「哲学が常に面するのはこの世界と人間である。
世界と人間はあからさまに、そのすべてをさらけだしてそこに在るので
ある。だがそのあからさまにそこに投げ出されてあるものをどう眺める
か、どうみてとるか、そしてそれをどう言葉に定着するか、それが哲学
の作業である。
哲学は科学のように新事実を発見したり、新理論を発想しはしない。
哲学に新事実というものがあるとすれば、それはかくし絵の中のかくさ
れた姿をみてとること以外ではない。そのかくされた姿とはすでにそこ
にあからさまに在り、すでに見られていたものである。
すでに見られていたものを「みてとる」こと、それが哲学なのである。」
パート2です。
これからもよろしくお願いします。
前スレ
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1029518363/
2 :
考える名無しさん :02/10/22 23:32
* * * * * * Λ_Λ * * ( ´D` ) * * パパ、ママ ブタナイデ* *チャントイウコトキクカラ* * * * * *
1は『言語・知覚・世界』の序文からの引用です。 ありふれた日常から哲学を始める大森さんにふさわしい言葉です。 哲学の問いが存在するのは、アカデミックな研究室や、過去の著名な哲学書において とは限りません。それは、われわれが生活しているまさに”今ここに”隠されている のだ、という大森さんの信念が表明されています。 哲学の問いは、われわれが生きるこの日常に入った亀裂であり、それはすぐ目の前に 在るーしかし気づかないーのです。この亀裂をしっかりと凝視し、そこにおそるおそ るながら飛び込んでみること、その中で世界と自分の関係をあらためて再考してみる こと、これが哲学だというのでしょう。 この言葉が単なる飾りでないことは、彼の著作をわずかでも紐解いた人は誰しも実感 できるでしょう。 この日常に足をつけて思索しようとする彼の姿勢は、難解な哲学用語をほとんど使わ ない彼の文学的で美しい文章に現れています。 独断で言わせてもらえば、大森哲学のキーワードは”日常”です。 そして哲学をするのは誰かといえば、この日常で生きる私たち全員なのです。 同じ序文には”哲学すること”を演奏になぞらえ、次のように述べています。
「だからこそ、哲学は専門ではありえない。 物理学や経済学が専門であるようには哲学は専門ではなく、哲学に素人 と専門家との区別はない。誰であろうと生きているかぎり、世界と人間 をあるみ方で「みてとって」いるからである。 そこでは一人の演奏の終ったところから次の人が引き継いで演奏を続け るということはできない。誰でもみずから始めから演奏を始めなければ ならない、それがいかにつたないものであるとしてもである。 そしてまた、音楽の演奏がそうであるように、繰り返し巻き返し演奏を やり直さねばならないのである。そこには終了といったものもなく完結 というものもない。つねに未完であり、絶えざるやり直しがあるだけで ある。 哲学とは本来、途上のものであり、終りのない過程なのである。」 僕は、初心者の人でも(僕のように)いきなり大森さんの著書から入っても良いので はないかと思っています。彼の著作を読むうちに他の哲学者や哲学説、哲学史にも関 心が湧いてきます。その時に初めてそれを調べてみればいいわけです。大森哲学を研 究するというより、広大な哲学の森に足を踏み入れるその入り口に彼の思索を選び、 さらには、彼の姿勢を通して自分の足で歩く−自分で考える−ことを学ぶわけです。 ある程度入門書を読んで、かといって著名な哲学者の著作(の訳書)にあたるのはち ょっとしんどいという人は考えてみてはいかがでしょうか?
大森さんに興味を持ったけど、どの本から読んだらいいか迷っている人に、初心
者の視点から見たお薦めの本を挙げておきます。
選考基準は、哲学の基礎知識の少ない初学者でも理解しやすいこと。
本の入手しやすさ(値段の安さ等)も考慮しました。
1.『時は流れず』(青土社 1800円)
大森さんの最晩年の著作で「心身問題」「時間論」「他我論」という彼のテ
ーマを一冊の本でカバーしています。
文体はきわめて平易で、包括的に彼の思想を概観できます。
文章はありきたりな日常語ですが、思索の深さはあなたの常識をひっくり返
すほど刺激的です。
僕もこの本から大森哲学に入りました。
2.『知の構築とその呪縛』(ちくま学芸文庫 880円)
個人的にはこの本から読み始めることをお薦めします。
読了後、あなたの世界観に直接影響を与えるとすれば、この本ではないか
と思われます。大森さんのユニークな世界観全体を把握するにはもってこ
いですね。
現代の常識となっている人間の心と自然を分離させ、心以外の”もの”を死
物化させた二元論的世界観、その発生の根元まで遡り、そこからこの偽りの
世界観をつくり出したその過程を詳細に検討、批判し、それに代わる新たに
活き活きとした世界観を描き出しています。(前スレ
>>904 >>897-899 参)
とりあえず裏表紙の解説文(8行ほど)、その後、序文と第1章「概説的序
論」を読んでください。哲学に興味なくとも、現代の科学偏重の合理的な思
考法、対自然に代わる新たな世界観を求めている方は必読の書だと思います。
3.『新知覚新論』(東京大学出版会 5000円) ちょっと値段は高いのですが、思索の密度の濃さは大森さんの代表作と言っ ていいでしょう。始めは後半の第8章から読み始めましょう。特に第10章 はお薦めです。 5〜7章は物理学科出身の大森さんの真骨頂ともいえる精密な論理が展開さ れています。(非常に難しいですが) 他に、 『流れとよどみ』(産業図書 1800円)の15章以降の思索も日常語のオンパレー ドで圧巻です。 『哲学の迷路』(産業図書 3200円)は彼の弟子7人による討論集で入門書として 好著だそうです。(僕はまだ読んでません) それと彼の著作の序文は、必ず目を通しましょう。 大森さんが何にこだわっているのか(そこが大事)、簡潔にまとめてあります。 本屋に行き、適当な本を手にとって序文だけ流し読みしていくのもいい方法でしょう。 非常におおざっぱに主要著作を分ければ次のようになります。、 心身問題・・・・『言語・知覚・世界』『物と心』『新視覚新論』『流れとよどみ』『知の構築とその呪縛』 『時は流れず』 時間論 ・・・・『時間と自我』『時間と存在』『時は流れず』 他我、存在論・・『時間と自我』『時間と存在』『時は流れず』 対談集 ・・・・『哲学の饗宴』 大森さんの対談集は初めての人はお薦めできません。 一般的には対談集の方が理解しやすいのですが、彼の場合はなぜか対談集の方がは るかに難しいのです(笑)
大森さんの人となりを知るのによい著作は次の通りです。
中島義道『哲学者のいない国』(洋泉社)
P148「本物の哲学者の死」の章。
6ページほどですがお薦めです。
巻末に対談も載っています。
中島義道『哲学の教科書』(講談社)
P256〜262
「・・目を薄く開けた(大森)先生からデルポイの神託のように
「あなたは哲学病です」という診断が下ったわけです。」
大森先生イイ!
永井均『子供のための哲学』(講談社現代新書)
P112
「哲学の議論は、思想を持つ者どうしの通常の討論とは逆に、自分では気づか
ない自説の難点や弱点を相手に指摘してもらうことだけをめざしておこなわ
れる。僕の経験した範囲では、大森荘蔵さんと議論したとき、彼が完璧に哲
学的であると感じた。大森さんは現在の自説が有効に論駁されることにしか
興味を持っておられないようであった。」
対談集『哲学の饗宴』(理想社)
あとがき。
巻末に大森さんの対談リストも載っています。
僕はこれくらいしか知りませんが、他に知っている方はお知らせ下さい。
おまけ。大森荘蔵動画。(養老孟司さんとの対談風景)
http://www.tasc.or.jp/dan/backnum/no54/omoriandyoro.html
偉そうにいろいろ書いてしまいましたが、僕もようやく彼の著作全体に目を走ら せた程度で、実際にはよくわかっていません。 みなさんからのご指摘や議論の参加をお待ちしています。 全くの哲学初心者の方の参加、質問も大歓迎です。 それと、僕”も”節操がないので話題があちこち飛びますがそこはお許し下さい。 いつかは必ず大森さんに戻ってきます。 個人的な話ですが年末にかけて忙しくなりそうです。僕自身の進行は以前より遅 くなりますがマターリと続けていきたいと思ってます。 よろしくお願いします。
>別スレ
>>1 さん
親切に立てていただいてありがとうございました。
大森スレへの期待と感謝しています。
それと共に申し訳ありませんでした。
1に大森さんのこの言葉を載せたかったので、あえて新スレを立てました。
そのかわりスレタイ一部いただきです(笑)
>別スレ
>>9 熱心なスレ愛読者さん
>本人なら前書きとかもしっかり書くだろうしw、(用意してるはず)
(ドキッ)すみません。バリバリ気合い入れて用意してました。
ていうか、あなた僕のこと知っているのですか?
しかし、僕の用意された前書きを予言したのは天才的ですが、
僕の”能書き”までついてくるとは思わなかったでしょう(笑)
親切な御忠告ありがとうございました。
10 :
Kurihara :02/10/22 23:54
11 :
ぺん(ぺん) :02/10/23 01:59
>>初心者その1さん これからも、ガンバッて下さい。 応援してます。 それから、漏れが前スレで『時は流れず』について書いたことで 気を悪くなさったら、すみません。 漏れは基本的には、フーコーやサイードのようなタイプの思想家が好きなんで 大森哲学は、どうも、なんと言ったらいいか ともかく、漏れの好きなタイプじゃないかもなー といった感じだということなんです。 でも、初心者その1さんの人柄に惹かれて このスレに遊びに来ているんで まあ、こんな漏れですが、許容してやって下さい(汗 あ、そうそう、初心者その1さんはキートンの映画を引き合いに出してましたよね。 (キートンの「探偵学入門」は最高ですよね) 漏れは、実は哲学よりも文学や映画の方が好きな人種なんです。 で、実はついさっき、フェリーニの「甘い生活」をレンタルで観たんですが その主人公のマルチェロが、すごくいい人で且つ女好きなんですけど 初心者その1さんも、たぶんこんな感じの人なのかなーって ふと思ったわけです。 (「甘い生活」を初めて観た時は、どこがいいのか分からなかったですけど 漏れも人並みに何度か恋愛経験を経て、ようやく良さが分かってきました…笑) すっかりヨタ話になって、すみません。 ちなみに漏れも、なけなしの小遣いをはたいて 『理性・真理・歴史』を購入しました。 これからのスレの展開を楽しみにしてます。
12 :
考える名無しさん :02/10/23 03:19
>>3 を読んでてフーコーの「外の思考」をふと思いだしたのはおれだけか
13 :
考える名無しさん :02/10/23 05:53
Sinn≠ヘsense≠フ方がしっくりくるけどな。 Sinn=∞meaning≠ヘ英語では一般的なの? 稲よ、暇だったら教えてくれ。
14 :
考える名無しさん :02/10/23 05:59
ぺんぺんは思想向きだな。
>>13 ああそれ前に書き込もうとして書けなかったんだ.そうね,むしろsenseの方が
一般的だね.だけどSinnの訳という意味ではmeaningとsenseは区別しないんじゃ
ないかな.
付け足しだけど,たしかに意義と意味の理論 the theory of sense and reference って言うもんね.だけどmeaningも普通に使うんじゃないのかな.ただ僕個人の 趣味からすると^^,どうもsenseってしっくりこないんだよな.これって感覚 って意味があるでしょ.どうもこれがな^^.別に訳の問題だからいいんだけど.
17 :
考える名無しさん :02/10/23 07:24
稲よありがとう。俺はむしろmake senseが浮かぶのでしっくりくるのだよ(w
18 :
考える名無しさん :02/10/23 07:38
】一般大衆はクソであり、2チャンネラはバカである のスレのハイフェッツを誰か数学強い人論破して
>>7 「唯脳論」は、脳と心の働きを問題にするのであって、
すべてが脳内過程に一元化されているという考えではない。
しかし、脳科学の現況は、
脳が世界を産出するという考えに傾斜している。
脳がウソの意識によって動かされているかもしれない
というデカルトのデモンは、
そうした脳産神話をグロテスクに暴き出す。
脳と心、脳と自我、脳と世界の関係は。
脳を思索する哲学者と脳を操作する
解剖学者の「唯脳論」のその後。
これ養老と大森の対談についての紹介からのコピベだけど,脳生理学者ってやっぱり
バカだよな.「脳科学の現況は,脳が世界を産出するという考えに傾斜している」って
,普通ここまできたら帰謬法だと思うんだけど,そうはならないところがスゴイ.
脳科学者という連中が哀れにさえ思えてくる.
20 :
考える名無しさん :02/10/23 09:38
大森と養老の対談って、どんなものだったのだろうね。 立ち現れ一元論と唯脳論やらクオリア理論なんてどうか見合うのか全く見当がつかない。
21 :
サイコ・ドクター :02/10/23 20:24
稲って強迫性人格障害なんじゃないかな。
22 :
考える名無しさん :02/10/23 20:38
ここはインターネットですね。
23 :
考える名無しさん :02/10/25 10:54
>これ養老と大森の対談についての紹介からのコピベだけど,脳生理学者ってやっぱり >バカだよな.「脳科学の現況は,脳が世界を産出するという考えに傾斜している」って >普通ここまできたら帰謬法だと思うんだけど,そうはならないところがスゴイ. どういうこと?
24 :
名無しさん@1周年 :02/10/25 11:23
>>20 いや、まったく話が合わなかった。
というより、あわないことを聴衆が眺めて楽しもうというのが企画者の意図だった
(なお、養老の唯脳論は、誇大なキャッチコピーで、人間生活世界の万物は脳の構造
の影響を免れ得ない、という高々普遍的脳規定論だからね。大森さんとしても
世界中は脳そのものである位なテーゼをだしてくれればまだ反論の愉しみがあった
のかもしれないが、現実の養老テーゼは(哲学的には)非常に陳腐だから面白くない。)
25 :
名無しさん@1周年 :02/10/25 11:28
>>23 >脳科学の現況は,脳が世界を産出するという考えに傾斜している
この表現まで来るとなかなか面白いテーゼだと思うよ.
大森さんも反論しがいがあるんじゃないかな?唯脳論と名乗るに相応しい.
(『唯脳論』においては養老は上記テーゼより遥かに弱い主張しかしていなかった)
帰謬法じゃないかと常識が訴えるくらいのテーゼで明白な反証がないテーゼに
こそ哲学者は萌えるのよ〜
ただ上記テーゼの問題は,意識と世界を生み出すかどうかを研究されている脳は
対象化された脳であるのに、現に私の意識と私の世界を生み出している脳は(仮にそのよ
うなものがあるとしたら)対象化されていない脳だから、研究対象と結論が帰属されている
対象が全く違うという点だね。
>>25 もっとも,反証を反証とも思わない連中に何を言ってもしょうがないんだがな.
反証がないからということはそのテーゼを積極的に主張する根拠にはならないけどな.
大概哲学を知らない素人は,例えば「脳が世界を産出する」という過激なことを言ってみても
それが具体的にどういうことなのかを説明をする段になると,「脳」や「産出する」が極端に
抽象化されたり,「世界」が極端に制限されていたりして,どうということない陳腐な意味し
かもたなくなる.要は雰囲気でしか哲学やってないんだよ.
27 :
初心者その1 :02/10/26 07:11
∧―∧
(__(M)⊃ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`) < おはようございます。
__( ||_|| ) \_____
(|| |||゜T ゜|
 ̄ (__)_)
これからもマターリとやっていきたいと思います。
よろしくお願いします。
(オモーリさんとか来ないかな?)
>>6 の訂正
『新知覚新論』→『新視覚新論』でした。
>>11 ぺん(ぺん)さん
応援ありがとうございます。
ぺん(ぺん)さんのレスには励まされます。やる気が充満するというか(笑
返答が遅れてしまい申し訳ありません。
前スレのぺん(ぺん)さんのレス(『時は流れず』)に、しっかりしたレスをつけようとしたら
こんなに遅れてしまいました(笑
大森さんの時間論は前スレ立て始めの8月下句以来読んでなかったので、
結構忘れてました。
読み返してみたら、以前よりかなり理解できるようになり、大変おもしろかったので、
自分の考えを整理する意味でも、まとめてみました。(後述します)
>漏れは基本的には、フーコーやサイードのようなタイプの思想家が好きなんで
フーコー、サイード(知らない)ですか・・。
ぺん(ぺん)さん、ホントに学ぶことが好きなのですね。
恐るべき知的好奇心です。
他スレでも幅の広い知識で縦横無尽に活躍してますね。
何とか絡みたいと思ってるのですが、僕には何がなにやら(笑
ああ、僕も高・大学時代にもっと勉強してれば・・と今頃後悔を。
『理性・真理・歴史』は期待してます。
パトナムがやろうとしていることにすごく興味があるのですが、
正直言って何がなにやらもにゅむにょ・・(笑
とりあえず4章まで何回か繰り返し読んだのですが、いつも騙されたような読後感が(笑
わからない所は稲さんに質問しようと思っているのですが、その「わからない所がどこかわからない」
という状態なのでなんとも・・。
この本は理解するまで読むつもりなので、質問することもあると思いますが宜しくお願いします。
(続)
>あ、そうそう、初心者その1さんはキートンの映画を引き合いに出してましたよね。
Kuriharaさんに対してですね。
僕はKuriharaさんのファンなので、つい持ち出してしまいました。
(余談ですが、
>>10 のKuriさん(略します)のレスは彼らしく素晴らしいですね。
始め見たとき、ワラテしまいましたよ、マジで(笑
別スレの”記念カキコ!”みたいに(Kuriさんにしては)さぶい事やられたらどうしようかと思いましたね(笑
前スレの2getも実はKuriさん、今回も実質3getですから、実はこのスレのファンなのかも・・・)
例えではキートンを出しましたが、僕はチャップリンの方が好きなんです。
「弱者に優しい貧乏人の味方、チャーリー」といったよくある見方でなく、
後期(モダンタイムス以降)の、自分の意志を貫く勇気が好きなんです。
彼の映画だけでなく、彼自身が好きなのですね。
はまったのは高校の時ですが、彼の影響でしょうが、いまだに「俺は時代には騙されないぞ!」
みたいな無意識に世間と距離をとろうとする自分を感じてしまいます(笑
好きな作品は、サイレントの短編、キッドとか犬の生活等ファーストナショナル社時代ですね。
フェリーニは同じく高校の時、『道』『8 1/2』 は見ましたが、なんか印象に残らなかったですね。(笑
最近は全く映画を見なくなりましたが、今見たらぺん(ぺん)さんのように印象が全く変わるんでしょうね。
見てみようかな・・・。
ああ、僕も長々と与太話になってしまいました。
とりあえず、これからもよろしくお願いします(笑
>>12 さん
>
>>3 を読んでてフーコーの「外の思考」をふと思いだしたのはおれだけか
フーコーは全く知らないのですが、何か共通するものを感じましたか?
何から外の思考なのか気になりますね。
>>19 稲さん
>脳生理学者ってやっぱりバカだよな.
>脳科学者という連中が哀れにさえ思えてくる.
なんか笑テしまいました(笑
養老さんの『唯脳論』さらっと読み直してみたのですが、
彼は心身問題を次のような説明をしていますね。
「脳と心の関係は構造と機能の関係である。つまり、対応関係であって、因果関係ではない。
例えば、循環系の基本をななすのは心臓である。しかし、心臓という(構造、物)をいくら解剖しても
循環(機能)は出てこない。
同じように脳という「構造」から、心という「機能」は出てくるはずがない。
心は脳から生まれるのか?といった因果関係を問うのは、問いの立て方が間違っている。
脳と心は同じものを違う見方から見たものにすぎない。」
普通の人(僕の中の常識)は、この説明で納得いくと思うのですが、
哲学者の議論とはなんとなく次元がずれてるような気が・・。
そのあたり、僕が心身問題にはっきりとしたイメージをつかめていないのでうまく言葉にできず、
もどかしいです。
考えれば考えるほどこんがらがって・・。
稲さんにとっては誰の解釈が一番納得しますか?(パトナムですか?)
@1周年 さんが言っているように、「脳を対象化している意識自体は対象化できない」というところが
ポイントのような気がします。
これからこの問いも考えながら、スレを進めていきます。
>>26 で稲さんが言っているように、議論の精緻さは大森さんを読んでる僕としては、
比較にならなかったですね。以前読んだ時は何とも思わなかったのですが・・・。
その厳密な論理の組み立て方が哲学のすごさですね。
32 :
初心者その1 :02/10/26 07:15
∧―∧ (__(M)⊃ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´∀`) < 大森時間論その1 __( ||_|| ) \_____ (|| |||゜T ゜|  ̄ (__)_)
○大森時間論見取り図 (G:神の視点) ↓ ∧ ‖ ‖ ‖ ‖ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | | 決定されている | | 過去自体(d) | | | | | | 未来(e) │ |_________| |__________| ‖ ‖ ‖ ‖
‖ ‖ 物‖ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ‖ 理‖ | 知覚風景 | ‖ 的‖ | │ ‖ 時‖ | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ‖ 間‖ | | 思考的風景 \ / 思考的風景 | | ‖ (f)‖ → | | \ / │ | → ‖ =======| | ╋━━╋━╋╋╋╋╋╋><━╋━╋━━╋━━━╋ | |======== | | (過去) /(x)\ 原生時間(g) (未来)│ | | | / \ | | | |____想起(b) _/ \____予期(c)__| │ | │ | ↑ | | (H:人間の視点) | |_______________________現在(a)___|
注) (a) 現在 :日常生活における今。点時刻ではないファジーな長さを持つ。ひとしきり (x) 現在境界 : 長さ0の点時刻。物理時間における現在へと変造される場所 (d) 過去自体 : 過ぎ去ってしまった(と思われる)かつての現在。 (g) 原生時間(━╋━) : ╋は原生的瞬間(h)(過去として想起されるかつての現在体験のひとつ)
口大森荘蔵の時間論口 以下の順で論じていきます。 1.なぜ過去は実在しないと言えるのか 2.想起と過去の制作 3.物理時間の捏造 4.ゼノンのパラドックス 5.時は流れず 本論に入る前に一つ 「過去は存在しない」とは次の2種類が考えられますが、これから述べる”存在しない”とは後者のことです。 ・「過去は(現在には)実在しない」 ・ ・ ・ ・ 今となっては過去はどこにもない。過去自体の存在は認める。 ・「過去は(過去にも)実在しなかった」 ・ ・ ・ 過去自体の存在も認めない。 僕の解釈の間違い、反論等ありましたら、ペン(ペン)さんに限らずどなたでも御参加お願いします。 哲学初学者の方で、読んでわかりにくい箇所がありましたら教えてください。 楽しみにお待ちしています。 (続)
1.なぜ過去は実在しないと言えるのか。 大森さんは「過去は存在しない」と過去非実在論を提唱しています。 一般常識からかけ離れたその奇抜な理論、その原因は何かといえば以下につきます。 「想起(b)と過去自体(d)のあいだに因果関係を認めていない」 普通の常識で考えると、想起が可能なのは、その原型となる経験なり出来事が実際にあったからです。 つまり、想起の原因が過去自体であり、それが存在しなければ想起自体ありえないと、 両者に因果関係を認めるのが一般的です。 大森さんはこの因果関係自体を認めていないわけです。 では、なぜ認めないのか? その理由が、(ある意味)なるほどと思わざるをえない大森理論のさえたところです。 大森さんは過去自体とカントの物自体の平行性に目をつけます。 (続)
○大森「過去自体」とカント「物自体」の比較 | カント | 大森 ──────┼──────┼─────── カテゴリー | 空間 | 時間 ──────┼──────┼─────── 経験不可能 | 物自体 │ 過去自体 ──────┼──────┼─────── 経験可能 | 現象 | 想起 ──────┴──────┴───────
カントが経験不可能な物自体を拒否したように、大森さんは同じく経験不可能な過去自体を否定します。 カントのように、素朴実在論を認めないことを徹底するならば、空間のみならず時間のカテゴリーにおいても 素朴実在論は認められないといいます。 見えている現象(像)の元となっている根拠が物自体なら、 想起を引き起こしている根拠は過去自体です。 しかし、もの自体をわれわれが経験できないように、過去自体も経験できる人はいません。 よって、経験不可能な物自体を認めないならば、同じく過去自体も認めるわけにはいきません。 これは、いうなれば素朴実在論の拒否を4次元に拡張しているわけです。 大森さんは直接は指摘していませんが、 見取り図でいう(G:神の視点)を拒否し、(H:人間の視点)だけを認めようとします。 (カントのように)人間の視点を徹底させるならば、確かに”現在(a)”の外にある”過去自体(d)の実在を 無条件に肯定するわけには行きません。 なぜなら、人間は現在(a)からでて、神の視点で世界を経験することはできないからです。 しかし、普通の人はすぐさまこう反論するでしょう。 「過去の想起こそ、過ぎ去った現在(過去自体)の再現であり、その証拠である」 しかし、想起はそのようなものの再現では決してないと大森は再反論します。 (これについては、2において)
以上、「過去非実在論」をかなり簡潔に要約してみました。 議論のポイントは次の2点だと思われます。 1-1.物自体との平行性について はたしてカントの物自体との平行性はありえるのでしょうか? また、カントが物自体を拒否したというのは、「そんなもんあるわけなかろうが。妄想だわな。」ということなのか、 それとも「在るかもしれんが確かめらんから考えるのやーめた!」という意味なのでしょうか? それによって、「過去非実在論」の議論も変わってくると思います。 僕はカントを全く読んだことがないので推測するしかできませんが、みなさんはどう思われますか? 1-2.神の視点の拒否について 僕が最も興味があるところはこれです。 この方法で多くの哲学の問いが無意味な妄想と切り捨てられてきたと思うのですが、 その人達はこの大森説をどう考えているのでしょうか? 神の視点の拒否を徹底するならば、当然過去に関しても適応すべきではないかと思われます。 いかがでしょうか? (ちなみにこの考えでいくと、「決定された未来(e)」も切り捨てられることとなります。(決定論の否定)) (続)
僕は、もちろん「過去は実在した」と思っています。 ぼくからみて大森理論のおかしいところは、”「証明できないこと(因果関係)」=「存在しない」” と結論づけているところです。 「過去は存在しない」ということを認めると次の疑問点が湧いてきます。 1-3.他人と共通する過去がなければ、なぜ高い確率で互いの想起の一致がありえるのか? 1-4.同じく、個人の想起内において、各想起内容(原生的瞬間(h))がつじつまがあうのはなぜか? 1-5.過去自体を否定するならば、想起における僕の行動(過去の僕の行動)に現在の僕は何の責任も生じない。 (1-5 補足) なぜなら、ある人が犯罪を犯したとしても(彼自身も覚えている)、 「いや、もともと過去など存在しないだろ」と犯罪を否認できる理屈が成り立ちます。 人間は現在から出ることができないことも考慮に入れれば、 人間には全くなんの責任も生じないことになります。 そういったことを考えれば、 証明できないことは、社会の中での有用性にしたがって、その真偽が決めるしかないのでは? としか言えないと思われます。 ただ、社会の功利性で真偽が決まる、と逃げるのは(絶対的な真理を求める)哲学ではないのでしょうね。 哲学の問いは、このような「証明できないもの」や、倫理的な「語りえないもの」に どういった回答を与えているのでしょうか? 問い自体の無意味化に持っていくしかないのでしょうか? だれか大森過去論に反論できる方いませんか? (「儂の哲学を間違い間違いいいやがって、文句あるなら反論して見やがれ、コノヤロー!」という感じでお待ちしています(笑)) (続)
(余談) 「過去は実在しない」と大森さんが主張している、と僕は断定してますが、 そうあっさりといい切っていいものか躊躇する感情も、僕の中にあります。 (著書の中では間違いなく、それを前提に議論を進めているのですが・・・) それについては最後に(5において)、感じたことを述べてみたいと思います。 もし僕の直感が正しければ、大森さんは正真正銘の哲学者であり、同時に普通の人なんだな、 と、しみじみしてしまいます。 (ああ、むちゃくちゃ長くなってしまった・・・。次からはもっと短くまとめます。)
パワーあるな、つーか、流し読み出来ねー。
44 :
初心者その1 :02/10/26 07:42
>>43 いえいえ、僕の回りの哲学に興味がある奴が皆無なので、
ここでしか相手してもらえないのですよ(笑
正直、この板がつぶれたら明日から何を頼りに生きていけばいいのか・・(笑
長くなってしまいましたが、できる限りわかりやすく書いたつもりなので、
突っ込んでもらえればうれしいですね。
>>44 すまん、俺、大森は詳しくないのよ。
すぐ寝て起きたら旅行に出掛けちゃう。
帰ってきたら読ませてもらうよ。
46 :
初心者その1 :02/10/26 07:52
>>45 そうですか、残念です(笑
またの機会にゆっくりと。
大森理論を全く知らない人でもわかるように書いたつもりです。
その辺の感想も聞きたいですね。
気をつけて行ってきてください。
>>31 「脳と心の関係は構造と機能の関係である。つまり、対応関係であって、因果関係ではない。
例えば、循環系の基本をななすのは心臓である。しかし、心臓という(構造、物)をいくら解剖しても
循環(機能)は出てこない。
同じように脳という「構造」から、心という「機能」は出てくるはずがない。
心は脳から生まれるのか?といった因果関係を問うのは、問いの立て方が間違っている。
脳と心は同じものを違う見方から見たものにすぎない。」
機能主義をそのまま言い表したようなものだけど,哲学ではもうかれこれ30年以上前に捨てた立場だね.
↑ 「20年から30年前に」かな.
パトナムの水槽脳の話は非常に単純で,いろいろ手をかえ品をかえ議論してるけど, そこに目を奪われないで次のことがわかれば基本的にはよい: 水槽の中の脳は「私は水槽の中の脳である」と有意味な仕方で主張できるか? 答えはNoだけど,なぜそうなのかという根拠がわかればよろしい.
50 :
考える名無しさん :02/10/26 09:58
自分の眼前で手を一振りし、「コレだけが存在する」と主張する 人物を、独コレ論者と呼ぶことにしよう。彼はいわゆる独我論者 のなかでも、極めて困難な「真実」を語っている。われわれがど んなに客観的な世界の説明を与えても、彼はそれを全て主観的な 「これ」のなかに放り込んでしまう。 「存在するのはこれだけだ。これ以外のものは存在しない」 「そんな馬鹿な。君が認識していなくても、アメリカも、木星も 僕の心も存在するよ」 「どうしてそんなことが言えるんだい?」 「どうしてって、当然じゃないか?信じられないんなら確かめて ごらん。アメリカに旅行したり、望遠鏡でも木星をみたり」 「でも確かめることが出きるのは、これの中身だけだろう?そし て今、現実に、これのなかにアメリカはない。あえてアメリカが 存在するというなら、それはアメリカって言葉だけだよ」 だがこうした防御の鉄壁さは、独コレ論の「論」としての正しさ を保証しない。第一にそれは予め他者に伝わることを禁じられた 主張であり、伝わったときには別の主張に変質していざるを得な いものである。なぜなら他人は決して、独コレ論者の語る「これ 」を、あなたにとっての「これ」として理解したなら、その理解 は独コレ論者の主張そのものと激しく対立することになる。
51 :
考える名無しさん :02/10/26 09:58
第二に独コレ論は、何かを「論」として人に語るという、言語行 為そのものと折り合わない。もし公共的な「論」が世界について 何かを説明していなければならないのだとすれば、独コレ論はい かなる意味でも「論」としての機能は果たしていない。そもそも 独コレ論は世界の具体的な事柄について、何ら新しい説明を与え るものではないのだから。 心の底から「これだけが存在する」と考える人物がいるならば、 その人物は説明困難な事実に幾つも遭遇することになる。たとえ ば世界には、なぜか「私の身体」という異物が存在し、それは他 者の身体と同じ構造を持っているのに、自由な意志によって動か すことが可能である。また世界には無数の法則が発見できるが、 そうした法則は「私」の意識に直接現れないものとして機能して いる。
52 :
考える名無しさん :02/10/26 09:59
完全なる刹那主義者ならともかく(彼に何が主張できるというの か?)、過去や未来の常識的な意味を理解した上で、それでもな お「これだけが存在する」と主張する独コレ論者は、現在の世界 から、過去や未来の時間概念を構成しようと苦心する。彼らは現 在における過去の想起や未来への予想や期待などから、常識的な 時間概念を再構築した上で、それらは全て現在のなかで製作され た一種の幻想に過ぎないと主張するのである。 しかしこうした試みは本当に有意味なのだろうか?前節の「独コ レ論」批判が思い出される。現在から過去うや未来を構成しよう とする人物は、素朴な「過去-未来」の実在論を本当は十分理解 した上で、その上に不要な説明の厚塗りをしているのではないだ ろうか?
53 :
考える名無しさん :02/10/26 10:00
たとえば仮に、過去とは想起によって構成されたものである、と の説を真剣に受け止めたとしよう。このときわれわれは、素朴な 過去実在においては生じない、幾つもの質問に答えなければなら ない。記憶の間違いや、公共的な記憶の一致はいかにして成立す るのか?原理的に想起不可能な、自分の生前の過去が想定可能な のはなぜか? 大森荘蔵氏のような独コレ論的傾向の強い哲学者たちは、様々な 概念を新たに立てることで、こうした質問に一つひとつ答えてい く。だが僕にはそうした努力のほとんどが、成功しているように は思われない。彼らの作り出す新たな概念のなかには、その定義 を通してたっぷりと日常的な時間概念が持ちこまれている。それ ならばはじめから素直に「過去はある」と、ひとこと述べておけ ばよかったのではないだろうか?
54 :
考える名無しさん :02/10/26 10:00
確かに独コレ論者の立場に立てば、過去や未来の存在を確かめる 手段が、現在に欠けていることは事実である。実証手段がない以 上、真に存在しているのは現在だけだと主張することは無意味で はない。しかし、こうした実証主義的な議論に対しては、僕は次 のように問い返すことができる。 「なぜ現在は存在するのだと、確信をもって言えるのか?」 独コレ論者はこの質問に対する答えを、現在性に頼ることなく述 べることができるのだろうか?もし独コレ論の根拠が現在性にし かないのだとすれば、僕はそれを実在性に関する議論として理解 することを拒否したい。過去や未来や他人の心が現在性を持たな いからといって、それが実在しないと考える必要はない。極めて 豊潤な日常の実在概念を手放してまで、実在性に関する独コレ論 を受け入れることはできない。
55 :
考える名無しさん :02/10/26 10:15
51の後の投稿が抜けていた。要するに他者の身体との区別 や「私」の意識と外部世界の区別を織り込んだ上で独コレ は主張されているということだね。独コレ論は既に素朴な 日常の枠組みをたっぷり持ち込んでしまっているというこ と。
56 :
考える名無しさん :02/10/26 14:30
>水槽の中の脳は「私は水槽の中の脳である」と有意味な仕方で主張できるか? >答えはNoだけど,なぜそうなのかという根拠がわかればよろしい. 予め「培養液の外」を前提にした主張だから。それを「語ってしまう」ことは 主張の内包する条件や前提に抵触する。つまりは自己論駁的。
57 :
考える名無しさん :02/10/26 17:16
>>38 のカントのカテゴリーのところが空間となってるのはマズイ
カテゴリーについての正確な情報はKurihara氏が指摘してくれるかも
おれはメンドイ。カントは入門書を一冊ぐらい読んどいたほうがいいよ
初心者その1はカントスレ見た?
59 :
考える名無しさん :02/10/26 19:30
稲よ、正解を教えてくれ。
60 :
ぺん(ぺん) :02/10/27 01:19
>>初心者その1さん 本業の勉強を、ずっとサボってたツケがたたって 最近は哲学を学ぶ時間がない状態です。 いや、それでもレンタルの映画だけは毎日しっかり観てるんですけどね(笑 というわけなので、「時は流れない」テーゼについては 後ほど考えてみます。 あと、野矢先生の「やっぱり時は流れる」テーゼは 個人的には、論証はうまくいっていないんじゃないかと思っています。 (時間の流れを言語の変化という別の次元の問題に置き換えただけといった印象です) >>稲さん > 水槽の中の脳は「私は水槽の中の脳である」と有意味な仕方で主張できるか? >答えはNoだけど,なぜそうなのかという根拠がわかればよろしい. パトナムの本は、買ったのはいいですが、まだぜんぜん読んでいません(汗 それで、ぱっと考えただけなんですが 前者の脳(物理的対象としての脳)と後者の脳(主張文の脳)が一致する条件として 私は「水槽の中の脳」ではないことを前提する為に (なぜなら、「水槽の中の脳」であるとすると、無限背進が生じるから) この主張は偽である、ということになるのでしょうか。 厨房の思いつきなんで、間違ってたらすみません。
61 :
Kurihara :02/10/27 05:32
僕は
>>38 の図が何を意味しているのかさえ、
実はよくわかりませんね。
そもそもカントにとって空間時間とは、経験の可能条件を
指示しています。もし時間と空間がなかったならば、
我々がなにかを経験することはそもそも不可能だ。
しかし現に我々はなにかを経験している。
だから、時間と空間は経験に先立ち存在する。
というわけですね。
カテゴリーというのは、全称命題とか単称命題とか
肯定命題とか否定命題とか、様相の命題とかの命題の
種々の類型をなすにあたって、不可欠な判断の「質と量」
のことですね。
カントの参考書では岩崎武雄さんの『カント』がいい
のではないですかね。三批判書を手堅くカヴァーしていますし。
それと判断論(命題論,カテゴリー論)の名著としては、
広松渉さんの『弁証法の論理』をあげておきますね。
広松さんほどに「判断とはなにか?」を徹底追求した人は
他にあまり知りませんね。
>>59 >>60 脳(物理的対象としての脳)と後者の脳(主張文の脳)を分けてる時点でもう話が
おかしくなってる.パトナムはそんな議論をしてないからね.水槽の中の脳が
「自分は水槽の中の脳だ」
と主張してるわけだから,一見すると正しいことを主張してるように思える.脳生理学者に
とっては何も問題はないと思うけどね(連中はバカだから^^).
パトナムの議論はそれが正しいという以前に,そもそもそれがまともな主張でありうるの
かどうかというところが議論のポイントだね.答えを知ってしまえば非常に単純で明快.
>>57 さん、
>>61 Kuriharaさん
ご指摘、説明ありがとうございます。
>
>>38 のカントのカテゴリーのところが空間となってるのはマズイ
あ、本当だ・・。
”空間””時間”は「感性の形式」なのですね。
なぜか、”空間””時間”=「カテゴリー」と思ってました。
(入門書すらまともに読んだことないから当然か・・)
それで、恥ずかしながら、今頃になって入門書をめくってみました。
感性: 直感の形式 ・・・「空間」「時間」
悟性: カテゴリー(概念の形式) ・・・1.量のカテゴリー
2.質のカテゴリー
3.関係のカテゴリー
4.様相のカテゴリー
(各カテゴリーの具体例は理解できてないので省略)
”空間””時間”の形式を通じて外界からの知覚データを受け取るのが「感性」
それらバラバラのデータをカテゴリーを通じて”統覚”(統合)するのが「悟性」
たとえ、姿形、性格が変化し続けようとも、僕が僕でありつづける自己意識を「根源的統覚」
といった感じでしょうか?
(あれ、理性はどうなったんだろう・・・)
指摘されないと、恥をさらし続けるままだったので助かりました。
(まあ、そんなことをを気にするようだったら、こんなスレ立てないですけどね(笑))
これからもビシビシ突っ込んでください。
岩崎さんの「カント」、見てみます。
65 :
ぺん(ぺん) :02/10/27 19:16
>>初心者その1さん >カントが物自体を拒否したというのは たしか、大森さんの本にも、そう書いていたように思いますが カントは決して物自体を拒否したわけではありません。 逆に、物自体を要においていることが、ドイツ観念論との違いです。 大森さんの本を精読したわけではないですから(本も返してしまったし) 間違っているかもしれませんが カントの物自体との平行性を言うならば 過去を素朴に実在するとは言えないが、過去は想定せざるを得ない となるはずですが、そのように考えてはいないように読めました。 したがって、物自体との平行性を言うのは、どうなのかなと思いました。 そんなところもあって、大森哲学には あれって、いう感じだったんです。 (あと、もし物自体との平行性のようなことを主張するのならば むしろ、カントの「観念論論駁」との平行性とするべきなのではとも思いました)
66 :
ぺん(ぺん) :02/10/27 19:17
>>稲さん >脳(物理的対象としての脳)と後者の脳(主張文の脳)を分けてる時点でもう話が >おかしくなってる. うーん、ノーヒントでは、ちょっと分からないですねえ(汗 パトナムの本を、ちらっと盗み読みしたところ 蟻や宇宙人の話が書いてました。 となると、どうなんでしょうか 「水槽の中の脳」という語がそもそもなんらかの実在を指示していない という話になるんでしょうか。 (別の観点から言うと、「水槽の中の脳」は単称名ではない、となるのかな) それで、ふと思ったのですが クリプキのペガサスの話に類似してるのではと。 もし現実にペガサスの記述に適合するような科学的発見があろうとも それは決してペガサスが指示しているものではないという議論です。 でも、それならば、「指示」とはいったいどのようにして行われるのでしょうかねえ。 そこら辺の話は、言語哲学の難しい議論になるでしょうから 泥沼に入り込まないようにしときます(汗 あと、「指示」の抱えている問題は、精神分裂症とも関係があるのではと 漏れ的には思っています。 (ジジェクがクリプキの固有名論を対象aと絡めているのは有名ですよね。 まあ、ジジェクの固有名論の理解がドキュソだという話も、あるようですが…) 少なくとも、自分が本当は「水槽の中の脳」なのではないかという妄想に取り付かれて 日常生活もままらなくなれば、立派な分裂症でしょうね。
67 :
ぺん(ぺん) :02/10/27 19:30
補足 水槽の中の脳である「私」にとっての「水槽の中の脳」という語 ですよね。
68 :
ぺん(ぺん) :02/10/27 21:25
訂正 ペガサスではなくて、ユニコーンでした(汗
69 :
考える名無しさん :02/10/27 23:02
稲はバカそう ぺんぺんのがよさげ
>>3 >独断で言わせてもらえば、大森哲学のキーワードは”日常”です。
>そして哲学をするのは誰かといえば、この日常で生きる私たち全員なのです。
>>4 >哲学に素人と専門家との区別はない。誰であろうと生きているかぎり、世界と人間
>をあるみ方で「みてとって」いるからである。
初めまして。僕は初心者さんより初心者だけど参加したいです。(↑ということなら)
でもなんか前スレより難しくなってませんか。さっぱりわかりません。(汗)
前スレにもいくつか質問があったのですが前スレが全部読む前にいつのまにか消えてる。
有料でしか見れないのですか?
あと「水槽の中の脳」の話がなんで盛り上がるのかさっぱりわかりません。
ありえない空想話のどこかに何か重要な哲学的意図があるということですか?
もっと
>>36 の「1.なぜ過去は実在しないと言えるのか」をやりましょう。
>>37 の「想起(b)と過去自体(d)のあいだに因果関係を認めていない」について質問です。
「この赤ちゃんが時間の流れと共に成長したのが僕です」みたいな話とは別次元なのですか?
過去がなければ僕は成長しないけどこういうことを大森さんは否定しているのですか?
>>40 の「物自体との平行性について」質問です。
カントも物自体もしらないけど前スレでカオルさんが言っていたフィルターの話ですか?
もしそうだったらの話だけど過去に対して過去自体があるということですか?
もしそうだったら過去が原生時間で過去自体が物理的時間ということでいいですか?
もしそうだったら物理的時間を認めているのだから過去は実在したことになりませんか?
もしそうだったら物自体は説明できなくても過去自体は科学的に説明できると思います。
もしそうだったら「過去自体と物自体との平行性」がどういうことなのかわかりません。
質問ばっかですみません。マジでさっぱりです。でもなんだかワクワクするんです。
>>50 さん
丁寧、かつ非常に具体的、かつわかりやすいレス、ありがとうございます。
ゆっくりと考えて、後日ふたたびレスします。
とりあえず簡単に−しかし大森さんを読み始めてからずっと心に引っかかっていること−を述べてみます。
>それならばはじめから素直に「過去はある」と、
>ひとこと述べておけばよかったのではないだろうか?
細かい議論は別にしても、大森さんの本を読んで、どうにも腑におちないことは、
「何でこんなに回りくどく理論を組み立てるのだろう」
ということです。
過去論でいえば、始めから「過去は実在する」ことを前提として理論を組み立てれば、心情的にも論理的にも
もっとすっきりするはずです。
それを、「過去は実在しない」というテーゼが正しい(しかし明らかに実感からかけ離れた)という結論を最初に立て、
強引にその結論のつじつま合わせをしているようにも思えます。
始めから、目の前に眺望抜群の展望台があるのだから、まっすぐそこへ向かえばいいものを、
あえて遠回りをして、はるか彼方の展望台へと道なき道を開拓しながら進んでいっているようです。
いい方は悪いですが、無条件に常識と反対のテーゼを選び、それをいかに論理的にすきなく組み立てられるか
そのゲームを楽しんでいるようにも見えなくもありません。
(これは明らかにいいすぎですが、大森さんの人となりを全く知らない人はそう感じるのではないでしょうか?)
ただ、僕にとって大森さんは、彼の理論が正しいとか、間違っているとかそういうことが問題となる人ではないですね。
初心者中の初心者の僕がいうのはなんですが、哲学者といって身近に感じる人は彼以外いないのですから。
>稲さん なにか「水槽の中の脳」で盛り上がってすね。 みんな稲さんの解答を聞きたがっていると思いますが、しばらく待ってもらえますか? 近いうちに(おそらく明日)には、僕の解答(とともに質問)を見せたいと思いますので、それまでは・・・。 今日、1章だけ何度か読み返したのですが、 やっぱりわかりません。というかまた丸め込まれたような(笑) 何度読んでも、「パトナムはおかしい」としか思えません。 というわけで、びしびし突っ込ませてもらいますので本を用意してお待ち下さい(笑
>>70 ぶんぶんさん
はじめまして。初心者です。
興味を持ってもらえてとてもうれしいです。
ぶんぶんさんは、僕と同じく初学者のようなので特にうれしいですね。
というのは、哲学専攻の人は来てもらえるのですが、僕のような全くの初学者は、
前スレでも一人も参加してもらえなかったですから。
哲学に何となく興味を持っている人は多いと思うのですが、
大抵はそのおもしろさを知る前に離れていってしまいますよね。
僕も全くの独学でやってますので、その人達のことがよくわかります。
すごく残念です。
このスレを立てた目的は、もちろん自分が学ぶこと、それが第一でそれ以外ないのですが、
できれば僕と同じように哲学にぼんやりとした興味と憧れを持った初学者の人にも、
(えらそうですが)その魅力を伝えたいのです。
専門教育を受けず全くの独学で学ぼうとしている僕ならではの視点で、
アドバイスできることもあるかもしれません。
(頼りになる専門家も、このスレにはたくさんいますから安心してください(笑))
大森さんは、初学者にはいろいろな意味でいい教師だと思います。
彼の常識はずれの哲学すら、素晴らしい教材です。
(なぜなら、普通の人なら「彼の理論はおかしい」と感じ、それに対して”自分で考え””反論しようとする”からです)
>>70 の具体的なレスは明日カキコします。(すみません。今、眠いので(笑))
それと、これからもわからない所は遠慮なく質問してください。(
>>70 のように)
おそらく僕が専門家よりも勝っていると思うところは、どんなにくだらない質問にも「ああ、そうそう、俺も思った」
と”実感できる”ことだと思います。
なにせ、僕も始めたばかりのぺーぺーですから(笑
とにかく、マターリと気長にやりましょう。よろしくお願いします。
>>70 あ、あと前スレはしばらくすれば見れるようになると思います。
もちろん無料で。
75 :
考える名無しさん :02/10/28 11:07
箱庭ヒッキースレッド
>箱庭ヒッキースレッド それを言ったらほとんどそうじゃねえか。このスレはまともな方だよ。
77 :
考える名無しさん :02/10/28 15:14
1=引き篭もり そうと知りつつそれには触れず哲学する人たち
働いてるんじゃなかったの?
>>66 >「水槽の中の脳」という語がそもそもなんらかの実在を指示していない
>という話になるんでしょうか。
基本的にはそういう話です.だけどクリプキのユニコーンの話と分裂病の話は関係ない.
分裂病は論外.ユニコーンの話は,ユニコーンが「角をもった馬」と考えられており,
そしてそういった化石が発見されたとしても,そのことはユニコーンが過去に存在した
証拠にはなりはしない,という議論じゃなかったかな.この議論は指示の因果説の脈絡で,
その脈絡であれば正しい議論だと思うけど,水槽脳の議論とは直接は関係ない.
>>72 本を用意してまっていろということだから,「水槽脳」を久しぶり(もうかれこれ何年かぐりかな^^)に
読んだけど,やっぱり面白いな〜^^.
>>73 丁寧なレスありがとうございます。やっぱりいいひとだ。
哲学のプロの方にはうざいかもしれませんが堂々と参加させてもらいます。(笑
>>74 待ってればいいのか。一安心です。
実はイルカの輪くぐりあたりで脳がエンストしてるんですけどね。(汗
皆さんの発想の豊かさには驚かされますよ。いやマジで。
僕は朝早いのでもう寝ます。(なんか情けない)
82 :
ぺん(ぺん) :02/10/29 03:26
>>稲さん >だけどクリプキのユニコーンの話と分裂病の話は関係ない. ユニコーンについては、そもそも名前ではないとされている点で (その点に対する疑問も含めて) 類似性があるように思えたわけです。 厨房な疑問としては、実在を指示しているのかしていないのか (名前であるのかないのか) という判定は、いかなる立場で正当化され得るのか、ということです。 例えば、水槽の中の脳について議論している我々こそが、実は水槽の中の脳であって 対象化しているはずの水槽の中の脳はダミーで、実は水槽の外から我々を観察していた といったような想定も可能なはずです。 また、ユニコーンも、現実には実在していた動物であって 後から神話上の存在であるかのように間違って伝えられていた という事態も想定され得ると思います。 蟻や宇宙人の話も同様に、我々が思い違いをしていただけで 彼らは実際に指示しているのだと言いうこは可能ではないでしょうか。
83 :
ぺん(ぺん) :02/10/29 03:27
それから、分裂症についてなのですが たしかにドキュソすれすれの話だとは思いますが 例えば、父の名(否)における去勢によって象徴界に参入するというラカンの理論などは 名前(指示)を受け入れることによって、言語秩序に参加可能となる というように考えられるのではないかと思います。 その点、野矢先生の同一性に対する考え方は ある種、精神分析の理論と共通性があるように思えます。 つまり、同一性は人間における言語秩序において初めて獲得されたもので 動物は普遍しかない世界に住んでいる、というような考えは 最初はイマージュのみの世界に住んでいる幼児が、 同一性すなわち命名による固有名の獲得によって 象徴秩序に参入するようになった、と言い換えられるのではと思います。 また、「私自身の自我の同一性も、そうやって外から支えられなければズタズタになってしまう」 といった記述などは、ある種、きわめて精神分析的な考え方だと思います。 厳密に哲学的に考えるならば、精神分析の理論と接続することはかなり無謀かもしれませんが まあ、2ちゃんは専門的な掲示板ではないですし ちょっとばかし大風呂敷を広げたほうが、話が面白くなっていいのではということで 大目にみてやって下さい(汗
>>82 >>83 とりあえず今の問題はパトナムの水槽脳の話だよね.それを理解するために必要のないものは
全部捨てて考えた方がいいと思う.そうでないと何について議論しているのかわからなくなる.
