191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 19:49:32
>>183 源平戦時代は打物は下馬して行うのが殆ど(というか当時は乗馬しての打物は悪しきこととされていた)
弓が出来なければ乗馬する意味がないね
範頼は大軍の将といっても御輿的存在でしょ。
自分では兵をまとめられず、軍は空中分解寸前だったから頼朝に泣きついた。
絶対引いてはならない局面でそんなんでは名将とはいえず。
頼朝の政略の高さは軍を抜いている。しかし東国武士の総意を代弁したところもあるので、頼朝はある意味歴史の必然性を感じる。
義経に関して言うと、義経がいなければ平家が滅んでいないだろうことも確かなように思われる。平家が九州あたりで勢力を盛り返せば日本の歴史はやはり別のものになっていたのではと考える。この場合は歴史の偶然性を感じる。
藤原ですがなにか
九州で平家が盛り返して東上して
鎌倉と奥州が連合組んでも、足手まといかもね。
ドイツとイタリアみたいにw
政略に長けてるというより、頼朝は後白河とそっくりだよ。
カメレオンのように背景に合わせてカラーを変えながら、きわどい綱渡りを
続けてきた。良く言えば臨機応変、裏返せばご都合主義、だからその時々で
コロリと掌を返す。
頼朝を動かしてたのは政治的理念でも信念でもない、強迫観念だと思う。
天下を取る成算など元々なかった。棟梁になってからもね。
確かな物が何もないから神仏に傾倒し、全てを見通してたどころか
全く先が見えないからこそ疑心暗鬼にとらわれる。
初めて天下が見えたのは平家が滅んだその瞬間でしょう。
頼朝の成功が必然ならその末路も必然というか、そもそも関東の棟梁に
なったこと自体が時代の偶然だったんだよ。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 21:54:01
重衡かっこいいよ重衡
>>193 鎌倉時代どころか南北朝時代でも普通に馬上打ち物してるやんw
それどころか
大坂冬の陣図屏風や姉川合戦図ですら馬上で刀を持って戦う武士が描かれてるし
金吾利口書や信長公記にも騎乗して刀で戦う武士の記述がある
信長公記にいたっては「抜刀して斬りかかる七〜八百騎云々」とありかなり大規模に馬上打ちものが残っている様がわかるわけで
それまでの戦の慣習(騎射)が崩れていったのが源平あたり+ゲリラ的闘い方をするのが得意な義経
だから馬上打ち物はやってたかもね
まぁ攻撃うんぬんより大将格が馬乗ってなきゃ威厳と士気に関わるってのが一番だと思う
大将格はそうそう白兵戦やらんだろ
大将ではない馬持ち武士も多く馬上打ち物していたんだろう
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/23(水) 02:10:44
那須の与一が好きだなあ
集団騎射が完全に廃れるのは室町ぐらいだな
源平からはじまり、ずいぶん緩やかな時間をかけて廃れていったんだな
もともと騎射は貴族の芸能だもんな。貴族が廃れて武士が台頭して、身分が流動的になって富裕農民なら武士に成り上がれるようになった。で、芸能より実践的な戦闘方式になって騎射は廃れた
実際平家は貴族なみだったこともあってかなり強かったらしいし
もともと騎射も実戦的だよ
戦果出してるんだし
騎射が廃れたのは
職業軍人主体の時代から
バイト感覚の足軽主体となったからだな
>>205 >実際平家は貴族なみだったこともあってかなり強かったらしいし
お前のような本格的な物知らずは久々に見た。
平維盛と斎藤別当実盛の会話も知らんのか?
>>206 かといえ元寇はこの時代じゃないんだし、前レスにも出している奴
いるが、あまり混ぜて話すとややこしくなるからその辺で
斎藤別当実盛って富士川にいなかったんでなかった?
軍にいた事実もないし、平家物語の創作説もあるんでは
平氏方の騎射が源氏方より勝るというソースを頼むわ
実際ソースはないよ
川合や野口らの個人的妄想だから
都合悪い部分は口にしないしね
でも源平のころと元寇のころで
騎射の技術そのものに違いはないと思う
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/01(火) 00:53:36
源平期には騎射、打ち物の他に
いきなり組み打ちってのも多いよね
弓をば脇に挟み、太刀の峰打つるべて、勅使河原余すなとて、蜘蛛手十文字、縦様横様切り廻りければ、
三百余騎の大勢も、五十余騎に駆り立てられて、馬の足立つる隙こそなかりけれ
源平盛衰記
てすと
俣野、飯田、大庭、畠山
長尾
地元です
源平争乱ってゲーム買ってみた
なんというかクセのある作りだったけど
義仲の人生追体験ゲーと考えると結構楽しめた
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/29(火) 15:32:12.22
>>221 なんだそれwリアルくせーなw
源は完全に担がれたわけだしな。
これはあらゆる政治勢力(権力闘争、経済闘争でもいい)、戦争、外国の歴史でも
たかが伝があるだけの家も金もない20〜30のガキなんて誰も相手にしない。
そして坂東武士が勢力最大で個々の所領でも集団の所領でもそれに匹敵するものなし。
なわけで最初から担いだんだよ。
面白い話。
実は坂東武士ってやつがなんか坂東国つくるとか言ってるんだよ。
坂東国の人間が、大和滅ぼすために、ガキを外交使節として利用しただけだが何か?
