基礎論なぜなにスレッド その{φ,{φ},{φ,{φ}}}
2get
うかつだったなあ。なんでながれちゃったのかねえ。いつもならま だ持つのになあ、、、
4 :
132人目の素数さん :03/01/22 21:57
山崎渉のせいなんじゃないの? 他にも帰納法スレとか集合論スレとか、 主要なのが落ちてる。
話題が無くなって落ちるのは別に構わないっしょ
6 :
132人目の素数さん :03/01/22 23:52
山崎渉か、あいつはあちこちの板で下げ荒らししているからなぁ。
このスレッドタイトルだと自分のau携帯からチェック出来ない…(泣)
∧∧ ミ _ ドスッ ( ,,)┌─┴┴─┐ / つ. 終 了 │ 〜′ /´ └─┬┬─┘ ∪ ∪ ││ _ε3 ゛゛'゛'゛
>>7 なんでauだと無理なの?
ドコモだと不都合無いけどなぁ…
>>5 いちおう、スレ濫立防止の意味でもあるので、維持できるなら維持した方が
よいかと。
春先とかは論理関係のスレが濫立したりするじゃないですか?
∧∧ ミ _ ドスッ ( ,,)┌─┴┴─┐ / つ. 終 了 │ 〜′ /´ └─┬┬─┘ ∪ ∪ ││ _ε3 ゛゛'゛'゛
>>11 ゲーデルの不完全性定理がどうしたってのが何回も繰り替えし立ってると言う
ことはあったような記憶が。でも事件と言う程のことはないよね。
っていうか、濫立防止の役にも立ってないような気もするなあ。
このままいくとスレタイが爆発するとおもう・・・
>>14 ある程度進んだら、さくせさーにきりかえればいいのでわないかと。
{{{φ}}} 流で行くというてもあるし。
「その{0, 1, ..., 25}」とかな
なんか話題もないから、次のスレタイでも決めとこうか(笑
「基礎論なぜなにスレッドSS」(笑)
BBS_SUBJECT_COUNT=48 だから既に限界。
20 :
132人目の素数さん :03/01/31 02:13
age
22 :
132人目の素数さん :03/01/31 02:28
今スマリヤンのゲーデルの不完全性定理読んでる。 しかしサパーリだ。
24 :
132人目の素数さん :03/01/31 11:41
25 :
132人目の素数さん :03/02/01 13:21
hage
26 :
Dietzgen, Joseph :03/02/01 13:32
27 :
132人目の素数さん :03/02/01 14:24
>>22 あの本間違ってるよ.訳者がアフォ.
捨てちゃえば? 原書は正しい.
29 :
132人目の素数さん :03/02/02 17:14
boke
高橋昌一郎マンセー!!
31 :
132人目の素数さん :03/02/04 22:19
32 :
132人目の素数さん :03/02/05 10:38
>>26 そんなねた単独スレたてても盛り上がらないだろうに。。。
33 :
132人目の素数さん :03/02/05 12:15
34 :
132人目の素数さん :03/02/05 13:15
35 :
132人目の素数さん :03/02/06 00:05
>>36 ほめごろしってやつれすか?
まあ、ミスはどの本にもあるもので、もれは「無限と心」程でなければ
起こらないことにしてまつが。
マサイチロウたんならそんなにまずいことないと思うんだけど、どこが
いけないの?
#原書が正しいのは書いてるのがスマリヤンなので激しく当たり前といえば当たり前。
うげ。復刊ドットコムに「無限と心」がでとる。 ルディ・ラッカーのまあ良書だと思うが、あの翻訳は犯罪だぞ。 あのまま復刊するのは無理。なんで重刷されなかったのか推薦者は 考えて欲しい。
順序対<a,b>を集合{{a},{a,b}}で定義すると、 順序対<0,0>に対応する集合が{{0},{0,0}}となってしまっておかしいと思うんですが どうしたらいいですか?
41 :
幸福の化学者 :03/02/06 02:42
42 :
132人目の素数さん :03/02/06 02:50
>>40 え、だって、{0,0}ってあり?
なんか自分すごい勘違いしてるのかなぁ・・・
44 :
132人目の素数さん :03/02/06 03:11
>>36 で実際どの辺が間違ってんの?今読んでんだけど。
45 :
132人目の素数さん :03/02/06 07:19
27は厨という方向で。
>>43 <0,0>は単に{{0},{0}}になる。
順序対の定義というのは、要するに「a=bでないorc=dでない → <a,b>=<c,d>でない」を
充たす定義であれば何でも良くて、<a,b>が実際どんな形になってるかはあんま関係なし。
>>41 もれもそう思ったのだが、そういうオブジェクションを出すような
掲示板はないのだよ。
48 :
132人目の素数さん :03/02/06 09:06
49 :
132人目の素数さん :03/02/06 09:18
>>38 好田さん、叩かれまくりだね(w
最近のナーインの「虚数の話」の翻訳は特に酷い。
ちなみに英語ならペーパーバックになってて安く買えるよ。
{{0},{0,0}}={{0},{0}}={0}。
51 :
132人目の素数さん :03/02/06 09:21
>>30 そういえば、最近レイ・スマリヤンの自伝本(?)が出たよね。
高橋先生翻訳しないかなぁ。
>>50 {{0},{0,0}}={{0},{0}}={{0}}。
>>48 いや、だから多重集合など認める必要なく、普通の集合に落とせばいいだろ、と言いたかったのだが。
>>52 さんみたく最後まで書いてやらにゃわからないのか・・・
>>53 わからないとおもわれ。
>>51 好田さんにならないこと、青土社からでないことを心から祈ってます。
55 :
39(質問者) :03/02/09 06:16
えっと、まとめると <0,0>={{0}}としても(に、なっても) 「a=bでないorc=dでない → <a,b>=<c,d>でない」 という性質を持たせるのには十分だってことですよね。 分かりました、どうもありがとうございます。
56 :
132人目の素数さん :03/02/14 14:05
↓植毛
( ‘д‘)< 誰か呼びましたか?
何で初等的な部分ほど荒れるのかねえ。
揚げ足取りぐらいでしか「荒れる」という現象は起こせないし。
今は別のスレッドが荒れ模様
保守書き込み。
「お笑・数学基礎論」(^^ゞ
話題を振ってみよう。 ”安井邦夫:現代論理学,世界思想社”が某中古書店に並んでいたので、 ちょっと立ち読みしてみたけど悪くなかったと思う。 内容は、命題論理から述語論理そして不完全性定理までの定番コース。 (この範囲の本はもっているので買わなかったけど) もし、しっかり読んだ人がいれば感想どうぞ。
ゲーデル BBS 8509.teacup.com/shayashi/bbs にヘンな椰子が現れたYO
67 :
132人目の素数さん :03/02/28 18:06
林先生の中の人も大変だな.
自然数論の公理系は不完全だけど、 実数や複素数には完全な公理系があるのってなんでですか?
@「理論の任意の式について,‘その理論のすべてのモデルにおいて’真であればそれは証明可能」…意味論的完全性 A「理論の任意の式について,それ自身かその否定のいずれかが証明可能」…証明論的完全性 完全性定理は一階述語論理における@を証明して、 不完全性定理は算術におけるAの否定を証明したということだけど、 @とAの関係についていまいちよく分かりません。
・Aが成り立たない⇒その理論のモデルによって真になったり偽になったりする文が存在する ということでいいですよね? もしAが成り立たないのに任意の文が、その理論のモデルで恒真か恒偽にしかならないなら、 @によって、任意の文が証明可能か反証可能になってしまうから。
>>68 正確にいえば、実閉体、代数的閉体には完全な公理系がある。
これはあくまで代数的なものであって、解析的なものではない。
詳しいことは田中一之さんの『数の体系と超準モデル』(裳華房)
でも読んで頂きたい。
>>69-70 単に一階述語論理上の公理系としての自然数論に
証明も反証もできない命題が存在したとしても
それは一階述語論理の完全性定理には抵触しない。
実際には、ゲーデルはPrincipia Mathematicaの
タイプ理論の体系に、ペアノの公理を付加した場合に
ついて、決定不能命題の存在を示している。
一階述語論理とは違いタイプ理論の上では、
自然数のモデルは範疇的であるので、
決定不能命題が存在すれば、それはタイプ理論の
”不完全性”、つまり真であるにもかかわらず、
証明ができない場合があることを示していること
になる。
>>72 の補足
例えば、一階述語論理上の公理系としての自然数論の場合
ω矛盾するようなモデルも存在するが、タイプ理論上の場合
はそれは許されない。
>>71 ありがとうございます。
今は田中さん編の「数学基礎論講義」を勉強してるとこですけど、
余裕があればその本にも手を出してみたいです。
もし「数学基礎論講義」の内容で何か問題とかあったら教えてください。
タイプ理論についてはあまりよく分からないんですけど、二階論理について聞いた話では
・範疇的であると、ある文が一つのモデルで真であることが即ち恒真であることになる
・すると証明論的不完全性が意味論的不完全性と一致することになる
・通常の二階論理のモデルにはゲーデル文を偽とするモデルはない
・二階論理ではレーヴェンハイム-スコーレムの定理もコンパクト性定理も成り立たない
・しかしこのような形での二階論理の形式化はできない(形式化すると不完全になる)
のように理解していますが、これでいいでしょうか?
>>74 範疇的であれば、
>>69 の証明論的不完全性と意味論的不完全性は一致します。
これは一階でも二階でも同じです。
しかし、一階論理とは異なり、二階論理では完全性定理も
レーヴェンハイム-スコーレムの定理もコンパクト性定理も
成り立ちません。
それは、二階論理上の自然数論が範疇的であることと、
ゲーデル命題が非決定的であることから導かれます。
つまり、二階論理は、完全な形式化ができません。
>>75 すいません、あと質問を5つ追加させてください。
二つの意味での完全性を↓のように整理しておきます。
@「理論の任意の文について,‘その理論のすべてのモデルにおいて’真であればそれは証明可能」
…意味論的完全性
A「理論の任意の文について,それ自身かその否定のいずれかが証明可能」
…証明論的完全性
(Q1)一階述語論理上の公理系として算術を展開する場合、
第一不完全性定理が成り立って証明論的に不完全でも、
意味論的な完全性は保たれると考えていいということでしょうか?
(Q2)二階論理上で自然数論のモデルが範疇的になるとき、算術の理論TのモデルをMとすると、 @.文φがMで真となる⇒φはTの「すべての」モデルにおいて真⇔φはTの帰結(恒真) A.文φがMで偽となる⇒φはその否定¬φがTの「すべて」のモデルにおいて真⇔¬φはTの帰結 ということになるので、 @を仮定すると、真となる文はTで証明可能、偽となる文はTで反証可能だから、 B.文φがMで真となる⇒φはTで証明可能 C.文φがMで偽となる⇒φはTで反証可能 が成り立ち、2値論理の前提によって任意の文φはMで真か偽のいずれかなので、 任意の文φはTで証明可能か反証可能かのいずれかとなってAが成り立つ。 逆にAを仮定すると、任意の文φはTで証明可能か反証可能かのいずれかなので、 @の否定、つまりある文φがTの全てのモデルで(=Mで)真であるのに証明可能でない時、 φは反証可能となり、健全性によってφはMで偽となるから、φがMで真かつ偽になって矛盾する。 よって、Aを仮定すると@が成り立つ。 以上によってタイプ理論上で自然数論のモデルが範疇的になると、@⇔A。 意味論的完全性と証明論的不完全性が両立しない(矛盾する)ことになる。 こういうことでいいですか? (Q3)二階論理でも、形式化するとゲーデル文のようなものが出てきてAが成り立たないから、 @⇔Aより、通常の二階論理を形式化した体系では証明論的にも意味論的にも不完全なんですか? ついでに、この辺のことを詳しく勉強するには、Shoenfieldの本あたりを読まなきゃダメですか?
(Q4)一階述語論理上で理論を展開する場合、 もしもある理論Tのモデルがただ一つ(の型)しかないと仮定すると、MをTのモデルとする時、 @.文φがMで真となる⇒φはTの「すべての」モデルにおいて真⇔φはTの帰結(恒真) A.文φがMで偽となる⇒φはその否定¬φがTの「すべて」のモデルにおいて真⇔¬φはTの帰結 ということになって、 (一階述語論理上では)@によって真となる文はTで証明可能、偽となる文はTで反証可能だから、 B.文φがMで真となる⇒φはTで証明可能 C.文φがMで偽となる⇒φはTで反証可能 が成り立ち、 Aの否定、つまりTで証明可能でも反証可能でもない文ψが存在する時、 ψがMで真ならB.によってψはTで証明可能となって矛盾、 ψがMで偽ならC.によってψはTで反証可能となって矛盾、 ψがMで真でも偽でもないなら2値論理の前提に反する。 だから、第一不完全性定理によって算術の公理系におけるAの否定が証明されていることから、 一階述語論理上では必然的に算術の公理系には複数の(同型でない)モデルが存在することになる。 こういうことでいいですか? (Q5)でもモデルの複数性だけなら、完全性定理の証明の応用で、 レーヴェンハイム−スコーレムの定理などから示せますよね。 ということは、不完全性定理と完全性定理は、意外に似たような内容を含んでいるとも言えませんか?
>>75 2階論理だと完全性定理が成立しないというのは、どういう意味でしょうか?
それは、2階の部分を部分集合全体で解釈する、いわゆる standard model
に限れば完全性定理は成立しませんが、そうではないものもいれれば完全性
定理は成立しているのではないですか?
L. Henkin: Completeness of types, J.S.L. (1950) 81-91
general model という枠組で完全性定理が証明されています。
この間違い、多くの誤解を生んでいるので間違いといっていいと思いますが、
どうも有名な人が間違っていっているのがもとらしく、インターネットでの
論理関係のいろいろなところでいわれているようです。
80 :
132人目の素数さん :03/03/02 11:19
A1 ええ。 A2 そもそも、自然数論ではあなたのいう証明論的完全性は成り立ちません。 それは一階でも二階でも同じです。 A3 ええ、あなたのいう意味論的完全性は 一階論理では成り立つが、二階論理では成り立ちません。 A4 ええ。 A5 不完全性定理は、自然数論における証明論的完全性を否定するものです。
>>79 >2階論理だと完全性定理が成立しないというのは、
>どういう意味でしょうか?
あなた自身が書いているように
「2階の部分を部分集合全体で解釈する、
いわゆる standard model に限れば
完全性定理は成立しません」
ということです。
本来の二階論理は、二階の部分を部分論理全体で解釈するものです。
Henkinの結果は、モデルの範囲を広げた場合のものであり、
本来の二階論理の結果ではありません。
つまり「二階論理では完全性定理が成立しない」という主張は
正しいものです。そして、Henkinの結果を、本来の二階論理の
完全性定理と考えるのであれば、それはあなたの誤りということ
です。誤っているのはあなただけではないでしょうけれども。
>>82 何が本来の二階論理かということとかかわっているのだとは
わかりましたが、強制法などが関わった二階論理の部分体系
に関する結果はほぼ無意味だということなのでしょうか?
>>82 30年位昔に高橋先生が数学会賞をうけた高階論理の三段論法除去定理は
Henkin の general モデルを使ったもので standard model だけでは
十分でないことの証といえると思いますが、これも無意味なのでしょうか?
>>83-84 それは、貴方が強制法やCutの除去に何を求めるかによる。
>>84 高橋元男氏の結果は、高階論理の形式系に対するcut-eliminationであるから
generalized Henkin modelを用いるのは何ら問題ない。
>>82 が云っているのは本来の二階論理(あるいは集合論に拡大してもいい)は
>>69 でいう意味論的完全性を保った形式化ができないということ。
つまりgeneralモデルは本来想定するモデル以外のものを含んでいる。
形式系に関して議論する場合に、generalモデルを用いることは
何ら問題ないが、本来の二階論理なり集合論を、形式化されたものと
同じと考えることは本末転倒である。
>>86 いわれている本来の二階論理というのは集合論でいえばカントール
ユニーバースを研究するのが集合論の目的だというのと同じような
主張だと思いますが、本当に数理論理学の研究者はそのように考えて
いるのでしょうか?
>>87 では、君は、一階述語論理上の公理系および
それを満足するモデルの研究のみが数理論理学
の研究だと考えているわけ?
>>88 >では、君は、一階述語論理上の公理系および
ある世代には一階にとどまることへの強いこだわりはあったと思われ。
俺はその筋は専門が何で全然読まないんだけど、最近は2階のシステム
研究盛んなの?
>>86 高橋先生の結果が高階だから関係ないというのは当たらない。
二階であっても、多少違う証明は Prawitz によってもあたえられた
がこれも Henkin の結果とつながっている。最近、神戸の新井先生の
結果があるが、この流れはここで主張されている「本来の二階論理」
というものとは程遠い感じのもののようだ。ここで主張されている
「本来の二階論理」というのはエムシラのいう二階のベン図でものが
わかるという主張からそれほど遠いものとは思えない。
>>89 世代の問題ではなく、一階述語論理上の公理系として
考えることが、数学としての成果を上げるのに好都合
だからだろう。
>>90 高階だから、ではなく、形式系だから、ということ。
高橋氏も新井氏もPrawitzもHenkinも、その結果が
「本来の二階論理」のものではないことは分かって
いるはず。又、本来の二階論理が形式的に取り扱えない
からといって、それを無視してよいことにはならない。
現に
>>79 は、standard modelといっている。これは
本来の二階論理こそが数学を規定しているという意識
の現れである。
>>90 本来の二階論理を持ち出したからといって、
形式的な論証を超えた”魔術”があるとは
思わないでいただきたい。
そのような意図は毛頭ない。
2階論理の証明論とモデル理論ではどちらが先にできたのですか?
>>93 こう質問するべきでは?
「論理は、形式系か?」
>>94 の質問に、然り、と答える人にとって、
完全性定理とはどんな意味があるのだろう?
>>76 のいう意味論的完全性は、論理の意味と
形式系を分けるからこそ問われることだろう。
最初にニ階論理の形式系が考案されて、 それから本来の二階論理が考案されて、 それから本来の二階論理ではない二階論理の形式系に対する 完全なモデルの研究がなぜか続いてHenkinモデルが考案された ということでファイナルアンサー?
>>96 最初に考えられたのは形式系ではないと思う。
>>81 ありがとうございます。
Q5については、意味が分かりにくかったと思うので書き直します。
「不完全性定理」
算術の標準モデルN=(N,+,・,S,0)をモデルにもつ再帰的に公理化可能な理論には、
証明も反証もできない文が存在する。
(証明論的に完全な理論TAは存在するが、これは再帰的に公理化可能でない)
と理解しています(おかしかったら指摘してください)。
ところで、
一階述語論理上で理論を展開する場合、
理論Tに証明も反証もできない文φが存在する
⇒φに異なる真理値を与えるTのモデルが存在する
(φがTの全てのモデルで同じ真理値をとるなら、完全性定理によりφは証明可能か反証可能)
⇒Tには複数の(同型でない)モデルが存在する
また、『数学基礎論講義』のP183には、 次のような第二不完全性定理を用いたPAの超準モデルの存在証明があります。 >[第二不完全性定理を用いた証明] >まず,NはPAのモデルなので,完全性定理からPAは無矛盾. >よって,PAが無矛盾であることを意味する論理式Con(PA)は正しい. >すなわちN|= Con(PA). >また,第二不完全性定理からCon(PA)はPAから証明できない. >よってPA+¬Con(PA)は無矛盾なのでモデルMをもつ. >M|= ¬Con(PA)なのでM≠N. >ゆえにMはPAの超準モデル.□ (Q5)以上のことから、不完全性定理はある意味でモデルの複数性を示唆しているともとれませんか? (Q6)他方、完全性定理の証明と本質的な部分を共有するレーヴェンハイム-スコーレムの定理も、 モデルの複数性を含意しているので、「モデルの複数性」という観点からは、 完全性定理と不完全性定理は意外に近い内容を含んでいるといえないでしょうか?
(Q7)Henkin の general モデルでは、二階論理の意味論的完全性が証明されるということですが、 このときはやはり算術のモデルは範疇的ではなくなりますよね? (Q8)一階述語論理にとどまって算術の超準モデルを許容するか、 二階論理のstandard モデルをとって算術のモデルを範疇的にする代わりに 意味論的完全性を犠牲にするか、この選択に決め手はないですか? また、実際の研究者はこれについてどう考えていますか? (Q9)『数学基礎論講義』によると、 N=(N,+,・,S,0) N上での正しい文全体から成る理論TAは再帰的に公理化可能でないが証明論的完全性を満たす。 N’=(N,+,S,0) N’上での正しい文全体から成る理論TA’は再帰的に公理化可能で証明論的完全性を満たす。 ということですが、 ・N’をモデルとする自然数の体系に関して、不完全性定理の反証にあたる定理が証明されたんですか? ・算術の標準モデルがN’ではなくNでなければならないのはなぜですか? ・N’について考える意義はあまりないんですか? ・これらのことついて詳しく書いてある本はありますか?
A6 一階述語論理の上の自然数論の公理系を満足するモデルは多数あります。 近い遠いとか、意味する意味しないはナンセンスないいまわしでしょう。 A7 generalモデルは、本来の二階論理のモデルではありません。 したがって、二階論理上の自然数論のgeneralモデルが 多数あったところで、本来の自然数論のモデル(これを standardモデルという)の範疇性には影響しません。 A8 あなたはω矛盾する体系を許容できますか? これは一階述語論理上で公理化する場合排除できません。 しかしながら二階論理ではこのようなことはおきません。 A9 乗算がない場合には、決定手続きが存在することが 直接示されています。 それは、乗算のない体系では自身の証明可能性を 表す述語が表現できないことを意味します。
>>91 >世代の問題ではなく、一階述語論理上の公理系として
>考えることが、数学としての成果を上げるのに好都合
>だからだろう。
そればかりではなく、思想的な問題もあると思うわけさ。
歴史的にはクワインの存在論的テーゼがあるわけで、あのテーゼを
信じるものにとっては2階以上の述語論理には居心地の悪さを感じ
るのは仕方ないだろ。
まあ、歴史の話じゃないのでどうでもいいといえばどうでもいいん
だけど、今出回ってる教科書を書いた世代がどういう思想的な影響下に
あったのか、っていうのは知ってて損はしないだろ。
>>93 歴史の話をすれば、まず最初はそういう区別はない。ラッセルやフレーゲ、
ウカシェビッツなどの当時の仕事を見ると、どっちに分類するか微妙な
仕事も多いが、基本的にはシンタクティカルな手法のものが多いだろう。
2階の論理の誕生自体は、そもそも、述語論理の始祖であるフレーゲの著作
からして高階のシステムであったわけで、現代数理論理学の誕生とともに
生まれたといってもよいだろう。
今で言うモデル理論はゲーデルやタルスキの仕事の後に誕生するから、
順序で言えばモデル理論のが後。
ちらちらさんさくするに、 W ORKSHOP IN THE PHILOSOPHY OF MATHEMATICS Spring 2002 Neo-Logicism and Second-Order Logic なるものを発見。はやってるのか。面白そうだな。
>>101-102 よくわかりました。
ありがとうございます。
ここからは、もう少し初等的で細かい点について質問をしてみます。
(Q1)
算術の標準モデルについて、
N=(N,+,・,S,0)
N=(N,+,・,0,1,<)
という2種類の書き方がされていることがありますが、この違いは何ですか?
(Q2)
『数学基礎論講義』のP24に、ある構造における0変数関数を定数と呼び、
0項関係(述語)R={()}は真理値定数TまたはFと見なせる
と書いてありますが、通常の定数が0変数関数として、
N=(N,+,・,S,0)の「0」のように規定されるのに対して、
真理値定数T、Fはどのように規定されるのでしょうか?
>>103 >そればかりではなく、思想的な問題もあると思うわけさ。
君は、数学者はクワインの存在論的相対性を支持していると
主張するのかい?
>>104 >歴史の話をすれば、まず最初はそういう区別はない。
(中略)
>基本的にはシンタクティカルな手法のものが多いだろう。
しかし、シンタクスがセマンティクスを定めるという発想はなかった筈。
Henkinのモデル云々は、シンタクスに合わせたセマンティクスを考える
試みだが、それはフレーゲが意図したものではない。
>今で言うモデル理論はゲーデルやタルスキの仕事の後に誕生するから、
>順序で言えばモデル理論のが後。
それはモデル理論という名前がいつ現れたか、という話だろう?
しかし、セマンティクスという発想が無ければ、完全性定理もなかったし、
その前にレーヴェンハイム・スコーレムの結果もなかったんじゃないか?
>>106 書かれていた本(多分、田中氏の「数学基礎論講義」と思われる)に
定義がある筈ですから、ご自分で読んで確かめてください。
109 :
132人目の素数さん :03/03/04 12:47
>>107 >君は、数学者はクワインの存在論的相対性を支持していると
>主張するのかい?
論理と数学の線引きでクワインの議論に依拠して、二階以上の
高階論理を「数学」とする主張を何度か目にしてきたからね。
少なくとも高階論理があまり研究されなかったことはクワインの影響といえ
ないのではなかろか、と思うんだよ。
>>109 >論理と数学の線引きでクワインの議論に依拠して、
>二階以上の高階論理を「数学」とする主張を
>何度か目にしてきた
でもそれは数学者の発言じゃないでしょ。
数理哲学者ならともかく
>高階論理があまり研究されなかったことは
>クワインの影響といえないのではなかろか
クワインがそういったから、ではないと思うね。
クワインがいっているようなことが、理由の一つ
だというならともかく
>>107 >しかし、シンタクスがセマンティクスを定めるという発想はなかった筈。
ないと思う。意味の自然な形式的記述としてシンタクスがあるとしていると
考えられる。
>Henkinのモデル云々は、シンタクスに合わせたセマンティクスを考える
>試みだが、それはフレーゲが意図したものではない。
大ざっぱに言って、フレーゲにとって正しい「意味」は複数あってはならず、
その「意味」を規定するモデルが複数あるとか、モデルを構築するという発想はそもそもなかったと
思う。この発想は、初期ラッセルも共有してるだろう。ただ、ウカシェビッツに
関してはわかんない。
ところで、モデルの複数性、モデルを構築するという発想は、ゲーデルやカルマールが
完全性定理を証明している時点でもまだ存在しないという印象なんだが、
どう思う?
>>111 スコーレムの仕事は、モデルを構築する発想のものだと思う。
そして、彼の逆理は、モデルの唯一性に対する異議とも考えられる。
>>108 よく読んでみたんですけど、それ以上のことは書いてなかったです。
述語論理における「真理値定数」を0項関係{()}と見なすということについて、
それを理論上、具体的にどう扱っているのか、誰か知っている人はいませんか?
114 :
132人目の素数さん :03/03/05 00:04
>>110 >でもそれは数学者の発言じゃないでしょ。
>数理哲学者ならともかく
現状ならともかく、WW2 前後から60年代の状況ではそのわけ方に
あまり意味はないような気もするな。
まあ、ぱっと調べても、ソースを吉田夏彦の著作ぐらいしか出せなかっ
たので今はこれ以上しつこく主張するのはやめとくよ(笑。無理筋の議論して
「基礎論」氏の勉強の邪魔するのもあれだし。
>>112 歴史的な事実はちょっと違うのではないかな?
スコーレムは、集合論が数学の基礎として不適切であることを
示すためにあの定理を示したのだから。つまり、あのような
複数の解釈を持ってしまうことはよろしくないと考えていたので
はないかと思うわけで。
少なくともスコーレムはモデルの複数性を許容してないと思うんだが。
再帰的(recursive)な関係と 再帰的に枚挙可能(recursively enumerable)な関係 という2つの概念を置く意義がいまいち分かりません。
>>114 >現状ならともかく、WW2 前後から60年代の状況では
>そのわけ方にあまり意味はないような気もするな。
B.C.(Before Cohen)の話をしても仕方ないな。
例えば、Cohenのforcingは、Quineの見解の反映ってことかい?
それはいくらなんでも無理筋だろう。
>>115 スコーレムの思惑とは無関係に、結果は形式系が複数の解釈を
持ち得ることを示していることは貴方も否定できない筈だが。
>>116 単純に定義を知らないか、よく読んでいないために
区別できていないと思われるので、定義を読みなおして
ください。定義なら岩波数学辞典にも載ってますよね。
>>117 無理筋のほうはお手上げだね(笑)この話はやめよう(笑)
モデル理論的な手法の話は数学史的な話題だよ。最初からこっちは
歴史の話だって断ってあるだろ?
歴史の話を考える場合には、その当時の証明者の思惑を無視する
わけにはいかない。現代の我々は、あの定理が形式系が複数の解釈
を持ちうることを示す肯定的な結果であると捕らえるが、
スコーレムは当時の形式的な研究が不適切であることを示す否定的な
結果であるとしていたわけで、この差異は重要だと思うが?
「いつから我々のような定理解釈が主流になったのか?」が問題なのだよ。
当時からじゃないとおもわない?
ゲーデルBBSでふったほうがいいかなこの話題は。
>>119 >無理筋のほうはお手上げだね(笑)この話はやめよう(笑)
そうそう、Quineを持ち出すべきではなかったね。
>モデル理論的な手法の話は数学史的な話題だよ。
>最初からこっちは歴史の話だって断ってあるだろ?
君のいう歴史とは、モデル理論という言葉が
文献に用いられた時期を特定することかな?
しかし、
>その当時の証明者の思惑を無視するわけにはいかない。
というなら、それ以前についても考えるということだね。
>現代の我々は、あの定理が >形式系が複数の解釈を持ちうること >を示す肯定的な結果であると捕らえるが、 >スコーレムは >当時の形式的な研究が不適切であること >を示す否定的な結果であるとしていたわけで、 スコーレムが、形式系の研究は不適切、とした理由は 形式系が意図された意味をもつとは限らない、と 分かったからだろう。 それなら、我々とスコーレムの間に差異はない。
>「いつから我々のような定理解釈が主流になったのか?」 >が問題なのだよ。 君がどのように定理を解釈しているのか明らかでないが、 形式系に基づく証明によって定理と考えるということかい?
再帰的(recursive)な関係Rは χ_R(x_1,…x_n)= 1:R(x_1,…x_n)のとき 0:そうでないとき となる特性関数χ_R:N^n → {0,1}が再帰的になるもので、 再帰的に枚挙可能(recursively enumerable)な関係Rは f(x_1,…x_n)= 1:R(x_1,…x_n)のとき 未定義:そうでないとき となる部分関数f が再帰的になるものという定義は分かるんですけど、 R(x_1,…x_n)でないときを0とするか未定義とするかの違いに どういう意味があるのかがよく分かりません。
理論TのΣ_1(シグマワン)論理式とΠ_1(パイワン)論理式の定義は分かったんですけど、 Σ_1論理式でもΠ_1論理式でもない論理式ってあるんですか?
>>121 > スコーレムが、形式系の研究は不適切、とした理由は
> 形式系が意図された意味をもつとは限らない、と
> 分かったからだろう。
歴史の話でひっぱっちゃって恐縮ですが、スコーレムがそう考えて
いたという話には興味あるので(というか今やらされてる仕事で結構
重要になりそうなので)、ソースをお教えいただけませんか。
>>125 もう読まれたかもしれませんが、
P. Benacerraf, "Skolem and the skeptic,"
Proceedings of the Aristotelian Society, Suppl, 59,
1985, pp.85-115.
あたりは参考になるかも。
>>121 >それなら、我々とスコーレムの間に差異はない。
うーん。彼はその結果を受けて constructivism に傾斜したんじゃなかったっけ?
我々はそうではないのだから「差異はない」というのはどうかなあ。
>>113 106 の Q1: この2つの場合定義可能な Nx...xN の部分集合全体は変わらない。
ただ、例えば {(x,y):x<y } は下の場合、量化子なしに定義可能だが上の場合
そうではない。例えば、このようなことを証明することをしようとすれば
非常によくわかるようになる。
116, 123, 124 も定義の違いを形式的にしかとらえていないから起こること
である。その定義の関係した定理の内容とともに定義を理解することをこころ
がけてください。定義を見ただけで定義をわかったという人は、字が読める
といっているに過ぎない。定理は原理的には論理的帰結に過ぎないのだから。
蛇足ですが、最後のことがよく理解できるために 124 について。2種類の
量化子が沢山ついた論理式は 124 にある定義のどちらを満たすのですか?
つまり、124 の質問は論理式の定義や Π_1 ,Σ_1 の定義がわかっていない
といっていることと同じように見えます。
>>123 関数と部分関数の区別が分かってないんじゃない?
関数といったら、定義域全域で、値が決まっているもの。
部分関数は、そうではないよね。
これで、0と未定義の違いは分かったかい?
議論が錯綜してきたので仮こてをつけよう。
>>129 >>122 ? Skolem's paradox を君も僕も paradox とは考えていないということ。
君はあれを paradox とは思っていないだろ?じゃあ「我々」でかまわないわけだ。
>>131 所謂paradoxだとはいっていないよ。
しかし、ここでいってるのはそんな表面の話ではないだろう。
>>126 どうもありがとうございます。何の因果かスコーレムを歴史的に研究する
用事ができたもので、スコーレム自身が
>>121 のようなことを言っているの
ならおさえておかなくてはならず・・・。2次文献にももう少しあたってみます。
>>127 スコーレムの“パラドクス”を我々がそう解釈できる、ということから我々の
(あるいはあなただけの)考えを「スコーレムの」というのはいけないと思い
ます。特に歴史的研究ではそういうアナクロニズムは禁じ手ですので。
「歴史的研究なんてくだらないな」とおっしゃるでしょうけどね。私もできれば
あまり関わりたくはないんですが。
すみません、134でのアンカー「127」は「
>>129 」の間違いでした。
>>132 これまたありがとうございます。
As Paul Benacerraf has argued, Skolem argued that because of the
Lowenheim-Skolem theorem, set-theoretic notions cannot be captured
within any formal system; but they are perfectly well understood within
informal language. And since Skolem's metalanguage is informal it
seems that in so far as one can speak of its underlying logic, its
underlying logic must not have the Lowenheim-Skolem property.
Needless to say, Skolem neither had the concept of a metalanguage
nor that of the underlying logic of a language. Often the metalanguage
is left informal also today, and I would think that it is an open question
with what right one may speak of the underlying logic of an informal
language.
なんて記述もありますね。
>>125 さんのおっしゃる通り、やはりベナセラフに
あたる必要があるようです。
この記述だけ見ていると、形式体系でスコーレムの定理が成り立つからと
いって、すぐに「だからモデル理論で」という考えをスコーレムに帰属させる
のは、形式体系とモデルという2分法に慣れ過ぎた人のアナクロニズムだと
思えますが・・・。
ところでどなたが
>>121 さんなんですか?
>>128 ありがとうございます。
Π_1 ,Σ_1 について考えてみました。
Σ_1論理式でもΠ_1論理式でもない論理式の例とは、
∀x∃yΣ_1¬(x+y=0)
のようなものでしょうか?
再帰的(recursive)な関係と
再帰的に枚挙可能(recursively enumerable)な関係
については、クリーネの標準形定理やパラメタ定理、再帰定理など、
関連する定理のチューリング機械のモデルを用いた証明の粗筋を読んでみたんですけど、
そもそもそういう概念の区別をする必要性がどこにあるのか分からないので、
いまいちしっくり掴めない感じでした。
>>130 その違いは分かったんですけど、
帰納的関数に対して帰納的部分関数を持ち出す理由が、
最小化の関数
f(x_1,…,x_n)=μy(g(x_1,…,x_n,y)=0)
についての、
∀x_1…∀x_n∃yg(x_1,…,x_n,y)=0
という条件を取り除くことにあるということですけど、
その必要性というか目的がよく分かりません。
>>134 解釈なんてないよ。それから自分の考えを我々というのは禁じ手だよ。
歴史とは関係なく、自分の主張の責任は自分だけで引き受けるべきだよ。
>>135 「形式体系でスコーレムの定理が成り立つ」
という言い方は数学として誤り。
ベナセラフは 「スコーレムは集合論は、形式化できない、非形式的なものだ」 といってるじゃない。
>>138 130 さんではないのですが。
∀x_1…∀x_n∃yg(x_1,…,x_n,y)=0という条件の成立がどうして
わかるのか?という点こそが帰納関数定義で超越的なところで、これ
がアルゴリズムの存在と計算可能性が同値だということが一致して
いるという Church's Thesis が必ずしも認めにくいところと関係
していると思うので大切な点にたどりついているのでしょう。
その条件はデータにたいしてコンピューターが止まるかどうかという
問題が一般には recursive ではないが recursive enumerable である
ということに直接つながるので、他の質問も含めてわかるようになる
ところなので集中して勉強してわかるようにしてください。
>>138 >自分の主張の責任は自分だけで引き受けるべきだよ。
結構ナイスなジョークだね。
>>131 じゃあ、こうしよう。
「モデル理論」の成立に、少なくともメタ論理の概念は必要条件と考える。
こう考えた場合、Skolem はその概念を持っていないというのが定説なので、
Skolem の段階では、「モデル理論にとって先駆的な仕事がなされているが、
モデル理論はいまだ確立していない」という結論になる。
ここで設定した必要条件を認めないというなら、それは見解の相違という
ことになるね。
>>142 >「モデル理論」の成立に、少なくともメタ論理の概念は必要条件と考える。
>こう考えた場合、Skolem はその概念を持っていないというのが定説なので、
意味不明の主張をして、それが定説だといっても無意味だよ。
見解の相違というよりも、
>>142 の理解に問題があるということだね。
>>143 の補足
ゲーデルの完全性定理は、実質的にはスコーレムによって
得られていたが、スコーレムが完全性定理に気づかなかった
のは、形式的体系及び証明を明確に意識していなかったせい
だといわれている。また、エルブランも完全性定理に肉薄
していたが、この場合には、証明の有限な手続きにこだわって
今で云うモデルの考えに気づいていなかったために、そこに
たどり着けなかったといわれている。
>>143 「メタ論理」ではなく、「メタ言語」な。
>>142 でおっしゃるように、スコーレムがメタ言語の概念を持っていないと
いうのはほとんど定説ですよ。
>>135 で引用した文にも
Needless to say, Skolem neither had the concept of a metalanguage
nor that of the underlying logic of a language.
とあるでしょう。「言うまでもないこと」だそうですね。
>>146 君は
>>135 を読まずに書き写したわけではないよね?
And since Skolem's metalanguage is informal it seems that
in so far as one can speak of its underlying logic, its
underlying logic must not have the Lowenheim-Skolem property.
これは
>>121 と同じだってことが君には読めないかな?
ところで、125氏も
>>142 氏も、自分に都合のよい文章だけ
読んではいけないな。それでは歴史研究にならない。
>>137 ,
>>140 ∀x_1…∀x_n∃yg(x_1,…,x_n,y)=0という条件がないってことは、
あるx_1…x_nでは、g(x_1,…,x_n,y)=0となるyがないってことだよね。
そういう場合、f(x_1,…,x_n)=μy(g(x_1,…,x_n,y)=0)は
値が未定義ってことなんだよ。
ざっくばらんにいえばg(x_1,…,x_n,y)=0となるyを
探しに行ったまま戻ってこなくなるということ。
>>137 140で「同値だということが」が余分になって文章が変なので訂正します。
部分帰納関数を導入する意味は、枚挙可能定理にあります。これは農1
述語の枚挙定理と同等のもんです。これを帰納関数だけの族に限ると
帰納関数によって枚挙できないので、部分帰納関数の族は枚挙の意味で
閉じているという意味でも導入する意味があるのではないでしょうか?
>>147 >>121 は
> スコーレムが、形式系の研究は不適切、とした理由は
> 形式系が意図された意味をもつとは限らない、と
> 分かったからだろう。
と述べた後で、
> それなら、我々とスコーレムの間に差異はない。
と結論していますね。
ところが一方、147の引用文の直後では、「スコーレムはメタ言語の概念を
持っていなかった」という、我々とスコーレムの間の差異の具体例が挙げ
られていますよね。121と147の引用文とが本当に同じことを言っているなら
我々とスコーレムの間に差異はないはずなんですが。
>>140 >>149 わかりました。この辺りのことをもう少し詳しく知りたいんですけど、
田中さん編の『数学基礎論講義』では簡単に纏められすぎててちょっと難しいし、
前原さんの『数学基礎論入門』にはそこまでの内容には触れられてないので、
何かいい本はありませんか?洋書じゃないとだめですか?
>>150 全域的な部分帰納関数が帰納関数になるので、
n変数の任意の帰納関数は、n+1変数の具体的な部分帰納関数で
枚挙できるということでしょうか?
この場合、枚挙するn+1変数の部分帰納関数は必ずしも全域的にならないということですか?
あと少し気になったんですけど、
第一不完全性定理はロビンソン算術Qを含む全ての理論では、
>>76 に書いた証明論的完全性を持ちえず、
Qを含まない理論で、N’=(N,+,S,0)のような算術モデルの命題を
全て表現する完全な理論(プレスバーガー算術?)なら存在するということだったと思いますが、
Qを含まずに、算術の標準モデルN=(N,+,・,S,0)
での全ての命題を表現できる完全な理論が存在しないことは厳密に証明されているんですか?
>>152 部分帰納関数の件はよく解釈すればそんとおりです。ただ多少心配も
ありますがこれ以上は掲示板では無理。153のなかの表現でも「、、、モデル
の命題をすべて表現する完全な理論」というものがありますが正確な表現
をしないとなんだかわかりません。また数学の証明という言葉に厳密という
形容詞をつける人は数学を理解する態度となっていないといわれます。
>>151 >一方、147の引用文の直後では、
>「スコーレムはメタ言語の概念を持っていなかった」という、
>我々とスコーレムの間の差異の具体例が挙げられていますよね。
自分一人の考えに、我々という二人以上の人を想定した
主語を用いるべきではないね。
それはともかく、何がどう差異だと君は思っているんだい?
それをはっきりと口にしてごらんよ。
>Qを含まずに、算術の標準モデルN=(N,+,・,S,0) 算術の標準モデルN=(N,+,・,S,0)はQを含むんじゃないのかい?
157 :
132人目の素数さん :03/03/08 01:12
155はメタ言語の概念を持ってないらしいぞ
>>155 は
>>151 の
> 「スコーレムはメタ言語の概念を持っていなかった」という、
> 我々とスコーレムの間の差異の具体例
を256回読み直してから「メタ言語」と1024回叫んだ後
生命保険に入り回線で首を吊って1億円捻出するのがいいと思う
>>144 Skolem は10年代後半から20年代前半、Herbrand は20年代後半から30年代前半。
時期が少々違う。
問題となる論文は、Skolem は1920と1922、Herbrand は確か1930。
>>157-158 >>151 はただメタ言語という文字列を呪文かなにかのように
有難がっているように見えるなあ。それって学問じゃないよね。
一億円が欲しいんなら、働いたら?
>>160 >一億円が欲しいんなら、働いたら
いや、前原スレで1億円くれるといっている人と君は別人なんだろ?
何で気にする必要があるの?? そいつに、
>>138 みたいなことを
びしっといってあげてくらさい。
>>162 ここは前原スレじゃないよ。君が一億円をくれといってる人かどうか
僕には分からないけど、ここの議論とは関係ないよ。
それより、君のいうメタ言語とはなにかちゃんと説明したらどう?
>>138 は
「「形式体系でスコーレムの定理が成り立つ」
という言い方は数学として誤り。」
といってるけど、それは君にも正しいと分かるよね。
YahooBBの規制が解除されたせいで、論理関係のスレが再び荒れはじめました。 わかりやすいですね
>>164 YahooBB??関係ないでしょ。ご存じないのでしょうか?
基礎論関係のスレッドが荒れるのは YahooBB 以前からの問題で、
2ch どころか、インターネットがまだ一般的でない時代から
ずーっと続いていることです。
そっち(NGとか)じゃなくて「最近の2ch数学板の基礎論系スレ」についての考察でつ まあマターリといきましょうよ、みなさん・・・
スレが荒れるのも、NGが荒れるのも、 ぜんぶ、日本での数学基礎論をめぐるデフレスパイラルが悪いのだ。 ということでここはまったりと、、。
>>167 それでも過去スレ読み返すとわかりますが、しょっちゅう荒れてますが。
>>168 そうですね。
>>125 がいいたいのは、モデルを考える場合に、
一階述語論理の公理系で満足されるようなもの
だけに限定する、という考え方は、スコーレム
も、ゲーデルもしていないってことかな?
>>154 >>156 すみません。カン違いから無意味な質問をしてしまいました。
自然数上の述語を「意味すること」と「表現すること」を次のように整理してみました。
<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)がTにおいて意味されることの可能性>
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇔ N |= φ(n_1,…,n_k)
を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する
<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける表現可能性>
・R(n_1,…,n_k)が成り立つときにはT |- φ(n_1,…,n_k)
・R(n_1,…,n_k)が成り立たないときにはT |- ¬φ(n_1,…,n_k)
を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する
(Q1)そこで、ロビンソン算術Qを含む理論Tについて、自然数上の述語 Prov(n,m) ⇔ mは論理式(φとする)のゲーデル数であって,nは「Tにおけるφの証明」のゲーデル数である. はTにおいて意味され表現されることが可能であるが、 Pr(n) ⇔ nは論理式(φとする)のゲーデル数であって,「Tにおけるφの証明」のゲーデル数が存在する. はTにおいて意味されることは可能でも表現可能ではない、 ということでいいでしょうか? (Q2)そして、N’=(N,+,S,0)モデルの完全な理論(プレスバーガー算術?)の場合は、 そもそもPr(n)のような述語を意味する論理式が存在しないために、 理論上で存在する文の範囲では証明論的完全性が保たれるということでいいでしょうか? あるいは、文自身の証明不可能性や理論自身の無矛盾性を意味する文を体系内に存在させなければ、 その体系内では証明も反証もできない文は存在しなくなると言ってもいいでしょうか?
(Q3)不完全性定理は、理論Tに証明も反証もできない文φが存在し、 仮にそれを公理に加えた理論T’を作ったとしても再び同種の文がその理論に表れるというような、 普遍的な型の決定不能命題の存在を示したということだと思いますが、 例えばロビンソン算術Qでは∀x(0+x=x)が証明できないというような場合の、 普遍的ではない単なる公理の能力不足による相対的な決定不能命題というのもあると思いますが、 このように両者を区別して語ることは許されますか? (Q4)そのような区別ができるとすると、 パリス-ハーリントンの命題はどちらのタイプになるのでしょうか?
>>172 について訂正
>あるいは、文自身の証明不可能性や理論自身の無矛盾性を意味する文を体系内に存在させなければ、
>その体系内では証明も反証もできない文は存在しなくなると言ってもいいでしょうか?
↓
あるいは、文自身の証明不可能性や理論自身の無矛盾性を意味する文を体系内に存在させないようにすることで、
その体系内では証明も反証もできない文を存在させなくすることができると言ってもいいでしょうか?
>>171 数理論理学の基本は、syntax と semantics を分けて考えるということ
だと本に書いてありました。
「意味する」というのは普通でなく、N で定義可能というはずです、
「表現する」は普通でしょう。
172 の Q2 はゲーデルの不完全性定理の対象とならない公理系は証明論的
に完全かというような質問で、これは「そんなことはない」というのが
答えでしょう。 Q3, Q4 も同種の質問です。
論理式という形式的対象を解釈したところでの概念で分類しようとすれば
syntax と semantics を混然とさせるという、ネット数学ではよく知られて
いるエムシラ系あるいはマツシン系の論理哲学と似かよってくるのじゃない
でしょうか?まあ、そのような議論も楽しくてよいのでしょうが。
(A1)御自分では正しいとわかりませんか? (A2)逆は真ならず。 プレスバーガー算術の場合、直接完全性を示しています。 (A3)Q3の命題の証明不能性は、ゲーデル命題の証明不能性とは 無関係に示されます。 (A4)パリス=ハーリントンの命題の証明不能性の証明は この命題から自然数論の無矛盾性が導かれることを 利用しているので、ゲーデル命題の証明不能性と 関係しています。 ただし、今後、ゲーデル命題を用いない形の 証明不能性の証明が行われる可能性はないとは いえません。(あるともいえませんが)
>>175 >論理式という形式的対象を解釈したところでの概念で分類しようとすれば
>syntax と semantics を混然とさせるという、ネット数学ではよく知られている
>エムシラ系あるいはマツシン系の論理哲学と似かよってくるのじゃないでしょうか?
M_SHIRAISHI氏のRLには、syntaxはなくて、全部semanticsみたいな感じ。
逆にsemanticsを排除して、全部syntaxで議論しようとするのは、
例えばStromdorf氏がやってるようなことだな。
前者は単純素朴なプラトニスト、後者は検証主義者ってところだな。
"マツシンの論理哲学"というのが具体的に何を指すのか分からないけど、
一時期数学板を騒がせたヴィトとかいう奴は、形はちがうが、
後者のタイプだし、「一階論理と二階論理は違う」とかいう
御仁は、もし、二階論理のsemanticsが数学の存在を定める
と考えているなら、プラトニストといえるだろうね。
もし、この二人が同一人物だとしたら、
まさにジキルとハイドのような二重人格者だな。
ところで、
>>175 =
>>90 かな?
>ここで主張されている「本来の二階論理」というのは
>エムシラのいう二階のベン図でものがわかるという
>主張からそれほど遠いものとは思えない。
君に聞きたいんだけど、君はstandard-modelは
どのように定められていると理解してるの?
>178 standard-model は各人によって定められているわけで、non-standard model をもっていない人の頭のなかにあるものは standard model とは 呼ばない。ただ non-standard model を理解しない数学者の研究対象は standard model と決めつけることになっていると思う。 基礎論に詳しい方のなかには、standard model が集合論の中で一意に 定義されたものであるという人もいるようだが、それは数学を集合論 のなかに形式化すれば、standard model の定義はそれになる、という ことであって、形式化されないところでのものをさすのが普通だと思う。 このような意味でエムシラモデル、マツシンモデルが「ネット数学」に 存在し、通常、standard model は数学者各人がもち、ある程度の共通 認識をもてる対象として数学に存在していると理解しております。
>>179 >standard-model は各人によって定められているわけで
standard-modelは各人によって定められたものではないよ。
>standard model が集合論の中で
>一意に定義されたものである
>という人もいるようだが、
ちょっと違うな。
例えば自然数論における数学的帰納法を定式化すると、
述語に対する限量子を用いることになるけど、
その限量子の意味を集合論の中でモデル化すれば
自然に一意化されてしまうんだよ。
(これを示したのはデデキントだと思った。
もちろん、デデキントは二階論理と意識してたわけではない)
>それは数学を集合論のなかに形式化すれば、
>standard model の定義はそれになる、
>ということであって、形式化されないところ
>でのものをさすのが普通だと思う。
モデルは数学理論の意味を集合論の中で定式化したものだよ。
だから定式化すれば、じゃなく、定式化しなくてはならない。
standard-modelが定式化されないというのは間違ってるよ。
で、standardとnon-standardの区別はどこから出てくるかというと
>>180 で述べた自然数論のモデルは二階論理のもので、
自然数論の数学的帰納法を一階論理で表現しなおしたものに
ついてモデルを考えると、二階論理のモデルに対応するような
もののほかに、それとは異なるモデルがいくらも出来るわけ。
で、もともと意図していた二階論理のモデルに対応する
一階論理のモデルをstandardといい、それとは異なるものを
non-standardといってるわけだよ。
数学的な定式化もなしに気分でstandardとかnon-standardとか
いってるわけじゃないんだよ。
それじゃ、君、エムシラとおんなじだよ。
もし、自然数論を二階論理でなしに、
最初っから一階論理の公理系として
実現したのなら、そのモデルに
standardとかnon-standardとかいう
区別をすることが出来ないと思わないかい?
>>179
ああ、それから、
>>181 でいうような考え方からいえば
standard-modelは何も一つでなくてもいいんだよ。
つまり、二階論理を用いれば、なんでもかんでも
モデルが一意化できるわけではないんだ。
なかなか議論が盛んですがね、standard model というのは、まあ何の かんのいって御自分のモデルなんですよ。だから179に書いてあるじゃない。 180に書いてある二階の論理なんていってられるかたは集合論の standard model に意識が欠如している古臭い論理のなかに生きている人でほぼ マツシン論理にちかい。
>>184 君、マツシンが某掲示板で「出来の悪い学生の誤り」って、
云われたことって実は今君がいってること、つまり
>>179 だって知ってたかい?(笑)
つまりね、君がマツシンなんだ。わかる?
よりにもよって、自分が馬鹿にしているマツシンと
同じことを自分で主張してたなんてまったく笑っちゃうだろ?
まったくわらっちゃうよな。匿名君は。 一階述語論理しか書いてない日本語の基礎論の本だけ読んで 全て分かった気になって、あの生半可のマツシンと全く同じ 間違いを堂々と口にしてるんだからね。ああ、おかしい(笑)
>>184 こそ古臭いんじゃないかな?
最近じゃ、小野さんの論理の本だって二階論理の意味論くらい書いてあるよ。
二階論理は主構造に関しては完全性を満たすように公理化できないともあるよ。
いい加減、自分の無知と強弁を認めたらどうかな?
ここで突っ張りとおすと、マツシンどころかエムシラ、ヤマジンの道を
つき進むことになっちゃうよ。Kitty Guyなんていわれたくないだろ?
相変わらずお元気ですね、179に書いてあることにつきています。 ただ同じことをマツシンがいえばそれは「わかっていない」って ことになりますな、それは中味がないからですな。
>>184 >だから179に書いてあるじゃない。
>>188 >179に書いてあることにつきています。
179のうち
「standard-model は各人によって定められているわけで」
「(standard modelは)形式化されないところでのものを
さすのが普通だと思う。」
「通常、standard model は数学者各人がもち、
ある程度の共通認識をもてる対象として
数学に存在している」
は”マツシンと同じく”、中身のない誤り。
>>189 のつづき
>>179 で唯一数学的に意味のある個所はここだけ。
「基礎論に詳しい方のなかには、
standard model が集合論の中で
一意に定義されたものであるという
人もいるようだが、それは数学を
集合論のなかに形式化すれば、
standard model の定義はそれになる、
ということであって」
君は口にしていないが、これは
transitive set model
のことを云いたいのかな?
ただ、ここでtransitive set modelがstandardであるという
「根拠」を考えた場合、二階論理に頼らざるを得ないんじゃ
ないかな?例えば濃度について考えるためには、二階論理に
よらざるを得ないよ。一階論理ではいくらでも「ゴマカシ」
がきくことは知ってるよね?
>>179 =
>>184 =
>>188 の匿名君は、一階論理によることができない場合
「個々人の中にある形式化されないもの」とかいう精神的なものとして
宗教に逃避せざるを得なくなるわけだけど、それじゃエムシラと何ら
かわるところがないよね。
そうじゃなくて、二階論理による「述語についての限量」という考えで
ある程度説明できるところに数学としてのもっともらしさがあるわけで
そこを蔑ろにしてはいけないよね。
一階の論理であり、二階の論理であり、形式体系 syntax と semantics の区別をが大切、とくに、この区別を syntax の なかですることがゲーデルの第二不完全性定理と関係があり semantics の中ですることが 179 にあること。 二階の論理を持ち出したからといってそれらが解決するわけでは ない。そう思うのはマツシンモデルにおけるマツシン論理。 訂正184の「ほぼマツシン論理にちかい」というのは日本語として おかしい。「限りなくマツシン論理にちかい」というべきであった。
>>192 君、文章が崩壊してきてるよ(笑)
syntaxと、semanticsの区別をsyntaxのなかでするとか
semanticsのなかでするとかって何がいいたいの?
いっとくけど二階の論理をもちだしたから
ゲーデルの不完全性定理を乗り越えられるなんて
誰も一言もいってないよ。むしろ、不完全性定理は
二階の論理のsyntaxとsemanticsの関係が、
一階の論理とは違うものであることを示している
といってるんだけど、何でそれがわからないかな?
君の云ってることこそ、かつての一階論理マンセー
といってた頃のマツシンと同じなんだけど(笑)
そういえば、無矛盾性とかモデルとかに異様なほど
固執するのもかつてのマツシンとまるっきり同じ。
あのさ、
>>192 はいままでどんな勉強したの?
なんか云ってることがつぎはぎだらけで
一貫性がみられなくておかしいんだけど。
>>186-187 >一階述語論理しか書いてない日本語の基礎論の本だけ読んで
>最近じゃ、小野さんの論理の本だって二階論理の意味論くらい書いてあるよ。
そうそう。原因はともかく、少なくとも日本においては一時期
2階論理に関する資料が極端に少なかった時期があるよね。君もそ
う思うでしょ?
その時期のテキストで論理の学習をした世代は、2階論理になじみ
がないと思う。ふるい、古くないの発言が出ている以上、このよう
な意味で、「2階算術になじみのない世代」という世代の問題はあ
るとお考えなわけですね。
>>186 >まったくわらっちゃうよな。匿名君は。
え、君の自作自演じゃないの(笑)?君もなー。
誰が何を言ってるかわからないんじゃ議論にならないよ。熱弁を振る
いたいのならば、仮コテぐらい付けてくれない?せっかくの書き込みが
意味ないよ。
ゲーデルの不完全性定理を理解したいのですが、 前原「数学基礎論入門」とスマリヤン(高橋訳) 「ゲーデルの不完全性定理」とでは、みなさんど ちらがお勧めですか?それぞれの長所・短所を合 わせて教えて頂けると幸いです。
>>199 1つにまとめられる書き込みを3つにするのはマツシンの特徴。
ときどき2つあるいは4つであることもあるが3つが圧倒的に多い。
>>200 >ゲーデルの不完全性定理を理解したいのですが
何でもいいから読んでみな。
どうも
>>179 は感情的になっているので、
頭を冷やしていただくために、議論の
発端である
>>79 までさかのぼってみよう。
>2階論理だと完全性定理が成立しないというのは、
>どういう意味でしょうか?
>それは、2階の部分を部分集合全体で解釈する、
>いわゆる standard modelに限れば完全性定理は成立しませんが、
>そうではないものもいれれば完全性定理は成立しているのではないですか?
>L. Henkin: Completeness of types, J.S.L. (1950) 81-91
>general model という枠組で完全性定理が証明されています。
これに対して
>>82 では、二階論理の本来の意味論は
standard modelであり、それに対して、Henkinの
general modelは一階論理の意味論にあわせたもので、
non-standardなものであるといっているわけである。
>>205 >>82 に対して、
>>83 の「強制法による結果は無意味か?」と
>>84 の「cut-eliminationは無意味か?」という反論?があるが
これに対しては
>>85 で
>>82 の主張が、これらの技法による結果を
ただちに無意味とするものでないことを暗に述べている。
また、
>>86 で述べているのは、cut-eliminationが形式化された
推論系に対する議論であるから、それと対応するgeneral model
を用いるのは妥当であるが、我々が二階論理において理論を
表現する場合には、推論系による証明能力まで考慮しているわけ
ではなく、本来の意味論で考えているわけだから、完全性を
満足させるために無理矢理general modelを考えるのは、
本末転倒であるといっているわけである。
これに対する
>>90 の反論は、どうみても、二階論理の
推論系(syntax)と、モデル(semantics)が、それぞれ
別個のものであることを無視して、論理といえば、
推論系のことであり、モデルは推論系の都合に
合わせればいいのだといわんがばかりである。
真の誤解は、論理=推論と考えることにある。
>真の誤解は、論理=推論と考えることにある。 このような発言に対して、それではM_SHIRAISHIのRLと同じだ、 という反論があるだろうが、そうではない。 論理が推論ではない、からといって、例えば 「「ならば」の意味が間違っているから、 ゲーデルの不完全性定理は間違っている」 とかいう荒唐無稽な結果を支持することにはならない。 M_SHIRAISHIが「ならば」と「不完全性定理」に 着目したこと自体は悪くないが、その結果としての RLに関しては、残念ながら見るべきものはない。
マツシンに関していえば、某掲示板においては
>>90 と同様の推論至上主義に凝り固まっていた。
その意味では、この誤解はマツシン固有のものではない。
(ここではネットにおける振る舞いの問題については置いておく)
どうも数学板ではマツシンの「誤解」が明確になされることなく、
自分の「常識」に反する主張を、マツシンの誤解、とする行動が
まかりとおっている。
しかし、実際には、その常識は、マツシンと同じ「迷信」であり
やっていることも、感情的反応に走っている点で、自分達が
批判しているものとそっくりになってしまっている。
まさに同じ穴のムジナである。
閑話休題。本題に戻ろう。 ところで、論理は推論ではない、といったからといって 「摩訶不思議な術によって、あらゆる命題の真偽が分かる」 などということを主張しているわけではないことを重ねて 主張しておきたい。 そうではなく、論理の「意味」を考えるということは、 その意味を明らかにする手段の有無とは独立であると いうことである。 例えば二階論理上の自然数論のモデルが同形だという定理は 自然数論の命題の真偽判定手続きとは無関係に示されるのである。 デデキントは決して曖昧な直感的議論を行ったわけではない。
>>203 >匿名をいいことに他人事で語るかい?
なんか勘違いしてないか?197=198 であって、私が書いたのですが?
他人の投稿だから他人事として語るんですけど(苦笑)
それよりも、君は、
>>197 で言っているような世代の問題はあるって
思ってるよね、という内容のほうに答えてもらえないでしょうか?
僕は以前、この手の世代の話題を出したら、誰かにそんなものはない、
的にあしらわれたんだけど(笑)、ある時期の日本語テキストで
2階述語論理に触れているものはすくないという印象は捨てがたいんだよね。
君も同じような印象を持っているようだから聞いてるだけなんですが。
>>210 世代の問題ではなく地域の問題だよ。
日本はロジックでは辺境の地なんだよ。
日本で数学基礎論といえば昔は竹内の証明論だったわけですが
それは単純に時期がどうこうというより、辺境である日本の
特殊な事情があるわけ。
>>211 同意。まあ、竹内先生が日本の logic の代表者であった世代の問題でも
ある(僕はそちらを強調した)ので、「日本という特殊な地域でのある
世代の問題」が正確じゃないかな。
前原先生が亡くなったときの数学セミナーの追悼記事で、
往時のモデル論軽視の風潮が忍ばれる回想記事があったよね。
今手元に数セミがないのでわからないが、誰の記事だったっけ?
持ってない?
そろそろ、日本の logic 史もある程度まとめる時期だよね。はやくしないと
証人が死んでしまう(苦笑)
>>212 信じる信じないは勝手だが、おれはこのハンドルを定めてから、ミスを除いて
このハンドルで書き込んでるよ。
俺もまねしようかな。
>>91 =
>>211 =
>>212 かね?発言が少々矛盾してないか?
>>213 >そろそろ、日本の logic 史もある程度まとめる時期だよね。
>はやくしないと証人が死んでしまう(苦笑)
G.T氏ですか?(をひをひ)
もっとも、logic史を総括するなら、
Xデーの後のほうがいいかと(笑)
二階の論理を持ち出さないと standard, non-standard の区別が できないと思っているのは錯覚。大体、数学をしているとき、 だれも一階だ二階だなどと気にしない。つまり自分がいるところ がすべてである。それでなにも気にしなければ形式論理など無関係。 ところが哲学関係あるいは論理学のみって人たちは妙にうるさくいう。 しかし、論理なんて数学以外のところではそんなに複雑なものを使う わけではない。そこで部分集合の関係した命題がいかに複雑で直感 からほど遠いものだということを知らない。それでどうもエムシラ モデルとマツシン論理の域からそれほど遠くないところで終わって しまうってことなのだろうか?
>二階の論理を持ち出さないと >standard, non-standard の区別が >できないと思っているのは錯覚。 R.Montagueが、以下の文章でいっているよ。 Set theory and higher order logic. Formal systems and recursive function, pp131-148. North Holland, Amsterdam
>大体、数学をしているとき、だれも一階だ二階だなどと気にしない。 >つまり自分がいるところがすべてである。 >それでなにも気にしなければ形式論理など無関係。 普通の数学者が論理を意識しなくても結構だが、 standard modelは論理において明確に決められた 専門用語なんだよ。君が知らないだけ。 「自分がいるところがすべて」とかいう発言は、 マツシンというより、エムシラの域に達してるよ(笑)
>ところが哲学関係あるいは論理学のみって人たちは妙にうるさくいう。 君が鈍感なんだよ。 >しかし、論理なんて数学以外のところでは >そんなに複雑なものを使うわけではない。 >そこで部分集合の関係した命題がいかに複雑で >直感からほど遠いものだということを知らない。 君さ、論理に敏感だっていうなら、数学的帰納法で 二階論理で述語の全称化をするのと、一階論理で 任意の述語について全部公理にしちゃうのとの 違いに気づいてほしいね。 つまりね、後者のスタイルでは、 一階論理の中で書ける述語しか、 しばれないんだよ。
>それでどうもエムシラモデルとマツシン論理の域から >それほど遠くないところで終わってしまうってこと >なのだろうか? 君が一番のデムパだよ(笑)
>222 つまりエムシラモデルとマツシン論理の域に限りなく近い人と デムパの議論ってことだね。
192 のデムパの議論は筋があることの説明をしてみよう。 「syntax のなかでsyntax と semantics の区別をする」というとき もちろん2つの syntax を同じ意味でとってはおかしくなる。通常 syntax と semantics の区別というとき、それは普通の数学を考えるのと同じく形式化 されていないところで考えている。 171 にある表現可能性というのは semantics と syntax をつなぐ関係で ある。この関係の成立の証明がどのような形式体系で実行できるかをみて これを形式体系(syntax) で実行した結果を使うと第2不完全性定理がみち びかれる。一方、普通の数学を考える場をカント−ルユニバ−スのような ものと思い、これが semantcis と思えば 179 のような説明になるだろう。 standard というのは公理化するとき想定した1つあるいはいくつかのもの をいい、そうでないものを non-standard というのが普通の数学のなかで の使い方であり、数理論理学のなかでもそんなものだろう。 デムパであろうがエムシラモデルであろうがマツシン論理であろうが、 問題は数学的に面白い定理が証明されれば数学としてはよいわけで、それが なければ、いくら力こぶをいれても数学的には意味がない。逆にいえば、 間違っているか間違っていないかより、結果的に数学的に面白い定理が証明 されるほうが重要だろう。
224(=192) がデムパであることの証明をしてみよう。 まず、はじめに、 >171 にある表現可能性というのは >semantics と syntax をつなぐ関係である。 君のいう表現可能性はこれかな? 「<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける表現可能性> ・R(n_1,…,n_k)が成り立つときにはT |- φ(n_1,…,n_k) ・R(n_1,…,n_k)が成り立たないときにはT |- ¬φ(n_1,…,n_k) を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する」 つまり、君は表現可能性=決定可能性と考えるわけね。 奇妙な理解だね。 >この関係の成立の証明がどのような形式体系で実行できるかをみて >これを形式体系(syntax) で実行した結果を使うと >第2不完全性定理がみちびかれる。 あのね、T |- φ(n_1,…,n_k)とかT |- ¬φ(n_1,…,n_k)とかいうのが そもそもTという形式体系からφ(・・・)とか¬φ(・・・)が証明できる ということをいってるんだよ? で、これと第二不完全性定理(つまりTでCon(T)が証明できない) との関係を君はどう理解してるのかな?
次に >一方、普通の数学を考える場をカント−ルユニバ−スのようなものと思い、 >これが semantics と思えば 179 のような説明になるだろう。 179の説明とはこれかな? 「基礎論に詳しい方のなかには、standard model が集合論の中で 一意に定義されたものであるという人もいるようだが、それは 数学を集合論のなかに形式化すれば、standard model の定義は それになる、ということであって、形式化されないところでのものを さすのが普通だと思う。」 もしかして、前段の第二不完全性定理云々も、この主張も 「standard modelは形式化できない」ということをいいたい のかな? (それなら、むしろ第二より第一不完全性定理だと思うんだが もしかして、君、無矛盾性と完全性を混同してる?) あのね、modelを定義するのと、modelを"構成"するのは違うよ。 君がいってるのは、 「modelを、形式的体系によって"構成"できない」 ってことでしょ。 そうじゃなくて、「modelとは・・・なものだ」という定義はできるんだよ。 それでその定義に従って、一階論理では完全性が成り立つが、 二階論理はそうではないとかいう議論はできるわけだよ。 上の区別が出来てないってことは、 形式的体系の意味も、完全性定理の意味も 分かってないってことだよ。
さらに >standard というのは公理化するとき想定した >1つあるいはいくつかのものをいい、 >そうでないものを non-standard というのが >普通の数学のなかでの使い方であり、 >数理論理学のなかでもそんなものだろう。 それは完全に無知による独断の誤り。 君が今までに何がstandard modelかについての 説明を目にしてこなかったからといって、そこから 直ちに「ああ、standardって個々人の想定したもの なんだ」ということにはならないよ。 濃度について説明してみよう。 一階論理上での集合論で可算モデルが存在するのは 「実際は自然数と対象領域の間に一対一対応が存在するけど その対応は一階論理の中では表現されないからOK」 ってことでしょ。 で、二階論理でそれが通用しないのは、 「実際には存在するけど」という可能性を 述語に関する全称化で排除しちゃったから。
ところで >数学的に面白い定理が証明されれば数学としてはよいわけで、 >それがなければ、いくら力こぶをいれても数学的には意味がない。 >逆にいえば、間違っているか間違っていないかより、 >結果的に数学的に面白い定理が証明されるほうが重要だろう。 それって君の誤りの言い訳かい? 君が、この誤りと関係なく、数学的に面白い定理を証明していたとしても、 この誤りの「罪」を免れることにはならないよ。 そもそも、本当にそう考えているなら、君は自分の仕事をするべきで 自分が何の知識も持ち合わせず、何の実績もあげられない場所で 力こぶをいれて自分の信条を語っても意味がないだろう。 しかも、その信条は数学的に間違った思い込みに根ざしている。 君に、エムシラやマツシンを馬鹿にすることなんてできないよ。
とにかく
>>223 クンは、以下の基本的誤解を正してね
1.形式的体系で決定可能な述語として表すことが
”モデルを形式的体系として表すこと”と思っている誤り
2.「命題かその否定のいずれかが証明可能」という完全性と
「命題とその否定のどちらも証明されることがない」という無矛盾性を
混同する誤り
3.モデルの定義と構成を混同する誤り
特に1、2、はマツシン以前だね。
まあ滔々と書いてはいらっしゃるし、妙に2階論理を振り回す以外、まあそう 変なことを書いているわけではないのだが、理解力に難があるようで(とはいえ イマイの爺さんよりははるかにましだが)デムパの筋がわかるまでにはなって ないようだ。これ以上説明しても無理だろうが、なかに真面目に勉強している 人もいるかもしれないから、225 に関するところだけ説明しよう。 もちろん、semantics と syntax をつなぐ関係というのは同値という意味では ない。述語 R の表現可能性ということだが、不完全性定理に関し、この概念を 使う R は原始帰納的述語である。さてこの述語の主語となる自然数というのは どこにあるものか?ということを考える。すると、これは自分のものを考えて いる場にあるものだと気づく。つぎに述語 R からどのように論理式 phi をつ くるかということ、そして第2不完全性定理の証明でこの表現可能性が成立し ていることを論理式で書くことを考えれば、R に何らかの論理式が対応してい ないとそのようなことが実行できないことがわかる。 このような背景で自分のものを考える場の自然数というのが自然数論の standard model の自然数であると考えられるということになる。
>>230 君の書いてることは変。
君のいう「(syntaxによるsemanticsの)表現可能性」とは
「決定可能性」のことなのね。でも普通そういうひねくれた
誤解はしないよ。
で、君はもしかして原始帰納的でない述語は
論理式として書き表すことができないとか
思ってるわけじゃないだろうね?
誠に残念ですが、それは完全な誤解。
自然数論の中で表現可能な述語は、
原始帰納的述語に限らない。
ところで君はどの本を読んでそのような奇妙な誤解に至ったのかい?
ああ、分かったよ。前原の本を読んだんだね。 いいかい、君のいう「表現可能」は、前原の本では 「強い意味で表現可能(p154)」となってるんだ。 それに対して、論理式として書けるという意味の 表現可能は、それ以前のp114に定義されている。 なぜ、このような概念を導入したか、といえば、 それは第二不完全性定理が、無矛盾性という、 証明手続きに関係した性質についての証明だから。
>>232 >論理式として書けるという意味の表現可能は、
>それ以前のp114に定義されている。
おっと違った。p101の定義7.1には
君のいう「表現できる」と同じ定義
があるな。
ただ、ここの定義の問題は議論の本筋に影響していない。
君は第二不完全性定理がどうこういってるが、それは
完全性定理にまつわる一階と二階の違いとは関係がない
ということ。わかるかな?
234 :
132人目の素数さん :03/03/13 10:17
命題などを記述する際に、われわれは記号を使うわけだが、それらの記号の 数は特に決まっておらず、有限個であるとしているようだ。 今狽ニいう記号が含まれていない場合に、それを新たな記号として追加 しようとしたとすれば、その狽ェ何を意味する記号であるかを、それまで の記号で説明しなければ、無定義用語・記号になってしまう。 逆にいえば、xは掛け算、+は加算、9は8の次、、、、などと それ以前の記号のセットだけで新しい記号の意味を説明して付け加えた ものだと考えれば、その説明自身に現われる記号は既定義でなければ ならないわけですよね。そのようなことが可能な最小の記号の組とは どのようなものでしょうか? そもそもなんらかの情報を伝えるのですから、記述用記号は1種類 ではだめで少なくとも2種類なければだめですが、果たして2種類だけ あれば、それで任意の数学的概念を、自己完結して記述できるんだろう かというのが僕の疑問です。たしかに計算機では二進数あるいは二状態 のみをつかって通信ができますが、たとえばアスキー記号の定義自身は その外部で通信するもの双方が暗黙の了解で共有しているとみなすなら、 実は記号はアスキー表の分だけはあらかじめ既定義であるということに なりそうです。数学の記述に十進数を使うのなら、すくなくとも数字の 記号としては10通り用意せねばなりません。すると二進数で数学の 命題や記述をすれば記号の種類を減らせるのです。このようにして、 最小だが、それをベースにして任意の数学命題をきちんと定義を追加して 拡張しながら記述できるようになるためには何種類の記号・符号が 必要なのでしょうか?
>述語 R からどのように論理式 phi をつくるかということ、 >そして第2不完全性定理の証明でこの表現可能性が >成立していることを論理式で書くことを考えれば、 >R に何らかの論理式が対応していないとそのようなことが >実行できないことがわかる。 ああ、なるほど。君は以下の比較がしたかったわけね。 論理式Phiと述語Rとの対応。 syntactical: 前原の定義7.1(ただし完全ではない) semantical: 個々人の心の中 僕が批判しているのは、後者のsemanticalな対応 について、全く心の中の出来事だといいきってしまって いるところ。 例えば、君はDedekindが、自然数はcategoricalだと 証明したことを「全くナンセンス」だと思ってるのかい?
>>234 そもそも、記号は意味を記述しているんだろうか?(笑)
理論はそれを理解する主体を必要とする。
ただそのことがただちに
「二階論理では完全性定理が成り立たない」
という主張をHenkinモデルまで持ち出して
拒絶する理由にはならないよ。
>234 記述したものをどう読むかということとの組で考える話だと思う。 またブランクを文字と思うかということもある。 まあこういったことはあるが、Turing 機械に関するところでよく 知られていることはテープ上のブランク B と 1 で十分ということ。 だから2つっていうのかな?
(^^)
マツシン(=松本真吾)のガキが、一丁前づらしてゴトクを並べてるのは、ここか?
このような人の書き込みは多いし、まあもっとすごいのはいくらでも あるが、それらしいことを書いているが数学としてわかっているわけ ではないということが顕著になっているので指摘しておこう。 171 の表現可能性に関することである。これはこのスレッドでの書き込 みにあるように semantics と syntax とつなぐ概念で、不完全性定理 では大切な概念である。171 の記述は semantics における x_i と対応する syntax の numeral が同じ記号となっているが印刷物では間違わない ように違う字体の文字あるいは下線、上線などを使う。しかし、これは その定義を意味あるものとして理解しようとすれば、これ以外の理解はで きないものである。 さて 225 でこれをコピーした人はこれが決定可能性と関係があるという 解釈を展開する。決定可能性というのは言葉は「肯定あるいは否定が証 明できる」という意味、あるいは「無限個の命題があるとき、その真偽 を決める、定まった手続きがある」という意味である。いくらなんでも 第一の意味では受け取れないであろうから第二の意味で解釈したのであ ろうと思う。しかし、その理解も想像を絶する。まあ相手がデンパだと 思っているということで割り引いて話を進めるが、232,233,235に至り、 ほぼ正しい理解に到達したらしい。 この前原本は、ゲーデルの原論文の内容とそれほど違いはないの は著者がいってるとおりで、上記の概念は不完全性定理の証明がわかって いる人は当然理解していることである。つまり、この書き込みをしている 人は全くこれを理解していなかったのだ。そしてなおかつ、不完全性定理 についての見解を披露し続けてきていたわけである。
>>240 >>224 で云ってることが
>>232-235 のことなら、
まさに決定可能性のことだよ。
><自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける表現可能性>
>・R(n_1,…,n_k)が成り立つときにはT |- φ(n_1,…,n_k)
>・R(n_1,…,n_k)が成り立たないときにはT |- ¬φ(n_1,…,n_k)
>を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する
は、個々の数値に対して「肯定あるいは否定が証明できる」
φとして表現できるといってるわけだからね。
で、224はそうできないφは
「述語を表現していない」
といっているんだろう?それがデムパ。
まあ、前原本しか読んでいないのであれば分かりようがないな。
>>241 について、補足説明しよう。
前原のいう"形式的な表現"は、決定可能性によるものであるが、
それのみが意味を確定するわけではない。
ところでゲーデルの原論文及び前原本では
「自然数論における非決定命題の存在」
を示すことが目的である。そのレベルにおいては
一階と二階の論理の違いは問題にならない。
ここでいっているのはデデキントによる自然数論の範疇性証明と
非決定性命題の存在が、二階論理において
「どのようなモデルでも真ではあるが、証明不可能な問題がある」
ことを結論することであるから、議論の力点は非決定性命題よりも
自然数論の範疇性にある。
>>240 は辻下・角田の主張をどう理解しているのだろうか?
「表現可能性」や「強い意味での表現可能性」なんかの定義は 明確に書かれていることが多いですけど、 例えば、第一不完全性定理では自分自身の証明不可能性を「意味する」命題の存在が示される と言う場合の「意味する」可能性についてはあまりはっきり書かれていない気がします。 つまり、自然数上の述語Rを意味する論理式の定義可能性ということを考えると、 プレスバーガー算術などでは、自分自身の証明不可能性を「意味する」論理式が定義されないがゆえに、 定義可能な文の範囲では、証明も反証もできないものが存在しない、 つまり証明論的に完全ということではないでしょうか? 自然数上の述語を意味する論理式の定義可能性を単純に「定義可能性」と呼ぶことにして、 次のように整理してみました。
<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける定義可能性> ・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇔ N |= φ(n_1,…,n_k) を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する <自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける表現可能性> ・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇒ T |- φ(n_1,…,n_k) ・R(n_1,…,n_k)が成り立たない ⇒ T |- ¬φ(n_1,…,n_k) を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する 論理式φのゲーデル数を[φ]と表記し、 自然数上の述語 Pr(n) ⇔ nは論理式(φとする)のゲーデル数であって,「Tにおけるφの証明」のゲーデル数が存在する. を表現する論理式をPr(n)とする <自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける強い意味での表現可能性> ・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇒ T |- φ(n_1,…,n_k) ・R(n_1,…,n_k)が成り立たない ⇒ T |- ¬φ(n_1,…,n_k) ・T |- φ(n_1,…,n_k) → Pr([φ(n_1,…,n_k)]) ・T |- ¬φ(n_1,…,n_k) → Pr([¬φ(n_1,…,n_k)]) を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する
このような理解で問題ないでしょうか?
>>244 >第一不完全性定理では自分自身の証明不可能性を
>「意味する」命題の存在が示されると言う場合の
>「意味する」可能性についてはあまりはっきり
>書かれていない気がします。
「第一不完全性定理では」はいらないでしょう。
前原の本では、第二不完全性定理でも、はっきり
書かれるわけではないから。
前原の本ではモデルについては論じていないし、
論じたとしても一階論理のモデルでは、逆に
論理式の意味に不確定性が生まれる。
辻下・角田の両氏の「数学における不定性」は
数学を一階論理上の公理系として考えるなら、
当然出てくる考えである。
しかし(二階論理の妥当性はともかくとして)
我々は数学を考える際に、実に無意識に二階の
定式化を用いているし、その意味で考えた場合
には自然数というものは一つに決まってしまう。
自然数は、群や位相のようにもともと不定な
抽象構造とは違うんですよ。
>>245 ><自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける定義可能性>
>・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇔ N |= φ(n_1,…,n_k)
>を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する
君はこれをどう理解するの?
例えば
>>179 や
>>230 は左辺のRも、右辺のNも
「頭のなかにあるもの」
「自分のものを考えている場」
といってるわけだよね。
でも、それだけなら、デムパと同じ主張だよね(笑)
>>248 ところで、Tにおいて定義不可能な述語も当然あるよ。
例えば、T中の論理式の真偽なんていうのはTでは定義不能。
つまり、Tの中のどんな式φを持ってきても、
Tの中の論理式のゲーデル数に対して真偽を
割り付けるような述語とは一致しないってこと。
>>247 すいません、誤解しやすい書き方でしたが、その引用の部分は
>例えば、
>「第一不完全性定理では自分自身の証明不可能性を「意味する」命題の存在が示される」
>と言う(ような)場合の「意味する」可能性についてはあまりはっきり書かれていない気がします。
ということです。あくまで例えとして「」内の文章を取り上げたので、別に限定する意味はありません。
>>248 自然数上の関係Rなんかは、便宜的に言葉で表記していても、実際指示しているのはその内容であって、
φ(n_1,…,n_k)のような形式的な、解釈なしではその表記自体しか指示しない式とは
区別されるものではないですか?
数学の立場では、算術の標準モデルNの存在は自明の前提としているので、
当然、関係Rもアプリオリに存在するものとしておいて、
後はいかにそれを「意味する」論理式を理論Tにおいて構成するかが問題で、それは
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇔ N |= φ(n_1,…,n_k)
が成り立つ論理式φ(n_1,…,n_k)を定義できるかどうかということになるのではないですか?
>>249 自分自身の証明不可能性を意味する文を定義できない理論なら、
不完全性定理を回避できるということになりますよね?
>>250 内容って何?
「数学の立場では、算術の標準モデルNの存在は自明の前提としている」
って本当?
標準モデルの存在は、自明の前提じゃないよ。
関係Rもアプリオリに存在すると考えるべきではないよ。
>>251 必ず回避できるわけではないよ。
逆に、決定可能な理論では、自分自身の証明可能性を意味する文を
定義できないってこと。なぜならそんな文は決定不能だから。
実は
>>249 の定理(タルスキーの定理)も
「自分自身が偽である」を意味する文が存在すると
矛盾することを利用して体系自身の真偽定義が
常に不可能であることを示している。
>>244 「意味する」ということの数学的定義はないと思います。
あっ、これは248でデンパといわれている答えです、えへへ。
無矛盾性を意味する論理式、といったとき当然それは閉論理式です。
さて閉論理式を構造で解釈すれば真か偽となる。さて、例えば自然数論
の無矛盾性を意味する論理式、それは読んでいられる本にも書いてあると
思いますが、その論理式を standard model で解釈したら真なので
しょうか、偽なのでしょうか?もちろん真なのだ!という根拠はなんで
しょうか?それは、普通の自然数の集まりに対して成り立つと思うこと
を公理化したから、そのはずだと信じているということしかないのでしょう。
もし、ちゃんとした根拠があるなら、無矛盾性を証明する必要は感じなかっ
たでしょう、model があるのですから矛盾はおこらないからです。
無矛盾性を意味する論理式、といったときロッサー文はその中にはいって
いるのでしょうか?たぶん普通ははいっている感じで使われている言葉で
はないかと思います。ゲーデルの論文での無矛盾性を意味する論理式を
無矛盾であることを自然に書いた論理式と呼んでいる表現を見たことが
ありますがこれだって自然に書くとはなにか?という問題があります。
>>245 >>250 ご存知と思いますが、普通(デンパの普通ですが)自然数上の k 項関係
(述語)といえば、N の k 直積の部分集合のことです。つまり
R(n_1,...,n_k) は順序対 (n_1,...,n_k) が集合 R に属するという意味
です。アプリオリにあるというのは、素朴集合論の意識なのだと思います
が数学では普通でしょう。書かれている最初の同値関係は、T における
定義可能性といわず、N (+,*,< なども書くほうが正確)における定義
可能性というのが普通かと思います。T よりも構造できまる概念だから
です。(スマリヤンの訳本では構造がでてこないせいもあり、表現可能の
方に定義するという言葉を使っていますが、構造 N を持ち出すなら
これが普通でしょう。)
また 240 に numeral という言葉がでていますが、表現可能性では右の論
理式のなかの n_i は [n_i] と書いておく方がよいと思います。強い意味
での表現可能をいっているとき T で phi と Pr([phi])の同値性に関して
n_i がなんだかわからない表現となっています。ここは自分がなんのつも
りで書いているかじっくり考えるべきところで、なんの本かしらないが、
定義が書いてあれば記法に気をつかってあって当然なところなのでよく見
てください。
>>244 >>251 、、、である論理式がないが故に、証明論的に完全だ、という言明は
すこし変でしょう。不完全性定理の前提条件をみたさない論理体系は論理
的に完全だというわけではないからです。不完全性定理を回避できる
というのは、論理的完全性が成立するという意味なのでしょうか?
むしろ、不完全性定理の前提条件をみたす論理体系かどうかを問題とする
ことが意味あることかと思われます。この不完全性定理の成立条件は
過去に様相論理に関係したものなど色々研究はあるようですが、よく
知りません。
>>253 >「意味する」ということの数学的定義はないと思います。
>あっ、これは248でデンパといわれている答えです、えへへ。
つまり、君はモデル理論は数学ではないといってるわけね。
そりゃデムパだな、わはは。
>さて、例えば自然数論の無矛盾性を意味する論理式を
>standard model で解釈したら真なのでしょうか、偽なのでしょうか?
"standard modelが存在するなら"、それは真です。
>もちろん真なのだ!という根拠はなんでしょうか?
ここで、私は"standard modelが存在するなら"と書きました。
つまり、無矛盾性はstandard modelの存在に還元されます。
自然数論のstandard modelならば、それはみな同形である
ということと、自然数論のstandard modelが存在するという
こととは違います。
つまり、
「(無矛盾であれば)真であるが証明不可能な式がある」
という場合、無矛盾性の証明は必要ないわけです。
>普通の自然数の集まりに対して成り立つと思うことを公理化したから、 >そのはずだと信じているということしかないのでしょう。 それは 「一階論理では完全性定理が成り立つが、二階論理では成り立たない」 という議論とは無関係です。 一階であろうが二階であろうが、絶対的なモデルの保証などはありません。 その意味で「数学的世界の存在」が信仰だというのは正しい。 しかし、私はmodelの存在証明をしようとしているのではないのです。 modelが存在するなら、それはみな同じだ、という主張は、 modelの存在とは無関係に示される数学的な結果だと いっているのです。 このmodelの同型性と存在の議論を区別しない誤りこそが 某氏が某掲示板でおかした誤りなのです。
>無矛盾性を意味する論理式、といったとき >ロッサー文はその中にはいっているのでしょうか? はいっているでしょうね。 >ゲーデルの論文での無矛盾性を意味する論理式を >無矛盾であることを自然に書いた論理式と呼んでいる >表現を見たことがありますがこれだって自然に書くとは >なにか?という問題があります。 その件については、それを書いた人に聞いてください。 私はそのような主張は致しておりません。 2つの表現が、自然数論(のstandard model)では 同じことを意味しているからといって、自然数論の 中でそれを証明できるとは限りません。 ゲーデルとロッサーの無矛盾性表現の違いは そのようなものと理解しています。
>>254 スマリヤンの本では、あなたのいう定義可能は
単に「数論的」といってます。
定義可能性のポイントはずばり"論理式で書けるかどうか"です。
もちろん、論理式で書けない述語が存在するから、このような
ことを考える必要があるわけです。
>>258 >スマリヤンの本では、あなたのいう定義可能は
>単に「数論的」といってます。
正確には言及可能(expressible)というべきだった。(p8)
それからスマリヤンも、前原の意味で表現可能(representable)
といっている。(p18)
訳者あとがきにちょこっと書いてあるね。
>>252 >内容って何?
田中 編・著『数学基礎論講義』P25にある
「構造にとっては,指し示された関数(または関係)自体に意味があるのであって,
どんな記号でそれを示すかは言語の問題である」
という所の「指し示された関数(または関係)」のことです。
前原 著『数学基礎論入門』P98〜100
の中でも頻繁に「内容的な〜」という表現が出てきたので、「内容」という表現を使いました。
>「数学の立場では、算術の標準モデルNの存在は自明の前提としている」
>って本当?
『数学基礎論講義』P29で田中さんもそういうことを言っていますし、
そうしなければ数学自体が展開できないのではないですか?
>>253 の中での
>model があるのですから矛盾はおこらないからです。
という論法自体、モデルの存在をアプリオリに仮定しているから可能なことですよね?
>標準モデルの存在は、自明の前提じゃないよ。
>関係Rもアプリオリに存在すると考えるべきではないよ。
もちろん、数学の立場を離れればそれは当然だと思います。
ただ、それを自明の前提として論を進めるか、そこを問題視するかは
数学と哲学の線引きということになるのではないですか?
実は自分は文系で、後者の方が専門に近いのでそのへんはよくわきまえてるつもりです。
確かに+関数の存在を懐疑する議論や、はては命題論理の推論規則さえ懐疑する議論もありますね。
>>254 >ご存知と思いますが、普通(デンパの普通ですが)自然数上の k 項関係
>(述語)といえば、N の k 直積の部分集合のことです。
ところで、自然数上の k 項関係Rはその特性関数χ_R:N^k → {0,1}
つまり、N の k 直積の要素のうちからRの部分集合となる各要素に真理値Tを対応させる操作
と「しばしば同一視」されるそうですが、この「真理値」というものの扱いがよく分かりません。
自然数のうち、0と1が真理値の役割を兼ねるということなのでしょうか?
『数学基礎論講義』P25で、田中さんは0項関係{()}が真理値定数TまたはFと見なせる
と書いていますが、この0項関係としてのTやFと
特性関数においてN^kの各要素が対応させられる定数、即ち0変数関数としての1や0とは
どのように関連するのでしょうか?
>、、、である論理式がないが故に、証明論的に完全だ、という言明は
>すこし変でしょう。
「理論の任意の文について,それ自身かその否定のいずれかが証明可能」
であることが証明論的完全性の定義ですから、
算術の理論の内部で自身の証明不可能性を意味する文が定義できない場合には、
プレスバーガー算術のように「理論の任意の文について,それ自身かその否定のいずれかが証明可能」
つまり証明論的に完全であることも「可能である」と言うことは許されませんか?
>>259 <自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)がTにおいて言及可能(expressible)>
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇔ N |= φ(n_1`,…,n_k`)
を満たす論理式φ(x_1`,…,x_k`)が存在する
<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)がTにおいて表現可能(representable)>
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇒ T |- φ(n_1`,…,n_k`)
・R(n_1,…,n_k)が成り立たない ⇒ T |- ¬φ(n_1`,…,n_k`)
を満たす論理式φ(x_1`,…,x_k`)が存在する
ということでいいですか?
訂正
>>262 >つまり、N の k 直積の要素のうちからRの部分集合となる各要素に真理値Tを対応させる操作
↓
つまり、N の k 直積の要素のうちからその部分集合Rを構成する各要素に真理値Tを対応させる操作
>>262 数学では(デンパの数学ですが)、機能として同じものは同一視するという
ことが頻繁にされます。例えば、その議論のなかで同一視によって概念が
異なってこない限り、同型な群は同一視されます。ですから、真理値という
もの、この場合、T、F ですが 0,1 でなく 5,9 でもいいわけです。
命題論理のモデルとしてブール代数が現われるのも同じように考えればよい
のではないでしょうか?この場合は、真理値の全体がブール代数となっている
わけで、強制法ではブール代数に真理値をもつモデルを構成するようですが
集合論の研究者がなにか特別な論理を駆使しているようには思いません。
数学的対象としての論理の真理値というものと、普通にものを考えるときの真
とか偽とのつなぎは各人がするものだと思います。これだけだと数学の社会は
成立しませんから共通認識という超越的な言葉でまとめているというのが
179 のデンパの考えです。(エムシラモデルとマツシン論理って面白いです
よね、御本人たちは面白くないかもしれませんが。)
証明論的完全性についての言明で訂正されたものは、的確だと思います。もっとも
デンパに的確だといわれるのは少し問題かもしれませんが。
>>263 259 ではありませんがスマリヤンの本の言葉使いは 254 で引用したので書きますが
この関係のことは、p.150 以降にもあります。ただ 254 に書きましたがデンパは
あまりきいたことのない言葉使いです。
>>263 任意の数の集合Aに対して、H(n)∈T⇔n∈A
が成立するときに限って、HはAを言及するという。
また、総ての数nに対してn∈Aであるときに限って、
H(n)が体系Lで証明可能であるとき、述語Hは
集合Aを表現するという。
(さらに、総ての数nに対してn∈Aであるときに限って、
H(n)が体系Lで反証可能であるとき、述語Hは
集合Aを反表現するという。)
>>263 の述語Rを集合A、論理式φを述語Hとし
Nの代わりに真理集合Tを考えればよい。
>>265 スマリヤンの本を持っているのなら、ぜひp174〜179の
”第X章 証明可能性と真理性に関する一般概念”
を読んでいただきたい。
スマリヤンは、ゲーデルに関する3つの定理の証明のうち
第U章のタルスキの定理の証明が簡潔で分かりやすいと
いっているが、この定理及び証明が忌避される理由として
真理集合が数論では言及可能でないために、証明が数論上で
形式化できないことを挙げている。
しかし、第X章では、この真理集合が前原ファンのデムパ君
の考えるような心理主義的基礎しか持たないものではなく
それなりの数学的背景を持っていることを、述べている。
(p176〜の数論の真理性に関する論評を読まれたい)
>>265 >集合論の研究者がなにか特別な論理を駆使しているようには思いません。
「モデル」というものを考えるためには、言及可能な世界に
踏みとどまっては居られない。
>>265 もそれには気づいている
から、その問題点を解消するために
>数学的対象としての論理の真理値というものと、
>普通にものを考えるときの真とか偽とのつなぎは
>各人がするものだ
という心理主義に飛びついた。さらに
>これだけだと数学の社会は成立しませんから
>共通認識という超越的な言葉でまとめている
という社会主義(?)に至っているというわけだ。
でもそれはナイーブなデムパ的発想。
集合論は一階論理のような総てを対象として考える発想には馴染まない。
「言及可能性」で集合全体を式表現へ流しこめるわけではないし、
流し込めないものを、単純に切り捨ててしまえばいいというわけでもない。
そして、言及できない集合まで含めて、二階論理(高階論理)で自然に
解釈した場合、一階論理の解釈とは違ったものになるのはむしろ当然。
ところで数学板で語られる「マツシンの誤り」は
言及できないものを切り捨て、言及できるものが
総てだという発想を指す。
このような発想は、辻下=角田のスコーレムの
パラドックスに基づく議論やヴィトゲンシュタイン的
な検証主義に陥る可能性がある。
>>261 >>「数学の立場では、算術の標準モデルNの存在は自明の前提としている」
>『数学基礎論講義』P29で田中さんもそういうことを言っていますし、
>そうしなければ数学自体が展開できないのではないですか?
数学を展開するのに「数学的世界」の存在を前提しているというのは本当だろう。
問題は、その「数学的世界」がそのまま「標準モデル」というわけではないということ。
田中一之氏が著書で標準モデルをどう”定義”しているかは知らない。
もし、明確な記述がないとすれば、この議論に関して彼の記述の引用は
前原氏のそれと同様、意味がない。
>>標準モデルの存在は、自明の前提じゃないよ。 >>関係Rもアプリオリに存在すると考えるべきではないよ。 >もちろん、数学の立場を離れればそれは当然だと思います。 いや、数学の立場に立てばこそ、自明でないと考えるべきだ。 なぜなら「標準モデル」は素朴な「数学的世界」そのものではないから。 数学と哲学の線引きをするためには 哲学だけでなく数学の知識を必要とする。 君は、 >自分は文系で、後者の方が専門に近いので >そのへんはよくわきまえてるつもりです。 というが、哲学しか知らないのであれば そのへんはまったくわきまえようがない筈である。
>>270 もちろん、「標準モデル」の数学的定義を知った上で、
その哲学的意義を考えることはできよう。
(数学的に定義されているからといって、
哲学的に妥当であるということにはならない)
>>265-266 分かりました。ありがとうございます。
>>269-271 >田中一之氏が著書で標準モデルをどう”定義”しているかは知らない。
>もし、明確な記述がないとすれば、この議論に関して彼の記述の引用は
>前原氏のそれと同様、意味がない。
『数学基礎論講義』P29にはこうあります。
「Nをゼロ0を含む自然数の集合とし,+と・をN上の和積演算,Sを後者関数(S(x)=x+1)とする.
このとき,次の類型(2,2,1,0)の構造を算術の標準モデルという:
(構造)N=(N,+,・,0).
(構造)Nは数学的に自明な構造であり,その存在を問題視するような哲学的議論は本書とは無縁である.
我々にとって問題なのは[構造N_Nで真となる文の集合]Th(N_N)であって,
これは算術的に定義できない集合であることが知られている.」
田中さんは標準モデルNは「数学的に自明な構造」と言っていますが、
それは素朴な「数学的世界」そのものではないんですか?
構造N_Nは、言語Lの構造Nを 自然数の集合|N|の各要素nに対応する定数記号n*を全て含む言語L_Nに拡張したものです。
>次の類型(2,2,1,0)の構造 この意味が分かりません。
訂正
>>272 >(構造)N=(N,+,・,0).
(構造)N=(N,+,・,S,0).
>>274 (構造)Nの類型(2,2,1,0)というのは、
(構造)Nの領域N上の関数や関係の元数(n変数関数なら元数n、m項関係なら元数m)
を順に並べたものです。
つまり(構造)Nでは2変数関数+、2変数関数・、1変数関数S、0変数関数0があるので、
類型(2,2,1,0)ということです。
しかし、妙な展開になったなあ。 デンパの普通が 272 に書いてある田中一之著「数学基礎論講義」に 書いてあることと同じみたいにみえるなぁ。そうすると田中一之さん てデンパなのかな?東北大学の先生ですよね、まあ大学の先生がデンパ ってことは、ヤマジンのこともあるからな。 そのデンパ論議はおいておくとして、数学としては standard model が 272 に書いてあるものとすると 180 以後、というよりも、82 以後 滔々と2階論理でどうのこうの、それは違う、あれはおかしいっていって いる人の説、特に 270 ってのは何なんだってことになるね。267 で スマリヤンの、、、も笑っちゃうよね、240 にある概念はその本の p.150 にほぼそのまま書いてあるのだから。240 の指摘どおり数学的な ところは理解していないんだろうな。 デンパの結論: 何かと2階の論理という言葉をまじえて滔々と持論を展開されている方 がいますが、デンパの目からみますとエムシラの2階のベン図とマツシン 論理を足したように見える。まあ2で割らなかっただけ誉めていると受け 取っていただきたい。彼等だって進歩をしているから2で割らなければ ならないかもしれない。 この方、以前述べたようにそうおかしいことを述べているわけではないが、 他人がどう考えようと干渉する必要のないところに割り込んでくること、 また、数学的に押えるべきところは押えないという特徴がある。その意味 で、足す前の2つとそう変わるところはない。 つまり、疑似数学の使い手なのだ。
何やら詳しい人のresponseが途絶えちゃって、つまらんねぇ。
楽しく読んでたのに・・・。単に、忙しいのか?
>>277 >デンパの普通が 272 に書いてある田中一之著「数学基礎論講義」に
>書いてあることと同じみたいにみえるなぁ。
同じにみえますね。しかし、「各人によって定められている」とまで
言えるものなんでしょうか?
>そうすると田中一之さんてデンパなのかな?
そういうモンでもないでしょ。
議論を切り上げて、途中から話を始めているという解釈じゃ駄目なの?
>まあ大学の先生がデンパってことは、ヤマジンのこともあるからな。
その話は、別スレがよろしいかと(笑
>>272 >田中さんは標準モデルNは「数学的に自明な構造」と言っていますが、
>それは素朴な「数学的世界」そのものではないんですか?
盲目的ならばまあ、ナイーブと言って良いんでしょうが。
著者が盲信しているかどうか、ここから断言できますかね。
やっぱり、ただ議論を切り上げてるだけなんじゃないの?
恐らく、「その存在を問題視するような哲学的議論は本書とは無縁である」
っていう部分のハナシなんだと思うのですが。
ここでの「哲学的」ってのには、あまり深い意味はない思うな。哲学って
言葉、いいかげんなcontextで使われることが多くないですか?
(高校程度の数学のみを対象とするような議論においては、教養の数学くらい
でも、十分に「哲学的」かも)
>>278 まおまおさん、こんにちは!
デンパですが、以前、質問のスレッドで選択公理に関する濃度のことを
書いたとき、まおまおさんにえらく誉められて、そんなんじゃないですって
書けなくなっちゃたことがありました。ここに書いておきます、
「そんなんじゃないです」
デンパさん、こんにちは! ・・ていうか、あなたがいわゆるデムパであるようには見えませんが(w 何れにせよ、頭が良い人達の議論ってのは、(どっちが正しいにせよ) 読んでて楽しいっす。 ところで、詳しい人はあなたに議論で打ち負かされて(??)、退散 してしまったのですか? それとも単に忙しいだけなんでしょうか。 私の知識&脳力(?)では、判断つきかねるんですが。
電波野郎の相手なんか、してらんねぇってことなんじゃないの
>>279 >恐らく、「その存在を問題視するような哲学的議論は本書とは無縁である」
>っていう部分のハナシなんだと思うのですが。
>ここでの「哲学的」ってのには、あまり深い意味はない思うな。哲学って
>言葉、いいかげんなcontextで使われることが多くないですか?
「哲学的」な方が専門に近い自分から見ると、その言葉はウィトゲンシュタイン−クリプキの
クワス算の話なんかを意識して書いてるように思われたのですが。
こういう哲学の領域まで遡っていると、数学の議論が展開できないから、
ここに哲学が扱う問題と数学が扱う問題のの線を引いておくということではないでしょうか?
それとも、「Nの存在を問題視する」議論もまた、数学の内部にあるのでしょうか?
ところで、以前の話を蒸し返すようですが、 @「理論の任意の文について,‘その理論のすべてのモデルにおいて’真であればそれは証明可能」 …意味論的完全性 A「理論の任意の文について,それ自身かその否定のいずれかが証明可能」 …証明論的完全性 Aというのは、「理論の任意の文について,あるモデルで真であればそれは証明可能」 ということと同値なので、意味論的完全性と証明論的完全性の関係を簡単に言うと、 前者は後者の十分条件ということでいいでしょうか? それが、二階論理上で展開する場合は必要十分になるということで。
>>281 デンパに議論で負けたということではないと思います。
261−272 の基礎論さんのコンビネーションブローが見事に
急所に当たったってとこじゃないでしょうか。デンパをおかしい
といい、振り向きざま 270 で基礎論さんをぶっとばそうと
したところ、自然に振り出した 272 がカウンター気味にはい
ちゃったって感じかな。殺意はないから、過失致死罪だな。
実刑にはならないだろうってとこでしょうか。
>>284 いくつか記述がおかしいと思います。2 なら 1 が成立するのです
から 2 が 1 の十分条件であるというのが普通のいいかたじゃないですか?
いま、理論と呼んでいるものは何かということを定めておかないと変になる
と思います。この理論の範囲を、モデルが1つしかない理論に限れば、1と
2は同値になるということが、2階、、、の数学的内容だと思いますが、
まあそれは当たり前ですね。数学の意味での2階論理ですがそこでは、
1階の部分の truth definition ができます、つまり証明論的
完全な閉論理式の集まりの存在が証明できるわけですが、もちろん2階全体
の truth definition ができるわけではありません。つまり3階が必要になる
わけです。これは数学の話で哲学ではどうなのかしりません。それは、とも
かく、「2階論理上で展開すると必要十分になる」というのはデンパでなく
ても、意味あるものとして理解するのはなかなか難しいと思います。
出張で当分書き込めないので、79 の general model というのが数学的には
自然なものだという例を書いておきます。
自然数論の non-standard model というのはよくしられていると思いますが、
これをつくるとき2階部分あるいは n 階部分までつくることは解析に応用する
ときには必要です。このとき、2階部分を部分集合全体とすると、自然数の無限
下降列ができてしまい、数学の定理が成り立たないものになります。それで
internal な部分集合に限ることにより数学の定理が成立する場が提供されるわけ
で、これも general model のひとつです。
>>277 >デンパの普通が 272 に書いてある田中一之著「数学基礎論講義」に
>書いてあることと同じみたいにみえるなぁ。
二階の人の主張は、例えば小野氏の日本評論社の論理学の本に
書いてあることだよ。小野さんが間違っているというのかな?
デムパ氏は一階論理に固執する奇妙さがあるね。
しかし、これが彼の個人的な嗜好によるものでないなら笑えない。
スマリヤンの第[章の冒頭p150を読んだなら、結末p161
のタルスキの定理(真理述語の非存在)も読んだだろう?。
これをいうためには、二階論理が必要であることが彼には理解
できていないね。
>>283 >ウィトゲンシュタイン−クリプキのクワス算
これは数学に無関係の「哲学的議論」ではないよ。
>「Nの存在を問題視する」議論もまた、数学の内部にあるのでしょうか?
そう、スコーレムのパラドックス以来
いわゆる標準的なNの存在を懐疑する
一階論理を基礎とする相対主義が出てきた。
クリプキの議論は、その結果だよ。
デムパ氏の主張は相対主義を否定するのはただ個々人の心の中の
「数学的世界」だけとなる。つまり哲学的懐疑を宗教的信念で
否定したわけだね。その方法がエムシラと同じ"デムパ"なわけ。
>>285 >261−272 の基礎論さんのコンビネーションブローが
>見事に急所に当たったってとこじゃないでしょうか
単に、日本の基礎論の教科書の記述が、この議論に関して
何の役にも立たないというだけのことではないかな?
>>286 2が成り立てば1は成り立つでしょうが、
1からただちに2がみちびかれるわけではありません。
当然モデルが異ならないことが必要になります。
自然数論の数学的帰納法を一階論理で考えたモデルと
二階論理で考えたモデルは違います。
前者では異なるモデルが沢山ありますが、後者では一つになります。
デムパ氏は同形性をいうのに"truth definitionを具体的に構成する"
必要があると思い込んでいるようですが、そのような超越的な発想は
無用です。具体的な構成どころか存在すら示す必要がありません。
"あるとすれば、違うことはあり得ない"といえればいいのです。
>79 の general model というのが数学的には自然なものだ 79 のgeneral model が不自然な例もありますよ。 自然数論における、無矛盾だがω矛盾するモデルがそうですね。 デムパ氏が「部分集合全体」という発想は数学的には 何ら明確でない発想だと思っているようです。 具体的構成のみが明確で、"これで全部"という発想が 明確でないというのは奇妙です。 internal云々は、表口から追い出したものを、 裏口からこっそり招き入れる点で、strangeと いわざるを得ません。
>>286 十分条件については書きまちがいでした。すいません。
>>288 >これは数学に無関係の「哲学的議論」ではないよ。
無関係ではないにしても、数学的議論の範囲を逸脱していませんか?
「人間の経験は有限だから云々」なんていう議論を数学と呼んでいいんですか?
クリプキの議論自体はスコーレムの定理をはじめとして、何の数学的定理とも独立していますし、
パトナムの議論はスコーレムの定理のアイデアを自然言語に「応用」したという側面があるにせよ、
その直接的な帰結ではありませんし、
「Nを相対化する」という抽象的な態度以外、議論の内容は全く異質なものではないですか?
少なくとも、「数学者の話題に上ること」ではあっても、もはや数学の専門領域からは離れた、
哲学者などが論じる類の議論になってると思うのですが。
また、スコーレムの定理で超準モデルの存在が示され、標準モデルが相対化されることと、
標準モデルの存在自体が懐疑されることは別ではないですか?
>>これは数学に無関係の「哲学的議論」ではないよ。 >無関係ではないにしても、数学的議論の範囲を逸脱していませんか? いいえ。 >「人間の経験は有限だから云々」なんていう議論を数学と呼んでいいんですか? 実質的にそういっているのはデムパ氏。 だから、君の批判はデムパ氏へのもの。 >クリプキの議論自体はスコーレムの定理をはじめとして、 >何の数学的定理とも独立していますし、 スコーレムの定理から、一階論理を基礎とする相対主義をとることは クリプキの議論の例の一つである。 >スコーレムの定理で超準モデルの存在が示され、 >標準モデルが相対化されることと、 >標準モデルの存在自体が懐疑されることは別ではないですか? 私は標準モデルの存在自体を懐疑した覚えはないよ。 標準モデルが何ら語り得ないものだというデムパ氏の主張が 数学として間違っていると述べたまで。 デデキントの自然数の範疇性証明そのものは数学。 この結果の前提に関する哲学的態度について議論するのは構わない。 しかし、自分の哲学的態度と異なる態度を前提とする結果を "間違っている"と主張することはデムパだと批判されても仕方ない。
>>286 一階であろうと二階であろうと、体系自身の真理定義が
言及可能でないことを、私が理解していないというなら
それは間違っている。
私が言いたいのは、二階論理では、explicitに言及できなくとも
implicitに「・・・の特性を持つ述語」という形での表現は可能であり
そのレベルで、モデルに関する議論を行うには十分だということ。
例えていえば、x^2=2の解が、有理数として表現できないからといって
無理数として代数的な議論を行うことを妨げるものではないということ。
デムパ氏の主張は、explicitな表現にこだわる点で 今井数学の論理版といえよう。
誰かここまでの話総括して。
総括:「哲学ってステキ!」
むしろ、「人は哲学のみにて生くるに非ず」なんじゃないの?
「マナビテオモワザレバスナワチクラシ、オモイテマナバザレバスナワチアヤウシ」
>>299 は見事に「ここまでの総括」になってるような気もしつつの300ゲト、
皆様いかがお過ごしでしょうか
301 :
132人目の素数さん :03/03/23 01:31
「基礎論」がネタ振らないと盛り上がらない罠
>>299 すばらしい総括ありがとうございました。
「マナバズオモワザルモノハサイワイデアル」
何故、高階古典論理(2階を含め)の研究がそれほど盛んでないかと いうこと。 やはり、コーエンの強制法以後の集合論の進歩との関係が強いのでは ないでしょうか?それまでは1階の論理においても、信頼されている 公理系において不完全性定理に現われる閉論理式以外に肯定も否定も 証明できないという閉論理式、とくに数学的意味の感じられるものの 存在は知られていなかったということが知られています。強制法に よって自然数の部分集合には極めて複雑なものがあることがわかり、 2階の記述集合論、つまり、量化子を自然数の部分集合全体で解釈する ことにより記述できる自然数の部分集合や実数の部分集合に関する 性質を調べる分野においても、それ以前わかっていなかった多くの問題 が独立ということがわかったわけです。Henkin の general model の 言葉でいえば、強制法によってできた集合論のモデルの中で考えれば、 もとのモデルのなかの自然数の部分集合全体を使うモデルは general model となるわけです。(強制法は繰返しができますから、新しい自然数 の部分集合を付け加えたモデルのなかには、記述集合論的にも異なる general model があることになります。)これらの結果は2階の自然数論 が形式体系として研究する限り、わからなかったことでしょう。そして その後の集合論の早い進歩もあり、とても形式体系の研究がこれに対応 できるものではないということだったのではないでしょうか? また、直観主義論理のクリプケモデルが強制法の一般化となっているとい うことをみれば、強制法の発見の影響がいかに大きかったかということも わかるような気もします。
>>304 君のいう集合論って一階論理上の公理系としてのZFCのことだろ?
いっとくけど、それは「高階論理」ではないよ。
これとは別に二階論理上の体系ZFC2も考えられる。
単純に公理系といわないのは、二階論理自体が
完全性を満たす形で公理化不能だから。
ZFC2のモデルでは、連続体仮説は実は真か偽かのいずれかである。
Cohenの結果は、ZFCのモデルに関するもの。
高階論理の研究がふるわないのは、
>>304 の主張とは逆に
高階論理が、一階論理のように完全な形式化ができないから。
つまり、どのsemanticsでも真となる命題が、証明可能であるように
推論のsyntaxをつくることができないから、研究がやりにくいってこと。
強制法そのものは、とくに一階論理に限らない。
ところで
>>304 >2階の記述集合論、つまり、量化子を自然数の部分集合全体で
>解釈することにより記述できる自然数の部分集合や実数の部分集合に
>関する性質を調べる分野
見当違い。
二階論理というのは、述語に対する量化子をもつもの。
二階の自然数論では、確かに述語を自然数の部分集合と
みなすこともできるが、そういう話に限定するつもりはない。
記述集合論を、どこからひっぱりだしてきたのか知らないが、
ここでいってる二階論理の話とは無関係。忘れたまえよ。
集合論を二階論理上で考えると「クラス」を持ち出すことが
できるので都合がいい。集合というのは、対象の集まりをも
対象と考えるようなものだが、やりすぎるとラッセルの
パラドックスのようなことになる。
つまり{x|¬x∈x}のようなものはクラス(述語)としては
存在してもいいが、これを集合として対象化してしまうと
パラドックスになるというわけ。
集合論の分出公理や置換公理は、一階論理では 「任意の集合論的論理式について…」とかいう 但し書きで無限個の公理として導入するが (なお、無限個あっても、集合論的論理式が 帰納的に定義できるので問題はない) 二階論理では、述語全体に対する全称量化子を もちいて一つの式で表現できる。 実はこれは見かけだけではなく内容的にも違う。 つまり、一階論理ではあくまで「式に書けるもの」 だけ見ればいいのに対して、二階論理では式に 書けようが書けまいがとにかく述語全体と考え なくてはならない。 だから一階論理では式には書けない例外の仕掛けとやらで 可算モデルだの超準モデルだの考えてもいいが、 二階論理ではそういう例外の仕掛けが、「述語全体」と いう規定に反するものとして否定されてしまう。
すみませんが、二つほど解説してもらいたいことがあるのでお願いします。 *二階のZFC2とNGBの関係を解説してください。 *高階論理といっている場合のclassとorderの関係について解説してください。
二階の集合論は Kelly-Morse の集合論と呼ばれ、当然だが 公理化されている。公理化されていないものは二階論理大王様 の脳内のあるらしく常人では近寄り難い。 また Henkin の高階完全性定理は二階論理大王様ご愛読であるら しく 287 で指摘されている小野先生の本にも書いてある。 結論:二階論理は深遠でかつ難解であり二階論理大王様以外 の人には研究できない。
>>309 公理化できないのは二階論理そのものだよ。お分かり?
それは、小野先生の「情報科学における論理」(日本評論社)の
第2章 述語論理の、二階の量化記号の解釈の項の
定理2.13(主構造に関するLK2の不完全性)(p97)
からの帰結
君がいっているのは、その後のHenkinによる
二階の量化に関する条件を”弱めた”(←三回声に出して読め)
一般構造による以下の結果だろう。
定理2.14(一般構造に関するLK2の完全性)(p98)
それは結局二階論理を一階論理で解釈しているだけのこと。
二つの違いが分からないのは、厨房。
>310 やはり、二階論理大王樣にはかないません。さすが大王樣はなんでも お見通しです。大王様のような「明晰な」頭脳と「明解な」説明のおでき になる方のみが二階に登ることができるのでしょう。とても猿には無理 です。(「」で囲まれたものは形式的対象であり、色々モデルで種々の 解釈がされることに注意。)
>310 二階論理大王樣、308 は猿めではございませんので僭越ながらお答えになった 方がよろしいかと思いますが。
訂正:Kelly-Moore の間違いでした。
>>311 >「明晰な」頭脳と「明解な」説明のおできになる方のみが
>二階に登ることができるのでしょう。
>(「」で囲まれたものは形式的対象であり、
>色々モデルで種々の解釈がされることに注意。)
もしかして君は、自然数論のstandard modelを
「集合論のモデルを一つ決めた場合に、
その中で、部分集合を解釈してできたモデル」
と考えているのかな?
それは半歩前進だが、半歩踏み込みが足りない。
つまり、それでは集合論のstandard modelと
いう言葉を理解できない筈だからである。
また間違えていました。Kelly Morse set theory でよかったでした。 2人の名前を並べたものだと思っていたのですが、1人の名前みたい ですね。
>>308 二階論理大王は自分の言いだしたことなのに何故か、この質問に答えて
いません。それで、質問の意図を伺います。
1 は基本的には ZFC2 というのが何なのか?という質問なのでしょうか?
2 は class および order はどのように定義されるのか? という質問
なのでしょうか?
>>316 1についてはその点が特に聞きたいです、
Kelly Morse set theoryならZFCやNBGと違っても不思議がないですから。
2に関してはsimple type logicでないのかなという疑念がよぎりましたので。
2階の「分出公理」が述語自体ののorderを使っているのかなということからの疑問です。
どのような観点から解釈しても「明解な」説明にしか見えないのだが・・・
>>317 たぶん形式化されないものをさしているのではないか?と予想して
います。しかし、公理を書き出せないものに対して強制法も応用で
きるというのだから、二階論理大王の頭のなかの「明解さ」は想像
を絶する。2の疑問も当然の疑問だと思いますが、定式化されてない
ものに対して、二階という概念があるのも素晴らしい。
二階論理大王はその筋でかなり有名な方なのではないでしょうか?
ZFC2はZFCの置換公理の図式を、二階の全称量化子を持つ 一つの公理に置き換えたもの。
>2に関してはsimple type logicでないのかなという疑念がよぎりましたので。 それは何故? >2階の「分出公理」が述語自体のorderを使っているのかなということからの疑問です。 単純にclass毎の量化子を用いているだけじゃないかな。
>>319 >たぶん形式化されないものをさしているのではないか?
最初から、二階論理は形式化されないといっているのだが
それは、間違っていると叫び続ける一階論理愛好家が一人いるね。
>しかし、公理を書き出せないものに対して
>強制法も応用できるというのだから
強制法、強制法と繰り返しているが、
君が真にいうべきなのはgeneric set
なのではないかな?
>>305 では、強制法マンセーの304を挑発するために最後の一文を書いた。
その真意は、本当に有難いのは”強制法”じゃないでしょう?ということ。
>>322 forcingよりもgeneric set、というのも本質的でないな。
やはり本質は、compactnessであり、completenessだな。
そういう前提があってこそ、forcingが有難いというなら
ごもっともだが、それならそれで
>>304 のような奇怪な
forcing礼賛などせずに、単刀直入に
「完全性定理マンセー、コンパクト性定理マンセー」
といえばいいんじゃないかい?一階論理愛好家クン。
>>320 二階論理大王樣、308 の質問、ZFC2 と NGB の関係について、
に対するお答えがまだのようです。
>>324 定義は明らかだから、自分で考えられるよね。
加護天使は自分の質問に答えられるかな?
基礎論を始めようと思い、そこら辺にあった本を読み始めたのですが、 その本は、 「自然数を1階の対象と呼び。。。」という書き出しになってます。 基礎論とはこのように展開されるものなのでしょうか? もしそうなら、自然数の定義はどうすればよいのでしょう? また、基礎論とはどんな理論なのでしょうか?
松本真吾のマヌケがここに出没して、エラソーなことを逝っているようだな。(笑
つーか
>>316 、
>>324 としつこいのは、
NBGもMKも知らなかったんで、
内心アセリまくってる証拠。
前原も田中も明倫館で売っちまえ
今なら高く買ってくれるぞ(プ
NBGはZFCの保存的拡大だから大して変わらない MK(Morse-Kelley)はそれとは違って真の拡大 ただ、MKも二階論理の不完全な推論システムによる理論。 いっとくけど、二階論理の意味論は、推論システムという 構文論とは全く独立に論じられる。分かってるかい?
一階論理上の理論では、推論によって証明可能な命題からなる理論と モデルで恒真となる命題からなる理論を区別する必要が無い。 完全性定理があるから。 でも二階論理ではそういうわけにはいかない。 完全性定理がないから。 だから同じ二階の公理を立てても、その下の論理に関するところで 推論システムによるものと、モデルによるものとで、理論は違ってくる。
集合論を論じるなら四階論理大魔王が出てくるはずなのにな。
334 :
132人目の素数さん :03/03/27 23:27
松本さん、恥ずかしくないですか?
>>334 トンデモ大老「松本真吾之丞」には恥ずかしいと感じるほどのセンスさえも無いのでは?
四階論理大魔王と二階論理大王は、どちらがトンデモ度が上なのれすか?
337 :
132人目の素数さん :03/03/28 06:28
>>336 どちらもオマエと同じくらいのトンデモ。
デムパ君、マツシンに代り四天王入りだな。
>>338 まあ、スルーっしょ
「煽りは放置!」などと連呼する必要さえもない、今日このごろ
戸田山の「論理学をつくる」って数学板での評判はどう ですか?哲学版での評判は良いみたいですが、数学版の 住人の目にはどう映っているのか気になります。
論理学って「作るもの」なの?
数々の論理があるように「つくる」ものには違いがないと思うけれど、 戸田山の「論理学をつくる」の場合はその「つくる」ではないのでは? 私は、読んでないので 並んでいたその本を見たときのおおきいな〜という感想しかありませんでした。
作るのは論理学用語とか論理記号とかであって、論理学理論のほうは「発見するもの」だろうと思うが、どうか?
346 :
132人目の素数さん :03/03/29 03:26
そだな。
347 :
132人目の素数さん :03/03/29 13:35
戸田山の数学に対する態度は,根本的に俺とは違うようだが
戸田山はトだな。
349 :
132人目の素数さん :03/03/29 19:24
レスありがとうございますた。 家にあるんですが、じつは自分もまだ読んでいません。 つくる云々については、まえがきにこんなことが書いてありました。 『こまかなテクニックの習得だけでなく、何故そのようなテクニックが必要なのか、 そのテクニックの有効性と限界はどこにあるか、<略>ということを分かっても らえる教科書を書こう。そのため、すでにできあがっている論理学を天下り式に 解説するというやり方はやめた。まず論理学の目的をはっきりさせた上で、それ を果たすにはどのような道具立てをつくっていけばよいかを考え、次にその道具 立ては目的をきちんと果たしているかを調べ、限界があればさらに良い道具に 改良していく……といった叙述の進め方を採用した。ようするに、この本の中で 論理学を作ってみよう、と考えたのだ。』
>>349 その前書きを考慮しても、
>>345 の言っていることが正論であって、トヤマダは(その名前が示している様に)「ト」だな。(w
・・・別に普通じゃねーの?書名 (と思えるのは漏れが工学系だからかも知れないが) とくにトンデモ扱いされるような内容なの? なんかデンパさんや「ところで〜」さん以外ではしゃぎまくってる人がいるみたいだけど たぶんエムシラやらマツシンやらの名前がでたときだけ活発になるたぐいの方だろうね 最近だとヤマジンとか。計算の複雑さに関する話題になるたびに(略
>>351 そうだ、その通りだ。「工学系」だから、チミはニブイのだ(w
354 :
132人目の素数さん :03/03/30 23:49
355 :
komuronaoki :03/03/31 00:01
>>350 人間の思考方法や言語活動を分析し、そこから論理法則を抽出して
形式的な体系を作り上げる、、、んだから作るでまったくおっけいと
思うが?こういうスタンスからは、発見というよりも、「作る」という
言葉のほうがあうと思うしな。
作る根拠は「発見」だと思うし、その数学的構造も「発見」だと思うが。
体系自体は作られるものだろう。
まあ、俺が非古典論理の研究やってたからそういう感覚かもしれんがな。
>>356 いいや違う。 「ピタゴラスの定理」がピタゴラスがそれを発見する前から存在していた
ように、論理法則も論理体系も、はたまた数学的構造も、人間がそれらを発見する以前から
存在していたものであり、決して、人間が「作る」ものではない。
>>357 横槍スマソだが。
>「ピタゴラスの定理」がピタゴラスがそれを発見する前から存在していた
どうして断言できるの? あなたが唯物論者だからそう思うだけではないの?
唯心論者にとっては、上記引用部分は必ずしも「事実」ではない。
>>358 幼児は「ピタゴラスの定理」など知らぬが、それにもかかわらず、「ピタゴラスの定理」は存在しているのと同様だ。
私は「実在論」の立場にたつ人間であって、マルクスのたぐいの唯物論者などでは断じてない。
362 :
132人目の素数さん :03/04/01 07:26
__-=≡///:: ;; ''ヽ丶 / '' ~ ヾ:::::\ / \:::::\ | 彡::::::| ≡ , 、 |:::::::::| ≡ _≡=-、__, - -=≡=_ 、 |:;;;;;/ | | ,ー● | | ●ー |─´ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ヽ二_,( )\_二/ >6 / < 論理学などは、仏法の観点からすれば、実に些細な取るに足らないことだね。 ここの皆さんも、学会にはいりたまえ! / /( )ヽ |__/ \________________ .| / ⌒`´⌒ ) | | / | | ( |_/ヽ_'\_/ ) | .\ 、 \ ̄  ̄/ヽ / / \ |  ̄ ̄ _// / \ ヽ____/ / \_ ー─ __ / / ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄\ | | \ |\ /| / | | | | / | ハ | \ | | | | \ \ / / | | \| \ ヽ / |/ |___/ヽ___ | | 金 | _|___Λ___|_ <____| |____>
>>360 だからそれが唯物論の考え方なんだってば。
*お ま え*は「実在論」と「唯物論」とを混同しているアッフォ。
>>358 「地面がまるいってことを人間が気づかなかった時代には地面は平らだった」とでも
言いたいのか、アッフォ!!!
>>365 もしかして、ゲーデルの不完全性定理は
実在論に反すると思ってません?
>>365 ハァ? なんでそうなるの?
「地面がまるいってことを人間が気づかなかった時代には、
『地面がまるい、という命題は真である』という命題が存在していなかった」ってだけでしょ。
>>364 今は、実在論か唯物論か、なんてこたぁどうでもいいわけで。
>「ピタゴラスの定理」がピタゴラスがそれを発見する前から存在していた
ってのを認める思想と認めない思想がある、ってのが骨子だろ。
重隅厨じゃないんだから、はぐらかすなよ。
369 :
132人目の素数さん :03/04/01 23:44
__-=≡///:: ;; ''ヽ丶 / '' ~ ヾ:::::\ / \:::::\ | 彡::::::| ≡ , 、 |:::::::::| ≡ _≡=-、__, - -=≡=_ 、 |:;;;;;/ | | ,ー● | | ●ー |─´ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ヽ二_,( )\_二/ >6 / < ここの皆さんも、学会にはいりたまえ! 唯物論が間違いであることがわかります。 / /( )ヽ |__/ \________________ .| / ⌒`´⌒ ) | | / | | ( |_/ヽ_'\_/ ) | .\ 、 \ ̄  ̄/ヽ / / \ |  ̄ ̄ _// / \ ヽ____/ / \_ ー─ __ / / ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄\ | | \ |\ /| / | | | | / | ハ | \ | | | | \ \ / / | | \| \ ヽ / |/ |___/ヽ___ | | 金 | _|___Λ___|_ <____| |____>
学会入ると「奴」にも勝てるようになりますか?
__-=≡///:: ;; ''ヽ丶 / '' ~ ヾ:::::\ / \:::::\ | 彡::::::| ≡ , 、 |:::::::::| ≡ _≡=-、__, - -=≡=_ 、 |:;;;;;/ | | ,ー● | | ●ー |─´ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ヽ二_,( )\_二/ >6 / < 学会にはいれば、スンゴくん、全国500万世帯がキミの味方です。 / /( )ヽ |__/ \________________ .| / ⌒`´⌒ ) | | / | | ( |_/ヽ_'\_/ ) | .\ 、 \ ̄  ̄/ヽ / / \ |  ̄ ̄ _// / \ ヽ____/ / \_ ー─ __ / / ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄\ | | \ |\ /| / | | | | / | ハ | \ | | | | \ \ / / | | \| \ ヽ / |/ |___/ヽ___ | | 金 | _|___Λ___|_ <____| |____>
__-=≡///:: ;; ''ヽ丶 / '' ~ ヾ:::::\ / \:::::\ | 彡::::::| ≡ , 、 |:::::::::| ≡ _≡=-、__, - -=≡=_ 、 |:;;;;;/ | | ,ー● | | ●ー |─´ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ヽ二_,( )\_二/ >6 / < ところで、スンゴくん、「奴」とはいったい誰のことかね? / /( )ヽ |__/ \________________ .| / ⌒`´⌒ ) | | / | | ( |_/ヽ_'\_/ ) | .\ 、 \ ̄  ̄/ヽ / / \ |  ̄ ̄ _// / \ ヽ____/ / \_ ー─ __ / / ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄\ | | \ |\ /| / | | | | / | ハ | \ | | | | \ \ / / | | \| \ ヽ / |/ |___/ヽ___ | | 金 | _|___Λ___|_ <____| |____>
373 :
132人目の素数さん :03/04/02 01:53
>>372 ワスに大恥かかせてネットから追放した、スライシの事だす。
375 :
132人目の素数さん :03/04/02 07:22
>>374 >ワスに大恥かかせてネットから追放した、スライシの事だす。
__-=≡///:: ;; ''ヽ丶
/ '' ~ ヾ:::::\
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≡ , 、 |:::::::::|
≡ _≡=-、__, - -=≡=_ 、 |:;;;;;/
| | ,ー● | | ●ー |─´ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ヽ二_,( )\_二/ >6 / < それはおかしいではないかね、スンゴくん。 現にキミはそうやってネットに出てきているのだから。
/ /( )ヽ |__/ \________________
.| / ⌒`´⌒ ) |
| / | |
( |_/ヽ_'\_/ ) |
.\ 、 \ ̄  ̄/ヽ / /
\ |  ̄ ̄ _// /
\ ヽ____/ /
\_ ー─ __ /
/ ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄\
| | \ |\ /| / | |
| | / | ハ | \ | |
| | \ \ / / | |
\| \ ヽ / |/
|___/ヽ___ |
| 金 |
_|___Λ___|_
<____| |____>
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ )) ( 从 ノ.ノ ( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\ |:::::: ヽ 丶. |::::.____、_ _,__) (∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー | ( (  ̄ )・・( ̄ i 一宗教団体の分際でEURMSに反抗するなど笑止千万ニダ! ヘ\ .._. )3( .._丿 / \ヽ _二__ノ|\ /⌒ヽ. \__/\i/\_| | ヽ \o \ | | \o \
>>375 ワスが2ちゃんにしか出没できなくなったのは、全部スライシの所為だす。
このままでは口惜しくて成仏できねえだす。
379 :
132人目の素数さん :03/04/02 14:56
__-=≡///:: ;; ''ヽ丶 / '' ~ ヾ:::::\ / \:::::\ | 彡::::::| ≡ , 、 |:::::::::| ≡ _≡=-、__, - -=≡=_ 、 |:;;;;;/ | | ,ー● | | ●ー |─´ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ヽ二_,( )\_二/ >6 / < スンゴくん、学会にはいって、毎日、御題目を唱えるようにしたまえ。そうすれば、キミも必ず成仏できるんだよ。 / /( )ヽ |__/ \________________ .| / ⌒`´⌒ ) | | / | | ( |_/ヽ_'\_/ ) | .\ 、 \ ̄  ̄/ヽ / / \ |  ̄ ̄ _// / \ ヽ____/ / \_ ー─ __ / / ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄\ | | \ |\ /| / | | | | / | ハ | \ | | | | \ \ / / | | \| \ ヽ / |/ |___/ヽ___ | | 金 | _|___Λ___|_ <____| |____>
381 :
132人目の素数さん :03/04/02 15:22
__-=≡///:: ;; ''ヽ丶 / '' ~ ヾ:::::\ / \:::::\ | 彡::::::| ≡ , 、 |:::::::::| ≡ _≡=-、__, - -=≡=_ 、 |:;;;;;/ | | ,ー● | | ●ー |─´ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ヽ二_,( )\_二/ >6 / < ところで、「スンゴ」ってのはいったい誰のことかね? / /( )ヽ |__/ \________________ .| / ⌒`´⌒ ) | | / | | ( |_/ヽ_'\_/ ) | .\ 、 \ ̄  ̄/ヽ / / \ |  ̄ ̄ _// / \ ヽ____/ / \_ ー─ __ / / ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄\ | | \ |\ /| / | | | | / | ハ | \ | | | | \ \ / / | | \| \ ヽ / |/ |___/ヽ___ | | 金 | _|___Λ___|_ <____| |____>
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ )) ( 从 ノ.ノ ( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\ |:::::: ヽ 丶. |::::.____、_ _,__) (∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー | ( (  ̄ )・・( ̄ i Mシライシことパク同士は任務を忘れてるニダ! ヘ\ .._. )3( .._丿 / \ヽ _二__ノ|\ /⌒ヽ. \__/\i/\_| | ヽ \o \ | | \o \
Mシライシことペク・チョン(白丁)同士の 日本での任務は欧米の帝国主義的 論理学界に対する破壊工作 そのためにわざわざ東海(日本海)を 横断して鳥取の海岸から潜入したのでは なかったのか。 それがfjとか2chとかいう日本の堕落した ネット文化に耽溺して下らぬ罵倒合戦に血道を あげるとは何事ぞ。
384 :
132人目の素数さん :03/04/02 17:29
"同志"のことを"同士"と書くようなヤシは「アッフォ」(爆笑
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ )) ( 从 ノ.ノ ( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\ |:::::: ヽ 丶. |::::.____、_ _,__) (∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー | ( (  ̄ )・・( ̄ i ペク同志は朝鮮人の癖に漢字を愛好するのは怪しからんニダ! ヘ\ .._. )3( .._丿 / \ヽ _二__ノ|\ /⌒ヽ. \__/\i/\_| | ヽ \o \ | | \o \
386 :
132人目の素数さん :03/04/02 23:26
>>385 "同志"のことを"同士"と書いたことの間違いを指摘されて、やっとそのことに気がついたか、アッフォ!(爆笑
「作る」派が書いた論文でも、「発見」派が読めば「発見」であり、 「発見」派が書いた論文もまた、「作る」派が読めば「作る」だな。
そだな、おまえのようなバカから見れば。
基礎論はおろか数学もろくに知らない癖に、エムシラとかマツシンとかの話題でしか 盛り上がれない厨房が、隔離スレッドを抜け出して他のスレを荒らしていると 聞いてやってきたのですが、このスレのことですか?
「基礎論はおろか数学もろくに知らない」つーのは、ほかでもない、オマエ自身のことだ(爆笑
>>389 >聞いてやってきた
ってことは、オマエ自身が「隔離スレッドを抜け出して」やって来たってことだな(w
>390-391 意味不明 核心突かれたからって錯乱すんな 迷惑なんでさっさと巣穴に帰ってください
393 :
132人目の素数さん :03/04/03 04:58
>>389 そういう言い方するから、同じレベルの煽りが反応してしまうんだよ。
少しは気をつけてくれ。
ゴメソ 最近どのスレ見てもあんなのばっかりわいてて、ついつい・・・
__-=≡///:: ;; ''ヽ丶 / '' ~ ヾ:::::\ / \:::::\ | 彡::::::| ≡ , 、 |:::::::::| ≡ _≡=-、__, - -=≡=_ 、 |:;;;;;/ | | ,ー● | | ●ー |─´ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ヽ二_,( )\_二/ >6 / < くどいようだが、「スンゴ」ってのはいったい誰のことかね? / /( )ヽ |__/ \________________ .| / ⌒`´⌒ ) | | / | | ( |_/ヽ_'\_/ ) | .\ 、 \ ̄  ̄/ヽ / / \ |  ̄ ̄ _// / \ ヽ____/ / \_ ー─ __ / / ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄\ | | \ |\ /| / | | | | / | ハ | \ | | | | \ \ / / | | \| \ ヽ / |/ |___/ヽ___ | | 金 | _|___Λ___|_ <____| |____>
>>396 ワスの事と思われ。
/:::::::::::::::::::::\
/::::::::::::::::::::::::::::::::\
|:::::::::::|_|_|_|_|_|
|_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ
|::( 6 ー─◎─◎ )
|ノ (∵∴∪( o o)∴)
| < ∵ 3 ∵>
/\ └ ___ ノ
.\\U ___ノ\
\\_○○_) ヽ
誰も彼もがワスの悪口を言っているような気しっす。 /:::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::|_|_|_|_|_| |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) |ノ (∵∴∪( o o)∴) | < ∵ 3 ∵> /\ └ ___ ノ .\\U ___ノ\ \\_○○_) ヽ
あらしはさったかな?
「木」と書いてキミは何を連想する?
>>402 マジなんじゃないの?
訳した人は哲学者としてはまともだろうが、哲学の人は数学の定理
を解釈するのが仕事で証明をしっかり勉強するわけでなく概略を
追うだけだから。この人が数学科出身だというのも本当だが数学科
にはよく出来ない学生だって沢山いるだろう。
>あらしはさったかな? いいや、今度は猛烈な台風が来るらしいYO。
ワスは、「さる御方」の逆鱗に触れてすまい、幽霊になってすまったッス。 こわいッス。 /:::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::|_|_|_|_|_| |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) |ノ (∵∴∪( o o)∴) | < ∵ 3 ∵> /\ └ ___ ノ .\\U ___ノ\ \\_○○_) ヽ
そういうのって名誉毀損なんじゃないの? IP記録されてるよ。本人が動けば不味いかも??
ほっとけ。407自体も自作自演ならもう何も言うまい
>>403 日本の大学の制度上、logic は文学部哲学科も入ってるからねえ。
「哲学者」とか言っても人によるぞ。もちろん、ぜんぜん計算できない
人もいるが(笑)
大出晃とかに、証明をしっかり勉強するわけでなく、、とかいう
のはどうかなあ。
410 :
132人目の素数さん :03/04/13 20:33
>>402 八杉先生は信用していいと思うけど
漏れ自身高橋昌一郎の訳を読んだんだけど、どうしても理解不能な個所があった.
漏れの頭が悪いからか,翻訳が間違っているのか,どっちかな.
>どうしても理解不能な個所があった. 何処?
ノートさがしてるんだけどでてこねー(;´Д`) すまん.チョト時間かかるかも.
414 :
132人目の素数さん :03/04/14 11:41
415 :
132人目の素数さん :03/04/14 21:14
巨大基数についてわかりやすく説明してください
417 :
132人目の素数さん :03/04/15 06:32
仮に410がハッタリで言ってるとしても、 発言内容には何の不思議もない。
あぼーん
>>417 なるほど頭が悪い奴に限って翻訳のせいにする、と
日本の数学基礎論屋は見識が狭いのであてにならない。 G.Boolosの不完全性定理の新しい証明についても 前原昭二が見当違いのコメントしてたし。
421 :
132人目の素数さん :03/04/15 07:43
現代思想 1989年12月号 特集 ゲーデルの宇宙 ブーロス氏の原稿を見て 前原昭二 ”ブーロス氏の原稿を見て、わたくしがまず抵抗を感じたのは、 氏が証明しようとしていることが論理式の真偽に直結している 内容であったことである。わたくしの理解している限り、 ゲーデルの不完全性定理はそのようなものではなかった。” ”ゲーデルの不完全性定理は、真理の概念に関係していない。 また、その証明において、非常に極限した意味にしか真偽の 概念を使用していない。”
>>422 の続き
”ゲーデルの不完全性定理は、一部は無矛盾性という仮定、
他の一部はω無矛盾性という仮定のもとで述べられる。
それに比して、ブーロス氏の不完全性定理は、非常に
強い仮定のもとで述べられている。仮定が強いということは、
定理が弱いということである。ブーロス氏の不完全性定理の
弱さは、第二不完全性定理を考えてみると、すぐにわかる。
ゲーデルの不完全性定理からは、
ある体系の無矛盾性の証明は、その体系の中ではできない
という第二不完全性定理が導かれる。しかしブーロス氏の
不完全性定理は弱すぎて、この種の結論を導くことができ
ない。ブーロス氏の原稿の表題は
「弱い形の不完全性定理の証明」
とすべきで、「ゲーデルの…」ではないはずである。”
>>423 の補足
上記文中の”非常に強い仮定”とは
「アウトプットに偽なセンテンスを含まないアルゴリズム」
通常の演繹的体系に即して言えば「証明できるセンテンスが
すべて真になるような体系」
>>423 の続き
”悪口が過ぎたようなので、少しお世辞もいっておこう。
ベリーのパラドックスという、誰も知っていながら誰も
形式化しなかったもの、それに目をつけたアイデアは
評価すべきである。結果そのものは以上の通りであるが、
それをより良くしたら面白い。”
前原氏の批評を見て、わたくしがまず抵抗を感じたのは、 氏が批判しようとしていることが無矛盾性証明に直結している 内容であったことである。わたくしの理解している限り、 ブーロス氏の新証明のポイントはそのようなことではなかった。 新証明で、真偽の概念は本質的ではない。つまり、これを 前原氏の御望みのように書きかえることは困難な仕事ではない。
>>426 の続き
前原氏は、ブーロスの結果から、第二不完全性定理は出ないと
云っている。これだけだと、ブーロス氏の新証明のアイデアその
ものの問題のようにも聞こえるが実際にはそうではない。
実際、日本の菊池誠氏は、ブーロスの結果から第二不完全性
定理を証明した(田中一之氏の著書の中のコメントより)
>>427 悪口が過ぎたようなので、少しお世辞もいっておこう。(w
前原氏が、ブーロス氏のベリーのパラドックスを用いた新証明の
発想自体を評価していることは、評価すべきである。
”無矛盾性証明”という個人的な興味に基づいた枝葉末節の
問題点に拘泥したコメントがなければ結構だったのだが(w
こいつはアホウ。
こいつがアフォ。
アホウと言えば、大抵はワスのことですが、何か?
(^^)
おまいら皆、天才。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
皆様、ageますがよろしいでしょうか?
410さんのノートは出てきたのかな
shelahのあの馬鹿高い本はどこかの図書館においてないかな・・・
>>315 > また間違えていました。Kelly Morse set theory でよかったでした。
> 2人の名前を並べたものだと思っていたのですが、1人の名前みたい
> ですね。
いや、二人の名前で合ってると思いますよ。Morse というのは Anthony Perry Morse
(1911-84) のことで、Kelley というのは、有名な General Topology (Springer)
を書いている John L. Kelley (1916-99) のことです。二人とも、Berkeley の数学者。
菊池誠さんね。ホワイトライトの解説は菊池さんじゃなかったっけ。 ということで、ホワイトライトの復刊を激しく希望しよう。
>>440 その菊池誠さんは、物理の人で、
>>427 の人とは別人でしょう。
たしか掲示板でもそんなこといってたような。
数学板で釣りをする奴などいない もしいても、釣られる奴などいる筈がない
omoroinakonosure
誰か寝た触れ
446 :
132人目の素数さん :03/05/06 11:29
ネタねえ・・・ みんな学振出してみた? などと.
基礎論なぜなに?
質問スレ色の強いこのスレで、わざわざネタ振る必要はない気がするが…
だれか質問しる!!!
エネミー0(ゼロ)の続編は、何故エネミー1(いち)ではないのですか?
エネミー{0}だからでつ
またーり下がるもまた良し
基礎論とは関係ないけど、 エネミーゼロというと飯野氏のあのゲームしか 思いつかないんだけど、あれのこと言ってるのかな。
完全なのに不完全なんですか? うむむ、頭いい連中の言うことは、わけワッカンネー
Shoenfield の Mathematical Logic ってそんなに良い本なの?
めんてあげ。 不完全性定理がどうとか、完全性定理がどうとか、教養の論理のレポートがどうとかは ここで聞いてね!!
>>455 > 完全なのに不完全なんですか?
完全性定理と不完全性定理は矛盾しているように
聞こえるかもしれませんが、先ず
それぞれの”完全性”は、言葉としては同じですが、
意味が違っています。(つまり、同音異義語なのです。)
さらに、
完全性定理は述語論理の定理
不完全性定理は自然数論の定理
なのです。つまり、それぞれの定理が成立している
土台が違っています。
ですので、まったく矛盾するものではないのです。
#なお、この説明は初心者向けのかなり大雑把なものです。
#きちんと理解したいのであれば、基礎論等の教科書をお読み下さい。
>>460 “同音異義語”というより、“同綴異義語”というべきだろうが!
同音異義語というのは、例えば、「童話」と「同和」の様に、綴りは違う(従って、意味は、当然、違う)が、発音は同じ語のことだYO。
"YO"ですか…
> ■homorafo:同綴異義語 > 綴りが同じで意味が異なるもの。同音異義語の一種。 「同音異義語の一種」とありますが・・・
浅学菲才の狷介固陋クン。虎になっちゃうZO!
>>462
次は"ZO"ですか・・・
次はHO!をするべきだな。
>>462 はエムシラ?
あからさまにヤマジンを意識した例の挙げ方がなんとも。
実に論理的な展開だな・・・ ただし論理的というのは2chにおける論理的ということだが・・・
ここは、「童話」と「同和」との関係について議論するスレに変わりますた。
“同綴異義語”といったほうが正確だと言っておるのだ。 何んぞ、文句があるか?
×正確 ○限定的 正確=「正しくて誤りのないようす」
「正確」というより、「的確」でしょうな。
そこだけマニアックな言葉使って厳密にしても ショーモナーかと・・・
もうすぐ記念日だというのに
Mendelsonの"Introduction to Mathematical Logic"って 読んだ香具師いる?どんな内容?
478 :
132人目の素数さん :03/05/16 01:10
>>477 アマゾンで目次見たけど,内容がてんこ盛りだな.
でも,ハードカバーだから高い買い物のような・・・.
どうせ1万だすなら,"Handbook of Mathematical Logic"のほうがお買い得かも.
>Mendelson ドツト込むで見たら売れてるみたいだけど・・・
cut除去定理と完全性定理は同値なのでしょうか?
>>481 どこでそういう知識を手に入れたのかに興味あり
>>482 廣瀬・横田著「ゲーデルの世界」(海鳴社)p.139より
『ゲンツェンは……三段論法を用いて証明できるものはそれを用いなくて
も証明できるという「基本定理」の証明をおこなった。この定理はゲーデ
ルの完全性定理と(述語論理の完全性という意味で)同値であることがわ
かっているが……』
古典一階述語論理の完全性は基本定理と同値なのか・・・ ちなみに非古典論理だと,完全だけどカット除去できない体系もあるよ.
Taitの系だと、 cut消去⇔証明木による真偽⇔完全性
高階述語論理は古典論理?それとも非古典論理?
>>479 ソチたちの如き「時代遅れのウツケども」が読むには、Mendelsonの"Introduction to Mathematical Logic"は、うってつけの本だ。
# 但し、批判的に読まずして、書いてあることを鵜呑みにすると、ソチたちのアタマは「トンデモ助平町人マツシン痰」となろう。(w
# 1980年以降、日本語で出版された論理学書の大半はこの本をベースにしている。
# 将来的には、20世紀の標準理論のどこがどういうふうに間違っていたかの「資料」として、価値を持とう。
キ…(-_-)キ(_- )キ!(- )キッ!( )キタ(. ゜)キタ!( ゜∀)キタ!!( ゜∀゜)キタ━━━!!!!!
やはり、ここは、M_SHIRAISHI大先生にケムブリッジで「大講演」を打ってもらわんことには、始まらんな ---- マジで。
491 :
132人目の素数さん :03/05/20 01:44
本物のエムシラってsage憶えてるの?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━<工事中>―━―━―━―━―━[JR山崎駅]━―━―━―━―━<脱線・転覆>―━―━―━―━―
おはよー!
━―━―━―━<通行止>━―━―━―━―━[JR 松本駅]━―━―━―━―━<脱線・転覆>━―━―━―━― ↑ マツシン飛び込み自殺現場
Shoenfieldのって どのくらいの予備知識が必要ですか?
>>478 図書館でコピーすれば安いよ。
全ページコピーは著作権法違反になるから駄目だけど。
Shoenfieldの本がアマゾン(日本)でカートに入らない(マジ)のは 仕様ですか?
数論初学者の学部1年生です。 わからんスレで質問したらこちらへ誘導されました。 教養学部の理数工専攻なんで、いわゆる数学科のかたよりも おもいっきしレベル低いです。 A_1∧A_2∧A_3∧…∧A_n = ¬(¬A_1∨¬A_2∨¬A_3∨…∨¬A_n) という、いわゆるド・モルガンの法則ですが これは項が無限個の(有限個でない)場合にも適応できるのでしょうか? また、できないとしたら、どのような時ですか? どうかよろしくご指導お願いします。
>>498 自分で読むだけなら全ページコピーしても無罪
>>501 基本的に半分以上コピーした時点で違法です。
著作権法を読めば分かります。
【図書館資料の複写】であることに注意です。
>>500 i) 通常のブール代数の場合、完備ならば(=集合代数、と考えてよろしい
でしょうか?)、意味的に考えて、成り立つように思うのですが。
ii) 有限個の場合にA_1∧…∧A_n = ¬(¬A_1∨…∨¬A_n)が成り立つにも
関わらず、無限個の場合に成り立たない例をあげよ、と捉えるのが、題意の
自然な解釈だとして。
例えば数直線に普通の位相を入れて、閉集合全体の成す(包含関係に基づく)
束を考えるっす。当然、ブール代数になんか、ならねっす。
で、A_n = [-1/n, 1/n]とおくと、
(¬A_1∨…∨¬A_n…)は数直線全体、つまり(右辺)= ¬(¬A_1∨…∨¬A_n…)
は空集合になりやす。
しかしもちろん(左辺)=(原点)なので、(左辺)≠(右辺)でやんす。
無限論理
まおまそさん、レスありがとうございます。 あれからいろいろと調べてみたのですが、 項の数を数学的帰納法を使って増やしていく証明をみつけました。 通常のブール代数では成り立つと考えてよいようですね。 ところで、ii) の有限個では成り立つが無限個で成り立たない場合なのですが > A_n = [-1/n, 1/n]とおくと、(¬A_1∨…∨¬A_n…)は数直線全体 というところがよくわかりません。なぜ原点は除かれないのでしょう?
まおまおさん、失礼しました。 505で、お名前を間違えてしまいました。
>>505 > > A_n = [-1/n, 1/n]とおくと、(¬A_1∨…∨¬A_n…)は数直線全体
> というところがよくわかりません。なぜ原点は除かれないのでしょう?
はい、見ての通り、そこがキモであります。
閉集合全体の成す束、と始めに設定したので、登場人物としては、通常の
位相の意味での閉集合しか出てこないっす。で、件の(右辺)=
(¬A_1∨…∨¬A_n…)は、常識的(?)には「原点以外の点全て」なのです
が、もちろんこれは(開集合ではあっても)閉集合ではないっす。
そもそもjoin S (∨S)の定義は最小上界、つまり「Sの任意の元よりも大きい
元の中で最小の元」ですので、この場合は「(¬A_1∨…∨¬A_n…)の閉包」が
「各¬A_nよりも大きい『閉集合』のうちで、最小の『閉集合』」という
ことになりやす。閉包をとるときに、原点も侵食(?)されるっす。
「何やら、嘘くせぇハナシやなぁ」と思われたとしても、それはそれで 正常な感覚ではないかと。ただ、これはいわゆるHeyting代数の構造(の双対 構造)であって、私が勝手に妙な構造を定義した訳ではないっす(^^; Heyting代数は直観論理との関連で出てくる概念で、Boole代数もHeyting 代数の一種です。まず、直観論理とは何か、ということを説明しますと‥‥。 あ、しまった、私も勉強始めたばかりだった(笑)。という訳で、何か質問 があれば、私なんかよりもマトモな人達に聞いてみて下さい(^^;
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
>>500 添え字が省略するけど、Σxが存在すれば、Σa*xも存在して、
Σa*x=a*Σx
−Σx=Πーx
なら、補元の存在を使って証明できるよ。
それから、分配法則の半分は常に成り立つ、
ΣΠx≦ΠΣx
添え字は省略したけど両辺に現れる上限下限が全て存在する場合。
こむばむは。 僕、あげ丸クンです!
こむばむは。
次は基礎論なぜなになになにスレッドにして下さい
次はありません
しょうがないからノイマン流でいくか、さくせさーにするかだろうなあ。
携帯換えたらスレタイ見れるようにナターヨ
λfz.fffz とか
さくせさーキボン
519 :
132人目の素数さん :03/06/20 08:24
質問なんだけど。 orthomodular latticeって、ブール代数を含んでるよね。 じゃあ、量子論理も、ブール代数を含んでるの? それとも、ブール代数では 成立しない論理式が、量子論理で成立する? スレ違いだったら、スマソ。
>>519 「含んでいる」とか「含んでいない」ってのがどういう意味できいて
いるのかわからない。どのブール代数も古典命題論理のモデルである
というのと同じ意味でどのorthomodular latticeも量子論理のモデル
である。ただ量子論理というのは言葉だけで、これが論理として意味
あるものであるという話は聴いたことがない。
522 :
132人目の素数さん :03/06/20 11:49
量子論理で定理として知られている論理式で、ブール代数において必ずしも 恒真でないものって、ありますか? という質問の仕方だと、OKですか? >ただ量子論理というのは言葉だけで、これが論理として意味 >あるものであるという話は聴いたことがない。 ・・・そ、そういうモンでありますか。 それは、「何の役にも立たない」という意味でありますか? それとも、 それ以前の問題なのでしょうか。
>>522 ブール代数は orthomodular lattice であり、ブール代数ではない
orthomodular lattice がありますから、話が逆でしょう。
量子論理を述語論理として使おうとしても量子力学を記述すること
ができるわけではないという意味で役にたたないということです。
とくに定説というわけでもありませんが。
524 :
132人目の素数さん :03/06/20 13:27
>とくに定説というわけでもありませんが。 いえ、心象というか感想を教えてもらうだけでも、参考になるっす。 Hilbert ortholatticeはorthomodular latticeですよね? ブール代数はHilbert ortholatticeなのでしょうか、それとも Hilbert ortholatticeはブール代数の範疇を逸脱するのでしょうか?
525 :
132人目の素数さん :03/06/20 13:32
ああ、ごめんなさい。最後の行、逆ですよね。 ブール代数はHilbert ortholatticeの範疇を逸脱するのでしょうか? って聞きたかったんです。
>>525 ブール代数は分配律を満たすので modular lattice であり、補元は直交元
になりますから orthomodular lattice になります。 orthomodular lattice
の典型例は内積空間の部分閉空間の全体です。これが(2次元以上なら)
分配律を満たさないことはすぐわかります。「範疇が逸脱する」という
言葉は誤解の原因のように見えます、使わない方がよい言葉ではない
でしょうか?
Hilbert otholattice という言葉は知りませんのであしからず。
527 :
132人目の素数さん :03/06/20 15:48
>「範疇が逸脱する」という言葉は誤解の原因のように見えます、使わない >方がよい言葉ではないでしょうか? 了解しました。 量子論理は、一般のorthomodular latticeよりも真に強い系であり、一般の orthomodular latticeにおいて必ずしも成立しないような論理式を、公理と して持ちます。実際、orthomodular latticeの公理に加えて、無限に公理を 持つことが知られています。 しかし、それらのうちで私が理解したものは、いずれも分配律の弱い形と 同値のようです。つまり、こういった公理でorthomodular latticeを締め付 けても、まだブール代数を中に含んでいる訳です。 で、私の質問は、現在知られている全ての公理で締め付けても、まだなお その中にブール代数を含んでいるのだろうか? ということなのです。
528 :
132人目の素数さん :03/06/20 15:48
>>527 それは失礼いたしました。
あなたのおっしゃる量子論理というのは、どのような公理なのでしょうか?
たとえば、分配律は成立しないことを公理に採用すれば、当然、ブール代数
は除外されるわけですが?
530 :
132人目の素数さん :03/06/20 16:51
>それは失礼いたしました。 いえ、色々と教えて頂いて、参考になります。 >あなたのおっしゃる量子論理というのは、 Hilbert空間の部分閉空間の全体のなす束、ということだと思います。 全ての公理が同定されている訳ではない、と思いますので、私の質問自体、 「現在知られている限りで」という但し書き付きになりますが。
>>530 それなら、529にあるように、「3元があって、分配律不成立」という
論理式が成立してますからブール代数は排除されますね。
532 :
132人目の素数さん :03/06/20 20:35
なるほど。 いろいろと、どうもありがとうございました。
ところで、基礎論て数学なんですか? 論理学の一種では?
数理論理学が基礎論の一種。 基礎論はメタ数学であるがそれも数学の一種。
536 :
132人目の素数さん :03/06/21 20:41
数学は論理学の1分野に過ぎないよ。所詮は論理学の中で踊っているだけさ。
しかしそのモデル板、激しく過疎版だな
量子論理が分配則を否定を公理に持つあるけど、あれは分配則が弱まってて、 一般的には成立しなくなってるだけじゃなかったっけ? 量子論理+分配則 → 矛盾 とはならなかったよね??それともなるんだっけ?
>>540 量子論理の定義による。大体、量子論理というのは古典述語論理とか
直観主義命題論理というような、多くのひとの共通認識のあるものでは
ないので、529,530,531 のようなやりとりになっているのではないで
しょうか?
直観主義量子論理を定義して下さいませんか
>>542 それは最強の論理!
つまり公理は一つだけ、矛盾。
直観主義多様相論理を定義して下さいませんか
>>544 うーん、うーん、うーん、何だ! そりゃ?
>>544 直観論理ベースの様相論理ならいくつか体系があるけど。
OrthomodularだがModularでない例って、何かありますかね?
>>548 ヒルベルト空間の閉部分空間、直交を否定と読んで。
>>546 あったはずに訂正。
古典論理からみると「直観論理で証明できる」が様相になる。
>>549 Intuitionistic Modal Logic でぐぐれば山のように論文が、、
元数学科学生 「知的な刺激を受けるには、近くの大学で開催される (数学基礎論の)研究集会・講演会を探して 参加してみると良いと思います。」 某ロジシャン 「・・・野矢さんが書かれたものからの興味なら、 数学関係のセミナーは避けるべきです。 野矢さん、内井さん、高橋昌一郎さんなど、 一般向けのゲーデルを書かれる方は、哲学の方で、 これらの方が、書かれるものは、現在、日本で 数学基礎論と称しているものとは、全然違う ものなのです。 たとえば、これらの方と、日本数学会・数学基礎論 分科会とは実質交流ゼロです。 哲学の方たちが書かれる「数学基礎論」は、 私が興味を持っているような、1930年ころまでの 数学基礎論で、現代日本の数学者が「数学基礎論」 と呼んでいるものの殆どは、海外では logic, mathematical logic,symbolic logic と呼ばれている ものなのです。」
元数学科学生 「昔々大学院で証明論を学んだことがあるので、」 某ロジシャン 「日本には、生半可に不完全性定理が分かっている (と思っている)人が嫌になるほど多いのです。 これらの人は、妙にプライドがあるだけに、 実に厄介です。(^^;)」
生半可に分かっている人 @)ツェルメロの公理的集合論によって、 ラッセルのパラドクスが提示した 「集合の全体」の問題が解決したと思い込む人 A)ゲンツェンの無矛盾性証明によって、 ゲーデルの不完全性定理が提示した 「証明の妥当性」の問題が解決したと思い込む人
そして B)コーエンのフォーシングによって、 カントルの連続体仮説が提示した 濃度の問題が解決したと思い込む人
昨日、近所のゲーデルBBS行ったんです。ゲーデルBBS そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。 で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、素人歓迎、玄人お断り、とか書いてあるんです。 もうね。アホかと。馬鹿かと。 お前らな、素人歓迎如きで普段書かないゲーデルBBSに書いてんじゃねーよ。ボケが。 素人だよ。素人。 なんか親子連れとかもいるし、一家4人でゲーデルBBSか。 おめでてーな。 よーしパパ実無限疑っちゃうぞー、とか言ってるの。 もう見てらんない。 お前らな、素人掲示板つくってやるから書き込みやめろと。 ゲーデルBBSってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。 直前にカキコした奴といつ喧嘩になってもおかしくない。 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。 女子供は、すっこんでろ。 で、やっと書き込めたかと思ったら、直後の奴が、証明論学んだもんで、とか言ってるんです。 そこでまたブチ切れですよ。 あのな、証明論なんてきょうび流行んねーんだよ。 ボケが。 得意げな顔して何が、証明論、だ。 お前は本当に証明論を知ってるのかと問いたい。 問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。 お前、証明論学んだって言いたいだけちゃうんかと。 ゲーデルBBS通の俺から言わせてもらえば、今、ゲーデルBBSでの最新流行といえば、やっぱり、不動点、これだね。 自己印刷もベリーのパラドックスも不動点 これが通のカキコミ 自己印刷ってのは、自分が印刷できちゃう。 そん代わり、「自分」という言葉はない。これ。 で、それに、ベリーのパラドックス。これ最強。 しかしこれを書くと次から管理人にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。 素人にはお薦めできない。 まお前ら半可通は、楕円曲線の有理点でも計算してなさいってこった。
20点
コーエンのフォーシングを学ぶにはどうすれば?
ヒルベルト空間の閉部分空間の、たとえばどんな具体例が 「a<c だけど a∨(b∧c)≠(a∨b)∧c」 になるんでしょか。 有限次元の閉部分空間で、このような反例がありまつか。
559 :
132人目の素数さん :03/07/08 08:15
おまいら、たまにはageませんか?
age
無限には、可算無限と非可算無限の2種類があるとゆうことを聞きました。 では、有限も可算有限と非可算有限の2種類に分けるというアイデアは どうですか。 割と新発見なのでは、とは思っています。
あなたの言う非可算有限とは、言い換えると区間のことでは? そう考えれば、非可算有限=無限ということになるような気がするが…。
>>561 実際に分けて見せてくれないとあまりコメントのしようがないような気がする
でないと新発見かどうかも分からないんじゃなかろうか
加算有限って具体的にどんなのですか
非加算有限って具体的にどんなのですか
有限は無限にありますよ。 1,2,3,…
567 :
132人目の素数さん :03/07/09 19:58
>>558 それぞれx, y, z軸じゃ駄目なの?
569 :
132人目の素数さん :03/07/10 08:14
>>569 え、何か問題ある?
a<c⇔aがcを真に含む
だと思ってたんだけどもしかして違いますか
>>571 何か矛盾があるなら具体的に指摘してください
>>572 571 ではないが、コメント。
modular 則は加群の部分加群の全体の束で満たされている。同様の
理由でヒルベルト空間の閉部分空間全体のなす束でも満たされている。
だから 548 の求める束は自然なものとしては存在するはずがない。
>>548 反例はあると思う。本当にしりたいなら、その背景を提示されたし。
>>573 確かに成り立ってますね
さっき計算したら確認できました
>>569 の指摘はそういう意味だったんでしょうか?
>>574 本人ではないからわかりません。
調べると昔の論文で、complemented で weakly modular (つまり orthomodular ) な束が modular となる必要十分条件に関する論文が Pacific J. からでて
いますからそれには書いてあるのでしょう。前田周一郎著の「束論、、、」
には書いてあるかもしれない。
a, bがヒルベルト空間の閉部分空間だとして、a∨bも閉集合になるっすか?
>>576 一般には閉部分空間の和は閉とは限らないので、閉包をとるんでは?
578 :
132人目の素数さん :03/07/11 15:52
>>577 じゃあさ、a, b, cをヒルベルト空間の閉部分空間としてさ。
a∨bを、閉包をとる前の素朴なspanning {x+y | x∈a, y∈b}だとしてさ。
>>573 の言ってることってのは、a≦cのときにmodular 則
a∨(b∧c) = (a∨b)∧c
が成り立つってことやろ?
で、Cl (a∨(b∧c)) = (Cl (a∨b))∧cも成り立つん??
Cl (a∨(b∧c)) ≦ (Cl (a∨b))∧cは簡単に出るけど 逆はどうやったのか忘れてしまいました というかできたと思ったのが単なる勘違いだったかも
580 :
132人目の素数さん :03/07/11 17:26
そもそも、
>>577 の「閉部分空間の和は閉とは限らない」の
具体例って、どんなのがあるんすか。
>>576 ヒルベルト空間の閉部分空間の和は閉である。
A,B を閉部分空間,A の直交補空間を C とすれば
A+B は A+(B\cap C) となる。 A への射影を使って
このことの証明がでぃる。573はそれが前提。
583 :
132人目の素数さん :03/07/11 18:17
capって、∧のことでつか? Bが「ナナメ」でも、そんなことが言えるんかいのう・・・
p_C(B)のつもりで書いたのだけど、p_C(B)が閉部分空間 になることが成立することをいわないといけないな。 だから「ヒルベルト空間の閉部分空間の和は閉である」 があってるかどうかわからなくなっちゃたな。失礼!
えーと、混乱してきましたが、とりあえず 有限次元部分空間は閉 閉部分空間と有限次元部分空間の和は閉 なので有限次元なら反例なし。 Norm空間なら閉部分空間の和は一般には閉でないです。 どんな例があるのかは忘れたけど・・・
>>586 ヒルベルト空間がよくわからなかったため 549 の答えが正しい
ことがわからなかったので考えてみました。これでどうでしょう。
a_n, b_n n=1,2,... が正規直交基底をなしているとき、
A を a_n n=1,2,... で生成される閉部分空間とする。
B を A と Σ(1/n)b_n で生成される閉部分空間とする。
( B/A は一次元)
C を (1- 1/n)^(1/2)a_n + (1/n)^(1/2)b_n n=1,2,... で生成される
閉部分空間とする。(C の正規直交基底とっている。)
A+C は b_n を含んでいるから閉包をとれば全空間となる。
つまり、B∧(A∨C) = B
ところで C の要素は
Σλ_n ((1- 1/n)^(1/2)a_n + (1/n)^(1/2)b_n ) で Σ(λ_n)^2 < ∞ の形、
B の要素は
Σμ_n a_n + μΣ(1/n)b_nで Σ(μ_n)^2 < ∞ の形だから b_n の係数に
着目すると B∧C は 0 空間となる。
よって、 B∧(A∨C) = B と A∨(B∧C) = A は等しくない。
あっていれば、自然な例だからこれが普通の反例なのかなと思いますが。
>>587 その推論自体は正しそうですがそれだとA<Cにならないのでは?
>>588 A が B の部分空間であるとき、
B∧(A∨C) = A∨(B∧C) がモジュラー則が成立することだと
思っています。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>587 > A+C は b_n を含んでいるから閉包をとれば全空間となる。
っていうところ、閉包を取らずとも全空間になると考えても良いですか?
それにしても、凄く賢いですね。一体、どういう着想でこういった例を
思いつくんでしょうか?
それとも単に、家にモノリスとかがあって、一晩寝ただけで脳味噌が
勝手に進化するんでつか?
A+Cが前空間だとすると B = B∧(A+C) = A+(B∧C) ≦ A∨(B∧C) = A となって矛盾。 二番目の等号は、部分加群全体ならmodularだから。
>>592 593 さんの答えがあるので、余計ですが Σ(1/n)b_nが A+C に
入らないことが直接しめせます。
考え方ですが、昨日の585などから、射影が閉空間にならない
例を作ろうとしました。射影は一般に閉写像ではないことが
知られています。例えば、tan x の (−π/2,π/2)のグラフは
平面で閉集合ですが、射影したものは開区間ですから閉集合で
はありません。これをヒルベルト空間にもっていけばよいと思い
ました。それで、1/n の和が収束しないことに引っ掛ければよい
だろうと考えて、ずいぶん考えましたよ。射影で閉空間とならない
例ができれば、modular則をしめそうとした場合の要点がそこに
あるのだから、反例になるだろうと考えて、、、です。
簡単に思いつくほど頭がよいわけではありません。
完全に出遅れた、ごめん。
2チャソにおいては出遅れは問題ない なにしろ2チャソだから
出遅れたはいえ、言ってたことは合ってたんだからな。
>>587 が優秀なのは明らかだが、加護ハンも流石によくご存知でやんす。
ついでに、非可算有限についてもコメントしてくれたらソンケー(w
598 :
132人目の素数さん :03/07/15 10:35
可算有限age
不完全性定理っていうくらいだから、証明そのものも不完全なんじゃ ないですか
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
で、非加算有限の話はどうなつたですか・・・
ソンケーされてみよう(W
>>561 可算・有限のそれぞれの定義を確かめ直してみることをお奨めします。
感覚的にはこんな定義です。
(高々)可算:自然数からのそれへの上への関数が存在する(数えられる)
有限:自然数の真部分集合への1対1関数が存在する(数えれきれる)
簡単に言うと、非可算有限はありません。
#(知らないけど)巨大基数での無限基数の構造やモデルで、
#”有限のような”性質が成り立つとかの話ではないと思う。
>>599 「この機械は壊れている」という発言が壊れていないように、
不完全性定理の証明は不完全ではない。
>>602 いちおう、可算選択公理のある世界での話です。
>>602 有限の説明がなんか変でないですか?
有界でないと・・・
>>602 もうちょっと前の段階から確かめ直してみると面白いような気が・・・
自然数を持ち出さない定義を考えてみたり・・・
そしたら、哲学になっちゃうと思うんですけどね。
まあ、基本的に哲学か・・・
>>604 そうですね。有界をいれないと偶数全体が有限になってしまう。
有限の説明をしようとすると、どうも不自然になってしまうなあ。
数えきれるみたいに、説明自身に再帰的に含むと気持ちが悪いし、
デデキント有限では、かえって問題がでそうだし。
単純に考えたら以下の規則で生成されるもの? ・空集合は有限 ・有限集合とシングルトンの和は有限
でも、これだと明らかに再帰的か
>数えきれるみたいに、説明自身に再帰的に含むと気持ちが悪い 仕方ないな。総ての自然数を列挙するわけにはいかないのだから。
>>609 枚挙でなければ再帰的になるのが仕方ないとはどういう理屈ですか?
>>610 そんなこといってないよ。
気持悪いのは、再帰的だからじゃなくて
そもそも有限というものが有限にきっちりと
定義し切れないところにあるからだって
いってるわけ。
612 :
132人目の素数さん :03/07/19 10:36
なあんだ。じゃ、結局、有限の本質はまさしく無限そのものなんだがや? それ以上でも以下でもないんじゃけんね? すべての自然数が、非可算だと思えばナイスずら!
自然数の存在を保障するのが無限公理だからなあ
たしか初代スレで611さんが説明なさってたような>有限
616 :
132人目の素数さん :03/07/21 18:33
お尋ねしたいのですが、不完全性定理に関する質問(宿題系)て受け付けてますか?
>>615 普通に「数学基礎論」のタイトルで立てれば良かったのに。
そのスレタイじゃ哲学の中でも厨房と電波しか寄り付かないよ。
教えてください。 1.不完全性定理の証明において、ゲーデル数のアイディアが用いられる。 このことの意味をヒルベルトのメタ数学の構想との関連で説明せよ。 2.公理的集合論ZFとカントールの素朴集合論 (実は公理系にはなっていないがある公理をもつと考えられる) が、集合についての考え方どのように相違するのか ラッセルのパラドクスの関連で説明せよ。
竹内の証明論入門が絶版で入手困難なのですけど、これに変わる 良き入門書(カット除去定理、ゲーデル、ゲンツェンによる自然 数論の無矛盾性証明、高階論理など)ってありますか?多分、邦 書には無いと思うので、洋書になると思うのですが...。
>>621 2. のヒント
素朴集合論は、仮に公理化するとなると、素朴な内包公理を持つと
考えられる。内包公理とは、「あるものがそれに属するか否かを、
数学的に明確に決定できるならば、集合をつくることができる」と
いう、集合に対する自然な考えをあらわすものである。カントールは
素朴に、そのように 属するか否かを決定できるものすべてを集合と
考えていた。
記号化するならば、
素朴内包公理
∃x ∀y(y∈x ⇔ P(y))(ただし、Pは任意の述語)
となる。
問1
素朴内包公理がラッセルのパラドックスを引き起こすことを説明せよ
問2
ZF にも内包公理と同じようなはたらきをする公理がある。それはなにか?
問3
1)ZFの該当する公理はある集合に関する考え方に基づいて弱められている。
その考え方とはどんなものか?
2)ラッセルのパラドックスがZFでは起らないことを説明せよ。
>>621 1. は、いまいちわからん。授業のノートにはなんて書いてあった?
>>622 A.S.Troelstra,H.SchwichtenbergのBasic Proof Theory
(Cambridge Tracts in Theoretical Computer Science, 43)
ってどうなの?
>問1 素朴内包公理がラッセルのパラドックスを引き起こすことを説明せよ P(x)を¬x∈xとする。素朴内包公理により ∃x ∀y(y∈x ⇔ ¬y∈y) ところがその場合 x∈x⇔¬x∈x となるxが存在することになるので矛盾。
>問2 ZF にも内包公理と同じようなはたらきをする公理がある。それはなにか? 分出公理 ∀a ∃x ∀y(y∈x ⇔ y∈a&P(y))(ただし、Pは任意の述語)
>問31)ZFの該当する公理はある集合に関する考え方に基づいて弱められている。 >その考え方とはどんなものか? 集合は、既にある集合から構成される、という考え方。
>問32)ラッセルのパラドックスがZFでは起らないことを説明せよ。
>>627 の証明と同様に考えた場合
s={x|x∈a&P(x)}がaに含まれると
矛盾することがいえるが、
sがaに含まれなければ矛盾しない。
(内包公理の場合、aとして集合全体を
考えていたので、sがaに含まれないと
集合でない、ということになり、
sが集合であるという公理の主旨に反する)
「公理の趣旨に反する」って、法律学じゃないんだから、 数学らしく書こうよ。
632 :
132人目の素数さん :03/08/02 05:09
>>623 > 問3 2)ラッセルのパラドックスがZFでは起らないことを説明せよ。起らないことは証明できない。
>>632 なぜ証明はできないのかいわなくっちゃいけないんじゃない?
634 :
132人目の素数さん :03/08/02 12:01
「ZFで ∃x ∀y(y∈x ⇔ ¬y∈y)が証明できる」 ならば 「ラッセルのパラドックスがZFで起こる」 の対偶を考え、不完全性定理を適用。
何故、「ラッセルのパラドックスが ZF で起こらない」ことが証明できないか といえば、それは「ラッセルのパラドックスが ZF で起こらない」あるいは 「ラッセルのパラドックスが ZF で起る」ということが論理式で書かれた ものでないからである。つまり、内包公理をもつ公理系は、634 にある形の 論理式を導くため矛盾を起こす。623 の問3(2) は、この矛盾に至る推論のどこが ZF の公理からの推論にならないところか?という問と考えられる。(この 問題を出した人がそこように考えているかはしらないが。) 634 の1行目の論理式は否定が証明可能なのだから、あと不完全性定理が 何とかといっているのは意味不明。
>>636 634 の1行目の論理式は否定が証明可能なのだから、あと不完全性定理が
何とかといっているのは意味不明。
「証明できない」と「否定が証明できる」の区別ができない人がいましたか。
>>637 ∃x ∀y(y∈x ⇔ ¬y∈y)からは述語論理の体系で矛盾が
証明される。だから、述語論理から ¬∃x ∀y(y∈x ⇔ ¬y∈y)
が証明される。
>>638 「ZFで ∃x ∀y(y∈x ⇔ ¬y∈y)が証明できる」の否定は
「ZFで ∃x ∀y(y∈x ⇔ ¬y∈y)が証明できない」で
「ZFで ¬∃x ∀y(y∈x ⇔ ¬y∈y)が証明できる」ではない。
>>639 つまらんこと書き込んでるとマツシンと同じになっちゃうよ!
641 :
132人目の素数さん :03/08/02 19:11
kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk
まあ、ZF が無矛盾であることをいわなければ、ラッセルのパラドックスがおこらない 証明にはならないわけで。
1、 ヒルベルトのメタ数学なら自然数論で 表現できる、みたいな感じなんじゃねーの?
>「公理の趣旨に反する」って、法律学じゃないんだから、 >数学らしく書こうよ。 じゃ、あいぼん、書いてみろよぉ(w
別に難しいことが要求されているわけではないと思うが…
ののたんに斬られたぁ(w
説明せよなんだから、(ZFの無矛盾性が問われてないと考えれば)
分出公理にあやしげな述語を投げ入れて、
(すぐには)矛盾は出ませんよと説明してみせればいい。
ところで、普通、述語P(y)にxを含まないって制限しなかったっけ?
>>628 分出公理
∀a ∃x ∀y(y∈x ⇔ y∈a&P(y))(ただし、Pは任意の述語)
>>647 普通 述語P(y)にxを含まないって制限しますよね。
P(x,y) ≡ ¬ y∈x として a が空集合でなく b∈a として
考えれば分かるけど、この公理から矛盾がでちゃうからね。
矛盾する公理を採用するのって普通じゃないだろうな。
>>647 x を定義するのに、定義の中に被定義項のxが含まれてちゃかっこつかないですからな。
>>648-649 いや、制限無用。
ウソだと思うなら、試してごらん。
集合論の基本だYO!
>>650 何いってだよ、648に矛盾の導き方が書いてあるんだよ。
イマイの爺さんみたいに論理性がなくっちゃダメだよ!
制限無用は言い過ぎだが、自己言及そのものができないということ にしてしまうと、実数論がまともに扱えなくなるので、自己言及そ のものは制限しないのが普通。
名前にsage入れてる…鬱だ。
>>652 「自己言及」って言葉は集合論にはでてこない。また集合論で実数論が
展開できることは当然。多分、自己言及というのは帰納法による定義の
ことをいっているのだと思われる。例えば性質 P(n) が n についての
帰納法で定義される場合 n についての論理式でPの現れないもので定義
できることは
>>650 に書いてある「集合論の基本」だ。あるいは、実数
体をある性質を満たす構造として定義する場合も、同様のことがいえる
というのも当然。
つまり、わかっていないんじゃない?ってこと。
非可述的って用語の方がいいならそうするけど。 例えば、「ワイエルシュトラウスの定理」は、 非可述的表現が禁止されると、表現すら出来ない。 つまり、実数論の基本的な定理は総崩れになって しまうってこと、例えば田中尚夫の 「公理的集合論」(培風館) 辺りを見れば出てるよ。詳しくはその本でも読めれ。
>>652 Pに出現する場合、まったく制限無用なのか、
自由出現(あるいは自由変数x)はゆるされないのか、
を書くと説得力があるよ。
#自由変数を書き落としていたので匿名
>>655 その本のp32−33のことだと思うが、「非述語的定義を許さない」
ということ自体明確な定義のあることではない。よく読めばわかるが
そこに書いてあることは、まだ定義できていない要素を含むような
集合を使ってその集合の要素を定義してはいけない、というキツイ
規則のようだ。しかし、このような規則というのは、公理化の際、
どのようにするかの問題で今ある形態に近いものに関していうなら
648、649 につきているだろう。
それより、p33にある、「今日、逆理をいかにしてうまく逃れ、
しかも結果を失わずにすますことができるかは未解決の大問題
である」って本当なの?これ1980年ころの本だろう?
>>657 手元に本が無くて確認できないんでなんだが、誤読でしょう。
>>そこに書いてあることは、まだ定義できていない要素を含むような
>>集合を使ってその集合の要素を定義してはいけない、というキツイ
>>規則のようだ。
じゃなくて、そうしないと定義できない例が示されて要るんだよ。竹内の
証明論入門の2階論理の話の最初のページ(P145)にも触れられているけど、
このような、いわゆる「悪循環」は実数論では避けることは出来ないんだよ。
で、証明論的な立場からいけば、困難は解決してないのかなあと思うけど、
専門外なんで、その辺りは詳しい人に聞いてくれ。
>>658 定義に ramified hierachy ってのをいれる話なんじゃない?
どちらにしても、それは、「そうやると」って話しだし、定義があって
始まる話だから、どっちにしてもそういうやり方はとらずに、、、という
話なわけで、こういう制限はつけない、ってのは哲学の話で、数学じゃ
とっくのとうに、そういうこととは無関係って話じゃないの?
>>659 スマソ。ramified hierachy って知らないので説明キボヌ。
(type理論みたいなヤツかな?)
ただ、ここを見て驚いたのだが、非可述的定義って、実は結構
知られていないんだね。小林・林(例の林晋センセイ、ね)の
構成的数学を扱った日本で数少ない名著、
「構成的プログラミングの基礎」
では、P130で、
「predicative vs. impredicative よみがえった論争」
と題して、計算機科学方面では、実用的には predicative
な理論も impredicative なそれに負けないので、まだまだ
predicative な数学理論も作れる余地はあるかも知れないと
のことは書いてあるので、一般の数学の立場では
impredicative はあたりまえでも、構成的数学の立場からは、
そうでは無いというのはありだとは思うよ(この本が実際そう
いう立場だし。おかげで、外延性の公理も成立しなくなっちゃっ
たりするんだけどね(藁))。
>>660 スマソ。ramified hierachy って知らないので説明キボヌ。
Goedel が constructible universe の定義に用いた。
2階算術だと Schutte の Proof Theory にある。(ramified analysis)
もとの idea は Principia Mathematica の初版。(2nd edition にはない)
あれぇ、知らない間に、661みたいなすごい答えがでちゃってるな。 661の人って、プロの人?
>>661 thanx
ここにも書かれているように、分岐type理論はプリンキピアの
初版では採用されたけど、二版以降は使われてないんだよね。
それは、非可述的定義を避けようとしたのはいいが、理論が複雑
怪奇になり、収拾がつかなくなったから。で、結局普通の数学で
は非可述的な定義は使われ続けている。
ところで、プリンキピアの二版から使われている単純type理論
って、そこらがどう変わってるんでしょ?実用的になってるの?
また、どの程度まで数学を記述できるの?
>>663 Ramsey, Frank P. [1925] “The Foundations of Mathematics,”
Proceedings of the London Mathematical Society 25, pp. 338-384.
読めばいいと思われ。Ramsey の著作集に収録されてるはず。学部の卒論の時に
コピーとったけど結局読まなかったな(笑
>>663 symple type theory は Zermelo の集合論に対応するから、
置換公理を使わないで展開できる範囲は含むってことなんじゃない?
>>665 symple type theory+無限公理より Zermelo の集合論の方が真に強いことがしられている。
>>666 そのことと、665 のことは矛盾しているわけでもないように思いますが
どういう意味ですか?
>>667 置換公理はそもそもZermelo の集合論には無い公理だから。
669 :
132人目の素数さん :03/08/23 20:34
>>648 、
>>660 どうせ、林・小林を読むならp115-117の
3.3.5 elementarinessの必要性を読めよ。
Fefermanの理論では全ての対象のクラスVが存在して
述語Classが存在するので、クラスを定義する式Fに
elementariness(648がいうような制限)を設ける。
しかし、集合論はFは制限せずに代わりに分出公理
(林・小林の本ではseparetion axiom)でAが集合の
ときに{x∈a|F}が集合であるという形にして、
集合の全体が集合ではないようにしてしまっている。
670 :
132人目の素数さん :03/08/23 20:43
Fefermanの理論は、集合論とは全然違うもの。 強いていえば、Quineが提案した集合論に似ている。
671 :
132人目の素数さん :03/08/23 21:12
Xは位相空間、Yはコンパクト空間であるとき、射影p:X×Y→X は閉写像であることを証明せよ。 閉写像って何ですか? 集合で、開集合、閉集合って区別するのは分かりますが、 写像、すなわち関数で閉とか開とかってあるのでしょうか? 集合・位相の本ではそのような用語はなかったのですが ・・・
>>670 Quine の ML や NF は、Russell に痛烈に批判されてたりして、かなーり人気のない、
っつーか、誰にも顧みられないシステムと思ってたけど、そんなつながりがあったのか。
ML や NF がらみは、未解決問題山積みだった記憶が。
Yがコンパクトじゃなかったら、成り立たないんすかねぇ?
>>671 「写像φが閉写像であるとは、閉集合のφによる像が常に閉集合であるときをいう」
>>675 おお、御指摘Thanks!
>>594 って、それでなくとも頭良さげな雰囲気なのに、更に
>>671 を
予測してたんだとしたら、もはや神(^^;
ところで、
>>671 ってのは分離性の方はどうなんでしょうか?
例えば以下の方針の場合、分離公理使ってますか?(馬鹿なんで、使って
ても気づかない可能性アリ)つうか証明合ってるかどうかも・・・。
AをX * Yの閉集合、AをXあるいはYに射影したものをB, Cとする。
Bの集積点bが、Bに属することを言えれば、と。
bに収束するB内の点列を、(b1, b2, b3,...)とする。
射影点列(b1, b2, b3,...)を与えるようなA内の点列(a1, a2, a3,...)をテキトー
にとり(これ、選択公理なん?)、これのYに対する射影を、(c1, c2, c3,...)
とする。Ci = {ci, c_i+1, c_i+2,...}とおく。(C⊃C1⊃C2⊃C3⊃...)
i) あるCjが、「集積点を持たない」場合 Ci = Closure (Ci)(i≧j)なのでCiは閉、つまりコンパクト。 {Ci}の有限交叉性から、∩[i≧j]Ci≠φ、c∈∩[i≧j]Ciとおくと、 c = c_n1 = c_n2 =...となるようなc_n_iが無限に存在する。よって点(b, c)は (どんな開近傍を取っても、中にak = (bk, c)が含まれるため)(a1, a2, a3,...) の(従ってAの)集積点。Aが閉なので(b, c)∈A、つまりb∈B。 ii) すべてのCiが、「集積点を持つ」場合 Ciの集積点の集合を、Di = {d_λ|λ∈Λi}とすると、Λ1⊃Λ2⊃...で ある。Diの集積点もまたDiに属するので、Diは閉、つまりコンパクト。 {Di}の有限交叉性から、∩Di≠φ、d∈∩Diとおくと、すべてのCiがdを 集積点として持つ。よって点(b, d)は(どんな開近傍を取っても、中にak = (bk, ck)が含まれるため)(a1, a2, a3,...)の(従ってAの)集積点。Aが閉 なので(b, d)∈A、つまりb∈B。 んーどないでっしゃろ?
整数と分数
http://bubble.2ch.net/test/read.cgi/mukashi/1061081022/ より。
速度というのは時間や長さ重さといったものと比べると人的要素の強い量
といえます。計算をしなければ値がでなかったり、ものさしとスピードガンとを
比べても分かると思います。
さて、光速(熱速)ですが。実は光速には速度はありません。
光速=無
音波=振動
水波=上下動
上記を見れば分かると思いますが波(光も波とされている)には速度の値に
相当する空間位置の移動というものが無いのです。例えば音速が秒速350mと
すると、何が秒速350mもの速さで移動するのか考えてみればわかると思い
ます。音を伝えるのは空気ですが、空気が秒速350mで移動してるのではな
いのです。ましてや光となると、媒体するものすら無いのですから速度の概
念がまったく当てはまらないのです。
次に光速というものには相対性がありません。光速=約30万q/sという値で すが、これは分数のプロセスを持った部分的な値なのです。値というものは 一点(個体)基準の整数と、全体(気)基準の分数があるのですが、光速の場 合は全体基準の値より成り立っているのです。 光(熱)は水面にできる波紋と似たようなものです。波紋というものは全体に 広がります。一昔前、地球の裏側のチリで起きた津波が日本にきたこともあ ります。TVで糸電話はどこまできこえるのか?という疑問に答えるべく実験 をやったのを見ましたが、それに対し専門家は「せいぜい2、30m位だろう」と 答えましたが確か7/800までいって糸が切れこれが記録となりました。 気の遠くなるような何万光年という所からでも光は届くのですが、もともと伝 達というものは全体に広がるものなのです。光の速さを測る実験ではよくもこ んな方法を考えたものだと関心しましたが、この実験ではレーザーが使われ ています。一見、レーザーは集中的なもので全体とは無縁に感じますが、垂 直方向からも線状に見えます。しかしその見えること自体が垂直方向への広 がりをも示しているのです。
変化(光)ははるか遠くの物にも変化(光)をもたらします。さて光速=約30万 q/sという値ですが、これは全体に広がる伝達時間(分母の数値は不確定) を1秒で区切ったというもので、簡単にいってしまえば先程も述べましたが全 体基準の分数です。速度も分数の数式で表せますが、その値は一点(0)基 準の整数になります。時間は時間で等分できても、距離は時間では等分でき ないのです。一個のリンゴは5秒という単位で区切ることはできません。 速度(整数)でしたら確かに相対性はありますが分数には相対性はありませ ん。しいていえば分数の性質は一定です。ものさしの目盛りが一定でなかっ たら困ります。相対性理論というのは光速を速度だとし、一定の値を示す光 速に対し、速度は相対的であるはずだとして理論を展開していったものなの です。アインシュタインの出した数式というものは理論により成り立ったもの ではなく、観測結果より導き出されたものです。重力レンズも観測が先ですし、 (水星の近日点移動)アインシュタイン自ら認めた一般相対性理論に宇宙項 を付け加えたことからしても明らかです(観測後宇宙項ははずされた) 光は粒子でその粒子は秒速30万qで飛ぶだぁ?飛ぶわけねぇだろドアホ! 空間が曲がる?なんのこっちゃ。
>>676 >(これ、選択公理なん?)、
そうです、ただ、その前の b1,b2,... ですでに選択公理を
つかっています。一般に公理を使っているかどうかの問題は
数学の概念の定義を明示的に述べておかないと始まりません。
ですから、適当に書いています。
また、点列 bn という表現はやめて関数 b という方が明解で
しょう。an は順序対ですから、an はやめて関数 c がとれた
ことにします。さて、その c の像 C は何故存在するので
しょうか? もちろん置換公理でもよいですが、こんなところ
で置換公理を使うのは大げさで、Y の部分集合だから、分離
公理を使います。一般に集合型の関数の像は、分離公理と和
集合公理の組み合わせで存在がいえます。
677 の方ですが、Cn の閉包をとれば、2の証明をちょっと変
えることにより集積点でわけない短い証明になります。
証明はあってると思います。(まおまおさん、こんにちは!)
>>681 丁寧な説明、どうもありがとうございます。
>その前の b1,b2,... ですでに選択公理をつかっています
そうか・・・言われてみれば。
今まで、それと気づかずに何十回使ったか、想像もつきませんですな(^^;
>>680 >飛ぶわけねぇだろドアホ!
私がドアホであることに反論の余地はありませんが、この場合におっしゃりたいこと
というのは、「30 km/sってのは、いくら何でも速すぎる!」という主張でしょうか。
それなら、例えば26.5 km/sくらいだったら、「まあ許せるかな」って感じですか?
>>681 この場合の分離公理というのは、上の
>>628-629 あたりで説明されて
いる分出公理と同じものと考えてよろしいのでしょうか?
教えて君スマソ。
あ、「万」が抜けてら。
>>680 >(観測後宇宙項ははずされた)
論理的に、妙ですね。それなら、方程式の理論的成立は、観測に先立つ
ことにはなりますまいか。
>>683 ああ、そうか、分離公理って、ハウスドルフとかなんかの話ですね。
分離公理、Separation Axiom、分出公理ってことで解釈してました。
まったく一般の位相空間で成立するか?ということになりますね。ま
ず閉包にはいる要素に収束する列がとれるか?というところが問題に
なります。一般の空間の証明は有向点集合を使い、可算選択公理より
強い選択公理をつかうことになりますね。それ以外はとくに問題が
なさそうですから、分離公理はなにも必要ないと思います。
コンパクト性をどう表現するかは選択公理とかかわるところで細かく
いうとだんだんつまらなくなるような気がします。
>>669 BG集合論の(集合でなく類としての存在を導く)一般存在定理でも、
その式に類変数を含まないという意味での” elementariness”の必要性がありますね。
BGでの置換公理はグラフであって外延性バリバリですけど。
計算量が表現できるなら、外延性が必ず成り立つようでは具合が悪い。
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
>>685 あっいけない、同じ種類の書き落としだ!
「類変数を含まない」を「束縛された類変数を含まない」に修正。
質問がありますよ。 1−物理学は、「宇宙とは何か」という問いかけに答える学問です。 それなら、数学基礎論は「数学とは何か」という問いかけに答える 学問である、と考えてよいのでしょうか。 2−「内部」をわざわざカタカナで、「ナイーブ」と書くのは何故 ですか。「ガイーブ」なんて表現、見たことないです。 3−「内部=ナイーブ」と内包という概念には、深いつながりが あるのですか・・ 4−以上の質問を友人にしたところ、「お前の言うことはワケが 分からん」と言われました。横柄な友人をギャフンと
>質問がありますよ。
690 :
132人目の素数さん :03/08/27 15:50
マジレスしますぜ ナイーブは英語のnaiveで、素朴なという意味です。 もちろん、知ってる上でわざとウソ書いたんでしょうが そういうのはもうさんざんやられているので今やると 「流行おくれの田舎者」といわれて一生バカにされます。 もちろんあなたがバカを隠すために、わざと・・・
691 :
ビッグバン宇宙論は完全に間違っていた!!!宇宙は無限である!!! :03/08/27 18:42
科学者よ、恥を知れ!!! ビッグバン宇宙論は完全に間違いだった! 科学の原則を無視した、デタラメのインチキ理論だったのだ。 そして、そのビッグバン宇宙論の世界的な浸透は アメリカ、ユダヤ・キリスト教勢力による世界支配のための思想戦略なのだ! また、ビッグバン宇宙論の思想によって戦争が起こり、 貧富の差がひらき、終末的な絶望感が世界に蔓延しているのだ。 ビッグバン宇宙論は世界の平和を揺るがす、悪の元凶となっているのだ。 ビッグバン宇宙論とは、 「宇宙は『無』からビッグバン(大爆発)によって誕生した」という理論である。 この理論は、ユダヤ・キリスト教の創造神話(神が天地を創造した)そのものである。 ビッグバン宇宙論の実態は、科学理論ではなく宗教思想なのである。 『無』は文字通り、存在するものではない。だから、 『無』は科学的に証明できるものではない。 そして、『無からの誕生』も科学で証明できるものではないのだ。 だから、ビッグバン宇宙論が仮説である可能性は、0%なのだ。 ビッグバン論は完全に間違いであり、宇宙は時間も空間も無限なのである。 ビッグバン宇宙論が科学の正統であるという思想を、世界中の人々に 浸透させる戦略が成功したことにより、ユダヤ・キリスト教勢力の 世界における優位性が確立されていったのだ。(20世紀に) そして、その思想的支配の最たるものが、アメリカやイギリスによる イラク戦争なのだ。 ビッグバン宇宙論の浸透により、世界中に終末思想(世界の終わり)が蔓延してしまっている。 そのことにより、自己中心的、せつな的、短絡的な考え方が社会に広がっている。 科学的に間違っているビッグバン宇宙論から脱却しなければならない。 そして、宇宙は無限だということを理解しなければならない。 人間は本当の宇宙観、世界観を構築し、新しい時代に進んでいかなければならないのだ。 ビッグバン宇宙論が世界を支配している限り、平和な世界にはならないのだ。 そのことを科学者は重く受けとめるべきである。 平和のために!!!!!!!!!!!!!!!!!
>>682 べつにまおまおのことをドアホって・・・
確かに以前であったら制限速度以内ですし許してたかもしれませんが
現在ではそのスピードでも許しませんね。
>>683 そんなとこ。論理的に説明する前にもう数式では膨張宇宙は成り立っ
ていたのです。つまり様々な観測結果の中にそれを示しえる観測があった
のでしょう。「生涯最大のあやまち」とアインシュタイン自ら言ったのは、「宇宙
は膨張なんかしないってったらしないよーだ」と言い張っていたことを恥じた
のか、それとも理論の裏付けがまるで成り立っていないことを奴なりに悟った
為なのか・・・
でも、今回の要点はそのようなことではないことは解ってると思うのですが・・・
しっかり、避けてますなぁ。ドアホというよりズルイですな。ちなみに得意に
なって説明(反論を)してくる人も数人いましたが全てバカでした。
視点(基準)が変わると本質も変わります。3分の1も3進法でしたら割り切れ
ます。天動説はまだマシでしょう。実際人間の視点では天は回ってますから。
今回は裸の王様。いらぬ知識が裸だと思わせてる。しかも「王様は裸だよ」
といってやってもこっちがドアホと言われるしまつ。飛ぶわけないだろドアホ!
693 :
132人目の素数さん :03/08/27 20:19
糞レス保守
694 :
132人目の素数さん :03/08/27 21:51
バカしか釣れない餌ばら撒いておいて、「全てバカでした」もないもんだ、と
>>692 裸だと思わせてる。は誤り。服を着ていると思わせてるじゃドアホ!
いつ頃からこのスレは糞スレになったんだろうか?
うわぁまたクズ哲が来てるよ・・・ 物理板にでも行ってやってればぁ?「光速度は一定じゃない! 存在しない!」って
クズ哲ってなに? 2典に載ってないんだけど
マジで教えて欲しいんだけど・・・
トンデモ発言に対しては普通反論が出るものですが、私のことをクズ 哲と言ってる輩達はその反論が出せず己のバカさ加減にのた打ち回っ ているのです。(このトンデモ発言、なんとなく言わんとすること解るなぁ。 でもそんなハズねぇだろ?どこがおかしいんや?・・・わかんねぇ・・・ しかも整数と分数かよ。そんなハズねぇ・・・でもなんて反論したらいいん だ?・・・やべぇなぁ・・・このトンデモ認めちゃうとおしめぇだよ・・・糞っ・・・ 俺はバカか?バカだったのか・・・死にてぇ!こんなことなら死にてぇよぉ ぉぉぉ、お母ちゃ〜ん) ま、下手に反論してバカを露呈する輩よりはマシな方でしょう。内容を はっきりとはいわないまでも少なからず理解できてるのですから。 つまり意訳は、やっかみ、とでもいいましょうか、そんなところからきて いるのです。 雲行きが怪しくなる前に私はズラカリます。では、(パタパタパタ)
707 :
132人目の素数さん :03/08/31 01:19
「証明できたことを証明する」ことをしなければ、証明できたことにはならないと思います。 なぜなら、証明できた と主張しても、ほんとにできたかどうかわからないのであり、 証明できたことを証明しなければ、証明できたことにならないからです。 しかしながら、証明できたことを証明したとしても、「証明できたことを証明した」ことを 証明しなければならなくなります。 このようにして、結局、「証明できたことを証明する」のは不可能です。 以上より、もともと証明するということ自体が不可能なのではないでしょうか? なぜなら、証明することが可能なら、証明したことを証明できるのであり、 上の結論と矛盾します なんか詭弁のようで、自分でも意味不明になってくるのですが、 ご指導お願いします
まずこれは証明以前の問題で、観測結果では一定と出ているのにも
関わらず、速度は相対的だとして結果をねじ曲げ帳尻を合わすことをし
ていることである。事実をねじ曲げ、空間をねじ曲げた結果、糞(相対性)
理論ができた。ただそれだけ。
もしもになってしまうが、その当時全体に広がる伝達時間を一秒で区切
っても30万km/sという値を出せる可能性に気付いていれば、距離割る時
間以外の方法を気付いていれば、速度という固定概念を崩すことができ
たなら・・・今頃は糞理論は相手にもされないものとなっていたでしょう。
長い年月が経って今ではこのような考えを出してもこっちが相手にされ
ないのだが・・・
今となっては
>>707 の言うように証明が必要かもな。そうなると正しい正
しくないに関わらず、厳しいだろうな。相手は実体の無い見えない物でも
あるし。感覚的におかしいだろ!は通らないか。
ご指導お願いしますって言われても・・・参ったな・・・
>>707 さんは解らないものは解らないとしていて、つまり正直であって
俺的には何も問題ない。しかし社会的には問題がある。社会的には黙っ
ている、若しくは皆と同調する。が無難。でも俺的にはそういう奴らは
気に食わない。
ありのまま(自然)で生きるも良し、社会的に生きるも良し。ただありの
ままではこの先いろいろ弊害が出てくる。もし今後社会的に生きるので
あれば、ありのままの自分もあることを忘れないように・・・だれも人生相
談してくれっていってないか?
わけ解らんくなってきた。まったくこっちが指導してもらいた・・・くない!
寝る。
なんのために証明するんだろ なんだこりゃ
なんで基礎論のスレに光速度の話しがあるんだよ。 すれ違いやめれ
>>713 ごもっとも。俺の勘違い。迷惑をかけました。さっさと寝ます。
>>707 たとえば計算問題も同じで、何度計算したら、あるいは検算したら
正しいといえるか?ということも問題となる。
証明に関していえば、原理的には形式論理の枠組みを決めて、文字列
の変形規則である推論規則をきめ、通常認められている公理から、
この変形で到達していることができれば証明の検証ができたことに
なる。原理的には計算機でチェックできる。
現実にはできないので、レフリーというのがいるが、ときどき間違う。
もちろん、計算機でも間違える可能性はある。つまり、その意味では
問題は解決しない。証明を見つけることは、一般にアルゴリズムが
存在しないが、証明のチェックは上記のように比較的簡単なアルゴ
リズムがある。
>>706 クズ哲呼ばわりされたのがよっぽど悔しかったんだね
ご愁傷さま
計算機によるチェックが正しいと何故言えるのだね! とか言われるオチ
>>716 だが一理あるぞw
漏れもトンデモに対してあそこまでいかなくとも
同じようなこと思ったことあるし
おまいらも実はそうだろw
だから漏れはトンデモに対してもキッチリ反論するか でなければ触れないということにしている 罵倒は確かにかっこ悪い
ご愁傷さま(ワラ って書いた方がよかったかな うん、確かに罵倒はカッコ悪いですね〜(ワラワラ
>同じようなこと思ったことあるし やっぱトンデモは先天性で治療不能だ(w
だから漏れはトンデモに指導なんて馬鹿はことはせず ひたすら罵倒して人格破壊させる。 かっこよく見せたいために死ぬ馬鹿はいない
分かち合おう
頼むから他でやってよ
わかちあおうよ
「再帰的に公理化可能」っていう言葉があるんですけど、 これの意味って簡単に言えばどんなものですか?
自分のバックグラウンドを・・・ 一階述語論理の初歩的なところまでは 習得しているつもりです。 完全性定理とか、そのあたりまでは。
>>727 論理式が公理かどうか決定する手続きがある。
>>729 ありがとうございます。
となると、例えば、命題論理の形式体系はその条件を
満たしており、標準的な述語論理の形式体系はその条件を
満たしていない、といった具合になるのでしょうか。
公理というのは証明可能な論理式のことであり、
つまりは、決定可能かどうか、とうことですよね。
どこか可笑しい箇所があれば指摘して頂けると有難いです。
>>730 729さんではありませんが、、、。
公理は証明可能な論理式のことではありません。一般的な定義では
閉論理式の集合をいいます。述語論理の公理系は帰納的公理化可能です。
また、集合論の公理系、自然数論の公理系などはすべて帰納的公理化可能
です。証明可能な論理式の全体となると、それらは帰納的ではなくなり
ます。命題論理の場合はそれも帰納的ですが、このようなことはめったに
起こらないことです。また、普通、公理系といえば、論理式がその公理系
のものか決定手続のあるものしか浮かべない方が普通です。しかし、もち
ろん帰納的でない公理系はいくらでもあるわけです。
>>731 ご指摘、感謝します。
729さんや731さんのコメントを踏まえて再びテキストを見直してみると、
「論理式が公理かどうかを決定する手続き」とか
「公理化可能」といった言葉は出てくるのですが、
それらについての詳しい説明はなく、
また、731さんのコメントを見る限りでは思ったよりも難しそうで、
今の段階では、ちょっと理解できないな、と感じました。
違う分野の本を読んでいて、その言葉が出てきたので、
現段階での予備知識だけで理解できるものなら理解したい、
と思ったのですが、まだ勉強が必要のようです。
懲りずに、ちょっと思ったことを・・・ 述語論理のセマンティクスにおいて、 閉じた論理式に対して構造における正しさを 帰納的に定義した後、 開いた論理式に対しては、 その閉包を考えて構造における正しさを定義していますが、 このあたりが帰納的ではなくなる原因だったりするのでしょうか。
>>733 732 において帰納的とよんでいるのは recursive であること
つまり計算可能的であることです。たぶん現在この概念を理解
されていないと思います。一方、733の帰納的は inductive と
いうことで数学的帰納法によって定義しているということで
全く関係ありません。
>>734 ありがとうございます。やはりまだ理解できないということを
確認いたしました。今のテキストでは対応できなさそうですし・・・
出直してきます。
unaryって、どう発音しますか。 アナリー? ユナリー? ていうかスレ違いでつか?
↑わからん ところでおまいらって洋書読むときどんな辞書使ってんの?
>>738 やや、ありが?ォ!
ユナリーみたいやね。
ところで、辞書の説明書きの、
(関数で,定義域と値域が同じ集合に含まれているということ)
ってのは、合ってるんすか。定義域と値域が同じ集合に含まれて
いなかったら、単項じゃないのけ??
>>739 数学ではふつう、1 変数って意味だと思う。unary function, unary predicate
とか。辞書無視!
ゴルァ!!
皆さんの集合論の教科書でおすすめのものはどれですか?
>>742 標準的な教科書ならば、Thomas Jechの「Set Theory」と
Kenneth Kunenの「Set theory : an introduction to independence proofs」。
Kunenの本の方がコンパクトにまとまっていて読みやすいけど副題の通り
独立性証明への導入がメインでlarge cardinalもdescriptive set theoryも
ほとんど扱ってないので、Jechの本と合わせて読むのがいいと思う。
ありがとうございます。 ところで、Jech の最近の版と以前のものでは違いがあるのでしょうか?
>>745 分量が大幅に増えてて、構成も一新されてます。別の本といったほうがいいかも
しれない。
とりあえず、あの一冊さえあれば、たいていのことは載ってると思って間違い
ないです。
>>745 補足。第一版と第二版は、そんなに差はありません。誤植が直ってるのと、
多少増補されてる程度です。最新の第三版で大幅に改訂されました。古本等で
古い版を買われる場合には注意してください。
あと、さらに特化されたトピックに関しては、次のようなモノグラフがあります。
巨大基数全般:
A. Kanamori, _The Higher Infinite_, Springer, Springer, 2003.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/3540003843/ 内部モデルと巨大基数:
M. Zeman, _Inner Models and Large Cardinals_, de Gruyter, 2002.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/3110163683/ 実数の集合論:
T. Bartoszynski & H. Judah, _Set Theory: On the Structure of
the Real Line_, A. K. Peters, 1995.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/156881044X/ 記述集合論:
A. S. Kechris, _Classical Descriptive Set Theory_, Springer, 1995.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/3540943749/ 基数算術:
E. Weitz, et al., _Introduction to Cardinal Arithmetic_, Birkhaeuser,
1999.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/3764361247/
絶版になってない邦書ではあるでしょうか?
>>749 難波本と倉田・篠田本の違いは、
難波本では、述語論理の完全性証明が付いていて、最初からBoolean valued model でやる、
倉田・篠田本では、NBGとのつながりをつけて、Forcing で独立性やったあと、
Boolean valued mode と Forcing のつながりをつけるぐらい。
>>749 ありがとうございます。
田中尚夫の「公理的集合論」は古本屋で
探したんですけど見つからなかった・・・
質問があるんだけど、おれの理解が正しければ、 直観主義の主張は、「存在証明は存在するものの構成法を具体 的に 示すことのみによって行われべきだ」ってことでいい? すると、実数が非可算個あるということの証明はどうすんの? 構成可能=アルゴリズムを作れる実数なんて可算個しかないで しょ?
>>753 君の言うとるのは構成主義で、ちょっかんしゅぎとはちゃうんやない?
753じゃないけど便乗〜 つうと、構成主義⊂直観主義、って考えて良いのけ?
そうそう、いまいち両者の関係がよく分からない。 1。直観主義をキャッチフレ−ズ風に言うとどんな感じ? 2。構成主義でも対角線論法は問題無く使えると? でも、構成主義の立場だと、非可算個の実数を 実際に作って見せないといけないよね?
>>757 「非可算個の実数を実際に作った」として、
それが本当に非可算個あることはどうやって証明したらいい?
あんまり詳しいわけじゃないんだけどちょっと疑問に思ったので聞いてみる。
760 :
132人目の素数さん :03/10/04 05:28
ペアノ算術において、いわゆる自己言及文ではなく、 数学的に意味を持つ独立命題が存在するか否かは、 ゲーデル以来長らく基礎論の研究者の関心の的であったが、 1977年にパリスとハーリントンがラムゼイの定理の一変種がそれになることを示した. ラムゼイの定理というのは、いまや組合せ論の定理として有名だが、 そもそもラムゼイはラッセルの下でパラドックスの分類などをやっていた論理学者であり、 彼の定理がここに登場するのも因縁めいた話である. パリス・ハーリントン以降、算術に限らず集合論までこの種の独立命題が次々に発見されている. これって具体的にどういう命題なんですか? 色々検索したけどイマイチ良く分からないんで教えてください。
761 :
132人目の素数さん :03/10/04 05:37
part1の61にこういう書き込みもありました。 >それから、ついでに言えば、自己言及を使ったゲーデル的な命題以外に >よりナチュラルな意味を持った決定不能命題は発見されているぞ。
ところで、「自己言及を使った独立命題」と、「自己言及文でない 独立命題」って、やっぱ存在価値が違うの? 例えば、前者は存在するが後者は存在しないような系ってのも、 あり得るんすか。
763 :
132人目の素数さん :03/10/05 09:39
>>762 パリス・ハーリントン命題が自然数論では決定不能、という結果は
自然数論の無矛盾性が自然数論では決定不能という結果を用いて
おり、ゲーデル不完全性定理と独立ではない。
パリス・ハーリントン命題ってどんな命題ですか?
>>764 「ゲーデル不完全性定理と独立ではない」というのがどういう意味なのか
不明だが、あることが証明可能ではないという証明は、証明図がそのある
ことにいたる証明図でないということをいうことになる。当然そのことは
矛盾にいたる証明図がないことを意味するはずである。つまり、無矛盾性
証明ができないといったことと無関係に証明がなされようがない。とくに
議論をする気はないが、だからどうだというのか、あるいは全く異なった
証明のある可能性でもあるのか伺いたい。
767 :
132人目の素数さん :03/10/05 20:44
誰か知らないの?
>>766 は無矛盾性の話で、
>>764 は「無矛盾性」の話。
パリス・ハーリントンも含め、このあたりの話は日本語で読めるよい本があるので、
図書館で見てくれ。
田中一之 他「数学基礎論講義」日本評論社
771 :
132人目の素数さん :03/10/07 20:32
基礎論の入門書。誰かいいの知ってたら教えてください
>>764 それが決定不能と判定する手続きにゲーデルの不完全性定理が利用されていることと、
命題自体にナチュラルな意味があることとは別の話じゃねー?
>>768 >田中一之 他「数学基礎論講義」日本評論社
この本図書館になかったんですが。
>パリス・ハーリントン
これ教えてください。もしかして長くてかけない?それとも本に存在証明はあるけど
それにしたがって具体的に構成するのは大変?
774 :
132人目の素数さん :03/10/08 18:44
漏れも知りたいぞ 知ってる香具師頼む
775 :
132人目の素数さん :03/10/08 19:04
>パリス・ハーリントン なぜ証明できないのに正しいてわかるの?説明きぼ〜〜ん。
>>775 普通に証明できることだから。つまり、その証明を自然数論のなかでは
できないっていうこと。それは自然数論の無矛盾性命題と同じ。
777 :
132人目の素数さん :03/10/08 22:26
>>777 無限ラムゼーの定理
可算無限個のノードを持つ完全グラフに対し、
すべてのエッジを赤か青で彩色する。
このとき、ノードの無限部分集合 H が存在し、
H のどの二つのノードも同じ色で塗られている。
Paris-Harrington は上の定理から、証明できます。
だから正しい。
>>778 ありゃ間違えた。
無限ラムゼーでパラメータが 2 の場合しか書いてないや。
エッジ = 2 個のノードから成る部分集合
780 :
132人目の素数さん :03/10/08 22:51
>>778 して Paris-Harrington とはなんぞや?
これを知りたいのだが。
なんか本格的なのが、ころがってるね。 これ、この人の論文の前書きみたいだねな。
せめてPDFにしてくれといいたい。
>>781 Weiermannさんだね。この人、たしか日本に来てたね。
おまいら、揃いも揃って、レベル低いな(w #“偽と矛盾の違い”さえ分からんだろ?
釣りのレベルが 低ければ 釣られたくとも 釣られない こんなアタシに 誰がした
>#“偽と矛盾の違い”さえ分からんだろ? 御大的な違いでつか?現代論理学的なちがいでつか?
前原スレと論理基礎スレにも同じの貼ってあるよ・・・
>>787 「御大的な違い」ってどーいう意味? 教せーて〜。
「ネット数学者スレ」って4つも立ってるYo!
ネットでは、悪が栄える。
793 :
132人目の素数さん :03/11/13 01:59
あげなきゃ
トートロジーについてなのです。 ΣU{α}|=β とΣ|= (α→β)は同値であることを示せ という問題なんですが, ΣU{α}|=βとは, Σが空集合でないとき どのように真偽値の代入fを選んでもΣU{α}のすべての論理式を満足するとは, fがΣのすべての論理式を満足し,かつαが真であるときにβが真であること また,定義よりΣU{α}を満足する論理式fが存在しないとき つまりΣを満足する論理式fが存在しなくて,かつαが偽である時, βが真であっても偽であっても,ΣU{α}|=βは成り立つ Σが空集合であるとき どのようにfを選んでもΣU{α}のすべての論理式を満足するとは, αが真であるときであり,fはβを満足,つまりβは真であること また,定義より,ΣU{α}を満足する論理式fが存在しないとき, つまりαが偽であり,βは真でも偽でもよい これらから,αとβの組み合わせが(真,真),(偽,真),(偽,偽)であるとき ΣU{α}|=βが成立する。 (α→β)が真となるαとβの組み合わせも(真,真),(偽,真),(偽,偽)である よって,ΣU{α}|=β とΣ|= (α→β)は同値である, というかんじで考えれたのですが,もっとうまく説明する方法がないかと思案しています。 アドバイスをお願いします。
>>795 常套手段ですが、not(ΣU{α}|=β) と not(Σ|= (α→β)) が
同値であることを示そうとすると議論が簡単になります。
>>796 サンクス・待遇ですね
¬(ΣU{α}|=β) が成立するときは<α,β>=<T,F>の時だけですね
¬(Σ|= (α→β))が成立するときも同じですね
ありがとうございました。
やってみます。
>>795 >ΣU{α}|=β とΣ|= (α→β)は同値であることを示せという問題なんですが
その問題は ill_posed_problem だったってことが、オマエにも分かる日がやがて来るだろうよ。
>>798 あなたがここで説明しないということは,あなたもよくわかっていないんだなあ。
ということになると思いますが
説明するかしないかは、当人の自由だと思うが、どうか?
>>800 説明しないのはわかっていないからだと思うと表明するののも
もちろん自由だね。
この「ならば」というものがからむと、ネットの世界では、エムシラの 「ならば」という最強の「ならば」があるわけで、これに勝てるのは現在 ヤマジンとイマイ糞ジジイのみ。マツシンはエムシラの噛ませ犬として 有名。
>>801 >説明しないのはわかっていないからだと思うと表明するののも
>もちろん自由だね。
自由だが、その表明したことが間違っていたら、どーしょうもないな(w
>>802 >これに勝てるのは現在ヤマジンとイマイ糞ジジイのみ
おまえ、甘いな、見方」が(爆笑
ヤマジンは「終わってる」な(w
>>803 エムシラというたーむがでたれすはスルーが吉。
マツシンというたーむがでたれすは飛びつくが大吉。
このスレは「エムシラ汚染スレ」と認定されますた。 関係者は直ちに退去してください!
友よ、夜明けは近い。
811 :
132人目の素数さん :03/12/08 05:47
A→B TTT TFF FTT FFT Aエムシラの 「ならば」B TTT TFF FTF FFT なので Aエムシラの 「ならば」B≡(A∧B)∨(¬A∧¬B) まあ、ちょっとした補助記号だな
812 :
132人目の素数さん :03/12/08 06:49
すいません、タルスキってどのくらい訳されてますか?
{0,{0}ってなんだー}いみわからん
814 :
132人目の素数さん :03/12/08 12:02
>>811 もうちょっと補足すると、
(A∧B)∨(¬A∧¬B)= (A→B)∧(A←B)
ということになり、つまりAとBの同値関係をいっているわけ。
で、実際エムシラに「××ならば、○○だ」というようなことをいうと、
しばしば「ばかもん! □□だとでも言うのか!」という反応がある。
これはエムシラの「ならば」が実際には同値関係のことなので
話が全然通じないことの証拠にもなっている。
>>814 ばっかもん! よの「ならば」が、そちのような軽輩の真理表などで表せる
わけがなかろう。
ワス、消毒されますた。 ケツの穴まで。 (^^;) /:::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::|_|_|_|_|_| |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) |ノ (∵∴∪( o o)∴) | < ∵ 3 ∵> /\ └ ___ ノ .\\U ___ノ\ \\_ _) ヽ 敬白 マツシン
>>812 『現代哲学基本論文集II』に「真理の意味論的観点と意味論の基礎」が
のってるのしか知らんなあ。
>>811 そういう反論は素朴すぎる。大体、直観主義の「ならば」ですら、真理表解釈は
存在しないんだぞ。
>>813 「3」
820 :
132人目の素数さん :03/12/10 00:48
>>812 例の「真理概念」論文を訳して単行本として出版しよう、という計画はあった。
でも出版社の事情で立ち消えに……。
821 :
132人目の素数さん :03/12/10 17:50
>>819 そこには、ふつうの「ならば」とエムシラの「ならば」が混在しているから、
まずはそれらを区別してみないとな。
で、そうやってみればすぐ分かることだが、全然循環していない。
循環しているってのは、エムシラの妄想。
ではなくて、 オ マ エ の 妄 想
繰り返えす、連絡いたすます!!! このスレは「エムスラ汚染スレ」と認定されますた。 関係者は直つに退去すてください!
>>817 情報ありがとうございます。明日早速当たってみます。
825 :
132人目の素数さん :03/12/11 00:51
前原本読んでるけどモデルとか?階述語論理とか まったくわからんからそういうのがよくわかる本すすめてくれ
>>820 俺もその話聞いたことある。いいだっちが訳すはずだったんだっケ?
>>827 『プリンキピア・マテマティカ序論』と同じシリーズで出す予定だったらしい。
訳者はたしか、『プリンキピア』訳した人たちと同じじゃなかったかな?
詳しいことは私も知らないです。
誰か竹内シンポジウム行かないの?
>>830 山口人生の師である竹内外史先生の「ゲーデル」を読んでたんだけど、
河井塾から出てた時にのっていた、ホテルにしけ込む時は「タルスキ」と
サインしたッツー話が抜けてるようなきが、、
令二朗さんは痔に苦しんでたらしい。
>>830 スレタイの【】内の書き方が、妙に専門的なような気がするのは漏れだけか?
この師 ---> 竹内外史 ニシテ この弟子 ---> 山口人生 アリ(爆笑
>>832 さんきゅ!河合塾版なくしちゃってわかんなくなっちゃってさ。
たしかクライゼルの話だよね?
ところで竹内外史の全集って作られる見込みあるの?
>>830 > 山口人生の師である竹内外史先生
…いやな特徴づけだ。(w
>>837 来週の竹内シンポで聞いてみられては? Proof Theory も全集の一巻
として復刊してほしいなぁ。
>>837 「竹内外史+山口人生」師弟全集刊行予定 ---- 限定販売につき、申し込みは早めに!!!
ヤマジンネタ、おもろいので続けてぇ〜
「いい加減空気」って、どんな空気?
そろそろ次のスレタイを決めておきたいなあ。 ツェルメロ流ではもう長さ限界なので、なんかいい案希望。 無難にサクセサにする? 0'''' とか。なんかつまらんな。
{0,1,2,3}ならいけるけど・・・あんまり美しくはないか
そろそろ基礎論スレ終了しようよ。もうネタも無いしさ。 論理なら数理論理学スレ、集合論なら集合論スレでどうぞ。
>>847 ネタというのはどこからともなく突然降ってくるものだから、そういわずに気長に待つ
のが吉かと。
待つのにスレはいらない。 ネタがあればスレがなくてもスレが立つ。
>>847 っていうか、そんな細分化して過疎スレ作るほうがおかしいぞ。どれも
ここからスピンアウトしたスレなんだから、ここを維持したほうが良いだろう。
>>849 不完全性定理って何?みたいな単発スレが濫立するほうがおこのみでつか?
「不完全性定理は潰れる」というエムシラ大先生の予言は当たるのだろうか?
細分化すると過疎になるというのはおかしい。 単にカキコする奴が区別できるのにしてないだけ。 そういう馬鹿を教育するためにここは潰したほうがいいだろう。
なんか、最近ダークサイドマツシンが出没してないか?
「ダークサイドマツシン」って何? マツシンとはどう違うの?
非古典論理のスレが盛況ですね。
>>845 マツシンにはいいマツシンと悪いマツシンがいるんでしよ。
議論や話題が進むにつれて、だんだん悪いマツシンが顔を出すのでし。
ワス、「絶望」って名の電車に乗っつまいますた。 すかも、特急ざんす。 ( ^ ^ ;) /:::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::|_|_|_|_|_| |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) |ノ (∵∴∪( o o)∴) | < ∵ 3 ∵> /\ └ ___ ノ .\\U ___ノ\ \\_ _) ヽ 敬白 マツシン
河合塾ブックレットの「いざない」が買いたいんだけど、 なんか、品切れになってるっぽい。......鬱だ...
>マツシンにはいいマツシンと悪いマツシンがいるんでしよ。 エムシラはアホエムシラだけだけどな(w
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、 / //.// ハヽヾ ヽ\ i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi / | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ /,((i iノ ヾ. 川川川リソ (川川丿 ヾ ..川川川川 ノ川川.|---、 川川川川 ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< ネットでエムシラ様の悪口言ったら 川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | ひどい目にあわされるってこと 川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ 御存知、ア〜タ? オッホホホ 川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________ 川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川 川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
>>859 ものは知ってるので御大は便利な側面もある。まつしんは時に偉く
知ったかぶるのでそうなるとかなりうざい。
>ものは知ってるので そりゃキミがものしらなすぎるんだよ(w てゆーか、マツシン程度で知ったかぶってると思う キミはそうとう劣等感に苛まれてるイタイヤシ(w
>>862 > そりゃキミがものしらなすぎるんだよ(w
とりあえず、スペルチェッカーにはなるぜ(笑)
ワス、「コロンビア」の綴りは、"Columbia"だっつこと知(す)らずに、"Colombia"と書いて、顔が潰れたッス。 /:::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::|_|_|_|_|_| |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) |ノ (∵∴∪( o o)∴) | < ∵ 3 ∵> /\ └ ___ ノ .\\U ___ノ\ \\_ _) ヽ 敬白 マツシン
久しぶりに沢山書き込まれてると思ったら、またですか。。。
そうよ、またなのよ。ヽ(^。^)ノ
>>865 いやいや、ひさしぶりに関連スレ全て活性化してるって。
これも、みな、御大の「御活躍」によるものと思われ。ヽ(^。^)ノ
>>867 の「避難場所」は、みんな、すでに「エムシラ汚染スレ」であったことが追認されますた。 (゚д゚)
2chには「避難場所」はないものと思われ。 ヽ(^。^)ノ
872 :
132人目の素数さん :03/12/27 08:40
エムシラってホント馬鹿だな。
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、 / //.// ハヽヾ ヽ\ i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi / | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ /,((i iノ ヾ. 川川川リソ (川川丿 ヾ ..川川川川 ノ川川.|---、 川川川川 ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< ネットでエムシラ様の悪口言ったら 川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | ひどい目にあわされるってこと 川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ 御存知、ア〜タ? オッホホホ 川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________ 川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川 川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、 / //.// ハヽヾ ヽ\ i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi / | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ /,((i iノ ヾ. 川川川リソ (川川丿 ヾ ..川川川川 ノ川川.|---、 川川川川 ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< ネットでエムシラが 川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | ひどい目にあわされてるってこと 川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ 御存知、ア〜タ? オッホホホ 川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________ 川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川 川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
>>874 で、「エムシラ」と書いたのは、「マツシン」の誤りでいた。 m(_ _)m
ああ、負けた、負けた、世間に負けた。 /:::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::|_|_|_|_|_| |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) |ノ (∵∴∪( o o)∴) | < ∵ 3 ∵> /\ └ ___ ノ .\\U ___ノ\ \\_ _) ヽ 敬白 マツシン
>>876 で、「マツシン」と書いたのは、「エムシラ」の誤りでいた。 m(_ _)m
と、そのように、マツシン痰が「苦し紛れに」言うとりますた。 ヽ(^。^)ノ
またも負けたか、松本真吾(w
なぜこの程度の陰口が読み流せないのか
なぜこの程度の陰口も我慢できないのか
/ .\ \ / \ / \ ___________ . / \ ./ \ / | \/ \/...| | | | | | | | | .._ |_| |_|_.. | | マツシン、さあ、逝こうか・・・ | | | | | | | | | | | | | | | |/ ..\| | | | | | .._|/| _ _ _ _ _ _ _ _ ...|\|_ / ..| | _−_−_−_−_− _ | | \ | |/_/━ ━ ━ ━ ━ ━\_\| | .._| /_/━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ \_\.|_ /_/━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ \_\ / /━ ━ ━ ━ ━ ━ ━\ \
マツシンって、孤立無援だよね。 素行が余りにも悪かったから。(w
このアッフォーの師 ---> 竹内外史 ニシテ このアッフォーの弟子 ---> 山口人生 アリ(爆笑
冬厨にスレが潰されてる・・
あらしはさったかな?
可算選択公理が非可算のものに比べて風当たりが弱いのは何故ですか?
可算より非可算の方がキモイからだろ よくわかんなくても数えられると安心なんだよ
>>887 なければ困るから。特に、解析学の基礎的な部分。
選択公理に否定的だったルベーグも無意識のうちに使っていた。
二重否定の消去¬¬A→Aは風当たりが強いのに contractionはほとんど問題にされないのはナゼ?
>>889 そうなんだ、知らなかった。
で、ルベーグその人は、「可算なら許可なのダ!」的な発言をしたので
しょうか? それとも、御自身は最後まで気づかなかったとか?
>>890 contractionてなんすか、解説キボンヌ。
contradiction(矛盾律)のことなら ¬(A∧¬A)は排中律なくても出せるぞ
>>886 >あらしはさったかな?
甘いな、オヌシ。
>>891 こんなやつ
A,A,Γ|-Δ
----------
A,Γ|-Δ
Γ|-Δ,A,A
----------
Γ|-Δ,A
>>890 そりゃあ、同じこと二度三度いう必要はなくて、一度にして良い、
っていうのは数学の論理としては自然なんでは?
構造規則を問題にするようになったのは90年代からだし。最近のこと
といってよいと思うよ。
言及することによって性質が変わるような類の命題だったら危ないんじゃないの?
>>896 うん、危ない。構造規則をいじる先駆的な研究は、より「現実的な」対応を
できるような論理体系の構築から始まってるのはそういうわけで。
>>896 Relevant, Resorce Consious, Categorical grammer が三大
先駆研究というところだそうだよ。
>>896 ∧や∨はもとより、∀や∃の意味も変わるよ。
例えば∀xP(x)からP(a),P(b),P(c),・・・と
どんどん式を増やせるのはcontractionがあるから
つまり、contractionという規則は無限性をもってるわけ。
だから述語論理では決定不能になったりする。
>>897 relevant logic は weakeningがターゲットでしょ。
Lambek calculusは、weakening,contractionのほかに
exchangeもなくなるし。
対象の無限性と直接かかわりがあるのは真ん中かな。
実は直観主義論理ってブラウアーが本来考えていたような問題の
「正しい解決法」ではないんじゃないかと思うわけ。
何を「正しい」っていうかは難しいけど、ブラウアーがもともと
いってたのは、1,2,3・・・という自然数の対象は、時間の
流れにそって作られるんで、そういうものをあらかじめ全部
あるとした上で、無限の対象について排中律が成り立つと
前提するのはおかしいってことだから、単に排中律をなくす
とか、二重否定を肯定とするのがおかしいとかいうことでは
ないわけ。
実際、contractionを除くと排中律も矛盾律も証明できなくなるし。
形式論理の研究のほとんど(線形論理その他)は、具体的にあるものを 形式化したのではなくて、推論規則に着目している形式についての研 究で、部外者には興味がもてないものが多いんじゃないのー?
部外者に興味もたれなくてもいいんじゃないのー?
>>900 >だから述語論理では決定不能になったりする。
確かに必要な要素ではあるが、別にだから決定不能になる
わけでもないだろう。単項述語のみに限定した場合は、
無限性を持つにもかかわらず決定可能になりますよ?
>>899 どういう意味でしょうか?
>>901 >relevant logic は weakeningがターゲットでしょ。
でもそもそもの動機は、weakning の規制が目的ではないわけだけどね。
Entailment 読めばわかるけどね。そんなそもそもの動機が異なるいくつかの
論理が、構造規則の制限という形で特徴づけられてきたわけだから
これはおもしろいよなあ。はやるわけだよ。
みなさんスレ違いだってことぐらい分ってるんですよね?
↑ なぜなのでせうか??
一連のナニは、単なる煽りなんでしょうか? それとも奥深いナニカがあって、それをあえて明示しないという 奥ゆかしい立場ということなんでしょうか?
勿論、後者だよ。(w
一般連続体仮説から、選択公理が証明できるんですか? 前提を「一般連続体仮説」よりも少しでも弱めたら、成立しなくなる ような証明なんでしょうか。
>>913 一般連続体仮説というものをどのように述べてあるかはっきり
しておかないとおかしなこととなる。
たとえば、実数全体が整列可能ではないが、連続体仮説が成立
することもある。
性分直せば人気も出るっていってるのに全然治らないね、、、(謎
任意のnで 2^(アレフ[n]) = アレフ[n+1] ・・・じゃ駄目なん?
>>916 そのようにかけば、帰納法で、ランクがω+nの集合全体の整列
性がいえる。その調子で自然数nだけでなくすべての順序数に
ついての連続体仮説をかいておけば整列可能定理はZFから導ける。
しかし、ωとその部分集合の全体の濃度の間には濃度がない、って
調子で述べると整列可能性がでてこないってこと。
べつに意地悪で説明しなかったわけでもなく、マツシンでもないよ。
数学一般に命題を正確に述べないと正誤に影響することあるし、
数学基礎論の関係するところはとくにそうなんじゃないのぉー?
>>906 > 知ったかぶりって恥ずかしいね
そもそもの動機は "fallacies of relevance" の解消であって、 weekning の制限などで
はないですが?それとも Entailment は weekning という規則への制限の研究から
生まれたとおっしゃりたいのですかね?面白い考えですな。
>>917 >べつに意地悪で説明しなかったわけでもなく、マツシンでもないよ。
いいわけがましいやつだな(w
>>917 >べつに意地悪で説明しなかったわけでもなく、マツシンでもないよ。
マツシン哀れ(w
>しかし、ωとその部分集合の全体の濃度の間には濃度がない、って >調子で述べると整列可能性がでてこないってこと。 これは、何故なんでしょうか? (アレフ[n])と2^(アレフ[n])の間に濃度がなくても、2^(アレフ[n])が (アレフ[n+1])ではないということなのだから、言うなれば順序関係が 分岐するようなものでしょうか? >べつに意地悪で説明しなかったわけでもなく、 意地悪だなんて、そんな。 >マツシンでもないよ。 この名前を時折目にしますが・・・有名な人なん?(^^;
ワス、「コロンビア」の綴りは、"Columbia"だっつこと知(す)らずに、"Colombia"と書いて、顔が潰れたッス。 /:::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::|_|_|_|_|_| |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) |ノ (∵∴∪( o o)∴) | < ∵ 3 ∵> /\ └ ___ ノ .\\U ___ノ\ \\_ _) ヽ 敬白 マツシン
>>917 > しかし、ωとその部分集合の全体の濃度の間には濃度がない、って
> 調子で述べると整列可能性がでてこないってこと。
って調子、というのはどういうものを想定しているのかわからん。
Sierpinski の証明で採用している GCH は 「任意の無限集合 a に対し、
a < x < P(a) となる x はない」ではなかったかと。
>それとも Entailment は weekning という規則への制限の研究から >生まれたとおっしゃりたいのですかね? そんな風によむ馬鹿は君一人
927 :
132人目の素数さん :04/01/19 17:34
「ちゃん付け」では、気分でないな、マツシンの場合は。 やはり「マツシン痰」でないとな(w
マツシンヲタの厨は逝って良し
マツシンヲタの厨は逝って良し
そろそろ 4ですな、、、
{0,{0},{0,{0}},{0,{0},{0,{0}}},{0,{0},{0,{0}},{0,{0},{0,{0}}}}}
P(P({φ,{φ}}))
そりゃあ5だろ、って突っ込むのは一応義務なんですかね(w
934 :
132人目の素数さん :04/01/26 14:18
この師 ---> 竹内外史 ニシテ この弟子 ---> 山口人生 アリ(爆笑
935 :
132人目の素数さん :04/01/26 15:38
↑学歴詐称男エムシラ、一応T大卒のヤマジンに大嫉妬(w
335
解析学が形式化できないのは何故ですか
0'''' でいいじゃないか?
>>937 一応、形式化はされていると思うけど。証明が正しいかどうかを
計算機でチェックできるくらいには。
c.f.1)逆数学と二階算術(最近このシリーズ無くなりかけ)
2)数の体系と超準モデル
>証明が正しいかどうかを計算機でチェックできるくらいには。 どんなプログラムでチェックしてるの?
ヒルベルトの公理論的な枠組みで捉えられる、ということで、 与えられた証明(証明図)が正しいかどうかは単純なパターン マッチングで確認できる、ぐらいの意味で言っただけです。 導出原理がどうだとかいっているわけではなく、あまり深い意味 はありません。
すいません。超門外漢です。ゲーデル不完全性定理で質問があるんですが、メタ理論から ゲーデル数と呼ばれる自然数に還元されて、それが循環し続けるから、 決定不能であり、証明も否定もできないということなのですか? マジで誰かしえてくれさい。
>>943 違います。
貴方の人生には無縁なことですから
きれいさっぱり忘れましょう(笑
>>943 おれも文系だけどさ、耳学問したいなら本ぐらい買って読んだら?
それでも分らなければ理解出来ない箇所を人に聞くってのが筋じゃないのか?
漠然と分りません、なんて小学生までだろそんなのが許されるのは。
ということで数学の本を買いましょう。
>>943 違います。Godelの元の証明では、pが正しい⇔pが証明不可能
と言う論理式を対角線論法で工夫して構成して決定不可能な
論理式をつくります。多分あなたが言うように書いてある本は
皆無だと思います。Godelの不完全性定理は特に高校文系の
数学以上の知識は要らないので、根気さえあれば自分で理解
出来るはずです。自分でまず勉強しましょう。
わかってないけど、わかりました。じゃぁ、世界史板に戻ります(W すんませんでした。
>>946 >Godelの不完全性定理は特に高校文系の
>数学以上の知識は要らないので、
小学校の算数の知識で十分。
しかし高校で文系にいく連中は
そもそも九九もロクに覚えてないから
絶対ムリでしょう。
要するに根気がないんだよ(w
文系の人は短時間で大量の文章を読む訓練が優先されるからね。 数十ページの本に何年も分るまでじっくり付き合うなんて姿勢は 想像力の範囲外にあるんだろうよ。
小学校の算数の知識じゃ十分じゃないと思われるのだが…… 少なくとも中一で記号を用いた代数計算を勉強しないと…… それに、やっていることの意味を十全に分ろうとしたら、 当時の、Cantorの素朴集合論の自己言及的なパラドックスに よる数学全体の危機感だとか、それに対するHilbertの公理論だとかの 数学史的な知識や、現代の数学が(別に図を描いたりして直観に 頼らなくても)記号変形ゲームとして見做せる、という確かな感触も 必要だし。(まぁ、例えばイタリアの代数幾何学の一派は多分 そんな感触は全く持っていなかったと思われるが) もっとも数学史的な知識はそれこそ本を読みさえすれば良いんだから、 世界史板の人なんかには楽勝かもしれない。
>>950 >少なくとも中一で記号を用いた代数計算を勉強しないと……
それは微妙な問題だな。ただ必要なのは代数計算ではなく
記号への代入の発想だと思うが。
>それに、やっていることの意味を十全に分ろうとしたら、
歴史を知る必要はないよ。数学史に頼っても数学は理解できない。
残念だが諦めたまえ
>>951 >歴史を知る必要はないよ。数学史に頼っても数学は理解できない。
正論だが、
>残念だが諦めたまえ
この一文がよけいだな(w
文系の香具師が論理学からきちんと勉強すれば少なくとも 第一不完全性定理の証明は完全に分るよね。 ときに、LST上昇定理について少し詳しく書いた本誰か知りませんか? 数学基礎論講義だと良く分らないのですが。
>>953 完全性定理の証明をきちんと行っている本ならば何でもよいかと思うけど、
Shoenfield や Chang-Keisler とかを見ても、証明の方針や詳しさは「数学
基礎論講義」と似たようなものですね。
DavisのConputability & Unsolvabilityを衝動買いして
しまいました。生協にたまたまあったので。ゲッツ(σ・∀・)σ!
>>954 そうですか……ありがとうございます。濃度を上げたときの
モデルの性質が良く分らなかったんですが。まぁ構成法の関係で
仕方がないかも知れないですね。
>>955 超べきを使う証明だと、何となくはっきりしてるように思う雰囲気
はあるが、完全性定理の証明と結局そう変わりはないと思う。
おまいら、揃いも揃って、レヴェル低いな(爆笑 # 偽と矛盾との違いさえ分からんだろ?
>>955 >DavisのConputability & Unsolvabilityを衝動買いして 何が“Conputability”だ ---- バカタレが!(爆笑
またスペルチェッカーエムシラの登場か(w
>>961 「これからの時代は」というのは正確ではない。
今までも、今も、そして未来も「論*狸*学」だよ。
このスレッドの200−300題で明らかなようにマツシンはまたも偉そうに
振舞って撃沈した。その論理的帰結として、やはり御大の「論*狸*学」だ。
あのー、ここはそういうスレじゃないんで、どっかよそいってやってくれませんか? まあ、「基礎論」て単語がでるたびに脊髄反射でエムシラネタ、 「P=NP」がでるたびに脊髄反射でヤマジンネタふってれば 厨房でもスレに参加できるんだろうけどさ
>>963 「矛盾」と「偽」との違いさえ分からずに、「(数学)基礎論」もないだろう(爆笑
>>964 ゲーデルの不完全性定理も理解できずに、「(数学)基礎論」もないだろう(爆笑
967 :
132人目の素数さん :04/02/27 12:00
放っとくと、おっこっちゃうよ! それに 1000 も近いし。
様相論理というものは、人工知能とかに必須の理論なのですか?
>>968 今じゃ論理なんて殆ど使わないらしいよ。
970 :
132人目の素数さん :04/02/29 16:12
様相論理もいいけど、これからは線形論理だな。なんちって
非線形論理というものもありますか?
そうなんすか。 線形って、いわゆるf(ax + by) = af(x) + bf(y)的なナニカが、 論理体系中に存在しまつか。
>>975 前提を一回しか使ってはいけないっていうのが、
「線形」ってイメージされるんでしょ。
普通の論理では前提を何回使ってもいい。
だからといって「非線形」とはわざわざいわないけど。
>前提を一回しか使ってはいけないっていうのが、 >「線形」ってイメージされるんでしょ。 解説thx. で、1回ってところを、例えば3回くらいにまかるようなのはないでつか。
>>977 それは線形論理で、同じ前提を三個に増やしとくとかすればいいかと(笑)
つまり、前提が無限個ある線形論理が普通の論理っすか?
無限っていっても、色々あるんだよ。 可算とか非可算とか、あとアレフなんてのもある。
『論理記号の数を数える』などという荒業が どうやってできるのだろう? ましてや論理記号の数による帰納法なんて...
982。
983。
985。
1000!
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