向かっている必要がある。
そしてそのとき奇蹟が起こる――
主体と客体の両方を意識するとき、あなたは第三のもの、
そのどちらでもないものとなる。
ただ主体と客体の両方を意識しようと努力するだけでいい。
そのことにより、あなたは第三のもの、観照する意識になる。」
これは特にグルを否定する意味で言っているのではない。
単純に、かなり切り口が違うんだなー、と云う感想です。
グルジェフ素晴らしそー、には思える。
42 :
考える名無しさん:03/01/11 22:05
VI派、テーラワーダって何ですか?
グルジェフやクリシュナムルティは結構読んだけど、ヴィパサーナ、仏教系は殆ど知らないので。
ラベリングは、GやKを読んでると、必要な物とは思えないです。
ヴィパサーナは詳しくないけど、ラベリングというのは、歩いている時に、
いま私は右足をあげて、おろして、、、とか思考化する事でしょ?
でもさ、そんな事をしていたら、ゆっくりしか歩けないし、走る時はどうするの?
いちいち思考化してたら走れないよ。
Kならラベリングするのではなく、走っている自分の足音や、
地面を蹴る事によって足、身体全体に伝わる振動、
流れて行く景色に敏感でありなさいと言うかもしれないね。
Gの場合は、きちんと経験を積んだ師が必要である、と言うんだよね。
この場合の師というのは、世間一般で言うグルとは少し違うと思うんだけどね。
GはKと同じく師への依存は否定しているから。
Gは、自己を想起しながらのダンス→ムーヴメンツ等を教えていたわけだけど、
Kはそういった物を教えてないね。
この辺りがGとKの違いの一つかな。
おじゃましまっす。
>>40 >何の結果も求めない瞑想法なんてあるのかな?
>自身を率直に見つめるかぎり、
>これが何であれ、行為の動機であるように思える
瞑想は動機を必要としない。としたらいかがでしょうか?
それは気づきに努力がいらないのと同じなのです。
しかしながら、ヴィパサナのラベリングは努力であるし、
Gは超努力のように思えるでしょう。結果を求めるための。
>苦があるから楽になりたい、
>不満であるから満足したい、
>落ち着けないから落ち着ける状態になりたい、
>今、現状が不満だから、一瞬先の未来ででも満足したい。
これは努力の結果、得られるものだと人は想像します。
だが真実は違います。求めて得られません。(やってみるとわかります)
求めて得られないものをどうやって得るか?
求めないことです。
これを会得するには超努力を通してかもしれません。その努力は
結果を求めるための努力というよりは、「努力の無力さ」の洞察の確立のためです。
普通人は「努力」からは出発しやすいのでしょう。
でも、その「努力」は是非必要というものではないのです。
さて、ここでvippasanaのような、いわゆる瞑想はこの「努力」であるのかないのか。
ここが難しいとこですね。
44 :
すしでもくいいっか:03/01/11 23:24
いやー朝夕の 夜の瞑想を終えてきてみたら。。。。。
さすが哲学の部屋。
そこでひとこと。リラックスしてやれ。やーーれ!
まあ2chはこういう終わってしまうことを書くと
だめなんだけどね。
45 :
考える名無しさん:03/01/11 23:35
>リラックスしてやれ。
簡単にリラックスできると思ってる時点で勘違いなわけだが。
少しは自己観察してみなよ。
殆どの場合、あなたの肉体の一部は不必要に緊張してるから
46 :
すしでもくいいっか:03/01/11 23:47
はいそのとうりですね。
47 :
考える名無しさん:03/01/12 08:35
自己認識ってなんですか?
自己認識したと自覚している自分ってなんですか?
自己認識したと自覚している事を掲示板で宣言している自分ってなんですか?
自己認識って目的ですか?
自己認識って到達ですか?
見出されるものですか?
見出している自分ってなんですか?
限定ってなんですか?
全体ってなんですか?
知覚に境界があるのですか?
境界を見出している実体はなんですか?
見出している実体は境界と無関係ですか?
澄みきるとはなんですか?
爽快感とはなんですか?
不快、爽快を体験しているのは誰ですか?
一体悟りとはなんですか?
なんで悟りたいのですか?
なんで爽快になりたいのですか?
なんで幸せになりたいのですか?
海は死にますか?
山は死にますか?(さだまさし)ホントはこれが言いたかっただけw
48 :
考える名無しさん:03/01/12 08:40
>>43 何のために「努力の無力さ」の洞察の確立のための
「超努力」が必要なのでしょう?
49 :
考える名無しさん:03/01/12 09:26
>774さん
どうも、相手のいうことを理解しようとするよりも、
自分の見解を述べることに気を取られているように思われます。
>>40の言ってるのは「瞑想法」
774さんの言ってるのは(真実の)「瞑想」
指摘がずれている。
なぜ、そのようにずれてしまったのか?
そのことの原因に関する自己観察は、我々にとって有益、かも。
>それは気づきに努力がいらないのと同じなのです。
「気づき」が走り出してしまえば、努力が要らないのは当然なこと。
車輪が坂道転がりだしてしまえば、更に転がす努力など邪魔なだけ。
(そんなことをしてたら、転がるのを妨げてしまう。全面的に転がっていればいいだけ)
問題は、放っておいても転がりださないことにあるのでは....
(あるいは、真に放っておくことのできない我々の習性に)
そこに「努力の無効さを知るための超努力」とかの存在する隙間などが
あるのかもしれませんね。
>さて、ここでvippasanaのような、いわゆる瞑想はこの「努力」であるのかないのか。
その意味で、Vipassanaのような瞑想法は、明らかな努力であると理解しています。
あらゆる関係が自己露呈、自己開示の機会なのです。
この自己暴露は、思考と感情の絶えざる調整、柔軟性を必要とするので苦痛なことです。
それは開けた平和な期間をもつ苦しい戦いです。
習慣的判断、理論、価値観を根絶することは非常に奮闘的であり、
その過程のなかで葛藤は避けられないようにみえます。
しかし、ひとの全体が露わにされること―
完全な自己理解のなかにのみ、苦痛、葛藤、混乱からの全面的な自由があるのであり、
「関係」がその自由への通路なのです。
51 :
考える名無しさん:03/01/12 10:30
>>40 更に一般化して言えば、
人間の行為全ての動機が、
不快を避け快を得たい、苦を避け楽に至りたい....
などの「快感原則」に従っているのであって、
一見、そうではないように見える行為も
(K読むのも、vipassana実践するのも、2ちゃんに書き込むのも)
この原則に常に従っている。
「苦を免れようと云う動機を持っての行為によっては、苦を免れることはできない」
という指摘は、その後に来るものであって、
まず、そもそもの始めに、
「自分は、苦を免れたくて行為をしている」と云うことを認めなくては
何も始まらないのではなかろうか。
「あなたは何のために修行しているのですか?」
「苦しいので楽になりたくて....」
「不満なので、満足したくて....」
これ以上の真摯な答えがあり得ようか。
チャンチャン
>>49 > 自分の見解を述べることに気を取られているように思われます。
こめんよ。おもしろそうだったもので。鉄板らしく細かくゆっくり疑問系でいきますか。
>その意味で、Vipassanaのような瞑想法は、明らかな努力であると理解しています。
Vipassanaのような「究極」の瞑想法は、瞑想法でしかありえない。ということですね。
つまり「瞑想法」と、「瞑想」は全くの別物である。というふうに考えられると。
で、努力が関係するものは「瞑想法」に関してであって「瞑想」そのものではない。
ということでしょうか。
> 「自分は、苦を免れたくて行為をしている」と云うことを認めなくては
> 何も始まらないのではなかろうか。
自分が苦しいという認識は私たちにとって非常に自然な認識だと思われます。
で、それを認めない人がいるのでしょうか?
>人間の行為全ての動機が、
>不快を避け快を得たい、苦を避け楽に至りたい....
>などの「快感原則」に従っているのであって、
待ってください。なぜそう結論をいそぎます?
さらにそれはあなたの「原則」なのでしょうか。
どこかの本に書いてあったのでしょうか。
53 :
考える名無しさん:03/01/12 12:09
少し気になったので書くのだが、
みんな、「どの」ヴィパッサナーの話をしているのだろうか。
私にとって、バグワンの本に書かれているヴィパッサナーは、まったくヴィパッサナーではないし、
ティク・ナット・ハンの本に書かれているヴィパッサナーも、真性のヴィパッサナーとは思えない。
(それは、テーラワーダの皮をかぶった大乗仏教だろう)
取りあえず、
テーラワーダのアビダンマ教学を理論的背景にした実践技法がヴィパッサナーである、
としておくべきだろう。
だから、ヴィパッサナーについて肯定したり否定したりするよりも、
ぞれぞれが、「どの」ヴィパッサナーについて話してるのかを明らかにする方が
有益に思える。
こんなこと書いたのは、某所にて以下のような文章を目にした為。
トランスパーソナル系の本などを読み込んだ人間には、
非常に心地よく感じられるだろう文章だろうが、
かなり引っ掛かる。
私の考えでは、ヴィパッサナー瞑想は別に上座部に特有なものではなく、その世界観とは独立した一種の瞑想技術に過ぎないと思います。
確かに技術的には「観照者」を作り出すので、上座部仏教の世界観となじみやすいのは確かでしょうが、大乗仏教の世界観を持っていることがヴィパッサナー瞑想の深まりを妨げるというのはどうなのでしょうか。
最近の僧侶は禅宗を除いては余り瞑想をしないようですが、本来の大乗の瞑想はサマタ−ヴィパッサナー(止観)ですし、また現代でも現実にヴェトナムの禅僧であるティク・ナット・ハン師の瞑想法(気づきの瞑想)はヴィパッサナー瞑想そのものです。
大乗仏教とヴィパッサナー瞑想が排他的な関係にあるとは思えません。
----
宗教的な衝動には、超越を目指す「上昇」系のものと慈悲を目指す「下降」系のものがありますが、典型的な形態では上座部仏教は上昇系であり、大乗仏教は上昇と下降を併せ持つものです。
(もちろん、これはプロトタイプの分類に過ぎません。現実にはテーラーワーダーもヴィパッサナーと併せて慈悲の瞑想を行いますので、上昇に加えて下降的な形態も取り入れていると言えます。)
イエス・キリストには愛という強烈な下降衝動を感じますが、大乗仏教の慈悲にもイエス・キリスト的なものを感じます。
-----
私自身は、あえて涅槃にとどまらず衆生を救うために無限に働き続ける菩薩という存在を見出したことは大乗仏教の偉大な成果であると考えています。
ヴィパッサナー瞑想は、もちろん強力な瞑想法ですが、おそらくそれだけでは真実の世界は見えてこないのではないでしょうか。
大乗仏教では六波羅蜜が伝統的な修行法とされていることの意味はそこにあるのではないかと思います。
問題は、目覚めたあとで「なにを行動するか」だ。
座り続けるだけ、には何の意味も無いのだから。
大乗の善意とはこれである。
56 :
考える名無しさん:03/01/12 13:12
>でもさ、そんな事をしていたら、ゆっくりしか歩けないし、走る時はどうするの?
「走ってる、走ってる」
あるいは、
「急いでる、急いでる」
愚者は笑い、知るものは頷く。
57 :
考える名無しさん:03/01/12 15:18
447さん
まず、ごめんなさい。名前間違えてますね。
ぱっと見ただけで、よく見てなかったです。忘念ですね。
>つまり「瞑想法」と、「瞑想」は全くの別物である。というふうに考えられると。
>で、努力が関係するものは「瞑想法」に関してであって「瞑想」そのものではない。
>ということでしょうか。
上記の文脈ではそうですね。
でも、私は普段、そんな風に使い分けて話しはしてないので、
う〜ん、まあ、我ながらイマイチな使い分けですね。
>自分が苦しいという認識は私たちにとって非常に自然な認識だと思われます。
>で、それを認めない人がいるのでしょうか?
私は苦しいから、修行とか色んな事を始めた。
それは私にとっては紛れもない真実なんですが、
他の人はどうなのか分かりせん。
447さんは、どうですか?
58 :
考える名無しさん:03/01/12 15:18
クリシュナムルテイは菩薩という概念を人間の願望が生み出した思考であるとして
退けているんだよなーこれを読んだときには正直ほんとーーっに考え込んでしまい
ました。
59 :
tuduki:03/01/12 15:20
>さらにそれはあなたの「原則」なのでしょうか。
ええ、私にとっては生き物の行為の原則になってると感じます。
>どこかの本に書いてあったのでしょうか。
本では多分、読んだことはないですね。
でも、「快感原則」という言葉自体は、どこかで読んだんですね。
造語ではないです。
念のため書いておくと、
「快感原則」とは、我々が、行為(選択)において、常に/既に、
無自覚的に従っている衝動のごときものであって、
自覚的に、自分の判断力で選べるものではない、ということですね。
言い方を変えれば、生き物は「死」でなくて「生」を選ぶようにプログラムされており、
それに盲目的に従う....ということ、かな?
60 :
tuduki:03/01/12 15:21
と、ここまで書いたのですが、
前の上での書き込みを改めて読み直して見ると、
それは高踏的な口調で語る(と感じられた)447さんへの反感の表明
でしかなかったようです。
すみませんでした。
ですので、ここで仕切り直しをさせて頂きたいのです。
以下の問題現在、私の切実な問題です。
この問題以外に時間を費やす気持ちのゆとりは有りませんので、
できましたら、この問題を巡っての話に絞りたいのです。
私は、現在、心理的に不満足の状態にあります。
主に、以下の2つの問題に付き纏われています。
1. 虚しさ、満たされなさのうずき
生の全体を覆う、漠然とした、しかし圧倒的な、いま、ここ、この状態への
(何か知れない)落ちつけなさ、おさまらなさ、物足りなさ、安住できなさ、
くつろげなさ、空虚感、緊張感、不全感、不満足さ、満たされなさ、退屈さ、
味気なさ、「本当に、これでイイ!」と思えなさの感覚=心理的苦
何かをすること―何らかの心理的/肉体的な動き・刺激、
興味・関心・行為によって、心と体を埋めること、時間を埋めること、
その空虚さの感覚からの逃避、気まぎらわせ、時間つぶし―何かをせずにはいられない
―逃避で埋め尽くされた日常、生活、時間
虚しさ、落ち着かなさ、おさまらなさ、物足りなさ、生の不全感、生の空白などの、
根っこにある問題・感覚が浮上してくると、その度に、(次々と、絶え間なく)
何らかの新しい逃避、刺激、気まぎらわせに心を逸らしては(を見つけては)、
その「空虚さ」という事実、本当の問題から目を逸らしてしまう。
2. 自己イメージの問題
ハーレム/メシア願望、認められたい、何者かでありたいと云う欲望、プライド、自己承認欲求、
評価されたい欲求を持つが故の(人との関係における)無力感、動揺感、怖れ、諸々の悪感情、
挫折感、優越感/劣等感などの、苦痛な、心かき乱す、動揺させる、まぬがれたい心情・情動の
絶え間ない生起・湧出
認められたい、自分でも他人にも、(修行の面で、悟りの部分で)たいした人であると認められたい、
そう扱われたいという欲求
何者にも成れないこと、何者でもあれないこと
―自分は、クリシュナムルティその他、悟ったと云われる人たちのようには成れなかった。
成れないまま終わるだろう、と感じさせられることの、無力感、みじめさ、挫折感、
苦痛な、心かき乱す、動揺させる思い
あらゆる人間関係において、特別な、注目されるべき、
一目置かれるべき能力・価値・魅力を持った存在であると認められたい、でありたい、
そう扱われたいという、(意識構造の全体に染みついた)どうしようもない衝動・切望
→そうあれないことへの怖れ、みじめさ、不安定さ
現実の生活の場面は、その「そう(で)ありたい」自己イメージからの転落の連続である。
→その全体が生み出す心理的な苦しみ・苦役
-----
これらの問題は、いかにして根本的なレベルで解決・解消・根断されるのでしょうか?
このことに関するアドバイスを求めます。
63 :
考える名無しさん:03/01/12 15:43
Dukkaは八生道を実践すれば滅尽されるとゴータマ様はおしゃっております。
64 :
考える名無しさん:03/01/12 15:49
65 :
緑茶を飲みながら:03/01/12 16:33
>>61 >>62 とても切実な内容だったので、吸い込むように読みました。
ぼくの読んだ感想を率直に言うと、
あなたはここに書かれたすべての欲求を、
それほど遠くない未来に、すっかり満たすことができるだろうというものでした。
まず、あなたは、かなり正確に自分自身をありのままに見つめている。
その自分自身と、あなたが「悟り」と感じているもののイメージが、かけ離れているので、悩んでおられるだけです。
「自分自身を知ることが悟りである」という意味では、あなたは、もう、悟っています。
自分が「悟っている」ことを「悟れないでいる」だけ、と言えます。
まあ、気長に待とうともせずに、誠実に、慎重に、生きることです。
宗教版にもクリシュナムルティを扱っているスレッドがあります。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1039886877/l50 です。
また哲学版とは違うアプローチができるかもしれません。
ぼくもちょくちょくそちらには寄ります。
あなたはとても率直なかたです。
率直さは、八正道などより、もっと確かな道しるべです。
自分の心身の中にある磁石の針に注意しましょう。
意識や、理論、欲求だけでなく、
いま、ここ、あなたの周囲、時と場所。
それらのものに注意を払って。
またお会いしましょう。
66 :
考える名無しさん:03/01/12 17:07
>>59-62 ありゃ、悩み相談ですか。
でも、悟っているのでないかぎり、
誰しも似たようなドゥッカ、苦しみを背負ってるんだよ。
自分のことで手一杯なのに、
だれも、他人の荷物まで背負うことはできないと思う。
本気で楽になりたいなら、自分が思った様に何でもやるといいよ。
そのために人は瞑想や哲学を考えたんだと思うし。
私も人生が苦しいと思わなかったら、
瞑想に興味をもつことはないと思うし。
でも、本気で人の言葉だけで、問題が消えると考えてますか?
もっとも、単なる言葉のやり取りや、
ゲームとして遊んでるんだったら、ごめん。それはそれでOKだと思う。
2ちゃんってそういう場所のような気がするし。
ただ、本当に苦から逃れたいなら、主体性が重要だと思う。
知識や言葉だけでなく、自身が体験していくことが大事だと思う。
聖者があらわれて、パーフェクトな答えを言葉で出してくれたとしても、
あなたの問題はなくならないと思う。
まぁ、そのじたばたする過程もとても大切だと思うし、
人にアドバイスを求めるのも全くの無駄とは思わないけど。
これなに?
オウム?
69 :
考える名無しさん:03/01/12 19:05
違うよ。
70 :
考える名無しさん:03/01/12 19:13
ヴィパッサナー詳しい人に質問。
グルジェフやクリシュナムルティは信仰を求めていませんが、
ヴィパッサナーの人達はどうなのですか?
宗派、団体別に詳しく書いてもらえると有り難いです。
71 :
考える名無しさん:03/01/12 19:25
グルジェフは、2つのイスの狭間という上手い表現をしていた。
どういう事かと言うと、
1.気づきや自己想起などをした事がなく、平凡に生きている人の座るイス→真理を見出せてない状態
2.真理を見い出した人の座るイス。
で、その狭間のというのは気づきや自己想起に真剣に取り組んでいる人が、
イスが無い所で苦労し努力しなければならないという事。
72 :
考える名無しさん:03/01/12 20:44
>65さん、ありがとうございます。
ところで、その時買った「ベルゼバブの孫への話」を、やっと、本腰を入れて読む気になった。
>まず、冒頭、次のような奇妙な格言に、笑わされた。
>「どんな棒にも必ず二つの端がある」
メチャうけでした。
73 :
考える名無しさん:03/01/12 20:45
あ、失敗
>ところで、その時買った「ベルゼバブの孫への話」を、やっと、本腰を入れて読む気になった。
>まず、冒頭、次のような奇妙な格言に、笑わされた。
>「どんな棒にも必ず二つの端がある」
です。
74 :
考える名無しさん:03/01/12 20:54
金をドブに捨てたと・・・
なんか信仰宗教っぽくて恐いです。。
76 :
考える名無しさん:03/01/12 20:58
77 :
考える名無しさん:03/01/12 21:07
「すべての杖には二端あり」
まず、この不思議な格言のなかに秘められた基本的な考えと、そのほんとうの意味を知るためには、
私の意見では、多少なりともまともに思考する人間の意識のなかに、まず何よりも先に、
あるひとつの仮定が生まれてこなければならない……。
つまり、この格言の基盤であり、
この格言によって具象化された考えの源泉ともいうべき様々な思想の総体のなかに、
幾世紀にもわたって人々の認めてきた真実が込められているとの仮定である。
その真実が認めるところによれば、人生において作用するどんな要因であれ、そして、
それがどのような現象のなかでもたらされたものであるかを問わず、もしもその原因が、
先行する別の原因がもたらした二つの正反対の結果のひとつであるならば、この原因もまた、
やはり必ず二つの正反対の結果をもたらさずにはいない。
たとえば、二つの異なる原因によってもたらされた「あるもの」から光がもたらされたとするならば、
それが正反対の現象、つまり闇ももたらさないことはない。
また、生物の有機体のなかに、
それと感じることのできるような満足をもたらす原因になるものは例外なく――
もちろんやはりそれと感じることのできるような――不満もまたもたらすのであり、
これはどんなときにも、どんなことにも同じようにあてはまる。
78 :
考える名無しさん:03/01/12 21:07
杖は当然のことながら二端を備え、この格言では、その一方がよい方、もう一方が悪い方とされているのだが、
この杖によってあらわされた幾世紀にもわたる知恵の結晶を今の問題にあてはめてみるに、
もしも私がこの本のなかで長年の習慣によってのみ獲得することができた例の自動性を用いることにするならば、
それはもちろん私自身にとってはたいへん具合のよいことだが、この格言のいわんとするところによれば、
読者にはその正反対の結果がもたらされるはずである。
そして、よいことの反対が何であるかについては、
たとえあなたが痔の持ち主ではなくとも簡単におわかりになろう。
要するに、もしも私が自分の特権を行使して、杖のよい方の先をとるならば、
悪い方の先が「読者の脳天を直撃」することは避けられないということだ。
これはほんとうに避けられないことなのかもしれない。
というのも、私がこの本のなかでおおいに触れようと思っている諸々の哲学的問題のいわゆる「精髄」を
ロシア語で表現することはできず、一方、アルメニア語を使えばそれが可能となるのだが、
現代のあらゆるアルメニア人にとって不幸なことに、
アルメニア語を現代的な考えの表現のために用いることは、すでに実用的とはいえなくなってしまっている。
79 :
考える名無しさん:03/01/12 21:09
80 :
考える名無しさん:03/01/12 21:14
全的な観察とは言うものの、実際は凡庸な観察の限界ってものを感じざるを
得ないのが実情でしょう。観察できるにはでけるかもしれんが、浅すぎる感が否めない。
最高度の鋭敏さ、見逃す隙もない感覚あっての話であるなら、
そんなものどうやったら備わるのか全く疑問に思う
>>57 まず、ごめんなさい。名前間違えてますね。
>ぱっと見ただけで、よく見てなかったです。忘念ですね。
いいんです。気にしないでください。私は瞑想実践スレの774なんですから。
逆に私の悪いところの気づきを与えてくれて有り難いと思いましたよ。
> 447さんは、どうですか?
そうですね。もう忘れてしまいました。
瞑想については、私にとって、今はきっかけや動機が必ずしも重要ではありません。
けれども過去は確かにそうだったと思います。
苦しみからと、いうよりは、悟りを得ようという野心に燃えていましたね。
(実に不純な動機と言えなくもないです)
>>60 > できましたら、この問題を巡っての話に絞りたいのです。
はい。
>>61,62
>これらの問題は、いかにして根本的なレベルで解決・解消・根断されるのでしょうか?
>このことに関するアドバイスを求めます。
ちゃんと観れてるじゃないですか。それは「あなた」ではないでしょう?
わたしの無力感はわたしなのだろうか。わたしの「○○○」はわたしなのでしょうか?
わたしは誰か?
ラマナ・マハリシあたりが丁度、今のあなたにぴったりだと思います。
彼は「私は誰か」と問うことについて語っています。タマネギの皮を一枚一枚剥いていって
あとには何もなくなるというものですね。
82 :
考える名無しさん:03/01/12 21:37
私がこの本のなかでおおいに触れようと思っている諸々の哲学的問題の
>いわゆる「精髄」をロシア語で表現することはできず、一方、アルメニ
>ア語を使えばそれが可能となるのだが、現代のあらゆるアルメニア人に
>とって不幸なことにアルメニア語を現代的な考えの表現のために用いる
>ことは、すでに実用的とはいえなくなってしまっている
ここでアルメニア語出来る奴いるのか?
ペテン師がよく使う手だよなW
83 :
考える名無しさん:03/01/12 21:44
>>82 何言ってんの?
グルジェフの周りにはロシア人やヨーロッパ系の人が多かったんだよ。
このスレ見てる人の為に書いてるわけないだろ。もうちょっと頭使って煽りやれよ。
「ベルゼバブ」は最後まできちんと読むと、わからない所だらけなのに不思議と感動するよ。
物語としての起承転結がきちんとあるし、ガリバー旅行記、指輪物語辺りが好きな人は気に入るかも。
まあ最後まで読めずに挫折する人も多いけどね。
>>80 >全的な観察とは言うものの、実際は凡庸な観察の限界ってものを感じざるを
>得ないのが実情でしょう。観察できるにはでけるかもしれんが、浅すぎる感が否めない。
>最高度の鋭敏さ、見逃す隙もない感覚あっての話であるなら、
>そんなものどうやったら備わるのか全く疑問に思う
その包丁がどのくらい切れるのかは、やはり使ってみないとわからないのだと思います。
そして、使ってみて以外にイケてることにびっくりするかもしれません。
でも使わなければ疑問が残るのではないでしょうか?
ホントに切れるのかと。
で、私はこう言いたいと思います。「思ったより切れますよ。」
さらに、「何でもね」
85 :
考える名無しさん:03/01/12 21:48
>テーラワーダのアビダンマ教学を理論的背景にした実践技法がヴィパッサナーである、
>としておくべきだろう。
それってどういう技法ですか?
>>83 ベルゼバブは私も読書にチャレンジしたことがあります。
残念ながら完読には至りませんでした。
グルジェフ版の「シークレット・ドクトリン」という感想を持ちました。
ちょうどブラバッキーと同時代なんですよね。
グルジェフは嫌っていたようですが。
87 :
考える名無しさん:03/01/12 22:03
>グルジェフ版の「シークレット・ドクトリン」という感想を持ちました。
多分最後まで読んだら全く違う感想を持つと思うよ。
グルジェフは神智学を嫌ってたというより、中身がないと批判してたんでは?
神智学はいかにもオカルトって感じだけど、
グルジェフは一見オカルトっぽく見せてても実は徹底的に実践的だから。
有名な弟子のウスペンスキーを始めとして、
神智学に満足できなかった人が多数、グルジェフの所に流れたみたいだよ。
グルジェフの死後、弟子の一部はクリシュナムルティの元へ流れたけど、
ジャンヌ・ド・ザルツマンやJ,G,ベネットなどの主流派とみなされている人達は、
クリシュナムルティの方へは行かずに、グルジェフのムーヴメンツなどを受け継いだみたいだね。
88 :
考える名無しさん:03/01/12 22:10
中身が無いのはグルジェフだろp
89 :
考える名無しさん:03/01/12 22:20
>「ベルゼバブ」は最後まできちんと読むと、わからない所だらけな
>のに不思議と感動するよ。
馬鹿丸出し
90 :
考える名無しさん:03/01/12 22:21
> 私の考えでは、ヴィパッサナー瞑想は別に上座部に特有なものではなく、
> その世界観とは独立した一種の瞑想技術に過ぎないと思います。
> 確かに技術的には「観照者」を作り出すので、
> 上座部仏教の世界観となじみやすいのは確かでしょうが・・・
> ヴィパッサナー瞑想は、もちろん強力な瞑想法ですが、
> おそらくそれだけでは真実の世界は見えてこないのではないでしょうか。
> テーラーワーダーも自力で涅槃=究極に行こうとする流派ですが、
> 限界のある人間の認識器官に依拠しているのに、
> ヴィパッサナーですべての真実を見ることができるのでしょうか。
> あるがままの真実を見ると言いつつ、「観照者」を作り出しているだけなのかもしれません。
文中、「観照者」という言葉は、
おそらくウィルバーのWitness(目撃者)のことなのでしょうが、
http://www.kitanet.ne.jp/~k-taka/Wilber/frametop.htm 「〈目撃者〉から見た世界」参照
しかし、私には疑問なのですが、
一体、ヴィパッサナー・テーラワーダは、いつ、どこで
「観照者」を作り出すことを提唱しているのでしょうか。
私が本物だと信じて実践してきたヴィパッサナーとは、
「絶対観照者が居る」という錯覚を、自分がこの眼で見抜く(=無常/無我の実証)
ための具体的技法だったはずなのですから。
この方は、ヴィパッサナーとは「観照者」を作り出す技法であるに過ぎない、
と言われてます。
もしかして、私のほうが似非なのだろうか〜??
少し戸惑います。
91 :
考える名無しさん:03/01/12 22:22
>85
参考サイトを見よ!
92 :
考える名無しさん:03/01/12 22:27
>84
>で、私はこう言いたいと思います。「思ったより切れますよ。」
>さらに、「何でもね」
具体的になにがきれました? 神様系(キリスト)は具体的な
体験があっておもしろい。(能力的に抽象化できない人々なのかも
しれないが)
93 :
考える名無しさん:03/01/12 22:35
観察者や観照者という言葉を使うときにそれが思考が生み出した分裂したものの
一方の片割れなのか、見るものと見られるものが一体であることを洞察した後に
現れる自己認識であるのかを意識して分けて使わないと混乱してしまうよ。
普通に使う場合は
観照者・・・・洞察の後に現れる一者の自己認識
観察者・・・・分裂している思考が生み出した意識の片割れ
>というのが普通の用法だと思うけどあるがままの真実を見ると言いつつ、
>「観照者」を作り出しているだけなのかもしれません
これは間違った使い方のよい例
94 :
考える名無しさん:03/01/12 23:11
>>「ベルゼバブ」は最後まできちんと読むと、わからない所だらけな
>>のに不思議と感動するよ。
>馬鹿丸出し
ほほう、という事は君はクリシュナムルティの著作の全てを理解してるんだね。
真理、自己認識、最高度の気づきについて、実践的にきちんと説明してくれよ。
95 :
誰か教えて―:03/01/12 23:28
この道場とはどこのこと?
この指導者とは誰のこと?
> 「実際的なアプローチ」投稿者:和博投稿日:99/04/08(Thu)
> 十数年以上前、クリシュナムルティの本を読んで、確かに大きな影響を受けた。
> 只、Kが亡くなって何年か経って出版された本『開いた扉』の中で、
> Kの教えによって覚醒した人はひとりもいなかったというKの言葉を読んだ時は、
> ある種、憤りを含んだ失望感を感じたのを覚えている。
> 現実に、求めている者の精神に変容が起こらなければ、全く意味がない、
> というのが、僕の正直な気持ちである。
> 今、僕は、禅を教えているある教室に通っている。
> 今の僕の見解は、その人に覚醒が起きるために必要な精神の状態になるための準備作業が、通常の人間には必要であるということである。
> いくつか、クリシュナムルティに関する対話会のような場所に出かけたことがあるが、そこにいる人たちは、ほぼ一様にクリシュナムルティイストだった。
> 一定以上のKの言葉群を記憶し、それらの中のどれかをその都度、目の前の事象に当てはめて、悦に入っているに過ぎない人という意味である。おそらく、誰もが不可避的にそうなる必然性があるのだと思う。
> どのように、カルマとしての記憶が消え、あるいはその影響力が消失しているのかという具体的な体験がなければ、思考の戯言であるという事実(Kイストもどこかで自覚しているはず)を、わずかも超えられないのではないか。
> 僕が今述べたことに興味がある方は、僕の師に会ってみることをおすすめしたい。
96 :
考える名無しさん:03/01/12 23:33
>>95 Kは誰も目覚め「させる」とはいっていない
そのような一切の行為を否定しているわけなので、別に他人にとって意味が
あろうとなかろうと関係ない。
ただ種を土にまきますとはいった。
97 :
考える名無しさん:03/01/12 23:57
あるとき、人々の集団が彼の近づいてくるのを待っていたのですが、それを眼にしたKがあたりを絶望的に見まわして、「どこか隠れるところはないかな。いやだな。
人に会わなくてはならないのはいやだな」と言ったのを思い出します。
長年のあいだ公的な生涯を送ってきた後でのそうした仕草は、奇妙に思えました。しかしその気持ちを抑え、ほほえもうとするとき、
彼の顔にはこの嫌悪感と恐怖がありありと出ていました。
「クリシュナムルティ・開いた扉」より
何だかんだ語っても逃避の仕方は一般人と変わらないのね。
悟りって、、、(・_・)( -.-)( _ _) zzzzz
98 :
考える名無しさん:03/01/13 00:00
99 :
考える名無しさん:03/01/13 00:19
>>でもさ、そんな事をしていたら、ゆっくりしか歩けないし、走る時はどうするの?