そして 源は暗殺されて、そのあと一気に滅ぼされるんだよね。一族。
で以降もめまくった、武士団もこのときは全員一致で追放してんだ。
でいきてるときも、最初から最後まで利用された。つかいう事きいてもらえたことあったのか?
ガチ一個も自分で命令したり、ゆうこと聞いてもらったためしなし。
あらゆる政治、権力でも
たかが伝があるだけで、一切
軍事、政治、経済にも疎いガキ、で所領(勢力、金)もないガキなんか徹底して利用されるだけだ。
だから利用したんだよ。
後世的に、秦系は評価してしまったんだけどね。
コーエーのゲームは途中で自動対戦にしておいたら平氏が全国統一して終わった
光栄の源平合戦新作を期待してたが
大河の評判+視聴率が余りにも悪すぎるし無理か
質問 源頼光 ってよく解らないんだが。なんでこんな化け物退治の逸話ばっかのこってるの?
土蜘蛛 酒呑童子 でしょで最後は牛鬼にやられちゃうんだっけ?
どういう順番で妖怪退治したのかもよくわからないし。史実だと普通の武将なんでしょ。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/11(日) 16:50:27.92
あげ
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/15(木) 10:08:36.94
南無八幡大菩薩ご照覧あれ
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/22(日) 21:56:45.45
今井四郎はムチャクチャカッコイイ
というか平家物語は日本のカッコいい男の原型が詰まった宝石箱や〜
(京都1区)自民、民主が内部分裂 6人乱立の大混戦
6氏が立候補した京都1区。民主と自民をそれぞれ離党した前職と新人が、
第三極のみんなや維新から立候補するという「遺恨」もからんだ前代未聞の大混戦となった。
「後ろ足で蹴り上げるように民主を出ていった。まるで宇宙人だ」。民主の陣営幹部が怒り
の矛先を向けるのは、大飯原発の再稼働に反対し今年6月に離党、みんな公認で立候補した
前職、平智之氏(53)だ。
民主は、平氏の離党を受けて、急遽、長岡京市議だった祐野恵氏(33)の擁立を決めたが、
京都市の中心部が選挙区となる1区ではほぼ無名の新人だ。
「民主は平氏だと思っている人がまだかなりいる。基礎票さえも半分くらいしか固められて
いない」と陣営は焦りを隠さない。連合などと連携した組織戦を得意とする民主だが、街頭
での活動を強化してきた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121204/elc12120412540082-n1.htm 平氏が今でも京都で戦っててワロタ
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/05(水) 18:26:42.69
一ノ谷へ向かう追討軍は源氏方1(一、二千余騎・・・『玉葉』)に対して、平家方は10(数万、二万余騎・・・『玉葉』)。
その時の寿永三年の関東は関東飢饉という状況で兵糧調達困難により兵が不足していた。
おまけに地の利、城郭戦という有利な状況があったのにも関わらず、平家は惨敗を喫した。
結局平家の敗因は単に弱いから。
いくら兵力差があったといっても水鳥の羽音(『山槐記』)で逃げ出すとか兵失格だしwwwww」
九州でも上陸できずに鎮西武士にシッ、シッと軽くあしらわれた。
すぐに敵前逃亡するわで、やる気なさすぎw
『山槐記』・・・宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走
『吉記』・・・於子越宿館失火出来、扈従者中、坂東輩等放火云々、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了
『吾妻鏡』・・・所集于富士沼之水鳥等群立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒
『愚管抄』・・・宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。サテイケドリニセラレヌ
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/24(水) 20:20:12.71
岩手県と山口県には憧れるな〜。
236 :
(*´ω`*):2013/06/12(水) 18:13:48.71
義経、本当にかっこよかったです!
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 10:14:26.42
源為朝を主人公にした物語とかあります?
椿説弓張月