邪馬台国東遷説 その5

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1日本@名無史さん
九州の邪馬台国は東遷して大和朝廷になった。
東遷説の基本は、天照大神=卑弥呼+台与。
したがって東遷の時期は、台与時代のあととなる。

文献的根拠
魏志倭人伝の倭国と記紀の天照大神の類似性
記紀における神武東征の記述

考古学的根拠
古墳時代を境に銅鐸が消滅し、鏡が広く普及する
古墳に代表される階級社会への突然の移行
古墳の棺の副葬品などが弥生時代の九州の棺の内容に酷似。

前スレ 邪馬台国東遷説その4
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1377595601/l50
2日本@名無史さん:2013/09/30(月) 01:53:12.20
最近の調査結果から一番追い詰められてるのが東遷説
どんなに都合のいい解釈をしても、東遷が可能となる時期は年表上で20年くらいの幅しか残ってないw
今後年代調査などで解明されればさらに苦しくなる
それに神武と崇神が別人だったら終了
欠史八代が存在してたらどう足掻いても終了
モモソヒメが系図通りでも終了
箸墓が3世紀半ばだと証明されたら終了
風前の灯火とは東遷説のことである
3日本@名無史さん:2013/09/30(月) 02:37:05.12
自国の支配が及んでない敵国領内の飛び地に首都を瞬間移動した例は世界史史上1つもない
軍事的に絶対にありえない
東遷説を主張するのなら、どういう魔法を使えばこの軍事的にありえないことが可能になるか説明する必要がある
4日本@名無史さん:2013/09/30(月) 06:43:20.65
東遷だの徳島に邪馬台国があっただの、もはやただの素人ヲタの妄想だらけじゃん
5日本@名無史さん:2013/09/30(月) 07:24:31.32
畿内でもさんざ遷都を繰り返してるだろ
京都も東京へ瞬間移動したんだし
東遷といってもその程度
6日本@名無史さん:2013/09/30(月) 10:09:29.99
畿内での遷都は朝廷の支配地域内での移転
京都から東京も同様
しかし、九州邪馬台国が畿内に東遷するのは敵地のど真ん中に首都を移動するもの
今の時代でいうと、ワシントンをテヘランに移転するのと同じ
東京を平壌に移転するのと同じ
7日本@名無史さん:2013/09/30(月) 10:19:51.90
東遷があったとして、その動機はなにかな?
・大陸からの攻撃などの国防上の理由?
・畿内の方が水利がよく食糧生産高が高いなどの経済的理由?
・畿内の方が人工重心に近いなどの政治的理由?
8日本@名無史さん:2013/09/30(月) 10:29:28.50
>>4
遷都かどうかは別にしても、モモソやモモソ母が
淡路島周辺に生活基盤があったのは、文献にも記された事実だよ。
9日本@名無史さん:2013/09/30(月) 10:32:08.09
九州説でさえも東遷はありえんだろうってことで
最近は滅亡説に切り替えてるね
10日本@名無史さん:2013/09/30(月) 10:37:21.44
倭人伝以降の邪馬台国東遷なんて話は無理有りすぎだからな。
仮に王権委譲が合ったとしたら、畿内の邪馬台国に移っただけですよ。
11日本@名無史さん:2013/09/30(月) 10:42:48.55
>>9
さえ?
なんか根本的に勘違いしてるなww
やっぱ近畿説って基本アホだなwww
12日本@名無史さん:2013/09/30(月) 11:19:25.67
日本語が変ですねw
13日本@名無史さん:2013/09/30(月) 15:08:00.12
>>12
チョン無理しなくていいよw
14日本@名無史さん:2013/09/30(月) 15:56:56.59
九州説って結局何処が邪馬台国なんだ?
それすら決めれないでよく他説の悪口ばっか言えたもんだw
15日本@名無史さん:2013/09/30(月) 16:13:25.91

アホw
16日本@名無史さん:2013/09/30(月) 16:17:24.63
近畿説って根本的に頭が悪い。
あちこちバカ丸出し。しかもバカ丸出しがデフォルトだから、いまさらwww

そのうちアホの近畿説は、必死で東征・東遷はあったと言い始める。
賭けてもいいwww
17日本@名無史さん:2013/09/30(月) 16:22:46.31
>>11のやつとか>>16のやつとか哀れとしか言いようがない
人間ここまで落ちるかっていう底辺を晒している
東遷説ってこんなのばっかり
18日本@名無史さん:2013/09/30(月) 16:33:08.40
>>17
それお前のことw
19日本@名無史さん:2013/09/30(月) 16:35:32.41
>>17
あのなアホw
東征も東遷も無いよバカwwww
それで正しいよアホwwww
(勿論オレは九州説な。)

とにかく全然話しが見えてないわけなwww
20日本@名無史さん:2013/09/30(月) 16:37:22.17
もう一度はっきりと言っておく。
近畿説はそのうち血相を変えて東遷・東征はあったと喚き始める。
賭けてもいいwwww
21日本@名無史さん:2013/09/30(月) 16:41:41.59
記紀の筋は、高天原→日向→(神武東征)大和となっている。
天照大神がいたのは高天原。瓊瓊杵尊のいわゆる天孫降臨で日向に降りる。
以下三代は日向で暮らすわけだが、どうして日向が入っているのか。

日向の有名な話として「海幸彦・山幸彦」の物語がある。
あるとき、山幸彦は自分の弓矢と兄の海幸彦の釣り針を交換して漁をする。

しかし、全然、釣れないばかりか、海幸彦の大切な釣り針をなくしてしまう。
山幸彦は、自分の剣をつぶしてたくさんの釣り針を作り、海幸彦に返そうと
するが、海幸彦は元の釣り針を返せと言って聞かない。

海岸で困り果てていると、一人の老人が現れ、籠を作って山幸彦を乗せ、
海に沈める。山幸彦は、海神(綿津見)の宮に行くことになる。このあたりは
浦島太郎の物語に似ている。

海神の宮で海神の娘である豊玉姫と結婚し、楽しく過ごした後、帰ることになる。
そのとき、海神は、潮満玉と潮干玉を山幸彦に渡す。兄が聞かなかったら
潮満玉で溺れさせてやりなさい。後悔して助けを求めてきたら、潮干玉で
助けてあげなさい。

帰ってきたそのようにすると、海幸彦は降参し、未来永劫従うことを誓う。
というような話。山幸彦は、彦火火出見尊、神武天皇の祖父にあたる。
22日本@名無史さん:2013/09/30(月) 16:45:29.83
バカだから近畿説なんか言ってるってのが、とにかく丸バレwwwwwwww

あ〜おもしろwwwwww
23日本@名無史さん:2013/09/30(月) 17:16:56.56
まあ低脳でなけりゃ近畿説は言わないわな。ちょっとでも知能があって、
ちょっとでもまともに考える気のあるやつなら、近畿説のような聞くからに
胡散臭いものは支持する気には普通はなれないからなw

ところでピッタリレス止まっちゃったけどどったの近畿説ちゃん?wwwwwww
さすがに怖くなった?wwwwwww
いつもの様に根拠無しで勝ち誇りたいんだけど、足つくのいやだしね〜www
困ったねぇ〜wwwwwwww

どうしようか?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
24日本@名無史さん:2013/09/30(月) 18:14:10.94
ジョーカーがとち狂っとる。
25太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/30(月) 18:47:53.91
ジョーカー 登場か〜?w
26日本@名無史さん:2013/09/30(月) 19:07:05.96
>>24
>>25
これがレスwwwwwwwwww

もうね、東遷・東征のスレなのに、それには絶対触れたくなくなったそうですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
27日本@名無史さん:2013/09/30(月) 19:10:45.74
近畿説ちゃん達が今必死で考えていることwwwwwwwww

「どうやったら東遷・東征スレで、東遷・東征に触れずに、かつ根拠無しに、勝ち誇れるだろう?」

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
28日本@名無史さん:2013/09/30(月) 19:14:27.77
糞スレに似合いの奴が常駐してるなw
29日本@名無史さん:2013/09/30(月) 19:16:44.26
>>28

ほら北wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
30日本@名無史さん:2013/09/30(月) 19:17:54.70
>>28
ねえ、東遷または東征はあったのなかったの?どっち?
31日本@名無史さん:2013/09/30(月) 19:28:33.88
まあ近畿説はもう死亡が確定してるから、このスレでいじめてもしかたないけどね。
もう結論変わらんしねw

東征も東遷もなかったよ。
んであんたら近畿説はなんか深刻な勘違いしてるけど、死んだのは九州説では無くて近畿説だよwww
32日本@名無史さん:2013/09/30(月) 20:12:02.43
どったの近畿説ちゃんwww
エラく静かだねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
33日本@名無史さん:2013/09/30(月) 20:14:36.50
どったのよwwww
いつもの様に、低脳さらけ出して根拠無しで勝ち誇らないと、バカの近畿説ちゃんらしくないじゃんwwwwwwwwww
34日本@名無史さん:2013/09/30(月) 20:28:50.00
バカの近畿説ちゃん達に言っとくけど、お前らバカだから近畿説なんて信じるんだぜ。
早く自分が頭が悪いことを自覚したほうが自分のためだぜ。
バカが賢いつもりでいる限り永遠にお前らみたいにただのバカのままだぜ。

バカに何か言ったところで当然無駄だがねw
35日本@名無史さん:2013/09/30(月) 20:51:42.40
バカは自分をバカだとは思わないものだよ。自分にもいささかバカな部分が有
ると考えていれば理由も言わず他人を誹謗するなんてことはしない。近畿説の
人で九州説を非難しながら理由がまったく論証できない奴も、自分がバカだと
は永遠に気づかないだろう。
36日本@名無史さん:2013/09/30(月) 22:18:45.31
ジョーカーは、畿内説の癖して、九州説のふりをして
九州説の評判を落とした上でのスレつぶしをたくらんでいるのか。
37日本@名無史さん:2013/10/01(火) 22:14:11.37
東日本大震災の影響で放送されなかった幻の九州新幹線CM。
http://www.youtube.com/watch?v=UNbJzCFgjnU

九州は一つ。かな?
38日本@名無史さん:2013/10/02(水) 01:46:10.15
ふと思ったのだが、神武天皇の出身地は日向。
「ヒムカ」と読んだりするわけで、太陽に向かうというような意味がある。
しかし、これはどう見ても、大和で付けられた名前とは思えない。
大和から見れば、日向は日の昇る方向ではなく、どちらかといえば沈む方向。

という観点からすれば、日向は熊本あたりから見た名前ということになる。
39日本@名無史さん:2013/10/02(水) 19:32:23.71
神武天皇は阿多から畿内に行ったと思うけど東征というような規模じゃなく傭兵部隊として行ったと思う
その子孫が天皇家となったため初代天皇として祭り上げられた
40日本@名無史さん:2013/10/03(木) 19:34:59.82
無駄にデカイ前方後円墳が畿内で量産されたのってそこが被支配地域だったからってのもあると思うんだよな
41日本@名無史さん:2013/10/03(木) 19:53:44.08
ないよ
42日本@名無史さん:2013/10/03(木) 19:58:36.46
>>38
>日向は熊本あたりから見た命名・・・

なるほど納得
43日本@名無史さん:2013/10/03(木) 20:16:06.18
熊本は日の沈む方角だろw
神武が日(東)に向かう最初の地だから日向という地名なんだよ。
44日本@名無史さん:2013/10/03(木) 20:23:48.50
>>43
なんか、おれの記憶とちがうなあ
たしか日向は神武以前
45日本@名無史さん:2013/10/03(木) 20:27:32.99
竺紫日向之橘小門之阿波岐原

日向峠の日向だな

移住したりすると地名も一緒に移動するのがよくある。
46日本@名無史さん:2013/10/03(木) 20:31:53.40
倭の中でも西の国、熊本が日という事は
有り得ない事は理解した方がいいぞ。
47日本@名無史さん:2013/10/03(木) 20:35:44.42
>竺紫日向之橘小門之阿波岐原

伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)に禊ぎ祓えたまいしに・・、
の地は、宮崎市住吉神社南の池とされている。
48日本@名無史さん:2013/10/03(木) 20:36:38.23
>>46
古事記によれば熊本はヒムカヒトヨ

>肥國謂建日向日豐久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)
49日本@名無史さん:2013/10/03(木) 21:12:23.92
>>46
熊本は火の国。後に肥の国。そして肥後。
考えてみれば、佐賀、長崎も肥の国なんだな。肥前だが。
50日本@名無史さん:2013/10/03(木) 21:28:06.83
古事記では建日別は熊曾国
建日向日豐久士比泥別は建日(熊曾国)に向いている(対している)日豐久士比泥別という意味
51日本@名無史さん:2013/10/03(木) 21:42:35.58
>>50
筑紫國 白日別
豐國  豐日別
肥國  建日向日豐久士比泥別、自久至泥以音
熊曾國 建日別

全部「日」が付いてるが?
九州は熊本が起源て感じだよね
このには日向国が無いのに注目
52日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:00:30.94
>全部「日」が付いてるが?

それが何?

>九州は熊本が起源て感じだよね

熊本人だからじゃない?
53日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:09:52.33
>>52
>>50の説で建日に向いているのなら
白日、豐日にも向いていると言える
つまり熊本が九州の中心の日向だ
54日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:16:08.35
やっぱり「日向」は自分視点で太陽の直射す国の自称だろう。
55日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:19:09.83
白日、豐日は対立していないから「向」と書く必要がない
大宝律令では肥人(クマヒト・肥前、肥後人)は「異人」扱いで
筑紫國や豐國みたいに早くから倭国の一部じゃないから九州の中心なんてことはない
56日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:26:04.42
>>55
それは逆じゃね?
古来から中心だったから新興勢力に最後まで反抗したと
大和にすぐ懐いたのは雑魚なんだよ
57日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:30:46.37
古来から中心だった根拠は何?
大和側からの視点だから反抗した小部落地域を中心とは考えない
肥国は土蜘蛛わんさか地域だが、たいした抵抗もしてない
58日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:39:04.05
>>57
すぐ前も読めないのかよ
>>51を見ろ、熊本が一番長いだろ?
こういう場合は一番偉いんだよ!
59日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:39:57.37
肥国と筑紫はわりと早めに提携した感がある。
弥生中期の吉野ヶ里の時代に、すでにバトルは済ませているから。
一度行き着くところまで殺し合いしたので、
幾らかは懲りたというところかな。

明らかに最後まで抵抗していたのは、
景行天皇の熊襲退治で、
豊国から熊襲国までを平定した話だろう。

帰りは肥国を行幸して、筑後に戻るが、
ここはひと通り回るが、戦にはなっていない。

まあ、実態はどうだかわからんけどな。
60日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:48:07.27
農耕では先に感慨技術がいらない陸稲から始まり、
やがて、低湿地の灌漑が必要な水稲に進んでいく。

陸稲が最適なのは比較的台地が多い熊本。

灌漑技術が進んで、低湿地の水稲が栽培できるようになると、
それまで使えなかった有明海および筑後川周辺の、
低湿地地帯が奪い合いになる。

最終的にはそこは「筑後」と筑紫の領域になる。
筑前だけでは、肥と比べて筑紫はそれほど大国とはいえない。

権威のある旧大国の肥国と、新興の大国となってきた、
筑紫という構図だろうか?

筑後では戦いが起こったが、それ以後は
それなりに互いを尊重して提携しているようにみえる。
61日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:55:11.79
だから権威のある旧大国の肥国の根拠は何なの、コマちゃんw
62日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:58:52.78
景行記では肥国の土蜘蛛は戦とかじゃなく、たいした抵抗もなくなんなく誅されたから省かれてるんだろ
風土記に書いてある
63日本@名無史さん:2013/10/03(木) 22:59:28.08
>>61
奈良盆地より広いし暖かい
海に面してるから海の幸も豊富
畿内より水田が数百年早い
理解できた?

筑紫平野は河口域が水田可能になるのが遅いんだよね
開拓が済めば十分な広さなんだけど
弥生時代は熊本平野の方が有利
64日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:02:43.38
そんなことは熊本で大規模遺跡見つけてから考えな
65日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:07:34.93
>>64
まだこんな事を言う人が居たんだ
熊本は貧乏だから発掘しないんだよw

>>62
仲哀天皇は反乱を収められなかったな
神功皇后が討ったけど
66日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:08:13.94
水田は熊本より畿内が早いけど
67日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:13:23.87
最古の水田は唐津菜畑遺跡と、福岡の板付遺跡だろ。
68日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:14:19.94
>>65

熊本全体が熊襲だということなのか?
69日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:16:54.85
熊本は肥国
熊襲は宮崎大隅鹿児島
70日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:18:50.38
神武は宮崎出身なら、同じ熊襲仲間で、
鹿児島隼人族と大和朝廷の関係が深いことも、
説明がつくだろうか。
71日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:20:25.56
日本一早い鉄器は、熊本県玉名市の斉藤山遺跡の鉄斧。
縄文時代と弥生時代の境目あたりといわれる。
72日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:25:31.17
コマちゃんたちが朝鮮半島から来るとき持ってきたんだろ
そしてバケモノシャーマンも来たと
73日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:27:41.41
鉄器や水田が時代的に早いとか関係ないだろ
弥生末期にどのくらい広まっていたかだろがよ
74日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:39:41.16
>>73
熊本は鉄器の出土も群を抜いているらしい。

テレビ見ていたら、福岡県八女市で大規模な鉄器遺跡が見つかった。
アナウンサーがとなりの熊本県では膨大な鉄器が出土していますが…。
担当者にとたずねると、少しでも追いつきたいですね。と言っていた。
75日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:54:28.66
熊本の鉄器は開拓するものも剣も極端に少なくて、鉄鏃ばっかり作ってるから
地元の勢力じゃないよ
76日本@名無史さん:2013/10/04(金) 06:20:21.51
時代的には少し後だと思うが、
素環頭太刀みたいなのはでてきてたね。
77日本@名無史さん:2013/10/04(金) 07:55:41.22
鉄器軍団が東征したにしては、記紀では
九州も夷扱いで征伐されとる矛盾w
78日本@名無史さん:2013/10/04(金) 08:10:35.29
九州を夷扱いで征伐したことにして自らの出自伝承・生活痕を消去し、
実は、われら一族の先祖は天上の高天原に住まいしていたと宣言するための熊襲・土蜘蛛征伐
79日本@名無史さん:2013/10/04(金) 10:43:23.30
でも国生みは淡路島や四国の方が先という矛盾が解決しないよw
80日本@名無史さん:2013/10/04(金) 11:26:32.24
団体戦順序
・先鋒 → 次鋒 → 中堅 → 副将 → 大将

先鋒の淡路や四国は、いわば幕下、弾よけ、地雷を踏んで死ぬ役目
81日本@名無史さん:2013/10/04(金) 11:28:17.16
神話から都合のいい部分だけ抜き出して無批判に史実扱いをし
都合の悪いことは考証もせずに大和政権の造作・粉飾だと言うのが
九州脳の常套手段
82日本@名無史さん:2013/10/04(金) 11:33:03.08
神話に出て来るのは出雲と九州ばっかりだしな
都合のいい所を抜き出せない畿内説w
83日本@名無史さん:2013/10/04(金) 11:58:00.85
九州なんて征服される話ばっかじゃないかw
84日本@名無史さん:2013/10/04(金) 12:08:26.71
イザナギ帰還、アマテラス誕生、ニニギ降臨
全部九州だが?
85日本@名無史さん:2013/10/04(金) 12:10:09.64
畿内の神話何か有ったか?

たしか神武天皇が奈良盆地に入ろうとしたら
土蜘蛛がうじゃうじゃ居た
これが最初だっけ?
86日本@名無史さん:2013/10/04(金) 12:47:52.20
>>84
九州を支配するために降りたんだろうw
最初は淡路島だからな、蛭子が流れついたりしたのも畿内だと思うけど?
87日本@名無史さん:2013/10/04(金) 12:56:29.60
何でも九州を中心に考えないと気がすまないのか?
九州脳って本当に朝鮮人まんまだなw
88日本@名無史さん:2013/10/04(金) 13:07:05.27
畿内の神話って何?
89日本@名無史さん:2013/10/04(金) 13:08:18.12
箸墓捏造神話
90日本@名無史さん:2013/10/04(金) 13:08:54.36
大和朝廷と九州の勢力が、初めて本格的にぶつかったのは6世紀の磐井の乱。
継体天皇が命運を賭けた一戦で、物部麁鹿火、一説によると大伴金村
までも派遣し、どちらが優勢かわからないような激戦が続いた。

それ以前には、景行天皇以下の熊襲征伐がある。景行天皇は日向に宮を
築き6年かけて熊襲と戦った。しかし、勝敗は決せず、皇子の日本武尊などの
熊襲征伐が続く。

北部九州には、熊襲に匹敵する勢力はなかったのだろうか。むしろ、
熊襲よりも強力な勢力があったと考えられる。にもかかわらず、
景行天皇以前において、北部九州と大和朝廷が本格的に戦ったという
記録はない。
91日本@名無史さん:2013/10/04(金) 13:16:47.84
続き。
磐井は筑紫の君だが、九州にはほかに豊の君、火の君もいた。
火の君は、磐井の乱の後、北部に勢力を伸ばし、北部九州の大半を
支配したとされる。

火の君などが磐井に加勢していたら、ひょっとしたら継体天皇は
負けていたのではないかとも考えられる。
92日本@名無史さん:2013/10/04(金) 13:38:30.29
>>88
淡路島は畿内じゃないの?
93日本@名無史さん:2013/10/04(金) 13:41:35.61
大体高天原神話は葛城地方の話なんだからな。
思いっきり畿内の話だろうw
94日本@名無史さん:2013/10/04(金) 13:57:30.70
だいたい大王家が九州出身というのも怪しい話だ。
久米とか隼人とか、私兵化した異民族を飼い慣らすための作り話だろう。
95珍獣(ちんじゅ う):2013/10/04(金) 17:07:05.73
邪馬台国があったのは山門郡。

大和朝廷の出身地は九州北岸。
(※宮崎、大分、四国も関係している)
だから
神功皇后は九州北岸で出産したり、兵を集めたりしている。
この勢力が筑紫平野の邪馬台国の勢力と倭国大乱で戦った。

四世紀以降、この勢力は
九州北岸勢力、大和朝廷に従っていなかった九州各地を支配下に収めていく。
四世紀、山門郡の邪馬台国も田油津姫の時に神功皇后に滅ぼされた。

これにより
九州北岸勢力は本拠地を筑紫平野へ移し、
外国との対外交渉権は九州北岸勢力のものとなる。
しかし
磐井の乱を境に大和朝廷が次第に主導権を得ていく。
磐井の乱は同じ勢力内での権力争いだ。

大和朝廷とすれば
自分たちが邪馬台国を滅ぼしたことと
最初は九州北岸勢力が主導権を握っていた事は
なんとしても秘密にしておかねばならない。

全て本当の事だ。
96日本@名無史さん:2013/10/04(金) 17:37:48.64
東征も東遷もあり得ない。
これは考古学的に否定された。
可能性はまず無い。

つまり、記紀は神武東征という捏造をやったことが明らかになってしまった。

容易に分かることだが、記紀がなぜ捏造をやったかに近畿説で答えることは、
事実上不可能。

近畿説は、すでに頓死している。
近畿説に可能性は無い。
97太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/04(金) 18:04:13.40
何処が明らかなのか?

明らかならば、証拠根拠もなくていい。
先行の恣意的考察以外の何ものでもないだろう。
98日本@名無史さん:2013/10/04(金) 18:43:51.08
平原女王墓のと同類の鏡が大和天神山で出た時点で

どちらからどちらへ鏡が移動したのかはっきりしちゃっただろ。

大和天神山に関係する酋長さんは平原から貰ったか

乃至は、平原近辺に君臨したのが移動してきたか

            2つに1つだな。
99日本@名無史さん:2013/10/04(金) 19:18:39.69
>>97
何を言っているかイミフ。
反論できないなら黙ること。

東征も東遷もあり得ない。
これらはすでに考古学的に否定されてしまっており、覆る可能性は
ほぼ無い。
つまり言い換えると、記紀は神武東征という捏造をやったことが
明らかになってしまったと言うことだ。

そして容易に分かることだが、記紀がなぜ東征という捏造をわざわざ
やったかと言う疑問に、近畿説で答えることは事実上不可能だ。
無論、不自然な理屈ならなんとでもつけられる。しかし、多くが
納得する自然な説明は絶望的だ。

△=卑弥呼の鏡、箸墓=卑弥呼の墓、どちらもネタだった。
纒向も調査がすでに十分入っており、魏志倭人伝の記述と全く合わ
ないことが確認されている。

つまり、近畿説は現時点ですでに頓死している。

纒向は恐らくはニギハヤヒの祖先が作った都市であり、神武が九州を
捨てて憧れて向かった都市なのだから、壮麗な都市であるのは当た
り前でなのであって、そんなことは邪馬台国であることの証拠に
などなりはしない。

近畿説に可能性はほぼ無い。
近畿説はもう既に死んでいる。
100日本@名無史さん:2013/10/04(金) 19:22:55.32
>>97
「オレ様が反論できないから、お前の言っている事は恣意的だ。」

これが近畿パーの言い分www
101日本@名無史さん:2013/10/04(金) 19:29:37.18
102日本@名無史さん:2013/10/04(金) 21:04:40.79
おまえ池沼精白だろ
太国あいてに「これが近畿パーの言い分www 」だってさ
103日本@名無史さん:2013/10/04(金) 21:09:18.06
  「記紀がなぜ東征という捏造をわざわざやったか
   と言う疑問に、
   近畿説で答えることは事実上不可能だ。」
ってのは
  「オレ様が反論できないから、
   お前の言っている事は恣意的だ。」
と内容的に同じだよな。
自分でパーって自白してるよ、こいつ。
104太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/04(金) 21:23:17.33
いずれにせよ言えることは〜明らかであるとは言えない。
オマエも明らかの説明が出来ない。

つまりオマエの恣意的先行脳内が勝手に決めたことで、オマエより記紀
のほうが信用出来ることがオマエの文言を借りれば明らかだ。

神武より以前の古い時代は伝説性が濃厚でありこれはウソか本当か
は現時点でなんとも決着できないが、紀の神武以降は年月日がキチンと
記載されてるから東征の否定にはほど遠い。それに動機が言えないオマエ
はそういう細かい検証などせずに勝手に東征がないと明らかでもないのに
明らかにゴリ押ししてるだけで、そんな虚飾での「明らか」の文言では明らか
にはならない。

ただオマエの主張はかなりの点において正解なところが多分にあり、一応〜
なかなか評価できる書きこみである。東征否定での明らかの文言は全然ダメだが、
他の書きこみはかなり同意できる点が多い。

東遷などありえないし

>魏志倭人伝の記述と全く合わ
ないことが確認されている

の個所等、急所を突いていて評価できる。
もう少し根拠、史料等を出せばなおいいが、少ないのが問題だ。
105日本@名無史さん:2013/10/04(金) 22:12:46.88
>>99
インチキ考古学のいうことなんかあてにならない。
東遷を示すような考古学的な資料はたくさんある。
銅鐸の消滅、鏡の普及、古墳の始まり、古墳の棺の副葬品、鉄器の普及など。

仮にないにしても、考古学はそんなことを言える立場にない。
ごく一部を発掘して、全てがわかるわけがなく、一つの発掘で
全てが覆る可能性があるのが考古学だから。

要するに、畿内説の考古学は、何が出てきても東遷は認めないと
初めから宣言しているようなもので、極端な偏向がある。
106日本@名無史さん:2013/10/04(金) 22:15:06.47
>>104
アホは黙れ。お前のレスは無効だ。
お前はただうろたえているだけだ。

東征も東遷もあり得ないことは既にほぼ考古学的に明らかになっている。
これは現実であってもはや覆る可能性はほぼ無い。

ならば記紀が神武東征と言う捏造をやったことはtrivialに得られるコロラリーで
あって、証明など不要。

近畿説が出来ることは、東征または東遷が「あった」ことを考古学的に証明し返すか、
でなければ記紀が神武東征と言う捏造をやったことに、近畿説で自然な説明を
して見せるか、そのどちらかしかない。

そして、それはどちらもほぼ不可能だ。
107日本@名無史さん:2013/10/04(金) 22:16:36.24
>>105
それは、東遷または東征があったことを考古学的に証明し返してみせて、
初めて言えるセリフ。
108日本@名無史さん:2013/10/04(金) 22:20:58.20
そうか、磐井の乱は継体天皇の時代だったか。

二中歴などに書かれ、各文献に200例以上散見されるらしい
九州王朝年号と呼ばれているものは、6世紀前期の
継体から始まっている。

ちなみに、奈良時代の前の、白鳳時代の白鳳も
九州王朝年号の一つである。

事実かどうかは分からないが、九州王朝があるとすれば、
初の九州年号の継体年間は九州王朝の初期だろう。

九州王朝が王朝を設立させたことによって、
磐井を討たなければならなくなったのか?

それとも、磐井を討つことによって、
九州王朝が成立したのか?
109太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/04(金) 22:40:28.98
東征があり得ることは既にほぼ考古学的に明らかになっている。
これは現実であってもはや覆る可能性は完全に無い。

つまり東征があったことはさらに記紀の文証から明らかである。
明らかであるから、東征があるが覆る可能性は全然無い。
ほぼと言う言い草はオマエの脳内の主張が弱体化してるからである。

つまりオマエの言い分は証拠もなく、明らかに完全なデタラメである。

なお全世界の統帥権は大元帥陛下にある。
110日本@名無史さん:2013/10/04(金) 23:07:52.35
>>107
何度も何度も説明しているだろう。ここに来る畿内説の一人一人に
説明しなくてはならないのか。

>>108
継体天皇については謎が多いな。
悪逆非道の武烈天皇が亡くなり、跡継ぎがいなくなる。大伴金村、
物部麁鹿火などが協議して、越前から連れてきたのが応神天皇の
五代目の子孫となっている男大迹王。後の継体天皇。

しかし、男大迹王は、どういうわけか大和に入るまで20年もかかっている。
大和に入った直後に起きたのが磐井の乱。
継体天皇を簒奪者という人も多いが、それも納得できる。

応神天皇は九州で生まれた。継体天皇を簒奪者とすれば、
磐井の乱を応神天皇の実家(従来の系統)との争いと考えることも出来る。

九州王朝説の考えとは異なるが…。
111珍獣(ちんじゅ う):2013/10/04(金) 23:13:58.19
>>108
>初の九州年号の継体年間は九州王朝の初期だろう。

その前の倭の五王だろう。
http://www.daizenji.kurume.ed.jp/gonngenn2.htm
玉垂命、

>九州王朝が王朝を設立させたことによって、
磐井を討たなければならなくなったのか?

