日本服飾史

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372日本@名無史さん:2012/03/29(木) 01:17:23.82
聖徳太子が冠位十二階を定めた頃は、厳密に言えば冠じゃなくて頭巾だったの?
373日本@名無史さん:2012/03/29(木) 09:13:26.24
飛鳥時代の服装って良く分からないんだっけ

ところで、奈良・平安時代の衣冠束帯の『袍』と呼ばれる着物って
起源は日本の千早?
それとも唐の官服?
374日本@名無史さん:2012/03/29(木) 14:43:32.13
唐の官服
375日本@名無史さん:2012/03/30(金) 00:55:19.05
飛鳥時代の官服は千早の進化形だって聞いた事あるから
正確には、どちらとも言える、が正解なんじゃないかな
服装の変遷ってそういうもんだよ
376日本@名無史さん:2012/03/30(金) 14:04:53.08
唐の官服の元は北方の騎馬民族の着ていた胡服・・・
千早の元は日本古来の貫頭衣・・・
しかし、東アジアに渡って来た人類の先祖が共通だとしたら、彼らが身にまとっていた衣服もまた共通の起源を持つ、と言えなくもない・・・
377日本@名無史さん:2012/03/30(金) 18:14:34.51
>>373
キトラ古墳壁画でよく分かってる。
20世紀初頭の韓国よりカラフルな着物着てるわw
378日本@名無史さん:2012/03/30(金) 19:04:26.67
身分によって服装に制限を設けるのは古今東西どこでもあったが、染色すら許さないってのはひでえよな

ところで話ぶっ飛んで申し訳ないんだけど、大紋っていうのがあったじゃないか
あれって直垂と素襖とは別な着物なの?
それとも直垂や素襖の内、大きな家紋が付いているものを特に大紋と呼んでたの?
379日本@名無史さん:2012/03/30(金) 19:04:45.84
モンゴル相撲=北方の騎馬民族www
380日本@名無史さん:2012/04/03(火) 00:29:01.08
381日本@名無史さん:2012/04/03(火) 01:38:31.24
服飾学科で習うやつだな
382日本@名無史さん:2012/04/03(火) 12:05:55.73
>>373
キトラ古墳からは人物像は出てきていない
四神像(白虎、玄武など)や天文図、獣頭の十二支像のみ
飛鳥時代の人物像が描かれてるのは高松塚古墳のほうじゃないかな
唐風の衣装が描かれている
http://www.asuka-park.go.jp/takamatsu/
383日本@名無史さん:2012/04/04(水) 11:37:51.73
飛鳥〜奈良前期って女性の官吏も居たんだよね
服装は男性の官吏と同じ胡服由来の官服だったって聞いた
384日本@名無史さん:2012/04/05(木) 14:03:09.47
古代日本は現代並みに男女同権だったって何かの本で見た
大陸から律令制度や儒教思想を取り入れるようになって男女同権は崩れて行った
385日本@名無史さん:2012/04/06(金) 00:53:59.31
その女性官吏は官服着て、頭には冠ないし頭巾は被ってたの?
386日本@名無史さん:2012/04/12(木) 11:23:32.69
>>385
女性は基本的に頭には何も被りません。
天武天皇の御世に『結髪令』といって「役人は男女共に朝鮮風に髪を結い上げる事」という命令が出されるのですが、これに対して女性官吏達が「髪を結い上げたら可愛くない!」と猛反発して撤廃さてしまいました。
古代の女tueeee!!!!
387日本@名無史さん:2012/04/20(金) 23:29:51.37
直垂ってずいぶん長い期間に渡って武士達の間で使われてたんだね
平安から江戸まででしょう
こんなに長く着られた服、普通なかなか無いよ
他国だったら服装って、もっと目まぐるしく変わっていく物だし・・・
388日本@名無史さん:2012/04/28(土) 03:28:55.12
男性の下着が褌、わけても六尺に特化したのは
いつ頃からのことですか?
古代の犢鼻褌などといった下帯は、どういった形式のものだったのですか?
また女の腰巻き(おこし)が一般化したのは、何時代のことでしょうか?
389日本@名無史さん:2012/04/30(月) 14:55:26.47
>>388
質問する前に自分で調べる努力をしましょう→http://www.google.co.jp
390日本@名無史さん:2012/05/02(水) 20:05:18.20
無智なら「無学で申し訳ありません」と素直に答えろーイッ!!!!!