>「走ってる、走ってる」あるいは、「急いでる、急いでる」
>愚者は笑い、知るものは頷く。
これは明らかに非クリシュナムルティ的だね。
こういう思考の方向付けをKは否定しているよ。
グルジェフは思考の方向付けの技法をいくつか書いているけど、
内容がヴィパッサナーとは違うみたいだし、重要な事は直接の弟子にしか教えてないように思える。
100 :
考える名無しさん:03/01/13 00:49
97はほんと的外れもいいとこw
逃避の仕方だってさ(プ
101 :
考える名無しさん:03/01/13 01:24
Kが生きていれば2ちゃんねるの成功をうれしく思っていることだろう
102 :
考える名無しさん:03/01/13 02:05
全然思わないと思うなw
103 :
考える名無しさん:03/01/13 02:06
2ちゃんなんか全然成功してないじゃん
それどころかキチガイ動物園でオンパレードだよ
104 :
考える名無しさん:03/01/13 02:19
2ちゃんって本当に醜いね
醜悪の窮み
105 :
考える名無しさん:03/01/13 02:21
Kは「真剣さ」が必要だといったが
「対話」も必要だといっている。
2ちゃんねるは対話の場であるから条件を満たしている。
「真剣さ」は各人が見つけ出せばよい
106 :
考える名無しさん:03/01/13 02:23
2ちゃんねるには対話はないねw
オナニーとその裏返しの差別だけだよww
>>104 社会の下層で生きる人にとって
こういう場所があることは悪い事じゃないかも知れない。
なんて視点で捕らえてみることも必要なんじゃないだろうか。
108 :
考える名無しさん:03/01/13 02:28
逆効果でしょうにw
社会の最下層にも
>>108 逆効果であるという論拠はあるんですか?
110 :
考える名無しさん:03/01/13 02:30
逆効果の最大級の肥大を経て
どっかの誰かさんみたいに、もう二度と人前に出れない
お嫁にいけないカラダになっちゃう人がいるわけ
この板にもw
だから、最下層民にとってこそ、こういう場所は
不具合なんですよ。結果的には
111 :
ちなみに宮台説は:03/01/13 02:32
宮台 インターネット文化は、一方で女の子の社交性をEメールを
通じて急上昇させていますが、他方で男の子は「2ちゃんねる」的な
掲示板に引きこもって脆弱なプライドを温存する結果、とても
人前に出せない、それこそ掲示板の世界に永久に引きこもって
おいてもらうしかないような勘違い野郎が急増しています(笑)。
宮台真司×香山リカ『少年たちはなぜ人を殺すのか』(創出版)
>>110-111 骨折するからスポーツしてはダメかと言えば
そうでもないです。
同じように、一部の現象を根拠にして
その現象に関連する総体を否定することは
不自然でしょう。
113 :
考える名無しさん:03/01/13 02:40
2ちゃんねるが10年後まで残っているとは思わないが
この場を通してユビキタスネット社会が人類の意識を変容させる
一過程を見ているのは事実。
このような環境の中でKの思想が広がることを希望する。
もしKの思想がこれからの未来社会に受け入れられるものであれば
まさに2ちゃんねるのような(現状のではない)ようば場であろう。
なぜならKの思想は一切の権威主義を否定しているから旧来の形式化
組織化された実体の中では広まりようがないからだ
114 :
考える名無しさん:03/01/13 02:40
スポーツと2ちゃんねるを同等に仮定してる時点で
まずあなたは最大のナンセンスを犯していますね
スポーツで具体的なリアルな筋肉を傷めればいためるほどに
逆に筋肉はよく活性化し鍛えられて、そして強くなれます。
しかし、2ちゃんねるを倍加したネットの使用法では
どんなに切り刻んでもなんら肯定的な回復はありえません
115 :
考える名無しさん:03/01/13 02:43
具体的なリアルの現前性を基準にしてレスポンスをうるのか
あるいは
亡霊的で実体の皆無な妄想を相手にしてレスポンスを育てるのか
この二つでは、全く質が異なりますよ
116 :
考える名無しさん:03/01/13 02:51
99.9%のクソスレの中に自分にとって0.1%の良スレが
あればよしと考えれるかどうかの問題だと思う。
実際世の中に流れている情報はそんなもんでしょ
>>114 >2ちゃんねるを倍加したネットの使用法では
>どんなに切り刻んでもなんら肯定的な回復はありえません
取り敢えず、この文章の意味が不明瞭です。
スポーツの意義は、筋肉を鍛えて強くなることのみにある訳ではない。
(プロになって生活の糧にしたり、ストレス解消したり、連帯感を強めたり等)
アナタは、
>>112で指摘しているように
一つのファクトのみに注目し、そのことで総体を語りきるという行為を
繰り返しているので、先ず、この点を良く自覚して、改めてから
反論して下さい。
>>115 どちらでも有りません。
暇つぶしです。
「2ちゃんねるを「媒介」(miss撃ち)したネットの使用法では
どんなに切り刻んでもなんら肯定的な回復はありえません」
しかし幾らミス打ちがあたっとはいえ、この程度の文も読めないようでは
あなたは絶望的です。
これは要するに後に続く
「 亡霊的で実体の皆無な妄想を相手にしてレスポンスを育てる」
という、2ちゃんのような裏ネット系に特有の妄想と精神分裂症者
の展開を指しています。
一つの事実性とあなたは言われているが、現実に2ちゃんの日々垂れ流し
ている誹謗中庸のメカニズムの毒というのは、そんな生易しいものではあり得ない。
あなたは2ちゃんからどのような犯罪的な事件が、過去もそして今も
育ってきているのか、全く報道も見ていないのですか?
2ちゃんがある種犯罪の温床として確実に育ってきている、
増殖しているというリアルな事実の現前、現実を抜きにして
そんなものは「一面的なファクターだ」などと、暢気に語っている
べきではないということだ。
2ちゃんねるの中の妄想的な人格の破綻は、常にその題材、
餌食としての他者を求めて拡張しています。
現実社会から疎外された精神とその病者の展開というのは
ここでは、ほぼその殆どが、友愛や対話を育みうるというよりも
他人を餌食にする技術論(2ちゃんねらーはそれを「釣られる」と
よんでいますが)の展開。すなわちそれは、社会から最初に
疎外されてやってきたモノが、今度は自分が新たなる他人の搾取者と
変身することによって、過去の自分のトラウマに由来する、カタルシスを
満たすという構造になっている。
そのような搾取構造の食物連鎖的な増殖であり、リングなのです。
現実の2ちゃんの内部の一般的な生態とは。
>>119 非常に恣意的な判断が先にあって
そこから、論を構築しているという印象を受けるのですが。
それに文章力も低いし、誤字脱字が多い程度のレベルなのに
一つのシステムの是非を下すのは身の程知らずなんじゃ無いでしょうか?
当に、アナタの行為が2chの様な匿名掲示板においてのみ
通用する事例として充当している訳で、その辺の自覚はあるんでしょうか?
>一つの事実性とあなたは言われているが、現実に2ちゃんの日々垂れ流し
>ている誹謗中庸のメカニズムの毒というのは、そんな生易しいものではあり得ない。
勝手な決め付け。
>あなたは2ちゃんからどのような犯罪的な事件が、過去もそして今も
>育ってきているのか、全く報道も見ていないのですか?
また一部の事例で総体を判断しようとしている。
>>118 ただの暇つぶしだったら、誹謗中傷の機械になんか
加担するなよ。2ちゃんというのは、その全体の無責任性において
社会的なあらゆる犯罪を結果的に野放しにして、肯定してしまうという
怖ろしいシステムだという事に、あなたは少しでも気付くべきですよ
>>120 包丁を凶器とした殺人事件も沢山あるけど
包丁自体は規制されて無いし
交通事故で年間一万人前後死亡するけど
車自体を禁止はしない。
少なくとも数十万人だかのユーザが存在するのに
システムの運用を云々するならともかく
いきなり廃止すべし、なんていうのは全くスジが通らない。
非常に恣意的な判断が先にあって
>そこから、論を構築しているという印象を受けるのですが。
>それに文章力も低いし、誤字脱字が多い程度のレベルなのに
>一つのシステムの是非を下すのは身の程知らずなんじゃ無いでしょうか?
>当に、アナタの行為が2chの様な匿名掲示板においてのみ
>通用する事例として充当している訳で、その辺の自覚はあるんでしょうか?
全然ないよ。間違いなくあなたのほうが、論理がダメだ。
>勝手な決め付け。
勝手な決め付けであり得るわけがないだろうw
なら何故2ちゃんねるは今、裁判で最高裁にまで持ち込まれ
400万円?の罰金を背負わされる目前に来ているのか?
あなたはニュースサイトも報道も全く見ない人なのですか?
だったら、決めつけなどと偉そうにいえる義理など全くないんだよ
あなたに。
わたしの提示するのが側面的な事実性なのだとしても
あなたの反論こそが、もっと領域視野の狭い断面をもって
無理にその全体をまで持ち上げて肯定し、もとにあった問題を
見ない振りをする。隠蔽するという仕種に過ぎません。
>>125 >なら何故2ちゃんねるは今、裁判で最高裁にまで持ち込まれ
>400万円?の罰金を背負わされる目前に来ているのか?
>あなたはニュースサイトも報道も全く見ない人なのですか?
知っているし、他の裁判等の動向にも注目しているし
これらの事象について色々と論じている人達についてもチェックしている。
アナタは一貫して、一部のファクトを根拠に物事の是非を判断しているが
そういう手法はまともな議論の場では通用しないし、そもそも
そんな馬鹿な論を展開する人間は、まともな議論の場に参加できない。
>いきなり廃止すべし、なんていうのは全くスジが通らない。
そんなこと誰がいったの?いきなり廃止論?あなたの妄想か
あるいはあなたのお頭の弱さの露出ですよ。
あなたのほうが、具体的な報道的な事実などには全く目を瞑り
隠蔽し、見ないことにしようとしてるだけだ。
いい加減にしたまえ。
2ちゃん的なものというのは、別にネットの中で2ちゃんに限らず
存在していますから。2ちゃん(類似システムを含む)を全廃にするなんていう事は、
物理的にも最初から不可能なのです。故に、2ちゃんのシステムには
改造を施すという議論が成立するわけです。
包丁は凶器にもなりうるけれども、包丁自体を禁止することは
不可能です。そんなの当たり前でしょう!
しかし包丁は禁止されなくっても、我々の日本の近代国家の
法律では、銃刀類は禁止することが出来るし、実際禁止されています。
それでは、包丁と日本刀の区別は、何処でどのようになされるのか?
道具用のナイフと殺傷用のナイフの線引きは何なのか?
現在のネット利用を巡る、リテラシー及び法制的な確立について
論点となっているのは、そういうポイントなのです。
包丁もまふだそれが未分化で原始的な段階では、あんまり殺傷用の
刀と違いがわかりませんが、それが時期に道具の道具性として
それ自体の方法を巡って進化をはじめる。というだけのことです。
問題になっているのは
>>126 現状を肯定していない。
自然に考えれば、数十万人のニーズがあるのに
それを只潰せば良いと考えているアナタがバカげていると感じているだけで
個人的には、運用の在り方を変容させていくことで
実社会との軋轢を少なくしていけば良いだけの話だと考えている。
131 :
考える名無しさん:03/01/13 03:31
どうでもいいけど、お前らスレ違い。他でやれ。
>それを只潰せば良いと考えているアナタがバカげていると感じているだけで
ただ潰せばいいなんて、だから何処でもいってないつーのw
何度もいったけど。
あなたが何か、2ちゃんを持ち上げて思い入れを施すような
素振りを感じさせたから、僕はそこに突っ込みを入れたんだよ。
2ちゃんを巡る現実はそんなに生易しいものじゃないんだよ。って
>>128 廃止論者じゃないのに、何で2chの悪いトコばかり
取り上げているんですか? 不自然でしょう、普通に考えて。
>>129 キミの知識と主張がミスマッチ。
物事の理解が浅薄なのに、意固地になって文を書き散らかしている印象。
自分が大したレベルじゃないし、そんなレベルなのに
公で主張できているのは2chのお陰と認めましょう。
しかし、あなたと僕で決定的に本質認識が異なる部分が
どうやらあるという事もなんとなくわかります。
僕は2ちゃんを基本的に悪と認識しています。故に
この2ちゃんの醸し出す独特の雰囲気、いつのまにか成立した
独特の文化的なパターンにも、なんら僕は同調したくない。
従いたくない。そういうものが私生活にまで入ってくることは
僕個人としては拒否しています。
2ちゃん文化のようなものが。
しかし、それらは社会にとっての必要悪なのです。
売春もドラッグもヤクザの存在さえもが、社会の必要悪ですが、
我々はそれを根絶させることは出来ない。というのと同じ事情なのです
>>132 >あなたが何か、2ちゃんを持ち上げて思い入れを施すような
>素振りを感じさせたから、僕はそこに突っ込みを入れたんだよ。
嘘を付くな。
>2ちゃんを巡る現実はそんなに生易しいものじゃないんだよ。って
何と比較して生易しくないって言ってるんだ?
キミの通っている学校生活か?
おおよそ、社会に出て資本が絡んでくるトコなら
何処でもシビアな面はあるんだよ。
そういうシビアさと比べて、何を根拠に2chが生易しく無いと言えるんだ?
教えてくれ。
>廃止論者じゃないのに、何で2chの悪いトコばかり
>取り上げているんですか? 不自然でしょう、普通に考えて。
全然不自然でもなんでもないよ。w
ヤクザも暴走族も僕は興味ないし、どちらかというと気に食わない
嫌いなメンタリティである。しかし物理的にいっても社会のメカニズムとして
そのような裏組織、裏社会と暴力的なものとの癒着を廃止することは
不可能なんだよ。
こういうものは、社会にとっての必要悪なんだから。
個人が主観的に嫌いでも、それはそのまま残る。残らざる得ない。
2ちゃんもそのようなものなのです。
そして、ヤクザ、暴走族、ドラッグ、売春がそうであるように、
一部の層は社会の中で必ずそういうものに好感を抱くし、
一部はそれらがすきなのです。
それらが悪である可能性があるのだとしても。。
137 :
考える名無しさん:03/01/13 03:40
始まりは世界の側にではなく、あなたの側にあるのです。
あなたが世界であり、あなたともう一人の人間との関係が社会なので、
あなたのなかの革命的な変化なしには何の希望もありません。
どうやってあなた自身を理解するかが一番重要です。
「社会を変えよ」というのは、私たちの謳い文句の一つ、安易な主張です。
―あたかも世界が私たち自身からそんなに異なっているかのように、
世界について何かしなければならないと言うことは....
私たちが現代の社会のなかのこの惨事、この戦争、
この狂った無秩序を作り出してきたのです。
私たちが問題に気づいていないかぎり、問題を扱うことはできません。
そして、あなたはあなた自身の外部でそれに気づくことはできません。
これを作り出してきたのは、あなただからです。
したがって、あなたは他の人々にではなく、
あなた自身に気づいていなくてはなりません。
混乱はあなたの心の内部で明確にされなければなりません。
あなたは間違いなく大した人間ではないのはわかるが
それをこちらにまで敷衍させないでほしい。頼むからw
そういう姑息さが、この2ちゃんのコミュニケーションの最も
卑怯で許しがたいことなのだ(苦笑
だからあなたはよっぽどこの薄気味悪い出来損ないの仮面舞踏会の
ような2ちゃんシステムにシンパシーがある。そういう傾向の
パーソナリティなのでしょう。
僕はヤクザや暴走族も嫌いだが、同じように2ちゃんにも
虫唾が走るのです。そういうタイプのメンタルで性質です。
>>136 キミは善悪を快不快で論じているけど
俺は善悪を社会の発達、安定に貢献しているか否かで論じている。
キミみたいに快不快で、人付き合いのするしないを決め付ける人間が多いから
ヤクザなり暴走族なりも現行のスタイルに定着している訳で
本当に解決したいのなら、それらの存在と向き合って
現行のシステムの問題点を突き止め、その運用の在り方を変容させていくという
アプローチをとるのが良いのでは無いだろうか?
少なくとも公の場で主張するなら、そういう観点を最低限持っているべきで
今キミがやっていることは、当にキミの嫌っている2ch的な場だから
通用していることを自覚すべきじゃないのだろうか?
今まで指摘してきたようなことを予め理解している人間にとって
キミがどの様に写るか考えてみると良い。
>>139 だったら2ちゃんなんか見なきゃいいだけだろ。
書き込みになんか来るなよ。
他人を相手にしない
自分に都合の良い、事だけを信じる。
世界を自分で創る。私が私で居られるように。
あいことば おまじない やくそく もくひょう
何もしなくても良い
動かなくても良い 2階に上がりたいなら、自分で階段を創るしかない。
嘘の2階を目指して
>>138 ほう。
>>139 ヤクザや暴走族が嫌いで、嫌いだからダメだという
考え方が公の場で通用しないし、ここは公に開かれた場だし
嫌いだからダメなんていう考え方自体が、社会の害悪なんだよ。
そろそろ理解しよう。
ここで話を最初に戻してみよう。最初の論争の切り札はあなたのこの発言では
ないのでしょうか?
109 :考える名無しさん :03/01/13 02:30
>>108 逆効果であるという論拠はあるんですか?
だから僕は論拠を挙げた。そして2ちゃんの抱えてる否定的な問題というのが
2ちゃん全体にとって関係あるのか否か?というポイントを巡って
論証を試みようとした。僕は根本的に、原理的にそれは
2ちゃんのメカニズムとしてあると思います。
犯罪的で否定的な要素です。故に賛成は出来ないが、どうしても
存在してしまう社会の必要悪として、あくまでもニヒリズム的に
そこに接点を持たざる得ない。なんら積極的な喜びもないのだが
悪のメカニズムを防衛的に、こちら側のセキュリティの確立と絡めて
見ていかざるえない。だから、それでもまだ積極的に2ちゃんを
持ち上げようとする層、人々に対しては、はっきりいって、僕の立場からは
哀れみと絶望、悲哀があるのみなのです。これが僕の感想です。
俺は141では無いよ。
>>144 いい加減にしろや、クソガキ!
テメーが快不快で物事判断して、書き込んでるンなら
オマエが嫌ってる奴等と同じだろうが!
何で2ch的な人間が2chを嫌うんだ?
何度も同じ様なこと言わせるなよ。
>>141 それもまた余計なお世話だw
誰がどのような動機で、2ちゃんを覗きに来るか、書きに来るか
嫌いでも嫌でも、なにかそこで為さなければならない、情報を
制御してその中で害悪なのものは潰し、という作業は、やらなければならない
という事情もありうるのだ。2ちゃんなんか本当は嫌いで興味がなくっても。
社会的な動機から。資本主義なんか嫌いでも我々はどこかの資本主義の
商売のメカニズムと接点を持たなければ生きていけないといった事情です。
ヤクザが嫌いでも取引先にはヤクザが来ちゃう場合だってある。
そういうときは有無をいわずに黙って自分の仕事を遂行して
それで黙って済ませて帰らなければならない。
まぁ何故か?と問われればそんなところだね。w
ふう、久々に煽ったな。
もう眠くなってきたから、寝るわ。
さいならっきょ! おならプー
>>143 >ヤクザや暴走族が嫌いで、嫌いだからダメだという
>考え方が公の場で通用しないし、ここは公に開かれた場だし
>嫌いだからダメなんていう考え方自体が、社会の害悪なんだよ。
>そろそろ理解しよう。
なんか物凄い馬鹿がいるね。混じってる
話にも論理にもなってねーよ。コイツは w
馬鹿じゃねえのかw
2ちゃん的じゃねえよ。別に。こっちは
何度もいってるけど
まぁオマエは2ちゃん的なんだろうw
しかしオマエのダメさを他人に押し付けるな<ヴァカ
私たちの多くは問題を抱えており、それを解決したい。
問題が何であるか知らなくても、満足のいく答え、満足のいく解決を望みます。
私たちは、答え・解決に関わっており、問題に関わってはいません。
それゆえ、私たちの注意は分断されています。
存在の全体で問題を理解しようとするかわりに、心の一部分で解決を求めています。
解決は生じるかもしれないし生じないかもしれません。
しかし、問題を理解するためには、
私たちの関心は解決にではなく、問題それ自体に関わっていなくてはならないのです。
我々は決して問題そのものを理解せずに常に答えを探し求める。
問題は自己創出されたというのに、それを離れて答えを見出そうとするのだ。
答えを求めることは問題から逃避するやり方の一つである。
問題、すなわち自己の理解がなければならない。
あなたと問題は一つであって二つの別々の過程ではない。
あなたは即、あなたの問題なのである。
>いい加減にしろや、クソガキ!
>テメーが快不快で物事判断して、書き込んでるンなら
>オマエが嫌ってる奴等と同じだろうが
全然違うだろう。2ちゃんの悪いところは、このように
途中で論理を滅茶苦茶にして勝手にひとり勝ちできるというとこだろうw
>答えを求めることは問題から逃避するやり方の一つである。
>問題、すなわち自己の理解がなければならない。
>あなたと問題は一つであって二つの別々の過程ではない。
>あなたは即、あなたの問題なのである
別に今回の件でなんらかの答が出せるとか思っていないけれども、
こういう言い方はよくある言い方だけれど、基本的に詭弁だと思います
故になんらかの誤魔化し、卑怯も含まれます。
たしかに場合によっては、ハイデガーやドゥルーズやデリダも、こんなような
文章を書いてるなんていう事はあるのだけれども。そういった純粋に
形而上的な問題と、2ちゃんねるの具体的な問題というのは、区別して
考えることができると思います。2ちゃんねるについての判断、問題というのは
そんなに難しい問題ではあり得ないです。いつも殆どが具体的な誹謗中傷など
具体的に論じてなんとかしうる問題が多いのです。
それをこのようにして、問題の形而上化してしまう仕種は、往々にして
罠だと思います。詭弁ですね。。。
まぁ僕の意見ですが。。
いいえ。身近な問題を見る事こそが重要なのです。
155 :
考える名無しさん:03/01/13 04:31
満たされない者には、甘い言葉を。
157 :
考える名無しさん:03/01/13 04:33
>>154 だから身近な問題というのは、往々にして単純で
解決が可能な問題でありうる。といってるの
身近=解決不能とする傾向が、詭弁のある種のケースだというのよ
>>157 >身近=解決不能とする傾向が、詭弁のある種のケースだというのよ
解決不能だなどとは言ってません。
身近な問題をきちんと観察し、理解する事によってのみ、
問題そのものが生起する過程、理由を理解できる可能性があるという事です。
>>137をもう一度ゆっくりと読んでみて下さい。
さすが鉄板というか、なんというか。
あるいは、やはりというべきか。
もう遅レスみたいですが。
>>92 包丁の比喩で解りにくかったかもしれませんが、
つまり、私の理解では、全的な観察というものは、
世界<外>や自己<内>を理解する上で、とても役に立つ包丁であるということです。
GやKはそれを研ぐための研石のようなものかもしれません。
何か不思議なものが見えると言うよりは、世界と自分というもののつながりが、
瞑想を続けることによって、大きくなっていく感触を私はもっています。
頭の中にレーダーやソナーがあって、それが拡大し、解像度があがっていく感触。
ヘタな表現ではありますが、そういう感じです。
ですから、電車で自分の座席の前に人が立っていて、スキャンしてみると、
その人の状態というのが徐々に見えてきます。おっとこれは誤解を招く表現かもしれません。
人の喜び、悲しみ、もっと耳を澄ませば人々の「想い」というものが耳に入ってくると
いう感触でしょうか。それがあまりにもリアルに感じられるとき、その人の苦しみ=私の苦しみと
受け止めて、私自身なんらかの行動をしたことがあります。
たとえばホームレスへの支援など。です。
160 :
考える名無しさん:03/01/13 04:42
>>159 >447さん
あなたは宗教板のラジニーシスレの774さんと同一人物ですか?
非常に適格な指摘をリアルワールドさんにしていますね。
161 :
考える名無しさん:03/01/13 04:42
>たとえばホームレスへの支援など。です。
「のじれん」はどう思いますか?(苦笑)
みなさん。遅くまで。
>>160 ええそうです。彼からはまだ返事がないですね。
たぶん苦しんでるのでしょう。でもそれは彼にとって必要なことだと思います。
>>161 新宿連絡会の方なら知っています。
私のホームレスの活動は、あくまで個人単位です。
なにか政治的な意図や、宗教的なイデオロギーが背景にあってのことではありません。
もうちょっと突き詰めるなら、わたしとわたしのホームレス支援の間に、思考による
あの理由付けがないです。
ホームレスの人達と共にいることは、私にも多くのことを気付かせてくれました。
ほんとにどうしようもない人たちなんですが。今は寒いのでホッカイロを持って
いってますが、彼らとそれを分かち合うとき、汚い路地がそうでもなくなるのです。
163 :
考える名無しさん:03/01/13 04:55
いや。本当に。遅くまで。どうも。
164 :
考える名無しさん:03/01/13 04:56
ここは神智学系の人達だったのですね。
どうりですごかったです
165 :
考える名無しさん:03/01/13 04:59
>ここは神智学系の人達だったのですね。
違いますよ。クリシュナムルティは、神智学の人々が用意した星の教団を解散し、
「真理は組織化し得ない。」として組織そのものを否定したのです。
それと、2ちゃん不要、必要悪論争をしていた人達は、
クリシュナムルティを読んでさえいない可能性の方が高いと思いますよ。
167 :
考える名無しさん:03/01/13 09:02
昨日の夜はすごかったんだねー、いやはや
168 :
Aziz曰く:03/01/13 10:08
● そして私はもう45才になったのに、まだ悟っていない。いったい何が間違っているのでしょうか?
ア:それはとてもシンプルだ。あなたは自分自身を探していないからだ。
キ:自分自身を探していない?
ア:その通り。あなたは悟りを求めている。悟りは単なるアイディアだ。
キ:悟りとは単なるアイディア?
ア:もしあなたが自分を探せば、成功する。もし悟りを求めれば、いつもポイントを逃す。
キ:それじゃ、いわゆる私(Me)を見ようとするのが正しい道なのですか?
ア:よりあなたが自分自身に近づけば、よりあなたは悟りに近づく。なぜなら悟りとは自分自身となる事だからだ。
キ:ふ〜ん。
ア:たんにあなたがテクニックやアイディアに従うと、それらはすべて抽象的であなた自身と関係していない。目覚めは、あなたが自分自身と出逢う用意が出来て始めて起こるものだ。
● だから、朝から晩まで、これをキープする様に務める事。
真夜中に目を覚まし、それを引き戻すといい。、、もし可能ならね。
困難がある時は、頭に向けて呼吸を入れるといい。息を頭にすって止めるとサードアイのセンターが活性化する。時々エネルギーが低すぎると、そのセンターを活性化する事ができない。その時は今言った呼吸をするように。
それから朝起きたら、出来るだけ早く直ちにその状態に引き戻すように。
それがあなたの命そのものにならなければいけない。
あなたがその状態にいないとは、あなたは生きていないという事だ。
ある人々はこう言う。「人生そのものが修行だ。リトリートなんか必要ない。生きる全てが瞑想だ。リトリートなんかする理由はない。終日坐ってばかりじゃ不健康だ。自分はあらゆる状況を瞑想としているから、坐る瞑想も必要ない。」
しかし、それは本当に真実だろうか?
彼らはこう言うが、彼らのマインドを覗いてごらん。瞑想と言いながら、一日中考え事をしている。ただ自分が一日中瞑想していると思いこんでいるだけだ。
だから自分の限界を知るのがとても重要だ。自分が弱すぎるというのがわかったら、リトリートとかをしてシンプルに自分自身をより強くするのだ。
しかし、あなたが社会にいて困難な状況に直面したら、ベストを尽くしてSP(ステートオブプレゼンス)をキープするように努力する事だ。ベストをただ尽くすのだ。
171 :
考える名無しさん:03/01/13 12:13
仏陀:光るものをみつけた。
悪魔:わしにまかせろ、Videoにして売ろう。
172 :
考える名無しさん:03/01/13 13:18
173 :
すしでもくいいっか:03/01/13 13:43
上座限定のvipaの単独すれつくるか
kとグルジェと和尚抜きの。
あと他の瞑想とのサマタ議論抜きの。
とおもう。
174 :
考える名無しさん:03/01/13 13:49
Kの思想はそもそも「実践」できるの?
できるといったもん勝ちなだけじゃないのか
K自身が自己満足で満足してるみたいだけど
175 :
考える名無しさん:03/01/13 16:09
kは許す。ただしGとRは今すぐここから出て行け
176 :
考える名無しさん:03/01/13 16:26
>173
それがいいかもね。
>175
Rはラジニーシ?
177 :
考える名無しさん:03/01/13 16:49
神社仏閣版のスレ見てきたがほんとに下らんものばかりだった。
こいつ等が仏教をだめにしてきたと・・・・・・。
178 :
考える名無しさん:03/01/13 17:45
>>175 >>12見ると
>>1はグルジェフについて知りたいと書いてる。
というわけでGは問題なし。
ラジニーシも447氏が実践瞑想スレの住人で、
このスレは実践瞑想スレから派生したんだから、問題ないだろう。
あんまり排他的になると、スレが荒れるだけでは?
私は、現在、心理的に不満足の状態にあります。
主に、以下の2つの問題に付き纏われています。
1. 虚しさ、満たされなさのうずき
生の全体を覆う、漠然とした、しかし圧倒的な、いま、ここ、この状態への
(何か知れない)落ちつけなさ、おさまらなさ、物足りなさ、安住できなさ、
くつろげなさ、空虚感、緊張感、不全感、不満足さ、満たされなさ、退屈さ、
味気なさ、「本当に、これでイイ!」と思えなさの感覚=心理的苦
何かをすること―何らかの心理的/肉体的な動き・刺激、
興味・関心・行為によって、心と体を埋めること、時間を埋めること、
その空虚さの感覚からの逃避、気まぎらわせ、時間つぶし―何かをせずにはいられない
―逃避で埋め尽くされた日常、生活、時間
虚しさ、落ち着かなさ、おさまらなさ、物足りなさ、生の不全感、生の空白などの、
根っこにある問題・感覚が浮上してくると、その度に、(次々と、絶え間なく)
何らかの新しい逃避、刺激、気まぎらわせに心を逸らしては(を見つけては)、
その「空虚さ」という事実、本当の問題から目を逸らしてしまう。
2. 自己イメージの問題
ハーレム/メシア願望、認められたい、何者かでありたいと云う欲望、プライド、自己承認欲求、
評価されたい欲求を持つが故の(人との関係における)無力感、動揺感、怖れ、諸々の悪感情、
挫折感、優越感/劣等感などの、苦痛な、心かき乱す、動揺させる、まぬがれたい心情・情動の
絶え間ない生起・湧出
認められたい、自分でも他人にも、(修行の面で、悟りの部分で)たいした人であると認められたい、
そう扱われたいという欲求
何者にも成れないこと、何者でもあれないこと
―自分は、クリシュナムルティその他、悟ったと云われる人たちのようには成れなかった。
成れないまま終わるだろう、と感じさせられることの、無力感、みじめさ、挫折感、
苦痛な、心かき乱す、動揺させる思い
あらゆる人間関係において、特別な、注目されるべき、
一目置かれるべき能力・価値・魅力を持った存在であると認められたい、でありたい、
そう扱われたいという、(意識構造の全体に染みついた)どうしようもない衝動・切望
→そうあれないことへの怖れ、みじめさ、不安定さ
現実の生活の場面は、その「そう(で)ありたい」自己イメージからの転落の連続である。
→その全体が生み出す心理的な苦しみ・苦役
-----
これらの問題は、いかにして根本的なレベルで解決・解消・根断されるのでしょうか?
このことに関するアドバイスを求めます。
181 :
考える名無しさん:03/01/13 19:27
> 93 :考える名無しさん :03/01/12 22:35
> 観察者や観照者という言葉を使うときにそれが思考が生み出した分裂したものの
> 一方の片割れなのか、見るものと見られるものが一体であることを洞察した後に
> 現れる自己認識であるのかを意識して分けて使わないと混乱してしまうよ。
>
> 普通に使う場合は
> 観照者・・・・洞察の後に現れる一者の自己認識
> 観察者・・・・分裂している思考が生み出した意識の片割れ
なるほど! 勉強になったよ、
ありがとう。
182 :
考える名無しさん:03/01/13 20:20
比ヤング
顔も名前も住居もバレてるのによくやるわ
重度の分裂病ってのは間違いないようだな
243 : :03/01/11 22:24
なぜバレたんですか?
244 : :03/01/11 22:26
名前と顔は自分でバラした
住居は警察沙汰になりかけたときにバレた
追い込みかけられたんだったかな
とにかくバレてる
245 : :03/01/11 22:27
ぺって、こんな在日みたいなツラしてんのかよ プ
183 :
考える名無しさん:03/01/13 20:27
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.,゛,.,.(,.((^O^),.,),,)゛,.,.゛,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
゛,\\νノ,/゜/,.,゜,.< ここはどこ?
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_`゛,.゜,.,.,/ ヽ,.,.,._゛..,..`゛,.,/
184 :
考える名無しさん:03/01/13 20:33
>>183さん、生まれてはじめまして。
いきなりですが、まじレスです。
以下、私見ですので、的ハズレでしたら、スルーして下さい。
183さんの大きな問題は、
・自分の中に愛を発見していない
・理想が高い
ではないでしょうか。
共に、親から充分な愛情を受け取れなかった事が
一因ではないかと推測いたします。
〜でなければ、自分は愛してもらえないだろう。と思っていらっしゃいませんか?
愛されて育った子供は、根拠なき自信を持つそうですが。
183さんに足りないのは、「自分はOKだ」「あるがままの自分でイイ」という感覚ではないかと思います。
要するに自信ですが、愛と置き換えてもよいでしょう。
185 :
考える名無しさん:03/01/13 20:35
,゛ ゛,.,.∧,.,.゛
,゛ , /∧\,゛,.
,., ,,//.υ\\゛,.
, ゛,,./,/ * ,,\\,.゛
.,゛,.,.(,.((^O^),.,),,)゛,.,.゛,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
゛,\\νノ,/゜/,.,゜,.< うるせーヴォケ
゛゛,..\\./,./ ,.゜ \__________/
゜, ,.\.゛,/,.゛
,. ,ν ,.
,.,.
゛,.*゛,.
゜゛ ゛,.,.,.../
´,/\ ゛,/
_`゛,.゜,.,.,/ ヽ,.,.,._゛..,..`゛,.,/
186 :
考える名無しさん:03/01/13 23:02
看板ばかりとりかえてもねぇ。
あなたは時間間隔が極論でアポトーシスです。この場合スピードが速ければ
早いほど良いのではない。速さは調節できるものです。むしろそうした方が
この場合自然なのです。明日死ぬ運命であれば別ですが。
提案は3つ。どれも穏やかなノーマルなものではないですか?
私は経験上知っています。私は鬼になるくらいなら死を選んだ人間です。
これはすでに昔から知っています。でもそれは魂の次元のことですが。
とてもあなたが几帳面かつ綺麗好きなのは想像できますが、それは極論では
ありませんか?自然界にはいろいろな罠が存在しています。
極論は盲目にも似ています。
私としては詩人は盲目でも関係ない種の人間だと思います。
どうでしょうか?
188 :
考える名無しさん:03/01/14 08:34
>>Aziz曰く
ア:もしあなたが自分を探せば、成功する。もし悟りを求めれば、
いつもポイントを逃す。
いいね。でもAzizって誰?
189 :
考える名無しさん:03/01/14 14:29
異教義間での泥沼的論争が、実は基本的述語の概念規定の相違(つまり、用語の使い方の違い)に基づいているに過ぎない、ということはしばしばある。
議論するときは、まず相手の意見を理解しようと考えよ―勝つことを考えるのではなく。
新しい視点、意見、考え方を学ぶことのできる、いい機会だと考えよ。
相手に反論があるときも、とにかく、まず相手の話を良く聞く。
相手がそのようなことを言う背後にある世界観を理解しようと努める。(反発してしまうのではなく)
190 :
考える名無しさん:03/01/14 18:20
191 :
緑茶を飲みながら:03/01/14 18:38
お茶が濁ってる。
煎れ直そうっと。
192 :
考える名無しさん:03/01/14 21:28
僕はこの掲示板で取り扱われている様な、社会に蔓延る虚構に惑わされることなく生きていく為には、
その虚構を見破る努力よりも、私達の本来のこころに付いた塵をぬぐう作業が先なんじゃないかなぁ
と感じています。
僕自信は、坐禅を組みはじめて一年半、
やっと自分自身をそのままのものとして看ることが出来るようになってきました。
坐禅はこころの断食みたいなもんですね。
私たちの心も身体同様、自分自身で取り込んだ情報や知識の蓄積によって本来の姿を失っています。
社会の裏情報を集めて突き止めた「真実」すら、心を覆う塵になってしまうのかもしれません。
それらを一旦捨て去って、自分自身の内面だけを見つめる時、
観ることのできるものとは何なのでしょう。
自分自身の本質が分かった時に、
それ以外のことの真の姿も知ることができるものと信じています。
やぁ、しんさん。こんばんわ(´A`)
194 :
三島☆ド根性ノ助:03/01/14 21:41
>>193 いやぁこんばんわ。
どうですか来てみて?
えっと、なんか変なところみたいッスねぇ〜
196 :
三島☆ド根性ノ助:03/01/14 21:48
197 :
考える名無しさん:03/01/14 21:48
いいや、見ていッスよ。どんなところなんスか?
199 :
三島☆ド根性ノ助:03/01/14 21:54
下ってどこッスか?
やっぱり、お下品なんスか?
201 :
三島☆ド根性ノ助:03/01/14 22:00
202 :
三島☆ド根性ノ助:03/01/14 22:04
(怒)
見たんすけど・・・。意味不明ッス。
何について書いているのか理解できないッス。
しんさんは、理解できましたか?
(怒)
もう寝ます・・・・。
206 :
考える名無しさん:03/01/14 23:27
実践についてのスレなのに、実践についてほとんどないのは
不思議なきがする。
誰もがリアルに触れるのは意図的に避けているのだろうか?
スレに「濁り」が入るのは、抽象的言葉の羅列に違和感を感じるから
ではないだろうか?
207 :
考える名無しさん:03/01/14 23:41
>それらを一旦捨て去って、自分自身の内面だけを見つめる時、
>観ることのできるものとは何なのでしょう。
>自分自身の本質が分かった時に、
私がリアリティーを感じるのはディーテールがあるときだと思う。
具体的になにをみたのか? できたらそれをお聞かせ願いたい。
208 :
考える名無しさん:03/01/14 23:54
縁側でいつものように瞑想をしていたら、隣の畑で、
ごみを漁っていた
カラスと目が合った。カラスはそれから1時間ほど
私をみていたが、涙をながして飛んでいった。
カラスなぜ鳴くの。
カー。
哲学本来の方法は、
解決不可能な問題を、その解決不可能のままに、明白に理解し、
次いで余分のものを混じえず、それらの問題をじっと飽くことなく、
何年間も、どんな望みも抱かず、ただ待望しつつ注視しつづけることにある。
・・・超越的なものへの移行が果たされるのは、
人間の諸能力―知性、意志、人間愛などが、ある限界に打ちあたり、
その人が境界線上にたたずんで、その向こうへは一歩も進めず、
しかもそこから引き返そうともせずに、自分が何を望んでいるのかもわからないで、
緊張のうちに、ただ、待ち望んでいる時である。
これこそは、極度の屈辱の状態である。
屈辱の状態を受け入れることのできぬ人には、ついに不可能な状態である。
シモーヌ・ヴェイユ 【超自然的認識】
210 :
考える名無しさん:03/01/15 00:14
そうだよ、もっと実践について話そう!
211 :
考える名無しさん:03/01/15 00:18
瞑想をするようになって、よく「目が綺麗」と言われる。
鏡をみて、目の美しさにうっとりしてしまう。
あっというまに糞スレになりさがったなw
でもまだ未来はあるよ。
名スレになりうるか否かは、
神が降臨するか、またスレ住人がそれを認知するかに
かかっているよ(藁
それから、冷笑、嘲笑ばっかしてちゃだめだよw
ところで質問ですが、
このスレのタイトルの「クリシュナムルティ・禅・ヴィパサナー実践」
の「実践」は何を意味するのでしょうか?
瞑想の技術的な実践ということでもなさそうだし。
それとも自らが信を置いているものの宣伝をするのか。
(それなら宗教板の方が合っていると思う)
それとも、自レスと他レスとの間の関係性から、自分自身の虚偽を
ためらいつつも、正直にみつめるという。緊張感と理解の喜びに
満ちたスレにするのか。
いまひとつ明確でない気がします。
1さん見てたら方向性を示してください。
215 :
考える名無しさん:03/01/15 07:32
>>206 >>207 チミのお願いはつまり、
「誰かハダカ踊りを見せてくれ、(俺はやる気はないけどな)
見るだけなら見たいから」と云う事でよろしいか?
それでは誰も見せてくれぬと思うがな。
チミの文章のどこにレアルを感じれるデテイルがある?
俺はヘタレだからやらないよ。
内面告白書いて笑われるのは恐いしね、、、
1です。
見てはいました。
私は2ちゃんねるは初心者なので、
スレタイにまったく関係ない喧嘩や雑談を
当たり前のように延々と繰り広げられるのを見て、ちょっとウンザリしていました。
そして、本気で真摯な対話を続けていくには、
やはり2ちゃんの外に、キチンとした掲示板を作らなければならないのかなー、と思っています。
ご質問に答えるには、私自身の話をするのが速いです。
私は、もう10年くらい(断続的にですが)クリシュナムルティを読んできました。
いまだに、クリの著作ほど、心震える、心から共感できるものを持っておりません。
そして、クリの言う「根源的な自己変容」に憧れています。
しかし、多くの人が言うように、
クリのいうことはどこまでも透明で真実であるように思えるのですが、
また限りなく実現困難で、不可能のことのようにも思えます。
鑑賞するには美しいが、いざ登るとなると、何の取っ掛りもない絶壁のようです。
で、禅系の道場に行ったり、ヴィパッサナーを習ったりしました。
そうしてる内に、幾らかKの話を現実的なものとして(単なるお話ではないものとして)
感じれるようになってきました。これは私には嬉しいことでした。
で、現在、理論的(心情的)にはクリシュナムルティ、
その具体的な肉付けをvip(マハーシ・メソッド主体)でしているという状態なのです。
ですので、
>瞑想の技術的な実践ということでもなさそうだし。
とも言い切れず、
(ヴィパッサナーの話となると、やはり技術論にもなりますし、
それを否定するつもりもありませんし)
>それとも自らが信を置いているものの宣伝をするのか。
私は、クリシュナムルティもヴィパッサナーも宣伝したく思っています。
そして、実践してみて欲しく思っています。
なぜなら、踏み込んで話せる仲間が欲しいから。
これも否定できません。
> それとも、自レスと他レスとの間の関係性から、自分自身の虚偽を
> ためらいつつも、正直にみつめるという。緊張感と理解の喜びに
> 満ちたスレにするのか。
これも、実現されたなら、素晴らしいことですね。
そのような場を持てるということは。
しかし、これには、ひとりひとりの真剣さと情熱が要求されますね。
取りあえず、
1,本気で会話する気の人は必ずコテハン。
2,sage進行厳守。
などは必要そうです。
半端なレスですが、ひとまずここで、、、
しかし、私と同じように
基本――クリ好き
実践技法――ヴィパ導入
のひとはどれくらい居るのかな?
しかし、現在、全くの糞スレに成り下がったとも思わないのです。
幾つか面白い情報が出ていて、
昨日は幾らか読んでました。
でも、情報放出は、これくらいでいいですね。
220 :
考える名無しさん:03/01/15 09:02
と、書き終わってから気がついたのですが、
447さんの、
> それとも、自レスと他レスとの間の関係性から、自分自身の虚偽を
> ためらいつつも、正直にみつめるという。緊張感と理解の喜びに
> 満ちたスレにするのか。
は、
「クリシュナムルティの実践」というのは、
「関係の直中で自己を見ること、自己に気づくこと」なんだから、
この2ちゃんでの遣り取りこそがKの言ってることの実践、瞑想の実践の現場ではないのか?
と云うご指摘なのですね。
なるほど、ごもっともです。ピンと来ていませんでした。
私がタイトルの「実践」という言葉で言おうとしていたのは、
「独りでの自分の生活のなかでの自己観察の実践や、
朝夜の独りでの瞑想の実践についての話をしよう」という意味
が主です。
しかし、447さんの言う「他者との関係の中での自己観察の実践、の現場として掲示板」
を現成させるには、2ch外の専門掲示板が設立されることが望ましいのでは、、、
と思うのですが、どうでしょう?
>「独りでの自分の生活のなかでの自己観察の実践や、
独りでの=この掲示板に書き込んでる時間以外での
です。
1さんどうも。
確かに2chでは荒れるかもしれません。
まぁ、ここで試してみて無駄なようであればどこかでやってもいいと思いますよ。
もうスレたてて200番台まで言っているし、さまざまな方が見ているようですから、
そのことは議論を豊かにするという意味でとりあえず受け入れて、
常識の範囲で対応していけばいいのかなと思います。
(何が常識なのかは意見が様々でしょうが)
>取りあえず、
>1,本気で会話する気の人は必ずコテハン。
>2,sage進行厳守。
賛成です。
あとは、煽り無視。独り言無視。 といったところかな。
私も10年くらいクリシュナムルティを読んでいます。
読む瞑想という表現は確かにぴったりきますね。
そして読むたびに発見というか気づかされるものがあります。
頭の中が透明になる気分ですね。
「生と覚醒のコメンタリー 1−4」を良く読んでますよ。
もう表紙がボロボロになりました。この本はもう書店にないみたい
ですが、絶版なんでしょうか?できれば買い換えたいのですが。
「生の全体性」もいい本ですね。
224 :
考える名無しさん:03/01/15 13:26
>215
>内面告白書いて笑われるのは恐いしね、、、
告白には特別の意味があります。
2CHに向かって書くのは、神に向かって懺悔する
ようなものです。
宗教の没落のひとつは「懺悔」の機能がなくなったからです。
牧師も僧侶も結婚をし、スーパーで買い物をし、世俗的に
暮らすようになりました。そういう者を相手にして、誰も懺悔
できません。
我々が懺悔できるのは、神や、こじき、犬や猫、植物、それに
2CHです。この中でも2chは最も高度な、懺悔機能を持っている
ように思います。懺悔は瞑想です。
225 :
考える名無しさん:03/01/15 13:31
>>215 >内面告白書いて笑われるのは恐いしね、、、
最近、時々赤面するようになりました。
電車で前に座る人が、綺麗にみえる。それがなぜか恥ずかしい。
今までなら、ぎこちなく、下を向いたり、
目を閉じたりしたはずです。
今は、その気持ちを隠しません。
ウブな内面を見透かされているだろな。暖かいものが
顔いっぱいに広がります。
しばらくすると、紅潮はゆっくりと
引いていき、代わりに、心地よさで胸がいっぱいになります。
226 :
マハーシ・メソッド実践者には、、、:03/01/15 13:35
これは役に立つ本なのかもしれない、、、
「やさしいフォーカシング」(コスモス・ライブラリー刊)\1,800
> フォーカシングとは、「からだを使って、自分の気づきを促し、こころを癒していく」現代心理療法のエッセンスを凝縮した方法だという。
> ジェンドリンが、カウンセリングの成功例を研究しているときに、成功事例にはクライエントの側にある共通の特徴があることを発見した。
> それはクライエントが、面接のどこかで「話し方がゆっくりになって、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始め」るということ。
> 自分の内側の「心とも身体ともつかない曖昧な漠然とした感じ」を確かめるように話していたのである。
> この「内面の曖昧な感じに触れる」という内的な体験のプロセスをジェンドリンは、フォーカシングと名づけた。
> 先に紹介した『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』の著者、トールは、「自分の感情を知るのが難しいなら、からだの内面にあるエネルギー場に、意識を集中させてみましょう。
> からだを内面から感じるのです。これで自分の感情を感じることができるはずです」と言っている。
> トールも、からだの内への気づきを重視しているのだが、フォーカシングは、それを誰もがいつでもできる取り組みやすい技法(わざ)として方法を確立。
> 心理療法から生まれでたこうした細やかに洗練された方法を利用しない手はない。
> 「フォーカシングは、からだとの信頼関係を結んで、からだの気づきを通して、この自分自身の豊かな部分が伝えてくれる智恵に耳を傾けられるようにしてくれます。
> フォーカシングは、からだが大声で叫び出す前に、ささやいているうちに、そのささやきを聴けるようにしてくれます。
>フォーカシングは、内なる正しさの感覚にかなうよう、人生を変えていきます。」
> その変化は、おだやかでゆっくりしたものであるようだ。
> ヴィパッサナー瞑想も一瞬一瞬の体内感覚への気づきを重視するが、あわせてフォーカシングを学ぶことは、体験を深めるのに役立つのではないかと思う
> 自分のからだを観察して、何か感じをつかんだら、その感じをただそのままそこに置いておく。
>自分で判断を下したり、自分の感情を回避したり、なぜそう感じるのかを突きとめようとしても、結局同じところにとどまるか、もっと嫌な気分になるかだろう。
> 「あなたの感情をあるがままに置いておくことができたなら、その時こそ、感じが変わるのです。変えようとすると、変わらないのです。」
> 誰がやってもそれを感じ取り、意識の光にもたらす、つまりあるがままに置いておくおくことができるよう、ひとつひとつステップを踏んで進んでいけるよう、工夫されている。
> 私も、自分ひとりでいつでもどこでもできるフォーカシングの方法をぜひ学びたいと思った。文章はやさしく、説明はかゆいところに手が届くような細やかさだ。
> 「あなたの内的な体験と関係を持つということは、あなたが、感情の中に入り込まないで、感情のそばにいることです。……感情との関係を保つことで、より簡単に変化が起こるということです。
> あなたの感情を大きな湖だと考えてみましょう。次のどちらか一つを選んでください。
>湖に飛び込むか、湖のそばに座っているか、フォーカシングは、その感じの中に飛び込むのではなく、あなたの感じていることの『隣に座って』いる時に、一番うまくいきます。」
> フォーカシングとは、自分自身の内的な体験と友だちになるようなものだと思ってください。
>本当の友情のためい大切な要素としては、認めること、許すこと、忍耐すること、好奇心を持つこと、尊重すること、暖かい気持ちを持つこと、歓迎すること、共感すること、思いやりをかけること、愛することなどが考えららます。
>・・・・あなたの内側に何か感じがあると気づいた時には、『こんにちは。そこにいるのを知っているよ』と、その感じに向かって言ってください。」
>447さん
そうですね。
では、取りあえず
1, 本気で会話する気の人は必ずコテハン。
2,sage進行厳守。
3, 煽り無視。独り言無視。
と言うことでマッタリいきませう。
皆さま、どうぞよろしゅう。
ゴメン、自分で言っときながら
sageるの忘れた。
>「生の全体性」
第2部の始めの数章・・・
凝縮度の凄さには尋常でないものを感じますね。
なんか神憑り
あと、表現力が確実に進化している。
Kの本は、みんな同じようなもんだと思っていたけど、
これ読んで考えが変わった。
230 :
考える名無しさん:03/01/15 16:37
ありがとう。少しは孤独でなくなったよ。私は感受性の恩恵を受けてます。
私は本当は芸術家です。哲学者でも科学者でもありません。それが多分宿命の方かも
しれない?小芸術は決して嫌いではありませんが大芸術に憧れ希求しているのです。
まず最初の限界としても、今は両親に頭があがらない。時間が必要です。
就職が決まってしばらくして落ち着いたらきっとお会いしませんか?
231 :
すしでもくいいっか:03/01/15 18:54
マハシ、ならびにゴエンカoldstudentより
フォーカシング昔読んだ。
マハーシ方式やってるものにも参考にはなったけど、
ゴエンカ氏のとこの感覚メソッドを身に付けるほうが
実用的。と思う。
ちゃんとした先生で、やるほうが本気なら
ほんとにマハーシONLYで
なんにもいらないけど。と私は思う。
232 :
考える名無しさん:03/01/15 19:20
先生は子供英会話教室で3ヶ月間のみやった事あるが、引継ぎの時、問題児といわれてた子は
みんな私はどこか問題なのか分からなかった。数人いたが、彼らも私が好きだっただろうと
思う。1名(小学生)H系質問には答えてやった。
でも今すぐ先生は無理だ。それにその器量は疑わしい。
でも今分かることは、偶然でも必然でも自由が許されてることだけ。
縁は今実践できない。
233 :
考える名無しさん:03/01/15 19:24
親は今になって私を愛している。幼児の時と同じくらい。
そして今はその時ではない、私にとって。
親は繊細かつ神経質なあり方で私を心配しています。
彼らに一安心させなければ、私は鬼です。
234 :
考える名無しさん:03/01/15 19:35
知ってるよ。
私がここに来なくても、極論で対応しないでよね。
中学生のような文通できる?それとも未だ信頼されてないか?
235 :
考える名無しさん:03/01/15 21:19
>もう表紙がボロボロになりました。この本はもう書店にないみたい
>ですが、絶版なんでしょうか?できれば買い換えたいのですが。
破草鞋 カーッツ
236 :
考える名無しさん:03/01/15 21:28
>マハシ、ならびにゴエンカoldstudentより
>フォーカシング昔読んだ。
>マハーシ方式やってるものにも
看却下、
彼らはすべて、禅を手本にしておる。
237 :
考える名無しさん:03/01/15 21:53
>彼らはすべて、禅を手本にしておる。
馬鹿だコイツ。・・・本物のb家だ
238 :
考える名無しさん:03/01/15 22:15
>馬鹿だコイツ。・・・本物のb家だ
2番煎じ、3番煎じを学ばずとも、直接禅を学びなさい。
239 :
考える名無しさん:03/01/15 22:28
今日のうはん市の同姓同名の所へ、電話した。韓国でお世話になったものですが
お名前とお年しかしらないので云々。拳法道場だったらしいぞ。
240 :
考える名無しさん:03/01/15 22:46
>2番煎じ、3番煎じを学ばずとも、直接禅を学びなさい。
kore,netanano,majinano?
ちなみにこの質問はマジです。
238さん、答えてください。
ぼくは怒っています。
241 :
考える名無しさん:03/01/15 22:51
本当ですが。だって私知らなかったけど初めてここきたのは剣道の起源は!
っていうのだったの思い出したから。りんとした女の人が出た。
242 :
考える名無しさん:03/01/15 22:53
>2番煎じ、3番煎じを学ばずとも、直接禅を学びなさい。
馬鹿だコイツ。・・・本物のb家だ
243 :
考える名無しさん:03/01/15 22:53
もう遅いから帰ります。私はちょっと睡眠不足ぎみです。
240って意味あった?
244 :
すしでもくいいっか:03/01/15 22:54
ダンマバーヌ 20日コースはじまるね。
お手伝いいくの?
>238さん、答えてください。
>ぼくは怒っています。
あなたは、怒っています。
あなたの怒りを看てください。脚下照顧
246 :
考える名無しさん:03/01/15 23:07
↑知ったか仏陀
>246
何でもいいから、ひとつのことを最後までやりなさい。
まず、靴をそろえる。(横文字が好きなら、)そこを
フォーカシングしなさい。
248 :
考える名無しさん:03/01/15 23:21
↑馬鹿だコイツ。・・・本物のb家だ
>248
>↑馬鹿だコイツ。・・・本物のb家だ
おまえは賢いやつだ。
250 :
考える名無しさん:03/01/15 23:28
両方大切です。
私はここの人にかなり不審に思われてます。
もう何度も言ってますが、文通していただけますか?
251 :
考える名無しさん:03/01/15 23:29
もう寝た方が健康に良いです。
野菜はきちんと取ってますか?(母に言われる)
252 :
考える名無しさん:03/01/15 23:29
253 :
考える名無しさん:03/01/15 23:41
誰かって誰??
私はそもそもあなたには不足な人間です。
ですが、私の命は私と両親、それにその他のものです。もし私の命を放棄した
場合でさえそうです。そして今私は自らの命もまた放棄していません。
やるだけの事はやりました。明日の事は分かりませんが、眠りに安らかに
入る潮時も心得たいものです。今日は大安です。満月にも近ずいてきた事と
思います。
もう、これ以上何もできないと予感します。
私は同棲経験はありませんし、家を出る時は自立した時か、嫁に行くときと
両親と私は考えています。昨日、母から初めてお見合いの話をもちかけられました。
驚きました。私の変人ぶりを今まで承認してくれてたのに。
254 :
考える名無しさん:03/01/15 23:43
あなたって誰?
sage信仰てどうやってやるの?
>>255 メール欄にsageでしたよね?
これは、2ch用のブラウザからカキコしてるんですが。
ヴィパサナやってる方も、断片のカキコよりは、初めてヴィパサナを
知る方に分かりやすいカキコが必要だと思いますがいかがでしょうか。
>>1 のリンクではどれに当たるのかな?
私もやったことはありますが、10年以上前のインドのラジニーシのアシュラム
で21日間というものでした。
本格的にやっている方からすれば紛いものかもしれませんね。
ラベリングというものと、ゆっくり歩くのと、食事をゆっくり食べ、
誰とも目を合わせず。あとはひたすら呼吸を見るという内容だったと記憶しています。
ラジニーシのヴィパサナに関するコメントの中で、
「それはまるで自分が身ごもるような感覚だろう」というようなことを言ってたと
記憶しています。
http://momolin.fc2web.com/ 【探し物とくとくページ】
ごめんなさい みんなにみて欲しいから投稿させて下さい
[yahoo] [infoseek] [google]などの検索サイトにて「探し物 とくとく」で検索
タイトル【探し物とくとくページ】を探してね あなたの探し物見つけて下さい
258 :
考える名無しさん:03/01/16 00:46
もう一度あなたの極論に従いたくありません。
maktt29でもあります。
もう今日は帰りましょうか?
>>447 ラジニーシ、クリシュナムルティなどを読んでいるようだけど、
グルジェフも読んだりするの?
>>260 グルジェフもほんの少し読みました。ウチのカミさんはかなり読んでますが。
ベルゼバブを完読したと自慢されましたよ。
ムーブメンツもできますよ。「注目すべき人々の出会い」に出てたものですが。
まだラジニーシが生きていた当時それを練習するグループがありました。
ムーブメンツの教え方が独特で、一切言葉を使わないんで、先生の一挙一同を
常に注目しなければならないというものでした。さらにあの動きはかなりの
気づきを保っていないとできませんね。特に座って両手を動かすムーブメンツは
難しく、きれいに決まったときには完全な静寂が訪れるというような、
なにかとても美しいものだったと記憶してます。
80年代半ばのラジニーシのアシュラムはさながら精神世界的ディズニーランド
だったのです。
で、現在の関わっているのはブラバッキー以降の神智学で、アリスベイリーと
ベンジャミン・クレームあたりですね。世界大戦以降の世界観について、
また現在の混沌とした世界の次の世界観を、両者の書物はオカルト的に提示しています。
クレームの書物には、世界の著名人の悟りの段階が諸体の構造とともにはっきり書いてあります。
クリシュナムルティ 4
グルジェフ 2
ラジニーシ 2.3
ウスペンスキー 1.7
です。5の悟りで「覚者」というものですね。
以上宣伝モードでした。
>クレームの書物には、世界の著名人の悟りの段階が諸体の構造とともにはっきり書いてあります。
>クリシュナムルティ 4 グルジェフ 2 ラジニーシ 2.3 ウスペンスキー 1.7
この説は本屋で立ち読みしたなあ。でも全く信用していない。
グルジェフの人間1番〜7番の話は知ってますか?
ラジニーシの所で、グルジェフのムーヴメンツを教えていたというのは聞いています。
ラジニーシの所に居た郷尚文という人の「覚醒の舞踏〜グルジェフ・ムーヴメンツ」という本がありますね。
263 :
考える名無しさん:03/01/16 03:04
ベンジャミン・クレーム?
あんな物を信じてる奴がいたとは、、、。
俺の直感では、クリシュナムルティとグルジェフは覚者。
ラジニーシも多分そう。(イマイチよくわからん。)
ウスペンスキーは死の間際にそれに近い状態に到達したと主張する奴もいるが、よくわからん。
少なくとも死の1〜2年前までは覚者ではない。
クレーム? あんなのは非現実的な妄想狂。覚者ではない。
>>263 少なくともおまえは覚者ではない
というか
平均以下の社会不適応者のゴミで、クレーム以上の妄想狂だろう
265 :
考える名無しさん:03/01/16 03:33
>>264 少なくともおまえは覚者ではない
というか
平均以下の社会不適応者のゴミで、クレーム以上の妄想狂だろう
>>265 少なくともおまえは覚者ではない
というか
平均以下の社会不適応者のゴミで、クレーム以上の妄想狂だろう
447さん
グルジェフが2.2でウスペンスキーが2.0段階だと思います。
268 :
考える名無しさん:03/01/16 06:38
すみません。
全然関係ないけど腹立ったので書きます。
225 :考える名無しさん
最近、時々赤面するようになりました。
電車で前に座る人が、綺麗にみえる。それがなぜか恥ずかしい。
今は、その気持ちを隠しません。
これ、貴方? 浮気者!
すみません、ウチワの話で。
皆様、真面目に続けてください。
書き込みはしませんが、
読んで勉強させてもらってます。
では、失礼しました。
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
270 :
考える名無しさん:03/01/16 07:28
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
271 :
考える名無しさん:03/01/16 07:29
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
272 :
考える名無しさん:03/01/16 07:29
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
>268
>すみません。
>全然関係ないけど腹立ったので書きます。
>これ、貴方? 浮気者!
>すみません、ウチワの話で。
>皆様、真面目に続けてください。
>書き込みはしませんが、
>読んで勉強させてもらってます。
>では、失礼しました。
精神構造:
すみません, 腹立, すみません,失礼
全然関係ない, ウチワ
真面目, 勉強
語彙を抽出するだけでも、ある程度は精神構造を
推察可能です。
仏陀 100+@
キリスト 99+@
クリシュナムルティ60+@
ラジニーシ 45+@
グルジェフ 18+@
ウスペンスキー4.47+@
-1000<@<+1000
275 :
考える名無しさん:03/01/16 10:22
>>274 少なくともおまえは覚者ではない
というか
平均以下の社会不適応者のゴミで、クレーム以上の妄想狂だろう
>ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
>そんな事もわからないのか?
むきになるな、
おまえらは、栄養価の高いものを求めすぎる。
kなどはおまえらには栄養価が高すぎる。もっと硬いもの、
養分のないものを食え、そうしないと咀嚼力がつかない。
いい加減なやつを師にしたほうが、為になる場合が
多いのだ。
277 :
考える名無しさん:03/01/16 10:37
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
278 :
考える名無しさん:03/01/16 10:39
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
279 :
考える名無しさん:03/01/16 10:39
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
>>262 >グルジェフの人間1番〜7番の話は知ってますか?
ごめんなさい。知りませんね。
神智学で言うところのイニシエーションの段階と同じような概念でしょうかね。
>グルジェフが2.2でウスペンスキーが2.0段階だと思います。
そうでした。すいません。
やはり反応がありましたね。思ったとおりだ。
この悟り番付(イニシエーションのレベル)をカキコしたのは、
ベンジャミンクレームの情報の真偽を別にして、
私たち自身がそれぞれ信を置くものに対して信奉者であるのか、
あるいはそうでないかを、正直に見ることができるかどうかの機会としてなのです。
神智学系の情報はどれも信じ難いものです。私自身良く知っています。
それでも私自身がそれに関わるというのは、信仰に近いところがあるのかも
しれません。「信」というのは奇妙なものです。それなくば進めないところもあり、
信奉者として対象によりかかってしまうと、それもまた障害になるわけです。
実に難しいことだと思います。
みなさんはどう思いますか?
ちょっとわき道にそれたようですがご容赦ください。
ある瞑想会に出たときのことだが、講和の時、宇宙人が
でてきた。おれは、その講和を真剣に聞こうとしたのだが、
なぜか笑いのエネルギーがチャクラから入ってきて、
厳粛な会場で笑い転げてしまた。必死で笑いをこらえようと
するのだが、そのエネルギーはあまりに強烈で
「クッククックハアー」
「クッククックハアー」
「クッククックハアー」
「クッククックハアー」
押し寄せるエネルギーについに負けて、腹の皮が3回もよじれてしまた。
瞑想を実践しようとするものの心構えとして
珍しい瞑想会に出るときは、「なにが起こっても不思議ではない」と
いうことを頭におかなければならない。
238氏の背景が知りたい。
今まで、どんな経緯を辿ってこられたのだろうか?
238氏の言う「禅」とは、
具体的に言うとどのようなものだろうか?
238氏
> あなたは、怒っています。
> あなたの怒りを看てください。脚下照顧
怒りの観察の仕方を教えてください、具体的に。
238氏
>マハシ、ならびにゴエンカoldstudentより
>フォーカシング昔読んだ。
>マハーシ方式やってるものにも
看却下、
彼らはすべて、禅を手本にしておる。
では、禅は何を手本にしているのか?
ご教示願いたい。
> 2番煎じ、3番煎じを学ばずとも、直接禅を学びなさい。
どこに行けば習えるか?
286 :
考える名無しさん:03/01/16 15:40
グルジェフはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
287 :
考える名無しさん:03/01/16 15:56
グルジェフ信者のせいでくそスレになりさがった・・・・
288 :
考える名無しさん:03/01/16 16:08
虐げられた者同士罵り合うのはやめて!
>288
>虐げられた者同士罵り合うのはやめて!
よしよし。
そうゆうふうに聞こえるか?
291 :
考える名無しさん:03/01/16 17:12
>>286 グルジェフはクリシュナムルティの事なんて一度も語ってないぞ。
馬鹿かお前は。
>291
メール欄にsageで下がるんだよ。
しってる?
>283
>怒りの観察の仕方を教えてください、具体的に。
まず怒りなさい。
>284
>では、禅は何を手本にしているのか?
>ご教示願いたい。
わしゃ知らん。
>285
>> 2番煎じ、3番煎じを学ばずとも、直接禅を学びなさい。
>どこに行けば習えるか?
