932 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 19:31:21.38 ID:0tS4J5Sf
日本のWikiは画像を張ることに極めて消極的だからなあ・・・
933 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 19:41:54.96 ID:Sp3A8l3r
所有者に許可もらうのめんどくさいからね
無断でやってもめてもめんどくさいし
934 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 21:33:58.54 ID:JHQBd8Yl
935 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 23:39:06.09 ID:xAjnNvVv
梅鶯の鎧デカいな
936 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 22:49:18.32 ID:8VLlZzLb
胡散臭いインチキ伝来が付いたかわいそうな甲冑たちを総おさらいしよう!
>>674 「斎藤実盛所用の兜、大袖、臑当」?・・・どう見ても室町じゃないか〜wwwむざんやな〜wwwwww
>>686 「楠正成の兜」?・・・こんな復古調兜に大楠公の名前を被せるとは却って失礼千万である!
>>687 「新田義貞の兜」?・・・モノはすごく上等だが室町末〜桃山から上には持っていけないね。後北条が作らせた小田原鉢だよ。
>>688 「平敦盛の鎧」?・・・金箔押しの最上胴と阿古陀兜が哀愁より笑いを誘う。
>>690 「北郷忠相の南蛮胴具足」?・・・臑当だけが古い。だけど他のパーツが室町とか無いから。
>>694 「源義経の色々威腹巻」?
「佐藤忠信の兜」?
「弁慶の籠手に静御前の鎧」?
>>695 「湛増の鉄烏帽子」?・・・源平オールスターズ、もうやめてくれよ。
>>699 「大祝家の鶴姫の胴丸」?・・・本当、戦う女の子って人気あるよねぇ。
937 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 23:29:19.19 ID:g3GwZj+Q
要するに鎧の捏造に関しては日本もお隣の半島の事を笑えないと
938 :
兜丸:2012/06/06(水) 21:17:14.04 ID:HbUEK99l
あの〜珍しい兜として回転兜とか廻り鉢とかいう兜があるよ。
この兜は鉢(腰巻という、しころの付けてある部分の上の部分の所)が回転する兜で、攻撃を受けると受けた方向に回転して受け流せる。
あまり普及しなかったらしい。
それから当世具足で胴の中央に鎬(しのぎ)が立ててあるのは日本の甲冑でされていたことではなく南蛮胴から取り入れたこと。
そしてその南蛮胴を利用したのが南蛮胴具足。
鎬は鉄砲の弾を左右に弾くために立てられたもの。
939 :
人間七七四年:2012/06/07(木) 14:37:50.78 ID:rzVUkHcU
>>937 なんでそこで半島が出てくるんだ?
というか、鎧の捏造とか言ったって朝鮮には鎧自体残ってないだろ
940 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 06:37:23.06 ID:wA8Ebykj
941 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 11:34:07.60 ID:lEHtlTFb
朝鮮甲冑で問題になるのは、どの時代劇や歴史イラストを見ても、19世紀のはずのものが、15世紀からの
李朝全般のイメージとして使用されてることだろね。
原資料自体が少ないって言うのとはまた別なんだ。
942 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 13:17:37.88 ID:QI2mkIiL
構造が違う海外の甲冑と比べてもなぁ…
城の比較と同様無理有りすぎ
そもそも戦闘様式からして違うし
943 :
人間七七四年:2012/06/26(火) 07:07:23.36 ID:88U++JJG
そうか
944 :
人間七七四年:2012/07/03(火) 23:51:11.29 ID:5Y/CwkuC
故中西立太氏の「日本甲冑史」凄く気に入ったんだけど皆さんはどう?
