1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2011/10/05(水) 21:20:16.19
日本軍の軍備なら自衛隊の装備もよいのかな。
軍服とか銃火器一般とか。
4 :
日本@名無史さん:2011/10/08(土) 22:38:11.84
時代としては江戸期まででしょ。
つか話題がないのか、前スレも長いこと書き込みがなくて落ちたよね。
5 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 17:04:14.32
弩はどうして日本では定着しなかったのか?
6 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 17:10:38.85
>>5 もともと幼少の頃より弓矢などの武芸の
修練を積んだ「武士」が台頭してきたので、
その結果その「武士」は高価で制作にかなりの技術が必要で面倒な弩を態々
武具として揃えることに魅力を感じなかったから。
(武士は最低でも3人張りの弓を使用する)
持ち盾、弩、投げ槍、尾布付きの手投げ剣、フレイル、
古代の戦車から両刃の直剣までなぜ日本に定着しなかったのか?
日本は山が多くて平地が点在。
しかも狼が多く(天敵も競合相手もいない)人里の移動は困難。
だから言語(方言)も多様。
その状態で地域の支配者が他の地域を攻めるにあたり人的損害は出せない。
日本では殺傷した住民に換えて移民を充てる訳にはいかないからだ。
2千人の動員を誇る軍団が一戦で500人も損耗したら補充も出来ないし防戦も難しい。
だから戦いでは死者が出ないような方法が選択されて武装も倣ったのだろう。
>>9 むしろ
>狼が多く…
そんなに狼って恐いの?
>>10 狼は怖いだろ。日本には狼だけはガチ、ということわざもあるくらいだし。
餓狼伝説なんて伝説があるくらだからな。
おっかねーもんで
徹底的に狩り込んで
絶滅させたくらいだしな。
なんで狼や熊と戦うときに役に立たない銃を使うんだろう。
日本刀で戦えば楽勝なのに。
なぜ日本では狼を兵器として活用しなかったのだろう。
狼を使えば楽勝なのに。
飢餓伝説
狼はあまりに危険すぎるので兵器として使うのは禁止された。
18 :
日本@名無史さん:2011/10/15(土) 12:13:14.13
19 :
日本@名無史さん:2011/10/19(水) 17:43:27.74
琉球時代は、刀身だけ輸入して外装は自前らしいぞ
20 :
日本@名無史さん:2011/10/28(金) 23:50:44.71
フ
時代劇で甲冑に刀で切りつけて「うわぁ」と死んでしまうコントのような描写が多すぎ。
なら甲冑要らんじゃん。
23 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 14:09:03.75
来年の大河「平清盛」はちゃんと合戦シーンあんのかな。
24 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 16:27:13.90
25 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 20:02:32.68
大河ドラマ「平清盛」放送決定記念講演会
高橋昌明(神戸大学名誉教授、時代考証担当) 平清盛 福原の夢
>脚本家は、朝ドラ「ちりとてちん」の脚本を書いた藤本 有紀さんです。
>起用された理由が群像を描くのに優れているからだそうです。
>実際に会ってみると、「アァァ・・・これは大変だ」と思いました。
>才能豊かな方だとは思いますが、歴史のことに必ずしも詳しくない。
>ということで、果たしてどういう事になりますか?
>ドラマ製作者の名前が出てきますが、そのなかに私の名がなかったら、喧嘩別れして辞めてしまったとお考えください。
ドイツの若者が刀鍛冶と交流
ttp://www.nhk.or.jp/lnews/okayama/4024375592.html 日本とドイツの交流を深めようとドイツの若者が、瀬戸内市にある刀鍛冶を養成する施設を訪れ、日本の徒弟制度に
ついて理解を深めました。
この取り組みは、働く若者の交流を深めようと、日本とドイツ両国が毎年、若者を双方に派遣しあっているもので、こと
しは吉備中央町の「国立吉備青少年自然の家」がドイツの20代の若者20人を受け入れています。
7日は瀬戸内市長船町にある刀鍛冶を養成する施設を訪問しました。一行はまず、刀に焼き入れをする工程で刀鍛冶
が細長い鋼の板をおよそ800度の炎に入れて一気に水で冷やすと、刀に波紋が浮かぶ様子を見学しました。
このあと、刀鍛冶として修行している日本の若者と意見交換し、弟子は5年間は給料が支払われないため、アルバイト
で生活費を稼いでいることや、弟子が住み込んでいる施設は、無料であることなど日本の徒弟制度について学びました。
ドイツで車両整備工の職人を目指しているミルコ・ゲーラーさんは、「日本の伝統的な手工業を体験することが出来て
良かったです」と話していました。
また、ドイツ人を受け入れた備前長船日本刀傳習所の上田祐定代表は「日本の若者から何かを学んでくれればうれしい
です」と話していました。
27 :
日本@名無史さん:2012/01/04(水) 14:17:25.07
【画像あり】伝説の剣を元日に一般公開 完全に「ドラゴンのつえ」だこれ
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51687550.html 杵築市山香町小武の小武寺に伝わる国指定重要有形文化財「木造倶利迦羅竜剣(もくぞうくりからりゅうけん)」が、
来年の1月1日限定で一般公開される。
倶利迦羅竜剣は、不動明王の化身と伝えられる竜が体を巻き付けて剣をのみ込もうとする姿を表現したもので、
同寺の剣は木彫像としては全国唯一の作品。今回のご開帳は、同寺の総代会などが「辰(たつ)年に合わせ、
竜を見て開運につなげてほしい」との願いを込めて企画した。
28 :
日本@名無史さん:2012/01/05(木) 00:14:07.86
29 :
日本@名無史さん:2012/01/25(水) 12:38:44.76
蕨手刀っていうのは国産なの?
渡来人が製鉄技術を持ち込むまで日本には刀をつくる技術がなかったとなると、蕨手刀は輸入品になるのか?
奥州鍛冶という言葉を聞くけど、彼らは渡来人ではない土着の鍛冶なのか?
詳しい人教えてください。
30 :
日本@名無史さん:2012/01/27(金) 18:42:52.83
蝦夷が当時は日本人で無かったとかいうような言い方すれば、蕨手刀もってことには・・・なるかいw
古墳の副葬品として出土するわけだから、被葬者が蝦夷だとしても、東北より南の文化の影響を受けてるのは間違いないよ。
こっちの古墳は西日本、関東で古墳築造が廃れてから作られてるからね。
31 :
日本@名無史さん:2012/04/23(月) 13:05:06.28
韓国がどうこういうネタがないと静かなんだなw
32 :
日本@名無史さん:2012/05/01(火) 01:46:48.39
当世具足かっこいい
33 :
日本@名無史さん:2012/05/01(火) 03:03:24.72
蕨手刀は全く同じものは大陸にはないが、
同じコンセプトのものならある。
韃靼人の馬上刀がそれで、朝鮮や中国のような鋳造ではなく折り返しの鍛造。
岩手に多い事からも、基本コンセプトは北方ルートで流入した技術だろう。
日本の地理条件では馬上仕様の刀が独自に生まれる可能性は極めて低い。
そもそも韃靼はタタールの事で、製鉄技術の「たたら」の語源。
中央アジアで広く製鉄に携わった民族で、
タタール人自体は強大な遊牧民兼強盗集団だが、鉄職人達はその部族長の財産にすぎなかった。
その重要性から代々職業を固定され、最下層の身分に置かれてこき使われた。
鉄職人はチュルクやアーリア人にもよく狙われ、支配者はコロコロ変わり、流浪と叛乱を繰り返した。
日本の製鉄は朝鮮半島から伝わったのは確かだが、一方通行だったとは思えない。
しばらくすると日本の技術の方が大陸を上回り、優秀な刀剣類は早くから日本の輸出品になる。
その逆転した理由はなんだったろうか。
蕨手刀は奈良から平安期に日本の独自の技術として発展し、やがて日本刀となる。
秋田美人、岩手の南部美人で知られる鼻が高く色白で、眼がうす褐色の特徴は
トルコ系であるタタール人の特徴をよく示している。
奥州鍛冶とはチュルクあたりの支配を逃れて日本にやって来たタタール人だったかも知れないな。
>その重要性から代々職業を固定され、最下層の身分に置かれてこき使われた。
>鉄職人はチュルクやアーリア人にもよく狙われ、支配者はコロコロ変わり、流浪と叛乱を繰り返した。
突厥は柔然可汗国の「鍛奴」だったが支配者に取って代わって大帝国を築いているぞ
35 :
日本@名無史さん:2012/05/30(水) 15:14:46.58
NHK平清盛も甲冑なんかは結構いい感じなんだが・・
36 :
日本@名無史さん:2012/05/30(水) 15:29:14.42
37 :
日本@名無史さん:2012/05/30(水) 16:50:04.01
>>35 むしろ、実在した大鎧より遥かにショボい見た目の大鎧着せるドラマなんて初めて見ました
>>37 役者の演技が悪いのか、
どうしたらあそこまで安っぽく見えるのかな。
39 :
日本@名無史さん:2012/05/30(水) 20:59:07.50
>>33 中国は鋳造だけじゃなくて鍛造もやってる。ソースは「武器と防具 <中国編>」
>>36 清盛が比叡山の神輿に矢を射る場面も大鎧に兜装備でやってほしかった
41 :
日本@名無史さん:2012/05/31(木) 17:13:29.46
清盛はまず風呂に入らないとw
普通の人なら、大袖つけてればみんな大鎧に見えるんじゃね?
42 :
日本@名無史さん:2012/06/03(日) 10:31:04.51
ニュー速、vipなどでよく中国、西洋の武具は鋳物って言うけどその元ネタは?
鋳物でチェインメイルとか作ってたの?鎖の輪を閉じるのはどうすんだろ?
>>35 主要メンバーの兜は大鎧に合うモノが使われてるのに
それ以外のメンバーは胴丸に江戸時代の復古調の兜ってどういうことだ?
45 :
日本@名無史さん:2012/06/08(金) 17:47:11.07
前にやった「大仏開眼」で恵美押勝の乱をやった時は、主役陣はともかく
脇役は頭形兜をかぶってたよ。
やる気の問題よりは、予算の問題だと思う。
46 :
日本@名無史さん:2012/06/08(金) 18:39:11.33
大鎧の縅糸は、糸と糸との間隔が広く下の小札があいだに見える、縦糸取り縅の旧式のものと、新式の縄目縅のものが混在していた。
縦糸取りは、先祖伝来の古い鎧という設定で、清盛、為義などのものがそれ。義朝は縄目縅だった。
ただ、鎧自体の重量感の無さは、いかんともしがたい。
47 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 16:12:22.92
>>43 チェインメールを構成する部品は、太めの針金を切って円にして、継ぎ目はリベットで留めている。
一つ一つの輪をそのように作るので非常に手間がかかるが、そうしないと重量に耐えられない
鋳物に使う鋳鉄は炭素分が多く、堅いがもろく、粘りがなく割れる恐れがあるので、鎧関係にはほとんど使わない。薄く作るのが困難なので重量的にも不利。
古代ギリシャ時代のヘルメットと胴鎧などは青銅による鋳造。青銅は鍛造ができない。
48 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 19:33:58.64
49 :
日本@名無史さん:2012/06/12(火) 00:31:18.96
チェーンメイルで思い出したが、武士が鎖帷子を装備しだしたのはいつから?
太平記には鎖帷子を着てる記述があったり、同時代の武将の肖像画には
鎧の下に鎖帷子着てるやつがあったりするけど。
>太平記には鎖帷子を着てる記述があったり、
太平記のどの辺に出てきますか?
51 :
日本@名無史さん:2012/06/12(火) 08:22:52.40
近付に随て是を見れば長七尺許なる男の、髭両方へ生ひ分て、眥逆に裂たるが、
鎖の上に鎧を重て着、大立挙の臑当に膝鎧懸て、竜頭の冑猪頚に着成し、
五尺余りの太刀を帯き、八尺余のかなさい棒の八角なるを、手本二尺許円めて、
誠に軽げに提げたり。
52 :
日本@名無史さん:2012/06/12(火) 08:25:28.11
爰に妙観院の因幡竪者全村とて、三塔名誉の悪僧あり。鎖の上に大荒目の鎧を重て、備前長刀のしのぎさがりに
菖蒲形なるを脇に挟み、箆の太さは尋常の人の蟇目がらにする程なる三年竹を、もぎつけに押削て、
長船打の鏃の五分鑿程なるを、
>>51-52 ありがとうございます。
鎧の下に着てるのは矢に貫通された時のためですかね?