この国は禅の国です。いたるところ禅だらけ。
どこに行っても、行かなくても習えます。
kも禅もおんなじだから、禅をやりなさい。
本なんか読んでいてもだめ。
実践。実践。実践あるのみ。
>kも禅もおんなじだから、禅をやりなさい。
酷い誤解だ。デマを書くな。
>238氏の言う「禅」とは、
>具体的に言うとどのようなものだろうか?
それは、238も知りたいところだ。自分の知りうる
限り、禅をやると知恵がつく。変なものに
引っかかりにくくなる。のは間違いない。
kのような純度の高いものは、むしろ有害。
ジャブジャブと栄養を与えると、脳の神経細胞が
発達しないんだよ。
だから外見ばっかし綺麗でスカスカの脳みそになる。
文章もまともだし、言うことも立派だが、
基本的判断力がない。知恵がない。
これを無神経という。
>>238 無神経はお前だ。
クリシュナムルティについてろくに知らないのに次から次へとでまかせを書くな。
>294
>>kも禅もおんなじだから、禅をやりなさい。
>酷い誤解だ。デマを書くな。
ラッキョウとにんじんはおんなじか?
>無神経はお前だ。
>クリシュナムルティについてろくに知らないのに次から次へとでまかせを書くな。
kが有害な場合の、ちょうどよい見本だ。
↑禅が有害な場合の、ちょうどよい見本だ。
300 :
考える名無しさん:03/01/16 18:35
そろそろネタ切れか?
眠くなってきたぞ。わっはっは
447氏
「信」「信仰」「信奉者」の使い分けが良く分からない。
説明きぼ、、、
238は、かわいいひとだね。
皆さん、温かい目で見守ってあげようではないですか。
生活における知識の道と存在の道の乖離、また、その乖離の部分的には原因であり、
結果でもある理解の欠如は、一つは人の話している言語に由来する。
この言語は、過った概念や分類、過った連想でいっぱいだ。
そして重要なことは、普通の思考法の本質的な特性、つまりその曖昧さと不適切さの為に、
個々の語は、話し手が好き勝手に出す話題と、その時に彼の中で働いている連想の複雑さに従って、
何千という違った意味を持ちうるということだ。
自分達の言葉がどれほど主観的であるか、つまり、
同じ語を使う時でも一人一人がいかに違うことを言っているかを人々ははっきりと認識していないのだ。
彼らは、他の人の言葉をただ曖昧に理解するかもしくは全く理解せず、また、
自分には未知の言葉を話しているなどとは考えもせず、
それぞれ自分勝手な言葉を話しているということにも気づいていない。
彼らは、自分達は同じ言語を話しており、互いに理解しあっているという強い確信、
あるいは信念を持っている。
実際にはこの確信には何の根拠もない。
彼らの話している言語は、実際の生活の中でだけなら何とか使い物になる。
つまり、実務的な性質の情報であれば彼らは互いに意思疎通ができるのだが、
少しばかり複雑な領域に踏み込んだとたんに道を失い、
気づかない内に互いに理解することをやめてしまうのだ。
彼らは常に、もしくは殆どの場合、自分達は理解しあっている、
少なくともちょっと頑張れば理解し合えるという幻想を抱いている。
あるいは読んだ本の著者を理解したと空想し、また他の人々も理解しただろうと思う。
これも彼らが自分で生み出した幻想の一つに過ぎない。
彼らはその幻想の真只中に生きているのだ。
本当は誰一人、他人を理解してはいない。
二人の人間が、共に強く確信して同じことを言っているのに、ただ言葉遣いだけが違う場合とか、
二人とも全く同じことを考えているなどとは夢にも思わず、果てしなく議論する場合もありうる。
かと思えば逆に、二人は実際は全く別の事を言っていて、
ほんのこれっぽっちも相手のいっていることを理解していないのに、
同じ言葉を使うのでてっきり同意見で、互いに理解しあえたと思い込むこともある。
話の中によく出てくる簡単な単語をいくつか取り上げ、
手間を惜しまずにそれらに与えられている意味を分析してみればすぐに、
人は誰でも一瞬ごとに、他の人は決して与えないばかりか想像さえできないような特殊な意味を、
個々の語に与えていることに気づくだろう。
自作自演おつかれさまです
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
ベンジャミン・クレームはクリシュナムルティの名前を悪用しているだけだ。
そんな事もわからないのか?
>304
>これも彼らが自分で生み出した幻想の一つに過ぎない。
>彼らはその幻想の真只中に生きているのだ。
>本当は誰一人、他人を理解してはいない。
含蓄の深い言葉だ。
ただそのこと、「理解し得ないということ」を過度に
問題とする必要もない。「それは問題だ」という
思い込みを外せば、
「理解し得ない」ことこそが遊びとなりうる。
禅では遊戯三昧という。
>299
>↑禅が有害な場合の、ちょうどよい見本だ。
うまい。少しは知恵がついたか。
>300
>そろそろネタ切れか?
>眠くなってきたぞ。わっはっは
おまえもネタを提供しろ。
看板などどうでもいいのだ。
要は手段でしかないのだから。
名にこだわるのは其処に帰属意識の執着が有るからだし、
帰属意識の有る人間が「自己確立」を果たせるはずは無いのだから。
>話の中によく出てくる簡単な単語をいくつか取り上げ、
>手間を惜しまずにそれらに与えられている意味を分析してみればすぐに、
ついつい手間を惜しんで読み飛ばしてしまう。
丁寧に読んで看ると、それぞれに味わいがあり
楽しめる。
313 :
六百六拾六:03/01/16 20:06
まあまあだな。
>310
>看板などどうでもいいのだ。
馬鹿をいえ、禅は日本の看板だ。
安売りをしてはいかん。
インドからも中国からも、勉強しにこい。
ヘたれどもが、へこへことインドなどに
習いに行くな。
316 :
六百六拾六:03/01/16 20:25
>>315 てめえは何のために自己修養をするのか?
伝統芸能を受け継ぐためか?
自己確立の欲求は多かれ少なかれ誰しもが持っているぞ。
「おのれ」を極めたいがために心を見つめ、自己を見つめるのだろうが。
形に囚われて主旨を見失ってどうする?
本末転倒ではないか。
>316
>「おのれ」を極めたいがために心を見つめ、自己を見つめるのだろうが。
>形に囚われて主旨を見失ってどうする?
>本末転倒ではないか。
不正直な生き方をしてはいけない。
人生をたのしみなさい。
318 :
六百六拾六:03/01/16 20:45
>318
>お前はもう何も語るな。
お前すこし語ってみろ。ちゃんと聞いてやろう
議論するときは、まず相手の意見を理解しようと考えよ―勝つことを考えるのではなく。
新しい視点、意見、考え方を学ぶことのできる、いい機会だと考えよ。
相手に反論があるときも、とにかく、まず相手の話を良く聞く。
相手がそのようなことを言う背後にある世界観を理解しようと努める。(反発してしまうのではなく)
誰かがあなたを侮辱しました。
その瞬間、あなたはその人についてのイメージを作り上げます。
あるいは、誰かがあなたにお世辞を言った―再びイメージが形成されます。
そのようにして、私たちの心は絶えずイメージを形成しているのです。
では、それを―絶え間ないイメージ形成を―終わらすことは可能でしょうか。
それを終わらすためには、まず最初に、
それがどうやって生じるのかを見なければなりません。
「何らかの挑戦に対し、適切に応答しないとき、それはイメージを残すに違いない」
と云うことをあなたは見ます。
あなたが私を馬鹿と呼ぶなら、即座にあなたは私の敵になります。
あなたが私を馬鹿と言うとき―そのとき、その瞬間、
私は選択なしに非難なしに、あなたの言うことをただ聞いて、
強烈に気づいていなければなりません。
あなたの言葉に対し何の感情的な反応もないなら、
そのとき、どんなイメージも形成されないのです。
それゆえ、ひとはみずからの反応に気づいていなければなリません。
それに根づく時間を与えてはならないのです。
その反応が根づく瞬間、イメージが形成されてしまうのです。
それができますか?
それをするためには強烈な気づきが要ります。
あなたの全存在をかけて、侮辱やお世辞、あなたに対して言われた何であれ、
それを明晰に聞くための。
そのとき、あなたはイメージが全く存在しないということを知るでしょう。
たとえば、私が嫌悪という反応を持ったとします。
その反応を見つめます。
更に、その感情が展開していって、私の条件づけや背景を明るみに出していきます。
私は注意深くそれらを見つめていきます―
目覚めた心で、どこまでも観察し続け、
次々と様々なことがらが展開していくのを見ていきます。
>>447 >「信」というのは奇妙なものです。それなくば進めないところもあり、
クリシュナムルティの教えにおいて、そのようなことはありえません。
「信」は全く不要です。
あなたは「生と覚醒のコメンタリー」を読んだとどこかに書いていましたね。
それでいて、このような意見を表明されるのは非常に残念です。
ベンジャミン・クレームという人は、クリシュナムルティを酷く曲解しているか、
もしくは悪用しているとしか思えません。
なぜなら、クリシュナムルティの段階が4だとか、そういった「順位付け」そのものが、
クリシュナムルティの教えに反するものだからです。
クリシュナムルティにおいて必要とされているのは「信」ではありません。
「理解」です。
もしかすると、あなたは言葉を置き換えただけと感じるかもしれません。
「理解」という語をきちんと「理解」できないかもしれません。
しかし、それは違います。
「理解」は知識の集積ではありません。
またあなたの「理解」、私の「理解」、クリシュナムルティの「理解」といったものもありません。
「理解」は一つです。
ベンジャミン・クレームなどという紛い物はさっさと捨てて、
もう一度素直な姿勢で自分自身という世界に取り組んで欲しいと願っています。
オッ、オッ、、、447さん、何と答える?
>322
>たとえば、私が嫌悪という反応を持ったとします。
>その反応を見つめます。
>更に、その感情が展開していって、私の条件づけや背景を明るみに出していきます。
>私は注意深くそれらを見つめていきます―
>目覚めた心で、どこまでも観察し続け、
>次々と様々なことがらが展開していくのを見ていきます。
嫌悪はある種のエネルギーだ。
エネルギーを火に注げばもっと燃え上がる。
折角のエネルギーの覚めた冷たい目でみて、吹き消してはもったいない。
何事も無駄にしないのが禅の精神。
>323
>ベンジャミン・クレームなどという紛い物はさっさと捨てて、
>もう一度素直な姿勢で自分自身という世界に取り組んで欲しいと願っています。
おまいら、紛いもんの面白さをしらん。
ホームぺージみたか?
行って遊んで来い。
人間は機械だ。
彼の行動、行為、言葉、思考、感情、意見、週間、これら全ては外的な影響、外的な印象から生ずるのだ。
人間は、自分自身では、一つの考え、一つの行為すら生み出す事はできない。
彼の言うこと、為すこと、考えること、感じること、これら全てはただ起こるのだ。
人間は何一つ発見することも発明することもできない。全てはただ起こるのだ。
この事実を自ら確証し、理解し、真実だと納得するということは、すなわち、人間に関する無数の幻想、
つまり自分は創造的で、自らの生を意識的に生きている等々の幻想を放棄することに他ならない。
そのような物は何一つとしてない。全ては起こるのだ。
大衆運動、戦争、革命、政権交代、全ては起こるのだ。
それらは、個人の人生で全てが起こるのと同じように起こる。
人は生まれ、生き、死に、家を建て、本を書くが、それは自分が望んでいるようにではなく、
起こるに任せているに過ぎない。
全ては起こるのだ。
人は愛しも、憎みも、欲しもしない。それらは全て起こるのだ。
しかし、君が誰かにあなたは何もすることができないと言っても、誰も信じはしないだろう。
それは、君が人々に言うことの中で最も侮辱的で不快なことだ。
それが特別不快で侮辱的なのは、それが真実だからで、そして誰一人真実を知りたいとは思っていないのだ。
君がこれを理解すれば、話がしやすくなるだろう。
しかし、心情で理解するのと、<全身全霊>で感じ、心底確信し、決して忘れないのとは別の事だ。
質問者「為しうることは何一つ、絶対に何一つないのですか?」
絶対に何一つない。
質問者「では、誰一人として何かをすることはできないのですか?」
それは別の問題だ。「為す」ためには「存在」しなければならない。
そして第一に「存在する」とはどういう意味かを理解しなければならない。
329 :
考える名無しさん:03/01/16 22:40
グルジェフ信者とベンジャミンクレーム信者がこのスレを糞にした
330 :
考える名無しさん:03/01/16 22:52
横レスになってしまうけど、
クリシュナムルティ自身が「信」に基ずく人生を送ったと思われ。
でなくば、
>>97で引用されているようなパーソナリティの持ち主が
はたして人々の前に出ていったかな?
sageわすれた。
私の理解だと、今話題になっている「信」は、=「意志」と言い換えていいのかな?
ところで、以前、青山1丁目でのクリシュナムルティビデオ上映会
に一度いったとき、クリシュナムルティの教えには「意志」の要素がない、
と断言してた青年がいたっけ。
たしかに、意志という言葉は彼は使わないけど、ここにいる皆さんは「意志」
とは何だと思いますか?
333 :
考える名無しさん:03/01/16 23:39
>>331 それは違う。
Kが人前に出て行ったのは、真理を見い出した状態というのは一人で自己満足するような状態ではなく、
大勢の人の前に行って話してまわりたいというような状態だと話していた筈。
そのことと、Kがいわゆるシャイな性格だというのはまた別の話。
>私の理解だと、今話題になっている「信」は、=「意志」と言い換えていいのかな?
これも違う。「信」は、=「意思」であっても「意志」ではない。
「意志」は即「真理」でなければならない。
>327さん
非常に興味深いです。これはグルジェフの言葉なのですか?
文中「人間は機械だ」は、
Kの言葉で云えば「人間は全面的に条件づけられている」
ttp://www7.ocn.ne.jp/~kan-gyo/kris_06.html 辺りになりそうですが、
> 「為す」ためには「存在」しなければならない。
> そして第一に「存在する」とはどういう意味かを理解しなければならない。
ここで、「存在する」とはどういうことで、
「存在する」ためにはどうしなければならない、と言われているのでしょうか?
つまり実践的な質問です。
それが実践的な話である限りにおいて、
私はグルジェフの話題にも興味はあるのですが、
そうでないのなら、つまらないです。
お聞きしたい。
グルジェフィアンである皆さまは、
日常の実際の生活のなかで、
グルジェフの教えを、どう実践されているのでしょうか?
具体的にお聞きしたいのです。
★当スレ、現在、sage進行中です。★
お願い、sageてね!
変なヒト来ちゃうんです。
447氏は「信」という言葉を独特な意味で使っている可能性が高い。
447氏の説明を待とう。
> 異教義間での泥沼的論争が、実は基本的述語の概念規定の相違(つまり、用語の使い方の違い)
> に基づいているに過ぎない、ということはしばしばある。
これは実際、よくあることだ。
stop
>447氏は「信」という言葉を独特な意味で使っている可能性が高い。
>447氏の説明を待とう。
そうですね。私が横レスしたのはまずかった。あくまで447氏が「信」
をどういう意味でつかっているか、ですから。>333
>これも違う。「信」は、=「意思」であっても「意志」ではない。
これはあくまで、私流の「信」という言葉の理解にすぎないと思って下さい。
なのでとりあえず、「信」のことはおいといて、「意志」についてもう少し。
>真理を見い出した状態というのは一人で自己満足するような状態ではなく、
これこそ私が使うところの「意志」という言葉です。ところで
>そのことと、Kがいわゆるシャイな性格だというのはまた別の話。
と、言い切っていいのか私にはわからない。
彼は「真理を見出した状態」であっても「いわゆるシャイな性格」どころか、
人々の前にでる際、「嫌悪感と恐怖」すら感じるパーソナリティーだった。
なのになぜ彼はあのように生きたのか?それは実際熟考するに足るテーマです。
「真理を見出したから。。」ではそのことの回答にはならない。
言い換えれは彼は何故、「自己満足できず」自分のパーソナリティーの弱点をこえて
あのように生きたのか?また、
>「意志」は即「真理」でなければならない。
これもよく私にはわからない。具体的な説明を希望します。あなた自身はどういう状況
で自分が「意志」的(すなわち即「真理」)であると感じるのでしょうか?
「もし、あなたが2ちゃんで生産的な議論をしたいと思うなら、
まず、Awarenessがなければなりませんね、間違いなく、、、
自分の悪感情―怒り、プライド、自惚れ、認められたいという思い....
などに気づいていなさい」
by ジッドウ・K
みなさんこんばんは。
やっと洗い物が片づき、こうしてカキコできるようになりました。
いい感じで煮えてきましたかね。
私を理解しようと試みようとされた方は少なかったようですね。
それに比べて、私のカキコに反応された方が多かったことに、
私は残念に思うことをまず言いたいと思います。
私のカキコに反応した方は、それがネガティブでも、ポジティブでも、
気づきのためのいい機会であることを願いたいと思います。
では、
>>323 >クリシュナムルティの教えにおいて、そのようなことはありえません。
クリシュナムルティの教えが「誰にとっても」重要なのではなく、
私たちが少しでも理解に近づくために、彼は語ったのではないでしょうか。
>「信」は全く不要です。
クリシュナムルティにとってはそうなのかも知れません。
では私たちとっては本当にそうでしょうか?
クリシュナムルティを本当に理解するのは、聞く側も同じ高みにいないと、
理解はできないと私は考えます。
「私はクリシュナムルティを真に理解した」と、表明できる人はこの中にいますか?
いたら手を挙げてください。殴りにいきますから。
理解がないとき、「信」を頼る以外ないのです。
それが私たちの現実なのです。
それは、私たちが何を読もうが何を学ぼうが現実としてそうなのです。
山の頂上に付かない間は、山道の標識を信じて進むしかないのですから。
自分の立っているところから何が見えるのか。まずそのことに正直に
ならなければなりません。
頂上近くにいる人の言葉は貴重です。けれどもその言葉は自分自身が前進
するためのものです。よりかかるためではありません。
>あなたは「生と覚醒のコメンタリー」を読んだとどこかに書いていましたね。
>それでいて、このような意見を表明されるのは非常に残念です。<以下略>
私の電波なところを見て、なぜあなたが残念がるのでしょう?
何か約束でもしましたか?
>またあなたの「理解」、私の「理解」、クリシュナムルティの「理解」
>といったものもありません。
>「理解」は一つです。
それはあなたの内から生まれてきた理解なのでしょうか?
それともクリシュナムルティがそう言うので、それを反芻しているのでしょうか?
クリシュナムルティ、あるいはその他の本を読んで影響されることは容易いのでは
ないでしょうか。しかし自己の変容というものは容易いことではありません。
「気づき」は容易いことではありません。明らかに私たちは難しいものに取り組んで
いるのです。それはこのスレのいろいろな立場の方に共通しているのでしょう。
神智学ということで、おそらく多くのみなさんは、私がそれを信奉していると
考えていると思います。事実は全く違います。よりかかるより所はどこにもありません。
というか、よりかかった瞬間に壊されると言う方が正確でしょう。
オカルトオタクになるのは簡単です。しかし一旦その道を踏み出すと、こう言われます。
「神智学と瞑想を学んで悟りを得たいのです」
「あぁそう。これが必要な情報。これ以上は易しくできないから。
何か道を踏み外すことがあったら自分でなんとかしてね。
助けは期待してもないから。ちなみに道は危険だから。
道中必要なものは自分でなんとかしてね。
それからあなたの「グラマー」(錯覚、幻惑)には一切容赦しないから。
じゃがんばってね。」
これだけです。鍛えられるでしょう? クレーム氏はいわゆるグルではありません。
勘違いしてそれを期待してくる人はみな失望して去っていってます。
電波は電波なりに厳しいですよ。
魂 パーソナリティ メンタル アストラル 肉体
グルジェフ 4 4 1 6 3
進化の段階 2.2
メンタルの1光線がグルジェフの性格を表してますね。
進化の段階の2.2というのは決して低い数字ではありません。
人類の大多数が0.5くらいで、瞑想をしている、または興味として
惹かれている方は大体0.7から1.3くらいです。
そして、最初のイニシエーションの瀬戸際にある人々が100万人単位
で世界に存在します。これは人類史上かつてなかったことだそうです。
誰かの認識の拡大は全体に寄与します。
魂 パーソナリティ メンタル アストラル 肉体
クリシュナムルティ 2 2 4 6 7
進化の段階 4
クリシュナムルティの生涯と、智恵のマスター達の関係については、
多くは語られ得ないままですが、クレーム氏によると、クリシュナムルティの
そばにずっとマイトレーヤがいたそうです。メアリールティエンスの著作の
中にそれを匂わせる記述があります。そのような世界とは完全に袂を分かって
いるとクリシュナムルティの読者は想像しますが、真実はK自身が知って
いるのでしょう。
クレーム氏によればマイトレーヤはまもなく世界に現れます。
何でもない、シンプルなしかし真実を語る一人の男として。
それがいつなのか私にもわかりませんが、
ちっぽけな先入観で見失わないよう願いたいと思います。
以上のコメントは私のものです。
この他にも人類の進歩に寄与した、宗教家、政治家、芸術家、科学者、革命家、
芸能人などなど、各分野の方々のものが載っています。
347 :
考える名無しさん:03/01/17 03:31
宣伝ウザイ。
348 :
考える名無しさん:03/01/17 03:54
>この進化段階と光線構造の情報は、クレーム氏の師である覚者が伝えたものです。
>クレーム氏が伝えたものではありません。
よくある詐欺師の手口だな。
だれか通報しないの?
350 :
考える名無しさん:03/01/17 04:13
>「私はクリシュナムルティを真に理解した」と、表明できる人はこの中にいますか?
>いたら手を挙げてください。殴りにいきますから。
傷害罪でつ。
351 :
考える名無しさん:03/01/17 04:50
なんか大袈裟に理屈を振り回す人が多いんですね、
クリシュナムルティ?本は全部読んでませんが、
禅で言う、見性が分かれば、言っていることは大概分かりますよ。
絵のクイズで、老婆か少女か、って感じのあるじゃない。
見方を変えれば簡単に分かるってやつ。
あんなもの。
352 :
考える名無しさん:03/01/17 05:09
ベンジャミンクレームって日本で言えば五島勉だろp
>>323 >ベンジャミン・クレームという人は、クリシュナムルティを酷く曲解しているか
というところと
>あなたの「理解」、私の「理解」、クリシュナムルティの「理解」といったものもありません。
のあたりには大きな隔たりがあるような気がします。
そして後者の言葉はどこかで聞いたことのある表現という感じです。
>もう一度素直な姿勢で自分自身という世界に取り組んで欲しいと願っています。
〜して欲しいという期待は、クレームは紛い物でありクリシュナムルティーだけを
読んでいて欲しいといういわば改宗をせまる信仰者のような発言であるように思えます。
そうだとするとあなた自身否定している信をとりもなおさずあなた自身がクリシュナムルティー
に置いているようにみえます。だから<残念>に思ったりするのではないでしょうか。
447氏が指摘するようにクリシュナムルティーが信を要求しているのではなく私たち自身が
もっているものだと思います。
進化段階に関してはそれが正しいものであるか間違ったものであるかはわかりませんが
それは争いを助長するような<順位づけ>を意図したものではないと思われます。
それは単にその時点でその人が山の何合目にいるのかというようなそのままの<位置づけ>
のようなものでしょう。自分が信を置く人よりも進化した人がいることにはらをたてるならば
その人が競争的であり好戦的であり自分のグルが一番だという<順位付け>をしていることに
なります。
細かいことを言っているようですいません。
ところで私は否定と懐疑はちがったものだと思えるのですがみなさんはどう思いますか?
懐疑は自身で考える道をつくりだすと思いますが、否定は道を閉ざすようなきがします。
354 :
考える名無しさん:03/01/17 08:41
真理は道なき大地です。
>進化段階に関してはそれが正しいものであるか間違ったものであるかはわかりませんが
>それは争いを助長するような<順位づけ>を意図したものではないと思われます。
??
グルジェフやクリシュナムルティは覚者ではないと言うことによって、
明らかに争いを助長しているのは、このスレを見ただけでもわかるのでは?
しかし、何で私たちは、人のこと(Kのこと、Gのこと)
で、自分が腹を立てなければならないのだろうか?
ベンジャミンの主張が紛い物だと理解したからだろ?
というか、あまりに阿呆らしくて、からかってるようにも思うが。
359 :
考える名無しさん:03/01/17 09:27
家族一緒になりなさい
家族一緒になりなさい。
360 :
考える名無しさん:03/01/17 11:33
>>356、禿同。
さすがに哲板だけあって、難しい議論がつづきまつね・・・。
個人的にはぜんぜん興味がもてませんが。
ただ、ここでは、実践者が自分の体験や感想をかくには、
激しくあぶないって事だけは、わかりまつた。
しきりなおすなら、新しくスレ立てた方が早そうでつ。
もちろん、ここ以外の地味目な板で、
ここにリンクを張るのも禁止でないとだめでつが。
スレタイも地味に「ヴィパッサナー」くらいなら煽りもこないかと。
KやGの類似性に興味はあるけど、
正直、自己主張的で攻撃的な議論は、読む気がまるで起きないでつ・・・(><)。
自分の中の「他人から否定されたくないという執着」「現実から乖離し、肥大した自己イメージ」等が減少するほど、自分への無根拠な中傷は気にならなくなるでしょう。
362 :
考える名無しさん:03/01/17 14:37
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■■■ ∵ (● ●) ∴│
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■■■ ■ 3 ■ │< グルジェフマンセー!!
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363 :
考える名無しさん:03/01/17 14:49
>最初のイニシエーションの瀬戸際にある人々が100万人単位
>で世界に存在します。これは人類史上かつてなかったことだそうです。
ヤター!
それ俺だぴょん!
この俺さまがみんなを救済してあげよう!
364 :
考える名無しさん:03/01/17 14:50
しょーこー
365 :
考える名無しさん:03/01/17 14:53
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■■■ ∵ (● ●) ∴│
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■■■ ■ 3 ■ │< イニシエーション一回100マソー!!
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366 :
考える名無しさん:03/01/17 14:54
イェイ
はい
sageろ! てめーらー
あっ間違えた
分かり難いとのご指摘を受けて
関連サイトのリストを幾らか整理してみました。
どうでしょう?
もし、他にも加えるべき良サイトがありましたら、
教えて下さい。
明日から10日間ほど留守します。
良スレに育ってたらいいですね。ほいじゃ(・人・)
375 :
考える名無しさん:03/01/17 23:08
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■■■ ∵ (● ●) ∴│
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■■■ ■ 3 ■ │< うちに来ない?
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これで最後のカキコにします。
スレ汚ししてすいませんでした。
>>353 >447氏が指摘するようにクリシュナムルティーが信を要求しているのではなく私たち自身が
>もっているものだと思います。
ええ。私が、指摘というか問題にしたかったのは、信奉者というのは、
その対象とは関係なく誰にでもありうるのだということです。
それで意図的に進化段階を書きました。私の言葉に釣られた方は何がしかの信奉者ですね。
>進化段階に関してはそれが正しいものであるか間違ったものであるかはわかりませんが
>それは争いを助長するような<順位づけ>を意図したものではないと思われます。
おっしゃるとおりです。その目的は、今生で、仏陀と同じ段階まで悟りを開くとか、
絶対究極の悟りを得るなどの、無謀なことで人生を浪費することがないように、
バランス感覚を身につけるためのものです。その他にも理由はありますが、ここでは
明かせません。潜在的には私たちは神であり仏なのですが、ふもとから頂上まで一気に
飛んでは行けない。ということです。
>懐疑は自身で考える道をつくりだすと思いますが、否定は道を閉ざすようなきがします。
私もそう思います。否定は反応の範疇に入るのだろうと思います。反応があるとき、
理解の余地はなく、懐疑あるとき理解の余地があると思います。
それからイニシエーションについて補足します。
>最初のイニシエーションの瀬戸際にある人々が100万人単位 で世界に存在します。
>これは人類史上かつてなかったことだそうです。
ここでいうイニシエーションは0.8, 0.9の人々が1.0の瀬戸際にあるという意味です。
イニシエーションは、「内界」で行われるものです。お金を払って誰かから与えられ
るものは、真のイニシエーションではありません。形骸化した儀式は存在しますが、
今「内界」で行われているものがふたたび「外界」で行われるようになるまで時間
があります。
イニシエーションの目的は意識の進化が進んでいる個人の、意識の焦点を固定化する
ためです。
これなしには人類の意識の進化は遅々としたものなのだそうです。
イニシエーションを与えるイニシエーターは霊的ハイアラキーの長である、
ロード・マイトレーヤです。1,2段階のイニシエーションに関わっています。
3段階以上は、日の老い足るたる者、サナット・クマラが関わっています。
5段階で転生しなくなり覚者(Master)となり、人間を卒業し、地球で学ぶすべてを
終えることになります。Masterとは、五つの界をMasterしたものという意味であり、
覚者(目覚めたもの)とは違う事に注意してください。
覚者になった後は、この太陽系の上位システムのシリウスへ行くか、後ろを振り返り、
後からくる者を助ける仕事に就きます。他にも5つの道があります。
悟りの階梯は、地球の域を超えて宇宙まで連なっています。
私たちはそれをひとつひとつ登っているのです。
霊的ハイアラキーに見守られながら。
今日は月がきれいですね。
>自分の中の「他人から否定されたくないという執着」
>「現実から乖離し、肥大した自己イメージ」等が減少するほど、自分への無根拠な
>中傷は気にならなくなるでしょう。
これは私が気をつけなければいけないものです。 ヒントをありがとう。
自分のことを一番電波扱いしていたのは、ほかならぬ私自身だったようですね。
では逝きます。
なんだ、もう逃げるのか?
要するに敗北宣言だな。
スレ汚しだからだろ。
オカルトはもういいよ。いい加減ヴィパサナにもどそう!
>447いなくなるのか、寂しいな。
みんなさあ、イニシエーション云々とかじゃなくて、彼の発言のなかで、例えば
>私もそう思います。否定は反応の範疇に入るのだろうと思います。反応があるとき、
>理解の余地はなく、懐疑あるとき理解の余地があると思います。
こういう所に注目しようぜ。
>イニシエーションの目的は意識の進化が進んでいる個人の、意識の焦点を固定化するためです。
>これなしには人類の意識の進化は遅々としたものなのだそうです。
クリシュナムルティは、近道を示して誘惑するものを信じないように言っていましたね。
ベンジャミン一派の主張が、クリシュナムルティと両立できないことは明白です。
クリシュナムルティが段階5じゃないなどと言って貶めるのは、誹謗中傷の類いです。
これは信奉しているとか、していないとかの問題ではありません。
ベンジャミン一派の主張は、論理的に破綻しているのです。
>私もそう思います。否定は反応の範疇に入るのだろうと思います。反応があるとき、
>理解の余地はなく、懐疑あるとき理解の余地があると思います。
懐疑も反応です。あなたの意見は破綻してますよ。
反応がある所に理解がないのであれば、
懐疑のある所にも理解はあり得ないということになります。
無反応なのであれば、懐疑も沸き上がらないでしょ。
結局このスレだめなんだろーか?
まともな問いかけがうもれてゆく。。
誤読されるか、または認知すらされない。
>>1 >非常に興味深いです。これはグルジェフの言葉なのですか?
そうです。
>>303>>304>>327は全てグルジェフの言葉です。
P.D.ウスペンスキー著の「奇跡を求めて」(平河出版社)の中にたくさん収められている、
グルジェフの講話のごく一部です。
>文中「人間は機械だ」は、Kの言葉で云えば「人間は全面的に条件づけられている」辺りになりそうですが
同感です。
>ここで、「存在する」とはどういうことで、「存在する」ためにはどうしなければならない、
>と言われているのでしょうか?
自分自身を知り、理解することだと思います。
初期の段階では、日常の生活においての自己想起と自己観察などです。
ちなみに、グルジェフにおいても信仰や、財産の放棄は求められていません。
質問者「人は機械であることをやめることはできるのですか」
うむ、それこそが問題だ。そんな質問をもっとたびたびしていれば、
これまでの話はもっと実りがあったかもしれない。
機械であることをやめることはできる。しかしそれにはまず「機械を知る」必要がある。
機械、本当の機械は、自分を知らないし知ることもできない。
機械が自分を知れば、それはもう機械ではない。少なくとも自分の行動に「責任を持ち」始めている。
質問者「人間は自分の行動に責任をとっていないということですか」
「人間」は(彼はこの言葉を強調した)責任を取る。機械が責任を取らないのだ。
反応とは機械的なものであって、
否定もまた機械的な反応にすぎない。そこには気付きはありえない。
この文脈での懐疑とは、自らが機械的な反応しかしていないのではないか?
と懐疑することを言う。そのとき初めて理解の余地が生まれる。
人が自ら進んで責任をとる事を選択したときのみ、
初めて自由意志が存在し得る。
>ベンジャミン一派の主張は、論理的に破綻しているのです。
所詮オカルトですから。
>懐疑も反応です。あなたの意見は破綻してますよ。
>反応がある所に理解がないのであれば、
>懐疑のある所にも理解はあり得ないということになります。
>無反応なのであれば、懐疑も沸き上がらないでしょ。
ではクリシュナムルティが懐疑せよとい言うのは、
懐疑の反応をしろということか?
>383はKもGも読んでないでしょ。多分。
駄レス失礼w
>人が自ら進んで責任をとる事を選択したときのみ、
>初めて自由意志が存在し得る。
クリシュナムルティは、選択なき気づきが必要だと言っていましたね。
あなたは選択をするのですか?
>クリシュナムルティが段階5じゃないなどと言って貶めるのは、誹謗中傷の類いです。
まだ釣られているのがいるな。 W)
>>人が自ら進んで責任をとる事を選択したときのみ、
>>初めて自由意志が存在し得る。
>クリシュナムルティは、選択なき気づきが必要だと言っていましたね。
>あなたは選択をするのですか?
もちろん。Kのように生きるためにこそ、責任をとることを選択しますよ。
Kはあなたにとって何なんだろう?偶像ですか?
Kのいう文脈での「選択」と私の文脈での「選択」がまるで違うことにも
気付きませんか?あなたはKの言葉によって「条件付け」されているように
私には感じられます。
>Kのように生きるため
Kが最も嫌っていた言い方かもしれませんね。
>Kのいう文脈での「選択」と私の文脈での「選択」がまるで違うことにも気付きませんか?
そうやって自分勝手な意味を与えているようでは議論は成り立ちませんね。
>Kはあなたにとって何なんだろう?偶像ですか?
偶像化などに興味はありません。
敢えて言えば、手段の一つです。
>条件付け
私はどんな指導者にも条件付けされていませんし、されたいとも思いません。
Kの言葉を引用したのは、あなたにそれが有効だと推測したからです。
>Kが最も嫌っていた言い方かもしれませんね。
別に彼が嫌っていたいい方での結構。彼と私では語法が違うというだけ。
やはりあなたは彼の言葉によって条件付けされていますよ。
>Kの言葉を引用したのは、あなたにそれが有効だと推測したからです。
あなたにとっては、残念ながら、Kの言葉は現状有害なようです。
おやすみ。
>Kのように生きるため
どうみてもKに条件付けされてるのはこいつの方だな。w
漏れは、447の言うマイトレーヤ話にはまったくついて行けんが、
447の真摯な語りのスタイルには好感を持っていた。
自分にとって価値あるものを弁護すること自体は自然なことだからな。
> >自分の中の「他人から否定されたくないという執着」
> >「現実から乖離し、肥大した自己イメージ」等が減少するほど、自分への無根拠な
> >中傷は気にならなくなるでしょう。
> これは私が気をつけなければいけないものです。 ヒントをありがとう。
こういうところもイイ。
平気で議論に負けることができる人間的な強さを持ちたいものだ。
また、どこか出会おう。
信と信仰、否定と懐疑、、、
結局、言葉の揚げ足取りに終始してて議論が深まらない。
残念なことだがな、、、
「それはクリシュナムルティの教えに反してる」
「反クリシュナムルティ的」だと云う言い方は、
「クリシュナムルティ的」なのだろうか?
「あなたのクリシュナムルティ理解は、
私のクリシュナムルティ理解とは全く違いますね」
と言う方がマシかもしれない。
異教義間での泥沼的論争が、
実は基本的述語の概念規定の相違(つまり、用語の使い方の違い)に基づいているに過ぎない、
ということはしばしばある。
議論するときは、まず相手の意見を理解しようと考えよ―勝つことを考えるのではなく。
新しい視点、意見、考え方を学ぶことのできる、いい機会だと考えよ。
相手に反論があるときも、とにかく、まず相手の話を良く聞く。
相手がそのようなことを言う背後にある世界観を理解しようと努める。(反発してしまうのではなく)
353書いたものです。ハンドルネーム書いたはずなんですが書き込まれていませんでした。
しかし恥ずかしいので番号でいいです。
私も447氏のカキコミはいつも楽しみにしていただけに寂しいですね。最後に少しだけ
触れることができました。また機会があれば何か書いてください。楽しみにしています。
私はほとんどロムっているだけでしたのでこれからも継続的に書いていくことはないと思
います。なによりもおっかないので。
まあ、業の車輪を少しだけまわしたので、きりのいいところまで書けたらと思います。
>>354 >真理は道なき大地です。
有名な一節ですよね。私もすきな<言葉>ですし、いつかどこかで使いたいなぁーと
思ったりもします。しかし私の提起した問題は言い換えればこうです。「懐疑は自身で考
える大地をつくりだすと思いますが、否定は大地を閉ざすようなきがします。」
言葉の響きにすぐに反射しないで何を問題にしているか考えていただけるといい
のですが。
しかし書いたときから少し舌足らずかなとも思いました。おそらくは言葉の捉え方の違い
というあたりになっちゃいそうですが。(機械的な)反応ではない意図的な否定と懐疑な
らばたしかにありそうです。私があの文脈で言いたかったのは「〜ではない」「〜ではな
い」という否定からたしかにはじめることは出来ますが、その場合すべての事を前提条件
なしに否定しなくてはならなくなる。しかし私はすでに条件付けられているならばそこに
嗜好やそれから来る思考が介入してくる。えーうまく言えないです。
否定にも二種類あって(否定できる)すべてを、否定するのと拒否、排除の様相のつよい
否定というような。それは懐疑においても同じなのかもしれませんが。「〜ではないかも
しれない」は何かを学ぼうとする余地がありそうです。たぶんそれは「〜であるかもしれ
ない」と言うことも出来るからだと思います。「〜でない」の場合「〜である」になると
否定にはならなくなります。「ある」という可能性をすべて消し去る感じでしょうか。
ところでこのスレはいいんですよね、このすすみかたで。よく「誰か別スレを立てて」と
か書いている人がいますが誰かってだれに向かって言っているのかと思います。ここって
知りたい事とか話したいことがあるならだれでもスレたてられるのですよね?
>>359 >家族一緒になりなさい
きになる一言ですね。
>>361 わたしも気をつけたいと思います。
>>383 あなたの指す言葉、懐疑、反応、理解についてそれぞれもうすこし詳しく説明していただ
けるとありがたいのですが。
(^^)
404 :
考える名無しさん:03/01/18 23:02
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■■■ ∵ (● ●) ∴│
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■■■ ■ 3 ■ │< 真理は道なき大地!!
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インドの山奥で修行して、ダイバダッタの魂やどせ!
>おっしゃるとおりです。その目的は、今生で、仏陀と同じ段階まで悟りを開くとか、
>絶対究極の悟りを得るなどの、無謀なことで人生を浪費することがないように、
>バランス感覚を身につけるためのものです。その他にも理由はありますが、ここでは
>明かせません。潜在的には私たちは神であり仏なのですが、ふもとから頂上まで一気に
>飛んでは行けない。ということです。
悟りと気付き。悟りなどは永遠にありえないと思え。人が悟りを希求するとき、それはつねに
逃避の願望にほかならない。悟りなどありえないと覚悟を決めたその時初めて、あるが
ままに気付く余地が生まれる。
>>381 理解しているようで理解してないね。
真理は信仰と不信仰の狭間にあります。っていう言葉を知ってるだろ?
悟りがある、希求する、悟りなどあり得ない、その狭間に真実はあるんだよ。
覚悟を決めればいいというわけじゃない。
覚悟を決めるのは誰だい?
悟りがあるとか、悟りなんてないとか、覚悟を決めるとか、それら全ては思考の活動なんだよ。
思考そのものを観察し、その全過程に気づくことによってのみ、、、。
わかるかい?
408 :
考える名無しさん:03/01/19 05:27
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■■■■√ 彡 ミ │
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■■■ ∵ (● ●) ∴│
■■■ 丿■■■( │ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■■ ■ 3 ■ │< わかんねえよ!!
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409 :
考える名無しさん:03/01/19 05:38
410 :
ペルソナの物置:03/01/19 06:31
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■■■ ∵ (● ●) ∴│
■■■ 丿■■■( │ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■■ ■ 3 ■ │< それもいいかも
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>ところでこのスレはいいんですよね、このすすみかたで。
嵐が多いから、次スレは宗教板に立てた方がいいかもしれませんね。
>あなたの指す言葉、懐疑、反応、理解についてそれぞれもうすこし詳しく説明していただ
クリシュナムルティは、意識の上での死という表現をしていましたね。
まず反応についてですが、それが機械的であれ、それほど機械的でないものであれ、
否定も肯定も懐疑も反応でしかないのでは?
例えば、神を信じますか?
A 機械的、あるいはそれほど機械的でないにせよ、肯定する。
B 機械的、あるいはそれほど機械的でないにせよ、否定する。
C 機械的、あるいはそれほど機械的でないにせよ、懐疑する。
懐疑と同じように肯定、否定にも、機械的、非機械的なものがありえます。
もちろん機械的な反応からは理解は生まれません。
意識の上での死とは、肯定でも否定でも懐疑でもなく、無反応な状態ではないですか?
しかし、抑圧された無反応というものもあり得るでしょう。もちろんこれは有害です。
そして、我々はいつも何かに反応せずにはいられません。機械的であれ、非機械的であれ。
それら全ての活動に、肯定、否定、懐疑であるということにあまり囚われず、
気づいているようにするべきではないでしょうか?
それが選択なき気づきということだと思います。
さて、クリシュナムルティを読んでいる人は、自己認識という語をどう捉えていますか?
どうも、この言葉の重要さにあまり気づいていない人が多いのでは?
自己認識なくして真理は狂気でしかない、というKの言葉がありますね。
ということは、真理を見い出す前に自己認識を見い出さなくてはならないのでは?
自己認識とはちょっと自己観察したり、日常生活に少し気づいたくらいで見出せるものでしょうか?
Kを読んでいる人は、どうもすぐに最高度の気づきという言葉を持ち出す傾向があるようですが、
そんな夢を見るよりも、まず日常的に気づくこと、そして自己認識を見い出すこと、
そして、最高度の気づきというのはさらにその先の事ではないでしょうか?
そろそろコテハン使ったら?
>まず反応についてですが、それが機械的であれ、それほど機械的でないものであれ、
>否定も肯定も懐疑も反応でしかないのでは?
その人が反応しか知らないならね。
だから問われるべきは、反応以外のものが自分の中にあるのだろうか。ということでは。
Kが何を言ったかは、横において調べないと。
自己認識についてもそうでしょう。
私たちは、「あるがままのもの」を観察せよと言いました。
その抵抗し、挫折し、怒っているものの全体を。
さらに私たちは、観察している道具自体をじっと見るように、
その機具がきれいかどうかを見出すようにと言いました。
私たちの観察は、「事実」から「見るために使う道具」へと移ったのです。
私たちはその道具がきれいかどうかを調べ、そして、きれいでないと見ます。
そのとき、どうすべきでしょうか。
英知が鋭敏になっています。
以前は私は、「事実、あるがままのもの」を観察することにのみ関わっていました。
今、それから移って、
「見ている機械自体を、それがきれいか、きれいでないか観察しよう」と言いました。
まさにその疑問のなかに英知があります。
その背景に従って、その知識に従って、その伝統に従って、
日常生活のなかでどんなふうに脳が働いているのか、
どんなふうにそれが反応しているのかを、
全エネルギーを注いで、鋭く、強烈に見守ることができるでしょうか。
これら、すばやい反応を見守ることのなかで、
ひとはそれがどんなに条件づけられているのかを見出すのです。
私がなすべきことは私自身を観察すること、私自身という本を読むことです。
どうやって読みましょうか。
どうやって障害がないほど明確に観察しましょうか。
私は色眼鏡をかけているかもしれません。
私自身を見ることを妨げる特定の偏見、特定の結論を持っているかもしれません。
そしてそれらの問いすべてが、私自身を見ることのうちに含まれているのです。
「満月」ってHNいいね!
じゃあ、おいらは、、、うーん、何にしよ、、、
417 :
考える名無しさん:03/01/19 18:01
↑それもいいかも
418 :
考える名無しさん:03/01/19 21:20
うまいっ! っておい!
419 :
考える名無しさん:03/01/19 22:57
なだこのスレ、エセクリシュナムルティーどもばっかりだな。
自分の言葉で語ってる荒らしの方が、よっぽどイイ。
420 :
考える名無しさん:03/01/19 23:07
グルジェフ信者とベンジャミン信者にのっとられますタ
>419
みんなエセクリシュナムルティーさ。
そんなことは分かってる。
クリシュナムルティ読んでインスパイアされて、
自分自身の機械的なところや、「気づき」について皆それぞれ真剣なのだ。
それを横から笑うべきじゃない。
そのかわり、自己を露呈する勇気が必要なのだ。
コテハン使って怖い思いしたとしても、それがなんだというのだ?
気づきはイタイものじゃないか。イタイ思いなしに気づきが深まるわけがない。
ヴィパサナの最中に気づきがやってきて涙を流したとしても、それは喜びじゃないか。
Kとの対話で、自分の丸裸を見せつけられてもイイことじゃないか。
気づきはイタイ。でもそれはこれが自分だと思っていた牢獄からの自由でもあり、
それは自己認識についての何かなのだ。
他の板の関連スレや、この板の他のスレにはできない真剣さを持ち込もう。
言葉の限界の中でKの言葉をオカズにして、お互いを通して気づきを深めることができるか
このスレで試してみようじゃないか。細かいこだわりに無執着になり、
他人のカキコに寛容になろうじゃないか。
ドングリのせいくらべなどお笑いぐさではないか。
じゃ続けよう。
>>411 お答えいただいてありがとうございます。云わんとしている事が、なんとなくですがわかったような気はします。やはり聞いてみるものですね、
話が幾分深まっているような感じもします。たしかに私も353を書いたときにそうおもったのですが、否定にしろ懐疑にしろ、機会的な反応はありうるなと。
たしかに機械的な懐疑もありますね。そのことについてはわかりました。
もうすこし問題にしたいところは、ある種の偏狭さでありまして、それがいわゆる機械的反応だと思うのです。
でたしかに表現されようがされまいが私にはほとんどの時反応があります。
で、これ以上あまりに細かい<言葉>の概念規定を分化する必要はないとおもいますが、
反応と反射というふうに考えてみるといいと思うのです。
で反射についてですがクリシュナムルティーを読む人(含私)が陥りやすいと思われることに
反射的な否定をしてしまいがちだということをあげたいのです。私たちはあまりに安易に、
否定を(否定という言葉を)受け入れているようなきがするのです。
本当に否定というものを充分懐疑してみたのか?クリシュナムルティーと同じレベルで否定という言葉を使っているのか?
です。
そしてその結果は気づきというには程遠い、理解というよりは無理解に通じているようなきがしてなりません。
で真の否定(にしろ懐疑にしろ)は反射の結果ではなくて積極的、能動的(何て言うか)自分の中から湧きあがるものなのでわと思います。
それをクリシュナムルティーはたしか懐疑の炎が何とかと(詳しくは忘れましたが)言っていたものだと思います。私の中から燃えるもの。
>それら全ての活動に、肯定、否定、懐疑であるということにあまり囚われず、
>気づいているようにするべきではないでしょうか?
>それが選択なき気づきということだと思います。
最後三行は一気に飛躍してないでしょうか?〜すべきは努力であってしたがって選択を孕んでいるような
きがします。
でいくらかスレの本筋に戻れるような問いをあげようと思います。
〜はよくて〜は悪いと決めるもの(マインド?)とは何か?
この偏見はよくてあの偏見はわるいときめるものとは?
たしか私が思うにクリシュナムルティーはメソッドや方法を否定(←の意味を明らかにしていないので
気が引けますが)しているようにも読み取れそうですが、このスレタイがしめすように、クリシュナムルティーと
禅とヴィパサナーとが一緒に並んでいます。
ではなぜ禅やヴィパサナーは並立できてクレームやグルジェフ(誰でもいいのですが)ではないのか?
というところです。これにはみなさん問題なくスパッと進める共通基盤があるのでしょうか?
私はなぜクリシュナムルティーと禅とヴィパサナーが一緒なのか?(それが悪いと言う意味ではないですよ)
或いはなぜ他のものじゃないのか?というところから知りたい。
ですからこれを既に受け入れている人はどこが共通しているから並立できるんだ、とかこれが
ないから他ではだめなんだということを教えていただけたらと思います。
他のスレ(ここにもいたかな?)ではクリシュナムルティー派とか〜派とか自認している人がいるよですが
そういうのは本気なのでしょうかね。
>>404 あなたも言いますか
>>414>>415 これはクリシュナムルティーの言葉でしょうか。吟味して読んでいます。
いやー長文すいません。それにしても書くの時間かかるんですよ。
>>421満月さん
書き込んだあとに読みましたが何か勇気がでてきました。
なるべく真剣に探っていきたいですね。よろしくどーぞ
>>353 グルジェフとクリシュナムルティはたくさんの共通性がありますよ。
スレタイに並んでいないのは、
ただ単に
>>1がグルジェフについてよく知らないからという理由です。
そして、
>>334ではその共通性に興味を示し始めていますね。
クレームに関しては、グルジェフやクリシュナムルティと同列で語るのは明らかに無理があります。
グルジェフやクリシュナムルティがクレーム支持を表明したわけではありませんし、
クレームの主張する魂の段階とやらもクレーム自身ではなく、
その背後にいる、誰だかもわからない自称覚者の指摘だというのでは話になりません。
また、クリシュナムルティやグルジェフの教えとクレームの主張には相容れない点が多すぎます。
そしてその相容れない点を、グルジェフやクリシュナムルティは魂の段階が5ではないから、
などという強引かつ根拠もない主張で無理矢理丸め込もうとしているだけです。
これは、KやGの評価が低いからということではありません。
仮にKやGの評価も5になっていて、至上最高の指導者とクレームが主張していたとしても、
自分はクレームを支持したりはしません。
なぜなら、教えの内容を、きちんとクレームあるいはクレーム一派が理解しているとは感じられないからです。
禅、ヴィパッサナーとの共通性にもやや疑問があります。
個人的には、禅、ヴィパッサナーよりもグルジェフとクリシュナムルティの方が同一性があるように感じます。
なぜなら、ヴィパッサナーでは宗派にも寄るでしょうが、ラベリングをするように求めているのに対し、
グルジェフもクリシュナムルティもそんなことは求めていないからです。
禅については自分はよく知りませんし、興味も殆どありませんが、現代の禅において、自己想起や気づきに相当するものはあるのでしょうか?
詳しい方がいましたら答えて欲しいと思います。
>>1 g kyoto? or sessinn? hachiooji?
今日は説法でした。見れないんだろうけど。
428 :
考える名無しさん:03/01/20 03:00
>気づきはイタイ。
気づきがイタイだと?気づきは気づき以外の何ものでもないわい、アホ、
お前がイタイんだよ、お前が。
>現代の禅において、自己想起や気づきに相当するものはあるのでしょうか?
詳しい方がいましたら答えて欲しいと思います。
禅は、自己想起や気づきの訓練が終わってからのワーク。
だから、それについてはあまり言わないのが普通である。
>>428 >禅は、自己想起や気づきの訓練が終わってからのワーク。
ワーク? 何で禅なのに英語なんだ?
グルジェフはよくワークと言っていたが、それは自己想起を伴うワークだった。
あなたの言う禅においてのワークとはどのようなものか?
自己想起を伴うのか、伴わないのか?
これは良い例えではないかもしれないが、近所に住んでいた禅宗の坊さんは、
全く自己想起には取り組んでいなかった。
禅と言っても色々な宗派があるのだろう?
また、グルジェフやクリシュナムルティにおいては自己想起や気づきとは一時的な訓練ではなく、
基本的にはいつでもどこでも取り組むもの。
禅ではどのような取り組み方なのか?
もうひとつ、禅においても、グルジェフが主観的意識と呼び、
クリシュナムルティが自己認識と呼んだような状態が、明確化されているか?
短気な人間が多いようだ。
気づきに必要な謙遜や慎重さはどこへ行ったのだ。
いつになったら、グルジェフやKをわきにおけるのだ。
それらの言葉の証明が必要な誰かの気づきや自己認識に
なんの意味があるのだ?
満月よ、お前だ。
429ハンドルつけろ。われ。
>429
>近所に住んでいた禅宗の坊さんは、
>全く自己想起には取り組んでいなかった
429が思うところの禅の自己想起とはなんなんだ。われ。
428 ハンドルつけろ。アホ。われ。
>気づきがイタイだと?気づきは気づき以外の何ものでもないわい、アホ、
きつつきはきつつき以外の何ものでもないわい、アホ、
というのと、なにかちがうのか?
「きつつきがいたい」のほうがまだすこしまし。
なぜましかかんがえてみてくれ。
満月さんまん丸よ。短気はだめよ。
>また、グルジェフやクリシュナムルティにおいては自己想起
>や気づきとは一時的な訓練ではなく、
>基本的にはいつでもどこでも取り組むもの。
>禅ではどのような取り組み方なのか?
禅では2CHにおいてさえ、このような
取り組みをおこなう。
しかし「自己想起」とはなんだったけ?
禅ではしばしば、このように、やろうとして
いることすら忘れてしまう。
>もうひとつ、禅においても、グルジェフが主観的意識と呼び、
>クリシュナムルティが自己認識と呼んだような状態が、明確化されているか?
これらをひっくるめて、禅では工夫とよぶ。
429や満月は工夫が足りない。
工夫をしなさい。
一度しか言わないからね、子細は自分で勉強のこと。
自己想起は技法です。それは、非同一化のワークです。ヴィパサナも基本はそうです。
あなたは、マインドから、気づきのほうに確立していきます。
ところが、これだと中心、自己から逃れる術が無い。技法は、それを行なうものを強化しる
のみ。グルジェフ派は、鏡を磨き続けて終わってしまう可能性がある。
インド的ヨーガの道も同じ。技法の虜になって、自己、で終わってしまう。
禅は、無為を説く。只管打座。無法策。只。一体化。息と一つになる。
これは、技法じゃない。無為によって、只在る、ことによって、一体化によって、
中心を取る。実際は始めから、中心、自己などなかった、ということ。
>428
技法から始まって( )に終わるという点では禅だろうと
なんだろうとどれも同じように思うな。
禅やヴィパの実践は分かった。確立されているようだな。
ベストウェイだとはあえて言わない。
ではKはどうか。Kの言葉でどんな実践がありうるのだ?
Kの読書会で自己認識をつかみとれるわけもないように思える。
Kの支持者は何か掴み取ったのか? アタマがKなだけか?
>429や満月は工夫が足りない。
>工夫をしなさい。
嘆く人間が必要だ。
>ではKはどうか。Kの言葉でどんな実践がありうるのだ?
これ、矛盾しています。言葉は、kだろうが何だろうが、哲学。
そこに実践はない。ヒンドゥをよく知らない人は、k k kと
ヘンナ団体みたいに騒ぐ。でも、よく知れば、kは、アドヴァイタ・ヒロソフィー
に分類できる。別に何も特別じゃない。表現が新しい、美しい、それだけ。
kの言葉によって、人は、希望のない地平に置き去りにされる。
本当に真剣になって努めれば、という限定をつけるが、、、
そこに止まれば、理解が訪れる可能性がある。
しかし、大体の場合、何かの方策に、あるいは無法策の方策に頼ることになる。
わたしに言わせれば、kも言葉など、悟った後の確認作業とか、観照用にしか使えない。
言わば、観葉植物。
>本当に真剣になって努めれば、という限定をつけるが、、、
そんなのはどんな教えだってそうだろ。
Kに限ったことじゃない。
■■■■■■■■
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■■■■√ === │
■■■■√ 彡 ミ │
■■■√ ━ ━ \
■■■ ∵ (● ●) ∴│
■■■ 丿■■■( │ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■■ ■ 3 ■ │< それもいいかも
■■■■ ■■ ■■ ■ \________________
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>わたしに言わせれば、kも言葉など、悟った後の確認作業とか、観照用にしか使えない。
>言わば、観葉植物。
前にもどこかでこういう書き込みを見たな。
とはいえ、Kの実践とは↓のようなことなんだよ。
観葉植物とか言うのは、ただ単にKを少ししか読んでいないか、ろくに理解できていないだけ。
「日中を通して、心は鋭く、素早さをもって、注視し、傾聴し、挑戦に応じてゆく。
自分の思考や感情の動きに注意し、心の奥底のどんな動機にも、
どんな些細な欲求、心のうごめきにも、見逃すことなく気づいている。
人の話を聞いたりおしゃべりしたりしているときでも、散歩しているときでも、
あるいは不快感や羨望が生じたときでも―いつでもです。
自分にとって不快な言動に出会った際の自分の反応、
本を読んでいて「○○教など、ナンセンスだ!」という一節に出くわした際の自分の反応、
こうしたものすべてに気づき、
そこに含まれている意味が分かるほどに観察力は鋭くなければなりません。
バスに乗っているときでも、妻や友人と話しているときでも、テレビを見ているときでも
―いつでもです。
大空を渡る美しい雲の動きを眺めるのでしたら、それを完全に鑑賞し、
同時に自己の内外に生じてくるあらゆる変化をも捉えられるだけの注意力が必要です。
そうしてはじめて、夢を持つことのない完全な睡眠と、
柔軟かつ強靭な、みずみずしい心とを持って生きるということが可能になるのです。」
K
444 :
それもいいかも:03/01/20 17:34
グルジェフとkには何の共通点もありません
>>444 グルジェフを知らない奴の常套句。聞き飽きたよ。
446 :
それもいいかも:03/01/20 17:41
>>445 クリシュナムルテイを知らない奴の常套句。聞き飽きたよ。
447 :
考える名無しさん:03/01/20 17:41
近づいてくんなよ。
448 :
考える名無しさん:03/01/20 17:41
別すれ立てろよ
449 :
考える名無しさん:03/01/20 17:42
オカルト版に帰れ
450 :
考える名無しさん:03/01/20 17:45
│◆煽り・暴言は禁止だぽ
│◆グルジェフとKは同一の教えだぽ
│◆雑談中はsage潜行を徹底してぽ
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451 :
考える名無しさん:03/01/20 17:51
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452 :
ちょっと修正:03/01/20 18:03
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453 :
考える名無しさん:03/01/20 18:06
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| O / u \ { サ マ ゲ ) ∠_ \====!
| /\ ,へ.__, ,_ノヽ | \ ! ! の ! ! ノ / ,へ\ ヽ !
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ちょっと修正:03/01/20 18:11
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455 :
考える名無しさん:03/01/20 18:12
,rn
r「l l h. / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 、. !j |
ゝ .f _ | グルジェフマンセー
| | ,r'⌒ ⌒ヽ、. │
,」 L_ f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ. │
ヾー‐' | ゞ‐=H:=‐fー)r、) |
| じ、 ゙iー'・・ー' i.トソ |
\ \. l ; r==i; ,; |' .人_
\ ノリ^ー->==__,..-‐ヘ___
\ ノ ハヽ |_/oヽ__/ /\
\ / / / |.
y' /o O ,l |
>>1はK読者だがグルジェフにも興味を持っている。
スレ違いとか書いてるやつはお門違いもいいところ。
334 :1 :03/01/16 23:43
>327さん
非常に興味深いです。これはグルジェフの言葉なのですか?
文中「人間は機械だ」は、
Kの言葉で云えば「人間は全面的に条件づけられている」
ttp://www7.ocn.ne.jp/~kan-gyo/kris_06.html 辺りになりそうですが、
> 「為す」ためには「存在」しなければならない。
> そして第一に「存在する」とはどういう意味かを理解しなければならない。
ここで、「存在する」とはどういうことで、
「存在する」ためにはどうしなければならない、と言われているのでしょうか?
つまり実践的な質問です。
この質問への返答は
>>385>>386
条件付け、についての自己観察については、
そこには限りがない、と言っておきます。
いつまでやってもきりがない。注意力や気づきについても同様です。
人はある時点で、そういった努力を落とさなければ、
先へは進めません。
要は、こころ、意識や気づき意志を含めた、実存の心理的な面とでも
いいましょうか、そこには、主体のようなものはない、実体はない、
と理解することです。
しかし、理解しようとして、この理解がやってくるのではないのです
理解しようとすることは勿論必要だが、ある時点で、それも、何もかも、
落とす、というか、忘れ去る、そこに理解が訪れます。
これが彼方からの知恵と呼ばれているものです。
458 :
考える名無しさん:03/01/20 18:16
麻原もダライラマに似てるよなpp
>ただ単にKを少ししか読んでいないか、ろくに理解できていないだけ。
多くの本を読んだから偉いのか?むしろ少なく読んでその本質を理解
するほがより良いのでは?ろくに理解できていないのは、あ・な・た
自己投影ですか?
それから、kがこんな実践的なことを言っているとしたら、
それは彼が自分の言説と矛盾するようなことを言った、ということ。
ま、慈悲から、そんなことも言ったんでしょうね。
460 :
考える名無しさん:03/01/20 19:14
グルジェフ馬鹿信者は釈尊にさえたてつく罰当たりだと
>>428 おいおい、
>>443に書いたようなKの言葉は毎回表面的な形を変えて、
しょっちゅうKの文章に出て来るぞ。
少し読んだだけで理解できれば言うことはないが、理解できてないようでは話にならないな。
>それは彼が自分の言説と矛盾するようなことを言った、ということ。
あなたがKを殆ど理解できていないことがよくわかった。
今度Kの文章を読む機会があれば、もう少し落ち着いて、じっくりと読むことをお勧めするよ。
462 :
考える名無しさん:03/01/20 19:33
グルジェフの馬鹿信者がこのスレを糞スレにしてしまった
糞スレにしようとしてるのは君だよ。
君は誰の信奉者なんだい?
>今度Kの文章を読む機会があれば、もう少し落ち着いて、じっくりと読むことをお勧めするよ。
君、自分にとって有効だと思うからって、人までそうだと思うなよ。
ま、自分の気に入ったものをお勧めしちゃうのは、人間の生得の
欲求かもしれんがね。
kなんて暇つぶし以外は読みません。意味なし。意味がないこと書いてあるだけ。
意味がありそうに思うのは、それは、こころとの同化が落ちないって証拠
それだけ。
ろくに理解もしないで批判してるのは、こころとの同化が落ちないって証拠
それだけ。
466 :
考える名無しさん:03/01/20 19:45
グルジェフの馬鹿信者がこのスレを糞スレにしてしまった
糞スレにしようとしてるのは君だよ。
君はグルジェフの馬鹿信者なんだね。
なにかの信者かなんてどうでもいいことなんだけどね。
まぁなにを言ってもしょうがないのかな。
>禅では2CHにおいてさえ、このような
>取り組みをおこなう。
煽り合いも工夫のひとつになるかもしれん。
どうせならもっとやりたまえ。構うことはない。
スレなどいつでも立てられる。
すまんあげちまった。
自己観察、自己観察。
ってまた上げた。 正直に言おう。sage忘れた
471 :
考える名無しさん:03/01/20 19:57
アレフの勧誘か?
うるせーグルジェフ信者
うるせーアレフ信者
うるせー満月信者
グルジェフ信者=アレフ信者であることが判明しますた
478 :
考える名無しさん:03/01/20 22:20
やっぱりそうだったか
にせもの。。。
475,477は満月の真っ赤なニセモノだ。
473もだ。
そうか、コテハンも大変だな。w
もうこんなスレはいやだ。
オウチに帰る! プンプン
>428
>要は、こころ、意識や気づき意志を含めた、実存の心理的な面とでも
>いいましょうか、そこには、主体のようなものはない、実体はない、
>と理解することです。
>しかし、理解しようとして、この理解がやってくるのではないのです
>理解しようとすることは勿論必要だが、ある時点で、それも、何もかも、
>落とす、というか、忘れ去る、そこに理解が訪れます。
>これが彼方からの知恵と呼ばれているものです。
意味と理解、底流に2つの流れがあるように思う。
「意味」は意味をつける位置が変わると一変する。
極端な高みから見下ろせば、人間はゴミに等しいことにもなる。
視点を変えることで、意味の急激な転換をはかろうとする試み。
それに対して、「理解」がどのように追従できるか?
弟子は意味を必死で探る。そこでやっと意味を理解する。
そこで理解した意味のほうが重大だと考えてしまう。
ところが、意味は無意味で追従する能力のほうが重要なのだ。
とこんな感じだろうか?
>彼方からの知恵
あまりに抽象的な表現だな。
しかし、グルジェフやクリシュナムルティは、それらをも自己想起あるいは気づき、
自己観察を伴いつつ理解せよと言っているんじゃないのか?
要するに、部分的には用語の違い、残りの部分は用語ではなく内容的に違うと言うことになるが。
クリシュナムルティの「自己認識なくして真理は狂気でしかない」と言う発言や、
グルジェフの人間1番から人間7番についての概念に相当するものは禅には見出せないようだ。
>禅には見出せないようだ
それは、見出せないでしょう。
しかし、われには見出せる。たとえば、禅画。
チラッと看るだけで、わかるな。
>満月
>なにかの信者かなんてどうでもいいことなんだけどね。
>まぁなにを言ってもしょうがないのかな
簡単にさじを投げてはいかんぞ。
>煽り合いも工夫のひとつになるかもしれん。
スパイスのようなもんだよ。
>われ
禅画って達磨図とか?