391日本@名無史さん:2012/05/03(木) 19:54:11.54
ナッちゃんは出てお行き。
392日本@名無史さん:2012/05/03(木) 23:42:31.31
前回の平清盛の歌会の場面で他の人達は冠かぶってたのに
雅仁親王だけ烏帽子被ってたのは親王の異端児ぶりを表すためで、
本当は全員冠をかぶってないといけなかったんですか?
393日本@名無史さん:2012/05/05(土) 07:56:54.45
4 :名無しさん@恐縮です

羽鳥はゲイの世界に立ち戻り、ひたすら正道を歩む可きだよナッ!!!

性悪なオンナと一緒になったのが間違いのもとだゼッ!!!!!!!!!!

妻帯生活から足を洗って正解なのサッ!!!!!!!!!!!

ゲイでフリチンの羽鳥くん








394日本@名無史さん:2012/05/05(土) 23:04:10.73
>>390
流石ナッちゃん様、完璧なブーメラン発言ですね
395日本@名無史さん:2012/05/07(月) 01:48:21.62
4 名前:名無しさん@恐縮です

カットされたシーンが残念ながらあるようだ。
阿部寛と宍戸開とが69の体位で互いのチンポをベロベロと
しゃぶり合ったり、ギンギンにしごき立てたりして同時射精する場面らしいゼッ!
分かったナッ!!!!!!!!





396日本@名無史さん:2012/05/07(月) 11:01:01.59
カットシーン、見たかったで〜す!
397日本@名無史さん:2012/05/07(月) 16:33:19.33
淫乱!




398日本@名無史さん:2012/05/07(月) 16:57:00.78
396-397
ナッちゃんいつも酷い自演ですね
399日本@名無史さん:2012/05/08(火) 21:10:16.41
今日BSでやってた『新・平家物語』見てたら、烏帽子どころか冠までシースルーだった。何かもうNHKの考証うんぬん以前に、あの時代はああいう物だったんだね。
あと後世の肩衣みたいに袖を切り落とした直垂が出て来て(肩衣と違い、ちゃんと胸紐が付いてる)、あの時代にそんな服があったのかどうかは不明だが、面白いと思った。
しかし、登場人物達の着ている服がシワクチャでボロボロなのは『平清盛』と同じなんだが、なぜか『新平家…』の方が『清盛』より色鮮やかで華やかな気がした。
『清盛』はリアリティを追求しすぎて、色褪せてしまっているのが原因だろうか……。どうにも見劣りしてしまった。
400日本@名無史さん:2012/05/10(木) 23:34:00.71
肩衣ってのは戦国末期から江戸初期のが一番かっこいいわ。江戸中期以降は意匠化され過ぎてて何か変・・・。
401日本@名無史さん:2012/05/12(土) 13:33:31.87
ところで天皇陛下をはじめ皇族の男性方ってのは和服をお召しになる事って無いんでしょうか?
菊の紋付き羽織りとか見た事ありません
402日本@名無史さん:2012/05/12(土) 15:01:02.22
あれは武家以下の風俗だからお召しにならないでしょう。女性皇族がお召しになるのも最近はじまったことでしょう。
403日本@名無史さん:2012/06/01(金) 23:56:35.43
ほしゅ
404日本@名無史さん:2012/06/15(金) 16:14:34.78
その代わり、祭祀の折には束帯をお召しになられますね
405日本@名無史さん:2012/07/05(木) 01:19:35.61
>>401 割と最近出た、元侍従かなんかの本によると、お寛ぎのとき内々では
お召しになられるそうです。

ある日、みこうしの前に急用で罷り出たら、夕食後に居間かなんかで皇后様
とお茶かなんか飲んでるところに押しかけることになっちゃったことがあっ
たそうで、そんときお見上げしたら和服で紋付の羽織をひっかけてたんだっ
て。
その御紋が例の菊の御紋なのに気づいたときが
「長年勤めてお仕えしているのが天皇家だと最も強烈に感じた瞬間」
だという話でした。

御所言葉とカジュアルな日本語のごちゃまぜスマソ。
406405:たしかこの本です。:2012/07/05(木) 01:28:24.97
書名   :天皇家の執事
副書名  :侍従長の十年半
著者名  :渡邉允/著
出版者  :文藝春秋
出版年  :2009.10
ページ数等:351p
大きさ  :22cm
NDC分類:288.41
個人件名 :天皇 , 皇后
目次(BOOK):素顔の両陛下;皇居における行事と儀式;陛下のお祈り;陛下とハゼの研究;
外国ご訪問と国際親善;人々に「心を寄せる」ということ;国の内めぐりきた
りて;さきの大戦;沖縄県民の苦難を思い;天皇家の冠婚葬祭;皇后さまの伴

要旨(BOOK):いちばんの側近が、宮中での日々を綴った貴重なる回想録。
著者紹介(NS):昭和11年東京都生まれ。東大法学部卒業後、34年外務省入省。駐ヨルダ
ン大使、中近東アフリカ局長、儀典長などを歴任。7年宮内庁に移り、式部
官長を経て、8年侍従長。19年退任。現在、侍従職御用掛。
ISBN :978-4-16-371800-2
407日本@名無史さん:2012/07/05(木) 01:57:45.74
>>9
408日本@名無史さん:2012/07/05(木) 15:43:25.09
409日本@名無史さん:2012/07/25(水) 06:41:05.51
ほしゅ
410日本@名無史さん:2012/08/08(水) 15:08:36.13
保守
411日本@名無史さん:2012/08/25(土) 21:21:54.99
着物の帯って何メートルあるの
412日本@名無史さん:2012/08/29(水) 08:46:44.29
今時の女物で3.6〜4m
413日本@名無史さん:2012/10/04(木) 05:18:16.49
装束とは少し違うかもしれませんが
何週か前の大河ドラマの平清盛(32話だったかな)で後白河上皇が
半紙に模様を描いた仮面をつけていましたが、あれはなんと呼ばれるものなんでしょうか。
また、どんな時に使われたものですか。
414日本@名無史さん:2012/10/05(金) 01:26:24.62
>>413
口の辺りが黒い三角、ほっぺが三つ巴、目が黒枠三角を縦半分で仕切った絵柄かな?
もしそれだったら舞楽の「安摩(あま)」を舞う際に使われるお面。

以下コトバンクから。
あま【安摩】
雅楽,舞楽の曲名。案摩,阿真とも書く。唐楽。壱越(いちこつ)調。二人舞。文(ぶん)ノ舞(平舞)。
陰陽地鎮の曲ともいわれる。番舞(つがいまい)は《蘇利古》。
左方襲(かさね)装束(常装束とも)に巻纓(けんえい)・?(おいかけ)の冠,雑面(ぞうめん)をつけ,
右手に笏(しやく)を持って舞う。
《安摩》だけ独立して舞われることはほとんどなく,《二ノ舞》と続けて舞われ,
《二ノ舞》は《安摩》の答舞の型となっている。
415日本@名無史さん:2012/10/05(金) 17:35:49.66
>>414
画像検索しましたらまさしくそれでした
ありがとうございます
416日本@名無史さん:2012/12/04(火) 18:53:39.26
てす
417日本@名無史さん:2013/03/08(金) 22:37:28.54
auのCMの「大得」、葵髱が完璧
かつらであんなのあるんだね、大河「篤姫」でもあそこまでではなかった
笄の飾りを左だけにしてあるのも完璧
418日本@名無史さん:2013/10/08(火) 23:37:33.93
某スレで大顰蹙の某女、こっちで引き取ってもらえんかな
419日本@名無史さん:2013/10/09(水) 00:55:58.85
ダメ、ゼッタイ。
420日本@名無史さん:2013/10/17(木) 20:48:44.89
えー凄い肩書きあるのにー
時代衣装総合コーダィネーター様だよー(棒読み)
421日本@名無史さん
なんで采女衣装は作るのに女嬬装束は作らないんだろう。
采女の絵衣みたいなのの袿と、浅黄色の鳥の模様が入った唐衣を着るんだ。
結構変わってて面白いと思うんだけどなあ。
それから、采女衣装を平安時代からあると思ってる奴多すぎ
お祭りの采女衣装+垂髪の組み合わせもそんな勘違いから生まれたんだったりして