54 :
日本@名無史さん:2012/06/13(水) 06:02:44.56
>>43 だってさ、ヨーロッパに鋳鉄と良質な鋼の製造に必要な高炉が導入されたのは
13〜14世紀なのに、ろくに調べていないくせに全ての日本以外の地域の武具は鋳物
だったとか洋鉄は鍛造に向いてないとかいうような言い方する奴をたまに見か
けるからさ。
もし日本以外の地域の武具が鋳物だったら、鉄製の鎖帷子は嘘になるし実用に耐え
うるような板金鎧は造れない鋲も打てない等々の矛盾点が出る。
誰が広めたんだろ。いや、スレチだからやめとくわ。
55 :
日本@名無史さん:2012/06/13(水) 11:12:58.37
>>53 それもあるけど、白兵戦対策のが大きいんじゃない?
鎖帷子の記述が出てくる時期と騎馬武者のメイン戦法が
騎射から打物に変わる時期がほぼ重なってるし。
56 :
日本@名無史さん:2012/06/13(水) 21:53:40.64
一人は金撮棒なんか持って打物戦やる気満々だしね。
金砕棒相手だったら鎖帷子着ててもあまり意味ない感じはするw
逆でしょ。
鎖帷子着てるような相手だから打撃系の金棒でシバくのよ。
60 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 02:00:03.98
61 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 02:03:41.29
366 名前:日本@名無史さん [sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:05:19
>>352 そもそも、当時品の全体的傾向に関しては来航した外国人がこう報告してるしねえ。
チェンバレン
・日本刀は、その名も高いダマスコ剣やトレドで鍛えた剣をも凌駕する。
刃を傷つけずに銅貨の山を一刀両断することは決して難しい離れ業ではなかった。
ゴロウニン
・鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、
世界中のあらゆる同種の製品を凌駕している。
それは極端な試練に堪へる頑丈なものである。
鋼その他あらゆる金屬の研磨にかけては、日本人は一頭地を抜いてゐる。
彼らは金屬の鏡まで作るが、それはガラスの鏡と同様に立派に反射するのである。
われわれは日本の指物や大工道具をたびたび見たが、それは丈夫さから云つても、
仕上げの美事さから云つても、イギリス製に劣らない。
62 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 02:04:58.25
369 名前:日本@名無史さん [sage] 投稿日:2011/01/30(日) 10:56:48
>>366 ゴローニンは海軍軍人だしチェンバレンに至っちゃ英語教師だろ。
刀剣なんて物が日常の場から消えて久しい時代の、専門家でもない人間の発言をやたらと持ち上げる理由が解らん。
この手の議論で「なぜ」日本刀の方が優れているのか科学的な観点から検証してる奴は見た事が無い。
例えば両者の物理的な構造な違いとはなんだ?よく言われる心鉄構造やら折り返し鍛錬は別に日本独自じゃないありふれた技術だ。
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_033.htm 仮に彼らの発言が事実だとして、じゃあ何が日本刀をそんなに優れた物にしてるのかというとオレには解らん。
63 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 08:27:54.68
ナポレオンと同時代の軍人であるゴロヴニンが刀剣に関して無知とかのほうが
むしろ無理があるわw
こんなのもあるよな。
「武備志」
日本刀は極めて剛利、中国は及ばざるなり。
モンタヌス「日本誌」
戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。
彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
刀は非常に能く鍛えられあれば
ヨーロッパ流の刀身などは容易に
これにて切断せらるべし。
甲冑がそんな簡単に切れるなら介者剣術とか生まれないから。
66 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 09:17:39.16
介者剣術を心得ていれば甲冑でよく武装した相手も一刀でこの通り。
「一五六六年十月二十日付、イルマン・ルイス・ダルメイダが志岐島より耶蘇会のイルマン等に贈りし書翰」
・二十五歳の青年のキリシタン諸人に先登し、謀反人の側より一人よく武装して出でたる者と戦ひ、
シストXisto(青年はかくのごとく称せり)一刀に彼を切殺し、敵の進み来たりし前その甲冑を奪ひ
取りたり。
介者剣術って甲冑自体でなく腋の下や小手裏などを狙って切る戦法なんだけど?
68 :
日本@名無史さん:2012/08/22(水) 09:02:50.15
だから甲冑着てる敵を斬り殺せるわけだ。
簡単に切れちゃったら何のための鎧だよ。
戦国時代以前の刀の使い方ってよく解かんないんだけど。
カンジとしちゃ軍記物の様に装甲の薄目な腕や膝回りを叩き切ったり甲冑越しから殴りつけたり
他は何度も突き刺したりでOK?
70 :
日本@名無史さん:2012/08/22(水) 22:06:59.98
軍記物なら兜殴りが普通にあるんだよな。
脳震盪起こしてぶっ倒れたのを兜割と称するのはありそうだな
大太刀とかだと「刃の付いた打撃具」みたいな感じだったろうな
南北朝あたりの騎馬武者同士の戦いでは
>>62 実際日本刀に苦戦した中国、朝鮮の武将たちの記録を見るに、他国から見た日本刀の恐ろしさは
1 中国風に言うところの短兵器の範疇を超えたリーチの長さ
2 そのバカ長い剣を軽々と扱う使い手
3 簡単に致命傷を与え、槍の柄すら両断する冗談のような鋭さ
の3点にあると見られる。2は武術の問題だから略すが「長く、鋭い刀身」というのは技術的なハードルがかなり高い。
刀身は乱暴に言えば鉄の棒材な訳だが、同じ鋼材を使っても長いほど折れやすく、曲がりやすくなる
(割り箸を1回折るのは簡単だが、折った割り箸を2回3回と折っていくとだんだん難しくなるのと同じ原理)
また、鋭い刃を作るには固い素材を用いる必要があるが、固い素材を使うと折れやすい。
さらに長くすると言うことは、必然的に刀身が重くバランスが切っ先寄りに偏ってしまう問題もある。
この問題を解決するためのブレークスルーが、靱性に優れた和鋼を鍛造する製法、鋭い刃を得るための小さな刃先角度と
強度を得るための大きな最大厚を両立できる片刃構造、バランスを補正する設計技術(柄の長さや柄頭、鍔の設計)ではないかと。
>>72 打撃具なら身幅は狭く重ねは厚くなるはずだが
実際には南北朝期になると身幅は広く重ねは薄くなり
より切れ味を重視した姿に変わっている。
これを元寇の戦訓と見る向きもあるが、
日本の合戦事情に適合していないなら即座にこんな風潮は廃れたはずであり、
そこには打撃具であることを捨ててまで切れ味を求めなければいけない理由があるはず。
恐らくは増加していく軽装の悪党、足軽に対応したものかとも思う。
大鎧ばかりを相手にしてた源平の争乱のころが一番打撃武器してたのかな
>>74 それは、堅物斬り特化の作風から源平期への回帰じゃないか?
>>74 南北朝期にゃ、長大な刀が流行ったというけど重ね薄いのは長大な刀を取り回しやすくするための処置じゃないの?
毛抜刀ってどんなの?
79 :
日本@名無史さん:2012/09/07(金) 03:21:06.79
568 名前:日本@名無史さん [] 投稿日:2011/03/18(金) 20:38:56.20
当時の携帯用砥石も、それを入れる物も余裕で現存してる。
それから今から10年以上前だが、中国の軍倉庫に十数万振りの刀がある事が判明し、当時の橋本総理が日本に返してもらった事があったんだが、満州時の軍刀が殆どだったその中に確実に室町期の刀剣があった。
その事業に携わったので学術員や刀剣の先生方と一緒に現物を見たよ。
569 名前:日本@名無史さん [sage] 投稿日:2011/03/18(金) 20:52:54.45
旧軍の誰かが持ち込んだものが押収されて混じってたと見るのが妥当だな
570 名前:日本@名無史さん [] 投稿日:2011/03/18(金) 23:07:21.24
軍刀の刀身が室町期のものでも珍しくないし
572 名前:日本@名無史さん [sage] 投稿日:2011/03/19(土) 00:08:10.98
ああごめん、刀剣を格納した軍の倉庫は合計8つあって、その中の1倉庫分だけ旧軍の軍刀とは素性や経路が明らかに違う刀剣が別保管になっていたんだよ。
中国政府の説明もあって、それが旧軍とは関係のない事も分かっていた。
残り7倉庫も全体の9割以上が軍刀拵だったが、勿論そっちにも古刀や新刀も多数あった。
まあ大半が現法では輸入不可のスプリング軍刀だったんでそれらは置き去りにされていた。
別保管の刀に関してはその後の顛末に裏が物凄くあるんで、これ以上は書けないから勘弁してね。
ソースは?
81 :
日本@名無史さん:2012/09/08(土) 09:18:18.38
>>78 持ち手の部分まで鉄で一体に作られているのが毛抜形太刀。横長の透かし彫りが持ち手の部分に彫られて、衝撃を吸収する構造になっている。
この形が毛抜きに似ていたことからその名がある。縁には金銅で伏輪をつけ、外観を整えると同時に持ちやすくしている。
刀身自体の反りは少ないが、鍔元近くに強い反りをつける。蕨手刀と日本刀の間をつなぐ存在と考えられている。鎬作り、庵棟と刃物としての構造はすでに日本刀と同じ。
律令制下の六衛府の武官が用いた。神護寺蔵の伝源頼朝図の武人が佩用しているのがこれ。実物も少数ながら残る。
82 :
日本@名無史さん:2012/09/08(土) 09:41:38.51
衝撃を吸収する構造とは言われているが、せいぜいいくらかマシにするレベルみたいで
実際はかなり衝撃が手に伝わるみたいだな。
84 :
日本@名無史さん:2012/09/08(土) 12:57:55.81
日本刀は目釘で固定しているだけで、柄が刀身と一体化していない造りだから、西洋の剣と違って
耐久性に劣り実用的ではない!
っていうのは昔よく聞いたなあ。
手に受ける衝撃については一切考慮なかったみたいだけど。
>>81 詳しくありがとう!うちの県のお寺所蔵されてるのを、美術館で特別展示してあったのでどんなものか知りたかったんだ。
86 :
日本@名無史さん:2012/09/12(水) 16:21:27.86
金沢市本多町の石浦神社の保管品の中から、戦国時代の武将、織田信長の家紋が入った槍(やり)が見つかった。同神社の長谷吉憲宮司(37)によると
「家紋に加え、信長ゆかりの神社に家臣の子孫が槍を奉納したとの記録もある。信長自身が使った可能性もある」という。
今後、専門家に正式な鑑定を依頼する方針。【丹下友紀子】
長谷宮司によると、槍は元々、同市野町の泉野菅原神社が所蔵していた。同神社が00年に火災に遭った後は、石浦神社で保管している。
泉野菅原神社は加賀藩2代藩主の前田利長の正室、永姫(玉泉院)が建立。信長は永姫の父であることから、江戸時代から信長をまつっていたとされる。
槍の柄の先端には信長が使用していた「木瓜」の家紋が刻印されている。槍を奉納した際の「由緒書」には信長の家臣の子孫が明治時代、
泉野菅原神社に奉納したと記されていた。槍の穂は現存せず、漆塗りの柄は00年の同神社の火災で一部が焼け、保存状態は良くない。
金沢市文化財保護課は「詳しい鑑定もしておらず、今の段階では、信長に関係したものかなどは判断できない」と話している。
長谷宮司は「信長との関連が伝わる神社に奉納された経緯も含め、信長ゆかりの品の可能性もあり、市民の宝として保存したい」と話している。
毎日新聞 9月12日(水)15時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120912-00000004-maiall-pol
87 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 22:03:20.67
http://tatoeba2.seesaa.net/ http://tatoeba2.seesaa.net/article/287029632.html 【中国大陸での日本刀@】
寶刀近出日本國、 寶刀近く日本國に出で
越賈得之滄海東。 越賈之を滄海の東に得。
魚皮裝貼香木鞘、 魚皮装ひ貼る香木の鞘、
黄白韋カ鍮與銅。 黄白韋カす鍮と銅。
北宋の詩人・文学者にして政治家、欧陽脩の「日本刀歌」という漢詩の一節です。
欧氏は、1007年生まれ、1072年没といいますので、この日本刀を絶賛した漢詩は
11世紀に書かれたものとなります。つまり平安時代の半ばには、日本刀の切れ味は、
既に中国に知られていたということです。
古来、日本では日本刀を「かたな」「つるぎ」あるいは「太刀」などと呼んでいました。
「日本刀」という言葉が使われたのは、この「日本刀歌」が、ほぼ最初のようです。
この後、宋代から明代にかけて、多くの日本刀が大陸に輸出され、好事家によって
所蔵されることとなります。
また、これが契機になったのか、日本刀は漢詩のテーマとして流行し、唐順之、湯顛祖、
宋懸登、陳恭伊、梁侃呈、王邦我などの名だたる詩人に歌われたとのこと。
切れ味のみならず、その日本刀の独自の美しさが、彼らの感性に響いたようです。
88 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 22:06:47.30
http://tatoeba1.seesaa.net/ http://tatoeba2.seesaa.net/article/287158267.html 【中国大陸での日本刀A】
中国、明代の武将に、戚継光という人物がいます。
1528年生まれ、1587年没。
当時、後期倭寇(ほとんどが偽日本人)の跳梁跋扈により、明の治安が悪化。
明軍が崩壊直前でした。
戚氏は、この状況下で「戚家軍」という直属の軍を組織し、独自の兵法・用兵術で
倭寇撃退に活躍。その後は、北方の警備に従事。万里の長城の補強・増築し、
モンゴルのアルタン・ハーンの侵入に対抗し、戦果をあげるのです。
勇猛なだけでなく、武芸に通じた名将でした。
「紀效新書」という兵法・武術の書物を著しています。その中の「拳経」では、
宗太祖三十二勢長拳と呼ばれる武術が図版で紹介され、現在の太極拳でも
用いられている「単鞭」などの技術も見られるとのこと
さて、明軍を苦しめた倭寇の強さの一因は、日本から輸出された日本刀でした。
同時代の軍学者、茅元儀の「武備志」には、「刀は軽快で、前後左右に飛び回り、
剣で斬ろうと近づこうにも、刀の方が長く近づきにくい。また、槍で突こうにも
柄ごと両断されてしまう」 との記述があります。
89 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 22:08:35.42
武芸に精通した戚氏は、日本刀の切れ味だけでなく、それを使う用法、つまりは
剣術にも着目していました。
彼の著書「紀效新書」によると、
「長刀、倭の中国を犯すよりこれ始めてあり。彼らこれを持ちて跳躍光閃して前に進めば、
我が兵は己に気を奪われるのみ。倭は躍を善くし、一たび足を逆えば別ち丈余、刀長は
五尺にて、則ち丈五尺なり。我が短兵器は接し難く長器は捷ならず、身多く両断す」
明軍が、遠い間合いから飛び込まれての日本刀の攻撃に悩まされていた様子がわかります。
1528年(嘉靖40年)戚氏は、倭寇との戦いを指揮。その際、「影流目録」を入手します。
「影流」とは、一般に言われる「陰流」のこと。
15世紀、室町時代の日本で、愛洲移香斎(愛洲久忠)によって創始。
後に剣聖、上泉伊勢守信綱により新陰流として発展し、柳生家によって、
徳川将軍家の剣術として受け継がれる、剣術の一代流派。
兵法三大源流の一つです。
戚氏は、この目録を研究し、「辛酉刀法」という書物を著しています。
また、龍行剣という剣術を編み出したともいいます。
今回、いろいろと調べたのですが、この龍行剣と日本の剣術の関連性について
記述された資料は見つけられませんでした。
このことについて、存知の方がいたら、是非ご一報を。
ちなみに最近、中国で、彼を主人公にした、アニメ「戚継光英雄伝」が
作成されました。これが余りに酷い代物で、ネットでは散々に酷評されております。
彼の偉業を知るものからすれば、泣きたくなるでしょうね。
90 :
日本@名無史さん:2012/09/24(月) 17:28:02.66
鎖ってどうやって漆塗ってるのかな? 編んだ鎖を刷毛で塗っても輪の内側が上手く塗れないだろうし、漆が乾いたら鎖どうしがくっついて動かなくなるよね?
誰か詳しい人教えて
91 :
日本@名無史さん:2012/09/26(水) 09:54:47.49
92 :
日本@名無史さん:2012/10/05(金) 12:37:46.69
義経の絵でよく見かけるんですが、
太刀の上辺りにぶら下がってる白い輪っかのようなものの
用途と名前はなんというのでしょうか?
93 :
日本@名無史さん:2012/10/05(金) 13:11:11.13
白い輪のように見えるあれは糸を巻いたもので迷宮探索のときに使われます。
名前はアリアドネの糸です。
弦巻(つるまき)。
掛け替えのための予備の弓弦を巻いておくもの。
アリアドネの弾丸
>>93 アリアドネの糸はギリシャ神話なんですね。
wikiを興味深く読ませて頂きましたありがとうござました!
>>94 それでした…!! 資料を探すのに名前が解らず難儀していたので誠に助かりました!!
ありがとうございます!
97 :
日本@名無史さん:2012/10/09(火) 10:35:00.84
鈴木スレがいつの間にか落ちた
98 :
日本@名無史さん:2012/10/09(火) 10:43:41.78
99 :
日本@名無史さん:2012/10/10(水) 17:41:38.09
軍事板?
軍板だが戦国の話題もかなり多い。
鈴木の存在も概ね鈴木スレに順ずる扱い。
101 :
日本@名無史さん:2012/11/23(金) 23:54:57.16
>>33 『ゆがめられた地球文明の歴史 〜「パンツをはいたサル」に起きた世界史の真実〜』
を読むと良いですよ。
書いてあります。
ソースは栗本wwww
104 :
日本@名無史さん:2012/12/01(土) 21:20:43.45
刀匠たちは、新しい種類の剣の創作に挑戦しようと思わなかったのだろうか?
例えば、蛇行剣やクリスのように波打った剣など
105 :
日本@名無史さん:2012/12/01(土) 21:26:50.96
海部刀みたいな片切刃+鋸刃みたいな変わり刀もあるけど
あれは一人の刀匠の工夫というより需要で生まれてるんだろうしな。
106 :
日本@名無史さん:2012/12/12(水) 01:05:16.92
柳生石舟斎「剣術で槍相手にすんのはきつい」
>>65 今週、6世紀の桂甲を纏った人骨が発見されたようです。
1 : ぬこ(新疆ウイグル自治区):2012/12/10(月) 23:59:23.70 ID:OHZNAGQP0 ?PLT(12346) ポイント特典
・・・群馬県渋川市の古墳時代の遺跡から、火山灰に埋まった男性の骨がよろいを身に着けた状態で
見つかりました。専門家は、男性が近くにある榛名山の噴火を鎮めるまつりをするためによろいを
着けていたか噴火から身を守るためによろいを着けていた可能性があるとみて分析しています。
発掘調査が行われたのは、群馬県渋川市の「金井東裏遺跡」で、6世紀はじめの古墳時代、火山
灰で埋まった溝の中からよろいを着けた男性の骨が見つかりました。
古墳時代に詳しい群馬大学の右島和夫講師は「これまで古墳の副葬品としてしか見つかっていな
かったよろいが、人が身に着けた状態で出土したというのは大きな発見だ。当時、よろいは権力の
大きさを示すために使われていたが、榛名山の火山活動が活発化する中で、男性が山の神に立ち
向かおうとよろいを身に着けたとも考えられる」と・・・・・・・・・・
【古代史ミステリー】 古墳時代のよろい着けた人骨発掘 「大きな発見」
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1355151563/
108 :
日本@名無史さん:2012/12/12(水) 22:58:24.18
かつら甲ってのは何?
>
>>106 石舟斎兵法百首か。
「謀りと 矢とめ剛臆 長具足 多勢に無勢 兵法のほか」だな。
これだけ見ると役立たずに見えるのがな>剣
112 :
日本@名無史さん:2012/12/14(金) 13:37:29.06
主に新当流系の教えを書く『武具要説』だと九尺(270センチ)一丈(3メートル)くらいの槍だと
三尺の刀に相打ちとか書いてあるな。長さによるんだろ。
取り回しが悪く持ち運びに苦労する3メートルの槍と腰に差しておける刀が相打ちと考えれば
刀を腰に差しておく価値は十分にあるな。
刀術を極めれば、凡人が持つ槍に3尺の刀で相討ちすることも
不可能ではない程度のレベルではないかと。
本気で対等に戦えるなら、槍は刀に駆逐されるだろう。
野戦なら槍。刀も使いどころはある
マシンガンと拳銃みたいなもんかと
115 :
日本@名無史さん:2012/12/14(金) 23:10:50.25
>>113 いや、刀術を極めればとか『武具要説』にはそんなこと書いてないけどw
読んだことない文献を勝手な判断で論じちゃうってのも恥ずかしいわwww
>>114 3倍の長さがあっても相打ちという点を考えるとマシンガンと拳銃ほどの差はないな。
それに、重くて取り回しが悪く普段は槍持ちに預けておく槍は自動小銃より
もう少し大きめの兵器を想定すべきだろう。
というか異なる時代の全く異なる兵器を無理やり例えに当てはめるって時点で
不毛な例えだと思うけど。
「異なる」が重なったな。「全く別の」とでもしておいてくれ。
近代戦ではマシンガンが一丁あれば拳銃と使い分けなんか必要ないが、
槍は状況次第で刀に譲るところもある。この点も
>>114の例えは誤り。
『合武三嶋流船戦要法』
「一 船中太刀打之習之事」
船中の働には鑓より太刀打を賞す。是海族家の古法也。近き勝負故也。
鑓は敵船へ乗移、艫舳を討て廻るに跡先つかへて執まわし不自由也。
太刀はその自由を得により、敵船へ飛乗んと欲せば鑓を捨、刀を抜て艫舳を切て廻るべし。
今川義元に一番槍を付けた服部小平太は義元に膝を切られて
戦闘不能になっちゃうし、実戦では色々あるんだろうね。
日本の槍は切られにくい構造にはなっているけど、
池田屋事件で新撰組の島田魁が槍の柄を切り落とされたから
刀で打ち倒したりしてるんだよな。両方あったほうがいいだろ。
石舟斎「素人の槍なら刀でも勝てる。玄人相手はしんどい」
歴史に名を残す達人でこん位の認識
新陰流の伝書でもそういう場合も勝てないと決まったわけではないというように書いてるしね。
榊原鍵吉と高橋泥舟の勝負のように刀が勝つこともある。
携帯性においては圧倒的に優れた刀が持ち運びに難儀する槍相手に
そこそこ戦えりゃもう十分じゃないのかな?
>近き勝負故也。
>鑓は敵船へ乗移、艫舳を討て廻るに跡先つかへて執まわし不自由也。
>太刀はその自由を得により、敵船へ飛乗んと欲せば鑓を捨、刀を抜て艫舳を切て廻るべし。
間合いが近くて取りまわすのもままならない戦いでは槍は使い物にならないんだね。
程宗猷 「単刀法選」
日本刀法は神秘的だ。
左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。
中国の槍術なんか日本のものと比べると素人同然なのかな?
124 :
日本@名無史さん:2012/12/15(土) 00:49:52.40
武蔵曰く刀はどんなところでもだいたい役に立つ武器。
突き抜けた性能はないが色々つぶしが利く武器ってことなんだろう。
それなら日本の槍術の凄さに関する記述ももっと多いと思う。
むしろ今まで相手にしてきた中国国内の剣術のレベルが低すぎて
対槍まで想定してる日本の剣術に太刀打ちできなかったのではないか。
126 :
日本@名無史さん:2012/12/15(土) 00:57:20.77
中国の刀剣より日本刀が優れてるから我々も日本刀を備えるべきだとか
言っちゃうくらいだもんな。
>>112の三尺の刀って定寸が定まる前でもあまりいなかったんじゃね。
徳川実記に家光が二尺八寸以上の刀は差すなとお触れを出したとあるから
当時は結構いたんだろう
129 :
日本@名無史さん:2012/12/15(土) 10:08:00.34
対槍の構えってどんなのだろう?