ただ、氏の絵では桃山時代になっても杉形じころの兜が出てきたりするし
毛引威の具足を着ている武者も多すぎる気がするんだよね
まあ当時の統計資料が残っているわけでもないし、このへんは解釈の違いなんだろうけど
945 :
人間七七四年:2012/07/05(木) 11:32:05.57 ID:wH4CqKkr
鎧は高級品
946 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 18:47:57.61 ID:2Xkh1uwy
>>944 あの絵は好きなんだけど、資料としてはぼけまくりの輪郭で台無しだよねw
もっとシャープな線で描ける人がいたら
947 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 21:55:52.01 ID:wzJAUqi5
日本甲冑を「雰囲気は格好よく」描ける人は趣味人レベルでも結構いるだろうが、
なおかつ「正確に」描写できているかどうか、というレベルで見てみると殆どがアウトである。
絵やイラストで食っているのに怪しいレベルの人間もいる。
もっとも日本甲冑自体が、よく観察・勉強しないと適切に描けない構造になっている上に、
戦のなくなった近世以降、絵画における武装表現は中世の頃よりも低下していったから仕方ない部分もある。
近代の歴史画家で甲冑をはじめ有職故実に特に通じていたのは小堀鞆音、安田靫彦、前田青邨、松岡映丘など。
中でも鞆音は自分で大鎧を製作したり、青邨は甲冑武具のコレクションを収集したりして(今は歴博が所蔵)
自分の作品に反映させている。
948 :
人間七七四年:2012/07/19(木) 23:54:53.67 ID:YfXN5oN/
甲冑関係の言葉に誤記・誤字は数々あれど、
Google検索で正しい表記を差し置いてトップに出てくる間違いをピックアップしてみた。
間違いではなく当て字であると開き直れなくもないが、やっぱり使うと恥ずかしいから注意してほしい。
・「桶川胴」…「桶側胴」が正式。板を矧ぎ合わせて作った胴の表面が桶のように見えることから「桶側」の名が付いた。
始末が悪いことに、MARU武や光ZAN堂が自社製品の紹介にこの「桶川」を平気で使っているもんだから
(チェック係がいないのかね?それとも新物のメーカーはそんなことも知らない連中の集まりなのかね?)、
「埼玉の桶川辺りで発明されたから桶川胴という」なんて言いだす輩も出かねないほどの勢いでこの誤記が広まっている。
・「頭成兜」…検索して調べた限りでは、どうやらFF11に登場するアイテムのせいらしい。
あとは「なりかぶと」の音を聞いただけで「成兜と書くんだろう」と判断した人間が多数いるからなのかもしれない。
「なり」の漢字表記は「形」で、物の形や格好を意味する言葉。
頭形だったら「頭の形をした」、桃形だったら「桃の形をした」ということ。
皆は気を付けてくれよな!
949 :
人間七七四年:2012/07/23(月) 22:58:34.05 ID:ClaJ1KmE
>>948 桶川胴は実際に出てきてびっくりしたことあるわ
あと関係ないけど、五枚胴に変換しようとしたらゴマ移動になるよなw
950 :
人間七七四年:2012/07/24(火) 16:45:42.28 ID:Chx9nd01
漢字の御用がコピペで広まる、いかにもネット時代の話だな
951 :
人間七七四年:2012/07/30(月) 04:53:14.14 ID:ueWH6btF
御用だ御用だ
952 :
人間七七四年:2012/07/31(火) 00:24:03.90 ID:SKwtAoLo
南北朝〜室町後期くらいまでの胴丸・腹巻をオールカラー、写真満載で特集した本とか出ないかな〜
歴史群像とかでも当世具足ばっかだからな・・・当世具足も好きなんだけどね
953 :
人間七七四年:2012/07/31(火) 14:20:45.46 ID:H8lI0ZRe
>>952 多くの若者はゲーム・漫画の影響で戦国武将ファンから甲冑に興味を広げていくことが多く、
奇抜さに惹かれることから当世具足に注目が集まりやすい。
中世甲冑の写真を見たければ、小学館の『原色日本の美術 甲冑と刀剣』がバランスよく載っててお勧め。
他、古本になるけど至文堂『日本の美術 No.24 甲冑』も解説が充実している。
あとは博物館や寺社の所蔵品図録に目を通すのもいい。
954 :
人間七七四年:2012/07/31(火) 23:55:09.78 ID:9mzQtP6M
誰か「本朝甲冑奇談」(東郷隆著 文芸春秋社・1680円)読んだ?
955 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 15:54:59.94 ID:B4V/kXD7
>>952 大山祇神社発行の図録、甲冑だけでも50以上カラーで乗っている。河野通信奉納の大鎧や胴丸鎧は有名で、多くの本に載るが、室町あたりの胴丸も多くあり、これらが本で紹介されることは少ない。
日本最古の大鎧(これは小札が一領ぶん残るだけで甲冑の形をしていない)から江戸時代、松平定靜奉納の復興大鎧まである。
現地まで行かないと入手できないのが難。
956 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 16:18:22.18 ID:EG4bEQnc
>>955 本物を見に行くならともかく、図録だけを求めにわざわざ現地に赴く必要はない。
日本の古本屋やスーパー源氏で探せば済む話。
957 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 20:33:59.60 ID:P8VNyeAA
>>955 大山祇神社の図録、昭和42年版と昭和60年版と二種類ある。ここで言うのは60年版の方。版型は横長。表紙は42年版60年版ともに河野通信の紺糸縅だが、60年版は上半分白、下半分朱の二色。
42年版には甲冑の写真は少ないのでご注意。現在、現地でどんなものが売られているのかは、最近行っていないので知らない。
958 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 23:52:32.22 ID:XRYiPYdK
>>953 紹介ありがとう。両方とも近くの図書館にあったけど、
大型本なのでなかなか借りてじっくり読む気にはならなかったんだよな・・・今度借りてみよう。
個人的には同じく図書館にあった岡山県立博物館のパンフレット(?)の「武士の美と心」が良かった
伝・足利尊氏奉納の腹巻とか、室町後期の前立挙二段、胸板・脇板に絵革を貼った古風な素懸威最上腹巻とか
数は少ないけど見ごたえのある写真が載ってた
>>957さんもありがとう!
大山祇神社にはいつか必ず行くつもりだから、お土産に60年版かそれ以降のものを買うよ
959 :
人間七七四年:2012/08/02(木) 16:02:29.52 ID:TI/bti6G
>>699 >>936 大祝家鶴姫の鎧、前記の大山祇神社発行の図録の解説には、天文十年の大三島合戦に鶴姫が用いたとの社伝がある、と書かれている。
原文が乗っていないので、その社伝がいつどのような形で生まれたものかは判断できない。江戸時代以後に推測で書かれた可能性も否定できない。
真偽の程は不明だが、そのような伝承があると言う事実は記録して置く必要がある。
腰の部分が絞られるのは室町中期以後によく見られるが、それでもこの胴丸の腰部の細さは異常。
960 :
699:2012/08/02(木) 22:57:37.42 ID:6AuZlXt7
大三島の鶴姫伝説は江戸時代中期の宝暦年間に書かれたという『大祝家記』をベースに、
大山祇神社宮司の家系の人間である三島安精が昭和41年に『海と女と鎧』という小説を書いたことで広まった。
そもそもが室町末期から二百年以上離れた時代に作成された記録(というか物語)なので相応に割り引かねばならない。
その上、『家記』の一節に「鶴姫の比類無き働き、鎧とともに今に伝はるなり」とあるそうだが、
三島は神社の資料や宝物を調べているうちに件の胴丸を「これは女物に違いない」と思い(込んで)、
上記の文に結び付けて本を書いたという顛末である。
おまけに笹間良彦が描いた、胴丸を着用した鶴姫の絵が宝物館の展示場で現物の脇に飾られているものだから、
見物客にますます「紺糸裾素懸威胴丸=女鎧」が刷り込まれていく。
「草摺が11間」とか、「脇部の構造が特殊」とか、「腰の窄まりがきつい」からという指摘が挙がり、
そのどれもが「だから女性らしい」という現代人的な感性を伴い、女性用鎧を肯定してきたわけだが、
いずれもが徒立打物戦の激化に対応するためということで説明ができる以上は、