磐井の乱は同じ勢力内の権力争い。
磐井が九州のほとんどを掌握していたことから考えれば
磐井が九州王朝の天皇だったのかもしれない。
磐井が負けたと言う事は、反乱を起こした方が勝利したことになる。

九州王朝があったことが判れば
大和朝廷は正当な権力継承者ではなく
クーデターにより権力を奪取したことが判ってしまう可能性が高い。
だから
二中歴、九州王朝の存在は何としても無かったことにしなければならないのだ。
112日本@名無史さん:2013/10/04(金) 23:39:40.99
磐井とは何か?その辺の検証が不十分。
磐井とは祝い。斎いとも書く。
中国山東半島にあった斉国。
卑弥呼が使いを出した魏の斎王こそ、卑弥呼の弟もしくは甥。

西暦239年 倭女王卑弥呼、帯方群に遣使。また魏都に至る。魏の明帝、卑弥呼を親魏倭王に封じ金印紫綬を授く。
西暦243年 卑弥呼、魏王に物を贈る。
西暦245年 魏の斎王、倭国使にものを賜う。
西暦247年 倭女王卑弥呼、狗奴国王卑弥弓呼と争う。
西暦266年 倭女王壱与、晋に遣使(以後147年間中国との国交断絶?)
113日本@名無史さん:2013/10/05(土) 15:26:19.38
今日立ち読みした新書サイズの古代史の本に
神武天皇は大軍勢を率いたわけでなく1隻の船で出て行ったとあった

確かにニニギも大きな家を作ったとはあるが大国を統治したとはないし
海幸山幸は漁師と猟師という意味だし
仮に日向三代が邪馬台国の血縁だったとしても卑弥呼の後継者とは思えない
邪馬台国本国は後に大和朝廷に滅ぼされる九州の女族長の国になったのではないか
114日本@名無史さん:2013/10/05(土) 20:33:34.42
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s



みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html


生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm
115日本@名無史さん:2013/10/06(日) 02:16:13.09
とにかく、倭人伝に書かれている台与以降の時代は謎。

記紀においては、天照大神以降、女性のトップは出現していない。
これから考えると、台与の後に女王は出てこなかったと考えられる。

また、邇邇芸命が日向に天下って以降は高天原の消息もわからない。
天照大神がその後どうなったかもわからない。
邇邇芸命が日向に下った理由もわからない。

神武東征のときに、どうしてわざわざ遠回りして筑紫の岡田宮(日本書紀)に
立ち寄ったのかもわからない。

こういうことをうまく説明できれば、それが真実なのかもしれない。
116日本@名無史さん:2013/10/06(日) 05:43:02.19
>神武東征のときに、どうしてわざわざ遠回りして筑紫の岡田宮(日本書紀)に
>立ち寄ったのかもわからない。

これはわかるよ
最初は東征なんて考えていなかったんだよ
ただ仕事がありそうな所をさまよっていただけで
117日本@名無史さん:2013/10/06(日) 06:04:11.41
移住するのはできれば近くにしたいって誰でも思うだろ
118日本@名無史さん:2013/10/06(日) 06:53:09.89
東征なんてなかったんだよ。これが一番単純な答え。
119日本@名無史さん:2013/10/06(日) 07:12:41.25
東征というほど大大的なものではないがあまりに少人数でも大したことは出来ないだろう
小隊レベルで傭兵稼業というところか
120日本@名無史さん:2013/10/06(日) 07:21:59.64
たいしたことが出来ないイベントが千数百余年も語り継がれることはないな
たいしたことがあったか、後世創られた非実在ストーリーか
ふたつに一つだろう
121日本@名無史さん:2013/10/06(日) 07:31:17.07
ちゃんと読め
>>119では東征の規模のことを言っている
その事自体を架空のものだとは言っていない

実際古代ではかなり印象的な出来事だったと思うよ
一度敗退して海をぐるっとまわって反対側から攻めてるんだから
122日本@名無史さん:2013/10/06(日) 07:59:49.52
神武の東征譚にはまだ誰も指摘していない重要な論点が有る。それは大和盆地
という所は南から侵入し攻めると攻め落とせるという、攻略方法を現している
ことだ。自分達の拠点であればそのようなことはどこにも書き残さないものだ
が、記紀はそれを隠し立てすることなく書いたのである。記紀はそうせざるを
得なかった。なぜなら@神武の東征は歴史の事実だったから。A天武朝の先祖
の華々しい活躍を書くのかは当然だから。B天武朝の頃には南側への防衛陣は
十分できていたから。
近畿説の考古学者どもは考古的証拠が発見されないとしきりに言うが、自分達
の無能力を告白しているようなものだろう。
123日本@名無史さん:2013/10/06(日) 08:16:18.38
おまえが告白してるよ
124日本@名無史さん:2013/10/06(日) 12:42:34.95
>>122
畿内説の考古学者の言うことはあてにならない。
中国で一枚も出土していない三角縁神獣鏡を卑弥呼が魏からもらった
鏡にしてみたり、大きさも形も年代も異なる箸墓を卑弥呼の墓にする。

纏向から出た各地の土器が邪馬台国連合の証だなどとわけのわからない
ことを言うが、実は九州の土器は全然出ていなかったりする。なのに
九州の土器も出ているような嘘を言う。

畿内説の考古学者は、まさに畿内説捏造集団みたいなものだ。
東遷の考古学的根拠はないなんていうのが、それを示している。
125日本@名無史さん:2013/10/06(日) 14:27:32.99
東遷なんてないよ
元々は西征だったんだ
それが終わって帰還しようとしたらお留守番が反逆して来た
でも、高倉下なんていう律儀者もちゃんと居たというお話
126日本@名無史さん:2013/10/06(日) 16:48:51.32
>>125
その説を立証してみろ。
127日本@名無史さん:2013/10/06(日) 17:03:01.52
どの説も立証なんて出来てないのに、なんで俺にだけそんな無茶振りすんの?
合理的推測ってやつだよ
128日本@名無史さん:2013/10/06(日) 17:13:18.16
歴史書に書いてあることをその通りだと主張する
歴史書に書いてあることを真実はその逆だと主張する
どちらが妥当な考え方かだろ
129日本@名無史さん:2013/10/06(日) 17:24:50.31
考古学者にもまともな思考をする人はいるよ。三世紀ころの銅鐸は山口以西には出て
いない。畿内勢力は山口以西には及んでいなかったということだ。伊都国から銅鐸が
出ていないのに伊都国を支配下においたというのはおかしい、なんてね。
130日本@名無史さん:2013/10/06(日) 17:33:26.43
神武は応神
父の故郷へ戻ってきただけの話
131日本@名無史さん:2013/10/06(日) 17:36:58.89
>>125はさすがに正気の主張とは思えない
畿内説を唱えるのは基地外とするネガキャンではないだろうか
132日本@名無史さん:2013/10/06(日) 19:33:21.51
ガリレオ・ガリクソン
133日本@名無史さん:2013/10/06(日) 20:19:19.11
仲哀天皇は、熊襲征伐で九州に行く。神功皇后もついて行く。
そのとき、神功皇后が神係りして、何もない熊襲を攻めるよりも、
宝の国である新羅を攻めよ、との神託をする。

しかし、仲哀天皇はこれに従わなかったために病死する。
代わりに身重の神功皇后が新羅を攻める。
朝鮮から帰ってきて九州で生まれたのが応神天皇。

そのあと、神功皇后らは大和に帰るが、忍熊王らの反乱を受ける。
忍熊王らは、仲哀天皇と前の奥さんの子となっている。
武内宿禰らの活躍でこれを撃破する。

この辺もなんか怪しげな臭いがするかも。
134日本@名無史さん:2013/10/06(日) 20:33:08.78
神武東征はあったが、邪馬台国東遷はなかった
ただし神武東征の実態は移住
135日本@名無史さん:2013/10/06(日) 20:57:30.11
ニニギ族は北部九州高天原邪馬台国の単なる豪族代官だった。
その後、中国南部系のワニ族と合流して勢力拡大するも、本家高天原と摩擦が起きて九州にいられなくなり、神武の代で新天地を求め瀬戸内勢力を取り込んで、畿内に攻め混み独立国を作ったのだよ。

タブラツ姫とか、イワイは本家高天原の後継だ。
136日本@名無史さん:2013/10/06(日) 21:06:02.79
奥さんの吾平津姫を故郷に残しているから単なる移住とは考え難い
137日本@名無史さん:2013/10/06(日) 21:13:56.98
>>135
宇佐神宮とか筑紫とか寄ってるから邪馬台国あるいはその後継と争いはなかったと思う
神武天皇が少数で出かけたということを考えると稼ぎに出かけてそのまま居着いちゃったんだろう
138日本@名無史さん:2013/10/07(月) 00:32:41.75
神武は倭国大乱で九州を追われた可能性が有る
落ち武者は各地を点々とするからな
139日本@名無史さん:2013/10/07(月) 00:45:09.00
新羅を襲った九州のやつらが、畿内を襲わないわけが無い。
応神朝は九州にあった分家筋のやつら。
そいつらに畿内は征服された。
140日本@名無史さん:2013/10/07(月) 07:45:00.95
神武に限らず、九州から新地へ出た小部族はいくつもあっただろう。
いくらかの力を蓄えられるまで生き延びたのが、
神武で表現された一族だろうな。

その手の話はたくさん残ってて、神武東征話を書く際に、
集約、参考にされたんだろうな。
141日本@名無史さん:2013/10/07(月) 11:22:14.12
3世紀の銅鐸って、どこで発見されてるの?
142日本@名無史さん:2013/10/07(月) 13:01:56.47
>>141
近畿地方周辺だけだろう。
出雲や九州はずっと前。
九州の銅鐸はひょっとしたら弥生前期の可能性もある。
143日本@名無史さん:2013/10/07(月) 14:30:35.28
だから、どこで発見されてるの?
144日本@名無史さん:2013/10/07(月) 15:29:11.45
応神天応は、天孫系ですか?それとも、出雲系ですか?部族でいうと何氏になるのでしょうor近い部族。

河内の白鳥の近くに墳墓があるし、古墳人?仁徳天皇みたいにマナの壺みたいなポチはあるのですか?

阿波にも、応神という地名があるのは、何か関係がありますか。藤○氏が多かったみたいですが、春日の地名や神社も多い。

豊国(トヨ?)が最初、本拠で、宇佐の神社に祭られているんでしょうか?宇佐は因幡の兎とどういう関係があるのでしょうか?

相関関係がわからなくて。

善光寺を作ったのは、その末裔ですか?
145日本@名無史さん:2013/10/07(月) 15:47:28.89
>>143
質問するんだったらもっと的確にしないとわからないだろう。
だからどこ? 近畿地方あたり。
だからどこ?  土の中。

結局何が知りたいわけ?
146日本@名無史さん:2013/10/07(月) 16:30:34.58
おまえの知能程度が
147日本@名無史さん:2013/10/07(月) 16:37:56.62
イツ(渭津)に応神か
意味深だな
148日本@名無史さん:2013/10/07(月) 17:28:02.63
けっきょく九州説って情報量がゼロ
149日本@名無史さん:2013/10/07(月) 17:46:59.75
銅鐸出土地が倭国の範囲だね。
150日本@名無史さん:2013/10/07(月) 17:50:26.61
鉄製の武器もった土人が渡来してきて

もとの土人が銅鐸抱えて瀬戸内方面へ逃げ込んだのでしょ
151日本@名無史さん:2013/10/07(月) 18:04:59.55
倭国の主要な支配地には「君宜高官」の銘の入った鏡がある
152日本@名無史さん:2013/10/07(月) 18:07:53.77
つまり戦闘と航海能力を持った土人なんだねw
そりゃ強いぞ、九州土人はやられる訳だ。
153日本@名無史さん:2013/10/07(月) 18:47:37.08
>銅鐸出土地が倭国の範囲だね。
倭人伝には銅鐸は出てこないな。
154日本@名無史さん:2013/10/07(月) 20:08:06.85
銅鐸祭祀=鬼道と表現されたんだろうな。
それが鏡に変わってゆく話を裏付けるのが、鍵唐古遺跡。
銅鐸鋳型も出土する場所の近所に、鏡作神社が
存在するのが何よりの証拠だろう。
155日本@名無史さん:2013/10/07(月) 20:30:46.46
漢時以前の情報はないが、金属器渡来以前の倭国の威信財はおそらく絵画土器だろうね
156日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:02:11.80
>倭人伝には銅鐸は出てこないな。

銅矛も出てこないね
157日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:07:30.30
倭人伝にあるのは漢時の情報で、それ以降金属器が入ってきて大きく変化したんだろうね
158日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:14:13.04
>>156
矛は出てくる。「兵用矛、楯、木弓」
それから、やじりだが、倭人伝には、鉄鏃、骨鏃を用いるとある。
しかし、近畿地方で出てくる鏃は、銅鏃と石鏃だそうだ。

銅鐸なんて全くでてこないし、近畿説は諦めが悪い。
159日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:15:27.69
                 兵用矛 楯 木弓
                     ↓
居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衞
160日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:17:30.29
銅鐸は武器じゃないからw
161日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:19:18.94
夫餘
以弓矢刀矛爲兵 家家自有鎧仗
國之耆老自説古之亡人作城柵

東沃沮
人性質直彊勇 少牛馬 便持矛歩戰


作矛長三丈或數人共持之 能歩戰

倭人
兵用矛 楯 木弓
162日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:27:45.17
濊人にもブツをでかくしたがる嗜好があるらしいが

倭人と相性が良いのは濊人であろう

穢れを嫌って住まいを破壊したり燃やしたりしちゃうたぐいのおひとたちだからしてな。
163日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:28:47.32
>>161
その中で人偏が付いてるのは倭人だけだね
中国様は倭人だけを人として認めてた
何故なんだろ?w
164日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:36:08.91
居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衞 (倭人)

城柵が出てくるのは 夫餘・辰韓・倭

國之耆老自説古之亡人作城柵皆員 有似牢獄 (夫餘)

辰韓在馬韓之東
其耆老傳世自言「古之亡人避秦役 來適韓國 馬韓割其東界地與之」
有城柵 (辰韓)
165日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:38:32.89
東沃沮の玄菟故府は柵城の異称があったらしい。
166日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:44:01.93
確かに銅鐸は武器じゃないなw
祭祀用具として使用していたのを見て
鬼道と記述されたんだろうな。
167日本@名無史さん:2013/10/07(月) 21:45:20.69
銅鏃の最多出土は壱岐原の辻だな
鉄、銅、骨、木全部出てるが、鏃で最も多いのは石鏃だな
168日本@名無史さん:2013/10/07(月) 22:18:11.36
「兵用矛」ってww
九州の銅矛が武器じゃないことも知らない九州説のレベルの低さときたら・・・
169日本@名無史さん:2013/10/07(月) 22:21:21.63
知ってて、誤魔化して人々を騙そうとしてるのさ。
九州説ってのは、本質的に詐欺なんだよ。
170日本@名無史さん:2013/10/07(月) 22:39:51.94
近畿地方に矛があるのかってことなんだが…。
171日本@名無史さん:2013/10/07(月) 22:41:42.76
最近の畿内説は出来の悪い中学生みたいなのが多すぎる。
172日本@名無史さん:2013/10/07(月) 22:51:24.28
九州には矛、畿内には盾、合わせると矛盾、どちらでもないってことだよ
173日本@名無史さん:2013/10/07(月) 22:59:00.89
話を煽らしたり罵倒したりして
倭人伝に銅矛が出てこないことを必死に誤魔化してるな。
結局のところ、九州説なんぞ詐欺でしかないことの
証明だな。
174日本@名無史さん:2013/10/07(月) 23:06:55.18
鉄矛の出土って16本くらいで鉄器のなかで一番少ないんだよな
戦争に使用するような数じゃないと思うけどな
なんか倭人伝の内容は出土状況と一致しないんだな
175日本@名無史さん:2013/10/07(月) 23:09:45.61
今どき九州説なんてもう朝鮮工作員しかいないだろう。
176日本@名無史さん:2013/10/07(月) 23:14:39.16
倭人伝に銅矛が出てこないのだからね
銅鐸が書いてないから畿内じゃない!という論理はペケなわけだが
177日本@名無史さん:2013/10/07(月) 23:40:38.37
九州にも鉄矛が見当たらないので困った九州説の爺さまが
発掘調査報告書には「鉄ノミ」と書かれているものを
勝手に鉄矛だということに改竄して本だしてるんだよな。
詐欺師ぞろいだよ九州説。
178日本@名無史さん:2013/10/08(火) 02:51:36.96
レベルの低い話をしているな。倭人伝には銅鐸も銅矛も出てこないんだよ。
矛は鉄だ。
179日本@名無史さん:2013/10/08(火) 03:57:54.43
だから何? 知能レベルの低い九州くん!
180日本@名無史さん:2013/10/08(火) 05:55:17.41
銅鐸地帯ではない、銅矛地帯でもないってことだね。
銅鐸が書いてないから畿内じゃない!という論理は成立するんだよ。
181日本@名無史さん:2013/10/08(火) 07:04:21.18
やはり九州説は馬鹿しかいない。壱岐対馬を通らないのか。
182日本@名無史さん:2013/10/08(火) 07:26:54.15
東遷東征と関係ない話ばかりだな
話に入っていけなくて過疎スレに逃げてきたか

>>140
饒速日命のことを考えるとそれはあり得る
183日本@名無史さん:2013/10/08(火) 08:08:32.75
東遷東征なんて無いという話から必死に目を逸らし続ける馬鹿九州脳
184日本@名無史さん:2013/10/08(火) 08:19:47.14
まず邪馬台国自体が九州には存在しないし。
185日本@名無史さん:2013/10/08(火) 19:54:57.68
きっちりスレタイを考えて書け。とくに畿内説のうましか。畿内説を言うこと
がうましかの証明だと知らないのか。
186日本@名無史さん:2013/10/08(火) 20:00:08.30
畿内説も九州説もそれを主張すれば必ず矛盾に突き当たる
他の可能性を考えろ、うましか
187日本@名無史さん:2013/10/08(火) 20:11:12.32
エジプト説でも唱えとけ、うましか
188日本@名無史さん:2013/10/08(火) 20:22:00.15
「邪馬台国 エジプト説」でグーグル先生に尋ねたら、約55,500件ってお答えで驚いた
189日本@名無史さん:2013/10/08(火) 20:24:04.42
世に うましかの タネは尽きまじ
190日本@名無史さん:2013/10/08(火) 20:31:39.75
詐欺師さん、乙
191日本@名無史さん:2013/10/08(火) 20:50:31.04
東遷説が否定されると、定期的にスレタイ嫁男が現われて必死だな。
東遷あったッス前提のオナヌースレにしたいわけね。
それ、敗北宣言だから。
192日本@名無史さん:2013/10/08(火) 20:58:04.48
東遷と東征をごっちゃにするなよ
東遷は邪馬台国が九州にあったことが前提になるが、
東征は九州も畿内もありえる
193日本@名無史さん:2013/10/08(火) 21:54:03.43
>>192
しかし畿内説で東征を唱えると卑弥呼をモモソ姫や神功皇后に比定してなんかおかしな感じになるんだよね
俺自体東征はあったと思うけど東遷は信じられないよ
邪馬台国自体はあまり興味はないが神武東征は実に惹かれる
東征を否定する人はどういう根拠で言ってるのか知りたいな
このスレだと詭弁のガイドラインになりそうなことしか言って無くてつまらない
194日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:05:29.98
半島戦役で出征中に
玉座が乗っ取られてたから帰ってきて東征
なんていう話は、否定する根拠はない。
3世紀になって邪馬台国が九州から大和に移動
なんて話は考古学的に否定されてる。
195日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:05:50.20
邪馬台国があったのは漢時の話
卑弥呼の時代には倭国大乱で邪馬台国は無くなってしまってるとですたい
196日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:21:20.69
女王の都は邪馬台国にあるやんけ
197日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:34:05.28
>>194
前半の根拠が知りたい
根拠のない話は否定されても仕方ないよね
考古学的に否定されるのは東遷
東征は特にそれが少人数であるほど考古学で判るものではないな
198日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:39:49.67
神武天皇の部下は顔面に戦士の刺青をしてるんだよね
畿内では見慣れないのかイスケヨリヒメはそのことを聞いている
邪馬台国でも刺青をしていたよね
199日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:55:45.18
まず第一に神武東征は紀元前の話だろw
200日本@名無史さん:2013/10/08(火) 23:10:24.46
>>197
根拠は、同一文化圏内の短期間の戦闘状態というものが遺跡・遺物に極めて残り難いから
201日本@名無史さん:2013/10/08(火) 23:14:27.87
がっかり
202日本@名無史さん:2013/10/08(火) 23:33:11.24
ぽっくり
203日本@名無史さん:2013/10/08(火) 23:38:50.97
いや実際、息長足姫の忍熊追討の元になった話の実在を否定する根拠はない。
それを、台与を奉じた難升米が卑弥弓呼を瀬田に破った話に仕立て上げても、否定する根拠はない。
裏付ける根拠がないだけ。
204日本@名無史さん:2013/10/08(火) 23:41:21.13
渇しても東遷の水を飲まず
205日本@名無史さん:2013/10/09(水) 06:37:19.39
>>194
考古学的に否定されているというのは、考古学者が無能であることの証明だよ。
記紀に神武東遷、あるいは応神東征が書かれている以上、ヤマト王権の祖先は
何らかの方法・手段で西からやって来た、と考えなければヤマト王権そのもの
が成立を認められなくなる。もっとあちこちほじくって、痕跡を見つけること
だな。無能のそしりを受けたくなければね。
206日本@名無史さん:2013/10/09(水) 06:50:01.16
畿内説の人は現在の古都京都奈良のイメージに囚われてるんじゃないかな
当時のイメージでは東方は新興開拓地でだからこそ神武天皇も東に向かったと考えるべきでは
207日本@名無史さん:2013/10/09(水) 09:00:14.48
>>206
君こそ考え方が古いんじゃないの?大和だって南部は稲作も早いしな。
九州以外にも丹後や吉備、愛媛辺りに目を向けた方がいい。
208日本@名無史さん:2013/10/09(水) 09:14:51.60
九州説なんて論外だが、畿内説でも巻向に
七万戸もの集落を求める奴はダメだろ。
倭の海人が集落を構えるとすれば、必然的に
淡路島周辺に人口のボリュームゾーンが
形成されるのは必然的なんだからな。
209日本@名無史さん:2013/10/10(木) 20:59:05.04
纏向は西方との交易の利便性を求めて東海が遷都して出来た新興都市
210日本@名無史さん:2013/10/10(木) 21:09:56.92
九州説は馬鹿ばかり
211日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:20:10.04
畿内説も馬鹿ばかり
ちょっと考えればどちらでもないってことは直ぐ解るのに
212日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:21:15.12
あっ、東遷説は問題外ね
213日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:28:34.69
九州では、紀元前からほかのものとは違う棺が見られる。
須玖岡本遺跡、井原鑓溝遺跡、三雲南小路遺跡の甕棺からは、大量の
前漢鏡が見つかっているし、副葬品もたくさんある。
また、吉野ヶ里遺跡でも、王族の墓と見られる墳丘墓が見つかっている。

つまり、九州では、古くから王と見られる特定の階級の墓が見つかっている。
そういう存在がいたことが証明されている。

ところが、近畿地方あたりではそのような痕跡が見られない。
古墳は明らかに特権階級の墓である。
古墳時代がどちらと連続性があるかは明らかだろう。
214日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:39:43.78
前漢鏡なんて象鼻山にもあるし
国内最大級だよ
215日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:44:03.12
近江にもあったな
鴨田遺跡
帆立貝形方形周溝墓で、絵画土器とか五朱銭と一緒に出土してる
216日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:47:58.25
東海も近江も纏向へ土器が流れ込んでる地
217日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:49:26.32
土器の移動には人の移動と見ていいものも多い
218日本@名無史さん:2013/10/11(金) 07:47:36.05
土器は畿内から九州に運ばれているが、
九州から畿内には運ばれていない。

土器に何を入れて運んできたんかは知らないが、
鉄でも買いに来たのかな?
219日本@名無史さん:2013/10/11(金) 08:06:40.61
運ばれていないよ。
220日本@名無史さん:2013/10/11(金) 10:47:39.63
陶器職人が奴隷として連れてこられただけかも知れん。
221日本@名無史さん:2013/10/11(金) 13:29:33.48
陶器職人は連れてこられてないよ。
222日本@名無史さん:2013/10/11(金) 15:13:46.87
当たり前だが、古代にはお金がない。
お金がない時代の交易の基本は物々交換。
現代的感覚ではあまり思いつかないが、古代の重要な
交易品は人間だったのだろう。

欲しいものがあるが、代わりに提供するものがない場合、人間を
差し出す。人間はいつでも誰でも欲しがる。これが奴婢となる。

土器は、身分の高いものは作らない。奴婢の役目となる。
しかも、古代の土器は女が作っていたと考えられている。
女の小さな手でないと出来ない部分が見られるからである。

弥生時代の九州では、近畿地方や出雲の土器が良く見られる。
逆に、近畿地方などでは、九州の土器はほとんど見られない。
223日本@名無史さん:2013/10/11(金) 15:37:43.42
知能低すぎだろこいつw
224日本@名無史さん:2013/10/11(金) 15:54:07.75
九州説にしがみついてるボケ老人は、皆こんなもんさ。
225日本@名無史さん:2013/10/11(金) 16:23:33.89
象鼻山とか鴨田遺跡といっているやつはガチで糞味噌一緒の低脳
226日本@名無史さん:2013/10/11(金) 17:02:16.96
どうしてだろうね。
九州説信者って、いつも理由がヒトコトも言えないんだ。
227日本@名無史さん:2013/10/11(金) 17:26:16.28
理由は想像した又は妄想しただから

言える訳ないだろ
228日本@名無史さん:2013/10/11(金) 19:39:32.37
>>223、224、225、226、227
人の意見の批判だけなんて誰でもできる。批判するならきっちり論証し、自分
の意見を明確にせんかい。
229日本@名無史さん:2013/10/11(金) 19:44:33.49
あんまりパーなのは、晒すだけでおK
230日本@名無史さん:2013/10/11(金) 20:20:30.15
馬鹿だね
いつまでたっても同じような水掛け論の繰り返しで全く進歩がないってのもよく解かる
231日本@名無史さん:2013/10/11(金) 20:26:31.43
>>222>>228は九州説スレでも馬鹿にされてる爺さんだな
考古学を否定し歴史学は文献だけで十分って言ってるアホ
232日本@名無史さん:2013/10/11(金) 21:00:19.71
>>228
畿内説はあれで反論しているつもりなんだろうが、畿内説の評判を
どんどん落としていることには気が付いていないんだろう。

ちなみに、2007年、3月14日のNHK「そのとき歴史は動いた」で
どちらを支持するかの投票が行われている。
その結果は、

九州説支持 35087票 (62.4%)
近畿説支持 21102票 (37.5%)

となっている。このような世論も畿内説は知らないだろう。
233日本@名無史さん:2013/10/11(金) 21:23:14.09
マジ、もう哀れになってきちゃった。
234日本@名無史さん:2013/10/12(土) 06:50:43.01
今更九州説やら東遷説を主張する意味がわからん。
235日本@名無史さん:2013/10/12(土) 07:30:33.91
簡単だ。事実だから。
236日本@名無史さん:2013/10/12(土) 07:33:53.99
唐津に上陸して東南五百里といったら佐賀だ。そこから畿内へ行くわけがない。
方角、日数を考えれば南九州だ。記紀が伝えるとおり高千穂周辺に邪馬台国が
あったということだ。
237日本@名無史さん:2013/10/12(土) 08:54:07.20
>>231
それでそいつを論破できたのかい?。
238日本@名無史さん:2013/10/12(土) 09:03:19.73
動物園でおさるがキーキー啼いていても
誰もそれを論破できないが
できなくても
おさるが毛三本足りない事実には変わりがない。
239日本@名無史さん:2013/10/12(土) 09:54:54.67
なるほど。論破できないことは分かってるわけだ。
240日本@名無史さん:2013/10/12(土) 09:58:26.97
邪馬台国は東遷したのではない。
邪馬台国は東征したのだ。

たとえば、10代祟神天皇は長子である豊城入彦を東国に使わして征伐、
毛野氏の祖となり東国を支配した。
それが1000年の時を経て江戸幕府にまでつながったのだ。
241日本@名無史さん:2013/10/12(土) 10:03:51.77
>>240
徳川って松平だよね松平は何処出身
242日本@名無史さん:2013/10/12(土) 10:37:55.02
人間でない者には人間性を問えない。
論でないものは論破できない。
243日本@名無史さん:2013/10/12(土) 13:57:10.98
>>234
畿内説では大和朝廷の始まりが説明できないということ。

端的に言えば、弥生近畿と古墳近畿の非連続性。
弥生九州と古墳近畿の連続性というわけ。

記紀に神武東征が語られていることもこれを裏付けると言える。
244日本@名無史さん:2013/10/12(土) 14:08:19.94
東遷と東征は全くの別物
東遷は自国の領地の中で首都を東に移すこと
東征は東側にある敵国の領地を武力で侵略すること
245日本@名無史さん:2013/10/12(土) 14:21:55.75
記紀の東遷なんて大袈裟に言うからおかしくなる。
「王ですらない神武ら数十人の、侵略・居座りによる引越し」であって、
邪馬台国や邪馬台国の王や邪馬台国の統治機関が動いたわけじゃない。
246日本@名無史さん:2013/10/12(土) 14:36:18.12
>>243
余裕で出来るだろ。物部や蘇我等、古来からの豪族の
力関係の変化で、記述内容が変えられただけの話。
247日本@名無史さん:2013/10/12(土) 14:42:55.12
>>243
銅鐸が北部九州でも作ってる以上は、弥生期ですでに同一文化圏だからな。
仮に邪馬台国東遷なんて話があれば、倭人伝の書かれた
三世紀末にはとっくに終えてるという事だよ。
248日本@名無史さん:2013/10/12(土) 15:38:35.48
コンゴでiPhoneが発見されても、コンゴと米国は、同一文化圏じゃないだろ。
249日本@名無史さん:2013/10/12(土) 15:40:32.42
米国に日本車工場があるが、異質な文化圏。
250日本@名無史さん:2013/10/12(土) 15:54:30.90
自国の支配が及んでない敵国領内の飛び地に首都を瞬間移動した例は世界史史上1つもない
軍事的に絶対にありえない
東遷説を主張するのなら、どういう魔法を使えばこの軍事的にありえないことが可能になるか説明する必要がある
251日本@名無史さん:2013/10/12(土) 17:10:21.08
>>250
支配が及んでいないなんて…。
支配するための東征だろう。
252日本@名無史さん:2013/10/12(土) 17:23:27.29
>>251
だから敵国の領内にある飛び地を軍事征圧して首都を移転した例を1例でもいいから挙げてみろ
253日本@名無史さん:2013/10/12(土) 17:56:33.38
>>252
神武東征の場合は、敵国があったわけじゃない。

日本書紀には、「豊葦原の瑞穂の国は、天照大神と高皇産霊尊が天孫・
瓊瓊杵尊に授けられた国である。しかし、いまだ支配の及んでいない
ところがある。東には山々に囲まれた良い場所がある。
そこは日本の中心らしい。そこに行って、都を造るに限る」と言っている。

拠点を移した例は日本にはいくらでもある。特に戦国時代は多い。
豊臣秀吉は尾張の生まれだが、大阪に拠点を持っている。

徳川家康は三河武士だが、関東地方に拠点を移した。
元々京都の生まれの源頼朝も、鎌倉に幕府を築いた。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の目的は、明を滅ぼし、北京に首都を移す計画
だったらしい。織田信長もそのようなことを考えていたと言われる。

薩長も江戸幕府を倒して、敵の本拠地である東京を首都とした。

調べれば他にもいくらでもあるだろう。
254日本@名無史さん:2013/10/12(土) 17:56:43.88
秀吉が家康を江戸に移したじゃん。
もし徳川が歴史書から秀吉を消してたら、
なんで家康は敵地に首都を移したのかって疑問になるじゃん。
255日本@名無史さん:2013/10/12(土) 18:07:17.29
>>250、252
軍事制圧だと考えてる点で間違えているね。九州から近畿への文化の進出、貿
易・商業による支配だ。現代とも同じ。近畿の弱体な資本は九州の強力な資本
の前にまったく太刀打ちできず、次々と支配下に飲み込まれて行った。これが
東遷の実態だ。九州からの鉄器の伝播がその証拠だ。
256日本@名無史さん:2013/10/12(土) 18:15:33.37
倭王家が2つに分裂して、

居ることのできないほうが未開の地に「稱其御世謂所知初國之御眞木天皇」

これは「遷都」と称してもべつにかまわないかとはおもふが。
257日本@名無史さん:2013/10/12(土) 18:49:29.12
>>253>>254>>255
神武は戦ってるだろがよ
東遷説は記紀の神武東征をよりどころにしておいて記紀を否定かよw

家康や秀吉は隣接地を攻略して徐々に領土を広げていった
頼朝は鎌倉を拠点に支配地を広げていったのであって邪馬台国東遷とは全く逆の動き
薩長は西から次々と幕府軍を破っていったわけで、
記紀にある四道将軍が奈良から全国に派遣されたのと全く逆になる

要するに隣接地を攻略しないでいきなり敵地の真ん中に拠点を作るなんてどうやっても不可能
邪馬台国東遷などというのは物理的に不可能なんだよ
258日本@名無史さん:2013/10/12(土) 19:00:39.95
東遷説を主張しようとすると記紀と矛盾してしまい東遷ストーリーを勝手に創作せざるを得ないってことだな
259日本@名無史さん:2013/10/12(土) 19:28:05.69
東遷説を主張しようとすると考古学と矛盾してしまい非現実的な歴史ストーリーを勝手に創作せざるを得ないってことでもあるな
260日本@名無史さん:2013/10/12(土) 19:51:56.09
だから考古学は歴史学の本流ではなく、傍証の研究をしているものだ。
261日本@名無史さん:2013/10/12(土) 19:59:15.57
まぁ考古学的にも文献解釈的にも、邪馬台国九州説は既に成立しないだろ。
262日本@名無史さん:2013/10/12(土) 21:56:59.32
東遷説完全論破
263日本@名無史さん:2013/10/12(土) 22:01:30.26
>>257
何を根拠に不可能と言っているのかわからないな。
記紀を基に考えれば、戦争の末に、けっこう苦労して奈良盆地に入り、
そこに自分たちの国を作る。

崇神天皇の時代になって四道将軍を派遣して、東海、越前、丹波、西道と
近隣に支配を広げる。ところが面白いことに、崇神天皇記には、朝鮮半島の
任那が朝貢してきたとある。なんかいびつな関係だ。

景行天皇は、熊襲征伐に出かける。日向に宮を築き、6年かけて熊襲と
戦う。しかし、決着は付かなかったようで、日本武尊などが再度
熊襲征伐に出かける。

しかし、北部九州との戦いはほとんど見られない。北部九州には少なくとも
熊襲に匹敵するような敵はいなかったのだろうか。6世紀の磐井の乱のように
正面から衝突し、どちらが優勢かわからないような戦いをするような勢力は
いなかったのだろうか。
264日本@名無史さん:2013/10/12(土) 22:06:00.08
続き。
このように考えると、大和朝廷はその発祥の時期から北部九州と日向、
それに場合によっては四国も、敵ではなかったと考えられる。
265日本@名無史さん:2013/10/12(土) 22:10:17.88
仲哀が征伐に行って返り討ちに遭ってるやん
266日本@名無史さん:2013/10/12(土) 22:18:43.63
>>265
仲哀天皇も同じ。熊襲征伐のために九州に行き、戦いなど一つもなく、
筑紫に香椎宮を築く。北部九州に敵がいなかったことを示している。

神武東征の時から、大和朝廷と北部九州が本格的にぶつかったことは
6世紀の磐井の乱までないのである。
267日本@名無史さん:2013/10/12(土) 22:30:12.02
北部九州の土蜘蛛と戦ってるじゃん
奴国が大和朝廷傘下に入ってしまえば残りは雑魚しかいなかったってことだろ
相手が巨大すぎると普通は戦わず服従する
秀吉の全国統一の後半でも同様で、大物以外は戦っていない
268日本@名無史さん:2013/10/12(土) 23:32:57.20
仲哀天皇のお子様の下の方のは熊でしょ
269日本@名無史さん:2013/10/12(土) 23:37:15.08
>>266
御勢大霊石神社の社伝によると、仲哀天皇はこの地で熊襲の毒矢に当たって崩御してるよ
270日本@名無史さん:2013/10/12(土) 23:41:36.77
神社の社伝なんぞ言いたい放題。
271日本@名無史さん:2013/10/12(土) 23:45:28.96
天皇は京都から東京に東遷してる
江戸は敵地だった
272日本@名無史さん:2013/10/12(土) 23:45:44.56
建内宿禰と息長帶日賣命に毒矢で殺されたにきまるじゃん
273日本@名無史さん:2013/10/13(日) 00:05:29.99
天皇が京都から東京に東遷したんじゃなくて人質みたいなもんじゃん
偽勅まで作って
274日本@名無史さん:2013/10/13(日) 00:09:36.37
大和朝廷が権威を高めるために
九州地方にあった伝説を持ってきて、話を作った
275日本@名無史さん:2013/10/13(日) 00:21:33.56
神功皇后の話や、神社の由緒が。福岡で多すぎる。

神功皇后のモデルとなった人物は、福岡市付近を
本拠地とした豪族だろうな。
276日本@名無史さん:2013/10/13(日) 00:25:51.12
記紀をみて尾ひれをつけただけだろ。記紀より先には何もないよ。
277日本@名無史さん:2013/10/13(日) 00:40:36.32
>>271
戊辰戦争では西から旧幕府軍を打ち破りながら進んで行った
支配地域を拡大するときの普通の戦い方だ
しかし東遷説では中国地方、四国は放置していきなり敵地の真ん中を軍事攻略して
首都を移転させたことになってる
こんな例は日本だけでなく世界史史上1つもない
軍事的にありえないことをやったと主張する東遷説はただの妄想に過ぎない
278日本@名無史さん:2013/10/13(日) 00:43:50.42
戦いをしないで敵地を支配下に入れるってのは、考古学者にとっては珍しいことではない
らしいよ。西日本で戦いがあった形跡はないが、伊都国は大和の支配下に入ったと言ってるだろ。
279日本@名無史さん:2013/10/13(日) 00:49:57.39
弱小国は戦いを避けて降参するからな
280日本@名無史さん:2013/10/13(日) 00:52:15.24
でも都は移転しないよなw
281日本@名無史さん:2013/10/13(日) 00:52:54.19
伊都国=ワタツミの国
282日本@名無史さん:2013/10/13(日) 01:00:12.00
いや、伊都国は卑弥呼に大政奉献したというわけさ。
283日本@名無史さん:2013/10/13(日) 01:07:16.90
>>274
九州にあったほうが権威があるのか
284日本@名無史さん:2013/10/13(日) 01:10:07.09
>>277
東遷は無かったと思うけど東征はあったと思うよ
記紀を読んでも一気に広範囲を支配したわけじゃなく
東征後じわじわと勢力範囲を広げているしね
285日本@名無史さん:2013/10/13(日) 01:17:03.75
>>284
同意です
神武東征と邪馬台国東遷では中身は180度違う
286日本@名無史さん:2013/10/13(日) 01:21:21.82
衷哀・神功の九州制圧や後の時代の蝦夷制圧にかかった時間に比べて、
四道将軍は迅速すぎる。
四道将軍は全く新たに支配地を広げたというよりも、倭国大乱後の再統一で、大乱前の旧支配地に再忠誠を迫っただけだろう。
287日本@名無史さん:2013/10/13(日) 01:23:37.51
東遷と東征は主体が違うな
上に記紀で日向三代に入ってから高天原の様子が出なくなるという疑問が提示されていたが
天孫降臨後はニニギは高天原はと没交渉になったということだろう
つまりニニギは官として派遣されたわけでなく半分人質の婿入りをしたのだろうな
288日本海ルート論者:2013/10/13(日) 01:32:24.51
これで寝るんだけど。

iPhoneのbb2cだと見れなかったので、
今やっと>>123を見た。
123=122さんと今知る。申し訳ない。
しかし丹念〜。
289日本海ルート論者:2013/10/13(日) 01:33:34.84
スミマセン。間違えました(謝)
290日本@名無史さん:2013/10/13(日) 01:33:39.83
四道将軍は反乱を起こした地方豪族をピンポイントで制圧しに行ったんだろ
ほとんどの豪族はすでに服従していて一部が反乱を起こしただけだろ
敵をばったばったなぎ倒しながら進軍したなんてありえない
291日本@名無史さん:2013/10/13(日) 01:35:47.39
いいから早く寝ろ。そして寐てから夢を見ろ。
292日本@名無史さん:2013/10/13(日) 01:36:58.66
四道将軍は平和で戦争の無かった土地に攻め込んだだけだろう
準備が無いので簡単に降伏した

その後地方は軍事力を整備し再侵略に備え反乱した
293日本@名無史さん:2013/10/13(日) 04:47:39.69
>>277
世界に一つもないなんてすごい自信を持っているようだが、世界史、
日本史の全てに精通しているのかな。
恐らく、誰かの本を読んで、そのように確信しているのだろう。

しかし、仮に世界に一つもなくても、それが神武天皇に当てはまるとは
限らない。神武天皇が唯一の例であっても少しも困らないわけだから。
少なくとも、記紀ではそのような考えないとつじつまが合わない。

世界のどこを探してもないかどうかは知らないが、それが神武東征を
否定する根拠にはならない。

皇室は1500年も1700年もそれ以上も続いているというが、そんな例は
世界中のどこを探してもない。だから嘘だ、ということにはならない。
294日本@名無史さん:2013/10/13(日) 05:08:08.02
>>285
邪馬台国東遷説の基本は、卑弥呼+台与=天照大神。

記紀では、天照大神の子孫が神武天皇であり、これが東征し大和朝廷を
築くことになる。
同じように、卑弥呼や台与の勢力を受け継ぐものが東征し大和朝廷を
築くというのが邪馬台国東遷説になる。

だから、東征の時期は、卑弥呼時代のあとになる。
295日本@名無史さん:2013/10/13(日) 06:12:33.36
本当に記紀の都合の良いところだけつまみ食いするよな、東遷説ってw
邪馬台国が記紀に載ってないとしたら、むしろ神武が
畿内にあった邪馬台国を乗っ取ったとする方がまだ自然だろ。
296日本@名無史さん:2013/10/13(日) 07:01:15.74
じゃあナガスネヒコは邪馬台国か
どこが自然なんだか
297日本@名無史さん:2013/10/13(日) 07:17:24.07
伊都国は佐賀と考えるのが自然。ということは、投馬国も邪馬台国も南九州で決まりだ。
東征は倭人伝が伝える時代よりも後の話。
298日本@名無史さん:2013/10/13(日) 07:52:52.90
ま、伊都が佐賀であっても、伊都津彦が穴戸で王権を主張してる以上、
奴国は本州西部に跨る国なのは確実だろう。
また邪馬台国が南九州なら、卑弥呼に当たる人物が
存在しないのが致命的だろ。
畿内ならモモソ姫という、卑弥呼像には一番近い存在の姫がいるからな。
モモソ姫は海部氏系図という、証明出来る資料が存在する。
299日本@名無史さん:2013/10/13(日) 07:55:39.00
>>296
ニギハヤヒが物部の祖先なら不自然ではないだろう。
300日本@名無史さん:2013/10/13(日) 08:04:47.68
東遷が、なんで敵地の真ん中って話になるのはなんで?
301日本@名無史さん:2013/10/13(日) 08:14:55.65
畿内説の人間はあまり無知をさらすと、
畿内説自体の評判を落とすぞ。
302日本@名無史さん:2013/10/13(日) 08:24:57.81
邪馬台国東遷説なんてトンデモ話だからなw
303日本@名無史さん:2013/10/13(日) 08:29:19.79
>>299
饒速日命は自分で他所から来たと言ってるよ
304日本@名無史さん:2013/10/13(日) 09:31:26.94
モモソヒメは百曽姫又は百襲姫だろう。畿内というのはおかしいな。
南九州の名前だ。
305日本@名無史さん:2013/10/13(日) 09:54:29.23
モモソ姫の伝承なんて畿内や瀬戸内周辺にしかないけど?
母親も淡路島にいたんだしね。
306日本@名無史さん:2013/10/13(日) 09:59:01.35
>>303
神武より先に入ってる時点で察しなきゃな。
お互いに印を見せないと元々同類とわかってないようだし。
307日本@名無史さん:2013/10/13(日) 10:09:25.78
>>306
それは分かれたのが遥か昔ってことの証明だね
祖父の代に分かれたのなら
記憶に残っているから分かる

ニニギ降臨は神話の時代
神武東征は人の時代

でも神話時代の降臨証明を双方が持っていた
つまり神話は事実だったんだよ
308日本@名無史さん:2013/10/13(日) 10:17:49.94
>>305
伝承はあとから作ったんだろ。記紀よりも前にあったわけではあるまい。
309日本@名無史さん:2013/10/13(日) 11:01:59.81
しかしスレ主の望む話にはまったくならんな
310日本@名無史さん:2013/10/13(日) 11:06:36.78
>>308
それじゃ結局記紀の全否定だろw
311日本@名無史さん:2013/10/13(日) 11:11:34.66
大体高天原は畿内の葛城地方を前提で創作されてるだろ。
江戸時代以前はそう信じられてるんだしな。
312日本@名無史さん:2013/10/13(日) 11:24:24.15
>>311
それだと神武東征でなくて神武帰還だぞ
313日本@名無史さん:2013/10/13(日) 11:45:18.92
長崎県対馬市峰町志多賀というところがある。

峰の志多賀

高千穗の峰
314日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:15:25.88
>>312
帰還でいいんだよ。だから話として南周りの
紀伊半島から大和盆地へ入る必要性がある。
熊野山中で一旦皆倒れるが、剣を授かったり、
不思議な力で復活する事でもわかるだろう。
315日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:21:17.52
結局スタートを日向としたのは、南九州の連中を
懐柔するための逸話に過ぎないんだよ。
実際は神武の先導役としてのウズヒコが
初代倭国造となっている事も忘れてはダメだな。

ヤマトタケルも死んで帰るのは大和と河内、そして讃岐だよ。
316日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:22:49.64
さっぱり分からない
脳内を他の人にわかるように説明できないと検討以前で捨てられるぞ
317日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:26:01.79
>>316>>314あてね
318日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:28:11.19
天照大神=卑弥呼説や東遷説なんかの方がずっとトンデモ話だ。
319日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:33:15.00
>>317
大体神武は生駒越えなんかより、遥かに困難な
熊野廻りを選ぶ必要性があるのか?
と、ごく当たり前の疑問を持たなきゃな。
現実的な話、そこに縁や仲間が居ないと有り得ないだろ。
だから帰還というのはある意味正しいと言ってるんだよ。
320日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:39:15.48
最初からそっちと合流しろよw
321日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:40:09.79
ハイキングしてんじゃねーぞ
多くの敵が住んでいるところと敵がいないところとどちらを選ぶと思っているんだ
322日本@名無史さん:2013/10/13(日) 13:18:43.16
紀伊山中で死にかけてるしな。
そこで蘇生されるのだから、やはり高野と天野で高天原だよ。
323日本@名無史さん:2013/10/13(日) 13:28:55.66
なんか宗教がかっているな
かなりお年の方と推察
324日本@名無史さん:2013/10/13(日) 13:50:39.85
まあしかし、ここでの議論はなかなか現在の混迷する古代史研究を表してはいるな
記紀については完全に記述どおりに信じるという派は少ないが
おおむね何らかの資料に基づいて描かれているという立場から
多くの創作、捏造があるとする立場までさまざま

さらに歴代天皇についても、ほぼ記紀のとおりの事跡があったと見る立場もあれば
崇神、仁コなどの個人の実在性よりも年代指標の記号として考えている人もいる
天皇の系譜も、万世一系に近いと見る立場から、王朝交代があったとする派
継体あたり以前は各豪族の持ち回りで大王を出していたと見る人までいる
325日本@名無史さん:2013/10/13(日) 14:17:52.26
東遷説を戦国時代に例えると、
九州の大名が上洛して天下を取ったってことになる
中国地方には毛利や宇喜多がいて四国には長宗我部がいたがスルーして
畿内にいた織田信長を撃破して安土城を乗っ取ったのと同じ
普通の人はこういうストーリーは無理筋だから説自体が間違っていると考える
だが東遷説論者は全く疑問にも思わないのである
326日本@名無史さん:2013/10/13(日) 14:29:07.80
というか弥生末頃ならクニの規模は小さいし
要所に兵を置いて面として支配できているわけでもない
交易が盛んだったから小規模の集団が人の少ないとこを選んで
通り抜けていくのは難しかったとも思えない
まして海路ならなおさら
ただ専業兵士なんていたとしても少なかっただろうし
多くの集落は不安定な農耕で食っていくのが精一杯
大規模な遠征戦争なるものができたとも思えない
327日本@名無史さん:2013/10/13(日) 14:51:06.97
神武東征は戦記というよりアドベンチャー
328日本@名無史さん:2013/10/13(日) 14:52:16.84
そんな状態ならば、魏国のニュースが入ってくるとも思えない。ましてや、使者を派遣し
ようなんて発想が生まれるとも思えない。
329日本@名無史さん:2013/10/13(日) 14:56:18.10
邪馬台国は7万戸の国
人口は35万〜40万人くらいだろうか
そんな大国の首都が移転するには支配者階級だけが移ればいいという話ではない
兵隊がいなかったら戦うことさえできない
単身赴任のはずはないから家族も連れて移ることになるだろう
無理だね
330日本@名無史さん:2013/10/13(日) 15:02:58.42
邪馬台国東遷って、要するに神武東征伝承からの
推測が大きいな要因でしょう?
でも、神武東征なんて、とてもじゃないけど
大規模な遷都なんて連想できない。
331日本@名無史さん:2013/10/13(日) 15:12:24.59
東遷説のやつらの矛盾
倭国の範囲は九州だけだと頑なに主張する
もし本州まで倭国だと認識されていたとしたら、九州の地方豪族が倭王の称号をもらえるわけないから
この点だけは絶対に譲らない
そして本州は倭種が住んでるらしい海の向こうにある未知の国という扱いにする
しかし数年後、倭国王は倭国にある領土を捨てて未知の国に新しい都を築いたのである
なんじゃこれwww
332日本@名無史さん:2013/10/13(日) 15:35:31.09
>>324
トンデモには興味ない。
333日本@名無史さん:2013/10/13(日) 16:30:34.97
近畿地方の弥生時代には、古墳時代の下地がない。
古墳は特権階級の墓。しかし、弥生近畿にはその痕跡がない。
特別な人物を葬った墓のようなものは見られないし、
副葬品もない。

古墳時代になると、突然、古墳が出来、棺には副葬品が
たくさん見られる。しかも、それは鏡や剣・玉類など
九州の弥生時代にみられるもの。

東遷が一番、妥当性のある考えなのだ。
334日本@名無史さん:2013/10/13(日) 16:40:50.48
東遷説の根拠は2つ
・邪馬台国は九州にあった「と思いたい」
・邪馬台国が大和朝廷になった「と思いたい」

2つの願望が脳内で膨張してできた説なのである
335日本@名無史さん:2013/10/13(日) 16:41:22.01
宮崎には円墳やバチ型など、形状的には
萌芽期といえるような古墳も近い古墳群に含まれてるな。
336日本@名無史さん:2013/10/13(日) 16:48:15.01
>>1 なんだか結論が先にあってよくわからないスレだな。
337日本@名無史さん:2013/10/13(日) 16:48:18.87
最初の古墳は近畿地方でできたというのも疑ってかかる必要が
あるかもしれない。
畿内説の年代は、あてにならないというか、都合の良いように
変えてしまう癖がある。
338日本@名無史さん:2013/10/13(日) 16:53:43.21
大和国と倭国は別なんだがなんだか同じにされてしまってるよな。
白村江の戦いだって高句麗が南下したため倭国・百済と唐・新羅軍の戦闘になったわけだが、
もともと大和朝廷は関与してなかったはずなのだ。
339日本@名無史さん:2013/10/13(日) 16:54:25.28
>>336
それが明治以降の邪馬台国東遷説を集約している。
東大系の九州説というのがそれ。
邪馬台国東遷説について漠然としたイメージしか持っていない人に
説明しているのだ。
340日本@名無史さん:2013/10/13(日) 17:07:38.21
余談だけど、戦国時代の日本は質量ともに世界一の軍隊だったらしい。
秀吉の朝鮮出兵は、各地で連戦連勝。これで明は疲弊してしまい、
滅亡を早めたとか。秀吉があと一年生きていたら、世界は変わったかも。
341日本@名無史さん:2013/10/13(日) 17:18:37.24
東大が邪馬台国研究を止めてしまったのは自らの誤りに気付いたってことだろう
考古学でいろいろ分かってきてしまいどうやっても九州説を主張するのが苦しくなってしまった
今さら方向転換できないから研究を止めましたってことにした
342日本@名無史さん:2013/10/13(日) 17:18:47.46
そらあれだけ兵士と鉄砲持ってる国は他になかったからな
343日本@名無史さん:2013/10/13(日) 17:19:12.05
でも撤退したじゃん
344日本@名無史さん:2013/10/13(日) 17:31:50.88
秀吉が死んだのと
補給がどうこうと言われてるが、結局武将らに目的意識がなかった
345日本@名無史さん:2013/10/13(日) 17:44:53.69
明の皇帝が秀吉に金印と詔書を贈ろうとしたら、秀吉は激怒したとか。
金印・証書はそういうものなんだよな。
346日本@名無史さん:2013/10/13(日) 17:49:49.59
『明史』には「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、十万の将兵を
喪失し、百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、
ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」とある。
347日本@名無史さん:2013/10/13(日) 17:50:38.49
金印を渡そうとしたからというか
だまされてたことにそこで気づいたからな
348日本@名無史さん:2013/10/13(日) 17:56:17.82
大和朝廷も隋の臣下になる事を拒んだ
それで揉めて使者が怒って帰った
349日本@名無史さん:2013/10/13(日) 18:37:36.92
東遷説の人にとっては神武は存在しないことになってんの?
350日本@名無史さん:2013/10/13(日) 18:43:35.51
>>349
もちろん存在する。大和朝廷の始まりの示すような記述はほかにないし、
これが九州と大和との橋渡しにもなるわけだから。
351日本@名無史さん:2013/10/13(日) 18:55:03.66
そうすると年代がめちゃくちゃになりそう
神武、欠史八代、崇神
この辺は何年くらいの人だと考えてんの?
352日本@名無史さん:2013/10/13(日) 20:06:49.08
神武は残ってる情報量からして応神あたりと時代は大して変わらないだろう
時代の経過と共に情報は失われていくのに欠史八代より情報量が多いのはおかしい
実質的にヤマト王権の始祖なんだろうが、倭国の始祖ではないだろう
353日本@名無史さん:2013/10/13(日) 20:51:32.71
>>352
特別なことをすれば記憶に残る
店を起こした初代が語り継がれていくなんてどこでもあること
354日本@名無史さん:2013/10/13(日) 21:29:03.61
東征という言葉と東遷ということばが混在して勘違いが起こっているようだ。
東征というのは西の勢力が東へ進出するという意味で、東遷というのは西の都
が東へ遷されるという意味である。記紀の記述によれば日本の歴史上、東征は
2度起こったことになる。1回目は神武天皇の東征で、2回目は応神天皇の東
征である。このスレの邪馬台国東遷は邪馬台国が元、九州に有ったところ何ら
かの事情で日本列島の東の方へ都を遷したという意味である。どう解釈するか
は意見の分かれるところだろうが、神武天皇の場合は「東征」である。このス
レのスレタイは「邪馬台国東遷」である。お間違いの無いように。そしてこの
前提を踏まえて349、351氏の疑問にどなたか答えてあげていただきたい。
355日本@名無史さん:2013/10/13(日) 22:37:51.90
>神武天皇の場合は「東征」
で、九州の都はその後どうなったのでしょう。
356日本@名無史さん:2013/10/13(日) 22:55:36.55
>>354
あまり言葉にこだわらなくてもいいと思うが。
神武天皇の場合は、東征という言葉を使っていても、実は拠点を
日向から大和の橿原に移したわけで、東遷でもかまわないと思う。

応神天皇の場合は、神功皇后が九州にいるときに生まれ、1歳で
神功皇后に伴われて大和に帰るわけで、忍熊王らの反乱を収めたのは
武内宿禰。日本書紀によると、応神天皇の東征とはいえないな。

>>341
このあたりは難しいが、個人的には、神功皇后の時代は、好太王の
碑文との整合性から390年から400年位。10代・崇神天皇は360年
くらいか。神武天皇は300年より少しあとかな。
357日本@名無史さん:2013/10/13(日) 23:29:31.27
>>356
>10代・崇神天皇は360年くらいか。神武天皇は300年より少しあとかな。

根拠は?
古事記によると崇神没年は戊寅の年なんだが
358日本@名無史さん:2013/10/13(日) 23:34:47.93
>>356
ということは、神功皇后、神武天皇、崇神天皇を実在の人物とみているということか。
359日本@名無史さん:2013/10/13(日) 23:38:13.78
>>357
日本書紀では、崇神天皇の没年は辛卯の年になっているのかな。
年代に関しては、文献的にも詳しい記述があるわけではないから、
大体のところというほかない。
干支もあてになるかどうか。
360日本@名無史さん:2013/10/13(日) 23:45:00.09
>>358
神功皇后については怪しいな。
神武天皇・崇神天皇は実在していると思う。
361日本@名無史さん:2013/10/13(日) 23:57:43.37
戊寅の年
西暦18年、78年、138年、198年、258年、318年、378年、438年

辛卯の年
西暦31年、91年、151年、211年、271年、331年、391年、451年

360年ってどちらでもないな
つまり古事記も日本書紀もあてにならないから、
自分の脳内ストーリーにあてはめた年代こそが正しいという主張なのか
さすが東遷説を主張してるだけのことはあるな
362日本@名無史さん:2013/10/14(月) 00:08:47.22
>>361
崇神天皇の没年である辛卯の年を忠実に計算すれば、紀元前30年になる。
神武天皇即位の年は、辛酉の年でこれは紀元前660年になる。
これがありえないのは常識。

だからと言って干支だけは正しいとするのはどういうものか。
古事記と日本書紀で異なるというのがある意味、干支のいい加減さを
意味していると思うが。
363日本@名無史さん:2013/10/14(月) 00:49:03.10
邪馬台国は東遷しなかったと思う。
九州には倭の広範な勢力による共立を物語るような遺跡は片鱗もない。
弥生遺跡としては巨大な遺跡はあるが、百数十カ国のうちのもの。
巻向型古墳の集積も見られない。

神武東遷は、もっと昔の出来事の伝承だと思う。
崇神は300年ごろ。
364日本@名無史さん:2013/10/14(月) 00:58:11.00
邪馬台国には暦が無いって言うんだから、
神武の頃には干支も暦も無いだろ。
365日本@名無史さん:2013/10/14(月) 02:02:46.88
暦がないってのは、ちょっと変だと思う。
中国のようなちゃんとしたのはないかもしれんが、紀元前から中国に
「浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。」
こんなことをしてんのに、その後

それに、こよみを持ってなきゃ、田植えの準備も出来ないよ。
366日本@名無史さん:2013/10/14(月) 02:15:24.41
>>365
たぶん、卑弥呼時代には暦とか年号はなかったと思う。
卑弥呼の年齢については「長大」とあるだけ。
「其人壽考、或百年、或八九十年」も古代では考えられない。
大雑把な年齢しかなかったのだろう。

台与の13歳も怪しいな。少女だったのは確かなのだろうが。
あるいはそれくらいまでなら年齢もわかったのかもしれない。
367日本@名無史さん:2013/10/14(月) 02:30:30.20
暦(太陰太陽暦)を作るには天文計算が必要だし3世紀ころの倭人には不可能だろう
稲作は開花や渡り鳥などの生物季節を利用した単純な太陽暦で困らないだろうな
368日本@名無史さん:2013/10/14(月) 05:25:48.53
記紀は、天皇の神格化する為に、捏造された文献だと考えれば、いい加減といえばいい加減。
369日本@名無史さん:2013/10/14(月) 06:41:57.40
文字や数式がない時代に季節を知ろうとすると、
ストーンヘッジみたいなものになるのかな
370日本@名無史さん:2013/10/14(月) 06:47:18.21
>>368
どこが…。天照大神なんて、素戔鳴尊にいいように高天原を荒らされ、
全く抵抗せず、さらに好き放題にされ、あげく怒って天岩戸に隠れる。
こんなかっこ悪い皇祖をどうして捏造する必要があるのかな。

素戔鳴尊が高天原に上って来た時、天照大神が丘の頂に立ち、
神に祈りを捧げると、天から火の玉が無数に落ちてきて、素戔鳴尊の
軍勢を焼き尽くした、なんてのを捏造するならわかるが。

記紀は、神格化するために捏造したというような話はなくて、
祖先を誹謗するために作ったとしか思えないような話ばかりだ。
そこに現実味がある。
371日本@名無史さん:2013/10/14(月) 07:10:39.45
368氏も370氏も認識がやや?
記紀は天皇家が大王として豪族や民衆の上に立つことを正当化するために作ら
れた。神格化ではなく、祖先の誹謗でもない。天皇家の祖先は日本という国を
創るためにこんなご苦労をされたのだよと記述している。
372日本@名無史さん:2013/10/14(月) 12:34:47.93
現代人の目で見てどんなに情けない神様だって
それが当時みなの信仰している神様だったなら
それを帝室の祖先に当てはめることは皇帝の神格化だよ。
373日本@名無史さん:2013/10/14(月) 13:39:32.98
>>372
単に口争いをすれば歴史の事実が見つかるか?。神格化かどうかは個人の見識
だろう。自分個人の感覚を他人に無理強いしない方がいいぞ。
374日本@名無史さん:2013/10/14(月) 13:59:21.58
>>370>>372に対するアンチテーゼとして批判になっているが、>>373は単なる「口争い」の典型
375日本@名無史さん:2013/10/14(月) 16:54:37.41
>>371
しかしだよ。大和に都する大和朝廷が、神武東征を捏造する意味が
どこにあるのだろう。

捏造するなら、天上の国から天孫が大和の三輪山に降りてきて、
そこから全国に支配を広げていったとするのが自然だろう。
気分もいいだろうし、自分の国である大和がいかに神聖な地であるかも
知らしめることが出来て、支配にも都合が良い。

なのに初代の天皇が日向からやってきて、大和の地を征服して朝廷を
打ち立てたという話を捏造する意味が見当たらない。
そこにも、記紀の真実味が感じられる。
376日本@名無史さん:2013/10/14(月) 17:38:51.19
>>375
九州、出雲、近畿の連合体で
いずれの地域にも配慮しなければ
ならなかった

とか
377日本@名無史さん:2013/10/14(月) 17:48:42.00
>>376
なら今いるところでいいでしょ
普通に考えれば日向への配慮は過分だよ
しかも隼人の配慮したからというのが討伐した相手に同族だと言ってる例が他にあるか
考えられるのはそれが事実だからだよ
神武天皇の家系は阿多だらけ
その血の75%はサメ
兄は海で死んでる
畿内には船でやって来た
配慮というのを超えている
378日本@名無史さん:2013/10/14(月) 18:01:48.20
>>375
神武が東征したというのは自分達の祖先の本当の歴史だから記紀に書いた。
問題はそれに邪馬台国が絡んでいたのか、いなかったのか、ということ。
379日本@名無史さん:2013/10/14(月) 18:01:50.07
神武の家来が顔に入れ墨をしてるのを奈良で生まれ育った嫁さんが見てびっくりしてるしな
380日本@名無史さん:2013/10/14(月) 18:08:58.94
山幸海幸の話に答えが書いてあるじゃん
ワタツミの国と融合してる訳だから、両方の歴史を引き継いだものにする必要があった
381日本@名無史さん:2013/10/14(月) 18:46:48.14
悪は、いずれ自然に滅びるみたいな自然観が裏にあるんじゃないかな?
戦って打ち負かす必要など元々ない。素戔鳴尊のように人を殺めたら穢れる。
バカは相手にしないで岩戸に籠って時が解決してくれるのを待つ。
自ら手を汚すことはなどあり得ない。
それが神の使い天皇というもの。
382日本@名無史さん:2013/10/14(月) 18:56:32.16
>>378
そこまでくると記紀の記述云々というより、現代人の研究の問題になるね
383日本@名無史さん:2013/10/14(月) 19:06:44.60
数日前にニュース速報+板で竹田恒泰のスレが立っていたが
神武天皇が南九州から東征していてショックを受けたというスレがあった
邪馬台国畿内説を唱える人とか同じような先入観があるんじゃないかな
384日本@名無史さん:2013/10/14(月) 19:07:57.16
ありゃ
スレがあった→レスがあった
間違えました
385日本@名無史さん:2013/10/14(月) 19:21:25.98
先入観があるのは、あんた。
畿内説と東征の存否は無関係。
関係があるのは、あった時代がどうかだけ。
386日本@名無史さん:2013/10/14(月) 19:24:27.62
よくいわれるな。「天皇家の神格化のために捏造した」
本気でそう思うのか、ちょっと信じられない。
ダメダメの神様や、女房にダメ出しされて死んだのや、神武にしてから、
大和へやって来た時は威勢がいいが、よく読んだら磐余の豪族だし。

捏造するなら、もっとましな作文にするだろ。
387日本@名無史さん:2013/10/14(月) 19:43:07.92
「天皇家の神格化のために粉飾した」だろ
皆が知ってるような大筋は変えようが無い
388日本@名無史さん:2013/10/14(月) 19:46:07.65
>>378
邪馬台国との関係があるのか知るのは難しいね
神武天皇に関する記述は割と具体的で収集され稗田阿礼が元にした話が天皇家だけでなく
神武天皇の部下の子孫の分もあるんじゃないかと思うけど
ニニギが日向にやってくる前の話は天皇家にだけ伝わっていたものだろうね
高天原の話はニギハヤヒのように別系統でもたらされたものを混合してできたと

ただニニギは半分人質の婿入りだったと思うけど
邪馬台国が魏の使者を迎えたのは狗奴国との争いの調停のためだったとすると
派遣要請が無くなったのは手打ちが出来たからかもね
それでニニギが婿入りしたと
389日本@名無史さん:2013/10/14(月) 19:51:00.94
神代紀下の構成をよく読むと、天孫は背宍の空国、背中の肉のようにやせた土地に降臨している
一方、古代に於いては末子相続が基本だが、天孫は長子の家系
両者を合わせると、天孫は傍流ということになる

>>388
卑弥呼=天照大御神説、邪馬台国=北九州=高天原説と東遷説を組み合わせるのが最もしっくりくると思う
390日本@名無史さん:2013/10/14(月) 20:00:05.32
>>389
前は邪馬台国は北部九州かと思っていたけど
天孫降臨の様子は霧島の高千穂峰がしっくりきて
わざわざ山頂を通るとしたら日頃から高千穂峰を見ていたのではと思うようになった
まっ西都原とか他にどんな根拠があるかも知らないので聞き流してちょうだい
391日本@名無史さん:2013/10/14(月) 20:01:41.06
邪馬台国と「邪馬台国が争ってた国」(奴国)があった
狗奴国というのは奴国から見た邪馬台国のことなんだな
つまり、邪馬台国=狗奴国
魏は奴国と交易してた国(呉&公孫氏)の記録も手に入れてたんだな
倭国大乱で旧奴国から分裂した奴国も狗奴国も、正当な後継国を主張して奴国を名乗って中国と交易してたから、
陳寿は混乱しちゃったんだな
392日本@名無史さん:2013/10/14(月) 20:06:27.56
いや、陳寿は混乱してなくて読み取る方が馬鹿すぎるのか
陳寿は卑や狗という蔑字を当てて区別できるように書いてるからな
393日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:02:30.41
狗奴国は邪馬台国と和せずとはっきり書いてあるんだが
394日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:04:05.12
>>388
倭人伝と記紀とは全く独立した文献で関連性はない。
記紀の場合は、神功皇后記に倭人伝が引用されていて、暗に
卑弥呼と神功皇后を同一視している。

にもかかわらず、倭人伝の卑弥呼と記紀の天照大神は良く似ている。
中国の文献において、日本に女王がいたという記述は卑弥呼と台与しかいない。
同じく、記紀の神代において女性で最高位にあるのは天照大神だけ。
ともに、巫女的であり独身、夫がいない。

卑弥呼は魏に援助を求めるほど狗奴国に苦しめられる。
天照大神は、素戔鳴尊にとことん高天原を荒らされる。

卑弥呼は、仲裁のために張政がやってきた頃、亡くなる。
天照大神は、素戔鳴尊の乱暴に怒って天岩戸に隠れる。

卑弥呼は魏から銅鏡を百枚もらい、天照大神は岩戸に隠れた時に鏡が
重要な役割を果たす。共に鏡に縁がある。

その後も非常に良く似ている。そこに卑弥呼と天照大神を同一視する根拠がある。
395日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:08:25.37
正確には和せずなのは卑弥呼と卑弥弓呼なんだけどな
邪馬台国=狗奴国はないけど
396日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:11:11.65
>>393
>狗奴国は邪馬台国と和せずとはっきり書いてあるんだが

二千余文字を再読してみたが、そんな記述はなかった
どこに書いてあるの?
397日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:12:59.59
>>395
アマテラスとスサノヲは不仲だったよ
398日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:21:54.84
漢文読みとしては

>倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和

この部分は違和感があるんだよな 特に「素」の字が
399日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:25:41.35
>>396
>>395
>>398
卑弥弓呼と書くのがめんどいから省略した
すまん
400日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:29:31.41
>>399
小学生は早く寝なさい
こんな時間まで起きてたら
脳みその成長に悪影響だよ
401日本@名無史さん:2013/10/14(月) 21:43:59.81
>>400
お前がなー
402日本@名無史さん:2013/10/14(月) 22:02:58.14
なぜ違和感があるかというと

>倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和

>年已長大無夫婿有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有

このあたりの記述との噛み合わせがよくないからだ
かといって何の解釈もないが
403日本@名無史さん:2013/10/14(月) 22:07:30.26
>倭女王卑彌呼與狗奴國
倭の女王卑弥呼が狗奴國を興した

ちゃんと書いてあるじゃん
404日本@名無史さん:2013/10/14(月) 23:08:19.14
興奮するな、この与太郎が!
405日本@名無史さん:2013/10/14(月) 23:30:04.53
>>403
それは「と」
406日本@名無史さん:2013/10/14(月) 23:34:54.44
壹與の與だよね
407日本@名無史さん:2013/10/14(月) 23:36:15.33
いや、与太郎の与だ。
408日本@名無史さん:2013/10/14(月) 23:36:59.98
壹與ってイト=伊都国の女王ってことなのか!w
409日本@名無史さん:2013/10/18(金) 23:40:59.63
神武東征

久々に安彦良和の神武を見たが違和感ありまくり
神武側のほうがきちんと鎧兜だと違和感が・・・
410日本@名無史さん:2013/10/19(土) 03:31:52.44
邪馬台国は東遷していない。
あくまでも、神武東征だ。
日向三代と神武は、どー見てもタダの豪族だからな。
歴史を捏造正当化するなら、ニニギがいきなり畿内に天降ってメデタシめでたし。にするだろ。
411日本@名無史さん:2013/10/19(土) 04:42:50.60
>>409
それって邪馬台国日向説で、神武天皇は卑弥呼の孫と言うことか。
それなりに面白い設定ではあるな。
412日本@名無史さん:2013/10/19(土) 05:43:32.99
所詮はトンでもマンガだからな、卑弥呼が子供産みまくってる時点で終了。
413日本@名無史さん:2013/10/19(土) 08:23:45.50
神武東征とは、祟神の長子の大彦を東国に使わして征服させたのと同じだろう。
新たに支配した土地の方が豊かで、人口が多くなれば、力関係が変わって都というか国の中心が移る。
朝鮮半島の金官伽耶から九州、大和へと都を移したのも、同じ理由だ。
414日本@名無史さん:2013/10/19(土) 08:40:24.79
神武東遷なんて記録上では紀元前の話。
仮に類似した話があっても三世紀前の話だ。
415日本@名無史さん:2013/10/19(土) 08:44:13.26
どさくさにまぎれてどうして朝鮮半島が出て来るんだよ。
それこそ何の根拠もない妄想だ。

魏志韓伝には、主帥はいるもののまったく統率が取れていない。
跪拝の礼を知らず、土で作った家に住んでいる。まるで冢のようだ。
と書かれている。卑弥呼が三十カ国を支配する日本とは雲泥の差。
416日本@名無史さん:2013/10/19(土) 08:46:32.01
>>412
卑弥呼は実際は結婚していたのではないかという説も有るよ。
417日本@名無史さん:2013/10/19(土) 08:48:17.53
>>414
紀元前の話が記紀にあんなに詳しく書かれているわけがない。
418日本@名無史さん:2013/10/19(土) 08:55:00.99
>>415
邪馬台国は元々朝鮮半島にあったのだけれど、九州に北遷したのだよ。最初から九州で興ったと思ってたわけ?
419日本@名無史さん:2013/10/19(土) 08:55:09.03
>>416
>卑弥呼は実際は結婚していたのではないかという説も有るよ。

じゃ、証明すればいいじゃん
420日本@名無史さん:2013/10/19(土) 09:08:36.86
当時は、市役所がなかったので婚姻届は出していないでしょうね。
まあ、みんなそうなんですが。
421日本@名無史さん:2013/10/19(土) 09:16:09.10
朝鮮半島の北にある九州ってどこのこと?
422日本@名無史さん:2013/10/19(土) 09:25:40.53
この時代、北と南、東と西は逆だったのだ。
423日本@名無史さん:2013/10/19(土) 09:47:25.16
昔の結婚は人前婚だな。
結婚式をやって、人々に宣言するってわけ。
古代もあったのかな。
424日本@名無史さん:2013/10/19(土) 11:56:03.86
>>410、413、414
ただ神武の年代は台与の頃と近いという見方もあって、何らかの形で神武東征
に邪馬台国も絡んでいるとか乗っているという可能性も有る。どこまで信憑性
が有るかだが、記紀の神武東征記では神武はまず宇佐に上陸し、小倉の岡田宮
に1年間滞在している。台与と結婚して子供が生まれるくらいの時間は有った。
425日本@名無史さん:2013/10/19(土) 20:17:58.49
ニニギが台与から南九州某国の代官を命じられてから、神武まで4代だから、この系図が親→子→孫→でないとして、一代10年として考えても、台与と神武の結婚は年齢差が有りすぎるよ。

この頃は北部九州邪馬台国が衰退していたから、神武は「勝手」に東征したと考えられる。
アマテラスの援助は、あくまでも、夢のお告げのハナシ。

邪馬台国東遷がある時すれば、神武より前に畿内に天降っているニギハヤヒの事だろうね。
426日本@名無史さん:2013/10/21(月) 04:46:52.83
生国魂神社(大阪市)紀元前700年 日本の神そのものを祭る神社
427日本@名無史さん:2013/10/21(月) 07:29:17.48
>>425
饒速日命については、参考になるような記述は何もない。
いつ頃、大和にやってきたのか、どこを拠点にしていたのか。
神武天皇よりも先にやってきたことは書かれているが。

神武天皇については、日本書紀に畝傍山の東南、橿原の地に宮を築いたと
ある。
纏向はひょっとして饒速日命に関係あるのかもしれないな。
428日本@名無史さん:2013/10/21(月) 09:52:24.94
ニギハヤヒに関しては秋田に落ち延びた物部氏の文書が有る
鳥海山に降臨し秋田に住まい
その後に畿内に移住したと伝わっている
429日本@名無史さん:2013/10/21(月) 10:48:41.83
東遷はあるかもしれないが、九州に邪馬台国なんて
存在する訳がない。
狗奴国の男王が神武のモデルという事だ。
邪馬台国=大和の南から攻める記述は
そういう事を匂わせてるんだよ。
430日本@名無史さん:2013/10/21(月) 16:15:35.59
神武東征軍は、古事記の大久米命の記述から、神武天皇を含め、
みんな刺青をしていた可能性が高い。刺青は集団の慣習で、
倭人伝には、男子は大人も子供もみんな刺青をしていたと書かれて
いるからである。

つまり、東征軍は、刺青の習慣のある倭国の人々で、その習慣のない
近畿地方は、少なくとも倭人伝に書かれた国ではないことになる。

また、記紀編纂時には、罪人の刑罰になっていた刺青を、東征軍の
慣習として書いていることも、記紀の史実性がうかがわれる。
431日本@名無史さん:2013/10/21(月) 20:05:06.56
妄想させてもらうと、
九州勢力と近畿勢力が衝突していたが、次第に近畿勢が劣勢に
九州勢力としても半島情勢と近畿勢を掛け持つのはつらい
和睦案として九州から近畿へ婿入りさせて同盟関係に(東遷)
時代が下るに従って九州勢は半島経営に失敗し弱体化
反して近畿勢は着実に勢力を広げ、力関係が逆転
九州勢力は近畿勢力に飲み込まれていった
432日本@名無史さん:2013/10/21(月) 21:40:33.84
>>431
残念ながら、近畿地方に九州に対抗できる力があったとは思えない。
それは鉄器の出土からも明らか。また、王と見られる存在もうかがえない。
強い王がいてこそ、国はまとまり、武器が充実して軍事的にも強くなる。

当時の近畿地方にはそれが見られず、穏やかな農村社会というのがぴったり来る。
433日本@名無史さん:2013/10/21(月) 21:49:03.23
>>432
だけど武力衝突で九州勢力が勝ったなんて記述は記紀の
何処にもないけどな。
大阪湾ではボロボロに負けてるよ。
434日本@名無史さん:2013/10/21(月) 22:07:08.57
そもそも武力で制圧してたら『東遷』なんて話は出てこないんどけどね
435日本@名無史さん:2013/10/21(月) 22:28:03.90
神武東征が武力制圧を表している。
ただ、孔舎衛坂でぶつかった長髄彦は、元々神武天皇と同族の
饒速日命の配下となっているから、強敵であることは確か。
436日本@名無史さん:2013/10/22(火) 07:55:10.23
日本神話の初っぱな、イザナギ様とイザナミ様の国うみは明らかに軍事行動を表して います。
大体が上位のモノから侵攻し平定せよ。との『主命』を受ける立場、
又、主から委譲、委任された天沼矛(上位から武器(征討命令と将軍の証)を仮託される)は
軍事統帥権の委任と征討命令の証。と云うのは世界共通
この二柱の神様を男女ではなく征討軍の主将軍、副将軍と見るのが適当かと。
この構図は後々のお話で手を変え品を変え、時代や舞台装置、役者を変えてて頻繁に記述されます
437日本@名無史さん:2013/10/22(火) 08:42:22.34
どう考えてもそれは無い。
438日本@名無史さん:2013/10/22(火) 13:31:30.70
辺境の屈強な異民族を親衛隊に取り立てるのはヤマトの伝統ですし
世界史的にも珍しくないんですけど
439日本@名無史さん:2013/10/22(火) 13:40:53.04
入れ墨話で畿内説を否定するのは無理のようです。

#また、古代の畿内地方には入れ墨の習俗が存在せず、−中略− 全員入墨をしていたという邪馬台国と大和朝廷とでは、入墨に関して正反対の態度が伺える。
#これに対して、顔に入れ墨と思しき線が刻まれた人物埴輪が畿内地方からも出土[25]している例や、出土地域による図案の違いから類型化もなされている事実などが、反証として挙げられている。
#現在までに発見された、人物埴輪の顔に施された入れ墨と思しき線は、
#鼻の上に翼型の入れ墨をしたA類(畿内を中心とする西日本)
#顔面に環状の入れ墨をしたB類(畿内を中心とする西日本)
#A類とB類の合わさったC類(畿内のみ)
#頬に八の字の入れ墨をしたD類(関東地方)
#に大別されている。
(ウィキペディアより)
440日本@名無史さん:2013/10/22(火) 15:36:22.36
>>439
東征軍は刺青をしていて、当然、初期の大和朝廷にも残っていることになる。
それが古墳の人物埴輪にも反映される。
やがて、刺青は衰退して行く。
ということでいいのではないのかな。
441日本@名無史さん:2013/10/22(火) 15:40:11.55
>>436
矛は弥生時代の九州を代表する武器というのが面白い。
記紀の神代は、九州を舞台にしていると言えるのだろう。

銅鐸は全く記紀に登場しないから、皇室の先祖は銅鐸文化圏を
経ていないと言える。
442ローガン:2013/10/22(火) 16:01:22.15
>>430
あはは。
履中紀、雄略紀が編纂時の創作で、記の神武条が史実だってか?
気持ちはわかるけどねえ。そうしないと初代天皇の持ち込んだ習俗が、たった100〜150年程で、罪人や賎民の目印になるなんて、ムチャな話になるからなあ。(笑)
さておき、その説話、伊須気余理比売が奇しと思ったのは、あくまでも鳥の目のように見えたという久米の目尻の入れ墨。
久米は大伴に従う兵士。神武の付き人くらいだろう。
履中紀五年九月の淡路での狩りに、目尻に入れ墨を入れた部を連れて行ったのと同じ。
たったこれだけの記述から、大和人には入れ墨の習俗がなく、神武を始め九州から来た者、全員に入れ墨がある。というのは明らかな論理飛躍。
443日本@名無史さん:2013/10/22(火) 16:19:22.70
>>442
「男子無大小皆黥面文身」。これは事実なんだよ。
郡使はいろんな国に行っていて、その上で男子は大人も子供も
皆、黥面文身と言っている。

大久米命が刺青をしていたとすれば、その集団は皆、刺青をしていると
考えるのが普通だろう。一人だけなんてのはありえない。

九州からやってきた東征軍が刺青をしていたと言うのは倭人伝の記述から
当然、考えられることで、倭人伝と古事記の記述には共通性がある。

後世、罪人の証となっている刺青を、東征軍に認める記述のある古事記は、
信憑性も高いということになる。
伊須氣余理比賣が刺青の習慣のある国にいたとすれば、大久米命の
刺青を奇妙に思うことはなく、古事記がそれをことさら取り上げる必要もない。
444日本@名無史さん:2013/10/22(火) 16:44:17.93
それって神武東征ありきの話だから
445日本@名無史さん:2013/10/22(火) 17:28:20.41
>>>444
神武か否か、軍事行動か資本進出か、何時ごろかは別に議論が有るとしても、
九州勢力が畿内に進出してきて畿内勢力を征服してしまったことは歴史の事
実だよ。でなければ天皇家の正統性を示すために作られた記紀に、神武東征
の歴史を載せるはずは無い。
446日本@名無史さん:2013/10/22(火) 17:46:17.66
歴史上の事実と断定するには、あまりに根拠が薄弱では?
447日本@名無史さん:2013/10/22(火) 17:58:55.21
>>436
四道将軍の時、南海道には将軍が派遣されてないんだよな
そして国産みで勢力拡大して行ったのは南海道経由で九州
南海道に派遣された将軍が大陸から鉄の利権を確保し、
力を得て中央に反逆したってなると辻褄が合う。

倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
帥は将軍、升は昇って意味だから、
そうやって将軍から謀叛して王になった人物が中国にご挨拶に行ったって意味だろう
448日本@名無史さん:2013/10/22(火) 19:21:07.93
王墓に準構造船の底に使用しているカワラ材を流用する風習は海の民のなせる業であろう。

初期のそのような王墓には必ずしも鉄器が希薄であるというようなことは無いようだが、

ややしばらくすると、貧鉄の王墓に切り替わってゆく模様だ。

貧鉄王墓とは、佐味田宝塚古墳や日葉酢媛命陵の如きたぐいのもので

初期の鉄の豊かな王墓とは、柳本古墳群の無銘の八弧内行花文四葉鏡が出る墳群で

これらは古市方形墳へと繋がる

その切り替わりの時期の王墓のは東大寺山古墳のあたりか
449日本@名無史さん:2013/10/22(火) 20:22:14.75
>>444
むしろ記紀に出ている神武東征をどうやって否定できるのか知りたい
450日本@名無史さん:2013/10/22(火) 21:54:54.95
へー 
記紀に出てると、どうして否定できないの?
451日本@名無史さん:2013/10/22(火) 22:14:16.65
なんだまともな答え無しか
既にあるものに対して否定するにはその内容についての反証を行うものだと思っていたが

それなしでも否定は出来るよ
ただ相手にされないだけで
452日本@名無史さん:2013/10/22(火) 22:25:42.26
>既にあるものに対して否定するにはその内容についての反証を行うものだと思っていたが

もちろん間違い。
裏付けもなく只だ漠然と既にあるものは否定(無視)される。
453日本@名無史さん:2013/10/22(火) 22:36:35.48
>>452

漠然とすでにあるものは、常識となってしまうのがほとんどじゃね?
それが正しいかどうかはまた別の議論だが。
454日本@名無史さん:2013/10/22(火) 23:00:22.53
だから無教養輩とか耄碌爺とかは
理由を聞かれると「常識だ!きまってる!」しか答えられなくなる。
455日本@名無史さん:2013/10/22(火) 23:06:16.86
抽象的に論じてもあまり意味はなかろう。倭人伝に従って邪馬台国の所在を考えたときに南九州ならば無理なく
邪馬台国に比定できる。倭人伝の書く風土がぴったり。そして遺跡遺物からみても十分に可能性がある。
そして、記紀が伝える天孫降臨の地に一致する。
畿内の弥生遺跡は乏しく、他の地域から来た勢力が纏向という大都市を作ったと考えられる。
これらを総合して、記紀の物語に真実性を感じる、これが自然なんじゃないかな。
456日本@名無史さん:2013/10/22(火) 23:43:18.61
だから無教養輩とか耄碌爺とかは
理由を聞かれると「自然だ!」しか答えられなくなる
457日本@名無史さん:2013/10/23(水) 00:05:03.17
畿内説用のテンプレート

だから無教養輩とか耄碌爺とかは
理由を聞かれると「○○○○!」しか答えられなくなる

○○○○のところに適当な文字を入れて、いつでもどこでも使ってください。
458日本@名無史さん:2013/10/23(水) 00:38:26.75
>>455
南九州説は候補がいないのが最大の欠点だからな。
459日本@名無史さん:2013/10/23(水) 00:49:12.68
候補って何?
候補地なら熊本押しw
460日本@名無史さん:2013/10/23(水) 01:06:41.43
熊本どこさ
461日本@名無史さん:2013/10/23(水) 01:07:47.18
狸がおってさ
462日本@名無史さん:2013/10/23(水) 01:16:10.73
しかし九州だと水行陸行計二ヶ月に見合わないんだよね
463日本@名無史さん:2013/10/23(水) 01:19:34.61
そこでパズルですよ
464日本@名無史さん:2013/10/23(水) 01:25:14.81
熊本県の北に山門郡、南に山都町、熊本平野に山門郷
ヒムカは熊本の古名
ヒムカ王=卑弥呼
熊本平野が邪馬台国
465日本@名無史さん:2013/10/23(水) 01:26:27.32
>>462
それに合う地域は日本に無い
466日本@名無史さん:2013/10/23(水) 01:27:50.36
ごろあわせごくろうさま
467日本@名無史さん:2013/10/23(水) 07:37:30.35
>しかし九州だと水行陸行計二ヶ月に見合わないんだよね
足してはいけないものを足しているんだよ。水行10日陸行1月だけだ。
468日本@名無史さん:2013/10/23(水) 09:59:39.64
またパズルか。わかってるなら里数で書くだろw
469日本@名無史さん:2013/10/23(水) 10:22:20.28
倭人は里数を知らない、日を持って図るだからな。
九州じゃ近すぎて話にならないよ。
470日本@名無史さん:2013/10/23(水) 13:07:17.66
いや、正にぴったりだよ。
471日本@名無史さん:2013/10/23(水) 13:44:06.09
理由を言わないのが九州説のトレンド
472日本@名無史さん:2013/10/23(水) 13:52:28.50
元々こじつけ論しかないからな、九州説なんて。
473日本@名無史さん:2013/10/23(水) 19:39:16.36
>>467
それでも見合うところなんて無いじゃん
474日本@名無史さん:2013/10/23(水) 22:31:00.46
怡土国=佐賀。そこから水行20日で投馬国。これが川内だろう。
水行10日はその半分だから、八代付近だな。そこから上陸して球磨川沿いに陸行1月
都城あたりが邪馬台国だよ。完全に行程どおりだ。
475日本@名無史さん:2013/10/23(水) 22:39:56.16
畿内説は陸行一月について説明しないよな。
どこからどこまでなのだろう。
ついでに、陸行一月ってどれくらいの距離になるんだろう。
476日本@名無史さん:2013/10/23(水) 22:50:03.37
使者を案内するとなれば、2日歩いて1日休みぐらいのペースかな。
平地ならば直線で150キロ、山地ならば100キロ程度だろう。道は曲がりくねったりして
いるから、実際に歩く距離は平地で200キロ、山地で170キロぐらいにはなるだろう。
477日本@名無史さん:2013/10/23(水) 22:51:55.54
船で20日かけて投馬国=ヅモ国=出雲国に到着
さらに船で10日かけて若狭湾のどこかに上陸
陸路をてくてく1ヶ月かけて大和に到着
478日本@名無史さん:2013/10/23(水) 23:10:34.76
>>477
あなたは、大和に行く時、わざわざ波の荒い日本海を通り、
船酔いしながら、越前にたどり着き、一ヶ月もはかからないだろうけど、
はるばる大和まで歩きますか?

私だったら、穏やかな瀬戸内海を航行し、河内湖を渡って生駒山の近く
まで船で行き、ちょっとだけ歩くほうを選択します。
479日本@名無史さん:2013/10/23(水) 23:23:58.36
悪いことすると大和流しにされちゃうんだ。
480日本@名無史さん:2013/10/23(水) 23:32:28.73
東至 邪馬台国 水行10日陸行30日
南至 投馬国 水行20日
481日本@名無史さん:2013/10/23(水) 23:41:34.45
>>480
東至 なんて書いて無いぞ?
482日本@名無史さん:2013/10/23(水) 23:47:14.48
>>480
魏使の報告間違いか書き違い写し違いしたのでしょう。
483日本@名無史さん:2013/10/23(水) 23:54:56.69
神功皇后は敦賀から出航している
484日本@名無史さん:2013/10/24(木) 07:47:59.15
神功皇后が出発したのは徳勒津(和歌山県)だな。
485日本@名無史さん:2013/10/24(木) 11:32:37.13
仲哀は狩りで徳勒津宮から、神功は敦賀から、穴門で合流
486日本@名無史さん:2013/10/24(木) 12:30:40.56
其(弁辰)瀆盧國(とくろ)與倭接界
487日本@名無史さん:2013/10/24(木) 19:09:23.78
>>485
日本書紀に敦賀とか出て来ないわ。

ところで穴門は、長門の古称らしい。穴門→長門。
地名の変化もけっこうバリエーションがあるというか、
一概にこうだと決め付けられないな。
488日本@名無史さん:2013/10/24(木) 19:54:13.58
>>482
それが畿内説が認められない大もと。信用されない大もと。畿内説者がウマシ
カとバ○にされる大もとだよ。南という字を見て東と言う=馬を見て鹿と言う。
なっ、同じだろう。
489日本@名無史さん:2013/10/24(木) 20:23:47.16
鍛冶遺構をみて倭人の鉄採掘遺跡と言う。
ウマシカと馬○にされる大もと。
490日本@名無史さん:2013/10/24(木) 20:27:48.93
>>488
君のような基地外に認めてもらわなくても誰も困らないよw
491日本@名無史さん:2013/10/24(木) 20:50:03.12
>>487

巻八仲哀天皇二年
「當是時、熊襲叛之不朝貢。天皇、於是、將討熊襲國。則自コ勒津發之、浮海而幸穴門。卽日、使遣角鹿、勅皇后曰、便從其津發之、逢於穴門。」
492日本@名無史さん:2013/10/24(木) 21:14:17.81
>>491
なるほど、角鹿が敦賀か。
しかし、日本書紀見てみたんだが、仲哀天皇は徳勒津にいて熊襲の謀反を
知り海路、穴門に向かう。同時に敦賀にいた皇后に連絡する。
連絡を受けて皇后は、敦賀から船出をする。

というわけで、大和にいた皇后がわざわざ敦賀から船出をしたという
わけではなく、そのときたまたま敦賀にいたから敦賀を出航したと
いうことになる。

陸行一月の根拠にはならないな。
493日本@名無史さん:2013/10/24(木) 21:26:56.29
ツヌガアラシトとは、アラ(新羅)の部分が大事。
新羅の皇子は但馬守となった。
494日本@名無史さん:2013/10/24(木) 21:31:55.36
>>492

俺のレスは>>485 491だけ
>>484 487が書紀を読みもせず嘘書いてるから訂正してるまでのこと
495日本@名無史さん:2013/10/24(木) 21:54:29.06
>>494
もともとは倭人伝の陸行一月から始まっているんだよ。
畿内説の陸行一月は、福井県あたりから大和までの距離だという
わけだが、そのような航路はありえないと言ったら、
神功皇后は敦賀から出発していると言ったものがいる。

仲哀天皇は徳勒津から出発しているのに、神功皇后はわざわざ
敦賀経由で行ったのかと思ったら、そうじゃなかったということ。
すでに神功皇后は敦賀にいたから、敦賀から出航したわけだ。

角鹿が敦賀を指しているとは普通なかなかわからないからね。
496日本@名無史さん:2013/10/24(木) 22:03:01.72
南至投馬國 水行二十日
  官曰彌彌(みみ)
  副曰彌彌那利(みみ)
  可五萬餘戸

@大毘古命者 遣高志道
A其子建沼河別命者 遣東方十二道而令和平其麻都漏波奴人等
B又日子坐王者 遣旦波國 令殺玖賀耳之御笠(みみ)

みみが居る処は旦波國と書いてあるけど。
497日本@名無史さん:2013/10/26(土) 14:50:17.23
誘導ついでに自分のレスをコピー

898 自分:名無しの歩き方@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 05:33:38.41 ID:gBT1tWqk0 [1/2]
>>893
現代視点での観光用ではなく風土記の時点で既におらがとこ視点ということね
例えば天孫降臨の時高千穂峰だと頂上から見た感想だが高千穂峡だと空中で見た感想になるなってこと

912 自分:名無しの歩き方@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 20:19:31.19 ID:gBT1tWqk0 [2/2]
天孫降臨以来の日向三代から神武東征にかけては単純に神話だから架空のものとはいえないよ

特に興味深いのは海幸山幸の話かな
この話自体はミクロネシアやインドネシアなどに広く分布し海洋民族によって広められたと考えられている
古事記の元の話を収集する時に天皇家及びその家来の家に伝わっていた話が取り込まれたものと考えられるね
船で南方から来た人が流れ着くのは坊津のある鹿児島だよね

また無くした釣り針を探して山幸は海の神様のところへ行くけど
古事記じゃ海の神様は海の中にいるんじゃないんだよね
船に乗って流れに任せて進むと着くというわけ
ところで錦江湾は黒潮が入り込んで反時計回りの流れがある
桜島が大隅半島とくっつく前は今よりさらにはっきりした流れだった
高千穂峰の麓から考えれば湾の一番奥から流れに乗って今の鹿児島市の方向に行ける
後の阿多隼人の地だ

宮崎だとこうはいかない
海に出ても太平洋
黒潮に流されれば生きて戻れない
運が良くて四国に着く
日南市吾田は逆方向
だいたい「あた」じゃなくて「あがた」だし
それとも他に比定できる場所があるのかな?
498日本@名無史さん:2013/10/26(土) 14:51:31.50
932 自分:名無しの歩き方@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 20:02:42.33 ID:RNGOXkik0 [1/4]
ごく一部だけ取り上げてどれはどこだと言っても意味が無いぞ
全体を通して日向三代の舞台が鹿児島なのは明らか
すぐ読めるから古事記の該当部分だけでも読め
阿多というのは薩摩の古名
ニニギ
  ┣━━━━━━┳山幸彦
神「阿多」都比売  ┃   ┣━━ウガヤフキアエズ
                ┃ ┌サメ    ┣━━━━━━神武天皇
                ┃ └────サメ          ┣━━━タギシ耳 ←ヤマト移住後捨てられる
                ┗海幸彦(隼人の阿多君の祖)  「阿多」小崎の妹 ←ヤマト移住後捨てられる
完全に阿多隼人と同盟結んでるか隼人そのものかのどっちかだろ

933 自分:名無しの歩き方@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 20:05:04.56 ID:RNGOXkik0 [2/4]
古代における笠沙は加世田に変化した
現在の笠沙は西加世田村が改名したもの

935 自分:名無しの歩き方@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 20:20:35.19 ID:RNGOXkik0 [3/4]
>>929
高千穂峡もそうだが宮崎県高千穂町が天孫降臨の地ではないのは地形が示している
ニニギが本当に天から降りてきたと信じている奴はいないだろう
当然登ってきて山頂での感想を述べるわけだがその時後ろを振り返って
朝日のよく射す国、夕日のよく照る国などとは言わない
大体山を降りてしまえば夕日は山で隠れてしまう
朝日だけなら理解できるが
これは後付で天上人を想像して考えたからこうなる

938 自分:名無しの歩き方@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 21:31:41.38 ID:RNGOXkik0 [4/4]
>>937
なんか話がずれるな
古事記の天孫降臨以降は単なる神話ではなくある程度事実を反映したものと考える
大体地形の変化をいうのならどこがどうなったと納得できる説明がほしい
499日本@名無史さん:2013/10/26(土) 16:15:18.46
>>497、498
スレチだろ。邪馬台国東遷を論じろよ。
500日本@名無史さん:2013/10/26(土) 16:38:15.13
>>499
すまん
この「すべて福岡中心主義者」が邪魔だったんで


955 名前:名無しの歩き方@お腹いっぱい。[] 投稿日:2013/10/26(土) 14:27:29.88 ID:Xh2fgRlC0 [3/3]
ウミサチヤマサチの話から何からなにまで福岡は何の矛盾もなく古代史の
話がすべて話せるんだが、そんな時間ないしな。

とにかく中韓にのこる証拠からも、日本に残る古事記、日本書紀からも
実際に出てくる古墳や遺跡や出土品からも全てをとっても福岡だけがきちんと
説明がつくんだよな。

なぜなら、福岡が全ての真の舞台だからな。

だいたい、つい2年ほど前に福岡の元岡遺跡で見つかった国宝級の鉄剣。
あれを日本の学会はなんと言ったと思う?
「大和が筑紫を支配していた証拠」といいやがるんだぞ。
それだけ日本の学会というのは全てを「畿内」に比定し全て畿内にもっていきたがるんだよ。
それなのにこれだけ必死に発掘やらなんやらしても一向に邪馬台国の時代と一致するものが出てこない。
当たり前だよ。畿内はそのころただのくそ田舎で、筑紫から渡った何とかというやつが
細々と(代々的)に巨大銅鐸文化を作ってたんだよ。
ちなみにこの巨大銅鐸文化は今の日本の文化に一つもゆかりが残っていない。
なぜなら、現代の日本の文化を持つ筑紫の文化の神武天皇が東征を成功させ
すべての畿内文化を捨て去ったからだ。だから今の天皇も筑紫にゆかりの深い
稲作や三種の神器といったものをうけついでるんだよ。
ただ、巨大古墳だけは神武以前の大和の文化を受け継いだんだろうな。

もちろん福岡(筑紫)は先進ゆえの大陸や国同士の戦いにあけくれて
畿内のように田舎で暇でないから巨大な古墳なんてつくる暇がないけどなw
501日本@名無史さん:2013/10/26(土) 23:48:42.84
熊本のトンカラリンはどーみても近世の排水遺構やないやろ。
そういうことにしないと都合悪いことでもあんのかな?
近くの古墳では生前人為的に変形させた頭蓋骨が複数出土されてるっていうし。
やっぱ福岡に邪馬台国などの国家群、南方の近接地である熊本に狗奴国って通説は正しいのかもな。
あと天孫降臨伝説が糸島九重高千穂峡霧島と、狗奴国を包囲するようにあるのも興味深い。
502日本@名無史さん:2013/10/27(日) 01:32:48.51
>>501
一口に熊本といっても広すぎる。
あれが弥生時代の一つの国の広さだったら、
九州には、五つくらいしか国がないことになる。

そうでなかったら、ほかの国が対抗できるわけがないから。
だから、狗奴国を熊本県に求めるとしても、もう少し
絞らなくてはならないだろう。
503日本@名無史さん:2013/10/27(日) 06:12:40.29
肥国は長崎佐賀熊本だから、
九州中央、有明海沿岸を握った大国だな。

面積で圧倒する肥国に対して、
筑紫勢が大陸からの新技術で筑後を
奪取したというところかな。

筑紫の文明レベルは大陸に近いこともあってか、
相当突出しているからな。

後には太宰府の下に入るわけだが、
筑紫と日国がどう融合していったんだろうか。
504日本@名無史さん:2013/10/27(日) 06:17:11.24
筑後は、筑紫、肥、そして日田の豊がぶつかる場所。
日田はいつから大分なのか。

筑後を握れば、九州を握れる。
その象徴が景行天皇の高良大社である。
505日本@名無史さん:2013/10/27(日) 08:31:00.38
やはりスレチだよな。単に邪馬台国論をやりたいのなら九州説スレ、ドン来い
スレ、終止符スレへ行ってちょうだい。ここは邪馬台国東遷というテーマだか
ら、自分の考える邪馬台国がどうして、どんな経過をたどって東遷したかまで
論じてちょうだい。
506日本@名無史さん:2013/10/27(日) 09:00:31.59
だから「東遷」は無いって意見を閉め出したいわけ?
ケツ穴ちっちぇーの!
507日本@名無史さん:2013/10/27(日) 11:52:55.92
神武東征は卑弥呼より前だから
倭国大乱で九州を追い出された勢力が畿内に移住し
やがて大和朝廷になったってのが妥当だろう
508日本@名無史さん:2013/10/27(日) 12:11:48.02
神武の行った先にも親戚がいたようだから、
ちょいちょい移住は繰り返されてたんだろう。
509日本@名無史さん:2013/10/27(日) 12:43:27.91
神武東征は否定出来ないから「やまたいこく」だから「やまと」ということを
根拠の根幹においている畿内説では邪馬台国が土蜘蛛になったということを認められないんだろう
だから卑弥呼=モモソヒメとかいう珍説を繰り出すことになる
510日本@名無史さん:2013/10/27(日) 16:12:31.91
九州説者は文章も下手
511日本@名無史さん:2013/10/27(日) 16:29:08.93
>神武東征は卑弥呼より前だから
なんで、そんなことが言える?
512日本@名無史さん:2013/10/27(日) 16:46:59.17
畿内説が百襲姫を卑弥呼にするのは、妥当性があるからではなく、
ほかにいないから仕方なくそうしているだけ。

畿内説の立場からすると、邪馬台国が近畿地方にあったとすれば、
三世紀に実在した卑弥呼の事が書かれていなくてはならない。
天照大神というドンピシャの存在がいるのだが、それは九州説・東遷説
を意味するから、どうしても採用するわけにはいかない。

百襲姫は苦肉の策ということになるわけだ。
513日本@名無史さん:2013/10/27(日) 17:27:25.32
いくらそういうお話を作っても、証拠を出せなきゃ所詮ただの中傷なんだよ。
わかってる?
514日本@名無史さん:2013/10/27(日) 21:15:54.12
>>513
百襲姫ってのは、現代で例えれば、現天皇の実姉で、伊勢神宮祭主の
池田厚子さんのような存在だろう。
515日本@名無史さん:2013/10/27(日) 21:38:19.30
記紀が証拠だろ。全然合っていない。モモソヒメが卑弥呼ってどこかに書いてあるか?
時代もちがう、名前もちがう、合っているのは女性ということだけ。
人口の半分は女性だぞ。
516日本@名無史さん:2013/10/27(日) 21:44:37.62
記紀が証拠だろ。全然合っていない。アマテラスが卑弥呼ってどこかに書いてあるか?
時代もちがう、名前もちがう、合っているのは女性ということだけ。
人口の半分は女性だぞ。
517日本@名無史さん:2013/10/27(日) 21:56:26.23
アマテラスはアマテラスでいいんだよ。
518日本@名無史さん:2013/10/27(日) 22:56:29.23
>>512
九州説が卑弥呼=天照大神にしてるんじゃねえかw

つうか、卑弥呼は九州に住んでないんだが。
どこに共通点があるんだ
519日本@名無史さん:2013/10/27(日) 23:46:40.64
気になるのはニニギと高天原の距離の遠さ
神の子ではなく天の孫と称するところや天皇家の天照大御神の扱いからも
それほど近い存在だとアピールする気はなく後付で祀っている気がする

そういえば卑弥呼は巫女だがどんな神を祀っていたのかな?
520日本@名無史さん:2013/10/28(月) 03:51:49.59
>>518
共通点はたくさんあるが、まず卑弥呼は倭王。
天照大神は高天原の最高神。
ともに、女性でありながら、トップの地位にある。

これは日本ではかなり珍しく、中国の歴史書に王として
登場する女性は卑弥呼と台与だけ。
記紀において、最高の地位にあるのは推古天皇以前では
天照大神だけ、神功皇后がちょっと近い。
521日本@名無史さん:2013/10/28(月) 03:57:27.73
そうかね?
天照大神は本来アマテルという男性神格だったという説も根強いよ。
斉明女帝の性格が投影されたと。
522日本@名無史さん:2013/10/28(月) 04:29:29.34
天照大神は神様、卑弥呼は人間の女性
共通点なんて1mmもない
住んでた場所もあえて言えば天上界と地球上の日本にある奈良県
これっぽっちの接点もない
どこに共通点があるというのだ
理解不能だ
523日本@名無史さん:2013/10/28(月) 04:42:25.03
天照大神は神様、卑弥呼は人間の女性
共通点なんて1mmもない
住んでた場所もあえて言えば天上界と地球上の日本にある九州
これっぽっちの接点もない
どこに共通点があるというのだ
理解不能だ
524日本@名無史さん:2013/10/28(月) 04:58:22.63
高天原が天上の国と本当に思っているのかな。
記紀の神代は、高天原神話と出雲神話それに日向神話で
構成されている。

出雲と日向の間にあって、古代もっとも栄えていたとされる
北部九州は全く出てこない。高天原が、この北部あるいは西部
九州と考えると、出雲の国譲りも天孫の日向降臨も
納得できるものになる。古代における北部九州の存在感もそれで
満足できるものになる。

天照大神の高天原は、九州の北西部にあった。
邪馬台国も同じということになる。
525日本@名無史さん:2013/10/28(月) 05:02:43.21
九州説のための九州説だな
526日本@名無史さん:2013/10/28(月) 05:23:48.50
 中国大陸の魏から邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)に贈られた鏡が「三角縁
神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」であるとする説が、近年揺らいでいる。
出土した古墳がいずれも卑弥呼の生きた3世紀ではなく、4世紀以降のものの
ためだ。これに代わって一躍脚光を浴びているのが、奈良県内で近年相次いで
出土した3世紀の鏡「画文帯(がもんたい)神獣鏡」で、こちらを魏志倭人伝(ぎし
わじんでん)にある「卑弥呼の鏡」とする見方もある。画文帯神獣鏡は中国北部
の魏と異なり、南部の江南がルーツともいわれ、専門家は「卑弥呼の時代の
大陸交流は魏に限らない。通説より拡大して捉えるべきだ」と提唱。研究成果
次第では、邪馬台国・卑弥呼の“定説”を塗り替える可能性もある。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131027/wlf13102718000025-n1.htm


>画文帯神獣鏡は中国北部の魏と異なり、南部の江南がルーツともいわれ、

今まで九州だから一緒と思っていたが考えてみれば魏志倭人伝でも九州北部と南部は対立していた
南九州出身の神武天皇を祖とする大和朝廷は鹿児島県坊津辺りと中国南部を結ぶ交易ルートを持っていたのではないか
527日本@名無史さん:2013/10/28(月) 05:59:31.01
>>526
>京都府京丹後市の太田南2号墳(3世紀中ごろ)でも、中国製の画文帯神獣鏡が出土しており、
>河上さんは、この京都府北部にヤマト王権の海外交流の港があったとみている。

2つのことが証明された
・倭人伝の倭国の範囲が九州だけではないこと
・倭人伝にある水行20日+水行10日+陸行1月が日本海ルートであること
528日本@名無史さん:2013/10/28(月) 06:26:36.75
>>527
ぜんぜん証明されていないだろう
魏と交流していたのとは違う勢力が日本(畿内)にあったということだろう
529日本@名無史さん:2013/10/28(月) 06:37:57.86
まぁ京都と奈良の距離なんて誤差みたいなものだからな
中国での別ルートを考えるのは無理あり過ぎ
530日本@名無史さん:2013/10/28(月) 06:54:41.58
>>528「魏と交流していたのとは違う」と主張する根拠がまったく示されていないんだが
それ、きみの欲望?
531日本@名無史さん:2013/10/28(月) 07:07:23.96
>>530
つ画文帯神獣鏡
532日本@名無史さん:2013/10/28(月) 07:09:54.89
>画文帯神獣鏡は中国北部の魏と異なり、南部の江南がルーツともいわれ、

こういうのが出ている
物証ありというやつだな
533日本@名無史さん:2013/10/28(月) 08:25:48.86
画文帯神獣鏡は朝鮮半島から出土している。公孫氏が滅亡して残党が我が国へ逃げてきて
いるからな。その時に、画文も流入したんだろう。魏からもらったものではあるまい。
534日本@名無史さん:2013/10/28(月) 10:15:55.52
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡と言っていたのに具合が悪くなり
今度は画文帯神獣鏡を卑弥呼の鏡にw
箸墓古墳が具合が悪くなると別の古墳を卑弥呼の墓にするんだろうな
こういう奴は何も解明できない
535日本@名無史さん:2013/10/28(月) 10:25:09.34
魏だけでなく呉とも広く交易をしていたってことが証明されたわけだ
536日本@名無史さん:2013/10/28(月) 10:41:26.16
そう。南九州は、もともとは呉と通交していたんだよ。それが北九州と戦い、実質的に勝利し、九州統一を果たした。
それから、魏と通交するようになったわけだ。したがって、邪馬台国には両方の文化が入っている。
537日本@名無史さん:2013/10/28(月) 12:35:41.56
>>534 凡才くん、邪推しか能が無いの?
538日本@名無史さん:2013/10/28(月) 12:49:10.27
と一行レスしか能のない天災が申しております
539日本@名無史さん:2013/10/28(月) 12:53:36.80
無内容な長文恨み節を退けるの程度のことには、多数の文字を要しないんだけど
540日本@名無史さん:2013/10/28(月) 13:04:27.70
自分が何行も返信して貰えるような内容を書いたか自省してみるよろし
541日本@名無史さん:2013/10/28(月) 14:14:26.22
>>447
> >>436
> 四道将軍の時、南海道には将軍が派遣されてないんだよな


なるほど
542日本@名無史さん:2013/10/28(月) 14:58:33.16
>>534
畿内説の考古学者が卑弥呼の鏡に求める絶対条件は、
それが畿内説にとって有利であること、あるいは
不利にならないこと。

中国の学者が三国時代に魏から日本に渡った可能性の
ある鏡は、内行花文鏡か方格規矩鏡といっているのに、
それらは九州から多く出ていて、九州説の証明になって
しまうので採用できないというわけ。

同じく、王仲殊氏は神獣鏡は呉の鏡であり、魏で
作られたことはない、と断言しているのに、畿内説は
あくまで神獣鏡にしてしまう。

畿内説とはこういうもので、客観的な事実に基づいて
考えようという気は全くなく、あくまで畿内説に有利な
証拠だけを求め続けていく説なんだな。
543日本@名無史さん:2013/10/28(月) 15:20:36.06
このように、考古学的な根拠は、畿内説に有利な
ものだけが、都合よく主張される傾向があるから、
裏読みする必要がある。

たとえば、三角縁神獣鏡といい、画文帯神獣鏡といい、
呉の系統の鏡なのである。古墳時代になってどうして
呉の鏡が広く普及するのか、その辺の事情も考える必要がある。

畿内説が神獣鏡を卑弥呼の鏡にしているうちはこういう疑問は
表に出てこない。日本の古代史を考える上で畿内説は
大きな障害になっている可能性がある。
544日本@名無史さん:2013/10/28(月) 15:28:28.00
世の中全部、陰謀説です。
545日本@名無史さん:2013/10/28(月) 21:14:50.38
>中国の学者が三国時代に魏から日本に渡った可能性の
ある鏡は、内行花文鏡か方格規矩鏡といっているのに

じゃ糸島だな
546日本@名無史さん:2013/10/28(月) 21:31:23.63
>>447
帥は、大酋長
升は、酋長の意味だぞ
547日本@名無史さん:2013/10/29(火) 09:52:32.51
邪馬台国があったのは九州の東側の熊本の辺りで
神武が居たのは九州の西側の日向の辺り?
548日本@名無史さん:2013/10/29(火) 10:08:19.94
九州説
それは理由なきご託宣の世界
549日本@名無史さん:2013/10/29(火) 11:23:26.26
熊本は女王国、邪馬台国ではない。
550日本@名無史さん:2013/10/29(火) 11:38:05.10
熊本説だが、鏡百枚という記述は、
糸島の平原や曽根、三雲をイメージさせるんだよなあ。
551日本@名無史さん:2013/10/29(火) 12:09:02.22
逆だろ。墓へぶち込んでしまうほど持ってる連中が、鏡をもらってありがたがるかな。
552日本@名無史さん:2013/10/29(火) 18:33:43.77
>>551

百枚とは限らないが、何十枚か鏡をもらってきて、
周囲の小国に威厳を見せつけて、もったいぶって
一枚か二枚ずつ配る。

死んだら、余ったぶんは全部自分のところに入れちゃった。
このクソ王め。

そんなふうに見えなくもない。
553日本@名無史さん:2013/10/29(火) 19:52:57.13
鏡が問題なのではなく、東遷が問題。スレタイ。
554日本@名無史さん:2013/10/29(火) 20:49:06.92
東遷している鏡のは確実にあるよ。
555日本@名無史さん:2013/10/29(火) 21:00:30.62
どれ?
556日本@名無史さん:2013/10/29(火) 21:25:49.32
>>555
長宜子孫内行花文鏡とか尚方作方格規矩鏡とかに興味ありますか?
557日本@名無史さん:2013/10/29(火) 21:32:15.97
ありません
558日本@名無史さん:2013/10/29(火) 21:33:57.46
ぢゃあ貼ってあげるのやめにしますわ。
559日本@名無史さん:2013/10/29(火) 22:23:00.39
まあ、まともなこと逝ってる
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/markmaeda/naikoukamonnkyou.htm
560日本@名無史さん:2013/10/29(火) 22:28:23.46
貼らんでいいと申すに
561日本@名無史さん:2013/10/29(火) 22:32:22.85
難升米さんが移住したとはつい最近まで気付きませんでしたわ。
562日本@名無史さん:2013/10/29(火) 22:41:07.89
三角縁と交換したんでしょ
563日本@名無史さん:2013/10/29(火) 22:57:36.92
下池山古墳からは腕輪が出ているんだな。
被葬者は女性の可能性が高いな。
564日本@名無史さん:2013/10/29(火) 23:02:42.21
>>563
はつみみだわ ありがとう

おれいにこれどぞ

http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/img/8ko4yo.gif
565日本@名無史さん:2013/10/29(火) 23:23:31.29
>>564
いただきました。ありがと。
ところで二番目のやつ、初めて聞いたな。
566日本@名無史さん:2013/10/30(水) 07:34:17.58
東征したとされる神武は男王であり、卑弥呼とは全く関係ない話だ。
567日本@名無史さん:2013/10/30(水) 08:20:59.23
>>566

神武と卑弥呼が血縁かもしれない。
568日本@名無史さん:2013/11/01(金) 02:13:57.46
卑弥呼の女王国はとっくに滅亡してて神武とは無縁だし
邪馬台=ヤマト=大和ってのも後世の人が斜め上な解釈しているだけ
ってこともあり得る?
569日本@名無史さん:2013/11/01(金) 03:27:14.12
願望まるだし
570日本@名無史さん:2013/11/01(金) 03:32:23.33
>>569 は馬鹿まるだし
571日本@名無史さん:2013/11/01(金) 03:36:11.86
>>570 は尻まるだし
572日本@名無史さん:2013/11/01(金) 10:00:26.29
>>559
九州統一がなり、九州勢力が本州に東征したとき、北九州にいた工人が畿内へ連れていかれて
銅鏡作りを担当したのですね。
573日本@名無史さん:2013/11/01(金) 21:16:20.51
>>572
元々、弥生時代の近畿地方は銅鐸が繁栄していた所で、鏡は全くないと
言ってもいいくらい少ない。それが古墳時代になると、銅鐸は消え、
古墳からは大量に鏡が出てくる。

鏡を好む人たちが突然出現し、また作られ始めた。九州から行った人が
鏡を作ったというしかない。平原の大型内行花文鏡と下池山古墳の
大型内行花文鏡を見て、関連性がないなんていうことは出来ないから。
574日本@名無史さん:2013/11/01(金) 22:00:28.97
想像力が貧困
575日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:06:53.07
この場合、貧弱だとすべきでは?
576日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:14:27.71
大筋は >>573 で納得できる範囲だな。
奈良は当時は、寒村だし。
577日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:15:29.91
情弱
578日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:17:03.35
清白
579日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:17:49.12
唐子鍵遺跡は、畿内説論者自身が古い遺跡と断言しているからな。
弥生後期は奈良全体が寒村というしかあるまい。
580日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:18:18.01
池沼
581日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:30:25.58
582日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:39:09.55
柳本大塚古墳はいちおう前方後円墳と見做されてはいるが

後円部は正円形ではない

前方部の正面は弧状であるが、撥形のように広がってはおらずむしろすぼまっている

へんな前方後円墳なんだ。

等高線みたら

https://maps.google.co.jp/maps?q=loc:34.551111,135.841944&t=m&z=18

どうみても方墳だし
583日本@名無史さん:2013/11/02(土) 04:19:09.98
卑弥呼の記憶が「おてもやん」歌謡として伝わった
したがって東遷はない
584日本@名無史さん:2013/11/02(土) 06:10:15.20
黒塚古墳を見ると、棺の中に画文帯神獣鏡が一枚。棺の外に、棺を囲むように
三角縁神獣鏡が三十数枚。明らかに、三角縁神獣鏡は粗末な扱いを受けている。
これが三角縁神獣鏡に引導が渡された決定的な理由になった。

しかし、三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡でないことは、九州説の人を
中心に中国の王仲殊氏なども何十年も前から言っている。
結局、何十年も無駄な時間を過ごしたことになる。

で、今度は画文帯神獣鏡。画文帯はホケノ山古墳からも出ている。
黒塚古墳からも出ている。だから、卑弥呼の鏡の候補となった。
あくまで、畿内説に都合の良い鏡を出すという意味では三角縁神獣鏡と
同じ愚を繰り返している。

三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡でないといわれてきた理由は、中国鏡であると
いう以外、そのまま画文帯神獣鏡にも当てはまる。どちらも呉製。

卑弥呼の鏡は、内行花紋鏡、方格規矩鏡でいいんだよ。あるいは王仲殊氏の
論文では、これに加えて獣首鏡、變鳳鏡、盤竜鏡、双頭龍鳳鏡、位至三公鏡
が候補になる。まあ、近畿地方とは縁のない鏡ばかりではあるが。

特に、内行花紋鏡は、大型の国産鏡が出るし、三種の神器である八咫鏡も
これではないかといわれているほど好まれている。魏には、日本人の好む
内行花文鏡があるのにどうして呉製の神獣鏡にする必要があるのか…。
585日本@名無史さん:2013/11/02(土) 06:25:33.77
考古学者は、畿内説を前提に物事を考えるんだ。だから、卑弥呼の鏡が三角縁神獣鏡ではなさそうだと
なれば、畿内やその周辺にある鏡の中から候補を探すわけさ。
586日本@名無史さん:2013/11/02(土) 06:35:13.86
九州脳はいつまで鏡が邪馬台国の証拠になると思ってるんだよw
伊都の所在する北部九州で、大陸由来の宝物が
出土するのは当たり前の話だ。
587日本@名無史さん:2013/11/02(土) 06:41:15.18
むろん、九州では大陸からの鏡は多く出てきますが、

>>九州脳はいつまで鏡が邪馬台国の証拠になると思ってるんだよw

とは、いままで三角縁が邪馬台国の根拠と言い続けてきた、
畿内説論者のお言葉とはおもえませんな
588日本@名無史さん:2013/11/02(土) 06:52:40.68
>しかし、三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡でないことは、九州説の人を
>中心に中国の王仲殊氏なども何十年も前から言っている。
>結局、何十年も無駄な時間を過ごしたことになる。

過ごしてますな・・
589日本@名無史さん:2013/11/02(土) 07:26:11.47
畿内説って、時間稼ぎの説なのかもしれない。
九州説に決まることを先延ばしにすることだけを考えているのだろう。
590日本@名無史さん:2013/11/02(土) 07:34:45.46
これまでの状態を大きく変化させるのは、伊都国の比定だよ。今までの伊都国比定が地名の類似や鏡にとらわれて
極めて不合理なことに気づかないできた。伊都国は、倭人伝の記載通り東南に陸行して佐賀市付近とみるのが正しい。
となれば、もちろん畿内説も北九州説もあり得ないことが明白。
591日本@名無史さん:2013/11/02(土) 07:43:36.06
時代が違うからダメ
592日本@名無史さん:2013/11/02(土) 08:10:39.19
>>587
畿内説でも△国産説なんて普通にいたけどな。
発掘作業の進展等で、以前からの九州説の主張は殆ど終了しただけの話。
弥生中期からは中国人の痕跡が畿内に及んでいる点と、
七万戸規模もの大国を九州内に求めた時点で終わってるよ。
593日本@名無史さん:2013/11/02(土) 08:13:35.87
まだ伊都は佐賀がどうのこうの言ってる奴がいるのかw
伊都津彦が穴戸(山口)にいる時点でダメだろ。
594日本@名無史さん:2013/11/02(土) 08:19:05.70
三世紀の博多湾沿岸に畿内系住民の集落がたくさん発見された時点で
九州説は完全に終わっているのに。
595日本@名無史さん:2013/11/02(土) 08:39:29.36
>>593
そんな物語に惑わされてどうする。嘘っぱちだよ。
596日本@名無史さん:2013/11/02(土) 08:39:37.62
倭国は半島、日本海沿岸、瀬戸内海という
倭の海人の航行移動を考慮しないとダメなのは
わかりきった事なのにな。
九州脳な奴はこれが理解出来ないから
トンでもな解釈を平気で出来るんだろう。
597日本@名無史さん:2013/11/02(土) 08:45:29.88
>>595
必然的に神武話も嘘っぱちになる訳だがw
598日本@名無史さん:2013/11/02(土) 08:54:19.11
都合のいい神話だけ掘ってきて絶対視するのが九州脳
599日本@名無史さん:2013/11/02(土) 09:00:35.76
>>596
鉄の入手できなかったのだから、そんな解釈は成立しないな。
600日本@名無史さん:2013/11/02(土) 09:05:13.97
神武の話もそのまま信用はできんだろう。時代を修正し、東征した人物を修正し、
ということになる。伊都津彦だって時代を修正し、名前を修正するなら、その地で
力をもっていた者が誰かはいただろうよ。
601日本@名無史さん:2013/11/02(土) 09:07:10.30
>>599
そんな事実はないですよ。
纏向には最新式の鍛冶工房がありました。
602日本@名無史さん:2013/11/02(土) 09:22:30.89
纏向は九州勢力が東征して造った基地だからな。東征後には鍛冶工房くらいは
作るだろうよ。
603日本@名無史さん:2013/11/02(土) 09:23:24.34
>>601
纏向の鍛冶遺跡では、高温炉に必要な鞴(ふいご)が見つかっているが、
これは九州のもの。
ちなみに、淡路島の垣内遺跡は、高温炉とはいえない焚き火のようなもの。
604日本@名無史さん:2013/11/02(土) 09:33:17.22
ふいごの羽口を須恵器の再利用で作っているのが
出土してるが、これは5世紀以降だろうな。
605日本@名無史さん:2013/11/02(土) 09:36:45.22
>>603
それはウソね。半島からもたらされた最新型だ。
606日本@名無史さん:2013/11/02(土) 09:37:24.79
>>604
ソースは?
607日本@名無史さん:2013/11/02(土) 09:56:57.78
いずれにしろ、北九州勢力が持ち込んだものに間違いないな。
608日本@名無史さん:2013/11/02(土) 10:01:21.42
根拠のない断言が九州説の特長
609日本@名無史さん:2013/11/02(土) 10:03:03.92
九州で最新式の鞴が出たのは畿内系の住む植民都市からだよ
610日本@名無史さん:2013/11/02(土) 10:06:26.69
>>590
末盧国から東南陸行五百里で伊都国。
東南という方角も、陸行という行程も糸島を想定するのは難しいな。
一大率を置いて諸国を検察するというのも糸島は不向き。
611日本@名無史さん:2013/11/02(土) 10:13:38.93
>>605
何でもいいが、たとえばウィキペディアを見てみたらいい。
製鉄跡 - 「ツクシ型送風管」を伴う鍛冶遺跡、と書いてある。

筑紫と書かず、ツクシと書いてあるのが面白い。九州を連想されたく
なかったのかな。
612日本@名無史さん:2013/11/02(土) 10:14:42.25
琵琶湖東岸の近江野洲に鏡村や鏡神社があり、祖先は朝鮮から来た「天日鉾」の従者だという説がある。
天日鉾に象徴される新羅からの渡来人集団は、卑弥呼の時代から何度も渡来しており、
銅鉾や銅鏡を作る技術も彼らが持ち込んだものだろう。
天日鉾は、新羅王といっても大王ではなく新羅の1王族に過ぎず客分だったのだろう。
そのため、同族を頼って日本に渡来したと考えられる。

では、彼らがどこから来たのか?おそらく、中国四川省の三星堆文明の担い手だったのではないだろうか?
秦の始皇帝に圧迫され、山東半島に避難し、その後、新羅に身を置くも安息の地を得られず、日本に渡来した。

もしかしたら、彼ら自身が邪馬台国であり、邪馬台国は天日鉾集団が作った国だったとも考えられる。

とすると、邪馬台国は近江にあり、九州から東征したのではなく、新羅から南下したということになる。
613日本@名無史さん:2013/11/02(土) 14:39:59.12
だという説がある。
ものだろう。
だったのだろう。
と考えられる。
おそらく、だったのではないだろうか?
もしかしたら、とも考えられる。

1つ違えば総崩れか
614日本@名無史さん:2013/11/02(土) 15:41:59.01
>>611 結局、出典は出せないのね
615日本@名無史さん:2013/11/02(土) 16:38:08.77
>>614
自分で調べるってことができないのかねえ。
人に言わせてケチをつけるだけじゃ、何の進歩もないだろう。
「纏向遺跡 鞴 九州」とかで検索したら出てくるだろうに。

たとえば、ここには
http://www.infokkkna.com/ironroad/2012htm/iron8/1209makimuku00.htm

当時の北部九州の先端技術 高温本格的鍛冶とつながると考えられる鞴の
かまぼこ型羽口や鉄滓そして大量の実用鉄器(鋤)がこの纏向でも出土し、
畿内でも一番早く北部九州の先端技術が入ってきていると見られる。

と書かれている。畿内説が纏向の鞴が北部九州のものというのを
知らないことも問題だな。もう少し勉強してから書き込まなくちゃあな。
616日本@名無史さん:2013/11/02(土) 17:16:27.79
↑ 畿内説を信じられる脳ミソしか持っていない人達だからね。自分で調べる
  能力も無いよ。
617日本@名無史さん:2013/11/02(土) 17:38:52.20
ネットで流れてる三次、四次情報で何ほざいでんだ
と指摘されていることが分らない九州脳
618日本@名無史さん:2013/11/02(土) 20:25:29.12
>>617
確かにネットの情報は注意しなくてはならない点がある。
しかし、これだけ多く流れていることは、一般常識化しつつあることを意味する。
問題は畿内説の人間がこれを知らないということ。
畿内説は偏った情報しか知らないことになる。

http://uminohakata.at.webry.info/201005/article_1.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55850688.html?from=relatedCat
619日本@名無史さん:2013/11/02(土) 20:42:14.46
いよいよもって、はんこ貰ろたおひとの東遷説のですんなりですわ。
620日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:01:29.38
自分の持ってる情報が偏ってる(間違ってる)と指摘されてる事実も読み取れず
相手が知らないのだと思い込む九州脳
621日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:13:36.49
奇な異詐欺に何を言われても、痛くないなw
622日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:30:07.01
自分に都合良さそうな情報だけを探し出し
自分に都合良く変造し、決して現実を見ないのが九州説
623日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:46:31.18
ツクシ型送風管と呼ばれているけど、筑紫で開発されたものではない
半円形の羽口は朝鮮半島由来なんだよな、その前は江南か華南なんだろうが
仏教でも火縄銃でもまず端っこに伝来するものなんだよ
624日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:46:35.37
だから、自分で調べればいいことだろう。
自分で調べて、違う結論が出たら、根拠を示して反論すればいい。
>>619-622は、感情的に批判しているだけ。
批判というよりも、誹謗だな。
625日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:47:32.00
626日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:56:52.93
>>625
面白いね、それ。ちょっと引用すると。

*白石太一郎の「古墳とヤマト政権」について。*

やはり邪馬台国近畿説というかつて一世を風靡した学説の衰弱ぶりを改めて
感じつつ読みました。
邪馬台国近畿説への問題指摘に対し、ほとんど回答をすることなく一方的に
自説のみ提示しています。
(中略)
議論の仕方が証拠不十分なまま強引に主張する点が特徴です。
著者自身が、邪馬台国以来ヤマト中心だったことは間違いないと
確信している様子です。
このような確信状態になってしまった人物に強引さを自覚してもらうよう
指摘してもムダです。
せいぜい論証不十分な諸点を指摘するほかないでしょう。
627日本@名無史さん:2013/11/02(土) 23:37:17.23
無内容な非難ばかりの自演乙
628日本@名無史さん:2013/11/03(日) 00:18:13.52
>>618
>確かにネットの情報は注意しなくてはならない点がある。
>しかし、これだけ多く流れていることは、一般常識化しつつあることを意味する。

はい、語るに落ちました。
ネット上の噂話だけで、学術的な情報は見たことがなかったんですね。

それで、最初は情報の出所を聞かれたら出し渋って誤魔化そうとした。
責められたら、ゴリゴリ九州説アマチュアさんの個人サイトを持ってきた。
そして最後は多数決と来ました。
で、「畿内説は偏った情報しか知らないことになる。」と妄想の勝利宣言です。
相手が正しい情報を持っているから
そのガセネタはどこから掘ってきたのかね?と責められているのにね。

インチキをしていることは明らかですね?
それは、数を稼ぐために多少まともな個人サイトもリンクしてしまったことで判ります。
韓国から入ってきた、それまでにない高温での作業による非常に高い技術であることが正しく述べられていて、「九州のもの」であることが否定されています。
「ツクシ型送風管」という言葉のイメージを利用したインチキだったんですね。

インチキがバレた!という自覚があるようで「感情的に批判」とか不実を罵って切り返そうとしていますが、九州説のいかさま性を浮き彫りにしただけでした。ごくろうさま
629日本@名無史さん:2013/11/03(日) 00:22:47.57
>>628
だから、その学術的な情報ではどうなっているわけ。
「ツクシ型送風管」というのは、石野博信さんの言葉らしいよ。
調べてみ。
630日本@名無史さん:2013/11/03(日) 00:41:44.05
畿内系の人々が住む博多遺跡で発見された「ツクシ型送風管」は、ほぼ同時に纏向にも伝わり、そこから全国各地に拡散したとみられる。
伊都国主導といわれる原の辻貿易から、博多へと対外貿易の舞台が移った背景には、伊都による独占時代が終わりを告げ、大消費地である畿内の勢力が直接対外交渉の場に登場した政治経済状況がある。
631日本@名無史さん:2013/11/03(日) 00:43:23.69
「ゴリゴリ九州説」発言は取り消します。外見の似た他のひとのサイトと誤認しました。
632日本@名無史さん:2013/11/03(日) 00:47:32.02
鉄の流通を仕切っていた一大率だったおひとが

あまされて彌馬岐に入部してきた時に

部下のたたらっことかも伴ってきたから

付録で新式のももれなくついてきたんだろ。
633日本@名無史さん:2013/11/03(日) 00:50:42.16
どっちにしろ「当時の北部九州の先端技術」というのがウソッパチで
韓国伝来の最新式であったのを
ごまかして東遷説の根拠にしようと画策したのはミエミエだな
東遷説のイカサマ体質がよく出ている
634日本@名無史さん:2013/11/03(日) 00:57:30.98
「自分で調べて、違う結論が出たら、根拠を示して反論すればいい。」
とか、相手が知らないかのようにプロパガンダしてるけど
実は最初から
「半島からもたらされた最新型」
「九州で最新式の鞴が出たのは畿内系の住む植民都市から」
「筑紫で開発されたものではない」
と根拠を示して反論されてるんだよね。
無視して、まるで何もなかったかのような顔してるけど。
635日本@名無史さん:2013/11/03(日) 01:02:09.93
>>634
ちゃんと>>619-622と書いているだろう。

619 :日本@名無史さん:2013/11/02(土) 20:42:14.46
いよいよもって、はんこ貰ろたおひとの東遷説のですんなりですわ。

620 :日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:01:29.38
自分の持ってる情報が偏ってる(間違ってる)と指摘されてる事実も読み取れず
相手が知らないのだと思い込む九州脳

621 :日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:13:36.49
奇な異詐欺に何を言われても、痛くないなw

622 :日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:30:07.01
自分に都合良さそうな情報だけを探し出し
自分に都合良く変造し、決して現実を見ないのが九州説

これのどこがちゃんと根拠を示しているんだよ。
636日本@名無史さん:2013/11/03(日) 01:03:35.67
>>635
>>621は違ったな。ごめん。
637日本@名無史さん:2013/11/03(日) 01:09:18.05
>これのどこがちゃんと根拠を示しているんだよ。

「自分の持ってる情報が偏ってる(間違ってる)と指摘されてる事実」
ちゃんとしてるな
638日本@名無史さん:2013/11/03(日) 03:24:46.79
620 :日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:01:29.38
自分の持ってる情報が偏ってる(間違ってる)と指摘されてる事実も読み取れず
相手が知らないのだと思い込む九州脳

622 :日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:30:07.01
自分に都合良さそうな情報だけを探し出し
自分に都合良く変造し、決して現実を見ないのが九州説


こういうのは、2chによくある痴呆だから、
相手にしないほうがよろしい。

論破されて壊れた、かつての畿内論者の残骸にすぎない。
639日本@名無史さん:2013/11/03(日) 04:34:23.15
   ↑
事実を指摘されても反論できず、ただ罵るだけ
こういうのは、2chによくいる痴呆だから
めいっぱいbなかにしてやるとよろしい。
640日本@名無史さん:2013/11/03(日) 05:10:12.79
庄内式土器は北九州一円と、近畿地方では、大阪府八尾市近辺と奈良県の天理市から櫻井市にかけての地域に分布する。

北九州ではかなり広い地域に分布しているのに対し、近畿地方では大阪と奈良のかぎられた地域にしか分布しない。
641日本@名無史さん:2013/11/03(日) 05:45:34.74
#自分の持ってる情報が偏ってる(間違ってる)と指摘されてる事実も読み取れず

鞴が「九州のもの」という情報が間違いで
実は「半島からもたらされた最新型」だ
また「九州で最新式の鞴が出たのは畿内系の住む植民都市」
と指摘されている事実があるが、全く反論するそぶりも見せず
指摘されている事実自体を認識できていない。

#相手が知らないのだと思い込む九州脳

反論もしていないのに、一方的に自分側の主張だけが正しいと断定し
「纏向の鞴が北部九州のものというのを知らないことも問題」
「もう少し勉強してから書き込まなくちゃあ」
「畿内説は偏った情報しか知らない」
などと言っている。
642日本@名無史さん:2013/11/03(日) 05:53:03.69
気持ち悪い
643日本@名無史さん:2013/11/03(日) 06:02:00.53
 ↑
あたま悪い
644日本@名無史さん:2013/11/03(日) 06:11:26.59
自分はネット情報の又聞きから想像してるだけなのに
あきらかに自分よりモノを知ってる相手に対して
調べろ、とか言っちゃって
そんな自意識過剰ぶり、オカマ紫と同じくらい
きもち悪いな
645日本@名無史さん:2013/11/03(日) 06:54:02.62
>鞴が「九州のもの」という情報が間違いで
>実は「半島からもたらされた最新型」だ
>また「九州で最新式の鞴が出たのは畿内系の住む植民都市」
>と指摘されている事実があるが、全く反論するそぶりも見せず
>指摘されている事実自体を認識できていない。

畿内説の人って、半島人と同じ論理だな。
半島人みたく叫び続けなさい。
646日本@名無史さん:2013/11/03(日) 07:15:43.22
ネトウヨの白痴!出て行け!人間のクズ!
647日本@名無史さん:2013/11/03(日) 07:21:26.95
結局また誤魔化して逃亡か九州説は
648日本@名無史さん:2013/11/03(日) 07:22:01.67
半島東南部から筑紫に伝わった技術は、九州で広域には広まらず
筑紫を中心にグラデーション状に拡散するわけでもなく、
すぐに畿内に導入される状況であったってことなんだよな
649日本@名無史さん:2013/11/03(日) 07:50:34.16
>>640
これは、庄内式土器が九州から近畿地方にもたらされたと考える方が自然である。
650日本@名無史さん:2013/11/03(日) 07:51:12.88
しかも得々と説明したところによると
九州に3箇所、巻向に5箇所とは
完全に自殺点だな、九ちゃん
651日本@名無史さん:2013/11/03(日) 07:54:53.98
八尾あたりに涌くワレ土人は知初國之御眞木天皇とともに移住した海人のなれのはてらしい。
652日本@名無史さん:2013/11/03(日) 08:04:39.11
247年 正始8年 
二郡遂滅韓 太守王頎到官
張政等拜假儺升米
復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王
壹與遣倭大夫掖邪狗等

の結果、儺升米が弾き出されて

畿内のみまき朝廷は3世紀の後半に成立という帰結。

畿内の前方後円墳の成立は3世紀には無。

3世紀後半に庄内式土器が九州から近畿地方にどっともたらされた。
653日本@名無史さん:2013/11/03(日) 09:03:50.51
                                                  が銀座に出来ちゃったので沈没
みたいな話か・・
654日本@名無史さん:2013/11/03(日) 09:05:01.17
誤爆スマソ
655日本@名無史さん:2013/11/03(日) 09:13:37.05
>>640 さすがに、そんなトンデモを言ったら九州説は世間のもの笑い
656日本@名無史さん:2013/11/03(日) 09:27:02.22
結局また九州説は考古学の完全否定に行き着くのだった。
657大和&田&直木:2013/11/03(日) 13:17:20.90
>>656
>結局また九州説は考古学の完全否定に行き着くのだった。

日本の考古学は畿内説をベースにして作られているのだからしかたがない。
地質学においても、榛名山の噴火時期を決めきれないとぼやいていた。
C14の測定結果による年代と畿内説に基づいた結論年代の不一致。

日本の考古学が物理的化学的事象をベースにおけば、
九州説が考古学を否定することはなくなる。

榛名山の噴火時期は、畿内説が全くのでたらめ嘘八百であることを示している。
658日本@名無史さん:2013/11/03(日) 14:42:24.21
データ改ざんして服役した元検事と、畿内説は同じ体質。
659日本@名無史さん:2013/11/03(日) 16:35:51.38
要約すると、

纏向から鞴(ふいご)が出た。これは鉄を高温に熱するためには必要な道具。
この鞴は、「ツクシ型送風官」と呼ばれ、北部九州で用いられてきたもの。
つまり、北部九州の鉄鍛冶の技術が纏向に突然現れたものである。

ということに対して、畿内説は、纏向の鞴は九州のものではないと、
言っているわけだ。朝鮮から直接伝わったというわけかな。
660日本@名無史さん:2013/11/03(日) 16:40:15.99
邪馬台国が東遷説したのは700年前後だった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
661日本@名無史さん:2013/11/03(日) 16:56:48.80
>>660

私もこれに近いな。
九州には莫大な弥生遺跡で推測される人口があり、
畿内には多くの古墳で推測される人口がある。

これらの軍が衝突して支配するためには、
余程の大軍でなければ、いくら攻めても、
守りのほうが余裕があり、
攻め込んでいった軍は、撃破されてしまう。

そしてこれだけの遠距離で、これだけの大軍を維持するには、
太い補給線と莫大な補給が必要で、当時としては非現実的である。

そんな大事業が記録に残っていないはずはないし、
考古学的な痕跡も残らなければおかしい。
それが残っていないということは、そんなことは
行われていないということ。

白村江の壊滅で九州勢が無力化し、さらに唐に攻められる危険性から、
九州勢が、畿内勢に吸収されたと見ている。

スイッチが入ったかのように、八世紀から大和朝廷で国の整備が
始まるのが、吸収された結果と考える。
662日本@名無史さん:2013/11/03(日) 17:30:58.28
高品位なやつとかばかでかい内行花文鏡の出土する

メモリアルな初期の墳墓は平原のと同じ方墳だな。

鏡の破砕から朱まみれのまで一緒。
663大和&田&直木:2013/11/03(日) 17:54:27.41
>>661
>白村江の壊滅で九州勢が無力化し、さらに唐に攻められる危険性から、
>九州勢が、畿内勢に吸収されたと見ている。

九州勢が畿内を乗っ取ったが、695年(大化1年)には畿内勢がクーデターを起し、
700年には畿内から九州に逃げ戻った九州勢を滅ぼした。
664日本@名無史さん:2013/11/03(日) 19:53:44.61
まぁ間違いなく邪馬台国は九州には無いけどな。
665日本@名無史さん:2013/11/03(日) 20:55:40.16
弥生後期の鉄についてよく調べたりするんだが、いろんな資料がばらばらで
なかなか良くわからない。玄界灘沿岸付近に注目されることが多いが、
阿蘇周辺が非常に活発だったとも言われる。

以外にも大分や宮崎でも鉄器が多く見つかっているというのを
見たことがある。近畿地方では圧倒的に少ないが。

また、宮崎では庄内式土器が出ているらしい。
666日本@名無史さん:2013/11/03(日) 21:14:41.42
宮崎は量は少ないけど弥生時代から製鉄を行っていた。古墳時代に入って九州で一番反映した
のは宮崎だ。九州説をとる以上、宮崎は一番の候補地なんだよ。
宮崎が九州を統一して統制し、畿内に根拠地をつくった。それが纏向だな。
畿内の古墳から隼人の盾が出ていることがそれを裏付けている。
667日本@名無史さん:2013/11/03(日) 23:13:52.90
全国初の古墳時代のよろいを着た人骨、周辺にかぶとも埋もれていた
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1383436644/

よろい着た人骨 CTでかぶと発見

群馬県渋川市で全国で初めて見つかった古墳時代のよろいを着た男性の骨について、土に覆われた頭の骨の周辺に男性のものとみられる鉄製のかぶとが埋もれていることが新たに分かりました。
専門家は「よろいとかぶとの両方を所有していたとなれば、この時代の地域の最有力者であった可能性が高い」と分析していて、群馬県教育委員会ではさらに調査を進めることにしています。

去年11月、群馬県渋川市の「金井東裏遺跡」で見つかった古墳時代の男性の骨は、鉄製のよろいを着たままだったことから、全国でも例の無い発見として注目されています。
頭の骨は顔の部分が土に覆われていて、群馬県教育委員会はことし9月から、世界でもトップクラスのCTスキャンの装置を使うなどして土の中の状況などを詳しく調べていました。
その結果、顔のすぐ下に、幅およそ20センチ、高さが15センチほどの男性のものとみられる鉄製のかぶとが土の中に埋もれていることが新たに分かりました。
解析した画像では、丸みを帯びたかぶとの形が鮮明に浮かび上がり、「しころ」というかぶとのすそから垂れて首を覆う部分も残っているのが分かります。
専門家によりますと、このかぶとは横の幅より前後の幅の方が長い「衝角付冑(しょうかくつきかぶと)」と呼ばれるものと同じ種類だということです。
群馬大学の講師で古墳時代に詳しい右島和夫さんは「この時代、よろいとかぶとの両方を所有していたとなれば、地域の最有力者であった可能性が高い」と分析しています。
よろいを着た男性の骨は火山灰で埋まった溝の中で見つかり、現場の状況から近くにある榛名山の噴火による火砕流に巻き込まれたと考えられていて、
群馬県教育委員会では、男性が当時何をしようとしていたかなどについて、さらに調査を進めることにしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131103/t10015769721000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131103/K10057697211_1311030511_1311030521_01.jpg
668日本@名無史さん:2013/11/04(月) 00:05:58.57
かぶとを所有していて鎧を所有しなかった有力者っていたのかな?
669日本@名無史さん:2013/11/04(月) 01:01:16.38
盗まれたら大変だよね。
鎧に名前書いてないかな。
670日本@名無史さん:2013/11/04(月) 01:43:56.80
最近の考古学者で九州説っているの?
671大和&田&直木:2013/11/04(月) 02:34:30.61
榛名山の爆発を5世紀末のものとすれば、その考古学者は畿内説派である。
又は、考察に欠ける無知蒙昧派。

5世紀初頭とすれば、その考古学者はC14信頼派で科学技術重視派ある。

6世紀中頃とすれば、その考古学者は立場保留派である。
672日本@名無史さん:2013/11/04(月) 11:31:30.00
脂注入肉ですか?w
673日本@名無史さん:2013/11/05(火) 06:06:07.26
いや、産地偽装九州説だ
674日本@名無史さん:2013/11/05(火) 06:56:21.35
畿内説は往生際が悪い。
お前はもう死んでいる…。
675日本@名無史さん:2013/11/05(火) 09:22:17.07
サバ読み畿内説
箸墓モモソヒメの実年代は4世紀〜、神宮皇后は5世紀〜
676日本@名無史さん:2013/11/05(火) 09:43:33.58
九州説が賞味期限を偽装
677日本@名無史さん:2013/11/05(火) 11:12:40.67
九州説にはまともに候補地に候補者すら皆無じゃ、
偽装すら出来ないしなw
678日本@名無史さん:2013/11/05(火) 12:48:02.93
九州説は代表者決めてから、かかって来い (橋本テルピコ)
679日本@名無史さん:2013/11/05(火) 12:56:56.24
詐欺のシナリオライター代表がいるのは、詐欺師集団、畿内説だけ。
680日本@名無史さん:2013/11/05(火) 13:08:15.66
ゴミクズ畿内説
681日本@名無史さん:2013/11/05(火) 13:11:43.52
>>667
>何をしようとしていたか
畿内政権の侵攻に敗れた地元最有力者が群馬人の信仰の対象だった榛名山の火砕流で自害した
682日本@名無史さん:2013/11/05(火) 14:08:45.31
九州説は人材豊富だからなあ
代表と云っても、佐賀説の主だった人物だけで総勢数百人にはなるだろう
683日本@名無史さん:2013/11/05(火) 14:56:18.72
uzou-muzou
684日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:03:45.91
急にヘタれる畿内説
685日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:11:16.80
その証拠がありません。
686日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:13:19.53
何も根拠がないのに、マキムクを主張する畿内説
687日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:32:36.48
△鏡詐欺、箸墓詐欺、年輪詐欺、桃の種詐欺、鯖の骨詐欺、呉鏡詐欺、

  畿内説は、根 本 が 詐 欺 です。
688日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:34:15.38
根拠は、纏向がその時代に日本列島の政治・経済の中心であることです。
689日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:36:20.16
>>687 その証拠がないよ、連呼あわびマン!
690日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:38:47.48
九州説は紫イモが詐欺をやった証拠が残ってる
691日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:41:32.82
△鏡、箸墓、年輪、桃の種、鯖の骨、呉鏡と全部根拠にならなかった畿内説
692日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:42:36.33
そういえば、過去数年分のローガン詐欺を
ログから抽出して貼るのも面白いかもしれん。
693日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:42:44.90
「根拠にならなかった」と証明できない九州説
694日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:43:18.99
自説の根拠も言えない畿内説
695日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:45:03.70
いくら言われても、都合の悪いことは聞こえない九州説
696日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:46:26.24
ここまで言われても結局何も言えない畿内説
697日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:47:50.16
>>688とか
目の前にあっても決して事実が見えない九州説
698日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:51:00.10
それが根拠?(笑)
699日本@名無史さん:2013/11/05(火) 15:58:55.89
反論が出来ない九州説
700日本@名無史さん:2013/11/05(火) 16:03:10.10
根拠にもならないものを根拠と言いはる畿内説。

魚の骨では笑わせてもらった。
701日本@名無史さん:2013/11/05(火) 16:13:19.15
反論も出来ないで、ただ笑っている九州説
702日本@名無史さん:2013/11/05(火) 16:13:57.63
足りない人のようだ
703日本@名無史さん:2013/11/05(火) 16:22:23.38
ローガン氏が詐欺をやったという証拠でもあるの?
ただのイヤガラセ中傷?
704日本@名無史さん:2013/11/05(火) 16:34:53.81
過去ログ出してみる?

この辺なんかローガン詐欺がよく分かる場所だね。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1378819866/l50

もうスレは消滅しているが、ググれば過去ログを保存しているサイトに当たるだろう。
705日本@名無史さん:2013/11/05(火) 16:49:39.57
>>690
この前の紫イモの場合は詐欺をするつもりではなく、単に頭が足りなかったのではないか?
706日本@名無史さん:2013/11/05(火) 16:57:42.98
頭が足りないのは事実だが、それは簡単に詐欺がバレた原因に過ぎないのでは?
距離も少しづつチョロまかしているから、全体として詐欺なのは動かないだろう。
707日本@名無史さん:2013/11/05(火) 17:00:43.52
>>704 それ、紫が詐欺してる現場じゃん。ローガン発言してないようだが。
708ローガン:2013/11/05(火) 17:04:11.20
>>692
>そういえば、過去数年分のローガン詐欺をログから抽出して貼るのも面白いかもしれん。

面白そうやね。やってみ。
709日本@名無史さん:2013/11/05(火) 17:09:20.74
ぜんぶ、議論に負けたあわびマンがヒス起こして「詐欺だ−!!」って叫んだ現場だったら
可笑
710日本@名無史さん:2013/11/05(火) 17:12:51.64
じゃこのへんなんかどうかな?

量が多くて要約するのが大変だから、
編集はちょっと待っててね。


古田史学および古田武彦について 5
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1348294879/l50
711日本@名無史さん:2013/11/05(火) 17:15:48.38
過去ログ消さないでほっぽったまま、
パソコンのデータを引っ越しさせてたら、
2004年からのログが残ってた。

検索して編集するからしばらく待っててね
712ローガン:2013/11/05(火) 17:16:29.52
>>710
ごめん。ガラケーで見てるんだが、開かない。
713日本@名無史さん:2013/11/05(火) 17:18:22.88
>>712

2chサーバでは無理です。その名前でググって、
過去スレサイトを開いてください。
714ローガン:2013/11/05(火) 17:29:38.00
過去スレは見れるがレス番がわからない。
>>704にあるのは、おそらく
紫が「日本語の意味がわからん」と言ったので、教えてあげた時の話。

と記憶しているが…
715日本@名無史さん:2013/11/05(火) 19:48:55.92
こういうのも見つけました。



謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!47
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1269684971/l50


131 名前: ローガン 投稿日: 2010/04/16(金) 15:16:22
度量衡というものがある。当然万人が共有するものであり、中華においても時代による変遷は認められるものの、同時代に複数の度が混在した事実はない。
魏の1里は周知の通り434mである。長里も短里も無い。公定の里があるのみである。しかし倭人伝に記された倭国、この尺度でははるか南の海上に存在した事になり、明らかに現実と乖離している。
つまり、間違ってあるのである。このような間違いを含有する書を、正確なもの、誤りの無いものとして 記述の逐次解釈をした所で徒労である。
もう一度言うが短里などない。同一人物が同一史書内で、2種類以上の度を用いる事など論外である。
現に倭人伝でも、陳寿は「会稽東冶之東」としている。勿論、机上計算であろうが都より東北に位置する帯方から、
12000里東南へ移動すれば、現在の福建省ビン侯の東辺りであろうとしている。公定里に基づいた記述である。
続く。
716日本@名無史さん:2013/11/05(火) 19:53:16.59
133 名前: ローガン 投稿日: 2010/04/16(金) 15:44:19
では何故、誤った認識をしたか? これは陳寿が間違ったというより、引用した先行史書の段階で既に誤りがあったのであろう。魏略である。
翰苑注記引用魏略に「自帯方至女国萬二千餘里」とある。ではこの萬二千餘里とは、どのようにして得られた数字なのだろうか。
これに先立つ漢書の注記に「帯方東南萬里」と見える。この注を入れたのは魏代の人、如淳である。この萬里が何に基づいたものか?
魏使来倭によりもたらされた情報ならば、当然 倭人伝同様「帯方東南萬二千餘里」とする筈である。という事は、これは魏使来倭以前の情報であることが判る。
しかしながら、三国志東夷伝序文には、公孫氏のおかげで「天子為其絶域…云々」 そして公孫淵を斬り、高句麗位宮を追って後、ようやく東夷の事がわかるようになったとある。
「帯方東南萬里」 基点が帯方であるという事は、公孫氏時代の話である事がわかるが、その当時は、東夷伝序文が述べる通り東夷は絶域であり、遠く離れた倭までの距離など 知り得る筈がない。
よってこの「萬里」とは実測に基づくものではなく、元々あった単なる修辞を述べたものと考えざるを得ない。
続く。


134 名前: ローガン 投稿日: 2010/04/16(金) 16:08:26
そして、その後に書かれた魏略には「萬二千餘里」とある。この二千餘里が加えられのは 言うまでもなく、来倭した使者がもたらした情報であろう。
東夷伝、通読しても 書かれた里数、公定里に基づいたものと考えてなんら不都合はない。おかしな里数表記がなされているのは、韓地の大きさと倭への3渡海である。
この正体が「帯方東南萬里」なのである。確たる資料に立脚しない「萬里」。 これは元々、倭とは「遥かに遠い萬里かなた」という観念的里数なのである。
そしてこの萬里に、史家は使者が持ち帰った情報、上陸から都までの二千餘里を付加したのである。
そして書にする過程で、萬里を韓地7000里と3渡海各1000里に按分。7000里の行程も一辺4000里の正方形を考え、左辺を南下。底辺を3000里東へ移動という具合に机上で創作した。
717日本@名無史さん:2013/11/05(火) 20:10:16.27
ほほう、ローガンも持論持ってたんだな。
突っ込みどころ満載だがw
718ローガン:2013/11/05(火) 21:38:16.46
で、どこが詐欺なん?
719日本@名無史さん:2013/11/05(火) 21:47:00.15
・中国人はものすごく厳格で「同時代に複数の度が混在した事実はない」

・中国人はものすごくいい加減で「観念的里数と現実的里数を加算する」

さすが大阪の畿内説論者=ローガン先生のおっしゃることは、素晴らしいですね。
だから畿内説なんかやっていられるわけですね。
720日本@名無史さん:2013/11/06(水) 02:02:44.91
べつに、どこも詐欺ではないな
721日本@名無史さん:2013/11/06(水) 03:43:09.84
722日本@名無史さん:2013/11/06(水) 11:51:54.67
10000里は架空で2000里が実測というくだらん妄想をしておるようだが詐欺ではないな
723日本@名無史さん:2013/11/06(水) 12:11:39.89
2000里を実測するわけないじゃん
724日本@名無史さん:2013/11/06(水) 13:01:19.41
畿内説自体が詐欺だけどな。
725日本@名無史さん:2013/11/06(水) 13:11:54.88
でたよ、あわびマンの「詐欺詐欺」詐欺が
726日本@名無史さん:2013/11/06(水) 15:05:14.86
畿内説は根っこが詐欺だから仕方がないよな。

△鏡詐欺
箸墓詐欺
年輪詐欺
桃の種詐欺
鯖の骨詐欺
呉鏡詐欺
727ローガン:2013/11/06(水) 15:15:38.45
>>721
すげーな、この人。というかさすがだなあ。
なるほど、如淳注を使者来倭以降として展開している訳ですな。
私は、帯方奪還以前、「絶域」時ゆえ萬里は修辞だと考えていたが…。
ただ、使者来倭以降にもかかわらず、如淳注が古い認識に基づいたとする部分の論拠、
狗邪韓国の名称が弁辰狗邪国より古いから。は、ちょっと「?」
弁辰狗邪国の名称を正始年間以降とした所で、使者来倭時との時間差はあまりないんだが。
ご本人がいらっしゃれば、ご教示受けたい所ですな。


さておき、やはり「詐欺はなかった」(笑)
728日本@名無史さん:2013/11/06(水) 16:01:50.53
あわびマンの「詐欺詐欺」詐欺があるだけ
729日本@名無史さん:2013/11/06(水) 16:21:38.46
詐欺師が詐欺じゃないというのは想定済み
730日本@名無史さん:2013/11/06(水) 16:31:48.66
詐欺師じゃない人が詐欺じゃないというのは、あたりまえ



詐欺だ詐欺だと言いふらす人が証拠を出さないのは、異常
731日本@名無史さん:2013/11/06(水) 17:04:30.57
>>727
「帯方東南萬里」は、帯方郡を起点にしているわけだから、
当然、司馬懿が公孫氏を滅ぼして帯方郡を支配したあとだろう。
公孫氏が帯方郡を支配しているうちは、楽浪郡が起点にされていたわけだから。

卑弥呼は公孫氏が滅ぶと、間髪入れず魏に遣使しているわけだから、
漢書・地理志の如淳の脚注も、卑弥呼の遣使の後でなくてはおかしい。
厳密に言えばこうなる。

しかし、如淳が帯方郡と楽浪郡を混同したということも考えられる。
けっこうそういう例は多い。

それに、如淳の脚注と陳寿の「万二千余里」を関連付けて考える必要も
ないとも言える。陳寿は独自の観念的な距離として「万二千余里」を
書いたということもありうる。

このように、ちょっとした事で倭人伝の里程・日程の解釈は変わってくる。
だから、僕はこの問題にはあまり首を突っ込まないようにしている。
一字一句を厳密に解釈したら、頭がこんがらがってくる。
732日本@名無史さん:2013/11/06(水) 18:26:31.91
詐欺じゃないけど、大嘘だよねw
ローガンが冷や汗かいてるなw
733ローガン:2013/11/06(水) 18:47:01.50
>>731
おや、ご本人の降臨ですか?では、

>公孫氏が帯方郡を支配しているうちは、楽浪郡が起点にされていたわけだから。

の辺りを敷衍して頂けないでしょうか。
支配しているのは帯方郡だけでは無いでしょう。董卓以後は
度曰:「我王遼東、何永寧也!」などとあり、後漢末から楽浪も実質、公孫氏の支配下ですが。
734日本@名無史さん:2013/11/06(水) 19:00:42.10
別人だろう。明らかにレベルが低い。
735日本@名無史さん:2013/11/06(水) 19:32:36.15
>>733

残念ですが、>>731の方は別人です。

ちょこちょこ見つけてはいるのですが、それに対する反論とかまとめる時間がなくて進んでいません。
なんせ量が多いのと、漢籍の原文に当たるので時間を食っています。

期待されているようですが、ご期待に添えなくて申し訳ない。
しばらくお待ちください。

その一部を置いときますね。



♪邪馬台国 ドンと来い♪ 66
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1266146788/l50

349 名前: ローガン 投稿日: 2010/02/19(金) 15:18:46
>>315
> 槨は石室。というか一般的には棺を入れる部屋のこと。

部屋ですか… ?な所もありますが、取り敢えず「部屋」だとして。
女王墓が竪穴式石室という部屋を持っていた。これが「有棺有槨」とするなら、当然 棺も槨も実見したことになる。両者共を実見するには、棺を収める以前に槨(部屋)が出来ていなければならない。
しかし この石室、完成後には棺を収めるのは無理。棺と板石の間が狭く担ぎ手が入れない。(下池山や黒塚が良い例)
棺を先に据えて、外側から棺の方を向いて板石を積んでいく以外に石室構築方法はない。
又、こうしない限り黒塚の△鏡、並べるタイミングはないでしょう。 貴方の云う「部屋」…棺を収める為に予め作られた埋葬施設が槨なら、上記の手順で作られる石室、決して槨とは言わんでしょう。
まあ、いずれにせよ「有棺無槨」徑百餘歩の女王墓に関する記述部分ではないけどね。


 
736日本@名無史さん:2013/11/06(水) 19:47:37.89
初期古墳は「有棺無槨」である。
何か問題でも?
737日本@名無史さん:2013/11/06(水) 19:51:25.57
>>736

ローガンは石室があっても、無槨と主張したいんじゃないか?
738ローガン:2013/11/06(水) 20:12:11.46
>>735
貼るだけ?
「ローガン詐欺」とやらを暴かないの?
739日本@名無史さん:2013/11/06(水) 20:12:49.23
初期古墳は「無槨」なんでしょ?
何も問題はないですね?
740日本@名無史さん:2013/11/06(水) 21:06:10.41
>>738
幼稚で騙される方が悪いレベルだが、
白を黒と言いくるめている極めてわかりやすい詐欺だと思うが?
741日本@名無史さん:2013/11/06(水) 21:11:02.04
きみは白を黒と言いくるめようとしてるの?
結論を言い張るだけでは無理だけど
742日本@名無史さん:2013/11/06(水) 21:34:02.20
>>733
漢書地理志には、「樂浪海中有倭人分爲百餘國」と書かれている。
これは楽浪郡から見た倭国になっている。

一方で、魏略には「倭在帶方東南大海中…」となって書かれてらしい。
どうして帯方郡に変わったんだろうか。そのきっかけはなんだろうか。
743日本@名無史さん:2013/11/06(水) 21:48:14.65
goo辞書より

墓室内部の棺を保護するもの。木槨・石槨・粘土槨・礫槨(れき かく)・木炭槨などがある。
744日本@名無史さん:2013/11/06(水) 21:58:22.32
それ現代の考古学者が使ってる定義なんで
古代中国の文献解釈には使えないよ
745日本@名無史さん:2013/11/06(水) 22:01:37.00
畿内論者は、「有棺無槨」もデタラメだと主張するかw
746日本@名無史さん:2013/11/06(水) 22:10:31.27
>>740

詐欺じゃなくて無知なだけじゃないのか?
747日本@名無史さん:2013/11/06(水) 22:20:43.53
>>738
部外者なんで、あまり参加する気もなかったんだが、いろいろ言われたので、
>>715-716を読んでみた。何を言っているのかさっぱりわからないが、

まず、131から。「魏の時代の一里は、434mで間違いない」と言っている。
「12000里東南へ移動すれば、現在の福建省ビン侯の東辺りであろうとしている。
公定里に基づいた記述である」、とも言っている。

434m×12000=5208kmになる。これだけ東南に進めば、会稽どころじゃない、
ニューギニアの東のソロモン諸島辺りに行くことになる。
これはインチキだろう。
陳寿には地理的な観念はあまりない。漠然とそんなものだろうと思ったのだろう。
748日本@名無史さん:2013/11/06(水) 23:00:29.26
133について、
>よってこの「萬里」とは実測に基づくものではなく、元々あった
>単なる修辞を述べたものと考えざるを得ない。

それは一里を434mと考える根拠にはならず、むしろ矛盾するのではないか。

134について、
>この萬里に、史家は使者が持ち帰った情報、上陸から都までの二千餘里を
>付加したのである。

つまり、観念的な里数に、実際の、実測の里数を加えたというわけかな。
これでいいのだろうか。

まだ、疑問点がある。伊都国の東南陸行五百里をどう考えるか。
一里=434mで考えれば、伊都国だけでなく奴国や不弥国も太平洋に
出てしまう。
どうして、投馬国や邪馬台国までの行程が「里程」ではなく「日程」に
なっているのか。さらに、どのようにして「日程」が二千里に含まれることに
なったのか。

結局、ローガンは、一里=434mを主張したいのだと思うが、
その根拠が示されているとは言えないのではなかろうか。
749ローガン:2013/11/07(木) 00:04:42.13
>>747
>何を言っているのかさっぱりわからないが、

意味のわからない者がどうやって「詐欺」を糾弾できるのかな?
いつもの通り「詐欺詐欺」の連呼かい? その連呼のレス、いつも蔑み、笑われているんだが。

>>748
>それは一里を434mと考える根拠にはならず、

まともな人間は誰一人相手にしないと思うが、中華における公定里の存在を否定したいなら勝手にどうぞ。勿論私も相手するつもりは無い。

さて、お題は>>692「ローガン詐欺」(笑)
持説に対する批判等は不要。それなら単なる議論。
「詐欺」とやらを暴くことが君達のすべきことだろうに。ホントお子ちゃまの相手は疲れるなあ。

寝ます。
750日本@名無史さん:2013/11/07(木) 00:13:45.90
一里を434mなんて言ってるのは駄々っ子みたいなもんだな。東夷伝のどこにもそんな
里は使われていない。東夷では中国の里なんぞ使われていない。
そんなトンデモにしがみつかなければ畿内説をいう手がかりすらないということだ。
751日本@名無史さん:2013/11/07(木) 00:21:24.30
またキナイセツガーを連呼してるのかw
752日本@名無史さん:2013/11/07(木) 03:40:44.59
>部外者なんで、あまり参加する気もなかったんだが、いろいろ言われたので

部外者がどうして
畿内説は詐欺だ!詐欺だ!詐欺だ!詐欺だ!詐欺だ!
ローガンは詐欺だ!詐欺だ!詐欺だ!詐欺だ!って
執拗にキャンペーン張っとんの?
753日本@名無史さん:2013/11/07(木) 04:55:41.98
ローガン嫌われてるな。
畿内論者からの援護もつかんというのがね。
754日本@名無史さん:2013/11/07(木) 05:02:29.16
自分に都合のよくないモノは一切見えない九州説
755日本@名無史さん:2013/11/07(木) 05:13:00.52
>>754
そんなつまらんこと書く暇があったら擁護してやれよw
756日本@名無史さん:2013/11/07(木) 05:19:08.24
九州説のひとって、思い込みばかりが強いんですね。
757日本@名無史さん:2013/11/07(木) 05:41:00.74
九州説って主張は皆無のクセに、批判だけは元気になるんだよな。
しかも無内容な思い込みだから、始末が悪いw
758日本@名無史さん:2013/11/07(木) 05:55:37.63
そして「批判」の内容はといえば
その実態は「オレ様の説と違う!」だけwww
759日本@名無史さん:2013/11/07(木) 06:06:27.64
>>735

気持ちはわからんでもないが、個人を攻撃するのは
あまりみっともいいことじゃないと思うぞ。
ほどほどにな
760日本@名無史さん:2013/11/07(木) 10:44:46.40
詐欺だ!詐欺だ!詐欺だ!詐欺だ!詐欺だ!詐欺だ!
連呼ばっかりで 立証をまったくできない お粗末くん
761日本@名無史さん:2013/11/07(木) 11:54:04.49
>九州説って主張は皆無のクセに、
伊都国は倭人伝どおりに進んで佐賀付近。怡土に比定するのは方向違い、距離違い、陸行の理由無し。
はい、この主張に畿内説は何と答えるのかな?
762日本@名無史さん:2013/11/07(木) 12:34:02.72
地名も同じで、遺跡からは大陸由来の出土品も多い
佐賀に物的証拠見つけてから偉そうなこと言えよ
763日本@名無史さん:2013/11/07(木) 12:41:07.18
地名といっても村名じゃな。倭人伝が伝える伊都国とはスケールが違いすぎる。
大陸由来の出土品?半島に一番近かったからな。平野が少なくて米がとれず、半島でがらくたを
買い込んで商売してたってことだろうね。
怡土は伊都国に比定するような所じゃない。
764日本@名無史さん:2013/11/07(木) 13:26:09.26
>>763
喧嘩に負けた小学生の言い訳かよw
765日本@名無史さん:2013/11/07(木) 13:40:58.04
>>764さん、宛先が間違ってるよ
>>762宛だろ?
766ローガン:2013/11/07(木) 14:31:23.34
>>735
>ちょこちょこ見つけてはいるのですが、

君の意見に従えば、それが詐欺を現場という訳だな。

>それに対する反論とかまとめる時間がなくて進んでいません。

反論? 反論するならただの議論だろう。君のすべきことは「詐欺の立証」だ。(笑)

詐欺 - Wikipedia
詐欺(民法)
他人を欺罔(ぎもう:人をあざむき、だますこと)して錯誤に陥れること。

手始めに>>735に君が貼った私の投稿の、詐欺を立証してごらん。
さあやれ。
767日本@名無史さん:2013/11/07(木) 15:19:53.29
>>749
何を言っているかわからないところが問題。
恐らく、ローガンは、短里を否定して、魏代の一里は434mであると
主張したいのだろう。

しかし、帯方郡からの「万里」は、観念的な距離であることを説明する
ことに終始し、これに二千里を付け加えたなどとわけのわからないことを
書いている。

短里を否定しているわけでもなく、いわゆる長里の根拠を示すわけでもなく、
ただ、わけのわからないことを書いて煙に巻いているだけ。
しかも、これらがどこからか引用してきたものであるとしたら、
詐欺と言えるかもしれないな。
768ローガン:2013/11/07(木) 16:01:37.19
>>767
>何を言っているかわからないところが問題。

内容が理解出来ない人に、詐欺の立証など不可能。
まずは、もっと勉強してから参加するように。
「わからない」原因は君側にある事を知りなさい。
769日本@名無史さん:2013/11/07(木) 17:50:57.79
いかなる碩学も猿を説得は出来ない、ってこと
770日本@名無史さん:2013/11/07(木) 17:52:46.69
>恐らく、ローガンは、短里を否定して、魏代の一里は434mであると
主張したいのだろう。

すべての歴史学者と中国人が主張していることですが
771日本@名無史さん:2013/11/07(木) 19:14:27.64
で、何で主張するの?
772日本@名無史さん:2013/11/07(木) 19:15:53.34
歴史的事実だから
773日本@名無史さん:2013/11/07(木) 19:19:10.72
たんなる幻想だろ。
774日本@名無史さん:2013/11/07(木) 19:19:48.89
一里=434mでは説明がつかないだろ。
無理に説明すると、ローガン・トンデモ解説になる。
解説にはなっているが、トンデモ説の域を出ない。
775日本@名無史さん:2013/11/07(木) 19:21:36.42
ローガン・トンデモ解説ってどこにあるの?
776日本@名無史さん:2013/11/07(木) 19:32:14.23
あわびマンの脳内に
777日本@名無史さん:2013/11/07(木) 19:36:45.77
いつも結論だけを連呼するあわびマンの言動に、はたして理由はあるのだろうか?
778:2013/11/07(木) 19:43:27.33
>>768 ローガン氏
「帶方東南萬里」 宋書「倭讚、萬里修貢」
狗邪韓國、七千餘里。 渡海三千里。 「五」がない。

復路「至末盧國」を往路に変えて、末盧國上陸から
「東南陸行五百里、到伊都國」と記載して完成させた。

ってのは、どう?  詐欺にはならないだろ?
779日本@名無史さん:2013/11/07(木) 20:39:01.22
わけわかめ
780日本@名無史さん:2013/11/07(木) 20:52:15.35
>>778
日本語で頼む
781日本@名無史さん:2013/11/07(木) 22:40:23.99
>>768
何を言っているかわからないというのはトンチンカンなことを言っていると
言う意味だよ。
魏代の一里が434mであることを証明するためには、万里が観念的な距離で
ある事を言う必要がない。

どこからか説得力のありそうなレスを見つけてきて、それを引用して
いるんだろう。だから、ピントがずれているんだよ。
782日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:01:41.80
確かに>>767はトンチンカンなことを言っているな
だって、ローガンは魏代の一里が434mであることを証明しようとはしていないし
する必要もないのだから
783日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:04:04.02
うん。
>>767はピントがズレてるな。
784日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:07:21.66
434mの1里を千倍すると、観念上の距離になるという妄想。
さすがは畿内説だな。
785日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:17:57.04
  ↑
頭のネジもズレている
786日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:19:05.72
>>782
>>715は、それを言っているんじゃないのか?
少なくとも短里を否定しようとしているんじゃないのかな。
787日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:20:07.83
>>783
では、ローガンは何を言いたいんだ?
788日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:30:42.50
短里なんてものは実在しないと言ってるんだが
そんなことも分からない白痴なのかね?
789日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:32:51.22
>>715は、それを言っているんじゃないのか?

「それ」って何?
790日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:33:36.43
馬鹿の喋る日本語は、いつも不完全なんだよ
791日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:36:58.79
>>788
ああそう。短里は実在しないと言っているとしてもその証明は
全然されていない。万里が観念的な距離であることをいくら力説しても
短里が実在しない証明にはならない。
792日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:38:06.81
馬鹿の喋る邪馬台国も、いつも不完全なのだよ
793日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:39:48.21
珍説の羅列としか
794日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:48:25.44
ローガンの支持者ってこんなに多いのか。
ローガンってひょっとして畿内説の希望の星?
アンタレスあるいはベテルギウスかも知れないな。
795日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:54:40.01
秦の始皇帝の決めた度量衡には里は存在しない。
三世紀以降に、その時代の尺と歩の倍率の記録が残っているだけ。
796日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:55:25.22
陳寿は「萬里」が観念的里数であることは知ってて、道里の計算要素として使ってるね
797日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:56:30.28
万里が観念的な距離で、その先の二千里が実測という主張に、
特に根拠はない。
798日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:56:39.11
>>791
存在しない証明(悪魔の証明)なんて要求するのは馬鹿か詐欺師
だってことは
「短里」を「幽霊」に変えてみれば、誰にでも理解できるだろう
799日本@名無史さん:2013/11/08(金) 00:00:03.86
>>798
アホか。倭人伝に書かれている「里」が短里でないことを証明すれば
いいだけだろう。ローガンは一里が434mといっているわけだから、
それを証明すればいい。
800日本@名無史さん:2013/11/08(金) 00:08:10.32
どうするかは、あんたごときが決めることじゃないの
倭人伝に書かれている「里」が短里であるという根拠がないことを暴けば、それで十分なのさ
801日本@名無史さん:2013/11/08(金) 00:08:16.37
帯方郡、狗邪韓国、対馬、壱岐、松浦
韓地方四千里、対馬方四百里、壱岐方三百里、
は、誤差はあれど77m程度の里で成立する。

短里か誇大記録かは分からないが
位置と距離から推測される里では、
公里を明確に否定することができる。
802日本@名無史さん:2013/11/08(金) 00:10:06.06
「成立する」と言い張るなら
正確な測定位置と測定値データの公開どぞ
もちろん測定方法もね
803日本@名無史さん:2013/11/08(金) 00:12:39.63
>>801 こいつマジ馬鹿だwww
「短里か誇大記録かは分からない」なら
「公里を明確に否定」出来るわけないじゃん
自己矛盾でまた自爆なさったよ、あわびマン!
804日本@名無史さん:2013/11/08(金) 00:15:47.58
むしろ位置と距離が分かる範囲においては、
公里を肯定する根拠は全くない。

従って、観念的な距離、修辞とするしかない。

松浦からは公里の実距離という主張も、
その先の位置がわからない以上、
証明ができない。
805日本@名無史さん:2013/11/08(金) 00:37:22.34
意味不明
806日本@名無史さん:2013/11/08(金) 00:52:12.32
「たくさん」+「2千」=1万2千

陳寿がこんな幼稚なミスをすると考える方が馬鹿。
807日本@名無史さん:2013/11/08(金) 02:08:11.92
1万2千 =「とても遠い」
808日本@名無史さん:2013/11/08(金) 03:45:28.19
あいかわらず、自分が空想して作った変な主張を批判して
畿内説に反論した気になっている爆死あわびマンであった
809日本@名無史さん:2013/11/08(金) 10:11:53.43
「たくさん」という修辞で万里としたなら、二千里くらい追加したところで、
そのまま万里だな。
810日本@名無史さん:2013/11/08(金) 11:02:39.02
アワビマンに刺されて、ローガン即死化か。
811日本@名無史さん:2013/11/08(金) 11:07:43.31
万里を分けて七千里、三千里にした。三千里を分けて千里にした。千里を分けて五百里にした。
五百里を分けて百里にした。それを使って、方三百里、方四百里を書いた。
その結果、短里の体系が成立した。
やっぱり短里はあったのだ。ローガン説を敷衍するとこういうことだな。。
812日本@名無史さん:2013/11/08(金) 12:39:08.70
目の前で発言している現代人の主張をこれだけ歪められる人間が
倭人伝をどう「解釈」するかは
お察し
813ローガン:2013/11/08(金) 13:59:08.38
>>778:○さん
>ってのは、どう?  詐欺にはならないだろ?

どう? と言われてもなあ…
私見では、「行程」ではなく「地誌」。行程は壱岐→糸島。
さて「行不見前人」は「郡使往來常所駐」と対比。
前者「行不見前人」 の前人を先人の意と捉え、先に訪れた同国人の居ない末廬国。
かたや、小チャイナタウンのある伊都国。
814:2013/11/08(金) 14:18:44.44
>>813 ローガン氏
>私見では、「行程」ではなく「地誌」。行程は壱岐→糸島。
 ここは、幸い一緒。

>先に訪れた同国人の居ない末廬国
 帰路は、伊都国→末廬国→壱岐

陳さんは二千里を加えて、人口同様七五三を整えた。

思考順序
「當在會稽東冶之東」−渡海三千里ー歴韓國七千餘里ー東南陸行五百里
815日本@名無史さん:2013/11/08(金) 14:49:01.63
説明不足で意味わかんね
816ローガン:2013/11/08(金) 14:53:45.53
>>814:○さん
>陳さんは二千里を加えて、

いや、陳さんは先行史書をおそっただけでしょう。
翰苑引用魏略「女王之南、又有狗奴國、女男子爲王、其官曰拘右智卑狗、不屬女王也。自帯方至女國萬二千餘里。」
魚豢の年齢考察から、魏略が先行するのは定説。
又、文中にある「参問」と末尾の評から、手持ちの複数の資料を書き並べただけ。という推測に無理は無いでしょう。

>「當在會稽東冶之東」

これは、ひょっとしたら陳さんの意見かもしれないが、後漢書郡国志に見える
洛陽→交趾が南11000里。
洛陽→楽浪が東北5000里。という前代からの認識に基づいた寸法取りをして
帯方の東南12000里なら、閔越の東の海上辺りだろうというぐらいの意味でしょう。
817:2013/11/08(金) 15:42:31.31
>>816 ローガン氏
>魏略が先行するのは定説。

 となると、魏略「其國王皆屬王女也」に該当するのは
 魏志「丗有王、皆統屬女王國」である。

陳さんが、なぜ改変したのか?
卑弥呼と伊都国との親密な関係の新情報によるとしか考えられない。
卑弥呼は伊都国の近くに居た。
818日本@名無史さん:2013/11/08(金) 16:09:52.67
すげー飛躍!
819ローガン:2013/11/08(金) 16:11:47.59
>>817:○さん
>卑弥呼は伊都国の近くに居た。

あはは。
なら「常治伊都國、於國中有如刺史。」
刺史ではなく、尹でしょうね。
820日本@名無史さん:2013/11/08(金) 16:13:28.32
コンスタントにK点超えだわアワビマン
821:2013/11/08(金) 16:25:42.02
>>819 ローガン氏
>刺史ではなく、尹でしょうね

尹=一大率の意味で記したのではないのでしょうか?
「常治伊都國」に居る刺史が、対馬を検察するのは不自然。
諸国にいたのが刺史。
822ローガン:2013/11/08(金) 16:49:32.88
>>821:○さん
>尹=一大率の意味で記したのではないのでしょうか?

「ないでしょうか?」と言われても困る。そう考えるなら、貴方が論じないと。
それはそうと…アワビマン諸君は、詐欺の立証を断念したのかね。
823日本@名無史さん:2013/11/08(金) 16:55:22.59
気になって仕方がないとw
824:2013/11/08(金) 17:01:00.30
>>822 ローガン氏

対馬〜邪馬台国の一気通貫型の投稿が減った。
またひと皮剥けて出直して来るでしょうが・・・
825日本@名無史さん:2013/11/08(金) 17:10:58.10
卑弥呼が伊都国の近くに居たなら、中国人は一大率を
刺史ではなく、尹にたとえる、という指摘は
ある程度の教養がないと理解できないわけだ・・
九州説は哀しいな
826日本@名無史さん:2013/11/08(金) 17:13:25.65
>「常治伊都國」に居る刺史が、対馬を検察するのは不自然。

「治」と「刺史」の意味がわかってないね
827日本@名無史さん:2013/11/08(金) 17:27:20.13
「檢察諸國 諸國畏憚之」の「諸國」は

その実態は「國中」からはみだして半島の「諸國」までに及びがち

というところが魏からすると不都合なんだよな

半島にまで及ばなければ独占的な通商活動とかできんしね。
828日本@名無史さん:2013/11/08(金) 17:39:50.52
刺史というのは、前漢時代に武帝が13州に置いたのが始まり。
州の監察官ということで、それぞれの州に置かれた。

日本の場合も、「刺史の如き」と表現されるのは、それぞれの国に
置かれているからだろう。
というわけで、これに相当するのは「官」ということになる。

一大率の場合は、伊都国に一つだけ置かれて諸国を検察するわけだから、
刺史とは異なる。

「國中有如刺史」と「官」という二つの表現があるのは、倭を訪れた
二人の郡使、つまり梯儁と張政の表現の違いだろう。
829日本@名無史さん:2013/11/08(金) 17:46:15.47
州の監察官ということは

州の領域内にある諸郡の官吏の行政を監察する官だし。

「有如刺史」というのは魏のひとが観察した結果

「まるで刺史」のように振舞って見えたということ。
830日本@名無史さん:2013/11/08(金) 17:48:14.30
一大率については「特」に置いたのだから、中国のように各州でなく、対外交渉上重要な地域のみ管掌するために「特」に刺史的なものが置かれてとみて大過なかろう。
831日本@名無史さん:2013/11/08(金) 17:49:56.09
この場合「官」が郡太守に、一大率が「刺史」に相当するとみる。
832日本@名無史さん:2013/11/08(金) 17:50:03.19
なかば嘘も混ぜ込んで大胆に例えて言うと

「刺史」なるものは近世における「大目付」みたいなもの。
833日本@名無史さん:2013/11/08(金) 17:59:56.55
刺史の職務は、諸国を巡回する監察官から、太守を統括する軍政官へと、時代とともに変化しているので、どういう時代感覚で筆者がこの原記事を書いたのか判断が難しい。
834日本@名無史さん:2013/11/08(金) 18:12:43.29
「太守を統括する軍政官」というのは

本来直接の統括関係はないけど

戦闘において仮に指示に従うみたいなもので

なかば嘘も混ぜ込んで大胆に例えて言うと

戦国期の武家における「触頭」みたいなもの。
835日本@名無史さん:2013/11/08(金) 18:20:36.09
刺史の監察官としての機能は連続していて消滅した時期とかは無いのでは。

刺史の下部に郡太守が位置するわけではなくて役人としては同格。

むしろ貧困のケースも多々。

現地を実際に支配する側からすると土足でずかずか上がりこんで迷惑という印象も強かろう。
836日本@名無史さん:2013/11/08(金) 18:58:36.01
>825,826

ザ・コメン低ター
837日本@名無史さん:2013/11/08(金) 19:02:54.75
幽州刺史の毋丘倹と幽州各郡の太守の関係がが高句麗戦役でどうであったかを見れば
同時代の実態がわかるでしょう。
刺史が司令官で、郡太守らが部将です。
838日本@名無史さん:2013/11/08(金) 19:04:49.34
ひとことも反論できず恨み節だけの九州説あわれ
839日本@名無史さん:2013/11/08(金) 20:30:02.93
倭人伝には、「國中有如刺史」とある。これをどう訳すか。
まず、「國中」だが、これは倭人伝に四回登場するあとの三回はこれ。

「悉可以示汝國中人」「更立男王、國中不服」「復立卑彌呼宗女壹與、
年十三爲王、國中遂定」

これを見ると、倭国の全部の国とするのが妥当。少なくとも中国とは
訳せない。

ということからすれば、「國中有如刺史」は、倭国の全部の国に刺史の如き
ものありと訳すのがいいのではないか。

ちなみに、魏の時代の刺史は、軍事権や行政権を持ち、刺史が非常に力を
持っていた時代と言える。将軍と言われることもあったらしい。
840日本@名無史さん:2013/11/08(金) 20:44:23.69
「於國中有如刺史」

「於國中」 は、一大率がまるで「刺史」の如くふるまっていたように見えた領域

たとえ帶方太守が一大率のこと畏憚っていたとしても

パブリックでそうは書けないでしょ

鉄の流通を独占するには弁辰にある鉄生地の國國には

一大率のことおおいに畏憚ってもらう要がある。

魏が割り込んで鉄の郡への流通を新規開拓しただろうとすると

帶方太守が畏憚りかねないのが一大率の海賊王の難升米さんだぬ
841日本@名無史さん:2013/11/08(金) 20:45:48.62
すまんけどちょっと脳内補正してちょ
842日本@名無史さん:2013/11/09(土) 00:07:56.61
ここは東遷の話に絞ったらどうだ
843日本@名無史さん:2013/11/09(土) 00:19:05.32
おまえ少しは知恵を絞れ
844日本@名無史さん:2013/11/09(土) 06:51:11.26
ないものを絞れと言われても困るんですよ
845日本@名無史さん:2013/11/09(土) 06:55:35.64
正直すまんかった
思いやりが無かった
846日本@名無史さん:2013/11/09(土) 06:59:45.19
東遷とそれに関連して神武東征の話に絞った方がいい
847日本@名無史さん:2013/11/09(土) 07:00:58.79
東遷なんてあるわけ無いだろ。
元々九州に邪馬台国が存在しないしな。
848日本@名無史さん:2013/11/09(土) 07:41:23.39
おまえ(486)さぁ、邪馬台国=大和(奈良県)ありきの畿内説なんて
あったらアホだと思うだろ?

どうして東遷ありきの東遷説スレなんかアホ過ぎて存在意義が無いとこが
どうして分かんねぇの?
849日本@名無史さん:2013/11/09(土) 08:19:47.60
あ、(846)だった
850日本@名無史さん:2013/11/09(土) 09:36:18.21
東遷説で全部うまく説明できる。纏向が突然出来たのも、
それで説明できる。よそから大きな勢力がやってきて、新天地で
自分たちの国を作ると考えることに無理はない。

東遷説を否定するから、畿内説は、纏向を作った主体の設定に苦労する。
各地の豪族が、共同して集落を作ったという非現実的な物語を作らなくては
ならなくなる。

素直に東遷を認めればいい。そうすれば、近畿地方の銅鐸祭祀が終わり、
鉄器が普及し、古墳が作られ、鏡が普及し、朝廷が誕生するなど
すべてがうまく説明できる。
851日本@名無史さん:2013/11/09(土) 09:54:34.53
無理だな
852日本@名無史さん:2013/11/09(土) 09:56:59.04
あらゆる歴史の謎はエロヒム星人の歴史干渉で全部うまく説明できるよ。
それと同じレベルだ。
853日本@名無史さん:2013/11/09(土) 10:37:53.10
>>850
他人のものは俺のもの的な発想はまるで朝鮮人だな
854日本@名無史さん:2013/11/09(土) 11:12:19.62
纏向の建設を主導したのを首長連合だけでとらえるとわからなくなる
公孫氏や伽耶などから入り込んできた渡来人集団の役割が大きい
855日本@名無史さん:2013/11/09(土) 11:23:42.34
この渡来人集団は河内あたりが拠点で
あと東海にも拠点があった
ここがポイント
856日本@名無史さん:2013/11/09(土) 12:23:01.04
人間神武天皇を史書から類推すると、相当えげつない人物であることが分かるんだけど
なぜヤマト朝廷がこの人物を始祖として持ってきたのか、よくわからないんだよね

東征そのものは王朝の遷都とか言うよりも明らかに小勢力の移住説話でしかない
これと邪馬台国東遷説は明らかに別物
王朝のシステムや文化が移転されるなんてのは荒唐無稽すぎる上に考古学的に何も証明されてないからだ

記紀においては西方からヤマトへ三波に分けて東征した記述が伺える
地域は不明だが(おそらく丹波経由)ニギハヤヒの移住
日向(と言いつつ、最終的な出発地は北九州)からのイワレヒコの移住、侵略
最後にヤマトに凱旋して皇位を継承した北九州で出生した応神天皇の「侵攻」の三つ
この中だと応神の説話が「東遷説」には一番都合がいいはずだが
みんななぜか神武に持って行きたがるよな
857日本@名無史さん:2013/11/09(土) 12:24:12.49
>>855
吉備政権もルーツは韓系の温羅集団という説もあるんでしょ
意外と当時の畿内周辺はカオスだな
858日本@名無史さん:2013/11/09(土) 13:16:46.20
>>850
仮に東遷があっても、三世紀以前の話で終了だよ。
モモソ姫だって神武の世代よりずっと後なんだし、
どう足掻いても無駄だ。
859日本@名無史さん:2013/11/09(土) 15:37:27.08
降臨地を筑紫日向に変えてるのは654、657年の吐火羅人漂着の影響だろう
孫には流亡の意味がある
860日本@名無史さん:2013/11/09(土) 15:51:42.67
応神天皇のころの北九州筑紫の軍事的優位性は無くなっています。
その頃に貴重とされる鏡も南九州日向より少ないし武器防具の類も特に多くない。
畿内勢力が引き離しての第一勢力で、東征自体が困難だが、仮にあったとしても筑紫は戦争を行うような出土具合になく東征は日向より困難。
筑紫国内を全く通らず、岡田宮という豊国と筑紫国の境界域までしか行っていないことも留意しなきゃならない。
861日本@名無史さん:2013/11/09(土) 16:31:41.67
弥生の後期までなら北部九州しか考えられない。
終末期だと優位性が薄れる。
そして環濠の様子がおかしい。
北部九州の近い同士で戦をやって統一勢力が現れて東征したのか。
どこに対して戦をやったのかが明らかになればだいぶ進展すねのですが。
862日本@名無史さん:2013/11/09(土) 17:37:15.62
女王国以北の国々は、一大率の厳しい検察を受けて畏憚していた。つまり、以北の国々は
倭国の乱で実質的に敗北したわけだ。勝者は、以北よりも南の国、つまり万二千里よりも
南にある国だよ。それが九州をほぼ統一して次の段階で東征していったということだ。
863日本@名無史さん:2013/11/09(土) 19:02:34.96
以北でなく以西にすれば畿内説で一件落着。
864日本@名無史さん:2013/11/09(土) 19:38:47.73
畏れ憚るほどの大勢力は瀬戸内海全域を我らが海とする畿内しか考えられない。
865日本@名無史さん:2013/11/09(土) 20:25:41.58
>>864
畿内の縄文人は、そんなに船を大量に持ってたのか

もちろん構造船なんだろうな

何百隻位だ

やりがんなはどの位出土してるんだ
866日本@名無史さん:2013/11/09(土) 22:10:55.46
>>858
日本書紀には、神武天皇は、橿原の地で即位したあと、われわれは
天神の子であるから天神の祭祀をはじめよう、と言ったと書かれている。

神武東征の東征によって、近畿地方周辺に大きな変化があったと考えられる
わけで、その時期はやはり古墳時代の始まりと考えられる。

古墳時代の始まりにより、古墳に代表される階級的社会的な要素が突然に
始まり、銅鐸祭祀が終わり鏡信仰が始まる。鉄器も急速に普及する。

古墳の棺を見ればわかるように、朱があり、鏡があり、剣や玉類が
ある。卑弥呼時代の何百年も前からある弥生時代の九州の棺の内容が
そのままの姿で見られるようになるわけだ。
867日本@名無史さん:2013/11/09(土) 22:20:10.68
鏡、剣は中国、朱は東南アジア、硬玉は越、ピザはイタリア
868日本@名無史さん:2013/11/10(日) 00:29:35.98
>>365
サヌカイトなんて相当広く運ばれてりだろ。
当然船で移動しないと運べないぞ。
869日本@名無史さん:2013/11/10(日) 05:05:11.87
纏向なんてのは、征服者がやってきて自分たちの村を作った、で世界中の
誰もが納得する。

これを否定するために、あちこちの偉い豪族(そんなのがいたかどうかも
定かではないが)が、「ねえねえ、どこかにみんなで町を作りましょうよ」
「そうねえ、どこにする」「奈良盆地には誰もいないから
あそこにしましょう」「そうねえ、で、王様はどうするの」
「卑弥呼ちゃんって子がいるから、あの子にしましょうよ」
「そうしましょ、そうしましょ」

なんて事があるわけないだろう。畿内説の考古学者の考えることは
笑える。まあ、ほかに考えようがないんだろうが。他にあるかな?
870日本@名無史さん:2013/11/10(日) 05:22:20.55
ヒミコちゃんてモモコちゃん?
871日本@名無史さん:2013/11/10(日) 05:25:55.95
ウロコちゃん
872日本@名無史さん:2013/11/10(日) 06:17:55.49
纏向なんてのは、征服者がやってきて自分たちの村を作った、で世界中の
誰もが納得・・
するわけねーじゃん。

また、あわびマン笑いもの
873日本@名無史さん:2013/11/10(日) 06:37:34.92
あ、ウロコちゃんだ!
874日本@名無史さん:2013/11/10(日) 08:30:52.96
鍵唐古周辺に弥生遺跡集落は沢山存在してるの知らないのかな?
縄文末期の集落なら橿原方行きゃ存在してるのにな。

神武が入ったのな紀元前後の話で、
卑弥呼は南方系のモモソで東征問題は解決だよ。
875日本@名無史さん:2013/11/10(日) 10:38:40.09
>>874
橿原あたりは弥生遺跡少ないだろ
大和朝廷発祥の地に弥生時代の遺跡が少ないというのは
畿内説の致命的な欠点
876日本@名無史さん:2013/11/10(日) 10:56:29.58
欠点だという理由が不明だな
877日本@名無史さん:2013/11/10(日) 11:06:12.09
↑ ア○ウ違う?。弥生時代の遺跡が少なければ邪馬台国が有った可能性は小
さくなるよ。ア○ウ違う?。
878日本@名無史さん:2013/11/10(日) 11:12:00.05
>>874
笑われても馬鹿にされても性懲りもなく卑弥呼はモモソだを繰り返すアホ
どういう神経してるんだか
879日本@名無史さん:2013/11/10(日) 11:20:23.91
>>874
寺沢が次のように言っているのを知らないのかな。
 三世紀の初め、纏向は突如として出現した。それは従来のいかなる巨大弥生集落とも異質な政治的な都市の誕生であった。
その誕生と同時に、盆地の弥生集落の基礎構造は瓦解した。唐古・鍵など弥生前期から安定した環境のもとで発展してきた
集落の大部分が消滅したり衰退したりし、小規模山村へと分裂してしまったのだ。 〜纏向の地に都を置いたにもかかわらず、
その権力母体は邪馬台国でもなければ、奈良盆地や近畿中心部の部族的国家連合でもない。
880日本@名無史さん:2013/11/10(日) 11:37:11.22
最初の日本国なのだよ
881日本@名無史さん:2013/11/10(日) 11:47:07.96
>>879
何年前の発言かな?古い認識はさっさと捨てた方がいいぞ。
モモソの出身地、保津遺跡周辺、鏡作神社の周辺とか、
未発掘の弥生遺跡があるのは有名だよ。
また最近の御所橿原周辺の高規格道路建設に伴う
発掘調査だけでもまぁ、色々あるんだけどね。
882日本@名無史さん:2013/11/10(日) 12:41:20.89
畿内説というのは、遺跡、遺物が頼りなんだろ。その畿内説が、掘りもしない遺跡に頼っている
ようじゃ話しにならんな。九州の遺跡、遺物は質量とも段違いだ。
883日本@名無史さん:2013/11/10(日) 14:02:20.75
弥生時代の遺跡が少なければ邪馬台国が有った可能性は小さくなる
言い張るけど、理由がないよね
884日本@名無史さん:2013/11/10(日) 14:06:01.69
そうかな。合理的な話しだと思うが。中国まで使者を派遣するような国があったのならば、
それ相応の人口、文化が認められてしかるべきだろう。
885日本@名無史さん:2013/11/10(日) 14:29:05.54
畿内説だと、モモソが卑弥呼じゃなきゃ困るんだな。
今度はモモソ詐欺か。
886日本@名無史さん:2013/11/10(日) 14:38:50.24
卑弥呼はモモソ姫で、姫の墓は箸墓、
こう言い張っておけば、どうせ箸墓は永久に発掘できないからバレることは無い・・、
てな筋書きなんだろうな。
887日本@名無史さん:2013/11/10(日) 14:48:28.01
ヒキニトアワビの妄想が全開爆発しとるな
888日本@名無史さん:2013/11/10(日) 14:52:59.00
まあ、ここの連中だからな。箸墓にしがみつくのも仕方ないだろう。考古学者はさすがに箸墓はだめだと考えてるよ。
時代が合わない。台与の次の男王ぐらいでないとだめだってね。
889日本@名無史さん:2013/11/10(日) 14:56:58.88
>>881
新しい認識は誰がどこに書いていますか? 教えていただければ幸いです。
890日本@名無史さん:2013/11/10(日) 14:58:59.44
>そうかな。合理的な話しだと思うが。中国まで使者を派遣するような国があったのならば、
>それ相応の人口、文化が認められてしかるべきだろう。

それと
>弥生時代の遺跡が少なければ邪馬台国が有った可能性は小さくなる
と関係ないじゃん。
891日本@名無史さん:2013/11/10(日) 15:05:46.72
>>882
遺跡の質量が豊富と言っても、年代も合わないし
決め手になる候補地に候補者もいない。
それじゃ畿内説の比較対象にすら本来無理がある話だ。
それに九州の遺跡に鉄や宝が豊富と主張したところで、
畿内説からみれば、単に大陸に近いという点と、
伊都が存在するという理由一つで説明がつくしなw
全く話にならないんだよ。
892日本@名無史さん:2013/11/10(日) 15:21:58.58
正始八年(247) 印惠命の倭難升米が倭王位を退き壹與即位(伊佐知の掖邪狗が佐治)

その直後 海賊酋長の倭難升米が船団組んで未開の地に移住して御眞木入卑狗になった後だと

半円方格帯を備えた画文帯神獣鏡はでるわ、

銘が入った内行花文鏡はでるわ、

尚方作のサイン入った方格規矩四神鏡はでるわ、

+鉄剣+鉄刀+鉄鏃+刀子+鎌+ヤリガンナ+板状鉄斧+水銀朱 一括でぞろぞろ出ますわ。

庄内式の分布からすると八尾あたりから上陸して大和川遡ったみたい。

ややしばらくすると貧鉄症に陥ったりする時期とかも嫁るし。
893日本@名無史さん:2013/11/10(日) 15:27:01.53
まぁ畿内説の立場なら三世紀には東征なんて
終了済み、で片付いしまうw
894日本@名無史さん:2013/11/10(日) 15:30:11.22
http://img29.imageshack.us/img29/4805/5312e.jpg
「ここは韓国に向かい朝日が真っ直ぐ射し夕陽が良く照るところ。故に吉き地なり。」
倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり。
糸島半島・・・弥生時代になると瑞梅寺川と川原川からの沖積土がデルタ地帯としてのびていたが、まだ北部は島として取り残されていた。
志登と泊の間は満潮時には海面となり、干潮時には干潟となる状況が中世まで残っていた。

http://www.jalan.net/jalan/images/pictL/Y8/Y352988/Y352988260.jpg
綿津見神(総本宮は志賀海神社)の娘 トヨタマ姫
「私はこの子を育てに 海の道 を通ってあなたの元に行こうと思っていた。」

綿津見神の総本宮志賀海神社(別名龍の宮・龍の都)=綿津見神の住居は竜宮城
イザナギが生んだ住吉の「日本第一住吉」、日本最古の住吉は福岡平野の住吉神社
アマテラスが生んだ宗像三女神の総本宮は福岡の宗像大社
スサノオがもらった嫁、クシナダ姫は博多の総鎮守「櫛田神社」
イザナギ・イザナミが一番最初に生んだオロコロ島は博多湾に浮かぶ「能古島(のこのしま)」
イザナギ・イザナミの象徴二見が浦(夫婦岩)の本物は糸島半島の志摩にある夫婦岩
イザナギが黄泉の国との境を塞いだ大岩は糸島の玄海(限界)灘に突き出した芥屋大門
http://imgcache.its-mo.com/contents/KNK_ZPOI/J00000000000B4701120/B4701120-1/B4701120-1_m.jpg
http://assets.flips.jp/images/users/keyanootoyuransen/contents/4c8f18d5a28af.jpg?_=1284446421

卑弥呼が直接治めたのは斯馬国(志摩)〜奴国(福岡平野ないし福岡県域)まで。
志摩国にいた天孫族は、邪馬台国の一大卒古来から代々王のいる名門伊都国を落とす←天孫降臨
スサノオのヤワタノオロチ退治←福岡平野の倭国の強豪国を天孫族の支配下に置く活躍

そして力をつけた天孫族は倭国自体を乗っ取る。
そして天孫族の皇統を(筑紫の支配を)正当化するため古事記(筑紫神話)がある。

日本書紀その他は後世に都合よく古事記・筑紫神話をもじって作ったもの。
全ては博多湾岸から始まったものだな。
895日本@名無史さん:2013/11/12(火) 08:12:58.36
>>891
畿内説の年代合わせは昔からひどかった。

まず、三角縁神獣鏡。合わない年代を合わせるための伝世鏡理論。
ところが、いつの間にか年代が合うようになった。つまり、古墳の年代を
古くしてしまった。今では、やっぱり合わないから、というわけで、
三角縁神獣鏡は止めて、画文帯神獣鏡に変わってしまった。

次が箸墓古墳。中期と言われた古墳をなんだかんだ理屈をつけて卑弥呼の
死んだ時期まで持っていってしまい、とうとう卑弥呼の墓に仕立て上げた。
ところが、最近になってやっぱりやめとくかというわけで、今度は歴博の
C14年代法で出た250年前後にケチをつける始末。

次が纏向遺跡、年輪年代を根拠に庄内期を100年古くした。根拠である
年輪年代法をとことん持ち上げた。しかし、年輪年代に疑問が呈される
ようになると係わらなくなった。年輪年代で出た年代だけはちゃっかりと
戴いたままで。

畿内説の考古学は奇妙な年代合わせだけで成立している。
考古学自体が信用できないところまで来ている。
896日本@名無史さん:2013/11/12(火) 09:52:19.40
と被害妄想して恨み節の九州説
897日本@名無史さん:2013/11/12(火) 10:24:34.70
考古学者の言うことほど信用ならないものはない。
日本考古学の過去数十年の歴史をふり返ればあきらか。
898日本@名無史さん:2013/11/12(火) 10:27:25.16
考古学のことなんか知らないくせに
899日本@名無史さん:2013/11/12(火) 10:41:07.26
年輪年代を主張する光谷先生は、
考古学の学会に、論文を提出したことも、
発表したこともない。
900日本@名無史さん:2013/11/12(火) 11:09:06.06
>>895

畿内説は、根源が詐欺だから仕方がないな。
901日本@名無史さん:2013/11/12(火) 11:23:38.28
1986.古年輪学研究
1988.現生木による年輪年代研究法の基礎的検討
1994.わが国における年輪年代法
1998.ヒノキ.スギなどの年輪年代による炭素14年代の修正に関する研究計画
1998.佐賀県富士町,雷山南麓の斜面堆積物に埋没したカヤのAMS 14C年代
1998.年輪から古代を読む [検索@G] [検索@A]
1999.年代測定学篇,さまざまな年代測定.判定法
1999.日本産樹木の年輪年代学研究
1999.高精度年代決定による日本の完新世テフロクロノロジーの再検討
2000.十和田火山最新噴火に伴う泥流災害 埋没家屋の発見とその樹木年輪年代
2001.14C年代 暦年代較正データ(INTCAL98)と日本産樹木年輪の14C年代の比較検定
2004.年輪年代と14C年代の比較
2005.年輪年代法
2006.東日本におけるブナ年輪幅暦年変動パターンの広域ネットワーク構築
2008.過去3世紀における梅雨とENSOのテレコネクションパターンの周期的変化-樹木年輪セルロースの酸素同位体比からの証拠
2009.Anomalous decadal variability in O and C isotopic ratios of tree ring cellulose in southwestern Japan during the little ice age
2010.享保の飢饉は、何故起きたか???樹木年輪同位体比から見た小氷期の東アジアにおける大気循環の特異

902日本@名無史さん:2013/11/12(火) 11:30:10.19
ま、だいたい九州説のいうことはウソ八百なわけですな、このように。
903日本@名無史さん:2013/11/12(火) 11:36:44.56
現実には、九州説の詐欺ばかりが暴かれるわけだが
904日本@名無史さん:2013/11/12(火) 11:39:35.13
>>901

掲載学会や論文誌名、著書名も書いてみな。
905日本@名無史さん:2013/11/12(火) 11:45:54.73
この人、日本考古学会や日本考古学協会と仲悪いの?
906日本@名無史さん:2013/11/12(火) 11:53:05.48
ほとんど身内の紀要や報告だね。
907日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:01:38.89
高精度年代決定による日本の完新世テフロクロノロジーの再検討
日本第四紀学会 奥村晃史、嶋田繁、鈴木毅彦、福岡孝昭、町田洋、光谷拓実

享保の飢饉は,何故起きたか?:樹木年輪同位体比から見た小氷期の東アジアにおける大

気循環の特異性
日本地球化学会 中塚武、大西啓子、安江恒、光谷拓実、三瓶良和

14C 年代−暦年代較正データ(INTCAL98)と日本産樹木年輪の14C 年代の比較検定
日本第四紀学会 中村俊夫・福本浩士・丹生越子・小田寛貴・池田晃子・南 雅代・太

田友子・光谷拓実・今村峯雄・坂本 稔
908日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:07:20.53
考古学会、考古学協会はゼロか。
909日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:10:15.14
後ろの方に名前が乗るのは、資料提供というレベルだろうが、
それでも考古学関係がないのは、考古学から引用もされないレベルか。

なにか確執でもあるのかな?
910日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:10:23.09
所属してないんだから、あたりまえ
911日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:13:11.77
ひたすら中傷で潰そうとする九州説の汚さが出たな
912日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:16:06.42
所属してなくても引用はできる。
引用していないだけで。
913日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:20:34.71
光谷が考古学から引用されないなんて、わかりやすいウソをつく九州説者の神経がわからない。
光谷が引用されて困っているから、おまえら中傷してるんだろうに。
914日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:30:31.57
「引用していない」って、誰が?
どうして突然そんな話になるの?

どっから沸いた怪情報??
915日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:48:48.86
またアワビが詐欺やったのか
916日本@名無史さん:2013/11/12(火) 12:59:05.41
光谷拓実 引用 論文、でぐぐったが、
考古学界、考古学協会では見つからないな。

引用は少しは見つかってもいいと思ったが意外だな。
917日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:00:41.80
おまえ馬鹿か?
918日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:02:34.92
>>916
あなた、学術論文を一度も読んだことがないでしょう。
919日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:04:56.56
詐欺じゃなかった
バカだった
スマソ
920日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:05:48.82
いや、有名どころの論文はこれで出てくるぞ。
全部じゃないだろうが。試してみな。
921日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:08:12.65
何が出るんだ?
922日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:10:13.46
胡麻化そうとウソ言い訳こいて傷を深める馬鹿アワビ
923日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:14:48.24
ここまで考古学会、考古学協会の引用論文なし。

さすがに最初期なら幾らかはあるはずだが引っかからないな。
924日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:15:09.14
>>920 もう昼休み終わったから落ちるけど、嘘はよくないよ。
反省文書いておいてね。後で読んであげる。
925日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:17:29.22
反論のために引用された発表会資料なら見つけたw
926日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:18:09.84
「引用論文」って何のことだwww
927日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:20:41.97
>>926 お遊戯会のか?
928日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:25:54.87
全くないわけじゃなかろうが、
考古学会や考古学協会では、
ほとんど見つからないくらいに
マイナーだとはいえそうだ。
929日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:27:18.73
だから、「引用論文」って何のことだ?
言えないのか?
930日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:28:45.51
光谷先生の論文が引用された、
考古学界や考古学協会の査読を受けた論文。
931日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:29:31.16
考古学界 -> 考古学会 に修正。
932日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:49:29.54
で?
「光谷拓実 引用 論文、でぐぐった」が見つからないから
考古学会や考古学協会で発表された論文には光谷を引用したモノがないと
そう言いたいわけ?
933日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:55:42.99
あきれたな。
そんな方法で調べられると思ってるわけ?
934日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:56:01.65
>>932

考古学会、考古学協会の査読を受けた論文で、
光谷先生の論文のを引用したもの。

見つかったら教えてね。
935日本@名無史さん:2013/11/12(火) 14:01:33.23
>>933

調査頑張れ。
自分自身も完全にゼロとは思っていない。

ただとんでもなく少ないのは確かなようだね。
936日本@名無史さん:2013/11/12(火) 15:29:46.36
また、言い張るだけで根拠なしか・・・
937日本@名無史さん:2013/11/12(火) 15:50:26.80
根拠のないことを言い張って、そして決して証明しない
それが九州説
938日本@名無史さん:2013/11/12(火) 15:58:08.18
光谷さんについては各方面から、標準のバターンを表示して年代の根拠を
示すように言われ続けてきた。あの人の一番の問題は、年代の出てくる過程が
ブラックボックスであるということ。

何も根拠を示さず、私のいうことを信じなさい、では、信頼性にも限度がある。
939日本@名無史さん:2013/11/12(火) 16:22:59.55
九州説の中傷にも根拠がないよな
誰が信じるやら
940日本@名無史さん:2013/11/12(火) 16:37:42.59
こういう理化学的なものについては、追試が必要とされる。
他の人が同じように研究して同じ結果が出ることで信頼性が高まる。
しかし、光谷さんの年輪年代については検証が不可能。

こういう風に信頼性がないから、考古学界も当初は年輪年代を無視してきた。
しかし、池上・曽根遺跡から出た木材の年輪年代による結果は、畿内説の
考古学者にとって、願ったりのものだった。だから飛びついた。
941日本@名無史さん:2013/11/12(火) 17:04:24.30
池上・曽根例はクロスデーティングとウィグルマッチングでクロスチェックが出来ていたという事実を隠して、自分に都合のいい数字が出たから信じたかのようにプロパガンダする九州説のやり口は汚いですね。
実際には、自分に都合のよい情報だけ偏重するのは九州説のお家芸なのにね。
942日本@名無史さん:2013/11/12(火) 17:12:36.51
なるほど、
追試ができないから、第一報の未確認段階のままで、
信頼性のある資料と認められていないわけか。
943日本@名無史さん:2013/11/12(火) 17:17:16.72
そういうこと。
だから炭素年代や土器編年の傍証に使われている。
944日本@名無史さん:2013/11/12(火) 17:22:04.02
「(人名) 引用 論文」でいくらネット検索したところで
その人の論文が引用されているところの考古学会や考古学協会で発表された論文
などはまずヒットしないのであって

光谷が考古学会で信用されていないかのような印象操作を目論んだデマ
であったことは明らかですね。

しかし、そんなデマを流しても
自分がやってきた
現在の考古学者の年代観は光谷に依拠しているかのような
プロパガンダを自己否定しただけで、結局また
九州説が恥を晒した結果にしかなりませんでした。
945日本@名無史さん:2013/11/12(火) 17:38:27.34
YBCO系の高温超電導の発見の時も、

こういう調合の時、変な特性が出たぜ、超電導までは確認できなかったが
なんかあるかもよ。

てな論文をみた東大の先生が、

どうせいつものゴミだろうが、卒論生にでもやらせてみるか、
学会出張の間にやっとけ、院生は指導してやれな。

で出張中に電話。

先生、デターーーーーー、院生の俺らも確認シターーーーー
ええーーーー、マジィ????

その学会で急遽報告のセッションをあげることに。
同時に世界中で追試が始まり、続々と成功の報告が入ります。
どうやったら失敗するか、どうやったら成功するかもわかってきます。

そのときかその次の学会で、元論文の著者は賞をもらいました。

というように、追試されなければ、評価もされないのですね。
946日本@名無史さん:2013/11/12(火) 18:15:30.40
追試してみたら、ぜんぶ詐欺でした。

△鏡詐欺
箸墓詐欺
年輪詐欺
桃の種詐欺
鯖の骨詐欺
呉鏡詐欺

ぜんぶ畿内詐欺でした。
947日本@名無史さん:2013/11/12(火) 18:34:31.88
・・とプロパガンダするだけで、決して証明できない九州説のセコさ
948日本@名無史さん:2013/11/12(火) 18:41:21.45
決してホンモノを出せない畿内説
949日本@名無史さん:2013/11/12(火) 18:47:15.12
言い出した方が事実であることを証明できなければ詐欺。
950日本@名無史さん:2013/11/12(火) 18:53:01.27
古〜い九州説相手にいつまでも遠吠えしてるがいいさ
新九州説は、とっくに佐賀から女王国へ向け出発しました。
951日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:16:18.70
年輪年代が追試に耐えるようなら、
光谷氏は今頃神扱い。

追試ができる資料を出そうとせず、
考古学協会などから距離をおく時点でお察しください。
952日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:22:54.01
「考古学協会などから距離をおく」というのがインチキであることは明白。
だって畑が違うから当たり前だもの。
953日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:27:49.17
そうか、畑が違うのか
ということは、あの年輪年代法は考古学の役には立ちそうにないんだな
954日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:28:11.23
追試どうこうというのは少し変だね
だってA工場の廃液に六価クロムが・・とかいう測定結果に測定者が追試資料を出した例なんか無い。
あんたも試料を採取して測定すれば?
誰が追試してもいいよ。
955日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:29:40.01
>>953
あなたには学際的研究というものの意味が分かっていませんね。
956日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:31:43.50
そんなことを言っても連中に理解できやしないよ
倭人伝は史料なんだから文献史家の仕事に考古学者は口を出すな!というような九州論者だもの
957日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:33:59.72
学際的研究であるというのならなおさらだ、
畑違いでも交流を持ち、距離をちじめてとうぜんだろ
958日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:34:10.56
むしろ、出された報告を追試してもらわないと、
その報告は信頼性を持たない。

追試してもらえず、ただのゴミとして消え去る
報告がほとんど。
超電導の話も、忘れ去られる可能性があった。

だから、追試してもらうためには、わかりやすく
追試しやすく書く必要がある。
959日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:38:26.88
光谷氏の年輪年代法も追試が難しければ、無視して構わない。
c14やどこかの湖の地層、他の人の年輪分析など、
信頼性の確立した、光谷氏の代わりになるものを
採用すれば良い。
960日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:42:46.11
なのに非科学に引きこもる九州説
961日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:46:56.27
そういうことだ
最近は年輪酸素同位体比法という格段に良い方法も登場したそうだ
遠からず正しい年輪年代が明らかになるだろう
畿内説の先生方も気が気じゃないだろな
962日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:55:26.09
断言しよう
君ら九州説はまた言う。年輪酸素同位体比法はインチキだ!と。
963日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:57:15.39
畿内説は、年輪酸素同位体比法のデータを改ざんしたいんだろうね。
良くわかるよ、詐欺師の気持ち。
964日本@名無史さん:2013/11/12(火) 20:06:40.81
九州説の言うことには、常に根拠がない。
965日本@名無史さん:2013/11/12(火) 20:13:26.31
ま、古九州説の亡霊に取りつかれて、一日24時間お話してるのもよかろうww
966日本@名無史さん:2013/11/12(火) 20:15:45.03
C14でも、今までの数値と合わないとして、
日本独自の校正曲線を作るべきだという、
改ざんの意見がある。
967日本@名無史さん:2013/11/12(火) 20:51:30.07
問題は、光谷さんの年輪年代で畿内の年代が100年遡り、纏向が邪馬台国の
候補となったこと。年輪年代を検証し、もし間違っているとなれば、
纏向が邪馬台国の候補というのも微妙になる。
畿内説としては、ほっといてくれというところだろう。

>>966
C14の場合は世界共通の較正曲線が使われているが、年によってC14の濃度に
差があるとすれば、同じ年でも、地域によって差があると考えるのも
妥当性がある。
日本の場合は、海洋性の土地柄のために、比較的に濃度が低く、
年代が古く出る可能性がある。
968日本@名無史さん:2013/11/12(火) 23:10:04.50
>問題は、光谷さんの年輪年代で畿内の年代が100年遡り、纏向が邪馬台国の
>候補となったこと。

勉強不足orウソつき乙
969日本@名無史さん:2013/11/13(水) 07:37:14.83
>>968
吉野ヶ里遺跡が発表されたのは1989年だが、その7年後の1996年に、
畿内説による年輪年代の大キャンペーンが張られる。この頃のことを
知っている人はわかると思うが、何が起こってどうなったのかわからないような
出来事だった。
纏向が邪馬台国って、畿内説は、邪馬台国は唐古・鍵遺跡で
古墳時代になって纏向に移ったと言っていたのではなかったのかと。

ネットで調べてもあまり出てこないと思うから、図書館に行ってその頃の
本を見てみたらわかると思う。年輪年代を賛美し、それを根拠に庄内期の
遡ったことを書いている本はかなり多くあるはず。

たとえばこんなのがある。倉橋秀夫、卑弥呼の謎、年輪の証言。1999年。

1995年発掘された大阪府池上曾根遺跡の大型建物跡遺存の柱根に対する年輪年代学の
調査結果は、私たちに大きな衝撃を与えた。……これによって導き出された年代観は、
私も同調していた従来のものより100年余りも古い。弥生時代全体の年代観、
大陸との文化交渉、古墳時代開始の年代などについても、考え直しを迫るものである。
……年輪時代の異義はきわめて大きい。

なぜ、畿内説なのか…。畿内の弥生の年代が100年も古くなるとは、
いったいどういうことなのか…。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E5%B9%B4%E8%BC%AA%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80-%E5%80%89%E6%A9%8B-%E7%A7%80%E5%A4%AB/dp/4062099233/ref=la_B004LA29DQ_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1384295374&sr=1-1
970日本@名無史さん:2013/11/13(水) 07:46:05.73
>>964
常に根拠にならないものを根拠にする畿内説、
まぁ、はっきり言えば詐欺ですね。
971日本@名無史さん:2013/11/13(水) 07:56:41.74
>>968
こういう人たちが畿内説を支えているんだろう。
こういうのもある。

先達考古学研究者が検討してきた年代観を捨て、多くの考古学研究者が
たった一人の自然科学研究者の成果に無批判に乗り換えてきた。このことが、
初現期の古墳の資料、特に鏡の出土例の増加およびその細分とあいまって、
古墳時代のはじまり、あるいは前方後円墳の出現時期に関する論究にまで
影響を及ぼしている。
http://www.lbm.go.jp/mappie/00seminor.html

あるいは、これにも、池上・曽根遺跡から出土した木材の年輪年代に
よる年代発表で考古学者の態度が変わり、これを根拠に年代の見直しが
行われたとある。
http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/yamatai03.html
972日本@名無史さん:2013/11/13(水) 08:26:10.51
上記は
 年輪年代を称揚するトンデモ系ラ0ターの本と
 「アトランティス幻想」とか書いてるアマチュアのWEB
それに
 そんな風潮を批判する考古学者のページだね。

つまりキミの主張とは、まるで逆だな。
973日本@名無史さん:2013/11/13(水) 08:39:19.40
>>972
逆じゃないな。畿内の年代を古くして纏向を邪馬台国の候補にしようとする
考古学者が、無批判に年輪年代に飛びついたということだから。
974日本@名無史さん:2013/11/13(水) 08:46:42.09
上記http://www.lbm.go.jp/mappie/00seminor.htmlにも書かれているとおり
もともと考古学の主流派は古墳時代の始まりが3世紀だと考えていたんだよ。
しかし考古学的年代決定論は未確立だった。
だから文献学者の紀年論と天皇陵比定に対抗できず
畿内の実年代だけが100年遅れるという奇妙な年代観で妥協しなくてはならなかった。
だから中国鏡が一律100年伝世してから副葬されるという理論を立てるしかなかった。

しかし、そんな矛盾した年代観は、九州と畿内の土器の併行関係が
次第に明らかになってくるにつれて修正されてきたんだ。
池上曽根の年輪は、時間を掛けて修正されてきた年代観の仕上げの時期に発表され
ダメ押しの一発になった。
その印象が強いだけなんだよ。
975日本@名無史さん:2013/11/13(水) 08:47:59.23
>>973
それはきみの感想であって、どこにも出典がない。
976日本@名無史さん:2013/11/13(水) 08:54:02.79
石野博信の纏向年代修正が80年代であり、池上曽根の発表より古いこと一点を取っても、>>973の邪推は比定される。
977日本@名無史さん:2013/11/13(水) 09:10:33.37
>>969が引用したhttp://www.lbm.go.jp/mappie/00seminor.htmlでも

(小林行雄は)1947年
>およそ紀元前350年から紀元250年ごろまでが弥生時代と考えていたことになる。
>1939年に刊行された『弥生式土器聚成図録 正編』の「序説」では、「弥生式土器」は「西暦紀元前後二三世紀の間にある」と述べる

とあり
(山内清男は)1947年
>「古墳時代の「年代は西紀三世紀から七世紀位」という

とあるとおり
考古学の主張は古墳時代開始を3世紀としていた。

その後、実は文献史学に立脚していた田辺編年が有力となり、一時的に古墳時代の開始が遅く見積もられるようになる。
それが80年代頃から見直しが進んで現在に至っている(元に戻った)わけだ。

吉野ヶ里が脚光を浴びたとき、九州論者は考古学に裏付けられたと狂喜したが、その実態じつはは文献史学による循環論法に過ぎなかった。
年代論に見直しが進み、九州説は梯子を外された恰好になり、これが九州説の考古学憎悪の原因になっている。
978日本@名無史さん:2013/11/13(水) 09:16:04.96
>>974
そのサイトには、

1996年4月27日付け朝刊各紙は、大阪府和泉市池上・曽根遺跡で検出された弥生時代
中期後半の巨大な東西棟持ち柱建物の柱の一つが、年輪年代測定によって紀元前52年に
伐採されたものであることを一斉に報じた。以来、考古学によって築き上げてきた
弥生時代中期の年代観が100年遡ったと、マスコミや一般向け書籍などでキャンペーンが
はられ、「考古学者達の研究史軽視と変わり身の早さ」も目立つようになった。

と書かれているだろう。
979日本@名無史さん:2013/11/13(水) 09:22:49.06
>>977
何度も言っているが、小林行雄は年代を合わす為に伝世鏡理論なるものを
考えたわけだ。年代は合わなかったんだよ。
合わせずに済ませられたらそれに越したことはない。
要するに、それは小林行雄の願望だが、願望は願望に過ぎない。

ローガンが同じ事を言っていたな。まあ、本人だろうが。
980日本@名無史さん:2013/11/13(水) 09:30:56.60
ついでに、>>969を再掲すると、

倉橋秀夫、卑弥呼の謎、年輪の証言。1999年。

1995年発掘された大阪府池上曾根遺跡の大型建物跡遺存の柱根に対する年輪年代学の
調査結果は、私たちに大きな衝撃を与えた。……これによって導き出された年代観は、
私も同調していた従来のものより100年余りも古い。弥生時代全体の年代観、
大陸との文化交渉、古墳時代開始の年代などについても、考え直しを迫るものである。
……年輪時代の異義はきわめて大きい。

なぜ、畿内説なのか…。畿内の弥生の年代が100年も古くなるとは、
いったいどういうことなのか…。

こういうことも含めて、1996年以前の畿内説の年代観もわかるだろう。
981日本@名無史さん:2013/11/13(水) 09:35:42.84
九州説のインチキ者は
自分に都合のいい部分だけ摘まみ食いするという
好例
982日本@名無史さん:2013/11/13(水) 09:38:59.38
それって畿内説にもおんなじこと言えるじゃんwww
983日本@名無史さん:2013/11/13(水) 09:51:43.91
証拠は?
984日本@名無史さん:2013/11/13(水) 09:58:53.42
>>980の問題点は、引用先のサイトが考古学者の見解として元々は古墳時代の開始を3世紀としていたことを書いているのに、それを”無かったこと”にしようとしていることですね。
考古学者の見解は、あるとき100年あたらしくなってしまった。
それが見直されて、また元に戻った。そう書かれています。

ところが>>980は、部分的に引用することによって、大昔から考古学者は古墳時代の開始を4世紀以降と考えていたのに年輪年代の登場で突然変節したかのように偽って、歪曲しているわけです。
985日本@名無史さん:2013/11/13(水) 10:08:34.72
>>979
そうですよ。年代は合わなかったんです。
文献学者たちの提示した実年代に合わせざるを得なかった時期の考古学者は、そのおかしな年代観と実際に発掘された中国製青銅器の年代ギャップを説明するために「伝世」という苦肉の策を設定するしかなかった。

しかし、もう年代観は修正されました。
だから、輸入青銅器が潤沢な時期には新品に近い物を副葬するし、輸入がままならない時期には消費を節約するので伝世品が混在するという、自然なヒューマンビヘイビアで説明が可能になった。
もう、合わせる必要はないのです。
986日本@名無史さん:2013/11/13(水) 10:11:27.61
1学者だけの展開で畿内説が成り立っているわけじゃない。
学会&マスゴミの共同詐欺として、畿内説が破たんするたびに
詐欺ネタを持ってきて、これを再構築する習わしなんだよ。
987日本@名無史さん:2013/11/13(水) 10:16:39.98
>>984
ローガンは本当に1995年以前のことを知らないのかな。
吉野ヶ里遺跡は邪馬台国としてもてはやされただろう。
988日本@名無史さん:2013/11/13(水) 10:19:20.04
でたよ
 証拠もなく詐欺!詐欺!詐欺!!!と叫ぶ九州負け犬サザエが
989日本@名無史さん:2013/11/13(水) 10:20:35.22
一時の流行に踊っちゃった九州説が、いま泣いているわけですね。
990日本@名無史さん:2013/11/13(水) 10:26:33.97
>>988
三角縁神獣鏡はどうなった?
箸墓古墳はどうなった?
纏向が邪馬台国である根拠は何?

まあ、年代を動かすだけ動かして、ばれたり知らん顔だから、
詐欺といわれてもしょうがないな。
もちろん、詐欺にあっているのはお前たちだが。
九州説の人間はだまされてはいない。
991日本@名無史さん:2013/11/13(水) 10:40:12.29
>三角縁神獣鏡はどうなった?

魏鏡でしょ?


>箸墓古墳はどうなった?

卑弥呼の墓でしょ?


>纏向が邪馬台国である根拠は何?

年代あうし、宮殿も出たし。
もう決まりでしょ?
992日本@名無史さん:2013/11/13(水) 12:42:06.22
中華帝国が始めて本格的に日本列島の政権と国交を持った、というのは
考古学的な証拠が残るほどのとてもインパクトがある歴史的画期である
というのが高橋健自以来の畿内説のメインテーマですよ。
・日本初の宗教都市が発見された
・そこに決定的な歴史的画期がある
それが邪馬台国畿内説の根拠のおおもとです
993ローガン:2013/11/13(水) 15:42:30.87
>>987
>ローガンは本当に1995年以前のことを知らないのかな。

何のこっちゃ?今来たんだが…
凹線文の有無でV期の古・新を区別していたのが佐原編年案。
凹線文の出現以降をW期としましょう。という編年案が出されたのが、1989、1990年(弥生土器の様式と編年 近畿編T、U 寺澤薫 森岡秀人編)。ただ区分が変わっただけ。
BC50年辺りだと、それ以前の編年案で、V期新のはじめ頃。(森岡1984)
区分が変わったので、従来のV期新はW期。 何も池上曽根以降、急に遡った訳じゃないんだが。
994日本@名無史さん:2013/11/13(水) 16:18:17.42
ここだけの話で秘密にしておきたいのだけれど、
卑彌呼さんのお墓はもう発掘されちゃっている。
どおせおまいらは気付かないだろうけどね。
それと
卑彌呼さんのようなえろいおひとのお墓はひとつとは限らないんだよね。
995ローガン:2013/11/13(水) 16:32:06.17
>>985
流石です。素晴らしい投稿をありがとうございます。
996日本@名無史さん:2013/11/13(水) 17:27:02.31
ローガンが邪馬台国論争に首を突っ込むようになったのはいつ頃?
997ローガン:2013/11/13(水) 18:49:45.91
大学の一般教養で前期が魏志倭人伝、後期が書紀だった。
それから古田にハマった。(笑)
998日本@名無史さん:2013/11/13(水) 18:55:32.23
で、いつ脱北したの?
999ローガン:2013/11/13(水) 20:08:05.44
脱北!(笑)
あんなん麻疹みたいなものでした。
壱岐だけ小さくなったとか、季節で違う短里とか…(笑)。

92年だったか…大系日本の歴史A古墳の時代 読んでから、ボチボチ調べたりしたなあ。
今は簡単に検索出来るからいいね。孫引きに注意さえすれば。
1000ローガン:2013/11/13(水) 20:09:09.38
次スレ 要らんだろ。
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