哲学を勉強するとき大切なことの一つは,何がこの議論にとって関係がないのかということを知る
ことであると思うけどね.
>水槽の中の脳について議論している我々こそが、実は水槽の中の脳であって
>対象化しているはずの水槽の中の脳はダミーで、実は水槽の外から我々を観察していた
>といったような想定も可能なはずです。
>また、ユニコーンも、現実には実在していた動物であって
>後から神話上の存在であるかのように間違って伝えられていた
>という事態も想定され得ると思います。
>蟻や宇宙人の話も同様に、我々が思い違いをしていただけで
>彼らは実際に指示しているのだと言いうこは可能ではないでしょうか。
もちろんこういった議論の設定も可能だし,実際こういうこともあり得る
とは言えるけど,何より水槽脳の議論とは関係がないし,むしろ話がつまら
なくなると思うけどな.大風呂敷を広げるというより,むしろ逆に話がありきたりで
つまらなくなってゆくと思うけど.
85 :
zion-ad :02/10/29 05:52
>稲さん 水槽脳です。 前フリ a.意図されていない形、語、心的イメージは、指示(表現)しない。 例)蟻によって描かれたチャーチルの漫画、樹木風のシミ チューリングテスト機 b.水槽脳は実在の対象と因果的結合がないため、(aと同じく)実在の対象を指示しない。 証明 1.もし我々が水槽脳だと仮定すれば、「我々は水槽脳である」で意味するのは、水槽脳のイメージであり、 実在の水槽脳ではない。 2.1で仮定した水槽脳は、イメージ中の水槽脳ではなく、実在する水槽脳である。 3.よって、我々が水槽脳であるならば、「我々は水槽脳である」という文は偽となる。 4.したがって、我々が水槽脳であることは偽である。 いかがでしょうか? もしあっているなら、後日反論したいと思います。 (正直言って、まだよくわかってないのです。なにか丸め込まれた感じです。 でも、なにかおかしい、とは確信(!)していますので、何とかそこを指摘してみたいと思います。)
>>85 わざわざレスありがとうございます。
今「3次元で「クラインの壺」を作る!?」読んでるところです。
なんか寝不足になりそうです。めちゃ面白い!
いまだイメージを妄想としても描けてませんが(皮肉じゃないです)
できれば zion-adさんのイメージを眼前に現象化させてみたいと思います。
いや、zion-adさんにとっては直感映像のようなものなのかもしれませんが、
だとすると僕ごときの脳内勘違いの現象化では実体(真実)からは程遠いと思うけど、
それでもzion-adさんが日本語という言葉で2ちゃんねるというバーチャル空間から
僕に話し掛けてくれるということは僕のような無知の輩にこそ伝えたいメッセージなのだと
受け取りたいと思います。でもやっぱりムズイですが。(笑
zion-adさん質問があります。
物理的時間というか純粋な時間、つまり持続というか継続というか変化というか、
僕ら人類が一人もいなくなっても残る時間はあるのでしょうか?
前レスで説明済みだったらすみません。(まだ読み込んでないので)
>>81 ぶんぶんさん
こちらこそよろしくお願いします。
で、さっそく
>>70 です。
まず、「水槽の中の脳」ですが非常に重要な哲学的意図があります(笑
伝統的な哲学の問いに、
「今僕が生きている世界は、本当に実在するものなのか?」があります。
一見ばかばかしい問いですが、それを証明しろといわれたら非常に難しいようです。
たとえ話をします。
あなたの脳は実は、邪悪な天才科学者によって、水槽の中で育てられているのです。
あなたは超最先端の科学技術により、脳が取り外される前と全く同じ幻の中で
−過去も回りの人たち、町並みも全て−生きているのです。
ばかばかしいとか思いながら、目の前のモニターを見ているかもしれませんが、
そのモニターもネットでつながっているはずの初心者その1もすべて、
科学者の操作によってつくりだされた幻にすぎないのです。
なぜならあなたは、単なる水槽の中の脳なのですから・・。
「水槽脳」の議論は、あなたがこのような状況に陥っていることを論理的に証明、もしくは否定できますか?
ということです。
ここまで話を拡げなくとも、
目の前の机、これを人間は完全に認識できるか?ということが哲学史上大問題だったようです。
あなたが見ている机は、あくまであなたの脳に浮かんだ映像ですよね。
(なぜなら、同じ物を見ても、人によって映像は完全に一致しませんからね)
それを考えれば、机そのもの(もの自体)を認識することは不可能と考えられます。
(どの映像が、机そのものだということができるでしょう)
「水槽脳」はそこから派生したバリエーションみたいなものでしょう。
ここで挙がっている「水槽脳」は、H・パトナム『理性・真理・歴史』についてですが、
永井均さんの『翔太と猫のインサイトの夏休み』にもわかりやすく載っています。
(続)
あと、過去非実在論ですが、
大森さんは「過去は実在しない」と確かにいっています。
ただ、それが即「だから私は物理学科も出てないし、ハーバードでも学んでいないし全て幻だよ」
とは”ズバリ”言ってないのですね。
「しかし、この洞穴野道の奥には一つの恐ろしい奈落が見えてきた。
過去とは文字通りの夢物語ではないか、従ってこのアナーキーな過去には何の条理もなく限りなく
無意味に近い制作物ではあるまいか、こうした恐怖を感じさせる奈落に面しては立ちすくむ以外にない。
今後はこの奈落を避けて回り道をする坑道を掘ることになるだろう。」
これは大森さんの言葉ですが、まったくその通りなのです。
”ズバリ”「過去自体は実在しない」とはいわず、
ためらいつつその周囲を掘り進め現実とつじつま合わせをしています。
その躊躇する姿(読んでいて僕はすごく感じるのです)と、
それでもなお、その奈落から逃げず何とか進んでいこうという姿
その両者に
>>42 で述べた普通の人であり、それでいて哲学者だと僕は感じられるのです。
ぶんぶんさんも、一度『時は流れず』を読んでみてはどうですか?
値段も安いし、時間論に関しては100ページもありません。
僕がダラダラと説明するのもいいのですが、ぶんぶんさん自身が彼の著作に直接当たって、
彼との対話を始める方が有意義なのではと思います。
その方がいろいろな意味で、次につながる豊かな収穫がえられると思いますよ。
その対話だけでは我慢できず、他人に言いたいことができたら(たぶんたくさん出ることでしょう(笑)、
ぜひカキコしてください。
待ってますよ。
>>89 >ぶんぶんさんも、一度『時は流れず』を読んでみてはどうですか?
>値段も安いし、時間論に関しては100ページもありません。
げげ、『時は流れず』(青土社 1800円)うぐっ、安いのか。
でも初心者さんがそこまでおっしゃるなら(笑)さっそくネットで注文してみます。
91 :
考える名無しさん :02/10/30 02:10
>>88 僕は机を見ることができるし触れることもできます。
人間にとっての机とトンボにとっての机とコウモリにとっての机は違うという意味で、
机の真実を知ることは不可能だと思いますが「水槽の中の脳」は、
人間にもトンボにもコウモリにも実在しないという点で普通に無意味だと思っただけです。
なんかいきなり難しい問題になちゃったなぁ。なんか眠たいのに寝れない状態です。
もう少し考えてみます。
>>89 >「しかし、この洞穴野道の奥には一つの恐ろしい奈落が見えてきた。
>過去とは文字通りの夢物語ではないか、従ってこのアナーキーな過去には何の条理もなく限りなく
>無意味に近い制作物ではあるまいか、こうした恐怖を感じさせる奈落に面しては立ちすくむ以外にない。
>今後はこの奈落を避けて回り道をする坑道を掘ることになるだろう。」
奈落って無のことですよね。(過ぎ去る時間がどんどん無に吸い込まれて消えていくイメージの)
過去が無の一部だったとしたら過去が「何の条理もなく無根拠」だってことも理解できます。
自我が「恐怖」を感じるのも自然な感情だってことも理解できます。
だって僕が赤ちゃんだったという根拠が剥奪されてしまうようなものだから。
僕が後ろを振り返ったとき僕の過去が僕が存在してきたという証しにならないという恐怖。
僕が僕であることの根拠が根本から失われてしまう恐怖。(だから「奈落を避けて回り道」しなければ
自分の存在が危うくなる、つまり存在の無根拠性、例えば絶望が襲ってきて生が否定されるかもしれない)
↑の説明自体はどうでもいいんだけど大森さんはこんな感じでは絶対説明しないですよね。
でもなんか大森さんの理論の裏にはこんな超越的な観念のひそかな肯定があるように思えます。
そっちが前提になって大森理論を創作してるような気がするのですが。
しかも理系出身の元科学者としてはこの部分は絶対に告白できないみたいな。
だからわけわからんみたいな。だから(前向きに)ケチつけたいみたいな感じです。(笑
今日はこれで精一杯。なんか自分の頭の悪さを自覚しに来たみたいな感じがしてきました。(汗
94 :
考える名無しさん :02/10/30 02:58
「水槽の中の脳」ばなしのキモは、もしそれが現実だったとしても、
ぶんぶんさんは
>>92 のように考え、「無意味だ」と言う。
というところです。
95 :
zion-ad :02/10/30 03:16
>>86 だいたい正しいと思うよ.ただ4は
したがって,「われわれは水槽の中の脳である」は偽である.
としたほうが正確かな.これは3とは違うよね.3は
もしわれわれが水槽脳であるならば,「われわれは水槽脳である」は偽である.
だからね.ここではこういう推論だろうね:
われわれは水槽脳であるか水槽脳でないかのどちらかだ(排中律).もしわれわれが
水槽脳でなければ,「われわれは水槽脳である」は偽である,ということは自明.ところが
3より,もしわれわれが水槽脳であるならば,「われわれは水槽脳である」は偽である.し
たがって必然的に,「われわれは水槽脳である」は偽である.
>>88 ちょっと違うんだ^^.水槽脳の議論は
「今僕が生きている世界は、本当に実在するものなのか?」
目の前の机、これを人間は完全に認識できるか?
ということを証明するだとか反証するということを扱っているんじゃなくて,
一言で言ってしまえば,指示を固定するものは頭の中(これがどのような意味で
考えられようとも)には存在しない,ということなんだ.この問題は懐疑論とは
違うんだよ.p.8でパトナムも懐疑論ではないとはっきり言ってるでしょ.でも,
まあよくある自然な誤読かな.
>ぺん こんなところにまだいたのか さっさと死ね 二度とくんな
>>98 おまえが死ね
二度とくんな
>ぺん(ぺん)さん
98のようなカスはほっときましょう。これからもよろしく。
>>88 >伝統的な哲学の問いに、
>「今僕が生きている世界は、本当に実在するものなのか?」があります。
>一見ばかばかしい問いですが、それを証明しろといわれたら非常に難しいようです。
僕はこの哲学の問いには答えられない。だって答える問いじゃないからです。
それでも僕は想いを巡らしたりする。答えがないことを知っているのにです。
科学の問いなら科学で答えがだせます。数学の問いなら数学で答えがだせます。
答えがでるのは答えられる根拠があるからです。とりあえず1+1=2を信じてみるということです。
まともな科学者や数学者なら答えられる根拠の根拠がどこにもないことを知っていますからね。
僕はこのようないさぎよい姿勢にとても好感が持てます。人間の限界を前向きに受け入れてるからです。
科学の人は科学の数学の人は数学の「信じると決めた信じられる根拠」にしたがって答えを導くのです。
それにくらべて哲学の問いに対する答えはあまりにも自分勝手で「自分さえ良ければ」が目立ちます。
主観的思い込みばかりで思い込みの前提に飲み込まれて世界を狭くしてる籠の中のカブトムシ(王様)です。
哲学者たちそれぞれの「信じられる根拠」が見ていて痛いのです。だって自分で信じれてないんだもん。
例えば神様を信じているなら言葉なんていらないじゃないですか。どこまでも信じ続ければいいだけです。
眉間に皺を寄せて額や顎に拳を当てて言葉をもてあそんだり悩んでいるふりをする必要なんてないですよ。
頭いいんだからもっと役に立つことに苦労して欲しい。それで僕らが幸せになれれば彼らを尊敬できるけど。
頭悪くてマジで懸命に生きている(僕みたいな?)人間に対してなんとなく不遜な態度に感じられるのです。
この感覚ってニーチェのルサンチマンってやつですかねぇ。まぁ超人なんて人でなしのことだからいいけど。
つまりは、客観的な世界は存在する、とは言い切れなくても、 全てが主観であるとは、論理的に言えないって事っすか。
***祝*** 巨人優勝しました。その瞬間僕は巨人と一つになりました。 ***祝***
>>101 僕に質問するなんて前レス読んでないですね。いけません。(笑
悪いけど僕の主観は一般用語の主観です。論理的に、、、、とか言われても意味さえさっぱりです。
ただ僕一人じゃ僕自身も世界も成立しないとは常識として思いますけどね。
僕は主観なんてものも親からもらったものだし世界から分けてもらったものくらいに思ってます。
>>88 >「水槽脳」の議論は、あなたがこのような状況に陥っていることを論理的に証明、もしくは否定できますか?
>ということです。
「我々は水槽の中の脳である」という言葉だけで考えたので深い意味はないです。っていうか常に浅い。(汗
「水槽の中の脳」は自分で自分が「水槽の中の脳である」と確かめられませんよね。例えウソでもです。
例えウソでも確かめられる確からしいことなら信じてみてもいいけどという程度のことです。
僕は世界が意味とか価値とかがあると信じているから生きていられる。ウソでも確かめられないとなぁ。
スプーン曲げだって目の前で見せられたら意味があるしバカにしなくなると思うんだなぁ。僕はですけど。
論理的=
>>86 ということですか?
↑と矛盾するかもしれないけどロゴスに引きずり回されるのも僕は遠慮したい。
人間にはパトスがあるんだからロゴスとパトスのバランスが重要だと思うなぁ。
ときにはパトスにもてあそばれてみるのもいいじゃないですか。論理学って左脳しかいらないんでしょ。(笑
今日『時は流れず』を近所の古本屋で探してみました。大森荘蔵の本一冊もありませんでした。
ネット流してたら200円で手にした自慢話が、、、、よし僕もってつい欲をだしてしまいました。(汗
代わりにカントの「純粋理性批判全三冊」買いました。だって一冊100円だったし三冊揃ってたし。
でもさっき2ページ読んで挫折しました。こりゃ100円になるわけだと納得したところです。(笑
『時は流れず』も神保町にでかければ見つかるだろうけど電車賃で赤字になってしまうしなぁ。
田舎は金がかかって困ります。食料も日用雑貨も競争がないから高くて手がでません。刺し身食いたい!
僕はなぜこんなに貧乏なんだろう。貧乏暇なし=哲学に無縁は真実ですね。せめてADSL12Mにしたい。(笑
済みません、
>>96-97 つけるの忘れてました。
水槽脳の話でした。
>>94 >「水槽の中の脳」ばなしのキモは、もしそれが現実だったとしても、
>ぶんぶんさんは
>>92 のように考え、「無意味だ」と言う。
>というところです。
2ちゃねるってなんて親切なところなんだ。うれしい!
しかし親切の意味がさっぱりです。(汗
僕が折り込み済みの思考に無意識の内にあやつられているということでしょうか。
ではこの折り込み広告を信じないためにはどうすればいいでしょうか。
やはり思考による懐疑ですか。それとも思考の外の直感ですか。
>ぶんぶん 言いたいことはわかるけど文章が長い.それとできれば人生板か自分でスレッド をたててそこでやってもらいたいな〜.
109 :
考える名無しさん :02/10/30 23:48
ぷんぷんは人生論とルサンチマンの部分を差し引けばいいんだけどねぇ そういうところを書くのを我慢できないのね
>>85 >短編集「時間触」神林長平 「ここにいるよ」
>
>確かめる方法を中西医師の潜在意識は知っていた。
>頭骨を開いてみればよいのだ。来(きたる)の脳はない。
>竜に変容して出ていった。
>
>「また……会えますよ」
zion-adさん意味不明です。できればここで解説お願いします。
時間を確かめる方法を僕らの潜在意識は知っていた。
自らの頭骨を開いて完全知の脳に聞いてみれば良いのだと。
脳からはけっして未来への希望が生まれないことを悟るために。
希望は竜となって天に昇り幸運という名の星(ジュピター)になって消えた。
>>108 >>109 ぬっ、なんだこれは、、、、初心者さんに迷惑かけてるってことですね。
指摘してくれてありがとう。全然気付いてなかった。でも直せないなぁ。
一晩考えてみます。去るしかないみたいなら去ります。自分の意思で。
111 :
考える名無しさん :02/10/31 06:57
ちょっと古い話だけども。 大森の時間論(過去の非実在論)を疑問視する1氏の主張の中に、公然性、つまり 互いに異なる二者が似通った内容の想起を為し得るのはなぜかというものがあったが、 そこで直ちに過去の実在性(つまり「物自体」的な過去自体)を措定する以前に、 当の疑問そのものがすでに欺瞞を孕んでいる可能性を考えてみるべきかと思う。 まず第一に、独我論的な観点を徹底するならば――過去を懐疑する視点を保持するならば―― 「他者」が主体に回収されるという事態が考えられる。他者との想起の一致は、ここで 主人と奴隷の弁証法により、主体による予定調和的な物語として語られることになる。 また第二に、それを「一致」だと判断する根拠が他ならぬ「言語」を媒介したものであるため、 一つにはデリダの差延による意味の遅延が、二つには異なるラング間の共軛不可能性が、 その妥当性を無意味化してしまう。 第三に、言語における「指示するもの」と「指示されるもの」の非対称性から、 「過去」の唯一性が必然的なものではなくなる。AとBが、昨夜一緒にピザを食べたということで 意見を一致させているとしても、そのピザが唯一実在する必要はなく、例えば 複雑系の理論のように複数の事象平面の結節点として現在を捉えれば、ピザも私も彼も 複数存在し云々……というような詭弁も不可能だというわけではない。 とは言えこの反論は、過去自体が複数存在すれば足りる話だから、根本的なものではないとは思うが。 話変わって、逆に、過去の存在を証明するのであれば、主体と他者の二元論的な措定によるのでなく、 西田―西谷的な「空」として、つまり「現在」に住まい、それを不在として存在させるところの 語り得ぬ剰余として定位させるという試みもあっていいのではないかと思う。 まぁちょっと飛躍しすぎて自分でも混乱してきたけど。
>>110 初心者に迷惑なんじゃなくて,みんなに迷惑.人生論を語り合うのが哲学じゃない.
>>112 このままだと君一人が悪役にされそうなので、同意しておく。
1氏があんな感じだから甘えたくもなるんだろうが、
ぶんぶん君はもうちょと場の空気を読んだ方がいい。
哲学は「テツガク」じゃないです。断じて。失礼。
>>104 初心者の話の振り方が悪いのとぶんぶんが何も知らないからしょうがないんだが,水槽脳の議論は
>「水槽の中の脳」は自分で自分が「水槽の中の脳である」と確かめられませんよね。例えウソでもです。
>例えウソでも確かめられる確からしいことなら信じてみてもいいけどという程度のことです。
>僕は世界が意味とか価値とかがあると信じているから生きていられる。ウソでも確かめられないとなぁ。
>スプーン曲げだって目の前で見せられたら意味があるしバカにしなくなると思うんだなぁ。僕はですけど。
ということとは何の関係もない.水槽脳であるかどうかを確かめるというような問題じゃなくて,そもそも議論の
前提がわれわれは水槽脳であることだからさ.このことはいかなる科学的法則および理論とも矛盾しない.そこで
問題なのは,その水槽脳が「われわれは水槽脳である」と主張できるかどうか,ということ.
蛇足だが、大森の時間論、ベルクソンに繋げられないだろうか。 カントをガイドにするよりも、うまく行きそうな気がするんだが。
116 :
考える名無しさん :02/10/31 08:19
>ぶんぶんが何も知らないから こういう言い方はひどい世ナァ しらなくたっていいじゃんべつに 一応ちゃんと考えてカキコしてんだから
118 :
考える名無しさん :02/10/31 08:58
119 :
考える名無しさん :02/10/31 13:14
120 :
考える名無しさん :02/10/31 13:51
同意。 >稲 初心者が歓迎してるんだから排除する必要なんてないじゃん。あんたが消えればいいだろ。
121 :
考える名無しさん :02/10/31 15:14
>初心者1様、はじめまして。 前レスから拝読させていただいております。 素人の私にも楽しく読めるこのスレはとても貴重なものです。 最近哲学の本も何冊か購入いたしまして日夜奮闘しているところです。 ところでぶんぶんさんの件なのですが、私には十分立派な書き込みに思えます。 なるほどと感心することはあっても、なぜ問題にされるのかわかりません。 私も素人なので専門家にとっての哲学がどういうものなのか知りませんが、 ぶんぶんさんを去らせてしまうのは、初心者1さんの主旨にもとるのではないかと 推察いたします。このスレをきっかけに多くの見えない初心者が哲学に興味を いだいているのではないでしょうか。不肖未熟ながら私もその一人です。 ぶしつけな書き込みお赦し下さい。これからも陰ながら応援させていただきます。
122 :
考える名無しさん :02/10/31 16:06
はじめまして。 >前レスから拝読・・・・ ということは120からお読みなのですね。 この流れはまだまだ優しい流れだと思います。 マジ叩き、クソ嵐がはじまったらこんなものでは・・・・・ なお>不肖未熟ながら・・・・は語義重複です。
123 :
考える名無しさん :02/10/31 16:34
↑いやみなやっちゃな。ところで不肖未熟って使うやろ。 >ぶんぶん とにかく余計な事書くな。それで問題ない。但しカントで挫折するなら去れ。以上
124 :
考える名無しさん :02/10/31 16:37
↑勘違い。 不肖未熟ながら私も、の私が余計なのねん。
125 :
考える名無しさん :02/10/31 16:41
>>123 「カントで挫折するなら去れ」なんて、敷居高すぎちゃうの?
カントを普通にきちんと理解できるなら、ほとんどの哲学(ただしレトリック
が難しい文学的な哲学を除く)が理解できると思うよ。
126 :
考える名無しさん :02/10/31 16:45
ハハハそやね。それでもカントはぜひ読んでもらいたいという親心。
127 :
考える名無しさん :02/10/31 22:22
>>104 さっさと大森買って読め。『純理』は後でいいからw
>>112 >初心者に迷惑なんじゃなくて,みんなに迷惑.
オマエモナー
>>113 >ぶんぶん君はもうちょと場の空気を読んだ方がいい。
オマエモナー
>>121 さん
レスありがとうございます。
ぶんぶんさんのことでいろいろと揉めてるようですね(笑
僕の言葉が足りなかったようです。
ちょうどよい機会なので、彼だけでなく、参加を希望している他の初心者の人にも
読んでもらいたいと思います。
結論から言うと、稲さんの言うとおりぶんぶんさんが”このままの調子で”書き込みを続けるなら、
辞退してもらいたいと思っています。
「どんどん質問していいといったのはおまえでないか?」といわれそうですが、
そうではないのです。
それをこれから説明します。
僕は初心者の人に参加を呼びかけて、質問をどしどしするよう促しましたが、
それは無条件で質問してよいという意味ではないのです。
質問とは、まず自力で調べ、自力で考えることを前提としています。
それでも、どうしてもわからない時、結論はでたけど誰かに批評してもらいたい時、
その時初めて行われるものでなくてはなりません。
それが、人にものを教わる時の最低限の礼儀です。
僕も経験があるからわかるのですが、専門家から見て一番ウザイのは、
素人が生半可にかじった知識で理屈をこねることです。
つまり、僕のように全くの初心者のくせに、「哲学とは・・」とか「大森の思想は・・」といった能書きを、
一部の専門家は非常に不愉快に感じているのではないか、と怖れています。
けれど、稲さん始めここに来てくれる人達は、”それにもかかわらず”、アドバイスをくれるのです。
レスをする義務など彼らにないにもかかわらずです。
(続)
ウザがられても、今の自分の知識で自分の意見を述べるのを止めることは、僕にはできません。
勝手な言い分ですが、初心者なのだからわからないことは当たり前、質問するのも当たり前です。
少ない知識で能書きをいうことも見逃してもらいます。
けれど、最低限の礼儀は尽くすつもりです。
その礼儀とは僕にとって、哲学にまじめに取り組むことであり、哲学に対する敬意なのです。
そして、自分で調べもせずに質問するのは礼儀知らずなのです。
>>86 の水槽脳のレスも簡単そうに見えますが、僕にとってはようやく、 。
本当に繰り返し繰り返し該当箇所を反芻し、何とかあのレスまでたどり着いたのです。
それが僕の、哲学に対する、レスをくれる人に対する、
さらには僕に哲学の奥深さを教えてくれた大森荘蔵に対する礼儀なのです。
ここで述べていることは大学や実社会では当たり前のことです。
自分で努力をしない教えて君は中学、甘くみても高校までです。
社会人になると、自分で調べもせずに人に聞く奴は馬鹿扱いされ、それだけで相手にされなくなります。
ここで強調するまでもなく、ごくごく平凡な常識なのです。
ぶんぶんさんも僕の言っていることわかりますよね?
問いを自力で考えるのはとてもりっぱなのですが、
その時の思いつきや印象をすぐに書き込むのではなく、まずその箇所を本で読んで、哲学者とじっくりと対話してみてください。
彼らは同じ問いを、僕たちの何千何万倍も考え抜いているのです。
奇抜な結論だけに条件反射するのでなく、哲学者がなぜそのような問いを抱いたか、どうやってその結論を導いたか、
(もしできるならその時の心の揺れ動きまでも)、それを把握した上で、それに対する反論を論理的にレスして下さい。
哲学は結論だけが重要ではないのです。
日常に隠されている素晴らしい問いと、それを証明する論理の構築が哲学の醍醐味なのです。
それと
>>117 さんが指摘している森(スレの流れ)もよく見てください。
前スレから読んでくれているぶんぶんさんならわかりますよね。
(続)
もう一つアドバイス。
>>100 のように、今までの自分の常識を頼りに哲学を否定するのでは、
何のために哲学を学ぼうとするのかわからなくなりますよ。
哲学の問いは、常識を疑うことから始まっていることが多いですから、
常識で安易に判断することは避けなければなりません。
まずは謙虚に相手(哲学者)の意見に耳を傾けましょう。
多くの専門家が哲学は人生論ではないといってます。
大森荘蔵が
「何かほかのことができる人は哲学などしない方がいい。哲学は病気でありさえすればいい」
といい、本気で、
「私はなぜ自分の葬式を見ることができないのか?」
と問い続けた意味をよく考えてください。
(おそらく多くの専門家はこの言葉に反論するかもしれませんが)
それゆえに、僕は哲学の真髄に触れることなく、表面をなぞるだけで終わることでしょう。
(これらについて少し考えてみます。後日)
少しキツイ言い方になりましたが、ぶんぶんさんにも以上の事を理解してもらった上で、
参加を続行してもらいたいと思っています。
>>93 の最初の段落など、いいカンしてますよ。僕のいいたかったことズバリです(笑
そういったかんじで、僕ではなく大森荘蔵と直に対話してもらいたいのです。
>>121 さんも参加しませんか?応援より参加です(笑
気楽にマターリとやりましょう。
他の初心者の参加もお待ちしています。
このスレの参加資格があるとすれば、哲学に対する(広い意味での)敬意だけだと思いますよ。
以上、初心者からでした。
(なんか各方面から猛反撃がきそうなんですが(笑))
131 :
初心者その1 :02/10/31 22:39
それと度々すみませんが、これからますます忙しくなりレス遅れるかもしれません。 マターリとお願いします。
初心者も偉くなったもんだ。ちょっとがっかりだな。
俺は
>>121 の意見に賛成なんでな。ぶんぶんはなかなかいいセンスしてると思ってたから残念だ。
zion-adに壊されなきゃいいがな。まぁ君のスレだから勝手にやってくれ。
133 :
考える名無しさん :02/10/31 23:00
『猿のセンズリ論理学』(著者 稲) 解説:一度覚えたフレーゲ論理学の快感が忘れられずその快楽にしがみつく哀れな猿のお話。 つまんねー奴は猿、もとい去れという自己啓発の書。
134 :
考える名無しさん :02/10/31 23:03
ワロタ
で、論理的に水槽脳の話は成立しないとしても、それが現実的にあり得ないという 事に繋がるんすか。 感覚出来る殆ど全ての事柄が、脳によって作られた仮想的な物だけど、 脳だけが例外的に実在する、ということも、あり得ないとは言い切れな いんじゃないでしょうか。
136 :
考える名無しさん :02/10/31 23:23
>>133 その猿の足元にも及ばない、単なる金魚の糞 >133
137 :
熱心なスレ愛読者 :02/10/31 23:30
>初心者さん 今回は初心者さんの意見には同意できません。 初心者さんの言ってることは正論だけれど単なる大人の説教です。 ぶんぶん君はカントを購入してるし(挫折はきっとウソですw)、 『時は流れず』も買うはず(既に買ってるかも)ですし充分に哲学する姿勢があると思う。 その辺のことをもっと考えてあげるべきです。彼は初心者さんが思うよりずっと勉強してますよ。 彼のカキコからそれは伺えます。礼儀作法を言うなら他にも言うべき人がいるのでは。
138 :
初心者その1 :02/10/31 23:54
>>137 熱心なスレ愛読者さん
正直なレスありがとうございます。
僕はこのスレに書き込む時、相手が大森荘蔵だったらどう思うだろうとよく考えています。
ぶんぶんさんに関しても同じです。
大森さんだったら彼にどうアドバイスしただろう、と考えて上のレスを書きました。
僕自身もぶんぶんさんの好奇心と積極性には非常に好感を持っています。
彼の全てを否定しているのではなく、彼の方向性(やり方)を変えたかっただけです。
ぶんぶんさんにはこのパワーを持続したままスレの参加を望んでいます。
(もちろんあなたにもです)
>礼儀作法を言うなら他にも言うべき人がいるのでは。
匿名の煽りに礼儀作法を言っても仕方ありません。
もし一部のコテハンを指しているなら、僕は失礼とは全く思ってませんよ。
きつい言葉と本当の意味での親切は比例しないと思っています。
私も今回の初心者さんの意見には疑問を感じます。
熱心なスレ愛読者さんと同じ気持ちです。
>>130 >もう一つアドバイス。
>
>>100 のように、今までの自分の常識を頼りに哲学を否定するのでは、
>何のために哲学を学ぼうとするのかわからなくなりますよ。
常識を信じてみせて哲学に挑むという哲学する方法もあるのではありませんか。
哲学する方法論に枷をはめるのはどうなんでしょうか。
それこそ常識に縛られるということではないでしょうか。
このスレが自由な発言の場であり続けるよう願っています。失礼致しました。
140 :
考える名無しさん :02/11/01 00:06
>>138 >彼の方向性(やり方)を変えたかっただけです。
だから何様なんだよ。己惚れるのもいい加減にしろ!!
141 :
初心者その1 :02/11/01 00:07
>>138 追加
初心者の僕にとっては、(おそらくあなたが思っている)そのコテハンが一番親切な人です。
また大人の説教とか言われそうですが、実社会では彼のような人が(本当の意味で)一番親切な人と言われますよ。
反対に、根っからのいい人の方が、本当の意味での悪どい奴ということも数多くあります。
どういう意味かわかりますか?
142 :
考える名無しさん :02/11/01 00:10
人格者初心者もついにボロがでたな。
哲学の話を、して( ゚д゚)ホスィ…
144 :
初心者その1 :02/11/01 00:11
いろいろと反論も来ているようですが、この件に関しては僕の中では終わりにします。 (もちろん、みなさんがレスするのは自由ですよ) また、前の続きから始めたいと思っています。 これからもよろしくお願いします。
145 :
熱心なスレ愛読者 :02/11/01 00:14
>>141 稲さんのことを言ってるのでしょうか?
勘違いです。そのように思われてとても残念です。
これ以上言っても無理なようですね。
146 :
初心者その1 :02/11/01 00:15
>>145 稲さんのことだと思ってました。
僕の勘違いです。
すみませんでした。
147 :
考える名無しさん :02/11/01 00:30
でも評価の際に実社会をもってくるのね オレハ稲嫌い でも1のスレだからね がんばってね 1さん 1の人格は他スレでKUriharaさんが暴いてるし いまさらだよ そんなこといっても ちんほ太郎さんがいってるようにネットなんだから(略) まま いいスレだと思うよ
>>初心者その1 激同 俺のようなしろうとでも 前レスみたいな感じのものは、確かにむずかしくはあるけど、 逆に向上心を煽られる。それを単にROMってた方が俺としては勉強になる。 本当に向上したいなら、2chは極力やめて、少しでも本を読むべきだ。 ぶんぶんさんも焦らずに、冷静に判断した方がいい。 一週間くらい2chをやめて本を読むことに集中すれば、だいぶ力になるよ。 参加はそれからでもいいじゃない。 初心者さん影ながら応援してます。がんがれ!
>初心者その1さん 『時は流れず』読了しました。もう一度熟読してみます。 『純理』諦めてません。(笑)「物自体」キッチリ把握できたらまた来たいと思います。 ご迷惑をお掛けしてすみませんでした。 >このスレのファンの皆さん 大変ご迷惑お掛けしました。許して下さい。 >僕に励ましを下さった皆さん 心からありがとうございました。 >ALL 稲さんには前レスでお礼を言っているように感謝しています。 どうか誤解されないようにお願いします。それでは皆さんまた逢う日まで。
150 :
考える名無しさん :02/11/01 00:58
初心者その1も人生論たらたら垂れ流してるのに・・・・
151 :
考える名無しさん :02/11/01 00:59
稲、シアワセだな。オマエの意に反して感謝されてるよ。 あーあ、でも結局オマエのせいで排除されたな。少しは反省しろよ。
152 :
考える名無しさん :02/11/01 01:02
稲てバカなのになんであんなエラソーなんだろ
153 :
考える名無しさん :02/11/01 01:03
なんか納得できないなぁ。 なんでぶんぶんは去らなきゃいけないのよ??? 初心者は『純理』読破してるんだっけ?
154 :
考える名無しさん :02/11/01 01:04
だれもよんでないよ 稲もよんでない 大森スレだもん ここ
155 :
考える名無しさん :02/11/01 01:04
>152 馬鹿だから
156 :
考える名無しさん :02/11/01 01:07
>>154 だって初心者が「物自体との平行性について」とかいうから本買ったんだろ。
かわいそすぎだよ。それじゃ。
157 :
考える名無しさん :02/11/01 01:14
『純理』誰も読んでないなら誰も参加できないじゃん
ぶんぶんさん、先ほど、ああ述べましたけど、 それだけ読んだらもう参加してもいいんじゃないんですか? 自分でその疑問の要点をまとめられるなら大丈夫ですよ(w
159 :
考える名無しさん :02/11/01 01:18
>>157 なるほどおかしいや。となるとこりゃあきらかに排除ってことだね。
160 :
考える名無しさん :02/11/01 01:20
カントについては初心者その1氏がいってんじゃなくて
>>123 が言い出したことだから、無視してもいいと思うよ
123はさぞかしカントにくわしいんでしょう 質問したいなぁ(ワラ
早く水槽脳の話に、戻ってよ…。
162 :
考える名無しさん :02/11/01 01:27
>初心者 頭冷やして最初から読み返した方がいいよ。 ぶんぶんの「やり方を変える」なんて偉そうなこと言ってないでさ。 そんなことする必然性ぜんぜん感じなかったぞ。俺は。
163 :
考える名無しさん :02/11/01 01:30
水槽脳の話はもういいよ その前に初心者その1の議論があったのに パトナムのどーでもいい話を答え知ってる先生みたいに 稲がえらぶってたらたら講釈垂れ流し こんなの勘弁してよ
164 :
考える名無しさん :02/11/01 01:32
物事は好き嫌いで決まるってことで。。。この話題は終了!
165 :
考える名無しさん :02/11/01 01:34
>>163 いえてる。俺もカンベンしてほしい。あいついると気分悪くなるし。
あんまり言ってるとさらに大物ぶって出てくるぞ、バカだから(w
そだね。
稲が嫌なら来なければいいのに。 別に君ら初心者には呼ばれてないんじゃない? 稲は呼ばれてるようだけど。
169 :
Kurihara :02/11/01 02:44
大物って僕のことですよね?
170 :
考える名無しさん :02/11/01 03:14
もういいからそろそろ本題に戻ろうぜ。
主旨に関係のある最後のレスは・・・、
>>111 か。
じゃあそこからってことで。
言い方はきついが初心者の言うことは極まっとうなことだと思う
172 :
考える名無しさん :02/11/01 10:40
>哲学の問いは、常識を疑うことから始まっていることが多いですから、 とかいいつつ >実社会では彼のような人が(本当の意味で)一番親切な人と言われますよ。 と実社会=常識をもってきて説得するのは如何なものか? いいスレだけどね。こういうところでひっかっかる
173 :
bloom :02/11/01 10:41
174 :
考える名無しさん :02/11/01 10:43
稲はスゲー嫌だけど、初心者その1さんにはヒカレル 上でいってることもだいたい納得出来る
まったりでいこう。 哲学始めたばかりのぶんぶんさんが、 文学的な「哲学的」議論をしたくなるのは分かるし、 学問としての哲学に目覚めた初心者さんが、 不満を感じるのも分かる。 こういうときはとにかく、目の前の問題に即して 議論していくしかないと思います。つまらんと思った 書き込みを追い出すより、イイと思った書き込みに 烈しく応答していくかたちで。
で、こういう人生論書き込みオンリーは最低なので、 ちょっと議論自体への意見を。 パトナム脳の話で、大森さんに一番関係あるのは、 デカルトの悪霊と夢に関する長めのエッセイみたいのだと 思いますが、大森さんの議論にパトナム自体の議論は やっぱりあんまり関係ない。 あれはあくまでも対象の指示と意味に関する話。 そして、はっきりいって出来はよくありません。 パトナムの場合、双子地球とか水槽脳とか、 例自体はとても面白いけど、議論が雑で冗長です。 稲さんを私は好きでも嫌いでもないですが、 哲学史に即した話をするときは、なぜその議論が 今必要なのかを、自分の解釈とともに提出してほしいです。 そうじゃないと、単なるひけらかしだと思われてしまう。 大体、パトナム脳の話自体には正解も何もないわけで、 パトナム自身の議論を知っているか否かをチェックするような 問いかけは空しいです。実際、パトナム脳を懐疑論として 扱うといった「誤解」は、それ自体独立して、身のある話に なりましたし、大森さんと関係が深いのは、むしろこっちの 議論のほうです。
ついでにカントですが、 大森さんはずっと「超越論的とは何のことか分からない」 と言っていたそうです。 「立ち現れ一元論」が良くも悪くも素朴に観念論的であったのに対し、 カントはやっぱり良くも悪くも、ずるがしこく観念論的。 でも、それじゃあ大森さんのほうがストレートでずるかないかと いったら、直球ゆえのずるさというものがある。 55さんが指摘しているのは、まさにそのずるさですね。 大森哲学を愛するゆえに、一気に書き込んでしましたが、 もう出てくることはないと思います。 みなさん、気長にやりましょう。バイナリ。
大森さんの、過去は実在しない、って言うときの、実在っていう概念を 踏まえておくために、パトナムの水槽脳の話が出されたのかと 思ってたのですが。
179 :
考える名無しさん :02/11/01 12:35
いや、中級者さんこそ初心者その1さんが求めてた人だと思う その意見面白いです。たまにカキコしてくれるとぼくもうれしい、と とりあえず言ってきます
>>178 今読み返したけど、全然そういう文脈じゃないよ
>>178 >>180 文脈は違うね.
なぜ水槽脳の話が今必要なのか?
いい論文だから.中級者と違って,確かに議論は忙しいけど雑だとは思わないし,
冗長だとも思わない.とにかく哲学科の学生が一番最初に読むべき論文の一つだと
思うな.僕は「正解はないんだから」という感覚で論文を読んだことないし議論し
たことないな.そういう風に指導されてこなかった.
182 :
考える名無しさん :02/11/01 21:44
話の本筋と関係のない話題になりますが・・・ 初心者さんのぶんぶんさんに対する語り口には なんというか出鱈目な印象を受けました。 これは自分の言葉で語っていないなあという 文句が所々に見受けられます。端的に紛い物 のように思われました。 社会通念的なことを語る場合でも、ある種の 人が語ればその言葉は紛い物のような印象を与え、 またある種の人が語れば正当な印象を与える ということがあると思います。チンポ太郎さんの 発言の殆どは、Kuriharaさんその他によれば 「普通哲学史の教科書に載っている程度のこと」 らしいですが、あれは出鱈目とはかけ離れた印象でした。
>>182 もうその話はいいじゃんか
ようは初心者はぶんぶんの哲学を馬鹿にしたような
発言にかちんと来たんだろ?
彼ぐらい哲学というか大森に敬意を表している奴は
そう言う奴が我慢できないんじゃないのか?
とにかく哲板の初心者ではまれに見る勤勉な奴なんだから
そう言った揚げ足取りはもういいじゃんか。
早く前の議論の続きをやってほしいよ。
184 :
考える名無しさん :02/11/01 22:02
ヒッキーだけどね
185 :
Kurihara :02/11/01 22:13
>>182 そうですね。ちんぽさんの発言は大変、哲学のスタンダード
に則るもので、哲学の正統派的理解に由来するものですね。
だからこそ、反面、反論には弱いわけです、ちんぽさんは。
自分の哲学理解は正統なものなのに、なんで反論するの?
といったかんじですよね。
しかしちんぽさんの博識ぶりは特筆に値するものがあります。
ちんぽさんは大変な努力家で、秀才型(浅田彰型)なんですよね。
因みに、僕は天才型(柄谷行人型)ですけどね。
俺は超人型だけどな。・・・すまん、逝ってくる。
187 :
ディオニュソス的に然り :02/11/02 08:07
じゃあオチもついたことだし、本題に戻っとくか。な!
188 :
考える名無しさん :02/11/03 23:28
age
>1さん、お久しぶりです。元気出して下さいね。(^.^)
前スレの「我を忘れる」(価値の)話も一部関係するのかな、とは思うのですが、
レスした方がいいですか。まぁ、余計に混乱するかもしれないですけど。(笑)
>>170 さんのご指摘に従って
>>111 から進めたいと思います。
>111さん
>大森の時間論(過去の非実在論)を疑問視する1氏の主張の中に、公然性、つまり
>互いに異なる二者が似通った内容の想起を為し得るのはなぜかというものがあったが、
>そこで直ちに過去の実在性(つまり「物自体」的な過去自体)を措定する以前に、
>当の疑問そのものがすでに欺瞞を孕んでいる可能性を考えてみるべきかと思う。
うん。それに「過去自体」を「モノ自体」と連関させてしまうと「過去自体」が、
「モノ自体」の超越性に引き込まれてしまって必然的に一元論に回収されるもの
としての概念になってしまうように思います。もちろんそれで構わないんだけど。
で、大森哲学においての「過去自体」の定義が、もう少し明確になるとうれしい。
といっても、認識し得ないから定義できないんですよね、無理な注文なのかなぁ。
>まず第一に、独我論的な観点を徹底するならば――過去を懐疑する視点を保持するならば――
>「他者」が主体に回収されるという事態が考えられる。
>他者との想起の一致は、ここで主人と奴隷の弁証法により、
>主体による予定調和的な物語として語られることになる。
前提を無視していうと(笑)、わたしは「他者」あるいは「他性」というものは、
主体に回収されるのではなくて、元々主体に潜在的に存在していると思います。
主体と他者との想起の一致の完全性の度合は、主人と奴隷の関係性がどこまで
対等になるかの問題ではないかと思います。
>>111 >また第二に、それを「一致」だと判断する根拠が他ならぬ「言語」を媒介したものであるため、
>一つにはデリダの差延による意味の遅延が、二つには異なるラング間の共軛不可能性が、
>その妥当性を無意味化してしまう。
同じ場所で同じ瞬間、同じ志向性を持って同じ対象を認識したとしても異なる言語間の
共役不可能性から意味、あるいは価値の差異がもたらされる。つまり完全な一致はない。
また現象の差延による意味の遅延が、真実を曖昧にしてしまうのだとしても「差異」や
「曖昧さ」といったとき、それにもまた完全ということはありません。完全否定も不可。
完全性は、わたしとあなたが、あるいはわたしと対象の主客の関係性が破棄された状況
でしか顕在化しないのだと思います。といっても顕在化と同時にわたしは言語空間から、
換言すると、時の遅延および言語の限界から飛び出しているので説明不可能なのですが。
>第三に、言語における「指示するもの」と「指示されるもの」の非対称性から、
>「過去」の唯一性が必然的なものではなくなる。
>AとBが、昨夜一緒にピザを食べたということで意見を一致させているとしても、
>そのピザが唯一実在する必要はなく、
>例えば複雑系の理論のように複数の事象平面の結節点として現在を捉えれば、ピザも私も彼も
>複数存在し云々……というような詭弁も不可能だというわけではない。
>とは言えこの反論は、過去自体が複数存在すれば足りる話だから、根本的なものではないとは思うが。
このあたりになると濃厚に神秘主義が顔を出してくるのですが、(笑)
分かりやすさでは、ボームの明在系/暗在系の概念あたりでしょうか。
もっと簡単にいうと「混沌」が、すべての実在(現象)の根源である、みたいな。
つまり、時間の不可逆性や現象の確定性、実在の個別性の否定ですね。
もう少し弱い意味表現なら「ゆらぎ」や「フラクタル」の概念になるのでしょうか。
>>111 >話変わって、逆に、過去の存在を証明するのであれば、主体と他者の二元論的な措定によるのでなく、
>西田―西谷的な「空」として、つまり「現在」に住まい、それを不在として存在させるところの
>語り得ぬ剰余として定位させるという試みもあっていいのではないかと思う。
>まぁちょっと飛躍しすぎて自分でも混乱してきたけど。
「色即是空」「空即是色」ですね。
でも、飛躍しないと話にならない議題ですよ。たぶん。なので以下に妄想を。(笑)
《 時間と因果律に囚われた自己の構造 》
横軸に未来-----過去、縦軸に原因-----結果として、交点を現在の自己自身とする。
眺められた図表は、一瞬の一場面であると同時につねに回転しながら変化していく、
書き換えられる現在の自己自身の姿でもある。
《軸によって区分された4領域(空間)の象徴的意味 》
【過去−原因】:自己の習慣、経験の蓄積、他性との差異性
【原因−未来】:潜在的な意味と価値、自己の可能性
【未来−結果】:宗教、倫理、自然、社会、他性との同一性
【結果−過去】:顕在的な意味と価値、自己の実在性
ということで、それぞれの軸の「交点」における自己にとっては、
時間も因果律も作用しません。今と今のあいだの、時間が存在しない空間です。
時間が流れて領域(面)が形成されると、連続した時間と連続した空間によって
因果律の作用する物質空間が認識され、わたし達の物質文明世界が出現します。
(時間が流れて:時間という概念が獲得(認識)されて)
>>115 111さん
>蛇足だが、大森の時間論、ベルクソンに繋げられないだろうか。
>カントをガイドにするよりも、うまく行きそうな気がするんだが。
両方ともおもしろそうだから両方ともガイドにするのがベストですね。(笑)
ただベルグソンのいう「純粋持続」が果たして「時間」と呼べるのかしら、
という疑問があるんですけどね。大森さんの「過去自体」も「物理的時間」と
リンクしているところをどう解釈して良いのか分からないし、とにかく
ベルグソン担当は、111さんということでよろしくお願いします。(^.^)
(わたしもベルグソンは、これからちょっと考えてみます)
193 :
考える名無しさん :02/11/04 04:54
カオルは人生論が入ってるな〜
194 :
zion-ad :02/11/04 07:55
>1 戦争屋の隠密です。勝手に侵入工作します。 >192 >ただベルグソンのいう「純粋持続」が果たして「時間」と呼べるのかしら、 これこそが時間であって、計量できる物理的時間の方が紛い物。 でも、生き残るには必要な戦闘用時間。100万語毎年の文字を アタマから絞り出し、打ち出し、書き出さなければならない。 その作業時間は、物理的に計測可能な戦闘時間。 仕事量が力積になるようなものか。効率を考え、エントロピーから 有効な範囲だけを抽出するエクセルギーのようなものか。 それに対し、全26話のアニメを一気に全部観る。結末を知りたい。 しかし、おもしろければ、この瞬間にではなく、充分に楽しんでから結末を知りたい。 なんとなく、時間の内側にくるまれていたい<霧中・無中・夢中>。 終わりまであと何話と計測する意識が入ると、「純粋持続」にならない感じ。 分割を喜ばない時間。
195 :
zion-ad :02/11/04 07:56
ダブルブッキングの時間差デート。 今日を乗り切り両方ともの関係を維持するには、時計をチラチラ。戦闘時間。 今日は、ここまでと気持ちよく送り出してくれる。に、誘導するテクニック。 時間内に。作戦時間は限定されている。 1単位の時間だけに注目することから、もう1単位の時間をも同時に注目する。 この戦闘時間のいまを乗り抜ければ、甘い時間がこっちのとあっちのとを別々に 楽しめる。ま、もっと上級テクニックがあったら同所でだけど飛ばし。 で、この時間も次の予定も視覚化された時間、座標軸の無限分割可能な座標格子点に なっちゃった。くるまれるはずの甘い時間が、超越的な瞳の操作時間になっちゃった。
196 :
zion-ad :02/11/04 08:05
>190 >同じ場所で同じ瞬間、同じ志向性を持って同じ対象を認識したとしても異なる言語間の >共役不可能性から意味、あるいは価値の差異がもたらされる。つまり完全な一致はない。 量子力学の位置認識の完全。対象の特定。このとき、異なる言語間の 共役不可能性から方向、あるいは振幅の差異がもたらされる。つまり完全な一致はない。 俺は薫を必要とする。カオルと薫を共役可能したい。 ボームの明在系/暗在系の概念を語れるあなたを。 一方的な、乞い心。黒猫乞食。カヲル君を殺す。
>>193 さん
>カオルは人生論が入ってるな〜
今日「アルジャーノンに花束を」見ました。
人生哲学するにはとってもいい教材だと思います。オススメ!
>>197 さん
>オモロイネ
ありがとう。
>>194 zion-adさん
>>ただベルグソンのいう「純粋持続」が果たして「時間」と呼べるのかしら、
>これこそが時間であって、計量できる物理的時間の方が紛い物。
今と今のあいだ、一瞬の永遠、実存・・・が、わたしの思う「純粋持続」であって、
>>191 の二つの軸の交点が“それ”です。わたしのは「空間」が、前提されてるけど、
ベルグソンの「純粋持続」は、非-空間的なものとしての“それ”でしょ。
それって「死」のことだから、わたしは“それ”と「無我夢中」や「我を忘れて」を
区別したい。なぜなら、生きているということは「変化している」ということだから
その限りにおいて、時間と空間は切り離せないと思うから。
200 :
初心者その1 :02/11/06 00:09
こんばんは、初心者です。 先日の賛否両論のレスを、本当ならば議論を続けるべきでしょうが、匿名の掲示板上では 泥沼化するのは必須と思い、僕の方からは降りさせていただきました。 自分勝手な振る舞い、申し訳ありませんでした。 ただ、予想以上に初心者の方が、このスレを楽しんでくれていたのがわかり、とてもうれしく 思っています。 >ぶんぶんさん さっそく、哲学者との対話を始めているようですね。僕の言葉足らずでぶんぶんさんにも本当に 迷惑かけてしまいました。すみませんでした。ぜひまたこのスレへの参加をお待ちしています。 次に会う時は、パワーアップしたニューぶんぶんさんであることを期待しています。 お互い哲学に心惹かれる初心者、これからもがんばりましょう。 >稲さん 稲さんにも迷惑をおかけしたようですね。申し訳ありませんでした。 今さら言わなくてもよいと思いますが、これからもビシビシと意見、反論をお待ちしています。 よろしくお願いします。 返答すべきレスがたまったのですが、しばらくできそうにもありません。 (議論に関するレスには、じっくり考える時間が欲しいです) ただ、中級者さんの次の箇所は非常に気になっております。 (続)
>大森さんはずっと「超越論的とは何のことか分からない」と言っていたそうです。 どういう意味なのでしょう? 「超越論的」 辞書的な意味は僕もわかるのですが、大森さんがこの言葉で何を指しているのかが、 はっきりしません。 (超越論に限らず、観念論、実在論、内在、といった哲学用語の意味が、いまだ漠然と した理解なのです、僕は) 今、「超越論的」で思いうかべるのが、プラトンの「イデア」やカントの「物自体」です。 直接経験はできないが、我々の経験できる世界(現象界)の根拠となっている概念のことを 指しているのでしょうか? とすれば、「超越論的とは何のことか分からない」とは二通りの解釈が可能です。 1.超越論的な世界は、(大森にとって)ごく当たり前に実在する世界。 2.超越論的な世界は、(大森にとって)妄想の世界。 この二通りにおいて、「なぜ、(こんな当たり前のことを)実在非実在と議論するのか 分からない」といえますよね? (続)
僕が大森さんに惹かれるところは、実は彼の理論ではなく、上記のような彼の何気なく
ポツリとつぶやいたような言葉なのです。
「超越論的とは何のことか分からない」
「私はなぜ自分の葬式を見ることができないのか?」
>>130 さらには、
「哲学は病気でありさえすればいい」
>>130 最近はいつも、これらの言葉の意味を考えながら、彼の著作を読んでいます。
彼の哲学は、非常識なテーゼと、それを裏付ける緻密で論理的な理論でくみあがって
います。しかし、ーうまく言えないのですがー、その表面に現れる論理的思考の奥底
には、世界に違和感を感じる彼の非論理的な根源的感情が潜んでいるように思われます。
大森さんの場合は、明らかにまず理論ありきではなく、世界に対する哲学的問いがあります。
心の奥底からわき出てくる問い(世界に対する違和感)が、彼の理論を形づくっています。
これらの大森さんの何気ない言葉を”実感”(同意する必要はないが)できない限り、彼の
哲学の字面をなでるだけでは、彼の哲学は永遠に理解できないのではないでしょうか?
永井均さんは
「哲学とは、自分自身を納得させるために、上げ底埋めていこうとする努力である」
と言っていますが、どうしてもこの言葉から大森さんが思い浮かんで仕方がありません。
彼だけがなぜ「奈落」(
>>89 )を見てしまうのでしょうか・・・。
やっぱり僕にとっては、大森哲学を読むことがおもしろいのではなく、
「大森荘蔵との対話」に無性に惹かれるのですね。
最後になりましたが、中級者さん。的確なレス本当にありがとうございました。
中級者さんにはいろいろな意味で感謝しています。ズバリ僕の迷いの核心をついた他の内容
につきましては、追ってレスするつもりです。スレの流れなど読まずに単発レスでもいいので、
これからも時間が空いた時に書き込んでいただければ幸いです。
やはりうまく言葉にできなかったようです。 これからも、上記について様々な視点から述べてみようと思っています。 >カオルさん カオルさんの時間論は本当におもしろいですね。 正直、今の僕の理解を超えていますが、じっくりと考えてみたいと思っています。 前スレのカオルさんのいう「価値」も、始めはさっぱり分からなかったのですが、 『論考』を読んでようやく理解できるような”気が”しましたよ。
204 :
初心者その1 :02/11/06 00:30
では、おやすみなさい・・。
205 :
考える名無しさん :02/11/06 01:09
>>カオルさん 中島は「変化」は時間ではないといいましたがどう思いますか。
206 :
zion-ad :02/11/06 07:36
>>199 >>191 >>194 大森荘蔵は、点をどのように考えているかです。そして、東晃史(あきふみ)が。
ベルグソンも大昔に一度読んだきりの私の勝手解釈ですが。
点に面積(領域)は、あるのか。これを考えるだけで次世代の量子力学が成立すると、
私は妄想しております。そして、あなたの力を必要とする。
> 今と今のあいだ、一瞬の永遠、実存・・・が、わたしの思う「純粋持続」であって、
>
>>191 の二つの軸の交点が“それ”です。わたしのは「空間」が、前提されてるけど、
2直線の交叉点に面はあるのか。3直線の三叉点に空間はあるのか。
直線が直交するという座標空間の暗黙知は、なにを語っているのか。
点の定義は、これ以上分割できない。微分不可能。視線では見えない。
見えたと思えたら、それは紛い物。イメージによるもの。
知覚正面というなんらかの投影面、スクリーンが必要であり、
その部分領域を占める面でなければ、見えない。点はイメージ空間には存在しない。
交点を指し示しながら、そこを空間だと前提する。このねじれが現状の量子力学を
形成している。このねじれの手続きを解明すれば、次世代の量子力学となる。
巧くすれば、ノーベル物理学賞。受賞者は3人まででしたっけ。
ま、下手しても俺とあなたの時間が多少喰われるだけ。
で、中間として、東晃史の単独受賞ってこともありで、
俺コーディネーターで、受賞者2人ってこともあるか。でも、加えてくれ。
207 :
zion-ad :02/11/06 07:39
”1”を、”2”を、数直線上で見ることはできない。 ただ、ここにあるよと、不在を指し示すだけ。 言語学の教えによれば、言葉の指し示すものは、不在の証明。 教科書の数直線上に指し示された”1”がどこにあるかを知っていると 思い込んでいることは、すでにイメージの罠に囚われている。 ラカンなら穴は”へり”、縁によって象られた(かたどられたと変換された)で あり、その存在は、内側と外側の間。面でない。領域を持たない領域。 デデキントの実数(切断)p44 数直線をバッサリと切ると、その切り口は、 最大数と不明の間、不明と最小数との間、不明と不明の間。 最大数と最小数の間ではない。 −−−−−−○ ○−−−−−− 上記のように、明確化された端点と端点の間には、間と語れる線の明確な 不在の存在があるので、それじゃ、切断したとは言えない。3分割になってしまう。 間が見えるようになっちまう。イメージによる囚われ。 これを切断とは、数学者は言わないようだ。
208 :
zion-ad :02/11/06 07:39
つまり、”1”は、不明と不明の間にあるとしか言えない。 端点と不明の間に”1”があるなら、”1”は、端点と同一化してしまうからね。 ここに微積文学の分学していない抽象性がある。数学者は接線が紛い物であることを 自覚してるようだが、物理学者はどうなんねん。デカルト座標という座標空間と イメージ空間が干渉した地図に囚われて、地図と世界を同一化し、 地図を読み取るとはどういうことかを考えていないじゃないか。 しかし、物理学者だって波と粒子のどっち付かずまで来てるんだから、 不明瞭とは何か。不確定性とはなにかを考えるべきだ。 じゃなければ、波束の収束、切断はできない。 「裏・表のない紙」 帯と壺と橋とトポロジー 仲田紀夫 数学ミステリー4 ISBN4-654-08314-6 C0341を参考。
209 :
zion-ad :02/11/06 07:41
>>191 >>199 >ということで、それぞれの軸の「交点」における自己にとっては、
>時間も因果律も作用しません。今と今のあいだの、時間が存在しない空間です。
最初の視点では、交点に自己を同一化。交点には面積(領域)はないが暗黙知。
しかし次の視点では、そこを空間として捉えている。暗黙知の変更、視点の切り替えを
しているのを意識していない。ねじれの発生。3x3x3の四面体行列変換同時群、
マクルーハンの「拡張」「反転」「回復」「衰退」の同時概念。
あー俺が独自で考えていたと思ってた四面体の段差崩壊もすでにあった。
を、意識化しなければで、これ説明するのは飛ばし。
さて、座標空間から切り出した単一の座標格子点に、
時間も因果律も作用しないのは当然じゃないですか。
それは「生」だけが、「死」から切り離すことができた「生」。
この世では存在しないモノポールのような概念。あの世、言葉の世界ならあるが。
それを直接この世に持ってくると左翼の言説であり、右翼の御神体になるようなもの。
これは、解説すると面倒なんで飛ばし。でも、ここに書く理由は、全体と部分に
関することだから。ただ、3x3x3の動態幾何学の。で、飛ばし。
210 :
zion-ad :02/11/06 07:41
ともかく、切り出された単一の座標格子点は「生」の紛い物。 外化されたもの。この時点で、視覚化された時点で、自分じゃない。 そんなものは、ラカンの想像界の産物。パトナムの水槽脳。無駄、無駄、無だー。 「無我夢中」や「我を忘れて」は、現実界と想像界と象徴界を統合した我にある。 それを観ることができるのは、クラインの壺平面を観ることができるものだけ。 ラカンが残してくれた、俺の取り分。 ボロメオの輪を繋ぐもの、空間。ボロメオの輪ってのは、集合のべん図。3つの輪の。 それを同時に存在させる平面。3つの輪を同時に見ることができる意識を作り出す、 無意識と身体を統合する我の能力。 座標(地図)を見ながら、世界(実体)を思える砂時計のくびれにある瞳。
211 :
zion-ad :02/11/06 07:43
>>199 >>191 >>194 >ベルグソンの「純粋持続」は、非-空間的なものとしての“それ”でしょ。
>それって「死」のことだから、わたしは“それ”と「無我夢中」や「我を忘れて」を
>区別したい。なぜなら、生きているということは「変化している」ということだから
>その限りにおいて、時間と空間は切り離せないと思うから。
死んでいることは「変化しない」ということだから。が、私の答えです。
死を知らぬものは、生をも知らず。
長沼伸一郎の語る、動と静の戦争力学でもあります。
戦争するには、不動点がいる。旗がね。
太陰大極図と言った方が、わかりやすいでしょうが、変化しないもののなかに、
変化するものがあり、変化するもののなかに、変化しないものがある。
で、なければ、変化していることを認識できできない。でも、ここまでは、
局所的と非局所的を観察する観測者の話。
局所と非局所を同所とする行為者こそ、「無我夢中」や「我を忘れて」。
212 :
zion-ad :02/11/06 07:43
博打ですよ、博打。東晃史(あきふみ)に賭けてみませんか。 ベルグソンの「純粋持続」は、日常。学者の欲望は一旗あげること。 トーマス・クーンのパラダイムの変更、「革命的な科学」してみませんか。 馬の解説。競馬新聞のデタラメ、ハッタリ解説は、俺のスレの方でやりますが、 直接、東晃史の文献をあたられるのもいいかもしれません。 おれの時間を食らうがいい それで肥るか 餓死するか それはあんたの胃袋しだい 神林長平 「時間蝕」
213 :
zion-ad :02/11/06 08:25
>>212 日常じゃ、空間は意識しません。(上記、日常と学者の間に加える。)
日常じゃ、空間を意識しません。
日常じゃ、空間で意識しません。
日常じゃ、空間が意識します。
214 :
zion-ad :02/11/06 08:25
>>7 ぶんぶんさんに倣って、日曜日に原宿のブックオフで、
100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません。
してきました。時代は変わって、消費税込みで105円で入手。
音を視る・時を聴く―哲学講義 LECTURE BOOKS
大森 荘蔵 (著), 坂本 龍一 (著) 定価960円
出版社: 朝日出版社 ; ISBN: 4255820198 ; (1982/10)
藤谷美和子さん、かわいいなー。
215 :
zion-ad :02/11/06 08:26
数ページしか読んでませんが、 p134距離ゼロの音を透聴する(誤字ではありません)勝手に要約。 距離ゼロの物体の音を聴くことはできないんじゃないかな。 どこからの距離ですか。鼓膜を原点に。 つまり、網膜眼球を透かして外の風景が見えるように、鼓膜を透かして、 音響的に透明な鼓膜を透かして、向こうの鐘の振動を聴く。ですから物理的に言って、 現在只今のものの振動の音をきくことはできませんね。かならず時間の遅れがある。 透明な面を持つ輪ゴムの話も、すでにラカンじゃなくてもあったのね。
216 :
zion-ad :02/11/06 08:27
で、ここで東晃史なら、鼓膜って点じゃないよね。面だよね。 面じゃなければ、振動の振幅、この場合両端固定の定常波かな。成立しないよね。 これって、同時平面を前提にしていない。点じゃない面を。 恣意的な同時平面の設定。固有時間のトリック。 音源と音源関知の鼓膜を点概念で処理するのが物理学者。 ここに相対性理論のトリック。座標空間で、対象だけを点にして、 関係は距離空間で表すトリックが行われている。視点の切り替えが。 ペンローズは光速に近い速度で飛ぶロケットを点から立体化した。 そうすると、どうなったでしょう。薫氏による解説を参照してください。 でも、ペンローズは対象を点から部分空間に引き上げましたが、 まだ組み合わせをしていません。 視覚映像。点は見えない。見えるのは知覚正面という面(領域)。関係性。
217 :
zion-ad :02/11/06 08:30
ゼノンのパラドックス。 <飛んでいる矢は、動いていない。> 次世代の、相対性理論が待っています。
218 :
zion-ad :02/11/06 09:23
>>1 初心者その1よ。貴殿の建てたスレだが、ここは戦場になった。
カヲル君を殺さねばならん。戦線はもうしばらくすれば、移動すると思う。
俺の持ち駒は、これですべてだ。今のところね。あとは着弾の観測をするだけ。
チヨちゃんこと、千代島雅。ライプニッツとニュートンの解説はいい。わかりやすい。
プリゴジンについては、おもしろい。ただ、ファインマンのすごさについては、
まだ彼は知らないけどね。なにせ、東晃史の等時や同時がいる。
ジャン=ピエール プチの双子の宇宙論。表と裏。そして縁。
それを観るものは、次元平面の上空に。他者平面を繰り込んだ次元平面の上空に。
動物から静物になった言葉の住人が、再び生の跳躍をする。動態幾何学とともに。
量子力学 :注目部分空間を注目全体空間から分離する手続き。
トビトビをつくる観測者のトリック。
相対性理論 注目部分と非注目部分、対象と原点を空間に布置するトリック。
219 :
zion-ad :02/11/06 09:23
講義を終えて 大森荘蔵 他の感覚、色、形、味、匂い、手ざわり、等に較べるとき、音は感覚の本性である 「無常性」をもっとも鮮やかに示す感覚である。音はそれが生まれたときが消える ときである。このことは色や形の場合にもたとえば急速に点滅変化するネオンサイン に見られるが、概して音以外の感覚はその変化がのろまでその無常生を蔽いかくしている。 時には無常どころか「恒常的」だと思わせる程にである。 しかし音の場合にはその無常性は常にかくれもない。 部分抜粋を2つに分断してアップした。
220 :
zion-ad :02/11/06 09:45
浅田彰「ヘルメスの音楽」 読んでね。以上。
>>205 さん
>中島は「変化」は時間ではないといいましたがどう思いますか。
中島さん? 読書は苦手なのでお許しください。
(できれば中島さんの考えを教えてもらえませんか)
わたしも「変化」そのものが「時間」だとは、いい切れませんが、
変化を感じることから時間が生まれているのは確かだと思います。
空間に投影された変化の像から「時間」を感じているのは「わたし」です。
だから、変化を感じることの原点としての「今」それは「わたし」のこと。
>>206 zion-adさん
>点に面積(領域)は、あるのか。これを考えるだけで次世代の量子力学が成立すると、
>私は妄想しております。そして、あなたの力を必要とする。
あなたの前スレでのカキコは、前スレで一番の内容だと思います。
そんな優秀なあなたが、どうしてわたしをからかうのでしょうか。
点にあらゆる可能性が集約されているのでしょう。あるといえばないのが点でしょうか。
0は使い物になりませんか。0=無秩序=死。交点は「死」なのかもしれません。
>>208 zion-adさん
>不明瞭とは何か。不確定性とはなにかを考えるべきだ。
【不確定性原理】: 確定性の公理体系の矛盾の証明===>概念の不確定性の証明。
(・∀・)独学で悟りを開いた俺に何でも聞いてくれソノ2
http://academy.2ch.net/philo/kako/1017/10175/1017523489.html の>388>413>418>432および以下の他スレコピペ参照。
色彩は光と闇のあいだ(相補性)から無限に生みだされる、の流れでのレス。
量子論における不確定性原理では、光を観察行為の前提としてますよね。
だから粒子の“存在”の有無が“見る”という行為(意思)によって不確定に
なります。その反面、粒子の実在可能性も否定できないことになります。
闇を無、光を存在と置き換えれば、
“存在”は“無”の相補性として仮保証されることになります。
わたし達は“ある”ことに、謙虚に“ある”ことが大切なんだと思います。
“ある”ことに傲慢になると“ある”は、虚無の中へ引きずり込まれます。
カントは、センスデータの背後に“もの自体”が“ある”、そしてそれは、
決してわたし達には、認識できないと考えました。わたしもそう思います。
>>209 zion-adさん
>最初の視点では、交点に自己を同一化。交点には面積(領域)はないが暗黙知。
>しかし次の視点では、そこを空間として捉えている。暗黙知の変更、視点の切り替えを
>しているのを意識していない。
わたしは、見出しとして《 時間と因果律に囚われた自己の構造 》を使っています。
つまり“見える”の“偽り”の世界を主に説明するためのものです。
横軸の未来-----過去は、時空軸です。“空間”はセットです。
なぜなら、空間という偽りを投影する場がなければ、時間は生まれないと思うからです。
また、交点を「時間が存在しない空間です」と表現したのは、交点が、今が永劫回帰する
特異点だからです。つまり、時間の持つ差異構造が機能しないと思うからです。
縦軸の原因-----結果は、因果軸です。“ある”はセットです。
なぜなら、因果は“ある”ということに反応すると思うからです。
交点の自己を“起点”として未来方向と過去方向に矢印は伸びています。
同じように原因方向と結果方向に矢印は伸びています。自己=今(現に在る)です。
《軸によって区分された4領域(空間)の象徴的意味 》
の4領域(空間=面)は「言語(思考)空間」のことです。(それだけではありませんが)
あなたのいうように面にならないと思考はかなわないからです。
>>210 zion-adさん
>ともかく、切り出された単一の座標格子点は「生」の紛い物。
>外化されたもの。この時点で、視覚化された時点で、自分じゃない。
でも、段階があります。生命それ自体に絶対の価値を付与する日本という
国の精神構造から産み落とされるものは、紛い物としても最低の品質です。
せめて命が精神のためにあるのだということくらい分かって欲しいですね。
そのためにも思考空間はそこに至る繋ぎとして必要なのだと思います。
>>211 >死んでいることは「変化しない」ということだから。が、私の答えです。
>死を知らぬものは、生をも知らず。
わたしの哲学の原点は死です。わたしの生の原点も死です。あなたと同じ。
人生論ウザイですね。今日はここまで。反論は受け付けません!(笑)
「私の哲学」・・・??? カオルさんという人は正気なのか???
>>226 さん
>「私の哲学」・・・???
>カオルさんという人は正気なのか???
わたしの真理探究(哲学)の原点は死です。狂気と戯れるためにも正気は必要です。(^.^)
>カオルさんへ
>>189 の「我を忘れる」と
>>199 の「我を忘れて」はどこが違うのですか?
それと「価値」の話がなんで『論考』と関係するのか理解できません。
>>203 (一応前スレは読みました)教えてチャンですみませんがお願いします。
>>227 >わたしの真理探究(哲学)の原点は死です。
じゃあ、死について語れるなら語るってくれ。
哲学的に。宗教的でもいいよ。
スレ違いでもないだろう。
ただし、あなたの言葉でね。
物自体とか志向性とか永劫回帰とか、
哲学用語をごちゃごちゃに並べるのが
哲学ではないのですよ。
>>228 さん
>
>>189 の「我を忘れる」と
>>199 の「我を忘れて」はどこが違うのですか?
どこも違いません。(笑)
>それと「価値」の話がなんで『論考』と関係するのか理解できません。
>>203 1さんが、そのような解釈の仕方をしただけです。それはそれでいいと思います。
>>229 >>わたしの真理探究(哲学)の原点は死です。
>じゃあ、死について語れるなら語るってくれ。
「じゃぁ〜してくれ」っていわれるような文じゃないでしょ。
わたしは、死を身近に感じたことがきっかけになって“哲学する”ようになりました。
だから、わたしにとっての哲学の原点は死なんです、と一々あなたに説明する必要なんてないし、
しかも、わたしの返答相手は、zion-adさんですし、彼には十分理解されていると思います。
>物自体とか志向性とか永劫回帰とか、
>哲学用語をごちゃごちゃに並べるのが
>哲学ではないのですよ。
「あ、そうですか」としかいいようがない。(笑)
じゃぁ(笑)「あなたにとっての哲学とは何ですか?」とも聞く気ないですし。
もちろん、あなたの「時間論」なら聞いてみたいですけど、ただしあなたの言葉で、ね!
すかーりトンデモ系にのっとられてしまった、、、
あらら・・・ カオルって・・・
>>230 >どこも違いません。(笑)
それなら「我を忘れる」話がどうして「価値」の話になるのですか?
大森の「物心一如」とは関係ないのですか?
>1さんが、そのような解釈の仕方をしただけです。それはそれでいいと思います。
どういうことですか。誤解されても良いということですか?
いい言葉見つけました。 「 ある哲学者に敬意を表そうと思うならば、彼がまだ結論に達していないところで、 つまり、彼の根本思想において、言い換えれば、彼の出発点をなす彼を捉えねばならない。」 (シェリング)
>>234 228さん
後日、改めてレスさせてください。
>1さん。(^.^)
カオルさん、なんかいいな
いわなくていい。 精神世界の雰囲気が漂ってるよ。
こんにちは。 現在、今までとは路線の違う哲学書を精読しています。 しばらくはそちらの方に全力投球するつもりです。 一息つけば、こちらも再開したいと思っています。 よろしくお願いします。
違う路線とは具体的には?キルケゴールとか?
>>240 キルケゴール、ニーチェ、ハイデガーには今でも興味があるのですが、
今回はシェリングです。
なんだかこんな事やってて職業が哲学者じゃないのは 悲しくない?
243 :
小説家 保坂和志 :02/11/14 10:52
◆◇◆産経新聞読書欄「見る読む想う」(その6)◆◇◆ 2001年9月2日掲載 神の認識から始まる哲学 * 『哲学人』(てつがくびと)(ブライアン・マギー著・NHK出版)という本を四月からずうっと読んでいる。 上下巻のいまだ上巻なのだが、何故そんなに時間がかかっているのかというとトイレで読んでいるからで、一日 四、五ページしか進まない。著者は非常に成熟した人らしく、読んでいるとゆったりした気持ちになる。言語哲 学が論じる世界の薄っぺらさにかなりページを費やしているが、批判一般の持つ狭量さがない。 言語哲学というのは理屈の勝った子供がそのまま大人になったようなもので、明らかに間違っていることは誰で もわかるけれど、その間違いを指摘するとなると骨が折れる。こういう人にそれを代行してもらえると溜飲が下 がる。しかし大事なことは批判でなくて、「この世界とは何か」を考えることで、人間が認識しうる〈世界〉と 現実そのものとしての世界の関係を説くカントの章あたりからぐぐっと本題に入ってくる。読み やすいのに奥が深いという滅多にない本だと思う。 もう一冊読んでいるのがハイデガーの『シェリング講義』(新書館)。シェリングの『人間的自由の本質につ いて』の講義を本にしたもので、神と自由が両立しうるということを言っている。私はここのところずうっと 〈自由と拘束〉ということを考えていて、普通に「あなたの自由にしなさい」というときの〈自由〉とは「好 き勝手」のことで、本当の自由とは違う。本当の意味での自由とは拘束の中でしか実現しない。たと えばスポーツで最高度のプレーのできる人は自由に動いているわけだけれど、その自由とはサッカーならサッカー、 野球なら野球の独自の動き=拘束を徹底して受け入れたからこそ可能になるわけで、「好き勝手」や「野放図」 のことではない。人間は言葉をしゃべるのだから、存在の出発点から拘束の中にいる。
244 :
小説家 保坂和志 :02/11/14 10:53
と、ここまでは考えられるのだけれど、この〈自由と拘束〉はまだあまりに人間的な次元での理解で、神と の関係には届かない。人間は歴史を通じて何を指して〈神〉と呼んできたのか、ということから考えなければ ならない。無信仰の人でも必ず運の善し悪しは考える。困り果てたときやギャンブルのときにはつい祈ってし まう。神は人間の心に深く広く棲みつづけている。しかもそれは個人の心に好き勝手な形をして棲んでいるの ではなくて、探っていくとどれも同じ様相であることが予想される。神とは精神の臨界のその先にある何かの ことで、哲学とはその認識から始まる。
245 :
考える名無しさん :02/11/14 10:56
世界の名著のシェリング? それとも岩波文庫?
246 :
考える名無しさん :02/11/14 11:02
◆◇◆産経新聞読書欄『見る読む想う』(13)◆◇◆ 2002年3月24日 本来の世界は記述と無縁 * 前回(二月二十四日付)書いたベンヤミン『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』(ちくま学芸文庫)を読んで以来、 私達が普通に思い描くのと違う世界像があるらしいという気持ちが強くなって、ドイツ・ロマン主義の思想家の一人であるシェ リングの『人間的自由の本質』(世界の名著第43巻・中央公論新社)と、それについての解説書のようなハイデガー『シェリ ング講義』(新書館)を読んだ。 私達は、〈主観〉と〈客観〉とか、〈主体〉と〈対象〉という風に分けて考えることがあたり前になっているが、シェリング にとって、〈客観〉とか〈対象〉は主観と縺れ(もつれ)合うようにして存在しているもので、科学的にクリアに記述できるよ うなものではない。人間に理性があるように対象にもまた理性がある……。 これを説明するのは至難の技だが、とにかく私にはものすごく面白かった。世界が、静的な一方的な受け身の認識の対象であ ることをやめて、こちらに働きかけてくる動的な何かであるという気分になってきた。死んでいた世界に息が吹き込まれる、と でも言えばいいのか、とにかく科学的に記述可能な(つまりは“機械論的”な)世界像というのは、シェリングやハイデガーに とって死んだ世界でしかない。――というか、「記述する」ということが、そもそも対象の持っているダイナミズムを奪うよう な、生きているものも死んでいるようにしか描けない行為なのだ。 たとえば私が友達について語るとき、その友達からしか得られない生き生きとしたものを伝えるために、私はみんなが共通に 知っている言葉しか使うことができない。友達のためにすべての形容詞を作り、新しい文法まで作ったら、誰にも理解されない。 理解されるためにはつまり、友達をいったん一般性(という一種の“死”)に還元しなければならないのだ。
247 :
考える名無しさん :02/11/14 11:03
自然を見て感動したときだって同じで、感動した自然を語るのに感動していないときと同じ言葉しか使うことができない。そ のときにあった内的な力や音楽的な高揚は再現することができない。 私達は客観的な、冷めた、科学的な言葉によって物事を認識することがあたり前だと思っているけれど、科学的な言葉とはつ まりは機械論的な世界観のことであって、その中ではじつはすべてが死んでいる。本来の世界とは、明晰な記述と無縁の力の場 なのだ。きっと。
>>234 228さん
《 相対的ということ 絶対的ということ 》
わたしは「それ」は「ある」のか、ということを考えます。
たとえば「論理」、たとえば「客観性」、たとえば「わたし」・・・
わたしが「ある」という時「それ」は「絶対」なのか、という疑問が湧きます。
わたしの経験と思考によって解釈された世界、それがわたしの全てだからです。
それに「絶対」は、ありません。なぜなら「絶対」に「根拠」がないからです。
たとえば、わたしが論理学(思考の形式)を世界それ自体の形式と前提します。
そして、現実にある事実を指し示す命題のみが、有意味であると仮定します。
さて、この前提の「根拠」は、どこにあるのでしょうか。
わたしが「まとも」なら、それはわたしの経験や観察上の感覚への信仰です。
では、そのまた「根拠」は、と問うことは可能でしょうか。勿論、可能です。
けれど、それは、わたしの『心(意識)の限界』を超えています。
なぜなら、それが、わたしの『言語(思考)の限界』だからです。
《 たとえば、論理 》 あらゆる命題が、即時に判別されるような絶対の論理なんてあるのでしょうか。 たとえあったとしても、それが言語によるものである限り、必ず相反する言明が 成り立つはずですし、それを支持する人々が、絶えることも決してないでしょう。 ですから、どのような真理も、言語の管理下で仕組まれた幻かもしれないのです。 言語は対象を必要とします。つまり、言語が二元論の限界の内にあるということを 想像してみるなら、そのような思考形式の上に成立しているのが、 たとえば、合理主義なら、合理によって、合理と非合理のあいだに明確な境界線を 引こうとしても、合理が、非合理の先入的理解、あるいは先入的信念に支えられて いるということに気づかされるだけなんだと思うのです。 きっと、わたしの不完全さと言語の不完全さは、完全にシンクロしているのです。 それでも、わたしは、落胆したくありません。なぜなら、その不完全さによって なにか大切なものが、示されようとしてることを感じとることができるからです。 たとえば「道徳」について議論すると、必ず「相対的」あるいは「非合理」という 理解によって「道徳」の価値の相対化や否定が、至極当然のことように行われます。 たしかに「道徳」も「倫理」も「宗教」も『言語の限界』を超えている事柄ですが、 それでも、人は勇気をもって、絶望の淵から希望を、虚無の波間から実存を、 言語の限界から真理への情熱を、みずからの存在の内に発見していくのです。
《 我を忘れる1 》 多くの哲学者が「我を忘れる」について語っています。 わたしも自分の「我を忘れる」体験を言葉にしようとして失敗しました。(^_^;) 人には、想像力があります。けれど、限界もあります。でも、他人の痛みを「理解」 するんじゃなくて「覚った」ときって、理解するための「思考」という過程は、 通らないでしょ。「理解する痛み」と「覚った痛み」って全然違うと思いませんか。 前スレの「価値観に従って」と「我を忘れて」の「助ける」が「違う」というのは、 そのことです。「価値観に従って」は、わたしから客体化されたモノとしての価値。 だから、価値として相対的でしょ。それに対して「我を忘れて」はモノ化されない。 だから、価値として絶対的でしょ。 他人を理解しようとしても限界があります。けれど、他人に“なる”ことができたら 限界という境界線が「超えられる」と信じてるんです。経験信仰なんです、わたし。 語り得る事柄が、およそ相対的価値しか持ち得ず、語り得ない事柄は、 あくまで語り得ないけれど、絶対的価値を示しているというのと一脈通じるのかな。 なーんて、思いっきり語ってますが。(笑)
《 我を忘れる2 》 たとえば、わたしが「井戸に落ちそうな赤ん坊を助ける」を想像してみます。 わたしの身体が動きだす瞬間、赤ん坊は、わたし自身になっているのですが、 価値も同じで、わたしは、客体化された価値に従って行動するのではないし、 価値そのものが、わたし自身として、わたしの決断を喚起するような仕方で、 わたしの前に立ち現れてくるという仕組みになっているように感じられます。 この時の価値そのものは、記号的言語の機能(思考)としての“それ”ではなくて、 余りにも身近にあって気のつかないような、それでいながら、わたしの「感じる、 信じる」の実感を陰から支えてくれている、象徴としての言語の存在指示性です。 わたしが赤ん坊に同一化することによって、自己の「潜在的他性であるところの 存在性」(存在指示性)が、わたしの前にわたし自身として、顕現(決断)し、表現 (行為)されたものとしての“それ”です。 対象は、わたしから分離する以前、わたし自身でもあったのだから、対象が、 わたし自身でもあることの関係性を想像するなら対象そのものが主体となって、 わたし自身に働きかけるという関係性があっても不思議ではないと思うのです。 対象そのものが、わたし自身に問い掛けてくるとき、対象にとってのわたしは、 対象そのものなのだから、他性としてわたしに関係してくるのではありません。 対象からの問い掛けは、わたしのわたし自身に対する問いかけと同じなのです。
《「潜在的他性の存在性」(存在指示性)について 》 ごめんなさい、わたしの造語の説明します。(^_^;) 記号的言語としての機能だけでは表現しきれない対象そのものの本質や全体を 直感として映像化してくれるところの、あるいはその存在性を実感させてくれる ところの象徴としての言語の機能のことです。 潜在的他性は、自我に潜在している状態では、わたしに現実感をもたらす役割を 担っていますが、その顕在化は、わたし自身がわたしを選び取るという“決断” そのもののことであって、その表現は、他性そのものとして“行為”することと 同じです。 以上、無駄に長くて不明瞭ですけど、答えになったでしょうか。(^.^)
253 :
考える名無しさん :02/11/14 23:58
age
>カオルさん カオルさんは、自分の内面を何とか言葉にして、相手に伝えたいという情熱は感じられるけど、 少し哲学用語を使いすぎじゃないかな?おそらく、一つ一つの用語に深い意味を込めている つもりなんだろうけど、逆によくわからなくなっている。 一度、そういった用語を使うことなしに、日常の言葉で自分の考えを表明してみたら? ここは大森スレだしね。
>>254 自分には理解しづらいのでもう少し平易に説明をお願いしますと
いうこ
とでしたら、その方向での努力を加速してみてもいいです。
ここは大森スレですから。
カオルはzion-ad のスレにいってやれば?
>>248-252 丁寧なレスありがとうございました。
価値と解釈の問題はどうにか理解できましたが、
大森の「物心一如」との関係はまだ理解できません。
>>257 228さん
>大森の「物心一如」との関係はまだ理解できません。
えっ、わたしまだ何も話してませんけど・・・(笑)
っていうか、わたし大森さんの「物心一如」分かってないので何も書けないんです。
わたし、粘着ストーカー約一名にみそめられたみたいです。
ということなので、
>>255 は、騙りです。わたしでは、ありません。
カオル氏の文章は支離滅裂ですよ。 それにしても、カオル氏の文章から受ける不快感(たぶん多くの人がそれを感じるから まともなレスが付かないのだろう)は、いったい何によるものなのだろう・・・
↑ カオルさんは、粘着ストーカー君の相手じゃないよ。良スレ汚すな!!
>>258 そうでしたか。でもカオルさんの「物心一如」は理解できましたよ。
これからもカオルさんの書き込みに期待してます。では。
カオルは自分でスレ立ててやった方がいいんじゃないか?
>>261 228さん
ありがとう。
>>262 さん
わたしいろんな板に書き込んでるからスレ立てても責任持てない。(レスできない)
264 :
zion-ad :02/11/17 04:00
>>222 >あなたの前スレでのカキコは、前スレで一番の内容だと思います。
>そんな優秀なあなたが、どうしてわたしをからかうのでしょうか
ありがとさんです。私の精神の維持のため、書き込めるだけの精神エネルギー、
覚悟の確保ができるまでスレを見ないのが、まだ不安定な私の状態です。
からかうというのは、よくわかりませんが、点と面積の関係。
これをまず処理して、クラインの壺が3次元座標空間でどのように見えるかを
説明しようとしているのです。これは大森荘蔵で言えば、知覚正面という
面積のあるスクリーンと、それを理解する無脳仮説に於ける、脳の在処。原点O。
そして、ペンローズのツイスタースペースと、ゲーデルに推薦状を書いてもらったことが
あるらしい竹内外史の説明する集合の最初。ジャック・ラカンの原抑圧に繋がるのです。
意識が描く座標が原点Oに収束する前の・・・ 全体の地図を理解してもらわんことには。
265 :
zion-ad :02/11/17 04:05
精神分析に興味はありません。ただ、ラカンの象徴界がわからないと、 今世紀の物理学の座標が導入できません。たぶん、東晃史はそこらへんについては 不案内なのだと思います。 で、なにがいいたいか。x^2+y^2=1の円という形が見えるのは、なぜか。 この原抑圧のシステムを、碁盤と将棋盤で説明するところからやろうとしてるんですが、 それは、このスレとは関係ないんで。とにかく、半年掛かって、やっと東晃史を乗り越え たんではないかと妄想しております。(ただし、その一部分、座標に関してだけ。)
266 :
zion-ad :02/11/17 04:06
ハッタリとしては量子力学を知らないのに、観測者問題とEPR問題を重ねた実験で、 その中途半端な実験。まるで導体と不導体の中間、半導体のような観測者(観測器)を 設定すれば、東晃史の”等時”という概念を立証できるのではないか。超空間、虚数の ガウス座標みたいなものを作れるんではないかと。(観測者問題=スリット実験。) まだ、自分の中で思考実験としても完成してないんですが、なにせ物理学も数学も素人。 とにかく、その前に数学(幾何)の束縛から思考を逃がさないと。 静態の幾何から、動態の幾何へ。このとき、幾何対象の形あるものをいままでの方法じゃ 認識できなくなることを知ってもらわないとで大変。
267 :
zion-ad :02/11/17 04:07
268 :
zion-ad :02/11/17 04:08
>>251 >わたしの身体が動きだす瞬間、赤ん坊は、わたし自身になっているのですが、
見たものに同一化する。咄嗟(とっさ)の瞬間。我を忘れる。しかし、これじゃ
戦場では生き残れないし、アニメ「ラーゼフォン 第19楽章 ブルーフレンド」になる。
あなたの想いが、その赤ん坊を殺すことになる。あなたが視覚映像に反応するだけなら、
イメージに囚われているだけなら。
>余りにも身近にあって気のつかないような、それでいながら、わたしの「感じる、
>信じる」の実感を陰から支えてくれている、象徴としての言語の存在指示性です。
ママの贈り物の力を、直接、イメージ(意味が裏返った表象)で指示対象と同一化
させるなら、似非左翼が言葉(意味)に溺れるのと変わりない。自分を愛しているだけ。
行為を反応に捧げてはならない。
踊るものにとって、対象を観るには心眼を必要とする。世阿弥の「離見の見」を。
それを物理学に導入するのが東晃史。座標を思い描いたこと自体を座標に繰り込む。
朝永振一郎の繰り込み理論による電荷の求め方。発散してしまう値を抑えるやり方。
相対の相対が絶対(波束が収束する過去)になる日常の風景(未来)を選ぶために。
269 :
zion-ad :02/11/17 04:10
>>229 >じゃあ、死について語れるなら語るってくれ。
それについては、”慈恩公国の合従連衡−闇の旗保険”で取り扱っております。
赤ん坊を助ける行為の瞬間。生物的な己の生死を問わない状態。我を忘れる。
シュレディンガーの猫になる。しかし、戦場で我を忘れるのはお勧めしない。
そんな状態になる前に、操作を。世界の創造を。
明日、生きていればなにをしようかなの日常の持続。自分は死ぬまで自分。生の概念。
この瞬間死んだとして、やり残した心残りとなるもの、娘を想う。死の概念。
自己の不在の明日。操作ができるかできないかの違い。生と死。
操作がもうできない、己の死後の世界への操作。
それをこの今に繰り込むのが保険屋の商売。
またウザイ奴がでてきた。 カオルとzionは自分たちのスレでやれ。
271 :
考える名無しさん :02/11/17 04:41
>>269 士郎正宗を連想させるこの口調。
漏れは楽しくROMしています。
271はzionかぺんぺん
せっかくの大森スレが・・・
/ ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ./ / | 1さんが! / / \ / ̄ ̄ ̄ / /  ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄| かわいそう! ./ /_Λ , -つ \ / / ´Д`) ./__ノ  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ / \ / / ⊂_ヽ、 .| へ/ / .\\ Λ_Λ | レ' /、二つ \ ( ´Д`) | /. . > ⌒ヽ / / / へ \ / / / / \\ / / レ ノ ヽ_つ / ノ / / _/ / / /| ノ / ( ( 、 ⊂ -' | |、 \ . | / \ ⌒l | | ) / ノ ) し' (_/
275 :
zion-ad :02/11/17 19:20
空間に浮かぶ旗をイメージしてくれ。イメージの旗だから厚みがない。 厚みがない平面。布でできているから風にはためいて波打って(曲率あり)でもいい。 この布、編み目、格子でできている。格子間隔は充分に稠密で穴を感じない。これが平面。 この布でできている旗を注目全体とする。パトナムの水槽脳の水槽。大きさは不明だが、 水槽なんで形がある。有限。では、水槽の外は。空間が拡がる。空間の果ては思い付か ない。無限。この空間、大きさを限定できず、そのために形がイメージを象らない。 これを非注目全体とする。布でできた旗の存在を許容している空間でもある。 空間の果ては思い付かないけれど、無限に拡がる空間全体をイメージする事はできない けれど、この非注目全体である空間の一部をイメージすることができる。これが視野。 瞳の縁の内側。瞳の内側に自分はいない。鏡に映る自分はいるけど、文字通り、自分。 自らを分けた分身の表面が鏡面に反射した情報でしかない。自分はきっと瞳の縁の外に いるんだろう。 だけど瞳の縁の外側には、瞳の内側に入りきらなかった非注目全体の残りの空間もある。 瞳の縁によって分断された非注目全体である空間の一部と、自分が瞳の外にある。 境界は、常に見えない。瞳の縁の外側だもの。
276 :
zion-ad :02/11/17 19:21
自分のことを非注目部分と呼ぶことにする。自分は覚醒している。集合無意識に属する など、ユング的なのは日本の言語空間でやるのは危険すぎる。ただでさえ自他分離できて いない言語空間なんだから。できていないのではなく、しないことにした言語なのだから。 水槽の内側に脳を観る。これを旗の内側に描かれた赤い円とする。円の内側、真っ赤。 これを注目部分とする。パトナムの水槽脳が注目部分となった。 自分は円の内側、真っ赤なところにいると妄想しても、そこに自分はいない。 いくら分割しても真っ赤な部分。それとも、脳の部分の脳細胞。区分けされた空間で しかない。注目部分の細分化ではなにも発見できない。ただし、そこにエンドルフィンを 与えると、気分が変わるのがわかる。スイッチの集合体のようなものではあるらしい。 非注目部分、自分に影響を与える。
277 :
zion-ad :02/11/17 19:21
この注目部分を全体化する。注目部分の全体化とは、紙に描いた線だけを切り出した ようなもの。線という概念だけを抽出する。紙がトイレットペーパーの厚紙でできた芯 でできていたとすると、筒の表面に三角形を描いて内角の和をはかると180度。 球の表面なら180度を超えて、リーマン幾何学。馬の鞍のようなロバチェフスキー 幾何学だと180度より小さい。もちろん、平面幾何では内角の和は180度。 注目全体であった布表面の空間情報が消えて、線だけの情報になると、 その線が三角形を象って作る内角の和がどうなるか。水槽環境をいきなり飛び出て 空間に浮かぶパトナムのかつて水槽脳、いま空間脳。注目全体の内側から、 非注目全体の内側になったパトナムの脳。布地で下支えされていた旗の赤い円が、 布地を忘れて、空間に浮かぶ。幽体離脱した情報だけの赤い円。 水槽の水を忘れたパトナムの水槽脳。
278 :
zion-ad :02/11/17 19:23
空間に線で三角形を描く。この三角形の3頂点と3辺を収容する平面(曲率あり)は どんなだったか。今度は順番が逆だ。内角の和が180度より大きい、小さいと 妄想すれば、リーマン幾何学だ、ロバチェフスキー幾何学だと特定できる。 この三角形の線、輪郭はいかなる幾何平面に収容されていたかが。 でも180度だとすると、平面(曲率0)に描かれていたのか、円筒の表面に描かれて いたのかを、まだ特定できない。妄想か幻想かを。
279 :
zion-ad :02/11/17 19:24
平面にエロ画像を張り付ければ、情報に過ぎないことを知る。 円筒に張り付けるとどうだろうか。知覚正面には仕掛けが付いていて、 常に正面しか見ることができない。円筒の裏と内側、円筒の2つの開口部が 見えないとしたら。人間の眼は分度器ではない。座標を計るものではない。 イメージだけを知る。そうすると、円筒の表面を、球体の部分表面と認識することも あるだろうし、球体の部分表面の裏側、馬の鞍のようかもしれない。 くるんだり、くるまれたり。 球体をくるんだときだけ、球体内部に容積があることを幻想できる。 それ以外は、知覚正面。スクリーン映像の情報と変わりない。 球体内部の容積を座標で計ったら、無限分割で碁盤になって将棋の駒を置く イメージの間、<間隙・観劇・感激>がなくまっちまう。
280 :
zion-ad :02/11/17 20:00
パトナムの水槽脳は、水槽環境と切り離して考えることはできない。 ならば、この水槽脳の脳が彼女であったとしたら。彼女だけに貢ぐのが良いことなのか。 彼女は道端でずぶ濡れになった仔猫に暖を与えたいのかもしれない。 もちろん、無限の仔猫に暖を与えることはできない。しかし、彼女の想いは無限の仔猫に。 それを制限し、同時に有限の仔猫に暖を与えさせる機会を薄弱は奪うのか。 彼女をただのママのオッパイにしてしがみつきたいのか。想いの塊はどうするか。 これは俺が議論板で確保した2ちゃんねる脳の話。 功利的に考えれば、彼女の想いが世界をやわらかくし、強姦に襲われる機会を減らす。 その分だけ、彼女といたい時間を長引かせることもできる。だが重要なことは、 彼女の脳は、脳だけであるのではない。水槽脳。仔猫たちと水槽の水を共有している。
281 :
zion-ad :02/11/17 20:00
彼女の脳だけを生かすために、オートロックのマンションに住まわせても、 水槽の区分をすればするほど、区分け作業は都会のエアコンとヒートアイランド現象。 京都に紅葉に行くにも、むしゃくしゃしたトラックのドライバーがいるかもしれない。 オードバイでは敵わない。法律の賠償請求なんて後の祭り。金なんて代替物に恋いは できない。 保険屋が儲けるには、加入者が病気・事故などに遭わないでいてくれること。 そのためのノウハウ提供も商売。もっとも、これがリスクありなんですが。 なにせ、闇の旗の保険では、リスクを取って世界を創造して、リスクを減らすこと。 建築現場にはリスクは付きもので。世界はリスクが減った環境になるんですが。
282 :
zion-ad :02/11/17 20:01
仔猫と戯れる彼女の姿を光景として選ぶか、危険だからと彼女を閉じこめ、 彼女の肉体としての脳、局所性だけを確保し、彼女の潜在的やさしさ、 非局所性を放棄するかどうかは、想いの塊が決めること。
283 :
zion-ad :02/11/17 20:02
「ペンローズのねじれた四次元」時空をつくるツイスターの不思議 竹内薫 p200を参照。 <一般相対論で時空が曲がっているというのは、宇宙の内部で考えているのだから、 固有の曲がり方のことを言っている。なにしろ、宇宙の外から見ることなんて できないのだから> しかし、できる。 幾何座標を覗く視線は、2次元平面であろうと3次元空間、n次元空間であろうと、 無限次元空間であろうと、その外にある。 時間軸を空間軸と同じようにしたミンコフスキー時空図であろうと。 いかなる(x,y,z,t)、任意の座標位置を瞬間に発見し、2点ならそれを線として。 3点なら輪郭として。その内側に無数の点。面積をも発見する座標を覗く視線。 この視線にとって、すべては同時になってしまう。これが観測者問題のトリック。 相対性理論の話をしているようで、量子力学。スリット実験のトリックに繋がる。
284 :
zion-ad :02/11/17 20:03
「時間と存在」大森荘蔵 p87 だとすればベルグソンの言い分から装飾的アクセサリーを取ってしまえば、 「点時刻を考える」ことを非難する、ただそれに尽きているのである。 ようするに、座標(分割可能な内部を持つ形)を使って時間を取り扱えば、 無限が介入してきて座標を見渡す視線の元、瞳との亜空間距離を繰り込めない。 速度を測るに、2点の存在を(x,y,z,t)で表しても、その距離間を思い浮かべたのは、 観測者だ。東晃史は時間と空間の存在がより先に、時空間があるとする。 しかし、それを思い描いたのは、何らかの枠組み。座標概念の抑圧されたもの。 分割不可のイメージ。原抑圧された紙切れ。紙切れの上ですべての座標格子点は、 同時に存在する。これがわかれば、紙切れの上にない等時空間への扉が開かれる。 将棋の駒も、碁石も盤面を滑るだけではない。
a
286 :
考える名無しさん :02/11/17 20:14
zionもカヲルも別スレ立てた方が良いと思われ。
287 :
zion-ad :02/11/17 21:33
これは、「対話」の中で思索を深めようとする初心者その1氏の真摯なスレだった。 自分の言いたいこと、思い込みを一方的にだらだらと連続書き込みするカオル氏や zion氏の行為は哲学とはほど遠い、荒らし行為である。 自己顕示欲が見苦しい。 自分の日記にでも書いてもらいたいものだ。
俺は初めてカキコするけど、カオル氏やzion-ad氏は初心者その1氏 のために、書き込みをやめた方がいい。もし、どうしても書きたいというのなら、 初心者その1氏がその直前に正に問題としていた問題にのみ関わることを 極短く書くべきである。まだ、初心者その1氏の合意が得られないのに 次から次へと先へ行くべきではない。そういうのは全く求心的とは呼べず、 放射的だといえる。
わたしは、わたしの論が批判されるのは構わない。だけど非難されるのは許せない。 ここは議論するところ、嫌いな女を非難して満足してるような男に興味はないけど、 貧弱で情けなくてガッカリする。やるべきは、自分の論を書き込むことだけのはず。 わたしは、わたしなりに「時間論」や「他我問題」や「二元論」を意識して書いてる。 スレ違いだと思ったら、それを相手に伝えてるし、1さんにもちゃんとことわってる。 言語について書くのは、言語が大森哲学の根底に横たわっている重要な問題だから。 彼の哲学が「日常」を基盤にしながら、なぜ「実感」と程遠いのかの原因がそこに あると思うから。 1さんが今シェリングを読んでるのも、前スレからの繋がりだと思うし「言語」の 可能性と限界について学んでるんだと思う。 わたしは無駄なことなんて書いてない。ましてや非難されることなんか書いてない。
>zion-adさん 今理解できないので、レスは後日します。
>カオル とりあえずzionとここで議論し合うのは止めとけ。やるなら奴のスレに行ってやれ。 おまえはzionの独りよがりのレスにマナー違反を感じないのか?明らかに奴は、 議論し合うことで互いの向上を望む意志を持っていない。相手のことなど考えていない。 大森を敬愛する初心者が立てたスレで、大森の姿勢と対極にあるzionを相手にする必要などない。 やりたきゃ奴のスレでやれ。 >zion おまえの書き込みはすごいと思うが、ここは大森を敬愛する奴が立てたスレ。 あまりにも畑違いだ。やるなら自分のスレで思う存分やってくれ。 ここでやりたきゃ、初心者にも自分の考えが充分伝わることを第一に考えて 書き込んでくれ。おまえも社会人なら場の空気はわかるよな?
追加) 二人とも独特の世界観を持っていて、個人的には俺は好きなので、 もう少し協調性と場の空気を読むことを覚えて参加したらいいな。 二人ともほとんど独学なんだろうけど、がちがちの哲学専攻の奴より おもしろいんじゃないか?
ぶんぶんの話題から「時間論」に戻したのはカオルじゃないか。 その他は質問に答えただけだろ。なんで荒らし扱いされてるのかわからん。 俺はカオル好き。今のままで良いと思う。初心者その1はどう思ってるんだ?
どうかしてるね。 少しでも哲学を知ってるものならカオルと哲学の議論なんて 出来ないことはすぐわかる。めちゃくちゃだもの。 初心者その1は、哲学的センスがあるからそれを敏感に感じ取って カオルを軽く受け流したんだと思うよ。
>>290 わたしは無駄なことなんて書いてない。ましてや非難されることなんか書いてない。
う〜ん。。。そういうとこが。。。
>>295 >少しでも哲学を知ってるものならカオルと哲学の議論なんて
>出来ないことはすぐわかる。めちゃくちゃだもの。
哲学知ってるってなんだよ。そんなん俺はつまらんけどな。つまり哲学学がさ。
298 :
考える名無しさん :02/11/18 22:10
おれは哲学学OKだけど 295こそ荒らし煽り
299 :
考える名無しさん :02/11/18 22:38
ずいぶんお堅いスレだな
300 :
考える名無しさん :02/11/18 22:45
>>296 >わたしは無駄なことなんて書いてない。ましてや非難されることなんか書いてない。
の前に
>わたしは、わたしの論が批判されるのは構わない。
って言ってるじゃん。ここ大事だと思うけど。哲学板なんだし。
301 :
考える名無しさん :02/11/18 22:51
カオルたんがいなくなったらzionのせいだじょ!
カオルって独学なんだろ? 人と議論したことがないんじゃないか?
303 :
考える名無しさん :02/11/18 23:38
サゲの粘着しつこいね
みなさんわたしなどかまわずにどんどん「時間論」書き込んでください。 わたしも今下記の通りですから。(^.^) >1さん 今、カントの「モノ自体」と「過去自体」の平行性?を考えてるところです。 カントは、わたしの最も尊敬する哲学者なんです。書き込むに書き込めない状態です。 もちろん、今までのカキコがいい加減という意味ではないですよ。(笑) ところでシェリングはどうでしたか?
>>303 とにかくsageろ。
過去レスみてみろ。
スレの流れが読みないところがカオルと一緒だな。
>>264 zion-adさん
>からかうというのは、よくわかりませんが
わたしにあなたの理論を理解する力がないということです。
>全体の地図を理解してもらわんことには。
頑張ってみようと思いますが、時間がかかりそうです。
>>267 >それができる物理学者を、オバサンを口説くのに俺は必要としている。
わたしは物理学者でもオバサンでもないので・・・。
307 :
考える名無しさん :02/11/18 23:45
308 :
考える名無しさん :02/11/18 23:55
はっきしいって 荒らしてんのはカオルさんじゃなくて粘着厨房じゃないかよ
309 :
考える名無しさん :02/11/19 00:30
∩
| |
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∧_∧ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д`)// < 先生、
>>276 を論駁していいですか?
/ / \__________
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__| | .| |
\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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論破してよろしいがzionのスレでやってください
ジエンうざい。
116 :考える名無しさん :02/10/31 08:19 >ぶんぶんが何も知らないから こういう言い方はひどい世ナァ しらなくたっていいじゃんべつに 一応ちゃんと考えてカキコしてんだから 308 :考える名無しさん :02/11/18 23:55 はっきしいって 荒らしてんのはカオルさんじゃなくて粘着厨房じゃないかよ
313 :
考える名無しさん :02/11/19 14:32
粘着う材
314 :
考える名無しさん :02/11/22 15:42
1は社会復帰に成功したのでこのスレにはもう降臨しません あしからず
∧―∧ (__(M)⊃ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´∀`) < こんばんは、初心者です。 __( ||_|| ) \_____ (|| |||゜T ゜|  ̄ (__)_) なかなかカキコできませんが、 今年いっぱいはこんな感じだと思います。 しかーし、このスレを始めたのはこの夏、盆休みです。 来年のそれまではねばり強く続けます。 とりあえず一年。そうすれば新たに次の段階が見えてくる のではないでしょうか?継続は力なりです。
昔のことは忘れたので、最近の僕に関係ありそうなレスから・・。
>>242 さん
>なんだかこんな事やってて職業が哲学者じゃないのは悲しくない?
研究者になりたいという願望は全くないので、悲しくはないですね。
ただ、周囲に哲学関係の仲間が全くいないので、一人でやらないと
いけない所は悲しい、というかひどくつまらないです。
何事もそうですが、他人と議論、競争しあわないとダメですね。
最終的には自分の専門に関する思想のベースとなる方面をやりたいと
思っていますが、とりあえず実用性は考えず、純粋に哲学を
楽しみたいと思っています。
>>245 さん
世界の名著版『自由論』です。
副読本として、ハイデガー『シェリング講義』を使っています。
『自由論』だけ読んでもさっぱりわかりませんが、『講義』は素晴らしいです。
>>243-247 さん
>>50 さんといい親切な人がいるものです。ありがとうございます。
「(現代人は)自由の刑に処されている」
僕が「自由」に関連して興味があるのは、この言葉が指し示すことです。
「自由」と「必然性(体系)」という人間にとって不可欠でありながら、矛盾する概念は
はたして両立するのか?シェリングの問いはそこから始まるのですが、
彼は両立するといいます。
1.人間は自由になればなるほど、自分の存在を意識する。(自分の位置を確かめたくなる)
2.自分が存在者全体の外へ孤立することに絶えられなくなる。(自分の位置がわからない事への不安)
3.存在者の内に入ろうとする。
4.真の汎神論(体系)が不可欠となる。
これを岸田秀流に言い直すと、
1.人間は自由になるにつれて、自我の支えが脆くなる。
2.自我が不安定となる。
3.自我を安定させようと、支え(物語)を求める。
4.宗教や思想に頼る。
となります。
現代は自由を求めた結果、昔なら無条件で自我の支えとなるべき宗教や道徳を
信じられなくなっています。今や各自自力で物語を見つけねばなりません。
人間は自由になればなるほど、(自我の支えとなる)体系(宗教や思想)を必要とするのではないでしょうか?
「自由」と「体系」とは矛盾するという従来の説が、明らかにおかしいのではないでしょうか?
(シェリングは両立することを証明しようとしますが、ハイデガーに言わせればその試みは失敗したそうです)
このようなことを考えながら、現在読み進めています。この後、シェリング、ハイデガーの思考に
どういった形で出会えるのか楽しみにしています。
>>246-247 これ大森さんのお弟子さんが投稿されたのですか?(笑)
シェリングの前期哲学(同一哲学)は勉強不足でいまだ知らないのですが、
何か大森さんの物心一如にそっくりですね。
そういえば、大森さんはドイツ観念論にはほとんど触れていなかったと思いますが、
どうなんでしょう?また、読む楽しみが増えました(笑)ありがとうございます。
>>304 カオルさん
カント素晴らしいです。といっても、シェリングを読むための予備知識として、あわてて
入門書何冊かに目を通してるくらいですが、正直驚いています。
なぜ、彼があれほどのビッグネームなのかわかる気がします。『純理』は邦訳でも読んでみたいと
思っていますが、今のペースだと1年(2年?)はゆうにかかるので躊躇しています。
とりあえずはシェリングです。
シェリング自体は非常に難解です。ただ、ハイデガーの講義本が素晴らしいので、
非常に助かっています。にもかかわらず、理解しにくいと思われるのが、
ドイツ観念論特有の「絶対知」という概念ですね。
カントにとって、感性によって与えられない対象は、人間が認識することはできないという、
ぼくから見てももっともな結論を出していますが、シェリングらドイツ観念論はそれら対象を
「絶対知」によって認識できると言います。この辺が神様臭くて、つい距離をとってしまいます。
とまれ、まだ途中までしか読んでませんのでこの先楽しみです。
カオルさんのレスは、難しくてすぐには返答できませんが読んでいます。
その他の心配してくれた方。
気持ちは伝わりました。本当に嬉しく思っています。
僕は、
>>175 の中級者さんがいう「つまらんと思った書き込みを追い出すより、
イイと思った書き込みに烈しく応答」をするつもりです。
僕にとってこのスレは、「登り切った後には捨て去るべき梯子」にすぎませんからね。
しばらく開店休業状態ですが、近い内にまた大森哲学で議論したいと思っています。
その時はよろしくお願いします。
320 :
考える名無しさん :02/11/22 22:02
321 :
考える名無しさん :02/11/22 22:07
カントの凄さを実感できれば広松の凄さも実感しよう さすればKuriharaが広松をよく読んでいるのも納得
>>320 あなたですか?引用してくれた人は?
なぜ、あんな以前の、しかもどんぴしゃシェリング!
シェリング研究の方ですか?どちらにしてもとても助かりました。
特に、
>>246-247 に関しては全く知りませんでしたので、大森さんとの共通点
も新発見!シェリングにも親近感がわいてきました。
また何かありましたら、情報よろしくお願いします。
>>321 廣松さんは昔読んだ「哲学入門一歩手前」で完全に挫折しましたので、
いまだに恐怖症があります(笑)
ですが、日本人では大森さんと廣松さんぐらいしか興味が引かれないので、
いずれチャレンジしたいと思っています。その時は、Kuriharaさんには、
専属の家庭教師になってもらいましょうかね(笑)
324 :
考える名無しさん :02/11/22 22:13
もう情報はないですな 単に保坂氏の小説のファンだから(藁 HPの文章は好きで読んでたのです。 HPで野矢氏との対談も読めるよ 時間があるときどうぞ ハイデガーについても書いてたな 難しかったけど 以上さいなら がんばってね
では、今日は少し早めにお休みなさい・・。
>>324 そうですか。僕もググルで探してみます。
情報ありがとうございました。
次回も楽しみにお待ちしています(笑)
>>319 1さん
>カントにとって、感性によって与えられない対象は、人間が認識することはできないという、
>ぼくから見てももっともな結論を出していますが、シェリングらドイツ観念論はそれら対象を
>「絶対知」によって認識できると言います。この辺が神様臭くて、つい距離をとってしまいます。
超越できない「限界」を“覚って”、そこに「境界線」を引いたのが、カントです。
その意味では、ウィトゲンシュタインは、あきらかにカントの系譜です。(^.^)
神様臭いということなら、カントやウィトゲンシュタインの方が、もっと強烈です。
彼らが「限界」を設けたのは、彼らの真摯な信仰心からだと、わたしは思いますよ。
まぁ、神様臭いのは、神様を持っていない日本人には、どうにもなりませんね。(笑)
シェリングの「絶対知」にしたって、まずありきで、そこが始点ですから・・・
いや、そこは終点なんだよ、ということならヘーゲルという人がいますが。(笑)
彼は、人は「普遍的精神」へ至ろうとする「精神の志向性」を必然的に備えていて、
それは、精神の弁証法的自己認識の刷新によって進められる、さらにそれは、日々の
労働の中で為されるといっています。ヘーゲルの方が、1さん好みかも。(^.^)
で、ヘーゲルのお弟子さん?にマルクスというKuriharaさんのお好きな方がいます。
>1さん 大森仮説の正当性の根拠は、理論的な説明が可能であるということだと思いますが、 彼の理論が、日常から出発しながらも導かれる結論に日常的な妥当性が乏しいのは、 彼の量子論にも似た理論一点張りの説明体系に「秘密」があるではないでしょうか。 突き詰めて考えると言語の問題というか人の思考構造の問題になると思うのですが。 「モノ自体」は、信じるもの。「過去自体」も信じるものなんでは。いまだ思考中。
>>328 「過去自体」は、情報的に固定されているなら、解釈を反射する水晶球。
歴史的新発見などで事実情報が解体されるなら、記憶の埋め込み、
映画「ブレード・ランナー」、「トータル・リコール」の書き換え。
ポパーだったかなの、科学者集団の見解に準拠するしかない。語り合うには、
現在のパラダイムで。パラダイムシフトは、ま、簡単には受け入れられないのは当然。
システムの変更を躊躇(ためら)うのは当然。でも、開発費をケチった企業。
損切りをできなかった企業は、市場に淘汰される。逆も然(しか)り。
どうなるかは、わからない。
「モノ自体」は、女。文化人類学の交換対象。でもY染色体の欠けた枠組みの 空を運ぶ男が交換されているんだけど。と、裏の認識は飛ばして。 女。目の前の彼女を、こんな女であると規定したが、実は、 次の瞬間の女の表情なんて予測できない。 水晶球の表面に現れる予測不可の、不可知現象。あんまりコワクないのに出てきて 欲しいが、コワクなければ、痛覚が刺激されなければ、意識できない。 夢の中で、軽くつねって欲しい気分。妄想と幻想の狭間で。 彼女の眼前での存在、「過去自体」は、言語意識では捉えることができない。
しかし、病んだ精神でない限り、眼前の彼女を言葉による妄想、 チューリングテストの対象にすることは、ない。それはなぜか。 「過去自体」である彼女のさっきまでの存在が己の妄想でないを疑わず、 彼女の現在の光景が、自己の眼球表面に至るまでの光速度限界の遅延によらず、 日常の空間認識で、彼女と俺は一緒にいると思えるから。それはなぜか。 想いがあるから。想いがあるから、遅延に関わらず、さっきの微笑みが 持続していると思える。怒っていた顔も、光景の遅延をこちらが認識する前に、 女神に戻っているかもしれないと妄想できるから。幻想の賭けにでることができる。 「モノ自体」に、「モノ自体」は自分じゃないんだから、もしかしたら、 許容してくれるんじゃないかと。は、俺の妄想で、営業の図太さ、甘さ。 男の女に対する妄想は、想いがあるから。女が見える。それはなぜか。
量子力学。表と裏。スピンの繋がり。光速度限界の既存の物理空間座標で、 情報は瞬時には他所へ伝わらないのに、それができる不思議。 構造が一体だとすれば、どうだろうか。超空間で。 物理空間で情報は伝わらないけど、超空間の構造物が作り出す運動の結果は、 離れた他所で成立していたのが、過去となる未来にわかる。(will have been done) 表からは右廻り、裏からは左廻り。想いが、妄想を幻想から現実にする。 「過去自体」への新たな妄想が、「モノ自体」へ投射する幻想を、 「モノ自体」の水晶球の内側から微笑んでいる彼女の姿を現してくれる。 「モノ自体」への想いがあれば。 超空間の構造物を女は愛とか呼ぶらしいが、俺は知らん。女じゃないんでね。
信じる。妄想を幻想と同一化する。時間を存在させる行為。 客観という刷り込まれた「過去自体」でない安易なパラダイムにある情報を信仰して、 操作によって幻想を得ようとするものは、「モノ自体」を得ることはできない かもしれない。俺が、ここの初心者その1を駒にすることはできないかもしれない。 だが、結果はわからん。俺の主観、俺の不安が描くイメージに引き籠もるわけには いかん。営業は、どれだけ場数を踏むかで鍛えられるようだからな。 だから、俺は欲望を語る。俺は初心者その1を駒にしたい。 ま、初心者その1に加わってもらうのは当分先だけど。都市建設はまだまだ先のこと。
334 :
zion-ad :02/11/23 03:35
で、言語意識じゃないもの。無意識。想い。自分の内側にある他者には、嘘は言えん。 営業は信じるなんてことには無縁だが、男の女に対する想いは、通じる。嘘がなければ。 教室でも職場でも街中でもいい。突然、眼を開く。焦点は合うかね。 対象を確認する前の焦点合わせ。なんらかの対象を求める。シュレディンガーの猫状態。 まだ、なにも見えない。結果を知らない。しかし、なんらかの対象に眼の焦点が 合ってしまう。ラカン、中沢新一なら縁(へり)。一目惚れ。信じる対象の現れ。 それを見つけ出したのは、意識ではない。無意識。知覚正面のスクリーンから対象を 切り出し、そこに幻想の意味があると妄想させてくれる機構。仕組み。想い。 見えたものは、単なる客観情報ではない。気付きを誘うもの。阿呆ダンス。 己の想いを信じるしかないな。 それは、得られんでもともと。告白の練習さしてもらっています。図々しいやつの。
>>40 大森氏は過去自体が「常識」であると言っているそうだが、我々人間を離れて
時間という或る何かが存在しているという考え方は、非常に「素朴な」常識でしょうね。
未来とは「期待」のことを、過去とは「記憶」のことを言っているに過ぎないと
すでにアウグスティヌスが書いている。
カントが時間を直感形式と呼んだのも、時間がそれ自体であるものではないことを
表現しているわけで、つまり、時間は主観の側にあるのであって、客観的対象の側には
ないことを表している。
だから過去自体と物自体に平行性があるという考え方はちょっと理解に苦しみますね。
>>329 zion-adさん
>「過去自体」は、情報的に固定されているなら、解釈を反射する水晶球。
自己の広がりとしての時空軸とカルマの放射軸、幻の碁盤に無数の交差点。
想いを重ねようとするのは本能でしょうか。見える過去、想起された現在。
その一手が間違いだったと気づいても、一夜漬けの改心じゃ何も変わらない。
気に入らないなら、わたしは見えない過去をカスタマイズしなきゃいけない。
わたしの差異性、わたしの個性、爪を噛む癖ってなかなか直せない。
わたしは、バージョン情報なんてそのままでいい、わたしは今でもWindows95、
父の最後のプレゼントだから・・・わたしは、想い出の方が大切なんだ。
>>331 zion-adさん
>しかし、病んだ精神でない限り、眼前の彼女を言葉による妄想、
>チューリングテストの対象にすることは、ない。それはなぜか。
>〜
>男の女に対する妄想は、想いがあるから。女が見える。それはなぜか。
純粋ですね。でも、あなたは女なんて眼中にない、とわたしには感じられるけど。
テストの対象でもいいんです。テストが続いてくれるなら。あとはこちらの問題。
>>332 >物理空間で情報は伝わらないけど、超空間の構造物が作り出す運動の結果は、
>離れた他所で成立していたのが、過去となる未来にわかる。(will have been done)
>〜
>超空間の構造物を女は愛とか呼ぶらしいが、俺は知らん。女じゃないんでね。
こちらの空間でも、あちらの超空間でも、構造だけが“ある”のかもしれませんね。
延長概念も、それに伴なう構造物も男が創り出したものだから儚いのはアプリオリ。
>>333 zion-adさん
>信じる。妄想を幻想と同一化する。時間を存在させる行為。
>客観という刷り込まれた「過去自体」でない安易なパラダイムにある情報を信仰して、
>操作によって幻想を得ようとするものは、「モノ自体」を得ることはできない
>かもしれない。俺が、ここの初心者その1を駒にすることはできないかもしれない。
初心者1さんやあなたの(本当は)嫌いな女たちが、妄想や幻想を「現実」として
成立させているのです。信仰は「モノ自体」に至るための道ではないと思います。
たしかに、大森さんの「神の視点」では「モノ自体」は手に入らないと思います。
なぜなら「神の視点」なんてないからです。あるのは「神への想い」だけですから。
>>334 >で、言語意識じゃないもの。無意識。想い。自分の内側にある他者には、嘘は言えん。
>己の想いを信じるしかないな。
>それは、得られんでもともと。
未来があるということ「自由の刑に処されている」ということ。
過去があるということ「絶望に冒されている」ということ。
でも、逃げないでがんばろうね!(^.^)
339 :
初心者その1 :02/11/24 08:38
>>317 追加
前スレで「自由」とは、「〜からの自由」「〜への自由」の二つがあると指摘されましたが、
ここで述べているのは前者ですね。
現代は、宗教、道徳、しきたりといった、人の行動を縛る「体系」から逃れようとする
歴史の流れが急速に早まった時代だと思います。しかし、そうやって体系”から”の自由を
求めた結果、新たな「体系」を求めるという矛盾が生じています。それは「〜への自由」をめざした
わけではないことから生じる必然的な矛盾なのでしょう。人間にとって必要不可欠な、
「自由」と「(自我を支える)体系」が相克する矛盾は永遠の問いであり、真に人間の本質に
せまる問いなのでしょうか?陳腐な新興宗教という「体系」へ逃れる人たちは、
「体系」を否定する現代の犠牲者なのでしょうか?
ところで、「〜への自由」とはどういう意味なのかわかりません。
やっぱり、シェリングを読む上で、フロムあたりをまず読んだ方がよいのでしょうか?
340 :
考える名無しさん :02/11/24 08:48
「〜からの自由」「〜への自由」と言ったのはニーチェが先だと思うよ、たぶん。 「〜への自由」の典型が超人でしょう。 「体系」を否定してしかも自己を肯定できる者。
『ツァラトゥストラ』の『精神の三つの変化』で言えば、
「獅子」が「〜からの自由」、「子供」が「〜への自由」。
>>317 との関連で言えば、
「神の死」によって従来の諸価値が無価値化したニヒリズムに
人間は耐えられずに人々は神の代わりに「神の変形」を
我々の世界に持ち込んでしまった。「物自体」、「社会的正義」
「民主主義」・・人々は純粋内在に耐えられずに支えを必要とした。
しかし在るがままの世界は堪え難い重荷であると同時に、
それを私が求めたのだと言う時、喜ばしきものともなる。
重荷に耐えるラクダでもなく、自由を求めてほえる獅子でもなく、
在るものを無心に受け取って動く子供におけるように。
342 :
考える名無しさん :02/11/24 11:04
わたしはカオルさんにベルクソンを薦めます。
343 :
考える名無しさん :02/11/24 11:36
良く知らんのだが1だけ見ると なんじゃ、プラトンの想起説ではないですかい?
344 :
初心者その1 :02/11/24 11:46
>>335 さん
>>40 の話題などとっくに忘れられたと思っていたので、うれしいです(笑)
>大森氏は過去自体が「常識」であると言っているそうだが、
この箇所は、大森さんが過去自体の実在を肯定しているように受けとれますが、大森さんは過去自体が
「実在しない」と考えた方が「妥当である」(ここは誤解されやすいので後で後述)と言っています。
以前の説明は説明不足だったので、もの自体との平行性について再考してみました。(
>>38 の訂正)
経験できない世界 ‖ 経験できる世界
(思考的・言語命題) ‖
- - - - - - - - - - - - - -‖ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
【もの自体】 ‖→ 【感性によって → 【現象】
‖ 与えられる対象】
【過去自体】 ‖→ 【想起によって → 【過去物語】
‖ 与えられる対象】
(a) (b) (c)
(続)
345 :
初心者その1 :02/11/24 11:46
「もの自体」は、経験はできないが”おそらく”「感性によって与えられる対象」の根拠となるもので、
それらを総合して「現象」を形づくります。
「過去自体」も同じく、経験はできないが”おそらく”「想起によって与えられる対象(記憶)」の根拠となるもので、
それらを総合して「過去物語」を形づくります。
そういった経験世界の「根拠」(ただしそれ自体は経験できない)、という意味での平行性ですね。
言葉を変えていえば、経験できるか、できないか、の相違において、実在、非実在を判定する平行性です。
カントは「経験できない世界(a)」を、「それについては何事も言いえない」という意味で、曖昧な結論を出したそうですが、
その意味で「過去自体」も経験できないのだから、(たとえ実在の誘惑が強かろうとも)「何事も言いえない」と
「曖昧」な結論を出すのが妥当だろうと大森さんは述べています。
それによって、カントの超越論的実在論は、空間的(もの自体)、時間的(過去自体)にも完成します。
また、大森さん自身、物理的時間の捏造性を執拗に追求しているので、時間とは客観に属するものではないと
思っているようです。
もし、上で述べたように「想起」の根拠となる「過去自体」がないとすれば、
>>93 でぶんぶんさんが述べたような
恐怖心と、現在さえも否定する思考(
>>41 の1-5)に襲われることでしょう。
そこで大森さんは、過去自体が存在しないと「仮定」しても、人は充分現在を生きることができる、という証明に
移っています。(過去物語の制作)
(続)
346 :
初心者その1 :02/11/24 11:47
この議論のおかしいと思われる点として、、335さんが言われるとおり、時間は主観の側に、”もの”は客観の側に
属するという相違点もあります。(ただこれに関しては、単に何を平行性の指標にするかの違いだけではないかと
思われます)
また、(b)によってつくられる(c)を比較すると、「過去物語」は思考的・言語命題群ですが、
「現象」の方は、(広義の)理性によって制作されるとはいえ、思考的・言語命題群ではないと思われます。
また、ぺん(ぺん)さんが述べたように(
>>65 )、カントの「それについて何事も言えない」とは積極的な意味
(確信はできないが、想定せざるをえない)と取るべきか、否定的な意味(確信できないので想定するべきではない)
と取るべきかで大きく議論が変わってくるでしょう。(大森さんは後者で解釈しているようですが、何となく
前者っぽいですね。)
この辺りもう一度考え直してみます。
347 :
初心者その1 :02/11/24 12:32
>>340 さん
なるほど。ニーチェの「三つの変化」は「自由」に関する言説でもあったのですね。
>>341 は大変わかりやすい説明です。ニーチェの「神の死」「ニヒリズム」「超人」の流れは
そう読みとるのですね。『ツァラ』は好きでよく目を通していたのですが、そんなことも
知りませんでした(まことに汗顔の至りです(汗))
ニーチェによれば、人間を超えた「超人」とは、本能のみで生き、自我の支えを必要としない
強靱な「犬畜生」(岸田談)のような存在ですね(笑)
うーん、どうなのでしょう?
「幼な子」は、支えを必要とするやっかいな自我もなく、本能のままで生きることのできる動物に
近いと思いますが、自我の形成された大人ははたしてそこに戻れるのでしょうか?
自我発生の原因と思われる大脳皮質の発達によって、必然的に人間は体系を必要とする生き物
となったのではないでしょうか?
ニーチェ自身はどうだったのでしょうか?彼は孤独の中で「一見」強靱に生きていますよね?
とまれ、これでニーチェにも新たな興味が出てきました。
やはり、哲学説は単体で考るのではなく、全体の連関の中で考えられるべきですね。
ありがとうございました。
348 :
初心者その1 :02/11/24 12:38
>>347 追加
ちょっと思いついたのですが、体系がなくとも生きる事のできる「超人」を肯定したニーチェですが、
彼の孤独な思索は、それ自体が彼の自我の支えとなる「体系」づくりだったのではないでしょうか?
つまり、ニーチェは「体系」を否定しながら、「体系」を誰よりも求めていたと。
ニーチェこそ、もっとも「幼な子」に遠い人物だったのではないでしょうか?
340氏のニーチェ解釈はドゥルーズ経由っぽいので、 超人=動物というのとは、また違うんじゃないでしょうか。 あれは、いったん道徳の外に出た後で、 自分がより強い生を生きるための規範を作り直すみたいな 話だと思いますから。 何を持って、強い生とするか、というのがまた難しい問題だと思いますが。 アダムがリンゴを食べるのが「わるい」のは、それが罪だからではなく、 消化不良を起こすから、みたいな話でしょう。
350 :
初心者その1 :02/11/24 12:52
>>347 追加
たびたびすいません。
348は逆に言えば、ニーチェが「本気で」当時の体系(キリスト教)から自由になろうとしたからこそ、
自分の体系を創らざるをえなかったわけですね。
彼を見てると、体系から自由になろうとすればするほど、体系がますます不可欠になるような気がしてきました(笑)
(って、これは獅子の思考ですね。幼子にならないと(笑))
351 :
初心者その1 :02/11/24 13:08
>>349 さん
あ、これドゥルーズの解釈なのですか。
そういえば彼のニーチェ本、有名ですよね。
>あれは、いったん道徳の外に出た後で、自分がより強い生を生きるための規範を作り直すみたいな
>話だと思いますから
なるほど、これならニーチェはまさに超人ですね。しかしこの解釈では何となく人生論っぽくなって、
根源的な基盤まで降り立って行う哲学的思考と離れてしまいませんか?
といっても、ドゥルーズ全く読んでいないので偉そうなこと言えませんが。
ちくま学芸文庫の「ニーチェ」は薄いから読んでみようかな?(って、俺持ってるよ(笑))
こうやって情報が少しずつ入ってくるんですよね。2ちゃんは独学の者には大切な情報源です。
レスありがとうございました。
352 :
考える名無しさん :02/11/24 13:30
初心者は進学すればいいのに。その気はないの?
学芸文庫の「ニーチェ」についてはよく知らないのですが、「ニーチェと哲学」 では、こういった人生論的なものがいかに存在論(ドゥルーズ的に言うと生成論 ですが)と結びつくかと言うことが、かなり詳細に書かれています。 アホな私では上手く説明できませんが、 ドゥルーズのニーチェ解釈は、ニーチェとスピノザを結びつけているところが ポイントだと思います。 完全に独学なので、誤読してるかもしれませんが、 世界と時間が無限である、というところから全ての存在者は単独にして普遍、 が導かれるのが生成論としての永遠回帰で、そこからより強い生を生きるための 規範を、固まったものとしてでなく、常に変更可能なものとして作り上げていく、 みたいな。 Kuriharaさんが詳しいと思いますが、柄谷行人が「臨機応変に立場を変えていく 事が倫理的」みたいな事を言うのも、そういうわけでしょう。
354 :
Kurihara :02/11/24 13:54
>>317 初心者さんは岸田秀さんの本を読んでいるのですか。
あの「インチキ精神分析」の本を。
まあ、悪いことはいいませんから、精神分析の本なら、
フロイトの『精神分析入門』『夢判断』やラカンの
『精神分析の四基本概念』やスラヴォイ・ジジェクの
の『イデオロギーの崇高な対象』を読んだ方がいいですよ。
特にフロイトの二著作は新潮文庫で安価で手にはいります
から、おすすめです。
355 :
初心者その1 :02/11/24 14:00
>>352 そうですね。一年仕事を休んで、大学の哲学科でみっちりと絞られてみたいです(笑)
(少し愚痴を言わせてもらいますが(笑)、アメリカって一回社会に出てから大学に戻る人は
いくらでもいますよね?一年大学行って、一年休学して金貯めて・・といった人もたくさんいます。
僕はコテコテの日本びいきですが(笑)、このアメリカの「学ぶ」事が容易な社会は是非日本でも
実現してもらいたいです。)
予定では、いずれどこかの勉強会に”潜り込む”つもりです(笑)
(とにかく、議論する相手が欲しい!)
356 :
考える名無しさん :02/11/24 14:07
>>355 仕事を選ばなければ、社会と大学の出入りはできる。
しかし、みんなプライドが邪魔をしてこんな仕事はできねーよ
とか思う
357 :
考える名無しさん :02/11/24 14:09
エリック・ホッファーの自伝はやっぱスゴイ。 勉強することってことがどういうことなのか考えさせられる 1は是非読んだほうがいいよ
ホッファー=Kurihara
359 :
初心者その1 :02/11/24 14:12
>>353 ドゥルーズのニーチェ論といえば『ニーチェと哲学』がよく挙がりますが、学芸文庫の『ニーチェ』
とは違うんですか?
>こういった人生論的なものがいかに存在論(ドゥルーズ的に言うと生成論
>ですが)と結びつくかと言うことが、かなり詳細に書かれています。
そうですか。非常に興味があるところです。ニーチェとスピノザは僕の中では
全く結びつかないのですが、どのように解釈しているのか興味深いですね。
しかし、シェリング「自由論」からこんなにも関連する思想がつながってきましたよ。
大森さんではほとんど誰もつなげてくれなかったのに(笑)
シェリングはスピノザのことスゲー評価してんじゃないの?
353はぺんぺんさんに読めば読むほど弐照る気がする
362 :
初心者その1 :02/11/24 14:17
>>356 そうですね。ただそこまで哲学と付き合っていく勇気がないのが正直なところです。
大森さんを見る限り、僕には哲学的才能に欠けているようですし(笑)
やっぱり、一流の建築家を(!)目指した方が良さそうです(笑)
363 :
考える名無しさん :02/11/24 14:17
大森は高尚すぎるんだろ(w
364 :
考える名無しさん :02/11/24 14:19
才能あると思うよ
365 :
初心者その1 :02/11/24 14:25
>>360 ハイデガーによれば、シェリング以前に「唯一」体系を完成させたスピノザは(それは不完全なものではあるが)
シェリングが闘うべき相手だったそうです。つまり、シェリング『自由論』はスピノザとの体系との闘いです。
『自由論』はスピノザ(的)汎神論の反駁に多くのページを割いていますが、それは逆に言えば、それだけ彼を
高く評価していたのでしょう。
>>365 丁寧かつわかりやすい説明感謝
やっぱよく勉強してるなあ
367 :
初心者その1 :02/11/24 14:39
>>354 (えーい、今日はカキコの日でイイや(笑))
しかしKuriharaさん、相変わらず現れるのが早いですね(笑)
岸田秀さん愛読してました(笑)。『ものぐさ精神分析(シリーズ)』と『幻想の未来』に特に
影響を受けました。その当時は、日本文化の勉強をしていたので(ああ、最近さっぱりやってないよ)
『幻想の未来』は日本人論として読んでいました。精神分析の観点からは読んでないですね。
彼は思想家ですよね。どう見ても精神分析の人ではないと思いますが。
また、彼の影響でフロイトの『精神分析入門』『自我論』『宗教論』あたりに目を通したのですが、
よくわかりませんでした(笑)(というか、当時の自分の関心とは一致してなかったようです)
ラカン、ジジェクは全く知りませんが、入門書でもあれば目を通しておきたいですね。
(ジジェクスレときどき覗くのですがサパーリわかりません)
日本人論に関しては、中島義道さんの『ウィーン愛憎』も「欧米人論(?)」として、つまり
裏返しにされた「日本人論」としては秀逸だと思います。
僕の大陸−自己主張、日本−謙譲の理論に大きな貢献を与えてくれました(笑)
368 :
初心者その1 :02/11/24 14:46
>>357 ハッファーですか?聞いたこともなかったです(汗)
理論書を読むのは正直疲れるのですが、人物伝は好きなので、少し覗いてみます。
社会人になって、初めて本当の意味での勉強を、そしてその楽しさがわかりました。
これが、高校・大学の時に気づいていれば・・・と後悔する毎日です(笑)
369 :
初心者その1 :02/11/24 14:59
>>363-364 大森さんにあって僕に致命的に欠けているもの、それは「問い」ですね。
何度か書きましたが、僕自身「哲学的問い」に悩まされたことが全くありません。
単に、知的好奇心から「知識として」学んでいるだけだと思います。
また、ハイデガーは哲学とは、
「根源的な基盤まで降り立って原理を追求する行為」
だと述べています。(他の諸科学はそこまで降りることなく思考する)
ぼくも、そこまで降りることはできないですね。その前で引き返すでしょう。
「等しいものは等しいものによって認識される」
これもハイデガーの言葉ですが、僕は大森さんと等しい基盤に立つことは不可能、つまり真の意味で
彼の理論を理解することはできないのではないかと思っています。
(
>>201-202 >>235 参)
370 :
初心者その1 :02/11/24 15:03
>>366 ありがとうございます。
3ヶ月後には、2ちゃんのシェリング博士となるつもりですので(『自由論』限定)、
その時にはどんな質問でも受け付けます。
ご期待下さい(笑)
371 :
考える名無しさん :02/11/24 15:03
>>366 簡単な文脈を難解な言葉で表現してるはずです。 おぎゃーは世界共通なんだしさ。
372 :
初心者その1 :02/11/24 15:04
これでだいたいレスしましたね。 何気ない会話ですが、僕にとっては貴重な時間です。 おつきあい下さいましてありがとうございます。 では、またの機会に・・。
373 :
初心者その1 :02/11/24 15:06
374 :
考える名無しさん :02/11/24 15:09
>>372 こちらこそ、感謝しております。
バイバイ〜
375 :
考える名無しさん :02/11/24 15:30
初心者その1 さんはどんな職業なんですか? なんか興味あったりして。
>>317 >>339 1さん
>ところで、「〜への自由」とはどういう意味なのかわかりません。
わたしは、前スレで「〜への自由」は「力への意志」に似ているといいましが、
サルトルの「自由の刑に処されている」も「実存主義的」には同じ辺りのことです。
サルトルを持ち出して自由をいうなら「〜からの自由」と「〜への自由」は、
区別できないとマズイような気がします。
「〜からの自由」は「体系 or 既成秩序からの自由」でいいと思いますが、
「自由の刑に処されている」は「〜への自由」の方だと思います。
「〜への自由」は「存在」と「実存」の区別ができないと難しいかもしれません。
これはかなり重要です。ちなみに「絶対知」とかの概念も理解し易くなる筈です。
1さんは、迷惑してるかもしれないけど、zion-adさんの文章に、この辺のことは
頻繁に表現されてます。ベルグソン的時間論も入ってますし、オススメです。(笑)
>>369 >単に、知的好奇心から「知識として」学んでいるだけだと思います。
わたしの哲学板での一番最初のカキコは「知識は哲学じゃない!」でした。(笑)
>>339 >真に人間の本質にせまる問いなのでしょうか?
「〜への自由」を考えることは、ハイデガーのいう
「根源的な基盤まで降り立って原理を追求する行為」だと思います。
わたしは、自己の根源には、以下の重要な次元が関わっていると思っています。
(とんでもなく適当ですが)
【 時間 】ハイデガーは、次元(dimension)を「広がり」という意味で使い、
時間を自己の「広がり」として表現しています。
【 無 】東洋思想におけるそれ、あるいはニヒリズムにおけるそれです。
【 神 】至高なるものへの志向性、超越次元への想念。
で、無と神は同じだよね、とか考えてしまえる思考ツールとしての【 言語 】。
>>369 >大森さんにあって僕に致命的に欠けているもの、それは「問い」ですね。
自己と自己の根源にかかわる次元との関係性、あるいはその関係性における
世界や自己の構造に対する探求を試みるなら「問い」は必ず生まれると思います。
>>342 >わたしはカオルさんにベルクソンを薦めます。
ありがとう。「時間と自由」もう一度勉強してみます。
379 :
考える名無しさん :02/11/25 09:54
>>347 >>348 >>350 すでに在る「体系」に支えを求めることと、自らが「体系」(理想)を創り出すこととの間には
大きな相違があり、そこにニーチェを理解するポイントがあるのだと思います。
前掲の箇所に「新しい諸価値を創造すること・・・それは獅子もいまだなし得ない」とあるように、
「幼な子」が「〜への自由」を体現しているのは、彼が「創造者」であるからです。
「善人たちは創造者を最も憎む。石の板と古い価値とを壊す者、破壊者を。・・・
善人たちは創造することができないからである。・・彼らは新しい価値を新しい板に書く者を
十字架にかける」(『ツァラトゥストラ』)。
ニーチェが従来の宗教、道徳、形而上学を批判するとき、批判の中心は神や理想そのものに
あるのではなく、それらの諸理想と人間との関係にあります。
理想を立てること、あるいは神を信じることは、極めて創造的な行為として肯定的に理解されている。
しかし理想というものは、時間が経つにつれて人間の生きる現実世界とのつながりを失ってしまう
という性質を持っている。そして個々の人間から乖離した理想は客観的なものとなり、「外」から
人間を支配する権威となってしまう。
ニーチェは従来の諸理想の起源はプラトンにあると考えていると思いますが、プラトンはその理想を
自ら産出し、その理想の中で生きた。だからニーチェの批判はプラトンよりも、「民衆化された
プラトニズム」であるキリスト教に集中する。キリスト教においては、
理想が現実世界から乖離しつつも、現実世界に対する「外」からの強い拘束力を持ち、
人間の創造的な活動に最も有害な影響を与えるとニーチェが考えたからだと思います。
わたしは、1さんが大森さんだと思って会話してますので、 このスレの終了まで、大森さんは読みませんので、あしからず。(^.^) さて、大森さんは、なぜ「過去自体」だけを問題にするのでしょうか。 「空間−モノ自体」「時間−過去自体」と切り分けたのは、なぜでしょうか。 カントの「振り返り思考法」に従うなら「時間自体」が「過去自体」になって しまうのは必然なのに・・・大森さん、どうなんでしょう。(笑) 以下、わたし的に【疑問】を消化する、を目的として書いてみました。 (カントの厳密な解釈はカンベン!カント語ってるわけじゃないから)
《 モノ自体〜モノの認識 》 空間がない -----> 何も存在しない、と考える ・・・・・ (a) (a)より、空間の基本属性 -----> (有)(無) = モノ自体、と仮定する。 モノ自体(有∩無) <-----> 知覚(b) ---略---> 時間(差異) ---略---> モノ(有)の認識 【結論1】:「モノの認識」の前提(条件)として「時間(差異)」の介入は不可避である。 以下、前スレの内容と重複しますが、 1.(b)が、経験(virtual reality)の基点です。 2.(b)の知覚は、(有)(無)の「可能性(の知覚)」ですから「モノ自体」は、 いまだ「モノ(有)」化されていません。シュレーディンガーの猫状態です。 3.(b)では、モノ自体からモノ(とわたし)が分離していませんから、 モノとわたしの「あいだ」は生まれていません。主客の未分化。 『主も客もない一切の分断がまだ生じない原始の混沌にこそ我々の経験の始原がある』 (大森荘蔵) ということです。
《 時間自体〜時間の認識 》 時間が流れない -----> 何も変わらない、と考える ・・・・・ (c) (c)より、時間の基本属性 -----> (差異)(同一) = 時間自体、と仮定する。 時間自体(差異∩同一) <-----> 運動(d) ---略---> 空間(有) ---略---> 時間(差異)の認識 【結論2】:「時間の認識」の前提(条件)として「空間(有)」の介入は不可避である。 以下、前スレの内容と重複しますが、 1.(d)が、経験(virtual reality)の基点です。 2.(d)の運動は、(差異)(同一)の「可能性(の運動)」ですから「時間自体」は、 いまだ「時間(差異)」化されていません。真空(非-空間)中の反物質状態です。 3.(d)では、時間自体から時間(とわたし)が分離していませんから、 時間とわたしの「あいだ」は生まれていません。永遠の今。 『主も客もない一切の分断がまだ生じない原始の混沌にこそ我々の経験の始原がある』 (大森荘蔵) ということです。
次は「時間の成り立ち」について考えてみます。(^.^)
>>345 大森荘蔵が過去自体と物自体との平行性云々を言う時、
はからずもそこに、カントの哲学そのものの欠陥が示されている。
カントは直感形式の時間と空間の違いをたびたび指摘している
にもかかわらず、時間を前後の関係としてとらえているため、
前後が結びつき得る場として、時間が空間的広がりにおいて考えられ、
結果的に、客観的なものになってしまっている。
これに対して、キルケゴール、ニーチェ、ハイデガー、
ヤスパースなどは、本来的時間を前後関係としてではなく、
「瞬間」としてとらえているのは周知の通り。
386 :
考える名無しさん :02/11/27 13:47
まず「客観的時間」ありきだよ。でなけりゃ時間論は意味不明になる。
387 :
考える名無しさん :02/11/27 13:51
「客観的時間」とは物理的時間のこと?
388 :
考える名無しさん :02/11/27 21:07
カオル説明うまいね。期待age
389 :
考える名無しさん :02/11/27 21:23
>>382-383 ---略--->の説明きぼーん
(カオルさんのはなにげにオリジナルなんでヨロピコ)
>>389 僕もヨロピコ(笑)
>レスをくれた方々へ
貴重なご意見ありがとうございます。
今回は特に「なるほど。そういうことか!」と目を開かせてくれるレスが多いです。
本当はすぐにでもレスを返したいのですが、何しろこちとらは初心者。
えらそうにレスをする前に、読まねばならない本が山ほどあります。
当分は、そちらの方に時間を取りたいと思いますので、レスは週一回を
目安にしたいと考えています。
といっても、毎日スレは覗いています。
議論に関するレスがついていれば、プリントアウトしていつも持ち歩き、
時間が空けばそのことについて考えています。
(以前のレスの含め)必ずレスを返しますので、ときどき覗いて、またアドバイス
してやってください。
よろしくお願いします。
391 :
考える名無しさん :02/11/27 21:42
>>385 確かにそうだけど「瞬間」といってもハイデガーのは「投企=未来」だし
ニーチェのは「永劫回帰=現在」だしデリダなんかは「痕跡=過去」だしね。
大森のはデリダに近そうだけどどう思う。
392 :
考える名無しさん :02/11/27 22:02
カオルので説明できてるんじゃないの。
393 :
考える名無しさん :02/11/27 22:33
↑どこが何の説明になっているのですか? あれじゃ私には全く意味不明だけど、脳の波長が違うのだろうか。 解説希望。
>>388 >>392 ジエンととられても仕方ないような一行レスはやめようよ。
もう少し内容のあることを書き込んでね。
>393 なんとなくそう思っただけ。全く意味不明ってことはないと思うけどね。 >395 俺は388ではないよ。
397 :
考える名無しさん :02/11/27 23:29
>>396 なんとなく、どこが何の説明になってると思ったの?
わかったわかった。取消せばいいんだろ。俺のかん違いでした。
ふ〜ん。???
>>388 さん
ありがとう。
>>389 さん
今「時間の成り立ち」について考えてるところ。そこで説明します。ヨロピコ(^.^)
>>390 1さん
>今回は特に「なるほど。そういうことか!」と目を開かせてくれるレスが多いです。
わたしもだったら嬉しい!
>レスは週一回
指折り数えて楽しみにしてます。(笑)
>>392 さん
わたしなりにニーチェやハイデガーは意識してました。デリダは?です。(^_^;)
上手く説明する自信はないですけど・・・いつか挑戦してみたいです。
なるほど、392は391へのレスだったのか。
402 :
ぺん(ぺん) :02/11/28 05:15
煽りにあって、しばらく自重してましたが また議論に参加させてください。 初心者その1さん、その他の皆さん、よろしくお願いします。
403 :
ぺん(ぺん) :02/11/28 05:15
時間について考察する場合、 マクタガートのA系列とB系列の区別が、概念を整理する上で参考になると思います。 A系列とは客観的な世界時間とでも言うもので ちょうどニュートンの絶対空間の概念に対応するものだと考えればよいと思います。 まあ、それ自体として存する物理学的な時間といったところでしょう。 一方、B系列とは主観的な現在を中心とした前後関係(未来と過去)によって捉えられた時間であり アウグスティヌスからハイデガー、大森先生にまで至る 哲学的(?)な時間概念に相等するものです。 B系列としての時間概念がアウグステゥヌスによって明確化されたのは よく知られていますし、哲学史上でもよく引き合いに出されていますが A系列としての時間概念はどのようにして明確化されたのか 哲学ドキュソの漏れにはよく分かりません。 アリストテレスにおいては、時間はあくまで運動に付随するものとして 消極的に考察されていただけですし 恐らく、ガリレオなどによる運動学の進展によって、 時間変数として考察されるようになったことに由来するのではと思います。 (形而上学的には、中世神学における神の永遠性に対置されるところの 被造物の世界の有限的時間性に由来すると思われますが そこのところはよく分かりません) このようなA系列としての時間とB系列としての時間は より深い問題である、形而上学的客観性と認識論的主観性の対立に淵源するのかも知れません。 (例えば、分析系における実在論と反実在論の立場の対立にも繋がるでしょう) 時間概念を二項対立的に分析するのは、単純化しすぎだという反論もあるでしょうが とりあえず、議論の出発点として、少なくとも概念の整理には役に立つとは思います。
404 :
考える名無しさん :02/11/28 12:00
ここまで読んだけど、結局
>>41 さんの
>1-3.他人と共通する過去がなければ、なぜ高い確率で互いの想起の一致がありえるのか?