女性用であるとすることに説得力が感じられない。
また、胴回りの細さについては目測だけでなく、同時代の他の遺品と数値データによる比較で、
普通か特殊かを考えることはできるだろうが、それで着用者の性別まで断定することは性急かつ危険ではないか。
961 :
699:2012/08/02(木) 23:16:34.79 ID:6AuZlXt7
追伸
これはまったくの想像だが、『大祝家記』を書いた人間が現在鶴姫の鎧といわれている胴丸を見て、
「これは腰細だから女性用だ」と思って記録を作ったのだとすると面白く感じる。
戦の絶えた近世、甲冑のシルエットは丸みを帯びた太鼓腹になり、
戦国期の逆三角形の胴は忘却の彼方にあったからだ。
平和ボケの甲冑しか知らない江戸期の人間が、
実用具であった昔の甲冑を解釈したらこうなったという具体例になる可能性はあるだろうか。
962 :
人間七七四年:2012/08/02(木) 23:23:49.97 ID:HPi/Y3e1
胴が直線的な逆三角形から洋樽型になるのは天正頃からだっけ?
西洋甲冑の影響だと主張する人もいるけどどうなんだろうな
963 :
人間七七四年:2012/08/03(金) 06:25:52.52 ID:F8nFV8r7
女性の衣服のウエストを絞るのは、ヨーロッパの風習。着物でも腰に帯をしめるが、シルエットとしては寸胴。
ウエストを絞るのは、胸を強調するためであるが、日本で胸が大きいのがよいとされるようになったのは戦後、アメリカの風俗の影響。
したがってウエストが細い=女性用との発想は日本古来のものではない。
964 :
人間七七四年:2012/08/03(金) 10:12:29.96 ID:LxHDKBn2
どちらかと言えば、昔の日本はやせてる人よりもふっくらした女性が美人と言われてたからね。
965 :
人間七七四年:2012/08/06(月) 01:32:02.91 ID:+JvFagTl
966 :
人間七七四年:2012/08/06(月) 11:16:40.70 ID:1QGJxPX7
>>965 加賀具足といえば、今年2月に「武士の家計簿」の猪山家の具足が、
板橋区立郷土資料館の特別展に並んで話題になったことが新しいが・・・
ttp://nanto.zening.info/jyouhana/Dsc_5765_m.htm 善徳寺から盗まれた具足は加賀藩12代藩主・前田斉泰の子の亮麿のために作られた稚児鎧。
亮麿は2歳で善徳寺に送られ住職となるが2年後に死去。
この具足も亮麿とともに寺に入ったもので、儀礼的な側面が強い。
稚児鎧というと、現代の五月人形のようにいい加減なものだと思う向きもあるだろうが、
将軍や大名が作らせた本歌の作品は大人用の甲冑と遜色ないどころか、
工芸的な水準ではこれを凌ぐことすらある。
亮麿の具足も、作域や伝来から加賀出来と考えて問題はなさそうである。
将軍家は家康の代から岩井与左衛門家を召抱えていたので、
加賀など、わざわざ他地域の甲冑師にオーダーする必要性は低かったと思われるが。
967 :
965:2012/08/06(月) 11:57:27.24 ID:O3AagXlj
>966
詳しい説明ありがとうございます。
>亮麿のために作られた稚児鎧
そうですか、これは稚児鎧だったんですか。
確かに良くみれば高さ無く、狭く見えるようです。
全く気が付きませんでした。
>家康の具足
あれも岩井与左衛門家の仕立てのものなのですか。
あれ2つだけ、羊歯や日の丸威しなんかと作りも雰囲気も少し違う感じがしていたので
この記事をみて、思いつきで書き込んでしまいました。
968 :
965:2012/08/06(月) 12:27:15.56 ID:O3AagXlj
スレ汚し申し訳ありません。
966さんが貼ってくれたURLに掲載されている画像を見ると
確かに稚児鎧ですね。
しかも家康公の金陀美、白檀とは全然作りも雰囲気も違う(汗)
969 :
人間七七四年:2012/08/06(月) 15:01:21.17 ID:l4FU4FeE
これもまた海外のブローカーに流出するのかな
970 :
人間七七四年:2012/11/15(木) 23:54:33.56 ID:qj4jhRM0
ここってまだ人いる?
平安末期〜鎌倉初期の腹巻について聞きたいのだけど・・・
971 :
人間七七四年:2012/11/20(火) 13:42:45.80 ID:cmnjPUGL
何が聞きたいんだい?
972 :
人間七七四年:2012/11/20(火) 23:16:21.31 ID:j8Ctukne
973 :
人間七七四年:2012/11/20(火) 23:32:54.76 ID:cmnjPUGL
>>972 当時の「腹巻」は現代で言うところの「胴丸」だよ
本来は右脇引き合わせのものを「腹巻」、背中引き合わせのものを「胴丸」と呼んでいたのが
近世に入って呼称があべこべになったんだとか
だから坂額御前が着ていたのも右脇引き合わせの胴だと思われる
974 :
人間七七四年:2012/11/20(火) 23:37:52.74 ID:cmnjPUGL
現代で言うところの腹巻が発生するのは鎌倉時代後期だというから1201年頃にはまだないんじゃないかな。
腹巻の母体となった腹当ならあると思うけどね
975 :
人間七七四年:2012/11/21(水) 09:22:46.93 ID:sxfpbOM2
>>973 大山祇神社の「義経奉納赤糸威胴丸鎧」のような形状と勝手に想像しても間違いではありませんか?
976 :
人間七七四年:2012/11/21(水) 17:21:26.12 ID:AmMo/6i6
胴丸鎧(現在の呼称)を着ていたとするのは時代的にちょっと厳しい気がする
単に「腹巻」としか書いてないなら普通の胴丸だと考えた方が自然じゃないかな
977 :
人間七七四年:2012/11/21(水) 20:09:21.59 ID:Ot8/ggz7
板額御前は城氏の娘(お姫様)なので、かなり上等な鎧着てたのかなと、勝手に想像。
メインウェポンは弓。なので弦走韋は張っていた(に違いない)。
大袖はつけていたのか?それとも杏葉だったのか?
捕らえられた後、浅利義遠に嫁いで子供を産んでいるらしいので、
ヒロイン?というにはちょっとトウが立った感じのおねぇさんか?(25〜30?)
・・・と、勝手に妄想しています。
美化しすぎかなぁ・・・
978 :
人間七七四年:2012/12/14(金) 22:53:43.27 ID:NaLJDE4H
>>977 『平治物語絵巻 信西巻』に、腹巻を着て弓矢を装備した歩兵が何人かいるが、
その中に袖を左側にのみ付けた人物がいる。
矢を射る都合上、防御に片袖が必要だったのだろう。
その胴と袖の威の色は違うので、別々の取り合わせと思われる。
後世、上級武士が腹巻と袖、兜を一緒に使うようになり、三者を同じ仕立てで作
ることが定着した。
また、腹巻に弦走を貼ることは例外を除きついに定着しなかった。
そのままで矢を射っても、弦が胴に引っ掛かるといった大きな支障はなかったのかも。
979 :
人間七七四年:2013/01/23(水) 23:29:35.31 ID:nyY6Jsoa
弦走といえば、近藤好和氏が「武具の日本史」の中で
弦走韋を張るのは弓の弦が引っかかるのを防ぐためという他に、
胴の形状維持の目的もあったのではないかと書いていて興味深かった
980 :
人間七七四年:2013/02/01(金) 18:26:12.18 ID:1MXjUHGF
981 :
人間七七四年: