1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
別に明るくもなかったけど、
戦前、戦中も
それなりにみんな楽しんで暮らしていた。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 14:15:01 ID:d+O3wSa30
縄文時代は暗い時代ではなかった。
それなりにみんな楽しんで暮らしていた。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 07:05:30 ID:/nD3R1G20
美空ひばりさんは、結婚せず、ずーっと母親と
いたらしいですね。
大正デモクラシーの時代とかな。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 01:28:53 ID:1EoFycAb0
昭和10年代までは景気よかったそうだ
私の大叔父さんは東京商大(今の一ツ)→逓信省→日産自動車
という経歴だったそうだが、夜はダンスホールで女性にダンスをおしえて
たそうだ。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 11:09:35 ID:rCeOLte00
暗い時代になったのは1937年の支那事変以降。
それまでは暗くは無かった。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 17:30:38 ID:kzDnWlp/0
慰安婦の件に関しては証拠不十分でいくら正当化できても
売春目的の人身売買を公認していたという点で
やはり戦前の日本はチンピラが支配する三流国家だった事実は
受け入れるべき
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 19:14:40 ID:snZQ1zMk0
戦前日本の経済規模最大を記録したのは昭和14年。
この記録が塗り替えられるのは昭和31年。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 21:20:45 ID:i12s4A/E0
おれの子供の頃、まだ戦前を知ってる人がまわりにいた。
その人たちは、戦争は嫌だったけど、その前はよかったと言っていた。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 12:45:34 ID:vM41796c0
エログロナンセンスやギャグの大流行はむしろ
明るかった日本に暗い影が忍び寄ってる(のを忘れたい)って感じだと思うけどな。
今と似てると思うぞ。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 21:25:17 ID:J/5aV+0I0
ベトナム戦争時 韓国はベトナムに出兵し 住民を虐殺した
そして、その兵士たちの子供が貧困にあえいでいる
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 19:11:54 ID:Fq6bQLycO
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 20:10:03 ID:AWHSi+aT0
でも、東京朝日新聞は、『行きづまった世相の反映』と書いて、暗く報道していた。
まあ、いつの時代でも、朝日新聞は暗く報道するが・・・
『東京朝日新聞 昭和10年(1935年)3月20日 水曜日 丙 11面
2612人 昨年の自殺者数 25歳以下では男女数は接近 原因は生活難からが一番多い
春は悩みの季節だ
▼…昭和9年中の警視庁管下における自殺者とその未遂者の統計が出来た。
それによると1年中の自殺者は何と2612人、一昨年より61人が増加している。
▼…原因を尋ぬれば病苦、老衰が717件で恋愛関係が390件、生活難が255件、放蕩その他の自責よりというのが158件で
父兄等より叱責されてというのが75件ある。
唯單に前途悲観というのが308件もあるのは行きづまった世相の反映でもあろうか。
最も多い病苦、老衰のためというのも実質的にはその大半は生計関係が遠因をなしていることは
容易に想像される。』
18 :
17:2007/11/20(火) 20:15:31 ID:AWHSi+aT0
東京朝日新聞だけでは、不公平だから、産業経済新聞(←今の産経新聞)も
いつも、暗く報道していたことを付け加えておく。
下記は、産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)10月1日 月曜日 6面の読者投稿欄である。
ちなみに、投稿者は、福岡県 遠賀郡 芦屋町・22歳女性である。
『編集に 必要な 愛情 暗さの 中にも 一筋の 光を
◇…毎日、同じ時刻に 配達されてくる 新聞も、あるときは、読むものに 喜びを 与え、
また、あるときは、ゆううつにし、悲観させます。
もちろん、新聞は、社会に起った いろいろな事件を 特撰的に 報道するという
使命を もっているのですから、世の中の 明るい出来事や、読んで 面白いものばかりでなく、
ときには、暗いニュースを 提供しなければならない場合も あるでしょう。
しかし、同じく 暗い 問題を 扱うにしても、その取上げ方次第によっては、読者を、ただ暗い気持に 誘うだけでなく、
反省から 光明へ 導くこともできるのではないでしょうか。
同じ事件を 綴っても、新聞によって、非常に 暗い 印象しか 残らぬ 場合と、
暗さの なかにも、まだ、一筋の 光が 残っていて、それを たどって 行けば、やがて、
光明の 輝くところへ 出られるという感じの 新聞があります。
いかに、ニュースバリューのある記事でも、編集者の 愛情に かけたものは、
読者の 胸を 打ち、こころの 糧と なることは 出来ません。
このことを 十分、考えてください』
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 14:44:03 ID:hGk8RDwj0
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 14:48:04 ID:hGk8RDwj0
「アカルサハ、ホロビノ姿でアラウカ。人モ家モ暗イウチハ、マダ滅亡セヌ」
(太宰治『右大臣実朝』)
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 17:15:21 ID:/H7snhMAO
暗くないって言っても、それは都市生活者か、田舎の金持ちだけだろ
ここに出ている例は全部その類だ。太宰なんて良いとこの坊っちゃんだしな
大多数の人口を占める田舎の子作農民は悲惨そのもの。
一般兵の理不尽さを知らない元士官とかが、旧軍を懐かしがる様なもんかね。
>>22 零細農家の貧しさは戦後でも長らく続いていたものでは?
田中角栄なんて彼らの支持があったればこそ
存在したようなもんじゃないか。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 17:21:06 ID:2tVzLB6n0
20の2番目を見たのだが、戦前はおおらかで、いい時代だったというのが、しみじみと実感できた。
乗用車が、対向車線にはみだすような運転を、堂々と映画に撮るのだから。
ちょっとした最高速度違反で警察が取り締まるような今よりも、いい時代だ。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 19:01:38 ID:dtS3m75j0
>>25 北朝鮮のプロパにも騙されそうな奴だなw
当時は小作農の存在等、貧富の差も激しく、
車で混雑なんて一般的じゃないだろう。
1937年は、社会主義者や自由主義者への弾圧も目立ったな。
社会主義者の取り締まりは日本だけに限られたものじゃないし、
転向を表明さえすれば、生きて自由になれた点はむしろ穏健な方じゃなかろうか?
激しい貧富の差など今日のアメリカでも支那でも普通に見られる事だ。
個人的にだけど、私有財産を否定する社会主義は弾圧されてしかるべきだと思う。
ともかく、その後の日本は新官僚が擬似社会主義制を導入していんだけども。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 19:41:38 ID:C36NxFKM0
1918年米騒動
1918年〜24年シベリア出兵
1920年戦後反動恐慌 尼港事件
1923年虎ノ門事件
1923年関東大震災 死者・行方不明者10万5千家屋の全壊10万9千、焼失21万2千
1924年アメリカで排日移民法
1927年昭和金融恐慌 鈴木商店破綻 台湾銀行休業
1929〜33年世界大恐慌
1930年生糸相場崩落 米価大暴落 岩の坂集団貰い子殺し事件
1930年東北・北海道大冷害 飢餓地獄 娘身売り 欠食児童
1931年満州事変
1932年五・一五事件 桜田門事件 第一次上海事変
1933年国際連盟脱退 三陸大津波
1936年二・二六事件
1937年第二次上海事変 通州事件
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 20:26:24 ID:op9cLU4/0
たしか昭和14年というのが軍需景気もあってピークだったらしいね
戦後復興はとりあえずこのレベルを目指していたと
あとは戦時中の食糧不足というのも首都圏や京阪神は別として
地方都市はさほどでもなかったとか
失われた16年。バブルの十年どころじゃないね。
バブルののは就職の機会をなくしてしまったけども、
昭和のは命を無くしてしまった。
>>30 >>28 が眼に入らないか?大正時代・昭和初期から日本は危機的状況だった。
戦争以前に命を無くした人は大勢いた。
どうして戦争以前の歴史から眼をふさごうとするのか?
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 11:03:36 ID:pAEFk0310
>>22 大多数の田舎農家の男子は軍に行って実家の収入安定を補助した。
誰でも毎月実家に仕送りをしていた。
それで金持ちになった訳では無いが、普通に食べて行けるだけで農業だけよりはマシ。
田舎農家の子供は早くから実家の助けで軍に行く人が多かったんだし。
戦後は、田舎農家でも1970年代入るまでは貧乏であった。
大都市の庶民だって1970年頃までは貧乏そのもの。
戦前は、てっとり早く軍に行けば収入安定出来たが戦後は就職だけになった。
どの人も貧乏であっても未来への変貌を想像し明るく生きていたが。
全農家が一時的に潤ったのは一部を抜かして戦後の食料難だけ。
近郊農家なんて戦後、買付けでかなり潤った。
それも食料安定すると貧乏に逆戻りだけど。
日本全体が潤い始めたのは1970年を過ぎたあたりから。
オイルショック後でも街の景観が大きく変貌したのも70年代以降からだし。
それまでは都内でも普通に貧乏所帯の住宅があちらこちらに建っていた。
1970年頃の映画を見ると渋谷の駅前、東急プラザ辺りに瓦屋根の平屋が建っている。
>>29 そ。30年の神武景気に突入した当時においても、
「今の好景気は戦後復興であって、復興が一巡すれば収まる」
という見方と「経済発展期に入った」という見方に分かれていた。
江戸時代などを対象にした時代劇を見ると、
町人やら武士など、綺麗な着物を着て小奇麗な格好をしているが、
あれ全部嘘っぱち。
実際の江戸時代は、物凄く汚い着物を着ていて、洗剤も石鹸もなかったので、
どす黒く汚れてて、体臭も凄まじいものがあった。髪などは臭くてたまらなかった。
5メートル先からでも、強烈な臭いをかもし出していた。顔も赤などでどす黒かった。
そして上流階級の大名や姫なども例外ではなく、着物はどす黒く常に汚れていた。
爪にはうんこが入り込み、いつも茶色くなっていた。
部屋の障子などもビリビリニ破れていて、畳は体液などで汚れていて、
今では考えられないほど汚かった。
畳にはうんこや尿などがへばりついていた。
農村地帯では乱交が普通に行われていた。
夫婦のみでSEXするのは稀で、多人数とのSEXをやっていた。
現代でも、援助交際が受け入れられ、日本のAVが過激なのも、全てその名残である。
これは全部本当の話である。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 11:51:28 ID:AqHgD+wx0
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 12:15:59 ID:nN+c/vGS0
四谷鮫ケ橋、下谷万年町、 芝新網町
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 19:51:38 ID:8lZl0dOc0
>>34 爪にうんこが入り込み茶色くなってたのは知ってるよ。
そんな手でおにぎりを作って、うまうまい言いながら食べてたって。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 19:56:49 ID:8lZl0dOc0
知らなかった歴史という本に、おにぎりの話がのってて、
昔のおにぎりは白米なのに黒っぽくなってて、それば手垢と爪に入りこんだ「うんこ」だったんだって。
それをうまいうまい食ってたって。
時代劇はほとんど嘘だよね。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:47:36 ID:oRcGYg3Q0
>>38 汚ねえー
だから伝染病がすぐに蔓延してたんだな。
現代じゃ考えられない
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:49:13 ID:oRcGYg3Q0
江戸時代はトイレットペーパーなんてなかったから
手で尻を拭いてたんだな。
でもその手をちゃんと洗えよな。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 23:01:47 ID:oRcGYg3Q0
俺の爺さんは戦前両国で歯医者をしていて自動車を所有し銀座によく洋食を
食べに行き、浅草の芝居や映画にもよく行っていたらしい。
あとカフェ、今で言うキャバクラも新宿や銀座などにたくさんあった。
浅草には戦前からストリップ小屋すらあったらしい。
ダンスホール(今ではクラブにあたるのかな?)やジャズ喫茶もあった。
都市部の富裕層なら現代人とそんなに変わらない生活を戦前にはすでに
おくれてたんだと思う。
農村部や都市部でもスラム層などは悲惨だったんだろうけど
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 23:04:26 ID:oRcGYg3Q0
戦前にはグッチやプラダ、シャネルなんかは日本ではまだなかったけど
ヴィトンやバーバリーはすでに日本でも販売されていて
爺さんはバーバリーのコートとヴィトンのバッグを愛用していた。
本当に現代人と変わらない。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 23:08:20 ID:oRcGYg3Q0
戦前の古い雑誌を家にあったので読んだことがあるが
街で女をナンパして連れ込み茶屋(今のラブホテル)に連れ込む体験ルポ記事
なんかがあった。
昭和初期も21世紀の平成の今の時代も細部は違うけど本当にあまり変わりはないと感じた。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 23:20:18 ID:oRcGYg3Q0
昭和初期は21世紀平成の現代とは細部が微妙に違うだけの
パラレルワールドって気がする
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 23:40:37 ID:IKFrMCwD0
大正と平成は時代としてちょっとかぶるね・・・
しかし、明治を作ったのは江戸の教育を受けた人で、明治に教育を受けた人が後に日本を滅ぼした
というのとやや似たような感じで、戦後日本を作ったのは戦前の教育を受けた人で、
戦後に教育を受けた人が日本を滅ぼしかけているというような気もする
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 23:51:31 ID:oRcGYg3Q0
格差はあったけどね。2.26はそれに耐えかねた地方が爆発した事件でもあるから・・・
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 02:13:36 ID:6vIEDDac0
大正〜昭和初期なんて超格差社会だろ。
京阪神&東京(関西のほうが格差は少なく生活レベルは高い)と地方の格差、
地方の大地主と庶民の格差。
ヒルズを見て「21世紀初頭はこんなに裕福だった」って言ってるのと同じだぞ。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 06:38:25 ID:wntQqVshO
>>1 暗いわけないだろ?!軍歌「なんだ空襲」聞いてみなよ。明るいよ(^-^)
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 02:28:02 ID:o70DGW+40
>>22 日本全国一斉に豊かになれる筈もなし。
物質的な豊かさというのは都会から田舎に時間を掛けて波及していくもんでしょ。
戦前の田舎の農家の貯蓄推移がマイナスの年が多かったのはまあ事実だ。
小作人は食っていけなかったということさね
52 :
25:2007/12/10(月) 20:57:05 ID:qPUN2Rro0
>>26 2行目をよく読もうな。戦前は、運転マナーが悪かったんだねと皮肉を混ぜておいたんだよ。
せっかくだから、運転マナーが悪い事例を下記に載せておく。
『大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 第4版 2面
交通巡査 奇禍
23日 午前 10時 大阪 西区 土佐堀通 肥後橋 南詰で 西走する 北区 堂島小型タクシー
大 6438 號 = 運転手 鄭 相烈(21年)=が 過って 軌道工事中の 材木を 刎ねあげ
傍らで 交通整理中の 川口署 前田 実 巡査(34年)の 左下腿部に あたり
同巡査は 治療 2週間の 傷を 負うた。』
>>50 甘杉
村の国道沿いにもイオンが出来るとかそういうレベルじゃないんだよ。
当時の格差は東京が浮かれてるときに農村では娘を身売りとかそういう状態。
そんなもん戦後も同じだし発展途上国なんて何処もそんな感じだぞ
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 09:43:45 ID:WnArIdnm0
戦前が超格差社会という者が多いがそれでも今の中国やインド、東南アジアや中南米より格差はなかったんじゃない?
この辺りの国は大都市と地方の格差10倍とか100倍なんてザラだぜ
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 11:48:33 ID:hFPpYqCz0
>>54 >そんなもん戦後も同じだし発展途上国なんて何処もそんな感じだぞ
そんな大雑把な決め付けは建設的ではない。
昭和5年〜9年の東北大凶作は戦後の比ではない。冷害というだけなら平成5年、15年にも
起きているが、木の根を食べるほどの飢餓は起きていない。
それは冷害に強い品種改良など農業技術の進歩が要因の一つであろう。
昭和5年〜9年は世界大恐慌の直撃もあり、そうした農村の窮状が軍部の台頭の原因ともなった。
>>55 >戦前が超格差社会という者が多いがそれでも今の中国やインド、東南アジアや中南米より格差はなかったんじゃない?
>この辺りの国は大都市と地方の格差10倍とか100倍なんてザラだぜ
戦前の格差の有無より、その要因を分析する方が有用であろう。
そして格差の倍率など比較しても余り意味が無い。
帝都三大貧民窟では残飯屋が来ると食事にありつけたが、来ない日は1日食事が無いという
名無しさん@お腹ぺこぺこが大勢存在した。そんな人らに外国ではザラだぜといって、いったい
何の慰めになるというのだろうか。
いずれにせよ、戦前と戦後の社会システム、国際経済体制、文明と技術などの違いを考察するべきである。
戦前と戦後の違いを階級闘争史観で解くのも間違いだし、「戦前日本は暗い時代ではなかった」という幻想も
間違いである。何ゆえ戦争に至ったか、戦争に負けて日本は何を手にしたか。
いろいろ着目すべき点が多く、ここでは説明しきれないが、この時代をきちんと理解することが、
軍部と憲法しか見ない偏狭なデマ宣伝に騙されない為にも必要なことだ。
江戸時代の庶民は少なくとも清や朝鮮よりはマシな生活をしてたと思うよ
江戸時代の日本の1人当たりのGDPも同時代の清より高かったみたいだし
江戸時代が朝鮮よりマシでもどうでも戦争前が暗いかどうかと関係ないだろう。
朝鮮よりマシなら最貧国ではなかったという事だから暗くはない
>>53 それでも
>>50は全然否定できない。
レベルの差が開いていても都市から田舎に物質的な豊かさが波及していくという現象に例外はないもんな。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 15:36:14 ID:qFTYL0ll0
少なくとも俺は祖母から戦前、戦中は貧しくて苦労したという話しか聞いてないな
学校出たらすぐ奉公に出されて朝5時から夜10時まで働かされて休みは盆と正月だけ
親が金を受けとっていたので逃げ出す事もできなかった。
教師になりたくて通信教育で勉強しようとしたが親に反対され断念せざるを得なかったらしい
大正時代半ば頃の話だが本当に悲しくなってくるよ。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 16:43:03 ID:6caqGJv90
今の格差社会日本の方が暗い時代だと思うけどな!
先進国でも幸せにはなれんのだなあ。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 20:44:24 ID:7OvFNboX0
昔は、貧乏な家は自分の娘を女郎屋に売り飛ばす時代。子供は道具という認識。
昔は、農村地帯で乱交は当たり前(夜這いは農村地帯の風習)
昔は、子供を売る時代。貧乏な家は自分の子供を他人に売っていた。
昔は、精神病患者、うつ病患者、結核患者は隔離し、身内が殺していた時代。
昔は、生んだ子供をそのまま川に捨てていた時代。(育てられないなどの理由)
昔は、父親が娘とセックスする時代(近親相姦) 、家長(父)の命令は絶対服従。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 21:12:47 ID:zY0BxDjq0
戦前は近親相姦は当たり前だった。父親と娘とのセックスは農家では広く行われていた。
息子と母親とのセックスも当たり前に行われいて、母親が息子の子供を腹ますなんて事はごくありふれた事だった。
幼児虐待、児童虐待も戦前は広く行われ、親からの虐待は普通だった。
親からの虐待や暴力で命を落とした子供も数多くいた。しかし、これが半ば常識としてまかり通っていたために、
特に追求される事なく、暗黙の了解として警察の捜査対象にはならなかった。
児童虐待などが問題視されたのは、ここ20年前くらいからで、まだまだ最近になってからなのである。
農家と農家の連携は強く、一つのネットワークを形成していた。
変わり者は即、排除される。自分が属する村に傷をつけるような行動をした者は、
村会議が開かれ、村のリーダーからの制裁を受ける事になる。これで殺された人も多い。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 21:20:41 ID:5Bnl5tlv0
なんだこりゃ? 貧富の差があったから戦前の日本は暗い時代だったとか言ってんの?
じゃあ、貧富の差のなかった国ってどこ? もしかして国民全部が貧民なら貧富の差はないとかいう話?
>>65 >戦前は近親相姦は当たり前だった。
別に「悪い事」じゃないよな。現代の価値観では忌避の対象だが
>幼児虐待、児童虐待
ああ、これはダメだな。
虐待と言うか、躾と称して過度な制裁になってた部分もあるってことだな
>農家と農家の連携
村八分ってやつ?良い面もあり悪い面でもある・・・
農家の連携が取れなくなったから今の第一次産業の衰退とも言えるわけで
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 03:23:33 ID:4xSZiB9Q0
一応戦前の日本にも児童虐待防止法なんて法律があったんだけどな
児童や幼児への虐待なんて何処の国でもあるっつうか今の日本でもあるだろ
>>67 >なんだこりゃ? 貧富の差があったから戦前の日本は暗い時代だったとか言ってんの?
アホだな
単に貧富の格差の存在を言っているんじゃない
それゆえに平気で人身売買が行われてたし、人間の命も軽いものだった
また社会政策が全然欠如してたから、病気や怪我がそのまま人生終了ってケース
が多かった
>>70 横からだが、人間の命が軽いと暗い時代なのかね?
地球より重いなんてどうしようもない事を言っている時代より、
遥にサバサバして潔いと思うが。
>>71 自分がタコ部屋で殴り殺されたりすればわかるよ
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 21:39:59 ID:sr8uQwUX0
昨今の昭和ブームには呆れます。
>>72 タコ部屋を知らん奴が良く言うわw
人間一人、出来るものなら、殴り殺してみろや。
「お手々が痛いよー」ってママに泣きつくんだろう。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 23:21:11 ID:cuD88fTi0
>>71が言うように、ようは気分の問題。
例えば、今ワークプアになれば底辺の生活で暗い気分だが
縄文時代に今のワークプア並みの生活ができれば極楽気分だったはず
確かに、今戦前にワープしたら嫌だが、その当時は別に普通に暮らしていた。
ただ、やはりそういうのを差し置いても、人々は嫌だったと思う。
21世紀の日本だって、30世紀ぐらいからワープしてきたら人権侵害だらけの糞野蛮人だと
思われるだろうね
>>67 貧富の差ってのは重大な要素だよ。
特に其れが社会的不公正によって引き起こされている場合は。
戦前では金持ちの子には高等遊民がたくさんいたことからもわかるだろ。
貧乏人の子はそれどころじゃない。
まあ、貧乏人が金持ちをみて不幸を実感するというのもあるんだろうが、
限度があるだろうね。
なにせ、食うのも大変な人間に
「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」と言い放つと
何がおこるかは歴史が証明してくれている。
30世紀から来たら、「世界的に人権侵害が行われていた」となりますよ。
ま、もちろん、人類の人権意識が世紀に比例して高くなると仮定してですが。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 22:41:29 ID:soqfmN97O
不平等は仕方のないことなんだから、それをどうやって諦めさせるか、
自覚させないかが大切なんだよな。
「てめーは低能なんだから負け組なんだ、このクズ!」と
言わんばかりの最近の風潮は、日本をまた戦争に向かわせる気なのかと勘ぐってしまう。
よく、欧米の貧富格差や階級社会を非難している低能モンゴロイドがいるけど、
白人は日本人のような土人と違い学習能力のある文明人だけあって
そのあたりの対処(意識レベルでの棲み分けを社会に浸透させること)は
きちんとできてると思う。
アハハハハ
ま、いつの時代もネガとポジがいるんだよ
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 10:30:47 ID:dH19PfFB0
農村や一般庶民は暗い時代
東京の金持ちと大阪近郊の中産階級にとっては明るい時代
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 12:05:27 ID:zlEsDLAF0
戦前の日本はこんなに明るい時代だったんだぞ
『戦前の少年犯罪』 管賀江留郎・著
http://www.amazon.co.jp/dp/4806713554/ 昭和2年、小学校で9歳の女の子が同級生殺害
昭和14年、14歳が幼女2人を殺してから死体レイプ
昭和17年、18歳が9人連続殺人
親殺し、祖父母殺しも続発!
現代より遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、恐るべき子どもたちの犯罪目録!
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?
発掘された膨大な実証データによって戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる!
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!
現在も史上空前の好景気らしい
貧困率は先進国第2位にはねあがって、非正規労働者が労働人口の40%近く
にまで増大して、預貯金なし世帯が25%いて、生活保護世帯も100万超えて、
物も売れないんだけど
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 12:08:53 ID:zlEsDLAF0
『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 14:18:13 ID:dH19PfFB0
エログロナンセンスって90年代とかに似てると思うけどな。
心に闇って感じ。豊かな層も決して明るくはない。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 16:25:02 ID:mM/RHqjc0
「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」
1944年の戦況が悪化するまでの戦前というのは、
社会主義者にとっては全くの暗い時代だろうけど、
一般市民にとっては他の時代同様に、当然明暗ある普通の時代だろうね。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 00:08:25 ID:vVi0QlG50
いじめは今に負けず劣らずの酷いいじめもあったらしい。
後、戦前のエログロナンセンス時代なんてのは今とよく似ているからね。
街でナンパしてその夜のうちに連れ込み宿といういわゆるラブホでの性交をする男女もいたらしいし、
裕福な家庭の青年の中には定職につかず親のすねかじりで毎日好きなように暮らす
高等遊民という今で言うニート的な人もいたらしいし、現実で女の人との交わりがなく
色恋小説などにばかり読み伏せている今で言うオタク的な人もいたらしいし、女学生は
髪は断髪、爪にはマニキュア、制服のスカートも短くするといった今で言うギャル女子高生的
なのもいたらしいし、トータル的には今と非常に似ている面が数多くあるよ。
>>88 >社会主義者にとっては全くの暗い時代だろうけど、
荷風の「断腸亭日乗」や清沢洌の「暗黒日記」を読めばそんな単純な話では
ないことはすぐに理解できるはずだがね
あと、1930年代に弾圧された有名学者で、滝川幸辰、河合栄治郎、矢内原
忠雄が社会主義者だなんて冗談は言わないよな?
>>88 あ、あと美濃部達吉と津田左右吉も追加
天皇機関説や記紀の神話性を論じて弾圧された彼らを、社会主義者だなんて
言って笑わせてくれるようなことはしないよね?
むしろ彼ら、戦前の学界の体制側の人たちを排斥した連中の方が「社会主義者」だな。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 00:37:49 ID:cZPuVT2w0
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 08:10:06 ID:VW8Sbd1B0
>>92 慣れない難しいことを言おうとしなくていいよ
具体的には誰のこと?
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 23:47:40 ID:Ue02bBIU0
>>89 戦前のいじめなんて今のよりもっと残酷で乱暴ないじめ。
ただ、ネットとかがなかったから今のような陰での陰湿なのがなかっただけ。
暴力だけ言えば今のいじめよりもえげつなかったりする。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 03:27:47 ID:Q3HG3FpZO
2chの書き込み内容が現実に実施されていたのが、
アメリカに文明化される前の日本。
部落民や朝鮮人の家のポストに脅迫ビラを入れたり、
父親が娘を嫁代わりに強姦してたりした。
孤児を引き取ると貰えた小額の補助目当てに、どんどん孤児を引き取っては
密かに殺しまくってたなんて事件は、あきれるほどよく3面記事になってるし
まぁ他所の土地からやってきて、先住民を虐殺してた様な他国の連中と比べればはるかに健全な国家であった。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 12:18:23 ID:ztQJLiYG0
台湾人を叩く奴は全部チョン
悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語
金美齢は絶世の美女
>>98 わが国でも四世紀から七世紀頃はそうだっただろう。
琉球と蝦夷地は十九世紀くらいまで尾を引いたが。
別にヨーロッパ勢は先住民だから虐待したわけではない
本国で農民相手にやってることを植民地でもやったということにすぎない
ここでもう一度
慰安婦の件に関しては証拠不十分でいくらデカい顔できても基本的に
売春目的の人身売買を公認していたという事実がある時点でやはり戦前の日本は
チンピラが支配する三流国家だった事実は受け入れるべき
それにしても慰安婦関係のスレでよく、当時は外国だって売春が合法だった
っていうようなウヨ側の書き込みを見かけるんだけど、さすがに
人身売買の話まで無かったっていう書き込みって本当見ないんだよなあ
ここで別スレで拾った馬鹿のレス
136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 16:22:58 ID:3CKOhMFY0
つーか、人身売買とか言っているけど、日本側からしたら業者から売春婦を雇っていただけだ。
何か問題があるのか?
>日本側からしたら業者から売春婦を雇っていただけだ
まっとうな人間性を持っていたら、これはどう考えても異常と思うのだが
どう見ても国が完全に人をモノとして扱ってるだろ
金と引き換えに商品として性交目的で売られるという状況を国が完全に
(黙認か公認か知らんが)認めてただろ
この一例だけを取り上げても戦前の日本は『美しい国』って言えるのか
それは戦後で現代の感覚
金融恐慌以来の大不況の貧しい農村にいるよりましだったかもしれない
もうひとつ
>>102 おまえも風俗嬢にお世話になってんだろw
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 11:51:43 ID:BCi7QfY50
嗚呼素晴らしき哉、戦前教育w
重光葵の見たA級戦犯の生活態度
「日本人の非社会性は、巣鴨(プリズン)では遺憾なく陳列されている。この点では、日本人とし
て考えさせられることが多い。水やパンの事だけではない。何をしても人を押しのけて我勝ちで、
風呂に入るのもそうだ。共同に使う清い上がり湯に自分の手拭を突っ込む位は平気で、共同風呂の
中で鬚をそったり、石鹸のついた頭を洗ったりして、監視兵に叱られる。無作法に我勝ちに他を押
しのけて行く遣り方は、軍人ほどひどい。軍隊生活では斯様に教えてあるのかも知れぬ。廊下でも
どこでも、タバコの吸殻を捨てる。ツバキは到る処に吐く。遊歩の時に半裸体になって妙な服装を
するのはまだしも、庭の一隅に代り代り行って直ぐ小便をやる。監視兵の顔は、軽蔑の表情にみた
される。こちらは平気である。別に心から無作法と云う訳ではない。結局、日常生活、習慣の上に
社会性がないと云う訳である。7、80になって最早や如何することも出来ぬ。然し、更に若いも
のも大同小異である」
(重光葵 『重光葵日記』)
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 20:12:17 ID:spiU4Qg50
ja.wikipedia.org/wiki/救世軍
日本では女性の人身売買を公認する制度が、文明国では類のない「公娼制度」として300年以上続いていました。そのために女性は逃げ出しても警察に連れ戻されました。
救世軍では明治33年から、身売りされた女性を助けるため「廃娼運動」をはじめました。
遊郭が並ぶ通りで、救世軍が「逃れの場」であることを知らせるチラシをまき、女性の開放を訴えました。
救世軍の活動に対して遊郭側は暴力団による襲撃で対抗しました。負傷した救世軍人の姿を、今も写真にみることができます。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 20:23:24 ID:lyL6D5EC0
>>102 売られた朝鮮娘−女衒−日本軍(政府)の関係は、
日雇い派遣労働者−派遣会社−派遣先会社の構造と似てる。
偽管理職店長−マクドナルド−客でも良い。
日雇い派遣労働者と派遣会社の関係がどんなに酷く搾取的でも、
それは派遣会社内部の話。
派遣先はタダのユーザーなので、基本的に無関係。マック食べてる客と同じ。
日本軍も同様に、
女衒と朝鮮娘の人身売買には直接タッチして無いし、
それを女衒に推奨したことも無く、むしろ止めるように指導してるわけで、
基本的に無関係というべき。
それとも、マックを食べてる客は、マックの店長搾取に加担してることになるのか?
それと知ったら、モスバーガーなりロッテリアに行くべきなのか?
まあ、道義的に真っ白かといわれると、微妙ではあるが。。。
最近では、フェアトレード運動とかあるしね。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 14:30:11 ID:nL6XMNsI0
太平洋戦争は日本が悪いんです!
自衛の為であっても戦争は絶対にしちゃいけない事なんです!戦前の日本は悪でした!!
戦争論U あるいは反論
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2005/0221020731.php 「侵略のためだろうが防衛のためだろうが、戦争が殺し合いであるという本質は絶対に変わらないわけで、
自衛のための戦争であっても「爽快感、充実感、感動」など感じる類のものではない。」
「A国とB国の喩え話だって、軍備増強合戦をする背景には、お互いをもともと敵国、あるいは敵になりうる国と見なしているという前提がある。
2国間に同盟関係もしくは、戦争しても互いに不利益になるような関係が築かれている間ならば、そんな現象は起きない。」
「あと、わたしはいわゆる、太平洋戦争が「石油禁輸された上での生存をかけたやむを得ない戦争だった」ってのもうさんくさいと思っている。
こまで追いつめられる前にそれこそ「生存を探る道」はあったのに、資源の80%を輸入に頼るような国が安易に植民地拡大に暴走して、
資源を自力で供給できる米国と敵対関係になる道を突き進んだ。これこそ国を傾ける無謀行為じゃないの。」
「本来自分のものでなかった領土を意地でも手放したくなかったというのが本音で、そういうのはやむを得ないとは言わないと思うんだけど。
のび太が調子ぶっこいてジャイアンのパシリからお菓子を取り上げて苛めてたら、「そいつを苛めていいのは俺だけだ。のび太のくせに生意気だ」と
ジャイアンに叩きのめされただけで、ジャイアンにももちろん正義なんかないが、のび太は正義もない上に現実認識能力もなく先を読む力もなかった。それだけの話だ」
「戦前・戦中の日本にも当然反戦主義者は存在した。」
「彼らは戦時統制で徹底的に弾圧されたので、為政者も戦争に邁進できたわけだが、
彼らの運動が功を奏し国民が反戦に目覚めていれば、第二次大戦の悲劇を味あわずに済んだかもしれない。」
「また逆に、愛国主義者が国民を煽って大東亜共栄圏などという夢を見なければ、
植民地をいたずらに拡大するような愚策をとらず、日本一国でちんまりと生き延びるための国策をとったかもしれない。」
111 :
武陽隠士:2008/03/01(土) 11:31:47 ID:Yd6yStw8O
都市部のサラリーマンにはそこそこイイ時代。
しかしやはり全般的には暗い時代だな
どうしようもない貧困てのがあるからね
テロも多いな
翻って戦後は首相で殺された奴誰もいない
つか今の日本の方が、たとえ建前だけでも生存権・社会権や教育を受ける権利
なんかが憲法で認められてる分、確実に戦前の社会よりは普通の国民が生きてく
上で有利だわな。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/21(金) 18:08:50 ID:NXVbwYdR0
太平洋戦争は3年7ヶ月
今から3年7ヶ月前というとアテネオリンピック。
なんだつい最近じゃんと思う。
つまり戦争は一瞬で過ぎ去った。
そのうち空襲になったりしたのは最後の4〜5ヶ月。
それまでは配給も途絶えていなかった。
食糧難というのは一部の都市部での出来事。
みんなかい出し列車で田舎に食糧を買いに行った。
つまり農村には売るほど食料が余っていた。
アフリカの餓死寸前の親子の写真というのは
だれでも見たことがあるだろう。
日本の終戦直後のそういう写真を見たことがあるか?
誰も見たことが無いはずである。それはそんな事実が無かったからだ。
敵性語禁止。野球だとストライクは「よし」アウトは「だめ」になった
というのは大嘘。昭和19年の映画でちゃんと「ストライク」「アウト」
と言っている。つまり敵性語禁止というキャンペーンはあったが、定着
しなかったということだ。
終戦の日でも銀座の裏にはビールを飲ませる横文字のバーがいっぱいあった。
そういうことは山本夏彦(大正2年生まれ)が
「だれか戦前を知らないか」と言う本にいやというほど実例を挙げて書いている。
昭和初期の凶作を最後に娘の人身売買は行われなくなった。
と信じている奴。娘を売り飛ばす風習は戦後になってもいくらでもあった。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 00:59:26 ID:e6YXXbis0
戦前暗黒史観は戦後の創作の部分が多いな。
今から何十年か経てば、21世紀初頭の日本は労働法規は単なる
建前で、常軌を逸する違法な長時間労働が横行していました、とか
書かれるかも知れない。
結局戦前に弾圧に屈してというより世の中の動向に迎合して転向したマスコミの連中が
戦後になってから、戦前は政府がとんでもなく酷かったとか世の中が暗黒だったとか
そういうことを事実以上に過大に喧伝して自分たちの転向は仕方がなかったという風に
世間に対しても自分に対しても言い訳したかったというのがあるんだろう
>>114 江戸時代暗黒史観が明治朝鮮人どもに捏造されたのと同じだね
江戸時代までの日本は、外国人が驚くほど、開放的で自由な庶民文化が花開いてた。
それが一転して暗黒時代になったのは、ホモで男尊女卑な薩摩人のせい。
youtubeにフルカラーの戦前の東京とか京都の
フィルム撮影がある。
人や車の流れはゆっくりだが、印象そのものは
今とあまり変わらないね。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 10:57:04 ID:e6YXXbis0
戦争がなければ、そのまま昭和20年代に高度成長したかもしれない。
廃墟から形振り構わずに仕上げた史実の強引な復興よりもいい国に
なったんじゃねえか?忘れたけど、昭和33年くらいの経済水準が
やっと昭和13年くらいだっけ?
戦後豊かな国になったのは戦争に負けて、アメリカ式民主主義が浸透した
から。そんなイメージは完全に誤り。敗戦のせいで高度成長が遅れ、しかも
イビツになった。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 12:19:43 ID:VuzBYgJM0
>>119 お前馬鹿丸出しだ。全然歴史が分かってない。学校で何を習った?
何のために学問板に書き込んでる?
そもそも戦前どうして戦争になったか。
外部要因としては、連合国による経済封鎖があり、それを打破する必要があった。
鉄鉱石や石油などの資源が禁輸されると日本の経済は立ち行かなかった。
なおかつ海外市場も閉鎖され日本が輸出することも出来なかった。
内部要因としては、農村の救済が急務だった。戦前、農民は小作人に転落し
地主に搾取されていた。農家の次男・三男は軍部に入るか、海外に移住するか、
都市に流入して細民になるしかなかった。
すなわち戦争は外部要因として経済閉塞の打破と農村救済の公共事業という2つの意味があった。
日本は確かに戦争に負けた。負けたが負けたゆえに戦前の問題を全て解決できることになった。
1.ブロック経済から自由貿易経済へ
海外市場は開放され、輸出入ともできるようになった。連合国の植民地だった地域が独立し、
日本の貿易相手となった。
海外市場を目的とした工場が作られ、農家の次男・三男の受け皿となった。
2.軍事優先から経済優先へ
多大な国費を費消した軍部がなくなり、経済復興に全力を挙げることができた。
3.孤立から支援へ
アメリカを中心として、食料支援・金融支援・技術支援を受けることができた。
4.小作人から自営農へ
農地解放により小作人が自営農になり農業生産力が向上することができた。
アメリカ式民主主義なんざ確かにどうでもいい。しかし、これらの戦争の成果があったからこそ、
日本は復興することができたのだ。
戦争以外の手段で戦争の外部要因・内部要因を解決することが戦前の日本にできたか。
よく考えてみろ。
戦前の日本は、国際社会から孤立したいじめられっ子だった。しかし例え負けてもいじめっ子に
戦いを挑んだからこそ、本当の意味で仲間に認められたのだ。
そんな日本を見て、同じいじめられっ子であったアジア・アフリカ諸国も独立した。
戦争をしたからこそ、アメリカは日本をいじめたことが間違いだと悟った。
戦争をしたからこそ、アメリカは日本を同じ自由主義の仲間だと認めた。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 13:27:08 ID:KyVIeqLH0
ハルノートで追い詰められる必要は無かった。
とりあえず満州から撤兵して朝鮮満州国境に集結させて置けばよかった。
朝鮮は当時国際社会も日本の領土と認めていた。
そうやってのらりくらりと欧米の追及をかわして時間稼ぎしながら
軍備を推し進めていればよかった、そうするうちに国際情勢は変わる。
もっと狡猾に振舞っていればよかった。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 13:40:55 ID:VuzBYgJM0
>>121 >もっと狡猾に振舞っていればよかった。
12歳には無理。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 16:36:14 ID:G0rmG9Fg0
>>120 戦前の否定と肯定がごっちゃで、つっこみどころも見られるが、
どこも目先の国益で行動してるだけ。
いじめられっ子の日本が、いじめっ子のアメリカ等に立ち向かい、世界を救った、
みたいなセンチメンタルな話じゃないw
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 16:52:56 ID:G0rmG9Fg0
論点がバラバラに見える
>>120 >農家の次男・三男の受け皿となった。
>農村の救済〜海外に移住〜戦争は農村救済の公共事業〜戦後に海外市場を目的とした工場
満州確保、日中〜大東亜戦争、戦後の工場、のバラバラな話を、農家の子の受け皿でまとめかよ。
>連合国による経済封鎖があり、それを打破する必要
石油禁輸〜ハルノート以前に、大東亜戦争回避の選択肢は色々あったがな。
>戦後アメリカを中心として、復興支援を受けることができた。
共産勢力への防波堤として、日本の早期復興が必要だった。戦争肯定の話じゃない。
>農地解放により小作人が自営農になり農業生産力が向上することができた。
逆に農家の細分化で非効率になった。小作農解放は結構だが。
>戦前の日本は、国際社会から孤立したいじめられっ子
逆に脱亜入欧でやってきたし、欧米と同様に租借地(殆ど植民地)も持ち、国連の常任理事にもなった。
満州事変後の、国益>国際協調路線の選択も、日本の判断。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 16:57:14 ID:q87PZJcA0
>>123 戦前は否定するものでも肯定するものでもない。
実相をありのまま認めるのが歴史だ。
センチメンタルと読むのはお前の勝手だが、
世界を救ったなどとどこに書いてあるんだ?
他人の書き込みを勝手に捏造するな!!!!
120の主眼は、戦争以外で戦前の日本を救う手段が他にあったのかだ。
あったなら、それをどうやって実現できたかだ。
読解力の無い人に理解しろとは言わない。
お前は分をわきまえて、下らない歪曲をするんじゃない。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 17:08:54 ID:q87PZJcA0
>>124 読解力も理解力も足りない奴の相手は疲れる。
農村の余剰労働力の受け皿が戦前は海外移住と軍部で、戦後は都会への集団就職だと
書いたのだ。その論点も読み取れない奴が生意気言うな!
>石油禁輸〜ハルノート以前に、大東亜戦争回避の選択肢は色々あったがな。
その選択肢をどうして選べなかったのか考えたことがないのか?
選択肢があるないという話ではないのだ。
>共産勢力への防波堤として、日本の早期復興が必要だった。戦争肯定の話じゃない。
戦争を経てアメリカは日本が敵じゃなく、味方だったことに気づいたのだ。
だからあ、肯定とか否定とか幼稚な論は止めてくれ。効果・効能を論じたまでだ。
>逆に農家の細分化で非効率になった。小作農解放は結構だが。
嘘を書くな。細分化で非効率だったのは戦前も同様だ。戦前どこで大規模農業をしていたというのか?
>逆に脱亜入欧でやってきたし、欧米と同様に租借地(殆ど植民地)も持ち、国連の常任理事にもなった。
>満州事変後の、国益>国際協調路線の選択も、日本の判断。
だからなんだ?なにをいいたい?自業自得だろうがなんだろうが、いじめられっ子にかわりないだろうが。
いちいちくだらないレスをつけるなよ、うざいなお前は。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 17:17:57 ID:G0rmG9Fg0
そもそも
>>120自体のレベルが低いんだよw
・満州から大東亜戦争あたりの論点がごっちゃ
・孤立に繋がった満州事変は、欧米のいじめではなく、
大恐慌(当時の資本主義の宿命)や、張軍閥とのトラブルが主因。
・そもそも虐められっっ子が虐めっ子に立ち向かい、相手が非を認めた、
なんて学問板にも本質にも沿わない駄文を付け加えるなってw
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 17:25:16 ID:S34FOSnx0
あかるくたのしい大日本帝国
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 17:41:33 ID:q87PZJcA0
>>127 お前な、人間として道を踏み外しているぞ。学問どころじゃないな。外道とはお前のことだ。
>・満州から大東亜戦争あたりの論点がごっちゃ
アホか。全く無関係だとでも?
>・孤立に繋がった満州事変は、欧米のいじめではなく、
>大恐慌(当時の資本主義の宿命)や、張軍閥とのトラブルが主因。
そのとおりですよ。日本は全くそのつもりは無かったのに、満州事変にこだわり自らいじめられるハメに
陥ったのです。
>・そもそも虐められっっ子が虐めっ子に立ち向かい、相手が非を認めた、
またどこにも書いてないことを捏造するんだ。お前は外道だ。
非を認めたなどという事実は無いし、アメリカはそれが非だとは戦前も戦後も考えてない。
ただ戦争を経て、戦後になって始めてロシアがアメリカの味方でなく真の敵であること、
そして日本がアメリカの敵でなく味方であることに気づいたということだ。
だからこそ、戦後アメリカはせっとと日本に対し食料支援、技術支援、金融支援にいそしみ、
日本の国際社会への復帰も手伝い、沖縄や硫黄島も日本に返還したのだ。
別に日本はそれを期待して戦争を起こしたわけでも何でもないが、結果的に戦争にはそうした効果が
あり、それが日本の戦後復興の助けになったのです。駄文でも何でもない。議論の余地もない真実ですが。
駄文を付け加えているのはお前だろうが。いいかげんにしろよ、外道野郎が。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 18:11:20 ID:G0rmG9Fg0
おまえ(ID:q87PZJcA0)は只の馬鹿w
>>そもそも虐められっっ子が虐めっ子に立ち向かい、相手が非を認めた、
>またどこにも書いてないことを捏造するんだ。お前は外道だ。
120に
「戦争をしたからこそ、アメリカは日本をいじめたことが間違いだと悟った。 」
って書いてるだろが。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 18:15:28 ID:G0rmG9Fg0
さらにおまえ(ID:q87PZJcA0)は馬鹿みたいだが
>戦後になって始めてロシアがアメリカの味方でなく真の敵であること、
すでに戦時中から、ロシア(ソ連)が次の敵になる事に気づいてた。
お前は問題以前の無知。
>そして日本がアメリカの敵でなく味方であることに気づいたということだ。
”気づいた”ではなく、力づくで自陣営側にしたんだよw
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 19:13:19 ID:2qwBpvZ40
>>130 「相手が非を認めた」はお前の捏造に過ぎない。
>>120のどこにもそんなこと書いてない。
>>131 >すでに戦時中から、ロシア(ソ連)が次の敵になる事に気づいてた。
>お前は問題以前の無知。
気づいてたのは一部の政治家のトップだけ。
その理解が議員の多数派を占め、そうした認識が国民に広がり、国民の支持を得なければ選挙に勝てない。
そして議会で承認されない限り、いかなる予算も大統領は執行できない。
そういうアメリカの意思決定システムを知らないお前は問題以前の無知。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 20:12:01 ID:zM1g4BlS0
まあネトウヨがここで何ほざこうとも、一般人にとっては様々な面で
戦後民主主義社会>>>>>>>>>>>>>>>>>>戦前の日本
ではあるわな
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 20:16:24 ID:KyVIeqLH0
戦前の日本は貧乏人と女には選挙権が無かった
そのかわり税金も無かった。
戦後の一番の過ちは女に参政権を与えたこと。
納税の義務はあったでしょう。
納税額の多寡で選挙権が差別されなくなったのは1925年のことだし。
まあ、普通に暗かったと思いますよ。
>>1のいう、そして一般的にも戦前とは昭和戦前のことだと思うけど、
不況は続いていたし、潤っていたのは軍需関連産業だけですね。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 20:52:12 ID:7oU6c5X80
>>133 戦前の日本を体験してない奴にそんな無意味な比較は出来ないはずだぞ、低能め。
>>134 >そのかわり税金も無かった。
小作人には名目として税金は無かったが法外な小作料を地主に払っていた。
その小作料に税金が源泉徴収されていたと解釈すれば税金が無かったという事実はない。
>>134 全男性に普選を敷いた日本というのは当時でも進んでいる証なんだが。
誰に返す訳でもないが、感想を。
アメリカが民主主義か。
有色人種を差別し捲りで、黒人は低層の仕事しか与えられなかった。黄色人種は
支那移民排斥と日本移民排斥を黄禍論の下に実施。
結局はアメリカの自由民主主義も当時はお題目もいい所に過ぎなかったんだけれ
どな。
当時日本が亜細亜の権益を日本主導で司どろうとした事は間違っていなかったと
思う。
ただ、その道筋が米英蘭とかちあったというに過ぎない。
>>135 不況が続いていて、暗かったというのは間違いだな。
幸福だったかといえば、否だが、
140 :
119:2008/03/22(土) 21:26:19 ID:e6YXXbis0
>>120 戦争がなければってのは、対米関係を修復できてればという意味でだよ。
相当の譲歩、屈辱が伴ったかもしれないが、幕末の臥薪嘗胆に比べたら
マシだろう。
>日本は確かに戦争に負けた。負けたが負けたゆえに戦前の問題を全て解決できることになった。
死者350万以上、インフラ壊滅。これと引き換えに、だよ。
>多大な国費を費消した軍部がなくなり、経済復興に全力を挙げることができた。
それって、要はアメリカの保護領的存在ってことで、偉くはなくね?
それにしても、冷戦構造が日本の発展に有利に働くなんて、日本にとっては
まさに神風。天佑だ。
120タンの主張は、戦争以外に戦前という閉塞状況を打破する策はなかった、
ってことだよな。
俺は、戦争やらなくても経済大国日本はできた可能性はあったと思う。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:06:31 ID:2qwBpvZ40
>>140 >120タンの主張は、戦争以外に戦前という閉塞状況を打破する策はなかった、
>ってことだよな。
そんなことではない。いうことを聞かない糞餓鬼には思いっきり体で痛みを思い知らせるしか
方法が無いということです。その方法が戦争だということです。
それ以外にどうやって主戦論を押さえ込む方法がありましたか?
戦車で踏み潰しますか??総理大臣を殺すことさえなんとも思わない連中ですよ、相手は。
内戦になっても外国に迷惑かけない方が良かったという考え方もあるとは思いますけどね。
もう誰にも主戦派を押さえ込むことなどできなかったのです。
何度でも貴方に聞きます。どうやれば主戦派を抑えることができましたか?
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:29:10 ID:KmWSF9x40
また訳の分かんない話になってるし
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:37:45 ID:XpDHzqvl0
化政から幕末にかけては、江戸を中心に華麗な庶民文化が花開き、
権威を皮肉り、滑稽や洒落をよしとし、刹那的で退廃的な美を愛した。
この時代の日本は、欧米に引けを取らない高度な庶民文化を持っていた。
しかし明治維新により、日本文化は「汚習」として否定されてしまう。
「諸事神武創業の始めに原に、縉紳武弁堂上地下の別なく、至当の公議を竭し、
天下と休戚を同じく遊さる叡慮に付き、各勉励旧来驕惰の汚習を洗ひ、尽報国の誠を以て奉公致すべく候事。」
そして誕生間もない明治政府は、古きよき律令時代への復古を宣言し、次々とカルトな政策をうちだす。
「宣教使ヲ置クノ詔(明治3年正月3日)
朕恭しく惟るに天神天祖極を立て統を垂れ列聖相承け之れを継き之れを述へ
祭政一致億兆同心治教上に明かに風俗下に美なりし而して中世以降時汚隆あり道顕晦あり
今や天運循環百度維れ新なり宜しく治教を明らかにし以て惟神の道を宣揚すへきなり
因て宣教使に命し天下に布教す汝群臣衆庶其れ斯旨を体せよ」
例えば↑は、為政者が国民の頭の中を同じ色に染め上げ、諸々の風俗を恣意的にコントロールするぞ、という趣旨の宣言。
薩長の百姓に文化など理解できるはずもなく、このような抑圧的な体制を指向したのは無理もないことなんだけど、
それにしても、近代日本がこのような蒙昧な暗黒から始まったことは、日本にとって大きな不幸だった。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:40:57 ID:e6YXXbis0
>>141 例えばだけど、山本五十六がGF長官にならず、海軍大臣になる。
開戦を阻止できなくても、先送りは出来る可能性はある。
もちろん暗殺された可能性も高い。ただ、先送りすれば、欧州でドイツの
のボロが出てくる。負けだす。主戦派の対米強硬論はドイツの強さに
頼ってるから、ひょっとしたら?
とかな。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:48:53 ID:OKiea2gm0
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:50:32 ID:2qwBpvZ40
>>146 対米戦は海軍が乗り気、
陸軍は勝手にやってください、オレたちゃ関係ねーという立場。
>>144 一月遅れたら、三国同盟はおろか、対米戦争もなかっただろう、
というのはよく言われる話だな、
>>147 あんれまあ、強硬な主戦論を唱えて近衛内閣を退陣に追い込んだ東条って海軍だったっけ?
149 :
福沢諭吉(幕臣):2008/03/22(土) 23:58:12 ID:K/bCitxM0
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。
右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。
然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
ちょっと違う、
東條は対米戦のことなどあまり興味がない、
ただ撤兵反対論者だっただけ。
近衛が撤兵して、これでアメリカと和議にしようといったから、
なら戦争したほうがいい、となったわけ。
東條は信性のレベルですな。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 00:19:12 ID:u2FABEs90
>>150 >ただ撤兵反対論者だっただけ。
いやあ、「だっただけ」じゃ済まんでしょ。
「あまり興味がない」とか「だっただけ」でもいいけど、そんなのが陸軍大臣で
総理大臣で日米開戦って。じゃ海軍だけが戦ってめでたしめでたしで終わるとでも考えていたのかな。
これじゃ大日本帝國が滅びるのも当たり前だ。
>>151 それが当時の恐ろしいところ、
完全な縦割りだからね、
他部署のところで、なにかあっても、
省庁(軍部)の勢力拡大につながるかどうかでしか考えない。
国家全体のことは、俺の管轄じゃないから、しーらないというわけです。
153 :
福沢諭吉:2008/03/23(日) 00:26:11 ID:B8FyQHhr0
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。
●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。
●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。
154 :
福沢諭吉(幕臣):2008/03/23(日) 00:32:02 ID:GygcN3L40
●当時吾々同友は三五相会すれば則ち相祝し、 新 政 府 の
此 盛 事 を 見 た る 上は
死 す る も 憾 み な し と 絶 叫 し た る も の な り
155 :
福沢諭吉:2008/03/23(日) 00:56:27 ID:B8FyQHhr0
●日本を開かんとするに、之を妨げたる者は長州なり、之を妨げたる者は薩州なり、之を妨げたる者は薩長の同類なり。
今薩長の族類を以て外国人の良友と為すべきとは、大いに其の説を変じたる後のことなるべし。
薩州は最初開国を妨げたる説を変じて、近来は頻に外国の貿易を勉め、自国の諸港を尽く開きて貿易を為さんと欲せり。
斯く開国の説ならば、大阪兵庫の開港を妨げたるは何故なる哉。
是他なし、日本全国の為め筋を思はずして、自己一家の私利を謀て躬から盛大たらんことを欲するのみ。
156 :
福沢諭吉(幕臣):2008/03/23(日) 01:01:09 ID:GygcN3L40
>>156 最終的な結論は
>>153だね。
愚かしい復古思想が蔓延し、前向きの政治論議や西欧への興味は消されてしまった。
薩長は狭い藩閥で権力を独占し、その様は旧幕府と変わらない。
世間から見れば薩長は邪魔者。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 11:04:41 ID:GygcN3L40
振り返った話しとはいえ、死ぬ前の最晩年に書き記した言葉。
>>154
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 11:40:10 ID:avXcbfUN0
>>157 笑止千万だ。幕府なるものは朝鮮出兵をめぐる武断派と奉行派の対立に付け込んで、
詐術を持って豊臣政権を乗っ取った非合法政権である。幕府の260年間の功績は
大名同士の私闘を無くし、鎖国により太平の眠りを導いたことだけだ。これ以外には
幕府の功績は何もない。それに対し薩長は中途半端に政権を放り出した幕府の
尻拭いを余儀なくされながらも日本の近代化に粉骨砕身励んだ。
160 :
名無し:2008/03/23(日) 11:53:20 ID:fL0CYsSY0
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/26(水) 23:11:31 ID:5VujXBaB0
>>159 馬鹿を言うな。
人類の奇跡と言っても良い日本文化が開花したのは徳川幕府のおかげだ。
また、開国を決断し日本を近代国家へ変貌させようとしたのも徳川幕府だ。
一方の薩長は、そもそもは攘夷に狂ってた基地外集団にすぎない。
しかし薩英戦争などで列強に屈服させられた後は、イギリスの忠実な下僕と化し、
イギリスの武器援助により倒幕クーデタに成功し権力を乗っ取る。
その後は、福沢が指摘してるとおり、
「愚かしい復古思想が蔓延し、前向きの政治論議や西欧への興味は消されてしまった。」
薩長が破綻寸前に追い込んだ明治国家を救い、近代化への道筋を示したのは、
徳川幕府が育てた開明派知識人たちだった。
はああ?
幕府がしていたのは、日本国民への搾取だけだ。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 11:43:11 ID:Vhu7WHYe0
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 16:43:01 ID:Tpk2gKM/0
戦中は楽しくないだろう。ただ、日々の中で笑える時もあるからもちろん
国民は笑っていただけ。実際、嫌な時代だったはずだ。
ただ、戦前となると農村や都市工場労働者なんかの生活は堪らなく苦しそうだけど
都市中流階層以上になると結構楽しそうな気がする。
>>164 その肝心の都市中流階層以上の人口が日本人の人口の何%なんだ?
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 01:30:02 ID:hBqdKN+v0
Moriguchi&Saezの推計によれば、1938年にはトップ1%の人間に個人所得の2割が集中していた。
戦前の経済格差の酷さは他の国にもある程度共通するけれども、
当時の日本は所得水準が低い上に、長い不況と統制経済で一般庶民は更に悲惨だっただろう。
1930年代はGNPの成長とは裏腹に個人消費はそれ程伸びなかった。
軍需を中心とした統制経済で民需が圧迫されていた。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 02:55:33 ID:OdrjvzH+0
イラク戦争の戦費「少なくとも3兆ドル」ノーベル経済学者が新著で主張
【AFP】米国の著名経済学者、ジョゼフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)氏は新著のなかで、
米国のイラク戦費が少なくとも3兆ドル(約305兆円)に達するとの見方を示した。
スティグリッツ氏は、今週発売のリンダ・ビルムズ(Linda Bilmes)ハーバード大学(Harvard University)教授との共著、
『The Three Trillion Dollar War: The True Cost of the Iraq Conflict(3兆ドルの戦争:イラク戦費の真実)』のなかで、
イラク戦争における米国の出費は、12年にわたったベトナム戦争をすでに上回り、朝鮮戦争の2倍以上に膨れ上がっていると指摘した。
「米国史上、イラク戦争の戦費を上回った唯一の戦争は第2次世界大戦だけだ。4年間にわたり1630万の米兵が戦った第2次大戦の戦費は
2007年の貨幣価値でおよそ5兆ドル(約510兆円)に上った」、「第2次世界大戦でドイツおよび日本と戦った兵士1人あたりの費用は
現在の貨幣価値で10万ドル(約1000万円)以下だった。対して、イラクでは兵士1人当たり40万ドル(約4070万円)以上が費やされている」
(同書から)
世界銀行(World Bank)のチーフエコノミストを務めたスティグリッツ氏は2001年にノーベル経済学賞を受賞している。
共著者のブリムズ氏は財政学が専門のハーバード大教授。この書籍は米国のイラク開戦から丸5年を迎える前に出版された。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 22:43:27 ID:ycBVH6+M0
廃仏毀釈や鹿鳴館で日本の伝統を徹底的に破壊。
↓
藩閥政治への抵抗から、デモクラシー運動が盛り上がるが、
藩閥勢力の巻き返しにより治安維持法が制定される。
↓
国際連盟を脱退し三国同盟を結び米英と全面戦争。
ざっと見たところ、明治〜昭和初期は日本史上の暗黒時代に他ならない。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 11:45:57 ID:SDkhg0Kj0
>廃仏毀釈や鹿鳴館で日本の伝統を徹底的に破壊。
廃物希釈は確かに暴挙だったが、鹿鳴館メンタリティーは
欧米に対抗すための技術にすぎない。
>藩閥政治への抵抗から、デモクラシー運動が盛り上がるが、
藩閥勢力の巻き返しにより治安維持法が制定される。
あれは、共産主義への防波堤。あれがうざかったのは当時の左翼だけ。
今の日本と同じでその場その場で場当たり的にやってきたのが
戦前の日本。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 14:21:13 ID:extxdlxq0
>>167 J・スティグリッツ教授は上下院合同経済委員会で、この戦費の一部でもあれば
社会保障費を今後半世紀以上にわたって健全に一時できた、と証言。
同教授と共に委員会に呼ばれたG・サックスのロバート・ホーマック副社長は
同委員会の試算を引用して、1日の戦費で低所得者の子ども5万8千人を1年間
就学援助プログラムに登録でき、あるいは、低収入の学生16万人に年間の奨学金を
提供でき、もしくは国境警備隊員1万1千人か警察官1万4千人の給与を払えた
出処:ニューヨークタイムズ 3/4
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 14:22:52 ID:extxdlxq0
一時できた×
維持できた○ by170
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 20:49:27 ID:2QnqOjEA0
井上の鹿鳴館は長州人の暗愚と奴隷根性の象徴。
外国人は卑屈に欧米人の真似をする日本人を軽蔑し冷笑してた。
「日本古来の風俗を守ったほうが似合う」と軽薄な風潮をいさめたのは、
マウントバッテン卿をはじめとする外国人たちだった。
173 :
荒らすなヨ事信玄:2008/03/31(月) 21:05:18 ID:yRQ5Pcu+0
みんなよく歴史知ってますね。すごい
どうやって覚えたんですか教えてください
おながいですおしえてくださああい
174 :
荒らすなヨ事信玄:2008/03/31(月) 21:06:14 ID:yRQ5Pcu+0
みんなよく歴史知ってますね。すごい
どうやって覚えたんですか教えてください
おながいですおしえてくださああい
175 :
荒らすなヨ事信玄:2008/03/31(月) 21:10:28 ID:yRQ5Pcu+0
オオオオながいです教えてくれませんか
よければスレをください
(・・)
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 21:33:52 ID:g7IwQ0kk0
図書館でたくさん本を借りて読めばタダで知識が増えるよ。
まずは面白そうな本の、面白そうな部分だけを読む。
つまらんと思ったところは飛ばす。
それである程度知識を増やしたら、さらに深く知りたいと
思った分野に特化した専門書を読み込めばいい。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 22:59:10 ID:zXwjbq1k0
↑
まず概要をつかんでからのほうがいいよ
濫読してしまうと、知識が偏ったりするから
客観的な物事の判断が出来るようにするための
知識だからさ
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 20:29:45 ID:Yx3Sz5Qk0
>>169 >廃物希釈は確かに暴挙だったが、鹿鳴館メンタリティーは
>欧米に対抗すための技術にすぎない。
井上や伊藤といった長州の百姓は、
欧米文化に対抗できるだけの文化的素養や教養を身につけていない。
だから卑屈なまでに欧米に迎合し、伝統的な日本文化を破壊できたんだよ。
学校の授業で教わる戦前って、
暗い 辛い時代 太平洋戦争へつながる道ってイメージが、
必要以上に作られているイメージ。
それに比べて、現在は、なんて幸せなんだと、洗脳しているように思えるのだが。
実際は、悪い時代ではなかったように思える。
>>41みたいな生活も書かれてるし。
(もちろん裕福な人だったのだろうが)
一部だけ見れば、どんな時代もいい時代。
実際は国内が苦しいから、満州事変やその後の拡大行為を国民が支持。
2.26も、財閥・政治家の腐敗した結びつきと、不況に苦しむ国民との対比が背景に。
>>180 日教組工作員さん乙!
真実は帰られないよ。
戦前の日本は桃源郷、パラダイス。
これは真理。
山本夏彦の本を読んで、このスレの上にあるようなカラー映像を見て、戦前は明るかった、だれでもメシが食えたし映画も見に行けた。
戦争が起こる度に景気が良くなって優雅な暮らしをしてた、戦時中も映画が好きに見れたとか言って聞かない人がいるんです。
自分の親とかの話を聞いてると、日本中がそんなだったとはとても考えられないんですが。
それに山本夏彦ってたぶん裕福な家だったのでは。高利貸しの孫だし。
財閥とか旧華族とかがあの時は良い時代だったと言うようなもんではないかと。
どうなんでしょ
>>182 都会のサラリーマンにとってもいい時代だと思うぞ。
満鉄の駅長クラスの月給100円までいかなくとも、70円くらいもらっていれば、
サラリーマンが小さな家庭を持つには申し分ない。
で、独り身だったら普通に遊んで暮らせる。
農家はな。当時は小作農かが多かった(だから戦後の農地改革がある訳で)から
厳しい年は厳しかったろうし。
今もそうだが、都市と田舎の差が歴然としていたというだけに過ぎないと思う。
平凡社の「日本残酷物語」読めよ
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 11:09:32 ID:54VY+bng0
183だが。
>>185 「日本残酷物語」は素晴らしいと思うな。
先に農村と都会の差が歴然とは書いたが、それと共に、工業生産(第二産業)従事者
の生活は恐ろしく現在の視点から見れば人権なんて何処の話という例示が出捲りだっ
た事は否定しない。
最近まで派遣が禁止されていた理由がこれを読んでも解る。まぁ、徐々に派遣貧乏
という下層貧民が出来つつある現在。将に時代は繰り返す。
#俺もそうだし。
戦前も先進国として雄飛した日本ではあるが、その内部の差は非常に言葉通り常な
らぬほどに峻厳とした差があった事は確かだ。
同じ農家でも庄屋の系統に繋がる地主達は、小作とはうって変わった豊かともいえ
る生活をしていたし。
まぁ、国民が中流となる前の段階だからな。致し方がないといえば致し方がないし、
戦勝国であるアメリカだって黒人は今よりも遥かにひどい生活をしていた訳だ。
何処の国も同じだな。
>>182 昭和金融恐慌、岩の坂もらい子殺し事件、昭和東北大凶作、帝都三大貧民窟、
繭価大暴落、515事件、226事件、満州事変、日独伊三国軍事同盟、国際連盟脱退、・・・
俺達四人の家族が、崩れかゝつた身体をお
互に励ましながら、夜の日も寝ずに(養蚕期
は平均四時間寝る)睡眠不足に悩み、血の出
る様な働きの中に戦ひ取つた尊い代償が、十
六貫……七十三円。七十三円だ。養蚕具と桑
の肥料代を差引いた残り五十二円……それと
秋の終りに売る米一石代、二十五円、計七十
七円、これが俺の家の円から這入り込む収入
の総べてだ。
それだのに、此の税金を納めねばならぬ。
此の肥料代を払わねばならぬ、此の電燈料を
掛けねばならぬ。我々は今、最後の一滴の血
までも吸ひ尽されてゐるのだ。
一、税金
県税 二円八十銭
村税 二十六円
一、肥料代 二十円内外
一、電燈料 十一円
計 五十九円八十銭
差引収入 十七円二十銭
十七円、一ケ月一円三十銭、此れが四人の
家族の生活費だ。一円三十銭と黒い麦飯。
それだのに、村の人達は俺の家の生活を羨
んでゐる。
「農村生活者の手記」『中央公論』昭和五年十月号
当時の電気料金は凄まじい金額だったからなぁ。
戦前もオール電化的な広告を打ち出しているのを見た事があるが、これまた
凄まじい金額で、一般的には無理。
しかし、村税めちゃくちゃ高いな。
100円貰えれば御の字と書いたもんだが、実質軍に於ける下級将校の給料は
100円に届くか届かないか。それで彼等は一流料亭に繰り出し、芸者相手に
呑み捲っていた。
満洲で満鉄に勤めている中間管理職も100円前後。
やはり農家の場合は、今もそうだが、肥料やら何やらで消える経費も多過ぎ
るのだろう。
農村と都会の差はここにも歴然としてあるという事だな。
と思ったんだが、よく読んだら1年77円という事か。
小作農家の異常に厳しい現実は、都会の給与所得者とは比較にならぬ。
次男三男を軍に送り、あわよくば陸士か海兵に合格させて仕送りしてもらうか、
当時公営だった娼売に娘を出すか。
昭和5年の凶作前後の時とはいえ、これでは昭和維新を叫びたくなる。
>>189 将校が料亭での遊びにポケットマネー払うと思ってるのか?
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 20:28:29 ID:kw2U89Z40
戦前といっても広い意味では明治維新から昭和20年までとなるが、いわゆる
昭和恐慌前後は今と恐ろしいほど状況が似ている。
・エログロ・ナンセンスに見られる刹那的な退廃文化の蔓延
(現在の萌え的な文化とも共通している面がある)
・蟹工船と現在のワーキング・プアや名ばかり管理職問題
・企業の増加する操業短縮と解雇
・二大政党制への期待と同時に国民の政党や政治不信
・若者は他人からの干渉を嫌い、自分流の生き方を大事にする。しかし、それと社会の現実に苦しむ
・治安の悪化
・自殺者の増加
・性の乱れ
・若者や文化人を中心に新しい価値観が生まれ保守層との確執
・それまでにも増して富を持つ者と持たない者との間での格差社会の到来
・大都市は不況といわれながらも異常な繁栄をしているように見える。
しかし、その中に住む者は富で喜ぶ者と貧民的な生活で不満を沢山持っている者とで
大きな社会不安をつくっている
・それらの世相から若者は廃人的になる者も多数いる
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/23(金) 09:57:08 ID:dr5T2Kp9O
歴史から貧富の格差を放置すればとんでもない事になるのは分かった。しかし、その格差解消も米国による財閥解体や農地解放による中産階級の増加て解決したんですよね?今は当然こんな事できない訳だから、また破滅するまで格差は広がるしかないのだろうか
190です。本ゲットしました。
いや、これは貴重な本だわ
戦前が暗い時代で無かったなどとは到底言えない
>>193 そんな単純な話でもない。国内も国外も戦前と戦後では全然違っている。
政治・経済・社会・科学・・・何もかもが変わっている。
資本主義の改良として独占禁止法、ケインズ経済学、社会保障制度が主要なところか。
財閥解体も独占禁止法と同じ軸なのだ。
戦前の問題点は格差ではない。制度的不備につきるのだ。
格差はその結果に過ぎない。格差をいくらいいつのっても意味が無い。
それが何に起因するのかという分析が重要なのだ。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 06:00:55 ID:UE7wWFUXO
>195 制度的不備の究明が必要というのは正しいと思います。言わんとした事を補足すると、占領者の立場でこそ実行可能であって財閥や政党では、分かっても無理だったでしょう。派遣を都合よく利用する経済界や政治が、そこを正してくれるか?と言う疑問です
>>189 下級将校じゃ遊べないよ。
せめて前線に出る前に、遊んでいくだけ。
帰ってこれなくなるかもしれないからね。
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 00:23:51 ID:rZh4Inuj0
昭和30年以前は、一般国民の衣食住については
江戸時代とさほど変わりゃしねぇよ
下級将校ていうと少尉から大尉くらいまでかな
新人か出世コースから外れた人達でしょ
>>197,199
ちょっと前まで、キャリア官僚が官官接待で料亭に入り浸っていたのと同じだろ。
よほどの金持ちじゃないと自腹で行く香具師はいないよ。
今じゃどこの料亭も閑古鳥が鳴いて、今まで馬鹿にしていた一見さんの取り込みに必死だ。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 19:43:04 ID:g73pzfiN0
>>189 当時の都市と農村の格差はすごいからね。
都市中流層以上となると、平日は丸の内のオフィス街に背広にソフト帽を着て省線や市電で出勤。
夕方6時頃までに帰宅。夕食はコロッケなどの洋食も食卓に並ぶ。
家族はラジオを聴いたり蓄音機で音楽を聴きながらモダンな生活。
主人は時に書斎で本を読む。
休日には家族で観劇や遊園地、百貨店に行き、洋服を買ったりライスカレーを食す。
主人は仕立てのよい外出用洋服を着用し、奥さんはきれいな着物に日傘、子供は男女とも子供用の
洋服に帽子。
街には、ネオンが輝き、モボ・モガが闊歩し、カフェーの明かりが灯る。
これが当時の東京や大阪のモダンな風景と生活。
これが東北の農村の小作民ともなると、
小学校卒業程度の年齢で娘は娼婦として売られてしまう。
男も商家に強制的に丁稚奉公される場合もある。
凶作期には食べ物は何もないに等しく大根の丸かじりをする写真もある。
服は破れたり汚れた野良着を男女とも着の身着のまま。
家は納屋同然の場所で馬と一緒に筵を敷いて寝るような人もいた。
村は地主など一部が裕福なだけで後は江戸時代と大して変わらない貧しい生活。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 20:31:13 ID:n12WkbTw0
江戸時代と大して変わらないって、アホか。
江戸時代は嬰児殺しが公然と行われていて、それで口減らしをしていた。
飢饉のときは村ごと全滅するような地域まであったし、人肉食も普通に
行われていた。昭和の恐慌ではそこまで悲惨なことにはなってないぞ。
例外的には、少しはあったかも知れないけどな。
はっきり言えば、昭和時代は江戸時代や明治時代に比べれば、はるかに
マシになっている。産業技術が発達した後世から見れば暗い時代だった、
なんて言い出したら、どんな時代でも暗い時代になるわな。
年間三万人の自殺者と一万人の交通事故死者を出してる平成の年代は、
いずれは「とんでもない暗黒時代だった」と言われるようになるだろうよ。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 20:45:53 ID:BhFFxoDt0
>>202 江戸時代の後期は、地球自体が冷えて小氷河期みたいなモンだったからな。
昭和も寒冷化して、東北地方の農民とかが食えない状態になったわけだ。
こんな状況を比較して「どっちが悲惨」ってやられてもw
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 03:45:16 ID:XXRAiXTy0
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 04:18:56 ID:jBHHUQcCO
>>202 東北辺りは江戸時代と大差無いよ。つうか江戸時代の生活レベルを低く見すぎじゃない?
汽車が通っているから、飢饉でも容易に救援物資が届くようになったから、餓死者が減ったのはあるが、生活レベルは大して変わっていないのが現実。
はっきり言って江戸時代より東北が食事面でマシになったのは、冷害に強い稲が普及した昭和10年以降。
>>207 汽車が通っているからとか、そんな理由ではない。
江戸時代は幕藩体制の弊害で飢饉の被害が甚大になったのだ。
例えば南部藩で餓死者が出ていても幕府も近隣藩も知らん顔の平気の平左だ。
はあ?餓死?そりゃ南部藩の問題だ。おら、知らんってものだ。
そして、ある藩で画期的な新品種、新技術が開発されたとしても、それが全国に
広まるのに何十年もかかったのだ。これも幕藩体制の弊害。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 07:08:08 ID:jBHHUQcCO
>>208 アホか、
飢饉発生で食料不足している地域まで、江戸時代に物資を運ぼうとするとどれだけ時間かかると思ってんだ。
飢饉は草木も枯れる冬から春がピークな訳だが、
新米が物流拠点の大坂から江戸に届くのが早くて冬になるのに、
江戸から更に船等手配して南部の二戸等に物資を送るには、やっぱり数ヶ月はかかるのが当時の現実な訳で、
その頃には草木も芽生えて何とか食い物を見繕えて飢饉終わって、田植え始めてるってぇの。
汽車が出来て短期間に物資が動くことが、飢饉救済の絶対条件。
幕府が無能だとか以前に物流が問題になるのよ。
藩も馬鹿じゃないから飢饉予想される場合は慌てて米買い始めるのだが、
周りの藩も大抵はやられているから全体的に米不足、
遠い飢饉の影響無かった藩からは物流の問題があり、大量には運べず、精々粥の炊き出しをほそぼそとやるのが当時の精一杯。
西南戦争見てみろよ、蒸気船に電信があっても、熊本に軍隊=大量の物資送るのに3ヶ月だぞ。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 08:27:03 ID:HopkchN90
>>209 アホか、
飢饉って、その年限りだと思ってるのか?何年も続くからこそ被害が甚大になったんだぞ。
秋の稲刈りの時期になって初めて凶作に気づくとでも思ってるのか?
百姓は毎日お天道様のご機嫌を伺ってるんだぞ。
何が物流だってよ。笑わせるなって。コンビニの話じゃないんだから。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 10:48:05 ID:dKZqMK7eO
ま、お前ら2人とも「アホ」って事で仲直りしろや。
212 :
14<:2008/06/01(日) 16:25:33 ID:r4sB/TJl0
1940〜41年頃の一人当りGNP(国勢調査より)…●は全植民地含む資産を本土人口で割った
●英:550j、●米:500j、●仏:450j、独:400j、伊:300j、
ソ:200j、
中:10j、亜爾:150j、伯:100j、南ア:50j、●蘭:400j、
【日:60j(本土100j、台湾100j、某20j)、満州100j 】
1947〜48年の一人当りGNP…●は全植民地含む資産を本土人口で割った
●米:2000j、●ソ:200j、●英:400j、●中:40j、亜爾:500j
●仏:300j、伯:200j、●伊:200j、西独:100j 南ア:200j
●蘭:300j、東独:100j、【日:4j 】
1957〜58年の一人当りGNP…●は全植民地含む資産を本土人口で割った
米:3500j、ソ:500j、●英:2000j、中:20j、亜爾:700j
●仏:1500j、伯:500j、伊:1000j、西独:2000j 南ア:500j
●蘭:1500j、東独:1000j、【日:300j 】
西暦1967〜68年頃の一人当りGNP
米:5000j、ソ:1000j、西独:4000j、【日:2000j】 英:3000j
仏:3000j、 伊:2000j、伯:1000j、中:100j 亜爾:1000j
東独:1500j、蘭:3000j、 南ア:1000j
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 00:24:32 ID:TtFn69co0
>>108 かなり恐ろしいな、戦前の少年犯罪。
俺的に戦前の少年犯罪といえば駄菓子屋で駄菓子を万引きとか人の家の塀に落書きとか
褒められたことではないがいかにも子供的な無邪気な軽犯罪程度というイメージだっただけにビックリ。
本当にもう今のガキよりもっと凶悪だな。
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 11:51:36 ID:Lxr8LibY0
そうか?
>>214 今だってそう変わらない。
というか、人間は1000〜2000年そこらでは変わりはしないという事。
つまり、たかだか100年にも満たない戦前の犯罪傾向なんて今と同じようなもん。
まぁ、読んでいれば胸くそ悪くなるが。
今日だってトラック特攻の後に一人十殺やろうとした馬鹿やくざが出現したし。
やはり変わらない。
>>214 映画の影響で幼女をレイプしたって記事があんだけど、当事、そんなエロイ映画があったのか?
218 :
私説だが・・:2008/06/22(日) 22:05:00 ID:M3Cw9Ft40
私説で申し訳ないが、「戦前の少年犯罪」の著者は修身教育がこういう事件があるからこそ
必要だったと述べられていたが、個人的に感じたことは逆に修身教育を重視しすぎていた故に
戦前は今をも上回るような少年などの凶悪犯罪があったのでは・・。
と言うのも、この前の秋葉原の加藤容疑者は親に厳しいしつけを受けその反動・不満からあのような
事件を起こした一面がうかがわれる。親の理想に組み込まれ、色々と統制されると言ったような。
で、修身教育と言うのは生徒に一様に同じ考えを教える授業。個性的な発想より儒教概念的思想が重視される。
その上、当時の家庭は一般的に今より厳しく統制的。個性より家父長的な思想の下、男らしさ・女らしさなどが
求められた。そのような統制に対しての不満・反動から戦前は少年犯罪が今に負けず劣らずかなり多く今以上に凶悪的だったのでは
ないかと思う。
>個性より家父長的な思想の下、男らしさ・女らしさなどが
>求められた。そのような統制に対しての不満・反動から戦前は少年犯罪が今に負けず劣らずかなり多く今以上に凶悪的だったのでは
>ないかと思う。
同じ厳しい家長的な元にあってなぜ少年ばかりで少女犯罪が無いのだろう?
昔の日本の風景写真を見てみると、
昭和ヒト桁…古き良き日本
昭和10年代…江戸時代と昭和40年代が混ざってるレトロフーチャー
昭和20年代…北
昭和30年代…南
昭和40年代…昔の日本
昭和50年代…昭和の日本
昭和60〜平成5年ごろ…今の日本
平成5年以降…間違った日本
>>220 間違った日本か。
言いえて妙だな。納得するよ。
昭和10年代が個人的に一番好きな風景だな
>>220 昔の日本の風景写真を見てみると、立て看板の広告に時代が出る。
昭和ヒト桁…常備薬
昭和10年代…ビールとか蒲鉾とかの嗜好品、軍事用スローガン
昭和20年代…虫下し、英語表記
昭和30年代…医院、常備薬
昭和40年代…テレビ、家電
昭和50年代…オーディオビジュアル
昭和60〜平成5年ごろ…コンピューター、ゲーム
平成5年以降…消費者金融、人材派遣業、資格取得専門校
>>220 >昭和20年代…北
>昭和30年代…南
マスゴミはここの時代をマンセーしてるんだよな。
戦前は深夜営業の店がなかったんだから、夜は暗かっただろ
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 14:08:48 ID:XN/Jfma90
ここで訊いていいかわからないのだけど、
ご存知の方がいらっしゃいましたらご回答願います。
昭和初期にすでに新宿にあった伊勢丹のトイレって、
当時から水洗だったのかしら?
そのほかのデパートについても知りたいのです。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 09:24:06 ID:LcBixWwb0
>>226 もちろん水洗、便器の形は一昔前とほぼ同じ
”戦前でも豊かだったよ”というのは金がある階層の話で
当時からあるとこには今と似たようなのがあったけど
金が無いと昔のままだから古臭くなる。
便所なんか良い例ですよ。
228 :
226:2008/09/27(土) 14:46:40 ID:QNOhK2VE0
>>227 ご回答ありがとうございます。
当然ながら水洗だったのですね。
下水道設備はちゃんと機能していたのかな…?
当時の庶民住宅は汲み取りだと思うから
デパートなんかで初めて水洗トイレを経験した
という人も多かったのでしょうかね。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 12:16:40 ID:BwaEfFpb0
政略結婚の方法教えて下さい。私は陸軍中尉の血縁です。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 02:04:41 ID:frQjzugx0
何かナチスドイツとか戦前の日本って政府や秘密警察の弾圧を恐れ細々と生きていたって
イメージあるけど庶民の皮肉ったジョークとか聞くと何か意外と逞しさを感じる。有名な
「贅沢は(素)敵だ」とか「米機を撃つなら英機も撃て」とかね。ドイツにも似たような
ジョークあったみたいだし。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 20:21:04 ID:pB9y7eOl0
>>225 深夜はないとは思うけど、日華事変で商店法により営業時間が
規制されるまではけっこう遅くまで店が開いてたらすい。
ラジオ屋やレコード店は放送やBGMを流すし
他の店もラジオや電蓄くらい使ったから
美しい穏やかな繁華街のイメージとは違うらしい。
あと、地方都市でも賑やかなのが今と大きく違うと思う。
30年ぐらい前まで、普通の商店をはじめ、大手のデパートも7時には閉店していた。
日本の商店が深夜まで営業するようになったのはコンビニが進出してから。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 20:11:41 ID:+j0erUPV0
たしかに九時過ぎたら商店街がみんな閉まりまくりだったな。
あくまで私的イメージだが戦前経済はかなり自由なイメージがある。
戦時中に戦争遂行のために統制経済をしたが戦後復興もその延長でやってしまい今に至る。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 20:41:59 ID:bhjFfwuz0
軍板あたりのほうが詳しいと思うが、
基本的に1941年になってもインフラ整備や基礎工業力はイタリア以下だ。
しかし軍事技術ではその時点では列強に伍していた。
基礎体力の無さから5年間で大差をつけられるが。
戦前日本は軍備への傾斜投資でいびつな発展をしたに過ぎん。
ソ連がロケットだけは米国より上を行っていたようなもんだな。
まぁ東京横浜や大阪神戸は大いに繁栄していた。
30年代の丸の内や銀座なんて、まさに帝都と呼ぶに相応しい威容。
だが、田舎は貧乏。
だからこそ南米や満洲に何百万も入植した。
ナイロビやアディスアベバが近代的大都市でも、地方はいかにもなアフリカ的光景なのと似ている。
本当にぶっちぎるのは戦後数十年経ってのこと
まぁ今となっては泡沫の夢だったような気もしてくるが・・・
>>236 >だが、田舎は貧乏。
つうか、公共インフラの充実度が都会と田舎で物凄い格差があったのだ。
都会の道路が舗装されてれば田舎は砂利でガタボコか雨でぐちゃぐちゃか。
都会が蛇口をひねれば綺麗な飲み水が出れば田舎は井戸からくみ上げる。
都会が水洗便所なら田舎は汲み取り便所。
都会が昭和金融恐慌なら田舎には銀行が無いから関係ない。
都会が街灯で夜も明るければ田舎は電線もなく夜は真っ暗闇。
なあんもかもこんな調子だ。
だから都会は明るくても田舎は暗かった。
そういう格差が無くなってきたのは戦後のこと。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 14:52:22 ID:cmYwaBRL0
日本は1960年代の後半まで都会の近郊地区でも砂利道が普通だよ。
駅前や国道幹線道路は舗装されていたけど住宅地は皆、砂利道や土道だよ。
1964年の吉祥寺や国立なんか駅前から1キロ離れたら普通に砂利道や土道。
世田谷でさえ発展してるのは下北沢や成城など一部だけで後は畑や農家が点在。
下北沢でさえ、駅から1キロ離れたら凸凹の道で雨が降ればグチャグチャ。
しかも国産車は非力だったから穴にはまり抜け出せないことが多く、
グチャグチャの場所に降りて車を押したにすることが日常的。
山の手線沿線でも1970年頃、五反田駅前にあったアパートは汲取り式だし、
バキュームカーが国道1号を普通に走っていた。
東京で山の手線外が発展し始めたのは1970年代以降だよ。
>>238 そりゃまあ、正確にいえばそういうことさ。
戦前の都会と田舎の格差が戦後になったからといって一遍に解消されるはずも無い。
そうした公共インフラの格差が縮小する方向になったのが戦後になってからのことだと
>>237でいっただけ。それは産業構造の変化や人口動態や高度経済成長とも無縁である
筈もないしね。
そもそも都会と田舎の区分もダイナミックに変化してきているのであって、
戦後、急速に都市化した地域の公共インフラ整備が遅れたのは、それは当然のことなんだ。
今、現在、都会とされている地域が戦前から都会であったなどということは必ずしも無いのだから。
そして特に道路というカテゴリーは、その整備には地権者などの多くの利害関係者が関わることも
あって、他のカテゴリーに比較して整備が遅れたのが事実だ。
だから戦後になってもしばらくは長距離物流の主役は鉄道であったわけさ。
ご指摘、ありがとう。
古代はともかく、日本は資源が乏しく、向上心なくしては貧しく惨めな国だったよ。
実際に1945年の終戦後は「火垂るの墓」の世界そのもので、世界最貧国の一つ
で、都市には餓死者が溢れていたしね。最近こそ収まったが、ここ100年、日本は
人口過多で自国で養いきれず、他国に移民ばかり出していて、今の中国人並に
嫌われていたよ。
日本は向上心なくしては生きていけないことがみんな判っているから、向上心が
あるのだと思うけどねぇ・・・・。日本は資源、食料に乏しく、外貨獲得の手段がなけ
れば、即座に国民が飢える国であることをお忘れなく。そんな国、他に殆どない
のも事実だけどね。アメリカ、ヨーロッパの先進国は例外なくほぼ自給自足でやって
いける国ばかりだからね。そういう点では日本は世界でも非常に特異な存在。
日中戦争時に満鉄調査部が行った「支那抗戦力調査」は、中国側の戦力の
高さを指摘し、日本軍は勝利を収めることは困難と結論した報告書
しかし陸軍は、皇軍は必勝なんだから負けるわけがなく、したがってそのような
調査結果は反軍的だとして棄却した
日中戦争のその後の泥沼化は周知の事実だが、ここで注目したいのは次のこと
己の楽観的観測にそぐわない意見や調査が出されると、反日だ反組織だと
レッテルを貼り、耳障りのいい「意見」だけを集め、それを根拠にまっしぐら
太平洋戦争でもこうした傾向は多々見られたし、戦前のみならず戦後の日本で
も政府の政策や公共事業、民間組織などでも広く見られるこの現象
大体最後は破綻して、イエスマンばかりでチェック機能が働かなかった、との
「敗戦の弁」を述べるだけで終わって、また同じことが繰り返される始末
耳障りのよい話だけを求めて、過去の失敗から何も学ばない連中こそ、
結果的に属する社会を崩壊させる獅子身中の虫だと思うけどな
軍事力で語るなら残念ながら日本は永遠に先進国ではない
そんくらい日本の兵器や作戦はお粗末すぎる
どれもドイツの劣化コピー品だしな
ディスカバリーやヒストリーチャンネルみてもイタリア以下の扱い
どこにもパクってもらえなかった日本製兵器
多少恣意的なところがあるといわれるがサイトだがそのあまりのお粗末さはここが参考になる
http://www.luzinde.com/ 旧日本軍弱小列伝
弱小帝政ロシア相手ですら日露ではキルレシオでかなり負けている
残念ながら軍産複合体の親玉であるブッシュ一家との密約でロシアは敗戦させられ満州を獲得したとみるのが正しいだろう
もともと科学軽視、残虐で精神論や数で勝負や人命軽視、玉砕、特攻しか脳がないうざったらしい民族(国体、軍閥、軍産複合体、財閥、軍隊)
をハエのような奴らを満州獲得をきっかけに叩きつぶすのが
目的だったというわけだ こんなこと書くと日本人には非常に耳に痛い話だがな
http://alternativereport1.seesaa.net/archives/200603-1.html 多少陰謀論めくが再説・資料編「ブッシュ一族の中国侵略の歴史と対日政策」
現ブッシュがアルカイダやイラクと日本を同列視するのもわけない
要は自爆テロや欧米の武器を買ってorコピーすることしか取柄のない低脳アラブ諸国や低脳フセインと日本は同じってことだ
低脳のくせに好戦的で質の低いものなら大量に量産するだけの力はあるウザいだけの軍事主義集団だからその世界を牛耳る軍事の親玉に消されたってだけだ
つまりブッシュやペンタゴンからみれば何も日本から引き出すものはなかったということ
ちなみに負けたとはいえ今でもよくドイツはアメリカや欧州諸国と共同で兵器開発しており兵器の輸出もかなりしている
潜在的にもっているものもまだ高いということだろうな
日本は独自で開発しているといわれるステルス機のデータすら
フランスにとってもらい 機体デザインはF-22とF-15を足して2で割ったような旧世代漂い(おまけにエンジンが非力すぎるため中国の旧型Jシリーズのようにかなり小型)まるだしのもので完成はあと20年後
とかお粗末すぎる
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 14:37:33 ID:Al0mq27j0
1969年公開の邦画に渋谷駅前、現代の渋谷エクセルホテルが建つ周辺が映っていたが、
瓦屋根の一般住宅が何件も建っているのに驚いた。(現代の三井住友銀行付近)
駅前に普通に一般住宅が並び生活圏が存在してる。東急駅ビルを眺めながら生活してる。
目の前が246号で首都高3号が建設中だった。
>>242 長文乙。
しかし軍板はおろかこの日本近代史板ですら散々論破されて馬鹿にされ続けている旧日本軍弱小列伝なんかを
今更のように参考に持ってきてるあたりはっきり言って君のレスは読む価値が無い。
日本の戦車開発能力は決して諸外国に比べて劣ってなどいなかったのです。
いや、それどころか数段優れていた。これでもう、自虐史観に陥る必要はありませんね。
我等が憎きチョンの策謀に負けるわけにはいかないのです
「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。
しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、
木の実・草の根、人間の食べられるものは
全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ
飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落
のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、
400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、
天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。
同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。
でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、
山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。
糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。
垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、
授業を受ける児童の多いこと、
一人泣き出せば又一人、
背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。
(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)
江戸時代じゃないよ。昭和の話。農村を襲った飢餓地獄。
そりゃ、たくさんアメリカに移民したくなるわな
日本にいるよりリアメリカの底辺移民の方が生活は楽だもん
近代化しても庶民の生活は貧しいまま
ようやく庶民の生活がマシになるのは実は戦後
>>246 それが昭和東北大凶作だ。世界大恐慌とも時期が重っている。
ちなみにアメリカへの移住は排日移民法で困難になっている。
だから満州農業移民が行われたのだ。
1924年(大正13年)排日移民法成立
「二十四の瞳」は、昭和3年で小学校が、
泊りがけの修学旅行(小豆島〜伊勢神宮)をしている。
戦後は、小学校が泊りがけの修学旅行を再開したのは、
昭和41年に入ってから、新幹線ができて1年ぐらい経ってからね。
>>250 どこの小学校の話だよw
60年代初めにはほぼ全ての小学校で泊りがけの修学旅行を再開してるよ
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 17:03:48 ID:s4zPieyi0
>>250 昭和五年 世界恐慌の直撃
昭和六年 凶作の追い打ち
昭和七年 悲惨、娘身売りと欠食児童
昭和八年 戦争への道行と三陸大津波
昭和九年 ああ、昭和東北大凶作
飢餓線上の凶作激甚地を行く
重荷を背負った娘たち、空腹に泣く子どもたち
>>253 その当時は餓死者ゼロ。
昭和20年代前半は毎年100万人前後の餓死者
昭和20年代後半は毎年10万人前後の餓死者
昭和30年代前半は毎年1万人前後の餓死者
昭和30年代後半に毎年100人前後の餓死者数になった。
ソース:国勢調査
ふ〜ん、敗戦により日本の技術は40年後退したんだ
戦前の少年凶悪犯罪は約2500〜3000人に一人の割合だった、
戦後は20年以上、戦前より高い割合だった。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html 戦後の少年凶悪犯罪
1946年:約1700人に一人
1950年:約1650人に一人
1955年:約2250人に一人
1960年:約1250人に一人
1965年:約1700人に一人
1970年:約3500人に一人
1975年:約4250人に一人
1980年:約4000人に一人
1985年:約5500人に一人
1990年:約10000人に一人
1995年:約6500人に一人
2000年:約3500人に一人
2005年:約3500人に一人
戦前レベルまで下がったのは昭和44年ごろ。
ちなみに、1996年3月26日解禁の人材派遣業実質自由化以降は、
戦前に近い割合で推移している。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/08(月) 22:26:03 ID:GgHB6CDH0
敗戦したから経済的に豊かになった、みたいな短絡的なトンデモ説があるけど、それはないよな。
まあ軍備の負担が軽くなったのは大いに関係有るだろうけどね。
敗戦したからというか、
戦中に蓄積された軍事技術および技術者を民間転用したとか、
全面的な空爆被害のために思い切った設備投資が可能だったとか、
そういうことだろ。戦後の急激な成長の背景には戦争の苦しみがあったわけだ。
でも、もし戦争してなかったら、今でもしょっぱい弱小工業国だったかもね。
ネジ一つピッタリ同じものを作れなかったほど精度しかなかった日本の工業界。
戦後、アメリカ様から中古工作機械を下賜されたことからまともな工業製品を作れる程度までレベルが上がった。
これも全てアメリカ様のお陰。
有名な話だけど、ドイツから高い金払って設計書を手に入れても、日本の工業力ではとても作ることができないレベルの精度が求められ、量産を断念した製品も・・
戦前日本製のボールベアリングは現在のパチンコ玉より精度が劣る・・・orz
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 00:04:44 ID:GgHB6CDH0
>>260 確かに、いま見るとショボイけど、しょぼいなりに成立してたんだよ。
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 00:07:04 ID:WJrlhR+z0
それと、戦後にアメリカから中古工作機械なんて大して入ってきてないそうだけどな。
むしろ賠償とかで中国とかに持っていかれたほうが多いんじゃないの?
良いことも悪いこともかつてあって今の日本があるということで…
>>261 拳銃にしても形だけはルガーにそっくりなんだけど
暴発・不発が多い上に命中率も微妙だったんだよな。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 14:00:33 ID:G+a3YDuB0
アメリカもB29のターボチャージャーは手こずっていて他の機からエンジンまるごとはずして
付け替えたり無茶してるし。
BMW003ジェットエンジンをコピーしたネ−20ジェットエンジン搭載の橘花とかは
当時の超最先端技術だから量産は難しかったかも。
その一方ではマグネトロンを使ったレーダーを成功させていたりで技術的には強弱様々だな。
一番弱いのが量産工業技術でこの点は戦後完全に克服したといっていい。
確かに。量産機械に対する技術者達の戦後の技術開発には、並々ならぬ努力に感動しますね。
本当に悔しかったんだろう・・・
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 16:42:31 ID:G+a3YDuB0
いや量産に関する技術開発が軌道に乗り始めたのは戦後も60年代半ばからで
実際に花開いたのは70年代から
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 17:22:36 ID:RSWmgZNlO
そうなんだ。
有り難う。
>>255 満州や関東州は日本よりよっぽど進んでたんだよ
まず鉄道の規格からして全く違う
日本が狭軌を採用した事
そして後に改軌しなかった事は本当に大失敗だった
そして都市計画も満州の方が進んでたし
物資も戦時中ですら本国に比べてずっと豊富にあった
当時の日本はインフラにおいてはまず全て満州に劣ると考えた方が良い
海洋国家は大陸国家に動員奇襲を掛けることが非常に難しい
だから英国なんかははなからそんな事考えてないんだけど
日本はそれを実現する為に大陸に拠点を作って両棲国家になるという禁を犯したんだよ
だからこそ大陸部に内地以上に力を入れて投資したんだ
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 18:58:09 ID:9NFVBnVl0
>>269 「大陸国家」「海洋国家」とか、それデタラメな分類だとおもう。そんなに明確に分けられるものじゃないだろ。
たとえばアメリカやオーストラリアは海洋国家なの?大陸国家なの?
中国だって海岸線は長大だぞ。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 19:07:55 ID:RMAU+zLi0
古くからの歴史のしがらみがいろいろとあるロシアインド中国東欧中央アジア含むユーラシア大陸に属する国家群を中心に典型的な大陸国家とみなすのが普通
米豪は両方の性格を併せ持っている。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 20:57:31 ID:9NFVBnVl0
>>271 その分類はイギリスの都合と、イギリス海軍が軍事力で作り出したものであって、
自然にできたものじゃないよな。
たとえば江戸時代の日本なんてどうよ?大陸国家?海洋国家?
>>270 米国の場合は国内外に陸続きの敵がいなくなった時点で
自由に海に出ることができるようになった
オーストラリアには最初から敵がいなかった
中国は海岸線は長いけれど
その巨大な国土と長大な陸上の国境線を維持するのに精一杯で
海上にリソースを割く事ができなかった
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 21:09:18 ID:ppIWbIXm0
>>269 >だから英国なんかははなからそんな事考えてないんだけど
ん?
考えていないどころか既に制覇してたじゃん。
>>272 江戸時代の日本は海洋国家だろう
江戸時代は大型船や遠洋航海の技術が規制されても
尚経済を支えていたのは海上輸送だからね
海上輸送なしに江戸時代の日本の急速な発展は有り得ない
その辺が日本の鎖国と中国の海禁の違うところ
>>274 フランスやドイツに対して攻め込んだりしないという事
アジアにおいても現地の支配階級を残して深入りは避けたしな
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 21:14:35 ID:9NFVBnVl0
>>275 江戸時代の日本の急速な発展って?ギャグですか?
江戸時代の日本は停滞そのもの。
人口も停滞。大飢饉まで何度も起こる始末。
その時期、中国はどんどん人口が増えたそうだけどな。
>>277 江戸時代は経済に関しては発展しただろう
木の切りすぎで日本中はげ山になるは
池沼は手当たり次第に埋めて田んぼにするはで
江戸時代の悲惨なところは米信仰が肥大化して
無駄な死人を出した事だと思う
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 21:22:19 ID:Ipl2r2So0
>>277 江戸時代に日本が急速に発展したのは事実。
日本独自の国学の発展
和算の発展
歌舞伎や文学、版画といった大衆文化の発展
もちろん、海上交通や陸上交通も発展しました
こういうことを全く知らない、あるいは認めたくない馬鹿が人口論ですべて推し量ろうとする。
物事を多面的に見られない。実に間抜けだ。
農業技術や土木技術に関しても江戸時代以前に比べて格段の進歩がある
確かに。明らかに大発展している。
>日本独自の国学の発展
>和算の発展
> 歌舞伎や文学、版画といった大衆文化の発展
>もちろん、海上交通や陸上交通も発展しました
なんか歴史に無知なバカの集団が書いた「教科書」から摘んできたようなカキコだな。
既に中世から
日本独自の仏教の発展
田楽、連歌と言った大衆文化の発展
もちろん会場高越や陸上交通も発展していた
よ
もちろん日本文化の基礎は中世に出来た訳だけれど
江戸時代の特に後期の
金融であったり商品取引であったり
マニュファクチュアであったり商品作物の栽培であったりは
結構な発展だと思うけどなあ
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 22:40:53 ID:Ipl2r2So0
>>282 江戸時代にさまざまなものが飛躍的に進歩した、という事実を知らないのか?
>>284 それ以前に発達していたという事知らないの?
いずれにしても日本は歴史的に見て海洋国家だな
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 22:56:15 ID:Ipl2r2So0
>>282 日本独自の仏教の発展、などと言っているが、どこまで理解しているのだ?
江戸時代には、廃れかけていた臨済宗を立て直した偉大な禅僧が現れている。
その名は白隠。
彼は、悟った気になって、訳の分からぬことをいい人を煙に巻くいい加減な禅を
野弧禅と呼び忌み嫌った。本当の悟りは余程の超人(釈迦や達磨)でない限り、
誰かに正しく導かれない限り決して得られるものではない。
彼は、悟りに導くための簡便な方法を編み出し、後の臨済宗の興隆の基礎を作った。
白隠は臨済宗の中興の祖と呼ばれている。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 22:58:45 ID:9NFVBnVl0
「海洋国家」じゃなくて、もうちょっといい名前ないの?
「海運国家」とか。
これも意味はよく分からんけどさ。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 23:03:06 ID:Ipl2r2So0
>>285 それを言い出すときりが無い。お前の足りない頭にどういったら理解できるか分からないが、
旧石器時代より江戸時代
江戸時代より現代
時間とともにあらゆるものが進歩する。新しいものも生まれる。
「江戸時代以前から進歩していた」というのが事実だとしても、それが
「江戸時代になってさらに進歩した」という事実とは全く矛盾しない。
お前がなぜ因縁をつけてくるのか俺には理解できない。
何か嫌なことでもあったのかね?
>>287 それを言い出したら、国学なんて少数派だったろ。ましてや和算なんてどれだけ浸透していたのか極めて疑問
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 23:07:14 ID:Ipl2r2So0
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 21:54:21 ID:R8yEBBEi0
荻生徂徠は、赤穂四十七士で有名だ。
討ち入りの後、謹慎していた赤穂四十七士をどうするか、幕閣の中では大いにもめていた。
世間は同情的で、「主君を思う心に免じて助命しろ、悪いのは吉良だ」という意見が支配的だった。
幕府内にも同情的な意見があり、かといって、お咎めなしでは、討ち入りを認めたことになり、
今後似たような事件が起きるかもしれないし、幕府の面目を保てなくなっては困る。
困った柳沢吉保は、御用学者だった荻生徂徠に相談した。
荻生徂徠の具申は簡単なものだった。
「罪人としての死(打ち首)ではなく、侍としての死(切腹)を賜るのが妥当でしょう」
柳沢は納得し、よって赤穂四十七士は全員切腹となった。
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 23:05:51 ID:Hgdtpnkn0
教育勅語は素晴らしい。
こういう教育精神があるから、戦前の日本は素晴らしかったのではないか、と思えて仕方が無い。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 23:12:14 ID:Hgdtpnkn0
戦後の民主主義教育は、日本は悪かったの一点張り、自虐自虐のオンパレード。
道徳教育は軽んじられ、モラルハザードが起きて社会問題化する有様。
今では、モラルハザードの担い手は団塊の世代。
手本になるはずの老人が老醜を振りまくようじゃ、日本はおしまいだ。
と思いたくなったが、先日、ちゃらちゃらした茶髪のカップルがお婆さんに席を
譲っているのを見て、日本はまだまだ捨てたものじゃないな、と思い直した。
10年前にはジベタリアンなる、どこでもいつでも地面に座る汚らしい若者をあちこちで見たものだが、
最近はとんと見なくなった。若者の一般モラルは何故か向上しているような気がしてならない。
一方では少年による凶悪犯罪も増加中。
どうもモラルの二極化が進んでいるようだ。
やはり、戦前の教育勅語の精神を若者に叩き込むのが一番いいような気がした。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 23:17:32 ID:iO6D18sQ0
>>294 教育勅語ってあれ大したこといってないよな。
なんというか、説教臭いけどよくある道徳観念を述べたものでしょ。
しかもその元ネタは昔の中国にあるそうだしな。まあ日本文化は中国文化の影響を受けたから当然。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 23:28:20 ID:Hgdtpnkn0
>>295 教育勅語の元ネタなんてないよ。
あれは日本人固有の道徳観で満たされている。
大したことないと思うなら結構。どう思うかは個人の自由。
でも、教育勅語が大したことない、と思えるようじゃ、まだまだ尻が青いなw
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 23:51:04 ID:iO6D18sQ0
>>296 どんなものにも元ネタはあるんだよ。それは別に悪いことじゃないよ。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 00:00:31 ID:3hoJswh10
>>297 君が力説する、教育勅語の元ネタとは何かな?
参考までに聞かせてくれないか?
>>9 「人さらい」という犯罪があって犯人は朝鮮人と支那人だったらしいよ。ペルーとかブラジルに売り飛ばしたり当時の新聞にも書いてるけど
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 17:42:10 ID:ldcmrYFu0
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 18:24:54 ID:8x7DhpOJO
294 少年犯罪は激減してるしジベタリアンがいいかなんて人によるからモラル関係なし
女が大学行くのはモラルがないと昔は考えられていたしな
人により考えが違うのは、仕方ないしそれを統一するのがモラルというならそれこそ思いやりの道徳に欠けるな。
そして教育勅語ぐらいで変わるわけないだろ 教育勅語なんてのは指針みたいなもの
今でもそういう指針はあるし、変わらない。指針を活字にして額縁に入れたぐらいで変わるならとっくにやってるわけで
今はモラルがないというのは朝鮮人工作員の嘘
自虐的だな
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 18:29:20 ID:8x7DhpOJO
9 人身売買は禁止でしたよ 年季奉公と人身売買は違うし同一に考えるのはおかしい
年季奉公は給料の前借り制度なわけで、人身売買ではない
今はモラルハザードだとかいうバカもいるし、人身売買とかいうバカもいるし、レベル低くなったなこの板も
>300
監獄部屋かタコ部屋ですなぁ・・。
蟹光線ビームでも発射しかねない現状だな。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 18:57:38 ID:8x7DhpOJO
戦前は今よりモラルはない!当たり前だ、人民がバカだったのだから
しかし、それが味ではないか?
自由を制限するバカな大衆、そして制限しつつ自由に生きる大衆、くだらないバカ同士の馴れ合い、それが戦前
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 23:49:12 ID:oSwUrPqy0
戦前は、家の鍵をかけずに寝ている家が結構あった。
それでも泥棒などそんなに入るものではなかった。
「盗みたければどうぞ」
こういう気骨に、泥棒も「盗まれて困るものがないんだな」と感じ取り、
別に何も盗まなかった。だから戦前は物取りが少なかった。狙われたのは
少数の金持ちだけである。
今では、鍵をかけなければ不安で寝られない。
時代が変わったのではなく、はした金のためでも平気で人を殺すモラルの低い
プライドの無い犯罪者がふえたからである。戦前の犯罪者にはそれなりにプライド
があった。無益な殺生はせず、貧乏人から盗むことは無かった。
現代では犯罪者のモラルも低下した。
面識の無い人間を無差別に殺す、など戦前にはとても考えられなかった。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 01:45:25 ID:AmQFeUYUO
>>306 馬鹿ですか?
戦前は、貧富の差が激しいから、普通の家には文字通り何もない。
高度成長期以降は総中流化して普通の家にも財産ができる。
戦前は隣組とか地域社会が纏まっているからよそ者がうろついているとすぐに不審者として目立つ。
現在は地域社会が崩壊しているから、隣人の顔すら見た事無いというのもざら。
戦前だって、津山30人殺しのような近隣住民への一方的な怨みでの大犯罪が起きている
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 01:56:44 ID:IaPMZr8g0
思えば津山事件って、日中戦争真っ只中だったんだな。
なんか新聞とかラジオの戦時報道で、殺人事件が喚起された面はあるかかもね。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 02:14:57 ID:IaPMZr8g0
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 21:06:29 ID:ZBFUZlrl0
戦後の方がある意味暗い。
暴走族、オヤジ狩り、オレオレ詐欺・・・・
今や、人の善意すら信用できない。
夜道の一人歩きは男でも危険。
この世は悪人しかいないのではないかと思わせる、醜悪なニュースの数々。
昔は「日本は女性が夜道を一人歩きしても安全な国」と言われたものだが。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 01:03:48 ID:iLG6wKx8O
泉重千代さんは明るい爺さんだった
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 01:47:38 ID:GOy1t/YnO
>>310 追いはぎとか普通にいましたが?
人身売買も酷い。
>>249 1924年.米国は「排日移民法」という法律を成立させる。日米関係は.まだ険悪ではなく.日本から.余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し.それを禁止した法律であった。
日米紳士協定があって売春婦に旅券は発給していなかったが。
見合い写真花嫁が問題になったことはあった。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 06:25:27 ID:1ty71zF10
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 07:12:36 ID:MuU26mXZ0
★★★★ 検索⇒「国益を考える講演会」★★★★
平成21年3月22日(日) 1600名入場無料全席指定
特別講演
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志方俊之氏 元陸上自衛官陸将・北部方面総監
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317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 10:48:13 ID:6H0wuonhO
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 11:28:40 ID:pzmssrit0
ウヨ・サヨとわず戦前認識は間違ってる。
サヨ→戦前日本は弾圧国家。明治〜敗戦まで北朝鮮みたいな国だった。
事実:戦時中は確かに弾圧国家。しかし北朝鮮よりはまだマシ。
大正時代なんて北朝鮮とは比べ物にならないほど自由な風潮。と言うか別物。
ウヨ→戦前は道徳心が高く犯罪もほとんどなかった。
事実:凶悪犯罪は今より多いくらい。猟奇的な犯罪も結構多い。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 11:39:54 ID:MqZVRByb0
>ウヨ→戦前は道徳心が高く犯罪もほとんどなかった。
そんなこと主張してるやつ、見たことないんだが。道徳心はともかく、
犯罪がほとんどない社会なんていつの時代でもあり得ないだろ。
一方で戦後教育をやってきた連中が、戦前の日本を北朝鮮みたいに教えているのは事実だけどな。
猪瀬直樹も「空気と戦争」という本で、多くの学生が「戦前日本=北朝鮮」という認識を
持っているがそれは間違ってる、と指摘してるし。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 11:52:58 ID:yU5WXYMU0
戦前のほうが言論の自由があった。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 12:08:05 ID:n+3tFAD7O
お前ら、汚れに伝えたいのは『人間は期限つきで汎用に使える道具』の点である。
農業にも、工業にも、戦争にも使える道具が人間。しかも、期限つきだからメンテにコストはかからない。
だから、旋盤や溶接で道具を作るように人間を作るプロセスが重要。それは教育である。
戦前の教育勅語、戦後の教育基本法の違い。そして基本法改正をした『美しい国』理念。
美しい国は、国権主義に愛国をコーティングした古臭い代物だが、時代の空気は詰まらないものから動くもの。
覚醒して死ぬか、黙って死ぬか。覚悟して決めろ。
>>319 プ。猪瀬ww
具体的にどこが違うんだよw まあ、細部を取り上げ「違うー!!」って声高に主張すればそりゃ通るだろうが。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 22:45:20 ID:OyQfJ7Ok0
>>319 戦前=戦中という間違った伝聞があるからな。古きよき時代というか今より自由な時代が
本当の戦前にはあったのだが、経験者は死に絶えてしまった。今の80代の年寄りが経験したのは
「戦時中」であって「戦前」ではない。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 23:30:18 ID:RfEYEwtGO
戦前の自由な空気っていってもねえ。
政治制度的には5.15で確実に死んでるし。
総理殺して有期刑にしかできなかった時点で終わっている。
また文化的には戦前はどうしようもなく貧困。
都市部のそれと同程度に地方も豊かなら2.26に繋がる暴走も
無いわけで。
所詮都市部だけの話。
山本夏彦の本とかNHKの昭和のカラー映像見て、戦前は豊かだったと勘違いしている人は、右巻きに多い。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 03:32:25 ID:wVn7Ztwn0
戦前は体罰禁止でモンスターペアレントの時代だったんだよな
そこら辺は見習うべきかもしれない
>>326 左巻きマスゴミがマンセーしている、
昭和20〜30年代よりは遥かに豊か。
だな
>>330 どこの国でも地方と主要都市とでは差があるだろ。日本に限った事か。アホかおまー。
昭和8年が平和と豊かさのピークだった、と山本夏彦が言ってた
曰く「昭和20年代は昭和8年はよかったなぁと官民ともに思った時代」
>>313 女.子供を人さらいして箱に詰め、アメリカやペルーの売春宿へ送り込んでいたのが支那人だったみたい。第1次資料に度々記載されています。
>>302 お前の脳はコピー機か?考える力無いのか?禁止されているのに法を破って人身売買してたって言ってるんだよ
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 21:06:00 ID:8arG70ek0
大正時代など平時の帝国陸軍常備兵力16万、帝国海軍4万、で今の自衛隊とかわらない。
陸士海兵の定員を併せても防衛大学に及ばない。しかも一般大学卒幹部候補生も多量にとっているし
平時編成でくらべると今のほうが軍事大国だといえる。
戦前のリベラルな雰囲気が戦中に一変したのは共産からの転向者が政府に入ったため。
天皇を認めるだけで実際にやった政策は極めて左巻きだった。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 10:52:48 ID:9Ivxt9DZ0
>>336 朝鮮、台湾が入っていたからそんなに違わないと思うよ。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 01:26:05 ID:0nOyMSFR0
過去を課題に美化したがるのはアホウヨだろ
昭和の東京の映像とか山本の本とかか読んで、日本中同じだと思ってやがる
>>331 今の日本じゃ都会と地方の差は戦前に比べかなり縮ってるんじゃ
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 11:23:43 ID:0Ao/3zJH0
1人当たり県民所得(昭和10年)
東京 654円
大阪 522円
兵庫 376円
上位三県 553円
青森 58円
福島 54円
岩手 50円
下位三県 54円
全国 211円
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 11:37:09 ID:0Ao/3zJH0
兵員(陸海軍単純合計)/総人口 (千人)
1900年 181/43,847
1905年 1035/46,620
1912年 288/50,577
1919年 338/55,033
1926年 296/60,741
1937年 1077/70,630
自衛隊現員総数
2005年 241/127,757
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 11:47:56 ID:hxCeM1Mi0
>>332 豊かさがピークなのは分かるが平和ならもうちょい前の頃じゃないのか?
昭和8年といったら満州事変・上海事変・5・15事件が起きた後の時代だし、
国際連盟から日本が脱退する年でもある。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 11:48:34 ID:0Ao/3zJH0
軍事費GNP比(国家財政比)
1900年 5.6%(45.7%)
1905年 23.7%(82.3%)
1910年 4.7%(32.6%)
1920年 5.7%(58.4%)
1935年 5.7%(47.1%)
1940年 21.7%(72.5%)
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 07:24:43 ID:W2O0yDdw0
>>342 昭和東北大飢饉を忘れてもらっては困る。
昭和東北大飢饉は昭和5年から昭和9年まで続いたのだ。
山下 文男氏は「昭和東北大凶作―娘身売りと欠食児童 (単行本)」という著作で
昭和東北大飢饉を題材としているのだ。
そんな時代でも飽食を貪っていた地方もあるが、決して日本全体がそうだったのではない。
戦前の日本人は、そうした地方の苦境に無関心・無頓着で、
中央政界も腐敗と政争に明け暮れ無為無策だった。
そうした政党政治が軍部の台頭を招いたのだ。
戦前経済MAXは昭和14年ではなかったか?
これを上回るのは、昭和31年まで待たなくてはならなかった。
>>332 >昭和8年が平和と豊かさのピークだった、と山本夏彦が言ってた
その年は震災復興10周年。
東京復興(と大陸への通り道である朝鮮の整備)に日本の資産を全部つき込んだ。
東京以外の地方が最も豊かになるのは、ミッドウェー直前あたり。
大阪…昭和8〜17年の人口増加率なら、昭和35年頃には東京を抜いてた。
名古屋…今のナゴヤドームがある所で誕生した零戦が全勝。
九州…昭和17年に関門トンネル開通。
新潟あたりは昭和22年頃が相対的に最も豊か、大都市住民のタケノコ生活の恩恵。
>>340 当時は1ポンド=1ドル=3円50銭だから、全国平均60ドル位か。
昭和15年頃には100ドル位になってる。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1207292418/41 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1192769321/213 1940〜41年頃の一人当りGNP(国勢調査より)…●は全植民地含む資産を本土人口で割った
●英:550j、●米:500j、●仏:450j、独:400j、伊:300j、
ソ:200j、
中:10j、亜爾:150j、伯:100j、南ア:50j、●蘭:400j、
【日:60j(本土100j、台湾100j、某20j)、満州100j 】
1947〜48年の一人当りGNP…●は全植民地含む資産を本土人口で割った
●米:2000j、●ソ:200j、●英:400j、●中:40j、亜爾:500j
●仏:300j、伯:200j、●伊:200j、西独:100j 南ア:200j
●蘭:300j、東独:100j、【日:4j 】
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/05(木) 00:09:37 ID:vugVgfWQ0
暗い時代かどうかは規準によると思うが、当時先進国においても、飢饉や労働搾取は特別な事ではなかった事を考えれば、鎖国を解いたばかりの東洋の島国としては、上出来の明るさはあったのかな。
>346
対米GNP比だと、
昭和10年代の12%(日本60ドル/米500ドル)の方が、
昭和33年ごろの10%(日本300ドル/米3000ドル)より、
高かったんだな。
日本が対米GNP比で戦前を上回ったのが昭和37年ごろ。
そのころ、「日本経済が離陸した」とされる。
13歳14歳の少女がメイド服着て喫茶店でお盆にビール乗せてウェイトレスしてたんだぜ。
そんな国を守るためだったら俺、特攻隊へ死願するよ
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 15:15:29 ID:spPmjWBD0
大正時代の学歴別初任給
大学名 (後身校) 社員数 初任給
東京帝大法 (東大法) 42人 40円
東京帝大工 (東大工) 23人 45円
東京高商 (一橋大) 141人 35〜40円
神戸高商 (神戸大) 24人 35円
長崎高商 (長崎大) 20人 30円
山口高商 (山口大) 18人 30円
小樽高商 (小樽商科大) 13人 30円
大阪高商 (大阪市立大) 4人 30円
慶応義塾 87人 30円
早稲田 70人 30円
明治 21人 25円
中央 11人 25円
青山学院 9人 25円
同志社 6人 25円
日本 5人 25円
東北学院 4人 23円
専修 3人 25円
立教 2人 25円
→
ttp://www19.atwiki.jp/kyuuryoukenkyuujo/pages/15.html
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 15:21:52 ID:lnXrtr8h0
ファイッ
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 16:04:07 ID:2GUhrnl5O
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 16:54:53 ID:lnXrtr8h0
もう磨いてるじゃん
>>344 NHKラジオの20世紀回顧特番だったかで、
昭和20年代の東京は毎月1万人単位の餓死者がでてると
報道されていたらしい。
全部日本政府の無策と報道されてたが。
上部にGHQがあるのに。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 01:35:41 ID:ZatrFosV0
田舎の農村地帯の大正三年生まれのばあちゃんに聞いたが、
女は小学校に行かせてもらえず、背中に弟を背負いながら小学校の窓からのぞいて黒板の文字を覚えたって。
嫁に来た母はあれだけ書けるお祖母さんはそういないと言ってた。
お祖父ちゃん(明治生まれ)は長男だったので東京の大学まで出させてもらったが、二人の弟は東京で働きながら勉強し、
二人とも結核にかかり、未婚で死亡。
家の系譜見せてもらったが、分家は一切出さず、男はどこかに養子か、ブラジルに移民。
これでも庄屋ではないが地元でも大きい方の農民です。
お隣は家の小作人に当たるとかで、昔は板拭きに石を乗っけた家だと言っていた。
お祖母ちゃんの脳内には死ぬまで身分差というものが残っていた。
義務教育もない、長男以外は同列に挙げられない、家の格差で見られる時代に生まれていない私には
悲しい。=暗いとしか思えないのですが‥
それは「暗い」ではなく「貧しい」というのです
え〜〜じゃ、ここに合わせるなら、
「戦前日本農村は暗くはないが貧しかった」ですかね?
ごめん。真面目に読んでなかった。訂正する。
それは「暗い」でも「貧しい」でもなくて(長男が大学出てるし)
「そういう家の方針だった」としか言えないな。家によって違うと思う。
うちのばあちゃんは女学校出てたし。
いいえ、区切りの悪い文章で読みにくかったこちらもすみません。
ただ内陸の農村地帯だったので、家によってというより土地柄開けた考え方はしにくかったかも。
中国内陸の農村部の映画やドキュメントを見ると祖母に聞いた雰囲気そのままです。
もう1回出しますが、
義務教育もない、長男以外は同列に挙げられない、家の格差で見られる時代
&医療保険がないから余裕のない家はおいそれと医師や薬にお金を出せれない。
そこでの弱者はそれはそれで平気だったんでしょうかね?
確かに土地柄ではっきり分かれるかもね
女学校行ってたばあちゃんは大阪だった。
もう一人のばあちゃんは農村で「○○へ嫁に行け」って感じでウチのじいちゃんと結婚したらしい
尋常小学校は行ってたみたいだけど
一応指摘するけど、
>>義務教育もない
いや、あっただろ
>>長男以外は同列に挙げられない
言葉の意味が掴みづらいが、家父長制のことを言ってるんであれば、それは今でも残ってる。
価値観は変わるからこれから消えていくかもしれないけど。
>>家の格差で見られる
これも分かりづらいけど「家柄」ってことでしょうか?
う〜ん…家柄を見るのは今でもそうではないでしょうか。
医療保険もそうだけど、当時の日本は貧しかった(福祉に回すお金がない)。
今は裕福でみんなそこそこ暮らしてるから貴方の言う「家の格差」も見えにくいのでは?
「貧しい」ことを「暗い時代」と言うのであれば、それはそれで正しいと思います。
ただ、当時の人たちはそれを当たり前だと思って暮らしていたので、別段「暗い」とは思ってなかったのではないか。
ひい、調べたら明治から小学校はあった。女だからってそれすら行かせてもらえなかった祖母?
長男=農村跡取り 次男以下=それ以外の仕事して
だから、食べ物も扱いも違っていたでしょうね。実際跡取りでない私は昭和でも扱われ方違いましたから。
しかし、希望すれば大学だって行ける時代です。お金を出してもらえない辛さは随分違うと思われ。
家の格差=家柄とも言いますが、そんな所で差別はしない時代でしょ。
個人の人となりを見る方が主じゃないですか。駆け落ちや縁を切られる様な結婚も聞かないし。
今は生活保護を受けれて医療も学費も出してくれる時代ですしね。
当時何事もなければそれなりに暮らしていたんでしょうけど、
4番目の子どもには充分な薬を与えてやれない。子どもを産めない出戻りは邪魔者。
そういった弱者の悲しみは当たり前というより、あきらめるしかない‥そんな気がします。
男性は西洋思想も入り、自由の思想に燃えれた分「明るく」はあったかもしれませんが。
>>328 過去を美化するのはアホウヨと相場は決まっている。
「日本は豊かだった」
と
「都市部は豊かだった」
は全く違うだろ
戦前は東京よりも大阪の方が発展してたそうだ
>>361-364 大地主制だったから、「貧しい=暗い」だな。
96年3月26日の人材派遣業実質自由化以降の労働者が、
「派遣=上前撥ねられ捲り=貧しい=暗い」てのと同じだ。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 10:48:32 ID:okMmGOX00
強いて集めなくてもこれらのほかにも、文政3年(1820)に呉服屋の息子が振った深川芸者と芸者の世話係女の2人を船の上で殺した実際の事件を元にした、
河竹黙阿弥の『八幡祭小望月賑』(はちまんまつりよみやのにぎわい)だとか、この手の歌舞伎はいっぱいあって定番となっています。
江戸後期の秋葉原の路上で古本屋を営みながら集めた情報を書き留めて売っていた須藤由蔵の、日記と云いつつ自分の日常などはまったくなく
日々の情報を綴ったまさしく<ブログ>『藤岡屋日記 全15巻』にも殺人事件が数多く出てきますけど、
モテない男が振られて殺すのが結構あります。
加藤智大がモテないから無差別に殺したなんて云ってるのを聞いて驚いてる人がいましたが、
昭和40年頃までは振られたり、一方的に想っているだけで相手にされないので刺したり殺したりする事件は
連日新聞に出てまして、そういう理由で何故か関係ない人を刺したり殺したりする事件も毎月起きていました。
秋葉原事件というのは日本の伝統を久々に取り戻した由緒正しいものだったんだなと、改めて思ったりした次第です。
また、こういう事件をすぐに芝居にして血みどろ劇を喜んでいた江戸時代の人々を見ると、
いまの日本のニュースが海外とは違って血なまぐさい事件ばかりを好んで取り上げるのも判るような気がします。
こういうのに血が騒ぐ国民性なんでしょう。
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51820359.html
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 14:49:33 ID:MBHzU5Ix0
戦前の日本って、日中戦争まではいまの北朝鮮よりアメリカに近いよな。
完全な資本主義・自由経済の社会で、海外旅行も自由にできた。
アメリカにメキシコなどからの不法入国者が殺到してるように、
経済の発展した日本に韓国人が密入国してたくらいだし。
金持ちと貧乏人の格差が大きかったことも、貧乏人でもうまくやれば
一攫千金を狙うことができたのも、ことごとく一緒。
軍国主義つっても、それを言い出したらアメリカもイギリスも
フランスもドイツも、どこの国も軍国主義だったしな。
戦時中の一時的な現象だけとりあげて「戦前の日本=北朝鮮」みたいな
幻想をふりまいてる日教組の教師は、大好きな北朝鮮に亡命するべきだな。
>>368 おいおい2.26事件の青年将校とかの慟哭とか無視かよ。
市民と言うか庶民生活は平穏だった。アメリカが空襲するまでは!
だから敗戦前の一年間ぐらいじゃないの、あたふたしたのは!戦後の方が混乱していた。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 23:35:31 ID:TUkJQ/Iw0
>青年将校とかの慟哭
無視でおk
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 03:22:10 ID:hpgvWtzL0
というか2.26事件なんて実態が隠されてて良くわかんないんだろ。
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 05:23:45 ID:AHuAtkUz0
戦前の日本は暗黒時代じゃないか、アメリカ軍が日本を開放してくれたおかげで
日本は明るい国になった。戦前が良かったなんて馬鹿なことがあるものかと
戦前、子供だった親父が言っていた。戦前が良かったなんて、何もしらない
ウヨの妄想じゃないのか。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 09:43:04 ID:RJYsyv4zO
少なくとも大正末期までは、良い時代だろ。
上の親父さんは、おそらく軍が主導権握った時代だけを見てたから。
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 09:55:41 ID:nUWhD4ww0
大戦末期はそりゃ暗い時代だったろう。
でも第一次世界大戦で儲けまくった景気の良い時代もあったわけでさ。
戦争に行くのは一部の軍人だけで、国内は平和のままで特需を謳歌。
戦後でも昭和二十年代とバブルの頃じゃぜんぜん違うだろう。
戦時中だけとりあげて戦前を語るのは、昭和二十年代だけ
とりあげて「戦後の日本は貧しかった」っていうようなもんだ。
そうだなよな、対米開戦当初だって国内は普通だったろうしな
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 12:40:40 ID:RMS3qBCl0
>>369 >2.26事件の青年将校とかの慟哭とか
極論を言うが、アメリカ型だから226はあった。すくなくとも、(踊らされた)実行犯はそれをもって行動原理とした。
国家国民を帝の下、すべてびょうどうにする。
ようは、ことに東北地方なんかの貧困エリアにもっと目をむけにゃあならん。裕福なのは、帝都はじめいちぶの都市だけではないか。
格差社会をこの昭和維新によって一新する。
ってなもん。北朝鮮のようだったら、逆に226なんぞ起こりはせんだろうな。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 16:11:23 ID:VU9/Yw+n0
明治以降、日本の資本主義化は一気に進んだが、長い間弱小資本の弱小企業の
乱立時代が続いた。それは鉄道・電力などの公共インフラ系においても同様であった。
電力会社は大正時代に700社を越え、その後整理・統合が進んだが昭和14年の配電統制令
によって戦時統制経済となるまで400社を超えていた。今日9電力会社として知られる
地域分割体制は戦後の昭和26年のGHQによる再編成命令に基づくものなのである。
弱小企業乱立の時代は地域格差の時代でもあった。早くも明治15年に銀座で街路に電灯が
点灯した一方で地方の僻地では昭和に入っても電線が引かれない時代が続いた。
都市部においては複数の電力会社が激烈な過当競争を繰り広げる一方で地方の僻地は全く
放置されていたのである。であるから都市部においては確かに戦前は暗い時代ではなかった
かも知れない。しかし地方の僻地は文字通り暗い時代であったのである。弱小企業乱立の時代は
経営基盤が弱いために先行投資能力も低かったからである。そして経営不安などから
必ずしも安定的に良品質の電力が十分供給されていたともいえないのである。
戦時統制経済については、その罪ばかりが強調される一方で、その功を見落としていないだろうか。
戦前というと軍部と戦争ばかりが注目される一方で、あまりにもそれ以外の要素が軽視されてはいないだろうか。
戦争が多大な犠牲を生んだ一方で、今日の我々が当然のように享受している幾多の恵みの多くが
戦争によって得られたという事実は決して無視してはならないだろう。
>>374 >戦前の日本は暗黒時代じゃないか、アメリカ軍が日本を開放してくれたおかげで
日本は明るい国になった。
そりゃ非日本人にとってわなw
「日本と言うだけで絶対悪」な世界だもんなww
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/22(水) 14:15:21 ID:H5bH+N260
戦前といっても太平洋戦争開戦以降は完全に総力戦モードで暗い世相だったと思うけど、
案外その直前までは国内は平和だったみたいだな。
原節子主演の昭和14年作の映画「東京の女性」という映画を
見たことあるけどすごく平和でモダンな感じが漂ってた。
昭和14年は日米開戦前だと思うのですけど。。
直前とあるね。見落としてました。
>>381 半世紀後にはあんたの子孫が
「平成時代のテレビドラマを見たが、学生や学校を卒業したばかりの若者たちがビックリするような豪華なマンションに住んでいて、その豊かさに驚嘆した」
と書き込みしていることに100兆ジンバブエドル。
今の日本は十分豊かだよ。
餓死する人は極少数。
確かに豊かだが、閉塞感ありありで少子化になっているから、将来への不安感が消費や投資のブレーキとなっているな。
387 :
■■■■■:2009/04/26(日) 03:42:14 ID:yBxzAyI50
いやいや、豊かになったからこそ、労働力としての子供が不要になり少子化になったんだよ。
「閉塞感」によって少子化になったのではないぜ。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/26(日) 06:56:29 ID:uzA7jLo00
役所や公務員叩きは利権ですから
しかも半島や大陸がらみの国際的利権
日本人のプライドを徹底的に突き崩し、隣国の無限サイフにするのが目的
それはいかん!
立ち上がれ!ガンダム!!
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 04:04:13 ID:gbdOTLU+0
戦前の日本は実は現在の中国によく似てると思う。
都市部と農村の所得格差。情報統制や思想統制の程度など。
北朝鮮ほど酷くは無いし、かといって現在の先進国ほど自由はないし。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 12:31:28 ID:5kYFbJGaO
中国人は面従背反で、きっかけがあると反政府暴動をすぐ起こすが、日本人は権力に従順だから素直に従っている
今週発売の新潮で、昔の土門拳の写真が載ってるが、
1957年の湯治客より、
1946年の復員兵の方が栄養状態が良い血色の顔をしてるのが笑った。
昭和10年代は昭和40年代ぽくて、
昭和20年代は北かの国、
昭和30年代は南かの国って感じ。
まぁ、湯治客はなんらかの病気持ちだろうし、復員兵でも
補給が行き届いていた所は、国内の日本人より良い物食べていたろうしなぁ。
経済の戦前MAXは昭和14年でこれを越えるのは昭和31年まで
待たなくてはならない。失われた十年どころか二十年だね。
>>392 1946年に復員できたのなら、まだましな方だ。
シベリア抑留の悲劇を忘れてはならない。
復員兵はジャングルで餓死寸前だったのを、アメリカ様から栄養価の高い豊富な食料を恵んで頂き、病人には効果覿面な新薬を処方されるという有り難いことをして頂いたからね。
本土の日本人も餓死寸前だったのをマッカーサー様から外米と脱脂粉乳を恵んで頂いて命を繋ぐことができた。
誠にアメリカ様とは有り難いものだ。日本人なら足を向けて寝られないな。
日本軍将兵すべてが補給困難な最前線にいた訳でも
ないから、銃後の日本人より影響状態は良かったというのは、
良く聞く話。
満州華北華南のほとんどが栄養状態良好
国内で物資が滞りはじめたのは米による無制限潜水艦戦が効果をあらわしてからで
昭和18年の10月以降
東南アジアで米英と戦っていた兵隊と
大陸で中国相手に戦っていた人間と
一緒にして語るのはどうか?
>>396 餓死じゃなくて戦病死だ。
米軍だって餓死者が多数いたのに、全部戦病死扱い。
>米軍だって餓死者が多数いたのに、全部戦病死扱い。
ほとんどいないだろ
あのアメリカだぞ?アイスクリーム製造船なんてのを艦隊に随伴させてる国だぞ?
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 17:41:32 ID:nRM2tHmP0
>>390 ファシズム化する以前は現在のタイに似てる気がする。
国王の権威は絶対的で、象徴以上の立憲君主制。
国王の諮問機関として枢密院がある。
刑法に不敬罪がある。
議会は政党政治、内閣は政党内閣を基本とするが、共産主義や共産党は非合法。
軍部が力を持っている。
都市部は豊かだが、田舎と都市の格差が大きい。
田舎の少女が人身売買でアヘアヘさせられているところもクリソツ
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 21:50:45 ID:gcMX7SNE0
>>日本軍もラバウルの航空隊司令部には、アイスクリーム製造機があったそうだ。ただし、恩恵に預かったのは士官だけで、下士官、兵は口にできないどころかその存在さえ知らなかった。以上、坂井三郎の著書より。
ひでえなあ。
米海軍だったら提督から兵に至るまで仲良く並んでゲダンク・バーを食ってたのに
下士官の坂井先生は
なぜ、「その」存在をご存じなのか
それをお伺いしたい。
407 :
■■■■■:2009/05/18(月) 02:11:32 ID:0EsCBVl20
ホラ話かな。
まあちょっと、かなり大げさに書いてみたのかもね。
>>406 戦争が終わって、軍が崩壊したから知ったんだろw
1942年8月までしかラバウルにいなかったのに戦後どうやって知りえるのか
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 12:30:35 ID:4LcffbnS0
士官級の特別扱いは日本軍に限った事じゃなくて、
世界中そうだしなぁ。今の自衛隊でもそうだし、捕虜の扱い
でも兵士と士官では差を設けている。
それに原料の入手も限られていただろうし、士官が独占
していたとしても仕方が無いかな。
>>409 戦友に聞いたんじゃね?あるいは本で知ったのかもしれないw
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 12:46:43 ID:u4lU5cp00
>>410 >していたとしても仕方が無いかな。
普通の民間会社だって、役員と社員、従業員、派遣、アルバイト、とあつかいは違うからな。
限度問題でカンベンもしてもらいたいが、それはそれで仕様のないことではある。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 12:58:21 ID:4LcffbnS0
学級平等主義では久しく正義に反するけど、
士官に特別待遇を与えることによってエリート意識
を持たせるのは、責任感や義務感を醸成するのに
一番手っ取り早い方法なんだよね。度が過ぎると
帝政ロシア末期とか銀河英雄伝wの帝国軍みたい
になっちゃうけど。
413 :
■■■■■:2009/05/18(月) 14:48:05 ID:0EsCBVl20
まあね、アメリカと比べるからおかしなことになるんだよね。
そりゃアメリカ軍だからこそアイスクリーム作り放題食べ放題にできたのだろう。
ドイツ軍士官は兵隊よりマズイ飯を食うのを美徳としていたらしい
スターリングラードでは、最後のころ兵士たちはネズミを捕らえて飢えを凌いでいたそうだが、司令部では呑めや歌えやのどんちゃん騒ぎだったそうだ。
結局、ヨーロッパは階級社会で、軍隊はその縮図みたいなものだから日本軍よりもっと酷かったよ。
>>410 アイスクリームに関して小話.
上記の様に,米海軍では潜水艦にさえアイスクリーム製造器が付いていたので食べ放題でしたが,その為,虫歯も多かったとの事.
米海軍のアイスクリームを意味するスラングは「ゲダンク」であり,歯が悪くなるといった意味からきており,
そこから艦内のアイスクリーム製造器の事を「ゲダンク・バー」と言ったそうで.
米国水兵のアイスクリーム狂いを冷ややかに見ていた英国兵も,米国艦に艦に招待されると,真っ先に行くのがゲダンク・バーとか.
ところで,あるとき第3艦隊旗艦ニュージャージーの新任少尉二人が,ゲダンク・バーの途切れない列をにいらだち,
上官優先と言いながら列の先頭に着こうとしました.
列の中から不満の声があがるなか,それをかき消すぐらいの大声で
「自分の定位置に戻れ!!」
と怒鳴り声が響いきました,
その割り込んだ少尉二人が怒鳴った水兵を叱りつけようとすると,その声の主は第3艦隊司令官のハルゼー提督だったそうです.
提督は辛抱強く,列で自分の番を待っていたのでした.
その後,新米少尉達はスゴスゴと“定位置”に戻ったそうです.
>>416 アメリカのことわざに
アイスクリームの前では、提督も水兵もないってのがあるからな
今作った。
418 :
名無し三等兵:2009/05/19(火) 23:22:03 ID:tG9V4fHP0
>>415 その程度なら、兵士たちがネズミも捕らえられず餓死する一方で司令部では芸者を交えてどんちゃん騒ぎを
やっていた日本軍の勝ちだな。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/20(水) 10:51:28 ID:KeUtC+Tb0
日本はサイダー作成機をつんでたんじゃなかったっけ?
>>412 裏切っても、裏切り先で同等以上の待遇が出来ると、
思い上がるのがエリート。
特に日本のエリートが裏切ると全員、
裏切り先から「裏切り者の末路」として曝し首にされる。
三国志の漢中の楊松みたいに。、
>420
三原田とか三束真島て良い前例があるなぁ・・・。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/25(月) 12:16:46 ID:mogIvKtE0
>>390 中国は戦前日本と言うより江戸幕府が近代化した風に感じる。
北と違って、政治に関わらなければ都市部の市民文化は普通に発展してるし、
で、都市と農村の格差では江戸幕府は農本主義を重視する立場なのに中期以降は
貨幣経済社会に、中国は共産社会なのに完全な資本主義社会、一党体制は
戦前日本と言うより徳川時代の方が近い。後、犯罪者の厳罰主義なども似ている。
戦前どころか戦時中の昭和17年に行われた翼賛選挙でも非推薦候補85人が当選。
中国で非推薦じゃ当選どころか立候補すらできないだろうに。
トルストイ文学さえ、なぜか社会主義的出版物とされ発禁にされた文学無知の当局が言論統制していた馬鹿時代だったりとかw
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/25(月) 20:02:07 ID:V++AF0Ks0
>>424 戦前の後期でしょ?昭和初めには、
マルクスやレーニンの著作も普通に出版されていたし。
社会主義に無縁なのも摘発するようになったのは、
役人の無知というより、官僚の都合だったろうと思う。
仕事が無くなると予算取れなくなるからw
こういった官僚の姿勢は、
程度の差はあっても世界中同じ。
>>425 いや赤狩りのアメリカ等ですら、そんなボケた検閲がされた例はないわけだがw
根拠も示さず一般化していると思わせる、は有名な詭弁の一つだからその気が無くてもそう思われちゃうぞ。
>>426 トルストイに関しては推測を述べるに
留めているのに、根拠を出せと言われても困る。
そう思わせた理由は、天津教弾圧事件が頭にあったから。
天津教は、神道系の新興宗教団体であったが、皇室を否定したり
相対化したりはしておらず、関係者すら摘発された理由が分から
なかったそうだ。
自分は、この弾圧事件は内務官僚の実績作りが背景にあったと
と踏んでいる。たからトルストイの件もそうだろうと推測した訳。
あと、官僚の手段の目的化なんて事例は枚挙に暇がないんじゃない?
>>427 根拠無く世界同じ、と言い切ったからじゃん。
実際に上げられるトンデモは日本の例だけの件。
それじゃあねぇ(苦笑
>>428 お前はどんだけ世界中のこと知ってるんだよw
>>429 知らないのに断言するほうがおかしい、という話だろ。本人乙か?w
>>424-
アメリカやイギリスでは、
ベートーベンやモーツァルトとかが、
独墺の敵性音楽で放送禁止だった時代だったな。
で、チャールストンそしてジャズとかばかり流してた。
トルストイなんか本国ロシアで何度となく発禁になってるよ
で、それはトルストイ文学を社会主義、とまったく理解せず禁止にしたのと同じなのかい?
なにを、なんと混同した結果だい?
でまかせ言ってツッコまれて慌ててググったのはいいが、そもそも何を問題にされてたのかも忘れたのかな?w
必死な人がいるなw
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 23:03:48 ID:621ezo170
なんか知らんが、自分が書き込んだのは
>>425 >>427 だけな。なぜ自分の推察に不服ならその理由を
書き込めばいいのに、それがないから何をムキになってる
のか分からん。
「なぜ」削除
ガス抜きにもならん芸能なんかどーでもいい
戦前の超特急「燕」の食堂車の、
ビーフステーキの値段は40〜50銭。コーヒー一杯10銭。
昭和10年代は、当時の1円=現在の5000円相当だから、
ビフテキ2000〜2500円、コーヒー500円か。今の北斗星と変わらない。
一方、昭和60年はコーヒー250円、日本茶60円。
週刊少年ジャンプの値段で比較すると、
今の貨幣価値でコーヒー350円。日本茶は85円相当。
失われた平成20年間は、物価が上がり賃金が下がるスダクフレーションの時代である。
50年後ぐらいに、平成は、明るい時代ではなかったと言われるのかもな
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/19(金) 21:50:12 ID:QzyZ8un0O
>>411 そんな事日本人に言っても解からないだろう。日本人は世の中に
「差」があるという事を知らないからな。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/19(金) 21:59:22 ID:QzyZ8un0O
>>419 サイダー持ち込み有りなのはゼロ戦パイロット。ラムネ工場があったのは戦艦大和
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 00:18:34 ID:EDGOzYCu0
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/25(木) 12:44:10 ID:9LF0kA530
>>390 戦前のいつかにより大きく変わるがデモクラシーや政党政治全盛の時代なら
今の中国よりずっと自由。恐らく今の韓国(共産主義は基本非合法で兵役があり
写真撮影などで軍機上などで一部規制があり現在日本よりやや不自由なため)並みの
自由があった。
労働運動しかり、普選運動や第一次第二次の護憲運動しかり、婦人解放運動しかり、
様々な自由獲得の運動しかり今の日本より社会運動だけ言えば多くしている位元気があり
それをある程度許す自由な風潮もあった。
また、マルクスの著書などが書店で売られていたりもした。
新聞は今より発行などにおいて制限はあるものの時の内閣や枢密院、軍部を批判
する記事も書いている。
まあ、ファシズム化したらそうはいかなくなったが、デモクラシー最盛期の戦前日本は
現在韓国並みの自由があったと言えるだろう。つまり現在の中国より自由だし北朝鮮などはもちろん完全に論外。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/25(木) 13:30:35 ID:CwlLA7BW0
戦前の日本を実態以上に持ち上げてる人は、『東京の下層社会』『日本の下層社会』
『貧民の帝都』『明治東京下層生活誌』とかを読むべきだと思う。これらを読めば、
都市部でも悲惨な生活を強いられていた人が多くいることに気づくだろう。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/25(木) 21:18:57 ID:iJrFnZprO
50年後どころか今現在ですら平成は明るい時代とは感じられない。
やっぱり昭和は良かった。
>>444 お前、そんな反日ブサヨの捏造妄想珍説なんか信じてるのか?wwwwwwww
戦前の日本は自由のパラダイス。
国民はみんな自由で豊かな生活を謳歌していた。
つまり2.26の青年将校はありもしない話をでっちあげて
クーデターを企んだ極悪人だってことですね。
なるほど死刑になって当然だ。
>>447 そのとおり。北なんかコミンテルン工作員もろだもんな。言ってることがアカ。
2.26の馬鹿どもはコミンテルン工作員。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/27(土) 13:17:46 ID:25wEw6xW0
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/27(土) 18:02:54 ID:lOR5sZIT0
>>448 ケインズの防壁がなかった(ほとんど知られてなかった?)から
北一輝流の帝国社会主義を取り込まざるを得なかったんだよ、
皇道派も統制派も。
『国防の本義と其の強化』なんかも思いっきり赤だろ。
そもそも戦前の日本は現在よりも格差がひどい時代だった。
だからこそ政治家・財界人が次々と暗殺されてったんだ。
そしてそれらを担ったのはすべからく当時の愛国右翼。
今で言えば西部、小林、佐伯あたりがぶってるような
主義主張にかぶれたやつらだ。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 01:19:01 ID:Ya9HzNFOO
今だとフィリピンやペルーみたいな国だったってことだろ
当時はアメリカにもスラムたくさんあったし中国なんてソマリアくらいのレベル
相対的には先進国だったことに変わりない
でも、少しずつ改善されていってたのが、戦争のせいで全て台なし
>>447-448 だから、あの朝鮮反日新聞がマンセーし捲くったんじゃないか。
アメリカ主体の進駐軍から学生運動から皇軍まで、
大八島を在日連合のモノにするまでベクトルは自由自在w
あれが「戦争しろ」と言ってる時は日本敗戦、
あれが「戦争するな」と言ってる時は日本一人勝ち。
日清日露の時は、宗主チャイナ様白人様に付いて中間搾取層としてホルホルの目論見が、
日本戦勝で外れたw
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 16:18:20 ID:Gon4hBX20
>>453 ハイハイ、いつまでもそうやって共産の幻影に浸って恐怖してなさい。
>>451-452 若干付け加えると、高橋是清なんかはそうしたケインズ的方法を
理解してた(ケインズを実際知ってたかどうかは分からない)けど、
2・26で消されてしまった。
宮沢喜一がよく彼に擬されてたけど、宮沢もやっぱり小泉に消されてしまった。
それから軍部はいわゆる「昭和維新」とか「国体護持」を遂行するために
北の理論に拠ってたけども、彼らの目的は北のそれとは正反対のものだった。
それは意図的にずらしたというよりも、彼らが北の難解な理論を理解する頭を
持ってなかったからだってのを、橋川文三が書いてる。
いずれにしろ当時は世界的に極端な自由主義経済のつけが回ってきてたわけで、
またWTOのような国際的な機関もなかったからブロック化する世界経済に
対応できなかったってのが事の元凶だろうね。
ケインズが「一般理論」を発表した時には高橋是清は2・26で消されてしまっていたからね。
北の理論もあやしいもんだと思うが、むしろ共産党の委員長だった佐野学が
獄中でコミンテルン指導下の日本共産党のありかたを批判し、日本の国情にあった
独自の社会主義運動を提唱した事のほうが重要だな。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 09:46:35 ID:dP4gFka20
日本が本当の意味で明るくなったのは1970年代に入ってからだよ。
1960年代、首都東京だって山の手線から外は酷い地域だった。
狛江駅前なんて、駅から1km圏内だけ舗装されていて、1km超えると未舗装=土道が普通。
経堂や梅ヶ丘でさえ、駅から離れると土道で凸凹が当たり前。
駅前周辺以外の住宅は雨の日、家から出ると靴が即行で泥だらけは常識。
雨の日、タクシーなんか乗って駅から離れた所に行くと、もう大変。
未舗装の凸凹穴にタイヤが嵌り、乗客が雨の中、タクシーを押して穴から脱出なんて通常。
バスでさえ、客と車掌が一緒になって押したなんて常識。
そんな時代だぞ。
本当、良くなったのは大阪万博以降の話しだよ。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 09:51:21 ID:dP4gFka20
仕事だって、1960年代は上下関係が厳しくて、上司に反抗するなんて、
社会全体に反抗すると同じ意味だった。
上司に意見(アドバイス)することは、お世辞を何百万回使いながら意見しないと、
ドえらい目に合う時代だった。
女性の地位も仕事の補佐の補佐で、まともな仕事なんか貰え無い。
戦前の風習が残っていたのが1960年代。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 10:17:03 ID:n5BVjl7F0
>>457 本当の意味変わったのなんて00年代になってからくらいな気がするな。
反面、成果主義やノルマとか言うのが全面に押し出されてきつくなった面も多いが、
上下関係の柔軟化や男女関係平等と言う長所・成果主義・ノルマ重視という短所両面で
欧米型に転換したって感じなのがこの00年当たり以降。
90年代までは、どこか上下関係は今より厳しい雰囲気だったし、女性はお茶くみや
コピー取りしておいてくれといった雰囲気が強く残っていた気がする。
>>456 それって暗い明るいの問題じゃなくて単にインフラの話では?
「絵葉書に見る交通風俗史」て本に、
沖縄の、昭和10年頃と昭和30年頃の絵葉書が記載されてた。
昭和10年頃の沖縄は、今でも訪ねて見たい。
昭和30年頃のは、そのまま中米て感じ。
アメリカが支配すると、全部あんな感じになるのか。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 12:13:08 ID:RD7rBG960
>>455 佐野学というよりは、より広く影響力があったのは講座派と労農派の論争だろな。
いずれにしろ、極端な自由主義経済によって開いた格差が革新的な言説に
力を持たせてたのは事実。
政治家も財界人も軍部も、そうした実情をは無視できなかったんだ。
貧富の差はすさまじかったんだろ?
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 02:08:05 ID:UIjNBlDR0
岩瀬彰『「月収百円」サラリーマン』によれば、一般サラリ−マンの目標とされた月収が
100円(物価などの比較によって著者自身が設定してる現在価値は約2000倍の20万円)の時代に、
後に血盟団の菱沼五郎に暗殺される三井財閥トップの団琢磨は40万円(現在価値で8億円)もの
ボーナスを手にしていた(ちなみに一般平均は200円くらい)らしいし、企業トップでなくとも
大手課長クラスともなれば平均収入を優に上回る金額を手にしてたらしい。
サラリーマンの間だけでもそれだけの格差がある上、都市部と地方部、また産業別に見たら
格差は現在の比じゃない。
かたや食うや食わずの小作人生活(余談だけどこれについては長塚節の『土』が参考になる)、
かたや従業員を何万人も従え財閥の総帥として君臨する―そりゃ不満も鬱積するでしょ。
しかも今のような年金制度が整ったのが確か1942年ごろだから、それ以前は現在のアメリカのように
老後の保障は銀行などに個別で掛ける感じ。
渡辺銀行の取り付け騒ぎなんかに端を発する昭和恐慌の原因はこの辺にもあるんだろね。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 12:18:35 ID:2Jcju3G60
すごい格差だな。
2・26の青年将校らが決起して、それをまた当時の国民は大なり小なり支持した人が多かった
らしいが、分かるような気がするな。
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 14:39:51 ID:wI52ZcLz0
>>459 風習や序列も全て、戦前を受け継いでいたのが1960年代まで。
何処の企業にも戦前育ちが居て、それらの人は上の地位だったから。
そういう人達が引退=定年を迎えたのが1970年代〜1980年。
朝日新聞なんか、1970年代まで戦争体験者が勤務してたから、
戦争知らない世代が戦争犯罪を捏造しても即バレで社内問題化して、
捏造書いた記者が左遷させられた話しもある。
(あの朝日が、こんな状態)
議員や官僚なんかも戦前育ちが活躍したのは1960年代まで。
戦争中に子供だった世代が幅を効かせ始めたのも1960年代後半〜1970年代。
上に反抗することさえ出来なかった時代。
次第に時代が変って、日本が明るくなってきたなんて1970年代入ってから。
労働争議やストライキが頻発したのも1960年代までだけどな。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 16:30:26 ID:DdL3G6rI0
>>465 そう、若い人は今のような戦後社会がいきなり出来たと思っているね。
>>466 >労働争議やストライキが頻発したのも1960年代までだけどな。
左翼も一皮向けば兵隊経験者や元軍国少年だったから当然。今のように左翼=ヘタレ
じゃなく闘士タイプが多かったんだ。
1960年代に小学生で、日教組の巣窟みたいな学校に逝ったが運動会の行進は軍艦マーチで
国旗、国歌はあたりまえ。「国旗に向かって敬礼!!!」と号令をかけたのは日教組の地区幹部
をやっていた教師だった。きちがい教師は往復ビンタあたりまえ、女子の乳触り放題だったけど
親たちが問題にしたことなんてなかった。リベラルで非暴力だったのは意外にも海軍兵学校
出身の教師だった。
消防団の集まりでは兵隊経験者がシナで姑娘を犯して殺したなんて話は誇らしげにされていたが
日中国交回復くらいから空気が急に変わってそういう話はタブーになった。
>次第に時代が変って、日本が明るくなってきたなんて1970年代入ってから。
戦前との連続性が断ち切られたのはそれくらい。ただ、教授や会社の役員から聞かされた旧制高校
の話はとてもうらやましく思った。海軍兵学校と旧制高校がなくなったのは惜しいと今でも思っている。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 20:23:28 ID:DdL3G6rI0
関東大震災で生活文化面の江戸時代が終了したと言われている。政治体制が変わっても
生活の変化は遅れて現れるわけだ。1970年くらいで風習としての戦前が終了したといえる。
はっきりした変化点は大阪万博というより第一次オイルショックだったとおもう。
それまでは、
>>467のように右翼と左翼が混在していた変な時代が続いていた。年配者は
二言目には「戦時中はなあ・・・」といっていた。子供のころは中年以上の大人は軍隊で
人を殺したことがあると思うと怖かったよ。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/04(土) 13:36:49 ID:6eIghqOP0
今じゃ少年院でもトイレ行かせなくて失禁させたとして教官が逮捕される時代だけど
60年代辺りまでは小学校とかで授業中トイレ行きたい子を行かせなくて同じようなこと
になっても、逮捕はおろか校内問題やクラス問題にすらならん時代だった。
また、体罰も当たり前。しかも、右派系先生のみならず日教組系の先生でも
体罰は普通に行っていた不思議な時代。
モンスタペアレントどころか親は先生の行為の方が明らかに間違っていても子供の方を注意した時代。
社会的には今以上に憲法改正反対、自衛隊違憲が強く唱えられていたのに
>>467が言うように
運動会では軍艦マーチが流れていた時代。
会社の上司は軍隊経験者で部下の指導・注意には鉄拳制裁する上司も普通に存在した。
テレビ・映画・新聞の事件報道でも今じゃ絶対流さないグロ映像や写真も普通に報道していた。
自己に反対するイデオロギーを唱える者を右翼や左翼が襲うこともあった時代。
セクハラは当たり前。しかも、今のセクハラ程度のレベルじゃないセクハラが存在して、全く問題視されなかった時代。
電車は整列しないのが当たり前、おっさんはその辺ですぐどこでも痰を履いたりした。
立ちション率も高かった。
家族内はおろか、隣近所でもプライバシーは存在しないのがあたりまえ。
多い時には1年に40人近い数の死刑が執行される場合もあった。
今と比べて60年代辺りまではこんなに大きく違った。
明らかに同じ戦後でも全ての面で別の世界の時代であった。
たぶん、今の人が生活することになったら、道具的な意味(携帯がない、エアコンがない
パソコンがない・etc)以外のライフスタイル的な面でもとても暮らせないと思う。
また、当時を経験した世代であっても、今の生活に慣れた21世紀人化した現代人である以上同様ではないだろうか。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/04(土) 14:46:03 ID:MuRgFP700
>>469 >体罰は普通に行っていた不思議な時代。
1957年に日本教職員団体連合会が結成されるまでは教職員組合は
日教組しかなかったのです。だからそれまでは右だろうが左だろうが教師という
教師はすべて日教組でした。そして地方公務員という教職員の立場から、
基本的に県ごとにしか組織できないため、右派系でもやむを得ず日教組に
加盟している教師もいるのです。「右派系先生のみならず日教組系の先生でも」
というのは、その意味で貴殿の認識不足でありますし、そもそも体罰の是非などで
路線対立があった訳ではありません。教職員の立場(労働者か専門職か)や組合としての
活動方針が主要な対立軸でありました。
そして戦後のベビーブーム、都市への人口流入で小中学校をいくら建設しても
生徒を収容しきれないような状況が都市部で発生して、体罰を禁止してしまうと
学校そのものが統制も運営も不可能な状況があったのです。
また戦後のある時期までは人権という概念もなく人命そのものが軽いのです。
1951年の桜木町事故、1962年の三河島事故など悲惨きわまる国鉄事故が起き、
1963年には三井三池炭鉱では爆発事故が起きます。
1959年には伊勢湾台風による大被害が発生します。
戦後復興から高度成長時代となるまで安全対策が疎かにされ人命が軽視されていたのです。
それは学校でも同じことで日教組も子供そっちのけで勤評闘争に代表される
政治闘争にばかり夢中でしたからトイレだの体罰だのそんなことが問題になる訳が無い。
親も炭鉱争議、上尾事件、などなど子供にかまってられないのです。
語りだすと切がないが、不思議な時代と評するのはおかしいと思ふ。
槙枝元文:労働運動家。元日教組議長。元総評議長。
岡山青年師範学校卒業後、1940年に都窪郡の早島青年学校に教師として赴任。
1942年から終戦まで召集され、最終経歴は陸軍憲兵中尉。
(戦後GHQの命令で日教組が作られると、)
1947年、日本教職員組合に加入し、日教組中央執行委員会、岡山県教組書記長を経て、
1953年に日教組書記次長に就任。
1962年には日教組書記長に昇格。1971年から1983年まで日教組委員長、1976年から1983年まで総評議長を兼任。
語録など
「多くの理性的な日本人は皆、チョソン(北朝鮮)と金日成首領閣下を心から尊敬申し上げています」
「金日成主席の大衆心理をつかむ巧みさというか、常に大衆の心を大切にしつつ革命偉業を達成された
幅のある偉大さが感じられた」と述べるなど、金日成を敬愛。
「この国は、みんなが労働者であって資本家、搾取者がいない。だから、みんながよく働き、
生産をあげればあげるほどみんなの財産がふえ、みんなの生活がそれだけ豊かになる・・・
この共産主義経済理論を徹底的に教育し、学習し、自覚的に労働意欲を高めている。
またこのことは、労働−生産−生活の体験を通して現実的にも実証されているから国民の間に疑いがない」
「生活必需品はべらぼうに安い。ただも同然である。したがって生活の不安は全くない。
だからこの国には泥棒がいない。泥棒とは富の片寄ったところに発生する。この国には泥棒の必要がないのである。
泥棒も殺人犯もいないから警察官もいない。交通整理や怪我人のために社会安全員が街角に立っているだけ」
と北朝鮮の体制を賛美。
「強い軍隊を率いることは国の自主性を堅持するうえで欠かせないこと」
「人民のなかにはいって現地指導されている姿などをもっと積極的に共和国は報道すべきではないでしょうか。
金正日総書記のすばらしさをアピールしたほうがよいと思います」
1991年には、長年に渡る日朝友好親善への貢献により、北朝鮮から国際親善賞第1級の勲章を授与されている。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/04(土) 18:17:50 ID:j2SuaptaO
大正野球娘始まったよ
興味があるならみてみ
いきなり東京節から始まる
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 18:19:08 ID:7b2UXQgv0
「大正野球娘」でなくもっと硬派な感じのこの時代モデルにした作品見てみたい。
誰か、硬派なの知ってる人いたらキボンヌ?
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 14:02:22 ID:9btqUm900
硬派ってか、ヘヴィー過ぎる…
「大杉栄物語」みたいなの、誰か造ってくんねぇかなw
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 14:36:33 ID:AloZ2fMw0
戦前の日本は今以上の格差社会。なんせ1920年代は人口の約7割が最貧層だったそうだし。
農村は小作農が多数で苦しい生活だったし、都市部でもスラムがいくつもあって悲惨な状況
だったそうだ。『東京の下層社会』『貧民の帝都』に詳しく載ってる。
だから、戦前を左翼のように暗黒の一言で片付けるのも論外だが、右派のように実態以上に
持ち上げるのも公平さを欠くな。
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 14:56:05 ID:9btqUm900
>>476 自由経済というより自由主義経済だったからね、当時の日本は。というか世界も。
「神の見えざる手」に依存し続けた結果、収拾がつかなくなって戦争に行かざるを得なかった。
つまりそれは自由主義に内在してる問題で、自由主義である限り「帝国主義」か「グローバリズム」に
行き着かざるを得ない。ともに他者の犠牲の上に成り立つ生活なわけ。
>>477 そうだよ。戦前は自由放任経済で弱小企業乱立なのだ。
だからちょっと事業に成功して小金を溜めると誰でも銀行を設立できた。
村井銀行とか中井銀行とか個人商店レベルの弱小銀行が乱立した。
銀行と称していても信用組合ほどの支店網も無い。もっとも当時は
オンラインなどある訳も無いので、支店が多かろうが少なかろうが
預金者には関係ない話ではあった。そして出鱈目な利息つけて預金を
集めては系列企業にばかり貸し込んでいた。好景気の時はそれでも回転できたが
不況となるとたちまち信用不安が起きる。高利で預金を集めていた銀行ほど
真っ先に休業騒動が起きる。それが昭和金融恐慌なのであった。
当時は預金保険機構などのセーフティネットも何も無い。休業となると
虎の子の預金が文字通りの紙くずになってしまう。だから預金者も敏感で
取り付け騒ぎもおきやすいのです。実際昭和金融恐慌のときは弱小銀行が
ばたばたつぶれてなかには発狂してしまった預金者もいる。そんなわけで
財閥系などの銀行界も集約されていったのである。もっとも銀行に預金できる
ほどの資産があるのは、まだ裕福な方で多くの庶民は郵便貯金にわずかばかりの
金を預けるのがせいぜいなのであった。参考文献「昭和金融恐慌史」。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 16:49:21 ID:4rHDqIFKO
物乞い(乞食)が職業として成立していた時代だもんね。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 17:22:00 ID:AloZ2fMw0
大正野球娘で流れた東京節は歌詞の乞食の部分が喧嘩に変わってた。
近代においては時代をさかのぼるほど経済的水準が低いのは
普通のことなんだし、「暗い」と言う場合の「暗い」は政治面を指す
ことが普通じゃないかな。
例えば、戦前での経済最高水準を戦後で回復するのは昭和31年まで
かかったけど、昭和二十年代を昭和十年代初頭に比べて「暗い時代だった」
とは言わないでしょ。
483 :
蝶:2009/07/09(木) 21:48:18 ID:0NOX2PN00
481,482の言うとおりだな。
何と比較するかだよ。
同時代の他国はどうだったってことだな。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 22:10:30 ID:cf/1SLhQ0
>>482 どこをどう読めば、経済水準がどうだから「暗い時代だった」なんて書いてあるのかな?
誰もそんなことは論じていないのだが。
われわれが戦前を理解するためには多様な側面から歴史を振り返る必要があると思ふ。
まあ党派的な政治的宣伝に組みするつもりもないしね。
歴史は政治に従属するものではない。政治が歴史を作ったわけでもない。
政治万能主義はファシストの思い上がりに過ぎない。
>>483 他国と比較?何のために?
じゃあ、戦後、戦前みたいな貧民層がいなくなったのはもいつ頃からなの?
やはり70年代だろうねえ。
藤子不二雄の代表的作品で見ると、1964年の『オバケのQ太郎』は、主人公のQ太郎はいそうろうなのに
やたらと飯を食うキャラクター設定になっている。要するに当時の子どもの切実な願いは、まだ、腹一杯
食うことだったのだ。
1969年から始まる『ドラえもん』は、いじめや友達関係、学力や教育、そして異性関係が隠れた主題になって
いる。これは、飯を食うことができてきたので、別の方面に興味がわいているわけだ。
>>485 それでは、戦前だけじゃなく今も暗いだろ。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 01:27:19 ID:KaYFgfWO0
つか「明るい時代」なんてないだろ。
政治的社会的経済的側面の総合の比較において、戦前が今と比べて
「暗かった」と言ってるだけ。
だから戦前を現に生きた人間たちにとっては「暗い時代」では
決してないし、今を生きる人間だって、ひょっとしたら50年後には
「暗い時代を生き抜いてきた」なんて言われてるかもしれない。
70年代前半や80年代後半は明るかったよ。
将来に対する明るさが感じられた。フィクションでもこの時代のことが何度も描かれている。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 02:04:13 ID:54OelT0U0
>>473 硬派を超えて玄人好みな域かも知れないが、
故市川崑監督作品の1983年の東宝映画「細雪」がおすすめ。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 03:58:41 ID:qE6BurjIO
>>492 当時のクソバカ能天気昭和人どもが年功序列・終身雇用をねじこんだり
バブルで踊ったり放漫財政を煽ったりした反動で21世紀人があっぷあっぷしてんだけどな。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 14:39:41 ID:KaYFgfWO0
>>492 現実生活は決して明るくなかったでしょ。
マスメディア(TV)を通してみる社会情勢はたしかに一見明るく見えるけど、
70年代なら内ゲバ、テロ、オイル・ショック、地域コミュニティの崩壊、…e.t.c.
80年代なら円高不況、貿易摩擦、物価高騰、格差拡大、校内暴力、いじめ、…e.t.c.
どんな時代でも暗い側面てのはあるでしょ。
>>473 実写映画でいや鈴木清順の映画とかあんじゃない?夢二とか、大正浪漫物。
>>495 内ゲバを含む学生紛争は、1969年の東大紛争での安田講堂攻防戦以来完全に下火になり、70年代は残り火しかなかった。
70年がよど号ハイジャック、72年あさま山荘(内ゲバのすごさが報道される)、
テロも74-75年で企業連続爆発事件があったが、これらも左翼活動のあがきと見る人が多数で、実際彼らの活動も次第に
海外にシフトしていった。
73年のオイルショックで確かに日本経済は大打撃を受けた。だが、78年の第二次オイルショックは、日本経済は過去の経験
をきちんと学んで、ショックは少なかった。
80年代も確かに色々な問題はあった。社会問題になった「いじめ」にせよ、昔からあった問題を大々的に取り上げることが可能
になるほど、社会が成熟してきたと俺は考えている。
いずれにせよ、未来に希望が持てた良い時代であった。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 15:10:20 ID:HeEf3S2O0
学生運動は浅間山荘事件が終止符を打ちましたね。それまでは比較的理解を示していた
一般社会でも、余りに常軌を逸してしまって過激化したため完全に理解を失いました。
1970年にビートルズが解散して1972年に浅間山荘事件が起きたことからも、60年代まで
隆盛した反体制的な空気が一変したと言っていいでしょう。時代の風俗で言えば、
全共闘運動以降の若者は「シラケ世代」などと呼ばれ、ラジカルさは見られません。
富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」という1970年のCMが、
当時の空気を良く伝えていると思います。「のんびり行こう」というフレーズも同時代です。
1980年代にはいると新左翼が言論畑を中心にサブカルチャーとして出てきます。
1970年代に衰退した一種の復権運動ですが、「スキゾキッズ」という言葉が一人歩きした
くらいの運動体にしかなり得ませんでした。ポストモダンもこの時代です。
暗いかどうかは主観に類する捉え方ですから何とも言えません。
ただ、言論弾圧のあった戦前と比較するのなら圧倒的に自由な時代とは言えると思います。
大正デモクラシーもつぶさに検証すれば、運動の主体が薩長政府のリタイア組もいますし、
民間や学者らも体制に対して神経を細やかに使った上での民本主義がほとんどです。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 16:11:53 ID:KaYFgfWO0
>>496 >1969年の東大紛争での安田講堂攻防戦以来完全に下火になり
内ゲバ激しくなんのはむしろ安田講堂以降のことでしょ。
永田洋子らがあさま山荘に端を発するいわゆる連合赤軍事件起こすのも結局、そうした内ゲバの激化を
ひとつの背景にしたものだったわけだし。
連合赤軍事件が起こるまでは、内ゲバは敬遠するにしろ、左翼運動に同情的な人はまだ結構いたんだよ。
連合赤軍事件で完全にポシャッたけどね。
>テロも74-75年で企業連続爆発事件があったが、これらも左翼活動のあがきと見る人が多数で、
さそりや狼、大地の牙によるテロも、実際にテロを脅威に感じる人は特に都市部では結構いた。
自分の命が危険にさらされるわけだから当然だし、公安警察はだからこそ血眼になって粛正につとめた。
過激派の活動拠点が海外に移るのもその結果だよ。
>だが、78年の第二次オイルショックは、
70年代前半の話してんじゃないの?
あと
>>495には書かなかったけど、公害の問題が明るみに出てきた時代でもある。
>社会問題になった「いじめ」にせよ、
校内暴力や格差拡大が排除されてるのはなぜ?
すでに70年代後半から詰め込み教育が社会問題化していて文部省(当時)はそれを受けて教育指導要領を改訂、
1980年度から実施するわけだけど、それに伴うかのように校内暴力やいじめの問題が肥大化してくる。
格差もバブル期を通じて拡大する一方だった。
左翼運動に同情的な人はいたが、大多数は既にそういう運動をあまり良く見ていなかったと思う。
なぜなら、左翼運動をするよりしっかりと働いた方が自分の為になったしね。
そのこと自体が、未来を良いモノだと見ることができるようになった証拠だと思う。
確かに、都市部ではテロがあったが、大部分の日本では明るい雰囲気が広がっていた。
公害は確かに問題だったな。それは70年代の暗い部分だということは否定はできない。
また、70年代は地球が寒冷化して氷河期が訪れるのではないかという話もあった。
問題が全くない社会ってのはないからなー。
校内暴力は60年代の昔からあったじゃないか。むしろ60年代とかの昔の方があからさまにやって
いて酷かったと思う。
格差は、レーガノミクスの結果じゃないのか?確かに格差はあったが、好景気は庶民にもある程度の恩恵があったな。
我々は
>>1が何故このようなスレッドを立てたのかという疑問を解決するため、
>>1の故郷であるとある村に向かった。
「まだ日本にこんなところがあったのか」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、そして
彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
高度成長だの、神武景気だの、オリンピックだので浮かれていた我々は改めて
農村の現状を噛み締めていた。
ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに「息子が申し訳ありません」と
我々に何度も土下座して詫びた。我々はこの時初めて
>>1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、農村の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は1の母親から貰った干し柿を手に、
打ちひしがれながら東京へと帰路についた
*****
このコピペの元ネタって何だ?
多分、68年の永山事件じゃないかと思うのだが…、「まだ日本にこんなところがあったのか」
という部分に当時の雰囲気が現れている。
つまり、経済的には殆どの人があるていどの生活を送っているということ。
確かに、一部取り残されていた農村もあったけどね。
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 21:10:17 ID:LXgqm/Tt0
>>492 アカが大手を振ってお天道様の下を闊歩していた1950年代〜1980年代は日本の暗黒時代。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 21:36:43 ID:t1tK6zqN0
旧制高校を懐かしむ声を聞くけど、『戦前の少年犯罪』読むと旧制高校が
DQNの集まりにしか見えなくなる。秦郁彦先生はその辺どう思ってるんだろう?
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/12(日) 00:20:40 ID:Fo3OAqF00
>>499 >大多数は既にそういう運動をあまり良く見ていなかったと思う。
いや、就職した人たちでも労働運動に関わってた人なんかはかなりシンパシー持ってたと思うよ。
現に狼の連中なんかは日中は普通に働きながら地下でやってたわけだし。
55年体制の時代だからね。
>校内暴力は60年代の昔からあったじゃないか。
60年代くらいの校内暴力はどっちかというと全共闘なんかの学生運動の影響受けてる部分が
強いから、80年代以降の校内暴力ってのとは位置づけが違うでしょ。
>格差は、レーガノミクスの結果じゃないのか?
いや、格差自体は戦前からずっとあるよ。
農地改革で一部構成は変わったけど、それでもまだ十分生き残ってて、70〜80年代の自民党政権で
徐々に拡大してったと見るのが妥当じゃないか?
バブル期でさえ、人口や富が集中する都市部と過疎化の地方部の格差は開く一方だったわけだし。
>>503 それと明るい暗いはあまり関係が無いような…。
>>482 昔ラジオでケーシー高峰が、
昭和20年代は「東京の餓死者は毎月1万人以上…」ってニュースでやってたって言ってた。
その意味で、昭和10年代後半の方が昭和20年代より暗くは無かった、と言ってた。
そりゃ戦争中は、広島と長崎の原爆でも数日後に路面電車が動いてたのに対し、
昭和20年代の占領中はGHQの軍隊移動が最優先で、食料の運搬なんか、とても出来なかった。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/13(月) 19:20:52 ID:lbhvOHSW0
>>469 だからといって、年金問題や非正規雇用などの雇用・社会情勢、極端な成果主義、
モンスターペアレントが当然のごとくな顔をして学校に来て無理難題を強い、
痴漢の冤罪すら冤罪者が批判されるような極端なフェミニズムが堂々とまかり通る
現在がいい時代だとはお世辞にもとても思えないが。
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/13(月) 20:29:16 ID:8FiSNIji0
>>502 圧倒的大多数の旧制高校生は新聞沙汰にはならなかったんじゃない?
それに当時の新聞を駆使して『戦前の旧制高校生』書けば違った結果になるだろうし
文化祭(記念祭)やコンパの起源は旧制高校でそういう一面も評価されてた訳だし。(wikiではコンパ起源は更にさかのぼるが)
すでに多様な人材と多様な生活があった証拠ともいえる。
旧制高校の生徒は豊かな市民階級の出だから、
今の学生の感覚に近いだろうね。
そりゃコンパや教師不服従もするだろさ。
寮生活では同性愛も盛んだったらしい。
509 :
sage:2009/07/14(火) 19:59:34 ID:SREaQJP90
>>503 >格差自体は戦前からずっとあるよ。
↑
日本での経済的平等さ(ジニ係数)変遷
1890 0.311
1900 0.417
1910 0.420
1920 0.463
1930 0.451
1940 0.641
〜
1956 0.313
1962 0・382
1968 0.349
1974 0・344
1980 0.344
出典:橋本寿朗「戦後の日本経済」1995岩波新書赤版P133
510 :
sage:2009/07/14(火) 20:14:05 ID:SREaQJP90
>>509 を解説:数字が大=不平等大〜数字が小=平等さが大(不平等小)
戦前は、
明治初期はそれほど不平等でもなかった(が、基本的にはひどく貧しい)
金納地租の重圧(債務小作人発生)と産業革命進展で不平等格差が拡大した
このジニ係数なるもの、そもそも正確に測定できるものではないが、
経験的に0.500以上の社会は不安定と考えられる。
〜
敗戦直後、もの凄い経済困難(絶対的モノ不足・食糧難)のさなかに実施されたのが
驚くべき平等化があった。
戦後の経済高度成長というが、平等さを維持しつつ豊かになっていった。
その後、特に平成になってのち、格差が広まってきている。
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 15:55:00 ID:eRPUZWkI0
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 19:49:29 ID:lrKMQAyFO
昭和天皇とか玄洋社とか
正義の人達が戦前の悪にされて、
軍官僚とか真の悪は
まったく見逃されている。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/18(土) 00:32:59 ID:/7iBXV6g0
CW二コルの本を読んでたら、子供時代の家庭最高の贅沢食材が鮭缶
とか書いてあったなあ。
蟹工船とか言いつつ、カニ缶食ってる民族の方が贅沢だったのかもね・・。
蟹缶食っているのは、それこそブルジョワだろ。
ま、蟹工船の船員はつまみ食いぐらいした…と思うケド。
カニ缶は贅沢か知らんがちっとも美味くない。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/18(土) 20:22:52 ID:GSga3c7U0
カニ缶には、なぜ紙が入ってるんだ?
直で入れると缶を溶かすそうだ。
天皇の写真を御真影などと言って拝まされるような時代に生まれなくて本当に良かったよ!
なんでオレが皇室に生まれたってだけの人を拝まなきゃならんの?
ありがとうマッカーサー元帥!ありがとうアメリカ!
アメリカばんざい!
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/18(土) 21:38:18 ID:81ngVBd+O
現代イランや中国のひとも同じくらいの明るさはありそう
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 13:08:33 ID:iHda0JZT0
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 17:49:28 ID:NsWlK1Ay0
戦前の日本を必要以上に持ち上げてる人は『東京の下層社会』や『貧民の帝都』
とかを読むべきだと思う。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 17:57:26 ID:yYUnBkSYO
でも戦前は明るかったのはまじだろ。
活動写真や劇?あーいうのが盛んだったイメージがあるんだけど
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 18:00:15 ID:CUqlqVYV0
イメージだけでは現実は見えてきません。
ジニ係数が0.5を越えるくらいの貧富の差
とてもいい時代とはいえないよね
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 20:19:08 ID:iHda0JZT0
ジニ係数ってそれだけでは判断できないことも多いし
下のような例もあるし
「…戦前は篤志家による私立図書館が珍しくなかった。国の調査では、
1940年度当時、全図書館の約3割、1324の私立図書館があった。…
08年度の日本図書館協会の調査では全国で20館しかない。…」(某新聞より引用)
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 21:05:59 ID:WkuUhwwG0
上流階級でいい思いした人は多いだろうな。
梨本宮妃伊都子の日記読めば、実にいい暮らししている。
その反動で戦後の臣籍降下の後は怨嗟と愚痴ばかりだけどな。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 21:07:34 ID:WkuUhwwG0
>私立図書館
民間の篤志家に頼らずとも公立の図書館が充実してきただけ。
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 21:32:21 ID:WkuUhwwG0
日露戦争後の「廃兵」は悲惨だったらしいな。
障害者になって復職もままならず、行商くらいしかなくて
最初こそ「武人の誉れ」とか言われたが、
すぐ社会の邪魔者扱いされて、路傍では餓鬼どもが
「廃兵、廃兵」とはやし立ててからかい
最後は「野垂れ死に」する人も多かったとか。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 22:03:36 ID:ag55HiK60
「戦前の日本」という本はおもしろかった。
明治20年日本初の電力会社である東京電燈が送電を開始した。
その後、東京電燈の成功を見て全国に電力会社が設立されるようになった。
自由放任主義の電力行政において弱小会社が乱立し、一部で過当競争や
ダンピングも行われるようになった。一つの家屋に二社の引込み線が引かれた
例もあった。営業テリトリーなどの定めは全く無かったのである。
それが自由競争なのであった。その後、合併や買収の動きがあり、統合が進んだが
1937年時点でなお470社もの電気事業者が存在した。
こうして主に都市部の家庭でいちはやく電燈が燈され街灯が夜道を照らした一方で
地方、特に僻地ではどの業者からも全く省みられず昔ながらのランプに頼るしかなかった。
人口密度の高い地域に投資したほうが効率的だからだ。
そうして軍部台頭の時代を迎えた。
統制派は自由主義経済を否定し国家統制経済を主張し革新官僚と結び電力の国家統制を
図った。「電力国家統制法案」が可決され、全国の発電所・送電設備等はすべて国家が
接収し日本発送電株式会社という特殊会社が設立された。配電事業だけが民間に残され、
すべての電力事業者は新たに地域別に設立された9つの配電会社に再編されることとなった。
軍部からの無謀な新規電力開発要求は悲惨なタコ部屋労働やダム工事での事故を生んだ。
戦後、GHQの命令に基づいて日本発送電は解体され、今日の9電力会社体制となった。
電力設備は空襲によって甚大な被害を受けたが、戦後復興、家庭の電化、高度経済成長は
こうして成立した9電力会社体制が旺盛な電力需要に応えたからこそなのだ。
明治維新によって日本は急速に社会インフラ整備が進んだが、その実態には都市と地方に
おいて非常な格差があったことは見落とされてはならない。
また戦争にも功があったことも否定できない。
なにごとにも明もあれば暗もあるのだ。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 20:07:21 ID:cr0as5/r0
戦争中じゃなければ都市中流層以上はそれなりに楽しく暮らしていた時代だと思う。
だが、都市下流層、工場労働者、農村の小作人(特に東北地方)なんかの暮らしは
とんでもないものであった。
また、戦前日本のデモクラシーはあくまで自由権的なもの中心で社会権的なものや
貧民層に落ちてしまった人間のセーフティネットなどはほとんど皆無に等しく
そのような階層や階層になってしまった人間は悲惨であった。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 21:40:21 ID:MyOnxeIt0
>>535 むしろ太平洋戦争の軍事動員による総力戦体制が、強制的に同質化を
もたらしたっていう議論も、一面は納得できる
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 23:03:31 ID:PQpbqyaw0
一ノ瀬俊也さんの最新作では軍隊内には学歴や社会的地位による格差が存在した
ことが詳述されている。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 23:25:31 ID:PQpbqyaw0
『東京の下層社会』や『貧民の帝都』を読むと、都市部でもスラムが数多くあり、
貧困に喘いでいた人々がたくさんいたことが分かる。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 00:00:00 ID:J4CAfQGT0
いずれにせよ、戦前に日本については「明るい面も暗い面もあった」というのが
一番客観的な見解だと思う。左翼のように暗黒時代の一言で切り捨てるのも、右派の
ように実態以上に美化するのも客観性を欠いていると思う。
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 09:19:55 ID:RgwNi/J70
>>537 「軍事動員による総力戦体制」ってのは、何も軍隊だけのこと言ってるんじゃ
なくって、軍需工場への労働力を確保するために健康保険制度や年金制度
など、それまでなかった社会福祉政策を作り出す必要性が出てきたりするって話
地主小作関係が劇的に改善されるのも、食糧供出を一義とした価格政策
によってだし
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 12:36:50 ID:YU1UFWGX0
俺の婆ちゃん三越のエレベーターガールやってたんだが、男と初めてデートした時、
浅草に映画を見に行った。
しかしエノケンのコントを見て、鼻からソーダ水を出しながら笑って、男に振られた。
なので戦前は暗い時代です。
俺のひいばあちゃん(明治生まれ)曰く最近ようやく日本人が戦前の心の豊かさを取り戻してきた
感じだと語り始めたのが平成10年くらい
それ以前はやっぱり戦争後遺症の精神麻痺患者だったんだよ
543 :
■■■■■:2009/07/22(水) 14:05:28 ID:iYkH/25I0
>>542 心の豊かさ。どういうことだろう。
興味深いね。
まあ何百万人もの人が死んで(これから社会を支える青年とかもね)
何百万人軒もの家が焼かれた大災害だったからね。
鉄の生産が増えようが、
GDPが増えようが、ちょっとやそっとでは元には戻らないよね。
>左翼のように暗黒時代の一言で切り捨てるのも、右派のように実態以上に美化する
この決めつけも客観性に欠いてると思う
これまであまりにも左翼による「戦前真っ暗史観」が流布されて来たからねえ
明るい面を指摘していくのはいいことなんジャマイカ?
546 :
■■■■■:2009/07/22(水) 20:43:30 ID:iYkH/25I0
「左翼による」というのは事実に反するとおもうんだよね。
「占領軍とその協力者による」というのが正確だとおもう。
>>541 その悲劇のおかげで、おまいが生まれたんだから感謝しなければな
>>546 確かにね
前体制を否定するのが新体制の常だし
ただどういうわけかその新体制の戦略に左翼たちが乗っかったんだよね
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 21:28:50 ID:H8/2Ydvz0
>>548 >ただどういうわけかその新体制の戦略に左翼たちが乗っかったんだよね
「どういうわけか」じゃないって。
そうするために戦争を起こしたのです。
そして千載一遇のチャンスが訪れた。
そのチャンスに乗らなきゃ馬鹿でしょ。
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 22:06:13 ID:RgwNi/J70
>>546>>548 >前体制を否定するのが新体制の常だし
日本の場合、否定される「前体制」の人間の少なからぬ部分が、それを否定
してみせる「新体制」側に、そのまま生き残っていったことに、事の複雑さがある
551 :
■■■■■:2009/07/22(水) 22:20:09 ID:iYkH/25I0
というかさ、ソ連との協調が日本軍の国策だったんだぜ。
知ってるか?
そういう意味で日本軍は「左翼」なんだぜ。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 22:24:40 ID:zXyhcOM20
>>551 ほう、そういう意味でイギリスもフランスもアメリカも「左翼」なんだぜ?
553 :
■■■■■:2009/07/22(水) 22:27:38 ID:iYkH/25I0
>>552 そうよ。
ナチスは裏切って対ソ戦を始めたから右翼だ。
アメリカやイギリスは戦後にソ連との冷戦を始めたから右翼だ。
554 :
■■■■■:2009/07/22(水) 22:32:14 ID:iYkH/25I0
日本軍は「左翼」
ソ連との協調を第一に考えてた左翼な軍隊だったのだ。
事実に基づいて考えるとこうなるんだな。
>>542 豊かになればなるほど自殺は増えるんだぜ
心の豊かさ、ってのは貧困を耐え忍ぶための脳内麻薬みたいなもんだろ
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 12:18:31 ID:ApvwkHAn0
一ノ瀬さんの最新作読んだ人いる?
>>555 ここのところ日本で自殺は増えているが、日本はどんどん豊かになっているのであろうか?
558 :
■■■■■:2009/07/23(木) 12:30:28 ID:r85TGDRK0
豊かになればなるほど自殺は増える?
これは事実ではない。
経済的な困難を理由にした自殺は実に多い。
ちなみに戦争中はほぼ全ての国で自殺が減ったのは事実。
>>558 >豊かになればなるほど自殺は増える?
事実ですよ。社会が豊かになればなるほど、人間の生活に
対する要求レベルも高くなるのです。
また生活を営むためのコストも増大するのです。
要はハードルが高くなる。だからハードルを越えられない自分に
絶望し自殺する人も増えるのです。
「経済的な困難」というのは、生きる意欲を失ったことの口実に
過ぎません。江戸時代の農民は木の根、雑草を食べてでも生き延びた。
でも現代人はそうまでして生きたいと考える人はいないでしょう。
560 :
■■■■■:2009/07/23(木) 13:10:34 ID:r85TGDRK0
>>559 それは事実ではない。
おまえの幻想だ。
561 :
■■■■■:2009/07/23(木) 13:14:40 ID:r85TGDRK0
>「経済的な困難」というのは、生きる意欲を失ったことの口実に
>過ぎません。
>江戸時代の農民は木の根、雑草を食べてでも生き延びた。
>でも現代人はそうまでして生きたいと考える人はいないでしょう。
なんという思い込み。
経済的な困難が無いとでもおもってんのか。
江戸時代の大飢饉とか知ってるのかね。
天明の飢饉の時は、江戸も不況で仕事がなく家賃払えず長屋追い出され自殺する人が結構でたんだがな
563 :
■■■■■:2009/07/23(木) 13:46:03 ID:r85TGDRK0
日本の戦後の自殺のピークは高度経済成長が始まる年だとさ。
他の国と同様、日本も戦時中は自殺が少なかった。
戦後は、その「お預け」してた人々が自殺したのと、
やはり、ものすごい経済的な困難によって自殺者が激増した。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 21:24:34 ID:h9EUVFSe0
>>550 良く言えばおおらか、悪く言えばその辺が適当なのが日本だからな。
戦前と戦後のみならず徳川幕府と明治維新政府でも同じで、新政府に幕末反旗を翻さなかった
旧藩主はほとんど華族に序列されているし、徳川将軍家でも後には貴族院議長まで長年
務めているからね。
565 :
■■■■■:2009/07/23(木) 21:32:43 ID:r85TGDRK0
いやいや、日本が決めたことじゃない。
冷戦とか知ってるか?
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/24(金) 17:11:01 ID:klSShPNA0
>左翼のように暗黒時代の一言で切り捨てるのも、右派のように実態以上に美化する
これは本当にそう思うな。
右翼は戦前日本を心きれいで自由で素晴らしいユートピアみたいに言うし、
左翼は戦中はおろか明治や大正デモクラシーの時代でさえも北朝鮮みたいな国
だったみたいなこと言うし。
さすがに北朝鮮が素晴らしいとまで言うのはほぼいなくなったが・・。
左よりな人は今でも北朝鮮はすばらしい国と言ってるけどな
実態以上に美化している奴なんているか?
そんなにひどくないよってレスなら見るが
実際戦前の世の中を生きた人に聞けばいい
>>568 そうなんだよ
「そんなにひどくないよ」と言っても美化したことになるらしいから
「暗い」ってのは戦前での体制を全否定する立場の
人たちによる評価だから、相対化する人たちの意見を
認められないのは当然。
暗いのと貧しいのは別問題
573 :
■■■■■:2009/07/25(土) 09:02:27 ID:NDffEqBP0
オバマの前のブッシュ大統領なんて、戦前の日本の体制をボロクソに言ってたよ。知ってるか?
それに対して戦後の日本はアメリカ軍が素晴らしく改造したのだ、ということね。
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 12:50:05 ID:jzGjTmYG0
戦時中はよかった→というのは右翼だろうけど
戦前はそれなりに楽しくやってた→というのは右翼でも左翼でもないんじゃない
真っ暗だったという人は単に外国に詳しいけど日本近代史に疎いだけじゃないか
ちょっと前はその辺のおばさんでも頼んでも無いのに満州ではどうだったこうだったと話して
ある程度どんな生活してたかわかったし あまり研究する気が起きなかったのかもしれないが
結局 戦前を知らない世代が 結論だけを鵜呑みにしてしまったのだろう。
>>573 あれは、単に戦前の日本が政党政治してたのも知らない無知なだけ
576 :
■■■■■:2009/07/25(土) 16:49:07 ID:NDffEqBP0
勘違いしてる人も多いだろうけど、日本のサヨクの起源ってかなりの部分がアメリカなんだよね。
だからブッシュも、戦後にアメリカが日本の女性に参政権を与えたとか、労働組合を作ってあげたとか、
「左翼的」な成果を強調してたしね。
おいw左翼の定義があさっての方むいてるぞ
578 :
■■■■■:2009/07/25(土) 18:09:05 ID:NDffEqBP0
>>577 「女性に参政権を与えた」
「労働組合を作ってあげた」
これが左翼でなくてなんなのさ?
まあブッシュの本音は知らんけどさ。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 18:45:18 ID:N8PGJJfxO
星空は明るかったろうよ
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 18:56:19 ID:hBKO1/rC0
おまいは組合もない中小企業で働いてて、女性には縁がないんだろ。
581 :
■■■■■:2009/07/25(土) 19:28:45 ID:NDffEqBP0
「女性に参政権を与えた」
「労働組合を作ってあげた」
これは紛れもなく左翼的な政策だ。
ブッシュの本音は知らんがな。
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/26(日) 02:42:26 ID:lrEnlRQI0
事実として、
リトアニアのGDPはほぼ1万ユーロ、ハンガリーは
1万ドルを大きく越えている。「1万ドル越えで先進国の仲間入り」と
言われるのだから、「豊かではない」とは言えないと思うが。
東欧の社会主義体制崩壊から二十年経過した現在、崩壊期の
イメージだけで語るのは実態から乖離すると思う。
日本に当てはめるなら、東京オリンピックも開催してる状態なのに
終戦直後の焼け野原のイメージで語るようなもんだ。
>>576 労働組合や労働争議は戦前も活発だったみたいです。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/28(火) 22:28:45 ID:u1jzk30a0
そのぶん組合潰しは今よりひどく露骨だった。
金で雇われたヤクザものが、組合集会にダンピラ振り回して突入したり、組合幹部の家を焼き討ちしたり、・・・・
そういうのが政治結社を結成して右翼になった
>>576 >だからブッシュも、戦後にアメリカが日本の女性に参政権を与えたとか、
>労働組合を作ってあげたとか、
「サヨク」的じゃなくて、「反日的」だな。
日本がアメリカを無条件降伏させて占領したら、
真っ先に黒人はじめ有色人種への公民権を確立させてる。
一応、日本はこれを公言してたため、
戦中アメリカは有色人種の公民権運動を「JAPの反米的政策」言ってた。
米国内の有色人種が米軍に志願したのは、
公民権ともかかわってるけど、日本とはまた別の話だ。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/30(木) 02:07:02 ID:QFClBAoJ0
>>583 GDPが上がってんのは外資企業(グローバル企業)の参入なんかが大きいわけで、
平均的な生活水準から見たらやっぱり豊かとは言えないと思うよ。
現にこの日本なんかでも、合法であれ違法であれ、大勢の東欧の女性をつれてきて
売春やらクラブでの接待やらをさせてるし、彼女たちにすればそうした仕事を
選択するのはやはり生活のためだしね。
旧東独から東欧にかけて、いわゆる旧共産圏の、それも旧ソ連に対して従属的な
地位にあった国々はどこも同じような問題を抱えていて、それが最近の新自由主義、
極右台頭の背景になってるんだ。
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/30(木) 20:03:19 ID:eeoEUtue0
人はパンのみにて生くるにあらず
パンのみで生きてはいないが、パンが無くては生きていけない。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/31(金) 15:53:47 ID:kH4uclAj0
>>585 しかし組合側もピッケルを振り回したり、炭鉱では盗んだダイナマイトを投げたそうです。
労働者というよりも暴徒です。
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 00:30:19 ID:llM1nJFR0
>>1 まあそれが事実だわな
軍国化したとか言われてるけど
日本は太古の昔から1945年までずっと軍事大国だったわけでね
明治から終戦までを特別扱いする馬鹿が沢山いるから困る
要するに、国内で戦争してたのが、地球規模での国取り合戦に参戦しただけだし
593 :
■■■■■:2009/08/01(土) 08:38:47 ID:yr3eHIWn0
軍事大国というか、「軍事重視」というだけで、日本は決して大国ではないよ。
中国の軍隊に戦闘でろくに勝ったことがないもん。
日清戦争とか日中戦争だけが例外だな。
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/youth/1216868551/91 tp://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html
戦後の少年凶悪犯罪
2005年の17〜12歳(1988年〜93年度生);約2500件/約850万人(1/3400)
2000年の17〜12歳(1983年〜88年度生);約2500件/約900万人(1/3600)
1995年の17〜12歳(1978年〜83年度生);約1500件/約1000万人(1/6666)
1990年の17〜12歳(1973年〜78年度生);約1250件/約1250万人(1/10000) ←就職氷河期
1985年の17〜12歳(1968年〜73年度生);約2000件/約1100万人(1/5500) ←後期バブル世代
1980年の17〜12歳(1963年〜68年度生);約2500件/約1000万人(1/4000) ←前期バブル世代
1975年の17〜12歳(1958年〜63年度生);約2250件/約900万人(1/4000) ←後期しらけ世代
1970年の17〜12歳(1953年〜58年度生);約2500件/約850万人(1/3400) ←前期しらけ世代
1965年の17〜12歳(1948年〜53年度生);約7250件/約1200万人(1/1655) ←後期団塊世代
1960年の17〜12歳(1943年〜48年度生);約8250件/約1000万人(1/1212) ←前期団塊世代
1955年の17〜12歳(1938年〜43年度生);約4250件/約950万人(1/2235)
1950年の17〜12歳(1933年〜38年度生);約5500件/約900万人(1/1636)
1946年の17〜12歳(1929年〜34年度生);約5000件/約850万人(1/1700) ←戦争終了後
1945年の17〜12歳(1928年〜33年度生);約3500件/約850万人(1/2428) ←戦争中
戦前の少年凶悪犯罪は、約3000人に一人の割合だった。
大体、1980年代以降の世代つまり今現在と同じくらいか。、
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 17:11:06 ID:T5VvOwbGO
江戸期は明るいよ
そうでもないと思うな
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/05(水) 16:19:15 ID:Vn6lZFvU0
jidainoyaakehatikai
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 20:51:34 ID:WLOGgfsd0
教科書改善の会など、戦前の日本を実態以上に持ち上げる人は、『女工哀史』
『日本の下層社会』『東京の下層社会』『職工事情』『戦前の少年犯罪』とかを
穴があくまで熟読すべきだと思う。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/25(火) 00:25:41 ID:i/lV+qee0
貧富の差が爆発的に開いた時代ですね。
それを引いても戦前明るかったのは大正以降。
まあ戦時中のイメージが変というのが主旨だろうから。
宮武骸骨の書物なんかに書生と主婦の不倫とかが
当世流行りの風習なんて皮肉られている。
>>600 >貧富の差が爆発的に開いた時代ですね。
貧富の差が日本史上最も激しかったのは、
昭和20〜35年ごろ。
平成に入った途端、その頃に一直線へ回帰しつつある。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 20:56:10 ID:Sz+BoxF2O
まず「暗い時代」「明るい時代」とは何か、
その明確な定義から始めてもらいたいな。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 22:24:37 ID:bMRjcCUD0
>>442 遅レスだが、国民総生産、全体的な自由度、都市と農村の格差、社会保障等
全体を考慮したら韓国より
>>402の言うタイの方が近いと思う。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 22:26:13 ID:bMRjcCUD0
>>601 ソース
幼稚園くらい出てから言い返せ
嘘付きは泥棒の始まり。犯罪者に発言権なし
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 21:21:45 ID:JfLxRaA20
空から爆弾が降ってくるって、、、明るい訳ないじゃん。
爆弾が降って来たのは終戦直前の20年6-7月
戦前は降らないよ
ただ貧富の差が30年代の方がひどいとかいう捏造がしょうもないから
広島に関していれば間違いじゃないかもね。
昭和20〜30年くらいが一番格差があったろうね。
被爆者援護法もまだ無く、どんどん人が死んでいた時代。
原爆により総人口の半数が死に至らしめられた土地
などという特殊事情によるんだけどね。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 07:01:19 ID:wnI+poYM0
貧富の差が激しさには富の巨大さも必要だから、
円経済全壊の終戦時はある種見事に是正されてる。
"岩の坂のもらい子殺し"でググってみ。
近年少年法が甘いと言われて見直されたりしたが、
なぜああまで甘いのかというと、全部戦前のその時期に出来た法律だから。
年少者は圧倒的に虐げられたので、それを前提に甘味されてるわけ。
あらゆる福祉施設のルーツはほとんどこの時期にある。
ちなみに少年法改正論議は昭和30代くらいから周期的に起こる。いまもそのひとつ。
>>605-610 >>213 1940〜41年頃の一人当りGNP(国勢調査より)…●は全植民地含む資産を本土人口で割った
●英:550j、●米:500j、●仏:450j、独:400j、伊:300j、
ソ:200j、
中:10j、亜爾:150j、伯:100j、南ア:50j、●蘭:400j、
【日:60j(本土100j、台湾100j、某20j)、満州100j 】
1947〜48年の一人当りGNP…●は全植民地含む資産を本土人口で割った
●米:2000j、●ソ:200j、●英:400j、●中:40j、亜爾:500j
●仏:300j、伯:200j、●伊:200j、西独:100j 南ア:200j
●蘭:300j、東独:100j、【日:4j 】
1957〜58年の一人当りGNP…●は全植民地含む資産を本土人口で割った
米:3500j、ソ:500j、●英:2000j、中:20j、亜爾:700j
●仏:1500j、伯:500j、伊:1000j、西独:2000j 南ア:500j
●蘭:1500j、東独:1000j、【日:300j 】
西暦1967〜68年頃の一人当りGNP
米:5000j、ソ:1000j、西独:4000j、【日:2000j】 英:3000j
仏:3000j、 伊:2000j、伯:1000j、中:100j 亜爾:1000j
東独:1500j、蘭:3000j、 南ア:1000j
富んだ階層は、どこの国でも先進国と同じレベル以上の生活をしてぃるが、
その国の貧乏階層は、その国の一人当たりGNPより高くなることは無い。
戦前日本:金持階層500〜550ドル、貧乏階層50〜100ドル
昭和20年代前半日本:金持階層400〜2000ドル、貧乏階層3〜4ドル
昭和30年代前半日本:金持階層2000〜3500ドル、貧乏階層200〜300ドル
昭和40年代前半日本:金持階層4000〜5000ドル、貧乏階層1500〜2000ドル
金持ちが貧乏人を搾取しているのではない。
金持ちを打倒すれば貧乏人が豊かになる訳でもない。
国・社会が貧しいから、金持ちと貧乏人で二分化するのだ。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/23(水) 22:40:46 ID:2j5UUZ0C0
>>610 pppp
少年法制定は昭和23年7月15日
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/23(水) 23:12:32 ID:VwTqC2wv0
>>613 明治33年(1900)感化法が最初の少年保護立法。大正11年(1922)旧少年法 制定,以降二元主義(児童福祉と少年保護)
考察無しのあら捜しが多くて黄身が悪い。時間のムダ
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 13:51:44 ID:m9CnO7pe0
>>458 2000年代になると、転職することに抵抗感が全くなくなったとおもう。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 11:27:12 ID:I63ZmbgS0
>>573 北朝鮮を通り超えてアルカイダ扱いだったからね、戦前日本。
まあ、ウヨのように必要以上に美化して持ち上げるのもいらないが、一応曲がりなりにも
憲政の常道で政権交代が行われる二大政党制の時代とかもあったんだけどね。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 15:39:01 ID:3aBeI8VR0
>>601 >貧富の差が日本史上最も激しかったのは、昭和20〜35年ごろ。
↑
上の
>>509 を再掲すると・・
日本での経済的平等さ(ジニ係数)変遷
1890 0.311
1900 0.417
1910 0.420
1920 0.463
1930 0.451
1940 0.641
〜
1956 0.313
1962 0・382
1968 0.349
1974 0・344
1980 0.344
出典:橋本寿朗「戦後の日本経済」1995岩波新書赤版P133
まるっきりアベコベの見解している。
戦後、経済の高度成長の時代というのは、
(昭和31年ごろ経済活動が、戦前水準に追いついたとき、戦前とは比較しようもない)
平等さがあって、その平等さを維持しつつ、驚くべき豊かさを実現していった。
このような高度成長時代は、当然に明るい時代だったので、それと比較するなら
戦前は暗かった と言える。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 15:54:23 ID:3aBeI8VR0
>>617 補足(以下の基本認識をしています。)
19世紀イギリスで産業革命がおこり経済の大発展が世界に普及してゆく過程で
経済的な格差が問題となりました。(例えば 共産主義思想)
いま、チャイナでもインドでも経済成長して全体には豊かになりつつありますが、
経済の格差もひどく拡大させています。
戦後日本の経済高度成長は、世界に類例のない、特異な偉業でした。
平等さと豊かさとを同時達成したのでした。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 16:27:57 ID:/dWKi3kr0
米日独が諸国に先んじていわゆる大量生産の工業段階に入り
この3か国は特別に皆が豊かになった。
ソ連も同じように重工業化したけれども、市場経済じゃなかったので
大衆消費社会にはなれなかった。
今は工業時代が終わり、商業時代に入ったが、日本だけは
産業革命に適応できずに失われた150年を過ごしたかつての中国のように
なり始めた。
>>617-618 GNI係数は、
数家族だけで過半数の資産を持ってるような
中南米やブラックアフリカのような地域だと、
GNI係数は低く出る。
1%弱のGHQの取り巻き金持ちと、
東京だけで毎月1万人単位の飢餓犠牲者が出てた99%強の階層では、
定期的な賃金収入があった10%程度のサラリーマン階層と
90%の小作階層の戦前より、GNI係数は低く出る。
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/05(月) 08:26:08 ID:5Og4ggXo0
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/05(月) 08:33:32 ID:aQpcCJfw0
>>617 平等と豊かさは一致しないよ。
あとそれは戦争により、累進課税の強化と、
インフレによる国債消化で、資産家が全て破綻したからでは?
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/05(月) 10:01:46 ID:oR+fYrWJ0
>>621-623 お前らにまとめて言いたいんだけど
617には終戦時の境界データは出てないんだけど。
昭和20〜35年まで幅を取ったら戦前より良いのは当然だし
同時に終戦頃の20年から1-2年くらいは激しい恐慌だっただろう。
その時の餓死者数というのは是非知りたいところ。
ただ621は昭和35年までが戦後状態だったと思ってるの?
戦前生まれと戦後数年生まれは雲泥の差だぜ。
日本の躍進は朝鮮特需の25.6年からね。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい:2009/10/05(月) 21:28:52 ID:5Og4ggXo0
>>624 に経済用語オンチと見えます。
恐慌⇒飢餓
恐慌:平和時に需要と供給のミスマッチで起きる:商品が売れない→失業者&物価下落
大東亜戦争直後は(自業自得の)飢餓:食料不足見込みなのに戦争と軍需生産継続→商品が無い→ヤミ物価暴騰
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/06(火) 05:51:17 ID:q5BNesb70
>>625 624はその話をしてるんだが。
625はコミュニケーションオンチと見えます。
1. わからないときは聞く
2. わからないときは同意部分を探す
3. わからないとき罵倒する
答え
1→正解
2→正解
3→バカ
>>625
627 :
626:2009/10/06(火) 06:11:54 ID:q5BNesb70
ちなみに説明すると、
「戦後恐慌」という当り前の言葉がある。
どれだけのウソを専門家ぶって話すのかこいつは。
狂ってる
628 :
625:2009/10/06(火) 07:19:17 ID:8+kbejTh0
>>627 戦後恐慌 というのは第一次大戦後の1920(大正9)年に発生したものですぅ。
↓
「昭和金融恐慌史」講談社学術文庫を書いた高橋亀吉さんの用語では、
(大正)8年投機・9年反動 という言い方します。
この(大正の)8年投機というのは、今で言うバブル。
次の(大正の)9年反動というのは、今で言うバブルの破裂。
政府金融当局の拙劣な対応が、昭和金融恐慌の原因だった。
629 :
625:2009/10/06(火) 07:21:58 ID:8+kbejTh0
一事例を挙げて威張る意味がわからん。
戦争も恐慌も一般語で星の数ほど存在する。
WW2の戦後恐慌の話があまり一般に成されないことについて話題されているのに。
だが今度は「WW2」の略語の解説でも始められたらタマラんから
関わらないでおこう。
こいつには小学生レベルに話題を引き戻すという得意技がある。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 00:04:56 ID:dALvRJck0
大東亜戦争開戦の夜に居酒屋で一杯やれた。
本当に戦争が起きたの?というくらいのどかな時代だった。
当り前だろ
今と同じだよ
自分と無関係に言いたい放題言ってただけだよ
チャンコロしね! 売国奴しね! って
言ってる人間は本心で殺すことまでは考えてなかっただろ
それが現場レベルでは本当に遂行されていた
全部後から知らされた話
今も戦前も一緒だよ
戦前のスリルが味わいたいなら今で十分
自分が現実逃避してっだけだろ
>>632 基本的に、ユダヤ人虐殺も似たような状況だったかもな。
平均的ドイツ人は、ユダヤ人を煙たく思ってて、普段悪口言ってても、本当に虐殺してるなんて思っていなかった。
本当に虐殺しようとする組織に政権をゆだねてしまった…と。
>>633 そもそも能動的には殺してねえからな。
ガス室だとかは象徴的に出されてるだけで、
本質の恐ろしさは飼い殺し。
数年間かけて劣悪な状況で最低レベルの経済活動はやらせて
飢えとと病気と疑心暗鬼で衰弱して死んで行く。
その延長に直接殺害が加わる。
ナチスが収容所に掲げた看板『働けば自由になれる』が不気味に重く乗しかかる。
ドイツの話になってしまうが、
第一次大戦後のドイツインフレは有名だが、
その過程がどれほど苛酷だったかは今では想像付かない。
十年かけて倍々のインフレで最後の一年で20倍に跳ね上がったと同時に、
とどめのルール差し押え。
狂うほど死んだだろう。餓死・自殺・殺人など。子供もたくさん。
ナチス発生の根源はここにある。
1914年7月に1ドル=4.2マルクだった為替レートは、ルール問題(仏が工業地帯占領1922/23年)の影響も受けたインフレ進行
1923年1月に1ドル=7,525マルクとなり、ライヒスバンクは次々にパピエルマルクと呼ばれる超高額紙幣を増発、
その結果、対ドル為替レートは
1923年7月に1ドル=160,000マルク、(16万)
1923年8月に1ドル=4,620,455マルク(462万)
1923年9月に1ドル=98,860,000マルク(9886万)
1923年10月に1ドル=25,260,280,000(252億6028万)マルク、
1923年11月に1ドル=4,200,000,000,000(4兆2000億)マルクに暴落
パンの価格
1923年 1月 *,250マルク
1923年 2月 *,389マルク
1923年 3月 *,463マルク
1923年 4月 *,474マルク
1923年 5月 *,482マルク
1923年 6月 1,428マルク
1923年 7月 3,465マルク
1923年 8月 6万9千マルク
1923年 9月 151万2千マルク
1923年10月 17億4300万マルク
1923年11月 2千億マルク
1923年12月 3990億マルク
1923年11月末、当時のベルリンでの物価
じゃがいも1Kg 9百億マルク
卵1個 3200億マルク
ミルク1L 3600億マルク
バター1ポンド 2兆8千億マルク
正確な数字だね。
人間は瞬間的な衝撃には耐えられても長期間の締め付けは拷問。
フランスのルール占領は1923年1月。
この時点で既に累積千倍以上のインフレだった。既に破産状態。
さらにその支払遅延に対しての制裁ルール占領。
貯金はとっくにゼロだし給料ももらった翌日からゼロ価値。草でも食べてたのかね。
フランスの戦争慰霊碑は大半がWW1のもの。
史上初の近代機械戦争の大量死者の憎悪が
全てドイツに向けられた結果の悪魔化だったわけだ。
この悪循環を引き起こさない為、WW2以降は苛烈な戦後賠償はなくす方針になった。
だがこの時の負の連鎖がユダヤ中東とまだ終わっていない。
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 12:07:38 ID:NuX97EGv0
>>422 律令国家の現代版という気もするけどね。
強力な中央集権・統治体制・中華思想・内外に対しての強力な防衛体制
・少数民族に対する中央政府の厳しい統治。
古代律令国家を21世紀の時代風にすればあんな感じになりそう。
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/15(木) 01:07:05 ID:ogWLymip0
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/15(木) 05:51:25 ID:n/0NENmo0
641 :
のんびりひまじん:2009/10/17(土) 23:17:21 ID:ZgIrLuVW0
642 :
のんびりひまじん:2009/10/17(土) 23:45:30 ID:ZgIrLuVW0
戦場のピアニストって世界中で話題さらったが
実際は日本でしかヒットしなかったらしいな
加害国である日本は餓死の実態が把握できない。
被害国であれば戦争にまつわる悪因は全て敵国のせいに出来るので
道義上おおっぴらに主張できるが、そうでない場合身内の餓死の責任は
残った身内に重くのしかかる。
うちは尊系の話を聞くとどうも敗戦前後の餓死と思われるものが存在するが
他の家ではどうなのだろう。
>>643 一瞬、戦場のメリークリスマスと思って考え込んでしまったw
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 12:50:23 ID:WAAGC7PfO
戦前も今も、庶民の暮らしに差はない。
但し、社会保障制度が整っていなかったので貧富の差は断然大きかった。
それでもみな、他人を羨むのは恥と考え無闇に妬んだりしなかった。
現代人は、金銭的には裕福になったが、僅かな格差にビクビクしている。
戦前より今の方が精神的に貧困になったように思える。
いいこと言った
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 16:32:43 ID:bpHMmPlD0
由紀夫の家族構成
曽祖父・鳩山和夫(衆議院議長)
曾祖母・春子(共立女子大学創立者) DV家庭で育ちトラウマを抱える。
祖父・一郎(内閣総理大臣) 祇園芸妓で某銀行頭取の愛人だった松室幸との間に2人の女の子をもうける。
祖母・薫子(共立女子大学学長)
父・威一郎(外務大臣)
赤坂芸者の愛人・A子さんとの間に一人の男の子をもうける。おそらく威一郎が愛人の料亭の開店資金をだしたのだろう。
威一郎の死後、客足が遠くなり閉店する。先見の明がない威一郎のせいで今、愛人の子は苦労している。
母・安子(ブリヂストン創業者石橋正二郎長女)
安子は、かつて威一郎氏に「(愛人に)もっといい家をもたせなさい」と叱ったという逸話を残すが
現在は威一郎と愛人の間にできた子に救いの手を差し伸べることもせず、会うこともしていない。
由紀夫(内閣総理大臣・民主党代表) 異母弟と会うこともしていない。
姉・和子
弟・邦夫(元総務大臣) 兄の結婚式でなかった。異母弟と会うこともしていない。死神と呼ばれたことも。
●由紀夫と邦夫の異母弟 ビル清掃
妻・幸(宝塚歌劇団卒業生。宝塚歌劇団在団時の芸名・若みゆき)
長男・紀一郎(元東京大学大学院工学系研究科助教)
義妹・エミリー(元タレント、高見エミリー) 石橋家の親戚
↑
●たしかエミリーの姉も石橋家に嫁いだはず
●エミリーはユダヤ人とのハーフなのか?
ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 7
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 10:17:54 ID:6UoH0tvrO
今と同じだったようだ。明るい話題も暗い話題もあった。
議会では政党が火花を散らしていた。
娯楽は今ほど多様ではなかったが皆さんそれなりに楽しくやっていた。
江戸時代よりは娯楽が多かったはずだ。
少なくとも、戦前真っ暗は大嘘。
個人的意見だが、生活の幸福 不幸って、絶対的なものでなく、相対的なものだと思う。
となり近所が、自分が同じレベルであれば、100年前の生活でも耐えれてしまうのではないか。
100年前の人は、不便を感じることがあっても、不幸とは思っていない。
不幸を感じるのは、周りから劣ってると感じたときだと思う。
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 15:48:50 ID:HN1/Xu6X0
♪ボロは着てても心の錦ィ
清貧という言葉がある。
どんな貧乏でもその中できれいに生きる方法ってのはある。
でも今の時代金さえかければ汚らしい奴でも結構格好付くんだよな。
そのせいだろうな。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 15:59:48 ID:HN1/Xu6X0
あと平等でなければ不幸だ、という固定観念が先行してるのもある。
劣った人間に良くも悪くも周囲が気にしすぎることが
そのまんま相手の不幸感を呼び込む。
もっと根底を言えば人と関わらずに暮らせるからだろ。
いやでも人と関わらなければならないなら、
互いにどんな比率状態でもみんな馴染むしかない。
まあいざという時に人と関わらずに済む為に不要に金を築き上げてるのだからしょうがないな。
全部生活の苦労ではない心理面だけの話なんだから。
ある程度でも生活の苦労がある方が心理的な負担は逆にとれるのに、
無駄なストレスに苛まされて生きてるのが今の有閑中流。
平等性については、シベリア抑留時のエピソードが参考になると思う。
シベリア抑留で、色々な階級の日本人が一緒に強制労働させられたわけだ。将校を除いて。
で、ロシア人は働きに応じてパンの量を決め、日本人の係に決められた量で配分するように指示して渡した。
ところが、日本人は勝手に働きの程度は無視して、全員に平等に渡したんだよな。
将校は別の場所に住んでいたのだが、いつまでも威張っている将校は後でつるし上げされることになる。
やはり、日本人は基本的にある程度平等性が担保されないと、イカンということじゃないのか?
今回の政権交代劇もその心情がなせるわざだと思う。
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 18:44:46 ID:QrT8WI710
めんどくさかったんじゃないの?
いちいち計算すんのが。
例えば一千万もらう天下り社員が別の省庁の1200万もらう天下り社員に対する不平等を訴えるのと
その究極生存例とは同じかな。
まあその天下り屋が平等性を訴えるのにそのシベリアの例などを持ちだしかねないのが
日本の悪平等の本質だな。
>>654 めんどうくさいわけじゃないんだよ。
黒パンの厚さは、ノルマをどのくらいこなしたかで計算して日本兵がいる小屋ごとに渡された。
ソ連側は、食事担当の兵士がきちんと働きに応じて、厚さを切り分けて渡すだろうとおもっていたわけだ。
ところが、日本兵は病気で働きが悪いから薄いパンというのは可哀想だということで、全員同じ厚さに
して渡したわけだ。当然、そこで不満を言う「よりノルマをこなしたヤツ」はいたが、大勢は全員平等ってこと
に落ち着いたわけだ。
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:15:02 ID:QrT8WI710
そうか。
まあその分担担当日本人は自分なりの思いがあったのかもしれんけど。
でもそのソ連赤鬼偉いな。
そこまで考えるんだ。それは欧州思想なのかもしれん。
あのな人事考査って膨大な労力なんだよ。
本当に公のことを考えるなら働きが良かろうと悪かろうと
黙って所定の額を受け取っておくべきなわけ。
日本の美徳は利己主義の否定であるのは
その方が効率が良いからでもあるわけ。
逆に言えば個別に固定額が確定してれば査定は不要。
だから年功序列であったり身分制さながらの固定差額の給与体系がとられるわけ。
一生差が付いたままの。
赤鬼の決めごとというより、
収容所という仕組みではそれがオーソドックスなルールなのか。
むしろ悪意的な。
そういう思惑やら効率性やらはまた、別の機会での論議じゃないのか?
とりあえず、日本人は平等性を重んじる気質があるってことは事実だと思う。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:34:05 ID:QrT8WI710
うん
でも隣の庭が広いの狭いのを全部均等にしようとするのを
死にかけの病人を見捨てない話を利用して
訴えかける人がいるからダメなんだと思う。
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:39:56 ID:QrT8WI710
かたや病気になったら無収入になる人間が大量にいる中で
かたや同期と給料に少し差がついていることを差別だと訴える人がいる。
これがおかしいんじゃね?
と言う話だから。
なんか連レスになってしまうが
おそらくそのシベリア例は比喩として出した話のつもりだと思うんだけど、
それ今の社会と別世界の話じゃなくて、
昨今生活苦の人間は、シベリアにこそいないけど
そんなにその状況と離れてはいない。
だから比喩としてとらえきれなかった。
そりゃ、全ての人を平等にはできんさ。
単に日本人は平等意識が高いってコトでシベリアの話を持ってきただけ。
同じようなことしてて、同じような待遇にすることが可能なら同じような処遇にしようって意識があったわけだ。
もちろん、それが無理な場合もあるし、それはそれであきらめるんじゃないのか日本人なら。
でも、平等にすることができそうなのにやらないのなら文句を言う…と。
で、現実に、政権交代しただろ?
で、そういう思考が良いとか悪いとか、効率的だとか、非生産的だとか…
もろもろのそういった考え抜きに、日本人にはそういった気質があるんじゃないのと言っているだけ。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 18:12:38 ID:4MnOcgOH0
戦前という表現に、歴史に疎い多くの日本人は誤解しちゃうんだろうな
明治から第二次大戦敗戦までをひとくくりに考えがちなバカが多すぎる
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 21:42:43 ID:9HLbIQiB0
>>664 「第二次世界大戦後」という表現にかえるべき時期にきているとおもう。
第二次世界大戦後→第二次世界大戦前
戦前・戦中・戦後でいいと思うけどね。
戦前と戦中をどこで区切るのかが明白でないから混乱するのかな。
人と場合で満州事変・支那事変・日米戦のどれもが戦中になるんだし。
今の国内で使われている雰囲気的には支那事変からが戦前で日米戦から戦中って気もするが。
昭和前期に限って言えば
言論の自由も結社の自由も大正時代に比べて後退したのは確か
国旗の「日の丸」を掲げる自由も国歌の「君が代」を歌う自由もなかったよ
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/11(水) 00:01:21 ID:e9KODQZCO
大日本帝国は栄光ある軍事大国・文化大国・経済大国であり、
科学技術も進歩していた世界に冠たる一等国である。
大日本帝国の臣民は天皇を崇拝し、国の為に命を惜しまず戦う誇り高い民族だ。
いまこそ大日本帝国の栄光を取り戻し、アメリカと完全に対等な関係を築かねばならない。
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 12:44:09 ID:jrOzWEqFO
今より遥かに明るい時代だった。
皆さん苦しいことも多々あっただろうが、
弱音を吐かず明るい顔をしていた。
そこには、今と違った誇り高い日本人がいた。
戦前の教育は非常に素晴らしいものだったのだ。
>>672 現代人よりポジティブ思考だったのは確か
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/27(金) 19:54:38 ID:kU42TIDM0
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/27(金) 20:43:00 ID:ZJubQ7X10
地主や金持ちなら、大勢使用人使って、旦那様、奥様って言われて
楽しかったかもしれない。
それはほんのごく一部。
大部分は、生活苦。
軍隊に入れば飯が食える。金持ちの子供も1兵士で平等。
天皇陛下の下でなら平等。
それは天皇陛下万歳と言うのも道理。
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/28(土) 12:06:59 ID:XeE0pDT50
何を以って暗いと言うかで変わるが今よく言われている政治的弾圧な意味での
暗いと言うのを大衆も含めた一般国民全てがしっかりと感じ始めたのは東條内閣の憲兵政治辺りからだとか。
で、中流知識層でもそれを感じ始めたのは満州事変や政党内閣が終焉して軍人首班内閣が登場して
滝川事件や美濃部の天皇機関説排撃がされた頃辺りかららしい。
治安維持法制定時や政党内閣時代にも行われていた共産党員検挙などは今でこそ弾圧で恐ろしい
イメージを持たれているが当時の感覚では現在中核・革マルとかの過激派を取り締まったり
逮捕しているという程度のもので、それを一部左翼を除く誰も弾圧だとか暗い弾圧社会と思わない
のと同様に、一般国民は全然暗いとか恐ろしいと思っていなかったらしい。
当時の共産党は綱領も自分では決められず、コミンテルンのいいなりに27テーゼを綱領として押し付けられたわけで
しかも資金もコミンテルン頼みでまるきりソ連のスパイだからな。
委員長の佐野らが獄中から同志への声明で「コミンテルンからの決別」「日本独自の社会主義運動」を提唱し多くの党員がこれに
同調して転向した。
一方で当時は幹部が多く逮捕されて武装共産党、非常時共産党には赤色ギャング事件、リンチ殺人事件など確かに中核・革マルとかの過激派なみ。
経済的に豊かであることと明るい暗いは関係ない。
明日に希望が持てる時代は明るい。
カンボジアに旅行で行ったが、日本よりも遙かに貧しい国で地雷だらけだが、働き者の子供達(生活の為
多くの子供たちは働かなければならない)の瞳はきらきら輝いていた。
>明日に希望が持てる時代は明るい。
終戦後の日本もそうだったんでしょうね。以前、70代以上の人たちと話をする機会がありましたが、
口を揃えて「当時は20歳以上生きると言うことは考えられなかった」とおっしゃっていました。
戦時中の一般的な少年達の共通する人生観には驚きと共に胸が痛みました。そうした人達が戦後の日本を
復興させたわけです。ドラスティックな意識の転換があったのでしょう。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 12:26:28 ID:wef0LeFwO
戦前でも無修正のエロ写真は裏で出回っていたから、
皆さんそれなりに楽しくやっていたと思う。
古今東西、エロは不滅だな。
エロと言えば、戦時下のような混乱時には沢山の子供が生まれるという統計があるそうです。
恐らく生存本能に根ざした人間の「子孫を残さなければ」とい本能なのでしょう。
おかげで世界中で終戦前後に生まれた団塊世代が沢山になったのでした。(いいのかな?)
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 22:32:06 ID:mkPail18O
山本夏彦の「誰か戦前を知らないか」は名著。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 12:48:28 ID:dS0c3MySO
戦前のポルノ写真を見たことがあるが、それは生のフェラチオ写真であった。
今も昔も、殿方はフェラチオがお好きなようで(^O^)
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 23:50:46 ID:bm/CLdyP0
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 22:24:17 ID:tHclBnPq0
韓国・中国と深くかかわってアメリカと険悪になると日本が不幸になる、
というのは、戦前の日本が残した重要な教訓。
小沢が、この教訓を無視して中国に急接近し、日米同盟の亀裂を座視
しているのは非常に不気味だ。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 03:16:23 ID:Vu5r4XRlO
戦前と言っても、29年以降は90年以降現在までと同じく社会に希望が無い時代だね
日本に限らず経済も外交も世界中が袋小路で、未来に希望が見えない時代。
WWIの始まった時にはヨーロッパではバルコニーに皇帝一家が立って、熱狂的群衆の前で演説したが
WWIIの開戦時にはロンドン・ベルリン・パリ・モスクワ・東京、どこの市民も熱狂はしなかった
ただ共通する感想は、長い閉塞状態から抜け出せたある種の爽快感
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 21:35:05 ID:UlrmCWnM0
日本は、満州事変以降、恐慌状態から脱していたはずだが?
経済状況は良かったし、好んでシナ事変を起こす理由はどこにも無い。
むしろ、シナとの貿易が滞って、日本は損害を被った。
なぜシナ事変が起きたのか?
日本にとっては軍事的にも経済的にも何の利益もない戦争であった。
少なくとも、戦前真っ暗というのはバカサヨの大嘘だ。
正直な話、現代の閉塞感を打破するには、全てを戦前と同じ状態に
戻した方が良いのではないか、と時々本気で思う。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 21:38:52 ID:UlrmCWnM0
戦前の日本人はには武士道精神が生き残っていて、恥の文化が生きていた。
カネがあるのに給食費を払わない、などという恥ずべき行為はありえなかった。
当時は、衣服や貴金属を質に入れてでも給食費を払った。
戦前の日本人は本当に立派だったのだ。
今の日本人は金ばかり欲しがって、他人の生活と自分の生活
を比べては泣き笑いしている。なんとも下品ではないか。
子供手当てなんて犬にくれてやれ。
自力で生活できる奴らが、なぜ税金のおこぼれを欲しがるんだ?
恥を知れ!!
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 22:54:52 ID:4AjtTxoo0
↑バカ
日録週刊20世紀、1946-1999売れたものアルバムより。
売れた商品、(外)は舶来品
1930:ハエ取り紙、バスクリン、電気コタツ、ダイハツオート三輪
1931:ロート目薬、さくらカメラ、新装花王石鹸
1932:ツルマル羽釜、安全剃刀、資生堂アイシャヂー
1933:不感式自動秤、丹頂チック、わかもと、ビスコ
1934:ナショナルランプ、サロンパス蒼、ミノルタベスト、3号電話機
1935:富士覇王号自転車、アサヒスタウトビール、ハンザキヤノンカメラ
1936:アルマイト弁当箱、森永ビスケット、たばこ光、首振り扇風機、
1937:角瓶、ミゼットカメラ、アコーデオン、化粧水
1938:4球ラジオ、パイロットインキ
1939:木葉ガラス皿、腕時計、満蒙絵葉書
1940:国民帽、護国カメラ、蛍光ランプ、さくら総天然色フィルム
1941:たばこ金鵄、アップルワイン、航空時計、陶製ストーブ
1942:兵隊双六、ゴム木戦車、宇津救命丸、資生堂トリアノンクリーム
1943:消火弾、救心、カニメガネ
1944:パイロット万年筆セルロイド軸、燈火管制電球、貝おたま
1945:ブリキジープ、アルミたらい、ヅルチン
1946:文化天火ジェラルミンパン焼き(外)、富士重工ラビット、小型カメラ、ヒロポン(外)、ピース専売
1947:停電燈、ねずみ取り器、ジェラルミン自転車&バイクモーター、ハイヒール(外)
1948:セロテープ、虫下し、ポマード(外)、ボールペン(外)
1949:電気剃刀、広口哺乳瓶、ゴム風船(外)、カルメ焼き(外)
1950:紅梅キャラメル、ナイロンストッキング(外)、ピカソファンデーション(外)、マダムジュジュ(外)
1951:明治チョコ、森永キャラメル、LPレコード、ガム(外)
1952:ミルキー、ミキサー、ホッチキス(外)、新ピース
1953:マジックインキ、お茶漬け海苔、白元、モンローのマネ(外)
1954:アリナミン、トイレボール、サブリナシューズ(外)、パンケーキ化粧品(外)
1955:トランジスタラジオ、炊飯器、折畳傘、赤電話
1956:脱水洗濯機、トースター、バーアイス、ホッピング
1957:ダイハツミゼット、ポリバケツ、安全ピン、コカコーラ(外)
1958:フラフープ(外)、すばる360、チキンラーメン、キムコ(外)
1959:白黒TV、カッターナイフ、バンドエイド(外)、ベビーパウダー(外)、ホンダスーパーカブ
1960:だっこちゃん、のりたま、クレラップ、ハイライト、プラレール
…戦前の方が、売れ筋が高価っぽい。
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/15(火) 23:49:35 ID:5djIUcqO0
現代は、民主党が政権を取って以降、暗い混迷の時代に突入した。
戦前はさぞかし楽しかったろうな、と想像してしまう。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 18:55:55 ID:9gGJzfV10
>>688シナ事変が起きて真っ暗になった挙句に
後々の日米開戦になったなら戦前体性が真っ暗じゃん。
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 19:15:09 ID:hZQ2WsTp0
693は当時獄中にいて世間の動向に疎かった共産党員なのかな?
シナ事変のときは、満州事変のときと同様に戦争景気で明るかった。
日米開戦のときも、緒戦の大勝に国民は喜んでた。
日本全体が暗くなったのは空襲が本格化し、モノ不足が深刻化した大戦末期から。
そんな物を明るいと思う時点でどうかしてるとしか思えんし
日米開戦を喜ぶ時点で軍国主義がキマってる。
満州国に日本製品を押し売りするだけで大日本帝国の諸問題を解決できるのに
そんな下らない戦争の寝言を賛美する時点でヴァカとしか思えんな
満州事変でだいぶ明るくなったと聞いたな
>>695 結局「戦前真っ暗史観」から抜け出せないんだね。可哀想に。
貴方に聞きたいんだが、例えば今戦争やってる国、アメリカとかイギリスとか見て暗いと思います??
あいつら自国が暗いと思ってるかな??
そうでないなら軍国主義がキマってるのか?
もうちょっと想像力を働かせてみなよ。戦前の日本も今と大して変わらんよ。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 12:12:32 ID:k3kxNTqU0
>>696アンタの戦前賛美の想像力が驚きだな。
お先真っ暗過ぎて青年将校まで頭がおかしくなった226事件が起きてるのに
まるでイギリスやアメリカで同じ事が起きたように語る妄想力が凄いよ
>>697 パンピーにはほとんど関係ないよ>2.26事件
それに賛美などしていない。庶民レベルの感覚は別段暗くなかったよ、と言ってるだけ
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 20:03:56 ID:k3kxNTqU0
>>698一般人には大恐慌の不況が覆い被さってお先真っ暗だったからな。
色んな利権死守のために特高警察が暗躍してたら黙るしかねーな。
反戦でも小作人救済でも労働状況の改善でも何でもかんでもアカなんだし
都市部だけ明るいから戦前賛美しちゃう時点で笑わせてくれるな
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 20:45:39 ID:m4F8VgyS0
>>699 善良な市民にとって特高警察は心強い存在のはずだが?
おかしな連中にのさばられては、その方が脅威。
戦前と言うか世界大恐慌が炸裂した後は
最後の226事件で政治家が傀儡と化して暗黒が確定したな
ま、真っ暗でも楽観主義でライトアップしてりゃ明るいし
全部明るくするルールも無いから戦前は明るくて問題無いね
世界大恐慌の前は多少薄暗くても一応明るかったようだが
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 20:51:39 ID:k3kxNTqU0
>>700心強い存在だと思ってるのはウヨぐらいなもんだが。
特高警察なんて拷問マニアの集まりと言っても過言じゃないレベルのド変態だもの
http://www7.plala.or.jp/machikun/chianiji.htm >私はだから治安維持法というものは法の存在よりは運用に問題があったと思っている。
>そもそも「治安維持法」という名前が悪かったのだ。
>たとえば「共産主義蔓延防止法」などという名称だったらもっと本来の目的に合った運用がなされていたかもしれない。
>(そもそもなぜ法律に”共産主義者”などと銘記できなかったのか。
>もし銘記されていれば拡大解釈の余地もなかったのではないか)
ウヨ垂涎の治安維持法と特高警察の組み合わせが恐怖の言論弾圧体制の構築になっちゃったな。
検閲と拷問の二本柱で押さえ付ければ惨めで辛い現実も無かった事になるから素敵ですね。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:08:22 ID:m4F8VgyS0
>>703 治安維持法も特高警察も無くていいというなら、当時の状況下では
近隣のアジアの国のように武装勢力がやりたい放題の無法地帯となる。
それがいいのかい?
ねーよwww
ソース示してるのに本文の主旨と正反対の主張してりゃ世話ねーなww
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:11:47 ID:k3kxNTqU0
>>704なる訳無いだろ。ウヨの逞しい妄想を持ち出す時点でなんだかなぁ
発足当初の特高は狂った拷問マニアの集まりでは無かったろうよ
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:12:16 ID:m4F8VgyS0
>>703 >そもそもなぜ法律に”共産主義者”などと銘記できなかったのか
それじゃ極右の側の活動が野放しになるじゃないか。
それ書いた奴は頭悪いなw
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:15:13 ID:m4F8VgyS0
>>706 戦後にアジア全域が共産化する危機となった。
世界は共産主義を軽く考えていたが
日本はその脅威をいち早く察知して予防してたわけだろ。
その成果があったじゃないか。
日本は内戦がおこらなかった。
>>709 んだね。インドシナ、中国、朝鮮半島の惨状をみりゃ一目瞭然なのにどうしてわからんのだろう
>>707極右も極左もアウトなら全部アウトだな
死のう団なんて宗教団体の連中まで拷問したぐらいだから抜かりは無い
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:19:47 ID:k3kxNTqU0
>>709-710ウヨの電波妄想を並べ立てられても困るんだが
日本はその脅威をいち早く察知して予防してた。とか言い出す時点で頭大丈夫か
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:20:26 ID:m4F8VgyS0
>>711 拷問拷問と言うが、拷問が原因で死んだ人間は(事故だが)
一人しかいないのでは?
大げさすぎる。
他国はそんな状況ではない。
>>712 論理的に考えてね
ウヨとかレッテル貼ってる時点でお里がしれるが
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:23:52 ID:m4F8VgyS0
>>712 アメリカは占領後、日本の戦前の状況を理解し
戦前の日本以上の統制をして平和を維持した。
日本のように危機感が無かった国は、現に
共産主義者に支配されちまっただろ。
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:28:06 ID:k3kxNTqU0
>>713一人どころか100人以上死んでる。
政府統計では治安維持法による送検者は7,5681人、起訴は5162人であり、
逮捕者を含めて数十万人の犠牲者が出た。小林多喜二が殺害された築地等の警察署では、
全部で80人が虐殺され、拷問による獄死が114人、病気による獄死が1503人に上った。
この殺害は戦前の法規でも殺人罪であり、現在の法規では特別公務員暴行陵辱罪が付加されるが、
加害者の特高警察官には何の処断もなく謝罪もおこなわれていない。
小林多喜二虐殺の主犯である警視庁特高部長・安倍源基(33年に最多の19人を殺害)は、
戦後に右翼団体・新日本協議会を児玉誉士夫と結成CIAのエージェントして生き延びた。
小林を直接殺害した毛利特高課長は、勲五等旭日章をもらい埼玉県警察部長として東久滋内閣から功績顕著の特別表彰を受けた。
同じ中川成夫警部は、高輪警察署長・筑地所長を経て東京滝野川区長を務め、
その後東映取締役興行部長として『警視庁物語』シリーズを全国上映したあと、64年に東京北区教育委員長になった。
岩田義道も虐殺した山縣為三警部は、43年に東京府議会議員となり戦後は丸の内署長時代に
知り合ったビフテキ屋「スエヒロ」社長から暖簾をもらって「スエヒロ」を開業し74歳で死亡するまで経営を続けた。
以上が戦前期の殺人者たちの経歴である。
>>715それなら日本共産党が解禁なんかされて無いよ
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:30:43 ID:k3kxNTqU0
ネトウヨだか戦前賛美だか知らないが
アホみたいに戦前体制崇めまくる時点で胡散臭いにも程がある
悪かったもんは悪かったし良かったもんは良かっただけの話なのに
何でもかんでも全肯定って
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:33:41 ID:m4F8VgyS0
>>716 それは共産党の主張だろ。
拷問の影響によると思われる事故死は小林多喜二の一人だけ。
沢山が拷問死したと共産党は言ってるが、一人しか確認できない。
いったいだれが死んだと言うんだ?
死んだという人間の名前が全く出てこないんだが?
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:35:43 ID:k3kxNTqU0
>>718今度はウヨウヨな現実逃避かよ
普通の警官も容疑者拷問してた時代に一人だけねえwwww
現実逃避もここまで来ると凄いもんだな
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:38:07 ID:m4F8VgyS0
>>719 それじゃ拷問で死んだ人間の名簿を出してくれ。
でなければ検証のしようがない。
誰が死んだかわからずに、死んだ死んだと言っているとは
アホとしか考えられんw
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:38:13 ID:k3kxNTqU0
まあウヨウヨな戦前賛美で全部戦前が正しかったと思うのは勝手だわな
凄く笑えるけど
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:39:31 ID:k3kxNTqU0
>>720一人しか拷問死して無い話なんか初めて聞いたんだが。
共産党の調査だから信用できないと言うだけなら一人しか死んでないねwwwww
>>717 結構。
良かったもんは良かった、悪かったものは悪かった、と言い続けようじゃないか。
このスレの誰も全肯定なぞしていない。
少なくとも「真っ暗だった」のは大嘘。そして都市部以外は別に明るくもなかった。
治安維持法の運用については警察組織の最悪な部分が出てしまった、と思うよ。
(実際戦後になっても公安は初めに反共を叩き込まれてたらしいからね)
しかし反共という道筋自体は間違ってなかったと思う。
ハンセン病患者の強制隔離政策は弁護の余地がない戦前日本の暗部だろ。
戦後も続いたけど、始まりは戦前だし。
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:42:10 ID:m4F8VgyS0
>>724 原因不明の伝染病を隔離しなくて
国民の安全を保障できるのか?
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:42:27 ID:k3kxNTqU0
>>723反共の筋道は間違って無くても拷問死多数だからな。
方向性は良くてもやってた事は間違いだらけだったのだろう。
>>720の全肯定が凄過ぎて笑いが止まらないけどwwwww
何で一人しか死んでないと断言できるんだwwwwwww
>>726 >>やってた事は間違いだらけ
というのもどうかな。「行き過ぎた」というのが妥当な表現だと思う。
今だって取り調べ中の暴行は普通にあるだろ。冤罪の隠蔽なんてのも普通にある。
さすがに獄中死は行き過ぎだけど。
でもそれは今も昔も日常を生きてた庶民には見えないんだよ。
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:48:59 ID:k3kxNTqU0
>>725接触感染の可能性すら低い事が判明しても
適当に隔離政策をやり続けてたな。
これぞ日本の暗黒面と呼べるほどのヤバさが炸裂してるし
藤野豊さんの研究によれば、政府は隔離する必要がないのに隔離したんだそうだ
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:53:24 ID:k3kxNTqU0
>>727冤罪はともかく暴行は今は流石に無い。
足利事件で菅谷さんは暴行されて自白強要されて冤罪だったが
てか特高は行き過ぎにしては殺し過ぎだろ
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:53:40 ID:m4F8VgyS0
>>727 >拷問死多数だからな
だからそれは共産党の宣伝だろ?
それを鵜呑みにできるわけがない。
多数拷問で死んだと言うなら、その死んだ人間の名前を出してくれ。
それはわかりませんでは話にならんだろw
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:56:08 ID:k3kxNTqU0
>>731お前だけ鵜呑みにしないだけだな。
ウヨウヨな気持ち悪い全肯定にドン引きしちゃうよ。
共産党が調べたから全部嘘って
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:58:20 ID:m4F8VgyS0
>>729 隔離しなくても大丈夫となったのは戦後だろ。
隔離する必要はなくなっても、受け入れる社会の方が駄目だから
家族で受け入れを申し入れがあるケース以外は
施設で継続せざるをえなかったわけだろ。
べつに政府だけの責任ではない。
>>730 まあ「間違いだった」で構わないよ。多数死者が出たことは事実だし。
あと、今でも普通に暴行はあるよ。だからこそ取り調べ可視化に反対してるんだろ警察は。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 22:04:11 ID:m4F8VgyS0
>>734 >多数死者が出たことは事実だし
いやそれはそうではない。
誰が死んだか名前が確認できない限り
安易に多数が死んだと断定することは出来ない。
誰がどういう状況で死んだか、一人一人をちゃんと検証しなくては駄目だよ。
>>733 社会のハンセン病に対する偏見を取り除く努力を政府は熱心にやらなかったわけだから、
責任は免れないだろ。
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 22:07:20 ID:m4F8VgyS0
>>736 そういった事はむしろ民間のやるべきこと。
マスコミや文化人は何をしていたのかと言いたい。
>>734拷問死が治安維持法の死刑の代わり
なんて壮絶な状況じゃやっぱ間違ってたと思う。
普通間違えようも無いのに何でああなったんだと。
暴行して無くても真っ黒な時点で警察は終わってるだろ。
甘くても嘘を並べ立てて自白強要する連中だもの
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 22:09:42 ID:k3kxNTqU0
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 01:21:47 ID:6dOuJWEoO
>>694 >>696 現在の合衆国が明るい希望に満ちた国に見えるなら眼科へ行くべきだ。
例え勝ってようと、何年も戦争やっていれば手放しでは喜べないもんだよ。
国家予算の半分以上を戦争に持って行かれ、明日戦死するのは親兄弟かもしれない。
オマケに全世界の国に信頼関係が全くない。同盟国同士ですら相手を信用しないしあっさり騙し裏切る。
今と比べたら十分に暗い時代だ
741 :
横レス:2009/12/19(土) 15:58:35 ID:3LgRpQP00
>>740 第2次大戦後もそうだけど、日清日露戦後の日本も内政的には同じ状況だよね。
「御国」のために戦った傷痍軍人は差別され、急激に進んだ産業化によって格差は拡大、
おまけに公害問題(足尾銅山鉱毒事件)とその処理を巡る議論も手伝って国内は惨憺たる状況。
その後の大逆事件や大正デモクラシー、あるいは「昭和維新」に繋がっていくわけだから。
ハンセン病患者の強制隔離や強制堕胎、劣悪な労働環境はどうみても暗部だな。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 18:12:52 ID:kl0z8bKf0
>現在の合衆国が明るい希望に満ちた国に見えるなら眼科へ行くべきだ。
アメリカは明るい希望に満ちた国に見えるけどね。
あれだけの大国でありながら、一人当たりの購買力平価は世界で六位。
しかもどんなに貧乏な家に生れても、金持ちになれるチャンスがある。
だいたいアメリカがそんなにひどい国なら、なんで不法に移民するやつが後を絶たないんだ?
>国家予算の半分以上を戦争に持って行かれ、明日戦死するのは親兄弟かもしれない。
いやなら戦争に行かなければいいだけだろ。アメリカの兵隊は志願制だぞ。
まあ、いざとなったら徴兵もあるだろうが、それは世界中ほとんどの国でもそうだろ。
だいたい戦傷者の家族が暗いのは当たり前。日本でも拉致被害者や自殺者の家族が苦しんでるのと一緒。
一部の悲惨な人だけにスポットを当てれば、どの時代のどこの国でも暗くなるわな。
744 :
またまた横レス:2009/12/20(日) 20:57:35 ID:pnIcuJFd0
>だいたいアメリカがそんなにひどい国なら、なんで不法に移民するやつが後を絶たないんだ?
不法移民は「明るい希望に満ちたアメリカ」のイメージで入国するからね。
そして入ってからアメリカの「現実」を知り、「現実」に身を絡め取られて身動きができなくなる。
そうでなくとも、生活のためにやむを得ず不法入国する人も、メキシコを中心として結構多い。
今現在(2009年6月)のアメリカの失業率知ってる?9,5%だよ。
これがどんな数値か、言わなくともわかるよね?
>いやなら戦争に行かなければいいだけだろ。アメリカの兵隊は志願制だぞ。
実質、徴兵制になってるよ。
つーのは、徴兵制って、戦前の日本もそうだったけど、富裕層は基本的に免除あるいは優遇されるんだよね、
構造的にそうなってる。
現在のアメリカを見ると、軍は貧困層を主たるターゲットに集中的に募集をかけてる。
貧困家庭であればあるほどろくな仕事が得られないような経済構造になってるから、貧困層は必然的に
経済的安定性を求めて応募する。
そういう風に袋の鼠的に追い込んでくことで、軍は貧困層の人員を確保してる。
一方で中流層はじゃあどうかっていうと、今度はメディアと結託して愛国心を煽ることで、人員を確保してる。
メディアの影響力ってのは、どの国でも大きいからね。
要するに現在の米軍ってのは、蛇の生殺し的に人員集めをやってるんだ。
余談だけど、戦前戦中は日本軍もこういうやり方をしてた。違うのは国から直接命令が来るかどうかだけ。
そして日本軍にも志願制があった。
>>742 それ戦後も同じ。労働環境の改善なんてまともな状態になったのは昭和40年代に入ってから。
ましてハンセン氏病患者の救済なんて平成になってから。
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/25(金) 04:24:28 ID:/T/HDG0h0
>>733 >隔離しなくても大丈夫となったのは戦後だろ。
欧米じゃ既に戦前に特効薬が開発されて隔離解除されてたよ。
日本にもその薬は入ってたけど、軍や政治家、製薬会社の利権絡みと
右翼的主張の台頭で強制隔離や断種が維持された。
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/25(金) 19:16:46 ID:/T/HDG0h0
戦後でもないね
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/25(金) 19:45:33 ID:NBA36x8k0
ナチスドイツ好きなんて韓国人しかおらんだろwww
(反共だけど旧日本軍だけは意地でも肯定したくない)
ttp://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4768477720/ 1945年・ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども
あーあ。
野獣みたいな劣等スラブ民族に、優秀なゲルマン人女性が犯られちまったよ・・・
ところでゴリラのオスの男根を、人間女性の膣にぶち込んだら、どうなると思う?
大抵の女性は強姦されると、大量のドーパミンとアドレナリンが分泌されるから、ありえないほどの快感を覚える。
吊り橋効果と似ていて、強姦魔に襲われて恐怖を感じた時に、アドレナリンが大量に分泌され生理的に極度の興奮状態に陥る事により、
自分が恋愛をしていると脳が錯覚して、脳が快感を与えるドーパミンを分泌してしまう為、体が快感を覚えて反応し、
挿入からしばらくすると、 膣が充血する事で、膣が刺激される度にピストン運動にあわせて脊髄反射で腰を振ってしまったり、
クリトリスや膣内の性感帯が過敏になり、痛みに対して悲鳴を上げるように、快感に対してよがり声をあげてしまうわけなのです。
tp://www.rakueden.com/archives/576
女は強姦されるともの凄く感じるって本当?
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 23:02:32 ID:mUi0NWnCO
今より戦前の方がはるかに明るかったと思う
むしろ今は戦前
>>746 嘘はいかんな。
ハンセン病の特効薬として知られるプロミンが開発されたのは1941年の話だ。
1930年代の国際らい学会における報告でも、軽症の患者は施設から出すべきとの意見はされているが、
同時に重傷患者の隔離政策は支持されている。
日本は精々「どちらかと言えば遅れていた国」程度だぞ。
>>752 21世紀まで隔離やってるのが「どちらかと言えば遅れていた国」程度なのか?
アメリカに情報も経済も軍事も統制されている今は不平等条約体制下の半植民地
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/16(火) 10:53:06 ID:KWLv5Od70
アメリカへの移民なんて、全然少ないだろ
アメリカなんて、アメリカで子供を生めば家族全員に国籍与えるんだぞ?
つまり、不法移民だろうが、子供産むだけで合法移民になれる。
実質、移民に制限がないのと同じ
それでも、何故メキシコ人とかはみんなアメリカにいかないか?魅力がないからさ
756 :
特攻隊ってキモいっすね:2010/02/18(木) 16:06:43 ID:W3Lz9/DM0
あと、経済とか搾取とか、このスレで議論されているが
それってくらいってことに
なるんですかね?
はっきりいって経済など関係ないとおもうのは僕だけか?
貧しくても、明るい状態ってのは普通にあるし
戦前の日本は、アジア唯一の豊かな国だったが、馬鹿な統治をしていたために
つまらない娯楽のない国だったのだよ
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 20:45:59 ID:SMm4ChZc0
久々に凄いバカを見たな。
>それでも、何故メキシコ人とかはみんなアメリカにいかないか?魅力がないからさ
Wikiの『アメリカ=メキシコ国境』によると
>アメリカ=メキシコ国境は、合法、非合法を合わせて、世界で最も多い数の横断が行われている。
>両国の距離的な近さと、境界の両側での生活水準の違いはこれらの移住を促進している。
>毎年100万人以上の不法入国者がいると見られ、その8割はメキシコ人である。
>2003年10月1日から2004年4月30日の間、660,390人がアメリカ合衆国国境巡視隊によって拘留され、
>同時期に43 - 61名が、ソノラ砂漠から密入国しようとして死んだ。
ってことだが。
魅力がない国に、毎年80万人以上が命の危険を犯してまで不法に移民してるのか?
お前は「アメリカは魅力がない国」ってことにしておきたいだけだろ。
いまだに反米が生きがいの、残留左翼のおっさんなのか。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 20:55:42 ID:SMm4ChZc0
ちなみに一人当り購買力平価(ドル)の比較でも、三倍以上の大差がついてるぞ。
アメリカ 6位 46,859.06
メキシコ 53位 14,560.41
大国と隣接してるのに経済弱いところってメキシコだけじゃね?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1177313702/359-361 359 :世界@名無史さん:2010/01/23(土) 16:50:01 0
高校野球でよく見る、
「世界史板」のような横書き漢字表記ユニフォーム。
1942(昭和17)年から。
この時は全部の出場校が「板史界世」にように右から左へ。
「世界史板」のように左から右へ書くのは、1955(昭和30)年ごろから。
1941(昭和16)年までは、台湾チームも満州チームも、
ほぼ全部アルファベット表記。
360 :世界@名無史さん:2010/01/24(日) 10:16:43 0
>1941(昭和16)年までは、台湾チームも満州チームも、ほぼ全部アルファベット表記。
意外だ!
361 :世界@名無史さん:2010/02/06(土) 16:27:49 0
東京六大学は、帝大以外は今とほぼ一緒で、帝大も含めてアルファベット。
職業野球は昭和16年のシーズンから、全チームのユニが漢字表記。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 00:51:56 ID:bG5sqQ1p0
戦争中の最後の2年間は暗黒だろ。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 04:11:57 ID:BHxNcc1y0
つまりその2年間のためにそれ以前をぜんぶ真っ暗に印象付けることも許される、というわけですね?
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/06(土) 15:28:07 ID:j6Cyz3Gi0
貧民が大量に都会に押し寄せて乞食をするような飢餓もなかったし、
朝起きて窓を開けると死臭が漂ってきたという悲惨もなかった。
そんな上海みたいなことはなかった。
中国の歴史教育は侵略以外の国内のそういう暗さを全て隠すけどね。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/06(土) 21:00:36 ID:1Qbag4II0
唐文明は日本にあります。日本は大化改新から大陸文明をたくさん吸収していました、
その期間にはほかの影響に全然遭いませんでした。明治維新から西洋文明を吸収していました、
唐からの文明と解け合いました。でも、基礎はやはり唐文明である。日本文化のいろいろ、
伝統の建築とか服とか風習からよく見えます。
明文明は韓国にあります。朝鮮半島はモンゴルの統治から独立した後、明の従属国になりました。
それで、いろいろな文化を明に習っていました。後で、清が明に替わって、東亜の覇者になりま
した、朝鮮は清の従属国になりましたが、文化にはやはり明からの伝統を維持していました。
清文明はシナにあります。満州人がシナを征服していたときに、漢人の髪型と服を変えて、満州
人と同じになりました。それから、二百六十年間の統治は、シナのいろいろな文化も満州化でした。
清の以前の文化は現代のシナに全然ありません。
「唐文化を体験したかったら、奈良に行くべきです。明文化を体験したかったら、ソウルに行く
べきです、そして韃靼文化を体験したかったら、北京に行くべきです。」と言った西洋の学者が
いるそうです。これは東亜の三つの文明に対する透徹した概括だと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/saigo_masayoshi/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=53
面白い見方だな
平安京遷都後の遣唐使は2回しか入唐していないから唐文化を見たければ奈良というわけか
そう言えば共産主義を学びたければソ連人は東ドイツに行くべしみたいなジョークがあったな
とはいえ日本文明の栄の礎は唐文明の唐風に強い影響を受け続けた国風にある
礎が国風にあるからこそ日本は中国とは全く違う文明の発展をみることになるわけだ
日本の中心の一つは唐の影響を受け続けた奈良ではなく唐文明消化済みの京都にある
戦前日本の駄目な時代は欧州文明を吸収しきれない事に加えてドイツ一択という感じだな
デモクラシーの精神はどこに行ってしまったんだか
全世界GNIにおける日本GNIの割合は、
1930年代後半と、1960年代後半では、5%ぐらいだった。
1930年代後半…5%程度(100万j/2000万j)…米700万j&英300万j&仏独250万j
↑植民地含む(日本も)
1960年代後半…5%程度(3000万j/6億j)…米2億j&西独3000万j&英仏2500万j
>>768 商務省のホームページ見たけど、
1930年代後半のアメリカだけで1000億ドルくらいあるぞ
怪しいデータ書き込むなよ
リンク貼らなきゃどっちもオレ統計、息を吐くように嘘つくやつがいるからね。
>>769-771 1930年は、世界恐慌直前の数字。
今週の週刊新潮に、
カリフォルニア州立大の歴史教科書には
ニューディール政策が破綻したので、米経済を立て直すために戦争を考えた
と書いてあるという記事があった。
だから1930年よりは、かなり減っている。
>>768は、
1930年代後半…5%程度(100億j/2000億j)…米700億j&英300億j&仏独250億j
↑植民地含む(日本も)
1960年代後半…5%程度(3000億j/6兆j)…米2兆j&西独3000億j&英仏2500億j
って言いたいんだろう。
ちなみに
1990年頃…20%前後(4兆j/20兆j)…米8兆j&統一独2.5兆j&英仏1.5億兆j
2010年頃…10%前後(4兆j/40兆j)…米13兆j&独3兆j&英仏2.5兆j
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/18(日) 20:17:11 ID:K4SKp+IUO
戦前の日本は明るく住みやすい国だった。
貧しくても、下らぬ愚痴をこぼさず、黙々と働く。
戦前の日本人は立派だった。
今の日本人は、他人と少しでも差があると非常に気に入らない。
人間の品格は金の有る無しではなく、心の豊かさで決まる。
現代人は余裕がない。戦前の人々は大らかだった。
戦前はいつだ?
社会主義が幅を利かせてからの日本は明るくもなんともないぞ。
統制経済のせいで国中が弱り切っていたころに日米戦争だw
経済の統制も戦争の決定も社会主義者どもの宴だぜ。
バカどもを一掃するために300万の人間と国土を失ったよ。
国賊どもがのさばったあの時代のどこがどう明るいのかねぇ。
戦前が共産主義者の主張にのぼせあがる前の日本を指してるなら、それはある程度明るかったと思うけどさ。
「決戦下のユートピア」という本を読めば
みんな、そんなに思いつめた顔をしていたわけでもない
ということがわかる。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/24(土) 16:49:33 ID:i1oWDMIjO
満州事変は侵略にあらず。
正当な権益防衛、満州国建国運動である。
スレ違いだからよそでやれ
778 :
一日本人:2010/04/25(日) 08:40:22 ID:EiI12hy1O
植民地化前の、韓半島も暗い時代ではなかったんだよ。
貧しくとも、人々は平和に楽しく暮らして、いたんだ。
戦前日本のために韓半島は、暗い時代になったことを、反省しなくてはならない。
釣りじゃなかったら笑うところかな?
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/25(日) 21:42:03 ID:FWDkO2yr0
満州事変が起きても、みんな明るく笑いながら日々暮らしていたのだから、
戦前は明るい時代だったのさ。
経済停滞、財政悪化、雇用問題、年金医療問題、少子高齢化、地球温暖化。
暗い話題ばかり抱えて老後の不安に怯える今より、よっぽど明るい時代だったんじゃないか?
そんなの出来たのは都市部の富裕層だけだろw
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/26(月) 05:47:54 ID:B1EQlQPn0
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/26(月) 22:32:54 ID:lkzckk9i0
シナ事変が起きても、みんな明るく楽しく暮らしていたのだから、
戦前日本は明るい時代だったんだよ。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/27(火) 22:12:20 ID:+P58ZqkV0
戦前の無修正ポルノを見ると、フェラチオありクンニあり、ハメ撮りあり。
チンチンもオマンコも丸出し。
今と何ら変わらないんだよねw
ただ、残念ながら白黒写真なんだ。
昔も、警察の目を盗んで裏モノが出回っていたと言うことさ。
みんな、それなり楽しくやっていた。それが戦前。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/28(水) 21:34:21 ID:2qw1Eryl0
結構、服を着て局部だけを露出した写真が多かったりする
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/29(木) 22:12:22 ID:nTrooPJK0
戦前は、家長制度に支えられた大家族で、老人は家族に看取られながら亡くなった。
老後に不安を持たず、家族に囲まれて逝った戦前の老人は幸せだ。
今の老人は赤の他人に介護され、介護施設で死んでいく。戦前は明るかったといえる。
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/30(金) 05:08:48 ID:RFXVH0aL0
>>787 田舎に行って古い墓を見てご覧。死亡者が全年齢にわたっている。
とくにおびただしい子供の墓、青年期の結核、戦死、産褥、中年の脳卒中。
老人まで達するのは困難なことだからそりゃ大事にされる。
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/30(金) 07:27:23 ID:tz7/YyNJ0
>>788 そうだね。戦前の平均寿命は50歳に達していなかったが、それは乳児の死亡率が多く
全体の寿命年齢を下げていたため。実際に50歳以上生きる人も希で、長寿の人が
尊ばれたのは珍しかったから。また昔は子供を沢山生まないと何人生き残るか
分からなかったから勢い子沢山になる。子供は農村では働き手にもなっていたから、
一定数いないと困るという事情もあった。それから、戦時中を経験している男性の
お年寄りに話を訊くと、たいていの人が「人生は二十歳まで。後は戦争で死ぬ」
という死生観を持っていたという。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/02(日) 21:57:02 ID:agvE+zCv0
医療が発達して多くの人が長生き出来るようになったからと言って、老人を粗末にしてよい
という理由にはならない。老人が増えて希少価値がなくなっても大切にするべきだ。
そして、老人の方も、ワガママばかり言わず、自分を介護してくれる人たちを大事にするべきだ。
老人に対しても教育が必要なのだ。
子供手当てなど出さず、老人介護への補助金を増やし、介護者達の負担を減らす方策を立てるのが
行政の危急の課題だと思うが。やはり現代より戦前の方が明るい時代だったと言うべきだ。
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/03(月) 21:51:57 ID:lS/9teij0
老人介護の現場は何度も見てきたが、実に大変なものであると実感せざるを得なかった。
ヘルパーさんに週5日来てもらって、朝から夕方まで介護をしてもらう。金銭負担は莫大
なものだ。
ヘルパーさんも、老人のワガママや心無い暴言に耐えながら一生懸命やってくれた。彼女
が帰ると、嫁が面倒を見るが、これも非常に大変なことだったようである。夜中に騒いだり、
粗相をしたり、暴言を吐いたり、面倒をみるのは大変だと感じた。
老人は3年の介護生活の後亡くなったが、嫁は正直肩の荷が下りたのではないかと思った。
このような手厚い自宅介護が受けられる老人はまだ幸せだ。最近は親の介護に疲れた子供が親を
殺害する痛ましい事件が後を絶たない。
政治は何をやっているのだ、と憤慨してしまう。子供手当てだの、外国人参政権だの、
本当にどうでも良いことを必死でやっている場合ではない。
小沢には、弱者は票にならないからどうでも良いと思っているのだろう。友愛など嘘だ。
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/05(水) 22:30:02 ID:YivHm/IE0
「友愛」の元になったfraternityという政治的概念は、
キリスト教精神の無条件の愛なんかではなく
(これを「博愛」と訳したのがそもそもの間違い)、
同志・同胞といった運命共同体の内部の成員の結びつき。
自分たちの集団に対する「敵」を想定した相互扶助、命がけで仲間を守る紐帯だ。
古代中国なら「侠」の精神がそれに当たる。
戦前の「国民意識」は、建前上はともかく実態はそこまでいかないゆるいものだった。
「友愛」をかかげる民主党ははたして明確な「敵」と「味方」の像を
イメージしているのだろうか。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/06(木) 00:59:39 ID:XVCaSF6k0
鳩山の頭にある「友愛」は、警戒するべき国も含めて全ての国と友情を分かち合い、
外国人も含めた全ての日本国住人に金と言う名の愛をばらまく、ということだろう。
実に程度の低い友愛である。
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/09(日) 21:11:21 ID:O2LPzvVf0
戦前日本はすばらしかった。
大日本帝国は、世界に冠たる軍事大国・政治大国・経済大国・文化大国であった。
アメリカともイギリスとも対等であり、自分達の軍隊で国を守っていた。
大日本帝国の素晴らしさを語れば枚挙に暇がない。土人の国、朝鮮は日本に併合されて
当然だったと言える。朝鮮人は大日本帝国によって文明を与えられたことを感謝しなければならない。
>>794 >大日本帝国は、世界に冠たる軍事大国・政治大国・経済大国・文化大国であった。
粗鉄生産の国際比較(単位:万トン カッコ内は全世界にしめる割合)1930年
日本228.9(2%)アメリカ4135.1(44%) イギリス744.3(8%)ドイツ1151.1(12%)
自動車生産量の国際比較(単位:千台 カッコ内は全世界にしめる割合)1930年
日本0.46(0.01%)アメリカ3356(80.8%) イギリス246(5.9%)ドイツ96(8.4%)
各国の主要幹線の道路舗装率 1939年
日本 0.9% アメリカ39% イギリス44% ドイツ36% フランス31% イタリア28%
1929年における各国の貿易輸出額(単位は百万ドル)時価換算
順位 国名 額
1 アメリカ 5157
2 イギリス 3550
3 ドイツ 3212
4 フランス 1965
5 インド 1177
6 カナダ 1141
7 日本 969
>>795 データが古過ぎ。
日本を貶めるために意図的に古いデータを使うなどやり方が姑息だな。
粗鋼生産の国際比較(単位:万トン)1935年
日本470.4 アメリカ3464.0 イギリス1001.7 ドイツ1644.7 ソ連1260.0
自動車生産量の国際比較(単位:千台 カッコ内は全世界にしめる割合)1938 年
日本15.8 アメリカ2,001 イギリス341ドイツ277
粗鋼生産の国際比較が諸外国と比べて一桁低いこと、
自動車生産量の国際比較が4カ国比較で相変わらず再開であること。
↓
>大日本帝国は、世界に冠たる軍事大国・政治大国・経済大国・文化大国であった。
どこが(笑)
>>795-796 戦前だとアメリカも、
自家用乗用車よりサイドカーの方が多かったらしい。
べつにNo1じゃなくてもベスト5、ベスト10に入ればじゅうぶん大国だろ。
その時代、粗鋼も自動車も生産してない国、というか
国ですらない植民地・半植民地が地球上の大部分だぞ。
20世紀前半に非キリスト教国の非白人国で
国民の努力でそこまで行っただけでもたいしたもんじゃね?
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/17(月) 22:05:33 ID:w/n8NVlC0
有色人種国の中では唯一の列強であった。
大日本帝国は世界に誇れる強国だったのだ。
柴五郎、東郷平八郎、秋山好古、等々世界に誇れる立派な軍人も多かった。
現代人は、明治の英雄達の伝記を心して読むべきだ。
バカサヨと在ちょんが消そうとしている明治の偉人達を思い出せ!!
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/17(月) 22:44:14 ID:1AbAe4x50
江戸時代の日本なんか蒸気機関の軍艦一つまともに作れなかったんだからな
貿易も清・朝鮮・オランダ相手に細々としかやってなかったんだろうし
それを考えれば昭和初期までの七十年ほどで、欧米諸国と比較されるレベルまでよく近代化したもんだと思うよ
だいたい貿易輸出額で世界7位ならじゅうぶん大国だろ
サッカーのワールドカップでベスト8まで残った国なら、サッカー強豪国の一つと言ってもかまわんようにな
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/18(火) 04:02:40 ID:VhFTmwPn0
文明の進歩度を手っ取り早く比較するなら、それが持ちえた文化の優劣を考察すればよい。
<大日本帝国下における文学者>
森鴎外 夏目漱石 泉鏡花 田山花袋 芥川龍之介 島崎藤村 川端康成
谷崎潤一郎 菊池寛 江戸川乱歩 高村光太郎 萩原朔太郎 中原中也
宮沢賢治 太宰治 ・・他多数
<大日本帝国下において作られた歌謡・唱歌>
ふるさと 朧月夜 浜辺の歌 夏は来ぬ しゃぼんだま 赤い靴
琵琶湖周航の歌 早春譜 お正月 ひなまつり ヤシの実 われは海の子
他多数多数
いずれも歴史を超えて今日にまで残る大スタンダードばかりではないかw
戦後日本の持ちえた文化に比べなんら遜色ないどころか
明らかに戦前が勝っているといったとしても過言がないほどだろ?
つまり大日本帝国は紛れもなく”大文化国家”であった、ということは
明るく公明で近代的な文明をもっていたということだ。
そのことは今後の歴史がなおも証明し続けるだろう。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/19(水) 22:07:12 ID:gAzU/g7k0
樋口一葉や与謝野晶子なんかもいたな。
画家では横山大観、菱田春草等々、英傑がたくさん現れた。
野口英世、北里柴三郎とか優れた学者もたくさん輩出した。
大日本帝国は、文化、芸術、学問レベルも高かったのだ。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/20(木) 01:04:14 ID:HwNBvqHP0
ジャーナリズムのレベルもそれなりに高い
宮武骸骨の辛らつでブラックな批評は時の権力者を仮借なく斬りまくっていた
最近の「噂の真相」となんら変わりないくらいのものだw、
そういった類が明治〜大正期に「政府によって許容され」大衆に広く読まれていた。
広告文化も盛んで、エログロナンセンスは時代の標語であり、
大正期には爛熟ともいえた。性風俗も盛んであった(カフェーとかねw)
いうまでもなく、大日本帝国は現在の中国とは比較にならんほどの
言論の自由があり文化もジャーナリズムも先進的といえた。
これで帝国末期の混乱がなければな
自由から統制へと変わったせいで全部ご破算だ
社会主義の魔力恐るべしといったところか
第一次大戦後は主要連合国として世界の中枢だったのにな
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/20(木) 16:08:18 ID:PjnnzYHZ0
美輪明宏はエッセイの中で戦前の豊かな暮らしを知っていて良かったと書いている
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/21(金) 00:48:43 ID:BTxDKXEh0
>>806 うちの親父も同じようなこと言ってる。
とにかく戦前の日本は、広大な国土と人口を持つお大尽な国だった
終わりよければ全てよしって言葉があるが「終り悪ければすべて悪し」って
ことにはならんと思うんだが、戦後進歩史観による戦前の見方はそう。
あるすっごい大成功を遂げた人物がいて、72歳ぐらいまで目くるめく成功の幸福感を
味わったが最後の3年間はがんに苦しんで死んだ。
これを悲惨な生涯・・とは普通呼ばないよねw 大サクセス物語だろ
もとから対して金持ちでもないのに
ジニ係数などでみられる貧富の差がいまより遙かに大きい戦前の豊かな暮らし・・・
世界第2位の経済大国である現在の国富にくらべればたいしたことないな。
>>807 日本国家に墓標なしだからそれはどうかと
まあこの連続性こそが真の偉大さを物語るとも言えるな
しかし帝国の失敗は人における病気や天災ではなく回避可能な人災だったからなぁ
明るい時代があったことは否定の仕様もないしするつもりもない
なにせ高度経済成長期と失われた20年は共に戦後だ
明るさも暗さも兼ね備えたのが戦後と言えるし戦前だってそうだろう
ただ暗い時代に帝国そのものまで滅ぼしたのはいただけないな
ここに至る道筋が人災によるところ大となるとなおさらだ
まあ議論の混乱は戦前って言葉のせいなんだろうな
明治維新から終戦までが広範囲の戦前なんだろうが狭義の戦前は大戦直前だ
これが支那事変勃発から日米戦直前だったりその前後含むだったりだからなぁ
タイトルの戦前がこの狭義の戦前時代を指すと明るいとは言い難い
とは言え維新から終戦までなら大サクセスストーリーとしか言いようがないな
日本以上に上手くやった国なんて現在も含めてどこにもないだろうし
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/21(金) 05:23:36 ID:K+IvKVRC0
単純な話、学校でウソを教えるのはよくないよね
マスコミが偏ったイメージを植えつけようとするのもよくない
戦前という多くくりをある程度セグメントさせると、
1 維新から西南戦争を経て政府の体勢ができるまでを黎明期として、
2 憲法制定から日清・日露までを発展期と位置づけし、
3 大正時代の安定期、昭和初期の動乱期、
4 二・二六事件以降の軍事態勢期、
5 満州事変を契機とした日中・太平洋戦争の戦乱期
という5段階で考える必要があると思う。
暗いと考えているケースは4・5の時期を指すのだろうし、明るいと考えているのは3の時期を
想定している様に思う。司馬遼太郎などは4・5の時期が異常なのであって、維新から大正期
までは日本が坂の上の雲を目指した青年のようだと言っている。しかし、考えてみれば4・5の
様な暗い時期を迎えた基底として、やはり明治の国家の設計に問題がなかったとは言い難い。
>>801 >江戸時代の日本なんか蒸気機関の軍艦一つまともに作れなかったんだからな
欧米も外洋蒸気船は、ペリー襲来の数年前に実用化。
>>808 カネ=豊か
としか考えられない貧しい精神だな
ジニ係数とは不平等を所得配分から算出した指標。それが全て実態を物語ってるとは
言わないが、身売りや間引きが当たり前に行われていた時代が豊だったとは言い難い。
金回りがいい方が社会は明るいと思うよ
バブルと現在の失われた20年を比較すれば明るい社会がどちらなのか分かるはず
その後にどうなるかはスレッドのテーマである社会の雰囲気とは別問題だし
第一次世界大戦の時に日本兵の欧州派兵の話があった
そのときに日本は「国家予算の三年分の戦費がかかるからちょっと慎重に考えさせてくれ」って言ったのさ
そしたら同盟国のイギリスに「そんなもの二週間分の戦費だし楽勝w一年分出すからさ!」と言われたし・・・
お金があった方が社会が明るいんだけど戦前はそんなに豊かでは無かったよね
欧州の大国よりも豊かになる事が確実と言われていた経済力は統制経済でとどめ指されてこっちも失われた20年
現実問題として経済は社会の明るさ暗さに大きくかかわる問題だよ
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/23(日) 21:30:53 ID:wEiuXE6l0
「経済的な豊かさ」と「心の豊かさ」とは必ずしも比例しない。
こんなに平和で豊かな日本に「絶望」している人間すらいるのだ。
こういう人間は、心が貧しすぎるのであろう。
戦前の日本人のどの程度が経済的に恵まれていたか、なんとも言いよう
がないが、日本に絶望する人間がどれほどいたのだろうか?海外に
移民する人間は、青雲の志に満ちていた。国内で必死で生きる人間も、
自分の貧しさを社会の責任にしたりはしなかった。
戦後の日本は、自分の貧しさを社会の責任と言い募って祖国を罵倒する
ような心の貧しい奴らばかりだ。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/24(月) 00:25:52 ID:uI5yKK+T0
戦前の日本は文化大国だった。つまり、豊かな先進国であったのだよ
野口雨情、中山晋平、滝廉太郎、山田耕筰・・・・・
現代でも歌われる童謡の多くがこの時代に作られた。
おおらかな時代だったのさ
>>816 宣教師の比較だね
自分の信じる所の最高に良い要素と相手の最低の部分を同じ次元で比較する
自分の主張の悪い部分には目を向けずに相手の悪い部分を全体化しちゃうやり方だ
手に負えないのはこの矛盾に気がつかないアホ宣教師じゃなく確信犯的に比較主張を繰り返す場合だ
議論する気がないので説教しかしないしその先には裏がある
さて君の目的はなんだろうか?それともただのアホなのかな?
>>817 理論矛盾が酷い
文化大国=豊かな先進国の根拠が示されていないし文化の定義がなされていない
現在まで伝わる童話の存在=おおらかな時代の根拠が示されていない
表現としての文化大国ならば現在もそう
だから過去から現在まで日本は文化大国であるとする見方もできる
でも文化大国=豊かな先進国ならば日本に文化があった時代は常に先進国とされなければおかしいだろ
歴史を見ればこれは当てはまらないな
押し通したければ先進国の定義をねじまわす方が早いぞ
それと現在の歌が未来で広く歌われたら失われた20年を振り返って当時はおおらかな時代だったなん主張する気かい?
君の主張には客観性がないと思うよ
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/24(月) 02:10:19 ID:f07ObnxT0
>>816 > 祖国を罵倒する
> ような心の貧しい奴らばかり
「国民」教育をやめたからねえ。
当時の共産党員のほうが今の街宣右翼より愛国者だわ。
今いるのは権利を要求する「市民」ばかり。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/24(月) 05:21:36 ID:Jbp14lCX0
>>814 間引きなんて戦前無いだろw
あったかもしらないが、それを言うなら今でもそうだ。
>>820 一行目を二行目で否定してどうするw
戦前までは農村部の間引きは珍しくない習慣だったんだよ。避妊の知識もなく
堕胎は危険だから産んでから間引くという方法が用いられていた。
社会的常識、常態としてあったということと、稀な事件レベル
で存在しかと言うことは別だろ。
現代日本において少女を拉致し性奴隷として使役している
と解説されたら否というに異論はないだろ?しかし、事件規模
としてなら否定できないだろ。
江戸期同様に間引きが一般に行われているのなら、爆発的
人口増加なぞ起こらなかったはずだ。
明治になって人口増加が起きたのは医療の発達によって乳幼児の死亡率が下がったからで、
間引きが減ったからじゃないよ。
間引きの習慣がない民族なんていたのかな?
日本の食糧生産力は世界的に見てもかなり高い部類だったんだが
都市人口の多さは養える過剰生産の多さでもあるわけだし
江戸とか大坂は世界でもトップレベルの大都市だった
この日本で間引きが起こっていたわけだからそれより文明力の低い国はもっと間引いたでしょ
文明度が低いと娯楽が発達しないから楽しみはやることやるくらいだし
過剰生産の量が少ないとリスクコントロールも難しいので天災の死者も多い
木の根から目に映る動物まで全部食べないと生きていけないから食人風習だってあったし自然は禿山だらけ
かわりに食文化は広がりを見せるけど間引きは日本の比じゃないだろうね
日本の間引きは地方の生産力の差で常態にも事件にもなりそうだね
都市部とか都市に近い農村だと事件だったり貧困農村地帯だと常態だったのかもしれないね
医療発達で人口増も事実だから近代の人口増は間引かないで育って途中で死ななかったらどうなるかの答えなんだろう
極端な話だけどこの数だけ間引かれなかった人間がいたともいえるんじゃないかな
>>824 >日本の食糧生産力は世界的に見てもかなり高い部類だったんだが
基準が示されてないから何とも言えないね。それに間引きと食料生産力の相関関係も
考えないとね。江戸時代の米は食料と同時に交換貨幣の役割も果たしており、
年貢米は石高に応じて納める必要があった。石高の査定は大名によってまちまちで、
幕府は外様には厳しい年貢を課す為に実態よりも高い石高を指定されたケースも多い。
>江戸とか大坂は世界でもトップレベルの大都市だった
江戸時代の都市人口が膨張したのは農村部の余剰人口が流れてきたから。そうした多くの
農村出身者らは長屋で暮らし日銭を稼ぐという刹那的な日常を送っていた。
地域的に限定されてはいるものの、間引きという風習をやめさせようと試みた領主もいる。
松平定信は白河藩でこの風を矯正し人口増加策を講じ、天明5年から寛政4年までの7年間に
領内人口3500人を増加させた。また、同じ頃に常陸・下総の天領代官を務めた竹垣直温は、
間引きを止めさせる代わりに、小児養育金を出して子供を育てさせ、結果的に人口の回復と
田畑の増加をもたらして村々を再建させた。(ウィキペディアより)
また、当時間引きに関しては7歳以下の子どもは神の子とされ、いつでも神にお返しする
(つまり殺す)ことができるとされていた。だから、間引きは「子返し」とも呼ばれていた。
こうした考え方が、間引きを正当化する為に起こったものなのか、それとももともと
乳幼児の死亡率の高さを補うために考えられたものなのかは分からないが、当時の人々は
間引きに関しては罪の意識を持たずに行っていた様である。
基準と言われれば緯度かな
江蘇省と浙江省は九州沖縄だから日本の稲作地帯に比べて日照時間が足りないよ
明の時代はさらに南の湖北省と湖南省が開拓地域だし
これじゃあ同じ労力と同じ面積でも取れる量は日本の方が多いでしょ
大規模平野部開拓は日本の方が早いしね
土にまみれないで生活していた人間の多さを物語るよ
当然商工業は農業と掛け持ちしない方がはるかに洗練される
江戸は庶民文化も高度化しているから食糧生産を気にしないですんだ人間が多かったはずでしょ
それに年貢を実態よりも多く取られてるのに過剰人口が育って都市部に流れるっておかしくない?
もちろん生産性が非常に高かったらあり得る話だね
低ければ税と生活で過剰人口が育たないし移動は基本的に天災だけになっちゃう
多ければ刹那的な日銭で食べていける食料がどこかで生産されていたって事でもある
あと松平定信で天明とか書いてるけど日本史上最大級の大飢饉の時代だと思うよ
天明の大飢饉とその後始末がその時代なら食人すらあったはずかから罪悪感がなくても当然じゃないかな?
それに白河藩は貧しさのイメージでは代名詞の東北地方だった気が
平時の稲作地帯や人口流入地で子殺しが普通の出来事として起こっていたのなら悪しき風習と言えるだろうけどさ
天明の大飢饉の時代に貧しいイメージの東北地方の子殺し改善と言われてもどうだろう
日本の子殺し例としてはあまりにも特殊な状況なので適切ではないと思うよ
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/24(月) 22:33:39 ID:uI5yKK+T0
「戦前日本」が明治を通り越して江戸時代まで飛んだかw
この調子で室町時代まで遡れ!
室町も「戦前」には違いないw
確かに戦前には違いないけどね
しかしこれはそれすぎだったよ
この話題にはこれ以上反応しないようにします
「戦前暗黒史観」と「(江戸)貧農史観」は根っこが同じだからね。
こんな粗雑なものはまとめて批判すれば充分だろ。
むしろ江戸時代の方が明るかったんじゃないの?
江戸時代は極少数の特権階級を除けば皆が貧乏だったから、我慢はできた。苦しいながらも助け合って
生きて行けた。武士も一応は農村のコトを考えていた。(一部の藩を除く)
戦前は、一部の階層に資本が集まり、農村はちっとも顧みられもしない。
ああそうそう、明治貧農史観っていうのもあるな。
近代日本を全否定するために江戸時代を極端に美化する論調。
代々木系と反代々木系の違い。どっちも根は一緒。
〜史観とか言って思考停止しないで、冷徹に論議しようぜw
じゃあ何か冷徹に反論してみろよw
スレタイの「暗い」が主観的なんだよ。客観的数値的定量的なソースをもとに
話を進めないと政治関連のスレと同じ不毛なスレとなるだろう。
たとえば、エンゲル係数、一日に摂取していたカロリー量、一週間の入浴回数とかねw
>>836 > たとえば、エンゲル係数、一日に摂取していたカロリー量、一週間の入浴回数とか
それは「明るい」「暗い」ではなくて「豊かだ」「貧しい」の規準だろ。
どんだけ貧しくても
> それなりにみんな楽しんで暮らしていた
を覆す材料にはならない。ろくに反論もできてないお前は、冷徹でも客観的でもない。
「戦前日本は暗い時代だった」という印象操作は、政治的立場を隠して客観めかして
行われている。お前はそれをなぞってるだけ。
ちょwww
俺を誰だと思ってんだよw
冷徹に判断するのは不可能だが、できるだけ冷徹に判断しようとする態度は必要だな。
たとえば、戦前の生活と戦後の生活について比較した文書を無作為検出(これ極めて重要ね)して、どちらの生活がより
「明るかった」か「暗かった」か、「未来への展望があったか」、「より楽しかったか」「希望があったか」などをカウントすると
自然にどちらが明るかったか、分かるんじゃないの?
しかし、それが可能だったとして、同じ戦前中を比較するとして、
東大卒ですら臨時雇いの仕事しか見つからなかったという昭和5年と満洲進出により満洲
開発が活発になった昭和10年では当然後者の方が明日への展望を抱いていた者が多い
ことになると思う。「昭和10年は明るい時代だった」とこのスレ的に認めるのかな?
>>840 「戦前は明るかったか」という設定なのだから、「戦前」と「戦後」でやるのが普通だろ?このスレ的には。
でも、キミがそう思い実行したら、より昭和10年代は明るかったという結論はでるかもね。で?
おっと、当然公平を期して、当時の人口比率からして、就労人口別に職業毎に抽出しなきゃウソだよな。
無作為抽出するにも、文筆家の文章だけを抽出しちゃ、調査が偏る。やはり、農民の文章をきちんと人口別に抽出しないと。
暗黒時代ではなかった事を示すだけでよいのだが。
戦前暗黒史観というのは共産党が壊滅したから戦後にその系統の連中が言い募っているだけじゃないの。
コミンテルン史観の劣化版だと思うな。
>>843 じゃ、せめて俺がやったみたいに、できるだけ冷徹に戦前が暗い時代で無かったことを示す方法を提示しろよ。
このままじゃ、双方納得できなくて終了するぞ。
まあ、それが2chなんだろうけどさw
ワロタw
むしろその結論にこそしびれる
もう「冷徹」はいいからwよっぽど気に入ったんだなおまいらw
言葉の意味的には「冷静」で十分だろ
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/28(金) 22:40:53 ID:Sbp44CR+0
戦前日本は豊かな文化大国であった。これは間違い無い。
貧富の差は大きかったが、誰にでも億万長者になる機会は与えれれていた。
ジャパニーズドリームは、今より戦前の方が機会が多かった。
今は経済が成熟しすぎてジャパニーズドリームは難しくなった。
社会の発展期には誰もが億万長者になれる。
戦前日本はまさにそういう時代だった。
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 23:18:05 ID:cNNcbvo50
年功序列も終身雇用もなく
ましてや社会保障もない
裸一貫で成り上がる
まさにアメリカ型
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/30(日) 01:01:13 ID:HsU5msN+0
363 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/29(土) 22:07:29 ID:90AfCZdV0
日本人必読の書。日本人としての誇りを取り戻すことが出来ます。
「世界に生きる日本の心」 名越二荒之助 著 (展転社)1987年
大東亜戦争によって東南アジア植民地諸国が独立したのは紛れもない事実です。
大日本帝国は、東南アジアの旧植民地諸国から高く評価され尊敬されています。
>>848 真のアメリカ型だったら、「コネより実力」にしないといけないかと…。
偶然の出会いで出来るコネクションも否定
つまり運も否定できる公平なる選別システム
どんだけすごいんだアメリカw
良く意味が分からないが、運ってのは良い傾向が続いたら、その次も運が良いってのは間違いだよな。
人間にはクラスター錯覚ってのがあるからな。
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/30(日) 22:08:12 ID:HsU5msN+0
戦前の日本には、細かいことには拘らないおおらかさと、体面を重んじる恥の文化があったよな。
人々は論語を学んだため、仁義礼知信を重んじる立派な大人が多かった。今の日本を振り返って
どうだろうか?社会全体で子供を教育するような社会基盤が出来ていたと言える。
教養も知性もない身勝手な大人が溢れているのではないか?「子供は社会の宝」と言いながら、
金をばら撒くのが精一杯ではないか。恥ずかしいことだ。子供が求めているのは金ではない。
きちんとした教育だ。そのためには教育制度を戦前並みに質の高いものにしなければならない。
自衛隊と戸塚ヨットスクールこそが、日本の教育のモデルケースだ!!!!
教育は子どもが求めるモノを実現するんじゃないよ。
「親が子どもに希望するもの」を実現するのが教育だ。その親がそういった教育を求めていないのだから仕方ない。
仮に、8割の親が昔の教育を求めていて、2割の親がそれを拒否したとしよう。
そのとき教師は、「キミの親は昔風の教育を支持しているから、厳しく指導する。キミの親はそうじゃないから、優しく
指導する」なんてあからさまに生徒の指導に差を付けてら、教育が成り立つものか。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/01(火) 22:17:51 ID:zrNji13N0
教育は、教育基本法の精神に則って、良識ある大人たちが決める。
問題は、「良識ある大人」とされる人間の大半が自虐史観に侵され、
子供達の心をも自虐の闇で塗り固めようとすることだ。
良識ある大人は、少なくとも自国に誇りを持ち、国歌国旗を愛し、郷土を
愛する人間でなければならない。自虐バカの左翼はダメだ。
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/01(火) 22:19:36 ID:zrNji13N0
308 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/31(月) 01:16:53 ID:1jM9GW9A0
伊藤隆(東京大学名誉教授・日本近代史)
「東京大学教授だったころ、入学試験の日本史を採点していると、
戦前の日本というのは本当に真っ暗な時代だったというニュアンスの
答案が圧倒的に多いのである。ある法学系の教授から
『中学、高校の日本史の先生たちは戦前の日本は法治国家ではなかった
とでも教えているのかね。天皇制、天皇大権というのは文字通り、
天皇の一存で何でもできたという馬鹿げた解釈が罷り通っているのだね』
と言われたが、私も同感であった。」
「歴史というものは、その民族なり国家なり、小は個人にいたるまでの、
いわば履歴書のようなものであり、自画像と言い換えてもいいものだ。
それをあくまで黒く、自虐的に描くということは、
もはや病的と言ってもいいのではないか。
近代の日本が達成してきた数々の事績については、無視するか、
事実のみを無感動に羅列し、評価を与えない。
もしくは不当に低い評価にとどめる。そして、
達成の陰にある否定的な側面を必要以上に強調する。
「が、しかし」で接続された、後半に力点を置く記述を読んでいると
気持ちがどんどん暗くなってしまう。
(伊藤隆「新しい『中学歴史教科書』編集委員の弁」『諸君!』平成9年7月号、文藝春秋、55頁)
戦前、歴史にまで国家が介入して、都合が良い歴史を教えてきた経緯があるからな。
事実のみを教えて、より細かいトコは書籍やネットで生徒が自由に調べられるように工夫をし、
子どもなりにそれらの評価を考えさせて、教師は司会役を淡々とこなすってのが良いだろ。
その際、当然歴史を調べようとしている生徒には、2chなどの有害ネットは遮断しないとダメダメだよなw
現実に、大抵の学校では遮断済みだけどさ。
つくる会の伊藤隆が言ってもあまり説得力があるとは思えませんね。
最初期の作る会に賛同した人たちはみんな同じことを感じていたからそうしたのであって
作る会が最初にあってそういう考えを広めたからではないんだよ
話が逆
でもつくる会でまともな歴史学者といえば、伊藤隆くらいしかいないのも現実です。
その主張が歴史学という学問として一つの潮流となっていたのなら、もっと数多くの歴史学者が
参加しても不思議ではないですよね。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/03(木) 20:36:11 ID:pwJTVK/MO
日本の歴史学者の殆どが、サヨクイデオロギーに侵されているから、つくる会賛同者が少ないのは当然。
伊藤隆にしても、元はサヨクイデオロギーに毒されていたのが、サヨク学者の歪曲・偏狭が酷すぎと感じて転向したのだ。
伊藤隆にしろ藤岡信勝にしろ、転向組の言葉には説得力がある。
バカには分かるまいが。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/03(木) 20:37:34 ID:pwJTVK/MO
要するに、戦前真っ暗、というのは大嘘だ
妄想が暴走して、最後には理由とか根拠なしの決めつけですか。
気に入らないモノにレッテル貼って排除するなら、何でも言えますね。
>>862 イデオロギーを持ってる歴史学者の人って、つくる会の伊藤隆くらいしかいないでしょう。
左翼思想というなら亡くなった網野くらいかな。
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/04(金) 00:25:13 ID:k/QjTQT/0
>>864 「戦前真っ暗」というのも立派なレッテルじゃんか、しかもデタラメなレッテルだ。
戦前に暮らした老人たちの話では「戦前はモノは少なかったが楽しかった」というご意見だった。
>>865 藤岡信勝もイデオロギーを持ってる。だが、彼の場合、元々左だったのが、サヨの嘘
・歪曲・捏造に反感を抱いて右に転じただけのことで、ごく普通の一般的な人が持つ
感覚だろう。
自分の祖国に愛国心を持つことに「疑念」がもたれる国など国際的に見て日本だけだ。
これもバカサヨの自虐史観詰め込み教育のなせる技。
やはり、つくる会の教科書を使って正しい愛国教育を行う必要がある。
>>866 はあ?「戦前は真っ暗で戦後は物資は無かったが、未来への展望があった」とする意見も多く聞くぞ。
イデオロギーに関係ない普通の人の記述でさ。
戦前はどちらの意見が多いか調べる際には、当時は農民の方が多かったのだから、農民や漁民から
多く調査するのは当然だよな。
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/04(金) 00:58:43 ID:k/QjTQT/0
>>868 「戦前真っ暗」なんておっしゃる御老人など見たことがない。
皆さん、懐かしそうに昔を語る。その表情は非常に明るく楽しそうだ。
お前、頭おかしいんじゃないか?
そもそも、真っ暗だったら、未来への展望すらないではないか。
矛盾してるぞ。
未来への展望があったなら、戦前は希望に満ちていた、とするのが正しい意見のはず。
私は何人かの70歳過ぎの方と話をしたときに、大抵の方が20歳までしか人生はなく
あとは戦争で死ぬという人生観だったと聞きましたが。特権階級の一部の人なら別でしょうが、
当時の一般的な少年の心情としてはそんな感じだったそうですよ。
今七十過ぎの人が知ってる戦前って戦時中が全てだろうなぁ。それに占領期直撃世代でも
あるから、戦前の日本に対しては批判的であろう。本多勝一とかの世代だ。
とにかく、戦前は大変だったという話を聞くな。
大正デモクラシー世代なんか、大正時代が比較的自由な雰囲気があったから、昭和に入って暗くなったという
ことをよく言っていたなあ。
ほんの少し前まで昭和一桁に成人していた世代も普通に居たんだがなぁ。
本当に戦前は遠くになりにけり。
>>872 それは教科書的だな。金融恐慌とかあったが、好景気もあったしね。
回顧する人の属した階層にもよるだろう。
知識階層ならそこそこ早かったかもしれないが、一般階層なら戦時色が
強まる時代までそうは思わなかったろう。あと、当時を知る人も今を生きている
人間であるという所は注意したいね。
戦後になって得た情報や感想を加えたり変質させたりするから。
記憶は常に「呼吸」しいる。このことの典型例が話題になった「少年H」。
戦前は暗くなかったという人もいるだろ、そりゃ。比較的恵まれた人たち…
地主階層とか、首都圏のサラリーマンとか、陸海軍の指揮官とかはそう言う可能性高いかもね。
そういう人ばかりじゃなく、田舎の一般の農民とか漁民とか鉱工とかから話を聞かないとダメダメだよなあ。
訂正、
戦後になって得た情報や感想で変質させたりするから。
記憶は常に「呼吸」している。
>>874 教科書的つーか、本人から聞いた話なのだがw
そういった人がどんどん死ぬようになってから、戦前は暗くなかったなんて言い始めるってのはいかがなものかと。
ちなみに、階層のコトをいうなら、一般庶民から話を聞かないとダメダメだよなあ。
>>876 んなこと言ったら、どんな意見も、どんな書き込みも無駄だろw キミは無敵だよw
>>875 満蒙開拓で「ひゃほい!俺も地主になれるかも!」と勇んで大陸にわったった
なんて言うかね?
そもそもこの世代はまだ生きているかな?百近いと思うけど。
あなたの言ってる階層だと経済的なものに集中するだろうな。
戦前成人していた肉親が居たから。
特に嫌ごとを聞いたことは無い。電話交換手していた。
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/04(金) 02:16:36 ID:bWTa3mV4O BE:120859722-PLT(17780)
test
>>877 つまり、証言も吟味、検証する必要があるってことさ。
>>879 今生きていると、百超しているな。それ以前に聞いた話だ。
農民だって、新聞取ってたし、世界情勢だって分かっていたよ。戦前のコト暗かったとか言っていた
じいさんだったが、以前蔵を解体する際に、戦前の新聞紙がいくつか出てきて、そこに中国での戦闘
の話とかナチスの記事とか載っていたな。(もちろん検閲済み)田舎でもハイカラなじいさんだったらしい。
>>882 で?検証方法を提示しろよw
双方から文句でない、公平で都会・田舎とか職業とかで当時の特殊で恵まれた人を選ばない公平で中立な
検証方法になるように頼むぞ。
>>883 新聞なら図書館で見れるだろ。
>>884 当時の一次資料、手紙、日記なんてのモノと照らし合わせるのがいいね。
あと経済指標とか。昔の手紙なんてまとめて読める場所なんてしらないが、
あるなら活用したい所だ。たまにヤフオクにあるけどね昔の手紙。
自分が落とした物は達筆すぎて読めなかったw
>>883 >農民だって、新聞取ってたし、世界情勢だって分かっていたよ。
これは嘘っぽいですね。私の身内に明治生まれの人間が居ましたが彼女は関東のとある
農村地域で唯一女学校をでていました。そして、新聞を読んでいると周囲の農民から
「新聞を読んでるなんて女学校を出ているからだ」とよく言われたと言っていました。
多くの農民は農繁期には学校へ行かず仕事を手伝い、余り学校へは行かず簡単な読み書き
くらいしか出来なかったといいます。恵まれた一部の豊かな自作農は別でしょうけど。
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/04(金) 08:45:20 ID:xKyTJpQgO
小作なら圧倒的に戦前は真っ黒だろ。
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/04(金) 09:48:45 ID:xTmETDWo0
>>886 それって農民が新聞を読んでいた例だろw
簡単な読み書きが出来ただけでも大したもんだ。
当時の新聞は総ルビだから、仮名が読めれば音読できた。
今の農家より新聞読もうと思えば読めたってことだな。
新聞取ってた人間の方が、世界情勢を読み違えてた人間が多かったんじゃね。
>>888 いえ。私の身内の明治生まれは農民ではありませんでしたよ。
>>886 新聞の普及率は一部あたりの人数1924年9人、1934年6人くらいなので、
恵まれた一部の豊かな自作農だけが新聞を読めた時代というのは日露戦争前とかになる。
もともと当時の新聞ってペラいからそんなに高いものじゃないし。
ただなあ、明治生まれつってもぴんきりで明治中期に卒業したのか、
昭和初期に卒業したのかでも全然違ってくるし、
地方と都市ではまた違ってくるから当時の個人の体験がどうだったからってのじゃ
まったくわからんとしかいいようがないぞ?
明治自体が40年もあるんで、TV普及率とかでも昭和30年と昭和60年を比べて
どちらも同じ40年間に生まれたとか比較しても意味ないだろ。
昔は大家族制だったから、1家に6人とか普通だった。だから、その普及率だと1家に1部ということも
ありえるよな。
戦前は、ラジオ普及率もそれほどじゃなく、山間地だとそもそもラジオが使えず、やはり情報の入手には
新聞が一番だったのでは?
明治生まれと普通に接触できた下限は団塊jr世代までかな。これより下だと
幼すぎて会話できなかったか、会話にならないかのどちらかだと思う。平均的にね。
で、ここの住人の世代だと年寄りの部類でjr世代、そのちょい上くらいだから、
接触できた明治人は、昭和天皇より下の世代だろう。
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/04(金) 22:21:52 ID:Xj5ZVf+y0
農民がかろうじて新聞の字ズラを読めたとしても、
それをもって世界情勢を理解してたとするのは
非常に認識に飛躍があるような気がする。
クソウヨらしいといえるであろう。
ウヨじゃねーw
新聞では、盛んにABCD包囲陣とか煽って、生活は厳しくなるし贅沢もできなくなる。
暗い雰囲気なのは田舎でも十分すぎるほど分かっていた。
>>885 子どもの作文で、明るいか暗いか検証するってのはどーだ?
子どもの教育は戦前、国家統制が厳しく、決まったことしか教えられなかったようだが、教科書が無かった唯一の教科である
作文(綴方)は子どもに自由に書かせることができたんだよな。この検証方法だと貧富の差がなく、比較できるしな。
>>895 例えば、今後数年で銀行が国債購入の原資である預金が底をつき
政府の財政がショートするのではないかと言われてる。これは一般新聞の
経済面を読めるくらいの教養があれば知りうる情報だけど、そこらで
歩いているミーちゃん、ハーちゃん、アンちゃん、オバサン、オジサンが
憂いているかといえばNOだろう?当時もそうだったんじゃないかなぁ。
よほど差し迫らない限り、政治状況なんて自覚しないよ大衆は。
>>896 政治的フィルターなしで、当時の子供の世界を垣間見るためを
目的としたものなら、いいよね。戦後の物ならよくあるけど、戦前の物
というのはあるのだろうか?興味ある。
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/04(金) 23:34:56 ID:Q5uh9KTwO
ばあちゃんが、戦争中に宝塚を見に行けたと言っていた。神戸に行けば終戦の一年前までチョコレートが買えたらしい。
>>897 そうかもね。でも、日清戦争の時も、日露戦争の時も新聞から大衆は情報を得て意見を戦わせたり、
色々暴動しちゃったりしてたじゃないか。そういうのもあると思うよ。
後半だが、政治的フィルターはあるというか無いと言うかw
あまりにも、自由に書かせた為に、戦前は悲惨な状態を赤裸々に訴える作文が多くて、教員が全国
で600人ほど逮捕されたりしているんだよね。自分のコトを冷静に見つめて表現すること自体が、
政府批判になるってかw
戦後はTBSラジオ相談で有名な無着成恭の「山びこ学校」(昭和26年)なんてのがあるんだけど、こい
つも村の恥をわざわざ全国に広めなくても…なんて言われる始末。まあ、確かに。
で、戦後の「山びこ学校」の中で悲惨な生活をする子どもが出てくるのだけど、「それでも20年前よりは
ましだ」なんて言っているんだよな。
昭和26年の20年前ったら、昭和一桁台。
「20年前よりはまし」ってのは、子どもの親が言わせている。
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 03:58:00 ID:ewfo4VBJ0
昭和26年か
戦争を知らない子どもたち(笑)が洗脳の真っ最中
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 04:15:39 ID:8Sa9KYR70
>「経済的な豊かさ」と「心の豊かさ」とは必ずしも比例しない。
いま現在の日本は高度経済成長期に比べ、物質的には圧倒的に豊かで恵まれている。
しかし明るい社会かどうかと言えば、昔の高度経済成長期の方が明るかった。
これは発展し続け豊かな将来が約束されている時代と、停滞している時代との差だろう。
そう言う目で見るならば、戦前の日本は物質的・経済的に「絶対値」で見れば
今より貧しかったが、急激に経済発展し続けていた当時の状況ならば明るい社会ではなかったかと思う。
戦前の日本は、西側先進国・資本主義国中で世界トップクラスの経済成長率を実現していた。
(共産主義国で経済統計の異なるソ連を除き)
<年平均経済成長率1929〜1939年>
1位 ソビエト連邦 6.1%
2位 日本 4.8%
3位 ドイツ 3.2%
Monitoring The World Economy 1820 - 1992 OECD(経済協力開発機構)
>>901 「山びこ学校」は昭和26年の時点でやたらと生活厳しいってコトを子どもは直視しているから、
洗脳なんてつけいる隙はないと思うけどな。
>戦前の日本は、西側先進国・資本主義国中で世界トップクラスの経済成長率を実現していた。
成長率だけではなく、内訳も見ていく必要性はあるではないか?
例えば、貧富の差、収入、資産の偏在はジニ指数で表す。
「近代日本の所得分布と家族経済」という本によると、戦前日本のジニ係数は
1923年 0.53
1930年 0.537
1937年 0.573
だとの事。
やたらと数字が高い事にかんしては、工業化の初期段階で貧富の格差が増大する
「逆U字仮説」が、日本にも当てはまる事をしめしており、貧富の格差は農村部より
都市部で大きく、都市部における格差の拡大が係数を押し上げているとの事でした。
>急激に経済発展し続けていた当時の状況ならば明るい社会ではなかったかと思う。
参考までに言うが、ジニ係数が0.4を超えると社会が不安定化すると
言われますが、戦前の日本のジニ指数はそれをはるかに上回る数字になっている。
>>900 そんなうがった見方しなくても、
娘売りがどこでも見られた昭和一桁=昭和大恐慌に比べれば
お前らがいま苦しんでいる貧乏なんてたいしたことはないんだよと
親がいうのは別に洗脳でも何でもないと思うんだがw
とゆ〜か、好き嫌いをする子どもに
自分の若い頃は戦争が終わったばっかりで好き嫌いなんかとてもいえなかったとかいったら
それは洗脳でもなんでもないと思うがどうかね。
ぎりぎり食ってる子どもに対して
「日本は貧乏だ、ダメな国だ、個人が大事だ、天皇クソ食らえ」
って刷り込んだんだろ
効果はばっちりじゃないか
そうそう、1つ言い忘れたけど、
1920年代には最貧層(所得が下から20%までの層)が人口の70%を占める。
ちなみに軍事費の対国民所得比だと日本はソ連を上回る数字を出してたり、
軍事費の額自体は米英独仏日ソ伊の七ヶ国中4位で、1位のソ連の5分の1程度
だが、それを対国民所得比で現すとそのソ連を上回って1位になってしまう。
戦前の日本経済はね、こういういびつな所得格差に支えられてきたんだよ。
地域経済が分配系に育たなかったのも重要。
客観的なデータではジニ係数が0.4を上回り
最貧層(所得が下から20%までの層)が人口の70%を占めている。
暗い時代の定義はわからないが、もし生活の事を言うのであれば、
まさに暗い時代であったというほかにない。
>>906 >で、戦後の「山びこ学校」の中で悲惨な生活をする子どもが出てくるのだけど、「それでも20年前よりは
>ましだ」なんて言っているんだよな。
↓
>昭和26年の20年前ったら、昭和一桁台。
>「20年前よりはまし」ってのは、子どもの親が言わせている。
んで、20年前ってのは娘売りも珍しくない昭和恐慌の時代で
親が自分の子どもの頃に比べればマシだから我慢しろってしつけるのは
洗脳とかいう前に当たり前の事なんだという指摘に効果ばっちりってなんでしょね?
どこに駄目な国だとか、天皇制否定が入る余地が?
昭和恐慌でも日本の農村は非常に豊かで飽食の毎日を過ごしていたという幻想をすり込まれたんですかw
集団を大切にして、天皇陛下万歳と唱えるとどこからともなく白い米が沸いてくる理想郷だったんですよね。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 14:27:13 ID:8Sa9KYR70
>>904 > 都市部で大きく、都市部における格差の拡大が係数を押し上げているとの事でした。
>907
> 1920年代には最貧層(所得が下から20%までの層)が人口の70%を占める。
まあそうでしょうが、経済発展中の国で貧富の差が出るのは当然というか。今ならアメリカ合衆国の
貧富の格差と膨大な軍事費が有名。現代のアメリカは2003年当事で国家予算の43%を軍事費にあてている。
ちなみに太平洋戦争当時のアメリカはGDPの37%、国家予算の84.9%が軍事費と言う巨額なモノ。
それにより戦前の需給ギャップが解消され一挙に好景気に沸き、戦後も好景気が継続することとなる。
軍事費も公共投資の一環と見れば理に適ってると言えなくもない。
ちょっと調べてみると、米ソは別格として軍事費は各国で相当異なる。特にドイツの軍事費が突出しているのが分かる
欧州諸国と日本の防衛費(100万ドル)
年度 ドイツ イギリス 日本 フランス イタリア
1938 7415 1863 1740 919 746
出典:大国の興亡。
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 14:33:15 ID:8Sa9KYR70
>>908 > 昭和恐慌でも日本の農村は非常に豊かで飽食の毎日を過ごしていたという幻想をすり込まれたんですかw
> 集団を大切にして、天皇陛下万歳と唱えるとどこからともなく白い米が沸いてくる理想郷だったんですよね。
まあ煽りは兎も角として、白米の消費量に関して戦前の日本人は平均して今よりずっと沢山のご飯を食べていたかと。
> 具体的に考察する資料としては、1941年の有本邦太郎による「榮養探究」がある。その中に当時の標準体形を基準にした「肥る献立」と「痩せる献立」が
> 記されているのだが、その「痩せる献立」(肥りすぎの人のためのものと思われる)では、一日のご飯の摂取量が900gとなっている。ご飯茶碗6杯分だ!
>
> ちなみに「肥る献立」の方は胚芽米飯1200g(茶碗8杯分)となっているので、当時の日本人の標準的な量は、その間を取って1050g(茶碗7杯・年の米換算では167kg)
> に近いだろうと推測される。当時は内地で足りない分、台湾や朝鮮から米を移入できた時代だった。鎖国の世と比べ、国内の需要に合わせて食糧を調達しやすかった時代ともいえる。
> もうひとつ、1923年(大正12年)の愛知県工場会による「工場飲食物献立表」を見てみよう。そこには一日に米が4合(600g・茶碗9杯強)食べられたことが記載されている。
> 年換算では219kgだ。工場労働者を対象にした食事とはいえ、先の二つの資料とともに、戦前の日本人は戦後よりも遥かに米を食べていたことが伺える。
主食としての米
http://blog.goo.ne.jp/agrico1/e/6fd265c21321b2126929ffb648bb5608?fm=rss
>>910 イヤチョトマテ・・・食習慣の変化を無視して今の日本より戦前のほうが白米食っていたとか言ってどうするw
ちなみに戦前日本の特権層と庶民、都市部と農村部の落差は非常に大きいものだった。
「麦飯(7:3)とコーコ(漬け物)、あとはせいぜい味噌汁か野菜煮付けが夕食に付く、
魚は田植え期や収穫期だけ」が岡山某地区の農家の戦前の標準的な食事。
野菜もカボチャならカボチャ、大根なら大根が毎日続く。
これでも中農以上で、7:3麦飯は近隣の村より贅沢と言われていたそうだ。
陸海軍士官の手記など読むと
「国家が本当に自分達を大切にしてくれていると感じた」
という類の記述を見かけるが、地方中農の食事がこれなら理解出来る。
市井の細民や農村の小作出身者には,軍隊の食事は御馳走の連続だったそうで
「こちらでは三度三度お米の飯で、牛肉なども頂いております。」
とは明治時代のとある農村出身陸軍兵士の故郷への手紙。
(麦飯というなかれ,米の比率が過半なだけで嬉しかったのだよ彼は)
戦艦武蔵に乗ったとある水兵が小作人のせがれで、上水に、
初めてカレーを目にした驚きと食べて旨かった時の喜びを語ったとか。
戦前の日本人は戦後よりも遥かに米を食べていたというのは間違いない。
でもこれは完全に、戦前と戦後の「食習慣の変化」を無視していると言える
ため、論としては不適当。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 21:24:17 ID:Om+KeCWj0
逆に言うとさ。「戦前の方が良かった」なんて言えるのは一部の地区の一部の階級のみだったのだから、それを具体的に挙げていく
っても大切なのかもね。
たとえば、「電話交換手」なんてのが出てきたけど、これなんかも戦前じゃかなり都会あるいは田舎でもほとんど特権的階級なんじゃ
ないのかな?地方でも「地方地主」は明らかに戦前の方が生活良いよね。太宰の「斜陽」もあるし。
それから…東京や大阪のサラリーマンって今じゃ比較できないほど高給を貰っていたという話だが…。
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 22:39:43 ID:8Sa9KYR70
>>911-912 そんな事を言ってる訳じゃないんだけど。戦前の日本人がまるで餓死寸前の北朝鮮国民みたいな論が
一部にあったから、そんな事は無いよと、指摘したまでのこと。
ちなみにGDP比で見ると戦前の日本の経済力は先進国中第五位ていど。
> 第二次世界大戦前・戦中の主要国国力
> 〜 戦争経済1929 - 1945年 〜
>
> 1940年の各国・国内総生産GDP
>
> アメリカ 9308.3億ドル
> ソビエト 4200.9億ドル
> イギリス 3156.9億ドル
> ドイツ 2428.4億ドル
> 日本 2017.7億ドル
> フランス 1641.6億ドル
> イタリア 1520.3億ドル
>
> ・ Monitoring The World Economy 1820 - 1992 OECD(経済協力開発機構)
>>913-914 だれか特定の個人の体験で、国全体の雰囲気が明るいとか暗いとか論じるのは難しいと思う。
日本の資本主義はその後進性のためにかかえねばならなかっ
た弱みを、国民の生活ことに農民の生活に転化することによって
強力に発達していった。
したがって、日本はアジア屈指の資本主義国家に急速に成長していったが、
それは多くの歪みを残すことにならざるを得なかった。
そして、その影響を最も強く受けたのは、従来の封建体制の下での領主の年貢
に匹敵する高率の小作料という形で収奪を受けた農民だった。
>>915 >ちなみにGDP比で見ると戦前の日本の経済力は先進国中第五位ていど。
それは「表の面」しか見ていないことはすでに指摘済み。
別の数字もある、インフラに関するこれらの数字を見ても、日本の「豊かさ」のレベルが知れる。
1939年時の主要幹線の道路舗装率
アメリカ 39%
イギリス 44%
フランス 31%
ドイツ 36%
イタリア 28%
日本 0.9%
鉄道延長(万m) 1万人当たり鉄道(m) 機関車数(万台) 客車数(万台)
貨物車数(万台) 自動車台数(万台) 人口千人当たり自動車台数
アメリカ 63.3 34.1 4.5 2.4 179.0 2616.7 213
イギリス 8.1 12.0 2.0 4.2 61.9 202.8 45
フランス 6.6 15.8 1.9 3.2 49.4 218.0 52
ドイツ 13.8 11.9 2.0 6.3 57.3 110.0 17
イタリア 2.9 4.9 0.6 0.7 12.5 39.0 10
ソ連 8.5 - - - - 34.5 2
日本 3.7 3.9 0.4 1.1 7.3 20.9 3
だいたい、当時の日本は所得別に分類すると、
最貧層に属するのが6割以上に上っていたわけですが。
工場長 係長 正社員 雇員 普通工女工
10,800円 5,000円 2,500円 1,500円 630円 280円
戦前の日本経済はね、こういういびつな所得格差に支えられてきたんですよ。
それと、戦前は輸送網が鉄道しかなかったので、
地域経済が分配系に育たなかったのも重要。
>>917-918 >道路舗装率
まあ砂利道は結構多いけど、楽しく暮らしていたかどうかとは直接関係ない話しではある。
主旨としては要するに国が発展している時期は明るいだろうと。逆に物質的・表面的には
豊かでも、現在のように経済が停滞し、若者でさえ先の見通しが無かったら暗いだろう。
>地域経済が分配系に
これって社会の明るい暗いを論じる根拠になるかな? 貧しくても楽しく暮らす者も居るし
都会は田舎者にとって憧れの世界ってのも良くある話し。
戦前の(戦後もだが)高度経済成長期では、庶民は今は貧しくても将来豊かになる希望があるから
結構明るい社会だったりする。
逆に共産主義国のように強制的に富裕層から富を収奪し分配する社会は、実は停滞した非常に暗い社会。
戦後日本のと言うか、現在の日本経済の停滞や膨大な借金も、国民の税金バラマキ財政の行きすぎでは
ないかと。この先行きの無さが今の暗さの元凶。
>>919-920 すまんがそういう話でいいならバナナの木一本あれば遊んで暮らせる
大国が介入してくる前の南洋の土人が一番幸せと言うことになるw
行政って極論すれば、どこかにまとまって存在する資本を分配して不平が出ないようにするのも役割だからな。
その機能があまりにも無くなることになれば、そりゃ暗い社会ということになるだろう。
南洋の土人は純粋に幸せなんじゃないの?問題は、マラリアなどの疫病に対抗策が殆どないとか、食料が少なく
やはり漁で無理しなきゃいけないとか色々社会の問題点は存在するだろうけどね。
>>921 >南洋の土人が一番幸せと言うことになるw
う〜ん、どうなんだろう。・・・逆に土人は幸せに違いないと思い込むのもどうかな?
>逆に土人は幸せに違いないと思い込むのもどうかな?
だから、”そういう話でいいなら”と限定された状況での
もっとも幸せなのは遊んで暮らせる土人ってことさね。
2本のバナナの木を手に入れたからってそれだけ食える訳じゃないから
富裕層から富の収奪とか関係ないからねw
まあ・・・そもそも明るいとか幸せとか
そんなもん相対価値化できる代物ではないといってしまえばそれまでだがw
それらを数値化して豊かだったとか貧しかったというなら出来るだろうけどね。
>>924 >幸せなのは遊んで暮らせる土人ってことさね。
遊んで暮らせる環境なんて、地球の何処にも無いんじゃないかな
絵本の中の土人とか?
未開の部族の世界って人間が生存するだけでも結構厳しいよ。
>数値化して豊かだったとか貧しかったというなら出来るだろうけどね。
今の日本は史上もっとも豊かな時代で、反対に高度経済成長期はずっと貧しい。
でも明るい社会か暗い社会かとなると・・・・・
そうかあ?その時点の自分の気持ちを素直に書いた作文とか、多数比較したら良いのでは?
そしたら、どちらの時代が明るいか暗いか雰囲気わかるじゃないか。
どっちの傾向の作品が多いか数値でも比較できる。
でも…それかくと「刷り込み」とか言うんだよなw 刷り込みなら戦前の方が組織的に堂々とやっていた気がするのだが。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/06(日) 01:31:57 ID:1UzQBlA40
年間三万人も自殺してる現在が、明るい時代なわけないわな
大正時代の大戦バブルの頃の日本のほうが、今より絶対明るかっただろ
>>925 >未開の部族の世界って人間が生存するだけでも結構厳しいよ。
バナナの木ってのはわりと有名な話で、
栄養価の高い主食がなんの手入れもしなくても勝手に生産されるってことなんだけどな。
多少厳しかろうがそこで楽な生活をできるんだからしがみついているんだがねw
>>927 ttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2774.html それがな、どうもこれをみると単純に明るい時代だと自殺者が減るってわけでもないみたいなんだ。
現在のまえの日本の自殺のピークは高度経済成長ど真ん中の1950-60あたり。
つまり戦争で自殺どころじゃねえよって時代の反動とみていいだろう。
ロシアなんか、ソ連崩壊あたりの緊張感あふれる時代で急激に減っているだろ。
今のはバブルのジャパンアズナンバーワン時代の反動で増えているんじゃないかな。
前二つが明るかったとはとても思えないので単純比較できない。
つ〜か日本って自殺率平均して高いなあ。
高度経済成長は1955-1973年ぐらいだ。
初期は一部の企業のみの恩恵で、一般にも高度経済成長が実感できるようになるのが1960年台。
したがって、グラフからは高度経済成長が始まったから自殺が収まってきたと見ることができるな。
それから、ソ連崩壊は1991年。そこから急激にグラフが伸びているのだが?
なんでミスリードするの?
>>928 そうかあ?コメの凄いトコは毎日主食として食べても飽きないトコだ。
バナナの残念なトコは、毎日食べていると確実に飽きるトコだ。
太平洋戦争で南洋諸島に残された兵士の証言が物語っているな。
>>929 そいじゃ、訂正。
国家状況が自殺どころじゃない緊張感あふれる時期には自殺が減るってことじゃないかな。
それが収まると反動で増えるってことね。
>それから、ソ連崩壊は1991年。そこから急激にグラフが伸びているのだが?
ソ連崩壊は91年突然起こった訳じゃなくて、
アンドロポフの綱紀粛正、その反動を経てゴルバチョフ時代を迎えてのことだ。
んで綱紀粛正の時代には明るいわけもないのに急激に自殺が減ってるだろ。
上述のようにミスリードとは思いません。
>>930 日本人が米を食い飽きないのは当たり前だろw
その兵士に毎日パンを食わせたらバナナと同じこと言うと思うぞ。
まあ、それはともかくくい飽きたら漁でもなんでもしたらいいだけの話で、
それが失敗しても飢えることがない、つまり他の食物獲得すら趣味でやれるというのは
明らかに幸せな暮らしだな。
なにせ、くい飽きない米が不作になれば餓死の危険性があるんだぜw
>928
>バナナの木ってのはわりと有名な話で、 栄養価の高い主食がなんの手入れもしなくても勝手に生産されるってことなんだけどな。
ちょww 少し人口が増えれば食糧不足なんて簡単に起きるんだが。南方の島に幻想抱きすぎ
>>931 前半は、何でも言えば良いってモンじゃないだろw 無茶がありすぎ。
後半は、慣れの問題じゃなく、栄養素の問題。
コメはビタミンBなどの一部栄養素が不足する問題があるが、大抵の栄養素を得ることができる食品だ。
それに対してバナナは栄養素が偏っているから、長年食べ続けていると人間は「飽きた」という感覚で
別の栄養素を求めようとするわけだ。だから、バナナを主食にするには、補助食品をやたら工夫しないと
いけない。
>>932 そのとき幸せかどうかの問題なんで人口増とかいわれても。
だから、”そういう話でいいなら”と限定された状況での っていってるでしょ?
>>933 >後半は、慣れの問題じゃなく、栄養素の問題。
逆だ逆w
米は完全食品じゃないがバナナはほぼ完全食だぞ?
まあ、単位量が少ない栄養素があるのでバナナだけで生きていくには
量がすごくなるので飽きやすいということならアリだけど。
Yahoo!検索で「バナナ 完全食」って検索すると、一番最初にバナナは完全食じゃないってサイトが引っかかるのだがw?
バナナは完全食ってのは、業者の宣伝文句じゃないのか?
カブトムシやクワガタにとっては完全食だが人間にとってはどうだろうか…ってなサイトもあるな。学術的に検証している
サイトあるんかいな?
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/06(日) 20:19:04 ID:i5waw85oO
戦前の日本では、国民は天皇の臣民と言う意識があったから、自殺などなかなか出来なかった。
天皇を冒涜する不敬な行為ともみなせるからである。
戦後民主主義教育が自殺者を増やしたと考えるべきだろう。
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/06(日) 20:20:21 ID:i5waw85oO
バナナの話は、歴史板ではするな、スレ荒らしだ
自殺は流行があるからな。ヒデが自殺したときとか、芸能人が自殺したときとか…後追い自殺が結構あった。
戦後は文化人が自殺しているから、その後追いもあったしな。
>>936 戦後民主主義教育が浸透した頃から、バブル崩壊後あたりまでは
戦前よりだいたい自殺率が低いんですけどw
似たようなキリスト教教育が浸透しているカトリックの総本山ローマがあるイタリアと比べれば
自殺率に3,4倍以上の差があるんで、天皇って軽いんですね。
>>935 そのHPよくみてみ。(ある種の)栄養がないんじゃなくて少ないっていってるだけだから。
まあ、それはともかく手間のかからない主食を持ってる
=働かなくても飯が食えるなら幸せってことになるんじゃねってことだから。
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/06(日) 23:25:36 ID:6mIxwupP0
白米を腹いっぱい食べるのが夢だったりする、地方出身の兵隊のために、
軍隊が麦飯やパンに切り替えを渋った話はどうなんだ。
おかげで戦死者を遥かにしのぐ脚気患者の死亡を考えると、不憫でしかたがないよ。
>>934 >そのとき幸せかどうかの問題なんで人口増とかいわれても。
>だから、”そういう話でいいなら”と限定された状況での っていってるでしょ?
限定もナニも、避妊しなければ人口は普通に増えるに決まってる。人口が増えない未開の部族は
人口を抑制する要因、つまり食料不足による餓死等々、または食料の略奪や虐殺などの理由が
ある。
常に死に直面し、無知蒙昧な迷信に縛られている未開の部族社会の土人が「幸せ」と思い込むのも
どうかと。そんな「幸せな土人」は絵本の中にしかいない。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 08:51:09 ID:7cRPIXxC0
>1
しかし明るい時代か暗い時代か・・・・・これは経済発展真っ最中の活気有る時代か、経済が停滞した陰鬱な時代と言い換えた方が良いかな?
これなら昭和の高度経済成長期は明るく、平成不況の今の時代は暗いと言える。経済発展の真っ最中だった戦前も明るいと。
>>941 だから、”そういう話でいいなら”と限定された状況での っていってるでしょ?
”常に死に直面し、無知蒙昧な迷信に縛られている”とも知らない未開の土人のほうが
そういう話でいいなら幸せでしょってことなんですよ。
>限定もナニも、避妊しなければ人口は普通に増えるに決まってる。
間引きという無知蒙昧な迷信知ってる?
あれ、日本なんかだと明治以降初めて悪いことって道徳的に制限されたんだぜw
悪いことでもなければ貧困にあえぐこともない迷信を信じていても
”そういう話でいいなら”幸せだろ。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 12:49:41 ID:TsEOcg6tO
外国人に参政権を与える、という狂った売国政策が議論されなかった大日本帝国は極めてまともな国である
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 16:17:35 ID:7cRPIXxC0
>>943 > ”常に死に直面し、無知蒙昧な迷信に縛られている”とも知らない未開の土人のほうが
> そういう話でいいなら幸せでしょってことなんですよ。
そんな事を言い出したらヤク中だって、薬が効いてる間の自分の脳内では幸せだろう。
> 間引きという > 幸せだろ。
ろくに食えなくて、仕方なく赤ん坊を殺してる世界が幸せかな? 結局のところ発展が止まり
停滞している社会では余剰人員を養うことは出来ない。
だから赤ん坊を殺したり、餓死したり、虐殺等々で、人口を一定にするしか無い。
だから経済発展している社会は明るく、停滞してる社会は暗いと言えるわけ
>>945 >そんな事を言い出したら
俺に言うなってw
”そういう話でいいなら”のそういうこといったのは俺じゃないんだから。
>ろくに食えなくて
同上
>>944 現在にいたる在日朝鮮人の問題を作り上げたのは、その大日本帝国だがな