月間秘伝2005年三月号
天下の名流と実践力
第三部
尾張貫流槍術
28項
200年三月フランスのパリで開催された「剣道及び関連武道国際大会(第二回パリ大会)」
に尾張貫流も招待を受け、春風館の堀口精一氏、下村幸裕氏、下村直樹氏の三名が遠征した。
〜中略〜
このたびの異種試合はフランス剣道連盟顧問の吉村謙一八段のたっての希望もあって実現したものだった。
「私(幸裕氏)は吉村先生と対戦したのですが、立ち会った瞬間に『アッ』っとなったわけです。
これは吉村先生が独自に研究されたことでしょうから詳細は控えさせていただきますが、
その構えが新陰流に伝わっている、ある対槍の構えと同じだったのです」
意表を疲れて戸惑っているうちに、見事に一本取られてしまったが、すぐに気を取り直した下村氏は、
これも伝来の、その構えに対する槍構えを取って取り返したのだという。
>>128 いや、大して珍しくもないがそれが平均だっつうほど多くはなかったんじゃね→三尺付近の刀
って話
131 :
日本@名無史さん:2013/01/13(日) 09:46:16.15
マジで!?
133 :
日本@名無史さん:2013/02/21(木) 22:31:01.97
下のは江戸時代の小さ刀。
説明は長くなるので省くけど
略式のタイプだからただの短めの脇差と考えていいよ
136 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 21:53:30.87
基本的に島津は戦えば必ず負ける軍隊なので毎回圧倒的大軍で敵の反抗を諦めさせてるだけ
例えば伊東崩れと呼ばれる伊東氏滅亡の時も圧倒的な大軍だった。
天正4年(1576年)8月島津義久が率いる30000の大軍勢から攻撃を受ける。
守りを固める伊東勘解由の高原城には370余人ほどの兵しかいなかった。
伊東義祐は城兵を救うべく援軍を出したが、圧倒的な兵数差一戦も行えなかった。
これにより伊東崩れと称される伊東氏崩壊が始まり翌年には豊後へ逃避行をしている。
泗川の戦いなんかも所詮は圧倒的な兵力差があっただけだもんな
138 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 13:03:36.98
坂上田村麻呂は、どんな甲冑をつけて東北に行ったのですか?
大魔神が着てるような甲冑ですか?
139 :
日本@名無史さん:2013/05/11(土) 19:33:36.55
>>138 なわけなだろw
中世の大鎧のほうに近い奴着てた
ネット通販とかで刀装具とかがバラで売ってるってことは、やっぱ刀も刃だけバラで売ってて、
あとは自分で目釘穴開けたりして鍔だの柄だの付けろということなのだろうか。
嫌だよ、40万くらいで買った刀が刃だけだったりしたら。
刃だけの物。鍔、柄、鞘の付いたもの。ドスのような鞘と柄の付いた物
などなどの写真が一つの商品にいくつもあるから、どれが現物か解んねえ。
バラして売る方が儲かったりするからな
刀が没収されたから外装だけ売ったんだろう
日本刀の鞘の手入れのやり方知ってる人いません?
刀はそれなりに手入れしてるんだけど鞘の方はやり方が解らないんですよね
塗り鞘には刀を入れっぱなしにしない。
刀は必ず白鞘に入れて、塗り鞘とは別に保管する。刀油が覿面に鞘の漆に悪いんです。
その他は一般的な漆器の保存法と同じかと。
>>144 刀油は漆とは相性が悪かったのですか。
ありがとうございます。これで鞘にも気を遣えます。
柄巻とか鍔を単品で勝ったりする人は自分で白鞘を拵にカスタマイズしたりするのだろうか。
鍔はそれだけで鑑賞、蒐集の対象でしょ。
白鞘入りの手入れはそうでもなさそうだけど、拵の手入れって恐ろしく手間がかかりそうだな。
柄巻、目釘うちなんかも自分でやらなきゃいけないわけだし。
大昔の武士って恐ろしくマメだったのかな。
149 :
日本@名無史さん:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN
モノの手に入りやすさが違うってのもあるよね
時代の鉄鍔には柄側の切羽台が朽ちこんでいる物がよくあるが
あれはやはり風雨にあたった錆びで痛んだものなんだろう。
柄袋をかけたくなる気持ちもよく分かる。
現代の人たちでも居合なんかやってる人たちは
真剣でけいこするたびに拵えに移して柄糸巻いて目釘打って……
いかん。恐ろしくめんどくさそう。それも稽古の一環なのだろうか。
すごい(小並感)
152 :
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を異常に嫌うカルト教団:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN
★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。
リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。
>>151 いや柄糸なんか自分で巻かねーし(´・ω・`)
いちいち白鞘から拵移し変えたりとかもしねーし
ずっと拵に入れっぱなしだから
>>153は居合か剣術に心得があると見受けたけど、
刀って最初は白鞘に入っているものじゃないのか?
一度拵えに移し替えたらあとはそのままにするにしても
一度は柄糸を巻きなおしたり目釘打ちしなきゃいけないんでないかい?
157 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN
日本刀講座か
職業としてやるにはそのくらいの指でなければってだけの話という感じがする
>>156 ほうほうしらなんだ。
ネット通販の打ち刀とか太刀を見ていると
白鞘入り、拵え付き
ってやつが多いからてっきり皆が皆自分で巻いているものだと思っていた。
柄巻ってそんなむずかったのか。
日本刀は過保護にしないとダメになる。と勝手に思ってたが案外丈夫なのな。
160 :
日本@名無史さん:2013/09/11(水) 10:30:51.76
よく分からないんですが、陣太刀ってどうやってはくの?
紐でさらしに巻き付ければいいんですか?
素朴な疑問・・・
>>159 江戸時代以前のお侍は、一日中刀を差して歩いていたんだし。
帰宅したら白鞘に移していたとも思えない。
163 :
日本@名無史さん:2013/09/25(水) 20:27:27.16
人を斬った後に白鞘で休ませると聞きます。
164 :
日本@名無史さん:2013/10/31(木) 12:38:01.84
http://pageinfo8.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/qanda?aID=h182020251 ヤフオクに出品してるインチキ骨董屋をどうにかしてくれ。
この具足、先週まで具足に付属してる家紋を武田菱とかいって武田信玄所用として売り込んでた。
んで、誰かの指摘で隅立て四つ目結紋だと知らされて、一旦出品取り消して今度は佐々成正所用だってさ。
でも、この具足は明らかに江戸中期以降の形態。
佐々家は切腹改易されてるから、この具足は同紋を使ってた朽木氏か亀井氏のものと考えるのが普通だと思うけど。
このfuji_5005って出品者、明らかに時代が違う鎧を黒田官兵衛所用だ、織田信長所用だとか適当な伝来つけて素人を騙してますので注意してね。
この前も、某骨董店で30万くらいであった総熊毛の具足に、ヨソから持ってきた大袖と毛靴を付けて本多家伝来かのような言い回しで高値で転売してました。
166 :
日本@名無史さん:2013/11/04(月) 18:59:03.73
もしかして騙されて買っちゃった人?
見抜く目がないとそうなるんだよ
fuji_5005は今に始まった輩じゃない
もうずいぶん前から偽物売りさばいてるよ
日刀保の保存保証するみたいな事を書いてるけど、よほどの欠点がなかったら
保存は大抵付くし、やはり自分の眼を信じるしかない
ちなみに日刀保は重要以外ただの紙切れと思った方が良い
保存があるから買うのではなく、自分が気に入った物を買うのだ
169 :
日本@名無史さん:2013/11/06(水) 03:21:17.37
>>165 よくよく見たら、この具足に付いてる四つ目結の家紋は後付けの可能性があるな。
面頬や袖なんか、裏からみた画像は明らかに不自然。
高値で贋作つかまされて、入札者可愛そうw
よく時代劇で、江戸時代の役人が、弓を半分に切った様な棒を持って
指揮をしているシーンがありますが、その名前が分かりません。
何方かご存知の方、教えてください。
乗馬鞭じゃなくて?
174 :
172:2013/11/19(火) 23:53:07.65
たっつけ袴を履いた役人が数人の部下に「それ行け」という
感じでその棒を振っていたのです。
記憶では、重藤の上半分といった感じで、藤が段々に巻いて
あったと思います。
それを「乗馬鞭」というのでしょうか?
ナエシの一種で弓折鞭、弓折杖、もしくは単に弓折れと言われるものです。
専用に作ったものもありますが、多くは折れた弓を加工した再利用品です。
打擲にも使えますが、主に上級武士が指揮に使用することが多かったようです。
176 :
172:2013/11/21(木) 00:26:42.69
175さんありがとうございました。
おかげで1つモヤモヤが解消されました。
弓を加工した再利用品が多かったとは、やはり弓に見える訳だ。
173さんも早々のレスありがとうございました。
ここで聞くべきか悩みつつ…… 先生しつもん∩(´・ω・`)
なぜ日本では「盾」が発展しなかったんでしょうか?
農耕民族だから、という人もいますが、同じ農耕民であるタイ、ベトナムあたりでは
盾が結構使われてるようですが(間違っていたらごめんなさい)。
それとも私が無知なだけで、一定期間、使われていたんでしょうか?
178 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 08:11:11.28
西洋でも盾なんてものは甲冑が充実してくると
必要なくなってくる程度のものでしかないんだが
クロスボウのボルトやボドキン鏃を鎖帷子では防げないから
しょうがなく盾持ってただけで板金鎧が普及すると盾はいらなくなって
両手持ち武器が流行りはじめる
農耕民だから盾を使わないなんて理屈は一体誰がひねり出したのか気になる
179 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 08:16:56.85
つか、未だに日本人は農耕・ヨーロッパは狩猟みたいなレッテル貼りを
頭から信じる人がいるんだね
180 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 11:06:34.52
ヨーロッパも農耕技術が発達してから人口増大してるんだし
大型肉食獣がいる地域なら爪や牙を防ぐための
狩猟用としての盾も必要になってくるけど
日本には雑食のツキノワグマくらいしかいなかった。
182 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 14:42:05.38
だったら大型肉食獣がいなくなった段階で盾が廃れるだろ
だいたい日本だって律令時代までは持ち盾もあったし
大型の掻楯なら武士の時代において一貫して使われてるしなあ
あった持ち盾がなぜなくなったかというテーマで考えるべきなのに
大型肉食獣ってwww
持盾なんて矢や石礫の5,6発受ければ全壊するし
わざわざ用意するような物でも無いでしょ
適当な木板でも使えばいいだけ
184 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 16:09:42.68
イギリスでは15世紀にようやく大型肉食獣の脅威から解放されたようだな
「ばら戦争」P43
馬を下りた重装甲兵 1455〜1460年頃
あらためて指摘しておくと、「重装甲兵<men-at-arms>」とは
完全装備の兵士たち---騎士、従騎士、小ジェントリー層、または
高位の騎士の護衛を務めるサージェント---などを指す。
この時代の重装甲兵たちは頻繁に徒歩で戦った。あまり楯を
使わなくなり、両手が自由になったためにさまざまなポール・アーム
の使用が可能になった。
186 :
日本@名無史さん:2013/12/29(日) 22:34:04.94
持ち盾が消耗品ってイメージがない人が多いみたいね
ゲームほど便利なものではないから
>>184 関係あるか分からんがイギリスで狼が絶滅したのが14世紀ごろらしい
188 :
日本@名無史さん:2013/12/29(日) 23:06:59.72
日本にも狼がいたのになぜ持ち盾は絶滅したのか
189 :
日本@名無史さん:2013/12/30(月) 11:44:45.36
>>182 かなり早い時期から弓矢が圧勝
↓
しかし日本は傾斜地や沼沢が多く一旦相手に良所に陣取られると土手木立を出て土塁立盾で正面圧しは発達せず
↓
木立沿いに迂回して夜襲が定石化
↓
傾斜地では盾は重いし木に当たると鳴子鳴らしてるのと同じ
↓
盾不要戦術が主流化
では
190 :
日本@名無史さん:2013/12/30(月) 11:54:41.99
夜襲を受けて弓で防衛線張る際には悪い矢や捕った矢を使ったんだろうけど命中率は推して知るべしだったろうから夜陰>持ち盾だったのでしょう
191 :
日本@名無史さん:2013/12/30(月) 14:18:32.20
日本の地形は言うほど特殊ではないんだがなあ
たとえば朝鮮半島なんかも7割山地だし、文明の栄えたギリシャや
ローマも同じような半島地形
日本も三間の長槍を有する集団で叩き合える程度には地形開けてるからなあ
地形説には説得力ないわ
193 :
日本@名無史さん:2013/12/31(火) 21:23:15.59
>>191 朝鮮半島の山って日本と比べるとつるっぱげで見通しがいい様に見える
194 :
日本@名無史さん:2013/12/31(火) 21:45:06.35
その見通しが悪い日本の地形で持ち盾なんかよりはるかに持ちづらく
移動の制限になるはずの三間の長槍が集団運用される事実の前には
地形説はあまりに説得力がない
オンドルで燃やしまくったせいではげ山だが
昔は朝鮮も山に森森だったんじゃね
イタリアは第二次大戦の時代になってもせめあぐねるような地形もあるな
だが持ち盾は廃れなかった
それどころかローマのスクトゥムは持ち盾の中ではかなり大型
古代ローマの時代って日本じゃ何時代なんだよorz
世界的に時代が進めば持ち盾は廃れるという当たり前の話なのになぁ
中世の騎士が盾を用いるのは様式美のようなもので太平洋戦争で日本刀を携行するようなもんだ
実際中世の戦闘で騎士同士の大規模な戦闘って何かあったか?
傭兵や雑兵が盾を片手にというイメージがちょっとでてこない
>>194 長柄槍は有用だが持盾は使えない、故に長柄槍は用いられ持盾は廃れた
199 :
日本@名無史さん:2014/01/06(月) 16:27:36.19
で、地形は?
>>199 俺は持盾がゴミで廃れた派だから、地形は関係無いかな
清朝実録だか何だかって17世紀ぐらいの史料の挿絵に描かれてる末期明軍に
日本刀と盾を持った部隊がいるのを見たことがある
大陸は刀剣片手持ち基本だからかな
203 :
日本@名無史さん:2014/01/07(火) 14:25:49.20
藤牌兵だろ
戚継光あたりから始まって鄭成功の軍にもいたとか
その戚継光の紀効新書とか練兵実記とかに挿絵あるよ
204 :
日本@名無史さん:2014/01/24(金) 00:19:58.44
春日大社に国宝の大鎧と刀剣見てきた!! やはり鎌倉期と南北朝期の
甲冑は素晴らしいですな。
205 :
日本@名無史さん:2014/01/24(金) 12:35:06.51
日本も江戸時代に林業が発達するまでは禿げ山ばっかりだった様な…
やはり夜襲至上主義で音を立てない為だったのでは?
>>205 ハゲ山なんて人が手を加えないとできねーだろ
都市近郊の木が刈られるのは当然のこと
まぁ205のように日本全山が禿山だとか馬鹿なことを書く奴は2chに常駐してるからマジレスしても意味ないが…
ローマ前のイングランドなんかの描写なら的外れではないけどね>禿げ山ばっかりになってしまった
レバノン杉なんかにもみられように欧州なんか日本とは比較にならない程後先考えずに森林資源を消化してきている
208 :
日本@名無史さん:2014/02/01(土) 00:35:31.65
任侠映画の893の刀が白鞘なのはなんで?
209 :
日本@名無史さん:2014/02/01(土) 11:34:45.47
時代劇のヤクザ(国定忠治とか清水一家とか)は拵のある日本刀なのに、
鶴田浩二とか高倉健がやってた明治以降のヤクザは白鞘の日本刀。
この違いはどこからきたんだろう?
袋に入れると木刀に見えるので、持ち歩きやすいのか? と、適当に言ってみる。
真面目に考えると演出ではないかと。殺し合いするのに敢えて鍔がなく、柄の強度も低い?
刀を持参する理由はないし。
単に価格の違いじゃないか?
>>200 とは言え、西洋剣術では持ち盾をベースにした剣術体系の物が多いし
射撃武器のガードに有効なのも事実だから、使えはするんじゃない?
個人的にはヴァイキングシールドみたいな敢えて切らせて武器封じってのは好きだな
それにランタンシールドとかは16-17世紀の物だし、かなり長く続いてたから、使える武器なのは間違いないかと
つか、弓の威力差による防御性能とかの違いも影響してたりしてるんじゃないかな
日本の場合は鎌倉時代から三枚打弓があって高威力の弓があった訳だし、矢も重いから
持ち盾では防げない、ってのもあったし(置き盾でも近距離では安全ではなかった)
そんな弓が一般化した日本じゃ、持ち盾は意味が薄かったんではないかな、と
あと簡単な質問なんだけど、日本での短弓ってどういう扱い? あんまり資料ないらしいって聞いたんだが
非複合弓だから威力が低いってのは聞くけど
この辺も盾の有無に関係してるんじゃないかな
連射が容易(1分に30射撃可能)な短弓が普及してる文化圏だと、弓を防げる盾が普及し易くなるのは道理なんでないかなーと
白鞘はそもそも刀身保管用のものなんで、強度がどうこう以前に分解しやすいつくりになってんだろ確か?
明治以降のヤクザが白鞘の刀を使うのは警察権力が増大したせい。
証拠品の刀は使ったら即処分するか証拠品として押収されるかで基本使い捨て。
なのでわざわざ金かけて拵つけるより白鞘の柄にサラシでも巻いて使ったほうがいい
という発想になる。一回きりの使用ならそれでも保つんだろうね
217 :
日本@名無史さん:2014/02/01(土) 18:51:18.51
ヤクザが着流しに白鞘の刀のスタイルじゃなくなったのはいつ頃?
戦時中までは、着流し白鞘刀だったの?
>>217 そんなスタイルは任侠映画の中で作られたものだ。事実ではない
220 :
日本@名無史さん:2014/02/10(月) 20:04:32.23
大阪大学の博物館で古墳時代の甲冑である単甲等を一堂に展示する
そうなので来月にでも行ってきます。
221 :
日本@名無史さん:2014/02/11(火) 17:28:39.01
模造刀を検索してみたんだが、戦国武将とか新選組や幕末志士の刀や、
大刀のみってのが多くて困る。
オーソドックスな刀で大小揃ったのがいいのに・・・
商品名が黒石目とか呂鞘としかないやつで大小セットのやつがいいのかな。
222 :
日本@名無史さん:2014/02/11(火) 22:05:00.86
いつか金ができたら真剣が欲しいのはある
伎楽面みたいな面白い形の総面の面頬を探してるんですが何かありませんか?
面白い兜はたくさん見つけられたんですが・・・
持ち盾の最大の弱点は自分が弓を使えないこと
226 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 08:37:34.46
>>224 長弓兵や蒙古騎兵が白兵戦用にバックラー持ってたりするけどな
白兵戦になれば弓なんぞ使わないから盾持っとくのもありだな
229 :
日本@名無史さん:2014/02/21(金) 18:57:50.54
ネットで検索したら模造刀って安いのは数千円で売ってるんだな。
おそらくオタクのイベントでのコスプレ用の刀は、こういうのなんだろうけど、
やっぱり部屋に飾ったりするのなら1万円以上のほうがいいのかな。
興味があるなら刃物板の模擬刀スレにGOだ
>>225 法隆寺の縦威の人形も再現しているのか
スゲェな
223
234 :
日本@名無史さん:2014/02/24(月) 19:37:50.82
縄文人や弥生人にヨロイのようなものはあったのだろうか?
弥生時代まで誰も日本に鎧を持ち込まないとか
飛鳥時代まで文字を読める人間が一人も日本に来なかったとか考える方が間違い
青銅器時代だったらブレストプレートと木製の盾だね
日本は青銅器時代を経ずに鉄器時代になるから、その辺どうなの?
238 :
日本@名無史さん:2014/02/25(火) 20:03:52.28
経ずにということはない
かなり短いというだけで
資源的に見たら、日本では青銅器より鉄器を作る方が簡単なので
青銅は海外から輸入された貴重品、日本の金属産業はいきなり鉄からってのも有りそう。
>>238 俺の理解では青銅器と鉄器が同時期に入って来たので実用品は鉄器、青銅器は祭祀用と分けられて、
青銅器時代は無いと思っていたけど、青銅器時代が存在したという証拠が出たの?
241 :
日本@名無史さん:2014/02/26(水) 09:42:59.65
>>239 日本での製鉄のはじまりが6-7世紀って話なんだし、国産の銅は708年、銀は674年、金は749年だから
どっちにしろ輸入品だよ
まあ冶金術(鍛冶・鋳造)の開始とは別
242 :
日本@名無史さん:2014/02/26(水) 19:28:58.49
弥生時代は甲冑なんてものはなくて、半裸でバトルやってたんだろうな。
岡山南方遺跡の木製甲冑は実用品だと思う
246 :
日本@名無史さん:2014/03/01(土) 22:56:04.43
でも、日本は早い段階で鉄製武器に移行してるよね?
中世の大鎧は芸術品だと思う。
249 :
日本@名無史さん:2014/03/03(月) 09:51:04.37
>>244 故アンガス・マクブライドの絵か。
オスプレイ社の考証イラスト画家では一番だったよな。シリーズ掲載イラストの画集も持ってるぞ。
ここのイラスト付き歴史本シリーズは人気あるんだけど、絵が下手な画家ほどイラストの考証再現度も低い傾向がある。
考証資料自体は本文を書いてる同じ歴史ライターが渡してるんだけどね。
このイラストは京都にある風俗博物館の日本服飾史再現人形を参考にしている。
http://www.iz2.or.jp/
>>233 返信遅れましたがどうもありがとうございましたm(__)m
徳川美術館に置いてある家康の熊毛の甲冑っていつ頃着られてたやつなんですか?
先生、質問∩(´・ω・`)
弓のことは、ここでも聞いていいのかしら?
「弩」って、日本では使われたのか、お聞きしたいのですが。
一人で扱う小さいのと複数で扱う大きいのがあって
小さいほうは平安時代初期くらいで廃れたけど
大きいのは平安後期くらいまで使われてた
>>253 このwikipediaの説明自体に疑問がありまして。
少なくとも中国においては、城の防衛等に弩は有効利用されたわけですよね?
平地での会戦ならば別ですが、活用する場所は日本においてもあったように思うのですが。
技術が伝わらなかったとも思えないし。
製作集団がいなかったからなのか……。
維持費含めて高いからじゃない?
んで弩の主な利点は扱いが容易な事だけど
専業戦士(武士)だけが戦争する時代だと、弓を扱えない、なんて事は訓練量的にほぼない訳だから
民兵用の高額武器は廃れるんじゃ?
千早城とかまで長期間篭城したったぜ!って話を聞かないような気がするんで
当時篭城とかが重視されてなかったとしたら、その間にイラネってなっちゃった可能性もあるんでない?
あと平安期の技術が失伝したとしても、以後も中国との貿易はしばしばやってたから技術の再輸入は容易ではないかと思う
そう言えば、その辺で判らない事に持ち盾もあるんだよな
戦国自体だと投石は極めて有効だったのに、持ち盾が復活しなかった辺り
大鎧は優秀でも、雑兵とかは袖のない鎧だった訳だし、
投石するにしてもギリシャみたいに投石準備中に持ち盾構えて投石とか防いでも良かったのに
白兵距離に近付いたら捨てれば良いんだし
やっぱ文化的に廃れてからか?
けど朝鮮は持ち盾あったはずだよな、再輸入はできそうなものだが……けど朝鮮出兵の失敗要因を考えると、向こうの情報はマトモに入手できてなかったか
陣笠で誤魔化してた?
陣笠で事足りたとか、やっぱりイラネで淘汰されたのかも。
持ち盾を備えた朝鮮兵と、持たなかったらしき日本兵の直接対決で
持ち盾で朝鮮兵が優位に立てた事例があるのかが問題か。
>少なくとも中国においては、城の防衛等に弩は有効利用されたわけですよね?
比較対象として中国を挙げるなら、争い事自体が領主としての武士とその郎党・下人らで組織される多くても数十人単位の小集団同士の武力衝突が多くなった時期というのが
中国のどの時代のことなのかも明記すべき、歴史的経緯・環境が全く異なる二国間に差異があるのは疑問があると言われても…
wikiの説明に疑問があるのではなく、>255が斯く在るべきという結論が事実と違うと文句を言っているようにしか読み取れない
>戦国自体だと投石は極めて有効だった
武田?攻城戦?、目標に石を命中させようとするなら投擲者は半身を曝さなければ碌に的へ当てられないのに対して、狭間や木木・茂みから狙撃できる弓の方が有用だと思うが?
また、持ち運びに際して石は弓よりはるかに嵩張り思い、個人が運べる数も矢より少ない
何が有効なのかさっぱり分からん
>判らない事に持ち盾もある
矢の飛翔速度200km/h程度なのだから数本程度なら避けることは可能、避けようのない銃砲が戦場に登場したから竹束が使用されるようになったことを想起すべき
つまり発想が逆なんだよ
中国・西洋と何故同じ装備を用いないのか、用いるべきと考えるのではなく
諸外国のような開豁地での戦闘が念頭の集団戦に対応する必要がなく、個人戦に特化し、より打撃力のある長弓・長刀を用いるようになったと理解すべき
>255が斯く在るべきという結論が事実と違うと文句を言っているようにしか読み取れない
↓
>255が斯く在るべきという思い込みが現実と違うと文句を言っているようにしか読み取れない
嵩張り思い
↓
嵩張り重い
>>260 別に投石部隊自体は、武田に限らず、戦国時代では一般的だったよ
敢えて記述する必要がない程のレベルだったとか
だから、何が有効なの?
使用した武家全てを羅列しないといけないの?
有用でなければ、そもそも投石衆とか結成しないはずなんだがな
特に投石器使った投擲術は練度も要るし、戦国時代では投石による死因もかなり多いだろ
俺は石より弓の有用性を説いて簡便に説明もした
それに対して
弓より石の有用性を説くなら「だろう、はずだ」ではなく論拠を明示すべきじゃねぃ
石は補助的武器にすぎないと俺は思うし、何か言いたいのなら争点を明確にしてくれ
なら弓に対して石が安価だからだな、そのコストパフォーマンスの都合で活躍してた
基本的に使えさえすれば、銃>弓>石なのも間違いないが、経済・準備的な問題で石の方がコスト面で優れていた
それ故に戦国時代、印字は各地で用いられていたし、現に結果として投石による死者も多かった
つまり有用であったという事だ
なのに投石程度に対してなら有効なはずの持ち盾が普及しなかったのは何故か
運動会の行進のような軍相手なら石も盾も有効だろうさ
で、武器として有用な石を個人で持ち運べる際、どれ位の数を持ち運んでいると考えているの?
あと、石なんかそこらに幾らでも転がっているとかいうレベルの主張でないのなら
関東には石垣が普及せず、関西ですら他用されていた石を転用・再利用していたことの説明もできるし
大阪城の石垣の写真をみせれば、生駒産の花崗岩か六甲産の花崗岩の判別もできる、もちろん石の組成についても
こちらが講釈しなくても素養はあると考えていいのかな?
色色質問があるけど続きは明日か週末に遣りたいので、その時はお願いします。
>>268 印字が全国で使われてたって実例や、相当数の死者がいるのに
>運動会の行進のような軍相手なら石も盾も有効だろうさ
は違うんじゃないか?
現に武田衆の存在といい、それは戦場において有効だったという証拠だろ
実際に宮本武蔵ですら投石で負傷してるってのに
どう有効なのか、という所まで踏み込んだ方が良いのかも。
投石って、射程距離が弓に勝る訳じゃないですよね?
長槍構えて迫ってくる足軽を止めるには有効だけど、弓鉄砲と
射撃戦が出来る訳じゃない、そんな攻撃ではないの?
弩の話題とは離れるけど
本当に投石が有用だったら江戸時代の編成でも継承されてるはずでしょ。
結局のところ投石は穴埋め、無いよりマシ、全国的に流行っていた石合戦で経験者がわりといる。
というところから来た補助的なものなんだろう。近年の投石の評価は過大な部分が多いように思う。
あと宮本武蔵が負傷した投石って攻城戦の時に守備側が石落としてくるやつでしょ。いま話題になってる投石とは違う。
>>271 >>267の2行目
>基本的に使えさえすれば、銃>弓>石なのも間違いないが
なのでコスト的な穴埋めなのも事実だね、ただしそれで死傷者が相当数いたのも事実ってだけで
その点で多用されてた事を以って有用と判断してるだけかな
金や装備が充実してれば不要なのも事実だね
273 :
日本@名無史さん:2014/03/26(水) 22:05:13.89
275 :
日本@名無史さん:2014/07/07(月) 09:39:40.63
そういえば今年の大河、黒田官兵衛のお椀形兜の甲冑は、タイトルバックには出てくるが
作中では一回も着用してないよね
なんか問題あるんだろうか
日本刀なんか怖くない
当たったら一発で死ぬ矢・鉄砲が一番怖い。
何を何年間鍛えようが、矢にあたったら人生終了ー
現代戦でも狙撃兵が最悪に士気を低下させる。
どんな勇猛部隊でも、狙撃兵に狙われまくると、鍛練とか意味なく死ぬ。
兵士がもっともびびる飛び道具に対して無警戒な合戦シーンとかアホみたいだな。
膝に矢を受けてしまった人かよ
278 :
某研究者:2014/07/08(火) 12:44:09.71
>>275 妻が嫁いでくる際に妻の父が引き出物として持たせた物らしいから、
そういう物を実戦では使わないだろうという立場なんじゃないか。
調略ばかりで戦闘しないから、鎧は必要性が薄い。
>>276 戦国脳は刀のチャンバラがないと満足しないんだろ
清盛みたいに弓矢を主兵器にすると地味とかつまんないとか言われるし
282 :
日本@名無史さん:2014/07/09(水) 17:02:35.36
>>275 >>279 熱心に見てるわけじゃないが、そういえば作中では登場しないな
別に戦場で着用しなくてもいいんだけど、かといって城内で飾っている描写もないし
283 :
日本@名無史さん:2014/07/11(金) 14:17:00.25
「軍師官兵衛」、あいかわらず信長が南蛮胴を着てるし、甲冑がどうこうなんて整合性はどうでもいいのでは
最近知ったんだけど、
信長が生きてた時代はまだ南蛮胴使用して無かったと聞いて驚いた
285 :
日本@名無史さん:2014/07/13(日) 17:08:21.05
>>272 軍忠状の手柄疵とか合戦手負注文とか見ても
石疵は明らかに攻城戦に付随する場合が多い
逆にこれははっきり野戦のものだとわかる史料にはどういうものがあるだろう?
ちなみに武田が投石してきたことで有名な三方ヶ原の徳川関連を見ても
石による死傷の記録とかは見出せなかった
287 :
日本@名無史さん:2014/07/29(火) 21:12:03.70
首獲るとき、押さえつけてゴリゴリやってる絵があるじゃん。
平治物語絵巻とかが一番リアルかな。
日本刀は刀身が厚いから、切れ味が包丁より鉈に近い。
包丁なら少し手前に引くだけでスッパリ斬れるが、鉈は叩きつけながら手前に引かなければならない。
最初のうちは切れ味鋭いが、血糊がつくと斬れにくくなるのでゴリゴリしなければならない。
藤原経清や藤原泰衡などは、苦痛を長引かせるためにわざと錆びた刀でゴリゴリされた。
289 :
日本@名無史さん:2014/07/30(水) 05:48:48.53
罪人を苦しませず行う斬首刑(及び介錯)とただの首切断は目的が違うやん
愛媛県大三島の神社に、鶴姫の着たものだ、日本唯一の女子鎧だと言われている胴丸があるが、
あれは昭和40年代に神社の関係者がこしらえた全くのインチキだから信用してはいけない。
>>290 伝来が嘘っぱちということ。胴丸自体はちゃんとした室町末期の作だが、
神社が鶴姫のものだと言い出すまでは誰のものともされていなかった。
更に言えば、鶴姫も実在の根拠が非常に薄弱で、創作・捏造された部分が多い。
女性用ってのは本当なのかね?
>>290 >日本唯一の女子鎧だと言われて・・・・・・・・・・・・
ん?すると源平争乱時代の巴御前や板額御前着用鎧は、遺されていないの?
そもそも女子用というのは、男子用とどの部位の造りが異なるの?
>>296 巴や板額の鎧とされるものが残っているという話は聞いたことがない。あなたはご存知?
また、女子用鎧と男子用鎧に明確な部位、構造の差があるのかどうかも不明。
極稀に江戸期の大名家の嫁入り道具の中に甲冑が含まれていることがあるが、
女子本人の体型を採寸したかどうかはまた議論が必要だが、それらを見る限りでも、
普通の男子用のそれとはほとんど変わらない。せいぜい威毛の色が華やかなくらい。
わざわざ女性用の甲冑を作る意義は何?
鎧に男性用も女性用もないと思うが
やはりな、おかしいと思ったんだよ女性用なのに胸の出っ張りが無いから
>>300 歴史的経緯は存じませんが。
刃の鋭さ(刃先の角度が小さい)と強度(最大厚が大きい)を両立させるには
片刃が有利ですね。
>>301 女物の着物に、胸の出っ張りってありましたっけ?
>>302 女物の着物の場合は、肌着下にサラシを巻き乳房を圧潰するから胸当て
不要だろ。
胸の出っ張り
>>301とは、和弓競技の女子選手が装着しておる片胸当ての
両胸当て版様の防具を云うておるのでは?
>>298 『村上海賊の娘』の主人公は、村上武吉の娘の景で鶴姫じゃない。
鶴姫は景の憧れる女性として名前は出てくるけど。
鶴姫を主人公にした小説は昭和41年に出た『海と女と鎧』で、
作者の三島安精は神社の宮司家の人間。鶴姫の鎧をでっち上げたのも彼。
>>303 ということは、鎧の場合でもサラシを巻けば済む話で、女性用に胸元大きく
ウエストを絞った胴を作るなんてのはナンセンス?
>>305 戦国時代でも、女性が甲冑を着て戦うことが特殊なので、
女性の体に合わせて甲冑を作った可能性がまず低い。
戦う場合は普通の男性用鎧を流用するのが多かったろうが、
残念ながら女性の着用法のようなものは伝わっていない。
なお、室町末期の胴丸や腹巻は重量配分のために、
腰を絞って胸を張り出す逆三角形の胴にする傾向が強かった。
例の胴丸を形から女性用だ、鶴姫のものだとすると、
この時期の鎧は、ことごとく女性用だという暴論になる。
>>300 >剣と違って日本刀が片刃なのは、製作手間都合って本当なのか?
日本刀は反りが有るから峰の方に刃を付けてもあまり意味が無い。
>剣と違って日本刀が片刃なのは、製作手間都合って本当なのか?
日本刀の剛性と軟性を兼ね合わせた特質が優れていると言われている由来であって
片刃でなければ作れない
手間云云ではなく、構造上の特質
310 :
某研究者:2014/08/15(金) 12:41:35.06
日本も平安期でさえ一枚の鉄板から兜を作っている例が有るなら
プレートアーマーのコピー等造作も無かったと言う事かも知れぬが
西欧甲冑は兜・胸甲だけ板金の海戦用の物しか日本には殆ど入らなかったから
西欧の様な完全板金鎧は作れなかったと言う事なのかどうかだが
311 :
日本@名無史さん:2014/08/15(金) 13:23:54.87
文屋のネタかと思ってたよ
312 :
日本@名無史さん:2014/08/15(金) 13:25:51.61
でエロい妄想にはいっていくんだろw
金属鎧は重すぎるとか、防ぐのに板金鎧が必要なほどの攻撃が無かったとかあるのかな?
錆びる
プレートアーマーは小札鎧や鎖帷子のように柔軟性がない
アジア圏では金属製であれ革製であれ小札鎧や鎖帷子、ブリガンダインまたはこれらの複合型のような
柔軟性がある鎧が流行ったが板金鎧は主流たりえなかった。
胴体の一部分を板金で覆ってる場合もあるが一般的にはこれをプレートアーマーとは呼ばない
「板金鎧なんて重い物でなくても矢は防げるよ」+「板金鎧着込んでも、鉄砲玉には無意味だよ」という構図だと
ただのデッドウエイトになっちゃう。
続日本紀 宝亀11年(780年) 8月18日の詔
「諸国の甲冑は次第に年月を経て、ことごとく皆さびを生じ綻び多くは用をなさないという。
三年に一度の割で修理するのを例としていたが、修理する後から綻び、この上なく手間と労力を要していると聞く。
しかし今、革の甲は堅固で久しく使え、身につけても軽くて便利である。
また矢が当っても貫きにくい。その手間と日程を考えてもとりわけ作りよいものである。
今後、諸国が造らせる一年間に必要な甲冑は皆革を用い、前例通り毎年見本を進上するように。
ただし、以前に造った鉄の甲もいたずらに腐らせることなく、三年を経るごとに修理させよ」
保守整備しやすくて調達費用も安く、充分な防御力もある革鎧最強だな
>>317 これ、何の皮を使ったんでしょうね?
厚さや強度を考えたら牛革が望ましいんだろうけど、肉や皮を取るほど
たくさん飼っていたのか。
319 :
日本@名無史さん:2014/08/16(土) 13:11:23.36
>>317 革が甲冑に占める割合が大きいのはやはり実用性の問題だったんだな。
矢が最大の脅威だからこれに対する防御力が保証されていて丈夫で長持ちならそりゃあ革になるってわけか。
>>318 昔は全国に牧が点在してたからね。
そして武士はそういう牧から発生したので最適な供給源だったんじゃないかな。
320 :
某研究者:2014/08/16(土) 14:55:23.46
桶側胴や短甲はプレートアーマー的だろうし
明光鎧もそうだろうが
トルコ・ペルシャ・印の甲冑も物に拠っては
プレート的な部分が多い様に見えるが
当世具足の場合草摺・佩楯が革の例が多いし
一昔前の胴丸や腹巻は草摺・佩楯は鉄札が入る物が
多かったのかどうかだが
321 :
某研究者:2014/08/16(土) 14:57:58.66
大鎧も右腹の壺板は板金鎧的かも知れぬし
板金の胸板・脇板が大型化されている鎧も有る訳だろうし
此れの直下の小札も鋲で固定されて
板金の様な防御力が有る訳だろうか
「古代人はどう暮らしていたか 実験考古学入門」
青銅器時代の皮製盾と金属薄板盾を複製し、その防御性能をテストした実験。
筆者は用心深くも、完全に役に立つと思われた皮製盾を手にした。金属盾の方は、ただ1回切りつけただけで
切れてしまった。 (中略)
青銅の剣で切りつけてテストしてみると、複製盾は十分に耐えれることが分かった。切りつけたり、刺突して
も、皮の盾は軽くしなって、その衝撃を吸収してしまうのである。
この結果は、同じ方法でテストされた銅薄板製の盾が役に立たなかったこと比べれば、好対照であった。
323 :
某研究者:2014/08/16(土) 15:09:06.16
スペインの円盾兵ローデレロは一部鉄の盾を持っていたかも知れぬが
木に鉄板を貼り付けた物の可能性も有るのかだが
>>318 鎧に使う皮っつったら日本では牛よ。
牡牛の皮を冬に剥いだもの(これが一番厚くて良質らしい)を何枚かニカワで叩き合わせて接着。
その上を漆で厚くコーティングして練革というのを作るんだそーだ。
まあ8世紀に練革の技術が成立してるのかは知らんけど。
>>51 南北朝時代に鎖帷子があったとは驚き
大鎧と重ね着してたみたいだね
どっから伝わったんだろ?中国でも唐代にソグド経由で入ってきてたぐらいだからね
326 :
某研究者:2014/08/17(日) 13:09:28.78
指迄総鎖の籠手が南北朝時代から有ったと言う意見も有るが
此れの上から更に板金の籠手が装備された可能性も有るのかだが
327 :
某研究者:2014/08/27(水) 08:43:41.25
ブリガンダインも中世西欧甲冑としては妙に札が細かいが
生産性はロリカ・セグメンタタやコートオブプレート・桶川胴・最上胴より
悪いと言う事は無いのかだが
当世具足で胴丸具足って名前付いてるやつあるじゃん?
あれってなんで二枚胴具足じゃなくて胴丸具足って名前なの?
胴丸具足の定義を誰かおせーてください
329 :
日本@名無史さん:2014/09/06(土) 11:52:37.82
具足って音読みだけど、中国人に通じるんだろうか?
>>329 日本で甲冑のことを「具足」と呼ぶことがあるのは、
「十分に満ち足りている」という意味の仏教用語「円満具足」「具足円満」からの借用で、
特にパーツのそろった甲冑を指して「具足」と呼ぶようになったものである。
近世に普及した「当世具足」も訳せば「今時のフルアーマー」という意味になる。
中国語で甲冑を表す言葉でよく使われるのは「&#30420;甲(かいこう)」。
「&#30420;」は「かぶと」の、「甲」は「よろい」の意味。
>>330 一部文字が適当に出なかったので補足。
&#30420;の部分は上に「灰」、下に「皿」と書く。訓読みは「かぶと」。
>>217 任侠映画としても実際としても成立しなくなったのは
大東亜戦争敗戦による
朝鮮進駐軍を自称する朝聯による暴力のせい。
朝聯はとにかくめちゃくちゃ。
素朴な疑問なんだけど、そもそも刀や剣ってなんで東西問わずあるんだろう?
槍や斧や弓矢は狩猟とか林業とか、他に使いどころがあって先史時代から使われてたけど
刀剣は人と戦う時にしか使わないんだろ?
では人と戦う時に強いのかというと槍の方が強いらしい
じゃあなんで剣が発達したのか分からないんだけど、どうなんでしょ
近世くらいまで自力救済が基本の世紀末世界が日常だったからだよ
>>334 腰に差して持ち歩くのに便利だからかな?
>>334 なんで東西問わず存在するか。
優れた点があるからだろ。
自分で答えを言ってるぞ。
人と戦う機会が増えたから刀が発達した。
槍とどっちが強いかなんて状況によるから一概には言えない。
少なくとも、刀の方が有利な状況が存在したから刀が使われたんだろ。
>>334 マケドニアの長槍部隊は大盾と短剣で武装したローマ軍相手に手も足も出ずに敗れてますけど
それはどっちかというと盾のおかげな気も
近代以前の飛び道具は距離を保ったまま射撃を続けることができず
やがて白兵戦へと移行する槍は初手では役に立つがやがて邪魔になるので
刀剣に持ち帰ると
>>337 よく嫌儲やニュー速系で刀剣は指揮刀(キリッ
ていう奴多いよね
じゃあ全員雑兵もろとも指揮官だったのかと
きっちり整列して槍先も揃えて、敵を一切近づけませんなんて戦い方もあるのかもしれない。
しかし、そんな戦い方を身につけた軍隊でも「もし破られたら」「地形などの問題でいつもの作戦が出来なかったら」
といった場合の備えは必要でしょう。そしてその備えは
・槍や盾で手がふさがる以上、腰に吊すとかで携帯できること。
・とっさに抜きやすいこと。
・仮想敵に対して、必要最低限の殺傷力を持つこと。
・兵に配布できるコストであること
等が求められます。該当しそうな武器は、まずは剣、次点で手斧でしょうか。
で、剣が最も多くの民族に受け入れられたと。
>334
後北条家では馬と同じ数の斧を用意しろと言っていたわけで、これは戦闘には不向きでも木を伐る斧の有用性は認めていたということ
槍の衰退は鉄砲が登場してからで、戦国時代の後半では槍は攻撃兵器ではなく本陣を守る守備兵器として使われるようになった
で、質問の答えだけど、剣が武装として最も汎用性があったからじゃねぃ
343 :
日本@名無史さん:2014/10/31(金) 09:03:16.19
344 :
日本@名無史さん:2014/10/31(金) 09:37:32.26
342
おいおい、戦国時代の城に貯蔵されていた兵装目録みたことないのか?
345 :
日本@名無史さん:2014/10/31(金) 09:41:48.29
陣笠、長槍は足軽の主兵装だぞ
むしろ脇差しをさしていた足軽なんてほとんどいないぞ
帯刀と名乗り(名字)はセットっていったろ
346 :
日本@名無史さん:2014/10/31(金) 09:46:38.04
そもそも日本刀なんてものは作るのに幾らかかると思ってるんだ?
鋼を鍛えて研いでなんて普通のやつが持てるわけないだろw
中世の日本人は身分に関わらず帯刀していたんだが
>>348 しょうし王朝までは日本そのまんまだったとか?
351 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 15:57:51.75
琉球の軍装が中国の影響ほとんどなしで日本そのまんまだったってのは
確かなんだが、
>>343のイラストは考証をかなり間違ってるぞ
352 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 16:11:21.38
346
帯刀していないよ
持ってたのはいいとこ郎党まで
足軽雑兵は主に槍、つうかこれ
らもほとんど支給品だけどな
353 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 16:14:26.18
あとは討ち死にした武士から刀とか引っぺがすくらいかな?
鎧具足っていっても戦国時代の支給品をもっていたってのが
多いからな
つうか刀なら質屋にもっていけば高値で売れるわ
354 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 16:16:24.14
古代は知らんよ
日本刀を作る部民みたいなのがいたなら
そこから持つことはできた
355 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 16:32:41.71
俺だったら日本刀を手にいれたら質屋に持っていって売るわ
まあ十万以上は最低でもつくだろうからな
刀狩りの目録が戦国遺文にいつかのこってるけど一番多いのは脇差次に多いのは大刀
次に多いのが笄で槍弓鉄砲はほとんどない
溝口秀勝分領の没収武具内訳
脇差 1543
刀 1073
小刀 700
笄 500
槍先 160
出羽仙北郡の没収武具内訳
脇差 2730
槍 1336
大刀 250
弓 78
鉄砲 26
358 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 16:51:13.82
なんか変な日本刀アンチが頑張り始めたな
あからさまに間違ってることも言ってるし
359 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 17:00:40.17
どの辺が?
足軽雑兵は主に槍とかいう部分が
刀狩り目録から槍が普及してた東北の一部と弓が普及してた九州を除けば農民の所持できる
武具はほぼ刀のみと行っても過言でなく具足槍弓鉄砲は武士の専有物だったことがわかってる
361 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 17:17:27.30
へえ!
それってほんとに農民か?
362 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 17:22:12.62
360
ついでに言っといてやると弓は古墳時代からすでにあります
長弓3メートル近いのがな、鉄砲は江戸時代から猟師などが
すでに持ってるわ
363 :
日本@名無史さん:2014/11/01(土) 17:32:46.97
ほんとに変な〜
弓が行き渡っていなかったとか言っちゃってさ
>>363 多分この板は君のレベルに合って無いと思う
戦国板か歴史難民板に行った方が実りのあるやり取りが出来ると思うよ
戦国板にもくんな
>長弓3メートル
>長弓3メートル
>長弓3メートル
3mは神器の類じゃないのか
368 :
日本@名無史さん:2014/11/03(月) 17:29:22.78
農民帯刀していない説の根拠がほしいね
今のところ思い込みしか書かれてないし
フロイス「日本史」
・日本では、今日までの習慣として、農民を初めとしてすべての者が、
ある年齢に達すると、大刀(エスパーダ)と小刀(アガダ)を帯びることになっており、
彼らはこれを刀と脇差と呼んでいる。彼らは、不断の果てしない戦争と反乱の
中に生きる者のように、種々の武器を所有することを、すこぶる重んじている
『東インド巡察記』
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg564.html 世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、
若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、
十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
足軽雑兵と農民を一緒にしてるが
信玄時代の武田の軍役関係文書を見ると軍役を課された者は
農民や職人等を連れてきて人数とするのはやめろとか書かれてるがな
長柄の足軽は農民と見るべきなのかどうか
百姓も軍役の対象だったのは戦国異聞やルイスフロイス日本史見る限り明らか
信玄時代のものにも15〜60歳の者は全て招集し逆らう者は首を切れと命じたものが残ってる
371 :
日本@名無史さん:2014/11/08(土) 05:15:33.33
そもそも戦国時代の百姓を江戸時代以後の百姓と同じイメージでとらえるのはおかしい。
戦国時代の日本は全員武装してるといって差支えない時代だろ。
宣教師もはっきりそう書いているし、大名とかと無関係に村落レベル同士で軍事衝突は日常茶飯事だった。
大名がそういう連中の動員を考えるのは当然至極だろ。
また、そういう状態だからこそ、秀吉は刀狩を考えたわけでね。
>>368 てことは、ヨーロッパの農民て、兵士として駆り出されなかったの?
373 :
日本@名無史さん:2014/11/10(月) 06:46:24.32
>>372 どうしてそうおもう?
帯刀の有無と徴兵は関係ないと思うが
374 :
日本@名無史さん:2014/11/10(月) 07:02:48.24
368
なるほどなるほどw
なんでお前らが騒いでいるかとか分かったわw
神器とかな、そういうとこには注目してるとことかw
375 :
日本@名無史さん:2014/11/10(月) 07:07:02.04
371
すげえなw
それなら兵士が3000万人いるぞw
376 :
日本@名無史さん:2014/11/10(月) 15:09:14.76
昨日NHKの日曜美術館で手鉾見て感動したあの時代にあんな物を作れたなんて本当に凄いの一言に尽きるもし国産なら本当にほこらしい
>>372 うんそうだよだって傭兵制だし
フランク王国末期にはすでに「祈る人戦う人耕す人」と呼ばれるカースト的な制度があって
完全に兵農商が分離してた
その書き方だと「商=祈る人」になるけど。
安価をまともに打てない馬鹿は兵農分離以降のことしか知らないんだろう。
>>377 ゲルマン圏の王は「非常時に王国内の全成人男子を軍事召集する権限」てのも伝統的に持ってたらしいが
実際に行使されたかどうかはともかく
>>381 トゥールポアティエの戦いでは成年男子総動員で鍬持って戦った。
>>381 ガリア戦記だとゲルマン人が老若男女すべてを戦場に導入してる場面があるね
しかしローマに侵入した頃にはすでに軍役を担う自由市民と隷属民に分化してたみたいだよ
>>382 西欧中世軍制史論によるとカール大帝の頃ですらフランク王国の総兵力は精々3万人しかいなかったと見られている
というのもフランク王国の軍隊はすべてが重装騎兵で構成されているため非常にコストがかかったし
兵士が没落して軍役を担えなくなることも多かったから
シャルル7世が百年戦争終結の後諸侯の私兵を解体して創設した王国軍の総兵数が
西洋中世史料集によるとすべて騎乗兵で9000
レオン六世の頃の東ローマのカタフラクトの総数がタクティカによると8000
薔薇戦争当時のイングランドとスコットランドの総兵力がメンアットアームズによると13000
傭兵制の国の軍隊の数ってそんなもん
387 :
日本@名無史さん:2014/11/14(金) 23:15:32.56
中世ヨーロッパは人口自体もかなり少ないが、それにしても軍の人数も少ないな。
イングランドとスコットランドは合わせて500万くらいは人口あったろうから、
当時の日本式の動員だと10万人〜15万人くらいの兵力あっておかしくないんだけどな。
>>386みたいのは「国王がある程度常備軍的に動かせる人数」でないの
さすがに当時王国内の全戦闘員を把握してないだろう
シャルル7世の王国軍は国内全ての全諸侯勢力を解体して作ったものなんだが
以後国王以外は軍備を持てなかったのでそれがフランスの兵力の全て
390 :
日本@名無史さん:2014/11/17(月) 09:20:58.88
三十年戦争(1618-1648年)中にフランス国王が動かせた兵力が2万人
絶対王政と官僚制度が確立された1680年代フランス軍が30万人
391 :
日本@名無史さん:2014/11/17(月) 09:50:46.45
387
兵糧(食い物)用意できるのか?
移動中の軍隊の武装も用意しなきゃならないし
その間の兵糧を用意できなきゃ軍隊の編成は無理だぞ
日本みたいに目と鼻の先に敵がいるわけじゃないしね
外国同士の戦いがほとんどだから連れて行ける数も限られてる
393 :
日本@名無史さん:2014/11/17(月) 22:00:19.21
中世の日本の軍は内戦の事しか考えてねえからな。
厳密に言うと戦国時代は戦国大名の領国が独立した国家だったから内戦という意識はなかったろうけど。
いずれにしろ自弁が基本でそれほど大規模の兵站を用意する必要がある戦を想定してないからね。
>>375 戦国時代までは兵農未分離だから、平時は耕作、有事には武装して戦っていたんやろ(適当)
中世ヨーロッパの国家間同士の戦いより古代ギリシャの都市国家間の戦いの方が大規模なのは
誇張もあるんだろうけど距離が近いってのも大きいんだろうな
396 :
日本@名無史さん:2014/11/28(金) 18:10:57.54
>>395 ヨーロッパはローマ帝国が崩壊してから暗黒時代。
冶金技術など一部は進歩したのもあるが、
上下水道や築城技術などのローマ時代の技術は廃れてしまった。
十字軍も7回も行われたが、勝てたのは実質1回だけ。
ヨーロッパが発展するのはルネサンス期であって、
イスラムやアジアを超えるのは産業革命期に入ってから。
398 :
日本@名無史さん:2014/11/28(金) 21:27:29.36
396
ほらふいてんなよニワカ野郎
十字軍が終わったあと、欧州は主権国家や法治国家が成立してんのに、
1600年まで国取り合戦やってる野蛮国家が同じなわけねーだろ粕が。
ドイツやイタリアとか19世紀になって天下統一されるまでずっとやってたけどな
バルカン半島に至っては今でもや
400 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 01:42:24.56
ドイツは欧州統一王子にして欧州王族の太祖カール大帝にして神聖ローマ帝国の盟主にしてローマ帝国を滅ぼし最強民族がゆえのことだろ
統一ドイツを果たしたビスマルクというが、そこから一自体線、二次大戦と全世界相手にほぼ一か国で互角に戦えてんだよ
ジェット気、原爆、ロケット、レーダー、戦車技術、いえばきりないほどの銀河系国家、
いまだに東西分列してもBM、ベンツ、アウディ、ワーゲン、ポルシェ、と恐ろしい数の車メーカー保有
こんな雑魚島国といっしょにすんなや
>>400 ドイツと日本は優秀。
ドイツと日本はシンクロしている。
>>400 ベンツというメーカーは現存しないけどな。現在の社名はダイムラーだ。
403 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 08:59:22.37
日本とのシンクロは韓国だよ
404 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 09:01:49.99
韓国は支那事大でシンクロしてるのが正常だってw
405 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 09:05:58.92
元朝、明朝のときだって支那にビビって先走って元寇再来のための軍船作ってたんだよなあw
日本が有利なら半島政府にも反逆するしそういうやつら
407 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 09:23:26.27
どう考えても日本と韓国は連動してるから
408 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 09:24:35.18
日本が連動か?
一つ教えといてやるけど中国のことを支那っていうだろ
これはギリシャ語にもシーナって語はでてくるんだよ
一つの説としては秦の始皇帝のときにシンて言葉がでてくるが
秦(シン)の女性名詞でシーナ
これはポルトガル人宣教師が伝えた明の時代のものだが中国人
はずっと昔から自分らの国をシナって呼んでる記述はある
409 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 09:29:45.96
407
どんな連動かちょっと説明してみな
日本と西欧は連動している。
日本と西欧にしか近代は発生しなかった。
411 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 17:04:30.47
現実にいうと、日本と韓国は兄弟みたいなもの
客観的に弟は日本かな
ドイツと肩並べてるなんて幻想は世界から失笑されるからな
412 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 17:10:49.93
はいはい
413 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 17:10:51.90
はいはい
414 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 17:23:50.00
ドイツが魔神ブーなら
韓国はすーぱーサイヤ人
日本はミスターサタン
て感じじゃないかな
415 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 18:31:04.40
>>399 あっちは、こっちと違って停滞期が短く鎖国が無かったのが技術発展に効いてやがる。
ageちまったw
あと、日本は八方を海に囲まれてるおかげで情報伝達に難がある
他のアジア地域もデカい統一国家ばかりなのが災いして戦乱期が終わった途端に長い停滞期にすることが多いし
結果的にある意味欧州は小国群の群雄割拠に近い状態にして正解だったな
417 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 18:50:31.05
小金デビューした長男の侏儒をの取扱いの件は東洋世界の一大問題だよね
逆に陸続きなら間違いなく荒廃してただろ日本なんて
419 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 20:15:28.52
あのさ、日本はたった一回、欧米列強から皆殺し寸前にまでやられただけで、ここまでひ弱になる国だぞ
ドイツ様なんか1次大戦てあそこまでフルボッコにされても、十年前後でまた全世界相手に戦い挑んで、挙げ句は互角にたたかえちまうんだぞ。
フランスもイギリスも何百年しのぎ削ってきたんだよ?
もうさあ、日本なんて最強の時代の秀吉だって明に負けたら即衰退とか、欧米列強の風上にもおけない雑魚島国だわ
420 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 20:18:52.27
もうさあ、欧米列強はぱねーすぎ
やるとなったら百年単位で戦争しまくるし、またそれも可能なほどの能力と技術力と知識が存在する
一緒にすんなや、海の天然要害なしじゃコワッパのくせに笑
何年経っても水車すら作れなかったお困りの国が何だって?w
422 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 20:48:41.25
すごいね
423 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 20:57:11.68
チャリオットは紀元前2000年ころにはもうあったんだけどなあ
424 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 21:00:59.38
420
4000年間争っているといっても過言じゃない
425 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 21:10:37.18
中央アジア北部で始まり
紀元前1500年ころには
中国華北
インド北部
トルコ
あたりまでその足跡がある
426 :
日本@名無史さん:2014/11/29(土) 21:39:35.59
もう結論としては戦うために生まれてきた戦闘民族ですわ
彼らの行軍が大陸における神話を作った
今ある宗教の雛形は彼らの影響
>>426 それを「ミトラ教」という。
太陽神ミトラの世界初の唯一神教だ。
欧米で古くから文明化してたのはギリシャぐらいで
ローマ時代のイギリス諸島やゲルマンとか同時代の日本と五十歩百歩だろうに
429 :
日本@名無史さん:2014/12/08(月) 09:44:05.63
>>275 昨日放送の「軍師官兵衛」の九州攻略戦でついにその甲冑が登場した
次回最終回だよ
430 :
日本@名無史さん:2014/12/08(月) 10:03:06.33
427
ボケ
ミトラ教は仏教などと同じインドあたりで発生した一宗教だ
431 :
日本@名無史さん:2014/12/08(月) 10:04:58.35
ちゃんと遺跡なんかはでてきてんだろうがよ
調べろよな
432 :
某研究者:2014/12/13(土) 19:03:20.16
当世具足出現後の戦国時代後期には本小札製の具足は
通常の騎馬武者ではほぼ無く伊予札や板札の使用が大半と言う事は無いのかだが
古い本小札が可成り再利用されていた可能性も有るのかだが
434 :
某研究者:2014/12/14(日) 12:49:37.48
435 :
某研究者:2014/12/14(日) 13:34:48.76
436 :
某研究者:2014/12/14(日) 16:07:26.45
437 :
某研究者:2014/12/14(日) 18:49:41.11
>>433 そいつただ独り言を垂れ流すだけでわりと無害なコテだよ
439 :
某研究者:2014/12/16(火) 08:24:57.18
440 :
某研究者:2014/12/16(火) 19:59:25.03
古い陣羽織は裾広がりと言うが
前田利家・上杉謙信の陣羽織等は裾広がりでは無いが
此れは新しい物の可能性も有るのかだが
441 :
某研究者:2014/12/17(水) 13:06:31.71
貸具足には一枚シコロの兜が有るが此れは多用されたのかどうかだが
貸具足以外でも一枚シコロの兜は幾らかは有る様だが
442 :
某研究者:2014/12/18(木) 19:20:36.02
関ヶ原の頃の甲冑ってもはやコスプレの域に達していて面白いよなw
侍大将クラス以上になると甲冑みただけで誰かわかる。
またあえて目立つように各々がど派手な甲冑を作ったんだよな。
諸外国の甲冑にこの頃の日本の甲冑みたいに個性豊かなのってあるのかな?
444 :
某研究者:2014/12/24(水) 14:37:16.28
実戦用では無いなら西欧のトーナメント用のクレストが有るだろうが
西欧の14世紀前半のグレートヘルムのクレストは実戦用の物も有るが
余り特徴は無いだろうか
bonhams.com/auctions/21861/lot/217/
上は龍頭形兜かと思ったが
麒麟形兜である訳だろうか
445 :
日本@名無史さん:2014/12/30(火) 18:22:44.13
446 :
某研究者:2015/01/06(火) 16:46:07.32
blogs.yahoo.co.jp/randokku2000/38705528.html
>絲原記念館所蔵馬鎧
此の龍面は皮なのかだが
毛が有る物は他に見ない訳だが
447 :
某研究者: