独我論を論破してください。

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1考える名無しさん
 さいきん、哲学版を読み始めて自分でもいろいろ哲学的なことを考えるようになったんですが、
いちばん興味をもったのは、独我論は論破できるのか? という問題です。
 だれでもいちどは、もしかしたらこの世には自分(正確にはこの文章を読んでいるあなた)しか存在しないんじゃないかな? と思ったことがあるんじゃないかなぁと思います。
 べつにそう考えても論理的に不都合はありませんよね?
 でも、自分しか存在しないにしては、どうして自分が一生かかっても読み切れないほどの本があったりするのか?
 自分しか存在しないと考えるには、この世(宇宙の構造とか、生命の構造とか)はちょっと複雑につくられ過ぎてるような気がして、やっぱり違和感があります。
 意地の悪い神さまがわたしひとりを騙そうとしてるにしたって、こんな手の込んだ世界をつくる必要はないと思うし。

 他人の実在は証明できるのでしょうか?
 哲学史的には、ちゃんと独我論は論破されてるのでしょうか?

 厨房は質問かもしれませんが、親切なかた、教えていただけませんでしょうか?
2Ocartes:01/10/10 07:31
つか自分の実在は証明できるの?
3考える名無しさん:01/10/10 07:46
コギト・エル・ゴスム。
「我思う、ゆえに我あり」で証明できるんじゃないの?
これじゃダメなの?
4考える名無しさん:01/10/10 07:58
西田幾多郎(「善の研究」)
我々の経験は初めは主客未分のものであり、
それが主観・客観に別れて自我や他者が形成される。
その意味で自我と他者とは同等の資格を持つものだといえる。
もし「他者の実在が証明できない」と言うのならその時は
同様に自我の実在も証明できない。(つまり>2と同じですね。)

ヴィトゲンシュタイン
独我論の言わんとすることは全く正しい。しかしそれを主張すること
(「世界には自分しかいない」と言明すること)は論理的に
ナンセンスである。我々が語りうるのは「広い意味での科学的命題」
のみであり、それに反して上記の言明は何の実効的な意味も持っていない。
5素人:01/10/10 09:48
独我論問題を考えているあなたの<運動>は、
ただただ、ひたすら内省的な<思考>だけなのでは。

厳密な意味では呼吸していたり、皮膚から発汗してたりするけど、
はまっちゃってるあなたの能動的な<運動>の9割以上は、
思考だけのはずだ。

一方、自然の<運動>そのものはあらゆる外界に見て取れるし、
独我論を考えつづけている、あなたの思考的<運動>よりも、
遥かに複雑怪奇だと思うんだけど。どうだろ。>1
6考える名無しさん:01/10/10 10:10
メルロ=ポンティーのデカルト批判を紹介しますね。

デカルトは確実な知識を得るために、まず自分の持っている常識とか理念
なんかをすべて疑うことにしました。そして疑っても疑っても最後まで
疑いきれないもの、つまり「疑う自分」というのは確かに存在する、と考えました。
そこから「我想う、故に我あり」という言葉が生まれました。彼はたとえ他人や、
世界が存在しなくともこの「想う我」こそ絶対の真実だと位置付けます。

メルロ=ポンティーが注目したのはデカルトのこの「言葉」でした。
彼はすべてを疑うと言いながらも言葉(デカルトはフランス人だからフランス語)
だけは疑わなかったと。しかし「我想う」というその発想ができるのも
言葉があるからであり、また言葉があるということは、その言葉を
教えてくれた両親やいっしょに学んだ幼いころの友達なども無視できないではないかと。
7Ocartes:01/10/10 10:43
今『トランスクリティーク』読んでるんで、
柄谷行人のデカルト解釈を持ち出してみる。
デカルトはフランスという共同体の外(オランダ)で考えた。
言葉が共同体に依存していることを自覚することによって、
デカルトは共同体の外を垣間見た。
デカルトのコギトは普遍性に還元されない単独性である。
共同体の外に立つ(懐疑する)ことが可能であるということは、
共同体が存在しないということではなくて、
むしろ逆にその存在に依存している。
すると「言葉だけ疑わなかった」という
メルロ=ポンティーの批判は成り立たないのだけれど。
柄谷行人は懐疑するという言葉の意味を
批判あるいは揚棄というような意味にすり替えてるのかな。
デカルトのマルクス=ヘーゲル的解釈かな?
8考える名無しさん:01/10/10 11:02
>>2
>>4
えええええええ!?
ということは、自分の実在も証明できないんですか?
そしたら、なにを土台にして論を組み立てていけばいいんでしょうか?
9:01/10/10 11:19
自分の実在を証明したいという気持ちだろう。今にも荒波に沈みそうな自身の心をバランスをとって生きる。
人間は一生かけて土台を作るのだ。
これだという確かなものはこの世に存在し得ない。例え10%あやふやでも、90%足場があれば、なんとかなる。
10Ocartes:01/10/10 11:23
あなたの世界に登場する人々があなたの独我論に
賛同して「あなたしか存在しない」といったとすると、
そこで名指されているあなたはあなたの世界のなかに
存在する一個の我に堕してしまっている。
よって独我論が承認されたとき独我論は正常に機能しない。
ヴィトゲンシュタイン がいってるのはこういうことかな?
違う気がするが、とりあえずカキコ。
11magna:01/10/10 12:34
16、17世紀の学術用語はラテン語であり、
その意味でデカルトにとってアカデミーにおけるフランス語は
外部だったと思うのだが、その点どう?
12magna:01/10/10 12:51
実は独我論なんて存在しないんですよ。
13mimesis:01/10/10 13:03
>>12
独我論がいわば「四角い円」のようなものであるということですか?
14考える名無しさん:01/10/10 13:19
単に定義に関して、万人が認める完全な根拠があるかないかの
問題だと考える。

完全な根拠がなくても、事実上は、ある社会の範囲内でそれなりに説得的だと
される根拠をイメージしあった事実が追認される・することで、
十分世界観はつくられうるし、それに従って生活できるし、現にそうしている。
ただ、承認しあうことで作ってきた世界観が、個人的・社会的に何らかの
要因で支えることが難しくなっている(例えば私という捉え方ができなくなる)
とか、世界観を維持しようとすると、不正がまかり通る(例えば、科学的方法に
より導かれた法則の実体化を認めると、そうした法則についての議論を社会的な
説明に悪用されたりするから、捉え方を変えなくてはいけないとか)から
認められないとか考える人が、世界観を形成する上での根拠を問うと言う形で、
それらの要因を解消しようと試みるのだと思う。
15考える名無しさん:01/10/10 13:51
>>1
>だれでもいちどは、もしかしたらこの世には自分
>(正確にはこの文章を読んでいるあなた)しか存在
>しないんじゃないかな? と思ったことがあるんじゃ
>ないかなぁと思います。
「この文章を読んでいるあなた」って誰ですか。
16考える名無しさん:01/10/10 13:52
>>3
いちおうつっこんどくけど、
>コギト・エル・ゴスム
じゃなくて、コギト・エルゴ・スムね。
17考える名無しさん:01/10/10 13:56
>>15
君のことじゃないの?
カキコしてるあなた。
18考える名無しさん:01/10/10 13:59
>>17
そしたら1にとっては、独我論は正しくないということだね。
19考える名無しさん:01/10/10 14:03
>>18
ははっ、たしかにそうだ。
1は他人に配慮して
>(正確にはこの文章を読んでいるあなた)
って付け加えてるんだろうけど、これ自体、独我論者には矛盾してるよな。

う〜ん、だんだん頭がこんがらがってきた……。
20永井ファン厨房:01/10/10 14:05
だから、やっぱり、独我論は実在論的なんですね(わら
21主人公さん:01/10/10 17:57
1は俺をためしている。
俺を観察して面白がっているんだろ?
224:01/10/10 21:58
補足ですが西田は別に自我も他者も証明できないなんて言ってはいないです。
僕の書き方が悪かったかな。
「経験の主客未分」ということで言おうとしているのは、
「独我論」=「世界は私の知覚等の経験から構成される、従って私しか存在しない」
に対して、
「その経験を『私の』経験と思うのは、既に経験から『私』というものを作りあげてしまった
後だから可能であるのに過ぎない。従って上の論法は妥当しない。」
と答えるものです。

それからウィトゲンシュタインは言うまでもないが前期(論理哲学論考)です。
23考える名無しさん:01/10/10 22:02
>>1
>他人の実在は証明できるのでしょうか?
>哲学史的には、ちゃんと独我論は論破されてるのでしょうか?

順序逆ですが、独我論は論破されてないと思いますよ
あと、他人の実在も証明できないでしょう

こういうかなり形而上学的なレベルの議論だと
「独我論」、「他人」、「実在」等
それぞれ通常は定まった用法で流通している用語の
定義/意味そのものから、考えていかないと
それなりの回答らしきものは出ないと思われ

なんか、当たり前で面白みのないカキコですまそ
24考える名無しさん:01/10/10 22:37
えと、一般論だけではつまらないので
永井均 外「なぜ人を殺してはいけないのか?」より

永井氏は「世界」がそこから開ける視点 それを<私>と呼び
また、<魂>と呼びます <私>が世界の中に存在するにせよ
<私>が世界の外側に立つにせよ 世界は<私>から開ける
以外にはあり得ない まさしく独我論の「牢獄」です

・・しかし、
世界を夢だと仮定し、夢を見ている<誰か>に対して
夢の世界の登場人物である「私」がこう言います

「これは君の世界なのだよ」と呼びかけるとき、
そのときはじめて、私は君を殺してはならない立場にたつのだ。
私は、そのときだけ、その人の生を手放しで肯定している。
(前掲書P91)

その後、氏は再び<私>としての「私」をさらにその外側に
立たせることの「無限の転変可能性の構造」について論じ、
それがために、さきの立論については、(独我論的でない
世界の(引用者))「存在可能性がかいま見られた」と
述べるに留まっています

以上理解が誤っていたらご指摘ください
25考える名無しさん:01/10/10 22:57
レヴィナス的には他者とは「逃れゆく存在」。
つまり「現前しない」ということが他者の他者性。
だから、レヴィナス的には他者の存在を証明
できないことはむしろ喜ばしきことになる。
26考える名無しさん:01/10/11 04:28
ちょっと待ってください。
自分の存在は証明できるんですか?
できないかもしれないっていうのは、ほんとうなんですか?

それじゃ、なんのための「我思う、ゆえに我あり」なんですか?
この命題は論破されちゃってるんですか?
27考える名無しさん:01/10/11 08:08
>26
だからさ、現在の哲学を読む人の中でもコギト・エルゴ・スムで
自己の存在が証明されると考えている人もいるし、
それは間違いだと思っている人もいる。
(少なくともそれに対する論駁をしている人はたくさんいる。)
哲学史的に例えばカントはデカルトの「神の存在証明」は間違いだ
と言ったが、そこで「デカルトはカントによって論破された」と考える人と
そうでない人とが両方いる。
結局色々な人の言うことを聞いて(デカルト以外の哲学者も読んでみて)
自分で判断する他ない。人に聞かないで自分で考えること。
28考える名無しさん:01/10/11 08:17
>>26
普通に考えて、我思うから出るのは、我思うでしかないだろう。
別に思うという思惟の働きを確認するには、思っていることを確認すれば
いいわけで、そのとき「自分が」考えているとしなくてもいいと言いうる。
それが、正しいかどうかはわからないけど。
29考える名無しさん:01/10/11 10:58
>>27-28
ううっ、わからない……。
30ネタバレ:01/10/11 12:15
この世界は孤独な自分が自分のために作り上げたゲームです。
いったん意識をリセットして楽しんでいます。
今回の設定はどうですか?順調に進んでますか?(大ウソ
31考える名無しさん:01/10/11 12:38
>30
永井均とかいう人がヘンな本を書いてるんですけど、あれも設定のうちなんですか?
なかなか凝ってますねえ(わら
32考える名無しさん:01/10/12 02:22
「わたしは考えてる」と、誰かが考えているだけかも知れない。

おい、ところで、>>33、チミはわたしの創造(想像ではない)の産物だ。
33考える名無しさん:01/10/12 03:06
ウソ、ソウナノ?
           ∧         ∧
          / λ       / λ
          /   λ     /   λ
       /       7       \
      /   ●  |\      ●  \   
      |           |  \          |   
       |          |    |         |  
      |          /    |          |    
        |        /─――┤       |   
      \                  /     
       \               /
34考える名無しさん:01/10/12 03:09
わたしたちは、生まれてからおよそ三年間くらいの間の記憶はもっていないはずです。
すなわち、2歳くらいになるまで、わたしたちは、自我(我思う、ゆえに我ありと考える「我」)
を持っていなかったということになります。
自我は、私の誕生とともにあるのではなく、社会経験―他者との関わり合い―によって形成されたものなのです。
私が社会からまったく孤立していたならば、私の自我はなかった。
ゆえに私は、自我の成立に関して、決定的に他者に負っていることになります。

社会学だと、たぶんこういう感じに説明されているはずです。
35考える名無しさん:01/10/12 03:10
三島たんはどうなるの・・・
36考える名無しさん:01/10/12 03:17
社会学つーか心理学?
それとも社会科学vs人文科学(哲学)かな。
37考える名無しさん:01/10/12 03:29
34はシカゴ学派のミードの理論を基盤としているので、社会心理学ですね。
どっちかというと社会学よりの社会心理学。
38社会学徒:01/10/12 05:59
>>34
ミードが関わってくるのは社会学で言う役割理論の中の、役割取得
に関して。幼児はたとえばままごとなどの遊びを通して、自分が社
会の中でどのような役割を背負う存在であるのか認知していく、と
いうものですね。また、そのような他者との関わり合いを通じて一
般的他者というものを発見することで、社会というものを認識すると
言われています。でも、個人的にはミードよりもラカンの方が面白い
と思う。

>>36
社会学理論の多くは哲学を基礎としているし、そもそも社会学を含
めた社会科学自体がコントの実証哲学という理念から成り立ってい
るので、社会科学vs人文科学(哲学)という認識は正しくないと
思います。

>>37
シカゴ学派は都市社会学の祖であって、ミードとはあんまし関係
ないですし、普通シカゴ学派と言ってミードを指しません。
39びたみん:01/10/12 07:12
独我論ってのは論破するべきものではなくって、
ゴクンと飲み込むべきものさ・・・。
このセリフどう?
40考える名無しさん:01/10/12 10:19
>34
>私が社会からまったく孤立していたならば、私の自我はなかった。
>ゆえに私は、自我の成立に関して、決定的に他者に負っていることになります。

当たり前ですが、この説明は、社会とか他人とかいうものが実在している、と思っている
人にしか、通用しないですね。
独我論者にとっては、まさにそこが問題なわけで。独我論者にこういう話を聞かせても、
「そういう他者も、やはり、生まれてきた私に一定の精神的な機能を与えてくれるために、
私の意識の中に現れたにすぎない」
と思うだけではないかと。
41考える名無しさん:01/10/12 12:01
>>34
それは君の知識不足。出産時はおろか、胎内時の記憶(「我」が感じた
記憶)さえも存在する。
42考える名無しさん:01/10/12 14:00
記憶の捏造、ですとか。
43考える名無しさん:01/10/12 15:06
野矢茂樹おもしろいよね
44考える名無しさん:01/10/12 16:53
>43
逆転スペクトルの懐疑、というのが面白いですな。「私に赤く見えているものは、実は
他人には青く見えているのではないか?」というやつ。
結論としては、言語の公共的な基準に照らして、「あれは赤だ」と言うことに問題がない
ようなものが赤であるのだから、この懐疑は実は無意味だ、ということになるのかな。
45考える名無しさん:01/10/13 00:38
>>1
1さんの考えている「他人の実在をちゃんと証明しよう」ということは,感覚
的に理解できている部分もあるんでしょうし,「コトバ」を我々はなぜ使用し
ているのかということも,「他人」を前提とすれば常識的に簡単に説明できる
ことも沢山あるような?(意味不明になってきた,ゴメソ)

ここでいう,独我論を論破することではないかも知れないが・・・・。
「世界には自分独りなんじゃ・・・・?」っていう風に語りかけてしまうという事
も含めて,コミュニケートしようとしてしまうということが,我々が「自分」
ではない「何者か」を(コミュニケート可能なもののとして)想定していると
いうことを表現しているようにも見えるのですが。
46考える名無しさん:01/10/13 00:51
>>45
なるほど、その通りだ。
「独我論を論破して」と他人に問いかけること自体が、やっぱり、他人の存在を前提、あるいは希望してるように思える。
ここら辺をもっと考えていけば、独我論の突破口が得られるかも……?
47考える名無しさん:01/10/13 00:56
「独我論が・・・」が言った途端にその問いは公共言語空間に属している。
その空間でのみ、その問いは響く。
そこに独我はいない。
他者もいない。
ただ言葉があるのみ。
48考える名無しさん:01/10/13 01:05
うぬうぬうぬ、だんだん、論旨がはっきりしてきたぞ。
やっぱり、言葉が重要なんだね。

だったら、えーと……。
49Iridium:01/10/13 01:06
公共言語空間てなんだ?
50考える名無しさん:01/10/13 01:08

>「独我論を論破して」と他人に問いかけること自体が、
やっぱり、他人の存在を前提、あるいは希望してるように思える。

そうだね、もしこの世界に本当に存在しているのが1さんだけだとしたら、
1さんを騙すために存在している私たちが、
1さんにこの世界のネタばらしをするわけないもんね。
51Iridium:01/10/13 01:11
ネタばらしをするときは1がこの世を去るときである。
52考える名無しさん:01/10/13 01:14
>他人の実在は証明できるのでしょうか?

「他我」でなくても、
一般に何かの「実在」の「証明」なんて不可能。
まあ、各人にとって「他我」が「実在」していると仮定するほうが、
他の物事をうまく説明できるというだけ。
53nani:01/10/13 01:15
独我論だと偶然的な出来事がなぜ起こるか理解できないのでは。
神をもってくるなら「独我」ではないのだし。
独我論を突き破るには、内側からではなく、事故的な衝突によって
いつも外側からなされる。
54考える名無しさん:01/10/13 01:15
1が去ったらみんなで打ち上げパーティしようぜ!
55考える名無しさん:01/10/13 01:15

>>51
それたまに思う。
死ぬ一瞬前に何もかもわかるんじゃないかって。
ビミョウにすれ違いsage
56考える名無しさん:01/10/13 01:34
「我思う、ゆえに我あり」っていうのは、
「我問う、ゆえに言葉あり」っていいかえるのが正解なのかな?

それとも、「我思う、ゆえに我あり」ってあなたが言ったから、この世には言葉あり?

なんだかサラダ記念日みたいだ。
57考える名無しさん:01/10/13 01:35

                 | |
                 | |
        ∧_∧   | |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / ̄\  ´Д`)//  <  ドーン!オナニーの時、家族の顔を思い出す呪いをかけた!
.r ┤    ト、      /    \_______
|.  \_/  ヽ  /
|   __( ̄  |  |
|    __)_ノ ̄ ̄ ̄ ̄\
ヽ___) ノ          \
  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
  ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
     .||              ||
58考える名無しさん:01/10/13 01:44
>>54
>1が去ったらみんなで打ち上げパーティしようぜ!

なんか、マガジンのMMRを思い出しちゃった。
宇宙人・グレイが、人間を観察している。地球は宇宙人の人間牧場にすぎないみたいな話。
人間はモルモットにすぎないから、観察者であるグレイを認識できない。

もしここがでっかい研究所で、まわりは宇宙人の科学者ばっかり。わたしは実験室に入れられてずっと仮想現実を生きている。
わたしが死んだら、宇宙人たちは実験成功の打ち上げパーティとかやったりするのかな?
59考える名無しさん:01/10/13 01:53

だれかの手のひらの上で、
毎日泣いたり笑ったりしてるんじゃないか・・・って。
もっと高度な知識体に存在させられてるだけなのかも、と考えたり。
60考える名無しさん:01/10/13 02:08
なんか、スレタイトル見てデジャヴに襲われクラクラきた。
それから同じスレが昔あった事を思い出した。

何人が同じ問いを考えたのだろうか?
哲学板創設数年で同じ様なスレが繰返し立つ。
少なからず過去ログを見て得るものが有る事を、
スレ建てる人は考えないのだろうか?

てな事を思いました。
61考える名無しさん:01/10/13 02:13
>>53
>神をもってくるなら「独我」ではないのだし。

それもそうだな〜。
正確には『独「我と意地の悪い神さま」論』とでも言うべきか……。
62考える名無しさん:01/10/13 02:58
>少なからず過去ログを見て得るものが有る事を、
>スレ建てる人は考えないのだろうか?

自分もそうおもったが、過去ログ見られなくなってるよ。
63考える名無しさん:01/10/13 04:17
64考える名無しさん:01/10/13 06:34
>>1
世界の解釈は確かにあなたの精神を通したものだが、世界が実在していない
と考えるほうが不自然。外界から何のインパクトも無くあんたの精神がこれ
だけのものを創造できるのか。感覚的に毒我論が間違いだとは誰でも分かる。
見えているものはあなたの解釈の産物だが、外界には何らかの実在がある。
65びたみん:01/10/13 08:03
>>64

いや、それ違うんじゃない?
独我論的な懐疑ってゆうのは、そういった、なにが自然で何が
不自然かってゆう基準そのものが、いわゆる「いたずらな神」に
騙されて出来た結果なのかもしれない・・・。ってゆう風に
なると思うよ。
「感覚的に独我論が間違いだとは誰でも分かる。」ってゆうけど、
「感覚的に独我論が正しいと分かる人」は「多く(!)」いると思うな。

あとそれとは別に、外界に何らかの実在があるってゆうのは、
全てを見わたす神の視点ってのを前提にして成り立ってる
のでは?と、最近思ってみたり・・・。よく分からないんだけどさ。
66考える名無しさん:01/10/13 08:09
さよう。
物自体の存在っていうのはやっぱり証明できないよね。

でも、誰か証明してくれ〜〜。
67考える名無しさん:01/10/13 08:31
>>63
見れね〜〜。
なんか登録しないともう見れないの?
68nani:01/10/13 12:10
ひとが「独我論」をいうとき、それは大抵ただの
「独善論」であることがほとんどだね。
69これだね>60:01/10/13 12:33
70考える名無しさん:01/10/13 13:37
googleのキャッシュって、いったいどれぐらいの容量あるの?
71考える名無しさん:01/10/13 14:01
>>68
>ひとが「独我論」をいうとき、それは大抵ただの
>「独善論」であることがほとんどだね。

たしかに……。
独我論を唱える心理背景には、自意識というか、自分だけは特別だっていう意識があるような気がする。

自意識があるから独我論を唱えるのか?
それとも独我論が真実だから、自分は特別だという意識を持ち始めるのか?
どっちだろう?
72考える名無しさん:01/10/13 14:14
そもそも「独我論」とは何なのかがわからない。

「夢の中の出来事は実在しているように見えても
実はそれは、私の観念にすぎない。今、見ているこの世界も
実はそのようなものなのだ」

ということでしょうか?
73考える名無しさん:01/10/13 21:11
>>72
実在するのは、自分の意識だけであって、他者や外界の事象は、
自分の意識の内容だという風に考えるのが、独我論ということになってるようだよ。
74考える名無しさん:01/10/13 21:41
>73
そういうことでよろしいでしょうか?>ALL
75考える名無しさん:01/10/13 23:19
>>1
自己が独我論だと自覚している時点で真の意味では独我論ではない。
独我論ではないものと対比しているから。
真に独我論になってるなら、そもそも初めから自分は独我論だなんて
考えもしないはずだ。
76考える名無しさん:01/10/16 18:37
究極的見地
在るとは言えない。しかし、無いとも言えない。
他者もないと言い切れないから、何とか在るんじゃないかと証明しようとする。
逆もまた真なり。他者の存在を証明する手段がないんで、独我論い陥る。
個人的には、他者の存在は証明できないと思う。かのサルトルも恥に他者の存在証明
を足がかりにしたが、結局ネガティブな方法といわざるをえない。
77考える名無しさん:01/10/16 19:48
>>75
>真に独我論になってるなら、そもそも初めから自分は独我論だなんて
>考えもしないはずだ。

なるほど。そろそろ結論が出そうですな。
ほんとの独我論者は「独我論を論破してください」とはたずねないし、
「独我論を論破してください」といった時点ですでに他人の存在を前提としている。

まあ、たしかに身近な家族とか友人とかが、「じつはアンドロイドではないか?」と疑うことはどこまでもできる。
ちょっと、サイコさん入ってるけどね(w
でも、少なくとも、「アンドロイドをつくった意地悪な神さま」が存在することは否定できない。

よって「独我論は論破できる!!」
で、ファイナルアンサー?
78考える名無しさん:01/10/16 21:31
結局アレだよ。
相対主義とまったく同じ問題じゃんよ。

「すべてのものは相対である、それが絶対の真理」
なんて事はつまり相対主義が間違っている事を示すものだけど
↑の所で思考停止してる人間からすれば間違ってなんかいない。
それと同じで
>自己が独我論だと自覚している時点で真の意味では独我論ではない。
もそいつらにはおかしくはないという事で不可能だと思う。

というか、水槽の中の脳って知ってるかい?
79考える名無しさん:01/10/16 21:34
(説いて聞かせるのは前提が固定している時点で)不可能だと思う。
80考える名無しさん:01/10/16 21:43
>>78
>というか、水槽の中の脳って知ってるかい?

慧子?
81考える名無しさん:01/10/16 23:27

>>1
とにかくだ。あんたの認識できる世界は、あんたの作ったもんだって。
それが全部創作なのか、実在を認識しての結果であるかは、どっちで
も同じ事。あんたにとっては唯一無二の世界で、認識の終了と共に消
滅です。どっちでも良いから、好きなように今を生きろよ。
82電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/16 23:32
お前ら。。。。
「独我論」ってカッコにくくるからフラスコの中のオタマジャクシになるんだよ。
83考える名無しさん:01/10/16 23:33
いつかはカエルになるのさ
84考える名無しさん:01/10/16 23:53
>独我論者
わたしはあなたではない。
あなたはわたしについて知り得ない。
わたしもあなたについて知り得ない。
85電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/17 00:05
>>83
カエルになっても出られない。
86考える名無しさん:01/10/19 17:58
独我論はまったくもって正しいといえることは言えないかもしれない。
しかし、他者の存在の確実性を証明できなければ、独我論を取らざるをえないように
思う。
なんかうまく他者の存在を証明できてる本はないでしょうか?
サルトルの『存在と無』は読んだので、ほかのものを。
87考える名無しさん:01/10/19 18:02
自己が消滅しても世界は存続する、というのは超越的認識であり、
妥当的な説明は不可能である。それほど独我論は強力である。
88ヤイコ:01/10/19 23:35
もしかしたら私以外居ないのかもしれない♪
89考える名無しさん:01/10/19 23:51
胃に悪いからみんな早く寝ろ。
90考える名無しさん:01/10/24 23:39
このスレ好きなのであげます
>>71 私は逆に私自身が無くなっていく感覚が恐ろしくて独我論を否定したい
>>72 私もそのように考えています
>>75>>77に対しては>>78の意見に同意します
ですので75,77では独我論は論破できないと思います
最後に >>86の考え方に私は独我論の突破口があるように思えます
何とか、他我(他者というよりも)の存在を確信したい!
(本気で考えると結構切実)
91考える名無しさん:01/10/24 23:40
>>90
セックスの一発でもやってみんしゃい.
92考える名無しさん:01/10/24 23:45
>>91 レスども(^^

実は若い頃はかなりセクース好きでしたの
でもほんま今考えると、>>90のような考えの
反動のような気がしまする
93 ◆OdCOt6u6 :01/10/25 00:08
例えば、ニュートン物理学と相対性理論だったら
光速に近い物体の運動に差が出るよね。

独我論が正しい場合と間違っている場合で
差が生じる状況ってある?
94 ◆OdCOt6u6 :01/10/25 00:10
独我論が正しいのと間違ってるのが両立しても
矛盾は生じないんじゃない?
95考える名無しさん:01/10/25 00:15
うーん、ちょっと何か本見ないとわかんないけど
他我認識の不可能性とか、ニヒリズムを招来するとか
物理的な矛盾は生じなくても、もろもろの問題は生じると思いますよ
この辺は誰か 正確なコメント待ちます
哲学の本論としては上記のとおりだと思いますが
<私>的には>>90で書いたように精神的な不安が大きい(^^;
96考える名無しさん:01/10/25 00:22
あほくさ
みんな本気で言ってんの?
97考える名無しさん:01/10/25 12:40
>>96
そういうあほなことをマジに語るスレなんだよ。
98考える名無しさん:01/10/25 15:03
自我の領域に幻聴、幻覚などは含まれるのですか?
寝る前の自我と朝起きたときの自我は何によって同一と見なすのですか?
99考える名無しさん:01/10/25 15:11
対話。経験則。
100考える名無しさん:01/10/25 16:13
自我と他我が意識を共有することが遠い未来できるようになるかも。
そうなったら独我論者は今度はその感覚すらそもそも私が作り出したものだと言うんだろうなぁ。
マンガで良くある、自分の完全なコピーが自分の方がオリジナルだと言い張るように。
独我論者にとっては何もかも全てが自我の産物なのだから、どんな経験や体験をしても
他我の証明だとはしないのだろう。
101考える名無しさん:01/10/25 20:23
>>100
>独我論者にとっては何もかも全てが自我の産物なのだから、
>どんな経験や体験をしても他我の証明だとはしないのだろう。

そのとおり

しかし、それは、独我論は論破できない、と言うことと同様ではないか
102考える名無しさん:01/10/25 20:34
>>98 幻覚幻聴と正覚正聴(?)とは、他人がその覚識について下す
評価以外に、区別する方法は無いと思います
寝る前の自我と翌朝の自我との同一性は、無論保証されていないでしょう
103考える名無しさん:01/10/26 09:51
>>102
ということは、朝目覚めたら別人になっている可能性があるということですか??
104考える名無しさん:01/10/26 12:25
>>103
多重人格者の場合、そいうことがあるんじゃない?心理学に詳しい人いない?
105考える名無しさん:01/10/26 12:40
小学生くらいの時はみんなと同じようなことを考えていました。
みんな、精神年齢低いね。
106考える名無しさん:01/10/26 12:58
>>104
なるほど。。。
>>105
私もかんがえてた。。。(笑)
でも、今になっても、論破できないのよこれが(笑)
107電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/26 17:21
>>105
そんなことぐらい私は幼稚園で考えていた。社会と交わるにつれ独我論的な思考から
遠ざかり、何かを契機にして再び独我論を機軸に世界観を再構築する。それがどのよ
うな内容であっても、思考の発展形態であることには代わりが無い。

そのような思考周期で自身の思想が深まるのだ。チミは何の進歩もしていないと言う事だ。

アフォ!!
10877:01/10/27 04:47
>>90
>ですので75,77では独我論は論破できないと思います

やっぱりそうかな〜?
これで論破できると思ったんだけど。
でもこれでもダメならもうほんとうに論破できないんじゃない?

まあ、「独我論を弁護してください」っていうのもムリだろうけど。
しょせんは否定も肯定もできないのか……。

でも、「アンドロイドをつくった意地悪な神さま」の存在は絶対に否定できないよね?
これも否定できる?
109考える名無しさん:01/10/28 05:05
他スレからのコピペだが、

>系の中では観念論も唯物論も整合的。
>問題は、その系の前提を承認しない人にとっては、どちらも根拠がない、というだけ。

独我論は否定も肯定もできない。
つまり、議論として不毛だと言うこと。ファイナル・アンサー?
110考える名無しさん:01/10/29 12:08
そんなこといったら最後には沈黙しか残らないじゃん?
111考える名無しさん:01/10/30 06:55
いや、でも、いちおう結論の出る議論もあるだろ?
ちゃんと否定も肯定もできる考えも。
独我論論争は、否定も肯定もできない点でやっぱり不毛だよ。
112 ◆OdCOt6u6 :01/10/30 09:45
だから肯定と否定が両立しても矛盾しないんだって。
113電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/10/30 11:26
お前らみんなアフォ!!

>>112さんの
>だから肯定と否定が両立しても矛盾しないんだって。
は死んでも理解できないだろうな。
114考える名無しさん:01/10/30 11:57
>>112
>だから肯定と否定が両立しても矛盾しないんだって。

うむむ、むずかしい……。
どういうことかくわしく教えて?
排中律が通用しないってこと?
115113:01/10/30 12:02
>>113
アフォフォフォフォ・・・
116電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/10/30 12:04
>>115
アフォはキャップかぶれ。
117116:01/10/30 12:05
>>116
アフォフォフォフォフォフォ・・・・
118電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/10/30 12:10
>>114
自分で調べろ。アフォフォフォフォ。
排中律の要件を正確に押さえずして肯定と否定は両立しないと主張する
馬鹿が多いんだよな。研究者でもな。それが適用されるのは「命題」と
言う思考の最小単位なんだよ。それが複合された一塊の思考全体に対し
て排中律を適用させて主張するのは誤謬なんだよ。一つ一つの命題につ
いて吟味する必要があるんだ。

その命題でさえ、現代では多価値論が用いられ、真偽の二極端では語り
切れなくなっている。
119113:01/10/30 12:11
>>113,116
お前ら、は、お前。アフォフォフォフォ・・・
120考える名無しさん:01/10/30 12:13
何気に親切だな、電波男よ。感心したよ。アフォフォッフォフォ・・・
121>>114 ◆OdCOt6u6 :01/10/30 12:13
>>93 >>94
に書いてあるよ
122考える名無しさん:01/10/30 12:27
>>121
ニュートン力学と相対性理論は矛盾しない……?
それは、日常的な世界とマクロ的な世界という、それぞれ通用するカテゴリーがちがうから?

ということは、独我論と素朴実在論は、通用するカテゴリーがちがうということ?
だから否定と肯定が両立しても矛盾が成立しないの?
123電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/10/30 12:31
>>122
相対性理論は大きな意味でニュートン力学の発展形態として捉える事が
出来るが、独我論と素朴実在論はその意味空間がまったく別なものです。
124考える名無しさん:01/10/30 12:32
複合された一塊の思考全体に対して排中律を適用させて主張するのは誤謬なんだよ

これがキモ。
125120:01/10/30 12:33
>>123
照れ屋でもあるんだな、電波男よ。フ・・・いい奴(はぁと
126 ◆OdCOt6u6 :01/10/30 13:30
目の前にパソコンがあるとします。
そのパソコンが知覚されているだけと解釈するのと、
実在すると解釈するのとで違いが発生するのか疑問なんです。

光速に近い物体の運動がニュートン物理学と相対性理論とで違いがでるように、
パソコンが例えば独我論では黒く見えるはずで実在論なら白く見えるはずだというような、
そういう違いが発生するのかということです。
127考える名無しさん:01/10/30 13:43
>>126
そりゃそーだ。
どっちでも(・∀・)イイってことか。
128考える名無しさん:01/10/30 13:47
>>126
とりあえず、実在も解釈の態様の一つだよ。だから運動に違いがあるんではなくて、
ある対象についての運動という見立てに関する説明が異なる、というべきだよ。

あと、発生しても、比較の対象にするためには、どちらの議論がよりその状況を
よく説明しているか、個々の条件を分析する必要があるよ。
※比較した結果、必ずしも片方の体系による説明が否定されるとはかぎらない。

分析しないなら、とりあえず両方ともその体系内における説明として、
成り立っているということになる。
129考える名無しさん:01/10/30 16:11
そもそも解釈を経由しない運動なんてありえない
運動は特定の観測系に必ず依存している
130電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/10/30 16:48
>>129
解釈と「特定の観測系」とは必ずしも一致しないように思いますが?
131考える名無しさん:01/10/30 23:19
>>126 えと、ずっと前の方で「むしろ自分の気持ち悪さの問題だ」とレスした者です
先にレスしたように、知覚のみであっても、実在していても変わりはない・・
かもしれませんので、その意味では等値であって、問題を検討すること自体、
誰かが言っていたように「ナンセンス」な問題(いわゆる「形而上学」)と言うことも
可能だと思います

ですが、そう言ってしまうと実在論の否定?にも繋がりかねず、
やはり先にレスしたとおり、主/客を分離した場合の客観的世界には
不都合は生じなくとも、未分化の「世界」には不都合が生じてくるのでは
ないでしょうか? その問題がどのように展開されるのかは、ちょっと
簡単には言えないのですが

>>128 難しいですがなんか大森さんの「重ね合わせ」のようなイメージですね
>>129 >>130 独我論からいわゆる「観測問題」に行ってしまったような
でも、難しいしとても面白くてよいです ぜひ続けてください
132考える名無しさん:01/10/31 22:15
独ガロンか、懐かしいな
毒蛾論を唱えているヤツをさ、殴ってみるといいよ
ぼこぼこにして「これでもお前しかいない?」
って聞くと、たいていのヤツは「わかった」って悲鳴あげるね
133 :01/11/01 08:32
ばかか。
殴っているおまえも、殴られた痛みも
そいつにとったら想像の産物なんだよ。
134132:01/11/01 12:56
>>133
ところで、あなたは独我論者?
もしそうなら、私の存在なんてあなたの妄想なんだから、
怒ることないんじゃない?(w
135132:01/11/01 13:00
まあ、実際にボコボコにして(されて)みなよ、
想像の産物だなんてほざいてらんないから(w
136考える名無しさん:01/11/01 20:33
独我論者をみつけたら、ぼこぼこに殴るんではなく、
気付かれないよう後ろからそっと近づいて後頭部をぼこりと殴って気絶させてやればよい。
137考える名無しさん:01/11/02 00:37
独我論が正しい場合    : 意味論だけで世界を解釈できる

独我論が間違っている場合 : 意味論と存在論の限定のない組み合わせで
               世界を解釈できる

でしょうか?
138考える名無しさん:01/11/02 03:36
>>137
議論がむずかしく、そしてレベルが高くなってきている〜〜〜っ!
ついてこれないから、もう少しかみ砕いて説明して〜〜っ。

>意味論と存在論の限定のない組み合わせで世界を解釈できる

って、具体的にどう考えればいいの?
139133:01/11/02 04:29
>>135
ばかか。
殴っているおまえも、殴られた痛みも
そいつにとったら想像の産物なんだよ。
140考える名無しさん:01/11/02 04:35
想像を絶する痛みってのもあるしな(ワラ
141考える名無しさん:01/11/02 05:33
私は誰によって作られたんだ?
私は何によって存在しているんだ?
自我を発生させているのは物質ではないのか?
自分の知覚や記憶さえも疑うのか。
何を現実として何を正しいとすればよいのか解らない。
142132:01/11/02 12:43
>>133
キミは、何か反射的にレスつけてるだけだな。
俺が言いたいのは、正常な人間なら、
日常的な経験から独我論的な立場を取るはずがないということ。
1がいってるけど、「この世に自分だけ」なら、
東大というモノが存在しているのに、なぜ自分は東大に行ってないのか、
フェラーリという車が好きなのに、なぜ自分は持ってないのか、
他人から殴られたり、しかも痛みを感じる必要があるのかとか、
疑問がいっぱい出てくるでしょ?
特に境遇にマイナス要素が多い場合にね。
そうした周りにある「事実」を、
ある意味では無視して独我論を貫く方が
よっぽど無理があるんじゃないの、ということ。
独我論なんて所詮、おぼっちゃまの「お遊び」だよ。
143考える名無しさん:01/11/02 13:59
>1がいってるけど、「この世に自分だけ」なら、
>東大というモノが存在しているのに、なぜ自分は東大に行ってないのか、
>フェラーリという車が好きなのに、なぜ自分は持ってないのか、
>他人から殴られたり、しかも痛みを感じる必要があるのかとか、
>疑問がいっぱい出てくるでしょ?

それは、「世の中のすべてが自分の思い通りになるはずだ」と思っている、ただのアフォのことでは?
独我論者というのは、別にそんなことが言いたいわけではないと思うけど。

もっとも、独我論者を集めてきて性格を調べたら、さらに自分勝手でアフォな性格を併せ持っている
確率が高い、というようなことは、言えるのかもしれませんな。
ただ、実際はどうだか知らない。知り合いに、客観的な真理が大事なんだと主張しながら、自分の
(他人から見れば勝手な)考えこそが客観的な真理だと言わんばかりの人がいるので。
こういう人間は、ある意味究極の独我論者ですな(わら
144132:01/11/02 14:26
>>143
逆に質問したいんだけど、
「この世の中に自分しかいない」はずなのに、
「世の中のすべてが自分の思い通りにならない」のはなぜ?
つまりだ、「自分の思い通りにならない」という事実こそ、
そこに自分以外の他者(他人ということではないよ)が介在しているといることを
きちんと証明しているじゃないか。

>それは、「世の中のすべてが自分の思い通りになるはずだ」と思っている、
>ただのアフォのことでは?
あなたのその一文が独我論を否定していることになるのだよ。
145考える名無しさん:01/11/02 15:30
>「自分の思い通りにならない」という事実こそ、
>そこに自分以外の他者(他人ということではないよ)が介在しているといることを
>きちんと証明しているじゃないか。

ここで「他者」と「他人」が区別されているのはよくわからないけど、それはそれとして…。
独我論者なら、自分の思い通りにならないものがあったからと言って、独我論が否定された
とは思わないでしょう。たんに、自分の意識に現れるものの中には、自分の思い通りになる
ようなものと、自分の思い通りにならないようなものの二種類がある、と考えるだけで(笑)。
普通の人なら、自分と他人・主観と客観・etcと考えるようなところを、独我論者はいちいち
「私の意識の中に現れるもののうち…」という前フリをつけて考える、という感じだろうか。

もっとも、これをやると、普通の人と会話が通じなくなる、ということはあるでしょうな。
とくに「想像の産物」という表現は、まずいだろうと思う。「想像の産物」という表現は、
頭の中のみで勝手に作った、自分の思い通りになるものに、限定した方がいいでしょうな。
独我論者にとっても。
146132:01/11/02 16:33
>もっとも、これをやると、普通の人と会話が通じなくなる、
>ということはあるでしょうな。
この世に自分しかいないのに他人との会話を気にするような
独我論者はまずいないでしょう(w

>ここで「他者」と「他人」が区別されているのはよくわからないけど、
これは人でなくとも、たとえば、突然雨が降ってきてずぶ濡れになったとか、
マンホールのふたに躓いたとかでもいいわけです。
それ故に「他人」ではなく「他者」と呼んだわけです。
ところで、そうした予期せぬできごとに遭遇した場合、
自分の観念の中だけでその出来事が生じたという説明は
とてもつけにくいのではないかという気がします。
「自分一人だけなのに、なぜ予定されていない出来事が起こるのか」
その説明をきちんとしている独我論者っているのでしょうか?
147考える名無しさん:01/11/02 18:25
>>144 世界が自分の思い通りにいかないことだけでは他者の存在の証明には不十分
   だと思うが。
まー独我論者も理論と実践で分けているでしょうに。実生活から独我論を貫いていたら
尊敬するとともに、電波国の住人として相手にしたくはないですな。 
148考える名無しさん:01/11/02 20:26
みなさん、どーも
独我論を積極的に主張する人は少ないのではないでしょうか?
むしろ、1さんもそうであるように、独我論を否定したい(けどうまくできない)
または、他人の実在を証明したい(けどうまくできない)
じゃ、そもそも実在そのものも私の感覚の作り出したものにすぎない、
としても矛盾は生じないじゃん ・・・えっ、そんな、世界が実在していることすら
論証できないの?? えっ?、えっ?

とまぁ、私的には誰かが書いてたように子供の頃からこんな感じがありまして
あまり、考えすぎると頭がおかしくなりそうなので、
ある時を境にこれは考えてはいけないことだと決めて封印していました

で、大人になって、哲学でもそのようなことが未だ問題とされていると知り
もう大人だし、知恵もついたからこの問題を考えても大丈夫だよねと
封印を解いて、考え出したとたん・・ やはり気が狂いそうになります(苦笑
149考える名無しさん:01/11/02 21:39
>>148
>独我論を積極的に主張する人は少ないのではないでしょうか?

生きていけないからでしょ(笑
150名無しさん:01/11/03 23:14
>>146
>「自分一人だけなのに、なぜ予定されていない出来事が起こるのか」

夢にも悪夢ってあるしね。
151通りすがり ◆66lkQmK2 :01/11/04 01:33
物理学のだれかが言ってたことですが、全ての物理的存在が1秒ごとに
2倍の大きさになる、という物理法則に沿ってこの宇宙ができていたとしても
観測不能なので絶対に知覚できません。

仮に、実際にこの宇宙がそうであっても、その宇宙にいるモノにとっては
何の意味もない(もちろん、物理的にも、哲学的にも)ことだからです。

独我論が正しいとして、であれば、どうだというのかが解りません。
どなたか、解説してくださいませんか?

個人的には独我論が正しくても何も変わらないと思っておりますが。
152ドキュソニアン:01/11/04 01:59
>物理学のだれかが言ってたことですが、全ての物理的存在が1秒ごとに
>2倍の大きさになる、という物理法則に沿ってこの宇宙ができていたとしても
>観測不能なので絶対に知覚できません。

カントも、「全ての」物理的存在について、その「大きさ」を
考えることは、単に無意味だといっていると思います。
「大きさ」は直観の形式である空間に適応されるのであって、
単なる理念である宇宙についてそれを適応することは誤り。
「無限」が「最大の数」ではないように。
153名が無い:01/11/04 02:16
>1
1そのものの問いかけそのものが「独我論」を誤認してるから
ほとんどのレスが、トチ狂っている。

>自分しか存在しないにしては、どうして自分が一生かかっても
>読み切れないほどの本があったりするのか?
>自分しか存在しないと考えるには、この世(宇宙の構造とか、
>生命の構造とか)はちょっと複雑につくられ過ぎてるような
>気がして、やっぱり違和感があります。

本がある、宇宙がある、複雑な生命の構造がある…他人が居る…
じつは、そう「思い込んでるキミ」がいるだけだ。
このレスを書いている「名が無い」という奴も、そいつが書いたレスも、
キミが「あると思っているだけ」かもしれない。
「思っているキミ」以外の一切が、キミに「思われているだけの現象」
であり実際には存在などしていない。
即ち、この宇宙の全てが=「キミの思い」に過ぎない。
154考える名無しさん:01/11/04 02:21
つまり、独我論を考える事は神学者が天使の総数を考えることと
同じだということだね。
155考える名無しさん:01/11/04 02:25
「君の思い」にすぎないという思考を可能にするものを
カントが「物自体」と呼んだのではないだろうか。

全ては「私の思い」にすぎないという思考は
独我論においてはまさにその「私の思い」の
なかで生じなければならない。以下無限背進。
156考える名無しさん:01/11/04 02:27
親ってなんで死ぬんだろうな。
157考える名無しさん:01/11/04 02:28
>>153
正解。それが「独我論」。で、1が望んでる証明と論破は?
誰か
正確にやってくれや>ALL
158考える名無しさん:01/11/04 03:27
>156
親がいる、自分は親から生まれた、親って死ぬんだ、親が死んだ…
そう
「思っているキミ」が居るだけ。いつも、何処でも。
キミが「あると思っている世界」は、キミの「思い」に過ぎない。
ほんとうは、無い。何も無い、親など実際は存在していない、
ネットもPCも2chも哲学板も本当は存在していない、
ただ「ある、見えていると信じているキミ」の「思い」だけがある・・
159考える名無しさん:01/11/04 14:11
今この書き込みをしている「私」は「私」だけでなく、
この世界が歴然と存在し、
153にしろ、1にしろ、たぶん存在していると確信している。
もちろんそれを証明することができなければ
独我論を論破することは永遠不可能だ。
しかし、それは独我論だけではない。
身近にあるすべての物は知覚することはできても、
その存在を証明することはできない。
だからといって独我論が正しいということにはならない。
160電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/04 14:17
独我論を論破など意味が無いことに早く気づけよ。
161考える名無しさん:01/11/04 14:18
>>153 >>157
キミたちはたぶん独我論を信じてないんだね。
なぜなら、誰かとか「キミ」とか、呼びかけること自体が
他者の存在を想定しているからね。
独我論者が、他者に呼びかけたり、
期待するというのはなんか矛盾してるよね。
162考える名無しさん:01/11/04 14:36
世界一のベストセラー本は読んで理解したか?
163考える名無しさん:01/11/04 21:49
「あなた」は存在しないかもしれない。
164メガネ(えーと):01/11/04 22:02
>独我論者が、他者に呼びかけたり、
>期待するというのはなんか矛盾してるよね。

  そうですか? チューリングテストみたいなものではないですか?
165考える名無しさん:01/11/04 22:13
5時間以上パソコンの前で座っている場合

 独我論が成立している可能性があります。
166メガネ(えーと):01/11/04 22:17
5時間という数字に何か根拠が?(笑)
167考える名無しさん:01/11/05 11:27
大森荘蔵は自身の著「知の構築とその呪縛」の中で、
錯覚論法について次のように語っている。
『…幻覚がありうる、と認めることは、
少なくとも幻覚と幻覚ではないものの区別を知っての上でのことである。
それが「幻覚」という言葉の意味を了解しているための必須の条件だからである。
赤と青の区別ができないで「赤」の意味が了解できる道理がない。
だからこの科学者も幻覚と正常の区別を知っている。
その区別は、誰でも知っている常識的区別である。
その了解されている区別によって、その科学者は当日の状況は
幻覚ではなく全く正常なものであると確信しているのである。
いや、その区別自体も幻覚、その確信自体も幻覚、世の中すべてが幻覚、
ということも可能ではないか、という人は、
「幻覚」という言葉の意味を世間とは違って使っているのである。
日銀発行のレッキとしたお札まで「ニセ札」だといいうる意味で
「ニセ札」という言葉を使うのと同じである。
それは言葉の自由だから誤りではない。
しかしその言葉を使えば、ニセ札を使うことは犯罪ではなく、
ニセ札が流通することが正常な日常だ、
といって構わない式の使い方で、
暇人の言葉遊びとしても面白くもない。』

大森自身、独我論者だと思うが、
こんな考え方をしているというところが面白いよね。
168考える名無しさん:01/11/05 20:06
>>167 俺、後期3部作読んで大森のファンのつもりだったけど
上の文は、正直全然面白くなかった
169考える名無しさん:01/11/05 22:28
「ゴマキと結婚したい」という信念を一度でも持ったことがある場合

 独我論は破綻している可能性があります。

 <私>という実在以外にゴマキの実在性を認めているからです。
170考える名無しさん:01/11/05 22:33
>>169
><私>という実在以外にゴマキの実在性を認めている

でも、おそらく独我論者は、
「ゴマキは私の想像の産物である」と切り抜けるでしょうね。
171考える名無しさん:01/11/06 01:09
>>169
「信念」とは何か? それから考えよ。
独我論のベースは、「幻覚」や「想像の産物」という次元ではない。
キミがたった今、死ぬとして(いずれその時は必ず来るのだが)
キミが死ぬ、とは何か?
その瞬間キミにとって、ゴマキは2chはPCは…世界は…いったい「何」か?
172考える名無しさん:01/11/06 20:46
自分の「心」が存在することを認める人は観念論者
ではあるけど、独我論者ではない。

想像上のゴマキは君ではない。
173考える名無しさん:01/11/06 22:25
みんなエヴァンゲリオンの見すぎ。
174考える名無しさん:01/11/06 23:40
バークリーなんかは独我論者といってよいのでしょうか?
ものが外在しないところに独我論のナイスなところだと思うんですが。
175考える名無しさん:01/11/07 00:01
ちょっと問題を最初に戻させてもらうと、
独我論を論破することはいくらでも可能だ。
しかし、それは「1プラス1は2」ということを教えるのと一緒だ。
理解できる人には理解できるし(独我論は間違っていると)、
それは嘘だ(独我論は正しい)と
本気で思いこんでいる人間までは説き伏せることはできない。
176考える名無しさん:01/11/07 04:38
>175
論破と説伏は、全く違う。テツガクをおべんきょし直してこい。
177考える名無しさん:01/11/07 08:29
独我論者は自我が作り出した幻想の世界の中でさえ
物質的な法則を無視しては生活ができないはずだ。
独我論なんてなんの意味もなさない。単なるファッションの様なものだ。
独我論者にとっては「独我論」も自我が作り出した妄想なんでしょう。
178175:01/11/07 23:26
>>176
ほう、では何が違うか教えてよ、屁理屈じゃなくてね(w
179133:01/11/08 01:24
>>142

物理法則が自分に有利に働かないのと
唯我論の否定とはどういう関係があるんだ?
180名無しさん:01/11/08 08:11
ちょっと思ったていどなんだけど、
独我論と素朴実在論は、ガリレオの相対性原理に似てるんじゃない?

電車に乗って風景を見ているとき、
電車が前に動いているとも言えるし、
まわりの風景が後ろに下がっているとも言える。

両方とも同等の権利で主張できる、みたいなの。
181考える名無しさん:01/11/08 11:40
>>180
よく言われる認識論の初歩も同じ問題をはらんでいるよね。
目で見ている風景は実際に「そこ」にあるのか、
それとも見ている人の中(脳?)にあるのか、
182考える名無しさん:01/11/08 14:16
デカルトとかそういう昔の哲学者に影響を受けた
あなた
がいることで哲学者の存在の証明が成立している
故に
そういう自分が多数いるということから
独我論は否定できる
183考える名無しさん:01/11/08 14:57
>>182
そんな単純な問題じゃないですよ。
まず、デカルトが「いた」ということは証明できません。
なぜなら「私」たちは本人を見たワケじゃないですから(w
冗談はともかく、デカルトが目の前にいようと関係ありません
それは自分が知覚しているだけであって、本当に存在している
ことを証明することは決してできないのです。
そう、この世界には「あなた」しかいないんですよ(w
184132:01/11/08 15:21
>>142
別に物理法則だけの話ではない。
たとえば、キミが誰かに対して怒ってるとしよう
この世界にキミしかいないはずなのに、
一体誰に対してキミは怒っているのだ?
社会に憤りを感じるとき、なぜ憤る必要があるのか?
キミが理解できる概念と理解できない概念が存在するのはなぜ?
独我論的な立場を取る限り、その人の前には
解決できない問題が山積みになっていくのだよ。
185132:01/11/08 15:24
>>142=× >>179=○
133へのレスね
186考える名無しさん:01/11/08 16:31
183>>そういうのは読んだ事無いんでわからないんだが
その人が書いた「本」があるわけなんだから
もう一人別の人がいたって言う証明にならないかい?
音楽だって声と音が認識できるんだから自分が出来ない楽器の音が
何故鳴ってる?って想うとやはり独我論は成立しない
187考える名無しさん:01/11/08 17:19
>>186
その本が確かに「ある」ということは、どうやって証明できますか?
「あなた」が触ったり、読んだりできるから「ある」と思いこんでいるだけです。
「そこに本があるよね」と他人に聞けば「あるけど?」と怪訝な顔をされるけれど、
「あなた」は「ほら、やっぱりあるじゃないか」と安心する。
でも、それだって他人の声を「あなた」が聞いて納得したということです。
外部から流れてくる音楽? よく考えてみてください。
「あなた」が遠ざかると音楽はだんだん聞こえなくなりますよね。
「あなた」がいるから音楽だって聞こえるし、聞こえなくもなるんです。
ほら、「あなた」以外に確かなものって、ありますか?
188186改め666 ◆xenNZQbg :01/11/08 17:36
187>>
そりゃあ遠ざかれば聞こえないよヘルツっていうものがあるんだからさ
デモ聞こえるだろ?現に君はは聞こえると自分で証明してるよね?

「あなた」がいるから音楽だって聞こえるし聞こえなくもなるんです、>>
これだよ
これを裏表で考えると
「音楽が聞こえるから俺がいるそして同じ音楽を他者が聞く(同じ音を証明するには自分(ここで言うあなた)がともに聴けばいい」
そしてその音楽をを評論する」
ほら独我論はここでも成立しない


俺も独我論には賛成はだけどあえて否定派に移る
189考える名無しさん:01/11/08 17:58
>>188
666さん、頼みますからレス指定を変えて下さい。
187>> →  >>187
かちゅ〜しゃのポップアップが効かない、、、
190183(一橋さん):01/11/08 18:13
>>189
賛成派だけど否定派ということの意味は?
独我論が正しいということを最終的に確認したいのかな。
実は逆に私は否定派なんですよ(w
だからあなたの「言いたいこと」はよくわかる。
でも、独我論を論破することは「不可能」だと私は知っています。

あなたがあげた
>「音楽が聞こえるから俺がいるそして同じ音楽を他者が聞く
>(同じ音を証明するには自分(ここで言うあなた)がともに聴けばいい」
>そしてその音楽をを評論する」

これは独我論が成立しないということの何ら説明になっていません。
ここで確かなことは「音楽が聞こえるから俺がいる」という部分だけです。
「同じ音楽を他者が聞く」というのは、「あなた」がそう感じているだけです。
その音楽を評論するのは「あなた」と「他者」ですね。
そして、それが評論されたと感じているのは、やっぱり他ならぬ「あなた」です。
つまり、どんな事象をとっても、その主体となるのは「あなた」だけで、
「あなた」以外の物は一切、はっきりしない。
独我論はやっぱり成り立っていますね。
191183:01/11/08 18:14
↑間違えちゃった、スマソ
>>188へのレスね
192186改め666 ◆xenNZQbg :01/11/08 18:56
>>189悪い以後気をつける
>>190
独我論を否定し消去法で一つずつ論理を砕き独我論を確立させる意味だ
だからあえて自分が納得いくように否定派に行く 俺もこの世界には・・・と思ったときがあるからと言うのも有る

さて
なるほど「すでに用意されていた」とも考えられるな
だとすると用意した何者かがいる
と言う考え方はやはり独我論を否定する
193186改め666 ◆xenNZQbg :01/11/08 19:11
余談だがこれ論破したらえらいことになるな・・・
194びたみん:01/11/08 20:21
みなさんこんにちわ。
世の中には、証明のできない事実ってものがあるんですね。
独我論然り、他者の実在然り。
独我論は正しいと思う。他者の実在も、十分疑う事
ができるけど、やっぱり存在してそう(イヤどうかな?)。
独我論って正しいよね?って他人に語りかけるのは
「ナンセンス」なのかもしれないけど、そんな矛盾はしない
と思う。とりあえず、言語的に共有された独我と、
真のスペシャルな独我は全然違う。。。
永井均マンセー!
てゆうか、みんな、そろそろ白状しろよ?わたしはただの
幻影ですって。。。
195考える名無しさん:01/11/08 21:20
ところで、ちょっと前のレスになるんだけど、

>>151
>仮に、実際にこの宇宙がそうであっても、その宇宙にいるモノにとっては
>何の意味もない(もちろん、物理的にも、哲学的にも)ことだからです。

>独我論が正しいとして、であれば、どうだというのかが解りません。
>どなたか、解説してくださいませんか?

>個人的には独我論が正しくても何も変わらないと思っておりますが。

こういう書き込みができる人は独我論の意味を本当にわかっていないんだと思うよ。
この世界に自分だけしないないということがどれほど恐ろしいことか・・、
初めて独我論を実感したときは、発狂寸前までいったね。
196考える名無しさん:01/11/08 21:24
そうか?それでも我だけは疑わないの?
197考える名無しさん:01/11/08 22:19
>>196さん 148でカキコした者ですが
たぶん私は195さんと同じような感じかな
>そうか?それでも我だけは疑わないの?
えと、独我論と離れるカモしれませんが
私は「我自身」もよくわからなくなってあせりますよ
ホントニイルノカナ  ・・って感じ
(でも、病気じゃないよ 普段はあえて考えないようにしてるからね)
198Маршал Боголюбов:01/11/08 22:25
>195氏
 本当の意味とは? 説明できたらしてほしいものですが
>196氏
 芥川龍之介ですね
 ただ、195氏は、彼と我の区別が分からない域に達していると思われます
199考える名無しさん:01/11/08 22:42
>初めて独我論を実感したときは、発狂寸前までいったね。

そりゃ「あんたの」独我論じゃないのかね?
それとも何か?発狂とか恐ろしいほどの孤独とか
そういう体験をしなけりゃ本当の独我論じゃないとでも
いいたいんじゃないだろうな。ええ?
200考える名無しさん:01/11/08 22:44
ていうか本当の独我論って何?
論破するにしても独我論の見解が統一してなけりゃ
論破する事は無理だっての。
201666 ◆xenNZQbg :01/11/08 22:54
今まで見てきたものは全て幻想か・・・まさに
ベートーベンの交響曲7番を聞いてるような感覚
202Маршал Боголюбов:01/11/08 22:59
幻想があればどこかに現実はあるだろう。
少なくとも幻想と対になる観念を持っているならば。

それらの区別をつけようとしなければ
難しいことを言う必要はない。
203666 ◆xenNZQbg :01/11/08 23:06
そっからいくか?
204195:01/11/08 23:19
>>198>>199

>独我論が正しくても何も変わらないと思っております

これに対するレスなんだけどね。
もちろん、感じ方は人それぞれだろうけど、
理屈じゃなく、実感として独我論を解ったと思った時に
そう感じたということ。俺の中ではそれこそ、さまざまな事や物に対する
「想い」が360度転換したよ。
何も変わらないというのは、独我論を理解してない証拠じゃないか?
自分の認識が変わっても、世界は何も変わらない?
だって、その世界を認識しているのは、自分自身に他ならないんだよ?
205考える名無しさん:01/11/08 23:22
独我論の実感という事が既に
>「想い」が360度転換したよ。
>何も変わらないというのは、独我論を理解してない証拠じゃないか?
と決めてるから反論できませんな。
206Маршал Боголюбов:01/11/08 23:33
>204氏
 独我論は実感すべきものなのであろうか?
 それとも理解すべきものなのであろうか?
 少なくとも認識する時点、で認識されるべき世界が存在しなければ、
 世界を認識できないのでは?
 むしろ、わたしが、そのたびごとに世界を創造すると言うか、
 世界=わたしであって「認識」は迷信だと言うべきではなかろうか?

 ついでに野暮なこときくかも知れないが、
 「「想い」が360度転換した」のはエヴァのラストを見てから?
207考える名無しさん:01/11/08 23:35
実戦的妖精
208195:01/11/08 23:50
>>206
ハハ、エヴァじゃないよ。

そう、世界=自分。
だからこそ、自分のあり方が変化することにより、
世界のあり方も変わっていく。
例えば、(これはとても単純なんだけど)
自分がハイな時は、やはり周りの人間も幸福に見えるようにね、
雲が楽しそうに見えるのは、自分がそう見えるのではなく、
実際にそうなんだと、確か大森先生あたりが言っていたかな、
それが実感ということなんだけど。
ところで、認識される世界が「わたし」自身でも不都合はないと思うが。
209Маршал Боголюбов:01/11/09 00:10
>195=208

 世界=自分でしたか。それなら話は分かります。
 204では真意を測りかねたので。

 ただ、世界と自分が完全に一致するということなのか、
 全部集合「世界」とその部分集合「自分」があって(いずれも無限集合)、
 部分は全体に一致するということなのか、
 まだはっきりしない部分がありますが。

 「認識」が主体と客体の関係であるとすれば、主体と客体が一致するのは
 ちょっと気持ちが悪いような気もしますが、単に言語の感覚の問題かもしれません。
210195:01/11/09 00:37
えー、ちょっとつまらない話かもしれないけど、書いてしまうね。
ある時数学の問題を解いていて、なぜこんな問題が解らないんだろうと思った。
でも、その解らないということを理解している自分とは何だろうと
とても不思議な気分になったことがあるんだよね。
あとで何かの哲学書で同じような事を書いていたのでびっくりしたんだけど、
ある問題が「わからない」というのは、
「わからない問題がある」ということを含めて、
その問題を自分が理解しているのではないかと。
また、たとえ未知の問題がたとえあったとしても、
自分が理解していない限りにおいて、
存在していないということに等しいではないかと。
つまり、こうした関係において世界は自分とイコールで結びつけられるわけで、
自身を鳥瞰図的に眺めることはできないんのではないかと。
だから私が理解するところの独我論では、世界と自分自身は完全に一致するんだよね。
つまり、鏡がなくては自身の姿を見ることはできないけど、
独我論には、そうしたもどかしさと同じ性質の問題があるような気がする。
211考える名無しさん:01/11/09 00:45
>>206世界=わたしであって「認識」は迷信だと言うべきではなかろうか?

うまい!
212考える名無しさん:01/11/09 01:00
211だけど、ほめると後味わるいので追加。

こんなのもあった。
>>202幻想があればどこかに現実はあるだろう。

幻想があるのは私のなかである。これと同一のものを世界1と呼ぼう(206)、
ところが上の202から、この世界1と別の世界があるだろう、ということになる。
よって、Маршал Боголюбов 氏は実在論者と認定。
213666 ◆xenNZQbg :01/11/09 02:12
独我論はある意味
ドラえもんの最終回が「のび太は実は植物人間で今までドラえもんジャイアンetcと遊んだり冒険した事は全て夢だった」
と言う噂によく似てる  (これ聴いた時は背筋に悪寒が走った)
藤子不二男も独我論者だったのだろうか・・・
214考える名無しさん:01/11/09 12:12
なんか、ふと思ったのだが、
他人の存在を証明できないって言うことは、生命の定義にも関わってくるんじゃないかな?
他人の心の実在を確認できない以上、
「どこでもいっしょ」のトロみたいな疑似生命体も生命と判断しなくちゃならない。

じゃあ、生命の定義ってなんなんだ!?
215Маршал Боголюбов:01/11/09 12:41
>210=195
 比喩的に言うと(比喩以外に語ることはできなさそうなので)、
 監獄生活以外の知識がない囚人にとっては、
 監獄(自分も含めて)が全世界であるということですか?
 少女革命ウテナみたいな話ですね。
 「鳥瞰図的に眺める」でちょっと疑問に思ったのですが、
 主観と客観の統一による原初への回帰という意味が入っているのか、
 それとは無関係なのか、どちらでしょうか?

>212
 202では、現実もわたしの中にあるだろう、と言いたかったのですが、
 舌足らずな変な表現をして申し訳ありません。
 観念として「現実」を持っていなければ、「幻想」という観念を持つことは
 できないのではないか、といいたかったのですが。
 「現実」も「幻想」もわたしの内の思考の中に存在するものであって、
 自分が納得すればそれでいいのであれば、両者を区別しようがしまいが
 大した問題ではないのではないか、というつもりでした。
 212の表現を借りれば、「世界1がわたしのなかにあり、別の世界もわたしの
 中にある」、ということです。だから、どちらかといえば観念論者のつもり。
216考える名無しさん:01/11/09 12:42
「他人の心の実在を確認できない」といっても、実在しているかの
ように人は振る舞うではないか。
で、その振る舞いがすべてであり、その背後を想定す必要ははい。
独我論は「背後」という形而上学を勝手に設定し、それに対して勝
手に懐疑しているように見える。
217考える名無しさん:01/11/09 12:59
>>214
>>1の疑問にも関係してくるんだけど、
「この世に自分しかいない」ということと、
「では、この複雑な世界はなんなのだ?」
という問題は切り離して考えるべきではないだろうか。
逆に考えれば「この世に自分しかいない」のであれば、
世界はもっとシンプルでよいのだろうか?
そうではなく、このような「ありよう」を示しているのが
世界と呼ばれるものであり、
その中に私たちは、偶然(必然?)にも
放り込まれたと考えるべきではないだろうか。
 独我論は論破できないという意味で正しい。
しかし、直観(というよりも常識か)としてはどこか釈然としない。
それはそのはずで、他人とは、
自分が他人と感じる存在の呼び名のことであり、
他人の存在証明など、実はどうでもよいのだ。
永井均もそうした独我論のことを見せかけの問題と呼んでいる。

今では棚で埃をかぶっているが、
かつての「実存主義」の考え方にこんなのがあったはず。

私たちは、人間として生まれたが、
時代や状況などの条件を自ら選択することはできない。
なぜ、ここにいる(存在する)のか、それさえ分からない。
218つまりね:01/11/09 13:42
>>217
「なぜ」を問う前に、ここにいるのか、そもそも存在するのか?
それがわからない。「人間として」「生まれた」のかどうか?
それさえわからない。 =独我論。
219考える名無しさん:01/11/09 14:05
216は野矢茂樹の路線かな?
220考える名無しさん:01/11/11 03:38
この問題を考えるにあたって、まず自分という存在がなに(人間で
あるかも含めて)であるかを定義しないと解決しなのでは??

人間であるというのであれば、論破できそうなんだけどなぁ〜。
それをも否定するのであれば、不可能じゃないでしょうか??
221Маршал Боголюбов:01/11/11 03:41
「人間」という用語を使う場合の約束があれば、の話です。
222考える名無しさん:01/11/11 03:45
>>221
それは、人間とは何かというところまで遡る?わけですか??
223Маршал Боголюбов:01/11/11 03:49
「何か」を考えると難しいので、「人間」をどういう意味で使用するか、という話ですよ。
用語法は最初に定義すれば何でもいい、という話だし。
こんなこと言い出すとは、わたしも年かな。
「りんごとは何か」を考えるのが馬鹿場悪しいなら「人間とは何か」を考えるのも馬鹿馬鹿しいし、
意味があるならその逆も然り、という話です。
224考える名無しさん:01/11/11 04:24
1でも書いてあるが、自分一人が生きるために作られた世界
にしては、壮大で複雑すぎる。
また、世界=私であるとすれば、自分の知らないことが多すぎるのでは?
それに誰か(他人がいると仮定します。)と話をした時、「なるほど!」
と思うのはおかしな話じゃないですか??さらにいえば、予測不可能な
出来事があるというのもおかしいでしょう。
簡単な話、独我論という理論が成立してる時点で論破されてるの
ではないでしょうか??
もしこの世に「私」一人であって、独我論を思いつく、そして、考える
で全てを悟った時、「私」に残された道は自ら命を絶つ以外ないと
思いますが・・・
225考える名無しさん:01/11/11 04:26
でもさあ、時々夢の中で、普段知ってたり、当たり前だったり
することに気づかないことあるじゃない。
226考える名無しさん:01/11/11 07:01
というかこの世界は独我論という幻想でさえ見せてくれる世界だという
考えはないのか。
227666 ◆xenNZQbg :01/11/11 07:14
世界と言う概念自体ないだろう
幻想であれば現実は一体何処なのだろうか・・
幻想と現実は繋がっているのかもしれない
現に認識しているという己がいるから
228通りすがり:01/11/11 10:27
>>1
独我論は論破できない。

そもそも、
私が見ているのは全て幻かもしれない、という
不安は「未来への不安」である。

というのも、考えてみて欲しいのだが、
「私の見るものは全て幻だがずっと消えない」
という命題には意味がない。それは幻ではない。
「幻」という不安は、それがいつか消えてしまう、
あるいはいつ消えるかわからないという不安であるの
だから。

とすれば、その問題を解決するには、
「私の見ているものはずっと見え続ける」
ことが分かればよく、かつそれ以外の解決法は
ない。

しかし、未来のことはわからない。
分かってしまったならばそれは未来ではない。

よって、私の見ているものがずっと見え続けることを
保証することはできない。
独我論は論破できない。
229考える名無しさん:01/11/11 14:15
おおっ、やっとまともな意見が出たな。
これで論破はできないという事がわかったが
論破したようなものだな。
230考える名無しさん:01/11/11 19:34
未来は分からない。
だから独我論は論破できない?

う〜ん、言われてみればそのような気がしてきた。
未来(時間?)と、独我論は、密接に関係しているのかもしれない。
231考える名無しさん:01/11/11 19:42
独我論を論破する必然性がない。
232考える名無しさん:01/11/11 21:25
どこがまともな意見なんだ
幻の定義がそんなのでいいの?
233考える名無しさん:01/11/11 21:43
未来はいかなる意味においても実在しない。
そんなことは分かりきっとる。
未来が分からないから
独我論が論破できないとは短絡的な結論である。
228の考えでは、
目の見えない人は独我論をどう捉えるのか?
234考える名無しさん:01/11/11 23:03
幻を夢に置き換えればいいんじゃない?
235228:01/11/12 04:55
228は結構思いつきで書いたので、どんどん批判して
もらるとありがたい。

>>232
多分、純粋に学問として哲学をやってる方からみれば、
228はいかにも杜撰な言い方だと思う。ただ、>>1の質問は
学問的問題意識というよりは哲学的"不安"から生じた部分が
大きいような気がしたので、雰囲気を重視して(笑)文学的な書き方を
させてもらった。とはいえ、論理的にも大きな問題は無いのでは?
「幻」の定義はしなくても、「幻への不安」を228のように説明して
やればこの場合充分な気がするのだが。

>>233
いや、「見える」とか「見えなくなる」というのは
この場合視覚以外に置き換えても問題はなく、とにかく
「在ると思う」→「無いと分かる」が経験できる人なら
視覚障害者でもヘレンケラーでも228の有効性は変わらないと
思う。そんな言い方より、234のように夢と言い換えてしまう
ほうがわかりやすいかもしれないが。その場合は、
「現実と思う」→「夢から覚め、それが夢だったと分かる」と
いう変化への不安が、独我論の不安ということになるだろう。

>>231
そのとおり。でも論破できないと不安なので論破したい。
なのに「論破できない」という結論を自分で出してしまった……
だれか俺の結論を論破してくれ。
236考える名無しさん:01/11/12 13:07
>>224とか、「本があるから書いた人がいる」とか言ってる奴は
独我論の深さを全然分かってないね。
237考える名無しさん:01/11/12 13:36
>>233
無眼耳鼻舌身意…無色声香味触法…(「般若心経」より)

「我」を構成する様々な要素↑の内で、
ただ一つ視覚が損なわれただけ。「我」の内実は全く変わらない。

>>235
その「独我論」理解は、ズレている。
「独我論」と「独我論の不安」と「君自身の死への不安」が
ゴチャゴチャになっている。整理して考えるべし。
238考える名無しさん:01/11/13 01:24
独我論を論破できないと何で不安なの?
239ゆう:01/11/13 01:50
独我論の話にはかなり興味があります。

「あなたがそう思っているだけでしょ?」
「いや違う!確かにそうなんだ。ほら、きみにも分かるだろ?」
「…。」
つまり、嘘を言われている…かも…しれない…。
というのが、いわゆる「不安」なのではないでしょうか?

「このケーキ、美味しい!」
「ええ?そう?君、食べてみた?」
「いや。」
「じゃ、たべてみて。」
食べる。
「やっぱり美味しくないね。」
「そう…。」
この二人の会話には、嘘があってもなくてもおかしくない。
つまり、美味しいか美味しくないかは、それぞれが独自にわかっているから。
でも、どうなんでしょ。相手が同意しないから「不安」になるのは、
自分の体験したことに自信がなくなるからであって、自分が体験したことを
自分に納得させることができないためなのではないでしょうか?
自己不安を抱えた「独我」は、決して「独我論」ではないのです。
自分がどう思ったか、そしてその「思い/感じ」が他者にどう伝達されるか、
またその伝達の如何が<私>にどう受け止められるかが、哲学としての
独我論の始まりだと思う。
単なる「不安」を論破する必要はあっても、
あえて哲学としての「独我論」を論破しようとする試みは、
哲学の放棄に繋がるのではないでしょうか?
どうでしょう?
240びたみん:01/11/13 02:00
>>239
相手が同意したとしても、不安は拭えないと思いますが。
独我論的不安ていうのは、それでもこの世界は全て嘘かも
しれない、っていう決して拭えない疑問からくるのでは
ないのかな。。。


独我論は純化された実在論だよね。
241考える名無しさん:01/11/13 02:20
>>240 この世界がすべてうそだったとして、なんで不安なんだ?
結局ウソかホントか確かめられない以上、たとえウソだとしても
今の現体験のなかでは、存在の確かさは体験的にあるし、それ以上
の存在の確認方法はないんじゃないか。
242Iridium:01/11/13 02:27
あのさ、このスレって結局は
「リアリティが足りない!」
っていう心の叫びなんじゃないか?
243考える名無しさん:01/11/13 02:29
戦争にいけ。
244びたみん:01/11/13 02:31
>>241
うん。
確かに確認方法は無いし、存在の確かさは体験的にある。
でも・・・なぜか不安なんだよね。
だって、もしかしたら世界はやっぱり、夢かもしれないじゃん。
まあ、独我論的傾向をもつ人の多くは自己や世界の存在を
不安定な事柄として、生の中で感じているのかも。
245考える名無しさん:01/11/13 02:36
夢は夢で楽しむことが大事。夢だから不安っていうのは、妄想。
覚めた後、ああ夢だったのかと反省的に振り返るのはいいが、
覚める前から覚めた時のこと不安がっても意味ない。死ぬまで
覚めなきゃ、それが現実なんだ。
246Iridium:01/11/13 02:39
>>243
う〜ん、戦争に行くほどの必要はなくて、
ちょっとしたことで解消するような気がするんだけど。
毎週、必ず今までにやったことのないことをやるとかね。
ちなみに僕は先週、生まれて初めて「コンパ」ってものに行ってきた。
247びたみん:01/11/13 02:40
>>246
どーだった?
248Iridium:01/11/13 02:47
わかったこと。

1、専攻などを聞くのは野暮であるらしい。
2、僕は「ラストエンペラー」のジョン・ローンに似ているらしい。
3、女の子から教えてもらった電話番号は応答がない。
249考える名無しさん:01/11/13 12:05
>>239
>自己不安を抱えた「独我」は、決して「独我論」ではないのです。
>自分がどう思ったか、そしてその「思い/感じ」が他者にどう伝達されるか、
>またその伝達の如何が<私>にどう受け止められるかが、哲学としての
>独我論の始まりだと思う。

ちょっと違うと思うな。独我論っていうのは、徹底した懐疑の末に出てくるもので、
哲学的な疑問を持った人間なら必ずぶつかる問題の一つだと思う。
他者にどう伝達されるかなどのコミュニケーションの問題は、
独我論とはまた別の問題だろう。人間の存在というものを前提とした心理学とか、
社会学とかの分野だろうね。

>単なる「不安」を論破する必要はあっても、
>あえて哲学としての「独我論」を論破しようとする試みは、
>哲学の放棄に繋がるのではないでしょうか?
>どうでしょう?

独我論を簡単に納得するのではなく、論破しようとする試みこそ、
むしろ、哲学的態度だと思うよ。
250考える名無しさん:01/11/13 16:56
>>246
それは単なる逃避と思われ(w
251ちょっとした疑問:01/11/13 19:16
>>248

   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
   |溥儀?ジョンストン?|
   |__________|
    ∧∧  ||
   ( ゚д゚) ||
    / づΦ
252考える名無しさん:01/11/13 19:50
他者の存在を証明できないイコール他者が存在しないことの証明にはならない。
253考える名無しさん:01/11/15 12:48
>>252
じゃーどうやって証明すれば他者の存在は否定できる?
確かにそれではいるとはいえない、けどいないともいえないという答えになるね。
254ぴかぁ〜:01/11/15 13:29
>他人の実在は証明できるのでしょうか?

そんなの無理にきまってんじゃん。 
255考える名無しさん:01/11/15 19:30
う〜ん、ムリだということは、
自分以外はみんな疑似生命体である可能性は否定できないってことか。
みんなピカチュウやトロといっしょ?
256森の妖精さん:01/11/15 19:40
基本的に自分が死ねば世界はそこで終わるんだからそれでいいんじゃないの?
自分が死んでも世界がそこに存在すると思うなら他者はその空間の中には存在
する。
現空間内部で考えるなら、ウィルパーのいうウロボロス的段階から分離された
ときに自我が出来始めたと考えるなら他者はそれ以降存在しつづけて来たんだ
ろうけどね。
257252:01/11/15 19:40
>>253 それは独我論者がすべきこと。
私は先の言を持って独我論の成立そのものを否定している。
258親の威を借りる狐 flets2-11.sfc.keio.ac.jp ◆SFCZYKJU :01/11/16 00:27
つーか、すべての哲学は独我論から始まってるんだゾ(藁々
259名無しさん:01/11/16 02:21
>>1

独我論が正しいかを議論するのは無意味。

@独我論。
A結局、我々の通常の感覚からでは、独我論は認められない。
これは、他者の存在を感覚的に無条件に認めているという意味でであるが。

@とAはそれぞれは感覚的に納得がいく(納得しない人も多々いるけど)。

ではなぜ独我論の議論ではAが@を論破できないか。
それは@とAの論戦する場所(すなわち考えるということ自体)が@の牙城であるからだろう。
だから@は、Aだけでなく他のどの論にも勝る。

一方で、独我論は、人間が個人というものに完全に分断されているということに基づいているように思われる。
すなわち、自己-他者のパラドクスがクリアできれば、独我論は思考というものを抽象したに過ぎないとして捨てることができるだろう(完全に否定することはかなわないだろーが)。
自我が個々人で完全に分断されているとは言えない。
それは哲学の問題であろうが、それに関する研究は、哲学においてよりも、むしろ発達心理学において進められ得る。
なぜなら、自我同士の結び付きが最も強いのは、初期の母子関係であるからだ。
発達心理学と哲学を介在するのはMerleau-Pontyなどであるが、やはり間主観性に注目すべきであるようだ。
自己の自我と他者の自我を解く上では、間主観性は、集団的なものではなく、2者間で用いられることも多い。
発達心理学の個人発達というパラダイムのシフトを俟つべし。
それによっては哲学的な問題として解明できなくても、ある程度のヒントにはなるんじゃないかな。
260通行者:01/11/16 08:28
このスレはなかなか興味深いな。

そもそも哲学は現象として事象を認識しようとする学問。現象として認識しようとすれば自然と独我論的な思考に陥ってしまうもんだし誰しも哲学してればは独我になりがち。
現象学そのものが独我論みたいなとこあるし、その程度の問題でしょう。絶対化してしまえば独我論になってしまう。
それに自我を有する人間足れば一度位自意識と世界とを対比させるのは重要なことだと思うし。なによりそこが哲学の払暁でしょ。
261通行者:01/11/16 08:49
僕がまず思うのは、単純に独我論を毒牙として考えてしまうのはナンセンスな気がしますね。確かに単純に考えたらニーチェの超人思想以上に危険な観念だと思うけど、
個人が自我を絶対化する事で普段見えなかったり考えられずにいたことが見えてきたり、自意識によって新しい世界が開けたり、なによりこんな混沌とした先の見えない時代になると多くを自意識によって超越出来る。
これはなかなかいいことじゃないのかな?混迷や不和を自分の思索や認識で調和出来るんなら大したもんだと思うんですけどね。
勿論、独善に陥りやすい危険な自我の肥大はいかんしそれは気を付けないといけない。そこが一番の問題なんだろうけど、独我論と宗教観念をうまい具合に融合させて独我としての唯一者としての、
自己に責任を持たせれば個人の倫理観も、独我論によって維持し高められるし。

サルトルなんかの無神論的存在論は戦後のフランスに於いて非常に受け入れられた。それは栄光あるフランス(普仏戦争敗北とかもあったけど一応)が呆気なくドイツに負けナチス占領下に於いて国民はずたずたに自尊心が切り裂かれ、
戦後も国民の多くもインテリ層も向かうべき道を見つけられずにいた。
そんな時彼の思想が宗教や思想、権威と国民を分離し個人に責任をもたせ新しい道を示すのに役立った。
全く馬鹿馬鹿しく思える、ヨーロッパに於いては傍流であるかの様な思想が一躍スターダムにのし上がった。
独我論は彼の観念とは全く性質は違うし対岸に存在する様なものだけど、突飛な発想で新しい自我と新しい世界観を切り拓ける部分は同じで何か新鮮な息吹をもたらしてくれる様な気がする。
独我論で自身に特殊性を組みして生まれる自己の神秘性は必然的に宗教観念に近付かざるを得なくなる。そこで生まれる(べき)倫理観や使命感は人をより成熟させ偉大ならしめる筈。

独我論って現代社会に於いて再認識する必要がある重要な観念なのかなって思ったりする今日この頃・・
262259:01/11/16 14:59
文章になってねくてスマソ

メモレベルだなこれは。
263:01/11/17 03:11
>1
独我論は歴史的に論駁されているのかは不明ですが、次のような理由
で否定されます。一言で言うと、自己収束的な論であるという点に
おいてです。

どういうことかをこれから述べます。
たとえば、「人間はいなくなった方がよい存在である」という命題と、
「人間は生き続けるべき存在である」という命題が対立している
と仮定します。ここから喧喧諤諤の議論が始まるかと思いきや、実は
次の一点において、即、前者が負けることになります。

つまり、「人間はいなくなった方がよい存在である」という立場の意見者
は、それを言った瞬間に自分がまず死ななければならなくなるからです。
他のものを殺してからそいつが自殺したっていいと思われるかもしれま
せんが、その人が他の人を殺してよい理由など説明できません。かく
して、上記の対立において「人間はいなくなった方がよい存在である」
と主張するものだけが常にその議論の場から消え去り、残るのは「人間
は生き続けるべき存在である」という立場の者たちだけになります。

これと本質的には同じで逆のパターンが人工中絶の是非の議論です。
人工中絶が常に議論になりえるのは、本来当事者である「中絶される側」の
存在が決して議論の場には出てこないからです。

さて、話を独我論に戻します。
議論の場において、独我論者が「世界には私しかいない」と言った時、それは
その意見者が議論の場から消えたことを意味します。その瞬間、独我論者は
議論の場から撤退しています。かくして議論の場には、実在論者しか存在し
なくなることになります。ですから、本来の純粋な独我論者は、「独我論を
論破してみよ」と「他者」に問うことは禁じられるのです。したがって、
「独我論を論破してください」という1さんの言葉そのものが、独我論が
論破された(すくなくとも1さんの中では)ことになっているのです。
264考える名無しさん:01/11/17 11:06
西田幾多郎「善の研究」・序

『個人あって経験あらず、経験あって個人あるのである、個人的区別より経験が根本的であるという考から独我論を脱却することができ・・・』
265ななし:01/11/17 12:18
ただ、ここで問題になってるのは、いくら他者だ、経験だ、
といっても、それを言ってるのは自己じゃないか、という
レベルでの独我でしょう。
最近、柄谷はカントの物自体とは他者である、と言っているけど、
確かに他者は、そのくらい、捉えることが不可能なものとして
設定されなければならず、他者を理解するのはいいが、それが
出来ると思った瞬間、それは独我論に陥ってしまう。
その意味で、独我論は内的な論理によっては超えられず、逆に
それを強化するだけの結果をもたらすのではないか。
独我論を超えて、独我論を否定するようなものが存在するのだという
畏れ。この畏怖がないものはすべて独我論から逃れていないと疑うべき
であり、我々を恐ろしくさせるもの、それが他者の徴である。
266考える名無しさん:01/11/17 13:18
でも結局独我論を否定するようなものが存在するのだという畏怖
を感じるのも我じゃない?
267考える名無しさん:01/11/17 13:37
>>266
そういうこと。
どんなに他者を設定しても、最後には〈私〉に還る。
ある意味無限循環といっていい。
だから独我論は決して破ることはできない。
268考える名無しさん:01/11/17 17:46
では人生思い通りにならないのは何故だ?
269考える名無しさん:01/11/17 19:35
おいおいまさか考えるのは自分、死んだら世界が消える事と
世界には自分しかいないという事をごっちゃにしてるように見えるんだが。
厳密には違うのにどうしてそう一緒にしようとするんだ?

>どんなに他者を設定しても
「設定」としている時点で我が結構多い権力を持っているように
見えるんだが。
270考える名無しさん:01/11/17 22:16
>>268
「独我論を破ることができない」というのと、
だから「世界は私だけである」=「世界は思いのまま」のはず
っていうのは全然違うことだよ。
271考える名無しさん:01/11/17 22:53
>263
なら、沈黙する独我論者は無敵ってこと?
272考える名無しさん:01/11/17 22:56
無敵というか闘う必要ない
273考える名無しさん:01/11/18 00:17
無敵っていっても敵はいるんだけど敵がいないかのように
強いんじゃなくて文字通り敵がいないって事で無敵だろ。
そこんとこ間違えないでほしいなあ〜
274≠268:01/11/18 00:20
え?それだと他者=思いのままにならないもの、って定義は?

思いのままになる他者?
なんのこっちゃ?
275通行者:01/11/18 00:34
独我論的な思いって誰しもあるもんなのかなぁ・・・・
世界ってのは専ら、地球や宇宙より殆どの小市民にとっては自意識の世界が中心で一番大切なんだし・・・・
それにどんなに惨めな哀れな人間だって、ちょっとくらい自分を特別な存在と思ったりしないと毎日がやっていけないとこもあるだろうし・・・・
276考える名無しさん:01/11/18 04:41
あげ
277考える名無しさん:01/11/18 05:48
>>275
それは独我論と関係ない
278通行者:01/11/18 06:42
>>277
独我論に完全に浸るかどうかは別として、そういう些細な思いってどうかなと思っただけ。
27975 :01/11/18 07:00
『「知」の欺瞞』p74 「第一間奏―科学哲学における認識相対主義」
独我論についてのバートランド・ラッセルのエピソードは面白い。
「私は高名な論理学者、クリスティン・ラッド・フランクリン女史から手紙を受け取ったことがある。
それによると、彼女は独我論者なのだが、ほかにそういう人がいないのを驚きに思っているとのことであった。」
280考える名無しさん:01/11/18 10:13
まあ、自分が独我論者だってつねづね強調していたら、
そいつはまちがいなくイジメられるだろうからな。
281Iridium:01/11/18 10:28
ちょっと疑問なんだけど、独我論者が現実に存在したときに
彼はいったいどういう行動をとる人なの?
「他人の迷惑を考えないエキセントリックで危ない人」とか?
282考える名無しさん:01/11/18 10:41
自分の命を最大限の努力で守ろうとする人じゃないかなぁ。
他者にちょっかいを出すと、そいつらにロボット三原則みたいな
プログラムが働いて自分が反撃される恐れがあるし。
世界消滅願望が無い限り、平和に生きようとするはずだよ。
283考える名無しさん:01/11/18 10:42
>>281
ある男の例:
電車やバスのアナウンスにいちゃもんをつけます。
商店街のBGMを止めさせます。
とにかく「うるさい!」と怒鳴り散らします。
284Iridium:01/11/18 11:40
>>283
ワラタ

でも本当にそうかも。
285考える名無しさん:01/11/18 11:45
にほんのうるさいわたし、か。
彼は独我論者ではないと思っていたがな…違ったのか?
286268:01/11/18 14:18
>274
じゃあ他者は存在しているんですか?
287考える名無しさん:01/11/18 18:03
>>286
じゃあ他者は存在してないんですか?

そういう質問をなんでするかな。
288考える名無しさん:01/11/18 20:23
>>286
その質問を、される事には意味があると思うよ。
けれど聞くのは無意味でしかない。

つまり、聞く奴って、馬鹿にしか見えない。
289268:01/11/18 21:36
つまり私は馬鹿。これでOKですね
290考える名無しさん:01/11/18 22:27
それが実感を伴う独我論なら、君は馬鹿でオッケイ!素敵な馬鹿だね。
そうでないなら、議論のためだけに懐疑論を振りかざすな阿呆、と
なります。
291Iridium:01/11/18 22:28
えと、つまり他の人にリアリティを感じられないってことだよね。
あたかも自分が作成したかのように平板なキャラクターに感じられる。
う〜ん、それは何でなんだろう。
深い人付き合いが不足しているのか…。
あるいは他の人間ってものに対する期待が大きすぎるのかも。
292考える名無しさん:01/11/19 17:42
しずむなよ。
293名無し王:01/11/20 15:44
確かに他者という存在は実在するとしても
この世界には 本当は何人 実在しているんだろう?
と 考えることはある
本当に 60億人もいるのか
あるいは 60億人しかいないのか??
294名無し王プラス:01/11/20 15:48
ていうか
自分以外の他人は 皆グルになってて
俺を 騙してるんじゃないのか?!
という感覚を味わうことってない?
日常のふとした瞬間に
295考える名無しさん:01/11/20 15:54
横やりですまん。
独我論は論破できない。
既出だろうがデカルトの直観(コギト)は
そーいうもんだから。
それを論破するほうは形式に依らざるえないが
形式は無限後退と不完全性に陥るから。
296考える名無しさん:01/11/20 15:57
自分(自我の存在)の証明が出来れば親の証明も出来ないか?
人は人から生まれると証明されてるし
そうすれば独我論はなくなるよな

じゃないかな
297考える名無しさん:01/11/20 16:31
>>296
なぜ自分が証明できれば、親の証明ができる?
よくわからんな(w
298:01/11/20 23:23
独我論から自由になるのを難しくしているのは、<私>という言葉に複数の意味を
もたせていることがひとつの原因です。つまり、独我論を主張する人「みんな」が
それぞれ<私>になってみた上で独我論を展開するから、独我論が成立している
ように感じるのです。一人しか本来存在しないはずの<私>に、自分をそれぞれの
人間が代入することで、<私>という言葉が公共化してしまっているわけです。

仮に私の名前が山田太郎だとします。そして、私が「世界には私しか存在しない」
と言った時、それは「世界には山田太郎しか存在しない」ということになります。
これに同意される方は皆無と言ってもいいでしょう。「おれは山田太郎じゃない」
と思う人はたくさんいるからです。

また、AさんがBさんに「『世界にはおれしかいない』って思うことがあるんだ」
と言うとします。そのときBさんがAさんに聞き返す言葉は「『世界にはあなた
しかいない』って思うんだ」になります。さて、このとき『世界にはあなたしか
いない』という命題は成立しうるでしょうか?独我論者は否定するでしょう。
しかし、独我論者が言っていることは、結局、このようなことなのです。

カントの認識論的な意味での「世界は自分に現れ得るようにしか現れない」
という見方は独我論との結びつきを想起させなくもないですが、実は独我論
に行き着く必要はありません。
299:01/11/20 23:25
独我論は言葉の誤謬に基づいて成立しているのです。
300考える名無しさん:01/11/20 23:26
>298
まちがい。
301考える名無しさん:01/11/21 06:33
>>298

別に独我論はそこまで積極的に他者存在を否定するものではないような……
302考える名無しさん:01/11/21 16:24
>>298
っていうか、独我論っていうのは、
「いついかなる時も、自分である」ってところから
生まれてくる問題なんだよ。
言葉の誤謬とかじゃない。
生まれてから死ぬまで、自分が山田太郎だってこと。
そこが不思議だと思った人にはよくわかる問題。
たぶん、298にはそれがわかっていないと思われ。
303302:01/11/21 16:30
誰かの哲学入門にいいことが書いてあったよ。
独我論っていうのは、論破することはできない。
でも、他者の存在を認めること、信じることによって、
独我論的な世界から抜け出ることができる、んだって。
っていうか、それ以外に方法はない。
例えば、犬が好きな人は、犬に感情があることを認めることができる。
同じように他人の感情を「汲み取る」のも自分次第なんだよね。
304考える名無しさん:01/11/21 20:23
>303
なるほど。
他人を存在させるのも、させないのも自分次第ってことか。

「君が変われば、世界が変わる」ってやつだね。
305考える名無しさん:01/11/21 20:24
>295
>既出だろうがデカルトの直観(コギト)は
>そーいうもんだから。
>それを論破するほうは形式に依らざるえないが
>形式は無限後退と不完全性に陥るから。

重要そうな意見なので、
ここをもう少しくわしく説明していただけませんか?
306通行者:01/11/23 02:11
いろいろ意見あるけど結局どれも否定できてないんじゃないかね?
独我論論破してどうするってのがまずあるし・・。哲学ってみんなの独我の創り出す産物だし。
自我があるだけ表象の世界がある。そんだけのこと。もし否定するということを明解にするには、僕は他人の意識(脳)の中に入り込んで他人の自我を体験する以外ないように思うけどな。

独我的観念が基礎にあって大切なのは分かるけど、そうやって世界見るって天動説で宇宙眺めるようなもんだしねぇ。んなことしたら科学も哲学もアルマゲストみたいになるわな(藁)。
勝手に思い込んでるのは社会性に反しない限りいいけど、やはり科学や政治やそういうことを考える時は芳しくないだろうかねぇ。
307無為:01/11/23 02:15
自分しか存在しないとして、それは確認しようがないから、
仮想現実世界に生きていると考える。しかし、仮想は実体
との対立概念として設定されるから、実体の存在が仮想で
ある以上、すべて仮想世界ということで一元化できる。
よって独我論は無効。
308考える名無しさん:01/11/23 02:36

論破されてんじゃん言葉つまり、私とか名前を使ったら文化つまり、他者のスクリプトなんだよ?
その他者の存在がエドTVみたいだったとしても、外部の出力装置として在るじゃんか。独我論的懐疑を挟む余地なし。
見ているものは違っても、媒介とされている言葉は同じ。違うからといって、言葉(文化、他者)あるじゃんか
おしまいっと。
309無為:01/11/23 02:44
>>308 は自分が知らないものや思いどおりにならない
ものが存在していたら、独我論は成立しないと思うのか?
310考える名無しさん:01/11/23 02:50
>哲学史的には、ちゃんと独我論は論破されてるのでしょうか?

↑1のこの問いへのレス何処にある?ガイシュツか?おせーれ。
311無為:01/11/23 02:53
論破されとらん。
312考える名無しさん:01/11/23 02:56
>>309
うちの論理が分かってて聞いてる?
言語は他者がないと覚えられないでしょ自己は他者がないとないでしょ
他者の心は信じなければ実在しないけど他者は存在はするでしょうが
パラドクス並べなくても自明って事
313考える名無しさん:01/11/23 02:58
されたつーの。頭固いんじゃん?
314無為:01/11/23 02:59
>>312 言語を覚えた過程、それが他者によろうがよるまいが、
それ自体が架空であることをどうして否定できるのだ?
315通行者:01/11/23 03:01
308って独我論的世界観の状況把握できてるの?現象学的に個々の表象の多種性と、現存在としての唯一の世界とを比較してるんでないし。
現実にいる他者を、夢の中に出てくる幻の他人の様に認知するって事だよ。そこにスクリプトも何もないじゃん。
言葉や文化は勿論のこと、今という現象の前にあった歴史さえ独我論的世界観に於いては超越される。
あなたの言ってる説明は他者という存在が神によって創造されていると認識したらそれで独我論成立。
神と唯一者、この二つが主となる観念だからねぇ。

ぜんぜんおしまいじゃないと思うんですけど。
316無為:01/11/23 03:03
おっ、さすが通行人。
317無為:01/11/23 03:04
ごめん、おっ、さすが通行者!!
318考える名無しさん:01/11/23 03:10
>>314
よるんよ。環境のアフォーダンスも含めて
過程を架空にしたら現在も架空になんじゃん。脳だけがてのはやめてね。切り離して考える事がナンセンス。唯我論的懐疑は成立しない。
よく読んで
319無為:01/11/23 03:11
独我論て、幻想の中に生きているということを認識する視点を
幻想外の別次元に設定するところがいかんのではないか。視点
を設定すること自体幻想だから、幻想は幻想で一元化でき、
現実対非現実という対立からは脱せられるような気が・・・。
だめ?
320通行者:01/11/23 03:17
マトリックスって映画観た?あれなんか観ると分かりやすいと思うけどな。
あとは例えば、ドラえもんの道具でなんか似た様なのあった様な気がするんだけど自分で世界を創れるってやつがあるのね。
それで一人の人間を中心として世界を創って、んで後は自分の思う様に自然や人や全てを創れるの。そしてさっきの一人の人間の意識にだけは入り込めるとする。
この場合中心にいる人が唯一者となって、あとはドラえもんが神となる。(例え話なので細かいとこつっこまんように)
とかまぁいろいろ考えてけれ。
321考える名無しさん:01/11/23 03:20
>>313
典拠おせーてくれ! 著者名、翻訳あり?出版社も、たのむ!
322無為:01/11/23 03:20
マトリックスよいね。
きゃー、トリニティー!!
エージェント・スミスだ。

おやすみなさい。
323考える名無しさん:01/11/23 03:21
>>315
だーかーらー、その認知とか認識って何処から来るんだよ?説明しろっぺ
神の存在は肯定も否定もでけんけどさ
神の概念は、何処から来た?
それは、自己であり他者であり環境である訳しょ。突然、すべてがあったなんて脳の機能から言ってありえんの
はい、おしまい
324通行者:01/11/23 03:24
>>322
あれって続編つくるんだっけ?つくるって聞いたような聞かないような・・・(謎)
325無為:01/11/23 03:25
>>323 だーかーらー、説明できないから幻想なんじゃん。
脳の機能をなぜなんの迷いもなく信じられるんだ。独我論は
なにも信じられない、なにも論証できない懐疑の真っ最中
なんだよ。
326考える名無しさん:01/11/23 03:32
>>319
だめ
>>320
あんた哲学者しょ?いっとく
SF(漫画)だろ!
それは
はいはい無駄。こっちに矛盾なし
>>321
だいぶ前に読んだから覚えてないん
本屋で立ち読みだったかも
327親切:01/11/23 03:33
>>324
3までつくるけど2にでる女優(ってゆうか歌手)が死んだけどつくる。
328通行者:01/11/23 03:36
>>323
神は、存在というものが存在してるいること、何の作用も加えなければ虚無からは何も出現しないという原則の元その概念は肯定される。
自己や他者や環境が神であるってシャーマニズムとかアニミズムのこと?それとも独我論に於ける他者のこと?どっち?まぁんなことこの場合どうでもいいんだけど。

突然全てがあったなんてあり得ないなんてそこが間違いなんだよ。そこんとこのパラダイムをまずブレイク・スルーすることだあね。
それとなんか時間の無駄っぽいんで、勝手にやってて。
329考える名無しさん:01/11/23 03:38
>>326
すっごく簡単に言うと、貴方が今精巧な夢見てるとしたら証明しようが無いって事。
一人で見る夢が現実と見分けがつかない、そんな悪夢。
実在を疑う。基本はこれ。全てが上手く出来た貴方の見る夢。

>>327
あれ、製作中止になったんじゃないの?
330329:01/11/23 03:41
そして存在は貴方だけって話、、、
331考える名無しさん:01/11/23 03:41
>>325
えっ?それビョーキじゃん。小だまたけしの平成イリュージョンでも読んでリラックスせいね
脳は分かってない。それじゃあ、オカルトよ?宇宙人が文明どうしたと同じ。科学的に少しずつでも歩くんよ、うちはね
332通行者:01/11/23 03:43
>>327
へぇそうだったんだぁ。どんもです。
にしても3までとは・・。3までつくってもあれなら飽きないね。結構楽しみかも。
ゴジラの続編とかはどう考えても・・・。タイタニックもあったっけな・・
333考える名無しさん:01/11/23 03:49
>>326
「だいぶ前に本屋で立ち読みだったかも」くらいの典拠で
独我論を否定すな、ドアホ! 厨房にもほどがあるぞ。馬鹿馬鹿しくて
話にならん! 寝る!
334無為:01/11/23 03:50
>>331 あんた、科学がなんで科学たりえるか全然わかっとらんな。
319がだめな理由をちゃんと説明してみなさいよ。科学も論理性、
実証性という信仰に基づいて運用されてるんだよ。
335無為:01/11/23 03:53
>>333 ぎゃはは、めちゃくちゃ笑えるな。ハゲシク×100ドウイ。
336通行者:01/11/23 03:55
>>326
335に同じく。(≧▽≦)
337考える名無しさん:01/11/23 03:59
にゃんだこりは?
338考える名無しさん:01/11/23 03:59
>>328
よく読め。少なくともうちは読み取った上で反論してんの
あんな、パラダイムシフトしたつもりになってるアンタの幻想なの
バイバ―イ
>>329
あんたもよく読め
みよ!って感じ
夢かもしれないなんて乙女チックだけど脳だけを取り出してとか考えて自己幻想に浸ってるだけ
記憶、シナプス、ニューロンは個有のものなんだって。それらが作られるためには環境、他者が必要不可欠なの
あー疲れた
339考える名無しさん:01/11/23 04:00
寝るか・・・
340無為:01/11/23 04:03
あんた自分のシナプス見たんか?もう放置。さすがの私も
弁護できんわ。
341329:01/11/23 04:04
>>338
だからさ、脳は関係無いんだって、、、
実在を疑えないのは、ある意味非科学的な態度でさえあるんだけど。

もう寝ます。
342考える名無しさん:01/11/23 04:13
>>333
ごみん
探しとく
>>334
んなこと分かってる

だから、つまり唯我論者がね小難しい言葉やパラドクスを用いて共同幻想してるに過ぎないと言いたいん。こっちの言葉足らずは認める。てか興味ない。
何処に矛盾があるかいえてばよ―
343考える名無しさん:01/11/23 04:18
なんで脳が無関係になんだよ。あんたら何も認めない訳?じゃあ、意識はどうするん?
344考える名無しさん:01/11/23 04:23
ソクラテスの生き方を忘れたのかよ?勝つため議論はせず、矛盾があればあっさり負けを認めた彼を
嬉しくない?反論のあることが。真実だけが重要じゃないの?
345通行者:01/11/23 04:24
>>343
切断する直前にちと覗いてみたらまだなんかやってるではないか!
科学じゃないのよ、これは。
現象学についてちっと囓ってみた方がよかですばい。ショーペンハウエルとかフッサール辺りを。
ほいでは!

レスしてもそれにレス出来る自分はもういませんので。
346二酉:01/11/23 04:50
無為さま、通行者さま、329さま。お疲れさまでし。
>>343
けふん。ぶれいんの話でしか?
>記憶、シナプス、ニューロンは個有のものなんだって。
>それらが作られるためには環境、他者が必要不可欠なの
そんなことはないのにゃ。しなぷす・にゅーろんの物質的なものではなく
そのにゅーらるねっとわーく(回路)が記憶や感情を喚起する、というのはOKにゃ?
(省略するけど記憶は実際体験しなくても捏造する事ができるのにゃ)
回路のどこに電位が起これば、どんな化学物質を与えればこ〜んな記憶に結びつき、
こんな感情を呼び起こす、というのは「科学」でもちょこっとずつ分かってきている。
脳内物質と感情喚起の関係や、α波が出てるとリラックス、とかはその一例でし。

でも、こんなにすすんだ科学でもちょいと立場をずらして
「この現実を認識する自分がもしかしたら長い長い精緻な夢を見ているのかもしれにゃい」としたら
いま認識している脳云々だってぱっと幻想になってしまうのでし。なので脳は無関係なのにゅ。
347考える名無しさん:01/11/23 05:05
>>345 ん〜、つまり全部疑ってんのね
フッサール現象学の定義知ってるけど、ここまでとは聞いてなーいょ
空なのね。Qoo〜
あれ、我ってサルトル、デリダが無いってなかったけ?
その人らは、また違うこといってん?
どっかの哲学オジサンが無明な時代は折り返し地点だ、いてたけど…。
まぁ、いっか
348考える名無しさん:01/11/23 05:17
>>346
そいことゆいたか
やるー。うちの見たのはもっと進んでた
科学とは別のベクトルなんね
その次は?聞きたいんだけど〜ん
つづききぼーん
349通行者:01/11/23 17:45
すんません、ちっと考えてみたんだけど306で書いた「独我論否定するには、他人の意識(脳)の中に入り込んで他人の自我を体験する以外ない」ってのはもっと深く考えて、自分の自我に対する懐疑と(たまたま今このスレで話題になってる)
脳の問題とで部分否定される事に気付いた。
まず唯一者の自我が常に正確かという問題がある。
要するに他人の自我を体験できるようなことが仮に可能になったとして、それを認識している自身の自我が本当に正確なのか?他者の自我に入り込んでいるようで実は、唯一者を騙すレトリックの様な現象だったり・・、とかだと独我論否定できない。

それと脳の問題については、今ちっとここのスレで話題になってるけどニューロン細胞やシナプスなど電位ネットワークが創り出す、脳による意識の世界が正確か、ってのがある。
346なんかに書いてあるけど、脳のメカニズムについては少しずつ分かってきてるけどまだまだ脳医学は未発達。ただいくら発達しても分からなくて自分達で思索するしかないこと、それは私たちの意識や私たち自身に見える世界はなんなのかってこと。
脳をはじめ人間の細胞は化学物質で形成されている、そしてそれによってつくられる意識や自我がある。原子とか科学的な物質と意識の世界はまったくの別物であって、この接合部分に対する懐疑を持ってくると問題が生じるね。
これは結局かつてプラトンが言った「すべてはイデアにある」的な発想に繋がっていくけど、これは凄く難しくて頭が倒錯してしまうような話になる。
ってことであれだと必ずしも否定できないです。そんだけでした。
独我論って深いな、つーか最強だな・・・
350考える名無しさん:01/11/23 21:25
考えてみたんよ
全部夢かもしれない→本当の事は誰にもわからない、になるから
もしもない=ifnoである意識または捉われている観念に焦点をあてて
見ている自分またはその意識と認知している事象がifnoで消去されて
つまり、何も見ていないかもしれないのだから夢でさえない見ているとかいった五感も、もしかしたらない
だから、唯我がifno唯識もifno
結果、有無の円環を超越したところに辿り着く訳で
神から真実を告げられるyesもifnoでチャラだから独我論を論破じゃん!
やぱし折り返し地点だよ
これとは別に、観念的真理も考えたけどパスね
351考える名無しさん:01/11/23 21:45
独我論と関係あるかどうか知らないけど、夢って各々の、経験からの幻想じゃん現実って科学では仮想じゃん
それらをifnoで否定したら、行き着く先はなんだろう?てか生まれる前の状態てどうなんのさ?
さっぱりわからん
誰かヒントくれYO
352考える名無しさん:01/11/23 23:10
まず独ガロンについて言うよりも、ふつうに生きていると
自分が故意に悪い面を無視していることに気づくんじゃないの
353お願い:01/11/24 00:07
326はもう書くな!
354考える名無しさん:01/11/24 00:51
悪い面、残酷さとか愚かさのことかな
気付いてても考えるのうざかったり
ありがた
355??:01/11/24 08:41
低劣な論理だ。考えられるに貴様の哲学は単なる退廃思想に過ぎん。
356考える名無しさん:01/11/24 09:41
政志!
あれほど低劣なライトノベルなんて読んじゃいけないっていったでしょ!
357考える名無しさん:01/11/24 12:17
論理に興味ないの。高度な言語的適応訓練のない奴は勉強しろって態度がいや
退廃とか退行を過ぎない、と早退化する知識を拝聴したいぞてか感想じゃんよ、つまんない
358考える名無しさん:01/11/24 13:19
君には先ず国語の復習を進めるが。
359考える名無しさん:01/11/24 13:30
ごもとも
360po:01/11/24 14:15
>独我論を論破してください

無理
はよ気づけ
361??:01/11/24 16:03
下らん。貴様らは哲学的な議論に到達できたほどのレヴェルではない哲学
的とか哲学性とかは問題ではなく必要なのは哲学のみだ。
362追加:01/11/24 16:17
ついでながら言わせて貰おう。哲学と呼ばれるものは思考がどうのこう
のの領域ではない。必要なのは真理か否かだ。思考や推論を逸脱して解
する事のできるものとは、明証的に認識の領域へ転がり込んでくるもの
だ。ここで我々が議論しているのも結局は何か万人の認識に一致する認
識を発掘するために他ならないのでは?
議論の中で他人の思想を批判していた私に言えることではないが、とり
あえずはそのことについては反省を加えさせていただく。真に先程の行
為は空虚以外の何物でもない。面白半分だったのだ。その点については
謝罪させていただこう。
363考える名無しさん:01/11/24 21:40
訳の分からない前置きで自分の言いたい論理的でない話を
ベラベラとのたくるのは哲学から程遠い態度だね。

>論理的でない
論理的か否かは、単語の指示が成功している程度で現される。
よって、逸脱に始まる感覚的に単語を使うお前の文章は見苦しい。
辞書引け、正しい意味で単語を使えよ。馬鹿。
364考える名無しさん :01/11/24 23:16
途中までは、いい感じで進んでたのに誹謗中傷することしか脳のない変なのが来ていきなりレベル下がったな
感情的な意見だけ吐き捨てるられないバカは来るな!
自分が頭悪いからって真面目に哲学論じてる人間中傷して何が楽しい?
365考える名無しさん:01/11/24 23:31
そんなのみんな分かってるからいいって。中傷しに来る奴って頭が悪いとか、感情的になってるとかそういうレベル低い連中ばっかだから。
誹謗中傷する奴が一番バカなの。それにそういう奴を無視してる普通の人はみんなそう思ってるだろうし、それでいいの。
レベル低い奴とはかかわっちゃダメ!
366マジでさあ・・・:01/11/25 04:27
哲学史の専門の人、応えてほしい。1のこの↓問いに。

>哲学史的には、ちゃんと独我論は論破されてるのでしょうか?

誰がいつ頃、どのように(概略でも著書名でもいいですが)
論破したのか、あるいは誰も論破できていないのか。史実として
どうなんです?
367考える名無しさん:01/11/25 06:26
>>364-365
オマエモナー
368わかってないね:01/11/25 12:07
>>366
最初からちゃんと読んでる?
誰がじゃなくて、原理的に論破できないんだってば
369考える名無しさん:01/11/25 19:11
「独我論は、厳格におしつめてみると、純粋な実在論に合致する
ことがわかる。独我論でいう自我は、結局は延長のない点に収縮
してしまって、残るものは、それに対置されていた実在だけである。」

『論理哲学論考』5.64
370考える名無しさん:01/11/25 21:28
うちの批判はどうでもいいから、レスしないよん
甘んじて受け入れようとか、あざとく言うだけで
独我論はifnoではどう?って話
題目は立派だけど、結局、他人に認められたいだけじゃんと考えるんさ。うちの飯ダネあるまいし
れべる、なんだかネ人間に、言うほどの差があるとは思えないけど
無知な人間の〜てのも分かるけど、それが本当に分かるならんな事言えないはずよね
>>369
実在すると思うから実在すんじゃないの意味はわかんだけどてか、行き着くのは世界に内在化される〜のパラドックスで無じゃん。固定化された意識でも超越だろって話
371二酉:01/11/25 21:32
>>370
チョト考えたんでしが、If noの話って>>319(無為)さまの考えと同じじゃないでしかね?
個人的にはその方向に同意なのでしが。
372考える名無しさん:01/11/25 21:33
実在するから独我論があるんじゃない  何を血迷ったか
373666 ◆xenNZQbg :01/11/25 21:47
実在しなければ意識も無い
そこに意識があるから肉体があるから
独我論があるんだろう
論破する事は必要ない
人は少なくとも1人<〜〜人で生きている
それが人間だ
374考える名無しさん:01/11/25 22:09
>>371
意識が現在の瞬間に固定された点的なものになるから
ベクトルはそだに
>>373
まったく以てなんだけどね、外側の実在性を自我の体験の内に還元ないし、フッサールは意識だけを切り離してん
375nanasix:01/11/25 23:13
ここで言及されている「独我論」は、論理というよりむしろ、人間は自己を
通じてしかインプットやアウトプットが出来ない、そんな存在の仕方から
逃れられないという物理的条件のことだろう。
376考える名無しさん:01/11/25 23:45
>>1
世の中はね、4次元、5次元、といろんな世界があるんだよ。
でもね、人間は、3次元しか認識できないのだ。
本当はね、人間は一人だけで、いろんな形の中で姿は
かえるけどね。
宇宙だってね、じつは、君の脳みその中なんだよ。
あのきらめく星にも行ったことがあるんだよ。

ただ、人間は3次元でしか物事がかんがえられないからね、
遠くできらめいているように見えるんだよ。
隣に座った人も、実は自分なんだよ。
だから、大事にしなければ、いけないんだよ。
377nanasix:01/11/25 23:50
カエルは動く物体しか認知できないというね。
カエルの見てる世界は、白地図のなかで影が動いてるだけの
きわめてシンプルな、まるでレーダーのような世界らしい。
しかし、人間にしても認識できる世界には限界があるという
意味では、カエルと五十歩百歩だということだよね。
378nanasix:01/11/25 23:54
またそれは、我々は世界をあるがままに認知してるのではなく、
固有のフォーマットを通じてしか認知できないということだよね。
379666 ◆xenNZQbg :01/11/25 23:59
世界は存在するが
本質的に存在しないのだね
では何が本当で何が嘘と言うのも
そういうレヴェルでみれば存在しない
存在自体存在しないのか・・・
それが独我論
むしろZERO論
「無論」だな
380考える名無しさん:01/11/26 00:50
なんでそんなに面白いんよ!
それだよ、それ
なぜなら人間はみんな同じなのだから
人間はみな同じ
人間はみな眠っている
それぞれの欲望の投射である幻想の中で

哲学者やるじゃん!無論とかカッキイんだけど、幻想に憑かれたまま、あるがままなんてありえないじゃん。それも引っ括めて固有ならしゃあないかな
考えよっと
381666 ◆xenNZQbg :01/11/26 00:53
俺哲学者じゃないよ
考えるのが好きなんだよ

人は眠ってるのを自覚しないね
何故だろうな
382考える名無しさん:01/11/26 00:55
そうかね?
383666 ◆xenNZQbg :01/11/26 00:58
起きて初めて「寝てた」と思うでしょ?
もしくは意識があるなら
肉体が抜け殻になったのかもしれない
384考える名無しさん:01/11/26 01:18
>>376
遺伝子的なとこで突っ込んで考えれば
原始生物、もっとそうなんじゃない?
ほら、母胎の中で進化の道を辿るっていうじゃんか
うちアリだと思てるんよ
そっか、全身は記録の塊なんだ。細部により宿ってんだ。
てか欲望と志向性は違うよね
385666 ◆xenNZQbg :01/11/26 01:25
384
欲望は脳
志向性は魂だよ
386考える名無しさん:01/11/26 01:25
>380
「人間」なんて、アホなくくり方をするな。「私」が「人間」に括られていいのか? そんな抽象的な存在でいいのか?
「私」は「私」。その他なんて、知るか! というのが、独我論じゃないですか?
私が居るから世界があるんであって、私のいない世界なんて、私には無意味。独我論はそういうところに根ざしているから、論破は無理。
だって、私の居ない世界を想像してどうなる? 他者は私がいるから、居る。
結局、世界は「私」との関係の中でしか存在しない。他者の確実性なんか考えても無駄
387考える名無しさん:01/11/26 01:28
自覚、色々話には聞くけどどっかな。
この板にも、魂の意思とか言ってる人が自然との一体感てのもある。ヒントは自然らしいから、やっぱり見続ければいいんじゃん?時間は幾らでもある気するし
388考える名無しさん:01/11/26 01:44
>>386
自己は最初の他者と出会わなければ、なくない?だから、私と世界は境目なく混じり合うんじゃん
独我論が意識だけを切り離しても、内在化した実在が環境に成り立つ以上、それらを疑った場合、ifnoになる。よって論破。反論求む。
389無為:01/11/26 09:39
前提がよくわかりません。
390po:01/11/26 09:52
>独我論を論破してください。

これ聞いた瞬間 無理だ ってわかんなくちゃ〜な(^^;
ネタなんだよネタ(笑)
391無為:01/11/26 10:10
その通りなんだよね。でも、論破できなくて、苦悩する人が
けっこういるから、前に書いたみたいに考えたら独我論的
苦悩が無効化されるんじゃないかと思ったわけです。
392考える名無しさん:01/11/26 18:07
倫理しか使えない工房です。全部読ませてもらいました。
深いですね、、わからないとこも多く頭痛いです。

個人的にはやっぱり否定も肯定もできないと思います。
全ての反論に「それも自分が作り出した妄想だったら?」
見たいなこと言われると無効化してしまう気が。
詳しく言うと自分の他に、神とか突発的な出来事とか、
意識ではでないものを作るものがアレば無効化できるかと。

よくわからないけど、現時点の理論を超越したもの
で、そういう仮説は否定も肯定もできない気がします。


それはおいて、独我論が成り立っている確率とか
って出す事可能なんですか?また、科学が進歩したら
なんらなかの形で、独我論の否定が可能になることは
あるのでしょうか?
それができないとしたら、独我論は全ての考えることの
できる生物(宇宙人とか)がぶちあたる可能性のあるもの
ってことになるのかな?

無知ですいません、なかなか想像つかないもので
393考える名無しさん:01/11/26 18:18
>>392
独我論が成り立つ確率って何?
っていうか、あなたのような考え方してる人には
「独我論」は理解できないってのが正解だろうね。
いついかなるときも「私」が「私」であるってことを
不思議に思ったことないの?もう一度考えてみそ。
394ぴかぁ〜:01/11/26 18:25
たとえば、”我々の基準”でいう精神に障害をもった方が...
”我々の基準で”いう幻を見ているとして...
その”我々の基準で”いう幻が、”我々の基準で”いう幻であると
理解させることできないということと同じですか...
395考える名無しさん:01/11/26 18:30
>>394
我々ってなんだよ
396ぴかぁ〜:01/11/26 18:35
>>395
You&I...
397考える名無しさん:01/11/26 18:41
意識があり、疑う事が出来るという前提
何故。直感だけど幸せになりたいからだと思うよん
398考える名無しさん:01/11/26 18:43
とかく人間は見ている方の立場を特別にしたがるのだ。

だから独我論は絶えない。
399考える名無しさん:01/11/26 18:46
見ていて耐えない独我論というのは
どこかで都合よく私であり私でない、という事を前提としている。
400392:01/11/26 18:47
>>393
それは考えました。デカルトのやつで、今この瞬間に
私がいるのは証明できると思いますが、それはその瞬間だ
けで、次の瞬間には自分でなくなっていてもおかしくないと
おもいます。
そんな感じで、自分は10年以上生きてきたと思ってるけど
それは今そう思わされてるだけで、実際は経験
してるかはわからないってとこもあるんですよね、、それはイヤだ、、

ん、、、、ごめんなさい。考えがあまいですか、勉強してきます。
401考える名無しさん:01/11/26 18:49
>>400
>それは今そう思わされてるだけで
大抵、誰が、何の為に、という事は絶対考えないようだ。
402ぴかぁ〜:01/11/26 18:56
逆にすべての感覚が排除されたひとは...
”我々の基準”でいう外界が存在することを認識できない...
感覚でのみつながれている我々は、その伝達の中で
誤りがあることは見つけられないってことと同じですか...

昔、マンガで、普通に生活している人がいて...
最後の一こまが、その人は培養されている脳だったってのあったね...
手塚治...?
403考える名無しさん:01/11/26 21:52
>>402
パトナム「水槽の中の脳」
404考える名無しさん:01/12/07 02:53
>>403
そしてマトリックス
405フロンティーア:01/12/07 05:25
「宇宙」とは自分が生きてる間にに知り得た物事のみを指すもので
自分の知らない世界を「どうして知れないんだろう」などと思案する必要なし

言葉だけで考えてるとどうしても複雑な部分に行き詰まったりすると思うから
暖かい手触りのある他人を認識してみるのが手っ取り早いかもしれませんね…
406フロンティーア:01/12/07 05:28
まちがいた 宇宙→世界だ はじゅかちぃ
407考える名無しさん:01/12/08 13:08
>>405
まあ、宇宙でも間違いないんじゃない。
ところで、人間はその想像力のおかげで、
自分が知り得ないものの存在さえも想像できてしまうんだよね。
だから神や霊魂、UFOなどが存在する(w
「知りえない世界がある」ということを「知りえている」んだからOKかな。
408考える名無しさん:01/12/08 17:40
>>1
天文学基礎を学び、物理学基礎を学ぶべし。
そうすることによって、自分は何であるかを初めて認識することができる。
そうでなければ一生認識することができないであろうから、そのほかの
人間も認識することができないであろう。

まぁ、独我論とやらを述べる奴を、『現代人として認めない』という方法もあるけどね。
409考える名無しさん:01/12/08 18:11
学べ学べはもうお腹いっぱい
410考える名無しさん:01/12/08 19:04
>>409
たぶん君は、くだらない情報とそうでない情報の区別なく学んでいるから、おなかいっぱいになると思うよ。
これは、とっても重要なこと。
ただし、これは学校では教えていないこと。
だから、気づくか、知らなければならない。
411考える名無しさん:01/12/08 19:18
自分にとって、なにが必要なのかを知ってから決めなって事?
もっと聞かせて
ゴミみたいな記憶が充溢しているのが人間じゃないの?
412考える名無しさん:01/12/28 10:52
自我とはなんですか?
413名無しやろー:02/01/04 18:04
>>412

長レスしてみる。
独我論を真っ向から潰すのはムリだと思う。
と言うか、今ここでの自我に執着限りムリかと。
もし、自我の成立プロセスを認めるなら、独我論の形骸化は可能じゃないか。
逆に言えば、この論調からすれば、
今ここでの自我にのみ着目するのは、それほど賢明なことではないってことになるのかも。

自我の成立プロセスを考えると、発達心理学が有効であると思われる。
関係論パラダイムの見地で、
第1次間主観性及び第2次間主観性の成立過程を見ていけば、
自我の確立は何となく解るかもしれない(但し、これは心理学上の仮説)。
ここでの第1時間主観性や第2時間主観性に対する理解は、
トレヴァーセンやハブリーによる理解とは異なるらしい。
いずれにせよ、メルロ=ポンティの影響はでかい。

(1)第1次間主観性「初期の一体的関係」:

まず最初に、生まれた子どもはいわゆるタブラ=ラサの状態にある
(あくまで「いわゆる」としておこう)。
主なる養育者(現代の日本では母親であることが多いだろう)との「関係」の中で、
第1時間主観性を育てて行くことになるが(詳細な月は失念したが、3ヶ月頃には見られるハズ)、
第1時間主観性は「初期の一体的関係」である。
以下、第1時間主観性の成立過程。

子どもの個体発達に伴い、養育者は子どもと情動通底を交わすに至る。
状況(行動)としては、養育者が子どもに微笑み掛けると、子どもが微笑み返す、といったものである。
これは、情動の通底であるが、むしろ、1つの感情を共有しているという雰囲気である。
ここでは、子どもの自我を安易に認めるわけではないものの
(と言うか、自己性の輪郭がはっきりするのは、第2時間主観性の成立を待たねばならないし)、
ここでは、養育者については、独我論を認めることはできない。
メルロ=ポンティの言う間身体性に結び付けられる議論……らしい。

ともかく、ここでは養育者の独我論的自我がどうのって話じゃなくて、
子どもの自我とか自己性の発達に着目すべき。
このような子どもの微笑み返しは、その子どもの自己性に依拠するかは別にして、
ある種の社会性を持つのは間違いなく、この場合それは養育者に対するものである。
そこで母親はそれを子どもの自我(っぽいもの)として受け止め、
そのように子どもに接することで、自我の発達は促される。

ここでは子どもと養育者との関係が重視されているが、
子どもの個体としての物理的発達を無視するものではなく、
大いにそれに依存するものでもある。
その個体的発達を含めた子どもの成長に沿って養育者は保育していかざるを得ず、
子ども=能動、養育者=受動となる。
一方、保育自体がふつう受け止められているように、養育者=能動、子ども=受動であり、
この能動と受動の交差も重要である。
414名無しやろー:02/01/04 18:05
>>413の続き

(2)第2次間主観性「通じ合う関係」:

これももちろん、子どもの個体的発達抜きには語れない。
その発達に伴い、また第1次間主観性のステップを経たこともあって、
養育者は子どもとのコミュニケーションを取ることを目指す。
養育者は子どもに自我があるように接する。
それが子どもの自己性を育てていくことになる
(第1次間主観性の場合と同様、能動と受動の交差はある)。

プロセス自体は後掲諸書に詳しく書いてあるので、大雑把に書いた。
ここで重要なのは、この自己性の成立の上で、
養育者が子どもの中に個別的な自我を見て接するわけである。
個別的な自己性と、コミュニケーション(通じ合う関係)とは、表裏一体である。
コミュニケーションを取ることは、それを取る両者が個別的であることであり、
第1時間主観性=一体感と対照的に考えると解り易い。
この第2次間主観性はコミュニケーションをある程度行えるようにするものである。
このコミュニケーションに伴う個別化的な養育は、
養育者の意図するところであるが、
これは社会・文化的背景が養育者に暗黙裡に要請することであろう。
一種のイデオロギーだろうが、
その根拠は、身体が個別であることだろうか。

本当にに蛇足だが、余り社会・文化背景に余りに依存するのは注意しなければならない。
個人に対し無意識という概念を無闇に汎用してはならないとブレンターノ(←確か)が指摘したように、
社会・文化的背景というものに、イデオロギーという概念をやたらに適用してはならないだろう。
これが蛇足なのは、上記では十分にこれをクリアしてると思われるからだ。

これは心理学であるので、独我論に対して明確な反駁を可能にするものではない。
しかし、独我論の理解の1つの足掛かりとなり得ると思われる。

参考になる本は鯨岡峻の1997年以降のシリーズ:
『原初的コミュニケーションの諸相』
『両義性の発達心理学』
『関係発達論の構築』
『関係発達論の展開』
415名無しやろー:02/01/04 18:43
>>413-414

ミス多い……。
第1時間主観性は第1次間主観性のミス。
他にもあるし。鬱。
416D.Chalmers:02/01/04 20:59
>>1

いまどき独我論でもないだろ。
どうせならゾンビ論を論破してくれよ。
417KUVRVIFV:02/01/04 21:52
独我論は何に使われるんですか?
自身の個性の肯定ですか?
もっと有用な思想かと思ってました。
418考える名無しさん:02/01/04 23:20
>>417 君はどうあるべきだと思うの?
419考える名無しさん:02/01/04 23:44
>>413-414さん

>独我論を真っ向から潰すのはムリだと思う。
>と言うか、今ここでの自我に執着(する?)限りムリかと。
>もし、自我の成立プロセスを認めるなら、独我論の形骸化は可能じゃないか。
>逆に言えば、この論調からすれば、
>今ここでの自我にのみ着目するのは、それほど賢明なことではないってことになるのかも

このスレの結構はじめの方から書いてたものですが、おおむね賛成です

自我という概念を手付かずに放置しておく限り独我論の論破は難しい
というか、ある側面からは、自我概念の帰着点が独我論とも言えるのではないでしょうか

413-414さんは、心理学からアプローチされてますが
私は、広松氏が言う「三項図式」を、認識論で克服することが
すなわち、(ある意味)独我論を「論破」する有効な手段だと思います

(下手な日本語すまそ)
420考える名無しさん:02/01/05 21:34
>>419
>広松氏が言う「三項図式」を、認識論で克服すること

どうすること?
421考える名無しさん:02/01/05 22:42
レスありがとう >>420さん
正確には広松の別スレや「哲学入門一歩前」(講談社現代新書)等を
参考にしていただくとして、簡単に紹介します
間違ってたらどなたか訂正してください

広松は近代の認識論を「カメラモデルの知覚観」≒「三項図式」として批判します
カメラモデルの知覚観とは、外的刺激の入来によりカメラ内にその結像が生じるように、
我々も同様の仕組みで、認識主体がその知覚心像を認識しているというものです
しかし、知覚心像が形成されただけでは、それが意識にのぼっていませんから
そこにその像を見る「意識作用」が加わって認識が成立するというものです

三項図式はそれをソフィスティケイトして「外的対象−心的内容−意識作用」として
まとめたもので、神経生理学者をはじめとして我々は、通常この認識観で
すませているということでしょう
422考える名無しさん:02/01/05 22:59
>>421の続き

ところが、この認識観では何も説明したことにならないのはすぐにわかります
「三項図式」では、心的内容を意識作用が「観る」必要がありますが、
そもそも我々が知りたいのがその「観る」仕組み、すなわち認識の仕組みなので、
「内なる小人」そこに要請され、無限後退に陥り、仕組みを解明することは
覚束ないというわけです

次に、この三項図式と独我論との関係ですが、三項図式では我々が「観て」いるのは
意識内容ですから、直接対象そのものを認識できません
これは、結局突き詰めれば外的対象の存在そのものも確証できないということになって
不可知論、独我論に陥らざるを得ないということになります

広松氏は、認識の構造を「四肢的構造連関」という彼の哲学装置を使って
説明することで、この三項図式を否定、止揚し、またそれに即して、
自我概念そのものも否定、止揚します(1次的に存在するのは、その認識の
構造であって、自我とは「物象化された」2次的存在である)

以上により、独我論の問題そのものが止揚されるというわけです
423考える名無しさん:02/01/05 23:01
竹田現象学で解決w
424考える名無しさん:02/01/05 23:12
>>422の続き

長文ですみません 最後に私の感想ですが、広松氏のやり方で三項図式が
否定、止揚されるかどうかを判断できませんが、我々の認識観が三項図式に
しかなっていないこと、また、これは克服されるべきものであること
(対象そのものへ認識が届かない、不可知論等など、それが招来する世界観が
歪すぎるので)は、賛成です

で、三項図式が否定されれば独我論を認識論的側面からは否定できるだろうと

・・ただし、>>419で書いたように、認識論的側面から否定されただけで
独我論の問題とされていること全てが解消されるかどうかは、少々懐疑的です
425考える名無しさん:02/01/06 07:23
>>419
>>421-422
>>424

余り廣松渉の認識論による3項図式批判(でいいのか?)のこと知らない私が言うのも何だけどさ、
>>419で予め指摘されてることなんだけど、
やはりこれって認識論に凝り固まってるように思える。
ホントに直感的に「思える」だけで、そんな深く考えたわけじゃないんだけど。
確かに、認識論的側面からすれば、自我概念は、その認識構造が1次的で、
単に2次的に物象化されているだけかもしれないが、
情動性とかセルフ=アイデンティティの側面からすれば、
自我が実体的(というか1次的?)になり得ると思う。
>>421-422だけじゃよく解んなかったから、こう指摘することが間違ってるかもしれない。
426ケモノ:02/01/06 07:51
私は私である。
故に他者は私の中の他人である。
私は他者の他者である。
故に私である。
他者は認識の中での存在。
存在の証明が出来ない今は私は私である
としか確信できない。独我論もそれ故に「他者」である。
私は一人の孤独である。
427ケモノ:02/01/06 08:00
証明

ZERO的存在論
この場合ZEROも存在しないのだが無的存在論でもいい。
私が存在の存在を問う其の時私は存在しなくなり、存在が存在しない。
故にZERO的存在論はありえる。
独我論はこの思索によって否定される。
428考える名無しさん:02/01/06 08:11
全く意味がわからないので、どなたか解説してくださいませんか?↓

_____________________________
ダウン症は「別」だからでしょ。
あるいはタブーとして成立しているからだとも言える。

ダウン症を擁護するにしろ非難するにしろ、両者とも同じ心理的基盤を有している。
そう、ダウン症は「別」だという認識です。それは健常者ではないという認識。

1に対し過剰な反応を示すのは、それを看破されたくないから。
タブーは感情を支配する。そしてそれは時代のエピステーメーによって決定されるものだ。

1を見過ごせない者(あなたも)は、その心理的基盤の多くを時代の枠組みに依存している。
反省が足りないことの証左だよ。

悔しかったらダウン症ネタで笑ってみやがれ
429考える名無しさん:02/01/06 08:20
>>428の指す1とは、「ダウン症ってみんな同じ顔だね。」と
笑う人のことです。
その1に対して批判的なレスをした人に向けられたレスが
428です。
特に反省が足りない、というところが意味不明なので
理解できた方、解説してください。
430考える名無しさん:02/01/06 09:38
ここは論破ールームか(w
廣末が院生の時にやったことくらい、
消化してから出直せや。
それと、ダウン症=奈良ナチのイラストのモデルがどうかしたか?
431考える名無しさん:02/01/10 20:31
age
432考える名無しさん:02/01/11 00:24
柄谷行人的な独我論についてはあまりかたられないですね。
独我論といえばまず、彼が浮かぶのですが。
確かにこのスレの趣旨からは少しずれますが。
独我論という言葉の定義自体変わってしまいますし。

「探究」に関するスレってたったことありましたっけ?
433考える名無しさん:02/01/18 10:54
age
434考える名無しさん :02/01/20 02:34
age
435陰謀ファン:02/01/20 02:54
論破できなかったら、命題が間違ってるってことでは?
というか、普通にみんないるだろ(w
自分の先祖、自分の子孫という存在の歴史までも否定してないか?
1はまず、お母ちゃんにでも電話でもしる(w
他者がいないとは言わせない。
なぜなら、他者がいないとすれば、誰が陰謀を企てるというのか。

ゲーデルは殺された?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1010918556/l50
436考える名無しさん:02/02/08 16:13
437考える名無しさん:02/02/09 15:42
独我論は正しいけど正しくない。
438考える名無しさん:02/02/09 15:48
独我論を論破→略してドロンパ
439寒梅:02/02/17 14:54
スレをあげてしまって頭が下がる。

独我論を要約して翻訳してある一面からの定義をすると
独我論とは「論破できないものである」となる。
だから、このスレはネタスレにドロンパすることになる。
よって、すべきことは「論破すること」でなく、
「論破できないことを証明すること」あるいは、
「論破できないことを証明することができないと証明すること」になる。


また、洋哲学と東洋哲学に二点を打つとして、
「独我論」と「無我の境地」
こういう対立は様々な分野で見ることができると思う。
個人的に、人間として見た時に東洋哲学の方が有益だと思われる。
言葉を使わず飛ばしまくった東洋に、西洋が言葉を使うことで
その足跡を残し、少しずつ追いつこうとしている図式。
440くろぱんだ:02/02/17 15:16
できるわけねーじゃん。
441考える名無しさん:02/02/17 20:48
そう結論づけたがらなくてもよいのかもしれない。

何をか云ってること自体、独我論の外。東洋思想であれ。
脳としてみれば、外は信号でしかない。
しかし、そういうふうに脳を外から見る視点も、独我論の外。
そしてそれらは、すべては脳に回収される話だ。
すべては外、すべては内、と二重に捉えている。
そのようにあやふや。あいまいな設定で思考する。
または、実在については、そういうふうにしか思考できない。
(あやふやであると、云い切り、また、何ものかに一致させることはできるかも)

そういうことなのでは?
442Маршал Боголюбов:02/03/21 22:48
<独我論を極めれば>
自己も他人も己の意識の中では同じことになって、
己とは何かといえば、
己の意識を他の何者かと対立せしめて語ることもできないので、
他との対立概念としての己を否定せざるを得ず、
また、その己は絶対的であるが故に、
無意味な実体なき己にならざるを得ず、
ここに至りニヒリズムとマテリアリズムが合体する
443考える名無しさん:02/03/21 23:55
何じゃそれは
444考える名無しさん:02/03/22 00:43
それはテロリズムだろうが
445考える名無しさん:02/03/22 00:46
論破でなく、脱構築してやれや。
446Маршал Боголюбов:02/03/22 00:48
だから〜
独我論と唯物論を合体してやっただろ
447考える名無しさん:02/03/22 03:49
ドンパ ドロンパ デコデコクール
448考える名無しさん:02/03/22 03:58
間違えた

訂正
ロンパ ドロンパ デコデコクール
449考える名無しさん:02/03/22 18:54
独我論を論破しなければならない理由とは何でしょうか?
他人の実在を証明しなければならない理由は何でしょうか?何か不都合な
ことがあるのでしょうか?
450BUNBUN:02/03/22 20:21
まず基本としてあらゆる認識というのは主観内部(私の中)で成立している。
従って、独我論を越える(他我の存在を確信する)には私の内部で「他我」
が確信される構図が解明されればよい。

私たちは普通に生きているとき「他我」の存在は疑っていない。
それは何故だろうか?

ある相手と私は言葉の発語によりコミュニケートでき、相手の行動で相手の意識を
私が感じるとき、私は相手の「他我」の存在に対し疑念は生じない。
疑念が生じなければ我々は「他我」を確信するしかない。
「他我」を疑う根拠を失うからだ。

SF的な仮定として、もし「AIBO」レベルより遙かに高い技術で精巧に人間に
近いロボットが作られたとき、や、宇宙人が人間の脳を乗っ取ってより人間に近い
行動をしたときどうなるのかと考えてみよう。
しかし、そのときには、私に疑念が生じなければ、私は相手の「他我」の存在を
疑わない、というだけである。疑わせる行動をしたとき初めて相手の「他我」の
存在を疑う、ということでしかないのである。

では客観的には「他我」というのは証明不可能ではないか?
しかし客観というのはあくまで主観内部で「客観」として成立しているにすぎない
のである。
とすれば、客観的な証明というのが既に背理なのである。
451考える名無しさん:02/03/22 23:32
独我論って面白いですね。でも独我論を論破できる人は気が違いそうな位孤独です。
きっと、そうです。
あなたは、空間で世界を認識してますか?雰囲気という言葉が近いでしょうか?
楽しい雰囲気、美しい雰囲気、にぎやかな空間、夜景、空、おしゃべりなどには、一人でいることを信じることができません。
私がたった一人の私の世界を感じたのは、電車に乗っている時でした。
夜窓から外をみてました。きれいなネオンが、ビルの光が美しかったので、暫くみていたんです。
そして、トンネルに入り、私の意識も電車の空間に戻ったのです。沢山、人がいるのに、だれも話をしないのです。
怖くないですか?〜のはずがない。人がこんなにいるのに話を始めないなんて、
という不信感が、この空間を生み出しているのですか?
生きている上で、言葉をさほど意識していない。それが、ふつう?
じゃ、前提をつけてやって、考える言葉は最低限で、〜である空間と限定すれば、可能かなあ?
452考える名無しさん:02/03/23 00:02
再訂正

ドンパ ドロンパ デコデコクール
453考える名無しさん:02/03/23 04:39

ドンパ ドロンパ デコデコクール

\___  _________
     ∨
♪  ∧ ∧ ♪
   (,,゚Д゚).  ♪ コエヲ ダイニシテ イイタイ
   |つ[|lllll]).
 〜|  |
   U U
454考える名無しさん:02/03/23 04:43
脳のパーティション分けてデュアルブートにしれ
455考える名無しさん:02/03/27 16:18
既出だったら悪いけど、
独我論を論破することと、他我の存在を証明することを分けたら駄目?
全てが自分の創り出す想像であって、それ以外には何もない、という立場は
維持困難だろうから、他我があるかどうかは分からないし、何か実在と呼ばれる
ようなものがあるかどうかも分からないとしても、自分以外の何かが作用している、
ということではどうだろうか。
456考える名無しさん:02/03/27 16:31
こんなとこまで真面目くさった文章読むの疲れそうだから流れ把握してるひと
もう論破されたのか教えてくれ
457マジレス:02/03/27 16:41
>>456
論破されたことなんて一度もないよ。
458考える名無しさん:02/03/27 16:48
独我論の立場からいえば世界が複雑ということは自分が気がつかないほど自分は複雑ということだよ。

結局、最後は「自分しかいないような気がする」とか「他者もいるような気がする」とかいう自分の好みで結論がでるだけだよ。
459考える名無しさん:02/03/27 16:55
>>457
教えてくれてサンキュー
460考える名無しさん:02/03/27 17:03
>「独我論を論破してください。」

“無知な人間”には無理
“無学”な人間は論ずる必要を感じない
だらだら文字を綴るのはナンセンス
461Yeah!:02/03/27 18:25
独我論を論破か・・・。
結局、自分は主観でなくなるのは不可能だしな・・・。
少なくとも哲学で論破すんのは無理じゃん?
だって、「論破しよう」と考えるのは他ならぬ「自分」なんだし。
独我論を提議すること自体に客観性が認められるので、その時点で
「独我論は正しい」というのは否定される。すると事は、
>>461の言うように「独我論」を前提として問うこと、に問題があるのではなく、
逆に、独我論を否定する他ないことを前提として問わねばならないこと、に
問題があるのだ。
これを逆に考えると、真の意味での「独我論(真の意味である故、我とは
その話すものの我)」を他人に説得できることは不可能だと言うことに繋がる。
それ故、「独我論」について語ることとは、
「独我論を正しいと考えている人間」を対象化して
客観的に語ると言うことに他ならない。要は、その時点で独我論が正しいことを
その(曖昧に自己投入した)他者の意識の中で仮定してしまっているので、
論議の上ではそれがまるで正しいようにされてしまう。しかし、自分の行動に
立ち返れば、その論議する自分は客観視する自分に他ならなく、よってそれは
否定される他ない。
(根源的な否定の証明は、逆に色々な前提を盛り込む必要があるゆえ
 面倒くさくなる。この問いについて実際はこの程度の論証で何も疑問あるまい。)
463考える名無しさん:02/04/14 17:11
もうだめぽ
464考える名無しさん:02/04/14 17:13
独我論の論破
永井均の論破は
大庭健が 永井大庭論争で
ことごとく敗北しています。
独我論無敵。関係性ウンヌンで論破できないみたい。
465考える名無しさん:02/04/15 00:31
まず>1に唯我論の定義をしてもらおうじゃないか。話はそれからだ。
466考える名無しさん:02/04/15 18:01
>>465
( ´,_ゝ`)プッ
467もうだめぽ:02/04/15 18:59
できますが、面倒だから教えません。
できるということだけ伝えておきます。がんばりましょう。
468考える名無しさん:02/04/15 19:01
独我論を主張する奴は殴れ!
それが一番手っ取り早い解決方法だ
469考える名無しさん:02/04/17 22:10
>>468
殴っても、拷問にかけても解決しないんだよ。
殴られたのだって、それを感じるのは「自分」
以外の何者でもないからね。わかる?
(って呼びかけている「私」は独我論者ではない(w
>それを感じるのは
「それ」って何?
471469:02/04/17 22:25
それ=殴られたこと、だけど?
何かわかりにくい?
あ、やっぱいいや、ごめん。客観が先に存在してることを証明しようと
思ったけど、言葉が見つからないわ。スマソ
473469:02/04/17 22:53
ところで、僕は独我論者じゃないけど、
独我論は論破できないと思うよ。
できるという人は、ウィトゲンシュタインの論考にある
独我論の部分をぜひ、論破してみてください。
474関係ないが:02/04/17 22:58
「論破ールーム」の提供は、高島屋だったはず。
475オプティコメンタリーク:02/04/17 23:36
>>469
独我論。
とりあえず、廣松渉を読む→共同(協働と韻をふみたかったらしい)主観性
→柄谷行人、共同主観性批判。『内省と遡行』戦争、「態度変更」転回→
ウィトゲンシュタイン。

独我論、ウィトゲンシュタイン=他者論、ウィトゲンシュタイン。?
あで。

しかし、独我論定義を述べないのに論破せよとは、いかにも、ろんぱーるーむだよね。
476考える名無しさん:02/04/17 23:48
独我論のろんぱ。
共同性からの論破はことごとく失敗。
永井大庭論争。
477469:02/04/17 23:51
>>475
独我論の定義をここであえて述べる必要はないでしょう。
また、それが分からない人はもとからこうした論争に参加しないだろうし。
478オプティコメンタリーク:02/04/18 00:02
>>477
それなら、議論しなければ、いいのに。
それとも、独我論という共同主観的定義?語義矛盾、が存在するとでも?
479469:02/04/18 00:17
>>478
独我論が共同主観的に定義できるとするなら、
やはりそこにこそ、論破するための糸口がありそうな気はするな。
永井氏は、他人の心があることを前提とした
認識論的な独我論は、そもそも問題を取り違えていると言ってるね。
実を言うと、こうなるともう僕には理解できない(w
480オプティコメンタリーク:02/04/18 00:45
認識論的な独我論が陥穽に陥るのは、廣松渉いわく、認知の三項図式によるのでは
ないでしょうか?
481469:02/04/18 00:46
さて、寝る前に独り言。
でもさ、永井の独我論を読んでると、
論破できないんだけど、「永井」という
「他者」がますます実感されるんだよね(w
482人間様:02/04/18 00:54
なぜこれだけ独我論を考える人がいて
自分以外の人間という存在は意思が無いと思い
良心を感じなくなり殺したい本能の欲求にかられ大量殺人を犯した、
という人物がいないのでしょうか?法があるからですか?
独我論を考えれば考えるほど良心も対人関係における感情も消えていくんですが
皆さんは良心はどれ程残っていますか?
それともすでに法に従う以外の規制からは束縛されていませんか?
483オプティコメンタリーク:02/04/18 00:59
永井均氏のは、食わず嫌いです。
なぜかしら、現代の〈エゴ〉セントリスムの論拠を提供しているように感ずる
から。
これは、文字通り食わず嫌いでしょうか…。
484オプティコメンタリーク:02/04/18 01:02
>>482
どうして、自己を「規制」「束縛」という発想になるのですか?
存在被拘束性とか制度論的視角(中村雄二郎)は導入できませんか?。
485考える名無しさん:02/04/18 03:47
>存在被拘束性とか制度論的視角(中村雄二郎)は導入できませんか?。

永井の場合それも閉じカッコしてわたしが見てることになるんでは?
486考える名無しさん:02/04/18 11:46
468>>469
>殴っても、拷問にかけても解決しないんだよ。
>殴られたのだって、それを感じるのは「自分」
>以外の何者でもないからね。わかる?
>(って呼びかけている「私」は独我論者ではない(w
言えることは独我論者を殴っても独我論者はそれに文句をつけることができないだろう?
だから好き放題に悪さしまくり



487考える名無しさん:02/04/18 16:27
↑だから?
488465:02/04/20 04:54
>467
じゃいいよ。がんばるよ。
独我論は、全てが自分自身の意識に根拠を置く存在であると言う世界観の
こと。首尾一貫して、全て自分自身の意識の産物である、という見方だよ
ね。
これを論破しろと言うことだけど、論破と言うことは、自分自身の意識を
ふくめて、全ての物が自分の意識の外にある客観的物体からなることを示
せ、と言うことだよね。これは、いわゆる唯物論ですね。
これは、無理です。というのは、反語的になるけれど、あらゆるもの、言語
や法則などもふくめて、全てが自分の意識の産物だと言い切ることが出来る
からです。そこに矛盾は存在しないのです。ではなぜ言い切ることが出来る
のか。
自分の意識が脳の働きだという唯物論的な考え方からいけば、様々な意識は
外界に存在する物事を脳に模写したものです。これは、脳に記憶として取り
込まれたものも同様です。また、感情も脳の働きであると言えます。あらゆ
るものは、必ず脳の模写という形で意識となります。しかし、「これこれは
意識の産物か、それとも意識の外にあるものか」と問われたとき、考える過
程で必ずその「これこれ」は脳に模写されたものです。つまり意識の中のも
のとなります。ですから逆転させて、意識が作り出したものだと言えば、全
てがひっくり返ります。意識が、世界をつくることになります。
489465:02/04/20 04:56
よって論破できないが答え。
でも、いわゆる多元論は論破できてしまいます。
490わんにゃん企画(謎):02/04/20 05:04
類似するであろう懸念があった。
が、大○にて大木ボソドを見かけたような気がして.。
491考える名無しさん:02/04/20 05:07
「我」って、どっからどこまで?
「我」ってもう定義した?
ま、どうでもイイや。無視しる!
492バラモン:02/04/20 06:43
>>491
梵我一如
493考える名無しさん:02/04/20 22:07
>492
スレと何の関係も無いが、工房時代の倫理教師を思い出して爆笑した。
古代ギリシアの哲学者を3人挙げよと質問してきて、少しでも答えるのが遅れると、
「こんなの世界の常識、いや宇宙の常識だ。こんなの0,5秒で答えられなきゃ。」
とか言ってた。
494考える名無しさん:02/04/20 22:38
>>493
先生! アリストテレスというだけで1秒はかかるんですが、
0.5秒では、プラトンだけしか答えられません。
495ぎゃはは!:02/04/20 22:40
>宇宙の常識

なんか電波を受信してるようだな、この倫理教師(ワラ
496考える名無しさん:02/04/21 00:04
>1
・・・ほんとうに「他者」とは何なのだろう? それだけがどうしても
わからない。
497493:02/04/21 01:10
どうせだから彼の名言を紹介でもしよう。
何故覚えているかと聞かれたら、面白すぎたからとしか答えられん。
全部授業中の発言。

「精力絶倫だから彼のSEXの振動は世界を壊しそうになり」
「オナニーの語源はオナン」
「こっちがホモの街、こっちがレズの街」
「おい3Pか!」
「男性器は昔から最も生命力のある象徴として崇められてきた、これをリンガ崇拝という」
「お前最近おかしいぞ、お前恋してんのか」
「でこの姉妹は毎晩毎晩代わりばんこにお父さんの所へ行ってSEXを」
「聖書の中では近親相姦」
「だからみんなもインドに行って苦行を受ければ真実が見えるかもしれない」
「このシヴァという神様は宇宙ダンスを踊って宇宙を壊す」

彼曰く真実とは梵我一如の境地にあるらしい。
498考える名無しさん:02/04/25 04:08
このスレを見てるのはボクだけだよ
499考える名無しさん:02/04/25 21:07
>>498
じゃ、俺は誰よ(w
500一応儀式だし2:02/04/25 21:21
500
503  EDWIN !
独我論の正当性を真偽する限り、
言葉に拘れば独我論とあるよりも唯我論とあった方が良い気がする。
独我論が正しい限り、いかにして私は「独り」になりえるのか。
そこで、自我が他にも存在する、というのが否定された結果、
習慣的な言葉で、私という自我が「独りになった」ということだとしても、
それでは結局、自我を存在させている場(世界)をつくっていることになり、
その世界は自我と分離して(且自我を内包しながら)成り立ってしまう。
これは唯我論では無い。
503考える名無しさん:02/04/26 00:11
このスレを見ているのはボクだけったらボクだけなの
504考える名無しさん:02/04/26 00:12
↑エロウェ〜ン ゲトー
505考える名無しさん:02/04/26 23:24
なんで論破できないの?
506これでいいのだ:02/04/26 23:28
ロンパなんてする必要ねえんだよ!ばかども。
あほか。
507考える名無しさん:02/04/26 23:33
じゃ
ボクしかいないということで・・・
508考える名無しさん:02/04/26 23:34
君の主体性はテキストの効果に過ぎないんだよ。
509考える名無しさん:02/04/26 23:37
   \ | /
   ― Θ ―
   / °\
  ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ・∀・) <  そうだったノカー!
 ( つ  つ  \_______
  〈 〈\ \
  (__)(__)
510考える名無しさん:02/04/26 23:41
俺様は神様
グワハハハッ
511これでいいのだ:02/04/26 23:42
文脈の中に位置するところの「私」
512考える名無しさん:02/04/26 23:44
情報構造の「一部」を、「私」と知覚しているとおもわれ。
513考える名無しさん:02/04/26 23:49
文脈の外にいるのがこの”私”
514考える名無しさん:02/04/26 23:50
ならば眺望はよいだろうが・・ 同時に、怯えがあるのでは?
515考える名無しさん:02/04/26 23:52
?
516考える名無しさん:02/04/26 23:53
理解できないならば、まぁ、それはそれでよし。
517考える名無しさん:02/04/26 23:57
じゃ
よしということで
518考える名無しさん:02/04/26 23:58
それはそれで成立はするかと。
519考える名無しさん:02/04/27 00:00
終わりかよ! byミムラ
520これでいいのだ:02/04/27 00:01
独我論は語ることが出来ない、しめされるだけ。
521考える名無しさん:02/04/27 00:05
カタッテルジャン
522考える名無しさん:02/05/09 23:32
原理的に論破不可能
523考える名無しさん:02/05/09 23:54
たとえばこの2chがよくできた人工無能プログラムで
本当に書き込んでいるのがオレだけだとしても
手応えがありおもしろければオレは書きこみを続けるかもしれない。
かもしれないとしか言えない弱さがパソコンごしのコミュニケーション。
でも現実の世界の生々しさは
たとえそれが幻だったとしても
何も変わらないと言うに十分なものだ。
論破はできないとしても私の生きていくところはここだけ。
意思によって克服しよう。

独我論が意味を持つのは「裏切り」が起きた時だけ。
ある日突然目覚めたら一人だったらおもしろいね。
524考える名無しさん:02/05/11 02:35
ま、一つ言えることは、独我論の枠だけでは、
宗教は成り立たないということ。
525考える名無しさん:02/05/11 19:23
というと?
526考える名無しさん:02/05/11 22:32
なんで論破できないんだ!
なぜなんだぁ???!!
527五◎E:02/05/11 22:52
はやく誰か答えていいよ
528考える名無しさん:02/05/11 22:54
さげちゃいやんヌ
529考える名無しさん:02/05/14 00:11
挙げ
530 ◆DsDaF1lk :02/05/14 00:20
まだこのスレ最初のほうしか読んでないけど、私は独我論がすごく好き。
ただ、世界には私しかいないという言い方はそもそも独我論を言い得てない。
なぜなら、私の意識の外の「世界」を想定してるから。
「私は私の意識の中にのみ生きている」これが正しい。
でも、これは当然のこと。
531んんんんんんん:02/05/14 00:27
独我論を論破?

とりあえず人間にはまだわからない事ってありますよね、、
そのわからない事の存在=一人じゃないだと思うんですけど
532考える名無しさん:02/05/14 01:13
我のみ(独我論)、現在のみ(独今論)、このここのみ(独此論)、何れも、
「Aのみ」という発想は、「A」と「A以外」の内で「Aのみ」とすることになっているので
「Aのみ」ということを考える時点で既に矛盾している。
よって自己が「我のみ」と考えている時点で、既に真の意味では「我のみ」では無い。
「真の我のみなる者」(=相対と比された絶対ではなく、本来は絶対とすら表現されない絶対者)は
そもそも自己を「我のみ」だとすら考えない。
そのような絶対者は比する対象を絶しているし、そもそも比すべき動機も持たない。
5331 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:16
>532
おお。考えてみれば確かにそうかも。
じゃ、やっぱり独我論は語りえないのか?
534考える名無しさん:02/05/14 01:23
我と我以外の内の我のみではなく、我が無いなら我以外もない…かも
535考える名無しさん:02/05/14 01:24
コギトは意識から見た場合、他者なのでは無いだろうか?
思考するという行為そのものが意識によって把握し
きれない他者を探究する作業に思える。上手くいえない…

536 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:28
>>535
ごめん。1じゃないです。
図らずして騙り。
537 ◆DsDaF1lk :02/05/14 01:30
>>536
ごめん。>535じゃなくて>>533
です。図らずして・・・
538考える名無しさん:02/05/14 01:39
>>535
そう。対象化・客体化・同一性を想定された我は、他の存在者(他者)と同じ。
だから「我が無いなら、我以外もまた無い」と書いたんだけど。これは仏教哲学やヴィトの発想になるのかな。
といっても書いている私も良く分かっていない。
539考える名無しさん:02/05/14 01:50
アートマンを個我と訳すのは間違いだと思う。
アートマンはやっぱりアートマンとしか言い様が無いとおもう。
540考える名無しさん:02/05/14 09:47
唯我論とすると論破不能。
と言うよりも肯定されねば存在論自体がおかしくなる。
つまり現在の存在論自体が唯我論を内包していると言える。

自己の2重性がこの原因ではあるが
仏教ではこういった側面上では
我が主観世界側の自己(本来的自己)
無我が現実世界側の自己(非本来的自己)とされている

つまり我は無我とは異なった世界に存在する
同一的存在であり相互関係になる。
我そのものの消滅は無我の消滅を意味し
無我の消滅は我の消滅を生む。
これこそ仏教の唱える「死」なのではないだろうか?

唯我論は仏教ではなく神学的世界論の上で成り立つ。
知覚は無から有を無条件で生み出す。
(主観世界外界が無い為知覚は発生を肯定する)
この時意識そのものは無から有を生み出している。
そこに「神」があると言うのが唯我論だ。
541考える名無しさん:02/05/14 16:41
独我論的気分に浸れない今日この頃・・・・
542考える名無しさん:02/05/14 22:40
>>541
あんた「哲学ができなくなっちゃったよー」スレの人だろ?
543考える名無しさん:02/05/15 18:47
仏教・あるいはインド哲学の場合。
我思うゆえに我あり
↑       ↑
この二つの「我」はイコールではない。

なんか意識の途切れるヨガが昔から存在したのが大きいらしい。
544んんんんんんん:02/05/19 00:20
みんな地球の一部なんだから、みんなで一人
545考える名無しさん:02/05/19 00:22

毒蛾 論 ?
546考える名無しさん:02/05/19 00:39
我の意識の方向の違いで、自分の中に神がいる、自分を細かく細かく理解していけば
その中心に真理があるみたいなかんがえじゃん?自分が意識を作り出してる
というのも結びつけたり分けて意識してるっていうか
「空間」「時間」「生物」とかって言っても結局そういうふうに分けてから考えて
意識するしかなくて、全てを全てのまま理解するってなんでできないんだろう。
全てを全てのまま意識する方向へいくとまた変わるっていうか
我自体も我ってすると唯一だけど人間としたり細胞としたり別のほうから考えると
我は唯一じゃないよな。
547考える名無しさん:02/05/19 08:34
休日朝っぱらから独我論アゲ
548考える名無しさん:02/05/19 08:47
>>547
ええ根性しとる! 誉めちゃるぞ、君。と書きつつ、果たして「君」が
存在するのやら、俺には確かめようもない、証明する方法もない。

>他人の実在は証明できるのでしょうか?

だうしやう? 自分がキーボードを叩いたのではない文章が
547のように朝っぱらから並んでいる・・・これもまた
我が脳が俺に見せている幻像なのだらうか・・・あああ
休日の朝っぱらから、悩むぞ。
549考える名無しさん:02/05/19 09:00
脳はある脳?
550考える名無しさん:02/05/19 09:11
>>549
のう! それすらも実在が覚束ない、証明のしようがない、
触ってみるこの手も足も、鏡に映るこのカッコイイ男の顔も、
全ては・・・在るのか無いのか・・・誰も証明できない。
551考える名無しさん:02/05/19 09:23
>鏡に映るこのカッコイイ男・・・ワラ
それ、ボク


なんで証明できないの?
552 :02/05/19 09:42
1
そんなことできないよ。
独我論永井は学会で無敵。
553考える名無しさん:02/05/19 09:47
全てはボクの意識だぴょん
それに対する反論も全ての中に入っちゃうから・・・?
554考える名無しさん:02/05/19 10:01
「カッコイイ男」であることは、価値の問題だから、
自分で自分を「カッコイイ男」と真底から信じられる(つまり「信じる」という距離を欠如させられる)なら、そいつはカッコイイ男。
つまり自己に関する価値査定に他者の判断を介入させないなら、それは絶対でありうる。


永井均の語るところの、「他者」。
「本来の意味での他者とは何か。それはすなわち、「世界に対する態度」であるような私の他人意識によっては決してとらえられないもののことである。
他者が存在するということは、まさしく、私が外から見たり、近づいたり、ましてや入りこんだりすることが決して出来ない何かが存在する、ということなのではあるまいか。
言い換えれば、他我認識の不可能性においてこそ、他我の存在は成り立つのではないだろうか。他者は私の「世界に対する態度」の一部ではない。
それはむしろ、そうなることを徹底的に拒むところにこそ存在するものなのだ。なぜならば、他者は物のような世界の一部ではなく、そこから(も)世界が開けている、世界の原点だからである。
世界の中にある物と世界を開く他者とでは、その存在の意味はまったく異なっているはずなのである。」
(『<魂>に対する態度』所収・「魂に対する態度−他者と他人の存在論的差異について−」)
556考える名無しさん:02/05/19 11:22
>>555
それって、誰しも持っている感覚の言語化。
永井がやったの? それまで無いの? とっくの昔に
誰かが言っててもよさそうな…。

まさしくそうだけども。問題は「世界を開く存在」としての他者、
そーなんです。コミュニケーションの不可能性に対する絶望もある…
ま、それはまた別の話になるのでありまするが…。
557考える名無しさん:02/05/19 22:15
高いところから飛び下りてみよう!そのとき世界がどうなのかはっきりするよ!
558んんんんんんん:02/05/20 00:43


531 :んんんんんんん :02/05/14 00:27
独我論を論破?

とりあえず人間にはまだわからない事ってありますよね、、
そのわからない事の存在=一人じゃないだと思うんですけど


これ555みたいなこといいたかったんだな、わからんか、、、、

559532:02/05/20 01:17
真に独我存在かどうかなんて問題ではない。
独我論者も真に自己が独我存在だと信じることは出来ない。
独我論を議論する事自体が、独我存在ではない確信を背景にしている。
560考える名無しさん:02/05/20 03:17
哲学とかよくわかんないけど、わからないって事がわかる事もわからないって事?最強なのか最弱なのかもわからないっていう。浮いてる感じなんかな。死んでもわからないかもね
561 :02/05/20 03:25
他人とのコミュニケーションで他人に絶対的に入れないてなるけど、それは
なにを求めてるの?他人の心に入れたところで問題解決するのか?
俺は自分の周囲との論理的接触関係の中で自分の意志で動くために我がある
みたいなかんじに思うわ
我しかいないならそんな他者のこと考えたり他人の存在考えてる時点で我以外もいる
ってことは明白じゃん。
562560:02/05/20 03:36
他者を感じる事がわからないって感じなんじゃないかな?感じる事を感じないっていうか。自分が存在するのがわからないから他者もわからないっていう。これが始まりでこれが全てかもしれないっていう。
563560:02/05/20 04:06
論破ってよくわからんけど、言葉で言葉をねじふせるって感じなんかな?そやったら独我論ってもっと感覚的な感じな感じがするし、無理な感じする。
そのうちできるかもしれんけど、わからん。
できたら凄いんじゃない?
564考える名無しさん:02/05/20 04:23
>>558
わかるか、ボケ
565560:02/05/20 04:33
独我論で恐いってのは、孤独がきついって人だよね?そいう人がこいう感覚になるときついと思う。これが全てかもしれないって感じで。でも全てって言い切ってない感じする。これが始まりって感じもするけど。
566考える名無しさん:02/06/05 23:40
あげときます。

ん〜。他者の存在の証明とか、独我論が他者との比較だからとかでは論破されないのでは?
結局自分で知覚する事しかできないのだから、論破は無理と思ってしまいます。


567考える名無しさん:02/06/06 00:00
独我論者が何人もいるということが
矛盾を抱えていないかい?
568566:02/06/06 00:04
>>567
「独我論者が何人もいる」とわかった自分がいるとわかった。
569566:02/06/06 00:10
>>568がなんか変な言い回しになってしまった・・・

「独我論者が何人もいる」と考える自分がいる
で、どう?
俺も混乱です。
570考える名無しさん:02/06/06 00:11
>567
「独我論者が何人もいる」と思っている自分だけがいる
のほうがよくねえ?
571考える名無しさん:02/06/06 00:34
独我論は論破不可能であるが証明不可能でもある
572考える名無しさん:02/06/06 00:48

独が論は現実によって論破sれる
573わかってないね:02/06/06 01:20
あのさ、独我論には段階があるんだよ。
最初に気づいて、また否定して・・
そうしたことを繰り返した人はある境地に達する。
結局、「その時点」で肯定できるか、できないかの違いだけ。
574考える名無しさん:02/06/06 01:32
まあ独我論なんて本気で信じてる奴なんていませんからw
575考える名無しさん:02/06/06 04:48
感覚的雰囲気だよな。まず穏当な他者や間主観性ありき。
576考える名無しさん:02/06/06 08:31
・・・と思っている自分だけがいる(w

独我論,最強だな
577ド観屋:02/06/06 10:21
えだって神的自我があってそれがすべてじゃん。
578考える名無しさん:02/06/06 18:36
間主観性をちゃんと勉強したら、
自己意識があるということが、
他人の存在を証明してくれますよ。
579考える名無しさん:02/06/06 18:44
たから過去の非実在と同じでまずは常識的な過去概念
があってはじめて不在も意味をもつ。もちろん「個人
の感覚」としては独我論や過去不在は揺るぎ無いけどね。
580考える名無しさん:02/06/06 21:39
>578
・・・と思っている自分だけがいる

メンドくさいから,これからは自分でつけな。すべての考えの後にな。
581考える名無しさん:02/06/06 21:46
…と思っている自分だけがいる


…と思っている自分だけがいるって最後につけるのは不公平だよ
どんな説得力のある意見でもその厨房的な文章が台無しにしてしまう
「正しいから」じゃなくてあくまで「厨房的」だから
ほら、最初につけたら全然意味なし、全然最強じゃない
582考える名無しさん:02/06/06 21:49
…と思っている自分だけがいる







別に本当に最強ならどこに付け加えたって最強の効力を発揮するはず
あと主張する文章の最初の最初につけて「すべての考えの後につけた」とも主張すればいい
583考える名無しさん:02/06/06 21:52
…と思っている自分だけがいる







結局それが最強に思えるのは文章の最後につけるっていうたかが「小説的な効果」のおかげ
その程度の事を見抜けないと(哲学板で哲学するのは)難しい
584考える名無しさん:02/06/06 22:03
厨房的な正しさって奴だな。
585580:02/06/06 22:18
正直言ってオレは,独我論を論破して欲しいんだよ。マジで。

でもこの様子じゃ無理そうだな。
586考える名無しさん:02/06/06 22:20
>>585
>・・・と思っている自分だけがいる

>メンドくさいから,これからは自分でつけな。すべての考えの後にな。


これは誰に対して言ってるの?
587考える名無しさん:02/06/06 22:20
・・・と思ってるのは自分なのか?
・・・と本当に自分が思っているのか?
588566:02/06/07 04:28
>>570
「…と思っている自分だけがいる」ってので少し気になったんですが
569で俺が書いた事と微妙に違いますよね。
「自分だけ」って言えるのは、まず他のものは存在しない事を証明しなきゃいけないわけで
自分の中では
「…と思っている自分がいることがわかっただけ」ってのが正しいと思うんですが、どうでしょ?

でもこれって「我思う…」ってやつだから微妙に独我論とは違うんですかね(^^;

独我論は論破できるか、じゃなくて
論破されたくないから独我論なんでしょ?

論破する必要ないのは、独我論自身から帰結するでしょ?アフォか
590考える名無しさん:02/06/07 07:55
>586
>これは誰に対して言ってるの?

独我論が論破できたと思ってるボーヤたち。
独我論を誤解しているオッチャンたち。

>587
それはそれで,別の論を立てればよろしアルよ。
独神論とか。おそらくそれも,反証不可能。

>588
自分にとって存在が明らかなのは,自分の知覚や意識だけ。
他のものの存在が証明できないことを前提にすると,独我論になる。
「我思う故に我あり」はよくても,その先に飛躍がある。その手前
で踏みとどまったのが独我論。

>589
???
591考える名無しさん:02/06/07 08:20
>正直言ってオレは,独我論を論破して欲しいんだよ。マジで。

「お前の」独我論を論破するのは無理。
なぜならお前のいってる事は結局「この世の中で総合的な絶対を『証明』しろ、確立しろ」

つーかね、俺はこの世の事が、独我論からすれば他人が「絶対的に証明できない」
って事でコンプレックスになってどこまでも逆に走る大馬鹿タレ「以外」の
独我論を聞きたいのよ、マジで。
592考える名無しさん:02/06/07 21:22
お前がたとえ神になったとしてもおまえ自身の主観認知から
逃れることはでけんよ。
593考える名無しさん:02/06/07 23:36
>591
要約すると「俺が知っているすべての独我論は論破できない」
ことだな(w
594merc:02/06/08 00:16
スピノザのいう唯一の実体としての神=自分って
考えると独我論っすね。
自分(=実体)がいなけりゃ他者(=様態)は存在し得ない
みたいな感じで。
595カイジ:02/06/10 23:05
 独我論を論破することなど、やはり不可能でしょう。独我論を主張する
人に、独我論を否定する共通の言葉自体が存在しないから。そのような言
葉の存在を否定すること自体が、独我論のアルファでありオメガでしょう。
596考える名無しさん:02/06/10 23:29
なんでダラダラ続いてるんだコレ…

独我論“的”にというならいざ知らず、真に独我存在か否かという議論は意味が無い。
独我存在かを不可疑の確信か否かしか問いえない。そしてそのような確信を持つのは不可能。
「我のみ」という発想は、「我以外」と比されてはじめて実現するからだ。
「我のみ」という発想はそもそもからして「我以外」を含みこむ。
更に真の独我存在=絶対者は自己を独我だと“すら”考えない。
比すべき動機も対象も持つはずがないからだ。
597考える名無しさん:02/06/10 23:30
>595
それが通じるかどうかは別にして,独我論の否定を主張してみては如何?

ほかの人はどうかしりませんが,私は,中立的な立場で独我論の否定論
と肯定論を聞いてみたいと思っていますよ。
598考える名無しさん:02/06/10 23:33
>596
それは違うのでは?

まずわれわれが,自分に似た「他者」を知覚していることが大前提。
その上で,その他者(あるいはその他者の心)は存在するのか?
と問うているのでしょう。
599粗拳:02/06/10 23:36
独我論を論破することは不可能だよ
ただ独我論者を説得させる方法ならある
ぶん殴れ!
600カイジ:02/06/10 23:36
>596
 なぜ「「我のみ」という発想は、「我以外」と比されてはじめて実現
する」のだ。「他人」という概念を一切持たない「我」だって存在しえ
るのじゃないか。唯一ある物理的な存在からのみ世界が(なぜか)開け
ている。その視点それ自体を「我」と見ることができるのじゃないか。
え?
 しかしひどい日本語だね。
>独我存在かを不可疑の確信か否かしか問いえない。
なんて、何言ってるのかわかんないよ。
601考える名無しさん:02/06/10 23:38
“自分”といえるためには何が必要でしょうか?
真実他者が実在しているか否かといっているのではない。
そうではなくて、他者が実在していないと不可疑的に確信することは不可能だといってるんだ。

一応付け加えるが、独我論“的”考察(現象学)が無理だとかいってるわけではない。
602カイジ:02/06/10 23:54
>597
 何が言えれば独我論は否定されるのでしょうか。他我の存在? けれども
それを認識するのも自我それ自体ではないでしょうか。日常生活で、他人の
存在というものを全く意識していないんじゃないかい、って人に遭うことが
ありますよね。「他人」というものは「わたし」が作るのです。そして「わ
たし」以外には「他人」は作ることができないのです。そういう意味で独我
論は、否定することができないのではないでしょうか。
>601
>“自分”といえるためには何が必要でしょうか?
 これまたわかんない日本語ですが、自分という存在を知るためには、何が
必要かという意味であるならば、何も必要ではないでしょう。これは、自明
です。
603粗拳:02/06/11 00:05
>自分という存在を知るためには、何が
>必要かという意味であるならば、何も必要ではないでしょう。これは、自明
>です。

本当にそうでしょうかね

僕は無垢な子供が自我の存在とか自分の存在を認知しているとは思えません
それは経験の中で自分を他人に投企して他人を知り
そして他者を自分に投企して自我の存在を知ったのではないでしょうか?
あくまで一個人の感想ですが子供のころに自我を自覚していたとは思えません
604考える名無しさん:02/06/11 00:10
>602
君、俺にレス付けなくて良いよ。だって「わかんない」だろ?
自己が真に独我存在であるか否かと、
自己が独我存在であることを確信できるか否かと、
独我論的に考察することとは違う。これ分かる?
605考える名無し仔猫 ◆DMOUBKE2 :02/06/11 04:53
 個別の自我とは、唯一の主体の分有である
という意味で、一神教は独我論的かもね。
606考える名無しさん:02/06/11 09:14
>604
私は602じゃないけど。
それらはすべて,1さんの問いと関係する事柄なんですよね?
そうであれば,詳しく知りたいのでご説明お願いします。
607考える名無しさん:02/06/11 09:26
608 :02/06/11 12:14
1さんは、ちょっと頭悪い人?
609JSサイト発信!!:02/06/11 14:54
>>605

 この問題については、差し当たりエマソン選集「精神について」の
冒頭あたりを読むこと。ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論」にお
ける独我論についての言及もある。プロティヌスの一者とか、超越論
的な要素のある哲学なら何でも良いよ。
 ありゃ、トリップ間違えた。
 まだ、変だな。ごめんね。
 まあ、いいや。
614カイジ:02/06/11 23:42
>603
 確かに幼な子には「自我」というものは無いかも知れませんね。でもわたしが
言っているのは、その幼な子がいつか自我というものの存在を捉えるときに、一
切の必要条件を持たない、ということです。「自明」というのは、少々言い過ぎ
でしたね。
>604
 「俺に」と言っているあなたは誰? わたしは自分が発言したい相手に対し、
言いたいことを言いたいように発言します。その行為に対してどのような批判
にも耳を傾ける気はありません。誰もがここではそうしているように。
 「自己が真に〜」以下の記述は、何を言いたいのかわたしには「わかりませ
ん」。でもわたしが言いたいこと、聞きたいこととは何の関係もなさそうです
ね。
615粗拳:02/06/11 23:50
>>614
>その幼な子がいつか自我というものの存在を捉えるときに、一切の必要条件を持たない、ということです。
そうでしょうか?
私はやはり他者の存在が必要であると思います
一回実験をしてみたいんですが
それができないのがとても残念です
616考える名無しさん:02/06/12 01:41
>>615

既出。
>>413-415
617604:02/06/13 01:23
>>606さんへ

>>616さんがひかれた>>413さんの方向が独我論的考察。

「真に独我存在か否か」は“主観から出られない”以上は問い様がない。
此処で「だから主観だけは確実じゃないか」という者が出て来そうだ。
何も対象にしていないような主観は無い。見ている対象の無い“見ること”など存在しえない。
見ることは、見られる対象と相関している「事」(志向性)としてある。
不可疑なのはこの「事」であって「我在り」ではない。
まず見る主体がありそれが改めて見られる対象に到達するわけではない。
そういう発想は二元論になる。デカルトは二元論。
また下記参照。

>>413さんは「自我の成立プロセスを認めるなら、独我論の形骸化は可能じゃないか」と言われた。
自我とか独我とか言い得るためには、他者存在の確信を拭えない。
重複するが「Aのみ」という発想自体が「A以外」と比され得ない限り不可能。
「『Aのみ』が確実で『A以外』は疑える」としようとも(「A以外」は可疑対象であろうが)“知ってはいる”。
「知っている」のでなければ「『Aのみ』が確実である」という発想は不可能になる。
「Aのみ」をとするたびに「A以外」を背景として同時に考えることになる。
(「だから、それを考えるのは我だ」という者がいるかもしれないが、問題は我の実体性ではなく不可疑か否か)
更に根本的には「独我論的発想自体やそれに使用される言語」は歴史的、相互主観的、社会的、
(我独りで「きっかけ」やヒントも無しにその発想や言語を獲得したと確信することは不可能だ)
であるから「我は独我存在だと確信する」ことは不可能。そのように確信すること自体が既に矛盾している。
これも重複するが、真の独我存在(相対に比された絶対者ではなく、比されることなき真の絶対者…
だから本当は絶対者とすら呼称すべきではない)は比すべき対象(前述の例でいえば「A以外」)を絶しているし、
何よりも比すべき動機がありえない。(絶対な者が“更に”何をするということはありえない)
以上により“我”(=「Aのみ」)が独我存在だと確信すること自体が既に矛盾している。
618考える名無しさん:02/06/13 01:30
>>589で終わってるぞい
619618:02/06/13 01:33
ここにいる人は、「論破する」という営為自体が何を前提しているか
きちんと検討してるの? >>589にろくなレスがついてないのが驚きだ。
620604:02/06/13 01:49
誤字脱字訂正。賢明な方は文脈から考えて読めると思う、が、「重箱の隅」がいるので一応。

下から9行目:「Aのみ」をとするたび⇒「Aのみ」とするたび
下から8行目:我の実体性ではなく不可疑か否か⇒我が実体か否かではなく他者の確信を拭えるか否か
下から2行目:“更に”何をする⇒“更に”何かをする

606さんへ
617のような力不足の説明(「重箱の隅」ではなく知識ある方が見れば、中身の誤りも指摘されうると思う。)
ではなく厳密に独我論について考えていかれるなら、フッサール現象学関係の本を読まれることをお勧めします。
とりあえずの一冊は現象学関連のスレでも出ていた『現象学ことはじめ』です。
621カイジ:02/06/14 11:59
>617
 たとえばわたしの友人がわたしに向かって、「この世に存在するのは俺の
心に感じられるものだけだ。お前に心など存在するわけがない」と発言した
としたら、ずいぶん失礼なものの言い方だとは思っても、友人が何を言おう
としたのかは、完全に理解できるのではないか。だとしたら、独我論は矛盾
無く存在することができるということになるんじゃないかな。
 文中に出てきた「他者存在の確信」も、そんなに確かなものだろうか。哲
学自身、「他者存在」を前提とする「社会」の中で語られる。その「他者存
在」を否定する独我論は、哲学を語るという社会的営為の中で意味が無くな
ってしまう。
 わたしは、独我論は端的な事実の叙述に過ぎないと思っている。独我論を
否定したり、希にでも感情的な批判をする人がいることに、心の中で驚きを
感じている。多分そのような人は「世の中をよくする」ために独我論を攻撃
しているのだろうからそれはそれで「よい」ことだと思う。ただ、フッサー
ルを読む前に、目を開いて見るべきものがあるのではないか。
622考える名無しさん:02/06/14 17:16
どうすんのかな?えーと、とりあえず独我論を主張をする人がいて、
誰かが反論したとする。
「私が仮に独我論を信じるとすると、貴方は存在していないことになる。
しかしそれでは納得いくまい。すると貴方は貴方の主観を実証する
必要がある。しかしそれが実証されたとたんに、独我論は破綻する。
実証には他者の認識が不可欠だからだ。
実証が出来ないからこそ、独我というのだろう。
しかしこれは考えものだ。実証出来ないからには、他者に語ることは
無意味では無いのかね?そもそも自分の主観しか存在しないことを、
他の幻に語る意義があるのかね?この考えが世に浸透したからといって、
「世」も「浸透」も幻なのだから哲学知にとって有益であるはずも無く、
主観的な知も満足しないだろう。
私が独我論の妥当性を否定するのでは決してない。ただ、哲学的真理と
して扱うには、あまりにも何も語っていないように思えるのだ。
というのは「独我論」が真理なのではなくて、私だけが真理ということに
なるからだ。これを説明する手続きは必要無いし、フィールドも無い。
むしろ独我論であることを拒むかの如く、哲学は実証的な方法を選んだ
ように思える。
私は、もし「我」が存在するのなら、「我でないもの」も存在していて
おかしくないと思うのだ。
もし私しか存在しないのであれば、どのようにしてこの幻を納得すれば
良いのか。まさか私が私の為に創る予測も出来ない夢ではあるまい。
本当の独我とは、結局のところ幻という「対象」すら拝めないのでは
あるまいか。本来幻すら見えず、聞こえず、語れず、認識も出来ず、
考えることも出来ず…、それは存在ではない。私と幻という個別表現
が不服なら、現象とでも言おうではないか。「現象」をそのままの
限りで捕らえるならば、それは「我」ではない。「現象」はただの
現象だから、意思でも意志でもない。必然とでもいうべきか。
しかしその現象自体が何となく「我」のように感じ、そこで現象から
「我」が抽出されて、あたかも「我」が幻を見るかのような構図が発生
するのだ。では分離された「幻」は、何故見えるのか、私は納得する
答えを見つけることが出来ない。」

623606:02/06/14 20:48
>>604さん,たびたびありがとうございます。
前の書き込みをしてから,どうも独我論について考えることが袋小路の
ような気がして,しばらくアクセスしていませんでしたので,お礼が
遅くなってしまいました。

書かれている内容は,すぐには理解できなさそうですが,ちょっと考えて
みます。

現象学については,西氏や竹田氏のものを読んだことがあります。素人です
ので,わかったようなわからないような感触しか得ていませんが。
「ことはじめ」も入手して読んでみようと思います。

あと,最近野矢茂樹氏の本を読んだのですが,「心」という私秘的な内面を
認めてしまうと,独我論を否定できないように思いました。だからといって,
内面にある「心」というものを認めない行き方が納得できたわけではないの
ですが。
624考える名無しさん:02/06/14 22:09
無我論ってのもあるの?ひょっとして自分は存在しないんじゃないかっての。

面白そうだけどね、実は自分はホロデッキの中のキャラクターだったって。
625考える名無しさん:02/06/14 22:15
>>618
独我論を語るのは私的言語によるしかないから
無意味ってことでいいんですよね?
626考える名無しさん:02/06/14 23:12
>618
なんで終わってるというのか分からん。

>589は「独我論を信じているヒトにとって独我論は正しい」
といっているだけでは?

それで「終わってる」というのは,A→B,∴Bというに等しい。
(つまり妥当ではない)
627604:02/06/15 02:12
>>589で終ってる」というのは、真意を汲めているか自信がないが、
「独我論」という設問の時点で既に他者存在の確信に依拠した設問だからではないかと思う。
独我“論”という発想を浮かべること、それについて他者と議論することは、
独我論の目指すところと矛盾してる。だから設問の時点で既に矛盾してしまっている。
くどいが「真なる独我存在」は「“自己”は独我存在だ」と“すら”も考えることはできない。
自他の区別がなく“自己”がないから。

>606さん
『ことはじめ』は、竹田氏等と違い現象学の研究をなさっている方の著作ですから
中身はしっかりしたものです。
>独我論を否定できないように思いました
野矢さんの本を読んでいないのですが、上で述べたように、
「独我論」という発想が既に常に他者に依拠したものです。関連して以下を御覧下さい。

『知の欺瞞』p.74より
独我論についてのバートランド・ラッセル(ヴィトゲンシュタインの師)の
エピソードは面白い。「私は高名な論理学者、クリスティン・ラッド・フランクリン女史から
手紙を受け取ったことがある。それによると、彼女は独我論者なのだが、“他に”そういう人が
いないのを驚きに思っているとのことであった」。
628考える名無しさん:02/06/15 11:12
>627
それですべての独我論が矛盾していると言えるかな?

ネットで検索したら,「ウィトゲンシュタインの独我論は他人の存在を認める
、という点で「私だけが、唯一、確実に存在する」という意味での独我論とは
一線を画する」という記述があったぞ。
629考える名無しさん:02/06/15 11:18
独我論の性格を考えればらげのカキコの意味はわかると思うヨ。
630考える名無しさん:02/06/15 12:03
以前、独我論の本質を悟ったんだけど
わすれちゃった
テヘッ
631考える名無しさん:02/06/15 12:56
誰かsage進行教えて〜
ボクいろんな人に迷惑かけてるから。
632考える名無しさん:02/06/15 18:12
ホットゾヌ使え。ログ溜まりすぎるとダメダメだが・・・
633考える名無しさん:02/06/15 18:14
sageる必要性あるの?
634考える名無しさん:02/06/15 23:37
>ネットで検索したら〜
君のは621と同類。>>604、その他で既に何度もいった。独我論と独我論的とは違う。

>独我論の性格を考えればらげのカキコの意味はわかると思うヨ。
他人の言葉だけを引用して流さずに、621・628に分かるように書いてやってくれ。
635カイジ:02/06/15 23:49
 えーとね、独我論は論理的に可能なのか。他我の存在が独我論を成り
立たせない、と主張する人が多いようだ。この世に自分一人しかいなけ
れば、この世に自分一人しかいない、と主張する行為自体に意味がない
という理解でよろしいだろうか。でも、それは独我論を主張することに
は意味がない、ということは言えても、独我論は成り立たないというこ
とにはならないよね。
 他我という存在がまったく認識できない、という独我論の極左の人も
この世にはいるだろうけれども、そういう人にはまず社会生活それ自体、
たとえば哲学を語り合うなんて行為はできるわけがない。
 もう少し日和見的な独我論者の眺望を提案したい。この世には自分一
人しかいるはずがない、けれどもまるで他我というものが存在するかの
ようにも見える! というもの。けれどもその他我が「本当」に存在す
るのかどうか、確かめるすべがないわけ。「本当に存在する」というこ
とがどういうことなのかも、「他我」に関してはよく分からないしね。
 いやいや他我なんか存在しないんだ、わたしは、やっぱりただ一人あ
るのだ、と考えることには意味はあるんじゃないだろうか。

 話は変わるが、野矢茂樹さんはわたしもいいと思う。「『論理哲学論
考』を読む」では、自分は非独我論者であると明言されているけれど(p
193)。
636考える名無しさん:02/06/16 14:55
>634
意味がわからん。628には2つのタイプの「独我論」について書かれている
のであって,それ以上でもそれ以下でもないと思うのだが。
君の主張は,そのうちの一方は独我論的ではあっても,独我論ではない
ということかな? その理由は? 単なる用語の使い方の違いではないのか? 
これだけ君の主張が理解されないということは,いっそのこと,両方とも
「独我論」(タイプの違う)として論じてみてはどうかね? 違うと単純に
切り捨てるのではなく。
あるいは,独我論と独我論的の意味や違いを,もっと端的に記述するか。
637604:02/06/16 19:11
>634
私は(君の指摘のように不十分かつ力不足ではあるが)既に知見を示しているのだから、
順序として先ず君が『独我論と独我論的の意味や違い』や『「独我論」(タイプの違う)として論じてみてはどうかね?』
意味がわからん『と単純に』傍観する『のではなく』。

ちなみに『もっと端的に記述するか』ともあったが、604以外の私のカキコも当然読んでから言ってるのだと信じたいが…。
638考える名無しさん:02/06/16 19:14
修正。×:>634、○:>636
639考える名無しさん:02/06/16 19:49
>637
私が見たかぎり,独我論と独我論的の違いが端的に書かれたカキコは
なかった。定義風に書いていただけるとありがたい。

私は,>628には2つのタイプの「独我論」しかないと理解している。
ゆえにここで,「独我論と独我論的とは違う」と指摘するのは意味不明
と申し上げている。違いがあるというのであれば語るのはあなたの方
であって私ではない。
640初めてカキコ:02/06/16 21:58
独我論を論破することは不可能、
とした上で次のように考えてみた。

何事に対しても「〜をする自分がいる」とする態度は、
ようするにいつでも「自分を意識する」ことであって、
このように思考する人は、そう思考している限りにおいて、
「我を忘れて物事に没頭する」という
態度に成り得ないことだけは確かである。

我を忘れて物事に没頭しようとする時に、
「〜をする自分がいる」といちいち立ち止まるのは
明らかに思考の妨げになり、なんら有益な結果をもたらさない
ことがしばしばある。

逆に、自分の人生において何が大切かを吟味する時には、
「〜する自分がいる」と、考えることは非常に効果的である。

そう考えることでしか「自分を知る」方法はないと思うし、
そこにこそ独我論の良さがあると思う。

こうした意見はまるで哲学的ではないが、
学問的整合性を細かくうんぬんすることにはあまり興味が無く、
自分が何を考えるべきか、にしか興味がないので失敬。
641604:02/06/16 22:02
独我論と独我論的との違いは私の力量の範囲で過去のカキコで既に述べた。
(無論私の説明力不足から理解されなかったという可能性は充分にある。)
「604以外の私のカキコも当然読んでから言ってるのだと信じたい」
と付記したのは言外にそのことを示したわけだが、
君のレスから判断しても見ていないようだな。

「2つのタイプの「独我論」しかないと理解している」と君が私のレスに対し述べるから
であれば「定義風に書いていただけるとありがたい」といったわけだ。
ところで、具体的に述べる(重複だが私は私の力で及ぶ範囲で既に述べている)
気がないならレス不要だ、御互いに無駄な時間を費やすだけだ。
それに恐らく、君が634で述べるように、「二つの独我論」といってるのものに、
私がいってる独我論と独我論的は“基本的には”対応すると思われる。
642考える名無しさん:02/06/16 22:04
>>6312ちゃん見始めて一週間、ついにsageで書くことおぼえたぞ〜
>>640おまえ まず日本語の妙を学んで来いな 読んでて面白くないよ   
643640:02/06/16 22:13
>>642
私は2ちゃん歴一年になるが、
そうやって非生産的な他人の揚げ足とりをすることがどれほど無益かを
うんざりするほど痛感しているよ。

私の日本語に不備があるのはそうかもしれないが、
きちんと議論する姿勢の無いかもしれない奴に反論するつもりもない。

忠告がてら言っておくと、おまえみたいな非生産的な奴の
おかげで頭のいいやつはほとんどいなくなっちまったよ。

時間の無駄だから余計な揚げ足取りはやめときな。
644考える名無しさん:02/06/16 22:22
>>643
ごめんね、これから気をつける
ただボクはドキドキするような人の書いたレス読みたいんだよ
独我論深みに嵌るとすごく面白いし、それにあなたの書き込ん
だことにも思いアタリがある、ただ、あるじゃない、文体って
こんなスレ書かせちゃってとにかくごめん
645考える名無しさん:02/06/16 22:24
>>645
終わり一行訂正 ×スレ→○レス
646考える名無しさん:02/06/16 22:31
ボクは独我論を唱える者の或る必要があると思うんだ、
なにより世界からの隔絶を望めるからこそ、ね
645アタマワリ・・・(唖然
647考える名無しさん:02/06/16 23:12
>641
では単刀直入に聞く。何番を見ればいいのか?
648考える名無しさん:02/06/17 00:00
>641
>君のレスから判断しても見ていないようだな

誤解されたままだといけないので,一応書いておく。

本スレのなかで,「独我論的」という語を,「独我論」とは
違うものとして,端的に定義しているレスはひとつもなかった。
そのことを確認したうえでの発言だ。637は。

あとは,君と私の「端的」の定義がずれていないことを祈るのみだ。
649考える名無しさん:02/06/17 00:11
>641
>ところで、具体的に述べる(重複だが私は私の力で及ぶ範囲で既に述べている)
>気がないならレス不要だ、御互いに無駄な時間を費やすだけだ。

ついでにもうひとつ。ここにも誤解があるようだ。

私の現時点での主張はひとつ。「独我論が矛盾しているという627の主張は
不十分である」ということである。その理由は,他人の存在を認めたうえで
主張されている独我論があるからだ。

これ以上私が何を具体的に言う必要がある? 次は君の番だ。
650考える名無しさん:02/06/17 01:56
今までのレスにもありましたけど、独我論者同士の主張もかなり隔たって
いますよね。永井さんと大森さんがとことん論争して欲しい。。。

独我論論争の「土台」について言及している人がいましたが、その通りだ
と思います。どんな議論においてもそうですが、まず主張者がその主張を
証明しなければなりません。

独我論を主張するなら、まず自分が独我論的な世界観が成立することを証
明しなくてはならないのです。「否定できないから〜」というのは、ナシ
です。なぜならそのような主張は、いくらでも作れるからです。「カラスは
黒くない」などなど。。。 白いカラスを見つけてこなくてはならないのは
反論者ではなくて、主張者の側です。証明責任は主張者側にあります。

しかし、主張者が証明しなくてはならない場合、破綻をきたします。独我論
的な世界を説明しようとすれば、説明を聞いてもらう他者も自分が作り出し
ているものだからです。反論されても反証を出されても、今までのレスにあ
るように、「という反論を見ている自分だけがいる」と言えるからです。

このように、自己言及的な命題において、閉じた系の中でその命題を証明す
るのは不可能なことです。しかし、その系の外から証明しようとすれば、そ
もそもの前提である独我論的な世界が成り立ちません。

反論者側は、系の外、つまり独我論の世界の外から言及できますが、先ほど
書いたように、まず議論の土台として独我論者が証明しなければなりません
ので、それは禁じ手です。

よって、独我論は問題提起者が前提としている世界の中で証明できないとい
う事実によって、先に進む議論ができない、ということです。
651604:02/06/17 02:54
>649
596、601、617、620、「端的に定義」していないが読んで考えりゃ分かる。
君と俺の対立点は「真に独我存在か否か」と「我思惟す故に我在り的方向」のうち
両者が独我論か否かだと思う。私は後者は独我論的だとした。理由は挙げたスレを読んで考えてくれ。
だがどっちにしても、650さんの説明の方が遥に分かり易いから俺のよりも650さん読んだ方が良いよ。
俺にこのくらいの力があればこんな空虚な応酬にもならんかったな。
652考える名無しさん:02/06/17 21:33
>理由は挙げたスレを読んで考えてくれ

挙げられたレスを見る限り,理由はまったく不明だ。
念のために確認しておく。

>596「独我論“的”にというならいざ知らず、真に独我存在か否かという議論は意味が無い」
>601「一応付け加えるが、独我論“的”考察(現象学)が無理だとかいってるわけではない」
>617「>>616さんがひかれた>>413さんの方向が独我論的考察」
>620(誤字脱字訂正のため該当箇所なし)

そこで改めて聞きたい。なぜ「他人の存在を認める独我論」を「独我論的」と
呼び,「独我論」と呼ばないのか? それを独我論とみなしている人は少なか
らずいるのに。「独我論」と呼ばないということは,それを独我論とみなして
いないことだと推察されるが,この推察があっているとすれば,そうするのは
なぜなのか? これを聞きたいのは,「独我論は矛盾している」というあなた
の意見の正否がここにかかっているからだ。あるいはこの点が明確でなければ,
604や634その他で既に何度も言っているあなたの発言は無内容ということにし
かならない。

ネットで見つけた文章をもう一つ紹介しておこう。あなたが「独我論的」と
称していることを「独我論」と呼んでいる文章だ。

「私以外の人間は本当に私と同じような心をもった存在なのか、実は精巧なロ
ボットにすぎないのではないか?」というのがある。世界のなかに確実に存在
するのは、この〈私〉の心だけだという立場、いわゆる「独我論(solipsism)」
である。
653考える名無しさん:02/06/17 21:34
>650「独我論を主張するなら、まず自分が独我論的な世界観が成立することを証
明しなくてはならないのです」

だれも独我論を主張してはいないよ。だからあなたの意見は見当違い。649参
照のこと。
654650:02/06/17 21:54
>>653

レスありがとうございます。 649の発言の方なのですか?

> だれも独我論を主張してはいないよ。だからあなたの意見は見当違い。

653さんにも分ってもらえるように書きますと。。。

このスレッドの題名が「独我論を論破してください。」なんですよ。
そして、今までの流れを見ていて、不毛な議論に陥っていると思っ
たので、まず「論破してください」の前に、そう言っている人が証
明しなければ議論は始まりませんよ、という事を書いたんです。

つまり、スレッドの意味合いからして、独我論を主張人している人
が誰も居なくても、論破する事の無意味さを主張したのです。
655考える名無しさん:02/06/18 01:53
>「他人の存在を認める独我論」を「独我論」と呼ばないのか?
如何なる形であろうが「他人の存在を認める」から。@懐疑対象としての他者が不可欠だから。
A独我論という発想とその際に不可避に依拠する言語は歴史的だから。

>理由はまったく不明だ。 
分からんか、なら650さんとかを読んで考えて。もう終り面倒。逃げ口上と解釈してくれて良いよ。
656考える名無しさん:02/06/18 02:27
サンプル 「自分」

159 名前:炭素質コンドライト :02/06/18 02:14
その恥という概念が他者依存だとおもうんですよね。本来恥というのは自分の信念とかに照
らしていうことですよ。
657小一時問:02/06/18 02:33
前にも書いたけど、独我論が正しいという考えと間違っているという考えは
実は同じ考えなの。
納得できないかもしれないけど、正しいと間違っているで違いがでるケースってないでしょ。
658考える名無しさん:02/06/18 08:22
>654
これはこれはごていねいにどうも...

スレッドの題名は先刻承知。私も1さんと(多分)同じ気分。独我論を信じて
いるわけではないが,そう簡単には否定できないのでは?と思っている。それは
それで気持ち悪いのでなんとかしたい。

なお独我論は,ここに独我論者がいないとしてもそれほど不都合はないと
考える。それは,独我論の問い(他人/他人の心は存在するのか?)は
明確だからだ。永井氏の場合は,認識論ではなく存在論という形をとるので
また違うが。

また,最近野矢氏の本を読み返してみたのだが,彼が言うように,人の内面に
心というものを認めてしまうと,独我論は不可避かもしれない。そういう
意味では,独我論者は自分の中にもいるともいえる。心の中にな(w
659考える名無しさん:02/06/18 08:26
>655
あらま,もう終わり? せっかく極力煽らずにレスしてたのに。
はなむけに,永井氏の文章も贈りましょう。

信州大学 永井  均

 独我論はこれまでもっぱら認識論的に捉えられてきた。他人の心の中は知ることができない、それゆえ他人には心がないかも知れない、という「ロボットの疑惑」は、その典型である。
660650:02/06/18 14:18
>>658

レスありがとうございます。やっぱりまだ650の私の文章の内容が理解できていない
ようですね。


> スレッドの題名は先刻承知。私も1さんと(多分)同じ気分。独我論を信じて
> いるわけではないが,そう簡単には否定できないのでは?と思っている。それは
> それで気持ち悪いのでなんとかしたい。


信じる信じないの問題ではありません。650に書いているように、独我論を持ち出す
場合は、「否定せよ」の前にまず議論の土台として、独我論の根拠を説明する必要
があるんです。650に書いたように、「否定できないから」はダメなのです。

あなたも「そう簡単には否定できないのでは?」と書いていますが、否定できない命
題なんていくらでも作れるのです。ただ、その命題を証明できれば、それを叩き台に
して議論できますが、650に書いたように、矛盾が生じて証明できないのです。

なお、感覚的に独我論を理解できるから、云々はもちろん無効です。

あなたが653の発言の人と同じ人なら、前回の、


> だれも独我論を主張してはいないよ。だからあなたの意見は見当違い。


と、今回の、


> なお独我論は,ここに独我論者がいないとしてもそれほど不都合はないと
> 考える。それは,独我論の問い(他人/他人の心は存在するのか?)は
> 明確だからだ。


は、私の発言を見当違いと退けた論拠と矛盾していますし、私が650で主張し
ている議論の叩き台の文章を読解できていないことが分ります。

「独我論の問い」自体は重要だと思いますし、そこからいろんな考え方が派
生していく豊かな内容を持っていますが、650に書いているように、「論破して
ください」というスタートでは不毛な議論にしかなりえないのは明らかなので
す。

「閉じた系の中で立てた命題が、その系の中では肯定も否定もできないこと
がありうる」という意味が分かりますか? これが理解できていないとしたら、
650の私の文章は理解できないでしょう。

もう一度落ち着いて、650の文章を理解しようと努めてみてください。
661 :02/06/18 17:33
何を証明して、何を反論すりゃええねん!
662考える名無しさん:02/06/18 20:55
「落ち着いて、650の文章を理解しようと努め」た上でレスするが,あなたの
主張は理解できない。その点を以下に書く。

・私は「独我論が否定できないから」という理由で「独我論を主張」している
わけではない。
・やっていることは次の通り。604氏が「独我論は矛盾している」というよう
な「立論」を行った。そこで,「独我論の定義が適切ではないので,その立論
は成立していない(不十分である)」と「批判」した。
・「批判」とは「相手の立論の論証部に対して反論すること」である。決して
「異論」(相手の主張と対立するような主張を立論すること)をしているわけ
ではない(批判,異論の定義は「論理トレーニング101題」による)。批判と
は,「対立する結論を支持することを目標とはしていない」ことに注意。650
氏は,批判と異論を混同しているのではないかと思われる。

・たとえば,証明されていない主張(かつてのフェルマーの定理のような)が
あったとする。それをある人が「矛盾している」と立論したとする。しかしそ
の論証過程には穴があった。このとき他の人は,その主張を証明しなければ,
論証の穴を指摘できないのか? あなたの主張はそうとしか聞こえないのだが。

・650氏に伺いたい。いくつかの引用によって,独我論には「他人の心の不
在」を主張するタイプの独我論があることが明らかであろうと思う。それを踏
まえた上で,604氏の主張(立論)は,論証として成功していると思われるか?
 理由は?

・私の主張は以上で十分なはずだが,一つだけつけたし。650におけるあなた
の意見の4段落目も,独我論=他者「存在」の否定という,604氏と同じ「狭
い」定義のみに基づいているように見える。私はこのタイプの独我論について
は何も言っていない。ただ「他者の心の否定というタイプの独我論については
どうなのか?」と問うている(あるいはその立論は成り立たないのではないか
と批判している)だけである。その点を混同されぬようお願いしたい。

続いて660にレス。
>その命題を証明できれば、それを叩き台にして議論できます

これもわからない。証明されてしまえば,「それを叩き台にして議論」も何も
ないではないか。おそらく「証明」という言葉の使い方が間違っているのだろ
うと思うが,証明という語で,何を指したかったのかな?

>「否定せよ」の前にまず議論の土台として、独我論の根拠を説明する必要があるんです
>私の発言を見当違いと退けた論拠と矛盾しています

この2つががわからない。私は独我論を主張してはいない。しかしそこには,
604氏が仮想敵とした独我論は存在する(敵を見誤ってはいるようだが)。そ
して,その矛盾を指摘するという立論が不首尾に終わったわけだから,その立
論が行われる前の状態から何も変わっていない(604氏が仮想敵にしようとし
たような一般的な独我論が死なずにいる)というだけではないのか? もちろ
んだから証明された,と言っているわけではない。
まさか,すべての主張はかならず,証明されたか否定されたかのどちらかの状
態でしか存在しない,と思っているわけではあるまいな? あるいは,異論が
提示できなければ批判できない,と思っているとか?

あと,あなたにとって独我論とは「先に進む議論ができない」ものなのか,そ
れとも「いろんな考え方が派生していく豊かな内容を持ってい」るのか? な
んだか矛盾してるように見えるが...
663考える名無しさん:02/06/18 20:59
主観はひとつである。その主観が私である。
私が私に対する時、他人に対するようには対することができず、
その逆もまた同じである。
したがって、私と他人を同列に扱うべきではなく、区別するべきである。
他者の存在は、私と同じ存在とは成り得ない。
つまり、私とはひとつである。
664 :02/06/18 21:05
名前を固定しろ。
665650:02/06/18 22:27
>>662

レスありがとうございます。お互いの話が少し噛み合って来たので、嬉しく思ってい
ます。丁寧に読んでくれて、ありがとうございます。


>「落ち着いて、650の文章を理解しようと努め」た上でレスするが,あなたの
> 主張は理解できない。その点を以下に書く。
>
> ・私は「独我論が否定できないから」という理由で「独我論を主張」している
> わけではない。


あなたのスタンスは問題にしていません。あなたの書き込みも問題にしてい
ません。議論の叩き台として、「否定できないから反論せよ」という始まり方
は、不毛に終わる、主張しているのです。

658の発言があなたのものだとしたら、


> 独我論を信じているわけではないが,そう簡単には否定できないのでは?と思っている。


とあったので、650の私の主張を理解していないな、と思ったのです。
この点は、了解しました。


> ・やっていることは次の通り。604氏が「独我論は矛盾している」というよう
> な「立論」を行った。そこで,「独我論の定義が適切ではないので,その立論
> は成立していない(不十分である)」と「批判」した。


繰り返しになりますが、650の私の主張はあなたと604氏のやりとりに対して
書いたものではなくて、スレッドの始まり方と全体の流れに対して思ったこと
を書いたんです。あなたから私にレスが返って来ることは想定していません
でしたし、あなたと604氏のやりとりにも関心を持っていませんでした。

でも、レスして頂いてこのように議論できる事をとても嬉しく思っています。


> ・「批判」とは「相手の立論の論証部に対して反論すること」である。決して
> 「異論」(相手の主張と対立するような主張を立論すること)をしているわけ
> ではない(批判,異論の定義は「論理トレーニング101題」による)。批判と
> は,「対立する結論を支持することを目標とはしていない」ことに注意。650
> 氏は,批判と異論を混同しているのではないかと思われる。


そのような本から引用されても。。。

あなたの発言じゃなくて、このスレッドの始まり方は、立論も論証部もありませ
んので、不毛な結果にしかならないと主張しています。混同はしていませんよ。
ご了承ください。


(つづく)
666650:02/06/18 22:29
>>662
(つづき)

> ・たとえば,証明されていない主張(かつてのフェルマーの定理のような)が
> あったとする。それをある人が「矛盾している」と立論したとする。しかしそ
> の論証過程には穴があった。このとき他の人は,その主張を証明しなければ,
> 論証の穴を指摘できないのか? あなたの主張はそうとしか聞こえないのだが。


数学を知っていたら分ると思いますが、「予想」は先に立っても、それに対して
「立論」が先に立てられる事はありません。ここは、立論を予想を否定する「証明」
と置き換えますが、それに穴があると指摘されれば、予想の反論は無効です。単
に、予想は予想のままということになりますね。

「その主張を証明しなければ,論証の穴を指摘できないのか?」という発言は
ちょっと意味不明ですが、予想と立論は違うものですので、この例えは少し
おいておいた方がよいと思います。


> ・650氏に伺いたい。いくつかの引用によって,独我論には「他人の心の不
> 在」を主張するタイプの独我論があることが明らかであろうと思う。それを踏
> まえた上で,604氏の主張(立論)は,論証として成功していると思われるか?
>  理由は?


ここの部分はあなたのご指摘通りです。私の主張は、主に「世界は自分の意識
が作り出したものにすぎない」というタイプの独我論に対してのことです。これを
「閉じた系」と例えました。「他人の心の不在」を主張する独我論やその他の独
我論も知っています。この場合は、650の私の主張ではカヴァーし切れていない
ことは率直に認めます。

ただ、これに対しても主張者側が先に論証しなくてはならず、「反論せよ」で
始まってはならないし、「否定できないから」だけを論拠にするのも禁じ手で
あるということは理解していただけると思います。

「他人の心の不在」を主張する独我論やその他のタイプの独我論については
また番号を改めて、思うところを書きたいと思います。662さんはお詳しいよう
ですので、ここらあたりで有名な独我論の主張を大まかに分類していただけ
ませんでしょうか?

あなたと604氏のやりとり取り上げると、ここでは複雑になってきますので、一旦
置いておく事をお許しください。

ここから先のレスは後ほど書かせていただきますので、このレスに対するお返
事は、後半部分のレスを出してからにしていただけると助かります。よろしくお願
いします。

(ちょっと出かけてきます、、)
667650:02/06/18 22:57
>>662

後半部分に対するレスです。


> ・私の主張は以上で十分なはずだが,一つだけつけたし。650におけるあなた
> の意見の4段落目も,独我論=他者「存在」の否定という,604氏と同じ「狭
> い」定義のみに基づいているように見える。私はこのタイプの独我論について
> は何も言っていない。ただ「他者の心の否定というタイプの独我論については
> どうなのか?」と問うている(あるいはその立論は成り立たないのではないか
> と批判している)だけである。その点を混同されぬようお願いしたい。


650の私の発言は、あなたと604氏とのやりとりに対して書いたものではないと
いうことを念頭に置いていただいて、、、

前半のレスにも書いたように、「この世界は私の意識が作り出したものに過ぎ
ない」というタイプの独我論を主に想定して650の発言を書いたのは事実です。
ですから、そこのみに当てはまる「閉じた系」の例えは、それ以外の独我論
には適用されない事を認めます。

繰り返しになりますが、650の発言はあなたの発言及びあなたと604氏のやり
とりに向けられたのでない事を理解して今後お返事してください。


> 続いて660にレス。
> >その命題を証明できれば、それを叩き台にして議論できます
>
> これもわからない。証明されてしまえば,「それを叩き台にして議論」も何も
> ないではないか。おそらく「証明」という言葉の使い方が間違っているのだろ
> うと思うが,証明という語で,何を指したかったのかな?


ご指摘通り、この部分は私の言葉選びの選択ミスです。あなたが使った、論拠に
基づいた「立論」が相応しいと思います。その立論を「証明した」と思い込んで主張
に代えていることを想定しました。

つまり、「〜の論拠に基づいて、私は独我論の世界が成り立つ事を立証した。それ
について反論を求める。』、というタイプの始まり方を想定していました。この修正で
ご理解いただけたでしょうか。


> >「否定せよ」の前にまず議論の土台として、独我論の根拠を説明する必要があるんです
> >私の発言を見当違いと退けた論拠と矛盾しています
>
> この2つががわからない。私は独我論を主張してはいない。しかしそこには,
> 604氏が仮想敵とした独我論は存在する(敵を見誤ってはいるようだが)。そ
> して,その矛盾を指摘するという立論が不首尾に終わったわけだから,その立
> 論が行われる前の状態から何も変わっていない(604氏が仮想敵にしようとし
> たような一般的な独我論が死なずにいる)というだけではないのか? もちろ
> んだから証明された,と言っているわけではない。


この辺は、私の650の発言の意図を理解いただけたと思うので、よろしいかと思
います。

(つづく)
668650:02/06/18 22:58
>>662

(つづき)

> まさか,すべての主張はかならず,証明されたか否定されたかのどちらかの状
> 態でしか存在しない,と思っているわけではあるまいな? あるいは,異論が
> 提示できなければ批判できない,と思っているとか?


そう思っているわけではありません。さっきのように言い換えると、論拠に基づいた
立論があって、初めて有効な反論が成り立ち、議論が成立する、とは思っていま
す。

そして、私が主に想定していた素朴なタイプの独我論は、実はそのタイプの独我
論の中においては肯定(証明)も否定もできないものです。これはまた番号を改め
て書きたいと思いますので、読んでいただけるとありがたいです。


> あと,あなたにとって独我論とは「先に進む議論ができない」ものなのか,そ
> れとも「いろんな考え方が派生していく豊かな内容を持ってい」るのか? な
> んだか矛盾してるように見えるが...


繰り返しで恐縮ですが、素朴なタイプの独我論を持ち出して、「論破してください」
で始まる場合、先に進む議論ができません。

その他のタイプの独我論に対しては、まず独我論者が「否定できないから」だけ
ではない論拠を用いて「立論」してもらって、初めて有効な議論が成り立つと思っ
ています。

そして、あたなが「独我論の問い」という書き方をされたような考え方は、豊かな
内容を持っていると思います。さまざまなタイプの独我論的な世界を想定する中
で、いろんな思想が生まれる可能性をもっています。

ここでは、様々な独我論が「考え得る」というタイプの「問い」であり、「論破して
下さい」で始まる議論を想定していません。

>>662さんの発言に対するレスは以上です。)
669662:02/06/18 23:13
うひゃあ,ご丁寧にありがとうございます。って口調が改まったりして。

>繰り返しになりますが、650の私の主張はあなたと604氏のやりとりに対して
>書いたものではなくて、スレッドの始まり方と全体の流れに対して思ったこと
>を書いたんです。あなたから私にレスが返って来ることは想定していません
>でしたし、あなたと604氏のやりとりにも関心を持っていませんでした。

うーんそうでしたか。それで謎の多くが解けたかも。604氏が650を自分の
意見を代弁しているようなことを書いていたので,ついそういう方向で
答えていました。どおりでかみ合わないわけだ。

長いレスなので,要点を絞ったほうがよさそうに思います。
しばし(24時間ほど?)お待ちを。

ちなみに,野矢茂樹氏の「論理トレーニング101題」は,議論のための
非常によい本ですよ。ご存知ない?
670 :02/06/18 23:23
野矢茂樹氏の「論理トレーニング101題」
は分野でいうと、何の本だい?
671考える名無しさん:02/06/19 00:10
論理学。formal logicが中心だが,informal logic
的な記述もあり。文字通り問題集(的教科書)。
教科書的教科書としては同じ野矢氏の「論理学」がお勧め。
672考える名無しさん:02/06/19 06:41
>650さん
「604氏が650を自分の意見を代弁しているようなことを書いていた」
という意図はありませんでしたが、御迷惑をおかけしすみません。
650の投稿が根源的だったこと、何よりも面倒だったことから、
彼には私と不毛な事を続けるよりも、(このスレに来てるのだから)独我論を深く考えるなら
650さんの投稿を読んで考えた方が為になる、というつもりでしたがともかく軽率でした。

>659
>独我論は〜〜その典型である。
御丁寧に幾度も引用しなくても分かっている。だから651に「我思惟す故に我在り」云々と書いた。
私と君の論点は、君が引用した類の考え方を私が知ってるか否かではないし、
その類の考え方が「認識論的に厳密である」ことを私が認めるているか否かでもない。
(独我論的考察として認めている。何故フッサールや現象学を挙げたか考えて欲しい)
だから、その類の考え方を何故独我論とせずに独我論的というかが君は納得出来ない、ということ「だけ」。
理由は述べたつもり。少なくとも「矛盾してるから」だけでは終ってないつもりだが。
650さんが『独我論』は『「考え“得る”」というタイプの「問い」』といったことが全てと思う。
(“ ”は私、だから「的」としたつもりだった。もちろんこれは「私の解釈」)

>せっかく極力煽らずにレスしてたのに
君の趣味に立ち入る気はないが、余計な事は口走らぬ方が良いかと思う。
たとえ知識量は豊富でも知性は貧弱だと言外に告白することになるし自虐的で醜い。
673考える名無しさん:02/06/19 06:43
蛇足。
「終り」としたのに書いたのは、このスレの流れだと
今後も私の投稿が引き合いにだされるだろうと思うからだ。
君だけの勝手な解釈だけで判断されたのでは困るので。
674考える名無しさん:02/06/19 06:49
修正。

×君だけの勝手な解釈だけで判断されたのでは困るので。
○君だけの勝手な解釈で私の投稿を判断されたのでは困るので。

だが672の投稿で要を成すと期待してる。
675考える名無しさん:02/06/19 07:12
676650:02/06/19 16:06
662 さんのお返事を待っている間に、 650 で書いた、このスレッ
ドの最初の問いで始まる議論は、結論を持ちえない事を、判りや
すくまとめてみましたので、書いておきます。

*** 「素朴な独我論」が「論破」できない理由 ***

「他者の存在(あるいは他者を含むこの世界全体)は、私の意識
が作り出しているものに過ぎない。」というような主張を、ここでは
「素朴な独我論」と名づけておきます。単に独我論と省略してい
る部分も、全て素朴な独我論のことです。

--

この素朴な独我論を、何らかの論拠(複数でもよい)によって、立
論しようとする場合、

1. 素朴な独我論が成立するという仮定から出発する場合

 この場合は、「独我論的な世界の中において、世界は私の意識
が作り出した、という独我論の世界が成立する」となり、これは単
に A の中において A であるというような主張に等しく、論拠にな
らない。自己言及型の意味の無いものになります。

(つづく)
677650:02/06/19 16:08
(つづき)

2. 素朴な独我論が成立しないという仮定から出発する場合

 背理法のような方法で導く事ができるかもしれないが、できる
かどうかは不明。ここでは、成立しないという仮定から出発するの
で、独我論的な世界が成立するという立場からは反論できない。
独我論的な世界が無かったら、矛盾が出てくるような論理の積み
重ねをしなくてはならない。こういう論旨の形があるかどうかは、
未見。


3. 素朴な独我論が成立するかしないかは不問にして出発する場合

 この場合、成立するとする側、しないとする側からそれぞれ論
拠を挙げて比較する事ができるが、成立しない側からの主張は、
独我論的な世界の「外側」からのものであり、それに対して独
我論を主張する側が反論する場合、独我論的な世界の「内側」
から反論するわけだから、「外側」からの主張も、自分の独我
論的な世界の「内側」のものに過ぎない、というように置き換え
可能となり、すべて独我論的な世界の枠組みに吸収されてし
まう。

かといって、独我論側にとっては、独我論的な世界の「外側」
の世界はありえないはずだから、「外側」の世界に向かって先
発主張することができない。できるのは、「内側」に取り込んだ
反論(後発)のみ。独我論的な世界(内側)の中から、(仮想し
た外側に向けて)先発主張しようとしても、 1. の場合の出発
になってしまい、論拠にならないので、不可能。

(つづく)
678650:02/06/19 16:10
(つづき)

--

このように、 3. の場合を取ったとしても、無限の応酬になってしま
い、一見、後発で論破し続けているように見える素朴な独我論が
無敵になっているように見えます。しかし実は、独我論が先発で
主張しようとすれば、独我論的な世界の中においてしかできない
(これは無効)ので、先発で肯定的な主張ができない(仮に形式
上できたとしても、それは外の世界には届かない)だけなのです。

結論を仮定した世界の中では、肯定(証明の努力)も否定もでき
ないが(否定は仮定も結論も否定することになるので無意味)、
その世界の外からの主張は、仮定した世界の中に持ってくれば、
全て反論できてしまうという特徴によって、議論の土台を整理し
ないと、不毛な無限の応酬に終わってしまいます。

--

結論としては、素朴な独我論においては、「論破してください」で
始まる議論は以上の理由によって、無効である、ということです。

(おわり)
679650:02/06/19 16:55
>>669

662さん、レスありがとうございます。お返事お待ちしておりますね。


> ちなみに,野矢茂樹氏の「論理トレーニング101題」は,議論のための
> 非常によい本ですよ。ご存知ない?


知ってます。用語の定義をこのような問題集的な教科書から示すのは、変
わったやり方だなぁと、素朴に思っただけです。他のところでは、ウェッブで
検索した文章を持って来て使用例を挙げている箇所もあったりしたので、
もっと一般的な哲学系の辞典などから引っ張ってきてくれた方がありがたい
なぁと、思っただけです。間違いなければ、別にいいですけど。


>>672

604 さん、レスありがとうございます。戻ってきていただいて、とても嬉しく思
います。662 さんとともにいろいろご指導ください。

--

先ほど書いた素朴な独我論以外の独我論について議論する場合の土台作
りについて思うことは、662 さんのお返事を待ってから書きたいと思います。
680六六二:02/06/19 19:32
うわ,なんだかすばやい展開でびっくり。

>もっと一般的な哲学系の辞典などから引っ張ってきてくれた方がありがたい

そんな高尚なものもってまへん。素人ですから。独我論も,650さんのいう
「素朴」なものしか提示できないかもしれませんよ。というか,素朴とそうで
ないものの区別が何なのかもわかっていない状態。非素朴独我論は650さんの
情報を待つことにしましょう。

ところで,これから先どうしたものか迷っています。676-678にも疑問がある
し。でもそれを言い出すと,また「立論無き異論に対する批判」になってしま
うし。でも私には,それが必ずしも不毛に終わるとは思えないし。676の冒頭
にあるものでも,土台としては十分かもしれないし。しいて言えば,そういう
主張の根拠まで提示されるとよかったと思いますが。

まあそれにしても,あらかじめ想定する独我論を明確にしておくことは重要だ
と思いますので,それはそれで私なりに行なおうと思います。

なお,独我論を論じるにあたっては,「最強の独我論」を想定する必要がある
だろうと思います。中途半端な独我論を想定した上でそれを論証したり否定し
たりしても,それは「その独我論に関してはそう言えるが」という中途半端な
結果に終わってしまいます。最強というか,堅牢なものですね。
681六六二:02/06/19 20:10
定義について:

 ネット上で幾つか見つけました。土台の土台ということで。

「岩波哲学小事典」
http://www.mars.dti.ne.jp/~kells/GD/solipsism.html
「主観的観念論からの必然的な帰結」だそうです。

「哲学事典」(青木書店)
http://www.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/solipsism.html
やりようによっては「客観的観念論と同一の立場に帰着する主張にもなる」そうです。

立花隆の講義の用語集
http://tron.um.u-tokyo.ac.jp/tachibana/first/02minj/vocab.html#dokuga
「デカルトやカントに代表される西洋近世・近代の観念論哲学」「は独我論と
結び付きやす」いそうです。

このスレの73(実在するのは、自分の意識だけであって、他者や外界の事象は、
自分の意識の内容だという風に考えるのが、独我論)でも十分かとは思いますが。
682六六二:02/06/19 20:28
独我論のタイプについては,いい本がありました。藤本隆志という人の
「哲学入門」(34頁)です。

(独我論には)「「天上天下唯我独尊」といった価値的ないみでの「独尊論」,
他人ですら世界内の事物であるがゆえに唯一意識の所有者たる「我」のみ存在
するとする「独在論」,<私>のみ認識や存念の主体であるといういみでの
「独存論」など,さまざまな形態がある。」

だそうです。独尊論は除いても良さそうですので,当面のターゲットは独在論
と独存論でいいのではないかと思います。そのほかに何があるのかは気になる
ところですが。

なお,「事典 哲学の木」の「他我問題」の項では,永井さんが,上の独存論
にあたるものを「独我論」と紹介し,「しかし,独我論にはもうひとつの意味
がある」として独在論を紹介しています。このことからも,この2種類が代表
的なもの,とみなしていいかと思いました。

 永井さんは続いて,この両者は「まったく種類の違う問題」,「外界の実在
という問題は西洋(とくに近代)哲学に典型的な,いわば型にはまった問題」,
それに対して独存論は「まったく独自の問題」などと書いています。

土台の土台(下準備)としては,これぐらいでしょうかねえ。
683650:02/06/19 20:59
>>680

六六ニさん、レスありがとうございます。いろいろ教えていただいて、ありがたい
です。


> そんな高尚なものもってまへん。素人ですから。独我論も,650さんのいう
> 「素朴」なものしか提示できないかもしれませんよ。というか,素朴とそうで
> ないものの区別が何なのかもわかっていない状態。非素朴独我論は650さんの
> 情報を待つことにしましょう。


662 さんと同じ方ですよね? 過去の 662 さんのものと思われる書き込みを見てい
ると、私が素朴な独我論と言っているものと、そうでないものとを明確に区別して
書かれていましたよ。

私も独我論を専門に勉強しているわけではありませんので、今までの流れやバリ
エーションをそんなにたくさん知っているわけではありません。高校生ぐらいの時
に永井さんと大森さんのやりとりを少しだけ追っていた記憶があるぐらいです。

非素朴独我論については、番号を改めて書きますね。

(つづく)
684650:02/06/19 21:06
(つづき)

>>680

> ところで,これから先どうしたものか迷っています。676-678にも疑問がある
> し。でもそれを言い出すと,また「立論無き異論に対する批判」になってしま
> うし。でも私には,それが必ずしも不毛に終わるとは思えないし。676の冒頭
> にあるものでも,土台としては十分かもしれないし。しいて言えば,そういう
> 主張の根拠まで提示されるとよかったと思いますが。


まずは、650 から始まる私とのやりとりを終わらせて、スッキリしませんか?

1. 「676-678にも疑問がある」
2. 「それが必ずしも不毛に終わるとは思えないし」
3. 「676の冒頭 にあるものでも,土台としては十分かもしれないし」

をそれぞれ分けて、順番に明確な形にして問いかけていただくとありがたいです。
なお、私の主張は全て論拠を示しているつもりですので、明確でないと思われる
場合は、その箇所を教えてください。
685650:02/06/19 21:19
>>682
> (独我論には)「「天上天下唯我独尊」といった価値的ないみでの「独尊論」,
> 他人ですら世界内の事物であるがゆえに唯一意識の所有者たる「我」のみ存在
> するとする「独在論」,<私>のみ認識や存念の主体であるといういみでの
> 「独存論」など,さまざまな形態がある。」


ここでは、「独尊論」が、私が素朴な独我論と呼んだものですね。これも実は、バリエーションが
考えられますが、私が書いた主張でカバーできると思います。「独尊論は除いてもよさそう」という
六六ニさんのご意見に同意します。


> なお,「事典 哲学の木」の「他我問題」の項では,永井さんが,上の独存論
> にあたるものを「独我論」と紹介し,「しかし,独我論にはもうひとつの意味
> がある」として独在論を紹介しています。このことからも,この2種類が代表
> 的なもの,とみなしていいかと思いました。

>  永井さんは続いて,この両者は「まったく種類の違う問題」,「外界の実在
> という問題は西洋(とくに近代)哲学に典型的な,いわば型にはまった問題」,
> それに対して独存論は「まったく独自の問題」などと書いています。
>
> 土台の土台(下準備)としては,これぐらいでしょうかねえ。


これでいいと思います。番号を改めて書きますが、私が高校生の頃に読んだ記憶では、どこか
の大学の紀要に載っていた永井さんの論文では、この独存論をずっと問題にしていましたが、
それを「独在論」という言葉にしていたと記憶しています。

後で書きますが、永井さんの独存論は、独在論の発展形式であり、その構造は独在論とまった
く同じ世界だと思います。それでは後ほど。重ね重ね、整理ありがとうございました。
686考える名無しさん:02/06/19 21:45
「おい主人公!」
687604:02/06/19 22:58
>650さん
>いろいろご指導ください。
とんでもありません。今日の御両人の投稿により出る幕はないです。御両人程の粘りも緻密さも無いですから。
私の主張の主な処は「確実な我」は不可避に歴史性を負っているのでは、ということだけです。
688六六二:02/06/19 23:45
> まずは、650 から始まる私とのやりとりを終わらせて、スッキリしませんか?

それをすると「まずは,」というよりも,いきなり本題に入ってしまうのでど
うかと思ったのですが,まあいいですよ。言っときますけど,私,物分り悪い
ですからね。覚悟の程を。

逆順に行きます。
> 3. 「676の冒頭 にあるものでも,土台としては十分かもしれないし」

「定義」としては十分でしょう。しいて言えば「根拠」が明示されていません
が,それとてせいぜい,「私は,私の意識(知覚?)を通してしか外界を認識
し得ないから」とつければいいのではないかと思います。(私が「土台」と聞
いてイメージしているのは,この程度のことなのですが,ひょっとしてハズし
てます?)

> 2. 「それが必ずしも不毛に終わるとは思えないし」

土台とか論拠は,その時点で明示されていなくても,何らかの形で想定はされ
ていると思いますので,それはそれで議論の最中にでも,その都度明るみに出
す努力をしたり,要求したりすればいいと思うのです。多少議論はゴチャゴチ
ャするかもしれませんが,お互いが論拠の重要性を認識していれば,最初に出
すか,途中で出すかということは,あまり大きな問題ではないのではないかと
思いまして。
689六六二:02/06/19 23:45
> 1. 「676-678にも疑問がある」

以下,本文を参照しながら。

> 「他者の存在(あるいは他者を含むこの世界全体)は、私の意識
> が作り出しているものに過ぎない。」というような主張を、ここでは
> 「素朴な独我論」と名づけておきます。

まず私は,これを藤本さんの用語でいうところの「独在論」と受け取ったので
すが,650さんは独尊論と言ってますね。うーんどっちなんだろう。まあ,こ
れ以降の議論と関係なければ,あるいは用語にこだわらなければ,ほっといて
もいいのですが。

3の2段落目:
> かといって、独我論側にとっては、独我論的な世界の「外側」
> の世界はありえないはずだから、「外側」の世界に向かって先
> 発主張することができない。

ここがわかりません。「外側の世界がありえない」といっても,それは「実在」
を否定あるいは不可知としている(この点は後日別に論じます)だけであって,
外側の世界に対する知覚も働きかけもあっていいのではないでしょうか。単にそ
れが,幻覚や夢とは区別がつかないというだけであって,「主張することができ
ない」わけではないと私は理解しているのですが。

> 結論を仮定した世界の中では、肯定(証明の努力)も否定もでき
> ないが(否定は仮定も結論も否定することになるので無意味)、

そりゃそうだ。なんで結論を仮定にもってくるの?としばし考えて気づきまし
た。これは「という反論を見ている自分だけがいる」というタイプの独我論擁
護論のことですね? これは括弧内の表現が不適切だと思います。650さんが
いう「不毛」とは,このことですね?

括弧内は,こうすべきでしょう。「という反論を,私は自分の感覚器官を通し
てのみ知ることができる」(直接には知りえない)

十分に適切かどうかは自信がありませんが,先にあげた定義リンクにあった
「主観的観念論」の発想だと思ってください。つまり,「主観的観念論を仮
定して独我論を帰結する」主張にすべきなのではないでしょうか。まあほと
んど必然の帰結なのですが。しかし「結論を仮定した世界」ではなくなると
思います。ひょっとしてこういうことを指して「土台」(のなさ)と言って
たんですか。

> 結論としては、素朴な独我論においては、「論破してください」で
> 始まる議論は以上の理由によって、無効である、ということです。

とするとこれは,「前提として独我論(そのもの)を持ってこないのであれば,
論破してくださいで始まっても可」と思っていいですか? 前に書いたように,
論破の前にはその人なりに独我論を想定していると思いますので,本当にいき
なり「論破の要請」で始まっているわけではないと思います。あと,スレタイト
ルには「論破」とありますが,この言葉を厳密に取る必要はないでしょう。検討
なり説明なり問題点の指摘なりの要請と読み替えれば。
690考える名無しさん:02/06/20 00:38
六六二さん、レスありがとうございます。今後、 "#" が文頭についている私の
文章については、議論の内容と関係ない部分ですので、よろしくお願いします。

>>688
>> まずは、650 から始まる私とのやりとりを終わらせて、スッキリしませんか?
> それをすると「まずは,」というよりも,いきなり本題に入ってしまうのでど
> うかと思ったのですが,まあいいですよ。言っときますけど,私,物分り悪い
> ですからね。覚悟の程を。


# スッキリするまでにかなり長引く予感がしてきました。。。


> > 3. 「676の冒頭 にあるものでも,土台としては十分かもしれないし」
> 「定義」としては十分でしょう。しいて言えば「根拠」が明示されていません
> が,それとてせいぜい,「私は,私の意識(知覚?)を通してしか外界を認識
> し得ないから」とつければいいのではないかと思います。(私が「土台」と聞
> いてイメージしているのは,この程度のことなのですが,ひょっとしてハズし
> てます?)


この「土台」を、素朴な独我論の定義の「土台」と考えていますか? それゆえ、
「しいて言えば「根拠」が明示されていませんが」と書かれているのでしょうか?
つまり、私が「「他者の存在(あるいは他者を含むこの世界全体)は、私の意識
が作り出しているものに過ぎない。」というような主張」と仮に書いた定義が、
そもそも議論の土台としては十分じゃないかというご意見ですよね?

(つづく)
691考える名無しさん:02/06/20 00:39
(つづき)


そうだとしたら、やっぱり私はそれでは不十分であると言わざるを得ません。
ここでの定義は、言わば用語説明ぐらいのものであり、やはり反論や批判を
求めるためには、その定義された世界が「成立」しうる論拠が必要になって
くると考えます。その「成立しうる論拠およびそれへの反論」を私は「議論の土
台」と呼び、それ以外の意味で「土台」という言葉は使用していません。

そして、あなたが持ち出している「根拠」は、「私は,私の意識(知覚?)を通し
てしか外界を認識 し得ないから」ですが、これは「主観による感覚」を元にして
いますので、その感覚自体は否定されないことによって、それを根拠にしてし
まっては、議論になりません。主観的な感覚は論理的には反論しようがない
からです。

確かに今までの素朴な独我論はそういう感覚的な根拠に基づいて進められて
いましたが、もう少し客観的な(感覚的ではないという意味で)議論にするため
にその主観的な感覚を、「独我論的な世界の枠組み」に置き換えました。否定
できない感覚的な根拠に立って定義されているいくら反論してもその感覚があ
るかぎりは、定義は生き続けることになりますので。

# 3 つの論点のうちひとつづつ解消していきたいので、この部分まで書いて、
# レスをお待ちします。
692考える名無しさん:02/06/20 00:44
>>691
*** お詫びと訂正 ***

「否定できない感覚的な根拠に立って定義されているいくら反論してもその感覚があ
るかぎりは、」

->

「否定できない感覚的な根拠に立って定義されているならば、いくら反論してもその
感覚があるかぎりは、」

です。すみません。
693六六二:02/06/20 08:55
土台が不十分ということでしたが,となると,私の理解では,私と650さんの
議論はこれで終わりということになってしまうのではないかと思います。

650で土台について「どんな議論においてもそうですが、まず主張者がその主
張を証明しなければなりません」と述べられています。私は主張者ではありま
せんが,私なりに私の理解で,主張と根拠らしいものを考えました。もしそれ
が不十分といういうのであれば,もちろんそのことは言ってもらってかまわな
いのですが,650さんがするべきことは,批判で終わらせることではなく,代
案を出すことではないでしょうか? 私が「主張者」というなら話は別ですが,
650さんも私もどちらも主張者ではない,という点では対等な立場であるはず
です。それが出なければ,この議論は終わりです。もうこれ以上,650さんが
何を望んでいるのか,どんな答えなら満足されるのか,私にはわかりませんので。

あと,私が出したものは「主観による感覚」ではありませんよ。ではないと思
います。私の理解では。まずは「主観による感覚」がどういういみか,説明し
ていただいたほうがいいとは思いますが,たとえば私たちがどのような方法で
外界を認識しているかは,生理学や解剖学,あるいは実験心理学という「客観
的」な方法でも知ることが可能で,単に主観に依拠している話ではないと思い
ます。と,とりあえず言っておきましょう。

 #もちろん「終わる」ことを望んでいるわけではありません。
694日本仏教哲学100年の集大成:02/06/20 09:32
>>1
「自我」というのがそもそも「他者」を前提としてなりたっている

という議論の方向があります。ただ、これでも自我の中を探しても
どこにも他者がいるという痕跡を発見できる保証はないので、
独我論(より古典的には「唯我論」)がそういう主張であれば
完全に論破するのは難しいかもしれません。
695650:02/06/20 11:42
>>693
>土台が不十分ということでしたが,となると,私の理解では,私と650さんの
> 議論はこれで終わりということになってしまうのではないかと思います。


# 六六ニさん、いつも私のレスを丁寧に読み込んでいただいて、ありがとうございます。
# そうですね。私と六六ニさんの、議論が始まる前提についての主張の違いが先鋭化
# してきましたね。


> 650で土台について「どんな議論においてもそうですが、まず主張者がその主
> 張を証明しなければなりません」と述べられています。私は主張者ではありま
> せんが,私なりに私の理解で,主張と根拠らしいものを考えました。もしそれ
> が不十分といういうのであれば,もちろんそのことは言ってもらってかまわな
> いのですが,650さんがするべきことは,批判で終わらせることではなく,代
> 案を出すことではないでしょうか? 私が「主張者」というなら話は別ですが,
> 650さんも私もどちらも主張者ではない,という点では対等な立場であるはず
> です。それが出なければ,この議論は終わりです。もうこれ以上,650さんが
> 何を望んでいるのか,どんな答えなら満足されるのか,私にはわかりませんので。

# 私が満足するというのはよく分かりませんが...

私が根拠を考える義務はありません。代案においてもそうです。そうすべきは主張者な
のですね。六六ニさんは、主張者がいなくても議論が始められるのではないかと言い、
私は、まず主張者が根拠を示し、その後に反論なり批判があるべきだというスタンスで
平衡状態になっていますね。

# 実は今朝、六六ニさんがおっしゃるような形で議論を始めるとしても、私が主張したい
# ことが言えるような代案を考えたので、ここは私が大きく六六ニさんのほうに歩み寄りた
# いと思っています。草稿は書いているのですが、用事があり明日以降のお返事になるかもしれません。ご了承ください。
じゃましたね。スマソ
697考える名無しさん:02/06/20 17:23
その昔,思慮ぶかい祖先が宗教(神)をつくりだしたときから
人類の独我論に対する永遠の敗北がすでに決まってしまった...
698六六二:02/06/20 19:25
650さん,歩みよりありがとうございます。

> 私が根拠を考える義務はありません。代案においてもそうです。そうすべきは主張者な
> のですね。六六ニさんは、主張者がいなくても議論が始められるのではないかと言い、
> 私は、まず主張者が根拠を示し、その後に反論なり批判があるべきだというスタンスで
> 平衡状態になっていますね。

平衡状態というよりも,650さんの方針で行くならば,今できることは,「主
張者待ち」しかなくなってしまいますので。主張者が誰もいない場合,次善策
としてこうするしかないかと思っています。

あとは650さんの意見待ちなのですが,私のスタンス(主張者なき議論)と関
連ありそうな記述が載っている本を図書館で見つけました。これを見る限り
独我論に関する議論は,「主張者」との間になされる議論となるケースは
(皆無ではないでしょうが)ごく少なく,多くの場合,素朴な実感(自分の
内なる独我論)から出発するほかない事柄ではないかと思います。私にとっ
ては独我論の当否は,極端な話,些細な事柄で,これを「きっかけ」とし
て,認識や存在,私たちの素朴な感覚の根源などについて考えられればいい
なと思っています。


「現代哲学への招待」城塚 登・片山洋之助・星野 勉著 有斐閣 1997

「私だけが存在する。外界も他我も独立した存在をもたず,私の表象にすぎ
ぬ」と主張する独我論を信奉する者はだれもいない。しかしこれを論駁するこ
とは困難であり,現代でも多くの哲学者を悩ませている。独我論はばかげたも
のではあるが,日常的な了解を哲学の主題とし,「私」を不思議なものとして
提示するという意義をもつ。(15〜16頁)
699考える名無しさん:02/06/20 19:57
>「現代哲学への招待」城塚 登・片山洋之助・星野 勉著 有斐閣 1997

>「私だけが存在する。外界も他我も独立した存在をもたず,私の表象にすぎ
>ぬ」と主張する独我論を信奉する者はだれもいない。しかしこれを論駁するこ
>とは困難であり,現代でも多くの哲学者を悩ませている。独我論はばかげたも
>のではあるが,日常的な了解を哲学の主題とし,「私」を不思議なものとして
>提示するという意義をもつ。(15〜16頁)

この人すごい思い込みだね。何故誰もいないと、他人のことをきめつけるんだろ?
独我論はばかげたものではなくて、真理でしょう。
ただ、単純すぎて、議論する意味がないってだけで。
700604:02/06/21 03:00
>650さん
参加していない身で横から恐縮ですが…

(現在のところ間接的に触れられていますが)素朴独我論を外して考える場合、
独我論というときの、この「「我」をどのような性質と考えるか:A」、
を論者相互が明らかにしないと話が噛合わないのではないかと思います。
Aこそが、このスレのテーマ(独我論の定義、成立の可否、論破の可否等々)
についての論者の意見の、根底と思われるからです。

素朴独我論は成立せず、独我論の「我」を「確実な我」として議論する場合、
議論の対象は、(一見するとスレのテーマから外れるかもしれませんが)
論者が「その「確実な我」とはどのようなモノやコトや性質と考えているのか:A」
――Aは論者が共に示す必要があると思います。示さずに「批判だけ」をするならば、
「批判自体を目的化」しているのであり、答える必要は無いでしょう。――
更に、その論者相互の「Aが妥当か否か」ということに自ずとなると思います。
Aは、個々の論者がこのスレのテーマを考えるときに依拠している根拠であり、
結果として、素朴独我論外の独我論の定義、成立の可否、論破の可否等々を
明らかにすると思います。
701六六二:02/06/21 21:20
レス待ちの間につらつらと,>676-678を読みながら考えました。

・独在論と実在論って,排他的関係にありますよね(682にあげた永井さんの
事典記述も,そういうスタンスに立って書かれていますね)。
・つまり,一方に対する立論が他方に対する異論になっていると思います。批
判と擁護についても,一方に対する批判が他方に対する擁護になっているでし
ょう。
・排他的であるということは,単に正反対であるというだけではなく,650さ
んがこれらのレスで書かれたことは,(要所要所を反転させれば)実在論につ
いてもまったく当てはまる,という同型性もあるといえますね。
・たとえば,「実在論が成立するという仮定から出発」して実在論を証明よう
としても意味がない,とか。おそらく2も3も同じでしょうね。基本的な構造
は。
・具体的に言うと,独在論擁護において「という反論を見ている自分だけがい
る」というタイプの擁護論(=実在論批判)が無効であるのと同じように,実
在論擁護(=独我論批判)において「そいつを殴れ」とか「一生かかっても読
み切れないほどの本がある」とか「こうやって他人を認め,その存在を前提と
して話し合っているじゃないか」みたいなことを言うのも,「Aが成立するな
らAが成立する」という構造にしか過ぎないので無効と言えるかと思います。

 #いっそのこと,「独我論の論じ方」について論じるスレにしますか(w
 #半分冗談ですけど(残りの半分は本気)。
702650:02/06/21 23:10
六六ニさんが、私の発言 >676-678 に対して持たれた疑問点が示された >680の内容を、
私が>684 の発言において、箇条書きに直しました。そのうち残り二つに私が答えていな
いので、この内容に答えながら、私の「歩み寄り」の内容を示していきたいと思います。そ
して次の問題に合流していきたいと思います。

2. 「それが必ずしも不毛に終わるとは思えないし」

について。


>>688
> 土台とか論拠は,その時点で明示されていなくても,何らかの形で想定はされ
> ていると思いますので,それはそれで議論の最中にでも,その都度明るみに出
> す努力をしたり,要求したりすればいいと思うのです。多少議論はゴチャゴチ
> ャするかもしれませんが,お互いが論拠の重要性を認識していれば,最初に出
> すか,途中で出すかということは,あまり大きな問題ではないのではないかと
> 思いまして。


これはずっと問題になっている、私と六六ニさんとの、どの段階から議論に入れるかにつ
いてのスタンスの違いについてですね。確かにこれは先に続く話題の先取りでしたが、
今回の私の歩み寄りでこの問題は解消されると思います。

(つづく)
703650:02/06/21 23:12
(つづき)

残りの問題

1. 「676-678にも疑問がある」( の中の個々の部分について)


> > 「他者の存在(あるいは他者を含むこの世界全体)は、私の意識
> > が作り出しているものに過ぎない。」というような主張を、ここでは
> > 「素朴な独我論」と名づけておきます。

> まず私は,これを藤本さんの用語でいうところの「独在論」と受け取ったので
> すが,650さんは独尊論と言ってますね。うーんどっちなんだろう。まあ,こ
> れ以降の議論と関係なければ,あるいは用語にこだわらなければ,ほっといて
> もいいのですが。


これは次の問題に進んだら、素朴な独我論以外の独我論の分類や定義に入っていきますの
で、そのときに再度問題にします。先に書いておくと、やはり私は、素朴な独我論はあの定
義においては、独尊論にあたると考えます。


(つづく)
704650:02/06/21 23:15
(つづき) > 3の2段落目:
> > かといって、独我論側にとっては、独我論的な世界の「外側」
> > の世界はありえないはずだから、「外側」の世界に向かって先
> > 発主張することができない。

> ここがわかりません。「外側の世界がありえない」といっても,それは「実在」
> を否定あるいは不可知としている(この点は後日別に論じます)だけであって,
> 外側の世界に対する知覚も働きかけもあっていいのではないでしょうか。単にそ
> れが,幻覚や夢とは区別がつかないというだけであって,「主張することができ
> ない」わけではないと私は理解しているのですが。

この後に続く六六ニさんの発言内容にも関係ありますが、『「という反論を見ている自分
だけがいる」というタイプの独我論擁護論』を使用しないのならば、あるいはその他の独
我論においても、この種の詭弁を使用しなければ、独我論者が独我論的な世界の「外
側」を想定した上での発言をしたり、「外側(他者)」に対して語りかけるスタイルをとるこ
とも許されると思います。

私が「不毛」と書いたのは、これのみに限らず、今までの独我論論争全体の流れ全体
に対してです。その不毛さの指摘と、その解消のあり方を「歩み寄り」によって示そうと
思います。六六ニさんの言い替えでは、私が言いたかったことと全然違った内容になっ
ていますが、今回の論点とは関係ないので、置いておきます。

私の主張を分りやすく説明する為に、独我論とは違う例を出して、説明したいと思いま
す。この説明が簡潔にまとめられず、何回も書き直したり練り直したりしています。いろ
いろ内容に不備があるかもしれませんが、論理的に読める文章にまとまりましたら、
そのまま出してご批判いただきたいと思います。もう少しお待ちください。

698, 702 の六六二さんの発言、700 の 604 さんの発言には、この一連の説明を書き
終えてから、レスさせてもらおうと思います。ここまでの部分に対するレスも、私が説明
を書き終わるまで、留保していただくよう、よろしくお願いします。(例示につづく。。)
705650:02/06/22 00:16
ここから、独我論に関する議論に関しての意見と、これから議論を始めるにあたっての提
案を示すために、独我論とは違う命題を使って例示したいと思います。うまくまとまって
いないので、冗長な部分もありますが、私の言いたいことがある程度理解していただける
と思います。

--

ある人が、「この世界は一瞬前に突然出来上がったものである。」と主張したとします。
さしたる論拠はなく、ただ素朴にそのように「感じられる」、自分ではそれに関して反論
できるための論拠を持ち合わせていない、ぐらいの理由でその主張を提示したとします。

すぐさま、さまざまな反論や批判が提出されることでしょう。例えば、「長年蓄積されて
きた観測事実や物理法則をまったく無視している。」、「我々の記憶や記録物をどう説明
するのか?」、「化石資料や地層など時間経過を示すものはいくらでもあるではないか。」
などなど。

主張者は、自分の素朴な感覚と主張の結論部分のみでこう反論することが可能です。「観
測事実や物理法則、記憶や記録物、時間の経過を示すものも、一瞬前に突然出現したと考
えても、なんら差し支えないし、そう考えることによって、ますますそうではないかと思
う。」と。

このように、この例は、独我論と同じく確固たる論拠を持ってはいないが、素朴な感覚
と、その主張命題の特長によって、不毛な水掛け論争になる可能性を十分持っているとい
う点で、類似しています。私はこの例からいくつかの問題点を指摘したいと思います。以
下、箇条書きで示します。

(つづく)
706650:02/06/22 00:17
(つづき)

1. 主張している命題が自己言及的な場合、その命題に直接反論しても、その命題自身に吸
収されてしまう可能性がある。
2. 自己言及的ではない命題の場合でも、素朴な感覚に起因している命題の場合、結論部分
に対して直接反論しても、大抵は水掛け論になる構造を持つ問いが多数存在する。
3. 主張者の素朴な感覚を、反論者は直接否定することはできない。


1. については、 650 の発言からさんざん言い続けているので、ここではこれ以上書きませ
ん。 2. についてですが、素朴な独我論以外の独我論について議論するに当たって、大切に
なってきます。命題そのものや、その命題の論拠などすべてが、その感覚を説明するような
記述である場合が多いので、そのような部分に対して直接反論しても、その感覚自体が存在
する限り、論者は*その感覚に基づいて*他の論拠を持ってきたり、自分の感覚とその命題に
整合性を持たせるような理論をどんどん変化させるだけということがありえます。

反論者は、論者に次の点を納得してもらう必要があります。未だ素朴な感覚に基づいて立て
ているだけの命題であれば、その時点で結論部分に対していかなる反論を受け付けないにせ
よ、それは「思考可能な世界」であるに過ぎない、ということです。それが思考可能な世界
から、それが真実であるとか真理であると言えるには、大きく飛躍し過ぎており、その飛躍
を埋めるための説明をする責任があるのは本来主張者側にある、ということです。結果部分
のみが反論を受付以内からという理由だけでは、真の命題にはなりえません。

この点を主張者側が納得するならば、あるいは、これを前提として「主張者不在のまま」議
論を開始するならば、最初から確固たる論拠を提示しなくても、おいおい提示してもらえば
よいでしょう。場合によっては、奇特な反論者が主張者の論拠作りを手伝ってくれるかもし
れません。(私はしませんが)

(つづく)
707650:02/06/22 00:19
そして、反論者も次のことに留意する必要があります。まだ、この命題は証明されてもいな
いし、客観的根拠は極めて薄弱であるのだから、一見強固に見える結論に対して反論しても
水掛け論になるような命題は、論拠および、結論を導くための論理の積み重ねに対して十分
に吟味し、検証するという姿勢のほうが、はるかに建設的な議論や有効な反論になりうるこ
とがある、ということです。

論拠並びに、結論に導くための論理の組み立てが薄弱であったり、非論理的であったりすれ
ば、結論がいかに正しそうに見えても、それは単なる「仮説」であり、「問い」であり、無
数にある思考可能な命題のひとつに過ぎません。*そのことが念頭にあるならば* 、素朴な
感覚とか、「そう思えるから」というような始まり方でも構わないと思います。結論部分だ
けが確固たる論拠なく真として一人歩きするときに、不毛な論争が続くようなタイプの命題
もあるということです。

この問題に関連して、3. がありますが、結局いくら論理的な議論が成り立って、仮に独我
論の論拠が薄弱であることや、論理の積み重ね部分に不備があることが発覚しても、その感
覚がある限りは、「問い」自身は形を変えて残ることでしょう。独我論に関しては、現状は
論拠や論証が曖昧なまま、「独在性問い(この言葉は次の議論で説明します)」が進行して
いるように見えます。

(つづく)
708650:02/06/22 00:20
(つづき)

--

大雑把ですが、これらの点を踏まえれば、論拠が確固たるものでなくても、あるいは主張者
が不在のままでも、ある程度議論を進められるかな、と思います。ただ、主張者がいないな
ら、反論の反論は誰がするのかなという疑問は残ります。。。

幸いこのスレッドには、独我論者の方が少なからずいるようですし、六六二さんのように感
覚的には共鳴する部分もあって、「気持ち悪い」、「論破してみて欲しい」と思っている人
もいるようですから、そのような人たちが、一旦独我論者の立場に立ってみて議論を進行し
てもいいのではと思います。

それでは、皆さんのご批判、ご意見をお待ちします。

(注 "*" で括っている部分は、強調部分です。)
709650:02/06/22 00:29
書き損じの訂正。

>>706

「受付以内」 -> 「受け付けていない」

です。ご迷惑をおかけしました。
710650:02/06/22 02:11
>>698
> 平衡状態というよりも,650さんの方針で行くならば,今できることは,「主
> 張者待ち」しかなくなってしまいますので。主張者が誰もいない場合,次善策
> としてこうするしかないかと思っています。

先ほど書いたように、素朴にそういう感覚を持っている人、共鳴できる人、独我論を擁
護してあげたい人などが代わりを務めることはできそうですね。

> あとは650さんの意見待ちなのですが,私のスタンス(主張者なき議論)と関
> 連ありそうな記述が載っている本を図書館で見つけました。これを見る限り
> 独我論に関する議論は,「主張者」との間になされる議論となるケースは
> (皆無ではないでしょうが)ごく少なく,多くの場合,素朴な実感(自分の
> 内なる独我論)から出発するほかない事柄ではないかと思います。私にとっ
> ては独我論の当否は,極端な話,些細な事柄で,これを「きっかけ」とし
> て,認識や存在,私たちの素朴な感覚の根源などについて考えられればいい
> なと思っています。

六六二さんのご意見はごもっともです。私の主張は、「論破してください」「議論するに
は」という形をとるならば、こういう問題点があり、こういう解消の仕方があるのではな
いか、ということです。「認識や存在,私たちの素朴な感覚の根源など」について考察
を進めていくだけなら、独我論が「可能世界」でしかないままでも構いませんし、実際
そうなっていますよね。
711650:02/06/22 02:18
604 さん、ご意見ありがとうございます。 >>700

> (現在のところ間接的に触れられていますが)素朴独我論を外して考える場合、
> 独我論というときの、この「「我」をどのような性質と考えるか:A」、
> を論者相互が明らかにしないと話が噛合わないのではないかと思います。
> Aこそが、このスレのテーマ(独我論の定義、成立の可否、論破の可否等々)
> についての論者の意見の、根底と思われるからです。

仰るように、論者が拠って立つ背景や定義などを明確にすることは、必要不可欠だと思い
ます。

> 素朴独我論は成立せず、独我論の「我」を「確実な我」として議論する場合、
> 議論の対象は、(一見するとスレのテーマから外れるかもしれませんが)
> 論者が「その「確実な我」とはどのようなモノやコトや性質と考えているのか:A」
> ――Aは論者が共に示す必要があると思います。示さずに「批判だけ」をするならば、
> 「批判自体を目的化」しているのであり、答える必要は無いでしょう。――

「答える必要はない」の主語は、独我論者側のことですか? 批判する際には*まず*独我
論者側が先に A を提示する必要がありますね。その A に疑問を呈する場合には、当然
反論者も自分の A を提示する必要があるのは分かります。

(つづきます)
712650:02/06/22 02:35
(つづき) >>700
> 更に、その論者相互の「Aが妥当か否か」ということに自ずとなると思います。
> Aは、個々の論者がこのスレのテーマを考えるときに依拠している根拠であり、
> 結果として、素朴独我論外の独我論の定義、成立の可否、論破の可否等々を
> 明らかにすると思います。

604 さんのこの発言の大意は大いに理解できるし、同意する部分も多いのですが、実際に
このことに議論が及んだときに、次のような事態が発生して収拾がつかなくなったり、議論
が別の方向に流れてしまう可能性を持っています。

1. 独我論者それぞれがまったく違う A を持っていても、同じ独我論が成立しうる
2. 独我論者それぞれがまったく同じ A を持っていても、違う独我論が成立しうる
3. 独我論者と反論者がまったく同じ A を持っていても、不自然でない場合がある

1, と 2. は、反論者についても同じことが言えます。つまり A に対する定義や枠組みの設定
がまったく違うから、両者の立場に分かれるという訳ではない場合もあり得るのです。論者が
一対一の場合は、 1. と 2, は表面化しにくいですが、双方が複数になるに従い、どちらも A
の統一が取れなくなってくる事態が想定されます。

さまざま独我論を扱う場合、さまざまなスタンスから反論されていく場合、もっと複雑化する
可能性もあります。その中で、独我論者の A に共通点などが見られると興味深いことが分
かるとは、思います。

特に独我論者が A を感覚のみではなく、論理的に A を提示する必要は感じますが、「結果
として、素朴独我論外の独我論の定義、成立の可否、論破の可否等々を明らかにする」とい
うところまで、双方の A を付き合わせていくことが、上のような事態に陥ったときに、果たし
てできるかどうか、疑問に思うところがあります。

このようなことも、議論を進めるにあたって考えていなくてはなりませんね。
713650:02/06/22 03:02
六六二さん、ありがとうございます >>701
独我論に反論することそのものは、必ずしも、実在論に立っている必要はないと思いま
す。というのも、論拠の薄弱性や論理の積み重ねの誤りなどを指摘するのは、どんなス
タンスの人であっても、それが他の独我論者であってもできることだからです。

ここで仰りたいことは分かります。六六二さんの使用例に従って、他者の存在(他者に
も独我論者が感じる<私>があると認める立場)を、実在論者としましょう。実在論者
の場合は、単に独我論者の主張を反転させただけのものではないと思います。

まず第一に、他者にも<私>があると認める世界は、素朴な独我論以外の独我論と同
じく閉じた世界ではありません。つまり、自己言及には陥りません。後ほどの議論で展
開することになると思いますが、自分と同じ<私>が他者にもあると「類推」することは、
まだ仮定の段階であり、この段階では独我論と同じく根拠薄弱であると言えるとは思い
ます。

過去のレスから挙げられているように、反論者の『「そいつを殴れ」とか「一生かかっても
読 み切れないほどの本がある」とか「こうやって他人を認め,その存在を前提と して話
し合っているじゃないか」』は、それぞれ違う意味合いを持っていると思います。

最初のものは、他にもあった「ではなぜこの世界は思いのままにならないのか」と同じく
独我論者の世界は、独我論者の都合のよいようにできているのではないかという思い込
みが反論者にあったのですね。これは、 604 さんの指摘のように A を定義していくこと
で解消される類の誤解です。

最後のものは、六六二さんのご提案のように、禁じ手の擁護論を持ち出さなければ、
独我論者も「外側」を想定してもよいというルールがあれば、解消される問題だと思いま
す。二つ目の意見は、この前後の問題を含んだものと言えるでしょうか。

# 私も「独我論の論じ方」について論じるスレッドがあってもいいかなと思います。
714六六二:02/06/22 09:17
とりあえず>705にレスします(ねずみ算的レス爆発が起こりつつあるようで,
ちょっとコワイのですが)。

大変手間がかかったようですね。お疲れ様でした。一応確認をしておきたいの
ですが,この例で示されたかったことは,「確固たる論拠を持ってはいないが、
自己言及と素朴な感覚によって主張される命題は,不毛な水掛け論争になる可
能性を持っている」と理解していいですね。

あとこの例は,このスレのどこかにあった「独今論」ということですね。内容
はよく理解できます。ただこの例から,独我論を論じるにあたっての教訓を引
き出すとしても,私なら650さんとは違うことを考えます。そのあたりも,議
論のスタンスの違いの現れのようです。

1.「自己言及」については,言わんとしていることはわかりますので,主張
の意味内容に反対ではないのですが,これは「自己言及」であることが直接の
問題ではないでしょう(前々から思っていたのですが)。仮定と主張が別のも
のであったとしても起きうることです。「pを仮定してqが演繹されたとき,
そこから導出してよいのは『pならばq』であって『q』ではない」というこ
とが問題の核心ですよね。平たく言うなら「仮定に基づいて導かれた命題を,
仮定抜きで主張するな」ということです。このなかで,自己言及的であること
は,pからqが演繹される部分に関係しているだけで,それが直接の問題でな
いと思います。まとめると,このような論法が問題であることは同感だが,
「自己言及」と呼ばないほうがいいのではないか,ということです。まあここ
は大きな問題ではありません。

2.650さんが挙げられた独今論者の論法の問題は,「このように考えても、
なんら差し支えない」と「素朴な感覚に基づく」という2点のようですね。後
者については3で論じるとして,前者ですが,これは,「論じ方が不十分」と
いうことであって,水掛け論的構造を内包しているわけではないと思います。
再び『論理トレーニング101題』から引用しますが,推測の適切さ,説得力を
評価するポイントは,(1)説明の適切さ,(2)他に有力な代替仮説がないこと,
の2点です(121頁)。この場合は,「こう考えても差し支えない」という発言
は,(2)代替仮説の検討をしていないことを示すもので,独今論に限らず,一
般的に不十分な議論としか認定されない論法でしょう。それはその点を論じれ
ばいいだけで,水掛け論に直結するわけではないと思います。

(つづく)
715六六二:02/06/22 09:18
3.「素朴な感覚」も,それ自体が「水掛け論になる構造」を内包しているの
ではないと思います。どうやら650さんは,「素朴な感覚は否定不可能」と考
えているようですね。それは違うと思います。実証科学の分野では,われわれ
が日常的に素朴に思っていることを,データに基づいて否定している例はたく
さんあります。もっとも,哲学の世界では具体にどうするのかは私はわかりま
せんが。あるいは,われわれは子どもの頃は,「地球は平らだ」という素朴概
念を持っていたと思います。しかし大人になってもその概念を持ち続けている
人はいないでしょう。とすると,いつかの時点で素朴概念が否定されているの
です。この例で,「素朴な感覚は否定不可能」という650さんの「素朴な感覚」
は否定されたでしょうか? 以上は「素朴」に関する考察です。次は「感覚」
についてです。

4.3とも関係しますが,素朴な感覚が論拠になっていた場合,その素朴な感
覚をこそ,検討の対象にすべきだと思います。なぜそのような感覚を持つにい
たったのか?という検討です。別スレで「なぜ鏡に映った像は左右が逆になる
のに、上下は逆にならないの?」というものがありました。これなどまさにそ
うで,いくら論理的(この場合は数学的)にそうなることを証明しても,質問
者にとってはあまり意味がない場合が多いのです(幸いこのスレにはそういう
人はいないようですが,矢野健太郎の本で,この疑問を数学的に答えているも
のを見たことがあります。私はそれでは納得できませんでした。中学生の頃で
すけど。もちろんそれで納得する人もいるでしょうが)。この場合は,「鏡の
中の像を私たちは何として(どういう観点から)理解しているか」という,意
味的な観点が必要だし,そういう観点で論じて初めて,素朴な感覚に対する説
明が与えられ,納得が生まれると思うのです(少なくとも私はそうでした)。
主張を繰り返すと,「素朴な感覚こそ検討し,説明されるべき」です。現象学
などは,そういう方向性なのではないでしょうか。よくは知りませんけど。

 #ひょっとすると世の中には「感覚派」と「論理派」がいて,それぞれ
  どういうポイントで納得するのかは一致しないのかもしれません。私
  と650さんの対立の根源はそこにあったりして。
716六六二:02/06/22 09:19
>713
> 独我論に反論することそのものは、必ずしも、実在論に立っている必要はないと思いま
> す。というのも、論拠の薄弱性や論理の積み重ねの誤りなどを指摘するのは、どんなス
> タンスの人であっても、それが他の独我論者であってもできることだからです。

前の前に「論理トレーニング101題」を引用して書いたように,立論,異論,
批判を区別していただけるとわかっていただけるかと思います。私が書いたの
は,批判(650さんが「反論」と書いている部分)の話ではなく,立論と異論
の関係の話です。
717はいどうどう:02/06/23 05:38
(ひょっとして誰かもう言っているかも知れないが)多重人格者のもつ複数の人格
というのは何なんだろう。ジキル博士にとってハイド氏は「俺」ではないのでは
ないかな。
この場合、二つの人格が脳を含めた身体を共有していて、しかも互いに「彼は俺とは
別の人格である」と考えているわけだよな。
ジキル博士がハイド氏の存在を明証的に知ることのできる可能性というのは考えられ
るかな。
もしジキル博士とハイド氏が同時に存在した場合なんか考えたらどうかな。
議論の筋道を確認せずに思い付きで書き込んで申し訳ないが。
718考える名無しさん:02/06/23 06:25
そんなことより何で俺はここに存在していて
そこには存在してないの?
俺が君でもよかったわけでしょ
なして?
わけわからないか?
719六六二:02/06/23 09:25
650さんの「歩み寄り」について考えてみました。もちろんこれは大変ありが
たいことなのですが,しかしこれからの議論,二人とも満足するものは得られ
ないかもしれませんね。

私の思いは,693に書いたように「650さんも私もどちらも主張者ではない,と
いう点では対等な立場」(だからお互い,独我論の論拠を考え出し合いながら
議論していきましょう)というものなのですが,650さんは706にあるように
(論拠作りを)「私はしません」と書かれていますし。

650さんは,主張者vs反論者という構図で議論したいようですが,私は独我論
の十分な論拠を出せないでしょうし。主張者の立場として議論に参加したいわ
けでもないし(だから,私を主張者として「扱う」のはやめてくださいね)。
もちろん自分の考えられる範囲のものは出しますが。

そんなこんなで,二人とも満足のいく形はとれないと思いますが,それはしょ
うがないでしょう。それでも,きちんと議論できそうな相手がいるだけでも僥
倖だと思います。あとは,お互い不満足で思い通りにならない議論のなかから,
自分に益になるものを少しでも得られればいいかと思っています。
720 :02/06/23 23:06
何の議論をしたのかわからないね。
みんなバラバラ。

まいっか。
721650:02/06/24 01:15
六六ニさん、レスありがとうございます。いつも深く読み込んで頂いてありがとうござい
ます。前回の私の主張の要旨に対する六六ニさんの確認ですが、基本的にはそれで結構で
す。

私が挙げた例は、正確には「独今論」ではありません。「この世界」が「いつ」できたか
について立論しているだけで、他者の存在のあり方が自分と違う(かもしれない)という
のは問題にしていませんので。

それでは、六六ニさんがまとめてくださった 1 - 4 の問題について順に答えていく事にし
ます。まず、 >>714 の 1 ですが、私がここで言及しているのは、素朴な独我論のような、
自己言及に陥らざるを得ないような命題 * のみ * に対してです。素朴な独我論以外の独
我論は自己言及的な言い方以外でも表現できますので、ご理解ください。

今までの私の説明の中で、素朴な独我論が結論として自己言及的な表現に落ち着かざるを
得ないこと、そしてある系(哲学でいえば枠組み)の中で立てた命題は、その系の中では
肯定も否定もできないようなものがありうる、ということを割と混同して説明していまし
た。私の書き方がまずかったと思います。

素朴な独我論がその独我論的世界の枠組みによって、結論から言えば、自分の意識以外、
意識の外側には何も存在しないということによって、「外側」からの批判及び、「外側」
の世界を表現する記述を全てその内側に取り込むという構造になっているというのは、何
度も述べました。

そのようなある一定の境界で線を引き、その外のものを全て内側に取り込むような枠組み
の事を私が「閉じた系」という言い方をする事によって、二つの主張を混同したような形
で提出していました。「閉じた系」と表現したのは、素朴な独我論や前回挙げた例のよう
な「禁じ手」の反論ができてしまうような枠組みを持った命題の事です。前回の例の命題
では、自己言及に陥らない表現もあると思います。そしてお互い了解しているように、

(つづく)
722650:02/06/24 01:15
「禁じ手」を使用しないことによって、素朴な独我論でも「外側」の世界を想定して論理
を展開してもよいというルールを導入すれば、自己言及に至らない表現もできるのかもし
れません。

二つ目の主張「ある系(哲学でいえば枠組み)の中で立てた命題は、その系の中では肯定
も否定もできないようなものがありうる」というのは、数学の世界からの援用です。ある
公理系の中の命題がその公理系の中だけでは肯定も否定もできないことがあるというのは、
既に証明済みの事実です。これが哲学的な議論にも当てはまる部分があると思って書いた
のですが、これも「外側」の世界を想定する事によって、あるいは六六ニさんが仰る「異
論」を対立させる事によって、独我論の枠組みの中のみで議論が進行しないならば、避け
られる問題です。前回の発言では、私はこの部分についてはさらりと流していますので、
今回書いたことを理解していただければ、今後特に問題になることは無いと思います。

次に、 >>714 の 2 についてですが、私の主張内容の要旨はしっかり押さえてくださって
います。前者は、仰るように論じ方が不十分なだけです。私が言いたかったのは、素朴な
独我論の主張者にありがちな、「反論できないから正しい」という主張は正しくない、と
いうことが言いたかったのです。主張者がそう思い込んでいたら、水掛け論になってしま
うと主張しています。有効な反論がない場合でも、確たる論拠に基づいていないのなら、
それは「思考可能な世界のひとつ」に過ぎないと書きました。

六六二さんが、『論理トレーニング 101 題』を引用している部分は、私と六六二さんのス
タンスの違いのひとつを表していますね。この事に関しては、一連のレスを書いてから、
六六二さんの >>719 の書き込みに対するレスで書かせていただきます。

次に後者の問題、 >>715 の 3 ですが、まず六六二さんは、何か根拠があって「主張者の
素朴な感覚を、反論者は直接否定することはできない。」という私の主張がまた「素朴な
感覚」に基づいているとしたのでしょうか ? 駄洒落のような感覚で書かれたのでしょうか
? この部分の元の部分で六六二さんの感情を害するような文章があったのなら、私は過去

(つづく)
723650:02/06/24 01:16
の書き込みにおいても今後の書き込みにおいても、相手の感情を煽るような書き込みをす
る意図は一切ありませんので、ご了承ください。

確かに、この部分は私の書き方がまずかったのと、説明が不足していることがあります。
>>706 の私の箇条書きにおいて、「主張者の素朴な感覚を、反論者は直接否定することは
できない。」と言い切っていますね。これは、私が例に挙げたような独我論と似たような
構造を持つような、つまり認識論に根ざすようなタイプで素朴な感覚から始まるような問
いにこのような事態がある、という意味で書きました。「素朴な感覚は否定不可能」など
とは書いていません。「直接否定することはできない」と書いています。六六二さんの例
は明らかに間接的な否定ですよね。

そしてもうひとつ指摘しておきたい点があります。上の段落で「認識論に根ざすようなタ
イプ」と書いたように、「素朴な感覚」は「主観による感覚」から出発しています。独我
論で言えば、「他者になって他者の<私>を感じることの不可能性」、前回挙げた例で言
えば、「過去という時間そのものを * 現在において感じる *」ことの不可能性に根ざして
いる問題です。論者は主観を有する限り、その主観から見た世界を感覚で否定するのは、
困難です。

六六二、さんの例では、物理学の圧倒的な量の観測結果や実験結果を積み重ねると、知性
さえあれば、知的に納得でき、その素朴な感覚を補正することができるタイプの素朴な感
覚です。つまり、私という主観を抜きにして客観的に見ることができる世界像に関しての
ものです。

一方、私が挙げているような、<私>が介在するような認識論的な問題は、物理学や化学
のように客観的に捉えられる世界観ではありません。そこに独我論論争の難しさがあるの
です。そして独我論論争をある程度知っていれば、前にも書いたようにいくら反論されて
も、その感覚に基づいた形で「問い自身」は形を変えて残っています。 >>707 の私の発言
の最後の段落は、独我論の現状をそのまま書いています。少なくとも、私が「素朴な感覚」

(つづく)
724650:02/06/24 01:17
に基づいて 3. の箇条書きの部分を書いたことは分かっていただけたでしょうか ?

最後に、 >>715 の 4 ですが、これは六六二さんの >>619 の発言へのレスで書きたいと思
います。余談ですが、鏡の話を「素朴な感覚」の例にすると、独我論も同じぐらいの愚問
ということになってしまいます。鏡の例は小さな子供が犯しがちな簡単な論理的錯覚だか
らです。

確かに鏡は左右逆に映って見えますが、その知識が先に立つから、どうして「上下は逆に
ならないの?」という一見論理的ではあるけれども、本末転倒な質問が出てくるのです。
数学など持ち出さなくても、鏡をまっすぐ見るということは、自分の像を垂直に二次元に
投影しているものを見ている、という説明で十分でしょう。上下が逆になるなら、垂直に
投影されていません。目の構造から言えば、厳密には完全な垂直ではありませんが、説明
の理屈はこれで十分です。この説明の仕方で、逆に上下が反転して写る凹面鏡の話も、子
供でも簡単に理解してもらえると思います。

こういった単純なことに、「論理的(この場合は数学的)にそうなることを証明しても,
質問者にとってはあまり意味がない場合が多い」は当てはまらないと思います。ましてや、
「意味的な観点が必要だし,そういう観点で論じて初めて,素朴な感覚に対する説明が与
えられ,納得が生まれる」というほうが、かえって小さな子供には難しいことのように思
います。

これは、先ほど私が書いた認識論に根ざした素朴な感覚による問い、とは少し違う例だと
思います。のちほど、 >>719 にレスを入れさせてもらいますね。
725650:02/06/24 03:00
六六二さんの >714-716 の発言に対する私のレスの補足を交えつつ、 >719 にレスします。

六六二さんも主張者の立場には立たない、という点は了解しました。仰るように、私が最
初に要求した議論のあり方は、「主張者 VS 反論者(批判者・懐疑者)」です。望むらく
は、常に主張者が先手であるべきです。主張者・反論者とも複数でも構いません。六六二
さんの方は、「(主張者不在で)複数の論者たちが、主張者の論拠作りとその反論を繰り
返すとでもなるのでしょうか。」

>662 で、六六二さんが引用していらっしゃる『論理トレーニング 101 題』の部分に従えば、
六六二さんが、「立論 VS 異論」の立場で、私が「立論 VS 批判」の立場になりますね。
もちろん、私は異論と批判の違いは理解しています。しかし、立論者不在のまま、複数の
人間が立論者の論拠を作り、それに対してそれぞれが異論を立てて議論する、というあり
方が成立するでしょうか?

私の場合は、もっと厳密さを要求していましたので、最初のスタンスでは、議論が始まる
はずはないのは明らかですが、六六二さんが提示されている「立論(論拠薄弱でもよい)
VS 異論」でも、実際に進行するのは難しいように思います。結局は、複数の人間が独我論
の論拠を提出しつつその内容を吟味する、というあたりに落ち着きそうな気がします。い
ずれ書きますが、「独在性を問う」のは、議論ではありません。

>700 の 604 さんへのレスにも似たようなことを書きましたが、複数の反論者がいれば、複
数の異論が提出されることになり、またその異論同士で議論が起こりかねません。立論者
と反論者が一対一の場合は、異論を提示して議論すると実り多いものになりそうですが、
異論を出す人数が多すぎると議論が発散してしまいそうです。

私が最初に実現不可能なほど厳密な形式にこだわったのは、このスレッドが「論破してく
ださい」だったこと、今までの議論には不毛な部分が多かったこと、確固たる論拠なくし
て「論」と呼ぶべきではないと思ったこと、立証責任は反論を仰ぐ前に立論者が果たすべ

(つづく)
726650:02/06/24 03:01
きであると考えたことなどにあります。

今まで私が主張した内容を大筋で理解していただけたなら、私が不毛と表現した部分の多
くが事前に避けられるのではないかなと思っています。私が指摘したことの中で共通した
理解が得られた部分に関しては、ルールとして導入すれば、六六二さんの思う方向で議論
が進められるのではないかと思っています。

次の段階にあるのは、独我論の分類、スタートとしての独我論の論拠作りにあると思いま
す。独我論者でない人が確固たる論拠作りをする情熱が持てるとは思えないので、独我論
者の著作を叩き台として進めるほうがいいのかな、と思います。

最後に補足ですが、 >714 の 1 に関して。自己言及に「演繹」は、関係ありません。「p
を仮定してqが演繹されたとき」の「演繹」の使い方もよく分かりませんでした。「『p
ならばq』であって『q』ではない」、「仮定に基づいて導かれた命題を,仮定抜きで主
張するな」というのは、私も前から指摘していたことです。繰り返しますが、この段落は
以前の私の説明のまずさから生じているものです。
727六六二:02/06/25 21:53
650さん,長いレスをありがとうございます。今回のレス,なんだか私にとっ
て,非常に理解が難しくなっています。どこに焦点をあててレスすればいいの
かわからなかったので,とりあえず全体にレス(主に疑問)を書いてみましたが,それを出
すとあまりにも長くなると思いましたので,そのなかから,優先順位をつけて,
様子を見ながら出していこうと思っています。

全体的な印象としては,理解が難しい一因として,650さんが使われている素
朴な独我論と素朴でない独我論の区別(違い,境界など)や,独尊,独在,独
存の区別がわかっていないことがあげられると思います。できれば早いうちに
定義を示していただけると幸いです。独尊,独在,独存に関しては,私が本か
ら引用したことからわかること以上の意味を,これらの語に込めているように
思えます(たとえば私は,独在や実在に関して,<私>という語を用いたこと
はありません。713を見ると,650さんがその点を誤解されているように見えます)。

それから,早いうちに言っておいたほうがいいと思うのは,私が煽ろうという
意図も,煽られたという気分ももっていません。また,駄洒落目的で書いたつ
もりもありません。

ではとりあえず,その点だけレスしておきましょう。

> 次に後者の問題、 >>715 の 3 ですが、まず六六二さんは、何か根拠があって「主張者の
> 素朴な感覚を、反論者は直接否定することはできない。」という私の主張がまた「素朴な
> 感覚」に基づいているとしたのでしょうか ? 駄洒落のような感覚で書かれたのでしょうか?

「素朴」の定義の違いかも知れませんが,とくに論拠なく主張されているので,
素朴な(明確な理由なき)感覚なのだろうと考えました。

> 「素朴な感覚は否定不可能」など
> とは書いていません。「直接否定することはできない」と書いています。六六二さんの例
> は明らかに間接的な否定ですよね。

650さんは,「素朴な感覚は直接的にも間接的にも否定不可能」と考えている
のだろうと思いました。理由は,たとえば691で「主観的な感覚は論理的には
反論しようがない」と書かれています。論理的な反論とは,間接的な反論のこ
とだろうと思います。あるいは707には「論拠が薄弱であることや、論理の積
み重ね部分に不備があることが発覚しても、その感覚がある限りは、「問い」
自身は形を変えて残る」とあります。「根拠の薄弱さや論理の不備の指摘」と
は,間接的な否定だろうと思います。これらより,650さん素朴な感覚を,直
接にも間接(論理を用いて)にも否定不可能と考えていると考えました。

しかし一番不思議なのは,もし650さんが素朴な感覚を「間接的に否定するこ
とは可能」と考えているのであれば,どうして,その感覚を出発点として,そ
れを間接的に否定する方向で話を進めようとされないか,ということです。私
には,650さんが素朴な感覚を出発点(土台)とすることは,いっさい拒否さ
れているように思っていました(691など)。もし間接的に否定することは可能
だと考えているとすれば,それをどう扱おうと思っているのか,知りたいと思
います。独我論そのものに対する私の議論は,その点で止まって(止められて)
いますので。
728604:02/06/26 07:24
私は独我論は基本的に次の二種しかないと思います。
1:他者の客観的実在性は無論のこと、観念としても全く無い。(我のみが実在)
(これは実在性と不可疑的なことを同根している発想です。700の際の素朴独我論はこれです。
※現象学は他者の実在性を保留し、与えられた意味内容としての他者を分析したり、
また、範疇等の問題から超越論的な相互主観性等を問題にします。だから独我論“的”)
2:他者の客観的実在性は可疑だが、いると思わずにはおけない=観念としては排除不可能。
(「我」のみが「不可疑」、ただし此処で仮称してる「我」を、どのようなAとするかは様々ありましょう)
2は認識を厳密に問う際は不可避的な場と思われますので、2をメインとする議論は、
基本的には「独我論者か反論者か」ではなく「どのようなAなのか」で分かれるだけでしょう。
2を問題とするなら結局Aだけを問うことになると思います。そしてAを議論する困難さは仰る通りです。
729六六二:02/06/26 20:47
>721
> まず、 >>714 の 1 ですが、私がここで言及しているのは、素朴な独我論のような、
> 自己言及に陥らざるを得ないような命題 * のみ * に対してです。素朴な独我論以外の独
> 我論は自己言及的な言い方以外でも表現できますので、ご理解ください。

「素朴な独我論」とは,「自己言及に陥らざるを得ない命題」なのですか? 
「陥らざるを得ない」という表現は,今回はじめて出てきたのではないかと思
います。私のこれまでの理解では,ここでいう自己言及とは,「あらゆる命題
に対して,という反論を見ている自分だけがいる,と言えるから独我論は正し
い」という命題*のみ*を指すのだと思っていました(それならば,そういう,
結論を仮定した世界が成り立つことをもって結論の論拠とするような表現で独
我論を主張することを避ければいいだけの話です)。

 しかし上の文章からすると,素朴独我論は必ずそうなる,そうならざるを得
ない,ということのようですが,その論拠は何ですか? それとも,そういう
主張のみを指して「素朴独我論」と呼んでいるのですか? 676を読む限り,
そうとは思えないのですが。あるいは,「自己言及」または「素朴な独我論」
という語を,これまでとはまた違った意味で使っているのでしょうか?(私は
前者である可能性が高いと踏んでいます)

 これはひょっとしたら,この直後に出てくる「「外側」からの批判及び、「
外側」の世界を表現する記述を全てその内側に取り込む」とか,「「外側」の
世界を想定して論理を展開」ということと関係しているのではないかと思うの
ですが,これらの表現が,具体的にどういうアクションを指しているのかが分
かりません。もし上記の問題と関係するのであれば,この表現の具体的な意味
を含めて教えてください。
730考える名無しさん:02/06/27 00:39
ごちゃごちゃいうなよ。
「他人に殺されることがある」

以上。
731考える名無しさん:02/06/27 01:14
対峙しているじゃん。毒蛾じゃないじゃん。
732考える名無しさん:02/06/27 14:08
あまりにも長いスレだ。
興味あったので5分前に覗いてみましたが早くも挫折しそうです。
はじめから読んで流れをつかんでから書き込むかもしれません。
私なりの独我論への疑問がありますから。
それではがんばってください。
733考える名無しさん:02/06/27 21:38
676あたりから読めばよいかと
734通りすがり:02/06/27 22:48
>727
>間接的否定
地球が丸い、という素朴な感覚を否定したのはより厳密な観測でしょ?
観測は感覚を使って行われるじゃん
感覚が感覚を間接的に否定した例にならないか?
>730
他人によって他人が殺されるのは知覚できる。
他人によって自分が殺されるのは、認識できない罠。…ネタニマジレスカコワルイ
735考える名無しさん:02/06/27 23:10
と、書き足し。
素朴な感覚が厳密な観測で否定されたとしても、「地面を平らと感じる自分」は否定されないし、「厳密に観測した自分」も感覚によっているわけで、
感覚が間接的否定されようとされまいと、素朴独我論が揺らいだりすることはないから、
ここでの議論とはあんまり関係ないよ、というのが650さんの論旨と思われ。
736650:02/06/28 02:38
>>727
六六二さん、レスありがとうございます。今回ご指摘の問題点は、1. 独我論の区別・定義、
そして、2. 素朴な感覚から出発する命題を否定することの難しさについて書いた私の発言
の真意に関して、のふたつになりますね。いつも言葉足らずですみません。

まず、独我論の区別についてですが、私が素朴な独我論と呼んでいるのは、一貫して「こ
の世界は私の意識が作り出したものに過ぎない」というものです。自分の意識が世界およ
び他者を作り出しているので、独我論者が定義する自己意識は他者にはありません。他に
もいろいろ特性を付け加えることができますが、基本形としては、これで十分だと思いま
す。

素朴な独我論でないタイプの独我論は、独我論者が定義する自己意識を持っているのは自
分だけで、他者には同じようなものはなく、ロボットのような存在に過ぎない、というの
が基本形です。 604 さんの定義にも似ていますが、違うところもあります。

後者を素朴と呼ばないのは、素朴な独我論ほど簡単には退けられないからです。しかし、
どちらも素朴な感覚からスタートしている点については同じです。この二つの「素朴」を
混同してしまうと分かりにくくなるので、ご留意ください。

上記の二つのタイプの独我論を私は「ハードな独我論」と勝手に呼んでいます。現在は、
これらのハードな独我論を唱える人はほぼ皆無です。二つ目の独我論から派生する問題を
扱っている人がほとんどだと思います。これらについては、いずれ書くことにします。

この二つのハードな独我論の「違い,境界」ですが、世界の構造が明らかに違います。素
朴な独我論のほうは、自己意識=世界、です。他者や、その他のものや自分の身体でさえ
もすべて自分の意識に含まれます。一方、後者の独我論は、他者に自分と同じような自己
意識を認めないだけで、*物理的には*自分もあまたいる人間の一人です。他にもいろいろ
言えますが、必要であれば、また書きます。

(つづく)
737650:02/06/28 02:39
# 604 さんに煽る意図がないことは十分承知しています。発言意図も了解しました。「独
尊,独在,独存」の定義は、元のテキストにある定義で理解しています。<私>を使った
のは、上の定義を踏まえてのことではなく、また六六二さんの文章を解釈してのものでも
ないので、誤解ではありません。ただ、未定義で使っていたことは認めます。あの文脈で
は永井さんが用いている<私>と同じような意味で使いましたが、その使用の適切さにつ
いてはややこしくなるので、ここではやめておきましょう。

二つ目の「素朴な感覚から出発する命題を否定することの難しさ」ですが、これは私の説
明のまずさがありました。私にとって「直接否定することができない」のは、自明のこと
でした。その人がその感覚を持っている限り、「その感覚は間違っているよ」と言うのを、
「直接否定すること」としていました。理由を示さずに、その感覚がおかしいのだと非難
するというぐらいの意味でした。

一方、独我論者が自分の素朴な感覚を言語化し、論拠を示し、異論者、批判者がその論拠
に対峙する場合、「間接的に否定する」ことになります。私はこの時点で、「地球は平坦
である」などの素朴な感覚は念頭に置いていなったので、誤解を招くことになってしまい
ました。

「世界は一瞬前に出来上がった」の例のように、ある種の「不可能性」に基づいて、「不
可避的に持たざるを得ない」タイプの素朴な感覚のみを念頭に置いていました。過去を現
在のように感じることができないから、過去の時間の流れはなかったと言うこともできる、
他者の自己意識を感じることができないから、他者の自己意識の存在を否定することがで
る、ということです。

これらのことは、いくら客観的事実を並べられても、やはり過去に戻って現在のように感
じることはできないし、他者と入れ替わって自己意識を感じることは依然不可能なので、
その感覚が拭えない人も少なからずいるだろうということです。そして実際独我論者と呼
ばれる人たちは、そういう人が多いのも事実なのです。そういう意味では、現在の独我論
者に対してはその感覚を「直接的にも間接的にも」否定するのは不可能だろうと思います。
(つづく)
738650:02/06/28 02:41
整理すると、「素朴な感覚」を間接的に否定することができる場合もあるが、ある種の不
可避的に持たざるを得ないタイプの素朴な感覚の場合、間接的な否定を拒否続けるような
種類の命題がある、そして拒否し続ける人たちもいる。ということです。そして、これが
独我論が形を変えて生き続けている大きな原因の一つであると思っています。
739考える名無しさん:02/06/28 03:01
素朴な独我論を簡単に退けてみて。
740考える名無しさん:02/06/28 03:11
ねぇ、ねぇ、変なこと言ってない?
独我論って自分の事は他人には解らん。って事じゃないの?

独我論が真であったとしても、他者が非価値、非存在と言うのは議論の飛躍
てか、馬鹿っぽいよ。
独我論では、自身の知覚、思考、思想、感覚を他者と共有するのはむーり。
で、ぶっちゃけ、本当にあちきが知覚してるこの世の中でさえあちきが
知覚しているようにあるかどーかは分からん。
「分からん」って言ってる事と「無い」を同義に扱うのって馬鹿のする事だよ。
741650:02/06/28 03:16
>>728
604 さん、いつも参考になります。604 さんのこの分類と、私が>736-738 において書いた
分類とは、ほぼ重なっていると理解しています。ただ、押さえ方が少し違うので、その点
で生じる問題をコメントさせていただきます。

604 さんの押さえ方では、確かに 2 のタイプの独我論は、お互いの A を出し合うことに
なると思います。ただ、独我論者・非独我論者双方が複数いて議論する場合には、非常に
複雑になろうことは、 604 さんも私も了解していることです。

私の分類の切り口では、この困難さを避けることができると思っています。双方の A がど
うであれ、なぜ独我論者の A が他者にはないと言えるのか、なぜ私のみにその A がある
と(積極的に)考えることができるのかを問うほうが、問題点が絞れていいと思うのです。

独我論者の A が非独我論者のそれと、明らかにかけ離れていたり、独我論者同士の A に
非独我論者同士のそれに見られない共通点でも見つかれば、実りある議論になると思いま
すが、前に書いたように何の違いが見られなくても、素朴な感覚を持っている・持ってい
ないだけで論者と非論者に別れうることもあると思いますが、いかがでしょうか。

ひょっとすると、 604 さんの主張を深く読み取れていないかもしれません。的外れなこと
を言っていれば、ご指摘ください。
742考える名無しさん:02/06/28 03:26
よーわさっ、独我論って理屈的には成り立つ事を、パラドックスになるから
駄目とか、感覚(理屈じゃないとこだよね)とか持ち出して議論してるから、
変なんだよ。

独我論=真。
で、それが何か?それでいんじゃねーの。なんか都合悪いの?
それで哲学構築できないちゅーのが変なんだよね。
まぁ終了しちゃうから困るって言われたらどうぞお好きにって
ことだけどさっ。
743730:02/06/28 03:38
>>734
知覚できようができまいが殺されれば死ぬ。
簡単なことである。

結局「独我論」とやらは、主体の知解可能性におんぶにだっこ。
かっこわる。w
744考える名無しさん:02/06/28 03:42
>>743
>主体の知解可能性におんぶにだっこ。
すげー主体の知解可能性を超えるんだ。

なんか電波ゆんゆん。って感じじゃん。

ところで、かっこわるいと駄目なんですか?
745考える名無しさん:02/06/28 04:05
かっこわるいよりかっこよいほうがよい。
これは同語反復である。
746考える名無しさん:02/06/28 04:11
>>744
ちゃんといいなおし。
知解可能性を超えようが超えまいが
やはり他人に殺され得る。
だから他人は存在する。
747考える名無しさん:02/06/28 04:13
さらにいいなおし。
「おんぶにだっこ」の反対は「超える」ではなく「無関係」だということ。
748650:02/06/28 04:56
>>729
六六二さん、いつも鋭いご指摘ありがとうございます。自分の文章力のなさを痛感してい
ます。確かに私が最初に言っていたのは、仮定において既に「外側」の世界を認めていな
い場合は、仮定と結論が一致するので自己言及になる、ということでした。議論を始める
にあたって、「外側」の世界を想定してもよい場合には、反論をすべて「内側」に取り込
んで再反論する手を使ってはならない点も、お互い了承済みのことですね。

上のルールを初めて了承したときの私の文章は、 >704 においてで、元の文章は、私の
>676-678 の主張”「素朴な独我論」が「論破」できない理由”の 3. に対する、六六二さ
んの >689 のものですね。 >704 において私が言っているのは、素朴な独我論者は「内側」
取り込む論法を使わないならば、「外側」の世界を想定して発言してもよい、ということ
で、そのことによって素朴な独我論が自己言及性を回避できるわけではないのです。

素朴な独我論は、結論においても自己言及的にならざるを得ないと考えます。 「〜ゆえに、
この世界は私の意識が作り出したものに他ならない」と言える場合、「内側」の世界の中
においては、そもそも結論の世界を前提にしているので、意味がないことは既に書きまし
た。

「外側」の世界をいったん想定して論を進める場合、つまり素朴な独我論が成り立たない
世界を想定して論を進める場合には、その世界において矛盾を見出すことによって、他者
の実在が成り立たないことを示し、「〜ゆえに、〜」とならなければなりませんが、その
ような例を知りません。素朴な独我論においては恐らく無理だろうと思います。

結局、了承されたルールを導入して、>676-678 の 3. の出発点を取ったとしても、 2. の
出発ができなければ、先発主張は 1. から始めざるを得ないけれども、 1. が既に自己言
及なので、先発主張はできないことになります。先発主張を肯定的な論拠による主張と置
き換えてもらうと分かりやすいと思います。なぜ 1. から始めざるを得ないかというと、
素朴な独我論がなりたたない世界を想定した上では、素朴な独我論を積極的に支持する論
拠を作りようがないからです。
(つづく)
749650:02/06/28 04:57
「内側」の世界しか想定できない場合、どんなに多くの論拠を持ってきても、「私の意識
しか存在しない世界において〜」となり、自己言及にならざるを得ないと考えます。素朴
な独我論以外の独我論が自己言及に陥ることはありません。そのことは、 >667 に書きま
した。 >667 の「閉じた系」については、後の説明を補ってください。
750650:02/06/28 06:09
>>737
[補足] >>737 の私の発言において、以前に私が使用した<私>という語に関して、「上の
定義を踏まえてのことではなく、また六六二さんの文章を解釈してのものでもないので、」
と書きましたが、 >713 の私の発言を見る限り、六六二さんの文章を解釈しての上で書い
ているように見えます。これは、閉じ括弧の場所を間違えていました。

>713 において、「六六二さんの使用例に従って、他者の存在(他者にも独我論者が感じる
<私>があると認める立場)を、実在論者としましょう。」となっていますが、「六六二
さんの使用例に従って、他者の存在(他者にも独我論者が感じる<私>がある)*を*認め
る立場を、実在論者としましょう。」が正しいです。他者の存在を認める立場を実在論と
する、というのが、六六二さんの使用例で、「他者の存在」を括弧内で言い換えたのが、
私が未定義で<私>を使用した部分です。誤解を招きましてすみません。私の閉じ括弧の
配置ミスです。

この箇所を見直していると、六六二さんの >682 にある『哲学入門』の独存論に<私>が
使われていますね。私の使用法は、これと同じとしてもよいのですが、続く『事典 哲学
の木』の「他我問題」の項で六六二さんが対応させている内容と矛盾が出てきますので、
『哲学入門』にある<私>とも関係付けないことにします。

見直していて重大なミスに気づきました。 >685 で、私が「ここでは、「独尊論」が、私
が素朴な独我論と呼んだものですね。」は、明らかに「独在論」の誤りです。この誤りは
前後の文章に影響を及ぼしていませんが、気持ち悪いので訂正しておきます。

私はどちらの本も見ていないのですが、 >682 の『事典 哲学の木』からの紹介は、対応
させている独在論と独存論が入れ替わっているほうが、次の段落とうまく繋がると思いま
す。次の段落に書かれてある独存論は、永井さんが常に問題にしている「独在性」の問題
であると思いますと、以前書きました。これは、余談ですが。以上二箇所訂正させていた
だきます。ご迷惑おかけしました。
751考える名無しさん:02/06/28 07:58
…誰か>>743に「死は常に他人のものだ」ってのを説明してやってくれ…
752考える名無しさん:02/06/28 16:00
>>650
だから、自己言及になるから駄目って、なんでだよ。
独我論を真とするなら、全ては自己言及という結論
が導き出されるだけで、なんら不都合は無いじゃん。

あんたが言う素朴な独我論を簡単に退けられる。
ちゅーのは、議論できんようになるから、都合が
悪いから、止めておくっていうのと一緒だよ。
自然科学で言う観測出来ない物は考慮しない。
ちゅーのと必然性に置いて、恐ろしく隔たりが
あるじゃん。

パラドックス?
しゃーないよ。そーいう世界なんだから。
753650:02/06/28 23:28
>>752
「論破してください」で始まる議論が、なぜ不毛な議論に陥ってしまうかを考察している
だけですよ。今までの流れをじっくり読んでくださいね。
754ここの1:02/06/29 01:23
755筋金入り考えなし:02/06/29 02:40
毒我論が論破できないことは、ヘラクレス(だっけ?)と亀の競走で、1500年前に
証明されているんではないですか?数学的なパラドクスに足を踏み込むことは「哲学」
という魅力的な「マスターべーション〜=左脳の音楽化」あるいは
ライヒ「オルガスムスの機能」で、解決済みの古典的典型例の一つです
と思います。
むしろ「オルガスムス」は独我論の検証画面として「おーもしろい」ん
ですが、
相手の「オルガスムス」を見ているうちに、こっちが「オルガスムス」
に入ってしまうと、「観察」が出来ないと言う「ぱらどくす」ではない
んでしょうか?
相手がってイッテいるときに、「このオルガスムス」は俺のと「いっし
ょ」なのか?「こいつの専有なのか?」という哺乳動物人類の「肉体&
脳幹]との「優越性」競争の問題ではないでしょうか?
756六六二:02/06/29 10:42
650さんレスありがとうございます。ちょっと前のものにレスしますが,非常
に重要な論点を含んでいると思います。

725
> もちろん、私は異論と批判の違いは理解しています。しかし、立論者不在のまま、複数の
> 人間が立論者の論拠を作り、それに対してそれぞれが異論を立てて議論する、というあり
> 方が成立するでしょうか?

650さんって何て物分りが悪いんだ,としばし悩んだ挙句,問題が見えてきた
気がします。結論から言うと,私たちは同じ「独我論」という語を用いながら,
「別の問題」を論じようとしていたのだと思います。それは,「歩みより」程
度では解消されない違いです。別の問題なのですから。当然,対処法も違って
きますし。

独我論のとらえ方には,「主張としての独我論」と「疑念としての独我論」が
あるのだと思います。650さんの問題は前者です。「論拠に基づいて主張され,
反論するもの」としての独我論です。だから「立論者なしで議論が成立するの
か?」と問われているのでしょう。そしてこのように考えるのは,それは1さん
の「論破」という言葉(のみ)を中心に考えられたせいもあるでしょうし,すで
に独我論者の主張をご存知だということもあるのでしょう。

私の問題は「疑念としての独我論」です(これはおそらく,本スレの1さんも
同じではないかと思います)。人間は,自分の感覚器官を通してしか外界を知
ることができない。それでは原理的に,実在物の知覚と幻覚を区別できないで
はないか。本当に外界は実在しているのか? これは「主張」ではなく「疑
念」です。明確な論拠にもとづいた確固たる主張があるわけではありません。
否定しきれない疑念があるだけです。したがってこれについて論じる場合,出
発点としての「主張&論拠」はないのです。無理にそれをくっつけると,それ
は別の問題になってしまいますので,くっつけるべきではないでしょう。
 1にも,「他人の実在は証明できるのでしょうか? 哲学史的には、ちゃん
と独我論は論破されてるのでしょうか?」とあります。これは一方を主張した
いから他方を論破したい,というのとは違いますよね。どちらにも否定/肯定
しきれないという疑念がある。だから,何らかの形(実在の証明とか独我の論
破とか)で,この疑念がぬぐえるのか,と問うているのだと思います。主眼は
「論破」そのものよりも,「疑念の払拭」にあると思います。725の意見から
すると,これは独我「論」というよりは「独我への懐疑」とでもすべきかもし
れません。しかし,永井さん「哲学の木」の記述からもわかるように,これも
りっぱに独我論として認定されているようです。

たとえばこういう例はいかがでしょうか。ある人が,「最近ひどく調子が悪く,
あちこちが痛い。自分は不治の病におかされているのではないか」という「疑
念」や不安をもったとします(疑念の内容は何でもいいのですが)。医者は医
学的な問題はどこにもないというけれども,あまりの体調不良に,不安や疑念
がぬぐいきれない。これが「疑念としての○×論」の基本形です。
(続く)
757六六二:02/06/29 10:43
この比喩で考えると,いくつかのことが分かります。医者は診察をして,不調
の原因(=論拠)を調べます。調べても見つからなければ,「問題はない」と
いうしかない。それでも患者がごねたら,「痛いという主観以外の形で不調の
根拠を示せ」というかもしれません。もし患者が「調子が悪いから不治の病な
のだ。なぜ調子が悪いかというと,不治の病だからだ」みたいなことをいった
とすれば,主観に基づいた論拠と結論が循環してしまい,本人以外は何もいえ
なくなってしまいます。これらが,独我論争でいうと,650さんが「素朴な主観
はだめ」「自己言及になってしまう」と言われたことにあたるかと思います。
つまり650さんは,この例でいう医者の立場をとろうとしているのだろうといえ
るでしょう。

一方,この例の人に対して,別の問題を立てて別の対処をすることも可能です。
(場合によっては,医学的処置が済んだ後でも疑念は消えないかも知れませんし)。
そのときは,疑念を疑念として認め,疑念や不安を腑分けし,その内容や,どこ
からそう思うのか,反論はないか,医学的な原因以外の原因はないのか,などを
検討するしかないと思います。想像ですが,カウンセラーなどはそういう役目を
するのではないでしょうか。身体的に問題のない患者に内面(=その人の主観)
から迫り,主観の意味づけをし,由来を探り,できればうまく扱える主観に置き
換えるみたいな。医者も,医学的に問題のない(しかし訴えのある)患者は,追
い返すかカウンセラーの元に送るかしかできないだろうと思います。医学的な原
因がないことが明らかな時点で,もう「医者/医学の問題」ではなくなりますか
ら。(もちろん問題が見つかれば「疑念」から「主張」に問題が移行しますが,
ここではそれが見つからないケースの話のみをしています)

私の場合は,カウンセラー的に,疑念や感覚や主観そのものを扱う必要がある,
というか,そういうタイプの問題としてこの問題をとらえているわけです。
(人のカウンセリングをしたいわけではなく,自分の疑念を何とかしたいわけ
ですが)。650さんの立場は「医者=主張を扱う人」としてはしごく正当ですが
それ以外の立場や観点,対処があることは認識してもらっていいかと思います。

だからといって,これから私たちがやろうとしている議論に意味がないといい
たいわけではまったくありません。私の参加スタンスはあくまでも「疑念者」
であり,ろくな主張はできないでしょうし,またその立場から見ると,「主張
としての独我論」議論はあまり役に立たないかもしれません。それでも,ヒン
トぐらいは得られるだろうと思っています(これまでもそうでしたし)。

ちなみに,「私の知覚世界と他人の知覚世界とは一致するのか?」スレの1さ
んも,同じタイプの疑念の持ち主だと思います。しかもこの人の場合,「わか
っていること、確かめられることのみを前提」にして,丁寧に論理的に話を進
めようとして,結果的に独我論に陥っています。以下のレスにそれが現れてい
ます。「疑念としての独我論」を知るうえで参考になるのではないかと思いま
す。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1021179299/262-264
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1021179299/285-287
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1021179299/298

なお,「自分の知覚世界」という主観的観念論から出発してたどり着けるのは,
せいぜい「疑念としての独我論」(外界/他人の心の存在が不可知)というこ
とであって,主張としての独我論(外界/他人の心が存在しない)にはたどり
つかないと思います。私の考えでは。その意味でも,650さんが出される,たた
き台としての「独我論者の著作」は,楽しみにしています。
758650:02/06/30 02:50
>>734-735 通りすがりさん、ありがとうございます。 >737 にある追加の説明で、だいた
い理解してもらえると思います。「直接」と書いたのは、「その感覚がそもそも間違って
いるのだ」というような反論の仕方のことを書いていました。もうひとつは、「不可避的
に持たざるを得ない」、主観から逃れることができないために持たざるを得ない素朴な感
覚は、客観的な根拠をいくら示されても、その感覚自体は完全には拭い去れないことがあ
る、またそういう人がいる、という主旨でした。それが独我論の歴史でもあります。

>>740 上に書いたように、素朴な独我論でないほうの「ロボット疑惑」的な独我論は、仰
るように確かに認識論的な不可能性に基づいていますね。「議論の飛躍」と書かれている
のは、私が前から書いている「思考可能な世界のひとつ」に過ぎないものを、いつの間に
かそれが真であるようにすりかわってしまっている、という主張と同義だと思います。

>>742, >>752 さんあたりは、この辺に誤解があるようで、いつの間にか「独我論=真」と
か、「独我論を真とするなら」などと、いつの間にか大きく飛躍しています。真と言うか
らには、確固たる論拠の積み重ねが必要です。「哲学(を)構築」するのなら、議論では
ないので、飛躍してどんどん先に進んでも問題ないですが、それは「問い」に過ぎないの
で、この段階で*真として*論破を求める態度は誤りです。そのことを 650 以降ずっと指摘
しています。(「問い」の段階で異論を求めるのは何ら問題ないと思います。)
759考える名無しさん:02/06/30 07:20
>>757>>758も至極まっとうなことを言っている。
批判してるヤシはどうも多元的な思考が出来てないんじゃないか?

>>755
確かアキレス亀じゃなかた?
760考える名無しさん:02/06/30 08:16
>>758
だーーーーーから、素朴な独我論どうやって排除してんのよ。
やってみてよ。都合が悪いから駄目って言ってるようにしか
聞こえないのよ。
761650:02/07/01 02:10
>>756-757
六六二さん、レスありがとうございます。いつも適切に論点を絞り込んでくれるので、助
かります。今回の「主張としての独我論」と「疑念としての独我論」というスタンスの違
いは、早くから分かっていました。とりあえず、例え話の前の部分に対してのレスを書き
ますね。

もう一度、私の 650 の発言からの意図をまとめておきます。このスレッドは、 1 さんの
真意がどこにあったかは別として、「独我論を論破してください」というスレッドの題名
から、「論破できる(できた)」、「論破できない(できなかった)」という内容の単発
レスが頻発していました。論破する側の主張にやや的外れなものが多く、独我論の側に立
っている人も論拠曖昧なまま弁護しているだけの姿勢の人が目立ちました。流れとして想
定されている独我論は、ほとんどが私が「素朴な独我論」と呼ぶタイプのもののようでし
た。

そこでまず、 650 において独我論(素朴な独我論)がこの流れのような議論では決して論
破されることがない理由を示しました。 sage で書いたのは、この指摘を受けて流れが変
わり始めたら、議論に加わろうかなと思っていたからです。思いがけず、六六二さんのや
や的外れな反論を受けて、その後、私が 650 で指摘していることへの適切な反論や指摘を
受けて、より分かりやすい形に書き直すという流れが続いていました。

その中で、議論の土台作りをするにはどうすればよいか、という次の話題が入り込んでき
たこと、六六二さんに 650 の私の主張は、素朴な独我論以外の独我論には当てはまらない
ことなどの指摘を受けたことなどがあって、(私にとっての)論点が拡散してきました。
私はまず、 650 の主張の内容を理解(納得)してもらいたかったので、土台作りの整備や
素朴な独我論以外の独我論の定義や、議論の仕方のスタンス(「異論・批判」や今回の指
摘)などにはなるべく深入りしないでおこうと思っていました。この姿勢が六六二さんに
「物分りが悪い」と思わせる原因の一つになったのではないかと思います。強調しておき
ますが、私はこのような議論のあり方しかないと言っているのではありません。
(つづく)
762650:02/07/01 02:11
六六二さんとのやりとりを受けて、当初想定していた方向と違ってきたので、とりあえず
650 の主張を理解してもらって「スッキリ」してから、次に「ハードな独我論」のうち、
素朴な独我論ではない独我論のアウトラインを示し、さらにその独我論も実は不毛な議論
に陥らざるを得ないことを示そうと思っていました。これは、素朴な独我論ほど簡単には
いかないだろうと予想しています。

しかる後、ハードな独我論以外の独我論を取り上げ、実はそれらは上のような議論とは関
係ない形で進行していることを紹介しようと思っていました。当初は、 650 で書き込んだ
後、誰かが、私が指摘した問題点をクリアしようとすれば実は議論そのものが成立しない
ということに気づいてくれると思っていました。

そういう話になってから、現在では既にハードな独我論というのは、主張者側が肯定的な
論拠でもって真であると主張するのが無理であろうと言われていることを紹介して、独我
論を論破する、あるいは独我論が単に真であるか偽であるかを議論することそのものの問
題を指摘しようと思っていました。こういう流れを想定していたので、六六二さんには、
とてももどかしく見えただろうと思います。

1 さんの疑問のひとつに答えておくと、ハードな独我論が真であると証明されたことはあ
りません。また、歴史的に独我論が論破されたと宣言されたこともありません。他我の存
在の証明というのは、他の問題をいろいろ含むのでここで議論するとややこしくなると思
うので、措いておきます。

# そもそも 1 さんは、今もここをご覧になっているのでしょうか?

後日、六六二さんの例え話を交えた問題点の指摘そのものに答えていきたいと思います。

# 六六二さんも >688 で、「言っときますけど,私,物分り悪いですからね。覚悟の程
# を。」と自ら宣言されていますので、お互い様ということで。。。(冗)
763650:02/07/01 03:13
>>760
単なる煽りなのか真面目なのか判断が付きかねますが、、、一応レスしておきます。私の
>736 の発言にある、素朴な独我論ではないタイプの独我論の定義の中で、「素朴と呼ばな
いのは、素朴な独我論ほど簡単には退けられないからです。」という箇所を見て、恐らく、
「素朴な独我論ではない独我論は、簡単には退けられない」 -> 「素朴な独我論は簡単に
退けられる」 -> 「素朴な独我論は簡単に*論破*できる」というような意味合いに、勝手
に縮めて誤解しているのではないかと思います。

>>739 「素朴な独我論を簡単に退けてみて。」
>>760 「だーーーーーから、素朴な独我論どうやって排除してんのよ。」

「素朴な独我論を簡単に論破できる」と私が主張していると思い込んでいますか? 650 か
らずっと書いているのは、素朴な独我論を「論破してください」で始まる議論は、不毛な
結果になるということを示しているんです。素朴な独我論でないタイプの独我論は、 >676
で*簡単に*示したようには、「論破してください」で始まるような議論は不毛な結果にな
ると「退けられない」と書いているんです。

「今までの流れをじっくり読んでくださいね。」と書いたのは、私の今までの主張を理解
できたら、「素朴な独我論を簡単に退けて(論破して)みて。」という発言自体が、私が
不毛であると言ってる内容そのままであることに気づいてくれるかと思ったんですが、ど
うやら無理でした。
もし「退けて」が、私が使っている意味と同じなら、もう一度 >676 を読んでください。
そして疑問点があれば、指摘してください。

逆に質問ですが、 >>742 「独我論=真。で、それが何か?それでいんじゃねーの。」とあ
りますが、真とした論拠を教えてください。 >>752 「独我論を真とするなら、」なんて、
いきなり飛躍してはダメですよ。

# 「ダメ」とか「都合が悪い」とか「困る」という短絡的なレベルの話をしているのでは
# ありませんので。。。
764考える名無しさん:02/07/01 07:43
言葉をいっぱい書けば正当性があがるとでも?
# 「ダメ」とか「都合が悪い」とか「困る」という短絡的なレベルの話をしているのでは
# ありませんので。。。

と言いながら、「不毛になる。」とおっしゃっていますが?
なんか、うざうざ言い訳厨房ですな。
765六六二:02/07/01 08:13
761
> 今回の「主張としての独我論」と「疑念としての独我論」というスタンスの違
> いは、早くから分かっていました。

本当ですか? 本当にわかっているのであれば,私が756の冒頭に挙げた引用
部分(725)のような意見は出てこないはずですが。

少なくとも私が言ったような,どちらもきちんと論じられるべき問題である,
という意味での認識はしていないのではないですか?
766650:02/07/02 03:09
>>765
六六二さん、レスありがとうございます。先にこちらにレスしておきますね。スタンスの
違いは分かっていましたよ。最初にこのスタンスが見え始めたのは、 >688 「あと,スレ
タイトルには「論破」とありますが,この言葉を厳密に取る必要はないでしょう。検討な
り説明なり問題点の指摘なりの要請と読み替えれば。」 >698 「素朴な実感(自分の内な
る独我論)から出発するほかない事柄ではないかと思います。」あたりからだと理解して
います。

私は、(ハードな)独我論が「素朴な実感(自分の内なる独我論)から出発するほかない
事柄」とは思っていないし、>715 「素朴な感覚が論拠になっていた場合,その素朴な感覚
をこそ,検討の対象にすべきだと思います。」とも思っていないんです。そして、独我論
を論じるにあたって、複数の論者と複数の懐疑者がそれぞれ別個に「異論」を出し合う形
は、これとは別に問題点を指摘してきました。だから、 >725 の私の指摘は、スタンスの
違いとは別の問題です。その次の段落の、「いずれ書きますが、「独在性を問う」のは、
議論ではありません。」に注意してください。この結論を留保したまま対応しているので、
「物分りが悪い」と思われたんだと思います。

スタンスの違いが分かっていることと、「どちらもきちんと論じられるべき問題である,
という意味での認識」は、別の話です。私は「問い」としての独我論に関しては、「議論」
とは思っていないんです。このことに関しては、まだきちんと書いたことはありませんで
したし、六六二さんの例え話へのレスで書こうと思っていますので、今は書きません。

そして、 650 の議論をまず一段落させたかったから、それ以外の問題に深入りしなかった
ことは、前回書きました。

あと、六六二さんとのこのスタンスの違いが現れる前の話ですが、 >658 「なお,独我論
を論じるにあたっては,「最強の独我論」を想定する必要があるだろうと思います。」と
仰っていたようなスタンスはもう捨ててしまったんでしょうか? これは素朴な感覚から始
まるものではなくて、作られた独我論のような印象を受けます。もしこの方面もまだお考
(つづく)
767650:02/07/02 03:09
えでしたら、それはそれで楽しみにしています。

六六二さんの例え話へのレスと、なぜ私が「疑念としての独我論」は、ハードな独我論の
議論と同じとは見なしていないのかについては、また後日書きます。ちょっと遅くなるか
もしれません。
768OK:02/07/02 03:49
 他人の実在を「証明する」という、かっこ内の命題が
何で?ということ。
 「証明する」事で「他人ではない」貴方の実在を「証明」
したいの?
 まず、その「証明」の動機は何か?ということ。
要するになぜ「証明」しなければ貴方は安心できないか?
ということ。
 「証明」した次の瞬間、貴方はその証明を信仰し続けるか?
と言う命題。
 全部、クリアできたらおめでとうという、西洋テツガツの問題。
要するに「出来るわきゃないことを繰り返し言うなよ」
という、数学者の回答。
 「論ずることの出来ない問題に対しては。沈黙を保たなければいけない」
ヴィトゲンシュタイン(百年前の「哲学者」)。
 
769六六二:02/07/02 22:44
>766
> 650 の議論をまず一段落させたかったから、それ以外の問題に深入りしなかった

いやあ,それは逆だと思いますよ。私の>756-757の指摘はようするに,>650の
主張(以下のようなもの)に根底から異議を唱えているわけですから。

>650
> どんな議論においてもそうですが、まず主張者がその主張を
> 証明しなければなりません。

> 独我論を主張するなら、まず自分が独我論的な世界観が成立することを証
> 明しなくてはならないのです。「否定できないから〜」というのは、ナシ
> です。

ですから,まずはこちらを論じないと「一段落」もなにもないと思います。
私は,650以降の議論はとりあえず「振り出しに戻った」「仕切りなおし」
と思っています。念のためにもう一つ付け加えるなら,「上のように主張する
のは,もちろん自由だが,このスレでは過去にも現在にも『主張者』はいない
ので,そういう議論は始めようがない」と言えます。「疑念者」は主張者とは
違うというのが私の主張なわけですから。

> 「なお,独我論
> を論じるにあたっては,「最強の独我論」を想定する必要があるだろうと思います。」と
> 仰っていたようなスタンスはもう捨ててしまったんでしょうか?

いいえ,このスタンスに立つからこそ,「疑念としての独我論」を議論の対象
にしないことに反対しているのです。「主張としての独我論」は,論理や論拠
を明確にするということなので,むしろ「くみしやすい」ものとなる可能性が
高いと思っています。
770 :02/07/04 14:57
ふと思うのです。
2chに書き込んでるのは私一人ではないかと。
他の書き込みは高度な人工知能が自作自演してるだけではないかと。
そうではないかと。
771考える名無しさん:02/07/05 22:10
くぁげ
772神さま:02/07/05 22:29
>>770
そのとーり
773考える名無しさん:02/07/06 09:18
主張と議論が存在していることこそ、独我論の証明では無かろうか?
774考える名無しさん:02/07/06 09:20
つまり、不完全に独我論的であろうが、完全に独我論的であろうが、
独我論的世界で有る事は、自明なのである。

解りあえる者達が、何故に争う?
775考える名無しさん:02/07/06 11:20
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776考える名無しさん:02/07/06 18:59
自他分離を所与とするには、まずコミュニケーションに関して
不感症を装わねばならない。

なぜなら、コミュニケーションは、無関係の他者との間に関係
を創出する過程ではなく、現実には、所与のプロトコルと、そ
の場で成立するコンテクストとをもって、コミュニケーション
成立以前から開始されるものだからである。

つまり、自他とは、表面がツルツルの二つの球体が並置されて
いるようなものではなく、あたかも瓢の二つの膨らみのように
対置されるものだ。

よって、自他の分離を前提とする独我論は、その明記されない
前提において、事実に反する。コミュニケーションの成立こそ
が所与であり、独立の確認は、むしろ無限の忍耐力を要求する
検証作業なのだ。
777考える名無しさん:02/07/06 19:02
777
778ふふふ:02/07/06 20:56
フフフ って、なあに
779考える名無しさん:02/07/07 01:28
>>776
コミュニケーションが成立してる*か*のように見えることが独我論的ではない
というのは、物質相互の相互作用を見ても立論としては弱いな。
水素と酸素ですら結びつき水になる。変性した水素は変性しているが水素という
個の存在は失われていないのである。
780考える名無しさん:02/07/07 02:03
自己も他者も単なる錯覚でしょ?
人間がこしらえた範疇を取り払った在るがままの世界には
自他の区別など無いのだから独我論は成立しないと。
781考える名無しさん:02/07/07 02:04
>>780
かえれって
782考える名無しさん:02/07/07 02:06
>>781
早っ!
783考える名無しさん:02/07/07 02:06
>>782
遅っ!
784考える名無しさん:02/07/07 02:22
>>751
カッコいいー!
ファンになりました。
785考える名無しさん:02/07/09 04:53
>>780
>自己も他者も単なる錯覚でしょ?
これには同意。基本的に自己しか存在し得ない。

人間がこしらえた範疇を取り払った在るがままの世界にこそ、自他の区別がある。
故に独我論であると。
786考える名無しさん:02/07/09 10:40
>>785
非自己(他者)という概念が無ければ自己という概念も成立しない。
人間がこしらえた範疇(言葉)を取り払った在るがままの世界は
自己も他者も渾然一体でその区別も成立しない。
ゆえに独我論は現実ではない。
787考える名無しさん:02/07/09 10:59
>>786
そりは視点が別にあるねぇ。
自己は人間が作った「もの」なのか?

「雨」という言葉「ame」は人間が作ったが、
人間が存在する以前から天空より水滴が落ちていたんだよ。
788考える名無しさん:02/07/09 11:16
物理の因果は、定義からして人の力では切れない。
雨のある世界に人が生まれ、言葉も生まれたのならば、
だから雨の無い世界こそは虚しい空想の産物である。

同様に、他人の無い世界もまた。
789考える名無しさん:02/07/09 11:23
>>788
他人が無いわけとちゃう。
他人を知りようが無いんだって。
故に独我論が現実的なんだよぉ。

独我論的存在がいっぱいいるのがこの世。
独我論=他者を無価値非存在とした、馬鹿のおかげで独我論が
不当に嫌われてるなぁ。ぶっちゃけこの世がマトリックス的
世界であろうとも、独我論的個人は生き生きと生きてるんだYO。
790考える名無しさん:02/07/09 12:26
>>787
雨という概念は雨以外の全ての概念に支えられている。
本来一体不可分の世界を人間が概念で分割したつもりになっているだけ。
分割の仕方や範囲は言葉の定義によってどうにでも変化する。
何を雨とし、何を非雨とするかは定義の問題だ。その定義は
人間がこしらえたもの。
人間が定義しなければ雨も存在しないし、自己も存在しない。
独我論は人間の思考力の限界が作り出した錯誤の世界です。
791考える名無しさん:02/07/09 13:23
変なの。
概念はそうだけど、俺が言ってるのは「その対象」なんだけどね。
では「その対象」は実在するのか?って言われると実在するよね。
でも阿智気が思う雨とあんたが思う雨は違うよ。

だって、この世は独我論的世界なんだから。
792考える名無しさん:02/07/09 14:58
「自己」は常に何らかの対象を認識する側のこと。
「対象」は常に認識される側のことで、「自己」にはなりえない。

人間が世界を考察するには世界を「対象」として扱う必要がある。
しかし、世界はその中に自己をも含む概念だから、
独我論では本来主体でなければならないはずの自己も
いっしょくたに客体化されて扱われてしまう。
そこに独我論の誤りがある。

自己は常に認識する側であって
認識される側に立つことはないのだから
対象化され、思考にあがった自己像とは
「自己そのもの」ではなく、
自己がつくりだした「自己の影のようなもの」に過ぎない。
793考える名無しさん:02/07/09 21:30

761の2段落目の実例か(w
794考える名無しさん:02/07/09 21:55
独我論では本来主体でなければならないはずの自己も
いっしょくたに客体化されて扱われてしまう。
だから、遭難だって。一緒くたに扱うしか無いじゃん。

>そこに独我論の誤りがある。
どこに誤りがあるの?

ちゃんと答えてから、偉そうな文体で話せよばーか。

>「自己そのもの」ではなく、
>自己がつくりだした「自己の影のようなもの」に過ぎない。
そうだよ、自己を認識してるときは、自己は観察対象だからね。
で、この「自己を認識している存在」は何なんだよ?
教えろよ。ばーか。


795考える名無しさん:02/07/09 21:56
屁理屈にもなっていない、文学表現こねくり回さないと独我論じゃないって
言えないなら、それこそ人間が作り出した幻想だろう。
796考える名無しさん:02/07/14 23:55
>>789
では、あなたの手は、知り得ぬ他者か?
797考える名無しさん:02/07/15 02:56
いいえ。この黄金の右手、自分のツボは心得ています。
が、いかんせん新鮮味ゼロ。
798考える名無しさん:02/07/15 09:59
独我論ってあらゆることに疑った結果でてきたんだろ?
なら肯定してやれ、世界に自分しかいないって思えるように社会でひとりぽっち
にしてやりゃいい。自分の殻に閉じこもったやつを助けてやらんでもいいだろ(笑
というか自分が一人だと思うから一人なんだよ。他人を認めたら世界が広がるんだよ。

論破できねぇよ自分勝手な考えだしな(笑
最後に疑ってる自分だけ残ったんならその疑ってる自分も疑って、無に帰すればいい。
799考える名無しさん:02/07/15 12:07
>>798
独我論の話になると、こーいう意見が多いのは何故?

この世には自分以外の人も自分以外の動物も自分以外の世界もタークさん
有るように見えるよ。
その見えてるものは、自分が感じて自分が解釈してると言ってるだけでしょ。

独我論で言えるのは、自分の解釈は自分のものだけで、それを他人と*真*
に共有する事が出来ないって事だけで、自分以外この世に存在しない、
なんて解釈を導き出される根拠になってないよね。

君が言ってる事は、間違った理屈。
ソクラテスは死んだ、人は必ず死ぬ、故にソクラテスは人間だ。
こーいう論法ですがな。

独我論を認めると、人とのコミュニケーションにより一層真摯に
取り組めると思うんだ。僕の中での暗黙痴を対話する人が持って
いないかもしれない。こんな話題彼女は好まないかもしれない。
何故アイツは変なんだろう、なにが彼の性格なんだろう、なにが彼をそうしたんだろう。

独我の世界に生きてるからこそ、自然の恵みに癒されて、人との対話に怒ったり、
癒されたり、愛を感じたり、出来るんじゃないかな?

独我論の世界は、対外的な宇宙と同じだけ、内的宇宙が大切なんだと
気がつかせてくれる。とってもいい世界観だよ。
800考える名無しさん:02/07/15 12:10
>>796
コミュニケーションは出来るけど、あちきの手に一個の存在があるとすれば
知り得ぬ他者だね。
気がつくと皮膚が荒れたりしてるもの。荒れる前に教えてくれれば助かるけど。
801考える名無しさん:02/07/15 12:35
>>799
独我論ってもっと過激なものなんじゃないの?
自分の自我だけが実在するっていうやつじゃないの?
802考える名無しさん:02/07/15 13:07
>>801
馬鹿相手にするから混乱するだよね。
自分の自我のみ疑ってかかる事が出来ないと言うところから、
なんで*それのみ実在する*になるか俺には理解できない。

否定できないものだけが、実在するっていうのは無茶だよ。
「否定出来る物すら実在する」可能性を排除出来てないからね。

でわ、実在してる*かも*知れないものを否定できるのは何故か?

独我の世界に生きてるからだよ。
803考える名無しさん:02/07/15 15:12
人を馬鹿呼ばわりすんな。
正解は「無我」。
釈尊もそう言っておられるよ。
804考える名無しさん:02/07/15 15:32
でもなんで「論破」しようとするんだろ。
哲学って、論破とか論証とかできないものがほとんどじゃないの?
俺には理解できん。
805考える名無しさん:02/07/15 15:52
>>804
論証(贅沢言えば実証)することはできなくても論じることはできるから。
806考える名無しさん:02/07/15 21:48
>>803
正解。疑う自我はもっと別の創造主によって造られた。造られなかったのかもし
れないという時間軸をずらして考えればよい。そうすると疑うことができる。

仮にこの創造主の名を仏と置くと、全ての自我は仏の名のもとに全て平等。

釈迦は最初独我論者だった、「天上天下唯我独尊」有名な話だな。解釈は色々あるがな。その後仏を作った。
何千年も前にたった一人によって立案され論破されてる議論なんじゃねぇ?

独我論にはまって抜け出せない奴はお坊さんになれ。
807Kurihara:02/07/15 22:07
独我論はなにより医学的治療すべきプロブレムですね。
808798:02/07/15 22:22
>>799
> 君が言ってる事は、間違った理屈。
ソクラテスは死んだ、人は必ず死ぬ、故にソクラテスは人間だ。
こーいう論法ですがな。

俺のしゃべった事のどこにどこにそんな論法があったんだ?お前の脳の
中か?さすがだな独我論(笑

俺も>>806も言ってるだろ?「疑ってる自分」から疑え、疑い続ける事に
意味は無い。認めていけば世界が広がる、そのいい例だ。
809考える名無しさん:02/07/15 22:53
>>806
独我論を認めた先に無我が有ると思うんだけどねぇ俺は。
まっ良いや。

>>807
独我論否定も医学的治療が必要なプロブレムなんだけど知ってる?

>>808
論外
810@@:02/07/15 23:00
>>803
70点。
その答えは「無我」を実体視している。
空の観点から検討すれば
無我すらも積極的に主張されるべきではない。

>>806
5点。
811考える名無しさん:02/07/15 23:11
>>806

なるほど... 独我論をもってしても否定できない全知全能の存在。
あらゆる古代宗教に全知全能がでてきたのになっとく、、
哲学が数百年の歴史で宗教が数千年の歴史にもなっとく、、
独我論も発展させると人類皆平等になるのかな?
812考える名無しさん:02/07/15 23:15
>>806
有福さん召喚!
813考える名無しさん:02/07/15 23:16
810 さん点数の付け方教えてください。
貴方がその全知全能なのですか?
814考える名無しさん:02/07/15 23:19
フッサールでもメルポンでもそうだけど、
独我論って、論証も論破もせず、
理論構築の際にウマイ具合に言及してるだけのような気がする。
815Kurihara:02/07/15 23:22
まぁ、独我論とは自分の考えていることが
他の全ての人にも当てはまるとする態度に
ほかならないわけで、そこに他者が欠けて
いるというのはある意味冗長なトートロジー
でしょう。
816考える名無しさん:02/07/15 23:33
>>815
逆だと思うな。
817Kurihara:02/07/15 23:40
>>816
僕はその逆の逆だと思いますね。
818考える名無しさん:02/07/15 23:42
>>817
僕はその逆の逆の逆だと思いますね。

てか、つまんないよぉ。

819考える名無しさん:02/07/15 23:47
証明も論破も出来る人なんていないよ
もうあらゆる言語を絶してますよ存在なんて
ただし、確信を持つことは可能である
しかし、確信の証明も論破も不可能だろう・・・たぶん
820Kurihara:02/07/15 23:50
以下、僕のトークショーでお楽しみ下さい。
821@@:02/07/15 23:50
>>813
私は全知無能です。
822な?:02/07/15 23:52
800のレスが孤独を否定できないのならば1000まで逝くしかあるまいよ。
823考える名無しさん:02/07/15 23:55
>>800
では、あなたのその手に運動指令を発信する、大脳新皮質の運動野と、
あなたの手の感覚受容記からの信号を受け取る、大脳新皮質の体性感
覚感覚野は、あなたにとって知り得ぬ他者ですか?
824考える名無しさん:02/07/16 00:01
>>823
大脳新皮質なんてものは、中学校の時になんかの本で聞くまで知り得ぬ他者
どころか、その存在すら知らなかったよ。
825OoO;:02/07/16 00:04
>>806
じゃあれも嘘これも嘘って考えや俺が世界で一番えらいんだって考えから
救うために宗教があるって事?
それともその有名な言葉を説いてまわったためにみんなが好き勝手やって
これはやばいって感じてあわてて考えあらためたん?
826考える名無しさん:02/07/16 00:05
>>825
しらん。神のみぞ知る。
827考える名無しさん:02/07/16 00:06
脳を物質として捉えちゃうと、哲学とは違うものになってこないかい?

脳の仕組みが解明されても考えつづけるのが人間なのでは?
828OoO;:02/07/16 00:07
なんじゃそりゃw
829考える名無しさん:02/07/16 00:21
よっぽど必要なほどに言いたいことがないなら、むやみに発言するな!
830@@:02/07/16 00:23
脳の器質的構造が全て解かると精神活動の全てが解るんですか?

テレビの内部構造を知り尽くす事と、そこに映った
画像や音声から意味を読み取る事は別でしょう?
それと同じことが脳でも言えませんか?
831考える名無しさん:02/07/16 00:26
>>829
禿道。
>>827>>830
同意するけどスレ違い。
てか、>>823は何の意図が有ってああ言う発言をしたのか分からん。
832考える名無しさん:02/07/16 01:02
さぁ、それは予断を許しません。
で、いかがでしょう。あなたの脳のうち、入出力に携わる神経は、
他者ですか?
833考える名無しさん:02/07/16 01:04
>>832
うん。だな。

あちきが独我論に囚われているのも、右目と左眼で色温度が違う事に気がついた
時からなんだよね。
右目で見ている世界と、左眼で見ている世界と、両目で見てる世界が違う。
834考える名無しさん:02/07/16 01:08
では、あなたの海馬を、癲癇治療と称して、切除してみましょう。
新しい記憶が、固定されなくなりました。
でも、古い記憶はちゃんと残っています。
海馬は他者ですか?
835考える名無しさん:02/07/16 01:10
>>834
難しくなってきたね。他者かな?
836考える名無しさん:02/07/16 01:24
手  ×
感覚運動神経系  ×
海馬  ×〜△
・・・と。

では、美味しいおすしを食べて、わさびが好きになりました。
昨日までのあなたは、今日からのあなたにとって他者ですか?
837考える名無しさん:02/07/16 01:27
あ、その前に、もちろん海馬は元に戻しましょうね。
838@@:02/07/16 01:30
感覚器官は自己そのものではないでしょ。
自分の思い通りにはならないんだから。
839考える名無しさん:02/07/16 01:35
>>836
議論坊の心が流されるなと言ってるが、ここは流されようっと。

うんだな。
正確に言うと、今の僕しか僕じゃない。
840考える名無しさん:02/07/16 01:47
いや、言質を取るつもりは、これっぽっちもありません。

さて、すると、未来のあなたも、過去のあなた同様、他者なわけですね。
では、今現在、ディスプレイを見ているあなたにとって、同時にキーボード
を叩いているあなたは、他者ですか?
841考える名無しさん:02/07/16 01:47
そろそろ眠いよ〜
引っ張らないでよ〜
842考える名無しさん:02/07/16 01:49
>>841
バーカ
843考える名無しさん:02/07/16 01:50
>>840
ありがと。
>さて、すると、未来のあなたも、過去のあなた同様、他者なわけですね。
他者だけど、今の僕は過去の僕によってかなり影響を受けてるし、
未来の僕に責任を持ってると思うけどね。

では、>>840の答え。
同時にキーボード叩いてる僕は僕。
844考える名無しさん:02/07/16 01:52
>>842
なんかのテストか言質取られているとしても、
独我論を否定されるなら(その事に納得できるなら)
僕にとっては有益なんだもん。
845考える名無しさん:02/07/16 02:09
そうですね。凶器のナイフが被告にはならないですものね。

さて、今キーボードを叩いているあなたにとって、さっきディス
プレーを見ていたのは他者。しかし、叩きつつディスプレーを見
ているのは自分。

二つの違いは、因果の有る無しということになるわけですね。
方や因果関係で結ばれるのが他者。方や因果の届かないものの
ひと括りがじぶん。

因果の出番が無いとなると、この「じぶん」の括りは、
たまたま、蓋然的であるか、あるいは、
アプリオリ、であるか、
ということになりそうです。

なんだか逆説的で、不思議な「自分」観ですね。
846にゃむ:02/07/16 02:21
このスペースで、万人に理解可能な言葉で、明らかに論破したと
解るように説明できる人間がいたら、そいつはほんとに賢い。
847考える名無しさん:02/07/16 02:22
>>845
変かなぁ?
あちき自身では矛盾点がわから無いッス。
848考える名無しさん:02/07/16 03:28
蓋然的な括りというのは、喩えるのなら、星座のようなもので、
見方次第でどの様にでも括れてしまう。星々はそれを拒んだりはしない。
でも、星座は決して自分を「自分」だなんて名指したりはしない。
あなたがそうするように。

アプリオリな括りというのは、もとより括られるべく分かれてなんかい
ないという事。たとえば、宇宙とか、原子。あなたの場合は、しかも
時間方向にもブツ切れ。自分を名指すための、時間的広がりが許されな
い。すなわち、ただの媒質。

「我」と言った瞬間に、すでにそこには自分を名指す働きがあるのだから、
過去から今現在の自分につながる働きや、自分から未来へ出て行く働きを
を「自分」と切り離すのは、それは自他分離ではなく、自分を切って殺す
ことだと思うのです。それはもはやあなたではない、と。
849考える名無しさん:02/07/16 03:52
>>848
言いたい事解るけどね。

時間的広がりを言われると答えに窮するのが事実。
僕の中の僕って言うのは限りなく最小時間いや時間の概念とは別のところに
存在してるんじゃないかなぁとね。意識の時間を物理的に示せと言われると
困るんだよね。時間的広がりが許されないところに存在しているからこそ、
ただの媒質、物体、では無く意識持つ存在だと思ってるんだけどね。

自分を切って殺してるんじゃなくて、自分ちゅーもんが刹那刹那にしか
存在してない。その周りを因果が取り巻いている。そんな感じかなぁ?

今独我論の議論を頭から読み直していたんだけど、連続体の自分を前提に
議論してるね。みんな。

850考える名無しさん:02/07/16 05:16
私は、
○手
−神経系
−海馬
○過去
○未来
○現在
なんですけど。

神経系と海馬は「×」じゃなくて「−」ね。
自然科学的な物の見方によるものであり、
そもそも自分か他者かという2分法は通用しないと思うので。
851考える名無しさん:02/07/16 05:22
>>850
追記。
>自然科学的な物の見方によるものであり、
1身体として動いているとき働く主観を無視する唯物論的立場ということ。
敢えて言うと、このときの神経系・海馬は、
他者(としての自分)の神経系・海馬であって、
「自分のものであった」神経系・海馬が他者であるとは決して言えないと思う。

眠いのでワケワカランこと言ってたらスマソ。
852考える名無しさん:02/07/16 08:03
過去の自分と未来の自分は想像したものである。
よって最小時間単位では独我論がなりたつわけだ。

だが我々は連続した時間のなかに生きているわけで、過去の自分と未来の自分
がつながる連続した時間の世界では、過去の自分と未来の自分をつなげる「何
か」の存在を認めるほかない。だが自分の存在以外の「何か」を認めると、独
我論は成立しない。
つまり我々が生きていこうとする連続した世界では独我論は成り立たないわけ
だ。
では最小時間単位で自分と想像してたものと他人と想像してたものが、連続し
ている世界では「何か」によって、なぜつながっていないと言えるのだろう。
いやむしろつながっていると考える方が納得がいく。
言いたいのは「生きとし生けるもの全てつながっている」と考える方が納得が
いくという事だ。そう釈迦はいいたかったのでしょう。

最後に、数学にしろ物理にしろ哲学にしろ、昔の人が一生かかって考え出した
ものを、最初からまたやり直すと貴方の一生じゃたりませんよ。
853考える名無しさん:02/07/16 09:20
独我論に言わせれば時間というものは与えられた概念であり実際には存在しな
い。確かに成立しますね。
でもそれは時間が流れている私たちからすれば「時が止まってる」といえます
ね。
独我論は時が流れている者から言えば成立条件の一つは「時が止まっている」。
でファイナルアンサー?
854考える名無しさん:02/07/16 12:42
>>853 いやそれは、茶碗がないでもそれは茶碗があると認識してる者
からすれば成立条件の一つは「茶碗がない」って言ってるようなものだ。
まー 853 は間違った事は言ってない。

認められないものには、何を言っても認められないのだ。
言葉を拝借すると、独我論に言わせれば、独我論を否定するものも独我論を肯
定するものも存在しない、ただあるのは独我論、だから独我論。

宇宙のビックバンの前の点の状態だ、何をいってもまだ何も存在しない、ただ
点があるのみ。点のところで時が止まっていて、爆発する要因さえもまだ
無いといい、点の状態しか言い表せない悲しい理論だとも言える。
落ちたら抜け出せないブラックホールとも言えるか。
855考える名無しさん:02/07/16 13:09
>>853
ちょと違う。
時の流れは因果律によって補完されている。

あちきの独我論が一般的じゃないだろうなぁ。今回の対話によって一般的な
独我論者と意見が合わない理由が良くわかった。
独我論支持なんだけど、他者の存在は字面だけでしか否定できない立場を
取っていたから。

つまり(過去の自分である他者)と刹那に存在する(毒蛾の自分)その後に
存在が予想される(想像した未来の自分)は因果律によって強力に連結
されている*か*のように見える世界に生きているんだす。

∴他者である自分の存在を否定する事は言葉上可能だけど、SF的な解釈持ち出さない
以上否定できない。こーいうSF的解釈を便宜上排除すると。

独我論を認める事=過去の自分と言う他者の存在を認めることに他ならない。
であるから簡単な一般化によって、外界の他者の存在を認められる。
事実因果律によって、外界の他者とも交流相互作用があるかのように見えてるからね。

この因果律の事を普通に話されている言葉で言えば(時の流れ、物理空間、時空?)
だから、僕の中の独我論で言えるのは、他者とは真に理解し合えないというか、
個は個として独立した存在であって、個と他の間には相互作用が存在する。
って事だけなんすけどね。

で有るから独我論=他者非存在の立場を取る人は、時の流れという因果律が
幻想で有る事証明して欲しい。で、なければ独我論=他者非存在とは言えない
と思うのです。

>>852
そうですね。だからお釈迦様が言う、無我というの解る気がするのですが、
まだあちきはそのレベルに行ってません。無と言えるほどには、自分の存在
が強力すぎます。
856考える名無しさん:02/07/16 15:03
>>852
連続した世界でも、独我論が成立する解釈の仕方がある。

ようはその「繋げてる何か」が主人だとしたらどうだろう。
「繋げる何か」によって全てのものが繋げられ、我々はその「一部」の状態で
「何か」によって唯一の個体にされてる場合だ。独我論はこれだと連続する
世界でも成立する。

また、我々がそれの一部であると肯定または否定することはできないのであ
る。なぜならそれを観測する観測点は独我論の定義上存在しないからである。
もし観測点があったとするならば、それは想像の産物で意味をなさないから
だ。

つまり独我論が正しいとした場合には、連続した世界では全てのモノが
繋がっており、繋がったモノにはそれを確かめるすべはない。
そして「全てのモノが繋がっているから、唯一の個体以外は存在しないのであ
る」という自らを補強する理論も産まれさせる。

こう解釈すると、いってることは同じだが
>では最小時間単位で自分と想像してたものと他人と想像してたものが、連続し
>ている世界では「何か」によって、なぜつながっていないと言えるのだろう。
>いやむしろつながっていると考える方が納得がいく。
この言い回しよりはブッダの言ってる事に納得しやすい。
857考える名無しさん:02/07/16 15:19
つづき...
では、時間であれ空間であれなんであれΔ単位まで掘り下げた世界では独我論
が成り立たないのか?

残念ながらいえることは、矛盾しないだけである。
最小単位にちかい「自分」が全てのものと繋がっている事を確認できない事を
いいことに好き勝手やる事は全体からみれば愚かなことなんだ。

と、なぜか宗教に話が持って行かれる(藁
858考える名無しさん:02/07/16 17:27
>>852
>過去の自分と未来の自分は想像したものである。
>よって最小時間単位では独我論がなりたつわけだ。
現在にのみ現前できないことが根拠なんだろうけど、
最小時間単位というのが意味不明。
現在が最小時間単位によって構成されるかどうかも怪しいし。
それを取ろうとするとゼノンのパラドクスが起きるんだから、
主張するなとは言わないが、もっと考察してよ。
また、過去の自分と未来の自分が想像できるのは、
現に過去(/未来)に存在した(/するだろう)からだ、
という主張を斥けるに至らない。

>>853
待て。
没時間性と時間が止まっていることの区別はしような。

>>857
空間の極限はともかく時間の極限は取るとどうなるか解らないのに、
勝手に取れると解釈してるのがどうも。
物理学でならともかく。
しかも空間の方でも極限取ったら、延長はありえないじゃん。

と言うか、過去の自分とか未来の自分に言及するのは、独我論の領域外。
「過去の自分は確かに自分なのか」というのは、独我論とはまた別の話。
その場に一緒にいるような他者との関係で議論するのが独我論じゃないの?
859考える名無しさん:02/07/16 18:59
>と言うか、過去の自分とか未来の自分に言及するのは、独我論の領域外。
「過去の自分は確かに自分なのか」というのは、独我論とはまた別の話。

つまり我々には独我論は当てはまらないわけだ。独我論を主張できるのは
その「唯一の個体」だけで、「我々」には独我論が真とも偽ともいえないし、
いえるわけか。このように「我々」にはおよそ関係の無い事柄なのだろう。

発展し解釈のしかたでは「繋げようとする何か」をもって「万有引力」の存在
を予言するすげー理論だと思ったんだが(藁
860考える名無しさん:02/07/16 19:17
>>852
>>と言うか、過去の自分とか未来の自分に言及するのは、独我論の領域外。
>「過去の自分は確かに自分なのか」というのは、独我論とはまた別の話。
まだ論証が弱い。
861考える名無しさん:02/07/16 19:24
>>859の間違い。
862考える名無しさん:02/07/16 21:36
>>859
そうしますと、少なくとも独我論をどうにもあつかえない「私」という存在は
「自分以外いないと主張する存在」の一部であると。しかも一部である一部で
はないと、討論することすら不毛に終わると。
そろそろ何か見えてきますね。
863考える名無しさん:02/07/16 21:38
独我論はつきつめると実在論になる
これ言ったの誰だっけ?
864考える名無しさん:02/07/16 21:51
>>859
我と我々。意図的?
嫌だよ。
865考える名無しさん:02/07/16 21:53
>>860
>まだ論証が弱い。
何か勘違いしてないか?
時間に沿って独我論を拡張しようとしたのはそちらなんだから、
独我論を拡張することの正当性を示さねばならないのはそちらなんだが。
866考える名無しさん:02/07/16 21:57
>>865
もう良いや。
867考える名無しさん:02/07/16 22:01
>>859

>発展し解釈のしかたでは「繋げようとする何か」をもって「万有引力」の存在
>を予言するすげー理論だと思ったんだが(藁

空間と等列に扱うのは、物理学の影響を脱してないよね。
「繋げようとする何か」を考えるのは、いいと思うけど。
それが独我論かは別。
自我を持ったものが時間に沿って同一性を保てるかどうか、という問いであって、
それを独我論と同じように考えるのは、空間と時間とを同じようなものとみなしているのであって、
時間に沿った同一性を解き明かすには、独我論という語を持ち出さずに考えてもいいのではないか。
……と思うんだけど。どうかなぁ。
868考える名無しさん:02/07/16 22:05
>>867
だからいいだと思う。時間と空間の概念を独我論に持ち込むと否定も肯定もで
きずに「万有引力」の存在を予言できたんだ。

だから、別の概念を独我論に持ち込むともっと他のモノができるんじゃない?
869考える名無しさん:02/07/16 22:14
>>868
>だからいいだと思う。時間と空間の概念を独我論に持ち込むと否定も肯定もで
>きずに「万有引力」の存在を予言できたんだ。

万有引力という比喩を使うなら、もうちょっと説明お願い。

>別の概念を独我論に持ち込むともっと他のモノができるんじゃない?

独我論から離れてると自分で言ってるように見えるんだけど、どうでしょう?
870考える名無しさん:02/07/16 22:25
>>869
俺の言葉でいいなら、「万有引力」は引きつけ合い「一つにする存在」

>独我論から離れてると自分で言ってるように見えるんだけど、どうでしょう?
独我論から離れてるモノがあるのかという話にならないか?決着は付かない。

871考える名無しさん:02/07/16 22:30
>>867
>時間に沿った同一性を解き明かすには、独我論という語を持ち出さずに考えてもいいのではないか。
>……と思うんだけど。どうかなぁ。
だと思うけど独我論のスレだし。

独我論の視点から見た場合、時間にそった同一性は保証されないよね。
これまでの独我論の議論ではどーゆう訳か、この同一性だけは無批判で受け入れたんじゃないの?
だから他者非存在なんて、変な結論になる。まぁバリエーションや議論はいっぱい有った見たいだけどね。
872考える名無しさん:02/07/16 22:33
>>865
拡張したんじゃなくて限定したの。
873考える名無しさん:02/07/16 23:29
>>871

独我論において、時間に沿った同一性は無批判で受け入れられたんではなく、
議論の対象とならなかっただけでしょう。
なぜ議論の対象にならなかったかというと、
独我論では、自分が他者とその場で面と向かっている状況を想定しているから。
「自分はなぜ、目の前にいる他者を、自分と同じような、
『自我を持つ生き生きとした』人間として認識することができるのか。
認識上は、他の物体と変わらないのに」というのが元々独我論で考えようとしていたのではないでしょうか。
時間に沿った同一性は、独我論で受け入れなければならないものでもありません。
また、独我論で「他者非存在」という結論は出てこないと思います。
874873:02/07/16 23:33
違った。
>独我論
「自分はなぜ、目の前にいる他者を、自分と同じような、
『自我を持つ生き生きとした』人間として認識することができる」
こういう状況を考えた上で、
「しかし認識上は他者と他の物体は変わらない。
ちゃんと『自我を持って生き生きとしている』ことは、自分にしか認めることができない」
ということだと思います。
875873:02/07/16 23:34
すいません何度も……
>「自分はなぜ、目の前にいる他者を、自分と同じような、
>『自我を持つ生き生きとした』人間として認識することができる」
↑「なぜ」は要りませんね。
876Kurihara:02/07/17 00:23
独我論とはそもそも何なのでしょうかね。
他者の実在の根拠がないとする態度がそれなら、
同じ権利で自己の実在の根拠もないとせねば
なりませんね。死とはひとが実在している根拠
を奪うものですが、実在の根拠がないとする態度には
だから、死の影がちらついてるようにみえますね。
独我論と死の影はどこかで影響しあっているのでは
ないでしょうか?
877考える名無しさん:02/07/17 00:25
忘れてた。
スレタイへの俺ができる回答は、独我論がだたしいとした場合に存在する
「唯一の存在」の一部である「俺」も「貴方」も、独我論を論じる術を持
たない。

よって、独我論は論破できない。

って何回も「論破できない」ってみんなが言ってるな(藁
878(・∀・):02/07/17 00:29
>>877
うん。その理由で論破できないって言うのはずいぶん聞き飽きたよ。
飽き飽き。

( ´D`)ノケッ
879考える名無しさん:02/07/17 00:40
>>878 へ

>>877 の理由で論破できないといったレスは無かったんだが...
あったのはお前の脳の中か?すごく偏った独我論だな(笑

すまん、また汚してしまった>all
880(・∀・):02/07/17 00:50
>>879
言葉遊びが大切な年頃なのね。
頑張れ屋。
881考える名無しさん:02/07/17 01:26
そのような、もはやなにも主張しないところまで後退・拡大・分解することで
訴追を免れた独我論は、訴追を免れたゆえ、すでに論破されている。
それは、甕がアキレスに抜かせないのと同様の構図だ。
882考える名無しさん:02/07/17 01:51
>>879
>すまん、また汚してしまった>all
解ってるなら黙ってろ。
883考える名無しさん:02/07/17 03:53
類似スレだが、
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1021179299/374
ここでとまっとる。
独我論争にも答えを出したような物言いだが・・・
884考える名無しさん:02/07/17 11:42
>>883
面白かった。

本質的にネットワークという事を認めるとして、

ネットワークの結び目を「我」とするのが独我論?
ネットワークの結び目は本質では無いとするのが、独我論脱却を目指す人?
885考える名無しさん:02/07/17 15:39
>>863

ヴィトゲンシュタインだったようなそうじゃないような。
886考える名無しさん:02/07/17 20:00
>>885
そーゆうのは、自分の研究室でやってくれ。
887考える名無しさん:02/07/18 12:53
ノードとリンクは、相互依存する反対語。
どちらかが存在し、他方が想定されるのではなく、
存在する関係の二つの側面なのだ。
一方だけではあり得ない。
888考える名無しさん:02/07/18 19:06
>>887
まぁそうだけどさ、織物の縦糸と横糸考えてみようよ。
縦糸と横糸が重なったところが便宜上点に見えてるわけで、実体は無いじゃん。
でもよぉ。通信ネットワークとかとかみたいな奴なら、実体としてノードが
有るわけじゃんじゃん。

じゃあどっちなんだよって言われても困るけど、実体ノードが有る派と
実体ノードが無い派に分かれちゃうのってこーゆうことだよね。

さぁ、おまいら調べろ。
889考える名無しさん:02/07/19 00:21
いやぁ、きょうび、インターネットっつーだけあって、
ネットインフラこそが基盤として存在し、ノードの方は、
バーチャルでもかまわないんじゃないか?
890考える名無しさん:02/07/19 10:06
888 と 889 が 877 の発言の後に何の意味をもって発言したんか
理解できんぞ。877 の意味わかってるか?
ちゃんと 856 を読む!そして理解汁!
そしてその次にちゃんとした議論できるものを提供汁!
891考える名無しさん:02/07/19 10:37
だから。問題はノード端点が存在するのかぁ?って事に移った訳で。
自分じゃ自分の事わからない無理なんて言うのは糞の理屈。
物理の世界は、物理的な測定装置を使って調べるじゃん。

後はネットワークに端点が存在するかしないかを調べれば良いだけな話。

#どうやって?(藁
892考える名無しさん:02/07/19 10:58
>>891
その端点が脳の中の物理的な構造にだけ存在するのか、
それとも外部からの刺激に対応してできたものなのか
自意識から辿って区別する方法はないだろ?
せいぜい他者の脳に関してはある程度の対応があると確認できるだけだ。
893考える名無しさん:02/07/19 11:08
>>892
そりゃそうだが、簡単に諦めるのは勿体無い。
量子力学が出来た頃、解釈をめぐって大荒れしたのは知ってるよね。
一番解り易い、「隠された物理定数解釈」を否定したのは、物凄く
よく考えられた簡単な検証法によってだよ。

894考える名無しさん:02/07/19 11:30
>>893
「プランク定数以下のスケールで発生する事象は決定論的には観測できない」
という事実を受け入れるだけなのに何であんなに荒れるのかわからない。
子供のころに神様のお話でさんざん脅されたかで、トラウマでもあるんじゃないか?
895考える名無しさん:02/07/19 11:40
>>894
好みの問題を口にしてもねぇ。
>子供のころに神様のお話でさんざん脅されたかで、トラウマでもあるんじゃないか?
結局人格口撃ってつまらない人だねぇ。
896考える名無しさん:02/07/19 11:54
>>895
じゃそこは読み飛ばして、なんで単に人格を持つ全存在(つまり人間)の
観測能力に物理的な制限があるというだけで、解釈なるあいまいな主題を
めぐって論争になるんだ。説明してみてくれよ。
897考える名無しさん:02/07/19 12:10
>>896
関係ない話題は別スレでやろうよ。
観測方法が皆無と諦めるのは勿体無いって事が言いたくて
事例出しただけだし。
898考える名無しさん:02/07/19 12:15
>>897
人格が全知全能でありえない・・・という経験的事実を拒否するから
独我論に陥るんだろうが。馬鹿か己は?
899考える名無しさん:02/07/19 12:25


Don’t Look For A Reason.

Look For A Way Out.


Don’t Think Who You Are

Know Who You Are.


900考える名無しさん:02/07/19 12:27
なんの話かわからんが、物理学と哲学がつながったのね、、、
でも量子力学の話なら、物理板にスレッド立てな才!

漏れ達は 877 の 独我論と実在論がともに真と置いても矛盾しないって
結果でお腹一杯胸一杯!
実験室のパソコンで遊んでないで講義に参加汁!
901考える名無しさん:02/07/19 13:42
>>900
いいから電子より小さな粒子をぶつけて何か測定してみろ!
902考える名無しさん:02/07/19 14:17
うるさいぞ! 1よ
そこまでして 1000 行きたいのか!
903俺も待ってるよ。:02/07/19 14:39
あと50位で1000取り合戦?
904考える名無しさん:02/07/20 02:39
素粒子の背後には霊子という究極の存在があります。
905考える名無しさん:02/07/24 14:11
独我論によると、世界は全て「私」の中にある。
この世には「私」のみ存在している。
ここで「私」を作った神の存在が必要である。
しかし、神の存在は証明できない。
よって独我論が正しいと証明できない。
ここに論破の糸口がないでしょうか?
906考える名無しさん:02/07/24 14:17
>>905
神は必要ないです。独立という語に対義語があることを認めさせないと論破できないということです。
ちなみにですが、古典的な名称は「唯我論」だと思われます。
907考える名無しさん:02/07/24 14:19
「私」の存在が証明できなければ、
独我論は正しいと言えないのでは?
908考える名無しさん:02/07/24 14:19
エゴが先験的だというのは経験的事実なので(!)その方向は無理です。
909考える名無しさん:02/07/24 14:22
独我論を唱えるためには、この世に「私」だけは存在していなければ
なりませんよね?
「私」すら存在しなければ無我論になってしまいますから。
唯一「私」がこの世に存在することを神の存在を使わずに
証明できますか?
910考える名無しさん:02/07/24 14:29
>>909
「私」があるという感覚が発生した瞬間を覚えている人はいないと思われるので、
私/神という対立関係は考えにくいと思われます。
911考える名無しさん:02/07/24 14:32
吉本隆明が最近出した読書論みたいなの立ち読みしたら、『資本論』
は1000年に一度の本だってさ。
資本論読んだ人いる?
912考える名無しさん:02/07/24 14:34
「私」がいつ発生したとしてもかまいません。
今、「私」が存在するのならそれを作った存在があるはずです。
他の世界は全て「私」の中にあるとしても、「私」の存在だけは
確かな訳ですから。
それは神かもしれませんし、未知の科学力かもしれませんが。
しかし、その存在を証明することは独我論の否定につながるような気がするのです。
913考える名無しさん:02/07/24 14:37
>>912
まあ現実的には親でしょうな。人格は人格の模倣から生じると思われる。
914考える名無しさん:02/07/24 14:41
もし、「私」という存在が親から生まれたとしか言えないのであれば、
それは独我論を論破したことにならないでしょうか?
915考える名無しさん:02/07/24 14:45
>>914
ならないです。独我論者がそのことを納得しないと論破にはならないです。
916考える名無しさん:02/07/24 14:49
独我論者にとっても、唯一「私」の存在は必要であり、
「私」が存在するためには、親、神、科学力など他の存在を
認める必要があると思います。
しかしそれは独我論とは矛盾しています。
これは論破したことにならないのでしょうか??
917考える名無しさん:02/07/24 14:55
>>916
独我論者の内部に、「私」と同等の規範として、親、神、科学力?など
他の存在があることを独我論者自身に認めさせないと論破したことになりません。
918考える名無しさん:02/07/24 15:00
「私」の内部ではなく、外部になければ「私」は存在し得ないのでは?
「私」を作った想像主が必要ですよね。
私の外部に存在を認めざるを得なくなれば、独我論を掲げることは不可能になると思うのですが?
919考える名無しさん:02/07/24 15:02
>>918
それは、「私/神という対立項目が心の中にある人が唯我論者にならない」
という事実を指しているだけであって、現に唯我論者であるような他者を
「論破」するというのとはちがう。
920考える名無しさん:02/07/24 15:07
唯我論者も、「私」の存在は認めるわけですよね?
「私」の存在を認めるとき、「私」の創造主の存在は認めないんですか?
921考える名無しさん:02/07/24 15:09
>>920
認めない。
922考える名無しさん:02/07/24 15:36
>>920
>創造主の存在は認めないんですか
そもそもこの表現がおかしいでしょ。
創造主の存在なんて誰もわからないんだから、それは「認める」「認めない」
の対象ではなく「信じる」「信じない」の対象でしょ。
そういう〈信じられた神〉をもとに形成された世界観はやはり信じられたもの、
ということになる。
そういうのって哲学じゃないよね。
923考える名無しさん:02/07/24 15:36
>>922
922さんの「哲学」という語の使い方は一般的なものではないと思われる。
924考える名無しさん:02/07/24 15:48
>>922
創造主の存在を認めなければ「私」の存在を認められないと思うのですが?
925考える名無しさん:02/07/24 15:49
創造主の概念を持たないが、私があると自覚している人は腐るぐらいいると思われる。
926考える名無しさん:02/07/24 15:53
>>925
それは多くの人が独我論者でないからでしょう。
私たちは「私」と「他者」の近くする全ての存在を認めています。
しかし、独我論者は「私」という唯一の存在を認める訳です。
その時、なぜ「私」が唯一存在するのかを考えると思うのですが。
927考える名無しさん:02/07/24 15:55
補足
私は親から生まれたと自覚しています。
しかし、独我論者はそうではないだろうということです。
928考える名無しさん:02/07/24 15:56
>>927
自我と肉体とは別だと考えている人もいる。
だから永遠の魂だとか不滅の自我だとかそういうフィクションを信じられる。
929考える名無しさん:02/07/24 16:22
>>928
しかし、それは独我論者の主張でしょうか?
そう考えていない独我論者もいるのでは?
930考える名無しさん:02/07/24 16:26
>>929
我がほかのものから完全に独立しているというのが独我論の趣旨だから、
独我論者のなかに肉体という概念を持っているものはそういう考えといえるだろう。
931考える名無しさん:02/07/24 16:30
>>930
独我論の言う「私」が「我」だけだとしても、
やはりその我を発生させた創造主の存在を認める必要があるのでは?
932考える名無しさん:02/07/24 16:32
>>931
我と対立する概念なら何でもいいので、それが創造主である必要性はない。
933考える名無しさん:02/07/24 16:35
我と対立する概念の存在によって我の存在理由を説明できるのでしょうか?
934考える名無しさん:02/07/24 16:38
>>933
存在理由を説明するのでなく、絶対的優位性を否定(または軽減)するのです。
935考える名無しさん:02/07/24 16:48
存在理由を説明しようとすれば、他の存在が必要になり独我論を論破できると考えたのですが。
絶対的優位性を否定しても独我論を論破できるかもしれませんが、
我と対立する概念の存在を説明することは可能でしょうか?
936考える名無しさん:02/07/24 16:51
>>935
個々の唯我論者によって、我の概念ともっとも隣接する概念が異なりますので、
一人一人がもつその概念を我と対立させる形であるていど対話してみるしか方法はないでしょう。
937考える名無しさん:02/07/25 03:41
(・∀・)スンスンスーン♪
938考える名無しさん:02/07/26 02:01
無謬の地まで退却した独我論は、そのことで、すでに論破されている。
あたかも、語義だけ残った「神」のごとし。
939考える名無しさん:02/07/26 21:52
無謬の地まで退却した実在論は、そのことで、すでに論破されている。
あたかも、語義だけ残った「神」のごとし。
940考える名無しさん:02/07/27 07:41
>>938
語義だけ残ったというのは、また別の哲学体系に陥りそうで嫌なんだけど、
存在が時間などに囚われないところで存在するってのは、時間との絡みで
面白い思想だと思うよ。神にしろなんにせよ、それらは実在する。
ただし、この空間には実在しないんだけどね。って事じゃん。
考え方として、面白いと思うよ。
941考える名無しさん:02/07/27 12:21
>>940
全部読むのにえらい時間かかったが確かにおもしろい。
ようは、

独我論    <=>    実在論
 ↑             ↑
時間や空間        他星人や地球人
(宇宙)      (思考を持つ宇宙の一部分)我思う故に我在り

とも取れる、まだまだ展開、発展できる理論。
942考える名無しさん:02/07/27 16:25

独我【論】
論。という形式が、既に他人に向けられたものだと思う
943 :02/07/27 21:41
馬鹿スレが伸びている。
944考える名無しさん:02/08/05 22:30
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945考える名無しさん:02/08/06 01:42
【毒蛾】論

毒蛾。という形式が、既に毒々しいものだと思う
946   
1000とり合戦しないの?