489 :
考える名無しさん:03/01/21 12:53
家族一緒になりなさい
家族一緒に成り始めている
林 メリイ
理解について
どうやっても、自分で理解することの出来ない事がある。
自己理解とか、自己認識というものは、自分で行なうものでは有り得ない。
何故なら、それは自己の不在を知ることだから。
いい加減な修行ではこれを理解することはない。
命懸けの修行を経て、マインドが擦り切れる。
知ろうとすること、から、知らないでいること、への変革。
それが悟りであり、それ以外の理解は、本当の理解ではない。
自分で理解できるのは、意識や気づきまで。
存在は認識が起きません。認識が起きるのは、自己の不在。
そして、それは、全ての認識を諦めた瞬間、起こるのです。
それを、起こさせる、術はない=HOWは存在しない。
これが分かれば、kに限らず、誰の言説も問題無く分かります。
後は境涯の違い、才能の違い、生まれの違い、そんなものだけが残る。
491 :
考える名無しさん:03/01/21 17:56
全部ニセモノ嘘
428は偽物の極地
sage進行でおねがいしてあります。
>>428 自分(自己)という語の捉え方があなたと私では違うようだ。
あなたは、自分という語をマインド限定でしか捉えていない。
私が自分という語を使う時は、マインド限定ではない。
クリシュナムルティはこう言った。
「世界があなたなのです。」と。
彼も、自分という語を、マインドを含めた、それよりもはるかに大きな、
言葉を越えたものさえ含めて語っていることが多い。
だが、あなたは何故かいつも、自分という語をマインド限定で使おうとする。
おそらくこのスレを読んでいる人々はそこに不自然さを感じるのだろう。
>493
いちいち小姑みたいに五月蝿いね。言葉を定義しながら話すのかい?
自分とか、自己とか、言葉や言葉の定義をいくら変えても同じ。
最終的に、そういった主体のようなものはない、と分かればいい。
そうすれば、観念的な問題は解決します。
ウジウジ言うなよ、みっともないから。
そう分かっても、生きて意識がある限り、分化されている感覚だけは残るだろう。
そうでなければ、誰かが痛かったら、自分も物理的に痛くなっちゃう。w
その分化された、実存あるいは意識をどう呼んでもいいじゃないか。
つかれる、おとっつっんだね、あんた。
そろそろいいかな? みなさんこんばんは。
かなり遅レスですが。
>また、クリシュナムルティやグルジェフの教えとクレームの主張には相容れない点が多すぎます。
>そしてその相容れない点を、グルジェフやクリシュナムルティは魂の段階が5ではないから、
>などという強引かつ根拠もない主張で無理矢理丸め込もうとしているだけです。
極めて強引な解釈です。
5段階にいるのは、クートフーミ、モーリヤなどの大師方です。
Kの段階までいくと、自らのことだけが前進への障害になるわけではなく、
カルマの要素も関わってきます。
>なぜなら、教えの内容を、きちんとクレームあるいはクレーム一派が理解しているとは感じられないからです。
アプローチが違います。クレーム氏、イニシエートのキーワードは気づきではなく奉仕です。
自分を忘れることでは一緒です。けれども目の前の道を行くのが賢いでしょう。
禅<---->真言 のようなものです。
>>495 447 ◆kCEObObFT2
クレーム一派ではアストラル、またはアストラル体をどのように定義していますか?
これは真面目な質問です。
>アプローチが違います。クレーム氏、イニシエートのキーワードは気づきではなく奉仕です。
>自分を忘れることでは一緒です
おいおい、クリシュナムルティの教えは自分を忘れることじゃないぞ。
気づき、自己観察が自分を忘れることだと捉えているなら、勘違いも甚だしいぞ。
>5段階にいるのは、クートフーミ、モーリヤなどの大師方です。
>Kの段階までいくと、自らのことだけが前進への障害になるわけではなく、
>カルマの要素も関わってきます。
どうしてこういうものを信じるんだい?
別にKが5でも4でも0でも構わないが、このようなものを信じ、宣伝するのは何故か?
クリシュナムルティは、こういったあらゆる信仰を否定している。
あなたはそれが全く理解できていないようだ。
>>496 神智学的解釈そのままです。なにも変わりません。
ただしシュタイナーのものとは別です。
覚者方のもたらす情報は、ブラバッキー、アリスベイリー、と続いてきました。
その続きにクレーム氏があります。どちらかと言えばアリスベイリーの理論の
実践版とも言えるかと思いますが。
アストラル体は感情、情緒体です。
クレーム氏の師である覚者によれば、多くの人間の意識の偏極は
アストラル体つまり感情体にあります。
人間が機械的であり、人生に対して反応した生しか送らないのは
そのとおりだと思います。誰かに反応しているとき、みぞおちあたりに
意識があるなら、アストラル体が反応していると考えてよいと思います。
>気づき、自己観察が自分を忘れることだと捉えているなら、勘違いも甚だしいぞ。
私が使っている言葉の意味は違います。自分を無くすという方がしっくりきますかね。
>どうしてこういうものを信じるんだい?
>別にKが5でも4でも0でも構わないが、このようなものを信じ、宣伝するのは何故か?
宣伝しているつもりはありません。単なる情報としてです。
それも受け入れるか、電波に思うかは見る人の自由と書いたと思います。
なぜそんなにかき乱されるのでしょうか?
わたしにはそれが不思議です。Kが私によって汚されたように感じるのでしょうか?
>クリシュナムルティは、こういったあらゆる信仰を否定している。
>あなたはそれが全く理解できていないようだ。
私には、あなたがクリシュナムルティの言葉を信仰しているように見えますね。
クリシュナムルティがどう思うかはクリシュナムルティにしかわからないでしょう。
クリシュナムルティを聖書にすることは正しいことなのでしょうか?
>なぜそんなにかき乱されるのでしょうか?
>わたしにはそれが不思議です。Kが私によって汚されたように感じるのでしょうか?
いや、自分の内面は全くかき乱されていないよ。
自分が驚いているのは、あのようなものを重要視してる人がこのスレに居るということ。
あの本は、皆がトンデモ本の類いとして認識していて、
重要視している人は殆どいないと思っていた。
しかし、あなたはそれを重要視しているようだ。
本の内容ではなく、あなたがそれを信じている、あるいは重要視している、
そのことに驚いたと言うだけのこと。
あなたが色々その本について説明しても、その本、あるいはクレームに興味は湧かないし。
>神智学的解釈そのままです。なにも変わりません。
へえ、そうなんだ。
P.D.ウスペンスキーの「奇跡を求めて」の中に神智学的な解釈とグルジェフの意見の違いが、
グルジェフ自身の言葉で説明されているんだけど、あなたに読ませてみたいよ。
まあ簡単に説明すると、クレームはどうだか知らないが、多くのオカルトなどでは、
アストラル体を生まれつき持っているとしているようだけど、
グルジェフは人は肉体しか持っておらず、アストラル体、メンタル体、ディヴァイン体の3つを、
現世で獲得しなければならないとしている。
もっともグルジェフはアストラル体とかいう言葉より、第一〜第四の体という言い方を好んだようだけどね。
グルジェフの周りには神智学出身の人も結構居たから、時々アストラル体とかの言葉も使ってただけで。
もう一つ大きな違いは、グルジェフの場合は、アストラル体やメンタル体などは、
持っているか持っていないかのどちらかであると言うこと。
アストラルが2とか3とかの段階はない。
人は肉体しか持っておらず、アストラル体は自己に対してのワークを通して獲得されるものであること。
イニシエーションのように、他人から授けられるという概念は否定している。
メンタル体は、肉体とアストラル体を既に持っている人のみがそれを獲得する可能性を持つ。
当然ディヴァイン体は、肉体とアストラル体とメンタル体とを持っている人のみが獲得できる可能性を持つ。
そして4つの体全てを持っている人のみが語の完全な意味で<人間>と呼ばれる。
そして、これらの4つの体はもちろん信仰の対象ではない。
まあ、あまりに簡略化した説明だけど、神智学の教えと両立させるのはかなり無理が大きいんじゃないの?
>私には、あなたがクリシュナムルティの言葉を信仰しているように見えますね。
>クリシュナムルティがどう思うかはクリシュナムルティにしかわからないでしょう。
>クリシュナムルティを聖書にすることは正しいことなのでしょうか?
馬鹿馬鹿しい。それらの信仰も否定しろよ。
>私が使っている言葉の意味は違います。自分を無くすという方がしっくりきますかね。
自分を無くすことはできない。
できると思っているのなら、それは自己欺瞞か自身過剰でしかない。
このことについてよく考えてみなさい。
>神智学的解釈そのままです。なにも変わりません。
>ただしシュタイナーのものとは別です。
>覚者方のもたらす情報は、ブラバッキー、アリスベイリー、と続いてきました。
>その続きにクレーム氏があります。
どうしてシュタイナーは別なんだ?
同じ神智学出身だから仲間に入れてやれよ。w
>>428 そういう幼稚な反応が、
あなたのマインドの狭量さに由来していることが理解できるかい?
>クレーム氏の師である覚者によれば、多くの人間の意識の偏極は
誰だよ、その覚者って。
そんな名前もわからない奴の言うことを信じてるのか。w
まとめてレスです。
>>501 >もっともグルジェフはアストラル体とかいう言葉より、
>第一〜第四の体という言い方を好んだようだけどね。
そうなのですか。そういえばラジニーシも独自のボディ論持ってました。
>アストラルが2とか3とかの段階はない。
神智学では、アストラルなどが2とか3というのは光線構造のことです。
(色合い:乱暴な言い方です)に似ています。神智学によれば、この宇宙は7種の
光線により成り立っていると説明しています。アリスベイリー系に詳しいです。
(最近やっと翻訳が出ました)
>イニシエーションのように、他人から授けられるという概念は否定している。
これは神智学系でもそうです。物質界ではなく「内界」で行われます。
人間ではなく、「内界」の存在です。受ける人は必ずしもそれを意識しているとは
限りません。突然来ることもあります。概して強烈な体験を伴うようです。
>神智学の教えと両立させるのはかなり無理が大きいんじゃないの?
両立させるつもりはもちろんありません。私が何をやっているかと聞かれて
応えているうちにこうなってしまったのですが。乗りかかった船だし、
こういう情報は誤解を招きやすいので私なりにフォローしているつもりです。
>>502>馬鹿馬鹿しい。それらの信仰も否定しろよ。
私を投げ出すことは簡単ではないでしょうか?
>>503>できると思っているのなら、それは自己欺瞞か自身過剰でしかない。
>このことについてよく考えてみなさい。
なぜこういう口調なのでしょう。あなたが知っている者で、
私が知らない者だというように。あなたは何を知っているのでしょうか?
自己欺瞞と自身過剰については間違いなくあなたは良く知っているようですね。
>>504>シュタイナーは人智学です。一緒にするとシュタイナーを支持している
人が納得するかどうかわかりません。
>>506>そんな名前もわからない奴の言うことを信じてるのか。
もし名前が分かっていれば、かつての神智学協会のように、信奉者がやってきた
ことでしょう。クレーム氏は無名です。そしてその師である覚者の名前も伏せてある
ということは、その内容で判断するしかないと言うことです。
私も最初は半信半疑でした。今でもそういう余地はあります。
それでも不思議なものでもう10年越えました。私自身、不思議に思います。
もしKが私の目の前にいて、私の信仰について何か言ったとしても、
決して安易に迎合はしないでしょう。
迎合することは私から必要な苦闘をもぎ去ってしまいます。
こんなところの説明でよろしいでしょうか。
詳しくは書籍もあるので、私の説明より100倍はましです。
気を悪くされた方には、申し訳ありませんが世の中こういう情報もあるということで
終わりにしていただけないでしょうか。
気に入らなければ私やクレーム氏を気の済むまで叩いてください。
わたしたちは十分それに慣れています。
しばらくROMするつもりですが、お呼びであれば呼んでください。お呼びでない?
まぁそんなこと言わずに。
達成できる身体
k>7
禅>6
ヴぃ>5
ラジニーシの身体論より
510 :
考える名無しさん:03/01/22 04:01
やっぱり428はラジニーシ持ってきたか(w
>>509 その身体論だとラジニーシは6か?
禅はKに負けてるじゃん、お前はそれでいいのか? w
>447
まあ、君はあんまりお呼びでないのだが、暇だし、君があまりにも熱心なんで、
ちょこっと教義も見てみた。ま、教義なんて方便だからさ、どうでもいいんだけど、
「永遠の真我を獲得する云々」となっていたぜ。白けた、オレは。
それじゃあ、あの電波のクローン宗教と大して変わらないんだな。永遠の真我だの、
永遠の肉体だの、そんなものを求めているのは何かね?
これが正に、こころ、なんだな。真理ってのはさ、その、こころ、ってのが本来無い、
その中心、元である、わたし、ってのに実体なし、ってことで、最初から何もしないで、そのまま
でOKってことで落ち着くことなんだね。
まあね、おれも素人じゃないから、教義のことはまあ、いいわ。真我ってものが指し示す
ものが、その安心そのものっていう言い回しも可能だからね。
ただ、人々の恐怖を煽ったり(君がやっているという意味でない)何か救世主のような者が
やってくるって希望を持たせるやり方、この古典的なやり方はどうだろう?
君はこれを本気にしてんの?サイババのトリックだか奇跡だかにイカレルのと
同じじゃないかね?もし、本気になって、なんかがやってくるってさ、信じるって。
そんなものはオレは要らないよ。この辺はどうなの?
君の信仰は信仰でいいけどね。それとは別にさ、この点どう思うの?
513 :
クレームが死んでから?:03/01/22 06:14
... ,、
ミ ヽ ;"゛ミ
______ ミU ヽ,,,,,,,..,.,,彡 ミ
| ____ 彡 U :::::::::::U:ミ
| | ミ=・=- -=・=- ::::::::::::ミ~
| |. .≡. ┌―┐ U :::::::::::::ミ~
| |. 三U | | ::::::U::::≡ マイトレーヤ何時くんだよ。
| | 彡 ├―-┤ U.....:::::::::::::::::ミ"
| |____ 彡 .....:::::::::::::::::::::::彡
└___彡''"゙゙゙ :::::::::::::::::::::::::彡
|\ :; : :::::::::::::::::::::::≡
\ \ ミ,,..,...,;; ::::::
514 :
考える名無しさん:03/01/22 06:16
>>428 ?????????????????????????????
???????????????????????????!
??????
515 :
考える名無しさん:03/01/22 06:19
マイトレーヤ
/\ /\
/:::::::ヽ____/::::::::ヽ、
丿 ::.__ .::::::::::::: __ ::::ヽ_
/ /。 ヽ_ヽv /: /。ヽ ::::::ヽ
-┼- 丿~~~| / / ̄ ̄√___丶  ̄ ̄\ ::::| ■ ■
-┼- /~~~~/ ━━━ | .:::::::::: / / tーーー|ヽ ..::::: ::|━━━━━━ ▼ ▼
.| 丿 | .:::::. ..: | |ヽ ::| ● ●
| ::: | |⊂ニヽ| | :::::| \
/ /| : | | |:::T::::| ! .::| \ \\
/ / \: ト--^^^^^┤ 丿 \\\ \\\
516 :
考える名無しさん:03/01/22 06:22
/ \
/ ,r'"j i^'!、 ヽ
/ </´ `ヾ> .:;i,
,l _,._,. _,._,. .:.:l,
| < (ヅ,> < (ヅ,> ...:.::|
! ` ̄´ . ` ̄´ ..: ::::::!
| ノ . : . :;i, ... ::::::.:::|
! (.::.;人..;:::) ...:.:::::.:::::::::!
ヽ、 `´ `´ ........::..::..::.::::::::/
\......,,,,,,,_ .....:::::::::::::::::::::::::/
517 :
考える名無しさん:03/01/22 06:23
;;、... `、 .; . `.、
.;; :::...''"""''''': ;
.".. .;
..,,:':: .;
.: ;
..:;: ..:::::;;
.::′ .::::::::,; うぅ…
.::′ ,:'⌒:、 .,___., .:::::,;
:.:`.,,:' ;; ) ..::::::::,,:'
.,:' ;;ー ι .:::::::::::: ヽ
; .::..;゙`゛` ..::::::ヽ
o ...,;′ ...:.:.::;;
518 :
考える名無しさん:03/01/22 07:30
相変わらず妄想好きだね、シェア関係者は。
あのね、ベンジャミン・クレームが、
「もうすぐマイトレーヤが各国のTVメディアに出演して世界にメッセージを伝える」
と言っていたのは、今から20年以上も前の1982年春頃のことなのね。
20年も何をやっていたのかね、マイトレーヤとやらは(笑。
同じ頃、たま出版からもクレームの本が出版されて俺も読んだことがあるけど、
ホントに中身のない薄っぺらな本だったなあ。
20年以上も嘘をつき続けて、あきれ果て、幻滅して去っていった人の替わりに、
何も知らない若い人たちを取り込んでここまで持たせたんだろうな。
おめでたいね。この一言に尽きる。
520 :
考える名無しさん:03/01/22 16:17
>>512 君は心に実体なしとか語る前に
もう少し心を成長させたまえ
>520
君はこんなことを言う前に、もっと実践を積んで
何が何だかを先ず知りなさい。
意識的になること=人格の発達、ってことではないの。
これはとっても幼稚なピクチャーなんです。
こころの成長を前にやろうが後でやろうが、本人の勝手なんです。
>520
おまえ、初期仏教とかにイカレテイルお子様?
あれはね、プロの探求者にもっとも効果的な技法やお話。
麻雀で言えば、ヒンドゥがアリアリのゲーム
初期仏教はナシナシ=本格派
sati、satiって、サテでも焼いて食ってろよ、お子様ランチ
>420=お子様ランチ=大人には不味くて食えない
518>
>おめでたいね。この一言に尽きる。
プロレスファンの心理に近いのではないのだろうか?
分かり易く、盛り上がるにはいいテーマなのだろうと
思う。
>ただ、人々の恐怖を煽ったり(君がやっているという意味でない)何か救世主のような者が
>やってくるって希望を持たせるやり方、この古典的なやり方はどうだろう?
>君はこれを本気にしてんの?
ますますプロレスに近いな。
こんな面白いもの?を本気にしない手はない。
525 :
考える名無しさん:03/01/22 17:31
妄想とは非常に素晴らしいことなのだ
妄想とは心の助けとなる強力な武器
妄想とは心を守る鉄壁の防具
このことをを教えてくれた428にありがとうと云いたい
>525
そういう妄想はやめれ。
sage進行でお願いしています。
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>488
>禅画って達磨図とか?
だるまを書くと、それがだるま。
自分を書いたらそれが自分。
自分が書けないとしたら、まだ自分への注意も、気づきも、自己想起も
そういうものが少しもないことになる。
さては、目玉が節穴になっていたりしないだろうか?
529 :
考える名無しさん:03/01/22 22:35
530 :
世直し一揆:03/01/22 22:36
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉する(しかも好戦的・ファイト満々でキモイ、自己中心)
●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとす
る(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際には
たいてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者に弱く
、弱い者には強い)
●あら探しだけは名人級(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●一人では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「世間体命」、「〜みたい
」とよく言う)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は
個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をし、ストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あいつの足を引っ張ってやる!!)」)
sage進行でお願いしています。
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428の人の自分の意見がもうちょっと聞きたいです。
話してくれませんか。
あの、クリシュナムルティとか禅とかヴィパサナとかの教義を離れて
自分の体験とか考えとか、そういったことを知りたいんですが。
それから、世直し一揆の人、日本人にはA型の人が多いですよね。
でも、どうしてA型だけ扱ったのでしょうか。 B型もO型もAB型もお願いします。
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い
それから、これ、女性達は「男の腐ったの」と言っていますよ。
533 :
考える名無しさん:03/01/23 09:34
<「世直し一揆」型変質者の特徴>
●執念深く、粘着でしつこい ●とにかく気が小さい
あ、ごめん。
新しい方に書いているんですね。
読みました。 すみません。
532でした。
>その身体論だとラジニーシは6か?
禅はKに負けてるじゃん、お前はそれでいいのか? w
あははは、数字が多ければ偉いと思っているのか?数字の意味分っているか?
わざわざ、自分はアボウですって宣伝するなよ、ボケ
536 :
考える名無しさん:03/01/23 21:40
Kの実践は基準がわからんので難しい感じする
あといってること実践するのは到達点が最初からない(瞬間の連続?)
とりあえず一日一回は瞑想のような状態を集中してやろうと思ったが
夜寝る前、朝起きたとき、出勤途中、仕事中など
いろいろシチュエーション変えてみる
それから気づきの訓練、精神的に何か喜び・不快等平常以外の心理感覚
を感じたとき見逃さず、自分の心の動きをその場で追及していく(終わらんけど)
それと英語あまりできんがとりあえず英語の勉強もかねて英語の本を読む
日本語の本はすべて訳者のフィルターがかかっているわけでKの嫌う言葉
の記号化(適当な単語への置き換え等)がすでに行われているものを
読むのは気が進まない。
まあ人生長いので気長にやっていきます。
537 :
考える名無しさん:03/01/23 21:43
やっとまともな人が現れた。
538 :
考える名無しさん:03/01/23 21:55
英語の本読み始めたばかりで気づいた単語で
in revolt against (後には自分を取り巻くすべての対象がくる)
という表現がよくでてくるけど訳が日本語単語に置き換えるとき
適当な単語にならない(日本語の辞書では"反抗する"とか)
重要ワードと思うのでConcise Oxford Dictionaryの訳を書きます
revoltとは
refuse to acknowledge someone or something as having authority
となってます。
たった1語だけどkの立場をよくあらわす英単語だ
だけど日本語ではしっくりくる単語がなく訳もいい加減な感じ
これだけでも英語でよんでよかったと思った
>ラベリングは補助輪にすぎないとおもふ。
いや、ごく単純に言って、Kはラベリングが補助輪にもなり得ないと感じたと思うよ。
>ラベリングなしにKのような状態に達した人間がいるのなら別だけどね
Kのような状態にまで達してなくても、ラベリングの有効性を否定することは充分できると思うよ。
ラベリングというのは、歩いてる時に、私は歩いている、とか右足を挙げて、
とか自分の行動に言葉付けするんだろ?
でもこういう思考って生きて行く上での必要性が殆どないんだよ。
それに、この種類の思考は重くてのろいと感じたことはないかい?
もちろん自然で必要性のある言葉付けも一部にはあるよ。
例えば、トイレに行く時に、ラベリングや瞑想に何の興味を持っていない人でもよく、
トイレトイレ、と言って走って行くよね。
こういう自然なラベリングはあって構わないけど、肉体の活動にいちいち右手を挙げて、
とかラベリングするのは、むしろ気づきの広がり、深みを阻害することの方が多いと思うよ。
ラベリングをすることによって見逃してしまうことがたくさんあるんだよ。
多分、君は、気づいていようと思っても上手くできなくて、
それでラベリングが補助輪になると考えているんだろうけど、自分はそれは賛成できない。
じゃあ何が役に立つのかって?
初期の時点で自分が役立つと感じたのは、音を聞くことだね。
体を動かす時にいつも自分の立てる音を聞いていること。
足音、指がキーを叩く時に立てる音、ため息、エアコンの音、それら様々な音にいつも敏感でいることだね。
ラベリングはこういった敏感な聴覚の妨げになりやすいんだよ。
参考URL
ttp://www7.ocn.ne.jp/~kan-gyo/kris_21.html
ヴィパッサナーとKは部分的には同じかもしれないけど、Kとは明らかに違うところもかなりあるね。
まずゴエンカ系。
ttp://www.jp.dhamma.org/ を見てきたけど、
10日間コースがあって、その間の戒律とか時間割りがかなり細かく決まっているんだね。
戒律の内容は特に厳しいものじゃなさそうだけど、
こういった戒律とか時間割りが用意されてること自体がKとは違うんじゃないかな?
何時から何時までは瞑想しなさい、とかいうのはKとは明らかに違うと思うよ。
次にテーラワーダ系。
ttp://www.j-theravada.net/index.html を見てきたけど、
ここはラベリングに重点を置いているみたいだね。
今この瞬間を見ること、というのは、K、ゴエンカ系、テーラワーダ系にほぼ共通しているようだけど、
ラベリングについては既に書いたので省略するよ。
他にも多分色々な形態のヴィパッサナーの団体、あるいは宗派があるのかな?
まあ、個人的には特に興味はないけどね。
Kと違うと感じるのは、この手のグループは、師と弟子の立場が、
はっきり分けられているように感じるところもその一つかな。
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特別な環境が必要な訳じゃない。
イチローの話を聞くと、なんと瞑想的かと思う。
「常に冷静に自分のことを客観的に見られる、判断できる自分を作ること」だそう。
データに頼らず、自分に向き合い、自分の中に答えを見つけてゆく。
状況に呑み込まれない、強い自分を育てること。
目下の目標です。
マインドに振りまわされない。
答えはもうすでにここにある。
ただそれを認めるだけ。
それだけのことなんですけどね。
こうも意識が途切れる弱さは何故なのか。
無責任な。
常に意識的であり、全てを受け入れているというのは、
徹底的に自分の意見のみを聞ける強い意思を持つ事。
自分の意志を甘やかしてやれる事。
自然に。
>戒律の内容は特に厳しいものじゃなさそうだけど、
>こういった戒律とか時間割りが用意されてること自体がKとは違うんじゃないかな?
>何時から何時までは瞑想しなさい、とかいうのはKとは明らかに違うと思うよ。
われは戒律のようなものは馬鹿にしておったし、もともと
苦手であった。
ところが、このところ自分に戒律を定めるようにしている。
もっとも、われの戒律などは、戒律のうちに入らんかもしれん。
ただ戒律を守るようになって、集中力がましてきた。
特にズボラに育ったものにとっては、戒律を守ることは新鮮な驚きが
ある。
540はkと比べて、戒律や、ラベリングを否定的に捕らえているようだが、
われはそうは思わない。ラベリングも誤解を招きやすいとおもうが、
使い方しだいで、絶大な効果があると思う。われはラベリングはやらないが、
やり方はわかる。そのやり方でやらないと絶大な逆効果になる。
戒律も同じで、わけもわからずに押し付けられると、逆効果になる。
●われ様
戒律については、きっと外からの押し付けとなるのは、
成長の助けにはならないのだと私も思います。
自分が気付いて、そうしようと思わない限り、
自律とならないから。
それから、ラベリングが「そのやり方でやらないと」
逆効果、ということについてもう少し教えていただけませんか。
●539様もしくは他のヴィパサナご存知の方
ヴィパサナのことで教えて下さい。
ラベリングのことなんですが、試してみました。
で、自分を見ていると、思考が早くてラベリングの言葉を
考えてしまうことがあるんです。
例えば、運転中など、前見たり、後ろ見たり、「ありゃ」と思ったり。
こういうときはどうしたらいいのですか。
ラベリング>サティ>自己想起>気づきの完成>坐禅>サマディ>悟り
こんにちわ、わたし、こう思います。
ラベリングはサティの補助として使います。ですから、慣れてきたら、使わなくて
も構わないと思います。それから、サティでは主に、意識は<対象>に向かいますね。
これは、ある程度、気づきのフィールドが強くならなければ、気づきそれ自体に
気づくことができない為です。サティに依って気づきが培われた後、気づきそれ自体
を気づく、これが自己想起です。これによって、気づきのフィールドは急速に拡大
します。もう、想起するだけですので、簡単ですね。これが、5図、牛を引くです。
気づきの完成は6図、騎牛帰家です。この頃から坐禅のような無為に徹することです。
気づきに、自分=こころ、が溶け入った時、7図、次の空円がサマーディ。
そこから返って、根本返還が悟りになります。そこからは、徹底すること、
悟りを忘れる、ことが始まります。終わりなき旅。
合唱
皆様、はじめまして、
わたし、アーメン禅を提唱しておられる、セント万石イエス師の弟子、
通称、うぐいす、です。
万石様は、イエスに代表される、信仰も、仏教的な、修行も、
最終的には、おなじ境涯に人を導く、と看破されたのち、
このアーメン禅を打ち立てたお方です。
皆さん、信仰と修行は両翼の翼です。互いに相反しているように見えて、
相補的な役割を果たしています。
信仰の道は、こころ=エゴを削って、愛に行き着こうとします。
その為に、モラリストになってしまう危険があります。
仏教的修行は、こころへの無執着が基本です。ですから、こころを扱いません。
そのために、反モラルになってしまう危険があります。
アーメン禅では、両者をうまくバランスさせて進みます。矛盾を内包している
為に、混乱をきたしません。
アーメン、禅、ぼよーん。この三つです。
セント万石イエス様は、谷屋通りやパッポン通り、地下鉄三田線沿線で活躍
されています。乞食に身をやつし、辻説法を主に活動しておられます。
一度、板橋の区議に立候補もなさいましたが、惜しくもやぶれました。
一度、女性信者との交際を取り沙汰されて、スキャンダルになりましたが、
あまりにも無名だったので事無きを笑ました。
539・546様
すみませんでした。
ご指摘、ありがとうございます。
ということは、日常生活の中に、その必要性がないということと
気づきの広がり、深みを阻害することの方が多いと思うから、が理由ですね。
たぶん、539さんは生活の中で気づくということができているのでしょうね。
気づいていようと思っても上手くできないレベルの545のような人間には、
音に気がついているのが有効だという提案ですね。
この場合、「○○を聞いている」と気がついていればいいのですか。
自分の中に一日中考えて喋っているのがいて、うるさくてかなわないのです。
何だかそいつを助長させてしまうような気がするのですが…
静かな方が前面に来るときは、そのときには分からないで、
後になってうるさい方が気がつかせてくれます。
うぐいす嬢様
ありがとうございます。…途中から笑っちゃったけど。
気づきのフィールドが強くなるための手段ということですね。
>545
>例えば、運転中など、前見たり、後ろ見たり、「ありゃ」と思ったり。
>こういうときはどうしたらいいのですか。
道行く女性が気になるから「前見たり、後ろ見たり、「ありゃ」と思ったり」
するのですが、このとき
「
女をみている。女、女
女をみている。女、女
女をみている。綺麗、綺麗
女 女 女 女
」
ゴエンカ系、テーラワーダ系はこのようにラベリングするのだろうが
このように文字どおりラベリングをやると、
絶大なる逆効果になるはずです。
(断っておくが、われは決して彼らを非難するわけではない。
彼らは、女や車に乗るのは得意ではないはずだから。)
このときのラベリングは「運転に集中すること」と考えたらいいのです。
>わたし、アーメン禅を提唱しておられる、セント万石イエス師の弟子、
>通称、うぐいす、です。
われはこういう関係が、非常にいいと思う。
普通に考えると、
「立派なサラリーマン」が「哀れな乞食」に「恵んでやる」
という関係が
「弟子」が「聖万石師」に「お布施をする」
という構図にも見える。
いま時分、公園にはたくさん神様がいる。そこで師を探すと
いいと思う。
われも辻説法を聴いてみたい。
553 :
考える名無しさん:03/01/24 14:17
禅で完璧な悟りを開いた人の禅の話を聞いてみたい。
>信仰の道は、こころ=エゴを削って、愛に行き着こうとします。
>その為に、モラリストになってしまう危険があります。
>仏教的修行は、こころへの無執着が基本です。ですから、こころを扱いません。
愛より「こころ」の方が、信仰にふさわしい美しい言葉に聞こえるのだが、、、。
mindfulnessという言葉をご存知か? これを留意と訳している。
これは気に入らん。とはおもわんか?
vibrationを「波動」などという訳もあるが、意味わからん。
信仰しても仏教修行してもいいが、美しい「こころ」を無くしてはあかんよ。
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お願いします。
1が帰ってくるまでこの表示を時々入れときます。
情報として。ヴィパッサナについて少々。
まず ゴエンカシステムではラベリングのほうほうはありません。
また、直接、思考等を観察する方法はとっていません。
<old studennt>
マハシシステムのラベリングはレスにも何度も出ていますが
あくまで補助的手段です。
ちなみにわたしは、指導者に
ものごとには順番があります。とよく注意されたものです。
以上。be happy
>それから、ラベリングが「そのやり方でやらないと」
>逆効果、ということについてもう少し教えていただけませんか。
お釜のうぐいすが、かなり的確に言っているので、もう不要かも
しれませんが。
たとえば一度にたくさんの情報が入ってくるようなとき、混乱します。
そのときは、部分に分解すると、一つ一つが小さくなるので、
見渡すことができます。そうすると混乱が収まります。
全体は部分からなっている。
あるいは
全体はラベリングできる、明確な部分からなっている。
といえます。
ラベリングには不明確なものを明確な部分に分解する働きがあります。
このことは、たとえば、大量の情報が入ってくる場合や、強烈な情報が
入ってくる場合に特に役にたちます。
「こらー、てめーなめてんのか、われ」.....「この人は怒っている」
「落着いてんじゃねーよ。ぼけ。」.....「この人は腹が減っている」
「おらー。ぼけ。ぼけ。ぼけ。」........「おまけに頭をぶっつけた」
「おらー。おらー 」........「この人はそれで怒っている」
言葉として、状況を説明するだけでも、ずいぶん冷静になれます。
ラベリングは分析ツール、あるいは分解酵素のようなものです。
558 :
E_ に 半角で sage と:03/01/24 21:29
偽修行者ドモが釈尊にたてつくとは・・・おこがましいにも程がある。
559 :
考える名無しさん:03/01/24 21:40
言語は直線的だからねー、ラベリングをきちんとしているときは、
言語による妄想によって心がこれ以上汚れないんだよ。
気づきを増すという作用だけでなくこれ以上こころをきづつけない
という作用にも注目してねー。
>気づきを増すという作用だけでなくこれ以上こころをきづつけない
という作用にも注目してねー。
こころの浄化は大切ですね。良い子良い子。
でも、肝要なのは、こころには実体がない、主体がないと知ることなんです。
561 :
考える名無しさん:03/01/24 23:03
>肝要なのは、こころには実体がない、主体がないと知ることなんです。
汚れた心の持ち主がそれを本当の意味で理解するのは難しいよねー
釈迦が戒律や八正道をもちだしてくるのは凡夫がそのままの状態では
智慧が出現しないということを熟知していたからだと思うよー
Kの気づき一元論では覚者がなぜ現れなかったのかの答えになるかも
しれないかなー
>Kの気づき一元論では覚者がなぜ現れなかったのかの答えになるかも
前に宗教板のKスレでこの話題が出た時に、ロバート・パウエルって人がいるって答えてた人がいたよ。
でも俺はロバート・パウエルがどういう人か知らんけど。
>汚れた心の持ち主がそれを本当の意味で理解するのは難しいよねー
釈迦が戒律や八正道をもちだしてくるのは凡夫がそのままの状態では
智慧が出現しないということを熟知していたからだと思うよー
そうですねえ、あなた、よくわかっていらっしゃる。
戒律もある人には必要。八正道も一つに指針になり得ますね。
凡夫がそのままの状態、いけません、いけません。
ところが、これ、翻って、凡夫でいいんです。凡夫のままでいいんです。
それに気づけたらな、みんながそれに気づけたたらなー
僕は努力家になろうと思うんだ、って言ったのは、中也でした。
ぼよーん!
>562
一人ね、寂しい
sage進行でお願いしています。
E_mail に 半角で sage と
書き込んでおく
お願いします。
1が帰ってくるまでこの表示を時々入れときます。
われもつづけー。
567 :
考える名無しさん:03/01/25 05:28
酷いQ&Aだな。こんなの信じてるのか、、、。
われ様、うぐいす様、すしでもくいいっか様、その他の方々
初心者の質問に丁寧に答えていただき、ありがとうございました。
音を昨日試してみましたが動いているときは都合悪そうでした。
しばらく一人でしながら、静かに読ませていただきます。
568様
失礼しました。 どうぞ本筋にもどって御意見お書きください。
ありがとうございました。
>ところが、これ、翻って、凡夫でいいんです。凡夫のままでいいんです。
上を目指して走りつづけて、10万キロ。ついにメーターが最初に戻った
ポンコツの心境がうまく表現されている。
ではあるまいか?
しかして、その凡夫はまたまた上を目指して走りつづけるのであります。
>音を昨日試してみましたが動いているときは都合悪そうでした。
音を聞く場合は、静かに座って聴きます。
最初はソロを聴きます。すこし遊びがほしくなるとカルテットを
聞きます。複雑な音の遊びが理解できるようになると、立派な
音老人。音老人はオーケストラを好んで聴くようになります。
動きながら聴きたい場合は、目隠しをして、白い杖を
つきましょう。町の声がよく聞こえます。
目隠しをするのが良いとは思わない。
どこでその音が鳴っているのかを見て観察する方が良い。
動く時は最初の内はとにかく自分の立てる音に気を配るのがポイント。
他にも色々あるけど、まだ教えてあげない。
掲示板でほいほい教えるような事でもないし。
まあ、P.D.ウスペンスキー著の「奇跡を求めて」(平河出版社)の中には、
たくさんのグルジェフからのヒントがあるから、
本気で自己想起、気づきに取り組む気がある人は一度読んでみれ。
ああ。それとちゃんと前を見て歩けよ。
都会の人込みを歩いてると、
ろくに前も見ないで歩いてる奴がたくさん居てうんざりするよ。
上を向いて歩こうよ
涙が零れないように
575 :
考える名無しさん:03/01/25 14:29
>572
君の意見は鋭いので感心している。君は特に音感に鋭いのでは
ないだろうか?
ただ一般には、[動き]がもっとも(感覚、感情、思考よりも)意識しやすく
コントロールもしやすいとおもう。
感覚(音や視覚)に意識を保つのは、動きを意識するよりは
難しいはずだ。からだの動きはきわめて豊かな体験なので、
たとえばゆっくり歩くことで劇的に意識を高めることが
できる。(禅では経行(きんひん))
これに比べて、普通の人は通常の状態で、音に注意しようとしても
飽きてしまうのではあるまいか?
われも普通の人なので、ひそひそ話に聞き耳を立てる
のはとくいであるが、ストーブの音や、換気扇の
音を聴くのは退屈である。
577 :
考える名無しさん:03/01/25 20:28
>ストーブの音や、換気扇の
音を聴くのは退屈である。
素人丸出しのご意見、ありがとうございました
>577
>素人丸出しのご意見、ありがとうございました
どういたしまして。
玄人は、換気扇の音に恋でもするのか?
579 :
考える名無しさん:03/01/25 21:33
「実践スレ」なのでしかたない面もあるがHow to的な情報の紹介は実に
読んでいて退屈なものだなぁー
なぜ一生懸命にそのような書き込みをする(またはその批判やりとり)
をするのかということは一考の価値はあるけどね
580 :
考える名無しさん:03/01/25 21:54
KがHow toに続く質問には一切直接の回答をしなかったという
ことをみな思い出して?ほしいものです。
>579
>「実践スレ」なのでしかたない面もあるがHow to的な情報の紹介は実に
>読んでいて退屈なものだなぁー
われが実践していないから退屈なのだ。
真剣にストーブに恋をしてみろ。
>580
>KがHow toに続く質問には一切直接の回答をしなかったという
>ことをみな思い出して?ほしいものです。
読み方が浅いんじゃないか?
回答があるから深く読んでみなさい。kはアホほど親切に答えている。
禅はもっと不親切だよ。
確かに明らかに回答している。
が、ある行動パターンを実践することがいかに
無意味か、特に他人の意見や本の内容を実践するのがいかに
欲するところから、逆に離れていくことにつながるかということ
を繰り返し強調しているとも思うが
>欲するところから、逆に離れていくことにつながるかということ
>を繰り返し強調しているとも思うが
思うだけなら、さるでもでける。
思うでなく、それをやってみてどうだ。
あるいは、おまえはどうしたいのだ。
自分の心に従うだけ
ただたまにこのスレをみたり、本を読んだりしますが
How to的な情報を書き込んだりそれに攻撃的反論をするのは
Kの実践に反する行為であると思ってます。
>自分の心に従うだけ
>ただたまにこのスレをみたり、本を読んだりしますが
>How to的な情報を書き込んだりそれに攻撃的反論をするのは
>Kの実践に反する行為であると思ってます。
そういう発言は実践者として浅すぎる。つまらん。
注意がたりない。
もう少し、切り込め。
攻撃反論も時には重要だ。kがどれだけ激しかったか
判っているのか。
なにを実践しているのか。実践してどうおもうのか?
もっと深いところから自分を表現しろ
>kがどれだけ激しかったか
ということについては私はあまりわかってません
「星の教団解散宣言」はKの当時の立場を考えると、激しい心の動きに
基づくものだったとは思いますが、実際の発表時点では
激しい心は全くなく全人格的な理解にいたった上でのものと解釈
しています。
具体的な例を挙げてもらえれば幸いです。
すぐ人に聞く。きくな。喋れ。表現せよ。
kの激しさがわからないか?
「非暴力を習慣的に実行する人は本質的に自己中心的であり、
したがって本質的に暴力的です。
謙虚を習慣的に実行するひとは決して謙虚ではありません。
なぜなら、謙虚を獲得する、あるいは何であれ徳を養成するという過程が
自己中心性のもう一つの現われに過ぎず、
それは本質的に邪悪で暴力的だからです。」k
君は邪悪で、暴力てきなのだ。
われさんのほうこそ
もう少しKの本読んだほうがよさそうですね(W
それではまた
われ逃げるなー。まてー。こらー。
われは邪悪ではないから、謙虚ではないどー。
われもかえろ。
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>>590 >ただ一般には、[動き]がもっとも(感覚、感情、思考よりも)意識しやすく
>コントロールもしやすいとおもう。
きちんと動きを自覚している時は音も視覚も殆ど一体化していないだろうか?
また、コントロールしやすいとはあまり思えない。
むしろ気づきが深まるにつれて、自分がいかに無意識的に動いてしまうかが見えて来る。
気づきと言ってもやや分裂的な状態での気づきもある。
例えば、音、肉体感覚には自覚的であっても、やや視野狭窄な状態になったり、
見ることに集中していると音がはっきり聞こえていなかったり、
あるいは思考に集中していると周りが見えておらず、音にも鈍感になっていたりする。
しかしそれはそれで構わない。
初めからそんなに深く気づけるわけではない。
しかし、正しく取り組むのであれば、いつか沸点に到達するかもしれない。
>>589みたいなのは放っておきなよ。
Kを読むだけで自己満足していて、ろくに実践していない事くらい書き込みの内容の薄さからもわかるだろ?
それにここはK単独スレではないし。
クリシュナムルティ読んでいて、自我の底が抜けて大歓喜、
その状態が1週間続いたという人を知っている。
結局もとに戻っちゃったらしいが。
それなら、キノコ体験と変わらんがな。
>>593 薬物への依存とは違う。
1週間で元に戻ってしまったのはまだきちんと準備ができていなかっただけのこと。
結果を追い求めるのが目的ならばそうなっても不思議ではない
こんにちわ、セント万石イエスの弟子、通称、うぐいす嬢です。皆様が混乱している
ようなので、また、奉仕にやってきました。
1、努力、修行、実践が、不可欠である。
1、>ある行動パターンを実践することがいかに
無意味か、特に他人の意見や本の内容を実践するのがいかに
欲するところから、逆に離れていくことにつながるかということ
を繰り返し強調しているとも思うが
この二つの一見矛盾する概念は、実は矛盾していません。
一つは、こころと同化している視点から真実であり、
一つは、こころと同化が落ちた地点から真実なのです。
悟りとは、そのままの事実です。そこから見れば、努力も修行も本来要らないのです。
しかし、そのままの事実に、なっていないなら、努力をしなければなりません。
ここで、なっていない、というのは、幻想、錯覚、夢、なんですが、、、
kに関しては、kの本を読んで、頭だけで何か理解したつもりになって
観念遊戯で終わってしまった、中年のお釜チンカス野郎は確かに多いようです。
しかし、ここでも、生まれながらに、意識に確立している、気づきの訓練を
完結している魂もいる訳で、何も実践していないから、駄目と決め付けられる
ものでもありません。
実践を通して、実践を諦め、実践はそもそも必要なかった、と分かれば、
この問題で混乱することはありません。
ここはとても、混乱しやすいところで、過去にもここで、引っ掛かった人は多い。
今、祖師と言われているような人でも迷ったのです。
アーメン、禅、ぼよーん
>結果を追い求めるのが目的ならばそうなっても不思議ではない
そうです、その通り。ご立派な方ですね。
しかし、説明が足りない。あなた、奉仕を学びなさい。
「気持ち良く成るのが目的ならお前みたいになっても不思議ではない」
と返しておきましょう。気を悪くしないでね。
修行の結果や、修行の為に起こる、体験に注目してはなりません。
結果や体験は、来ては去っていくものです。さあ、全ては無常です。
あなたは修行によって、何も得るものがないばかりか、
最後は、自分、さえも後へ残して進まなければならないのです。
最後は、怨嗟、と言われる、希望のない状態、生きているのも
疎ましいような状態がやってきます。全てに対して興味がないのです。
そして或る地点まで来ると必然的に理解が起こります。
そうすると、価値観と言うか、見方が180度変ります。
無常だから、自由なんです。居ないから、自由なんです。
空っぽだから、OKなんです。
アーメン、禅、あぼーん
>それなら、キノコ体験と変わらんがな。
これは手痛い!修行者にはイタイところです。
確かに、経験自体は大して変わらないです。薬物、瞑想、両方やった、
うぐいすには分かります。
しかし、薬物依存者の結末と、修行の結末は、当然違ってくるとわたしは信じてます。
元に戻ってしまうのは、理解が知的な範囲に留まっているからです。
これは気づきの訓練を最後までやらないと起こることです。
それは、いわいる、悟り体験なんです。
気づきが十分に活性化していれば、二度と戻ることはありません。
体験は一度きりです。それは体験とも呼べません。
事実の認識です。
600 :
考える名無しさん:03/01/26 09:29
ウグイスちゃんは輪廻から消滅したいの?
うぐいすさん^^。ケタミンはやりましたか?
わたしの体験でわ ケタミンが卒業試験だと思いました。
卒論は日々書いてます^^。
事実の認識。
幼い頃のかすかな記憶。
客観的に自分を見つめることがある程度出来ていたんだろうね。
子供には刷り込みが少ないから。
悩んだ挙句、「何も考えないで行動する」ことを敢えて選択した、
なんかそこらへんの思い出が残っているよ。
なんでこんなこと憶えているんだろうね。
子供心にも「おかしなこと」と映っていたのだろうね。
「空っぽ」に呑まれそうになる。
なのに呑まれないでいる。この状況って?
この辺の壁ってなんなのだろう。
604 :
考える名無しさん:03/01/26 11:54
うぐいすさんの意見は読んでも全体にあまり意味がわからない
が、努力・修行・実践と第一に挙げているということは
Kとは相容れないと思われますね。
努力が必要といってしまうと(特に他人に対して)
その時点で努力する対象が心の中で権威化されているわけで
逆に努力しようとする心を見つめてその権威を解かなければなりません。
これはあるリソース(時間、人、もの、金等)を活用して何か目的のため
に成果をあげなければならないという社会活動(一般には仕事という)
の局面でとるべき努力とは全く別の次元で話していることは当然です。
605 :
pk-oj:03/01/26 11:59
606 :
u=うぐいす:03/01/26 19:31
>Kとは相容れないと思われますね。
君の場合は、ここをよく観察するといいでしょう。
何度も同じ事を言うのは疲れますから、今後、あなたが、
つまり、わたしの中ではあなたは、kオタクですが、
あなたが同じことを言ってきても無視しますよ。
ポイントは、絶え間無い意識の覚醒です。
そうなっていれば、あなたの意見で正解です。
二つの可能性がある、
一つは、あなたの場合は、生まれながらにして、これを保持していた。
だから、実践、努力、修行の意味が分からないんです。
もう一つは、Kを呼んで、知的な理解をして、
悟りなんて、単に、無いんだ、修行もないも要らないんだ、
このままなんだ、って妄想しているだけです。
調べるのは簡単です。そうなっていれば、自分に決着がついています。
落ち着いています。少しすると、平和が顕われ、やがて、至福に、
愛に、創造性に、満ちるようになります。
マインドに同一化し、マインドに揉まれ、呑み込まれている時、
意識的になる努力は必要です。
無努力、無法策が必要になるのは、その後です。
そして、その後では、無努力の努力さえ、不要になる。
忘れること、です。
ですから、kの言説は、絶え間無い意識の覚醒、
この辺りから、本当に理解できるようになります。
ここで、こう反論できます、
だって、意識はあるでしょう!どうして確立する必要があるでしょう!
それこそ、妄想です。
そうです、その通り。
しかし、それは、多くの探求者にとって、現実にはなっていないのです!
絶え間なく、マインドの波にさらわれているのです!
そう、そして、それには実体がないのです。夢なのです。
しかし、夢を現実視しているのです。これを仏教で無明といいます。
Kだけでは、精神世界は網羅できません。
いろんな人がいろんなレベルにいるのです。
ヒンドゥでは、kオタクさん、あなたはインドに行った経験がおありですか?
kのような言説は、アドヴァイタ哲学に分類されます。
それは、それは知恵の道です。ラマナマハリシの自己質疑もこれです。
ニサルガダッタ・マハラジの、ホールド・オン・アイアム、もこれです。
ラジニーシの言説の一部もこれです。
しかし、そんなものはヒンドゥという氷山の一角に過ぎません。
そこには、あらゆる種類のヨガが、技法が、メゾッドが存在します。
その全てが、間違いではないのです。方便ということです。
kの言説だけが、真実で、kを理解することで、誰もが行き着ける、
そんなものが妄想です。kの言説ですら、本当は無意味です。
aはaである、そう言っているだけです。
ああ、そうです、それしか言えないのです!
しかし、それで納得できる人の方が少ないのです。
kを読んでも、殆どの場合、観念遊戯で終わってしまいます。
何らかの実践は必要だ、と思う人が多いのです。
こんなところで、よろしいでしょうか?
アーメン、禅、あぼーん
グルジェフはそれらの様々な道を4つに分けて説明した。
1、肉体の道
2、感情の道
3、知恵の道
4、理解の道
1では人は肉体に働きかける。何日も何ヶ月も一つの姿勢を保ち続ける苦行などで。
2では人は感情に働きかける。いわゆる盲信的、狂信的な道である。信仰がその人の活動となる。
3では人は知性に働きかける。禅の公案などがこれにあたるだろう。
4では肉体、感情、知性の全てに働きかける。信仰が必要とされない事から理解の道と呼ばれる。
グルジェフは4の道である。
Kも4の道ではあるが、あまり肉体への働きかけへの言及がなく
(全くないわけではないが)3の要素が強い4と言うべきだろう。
世間的な宗教及び宗教団体は一応分類するなら2だが、
分類するほどの物でもないものが多いのは言うまでもないだろう。
どの道であっても真理に至る可能性はあるが、
グルジェフの言う主観的意識、Kの言う自己認識をも見出せるのは第4の道だけだろう。
「自己認識なくして真理は狂気でしかない。」___K
>「空っぽ」に呑まれそうになる。
なのに呑まれないでいる。この状況って?
>この辺の壁ってなんなのだろう。
そこにとどまる、しかないです。
障害は本来ないんですね。幻想があるだけ。
止まってれば、どんな状況であろうと、そこにとどまっていれば、
やがて、理解がやってきます。それは、あなたの側からではありえません。
それ、自体の、理解です。
世尊のお話、芥川のトシシュンなんか、読んでみてください。
真実はただ、目の前にあります。嘘が消えるだけ。その嘘とは、わたし、
という幻想です。
>608
>しかし、夢を現実視しているのです。これを仏教で無明といいます。
されば、われが今朝見た夢は夢のまた夢か。
>Kだけでは、精神世界は網羅できません。
妄想までは、網羅してないのかも?
>610
>しかし、そんなものはヒンドゥという氷山の一角に過ぎません。
>そこには、あらゆる種類のヨガが、技法が、メゾッドが存在します。
氷山の一角であっても、それが宇宙を表す場合もある。
技法もたくさんあればいいというものでもないし、
ヨガなんてものは、根本原理にしたら3つ4つ、洞察力のないものは
バリエーションに目を奪われるが、原理を判っているものからしたら
たいしたことない。
禅のようにシンプルなほうがいい。迷わないほうがいい。
中国にはラーメンが数万種類あるが、タンメンか、ラーメンか
茹でるか、あげるか、そんなもんだろう。
ラーメン、ぼん、ぼーん。
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アニッチャ
>禅のようにシンプルなほうがいい。迷わないほうがいい
ま、そうなんですが、それって理屈なんです。
古き良き時代の日本では、禅で良かったんです。
人々は謙虚で、我慢強かった。そして、ネックは武士道ですね。命懸けで事に当たる
という精神があった。これさえあれば、最初の底を抜くのはわけないんです。
そんなに長くはかかんないんです。これ、本気で取り組んだらすぐ自覚できますよ。
チンタラやっているから、進歩が無いだけ。
死ぬ気でやれば驚くほど早く進歩します。瞑想なんて年期じゃないんです。
でもね、現代にこんな精神があります?
その代わり、科学が発達した。人々は理屈を憶えた。頭で心底納得すれば、
結構早いんです。
シンプル過ぎたら、こうはなりませんよね。
只、ってなんですか?只管打座?何それ?坐禅に目的はない?じゃあ何のために?
こうなりますね。
ところが、ヨーガのシステムは段階的科学的です。
ま、オウムに汚されちゃったけど、、、
>シンプル過ぎたら、こうはなりませんよね。
>只、ってなんですか?只管打座?何それ?坐禅に目的はない?じゃあ何のために?
>こうなりますね。
そんなに簡単に「こうなりますね」なんてゆてはあかん。そこを考え抜く。
>ところが、ヨーガのシステムは段階的科学的です。
それは、へたれの科学、科学というものは、
作り上げるんじゃ。最初から段階があるようなもんを
科学とゆうてはいかん。もっと自信をもちなさい。
武士道というが、日本人は聖徳太子の時代から、天竺かぶれ。
ヘたれどもが、蘭学やら、漢学やら目ざとく見つけて、
すぐにかぶれおってからに。そんなつまらんものを習いにゆくな。
かりに、あっちのほうが、おいしそうに見えても我慢する。
武士は食わねど高楊枝。ぐー。
618は結構上手く表現していると思うよ。
禅も剣道もやったからよく解る。
剣道は「動的禅」とも呼ばれている。
われも禅が解るなら、良い道場に行って少しかじってみるといい。
>その代わり、科学が発達した。人々は理屈を憶えた。頭で心底納得すれば、
>結構早いんです。
こういう人も結構多いと思う。
現代風自然体。
>ヨーガのシステムは段階的科学的です。
全く。そんでもってある意味「動的禅」だよね。
苦労して辿り着くっていうか。
理路整然としていてさ。
A型のせいか、それもいいなと思ったり。
>禅も剣道もやったからよく解る。
>剣道は「動的禅」とも呼ばれている。
>われも禅が解るなら、良い道場に行って少しかじってみるといい。
「やった」ような禅は禅ではない。
禅は一旦始まったら、終わらんものだ。
剣も同じ。
昔日のチャンバラごっこ。われもやった。
そうですね、ヨガなんて、要らないと言えば要らない。段階なんか要らない。
それはそうなんですが、それで、おさまらないのが、現代という時代なんです。
方便は方便として何でも使ったらいいと思います。これが正しい、とか、あれは間違い
なんてありません。だって、全部方便ですから。
kオタクとか、gオタク、vipオタクには、これが理解できないのか?自分の
信奉している、方便、に執着する傾向があります。
禅、やってる人も、禅だけで、他は、いけません、なんていう。老師と言われている
人も、印可貰ったといって喜んでいる人tもやっぱり、そういいいます。
禅オタク、蛙根性なんです。
たとえば、それは、自分のかあちゃんのお・・こが一番具合がいい、ということと同じなんです。
>>われさん
言いまわしですってば。でもこの書き方じゃそう返されてもですね。
剣道はチャンバラごっことは違うよ。
自分と命がけで向き合う武道なんよ。
執着するのって安心できるからねぇ。
だから日本人の心を忘れた現代人は、こころの拠り所を求めて低い所へ流れこむ。
オタクの人たちと話したことがあるんだけど、
もう少しこのままで居させてくれ。って言われたことがあるよ。
>方便は方便として何でも使ったらいいと思います。これが正しい、とか、あれは間違い
>なんてありません。だって、全部方便ですから。
ですね。
方便としての違いしかないと思ってるのか?
理解が浅いなあ。
>方便は方便として何でも使ったらいいと思います。これが正しい、とか、あれは間違い
>なんてありません。だって、全部方便ですから。
ここが間違っている。
試練というのは、向うからやってくる。選びようがないのだ。
それが、師だ。
だから選べるようなのは師ではないということだ。
>これさえあれば、最初の底を抜くのはわけないんです。
試練によって底を抜く。お稽古では底は抜けん。
方便は単なる抜け殻だ。誰かがそれによって、突き抜けたのだ。
いまここを突き抜ける方法は1つしかない。
たった一つしかないのだ。
>601 Rさん
5−meoはやりました?
ケタと、どう違います?
K体験後、1週間たって、
日常の意識(というか世界の見え方などに)
恒常的な変化は残りました?
629 :
さようなら1:03/01/28 04:04
あちゃ〜、、、自分がsageるの忘れたー!!!
ボケてますね〜〜〜
別に、礼儀正しくなくても、
攻撃的で断言的でなければいいのですけどね、、、
それでは。
どんなに伝えたくても愛する気持ちに溢れていても、
相手にその器でない場合だってある。
っていうか、そっちの方が殆どでしょう。
だからこそ、世に現れることは稀。
めぐり合えることは
ありがたいことなんだよ。
それこそ愛だよ。
方便だろうとなんだろうと、飛び込んでみる。自分を賭ける。
ね、ここは実践スレでしょ?
でもね、全ては完璧。
世界は礼儀正しくないのだ。
君だけが礼儀正しいとして、世界に出会えるだろうか?
大衆は礼儀正しいのだろうか? もし大衆に向き合えないとして、
なにに出会えるのだろうか?
>攻撃的で断言的でなければいいのですけどね、、、
君は異常に打たれ弱いのだ。世界の99.9999%は
攻撃的で断言的なのだ。
と断言できる。あるいは、かもしれない。
かもしれないといってもそれは、断言的なのだ。
断言的であっても、それは「かもしれない」かもしれない。
>620
>どんなに伝えたくても愛する気持ちに溢れていても
1が出て行ったら、みんなして、共感モードに入ろう。
君が愛を歌え。われがハモってやろう。
そしたら、1がひょこひょこ返ってくるにちがいない。
>君が愛を歌え。
はは。素敵だね。
わたしも自分のうたを大いに歌えるように戻っていきますね。
色んな意味での指針と勇気付けを貰いました。
うん。頑張っていこう。
>620
>はは。素敵だね。
われもいろんな人がいるのを知ってうれしいよ。
いろんな人がいて、いろんな考えがあって、みんな豊かな
体験をしているなーて思う。うぐいすなんかほんとに、
たくさんのこと体験してるんだろな。
われはまだ初心者だからね。でもねハートのチャクラだけは
ちゃんと開いてるからね。よろしくな。
うぐいすは、ほら、40才のちゅ年だから
あたりまえ
メハー・ババ>マイ・メッセージ・イズ・ラブ
植芝>武は愛なり
アマチ>思いやりを持ちなさい
ブッダ>生き物に慈しみを
イエス>隣人を愛せよ
ピッピー>戦争よりセックス
セント万石イエス>愛こそすべて
うぐいすは、なによりも勇気あるとおもうよ。
われもそこはしっかり学びたい。
胸をかりてますからね。よろけないでくださいよ。
イエス>隣人を愛せよ
最後のLoveってのがかっこよかった。また復活させてな。
(内輪でしかつかわないのか?)
あまちが出てくるとは。なんだーまい。ナンマイダ。
1が帰ってきてるので、私の役割とりあえず終了。
641 :
考える名無しさん:03/01/28 23:09
Kを実践するとは何か?
Kは修行(discipline)を否定している。
それは恐れや不安といった感情を必ず伴うからだ
これがわからない人は自称修行者が自分の修行を否定されたとき
(本当に否定されたと本人が感じなければ否定ではない)
どのような反応を示すかをみれば理解できるだろう。
したがってKの実践とはKの理解にほかならない。
このとき気をつけるべきことはKの言葉(もしくはその意味)
そのものに焦点をあてるだけではなく、なぜそのようにKが理解
するにいたったかということを理解することだと思う。
>>641 Kは努力を否定して、discipline(訓練、規律)を肯定してるよ。
この場合のdisciplineとは気づきの過程を通してのものだけど。
disciplneを修行や訓練、規律とか訳さずもとの単語のまま
扱うのはいいことであると思います。
なんらかの概念を表すとき、他の記号への置き換えは必ず別の意味
づけを伴います。特に日本語としてもともとない場合に
disciplienの否定はKの思想家としての特異性をあらわすものであると
ともに天才を感じさせる部分です。
Kはこういっています。
Disciplne means adusting yourself to something.
(disciplineとは自分を何かに適合させることを意味する。)
そして
I am asking myself whether discipline is neccessary at all,
and whether there is not an entirely differnt approach to this
problem?
(私は自分自身に問う、disciplneとは本当に必要なものなのか?
それとも完全に別のやり方がないのだろうか?)と
Kにとってdisciplineとは何らかのパターンへの自己の埋没であり、
本当の自己の死、機械のような存在への逃避を意味するものです。
自己の自分自身への純粋な同一化を矛盾することなく行うために
は常に何者からも自由であること、つまり努力しないこととともに
disciplineを行わないことが必須であるのです。
ですが表現をなんというかは別にして気づきが必要になることは事実
努力なしdisciplineなしで気づきが自然に行われていくためには
どうすればいいのか?
そこで自由と愛という概念が登場するように思います。
英語使いたがるわりにはスペルミスばっかですんまへん
>641>642
よし、じゃあ、否定という言葉を定義してみて。
647 :
考える名無しさん:03/01/29 06:08
ほんと、うるさいな。おっさんたち。うそばっかおぼえやがってさどーすんだよ脂ぎって。くさい息はきかけてくんなや!
648 :
考える名無しさん:03/01/29 06:27
心と宗教にお帰りなさい
649 :
考える名無しさん:03/01/29 06:44
>ほんと、うるさいな。おっさんたち。うそばっかおぼえやがってさどーすんだよ脂ぎって。くさい息はきかけてくんなや!
大馬鹿門という門があるから、そこを1000回くぐりなさい。
>641
>Kを実践するとは何か?
>したがってKの実践とはKの理解にほかならない。
>このとき気をつけるべきことはKの言葉(もしくはその意味)
>そのものに焦点をあてるだけではなく、なぜそのようにKが理解
>するにいたったかということを理解することだと思う。
kの本をよく読んで、(その背景も踏まえて)
書かれている内容を理解することが、
「kを実践すること」だと思うのですね。
>Disciplne means adusting yourself to something.
disciplineとはyourselfを何かにadusting させることを意味する。
ではないほうがいいのでしょうか?
「規律とは何物かにあなた自身をあてはめることを意味する」
そういう外在的な規律は無用の長物だが、注意深さを保ちつづけるといった
内在的、自発的な規律は必要。
しかし内在的規律が発達するまで、外在的な規律は方便として必要かも。
言葉に足をすくわれちゃだめだよ。
>653
>「規律とは何物かにあなた自身をあてはめることを意味する」
規律を定めて、ひそかにそれを守ることは無常の喜びであったりする。
↑この訳、規律と鍛錬が区別できてない。
kをやっているとしだいに、気づきが深くなる、最初は
思考の誘惑で、比較的簡単に排除できる。しかし段段
誘惑のレベルが高くなっていくようだ。感情的な誘惑、
そういうのを愛?というのかも知れないが、感情が
高まってきていつのまにか、注意ができなくなる。
しかし、今日のように寒い日は、胸が熱くなって
ちょうどいい。朝瞑想すると、夕方までぽかぽか。
>>656 そういう一行レスは非常に良くない。
どこが誤訳なのかきちんと説明しないまま、できてない、では全く説得力がない。
もっときちんと説明しなさい。
>>658
>そういう一行レスは非常に良くない。
>どこが誤訳なのかきちんと説明しないまま、できてない、では全く説得力がない。
>もっときちんと説明しなさい。
あなた読みましたか? 最初の文から日本語が少し変とは思いませんか?
まともな訳とは思えません。
じつは、まともにしてみようと添削したのですが、
ここからでは、いろんな意味になる文章になってしまいます。
もし原文があり、それがまともなものなら、
私がトライして見ましょう。
それより、まともな翻訳を探したほうが早いでしょうが。
これは多分勉強の為に、翻訳と大意をまとめる練習を
されて折られるのでしょう。
意味は大体通じます。というか他の本を読んでいますから
だいたい雰囲気はわかります。
ですが、もう少し推敲されたほうがよいと思います。
>規律(discipline)とは、外から与えられるものではなく、
>自分自身を観察することから生じてくるものです。
最初の文ってこれの事か?
自分も原文がどれなのか知らないから、そのサイトの人に聞かないとわからないが、
日本語として変かどうかは、規律という語をどう捉えるかに寄るのでは?
規律のあとに(discipline)と書いている事からも、規律という訳でいいかどうか、訳者に迷いがあるという事だろ?
>これは多分勉強の為に、翻訳と大意をまとめる練習をされて折られるのでしょう。
>意味は大体通じます。というか他の本を読んでいますからだいたい雰囲気はわかります。
>ですが、もう少し推敲されたほうがよいと思います。
最初からこう書けばいいじゃないか。
不完全な訳であっても、訳をし、それをさらにネット上のHPで公開するにはある程度の時間と労力がいるし、
そこまでするからにはある程度真剣な気持ちでKを読んでいるのだろうから、
有料で販売されているわけでもないのに、ああいうレスの付け方はちょっと思いやりがなさ過ぎるんじゃないか?
とりあえずそのサイトの管理人さんは、このスレの1のようだし、まだこのスレを見ているようなら、
サイトに載せたKの言葉の出典(原文)がなんであるのか、是非公開して欲しいと思う。
>最初からこう書けばいいじゃないか。
>不完全な訳であっても、訳をし、それをさらにネット上のHPで
>公開するにはある程度の時間と労力がいるし、
>そこまでするからにはある程度真剣な気持ちでKを読んでいるのだろうから、
>有料で販売されているわけでもないのに、ああいうレスの付け方は
>ちょっと思いやりがなさ過ぎるんじゃないか?
そうだな、そうかもしれん。ふつう一般の常識というものならな、
相手はか細い人間かもしれん。
だけど、ここでいちいちそういうことを気を遣って喋らんといけないのか?
kの実践というのは、「気づかいしないと喋れない」ような
人間にはどだい無理だとおもうよ。本人がどういう気持ちを持ったか
しらんが、俺は自分の気持ちをそのままいっているんだから、その
まんま聴いてくれたらなと思う。
何の予断、思い込みなしに「そのまんま聴く」それも気づきだろ。
そういうことを実践しているんじゃないのか?