が判らない。
>>111 さん
>>189 さんに一応解説あるんだけど・・・うーん
「過去が一致する」じゃなく逆に「一致したものが過去」かも・・
なんて勝手に妄想してるんだけど。
(流れ曲げてるようなら無視してね、通りすがりなんで)
405 :
ぺん(ぺん) :02/11/28 15:47
>>404 >「過去が一致する」じゃなく逆に「一致したものが過去」かも・・
>なんて勝手に妄想してるんだけど。
「同一者不可識別の原理」と「不可識別同一者の原理」の差異と
同じ構造のように思えますが、いかがでしょう。
406 :
考える名無しさん :02/11/29 00:38
>>405 レスどうも。
>「同一者不可識別の原理」と「不可識別同一者の原理」の差異と
>同じ構造のように思えますが、いかがでしょう。
うっうーん。そんな大袈裟な問題では無いかと(ごめん理解不足)
「過去が一致する」の場合、「一致しない過去」もありえるけど。
「一致したものが過去」は、それが「無い」という暴論だから。
407 :
初心者その1 :02/11/29 22:18
「原生時間(主観的時間)」「物理的時間」を再考してみました。(
>>33-35 参)
この二つの時間概念の発生の起源を考えてみます。
それにより、これらの時間の根本的相違と、現在の誤った(?)受け取られ方が、よりはっきりと見えてくると思います。
大まかな議論の流れは以下の通りです。(直接には大森理論は関係ないです)
【主観的時間】 「想起」 → 「記憶の並び替え」 → 「原生時間の雛型」 → 「未来の予期」 → 『原生時間の完成』
↓(重ね描き)
【客観的時間】 「自然の周期」 → 「周期の数学化」 → 『物理的時間の制作』 → 「物理的時間が唯一の時間概念となる」
(続)
408 :
初心者その1 :02/11/29 22:22
1.原生時間(「過去(想起)」から生じる)
この時間概念は、「想起」において生じたと思われます。
「昨日の飲み会は楽しかったな」と想起し、「あれ、ではあの楽しい瞬間はどこに消えたのだろう?」と疑問に思った時
「過ぎ去った現在」に気づきます。さらに、「過ぎ去った現在(原生的瞬間
>>35 )」の前後関係に意識を向けた時に、
もっとも根源的な時間の雛型(過去のみの原生時間)を認識します。また、この想起内における原初時間は、未来にも延長されて(予期)、
完全な原初時間(軸)が形成されます。多くの人は、「運動」を知覚することから時間の概念が生まれると考えているようですが、
主観的時間は、想起の中の「過ぎ去った現在」の前後関係を考える時に生じるものだと考えています。
2.物理的時間(「現在(知覚)」において生じる)
こちらの時間概念は、太陽や月といった天体の周期から生じる一定の時間間隔に気づくことから生じたと思われます。
朝昼晩、春夏秋冬といった自然の繰り返し周期から、主観とは別に客観的時間が存在するのでは、という疑問から生まれた
のではないでしょうか?つまりこちらは、現在目の前にある「運動」を知覚することから発生したわけです。そして、
この時間への信頼性は、数学化によってさらに緻密に補強されていきます。
(続)
409 :
初心者その1 :02/11/29 22:22
1の時間を2の時間に「重ね描き」することにより、主観的で私的な原生時間が、いつどこで誰にとっても共通する 客観的な時間の基盤へと移築されます。発生の起源から考えて、この両者は全く異なる時間概念です。ところが、 客観的・科学的思考が偏重される近代以降、1は偽りの時間であり、真に正しい時間概念は、2の物理的時間”のみ”である、 という誤った考え方が流布されます。あたかも客観的時間しか存在しないかのように、原生時間を切り捨てた近代の考え方に 問題はないでしょうか?「時間」をどう定義するかで変わってくると思いますが、僕は1.2両時間とも存在すると考えた方が すっきりすると思います。(ベルクソンやハイデガーらはどう考えているのでしょう?) また同じ問題は、外の世界をどう捉えるか、という存在論の領域においても生じています。(世界の死物化) (中島義道さんは、「数」の概念を持たねば、時間の概念は生まれないといっています。 つまり、時間とは、持続や変化そのものではなく、そうした連続して変化する現象を「測定」することにより 生まれるといっています。なるほど、1.2両時間とも「測定」することによって始めて現れてきます。) (続)
410 :
初心者その1 :02/11/29 22:23
「時間」と「運動」の関係について、大森さんの主張を拾ってみました。 1.「時間」とは、静的な座標軸であり、運動と何の関係もない。その静的な時間には「過去」と「未来」が含まれる。 2.「運動」は動的な「現在経験」固有の現象である。 よって、「時間」は過去、未来に、「運動」は現在にと、お互い全く別の基盤を持つ概念だ、と述べています。 (想起、予期から発生する)「時間」は思考的概念。(現在に属する)「運動」は知覚経験。 「過去」と「未来」からなる静的な時間軸に、「現在」という生き生きとした行動的、異質なものを無理に押し込もうとすると、 「時の流れの誤解」や「ゼノンのパラドクス」といった難問が生じると述べています。これらの糸を解きほぐすことにより、 捏造された時間概念の正体を顕わにします。(ここで述べている「時間」とは1の原生時間のことです) そう考えると、それ自体静的なものである時間に気づくためには、「運動」という静的でないものを経ないといけない、 というのは不思議な気がします。
411 :
初心者その1 :02/11/29 22:24
根源的基盤に遡って思考すること、−そこには「先入観ぬきで白紙の状態から考える」という意味も含まれていると思いますが− は難しいですね。わかっていながらも、「主観的時間」「客観的時間」といった根源的基盤から生じた(つまりより表層的な)概念や 二項対立的な視点を無批判に受け入れて議論を進めています。 これまで積み上げられてきた知識や先入観から外に出て、「自由」に思考することの難しさです。 (ここでも「自由」と「体系」の矛盾ですね。人は行動の指針となるべき「体系」を不可欠とし、この「体系」が堅固なほど自我が 安定します。しかしそれは同時に、人がそこから外に出て(自由に)思考する事をも妨げます。例えるなら「体系」は、束縛好きな パトロンですね。「俺の言うこと聞いとれば、おまえの安全、心の安定は保証するが、そこから出ることは絶対に許さん」 といった感じで。とすると哲学者とは、パトロンから逃げ出そうと必死にもがいている愛人(ラ・マン)でしょうか(笑)) まあ、これは哲学に限らず創造の場において常につきまとうもどかしさですが・・。 レスし終わった後に、「ああ、またハイデガーになれなかった」、といつも反省しております(笑)
412 :
考える名無しさん :02/11/30 00:34
いいスレですね。
《 時間の生成−前説 》
時間の基本属性 -----> 差異∩同一 = 時間自体、と仮定します。
差異∩同一とは、差異がないなら同一もないからです。一如。不二。
時間自体 -----> 運動 -----> 方向性 -----> 空間化 -----> 順序 -----> わたしの時間
わたしの時間は【モノ自体】から【身体とモノ】の【ある】の分離が【前提条件】です。
【空間化】の段階では、まだ【差異】は【モノ化】されているだけです。
【モノ化】された【差異】は【順序】というフィルターを通って【わたしの時間】になります。
【わたしの時間】とは、特定の言語による特定の文化の(時間)概念の獲得に過ぎないからです。
【順序】のところで【言語】による【差異】の【秩序化】が行われます。
ここら辺のことは、
前レス 875 の《 量としての時間、不可逆性の時間 》
および《 言葉という概念 》(立花 隆ゼミ)を参照してください。
http://tron.um.u-tokyo.ac.jp/tachibana/third/0613.html
L'amant ラマン amant アマン
《 時間の生成 》 (a) <=====> 時間自体 <-----> 運動(生命活動) -----> 方向性(流れ) -----> -----> 空間(モノ)化 -----> 順序 -----> 差異の認識 <=====> (a) ▼【方向性】とは、生命の属性である「秩序化」への生命活動の流れです。 ▼【空間化】によって、運動(生命活動)の方向性(流れ)が「モノ化」され 「身体」が「現象化」します。 ▼【順序】とは「時空間における方向性」と「価値的差異の方向性」の 相対的かつ総合的な関係性によって認知される物事の相互関係のことです。(#1) ▼【順序】概念によって「身体的時間」が認識されます。(#2) ▼【運動】を【知覚】に入れ替えると【身体的時間】は【精神的時間】になります。(#3) (【知覚】=【前-意識】) ▼【入れ替え】が可能であるためには、(身)物心一如でなければなりません。(#2参照) 『主も客もない一切の分断がまだ生じない原始の混沌にこそ我々の経験の始原がある』 (大森荘蔵) という世界観がどうしても必要になります。(^.^)
(#1) ここでいう順序は、不可逆的因果律を後天的な概念に過ぎないと説明するために 他スレで考えたものです。(上-下、生-死、未来-過去、因-果、好き-嫌い・・・) (#2) 【生命】を【非生命】に入れ替えると【秩序化】は【無秩序化】に 【身体】は【物質】に【身体的時間】は【物質的時間】なります。 生命における自己組織化(秩序化)の活動は、エントロピー増大の法則に反していますが、 それは死に向かっての運動です。物質から誕生した生命は、必ず故郷に戻っていきます。 【生命】を【他性】に入れ替えると【秩序化】と【無秩序化】は、 【一如/不二】に【身体】は【自然】に【身体的時間】は【自然的時間】なります。 (自己の「潜在的他性であるところの存在性」(存在指示性)の問題が絡みます) (#3) 【運動】を【知覚(前-意識)】に入れ替えると【方向性】は【志向性】に 【秩序化】は【言語化】になります。【志向性】とは、意識の属性である 【言語化】への想い(情熱)です。《 初めに言があった 》 生命活動においての方向性は、エントロピーの法則に逆らっています。 意識活動においての志向性は、言語の限界、あるいは虚無や絶望に逆らっています。
>1さん
1さんがレスしてたので急いで書き込みました。
上のカキコは、単なる補足ですから適当に読んで下さい。
>>382 >>383 の方がメインなんでレスくれるならこっちにくださいね。
>>413 前レス 875 の → 前スレ 875 の、でした。m(__)m
419 :
考える名無しさん :02/11/30 01:20
時間は生成され得る物でもなければ主観、客観の様に区別され得る 物でもない。あなた方はこの部分を骨抜きにして議論を進めている。 そもそも時間の存在を論理的に証明して、くれたら嬉しい。
420 :
ぺん(ぺん) :02/11/30 04:45
>>419 >そもそも時間の存在を論理的に証明して、くれたら嬉しい。
たしかに、漏れが403で言及したマクタガートは
時間の非実在性を証明していますよね。
(ただ、ダメットによればマクタガートは実在論に分類されるそうですが)
マクタガートの証明自体が正当なものと言えるのかという問題もありますが
そもそも、存在が証明されないものを、
即、クワイン流にオッカムの髭を切り落とすように、
不要な概念として退けるのはいかがなものかと思います。
それから、一連の議論における「時間の生成」は
認識論的に、時間の認識枠組みがどのようにして生成されるのか
という話だと思います。
従って、時間そのもの生成を語っているのではなく
認識枠組みとしての時間の生成を語っているのであり、特に問題はないかと思います。
>>410 訂正
>「過去」と「未来」からなる静的な時間軸に、
これは原生時間。
>「現在」という生き生きとした行動的、異質なものを無理に押し込もうとすると、
これが物理的時間の制作。
>「時の流れの誤解」や「ゼノンのパラドクス」といった難問が生じると述べています。
これらの難問は原生時間においては生じません。
それは、物理的時間が表層的な(根源的でない)時間概念だということを密かに指し示しています。
大森さんは、原生時間をより根源的な時間だと考えています。
>>419 さん
ああ、やっぱりばれてしまいましたね。
一応、
>>411 でコソーリと言い訳を潜ませていたので勘弁してください(笑)
「主観的(時間)」「客観的(時間)」と無批判に二元論から出発するようでは、根源的基盤まで
遡った思考ではないですよね。ここで展開した議論は、「人間が認識する時間」についてであって、
「時間そのもの」についてではないですからね。(ぺん(ぺん)さん、フォローありがとうございます)
これって、認識論、存在論の相違とみていいのでしょうか?(
>>420 を見るとそれっぽいですね)
もしそうであるならば、より根源的な問い、−「存在論的」つまり「時間そのもの」への問い−、
を立てるべきでした。(その意味で、ハイデガーの時間論は興味ありますね)
これからは、そのような方向でも時間を考えていきたいと思います。(「時間そのもの」といった
人間の認識を通さない存在を証明できるとは思えませんが(笑))
またのアドバイスよろしくお願いします。
423 :
ぺん(ぺん) :02/11/30 09:10
>クワイン流にオッカムの髭を切り落とすように、 オッカム→プラトン ですよね(汗
424 :
ぺん(ぺん) :02/11/30 09:12
>>初心者その1さん なかなか切れ味鋭い議論ですね。 上の方のレスで誰かが書いていたように 哲学の才能があると、漏れも思います。 (哲学ドキュソの漏れが言うのも、僭越かもしれませんが) 「認識枠組みとしての時間」が時間性の起源とする考え方は カントが時間を感性の形式である、純粋直観であるとしたところに由来すると思われます。 我々の認識を離れて、時間が自存してあるのではなく 我々の認識の形式として時間があるのだ、という考え方は 反実在論や数学における直観主義にも連なる考え方です。 しかし、そのような考え方で本当にいいのか、 性急に結論づけることはできないと思います。 「認識枠組みとしての時間」は、「時間それ自体」ではなく あくまで我々の主観の認識形式の効果としてあらわれる現象にしか過ぎないのでは とも言い得るとも思うのです。 その点で、ハイデガーの「存在」に対する思索と共通するところがあるかもしれません。 かなり大胆な(ドキュソな)解釈をすると、『存在と時間』の時期といわゆる転回後の時期とでは 認識枠組みとしての時間性から遡って存在の意味としての時間性へと辿る思索から、 存在が自らを現すままに、その生起にゆだねることで、現れに伴うものとしての時間性の思索へと 時間性の思索に変化があったと考えられるかもしれません。 あと、様相論理の応用として時間論理があるように 様相概念や可能世界の考え方と、時間に対する考え方には、共通した構造があるのかもしれません。 (それからすると、419さんが時間の存在を疑うというのは、可能世界の存在を疑う といったことと共通した心情なのかもしれません)
>>422 ハイデガーにとっての真理とは、現存在が「存在の牧者」として
「物としての物」の顕わさを守る時の、その顕わさのことです。
しかし日常的には人間は「物」を表象し、対象化し、「世界像」を
作り、様々な「世界観」を持つ。それは結局、日常的(退落的)人間が
「世界」の外に立っていることを意味します。
そのような見方では「対象としての物」が見えてくるだけで、
「物としての物」は顕わにはならない。
「存在者を客観として表象しない」で「存在者が自己自身へと到来する」
ような人間の在り方が「存在の牧者」であり、そしてその現存在の在り方
そのものが真の「時間性」に他ならない。
「存在」を正面から問うことができないのと同様に「時間そのもの」も
正面から問うことはできないでしょう。
時間を「表象し」、「対象化する」ことになってしまうからです。
>>376 カオルさん
>サルトルの「自由の刑に処されている」も「実存主義的」には同じ辺りのことです。
ああ、この言葉はサルトルだったのですね。すっかり忘れてました(笑)
これで「自由の刑に処されている」と「〜への自由」との関係もつながりました。
サルトルの実存主義、「実存が本質に先立つ」とは、
「人間には、あらかじめ定められた本質などなく、その都度自分の判断で、自分自身を創って
いかねばならない(未来へと自らを投げる)。」
ですね。
彼が使う「自由の刑」には、積極的な意味が含まれていますね。自らを創りあげる事ができるその「主体性」ゆえに
(自由の刑に処されているがゆえに)、彼は人間(実存)を他の存在よりも高貴なものとして受け止めています。
僕はサルトルのこの考え方が好きなのですが、
>>317 >>339 における「自由の刑」はもう少し否定的な、
具体的にいえば、『カラマーゾフの兄弟』の有名な「大審問官」の章を念頭に置いて書きました。
「人間は自由に耐えられるはずがない、拘束された方が幸せである」というニュアンスでの「自由の刑」です。
サルトルの実存主義やニーチェの超人とは、ドストエフスキー的「自由の刑」に対する積極的な解答だった
のでしょうか?
(続)
また、「〜への自由」とは、「従来の体系から自由になるためには、自分自身で体系を創らねばならない」 をも意味し、さらには「結局人間は、なんらかの体系に縛られないと生きていけない生き物である」、 ともいえます。 この自分の体系で自分自身を縛ろうとすることを、もっとも積極的な意味での「自由」と定義しますね。 (『講義』においてハイデガーは、「〜への自由」とは「・・に自分を拘束すること」と述べています) そして新しい体系が完成し、それに従おうとした瞬間に、彼は再び拘束された「不自由」へと転落します。 そう考えれば、人間にとっての真の自由とは、「体系」を求めつづけるその途上においてより他にはあり得ない のではないかと思います。 (余談ですが、このスレで僕が使う「自由」「体系」という概念は、シェリング、ハイデガーのそれとは視点が 違います。彼らの概念、思想が僕を大きく刺激したのは事実ですが、内容はあまり関係ありません。 彼らの思考ははるかに深い(根源的)です。念のため付け加えておきます)
>>379 さん
>ニーチェが従来の宗教、道徳、形而上学を批判するとき、批判の中心は神や理想そのものに
>あるのではなく、それらの諸理想と人間との関係にあります。
なるほど!ニーチェが批判したのは、体系そのものでなく、それらと人間との「関係」だったのですね!
凄くよくわかりました。379さんのレスによって、
>>347-350 あたりの「幼な子」を「犬畜生」(一応誉め言葉なのですが(笑))
と解釈した僕の厨房ぶりが顕わにされたわけですね。とんだ大恥をかいてしまいました(笑)
もし「幼な子」=「超人」とするならば、ニーチェはまさに「〜への自由」、−自分で自分を創ることのできる人間−
を目指していたことになります。従来の体系を批判することは、彼にとって途上にすぎなかったわけですね。
(「超人」の概念は非常に難解と聞いてますので、簡単に割り切って理解することは危険だとは思いますが・・)。
>理想というものは、時間が経つにつれて人間の生きる現実世界とのつながりを失ってしまう
>という性質を持っている。そして個々の人間から乖離した理想は客観的なものとなり、「外」から
>人間を支配する権威となってしまう。
人間にとって体系は不可欠なものです。ただ同じ体系に拘束されるにしても、その「関係」によって「自由」であるか
「不自由」であるかが決まるようですね。人間が自由であるためには、常に自分と体系との「関係」を見極めて
いかないといけないようです。日常でも、自分で規則を決めて(早起きするとか)それを守ることができれば、
充実感を得ますよね。これって自由の感情から生まれてくるのでしょうか?
(続)
>プラトンはその理想を自ら産出し、その理想の中で生きた。だからニーチェの批判はプラトンよりも、「民衆化された >プラトニズム」であるキリスト教に集中する。 なるほど。まさに「体系それ自体」でなく、それらと人間との「誤った関係」を批判するからこそ、プラトンでなく キリスト教に批判の矢が向けられるわけですね。そう考えれば、キリスト教は批判しても、キリスト自身は批判して いないことも納得できます。(たしかニーチェはキリストを批判してないですよね?) >キリスト教においては、理想が現実世界から乖離しつつも、現実世界に対する「外」からの強い拘束力を持ち、 >人間の創造的な活動に最も有害な影響を与えるとニーチェが考えた ニーチェにとって、人間の最高の価値とは「創造」だったのでしょうか? 「学ぶ」とは、ジグソーパズルのようなもので、たくさんのピース(知識)を集めても「それらがどういう関係にあるのか」、 「それらをどうやってつなげて全体を創っていくか」がわからないと真にわかったとは言えません。 独りでもピースは比較的楽に集められるのですが、それらの「つながり」を把握するのは独学では非常に困難です。 それを指摘してもらうために、このスレを立てたようなものです。379さんのレスのおかげで、数多くのピースが つなげられました。ありがとうございます。 ただ一つ困るのは、ニーチェにも色目を使い始めたことです。 時間はないのに、読みたい本ばかり増えて困ります(笑)
>>380 さん
情報ありがとうございます。さっそく検索してみました。
【著者紹介】
「社会哲学者・港湾労働者。1902年7月26日、ニューヨークのブロンクスに
ドイツ系移民の子として生まれる。7歳のとき母と死別、同年に突然失明。
15歳で視力が回復。一切の学校教育を受けていない。18歳のとき父の死
により係累をすべて失い、ロサンゼルスへ渡る。以後、日雇い労働者として
過ごす。28歳のとき自殺未遂をきっかけにロスを離れ、その後10年間
カリフォルニア州中を季節労働者として放浪生活をしながら、先々の町の
図書館に出入りし独学を続けた。1941年から67年までサンフランシスコで
港湾労働者として働き、読書と思索の日々を送る。64年よりカリフォルニア大学
バークレー校で、週に1度政治学を講義。51年に出版された処女作『大衆運動』は
世界的なベストセラーとなる。67年テレビ出演を機に全米でホッファー・ブームが
巻き起こった。1983年5月20日死去。大統領自由勲章受賞。
著書『波止場日記』(みすず書房)、『大衆運動』(紀伊國屋書店)、
『現代という時代の気質』(晶文社)ほか。」
なるほど、たしかにKuriharaさんですね(笑)
基本的には僕も、組織に属さずに身を立てていくつもりですので、このような独学の人の伝記は、
大変参考になると思います。是非手に入れたいと思います。
ちょっと話は変わりますが、福岡正信さんって知ってます?自然農法を独りで研究しながら、
それを思想へと昇華させた人です。この人も在野の、しかもニーチェ的な思索家ですね。
彼のような時代と距離を置いた思索者には憧れますね。彼と共にホッファーも僕にいい影響を
与えてくれることを期待しています。
>>424 ぺんぺんさん
いつも的確なアドバイスありがとうございます。
>「認識枠組みとしての時間」が時間性の起源とする考え方は、カントが時間を
>感性の形式である、純粋直観であるとしたところに由来すると思われます。
なるほど。
>>407 で時間を「原生時間」「物理的時間」と分けてレスしたのは、単に大森さんが
この二つの時間について考察していたからです。「認識枠組みとしての時間」などと特に意識して
いたわけでもありません。もちろんカントとの関係など夢にも思いませんでした。(気づいてみれば、
何でこんな重要なことを知らずに・・と恥ずかしくなってきます)
やはり、こうしたピース間の「関係」はなかなか気づきにくいようですね。
ハイデガーの
>認識枠組みとしての時間性から遡って存在の意味としての時間性へと辿る思索
は非常に興味があります。
彼の入門書はかなり読んだのですが、いまだによくわかりません。やはり邦訳でもいいので
彼との対話を直に始めねばならないようです。
博学なぺん(ぺん)さんに聞きたいのですが、様々な時間論の外観、関係がわかる
良い概説書はありますか?とりあえず全体の見取り図を押さえておきたいと思っています。
よろしくお願いします。
>>425 レスありがとうございます。
僕にはかなり高度な内容なのでうまく理解できてないと思いますが、
何となくイメージはつかめました。
分類化、思考の正否に関わらず(
>>407-410 >>422 )、それが対象化した時間である限り
誤った(少なくともハイデガー的でない)考察方法のようですね。
「対象化」せずに時間(もしくは存在)を問うとはどういうことでしょう?
「世界-内-存在」とはどういう在り方をいうのでしょうか?現存在の真の在り方が
「時間性」であるとはどういう意味でしょう?「物としての物」とは何でしょう?
(特に425さんに質問しているわけではありません。自分への問いかけです)
ハイデガーは世界を主観ー客観の二元論で捉えずに主客未分の状態とみる、と僕には
受け取れますが、大森哲学との共通点はないのでしょうか?大森さんの著作にハイデガーへの
言及はほとんどされていません。彼らの哲学の共通性について語られている論文も
見たことありません。まったく別物の思想なのでしょうか?
僕にとって『存在と時間』はいまだに心惹かれる著作であり、いつの日かそれを理解することは
大きな目標の一つであり、励みとなっております。
433 :
Kurihara :02/12/01 00:24
僕はもう哲学には飽きました。
434 :
考える名無しさん :02/12/01 00:28
バーリンの政治的自由や実存主義的な自由は外していいんじゃないの。 大森哲学や時間論を問題にするならさ。 スピノザやシェリングは必要かもしれんけど。 >で時間を「原生時間」「物理的時間」と分けてレスしたのは、単に大森さんが >この二つの時間について考察していたからです。「認識枠組みとしての時間」 >などと特に意識していたわけでもありません。もちろんカントとの関係など夢 >にも思いませんでした。(気づいてみれば、何でこんな重要なことを知らずに >・・と恥ずかしくなってきます) >やはり、こうしたピース間の「関係」はなかなか気づきにくいようですね。 「原生的時間」と「認識枠組みの時間」は似て非なるものだよ。 ごちゃ混ぜにする必要はないしするべきじゃないよ。 ハイデガー、ベルグソン、フッサールの時間論とカントの認識論は 交わらないと思うよ。
究極の一言 「時間は概念です」
>>435 なんらかの存在を許容する空間、或いは光景を映し出すスクリーン、
知覚正面は影であり、本体が時間。
>>338 >*******あなたの(本当は)嫌いな女たちが、妄想や幻想を「現実」として
>成立させているのです。**************************
俺の嫌いなのは過剰に反応する俺の中の女でね。存在を放棄しようとせん。
だから街の女の子に頼ることにした。このスレに関係ないので飛ばし。
このスレを潰しても欲しかったのは、カオル=薫が同じ身体から発せられた可能性への
俺の欲望の暴走。どうも、それは不明。あるいは、カオルが女性だったとしたら、
ゴメン。完全な誤爆。カヲル君ってんは、エヴァンゲリオンに出てきた男の子。
それで狙いは、直弾は関係ないなら当たらんようにしたつもりだったのだが。
まだ、薫を得るにはかなり迂回しなきゃのようだ。
時間(過去自体)。未来なんて時間は存在しない。それは空間化した幻影。
時間(自己の無意識が見せた記憶)。意識はその存在に固執する。
そこに解がなくても。
存在(モノ自体。女。俺の経験以外の時間の塊。)
妄想でも幻想でもない。どちらであるかを意識では答えられない。
>>345 >カントは「経験できない世界(a)」を、「それについては何事も言いえない」
そこになら解があるかもしれない。己の妄想でも幻想でもない無意識が発見した
対象a(モノ自体)に。それを保証してくれる、他所にいる他者を求めて。
439 :
zion-ad :02/12/01 01:47
>>329 >ポパーだったかなの、科学者集団の見解に準拠するしかない。語り合うには、
これは栗本慎一郎の紹介するポランニーのどっちかだったかなに修正。
440 :
ぺん(ぺん) :02/12/01 05:50
>>434 >「原生的時間」と「認識枠組みの時間」は似て非なるものだよ。
>ごちゃ混ぜにする必要はないしするべきじゃないよ。
>ハイデガー、ベルグソン、フッサールの時間論とカントの認識論は
>交わらないと思うよ。
マクタガートのA系列・B系列の区別を受け入れた上で
B系列的な時間概念の方にハイデガーとカントの双方をぶち込んで議論をしたので
初心者その1さんをよけい混乱させることになったと思います。
漏れも反省しています。
>>初心者その1さん
どうでしょう、少し議論が広がり過ぎているようなので
特定の本なりテキストなりに即して議論を進めた方がいいようにも思えます。
初心者その1さんの大森解釈による「原生的時間」は
ほとんどフッサールが『内的時間意識の現象学』において展開している
考え方に基づいているように見えました。
そこで、『内的時間意識の現象学』を読んでみるというのは、いかがでしょうか。
でも、初心者その1さんは、すでにシェリングの自由論の読解もしているようですし
仕事も忙しいでしょうから、漏れの提案を無理に汲み取る必要はないですよ。
441 :
ぺん(ぺん) :02/12/01 10:12
マクタガートのA系列とB系列が逆になってました(大汗 うーん、なぜ逆に憶えてしまってたのだろうか・・・ ともかく、とんでもないデンパを飛ばしてしまいました。 (皆さんもツッコミを入れないんだから、人が悪いですよ・・・) あまりに恥ずかしいので また、しばらく自粛します。
442 :
ぺん(ぺん) :02/12/01 10:36
穴があったら入りたいというのは、今の状態ですが 過去のデンパ・カキコは消せないですから、辛いところです(汗 自粛する前に、一言。 ダメットの『真理という謎』に収録されている論文 「過去の実在」を一読されてみてはいかがでしょうか。 大森先生の「過去の非実在論」を分析系の概念の中で捉えるのに ちょうど手ごろな論文だと思います。 ちなみに、あの忌まわしいマクタガートについて(笑 「マクタガートの時間の非実在証明を擁護して」という論文もあります。 それでは、逝ってきます・・・
443 :
Kurihara :02/12/01 23:32
ぺんぺんさん、僕と組んで天下とりましょうよ?
なっなんなんだ!!!
445 :
考える名無しさん :02/12/01 23:52
Kurihara 肉体労働者 ぺん(ぺん) 公務員コース 初心者その1 ヒッキー この三人でなにが出来るの?
>1さん、質問させてください。
>>33-34 >(x)現在境界:長さ0の点時刻。物理時間における現在へと変造される場所
【現在境界】とは【過去自体にリンクした物理的時間】が【現在(a)に流れ込み(→)】
【物理時間における現在】へと【変造】される【場所】でいいのかな?
1.存在しないはずの【過去自体にリンクした物理的時間】って、何?
2.それが【現在(a)に流れ込み(→)】って、一体どんな事態?(物理的時間って外から来るの?)
3.創作された【物理時間における現在】が【現在(a)】にあるなら【物理時間における未来】
や【物理時間における過去】も『創作された物語』として【現在(a)】にあることになるけど、
もし物理的時間は客観的時間だからということで、たとえそれが『創作された物語』であっても
他者と「共有」された「幻想」であるなら【現在(a)】の外に出られるというのは余りに安易です。
もちろん、ここは「他我問題(
>>41 )」に絡むことになるんですが、ここら辺どうなってるの?
4.【変造】される【場所】って、どこ? この【境界】って【場所】なの?
とっても恥ずかしいんだけどまったく理解できていないのでお願いします。m(__)m
>>38 【カテゴリー】といってしまうと「悟性」の、あるいは、カテゴライズされた
「認識」としての「空間」と「時間」ということになってしまうから、
カントの「モノ自体」との平行性をいうなら【経験不可能】も【認識不可能】
でないとおかしい。カントは「ないとはいえない」といってるんだから。
>>37 「想起(b)と過去自体(d)のあいだに因果関係を認めていない」
過去自体が【認識不可能】ということなら「なんともいえない」としかいえない筈。
>>40 >「在るかもしれんが確かめらんから考えるのやーめた!」
「在るかもしれんが確かめられん」「だからもっと考えよう」です!(笑)
>>437 zion-adさん
意味がやっと分かりました。来世で逢いましょう。
>>440 ぺん(ぺん)
>どうでしょう、少し議論が広がり過ぎているようなので
>特定の本なりテキストなりに即して議論を進めた方がいいようにも思えます。
このスレは、特定の個人の特定のテクストに即して議論を進めてるんだけど、
そこからテーマを与えられつつも自分の頭で考えることが、主眼のはずです。
大森荘蔵やフッサールに考えてもらうんじゃなくて、自分はどう思うのかです。
「大森荘蔵における○○概念の○○問題について」とか、やってるんじゃない。
あなたのいう特定の個人のテクストなりに即して議論するっていうのは単なる
文献学のススメに聞こえます。しかも「漏れは自粛」「逝ってきまーす」じゃ
話になりません。やるならあなたがキッチリ仕切って下さい。あなた優秀だし
1さんにはその方がいいのかも。わたしは、哲学学嫌いだから辞退するけどね。
ちなみにマクタガートのA系列とB系列の区別くらい1さんには出来てますよ。
その上での意図的な議論の進め方に思えますけど。マクタガート知らなくても。
時間への取り組み方は人それぞれだし、たとえばハイデガーなら、フッサールの
お弟子さんですから、現象学的あるいは実存的立場からの問い掛けであったはず
の時間も、結局
>>425 さんのいうような存在論的なものになっていったわけです。
「なっていった」ってところが、自分の頭で考えてということなんだから重要!
450 :
初心者その1 :02/12/02 00:07
>>441 ぺん(ぺん)さん
マクタガート、危うく僕も間違えて覚えるところでした(笑)
極近いうちの復帰をお待ちしております。
ぺん(ぺん)さんの言われるとおり、議論が無意味に拡散する傾向があります。
全体が見えてなく、とりあえず目の前のことに反応しているだけですから。
早い内に「雌の視角」(地上を歩く人間の視点)から、「牡の視角」(空から見た
鳥の視点)になれるよう、全体の地図を手に入れたいですね。
お薦めの本は頭に入れておきます(ダメットの方は特に興味ありますね)
>>443 Kuriharaさん
全角・・?偽者・・?
451 :
初心者その1 :02/12/02 00:09
>カオルさん ちょうどタイミング良く笑) 今日は眠いので、近いうちにレスします。 またよろしくお願いします。
452 :
考える名無しさん :02/12/02 00:14
Kurihara 肉体労働者 ぺん(ぺん) 公務員コース 初心者その1 ヒッキー カヲル ホモ 稲 三流似非学者
まったく。。 高度な嫌味というのが全く通用しないヤシだ。。。
454 :
考える名無しさん :02/12/02 00:18
また例の嘲笑的精神のヤシなんじゃあないの?
455 :
考える名無しさん :02/12/02 00:18
アンチニヒリストのスレがやられてる。。。
カオルタン ハァハァ
1はこんなことやってるうちに社会復帰できなくなっちゃうよ 大学卒業したてなら23か24くらいか ちょうどこのくらいの年齢のヤシに云ってもかんねーんだよなー 年齢は取り戻せないんだよ
458 :
Kurihara :02/12/02 20:46
僕とぺんぺんさんと初心者その1さんとで、 天下取りを目指します。 さあ、頑張って行きましょう。
459 :
考える名無しさん :02/12/02 20:50
天下ってなによ
460 :
Kurihara :02/12/02 20:51
因みに、初心者さんは建築関係の仕事を しているそうです。 なので、ひきこもりではありません。 ぺんぺんさんは法学部の人です。 そして、僕は独学で哲学を修めた天才日雇い労働者です。 僕らが手を組めば、柄谷さん浅田さん超えも可能なのです。
461 :
考える名無しさん :02/12/02 20:51
ヒッキーじゃなかったら 初心者その1の読書量はこなせないよね
462 :
考える名無しさん :02/12/02 20:54
1は、本当はヒッキーのくせに建築関係とかいって 嘘ついてるから仕事の話には一切ふれない。 ほんとに仕事してるならそうそう読書時間なんかとれないよ
463 :
Kurihara :02/12/02 20:58
初心者さんをひきこもり呼ばわりしている 人が、実はひきこもりだという話ですよね。
464 :
考える名無しさん :02/12/02 21:00
読書量の問題じゃないよ。 彼の書き込みを読めば、彼の思考力の高さ(深さ)が良く分かるでしょ。 俺も仕事してるけど、自由な時間が少ないだけに、その自由な時間を 有意義に使いたいという思いが強いから、少ない時間で結構いろんな ことができるものですよ。
465 :
考える名無しさん :02/12/02 21:00
いやあ 1はヒッキーだろ どうみても Kuriharaはそうじゃないとおもってんの?
466 :
Kurihara :02/12/02 21:01
僕は因みに吉本隆明さんの『ひきこもれ』を 読みましたので、ひきこもりには理解があります。
467 :
考える名無しさん :02/12/02 21:02
ひきこもりの肯定・否定はまたべつの話でね
468 :
考える名無しさん :02/12/02 21:06
建築士になるために勉強してるヤシのレスか? あれが 建築の勉強に時間使って、さらにシェリング ハイデガー 大森 ウィトゲンシュタインとか読む時間がどこにあるんだ しかも仕事終わってからつかれてたらあんな長文レスするか?
469 :
考える名無しさん :02/12/02 21:08
>>468 世の中、いろんな人がいるわけで・・・
あなたもがんばってね。
良スレなんだから別にヒッキーでもいいよ ウザイ
471 :
考える名無しさん :02/12/02 21:18
他スレで、ちんぽ太郎に質問してる1なんてヒッキーそのものじゃん
472 :
Kurihara :02/12/02 21:21
初心者さんがひきこもりでないか否かは 今度本人に真偽を正してみましょう。
本当に哲学に夢中の人は俺みたいに他の職業はめざせない。 建築士しかり。
474 :
Kurihara :02/12/02 21:45
本人に聞けば解ることです。
くりくり〜♪ はらはら〜♪ なになに〜♪ さまさま〜?
476 :
考える名無しさん :02/12/02 21:47
本人がホントのこというかっての
大森氏曰く、Kuriharaには主観的時間がない・・・・・・と。
478 :
Kurihara :02/12/02 22:46
電気屁ヤング登場っ!
電気の使者でしよん
なにかヒッキー論争になってますね(笑)
せめて、ヒッキーでなく「孤独な思索者」と呼んで欲しいのですが(笑)
>>457 大学生活が長い(二つ専攻しました)のと、卒業して結構時間がたつので
皆さんが思っておられるより年齢は上だと思います。
>>458 そうですね。あとチンポ太郎さんにも入ってもらいましょう(笑)
>>461 一応誉め言葉と受け取っておきます(笑)
おそらく人よりは本を読むのが早いと思います。。
以前から哲学は勉強したかったので、3年前より古本屋で集めてました。
手元に哲学・思想関係だけでも300冊ほどあります。(ほとんど糞本ですが(笑))
読み方は典型的な立花隆式です。
>>462 2ちゃんでは基本的に建築の話はしたくありません。建築板にもいきません。
あまりにもレベルが低すぎ腹立ちます(笑)。(学生時代、大道塾にいたので武板にはよく行きます)
この板の、現代建築スレには期待していましたが今のところイマイチのようですね。
>>464 ありがとうございます。学生と社会人で最も大きな違いは自分の時間が持てなくなることですね。
そのかわり、時間の使い方は抜群にうまくなります。学生の方は覚悟しておいてください(笑)
ちなみに週一回夜だけですが、介助もやっております。ついでに宣伝させてください(笑)
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhx2425/index.htm 次回興行は、来年1/18です。東京近郊の方、是非お友達をお誘いの上おいで下さい(笑)
>>468 資格はかなり前に取りました。しかし、実務経験はまだ少ないです(いろいろありまして(笑))
468さんのレスを読むと、いかにも僕がシェリングやハイデガーを読みこなしているように見えますが、
理解しているのと目を通したのは全く違います。
シェリング『自由論』は序章だけ、ハイデガーは『シェリング講義』を半分ほど、ヴィトは『論考』を
何回か目を通しただけです。しかも理解というにはほど遠いものです。
僕は小規模なアトリエ系設計事務所にいるのですが、他の人よりは恵まれているかもしれません。
そこの所長は建築好きで素晴らしい人です。建築にこだわらず、建築の血肉となるものならなんでも
推奨、認めてくれます。
本気で建築家を目指す人たちは実務とは別に、皆空いた時間に独自の勉強しています。
自分の建築思想を確立しようとする人、感性を磨こうとする人、実務を重点的に学ぶ人、
コンペに応募する人、それぞれです。僕はいままでは別のことをやっていましたが、今はこちらの方に
全ての時間を集中しています。僕にとって、仕事もここでも勉強も何ら区別しておりません。
すべてが「建築」です。
ちなみに僕は学生時代から部屋にはテレビを置かない主義なので、時間は結構あります(笑)
>>469 そうですね。
ネット上での評価は全く関係ありません。現実が全てです。
お互いがんばりましょう(笑)
>>470 ありがとうございます。
僕は誉められるのが大好きなので、これからもお願いします(笑)
>>471 基本的に僕はどの分野でも、独学で学んでいる人には畏敬の念を持っています。
なぜなら、「自由」は怖い、ということが社会人になってよくわかったからです。
学生時代は(特に大学入学まで)勉強していても、社会人になって「自由」になると(これは時間的な自由
でなく、「勉強しなければ留年する」といった束縛から解放されるという意味)、途端にしなくなり、
惰性で毎日を過ごす人が増えます。自分自身を向上させる意志を継続するのは非常に困難です。
(社会人の方はこの意味がよくわかってもらえると思います)
僕は比較的偏差値の高い大学に行ったのですが、今考えれば、それまでの勉強は「やらされた」
勉強で、本当の意味での学問ではなかった、と嫌というほど思い知りました。
ですから、チンポさんやKuriharaさんのような自分の信念で自分を向上させる意志を持ち続けている人は、
例えネット上でも親近感、畏敬の念を持っております。
>>473 何度かこのスレでも繰り返していますが、僕は本当の意味での「哲学」とはほど遠いところで学んでいます。
(だから両立できるのでしょう)
>>476 そうですね(笑)
まあ、初心者その1はネット上の仮想の人物です。僕も意識的に、初心者その1というキャラを考えながら
(Kuriharaさんと同じく)演じています。
現実にはこんなに腰の低い奴ではないと思いますよ(笑)
一応これで全部レスしましたね。 以降、ヒッキー論争にはいっさい関わることはないと思いますのであしからず。 また、以前の議論に戻ります。よろしくお願いします。 それと最後に・・。 ヒッキー的思索者(他人と交わることなく独りで思考する人)は哲学には向いていないのではないでしょうか? 僕の経験からいえば、他人と議論することなく自分の思索を向上させるのは不可能です。 永井さんも、「大森さんは現在の自説が有効に論駁されることにしか興味を持っておられないようであった。」 と言っています。 本物の哲学者こそ他人とコミュニケーションできる、加えて、孤独な思索にも耐えられる人なのではないでしょうか? 少なくとも建築の世界ではそうですが、一流の哲学者はどうなのでしょうか? ではお休みなさい・・。
初心者1は哲学に良い。
486 :
考える名無しさん :02/12/02 23:42
1は嘘つきだな ヒッキーがそんなにハヅカシイのか
べつにヒッキーでもいいじゃないか。 おれもヒッキーだぞ。
488 :
考える名無しさん :02/12/02 23:48
都合のいいとこだけそれっぽくかいてるね ちんぽ太郎のスレとかみればわかるんじゃないの? やっぱ、ひきこもりっぽいけど どうでもいいけど
489 :
Kurihara :02/12/02 23:50
つまり、初心者さんは皆さんよりは 優秀だというだけです。
490 :
考える名無しさん :02/12/02 23:51
優秀なヒッキーということだね 今もどうせ みてんでしょ
みんな1に嫉妬するのはやめようよ。 恥ずかしいよ人間として。
492 :
考える名無しさん :02/12/02 23:57
1は嘘つきなだけ
みなさんも自分より能力のある人間をすなおに認められる人間になって ほしいものです。
494 :
考える名無しさん :02/12/03 00:04
とりあえず1がこの板のほとんどの奴よりも 優秀なのは証明されている
495 :
考える名無しさん :02/12/03 00:05
建築のことは書かないといいながら、 自分の勤めてる(?)ところはいかにもって感じでそれらしく書いている 嘘つくのがうまい
496 :
考える名無しさん :02/12/03 00:07
優秀なヒッキーでいいじゃん 誰も1のこと才能ないなんて一言もいってないんじゃん
497 :
考える名無しさん :02/12/03 00:21
1の書き込みホントヒッキーだなあと思う 巧みにだよね 書き方が
498 :
考える名無しさん :02/12/03 00:24
495=496=497 (・∨・)ニヤニヤ
499 :
考える名無しさん :02/12/03 00:25
自分がいかにヒッキーじゃないかを巧みに演出してるね 普通にレスしてれば、社会人ならそういうところがふとでちゃうんだけどねえ
ヒッキーであるかないかを非常に気に掛けてるかたこそ・・・・。 というか大森先生とヒッキーに連関はあまり無いのでヒッキー 論争は意味が無いですね。 はて?意味とはどこに宿るものなのだろう?
501 :
考える名無しさん :02/12/03 00:26
1の自演でしょうか なんか意味あるのかね
502 :
考える名無しさん :02/12/03 00:28
1はなんとかやばいので終わらせたがってんのかね
503 :
考える名無しさん :02/12/03 00:28
一人粘着のストーカーがいるみたいだな。
まだごちゃごちゃ言ってるんですか。 なさけない人たちですねえ。 人間がちっちゃすぎますよ。
505 :
考える名無しさん :02/12/03 00:30
そうだね どっでもいいのに
506 :
考える名無しさん :02/12/03 00:31
1は嘘つきだけどね
507 :
考える名無しさん :02/12/03 00:33
でも 以後の初心者その1のレスがどう変化するのかちょっと楽しみ
508 :
考える名無しさん :02/12/03 00:36
初心者はひきこもりですか・・・ 哲学か・・ ふうー
509 :
考える名無しさん :02/12/03 00:44
1を引きこもりにしたい奴が必死だな。(ワラ
ひきこもりが哲学にはまるのは納得できます 1さんは中島も比較的よく読んでたし 自由とかよくいうし 岸田もよんでたか ある種の傾向は伺えるなあ
511 :
考える名無しさん :02/12/03 00:48
1も自演大変だなあ(藁
ヒッキーをいじめる者はヒッキーに泣く。 君たちは人間と言う事物に於ける多様なる価値観の受容を生理的 なる拒否反応で還元してはいまいか? やたらとヒッキーの意味する表象なる言語を批判するのであれば 確固たる論拠が実在する様態を明確に提示すべきだ。 君達を論駁する事くらい単簡な様である分けである。
513 :
考える名無しさん :02/12/03 00:51
ひきこもりの是非じゃなくて 1はヒッキーでしょ きみよ きみ 1が嘘をついているということはやっぱ本人が気に支店でしょ
514 :
考える名無しさん :02/12/03 00:59
>>513 君だって、努力すれば1みたいになれる。
がんばるんだ。
ヒッキーがこの世界の多様な価値観の母体の内部に於いて批判され得る 事物的対象の相貌を保持していないのであれば1をここまで批判する 論理的根拠は実在し得ないのだ。
516 :
考える名無しさん :02/12/03 01:01
ヒッキーにはなりたくないよ 哲学の才能ならぺんぺんさんのが断然好き
517 :
考える名無しさん :02/12/03 01:02
やばいと難しいこといいたがるものなのかな あきてきたし
この比類なき<私>を自己の豊満いかんによりその発言の主旨なる旨を 啓発に統合するのは遺憾である。 ふ〜。 とぅかれた。 フツーにしゃべろっと。
519 :
考える名無しさん :02/12/03 01:08
1の才能に嫉妬した人間が、 1がひっきーであると決め付けることで、 1に対して優越感を感じようとする、ということなんでしょうな。
520 :
考える名無しさん :02/12/03 01:11
これが1の自演ならおもろい ぺんぺん・稲・ら・ofw には間違いなくうらやましいし凄い と思うけど1には一度もない。才能はあると思うけどね そんなにヒッキーといわれるのがやなのかな つづけたくなるよ
521 :
考える名無しさん :02/12/03 01:13
1の才能に嫉妬する人っているのだろうか
522 :
考える名無しさん :02/12/03 01:13
>ぺんぺん・稲・ら・ofw には間違いなくうらやましいし凄い >と思うけど1には一度もない。才能はあると思うけどね そういう書き方をすること自体嫉妬の現れだな。 まあ満足するまで続けたまえ。 粘着なれすをすればするほど君の異常性が露呈してくるのだからね。
523 :
考える名無しさん :02/12/03 01:15
さっぱりわからん 1がヒッキーなのは事実なのに
524 :
考える名無しさん :02/12/03 01:19
ぺんぺんが一番好きだけどね でもこれで嫌われそうだけど(わら
525 :
考える名無しさん :02/12/03 01:23
ヒッキー論争=無意味 すみません、この等式に誤りがあれば指摘していただけないでしょうか? 最近哲学を始めたばかりで・・・。よろしくお願いします。
526 :
考える名無しさん :02/12/03 01:25
論争なんかしてないのに 無意味だと思いますよ ただちょっと書いただけ 1がヒッキーなのは事実だけどね
527 :
考える名無しさん :02/12/03 01:26
1の自演かしら
528 :
考える名無しさん :02/12/03 01:29
おまえぶんぶんだろ?
529 :
考える名無しさん :02/12/03 01:31
おまえ1だろ(藁
530 :
考える名無しさん :02/12/03 01:35
ヒッキーが事実であろうがなかろうがそれは大森先生ですか? 明らかに違います。ヒッキーと哲学には大森先生は出てこないのです。
531 :
ぺん(ぺん) :02/12/03 04:14
しばらく穴にもぐって、修養を積もうかと思ってましたが、 いつのまにか、スレが荒れてしまっているようなので のこのこ、顔出してみました(汗 1さんがなぜヒッキーにされるのか、皆目見当が付きません。 (ただ、誤解のないように、漏れはヒッキーの人には同情的です。 実際のヒッキーの人は、自己嫌悪と対人恐怖の板ばさみで 精神的には、かなり苦悩しているそうです。 知り合いの精神科医の人から、時々話は聞いています) ちんぽ太郎さんが、さんざん煽られてこなくなったことの 二の舞にはなってほしくないです。 1さんは優れた才能を持っていますし、 仕事の合間に旺盛な読書欲でもって本を読んでいるようですし このまま、哲学への情熱と勉強を継続していって いつか、一端の研究者(哲学者でなくとも哲学の造詣が深い建築家)に なってほしいと思っています。
532 :
ぺん(ぺん) :02/12/03 04:14
漏れを含めて、1さんの潜在的な応援者は、結構多いと思います。 煽りなど気にかけずに、自分の勉強に邁進して下さい。 あと、今週は忙しいのですが、来週になれば余裕が出てくるので もしよろしければ、来週以降からでも『内的時間意識の現象学』を読んでみたく思ってますが いかがでしょうか。 それから、今になって思い知ったのですが やはり稲さんのような専門家の人がいてくれると、大変助かります。 漏れは基本的には独学なんで、とんでもない誤読や誤解をしたまま 気が付かないでいるということが、結構あると思うんです。 そういったところを、鋭いツッコミできちんと指摘してくれる人がいると ほんと、安心して勉強を続けていけます。 さもないと、間違った理解のまま、いつまでも間違いに気づかないという とんでもない状態に陥りかねないですからね。 もし、稲さんが見ていたら、またスレに参加して頂けると嬉しいです。
533 :
考える名無しさん :02/12/03 17:08
いい人ぶってるの? へー
>>531 ぺん(ぺん)さん
またまた荒れましたね。2ちゃんらしいです(笑)。自分と関係ない所で勝手に書かれる芸能人は
毎日がこんな感じでしょうか?(笑)。
一方で、密かにこのスレを評価してくれている人を知ることもでき、励みになります。
ぺん(ぺん)さんが将来どちらの方面に進もうとしているのかわかりませんが、
官僚や法律関係の仕事に進んだとしても、人情味のある”味な”仕事人になりそうですね。
『内的時間意識の現象学』勉強会の提案、本当にありがとうございます。きちんとした
人について勉強したいと常に思っていますが、今の段階では『自由論』で手一杯のようです。
あまりの難解さに投げ出したくなります。この購読は「シェリングの哲学を学ぶ」というより
「難解な哲学書を丹念に読む」ことをコンセプトとして行っています。また、ハイデガーの文体に慣れる
という目的もあります。とにかく一度決めたので最後まで続けたいと思います。これからもぺん(ぺん)さん
からの、多くのアドバイスや情報をお待ちしています。「雄の視角」への地図づくりにぺん(ぺん)さんは
欠かせません(笑)
おそらく稲さんは、今頃「あーあ、初心者どんどん間違った方向に行ってるよ」と苦笑いしている
でしょうね(笑)。彼は、自分と関係ない話題、無駄な会話にはレスしないようです。また分析系の
話題が出てくれば、ひょっこりとレスしてくれると思っています。
チンポさんは社会人になって、2ちゃんなどする時間がないのではないでしょうか。あるスレで、
「数年前に『純理』を読んだ時は難しいとは思えなかったが、最近仕事の合間に読み返すと難しい。」
と書き込んでいました。この意味よくわかります。余裕ができれば、また来てくれるでしょう。
話題がちょうどヒッキーになったので、ついでに与太話を・・。 (「ヒッキー」という言葉は好きではないので、「籠る(こもる)」という語を以降使います) 以前読んだ本で大変おもしろかったものに『ひきこもる 小さな哲学者たちへ』(小柳晴生著 NHK出版生活人新書) があります。著者は「籠る」のを、今の子供達が弱さからではなく、時代背景の変化において捉えようとしています。 その変化とは、「欠乏を生きる知恵が必要な時代」から「豊かさを生きる知恵が必要な時代」へのそれです。 現代はもちろん後者です。その時代を、「食べても食べても減らないバイキング料理」に例えています。 「有り余るほどの料理に囲まれながら、食べた実感もなく、食べたいものがない。それでいて 飢餓感にさいなまれるという生き地獄のような世界です」 もちろん、ここで例えられた料理とは、巷にあふれる「物」であり、「情報」です。 その洪水のような「物」や「情報」の渦の中で、溺れることを拒否し、岸に上がって様子を見ているのが 「籠る」人たちだといいます。 これは形を変えた「自由の刑」です。 「〜からの自由」を求める時代に生まれ、そこに否応なく投げ込まれている我々は、支えとなるべき「体系」も ないまま生き始めなければなりません。我々は「〜への自由」を求めたわけでもありません。生まれた時から、 「自由」な状況に「投げ出されて」います。「籠る」とは、そのような状況に投げ出され、とまどっている彼らなりの 体系づくりへの過程と見るべきでしょう。 「個性」「創造性」という現代の絶対価値を押しつけられ、それを崇拝しながらも「体系」(マニュアル、流行)へと 行かざるをえない我々には、「自由(創造性)」と「体系(マニュアル)」への葛藤が読みとれるのではないでしょうか?
536 :
考える名無しさん :02/12/04 00:51
なんでシェリングなんか読む気になったのですか? 『自由論』ならロックとかミルとかなかったっけ なんかわからないなあ
537 :
考える名無しさん :02/12/04 01:09
『内的時間意識の現象学』はぺん(ぺん)が自分でスレ立てしてやれば いいのに そうかればもっとこの板自体の幅が広がると思うぜ
>>426 1さん
自由についてのサルトルやニーチェについては「哲学学」になるので控えます。
ドストエフスキーについても同様です。(LWの時のようなカキコはつまらないから)
(ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャの至高体験などは、
時間論に持ち込んでもいい材料だと思います)
とかいって、1さんの「〜への自由」の解釈は、ちゃんと聞いてみたいですけどね。
たぶんわたしと全然違うから。(笑)
それから、今まで失礼な口の利き方してたみたいです。
年上なのは分かってましたけど(?)、会社では新人みたいなこといってたし(?)、
そんなに変わらないと思って・・・でも、わたしの方が社会人としては先輩だから
生意気なままいこうと思います。(^.^)
あと初心者とかいって哲学書を300冊も読んでるなんてあきらかに詐欺だと思います。
わたしなんだか哲学板の最初の書き込みのときからいつも騙されてる感じがします。
1さんの○○○太郎さんのスレでの豹変ぶりにもちょっとガッカリしました。
(ひっきー論争に煽られてさっきまで1さんの人となりを調べてました)
で、わたしひっきー嫌いですけど1さんがひっきーでも気にしないことにしました。
>本物の哲学者こそ他人とコミュニケーションできる、
>加えて、孤独な思索にも耐えられる人なのではないでしょうか?
カントその人。(^.^)
もうこんな時間かぁ。目覚まし時計なしの生活がしてみたいなぁ。
わたしも
>>537 さんに同意します。
なんでここで「内的時間意識の現象学」をやろうとするのかな?
xxx太郎さんやぺん(ぺん)さん、それに1さんもフッサールが
好きみたいだし・・・なんかわたし疑心暗鬼だなぁ。
1が嫌いな人手挙げて
太郎スレが荒らされたときと、同じだね。 知識や思考力で対抗できないから、 「こんなに勉強するのは、引きこもりだから」 馬鹿丸出し。 初心者1さんも、相手にしない方が良いよ。 反応すると今度は、「煽りに弱いのは、頭が悪いから」 だもの。 荒らしてた奴の一人が、「こんなスレにいないで俺のスレに来い」 と紹介したスレが、思いっきり過疎スレだったのには、ワラタ。
1てそれほど優秀かしら
541は1ですかね
457 :考える名無しさん :02/09/28 01:34 ひきこもりについてどう思われますか? あと、大学出ても仕事もせずに、親の世話になりながら 哲学書を読みふける人をどう思われますか? この発言は1が尊敬するちんぽ太郎に向けたものですね これみてそう思っただけだよん
456 :考える名無しさん :02/09/28 01:34 「存在と時間」ではダメでしょうか? さっぱりわからなかったので。 本来的自己と日常的自己が 具体的にどういう状態なのかがピントきません。 最近、新書で古東さんの「存在神秘の哲学」で、 シェークスピアの「世界は劇場、人生は演劇、人間は役者」 つまり役を演じている状態が非日常的自己だと 書いてありました。 今のところそれが一番自分自身では納得できる説です。 チンポ先生はいかがお考えでしょう? 自分は全くの専門外の人間なので、 わかりやすく説明してもらえればうれしいです。 上の一個前のレス。これも完全に1のものですね このつながりが457のレスが1であることの傍証になりませんかね まー けっきょく 違うよといったらそれまでですが
自演を疑い出したらきりがないよ。 初心者その1氏がこのスレをあらしても何の得にもならんだろ。 ちゃんとまともなレスがついてて、初心者その1氏もまともなレスを返してるわけだから。 あらしにも「動機」があるはずだよね。その多くはルサンチマンでしょ。 このスレを見る限りでは、初心者その1にルサンチマンを抱きそうな人は・・・・ いや、疑ったらきりがないのでやめましょう。
井上ひさし「吉里吉里人」
>>541 ,546さん
親身な擁護ありがとうございます(笑)
僕自身、「言霊信仰」を信じてませんので、気にしていません。
チンポさんは、煽りに真っ向勝負を挑むタイプで、またそれが彼の持ち味でも
あるのですが、僕にはその才能がなさそうなので”基本的に”放置としたいと思います。
ただ、哲学に興味を持つ者が(馬鹿にした意味での)ヒッキーと決めつけられると
大森ファンの僕としては複雑な心境です。何か哲学を人生論か宗教と勘違いしている人が
多いようです。中島義道さんの影響でしょうか?
「ヒッキー認定」「仮想人物」等、ネット論に関しては僕も一寡言あるのですが(
>>538 等へ)
スレ違いなので止めときます(笑)
>>536 たまたまシェリング『自由論』に詳しい人がいて、その人の暗黙の奨め(?)により始めました。
もともと「自由」に関心があり、サブテキストが(関心のある)ハイデガーで、
彼も『自由論』を絶賛(真の存在論への探求の書)しているので、まあいいかな、と。
それまでシェリングが哲学者とは知らなかったです。
>>538 カオルさん
いろいろと突っ込みどころ満載のレスですが(笑)、とりあえず事実の誤認だけ指摘を・・・。
>あと初心者とかいって哲学書を300冊も読んでるなんてあきらかに詐欺だと思います。
読んでいたらここにいません(笑)
>>481
>>544-545 僕ではありません。(以下チンポスレを参照)
456、457のレスを検証してみると、時間間隔(0分)や、スレの流れ(オンタイムで会話が進行しているので、
書きためてレスする状況じゃない)から見て別人と思われます。加えて、すぐ後の459のレスで
459 :456 :02/09/28 01:38
458=456です
といったレスがあるので、456=457は成り立つ可能性は低いと思われます。
また、この頃には僕はHN「324」として積極的にこのスレに参加しています。(前後を読んでみればわかります)
457はともかく、456のハイデガーに関する質問には、匿名ではなく「324」のHNでしているはずです。
このレスだけ匿名でする理由は何らありません。実際に、
>>373 でハイデガーに、その他で心身問題や
大森さんについてチンポさんに質問しています。
ついでに言えば、「324は大森スレの1である」と自ら早い段階で公表しています。
>>374 さらについでに言えば、古東さんの新書から受けた印象は456さんと僕とではほとんど同じですね。
あーあ、また意味のないことに時間を使ってしまった。疲れた・・。 541さんの言うことが本当正しいですね。(今頃後悔の念) 今年もあと少し、ラストスパートの時期なので集中しないといけませんね。 それにしても、僕をヒッキー認定したがる「言霊教」の方は、 それによりなにかご利益があるのでしょうか? 今のところは僕の生活に何の変化もありませんね。 (強いて言えば、僕の周りではこのスレちょっとしたブームです。 酒の肴にみんな大笑い、人の気も知らず大変盛り上がっています(笑)) では、お休みなさい・・。
余談ですが、いま考えればKuriharaさんは煽りに強いですね。 やっぱ、そういうキャラの方がいいですね。 次にスレを立てる時は、Kuriharaさんのようなとぼけたキャラでいきます(笑) 何とかどこかの勉強会に早く潜り込みたいですね。 2ちゃんでは限界があるので。 普通の人が入れる勉強会とかあるんですか? 専門の人と知り合えるきっかけとなる場でもいいです。 些細なことでもいいので情報があればお願いします。
無用塾に逝って義道に叩かれて来い。
Kuriharaさんは、かなりネットで自分のことさらしてるもん 世の中に対して彼のが腹括ってるって
555 :
Kurihara :02/12/05 00:13
僕はもう神の域に達していますから。
Kuriharaさんは、苦労して嗜好錯誤してますね その辺が、自分にとっての自信になってると思うけど
557 :
考える名無しさん :02/12/05 00:21
>1氏 煽ってるのはほんのごく一部だと思う。 ほとんどは1氏のがんばりに期待してると思う。 がんばってね。私もがんばります(笑
560 :
考える名無しさん :02/12/05 00:31
1の動揺がよくわかる 無視すればよかったのにと思う 説得力ないし。まっ あとは各人が自分で確認すればいいんだけど
ひきこもりじゃないなら煽られるわけないと思う なんでいちいち対応したのか理解できない。 事実が違うならべつにまともに相手する必要はないと思います
562 :
考える名無しさん :02/12/05 00:35
やばいと人は多弁になるんですな(藁
>>548 1さん
>読んでいたらここにいません(笑)
読まないのになんで300冊もあるのか理解できないけど・・・まぁ、いいや。(笑)
わたしなんか読み終わったらすぐ捨てちゃうけどね。
つっこみどころ満載って?・・・レスがもったいないからどうでもいいけど。
関係ないけど「GO」意外におもしろかったな。
歩けもしないのに思いっきり走ってる姿っていいなぁ。
560=561 文末の句読点なし。単語間に空白。理由も言わずただヒッキー認定。 昨日と同じ粘着君さっそく登場。 ( ´,_ゝ`)プッ
565 :
考える名無しさん :02/12/05 00:38
>つっこみどころ満載って? この辺に1の動揺があらわれているわけですな こういう風にかいとかなきゃ不安なんでしょ 自意識がよくみえる
さあ、今日もルサンチマンの粘着君が暴れますよ ・・・自演でw
567 :
考える名無しさん :02/12/05 00:39
1の擁護君=1もやってることはいっしょだね よっ 同類
>粘着君 じゃあ、君の哲学を聞かせてよ。それだけ偉そうに言うんだから 1の時間論に反論できるでしょ? ・・・できたらねw( ´,_ゝ`)プッ
あんまりやると荒らしに荷担したことになるのでこの辺で失礼をば。 がんばってね。孤独な粘着君 ・・・自演で( ´,_ゝ`)プッ
570 :
考える名無しさん :02/12/05 00:45
だからー事実として違うなら無視すればいいのに ここでおれがどうかいたって事実と違うんでしょ この辺のことわかってんのかな おれはもうネタはないしね 理由は上に挙げたしさー 凄い辻褄あうんだもん そりゃあヒッキーと思っちゃうよ 1の言い訳も説得力ないしさー
名スレの予感
572 :
考える名無しさん :02/12/05 00:47
1の自演だろうけど煽るのうまいね
>粘着 ところで、ご利益はありまちたか?
574 :
考える名無しさん :02/12/05 00:50
とくにないね 1が長文レスしたのには笑った それで十分かな 普通は事実が後ろ盾して、俺の言ってることが頓珍漢なことなら とっとと無視できると思うんだけど
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 粘着の時間論まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 信州ミカン |/
>>574 おまえの存在自体が頓珍漢なんだが。
おまえと1では人間のできが違うから
これ以上恥をさらすなw
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 粘着の時間論まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 信州ミカン |/
>>粘着 >ところで、ご利益はありまちたか? >とくにないね >1が長文レスしたのには笑った >それで十分かな ・・・淋しい
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 1さんの登場マダ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 信州ミカン |/
久々の電波登場で、このスレじゃなかったら、思いっきり遊んでやるんだが 1に悪いから俺はこの辺で。ばいばい粘着君(藁 ・・・で時間論まだ(藁
明日には1タンの仕事仲間に再び笑われている粘着・・・ これも一つの人生か・・
テンテイ! このスレを見て始めてルサンチマンが理解できまちた!
そうか、それが狙いだったのか(藁
煽りが始まった時期、幼稚な文章、粘着的な性格・・ このスレの流れを知ってる奴はみんな薄々感づいてんじゃないの? 粘着が誰か。
でも、ここはNAMと関係ないじゃん。 ふつーに何処かの過疎スレの主でしょ。 太郎スレの時みたいに。 「天才の僕が立てたスレに人が集まらないのに、 何でなんだ。復讐してやる」 みたいな感じでしょ。
>>587 そうかもね。
ただ、スレを荒らすというより1に対して恨みを持っているとしか思えん。
1はちんぽじゃあるまいし、そう簡単に恨みはかわんだろ。
それに、煽りが始まった時期(それまでは全くなかった)はわかってる。
それにより恨みを持ちそうな奴もだいたい決まってくる。
もちろん推測だから「認定」はしないがね。
>>586 煽りが始まった時期、粘着的な性格、このスレの流れ
の三点から、俺にも心当たりはあるけど、
違ってたら悪いから言えない。
>>544 >>545 でも、チンポのスレまで探し出して、
該当部分を引用してくるとか、単なる煽り、荒らしとは思えん。
単に1の能力にルサンチマンを抱くだけでそこまでできるか?
明らかに逆恨みしてる。1のレスに対して。そこからたどれば
だいたいに犯人は絞られてくる。
ただし、589の言う通り違ってたら悪いから俺も言わないよ。
591 :
考える名無しさん :02/12/05 02:30
横レスで悪いんですが、最近稲さんはどこらへんのスレにいるんでしょうか? ひさしぶりの哲板なので…他にきくとこなくて
わざとらしい文体でわざとらしい内容の書き込みをするのはもうやめた方がいいですね。 初心者その1も犯人の見当はついているはずだし、このスレをずっと見てる人には だいたい分かるのですから、これ以上続けるのはさらに醜態をさらすことになるだけです。
>>592 ありがとうございました.ホントにすぐわかりました.
でも稲さん,何でいまさら名無しなの!! めちゃくちゃ笑えました.
これで煽り騒動は一段落しそうだ。 これからもがんばってな。>初心者 しかし、粘着君気持ち悪い・・
相手にされなかった腹いせに中傷のメールやビラをばらまく ストーカーの事件が起こるけど、それを同じだな。 現実でもこういう奴なんだろう。 放置が一番>初心者1氏
598 :
考える名無しさん :02/12/05 23:23
初心者1ガンガレ
599 :
考える名無しさん :02/12/05 23:50
>何か哲学を人生論か宗教と勘違いしている人が多いようです。
じゃあ、
>>1 にとって哲学はどういうもの?
>何か哲学を人生論か宗教と勘違いしている人が多いようです。 以前と逆っぽいこといってるんじゃないか?
>>535 1さん
>「自由(創造性)」と「体系(マニュアル)」への葛藤
最近のレスには自由論が目立つけれど、それは自由論と時間論を結び付けたいという
試みなのでしょうか。意図がどこにあるのかさっぱり分からないので対応できません。
個人的には自由論の議論もいいんだけど、大森哲学においての重要な問題なのですか。
それとも単純にシェリングからの影響なのですか。
ところで「への葛藤」は「との葛藤」でいいですか。もし「への」だったらイケテル!
なぜなら「自由(創造性)」も「体系(マニュアル)」も、総じて体系だと思うからです。
たとえば、
>>426 の
>サルトルの実存主義、「実存が本質に先立つ」とは、
>「人間には、あらかじめ定められた本質などなく、その都度自分の判断で、
>自分自身を創っていかねばならない(未来へと自らを投げる)。」
は、正統なサルトル解釈だと思いますが、ここでいう「未来」というのは、
あなたのいう「自由(創造性)」の範疇にはおさまらないと思います。
哲学学は嫌だといいつつ・・・(^_^;)
ちなみに、ひきこもりをあなたのいう「自由」の範疇でいうと「責任」の伴なわない
幻想に耽溺している事態ですね。(笑)
ひきこもりへのレスに「働け!」というのがありますが、わたしもそう思います。
「働く」ということは、哲学的思考の大敵ですから・・・それでも思考停止しないで
幻想を抱くのなら、彼は本物の哲学者です。
602 :
zion-ad :02/12/06 07:09
603 :
ぺん(ぺん) :02/12/07 22:26
なんだか、スレ進行が急に止まってるようですけど。 まあ、煽りが一段落したのは、いいことです。 (その1さんがカキコしたらまた出てくるのかなあ) >>カオルさん フッサール(現象学)については、別にスレ立てることにします。 (フッサールというより、哲学入門みたいなのになるでしょうけど) カオルさんは「哲学学」を嫌っているようですが 漏れの場合は「哲学学」があまりに欠如しているので 体系的な勉強もしないといけないなあと思ってたところなんです。 その1さんは「博学」などと言ってますけど、とんでもない 漏れの場合、雑学の寄せ集めで、 表層的な知識をパッチワーク的につなぎ合わせてるだけです。 そういうのもあって、1冊の本をきっちり読んでみたいと思ったのですが 勝手な提案をして、すみませんでした。 >>その1さん 岩波文庫の『人間的自由の本質』を買ってきて読んでますが うーん、たしかに、なかなか難しいです。 フィヒテとシェリングについては、教科書的な知識しかなかったので これを機会に、読んでみようと思ったのですが 一筋縄ではいかなそうです。 もしよければ、別にスレ立ててみてはいかがでしょうか。
心の中についての大森の見方は 欠如とか他者性をさしてるととらえていいのですか?
>>603 ぺん(ぺん)さん
>漏れの場合、雑学の寄せ集めで、
>表層的な知識をパッチワーク的につなぎ合わせてるだけです。
つなぎ合わせる力量の背後にあるのが、本来のあなたの哲学ですよね。
たとえ言葉にできなくても、人はそういう何かを持ってますよね、原点を。
でも、その原点には過去という魔物が取りついていて、0(ゼロ)ではない。
0(ゼロ)が、フレーゲのいう「それ自身と同じではない」ということなら、
そのような原点に立って世界を眺められたら、といつも思っています。
あなたの前スレ、
902 :ぺん(ぺん) :02/10/03 13:38
ところで、「心身問題」に関して漏れの個人的感想としては
カント的な「超越論的−経験的二重体」としての人間
あるいは、ハイデガー的な「存在了解する存在者」としての現存在(人間)
の考え方を避けて通れないのではと思ってます。
〜省略〜
例えば「心身問題」を通じて、
分析系の哲学と伝統的な超越論哲学や形而上学における問題意識が
交差することができるのではないかと、勝手に憶測してます。
そういう観点で大森哲学を読んでみたいですね。
と同じ期待をわたしも抱いています。
大森さんが分析系かどうかは別として、なんかLWのカント越えと
同じ匂いを大森さんには感じるのです、大森のLW越え・・・限界の哲学。
あと、わたしにあやまる必要なんてないです。(^.^)
池田晶子の本はいいぞお。
607 :
考える名無しさん :02/12/08 01:51
カオルって、悪しきネラーの典型だよな。 場の雰囲気で何となくものを言ってるけど、内容はまったくなし。
608 :
考える名無しさん :02/12/08 01:54
おまえみたいな二行レスよりましだと思うけど。
609 :
考える名無しさん :02/12/08 01:59
>>608 でもカオル=勘違いネカマってのは常識だよ。レス読めばわかるじゃん。
悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!! 悪質で陰険な嫌がらせを繰り返す偽善者集団創価学会!!
611 :
考える名無しさん :02/12/08 02:05
ネカマでもいいけど。 発言の内容があるかないかだったらあると思う。 初心者だって興味もってレスしてるじゃん。
612 :
考える名無しさん :02/12/08 02:07
>>all まずね、「哲学」という分野が存在しているというロマンティシズムを捨てようね。 そして必要以上に長いレスをするのはやめよう。2行で十分だよ。
613 :
考える名無しさん :02/12/08 02:10
>>612 最後にそういうことしか言えないんならお笑いだね。
614 :
考える名無しさん :02/12/08 02:11
>>611 ネカマはどうでもいい。内容があるかどうかなら、カオルのレスにはない。
「初心者」という触れ込みに釣られて先輩面してるだけ。
615 :
考える名無しさん :02/12/08 02:14
>>614 じゃあ、ちみがカオルさんを論破しちくり。
内容が全くないなら余裕で論破できるだろ?
616 :
考える名無しさん :02/12/08 02:17
>>615 論駁ってのは具体的な論点に対してはじめて可能なんだよ。
そういう論点がない思いつきの文章に論駁してどうすんだマヌケ
617 :
考える名無しさん :02/12/08 02:19
いっぱいいろんなこといってんじゃん。 >そういう論点がない思いつきの文章 具体的提示なし断定してんな。
618 :
考える名無しさん :02/12/08 02:22
>>617 じゃ、ぼくちんが気に入ったカオルの論点引用してみな。
2行以内でどこがおかしいのか言ってあげるよw
619 :
考える名無しさん :02/12/08 02:23
>>616 つうか、なんでそんなに絡んでくるんだ?
お前もしかしてこのスレ、コテハンでカキコしたりしてるの?
ただ傍観してるだけからあらしだよ、きみ。
なんでそんなに粘着するのか理由があるの?
620 :
考える名無しさん :02/12/08 02:25
>>618 あのさ、粘着してんのはお前なのに、
なんでおれが引用しなくちゃいけねぇんだよ!!
勘違いしてんじゃないよ。
621 :
考える名無しさん :02/12/08 02:25
622 :
考える名無しさん :02/12/08 02:28
>>620 あっそ、具体的な論点はないってことだな。
623 :
考える名無しさん :02/12/08 02:28
気に入らないなら、HNで、カオルさんに名指しで、 具体的に質問すればいい。それ意外は単なるあらし。
624 :
考える名無しさん :02/12/08 02:30
625 :
考える名無しさん :02/12/08 02:30
横レスだが、カオルがDQNだということは明白じゃないか。 こんなつまらん応酬されちゃかなわんぞよ。
626 :
考える名無しさん :02/12/08 02:32
カオルでてこい、いまならKuriharaに遭遇できるぜ!
627 :
考える名無しさん :02/12/08 02:32
最後は、自演かよ。 プッ
628 :
考える名無しさん :02/12/08 02:33
ていうか、全部自演でしょ プッ
629 :
考える名無しさん :02/12/08 02:33
630 :
考える名無しさん :02/12/08 02:34
あらし=Kurihara?
631 :
Kurihara :02/12/08 02:35
ふふふ。最近ぼくはカオルさんにぞっこんなんですよ。 二人で哲学板を占拠するつもりまであるんですからね。
632 :
考える名無しさん :02/12/08 02:36
真性だな。 クリはこんな奴じゃないよ。
633 :
考える名無しさん :02/12/08 02:36
本物か偽物かマジでわかんね。
634 :
Kurihara :02/12/08 02:37
いやだなあ、みなさん。 もちろんニセモノに決まってるじゃないですか。
635 :
考える名無しさん :02/12/08 02:39
なんか本物よりちょっと馬鹿そう・・・
636 :
Kurihara :02/12/08 02:43
>>635 それはないでしょ、カオルよりはましだよ! これでも。
637 :
Kurihara :02/12/08 05:13
哲学板は以下僕の支配下に入りました。 僕は神です。
自演の荒しはもうやめてください。 並みの神経ではないですね。 毒を食らわば皿までという心境なのでしょうか。 それともまだ誤魔化せるとでも思っているのでしょうか。
放置新聞!
640 :
考える名無しさん :02/12/08 16:29
目もあてられない展開になってるな。 初心者氏は、なぜぶんぶん氏に対してはあれほどきっぱり哲学への礼儀を知れと 言っておきながら、カオル氏の(ぶんぶん氏どころではない)似非哲学を 排除しなかったのだろう。 zion-adとカオル氏の連続カキコ以降、このスレには見るべきものがない。 また最近のあらし行為を特定のコテハンによると匂わせるような書き込みも 二重にいまわしいルサンチマンを感じさせる。 最近あらしているのはおそらく外野の愉快犯だろう。 しばらくは初心者氏のみの不定期カキコのみに限定して、完全放置状態に してはどうか。
↑粘着うざ 知能低すぎ バレバレ
>最近あらしているのはおそらく外野の愉快犯だろう。 いや、あんただよ。 その思考能力では泥沼にはまるばかり・・・
>>640 >排除しなかったのだろう。
初心者その1は、「哲学に対する敬意」を持てと言っただけ。排除じゃないよ。
>>640 はぶんぶんに罪をなすりつけたいわけですね。
無視されるのは排除されるよりつらかったわけだ。
気持ちはわかるけど。。。世の中きびしいんだよ。
みんないろいろあるよ。。。
641、642あたりが粘着なんじゃないかという気がします。
646 :
考える名無しさん :02/12/08 21:39
>>644 あ、そっか。おれ鈍感だな。
犯人てあいつだったのか。
647 :
考える名無しさん :02/12/08 21:42
/⌒ヽ⌒ヽ Y 八 ヽ ( __//. ヽ,, ,) 丶1 八. !/ ζ, 八. j i 丿 、 j | 八 | | ! i 、 | | i し " i '| |ノ ( i i|
648 :
考える名無しさん :02/12/08 21:44
ハァハァ ずれてるし
649 :
考える名無しさん :02/12/08 21:46
/⌒ヽ⌒ヽ Y 八 ヽ ( __//. ヽ,, ,) 丶1 八. !/ ζ, 八. j i 丿 、 j | 八 | | ! i 、 | | i し " i '| |ノ ( i i|
このスレをこんなにしたのはだれのせいでもない、 そうよ、稲のせいよ!
651 :
考える名無しさん :02/12/08 22:35
カオルさん・・・
652 :
考える名無しさん :02/12/08 22:50
>336 :カオル ◆BBBRv/ousU :02/11/24 01:20
>
>>329 zion-adさん
>>「過去自体」は、情報的に固定されているなら、解釈を反射する水晶球。
>自己の広がりとしての時空軸とカルマの放射軸、幻の碁盤に無数の交差点。
>想いを重ねようとするのは本能でしょうか。見える過去、想起された現在。
>その一手が間違いだったと気づいても、一夜漬けの改心じゃ何も変わらない。
>気に入らないなら、わたしは見えない過去をカスタマイズしなきゃいけない。
>わたしの差異性、わたしの個性、爪を噛む癖ってなかなか直せない。
>わたしは、バージョン情報なんてそのままでいい、わたしは今でもWindows95、
>父の最後のプレゼントだから・・・わたしは、想い出の方が大切なんだ。
こいつが女なら、
わ き が く さ い ぶ た だ な
653 :
考える名無しさん :02/12/08 23:49
640,645-652 今日もおつかれ 明日も来てくれるかな いいともー! お互いカオルを排除するまでがんばろう! 初心者のためなーら えーんやこーら
654 :
考える名無しさん :02/12/09 01:58
カオルたん、ハァハァ わきがくさいカキコはまだですか
オマエさ、どうしようもないクズだな。カキコしたあと死にたくならんか。
656 :
考える名無しさん :02/12/09 15:05
ぶたにも相手にされない糞>654
657 :
考える名無しさん :02/12/09 15:36
って優香、こいつカオルにコケにされてた奴だろ。プッ
658 :
考える名無しさん :02/12/09 15:45
たぶんね。それにしてもこいつほんとバカだね。
>>640 >また最近のあらし行為を特定のコテハンによると匂わせるような書き込みも
>二重にいまわしいルサンチマンを感じさせる。
自分でネタばらしてるしw
まあ、哲板で荒らしやる資格もないね。頭悪すぎ。センスないしw
660 :
考える名無しさん :02/12/09 18:36
>シェリングについては、教科書的な知識しかなかったので >これを機会に、読んでみようと思ったのですが >一筋縄ではいかなそうです。 >もしよければ、別にスレ立ててみてはいかがでしょうか。 もう別にスレ立ってるよ。荒れるから教えないけど。
661 :
考える名無しさん :02/12/09 21:06
たのむよ、放置新聞
662 :
考える名無しさん :02/12/09 21:11
___________________ | |★★荒らしは放置が一番キライ!★★ | | ●重複スレには誘導リンクを貼って放置! | ウザイと思ったらそのまま放置! | ▲放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います! | ノセられてレスしたらその時点であなたの負け! | ■反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです | アラシにエサを与えないで下さい | ☆枯死するまで孤独に暴れさせておいて | ゴミが溜まったら削除が一番です | 。 . Λ Λ / (,,゚Д゚)⊃ ジュウヨウ! 〜/U / . U U  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
カオル、粘着、ほらどうした。 みんな出てこい、寄ってこい。
664 :
考える名無しさん :02/12/10 23:10
もうぶーんぶんしかいないね。
つーか、いくらなんでもぶんぶんではないでしょ。 2ch的な便乗荒らしでしょ。 初心者さんが拙かったと思うのは、前スレで 芸術畑の人をあしらったような対応が出来なかったこと。 ぶんぶんも芸術畑の人と同類の、哲学に向かない人なのだから、 そういう対応をすれば良かったわけで。
まだ分からないの? みんな分かってるのに・・・ ぶんぶんじゃないよ。
哲板の「誰か」と呼べるコテハン持ちで、 荒らしをするといえば一人しかいないけど、 ここはNAMとは関係ないし… Kuriたんがいることはいるけど。
>>667 う〜ん・・・
このスレ読めば分かるはずだと思うけど・・・
あっ。もしかして。
あなたがその・・・
いいこと言ってくれた。 犯人はわたしです。 そう、便乗あらしですよ。 これ2ch名物です。 哲学板の人たちは考え過ぎですよ、みなさん。
670 :
考える名無しさん :02/12/11 23:00
ジエンはもう飽きたからいいよ・・・
>>わかったわかった,もうやめるから.
稲っつーのは、もっと想像つかないんだけど。 他のスレで自演荒らしをしたことがあったの?
673 :
考える名無しさん :02/12/11 23:12
>>665 =667=669=671(=672?)
人のハンドルを語るのはやめようぜ。悪質だ。
混乱させようとしてるんだろうけど。
>>673 違う。
665=667=672。
混乱させようとしているわけでもないし。
元々このスレとも関係ない、
コテハン持ちでもない、愉快犯が荒らしているだけだと思ってるし。
このスレと関係ないなら、分からなくて当たり前ですね。
676 :
荒らしの実体 :02/12/12 00:02
2ちゃんの過去ログをチェックしてみれば分りますが、一個の板がダメ になる時というのは比ヤングにスレッドがやられてしまってというケー スが多いです。スレッドはそうなるともう後は比ヤングによるキチガイ 的な散乱に終始してしまいます。検証してみるとわかりますが比ヤング (夫馬ひろあき・名古屋のヒキコ)が入ってきて追い出せないスレッド というのは必ず死にます。宮台氏(社会学)のスレッドも一時期比ヤン グに荒らされていますが、あれは板の自浄力と民主的な構成力によって ちゃんと比ヤングを自然に排除する事に成功しています。それが出来な い板というのは建設的な議論の場としては必ず死んでいます。単純に謂 えば比ヤングを排除できればこの板は再び哲学的で分析的な意見交換と 論争の場に戻ることができます。
677 :
考える名無しさん :02/12/12 00:09
>>676 このスレとは関係ないよ。
このスレ読んで犯人がわかんない人はいないよ。
_____ /::::::::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::::::::|_|_|_|_| |;;;;;;;;;;ノ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |ノ (∵∴ ( o o)∴) / 比ヤング /| < ∵ ___∵> < なんつーの?なにいっても全部支離滅裂ね ::::::\ ヽ /__/ ノ\ \ :::::::::::::\_____ノ:::::::::::\ \_____________
↑パパ、これがキチガイ動物なんだね。
あーあ、来ちゃったよ。
ママ〜、カオルさんは名無しになっちゃったんだね〜 ?^.^?
682 :
考える名無しさん :02/12/12 10:26
荒し=某BNBNで決定 以上 終了
683 :
考える名無しさん :02/12/12 10:53
再開 どっちにしても、カオルは電波 終了
684 :
初心者その1 :02/12/13 06:48
∧―∧ (__(M)⊃ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´∀`) < 寒くて起きるのつらいですね __( ||_|| ) \_____ (|| |||゜T ゜|  ̄ (__)_)
>>407-410 の時間論(「原初時間」と「物理的時間」が生じる起源)をわかりやすく説明してみます。
一つ断っておくと、以下の(また、今までの)議論には大森時間論に僕の主観的解釈がかなり混じっています。
本当は両者の区別をはっきり明示した上で議論を組み立てないといけませんが、それをチェックする時間が
ないため現段階ではこのまま提出します。
よって以下は、大森時間論を説明しようとしている「初心者の主観の入った」時間論とお考え下さい。
大森時間論の大前提は、
>>33-34 図における(G:神の視点)を認めないことです。
つまり、「現在ただいま(a)」の枠の内側での思考(H:人間の視点)を徹底させることです。
(
>>33-42 >>344-346 >>407-410 >>421 参照)
これから述べる時間は、
>>425 さんのいう「対象化された」時間ですが、「対象化されていない時間」との区別が
未だ未理解なので今回は、そのまま議論を進めます。以下、用語の確認。
「原初時間」 ・・・人の心の中でまず始めに自然と感じられてくる主観的な時間。
「過去自体」 ・・・(今となっては過ぎ去ってしまった)かつての現在の経験。 「もの自体」のような超越的な何かではない。
「現在ただいま(a)」・・・日常的に感じられる「今」
>>33-35 用語の修正
「現在境界(x)」→「境界現在(x)」、「現在(a)」→「現在ただいま(a)」
┌────────────────┐ ┌────────────────┐ ┌────────────────┐ │ │ │ │ │ │ │ ┌─────┐ ┌─────┐ │ │ ┌─────┐ ┌─────┐ │ │ ┌─────┐ ┌─────┐ │ │ │ | | | │ │ │ | | | │ │ │ | | | │ │ │ ┼ | | ┼ | │ │ │ | | ┼ | │ │ │ | | | │ │ │┼ ┼| | | │ → │ │┼─┼┼┼┤ | | │ → │ │┼─┼┼┼┤ ├┼─┼── | │ │ │ ┼ ┼ | | ┼ | │ │ │ | | ┼ | │ │ │ | | | │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ | │ │ │ │ │ | │ └──想起─┘ └──予期─┘ │ │ └──想起─┘ └──予期─┘ │ │ └──想起─┘ └──予期─┘ │ │ │ │ │ │ │ └────────現在ただいま(a)─┘ └────────現在ただいま(a)─┘ └────────現在ただいま(a)─┘ 1.時間概念のない段階。 2.記憶を前後関係により並び替える。 3.予期における並び替え。 記憶、予想がバラバラに入り交じっている。
┌────────────────┐ ┌───────────────┐ │ │ │ │ │ ┌────┐ ┌───┐ │ │ ┌────┐ ┌───┐ │ │ │ \ / | │ │ │ \ / | │ │ │ \ / | │ │ │ \ / | │ → │ │┼─┼┼┼┼><┼─┼─┼ | │ → │ │┼─┼┼┼┼><┼─┼─┼ | │ → ━━━━━━╋━━━━━━━ │ │ / \ | │ │ │ /(x)\ | │ 過去 境界現在 未来 │ │ / \ │ │ │ │ / \ │ │ (x) │ └──想起┘ └予期─┘ │ │ └──想起┘ └予期─┘ │ │ │ │ │ └────────現在ただいま(a)─┘ └───────現在ただいま(a)─┘ 4.それらを一本の時間軸として認識。 5.この時間軸に現在ただいまを挿入。 6.物理的時間の原型をそれ自体で 原生時間の完成。 (境界現在(x))に変わる。 存在するものとして主観から外に出す。 物理的時間の原型。
┏━┓ ┏━┓
┃ ┃ ┃ ┃
→ ━┫ ┣━━━╋━━━┫ ┣━ →
>>33-34 図へ
┗━┛ 境界現在 ┗━┛
過去自体 (x) 決定された未来
(d) (e)
7.原生時間における記憶、予想を 8.原生時間と物理時間を「重ね描き」の図
物理的時間に重ね合わせる。
過去自体(d)、(決定された)未来(e)
に変わる。
(補足)
5.原生時間に「ファジーな長さ」を持つ「現在ただいま」を挿入しようとする。
場所は、想起時間軸のもっとも現在に近く(右端)、予期時間軸のもっとも現在に近い場所(左端)、
つまり想起と予期の軸の交点(x)である。そこで「現在ただいま」は「長さ0の点時刻」に変わり、
「境界現在(x)」と呼ばれる。
>>410 の補足(物理時間の制作)
>「過去」と「未来」からなる静的な時間軸に、「現在」という生き生きとした行動的、異質なものを無理に押し込もうとすると、
>「時の流れの誤解」や「ゼノンのパラドクス」といった難問が生じると述べています。
4の原生時間は想起、予期といった「思考的・言語命題群」でつくられている静的な時間軸です。(これについては、
大森過去論を理解する上で重要だと考えますので日を改めて述べます)
一方、「現在ただいま」は、ファジーな長さを持ち、運動を含む行動的なものです。その「現在ただいま」を、静的な原生時間軸に
無理矢理押し込むことにより、動的で生き生きとした「現在ただいま」は、静的な点時刻「境界現在(x)」へと変造されます。
日常において、長さ0の点時刻の現在などありえません。この矛盾が数々の難問をうみ、それを採用しているがゆえに、
科学技術はその土台に矛盾が含まれているとゼノンは(大森さんは)警告しています。
6、原生時間が、主観の外にそれ自体として存在すると考えるきっかけは
>>408 の2参照。
この時点で、物理時間は現在ただいま(a)から外へ出るという誤謬を犯しています。
7.6でつくられた物理的時間に、原生時間を「重ね描き」することにより、「記憶」は「過去自体」へ変造されます。(「予想」をこの軸に
当てはめると決定論(決定されている未来)が生まれます)
これにより「過去自体」は、それ自体で自存するものとする誤謬を犯します。しかし、前提「(H:人間の視点)を徹底する」限り、
この物理的時間、つまり、「過去自体」も「決定された未来」も認めるわけにはいきません。
8.
>>33-34 図を見てもらえればわかる通り、「現在ただいま」を強引に物理的時間に挿入しています。
これにより、
「現在ただいま(a)」=「境界現在(x)」
の式が見かけ上成り立ちますが、性質的には、それぞれ「ファジーの長さ−点時刻」「動的−静的」と全く別ものです。
それゆえに、上記の5の矛盾を指摘することができます。
>>446 カオルさん
おそらく以上で、質問に答えられたものと思ってますが、もしわかりにくい箇所があればまた質問お願いします。
>>447 >【カテゴリー】といってしまうと「悟性」の、・・・カントは「ないとはいえない」といってるんだから。
これについては
>>38 の修正案
>>344 、また以下の説明を参照。
>「想起(b)と過去自体(d)のあいだに因果関係を認めていない」・・・としかいえない筈。
これについては
>>346 を参照。
大森さんは、カントの「それについて何事も言えない」について、「では考えるべきではない」という意味で
否定寄りに「曖昧な」態度を取っています。注目すべきポイントは、「”仮に”過去自体が存在しなかったとしても、
われわれの生活に何ら支障がない」という証明だと思われます。
>>345
>>602 zion-adさん
情報ありがとうございます。
ここで言われていることは非常に重要、というよりこのような心理的な側面を考えずに
建築、都市は成り立ち得ないと思います。(学生時代、エドワード・ホールの名著『かくれた次元』
を愛読していました)
都市(建築)を心理面から分析することはよくききますが、その心理面を物理学の観点から説明する、
というのは僕もはじめてです。結果には驚きませんが、その方法(波長で説明)には大変驚いています。
サン・ミッシェル修道院に限らず、歴史の審判に耐えてきた建築、都市、美術品の多くは、
心理的に合理的な形になっていると思います。創った人たちは、理屈ではわからなくとも、
感覚で理解していたのでしょう。
建築(都市)は個人的な美術品と異なり、誰もが「嫌でも」見ざるをえない公共的な性格を持っています。
僕自身、肝に銘じて進んでいきたいと思います。
最近、『自由論』を少々理解できるようになり、おもしろくなってきました。 確認しておきたいのですが、このスレで僕が「自由」「体系」といった概念を 用いていますが、シェリングのそれとは全く関係ありません。 ここでは、岸田秀さんの自我論を頭においています。 体系・・・人の自我を支えるもの。宗教、道徳といった公的なもの。、 (金持ちになりたいといった)欲望、信念、プライドといった私的なもの。 自由・・・体系がなくても(縛られなくとも)、強く生きていける、ということ。 この両立しがたい葛藤に非常に興味があります。 この関係について、おいおいゆっくりと考えていきたいと思います。
>>685-690 1さん
とっても丁寧な説明ありがとうございます。(“重ね描き”も理解できました)
大森さんは、自分の理論の妥当性(矛盾が指摘されないこと)と理論の正当性が、
別次元にあることを深刻に自覚されてるのだなぁ、ということが分かりました。
>>689 1さん
>5.原生時間に「ファジーな長さ」を持つ「現在ただいま」を挿入しようとする。
「現在ただいま」が「ファジーな長さ」を持つということは、現在を現在ならしめる
未来や過去という創作された時間概念が、自我の構成要素として介入していることを
否定していないということですよね。で、それは自我論の問題ということなのかな。
時間論としては、知覚的の意味と思考的の意味は異なる意味体系に属するのだから、
「ものごと」の概念化以前の体験としての知覚経験と概念化以降の創作された思考的
世界(意味)を混同してはならないということでいいですか。
知覚経験=身体、思考的概念=精神、とするなら大森時間論は「心身問題」ですね。
まさか大森さんの「物心一如」って、純粋な身体体験としての知覚経験のことなの?
それって典型的な二元論だけど・・・ますます大森さんの物心一如って分からない。
>4の原生時間は想起、予期といった「思考的・言語命題群」でつくられている静的な時間軸です。
>(これについては、大森過去論を理解する上で重要だと考えますので日を改めて述べます)
今のところ、大森さんの時間論(の形式的なとらえ方)には、そんなに違和感ないし、
ただ、彼の「時間は存在しない」という結論の出し方が、知覚的と思考的の意味論の
問題に還元されていて、まさに分析哲学的に結論するというやり方そのものが、
思考的であって、身体性を排除しているように感じられる、というところまでです。
この辺は、さらに詳しい説明を聞いてみないと何ともいえないんですけど・・・
>>693 1さん
>この両立しがたい葛藤に非常に興味があります。
狂気に走らず、虚無にも落ち込まず、葛藤をエネルギーとして思考停止しない。
哲学するって、そういうことなのでは・・・生意気ですけど。(^_^;)
1さん、そんなに自由論に興味があるなら、別にスレ立てたらどうですか。(笑)
(議題が大物過ぎます)
次いでだから、自由について未来と過去という視点も入れて書いてみますね。(笑)
《 実存主義的自由について 》
実存主義的には、自由の原点は自己の単独性にあります。
自己の単独性が、実存の基盤であり自由の根拠である、という考え方です。
そのような単独者にとっての「自由」とは、価値的には垂直方向にあり超越的な事柄
として捉えられます。ですから、既存世界における水平的価値次元における弁証法的
認識枠組みからは遊離していると考えられます。
不適切な例なのですが、先日党首を退任された民主党の鳩山由紀夫さんの掲げている
「友愛」という理念などは、つまり「友愛」を「(哲学的)真理」(政治的実存主義?)
と仮定するなら、そのような「真理」は「既存世界」の、それも政治の世界には組み
込めないということです。「友愛」という言葉が通用しないというよりは、垂直方向
の哲学的真理としての「友愛」と水平方向の既存世界で成り立つ「友愛」とは価値的
次元が違うということです。ですから、曲りなりにも他者の存在や公的意識が前提と
なっている政治的徳性と究極の利己主義の落し子である単独者としての実存的真理が
交わることはないのだと思います。
(つづき) 時間論でもすでに考察の対象とされている問題なのですが、 「〜からの自由」と「〜への自由」を、哲学的に把握するのなら、 「認識論としての〜」と「(例えば)存在論としての〜」の関係なのだと思います。 わたしが認識するのは、わたしが何かを解釈したからなのですが、 解釈するためにも、解釈される対象が、すでに存在している必要があります。 今この瞬間の認識が、いつも純粋な「できごと」ではあり得ないということです。 わたしの認識は、何かしらの先入的理解や先入的信念の拘束を受けています。 「〜からの自由」を「既成秩序」からの自由と表現したのはそういう意図からです。 もっと端的にいうと「〜からの自由」は「過去(既知)からの自由」ということです。 たとえば、サルトルのいう自由は、基盤(過去)を持たない自由な選択と自由な創造 のことだと思いますが、基盤(過去)を持たないということは、無を起点にしている ということですから、何かしらの価値同一的、あるいは役割同一的(受身的)な選択 や創造は、すべて「自己欺瞞」になります。 ですから、彼のいう自由とは完全に未知なる「未来への自由」のことだと思います。 「自由の刑に処されている」というのは、自己の未来が完全に未知であるからこそ、 完全に自由であることもできるという、自己の実存の基盤である単独性(唯一性)の ことをいっているのだと思います。 以上、時間論に近づけて書いたつもりです。近代的自我にとっては“認識される” 今という現象には、未来と過去が不可分に入り込んでいるように思われます。 関係ないけど、わたし一週間風邪で死にそうでした。(;_;) 1さんも気を付けてくださいね。眠いので、今日はこれまで。おやすみなさい。
698 :
Kurihara :02/12/19 22:51
さて、そろそろ僕の意見も開陳しょうか。
>>694 カオルさん
>大森さんは、自分の理論の妥当性(矛盾が指摘されないこと)と理論の正当性が、
>別次元にあることを深刻に自覚されてるのだなぁ、ということが分かりました。
わかってもらえて嬉しいです(笑)。直接大森さんの著作に当たってもらえばわかるのですが、
彼の時間論は、理論の整合性だけを目指して合理的に組み立てられた無機質な文章では
ありません。心の迷いが感じられる文章です。大森さんの言葉を引用しておきます。
(
>>42 >>89 参照)
「しかし、この洞穴の道の奥には一つの恐ろしい奈落が見えてきた。
過去とは文字通りの夢物語ではないか、従ってこのアナーキーな過去には何の条理もなく限りなく
無意味に近い制作物ではあるまいか、こうした恐怖を感じさせる奈落に面しては立ちすくむ以外にない。
今後はこの奈落を避けて回り道をする坑道を掘ることになるだろう。」
他の議論レスはゆっくり考えてから返答します。ありがとうございました。
>>693 訂正
>この両立しがたい葛藤に非常に興味があります。
両立しがたい葛藤でなく、「これらの体系なしで人は生きることはできるか」という問いですね。
「自我は支えがなければ存続できない。その支えは、かつては個人の外部にあると
考えられた神(欧米)や世間(日本)に求められたが、いまや、これらに対する
信仰や崇拝が崩れ、それらに代わり個人の内部にある自己や欲望に求められたが、
これもまた自我の支えにならなかった。つまり、自我の支えは個人の内部にも外部にもない。
にもかかわらず、それ自体では存続し得ない自我の支えを求めて、−つまり、ないものを求めて−
現代人は右往左往することになった。」
岸田さんの『幻想の未来』からの引用です。
僕は基本的に、現代の様々な心の問題の多くはこの右往左往の結果生じた「必然」だと考えています。
>>535 で述べた「籠る」も同様の根を持つと考えています。では、右往左往しないためにはどうすればいいのか。
この視点から、「体系(自我の支え)」と「自由(体系がなくとも生きられる)」の関係に興味があるのです。
>>698 Kuriharaさん
是非開陳お願いします。
ついでにインチキ精神分析の反論があればお願いします(笑)
岸田氏が言う自我の「支え」は、自由の問題を考える場合には、
それがそのまま「束縛」であると言えますね。
自由とは、必然の鎖を断つということでしょうから、それらの
外的な束縛(社会的、物理的、などの束縛)からも
内的な束縛(本能、欲望、感情など)からも解放されなければならない。
>>535 の「籠る」人は、まだ内的な自由を獲得していないのに
外的な束縛を取り外された状態にあるわけでしょうね。
カントの『実践理性批判』も、シェリングの『人間的自由の本質』も、
キリスト教の原罪説の枠内での自由を考えているので、
私はかなり違和感を覚えます。
彼らが自由を信仰と罪との関係においてとらえるのに対して、
古代ギリシャ人は自由を真理との関係で考えています。
ギリシャ的自由は、「とらわれのなさ」。
とらわれをとらわれとして見抜き、それを断ち切ることが自由であり、
そこに真理(アレテイア)があらわになる。
このあらわさとしての真理はハイデガーの真理概念でもありますが、
東洋思想にも近いものであると思う。
「物と拘らず、透脱自在なり」
「随所に主となれば、立処皆真なり」(『臨済録』)
714 名前:文系人間 :02/12/20 01:20 ID:4/9xVExh 漏れは文系人間で高校時代も物理などが苦手だったんですが 最近、趣味でまた学んでみたくなりました。 そこで、小出昭一郎「物理学」(裳華房)と、薩摩順吉「物理の数学」 (岩波基礎物理シリーズ)を何となく買ってしまいました。 読み進むことができたら、感想を書きますね。 ちなみに小出昭一郎先生の本を選んだ理由は、親の知人だからです。 77 名前:ご冗談でしょう?名無しさん :02/12/20 10:36 ID:d+pLzU0b 文系の人が数学をやるには、まず 林周二「数学再入門1・2」(中公新書)をお勧めします これをやったあと、薩摩「物理の数学」(岩波基礎物理シリーズ)あたりに 行ってはいかがでしょうか。 物理そのものはいろんな入門レベルの本がありますのでご自由に。
>>701 さん
レスありがとうございます。
僕が考えている「体系(=自我を支えるもの)」は、「束縛」といえますね。
(僕が使う「内的な束縛」とは、性欲や食欲といった本能的なものでなく、
信念や自信といった創造的な体系のみを指しています)
通常「自由」は、素晴らしいものと考えられています。
「人間は数々の束縛から解放され自由の獲得を目指すべきだ」といった
無条件の肯定があります。自由を侵すものはそれだけで「悪」である
といった風潮が見受けられます。(マスメディアは特にそうですね)
本当にそうでしょうか?
「あらゆる束縛から解放された自由とはどういう状況か」という問いを、
もっと現実的に考えてみるべきではないでしょうか?
僕は、「籠る」とは自由の大海に舵を失ったままゆらゆらとあてもなく彷徨っている
人たちではないかと考えています。「外的な束縛」から解放されて、それでいて
それの代わりとなる「内的な束縛」によって自我を支えることのできず、
右往左往している状態、これが「籠る」ではないでしょうか?
つまり皮肉な言い方ですが、彼らこそ真に自由を獲得した人間ではないでしょうか?
もちろん、彼らの状況を肯定しているわけでなく、人間が文字通り自由になるとは
彼らのような不安定な状態に陥ると言いたいわけです。
外的な束縛(宗教や道徳)が力を持っていた時代は、内的な束縛を自力で築きあげずとも
公的なそれで代用することができました。もちろんそれにより、多くの摩擦を生み出していましたが、
その一方、自力で支えを創りださなくとも、とりあえずそれで自我を安定させることができました。
しかし現代は、外的な束縛を無条件で自我の支えとすることはできません。 世間に出る前に、私的な体系を築き上げることができない人は、自我が不安定な状態に 陥らざるを得ません。公的な体系を信じられなくとも、私的な体系を見つけられた人は いいのですが、それができない人は何を頼るべきでしょうか? 「これだけ科学が発達しても宗教といった非科学的なものが繁盛する」といって 不思議がる人がいますが、それは間違ってます。この科学万能の時代だからこそ、 従来の公的な体系を崩壊させ、私的な体系を築けない人を新たな半公的な体系に −昔以上に−追い込むのです。 ちっぽけなか弱い自我だけでは、この荒海を航海することは不可能です。 東洋思想における、あらゆる束縛から解放された境地(無の境地?)とは、人間の在り方 から考えて不可能ではないか、と疑問に思います。自我の支えなくして、自我を安定させる ことはできるでしょうか?彼らは、自由といいつつなにか別の支えで、−つまり別の束縛でー、 「がっちり」と自我を固定しているのではないでしょうか? 全くの自由には耐えられず、かといって、自由がないと生きていけない人間は やっかいな生き物ですね。 私見ばかりですみません。おそらく701さんのいう「内的な束縛」と異なったそれを考えて 議論を進めているため、的はずれなレスになったかもしれませんね。
>カントの『実践理性批判』も、シェリングの『人間的自由の本質』も、キリスト教の原罪説 >の枠内での自由を考えているので、私はかなり違和感を覚えます。 僕も同様です。 カントは読んでないのでわかりませんが、シェリングに関していえば、『自由論』とは、 彼の前期哲学からの難問「無限で絶対的な神から、いかにして有限者(人間、自然)が生じてくるか」 から続く問い「無限の善である神から、いかにして悪が生じてくるか」への解答ですね。 まず、「神ありき」で思考されているので、なかなか理解しづらい面があります。 ただ、ここでいう「神」とは、普通の人が考える「キリスト教的な人格神」ではなく、存在者を そうあらしめている存在の根拠であるとハイデガーは述べています。その根拠とは「自由」です。 しかし、その「自由」にも根拠があるはずだから・・と常に、「根拠の根拠へと遡る問い」により、 存在の根源的な基盤に立とうとします。つまり、シェリング『自由論』とは、存在の根拠を問う−存在論− であり、それ故に、深遠な哲学書でもあるわけです。 また、通常考えられている「キリスト教的な人格神」を神と同一視することは、 神を我々存在者と同じ次元に置くことになるので、それは真の神ではないそうです。 真なる神は、我々と同じ次元にあるのではなく、存在者を超越し、存在の根拠となるもの です。(「神=存在者の根拠」と考えれば、無神論者の僕でも取っつきやすくなりますね) ところで、スピノザの汎神論も、この文脈での「神」と考えていいのでしょうか。
以上、「知ったか」してみました(笑) この辺り、最近少し「見えてきた」のですが、いまだ漠然としたままです。僕の理解が どの程度か知りたいと思っていますので、よろしければ、間違いやアドバイスお願いいたします。 >古代ギリシャ人は自由を真理との関係で考えています。 以前はギリシア哲学は古くさいという先入観があり、素通りしていたのですが、 ハイデガー存在論に関心が出てくると、こちらにも欲が出てきました。 お恥ずかしい限りですが、正月にプラトンでも読んでみようか、と今さらながら 考えている次第です。
>>703-704 1さん(勝手にレスします)
1さんの言いたいことは良く分かるんだけど、枠付きの議論だと思います。
つまり、認識論的枠組み内での自由論ですね。(
>>705 は別ですけど)
わたしが解釈した世界が、仮想の実在としての世界なのだから〜、を基盤にしてる。
所詮、世界は virtual reality なのですから、過去(既知)の価値観がないがしろに
されるなら、(世界および自己を存在させている確実性が)崩壊するのは必然です。
『わたしの世界は、受け継がれたものであり、それによって真偽を区別する』
というようなことをウィトゲンシュタインがいってましたね。
たしか『認識は、懐疑によって検証されるものではない』というような文脈で。
ここでいう「受け継がれたもの」っていうのは、わたし的の解釈では言語の背景に
あるものとしての慣習や歴史のことなんですけど、そのような先入的信念を背景に
して自己の生活様式が成り立っているのだから、つまり、他者との共有された世界
を信頼するということの中でしか、自己は生きられないということだと思うんです。
もし、そのような共有された(過去からの)価値観が否定されるのなら、自己の世界
そのものも崩壊していくのは当然の帰結ですね。(相対主義による既存価値の破壊)
勿論、1さん的な自由(言語ゲーム)を謳歌するためには、という限定付きですが。
で、なにがいいたいのかというと、
(近代的)自我が解釈した世界での価値論は、本質的じゃないということです。
なぜなら、たとえば制度的時間に縛られて生きているということは、
そのような時間が、自我の構造に深く介入しているということですが、
でも、そのような自我構造は、決して普遍的なことじゃないと思うからです。
カントのように生来の道徳家のような人が、決して認識論的枠組み内では、
道徳を論じなかったのも、モノ自体という超越的な世界から還元するのでない限り、
普遍妥当性(定言命法)をいうことはできないと思ったからだと思います。
自由についても同様ではないでしょうか。(相対的と絶対的の関係性です)
708 :
zion-ad :02/12/22 09:41
>>696 >なっている政治的徳性と究極の利己主義の落し子である単独者としての実存的真理が
>交わることはないのだと思います。
俺という個人の枠組みの内側ではそうかもしれない。俺はただの絶対利己主義者。
だが、この旗を利用するモノが観る世界、超空間では両立するかもしれない。
縦糸と横糸で編まれるリリアンのトーラスでは。
リリアン:小学校の頃、女の子が遊んでいた編み機。螺旋になるのか。
>>707 カオルさん
レスありがとうございます。
もしかしたら、間違ってカオルさんのレスを解釈して議論を進めているかもしれませんが、
その時には訂正お願いします。
カオルさんは絶対的な真理がどこかにあり、それによって自我を安定させることができる、
「籠る」のような人たちは、相対的な価値観に陥っている、と考えているように見受けられます。
しかし、僕に言わせればそのような絶対的なものはありません。少なくとも、その存在を信じることの
できない現代人の自我の支えには何ら役には立ちません。(信じることのできる人は別です)
自我の支えに必要なのは、絶対的・普遍的価値ではありません。本人が本気でそれを
信じられるかどうかの「信心」の問題です。道端に落ちている「石っころ」を磨き上げることで
その人の生に重大な意味を見いだすならば、それがその人にとっての自我の支え(体系)です。
自我の支えとは、絶対的な何かでなく、相対的なものです。
それを絶対的なものに求めると宗教間の争いといった軋轢が起こります。
カオルさんは、「過去の価値観や他者と共有された世界を信じなければ自己は崩壊する」
と述べていますが、(実際にはその通りなのですが)、原理的に考察すれば少し違うと思います。
過去や他者との世界を全く信じなくとも、自我を支える他の体系を自分で築き上げた人は
より良く生きることができます。(ただ、現実にはそのような体系を築き上げるのは至難の業でしょう)
カントの定言命法も(カント全く読んでませんが)、それ自体絶対的な真理であったとしても、
「それによりあらゆる人の自我を支えることができる」というならば全く真理ではありません。
自我を安定させる(人間が安心して生きる)には、形而上学的真理は必要ありません。 必要なのは、毎日の生活から生じる、自己を納得させるささいな「信心」です。 「籠る」人たちは、本来なんでもいい自分だけの「信心」の対象を見つけることのできない人たち ではないでしょうか。もちろんこの「信心」とは宗教と何ら関係がありません。 「世の中お金である」「有名になりたい」「真理の追究が真に人間らしい生き方である」 すべて立派な信心です。 ニーチェに絡めて考えると、「外的な体系」(宗教、道徳)に対する疑い、信じられなさ の時代がニヒリズムの時代です。そこでニーチェは今度は「内的な体系」(創造)に自我の支えを 求めたわけです。しかし、それも普遍的な真理とはなりえません。その後も現代人は、生き甲斐や 欲望、強い自我といった様々な内的な体系に自我の支えと求めますが、これも同様です。 >(近代的)自我が解釈した世界での価値論は、本質的じゃないということです。 自我(人間)にとって重要なのは、その価値観が本質的であるかどうかではなく、あくまで それを信じられるものかどうかだと思います。 自我とは、大海に浮かぶ「浮き」のようなものです。海が平静な凪の時はいいのですが、悪天候で 荒れてくると、どこか頑丈な岸壁につないでおかないと荒波に翻弄されてしてしまいます。 高波に襲われると沈んでしまう恐れもあります。つなぐ岸壁は大小、頑丈、脆弱と様々なものが ありますが、どれにつなぐのが一番いいのかその「浮き」の性質によります。絶対的な岸壁はありません。 それでも昔は、結びつけることが容易な大きな岸壁の近くに「浮き」は漂っていました。しかし、 現代は岸壁から遠く離れ、遙か沖をプカプカとあてもなく彷徨っています。つなぐべき岸壁は 自力で見つけなければなりません。 彷徨える「浮き」は強制的にでも岸壁につなぐべきか。『カラマーゾフの兄弟』のキリストと老審問官の やりとりは恐るべき凄みを感じさせます。(パスカルの「気晴らし」も驚くべき洞察ですね。)
まとめると、 1.自我とは何らかの支えを必要とする不安定なものである。 2.その支えは個別的・相対的なもので絶対的な何かではない。 3.真の自由(あらゆる束縛からの解放)とは、自我を不安定にすることであり、 その状態で人間は生きられない。 こういった観点から、では「哲学における人間的自由とはどういう状態か」に興味があります。 ここを出発点に、より根源に向かう哲学的考察ができればいいなと思っています。
>>709 1さん
>もしかしたら、間違ってカオルさんのレスを解釈して議論を進めているかもしれませんが、
>その時には訂正お願いします。
いっぱい訂正も反論もあります。(笑)
ただ、この議論って、わたし的には「哲学における自由とは何か」でないです。
というか「哲学における自由とは」あるいは「哲学における自由と時間の関係」
に議論を誘導したいと思って書いたのが、わたしの一連のレスだったんですけど。
反論した方がいいならこれからしますけど・・・起きてますか?
713 :
考える名無しさん :02/12/23 22:40
今更指摘するけど
>>50-55 は青山拓央の「タイムトラベルの哲学」の丸写しじゃん。
>>708 zion-adさん
>俺という個人の枠組みの内側ではそうかもしれない。俺はただの絶対利己主義者。
>だが、この旗を利用するモノが観る世界、超空間では両立するかもしれない。
>縦糸と横糸で編まれるリリアンのトーラスでは。
フロイト-ラカン系列は、全くの無知なので・・・フロイトって顔が怖いです。
わたしは、ショパンとかキルケゴールとか顔で選んでしまうから。(ウソです)
ボームの暗在系とラカンの無意識の違いって何ですか。(出自が違うって!)
ラカンの享楽やバタイユの蕩尽が人間の本性なのだとしても、それを知ってる
無意識の知としてのポランニーのいう暗黙知には、どんな役割があるのですか。
哲学は、他の人文系と比べて、エロティシズムやセックスの問題が欠けてると
思うけど、それって哲学にとって致命的な欠陥でしょうか。(心理学は必要?)
超空間って、無意識の領域のことなのですか。
超空間で両立するって、どういうことなのですか。
それは、(日常という)現実でも成立する事態なのですか。
ところで、リリアンのトーラスって、巻き貝のことでしょうか。
わたしには、曲面の形状にどんな意味が宿るのかまったくわかりません。
zion-adさんのレスには、質問しか思い浮かびません。もっと勉強します。
>1さん、merry Christmas とかいってイブにテレビで連合赤軍みてたわたしって・・・(;.;) なんかさびしいよりむかつくので、ストレス発散レスいきまーす。 ( Christmas だし-お酒はいってるし-ゆるしてね-内容も )
やっぱりむなしいのでやめます。ほんとうは眠いからです。ハァ〜
>>703 >>704 神を喪失した現代のニヒリズム的状況を脱却するためには、自己に現れる
在るがままのものを、誤魔化すことなく、在るがままに受けとめ、それを自己の支えと
するべきなのではないかと思います。
そしてそのためには、とらわれのない(ギリシャ的)自由な目を持たねばならない
のではないかと思います。
>東洋思想における、あらゆる束縛から解放された境地(無の境地?)とは、
>人間の在り方から考えて不可能ではないか、と疑問に思います。
>自我の支えなくして、自我を安定させることはできるでしょうか?
原始仏教経典には、「他に依止するものは動揺す」とあり、
「自己の拠り所は自己のみなり」とあります。
この「自己」は、ふだん我々が「自分」と思い込んでいる個体的自我ではなく、
例えば道元の言う「非思量的自己」あるいは「尽大地自己」のことです。
それは、怒りや悲しみや絶望やその他、小さな自我のあらゆる思いを
捨てても(無心になっても)なお在る自己であり、「仏法の究尽と同生し、同参する」
自己です。それが仏教で言う本来の自己であり、そこにはじめて万法の真理が
見えてくるとされています。(仏教の「無心」はギリシャの自由人が尊んだ
「観想<テオリア>」という態度に似ている。)
この本来の「自己」を見失い、小さな自我の思いにふりまわされているからこそ、
自分ならざる「他」が対立的に迫ってきて、他との関係に引きずりまわされたりしてしまう。
>>703 と
>>704 では、人間存在が「自我」という言葉で一括されていますが、
本当はその「自我」の在り方こそが問題なのではないかと思います。
道元においては、「非思量的自己」とならなければ真理(真如)は見えてこない
ように、ハイデガーも、人間が「現-存在」として自由な開けた態度で存在を
見守るのでなければ存在の真理は隠れてしまうと言います。
しかし大抵の人は「ひと(ダス・マン)」として日常性に埋没して、本来的自己を
見失っているわけです。
ニーチェは本来的(根源的)自己を「大いなる理性」、「身体」、あるいは端的に 「自己」と名づけ、皮相な次元における人間存在である「自我」(「小さな理性」)と 区別しています。(例えば『ツァラトゥストラ』「身体を軽蔑する者たちについて」)。 本来的「自己」は創造する自己であるのに対し、「自我」は常に新たに創造されては そのつど超克されていく自己です。 道元、ハイデガー、ニーチェ、いずれの場合にも、「自己」の在り方が変わることによって 「自由」も「時間」も、(つまり「世界」そのものが)その様相を一変するのだと思います。 (例えばニーチェの「永劫回帰」は「超人」という自己の在り方と 切り離しては考えられない)。 >公的な体系を信じられなくとも、私的な体系を見つけられた人は >いいのですが、それができない人は何を頼るべきでしょうか? >ちっぽけなか弱い自我だけでは、この荒海を航海することは不可能です。 これは言及されていた「大審問官」の言う、「強い人たちが耐え忍んだことに それ以外の弱い人たちが耐えられなかったからといって、何が悪いのだ?」 という問題ですね。 ハイデガーの本来的「現-存在」やニーチェの「大いなる理性」(あるいは「超人」)に 誰もがなれるわけではないので、彼らの思想には、弱者切り捨てのエリート思想という 側面があると思います。 これに対して道元の「尽大地自己」は出会うものすべて(尽一切)を生かすところに 成り立つ点に彼らの思想との大きな違いがあると思います。 「仏の行は尽大地とおなじくおこなひ、尽衆生ともにおこなふ。もし尽一切にあらぬは、 いまだに仏の行にてはなし。しかあれば心をおこすより、さとりを得るにいたるまで かならず尽大地と尽衆生と、さとりもおこなひもするなり」(道元『正法眼蔵』)。 尽一切が生きることの中に、我が生きるのであり、 我が生きることの中に、尽一切が生きます。
意識の存立構造、真理の成立条件、現相の存立構造、事象と因果法則・・・・と、 これは広松渉『新哲学入門』の目次の一部だけれども、見ただけでなんだかお手上げでしょ? これらの本の「難解さ」はしかし、わかるまで丁寧に解説しようとするがための 難解さといってよい。覚悟を決めて悪戦苦闘しながらでもついていけば、存在論とか 認識論とか(の一番端っこ)に、どうにかこうにかたどりつける。 ところが、ここにズレがある。私たち大多数の読者は、本気で哲学しようなんてじつは 思っちゃいないのだ。歴史的に著名な哲学者の名前と彼らの思想を情報として押さえて おきたい。早い話が、知ったかぶりたいだけだもん。
↑批判だけなら知ったかぶり以下だと思うぜ。自分の論を開陳すること。コレ基本。
知ったかぶりがこの板には多い。
知ったかぶり+批判だけだね。
>>718 >ハイデガーの本来的「現-存在」やニーチェの「大いなる理性」(あるいは「超人」)に
>誰もがなれるわけではないので、彼らの思想には、弱者切り捨てのエリート思想という
>側面があると思います。
ハイデガーは「現-存在」の大衆的(世俗的)なあり方を批判してますし、
ニーチェの「超人」もキルケゴールのいう「絶望した人々」への批判なのだと思う。
ですから、近代社会では「弱者切り捨て」というよりも、むしろ社会的強者に対する
批判として受け止めた方が分かりやすいのかな、と思います。
強者は、(少数派なので)社会的弱者である可能性も充分考えられ、
強者(になる素質のあるもの)が、俗世間に押しつぶされている状況が「引き籠り」
というのが、1さんの「ひっきー擁護論」なのかな、と勝手に解釈してますけど。
>>723 >受け止めた方が分かりやすいのかな、と思います。
は、1さんには、そのように説明した方がわかりやすいかな、という意味なので、
>>718 さんへの反論じゃないです。
なんか生意気-1さんに失礼-自己嫌悪。ごめんなさい。
著作を読んでいて感じるのは、 大森の世界観は、 『単子(ノマド)的分割でできており、既に「存在する世界」を分割(認識)する』 かな、という事。 読みこんでいないのであしからず。
《 基体の変遷−テオリアの周辺− 》・・・1さんへ 「自己は、自己の存在意義の根拠を{自己}に求める」といった場合、 プラクシス的とテオリア的の解釈では{自己}の意味が全く違ってきます。 つまり、解釈された仮想の実在(世界)としての自己(現実)に根拠を求めるのか、 解釈を超えた世界としての神や存在に繋がるものとしての自己に根拠を求めるのか、 ということです。 近代では、自己の主観によって解釈された世界を現実(既存)世界としていて、 テオリアの対象となる神や存在は、客観的な「何か」とされています。(仮に二元論) しかし、これはあくまで近代における「主観」と「客観」にしかすぎません。 主観は、独語 Subjekt の訳語ですが、ラテン語では、subjectum になります。 この subjectum は、元々「下に横たわってるもの」「根底にあるもの」の意です。 ギリシア語では、基体 hypokeimenon に相当します。 subjectum は、古代ギリシアでは、イデアや形相、あるいは自然のことでしたし、 中世ヨーロッパでは、神のことを指していましたから、主観というよりも、 対象 object としての「客観」の意で使われていました。 subjectum が、基体的主体(=主観)として使われるようになったのは、 デカルト〜カント以降、近代のことです。 また、イデア、形相 -----> キリスト教の解釈 -----> 神 -----> 存在 ですから、形而下の認識≠テオリアです。(超越的にいい加減ですが!) で、わたしがいいたいのは「温故知新」ということです。(^.^)
最近、木田元さんのハイデガー関連の本を読んでいます。
そこで述べられているハイデガーの哲学史の解釈が、
現在進行しているの議論と関係がありそうなのでまとめてみました。
その後、カオルさんと
>>717 さんへの返答をします。
<ハイデガーの哲学史観> ハイデガーは「哲学とは形而上学である」と述べています。形而上学とは、 存在を「本質存在」と「事実存在」に区別する二元論的思考法です。 この分離思考を始めて行ったのはプラトンです。存在者は事実存在にすぎず、 本質存在とは超越界のイデアです。彼においては、本質存在が事実存在よりも優越します。 キリスト教の「神」とは、イデア(本質存在)の焼き直しです。その一方、 この形而上学の超克に、本質存在と事実存在を逆転する思考法が現れます。 アリストテレスであり、後期シェリングであり、サルトルです。 (「事実存在が本質存在に先立つ」) しかし、ハイデガーによれば、形而上学命題の逆転は、依然形而上学命題に すぎません。未だ形而上学は乗り越えられていません。 形而上学の乗り越えは、ハイデガーにとって、形而上学が始まる以前−プラトン以前− に戻ることです。そこでは存在とは「自然(フュシス)」であり、フュシスとは「生成」です。 未だ「本質存在」「事実存在」の分離はなされていません。彼はこの始原の単純性に 戻ることにより形而上学の超克を目指します。
<『存在と時間』の現存在の在り方についての疑問> 現存在の在り方としての「本来的自己」「非本来的自己」の区別は、彼が批判している 形而上学ではないのですか? 「本来的自己」 =「本質存在」 「非本来的自己」=「事実存在」 僕にはなぜ、「本来的時間性」に生きる人間が本来的で、「非本来的時間性」に生きる人間が 「非本来的(たい落)」なのかわかりません。この二分法自体が、形を変えたプラトン主義 であるとしか思えません。「本来的に生きた方が充実した生を送れますよ」といった現世での 価値観が基準なら納得するのですが。 ハイデガー自身この区別は道徳的、宗教的区別ではない、と述べていますが、かといって 人生論的区別ではないですよね。 「転回」後の彼はこの辺りの矛盾をどう解決しているのですか?
<「本質存在」「事実存在」と自我の支えの関係> 「外的な体系(神、道徳、理想)」=「本質存在」 「内的な体系(欲望、信念)」 =「事実存在」 哲学とはある意味、絶対的な自我の支えを求める「ないものねだり」の旅路ではなかったか と思います。形而上学の本流(本質存在の優越)では、イデアや神、定言命法といった 我々の「現象界」を超えた「物自体界」に支えを求め、それが信じられなくなると、事実存在、 つまり自己の中に支えを求めます。 ニーチェの「力への意志(より大きくより強くなろうと意志)」とは内的な体系ですね。 しかし、その内的な体系も絶対的な支えとなることはありません。なぜなら自我とは、 新たなより強い支えを常に要求し続けるわがままな存在だからです。自我は自分の支えを 更新し続ける「過程においてのみ」安定します。
<ニーチェについて>
ニーチェは卓越した心理学者である、と何かの本で読みました。
僕はその通りではないかと思います。
「『これこれのものはこうであると私は信じる』という価値評価が『真理』の本質にほかならない。
・・それゆえ、なにものかが真であると思いこまれざるをえないということは必然的であるが
これはなにものかが真に存在するということではない」
「真理とは、それがなくてはある種の生物が生きてゆけないような一種の誤謬である」
この文の「真理」を「自我の支え」を読み替えれば、そのまま「自我論」となります。自我の支えとは
「本人にとっての」真理であるからです。
また「力への意志」とは、
>>731 で述べた、より強い支えを要求する自我の性質を述べているともいえます。
>> カオルさん
いつもレスありがとうございます。
全体的にカオルさんのレスからは、
>>729-730 で述べた形而上内の思考である印象を受けます。
本来的自己といった在り方が存在し、それを見失っている非本来的な状態が現代の人である
といった風です。
>(近代的)自我が解釈した世界での価値論は、本質的じゃないということです。
>>707 >解釈を超えた世界としての神や存在に繋がるものとしての自己に根拠を求めるのか、
>>727 度々繰り返しますが、人間の在り方に本来的、非本来的の絶対的な区別はあり得ないと僕は
考えています。あるとすれば、自分の自我が安定するかどうか、つまり個別的、相対的なそれ
ではないでしょうか。本来的自己(本質存在)がどこかにある、という考え方自体がプラトン主義と
変わらないのではないですか。(カオルさんがプラトン主義者だったらわかるのですが)
例えば、カオルさんが
>>707 でいう「制度的時間に縛られている近代的自我の構造」は
なぜ普遍的でないのですか。反対に、ハイデガーの「本来的時間性」で生きる人は
普遍的なのでしょうか。
カオルさんにとっての普遍的自己とは何でしょうか。その基準は何ですか。
734 :
考える名無しさん :02/12/29 11:02
退屈な仕事やってるとき まさに時間は止まってる と思うよ
>>723 >強者は、(少数派なので)社会的弱者である可能性も充分考えられ、
>強者(になる素質のあるもの)が、俗世間に押しつぶされている状況が「引き籠り」
>というのが、1さんの「ひっきー擁護論」なのかな、と勝手に解釈してますけど。
僕の「籠る」の分析は、彼らを美化や擁護する意図は全くありません。ただ、「籠る」人を
心が弱い人だからと個人に原因を求めるのではなく、より根源的なそれを見つけたいと考えています。
つまり、そういった人が増えている現代という時代を分析し、そこに何らかの因果関係を見つけたいと
考えています。せっかく哲学的思考の訓練をしているのですからね。
ゆえに全くの机上の空論です。僕のまわりに「籠る」人がいないので、この机上の空論を
確かめるすべもありません。これを見ている「籠っている」人がどう思うか聞いてみたいと
思っています。
>>727 >「自己は、自己の存在意義の根拠を{自己}に求める」といった場合、
>プラクシス的とテオリア的の解釈では{自己}の意味が全く違ってきます。
>つまり、解釈された仮想の実在(世界)としての自己(現実)に根拠を求めるのか、
>解釈を超えた世界としての神や存在に繋がるものとしての自己に根拠を求めるのか、
ブラクシス的自己とは、僕のいう「内的な体系」に支えられた自我で、
テオリア的自己とは、「外的な体系」に支えられた自我ではないかと思います。
(外的、内的の区別
>>731 )
>近代では、自己の主観によって解釈された世界を現実(既存)世界としていて、
>テオリアの対象となる神や存在は、客観的な「何か」とされています。(仮に二元論)
>しかし、これはあくまで近代における「主観」と「客観」にしかすぎません。
たとえ、テオリアの対象(神)を「客観的な何か」と二元論的に考えようと、「神」とは
「客観的な対象でない」(例えば汎神論)と考えようと、感性界を超えた物自体界に、
つまり外的な体系に自我の支えを求めていることには変わりはないと思います。
>>727 >「自己は、自己の存在意義の根拠を{自己}に求める」といった場合、
>プラクシス的とテオリア的の解釈では{自己}の意味が全く違ってきます。
>つまり、解釈された仮想の実在(世界)としての自己(現実)に根拠を求めるのか、
>解釈を超えた世界としての神や存在に繋がるものとしての自己に根拠を求めるのか、
ブラクシス的自己とは、僕のいう「内的な体系」に支えられた自我で、
テオリア的自己とは、「外的な体系」に支えられた自我ではないかと思います。
(外的、内的の区別
>>731 )
>近代では、自己の主観によって解釈された世界を現実(既存)世界としていて、
>テオリアの対象となる神や存在は、客観的な「何か」とされています。(仮に二元論)
>しかし、これはあくまで近代における「主観」と「客観」にしかすぎません。
たとえ、テオリアの対象(神)を「客観的な何か」と二元論的に考えようと、「神」とは
「客観的な対象でない」(例えば汎神論)と考えようと、感性界を超えた物自体界に、
つまり外的な体系に自我の支えを求めていることには変わりはないと思います。
>>715 遅くなりましたが、メリークリスマス(笑)
先日おもしろい文章を見つけました。三島由紀夫の自決を知った中島義道さんが
ゼミの最中の大森さんに「三島が自決したそうです!」と叫んだ後の文章です。
大森先生ますます大好きです(笑)
「すると、ほんのしばらくの沈黙の後、大森先生は「ああそうですか」と言われた。
そして、「では、次に進みます」と黒板にサラサラと次の数式を書きはじめた。
ゼミが終わっても、先生はそれについて何も語らずにそのまま教室を出られた。
私は「ああそうですか」という先生のやや反感の籠もった声と私に向けられた
やや憮然とした態度の中に、様々なものを感じることができた。
それは、そんな甘ったるい「思想的文化的問題」にかかずり合っていては
哲学者の沽券にかかわるという意気込みであり、そんな「瑣末なこと」に騒ぐようでは
哲学者にはなれないぞという私に対する叱咤である。
たぶん先生は「今、天皇が死んだようです」と伝えても「今、大統領が暗殺されたようです」
と伝えても「ああそうですか。では次に進みます」と答えるであろう。それが哲学者の
あるべき態度なのであり、それが哲学することなのである。」
>>717 さん
丁寧な返答ありがとうございます。
>神を喪失した現代のニヒリズム的状況を脱却するためには、自己に現れる
>在るがままのものを、誤魔化すことなく、在るがままに受けとめ、・・・(中略)
>・・・とらわれのない(ギリシャ的)自由な目を持たねばならないのではないかと思います。
ここで述べられている「ギリシャ的な自由な目」とは、存在をフュシスとみなすプラトン以前の
哲学者を指しているのでしょうか。もしそうならば、その目が形而上学、ニヒリズムを乗り越える
鍵となる得るのか非常に興味を持っています。
たびたび繰り返すことになりますが、僕の疑問点をまとめると以下の通りです。 ここで挙げられた「本来的自己」「超人」「非思量的自己」といった本来的な自己とは 1.なぜそれが本来的だといえるのか 2.何を基準にそういえるのか 3.それらは誰にでも通用する絶対的な在り方か。 4.それらが唯一の在り方なのか、他の在り方も認めるのか 5.永遠に安定する自我の在り方はあるのか なにか尋問みたいですみません。 何で初心者は自我の話になったら急に突っかかってくるんだ、と不思議に思ってる人も いるかもしれませんね(笑) 基本的に僕は、「絶対的な何か」に対する疑いがあるのです。 特にその絶対的な何かに人間がなり得るとか、認識できるといった(ぼくから見たら傲慢な) 思想にはつい熱くなってしまいます(笑)。ですから、デカルトの(神の出張所としての)理性とか ヘーゲルの絶対精神とかさっぱりわかりません。(多くの日本人は僕と同じ考えだと思います) また、本来的、非本来的と「何らかの価値観で」人間の在り方を二分することは、 人生論に変わりうる危険性が大きいと考えています。 これらの本来的自己を人生論として考えれば、僕はすごく納得、大賛成なのですが・・。 (何か自分でも何かが言いたいのかわからなくなってきました。もっと落ち着いて考えてみます(笑))
急ぎレスしたので、わかりにくい点、失礼な点があったかもしれません。 申し訳なく思います。 また、これらのレスは哲学的基盤に立って思考しているのではなく、 他の基盤に立って哲学の基盤を批判しているようにも思えます。 新しい分野を学ぶときに、自分に引きつけて考えすぎると、新しいことを学ぶ意味がなくなります。 もう少しやってみて、うまく議論できそうになかったらこの話題(本来的、非本来的自己)は 取り下げようと思っています。
忘れてました >これに対して道元の「尽大地自己」は出会うものすべて(尽一切)を生かすところに >成り立つ点に彼らの思想との大きな違いがあると思います。 もしよろしければ、もう少しハイデガーと道元の関係、道元のこの言葉の解説、 また彼の易しく良質な入門書など教えていただけませんか。
>>726 さん
>大森の世界観は、『単子(ノマド)的分割でできており、
既に「存在する世界」を分割(認識)する』かな、という事。
これはライプニッツ的ということでしょうか。
大森さんの時間論は「理屈」では理解できる−ゆえにどこがおかしいかも指摘できる−
のですが、彼の物心一如は未だよくわかりません。
これからの僕のテーマですね。ノマドとの関係も考えながら読み進めていきたいと思います。
今年はこれが最後のレスになると思います。 アドバイス、間違いの指摘等、初学者の僕に付き合ってくださった方、 本当にありがとうございます。 8/17からスレを始めたので、4ヶ月ちょっとでここまで学べるとは思っていませんでした。 独りでは絶対無理ですね。感謝しております。 正月は、『プロレゴーメナ』を読むつもりです。 そして来年、おそらく4月ぐらいには『存在と時間』に再挑戦したいと考えています。 前回は、岩波の桑木訳でひどい目に遭いましたので(笑)、今度は細谷訳で 万全を期します。 それと今さらですが、大森荘蔵さんには感謝しております。 『時は流れず』を読んだときの驚きは忘れられません。「こんな普通の文章で哲学書?」 という感じでした。あの出会いがなければ未だに、哲学の森に足を踏み入れることができず その周囲をぐるぐると回っていたことと思います。 僕も大森さんと同じく、「自説の欠点を指摘してもらうために」このスレに書き込みます。 来年は更なる厳しい突っ込みをお待ちしております。 これからもよろしくお願いします。 お互いに来年もいい出会いがありますように・・。
745 :
ぺん(ぺん) :02/12/29 19:26
>>初心者その1さん
また、元の良スレになって、よかったです。
時間論に関しては、つい最近出た
入不二基義さんの『時間は実在するか』が面白いです。
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/Scripts/bookclub/intro/intro.idc?id=35028 とはいえ、分析系の時間に関する考え方は
正直、ちょっとテクニカルで、どうも納得がいかないのは、やまやまなんですが(w
>基本的に僕は、「絶対的な何か」に対する疑いがあるのです。
>特にその絶対的な何かに人間がなり得るとか、認識できるといった(ぼくから見たら傲慢な)
>思想にはつい熱くなってしまいます(笑)。
そこのところは、漏れも、まったく同じです。
言語哲学や現象学などを、最近はちょっと勉強しつつも
やっぱし、デリダやフーコーの方が、性に合うんですよねえ。
(フラ語はドイツ語以上にドキュンなのはおいとくとして・・・)
形而上学的傾向を前両者とも脱しているようでも
「真理性」に対する執念みたいなのには、
ちょっとどうかなあと感じてしまうのです。
746 :
ぺん(ぺん) :02/12/29 19:27
>また、本来的、非本来的と「何らかの価値観で」人間の在り方を二分することは、 >人生論に変わりうる危険性が大きいと考えています。 そのような観点で、ハイデガーを批判した人として レーヴィットあたりが分かりやすいと思います。 『ハイデガー 乏しき時代の思索者』などは、 批判的ハイデガー入門として読みやすいと思います。 (レーヴィットは、ナチスから逃れて、日本に来て 東北大で教鞭をとった事もあります) このごろは、哲板にこなくなってしまいましたが (そろそろ、まじめに放率の勉強もしないといけないので) 時々は、遊びに来ますので、そのときはよろしくお願いします。
>>733 1さん
>(カオルさんがプラトン主義者だったらわかるのですが)
前スレでは、分析系の専門家で、今度はプラトン主義者なの?(笑)
わたしと1さんの溝は深いですね。まぁ、そこが面白いんですけどね。(^.^)
>「制度的時間に縛られている近代的自我の構造」は、なぜ普遍的でないのですか。
「制度的時間に縛られていない」人間がいるからです。(笑)
>反対に、ハイデガーの「本来的時間性」で生きる人は普遍的なのでしょうか。
わたしは、そんなこと一言も言ってません。
わたしは「本来的時間性」「普遍的時間性」を探求することに興味があります。
>カオルさんにとっての普遍的自己とは何でしょうか。その基準は何ですか。
それを一緒に探求しましょう。(^.^)
>>735 >心が弱い人だからと個人に原因を求めるのではなく、
わたしは「籠る人」=「心が強い人」の可能性をいったんですけど・・・?
>つまり、そういった人が増えている現代という時代を分析し〜(略)
>〜せっかく哲学的思考の訓練をしているのですからね。
わたしは、それを、社会学的/心理学的な議論なのでは、と暗に指摘しただけです。
それが、哲学的思考の訓練なら、それはそれでいいと思います。
>>736 =737?
あなたのいう「内的な体系」「外的な体系」は、相互浸透的なものです。
わたしは、対象化された何か(=外的な体系)によって「自我」が「支えられる」
なんていう議論をしているつもりはありません。
わたしの関心は、ダーザインと実存の関係性の問題にあります。
>>738 ゼミの最中の態度として、大森さんに何もいうことはありません。
けど、その後の勝手な憶測に基づく大森像は、大森さんに対してとっても失礼だし、
最後は「それが哲学すること」なんていう短絡な結論を出している中島という人が、
真性のバカなのはよくわかりました。(笑)
>>741 >また、これらのレスは哲学的基盤に立って思考しているのではなく、
>他の基盤に立って哲学の基盤を批判しているようにも思えます。
たしかに、以前ぶんぶんさんがあなたに向けたレスが思い出されましたね。(笑)
わたしのレスの意図は、一貫して哲学批判よりも哲学論議を、ということです。
懐疑とは、真っ白な心で向き合うこと、テオリアの精神のことです。否定じゃない。
>もう少しやってみて、うまく議論できそうになかったらこの話題(本来的、非本来的自己)は
>取り下げようと思っています。
わたしは、1さんの議論を否定していません。(念のため)
>>740 >基本的に僕は、「絶対的な何か」に対する疑いがあるのです。
>特にその絶対的な何かに人間がなり得るとか、認識できるといった(ぼくから見たら傲慢な)
>思想にはつい熱くなってしまいます(笑)。
「絶対的な何かに人間がなり得るとか、認識できるといった〜」って、
単なる1さんの憶測でしょ。なんかぶんぶんさんの哲学批判にソックリ。(笑)
とにかく、わたしはそんなこといってません。
>ヘーゲルの絶対精神とかさっぱりわかりません。
勉強してみた結果なのですか。それならわたしが教えてあげる。(^.^)
>これらの本来的自己を人生論として考えれば、僕はすごく納得、大賛成なのですが・・。
それらのことを、沈黙して実践するべきことがら、として示したのがLWですし、
人間の認識の仕方を超えていることとして、境界線を引いたのがカントです。
で、人生論なら大賛成というのが、まともな人間のあり方という常識です。
>(何か自分でも何かが言いたいのかわからなくなってきました。もっと落ち着いて考えてみます(笑))
本当にそう思います。仕事のイライラを神聖なスレに持ち込まないで。(笑)
(わたしだって、ストレス発散レスしそうになったけど、我慢したでしょ-ウソ)
>>740 1〜5に直接答える前に、前レスに対して答えていった方がいいと思うので・・・
なぜなら、私のレスの意図が全然理解されていないと思うからです。
すでに長文だけど、この後もすごく長いです。
何時間もかけた努力に免じて許してください。荒らしじゃないです。(わたし変です)
>>709 >カオルさんは絶対的な真理がどこかにあり、
わたしは、真理の探究=哲学、と思っていますから、“哲学する”は、
真理が、どこかに、ある/ない自体の問題ではなく“志向性”の問題です。
>それによって自我を安定させることができる、
わたしは、自我の安定≠自由、と思っていますから、
たとえば、論語の「七十而從心所欲、不踰矩」を「自由な心の状態」というなら
みとめますが、安易な懐疑によって、あやまった諦観をひきよせることも、
懐疑をさけて安易な日常をすごすのも、ともに単なる「思考停止」ですから
否定します。
>「籠る」のような人たちは、相対的な価値観に陥っている、と考えているように見受けられます。
相対的な価値観の根拠をさぐる姿勢に欠けていると思います。
ちなみに、わたしの意見は「ひっきー」限定じゃないんですけどね。(^.^)
>>709 >しかし、僕に言わせればそのような絶対的なものはありません。少なくとも、その存在を信じることの
>できない現代人の自我の支えには何ら役には立ちません。(信じることのできる人は別です)
わたしは、価値を判断するための「絶対的尺度」が、ある、とはいってません。
常に変化してしまう普遍妥当性のないモノは、信頼できない。
人の認識するあらゆる現象やことがらは、それを認識(観察)する人の主観や
置かれている立場や状況に依存しているのだから、相対的でしかありえない。
人の創造/想像するモノは、つまるところ、人の作り上げたモノでしかない。
モノは、人と対象との相互作用から成り立っているのだとしても、それは、
人を基体とした主観の「都合の良い方法」や「認識の仕方」でなされた結果
でしかないのだから、必ずしも真実とはいえない。
・・・を、頭の中でグルグル回すのは、義務教育と共に卒業しました。(笑)
>自我の支えに必要なのは、絶対的・普遍的価値ではありません。本人が本気でそれを
>信じられるかどうかの「信心」の問題です。
「信じる」が「非依存的かつ自足的」なら、そこには、絶対性が秘められています。
>>709 >道端に落ちている「石っころ」を磨き上げることで
>その人の生に重大な意味を見いだすならば、それがその人にとっての自我の支え(体系)です。
自己は、他者(社会)の承認を求めるという自尊心の充足(自我の支え)行為を通じて、
社会性を身につけます。またこのような人々が一般的(多数派)であるという現実が、
社会を支えているともいえます。
誰もが、他者(社会)の期待なんて「どうでもいい」となったら社会は崩壊します。
自己の利益や不利益は、自己と社会との相互依存関係のなかで発生するのだから、
自己は、利己性と利他性を同化させるべく、自立(自律)的な社会性を身に付ける
義務があるのではないでしょうか。自己は、私的なものや個人的な要素だけから
構成されているのではないことを自覚するべきだと思います。
1さんのいう「自我の支え」は、私的かつ個人的に偏りすぎてると思います。
わたしは、この偏向した利己的心性が、人を「籠もらせる」元凶なんだと思います。
>>709 >自我の支えとは、絶対的な何かでなく、相対的なものです。
それでは、なぜ人は価値の選択をするのでしょうか。
選択するのは、より良く、より高く、という精神の志向性が存在しているから
ではないのでしょうか。いったい志向性が指し示すものは、何なのでしょうか。
>それを絶対的なものに求めると宗教間の争いといった軋轢が起こります。
なぜ「絶対的な何か」を「絶対的なモノ」として対象化するのでしょうか。
絶対は、あくまで単独者の真理としての「こと」なのではないのでしょうか。
こと【事】
〔「こと(言)」と同源か〕・・・ (1)
「もの」が、時間的に不変な実体のようにとらえられているのに対して、
「こと」は生起・消滅する現象としてとらえられている。・・・ (2)
【哲学的には】「もの」が、主語的存在者を指すのに対して
「こと」は、述語的存在様態を指し、後者は時間性の契機を含む。・・・ (3)
以上、goo[国語辞典]からの抜粋です。
【わたしの補足】
(1) 前スレでいった「言葉」の語源「事の端」説のことだと思います。
(2) 「もの」には「空間的」に特定できる(不変の)明示的な性質があります。
「こと」には、暗示的な運動、動き(変化)としての「時間的」性質があります。
(3) 「こと」の述語的存在様態と「存在(ある)は、実在的述語ではない」(カント)
の関連は、存在と時間の考察の大きなヒントになるのではないでしょうか。
>>709 >過去や他者との世界を全く信じなくとも、自我を支える他の体系を自分で築き上げた人は
>より良く生きることができます。(ただ、現実にはそのような体系を築き上げるのは至難の業でしょう)
1さんの「より良く生きる」が、どういう意味なのか、
「過去や他者との世界を全く信じなくとも」が、どのような次元での話なのか、
わたしには、推測できません。
一応、わたしの意見を書いておきます。
たとえば、わたしが「他者の価値も尊重しないといけない」と想念するのは、
わたしが、主観的に尊いと信じる価値に絶対的な基準がないからではなく、
わたしと価値との関係性の根源にある“絶対性”から自己を分離できないからです。
この“絶対性”は、価値が言語から生まれていること、そして言語を介して理解され
ていることに起因するのだと思います。言語には、何かしらのコミュニケーションが
前提されているのですから、価値も他者の存在なしには成立しないということです。
価値の基盤は、個人では創造できません。
共同体(社会集団、民族、国家等)が保持する気風や習俗や道徳や常識は、
その共同体の歴史的遺産です。
(無根拠で不安定な)自己は、共同体の持続的特質と繋がることで、
人や価値の連続性を感知し、自己の実存性の基盤を確認します。
遺産の引継ぎ方は、個人の自由意思に任されますが、主観による価値観も、
価値が有する「過去から未来へ」の方向性を想像できるなら、
過去と不可分であること、未来に責任があることが、理解されると思います。
たとえば、倫理や道徳に象徴される時代を越えて伝承される性質のものには、
現世代の特権は認められないでしょう。
(つづき) 自由は、自己の行為や価値観に責任を持つことで得られる、みずからの行為や 価値観のことなんだと思います。 人は、何らかの共同体(仮想の実在)の中で生きています。 また共同体は、コミュニケ−ションによって成り立つ有機体です。 個人は、それぞれのさまざまな質と程度で、共有された仮想世界を受け入れますが、 その受け入れ方によって、生への価値観が個性化(差異化)されます。 けれども、それは他律的に形成される他者(共同体)からの生への価値付けのされ方 に従っているだけですから、けっして自律的な価値の創造とはいえません。 たとえそれを自覚できたとしても、人は精神の子である仮想の実在を見捨てることが できません。なぜなら、仮想の実在の確実性を育てることが生の充実に直結している からです。人が、世界は実在し価値があると信じるのは、そのような常識が、自己の 生を支え、生を有意義に観念するための大前提だからです。 それでも単独者としての実存を選択するのなら、全面的に自己責任を負うことです。 ひっきーなら働いて、疲れて、働いて、疲れて・・・それからそれでも考えること。 そんな生の実践において、哲学は自己の死に直結している、を自覚できるはずです。 自己が、みずからを秩序づけたから、自己は、因果の鎖に繋がれたのです。 主客の分離を超えて、自由に無限の時空に実存したいなら、 自己は、自己自身に回帰しなければなりません。なーんてね。(^.^)
>>709 >カントの定言命法も(カント全く読んでませんが)、それ自体絶対的な真理であったとしても、
>「それによりあらゆる人の自我を支えることができる」というならば全く真理ではありません。
カントが正しいといっているのではなくて、彼の真理の探求の仕方、精神の構え方、
をいっているのです。
>>710 >自我を安定させる(人間が安心して生きる)には、形而上学的真理は必要ありません。
>必要なのは、毎日の生活から生じる、自己を納得させるささいな「信心」です。
>「籠る」人たちは、本来なんでもいい自分だけの「信心」の対象を見つけることのできない人たち
>ではないでしょうか。もちろんこの「信心」とは宗教と何ら関係がありません。
なんでもいいなんて思ってないから納得できないんでしょ。だから働けばいいんです。
そうすれば、ささいな懐疑なんて吹っ飛びます。そしてあっという間にささいな信心
にしがみつくでしょうね。それでも彼のプライドが自分を許せなかったなら、その時
はじめて認めてあげる。彼の懐疑を、至高への想いを・・・。
>「世の中お金である」「有名になりたい」「真理の追究が真に人間らしい生き方である」
>すべて立派な信心です。
立派な信心の定義を聞いてみたいです。わたしには、1さんのいう「安心して生きる」は、
キルケゴールにおける「絶望」した人々に思えます。
>>710 >ニーチェに絡めて考えると、「外的な体系」(宗教、道徳)に対する疑い、信じられなさ
>の時代がニヒリズムの時代です。そこでニーチェは今度は「内的な体系」(創造)に自我の支えを
>求めたわけです。しかし、それも普遍的な真理とはなりえません。その後も現代人は、生き甲斐や
>欲望、強い自我といった様々な内的な体系に自我の支えと求めますが、これも同様です。
ニーチェは、一切の超越的(絶対的)な価値の存在を否定することによって、必然的
に現前してしまうニヒリズム(生の無根拠性)の克服を「永劫回帰」にもとめました。
わたしの思う「永劫回帰」は、
>>383 でいう運動、あるいは運動が空間化されていた
としても、いまだ概念化されていない状態での「生」のことです。
「きのうの無意味、あしたの無目的、今と今のあいだ、わたし、永遠」
このような事態では、世界の始源としての「ディオニュソス的混沌」が、開示されて
いますから、この時の「力への意思」は、既存秩序との自己同一化など、後ろ向きな
自己保存や自己拡大の不安衝動から解き放たれた生の躍動そのもののことになります。
ある意味、子供や動物の生に近いとも、あるいは本能優位の状態にあるともとれます。
世界は世界そのものとして存在し、自己は世界を解釈することもありません。
ニーチェは、時間(概念化された未来や過去)から超越することによって、仕組まれた
(言語の既存形式による)価値創造の呪縛から逃れ、今が永劫回帰する生への自由が
手に入ると考えたのではないでしょうか。(完全無欠のわたし的解釈その1です)
>>710 >自我(人間)にとって重要なのは、その価値観が本質的であるかどうかではなく、あくまで
>それを信じられるものかどうかだと思います。
わたしのいいたいのは「哲学における自由」を考察するためには、あなたの議論は、
社会学的 or 心理学的だし、本質(哲学)的じゃないのでは、ということ。
あなたが、
>>711 でいうように、ここを出発点に、
「より根源に向かう哲学的考察ができればいいなと思っています」ということなら、
それはそれでいいと思います。
>>710 >自我とは、大海に浮かぶ「浮き」のようなものです。海が平静な凪の時はいいのですが、悪天候で
>荒れてくると、どこか頑丈な岸壁につないでおかないと荒波に翻弄されてしてしまいます。
>〜省略
>現代は岸壁から遠く離れ、遙か沖をプカプカとあてもなく彷徨っています。つなぐべき岸壁は
>自力で見つけなければなりません。
引き継がれたもの(ママ)にしか、自己を繋ぎ止める力はないと思います。
あなたは、ママに守ってもらわないと生きられない弱虫。
そのくせママに反抗ばかり。疑ってばかりのニヒリスト。
抱きしめられたいのに信じられることに耐えられない。
「あれもこれも同じだよ」といいながら「あれかこれか」で悩んでる。
安心できる気分で「これ」を選んでみたけれど「あれ」との違いがわからない。
今日も自分を責めるふりして自己弁護。(ネタはいつか尽きてしまうよ)
ひそかにママを懐かしむ。愛されたいと夢想する。
あなたは「どこに行くのかもわからないのにどうして進むことができるだろう」
なんてベットの中で考える。
でもね、あなたは歩くこともできないのに歩こうとしてきたの。
はじめて歩いた瞬間をあなただけが忘れてる、それが生きることだって忘れてる。
>1さん ↑に書いたレスは一部を除いて、1さんと同じ視点に立って書いたものです。 それから、わたしは社会学的/心理学的議論を否定する気持ちはありません。 なので、今後も自由に続けてくださいね。もうじゃましないので・・・(^_^;) 「存在の声を聞かないものは、みんなニヒリズムの犠牲になる」 良いお年をお迎えください。(わたしはお正月もお仕事です、ハァ〜)
まあ、初心者その1はカオルとお似合いの哲学厨房だったことが これではっきりしたわけで。。。 それにしても、なんでカオルにレスしたのかが疑問だな。 まともな人は去っちゃうだろうに。
というか二人の日記になってる。。。
稲がいた頃はよかったよ。。。
766 :
考える名無しさん :02/12/30 23:23
人生相談スレッド。
カオル氏も、たまにはまともなことを言ってるよ。 たとえばこれ↓ >>「世の中お金である」「有名になりたい」「真理の追究が真に人間らしい生き方である」 >>すべて立派な信心です。 >立派な信心の定義を聞いてみたいです。わたしには、1さんのいう「安心して生きる」は、 >キルケゴールにおける「絶望」した人々に思えます。 つうか、これは1がアホ過ぎるだけなんだけどね。
768 :
Kurihara :02/12/30 23:47
じゃあ、認識論でもやりますか。 AさんとBさんがいました。Aさんは対象Xを 美しいと判断しました。しかしBさんは対象Xを 醜いと判断しました。さて、この場合、対象Xの属性は 何となるでしょうか。答えて下さい、初心者さん。
769 :
Kurihara :02/12/30 23:53
広松渉さんをちゃんと読んでいたら、
>>768 の問いなど造作なく答えれる
はずですよ。さあ、試練の時です。
770 :
Kurihara :02/12/30 23:54
さぁ、いってみよう。
つまり「広松さんの答え」を書け、と?
772 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 01:09
773 :
Kurihara :02/12/31 01:19
>>771 広松さんの答えは独り広松さんの個性に
還元できない妥当性と通用性を持っています。
>>772 違います。
774 :
考える名無しさん :02/12/31 01:21
775 :
Kurihara :02/12/31 01:24
776 :
Kurihara :02/12/31 01:26
「宗教である」という述語が何を意味して いるのかさっぱり解りませんね。
777 :
panta :02/12/31 01:27
長く一緒に遊んだこともある仲の者に少しは誠意を見せてもらえますか?
778 :
考える名無しさん :02/12/31 01:29
早く答えかいてよ。 思わせぶりは良くないよ。
779 :
panta :02/12/31 01:33
闇にしてもらえますか?私はあなたを信じていいですか?
780 :
Kurihara :02/12/31 01:38
>>778 初心者さんが答えを書くまでは駄目です。
>>779 ピエールさんがpantaさんのことを
探してましたよ。
781 :
考える名無しさん :02/12/31 01:38
>>776 意味がさっぱり解らないのに、なぜ喧嘩を売ってると思ったのかね。
782 :
panta :02/12/31 01:42
こんな遊び人事だったら楽しいかもね。私はしたくてもしないけど。 頭悪いので、クリアに言って下さい。私は訪問3回目です。
783 :
考える名無しさん :02/12/31 01:42
認識論なんて、考え方の違いでいろいろだろ。 教科書的に言えば、模写説と構成説が一般的だよね。 そのどちらも否定する立場もあるし。
784 :
Kurihara :02/12/31 01:43
>>781 意味のない述語で僕を批評したからです。
どうせなら意味のある述語を使うべきです。
不敬です。
785 :
panta :02/12/31 01:45
西洋近世ものは勉強せずに単位を取りました。 時間がない。
786 :
Kurihara :02/12/31 01:46
広松さんの認識論は間主観的四肢構造論です。 模写説でも構成説でも妥当説でもありません。
787 :
考える名無しさん :02/12/31 01:50
>>786 へ〜。
で、それがなんで妥当性を持っているのかね。
788 :
panta :02/12/31 01:52
勉強不足で対応不能。 時間が無い。
789 :
Kurihara :02/12/31 01:55
>>787 模写説や構成説や妥当説の欠陥を
踏まえて、それらを止揚しているからです。
いまのところ、広松さんの認識論への
反証はありません。だから、それが暫定的真理です、
いまのところは。
790 :
考える名無しさん :02/12/31 01:58
>>789 反証(?_?)
哲学は「反証」できるものなのか(?_?)
他の認識論はすべて反証されたのか(?_?)
791 :
Kurihara :02/12/31 01:58
「存在と意味」を読みましょう。
792 :
Kurihara :02/12/31 02:03
広松さんは相対性理論や量子論を踏まえて 認識論をやっています。カントとは違うのです。
793 :
考える名無しさん :02/12/31 02:04
逃げたな。。。
794 :
panta :02/12/31 02:04
時間が無い。待ってもらっている。
795 :
考える名無しさん :02/12/31 02:07
796 :
Kurihara :02/12/31 02:07
>>790 反証というのは理論Aをその一部として含む
ようなさらに広範囲の理論Bの成立によって
果たされます。広松さんの認識論とはまさに
その理論Bのようなものです。
797 :
考える名無しさん :02/12/31 02:09
>>796 つまり、全ての他の認識論をその中に含んでいるということかね。
798 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 02:12
>>796 で、じらす以外に君にできることはあるのかね?
799 :
Kurihara :02/12/31 02:12
>>797 現時点ではそうです。やがては広松さんの認識論をも
一部として含む大統一理論がでてくるかもしれませんがね。
800 :
panta :02/12/31 02:13
ばか
801 :
考える名無しさん :02/12/31 02:14
802 :
Kurihara :02/12/31 02:14
>>798 あなたは僕に論破されたのをもう忘れたのですか。
ラッセルのタイプ理論を駆使した僕にあなたは敗れたのです。
803 :
panta :02/12/31 02:15
あなたは本当に平和を愛してるのか混乱 時間なし
804 :
考える名無しさん :02/12/31 02:20
>>799 まさにそれを宗教だといったのだよ。
くろしろの新興宗教とよく似ているね。
自分でそれに気づかないところが新興宗教の怖さだ。
805 :
Kurihara :02/12/31 02:24
>>804 「宗教である」という述語の定義をさっさと
述べてください。待ちくたびれました。
相対性理論はニュートン力学をその一部に含む
暫定的な統一理論です。宗教ではありません。
806 :
考える名無しさん :02/12/31 02:25
804はバカだと思います。 その手の揚げ足取りつまらん。
807 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 02:25
808 :
Kurihara :02/12/31 02:26
認識論や科学哲学や分析哲学を知らない人が 多すぎですね。ここまでひどいと唖然とします。
809 :
Kurihara :02/12/31 02:28
哲学と宗教の区別も出来ない人は 哲学板から出て行ってほしいですね。 くろしろさん、あなたのことです。
810 :
考える名無しさん :02/12/31 02:32
>>809 宗教であるというのは語弊があったな。
つまり一神教的ということだ。
多神教ではなくてね。
そこに危険性があるわけ。
811 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 02:34
>>809 どこでそういう話になるんだ?
俺は分別つけてやってるぞ。
哲学はやらず、宗教だけだがね。
812 :
Kurihara :02/12/31 02:36
>>810 多神教というのは一神教の否定神学的形態に
すぎません。従って、どのみち一神教を前提に
してます。というより、哲学と神は無関係です。
比喩にしても、おふざけが過ぎますね。
813 :
考える名無しさん :02/12/31 02:38
>>812 よくしってんじゃん(藁
そうなんだよねえ。
814 :
Kurihara :02/12/31 02:38
>>811 だから、宗教板があなたの居場所です。
ここではないのです。
815 :
Kurihara :02/12/31 02:39
ということでいいですか、みなさん。
816 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 02:41
>>812 多神教のほうが一神教より古いんじゃないか
セム一神教よりメソポタミアの多神教のほうが古いぞ
セム一神教はそれを否定してでてきたんじゃないか。
バール神の扱いとか。
817 :
考える名無しさん :02/12/31 02:41
>>812 >多神教というのは一神教の否定神学的形態にすぎません。
これも君の単なる思い込みだね。
で、何で他の考え方を認めたがらないのかね。
いろんな認識論があって何でいけないのかね。
君のレスを見ると、「統一」へと向かう激しい欲求を感じるのだが、
その欲求は一体なんなのかね。
818 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 02:42
819 :
考える名無しさん :02/12/31 02:43
バカがばれないように流れをずらす。
820 :
考える名無しさん :02/12/31 02:45
Kurihara氏は数学得意?
821 :
Kurihara :02/12/31 02:46
>>817 大統一理論への志向は哲学者より物理学者のほうが
強いですね。サイエンスをやるものとしては当然です。
認識論も科学的哲学ですから、統一理論への志向はあって
当然です。
822 :
Kurihara :02/12/31 02:51
統一ルールがないと違反もありませんよね。 違反という「他の考え方」が意識野に上る ためにも、統一ルールは必要な所以です。 だから、複数性は単一性を所与の前提にして いるのです。
823 :
考える名無しさん :02/12/31 02:52
Kuriharaって童貞?
824 :
考える名無しさん :02/12/31 02:52
>>821 >認識論も科学的哲学ですから、統一理論への志向はあって
>当然です。
つまり君は哲学は統一されると考えるのかね。
認識論は認識論だけで終わりはしないからね。
もちろん存在論ともつながってるわけだからね。
825 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 02:54
>>822 その統一ルールを作るために多神教を
葬って来たのが歴史じゃないか?
826 :
Kurihara :02/12/31 02:59
>>825 それは全くの俗説です。それは農村が都市に先行
するという歴史俗説とパラレルです。都市が初めに
あって、それが分化して、農村が誕生したのです。
その逆ではないのです。勘違いしてはいけません。
だから、多神教も一神教が分化して出来たものに
過ぎません。むしろ、多神教が一神教を葬ったのです。
827 :
考える名無しさん :02/12/31 03:02
日本はもともと多神教じゃないの? 昔から自然の中にいろんな神様がいたわけじゃん。
みなさん、スレ違いです。
829 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 03:05
>>826 都市はその都市毎に多神教を持ってたんでしょ。
それに多神教が一神教を葬ったってどういうこと?
キリストもイスラムもぴんぴんしてるよ
830 :
Kurihara :02/12/31 03:06
だいたい、宇宙の始まりも「一つの」特異点から はじまり、それが分化して個々の銀河系に複数化 したわけですよ。だから、単一から複数へ、です。 その逆ではないのです。
831 :
考える名無しさん :02/12/31 03:07
832 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 03:09
勝った。
↑板違いです。
834 :
Kurihara :02/12/31 03:10
生命の進展も「一つの」受精卵からはじまり、 それが分化し、分裂して、複数の組織や器官を作るのです。 ここでもまた、単一から複数へ、です。
835 :
考える名無しさん :02/12/31 03:11
見苦しいぞ、Kurihara。敗者は去れ。
836 :
Kurihara :02/12/31 03:13
>>829 これで、初めに複数性ありきの神話は破綻しました。
況や宗教史をやです。
くろしろ、今日は君にしては上出来だったな。 これで安らかに眠れるかね。
838 :
Kurihara :02/12/31 03:21
例えば、数学でも数を数えるためには、 統一の単位がなければ、不可能ですよね。 つまり数が複数あるといえるのは、統一の単位 あってのことなのです。数論の公理系が不可欠です。
839 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/31 03:22
寝るなり。
840 :
Kurihara :02/12/31 03:24
科学哲学、数理哲学ではこういうことです。 無益な宗教談義はそもそも板違いです。
841 :
Kurihara :02/12/31 03:29
だいたい神といっている時点で哲学ではありません。
カオルさんお待たせしました。どうぞ。
> Kurihara さん ちょっと疑問。 量子力学が、ニュートン力学をその一部に含むとしても、 相対性理論との整合性なんてあるの。
844 :
Kurihara :02/12/31 03:34
>>843 ないというなら、その根拠をあなたがまず
言うべきです。
> Kurihara さん 確定性とか対称性の問題。
846 :
Kurihara :02/12/31 03:38
> Kurihara さん 十分な根拠だと思います。 相対性理論と量子論は、仮説止まりで理論的に統一されてないでしょ。 統一理論が、不確定なのに双方をふまえたら矛盾がでるんじゃないの。
Kuriharaには「止揚」っていう魔法があるから矛盾があっても問題ないね。
849 :
Kurihara :02/12/31 03:48
>>847 相対論と量子論が仮説止まりとは初めて聞きました。
実験物理学でその正しさは大部分実証されていた
はずではないでしょうか。でなければ、湯川博士は
ペテン師でしょう。
Kurihara失笑モノだな。
> Kurihara さん 違います。統一理論が、です。
852 :
Kurihara :02/12/31 03:53
>>846 Kurihara さん
十分な根拠だと思います。
相対性理論と量子論は、理論的に統一されてないでしょ。(仮説止まり)
統一理論が、不確定なのに双方をふまえたら矛盾がでるんじゃないの。
854 :
Kurihara :02/12/31 03:57
>>848 矛盾を解消出来る理論が大統一理論です。
理論は矛盾を解消するために発展するのです。
ほらきた。
>>854 広松さんの認識論が、そこまでの大統一理論だったとは・・・(笑)
857 :
Kurihara :02/12/31 04:07
統一理論に矛盾があったら、それは統一理論ではないです。 統一理論の矛盾を暴き出すのは、その統一理論さえ一部に 含むさらに大きな統一理論だけです。だから、そのさらに 大きな統一理論がこの場合の統一理論です。 勘違いしないでくださいね。
858 :
Kurihara :02/12/31 04:11
カオルさんは今一度科学哲学を勉強したほうが いいですね。
>>857 素朴な疑問です。
哲学における「統一理論」というのは、おそらく他の立場に立つほとんどの
哲学者からは受け入れられないのではないかと思います。
それでも「統一理論」と言えるのでしょうか。
860 :
Kurihara :02/12/31 04:16
>>859 統一理論とは広範囲の現象を整合的に説明できれば
それでいいのです。多数決でその真理性が決まるもの
ではありません。
人気投票じゃないのですよ、サイエンスは。
>>857 Kurihara さん
>勘違いしないでくださいね。
これは、ちょっと失礼です。
わたしはもう突っ込みませんから安心してください。(^.^)
>>860 では結局、他の哲学者の考え方との優劣は決められないわけですよね?
863 :
Kurihara :02/12/31 04:21
>>862 統一理論にとって必要なのは、現象との整合性
だけです。
他の哲学者との優劣など初めから関係ありません。
864 :
Kurihara :02/12/31 04:22
アインシュタインは言っています。 答えは自然(現象)のなかにしかない、と。
では結局、優劣の決められない様々な認識論があっていいわけですか?
866 :
Kurihara :02/12/31 04:25
>>865 素人の夢想としてだけ許されるでしょう。
867 :
Kurihara :02/12/31 04:27
最後に残るのは大統一理論だけです。 それ以外の理論は脳内妄想として、かすかに 残るばかりです。そしてそんなものに価値は ありません。
>>866 そうやって哲学者同士がお互いの考えを「素人の夢想」と
見下すようなことは好ましくないと思うのですが、
その点について、ご自分では問題を感じませんか?
869 :
Kurihara :02/12/31 04:32
>>868 サイエンスの世界は馴れ合いではありません。
真剣勝負の世界です。それがいやなら、さっさと
埒外のでればいいだけです。
サイエンティストは日々血の滲むような研鑽を
しているのです。素人の余技は無用なのです。
870 :
Kurihara :02/12/31 04:35
現象は一つの理論を最後に選びます。 当たり前のことです。
871 :
考える名無しさん :02/12/31 04:36
お前ら、ネロよ。 くりはら今日配達あんだろ。 そのまま行くのかよ。仮眠とれ。
>>869 まあ、そうですね。
このスレでもよく話題になっていたニーチェなどは
自分の哲学以外はすべて「プラトニズム」ですからね。
体系を拒むニーチェから見れば、「統一理論」なんて
笑止千万ですよね。
873 :
Kurihara :02/12/31 04:38
万有引力の法則が10個もあるわけ ありませんよね。一つしかないのです。
874 :
考える名無しさん :02/12/31 04:39
なんか初心者もいそうだな。
875 :
Kurihara :02/12/31 04:42
>>872 ニーチェに認識論はありません。
だから彼は文学者にすぎません。
ここは哲学板です。ポエムはいりません。
>>875 ありますよ。
よく知りもしないでそういうことをおっしゃることは
慎むべきではないでしょうか。
877 :
Kurihara :02/12/31 04:47
>>876 それを素人の夢想といっているのですよ。
ニーチェなどは認識論の素人です。
彼が質量保存の法則を曲解していたのは自明です。
まさに素人です。
879 :
考える名無しさん :02/12/31 04:49
永井もニーチェのカント理解はひどすぎとか書いてな。 その手の哲学的センスに著しく欠けてると。
880 :
Kurihara :02/12/31 04:50
>>878 正しく理解していたという証拠でも
あるのですか。
>>880 あなたが、ニーチェは質量保存の法則を曲解していたのは自明であり
素人だとおっしゃったのだから、あなたが答えるべきなのではないでしょうか。
882 :
Kurihara :02/12/31 04:53
>>881 ニーチェの名を出したのはあなたが先です。
884 :
考える名無しさん :02/12/31 04:59
ニーチェは哲学上の認識論に関しては素人だと思う。
> Kurihara さん 量子論は、公理体系の矛盾も証明してるけど、 その辺りは、広松さんの認識論ではどうふまえられてるのですか。
886 :
考える名無しさん :02/12/31 05:01
Kuriharaってこういうやつだったのか・・・ それとも、くろしろに論破されて動揺したのかな・・・
887 :
考える名無しさん :02/12/31 05:02
ニーチェがプラトニズムという言い方を安易にしだすのは晩年なんだよね。
888 :
Kurihara :02/12/31 05:02
889 :
考える名無しさん :02/12/31 05:03
みんな自意識が強いね。 実はかおるもまだおきてたりするし。
890 :
考える名無しさん :02/12/31 05:03
Kurihara(w ほんと、好きだね こういうの
891 :
考える名無しさん :02/12/31 05:05
886みたいのがみじめ・・・・
892 :
Kurihara :02/12/31 05:06
>>885 質問ばかりでいやですね。広松さんの「相対性理論の哲学」
でも読んでくれませんか。量子論でいう観測問題も広松さんは
縦横に論じていますから。
本紹介してくれてありがとう。(^.^)
894 :
考える名無しさん :02/12/31 05:12
このまま1000いってくれ。
895 :
考える名無しさん :02/12/31 05:13
今年中に使い切る?
896 :
考える名無しさん :02/12/31 05:14
くろしろ、まだ起きてるだろ。
897 :
Kurihara :02/12/31 05:14
僕は配達があるので、カオルさんのトークショウで 以後お楽しみ下さい。
898 :
考える名無しさん :02/12/31 05:15
広松はもっと読まれてもいいはずだよ。 大森よりよっぽどいいよ。
899 :
考える名無しさん :02/12/31 05:16
900ゲット
わたしも抜けます。 1さん、レスの無駄使いごめんなさい。
902 :
考える名無しさん :02/12/31 05:18
いいよ。こんな駄スレ。
903 :
考える名無しさん :02/12/31 05:20
1は自業自得。 1の感情的なレスがカオルさんの超長文連続カキコ を呼び、それが荒れる原因になったわけだからね。
904 :
考える名無しさん :02/12/31 05:20
うやむやにすることでそれぞれの自意識は守られる。 よかった。よかった。
905 :
考える名無しさん :02/12/31 05:23
ここ最近の初心者の長文レスつまんなかったもんな。 なんであんなくだらないこと書き続けられるんだろ。
907 :
考える名無しさん :02/12/31 05:29
今回は、 Kuriharaがなんだかんだいって一番まともに見えたよ。
908 :
考える名無しさん :02/12/31 05:35
>>898 大森さんは広松みたいな難解な文章は書かない。
内容もきれいな日本語である。
どちらがより読まれているかはハッキリしている。
909 :
考える名無しさん :02/12/31 05:45
Kuriharaはよほどくやしかったんだね(w くろしろもマジになれば結構やれるな。ちょっと見直した。
910 :
考える名無しさん :02/12/31 05:53
ピロマツ認識論って そんな凄いの?
それにしても、1はキルケゴール、ハイデガー、ニーチェに前から関心が あるって言ってたが、「本来的」⇔「日常的」が分からなくてどういう 読み方してたんだろうな (・・? 不可解だ。
912 :
考える名無しさん :02/12/31 08:52
>>911 そう。超人や単独者が本来的でないとしたら、あいつらは
何者なの? 一般人かい?
初心者その1のアフォレスのおかげでとうとうカオルまで
まともに見えてきてしまった罠。。
913 :
zion-ad :02/12/31 11:53
914 :
zion-ad :02/12/31 12:09
>>732 <ニーチェについて>
>ニーチェは卓越した心理学者である、と何かの本で読みました。
>僕はその通りではないかと思います。
「『これこれのものはこうであると私は信じる』という価値評価が『真理』の本質にほかならない。
・・それゆえ、なにものかが真であると思いこまれざるをえないということは必然的であるが
これはなにものかが真に存在するということではない」
「真理とは、それがなくてはある種の生物が生きてゆけないような一種の誤謬である」
---------------------------------------------------------------------------------------------
アフォーダンスちゃんと俺は読んでいないけど、それよりこれ。読むべきだと思うよ。
現代思想2001/12臨時増刊 現象学−知と生命− の
河野哲也「ギブソンとメルロ=ポンティ」
青土社
http://www.seidosha.co.jp/genre/siso.html 13ページだけどすごい。どこをとってもすごい。
実体論・関係論・実在論。で、この3つをまとめるのが構造論。そっから先は東晃史(あきふみ)。
俺は俺がイメージできていると思い込んで上記を紹介する。一種の誤謬ということは誤謬ではない。
阿呆ダンスである。
915 :
考える名無しさん :02/12/31 12:10
す、凄い なんだか・・・
916 :
考える名無しさん :02/12/31 12:16
>>914 アフォーダンスって(よく知らんが)普遍的な価値の存在を認めるのではない?
そうだとすれば、ニーチェとはかなり違うだろ。
917 :
考える名無しさん :02/12/31 12:20
藤田博史さま 変わり果てたお姿。。。。。 ラカニアンは追い詰められてるの?
918 :
考える名無しさん :02/12/31 12:25
ほーたーるの ひーかーり まーどーのゆーきー・・・
919 :
卑ヤングヒキde禁治産 :02/12/31 12:28
アラ石ホルダーほど追い詰められてないよ(藁
920 :
zion-ad :02/12/31 12:55
>>913 >大統一は理論でなく、この世があの世になるこの世界。
理論ってのは視野。宇宙の無限さがどうしても理解(理論:視覚開眼思考)できなくて、
宇宙の果てをイメージしてしまう。数直線の桁は無限に大きくなる(n+1)次元。
整数でも実数でもいい。とにかく有限な次元。
これしかイメージできない数学の座標イメージが仮無限。有縁(えん)次元。
実無限とは、枠組みがない世界。座標を数直線で分割できない世界。無縁(むえん)次元。
だって、一番の大外枠を仮無限で設定できなければ、分割できない。
碁盤には線が引ける”囲”。だけど、”井”。内側の”口”は有限になっているけど、
その周りは、数直線を無限に延長しても、これが無限の大きさをもつ風船の表面の
”井”だったら、”口”の外は分割できずに一体。仮無限の視野”口”が消えれば、
空間は分割できない。ただ、差示しの交叉点、”十”だけ。
非イメージの言葉だと”無限”という言葉に存在の想いを割り当てるだけで理解できる。
目を瞑(つぶ)れば視野が消える。空間はそこにあるのか。座標空間イメージをしないでだ。
一切の線が延びる感じも抱かないで。1つの光点もイメージしないで。場の量子力学かも。
逆に、形あるものは内空間と外空間をもつ。天外伺朗(てんげしろう)に学んだ般若心経では、
<色不異空 空不異色 色即是空 空即是色>(イメージ:視覚瞑想思考)
形をイメージすれば必ず空間がある。ならば、形なき点をイメージできたと思い込めるのは、
ラカンの象徴界、座標格子点という面積を持たないと思い込んでいた点(名;行列のセル)に、
内空間があるからだ。
岡野玲子のコーナー3(陰陽師11巻発売記念)
http://comic.2ch.net/test/read.cgi/gcomic/1039021406/307-309 http://comic.2ch.net/test/read.cgi/gcomic/1039021406/388-390
921 :
zion-ad :02/12/31 13:27
zion-adっ頭いいね。 なにくってんの?
924 :
考える名無しさん :02/12/31 15:30
最近の鉄版っていい意味で混沌としてるきがするぞ。
925 :
考える名無しさん :02/12/31 15:35
個人的には、 カオル>>>初心者その1
あなたの事は認めております。だから惹かれたのです。 でも大嫌いと思えるところを経験しました。 アプローチが大変下手過ぎます
まだ居ますか? 本日、もう一度さよならと言ってくれますか? 応答どうぞ!
今や敵となったかもしれない陣に一人武器を持たず身を投じ、 捕らわれ下手な舞まで踊らされた女に、少しは敬意を持って下さい。 応答頼む
929 :
考える名無しさん :02/12/31 16:35
1てハイデガー・ニーチェ・キルケゴールを人生論的にしか 読んでないからすぐ2項対立でのアフォな枠組みでしか論じれない。 「本来的」「非本来的」以外にも沢山それぞれの哲学者の切り口 はあるのにその点だけぐだくだ難癖つけてるだけ。 この人は人生版とかメルヘンで十分だろ。実際もういってるかも。 アフォな人生論は聞き飽きたよ。
930 :
考える名無しさん :02/12/31 16:37
>>1 で大森の文章引っ張ってきてキモイと思ったぞ。
精神年齢低そうなんだよ。
>>926 >アプローチが大変下手過ぎます
これを俺に言われたもんだと妄想してレスしよう。
女相手なら褒めそやして落としてからゴメンと言えばそれで済む。
女の報復はコワイのわかっててやってるんだから。それでもやらしてくれるのに甘えて。
だが、女じゃないものを煽(おだ)てて強場に引き込んで、
あとからその戦場には配属されたくないなんてわめくのは、
最初っから落としておかないとね。男には興味ない。駒としての能力だけが欲しい。
しかも俺のは妄想だ。本当に当たりが出ているのかも俺にはわからない。
それに巻き込むんだ。ハズレで後で男に文句言われるのは趣味じゃない。
日下公人(きみんど)師だったか、唐津一だったかの本に、
ゼロ戦のエンジンを造る鋳物工場で、製品にクラックが入った不良品を取り除くに
どうしたらいいかを悩んでいた人の話があった。
頭の適当なのが悩まず、完成した製品を持ち上げて落っことした。壊れたら不良品。
壊れなかったら、クラックが入ってなかったんだろとみなす。破壊検査と非破壊検査の中間。
932 :
zion-ad :02/12/31 21:25
ところで、これの量子力学版がある。p113”エリツール - ベイドマンの爆弾検査問題”
「心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる」ロジャー・ペンローズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062572516/qid=1041335757/sr=1-3/ref=sr_1_2_3/250-2955403-5610644 ペンローズはツイスター空間を考案して、時空が目で見えるものと違うと提唱しているのに、
この実験では1個の可視光子が想定される空間を直線で進むと思い込んでいる。
最速降下曲線は、この実験下ではなせか直線であると。メルカトル地図では、最短コース
の大圏コースは曲線なのに。ツイスター空間とこの日常空間を模した思い込みの
3次元空間では、光子の直進性を疑わない。2つの空間をバラバラに考えて適用しない。
平気のへの字だ。呑気だね。だから、ラカン。
ラカンの象徴界は座標。例えばここがツイスター空間であると戦場の地図を規定する。
手段としてでしか考えていない。本当の世界、現実界の流動は見えないのだから。
なぜ、戦場の地図を使うのか。ママの贈り物の視覚は騙されやすいからだ。
日常を模した3次元空間座標は、空間があると思い込んだ想像界のもの。
実験段階では、空間はアポリオリに存在すると思い込んでのマイなんとかモーんとか。
フィゾーだろうとだ。ということで、来年には釣りができるだろう。以上。
933 :
zion-ad :02/12/31 21:35
>>923 そう思ってくれたってことは、詐欺師としての腕が上がったということだな。
長ネギが好物です。どっかで長ネギ好きなひとは頭いいという世間話読んだけど、
なにを基準に頭がいいのかは不明。
映画「スパイダーマン」(まだ観てない)。昨日だったかテレビで、今年の映画で、
能力は恩寵。ギフト。そして、カース。It's my curse. 呪いと字幕が出ていたね。
たぶんこんなんだったと思う。
で、俺は俺にあると思い込んでいる能力を放棄するつもりはないのさ。
時と戦う。時に代わって、女を殺せ。だ。
男としては尊敬しずらい野郎だな(藁
>1さん
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。(^.^)
>>913 zion-adさん
>集合論の数える自分をも新たな集合の要素にして常に(n+1)になる、
>雪山遭難者のパーティ参加者数。大統一は理論でなく、
>この世があの世になるこの世界。
1+1が個別的?、n+1は普遍的?、まさか。(笑)
哲学は、フローチャートの外で遊べないとね。
いまだに統一理論への夢が捨てられないなんて、やっぱりヘーゲル様は偉大ですね。
みんな、+1に進歩の予感を感じてるのかしら。
極点から始まった膨張する宇宙 → 分離への衝動 → 未来への志向性。単純な発想。
nって何ですか? 実数? 実在? 無意識?(使用禁止みたいです)
みんなの死、それだけは平等? 普遍的? nは、みんなのはかない夢?
色(この世)即是空(あの世)、色(実在)即是空(非実在)なら、
色(あの世)即是空(この世)、色(非実在)即是空(実在)なら、
矛盾を含んだ公理体系は、みんな真になりますね。
この世もわたしもあなたもみんな真になりますね。
simple is best は、真ですか、偽ですか、無意味ですか。
>>935 神秘の世界に逝っちゃってますか?
逝っちゃうのはいいんだけど、色即是空なんていう言葉は軽々しく
使って欲しくないんだよね。
いわば「命がけ」の真剣な言葉なんだから。
君だけじゃなくて、そっち方面の人はみんななんだけどね・・・
>>936 さん
ごめんなさい。m(__)m
わたしは、zion-adさんの心酔してる?天外伺朗さんが怪しいと思ったんで・・・
それがいいたいことの要旨でした。(zion-adさんキライじゃないから)
映画「CQ」
http://www.mgm.com/experiencecq/ 2002 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc.
http://www.mgm.com/movies_theatrical.do 題名が三塩基よりなるコドン(遺伝暗号)の隠れたリエゾンかもしれない。
六本木の青山ブックセンターにプロモーションを兼ねたこの映画のメイキング本が
並べられていた。で、姉ちゃんがなかなかいいのよ。田舎娘って感じで。エロいのも
コワクてなかなかの。モデルらしいけど。
ANGELA LINDVALL(Dragonfly/Valentine),whose unique natural beauty has carried
her to the top of the modeling industry, makes her screen debut in CQ.
公開されたら観に逝こうかなと思ってたんだけど忘れてたの。原宿からの帰り
渋谷よって映画の日だったのね。¥1,000−ということで15:00からのを
観て来ました。映画は軽い感じの、この手のを失速しないでいい感じで流してた。
で、この映画内の会話。
若い頃の女狂いは、"disease or curse" だったよ。
>>935 いまこのレスを読んだ。先に937読んで色即是空のことか。それとn+1ね。
どちらもそんな深い意味に取られちゃ参ったね。俺はハッタリ屋。
で、n次元とn+1次元と無限(縁)次元を3次元で表すのが俺の四面体。超空間。
n+1は戦争屋の狸と狐の深読みの化かし合いのこと。答えなんかない世界。
n次元は、固定化された世界観。で、無限(縁)次元は実証世界。体験でもいいや。
やってみなきゃわからない、ただ一度だけの世界。ハインリッヒ・ロムバッハ読めや。
アフォーダンスの行為者をくるむ世界。読んでいないがオートポイエーシスになる。
2つの球空間の迎合。戦場に。
象徴界の話、狐と狸を結ぶ娘になるが、飛ばす。それがこれもやばいのわかってて
紹介するけど北沢方邦(まさくに)。人類学の系統。もろやば。だが、それが
象徴界においていかように成立するかは、俺の主戦場でやってるとこと。
惚れた娘と、その腹から出た娘は同時ではない。これが俺の時との戦い。
俺の駒を戦場に送り出す俺の兵器。わかるものには、わかる。
駒が”慈恩公国の合従連衡−闇の旗保険”を必要とするトリック。
「世界と反世界 ヘルメス智の哲学」ハインリッヒ・ロムバッハ
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=04951025 題名から体制と反体制のような感じがするが、そいつらどっちも左翼。
この本に関係ない。この本と中井久夫の「分裂病と人類」の彼の文体と、
神林長平が。俺を駆動するすべてだ。
>>935 あとヘーゲルもまともに読んでないが、あれ系統を反応体(社会的ヒステリー者)と
呼んでいる。あれ系統がねじれるとどうなるかは飛ばし。一般的な左翼右翼概念は
表層を述べようとして分類に失敗している。俺のは力動からの分類。これも飛ばし。
>いまだに統一理論への夢が捨てられないなんて、やっぱりヘーゲル様は偉大ですね。
だから、国家のおママゴトをするもの、わめくのはすべて左翼だ。
なんでみんなと一緒にならなきゃいけないんだ。この俺が。
俺は絶対利己主義者だ。俺が統一したいのは俺の自我と超自我だ。
女を殺すのを躊躇っている超自我をなんとかするための神性だ。
で、人形ごっこじゃなく俺が女を抱くためには、力動を調整しなきゃならん。
それが妖子群。言霊の言子に対応する街の女の子を輝かせるもの。
流動をまとめるもの。菊理姫(嬢)。「陰陽師10巻」岡野玲子。
「宇宙探査機迷惑一番」神林長平。しゃべるぬいぐるみ。
<色不異空 空不異色 色即是空 空即是色>(イメージ:視覚瞑想思考) これは俺が創る数学幾何体系でイメージできるようになる。 基本的にはラカンをヘルメスしたものになる。ラカンが最後にやりながら 残したらしい三界の統合、四面体を。ボロメオの輪を可能にしたのが 紙だったと。平面さ。同時平面。それが等時平面の特殊解であり、 第三項の恩寵、経過時間に繋がる。 このぐらいわけわからんで圧倒しておかないと、すぐにそちらさんのイメージで 俺をくくる。捕らえようとする。だから女ぽいのは嫌いだ。 本物の女で、俺に対してそれが不可能であることを知り、泣いてくれる女を 抱きたいんでね。それさえ面倒で俺はやりたがらないのを妖子群が俺の能力を 使いたいらしい誘いに乗って、俺を騙して女を欲するのが俺のゲーム。 妖子群は、俺にとって第三項の恩寵となる。 その先は、制限条項なしで欲しい女を手に入れる。力動を調整してのだから、 ま、あまり無理をしない中で。
943 :
zion-ad :03/01/01 21:29
>>941 zion-adさん
>なんでみんなと一緒にならなきゃいけないんだ。この俺が。
もしかして怒ってますか? あなたも感情的になるんですね。フフ
わたしのレスは、二項対立(あるいは矛盾)するものをいくら統合しても、
永遠にヘーゲルの弁証法的世界観からは抜けられないという意味で、
基本的には、あなたの発想への同意文です。
ただ、あなたのレスの難解さから「あの世-色即是空-天外伺朗」という繋がり
だけが取り出されてしまい、それが無意識という何かを安易に現前させ、結論させて
しまうという危うさと、天外伺朗さんのような光の中を歩む人の天然さよんぼ振り、
つまり、膨張する宇宙−分離への衝動−有限な物質世界−未来への志向性+ヘーゲル
-----> 健全さよんぼ、みたいな単純な連動と、その反動から必然される統合への
衝動の二極対立と、さらにそれを統一しようとする(一元論的)試みとしての
「あの世この世は色即是空」のトンデモ話が、
物質の二重性、不確定性原理、相補性原理、対称性の破れ・・・などの
現代物理学の有名どころの理論で権威付らける、ということへの批判です。
また、天外伺朗さんのような「アイボの生みの親」「CDを作った人」
「SONYの偉い人」「まっとうな社会人」「立派な科学者で技術者」みたいな
彼の社会的強者としての権威と、彼のトンデモ話の信憑性は関係がありません。
天外伺朗さんのいうことは、わたしの中学生の頃の妄想とほとんど同じですし、
その頃、彼の本を読んで「ふーん、同じこと考える人いるんだー」って思ってた
記憶があります。彼のいうことが、もしホントならわたしは天才ですね。(笑)
(
>>943 程度のフォローでは、彼の危険さを指摘したことにはなりません)
あなたのレス内容や意図を理解できないわたしがいけないのでしょうか。
945 :
考える名無しさん :03/01/02 01:23
zion-ad の文中で「の」の使い方が下手すぎるため、 文章を読んでいてストレスが溜まってくるのは俺だけだろうか。
946 :
Kurihara :03/01/02 03:13
あなただけではありません。
947 :
考える名無しさん :03/01/02 03:43
Kurihara氏は、塾の講師とかやらんの?
948 :
考える名無しさん :03/01/02 04:22
>>945 無自覚に「の」を多用しているようですね。
長文連続レスをするzion-ad 氏とカオル氏の
文章が幼稚だった事がこのスレにとっては
最も致命的なことだったのかもしれない。
>>945 >>946 >>948 いい指摘だ。A∩B∩Cを言葉でキチンと説明すると、
ベルの定理。ベルトルマンの定理。の罠に落ちる。そう妄想する。
言葉の読み順序が関係してくると、集合のべん図のそれぞれの円の大きさが
同じでなくなる。変わる。そういう不思議な世界に落ちるのを避けるためだ。
”の”の使い方が1回なら2体問題で追いつめれば微分で解が出る。
紙に線分を描く。間は右端の左にある。左端の右にあると言える。
ちょっとずつもっと左でもっと右だを両方からすれば、
間にある指し示したい点の答えが出る。言葉で西瓜割りができる。
ところが、今度は三角形を描く。間は線分の両端の間だだけではない。面だ。
座標なしで、三角形の真ん中あたりにある西瓜をどう割りにいかせるのかね。
これが不確定性原理。そんなバナナだろうけど、洗脳解除に次の洗脳をここで
するのは無理だ。俺の話にもっと信憑性が出てからやるしかない。
思弁だけでなく、実験によって役に立つ実例によって。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このわけのわからん文を作るに時間を浪費し、
>>944 >もしかして怒ってますか? あなたも感情的になるんですね。フフ
この程度の自己イメージに囚われたものを相手にしていたとは、
俺に、説得しようという甘えがあったからだ。
言葉に愛されるに堕ちた。無駄なことに時間を掛けた。
いまできるのは、その失敗を診せることだけだ。
950 :
zion-ad :03/01/02 06:28
n次構造体の重心を求めても、(n+1)空間では、そこは重心かは不定。 より(n+1)を知るものの方が賢そうだが、無限次元での重心結果は、 nと(n+1)の数量の差は関係ない。どちらが真の重心に近いかは、 数の大きさではなくなる。それが、無限次元。無縁の空間。 だからこそ、ケプラーの楕円軌道。2つの中心。 廻るものと廻られるものでなく、廻るものと廻るものとの。 それが娘。しかし、楕円の2つの中心間距離を点化するなら同じことだ。 イメージに囚われるものを相手に、そいつらの発する真理を話し合いで 相談する内化した言葉の渦。言葉に愛されるもの達を相手にするのは難しい。 やれるのは、俺の言論界。独り言だけ。切り捨てろ。後退する。
951 :
考える名無しさん :03/01/02 06:32
>>950 独り言と自覚していたんですね。
それなら大丈夫。
ちょっと安心しました。(^.^)
952 :
Kurihara :03/01/02 07:03
僕の文章は哲学板で一番うまいでしょうね。 この辺は自信があります。芥川賞は僕のものです。
953 :
考える名無しさん :03/01/02 07:13
ん?Kuriharaも小説書いてるの? 俺も書いてる。
>>948 文章の上手さ以前の、内容の問題かと思われ。
内容が充実していれば、簡潔で良い文を書くようになるものだよ。自然と。
書きたい事が自分にもはっきりと見えていないから、
日記みたいにだらだらと書いてしまうんだろう。
初心者その1にもその傾向はある。
だらだら書いて最後に箇条書きに纏めるところなどは失笑もの。
最初から箇条書きにできるぐらいに文章構成を練ってから書いてみて。
長文を書きたいのならば、だけど。
955 :
Kurihara :03/01/02 08:40
>>953 これから書きます。柄谷さんの無念は
僕が晴らします。
>>955 そうですか。
俺も今は家庭教師&夜勤工場労働者という身の上なので
ほとんど書く時間がない・・・。
957 :
Kurihara :03/01/02 09:52
>>956 夜勤工場労働をしていらっしゃるのですか。
僕らこそ21世紀の新プロレタリア文学の
旗手ということですね。
さぁ、頑張って行きましょう。
958 :
考える名無しさん :03/01/02 10:26
959 :
考える名無しさん :03/01/02 10:30
どういう小説書いてるの? 21世紀の新プロレタリア文学っていってるけど、 自分のことプロレタリアと思ってるの? Kuriharaはプチブルでしょ。どう見ても。
960 :
Kurihara :03/01/02 10:59
>>959 構想としては、ブルジョアが革命ぬきに
自然消滅するという「逆革命」小説を書きたい
ですね。芥川さんの「玄鶴山房」「歯車」を
スケールアップしか感じの小説ですかね。
あと、僕は高卒新聞配達員なので、プロレリタリアート
に違いありませんよ。高卒なので、家庭教師には
なれないのですね。
961 :
考える名無しさん :03/01/02 11:44
>>954 そんならヘーゲルやルーマンは、どう説明するのでしょう
962 :
考える名無しさん :03/01/02 12:30
>>961 おいおい、ヘーゲルと比較するなよ。
中身が違いすぎるだろ。
>>954 は大学入試レベルの良い小論文の書き方。
まずはそのレベルをクリアーしないといけないということだ。
963 :
考える名無しさん :03/01/02 12:31
>Kurihara 新聞配達って一日どのくらい時間取られるの?
964 :
考える名無しさん :03/01/02 12:36
>ブルジョアが革命ぬきに >自然消滅するという「逆革命」小説 これがそれなりのリアリティーを持って書ければそこそこの小説には なるかもね。 無理だと思うけど。べたにやると劇画的にしかならないっしょ。
965 :
考える名無しさん :03/01/02 12:39
初心者がこのままでてこなかったら、 よっぽど打たれ弱いヘタレケテーイ。
いやはや、なんというか・・(笑) 僕にも熱狂的な「ファン」の方がついてくれたようですので、 このスレはこれで終了にするつもりです。 僕につき合ってくださった方々、本当にありがとうございました。 元々このスレは、使用後投げ捨てられるべき梯子にすぎません。 その役目は十分果たしたと思います。 読まねばならない本もわかりました。 自分なりのテーマも探すこともできました。 ここでは言わなかったのですが、哲学を勉強している方達と知り合うこともできました。 次はそちらの梯子でさらに上へと登っていきたいと思います。 このスレでの初心者その1はこれで終わりですが、また機会があれば 再びスレをたてて勉強してみたいと思います。 そのときはまた宜しくお願いします。 では、みなさん、また会う日まで・・。
最後に・・。
>>745 ぺんぺんさん
>そのような観点で、ハイデガーを批判した人として
>レーヴィットあたりが分かりやすいと思います。
なるほど。やはりいましたね。
ハイデガーに限らず、西洋思想を学ぶときにまずとまどうのが
真理や神といった絶対的な概念に対する執着ですね。
(それに反対の立場をとるにしても)
木田元さんも大学に入ったとき、先輩達が当たり前のようにして使う
「理性」がさっぱり理解できずあせった、と何かの本に書いてました。
結局後になって、
「その先輩達は(無意識に)わかったふりをしているだけだと知り、笑ってしまった」
と胸懐していましたが、
相対的な価値観の世界で生きてきた「普通の」日本人には、「神」、
またその分身である「理性」、その人間版「本来的な〜」といった概念は
「実感」し難いのではないでしょうか。
(現実においても日本人は、初めて会う人からそのような「絶対的な」話を語られたら、
新興宗教と感じ、距離を置くのではないでしょうか?)
このあたり西洋と日本が背負ってきた文化の違いがでておもしろいです。
(もちろんどっちか「本来的な」思想であるといっているわけではありません)
時間ができればレーヴィット読んでみます。
またどこかのスレで会いましたら、宜しくお願いします。
次回は、一回り大きくなった初心者に会えることと自負しております。
では、また会う日まで。(法律の勉強もがんばって下さい)
968 :
考える名無しさん :03/01/02 13:04
やっぱヘタレか・・・
969 :
考える名無しさん :03/01/02 13:08
>「普通の」日本人に なんでこの人はこういうあほな決めつけを平気でするのか。 ただの世間知らずと同じだぞ。
970 :
考える名無しさん :03/01/02 13:09
これでまた良スレが一つ(略)
971 :
考える名無しさん :03/01/02 13:11
いや、勘違いナルシシストが消えてよかったよ。
972 :
考える名無しさん :03/01/02 13:17
>>967 ばいば〜い。
レーヴィットなんて読むなよ〜。くだらんぞ〜。
あとね、君は「絶対」か「相対」かに分けたがるみたいだけど、
そんな二元論的考え方はやめた方がいいぞ。
それは君が勝手に決め付けてるだけなんだ。
哲学はそんな単純なものじゃない。
あとね、これからは「絶対」も「相対」も超越した「空」の時代だ。
君はますます嫌いそうだけどな。。。
973 :
考える名無しさん :03/01/02 13:22
具体的な人間関係が希薄だから すぐ図式に逃げるわけ。本人は気づいてないけど。
哲学は根拠の学だから、根源的なもの(超越論的なもの)に向かうのは 当然だと思うのだが、1はそういうのが嫌いなのかな?よく分からん人だ。
975 :
Kurihara :03/01/02 13:48
僕が最後に1000を取って締めましょうか。
>>975 その前に初心者その1へのカオルさんからの別れの言葉を待ちましょう。
977 :
考える名無しさん :03/01/02 14:55
まあ、ここで降りたということは初心者は大人だったということだな。 俺は良かったと思うよ。所詮2ちゃんなんだから。 あとは現実の世界で哲学がんばってくらさい。
最後に言いわけがましいことを言わなければもっと大人だったのに・・・。
>>967 1さんて仏教の「悟り」のようなものも嫌いなんでしょ?
だったらそれは日本か西洋かという問題ではないですよね・・・。
979 :
前スレからの愛読者 :03/01/02 19:51
結局こうなってしまったか・・。 初心者が望むレベルの奴、議論についていける奴だけくれば いいんだが、一度荒れるとこうなってしまう。 977がいうように、ここで降りたのは正解だった思う。 パート1の初めからこのスレを見ている奴は、初心者の能力の高さ、 飲み込みの早さは承知のこと。スレ立ての頃は本当に知識がなかったから。 とにかくお疲れさん。 このくらいで哲学を嫌いにならず(ここで非難しているだけの奴は 初心者の議論についていけない奴がほとんどだから)これからも がんばって。応援しているよ。
980 :
考える名無しさん :03/01/02 19:55
>>972 レーヴィットがつまらないから読むなってこと?
・・・・・。
おもしろさを求めるならサブカルにでも逝きなよ。。(はー
981 :
考える名無しさん :03/01/02 20:14
レスの内容ウンヌンでなく、俺は初心者氏の人柄には惹かれる。 他人を非難せず、ちんぽやぺんぺん、稲が煽られたときも、 積極的にかばってた。(カオル、zionも排除していない。ぶんぶんも同じ) 煽られても、煽り厨のレベルまで落ちることなく きれいに幕を引いた。よく読めばわかるが、彼を非難する人達は 初心者氏の「議論内容」にはまともに反論していない。 彼がいなくなると出てきて中傷レスをする。 俺は匿名で参加していた者だから、最後も匿名でレスするが、 「初心者氏がかつてやったように」初心者氏をかばって終わりにしたい。 俺は学生だけどお互い哲学に惹かれた者同志、お互いがんばりましょう。 応援しています。
それって初心者氏の哲学の内容は無いに等しいと言ってる。と、頭のいい 人間なら気づいてしまうよね。
>>981 あなた某スレの煽り厨房に書き方がよく似ているよ
984 :
考える名無しさん :03/01/02 21:01
>982 おまえ馬鹿?
985 :
考える名無しさん :03/01/02 21:02
とりあえず1よりも能力があるところを見せてくれ 非難している人たちよ
よく読めばわかるが、初心者を擁護する人達は 批判者達の「議論内容」にはまともに反論していない。
>986 俺が相手してやるよ 1のレスにないようがないというならとりあえず、>685からの 1が解釈した大森時間論に反論してくれ もしくは、君の時間論を聞かせてくれ 少なくとも1以上の内容はあるんだろうな
>>407-410 の時間論(「原初時間」と「物理的時間」が生じる起源)をわかりやすく説明してみます。
一つ断っておくと、以下の(また、今までの)議論には大森時間論に僕の主観的解釈がかなり混じっています。
本当は両者の区別をはっきり明示した上で議論を組み立てないといけませんが、それをチェックする時間が
ないため現段階ではこのまま提出します。
よって以下は、大森時間論を説明しようとしている「初心者の主観の入った」時間論とお考え下さい。
大森時間論の大前提は、
>>33-34 図における(G:神の視点)を認めないことです。
つまり、「現在ただいま(a)」の枠の内側での思考(H:人間の視点)を徹底させることです。
(
>>33-42 >>344-346 >>407-410 >>421 参照)
これから述べる時間は、
>>425 さんのいう「対象化された」時間ですが、「対象化されていない時間」との区別が
未だ未理解なので今回は、そのまま議論を進めます。以下、用語の確認。
「原初時間」 ・・・人の心の中でまず始めに自然と感じられてくる主観的な時間。
「過去自体」 ・・・(今となっては過ぎ去ってしまった)かつての現在の経験。 「もの自体」のような超越的な何かではない。
「現在ただいま(a)」・・・日常的に感じられる「今」
>>33-35 用語の修正
「現在境界(x)」→「境界現在(x)」、「現在(a)」→「現在ただいま(a)」
すまん、さかのぼっていってみたら
>>33 の図がわけわからんのだが・・
あの図を検討していいのか・・
>988 全部コピペをする馬鹿とはおもわんかったが 俺はこのスレが終わるまでしかやらんから 早いとこやってくれ
>989 検討もしてないくせに内容がないとかいうなよな 何かんがえてんだおまえ
すまんね、あなたのような天才みたいに入門書さらっと読んで「人柄には惹 かれるぅぅ」とならずにじっくり何度も読み返して検討するタイプなもん でな・・
>>991 またよく読んでないなぁ。
>>982 はどう見ても
>>981 の人柄論に対してなされたもの
だろうが。お前さんもちゃんと>>を出して該当個所の指摘ぐらいはしろよw
できるならの話だがね
>992 おれは981ではないし、つまらん煽りなどどうでもいい。 ”今から”検討しようとしているおまえが偉そうに言うなといってんだ このスレを初めから読んでいて大森時間論の知識のある奴ならあの図も 理解できる。1が少しづつ改良を加えながら進歩しているのもわかる とりあえずはやくしろ馬鹿 レスがもったいないから俺はもういちいちレスしないがはやいとこ頼む
995 :
考える名無しさん :03/01/02 21:26
つづきは心脳問題スレで
>>994 じゃあおめーのようにさらっと読んだ感じでいいということだな?
というのはじっくり俺は読むタイプだと書いているからな。ちなみに
お前が981ではないということはお前は初心者氏の人柄に惹かれて
いるわけではないが検討せよというのか?wまあいいけど
神の視点というときに神などを議論の対象としていない大森であるのに
それを大森の要約にするのは無理がありすぎる。更に大森は「理想1990年
冬」において、「物理的時間はわれわれの原体験の中にある原生的時間の上に
組み立てられている。」の述べている。であるならば
>>33 のような図は大森と
因果関係がないに等しい。あとひとつ引用できる部分もあるが985の返答に
答えながらしようと思う。逃げるなよ・・・!
引用あと 〜」と述べているね。
998 :
考える名無しさん :03/01/02 21:45
初心者の自演が多いのには飽き飽き。
999 :
考える名無しさん :03/01/02 21:45
999
千夜一夜物語
1001 :
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