いろんな憶測をして、勘違いしているのは、君の方じゃないのか?
>kの実践というのは、「気づかいしないと喋れない」ような
Kはむしろ非常に相手を気づかって喋っている事の方が多いのでは?
言葉の内容は厳しくても、言葉使い、態度、相手の心を傷つけないような心の優しさを随所に感じる。
あなたがそれを感じないのであれば、非常に残念だ。
付け加える。あの文がおかしいといっただけだよ。
前回も参照していてくれたとおもうが、そのとき
ランダムによんだけど、kのパワーはちゃんと伝わってきた。
そんときは文章がおかしいなんて思わんかったよ。
フェルデンクライスのところなんかも参考になったよ。
全体的には99点だから、気をおとすなよ。
おれもめちゃ気をつかわんとあかんなー。
>663
>kの実践というのは、「気づかいしないと喋れない」ような
>Kはむしろ非常に相手を気づかって喋っている事の方が多いのでは?
あたりまえじゃ、Kが丁寧に喋るときは、質問にきた人(悩める子羊)
に喋るからだろ。
おれなら、kよりもっと親切に喋る。
何だったら、もっと親切に喋ってやろうか?
>言葉の内容は厳しくても、言葉使い、態度、相手の心を傷つけないような
>心の優しさを随所に感じる。
>あなたがそれを感じないのであれば、非常に残念だ。
おれは心の優しさを感じさせられなくて悪かったなー。
わたしも非常に残念で遺憾に思います。
おまえ、そんなのきにすんな、いちいち、めんどくせーやろうだな。
そだちが良すぎるんじゃないのか?
>kの実践というのは、「気づかいしないと喋れない」ような
人間にはどだい無理だとおもうよ。
あははは、あっぱれ、660、その通り、お釜に何ができる。
>663
>kの実践というのは、「気づかいしないと喋れない」ような
>Kはむしろ非常に相手を気づかって喋っている事の方が多いのでは?
>言葉の内容は厳しくても、言葉使い、態度、相手の心を傷つけないような心の優しさを随所に感じる。
>あなたがそれを感じないのであれば、非常に残念だ。
いいか良く聴け。お前はそういうロジックをすてろ。
おまえみたいな育ちのいいやつを見ていると、
Kのいうことが、ほんとよく分かる。
おまえはそういうロジックをもっていることが不幸だとは
わからんだろ。礼儀だとか言葉遣いだとか、態度だとか、
いちいち気にして、自由な精神が身動きできんのだ。
もっと素朴になれ。
すてろ、すてろ、下らん観念を。
そうすると、俺みたいに自由になれる。
一寸言い過ぎたか?
言い過ぎたんなら、謝っとく。すまんません。
>666
>あははは、あっぱれ、660、その通り、お釜に何ができる。
ありがと、でもあなた言い過ぎ。
>言い過ぎたんなら、謝っとく。すまんません。
どもっとるやないか?ちゃんと謝れ。
>そうすると、俺みたいに自由になれる。
ほんとロジックを理解してないな。
Kの訳書を読む上で、「自由になる」と「自由である」は全く違う。
Kは「自由である」事を肯定するが、「自由になる」ことについては何度も否定している。
ロジックを捨てるのは簡単な事だ。だが敢えて捨てたりはしない。
Kは安易な道をすすめるものには用心せよ、と語っていた。
また、あなたは、言葉という思考によるものにさえ、
Kが真摯な態度で臨んでいた事に気づいていないのだろうか?
別にKの言葉に縛られたりする必要性は感じないが、有効であると感じる言葉は取り入れて行く事にするよ。
>u
これまでのあなたの発言には、いくつかの点で共感できる。
しかし、あなたが時折見せる、あらゆる物事に対しての粗雑な態度には賛成できない。
気づきの全過程が思考に秩序をもたらします。そして、そこから離れる事です。___K
あなた方にはもう少し思考の上での秩序というものについて考えてみる事をお勧めするよ。
>671
>ほんとロジックを理解してないな。
>Kの訳書を読む上で、「自由になる」と「自由である」は全く違う。
>Kは「自由である」事を肯定するが、「自由になる」ことについては何度も否定している。
お前は自由か?
言葉の上で自由を理解してもしょうがない。
理解せんでもいいから、自由なほうがいい。
>ロジックを捨てるのは簡単な事だ。だが敢えて捨てたりはしない。
>Kは安易な道をすすめるものには用心せよ、と語っていた。
>別にKの言葉に縛られたりする必要性は感じないが、
>有効であると感じる言葉は取り入れて行く事にするよ。
「いいとこどり」って都合のいいやつだな。
おれは信じたやつには身体をあづける。
慎重にはならんことにしている。
せいぜい用心して、慎重にやったらいい。それも、やり方だ。
>671
>u
>これまでのあなたの発言には、いくつかの点で共感できる。
>しかし、あなたが時折見せる、あらゆる物事に対しての粗雑な態度には賛成できない。
>気づきの全過程が思考に秩序をもたらします。そして、そこから離れる事です。___K
>あなた方にはもう少し思考の上での秩序というものについて考えてみる事をお勧めするよ。
おれも賛成だ。おまえも、まともなことをいえるんだな。
Uは育ちが悪すぎる。
俺は馬小屋で生まれたが、Uは豚小屋でうまれたか?
>せいぜい用心して、慎重にやったらいい。それも、やり方だ。
300年したら悟れるぜ。
>ロジックを捨てるのは簡単な事だ。だが敢えて捨てたりはしない。
>Kは安易な道をすすめるものには用心せよ、と語っていた。
おまえら、育ちのいい金持ちが、慎重になって、
かねを遣わんから、浮浪者が公園にあふれる。
なんだカンダ、ごたくを述べても、そういうことなんだ。
自分だけ、特等席に座ろうとしている。
都合のいいとこだけ、k、k、kと言ってるが、kの
いってるのはそういうことじゃないだろ。
いいとこどりなんだよ。自分の本性が見えるか?
>Uは育ちが悪すぎる。
ふーむ、見破られたか、おかあさーん。
お願いだから、お前のかあちゃんでべそ、
とだけは言わないでね。
677 :
考える名無しさん:03/01/30 12:42
U=シャルマ君だったのか。
何でHN変えたんだ?
;;、... `、 .; . `.、
.;; :::...''"""''''': ;
.".. .;
..,,:':: .;
.: ;
..:;: ..:::::;;
.::′ .::::::::,; うぅ…
.::′ ,:'⌒:、 .,___., .:::::,;
:.:`.,,:' ;; ) ..::::::::,,:'
.,:' ;;ー ι .:::::::::::: ヽ
; .::..;゙`゛` ..::::::ヽ
o ...,;′ ...:.:.::;;
679 :
考える名無しさん:03/01/31 00:24
>>651 遅スレですが
確かに
>>641でいった
>>Kを実践するとは何か?
・・・
>>したがってKの実践とはKの理解することに他ならない
といってしまうと論理の飛躍というより
言葉上論理的にはおかしい表現かもしれません
冗長になりますが追加説明を加えます。
普通は情報としての認知→理解→共感→実践・・・→ある状態へ同化、または達成等
というなんらかのプロセスがあってこそ意義(significance)あるもの
だと言えるでしょう。
技術的な知識ならば理解して実際にある作業に利用しなければ価値を生みません。
また普通の意味の知識はPlan, Do, Seeのプロセスにより発展していくものです。
しかしKの理解とはこれらとは全く異なるものです。
そこで
Kの理解とはなにかということについて考えたいと思います。
Kの書いた本の内容にふれたとします。
ここで人によって受け取り方は大きく異なってくるはずです。
Kは否定的なとらえ方をしますが、その人の経験や環境、感受性により
文章は当然のごとく全く違った意味を持って語りかけてきます。
また訳者のフィルターが自分の感性と相性が良いかどうかも大きな影響があるでしょう。
Kについて書いた文章をすべて暗記したとしても、それは言葉を覚えただけなのか
それとも私の思うところの理解へ至るものがあったのかそれはその人でしかわかりません。
私はKの本を繰り返し読む、覚えるという量的・時間的な蓄積や反復は全く重要性はないもの
と考えています。(般若心経を覚え、日常的に繰り返す行為を考えてください)
他人の、しかもすでに存在していない他人の考えは言語を通じてしる以外方法はありません。
しかしKの理解に至るためには言葉は捨て去る必要があります。
Kの理解の上で当然の行為に思っていますが、全体をうまく説明することは私にはできません
だから象徴的に例を挙げます。
夜寝ていて意識が覚醒していないときに見た夢に、激しい感動を体全体で感じたとします。
朝起きて何があったのか全く覚えていないけれども、体はその感覚だけ伝えている。
それも日常の目先の忙しさにやがて薄れていく、しかし時折ふとしたとき涙が出てなにか
自分ではわからない感情がわき上がってくる。
忘れ去った後に体にだけその感覚が残っている夢のような
Kの言葉を知った後では、Kの言葉はすべて忘れることが重要であると思います。
自分の全人格、全存在で受け止めたことは言葉として記憶しないでいることが
重要であると思います。
私はKの言葉の断片に触れただけでこのように感じました。
682 :
考える名無しさん:03/01/31 00:50
>>681 言葉として記憶するかしないかは問題ではない。
重要なのはKの言葉を読んで励起された新たな認識の仕方を忘れないこと。
その認識自体の消息がわからない者には、Kの言葉は猫に小判。
言葉の非重要性は強調すべきことですが
Kの理解には言葉をよく理解することが最初であることも事実です。
実に素直で意味深く、感動的であるのですが表面的な意味で考えるとどこが?
って思えるようなことばかりでもあります。
Kの言葉で日本人に文化的に理解しやすいと思う言葉がありますので一つ書きます。
extraordinaryという言葉で、Kはさまざまな場面でよく使っています。
(特別な、すばらしい、とか驚くべき)と訳されている場合があるのではないかと推察しますが、
実は日本人にぴったりの訳ができます。(と思いました)
「有難い」
という言葉です。「有難き」つまり普通ではないことを意味していますが、われわれは
現在では「ありがとう」と感謝の意味に使っています。なぜそうなったのかが重要です。
だから気にならない人にはこう訳したとしてもなんら感動は生まれない。
私は始めてこの言葉接したときさまざまなイメージが瞬間にわいてきました。たとえば
目に障害があってこのままでは死にいたる病気なので手術して直さなければ
ならない。しかし手術すればいまでもあまり見えない視力は完全に失われる。
絶望的な気分のその手術の朝、朝焼けを偶然見たとき、
なぜか今までとは全く違う朝焼けに見えました。
自分はいままでなんてすばらしい体験をしてきたのだろう。
このように特別な朝焼けを視力がなくなる前に一度でも見れて本当に自分は
幸せだと思ったときの朝焼けがKのいうextraordinaryと感じる朝焼け
684 :
考える名無しさん:03/01/31 01:29
>>683 extraordinary と「有り難い」はニュアンスが違う。
それにextraordinary という言葉を深読みしすぎ。
>>683 それはちがう。
>目に障害があってこのままでは死にいたる病気なので手術して直さなければ
>ならない。しかし手術すればいまでもあまり見えない視力は完全に失われる。
>絶望的な気分のその手術の朝、朝焼けを偶然見たとき、
>なぜか今までとは全く違う朝焼けに見えました。
このような条件付け、バックボーンなしにあなたは夕焼けを見なければならない。
もちろん違うかもしれないが、すべてを捨て去ったとき、
自分の存在と機能自体がまさに奇跡のように思え、そこに
なにものにもよらない絶対的な感謝の心がわいてくるとき
初めて条件付けなしに自分自身がそれを見たといえる
とKはいっているように思えます。
Kは単に自分自身でみろといっているだけですが
>>684 「ありがとう」は昔の
「有難き」が「有難い」に変わってありがとうへ変化したと
読んだことがあります。
extraordinaryは普通とは違う特別のものという意味であり、
Kは感謝のニュアンスを暗にこめて使っていると文脈上解釈しているので
もっとも妥当で日本人の心情にあうものだと思ったのです。
>>682 Kの理解にあたって
>言葉として記憶するかしないかは問題ではない。
というのは少し同意できません。
言葉は知識として蓄えられ、Kのいう死んだ心、過去に依存する心の肥やしとなる
からです。Kがすべての経文、真言を否定していることにつながる
のではないかと思います。
>>688 不要なのは、言葉への同一化であって、言葉そのものではない。
Kの言葉に同一化し、条件付けされてしまうのであればそれは不要だが、
同一化せず、ただ単に記憶しているだけなら何ら問題はない。
というか、忘れようと人為的に試みるのなら、それは全く馬鹿げている。
690 :
考える名無しさん:03/01/31 04:23
正法眼蔵の現代語訳で一番イイの教えてくらさい
>690
自分の感性で選ぶのがもっともよいと思います。
ただ、正法眼蔵をなぜ読みたいのか、詳しく教えていただければ
適当な本を紹介できると思います。またあなた自身の背景、今まで
どういう本を読んできて、どう感じているとか、どういったことに
感心があるとか、そういうことをおしえてください。
extraordinaryの訳は「とてつもない」だと思ってきたが、
それではいかんのか?
>690 正法眼蔵の現代語訳で一番イイの教えてくらさい
どういう問題意識で読もうとするのかによる。
晒してみなされ。
>691 とダブったね。
つまりはそう言うことだ。
一番可能性のある正解は、
「君は正法眼蔵など、読む必要は無い」かもしれない。
> 593
> クリシュナムルティ読んでいて、自我の底が抜けて大歓喜、
> その状態が1週間続いたという人を知っている。
> 結局もとに戻っちゃったらしいが。
もう少し、詳しいことおしえてヨ!
>>694 他人の経験に興味を持つより、自分の心配をした方がいい。
696 :
考える名無しさん:03/02/02 15:08
大体言葉なしに認識するなんてのは
697 :
考える名無しさん:03/02/02 15:38
>>696 伝達のために言葉は必要ですが、自己をしるためには不要であり、
逆に知識や経験、社会規範、伝統等に条件付けられた自己を作りあげるために有害となると
いう事ではないでしょうか。
698 :
考える名無しさん:03/02/03 11:28
>大体言葉なしに認識するなんてのは
ふしぎだよね。でも言葉は、分けるのがしごと。猿と猿じゃないものを
分けるのが猿という言葉。で実際の猿は、言葉で認識してないんでは。
699 :
考える名無しさん:03/02/04 22:41
瞑想をするようになって集中力がついてきました。しかし、仕事など
瞑想以外に集中できません。仕事より2chが面白いので、2ch
してしまいます。どうしたら集中できるでしょう。仕事をしないと
干上がってしまいます。
瞑想をやめて仕事に集中すればいいじゃん。
ていうかこのスレなんですか?新興宗教?怖い。
あなたは2ch中毒ではないですか?
おそらく、サラリーマンで時間拘束されているから
そんなことがいえるのです。
私は、時間拘束がありません。一日中2chしてます。
もう1ッ月くらい。しごと何にもしてません。ほんとやばいのです。
瞑想を実践する人は、こういう現実的、切実な問題に解答できますか?
瞑想は瞑想以外の世界には通用しない。狭い狭い、ものなのでしょうか?
703 :
考える名無しさん:03/02/04 23:25
>>702 K風にいうと自己を見つめることは他者(人だけではなく)との関係において可能である。
他人の方法論など全く気にする必要はないが、自己を見つめるのは
決して自分ひとりだけの世界で完結することではないと思います。
私としては特に人間以外の生物の営みを知る、もしくは感じることが
非常に重要な意味を持つように感じます。
>>701 まだ余裕があるんだよ。落ちるところまで落ちてない。
本当に切羽詰ったら、人は自分で何とかしないではいられないよ。
「堕ちよ!生きよ!」と言いたい。
何とかできないまま死んじゃう事もあるけどな。
>703
>K風にいうと自己を見つめることは他者(人だけではなく)との関係において可能である。
>他人の方法論など全く気にする必要はないが、自己を見つめるのは
>決して自分ひとりだけの世界で完結することではないと思います。
?
>私としては特に人間以外の生物の営みを知る、もしくは感じることが
>非常に重要な意味を持つように感じます。
? たとえばどうするの?
>>704
>「堕ちよ!生きよ!」と言いたい。
もう余裕がない。おちてる。この1ヶ月失敗したら公園でびゅうだよ。
>705
>何とかできないまま死んじゃう事もあるけどな。
あさしごとに取り掛かるでしょ。10分だけ、2chしてやめよう
と思うでしょ。ところが気が付いたら12時。
食事にいくでしょ。
よし仕事しようとおもう。だけど、ちょっとだけ2chしよ
っておもう。
気が付いたら晩御飯のじかんって状態。
708 :
考える名無しさん:03/02/06 00:27
kって人は何故神智学徒よりなる団体を解散した時に、公園デビューしなかったのか?
何故ひきこもらなかったのか?世界の何に変革する野心をもっていたのか?
神は人間がこれまで作ったイメージの中、最も権威ある最も尊大で強力な支配的イメージであり、それに尾ひれ足ひれついて
罰をくれたり、褒美をくれたり。自我の終焉にあるのはつまるところ、褒美も罰もない神ただそれだけ。
>>708 メアリー・ルティエンスの書いたKの伝記本読んでみろ。
めるくまーる社から出てるから。
お前の詰まらん質問の答えくらいそこに全部ある。
710 :
考える名無しさん:03/02/06 14:00
>709
お前要約しろ。
711 :
考える名無しさん:03/02/06 17:08
>709
お前引きこもりだろ。
712 :
考える名無しさん:03/02/06 17:16
>709
読んだから言ってんだ。働け。学校行け。生身の他人と直接踏み込んで接しろ。
K狂信者、Kが草葉の陰で泣いてるぞ。
平日の昼間にぎゃあぎゃあ喚いてんじゃねーよ。
引き蘢りはお前だろ。
俺は学校もちゃんと行ってたし、仕事もしてる。お前と一緒にするな。
伝記本読んだのに、
>>708の答えがわからないなら、
お前には読解力がない事の証明だ。
説明するだけ無駄。
>713
おれは読んでない。できたら要約して、おしえてくれ。
だいたい708がなにを言いたいのかよく分からん。
なぜお前にわかるのか、不思議だ。これは読解力の
問題ではないだろう。無駄にはならんし、無駄にはせん。
>なぜお前にわかるのか、不思議だ。
それは単に自分をいいあてられて図星だったので感情的なっているのと
>答えがわからないなら、お前に読解力がない
自らの信奉するものについて批判されたと過剰に反応している。これはKの指摘
した宗教の弊害の一つ、又読解力についてはK言うところのオリジナルが故、
人それぞれあって当然、世界に一人の記憶が言わせるのでそれこそがKの言わん
としたオシエではなかったのか、懐疑、只ひたすら権威をあがめそれに従う
ことなく全てに懐疑せよとはKの言葉だ。Kとて例外ではない。キョウシン者君、ドツボそのものだよ。
>712
おまえ、そういうヘッタクレを言わんと、708との関係で
「メアリー・ルティエンスの書いたKの伝記」の要約を
してみてくれ。
っていうのが710の希望じゃないか?
真っ直ぐこたえろよ。
717 :
考える名無しさん:03/02/06 19:58
クリシュナムルテイを読んでも馬鹿が直らない香具師が集うスレでつか?
苦しゅむな無理でい
>>716=712
ドツボはお前だ。
何だその下手糞な文章は。
読解力だけじゃなくて文章力もないんだな。可哀想に。
>ことなく全てに懐疑せよとはKの言葉だ。Kとて例外ではない。キョウシン者君、ドツボそのものだよ。
はいはい、Kの言葉ですか。
ちゃんとKの言葉通りに生きて下さいね。
君が一番のキョウシン者ってのがバレバレだよ。
俺は多分719が誰かわかる。
俺は多分720が誰かわかる。
俺は710だ。誰が誰だかさっぱりわからん。
誰かもっとちゃんとしたテーマをだせよ。盛り上がろうぜ。
723 :
考える名無しさん:03/02/07 05:18
せんずりのせんずりのためにするせんずりのためのせんずり。
自分の勃起したナニ見て欲情するようなもんだ。
724 :
考える名無しさん:03/02/07 22:00
ずりネタ以外のなにものでもない。
725 :
すしでもくいいっか:03/02/08 17:31
あげときますが
基本的にsage進行でね。
kに話が限定されてるようで。。。
vipa関連 パオセヤドー 来日中
実践している身からすると
やはりサマタ<統一><排除>の力も技術として
必要かとおもうこのごろ。 以上
726 :
考える名無しさん:03/02/08 20:17
>パオセヤドー 来日中
2/11の日本人のための法話に参加できますか?
727 :
考える名無しさん:03/02/08 21:20
会場と時間、詳細について教えて戴けませんか?
かなり西からですが イコウかなとは思っています。
730 :
すしでもくいいっか:03/02/09 00:53
sage進行ですがあげときます。
ちなみに瞑想中心のスケジュールだそうです。
特に制限はないようですが、アナパナ サティくらいは知識として
あったほうがいいかも。以上です。
731 :
考える名無しさん:03/02/09 07:09
>すしでもいくっかさん
お答え戴き有難うございました
733 :
考える名無しさん:03/02/15 02:01
グルジェフ
『 人間は複数の存在である。
自己について話すとき、普通、「私」という。
「私はこうした」、「私はこう考える」、「私はこうしたい」という。
だが、これは間違っている。
こんな「私」などありはしない。
いや、むしろ、われわれ一人一人の中に、無数の小さな「私」がいる、と言うべきであろう。
われわれは分裂しているのだが、自分が複数であるということは、
自己を観察し、研究しなければ認識できない。
ある瞬間にはある「私」が出演し、次の瞬間には別の「私」である。
人間が調和しないのは、われわれの中の「無数の私」が互いに矛盾しているからである。』
agattotta
自分を観察し続けること。
なかなか難しいですね。
意識を保ち続けることが出来ない。
これって習慣化することができるものですか?
>>735 できるよ。
というか、気づきが既に日常的な状態でなければ、自己認識は見出せない。
737 :
考え疲れた名無しさん :03/02/17 00:18
》722
)誰かもっとちゃんとしたテーマをだせよ。盛り上がろうぜ。
禅の目的とは大悟を得ること。
大悟を得るとは本当の意味での無を感得すること。
本当の無を感得するとは全ての事象と一体となること。
全ての事象と一体となるとは全ての事象そのものになりきること。
全ての事象そのものになりきるとは全ての事象をありのままに観想すること。
...で、結局全ての事象をありのままに観想するために座禅をしてるんだと
思うんですがどうですか?
最近禅にはまってるんですが、本を読みかじっただけで専門的なことを何も知らないのでどうかご指導ご鞭撻を。
禅スレが過去ログへ行ってしまいここしか書き込むところがないのでお願いしますm(_)m
>>737 クリシュナムルティを読んでみて下さい。
ここはただの禅スレではありません。
お勧めは「生と覚醒のコメンタリー」全4巻です。(春秋社)
739 :
考える名無しさん:03/02/17 12:59
740 :
考え疲れた名無しさん:03/02/17 21:34
》738
スレ違いな質問に丁寧なレスありがとうございます。
早速読んでみます。
741 :
考える名無しさん:03/02/17 23:23
自分の意識を観察するよい機会の一つは不快感を感じるときであると思う。
なぜ不快に思うのかについて原因がはっきりとしないときが一番よいが
実際にはなんでもよい。
たとえばうんこを踏んで不快だと思うとき、なぜ不快なのかうんこを踏んだ
という事実以外になにを不快と自分に感じさせているのかを追求することで
自分の心理が見えてくる。
742 :
考える名無しさん:03/02/18 01:40
呼び、止まる
華やぐ樹木
足取りに
743 :
考える名無しさん:03/02/18 01:48
ベゲザンビーク
744 :
考える名無しさん:03/02/18 01:50
ばかどもしんでしまえ!
745 :
考える名無しさん:03/02/18 02:17
自己認識の「認識」を形而上学的に求めても、
結局このスレの皆さんの嫌いな思考をしている
だけです。
クリシュナの言う叡智は、一般に直観の事で、
これは日常起こっています。ただこれが形而上学的
な事と見なされているだけです。しかし直観は体験です。
>>745 クリシュナってだれ?
ラーマ・クリシュナ? クリシュナムルティ?
クリシュナムルティの言う自己認識は形而上ではないし、思考でもないよ。
直観=叡智と捉えるのは安易過ぎる。
機械的な判断に過ぎないものを直観だと思い込んでる人をよく見かけるよ。
叡智が日常的に起こっているのなら、我々の社会ももう少しマシなものになってるだろ?
瞑想的な境地に立って生きるってのは、今の忙しい社会じゃ難しい
よね?
やはり禅寺みたいなところで、静かに過ごさないとクリシュナムルティ
が言うような境地には達し得ないんじゃないか。
>>747 グルジェフやクリシュナムルティの教えは、
この喧しく忙しい現代社会の中でこそ実践しなければならない。
禅寺、山の中、それらは逃避の一形態に過ぎない。
日本に伝統が根付いてないものは、どうも信用できない。>748
グルジエフ然り。
>>749 信仰と不信仰の狭間に真実はある。___K
あなたのお好きなようにどうぞ。
751 :
考える名無しさん:03/02/26 23:28
突然で、すみません 今日初めてよみました。
このレスに出会えたことに感謝します。
自分の偽善、八方美人ぶり、自己顕示欲、
自己嫌悪に苛まれていました。
あ
753 :
新世代演歌:03/02/27 04:45
風の止んだ♪月明かりの夜、ベーランダーで、5本の蝋燭をかざして
みたの。何か物足りなくて、私の命を2本の蝋燭に託してみたのぉー♪
すっとたちあがれば、パンツの紐がゆるんでたのかしら。
すっとずり落ちたぁーーー♪
そうよ私はトルコ色の女。うすらぎもしなぃー固まった石のように。
そうよ私はトルコ石の女ぁーー♪透けもしない輝きの女ぁーー。
never,never,never land
アイスも掬って可愛くたべれなぁーーーい♪
ジャァーーン(ギター)
age
(^^)
agege
758 :
考える名無しさん:03/03/23 22:55
結跏趺坐が出来ません!
基本的に、股割の柔軟体操をするのがいいのかな???
足が短いだけ
760 :
考える名無しさん:03/03/24 00:13
K虫について
(K虫は害虫です。自分が正しいと信じ切っているのでとても暴力的です。
見つけたら、よく読んで退治しましょう)
特徴
1.クリシュナムルティの言葉をコピペする。(結局引用しかできない)
2.自分は何も信じていないと想像する。(Kの言葉は信じる)
3.Kを読んでいる自分>愚かなものを信じている他人 という狭い了見。
4.煽られると反応する(実は感情的。Kを盾にしているだけ)
5.好きな言葉は「真理は道なき大地」 (自分は一歩も踏み出さないが)
退治方法
K虫がKの言葉を持ちだしたら
「Kの言葉を引用するのってクリシュナジが見たら怒るんじゃないのか!」と切り返す。
決めの言葉:「結局Kが心の支えなんだろ?じゃあK信者だ。 w)」
みなさん気を付けましょう。この文章はコピペして、
お友達にも知らせてあげてね。
春だなあ。。
>>746 書き込んだところを見失っていました。
では、思考は経験に基づいていると言うのがクリシュナムルティの
説ですが、ではそもそもその経験は何によるのでしょうか?確かに
経験は過去の物で、本質的には何の価値もないのですが、その
過去の物はいつ経験となったのでしょうか?そしてそれは結果は
悪いながら、日常的にも行われている事なのではないでしょうか?
>>762 思考が経験に基づいているというより、思考は過去の集積だと言っていたんじゃないかな。
>確かに経験は過去の物で、本質的には何の価値もないのですが、
>その過去の物はいつ経験となったのでしょうか?
>そしてそれは結果は悪いながら、日常的にも行われている事なのではないでしょうか?
過去の物=経験では?
もちろん日常的に起こっていることだよ。
Kが言っているのは未知の物を探し求めるのではなく、既知のもの、
その全体に気づきなさいということじゃないかな。
今日感じた事。
私が全体の一部分である様に物事を見る事。
思考に陥ると物を見ていない。一瞬一瞬は
思考を介さない。一瞬一瞬を見る事。
しかし私が思考の中に埋没すれば、中心が生まれる。
欲望が、そちらから私を捉えようとするのを感じる。
766 :
考える名無しさん:03/04/13 01:03
745さん、頑張っているなぁ。
>しかし私が思考の中に埋没すれば、中心が生まれる。
中心が生まれるのか。芯ができるから、難しくなるのかな?
>>767 どうもです。
その中心は、自己中心的の中心の事として言いました。
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
772 :
考える名無しさん:03/04/23 22:59
773 :
考える名無しさん:03/04/23 23:21
どうして哲板では、クリシュナムルティ人気が高くて、ラジニーシ(和尚)は
無視なの?
774 :
考える名無しさん:03/04/24 20:57
ここにもラジ虫か
775 :
考える名無しさん:03/04/24 21:51
ラジはKに対抗意識があったらしいからな。
昔ラジがボンベイでグルを始めだした頃、
Kに呼び出されこっぴどく言われたらしく、
それからと言うものKについてラジは口が悪い。
おもしろいことにこの出来事はラジ側とK側で主張が食い違っている。
どちらかがウソをついてるわけだ。
生と覚醒のコメンタリーに元ラジ信者との対談もあり、
その中でグルというものをKは完全に否定している。
アメリカでの騒ぎやコミューンなど、オウムがラジというグルに
アイディアを得ていたようだしな。ホーリーネーム=サニヤスネーム
新たな名前が与えられるなど共通点もある。
アンチカルト本では必ず大物扱いだし。
ラジ信者にはそれがコンプレックスになっているようだな。
いずれにしろKで満足できないのヤシがRに逝ってるのは
確かなようだ。
傍目にはKが理解できないのでKを否定してRにしがみつくという
DQNにしか思えんのだが。ラジ信者は。
ラジスレ覗いてみれば程度が知れる。単なる宗教の信者だね。
考えることを嫌う連中のようだな。これがRに逝った者の結末だわな。
つくづくKを読んでてよかったと、ラジスレを見て安心するよ。
>>773〜775
そりはさ、
「その境地」に達した時、
感じたことをそのまんま表現するか(R)
理論的に表現するか(K)の違いだってばさ。
K信者もR信者もおんなじな訳よ。
「どっちにしても、その境地に達していなければ、言葉を誤解する」ってこと。
自分のエゴを肥やさないようにね♪
777 :
考える名無しさん:03/04/27 20:40
>K信者もR信者もおんなじな訳よ。
Rには信者がいるがKにはいない。ここでいう信者とはそういう仕組みが
あるかどうかだが。Rには弟子がいたがKにはいない。
Rは弟子とマスターという関係を使ったが、Kは使っていない。話し手に留まっている。
ということで違いはある。
>「どっちにしても、その境地に達していなければ、言葉を誤解する」ってこと。
その境地に達していれば、言葉はいらん。
そして達成すべき境地なるものもない。Rは「達成」をツールとして使ったが
そう巧いこと弟子たちに効かなかった。遺恨と依存の関係が残っただけだ。
Kは一切のツールは使わなかった。だから聞く側は大変だ。
これはメソッドの違いではなく、境地の違いだ。山の高さで比較するなら、
K>Rである。
>自分のエゴを肥やさないようにね♪
おまえのようにならないようにしないとな。
けむしさんなんだね。
>けむしさんなんだね。
こんちはラジムーシ君。蜜を集めにいくのかい?
あそこのオサムシの死骸は早く持っていった方がいいよ。
780 :
考える名無しさん:03/04/28 02:19
ラジはタントラをはき違えて性欲で落ちてることは確か。
廃刊に一票
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
どなたか、各ヴィパッサナーを簡単にご説明して頂けないでしょうか?
1-784までざっと見たのですが、Kをめぐる比較と解釈の論争中心で
ヴィパッサナーにはほとんど触れられてませんので。
禅
蝉
788 :
考える名無しさん:03/06/21 20:00
789 :
間違えた、ごめん:03/06/21 20:01
792 :
考える名無しさん:03/06/23 16:40
age
793 :
考える名無しさん:03/06/25 14:08
あ
794 :
考える名無しさん:03/06/27 11:42
>>775 >昔ラジがボンベイでグルを始めだした頃、
>Kに呼び出されこっぴどく言われたらしく
ソースは?
796 :
考える名無しさん:03/06/30 21:08
797 :
ヴィパッサナーやってる人の友達:03/06/30 22:13
私の友達にヴィパッサナー瞑想にはまってる友達がいて
その人からその瞑想のセミナーに参加するように誘われている
京都の山奥に施設があって費用は無料らしい
10日間のコースなんだけどその間はひたすら瞑想するらしい
おもしろそうだな。
妙な新興宗教じゃなきゃいいけど。
10日間拘束されるわけではない、途中で辞めてもいいみたい
参加してる人は海外を放浪してたバックパッカーとか
リストラされた無職の人とか
怪しい宗教ではないらしい
>>797 なんかで見たことあります。
クリシュムナルティの読書会、ビデオ上映会などとは趣旨が全く違うようですが
どんな感じでしょう?
費用やリーダーの教えの態度などが不自然でなければ、機会があれば
参加してみたいとも思います。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